オーバーロード ~ナザリックの華達は戦っている~ (SUIKAN)
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STAGE01. 挑戦の始まり(1)

 一人の、いや見た目は『1匹』といった方がいい異様な外形。

 そんな姿をしたプレイヤーが地下に蠢く。

 彼は、以前作成して自室にずっと残していた、とある1体のキャラを懐かし気に見上げる形で眺めていた。

 随分と長く、恐らく停止して3000日程放置していたものだ。

 

(ふっ。コレ、余りのスゴイ出来に()()だった気もしてたよなぁ……)

 

 だから仲間内の実験で少しの間、動かした程度。

 8年も前の事なのでうろ覚えながら、確か設定を色々と凝ったつもりであった。しかし出来上がったモノは、偏りがあり過ぎる存在になっていたように記憶している。

 だがそれも今日で全て無と化すということで、最後は動かして終わらせようかとこっそり起動した。

 数々の意味合いで恐怖するソノ()()()を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女達は『まだ』動かない――――。

 

 

 Dive Massively Multiplayer Online Role Playing Game(DMMOーRPG) YGGDRASIL(ユグドラシル)

 今日は、西暦2126年に開設されたこのゲームの運用サービス最終日。

 その知らせは、サーバー停止を以って12年の歴史に終止符を打つと、半年前よりユーザーへ周知されていた。

 

 ここはユグドラシル内のギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の拠点、各層へ広大なフィールドを持つ全10階層からなるナザリック地下大墳墓。

 HN(ハンドルネーム)モモンガを名乗る鈴木悟(すずき さとる)は、運用開始当初からアンデッド種族系の骸骨キャラを操り、今は最高進化種である死の支配者(オーバーロード)となっている。

 全41名の仲間達と、苦労しながらギルドの拠点であるナザリックを作り上げ、中心メンバーの一人であった彼が、最盛期と言える9年前からギルド代表、統括責任者となっていた。

 

「でも、それも今日で終わりなんだな……」

 

 このギルドのメンバー分の席が並び、中央部分に大きく抜かれた空間を持つ大円卓が置かれた部屋『円卓(ラウンドテーブル)』で先程、三人目として集まってくれたギルド所属メンバーであり、スライム種キャラ使いのヘロヘロさんのログアウトを一人寂しく見送った。

 二年ぶりのログインだというのに、彼は言葉に感慨も少ない感じで、すでに過去のような話しぶりであった。

 「またどこかで会いましょう」と残した彼の言葉を思い出しつつ一瞬失笑が漏れた。

 それは、これだけ真剣だったのは自分だけかよ、という思いから。

 

「――ふざけるなっ!」

 

 モモンガは思わず怒りで、骸骨であるその右腕を41座席が壮観にならぶ白き大理石風の円卓に叩きつける。自分同様に他の者も、一時は全てを掛けて作り上げてきたこの場所を、なぜそんなにあっさり捨て去れるのかと。

 でも思い直す。――誰も裏切ってはいない事に。

 ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の参加条件は二つ。一つは異形種である事。そしてもう一つは、社会人である事。

 そう、当然メンバー達には大事な仕事や家族もいたり、社会人としてやらなければならない数多の事があったのだ。去って行った仲間達は、誰も悪くない。

 せめて自分ぐらいは、静かにここで仲間達の分まで最後の時間を過ごそうと考えた。

 モモンガは、円卓部屋の壁に唯一設けられたニッチへ浮かぶよう(しょく)された、黄金色の(スタッフ)状のギルド武器アイテム――『スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』を暫し眺める。そして、これまでほぼずっとこの場にあったその豪華な杖へと、ゆっくり手を伸ばし掴む。

 これは、ギルドがその存在を守るためにメンバーのみが使うことを許されたものだ。

 最高クラスの所属メンバー達が結集して作ったギルドの秘宝。上部の七匹の蛇が咥える宝石はすべて神器級(ゴッズ)アーティファクトであり、杖自体に込められたパワーも、世界級(ワールド)アイテムに比肩する強力なものとなっている。まさに、ナザリック地下大墳墓を含めたこのギルドの力を表すものと言えた。

 ギルドマスターの彼は象徴的なその杖を握ると、第一階層から最後にと名残を惜しむように、ナザリック内を順に指輪の『リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』を使い瞬間転移で一時間程掛けて見て回った。

 

 第一から第三階層は『墳墓』。第二階層の一区画には「黒棺(ブラック・カプセル)」。

 第四階層は『地底湖』。

 第五階層は『氷河』。館として「氷結牢獄」。

 第六階層は『ジャングル』。

 第七階層は『溶岩』。

 第八階層は『荒野』。

 第九・十階層は『迷宮神城』。第九階層に「円卓(ラウンドテーブル)」「客間」「使用人個室」「大浴場」他、第十階層に「ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)」「玉座の間」「メンバー個室」と「書庫」「宝物殿」。

 

 所属メンバー以外が、各層を徘徊すればLv.100の最上位Non Player Character(NPC)に、Lv.80を超えるNPCやシモベらがたちまち襲来し確実に止めを刺す防衛システム。もちろん、ここの支配層たるモモンガへは、近寄ると皆が出迎える様に直立で頭を垂れ見送ってくれる。

 これらNPCは、立ち上げ時の所属メンバーらが心血と愛情を注いでデザインから設定まで作り上げている。そのため個人の趣味に思い切り走っていた。

 延べ12年近い期間も後半は、モモンガ自身も各階層へは数えるほどしか訪れていなかったと改めて思い出す。それは、各階層は各メンバーの遊び場的要素も持った場所であったからだ。

 ここ9年、モモンガはギルドの代表としてこの地を、所属メンバーらを代表して全力で守ってきた。

 そしてもう、所属メンバー達はナザリックに未練がないようだ。

 ユグドラシルの運用の残り時間は、すでに1時間を切っている。

 モモンガは思った。

 

 ならば――最後に少し悪戯をさせてもらおうと。

 

 そう思わせたのは、たまたま遭遇したモモンガを無視するように移動する以前見た記憶がある小柄なNPCを見た時だ。

 NPCの動作設定は色々あり、自動徘徊という機能もある。しかし地下大墳墓のNPC達は、ギルドメンバーの至高の41人へ挨拶をする動作をシステム的に選択して入れていたはずと、モモンガは思わずその者の名を確認すべく設定テキストを閲覧した。

 彼女の名は――ルベド。

 ギルドメンバーのタブラ・スマラグディナさんが行ったこの子の起動実験に立ち会ったのを思い出す。

 守護者統括のNPCであるアルベドの妹で、表情には面影が有る。彼女はギルド所属のプレイヤーを含む全軍中、近接戦闘において最強の存在であったが、ある理由により停止されていた。

 設定を一通り読むとギルドメンバー達に媚びない『キャラ設定』のテキストにドン引きである。

 

(結局、停止されてずっとお蔵入りしていたはずだけど……最後だと思って再起動したんだな。しかし……なんで制作者のタブラさんは、こんな設定文にしたんだろう。これ、可愛いキャラへのギャップ萌えかなぁ? よし――)

 

 本来、設定変更にはツールが必要なのだが、手に握る杖のギルド武器『スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』がその記述の変更を易々と可能にする。

 杖で浮かんだ設定枠に触れると、カーソルとキーボードが現れた。

 それを使ってモモンガは書き換える。

 途中の文面にそれなりの理由が書かれていたが、その辺りでの修正は面倒なので、最後の一文の末尾、「攻撃的な性格でもある」の部分を「攻撃的性格ながらも至高の41人には従順である」と更新した。

 すると結局ルベドは、こちらを意識せず歩き出す。只のテキストの設定を変えたのみなので礼をしてくるわけではない。

 

「まあ、これでいいか」

 

 モモンガは製作者に少し悪く思うも、とりあえずは満足し、更に他の階層へ赴いた。

 そこは第六階層の闘技場。

 円形に建ち、いくつか天に向かい伸びる刃の形をした特徴のある巨大な建物の中、モモンガが上位者用の観覧席の近くを歩く。すると、短めで金色の髪を揺らす二人の人影が素早く近寄ってきた。並んで立ち、にっこり静かに出迎えてくれる。

 階層守護者でダークエルフの少し幼さの残る双子、アウラとマーレだ。

 制作者は、遊び心旺盛だったぶくぶく茶釜さん。

 

(ダークエルフは、やっぱり金髪にエルフ耳といい可愛いなぁ)

 

 モモンガが、設定ウィンドウを開き、おもむろにテキストを確認する。

 だが、スカートを履いたマーレの設定文にあった一つの単語で目が止まる。

 その子はおかっぱ風の髪で垂れ耳の頭に、青い龍鱗の鎧型シャツへ可愛く白いブレザー風な袖無上着とプリーツのスカートを履いており、その仕草も女の子的雰囲気の動作をしていたのだが。

 

(――男の娘って……)

 

 モモンガとしては、これは――『女の子』でいいんじゃないか!と強く考えた。

 制作者としては、弟のペロロンチーノ氏への当て付け的なお遊びなのだろう。

 そして先ほどと同じように杖で、説明欄に触れてキーボードを出すと、「男の娘」を「女の子」へと書き換えていく。

 

(これでよし)

 

 更新すると、マーレの表情が少し明るくなったように思えた。システム的には変更していないので、それは完全にモモンガの気の所為であるが。

 双子の姉弟から姉妹となった二人に見送られ、モモンガは第六階層を後にする。

 そうして、他の階層や地域を回り、目に焼き付けると『円卓(ラウンドテーブル)』へ戻って来た。

 後二十分ぐらい残されている。

 

(最後は、玉座の間へ迎えるのがいいかな)

 

 玉座の間は『円卓』から少し歩いた近くの吹き抜けの大階段を降りた下層にあった。

 モモンガは、『円卓(ラウンドテーブル)』から扉を開けて廊下を僅かに進み、幅広い通路へ出た所でいつもの者達に目が止まる。

 それは、白髪の男性執事を初め、玉座の間周辺を守る戦闘メイド六連星(プレアデス)ら7名が並んでいた。結局ここまで攻め入れた者はおらず、彼等には随分暇をさせてしまったように思える。

 戦闘メイドプレアデスは、所属メンバー個人から命令をされる事なく、玉座の間近辺を守るのが暗黙の決まりだが、もう最後の最後。

 

(最後ぐらいは個人の命令でもいいよな……)

 

 モモンガは、先頭に立つ家令の仕事までも熟す執事の設定を見つつそう考え、命令する。

 

「付き従え」

 

 7名の従者を引き連れると、大きめの超豪華シャンデリアが幾つも天井に配置され、見事な装飾が各所に施された吹き抜け仕様の赤い絨毯の引かれた大階段を下り切る。少し歩いた所には、見事だと感心する70体近い彫刻像のゴーレム群がずらりと配置され、最終決戦場として用意されたドーム状の大空間『ソロモンの小さな鍵』( レメゲトン )と呼ばれる空間が現れる。そこに玉座の間への扉として一つの巨門があった。

 モモンガの「開門」の声にゆっくりと開いていく左右の重厚に出来た入口の扉を通って、主は『玉座の間』と呼ばれるこの拠点支配者の空間を最奥まで進んで来る。

 その場で、続くプレアデスらを待機させると彼は静かに玉座へと座った。

 ここには守護者統括であり、ナザリック地下大墳墓に存在する全NPC達を統べる存在の、白い衣装で長い黒髪に腰から伸びる黒い翼の美しいアルベドが控えていた。

 普段は各階層を周回しているので、今ここへ居ることに、彼は内心少し驚いている。

 

(珍しいな。まあ、単なる偶然かな)

 

 普段は製作者も違うため、余り見ることは無かった彼女。その頭両側から生える悪魔種の白い角と金色の猫風で縦長の瞳が印象的だ。白い肌におしとやかで美人である。

 改めて彼女の設定を見てみる。すると、上方へ文字が流れ続けるスクロールが続く。それは設定の限界文字数で入力されていた。

 

(………長っ! さすがは設定魔でもあったタブラさんだ……)

 

 しかも、その最後にかわいそうな一文「ちなみにビッチである。」を見つける。

 確かにギャップ萌えのタブラさんらしい部分ではあった。しかし、これは無いかなと、再び杖を出して書き換える。

 モモンガは、気になったその箇所の一文を消すと少し冗談気味に「モモンガを愛している。」と書いてしまう。

 

(……うぁぁ、恥ずかしいぃぃ)

 

 そう思ったが、もう本当に最後の最後だし、いいだろうとそのままで更新する。

 彼は、終わりの時を静かに玉座で待った。

 そしてモモンガとナザリックは、24時を迎える。

 

 しかし、サーバーダウンに因る強制ログアウトは―――起きなかった。

 

 時間は止まらない。ナザリックへの滞在も終わらない。

 しかしその時、世界は変わっていた。

 

 

 

 ―――そして、彼女達は動き出す。

 

 

 

 その瞬間から、アルベドは周囲の状況と今を認識する。

 目の前の『愛しい』偉大である御方が、最後まで残りここの住人であった我々を見捨てず統べてくれていた事を。これからも忠義を尽くし従うべき存在だと。

 それは、執事であったセバスも、その後ろに並ぶ、プレアデスの6名も、いやモモンガを除くナザリック地下大墳墓にいるほぼ全ての者らがそう認識していた。

 その中でも数名は、この残られた至高の主へ尊敬以上の想いの念を抱いている事に気付くのも同時であった。

 アルベドの変化は顕著であった。

 モモンガを前にすると頬が、身体が火照ってしまうのだ。彼を強く愛しているからだ。目も自然に潤んできてしまう。

 Lv.100のNPCである彼女の個体能力は、モモンガにも匹敵している。他の階層守護者NPC達も彼に肉薄する。

 すなわち、モモンガへは能力に対する尊敬もあるのだが、支配者としての敬意がベースとなっている。

 特に第一から第三階層の守護者のシャルティアは、能力に偏りの有るモモンガと比して全ての能力が非常に高く、近接では完全に上回っている弱点の少ない心強い存在だ。

 しかし、性的嗜好も加わって彼女もモモンガへの湧き上がる熱い想いに、第一階層にて体をモジモジとさせていた。

 一方で、複雑な心境の者が数名いる。

 一人はアルベドの妹、近接最強のNPCルベド。

 従来、優先順位が高く無かった至高の41人の存在だが、無視できない設定記述を反映された状態で今を迎えている。

 敬意などは存在しないが、唯一絶対に逆らえない存在としてモモンガを認識していた。

 

(……姉さん達以外に意識する存在など……でも)

 

 彼女は第五階層の某所で膝を抱え、困惑する表情を浮かべていた。

 そして、第六階層守護者の双子の『妹』となったマーレ。

 書き換えられた設定がボディデザインを越えて『複雑』に反映されていた。だが異形種にとって、多少の体の差など問題ではないのだ――。

 元々、男の娘であり、製作者の意向である男子としての感性は残っている。しかし、設定でも大部分女の子っぽい性格であり、どちらかと言えば女の子の方が楽なのも確かであった。

 そして……マーレ自身、男の娘であってもモモンガを敬愛していただろう事を、すでに気付いている。

 なので、女の子にしてもらった事は素直に御主人様へ感謝していた。

 

 

 

 

 

 24時を越えた玉座の間では、モモンガが現状に内心狼狽えていた。

 強制ログアウトされなかった上、ゲームでは表示されたアイコンやコンソール類の表示が一切出なくなったのだ。これでは通常のログアウトも出来ない。更にチャットもGMコールも使えない状況に陥り、途方にくれ唸りながら席より立ち上がる。

 

「んんっ?!(一体どういうことだぁぁ!)」

「――どうかなさいましたか、モモンガ様?」

 

 モモンガは立ち上がったまま、固まった。一瞬何が起こったのかと、目の前のNPCであるアルベドを見下ろす。

 

(……な、なぜ、コマンド無しでNPCのアルベドが動いて話しかけてこれる? 動きは兎も角、ユグドラシルにNPCが話す機能など無かったはずだけど)

 

 更にアルベドは心配そうに、自然で違和感を感じさせない動きを見せてモモンガへと寄って来た。モモンガは思わず彼女へGMコールが使えないと伝えると、アルベドはそれについて知らない事を誠心誠意詫びてくるのだ。

 状況が不明な中、思い切って試しに執事のセバスへ口頭で命じてみた。

 

「セバスよ、ナザリックの外、地表へと出て周辺の状況を確認せよ」

「承知いたしました、モモンガ様」

 

 驚いたことにNPC達は、コマンドではない口頭での会話を完全に理解、自己判断して命令に従ったのだ。一体どうなってしまったのか。

 

 その光景は、まるでNPCらが生を受け、動き出しているかのように見えた。

 

 ナザリックに起こった異常事態が良く分からず、セバスに対し追加して戦闘メイドプレアデス達の第九階層での防衛を命じる。

 セバスを含むプレアデス達が居なくなった後、モモンガは悩みつつも思わず確かめてしまった。

 アルベドを近寄らせて承諾の上で……その胸に触れる。その際、傍に寄る彼女からいい匂いが香り、なんとも柔らかい女体の感触が自然に感じ取れた。そもそも匂いや感触などという機能も、DMMOーRPGユグドラシルに存在していなかった。

 さて今だが、誰もいないからとアルベドとの『エッチ行為』が目的では無い。

 ここで重要なのはユグドラシルでは『18禁行為』が禁止されていた事である。これは運営企業側も風営法に引っかかる可能性が高い為、見過ごすことが出来ない事象であった。なので、このようなアルベドへの卑猥な接触行為はプレイヤー操作へ管理者介入が掛かり、警告や最悪だと強制ログアウトでゲーム外へ弾き出され、その後アカウント停止にまで及ぶはずなのだ。

 それが何も起こらない――。

 明らかに異質な変化が起こっている。しかし、このまま呆けていつまでも胸を触っている訳にはいかない……。

 モモンガは、触れていた手を胸からそっと放す。

 

「あの……もう、よろしいので? では、次は服を脱げばよろしいのですね? それともモモンガ様が――」

「あ、いや、オッホン……。アルベド、今は時間が無い。それよりもやって欲しい事がある」

「左様ですか、残念です……それで、私は何をすれば宜しいのでしょうか?」

「至急、第六階層の闘技場へ、第四、第八を除く各階層守護者へ来るように伝えよ。集合時間は、今から一時間後だ」

「畏まりました」

 

 恭しく礼を行うと玉座の間を退出して、直ちにモモンガ直々の命令を実行するアルベドは、それでも胸を弾ませていた。愛する者に求められ触れられた悦びと共に、直々の命令まで受けたのだ。気に入らない吸血女の守護者へも、優越感の内に指令を伝えようと向かう。

 各階層は基本的に分厚い大門に守られた転移門によって結ばれている。大門は要所にあり、非常時には各層とも屈指の強力なシモベらが守る。

 アルベドは、ナザリックのNPCらの総統括者であり、その証を示して門を通って行く。指定された階層で、シモベ達に階層守護者へモモンガからの指示を伝えていく。

 第三階層へ着くと、シャルティアのシモベである白い顔の吸血鬼の女性達へと伝えた。

 アルベドが直々に出向いたのは、上位者でなければ厳命が伝えられないからだ。

 

 シャルティアは少し小柄といえるスタイルで、大きく膨らんだ感じの赤紫系で足を見せない形のボールガウンドレスに、髪へ大きなリボンを付ける赤い瞳の令嬢である。

 真っ白な肌の彼女は第一から第三階層『墳墓』の守護者で、真祖としての『吸血鬼(ヴァンパイア)』であり、側近の配下も皆女子の吸血鬼たちで固めている。

 第二階層の屋敷で、シモベから伝えられたモモンガからの第六階層への呼び出しに、真祖の少女シャルティアは狂喜する。

 そしてシモベ達に叫ぶ――。

 

「胸パッドの用意を! 急いで盛らないとっ!」

 

 少しでも魅力的と思えるボディラインを、主であるモモンガに見せたいのだ。すでに不死の体。それはもう成長しない身体でもあった。

 平坦な胸以外の身体には、自信を持っている。外見年齢は14歳程度と若々しい体と肌触りである。彼女から見れば行き遅れなアルベドや、外見年齢が年下であるアウラらには負ける気がしていない。主もこの体を抱けばきっと喜んでもらえると。

 彼女は、そこまで漕ぎ付けるには努力が大切だと考えている。中身に、この身体に興味を持って欲しいというアピールの表れが胸パッドに集約していた。

 

「ああ、愛しの我が君。お待ちください、魅惑的な胸で拝謁に伺うでありんす」

 

 彼女は配下に手伝われて、大きめのブラへ胸パッドを丁寧に重ねつつ詰め込んでいった。

 

 

 

 モモンガは、アルベドへ指示を出した後、第六階層の円形闘技場へとやって来る。彼にはまず、確かめなければならない事があった。

 それは、ユグドラシルで行なっていた戦い方が、今現在も可能なのかどうかの確認である。アイコンが一切出なくなった状況でも魔法が使えるのかを試すのだ。特に今後を考えると、ギルド最強の切り札である『スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』がどこまで機能するのかを実際に把握する必要があった。

 

 目の良い闇妖精(ダークエルフ)のアウラは、闘技場内への門を歩くその見覚えのある高貴な後ろ姿に、直ぐ気付いた。

 ここナザリックに、至高の41人でただ一人最後まで残られた慈悲深きお方。さらに、このギルドを統べる者。正にナザリックの主人である。

 彼女にとって、彼は守るべき者で絶対者であり、複雑な感情はなく尊敬の対象であった。

 

「マーレ、モモンガ様だよ。ほら早く行くよっ!」

「あ、お姉ちゃん、待ってよ」

 

 主が闘技場の中へ入ると、客席部にある高い位置からせり出したベランダ状の場所へ現れていたアウラが「はぁっ」と掛け声を上げ飛び降りてくる。そして着地のあと主である彼の傍へと走り寄って来た。

 彼女は金色の短めの髪からエルフ耳が横に斜め上がりに伸び、朱い龍鱗の鎧型シャツに白い袖無ブレザーとスラックス姿。右眼の瞳が緑色で、左が紫のオッドアイだ。

 明るく元気で快活な少年風だが、女の子である。

 

「いらっしゃいませ、モモンガ様。あたし達の守護階層までようこそ」

「少しばかり邪魔をさせてもらう」

 

 アウラは、主の絶対者の風格と、その左手に握る杖状のアイテムから何か驚異的な力を感じる。間近で見るのは初めてだが、これが我らの誇るギルド武器なのだろう。

 

「モモンガ様は、このナザリック地下大墳墓における絶対的である支配者様。どこへ行かれようと邪魔に考える者など居ませんよ」

 

 控えめな絶対者へ、配下の自分達は訪問を喜んでいることを告げた。

 モモンガはそうかと頷き、「ところで」と双子のもう一人がいない事を探すように窺う。

 もう一人のマーレは、観覧席の所にしゃがんでいた。ちょっと恥ずかしかったのだ。

 

(ああ、モモンガさま……)

 

 自分が敬愛する主にどう思われているのか気になり始めていた。それに、高所から飛び降りればスカートが捲れてしまうのである。はしたない姿を見せる訳にはいかない。

 もちろん、それを主が望めば……やぶさかではないとの思いではあるが。

 すると、姉のアウラが呼ぶ。

 

「マーレっ、モモンガ様に失礼でしょう! とーっとと飛び降りなさいよっ!」

 

 確かにそうなのだ、大事なお方なのは十二分に分かっている。そして姉も、妹の想いは知っている。なので余計に強く声を掛けているのだ、嫌われちゃうぞと。

 でも、捲れてはしたない子だと……更にもし、スカートの中の履きモノが気に入らないとか思われたら……。ちなみに今日は純白だ。偶に黒も履いちゃう。

 

「む、無理だよぉ、お姉ちゃん」

「マーレっ!」

 

 モモンガも知っている。マーレの身体能力は姉を凌ぐほどだという事を。だからこの程度の高さが無理である訳が無い。

 だが、姉の気持ちが伝わったのか、「わ、わかったよ。……えーい」とついにマーレはスカートの前後を必死に押さえて飛び降りる。

 着地すると、まず短いスカートの乱れを素早く確認。よしっと見まわしてから駆け出す。

 魔法詠唱者の杖を右腋に挟み持つその姿は、スカートを全力で庇うように乙女走りである。可愛い。

 姉からは「早くしなさい」と急かされた。アウラとしては主様に、少し捲れてサービスするぐらいがいいんじゃないかとも思ったのだ。

 

「お、お待たせしました、モモンガさま。ようこそおいでくださいました」

 

 姉とは逆の右眼が紫、左が緑色のオッドアイであるマーレは、モモンガの前に漸く来ると、少し恥ずかしそうだがとても嬉しそうに微笑む。

 モモンガは、とても仲の良い双子の設定は健在だなと確認し、ほほえましく思っていた。ナザリックのNPC達は仲間の思い入れが詰まっており、モモンガとしては家族のような感覚もあるのだ。多少待たされようと気にすることはない。

 

「うむ、ところで、マーレ」

「は、はい、モモンガさまなんでしょうか?」

 

 少し恥ずかしそうだが可愛く微笑む垂れ耳のマーレへ、性別を確認しようかと思ったが、良く考えるとマーレに「あの、その……確認されますか?」と言われたらどうしようかとも思い至る。

 

「あ……いや、二人に手伝って欲しいと言うべきだな」

「? はい、なんでしょう」

「オッホン、これのな」

 

 左手に持つ、金色の杖を軽く掲げると、二人のダークエルフ姉妹は食い付いた。

 

「うわぁ」

「そ、それがあのモモンガさましか触れないと言う?」

「そうだ、我々ギルドが総力を以って作り上げた最高のギルド武器、“スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン”だ」

 

 これは、階層守護者達でも中々見ることが出来ない武器であった。

 ゲーム内の仕様上、この武器が破壊されるとギルドが壊滅するために、持ち出しての使用が制限されていたのだ。

 なので双子とも「す、すごい」と感嘆の声を上げている。

 

「これの実験を行いたくてな」

「モモンガ様。わかりました、すぐに準備をします」

「それとアウラ、この場に第四と第八以外の守護者らの招集を掛けている。一時間もしないうちに来るはずだ」

「シャルティアも来るんですか?」

「うむ」

 

 アウラはシャルティアとは、設定上不仲であった。とは言え、直面する非常事態への招集だ。アウラも言葉はそこまでにとどめる。

 早速、モモンガの要求する試験用の効果を測る人形が二体、二匹の龍系のシモベらによりフィールドへ運び込まれる。

 さて、いままでユグドラシルでは魔法を使う場合、アイコンをクリックしていたが、今は出ない。

 しかし、モモンガは意識を奥へ向けると様様な情報を認識出来た。発動や再実行までの時間、威力に効果範囲、MP総量等々である。

 

(サモン)源の火精霊召喚(・プライマル・ファイア・エレメンタル)!」

 

 杖にある七色の内、赤色のゴッズアーティファクターが光り輝き発動する。

 強烈で巨大な火炎が広範囲に渦巻く。効果を図る人形二体は支えの丸太ごと消滅。さらにその元々の影響範囲の広さに、モモンガの持つ黄金色の杖の結界級である自動防御が発動。

 アウラ達もシモベらに守られる。

 どうやら問題なく、根源の火精霊(プライマル・ファイア・エレメンタル)の呼び出しに成功する。コイツはLv.80後半という強力さである。一日に一回のみ召喚可能だ。

 その燃え盛る荒々しい龍のごとき姿と様子に、アウラは「うわぁ」と好戦的な雰囲気で無邪気に興奮する。元々格闘系の好きな性格で、折角でもあるので主が試しにコイツと自分を戦わせてくれないかなぁと考えていた。

 

「アウラ、闘ってみるか?」

「えっ、いいんですか」

 

 気持ちを察してくれたのだろうか。主の提案が嬉しい。

 対して、妹のマーレは予想通り及び腰だ。しかし、姉に首根っこを掴まれ場内の中央近くへと連れていかれる。

 攻撃前衛をアウラが担当し、後衛としてマーレが魔法で補助する。

 アウラとマーレもLv.100のNPCである。その二人が連携すれば、Lv.80後半の根源の火精霊(プライマル・ファイア・エレメンタル)に対して、完全に圧倒するレベルで攻撃、防御してみせていた。

 一方、モモンガは観戦中に〈伝言(メッセージ)〉の機能を使用してみると、期待したプレイヤーらには繋がらなかったが、周辺の地上を確認中であったNPCのセバスと会話をすることが出来た。NPCへ繋がることに内心驚きつつも、セバスには冷静な声で至急第六階層の闘技場へ、得た情報を知らせに来るよう伝える。

 距離に因るのかも未だ不明であるが、ナザリック所属のNPCとは会話が出来る事実が分かった。

 間もなく、双子は根源の火精霊(プライマル・ファイア・エレメンタル)を倒してしまった。本来の二人の実力から、それはモモンガも納得できる結果である。

 

「二人とも、素晴らしかったぞ」

「あはっ、これだけ体を動かしたのは久しぶりです」

 

 アウラがそう嬉しそうに報告すると、なんと主はアウラとマーレへ労いにと、空中に手を伸ばす形でアイテムボックスから冷水を取り出し、グラスに注いで差し入れてくれた。アウラたちは驚くも感激し、配下に優しいモモンガへの好感は高まる。

 特にマーレは、敬愛する絶対的支配者であるモモンガが、姉妹へ優しく大事にしてくれる自然な様子に想いが加速する。

 身を捧げてこのお方の傍にずっとついて行こうと――。

 

 

 




補足1)
NPCやシモベ達は、過去の至高の者達の行動や言動について、見聞きしたことは覚えているようです。これは書籍版の3巻30P辺りにシャルティアの口から過去話が出てきます。なので、過去の状態の多くを覚えている可能性が極めて高いです。

補足2)
本作の第九階層、第十階層は『迷宮神城』仕様へと捏造改竄しています。
ギルドメンバー個室は十階層へと移しています。


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STAGE02. 挑戦の始まり(2)

 そのころシャルティアは、第二階層自室にある鏡の前に立つ。

 

「うふっ。これでいいでありんす。我が君に私の熱い気持ちを、分かってもらうでありんすえ」

 

 ブラをパンパンにして、魅惑的なボディラインは準備万端である事を確認すると、一刻も早く我が君に会うためすぐに〈転移門(ゲート)〉の魔法を唱える。彼女は各階層での移動は全て〈転移門〉の魔法を使った。

 間もなく闘技場まで胸部への振動を極力抑えた形で到着する。

 

「私が、一番乗りでありんすね」

 

 当然という思い。そして、アルベドには負けられない。常に主へ対し、先行者でありたいと。

 闘技場内は明るい為、それを嫌って日傘を差していた。ここは地下で日光には当たらないが、明るいのは生来苦手なのだ。しかし、我が君へ会うためならば、地上へでも喜んで赴くつもりである。

 

(その御方が目の前に)

 

 シャルティアは、我慢出来ず日傘を思わず手放してモモンガへと駆け寄る。魔法で出された日傘は幾多の蝶となって華麗に消えてゆく。

 

「ああ、愛しの我が君~」

 

 彼女にとってモモンガは本当に特別だといえる存在。彼女の創造主は別として、本来吸血鬼の真祖たる彼女が誰かに従うということは無い。だが、彼女の強く激しい性には屍体愛好があった。

 また設定に、ギルドの統括者には心酔し従うと元から記載されている。

 この二点により、最高峰の死体で支配者のモモンガに対して絶対の愛が生まれた。そのため、この愛を実らせようと、シャルティアはその身を積極的にモモンガへと擦り付けていく。

 その露骨に振る舞う吸血娘の姿に、双子の姉妹は面白くない。

 アウラとしては、尊敬の対象で絶対的支配者の「モモンガ様」に触れまくるのは無礼千万だと。

 マーレ自身も、敬愛する方へその身をスリスリしたい願望はあるが、主人からそう声が掛かるまで熱く我慢しているのだ。

 双子を上回る能力の階層守護者NPCとはいえ、黙っていられない。双子たちも立場的には対等の階級であるのだから。

 

「ちょっと、シャルティア、いい加減にしたら」

「そ、そうだよ。モモンガさまも困っておいでだと思うから」

 

 確かにモモンガは、配下からの思わぬ強烈で露骨に示された親愛表現に戸惑っていた。以前のゲーム中ではこんなウレシイ行動はありえないのだ。おまけにローズ風でアロマチックのよい匂いもする。

 主との逢瀬を邪魔され、シャルティアは振り返る。モモンガに歪んだ顔を見えないようにして。

 

「あら、両名いたでありんすか。特に姉は頭がおかしいので、妹もそろそろ怪しいものでありんすね」

 

 地位は対等だが、上下はあると考える真祖のシャルティアは、見下す様に可愛く美しい姿の二人へ言葉を返す。正直、女としてダークエルフの二人は強敵なのだ。以前のマーレは男であったので気にする対象ではなかったが、今は違う。二人纏めて言葉でバッサリ切る。

 

「なっ」

「くっ……」

 

 自分だけならまだしも、可愛い自慢のマーレまで愚弄され、もうアウラは黙っていられない。反撃の言葉はランクアップする。

 

「……敬愛するというモモンガ様へ、まさかそんな『ニセ乳』を掴ませるなんて、不敬千万」

「っ、なっ」

 

 言われてみればその通りであり、シャルティアはその大きくした胸を思わず手で隠すように狼狽える。

 

「図星ね。以前の戦いではそんな“見慣れない形”じゃなかったもの。紛いモノを掴ませる配下の貴方が、寵愛を受けるとでも思っているのかしら」

「(うわぁ、お姉ちゃん容赦ない)……」

「だ、黙りなさいっ!」

 

 シャルティアは、もはやこれ以上一言も貶められるわけにはいかないと感じ、思わずその言葉を吐き出す。しかしよく考えれば不用意だった。こんなときに於ける主の反応を知らない自分に恐怖し始める。もし、この熱い行動に失望され、嫌われてしまったらと……。

 

「もう、きっと御前に呼ばれないかもしれないねっ」

 

 アウラの追い打つ言葉で、想像を絶する悲しみにシャルティアは……。

 

「ぐっ……ぐすっ……ぅぅ、ひどい……そこまで言わなくても」

「お、お姉ちゃん」

「あちゃぁ、本気を出し過ぎたか……」

 

 泣き出し、力なく走り去ろうとするシャルティアへ駆け寄り、アウラとマーレは慰め出していた。

 

「わ、悪かったわよ、でもシャルティアがマーレまで悪く言うからだよ。しょうがないなぁ、私もフォローしてあげるから」

「……本当でありんす?」

「僕も協力するから。そ、それにモモンガさまは、とっても優しいし」

「で、でも……」

 

 駄々聞こえである。

 しかし、モモンガには懐かしい光景でもある。アウラらの制作者ぶくぶく茶釜と、シャルティアの製作者ペロロンチーノは実の姉弟であり、よくケンカをしていたが、最後は姉のぶくぶく茶釜が丸く収めていたのを思い出す。結局仲は悪くないのだ。

 見かねたモモンガが三人へ声を掛けた。

 

「三人とも、その辺にしておけ」

 

 絶対者の掛ける言葉に、三人はその場で素早く横に並び跪き頭を垂れる。だが彼の次の言葉に思わず三人は顔を上げた。

 

「私は……特に胸の大きさには拘ってはいない」

「「「えっ?!」」」

 

 ――衝撃の言葉であった。

 

 三人は基本的に、大きいものが絶対的に好まれると卑下していた項目。そこに輝かしい光が差し込んで来た。

 

「それに、お前たちは飾らなくとも、皆、十分綺麗で、その――かわいいぞ」

「「「!―――っ」」」

 

 シャルティアと、マーレは当然だが、アウラまで胸がときめき出す。

 

(モモンガさま……あたし『も』かわいいのですね……)

 

 少年風のアウラは、少女チックである妹マーレがいつか主へ上手く嫁げれば、それで良いと考えていた。自分は女の子としては魅力が無いだろうと、初めからそう考えていたのだ。

 それがである。自分も女の子として十分見てもらえているのだと知った。そう考えると頭の中が桃色になりぐるぐると回り出す。

 アウラは、三人の中でもっとも真っ赤で熱い表情になっていた。

 マーレは表情から姉の気持ちの変化に気付いている。

 

(……お姉ちゃん、良かったね)

 

 妹はそのあとも、女の子する姉をうれしそうに眺めていた。

 

 

 

 そのあとすぐ、第五階層守護者で蟲王のコキュートス、少し遅れて第七階層守護者で悪魔のデミウルゴスと共にアルベドが円形闘技場『アンフィテアトルム』に現れる。

 全身ライトグリーンで、四本の腕を持つ甲殻体の蟲王コキュートスは武人。オールバックでシャープな髪型に丸メガネ、そしてオレンジに細く明るい縦縞のあるスーツを着こなす最上位悪魔(アーチデヴィル)のデミウルゴスは、その卓越した頭脳を買われ、防衛時におけるNPC指揮官という設定。

 

「それでは皆さん、至高の御身を前に、忠誠の儀を」

 

 アルベドが守護者統括として一歩前で(かしず)き、モモンガから見て右からシャルティア、コキュートス、アウラ、マーレ、デミウルゴスと並び跪く。

 

「守護者統括、並びに各階層守護者、御身の前に」

 

 第四階層のガルガンチュアは、戦略級攻城ゴーレムだが、これはユグドラシルのルール上のものでギルドメンバーによって作られたNPCではない。まあ、デカ過ぎるしここへは呼ばず。

 第八階層はヴィクティムだが、以前プレイヤー1500名により第八階層まで大侵攻された事への対策で、その特殊能力による防衛のためすぐには動けない形になっている。特に今は非常時でもあった。

 最上位NPC達は皆、モモンガへ恭しく従い忠誠を尽くしてくれているように見える。すべてが不明といえる状況では、力強く有り難い事だと彼は嬉しく感じ、NPCらの期待を裏切らぬよう威厳を保ちつつ声を掛ける。相手を強力に威圧する効果の『絶望のオーラ』も追加でサービスしていた。こんなものまで出してと思うのだが……喜んでくれるだろうか?

 

「皆、面を上げよ。良く集まってくれた、感謝しよう」

 

 絶対者からの思いもよらぬ感謝の言葉に、NPC達は驚く。感謝しているのはナザリック地下大墳墓のほぼ全てのNPC達である。変わらぬ主として最後の瞬間までいてくれた事を本当に彼等は感謝していた。それだけに、今後も忠誠は当然であり絶対的でもあったのだ。

 代表してアルベドが言葉を述べる。

 

「感謝など勿体ない。我らモモンガさまにその身を捧げた者達。モモンガ様からすれば取るに足らない身でしょう。しかし我らは、その至高の創造主の方々に恥じない働きを誓います」

「「「「「誓います」」」」」

 

 すでに、モモンガ以外の所属プレイヤー達は去ったが、彼等の生み出した最上位NPC達すべてが、モモンガに従ってくれるという。

 正直、モモンガは心細いのだ。だが、嘗ての肩を並べて遊んだ仲間たちの雰囲気がその端に残る力強い者達の言葉に、彼は満足し感動していた。

 

「(おおぉ……)すばらしいぞ、守護者達よ! お前達なら失態なく事を運べると強く確信したっ!」

 

 前に並ぶ者達は、モモンガの言葉に喜びの表情が広がる。この主へ再度、仕えることを許されたと。

 

「さて」

 

 だが、状況は安穏としていられない。モモンガは話を切り出す。アルベドを初めとして他の守護者達も、それを即思い出し、主の言葉に表情を引き締めて傾注する。

 

「現在、ナザリック地下大墳墓は原因不明の事態に巻き込まれている。すでに、セバスに地表を捜索させているのだが……」

 

 そこへセバスが現れる。彼はモモンガの傍近くで跪き、皆にも聞こえる形で報告を始める。

 それによると以前沼地だった周辺が草原地帯になっているというのだ。そして周囲1キロ以内は平坦で、人やモンスターはいないという。

 これでナザリックが原因不明のまま、どこかこれまでと違う場所に移動したことが確認された。

 モモンガは、守護者統括アルベドと防衛責任者のデミウルゴスに命じて、情報共有システムの構築と警護の増強を指示する。同時に草原に目立つ形で存在するナザリックの隠ぺいの成否をマーレへ確認する。

 モモンガは、彼女の先程後衛で見せた動きや、魔法の力を高く評価していた。そして内心、仲間として当てにし始めている。

 マーレは、主からの名指しでの確認に嬉しくも緊張する。その中で最良を思考し発言する。

 

「ま、魔法という手段では(魔力を永続的に発揮する必要があり)難しいです。ですが、壁に土を掛けて植物を生やした場合とかなら――」

 

 その件に、アルベドが「栄光の壁を土で汚すと?」と割り込んで来る。

 しかし、それをモモンガが「アルベド、気持ちは嬉しいが、今は非常時だ。優先順位を計り間違うな」と窘めた。

 アルベドは身を正す。

 

「モモンガ様、失礼しました。申し訳ありません」

 

 マーレは冷や汗ものである。

 アルベドはLv.100のNPCで且つ上位の存在。さらに造物主同士も余り近しい訳ではない。おまけに、モモンガを深く愛している恋敵。

 しかし、主の道理を説く助け船で、アルベドの件は事無く終わった。

 

「マーレ、壁に土を掛けて隠すことは可能か?」

「はい、お許しいただければ。ですが……」

「ふん。そうか、大地の盛り上がりが不自然か」

 

 モモンガは、セバスへ周辺の地形を確認し、丘のようなものが無い事を伝え聞くと、同様のダミーの丘を形成することを追加指示する。

 

「では、それに取り掛かれ。隠せない上空部分には幻術を展開しよう」

 

 ワールドクラスのアイテムならば永続的魔法も可能なのである。

 なら側面部も幻術をと思うが、丘に対し側面を含む場合、最低でも三角錐を途中で水平に切り取るように囲うため延べ四面は必要で、四倍掛かってしまう。範囲は広くなり負荷は膨大である。だが、上だけなら一面ですむのだ。

 そうして、直近の行動指示が終わるも、モモンガは次にここへ階層守護者らを呼んだ最大の用件の確認に取り掛かる。今後の集団としての意志にかかわる事項である。

 

「最後に、各階層守護者に聞いておきたいことが有る。皆にとって―――私とはいったいどのような人物だ?」

 

 シャルティアはそう聞かれ、先程の失態を払うように想いの言葉を贈る。最大の欠点が無効となり喜びに頬を赤らめながら。

 

「美の結晶。この世で一番敬愛すべき美しい御方でありんす」

 

 コキュートスは武人として言葉を述べた。

 

「守護者各員ヨリモ強者デアリ、マサニナザリックノ絶対的支配者ニ相応シイ御方」

 

 アウラは、先程とは少し違う立場で、敬愛する者への言葉を述べる。

 

「慈悲深く、配慮に優れたお方です。そして……寄り添ってお守りしたい主様かと」

 

 マーレは、先程から主との数々の事象で、さらに敬愛さが増してしまい、結構はっきりと言ってしまう。

 

「す、すごく優しい方かと。いつもお傍に居たい方で……す」

 

 デミウルゴスは、内面で女性陣の主への好意的な反応を冷静に捉えながら語る。

 

「賢明な判断力と、瞬時に実行される行動力を有される方、まさに端倪(たんげい)すべからざるという言葉が相応しい方です」

 

 セバスは、執事としてただ静かに答えていく。

 

「至高の方々の総括であり、最後まで私たちを見捨てず残って頂けた慈悲深きお方」

 

 最後にアルベドが述べる。

 シャルティア、アウラ、マーレの所での主人に対する愛情表現を聞く度、体がビクリと跳ねて、手がビキリと異音を立て掛けていた。

 

(……私のモモンガさまなのにぃっ!)

 

 それまで般若の顔を伏せていたが、モモンガを見上げる顔は上品で、少し頬が染まった感じである。

 

「至高の方々の最高責任者であり、私どもの最高の主人であります。そして――私の愛しいお方ですっ!」

 

 それらの答えを聞き、モモンガは少し驚くもここは威厳をもって締めの言葉を告げる。

 

「――っなるほど、各員の考えは十分に理解した。今後とも忠義に励め」

 

 そうして、皆が頭を下げる中、モモンガは転移しその場から一瞬で姿を消した。

 ギルド所属メンバーの部屋がある区画に飛んだ。基本、ここへはNPC達単独では立ち入れない。所属メンバーと同伴でなければ入れない場所である。

 彼は、最上位NPC達の率直だと思われる声を知る。

 

「ふう。えっ、なに、あの好評感……忠誠は感じていたけど、これほどとは……。これは威厳を以ってマジに振る舞わないと」

 

 モモンガは、女性陣の意味深長に聞こえた言葉も思い出していた。

 

(しかし、アルベドは兎も角、シャルティア、アウラ、マーレもそうなのか……どうなっているんだ。ま、まあ、みんなかわいいけど……って、いかんいかん)

 

 モモンガは、思わずかぶりを振った。

 これは、あくまで尊敬から来ているものなのだと。愛とは強制や支配からくるものではない。

 だが、彼は忘れている。ここは異形の巣窟なのだ。

 抑圧、支配、強制について大歓迎な連中もいるのだということを――。

 

 

 

 最高峰である死の支配者(オーバーロード)が放つ、相手を強力に威圧する効果の『絶望のオーラV』を受け続けたNPC達は、逆に皆、興奮していた。

 モモンガの持つ超越する圧倒的であるMP(マジックポイント)と、世界級(ワールド)アイテムに匹敵するギルド武器『スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』の増幅がなせる業でもある。

 最上位NPC達にも効果を与えるものであった。

 

「すごく怖かったね、お姉ちゃん」

「ほんと、押しつぶされるかと思った」

 

 マーレとアウラは立ち上がりつつ、慕い仰ぐ主の偉大さに笑顔ではしゃぐように声を掛け合う。

 武人のコキュートスすら立ち上がりながら、「マサカコレホドトハ」と感嘆の声を上げる。

 すでに立ち上がっていたアルベドも初めて受ける威圧である。その力を感慨深げに思い出していた。

 

「あれが支配者としての器をお見せになったモモンガさまなのね」

「ですねぇ」

 

 デミウルゴスも満足げに、その目元へ掛けている丸眼鏡を右手中指でスッと押し上げながら立ち上がる。

 コキュートスは、皆が集い『仕える主君足らん』との主の意を感じ取っていた。

 

「我々ノ忠義ニ答エテクダサッタトイウコトカ」

 

 その言葉に、アウラやマーレも同感であった。嬉しそうに相槌を打つ内容を語る。そこにはたっぷりの『モモンガさま愛』が感じられる。

 

「あたし達と居た時は全然オーラを発していなかったしねぇ。モモンガさま、すっごく優しかったんだよぉ。喉が渇いたからって飲み物まで出してくれて……フフン」

「今のが支配者として本気になったモモンガさまなんだよね」

 

「――まったくそのとおりっ!」

 

 双子の姉妹の話の当初から、背中を向ける体をクネクネしていたアルベドが振り返り、そう宣う。

 正直、アウラ達の話は妬ましく羨ましい。主より何かを頂けたのだ、ズルイのである。私も欲しいと。しかし、支配者としての偉大さを賛美する方が先という思いが勝っていた。

 

「私達の気持ちに応えて、絶対者たる振る舞いを取って頂けるとは、さすが我々の造物主! 至高なる41人の頂点っ! そして最後までこの地に残りし慈悲深き、君――」

 

 そんな独演会をさらりと、終わらせるようにセバスが「ではわたくし、先に戻ります。場所は不明ですが、お傍に仕えるべきでしょうし」と告げる。

 そのセバスへ、アルベドは「なにかあればすぐに報告を」と言い渡す。

 彼女は、すでに待っている。愛する者から閨へ呼ばれるのを待っているのだ。『他の何を放っても』である。更に話が湯浴みが必要か、もし不用のご希望があれば……の辺りで、セバスは「了解しました」と全てを『察して』話を切らせた。流石は日本国内運用の元ゲームキャラと言えるだろう。

 「では、守護者の皆さまもこれで」と一礼ののち、セバスは去って行った。

 主が去り、ずいぶん間があったが、ふとデミウルゴスが傅いたままのシャルティアに気が付き「どうかしましたか?」と声を掛ける。コキュートスまでもが「ドウシタ」と尋ねた。

 二人の声にシャルティアは真っ赤に染めた顔を上げる。その身体は微妙に震えていた。

 

「あのすごい気配を受けてゾクゾウしてしまって、少ぉし下着が不味い事になってありんす……」

 

 一同は『何と言ってよいやら』という雰囲気の吐息をつく。

 シャルティアは強い相手が好みだという訳ではなく、あくまでも敬愛するモモンガから圧力を受けたという事で、感極まっているのだ。強く迫って来てほしいという願望持ちなのだ。もはや、主無くしていられないという感覚になってしまっていた。

 ちなみに、アウラとマーレは主へ迫り近付いて行きたい派だ。

 そんな状況をいち早く理解してしまった『似た者』のアルベドは、背中を向けたまま怒りのオーラを発して、唾を吐くように告げた。

 

「この、ビッチっ!」

 

 折角の余韻を楽しんでいたシャルティアは、雰囲気をぶっ壊してくれたアルベドへ激しく食って掛かった。

 

「はぁ? モモンガさまから、あれほどのご褒美を頂いたのよ? それで濡りんせん方が、頭がオカシイわ、大口ゴリラ!」

「ヤツメウナギ!」

 

 口が気持ち悪いと評判の珍獣の名を出されて、シャルティアは至高の方に作られた身を馬鹿にするアルベドを非難するも、アルベドは同様のこの身を先にゴリラ呼ばわりしたシャルティアも同罪だとバッサリと切る。

 二人は、其々怒りのオーラに包まれる。

 だが、どんなに怒っても激しい戦闘にならない事は皆、分かっている。

 時にはナザリックを共に守ってきた長年の戦友でもあるのだ。

 そもそも統括者が仲間と喧嘩事をすれば、主に窘められるのは分かり切った事。シャルティアも胸パッドの件もあり、失態は絶対に出来なかった。

 それにと、デミウルゴスは「女性の事は女性で頼むよ」とアウラに告げ、コキュートスと共に脇へと離れる。

 

「えっ、ちょっとデミウルゴス、あたしに押し付ける気?!」

 

 アルベドとシャルティアは個人能力でアウラを上回る存在。どうしろというのかと。

 マーレも今は女性陣側なので、ハラハラしながら見守った。

 二人の女帝は、言葉で応酬し合う、シャルティアから「どうせ、アルベドも」と図星の指摘をされアルベドは一瞬窮するも、「愛していれば当然」と開き直る。

 そのうちに、「あなたでは相手にされない」との言い合いから「第一妃は当然私」と話が動く。その時にアウラは女帝達へ呟いていた。

 

「でも、モモンガさまは、物静かな方。マーレみたいに控えめでいる子が好みじゃないかな?」

「「!?」」

 

 アルベドとシャルティアは、『そうかもしれない』と咄嗟にマーレへ向く。

 闇の中に赤い光点が四つ並ぶ形の視線を受け、マーレはビクリとなる。

 

「で、でもお姉ちゃんと話すモモンガさまは、とても楽しそうだよ」

 

 そのマーレは思わず姉に振った。

 

「「「えっ!」」」

 

 アウラ自身まで声を上げる。そんな感じに妃争いは混沌として、先はブレ続けていく――。

 一方デミウルゴスは、この様子を離れて見ながら、コキュートスに語り出す。

 

「私としては個人的に、彼女達の行動の結果に非常に興味があるところです。戦力の増強という意味でも。ナザリックの将来という意味でもね」

「……ドウイウ意味ダ?」

「偉大なる支配者の後継は有るべきだと。モモンガさまは最後まで残られた我々の絶対者で有られるが、もしかするといつか他の方々と同じ場所へ行かれるかもしれない。その場合、我々が忠義を向ける世継ぎを残して頂ければ……とね」

「ムッ……シカシ、ソレハ不敬ナ考ヤモシレンゾ?」

「だが、モモンガさまの御子達にも忠義を尽くしたいとは思わないかね? もしかすれば、各階層に一人ずつという場合も」

「ヌゥッ、ソレハ確カニ憧レル……イヤ、素晴ラシイナ。素晴ラシイ光景ダ!」

 

 コキュートスは暫く妄想に突入する。どうやら、子息らを肩車したり鍛えているらしい。

 

「――爺トハ――イヤ、良イ光景ダッタ。アレハ正ニ望ム光景ダ」

「それは良かった。――アルベド、アウラ、まだ続けるのかね?」

 

 愛に燃えるアウラまでアルベドらと三すくみの状態で対峙している。

 横でマーレが「争いは終わってるけど……い、今は妃の順位を決めているところで」とアワアワしながら伝える。加えて言葉が足らないと思ったのか、シャルティアらからも言葉が返ってきた。

 

「まず第一妃を決めないと」

「ナザリックの絶対的支配者であられる御方が、妃を一人しか持てないというのは余りにも奇妙な話ですもの」

「だから、それはモモンガ様が決める事だと言ってるんだよ」

 

 妹や自分への可能性を考えてアウラはそう主張していた。

 デミウルゴスは、今日はここまでかと、彼女らの息詰まった状況を終わらせるようにアルベドへ指示を仰ぐ。

 

「非常に興味深い話だが、それよりも我々に命令をくれないかねぇ」

 

 彼の言葉に、主からの指令を思いだしたアルベドは皆へと向く。愛する者からの期待をいきなり裏切る訳にはいかない。

 

「そうね、そうだったわ。シャルティア、アウラ、マーレ、この話は後日じっくり」

 

 他の三名も頷く。今は絶対的忠誠を向ける主の命の下、異常事態に団結して対処するのが先決だ。まとまるのは早い。

 

「では、これからの計画を」

 

 守護者統括アルベドは凛とした声で告げた。

 

 

 




配下の熱い陰謀?を知らないのはモモンガ様だけ。
そして……誰も裏切ってはいない(笑


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STAGE03. 挑戦の始まり(3)

 ナザリック地下大墳墓が異変に巻き込まれてから三日が経過した。

 相変わらず原因は不明で、ログアウトやGMコール等は機能していないままだ。

 モモンガは第九階層の客間にある隠し武器を取り出し色々思案、確認していた。第十階層の自室には色々あって、まだ赴く気にならない。

 彼の傍にプレアデスの一人、魔法職の清楚で長いポニーテールの黒髪に美しい顔のナーベラル・ガンマが控える。

 当初、彼女は客間に近い通路で周辺警戒任務に就いていた。

 ナーベラルが単独で居るのは随分久しぶりである。外部からの侵入者が居ない時は、常にプレアデスの6人は玉座の間の傍で控えていたからだ。

 そこへ主が通り掛かり、思わず声を掛けてしまった。ご迷惑だったかもしれない。

 しかしである。

 

「これはモモンガ様、どちらに?」

「ああ(えっと誰だっけ)……ナーベラルだったか。少し客間へ用があってな」

「……では、私も護衛に」

「いや、ここは第九階層であるし大丈夫だ」

「――是非護衛に」

「……よかろう」

 

 一人のみでの警護の機会に出会ったのだ。逃す手は無い。至高の41人の為に散ってこそのプレアデスなのだ。そういう設定が全員に入っている。今は通常のメイド服姿の彼女であるが、自らの意志で主に付き従いこの部屋まで来ていた。

 戦闘メイドプレアデス達にとっても、主人であるモモンガは特別な存在と言える。今や至高の41人の中で、彼のみが存在し己の身を盾にして守るべき唯一の要人なのだ。

 

(これまで、長きに渡り我々を最重要の場所に置かれるも、未だ功を上げるに至っていません。この非常時に際しては、自身の存在を掛けて是非お役に立たせていただかねば――)

 

 凄まじい忠誠の塊であるナーベラルは、主の肩幅のある大きい背中を見つつそう静かに決意している。

 モモンガは巨剣を握る。彼自身もLv.100であり筋力は大抵の武器を振るうのに問題は無いはずである。しかし、それを振ろうとするも取り落としていた。どうやらゲーム同様、クラスが異なる武器や防具は扱う事が出来ないみたいだ。

 ここ数日を経て、自分のこの骸骨の姿に恐怖や違和感が無くなってきていた。外見だけでなく精神も変化している様に感じる。著しい感情の起伏は何かに抑圧されたように小さく抑えられるのだ。加えて、食欲や睡眠欲も感じない。

 ――性欲は微妙に無くは無い。だが実戦仕様で無くなった? いやなんとか……。

 

「モモンガ様」

 

 (あるじ)の落とした剣を当然のように、ナーベラルは進んで拾い上げる。

 彼女らプレアデス達は、至高の者製としてナザリックでも上位に入るNPC達。そのためか自我を持つ現在、かなりの自負がある。

 本来、他者の物を拾い上げるなど下位の者が行う行為であり、頼まれでもしない限り行わないが、至高の41人に対してだけはメイドとしても機能した。

 その方々の頂点である主は、すべてを捧げる存在である。

 

「うむ。――〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉!」

 

 重甲冑を纏う漆黒の鎧戦士の姿に一瞬で変わる。外装に道具として鎧の戦士を魔法で造り出し、それに対してナーベラルから剣を受け取った。これなら、剣でも普通に掴み振るう事が出来るようだ。試しに振ってみる。少し力を込めた素ぶりに旋風が伴った。

 

「……ナーベラル、私はこれから少し出てくる」

「近衛兵の準備は出来ております」

「いや、私は一人で十分――」

「――お待ちください! モモンガさまお一人では、もしもの時に私達が盾になって死ぬことが出来ません」

 

 巨剣をナーベラルへと渡しつつ、彼は語気を僅かに強めて告げる。

 

「極秘で行いたい事が有るのだ。伴はゆるさん」

「……かしこまりました。ですが次の機会には、必ず私達をお連れください」

「うむ、分かった」

 

 ナーベラルとしては何処までもお伴をという気概で居たが、主にそこまで言われては残念ながら引き下がるほかなかった。

 モモンガは一瞬で第一階層へと転移する。彼の指に光るアイテム、『リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』はナザリック内でのほぼ自在といえる転移を可能にする。

 地表部中央霊廟の出入口へ続く大階段を上る。

 

「護衛がいると結構疲れるんだよなぁ」

 

 この三日間、どこへ行くにも誰かが傍に居る状態であった。その半分以上はセバスである。ゲーム中には、ナザリック内で付いて回られる事は全くなかった。なので、どうやら各自の自我によって、率先して付き従って来るようだ。

 セバスは結構離れた位置で、気配を消してくれていたため一番気が楽ではあった。

 対してアルベドは、大事にしてくれているのは十分伝わるのだが、酷いと周囲をグルグルと徘徊し、一挙手一投足に反応してくるので非常に落ち着かない。

 マーレやアウラも毎日、必要以上に度々進捗を報告に来るのだが、アルベドがいるとシャーっと蛇の警戒音に近い呼吸音と雰囲気で迎えるのは勘弁してやってほしい。「アルベド」と声を掛けると収まるのだが、毎回マーレは部屋に居る間中、その守護者統括の強い視線にビクビクしての報告になってしまっていた。

 

「……ありがたいけど」

 

 そんな、愛すべき配下達とナザリックを守るためには、外の世界の情報収集が必要であった。剣を握ろうとしているのもそのためである。

 

「まあ、この装備では魔法は使えないが、アイテムがあるからなんとか……」

 

 モモンガが大階段を上り終わろうとするとき、そこにいる三種四組計12体の強大な影群に気付く。

 

「(いいっ!?)……」

 

 第七階層にいるはずの嫉妬、強欲、憤怒の三魔将達がそこに居た。

 嫉妬は、女性の体形でフルフェイスのヘルメット風の兜に両手は翼状になっている。強欲は筋肉質で美男子風の相貌と長めの赤髪に、二本の角と黒い翼に赤い前垂れのある戦士。憤怒は額の鋭く長い一角にゴリラタイプの巨体から炎の翼を広げ、鎧のように見える体皮を肩、腕、太腿にもつ。

 いずれも目の部分が隠されていて、Lv.80以上とかなり強く、デミウルゴス直属の者達だ。

 

(なぜ、この者達が第一層に?)

 

 しかも、モモンガのこの姿は周知させておらず、主としての識別を切ってもいた。戦いになれば一対一でも全く勝負にならない。まあ、上位道具創造を解除すればいいのだが、今のモモンガはレベルが精々30余の戦士に過ぎず瞬殺される水準。

 そんな『まずい』と思った時だ。

 三魔将達の間からヤツまでが現れる。

 

(げっ、デミウルゴスっ!)

 

 その三魔将達よりも更に強い彼の登場に焦る。

 デミウルゴスは、「んん?」と一瞬怪訝の混じる表情に変わったが、この状況から目の前にいる者は瞬間転移で現れた主であると判断する。すぐに膝を折って礼を取った。三魔将達も直ちにそれに続く。階層守護者へも高い忠誠を持つ者達であった。その守護者が、跪くのは主しか存在しない。

 

「これは、モモンガ様。近衛をお連れにならず、ここへいらっしゃるとは。それにそのお召し物は?」

 

 モモンガの方が、なんでバレたんだと一瞬僅かに怯む。

 デミウルゴスらはすでに内部における防衛線の構築を概ね終わっている。その報告も受けていた。だとすれば、すでにこの場所へ転移できる者は限られることから、バレたのだと推察できた。

 ならばとモモンガは威厳のある声で応答する。

 

「ああ、少し事情があってな」

「……そういうことですか」

「(えっ、えぇ? 息抜きに外出したいだけなんだけど)……」

「まさに、支配者に相応しい配慮にございます。ですが、やはりお伴を連れずにとなりますと、見過ごすわけには参りません」

「うむ……では一人だけ警護を許そう」

「私の我儘を、お聞き入れいただき感謝いたします」

 

 警護には、デミウルゴス自身が付き従った。

 モモンガは彼らの忠誠を快く思っている。心配は当然だろう。モモンガも彼等を頼っている分、彼らも『主を守っている』という存在意義が必要であり欲しいのだ。

 二人はしばらく歩くと、地上へと続くナザリックの正面出入口に到着する。

 モモンガは数歩出ると空を見上げた。

 

「おおっ」

 

 今までに見たことのない圧倒的と言える美しい星空であった。

 第六層の闘技場の天井部に広がる夜空とは、また別の趣があった。

 モモンガはアイテムを取り出し「〈飛行(フライ)〉!」と唱えると飛翔し、空へと舞い上がる。デミウルゴスも皮膜羽を出す為に半悪魔形態へと変わる。同時にインテリめいた顔が蛙に見える形状へ変化していった。直ちに主の後を追う。

 二人は遥か上空へ昇り、世界を眺める。大気圏を越えているかという高度だ。

 見下ろす眼下の地平線は丸い。どこかの星のようだ。ここでも見上げる広大な星々の瞬く空は変わらず満月も美しい。

 

「キラキラと輝いて宝石箱みたいだな」

 

 そう言った主へ、デミウルゴスは意味深げに「この世界が美しいのはモモンガさまを飾る宝石を宿しているからかと」と伝える。

 モモンガは絶景に、軽い話のつもりで語り始める。

 

「そうかもしれないな。私がこの地に来たのは、誰も手にしたことのない宝石箱を手にするため……いや、私一人で独占すべきものでもないが、ナザリックと私の友たち、アインズ・ウール・ゴウンを飾るための物かもしれないか」

 

 デミウルゴスは、ナザリック至上主義者であり、この主のナザリックの名を高める言葉に強い感銘を受けていた。そして、その言葉に対して頭を下げ礼を取り、全面的に支持する言葉を返す。

 

「お望みと有らば、ナザリック全軍を以って手に入れてまいります」

「ふふふふ、この世界にまだどんな存在がいるのかも不明な段階でか?」

 

 デミウルゴスの言葉は、この雄大に広がる光景の中でどこか心地よく聞こえた。モモンガは遠くを見つめていると思わずその言葉を口にしていた。

 

 

「ただ、そうだな……世界征服なんて、面白いかもしれないな」

 

 

「!―――ぁぁ」

 

 デミウルゴスは、絶対的支配者である主のその言葉に、全軍への新しく素晴らしい目標を見出し心湧き躍るのを感じた。

 

(さすがは、モモンガ様だ。我々はこの方の望み行く道を、ナザリックの全軍にて切り開いて差し上げるのだっ!)

 

 モモンガ自身は、そんなことはさすがに出来る訳もないけどと考えていたが、すでに時の歯車は回り始めようとしていた。

 一方で、この見渡す限りの広大に広がる世界へユグドラシルからやって来たのが、本当に自分一人なのかと考えていた。これだけ広いのだ、〈伝言(メッセージ)〉は遠すぎて届かないのかも知れない。でも、アインズ・ウール・ゴウンの名を広めれば、気付いて連絡を取ってくる者がいるかも知れないと思い至る。

 まずはそれを目標にしようと内心で考えていた。

 

 ふと直下に目を落とす。

 まだ幻術を掛けていないので、円形のナザリック地下大墳墓の広い地上構造物が見えていた。その広範囲に及ぶ周囲の一角から、大量の土砂が寄せる形で移動してくる様子が見て取れる。

 〈アース・サージ〉をスキルで拡大範囲した上で、クラススキルを使用しての魔法展開だ。誰にでも出来る魔法ではなかった。普通だと、高位魔法詠唱者でも多くで行わなければならない規模である。それを――只一人でやってのけていた。

 

(さすがはマーレ)

 

 確かに、担当階層は『ジャングル』で、土砂の調整も得意ではあるだろうが見事である。この作業は現ナザリックでも最優先の重要事項なのだ。

 そしてナザリックの壁へなだらかに下がる傾斜で土を寄せると、そこへ植物を加速発芽させ、たちまち緑の丘へと変えていく。

 その様子を見ていたモモンガへデミウルゴスが声を掛ける。

 

「モモンガさま、これからのご予定をお聞きしても」

「うむ、マーレの陣中見舞いにゆく。褒美としては何が良いと思うか?」

 

 デミウルゴスは先程の昂揚感を忘れていない。それに彼女は主を慕っている。それを込めて進言する。

 

「モモンガさまが、優しくお声を掛けるだけで十分かと」

 

 主の言葉は、全てに勝るのだと。

 モモンガはそこまで気付いておらず、控えめの意見として「うむ」と頷いた。これだけの魔法を使うのだ、かなりの負荷である点と貢献度を考慮して渡すものを降下しながら考えた。そうして、邪魔にならない位置に降り立つ。デミウルゴスも後ろに続いて降り立った。

 

「あ、モモンガさまぁ」

 

 いつもと姿が異なるが、デミウルゴスが従うのは我らが絶対的支配者のみ。

 敬愛する主の登場に、マーレは嬉しそうに駆け寄る。もちろんスカートが翻らないように気を使いつつ可愛くだ。

 

「どうしてこちらに? あ、僕なにか失敗でも……」

 

 お叱りかもという心配で、彼女の笑顔が一転不安の広がる表情になる。

 

「違うとも。マーレ、ナザリックの発見を未然に防ぐお前の仕事は、最も重要な作業だ」

「はい」

「だからこそ、マーレ、私がどれだけ満足しているかを知って欲しい」

「はい、モモンガさま」

「では、これを」

 

 モモンガは掌に一つの指輪を出現させる。ナザリックでは最上級に位置する重要アイテムの贈与である。

 マーレは目を見開いた。

 

「こ、これはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンっ! これは至高の方々しか所持を許されない物。受け取れるはずが……」

 

 仕事を最大限に評価してもらい、凄く嬉しい贈り物である。これがあれば、主のところへも行きやすくなるのだ。

 だが、マーレ達NPCにとって、至高の者達、造物主の存在は特別なのだ。抵抗があった。

 

「冷静になるのだ、マーレ」

「えっ」

「ナザリック内は階層間の転移を制限しているが、この指輪があれば自由に移動が可能だ。さあ、これを受け取りナザリックの為に貢献せよ」

「……でも」

 

 主にこう言われるも、まだ抵抗があった。

 

「ふふふ、マーレ。気弱そうに見えてお前は結構頑固なのだな。では、代わりに何か良い物があるか?」

 

 マーレは、顔を真っ赤にするも、衝撃的希望を即答した。

 

「可能ならば、モ、モモンガさまと――デートがしてみたいです」

「(!――っ)デ、デート……」

「はい……あの、だめでしょうか?」

 

 マーレはとても不安そうにモジモジしつつ、モモンガを上目遣いで見つめてきた。

 

(か、かわいい……)

 

 今度はモモンガの方が冷静になる番であった。

 

(NPCとデートするイベントなんて無かったはずだが、大丈夫だろうか? あ、いや、もうユグドラシルの世界じゃなかったか。そ、そもそもマーレはぶくぶく茶釜さんが作った子供といえる存在……)

 

 ドキドキが加速しそうになったが、その瞬間気が抑圧されるように落ち着いた。

 

「(うむ、貢献に対して報いてやらなくては)……いいだろう、マーレ。お前の願いでもある。叶えてやろう」

「ほ、ほんとですか!」

「ああ、仕事も有って、すぐという訳にはいかないだろうが」

「はい。でもうれしいです、モモンガさまっ! 今後も褒美に相応しい働きをお見せしたいと思います」

 

 マーレは満面の笑みで喜んでくれている様であった。指輪については再度考えようとモモンガは考えた。

 

「頼むぞ、マーレ」

「はい、モモンガさま。ところで、なぜそのような格好を?」

「ん、んーそれは……」

 

 そこで、モモンガは背中へと――強烈に寒気を覚えた。

 

「――簡単よ、マーレ」

 

 そう、上空へにこやかに……表面上は笑顔のアルベドが静かに浮かんでいたのだ。

 

(!――いつの間に)

 

 Lv.100のNPCである事は伊達ではない。

 アルベドは静かに降り立ち、マーレに向かうように歩いて近づいて来る。

 妃の話はまだ決着がついていない。

 マーレの表情はすでに――泣きそうになっていた。

 デミウルゴスまでが硬直している。

 

「モモンガさまは、シモベ達の仕事の邪魔をしないように、とのお考えなの。モモンガさまがいらっしゃると分かれば、全ての者は手を止め敬意を示してしまいますから」

 

 モモンガの横まで来ると、そこで主へと向き直る。

 その静かに浮かべる笑顔が怖い……。

 

「そうですわよね、モモンガ様」

 

 ここで、違うとは絶対に言えない。まだ死にたくない。何故かそれ程の気持ちにさせる。

 

「さ、さすがはアルベド。私の真意を見抜くとは」

「守護者統括として当然。いえ、そうでなくても、モモンガさまの心の洞察には自信がございます」

 

 その瞬間、アルベドの目が――主に向かって『凶暴』に見開かれる。その目が確かに訴えていた。『わたしもデートがしたいです。してほしいです。その先もしていただけますよねっ。――しないと壊レチャイマス』っと。

 主であるはずのモモンガは『壊れた後の惨劇』を想像し、一瞬「ひぃぃ」と声が漏れ、蛇に睨まれた蛙にでもなった気分がしていた。

 それに、泣きそうな表情のマーレを人質に取られている感じがしなくもない。

 デミウルゴスは後方にて眼鏡を指で押し上げる仕草で、目線を落としたまま我関せずと立ち姿が告げていた。彼でも今のアルベドには出来れば関わりたくないのだ。

 ついに、アルベドから脅迫めいた催促のように尋ねられる。

 

「――あの、何か?」

 

 モモンガは、英断を下す。

 

「い、いや。何でもない。よし、マーレ! 作業を邪魔して悪かったな、向こうで作業を再開してくれ」

「は、はヒぃ。では、モモンガさま失礼します」

 

 まず、マーレの安全確保を図る。かわいく重要で貴重な戦力をここで失う訳にはいかない。アルベドも話せば分かるはずであると。

 マーレも重大危機を感じ、声が裏返りつつも礼をし、ダッシュの女の子走りで離れて行く。裾に気を使う余裕がなかったのだろう、去りゆく後ろ姿の短めのプリーツスカートからお尻を覆う薄青色の履きモノがチラチラと僅かに見えてしまっていた……。

 モモンガは僅かに堪能するも、さて悪魔と勝負。

 

「そ、そうだ、アルベド」

「はい、なんでしょうか?」

 

 声は静かでやさしい響きである。

 しかし、モモンガへ向ける彼女の目が――完全に死んでいる。流石は悪魔族。こ、怖い。その瞬間、話し合いでどうにかなる気がしなかった。もはやと、最終手段に出る。

 掌にあの指輪を出現させていた。

 

「お、お前に渡しておこう。守護者統括には必要なアイテムだろう?」

「感謝いたします……」

 

 そう言って、彼女は丁寧に頭を下げながら『あっさり』と、『リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』を受け取った。

 

「ぁ」

 

 マーレとのその差に、主は一瞬声が漏れた。

 更に彼女は髪で目元は見えないが、口を吊り上げる様に微笑むと、小刻みに震え始める。

 

「ぇ?(な、なにが起こっているんだ? ――触れてはいけないっ)……忠義に励め」

 

 いけないものを見てしまったかのように、モモンガは一瞬でデミウルゴスの方を向く。

 

「デミウルゴスはまた後日としよう」

「畏まりました。かの偉大なる指輪を頂けるよう、努力して参ります」

 

 デミウルゴスとしては、今日はあの雄大で夢広がる目標の言葉を只一人、傍で直接聞けたことで十分満足していた。

 

「では、すべきことも済んだ。私はセバスから叱られない内に戻るとしよう」

 

 そう言うが早いかモモンガは転移して――逃げた。

 直後の瞬間、アルベドは月夜に向かって叫ぶ。

 

 

「よっしゃあああああぁぁぁぁーーーーっ!」

 

 

 アルベドとしては、デートをしたかったが、まず指輪だ。『リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』である。彼女には至高41名への忠誠はあるが、結局40名はナザリックを見捨てたという考えをしている。彼女にとって尊敬すべきはすでに、モモンガ一人であった。おまけに愛しているのである。

 この指輪が有れば、ナザリック内で階層間を気にせず自由に転移が出来る。まさに最重要アイテムなのだ。

 主の下にもすぐに飛んで行けるぅ。その喜びがあふれた咆哮である。

 デミウルゴスは、首を横へゆっくりと振りながらそんなアルベドをなま温かい目で眺めていた。

 

 

 

 ナザリックの管理システム『マスターソース』はまだ生きており、第十階層のギルドメンバー個室にはモモンガの部屋を初め、状態未確認で残された計六体の未起動NPCの名前が確認されている。

 

 そのナザリックは今より挑む。

 これから不明事の渦巻く新世界へと。

 

 そして、NPCの恋する乙女達も挑む。

 その主へと――。

 

 

 



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STAGE04. 未知の世界と戦力と支配者の気紛れ(1)

 満天の星々の瞬く空の上で、モモンガが冗談めいた世界征服をデミウルゴスへ呟いて、はや2日が経過していた。

 ナザリック地下大墳墓自体の偽装は終わり、マーレは早くも周辺の随分と広い草原への丘造成に着手していた。

 

「デートっ、デートっ、デートっ……」

 

 マーレはニコニコとそう呟きながら、支配者より与えられたこの大きな仕事を早く片付けるべく、異様とも思える頑張りを見せている。それは思わぬ波及効果を生んでいた。

 アルベドやシャルティア、アウラらが、主へ「重要度の高い仕事を自分にも」と詰め寄ってきたのだ。

 モモンガは、やる気を削ぐのは良くないだろうと配下達の折角の申し出を受ける。防衛体制が強化されたナザリックを、コキュートスとセバス以下戦闘メイドプレアデスらに守らせた。

 そして、アウラには遠方に見える山脈手前側へ広がる広大な森林部を含む北方を、デミウルゴスには東方を、アルベドには南方を、シャルティアには西方を調べさせる。

 モモンガは、高位の魔法等を使い隠密に徹するよう厳命し、まず周囲の半径70キロ程に渡る地理をまず詳細に把握することにした。

 もちろん、守護者には3体以上ずつ、最強のシモベを付けるように言い渡している。

 一方で、モモンガには常にプレアデスが2名と――ルベドが傍に控えていた。

 

 時間は昼を少し過ぎた辺り。ここは第十階層の玉座の間である。

 プレアデス達は直立にて警護する中、少し小柄のルベドだけはひざを抱えるようにモモンガの後方で(うずくま)っている。

 当初彼女の無礼さから、その場に居る金色巻き毛なソリュシャン・イプシロンと左目眼帯で桃色髪のシズ・デルタは「……ルベド……無礼」と咎めるも、モモンガは「それは捨て置け」と告げた。これは彼女の設定から来ているためだ。

 ルベドは納得してここに控えている訳ではない。姉であるアルベドに言われたまでだ。控えている以上の事はしたくなかった。姉から『直立で』と加えて言われていればそうしたかもしれないが。

 

(……なぜ、何故、ナゼ――断れなかった?)

 

 以前なら姉達の言葉ですら、姉妹以外の傍で警護せよと言われても断っただろう。しかし、今回はその対象が、至高の41人の一人、モモンガであったのだ。

 

(……)

 

 ルベドが悩むのは当然かもしれない。

 彼女の種族は、なぜか――最上級天使なのだから。ナザリックには僅かしかいない神聖系の頂点にいた。

 鎧も真っ白な衣装に輝かしい天使の輪を頭上に浮かべる彼女は今、神聖の証でもある真っ白い翼の羽を撫でている。

 

 モモンガは彼女を視野の片隅に収めつつ、『遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)』の調整をしていた。

 周辺地理把握の後に監視網の充実を図りたいと考えているモモンガは、それの一部に多数の『遠隔視の鏡』を採用しようと考えている。ただ、これは現状だと低位の対情報系魔法で簡単に阻害されるため、強化したものをと考え試行錯誤中である。

 

「(ふう)……よし」

 

 とりあえず、対情報系魔法の対応位階をなんとか3つ程あげてみた。ナザリックの管理システムと『スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』からの補完調整により、第4位階の阻害魔法までは耐えられるはずである。

 パチパチと拍手が起こる。プレアデスの二名と脇に控えるメイドの三名だ。

 

「おめでとうございます、モモンガ様。流石でございます」

 

 ソリュシャンがにこやかに褒めてくれ、表情の少ないメカ少女であるシズも銃器を下ろして腋へ挟み、メイドとともに拍手しながらうんうんと頷いている。ルベドは興味が無さそうに一瞥くれていた。

 

「うむ。ありがとう、みんな。これは結構使えるはずだぞ」

 

 アイテム機能付加や付与は余りやっていなかったが、以前仲間がやっていたのを思いだし、書庫から手順書を探し出してきていたりする。

 配下が異様に頑張っている為、モモンガも少し前倒しで威厳を保つため必死になって頑張っていた。

 早速、アウラから昨日報告のあったナザリック南西側にある森近くの規模の小さい村を、手始めとして見てみることに。

 上空の高い位置からの俯瞰より、モモンガは報告通り小さな集落を見つけ、拡大していく。中央に広場が有り、人が蟻のようにワラワラと動いていた。

 

「……祭りか?」

 

 すると一瞥をくれていたルベドの目が見開かれ、突然立ち上がり寄って来る。

 

「違う。これは殺戮……」

 

 モモンガが拡大していくと、村内を縦横無尽に走る鎧を着た騎馬兵や騎士らが村人を槍や剣で淘汰していく様が見て取れた。引いた俯瞰光景では、村の周辺に規模の大きい軍団的部隊は確認出来ない。

 鏡に映る建物や、兵と村人の服装は古臭くすべて中世風。自動車のように近代的であるものは見えず、どうやら外は現代よりかなり古い時代の雰囲気だ。しかしこの殺戮は、病気、犯罪、見せしめの類だろうか。色々と理由が考えられた。

 

「ここ」

 

 無造作に近寄って来ていたルベドが前屈みになり、形の良い大きめの胸を彼の顔横すぐで揺らしつつ、指差す辺りをモモンガは拡大する。

 それは姉妹と思われる少女と幼い女の子が、手を取り合って抜き身の剣を握る鎧の騎士らから走って逃げる姿であった。少女は妹の手を引くだけで武器は何も持っていない。姉の少女は妹を庇うも、どう考えようと哀れだろう結末が見えていた。

 

「……姉妹に救いがないなんて――ありえない」

 

 そう言ったルベドの周囲の神気が異常に高まる。下位アンデッドには、それだけで結構有害だ。

 彼女の場合、重要なのは仲の良い『姉妹』である。人間とかはどうでも良かった。モモンガの傍を離れると、彼女は魔法の詠唱を始める。

 

「〈転移門(ゲート)〉」

「お、おい、待て。お前では間に合わないだろう」

 

 それに、この兵団らと考えなしに争えば、敵を作ることになる。それがもし強大で大規模となれば、まだまだ状況が分からないナザリックは、いきなり窮地に立つかもしれないのだ。

 モモンガの掛ける声に、腰ほどの長い紺色の綺麗な髪を揺らし振り返る、少し怒り顔のルベド。この子は神器級(ゴッズ)アイテム、聖剣シュトレト・ペインを手にするLv.100のNPCであるが、『リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』を装備していないため、直接ナザリックの外へ〈転移門〉を開くことは出来ない。更にここは玉座の間。『スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』以外では〈転移門〉は開けない。

 

「……」

 

 一度目線を落としたルベドが、モモンガへ『姉妹を助けろ』と、その圧倒的に『美しい顔』から強い視線を送りジッと見詰めてくる。

 

「(はぁ……もはや止めるのは難しそうだ)しょうがないな。まあ、この世界の実戦で魔法を試すには丁度良いか。向こうは敵地だ。勝手は許さんぞ」

「分かった」

 

 ルベドは渋々だが、至高の者の言葉に従う。

 モモンガは玉座から立ち上がる。

 

「私も出る。シズは付いて来い」

「……了解……です」

「ソリュシャンはセバスへ非常事態の一報後、私の開けた転移門(ゲート)が閉じるまでここで見張りつつ待機しろ」

「畏まりました」

「――〈転移門(ゲート)〉」

 

 モモンガは、宙に浮く黄金の杖を手に取りながら急ぎ詠唱した。

 

 

 

 

 

「デートっ、デートっ、デートっ、……」

 

 鼻歌の調子で呟きはずっと流れている。

 敬愛する絶対的支配者からのご褒美が楽しみで、一刻も早く終えようとニコニコ顔のマーレは疲労も忘れ、黙々とダミーの丘の造成という重要任務を続けていた。だが、ふと現れた気配にたちまち気付く。気弱く見えるマーレだが、彼女の能力は姉をほぼ全てで凌いでおり、守護者ではシャルティアに次ぐ戦闘力を持っている。元々、『でも、男の娘はやっぱり強くなくちゃねっ』という考えが造物主にあったのだろう。

 

「マーレ様」

 

 そこにはセバスが立っていた。軽い礼のあと近くまで歩いて来る。

 

「どうしたんですか、セバスさん?」

 

 マーレは、作業を中断して彼を出迎えた。

 同列だが、目上であるセバスには敬称も付けている。彼女は身内への配慮や礼儀を欠かさない。ナザリック内でのシモベ達の上司にしたい好感度では、密かにNo.1の存在である。

 

「実は、先程モモンガ様が――緊急に出陣されました」

「えっ!?」

 

 マーレのにこやかだった表情が一変する。

 

「そ、それで?」

「一応なのですが、マーレ様には援軍を――」

「わ、分かりましたっ! 腕の立つ選りすぐりを直ぐに集め率いて向かいます! で、モモンガ様はどちらへ?」

 

 セバスから村の場所を聞くマーレの表情は、普段のおどおどしている雰囲気を感じさせない凛々しいものであった。

 話を聞き終わると、マーレは告げる。

 

「分かりました、セバスさん。では、失礼します! 〈転移(テレポーテーション)〉っ!」

 

 彼女は素早くナザリック地上部の中央霊廟正面出入り口へと移動し階層を降りて行く。

 ナザリック防衛のセバスは、彼女の〈転移〉を静かに礼で見送っていた。

 

 可愛いマーレにもその気持ちはあるのだ。

 敬愛する主の為には――『他の何を放ってもっ!』――という強い想いが。

 

 

 

 

 

 

「残念だな。奴隷にすれば高く売れそうだが――死ね」

 

 姉妹を、カルネ村の端の一角に追い詰めた三名の鎧を着た騎士のうち、先頭の一人がまずはと妹へ目掛けて勢いよく剣を振り下ろす。先程逃げる途中、激昂した農夫姿の姉から殴られた仕返しとばかりにである。

 

「ネムっ!」

 

 姉である褪せた感じの金色髪をした少女エンリ・エモットは、妹のネムを抱き締める様に倒れ込み庇う。

 

「うっ」

 

 彼女は妹の代わりにその背中を斬られてしまう。さらに「止めだ」と後ろから容赦なく告げてくる騎士らに、エンリはなんとか妹の逃げる時間だけは作ろうと、斬られた体で立ち上がろうと騎士達を睨むように振り返った。

 すると、騎士達は――何故かエンリの方ではない前方を向いていた。そして、彼らは呆然と呟く。

 

「な、なんだ、アレは」

「魔法か?」

 

 姉妹後方、空間の途中に浮かんだ闇のようなところから、黄金の杖を持つ巨体の人影が現れる。それは骸骨の顔と身体を持っていた。

 

「〈心臓掌握(グラスプ・ハート)〉」

 

 落ち着きのある絶望的な重い声が響く。

 10位階ある魔法の中でも、第9位に属する非常に高位の魔法だ。それは相手の心臓を遠隔で直接握りつぶし即死させる。モモンガは、この世界の人間の強さが不明であるため、確実で得意とする強力な魔法をまず使用した。

 三人の騎士の先頭にいて、それを受けた者はあっけなく息絶える。

 モモンガは魔法が通用したことに少し安心する。一方、その転がる躯を見下ろしても、彼は何も感じない。

 

「そうか……(やはり肉体だけでなく心でも人間を止めたということか)」

 

 もし、これが通用しない場合は少女ら二人を攫い、〈転移門(ゲート)〉へ逃げ込むつもりであった。

 間もなく、骸骨顔のモモンガの後方両脇へ〈転移門〉から輝く天使の輪と美しく白い翼を持つコンパクトグラマーと言える最上級天使のルベドに、一抱えある射出武器のようなものを構え向ける戦闘メイドであるシズも現れる。

 

「……モモンガ様……シズ……前へ出て……〈電磁速射機関砲(レールガン)〉で……制圧する?」

「いや、シズよ、ここは私が戦おう。二人とも手を出すな」

「……了解……です」

「分かった」

 

 騎士らは、その組み合わせと存在が余りに夢物語のように異様過ぎるのか終始絶句している。

 

「……女子供は追い回すが、毛色の変わった途端に無理なのか?」

 

 異質すぎる三体の存在の中で、中央に立つ骸骨のその言葉を聞いても騎士らは、引きつった顔のままだ。

 モモンガは考える。先ほどの〈心臓掌握(グラスプ・ハート)〉はスキルまで総動員する魔法であった。それよりも少しランクを落として試してみようと。

 

「ふん、無理やりにでも付き合ってもらうぞ。――〈龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉」

 

 竜の如く暴れる白い稲妻が伸ばした右腕の人差し指から、騎士らへ目掛け中空を貫く。突き抜ける雷を一瞬に浴びた騎士達は、命の糸が切れたためその場へ崩れ落ちる様に倒れていった。

 

「……弱い。こんな簡単に死ぬとは」

 

 〈龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉は第5位階魔法だ。〈心臓掌握(グラスプ・ハート)〉よりもかなり低位の魔法で、モモンガが殆ど使わなくなった水準。しかし、この程度で容易に死んでしまう者が相手であったと知ると、モモンガから緊張感が少し薄れた。

 とは言え、今の二名だけが弱かったのかとも考えられる。警戒感は高まる。油断して死ぬのは御免であった。

 そのために、実験と共に戦力増強を考える。

 

「――中位アンデッド作成、デス・ナイト」

 

 モモンガは自らの特殊技術(スキル)を解放した。それも――3体である。

 デス・ナイトは盾として重宝する。それは、1回だけどんな攻撃もHP1で受け切り耐えるというものだ。

 だが、この世界でこいつの出現過程がなかなか酷いようだ。ユグドラシルのゲーム内では、空中から湧き立つようにデス・ナイトは登場するが、ここでは黒い霧が広がると死体の騎士に溶け込み、ギクシャクした歪な動きの後にふらりと立ち上がると、気色悪い液体を吹きつつ異形へと大きく変形していく。そして死霊の騎士の容姿へと落ち着くのだ。身長はそれぞれ2・3メートルにもなっている。人と言うより獣の感じがする雰囲気だ。全身は黒い鎧で覆われ、鋭い棘状の突起が付き出している。ボロボロ風の漆黒のマントを纏い、装備は左手に巨大なタワーシールド、右手には1・3メートルもあるフランベルジェ。攻撃レベルは25程度とそれ程でもない。

 モモンガは三体の内の一体に、丁度新たにこちらへと向かって来た騎士を指差し命じる。

 

「この村を襲っている、あの鎧を着る連中のみを殺せ」

「オオオオァァァアアアーー!」

 

 支配者より命令を受けた喜びの咆哮を上げ、デス・ナイトが疾風のように駆け出し進み、目の前の騎士の胴体を剛剣にて真っ二つにすると、より先の敵へも襲い掛かっていった。

 

(すごい自由度だな……ユグドラシルではユーザーの周辺にいて、襲って来た敵とだけ戦うものだったのに)

 

 この時、転移門が制限時間により薄れ始める。その段階でソリュシャンもこちらへと現れると、門は間もなく消失した。戦闘メイドプレアデス達自身は、至高の者の盾となって散る存在だと思っている。なので、みな極力主へ付き従う。モモンガの後方には、これで三体の護衛が並び立っていた。

 漸く周辺が一段落ついたモモンガは、(うずくま)る姉妹へと静かに向き直る。

 

「さて」

 

 エンリとネムの姉妹は、目の前の異様を通り越す状況に動けないまま、エンリが妹を包み庇うようにしてその場へしゃがみ込んでいた。そして、巨体の骸骨から声を掛けられ二人ともガチガチと歯を鳴らして震え始める。彼女は思った。骸骨顔の者のその圧倒的風格に、綺麗な顔をし謎の機械を構える者らはともかく、美しい天使すらも従えている姿は伝説の『死の王』ではないかと。

 

(あぁ……騎士からは逃れられたけれど……間違いなく生贄にされる。私はどうなってもいい……何でもする。だけどせめてネムだけは、妹だけは助けてもらわないと……)

 

 だが、先程の騎士達を一瞬で殺した非情の手際や、死体を別物の配下に変える残忍な魔法――期待は果てしなく薄いだろうと思われた。

 そんな『死の王』がエンリ達へと手を伸ばしてきた。

 

「ひぃ、お、お姉ちゃんっ」

(く、食われる)

 

 余りの恐怖に、姉妹二人は失禁してしまう。

 

「(えぇぇっ? ……こ、これは、一体どうすれば)……」

 

 モモンガは、ただ怪我をしている姉を治そうと手を伸ばしただけであった。どうやら姉妹には、この姿に対しての恐怖がとんでもない事に気が付く。そのため、彼は別の方法を取った。

 エンリへと『死の王』が圧倒的に威厳を漂わせる声で直々に告げてくる。

 

「これを飲め、傷が治る」

 

 そう言って、赤い血のようにも見える液体の入った小瓶を彼女へと突き付けてきた。

 治療薬(ポーション)なのだろうか? だがそれは、エンリがこれまで見たり聞いたりしたことのない『赤い色』をしていた。彼女の知る治療薬は、常に青いものであった。

 

(――飲めば死ぬ)

 

 エンリの思考には、それしか浮かばなかった。しかしと、彼女は『死の王』へ嘆願する。

 

「飲みますっ。だから、妹だけは――」

「お姉ちゃん!」

「ごめんね、ネム。でも、貴方は生きて」

 

 妹のネムは姉の覚悟を感じ取り、姉を必死に止めようとする。姉は謝りながら、自らを犠牲にするべく瓶を取ろうとしていた。

 モモンガは……困惑してしまう。

 

(……完全に、飲めば死ぬ毒薬だと思われてるんだぁ……う~ん)

 

 本当なら、殺そうと襲い掛かってきていた騎士達から助けてあげれば、恩人だと涙を流して感謝してくれるのが当然の展開のはず。

 やはり、美味しい場面は――イケメンのみにしか許されないというのだろうか。骸骨はお呼びでないと……。

 姉妹のそんな様子に、ここでついにソリュシャンが姉妹達へ怒りを交えて告げる。

 

「至高の方の温情により、薬をお手から下賜されようとしているにもかかわらず、下等生物の分際で受け取らないとは。その罪、万死に値しますわ」

 

 シズも、魔銃である『死の銃(デスガン)』を構え銃口を姉妹へと向ける。それに対して、姉妹を守ろうとルベドが動く前にモモンガが叫ぶ。

 

「ま、待てっ。物事に行き違いはあるものだ」

「はっ」

「……了解……です」

 

 モモンガの言葉で、ソリュシャン達は引き下がる。

 プレアデス達の気持ちはありがたいが、姉妹を殺すとここへ来た目的が無くなる。それにルベドが、こんな敵地で勝手に暴れ出せばどうなるのか想像もつかない。

 姉妹達になんとか薬を飲んでもらうのが最良と言える。

 

「これは危険なものではない。治療の薬だ。早く飲んだ方がいい」

 

 モモンガは僅かに優しい口調だが、強い意志で告げた。

 

「妹の事をどうか――」

 

 早くしないとどうなるかという雰囲気を感じエンリは、そう言うと素早く瓶を受け取り迷わず一気に(あお)った。もう妹の為に、死ぬ覚悟は出来ていたから。

 しかし、彼女は当然死なない。切られた服ごと完全回復する。

 

「――えっ、うそ……」

 

 飲んだ直後、『本当に』傷は完治した。それも一瞬にである。

 エンリは、それが実際に薬であったことにまず驚いたが、それ以上に一瞬で治ったことで驚嘆していた。知り合いの友人でもある薬師は非常に優秀なのだが、そんな治療薬は彼からまだ聞いたことがない。

 とは言え、身体を捻って確認するも実際に全く痛みは感じない。皮膚の手触りも裂傷跡的な感触も皆無の様だ。

 

「どうだ、痛みはなくなったな?」

「は、はい」

 

 エンリはなぜ自分が生かされているのか分からず、しばしの間思考が固まる。

 対するモモンガは、エンリの回復によって新しい情報を得る。

 

(そうか、この世界の住民は、こんな下級治療薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)で完治するレベルなのか)

 

 アンデッドであるモモンガには毒物でしかない治療薬だが、ギルドの仲間にはアンデッドで無い者もいる。とは言え、Lv.100にもなればもはや自動回復の方が下級治療薬よりも圧倒的に大きく、これは随分長い間無用のアイテムとなっていたものだ。

 そして、モモンガは何気なく重要な事を少女に確認する。

 

「お前達は、魔法というものを知っているか?」

「は、はい、知っています。村に時々やって来る友人の薬師が魔法を使えます」

「そうか……(なら話は早い)私は、村が襲われているのを知って助けに来た――魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。分かるか?」

(えぇっ?!)

 

 エンリは一瞬、ずっと感じている伝説の『死の王』との落差から理解出来なかった。確かにアンデッドやバンパイアでも僅かとはいえ、人と暮らす気のいい者もいるという噂話は聞いた事がある。

 だが彼らは概ね素顔を、幻術や仮面などで隠しているのが常識であった。

 

「(それにどう考えても、普通は伝説や英雄譚のお話でしか知らない美しい天使なんて連れていない。きっとそういう事にしろって言うんだわ。でも、それだと本当に私達を殺す気はない……?)……は、はい、分かります。ただ知り合いにはいませんが。あ、あの失礼ですが……」

「なんだ?」

「街中で暮らすアンデッドの方々は、素顔を幻術や仮面などで隠す方が多いのですが」

「(――なにぃ?!)……」

 

 モモンガはしまったと気が付く。よくよく考えれば、人ではない今の姿にもっと気を使うべきであった。だが、部下の前でもあり、慌てずに繕う言葉を吐き出す。

 

「……そうであったな。良く教えてくれた。私は随分と久しぶりに地上へ出て来たのだ。では仮面で隠すとしよう」

 

 アイテムボックスから仮面を取り出し装着した。顔をすっぽりと覆うタイプでバリ島のランダやバロンのマスクに似ている。これは、クリスマスイブの夜にユグドラシルへログインしている『寂しい連中』しか手に入れられない呪われた逸品――略称、嫉妬マスクだ。

 さらに、筋力を増大させるだけの能力しかない外装の籠手(ガントレット)『イルアン・グライベル』も装着し、胸元も閉じ全身から骸骨の姿を消した。

 そしてついでに、ルベドの天使の輪と、翼を不可視化するように言い渡す。ルベドは渋々だが至高の者の指示に従う。

 

「これでどうだ? 不自然はあるまい」

「は、はい。大丈夫だと思います」

「うむ。あ……先ほどの姿の事と、後ろの連れについては――」

 

 エンリは、思わず叫んでいた。妹のネムも続く。

 

「絶対に誰にも言いませんっ! この命を掛けて誓います」

「誓いますっ」

 

 後方にいたソリュシャンがモモンガへ「やはり記憶を書き換えるべきでは?」と囁く。

 彼も初めはそう考えたが、「いや、止めておこう」と小さく返しこの場は見送った。

 そうしてモモンガは、姉妹達へと魔法を唱える。

 

「〈乾燥洗浄(ドライ・クリーニング)〉、〈生命拒否の繭(アンティライフ・コクーン)〉、〈矢守りの(ウォール・オブ・プロテクショ)障壁(ンフロムアローズ)〉」

 

 身綺麗にされたあと、姉妹を中心に大きな半球が重なるように微光を放つ。

 姉妹は驚くと共に、エンリは乙女として顔を赤らめてしまう。先ほどの粗相による不快感が臭いと共に完全消滅したが、それに気付かれ、さり気なく気を使われたという羞恥心が膨れ上がる。

 

「生物を通さない守りの魔法と、射撃攻撃を阻害する魔法だ。そこに居れば大抵は安全のはず。あとこれをくれてやろう」

 

 加えて、モモンガは少し見すぼらしい角笛を取り出し、守りの中へ軽く放り投げる。

 

「それはゴブリン将軍の角笛と言われるアイテムで、吹けばゴブリンの一団がお前に従うべく姿を見せるはずだ。それを使って身を守ると良い」

 

 モモンガが昔に使った時には、低位のゴブリンが二十体程現れた程度のゴミアイテムだ。なぜ破棄していなかったのかと思うほどだが、先程の騎士相手なら十分以上に対抗できるだろう。

 姉妹に告げ終るとモモンガは背を向け、配下を引き連れて先行したデス・ナイトを探しに行こうとする。目的の姉妹は助けたのだ。あとは、村を襲い姉妹へ更に危害を及ぼす恐れのある騎士達を鏖殺するだけである。

 そんな彼の姿に、エンリは忘れていたとても大切である事を思い出し、慌てて正座のように両膝を地に付いて礼を述べる。

 

「あ、あの、助けてくださって、ありがとうございます!」

「ありがとうございますっ」

 

 妹のネムも姉に倣い礼を告げた。

 モモンガが振り返ると、姉の少女は目尻に涙を浮かべつつ感謝の表情を浮かべていた。彼は決まり文句を口にする。

 

「……気にするな」

 

 だが今、エンリは更に彼へと縋らなければならなかった。彼しかいないのである。

 

「あ、あと、図々しいことは分かっていますが、でも、貴方様しか頼れる方がいないんです! どうか、どうか! お父さんとお母さんを助けてくださいっ」

「助けてくださいっ!」

 

 妹のネムもハッとし、両親救助を姉に続き必死に懇願してきた。

 

「了解した。まだ生きていれば助けよう」

 

 モモンガは軽くだが約束する。

 エンリはその『助ける』という言葉に目を大きく見開いていた。

 

(この方は……恐れる対象ではなく、救世主たるお方?)

 

 先程、彼は騎士達を非情といえる形であっさりと殺している。

 だが良く考えると騎士達は、平和に暮らしていた罪無きこの村を、いきなり襲ってきた憎むべき凶悪な連中に過ぎないのだ。

 それに対してこの方は、見た目こそ骸骨のアンデッドという究極的に死や恐怖の姿をしてはあるが、終始礼儀正しく恥ずかしくも過分に気も使ってもらい、そして間違いなく自分達姉妹を手厚く助けてくれていた。

 どちらが慕うべき正義かは考えるまでもない。

 彼女の頭は、信仰に近い感謝と敬意が芽生え自然に下がっていく。

 

「ありがとうございます、ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」

 

 そんな彼の名前を、エンリは聞いておきたいと思った。決意にごくりと喉が鳴る。

 

「あの……私はエンリ・エモットと申します。よ、宜しければお名前をお教えいただけないでしょうか?」

「名前か……」

 

 一人の少女に名を改めて聞かれた瞬間、彼の思考に思いが巡る。

 モモンガは、ここで単なるHN(ハンドルネーム)を告げるのは違う気がした。彼はこの世界でユグドラシルの仲間を広く探そうとしている。

 

(そうだな……)

 

 それには――知名度も必要であった。彼は敢えて名乗る。

 

 

 

「我が名を知るが良い、我こそが――アインズ・ウール・ゴウンである」

 

 

 




ルベドは不明な点だらけで、完全に設定捏造です。
シズの銃も詳細不明。
こうだったらいいなぁと(笑

補足)本作中での距離感
本作では王都とエ・ランテルまでが300キロ程とみています。




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STAGE05. 未知の世界と戦力と支配者の気紛れ(2)

 『アインズ・ウール・ゴウン』を名乗ったモモンガは、巨躯の禍々しい姿を持つデス・ナイト二体を地上側の前面に押し立てて進ませ、ルベド以下三名の警護役を村の家々より少し高い位置の空中へ引き連れ、上空より村の端から内側へと、先行するデス・ナイトの姿を探しながら進む。

 彼は、シモベを生み出した者として、デス・ナイトの存在をまだ感じる事が出来た……というか、『なに、このシモベと繋がってる感覚』である。ユグドラシルでは、サブコンソールで確認していた事であったが。

 

(でも、流石に苦戦しているだろうなぁ)

 

 デス・ナイトの攻撃レベルは25程度しかない。防御レベルは40程にはなるが、流石に小隊規模を相手に一体では時間稼ぎ程度だと考えている。

 ところが、モモンガの見る光景は、予想を逆に大きく裏切っていた。

 村の至る所に騎士達の死体が転がっている。さらに、それらの首の多くが刎ねられていた。デス・ナイトに斬られて死んだ者が『従者の動死体(スクワイアゾンビ)』として動き出すのを防ぐためだろう。

 『遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)』で確認した時には、村を襲った兵団に50名はいたはずである。

 しかし今、少し右前方に敵の兵団を見つけたが、そこに残っているのは僅かに10名程であった。デス・ナイトに命じてから10分も経っただろうか。

 この村の住民達の生き残りは、中央の広場へと集められている様子。

 デス・ナイトは広場の脇で、すでに弱者と理解した騎士達を一方的にいたぶる形で戦闘を楽しんでいるようであった。2メートルを超える体でありながら、逃げる彼らの前へと一瞬で回り込むなど、騎士たちを圧倒する素早い動きを見せる。また騎士に背中から思いきり切り付けられようとも、黒い鎧の頑丈さに攻撃した騎士の剣の方がへし折れていた。そして、狼狽え続ける仲間を鼓舞する勇気ある凛々しい精悍でイケメンの騎士に挑まれるも、簡単にその首をかっ飛ばしていく。

 イケメンでも死ねば間違いなく負け組である――。

 

「この世界の人間は何て弱いんだ……あのデス・ナイトが圧倒的じゃないか」

 

 モモンガの呟いた言葉に、ルベドとソリュシャンが相槌を打つように話す。

 

「さすがに殆どの者達のレベルが一桁では、当然の結果と思う」

「先程まで一人だけLv.14の者が居た程度。所詮、下等生物ではアインズ・ウール・ゴウン様のお造りになられた騎士の足元にも及びません」

(なにぃっ、そんなにこの兵達は弱かったのか? そうか、この二人は相手の強さが明確に分かるのだったな)

 

 ルベドは此処へ来た当初から静かだと思っていたが、敵の強さが全て分かっていたからの様だ。

 モモンガは、それにしてもと考える。

 一時は、この世界の人間すべてがLv.100近いと思っていたのだ。一か八かだという心境で臨み、この村へと来ていた。

 だが、現実は大きく違った。

 Lv.10とLv.100のモモンガやNPC達との彼我戦力差は、10倍どころではない――ゲーム上では軽く万倍はあった……。

 ユグドラシルでは、単純にLv.10の1万人のユーザーを相手に戦ったとしても、分厚い各種攻撃無効化があり、それを切ったとしても同時攻撃できるのは最大でも6人×6パーティの36人、自動回復のみで結局無傷に終わる事だろう。

 だが、この世界でもそうなのだろうか。

 

「ルベド、シズ、ソリュシャンよ、私を呼ぶときはアインズで良いぞ」

「分かった、アインズ……様」

「アインズ様……了解……です」

「承知いたしました、アインズ様」

 

 さすがに、『アインズ・ウール・ゴウン』は長いと思う。モモンガは、この名前を仲間から咎められるまで名乗ろうと決めたのだ。

 

(仲間の誰かに言われたいものだ、それは『我らギルドの名だぞ』と……)

 

 モモンガから名を改めたアインズは、騎士の残りが5人となった所でシモベへと命じる。

 

「デス・ナイトよ、そこまでだ」

 

 仮面の下からアインズの、重みのある声が上空より周囲へと伝わる。

 騎士達の生き残りにも、まだ利用価値があるのだ。

 騎士達と村人はこの時に初めて、魔法で上空に浮かぶ四人の人影に気付く。

 四人を見上げる皆の表情の多くに怯えが見えていた。〈飛行(フライ)〉は有名な第三位階魔法であるが、この世界で使える者はほんの一握りの高い水準に存在する魔法でもあったのだ。この四人が、並々ならない者達であることは明確に理解出来た。

 また、広場の一角にあの圧倒的強さのデス・ナイトが更に二体も現れ、村人らから小さく悲鳴が上がった。

 そんな中、攻撃をしていたデス・ナイトは、仰ぎ見る主の命により攻撃をピタリと止める。

 騎士らを初め、村人たちはその様子に驚愕する。

 先程まで、騎士の隊長が金貨を500枚与えると告げようと、騎士達が束になって止めようとしても全く動きが止まることは無かった。

 その圧倒的すぎる強さを見せつけていたデス・ナイトが、この空中に浮かぶ仮面の男の言葉に即従ったのだ。目の前に立つ、驚異の怪物騎士の主人が誰であるのかは明白である。

 空中の四人は静かに地上へと降りて来た。周囲の者はまた、彼の後ろに従う形で並ぶ三名の女性の綺麗さや美しさにも息を飲む。聖剣を握るルベドは、翼や光の輪を隠したままであっても。

 村を襲った騎士達は逃げる形で、すでに集められた村人らの傍に誰もおらず、先行したデス・ナイトにより追い詰められる状況になっており、アインズ達はその間に降り立っている。後から来たデス・ナイト二体が集められた村人達の横を抜け、アインズ達の後方両脇へ従うように立った。

 そして少し柔らかい口調でアインズは村人達へと話し掛ける。

 

「初めまして、皆さん。我が名はアインズ・ウール・ゴウン。デス・ナイト達の主人になります。村が襲われているのを見つけ、助けに来ました」

『『『おおぉー』』』

 

 僅かにでも見えた藁を掴もうとして、村人達より声が上がる。

 彼は、次に敵の騎士達へ向かうと厳しい態度で告げた。

 

「お前達、投降すれば命は助けよう。まだ戦いたい――」

 

 そこまで聞くと、生き残りの騎士達は全員剣を放るように手放した。デス・ナイトに対して全く勝負にならないのだ、当然と言える行動である。そんな騎士達にアインズは更に言い放つ。

 

「敗者達よ、命を助けてやったデス・ナイトの主人たる私に対して頭が高いな」

 

 騎士達全員が、慌てて膝を突き頭を垂れた。

 目の前の仮面の男が言うように、ただ殺されるところだったのだ。5名の騎士達は、もはや大抵のことには従うつもりになっていた。

 

「お前達、どこから来た者だ?」

「!――」

 

 騎士達全員が固まった。

 彼等は、相手が圧倒的といえる力を持った魔法詠唱者だということで、どう発言するか迷っていた。本当の事を言うべきか、嘘を言うべきかと。

 それをアインズの後ろで、腰に手を当てて颯爽と立つソリュシャンが感じ取り、脅す。

 

「嘘は、通じませんよ? 目の前の御方へ答える内容には気を付けなさい」

 

 もはや、彼らは震えながら正直に答えるのみであった。

 

「わ、我々は――スレイン法国の者でございます」

「(えっと……それってどこだろ?)そうか。で、村を襲った目的はなんだ?」

 

 一瞬言いよどみ周囲の騎士らと目線を交わしていたが、結局話し出した。

 

「リ・エスティーゼ王国の王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフの暗殺のため――」

 

 その言葉に村人たちがざわついた。多分、常識的に知っている国の有名人であるのだろう。この村がその国の所属かもしれない。

 だがアインズ達には、固有名詞がすべてさっぱりわからなかった。

 

「――その陽動を行うように命じられました。村々を襲えば対象はやって来ると」

 

 酷い話である。現れるまで周辺の村々は理由なく襲われるというのだから。これまでにどれほど殺されたのだろうか。

 だがそれも、アインズやナザリックには関係のない事であった。事情聴取はこの辺りでいいだろう。

 アインズは一番近い男に近寄ると、前へ膝を突き這いつくばる騎士の首元を片腕で掴み軽々と吊り上げる。

 

「帰ってお前らの飼い主に伝えろ。これ以後、この辺りで騒ぎを起こすな、騒ぐようなら貴様らの国まで訪れて死をくれてやるとな」

「ひぃぃ、はぃ……」

「いけ、確実に主人へ伝えろ」

 

 アインズは顎をしゃくりながら、ゴミを放るように掴んでいた騎士を軽く投げ捨てる。

 急に放られた騎士は転がるも、立ち上がると5人とも躓きつつ()()うの(てい)でこの村を去って行った。

 

「やれやれ、演技も疲れるな」

「……全く……です」

 

 シズが主に同意するように呟き、ソリュシャンと共に頷く。

 小さくなっていく連中に目もくれず、アインズは村人達へと向き直る。彼は考えていた。この村は、ナザリック地下大墳墓から南西10キロほどの位置にあった。今後を考えると人口も少なく目立たない事から、情報源の窓口として友好関係を持っていた方が良いように思えたのだ。

 村へは大きな恩を売ったのだ。これは先程の国の名や人物についてを含め、色々と周辺の情報を聞き出す好機でもある。

 今しがた助けに来たと告げたはずだが、良く見ると村人らの表情にはまだまだ恐怖の色が濃い。アインズの操るデス・ナイト一体だけの戦力でさえ、あの騎士団よりも遥かに強い。それが三体も間近に立っているのだ。自然と思える反応に見える。

 アインズは先程の姉妹の事を思い出す。恐怖を与えるおそれのある行為は極力控えるべきだろう。村人達とは5メートル程離れて対峙する。近すぎればデス・ナイト達に怯えてしまうと。

 

「さて、あなた方はもう、安全だ。安心して欲しい」

「ゴウン様と言われましたか……」

「アインズで結構」

「……では、アインズ様、本当にありがとうございます。あの、貴方様は助けに来られたとのことですが……」

 

 四十代ぐらいで少し髪の白さが目立つ、がっちりした体格に日焼け肌の村の長らしき人物が尋ねてくる。目線をチラチラとデス・ナイトに向けつつだ。それに他の村人達も何か納得できない様子が見て取れる。恐らくは――。

 

「ええ……もちろん、ただでという訳ではありませんがね。生き残った人数に対して謝礼を頂きたい」

 

 平和ボケしていなければ、この規模の行いに対してタダで助ける事は通常考えられないだろう。タダほど怪しいものはない。この世界では恐らく、他に恐ろしい事があると考えてしまう。正に最悪、命をと。それなら単に金銭を求めた行為としてなら、納得できるというものである。

 金額への不安はあるが、予想通り先程より皆が納得している顔になっていた。

 村の長も先ほどより、好意的に見える顔をしながら話し掛けてくる。

 

「あのアインズ様、このような場所で立ち話も失礼ですので、わが家へお越しいただけますか?」

「その前に、向こうでエンリという娘の姉妹を助けたのだが、魔法で防御を張ったままにしている。解除して連れて来るのでその後にでも」

 

 アインズは、ここで姉妹の願いを確認する。

 

「それとここには、エンリ・エモットの両親はいるかな?」

 

 村長は広場に集まった顔ぶれを見渡す。しばらく見回すも、アインズへ向き直り顔を横へと小さく振った。

 その直後に村長の指示で、エンリの両親を急ぎ探すも、間もなく遺体が発見された。

 

(息が有れば、下級治療薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)ぐらいは使ってやったがここまでだな)

 

 ユグドラシルの魔法やアイテムが有効である事から、蘇生の短杖(ワンド・オブ・リザレクション)を使えば恐らく死者復活は成る。集団蘇生のアイテムもある。だが、メリットがあるだろうか。現状では魔法の発動を確認出来る行為ぐらいに思われた。

 後ろに立つプレアデス達はもちろん、ルベドも姉妹以外はどうでもいい様子である。

 

(今、両親の片方でも生き返らせると、不公平が出るだろうな。止めた方が、これからも村で生きていく姉妹達にも良いだろう)

 

 アインズは、広場を後にするとエンリとネムの姉妹の所へ戻り、魔法を解除しながら両親の事に付いて淡々と告げた。姉妹はその場で泣き崩れる。畑と家は残ったが頼る両親はもういないのだ。蓄えも多くはないだろう。

 仮面に漆黒のローブ姿の彼は姉妹をそっとしておくと、広場で三体のデス・ナイトを外からの仕返しなどの警戒に当たらせる。村人らは死体の後片付けを優先していた。放っておくと疫病や難病を引き起こす為、すぐに埋める必要があるのだ。そのため忙しく周囲を行き来していた。

 その時にソリュシャンから、村の周囲にナザリックから援軍としてマーレ率いる八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)を15体とシモベ400体程が到着し伏せてあると伝え聞く。恐らくセバスが手を回してくれたのだろう。だが、不可視化も行える八肢刀の暗殺蟲一体でもデス・ナイト三体より遥かに強かったりする。明らかに過剰戦力と言えるだろう。アインズとしては思わず、どこぞの国と戦争でもするつもりかと言いたい。まあ、セバスは騎士達のレベルを知らなかったから仕方がないのだが。

 支配者は、直ぐに連絡を取る。

 

「〈伝言(メッセージ)〉。――マーレ」

『は、はい、モモンガ様』

「時間がないので用件だけ伝える。マーレ自身と八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)のみ村の周囲で待機、他は撤収させよ。以上だ」

『は、はい。了解しました、モモンガ様!』

 

 交信を終え、ルベドらを従えて村長の家に入る。彼らはすぐ客間へ通された。

 

「お待たせしました」

 

 アインズの言葉に村長夫婦は、金額交渉に臨むため緊張している様子。アインズとしては金額に全くこだわりはない。それよりも情報を引き出す方向へ持っていくことを考えていた。

 シズ達は、アインズの横へ主より指示され静かに座っている。

 

「さて、前置きは抜きにして話を始めるとしましょうか」

「はい。ですが、その前に一言……」

 

 村長は改めて席から立つとアインズ達が見える机の横へと回り、膝を突く。彼の奥方も横に同様に膝を突くと、村長らは頭を下げて礼を述べた。

 

「ありがとうございました! 貴方様が来てくださらねば、間違いなく全員が殺されておりました。皆の分もお礼を申し上げます」

 

 その姿にプレアデスの二人は、下等生物なりの感謝にうんうんと頷いている。下位のものは偉大なる支配者の慈悲に感謝すべきなのだと。アインズはそんな様子を「うぁ」と言う感じで横目で見ていた。

 だがアインズは人生を振り返っても、今日ほど感謝されたことはない。決して悪い気持ちではなかった。

 

「お気持ちは分かりました。さあ、席へ着いてください」

「はい、では」

 

 アインズとしては、村全体の救出は姉妹に対してのあくまで『ついで』であったのだ。だが今は、新しい情報源として少しの期待が有る。

 まだ世界の全貌は分からず安心出来ないが、ナザリックの戦力は決して低くない様に思える状況。周囲の国家組織の概要と地理が分かれば戦略が立てられるだろう。状況把握についてかなりの進歩に繋がる。

 この機会は有効に使いたいと考えるのは、組織の指導者として当然だろう。

 村長が席に着くと、アインズは切り出す。

 

「では、単刀直入に伺います、報酬として幾らぐらいを私にとお考えですか?」

「大恩ある方へ隠すことは出来ませんので、正直にお答えいたします。この村は人口も少なく特産もなく裕福ではありません。ですが、皆精一杯出してくれると思います。正確な数値は最終的に知べないと分かりませんが、銅貨にして3000枚ぐらいでしょうか」

 

 銅貨3000枚の価値……数字的には大層に思えるが、高いのか安いのか妥当なのかアインズには現状では価値の判断が付かない。

 どうやらアプローチを間違えたらしい。初めから躓いてしまった。元々、大した営業マンではなかったが、それが最悪側へモロに出てしまったのだろうか。

 まあ、牛や豚を5頭とか言われるよりもマシではあるのだが。

 せめて何か比較する物が――と、アインズは閃いた。

 

「もう少し纏まりませんか? 3000枚ですと嵩みますし、金貨とか」

「すみません、この村では基本的に金貨は使用しておりません。価値が高すぎて流通しないものなので……銀貨も十分には……」

 

 金貨とはそれほど価値があるのだろうか? だが少し、よい方向へ話が転がった。

 彼はローブの中でアイテムボックスを開き中から一枚の金貨を取り出していた。ユグドラシルで流通していた金貨だ。分厚い真円のもので、女性の横顔が精巧に彫られたものである。

 

「すみません、少し話は変わるのですが、これで買い物をしたい場合、どの程度のものが買えるのでしょう?」

 

 パチリと音をさせて金貨を机に置いた。

 

「こ、これは……大きめの金貨……」

「非常に遠い異国の地で使われていた硬貨ですが、この辺りで使えますか?」

「使えると思いますが、少々お待ちください」

 

 村長は奥方にあれをと声を掛けると、部屋の奥から両替天秤を出してくる。早速測り始めると村長は答えた。

 

「交金貨2枚分の重さですね……彫刻も見事なので価値はそれ以上かと」

「ではどうでしょう、私がこの村のものを妥当な金額で買い上げ、その支払いに使用した硬貨を私に渡して頂く……というのは? 20枚程度ならこの金貨は持っておりますので」

 

 本当はもっと持っているのだが、アインズは控えめに告げる。

 すると、村長は一瞬その枚数と総額に驚いたが、すぐに不安の広がった表情になった。

 

「あの……アインズ様へ気に入って頂けるものが、果たしてこの小さな村に有りましょうか。牛や馬も年老いたのが数頭しかおりません。恐らくそれほどの枚数の金貨に見合う程の……売るモノと言えば……もう、若い娘ぐらいしか……しかしそれも……」

 

 アインズはしまったと思った。そんなつもりは全くなかったのだが、とんでもない方向に話が進んでいる気がして来た。心の中で頭を抱える。

 

「あ、いや、村長殿――」

「アインズ・ウール・ゴウン様!」

 

 村長の突然の真剣身のある迫力に、ちょっとドキリとビビる。

 だが、アインズは冷静に答えた。

 

「アインズでいいですよ」

「は、はい、アインズ様。貴方様程の人物、安く見られたくはないというお考えやご評判のために妥当と思える金銭を要求されるのは分かります。アインズ様程の強きお方であれば高額なのは当然。ですからそれに見合うものをお探しなのでしょう。ですがこの村の者達は、貧しいながらも皆で助け合い、苦難を乗り越えて来ました。もはや家族同然なのです。その中で特定の家から娘を取り上げるのだけはご容赦していただけないでしょうか」

 

 村長は机に手と頭を付けてアインズに頼んでいた。

 アインズは固まっていた。このままでは奴隷商人まがいである。だが、村長の言葉に頭が混乱してしまったのか、アインズは何故か口走ってしまった。

 

「そう言えば、先程の戦闘で両親を亡くした村の子達はどうされるのです?」

 

 村長はゆっくりと顔を上げる。彼は気が付いた。今、村に嫁入り前の若い娘はエンリ・エモットしかいない事に。そして、彼女の両親は死んだのだ……。しっかりした子だが、妹のネムも小さい。エモット家は薬を少し扱っていたため、村では上の生活ではあった。だが両親を同時に失い、これから苦労をするのは目に見えている……。

 どうだろうか、この村に居るよりも多くの女性を連れ、立派で裕福そうに見えるアインズ氏と同行した方が幸せに――。

 村長は奥方に耳打ちをする。奥方は一瞬目を見開くが、納得するように頷くと「少し失礼します」と部屋から出て行った。

 奥方は――本人に確認しに行ったのだ。

 それを横目に村長はアインズへ答える。

 

「もちろんそういった子供は、村で大事に養子として引き取り育てますよ。心配は入りません。私の母も災害孤児でしたので」

「……そうですか」

「アインズ様が銅貨3000枚程度ではご不満なのは分かっております」

「あ、いや」

「それを、全く口にはなされない御配慮にも感謝しております。確かに村中から全てかき集めればご満足いただける金額を用意出来るかもしれません。しかしその場合、多くの働き手が無くなったこの村はこれからの季節を乗り越えられなくなります。せ、せめて分割にしていただけないでしょうか?」

 

 アインズとしては、金額はどうでも良いのだ。しかし、払えないというのは良く考えると容易に他の価値あるものを要求出来るという事である。これは好機と言えるだろうと思い、アインズは話し出す。

 

「分かりました。では、報酬に金銭は要求しません」

「なっ……えっ? どういう……」

 

 村長の顔は恐怖に変わる。ついにゴウン氏を怒らせてしまったのではと。それは――村の滅亡に直結するだろう。

 殲滅の実行を確認するかのように、今まで静かで全く動かなかったアインズの横に座る3名の美しい女性達が、同じタイミングで絶対的支配者の方へ一斉に顔を向けたのだ。

 余りのユニゾン的動きに村長は震えを覚えていく。

 

(村はどうなるんだ――金銭の代わりに『村人全員の命』と言われたら)

 

 そうなっては防ぎようのない事は、あのデス・ナイトが三体も居る状況から考えるまでもない。

 

(あああぁああーー)

 

 村長は真っ青になりかけていた。

 

 

 

 

 村長の奥方は、エンリ・エモットを村の共同墓地に見つける。彼女は男達に混じり、両親の墓穴を力強く掘っていた。妹のネムも脇で一生懸命に手伝っている。

 奥方は、エンリに声を掛け、墓地の外れに連れていく。そして、先程の話についてこう切り出していた。

 

「村としては最大限、アインズ様へお礼をお支払しようと思っているけれど全く足らないの。アインズ様程の方を雇う場合、分かると思うけど本来ものすごいお金が必要なの。でもあの方はこちらの提示した、仕事に比して少ない金額を確認されても直接不満は言われなかったわ」

「あの方はそう言う素晴らしい方だと思いますよ」

「でも、このままの金額だと、あの方の評判にきっと酷い傷が付いてしまう。でも村としてはこれからの物入りである季節を考えるとこれ以上は出せないの。それで――アインズ様は金額を増やす為に、この村で気に入ったモノを別に買い上げて、その金額分も上乗せしたいと。そうすれば村としては最大で、最初に提示した村のお金と、気に入ったモノと購入された代金の三つをあの方にお渡し出来る」

「さすがはアインズ様ですね」

「そうね……それでね……アインズ様は心配されているの、両親を亡くした貴方はこれからどうなるんだろうと。あのお方はかなり裕福な方のはず。先ほども交金貨より大きい金貨を見せられて、それが手持ちでも数十枚あると言われてね、だからね――」

 

 エンリはそれで、村長の奥方が何を自分へ言いに来たのかを完全に理解した。『モノ』として若い娘の自分に白羽の矢を立てた事を。だが、お相手があの方なら不思議と怒りは全く湧かない。逆にエンリは尊敬する恩人の傍で恩を返せると嬉しくすら思えた。

 

「で、でね、そのね……」

 

 流石に村長の奥方もこの先は切り出しにくい。

 エンリは気持ちを固め、服や髪の汚れをパタパタと少し払いつつ笑顔で、これだけあれば妹を迎えてくれる村の人達の負担も相当減らせるだろう金額を伝える。5枚分ぐらいは村に残るように。

 

「……分かりました。交金貨、に、25枚でどうかなぁ……?」

 

 

 



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STAGE06. 未知の世界と戦力と支配者の気紛れ(3)

なんか違うカルネ村編を楽しんでください~。


 金銭での報酬はいらないと言われてしまい、カルネ村の村長はゴウン氏を怒らせてしまったのではと、見当違いな考えをして内心で慌てていた。

 そんな彼へ、アインズは声を掛ける。

 

「実は、私はナザリックというところで魔法の研究をした(のち)に旅をしている魔法詠唱者(マジック・キャスター)でして、つい最近この辺りへ来たところなのです」

「そ、そうですか、なるほど。それでそのような格好をされているのですね」

 

 村長は、まだどう転ぶか分からない話に不安の濃く滲む表情をするも、最後まで諦めず確認しながら仮面を付けた人物の話を聞く。

 一方、アインズは村長の答えに内心驚く。それは、エンリの時にも感じたが魔法詠唱者という、ユグドラシルでの呼び名がそのまま通じているという事だ。

 魔法詠唱者という括りは広い。神官(プリースト)司祭(クレリック)森祭司(ドルイド)秘術師(アーケイナー)吟遊詩人(バード)、巫女、妖術師(ソーサラー)魔術師(ウイザード)など無数の魔法職を含んでいたが、偶然だろうか。

 

「なので、この辺りの知識が少ないのです。周辺情報を一通り教えて欲しい。そして、この話を他人には喋らない事。それを報酬とさせて頂きましょう。いかがかな?」

「……分かりました。このことは決して誰にも話しません。お約束します」

「良かった。私はあなたを信じます。魔法で縛ったりはしませんので。では早速ですが、お願いします」

 

 それからアインズは、村長よりこの村が所属するリ・エスティーゼ王国、アゼルリシア山脈を隔てた東方のバハルス帝国、そして南部にある今、最も敵対しそうなスレイン法国についての概要を語った。

 また人物についても、国王や『黄金』と呼ばれる姫、王国最強の戦士長の他、バハルス帝国の若き皇帝等についても大まかに聞くことが出来た。

 結果、どう考えても――新世界に来てしまったようだ。

 聞き返してもみたが、全く知らない固有名詞や地名の連続であった。思わず、変な声が漏れそうになったぐらいである。

 当初、ユグドラシル関連由来の世界ではと考えたが関連はなく、かといって北欧神話等の現代に伝わるネタ的なものからも隔絶していた。

 全くの別世界の様子。

 確かに王族、貴族と平民らなどの身分制度等、中世に類似する部分も多々あるが、それらは自然と紡がれた体系の部類に思える。

 王国は山脈を挟むバハルス帝国と仲が悪く、毎年のように南の平野で戦争をしているという。

 しかし先程の兵達は、鎧に入る紋章がバハルス帝国のものでありながら、スレイン法国の兵と語っていた。二国間を争わせての漁夫の利という構図だろうか。

 

 村内で回収した騎士の鎧は、他所で売って換金するとのこと。仮面の魔法詠唱者はとりあえず、話の最中に5セットだけ譲って貰えるよう村長と話を付ける。

 帝国製の様だが、敵となるかも知れない軍隊の装備は、検証しておいた方が良いだろうと。

 この時アインズは、新世界へ来たのが本当に自分だけなのかと考えてしまう。

 ユグドラシルの運用が終わった24時に、ログインしていた人数は結構いるはずである。ここへ飛ばされた者らは、気持ち的に集まるのではと思う。出来ればナザリックもそれに参加したいところだ。連携に際して、ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』内に関係のないところでは最大限譲歩してもいい。

 それを考えると、ナザリックとしては当面非人道的な行動は慎むべきかと彼は判断する。早急に上位NPCらを交えて決定し、通達しておかなければなるまいと。

 それから、現地住民や国家との敵対も当分避けるべきかもしれないとも浮かぶ。

 まあ今回は、村を救うために仕方がなかったと言い訳できるだろう。

 とはいえナザリックが一団として動く場合、今後の行動へ大義名分が必要に思えた。どこかの国家の傘下に入るべきかも含めて考えねばならない。

 現在のナザリック単独でも、Lv.100のプレイヤー30名ぐらいなら同時に殲滅出来る戦力はある。プレイヤーはアインズ一人とは言え、世界級(ワールド)アイテムも行使すれば、ナザリック地下大墳墓はほぼ難攻不落の地下要塞と言える。

 ただ、世界級アイテムの最大の力は、解放する(たび)にアインズ自身のレベルを減少させてしまう。いつか限界が来てしまうだろう。

 できれば、孤立無援の戦いはしたくないところ。

 一つの勢力として、色々と検討することは多そうだ。

 

「……なかなか難しいな」

「どうかされましたか?」

「あ、いや。もっと、他の話を聞かせて頂きたい」

 

 アインズに催促されて、村長が「では、モンスターについて……」と新しい分野の話へ入る時であった。

 部屋の扉へノックが有って開かれると、奥方と――エンリが一礼の後、入って来た。

 エンリは、心なしか顔が赤い感じである。

 そして彼女は、村長とアインズ達が座っている机の傍まで静々と進み、ごくりと唾を一度飲み込んでから告げてきた。

 

「ア、アインズ様……不束者ですが、なんとか交金貨25枚でお願いしますっ!」

 

 強めに目を瞑り頭を下げつつ、ドキドキのエンリ。

 自分は、アインズが連れている豪奢で飛び切りの美少女達にはほど遠く、育ちも田舎娘。自信が有るのは健康な身体と頑張って働く事と貞淑さぐらいで、金額を吹っかけすぎてはいないだろうかと。

 ここへ向かう途中の井戸で腕や顔も洗って髪も整え、すでに気持ちの入っていたエンリの宣言するような声の後、この場にしばしの静寂が訪れた。

 それは、この場のアインズらには金銭の話が、すでに過去の事項になっていたからだ。

 

「えっ?」

「えっ?」

「ぇっ?」

「あれ……?」

 

 アインズが初めに呟き、次は村長。そして、奥方、最後にエンリ自身も……。

 

「あの、アインズ様……私を連れて行きたいとのお話では……?」

 

 エンリが恥ずかしそうに少しモジモジと、自分でアインズに確認してきた。

 奥方は村長に「あなた、先程の説得の話はどうしたの? エンリが納得して――」と詰め寄っている。

 アインズとしては驚きである。骸骨の姿で異常に怖がられ、失禁までされてしまった娘なのだ。そんな化け物へ、顔を赤らめて自分を売り払うという事に何故納得出来たのだろうか。魅了(チャーム)を施した訳でもなく、その心の激変にちょっと想像が付かない。あるとすれば、妹の為か。

 いずれにしても済んだ話に、彼は優しくエンリに答えた。

 

「オホン……エンリよ、もう心配はいらない。報酬は別の形でもらう事になったのだ。君はこれからも変わらず自由だぞ」

「そ、そうなんですか」

 

 エンリは、ほっとするはずが――その気が全くない自分に愕然とする。

 この気持ちは一体何だろうと、自由は変わらないはずなのだが、とても大事で大きいものを失いそうに感じるのだ。

 

(感謝し尊敬するこの方へ、恩返しが何も出来なくなる――)

 

 その思いが、彼女の心に大きく湧き上がって来ていた。それがエンリを異様に踏み込ませる。

 

「アインズ様……私……では役に立ちませんか? 銅貨1枚でも、いえっ、無くても構いません。どうか、どうかお傍で」

 

 エンリも自分で何を言っているのかよく分からなかった。

 ただ、この機会を逃せば恩人と深く交わることはもう無いと感じていたのだ。

 エンリは目に涙を溜めていく。

 その様子に、アインズが静かに立ち上がる。

 

(若いなぁ……これは時間を置いた方が良いだろう)

 

 彼はエンリの傍に進む。アインズの身長は190センチ程あるように見える。

 だが、エンリはもうそんな仮面の彼が怖くは無かった。

 アインズは、エンリの左肩へと優しく手を置く。

 

「分かった。エンリよ、この件については後で話すとしよう、いいな?」

「は、はい、アインズ様」

 

 エンリは、その言葉で僅かに笑顔を見せ少し落ち着いた。まだ縁の綱は残っていると。

 そうして奥方と、エンリには退出してもらった。

 エンリが居る間中、プレアデス二人から娘への視線が、何故か一段鋭かったように感じたのは、アインズの気のせいかもしれない……。

 

「ウチの家内がご迷惑を」

「いえ、気にしていません。それよりも続きをお願いします」

 

 そうして村長より、モンスターとそれに関わる者達や組織の話を聞いた。

 モンスターについての内容は、ユグドラシルとほぼ同じ構成に思われた。

 山小人(ドワーフ)森妖精(エルフ)などの人間種、小鬼(ゴブリン)豚鬼(オーク)人食い大鬼(オーガ)ら亜人種。亜人達が国を形成している例もあるようだ。森の南部奥には『森の賢王』と呼ばれる強い魔獣もいるらしい。

 一方、それらモンスターに対して、報酬に応じて活動する冒険者やワーカーが退治する仕組みがあるようだ。冒険者達については、都市部中心で各地に組合(ギルド)が存在しているという。ワーカーはギルドから干された者や縛られたくない逸脱した者達らしい。

 それ以外にも傭兵など国家規模から個人規模まで、様々な各種組織が有るようだ。当然、魔法詠唱者は、各場所で多数が参加しているという。

 次に、最寄りの都市の話を聞いた。

 城塞都市でエ・ランテルといい、ここより南側の位置にあり、三重の城壁で囲まれ堅固に出来た大都市らしい。人口の詳細は不明だが、30万は優に超えているだろうと村長は話す。市に並ぶ物資量や質も良く、村からもよく麦などの産物を売りに行くという。また規模の大きい冒険者ギルドも有るとのこと。

 ここでアインズは貨幣価値についてあえて確認した。すでに金銭での報酬は無くなったのだ。気にする必要は無くなっている。

 

「貨幣についてですが、金貨1枚に対して、銀貨は10枚、銅貨では100枚というレートでしょうか?」

「……いえ、金貨1に対して、銀貨20。そして、銀貨1に対して銅貨20がここ十年ほどの相場です」

 

 という事は、銅貨3000枚は、金貨7枚銀貨10枚に相当するようだ。

 為替で儲ける奴はいないのだろうか……。ナザリックの広い宝物庫は、兆を超える金貨の山で埋め尽くされている。それだけあれば変動させることは可能だろう。

 それとも厳禁罰則事項なのか。或は金や銀等の流出入が本当に少ないのか。それとも他の力が? 謎は残る。

 銅貨1枚で買えるものを聞いて価値を推察すると、日本円で1000円ぐらいか。

 最後にアインズは、一つだけ不思議に思っていた事を尋ねる。

 

「言葉の壁とかはないのでしょうか?」

「はて……。どうも意思疎通の段階では存在しません。ですが、地域や文化によって文字の差は存在しています。そして、口の動きや喋るニュアンスも異なりますね。なので……恐らく意思疎通に関してだけ、世界規模で魔法でも掛かっているのではないでしょうか? ただ随分昔からそうなので、私どもにはその理由は分かりませんが」

 

 話を聞いて、今の時点ではそう言うものだと思うしかない。しかし、アインズには考えが浮かんだ。

 

(――世界級アイテムの魔法か、それとも更に上位の統合システムの存在か……)

 

 ナザリックの管理システムが動いているのだ。考えられる話である。だが、アインズは考えるのをそこで止める。キリがないと。

 

「情報の提供、ありがとうございました」

 

 曖昧である点も多かったが、とりあえず大まかに周辺の情報や関係を知ることは出来た。

 ここでアインズは、区切りを付けるべく立ち上がると、向かいに座る村長へとガントレットをはめたまま手を伸ばす。意図を理解したのか、村長も立ち上がり握手に応じる。

 

「では村長殿。この件は、内密に」

「はい、約束はお守りします」

 

 アインズ達は、村長と共に村長宅から外へと出て来る。

 雲はあるものの概ね日差しの有る天気だ。日は傾きつつある。村内は、今はまだまだ村人達が手分けをして、墓堀りと戦いの後片付けに追われている状況。

 一行は中央の広場までやって来る。死の騎士(デス・ナイト)3体は、位置不動のまま首だけを動かし警戒に当たっていた。先ほどの戦いの様子を考えれば、魔法詠唱者が居なければデス・ナイトだけで1000人の兵を相手でも十分戦いになりそうな雰囲気だ。

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)が居なければの話であるけれども。

 アインズ達は(いま)だこの世界で、魔法詠唱者達に遭遇していない。果たしてその水準は、そして未知の魔法を持っているのか等、不安要素はまだ多い。

 村人の男が一人、村長の所へとやって来る。

 

「村長、葬儀の準備が整ったので……」

「おお、そうか……アインズ様」

 

 許可を求める村長へアインズが頷く。

 

「構いませんとも、私達の事はお気になさらずに」

 

 村の外れにある村の共同墓地で葬儀が行われた。

 墓石は丸石に名前を刻んだものが最上で、ぽつぽつとある程度。良く言えば質素だが、見すぼらしさは拭えない。

 先の戦闘では、村人の3分の1を超える40名程が殺された。襲って来た兵団の騎士達の遺体は鎧等の価値ある物を剥がし、村外の離れた場所に纏められまだ仮置きしている。

 なので、流石に一度で全部には手が回らず。

 エンリと妹のネムも村人達と同様、墓を前に泣き崩れていた。

 それを少し離れた位置から、アインズとルベド、シズ、ソリュシャンが見ていた。

 すると僅かに後方の木陰下から声が掛かる。

 

「モモンガ様、御無事で……」

 

 アインズが顔を向けると、そこには黒い杖である神器級(ゴッズ)アイテム『シャドウ・オブ・ユグドラシル』を可愛く両手で抱き締めるように持って佇む、白い服で褐色肌の眩い妖精のマーレがいた。

 

「ん? マーレか。すまんな」

 

 とととっと、プリーツのスカートが翻らないように、可愛く主の傍まで乙女に駆けて来る。

 傍へ寄って来たマーレの頭を、アインズは優しく撫でてやる。

 闇妖精(ダークエルフ)姉妹の妹は目を瞑り、垂れたエルフ耳をさらにダラリとさせて、最高に幸せそうな『ほにゃ顔』を見せる。

 

「悪いがナザリックに戻るまで、我々の後衛を頼むぞ」

「は、はい、分かりました。全力でお守りします。……あ、あの、潜んでいる僕らに気付かないで隠れている人間種の弱い一団を見つけたのですが……全部殺しておきますか?」

 

 マーレはさらりと、害虫でも纏めて踏み潰すかのように、邪魔である兵団の殲滅を笑顔で確認してくる。彼女もナザリック以外の者には関心がないのだ。ただ一応と主へ確認しに来たのである。

 

「なに? ……魔法詠唱者は居そうか?」

「えっと、服装は皆神官(プリースト)風でしたので、おそらくは」

「そうか。では、まだそのまま泳がせておけ。頼んだぞ」

「は、はい、お任せを、では」

 

 隠れている一団の目的は、この国の王国戦士長を暗殺するというやつだろう。

 金色の髪とタレたエルフ耳を揺らした少女は可愛く背中を向け、てててっと小走りで去って行った。さり気なく、杖でお尻側のスカートを押さえながら。

 

(……マーレはかわいいなぁ)

 

 アインズは暫しの間和む。

 プレアデスの二人は、支配者による守護者マーレへのナデナデする寵愛がかなり羨ましく見えていた。

 そんな中、ルベドは『なぜ姉妹が揃っていないのか』と不満気な横目で静かに見送っていた。

 

 

 

 葬儀が終わり、村内へ戻った村人達が再び後片付けに精を出す。

 アインズは、村の中央広場に戻ると仁王立ちしているデス・ナイト達を眺める。

 

(やはり、消えてないなぁ。ユグドラシルでの召喚時間はもうとっくに過ぎているんだけど)

 

 考えられるのは、死体の依代があった事だ。どこまで存在できるのか、これも実験になりそうである。仮に存在し続ければ、永続的な戦力としても悪くはない。

 それと、マーレから告げられた隠れているという一団は神官らと聞くも、階層守護者的にはすでに弱いという。

 

(この世界の上位者の強さは不明だけど、多くの者は――弱いのかもしれない。いや、油断は禁物か)

 

 先程の戦いで見逃した騎士達から、『アインズ・ウール・ゴウン』の名はスレイン法国側に伝わるはず。その後どういうアプローチで来るかは分からない。でも、最初にこの周辺が探索を受ける可能性は高い。そこで、アインズを上回る強者が派遣されてくるかもしれない。

 とにかく、その時まで当分、情報を集めることに注力しようと彼は考えていた。

 

(ナザリックの外部に、いつでも切り捨てられる、情報収集の暗躍組織を用意した方がいいかもしれないな。自室にずっと残していた調整中のNPCを使うか……)

 

 そんな事も思いつつアインズは、ゆっくりと村長を探す。

 

「先ほどの隠れている一団を払うまでは、村へ残ると村長に伝えておかないとな」

 

 プレアデスの二人は、黙って盾としてどこまでもアインズの後に付き従うのみである。

 だが、ルベドはそろそろ――手持ち無沙汰を感じている。

 彼女に至高の御方らへの尊敬の念は無く、された指示には従うが、基本は自由。今は姉アルベドの願いで、アインズを護衛しているに過ぎない。

 

「もう待つのが面倒。とっとと、その一団を消去すればどう?」

 

 基本的に攻撃()のあるルベドの言葉へ、アインズは振り返り答える。

 

「悪いな。確かにそうするのは簡単かもしれんが、物事には機や順序が有る。ルベドよ、面倒臭がるな」

「……分かった」

 

 改めて指示を受けたので、ルベドはそれには従う。

 アインズは広場から一つ通りに入った所にいる村長を見つける。なにやら数人の村人達と難しい表情で話をしている様子であった。

 

「何かありましたか?」

「これはアインズ様。……その、実はこの村へと馬に乗った戦士風の者達が近付いて来ているそうで。もしかすると先の暗殺話で出た、リ・エスティーゼ王国の戦士長、ガゼフ・ストロノーフ様の隊ではないかと」

「なるほど……」

 

 劇の役者がそろったらしい。全て一連の問題であり、纏めて片付ける必要がある。

 

「任せてください。この王国の戦士長というのなら心配は無いかも知れませんが、一応村の人達は村長殿の家か安全な場所へ退避を。村長殿は私と共に広場へ」

 

 村の男が広場の高所に吊るされた非常時用の鐘を鳴らし、部隊の接近を知らせる。アインズは、死の騎士(デス・ナイト)の内2体を村人の集まる避難場所の護衛に付ける。

 広場には村長と、アインズ、ルベド、シズ、ソリュシャンにデス・ナイト一体で待ち受けた。

 少し不安の混じる村長へアインズは話し掛ける。

 

「ご安心を。この件は先の戦いと一連の事象ですから、報酬はすでに頂いているという事で」

「あ、ありがとうございます」

 

 村長は、死の騎士(デス・ナイト)やアインズ達という強力な味方の存在を思い出したように苦笑を浮かべた。

 間もなく20余騎の騎馬兵が広場へとどんどん入って来る。まさに、自領へでもやって来たかのような形だ。ただ一団にしては、装備に多少バラつきが見えた。

 

(……正規軍じゃないのか?)

 

 だが、雰囲気は似ており鎧の形状にしろ、兜の有無にしろ武器にも各自の洗練さが窺える。歴戦の戦士集団のようだ。

 騎馬兵達の中から一騎、ガッシリとした屈強に見える男の乗った馬がゆるりと進み出る。

 アインズは〈伝言(メッセージ)〉で、後ろに立つ配下の金色巻き毛の娘へと小声で問う。

 

「(ソリュシャンよ、どうだ?)……」

『……この戦士のレベルは27です。あ……この者だけ魔法的に近い、特殊ななにかを剣技へ乗せられるようですね。レベル的にはデス・ナイトより弱いですがそれなりの勝負にはなるかと』

「(特殊……?)……」

『ユグドラシルでは見られなかった系統で不明ですね。他の者達の大半は10台前半、3名が10台後半です』

 

 アインズは、未知の力の存在に少し不気味さを感じた。レベルは問題ないが、特殊という剣技の威力と能力がハッキリするまで、様子を見るほうが得策だと判断する。

 隊長らしき男の視線は、村長から巨躯のデス・ナイトへ、そして漆黒のローブを纏う巨躯の者らへと向かう。そこで暫く目が止まっていた。

 まず、アインズを見たのち、次に後ろにいる女性達の美しさに目が囚われているように見えた。それから腕前や力量についての目測検討だろうか。そうして納得したのか貫録のある声で馬上より告げる。

 

「私は、リ・エスティーゼ王国所属、王国戦士長のガゼフ・ストロノーフだ。この近辺に現れた、殺戮を繰り返す帝国の騎士団を討伐する為に、王からの勅命を受けて村々を回っている者である」

 

 村長から、王国戦士長は嘗て御前大会で優勝し、王直属の精鋭を指揮する王国最強の戦士と聞いていたが、それが――Lv.27程度――とは信じられない。

 

(……本物だろうか?)

 

 アインズはまずそれを強く疑った。

 この者が、小隊長とかなら理解できるのだが。一国の最強戦士ともなればLv.100が常識と考えるのは自然。信じるには依然、情報が少ないようだ。

 ガゼフは、居並ぶ者5名程の者達の身形から、村長へ視線を止めて問う。

 

「この村の村長だな、横に居る者達は誰なのか教えてもらいたい」

 

 勇ましい声だが、割と丁寧な言葉であった。

 それに対して、アインズは軽く手を上げ、僅かに礼をすると答える。

 

「失礼。それには私自身が答えましょう、王国戦士長殿。私はアインズ・ウール・ゴウン。この村がバハルス帝国の騎士の鎧を着たスレイン法国の一団に襲われていましたので、助けに駆けつけた魔法詠唱者(マジック・キャスター)です」

「なにっ、法国だと!? 村長よ、そうなのか?」

「は、はい。このお方のおかげで村人の多くが救われました」

 

 ガゼフは馬上からすぐさま降り立つ。そしてアインズへと心の籠った形で深々と頭を下げた。

 

「まずは、この村を救っていただき感謝の言葉もない」

 

 アインズは僅かに目を凝らす。その真摯である姿に。

 本当に王国戦士長なら特権階級の人物。身分も定かでない者へ敬意を示しているのだから、階級差が明確なこの世界では驚くべき行為になるだろう。

 村のあの一方的に襲われた状況を考えれば、ここは安全も人権も保障などされていない荒れた力の世界。その世界にあって彼の頭を下げた行為に、この男の真っ直ぐであろう人柄が出ていると感じた。

 もはや、ガゼフという人物が嘘を()くような人間には思えなかった。

 彼が王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフなのだろう。

 

「……いえいえ。実際には報酬目当てですから、お気になされず」

「それにしても、スレイン法国とは……(まこと)のことだろうか?」

「ええ、残念ながらそう名乗った5名の兵らは追い返してしまいました。ですが――安心してください。彼等は貴方を暗殺するためと言っていました。そして、その暗殺部隊はこの村の近くにまだいるみたいですよ?」

「……なんと……そういうことか。一応、村の外に数騎、監視を残しているが……」

 

 ガゼフは、苦虫を噛み潰したような表情になった。

 ここへ来るまでに見た村々の多くの犠牲者が、ただ自分を呼び寄せる囮として死んでいったのを知ってしまったから。しばらく目線を落としていた彼は、視線を上げるとアインズへ尋ねる。

 

「報酬とのことでしたが、ゴウン殿は冒険者なのかな?」

「……いえ、これまで長い間、遠方で魔法の研究に(いそ)しんでいた一介の旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)です」

「騎士の一団を無傷で退けられるとは、かなり腕の立つ方なのですな」

「私もそうですが、配下の者もそれなりなので」

「ほぉ」

 

 ガゼフはやはりと、後ろの美女3人を見た後に死の騎士(デス・ナイト)へと目を向ける。

 

「あれも?」

「あれは、私の生み出したシモベです」

「では……その仮面は?」

 

 戦士長の鋭い視線が仮面へと向けられる。

 

「これは、魔法詠唱者的理由によって被っているものです」

「……なるほど。外してはもらえないか?」

「やめておいた方がいいでしょう。あのシモベらが――暴走すると厄介ですから」

 

 アインズの顔の向けた先にはデス・ナイトが静かに立っていた。

 

「えっ、アインズ様。ほかの2体もですか? そ、それは……」

 

 1体だけでさえ、その強さを知る村長のギョッとして慌てる姿に、ガゼフは目を閉じ苦笑いすると呟く。

 

「どうやら取られない方が良いようですな」

「ご理解頂きありがとうございます」

「……では村長。悪いが、部隊を少しこの村で休憩させて欲しい。臨戦態勢で剣も持ったままでもあるし、もちろんこの広場で結構だ。それと、もう少し詳しい話をどこかで聞かせていただけるかな?」

 

 攻撃を受けたばかりのこの村に、またも剣をぶら下げた者達が大勢いるのは落ち着かないだろうと、ある程度の配慮の言葉が入っていた。

 

「わ、わかりました。では私の家でお話を聞かれては」

「すまないな、村長。ゴウン殿もよろしいか」

「ええ、構いませんよ」

 

 だが、村長、ガゼフ、アインズらが移動し掛けようとしたところで、騎兵が一騎、声を上げ広場へ飛び込んで来た。

 

「戦士長! 周囲に多数の神官風の姿をした人影を確認。すでに村を包囲した状態で、寄せて来つつあります!」

 

 ショーの幕が今、上がる。

 

 

 




新世界貨幣レート
金貨1=銀貨20
銀貨1=銅貨20
銅貨1枚が日本円1000円相当として、
銀貨1枚は2万円程度
金貨1枚が40万円程度
ユグドラシル金貨はこの世界の金貨2枚分以上で80~100万円程度

原作でベリュース隊長が言った金貨500枚って全財産だろうけど2億円……。
あくどい隊長は、金持ちですねぇ。

カルネ村:生き残った慎ましい住民八十名余
感謝の代金、銅貨3000枚、金貨7銀貨10……300万円也。
やさしい笑顔と気持ちはプライスレス。
……何という貧富の差よ。
モモンガの出したユグドラシル金貨にビビる訳ですね。




カルネ村編は、エンリとかの残処理が色々あるかも……。


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STAGE07. お姉ちゃんが変/…支配者の気紛れ(4)

最初に、時間が葬儀前に戻る、Interlude的なネム視点の話をプラスで少し。


 

「お姉ちゃん、どうしたの?」

「えっ、あぁ、ネム。ゴメンね」

 

 少し赤毛の幼いネム・エモットが、姉、エンリのおかしな変化にはっきりと気が付いたのは、両親の墓を掘る姉の手が何故か止まっていた事からであった。

 

「うぅん、何でもないの」

 

 そう姉は言って作業を再開したが、すでに三度目である。

 子供は予想以上に敏感であり、加えて良く知る姉の事。両親が亡くなったばかりであり、不安の広がる感情が自然と幼女の心を支配し出す。

 今朝まで、家族四人で優しい村のみんなと楽しい生活を送っていた。

 それがいきなり、村へ鎧を着た残酷で憎い悪魔といえる騎士達が現れ、隣の優しいおばちゃんや、向かいのよくおやつをくれたお年寄りのお爺ちゃんらを斬殺した上で、大好きだった両親らにも襲い掛かり……。

 あの地獄から半日経った今、家族は姉と二人きりになってしまった。

 その只一人の肉親で、いつも傍にいる大好きな姉が、何故か少し遠くへ居るように感じたのだ。

 さっき、村長さんのお嫁さんのおばちゃんが、姉をどこかへ連れて行った後に帰って来てから、姉のエンリは何かをずっと考えているみたいに思える。加えて雰囲気が少し変わって見えた。

 皆、気が付かないが姉は実は結構サバサバしており、これまでも他人より妹である自分や両親の事を大事にしていた姿をよく知っているが、同等かそれ以上と思える誰かを見つけたような感覚だ。

 それに近いものを、ネムは幼いながらいくつも見て知っている。

 まずは、以前から偶に村へと大都市からやって来る薬師の少年、ンフィー君だ。村の人達とは普通に話をしているが、姉のエンリには何か特別の想いがあるようで、世間話を熱心に話し込んだり、稀に何か決心を伝えようとしながらも出来ず、目線が空を泳いだりしていた。

 そんな少年へ、エンリは村人達と変わらない対応だ。笑顔はネムや両親へ向けるものより、少し距離が有るモノであった。その壁に、少年は気付いていなかったが。

 また、村でも働き者で気立てのいいエンリの『伴侶へ』という人気は高い。今16だが、以前から年齢が合わずという形で、他の村娘と結婚した男達が何人かいる。この世界では、多少の若年や年齢差は気にされない。まあ、一番の理由はエンリが彼等に関心無く、納得せず首を縦に振らなかった事だろう。

 彼等の、姉へ向けてのそのどうしようもない雰囲気が、今の姉から感じ取れるのだ。

 ふと、ネムは姉の小さい変化が、あのすごく強い骸骨の方との出会いから始まっていることに気付く。初の出会いは無慈悲で残虐な騎士達に襲われ、姉は背中を斬られ血が服へと急速に広がっていくのを見ていた直後で、ネムも正に恐怖のどん底で、骸骨の方への見た目の恐さで漏らしてしまっていた。

 だが、その方は怖がる自分達を怒る事も無く、大事に守ってくれたのだ。気が付けば、服まで綺麗にしてくれていた。

 姉は彼が去った後に、とても感謝している気持ちを何度となく口にしていた。その様子から凄く尊敬もしていたと思う。

 ネムにとっても、今は彼に対して『怖い』という感情はなく、すっかり姉や村を救ってくれた『英雄』的な眼差しと思いに変わっている。

 彼がたとえ、華麗ながらも夢物語の様な天使達を率いていて、人では無かったとしても……。

 姉を傷付け、村のみんなや両親のカタキである、あの憎い騎士達をほぼ全て討ち取ってくれてもいるのだもの。

 姉はもう良いお年頃である。寂しいが近いうちに、どこかへとお嫁に行くだろうと思ってもいた。だが、お金持ちだと知るンフィー君にも男として関心がない、あのサバサバとした姉が、いつ誰の事を好きになるのかと思っていたが――人外?

 それは、骸骨のアインズさま?

 

(お姉ちゃん……、そうなの?)

 

 今も、墓の穴を掘りつつ頬が赤いような、そして邪魔な前髪を指で上げながら、熱い溜息までも()いている。

 ネムとしては別に気にしていない。姉が幸せならそれでいいのだ。ただ、一言強くお願いするだけだ。

 

 ――お姉ちゃん、私も一緒に付いて行ってもいいでしょ、と。

 

 小さい妹ネム・エモットは、断られても駄々を捏ねまくってでも、姉に付いて行くつもりである。

 

 

 

 

 

                 ※ ※ ※

 

 

 

 

 

 神官風の集団に包囲されているとの報告を広場で受けたガゼフが、無為に殺された多くの命を思い、苦々しく呟く。

 

「来たか。スレイン法国と言うのは本当の様だな。神官の服をそのまま見せているという事は姿を隠す考えはなく、知る者は全て殺して闇に葬ろうという傲慢な意図を感じる」

「そうですね」

「おそらく、六色聖典(ろくしょくせいてん)の何れかだな」

「六色聖典?」

 

 アインズは初めて聞く呼称に聞き返す。

 

「定かではないが、スレイン法国にはいくつかの特殊な部隊が存在し、その部隊は大きく分けると六つあると言われている」

「そうですか……国家お抱えの部隊とは随分と、王国戦士長殿へ力を入れられているのですね」

「ふふふ、全くですな。少し失礼。奴らの様子を確認しなくては」

 

 その場を去りつつガゼフは、まだアインズの皮肉に笑いを浮かべていた。

 スレイン法国の強さはこの周辺国の中では突出していると思われる。それを影で支えるのが強大な魔法を駆使する特殊作戦部隊『六色聖典』である。

 スレイン法国の南方には人間種とは異なる国家がいくつか存在する。人間種は他種に比べて弱い種族なのだが、スレイン法国はそれを覆して領土を維持していた。

 そんな、『六色聖典』の一部隊と思われる絶対的強兵団に周辺をすでに囲まれながら、横に居るアインズとその配下は全く動じていないことにガゼフは気が付いていた。

 それが何を意味するのか――彼は感じ始めている。

 

 

 

 

 

 スレイン法国神官長直轄特殊工作部隊群、六色聖典の一つである陽光聖典(ようこうせいてん)

 所属者は、全て第三位階の信仰系魔法を使える必要があり、部隊員は100人弱しかおらず法国の精鋭中の精鋭と誇れる一翼である。

 その中から隊長のニグン・グリッド・ルーインが主導し以下四十五名が、神官長より直接受けたこの王国戦士長抹殺指令を実行していた。

 神官長からは、相手が王国最強の戦士という事から、切り札といえるアイテムを託されている。しかし、自身も法国で数えるほどしかいない第四位階魔法の使い手且つ、複数の他者の魔法力を強化できるという生まれながらの異能(タレント)持ちであり、あくまでも預かったアイテムはお守りという考えで臨んでいる。

 自分と自身の率いる精鋭部隊、陽光聖典の前では、リ・エスティーゼ王国最強の王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフも恐るるに足らずと。

 

 今回の抹殺は、人間種のため――。

 

 スレイン法国が掲げるのは、人間種以外の種族淘汰志向である。

 そのためには、世界でも少なくなってきている人間種は勢力を一つに纏まるべきであるという考えの下、他国の柱石となる英雄級の人物を排除しようとしているのだ。

 だが、陽光聖典は元々隠密や野戦に長けた存在ではなく、また一般兵の陽動部隊を上手く動かせず、すでに村を4つ襲って全てを無駄に空振っていた。しかし、それに対し隊員を含めニグンも、後悔や負い目などは余り感じていない。ただ、面倒臭くなってきた事と、訓練にはなったなと思うくらいだ。

 ニグンは陽光聖典の多くの部下らを前に口にする。

 

「人間種が一つになって纏まり共に歩むためには、犠牲は必要なのだ。分かっているな?」

「「「「はい」」」」

「では、正義の礎となる作戦を始めよう」

 

 その場にいる全員が、魔法を発動する。彼等が修めた天使召喚魔法を。

 すると、宙に浮かび白く輝く翼の生えた無機質で機械的な人形型の天使が現れる。それは異界より召喚されてくると言われるモンスターだ。

 だがそれらは、スレイン法国ではかの地で神に仕えていると考えられている。

 しかし、リ・エスティーゼ王国の神官らは、単なる召喚モンスターの一種に過ぎないと断言していた。

 その考えも許せないのである。そういった宗教論争も、国家レベルでにらみ合う理由の一つになっていた。

 

 

 

 

 

 天使が等間隔で周りを囲う様子を、村の外れよりガゼフは直接部下数名と確認する。

 今回見る天使は、いつも見る天使とは違い、光り輝く胸当てが増えていて手に持つロングソードは紅蓮の炎が付加されている。

 戦士長は数と姿を確認し終えると、アインズらの居る村の広場へと戻って来た。

 

「ゴウン殿、少しよろしいか?」

 

 アインズは頷くとルベドらを広場に留め置き、そこから一つ入った道へガゼフと共に二人だけで移動していく。

 

 

 残されたソリュシャンは、周りに人間が居ないことを確認すると、吐き捨てる様に口を開く。

 

「下等生物どもめっ。皆ブチブチと引き裂いてしまえばギャァギャァと鳴いて面白いですのに。アインズ様は慈悲深いから、色々とお助けになりますわね。どう思いますか、姉様?」

 

 左眼帯のシズは右目をゆっくりと横に動かし、ソリュシャンへと無表情な顔を向ける。

 

「……アインズ様の……ご意志に従い、……私達……盾となり……守る。……アインズ様……私達……いつも……大切にする。……昨日……頭……撫で……られた」

 

 ポッと、シズの無表情なはずの頬が染まる。

 

「あっ、姉様ずるいですわ。ナデナデはもう四回目ですよねっ。私なんて、こちらに来てまだ肩と腕との二回しか触れて頂いていませんのよ? ナデナデなんて無しですのよぉ? 私は……魅力がないのでしょうか?」

「……ソリュシャン……とても……美人。……だから……きっと……照れて……られる」

「それは……美人は触って頂けずに損ってことですかぁ? た、確かに……。さっきも、下等生物の平凡な薄汚れたメスでさえ、アインズ様から優しく肩へ手を置かれていたというのにぃ」

 

 そう言いつつ、ソリュシャンは袖先を悔しそうにキィィーと噛んでいた。

 

「くっ。とりあえず慰めに、アインズ様のお声を漏らさず聞いておきますわ……」

 

 それでも、彼女の仕事に抜かりはない。

 その横で退屈そうにしているルベドであるが、興味無さそうにしつつその目がプレアデスの姉妹をチラチラといつも追っていた。

 

「……ふっ(プレアデス達はいつも仲良し姉妹なのが最高っ)」

 

 ルベドは顔を静かに背ける。ニヤケ顔を誰にも見られないようにと……。

 

 

 厳しい表情のガゼフは、アインズを前にして悔しそうに言葉を吐く。

 

「相手は、数と質で我が隊を上回っているようだ。私の装備が万全なら良かったのだが」

 

 今のガゼフは完全装備ではなかった。本来彼には王家に伝わる五宝物……現在は四つしかないが、疲労しなくなる『活力の籠手(ガントレット・オブ・ヴァイタリティ)』、常時癒しを得る『不滅の護符(アミュレット・オブ・イモータル)』、致命的な一撃を避けるとされる最高位の金属アダマンタイトで出来た『守護の鎧(ガーディアン)』、鎧をバターの様に切り裂く魔法の剣『剃刀の刃(レイザーエッジ)』の装備が許されている。だが、それらが今はない。

 工作員により、王国の貴族達を動かし、今回の出陣の際だけ制限を付けられていたのだ。

 その、不足した部分をガゼフは、目の前にいる男の力で補おうと考えた。

 

「ゴウン殿、包囲する敵との戦いに手を貸して頂けないだろうか?」

 

 この場に村長はいない。アインズとしては、戦士長の本気で放つこの世界特有の特殊な剣技がどんなものかを是非見たいところである。協力した場合、その前に決着が付いてしまうだろう。そのため今は断るしかない。

 

「申し訳ないが、これは貴国の問題での戦いかと」

「もちろん、報酬についても十分に用意するつもりだ」

「いや、お断りさせて頂きましょう」

「あの召喚された黒い騎士を、貸して頂けるだけでも構わないのだが?」

 

 アインズは一瞬悩む。確かにデス・ナイトを一国の精鋭である魔法詠唱者の部隊にぶつけるのも悪くない。だが、マーレがすでに弱いと言ってる相手。圧勝してしまう場合、ガゼフの特殊である剣技が見られない事になる。今、彼がアインズに頼むのは、敵を視察して少なくとも全力でも拮抗するか苦戦すると判断したためだ。戦士長に匹敵すると思われるデス・ナイトを一体でも加える訳にはいかないだろう。

 

「それもお断りさせて頂きます。そうですね……私に出来ることは、隙を見て村人達を逃がすことぐらいです」

「……そうか」

 

 ガゼフは、アインズの考えにも納得できる。これは王国の問題でガゼフ自身が標的。アインズは完全な迸(とばっち)りであり、正面から強力だろう魔法を使う敵を相手にしての戦いへ関わりたくないのも当然の考えに思えた。

 ガゼフは、王国の民である村人を守ることを当然第一に考えている。

 それならば、道は有る。ガゼフの表情が和らぐ。

 

「では、ゴウン殿、村の者達の事をお願いしても構わないだろうか。我々が王城のある西方を目指し敵陣の包囲を突破し引きつける。そうなれば、一時的にでも村の包囲を解いて私を追おうとするだろう。その隙に、東の方へと村人を逃がしてはくれないか。申し訳ないが今は手持ちもない、出来ることは――」

 

 ガゼフは、その場へと膝を突こうと身を屈める直前、アインズは手で押し留める。

 

「そこまでされる必要はありません。一度は守った村人達です。必ず今度も守りましょう。このアインズ・ウール・ゴウンの名に掛けて」

 

 アインズの気遣いと、名をあげての誓いにガゼフは胸の閊えが取れていた。

 

「……感謝するゴウン殿。ならばもはや後顧の憂いはない。前のみに進ませて頂こう」

「そうだ、これをお持ちください。お守りです」

 

 「ほぉう」と言いながら、ガゼフはアインズが出してきた、小さい変わった彫刻像を受け取る。

 

「君からの品だ、有り難く頂こう。ではゴウン殿、名残惜しいが」

 

 二人の立つ場所には眩しい赤い夕陽が当たり始めている。

 

「もう? 夜陰に紛れてではないのですか?」

「ふふっ、囮が隠れていては意味があるまい。それに、〈闇視(ダークヴィジョン)〉などの魔法もある。こちらの不利はあっても、あちらの不利になる可能性は低いだろう」

「なるほど。王国戦士長という地位に相応しい考えです。隊の皆さんを含め、御武運を祈っています」

「ゴウン殿らも是非無事なことを祈っているよ」

 

 村人達の事を優先する戦士ガゼフの心意気は、人間であれば大きく心を打たれていただろう。だが、アインズは死の支配者(オーバーロード)

 大きい感慨は一瞬で霧散する。

 

(悪い気はするがこれでよし。剣技をしっかりと見せてくださいよ、王国戦士長殿。その後は心配なさらずに)

 

 ガゼフは、小走りで広場に戻ると馬に飛び乗り勇ましく叫ぶ。

 

「全員騎乗! 出陣するぞっ!」

「「「「おおおおっ!」」」」

 

 夕暮れの中、二十余騎の馬脚により、薄い土煙が広場に広がり少しの時間残された。

 アインズがシズ達の所へとゆっくり戻って来る。村長が小さくなりゆくガゼフの戦士騎馬隊を呆然と見送る。

 

「出ていかれてしまった……。王国戦士長様達はこの村を守ってはくれないのでしょうか?」

「敵の狙いは戦士長殿なのです。ここで戦いになれば、村人達にも被害が出てしまいます。あの方は打って出る事で、相手を引きつけ動揺と隙を作ろうとされているのですよ」

 

 アインズは、戦いの隙を見て村から避難する可能性を一応村長へ伝えた。すると村長は、足早に皆が集まっている場所へと伝えに向かう。

 アインズはその様子を見送ったあとに呟く。

 

「まあ、その前に決着は付けようと思うんだがな。……人間に対して、初対面では虫程度の存在だが、顔を合わせ話をしていると小動物に向ける程度の愛着が湧くな。戦士長やこの村は幸運と言えるだろう」

「尊き名前を用いてまでお約束されたのは、その為ですか?」

 

 シズやソリュシャンらは見詰めてくる。ガゼフとの会話が聞こえていたようだ。

 ソリュシャンのその問いに「ああ」とだけアインズは答える。

 アインズの考えはナザリックに於いて絶対である。その意志と意見は最優先で尊重される。たとえ対象が下等生物であっても。

 戦闘メイドプレアデスのシズ・デルタとソリュシャン・イプシロンは、主の命に従うのみである。ルベドは直接指示された訳ではないが、聞いてしまったものは仕方がないという態度であった。

 シズは主へと確認する。

 

「……アインズ様……私達……どう動き……ますか?」

「今のところは、暗殺戦闘劇を見物だ。この世界の魔法の水準と種類、そして不明である剣技に乗せる特殊ななにかを見極める。動くのはそれからだ」

 

「……了解……です」

「畏まりました」

 

 

 

 

 

 

 馬を駆る王国戦士長のガゼフは、戦術を改めて考える。

 先程確認した包囲をしている神官達の間隔はかなり広い。それから判断すれば、敵は各自の腕によほど自信のある少数精鋭だ。それでも一点突破は難しくないはず。だが、村人を逃がす為には包囲の東側の多くを、西側へ呼び込むまで引き付けなければならない。

 となれば、一度包囲を抜いたのち折り返し、その周辺の敵を倒しながら、徐々に西へ撤退しつつ敵の指揮官らが群がって来るのを躱す。そうして、村との距離と時間を稼ぎながら、機を見計らって逃げ去るという形が最良という事。

 

(……さて、上手く躱し逃げ切れるか)

 

 相手は、素人では無くスレイン法国六色聖典の精鋭の一隊と思われる。

 逃げながら背に攻撃を受けることになるだろう。しかしやらねばならない。王国戦士として民を守るのだ。これは誇りある戦い。

 だが標的は自分。勇敢で優秀な部下までも巻き込む事に、申し訳無さそうな表情で率いる部下へと振り向くが――目に飛び込んで来た顔はどれも笑っていた。

 

「すまんな、みんなっ」

「気にする必要は全くありません!」

「そうです、我々は隊長と共に民を守る者なのですからっ!」

「よし、敵に一撃を加えながら包囲網をこちらへ引き付けるぞ。最後に撤退するが遅れるなよ」

「「「「了解っ!」」」」

 

 ガゼフは思う。こいつらは皆、分かっていると。これが厳しい戦いであることも。

 ならば、後は卑劣な敵を皆で倒すのみ。

 

「行くぞぉ! 凶悪非道な奴らの(はらわた)を抉り切り裂いて、罪を償わせてやろうっ!」

「「「「おおおおおおおおおおっ!!」」」」

 

 前方にかなりの間隔で数体の天使が浮かぶ。そのうちの一体を操る者へとガゼフは隊を率いて突き進む。目標にはもってこいである。

 距離を縮めると戦士の一人が鋭い矢を放つ。それは前方の魔法詠唱者の額へ一直線に向かう。しかし、当たる直前で弾かれた。

 

「ちっ! やはり魔法で矢を防御されているか」

 

 魔法の矢なら刺さるかもしれないが、残念ながら扱えるものが部隊にはいなかった。その後に撃つ数本の矢も、体に当たるコースにも拘らず全て弾かれていた。矢による攻撃を諦める。

 すると魔法詠唱者が、先頭を走る戦士長へ目掛けて魔法を放つ。

 ガゼフは咄嗟に魔法へ抗するべく気を張り、左腕で顔を庇い精神を集中する。

 魔法が命中すると急に馬が嘶き、前脚を高く上げる形で立ち上がり、蹄が空をかいた。

 

「私に構わずに前へ食い付けっ、あとは走り抜けろ!」

 

 ガゼフの指示に、戦士騎馬隊のスピードは落ちない。戦士長の両脇を副隊長が率いそのまま抜けて魔法詠唱者へと迫る。

 だが、立ち上がった馬の高い位置からガゼフは見た。凄い勢いで、周囲に浮かぶ天使達が集まって来ているのを。

 

(くそっ、流石にスレイン法国の精鋭だな。俺には初手の包囲突破すらさせないつもりか)

 

 すでに戦士騎馬隊は、手前の魔法詠唱者へと襲い掛かっていた。

 だが――それを空に浮かんでいた天使が降りて来て頑強に阻む。

 王国戦士たちは、果敢に剣で天使へ切りつけていく。だが、天使は強靭で頑丈である外甲によって構成されているようで、当たっても金属音を放ち僅かに傷つく程度。さらに天使が燃え盛るロングソードを振り回す。

 戦士騎馬隊は中々魔法詠唱者へ攻撃出来ない形で走り過ぎていった。

 立ち上がった馬を落ち着かせて、ガゼフが騎馬隊を追おうとした時には、右手から10数体、左手からも10体ほどの天使が正面で合流する形になろうとしていた。

 その後も、神官風の魔法詠唱者らを含め続々と集結してくる。

 

(偶然にも部下たちが死地から離れた。厳しい戦いになりそうだが、全然悪くない……狙い通りだ)

 

 死ぬなら自分だけでいい。道連れに、敵の指揮官ぐらいは連れていくつもりである。

 ガゼフは先程確認した包囲状況から敵の天使の総数は45体程と見ているが、すでに視界内へ40体近くが集まってきていた。これならほぼ全部集まってくるだろう。東側はガラ空きになる。

 ガゼフは内心だけでほくそ笑む。ここで感付かれてはいけない。

 彼の目線は前の敵を厳しく睨み付けている。

 

「さて、戦いの前の挨拶といくか」

 

 ガゼフは、平地へ横一列に並ぶ敵陣形の中間付近から、他と異なる一体の大きめな天使と5名程を従え、一歩前に出る者らと40メートル程の距離で対峙する。彼は王国戦士長として堂々と名乗りを上げる。

 

「私は、リ・エスティーゼ王国所属、王国戦士長のガゼフ・ストロノーフ。卑劣に他国へ侵攻した薄汚いお前達よ。どこの者かぐらい名乗ったらどうだ?」

 

 居並ぶ神官の姿は、改めて近くで見ると全員上質の服装と杖や腕輪などの装備。間違いなくスレイン法国の者だろう。その中の指揮官らしき人物が口を開く。

 

「これは、これは、前を失礼する、ストロノーフ殿。私はスレイン法国六色聖典の一つ、陽光聖典隊長のニグン・グリッド・ルーイン。正義の行いに国境など無意味だと思うが?」

「何が正義か、賊軍が! 話すだけ無駄だったな。貴様ら、無傷で帰れると思うなよ――参る!」

 

 その声に対し、ニグンは余裕の薄笑いを浮かべつつ、部下へ命じる。

 

「そら、戦士長様を盛大にもてなして差し上げろ」

 

 さすがに多勢に無勢。ならばまず指揮官を落とす。戦士長の狙いの切り替えは早い。

 馬から飛び降り、速攻でニグンとの間を詰めようとするガゼフ。だが、すぐ邪魔をするようにニグン配下の操る天使の一体が、炎のロングソードで切りつけてくる。ガゼフにとってその攻撃は遅い。余裕で躱し、抜き放ったバスタードソードで天使の腰部を一閃。真っ二つにしたつもりであった――が天使の胸に輝く見慣れない胸当ては伊達じゃないようだ。切り裂けずに天使を投げ飛ばす形になった。

 ガゼフの知る天使のモンスターよりも上位の天使のようだ。それは、陽光聖典側の魔法詠唱者達の優秀さを示していた。

 彼はすぐさま武技〈戦気梱封(せんきこんぷう)〉を発動する。すると僅かに赤みのある微光が刀身に宿った。そして次に迫る天使の攻撃を躱すと、電光石火に剣を振り抜く。

 その赤みのある微光を放つ刀身は天使の体を袈裟懸けに切り裂いていた。

 さらに続く天使も一刀で両断する。二つに切られ破壊された天使らは、舞い散った羽根をキラキラさせつつ空中に溶けるように瞬き消えていく。

 まだまだ天使が押し寄せて来るのを見たガゼフが吠える。

 

「消えろっ!」

六光連斬(ろっこうれんざん)

 

 武技〈六光連斬〉、複数の武技の同時発動――ガゼフの身体の筋肉が瞬間僅かに盛り上がって見える。

 

 ――一閃にして六つの斬撃。

 

 ガゼフに群がっていった天使8体は、十秒ほどで姿を消していた。

 その高い攻撃力にニグンも言葉が漏れる。

 

「ほぉ、これは見事な武技。流石は王国最強の戦士と言われるだけはあるな。だが――それだけだ。天使を失った者は次の天使を召喚せよ」

 

 この頃には、村を包囲していたであろう、魔法詠唱者全員がこの地に集結を終えていた。狙いはあくまでもガゼフの様だ。

 天使を失った魔法詠唱者が天使召喚魔法を唱えると、消えた天使達は再び現れる。

 

(やはり不味いな。先に詠唱者を倒さないとキリがない)

 

 ガゼフは――一つ大きく肩で息をした。

 大技を使うと一時的に圧倒的な攻撃力を得る代わりに、比例して体力を奪っていく。王家の宝物があれば自動回復出来るのだが、今は自分の体力のみで凌ぐしかない。

 休む間もなく次が来るかと思われたが、そこに叫び声が轟く。

 

「「「「戦士長ぉっーーーーーーー!」」」」

 

 ニグンらの後方から、戦士騎馬隊の一団が陽光聖典へと襲い掛かる。幾体かの天使はそちらへ振り向けざるを得なくなる。

 

(あ、あいつら、戻って来やがって……本当にバカで、自慢の奴らだ)

 

 怒りと喜びが交錯してしまう。だが、これは好機に他ならず、利用しない手はない。

 その少し混乱する隙に、迷わずガゼフはニグンに近付こうとする。

 だが、王国戦士騎馬隊に向けられた天使は10体程度に過ぎない。

 まだニグンの周囲には、30体を超える天使達が、壁のようにひしめいている。

 

「はあぁあーー、邪魔だっ!」

〈六光連斬〉

 

 周りを囲む天使の6体を一蹴。だがまだまだ残っており、天使の振るうロングソードがガゼフに迫る。

 

「くっ」

〈即応反射〉

 

 ガゼフの体は霞むように躱し、天使を一体、また一体と切り捨てる。

 更に、彼は畳み掛ける。軽やかに上へ跳躍した。

 

「はぁっ!」

〈流水加速〉

 

 流れの行き着く渦のように回り加速し、周囲の天使達数体をあっという間に切り裂いて見せた。

 ニグンの前にいた天使三十余の半数が消え失せる。

 その雄姿に、天使10体の攻撃を受ける部下の戦士達から歓声が上がる。常人では対抗しきれない天使のモンスターを圧倒出来る存在の姿に。

 ――やれる。この戦士長がいれば勝てる、と。

 だが、すぐに彼らに歓声を上げる余裕はなくなっていく。隊ではガゼフ以外の者に武技は使えない。そして魔法を使える者もおらず、彼等の腕と剣で傷を付けれても天使を倒す事は難しかった。

 そのため、戦士騎馬隊の隊員達はジリジリと傷付き倒れていく。天使達は敵の無力化を優先させており、トドメは後でいいと、動ける戦士へ攻撃を向けるように魔法詠唱者は操作しているようだ。

 そして、無休での全力の戦いにガゼフも余裕が無くなってゆく。

 いくら天使を倒し消滅さそうとも、消えて間もなく再召喚を続けられては、ニグンへは届かない。

 ――遠い。

 だが、この指揮官だけはという思いが、ガゼフを加速させる。そして、まだ息の有る仲間のもとへと。

 ガゼフは大技〈六光連斬〉と〈流水加速〉を連発し、ニグンへと迫った。

 

「ふっ、監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)よ、少し相手をしてやれ」

 

 一回り大きい監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)は輝く全身鎧を纏い、右手に柄頭の大きいメイス、左手には円形の盾を持ち、周辺の天使よりも迫力と威圧を感じる。本来、監視の権天使は静止時に自軍構成員の防御力を若干引き上げる能力もあり、動かさないのが常道だ。

 しかし敵はもはやガゼフ一人と言える優勢な状況であり、余裕であるとし稼働させる。

 ガゼフはジグザグを描きつつ、構わず正面から監視の権天使へと武技を乗せたバスタードソードで真っ二つにするべく切りつけた。

 監視の権天使は――それを盾で受け止めていた。

 ガゼフの両目が見開かれる。

 確かに盾の半分までは切り裂けていたが、強固で硬い。

 

「ぐっ(クソっ)」

 

 権天使からメイスが高速で振り下ろされてくる。

 

〈即応反射〉

 

 素早く剣を引き、振り下ろされてきたメイスをギリギリで霞むように躱し、戦士長はそれを踏み台にするようにして高く跳躍する。

 そして、配下の天使に守られ驚くニグンの高き頭上を跨ぎ、仲間達を背に庇うように反対側へ降り立つ。

 仲間の戦士達を襲っていた10体の天使群が、間を置かずガゼフへと群がって来る。さらに、向きを180度変えた30余体の天使達も。

 

「幾らでも来い、貴様らの天使など大したことは無いっ。ガァァァァーーーー!」

 

 ガゼフは野獣のように咆哮をあげつつ、それら全てを只一人で迎え撃った。

 大技〈六光連斬〉と〈流水加速〉の連続使用は新記録だろうなとすでに数えるのを止める程使用して。

 

「獣が囲いを破壊しようと暴れているだけだ、無駄だという事を調教してやれっ」

 

 合間にニグンの叱咤する声が響く。

 

 ――どれぐらい戦い続けただろうか。

 天使達は監視の権天使以下数体を残し見事に殲滅されていた。再び召喚され再投入を繰り返されていたはずであるが。

 精鋭である陽光聖典の魔法詠唱者達も、その状況に驚きは隠せない。これまで殆どの敵を、手早く容易に殲滅してきた部隊であったのだ。

 しかし、ニグンだけは静かにじっくりと観察していた。ガゼフの身体酷使による膝の疲労度合いを。すでにカクカクとしている。

 体力の回復手段もなく、武技が無限に発動できるものではないことは周知の事柄。あれほどの大技をいくつも良くこれだけ使えたものだが、どんな豪傑でも限界近くで酷使すれば体力の底は三十分もすれば見える。

 

「(王国最強もここまでだな。最後までボロボロにしてわが国の威信を示してやろう)全員、十分な間合いを取っての魔法攻撃に切り換えろ! さぁストロノーフ殿、食後のデザートだ。遠慮せずじっくりと味わいたまえ。はははっ」

 

 ニグン達は、距離を置いての苛烈である魔法攻撃を仕掛ける。

 ガゼフは、全身が極度の疲労で、すでに思うように切り込めない。大技はあと二回使えるかという極限の感覚。

 ――動けない。

 ガゼフは、すでに震えの来ている手でバスタードソードを構えながら、全身に無数の攻撃魔法を受けていく。武技〈戦気梱封〉により、打ち据えられる各一撃に対して殆ど弾くことが出来る。だが、それでも僅かずつだが、じわりと削り取るように攻撃が浸透してくるのを感じていた。

 

(くっ、最後の隙を期待するしか今はない……)

 

 だが、そんな時が来るのだろうか。

 

「がはぁっ」

 

 毒の魔法も混ざっているのだろう。ガゼフは鮮血を吐き出していた。

 その満身創痍の様子に、ニグンは止めを刺すように配下へと告げる。

 

「もういいだろう、天使達を召喚し詰めの攻撃に移れ。早い者勝ちだぞ?」

 

 王国最強の戦士をこのまま倒せば最大の栄誉者は、隊長の自分になるのだ。少しは武功を部下にも恵んでやろうという配慮であった。

 詠唱の声に多数の天使が、強欲のように湧き始めてくる。

 ガゼフは、包囲されるのは不味いと感じ、天使召喚で今まさに、一瞬だけ魔法攻撃が凪いでいるのを好機と感じた。

 

(くっ、ここで切り込むしか)

 

 だが、欲に塗れた者達の行動は素早かった。すでに数体の天使がガゼフに襲い掛かる。

 ガゼフは、よろめきながら2体を切り倒す。

 

 が――ずぶりと腰に熱い感覚を覚えた。

 

 彼が視線を落とすと、後方側面に回って来ていた天使により刺された、炎の鋭いロングソードが腹から突き出していた。

 引き抜かれた瞬間「ぐふっ」と声が自然に漏れ、体がうつ伏せに沈んでいく。

 その様子にニグンが、嬉々とした声を上げるのがガゼフにも聞こえる。

 

「はははっ、最後の止めだ。だが、一体では無く、数体同時で確実に喉と心臓を貫いてやれっ!」

(おのれ、まだ死んでたまるか。――貴様を殺す前に)

 

 戦士長は死など恐れてはいない。だが、戦う術を持たず罪のなかった多くの村人達を殺す指揮をした、この男だけは道連れに倒しておきたいと願望する。

 ガゼフはニグンを睨み付けながら、ゆっくりと立ち上がる。

 

「はあぁぁぁぁぁぁ、なめるなぁぁーーー!」

 

 気迫の籠った武技の込められた雄叫びの効果に、天使達が僅かに後退する。

 

「俺は王国戦士長っ! この国を愛し守る者だ! この国を汚したお前らに負ける訳にいくかぁぁっ!」

 

 命を懸けた全身全霊全力全開の最後の武技を、指揮官へ見舞ってやる。

 そんな決意を秘めるガゼフを眺め、ニグンは戯言に感じニヤリと口許を緩ませる。

 

「夢物語な事を。現実を見ろ。こんな辺境の村人などさっさと見捨てれば、貴公は死なずに済んだものを。村人数千人より貴公の力や命の方が価値があるのだ。国や民が大事ならそうすべきであったのに、愚か者め」

「貴様とは、本当に話すだけ無駄な様だな、行くぞ?」

「はっ、立っているのもやっとな満身創痍の身体でまだ吠えるのか? もう無駄な足掻きは止めて、そこへ大人しく横になれ。強さと勇敢さに免じて苦痛なく殺してやろう」

「では、お前が止めを刺しに来たらどうだ? それまで、ここで動かんぞ?」

「はははっ、戦意だけは本当に大したものだ。これでまだ、勝算でもあるというのか?」

 

 ニグンもまだ油断はしていない。相手は王国最強の戦士長である。近接戦用のアイテムもあるかもしれない。

 ガゼフも、最後の瞬間まで諦めていない。鋭い眼光で睨んでいた。

 何故心が折れていないのか、ニグンはそれが気に入らない。

 

「無駄な努力を。そうだな――せめて、最後に守ろうとした村人で、若く生きのいい女ぐらいは奴隷として生きて連れ帰り、後で味見ぐらいはしてやろう。安心しろ、あとの村人は全員殺しておいてやる、貴公らの戦いは無駄だったとなぁ」

 

 それを聞いたガゼフは、ツボにでも入ったかのように、急に眼を閉じて笑い始める。

 

「くっ、くく……くく……あははははっ」

 

「……な、なにが可笑しい? この状況に気でも狂ったか?」

「ふん、いや失礼。無知なことは余りに愚かで恐ろしい事だとな。……あの村には、俺よりもずっと強い御仁がいるぞ。いや、シモベの黒い騎士達だけでも貴様らには十分かもしれん。その底の知れない御仁が守っている村人を殺すなど……不可能なことだ」

「……はぁ? 本当に気でも狂ったか? 王国最強と言われているお前よりも?」

 

 ニグンは不可解な顔をしている。王国随一の切り札が、正体不明の他者を持ち上げる事を言えば当然かもしれない。

 だが――事実だ。

 ガゼフもこれまで様々なモンスターと戦ってきた。あの黒い巨躯のシモベの騎士を見た時に、凄まじい威圧を感じた。それが三体。そして、ゴウン氏の後ろにいた美女三名。その少し小柄な一人の大剣を抱え持つ身から漏れ出るパワー。そして射出装置のような謎の機械を扱いなれた眼帯者の静かなる闘気。力に余裕のある金色巻き髪の無手者。

 彼はその雰囲気を知っている。アダマンタイト級冒険者「蒼の薔薇」達以上のものを感じさせていた。

 そして、それらを率いるゴウン氏はさらに別格。何かの深淵を覗くような、深入れば帰って来れないという風格があった。間違いなく真の強者だと戦士の勘が告げていた。

 

 ガゼフは薄笑いを続けていた。

 全く、気に入らないとニグンは吐き捨てるように冷徹な言葉を命じる。

 

「……天使達よ、ガゼフ・ストロノーフを串刺しにしろ」

 

 ゴウン氏の戦いぶりを見てみたかったがと、ガゼフが最後の武技を目の前の指揮官へくれてやるために動こうとした瞬間、すぐ横からその仮面の彼の声が聞こえた。

 

 

 ――そろそろ交代ですね。

 

 

 ガゼフは次の瞬間、周囲の風景が土間のような室内へと変わる。

 

「なっ?!」

 

 振り向くと傷ついた仲間達もいっしょにだ。気付くとその部屋には、他に避難して集まっている人間が数名居る。

 

「これは……王国戦士長様」

 

 聞き覚えのある声の方を向く。

 

「そ、村長か。……これは一体……ここは?」

「カルネ村の中の、私の屋敷横の倉庫です」

「ゴウン殿は?」

「それが、今までこの場におられたのですが、すぐに戻りますと告げられて間もなく、戦士長様らと入れ替わるように、三名の女性の方々と共に掻き消えられて……」

 

 ハッとして、ガゼフは腰に仕舞っていた小さな彫刻像を取り出す。

 しげしげと見ていると、それは役目を終えたように静かに消え去っていった。

 

「(すり替わりの魔法のアイテムであったのか?)……ゴウン殿、かたじけな……い」

 

 そう言い終えるや、ガゼフはその場に倒れ込んでいった。

 村長を初め、村人らが慌てて気遣ってくれる。

 

(何という御仁だ、全員を一瞬で転移……ゴウン殿のおかげで死なずに部下共々全員助けられた……)

 

 徐々に薄まる意識の中で、口許へ自然と薄笑いが浮かぶ。

 スレイン法国六色聖典の一つ陽光聖典。確かに恐ろしい連中であった。今の装備では完敗と言えるだろう。

 だがそれでも、あのアインズ・ウール・ゴウン達の負けるという光景が、全く想像出来なかった。

 

(……その……雄姿……、是非とも目で……見たかった………が……)

 

 ガゼフは腰の酷い傷と、溜まりに溜まった疲労により意識が薄れていった。

 

 

 




捏造・補足)姉様ずるいですわ 
本作に関しては捏造という「シズ姉」が「死に設定」に近い状態で継続中です(笑)
プレアデスの姉妹の大まかな順が記された「プレイアデスな日」の公開日は2016年06月26日。
なのでそれ以前に29話まで進んでいた本作とは設定に差がある形になっています。
33話の後書きに一応この辺りの詳細を書いてます。


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STAGE08. 未知の世界と戦力と支配者の気紛れ(5)

 瀕死のガゼフら王国戦士騎馬隊と、アインズ一行が入れ替わる少し前の時間。

 アインズは、「仲間と急ぎ、東への逃走路について考えたい」と、カルネ村の村長宅二階の小部屋を借りる。そして、魔法によりガゼフと六色聖典の部隊との戦況を詳細に確認していた。

 防御対策しつつ〈千里眼(クレアボヤンス)〉と〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉を使いルベド達にも閲覧させる。

 ルベドは職業レベルで『天使の戦士』10レベルと『上級天使の戦士』10レベルと『最上級天使の戦士』5レベルの持ち主でもあり参考にもなるだろう。

 どうも、ガゼフの使うそれは『武技』というらしい。陽光聖典の指揮官が、そう口走っていた。

 天使達の攻撃挙動の映像について確認すると、ここにいる全員の意見が天使モンスターである炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)だろうと判断していた。

 そして、敵の指揮官が一体だけ召喚し名を口にしていた、監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)を確認する。ユグドラシルでの姿形と呼び名がやはり同じであった。

 また、ガゼフの動きを色々と考察すると、武技は魔法と少し異なり、代償は体や精神の疲労を伴うように見える。

 その中で、ルベドが口を開く。

 

「想像だけど、武技とは、体の中での力の総量を把握し精神内で配分し、瞬間的に各種能力を組み合わせ高める事と、個で得意とする技量によって個性が出るものではないかと思う。例えば――」

 

 その流れにより、この場で恐ろしいことが起きそうになる。

 数撃ガゼフの動きを見た、少し小柄なルベドが初見にも拘らず(おもむろ)に大長物の聖剣シュトレト・ペインを軽く構える素振りを見せたのだ。

 輝く頭上の輪と翼を不可視にしていても、彼女の艶やかで腰辺りに届く長い紺色の髪と、弾む大きい胸を内包した白き鎧衣装の立ち姿における神聖さは全く損なわれていない。

 一瞬見惚れそうになるが、それよりもアインズは内心冷や汗を掻きながら慌てて止める。

 

「ま、待て、ルベドよ。お前は何をする気だ?」

「……武技の〈六光連斬〉とやらを軽く試す」

 

 どうやら、すでに武技を理解したらしい。だが振らせるわけにはいかない。

 Lv.100の素振りなど、暴風と変わらないのだ。それに斬撃が加わればどうなることか。その威力に、家や村自体が七つにスライスされかねない……。

 

「ここでは試すな。……あ、ナザリック内も禁止だ。いいな」

「……分かった」

 

 その後〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉に映るガゼフは追い詰められ、魔法の集中砲火を浴びていく。

 放たれている魔法を確認するが、どれも知識にある下位魔法だ。

 

「……くだらんな」

「左様ですね」

「……弱い……です」

 

 ソリュシャンとシズも、もう見るまでもない感じに相槌の言葉を述べた。

 それよりも、武技は応用が色々利くようだなと、武技によって魔法へ耐久(レジスト)出来る事に関心していた。

 

「では、そろそろ行こうか」

「はい、アインズ様」

「……はい……アインズ様」

 

 四人は魔法の痕跡を残さず、何事も無かったかのように小部屋を後にする。

 そして階下にいた村長と共に、先程小部屋を借りる前に聞いていた、土間だが広めの倉庫へとやって来る。ここにも壁際に不安げに寄り添う避難者の家族が数組いた。アインズが入って来るのを見ると皆、命の恩人へ頭を下げた。その中にはエンリ姉妹もいる。

 

「ああ、皆さんそのままでいいので」

 

 そう言いながら、アインズはガゼフの状況を渡した彫刻像のアイテムにより確認する。

 ガゼフの言葉から彼が、自分とルベドやプレアデスらの強さを、かなり的確に把握していたことが窺えた。

 

(流石は、国の柱石である戦士長だけはあるな)

 

 戦いに於いて、相手の強さを知る事は特に重要といえる事なのだ。恐らく、ガゼフは陽光聖典の指揮官の強さも見ていて、まだ殺せる手を何か残しているのだろう。

 ソリュシャンが最終的に判断した〈六光連斬〉を放つガゼフの攻撃力は――Lv.37相当。残してある最後の必殺技はLv.40を超えるかもしれない。

 一対一なら村を守るデス・ナイトを倒すだろうと思われる水準まで上がる。彼の素の状態はLv.27であった。

 つまり、同レベルの場合、武技を使える者の方が圧倒的に強いという事だ。

 

(ルベド……あいつはすでにナザリックで最強なんだけど、武技を使えたらLv.110とか120オーバーとか行くなんて事は……まさかなぁ……)

 

 周辺地理の調査で外に出る際、防御最強のアルベドがルベドを主の護衛にと付けたのは、『攻撃は最大の防御』というところからだ。最強のルベドにより、攻撃される前に敵をねじ伏せる為に。

 アインズはNPC達について、この地での進化の可能性を知り喜びつつも、少し寒気がしてきた。その威力はちょっと想像が付かない。

 だが、そんな考えに浸っている間もなく、劇への出番がアインズ達にやって来る。

 彼の耳の中へ、陽光聖典の指揮官が耳障りな内容の言葉の後、「ストロノーフを串刺しにしろ」という言葉が流れた。

 

「村長殿、すぐ戻りますので」

「は、はぁ」

 

 村長は、唐突といえるアインズの言葉の意味が分からず曖昧に返す。

 ガゼフの息づかいから、最後の突撃に動こうとした時である。

 アインズは向こうの戦士長へ向けて呟いた。

 

「――そろそろ交代ですね」

 

 その瞬間、倉庫からアインズとルベド、シズ、ソリュシャンの姿が掻き消えていた。

 

 

 

 

 

 草原には何処かに血の跡が残っているだろうが、吹き抜ける(かぜ)に葉を揺らす生い茂る草達によって戦いの余韻はもはや感じられない。

 今、初めて戦いが始まる、そんな感じがしないでもなかった。

 この新世界は、現代と違い自然が豊かで美しい。大自然の鮮やかな光景を見せつつ、すでに日が西の地平線に沈みかけている。

 だがアインズは、沈み切る頃には決着が付くだろうなと予想していた。

 

 神官風の魔法詠唱者達45名の目の前に、それまでいた王国戦士長とその後ろに多く倒れていた戦士達が掻き消え、何の冗談か4つの見知らぬ人影がいきなり現れる。

 一人は大柄で漆黒のローブを纏う変わった仮面の人物。一人は小柄ながら大剣を持つ紺の髪に白い鎧衣装の清楚な乙女。一人は機械のようなものを担ぐ桃色髪に眼帯を付けた黒い衣装の少女。そして、武器を持たない金髪巻き毛で黒い短めのスカート衣装の女。

 六色聖典の一翼、陽光聖典の隊長ニグンは、何が起こったのかと目を見開いた。

 

(転移魔法……? いやまさか。あれは第5位階よりも上位の魔法だ。これは〈幻影(ミラージュ)〉でも使って……近くへ隠しているはずだ。何かの下らぬトリックに違いない)

 

 自分達、誉れ高き陽光聖典に対抗出来るのは、同じ六色聖典の他の部隊か、アダマンタイト級冒険者チームに、バハルス帝国の魔法省の精鋭か帝国四騎士達ぐらいだと考えている。40メートル足らず離れたところに立つ、素性の知れないたった4人の者に、恐怖など感じてはならないのだ。

 ニグンが軽く手を上げ指示すると、配下の神官風の魔法詠唱者らは各自の天使を定位置へと静かに整列展開し直していく。恐怖はしないが、油断は出来ないと。

 

「なんだ、貴様達は? 王国戦士長ストロノーフ以下の者達をどこへ隠した? 正直に言え。今なら見逃してやってもいいぞ」

 

 もちろん、ニグンにその気は全くない。知られた者は全て消すのみである。

 壮観に並ぶ天使達に恐れをなすだろうと考えていたが、4人の中で仮面を被った大柄の人物が声を上げる。

 

「初めまして、スレイン法国の皆さん。私の名はアインズ・ウール・ゴウン。アインズと呼んでいただいて結構です。後ろに並ぶのがルベド、シズ、ソリュシャンです。ああ、王国戦士長殿ですか、村の方で休んでいると思いますよ」

 

 これだけの戦力を前に、その語る声からは怯えが全く感じられない。

 流暢に自己紹介をされると思っていなかったニグン達は、最後までしっかりと聞いてしまっていた。だが、何れも聞き覚えが無い名前。これほど堂々としている者達だ、王国からの精鋭で伏兵かもしれないと考えた。

 

「村にだと? 嘘を付け! 早く言うんだ。その辺りに〈幻影(ミラージュ)〉か〈屈折(リフレクター)〉で姿を隠し匿っているのだろう?」

 

 名乗り返しもせず、ただ仮面の男を小物扱いするニグンの言葉に、アインズは魔法を含め、相手の低いレベルに付き合うのを止める。

 

「人の話はよく考えて聞くものだ。……無知とは哀れなものだな。相手の強さが分からないということは……。少なくとも王国戦士長は、その辺り流石であったな。お前達と戦ったのは男らしい戦士としての真摯さ故だ。愚かさではない、それを履き違えるな。あと、まだ分からない下等生物達にはハッキリと言っておいてやろう。――お前達では私には勝てないと」

 

 ニグンの額にはジワジワと青筋が立ち始めていた。

 第四位階魔法の使い手で、貴族にも最近加わった自分と自分の率いる誉れ高い精強部隊の陽光聖典を前に、大言を吐き過ぎだぞこの仮面野郎と。

 アインズの話が終わると、ニグンはゆっくりと首を横に振った後に怒りの表情で話し出す。

 

「言いたいことは、それだけか? 分かっているのだろうな、ゴウンとか言ったか? 私を、私の率いる陽光聖典を侮辱すれば、お前らの惨たらしく無残に朽ちる死が待っているだけだと言うことがなっ」

 

 怒気を含むニグンの言葉の途中で、アインズは「はぁ」と何を言っても分からない連中への溜息を()くと、後ろの3名に「初めは見ていろ」と言い伝える。そうして、前で(わめ)く頭の悪い指揮官に右籠手(ガントレット)の人差し指を招くようにクイクイとしながら告げる。

 

「口で言っても分からないようだな。さっさと掛かってこい」

 

 それはこちらの台詞だと言わんばかりに、ニグンは配下へ吠えたてるように命令する。

 

「おい、お前達。望み通り、直ぐに串刺しにしてやれ」

 

 指示された部下の神官二人は、たちまち天使を操り動かし出す。

 二体の天使がアインズへと突撃して行き――二本のロングソードをアインズの胸と腹に突き立てた。仮面の男の後ろに立つ娘三人は、立ち尽くしていただけ。きっと攻撃が鋭すぎて何も対応出来なかったのだろう。

 攻撃の様子にニグンはそう考え、それ見た事かと得意げに(さえず)る。

 

「バカな奴め、私を愚弄すれば当然の結末を迎えるのだよっ」

 

 次は仮面の男の後方にいる三人の娘の番だと、その姿を改めてよく眺めて……余りの綺麗さに気付き驚く。

 

「おぉぉ?! な、なんという美しさの女達だ……」

 

 ニグンが気付く前から、横一列に並んだ陽光聖典の精鋭達の端側に居た者らも気が付いて僅かにざわついていた。

 好色であったニグンの表情には、すぐに新たな欲望が湧き始めていた。『目障りだった仮面の男はすでに葬った。主を失ったカワイソウな女達は我がモノだぁ』と。

 直ちに配下へ欲望丸出しで命じる。

 

「何をしている、男から天使を早くどけろ。後ろのオレの女達を捕まえるのだっ!」

「た、隊長。そ、それが」

「あぁ?」

「は、離れません。天使が!」

「私の天使も、命じているのですがっ」

 

 ニグンはその言に、神官の部下達から仮面の男の方へと顔をゆっくりと向けていく。

 串刺しであるはずの仮面の男は――二体の天使の頭を、それぞれ左右の籠手(ガントレット)を付けた手で上からつかみ、離さず軽々と押さえ付けていた。

 背中から仮面の男の体を突き抜けた、二本の炎のロングソードが確かに見えている。だが、平然と立っていた。

 

「な……にぃ」

「ふん。私が残って居るのに、ルベド達へ懸想するとは何とも浅ましいな。それに私へ気付くのが遅すぎる。まぁ驚くマヌケ面が拝めて僅かに楽しめたが。――言っただろう? お前達では私には勝てないと」

 

 ニグンの思考は、女どころでは無くなった。何か異常なモノを相手にしている事に気付き始めたのだ。

 

「ど、どうなっている……ロングソードの傷は一体……? これも何かのトリックか」

 

 その時、周りの魔法詠唱者達である神官達は、それとは別の重要な事実に気が付いていた。

 普通、強い召喚者の魔力で形成される天使の力が、片手で止められるわけがないという事だ。重量だけでも人間以上にあるというのに。

 ニグンを初め陽光聖典の面々はこの想定外の事態に、これまで魔法詠唱者として経験にない混乱の思考へと突き落とされていく。

 前に並び右往左往するそんな者達を尻目に、アインズの落ち着いた威厳のある声が周囲へと響く。

 

「上位物理無効化――これは、低位で低出力な武器やモンスターの攻撃による負傷を完全に無効化するという、常時発動型特殊技術(パッシブスキル)だ。まあ、(Lv.60)程度の攻撃までしか無効化出来ないがな。それ以上だとダメージを受けてしまう0か1かという能力なんだが……貴様ら程度にはこれだけで十分。とりあえず、この天使はもう邪魔でいらないな」

 

 言葉が終わると同時に、天使の頭と上半身はアインズにより、強烈に地面へと叩きつけられていた。

 それだけで、二体の天使は破壊され、キラキラと光の霧のように消えていく。

 アインズは浮かんだ疑問を投げかける。

 

「お前達、この天使の召喚は誰に教えられたんだ?」

「……お、お前は…………ナンダ?」

 

 普通の人間技では無い。ちぐはぐな答えの、ニグンの声は驚きで途切れがちになる。

 先程までざわついていた陽光聖典の者達は、天使が素手で消滅するという衝撃的すぎる光景に言葉が無く静まり返っていた。

 

「やれやれ、こちらが先に質問したのだが、すぐには答えてくれないか……まあ、今はそのことはいいか。後へと置いておくことにしよう。さて、攻撃はされたからな。今度はこちらの番だな」

 

 ニグンはいつの間にか額に汗を浮かべつつ、男の『攻撃』という言葉にゴクリと唾を飲みこむ。何が起こったのか未だ分からないが、天使が二体消滅したことだけは事実。

 この仮面の者らの動きと攻撃が不明すぎる。周囲へ相当の備えがされている恐れも考えられる。指揮官として、脳裏へ撤退すべきかとの言葉が浮かぶ。

 だが、アインズはそれを見越したように、偶然だが静かに話し出す。

 

「お前達は、このアインズ・ウール・ゴウンが態々出向いて救い、その名で守ると約束したあの村の者達を殺すと宣言していたな。これほど不快な事はない――誰一人逃げられるとは思わない事だ」

 

 アインズはその言葉の終わりを、ローブと両手を広げるようにして雄大に語る。

 それがその場全員へ圧倒的に示す言葉として重く響いていく。

 この時、アインズの脳裏に一度、鏖殺の文字が浮かんだ。しかし、情報や実験への利用価値がまだあると思ったのだ。なんと言ってもこの者達が一国の精鋭部隊だという話。皆エリートであるはず。持っている情報は、小さい村の住人達の比ではないだろうと。

 対してそれを聞いたニグンの背中には、さらに嫌な汗が流れていく。だが、無名の者の語るそんな脅しの文句を認める訳にはいかないという思いと、底知れない恐怖が命令を吐き出させる。

 

「ぜ、全天使で一斉に攻撃を掛けろ! 潰してしまえっ!」

 

 ここでアインズは対応を――適任者へと命じた。

 

「丁度いいだろう。ルベドよ、不可視等を解除し、少しお前の力を見せてやれ」

 

 アインズの後ろで、シズ達と待機中であったルベドは、顔を向けてきたアインズを一瞥すると溜息を一つ()く。アルベドからも守るように言われている事である。

 

「分かった」

 

 彼女は戦いが好きとは言え、雑魚をいたぶる趣味は無い……が、うまく行けば姉達に褒めて貰えるだろう。

 邪魔な大剣を一度手放すと、その剣は光を放ちながらルベドの正面へ浮かび、柄を下にした起立状態で静止する。そうして、両手を広げ不可視と体光の抑制を解除した。

 すると、周りの夕暮れが進み薄暗くなる中、頭頂に輝く輪と翼を広げ神聖な光を放つ最上級天使が強調されそこへ現れる。

 その瞬間に、周囲はその輝きに明るくなり、空気まで清浄化されたように感じられた。

 ルベドは、右手で剣を掴むと素早くアインズの前の上空へと移動し、向かい来る四十余の天使と対峙する形を取る。

 そうして彼女は、左手を翳すと静かにこう告げた。

 

「〈上級天使従属(ハイエンジェル・オーバーコントロール)〉」

 

 広域に渡り一度眩い光に覆われ、それが収まると炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)ら個々の周囲が聖なる白き光に包まれていた。

 そして、想定出来ない事が起こり始める。陽光聖典の面々は指揮官のニグンを初め、目の前に現れた神聖な光を放つ天使である少女の姿と共に、自分に起こった衝撃的事実にどよめきが広がっていく。

 

「白い衣装の女に輪と翼が……あれも……天使なのか?」

「た、隊長っ、信じられませんっ! わ、私の天使が、の――乗っ取られていますっ! 解除も出来ません。どうすればっ!」

「わ、私のも!」

「それがしのも――」

「!?――……」

 

 配下の魔法詠唱者達の狼狽ぶりを横に見て、ニグン自身も目の前の光景全てに絶句させられていた。彼の自慢の天使、監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)すら乗っ取られていたのだから。

 最上級天使の種族にしか使えない天使モンスターを戦闘停止にする従属魔法と天使を操作する特殊技術のコンボ。

 ゲーム上では6×6-1の35体が上限のはずが……40体を超えても全て支配していた。

 しかしニグン達はこの魔法や技術を知らない。なのでどれほど上位の力かも不明である。だが少なくとも、知識として知る第六位階以下の魔法には存在していなかったため、前人未到な第7位階以上も有り得るという恐怖が襲い始める。

 この隊には、二体同時に天使を召喚できる程の者はいない。天使の再召喚は消滅しないと行えないのだ。この攻撃は天使使いには天敵と言えよう。

 

「さあどうした、先程の言葉は? 私を天使達で潰すのではなかったのかな?」

 

 すでに、従属された天使はアインズ陣営側へ速やかに移動し、横一列に静止して臨戦態勢に入っている。

 ニグン達にとって天使とは無機質で機械型の物しか見たことが無く、目の前に光り輝き翼で舞い立つ、見目麗しく神々しい女性的な最上級天使を見るのは初めてであった。

 これも、法国で崇拝するものではないのかと。

 

「(馬鹿な、まさに天使……な、なんと神々しい美しさよ……いや)……こんな天使がいるなんて……そして、天使を操作するなど、あ、有り得ない……聞いた事も無い魔法……(どうすればいいんだ)……第一、お前たち程の者が知られていない訳が無い。一体何者なんだっ」

 

 唾を飛ばし言葉を吐き捨てるニグンには、すでに当初の余裕を滲ませた表情の欠片もない。

 アインズは相手方の話す内容が気になり問いかける。

 

「……知らないだけでは無いのか? 魔法についても、私のアインズ・ウール・ゴウンの名にしても――」

 

 指揮官であるニグンからの指示の無い間が続き、配下の神官達は独自に反撃しようかと考える者も現れた。しかし、天使を召喚させられている状態は続いており、発動できる威力のある攻撃魔法が極端に制限されていた。

 そんな錯綜した中で、一人の魔法詠唱者が咄嗟にスリングを取り出し、礫を会話中のアインズへと撃ち出してきた。

 直後に破裂する感じの音が周囲へ二つ響いた。

 しかし、礫がアインズに届くことは無かった。代わりに、スリングを撃った魔法詠唱者が、眉間と心臓を撃ち抜かれて崩れ落ちていく。

 絶対的支配者が『初めは見ていろ』とシズ達へ告げていた『初め』はすでに終わっている。

 ルベドはその弾道に当然気付くも動かない。すでに、ソリュシャンが一瞬で動いていたから。礫はアインズの前へ出た彼女の胸元から体の中へと、血が出る事もなく吸い込まれるように埋没。

 そしてシズ――正式名称CZ2128・Δ(シーゼットニイチニハチ・デルタ)は礫が届く遥か前にガンナーとして、撃った者へと刹那に『死の銃(デス・ガン)』を構えると〈下位魔弾機関砲(マイナー・マジック・ガン)〉を放っていた。標的に低位の防御魔法があったが、『死の銃(デス・ガン)』の増幅威力の前に関係なく貫通する。

 当初、〈電磁速射機関砲(レールガン)〉を発動しようかと思ったが、攻撃力がありすぎて射線上からの衝撃波被害想定域に村が入るため断念する。

 

「……アインズ様……への……攻撃は――」

「――私達、戦闘メイドプレアデスが許しませんわ!」

 

 無感情なシズの声と、怒りの籠ったソリュシャンとの息が合った仲の良い姉妹宣言に、上空にいるルベドの口許が少し緩んでいた。

 戦闘中の為、全員の目が有ったはずだが、指揮官のニグンを含め陽光聖典の者達には、その反撃する二人の動きが全く見えなかった。

 ニグンは、加算され続ける信じられない光景に思考が混乱し掛ける。だが……胸に固いものを感じ、ハッとする。

 神官長から託された切り札があったではないか、と。

 

(そう、天使には―――我々も天使だ!)

 

 こちらの切り札を見せてやろうではないかと。もはや逆転の手はこれしか無く、ニグンは血走らせた目をして、躊躇うことなく懐からクリスタルアイテムを取り出した。

 

「くくくっ、貴様、確かアインズ・ウール・ゴウンとか言ったな。はははっ、こちらも最高位天使を召喚してやる、覚悟はいいか?」

 

 アインズはニグンの手に輝く、大きめのクリスタルに気付く。

 少し声を落とし、ルベドやソリュシャンらへ話を言い伝える。

 

「……あれはまさか、魔法封じの水晶。輝きからすれば、超位魔法以外を封じられるアイテム。召喚の可能性の有るのは……熾天使(セラフ)級か?。恒星天の熾天使(セラフ・エイスフィア)以上は出ないと思うが、至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリア)が出た場合、些か面倒だ。シズとソリュシャンは、私より後ろへ下がれ」

 

 ソリュシャンはLv.57、シズはLv.46だ。Lv.95以上である至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリア)が出た場合、前に出ていれば倒される可能性が高い。仲間達の可愛い娘達を殺させるわけには絶対にいかない。それはナザリックの多くの者と、他のプレアデスの姉妹達を悲しませることにもなる。

 

「お待ちくださいませ!」「……再考……を!」

 

 だが、プレアデスの二人は、至高の者の盾として散るために付いて来ているのだ。聞けない話である。しかし、アインズの口調は彼女らを守るために厳しい。

 

「ここは下がるのだ、よいな?」

「し、しかしっ」「……でも……」

 

 それでも食い下がる二人の肩へ、優しくアインズの左右の手がそれぞれ置かれた。

 

「よいな?」

「……っ、畏まりました」

「………了解……です」

 

 アインズの気持ちに折れる形で姉妹は下がった。二人とも偉大なる支配者の気遣いが内心とても嬉しい。シズは無表情ながら頬が赤く、ソリュシャンも肩に手を置いてもらい、耳まで赤くなるほどである。だが、アインズへ危機が迫れば、もちろん迷いなく盾として散るべく前へ出るつもりでいた。

 

「ルベド、行けるか?」

「……二人で掛かれば、特に問題ないはず」

 

 ルベドも分かっている。身内は全力で守らなければならない。特に姉妹はっ! だから、頭数にはアインズしか入れていない。

 

「まあ、そうだな」

 

 二人の最大攻撃を連続で同時にぶつけていけば、こちら側のHPが尽きる前に十分撃破出来るはずである。ルベドの剣技と最大攻撃力は本当に強烈なのだ。ユグドラシルでも一対一で勝てる者はそういなかっただろう。〈上級天使従属(ハイエンジェル・オーバーコントロール)〉すらも単なるオマケに過ぎない。

 ルベドも支配者であるアインズの力は、自分と近い位置にいると評価はしている。なので相手が1体なら負ける要素は無いと判断していた。

 ニグンからアイテムを取り上げれば一番話は早い。しかし少し危険だが、アインズはこの世界の切り札と言うべきものの水準を、実際に知っておくべきだと判断している。

 アインズらの返事を待つ事もなく、ニグンは規定の手順に従いクリスタルから、その切り札を解き放っていた。

 ついに、陽光聖典の隊列の前にも、光り輝く翼を持つひときわ大きい機械型天使が現れる。ニグンは興奮しながら歓喜の声で叫ぶ。

 

「さぁ、見よ! 最高位天使の尊き姿を! 威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を!」

 

 その姿は翼の集合体のようにも見え、王権の象徴である(しゃく)を持つ手だけが生えている。足や頭部はない。

 だが力は、都市規模の破壊すら容易とされている戦略級の天使である。

 ニグンは自慢げにアインズ達へと訴える。

 

「どうだ? 我々の力を侮っていたことを後悔してもらおうか?」

「……なんということだ……これが切り札か……」

 

 アインズは、ゆっくりと右籠手で仮面を覆うように当てるような仕草をする。ニグンはそれを、この威光の主天使を敵に回した事を後悔していると確信していた。

 彼に当初の余裕が少し戻ってくる。

 

「どうした、ゴウンとやら。貴様の為に“威光の主天使”を呼び出したのだ。喜んだらどうだ? まあ、自分の死を確信すれば喜べないのも責められないか。貴様達ほど優秀なら、我が陣営に迎え入れたい気もあるが、残念ながら今回受けた任務では難しくてなぁ。だが安心しろ、生き残った女達は参考人として生かして法国へ連れ帰ってやるからな」

 

 相変わらずの欲望漂う低俗さの滲む内容で、アインズは吐き捨てるように言葉を返す。

 

「本当に下らんな」

「なにぃ?」

「相変わらず、お前は相手の力が分かっていないようだな。まあいいか、その目で見ればすぐに理解出来よう。ルベドよ――期待外れですまんな、そのデカブツを片付けてくれ。だが村には被害を与えるなよ」

 

 ニグンは、アインズに何を言われたのか分からなかった。敗者は向こうのはずなのだ。確かにこの見た目が天使の清楚な娘は謎の魔法を使えたが、こちらは確実に第7位階の魔法を放つ、人間種では届かない魔神をも倒せる上位階の魔法を行使できる最高位天使である。負ける要素など有りはしないのだ。

 なのになぜこの者達は、その態度に余裕があるのだろうか。この目の前の男の一行は魔神をも超越するというのか?

 ――まさか。そう思った時である。

 天使のルベドが大剣を両手で構える。

 

 神器級(ゴッズ)アイテム――聖剣シュトレト・ペイン。

 

 刀身には縦に五つの穴があり、最大で五つの伝説級(レジェンド)アイテムをはめ込み同時に発動できるという凄まじい聖剣である。柄はマリンブルーベースで50cmほどあり長く、白金色に輝く刀身も幅20cm程と広く長さも1.6m程もある。鍔の部分に当たるところは精巧な黄金の羽の装飾が施されており天使が持つのに合っていた。鞘は無い。

 ルベドは剣を正眼に構える。すると彼女の全身が薄く美しい金色に輝き出した。

 その姿はアインズ達も見るのが初めての光景だ。だがその雰囲気は王国戦士長の戦いで見ている。

 

(ま、まさかルベドめ――ここで武技を使う気か!?)

 

 ニグンは先制攻撃をと、威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)には攻撃準備を完了させていた。

 

「威光の主天使よっ、早々に〈善なる極撃(ホーリースマイト)〉を放てっ!」

 

 威光の主天使の持っていた笏が砕けその破片が、主天使の周りを周回し始め加速していく。その状況はアインズの知るユグドラシルの知識のまま。召喚ごとに一度しか使えない特殊能力による威力増幅行動。

 主天使の攻撃に対してルベドが取った行動は、哀れな者達へ一度だけの慈悲を見せるように、攻撃を見送り一言感情なく詠唱する。

 

「――〈上位魔法盾(グレーター・マジックシールド)〉」

 

 同時に第七位階魔法〈善なる極撃(ホーリースマイト)〉がルベドへと襲い掛かる。天から何ものをも全て焼き清めるように、神聖で青白い光の巨大な柱がルベドを覆う――が、その中で彼女はダメージを受けていない。

 元々、神聖系の攻撃魔法には抜群の耐性がある。さらに、〈上位魔法盾(グレーター・マジックシールド)〉により完全無効化されていた。

 その光景を、ニグンは呆然と見つめるのみである。第7位階魔法は、魔神をも焼き尽くし打倒する人間種を越えた絶対の聖なる光による攻撃。それを完全無効化など、魔神を圧倒的に超えている存在に他ならない。

 

 いや――魔神ではなく目の前に浮かぶ白き乙女が、真の最上級天使であれば有り得るか。

 

 ルベドは、今はただこの光が収まる瞬間を待っている。

 彼女が見舞おうとしているのは、神聖系魔法では無い。万物に有効である上位物理攻撃だ。

 三十秒近くが経過し、光の柱はキラキラとした霧状の跡を残し消えていった。

 その瞬間、ルベドは一閃する。

 

「〈流  星  切  り  七  連(セブン・メテオ・スラッシャーズ)〉ーーーーーー!!」

 

 通常は上段からだが、地上への被害が甚大になるため、その構えから腕を返して行う下段からの神速の切り上げであった。上位剣撃〈流星切り(メテオ・カッター)〉に武技を組み込んだようだ。ただ威力が、七連撃で最上位物理攻撃にまでなっていた。

 その一撃は、主天使を八つに裁断した上に、圧倒的と化した剣撃の威力によって粉々に消し飛ばしていく――即死である。

 ここでアインズは、ゲームとの差異に気が付いた。主天使以上は、ダメージ攻撃では即死しないはずなのだ。恐らくLv.100を超える連撃がそれを可能にしたのだろう。

 だが、あわててアインズが、右手を突き出し魔法を詠唱していた。

 

「〈暗黒孔(ブラックホール)〉っ」

 

 それは敵を攻撃する為に放ったのでは無かった。

 ルベドの打った剣の凄まじい衝撃波が全て上空へは逃げずに周囲へ広がろうとしていたのだ。放っておけば村まで飲み込んでしまうだろう。

 〈暗黒孔(ブラックホール)〉は主天使の残滓と衝撃波ごと周囲を引きずり込み飲み込んで消滅する。

 目の前のあまりに超越しすぎた有様にニグンを初め、残る陽光聖典全員が動かない。トリックなどどうでもいい。目の前で第七位階魔法を発動できる威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)が、見たこともない圧倒する剣技と魔法で『簡単に』撃破されたのだ。

 陽光聖典の全員は、召喚した天使を先程取られたままで、もはやいくら考えても前へ居る者達に勝てる気がしない。ストロノーフの言っていた事は事実だったのだと知る。

 ニグンは漸くここに至り悟っていた。

 

 この者達は――人間種を超越した存在なのだと。

 

 いや、だからこそ味方にする必要があるのではと考え直す。ニグンは声を裏返しながら、それと同じように態度も思いっきり翻して媚を売るように話始める。

 

「ア、アインズ殿……いや、アインズ様っ! あなた様方は王国の所属なのでしょうか?」

 

 考えられるのは、王国へ新たに加わった冒険者のようなチーム。先ほどから散々、無礼を働き目も当てられないが、わずかでも交渉の余地を見つけ出そうと考えていた。

 ニグンは、神官長に直訴してでも、彼等へ法外の金品と地位を用意する考えに変わっていた。

 先と違い低い物腰と丁寧な口調に、やっと自分達の立ち位置が分かってもらえた事にアインズは薄笑いを浮かべつつ答える。

 

「いや、久しぶりにこの辺りへ来て、偶々この村を助けた魔法詠唱者とその一行だ」

 

 ニグンは、その答えを聞くとニヤリと気持ち悪い作り笑いを浮かべて、アインズ達を賞賛しだした。

 

「もはや、アインズ様達は魔神をも超える存在です、素晴らしい! 先ほどから我々は見当違いな攻撃をあなた様方へ向けてしまった事を此処に深くお詫びいたします。も、もちろんタダでとは申しません。金貨500枚を進呈いたしますっ。そ、それに加えて是非、我がスレイン法国へ来てもらい、一翼を担って頂きその素晴らしい力をお貸し願いたい。その為に、この陽光聖典隊長のニグン・グリッド・ルーイン、アインズ様へ金貨5000枚と爵位を授けて頂けるように神官長様方へお口添えいたします。ですから、なにとぞ、なにとぞ……」

 

 戦場の状況と隊長の態度に、陽光聖典の隊員達も皆、杖を下ろしていた。

 夕日は西の地平線下へと丁度落ち、残りの赤き明るさがその方角へ残るのみ。辺りは天使ルベドの輝きにより見通せている。

 戦いは静かに終わりを告げていた。

 アインズは、ニグンの言葉へゆっくりと答える。

 

「話を聞かず、逆らった敗者どもが、今更何を言うのか一通り聞いてみたが……ふん。私は確か、こう言ったはずだが――誰一人逃げられるとは思わない事だとな」

 

 アインズの淡々とした無情の言葉に、ニグンの作り笑いは口を開いたまま、絶望の恐怖で歪む顔へと変わって行った。

 

「〈伝言(メッセージ)〉、マーレ、居るか?」

「は、はい、モモンガ様」

 

 アインズの横へ、黒き杖を抱くように持つ白い服で、褐色エルフ耳の可愛い小柄の少女が忽然と現れる。不可視ではなく〈転移(テレポーテーション)〉で。もう終劇の後片付けをすぐ始めたい者のように。

 ニグンを除く、陽光聖典の隊員達はもはや助からないと、どうしていいのかわからず――隊長を見捨てて散開し逃げ始める。

 

八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)達に命じ、あの者達の意識を奪え。そして、殺さず恐怖公の部屋へ放り込んでおけ。まだ色々使えるからな。奴らは44人生き残っているはずだ。死体も一つあったはずだが、一応装備確認の為に回収しておいてくれ、頼んだぞ。終わったら八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)を四体だけ残せ。ソリュシャンに率いてもらう。その後、マーレはナザリックへ戻っていいぞ、ご苦労だったな」

 

 アインズはそう言って、マーレの頭を撫でてやる。

 恐怖公は、ナザリック第二階層の一区画にある「黒棺(ブラック・カプセル)」の領域守護者で、姿は直立した体高30cm大のゴキ●リである。もちろん率いるのも大小さまざまなゴ●ブリの大軍だ。階層守護者のシャルティアも及び腰の場所であった。プレアデスで六番目の妹、蜘蛛人(アラクノイド)のエントマ・ヴァシリッサ・ゼータだけが『おやつの部屋』と呼んでいるらしい……恐ろしい。

 マーレは主からのナデナデに満面の笑みを浮かべた。

 

「は、はい、分かりました。では、八肢刀の暗殺蟲のみなさん、お願いしますね」

 

 マーレの言葉を合図に、周囲に潜んでいた15体の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)達は動き出し、ニグンを初め生き残っていた全員が順次卒倒させられ捕まっていく。

 その時、上空の空間が陶器の壺のような砕け方で割れるも、一瞬の間に空は元の情景へと戻る。ルベド達も気付く。アインズは、「ん?」と、この世界はまだまだ油断出来ないと眉をひそめる。

 

「……スレイン法国の連中の、何らかの情報系魔法か? 効果範囲内に私が居たために対情報系魔法の攻性防御が起動して即遮断されたな。……上位の逆撃や探知の逆監視を仕掛けておけばよかったか。少し油断していた。まあ次は気を付けておこう」

 

 そういった本国からの監視の事実を知ることなく、ニグンはすでに意識を失っていた――。

 

 

 




カルネ村後処理編へ移ります。


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STAGE09. カルネ村の夜明け(1)

書いてみたら……後処理ってなに?(汗


 アインズ一行と、スレイン法国が密かに誇る六色聖典の一つ、隊長ニグン・グリッド・ルーイン率いる陽光聖典の一団との『遭遇』は終わった。彼らは、リ・エスティーゼ王国内で全員が失踪した。

 結果としてアインズが知った事は、油断はまだ出来ないが――この世界の者達は案外脆弱かもしれないということである。

 

 日が沈み暗い夜の草原をアインズと、ルベド、シズ、ソリュシャンが歩く。

 マーレはすでにここでの仕事を終え、ナザリックへ帰還している。彼女にはまだ、ナザリック周辺の丘の造成という重要な作業が残っているのだ。そして、それが終わったら主様とデートというご褒美も有り、作業を早く再開するため、「アインズ様、そ、それでは戻ります」との言葉を残し、嬉々として戻っていった。その際、すぐに姿を消さず、しばらくてててっとスカートの翻らないように気遣いながら、可愛く杖を胸元に抱えてその後ろ姿を見せつつ去っていく……。何かのアピールだろうか、そう思いながらもアインズは「かわいいなぁ」といつものように和んでいた。

 ルベドの拘束していた陽光聖典側の天使達は、召喚者達の意識が途絶すると順次消滅していった。現在のルベドは、再び体光を抑え天使の輪と翼を不可視にして、大剣を抱え人のように振る舞っている。

 アインズを先頭に先程から、ルベド達は静かである。

 それは、村へと向かう直前に、この度の戦闘に関して主からの労いを受けたためだ。

 手前にいたシズから「良い反応であったな」と主より頭をナデナデされた。彼女は無表情なようで、感情は変化に富む。徐々に頬が赤くなっていった。続くソリュシャンは「礫は大丈夫だったか」と労われ初めてのナデナデであった。その為か終始恍惚としていた。金髪の髪はサラサラでナデ心地は非常によい。姉妹の中でもナーベラルと並び特に美人であるが、気持ちは姉妹の中でもシズに続き乙女なのだ。ちなみに礫は溶けてしまっている。

 加えて二人は先程、危ないからと優しく主自らが盾となって前に立ってもらった事を忘れてはいない。守られる喜びにも激しくトキメいていた……。

 そしてルベドだ。設定上彼女は至高の者達への敬意はない。そのためいつも返事少なく不愛想に見える感じだ。そんな彼女も、「流石はルベドだな」とお褒めの声を掛けられてのナデナデは嫌いではないらしい。顔をアインズから背けつつも終始大人しくしていた。その背けた顔の口許は、やはり少し緩んでいる。

 警護の三名は、そうして絶対的支配者からのナデナデをじっくり思い出し、内心でニヤニヤしながらのんびり村を目指す。

 

 間もなくアインズ達は村へと帰って来た。

 ガゼフと入れ替わって、五十分程経つだろうか。移動に〈飛行(フライ)〉などを使わなかったのには理由がある。歩いて時間を稼ぐという『苦戦』への演出だ。あっさりと片付けてしまい、戦闘の終わるのが少し早すぎたのだ……。

 広場へ入ると四人は、王国戦士長を初め村長に村人や戦士騎馬隊と多くの者達から出迎えられる。

 篝火が幾つか置かれる中、ガゼフを初め、王国戦士達の中で体力が回復してきた者らが、デス・ナイトと共に村を守る番をしていた。彼等は常備携帯していた治療薬(ポーション)で回復している。この世界の青い治療薬は速効性がなく、回復に少し時間が掛かるのだ。

 また、彼らの為に炊き出しの準備も行われている。ただ今日は、村人の多くが亡くなり葬儀の後の晩に宴は出来ない。

 

「ゴウン殿、無事でしたか。流石ですな」

「おお、王国戦士長殿、御無事で良かった。申し訳ないです。もう少し早くお助けできれば良かったのですが、お渡ししたアイテムが準備に時間が掛かるものでしたので」

「いや、ゴウン殿、助けて頂いただけで十分。村人達、そして仲間達の分も含めてお礼を御申し上げる」

 

 王国戦士長の礼と同時に、周囲にいた王国戦士達も一斉に頭を下げた。村人達までも皆頭を下げていく。

 ソリュシャンとシズは、その状況へ密かにうんうんと頷いている。下等生物は、常にアインズ様へこうあるべきなのだと。村に付いては、主が態々助けた者らでもあるし、こいつらで遊ぶのは見逃してやる上に、保護して飼ってやるかという考えになっている。

 ガゼフは暫しの礼の後、一言だけ確認してきた。国王から派遣されている以上結果を尋ねるのは当然である。

 

「それで、あの者達は?」

「何とか撃退しました。もう来ないでしょう。思わぬ伏兵もあり、流石に全滅させるのは厳しい相手でした」

「……そうですか」

 

 ガゼフは一瞬目を鋭くさせるが、仮面の男には通じないだろうと、すぐに目を閉じる。確認の話はそこで終わりになる。

 スレイン法国の重要部隊とは言え、他国へ侵攻してきた部隊だ、全滅させようと問題ははない。それよりもガゼフにはゴウン氏が、自らを過小評価させようとしている意図が良く分からなかった。

 苦戦したと聞く割に全員が全くの無傷。恐らく相手は、全滅しているはずだとガゼフは推測していた。あれほどの数の精鋭相手にである。笑うしかない。

 彼は少し思考する。王城へ帰った後で報告する際、彼らを大きく言った場合と小さく言った場合の事を。

 結論としては――王国には関わりたくないということだろうか。

 だが、これほどの人物と配下。アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』以上の存在だとも考えられる。もう法国とは敵対関係と言えるが……もしや、帝国の息の掛かった者であったのなら。あの国には魔法学院もある。

 

(!――)

 

 一瞬ぎょっとしそうになるも、帝国との関係を考えるなら自分達を助ける道理が無いとの考えに行きつく。

 

(むう、どんな人物も、自分を売り込むのは常識なのに、この御仁はなぜ……)

 

 そのことがガゼフへ余計に、ゴウン氏という人物へ興味を持たせた。それに彼らは、六色聖典の一角陽光聖典を退け、これ以上の王国の村々への被害を未然に防ぎ、自分を含め王国戦士騎馬隊の精鋭隊員を救ったのだ。王国への貢献に対する勲功は評されるべきだとの思いがあった。

 

「ゴウン殿は今日はこれからどうされるのか?」

「そうですね……」

 

 アインズはそう問われ、少し考える。ナザリックへと直ぐ去ろうかとも思った。王国戦士騎馬隊が去ってからまた村へ来ようかと。そんな少し迷いの有る彼へガゼフはさらに尋ねてきた。

 

「ゴウン殿、我々と共に王城へ来ていただけないだろうか? 貴殿の今回の勲功は決して小さくない。たとえ王国の所属でなくともだ。私としては是非とも貴殿のその恩に報いたい」

 

 ガゼフの申し出は男として嬉しくもある。だが支配者として色々あらゆる面で検討する必要があるだろう。即答は避けるべきだ。

 

「嬉しい申し出でありますが、戦士長殿、少し考えさせていただけますか?」

「うむ、もちろん構わない。そうだな、今日はゆっくりされるべきだな」

 

 ガゼフは「では」と仲間達の方へと離れていった。

 時間はまだ、日が暮れてから30分ほどしか経っていない。

 さて、今日この後をどうするかと思っていると、今度は村長が声を掛けてきた。

 

「アインズ様、御無事で。本当にありがとうございました」

「いえいえ、村は大丈夫だったようで良かったです、村長殿」

「ところで、アインズ様方は今晩、どうされますか? 宜しければ我が家へ――」

「ア、アインズ様っ」

 

 村長の、自宅への誘いが今される、このタイミングでアインズは声を掛けられた。

 そちらを見ると、そこにはエンリ・エモットが、両手をお腹の前辺りでグッと握るように、何か決意済にも見える強張った表情で立っていた。そして彼女は言葉を続ける。

 

「あ、あの、宜しければウチに泊まりませんか?」

 

 声が大きくなくて幸いであった。両親のいなくなったばかりの、未婚の若い娘が言う言葉では無い気がするから。流石にエンリの顔も少し赤くなっていた。村の男や、数年の知り合いのンフィーレア・バレアレすら、夜に家へ誘った事はない。

 村長は事情を知っているので、冷静にアインズの様子を窺うのみだ。

 アインズは、エンリの家に泊まる利点を考える。それは非常に多い事に気が付いた。

 

 エンリと妹は――アインズ達が人では無い事を知っているのだ。

 

 つまり、食事などを取らない言い訳を考えなくて済む。寝ない理由も、そのまま言える。室内から〈転移門(ゲート)〉を使えばナザリックへも自由に往来出来る。

 他にも色々都合が良さそうである。

 問題があるとすれば、若い娘だけの家にアインズ達が泊まるという世間体の一点だけだろうが、アインズは即決した。

 

「そうだな。ではエンリよ、厄介になるがよいか?」

「は、はい、もちろんです」

 

 エンリは、不安そうだった顔を一変させ嬉しそうに微笑む。妹のネムが見れば、その笑顔が壁など無い自然な喜びの笑顔だと気付いただろう。

 そのアインズとエンリとの会話に、シズ・デルタとソリュシャン・イプシロンの視線が、エンリを鋭く射抜く。この下等生物の薄汚れたメスが、何を企み望んでいるのかと。

 一方ルベドは当然、「なぜ、手を繋いで姉妹で来ないっ」と考えていた……。すでに夜なのだ、幼女は家に居させるのは普通であるが、ルベドには通じなかった。

 「こちらの通りです」と移動を促し、エンリとアインズ達は村長に見送られる。

 王国の戦士達は広場に駐留するらしく、ガゼフと副隊長のみが村長の家へ厄介になるとの話らしい。

 三体のデス・ナイトは警備を続行させて広場を後にし、エモット家の家に着く。村では『上』に入る暮らしだが裕福には程遠い。それでも、それなりの大きさの家だ。

 玄関前まで来ると、中から扉を開いて妹のネムが出迎えてくれた。

 

「アインズさま、みなさま、よくおこしくださいました。姉エンリの妹、ネムといいます」

 

 そう言ってきちんとお辞儀をした。自分と姉の恩人で、両親のカタキを討ってくれた者達なのだ。ニコニコとした笑顔であった。

 エモット姉妹が揃い、ルベドは「ふふっ」と口許が緩くなっている。

 シズとソリュシャンは「ふむ」と小動物の対応に満足する。

 アインズは長く大きい手で、扉の取っ手を掴んでいたネムを抱え上げる。

 

「世話になるぞ、ネム」

「はい、アインズさま」

 

 アインズは現実の世界で、甥や姪に懐かれていたことを思い出していた。なので、ネムが自分をもう恐れていない事は直ぐに分かった。そして、子供らは構ってくれる大人が大好きなのだ。

 

(不思議と、子供達はどの世界でもかわらないなぁ)

 

 アインズの、子供に慣れた様子にエンリは、少し驚くもにこやかに玄関から室内へと案内した。

 ここは部分的にログハウスのようでしっかり作られており、天井高もあり、アインズは悪くないと思えた。彼へは二階建ての家の中で、一番広い部屋が用意されていた。20平米ぐらいだが。

 ベッドは以前の家族分と客人用の五つしかなく、エンリとネムは一緒に休むという。

 簡単に見て回り、一階の居間といえる部屋の机の上座席へ通され、アインズがネムを抱えたまま座る。

 そして――シズとソリュシャンは座らず横へ並んで立っている。ルベドは窓際の丸太の厚みの部分へ腰かけ、膝を抱えて外を眺め始める。実は時々窓に映る二組の姉妹の様子をチラチラと見ているのだが……。

 これがナザリックの普通。

 村長宅での状況は表の顔なのだと、エンリは配下の様子を見て理解し、もっとも立場の劣る自分も同様に立ったままでいた。

 アインズは、現実の世界の経験から住処に拘ってはいない。

 しかし、シズとソリュシャンは違う。ナザリック内の豪華絢爛での最高級志向のメイドなのである。

 

「アインズ様、ここへお泊りになるのですか? アインズ様がこのような所でお休みになられるとは……納得がいきません」

 

 アインズの前では、若いが大人の美女の雰囲気を醸す感じのソリュシャンが、額に軽く右手を当てる仕草をし、嘆かわしいというポーズで具申する。

 しかしアインズは考えを伝える。

 

「ソリュシャンよ、雨露を凌ぐにはここでも十分。何事も経験だ。偶には足る事を知るのも良いのではないか?」

「っ……分かりました。謹んでお付き合い致します」

 

 アインズの意志と言葉は尊重される。

 エンリは、ソリュシャンの意見も理解している。広場でアインズ様へ呼びかける時に、まずそれを感じていた。大変裕福でいらっしゃる方だという事もあり、平凡なわが家へ招いていいものかと。従者の方々も若いが美女揃いで高価にみえる衣装。アインズも見た目は少し異質だが、高級で上質のローブと豪華な装飾を身に付ける身形。そしてあの手にしていた黄金の巨大な杖。

 しかし、何としてもエンリは、アインズから強く関心を持って欲しかった。縁という綱があるうちにと、気持ちを振り絞って声を掛けたのだ。結果は良い方向へ進んでいる様に思う。

 少なくとも嫌がられてはいないはず。もしかの為にと、あれから二度身体を拭って、なるべく新しい下着を身に付けてもいる。備えは万全。

 

(あれ?)

 

 ここでエンリは、彼の杖が見当たらない事に気付く。

 

「あの、アインズ様。お持ちだった凄く立派な杖は……?」

「ああ、これか?」

 

 目の前の空間に手を伸ばすとそこから『スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』を取り出す。

 何度見ても凄い杖である。

 

 ――まさに黄金色に輝いている。それは、なんと神々しいのだろうか。

 

 一本の杖としてそこにあるだけなのに、強く強く威圧される。

 

「私以外が触れると、とても危ないものだからな。公開せず仕舞っておくに限る。エンリよ、これをこの村で見ているのはお前達姉妹だけだ。他言は無用だぞ」

「は、はい!」

「アインズさま、わかりました。だれにもいいませんっ」

 

 ネムも、アインズに抱っこされつつ左手を上げ、宣言するように可愛い声で返事をする。

 ナザリックの至高の41人しか使えない上に、盗賊対策の逆撃も当然設定されている。何と言ってもギルドの象徴で、破壊されるとギルドが崩壊するアイテムなのである。

 この村へ乗り込む当初は敵の強さが不明で、最高の装備と攻防力が必要であったため所持していた。しかし、殺した騎士達の程度を見て、エンリ姉妹らを助けるとすぐに過剰だとアイテムボックスへ仕舞っていた。

 陽光聖典との戦いで、クリスタルアイテムから至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリア)が出て来れば再装備していただろう。

 エンリが少し遅れながら気を利かす。

 

「あの、みなさん、飲み物など如何でしょうか? それともお食事でも召し上がりますか?」

 

 だがそれは、アインズにとって最も問題になる事項である。

 

「エンリにネムよ、先に言っておこう。我々は基本的に食事を取らない。そして睡眠もだ。これらについても、村人達を変に刺激しない為、伏せておくことと不都合のないようにする場合は協力してもらうぞ」

「分かりました」

「わかりましたぁ」

 

 アインズは、エンリの家へ来たことが正解に思えた。

 ここには壁面もあり、村長の家へ居た時のように村長夫婦から頻繁にジロジロ見られる事も無く、気を遣わなくて済み楽である。

 

「エンリ達はまだなら、構わないから食事を取れ」

「は、はい。では向こうで取らせて頂きます、ネム」

「はーい」

 

 アインズはネムを下ろしてやる。二人は家事室の方へと移動していった。

 

「さて、ルベド達はこの場で待機。シズとソリュシャンも座って休んでいろ。私は一度ナザリックへ状況確認に帰る。二十分少しで直ぐに戻る予定だ。緊急の場合は〈伝言(メッセージ)〉を使え」

「畏まりました」

「……了解……です」

 

 ルベドが、一度目線をこちらへ向け僅かにコクリと頷いたのを見て、アインズは唱える。

 

「〈転移門(ゲート)〉」

 

 主はプレアデス達の恭しい礼に見送られ、エモット家から一時去っていった。

 彼女らは本当にアインズへ心酔しており、彼がこの場を去っても十秒近く心の籠った礼が続く。そしてその後、ソリュシャンは姉のシズへと椅子を引いてあげ、自分も腰かける。

 

「アインズ様は、こんなところで何をされるのかしら?」

「……きっと……ナザリック……有益。……私達……ただ……従う」

「そうですわね。それにしてもぉ先程、アインズ様から身を盾にして頂けるなんて、わたくし――」

 

 ソリュシャンは両手で身体を抱き締めるように、また思い出しうっとりとしている。

 シズも少し思い出し、頬を染めるも冷静に現実を追及していた。

 

「……でも……私達は盾……散る……存在。……ユリ姉……それ……知ると……激怒……」

 

 ソリュシャンも表情を変えてギョっとする。シズも無表情にプルプルと震え始める。盾として散るよりも恐怖を感じている様子だ。きっと、「プレアデスにあるまじき行動ですっ、散る盾が大事にされてどうしますかっ」と、プレアデス姉妹筆頭の細メガネを付ける純武装メイド衣装のユリ・アルファに二人並んで叱責されてしまうだろう。長姉は、信頼厚く優しいが厳しく、怖くもあるのだ。単純に強い弱いではない。姉は怖いものという魂の格付けとでも言おうか。

 

「そ、それでも、あの頂いた行為への歓喜の価値はそれ以上ありますわよね?」

 

 シズは、プルプルしつつも静かに頬を染めたまま、コクリと可愛く頷いていた。

 

 

 

 

 

 仮面を外したアインズは、マーレの作業を邪魔しないように、ナザリック地下大墳墓の正面出入り口付近から随分作業の進んだ周囲を満足げに少し眺めたあと、〈伝言(メッセージ)〉をセバスへと繋ぐ。

 

「セバス、すぐに玉座の間へ来れるか?」

『はい。現在第九階層におりますので、間もなく』

「うむ。では頼む」

『はっ』

 

 アインズが十階層へ〈転移〉し玉座の間へ入り主の席へ座ると、すぐに入口の巨大で重厚感のある扉を開け黒衣のスーツのセバス・チャンと、赤毛のツイン三つ編みおさげでシスター風衣装装備のルプスレギナ・ベータが現れる。彼女は柄先が円形の聖印を象ったハンマーとも言える尺が1・3メートル程も有る聖杖を武器に背負う。二人は扉を閉めると並び恭しく礼をする。セバスが玉座傍まで歩き、ルプスレギナは扉の傍で警備に付く。

 玉座傍へ来たセバスが再度礼をしつつ挨拶を述べる。

 

「お帰りなさいませ、モモンガ様」

「うむ」

「あの、他の者達は?」

「ああ、村へ残して来た。あと、そうだな……いずれ皆の前で改めて告げるつもりだが、かの地にて私は名を改めた」

「……左様ですか、では何とお呼びすれば?」

「これからは、ギルド名のアインズ・ウール・ゴウンを名乗る。その名を知らしめるためだ。しかし、少し長かろう。お前達は、アインズと呼べ」

「はい、畏まりました、アインズ様」

 

 セバスは、改めて恭しく絶対的支配者へと礼をする。

 

「急の出撃となったが、援軍の件、良くやってくれた」

「はっ」

「外へと出て、周りを見ると中々学ぶことが多かったぞ。そう言えば、マーレが連れてきた者達は、生かしてあるだろうな?」

「はい。仰せのとおり、恐怖公の部屋へ預けております」

「うむ」

 

 自分で申し付けたが、想像するだけで怖い。体中を這い回られる感覚を思うと、皮膚が無い身なれど少しゾワリとする。大抵の昆虫は問題ないが、どうもあの脂ぎった感だけはいただけない。

 

「ナザリック内は特に変わりはないか?」

「はい、コキュートス様以下、私と我が配下プレアデスにて対応は万全であります」

「そうか。では、アルベド達からは何か来ているか?」

「はい。守護者様方からは順次進捗が届いております。こちらの方へ概要と全内容を纏めてございます」

 

 セバスから資料を受け取り目を通す。幾つかの貴族風の館に多くの小さい集落と、大都市と小都市、砦をいくつか確認しており人口他を詳細探査中とのこと。

 東西南北ともまだ数日は掛かるようだ。

 アインズがナザリックへ戻り、すでに十五分程経とうとしていた。

 資料をセバスへと戻す。

 

「セバスよ、私は最寄りの村であるカルネ村へ再び戻る。急ぎで何か有れば、そうだな(えーっと)……ルプスレギナを寄越してくれ」

 

 自分の名前が出ると、ルプスレギナは豊かな胸を揺らしてビクンと背筋を伸ばす。普段は飄々としている彼女だが、絶対者である至高の御方から直接名を呼ばれるのは緊張する。ここへ来てまだ、二回ぐらいしか名を呼ばれていないからだ。決して怖い訳では無い。人狼の自分はこの方の為に散るのだと思うと、熱い武者震い的感覚が起こってくるのだ。

 

「ルプスレギナよ、何か有れば頼むぞ」

「かっ、畏まりっしたっす……ぁ」

 

 ルプスレギナは、受け答えを盛大に噛んだ上、いつもの口調が出てしまった……。な、なんという失態。

 

「うむ」

 

 だが、どうだろう。偉大なる支配者は一つ彼女へ頷くと何事もなかったように、セバスへと顔を向け伝える。ルプスレギナには御方の骸骨であるその表情が、優しく微笑んでいたようにも見えた。

 

「こちらで何か有れば〈伝言(メッセージ)〉で連絡する」

「はい、お待ちしております」

「さて、"円卓(ラウンドテーブル)"へ移動する。村へ戻る前にスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンは置いていかねばな。過剰の装備であったわ」

「左様ですか。アインズ様の身に危険が少ない事は良うございました」

 

 セバスとルプスレギナが扉を開けアインズは玉座の間を出ると、フカフカの真っ赤な高級絨毯の敷かれた幅広い階段を上り、通路を幾つか移動した所にある『円卓』へ入る。もちろん、セバス達が続き、扉も開けてくれる。

 そうしてアインズは、『スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』をニッチの雰囲気に設けられている所定の飾り位置へ安置すると、再び仮面を取り出しつつ「ではな、二人とも。〈転移門(ゲート)〉」と唱えて門を抜け村へ戻って行く。

 セバスとルプスレギナは長き礼をし見送った。

 

「はぁぁ……緊張したっす……」

 

 ルプスレギナが額の汗を拭う。

 

「んん?」

「あ、いえ、アインズ様との会話で、噛んじまっ……噛んでしまいましたので、怒られるのではと」

 

 セバスは、アインズの去った方向を向きながら話す。

 

「我らの至高の御方は、とても寛大なお方です」

「は、はい、まさに」

「ですが、我々はそれに甘えてはいけません。あの方だけは、他の何を誰を犠牲にするとも、守らなければならないのです。それだけは忘れないように」

「はい、もちろんでありますっ! アインズ様の為に喜んで散る覚悟はもう出来ています」

 

 ルプスレギナ・ベータの忠誠心は、アインズの小さな心遣いにMAXをオーバーしようとしていた。

 

 

 

 

 

 ここは、カルネ村のエモット家の居間。

 現在、この部屋に居るのは、カルネ村へのアインズお付きの三名のみ。窓際のルベドは不可視化されたままの翼の羽根を繕いながら、窓に映る姉妹の様子に終始口元を緩めている。

 シズとソリュシャン、プレアデス姉妹の話題は、あの小動物へと移っていた。

 もちろんネムが、アインズへずっと抱っこされていたからである。

 

「あの小動物は、少しズルいですわね。やはり、美人は損をしてる気がしてきましたわ……私達も抱っこして頂けないものでしょうか?」

 

 プレアデスの中で、エントマ並みに小柄であるシズは、大いに期待する。

 

「……抱っこ……次……希望」

 

 しかし、次の瞬間――。

 

「んっ? 何を希望するのだ?」

 

 アインズが〈転移門(ゲート)〉で帰って来たところであった……。

 

「こ、これは失礼を――」

 

 事前に、直立にて待つ予定であったソリュシャンとシズは慌てて席を立ったが、何事も無かったようにアインズの前方横へ並び恭しく礼をする。

 

「お戻りをお待ちしておりました、アインズ様」

「……無事……お戻り……嬉し……です……アインズ様。……19分09秒……です」

「うむ。ん? (……そうか、シズの体内時計か。20分少しと言っていたからな。30分も40分も戻らなければ、何か有ると思うよな)こちらは特に変わらずのようだな?」

「はい、特には。あの姉妹達はまだ食事中のようです」

 

 アインズが目を向けた先、窓際のルベドは、翼の羽根の手入れをしていた。実に平和で暇そうな光景だ。彼女は帰って来たアインズへ目線を一瞥くれると、繕いを続ける。

 主は、再び上座の席へと座る。

 ソリュシャンとシズは警護として再び直立のままで居た。その体は強靭で数日立ち続けようと僅かにも揺れることはありえない。

 だが――アインズの次の一言で、二人はビクリと揺らされる。

 

「で、お前達、何か希望があるのか?」

 

 アインズとしては、我儘を言う者はいないので、単に珍しい要望だと思ったのだ。

 対する二人は、心酔する絶対的支配者からのお言葉である。プレアデスの姉妹は、ウソを言う訳にはいかない。お叱りを受けようともだ。言葉足らずのシズは、目線でソリュシャンへ任せると伝えた。

 ソリュシャンは覚悟を決めて話し出す。

 

「アインズ様、そ、その……」

「うん? 言ってみるがいい。難しくなければ検討してやろう」

「は、はい。実は……先程小動物を抱っこされておられましたが」

「ああ、ネムだな。うん、それで?」

「小動物ではなく、私と……シズも……と……ダメでしょうか?」

「んん?」

 

 アインズは、何を言われたのか、当初良く分からなかった。聞いた話を頭の中で纏める。

 

(ネムの抱っこについて……小動物ではなく、ソリュシャンとシズも、と、って……ええっ?)

 

 並んで立つ二人を改めて見ると、顔を真っ赤にして申し訳なさそうに目線を落とし、僅かにモジモジしていた。

 

「オッホン……つまり、お前達は私に……抱っこして欲しいのか?」

「お、畏れ多い事ですが……正直に申し上げますと、そうでございます。 た、大変、分を弁えない希望で申し訳ございませんっ」

 

 二人の詫びるお辞儀が90度まで下がっていた……。

 しかしまあ、尋ねたのはアインズの方である。彼女らに非は無いだろう。無理難題という事柄でもない。いや、男としては美少女二人に乞われて、どう考えてもご褒美というべき内容である。

 だが、支配者としての立ち居振る舞いとしては、容易に実行すべきかを考えなければならない。ただ抱っこだけを与えてはまずい。つまり、何か理由が有れば良いだろう。

 アインズはゆっくりと席を立つとこう告げた。

 

「うむ。そうだな、お前達は私がナザリックへ戻っていた20分間、この場をしっかりと良く守ったな――ならば褒美をやろう。我が前へと並ぶがよい」

 

 シズとソリュシャンは頭を上げると、嬉々とした声で礼を述べる。

 

「あ、ありがとうございます、アインズ様」

「……大変……感謝……です……アインズ様」

 

 そして言い付け通りに、シズ、ソリュシャンと並ぶ。アインズは一人ずつ順番にお姫様抱っこをしてあげた。二人とも頬を染めつつも緊張してガチガチであったが。

 さて、シズ、ソリュシャンと抱っこをしたが、不思議な事にそれで終わらなかった。

 

 ナゼか三人目が並んでいた――もちろんルベドだ。

 

 いや確かに20分間、この場をしっかり守ったのは、この『三名』である。間違いではない。だが、確認だけはしておこう。

 

「ルベドよ……抱っこで良いのだな?」

 

 彼女は――目を合わさず、顔を少し横へ向けつつも、コクリと頷いた。

 ルベドとしては内心、姉妹を大事にするアインズに非常に親近感が湧いてきており、ナデナデして褒めてもくれる。今朝以前とは感情が大きく異なってきていた……。

 また、抱っこによってシズとソリュシャンは、幸せそうに並ぶ表情から姉妹の絆も深めた形に見える。その神髄を今、学ぶべきだと考えた。

 アインズは、じゃあという事で彼女の背中へと手を回すと、不可視化中の天使の羽に少し触れた。初めて触れたが……何と言う気持ちのいいモフモフした手触りだろうか。癖になりそうな感触。

 彼女はよく翼の手入れをしているがその賜物だろう。

 シズとそれほど変わらない、少し大きいぐらいで小柄のルベドを持ち上げる。彼女は特に緊張していない。

 

(やはり表情は姉アルベドの面影があるなぁ)

 

 成熟したアルベドの、まだ背が低く少し若いころという感じか。瞳は清らかで鮮やかに映えるブルーアイをしている。

 そしてソリュシャンの時にも思ったが……胸が大きいとその分、白き鎧の胸当てが押し上げられており物理的に彼の顔と近くなる……。

 アインズは、自然と目が行きそうになるのを紛らすように尋ねる。

 

「どうだ、ルベド?」

「……悪くない。何か……温かいな」

 

 そう言って、アインズの大きい肩へ頬を軽く付けると、僅かにスリスリしてきた。

 

「そうか」

 

 その時――家事室の扉が静かに開いていった。

 ネムの背を押すように立つエンリは、目の前のアインズがルベドをお姫様抱っこする光景へ僅かに声を漏らす。

 

「あ……ぃ」

「ぅぇ……おぉ(しまった)」

 

 アインズは。よく考えれば人の家の中で何をやっているんだろうと気付く。

 だが、エンリの盛大に頭へ広がった勘違いはもう止まらない。

 

「申し訳ありませんっ。し、失礼を! もう夜ですし……美しく若い女性方が居られる訳ですし……そ、それをお求めになられるのは当然で……あの、そのぉ……」

 

 その先の行為を想像したのか、顔を真っ赤にして、ドギマギの態度を見せていた。ネムは「アインズ様も、お父さんとお母さんみたいに仲良く一緒に寝るの? 寝るの? ネムも一緒はダメ?」と無邪気に勘違し姉の袖を引っ張り尋ねている。

 アインズは思わず口走る。

 

「こ、これは――儀式と言うか確認だ」

 

 「何の?」と自分でツッコミたくなる内容の言葉だ。そのままこれは『彼女らへの褒美』と言ってもよかったが、下等生物の前で、プレアデス達も「小動物が羨ましくて抱っこを要求した」では余りに格好が付かないだろう。

 アインズは必死に考え……一つの答えを閃いた。

 

「私はアンデットだ。宿命的なもので神聖系にはどうしても弱い所がある。だから、この天使であるルベドに対して影響を受けないかを、こうして確かめていたのだ」

 

 エンリ達はルベドの天使でいた姿も見ているため、辻褄は合うはずだ。

 非常に苦しい言い訳である……だがこれで押し通すしかない。

 

「そうだな、ソリュシャン?」

「はい、アインズ様」

 

 急に振られたソリュシャンだが即答し、メンツの為に語気が厳しくなる。

 

「娘よ。支配者たるアインズ様の意味ある行いに対して、あなたの低俗な考えを勝手に口から出すなんて、次は許しませんわよ」

「は、はい、申し訳ありません」

 

 エンリは頭をグッと下げて許しを請う。ネムの顔が不安そうに曇った。

 

「オッホン……ソリュシャンよ、もういいだろう」

「はい」

「エンリも気にするな。私は気にしていない。ネム、もう誰も怒っていないぞ」

 

 ルベドを下ろしながらエンリへ助け船を出してやる。彼女はタイミングが悪かっただけなのだ。それとアインズには、エンリへとこれから聞きたい重要なことが有った。

 ネムへ向かってアインズが両手をおいでと広げる。するとネムは少し迷うも、アインズの所へタタタとやって来た。それを優しく抱き上げながら姉へ声を掛ける。

 

「エンリよ」

「は、はい」

 

 エンリは笑顔を浮かべようとするが、まだ強張った表情を残していた。

 叱責の緊張が抜けないのはしょうがないだろう。アインズはそのまま『確認事項』を尋ねる。

 

「この村を――治める領主は誰だ?」

 

 それはナザリックへと繋がる質問でもあった……。

 

 

 




ルプスレギナも、種族的にきっとナデナデには弱いはず……。


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STAGE10. カルネ村の夜明け(2)

 アインズは、カルネ村で降伏させたスレイン法国の騎士らより「周辺の村々を襲えば」と聞いた当初から疑問に思っていた。領主の兵達は助けに来ないのだろうかと。加えて、なぜ王城の王国戦士騎馬隊が来ているのかと。

 先程ナザリックへ戻った際、階層守護者からのナザリックの周辺、東西南北について中間的な調査報告へ目を通すと、貴族風の館もいくつか確認されていたが――このカルネ村周辺にそれは見当たらないのだ。

 これでエンリへの確認事項の回答はほぼ予測出来ていた。

 アインズの、カルネ村周辺の領主が誰なのかを問う質問にエンリは答える。

 

「ここは、王家直轄領です――一応ですが」

「一応?」

 

 アインズはエンリへ尋ねつつ、ネムを抱っこしたまま上座の席へと静かに腰かける。

 

「はい……この村周辺は“辺境”の地ですから」

「んっ、辺境だと? この辺りは、まだ帝国と少し距離があると思うが?」

 

 ナザリック地下大墳墓は此処よりも10キロほど北東の平原にある。そのさらに20キロ程東が帝国領だろう。しかし、エンリは帝国とは方向の違う理由を述べた。

 

「ここは北方へ広大に広がるトブの大森林から近いのです。あの森林地帯と以北の巨大山脈は人間種達を凌ぐ亜人達の領域なのです。このカルネ村はその隣接地でもあり辺境となります」

 

 この世界の王侯貴族らの領地には主なランク付けがあるという。

 商業特上地、農作特上地、商業上地、農作上地、商業中地、農作中地、商業下地、農作下地。

 上中下は、主に生産量を基準に付けられるが、加えて周辺の水源などの立地、災害や戦争等への危険度も考慮される。貴族達は当然多くが安全で豊かな地域を望むことになる。そして、治めるに割の合わない地域の多くが下地となる。この国において農作下地の三分の一は貴族から見捨てられている土地とも言える。

 誰も治めない余った下地も名義上は王家直轄領となる。だが名称は『辺境領』『直轄下領』と呼ばれ区別されていた。

 ガゼフが武装を制限されたのも、正にこれが理由であった。

 貴族達から反対されたのだ。「そんな端の土地の者を守るために精兵は出せない」と。それでも出陣するなら、王家に伝わる五宝物は使用不可であると。

 もちろんこんな辺境に侵攻した事を、態々王城へ伝えたのも陽光聖典以下による自作自演的工作であったのだが。

 

「そうか……なるほど。では、これより東の平原の地も農作下地として王家直轄領なのか?」

 

 アインズは、自然の流れで尋ねる。つまり、ナザリック地下大墳墓はリ・エスティーゼ王国の王家直轄地内に存在しているのではとの確認だ。

 するとエンリは、小さく首を振りつつ答える。

 

「――いえ、あの広い平原は下地以下……無生産地です。耕作地としても放棄され随分使われていないと思います。帝国との長きに渡る小競り合いで、誰も住まなくなりました。今では殆ど放置され帝国への緩衝地帯となっています。それに森林側へ近付く北部では、時折恐ろしいモンスターも出ますので」

 

 道理でナザリック周辺には誰も住んで居ないわけである。だが――もはや実質、空白地と言える状況だろう。

 ここで、アインズは疑問が思い浮かぶ。

 

「エンリ、この村はモンスターら亜種族達のすむ森へ近い辺境だという割に、住民達に戦いの備えが全く無かったのは何故だ?」

 

 騎士達に襲われた時、武器らしいものを持つ村人が居なかったのは不自然に思えたのだ。

 

「それはこの村周辺の森が“森の賢王”と呼ばれる伝説の魔獣の縄張りに入っているからです。“森の賢王”の存在が、もう百年以上もずっと北の森のモンスターからこの村を遠ざけてくれています」

「ふむ、“森の賢王”か。その名は村長も言っていたが……どんな賢者か会ってみたいものだな」

 

 他の者がそんな事を言えば、なんと恐ろしい愚かな事を考えるのかと思うが、目の前の者は形はどうあれ神かも知れない存在なのだ。エンリは、アインズの考えを素直に受け入れていた。

 

「その姿は伝わっているのか?」

「はい、小部屋程も大きさがあり非常に立派な魔獣の姿をしていると、そして鱗に覆われた長い蛇のような尾を持つとの事です。隣の亡くなったお爺さんが、若いころに見たことがあると自慢していましたので」

「ほぉう」

 

 アウラが職業のビーストテイマー等により、高レベルモンスターの使役や強化・弱体化を得意としている。『森の賢王』を支配下に置くのは難しくないだろう。

 

「森には他にもそういった魔獣がいるのか?」

「それは……すみません、良く分かりません。村の人達も稀に狩りや、私も本当に近場の森へ薬草を取りに入るぐらいで、それ以外の、森の奥の事は詳しくないので。ただ、他にもそういったモノが居るという話は昔から伝わっています」

「そうか。ふむ、色々参考になった。礼を言うぞ、エンリよ」

「は、はいっ。お役に立てて良かったです」

 

 ふとアインズが気付くと、ネムは彼の胸に丸まるようにして寝息を立てていた。いつもよりも寝る時間がかなり早く、エンリも油断していた。姉は、妹の様子に困った表情をして声を掛ける。

 

「あぁ、ネム……、すみません。こらネムっ」

 

 ネムが疲れているのは無理もないが、エンリとしては恩人を前に醜態を晒せない。

 だが、アインズは右手で姉を制してそれを止めさせる。

 

「エンリよ、ネムはもうベッドで寝かせてやれ。あと、今日ぐらいはお前ももう休め」

「……はい……では、ネムを寝かせてきます」

 

 今日、エモット姉妹の両親は亡くなったのだ。目の前のエンリも二人分の墓を掘り、精神的にも肉体的にも疲弊しているはずである。

 アインズからよく眠る妹を受け取ると、彼女は居間の奥の部屋へと入っていく。

 アインズ自身に感慨は少なくなっているが、自分の両親を見送るのはどういう気分になるのだろうか。

 

「……ふっ、もう人ではない私には関係のないことか」

 

 そんな事を呟いていると、奥の扉からネムを寝かせたエンリが出て来る。彼女へはもう休んでいいと言ったのだが、その表情から何か用があるのだと窺えた。

 彼女は、世間体を度外視して、アインズをすでに家へまで招いているのだ。涙を浮かべていた昼間の件と関係が無いとは思えない。アインズは一旦時間を置けばと思ったが、あれは瞬間的に終わる気持ちでは無かったという事だろう。

 エンリは自分の立場を踏まえて、プレアデスらよりも遠い位置からその場へ両膝を突き、絶対者へと声を掛ける。

 

「あ、あのアインズ様、再度お願いします」

「なにか?」

「村をお出になる際に――私もお連れ頂けないでしょうか? 私の、全てを差し上げますっ。私は妹や皆を救って頂いた、偉大なアインズ様の傍でお役に立ちたいんですっ。どうか、是非ともお願いします」

 

 彼女の想いの言葉を聞き、アインズの傍で直立するシズとソリュシャンからの視線が痛い。下等生物が何をと、凄い目力で見つめてくる。普段、人間種に余り関心が無い、アインズ大事のメカ少女シズの眼帯内から〈重光線砲(ハイパー・レーザーカノン)〉も飛び出しそうだ。だが、エンリの決意にはあの時死んだ命だという、死兵的思考の雰囲気が漂っており、精神的に大きく臆することは無い。

 アインズは静かに語り始め、最後に尋ねる。

 

「……勘違いをしているようだから言っておこう。私は目的に対し冷徹であるぞ? この村を救ったのは偶々に過ぎない。お前やお前の妹が助かった事もな。明日、隣の村が襲われても私は助けないだろう。いや、場合によっては私が襲うかもしれないぞ。それでもか?」

 

 騎士達を無造作に殺した手際など、アインズが述べることは事実だろう。しかし、それを聞いてもエンリは――動じない。彼女は元々サバサバして割り切っている性格であったのだ。

 

「はい。それでも構いません。これまで親身になってくれたのは、世界でこの村のみんなぐらいですから。妹とみんなが無事であれば、私の気持ちは僅かも揺らぎません」

 

 この娘……凄まじい考えである。いや、我々ナザリックの者達と同じなのかもしれない。それにこの新世界の人間種の彼女が協力者というのは、今後もメリットが出てくるだろう。

 

「……よかろう。そこまでの考えと、すでに私へ貢献している事を評価しよう」

「あ、ありがとうございます、アインズ様っ」

 

 エンリは、右手の拳を左掌で包み、正に神へ祈る形で喜びの表情の中、頭を垂れた。

 だが、プレアデスの二人は異議の声を上げる。

 

「……お待ち……です……アインズ様」

「お待ちください、アインズ様! このような下等生物をお連れにとは、なぜです? 小動物なら可愛げもありますが……ま、まさか。コホン……この薄汚れた者ではなく、言っていただければいつでもこのソリュシャンが閨へ――」

「……シズ……お呼び……閨……参る……です――」

 

 シズとソリュシャンは頬を真っ赤にするも、下等生物など主の傍へ必要無いとの考えを訴える為にアインズをしっかりと見詰め、目を逸らすことは無い。

 エンリも、自分の役目はやはりそうなのかと、その内容に頬を染めドキドキである。

 しかしアインズは、乙女らへある意味『期待外れ』の言葉を述べる。

 

「オッホン……何の話だ。シズとソリュシャンには不満もあろうが、エンリの事はナザリックの今後も色々考えての事である。私の考えを、分かってはくれないか?」

「……っ、大局を見られてのお考えでしたら、否はございません。畏まりました」

「……了解……です」

 

 絶対的支配者よりナザリックの為と言われては、プレアデスの姉妹は引かざるを得ない。だが、自分達だけでは不足しているところがあるという考えへも繋がる結果に、少しの寂しさと不満がある表情が残った。

 

「ふむ、皆が納得するにはもう少し手柄が必要か。では、エンリには、我が配下ながらこの村の住人の立ち位置でやってもらいたい事がある。それがうまく行けば文句を言う者は、私が説得しよう。どうだ、エンリ?」

「は、はい、頑張ります、アインズ様っ。それで私は何をすればっ?」

「まあ、慌てるな。それは、王国戦士騎馬隊がこの村を去ってから話をしよう。――彼らに邪魔されては困るしな。なので数日はゆっくり出来よう。お前も色々気持ちの整理をするがいい」

「!――ありがとうございます」

 

 立場の随分低いはずの自分への、アインズの気遣いがエンリには嬉しい。

 そして『主』が、プレアデス達らを前に、エンリへ『配下』と言ってくれている。この先、命じられる内容に不安が無い訳では無い。「隣の村を襲え」かもしれないのだ。

 しかし――彼女はそういった命令でも出来る事はやるつもりだ。

 すでに、アインズの傍で恩を返して働けるとの気持ちが勝り、エンリの表情へ笑顔を運んでいた。

 

「エンリよ、まず我が配下へ挨拶せよ」

「は、はいっ」

 

 エンリは促されるまま、慌てて立ち上がると身を正す。

 

「……改めまして皆さま、エンリ・エモットです。16歳です。若輩、新参者ですがよろしくお願いしますっ」

 

 緊張の表情で名乗り、頭を下げた。

 彼女が頭を上げたタイミングで、アインズが自ら美しい配下達を紹介してやる。そうしなければ、この新世界で初めての平凡な人間種の協力者の事など、配下の誰一人見向きもしないだろうと。流石にアインズ自らの紹介となれば、正面を向かないと絶対的支配者へ失礼になる。プレアデス達はエンリへと先程から顔を向けていた。

 

「窓際に居るのが最上級天使のルベド、こっちが自動人形(オートマトン)のシズ・デルタに不定形の粘液(ショゴス)のソリュシャン・イプシロンだ、いずれも私へ意見出来る者達だ、見知りおけ」

「は、はい」

 

 プレアデス達はメイドでもあるが、ナザリックにいる他の41名の人造人間(ホムンクルス)であるメイド達とは格が違う。ただのメイド達がアインズへ意見などすれば、上司のメイド長であるペストーニャ・S・ワンコにより罰を受けてしまうだろう。

 とりあえず、全員人間種ではない――こんなにも美しいのに……。

 エンリは呆然と、外の世界の広さを少し知る。

 

「さて、エンリもそろそろ休むといい……ん?」

 

 奥の部屋の扉が開いて、白い肌着姿のネムが目を擦りながらトタトタと歩いて来た。

 

「お姉ちゃんいた……アインズ様達も」

 

 ネムはエンリの手を握る。熟睡していた子供がそう簡単に起きる訳が無い。恐らく、悪夢を見たのだろう。

 

「お姉ちゃん……どこにも行かないでね……」

「ネムっ……」

 

 妹の言葉にエンリは、その期待する言葉を答えることが出来ない。もうアインズへ付いて行くと決めたのだ。

 しかし、ここで幸せな事が起こる。

 

「ネム、安心するといい。お前の姉は何処にも行かないぞ、姉妹はいつも一緒だ」

 

 エンリは慌ててアインズを見る。主は頷いた。頷くしかなかった……。

 

 ――ルベドの視線が鋭くなっていたのだ。

 

 平和の為にもこう言っておかなければならない。たかが小動物一匹である。

 アインズの言葉の後に「ふふっ」という声が、ルベドの緩んだ口許から漏れ聞こえていた。その声にアインズは内心ホッとする。それに、アインズへのルベドの親近感は更に上がっている様子だ。もはや『同志』の水準。悪い事ばかりでは無い。

 

「ありがとうございます、アインズ様。姉妹でずっと付いて参りますので」

「お姉ちゃんっ。アインズ様も大好き!」

 

 しっかりと抱き合うエモット姉妹。

 

 人間種も――仲の良い姉妹達だけは助かるかもしれない……。

 アインズはそんな気がした。

 

 

 

 

 

 カルネ村に日が昇る。天気は快晴。静かな、そして眩しい新しい朝が始まる。

 しかし、空色の三角帽を被るチェックの寝間着姿で骸骨顔のアインズはナゼか、女と共に朝を迎えていた……。

 

「むにゃむにゃ、すごいすごい、あいんずさまぁ」

 

 アインズの傍では――肌着姿のネムが寝言を言っている。

 その隣には、一部三つ編みであった髪を解き、胸元へ水色リボンの付いた白いワンピース風の寝間着姿をしたエンリまでが、静かにスヤスヤと穏やかに眠っていた。

 アインズの近くには、シズとソリュシャンも椅子に座った形で寡黙に控えている。

 ルベドは当然、窓際の丸太の厚みの部分に腰かけ膝を抱えつつ、二組の姉妹を横目でチラチラと見ていた。

 ここはエモット家で一番広い二階にある部屋。つまりアインズが泊まる予定の部屋である。しかし今、エモット家にいる全員が集まっていた。元両親のベッドは二つをくっ付けても使えるタイプであった。そこに支配者とエモット姉妹の三人が横たわっている。正確にはアインズは既に起き上がっているが。

 発端はもちろんネムだ。昨晩、アインズへ大好きと言った直後である。

 

「アインズさま、今晩おそばで寝てもいいですか? あとお姉ちゃんもっ」

 

 その時、ルベドのブルーアイの瞳が燦然と輝いた――『姉妹の寝姿』への渇望にっ!

 

 プレアデス姉妹達では、寝姿を見ることが出来ないのだ。

 ルベドは、いつの間にか立て掛けてあった聖剣まで、右手に握りしめていた……。

 シズ達もその底の知れない圧倒する力量差に、抗議の声が出ない。

 これはアカン。

 うん。たかが小動物と下等生物が傍で寝るだけである。アインズは慌てて即決する。

 

「も、もちろんだ、ネム。さあ部屋へ行って、エンリも一緒に寝るぞっ」

「は、はいっ……」

「わーい、アインズさまと一緒だぁ」

 

 無邪気に二階のアインズの寝室へと駆け上がるネムに、頬を染めて着替えてきますと一度自室へ向かうエンリ。アインズも仮面を外し、上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)で三角帽付きの空色チェックの寝間着に着替え、トボトボと寝室へと移動していく。

 こうして、またしてもアインズの英断により、ナザリックの平和は守られた――。

 一方シズ達も、下等生物が盛ることのないようにと見張りの意味で同室を希望。

 もちろん他、『姉妹の寝姿』閲覧希望者が一名。

 結果、こうして朝を迎えた。

 

 アインズの記憶では、母親や親類以外の女性と同じ寝床に居るのは初めてだと記憶している。もちろんアインズは眠っていない。不眠の体質であるため寝ることは出来ないのだ。

 

(はぁ、なんだかなぁ……)

 

 穏やかに眠るエモット姉妹を眺める。

 女の子が傍に寝ていると、良い香りがすることを知ることは出来たが、何か切ない。父親のような気分だろうか?

 眠るネムの頭を軽く撫でてやる。すると握るアインズの寝間着へ頬をゆっくりとスリスリしてきた。

 姉妹を静かに寝かせてやろうという、アインズの一言でシズとソリュシャンは会話をせず静かに椅子へ座っている。

 昨晩、ネムはアインズの近くへ横になると彼の寝間着の袖をそっと握りつつ、横にエンリが来るとすぐに寝入ってしまった。そして、安心したのか途中で起きることはなく、ずっと穏やかでたまにニコリとしながらの睡眠であった。一方姉のエンリは一階の部屋で急ぎ、髪を解いてワンピースの白地の勝負寝間着に着替えた。若干薄地で捲り上げ易い優れものだ。

 しかし暗闇の中、常に見張りの赤い点が三つ並ぶ形で射抜くほどの雰囲気にてエンリの動きを捉えており、昨晩は主様の御手が若い身体へ伸びてくることも無く……少し残念かなと彼女は思った。

 すでにアインズへは全てを受け入れているので緊張もなく、逆に傍へ居る安心感のため、彼女も間もなく安眠へと落ちていった。

 そして今、眩しい日差しに窓からも明るい光が入ってくる。すっかり朝の様子に薄らとエンリの目が開く。横に寝息を立てる可愛い妹ネムの姿。それ越しに起き上がっている人物……骸骨な顔。

 

「ん……はっ。お、おはようございますっ、アインズ様!」

 

 元々寝起きの良い健康的なエンリは、すでに起き上がって二人を静かに眺めていたアインズへと向かって自分も急ぎ起き上がり、ペタンと足先を腿の外へ曲げてベッドに座る形で手を付き頭を下げた。

 彼女にとってアインズは、もはや床までも共にし、『主』であり(つが)いとしての『旦那様』とも言える存在である。

 とは言え、寝姿や寝顔をバッチリと見られてしまい、恥ずかしさと嬉しさに頬が赤くなってしまっていた。

 

「おはよう、エンリ。よく眠れたか?」

「は、はい、おかげさまでぐっすりと眠ることが出来ました、ありがとうございます」

 

 周りを見ると、全員揃っている。上位の者への挨拶も忘れてはいけない。立場と言うものがあるのだ。

 

「ルベド様、シズ様、ソリュシャン様、おはようございます」

 

 勿論、エンリは返事を期待している訳では無かった。しかし、すでにエンリ達はアインズが認め配下とした者。

 

「……おはよう」

「……ん……良い朝」

「おはようですわ」

 

 人間種ではあるが支配者の認めた個体、エンリ・エモットと認識され返事が返ってくるようになっていた。

 ソリュシャン以外は元々属性は善なのだ。

 エンリは、とても嬉しくニッコリと元気な笑顔になった。

 だが、ソリュシャンはシズの気持ちも加えて指摘する。

 

「エンリ、早くお着替えなさい。いつまでも、その……アインズ様を独占なさらないで」

 

 エンリとしても分は弁えている。

 

「はっ、はい。申し訳ありません。直ちに着替えて階下を綺麗にしておきますね。ではアインズ様」

「うむ。ネムはもう少し寝かせてやれ」

「はい、すみません」

 

 そう言うとエンリは一階へと降りていった。

 するとシズが、魔銃を椅子の脇へ置くとネムの傍へとやって来た。

 アインズが認めナザリックの一個体となったネムは、シズにとって『可愛いもの』と認識された。気が付けば、シズは眠るネムを大事に抱えて椅子に座っていた……。

 その様子にソリュシャンは思わず呟く。

 

「やっぱり美人は、少し損なのかもしれませんわね……」

 

 早朝はそんな感じで過ぎ、着替えを終えたエンリは慌ただしく居間を掃除した後、いつも通りにまず畑の様子を確認する。次に水を井戸まで汲みに行き、自分達の食事を用意し、アインズ達が降りて来ると、寝室の掃除も一気に行う。

 アインズとシズ達は、村が朝食を終えて一段落(いちだんらく)した時間を見計らい、エンリらを残し広場へと足を運ぶ。用件は二つあった。王国戦士騎馬隊の去る時期の確認と、昨日の王城への勧誘の答えだ。

 

 広場に入ると、王国戦士長のガゼフはすでに出て来ており、隊員達へ色々指示を出していた。隊員は全員が動き出せるほど体力や怪我は回復している模様。

 だが、彼等にとって大きい問題があった。それは――軍馬である。

 陽光聖典との戦いで、一旦、全員が馬を失っていたのだ。あの戦いで少なくない馬が死んでいた。だが、全てでは無い。生き残っている馬達をまず見つけることにした。

 すでに4頭ほどは連れて来られている。

 

「おはようございます、戦士長殿。……馬の確保ですか?」

「これはゴウン殿、おはようございます。ええ、部下の話だと10頭以上は生き残っているはずなので」

「なるほど。では出立には結構掛かりますか?」

「いや、王城へは私以下8名程で先に報告の為、遅くとも明日の昼にはこの村を出ることに。他の部下達はここで荷馬車を譲ってもらったので、エ・ランテルまで出て、そこで駐留軍から馬を調達する予定で」

「そうですか、では例の御返事は今日の夕方にさせて頂きます」

「承知した。良い返事をお待ちしている、では」

 

 その後もガゼフは、部下へ――「おい、その荷物は向こうだぞ」と、忙しそうに指示を出していた。最初に村を襲った騎士の鎧も一式だけ、検分の為に持ち帰る。ガゼフも分かっている。剥いだ鎧は売り払われ、被害を受けた村の貴重な財源になることを。なので、最小に抑えてくれていた。ガメツイ者だと全て持ち去る事だろう。

 アインズはデス・ナイトの変わらない様子を確認すると、エンリの家へと引き返そうとして思い出す。エンリはネムを連れて畑の手入れに行くと言い、家は自由に出入りして使ってくださいと言い残していた。エンリにとってアインズは『主』であり、もう『旦那様』と考えている。アインズはそこまで気付いていなかったが。

 とりあえず彼は、一度聞いていたエモット家の畑をルベド達を連れて見に行く事にする。

 アインズ一行は村の外へ、広がる畑へとやって来る。

 遠くから見ると結構広い。昨日までは彼女らの両親がいたが、今日からは姉妹しかいないのだ。一応、村でも相互で助け合っていると聞いたが……。

 

(実験には良いか……デス・ナイトよ、来い)

 

 アインズは、最寄りのデスナイトを呼びつけた。

 すると、一体のデス・ナイトが間もなく風のように現れアインズの傍まで来て止まる。その状況になってエンリは、アインズ達の存在に気付き表情を変え、妹も連れやって来た。

 

「あっ、アインズ様、何かありましたかっ?」

「いや、ちょっと寄っただけだ。随分広い畑だと思ってな」

「あ……はいっ、父と母はとても働き者でしたから」

 

 自分の両親を誇りにした笑顔を、彼女はアインズへと向ける。

 

「ふむ、そうか。では手が必要であろう。デス・ナイトよ、このエンリを手伝ってやれ。以後、エンリの命令を実行せよ」

「オォォ……」

 

 デス・ナイトは返事と思しき声を上げるとエンリへと向く。しかし、2・3メートルの巨体の両手には左手に巨大なタワーシールド、右手に1・3メートルもある巨剣のフランベルジェを持っている。畑との対比が異様にシュールであった。

 

「あの……」

 

 エンリが少し困った様子だが、ネムが指を差し叫ぶ。

 

「ルイスくんっ、剣と盾はあそこの土手に置いてきてっ」

 

 その声にデス・ナイトは――首を傾げた。しかし、エンリが言葉を続ける。

 

「お願いできますか?」

 

 するとデス・ナイトは、その土手まで行くとタワーシールドとフランベルジェを置いて戻って来た。

 

「大丈夫そうだな。ではエンリよ、デス・ナイトを上手く使え」

「あ、ありがとうございますっ」

 

 エンリは、破顔するほど幸せそうに嬉しい笑顔を浮かべていた。両親は早くに去ってしまったが、神のような方ながら優しい『旦那様』が家へ来てくれたと。

 その表情を見てネムもとても嬉しそうに微笑む。姉の表情は家族だけへ見せる最高の笑顔であったから。

 

(お姉ちゃん、凄く幸せそう)

 

「私は少し用がある、家を使わせてもらうぞ」

「はい、どうぞご自由にお使いくださいっ(そこはもう『旦那様』のお家なんですから)」

「うむ、ではな」

 

 アインズ達を見送ると、エンリはデス・ナイトへと力仕事を頼む。埋まった1トンはあろう巨石や、巨木の切り株撤去など、これまで両親も手が付けられなかった重労働を一瞬で終わらせてくれた。

 信じられない即戦力であった。

 

 畑から戻り、アインズ一行はエモット家へと入る。

 すでに、村長や出入りする姿を見た者らからエモットの家は、アインズ様の仮りの館だと知られている様子で、村人達は入って行く姿にも礼をして見送ってくれる。

 当然、エンリは彼の『お気に入り』になっての事だろうと言う尾ひれも付いてだ。

 しかし、村を救った代償は何かあるはずだと人々は思い、それを務めるエンリには精一杯良くしてあげないとと、村人達は彼女へ協力的に考えるようになっていた。

 アインズはエモット家の居間に入ると、ルベド達へ告げる。

 

「また私はナザリックへと戻る。今度は二時間ほどだ、留守を頼んだぞ」

「畏まりました、アインズ様」

「……了解……です……アインズ様」

「分かった、アインズ様」

 

 ん? とアインズは思った。ルベドが即答したのだ。今回は偶々か。

 

「……ではな、〈転移門(ゲート)〉」

 

 だが、プレアデスの二人が礼で見送る中、ルベドが共に並び立って見送ってくれているのは事実であった。

 ……これも進化と言えるのだろうか。

 

 

 




エンリハッピーエンド……いやいやまだまだこれからですよ(笑
早くも近衛兵付く? その名はルイス(Luis 名高い戦士)……。


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STAGE11. カルネ村の夜明け(3)

 カルネ村から再び一時、ナザリックへと戻ったアインズは、『玉座の間』でセバス・チャンとそれに従うプレアデス姉妹の一人、ナーベラル・ガンマにより迎えられる。

 ナーベラルは、種族が二重の影(ドッペルゲンガー)であるがレベルを1に抑え、他を職業レベルへ回している生粋の魔法職である。ポニーテールの黒髪を揺らし、その容姿は美人揃いといえるプレアデスの中でも一番かもしれない美しさだ。アインズへは、これまでも何度か清楚なメイド姿で付き従ってくれていた。

 だが今は周辺の地理調査の件で、守護者統括及び階層守護者4名の他、その護衛にLv.80以上の屈強であるシモベ達10数体等、主力の多くがナザリックを離れているため、警備レベルが引き上げられており、彼女の姿は本来の戦闘メイドの装備だ。卵形のように膨らんだ白と黒の甲冑スカートが印象的で、槍のようにも使えそうな白き杖を持つ。この姿もこれはこれでとても美しい。

 彼女は直立にて扉付近で警備に付く。

 セバスが、アインズの手前まで進み一礼する。ちなみにセバスは種族が竜人である。今の人の姿は仮に過ぎない。ドラゴニックな力の持ち主なのだ。

 

「お帰りなさいませ、アインズ様」

「うむ。それにしても、マーレは随分頑張っているな。地上の造成はもうそれほど掛かるまい」

「はい、マーレ様は不休で頑張っておいでですので」

 

(マーレがそんなにご褒美(デート)を楽しみにしているとは……)

 

 これは、内容について真剣に考えてやらねばならないだろうと、アインズは思った。

 

「そうか……頑張り過ぎだな。MP(マジックポイント)が尽きてしまうぞ」

「確かに。特別な癒し(ヒーリング)を繰り返しお受けですが、膨大な消費に追い付きません」

「今更言っても止まるまい。後で陣中見舞いにペストーニャでも連れて行くか」

「それが宜しいかと」

「さて、アルベド達から、あれから何か進捗は来ているか?」

「二度ほど追加が来ております。差分の要点はこちらになります」

「うむ、助かる」

 

 セバスの仕事が素晴らしい。実務力が意外に高い。アルベドの統率力といい、デミウルゴスの知力といい、我がナザリックは安泰だなと思わせる。そんなTOPは凡人なんだけどと考えつつ、アインズはアウラの資料を再確認する。

 彼女の調査範囲には、北方にある森の探索が入っていた。

 それによると、森の南部には体長3メートル強程の変わった獣と、大型モンスターを数体確認。また森の奥には湖を発見しその沿岸部に、蜥蜴人(リザードマン)の住む地域もあるとのこと。ゴブリンの村落もいくつか確認しているが、いずれも脅威は存在せずと書かれていた。

 

「そうか……村人達の言う伝説の魔獣とは、それほどの強さではないのだな、ううむ」

 

 アインズは凡人なりに色々と考えていた。

 今はまず合流する為、ユグドラシルのプレイヤーを探す事である。ただ、取っ掛かりが無い。でも、これまでのこの新世界の脆弱な状況を考えると、ユグドラシルのプレイヤーは相当『強い』。

 ユグドラシルではLv.90になるのは容易である。対してこの新世界では王国戦士長が全力状態でLv.30台そこそこなのだ。ならば間違いなくプレイヤー達は有名になるはず。

 大都市にいると思う吟遊詩人(バード)達であれば、広く世界の風評を知っていると思える。また一方で、ユグドラシルのプレイヤー達が表へ出ずに潜伏している場合も十分考えられる。そうなると『アインズ・ウール・ゴウン』の名を広め知ってもらい、向こうから来てもらうしかない。

 今はまず、自分の名前を『アインズ・ウール・ゴウン』として広めようと考えた。だが、周辺の状況が詳しく分かってくると、より効率がいい手段がある事に気が付いた。

 

 

 それは――『アインズ・ウール・ゴウン』という名の国を作る事である。

 

 

 これならば、分かりやすいと思う。

 人口もそう多くなくていい。また、国民は人間種だけに絞らない。亜人種のプレイヤーもいる可能性も考える。そして国土も余った場所等で、それほど広くなくてもいい。『アインズ・ウール・ゴウン』という名の国が出来たということが、この新世界へ広まれば十分だ。

 

 そして、それでも反応がなければ――ナザリックの力で世界でも取ればいいかなと。

 

 この辺りの構想は頭に浮かんだが、詳細はアルベドやデミウルゴスら階層主達と詰めていきたいところである。

 なので今は、簡単な布石を打っておこうと考えている。

 

「良く纏めてくれた、セバスよ。次もよろしく頼む」

「はっ」

「ああ、恐怖公に預けた連中は発狂していないだろうな?」

「今のところはまだ大丈夫なようです。食事も一日一回与えております」

「そうか。とりあえず数日はこのままにしておけ。我々へ挑んだ事が、どれほど愚かな行為であったかを思い知らせる必要があるからな」

「承知いたしました、アインズ様」

 

 支配者は、玉座からゆっくり立ち上がると段を降りる。そのまま中央の絨毯を『玉座の間』の扉へと向かい始める。

 

「さてと、〈伝言(メッセージ)〉。ペストーニャ、どこにいる」

『こ、これはアインズ様、……わん。第九階層の客間を掃除中でございました。……わん』

「(わん付けが、無理やりだな……)私はこれから地上のマーレの所へ陣中見舞いに行く。あの子が魔力(MP)を使い過ぎているのでな。すまんが一緒に来て(ヒーリング)してやって欲しい。なので、今の仕事は(しば)し他の者に任せ、直ちに玉座の間の前まで来い」

『畏まりましたわん』

 

 〝アインズ〟という名前は、セバスからナザリック内へもうある程度伝わっている様子。

 セバスとナーベラルが既に玉座の間の扉を開いていた。

 『玉座の間』の外へと進み、ペストーニャとの〈伝言(メッセージ)〉を終えたタイミングで、セバスが勧めてくる。

 

「外へ出られるのなら、ナーベラルをお伴にお連れください」

「うむ。ナーベラルよ、近くへ」

「はっ」

 

 アインズが立ち止まった真っ赤な絨毯の少し前方に、一瞬で移動して来たナーベラルが片膝を突いて畏まる。

 彼女へ再び巡ってきた単独での護衛の機会。先ほどまで妹二人が、村で主を守っていたのだ。危険が少ないナザリック周辺ながら、何か有れば姉として先に盾として散ってみせなければと、彼女には気迫が漲っている。

 

「ナーベラル・ガンマ、御身の前に」

「うむ。ペストーニャが来るまでは楽にしていろ」

「はっ、では」

 

 ナーベラルは静かに立ち上がる。彼女は横顔にしろ姿にしろ凛々しく本当に美しい。彼女に言い寄られれば、どんな男もイチコロだろう。

 

「シズとソリュシャンは姉妹仲良くしているぞ」

「そうですか、シズは無口ですので口足らずかもしれませんが、よしなに」

 

 先程まで緊張していたのか、厳しい顔をしていたが、妹達の話になると嬉しそうに優しく微笑む顔になる。アインズは思わず見とれてしまった。ナーベラルとは会うたびに表情から鬼気迫る雰囲気を感じていたが、こんな顔も出来るのだと少し安心する。

 

「いや、シズは案外喋ってくれるぞ、可愛いところも多いしな」

「流石はアインズ様っ、そう思われますよねっ……あ、大変失礼しました」

 

 ナーベラルは思わずアインズの手を取ってしまっていた。

 徐々にナーベラルの頬が赤く染まっていく。

 

(ああっ、私としたことがとんだ失態を……しかも至高の主様の御手まで掴んでしまって……)

 

 だが、アインズは特に機嫌を損ねてはいない。いや逆だろう、ナーベラル程の美人に手を握られて嬉しくない訳がない。

 

「ナーベラルは、姉妹達の事が可愛いのだな。そういう動きであったぞ。私は気にしていない」

「は、はい、ありがとうございます……」

 

 何故かそのまま……アインズはペストーニャが来るまで3分間程、耳まで赤くしたナーベラルに手を握られていた。流石に彼女は視線を落としていたけれど。まあ別に良いのだが。

 ナーベラルとしては、ここで手を離しては気にしていないとお許しいただけたのに失礼になると考えていた。それに、機会的にも主と親睦を深める少ない好機である。これまで触れられての絡みが余りなく、この場は大事にしたい。

 セバスは家を守る家令として、ただ傍に立ち温かく静かに見守っている。

 

「お待たせしましたわん」

 

 『玉座の間』の手前にある、第九階層まで吹き抜けている高天井の広いこの通路空間へ声が響いたと思うと、ナザリックのメイド長であるペストーニャ・S・ワンコが階段を一気に素早く降りて近寄って来た。しかしメイドたる者、走ることは無い。――早歩きだ。

 体はメイド服で女性なのだが、頭だけがダックスフント系の犬頭。おまけに頭には正面から真っ二つにされたのを縫い付けた傷跡が付いている。彼女の種族はホムンクルスである。

 

「あらら?」

 

 ここで、メイド長からの視線が、二人の握られた手へと向かった。

 アインズは、ナーベラルともう手を繋いでいる理由を聞かれる前にと、正当性を伝えるべく先手を打つ。

 

「これより、指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)で出口まで〈転移〉する。我が手を掴め、ペストーニャ」

「分かりましたわん。で、では、お手へ失礼しますわん」

 

 アインズの指示に従い、ペストーニャは絶対的支配者の手を緊張のもと、静々と握る。顔は犬だが、身体は女性なので手は普通に柔らかい。肉球はなくとも。

 

「セバスよ、大儀であった。用があれば再び呼ぼう」

「はい、お待ちしております」

 

 セバスの礼を合図のように、二人を連れたアインズは地上へと〈転移〉した。

 アインズら3名は、ナザリックの正面出入口の外へ現れる。

 

「〈飛行(フライ)〉」

 

 アインズは手を引いた二人を引き上げつつ、午前中の日の差す清々しい上空へと上がる。二人も直ちに〈飛行(フライ)〉を詠唱し主に並ぶ。ここで三人の手が離れる。

 上空からの眼下に、ナザリックの周囲へ多くの起伏を持つ平原が広がっていた。

 

「す、凄いです。これをマーレ様はたったお一人で?」

「ほ、本当に大変なお力です、わん。流石は階層守護者様……わん」

「ああ、確かに凄い。だが最重要である案件にしても、少し頑張りすぎだ。だから色々労ってやらねばな」

 

 ナーベラルは魔法職であるため、尚更その力の凄さが分かっていた。アインズですら職業レベルの壁もあり、アンデッドの万を超える軍勢による造成でも同じ時間内でここまではまず困難。もはや超位魔法の〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を使うしかないだろう。

 

 絶賛作業中のマーレも、精神力を振り絞っている感じでいた。

 

「……デートっ、……デート、……デート、……ふぅ……デートっ」

 

 それでも顔には笑顔が浮かぶ。

 

(!――)

 

 ふと、彼女は作業をしながらも、近付くアインズの存在へ直ぐに気付いた。滅多な事で作業を中断しないが、直ぐに中断するとその場へ降りて片膝を突き、敬愛する者の到着を笑顔で迎えた。

 ナーベラルとペストーニャはアインズの後ろで控えている。

 

「マーレ、ご苦労である」

「モ――アインズ様、お帰りでしたか。ご安心ください、今日中に作業が終わると思いますっ」

「そうか、流石はマーレだな、私も安心している」

 

 アインズは膝を突いているマーレの頭を、優しく労いナデナデしてあげる。

 彼の優しい言葉とその行為を受け、マーレは疲労を感じなくなる自分に気が付いている。うっとりとしてくるのだ。

 

(モモンガ様、モモンガ様、モモンガさまぁ……)

 

 マーレとしては、御方はやはり〝モモンガさま〟なのであった。

 

「立つが良い、マーレ」

 

 そう言われつつ、マーレはモモンガから優しく腋下を抱えられて立たせてもらう。マーレは頬を染め、可憐にスカートを揺らす。モモンガ様にこの身体を触れてもらえただけで幸せである。この身体と心は、もうすべてモモンガ様のものなのだから。もっとよく見てもらいたい、もっと触れてもらいたいのだ。

 

「あ、あの、何か御用ですか? またみんなを率いればいいですか?」

 

 モモンガ様の敵はすべて薙ぎ払いブチ殺す――マーレの満面の笑顔にはそういうものも含まれていた。モモンガから戦いを命じられれば、最狂のNPCにもなり得る存在である。

 

「いや、可愛いマーレが頑張ってくれているので、癒しに来たのだ」

 

 自分を大事に想って貰え、わざわざここまで足を運んで頂き、なんと嬉しいお言葉だろう。

 マーレは、すでに随分気持ちが癒されていた。MP(マジックポイント)の残量など関係ないという気分である。

 

「マーレ、近くへ来るがよい」

「は、はい」

 

 穏やかな言葉に、マーレがアインズへ一歩近付くと――静かに優しくお姫様抱っこされた。

 

「あ……」

「じっとしていろ、マーレ。ペストーニャ、癒しを頼む」

「しかし……わん」

「構わん、私は大丈夫だ。〈重力操作(グラビティ・コントロール)〉〈上位幸運(グレーター・ラック)〉〈魔法増幅(マジックブースト)〉〈上位抵抗力強化(グレーター・レジスタンス)〉〈上位魔法盾(グレーター・マジックシールド)〉さぁ、やれ」

「は、はいですわん。〈魔法位階上昇化(ブーステッドマジック・マキ)・魔力の最大再精製(シマイズ・マナ・リジェネレート)〉っ」

 

 高位の神官でもあるペストーニャは、MP回復魔法を第10位階まで引き上げる強力な癒しの力を行使出来る。これで、マーレの膨大なMPの3分の1は一気に回復されるだろう。

 マーレは癒しの光に包まれる。だが、この光はアンデッドには限りなく有害。

 

「モ……アインズ様っ……」

「マーレがこれだけ頑張っているのだ、どうと言うことは無い。だが、愛する配下の可愛いお前達が無理をし過ぎると、私も無理をしてしまう事があるという事は忘れないでほしい」

「……ぁ、ぅっ……」

 

 アインズの体は、魔力を増大させ抵抗力を強化されたが、マーレを〈重力操作〉で僅かに浮かせて支えている腕には魔法盾は掛かっていない。第10位階まで高めた神聖系の魔法を耐性強化だけでの完全相殺は無理と言えた。体に装備している神器級のアイテム類を以ってしても僅かであるがダメージを受ける。まあこの僅かというのは、Lv.100のアインズにとっての数値だ。下位のアンデッドならHPは0になるだろう。

 マーレへ掛けられた癒しの光は、30秒ほどで消えて行った。

 

「ア、アインズ様っ、大丈夫ですか?」

「問題ない。数分もすれば自己回復で元に戻る。どうだ、大分MPが戻っただろう? あまり無理はするなよ」

「うぅ……は、はい、アインズ様。ゴメンナサイ。特別のお計らい、ありがとう……ございます。ぺスもありがとう」

 

 マーレは、涙を浮かべていた。

 アインズは、無茶をするマーレへの戒めも込めて、抱っこしての癒しを行なっていた。マーレも余り無理をすれば大切な者に、無茶をさせる時が出てくる事もあると噛みしめる。

 

「マーレが回復してよかったですわん」

 

 第六階層守護者の姉妹と、プレアデスの副リーダーであるユリ・アルファと、ペストーニャは、造物主達が全員女性メンバーという関係を引き継いでおり非常に仲が良い。

 それでも、戦闘時等の非常時を除いて、アインズへ断らず勝手に全力での癒しを使うことは躊躇われる。

 このナザリックは、至高の41人の意志が尊重される場所であるからだ。

 

「ペストーニャも良くやってくれた」

 

 彼女の犬頭を撫でてやる。目を細めてヨシヨーシとナデナデされる。正にワンコ状態。非常に嬉しそうである。

 

「な、なんと素晴らしい……主様のナデナデ……」

 

 後方でナーベラルが、羨ましそうにそれらを眺め、ぽつりと呟いていた。彼女のナデナデを受けた回数――未だ0回。

 

 

 

 

 

 マーレの陣中見舞いを終えた一行は第五階層の『氷河』へとやって来た。ペストーニャはここで「アインズ様、それでは失礼します……わん」と別れていく。伊達にメイド長はしておらず、第九階層と第十階層は広く、メイド達への指揮も忙しい。

 アインズがここへ来たのは、コキュートスへの陣中見舞いだ。今のナザリックは、武器使いとして無双の攻撃力を誇るLv.100の彼を中心に防衛陣を組んでいる。

 現状でも実際の戦闘になれば、Lv.100のマーレやセバスに加え戦闘メイドプレアデスの4名と各階層のLv.80を超えるシモベ達も動き出すので、主力が戻って挟み撃ちにするまで十分戦えるだろう。

 

「コキュートス様は居られますか? アインズ様がお越しです」

 

 ナーベラルが、現れたコキュートスのシモベの雪女郎(フロストヴァージン)に確認する。レベルは82であり、プレアデス達を上回る。黒く長い髪に白い肌と白い着物風の服装装備で6体程いる彼女達だが、造物主製のナーベラルの方が格は高い。それに至高の御方が後ろに立っていた。

 

「こ、これは、アインズ様っ。ナーベラル様も、第五階層へ良くいらっしゃいました。コキュートス様ですね、どうぞこちらにてお待ちください」

 

 一人の雪女郎により、丁重に案内される。

 氷の館と言うべきクリスタル状の建物、ススメバチの巣をひっくり返した感じの大白球(スノーボールアース)に招かれ一室へ通された。ナーベラルはアインズの右手前に直立して扉へ傾注している。

 間もなく扉が開かれ、コキュートスが現れる。

 するとナーベラルは跪いて控える体勢となり階層守護者を迎えていた。もちろんアインズは奥中央で立ったままだ。

 蟲王の彼は御方の手前へ進むと、四本腕を持ち2メートル半を越える巨体の片膝を突き、恭しく畏まる。誇り高い武人であるコキュートスが、自ら膝を突くのは主である至高の41人の前だけ。

 

「アインズ様、オ待タセヲ。コキュートス、タダイマ参リマシタ」

「うむ、コキュートス。ナザリックを良く守ってくれているな。安心して過ごせることへ、大いに満足している。お前の働きは決して今、外に出ている他の守護者達に劣る者では無い。私が、ナザリックを今外せるのもコキュートスが中心にしっかりと守っているからだ。まだ数日、この状況は続くがよろしく頼むぞ」

「ハッ。有リ難キ幸セ。今ノ言葉ヲ直々ニ頂キ、心ハ晴レ渡ルヨウナ思イデゴザイマス」

 

 セバスは兎も角、コキュートスこそ戦場の前線での活躍を欲している武人。本来、防衛は彼の気質的に合わないものだろう。だからこそ、今は主であるアインズがこうして直接評価を伝えることが、武人コキュートスの喜ぶ事と思ったのだ。

 

「うむ、皆が帰ってくれば私の得た情報も合わせ、ナザリックの今後についての戦略会議を開く。コキュートスにも前線で働いてもらう事になろう」

「オオォォォ」

「戦いには防衛も重要な事だ。この数日の経験も今後に活かすことを考えて守ってほしい」

「ハハァァァァ。コノコキュートス、今後モ全力ニテ、ナザリックノ守リヲ務メサセテイタダキマス!」

「うむ。頼りにしている。そういえば地上で面白い能力を見たぞ。〝武技〟というものだ。コキュートスよ、それが体得できればLv.100を超えた強さを見ることが出来るぞ」

「ソ、ソレハ! 一体……如何ナルモノナノデショウヤ?」

 

 武人の性というべきだろう。主の言葉に、強さへの渇望が彼を激しく驚かせていた。

 

「確か……体の中での力の総量を把握し精神内で配分し、瞬間的に各種能力を組み合わせ高めるとか……細かい事はすでに体得したと思われるルベドへ聞くといい。私からコキュートスが聞きたいと話を通しておこう」

「ル、ルベド殿デスカ……ヨ、ヨロシクオ願イイタシマス」

 

 流石のコキュートスも、ルベドにはやはり一目置いているらしい。

 

 

 

 

 

 こうして、コキュートスの陣中見舞いを終えると、アインズとナーベラルは第十階層へと降りて来た。ナザリックへ戻り、おおよそ1時間程経過している。二人はギルドメンバーの個室が並ぶ領域に近付いて来た。ここから先は、至高の者らに付随しなければNPC達やシモベ達は立ち入れない決まりである。

 

「ナーベラルよ、ここから先は私一人で行く。ここまでの護衛ご苦労であった」

「アインズ様、せめてナザリックに居る間は、わたくしを警護へお付けください」

 

 ナーベラルは、アインズの傍らで跪き訴えた。主の傍に常に居て、守ってこそのプレアデスである。

 するとアインズは、その忠臣の頭を優しくナデナデしてやる。黒髪はキューティクルが最高なのかサラッサラであった。

 

「ア、アインズ様……」

 

 不意に貰えた初めてのご褒美に、ナーベラルの頬や耳は静かに赤く染まってゆく。

 

「ナーベラルよ、すまないな。私が一人で行くのは、これから部屋で行う作業に対して、ギルド内の……至高の者らでの決まりみたいなものなのだ」

「……左様でしたか」

「ではナーベラル、私が部屋からここへ戻るまで、この場を1時間程守っていてくれるか?」

「はっ、喜んでお守りさせて頂きます、アインズ様」

「うむ、では頼むぞ」

 

 この区画には、指輪『リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』の総個数と同じ100の部屋が存在する。アインズはその中の自分の部屋へと入って行った。彼はギルドの長として一応、全部屋へ入れるマスターキーを持っている。すでに、退会した37名については入室と自由使用の許可をギルド統括として受けてもいる。だが、この新世界へ来てから自分の部屋を含め、まだどこにも入っていない。ここはかつての仲間達のもっとも思いの詰まる神聖といえる場所であるから。

 ナーベラルは通路の脇へ直立にて警戒に当たる。主の命を受け、アインズが戻るまでは何人(なんびと)も通すつもりはない。

 その時、傍の通路をメイドの一人、ショートめな黄色髪のフォアイルが通る。通常のメイドはスカートの裾がいささか短めのデザインである。彼女は上位のメイドであるナーベラルへ気が付き、にこやかに挨拶する。

 

「これはナーベラル様、警備でございますか? こちらは至高の方々のお部屋の領域でございますね」

「そうです、フォアイル。この周辺へは1時間ほど近付かないでください。至高の御方の命により排除の対象になりますから」

 

 アインズの命を受けたと言う、戦闘メイド服姿のナーベラルの真剣味漂う表情に、フォアイルは慌てて身を正す。彼女らは、同じ至高の者らに生み出されたメイドであってもあくまで量産型ベース。対して、一体ごとに入魂で作成されており、支配者様の傍にて直接守ることが出来、意見も可能であるプレアデス達は少し近寄り難い尊い存在なのだ。

 

「は、はい、ナーベラル様っ。では失礼いたします」

 

 フォアイルは、メイドらしく走ることなく、早歩きでこの場を急ぎ立ち去った。

 

 自室に入ったアインズは、久しぶりの室内を見回す。新世界へ来て初めての入室だ。幸いなことに、見た目では特に変わった様子はない。ただ全てが、物としての現実感を増している気がする。

 壁際へと進む。そこにはNPC作成・調整装置が収納されている。慣れた手つきで操作し展開する。

 これは、ナザリックの管理システムである『マスターソース』へも直結されているようで、ゲーム同様にコンソール等が表示された。

 

「ふーん、どうやらゲーム同様の手順で、作成や調整は行えるみたいだなぁ」

 

 そう言いつつ目を向ける先には、1体のNPCが無色透明な液体の充てんされた縦に置かれたシリンダーカプセルで眠るように入っている。

 

 身体の肌や表情は白く、髪が長めの銀髪で胸の形が良い感じの――全裸の娘だ。

 

 流石に、こんな個人趣味丸出しと言える創作世界をナーベラルを初め、他の者へ見せる訳にはいかないっ。

 こいつの名前は、まだいくつか候補だけしか決めていない。レベルの配分も幾通りかシミュレートした程度で放置していた。キャラ設定についても暫定モノしか用意していない……。

 ユグドラシルにおいて、NPCへ付与できるレベルは、攻略したギルド拠点に対して特典として与えられている。小さな城程度の拠点を落とした場合でも、最低で700レベルが使えるようになる。そして、落とした拠点を守る為や、ギルド拠点にして特色を出すことが出来るように、一からNPCを自由に自作出来る権利も同時に得る。ただし、NPC1体で設定出来るレベルはユグドラシルで上限である100までだ。また、攻略拠点の規模が大きい場所ほど使えるレベル数も上昇する。ナザリック地下大墳墓の拠点ポイントは5000レベルである。しかしすでに4600程はNPC等を、起動(ロールアウト)しており残りレベルは400レベル程度だ。

 容姿と共に装備だけは、至高の一人であるホワイトブリム氏に貰っていたデザインからすでに起こして装着出来る状態ではある。

 アインズは地上に於ける諜報組織の新設を考えている。それを指揮する者が新たに必要であると思ったのだ。それも特化した職業レベル、ニンジャやアサシン辺りを持つ者をと。

 しかし大きい不安もある。

 

 それは――新たに生み出すNPCが、どういった人格や性格になるのかである。

 

 今のところはNPC達は設定通りに動いている。しかし、それはあくまでも『移転前』にそう設定されていたからかもしれない。今から設定する内容がNPCへ反映されるかは完全に、『賭け』である。いきなりLv.100は流石にハイリスクな気がした。90にするか80にするか。

 

「うーん、どうしようかな……」

 

 彼はとりあえず、レベルの配分から見直すことにした。

 そうして50分程が経過し、アインズは自室を後にする。

 

(結局、レベル配分の新パターンが少し増えたのと、設定をちょっと考えて追加したぐらいか)

 

 もう少し、きちんとした時間が欲しいところ。直近の今後を考えると、後になるほど余り時間は取れないだろう。

 カルネ村の状況を確認した後で、午後もこちらへ来ようかとアインズは思案しながら、ナーベラルの所まで戻って来る。

 彼女は主人の前に跪き、報告を行う。

 

「こちらは特に異常ありませんでした、アインズ様」

「そうか。待たせたな、ナーベラル、ご苦労」

 

 そう言って、主はナーベラルをナデナデしてあげる。

 彼女は考えていた――跪いていた方が撫で易いのではないだろうかと。

 ナーベラルは目を閉じ頬を染めながら、小さな作戦成功の喜びと支配者のナデナデを静かに味わっていた。

 彼女のナデナデを受けた回数――2回目が刻まれる。

 

 

 

 

 

 至高の御方を、ナザリックへと送り出して2時間ほど経過した、カルネ村のエモット家の居間。

 エンリ達は、忙しく外で畑仕事に精を出していて不在である。

 一方、シズとソリュシャンは暇であった。盾として守るべき主が居ないのだ。この場には生きがいが無いと言っていい。だが主の配下となったエモット姉妹と、この村の現状は命令として守らなければならないだろう。

 窓際のルベドは、プレアデス姉妹を堪能出来ているので不満は特にない。

 ただ、こうしていてもソリュシャンは、エモット家の周囲100メートルへの確認は怠っていない。誰かが突然家へ来たとしても、アインズが奥で休んでいるかのように対応するためだ。

 残念ながら他の二人に、下等生物との満足といえる会話は期待出来ない……。

 支配者の決めた2時間が近付いたので、シズとソリュシャンは席を立つと直立し、主を出迎える準備に入る。

 するとナント――ルベドも窓際から降り起立した。

 一瞬だけソリュシャンは驚きの表情を作る。シズも視線を僅かに向けるも戻す。

 これはナザリックの者達では当然の行動。ルベドもナザリックの者であり不思議では無い事。

 ルベド自身も変な気持ちである。至高の者達に敬意はない。だが姉妹をとても大事にしてくれ、アンデッドの天敵でもある天使の自分へも褒めてくれたり気持ちの癒しをくれる指導者アインズには、そうして待っていてもいい気がした。

 天使は元々神へ仕える者――それがたとえ『死の神』であっても。そんな天使が居てもいいのではないだろうかと。

 

 1分もしない内に仮面を付けながらアインズが〈転移門(ゲート)〉を介しエモット家へ戻って来た。

 あれからアインズはナーベラルを従え『玉座の間』へ戻ると、そこにはセバスが時間を見越したかのように待っていた。

 だが新しい情報は無いという事で、こうして速やかにエモット家の居間の床を踏みしめている。

 

「お戻りをお待ちしておりました、アインズ様」

「……アインズ様、無事のお戻り……嬉し……です。……1時間57分58秒……です」

「うむ」

 

 アインズの目が礼で迎えるプレアデス二人を見た後、窓際で起立しているルベドを捉えていた。

 

「(……ルベドの、俺への対応が先ほどから続いてる。これは偶然ではない気がするなぁ。少しは俺を認めてくれたという事かな)――こちらも、変わり無さそうだな」

 

 ルベドはアインズを迎え終わったので、再び窓際へ座り込んでいた。

 

「エンリ達は畑か?」

「はい。死の騎士(デス・ナイト)へ上手く力仕事をさせているようです」

 

 ソリュシャンは左目を閉じ〈千里眼(クレアボヤンス)〉で確認する。

 

「ほう……命じたとはいえデス・ナイトは中々自意識が高く、扱いは難しい気もするが。エンリは――何かクラスでも持っているとか……まさかな」

 

 出合いからソリュシャンは、エンリについて下等生物と決め付け全く詮索していなかったが調べてみる。

 

「――! アインズ様、エンリは――コマンダーLv.2ですっ。そ、それよりも――――」

 

 アインズは、ソリュシャンから告げられたエンリの持つLv.1ながら特殊な別の職業クラスに内心驚く。

 

「(えっ? エンリはどうやってそんな特別な職業クラスを得たんだ!?)……そうか」

 

 アインズは後で聞いてみる事にした。

 昼を迎え、エンリはネムが名付けた死の騎士(デス・ナイト)のルイスへ礼を言いつつ、昼食を取る間、広場で村の警備をお願いする。

 すると「オォォ……」と答えてタワーシールドとフランベルジェを置き場へ取りに行くと風のように村の中へと戻って行った。

 エンリとネムは村へ戻ると、井戸端で村人達と話をしながら、手と顔を洗いエモット家へ帰って来た。

 

「只今畑から戻りました、アインズ様」

「ただいまですっ、アインズさまっ」

「うむ、二人ともお帰り。デス・ナイトを上手く使っているようだな?」

「は、はいっ、凄く助かっています」

「ルイスくん、力持ちで、すごいすごいすごぉーい」

 

 エンリは終始ニコニコしている。敬愛する優しい旦那様からの気遣いある助力に笑顔が止まらない感じであった。ネムは、デス・ナイトのパワーに感動しているようだ。確かに膂力だけで熊や馬以上だろう。

 

「そうか、良かった。ところでエンリよ、ソリュシャンがお前の能力を調べて初めて分かったのだが、お前はそのコマンダーの職業クラスをどうやって得たのだ?」

「えっ?」

 

 エンリは、アインズの聞かれた内容が良く分からなかった。

 

「あ、あの、アインズ様。コマンダーって、私は特に何も……って、えぇっー?! 私って……」

 

 エンリは何かに気が付いたらしい。自分自身に驚いている雰囲気であった。そうしてアインズへすぐに伝える。

 

「私は、生まれながらの異能(タレント)持ちなのかもしれません」

「(なんだそれは……?)そうか、 生まれながらの異能(タレント)持ち、か」

「生まれた時から備わっていたのかも。これまで私は全く気が付いていなかったのですが……」

 

 まあ、農家の娘が普段使う能力ではないだろう。気付くことは確かに無いか。だが、自然と優れた工程を組み立て指示出来たり、注目され、皆従うようにさせる力があるはずだ。

 どうやら新世界にはまだ、アインズの知らない事が有るらしい。村長から話を聞けなかったが、エンリが知っているぐらいの知識だ。一般的で単に話から漏れただけだろう。しかし、警戒感は高まった。

 人間種も無能者ばかりではないという事だ。だがどれぐらいの頻度なのかとの考えが浮かぶ。あのあと、ソリュシャンには一応村人80人余を皆調べてもらったが、職業クラスを持っているのは15人ほど。それらはファーマー等、生活に直結しているだけで、危険度は無さそうなものであった。

 

「エンリよ、他に生まれながらの異能(タレント)持ちの話を聞いたことが有るか?」

 

 少女は、アインズの雰囲気に厳しさが出てきたことに気付く。ここからの話は、彼の望んでいる重要な事柄なのだと。だから、知る事を何一つ隠さず『旦那様』へ正直に伝える。

 

「は、はい。以前お話しした、時々村へ来る友人の薬師が、すごい生まれながらの異能(タレント)を持っています……」

「ほぉ、どんなものだ?」

「――彼の生まれながらの異能(タレント)は、すべてのマジックアイテムの使用が可能というものです。使用制限も関係がないそうです。ただ、彼が今、凄いアイテムを持っているということは無いかと」

 

 彼女は、アインズと周りの上位の者達の視線が明らかに鋭くなったと感じる。

 

「エンリよ、良く教えてくれた。疲れただろう、ネムと共に食事をするといい」

 

 アインズは、配下のエモット姉妹を労い優しくそう告げた。

 

「は、はいっ。では、あちらで取らせていただきます」

 

 彼女が大事なのは、(あるじ)で家族でもある『旦那様』のアインズと村を含む彼側の者。

 エンリは――すでに全てを割り切っていた。

 薬師の友人を一言弁護はした。自分に出来ることはもう、友人がアインズ様の協力者側になるように導いてあげるぐらいだと。

 いつの間にか、シズが可愛いネムの後ろに立ち優しく大事そうに撫でてくれていた。

 

「シズ様ありがとうございます。ネム、ご飯にしましょう」

「はーい」

 

 エンリは妹を連れ、旦那様からの労いに嬉しさの笑顔のまま家事室へと向かった。

 ルベドは、片方の姉妹の姿が見れなくなり、少し寂しそうだ。

 エンリ達がいなくなった居間では、シズがその気持ちを最初に述べる。

 

「……脅威……です、アインズ様」

「アインズ様、全てのマジックアイテムが使用出来るというのは、非常に危険度が高い能力です。速やかに排除すべきかと進言します」

「確かにな……。だが、数的や難解な使用制限すら無効化するなら、非常に貴重といえる存在だ。ちょっとした世界級アイテム並みの能力だからな。可能なら手元に置いておきたい気もする」

 

 ルベドは傍観している。まだ敵でもない状況。エンリの話では現状、その者が驚異的なアイテムを所持している訳でもない。

 ソリュシャンは主人の言葉を受け具申する。

 

「エンリの友人とのこと、であればあの者を使い、何某か手があるのでは?」

 

 ソリュシャンとしては属性の邪悪に相応しく、相手が男という事で、エンリにはドロドロとしたハニートラップを期待している。

 アインズの考えとして、これはエンリにとっても手柄のチャンスと言える。世界級アイテム並みの能力の者を味方にしたのならば、階層守護者達も評価しない訳にはいかないだろう。ナザリックの皆に認められるには、己の力を示さねばならないのだ。

 

「うぅむ。まずはこれもエンリにやらせるか。ただし、方法はあの者に任せる」

「畏まりました」

「……承知……です」

 

 その時、エモット家の玄関を大声で叩く者が現れた。

 

「アインズ様っ、()られますかっ?」

 

 その声は村長のものであった。エンリが家事室から直ぐに現れると、玄関へ向かい扉を開く。

 

「村長さん、何かありましたか?」

「エンリ、アインズ様は? 王国戦士長様の出立が早まったのだ。馬が10頭以上見つかったとの事で、あと2時間ほどで出ると言われてな」

 

 アインズが入口へと現れる。

 

「おお、アインズ様」

「村長殿、話は分かりました。昼食中なので、後30分ほどしたら伺うと王国戦士長殿にお伝えいただけますか? それで、少しあの方に話があるのですが、お呼びだてするのも悪いので、どこか一室お貸し願えませんか?」

「分かりました。では、わが家へお越しください。王国戦士長様へもそうお伝えしておきます」

「よろしくお願いします」

 

 「では」と言って村長は笑顔で去って行く。

 村長を初め、村人達はアインズ一行へ非常に尊敬を持ち好意的である。エモット家に泊まるも、エンリと妹のネムは朝から笑顔で普通に作業をしており、皆との会話等もこれまでの普段と変わらない。

 つまり、アインズは多くの悪行を重ねる一般的な貴族達のように、弱者を虐げ閉じ込め酒池肉林の形で欲に興じる人物では無く、本当に立派な御仁なのだと村人達には密かに広まっていた。

 

 30分は間もなく過ぎ、アインズは単身、村長の家へと向かう。状況から、ソリュシャンらが同席するのは不自然であった。

 彼女らは、不可視化にて村長宅向かいの家の屋根上で見下ろし待機していた。状況詳細はソリュシャンが探っている。

 アインズが村長宅の玄関に入って間もなくガゼフもやって来た。二人は村長から二階のあの小部屋へと案内される。

 アインズ達は小さいテーブルを挟み座った。

 

「馬が見つかって、良かったですね」

「ああ、よく遠くへ逃げずにいてくれたと馬達を褒めたよ。はははっ」

 

 ガゼフは、友に話す様で楽しそうに優しい笑いを浮かべる。

 アインズは王城への道程の情報を期待し尋ねる。

 

「私はこの辺りの地理には疎いのですが。今日お出になると、いつ王城へは到着されますか?」

「我々は日頃の訓練で慣れてますから、普通なら明後日の夜には着きますな」

「ほお……この村から王城までの位置と距離はどれほどでしょう?」

「そうですね、西北西へ300キロ程というところですかな」

「それは早いですね」

 

 アインズは、通常馬による行軍は1日60キロ程だと何かの歴史書で読んだ気がした。まあ、千里駆ける馬の話や戦士長達は少数だし、この世界の馬は結構違うのかもしれないのだが。

 

「王城ロ・レンテや、王都リ・エスティーゼへ興味がお有りかな、ゴウン殿?」

 

 いよいよ本題になって来た。

 アインズは頷く。

 

「ええ、昨日から色々考えました。長期的には路銀も考えますと折角のお話ですしね」

 

 ガゼフは仮面の男の話を不自然には感じない。ゴウン氏達が旅をするにしろお金が必要なのは自然。そして彼らが成し遂げた事への貢献に対する対価を受け取るのも当然なのだ。

 逆に辞退する方が裏があると怪しく感じる。

 これほどの人物なのだ、正しい判断力を持っていると納得するのみである。

 

「では、ゴウン殿、王城に来て下さると?」

「ええ。ですが、同行の件については皆さまの足を引っ張ってもいけませんので、半月後に王城へ我々が伺うということでどうでしょう?」

 

 ガゼフに異論は無かった。いや、有り難いぐらいである。

 正直、同行でと声は掛けたものの、その一点は後で困っていたのだ。ガゼフ達は急いで王城へ状況を知らせるべきであるのに、ゴウン氏達へ速度を合わすと遅れてしまうだろうし、急いては彼らに無理をさせてしまうだろうと。

 

「ゴウン殿、そう言って頂けるとありがたい。では、半月後に王城へお越しいただければと思う」

「はい、そうさせて頂きます、王国戦士長殿」

 

 ガゼフは笑顔で頷いた。この底の見えない御仁と配下達である。可能であれば王国の力になってもらいたいと思っている。それに向け、ガゼフは一考していた。賭けでもあるが、強者と強者は引かれやすいと。

 

「ふふっ、良かった。是非、最強のアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』の面々に会わせたいと思っておりましたので。今から彼女らの驚く顔が楽しみだ」

「(!――最強だと……とりあえず話を合わせておこう)……蒼の薔薇、アダマンタイト級冒険者チーム。有名ですよね?」

「ええ、この近隣周辺国でも知らない者はいないでしょうな。メンバーに恐らく私よりも強者がいるのでね」

 

 どうやら、周辺国でも有名で最高クラスの冒険者チームなのだろう。ガゼフを単独で上回るという者もいると言うが、果たしてその強さはどれほどだろうか。だが、ガゼフの目算ではアインズ達に分がありそうな様子。

 

(……名前を売るなら一時加入するか、或いはメンバーを引き抜く等した方がいいのか。それとも――やはり、試合等を吹っかけて倒してしまうのが早いか?)

 

 先程まで、頭の片隅に名声と情報集めの一つとして冒険者チームを作り、立身していく手も少し考えていたが、すでに有名である最強のチームを利用する方が断然早いと思われた。

 

(これで、王城行きにも楽しみが増えたかな)

 

 アインズは仮面の裏で静かにほくそ笑んだ。

 だがこの時、彼は大きな問題があることに気付けていなかった。デミウルゴスやアルベドであれば、ガゼフの『彼女ら』という言葉で相手チームの構成員を確認出来ただろうが……。

 王国戦士長ガゼフとの話はその後、「狭い家だが、王城へ来た際には是非ウチにも寄ってもらいたい」「分かりました」と和やかに終了した。

 

 日が少し傾き出した昼下がりの午後、村に駐留していた王国戦士騎馬隊が、広場で皆の笑顔により見送られる。

 広場には村長を初め、多くの村人達とエモット姉妹やアインズ達も見送りに出た。

 馬は計11頭見つかり、荷馬車を金銭で譲り受けた配下の者達も、エ・ランテル経由の別路で王城を目指すことになる。故にこれで王国戦士騎馬隊はカルネ村より完全撤収する。

 騎馬隊の先頭には、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフが立っていた。

 

「それでは、カルネ村の者達、さらばだ。ゴウン殿と一行の方々、本当に世話になった。王城にてお待ちしているぞっ、ハァッ!」

 

 掛け声と共に、ガゼフを先頭として手を振る戦士騎馬隊は、勢いよく馬を走らせ出発して行く。

 こうしてアインズの思惑に少し邪魔だった王国戦士騎馬隊はカルネ村内から去った。

 

 絶対的支配者から、エンリへの指示は間もなく下された。

 

 

 




よく考えると原作のルベドって、どこで『起動実験』されたのだろう……。
次でやっと、マーレがご褒美を……



補足)
ナザリックの拠点総ポイントと未使用レベルについてはおそらくかなりの捏造になっています。
凄まじい重課金とワールドアイテム使用での拡張を用いて凌いでいるとのことから、原作側ではかなりギリギリなんだと思います。
ただ、重課金の後にワールドアイテム使用のパターンだと、余裕がある可能性もゼロではないかも。
それがなくても、まあ50ぐらいは余っていそうかなと。


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STAGE12. 薬師少年の焦り/マーレ、デートの件(1)

 

「お、お婆ちゃんっ。僕、ちょっと急ぎでカルネ村まで行ってくるよ!」

「おやおや、えぇっ? もう夕方じゃよ?! あの村に何か急ぐ用でもあったかね?」

 

 長い前髪の少年は、祖母との工房である研究作業室へ慌てて入って来るなりそう告げ、部屋の棚に仕舞っていた持っていく必要のある物を掻き集め始める。

 荷馬車も荷台を軽くする為、荷物を下ろさないといけないし、同行には腕の立つ冒険者も雇わなければならないと考えていた――。

 

 

 

 カルネ村の南側約30キロの位置にある大都市エ・ランテル。

 王都から大都市エ・ペスペルを挟んだ東南東へ300キロ程の辺り、大陸の北岸より南北に伸びるアゼルリシア山脈の真南に位置し、王国で最も東部にある大都市だ。人口は近郊も合わせると70万にも及ぶ。

 この地は、リ・エスティーゼ王国、バハルス帝国、スレイン法国と三国の接点でもあり、正に要所という都市であった。

 そのためか近年、毎年のようにエ・ランテル周辺を巡り王国は、帝国との大規模な戦争を続けていた。エ・ランテルは、戦場である南東に広がるカッツェ平野に近く、決戦はその平野で行われている。ただここ百年では一度も、都市が直接攻撃されたことはない。

 理由の一つは、元々エ・ランテルが円形の分厚い城壁で囲まれた城塞都市であった点。最初期の第一城壁から外へと城壁は増やされていった。

 現在、最外周の第三城壁だけで総延長は12キロ以上にも及び、高さも30メートル程を誇り、並みの兵力と攻城作戦では被害が甚大になり敗北必至と言える。

 また重要都市故に、無傷で手に入れたいとの考えが攻撃側にはあり、平地での決戦で圧勝し講和条件での取得を目指すのがここ百年での通例だ。

 そのため、都市自体は戦火を免れて直近の百年で大きく発展してきた。この都市の三重の城壁内は其々ある程度住み分けされている。

 外周の第三城壁内は、非常時に王国軍の駐屯地も兼ね軍事関係が多い。司令部や兵舎の他、酒場に宿屋や金物武器屋、アイテム類を扱う道具屋も多く、馬を扱う店まで50を超えて存在する。冒険者組合もこのエリアだ。また平時は畑利用もされ、外周部の半分近くは農業関係である。西側区画には外周部の四分の一を占める広い共同墓地も設置されている。不要のアンデッド化を防ぐ手として、死体についても都市でしっかりと管理するためだ。第二城壁内は中下層の庶民の街と言え、商店も多く活気と賑やかさは都市内で一番だ。そして第一城壁内は、貴族や大商人等の上級層の屋敷や行政施設に神殿、巨大な兵糧倉庫等の重要施設が犇めく都市の中心地である。中級層の住民や商店も多く存在し、活気も中々のものだ。

 そんな都市に、一人の有名な少年がいた。

 

 彼の名は――ンフィーレア・バレアレ。

 

 弱冠17歳にして、エ・ランテル最高の名薬師の祖母リィジー・バレアレに迫る水準と第二位階魔法までを身に付けており、それだけでも十分注目される少年である。

 しかし、彼にはそれらを更に上回る特別さがあった。

 『あらゆるマジックアイテムの使用が可能』という、生まれながらの異能(タレント)を有していたのだ。

 そんな彼だが、基本的に性格は控えめである。多くの優れた能力を持つ自分に驕る事もなく、周りへ威張る事も無く、自信だけを持って日々一歩先の技術を目指し前に進む、そういった素晴らしい少年であった。

 バレアレ家製の薬は、鎮痛薬、腹痛薬、解毒薬等、どれも優秀だが、治療薬が特に有名だ。高価なものであるが、同じ値段帯の薬に比しては歴然とした差が出ていた。明らかに早く、良く治る。

 この数年、彼は祖母と二人で工房を回している。

 見た目ではずっと変わらず中級層の生活をしているが、資産的には下手な上級層にも負けない程の蓄えがあった。金貨1000枚程度でも即金で払える程である。庶民から見れば、非常に裕福と言えた。

 若さと能力と名声と資産により当然、街娘達には人気が高い。ただ、少年の容姿は鼻先まで前髪を伸ばし、目元を隠すように切り揃えられていた。本人の少し大人しい性格の表れのようにも見えるが、前髪から時折覗く素顔もそれほど悪くはない。背丈も平均程はある。

 少年は誠実なところもあり、より取り見取りながら街娘達とは街で出会ってもその場で少し話をする程度。一緒にどこかへ出かけたり食事をしたりという『お付き合い』はすべて断っていた。

 なぜなら、彼にはここ数年、ずっと想いを寄せる少女がいたからだ。

 初めて会ったのは4年前。祖母と冒険者らと共に北方のトブの森へ薬草の採取に出かけた時だ。その時、いくつかの村へ寄った中のひとつ、カルネ村にその少女はいた。

 金色が褪せたような髪をおさげにして括り、快活に両親を手伝っていた。彼女の家も薬を扱っており、その縁もあったのだが――一目惚れである。

 1歳年下の少女だが、彼は従わされる感じの雰囲気も、何か惹かれるものがあったのだ。

 彼女を見知るようになってから、北の森への薬草の採取はカルネ村周辺へ絞るようになった。

 祖母が行かなくても、一人で都合を付けて何度も通った。

 

 その少女、エンリに会うために。

 

 4年が経ち、彼女は女の子らしくなった。まさに結婚適齢期到来である。2年半程前から何度か『聞いてよンフィーレア、縁談の話があったのよ』と言われるたびに、全身から汗が吹き出しドキンとした。そのあと『断ったけどね』と聞くと全力でホッとする。でも『ナゼ断ったのか』と少年は聞けなかった。

 『大好きなンフィーがいるもんね』と言う答えを最大限期待するも、別の理由だったらと考えると怖くて聞けなかったのだ。

 少年は1年ほど前から、すでに自分は職を持ち、稼ぎ、家族や子供を持っても養えるだけの力があると考え、何度もエンリへ『あの、実は……僕……と』と、想いを告げようとした。

 だが、愛しい彼女の笑顔からの『ん? 何かな』の問いかけに、『と、時計が好きなんだよね』『と、友達って大切だと思うんだ』『と、隣の家の子供が犬好きなんだよ』と訳の分からない事を失敗の数だけ告げてきた……。

 最近、彼女は髪を出会った頃よりも短めにし、一部三つ編みになった。それもイイ。

 胸は大きくはないが、形は悪くなさそうで、それもイイ。

 彼女は健康でかなり力が強いが、それもイイ。薬師の家は重労働なのだ。

 金持ちなのを知ってるはずなのに、全くタカってこない。それがイイ。

 また彼女も薬を扱う家柄だ。色々話が通じる。それがイイ。

 そして顔が、街娘達よりも好みであるし、何と言っても笑顔が可愛いのだ。それが特にイイ。自分だけにいつも微笑んでいて欲しいっ。

 つまり――もはやベタ惚れである。

 

 

 

 それは、今日の夕刻迫る空が赤くなり始めようかという頃に、ンフィーレアがいつも製品を納品している贔屓の道具屋を訪れた時の事。

 薬師の少年は効率よく働き、材料集めに製造から納品までも全て自ら行なっている。今もいつも通り、荷馬車から木箱に入れた薬類を道具屋へ運び入れていた。

 そこで少し白髪の見え始めた壮年の店の主人から、とんでもない話を聞いてしまったのだ。

 

「どうやら、トブの森の傍の村が幾つも、異国の騎士団らにいきなり襲われたらしいぞ。それで、幾つか村が全滅したという事だぜ。全く酷い話だ。昨日来た、王国戦士騎馬隊の隊員らから聞いたんだがな……」

「えっ!」

 

 ンフィーレアはその瞬間、言葉を失う。そして思う。

 

(トブの森の傍の村々――カルネ村の周辺? エンリっ!)

 

 薬師の少年は、思わずガタイの良い主人の二の腕を強くつかんで激しく揺する。

 

「そ、それってカ、カルネ村はどうなったのかって聞いてませんかっ!」

 

 普段、大人しく優しい口調の少年が必死に縋って来たので、主人は驚いたが詳しく答えてやる。

 

「ああ。王国戦士達は、そのカルネ村からここに来たと言っていたぞ。その村も襲われて、3分の1の村人が――死んだらしい。だが敵はそこで全て撃退したと言っていた。それが、凄い魔法詠唱―――」

 

 ンフィーレアは主人の二の腕を強くつかんだまま、しばらく放心状態になった。

 

(死んだ……3分の1も? あぁ、エンリっ、君は無事だよね……?)

「―――って、おい、大丈夫か?! おいっ、ンフィーレア君! 君の知り合いでもいたのか?」

「――え?」

 

 呼びかける道具屋の主人の声で、少年は我に返る。こうしている場合じゃない。

 

「すみません、失礼しますっ」

「お、おい、薬の代金はっ」

「――こ、今度で結構ですっ!」

 

 金貨40枚分を超える代金も後回しにし、少年はすでに荷馬車へ飛び乗っていた。幸い配達は、ここで最後であった。手綱を引いて巧みに操り、馬を急いで走らせる。

 

(エンリ、エンリ、エンリ、エンリ、エンリィィィーーーーーーーーー!)

 

 心の中で、愛しいその名を絶叫する。彼女の笑顔しか頭に浮かんでこない。少年は、道の先だけを見詰め、他所へ目もくれずに家まで帰って来た。

 祖母にカルネ村行きを告げ、工房内からまだ販売していない最も治癒効果の高い治療薬(ポーション)数本に加え――手持ちで最高の死体防腐薬も取り出し、抱き締める。

 

(エンリっ、君だけはたとえ死んでいようと、僕は失う訳にはいかないっ!)

 

 目尻に涙が滲む。

 最悪、死体があれば復活は不可能では無いはず。金貨10000枚必要だろうと関係ない。例えこの魂を売り払ってでもエンリだけは助けてみせると、ンフィーレアの心はそう震えていた。

 

(時間が無い、急ごう)

 

 秘蔵の薬を直ぐに鞄へ仕舞うと、屋外へ出る。

 ンフィーレアは手元が少し手荒くなりつつ、荷馬車を軽くするため荷台から急いで新商品用の空瓶の入った木箱群をその場へ下ろすと、すぐに第三城壁内の冒険者組合の建物を目指し、第二城壁内の工房の有るこの家を後にした。

 

 

 

 だが、向かった先の冒険者組合で彼を待っていたのは、とんでもない深刻な事態であった。

 

「えぇっ?! 冒険者が――誰もいないだってっ?!」

「は、はい、すみません。バレアレさん」

「くっ……」

 

 なんと、無情にもこの夕暮れ時にも拘らず冒険者が誰もいないと、受付嬢の若い女性は告げた。彼女が悪い訳では無いが、そんな馬鹿な事があるのだろうか。凄い勢いで荷馬車で乗り付け、冒険者組合の建物に飛び込んだ必死になった形相のンフィーレアは、余りに間の悪い現実を、拳を握り締め震えながら恨んでいた。

 受付嬢が補足するように、この有名な少年へ伝える。

 

「あの……明日の早朝か、早ければ今夜の夜中には誰かが戻って来ると思うのですが……」

(そんなに待てないっ!)

 

 納品した直後なので今、それらの代金で金貨を120枚程は持っている。前金にしてでもこの時点で最高の腕利きを雇い、夜通し荷馬車で駆けてもらう予定でいたのだ。

 

(――一人でも行こうか)

 

 夜へと向かうこの時間帯では、かなり危険な選択だ。しかし、エンリが待っていると考える少年はじっとしていられなかった。

 才能あふれる彼は一応、第2位階魔法を使えた。自分の身ぐらいは守れると。

 そうして出発しようと決めかけたその時、受付嬢が妙な事を言い始める。

 

「あの……バレアレさんが受付へ入って来るほんの直前に、(カッパー)なのですが2人組の冒険者が来てはいたのです。それも、『自分達は非常に強いのでこの仕事をしたい』とそちらの掲示板から、ミスリルの仕事の依頼を提示してきました。ですが決まりも有りますし、それに昨日、こちらの組合へ新規登録したばかりの者達なので……(カッパー)向けの仕事は今は無い事を告げると立ち去りました。その者達なら、まだ近くにいるかもしれません」

「昨日登録したての駆け出しの(カッパー)級ですか……」

 

 (カッパー)は、冒険者の上から、アダマンタイト、オリハルコン、ミスリル、白金(プラチナ)(ゴールド)(シルバー)(アイアン)に続く最低階級の冒険者であった。流石に足手纏いにしかならない気がした。

 だが、受付嬢はそこからまだ言葉を続ける。

 

「――でも、彼らの装備は一級品だったと思います。リーダーは男性で、身の丈が190センチ程もあり、見事な漆黒の全身鎧(フルプレート)に2本のグレートソードを背負っていました。もう一人も立派な杖を持った、高級に見えるフード付きの白いローブを羽織る凄く小柄な女性の魔法詠唱者ですが――第3位階の魔法が使えるとか」

「えっ」

 

 第3位階魔法が使えれば、ンフィーレアにとって同行者としては及第点。本当ならば。

 ただ、今は正に藁もを掴む気で受付嬢に、その魔法詠唱者と戦士の名を聞くと、少年は急ぎ外へと飛び出した。

 稀に遠方の他国で名の有る冒険者をしていた者達が流れてくることもあるのだ。そういった者らかもしれない。

 もう5分は過ぎていた。でも、歩く距離から数百メートル内には居るはずだと。

 そうして、少年はまず周囲を見回し、聞いた特徴に合う者はもうこの場いないだろうけれどと一応確認する。いなければ、時間的に次は宿屋の多い西方向を探そうと思考する瞬間、なんと視界の奥へ大柄で漆黒の全身鎧(フルプレート)にグレートソードを背負った立派な戦士と、白いフード付きのローブを羽織った2人組が何やら話をしているのを見つけた。

 ンフィーレアはもう、彼らへと向かい全力で走り出していた。

 確かに――素人では無い雰囲気を感じたから。

 少年は二人へと声を掛ける。

 

 

「戦士のモモンさんと、魔法詠唱者(マジック・キャスター)のマーベロさんですかっ?」

 

 

 カルネ村から王国戦士騎馬隊が撤収して、2日後の夕刻の事である。

 

 

 

 

 

 マーレは、MPの癒しを受けたあの日の内に、宣言通り平原の造成作業を終わらせた。大幅にMPが回復したことで、MP消費について効率よりも早さを重視し全力フルパワーで一気に片付けたのだ。MPは一日もすれば自動で全回復する。

 彼女は呟く。

 

「ふぅ、出来たよっ。モモンガ様とデートだ!」

 

 

 王国戦士騎馬隊を広場で見送り、死の騎士(デス・ナイト)を連れて畑へ向かうエンリ達と別れたアインズは、ルベド達とエモットの家に入る。彼はソリュシャンへいくつか言伝(ことづて)し再びナザリックへと戻った。

 セバスから受け取った周辺調査の追加情報を『玉座の間』で確認した後、下層にある御方の自室で再び自作新NPCの調整を行う。

 本来、アインズの自室は此処なのだが、現在、アルベドが指示して第九層の客間の一つを改装拡張し、支配者の執務室とクローゼットと浴室と寝室を制作中らしい。

 「浴室と寝室は要らない」と一度はアルベドに告げるも、何故か「必ず必要になりますから、是非に。防音完備でご用意いたしますのでっ」と猛烈に制作をプッシュされ押し切られていた……。

 新NPCを二時間ほど調整し、レベルの配分はかなり絞る事が出来た感じだ。予定時間を迎え、自室を後にする。

 この領域への同行警護者は、昼前と同じくナーベラルであった。自室を退出してきたアインズにより、彼女は本日3回目のナデナデをゲットしてうっとりと頬を染めていた。

 時間的に地上はそろそろ、空が美しく紅色に染まる夕方頃であろう。

 アインズは第十階層の通路を通り、『玉座の間』の前の広い吹き抜けの廊下空間へと出る。すると、そこにマーレがスカートを音も無く可憐に揺らし、ちょこんと控えめに立っていた。

 こう見ると小っちゃくて華奢な彼女。だが、守護者達の実力においてコキュートスすら上回り、シャルティアに続く序列2位。統括のアルベドをも凌いでいるのだ。とてもそうは見えないが。

 アインズの姿をオッドアイの視界に見付けて、闇妖精(ダークエルフ)の少女はとととっと乙女走りで可愛く駆け寄って来た。黒い杖を胸前に抱き、頬を赤くし瞳が僅かに潤んだ感じの笑顔を浮かべ、純白のプリーツスカートが、少し翻りそうになりつつも際どく大切な布モノを見せることなく。

 

「モ、アインズさまっ、ナザリック周辺の丘の造成作業が終わりましたっ!」

「おお、そうか。素晴らしい早さだな。流石はマーレだ」

 

 支配者からの、ナデナデを満足気に『ほにゃ顔』の笑顔で受けつつ、マーレはお願いする。

 

「ぜ、是非確認して頂けませんか?」

 

 仕事の完了状況を確認するのは、上司の当然の役目である。

 

「うむ、少し待て」

「は、はい」

「〈伝言(メッセージ)〉。セバスよあれから新しい情報は届いているか?」

『いえ、今のところはございません』

「そうか、分かった。これから私は、仕事の終わったマーレと状況を確認したのち、恐らくそのままカルネ村へ戻る」

『承知いたしました』

 

 頭を僅かに上げセバスと交信していたアインズは、顔を下げ視線をマーレへと向ける。

 

「では、マーレ渾身の作業の成果を見せてもらおうか。我が手を掴め、指輪で〈転移〉する」

「はいっ」

 

 マーレは、差し出されたアインズの左手を小さい右手でそっと握ると、更に左手も添え両手でとても大事そうに胸元へ寄せる。杖は腋に挟んでいた。

 アインズはその様子を見ていたが、間もなく静かに後方で控えていたナーベラルへと顔を向けて労う。

 

「ナーベラルよ、ここまでの警護ご苦労であった。それと()()()、よろしく頼むぞ」

「はっ、お任せ下さい」

 

 アインズとマーレは、ナーベラルの礼に見送られナザリック上空へ一気に〈転移〉した。

 

「「〈飛行(フライ)〉」」

 

 二人は、高高度からナザリック周辺を見下ろす。共に〈飛行〉を唱えたが、二人はまだしっかりと手を繋いだままでいた。

 

(モモンガ様……)

 

 マーレは、自分から手を離す気は全くない。主が手を緩めれば、お離ししようと考えている。

 眼下には20を超える丘が続く丘陵が作られていた。〈飛行〉しながら位置を変えて見下ろしていると、パッと見ではナザリック自体の丘がどれか気付かない状況になっている。ナザリックに似せた丘も4つ有り、仕事量に加え素晴らしい造形力も示していた。それらが生み出したナザリックの安全性の高さは非常に大きくなったと言えよう。

 それはマーレが、新世界へ来て間違いなく全メンバーで最大の勲功を上げた事を意味する。

 アインズは、それに見合う褒美を与える必要があると考えている。

 だが単に半日程度のデートでは、この偉業を行なった配下には、報いが少ないように思えた。

 

「マーレよ、確かに確認した。偉業を成したな。私は大いに、非常に満足し喜んでいるぞ」

「は、はい。満足頂きありがとうございますっ」

 

 マーレは、垂れたエルフ耳とおかっぱ風の金髪を受ける風に揺らしつつ、最高の笑顔で微笑む。

 アインズはそれに応えてやる。

 

「さて、褒美についてであるが、お前が望んだデートについては知っているな?」

「は、はい。男の人と女の人が二人っきりで……会って楽しむ事です」

 

 彼女は顔を赤らめて、恥ずかしそうにモジモジとそう答えた。何やら色々の事を思い描いてしまっているのだろうか。

 

「うむ。しかし、私の喜びに対して単にデートでは、マーレの偉業には釣り合わん。なので、結構仕事も入ってしまうが、少し前から私が計画していた私自身がリーダーの二人組で人間種世界の情報調査をするというのがある。そのパートナーを、マーレ、お前がやらないか?」

「パ、パートナー……二人っきりで……」

 

 マーレは、夢見心地である。

 妃には成れるかもしれないが、最低でも4人は居る事だろう。独占は姉や仲間の事を考えれば絶対に出来ない。しかし、これは――。

 

「(そうだ、モモンガ様と一緒に居られれば、きっと可愛がって下さる。それは、ナデナデや……その先も色々あるかも――)や、やります! 僕、頑張りますから、是非やらせてくださいっ」

 

 少女は、頬を真っ赤に染めていたが、しっかりとアインズへオッドアイの目を合わせてそう告げる。不束(ふつつか)者ですがとの想いも込めて。

 

「うむ、ではマーレ、我がパートナーをよろしく頼むぞ」

「は、はい。素晴らしいご褒美をありがとうございますっ、モモンガさまっ! あっ……」

 

 思わず、マーレはモモンガ様と言ってしまった。セバスからアインズに改名したと聞いており、そう言い変えるようとしていたが心の中での喜びの叫びが言わせてしまった。

 

「す、すみません、アインズさま……」

 

 マーレは、恐縮し申し訳なさそうに俯いている。主の名前を間違えるなど階層守護者失格であろうと……。

 

「マーレよ、お前は私のモモンガという名前が気に入っているようだな」

「は、はい、とてもっ。ずっと――モモンガさまでしたので」

 

 とても愛らしくそう言うマーレの表情を見ながら、アインズは可愛い配下へ伝えてやる。

 

「ふむ……ではマーレよ。二人きりの時は別に、モモンガでもよいぞ。好きに呼ぶが良い」

「ほ、本当ですかっ?」

「アインズ・ウール・ゴウンはこの世界に広めるための名。仲間からの借りものなのだ。一人ぐらいは私の名を呼ぶ者がいても良かろう。だが他の者の前で、その事は秘し気を付けよ」

「は、はい。畏まりました。モモンガさま、ありがとうございますっ!」

 

 マーレは嬉しい。彼女の可愛い表情からニコニコが止まらない。主と二人だけの秘め事が出来たのだ。これも最高のご褒美である。

 

「では、明日二人組で早速動くやもしれん。マーレはこの後十分に休めよ」

 

 作業の最後に結構無理をしたので、マーレはドキリとしてしまう。敬愛する主様は、お見通しのようだ。それに、二人だけという事は、有事に主人を守れるのは自分だけということなのだ。それに備え、全力が出せなければいけないだろう。マーレの目付きは変わり、真摯に誠意と覚悟をもって答える。

 

「は、はいっ、全力で休みますっ!」

「うむ、では私はカルネ村へ向かう。〈転移門(ゲート)〉」

 

 そう言うと、マーレの左手を掴んでいたアインズの手が緩むのを感じ、マーレは静かに惜しむように右手、左手とゆっくり離していった。

 夕日が地平線に掛かり出す頃、マーレに見送られつつアインズの姿は空中にて〈転移門(ゲート)〉へと消えた。

 

 

 

 

 

 畑仕事を終え、死の戦士(デス・ナイト)のルイス君を広場の警護に戻したエンリとネムの姉妹は、すでにエモット家に帰って来ていた。

 ソリュシャンはアインズから、エンリらが戻れば先に食事を取るように、村長らが来れば休んでいると伝え、用件を聞いて緊急なら巻物(スクロール)を使用して〈伝言(メッセージ)〉で内容を知らせるようにと命じられていた。

 彼女は属性こそ最悪に近い。しかし使命に対しての状況判断と柔軟な対応力は、プレアデスの中で副リーダーのユリ・アルファに比肩する。

 ソリュシャンは一応ご褒美も与えられていた。

 昨晩夜中に、アインズの命により、まだ仮置きされていたスレイン法国の騎士の死体の山から8体を八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)らを使い密かに回収していた。その中の死体の1体について許可を貰い頂いていたのだ。残り7体はナザリックへと移送済である。

 そろそろアインズが戻って来る時間になり、シズが席を立つと、ソリュシャン、そして窓際のルベドと続く。

 ルベドの設定には、好感度を上昇させにくいようにしているとしか思えない結構特殊な内容が列記されていたが、アインズはそれを偶然にも掻い潜ってきていた。すでに好感度状況は『同志』で『従ってもいいかな』『ナデナデ希望』という高水準だ。

 窓の外はもう、ずいぶん暗くなっていた。

 3分ほどするとアインズの姿が〈転移門(ゲート)〉から現れる。彼は配下の三人から出迎えと挨拶を受けた。

 アインズは、ルベドからの「お帰り……なさい」に、「うむ」と返す。ルベドは――僅かに口許を緩め笑みを浮かべた。

 間もなくエンリらが食事を終え、家事室から居間の方へと出て来る。エンリ達は、主へ配下として遅れながらも畑からの帰宅を報告する。

 

「アインズ様、先程畑作業を終えて帰宅し、食事を頂いておりました」

「アインズさま、ルイス君が力仕事でとっても凄い凄いですっ」

「うむ」

 

 ネムの報告は、大きく腕を広げての雰囲気だけだが、大まかには伝わってくる。農作業とは(パワー)勝負の重労働といえるところが多々ある。だが、人間種の体力を超越している死の戦士(デス・ナイト)にとっては砂遊び程度の手軽さと言えた。それに全く疲労しない体だ。

 

「農作業は覚えてくれないのですが、何度か説明すれば畑周囲の雑草取りや収穫時の重い荷車引きも手伝ってくれますので、本当に助かっています」

「ほぉ、そうか」

 

 エンリは考える。このままデス・ナイトに手伝ってもらえれば、例年よりも収穫量は増えると。愛しの『旦那様』には妹に加え、自分の命も助けてもらい、さらに仕事や経済面的にも恩が出来てしまった。デス・ナイトには人件費や食費等の費用が全く掛からないのだ。

 だからこそ、より強く思う。何かお役に立たなければと。この身体も心も『旦那様』のものなのだからと。

 そんなエンリへ、アインズが改まった感じで声を掛ける。

 

「さて、エンリよ」

「は、はい」

 

 その雰囲気を彼女は敏感に感じた。少し緊張し直立で身を正す。

 

「王国戦士騎馬隊は予想より早く去って行った。数日様子は見るが、お前にやってもらいたい事を先に伝えておこう」

「はいっ」

「一つ目はこの村の発展だ。目を掛けた村だが、流石に現状の80余名では存続が危うい。そしてあと一つは――お前の友人の薬師を私の味方に付けて欲しい」

「――畏まりました、アインズ様」

「うむ、良く言った。ただ薬師の件は出来るだけ早くだ。方法はエンリ自身に任せる。お前達姉妹にはまだ詳しい事は言っていなかったが、私はナザリックという大きな組織を配下に持っている」

 

 エンリは納得する。神にも等しいこれほどの人物が、少数の配下しか連れていないというのに違和感があったのだ。

 

「そのナザリックを預かる者として、仲間や場所を守らなければならないのだ。その為にこの村は守られ、お前の友人の薬師の能力を必要としているという事だ。特に薬師の能力は我々にとって脅威になりえる。可能なら手元に置いておきたいのだ」

 

 今のエンリにはよく理解出来た。外の者が『旦那様』の害になるなら容赦はしない。それが――友人であっても。

 

「いずれの件も、必要な事があれば申し出よ、可能な限り助力しよう」

「はい、よろしくお願いしますっ」

 

 承諾したエンリは、大恩あるアインズの要望をよく考え実行し実現するだけである。ンフィーレアに関して、助ける時間と可能性を『旦那様』から自分へ残してもらっている。

 

「……そうだ。エンリよ、まず人手として手足となる者らがより必要だろうから、特に変事がなければ……そうだな3日後にでもあの笛を吹いてみろ」

「こ、これですよね。確か〝ゴブリン将軍の角笛〟とか」

 

 エンリは、大事に首に掛けていた笛を見せる。一つはお守りとしてネムの首にも掛けてある。これは愛しい『旦那様』からの初めての贈り物。今、家の中の物で一番の宝物である。

 

「そうだ。お前のみに従うゴブリン達が現れるだろう」

「……分かりました」

 

 静かに頷くエンリであった。

 モンスターを呼び出せと言われたのだ。少し腰が引けるも『旦那様』が勧めてくれた事。吹いてみせますと指先に握る角笛を眺めつつ心の中で呟いていた。

 

 主との話が終わり、シズらから一歩下がった位置へ立ちエンリは考える。

 ンフィーレアについては『強引』に上手く頼むとして、村の発展についてはどうするかと悩む。人を増やす事と、何か村の発展の目玉になるものは……と。あと、悲劇を繰り返さないように村の周囲へ防護柵も必要な気がする。

 確かに旦那様の言葉通り、人手は必要だ。

 すると、妹がアインズにだき抱えられ移動する姿を見ていたエンリは、一つの考えを閃いた。次に都市へ薬を売りに行く時かンフィーレアが村へ来た時、薬師の彼に話そうという思いに至る。

 直後、ネムの「アインズ様、今晩もネムとお姉ちゃんと一緒に寝て下さいねっ」のひと声で、その晩も再びルベドがエモット姉妹の寝姿を所望したことは言うまでも無い。

 アインズは再び周囲監視の下、三角帽付きの空色の寝間着姿でエモット姉妹とベッドインする状況で翌朝を迎えていた――。

 

 

 



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STAGE13. 薬師少年の焦り/マーレ、デートの件(2)

 アインズ達が王城へ向かうという話は、すでに村人達の知るところである。

 自分達を救い王国戦士騎馬隊も助け、憎きスレイン法国の者達を屠ってくれた大恩ある英雄の魔法詠唱者一行。彼らが近日中に王都まで上り、国王陛下と謁見し功績を称えられるだろうと。

 村人達にとっても正に誇りとなっている。

 加えて、救われた村娘のエンリ・エモットが、村の英雄に気に入られて『毎夜優しく可愛がられている』ということも密かに村内へ広がっていく。だがそれは、アインズの立派である人柄と人望から、英雄譚のロマンス的な形で、皆に温かく見守られている風である。

 ナゼ広がったかというと……勿論、早朝の井戸端で、村にいる夜の営みに興味津々といえる歳の近い若妻らにエンリがそれとなく聞かれたのだ。

 彼女も、その手の話は縁談が出始めた2年辺り前から年長の村娘達から聞かされ、各種行為についても概ね知っている。

 また、これは『旦那様』の名誉にも関わる事。女に興味の無い男など、英雄物語に相応しくないだろう。また配下としても光栄である話と言える。

 それに――実際に二晩、同じベッドで過ごしているのも事実。

 そして……初夜は横向きで眠っていたが、今朝エンリは白い薄めのワンピースの寝間着姿で、大の字の仰向けで豪快に寝ており、その小さくはないが大きすぎでもない胸の形の全貌を、旦那様に寝顔ごとバッチリ見られてしまっている。思い出しただけでも頬が赤く染まっていった。

 それも有り「毎夜……優しく……可愛がられてい……るの」と皆へ小さくたどたどしく告げる。

 エンリの照れながらの言葉に、皆から『きゃぁ~~』という、羨む僅かに姦しい声が上がっていた――。

 

 色々あるが王城行きの為、アインズ達はカルネ村に建前上あと8日程滞在することにしている。王都リ・エスティーゼまでの道程は馬車でのんびり5日程度と言う話だ。

 当然、アインズ一行は〈転移門(ゲート)〉で大半をショートカットするつもり。ただし、流石にいきなり城門前に出現はありえないので、直前にある都市で一泊はする予定にしている。

 また、馬車調達の為としてシズには、伝令役という形で三日後に一日ほどナザリックへ戻ってもらう事にする。いきなり村へ馬車が来れば不自然だとアインズは考えた。ソリュシャンは村への対応に必要で、最強の護衛であるルベドは一応近くへ置いておくためだ。

 そんなアインズだが、一方で今日はマーレへのご褒美デートも兼ね、彼女と二人きりで共に冒険者チームの一歩目を踏み出す計画。カルネ村での用件が済み次第、ナザリックで合流し出発しようと考えている。

 冒険者の登録は、南の都市に冒険者ギルドが有ると聞いているので、おそらくそこへ行けばいいだろう。

 さてカルネ村での用件だが、アインズには一つ困った事情があった。

 ズバリ――お金が無かったのだ。

 ただそれは、このリ・エスティーゼ王国で使われているお金に限る話だ。アインズの手元にはスレイン法国のお金が結構といえる額で残っている。陽光聖典45名の所持分をナザリックで回収したのを始め、村を襲った騎士達ら50名程の躯から集められた分を村長から、『鎧は売った額を村で頂きますので、せめてこちらは全て受け取って下さいますよう』と渡されたのだ。金貨だけで騎士団が22枚、ニグンの隊の陽光聖典は56枚を持っていた。軍の活動資金のようだ。

 金貨銀貨銅貨の各重量と交換比率はどうやら、王国もスレイン法国もバハルス帝国も同じ模様。しかし三国で共通貨幣を作る動きは、各国の威信もあり全くないという。

 村長から聞いた話だと、冒険者になるには組合への登録と登録料が必須。つまりお金が不可欠なのだ。

 場所によっては法国の硬貨もそのまま使えるかもしれないが、冒険者組合では使えないかもしれず、また初手から法国関係で諜報活動者等の余計といえる詮索もされたくはない。

 この問題について、アインズは水汲みで井戸端から帰って来て、なぜか顔が真っ赤なエンリへ尋ねてみる。

 

「エンリよ、この家にお金はどれほどある?」

「えっ、は、はいっ。両親が蓄えてくれていた分が結構ありますので、銀貨で300枚分以上はあるかと」

「そうか。では、ここにあるスレイン法国の金貨78枚銀貨134枚銅貨223枚のうちで、銀貨と銅貨をすべて預けておくから王国の銀貨を50枚ほど持ってきてくれるか?」「は、はい、畏まりました、直ちにお持ちします」

「ではエンリ、これを」

 

 少女は「はい」と言いつつ主より、ずっしりとした銀貨と銅貨の袋を受け取る。理由は問わず。また本当は都市に両替店もあるのだが、手数料も掛かる上、何より旦那様をそこまで行かせて手間を掛けさせる訳にはいかない。行くなら自分なのだ。

 一階奥の自室の宝箱へスレイン法国の銀貨と銅貨の袋を入れ、代わりにそこからリ・エスティーゼ王国の銀貨と、そして銅貨を別々の袋に入れてアインズの下へ戻り手渡す。

 

「銀貨60枚と銅貨30枚を入れています。これをお持ちください」

「うむ」

 

 エンリは、お金がどれほどあるかと聞かれた時に、全額差し出すつもりでいたのだが、結果的に家の宝箱には出した倍以上増えていた。ちなみに両替店での両替料金は金貨1枚分までの金額に対して銅貨1枚程度だ。2枚取る店もある。

 アインズはそれを受け取るとアイテムボックスへ仕舞う。

 

「では、私はナザリックへ戻る。ルベド、シズ、ソリュシャンは村を頼む」

「……承知……です、アインズ様」

「畏まりました、アインズ様」

「分かった、アインズ様」

 

 エンリも配下として言葉を送ろうとした時、ネムがシズにだき抱えられた状態から起き出してくる。

 

「あいんずさま、みなさま……おはようござい……ます……」

 

 シズは、ネムを静かに下ろしてあげる。

 

「ネム、アインズ様はこれからお出かけされるのよ」

 

 「えっ……」と、歩み寄る姉の声でネムはきょとんとする。それで目が覚めたのか笑顔での見送りの言葉が出てくる。

 

「アインズさま、いってらっしゃいませっ」

「行ってらっしゃいませ、アインズ様。早いお帰りをお待ちしています」

 

 エンリもネムの背側に立ち、妻の雰囲気で見送りの言葉を笑顔で贈る。

 全員に見送られアインズは告げる。

 

「うむ、ではな。〈転移門(ゲート)〉」

 

 

 

 

 

 ここは、よく晴れた朝の心地よい陽ざしが眩しい――空の上。

 マーレとアインズは手を繋いだまま周辺の地形把握も兼ねて不可視化の中、〈飛行(フライ)〉にて南にあるという都市を目指していた。

 

「あれかな」

 

 支配者としていつもの重々しいトーンと口調では無い軽快な声。

 

「そうみたいですね、モモンガさま」

「確か村長がエ・ランテルと言っていたけど」

 

 距離があっても街の特徴が、二人の視線を引き付けていた。都市の周囲に円形で続き連なる長い城壁は、自然が美しく広がるこの新世界の中で、人工物である事を主張し異彩を放つ。

 

「あの街道の脇の草陰辺りに降りるか」

「はい、モモンガさま」

 

 ナザリックからここまで1時間と少し程度。

 〈飛行(フライ)〉は第3位階魔法であり、使える者は少ないと聞く一方でとても有名な魔法だ。実力を示し目立つにはいいデモンストレーションだが、アインズの考えで初めは慎重に行く事にする。まだ早朝と呼べる時間。この周囲へ人気が無い事を確認し、二人は不可視化を解除する。

 アインズは、見事といえる漆黒の全身鎧(フルプレート)に2本のグレートソードを背負い赤いマントを翻す戦士の姿。マーレもいつもと違うが立派な紅い木の杖を持ち、白いフード付きで高級感のあるローブを羽織り、エルフ耳や肌の露出を抑えた魔法詠唱者という姿だ。

 

 

 

 アインズが、カルネ村から第十層の玉座の間の前の廊下空間へ〈転移門(ゲート)〉で現れるとすでにマーレがいつものプリーツのスカート姿で待っていた。この場がデートの待ち合わせ場所である。

 

「おはようございます、アインズさま」

「早いなマーレ。私が先にここで待っているつもりだったのだが」

「そ、そんなっ。至高の41人で支配者であられるアインズさまをお待たせするなんて、僕には出来ませんっ」

「はははっ、マーレよ。デートでは男が先に来て待つ形が好ましいのだ。まあ、お前のその気持ちは嬉しいぞ」

「(ぼ、僕からの敬愛の気持ちが嬉しいなんて……幸せですっ)あ、アインズさまっ、これでいいですか?」

 

 マーレは頬を朱に染めつつ、手に持っていた全身を足首程まで隠す白い高級仕様のローブを羽織る。

 

「うむ、それでいいだろう、似合っているぞ。対魔法対物理攻撃に高い抗力があり、温湿調整もしてくれる優れ物だ。フードを被れば耳も目立たず、無用の詮索は受けないだろう。では、私も――〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉」

 

 アインズも漆黒の全身鎧(フルプレート)の姿に変わり剣を背に装備する。

 

「じゃあ、マーレ、ナザリックの出口へ行こうか」

「あれ? アインズ様、お声の感じが……」

「うん、この姿では少し雰囲気を変えようかと思ってね。まあ、状況によって使い分けるよ」

 

 アインズは、此方に来てからずっと支配者に似合った形でと考えて出していた重々しい声ではなく、『地声』に切り換えてみる。一応、他にも法国騎士の死体から声帯を食わせた口唇蟲(こうしんちゅう)も用意しているが。

 

「そうですか、わかりました」

 

 アインズの差し出して来た右手をマーレが可愛くキュっと握ると、指輪の力で地上のナザリック地下大墳墓の中央霊廟正面出入り口へと一気に〈転移〉する。

 そこには、戦闘メイドプレアデスの副リーダーであるユリ・アルファと、一般メイド達4人が二人の見送りに立っていた。

 

「待たせたな、ユリにメイド達よ」

 

 この場は重々しい声で対応する。アインズはこの冒険者での調査を、マーレへの褒美としてと、また彼女の功績へ対し、支配者の一つの正式な行事として行おうとしたのだ。

 

「いえ、アインズ様もマーレ様もお忘れ物はありませんか?」

「な、ないです」

「うむ、最後にこの指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を預かっておいてくれ」

「畏まりました」

 

 アインズはマーレから手を離すと、右手から指輪を外した。

 ユリは恭しく貴重である指輪を受け取る。失くすと深刻な問題になるというので、一応ナザリックからの遠出の場合は預ける事にした。カルネ村内は、ルベドも居るので例外的扱いだ。地理調査のアルベドも泣く泣く了承して左手の薬指から指輪を外しており、ナザリックで保管されている。

 

「では行ってくる」

「行ってきます」

「「「「「行ってらっしゃいませ」」」」」

「マーレ、手を」

「は、はい、アインズ様っ」

 

 これはデートも兼ねるのだ。アインズから差し出された右手を、マーレは再び頬を染めながらしっかりと握る。

 

「「〈飛行(フライ)〉」」

 

 〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉を使用する状態で、アインズ自身は魔法を使うことが出来なくなっている。しかし、彼の装備する豊富なアイテム類により、ある程度補完されている。基本的といえるいくつかの魔法は使用可能である。また、所持する魔法を封じた巻物(スクロール)の種類も豊富だ。

 二人が飛び去る姿を、ユリを初めメイド達が静かに礼にて見送った。

 

 

 

 アインズらは、そうしてナザリックを後にし、このエ・ランテルの街道脇に立っている。

 

「さて、冒険者劇場を始めようかな。マーベロ、行こうか」

「は、はい、モモン……さん」

 

 アインズの冒険者としての軽めの声へ、恥ずかしそうにマーレが返事を返す。

 冒険者へ登録する名前についても、アインズは考えていた。彼自身は、戦士モモンを名乗り、マーレには本名のマーレ・ベロ・フィオーレから取った、魔法詠唱者(マジック・キャスター)マーベロを名乗らせる事にしている。

 その際、仲間という設定から、敬称を『様』から『さん』へ切り換えるようにとマーレへ告げている。少し抵抗はあるようだが、これも仕事の一環とこの子は割り切ってくれた。

 当初『モモンガ』にしようかと告げたが、「支配者様の御名を『様』などの敬称無くして呼べませんっ。それだけは……」とマーレに強く懇願されてモモンにした経緯がある。

 二人は手を繋いだまま、街道を歩いて城門へと辿り付いた。

 巨大にそびえる城壁の門には当然ながら検問があり、10名程の衛兵が人相や荷を確認するのが見える。順番なので早速列に並ぶ。朝の時間で早くも少し混み始めていた。しかし、10分待った程度でアインズらの順番がきて、衛兵ら3名が二人を確認する。

 彼等はまず、杖を握りフードを被った少し俯き気味のマーレの褐色の顔を覗き込む。すると、まだ少し幼いがこの人物の美貌に目を見開く。その状況に少女は僅かに反応する。

 

「ぁっ……」

 

 小柄の身より上がった、か細い綺麗な声や戦士へ寄り添うように体を引く仕草から衛兵らは、これが女の子だと認識する。周りにいる何人かの衛兵らも顔を見合わせ、驚きの声を交わしている。今でも美しいのに、成長すればもの凄い美人になるぞと。

 

「君の名前は?」

「マ、マーベロ……です」

 

 そして、次は大柄で佇むアインズの番である。

 

「戦士殿、名と素顔をお見せ頂けるかな」

 

 アインズも、横に細長い兜のスリットから衛兵達の迫る様子が見えていた。流石に面頬付き兜(クローズド・ヘルム)で門を通してくれるほど警備は温くないようだ。それも見越して来ており、アインズはマーレとの手を離すと頭部の兜を脱ぐ。

 

「俺は、モモンといいます」

 

 ありきたりな……いや、平均以下かもしれない作りの、それなりに年齢を重ねた若年ではない顔が現れていた。少なくとも、横に付き添う魔法詠唱者風の美少女とは釣り合わない水準。そして、黒髪黒目で王国の者の顔の作りではないように見えていた。南方の諸国出かと思える顔立ちだと衛兵らは囁く。勿論この顔は、アインズの幻術魔法で作り出していた。事前に用意し、触ることも出来る少し凝った作りのものだ。

 続いて、衛兵から怪訝に感じたのか確認がきた。

 

「この連れの者との関係は?」

 

 肌の色も年齢も違う様子から、この二人連れは他人同士の可能性が高いと判断してのものだ。王国では奴隷制度は撤廃されている。偶に密売の奴隷商人が検挙されていた。

 アインズは特に気負う事無く答える。

 

「仕事の、冒険者のパートナーですよ」

「(手を繋いでいたのは……)冒険者だと?」

 

 冒険者は一般的部類に入る仕事の一つだ。だからこそ、彼等を見分けるのが容易い。なぜなら、冒険者達は目立つ位置へ実力に見合った階級のプレートを付けているからだ。

 

「貴殿の階級プレートは?」

「(階級……プレート? ……そうか、どうやら冒険者には身分を証明する形の物があるんだな)我々は、遠方からこの地へ来たばかりの者で、今日これから冒険者組合へ伺うところなんです」

「ふぅむ、そういうことか。立派な、全身鎧(フルプレート)と双剣なので、ただ者ではないと質問させてもらった。お連れの方の、紅い杖も純白のローブも上等品ですな。……いいでしょう、通行を許可しよう。し、しかしパートナーか……冒険者の男女二人組の場合、夫婦やカップルが圧倒的に多いのだが……」

 

 その言葉に、周りに立つ衛兵達の視線が血走ったように鋭くなる。随分小柄で幼くも飛び切りの美少女に見えている女の子が……まさかと。

 小さい美少女も頬を染めて俯いたきり、否定する声も無く。

 

(夫婦……カップル……夫婦……カップル……)

 

 マーレはフードの中で口許が緩みっぱなしになっている。

 

「ははははっ……あ、すみません、冒険者組合はここから近くでしょうか?」

 

 アインズは盛大に惚けつつ、ついでと目的地について道を教えてもらう。

 

「……そこの大通りをずっと進むと広場がある。その広場に面して冒険者組合の事務所は建っているぞ。噴水の近くだ」

「そうですか、ありがとうございます」

 

 検問と用件を終え、立ち去ろうとするとアインズ達に、衛兵の男から声が飛ぶ。

 

「おいっ」

 

 アインズは少し緊張気味に振り向く。何かまだ問題があったのかと。すると衛兵の男は、親指を立てながら片目を閉じて言った。

 

「夜は―――ほどほどにしておいてやれよっ」

 

 周りの衛兵達も、声を掛けた衛兵の男を囲むように同じく親指を立てていた……。

 

 

 

 再び手を繋いだアインズとマーレは、迷うことなく広場に面した冒険者組合事務所へとやって来た。

 周りにも冒険者らしい者達を見掛ける。早速建物の中の入ると、広めのロビーになっておりそこにも15人程の冒険者達が掲示板の前に(たむろ)していた。しかし、アインズ達が入口から入って来た途端に、皆の多くの眼差しと呟きが二人へ集中する。

 

「お、おい。あれ……」

「す、すげぇ鎧だ。……誰だ?」

「良く動けるな……軽量化魔法付加か?」

「……いくらするんだよ」

「あの白い上等なローブ、綺麗ね……」

 

 ほとんどが驚きの顔だ。アインズには良く分からないが、二人の装備が高級に見え立派だったためである。

 アインズ達は、そのまま気にせず真っ直ぐに受付へと向かった。そして、冒険者としての登録の意志を伝える。すると、係の女性に別室へと案内された。

 登録手数料は一人につき銀貨1枚とのこと。

 手続きは結構簡単に進む。契約書の概要は、組合側の女性が確認しつつ読んでくれたので助かった。一応文字を読めるようにとアイテムである眼鏡を持参して来ていたが手間が省けた形だ。

 最後に、サインだけは必要であった。一応マーレも王国の文字で名前を練習して来ていたので、滞りなく登録手続きは30分掛からず終わる。

 仕事はプレートがなければ紹介出来ず活動も禁止との事なので、明日以降取りに来るようにと伝えられる。アインズは「では明日にでも」と時間は明言せず返した。

 マーレとアインズが、別室からロビーへ戻ると再び多くの視線を受ける。

 なにやら居心地が悪いため、二人は再び手を繋ぎつつ外へと出た。冒険者の上位の者達かは分からないが、職業柄を考えれば力こそ正義と談じ荒っぽい者らも少なくないだろう。

 まあ難癖や喧嘩を売られたとして、力勝負ではどう転んでも負ける状況にはならないだろうが、新人がいきなり馴染みの場所でデカイ面をするのが面白くないのは理解出来る。

 

「お、多くが、なにか妬みのある言動と視線でした」

 

 マーレの表情や顔は明確に見られていない事から、彼女の言葉にアインズは、視線を向けていた者らの服装を思い出す。

 

「うーん、なら俺達の装備が羨ましかったとかじゃないかな?」

「弱者には意味の無いものだと思いますが……」

 

 すでに今日の目的は終わったのだし、問題が起こる前に冒険者組合から離れても良いだろう。

 ここでふと、アインズはマーレの『弱者』発言が少し気になった。

 

「マーベロ、人間は嫌いか?」

 

 マーレも闇妖精(ダークエルフ)で人間種に入る。アルベドや多くの階層守護者にプレアデスの面々は、人間を下等生物として忌み嫌っている。それに対し、階層守護者でもあるこの子の考えを聞いてみたかったが。

 

「興味がありません。僕が大事なのはモモンさんとお姉ちゃんや拠点のみんなです。あとは――ゴミも同然かと……」

「(ゴ、ゴミ……マーレもか……)そうだな」

「は、はいっ」

 

 主様も同じ意見なのだと、マーレは彼の手を強めにキュっと握り、ニコニコする笑顔をモモンガ様へ送る。

 マーレの中では、味方かそれ以外で完全に区分けされているようだ。人種などは関係ないのだろう。まあ、恐怖公の所に平気で出入り出来るし、避ける事もないという強靭な精神力の持ち主らしい考えかもしれない。

 可愛い配下達は一応、アインズが認め且つ皆の為に頑張る者や貢献する者を、種族に関係なく評価はするのだ。その点は、支配者として喜ばしく考えている。

 ――その時、アインズに、いやマーレにも背中へと強烈に悪寒が走った。

 二人は広場内で異質を感じたそちら側を見る。影も無い空間。だがそこに、不可視化した恐るべき能力の悪魔である()()がいると気が付いた。ソレは徐々に近寄って来る。

 

「――アルベドか? 声を落として話せ」

 

 アインズは思わず声が、いつもの重々しいものになった。そういえばと、地理調査の南方地域担当が彼女だと思い出して。

 御方の声に、彼女は空間から静かに答えてくる。

 

「はい、アインズ様。マーレの白いローブ姿が見えましたので――まさかとは思いましたが」

 

 なにが『まさか』なのか支配者でさえ怖くて聞けない。皮膚や汗腺の無いはずの頭蓋に汗が流れる感覚……。圧倒的精神力者のマーレも硬直気味だ。姉のアウラより怖くはないが苦手なのだ。

 ここは平和のためにもっともらしい理由を先に述べておこう。

 

「私とマーレは、この新世界の社会構造についての知識を直接得るため、一時的に冒険者という職業への潜入活動を行っている。先程登録を済ませたところだ」

 

 統括や階層守護者達に相談せず、勝手といえる事をしているのかもしれない。とは言え、やましい事など何も……(イヤ少ししか)ないのだっ。

 しかし、アルベドのトーンが落ちた次の一言に、アインズは凝固する。

 

「ではその――マーレと手をシッカリお繋ぎになっている意味は?」

 

 

 げへぇ。

 

 

 絶対的支配者の思考に、あってはならない動揺しまくったその言葉が流れる。口から飛び出さなかった自分を褒めたい。

 アルベドの急な登場に、手を繋いでいるのを忘れていた。

 こ、コトバが出ない……頑張れ俺、と思考をフル回転する。すると、入手したての知識にぶつかった。

 

「――ふっ、アルベドよ。まだ経験が浅いな。冒険者の二人組には夫婦やカップルが多いはずだからだ。これはそれを見越した『当然』の対処」

「な、なんということ――そういった意味が。なるほど、さすがはアインズ様……しかしそのような(妻や恋人という)大役、なぜ私めにお命じになりません?」

 

 不可視化ながら、その彼女の様子や表情は窺える。艶やかな長い髪を揺らし、頬を染め、目を潤まし、腰の黒き翼をパタパタさせつつ身体を左右へと可愛く(しな)らせている様子が。

 アインズは答えてやる。

 

「この潜入調査は時間を要するものだ。そのため、ナザリック統括のお前までも連れ出すことは出来なかった。私が時々不在となるナザリックをアルベドが守っていてくれれば、これ以上の安心はないだろう。違うか?」

「くふーーーーーっ!!」

 

 主の言葉に、もはやアルベドは自身を両腕を初め、両翼でも抱き締めるようにし、目を閉じて震えている。

 

「あぁ、正妻として家をしっかり守れと仰られているのですね。分かりますとも、至高の支配者であられる愛しいアインズ様っ!」

 

 伝えた内容の解釈に多大な誤差が出ているようだが、もう――これで大丈夫かもしれない。アインズはそう思った。

 

「――色々『統括』として面倒を掛けるが頼んだぞ、アルベド」

「はいっ、担当の地理調査を早く済ませますので、では。マーレ、アインズ様を頼むわよ」

「は、はい」

 

 不可視化状態のアルベドは、ルンルンと軽快に翼を羽ばたかせ飛び去って行った。何か大きいものを失った気もするが、二つの命が救われたように思える。それで良しとしよう。

 恐怖は去ったのだ。

 

「さ、さて、マーベロ。しばらくこの新世界の街の様子を調査しようか」

「は、はい、モモン――さん」

 

 直前の動揺があるのか、一瞬詰まるも気を取り直してマーベロに戻り笑顔で答える。

 少女は、街中をアインズに手を引かれて歩いてゆく。

 マーレも初めて見る街並みに少し興味があった。NPCは基本拠点防衛の存在で、ユグドラシルではこうやって外を移動することはなかったのだ。

 街並みや働く者達など、知識としてはぼんやりと有ったものが、実際目にすることで完全に理解出来ていった。ナザリック以外に関心はないが、有事の際にモモンガ様のお役に立つかもしれないと。

 それに今は、敬愛するモモンガ様と手を繋いでのデート。心は最高に弾んでいる。たとえここが死地でも後悔は無いほどの嬉しさだ。

 

(モモンガさま……モモンガさま……モモンガさまぁっ……)

 

 仕事も入っているとはいえ、正式な二人っきりのパートナーでもある。恋人同士とも見られている関係。正に望むところである。これほどの素晴らしいご褒美に、マーレは改めて主様をオッドアイの可愛い瞳の熱い視線で見上げつつ感謝していた。

 第三城壁内をぐるりと一周し、第二城壁内の街並みも一通り見て回ったが、第一城壁内については住民登録者か冒険者のプレートが無ければ入れないとのことであった。

 仕方なく、ここで街の様子についての調査を終える。のんびりではあったが、もう20キロ以上は歩いただろうか。街を歩き始めて八時間は過ぎている。二人は疲労しない体だが、アインズは途中マーレへ何度か水差しから冷水を出してあげる。マーレはその都度、美味しそうに両手に可愛く持ったグラスでコクコクと飲んでいた。

 すでに夕暮れ前の結構よい時間。

 マーレは少し……いや多分に期待している。――二人っきりで宿屋に泊まることを。

 明日、プレートを貰うためにこの地へ居る必要がある。つまり、宿泊の可能性は高い。宿屋も安いところがあると組合で贔屓にする店をいくつか教えられた。しかし一方で、資金は十分あるとアインズは断っていたのだ。

 少女は主へと緊張気味に確かめる。

 

「モ、モモンさん、今夜の宿を決めませんか?」

「ん? ああ、そういえばマーベロに言っていなかったか、ゴメン。俺達はまだ目立つ存在では無いみたいだし、現状では行動を監視されている事はなんじゃないかな。街中でも追跡者はいなかったし」

「は、はい、確かに」

「だから――先ほど見回った人気のない墓地の傍から〈転移門(ゲート)〉で帰還しよう。明日は夕刻ぐらいに組合でプレートを受け取って、仕事がないか聞いてみよう」

「……わ、分かりました」

 

 マーレは正直、内心で大いにガッカリする。本日のデートへの期待の実に40%ぐらいの重みがある夜の展開なのだ。一緒に居たいのである。それが、消えたと。

 闇妖精(ダークエルフ)の少女は、先程までの元気がなく俯きつつ手を引かれ、アインズのあとを静かにトボトボと続いて歩いた。

 墓地近くに来ると、人気の全くない城壁補修用のバックヤード的な石材置き場にて、周囲から見えない場所へ入り込むと、アインズは〈転移門(ゲート)〉を開いてナザリックへと帰還する。

 二人はナザリック地下大墳墓の正面出入口前へ立っていた。

 アインズは〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉を解除すると、口調がいつもの重々しいものに戻る。

 

「マーレ、私はカルネ村の様子を見てくる」

「は、はい……」

 

 どうやらデートは、ここで終わりのようだ。

 カルネ村――最近モモンガ様を独占している場所の名である。だが、モモンガ様が目を掛けているということで、マーレも気に掛けなければならない。

 しかし、嫉妬の対象にはなり得る。今日は特にその度合いが高まる日。何がその村にあるのか、詳しくはまだ聞いていない。

 ルべドやシズ、ソリュシャンが詰めているが、主様と共に二泊していることは事実。皆、マーレよりも肢体が長い美人達である。

 

(モ、モモンガ様、まさか3人にご執心とか……ないですよね?)

 

 空が茜色に変わり始める中、マーレは熱くモモンガを見詰める。

 そんな彼は唐突にマーレへと告げてきた。

 

「すぐに戻って来るからマーレよ、先に六階層の巨大樹へ戻っていろ」

「えっ……?」

 

 今日はこれでもうお別れと思っていたのだが……続きがあることに声が漏れた。

 

「マーレよ、デートには――〝家デート〟というのが有るのを知らないか?」

 

 マーレは驚く。驚愕である! 『家デート』、何という斬新なる響き。暗雲が立ち込めていて落ち込んでいた心と彼女の声質に、燦然と明るさが戻る。

 

「はっ、はいっ! キレイキレイに(僕自身も)しておきますっ!」

「うむ、では巨大樹で会おう。〈転移門(ゲート)〉」

 

 アインズは門へと消える。

 マーレは一瞬呆けそうになったが、それどころではない。すぐに、自らのその高い身体能力を最大限に使いダッシュする。

 第一から三階層にてシャルティアらのシモベらに「お帰りなさいませ」と声を掛けられつつも、「うん、ただいま」と声を置き去りにするように、階層の転移門を次々と降りていった。そして第六階層の『ジャングル』へ戻って来る。円形闘技場を横に通過し、奥の森へと入ってゆく。

 そこの森の中核を成すのが全高200メートルにも達する巨大樹だ。幹の直径は根元で30メートルほどもある。

 彼女ら姉妹の住居は、この幹の周りを周回するように丸太で丁寧に作られている。

 飛ぶように階層が3つに分かれており、各階層は屋内で小さい〈転移門(ゲート)〉で結ばれている。

 〈塵掃除(ダストクリーニング)〉で埃を一掃し、居間のソファーの配置や、寝室のシーツやカバーも一新する。

 メイド達を呼びたいところだが、理由を述べるのが気恥ずかしいのもあり自前で作業をする。外へ出張中の姉に申し訳ない気もするが主様のご指名である。ここは譲ってもらおうと。

 慌ただしく自宅の片付けを終えると、マーレは歯を磨き、脱衣所で装備を脱ぐと浴室に飛び込んでいった――。

 

 アインズは、カルネ村へ40分ほど滞在する。

 村では特に異変もなく、朝から一日平和に過ぎていた。彼はルベドらを引き連れ畑へ向かい、エモット姉妹にこれからの夜と、明日はおそらくナザリック側で過ごすと告げる。

 エンリとネムは少し残念そうだ。しかし、支配者が忙しいのは理解しなければならず、笑顔で見送ってくれる。

 アインズはエモットの家に戻る前にデス・ナイトの状態を確認する。やはり、消滅する気配は全くなさそうだ。

 

(間違いない、これは死体が有れば有るだけナザリックの戦力になるなぁ……。中位でLv.30台と、上位のアンデッドならLv.50台はいけるんじゃないだろうか)

 

 ソリュシャンに確認すると、スレイン法国の騎士達の死体43体がまだ、村の外に野ざらしらしい。アインズはスキルにより、上位アンデッドは1日4体、中位アンデッドを1日12体の創造が可能だ。先日確保した実験用の死体も使えば50体分になる。

 

「ソリュシャンよ。村長へ死の騎士(デス・ナイト)らを使い、あの死体は村から離れた位置へ夜中に埋めておくと伝えろ。そして、死体を八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)らも使ってナザリックへ全部回収しておけ。あとアノ死骸も回収しておけ」

「畏まりました、アインズ様」

 

 そう伝えると、アインズはエモット家へ向かい室内よりカルネ村を後にする。

 

 アインズがナザリック第六階層まで来ると、普段姿のマーレと階層内のシモベ達の中の精鋭20体程が出迎えてくれた。

 

「――アインズ様、良く僕らの第六階層へお越し下さいました」

「うむ。皆、出迎えご苦労。直接お前の住居に行くのは初めてだな」

「はい。こちらの世界へ来る以前も、アインズ様は円形闘技場まででしたよね」

「折角だ。マーレよ、のんびりと歩いて行こうか」

「は、はいっ」

 

 アインズの伸ばしてきた右手を、左手で優しくしっかりと握る。

 デートはまだ続いている。そう思うと、マーレの足は軽やかであった。

 円形闘技場の横を通り直に森へ入る。足場は獣道だがジャングル内でも思ったほど悪くはない。

 そして巨大樹の傍まで来る。後ろに従っていたシモベ達はここまでだ。整列して支配者とマーレの入室を見送る。

 ここから〈転移門(ゲート)〉で室内へと二人は飛んだ。

 さて、マーレとの『家デート』スタート。

 まずは、手を繋いでの室内探訪だ。第一層は巨大樹の100メートルほどの高さにある。この高さでも幹の直径が20メートル程もあるため、周回するルートは60メートルを超えている。この階層には玄関、収納、居間、客間、家事室がある。第二層は130メートル付近にあり、多目的室、寝室×3、収納、特別室、浴室。第三層は170メートル付近にあり、ほぼ展望する形の多目的室と収納である。何れの階層も外はデッキテラスでそこも周回可能だ。

 今は第三層の高さ170メートルのデッキテラスで、手を繋ぎながら二人、ロマンチックに雄大に在る景色を眺めている。

 

「初めてこの位置で見るが、随分いい眺めなのだな」

「ぁ、ありがとうございます」

 

 この第六階層だけは天井に24時間の時間の流れがある。至高の41名の一人、ブルー・プラネットさんが叩き込んだ渾身の天球面データ群だ。

 今は夕暮れが進み、西側の空が紅に染まる。対する東の空の端は紺色に変わろうとしていた。アウラとマーレの双子はこの階層に居る事も多かった事から、第六階層が整備されて10年以上ずっと見ている景色になるのだろうか。

 気が付くとマーレが、すぐ傍まで寄って来ていた。そして、こちらへ熱く期待するよう赤い頬を見せつつ、僅かに横目でチラチラと確認してくる。

 二人っきりで、絶景のロケーションに雰囲気は最高潮。何か――キスを期待しない方がおかしい気もする。

 しかし、雰囲気だけでいいのだろうか。そう、アインズの感情は昂ることが無いのだ。だが良く考えると、このデートはマーレへの感謝を込めたご褒美なのである。一瞬考え、そういう気持ちのキスもあっていいのではという結論に達した。

 だが問題はまだある。アインズはリアルで女の子とキスの経験が無かった。そんな不安に思う気持ちが芽生えつつ……しかも骸骨なんだが。キスで歯がかち合って痛かったという話を聞くが、それどころではない。

 ――歯しかないのだ。

 

(ううむ……)

 

 悩みどころである。歯と唇でキスは成立するのだろうかと。

 定義としてキスとは、唇を接触させる行為なのだ。つまり、アインズ側からの接触はキスとは言えないのである。これは衝撃の事実。

 代替えの方法はある。幻術の顔を使う事だ。しかしアインズがされる側ならこれは納得出来ないだろう。ハッキリ言って絶対的支配者のやることではない。

 ここは支配者らしく骸骨で、歯で行くべきだろう。

 

「マーレ」

「はっ、はい……モモンガ……さま」

 

 マーレの反応がいつもよりも従順である。ゆっくりとこちらを向く上目遣いの少女の頬は真っ赤に染まり、目も僅かに潤んでいる。

 アインズは、決断する。――ええい、ままよと。

 絶対的支配者は腰を下げ顔をマーレへと近付けていった。マーレは顔を上げると静かに目を閉じていく。

 

 二人の影が、真っ赤な夕日を背景に静かに重なっていた。

 

 時間にして10秒程だろうか。そして影が離れる。

 口を最初に開いたのはマーレであった。

 

「モ、モモンガ様、ありがとうございました。――このマーレ・ベロ・フィオーレ、生涯この日、この時間の事を忘れませんっ」

 

 そうして、主へ跪き深き礼を捧げた。

 

「たとえこの身が、戦いで砕け散り再起出来なくなっても、この敬愛する気持ちだけは永遠に変わることはないです」

 

 アインズは、静かにその愛おしい配下の頭を、深く優しく撫でてやる。

 

「可愛いマーレよ、支配者として礼を言うのは私の方だ。あの作業量と造形力。そしてそれらが我等ナザリックへもたらした安全度は飛躍的に向上した。これはマーレの存在と力が成した事。その事をいつまでも誇って欲しい」

「モモンガ様……」

「それにマーレ。――愛おしいお前達がこの地から去るような事は、如何なる敵が現れようとも、この絶対的支配者であるアインズ・ウール・ゴウン……いやモモンガの名において絶対にさせん。我等はいつまでもずっと一緒だぞ」

「あぁぁ、モモンガさまぁ……」

 

 マーレの目尻に涙が浮かぶ。それをアインズはハンカチでそっと拭いてあげる。

 

「さあ、立つがいい。デートはまだ終わっていないぞ」

 

 そう伝えつつ、アインズは腋下からマーレを優しく抱え、持ち上げて立たせた。

 

「はいっ、モモンガさまっ」

 

 二人はそのままゆっくりと、全天に星が瞬くまで第六階層の空を、一緒に手を繋いで静かに眺めていた。

 その後、第一層の居間に降りて、ソファーの上でマーレはアインズに抱っこされながら話をしたり、ヴァーチャルジェンガをしたり、パズルをしたり、一緒に電子本を読んだりして翌朝まで楽しく過ごした。

 マーレとしては長い時間、主様に優しく抱っこされていたことで、十分満足出来る『家デート』になった。

 

 

 

 

 

 アインズは朝を迎え、第六階層から第三階層へやって来た。傍で護衛をしたいというマーレを従えている。彼女は今、ナザリックの配下全残存者中で最高の使い手である。

 第三階層の墳墓の一角に例のスレイン法国の騎士達の死体50体が集められていた。そして何故か王国戦士騎馬隊の死んだ馬の死骸も12体あった。ソリュシャン達が上手くやってくれたようである。

 アインズは告げる。

 

「――上位アンデッド作成、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)

 

 すると、最寄りの騎士の死体と、馬の死骸を媒介に、蒼い馬に乗った禍々しい姿を持つ騎士が形成され現れる。蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)は非実体となり飛行することも可能であるモンスターだ。

 

「やはりうまく行ったな。マーレ、こいつのレベルは幾つだ?」

「は、はい。Lv.58です」

「ふむ、村でルベドらを補佐するだけならまあまあか。Lv.88の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)を4体当てるのは流石に少し過剰だからな。蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)達に代役させよう」

 

 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)はナザリック全体でも15体しかいない不可視化や8連続攻撃の能力を持つ強力で貴重な戦力である。

 アインズはカルネ村の、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)4体の内1体を残し代わりとして蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)を3体送り込むべく、計3体の上位アンデッド作成を行なった。さらに、そのあと中位アンデッド作成も実行し、死の騎士(デス・ナイト)を計10体生み出していく。作業時間は約三十分程。

 アインズの描く今後の計画には、極力戦わず相手の戦意を喪失させ、見た目で降伏させることが出来る程の戦力があればと考えている。

 まだ支配者として明確に示す戦略は無い。だが、優秀なデミウルゴスやアルベド辺りが意向を察して、綿密に戦術まで考えてくれるのではと。敬意を持って慕ってくれている多くの優秀な部下達に、自分はただ先への道を示せばいいのではないかと思っている。

 先日からの周辺の地理調査については、デミウルゴスも率先して参加してくれていた。

 しかし、かの上位悪魔で丸眼鏡の配下の考えは、高等過ぎて良く分からない。あの時も後で褒められていた。マーレへ単に周辺の造成を指示しただけなのだが……。

 

『さすがでございました。守護者各位の猛奮起を自然な形で引き出されることをお考えとは……』

 

 造成指示は、普通にマーレが適任かなぁと思い付いただけである。まあ、持ち上げられることに不快感があるわけではない。彼の忠誠は厚いものだと感じて心強い限りだ。

 またアインズがカルネ村において、初めてこの世界で遭遇した敵の騎士を一撃で絶命させたこともデミウルゴスを狂喜させていた。報告書の片隅にはこう書かれていたのを思い出す。

 

 『未踏のこの地にて、手本の如く勇敢にも我々ナザリックの先頭に立ち、皆に先駆けての輝ける初の勲功。まさに我らの支配者に相応しい行動に感服いたしております。一日も早く我々配下一同も共に至高の御方の意向である計画を実現する所存でございます。』

 

 デミウルゴスの報告にあった『計画』というのは何なのか分からないが、すでにこちらの考えを見越されているのかもしれないとアインズは考える。デミウルゴスの本来持つ戦闘時の指揮にも期待したい。実際、ユグドラシルで1500人のユーザーからの攻撃を急に受けた際は、十分指示を行う暇の無かったNPC達を上手く指揮し、上層で随分時間を稼いでくれていた。

 新しい戦略にはおそらく、質と量の両面で新たなる戦力の充実が不可欠。アインズとしては、現状のナザリックの戦力の損失は、ギルドの仲間達の事を考えれば極力避けたいのもある。可能ならこの世界にある兵力や新たに生み出した兵団を地上の主戦力にしたいところだ。

 先日、王国戦士長はすでに死の騎士(デス・ナイト)へ一目置いていた。そこでアインズは、とりあえず中位アンデッド以上での兵団を創出しようと考えている。ただ、兵団規模を大きくするには時間が掛かりそうなので作業は地道に行う予定だ。

 一方で、スレイン法国への対策も必要とアインズは考えていた。特に対情報系魔法については、再度舐めたまねをされては困るので、王城へ行く前に速やかに対策しておこうかと考える。ふと、マーレが今傍に居る事が好都合といえる状態だと気が付いた。

 

「マーレ、すまないが少し手伝ってくれ。他の者では少々危険だからな」

「はい、分かりましたっ」

 

 二人は墳墓を出ると、効果範囲を最大限拡大し攻性防御力を強化した対情報系魔法の組み合わせを、外の地上で検証し始めた。3時間程組み合わせを試行錯誤する。その間、地下の書庫からもギルド仲間の資料を持ち出して、参考にしながら高度な逆探知・逆監視機能も追加した組み合わせが一式出来上がる。アインズが各種動作検証のため対情報系魔法一式を発動する。これらに向かい三重に最上位魔法防御を展開したマーレが、自動で付加される味方識別を態々外した敵側として、実際に上位の情報系魔法で閲覧調査行動を取る。すると、強烈さに定評のある第9位階の殲滅火炎魔法が攻性防壁で自動的に起動。想定通りに逆探知・逆監視も動作することが確認された。

 上位魔法に関してスペシャリストのアインズかシャルティアかマーレでなければ、発動実験をさせることが出来ない水準であった。

 

「マーレ、実験は成功の様だ。ありがとう」

「は、はい。おめでとうございますっ」

「うむ」

 

 この新しい対情報系魔法は、ナザリックのあるこの広大に広がる草原へ15か所と、カルネ村の周辺の地域7か所程へ設置したいと考えていた。早速魔力供給アイテムと併用し、3時間半ほどで草原側は順次設置し終えた。あとは魔力供給アイテムを定期的に交換すれば常時維持出来るはずである。

 カルネ村については後ほど行う予定でいる。

 

「さて、マーレ。先にそろそろアレを受け取りに行っておくか。日が暮れてしまうかもしれん」

「はいっ」

 

 これから、エ・ランテルに向かい、冒険者のプレートを受け取らなければならない。仕事も出来るものが有るか聞いてみて、手頃と思えるものが有ればどれか一つやってみるのも悪くない。

 当初、この冒険者チームで最終的に大きい名声を是が非でも得ようと思っていた。

 でも今は、多方面による総合的な形で『アインズ・ウール・ゴウン』の名声を高めたいと考えており、アインズにとって冒険者はある意味、多少息抜き的位置のものだとの認識に変わってきている。

 アインズは、一応対策の後〈千里眼(クレアボヤンス)〉により、出現位置である石材置き場近くの状況を確認する。

 特に異常はなく二人は、戦士モモンと、魔法詠唱者(マジック・キャスター)マーベロの姿に変わった。

 アインズはパートナーとしてマーレへ手を伸ばすと、少女は御方の手をそっと握る。

 その様子に彼は「〈転移門(ゲート)〉」と唱えた。

 

 

 

 

 

 アインズとマーレは、昨日消えた場所と同じ大都市エ・ランテルの、第三城壁内西地区の共同墓地に近い石材置き場へと姿を現す。周囲から直接見えない場所を選んでいた。

 そうして速やかに人気のないその場を後にすると、二人は冒険者組合の建物を目指し移動する。

 

 ――そのアインズ達の姿を、石材置き場の近くで察知した人物が一人いた。

 

 その者は、口許を妖しく歪めて微笑む。

 

「あれー? なーにかなー?」

 

 まだ20歳(ハタチ)そこそこに見える、短めなボブ調の金髪で猫を思わせる雰囲気の若い女だ。

 200メートル程離れた位置の木陰に潜むように居た彼女は不思議がる。豊かな胸でスラリとした姿にビキニ風の銅色鎧で、左腰には4本ものスティレットを差していた。

 その鎧には、100を超える色違いの付けられた金属片が光る。ただ、よく見ると金属片は全て冒険者達のプレートの形に見えた……。

 30分ほど経つが先程、あの近辺を通った時には人の気配を全く感じなかったのだ。これはアサシンの職業レベルも生まれながらに持つ彼女には、確信出来る絶対事象だ。

 

「んふふー? 興味が湧いちゃったっ」

 

 彼女がここにいたのは、逃走路と潜伏先の地を確認するため。

 現在、スレイン法国六色聖典の最精鋭部隊『漆黒聖典』所属で第九席次として在籍する。

 だが二股を掛けている秘密結社『ズーラーノーン』へ、間もなく自国のお宝を一つ手土産に持って出国逃亡し、完全移籍しようかとも考えていた。

 この女の名は、クレマンティーヌ・メロリア・クインティア。

 彼女は木陰から立ち上がると、ふらりと歩き始めた。

 

 

 

 すでに夕暮れが訪れている時間である。

 アインズ達は冒険者組合のロビーで受付前に立ち、少しガッカリしていた。

 冒険者プレートは、無事に受け取ったのだが、今現在のところは最低クラスの(カッパー)級への仕事依頼は無いと言う。

 

「昼前には一つあったのよ」

 

 慰めるように言い訳するように、まだ若い受付嬢の女性はアインズらへ過去を伝える。

 

「そうですか……仕方ないですね」

 

 アインズとしては、少し格好悪い形だ。折角冒険者の証を受け取り、仕事を紹介されたり請け負う事が出来るようになったところである。配下の可愛いパートナーまで連れて来ているのだ。

 それが、仕事が全くない無いという体たらく……。首に掛けた(カッパー)級のプレートの放つ輝きが空しい。

 実は無いと言われた後、一度アインズは掲示板から眼鏡風のアイテムで文字を読み取ったミスリル冒険者への仕事依頼書を剥ぎ取り、受付へ提示して「俺達は非常に強い。だからこの仕事を受けたい。パートナーは第3位階の魔法が使えるんだ。だからっ」と少し凄んだ。しかし、受付嬢は僅かに怯むも荒くれに慣れているのか、「規則ですからダメです」と返されてしまっていた。

 どうやら現状は変わらない。いつまでもこうして受付前へ、未練たらしく居るのはさらに良くないとアインズは考えた。

 

「分かりました。では、また来ますから」

「ええ、次は良いのを取っておくわね。モモンさん、マーベロさん」

 

 そんな気休めの言葉を背に、アインズとマーレは手を繋ぎ冒険者組合を後にする。

 外に出て少し広場沿いに歩く、その傍を凄い荒っぽい感じの荷馬車が走り抜けていった。

 ふと気が付くと、ずっと静かにしていたマーレの様子がおかしい。フードの下の表情をよく見ると……いつもの輝いている可愛い瞳が死んでいて――その奥に闇が見えていた……。

 

「……マーベロ?」

「モモンさん……不満があれば言ってください。意に沿わないこんな組織、潰すのは僕一人で簡単ですよ?」

 

 おぅい。

 

 あかんモードに入っていた。支配者の負の感情が伝わったのだろうか。マーレは、敬愛するモモンガの敵はぶちのめし完全に地上から消し去る考えの持ち主なのだ。

 

「マーベロ、少し落ち着こうか」

 

 アインズは、冒険者組合と少し離れた道の端にいたが周りを気にせず、マーレの頭を優しくフード越しにナデナデしてやる。すると、マーレは『ほにゃー』とした顔と可愛い瞳に輝きが戻った。

 

「マーベロ、俺は怒ってはいないんだ。ただ、マーベロとこうして一緒に来たから、仕事をすぐに一緒に出来れば、格好いいところも見せられたかなぁって――」

「――モモンg――さんはいつもとっても格好いいですっ!」

 

 マーレは頬を赤く染めつつ、小さい両手を可愛く胸元で握って敬愛するモモンガ様を必死に絶賛してくれていた。

 なんと健気で可愛い配下だろうか。一瞬ぎゅっと強く抱きしめたい感情がアインズに湧いたが、急激に抑制される。

 

「う、うん。マーベロ嬉しいよ。でも、今日はもう良い時間だし帰ろう――」

 

 ――か、と言い掛けた時である。

 

「戦士のモモンさんと、魔法詠唱者(マジック・キャスター)のマーベロさんですかっ?」

 

 道を必死に走って来たと思われる、息の荒い少年から声を掛けられた。

 その少年は、前髪が長く鼻先まで有り目元の隠れた顔の表情ながら、必死である雰囲気がひしひしと感じられた。

 

「そうだけれど?」

「僕はンフィーレア・バレアレといいます。失礼ですが、マーベロさんが第3位階の魔法が使えるというのは本当でしょうか。事実ならお二人へ……冒険者として仕事を依頼させてもらいますっ」

 

 堂々と名乗られたが、全く知らない名前であった。まあ、仕事を受けるかは当然内容を聞いてからだが、初仕事をくれるかもしれないとなれば少しは誠意も見せよう。

 

「マーベロ、見せてあげて」

「は、はい。〈飛行(フライ)〉」

 

 マーレは、少年とアインズの周りをぐるりと一周飛んでみせた。

 

「あ、ありがとうございますっ。是非ご依頼させて下さい。すぐに組合事務所へ行きましょう!」

「あ、ああ」

 

 少年に連れられるように、アインズ達は再び冒険者組合へと入って行った。

 

 

 




補足)
クレマンティーヌの第二名称はメロリア。捏造です。


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STAGE14. 薬師少年の焦り/キョウキな女、現るの件(3)

注)モモンの口調について
13話の途中から気分転換の名目でアインズの重々しい感じでは無い、鈴木悟の素の口調になっています。


 アインズとマーレは、必死の表情をしたンフィーレアにより冒険者組合へ勢いよく連れ込まれる。

 ンフィーレアは、慣れた雰囲気でそのまま受付嬢へ「部屋をお借りします」と告げ、受付とロビーを素通りして一室に入った。冒険者が内容に満足して引き受けるまでは、組合として得るものは無い。少年は組合を介さない道端での金銭のみの直接雇用も考えたが、先程受付嬢へ冒険者について尋ねている以上、冷静に最低限の筋は通す。ンフィーレアは非常に焦っていたが、社会人として自分の都合だけで物事は上手く進まない事を知っていた。

 少年は部屋へ入るとアインズ達へ本心を隠し、その目的地や一般的に通る内容と報酬を告げる。

 

「北方のトブの大森林の近くにあるカルネ村という所までの往復について、僕の護衛をしてほしいのですっ」

「(カルネ村って?!)……」

 

 瞬間、アインズの目が細まる。

 

(若い少年、そして夜に近いこんな時間に……ただの偶然か?)

 

 エンリからは薬師ということ以外、風貌も年齢も聞いていない。現時点で確証はないが、少年の必死さから何か結び付くものを感じた。マーレに少年の特殊技術(スキル)を確認すれば済むのだが、今は目の前にいる状況。ここは話に乗る方が早いかと考える。

 

「報酬は(カッパー)の方へは破格ですが、あなた方の実力を考えて金貨10枚。但し出発はこれから直ぐです。荷馬車に同乗してもらい恐らく問題が無ければ五時間ぐらいで目的地の村に着くと思います。夜道を走ることでもありモンスターとの遭遇も当然有り得ますが、どうでしょうかっ?」

 

 ンフィーレアは、面前の二人から金銭面で不満の声があれば、20枚でも50枚でも金貨を出す気でいる。

 だが2人組の(カッパー)の冒険者に対し、この仕事内容で金貨10枚が破格なのは確実だ。相場なら2枚ぐらいが良い処である。

 ただ第三位階の魔法詠唱者の冒険者は、普通なら最低でも白金(プラチナ)の水準だ。それを考えれば少し色を付けた程度に収まる。今はこの冒険者達を何としても雇う必要があった。エンリの事を考えれば、報酬額に糸目は付けない。

 撒くし立てた少年へ、アインズは知識として知っておこうと一応確認する。

 

「ちなみに、どういったモンスターが想定されますか?」

「そうですね、小鬼(ゴブリン)人食い大鬼(オーガ)の亜人種辺りが、あとは素早く凶暴と聞く草原の狼(グラスランドウルフ)辺りですか」

 

 いずれもレベルにすれば強いものでも10を超える程度。

 

「いいでしょう、バレアレさん。金貨10枚、それでお引き受けしますよ」

 

 アインズは取り敢えず引き受ける。内容も村まで往復するだけの手頃なものだ。村では彼の傍にマーレを付け、自分はカルネ村の外で待つ形にすれば万が一、村の者達に正体がバレることは無いだろうと。

 

 

 

 

「エンリっ……」

 

 少年の小さく呟く声は、一頭立ての荷馬車の疾走に因りブレながら回る車輪と馬の地を激しく蹴る音にかき消される。

 アインズとマーレは、ンフィーレアの操る荷馬車の荷台に乗せられ、一路カルネ村へ向かっていた。

 マーレに彼を確認させるとやはり、全マジックアイテム使用制限無効化――ユグドラシルでも確認されておらず、そんなとんでもない特殊技術(スキル)を持つと知らされた。これは間違いなく、世界級(ワールド)アイテムと同等の脅威である。

 すでに、一行が大都市エ・ランテルを出てから二時間ほど過ぎていた。

 直線では村まで30キロ超だが、地上の道はそれより結構長い。さらに大森林へ近付くと山脈に近くなり、なだらかに上りが続く道へと変わる。

 夜道でもあり、五時間以上は掛かりそうであった。

 とは言え、移動自体はスムーズに進んでいる。モンスターともまだ遭遇していない。これは本当に楽な仕事になりそうだなとアインズが思った頃であった。

 マーレが、その異変に気付く。

 

「モモンさん、前方に――」

 

 アインズは直ぐに反応する。少し先には小川があり強固に組まれた石橋が掛かっている。しかし、それにより進路は極端に制限される場所であった。石橋の向こう岸の草影に目立たず何かが立っていた。

 

「バレアレさん、馬車を止めてください。前方に何かいます」

「えぇっ?!」

 

 ンフィーレアは冒険者モモンの声に、モンスター出現を連想し、直ちに手綱を引いて走る馬へ制動を掛ける。

 どうどうという少年の声で、荷馬車は石橋の少し手前で止まった。

 周りは当然明かりなどなく真っ暗に近い。僅かに月明かりと星々の輝きが申し訳程度に有るぐらいで、見通しは悪い。しかし〈闇視(ダークヴィジョン)〉を常駐させている者達には関係なかった。

 すると、その道の先から声が……それも若い女の声が聞こえてきた。

 

「あらー? ……やっぱり、ただ者じゃなかったのねー。すれ違いざまで、グサリと挨拶するつもりだったのにー」

 

 冗談じゃない御免被る挨拶だ。

 感付かれた事に逃げる事も無く、その女はゆっくりと石橋を渡りこちらへ歩を進めてくる。その姿は紺碧色のローブの前を開けた形で、豊かに揺れる胸とビキニに近い銅色の鎧。その鎧には見たことのある形のプレート100個以上が鈴生りに所狭しと付けられている。それは異様なまでに戦果を誇示するように。

 女の雰囲気はまるで好戦的に襲って来る猫のようだ。自分の強さに絶対的な自信を持って、右手には一本の鋭いスティレットを持って。

 その女の顔は怪しい微笑みに歪んでいた。折角、短く纏めたブロンド髪の可愛い美人が台無しに見える。アインズは小声で確認する。

 

「マーベロ、組合を出る時に教えてくれたヤツか?」

「は、はい、そうです」

 

 クレマンティーヌは、アインズらの行先を知るために十分警戒してギリギリの遠さから窺っていた。しかし、マーレには離れた建屋の影に立ち止まって、様子を探られている姿が感覚で確実に捉えられていたのだ。

 

「相手のレベルはどれぐらい?」

「えーっと、Lv.33です」

「へぇ」

 

 レベル的には大した事は無いが、あのリ・エスティーゼ王国の王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフの素のレベルを上回る事に、アインズは感心の声が出ていた。

 人間の中にはまだ、こんな風にさらに力の有るヤツが当然いるという事だろう。やはりまだまだ、この世界は未知数だと改めて警戒心が出てきていた。

 

「あ、あと、良く分からない系統ですが、戦闘時への強化要素があるようです」

「そうか……(武技か……)だとすれば、レベルは40を普通に超えそうかな」

 

 絶対的支配者は、ナザリックの戦力に繋がる技術を持つレアな武技使いへ、大いに関心があった。王国戦士長しかり。まさに、珍しい可愛げのある小動物を見つけた感覚だ。剣を持って目の前に立つ者から、まだデメリットを受けたわけでもなく、敵愾心は一気に下がっていく。

 アインズは荷台に立ち上がると先に名乗る。

 

「俺は、冒険者のモモンという者だけど、君は誰かな? 俺は最近この辺りへ連れと来たばかりで、グサリとかそんな恨みを買った覚えはないと思うんだけど? バレアレさん狙い?」

「ふふん。私はクレマンティーヌよ。短い時間だとは思うけど、よろしくねー。それでー、あの共同墓地の石材置き場って、人の気配はなかったのよねー? どうやって居たのかなぁ?」

 

 アインズの視線は兜のスリット越しに少し鋭くなった。

 

「(この女はあの時、傍に居たということか……)……魔法かな」

 

 ンフィーレアがすぐ前の御者台に居る為、不用意な事は言えない。

 

「魔法って、その小っさいお連れさんのー?」

「そうだよ(嘘だけどね)」

「ふーん。存在や気配を消す魔法、〈生命隠し(コンシール・ライフ)〉とかね……なるほどねー。でも、その魔法で、あんな人気のないところで、二人きりで何をしてたのかしらねー。うふふ、いやらしー」

 

(うわぁぁ。よく考えると、そういう結論にもたどり着くよな……)

 

 ンフィーレアも御者台でクレマンティーヌの言葉を想像し、少し顔を赤くする。

 組合の一室で最後に、兜を取っての顔見せの挨拶をした時に、フードを僅かに上げたマーベロの顔と姿も見ており、モモンのパートナーが少し幼い感じながら凄く美人の女の子という認識を持っている。

 一方マーレは、そういった周りの勝手な妄想も否定する気はないようで、頬を染めて恥ずかしそうに俯く。

 アインズだけが、思わず反論する。

 

「君は可愛い女性なのに、そんな勘違いしないでほしいなぁ」

 

 クレマンティーヌは、モモンの言葉にピクリと反応する。その感じは、自分の見た目だけの感想に対する嫌悪。それと、片手に抜いたスティレットを持っている殺意有る自分に対する彼の余裕も気に入らない。だがそれよりも、可愛いと言われたのは8年ぶりぐらいではないだろうかという、変わった戸惑い……。少女らしい時期から最近まで、肉欲の願望を込めた眼差しで『美人』とはよく言われている。『冷酷』『狂気』も自分を飾る褒め言葉。それで長かったそそると言われた美しい髪も随分前にバッサリ切っていた。

 

(それなのにこの男……)

 

 アインズの言い訳は続く。

 

「まあ、これも恥ずかしい話には違いないのだけど、俺達は装備にお金を使った挙句、昨日あの都市にたどり着いて冒険者の(カッパー)になったばかりで――お金が無いんだよ。だからあそこでコッソリと寝ていただけなんだ」

 

 彼女は、組合まで後をつけ様子を窺っていた漆黒の戦士の言葉に、齟齬は無いように感じた。まぁ、もう謎解きも終わったし、クレマンティーヌにとって、これから殺す相手の事などどうでもいい話だ。

 

「ふーん、まあそれでいいよー。じゃあそろそろ、私のお楽しみの時間だね。みんな――苦しんで死んでくれるかな? んふっ」

 

 クレマンティーヌの皆殺しへの微笑みは、口許が大きく歪み狂喜を語るものになっていた。冒険者は二人。今日もプレートが二つ手に入りそうだと。

 その目の前の人物の狂った表情に、ンフィーレアは「ひぃぃ」と小さく悲鳴を上げる。

 怯える少年を横に、御者台へ足を掛け身を乗り出すアインズは、貴重な特殊技術を持つ雇い主の安全と、目の前の『か弱い』狂人と話をするために一つ提案する。

 

「えっと、クレマンティーヌさんでしたっけ……向こう岸で俺と差しで戦いませんか? これでも剣には自信があるんですよ。もちろん、こちらに残った者達は逃げませんから安心してください」

 

 クレマンティーヌは訝し気に目を細める。確かにこのモモンという男、凄いグレートソードを二本も背負っている戦士。世の中伊達でいる奴が多すぎるけど、殺し合いを控えて目の前の男からはまるで力みを感じない。いや余裕がありすぎるだろうという思いだ。だから気に入らない、ならば差しでタタキ潰すっ。

 まあ、他の連中に逃げられても馬もあるし、自分自身の方が速いしと了承する。

 

「……いいわよー。じゃあ、早く行きましょー」

 

 クレマンティーヌは、平然と漆黒の戦士へ背を向けて歩き出す。少し距離を置き、アインズが続く。そうして橋を渡り対岸で二人は対峙した。

 向こう岸までの距離と川の流れの音により、モモンらの声はンフィーレアへ届かなくなった。アインズはそれがあり、こちら側へと彼女を誘導してきたのだ。

 クレマンティーヌが口を開く。

 

「へぇー、真面目なんだー。後ろからバッサリ私を切り捨てるチャンスをあげたのにー。もう、モモンちゃん、死ぬしかなくなちゃったよー?」

「いや。こうして、あの雇い主の少年に聞かれないように少し話がしたくてね。後ろから切りつける気はなかったよ」

 

 黒い戦士の言葉にクレマンティーヌの顔は怪訝そうだ。何の意味があるのかと。

 アインズは尋ねた。

 

「君は、殺し屋か何かかな? その隠密性のある行動力と――君の技術に興味があってね。君も武技を使えるんだろう?」

「……何が言いたいのー?」

 

 先程からモモンの言葉と行動の意図が彼女にはよく分からない。それを彼は言葉で明確に伝える。

 

「――今、俺は君のような人材を探しているんだよ」

 

 本来なら向かって来た敵は、全て殺すつもりでいるアインズだが、折角出合ったレアである武技使いを簡単に殺してしまうのは勿体ないと思ったのだ。それと、以前から人間側での諜報部隊をと考えている。あと……猫は犬と共に大好きな動物のうちの一つだ。

 一方、クレマンティーヌは目の前の戦士の言葉を聞いて――吹き出していた。

 

「あはははーー」

 

 状況はどう見ても殺し合う直前。スティレットを向けて明らかに敵対行動を取ったこの状態では、狼狽の言葉か牽制の罵声、脅しの文句を受けるのがこれまでの『常識』であったから。まさか口説かれるとは思っていなかった。

 

「モモンちゃん、面白いねー。ウケたウケた……初めてかも、殺そうと思った相手にここまで笑わされたのはっ」

 

 くくくっと彼女はまだお腹を抱えていた。

 

「うーん、冗談じゃないんだけどなぁ」

「ふぅ……あなた、私が誰だか知らないでしょー?」

「ああ、クレマンティーヌという綺麗な名前と、可愛い女性ということぐらいしかまだ知らないなぁ」

 

 まただ。

 

(なぜ――可愛いと言う? そ、それに名前まで綺麗とか……)

 

 クレマンティーヌは変わった戸惑いの感情が湧く。家族はみな優秀だった兄だけに称賛を送り、自分へ偶に目を向けてくる者は、下劣極まる感情を抱く者達か、利用し兄へ近付こうとする者のみ……。誰も私自身を見てくれない。気に掛けない。だから、『狂気』『恐怖』『凶悪』『人外』『外道』で飾って家名に泥を塗ってきたはずなのに――。

 対するアインズは単に、『~ティーヌ』という女の子らしい名前の響きが好きなだけである。

 

(この男……絶望させてブチ殺す)

 

 何か湧き上がる恥ずかしい気持ちを抑え込むように振り払うように、彼女は殺気を漲らせる。

 

「モモンちゃーん、私はねー。スレイン法国の六色聖典中最強の特殊部隊、漆黒聖典(しっこくせいてん)所属第九席次、クレマンティーヌ・メロリア・クインティア。私と剣でまともに戦えるのはこの周辺国では、たった五人だけなんだから。それに……知らないかなー、強大で恐怖の秘密結社ズーラーノーンの十二高弟の一人でもあるんだよー。人材探しとかもう無理だよぉ、あなたはここでこれから死んじゃいますからー。んふっ」

 

 クレマンティーヌは真実と誇張も混ぜて語ると口を大きく歪めて嗤った。

 

(なんだってーー六色聖典関係者!?)

 

 彼女の予想外の独白にモモンは、内心の思いに対して努めて表面上冷静に振る舞う。

 

「……そうなんだ。じゃあ――俺が勝ったら?」

 

 彼の言葉が終わった瞬間、この場の空気が凍った。クレマンティーヌの殺気が一気に最高潮に達したのだ。

 漆黒聖典第九席次。知っている人間なら裸足で逃げ出す存在なのである。それなのに、眼前の戦士が言い放った軽口まがいの文句は、これまで兄や家族を呪い、その怒りで鍛えに鍛えたこの剣技を丸ごと馬鹿にされたように思えた。

 

「この私の……この気持ちは、お前などに分からない。もし勝ったら? そんな約束なんてする必要がないわ――とっとと死ねっ!」

 

 クレマンティーヌは駆けながら自慢の武技を炸裂させる。誰も避けられないそのコンボを。〈疾風走破〉〈超回避〉〈能力向上〉〈能力超向上〉。

 その左手にも、いつの間にか神速で抜かれたスティレットがあり、二刀流になっていた。

 彼女は、一気に加速する。まさに電光石火。

 のちにマーレからアインズへ知らされた、この時の彼女の瞬間攻撃レベルは実に49。

 そして華麗に舞う剣技で、目の前の男に『死』をくれてやる。

 

 

 だが――彼女の(やいば)は届かなかった。

 

 

「なっ、にぃ!?」

 

 クレマンティーヌの両手に握った最速の鋭いスティレットは、両方とも漆黒の戦士の両籠手先の指で摘ままれ、止められていた。

 

 モモンは石橋を渡る時に小さく詠唱していたのだ――――〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉と。

 

 〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉は、レベルはそのままに戦士職へと一時変わることが出来る。つまり、モモンは現在Lv.100の戦士である。

 クレマンティーヌが人間としていかに速く強かろうと、もはや非力な存在でスローモーション状態である。

 彼女が渾身の力でスティレットを動かそうとしても、モモンの指に摘ままれたそれはビクとも動かなかった。四角い錐状の武器でありミスリル製の上、更にオリハルコンでコーティングされており、かなり頑丈に出来たものだ。クレマンティーヌの体はスティレットから垂れ下がる形になりかけ、思わず手を離し着地するも猫の様に慌てて飛び去るように後退していった。予備用も兼ね、常にスティレットを四本持っていて正解である。すぐさま、腰の予備の二本を抜き放つ。

 再び剣を構えた彼女へ、モモンは平然と再び語り掛ける。

 

「どうかな? 可愛いクレマンティーヌさん」

 

 クレマンティーヌは、先程まで勝てると認識していた対峙する者との力量差に愕然とし震えがきていた。

 彼女は、知識の中の一つに漸く気付く。『可愛い』とは――か弱いものにも向けられるという事に……。

 この目の前の漆黒の戦士に比べれば、もはや自分は一匹の子猫にすぎない気がする。

 信じられなかった。こいつは誰だ? モモン? そんな強者はこれまで聞いたことが無い。どうやってこの域まで到達したのだ?

 自分は一時女を捨て去る思いで、本当に死ぬほど鍛えてきたはずだ。だが、目の前の男の水準は、それらに意味が無いであろう処に到達していた。

 密かに最強と自負していた、この自慢の剣技が戦いにすらならないのだ。信じられない。

 しかし、その時クレマンティーヌは、ふと人生の最重要にしている事項を思い出す。

 

 

 この漆黒の戦士が剣を抜いたら――兄を殺せるのではないだろうか、と。

 

 

 皆の期待の兄。私から多くの物を奪った男。何度も殺そうと思った憎いヤツ。だが、怪物使いで殺しても死ぬ相手では無かったのだ。

 妹はいつしか、自分では届かない、この怨敵()を殺してくれる存在を探し始める。それが、秘密結社ズーラーノーンに辿り着かせていた。彼女以上の実力者が3人はいるという組織に。

 クレマンティーヌは、これまで柄に似合わず守ってきていた操も含めて、近い将来、『自分の全てを代償』にそれらの者のうちで兄を殺せる者を見定め、兄の殺害を頼むつもりでいたのだ。

 しかし、である。

 目の前に、正に呪うほど憎い兄をぶっ殺してくれる水準の者がいるではないか。

 クレマンティーヌは、静かにそれを尋ねてみる。

 

「――私の願いを叶えてくれると言うのなら、考えないでもないわ」

 

 先程までのオチャラけた雰囲気が彼女には無い。

 アインズは、指で摘まんでいた両手のスティレットを右手に纏めて持つと、聞き返す。

 

「なにかな? 出来る事だといいけど」

「あなたならそれほど難しいとは思わない。漆黒聖典の第五席次、クアイエッセ・ハゼイア・クインティアを殺してほしい」

「クインティア……って?」

「ええ、私の兄です。憎い兄。殺してください。そうすれば――私の魂まで全てを差し上げましょう」

 

 アインズは一瞬聞き返そうとしたが、ここで殺害対象の兄の能力について質問するのは、クレマンティーヌのモモンへの評価と、彼女の決意を削ぐように感じた。また、漆黒聖典は最強という部隊。だが、クレマンティーヌの兄というのならやはり人間なのだろう。十分勝てる相手のように思える。

 

「……分かったよ。その条件で引き受けよう」

 

 クレマンティーヌは目を見開く。

 このモモンと言う男は、兄の特質や能力などについて何も聞かずに引き受けてくれた。信じられない事だ。漆黒聖典については、秘密結社ズーラーノーンの連中さえも複雑で難しい顔になるのにだ。普通は恐怖に感じ、先に特徴を聞いてくるものだろう。

 クレマンティーヌは、目の前の人物モモンが真の強者だと確信する。漆黒の戦士の答えを聞いた彼女は、これまでの歪んだ口元の笑いでは無く――苦渋から解放され、少しほっとしたように自然の微笑みを浮かべていた。

 その表情へ、アインズは思わず声を掛ける。

 

「やはり――クレマンティーヌは笑顔が可愛いなぁ」

 

 そう言いながら彼女へ近寄り、握っていた二本のスティレットを返す。

 

「っ……ぁ」

 

 真の強者からの不意に告げられた『可愛い』の言葉に、得物を受け取ったクレマンティーヌは本気で赤面していた。何も言葉を返せないほどに。

 かつて――幼いころ初恋だった兄に向けていた顔のように。

 美人だ、そそる美貌だ、女神だと歯の浮く感じの世辞ではなく。素朴な気持ちの言葉に、氷のハートを撃ち抜かれる感覚……。

 モモンの『可愛い』は間違いなく弱者扱いの揶揄だと考えていたのだ。それが、どうやら違うらしいということに彼女はやっと気が付いた。

 

(モモン……ちゃんは……私のことが本気で可愛いと思って……いるの?)

 

 これまで、女一人で生きてきて、色々と男を見てきた。だが、ほぼ全員が弱いくせに欲に塗れたゲスなヤツであった。しかし、このモモンは人物のスケールといい、全てが違うものを感じさせる。唯一失望しないで傍に居られる存在に思えてきた。

 今、クレマンティーヌの冷めきっていた心の中に、乙女の『何か』が急速に湧き上がって来るのを感じる。しかもそれが心地良い。

 そして、嘗て切り捨てた自慢のブロンドの髪を、少し伸ばしてみようかなとも思い始めていた―――。

 

 

 

 冒険者モモンは、スティレット四本を腰に収めたクレマンティーヌを従えて石橋を渡り荷馬車へと戻って来た。

 何かおかしい。ンフィーレアはそう感じた。

 先ほどまで激しく本気で殺意を発して敵対していたはずが……その狂気の女性が、モモンへとなんとなく慕い寄り添っている風に見えるのだ。

 

(ど、どうなっているんです?)

 

 そう思い、雇い主としてモモンに問いかけた。

 

「モモンさん、これは一体? その女性は、大丈夫なんですか?」

「はい。俺の腕前を見ると降参したので、事情を聴くと彼女はお金に困っていたようなので、こちらで雇う事にしました。もう大丈夫ですよ。ああ、もちろん報酬は当初の額のままで結構ですから」

 

 アインズはとりあえずそれらしい理由と成り行きを話した。

 パートナーである漆黒の戦士の言葉に、荷台からマーレが邪魔者はいらないという、ジロリと一瞬ゴミを見るような目で、クレマンティーヌの方を見る。

 

「さっきはごめんねー、えーとバレアレさんでしたっけ? 私も色々困ってたんだー」

 

 クレマンティーヌはお道化る感じに、モモンの話へうまく合わせンフィーレアへ謝る。

 とりあえず謝罪は受けたし、モモンが責任を持つと言うので、ンフィーレアは先を急ぐことにする。

 クレマンティーヌは自分の馬に乗って荷馬車に追随する形だ。彼女はモモンの指示で、ビキニ風の鎧を隠す様に自前の紺碧色のローブを羽織っていた。

 もちろんこれは、身に付けている冒険者から奪った異常な数のプレートが何を意味するのか、誰でも容易に理解できてしまう事への対処である。

 先程までなら、クレマンティーヌは自分の生き様を否定される事なので、敢て断固拒否しただろう。しかし、モモンからの指示には「分かったわ……モモンちゃん」と素直に従った。

 至高の御方へのちゃん付けに、マーレの小さい指が強靭にビキビキと鳴ったが、「かまわないよ」というアインズに渋々引き下がる。今の彼は冒険者モモンなのだ。

 そうして、一行はそのまま北方へと順調に進み、モンスターに襲われる事も無く無事にカルネ村へと到着する。

 すでに村の隠れた守り手である八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)3体と蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)達との交代は終了している。ソリュシャンへは、対情報系魔法の実験前の午前中に〈伝言(メッセージ)〉で交代させる指示を伝えていた。

 現在、村へLv.15を超える外部からの接近者があれば、迎撃対象になる。クレマンティーヌは素でLv.33も有るので迎撃対象水準だが、マーレやアインズと協力状態である様子のためフリーパスになっていた。

 村へ到着したが、今の時刻は午後の10時を回っており、村内は寝静まっている様子。

 ンフィーレアは荷馬車を村の入り口前へ止める。広場まで乗り込みたいが、すでに夜中であり村人の迷惑を考えたのだ。

 モモンは村の周りを警戒するという事で、マーベロをンフィーレアに付け、クレマンティーヌとこの場へ残ると告げる。

 ンフィーレアはそれを聞くと頷き、もう我慢が出来ない様子で、村内の何処かへ向かい駆け出して行く。おそらくエモット家だろうけれど。

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)マーベロがゆっくりと歩き、それに続く。マーレには移動中の荷台に居る際にこの村の事について伝えてある。エモット家の娘達についての箇所だけ、なにやら複雑に入り混じる表情をしていたようにも見えたが。

 ゆっくり歩くマーレは、ソリュシャンへ〈伝言(メッセージ)〉により、主の指示通り一応という形で状況を簡単に説明する。現在、主命の接続を優先させる意味もあり、非常時を除きNPC間では〈伝言(メッセージ)〉の使用は差し止められていた。

 

「あのね、ソリュシャン、僕だけど」

『これはマーレ様。村へアインズ様と来られている事は捕捉させて頂いております。協力できることがあれば、何なりと』

「じゃあ早速、アインズ様からの言伝なんだけど―――」

 

 マーレは今、冒険者モモンとマーベロとして来ていることと、例の薬師だと思われる少年が、今からそちらにいくだろう旨を伝えた。あとはとりあえず、冒険者モモンとマーベロには面識が無い振りをしろと告げておく。

 

『すべて承りました。最善を尽くします』

「よろしくね」

 

 交信を終わったマーレは、そのまま少年をゆっくり追い掛けていった。

 

 先程、ンフィーレアの荷馬車へ戻る時に小川の石橋を渡りながら、アインズはモモンとしてクレマンティーヌへ確認していた。他国のこんな場所に居て大丈夫なのかと。彼女は法国でも最精鋭という漆黒聖典のメンバーなのだ。長期不在が問題にならないのかと。

 しかしクレマンティーヌは問題ないという。あと一日程はリ・エスティーゼ国内の調査となっているらしい。

 停められた荷馬車の荷台に居るモモンにクレマンティーヌは馬を寄せて来た。そうして馬から華麗に荷台へと音も無く舞い降りる。

 

「ねぇ、モモンちゃん……。私、このまま漆黒聖典やズーラーノーンを抜けてもいいんだけど。私を――自由に使っていいよー? お金も今結構持ってるし。んふっ」

 

 座り込んでいるモモンへ兜のスリットを覗き込むように、胸の谷間を少し強調しつつ、可愛く甘い声で囁くように告げてくる。彼女としては頑張って素面で通しているが、『全てを貢いで、ずっと傍に居てもいいよ』という決意のアタックと言える。彼女は色々な手でこの戦士を自分に釘付けにしようと努めていた。

 そんなクレマンティーヌを、アインズは可愛い子猫へ対するが如く――静かにナデナデしてあげる。

 気が付けばクレマンティーヌは、覗き込んだ状態で固まったまま、耳まで真っ赤になって赤面していた。

 頭を撫でられるなんて、ここ10年は無かった事だろう。すでに彼女の胸には、氷で出来ていたハートの、欠片も無くなっていた……無性にナデナデが嬉しいこの気持ちは、一体何なのかうまく説明が付かない。『狂気』『恐怖』『凶悪』『人外』『外道』と呼ばれ高鳴っていたと感じていたあの昂揚感が、今は全て陳腐なものに思えていた――。

 

(これが、本当の恋?)

 

「モモン……ちゃん?」

 

 モモンからの優しいナデナデに、クレマンティーヌの期待は高まる。そして、彼から言葉が返って来た。

 

「あの、クレマンティーヌ。気持ちは嬉しいけど、君のアノ強い願いには漆黒聖典の動きや他の席次の情報が必要だ。それと、ズーラーノーンの動きも俺は知っておきたいな。これは君にしか出来ないと思う。俺の為にもしばらくこのまま頑張ってくれないかな」

 

 彼女からの随分とドキドキする内容にも、雰囲気を壊さない冷静な回答である。

 モモンからのお願いを、乙女一色の心へ変わっているクレマンティーヌに断る事など無理というもの。確かに兄を打倒するまでは各所の動向を知る方が、モモンの助けになるし役立てると、頑張ろうと何か生きがいのようなものを感じ始めていた。

 

「わ、分かったー。私、頑張るよ、モモンちゃんっ!」

 

 嬉しそうに微笑む表情のクレマンティーヌへ、内に少し心境の複雑さが覗く表情を秘めるアインズの兜は頷いた。

 

 

 

 ンフィーレアは、村へと飛び込んだ広場の所で、まず驚愕し一旦立ち止まる。そこには背丈が2メートルを遥かに超え、巨剣と大きい盾を持つ凶悪で圧倒的強さを持つデス・ナイトが仁王立ちしていた。

 

「ひぃぃぃ(な、なんだコレはっ、モンスター?!)」

 

 自然に数歩後ずさり、マーベロさんがすぐ来るはずと思ったが、改めて見てみるとその凶暴そうに見えたモンスターは、その場を動かず首を動かすだけで見回りをしている様子。思い出すと、贔屓の店の店長の話で王国戦士達ら曰く、敵はすべて倒したと聞いていた。

 

(じゃあ、これは敵じゃないんだ)

 

 薬師の少年は、勇気を出してデス・ナイトの脇を抜け、目的地へと再び駆け出していた。そうして、勝手知ったる村内の道を走り抜け、目的地のあの大好きな女の子の家の前へと辿り着く。

 即座に、夜中でも構わず大きく声を上げた。

 

「エンリっ、エンリィーー! 夜遅くにごめん! ンフィーレアだけど、居たら出て来てよっ。夕方に初めて村が襲われたって聞いて、すぐにやって来たんだっ。エンリっ、無事なの?!」

 

 すると、道に面した一階の窓からエンリが顔を出した。寝ていたのだろう、いつもの髪型が解かれて下ろされている。

 

「ンフィーレア! ……ちょっと待ってて、すぐ着替えるから」

「う、うんっ!(あぁぁ! エンリが生きてるっ、よかったぁぁぁぁ!)」

 

 エンリの真剣味ある顔に、単に驚いていると勘違いするンフィーレア。

 少女はソリュシャンに直前に起こされてから複雑だ。でも、やると決めた事である。頑張り屋で気遣いの出来る、この優しい友人を危険者として死なせないためには、味方へ引き入れる必要がある。エンリはすでに腹は括っていた。気合を入れつつ彼女は着替え始める。

 そんなこととは知らないンフィーレアは、周囲の家を見回す。所々壁や扉に剣で傷のついた痕があるなぁと、ある意味呑気に待っていた。

 ここで、紅い杖に白いローブを纏うマーベロが、ンフィーレアの立っている近くまでやって来る。やはり少年は、ルベドやシズ達がいる建物の扉の前で待っているところであった。どうやら中から返事があって、待つように言われているようだ。先程、ここから少し離れていたマーベロのところまで、少年の叫ぶ声が聞こえてきており間違いないだろう。

 少年は扉が開くのを静かに待ちながら、エンリの顔を見れて声が聴けたことへ、大いに安堵し落ち着くことが出来た。今は夜中で急に迷惑だったし、あとはいくらでも待てる。朝までだって構わない、すっかり平穏に満ちた幸せ気分へ浸っていた――何も知らずに。

 しかしふと、広場に居た怪物は何なのだろうと考えていると、道の後方から現れた小柄の魔法詠唱者(マジック・キャスター)に気付く。

 

「あ、マーベロさんっ、実はこの村には友人に会いに来たのですが、無事でした。夜道を守ってもらって、本当にありがとう」

「い、いえ……モモンさんが未然に騒動を収めてくれましたので、結果的に順調でよかったです」

「確かに。あ、そうだ……広場にいた凄く強そうに見えるモンスターは大丈夫なんですよね?」

「あれは、間違いなく(至高と言いたいけど……)優秀な魔法詠唱者に衛兵として制御されているので大丈夫です。すでに村内は問題が無いようなので……あの、僕も村の外で待っていていいですか?」

 

 ンフィーレアは、これからまだこの場でエンリの準備を待つことや、マーベロがそうしてくれても問題ないと判断し許可する。

 

「そ、そうですね。それで構いません」

 

 マーベロが遅れてこの場へ来たのは、あのモンスターや村内の危険を確認しながら来てくれたからだろうと勝手に想像していた。

 

「それでは」

 

 マーベロはフードを深めに被ったまま背を向けて、淡々とこの場を離れる。

 マーレとしては、ルベドらがいるわけで、この人間の安全は確保されていると判断したことと、モモンガさまの傍に居たいからである。

 あのクレなんとかという人間の女から、『パートナーは僕なんだよ』と早くモモンガさまを引き離したい思いもあった。

 ンフィーレアがマーベロを見送ると間もなく、蝋燭の明かりが一階の窓奥に灯ったのが見えた。そして着替えたエンリにより玄関の扉が開かれる。髪形もきちんと、以前見た感じに整えられていた。

 

「こんな時間に来るから、ビックリしちゃったわよ」

「ゴ、ゴメン、遅い時間だったのは分かってたけど、凄く心配で」

「――でも、心配して来てくれてありがとう、ンフィーレア」

「う、うん」

 

 ンフィーレアは、頬が赤くなっていた。お礼を言われただけで、ドキドキしてしまうのだ。

 だが、エンリは少年の変化に気付かず、語気を強めて話を切り出し始めた。

 

「ンフィーレア、ちょっと相談が有るんだけど、いいかなっ?」

「う、うん、もちろんっ! 僕で出来る事なら」

 

 エンリからの改まった相談など初めてかもしれない。

 襲って来た騎士団の所為で、農地の被害が甚大だったのだろうか? 理不尽極まりない被害に遭って困っている彼女からのお願いだし、可能である事は労力と予算度外視に、何でもするつもりで少年は頷いた。

 

「じゃあ、ちょっと中へ入って。話をするから」

「わかったよ。お、お邪魔します」

 

 こんな夜遅くに、エモット家に招かれるのは初めてである。ンフィーレアは少し緊張していた。そうして招かれるまま、居間の蝋燭の乗ったテーブルの端に近い席へ座る。

 エンリも、ンフィーレアへ水を一杯振る舞うと角の斜め向かいの席へと静かに座った。

 

(あ、あれ……? そういえば、エンリの家族ってご両親とネムも居たよね……)

 

 ンフィーレアは、そのことを思い出す。エンリの影の無い元気そうに見える表情と姿に、最悪側の方への考えは及ばない。そして、彼女が悲しみを吹っ切りとても元気に、それを支えてくれている伴侶とも言える偉大な存在など知るはずもない。

 少年は、夜分だけど可能であれば彼女の両親へ挨拶しておかないと、と考えた。いずれ、お義父さん、お義母さんと呼びたい人達だ。失礼があってはよくない。彼の両親は小さいころに流行病で亡くなっていた。それも有り、ンフィーレアは薬師を目指したのである。だから少年は伴侶と同時に、新しい両親が出来る事もとても嬉しいことだと考えていた。

 

「エンリ、あの……家にお邪魔してるし、遅いけど、可能ならおじさんとおばさんに挨拶しておかないと……」

「ありがとう、大丈夫よ。……父と母は――先日亡くなったわ」

「えっ……」

 

 ンフィーレアは絶句した。

 エンリは、続けて暗い表情で例の本題の前に、まずあの日の事を友人へ少しずつ話し出した。

 50人を超える完全武装の騎士団が突然村を襲って来たこと。村中が地獄絵図の中、両親が体を張って自分達姉妹を逃がしてくれたこと。結局姉妹は、三人の騎士達から追い詰められて、自分は背中を斬られたこと―――。

 ンフィーレアはそこで「ゴクリ」と音を立てて唾をのみ込んでいた。目の前の大好きである女の子が、普通に考えれば絶対に助かるはずがない絶望的に進む展開であったからだ。

 でもエンリは――そこから笑顔で話し始める。

 偶然、村の傍にいて乗り込んで来てくれた偉大なる魔法詠唱者(マジック・キャスター)の一行に助けてもらったことを。魔法詠唱者率いる一行は、その後に村人の多くも助けてくれ、カタキである敵の騎士達をほぼすべて打倒してくれた。その直後に敵騎士団を討伐するため、王国戦士騎馬隊が遅れて村へ来てくれたが、更にこの騎馬隊を狙った敵の最精鋭という別働隊とひと波乱あった事も話す。そこでも偉大で強い魔法詠唱者(マジック・キャスター)の一行は、壊滅し掛けた王国戦士達をも見事に救ってみせたと。

 ンフィーレアは、エンリの話が終わってもしばらく、テーブルの上の一点を見詰めたまま固まっていた。壮絶過ぎる話であったから。そして自分はその時、エンリに何もしてやれなかった事に失望を感じていた。第二位階魔法を使える身ではあるが、恐らくその場に居ても敵の数の多さや強さからエンリ一人すら助けられたかも微妙である。その無力感に囚われていた。

 

「あの日、この村で40人以上が亡くなったけど、本当は私もネムも死んでいたんだと思う。あの偉大で強い方達が来なければ、今生き残っている村長さんや他の人達みんなも、あと王国戦士の人達も一緒に……ね。近くの村が同じ様に4つも皆殺しになって焼け落ちてたって聞いてるから」

 

 ンフィーレアは小さく震えていた。エンリが死んでいたなんて考えたくない。それも死体まで燃やされてたかもしれないなんて……。

 エンリは静かに蝋燭の炎を眺めながら『前振り』の言葉を紡ぐ。

 

「だから、村の皆は偉大な魔法詠唱者(マジック・キャスター)の一行を尊敬しとても感謝しているの。もちろん――私もネムもね」

「……そうだね、当然だよね」

 

 ンフィーレアも激しく同感である。エンリとネムを助けてくれた上、知り合いの村人達の多くを救ってくれたのだ。凄く偉大で有り難い人物なのは間違いない。会えるなら少年も、直接感謝の言葉を伝えたいと思っている。

 一通りあの日の惨劇を聞いたンフィーレアは、力が抜けるほどの感覚に囚われた。村が襲われたという話を聞いてからの緊張が切れたという感じだろう。

 しかし、彼の思考の中にエンリの両親が亡くなったという話を思い出した。

 

(そ、それじゃあ、エンリ達はあの広い畑を、これから姉妹二人だけで切り盛りするってことだよね……)

 

 ンフィーレアもエンリの両親がとても働き者だった事を見て知っている。だが、ネムはまだ子供で、実質労働力はエンリ一人きりになってしまったということだ。

 

 少年は――今しかないと思った。大好きなこのエンリの力になるのは、まさにこの時なんだと。そして、家族になるきっかけも。

 

 ゴクリと唾をのみ込む。

 よく考えると、夜更けの蝋燭が1本灯る家の中に、近い位置で若い少女と少年の二人きりである。妹のネムは朝までぐっすり寝ていることだろう。

 少年も年配の知り合いから年頃の女性との付き合いについてよく聞かされているし、その各種行為についても興味は当然ある。

 しかし彼は誠実であり、まずはこの4年間の熱い想いの結晶である『アノ言葉』をこの大切に想う女の子へ伝えなければならないと考えている。素直にそういう気持ちになっていた。とは言えいきなりではなく、少し探りは入れておきたいと思い勇気を振り絞り尋ねる。

 

「そ、その偉大で強い魔法詠唱者(マジック・キャスター)の人ってどんなイメージの人?」

「一言でいえば――圧倒的……かな」

「じゃ、じゃあ……エンリにとって、ぼ、僕のイメージって?」

 

 話的に少し唐突になったが、聞かれたエンリは右手人差し指を唇に可愛く当てながら自然に答えてくれる。

 

「んー? 立派で一流の薬師さんで、優しい人、良い人……かな? 友人としては鼻が高いよね」

「……そ、それだけ?」

 

 なにか、ンフィーレアの期待する答えと違う気がした。もっと、こう『傍に居たい人』、『一緒にいると安心できる人』、――『大切な人』『好きな人』とそういった伴侶的に見た言葉を期待していたのだ。

 だから踏み込んでいく。

 

「僕と――二人で居るとどんな気分?」

「楽しいよ? ンフィーレアの話は勉強になるし面白いし。気を使わなくて済むし」

 

 エンリはンフィーレアの質問に正直に答える。一つ年上の少年だが、結構言う事を聞いてくれて、賢く秀でた頑張り屋の薬師で、楽しく優しい仲の良い友人――そういった位置付けでこの4年間接してきていた。

 

 だが――恋愛や結婚の対象としては、これまで全く一度も見たことはない。

 

 なぜか? それは彼が、この両親の住む大好きなカルネ村の住人ではなかったからだ。

 不思議とよくこの村へ来てくれるが所詮――彼は余所者。

 裕福であるンフィーレアの本拠地は、華々しい南の大都市である。こんな片田舎の村との関係は商売上の僅かな一部にすぎないはず。

 エンリは、結婚するなら夫婦でこの村を両親と一緒に守ってくれる人だと小さいころから決めていた。

 だから先日の惨劇以前までは、村でずっと両親に匹敵する働き者を探していたのだ。見つかれば互いに若くてもこちらから積極的に求婚して、両親を早く楽にしてあげようと考えていた。しかし……村の青年らはかなり期待を裏切ってくれた。日頃の仕事の仕方を見ていれば自然と分かる。人は良くても両親の労働力の半分以下なのだ。それではいけない。せめて七割もあれば、縁談も断らず14歳でも嫁いでいただろう。

 村の未婚の男の子で今一番年上は現在まだ13歳……その子も良い子だけど能力は期待薄。この際、妻に先立たれたオジサンでもと思ったが、それも空きがない状況であった。

 しかし、まあそれも今は良き旦那(アインズ)様がいる彼女にしてみれば、既に済んだ話である。

 そんな考えも知らず、ンフィーレアはエンリからの感触が悪くないみたいでほっとする。

 だから更に確信に迫っていく。

 

「ぼ、僕に対して、嫌悪感とか、拒絶感とかあったりする?」

「えっ? 全然ないよ? ンフィーレアのこと、私は(友人として)気に入ってるし。……でも、どうしたの、そんなこと聞いて?」

「いや、な、なんでもないよっ」

 

 「そう?」と疑問符の浮かぶ表情で小首をかしげるエンリを前に、少年の心は踊っていた。

 

 『ンフィーレアのこと、私は気に入っている』――なんとスバラシイ言葉だろうか。感動的に思えた。

 

(いけるっ。これは、いけるよっ! ――伝えよう、今こそっ)

 

 ンフィーレアの頬は上気により凄く赤くなってくる。汗も前髪で隠れたおでこへ異様に出て来ているのも感じる。呂律が回るだろうか、不安で一杯だ。

 だが、それでも今、4年分の想いをこの機会に伝える。

 少年は気合を込め、手の届く斜め向かいに座るエンリの肩へそっと手を置くと、クっと僅かに掴みながら話し出す。

 

「エンリ、本当に色々と大変だったね……」

「え、ええ。でももう――」

 

 エンリも、そろそろ本題の相談へと入ろうとしたが、そこで語気の強い少年の言葉に遮られる。

 

「もう、な、何も心配いらないからっ」

「――え? ど、どうしたの、ンフィーレア?」

「ェ、エンリぃ、キ、君が大好きだっ! ぼ、僕と―――つ、付き合って……いやっ、き、けっ、………結婚して欲しいっ!」

 

 肩を掴まれ、いきなりの告白求婚宣言を受けたエンリは、ンフィーレアへきょとんと目を見開き真ん丸くしていた……。

 

 

 




言っちゃったーー☆


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STAGE15. 薬師少年の焦りは一体どうナルの件(4)

注)モモンの口調について
気分転換の名目でアインズの重々しい感じでは無い、鈴木悟の素の口調になっています。


 ンフィーレアを目的地の家まで送ったマーレが、アインズの所に戻って来ると、荷馬車の荷台にとんでもないものを見てしまう。

 あの人間のクレなんとかが、座っているモモンガさまの肩に背を預ける形でベッタリとくっ付いて座り、ニコニコしながら何やら楽しそうに話をしているのだ。

 マーレの元気な可愛い瞳が一瞬、明かりが消えるかのようにスーッと色を失い掛ける。しかし、主様の重々しい声での『冒険者モモンのパートナー、マーベロだという事を常に忘れるな。お前は状況判断も出来る子だ、非常時以外はその力は伏せておけ。いいな、頼んだぞ』とナデナデされながら言われた時の事を思い出し踏み留まる。

 最近の過分といえるご褒美を考えれば、自分だけの感情で敬愛するモモンガさまのご期待を僅かも裏切ることは出来ない。

 なので、パートナーのマーベロとして断固、ワザと名前を間違えて抗議することにした。

 

「あ、あのっ! クリマンティーンさん、モモンさんはとても疲れていると思うんですけどっ。そ、それに、その位置は……僕の席ですっ」

 

 マーレが本当に恐縮するのは至高の御方であるモモンガさまと姉のアウラだけである。それ以外はフリをしているに過ぎない。まあ、ちょっとアルベドも苦手な気はするが……。

 今、マーベロは少し、か弱い女の子なのだ。右手を胸元で握り、強気に頑張ってる風を装っていた。

 その様子を見て、クレマンティーヌは余裕である。これでも、女一人でここまで多くの荒くれた人間達をあしらい渡り歩いて来たのだ。少しモモンから聞いた感じでは、マーベロは預かっている知人の娘という訳でもなく、純粋にパートナーの様である。どこかで拾ったのだろう。そこから感謝の想いが溢れる関係という辺りか。

 クレマンティーヌの見た王国内の冒険者男女二人組は、ほぼ全部が恋人以上の関係だ。二人っきりで行動したい者らが多く、互いに命を預けていることから、無二の存在になるのは当然だろう。体格差はあっても気持ちに差は無い。

 つまり、昨日までの夜は、この小娘がモモンをそれなりに満足させていたのかもしれないが、ハッキリ言ってその方面は自分がいる時に限ればもう用済みだと考える。

 とはいえ魔法が使えるのでメンバーとしては悪くなく、不在時は夜の代役も仕方ないが、立場としては格下な事から一歩下がってもらう必要がある。

 もうモモンは、私のイイ人なんだからという素振りで言葉を返す。

 

「あららー、ご苦労様。お嬢ちゃん……マーベロちゃんだったかなー。これまでそのちっちゃな身体で色々大変だったでしょうー? でも、私が居る時はモモンちゃんの相手は私の方がサイズ的にもピッタリだと思うのよねー。だから、お嬢ちゃんは私のいない時だけ頑張ってモモンちゃんに尽くしてよね。あと、私の名前はクレマンティーヌよー。次も間違えたら――酷いからね」

 

 当初はニコニコしていた顔が、言葉尻ではモモンを背にし、狂気の殺人者としての顔に変わっていた。流石に相手はモモンのパートナーであるため本気ではないが、己の立場を初めにハッキリとさせておく必要があるのが組織というものだ。

 アインズは、マーレの反応が起こる前に、ここは情報収集を優先させるため宥める。

 

「マーベロ……、物事には優先順位があるから。ここはよろしく頼むよ」

 

 マーレはこの冒険者チームが、人間種世界の情報調査という目的が有ることを良く覚えている。確かにこの人間は、モモンガさまの知りたい情報にかなり直結した人物なのは間違いない。気持ち的にはイチモツあるが、モモンガさまの御為なら大したことは無い。

 マーベロはお芝居を続けた。クレマンティーヌが調子に乗る形の感じに。

 

「モモンさん……、うう、分かりました……ク、クレマンティーヌさん、よろしくお願いします」

 

 マーベロが素直に引き下がったのを見て、クレマンティーヌは狂気の殺人者の顔から一転して、口許もニッコリと満足した顔に変わる。モモンが言ってくれた優先順位というのは、『可愛い』クレマンティーヌ自身を大切な者として、また『女』としても上に評価してくれてのことだと考え、フワフワと舞い上がる満足感一杯の気持ちになる。

 マーベロは元々モモンに忠誠を尽くすタイプだろうし、味方は多い方がいい。立場を弁えてくれれば、これから同じ男に尽くす女仲間として長い付き合いになるかもしれない。奥を仕切る年長者として面倒を見てやるのも(やぶさ)かではない。

 

「分かればいいのよー、マーベロちゃん。怖い感じに言ってゴメンねー。これからよろしくー。仲良く二人でモモンちゃんに尽くしましょー」

「は、はい……」

 

 もうすっかりクレマンティーヌは、冒険者モモンチームの中核というノリの発言であった。

 彼女は、立場をハッキリさせたところで、早速だけどと少し頬を赤くしながらモモンへと振り返る。

 

「モ、モモンちゃーん、じ、時間も結構ありそうだしぃ二人で……あっちの牧草小屋でちょっと休憩しない?」

 

 クレマンティーヌは、紺碧色のローブを腰上まで捲る様に持ち上げながら真っ白い肌の太モモにビキニ風である腰の鎧をチラチラさせつつ、柄っぽく自分からモモンを甘い声で誘う。これまで幾十の男らが、あの手この手で自分を誘ったり襲って来ただろうか。全てを切り抜けて来た者として、誘いの知識とレパートリーは非常に豊富なのだ。

 しかし、自分から誘うというのは人生初であった。少し乙女の手が震える。

 でも後悔はない。

 これほどの戦士で、自分を『可愛い』と言ってくれる者は、もう今後出会うことは無いだろう。

 約束はまだ果たされていないが、それは後か先かの事で同じ結果を信じており、気持ちとしては余りそれは関係無くなりつつあった。

 強くこの男と結び付きたい――そんな熱い視線と気持ちでクレマンティーヌは、唖然とするマーベロを荷台より背側に見下ろす形で一瞥し、モモンの答えをじっと待っていた。

 

 

 

 

 

 エモット家の、食卓の上に置かれた蝋燭の炎が静かに揺れた。

 

「えぇーーーっ、ビックリっ!」

 

 エンリの、思わず仰け反った身体が起こした風によるものだ。

 彼女はまさか、華々しい南の大都市で有名な薬師の店を構えるこの友人の少年から求婚されるとは夢にも思っておらず、例のナザリックへ勧誘する相談そっちのけで本当に驚いてしまう。

 今までンフィーレアへ聞いたことは無かったが、彼も良い年頃だ。当然普通なら都会の美人である街娘達のお相手が何人かいるはずと思っていた。もう付き合いの長い婚約者もいるかもしれないと。一年程前までは、この若い少年からも気紛れで一時的には男女の付き合いを迫られる事があるかもと考えていた。エンリはこれでも未来の旦那様へ操はしっかり立てておきたい派である。だから、迫られても断るしかなく、このンフィーレアとはその後の気不味い空気や関係に、僅かでもなりたくないなぁと思っていた。

 これまで村の未婚の青年らからも、偶に男女の仲にと声を掛けられたり、縁談を持ち込まれたりしていたが結局すべて断り、その幾つかを世間話の中でンフィーレアへ伝えたが、「……そうなんだ」と短く返され軽く受け止められていたように思っていた。それはエンリへ関心がなく、もう彼にはきっと誰か相手がいるからだとずっと思ってきたのだ。

 実のところは、少年が毎回混乱と動揺しすぎて言葉がそれしか出なかっただけであったが。

 結局、ンフィーレアとは知り合ってから4年間、そういった男女の問題でのギクシャクとは無縁で、安心して友人関係を送ってこれていた。

 

 それが――今のタイミングでの愛の告白と求婚である。

 

 エンリは探るように考える。

 この少年が凄く優しい友人であることは知っている。一方でこれまで、二人で居た時間は結構一杯あったのだ。しかし、「好きなんだ」や「付き合ってほしい」といったそれっぽい話は一回も無かった。

 

(んー。これはやっぱり、友人として私が両親を失って困っているだろうからという、お金持ちの哀れみや同情の求婚かも……)

 

 冷静に考えるとンフィーレアの財力なら、女性を何人か娶り囲う事も可能だろう。しかし、友達としてそういった情けはゴメン被るのである。ここは友人として、哀れみの真意をきちんと確認し、ビシッと私は大丈夫だと告げるべきだろう。そんな、勘違いの思考に迷い込んでいた。

 一方ンフィーレアは、エンリから「ビックリ」と言われてしまい、思考が混乱していた。

 

(えぇっ?! エンリっ、君は僕を気に入っていたんじゃないのっ? い、いや、そうだ……これはきっと嬉しくてビックリなんだっ。……でも、ちゃんと真意を確認した方がいいよね)

 

 そして二人は――同時に口を開いた。

 

「エ、エンリっ、ビックリって、僕の大好きな気持ちが嬉しくってだよね? だから――」

「その求婚って、私が両親を失って可哀想だからっ? それって――」

「――えぇっ!?」「――えっ、あれ?」

 

 互いの言葉の内容に大きい齟齬があることを認識し、二人とも同時に驚いた。

 エンリから先に核心について確認する。

 

「ちょ、ちょっと、ンフィーレア? もしかすると、前から本当に私の事が好き……だったの?」

「そうだよ、エンリっ。純粋に、きっ、君の事が大好きなんだっ。抱き締めたいんだっ!」

 

 真っ赤な顔で真剣さ溢れる表情のンフィーレアへ、流石に頬が赤くなったエンリは、根源について聞いて見る。

 

「い、いつからよっ?」

「よ、4年前に会ったときからだよっ!」

「――――っ」

 

 気が付けば勢いで、二人とも机に手を突いて椅子から立ち上がっていた。

 ンフィーレアは、ハァハァと少し息が荒くなるほどの緊張感に襲われている。エンリも呼吸は乱れないが、深呼吸をして一旦落ち着く。

 余り良い展開では無い。

 ンフィーレアの告白が少し『熱すぎる』のだ。仲良き友人で、初めて出会った時から想いを秘められていたとは……乙女としてグッと来ない方がおかしい。

 背格好だけは微妙だけど、確かにンフィーレアは年齢といい、財力といい、働き者の所といい、謙虚さ、優しさ、行動力、そしてエンリへの気持ち―――どれを取っても合格点と言える。

 だがンフィーレアは、やはりカルネ村にとって余所者なのだ。恋愛対象にはならない。

 また、少年にとって残念なことに、エンリは最近気が付いたのだ、自分の本当の男性の好みに。

 

 それは―――仕え甲斐のある、まさにすべてが圧倒的な人物。

 

 これが彼女の持つ職業レベルからも来ていることに、エンリは気が付いていない。

 しかし、それも誰でも良いという訳では無かった。大好きなカルネ村自体を救ってくれた恩人。妹や自分、村人を助けてくれたにもかかわらず、威張ることも驕ることもなく、そして人じゃないけど身内に優しい―――旦那(アインズ)様、ただ一人だ。

 

 ンフィーレアは、向き合ったエンリへ熱いまなざしのまま見詰める。

 エンリは、一度目を瞑ると、眼光に力を込めてゆっくり見開き、告白してきたンフィーレア(仲の良い友人)へ答えを告げる。

 

 

「ゴメンね、ンフィーレア。あなたからの求婚、お断りします」

 

 

 少女は、そう目の前の少年へハッキリと言い切った。

 

「――ぇ……」

 

 少年の声は力なく少し掠れるようであった。

 信じたくない。しかし、間違いない。これまでに見てきたエンリの真意籠る瞳の、真面目な表情から告げられた何故か逆らえないその言葉は『現実』。

 ンフィーレアの想いの全てを込めた愛の求婚は断られたのだ。

 だが――少年はそれでも諦め切れない。

 一縷の可能性を探る様に大好きな少女へ問いかけていた。

 

「……な、なぜ?」

 

 エンリは、一度彼から視線を外したが再び彼の目を見る。例の相談は、この少年の心が納得するまでは切り出せないとも感じて。

 

「そこまで想ってくれていたンフィーレアには、きちんと言っておかないといけないかな。元々私は、カルネ村に住む人と結婚するつもりでいたからよ。私はこの村をずっと守っていきたいの。この村は大好きだったお父さんお母さんが、育って暮らしてそして眠る村。私もここで生まれて、ずっとここで生きてきて、ここで次の世代を生み育て、そして――年老いて死んでいくのが本当の希望なの。貴方はもう都会で成功し、立派なお店を構えているから――」

「――じゃあ、僕っ、この村に引っ越すよ! 僕も君と共にこの村に骨を埋める。薬の研究は森に近い此処の方がやり易いと思うんだっ」

「ちょ、ちょっと、ンフィーレア、そんな無茶なこと――」

 

 ンフィーレアはエンリへ真剣な顔で、そして口許は優しく微笑む。

 

「全然無茶じゃないよ。確かにお婆ちゃんは少し渋るかも知れないけど、僕は薬の研究が出来て、エンリが傍に居て微笑んでいてくれればそれでいいんだ。十分満足だよ。作った薬は定期的に冒険者の一行にエ・ランテルから来てもらって一緒に運べばいいから」

 

 エンリは、困ってしまった。

 長年付き合っていると、今のンフィーレアに迷いが全くない事が良く分かる。

 少年はさらに大好きな少女へ告げる。

 

「すぐに、い、一緒になってなんて言わないっ。僕のこの村に来てからの働きを見てくれてからで構わないよ。僕は十年でも二十年でも――き、君だけを待っているよっ」

「――――っ」

 

 もう、自分の身について全てを話すしかない――エンリはそう思った。

 一瞬、このまま黙っていて、彼が勝手にこの村へ移り住み薬を作ってくれれば、村興しにもなるし凄く好都合だという考えも頭の片隅へ浮かんだ。

 しかし、彼がそうしようとするのはエンリがいつか結婚してくれるからだという想いだけで、頑張ろうとしているのが良く伝わってくる。

 恐らく結婚をずっとチラつかせれば、彼の特別な生まれながらの異能(タレント)についてアインズ様へ協力させることも余裕で出来るように思う。

 しかし、彼はカルネ村の住人ではなかったけれど、これまでも薬の原料採取に際して村へ結構な額をもたらしてくれていた。そしてエンリにとっても心優しい仲の良い友人。

 そんな世話になったンフィーレアを――だます事だけは出来ない。

 エンリには、ンフィーレアと結婚する気も、身体を許す気もないのだ。彼女はすでに身も心も、旦那(アインズ)様の物だから。

 もはや、エンリにはンフィーレア(仲の良い友人)へ仲間になるように、一線を引いた向こう側から依頼することしか出来ない。

 加えて、すでに村人達はエンリと旦那(アインズ)様との関係を内縁関係だと周知しているのだ。朝になれば少年もその関係について知るところとなるだろう。

 そうなる前に、誠実に話しておくべきだと心の中で結論を出す。

 

「ンフィーレア、落ち着いて聞いてね」

 

 エンリの改まった言葉にンフィーレアは注目する。何か求婚への新たなきっかけに繋がるのではと。

 しかしその想いと反目する言葉と内容が――淡々と伝えられる。

 

「あなたの求婚を断った理由が、実はもう一つあるの」

「えっ……」

「それは――私、エンリ・エモットが、村を救ってくれた大恩人である、偉大で大切な魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウン様のお傍に仕える『女』になったからなの。もう三晩も前になる。……勘違いしないでね、これは私から希望した事だから。私は、妹や自分自身、そしてこの大好きな村を救ってくれた大恩をアインズ様へ、この人生全てをもってお返ししたいの。あの方を敬愛しているから。だから私の事はもう――」

 

 

「何か―――ないの?」

 

 

 少年は、俯いていた。小さく震えながら。

 濃い霧の中で、行き先を完全に見失った者のように。

 

「えっ……」

「君を……エンリ・エモットを取り返す方法は、何かないの? いきなり過ぎる。なにか機会が欲しいよっ。その恩人の人の傍に仕えて『女』になっても結婚する訳じゃないよね? こ、子供とか作る訳じゃないんだよねっ? いや、子供が出来ていたってかまわないっ。き、君がいればっ」

 

 ンフィーレアの振り乱れた前髪からその彼の目が僅かに見えていた。

 少年は―――泣いていた。必死であった。

 エンリは感謝していた。そこまで自分の事を大切に考えてくれている男性が居たことは女冥利に尽きる。でも、彼女は静かに友人へ語り掛ける。

 

「ありがとう、ンフィーレア。でも、あなたの好きな、この私の、エンリ・エモットの気持ちはどうなるの?」

「――くっ……うぅ。エンリィっ……もう、僕の手は届かない……の……」

 

 彼の佇むその足もとに、ぽたり、ぽたぽたと滴が落ちていった。

 流石に、この状況で少年をアインズの味方に付けられるのか。普通なら手は無いはずである。しかし、エンリにはまだ手があった。

 

 ――『強引』に上手く頼むという手が。

 

 この優しい友人を死なせないために、エンリはそれを使う事にした。

 エンリとンフィーレアの関係は普通の友人とは少し違っていたのだ。

 黄金の少し褪せた髪の少女の真剣な瞳と表情から告げられる言葉には、不思議な力が籠っている。

 

「ンフィーレア。私はあなたの奥さんにはなれないけど、ンフィーレアが私の傍に居られる方法が一つだけあるわ?」

「えっ……な、なに?」

「いつもみたいに村へ居る時、私の傍で時々話を聞いてくれればいいのよ」

「それで、いいのっ?」

「忘れたの? 私達は――仲良しでしょ?」

 

 二人は良く、休憩時間の合間に木陰などで世間話をしていた。村の話や街の話、森の話に薬草など薬の話も楽しく。

 全ては満たされないが、確かに笑顔なエンリの傍には居られる。

 

「う……うん」

「でも、少しお願いがあるの。アインズ様が、あなたの持つ『あらゆるマジックアイテムの使用が可能』という生まれながらの異能(タレント)を危惧しているの。だから、必ず私の指示があるときだけそれを使いなさい。それが出来る? うまく行ってアインズ様に褒めて貰えれば、お祝いにほっぺにチューぐらいはしてあげられるわよ?」

「……ほっぺにチュー………?(エ、エンリのチュー。これは……僕がカッコイイところを見せ続ければ、まだ唇にとかの可能性も……そうだ、諦めたらダメだ。そこですべてが終わるっ。十年、二十年あればどこかで夫婦に成れる機会が来るかもしれないっ! 二十年先でもエンリは『まだ』36歳だっ)」

 

 頑張り屋で誠実な若いンフィーレアは、僅かに見い出せた渇望に迷いの全てをのみ込んだ。すでに涙は無い。好きな子へと人生を掛ける場に、そんなものは要らないのだ。

 

「分かったよ、エンリっ。ぼ、僕は、この村に移り住んで、君の傍で話を聞いて、必要な時に君の指示に従うよっ!」

 

 少女は村へ住めとは強制していないが、これはゴールへの必須条件だと聞いたのだ。少年には、もはや必要な行動でしかない。目標があれば、人は頑張れる。たとえ――それが儚くても。

 問題は色々残っているが、こうしてエンリへ自発的に半従属という形を以てンフィーレアの件は丸く収まった形である。そして、この結果は速やかにアインズへ報告されることになる。

 

 

 

 

 

 道の脇に止められた荷馬車の、荷台の柵へもたれて静かに座るモモン。彼は、その荷台で立ち上がり何やら妖艶に染まる雰囲気のクレマンティーヌから、少し離れた所に見える牧草小屋へ甘いご休憩の誘いを受けていた。

 戦士のその表情は漆黒の兜に遮られ、彼の感情を察することは出来ない。

 誘ったクレマンティーヌは、その事を少し残念に思う。自分のこの身体と、熱い想いへの誘いを喜んでくれているだろうか? もしそうだと、嬉しいなと。

 誘った側の彼女自身が実はドッキドキで、彼の前向きな答えを待っていた。

 沈黙は五秒程だと思うが、その感覚はとても新鮮で、乙女としてその場に緊張し佇む。

 その彼女へモモンの――冷静な言葉が返って来た。

 

「あのさ、クレマンティーヌ」

 

 名を呼ばれた彼女は、座り込んでいるモモンの前に、膝を揃えて可愛くしゃがみ込む。

 

「んふ? なぁに、モモンちゃんっ?」

「君の誘いは、その、(今はこう言うしか……)凄く嬉しいんだ。だけど――忘れていることがあるんじゃないかな?」

 

 今はまだ仕事中だという事である。聡い彼女はもちろん忘れていない。

 クレマンティーヌは、そんな事よりも今のモモンの言葉の『凄く嬉しい』という答えが耳から離れない。もはや完全に両想い確定だと興奮していた。

 

「(私も凄く嬉しー。モモンちゃんは、真面目なのね……ここは、もっと私が積極的にっ)だ、だってー、暇じゃん? それにー、仕事はマーベロちゃんがいるじゃない? きっと二時間ぐらい大丈夫よー」

 

 その時間が、牧草小屋の中で彼女の希望する各種行為において、長いのか短いのか経験が無いアインズには分からない。

 しかし、彼にはそれよりも重大な問題が有り過ぎた。幻術を用意しているのは頭だけなのだ。つまり漆黒の鎧の下は骸骨のままなのである。

 牧草小屋へ絶対に行く訳にはいかない。アインズはリアルの職場で培った社会人としてのノウハウをフル活用する。

 

「オッホン……いいかい、今日が俺達の初仕事なんだよ? 最初の仕事ぐらいは、男として最後までキッチリとやり遂げたいんだ。依頼人を無事にエ・ランテルへ連れ帰るまでが仕事だと俺は思っているけど、だめかな?」

 

 そう言いつつ、しゃがみ込んで丁度いい位置にあるクレマンティーヌの頭を優しくナデナデしてあげる。意外にクレマンティーヌの短めに纏まった金髪も、サラサラしていて気持ちいい感じである。

 だが、ナデナデされているクレマンティーヌの方が撫でられる嬉しさと、慕っているモモンから優しく触れられていることで、より恍惚としていた。加えて、モモンの彼女を諌める伴侶らしさに気分が最高潮に達しそうになっていた……。

 

「……あぁ……モモン……ちゃん」

 

 二十秒ほど後、モモンがナデナデし終る。彼女は沈黙のままゆっくり静かに立ちあがると、後ろで手を組み覗き込む感じに上目遣いの猫のような(しな)りを見せる可愛らしいポーズを取り、告げてきた。

 

「モモンちゃん、分かったー。私も一緒に一生懸命頑張るっ」

 

 クレマンティーヌは、モモンへニッコリと満面の笑顔を浮かべる。彼女は基本、他人は利用するだけのモノとしか考えていないが、伴侶にと決めた男性へは意外にも滅法尽くすタイプであったのだ。

 

「ねぇ、モモンちゃん、私は何をやればいい? 何でも言ってね。んふっ」

 

 クレマンティーヌはモモンの前で、ニコニコで嬉々として指示を待つ。

 スレイン法国で六色聖典の関係者がこの場に居れば、非常に驚いたことだろう。彼女は、人に使われることが大嫌いな事の一つであるのだ。漆黒聖典では、いつも狂気に歪んだ口許の笑みか、殺気を漂わせた機嫌の悪い感じの表情をしており、中々指示にも従わない唯我独尊といえる第九席次であった。

 さて、アインズは仕事中だと言った手前、「今は特にない」とは言い出せない。

 

「……じゃあ、俺はこの場を動けないし、クレマンティーヌには村の外側周辺にモンスターがいないか馬で一回りして来てもらうかな。あ、でも一人だと危ないか」

「分かったー。んふっ、私を心配してくれて嬉しー! でも大丈夫だよー、モモンちゃん。私はモンスターになんて負けないからー」

 

 そう言うと、荷台から猫の如き身軽やかさで、先程乗っていた馬へと飛乗り戻った。

 

「じゃー、行って来るー。でも、終わったらご褒美に、また撫でてねっ」

「え? ああ」

 

 クレマンティーヌは、ご褒美の約束に満足した笑顔をモモンへと向けたあと、手綱を操り馬を回頭させると村の外側を周回する道に向かい駆けて行った。

 

「モモンさん、あの人間が……気に入ったのですか?」

 

 クレマンティーヌへのナデナデを羨ましく感じたマーレが、馬が去って行った方向を見詰めながら少し不安そうにモモンガへ尋ねてきた。不満は不遜になるため、表には出ていない。

 至高の御方の意志は尊重されるため、モモンガが認めた個体は人間であっても庇護の対象になる。

 問われたモモンは、実はアインズとして複雑な思いでいた。

 あの女の鎧に付けている冒険者プレートの数から、ただの殺人者だと容易に推察出来る。多くの罪も無い者達を殺してきている事だろう。

 

 嫌悪すべき対象なのだ――以前なら。

 

 しかし今のアインズには人間を止めた所為なのか、ただ殺人者というだけでは彼女へ殆ど怒りや嫌悪感は浮かんでこないのだ。

 現状を例えるなら、虫やネズミを殺すのが得意である少し凶暴な可愛い猫が、尻尾を振って懐いて来たと言えば分かりやすいだろうか。

 自分にだけ無抵抗に人懐っこく、可愛く甘えて来ている猫。おまけに情報を集められる役に立ち、レアである特技も持っているときている。

 愛おしく思いナデナデしてしまう自分に、先程からアインズ自身が困惑していたのだ。

 マーレへは、重々しいアインズの口調で意味深長に回答する。

 

「……今はそういう事なのだろう」

 

 そう告げながら、近寄って来ていたマーレの頭を荷台の柵の上から優しく撫でてあげた。

 

「わ、分かりましたぁ……」

 

 モモンガからの優しいナデナデを受け、マーレは身内の自分への変わらぬ主様のご褒美に、安心から『ほにゃ』顔になっていた。これによりクレマンティーヌは、マーレからゴミではなくナザリックの一つの個体として認識された。

 

 10分程でのんびりとまるで乗馬だけを楽しむように馬の歩を一歩一歩進めるクレマンティーヌが戻って来た。カルネ村は小さく、大回りにとった周回路でも数百メートルしかない。

 

「モモンちゃーん、特に何もなかったよー」

 

 村内の死の騎士(デス・ナイト)3体は別にして、実際には周辺に八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)1体が潜み、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)3体が上空に居ると思うのだが、アウラやマーレクラスでなければ流石に気が付かないようだ。

 まあ、見つけられても面倒なんだが。

 

「……そうか、ありがとう。助かったよ」

「んふっ。じゃぁじゃぁー」

 

 モモンのいる荷台へと再び馬からひらりと飛び移ってくると、彼へと肩からすり寄りご褒美を可愛くねだる。

 

「ねーぇー、モモンちゃん、ナデナデしてー」

「そうだね」

 

 金髪の頭頂をポフポフしてからナデナデしてやると、彼女は目を閉じ満足げにモモンからの寵愛を味わっていた。

 その時、アインズの思考内に〈伝言(メッセージ)〉のシグナル音が響く。

 

 

 

 

 

 ここは半ログハウス風に作られているエモット家の二階。

 アインズの寝室に当てられた一番広い部屋とは異なる、プレアデスのシズ達用に当てられた少し手狭な部屋だ。ソリュシャンは少年と少女の結果へ少し物足りなさそうに小声で呟く。

 

「エンリは、女の武器は使わないのですわね、少し残念。でもまあ、至高の御方へ仕える乙女としての気持ちは分かりますわ」

 

 彼女の属性は邪悪。階下において蝋燭の薄明かりの中、その村娘の繕い跡の有る服をハラリと落とし、若い果実を使った甘美でドロリなハニートラップを期待し妄想していた。

 

「……エンリ……ナザリックの脅威……入手」

 

 シズが静かに、エンリの功を語る。『全アイテム使用制限無効化』という前例のない特殊技術(スキル)持ちの人材を、エンリの個人的な縁を元に少年本人の意志で味方側へと引き寄せたのだ。

 この村へ越して来るのは先になるだろうが、薬師少年のエンリへの、のめり込み方を見ていれば時間の問題に思われる。

 ソリュシャンは、巻物(スクロール)を取り出し、〈伝言(メッセージ)〉を使用する。彼女は、体内にのみ特殊といえる魔法が存在するが、殆ど魔法は使えない。しかし、近接格闘戦能力はプレアデス中随一であった。

 

「アインズ様、ソリュシャンです」

『ん』

「例の薬師の少年ンフィーレアがエンリの協力要請に応じ、この村へ移住する意志とエンリに従う決心をしたようです。この村へ移り来るまで監視が必要かもしれませんが、敵対の脅威度は大きく下がったと思われます。ご報告は以上です」

『コ、コホン』

「それでは」

 

 ソリュシャンも、アインズの傍に人間がいる状況を掴んでおり、主の変わった返事は織り込み済みだ。

 通信を終えたソリュシャンは、寝入るネムをそっとだき抱えるシズと並んで椅子に座り階下の監視に戻る。

 そんな、寄り添う姉妹の様子を――ルベドが自分の部屋へは行かずにこの部屋の窓際へ腰かけ、羽根を繕いつつ時々ニヤリとしながらチラチラと見ていた……。

 

 

 

 エンリは、長年の仲の良い友人が自分の意志で納得してくれた事にとりあえず内心ほっとする。

 ンフィーレアの場合、すでにナザリックにとって脅威と判定されており、アインズへ従わない場合、〈支配(ドミネート)〉により自我や意志をはく奪され、上手く機能しない場合は死が待つのみであったのだ。それらについてエンリは詳しく知らなかったが、説得に失敗した場合、以前のンフィーレアには会えなくなるという事だけは感じていた。

 だが、もう形はどうあれ、何とか味方にすることは出来たのだ。アインズ様は身内にはとても優しい。それだけは間違いない。エンリの自慢の旦那様なのだ。ンフィーレアもその偉大さに直ぐ気が付くだろう。

 あとはアインズ様の指示を受けた時に、ンフィーレアへ上手く指示すればいいだけである。彼へ『強引』に上手く頼む点だけには自信があった。でも今日、彼がこれまで従ってくれていたその理由の一部は分かった気がする。

 二人は再び椅子に腰かけ直していた。ンフィーレアは目の前に置かれていた水を一気に飲み干していく。

 

「そういえば、ンフィーレアは一人で村へ来たの? まさかとは思うけど」

「あ、うん。ちゃんと冒険者の人達と来てるよ。最初は組合に誰も冒険者がいなくって、その可能性もあったんだけど、偶然凄い人達が一組いてくれて付いて来てもらってる。今は村の外で待ってもらっているよ」

「じゃあ、どうしようか。ここはもうアインズ様一行が二階にいらっしゃるから、今夜は別の空き家を拝借してそこへでも――っと」

 

 エンリは自然に何気なく現状を口にしてしまう。ンフィーレアに不向きだった内容に気付き、すでに遅い感じだが言葉を濁す。もうそういう内縁関係に何の抵抗も無いという事なのだろう。それほど恩人として旦那様へ心酔しているという事。

 ンフィーレアには結構キツイ話であった。もう三晩目だと聞いた。それだけの期間があれば何でも出来てしまう現実……。エンリ奪還は遥か遠くの様に感じる。

 確かに少年も、偉大な魔法詠唱者(マジック・キャスター)のゴウンという御仁について、エンリやネム、この村の人達を助けてくれたことは凄く尊敬出来るし感謝している。しかしエンリの事だけは別である。

 ――紛れもない恋敵なのだ。

 

「……」

 

 ンフィーレアはその思考により沈黙していた。そんな彼へ諭すようにエンリは伝える。

 

「ここは、エモット家ではあるけど、もう――アインズ・ウール・ゴウン様の家なのよ」

 

 改めて聞くと、ずっしりと来る。愛しいエンリが他人の家の女になってしまっているのだと。目の前に座っているのに、まるで別人がそこに居て、エンリを完全に見失ってしまったかに思える感覚。

 

「……村の人達は……そのことを?」

「もちろんもう、皆知っているわ。でも、みんな温かく見守ってくれてる。それはアインズ様が、本当に優しく立派な方だから。多くの貴族達とは全然違う方なのよ」

 

 貴族――その呼称には、ンフィーレアにも全く良い印象は浮かばない。平民とは住む世界が違い、領地内では何をやっても罰せられることは無い雲の上の権力者達。その所業は酷い話しか聞かない。よく聞くのは、領地内での突然の追加税徴収や村娘の物色だ。

 このカルネ村が、曲がりなりにも王家直轄の辺境領であったことはンフィーレアにとってまさに救いであった。エンリほどの器量があれば、領主達はまず目を付けていただろうから。とっくにどこかの屋敷の密室にでも囲われていたことだろう。

 この時になり、ンフィーレアは気付く。エンリは三晩目だという話だが……彼女の雰囲気は今までと全く変わっていない。

 つまり、強制の類は全く受けていないということ……同意の下の幸せな関係――。

 

(……エンリがひどい目に遭ってないのは良い事だけれど……それはそれで、人物として付け入るスキが全くないよ。いや、僕はこれでも下級の貴族よりも資金の蓄えには自信がある……ってエンリってそういうのに反応薄いんだよな……そこがイイんだけど)

 

 ンフィーレアの心は一瞬の間も複雑に揺れた。

 だが、ゴウンという人物への悪い印象は本当にエンリの件のみになったと言える。確かに、凄い人物かもしれない。それだけの力を持っていながら、傲慢ではないという存在。まさに英雄と言える水準に相応しい仁徳である。

 それでも、少年は目の前に静かに座っているエンリがやはり良いのだ。こうしていつもすぐ傍で微笑んでいてほしい。

 どんな凄い人物が相手でも――いつかきっとこの手に取り戻す、と。

 バツが少し悪くなったが、エンリは少年を促す。

 

「えっと、とりあえず、道を挟んだ隣のお爺さんが住んでた家は、今空いているから――」

「――っ!? ぼ、僕、そこに住むよっ」

 

 ンフィーレアは即決する。こうなれば、エンリの家に近い方が良いだろう。流石に薬の研究や製造場所は臭いもあるし、村外れの方がいいだろうけれど。住む場所ぐらいは、せめてうんと傍にしたい。

 

「そ、そう? じゃあ、村長さんへ朝にでも話に行かないとね」

「うん」

 

 エンリとしても、早めにこの村へンフィーレアを呼んだ方が、彼には良い事だろうと考えてそう勧めた。

 「じゃあ、行きましょうか」と、エンリは立ち上がり、部屋の壁に掛けてあった風除けの有る蝋燭立てへテーブル上の火の付いた蝋燭を移すと、少年を伴って隣の家へと向かった。

 移動途中で少年は、エンリへ広場に立つ如何にも屈強に見えるモンスター達の事を尋ねていた。するとなんとゴウン氏が生み出して使役しているとの話を聞く。さらに驚愕したのが、その一体をエンリが借り受け、農作業を手伝ってもらっているという事実だ。「えぇぇっ!?」と目を白黒させる少年に、エンリは笑いを浮かべていた。

 隣家の中を二人で一通り見て回る。先日、村で亡くなった身内のいない者達の金目のものは、村で管理するためすでに持ち出されている。だがまだ毛布などは何枚も残っている様子だ。

 ンフィーレアは雨漏りや隙間風がなければ、特に住居にはこだわりは無い。寝れれば良いと考える性質だ。ここはお爺さんが一人暮らしで、使われてない部屋がいくつもあり、少し片付ければ直ぐに住めそうである。

 部屋にある蝋燭の1本にも火を移し灯す。

 

「とりあえず今日、ンフィーレアはここを使ってね。冒険者さん達も一緒で構わないわよ」

「うん、ありがとう、エンリ」

「じゃあね、おやすみンフィーレア」

「……おやすみ」

 

 彼には今、愛しいエンリの、別の男と暮らすエモット家へと明るい笑顔で去ってゆくその背中を、ただ見送る事しか出来なかった。

 

 ンフィーレアは、屋内で毛布について手早くモモン達の人数分を確認すると、借りた家から外へ出て村内の道を通り、デス・ナイトの守る広場を抜けて村の入口に止めた荷馬車の所までやって来た。

 時刻はすでに夜の11時を回っているころ。

 しかしンフィーレアは、その荷馬車の荷台の光景に苦笑いをする。モモンはまだ起きている様子だが、その傍にそう、二輪の華の姿が。

 初めは狂っていると思っていたあの女性、確かクレマンティーヌと言っていた彼女が――モモンの胡坐による膝枕で可愛く丸まる様に寝ていた……。頭を撫でられているうちに、不覚にも安心感に包まれて眠ってしまったのだ。

 それに、対抗でもするように、マーベロも目を閉じモモンの胸にくっ付いて寄り添っていた。

 見てしまったから仕方ないが……完全にお邪魔だったかもしれない。

 

「これはバレアレさん、用件は終わりましたか?」

 

 モモンは雇い主へと普通に小声で問いかける。当然起きているマーベロにより、彼が接近する前に知らされていたので心の準備も出来ていた。

 

「あ、はい。それで、皆さんと泊まれる家を貸してもらえたので、どうかと思ったのですが……」

 

 アインズは、先日畑仕事をしているエンリへ聞くと、この地方にも四季があり、今は夏へ向かう途中で夜や朝方はまだ偶に気温の低い日もあるようだ。しかし、魔法による保温を周囲に掛けてあるので問題は無かった。

 

「我々は大丈夫ですよ、慣れてますから。ご覧の様に今から移動するのもなんですし、すみませんけど」

「分かりました。今日は無事にここまで連れて来て頂きありがとうございました。明日の午前中にはエ・ランテルへ向けて出発しましょう。ではおやすみなさい、モモンさん」

「おやすみなさい、バレアレさん」

 

 ンフィーレアはモモンらと別れて一人、借りた家まで戻って来た。

 すると、玄関脇へ家を出る時にはなかったものを見つける。それは、パンとハムが多めにスライスされたものといくつかの皿が入れられた大きめのバスケットと水差しが置かれていた。バスケットの蓋にメモが挟まれているのに気が付き、手に取って目を通す。彼が偶にエンリへ、読み書きを教えていた成果だ。

 

 『ンフィーレアへ。お腹空いてると思うからみんなで食べてね』

 

 変わらない少女の優しさと思い浮かぶ笑顔が、少年の胸を――激しく抉る。

 

(エンリ、僕は堪らない。絶対に君が欲しいよ……諦めるもんかっ。五年でケリを付けてやるっ)

 

 少年は長い時間、メモを優しく抱き締めていた――。

 

 

 

 

 

 翌朝、薬師の少年は、冒険者達と荷馬車で朝食を取る。アインズは幻術の顔で頂く。喉を過ぎたものは、飲食対策に連れていた蟲が密かに飲み込んでいた。クレマンティーヌはアインズの顔を初めて見るが、平均以下である事は余り気にしていないようだ……彼女は終始、ニコニコしていた。

 その後ンフィーレアは、朝の落ち着いた時間になると速やかにエンリより仲介され、村長に面談し村への移住を伝えると共に、エモット家の道を挟んだ向かい隣の空き家を住居として申請した。

 村長としては、知人であり裕福で有能である人材の村への加入を大いに歓迎する。

 しかし、村長は少し気になった。

 少年がここ数年エンリと仲が良かったのは、村人達も皆知っていることである。その少年が、大都市からわざわざこの小さい村へと、それもエモット家の向かいに移り住んでくる意味を少し考えてしまう。エンリは今、アインズ様を自宅に住まわせ……いやもはやあの家はゴウン邸となって彼女は献身的に仕える立場となっている。一応少年には、そのことを確認するも「そ、そう、みたいですね」と微妙な表情の顔で返された。何も無ければ良いがと。

 ンフィーレアは、あと一つの用件が済むと、今は村へ長居無用と急ぎエ・ランテルへ向けて出発した。

 

 クレマンティーヌは馬に乗り、荷馬車の傍を並走する。視界へ荷台に座り外の風景をのんびりと眺めるモモンの姿が目に入る。それだけで、頬は赤くなった。

 彼女は、彼の膝で朝まで熟睡してしまっていたのだ。

 クレマンティーヌは考える。こんなことはいつ以来だろうか。

 強者として殺人に狂いつつも、常にいつも何かに怯えて過ごしていたと思う。そのためここ何年も警戒を解いて寝た事がないのだ。

 それが、モモンのナデナデと膝枕で、警戒心が自然と完全に解けていたのだ。昨晩、モモンが自分を殺す気なら間違いなく無抵抗で死んでいただろう。

 しかし、しかしである。そんな事は朝まで起こらなかった。

 

 クレマンティーヌは――純粋に嬉しかった。

 

 気の全てをモモンに許してなお、安全安心に過ごせたことに。

 

(んふっ。私にはやっぱり、モモンちゃんしかいなーいっ!)

 

 完全に乙女となった彼女は、エ・ランテルまでの道程にて終始、頬を染めたまま自然の笑みを浮かべていた。

 

 荷馬車の御者席でンフィーレアは、出発前のもう一つの用件――ゴウン氏と会見した時のことを思い出す。

 短い時間ではあったが、エモット家の居間で直接会っていた。

 エンリに家の中へ招かれると、その巨躯で泰然とした男が椅子から静かに立ち上がる。

 彼は独特といえる仮面を被っていた。そして、威厳のある重々しい声が掛けられた。

 

「エンリから聞いている。君が、ンフィーレア・バレアレ君か」

「は、はい、ゴウンさ……ま」

 

 『さん』と一般的な敬称ではとても呼べなかった。

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウン――目の前に立つ男が同じ魔法を使う者として、格が違う事が一目で分かった。

 まず、その身に纏う魔法詠唱者としてのオーラだ。恐らく魔力量に由来するのだろうが果てしなく強大に感じる。

 次に、付けた装備品の数々、見事な細工の施された籠手に始まり、頭部側面と肩周りの巨大な白金細工と朱き宝玉の輝き、首回りと二の腕の装甲は黄金……そして上質で裾回りを金で飾られた黒きローブの光沢。一体何で出来ているのすら分からないが、いずれも桁違いの魔法装備の逸品であるように見える。

 貴族どころじゃない。どれを取っても王室の宝物とどうかという物ではないだろうか。金貨にして百万枚でも、まるで不足かというそんな水準を思わせる。

 少年は一気に恐縮してしまった。

 昨夜、下級の貴族には負けない云々を考えていた自分が全く愚かに思える。

 さらに――エンリから直前に配下と聞いた彼の後ろに控える3名の者達……。一人は前に立つネムの頭を優しく撫でている。いずれも絵物語を思わせる美人であった。肖像画を見たことがある王室の『黄金』の姫、ラナー王女と比肩する眩さであろう。普通なら、エンリやあのクレマンティーヌも十分美人なのだが、超越したものを感じていた。正直、エンリを好きになっていなければ、この場で虜になっていたかもしれない。

 

「君はエンリに従い、彼女に協力してくれると聞いている。私の事はゴウンではなく、アインズの方で構わん」

「で、では、アインズ様。まずはお礼を申し上げます。エンリにネム、そして村の人達を助けていただき、知人としてそして友人として大変感謝しています」

 

 ンフィーレアはまず頭を下げて感謝の意を示した。

 先にこれだけは是非言っておきたかった。この御仁が来てくれなければ、すべてが終わっていたのだ。

 エンリが生きている。そのことは、彼にとってほぼ全てに勝ることであったから。

 

「うむ。ここへ来たのは偶然に因るところが大きいが、私の力で助けることが出来て良かったと思っている。こうして君にも会えたしな」

「そ、そうですね」

 

 直接話すと改めて村や王国戦士達を救った大業への驕りも無く、人として当然のような自然体の雰囲気にも人物のスケールの大きさを感じてしまう。エンリから聞いた通りの、圧倒的で英雄的な仁徳溢れる人間性――それに対する自分の非力さ矮小さを思い知らされる。

 自分は、ただただエンリを求める男に成り下がっているのではないか……そんな思いを抱かせる巨大な存在に見えた。

 エンリが敬愛し、傍でずっと仕えたいと言う気持ちを理解出来てしまう。

 しかし、それでもエンリを諦めることは出来ない。ンフィーレアは口火を切った。

 

「協力するにあたり、一つお願いがありますっ」

「ん? なんだね」

「僕が、大きく貢献出来たときに――エンリを解放してくださいっ!」

「ンフィーレアっ?!」

 

 少年の言葉に、思わずエンリが何を言い出すのと驚く。

 アインズは、特にエンリを縛っている気は無い。人間ではあったがアインズへ付いて行きたいという願いを、村への布石とそのカルネ村第一主義といえる考えから認めただけ。だが、この少年の申し出は、彼自身への『足枷』に丁度いいのではないかと思えた。

 一方で、すでに配下と認めたエンリの気持ちも考えたい。

 そんなエンリは、アインズの傍で不安な表情になっていた。存在価値としてンフィーレアの方がずっと高いのだ。だから、自分はその褒美に引き渡されたり、身体を使っての繋ぎ止めを言い渡される可能性も、組織の脅威に対しては十分あると。今、この身は全てアインズ様のものなのだ。だから、彼女はいかなる指示にも従うつもりではいる。

 

(でも、私が敬愛しているのは旦那(アインズ)様だけなんです……)

 

 少女は、すでに祈るような心境で主の反応を待っていた。

 アインズは静かに答える。

 

「ンフィーレア、君は何か勘違いをしていないか?」

「え?」

「エンリは大切な配下であり、私は強いてはいないつもりだ。今も、彼女の意志で傍に居て働いてくれている。君のその願いは、すでに現状を指している。……君に別の願いがあるのなら――欲しいものがあるなら、自分の力で手に入れることに価値が有るのではないのかな?」

「くっ」

 

 ンフィーレアは、全て見透かされているように感じた。エンリが欲しいのなら、格好イイ所を見せつけて自分で口説き落とせよと。

 

「もちろん、貢献してもらえれば、それに見合ったものを贈らせて貰おう。今は、エンリへの協力をよろしく頼む」

「はい……」

 

 そうして、少年は支配者から差し出された分厚いガントレットと握手を交わして、この場を後にする。少年は結果的にエンリ経由でアインズへと協力する立場となった。

 

 ンフィーレアが去ったエモット家では、アインズが支配者としてソリュシャンへ村内の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)を密かに少年の護衛に付けるよう指示する。そして少し慌ただしくアインズは、村の外へと〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉で漆黒の戦士の姿に戻った後、〈転移〉しようとしていた。

 用を足すと言って牧草小屋の脇の厠へ逃げ、マーレが「モモンちゃん、私もー」と付いて行こうとしたクレマンティーヌを引き留めているのだ。時間的猶予は余りない。

 この会見は、アインズが〈伝言(メッセージ)〉で両箇所の状況を交互に把握調整して実現している。

 エンリも、アインズがこの場へ漆黒の戦士の姿でいきなり現れた時は驚いた。更に偶然にもンフィーレアをこの村へと連れて来ていた冒険者だという事も。運命的なものがあるのではと強く感じてしまう。

 そんなエンリは、去ろうとした旦那様へ駆け寄り声を掛ける。

 

「アインズ様っ」

「ん? どうしたエンリ」

「ありがとうございました。私を大切だと言って頂いて、とっても……凄く嬉しかったです。私はアインズ様だけを――お慕いしていますから」

 

 エンリは、左手をそっと胸元へ当て、笑顔の中、頬を朱に染めて潤んだ目でアインズを見上げていた。

 

「ネムもアインズ様大好きぃー」

 

 そこに前方からアインズへ、姉を大事にしてくれるネムの感謝のダイブアタックが続く。エンリらの告白にプレアデス達も黙ってはいない。

 

「ネムは兎も角、ちょっとエンリっ。同じく主様を敬愛している私達を差し置いて何を一人、お傍で盛り上がっているんですのっ、こちらへいらっしゃいっ」

「エンリ……ネム……ズルい……」

 

 エンリはソリュシャンに、ネムはシズに抱えられて、アインズから引き剥がされる。

 姉妹&姉妹の展開に、ルベドは至福に浸る感じでニヤニヤと一人盛り上がっていた……。

 時間が無い中での配下達からの熱い展開に、兜の中でドギマギの表情になる支配者。

 

「オ、オッホン。では、また夜にでも戻る」

「「「いってらっしゃいませっ、アインズ様っ」」」

「……了解……アインズ様」

「分かった、アインズ様」

 

 鎧姿のアインズは皆へ頷くと、次の瞬間、エモット家から消えていた。

 

 

 

 

 

 現在の少年の気持ちを表しているかのように、空には地平線まで曇天が広がり続いている。

 エ・ランテルへ向かう荷馬車の手綱を握る少年が今も感じるのは、男としての全面的な敗北感。

 そして――盟主を仰いだような気がする。

 

(あの人物の高みを少しでも追い掛けたい。そこにエンリへの道もあるはずだっ。……三十年、いや五十年掛かるかもしれないけれど……いつか―――)

 

 薬師の少年、ンフィーレア・バレアレ。

 彼はまだ、黄金の褪せた髪の可愛い笑顔の少女を諦めてはいない――。

 

 

 




誰かが言っていた……全ての者を救う事は出来ないと……(震え声
イヤッ、少年の、真の戦いはこ、これからデス!(^^;

前に進めましょうか……次回は戦略会議(多分1話)
その次が王都編?かなと。


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STAGE16. スローゲーム・スローライフ/進撃ノニグン1

 未だ嘗て敵の進入を許したことが無い、ナザリック地下大墳墓の第九階層。

 アインズの執務室制作と並行して、客間の一つが少し改装された戦略会議室に、第四、第八を除く階層守護者、第九と十階層を守るプレアデスのリーダー、そして守護者統括が数日振りに集結した。

 守護者統括のアルベドは、アインズに最も近い位置へ立ち、只一人席へ腰掛ける主へと美しく響く優しい声の言葉で開催を促す様に知らせる。

 

「アインズ様、守護者統括、そして各階層守護者、御身の前に」

 

 部屋の最奥の席に皆から視線を集め座る絶対的支配者が、小さく頷くと静かに立ち上がり、その重々しい声を室内へ響かせる。

 

「会議を始める前に一つ。もうすでに皆も知っていると思うが、私は名を改めた。今後はアインズ・ウール・ゴウン――アインズと呼ぶが良い」

 

 アルベドが、ナザリック全員を代表し力強く答える。

 

「新しき御尊名を皆、伺いましてございます。アインズ様は正にナザリックそのもの。いと尊きお方。アインズ・ウール・ゴウン様、万歳っ!」

「「「「「「アインズ・ウール・ゴウン様、万歳っ! アインズ・ウール・ゴウン様、万歳っ! アインズ・ウール・ゴウン様、万歳っ!」」」」」」

 

 守護者達の三呼斉唱が終わると、アルベドが請願する。

 

「是非、シモベ達も揃った際の玉座の間にても、再度お名乗り下さいませ。皆も喜ぶかと」

「そうだな、そうしよう」

 

 急遽ということもあり、手短い形で改名の儀が一段落するとアインズが告げる。

 

「では、これよりナザリック戦略会議を始めるとしよう。皆、席に着くが良い」

 

 長方形の大テーブルを前に、アインズとナザリックの最上位NPC達六名が席に着いた。セバスだけは固辞している。彼も階層守護者と同格のNPCであるのだが、自分の執事の立場に忠実なのだ。アインズの視線に過分ですと会釈と共に目が訴えており、主も強くは勧めない。

 このナザリックは、アインズを絶対とするトップダウン組織である。

 ここへ集まった者達は皆、アインズの意志と希望を叶える為に邁進することを最重要にしか考えていない。理に適わずとも主に命じられれば、すぐさまこの場で死ぬ事を全く厭わない者達揃いである。しかし誇りと信念だけは各自がしっかりと持っている。それだけにアインズは、皆を愛おしく大切に考えて接していた。

 

「資料は皆全員、目を通しているか?」

「もちろんです」

「はいでありんす」

「ハッ」

「はいっ」

「は、はい」

「すべて、頭の中に」

「はい」

 

 アインズが皆を見回すと、各々の返事が順に返ってきた。

 昨日の内に、周辺の半径90キロ(当初70キロだったが皆が異様に頑張った)についての調査情報へは全員が目を通し終えていた。西の小都市周辺に25万人、南の大都市エ・ランテル周辺には70万人、東の大都市周辺に65万人、北方へ広大に広がるトブの大森林内に少数の人間種とモンスター5万体以上を確認。さらに、ここ数日でのアインズの行動についても資料が作成され渡されている。

 カルネ村での一連の戦闘や、同地を友好保護対象地域に指定し、人間のエンリとネムのエモット姉妹、ンフィーレアにクレマンティーヌを配下とする事、特に世界級(ワールド)アイテムと同等の特殊技術(スキル)を持つンフィーレアへは護衛を付けている点も記載されている。また、ルベドが既に体得したと思われる武技なる身体補助系統の存在や、陽光聖典の捕虜から、第七位階魔法以上は人間達では使い手がほぼいない事や、他部隊の聖典には強大な魔法アイテムを使い熟す者や神人と呼ばれる超越者らが存在するという内容等も報告されていた。

 

「まず、皆の多くが不在の中、私が独断で動いた事を詫びよう」

 

 しかし、横に座るアルベドはその言葉へ、ゆっくりと顔を横に振ると皆に代わり述べる。

 

「アインズ様、その必要はございません。主様が自らの意志で動かれることに、私達は従うのみでございます。その際に至らない点があれば――それは我々配下の落ち度。叱責をされることはありましても、どうか謝罪などはされませんように。私達が困ってしまいます」

 

 周りを見ると、コキュートス、シャルティア、デミウルゴス、アウラ、マーレ、セバスと皆が同意の小さく頭を下げ畏まる所作をした。

 これほど出来のいい配下達に囲まれ、ナザリックは最高の存在だなぁとアインズは思う。

 

「そうか、ではこう言い替えておこう。ここ数日、皆、私の希望に従い、応え、良く働いてくれた、褒めておくぞ。そして、ありがとう」

「「「「「「ははぁっ」」」」」」

「勿体なきお言葉」

 

 至高の御方に褒められ、礼の言葉までも頂き、一同は嬉しく笑顔の表情に包まれる。

 

「さて」

 

 雰囲気が良い中、アインズが話を進める。支配者の言葉に、皆が傾注する。

 

「依然原因は不明だが、我々がこの新世界へ来て半月程になる。皆の働きにより、漸く周辺の国家や地理、社会の情報が集まってきた。そろそろ我々の行動について、大まかにも指針を決めようかと思う。今会議のレジュメも見てもらっていると思うが、それに従い進める」

 

 支配者の言葉に、会した一同が賛同し頷く。

 今回の議題は、ナザリックの長期、中期、短期それぞれについての初案だ。最終決定案では無いが、この新世界へ来て初めてアインズの口からナザリックの進むべき道が示される。最終決定事項のみが後日、守護者やシモベ達を玉座の間へ一堂に集めて告げられることになる。

 アインズとしては、この新世界へ来て間もないことも有り、長期、中期、短期についての尺度を長期を5年程、中期を1~2年、短期をこれからの3カ月~半年程度と考えていた。そして長期については、『アインズ・ウール・ゴウン』の名を国名とした新国家の建設とその名を広めることにしようと考えている。そうすると中期、短期は何をするべきかの方向性もはっきりするだろう。

 そこでアインズは、まず分かりやすい長期目標から語った方が良いかと決めた。

 ところがである。

 

「長期については、いよいよでございますね――世界征服」

 

 デミウルゴスが、待ち切れないとばかりに自然体で何気なくそう発言したのだ。それに対して、周りの守護者達もウンウンと頷いている。

 

「(な、なにぃーーー!?)……」

 

 アインズにとって、今それは最後の……新世界にプレイヤー達の反応が無いという希望失いし時の目的であった。なぜそれが初めから引き出されているのかっ。

 だが、この場に居る者達の表情は、その目標をとても当然と楽しみにしている雰囲気であった。よく考えればこの世界へ来た当初、上空で星を眺めた時にデミウルゴスの前で呟いたのを思い出す。

 実は、アインズが冗談気味にポロリと『世界征服』を吐露した後、周辺調査を申し入れる際に、ナザリックの防衛面で守護者らのみによる調整会合があったのだ。そこでデミウルゴスとアルベドにより、モモンガの絶対的支配者らしい考えとして「モモンガ様、万歳っ! 世界征服、万歳っ!」と周知されていた……。

 

(あれを、私の今の真意だと解釈したのか……さすがは最上位悪魔)

 

 しかし、いきなりそれはマズイ。

 ユグドラシルに於いて異形種のプレイヤーは少数派だ。大多数が人間種であった。そのことから、ユグドラシルのプレイヤーがこの新世界に来ていれば、人間種側に立つはず。

 ナザリックの周囲は全て人間種の国である。征服行為に出ればユグドラシルのプレイヤー達と敵対する可能性が高く、合流しにくくなるだろう。それに現状、周辺国の総戦力はいまだ未知数だ。すでに近隣の都市人口だけで、実に150万を軽く超えている情報を得ている。ユグドラシルではモブキャラを含めても、考えられない圧倒的といえる多さの数字である。全面戦争となれば、その何倍もの数と戦う事が想定されるのだ。

 アインズは、何か良い手は無いかと真剣且つ冷静に考え、リアル世界での営業の実体験を取り入れ話し始める。

 

「……ふっ、デミウルゴスよ、楽しむことを忘れるな。我々は――なんだ?」

 

 支配者からの問いかけに、デミウルゴスはハッとする。

 

「こ、これは……喜びの余り失念しておりました。我々には時間が十二分にあるのですね」

「そういうことだ、それにゲーム開始直後にチェックメイトでは相手も興ざめであろう」

 

 営業には――交渉を有利に進める為の時間稼ぎも必要。

 異形種の寿命の長さを逆手に取り、絶対的支配者は長い余興の時間を欲しているという縛りを配下へ撒いたのだ。

 しかし、配下達の楽しみや期待しているものを根こそぎ奪うのは、支配者として格好良くない。そこで、世界征服は超長期という先の未来の奥に押し込むように据え、長期の目標として本来のものを据える。

 

「最終的に皆と世界征服を目指すが、まずは、私の名となっている『アインズ・ウール・ゴウン』の名称を世界へ広めたい。――この新世界の地上へまず国を作る。それを長期案とする」

「「「「「「「おおおおおっ」」」」」」」

 

 延長上に世界征服を睨み、主様の名を冠した国を興す。

 配下の者達の目は輝いていた。これはまさに王道であると。異議のある者などこの場には居なかった。

 

「もちろん状況次第で目標が変わることも有る。皆忘れるな、まだこの新世界は未知の部分が多い。強大である敵が立ち塞がるやもしれんことをな」

「「「「「「「はっ!」」」」」」」

 

 特に報告書の内容から、スレイン法国は要注意であることに皆が気を引き締める。

 

「それと私は、何とかしてユグドラシルのプレイヤーと接触を図りたいと考えている。可能なら同盟や共闘を希望する。そのために中長期に於いて、人間種の率いる国家との表立った直接戦闘は避けたい」

 

 アルベドは一瞬眉を潜ませる。

 アインズは、彼女が傍に居る際に何度か、同じ時代や世界を知る者達とやはり行動を共にしたい旨を話していた。

 アルベドとしては、少し寂しいと思う。彼女にしてみればナザリックの外のギルドの者も、新世界の者達と共に基本、敵なのだ。かつて共闘していたギルドの者であれば考慮もするが、それでもそういった者達を望む支配者は余り見たくなかった。

 

(私達だけではダメなのですか? この身全てを捧げますから……)

 

 彼女は、熱い眼差しでアインズを見詰めていた。

 引き締まったスーツ姿のデミウルゴスはいたって冷静だ。支配者の余興の一つだと考えている。最終的には戦う相手について接触し、情報や戦力を把握しておくことは悪くないと。もちろんその時になれば主へ、こちらの総戦力について秘匿をお願いするつもりではいる。

 他の守護者達も支配者の意志を尊重して反論は特に起こらない。

 

「アルベド、デミウルゴスよ、長期目標について5年での完遂を念頭に作戦を立案せよ。すなわち中期においては領土の確保になろう。予定する領土については――トブの大森林とその周辺の山脈群、そしてナザリックのあるこの平原だ。あと、地上の拠点となる城塞都市も作るぞ。それと――面白くするために、ナザリックの現有物資や戦力は極力温存せよ。地上にあるもので拠点や新戦力を構築していこう。私が生み出せる中位、上位アンデッドも上手く使え。まず概案を頼む」

「「承知いたしました」」

「それに伴い、トブの大森林へ侵攻することになるが、今回の先陣は、コキュートスとする」

「オオオオオーーッ、有リ難キ幸セッ!」

 

 コキュートスと非常に仲良の良いデミウルゴスも口許に笑みが見える。

 アウラやシャルティアが先陣を切りたそうにしていたが、周辺調査の際にナザリックに留まったコキュートスへ譲る形でウズウズしつつも沈黙していた。

 

(ふふっ、こうして気を使う所は、ぶくぶく茶釜さん、ペロロンチーノさんの姉弟らしいなぁ)

 

 嘗ての仲間の姿が垣間見え、階層守護者達の仲の良さにアインズは、骸骨ながら目を細めていた。

 基本的に協力し合い、作戦の細かいところは立ててくれ動いてくれる、そういった頼りになるNPCの配下達がいるナザリックは何度考えても本当に素晴らしいなと、アインズは内心ニコニコしながら考えていた。

 だが……そんな健気に思うNPC達にも、許容できない事項はあるらしい。シャルティアが何気なく切り出してきた。

 

「あ、あの、我が君~。とても気になることがありんす」

「うん? なんだ?」

 

 アインズは、上機嫌に少し声が軽い感じで返した――惨劇の始まりを知らずに。

 

「マ、マーレと冒険者パートナーと称して都市で、手をずっと握られてのデートをされ、その後も巨大樹の家にて二人で、キ、キッスの上に一夜を明かしたと。さらに村の女子(おなご)のエンリとも――二夜もベッドを共にしたとかっ。新参のクレマンティーヌへナデナデ連発の上に朝まで膝枕とも。それと、シズとソリュシャンの前に出られ身を挺して庇われたのち、ルベドを含めての彼女らへナデナデにお姫様だっこ、加えてナーベラル・ガンマにはナデナデを一日に3回もしたとか……その間、マーレもお姫様だっこの上、何度もナデナデを……、あとペストーニャへも――」

 

(も、もういい……もういいよ? ……ザ、ザル……だ。筒抜け過ぎてるよ……)

 

 アインズは、支配者としてこの場で震える訳にも行かず、心の底までも真っ白く、白骨化したかのようになっていた……。

 いずれも報告書には全く記載されていない内容である。どこでドンダケ漏れているのだろう。アインズは全身へ存在しない汗腺を無視した大量の汗が一気に溢れ出す感覚に囚われていた。

 かの者らにしっかりと見(守)られていたのだ……一般メイドや八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)達に死角は無かった……。

 ただ、シャルティア達はそれらをスゴク羨ましく思うも、相手や主を責めているという事ではない。本題を彼女は告げようとする。

 

「そ、その、是非ご褒美で、私にも一夜の激しい御情けを――」

「ちょっとシャルティアっ、あたしの報告書の量を見た? ご褒美なら私の方が先でしょっ!」

 

 アウラは通常の地理に加え、森の中までも休憩時間を僅かで押さえつつ詳細に調べて回っていた。すでに大仕事を任され、高評価を受けていた妹のマーレに負けるわけにはいかないと。今回の調査では4人中、随一の報告量である。シャルティアへ先の順序は譲れない。

 

「シャルティア、アウラ……会議には関係のない内容ですよ」

 

 会議の途中だと、守護者統括のアルベドが的確に指摘した。しかし、アルベドの言葉はまだ続きがあった。それに彼女は――愛しい主の他の者への度重なる寵愛報告で、すでにプルプルしていた……。

 

「――で、ですが、順番で言えば、最も早く報告完了したわたくしが先ですっ」

 

 ついに、アルベドが動き出す。

 

「アインズ様。そ、そのぉ、ご褒美について折り入ってお願いがございますっ」

 

 アルベドの様子が――完全にオカシイ。乙女になっているというか、精神年齢が下がったというか。

 アインズの隣の椅子に掛ける彼女の頬は赤く染まり、目は潤み切って微笑んでいる。両手を胸元で握り、翼はパタパタ、体はくねくね。その様子に、アインズは間近で異様に増大する危機を感じ、先に制しておく。

 

「オ、オッホン……ご褒美に――イキモノはダメだぞ。神聖なもの程な」

 

 アルベドの表情が、固まる。

 彼女のご褒美の希望はもちろん、幾多の交わりの果てに授かる愛の結晶である小さい命。

 ここ九階層に彼女の自室がある。妄想の果てに制作し続けているアインズの等身大抱き枕は、すでに4個を数える。昨夜、空色の三角帽を被るチェックの寝間着姿バージョンが増えた所だ。早くもベビー関連服も拡充されつつある。

 

「そ、そんなぁ。……(でも、私達の御子ですもの、純粋な営みでをご希望なのですね!)……そ、そうですわね、分かりましたわ。それでは、一緒にお風呂へ――」

「ちょっと、筋肉ゴリラ、何一人で突っ走ってるのよっ!」

「ヤツメは黙ってて」

「はぁ?!」

「あのさ二人とも、今回は(マーレがキスしてもらってるから)あたしも引けないんだから――」

 

 その後、10分ほども、シャルティア、アウラ、アルベドがご褒美の順番と過激といえる内容の応酬で紛糾する。アインズは、山積された指摘事項が真実であるため沈黙していた。口を開けば完全なるドツボにハマりそうであったからだ。

 マーレは、頬を染めて目線を落としつつも、チラチラとモモンガさまを窺う。目線が合うと、照れながらニッコリしてくれる。可愛い。

 セバスは、壁際にて中立で直立のまま終始沈黙中。

 コキュートス、デミウルゴスも我関せずである。これは御世継ぎにも繋がる話。コキュートスとしては、デミウルゴスと共にすでに賛成派に回っていたからだ。

 とはいえ、ここは戦略会議の場である。窘めるのは年長者の務めと最後に一喝した。

 

「統括モ、シャルティアモアウラモ、イツマデモ支配者様ノ御前デ、アカラサマニ褒美ヲ望ムトハハシタナク不敬デアルゾ、ソロソロ控エラレヨ!」

 

 本来支配者の要望に対し、無償の奉仕と結果に満足するのが守護者たるものである。流石にコキュートスの指摘通りであり、立ち上がっていたシャルティアとアウラもハッとして着席する。

 アルベドは、立ち上がってこそいなかったが、忠誠の証である無償の奉仕を蔑ろにしてしまった感もあり、少しシュンとしてしまった。

 そんな、横で気落ちし元気なく、しおらしく小さくなって座っているアルベドを、アインズは――自然と優しくナデナデしていた。

 

「アルベド、それに、シャルティア、アウラよ。働きに見合ったものを望むのは自然といえる事なのだ。私は気にしていない。それに皆の働き、忘れるはずもないぞ」

 

 アインズは後日の褒美についてを示唆する。

 アルベドは、支配者の言葉以上に、現在のナデナデに衝撃を受けていた。

 愛しのアインズ様から触れて貰えた。あの胸を優しく鷲掴まれ触られて以来である。それだけで心の底から熱い想いと興奮が湧き上がってきた。それはもう止まらない勢いでだ。

 

「くふぅぅぅーーーーーーーーーー!」

 

 歓喜の声を上げ、アルベドは一気に完全復活していた。いや、嬉しすぎて我を忘れてしまった。気が付けば皆の前で、アインズへと馬乗りになって押し倒していたのだ。

 主はその状況に唖然とする。

 

(ば、馬鹿な、俺は拘束を初めとする移動困難への攻撃に完全耐性をアイテムで得ている。通常なら動きが固定された瞬間に解放されるはずなのに。これはアルベド側からそれを上回る高度な捕縛術を受けているということかっ?)

 

 彼女の金色の瞳が燦然と輝いている。

 

「愛しのアインズ様っ、嬉しいですっ。さぁ、遠慮なさらず、も、もっとわたくしを……さぁっ」

「お、落ち着け、アルベドっ。ここは会議中の会議室だぞ」

「このナザリックの主で絶対的支配者であられるアインズ様には、周りも場所も関係ございませんっ、さぁさぁっ」

 

 余りの状況に天井に控えていた、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)達が3体掛かりで止めに入る。

 

「統括様、ここは皆さまがおられます、場をお改め下さいっ」

「……あぁ、アインズ様ぁ」

 

 もう、警護の言葉など耳に届かず、アルベドは妄想に暴走していた。八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)達は、もはや力でアルベドを引きはがしに掛かる。

 

「アルベド様ご乱心っ! ご乱心っ! やむを得ない、支配者様よりお離しするのだ。んっっ?」

「おう。むっ? う、動かない。な、何と言う剛腕っ」

「くぅぅ、我ら3体掛かりだぞ?!」

 

 八肢刀の暗殺蟲もLv.88を誇る精鋭の者達なのだが、圧倒的である戦士職Lv.100のアルベドが相手だと殆ど動かない。

 

「シャルティア様、マーレ様、御助力をっ!」

 

 すでに守護者達は全員席から立ち上がっていた。しかし、アルベドはトップレディーであり、主自らが『モモンガを愛している』と書き換えた程の存在でもある。そのため、セバスやコキュートス、デミウルゴスの忠臣の男性陣らはパワーで対抗出来るもおいそれと触れることは出来ないのだ。

 こうして、アルベドはその場に居たシャルティアとマーレの序列ワンツーペアのフルパワーで引き剥がされて「愛しのアインズさまぁーー」の声を通路へ響かせ、会議室の外へと引きずられるように連行されていった……。

 アルベドの騒ぎのおかげで、スキャンダルを含め、泥沼的危機は去った。

 

「アルベド……大丈夫かなぁ。あの、何か罰とかになってしまうのですか?」

 

 仕事を離れれば仲の良い友人でもあるアウラは、アインズへ嘆願するように見上げつつ心配そうに呟く。

 アインズは、傍に立つアウラの少し短めで動き易いだろう金髪の頭をそっと撫でながら伝える。

 

「アルベドも色々と、私の為に一生懸命頑張り過ぎたのだろう。数日は姉の所ででもゆっくり休ませてやろう。心配するな、私を大事に想ってくれている気持ちは分かっているつもりだ」

「はいっ……」

 

 彼女は、ご主人様の皆に対する愛を感じていた。少しお甘いのかもと感じるが、だからこそ嬉しい。同じお方に想いを寄せるアウラも他人ごとではないのだ。

 アウラの返事は、いつものハツラツさが少し弱く――熱くなっていた。

 主様のナデナデが最高に素晴らしい。彼女は受けながら思う。これは、狂っちゃうかもと。そんな諸々の気持ちに包まれつつ、静かに主様からの撫でを彼女は堪能していた。

 

「デミウルゴス」

「何でございましょうか」

「言い忘れていたが短期の目標については、地上への足固めだ。新拠点の場所の選定と設計完了、建設への着手。それと新戦力の一翼にと考えるアンデッド群は、私がなるべく毎日増やしていくつもりだ。すでに中位アンデッドは40体、上位アンデッドは10体を超えている。だが死体がまだ足りないな。カルネ村の近くに皆殺しになっている村が4つあったので、放置されて使えそうな死体を一昨日の夜よりすべて順次回収させているが600体程しか集まりそうにない。将来的には各国の戦意を戦う前から失わせる程圧倒する為に、まず5000から10000体は集めておこうと思う。だが墓を掘り起こすのではなく、合法的に不要の生者や死体を得る対策として、領土へ都市を一つか二つ、手に入れたいがそれも頼めるか?」

「なるほど……毎年多く出るであろう罪人や身元不明の遺体ですか、畏まりました。それと、楽しむという事でしたら、アインズ様があっと驚く戦略をお見せしなければなりませんね」

「ふっ、私の満足出来るものを期待している」

「お任せください」

 

 礼を取るナザリック至上主義であるデミウルゴスの表情には、満足げに笑顔が浮かんでいた。アインズの想像も出来ない戦略が見られるかもしれない。

 

「コキュートスよ」

「ハッ」

「威を見せるのは構わん。だが、大量殺傷には大義名分が無くてはならん。我々にはまだそれがない。また民あっての国という事を念頭に置いて欲しい。若い者や優秀そうな人材も残しておけよ」

「承知仕リマシタ」

 

 コキュートスも、主から先陣を任されウキウキとしている感じが伝わってくる。武人として誇りを持ち、ナザリックの先頭に立って戦う事こそが存在意義であると考える配下であったからだ。必ず主の心遣いに応えようと胸に期すものがあった。

 そして傍に居るアウラにも再び声を掛ける。

 

「アウラよ」

 

 アインズは気が付かなかったが、アウラは主様の皆への愛や御手より触れてもらっていることとナデナデの心地良さのために、頬だけでなくすっかり耳まで真っ赤になってしまっていた。声が少し上吊ってしまう。

 

「は、はいっ」

「カルネ村の傍の森に、『森の賢王』と呼ばれる伝説の魔獣がいる。お前の報告にも脅威にはならないと載っていたんだが、そいつは縄張りとして結果的にだが、カルネ村周辺を百年以上ずっと守って来ているらしい。これから会いに行こうと思うが一緒に来てくれるか? 会ってみないと分からないが、出来れば殺さずに地上の戦力に組み入れたい」

「あ、多分あいつですねっ。分かりました、是非お供させてくださいっ」

 

 アウラは主を見上げ、元気一杯でとても嬉しそうに微笑む。

 彼女もアインズより『十分綺麗でかわいい』と言って貰えた時から、主様を敬愛する乙女の一人である。

 

(アインズ様と、一緒に行動出来るっ。なんて嬉しい気持ちなんだろ。マーレはズルイなぁ。こんな気持ちでずっと居られたなんて)

 

 アウラは、これはもうご褒美だとニコニコウキウキしていた。

 

「セバス、王城行きの準備はどうだ?」

「はい、順調に進んでおります。一台『質素な』馬車をご用意しております。あと、ナーベラルの準備も一通りは」

「そうか、王城行きも戦略への前振りなのでな、セバスにはまた留守を頼む事になるがよろしく頼む」

「はい、承知いたしました」

 

 セバスは、常に表情は大きく変わらない。

 だが、他の者達と些かも忠誠の厚さが変わらない事は、その働きからも十分伝わってくる。要望に対し、彼は常に期待以上のものを返して来ていたから。

 時折、製作者で至高の仲間に加え恩人のたっち・みーさん的雰囲気を感じる事がある。セバス・チャンはNPC達の中でも、安心感と常に身を引き締めないと、という気を起こさせる有り難い存在だ。

 最初の戦略会議はここで終了となる。この後はデミウルゴスとアルベドとで概案を出してくれるのを皆で確認し修正を加えた上で、決定項を出す。

 精神面を含め二つほどアクシデントは有ったが、取り敢えずこのナザリックを配下達が納得する方向へ持っていけたかなと、アインズは皆を率いる指導者としてほっとしていた。

 しかし、『予定は未定にして決定にあらず』とはよく言ったものである……。

 

 

 

 

 

 

 ナザリック戦略会議が行われたのは、アインズが冒険者モモンとしてンフィーレア・バレアレを大都市エ・ランテルへ送って二日先の昼頃である。

 それまでの間も色々な事があった。

 

 まず、ンフィーレアへ密かに監視が付いた。

 カルネ村からエ・ランテルへの帰途に就いた際、村に居た八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)一体が不可視化の状態で、クレマンティーヌに気付かれない離れた位置にずっと付いて来ていた。カルネ村側の守備は、いずれ少年と共に戻ってくると考えられることから蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)3体で据え置かれている。

 一行は村から一時間程行った辺りでモンスターに初めて襲われるが15体のモンスターを即座に打倒して終わる。ンフィーレアから、モンスターの一部、大抵は耳らしいがそれを組合に提示すれば実績とお金になると聞き実行する。その後は無事にエ・ランテルへと到着した。第三城壁門を通り第二城壁門の傍まで送られるとンフィーレアは、約束の金貨10枚をモモンへと渡す。

 

「あの、次はここまで報酬は出せませんが、また近々カルネ村へ行きますので、モモンさんの名を指定して組合にお願いしておくつもりですけど、いいですか?」

 

 少年は笑顔でそう告げてきた。良い少年である。縁を無駄にせず大事にする。大成する人間には不可欠といえる要素の一つだ。

 

「はい、是非に。お待ちしています」

 

 モモンは新米冒険者として当然有り難く受ける。ンフィーレアはこの街では有名人。その仕事を多くこなすことは、信用に大きく繋がるのだ。

 ンフィーレアとモモン達は、笑顔で別れた。八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)は不可視化の中、アインズへ会釈すると薬師の後を建物の屋根の上を移動しつつ護衛し始める。

 少年が引っ越すのは半月後の事である。

 

 次にクレマンティーヌがスレイン法国へ戻る為、同棲目的で冒険者モモンチームごと法国へ引っ張ろうとした。もちろんモモンは同意しない。マーベロは隣で冷静に状況を見ている。

 

「えぇー、モモンちゃん、一緒に行こうよー……法国でも仕事は出来るじゃん? それにぃ、イイことも毎日一杯出来るしー。んふっ」

 

 彼女は、艶っぽく右手の中指の指先を瑞々しい唇に滑らせ、身体も(しな)らせながら告げてくる。

 アインズが現在、もっとも懸念するのは六色聖典の諜報力だ。正体を隠すためのこの姿では、高位の対情報系魔法を使う事が数々の点で難しい。モモン達は部外者であり、クレマンティーヌへ過多として接触を察知されれば、常時監視対象に入る恐れがあるのだ。それはまず避ける必要がある。

 

「クレマンティーヌ、少なくとも君の希望が叶うまでは、不用意の行動は控えた方がいいと思うけど。君が苦労するほどの相手と組織なんだろう?」

 

 彼女は他人から意見されるのも大嫌いな事だ。六色聖典の本部施設でそんな事を言った者はほぼその場で半殺しにされている。しかし――伴侶は別である。

 クレマンティーヌは、悩む表情でモモンへ可愛く抱き付き見上げる。

 

「ん~~。モモンちゃんのぉ言う事は分かる。でもー」

「クレマンティーヌ、少しの辛抱だから」

 

 そう何気に語って、モモンは彼女の柔らかい金色の髪をナデナデする。

 彼の愛を感じる撫でと、言葉の中の『辛抱』という言葉に、『モモンちゃんが私を求めるの凄く我慢してくれてるー』と考え、自分もここは折れて合わせるべきと決めた。

 

「わ、分かったー。モモンちゃんの言う通りにするねっ」

 

 そうして調査内容と連絡手段の確認をすると、クレマンティーヌは名残惜しそうに何度も何度も振り返りながら離れていった。

 

 

 

 その少し日の傾き始めた、同時刻付近のカルネ村。

 エンリがゴブリン将軍の角笛を使った。

 これは、先日直接言われていたアインズからの指示。彼女の助けになるとして旦那様が使えと言うのだ、モンスターが出てこようと信頼して吹く事にする。

 もちろん、事前の根回しはしていた。村長を初め、村の皆にもアインズ様の指示だと周知済。また、吹く場所も村から少し離れた草地を選び、そこへカルマ値+100のシズが自発的について来てくれ、デス・ナイトのルイス君も護衛に来てもらっていた。アインズは、村のゴウン邸内で魔法の研究中となっている。

 彼女は、数度の深呼吸のあと、角笛を全力で吹いた。

 しかしその音色は、プーという貧弱に響く感じのものであった……。音色を響かせると、首に掛けていたゴブリン将軍の角笛は間もなく首紐と共に草地の風へ溶けるように霧散した。

 

「……あぁ…………」

 

 思わず声が漏れる。大事にしていた宝物が形を失い残念に感じる。

 さらに、30秒……1分……3分……草原に変化はない。ただ風だけが通り抜けていった。

 

「……あれ?」

 

 何か失敗したのかと、エンリの顔は少し青ざめた。旦那様から頂いた初めての贈り物で宝物が、玩具の感じでスカし音だけを残して消えてしまったのだから。

 どうしよう、そう彼女が思い始めたころ、遠く森の方角から草原を駆け抜けそれはやって来た。

 人間よりも背の低い、肌はもちろん緑で亜人種の者達だ。

 しかし、それらは皆鍛え上げられた肉体をしており、明らかに普通のゴブリン達では無かった。エンリ達の前へ歪ながら整列する。

 

「俺達をお呼びですね、姐さんっ。俺はリーダーのジュゲムと言います」

「あ、姐さん?」

「ええ、俺達は姐さんに仕える為だけにやって来ました。なぁ、みんなっ」

「「「「「「おおおおおっーーー!」」」」」」

 

 こうして、エンリを手伝う十九体のゴブリン軍団がカルネ村に加わった。

 

 

 

 アインズとマーレは、冒険者組合へ仕事の完了とモンスター退治を報告した。

 組合へは昨日、請け負った段階でンフィーレアが経費の銀貨を受付に支払っている。冒険者組合へ報告が無いと実績に繋がらないのだ。さらに、失敗を成功したとの虚偽申告は、バレた時、信用失墜に加えペナルティーが当然あり、ズルは全く得にならない。

 今日は三組ほどの冒険者達がロビーに居た。相変わらず皆の目が、モモン達に終始集中している。二人はモンスターの鑑定が終わり賞金を受け取ると、手を繋いで組合を後にした。

 モモンらは第二城壁門を通り、最も奥の第一城壁門の前へとやって来る。そして、冒険者プレートを見せ、そこを通過した。2日前、二人はここへは進むことが出来なかった。これは城塞都市の仕組みの参考検分でもある。

 

「マーベロ、一通り見たら宿に入ろうか」

「は、はい、モモンさん」

 

 手をしっかり繋いでいるマーレは、とても嬉しそうに笑顔で主を見上げ歩き出した。

 第一城壁門内は、貴族や大商人等の上級層の屋敷が集まっている。都市の行政施設や神殿と巨大である兵糧備蓄倉庫が置かれていた。

 

(アンデッド以外の軍勢の場合は、水と兵糧の確保を考えなくちゃいけないんだなぁ)

 

 よくよく考えると戦争に於いてアンデッドの兵ほど重宝するものは無い。水と食料はいらず、不眠不休が可能で、疲れも無いときている。

 ユグドラシルではNPC以外はプレイヤーなので、種族がアンデッドでも不眠だけはどうしようもなかったが、ここでは現実。

 ナザリックの戦力を温存することを考えれば、兵糧倉庫は最重要といえる施設の一つになるだろう。

 二時間半ほど一通り街並みを確認すると、モモンとマーベロは第一城壁門外へと移動した。ここから二人は、さらに第三城壁門内の宿街区画へと向かう。

 先程組合の掲示板を確認すると、(カッパー)向けの仕事をいくつか見つける。しかし、期間が少し長い案件が並んでいた。カルネ村へ今夜、少し寄るつもりでいたが、明日に移してもいい。これから出て、明日終える仕事があればそちらを選んでも良いと考えていた。だが、明後日は戦略会議があるため、そこまで伸びるとダメなのだ。

 結局、どれも条件に合うものは違い、諦めて組合を出る。そして、クレマンティーヌに見られたようなケースを避けるため、形としてだけ宿屋で宿泊することにした。明日一番で組合へ行き、適当と思える仕事が無ければ冒険者モモンチームとしてエ・ランテルを一旦出る予定。

 一泊二人で銅貨13枚の宿へ入る。既に夕刻の時間で、周りは曇り空によりさらに暗く感じる状態であった。

 木製の窓の鎧戸は締められており、受付で貰った蝋燭の明かりが室内を僅かに照らす。

 

「部屋の周囲は大丈夫かな?」

「はい、こちらを窺っている様子はありません」

 

 モモンが頷くとマーベロは机に置かれた蝋燭の明かりを消し、〈転移門(ゲート)〉を発動する。

 

 マーレ達二人は、一瞬でナザリックへと戻って来た。

 アインズは〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉を解除する。マーレも白いローブを脱いでいつもの姿に戻った。

 そして共にそのまま第三階層へ降りると、アインズは再びあの霊廟に集められたスレイン法国の騎士の死体から、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)3体、デス・ナイトを10体生成する。

 もうなんとなく、日課のように熟す感覚。

 

「うぅむ……死体が少なくなってきたな」

「あの、僕が一杯集めてきましょうか?」

 

 主の危惧を解消すべく、当然の様にマーレが主を見上げつつ笑顔でそう尋ねてきた。

 どうやるのか、それも一杯……数千では済まない気がする。アインズは、明日の朝にはどこかの都市が忽然と地表から消えているという予感がした。そのまま素直に「そうだな」とは言えなかった。マーレのオッドアイの可愛い瞳から、元気で眩しい輝きを守る為にも、無用といえる国家的争いの火種にならないためにも。

 しかし、完全に断るのはマーレの気持ちを無にする事になる。アインズは妙案が何かないかと一瞬で必死に考えた。

 

「……今晩、それに関して用を頼むことになるだろう、シモベを少し集めて待っていてくれ」

「は、はいっ、では直ちに」

 

 マーレは、アインズから直接の仕事を貰えそうなことで、その場を十二分に満足し、慌てつつも乙女走りで可愛く去って行った。

 ナザリックの者達にとって、絶対的支配者から仕事を貰えるという事は信用されている事、必要とされている事を意味し存在意義と言っていい最高の喜びであるのだ。

 ―――このあと夜に変わり、カルネ村へ寄ったアインズは例の新しい対情報系魔法を八か所へ設置の後、エンリへスレイン法国の騎士団に襲われた近隣の4つの村について確認し、点在した村々なのでまだ全てが放置されたままだとの情報を得ると、マーレへ〈伝言(メッセージ)〉で死体回収の指示を行っている。

 

 

「アインズ様」

 

 霊廟にアインズだけがいると思ったが、マーレの退出と入れ替わる様に可愛らしい澄んだ声が掛かった。

 そちらへとアインズが目をやると、戦闘メイドプレアデスの六番目の娘、エントマ・ヴァシリッサ・ゼータが胸の前へ両手で大事に持った箱の中に指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を乗せて静かに近付いて来た。彼女は、裾が斜めにカットされ短い形の黒味掛かった紅色系の着物に、白いエプロンを付けた風の衣装装備である。

 

「姉のユリから、こちらにおられるアインズ様へと」

「そうか。エントマよ、ご苦労」

 

 アインズは、エントマから指輪を受け取り右手の薬指に通す。

 そういえばと思い出すように支配者は胸元より飲食蟲を取り出す。

 エントマは蜘蛛人(アラクノイド)でムシツカイの職業レベルを持つ。アインズの今持っている口唇蟲(こうしんちゅう)も飲食蟲も彼女から借りているものだ。

 

「この者らは、とても役に立っているぞ。お前からも褒めてやってくれ」

「それはよろしゅうございました。よしよし」

 

 蟲達をエントマは、撫でて愛でてやる。蟲達は彼女の手にすり寄っていた。

 

「ところで、恐怖公の所に居る捕虜達の世話を、エントマが見ているとセバスからの捕虜関連資料にあったのだが?」

「はい、捕虜達に直接会っている訳ではありませんが、恐怖公の協力を得て少し配下の者達を指揮させてもらっています」

「そうか」

 

 エントマから小窓越しで捕虜へ質問された項目について、すでにいくつか得られた興味深い情報が、戦略会議の資料で報告される予定になっている。

 アノ区画に住まうモノ達は、眷族が違っても虫ではある。エントマに使えない訳では無い。また、彼女に逆らって進んでおやつになりたくもないだろう。

 捕虜の陽光聖典44人は枷に付いたアイテムで魔法を完全に封じられていた。更に枷は手首をクロスさせる形と足首をクロスさせる形で固定されるもので非常に動きを制限されている。基本、皆が魔法詠唱者で人間なのだ。かなり非力といえる存在になっていた。アノ区画の住人(ゴ●ブリ)たちの多くが、レベルで上回るほどに。

 捕虜達は、エントマの指示により食われることは無かったが……まさに生き地獄を見ていた。

 

 

 

 

 

                 ※ ※ ※

 

 

――――進撃ノニグン1

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓の第二階層の一区画、通称――黒棺(ブラック・カプセル)

 その男は、ここがどこなのかも分からず床に転がり喘いでいた。

 壁や床は硬質の石で出来ている様子。ずっと見上げる程高い天井近くに魔法に因る灯りだろうか、炎が揺らが無い光源がある。その光は弱く全てが薄暗く広い密室だ。魔法も使えず、時計も無いため時間すら全く分からない。全ての状況が精神的に攻めて来ていた。

 

(く、くそう。何故、私程の男がこうなったのだっ)

 

 囚われた屈辱がある。

 彼の名は、ニグン・グリッド・ルーイン。

 数少ない第四位階魔法の使い手で、スレイン法国の栄えある特殊部隊、六色聖典の一つ陽光聖典の隊長である。それにより最近、彼は漸く下級貴族となって、中級貴族の三女の娘も娶っていた。しかしこの地獄ではそれらに何の意味もないのだ。

 彼がここで初めて気が付いたときの事は、思い出したくもない。装備はすでに全て剥がされ、手足は拘束され、素肌が剥き出しの薄い粗末な布の服が一枚のみ。

 

 そして――身体は顔を初めアノの群れに覆われていた。もちろん服の中までも。

 

 這い回り蠢くチクチクとする感覚。虫だ。あの忌まわしい臭い。気が狂いそうになる。その状況が、終わりなく続く。

 唯一の救いは一日程に一回の食事時間30分程のみ。この時だけ虫が身体から離れていく。食事は本当に、虫が運んでくる状況も内容も最低だ。これが二か月続けば栄養失調に陥るだろうという代物。

 4回目の食事までは、その閉じられた世界のサイクルに何も変化が無かった。

 気が付いてからの最初の数時間は虫を殺そうと懸命だったが、体長が10センチを超えるソレらが我々よりも『頑丈』だということを思い知っただけであった。殴った腕や拳、踏んだ足の方が怪我をするのだ。

 もはや、このまま死を待つのか……イヤダ、助カリタイッ!……それらの溢れる思考のループが延々と続く。

 周りには、部下の者達もいるが、全員が徐々に抵抗する気力を無くしていった。

 しかし、4回目の食事の少し後のことだ。

 食事もそこを通ってやって来る通気口のように狭い小窓から、天使の雰囲気もある優しい女性の声が聞こえて来た。

 

「皆さん、助かりたいですかぁ?」

 

 しかし内容は悪魔の囁きと言えた。もちろんだという答えしか浮かばない。

 ここで目覚めてからは、ずっと仲間のうめき声しか聞いていない気がする。しかし、周囲の者達は一斉に反応した。

 

「たっ、助けてくれ!」

「こんなところで死にたくないぃぃ!」

「な、なんでもするからここから出してくれっ!」

 

 もはや、多くの者の心が、戦慄の虫攻撃でへし折られていた。

 もちろんニグンも例外では無かった。

 

「私は隊長のニグンだっ! 私だけがこの中で第四位階魔法の使い手で、もっとも情報を知っている。つまり一番価値のある者のはずだっ。早く出してくれっ」

 

 恥も外聞もない。全てを押しのけ、まずここを抜け出したいというその一心だ。

 法国に殉じてこのまま死ぬという高尚な考えは、残念ながらニグンにはなかった。

 彼の精神に最後まで残ったのは、生存と出世のみ。

 今置かれている現状には、誇りも何も存在しない。ただの放置されたゴミ屑に等しい存在。そんな最後は御免だと。

 不思議な事に彼等は誰一人自殺していない。それは、彼等の魔法を集団で封じたアイテム効果に思考操作も有り禁止されていた。彼らは皆、貴重な情報源なのである。

 だがニグンの思考にそういったことを考えている余裕を失い、助かる為の思考とそのあと何とかここで取り入って成り上がろうという思いに費やされていた。

 

「じゃあ、隊長さんに少し尋ねますぅ」

「そ、その前に虫を何とかしてくれぇっ」

「……嘘をついたらカジカジさせますからぁ、それも口の中からですよぉ。そのつもりでぇ」

「わ、分かっている」

 

 もはや、デス・オア・ライブである。

 女の声が「隊長さんから少し離れてぇ」と告げると、信じられない事にニグンを覆う虫だけが周囲へ待機するように離れた。つまり、『口の中から』と言うのは至極簡単な命令という事。

 ニグンは女の質問に従い、いくつかの真実を正直に語った。

 そして女は満足する。

 

「じゃあ、またぁ。これが役に立てば助かるかもねぇ」

 

 ニグンの「あ、あのー、おいっ、私を外に――」の叫び声も空しく、無情にも小窓の傍に居た女はそのまま去って行った。

 彼は再び虫に覆われる。すでに裏切り者といえる陽光聖典の隊長は、グッと耐えた。これが一縷の望みに繋がっていると信じて。

 

 ニグンは、魔法詠唱者アインズ・ウール・ゴウンが何者だろうと考える。

 この状況は、確実にあのアインズの組織に拉致されているのだろう。第四位階魔法の使い手の自分が全く手も足も出ないのだから。

 正直、敵対する相手では無かったと、撤退しなかった事を心底悔いていた。

 法国秘蔵の最高位天使すら剣の一撃で容易に屠る天使の配下。その直後にアインズの放った超魔法。これまでの常識外といえる想像を絶する力だ。

 経験から対抗出来そうな可能性が有るのは、漆黒聖典のみだと確信している。

 だが彼等とてこの状況を作り出せるだろうか……。

 あれだけの使い手とこの大掛かりな施設を有するとなると、規模の大きい組織だと思われる。

 ニグンの思考に浮かんだのはただ一つ。

 

(これは、あの噂の秘密結社ズーラーノーンか?)

 

 法国が誇る諜報部隊、風花聖典ですらほとんど情報を掴み切れずにいる組織である。

 現状、ズーラーノーンを頂点に、十人程度の幹部を持つ組織があるというぐらいしか掴んでいない。

 強さや言葉振り、指揮の様子を見てアインズ・ウール・ゴウンが頂点に立っているズーラーノーンその人の可能性を感じていた。

 

(しかし、では何故王国戦士長達を助けたんだ……?)

 

 虫が這いまわる耐えがたいこの押し寄せ続ける感覚に耐える中、ニグンには疑問が残った。

 

 5回目の食事を受けて少しすると、またあの女から尋問を受けた。その時だけ虫が居なくなるという、他の者が味わえない束の間の解放の優越感を覚える。

 また、この再度の尋問は前回の情報に価値があったのかもしれないとも考えた。これは、この場からの脱出にまた一歩近づいているのかもと、広がる可能性に内心で期待を寄せていく。

 今回も質問が終わるとニグンをこの場へ放置し、女は去って行った。

 だが、予想通り。――きっと次もある。まだまだ話していない情報がいっぱいあるのだからと考えていた。

 一方ですでに、周囲に転がる嘗ての配下達からの視線が鋭いのを感じている。

 

 助かるのは――隊長だけではないのか、と。

 

 ズルイ、汚い、裏切り者、自分の事しか考えていない、それでも隊長か、と。

 

(なんとでも思え、だが俺はお前達よりも優秀であるだけ。死ねばすべて終わるのだっ。それにお前たちも自分の事しか考えていまいっ?)

 

 虫に顔まで覆われながら、ニグンは独りよがりな優越感に歯を見せほくそ笑んでいた。

 

 

 ニグンの進撃が静かに始まる――。

 

 

 

 

 

 

                 ※ ※ ※

 

 

 

 

 

 

 拘束した陽光聖典の45名の内、1名だけシズが射殺した魔法詠唱者の遺体があった。それは回収後、基本各種実験に使われている。

 その実験の幾つかによって、死体1に対してアンデッドは1体しか作成出来ないことが分かった。頭と心臓等他の部位では頭側に吸収される事が確認出来た。ただ、頭が無い場合は体側の一部だけでも不滅のアンデッドは作成可能の様子。

 また、遺体の一部はセバス経由で支配者に許可確認されエントマの胃袋にも収まっていた。

 エントマは改めて主へと礼を述べる。

 

「アインズ様、お肉を分けて頂きありがとうございました」

「うむ。今後、安定供給については手を考えている。それまで少し我慢させてしまうかもしれんがよろしく頼む。あと捕虜の方もな」

「はい。他に手が必要な時には何なりと」

 

 未知の世界へ来て、難しい事が多い中、死体がナザリックの貴重な戦力になることが分かってきた。そんな時に配分されてきた『新鮮なお肉』であった。特別であることは間違いないだろう。主様の気遣いを彼女はとても嬉しく思じていた。

 エントマは着物風の衣装装備の両袖を前で合わせ、改めて忠誠の気持ちを込めて恭しくアインズへ頭を下げると霊廟を後にした。

 この後アインズはカルネ村へと移動する。

 しかし滞在は2時間程であった。対情報系魔法の設置と、近隣の村の状況確認、そしてゴブリン将軍の角笛の使用結果と顔合わせ。

 絶対的支配者は、ゴブリン軍団の面々から主エンリの旦那様として『御屋形様』と呼ばれることになった……。

 アインズはまだ用があると、エンリに切ない顔をされつつも、早々に再度ナザリックへ戻る。

 

 彼にはまだ先にやることがあったのだ。それは明後日の戦略会議の準備ではない。

 自室に籠っての新戦力となるNPCの調整である。それを翌朝まで行うと、一旦マーレと大都市エ・ランテルの宿屋へ戻り、冒険者組合を訪れるも条件に合う仕事依頼は結局無かった。

 ンフィーレアからの依頼もまだ出ていない様子。それを確認し終えると、モモンとマーベロは第三城壁門を出てエ・ランテルから退去した。王都へ続く西側へ向かう街道は森の中を通る。そこで人気(ひとけ)が無くなる場所から〈転移門(ゲート)〉でナザリックへ速やかに帰還した。

 それから、再度自室に籠ってNPCの最後の調整を進める。そうして日付を遥かに越え、翌朝もいい時間となって漸くすべての設定が終わる。あとは起動するだけとなった。

 ナザリックで5年ぶりぐらいとなる新しく起動(ロールアウト)されるNPCのはずである。

 だが、アインズは自らのNPC、パンドラズ・アクターを起動してからすでに8年ほど経っており、起動方法が朧気であった。

 そのまま装置を操作しそうになったが、不測の事態を考えて書庫でマニュアルを再確認してからと考えた。

 しかし、このまま起動していた方がよかったと彼は後悔することになる……。

 アインズは、同階層の書庫である大図書館『アッシュールバニパル』にて、NPC作成・調整装置に関するマニュアルを探す。だが結局、種族がスケルトン・メイジである司書長のティトゥス·アンナエウス·セクンドゥスに置き場所を確認して思い出しやっと閲覧出来た。計1時間程で自室に戻る為に書庫を出るも、彼は廊下でアルベドとシャルティアらに捕まり、気が付けばそのまま会議室に連れ込まれていた――。

 ちなみに一昨日の夜から昨日の朝までの、ナザリック内の護衛はエントマ・ヴァシリッサ・ゼータであった。終わった後にナデナデしてあげる。彼女の髪は蜘蛛の鋏角(きょうかく)(上顎)である。流石に結構固い。彼女の顔は作り物であるが感情に対していくつかの表情に変わる。撫ででやると、目を細めた嬉しそうな表情に変わっていた。

 そして、昨日昼前からの護衛はルプスレギナ・ベータである。

 

「では、ルプスレギナよ、この場での警護を頼んだぞ」

「はいっ。アインズ様、いつまでもお待ちしていまっす!」

 

 至高の者達の個室区画前通路にて当初、語尾が怪しいながらもそう元気良く告げてくれたが――朝にはいなくなっていた……。一般メイド達と朝食に行ったままのようである。

 お腹が減っていたようだが、あとで状況を聴いて失態を知った姉のユリにより、お仕置きとしてスパイクガントレットでぶん殴られたという。

 

 

 




次、まだ細々残ってますが、王都編っす。
ニグンエェ……(汗


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STAGE17. 支配者王都へ行く/新NPCト公スケ話(1)

世界征服には、より多くの仲間が必要です……。


注)モモンの口調について
気分転換の名目でアインズの重々しい感じでは無い、鈴木悟の素の口調になっています


 ガゼフとの再会の約束を果たす、王都への出発の朝がやって来た。

 アインズ達一行を王都まで運ぶその馬車が、快晴と言える空の下、カルネ村の広場へと車輪の音も静かに現れる。

 五日前にシズが村を一日離れて、馬車の手配に行ったことになっている。その時にシズはナザリックで馬車の様子を確認しアインズへ報告していた。

 質素という話をセバスからも聞いており、アインズも実際に見てなるほどと思ったのだが、村人達は――。

 

 皆、仰天していた。その登場した馬車の立派さと御者らの美しさに。

 

 馬車は四頭立てだが、すべて八足馬(スレイプニール)が牽引する。タイプとしては四頭立て四輪大型馬車(コーチ)となる。どうやらこの新世界では八足馬(スレイプニール)は非常に高価な馬であったようだ。それが四頭も揃っていた。これだけでひと財産である。

 また箱型の車体も、御者は少し低い位置にある御者席に座り、全体的に落ち着きの有る漆黒ながら、窓枠、取っ手、ランプ等の装飾金属金具類が全て白金(プラチナ)で統一されたスタイリッシュな形であった。

 そして馬車を操るは、黒髪に眼鏡顔で一般メイド服姿の肌白き美しい令嬢、ユリ・アルファ。停止した馬車の御者席から立ち上がり降りて来る姿は、スラリと高くその存在を際立たせていた。

 今回、王都へ赴くのはアインズとルベド、シズ、ソリュシャンに御者としてユリ・アルファにあともう一人、不可視化しユリの横の御者席へ静かに座るナーベラルの計六名。

 また、カルネ村にはソリュシャンがいなくなるため、村内のデス・ナイトの内1体を除く2体と、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)3体については、ルプスレギナではなく――アインズの作成した新NPCで、腰ほどまで有る銀髪を揺らすLv.83に設定したキョウ()に任せることにした。

 盗賊と忍者の雰囲気が混ざる青紫色系のデザインで、両肩に戦国鎧の大袖(おおそで)と腰に草摺(くさずり)のような形のある裾が短めの装備衣装と、背に刀を一本差しの彼女は、馬車内から扉を開け静かに降り立つ。

 種族はネコマタと二重の影(ドッペルゲンガー)のハープタイプ。切れ長の目と猫の黄緑色の瞳をした表情は印象的で美しい。今は人型形態を取っている。名前は種族に合わすようにアインズから和風で付けられた。彼女もソリュシャンと同様、マスターアサシンの職業レベルを持つ。

 

「キョウよ、留守中の村を頼むぞ。では、エンリに引き合わそう」

「はい、我が主様、畏まりました……(ニャ)」

 

 設定で、語尾にニャを付けることになっているのだが、最近改めて見て恥ずかしいパンドラズ・アクターの二の舞いにしないよう彼女を真面目な性格にしていたため、どうもとても恥ずかしいらしく……語尾は小声になっている。

 これが意外に可愛い。これは――ギャップ萌えだろうか?

 

 しかし、彼女の起動(ロールアウト)に際しては、大変な事態になっていた。

 

 

 

 

 

 起動は戦略会議の翌日に行われた。

 アインズは書庫でNPC作成・調整装置に関するマニュアルの、起動に関する項目を一通り読んでいたため、操作に関して余計といえる知識が入ってきていた。

 

 ――『一斉起動』。

 

 それは、起動可能なギルド内の未起動のNPCを、全て同時に起動するものである。

 偶々であった。

 確認でポチポチと各種オプションのプルダウン表示をいじっていた時に誤操作を起こしていた。本来一般のプレイヤーでは起こらないのだが、彼はギルドマスターであるため権限を持っていたのだ。

 城塞都市に関しての設計についてデミウルゴスより確認要請の〈伝言(メッセージ)〉を受け、あと少しだったがアインズは急ぎ一旦NPCの設定操作を終了し席を外した。間もなく指輪でデミウルゴスの下へ移動する。この時、オプションがまさかの一斉起動にシフトされてしまっていたのだ。

 デミウルゴスが提示した都市の基本設計案については概ね認めつつも、立地について水害を踏まえつつ、まず河川や井戸など水源の確保を考慮し拡張性を残して供給面を重視するように指示した後、自室に戻った。

 そうしてアインズは、ついに自作のNPCをおもむろに起動する。

 これまで、最終起動確認まで三度たどり着いて戻っていたため、最後に確認コンソール内の30文字程ある文面中の『~~新規作成のNPCを起動しますか?』と『~~ギルド内の新規作成のNPCを一斉起動しますか?』の差に気が付かなかった……というか下の『OK』『キャンセル』しかまともに見ていなかったのだ。

 この時点で、ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』内の未起動であったNPCはキョウを含め全部で6体存在していた。

 それらが一斉に起動した。

 消費されたレベルは合計377。残りは一気に50程になってしまう大惨事であった。

 まさかの展開をアインズも、この瞬間には気付けずにいた。後の祭りである。

 起動されたキョウは、カプセルから無色透明の液体が抜けて扉が開くと、自分自身で外へ出て装備を装着する。

 もちろん起動した瞬間からすでにNPCのプライバシーを考慮しており、装置前にはホワイトカーテンが支配者によりすでに展開されている。

 アインズは少し緊張している。――新NPCに敵対行動はないだろうかと。

 着終えると、彼女はカーテンを解除して現れる。そして、豊かである胸が若干強調されるコスチューム姿で、速やかに絶対的支配者の前へ跪くと恭しく挨拶して来た。

 

「初めまして、造物主様。キョウにございます。生まれましたこの瞬間より御身へ忠誠を誓います……(ニャ)」

 

 見たところ、礼儀正しく主を敬っている態度であり、設定も――きちんと機能している感じだ。

 どうやら幸いなことに、アインズの最も危惧していた反逆行動は無い様子。新世界移転後の起動でも、至高の者への忠節は、造物主自らの起動時にはまず有効であるようだ。その点だけクリアしていれば何とかなる。

 

「うむ、我が名はアインズ・ウール・ゴウン。アインズと呼ぶといい。これからよろしく頼むぞ。体に問題はないか?」

「はい、アインズ様。違和感や異常は今のところ感じません……(ニャ)」

 

 アインズが安心したこの時に、ナザリックの管理システム『マスターソース』が彼へ注意(ワーニング)を思考内へ電子音で知らせてくる。

 この区画には、ギルドメンバーと同行しなければNPCは入場、入室が禁止されている。その事項に関してのものであった。

 

(んんっ? 一体誰が勝手に入って来たんだよ)

 

 少し不機嫌気味の気持ちになりつつ、一瞬、興奮し我を忘れたアルベドが徘徊か?と思うも、エラーと共に確認用で思考内に浮かび認識出来たリストへ表示された名称を見て愕然とした。

 

(……こいつら――まさか……俺、一斉起動しちゃったのか?!)

 

 アインズは、それらの名前に見覚えがあった。この新世界に来て管理システムの情報を一通り確認している。その中に、ギルド仲間の残していた未起動NPCのリストがあったのだ。

 

「キョウ、部屋を出るぞ……。お前以外に、設定済だった5体のNPCを同時に起動させてしまったようだ……。現時点で、それらは敵味方不明だ。最悪、通路で戦闘になるかもしれん、注意しろっ」

「は、はい(ニャ)」

 

 支配者は備え、素早く唱える。

 

「〈無限障壁(インフィニティウォール)〉、〈上位魔法盾(グレーター・マジックシールド)〉、〈上位全能力強化(グレーター・フルポテンシャル)〉、〈上位抵抗力強化(グレーター・レジスタンス)〉」

 

 そして、いきなり緊迫場面へ放り込まれて緊張気味であるキョウを後ろに率い、自室を飛び出した。

 廊下へ出ると、仲間達の個室から出て来ていた5体のNPC達が、アインズの存在に気付く。彼等は至高の者を素早く認識することが可能だ。

 そして、支配者へ向かい一斉に駆け寄ると―――順次跪いていった。

 ベルリバーさんの作っていた大浴場において、管理人の予定であった麦わら帽子のLv.8であるスケルトン、ダビド爺さん。

 ホワイトブリムさんの作っていた両手に(はさみ)を握った白衣の美容師で、胸の大きい蛮妖精(ワイルドエルフ)の女の子、Lv.60のジルダ・ヴァレンタイン。

 ヘロヘロさんの作っていた、性別不明な謎スライム、Lv.70のエヴァ。

 チグリス・ユーフラテスさんの作っていた、動死体(ゾンビ)の盗賊娘、Lv.64のフランチェスカ。

 そして、最上位悪魔の小娘、Lv.92のヘカテー・オルゴット。ぷにっと萌えさんの作っていたNPCだ。

 

 起動可能状態まで進んでいたためか、新NPC用の各衣装装備も出来上がっていたようで、各自それらを身に付けていた。まあ、スライムには膝も服もないのだが……。

 彼等は順次挨拶と忠誠の言葉を述べる。

 

「お初にお目に掛かります。それがしはダビドと申します。忠誠をここに」

「ジルダ・ヴァレンタインにございます、主様。永遠の忠誠を誓います」

「……………(エヴァデス。不滅ノ忠誠ヲ)」

「至高様ー、フランチェスカでーす。忠誠誓っちゃいまーすっ」

「ヘカテー・オルゴット、御身の前に。我が忠誠を、御身の為に」

 

 内心、ドキドキモノだったアインズは、目の前の者達の従属行動にほっとするも、それを態度に出さず当然の様に重々しく告げる。

 

「良かろう。我が名はアインズ・ウール・ゴウン。アインズと呼ぶがいい」

「「「「「ははっ、アインズ様」」」」」

 

 こうして、新NPCの仲間が増えた。

 ちなみに作成者についてだが、ベルリバーさんはナザリックの第九階層へどでかい入浴場を作った人。ホワイトブリムさんは全てのメイド服と多くのNPC達の装備のデザイン者。ヘロヘロさんは最後まで残ってくれたギルドメンバーで、多くのNPC達のAIを作ってくれた人物。チグリス・ユーフラテスさんはナザリック軍団の洞窟や迷宮探索の際、パーティーの先頭を進んでいた勇者。ぷにっと萌えさんはナザリックの軍師と言える人だ。

 一斉起動から3日。今、新NPC達はもう『同誕の六人衆(セクステット)』という二つ名も貰い、強制休養復帰後のアルベドの下、ナザリック内で仕事に就いている。しかし、キョウを見るアルベドの目だけが、少し厳しい雰囲気で(うらや)む感じにも見える複雑な印象を受ける。

 だが、めでたしめでたしで一件落着と、アインズは考えていた。

 そんなセクステットの内の一人が、処刑となるとんでもない重大事件を引き起こすのはもう少し後の事である――。

 

 

 

 

 

 村人よりもアインズの事情を知っているエンリではあるが、旦那様の持つ組織の全貌は未だ殆ど知らない。彼女はただアインズの傍へ寄り添い、役に立ちたいだけで彼が何者かは問題にしていなかった。それに神様みたいな存在だからと言っても、小さい規模の神殿のような場所の主という感覚でいた。貴族で言えば村をいくつか含む小領地を持っている感じだろうか。

 しかし、登場した大貴族級の馬車の豪華さと、さらに現れた配下というユリとキョウの二人も飛び切り美しく、一体どれだけの規模を率いるお方なのかと、エンリの中で改めてアインズの存在感について大きさが増した。

 彼女は、自分がただの村娘という点で少し及び腰になり掛ける。彼女はネムと手を繋ぎ、その二歩後方にはジュゲム達のゴブリン軍団も控えていた。

 そんな彼女へ、アインズはユリとキョウを引き連れ普通に声を掛けてくる。

 

「エンリ、ネム、この者はシズとソリュシャンの姉のユリ・アルファだ。こっちは、キョウという。キョウは我々が留守中、この村に残る。まあ、仲良くやってくれ」

「お二人とも初めまして。ど、どうも、エンリ・エモットですっ、よ、よろしくお願いします」

「妹のネムですっ、よろしくお願します!」

 

 いつもの元気一杯のネムに対し、何やら緊張気味なエンリの頭を、アインズは軽く撫でてやる。

 

「そんなに緊張することは無い。確かにユリやキョウはお前よりも上位だが、キョウに関しては3日前に加わったところで、お前の方が先輩なのだぞ。それにナザリックは上下関係はあるが軍隊式ではないからな、無礼でなければ緊急時以外は割と普通でかまわん」

 

 キョウが自分より後輩というのにも驚いたが……エンリはそれよりも旦那様のナデナデに集中していた。村長の家や、エモット家で稀に肩へ手を置かれたことはあったが、こうして撫でられるのは初めてであった。――嬉しいっ。

 少しはしたないが、もっと触れて欲しいのだ。しかし、エンリは落ち着いた。いつも圧倒的である旦那様だが、こうして変わらず目の前に居て、自分に気を使ってくれる存在なのだと再認識出来たから。

 まずユリが、落ち着いた雰囲気でエンリへ話し掛ける。

 

「あなたがエンリね。妹達と仲良くしてくれてありがとう。しばらくはキョウとお留守番をお願い。ネム、よろしく」

「はい、ユリ様」

「はいっ、ユリ様!」

 

 そしてキョウがエンリへと話し掛けた。

 

「よろしくお願いします、エンリ。この村の事は話では聞いていますが分からない事もあると思いますから。ネムもよろしく(ニャ)」

「はい、キョウ様」

「はいっ、キョウ様っ」

「私にはキョウと敬称なく呼んでください(ニャ)。それで構いません(ニャ)」

 

 自分に向けられたキョウの言葉に、エンリはアインズへ顔を向け、それとなく窺うと彼は一つ頷いた。

 

「では……キョウ」

「はい、エンリ。それでいい(ニャ)」

 

 二人はニッコリと微笑み合った。

 アインズとしても仲良くやっていけそうで一安心する。パンドラズ・アクターのような設定にしていなくて良かったと。まあ、アレも悪人ではないのだが……周りや他人の事を余り考えないのはまずい事だと、カルネ村騒動の前日、確認でコッソリ宝物庫を訪れた折、目の前で繰り広げられるヤツの行動を改めて見て、8年の歳月の経過と共に痛感させてくれた……。

 

「ジュゲム達もエンリと村の事を頼むぞ」

「へい、御屋形様。この命に代えましても」

 

 ゴブリン軍団は、エンリの性格との相性も考慮されているのか、機転が利く働き者揃いであった。エンリ直属であり、一応、彼らもナザリック傘下に含まれる。村人らと上手く交流しつつ、村落の外れ近くに自分達の家をすでに作り始めており、村の防壁の計画も急速に進めつつあった。

 

 この時、カルネ村から少し離れたトブの大森林の出口近くの巨木の枝影に、人知れず小部屋程もある大きさのモンスターの姿があった。

 その姿はどう見ても――どデカいハムスター。

 『彼女』は先程、この場を訪れていた主と会話を交わしていた。

 

「殿、それがしはお留守番でござるか?」

「ああ。流石に馬車に乗せる場所もないからな」

「走って付いて行ってもいいでござるよ?」

「それに、そもそもお前は『まだ誰の配下でもない』ことになっているのだから不味いだろう」

「……そうでござった……劇的な主従の出会いであったのに残念でござる」

 

 アインズは目の前の者の言葉で、戦略会議後にアウラと森を訪れた時の事を思い出す。

 

 

 

 

 

 戦略会議が終わり、皆が会議室を後にする。

 アルベドはあのままシャルティアやマーレらに連行され、第五階層の『氷結牢獄』にいるアルベドの姉であるニグレドのところまで連れていかれた。公けには2日の自主休養となっている。

 ニグレドは姿的にアルベドとほぼ同じ背丈と体形を持つが、顔面の表皮が失われているという唯一だが非常に大きい差がある。また戦士のアルベドに対して、魔法詠唱者として優れており、情報収集に特化している。レベルも90を誇り、アルベドやルベドをも姉として統制下に置ける存在だ。

 ただ、彼女は赤子に関して『亡子を求める怪人』という設定があり、一部変人でもある。なので何人(なんぴと)も赤子的モノを何か渡さないと襲われ、会話にすら入れないのだ。

 あそこへ運び込まれてはアルベドもそう簡単には動けない。

 そんな結果報告を「以上でありんす」とシャルティアから〈伝言(メッセージ)〉で受けたアインズは、間もなくアウラと共にトブの大森林傍へと〈転移門(ゲート)〉を使い現れる。

 折角だというので、二人はアウラが提案した格好をしていた。

 アインズは、〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉でモモンの姿に。一方アウラは、あの紅い杖を持ち純白ローブにフードを深くかぶり、マーベロになり切っていた。なにせ双子なのだ、背格好は同じで歩く特徴まで良く掴んでいた。

 この格好なら、目撃者がいても冒険者モモンチームが森へモンスター狩りに来ているという話に出来る。

 しかしアウラがこうしたかったのは、実はマーレが主と手を繋いでいると聞いたからなのだ。自分も手をずっと繋いでいたいと、このペア姿を思い付いていた。

 アウラは今、アインズと手をしっかり繋いでいる。ウキウキワクワクである。

 

「……モモンさん、行きましょう。こっちです、少し歩きますが」

「うん、分かったよ」

 

 二人は暫くトブの大森林の中を進んでいく。南北に走る山脈の南部を取り囲むように広がる大森林は100キロを優に超えて続いている。狭い部分でも幅十キロはあり、普段はモンスターが居住領域とし跋扈するため人は入れず、迷い込むと脱出は困難に思える。

 しかしアウラは独特の感覚で、まるで庭を歩くように迷うことなく『森の賢王』の居場所を探知していく。

 この自然の多い新世界では、アウラが傍にいればどこででも安全に生きていけるはずである。

 

(楽しいなぁ、森の中をアインズ様と二人きりで手を繋いで散歩なんてっ)

 

 アウラは楽しみつつも、標的に近付いていく。

 その間、彼女は北方探索の話を色々してくれた。その中で報告にもあった、蜥蜴人(リザードマン)の村落の一つで魚が養殖されている話は興味深かった。リアル世界では養殖の歴史は結構古いが、それを亜人達がしているとは。それは中々先進的といえる発想であるからだ。そして普通に人並みの知力を持っているという事。

 そうして、のんびりと一時間ほど森の中を進んだところで、アウラが知らせてくれる。

「ヤツのテリトリーに少し入りました。……来ます」

「……俺が相手をするから。下がっていて」

 

 「はい」と言いつつ、アウラ扮するマーベロが一本グレートソードを抜くモモンから離れ後方へと下がった。

 ここは古い木が倒壊した跡なのか、森の中ながら少し広めの空間が出来ている場所。

 間もなく、周囲へ広がるような感じに全方位から声が聞こえてきた。

 

「……その身形、どうやら迷い込んだという訳ではござらぬな。ここはそれがしの縄張りでござる。今なら見逃してやるがいかに?」

 

 中々良心的なヤツのようだ。不意打つチャンスを棒に振るとは。

 だが、アインズとしては愚か者とは思っていない。

 

「悪いな、森の賢王。お前に用があって来たんだ。お前はこの百年以上、この地域を縄張りにして来たと聞く。この周辺では力が十分にあるのだろう。だから、単刀直入に言おう――俺の配下になれ。そうすれば縄張りもある程度安堵してやろう」

 

 モモンの言葉に森の賢王は答える。

 

「それは、それがしに勝ったらの話でござろうな。参るっ」

 

 その言葉と同時に、左斜め前方から素早く鋭い物がモモンへと飛んで来た。

 モモンは即座に反応し、グレートソードを盾にし受けて弾く。感触からかなり重く固いものだ。

 

「うおっ、見事な防御! これは本気を出さざるを得ないでござるな」

 

 周囲の森をザザッと駆け抜ける音。

 そして素早く風を切る鋭い物が、再び右側面よりモモンへ迫る。

 モモンは再びグレートソードを盾にしようとしたが、その迫る先端が急に折れる様に軌道を変化させ襲ってきた。

 モモンは首を振って躱しつつ、もう一本のグレートソードも抜き放った。

 

「むうっ、これも躱すでござるかっ、そなた中々やり申すなっ」

「そりゃどうも。そろそろこっちの番かな?」

 

 そう言って振り向いたモモンは、目の前に姿を現した森の賢王の姿に固まった。

 体長は3・5メートルは有るだろうか。熊よりも遥かに大きい、しかしその姿は――ジャンガリアンハムスター。

 

「いや、まだまだでござるよっ。次は――」

「ちょっと待てっ……お前の種族はジャンガリアンハムスターと言わないか?」

「――! それがしの同族を知っているでござるかっ。それがし、200年、ずっと一人でござった。どこで見たでござるっ? もし同族がいるなら会いたいし、可能なら子孫を作らねば生物としてご先祖に申し訳ない故にっ」

 

 戦いそっちのけで、森の賢王が尋ねてきた。

 

「い、いや、良く似た掌に乗るほどの生物を見ただけなんだ……」

「幼子でござるか?」

「……いやそれで成体なんだ。それに、む、昔の話でもういないんだ……」

「そうでござるか……それがし、やはり一人なのでござるかなぁ……」

 

 戦いの最中に、森の賢王は俯きしょんぼりとする。

 アインズも今は仲間達に会えずに一人きりなのだ、その気持ちは良く分かった。

 

「お、おい、……悪い事を言ったなぁ。詫びに出直してこようか?」

「いや良いでござる、戦いは戦いでござる。まだまだでござるぞっ」

 

 戦士と対峙する森の賢王は、胸を反らす様にするとお腹に紋様が浮かび上がらせる。戦闘は再開された。

 

「これはどうでござるかっ、〈全種族魅了(チャームスピーシーズ)〉」

 

 アンデッドには精神系の魔法は基本無効化され効かない。モモンは魔法攻撃をそのまま気にせず、グレートソードを森の賢王の胴は狙わず、太い後ろ脚付け根へと突き込んだ。

 しかし、その攻撃は金属的である甲高い音をさせ、毛皮だけで弾かれる。

 

「へぇ、頑丈なんだ」

「ふふふっ、驚いたでござるか?」

 

 機嫌を取り戻した森の賢王は少し楽しそうである。百年以上も縄張りを守ってこれたということは、好敵手は少なかったのかもしれない。

 それと今のモモンの攻撃は、現状のLv.30程度において、手は抜いていない十分破壊力のある攻撃だ。全力では無かったが、まともに受けてケロリとしているとは。

 防御力はデス・ナイト並みかもしれない。

 

「お前は、殺し合うのが好きか?」

「……いや、余り好きではござらんよ」

「じゃあ、なんで今、少し楽しそうなんだ?」

「それは――そなたの剣には殺気がないからでござるよ。そう、お遊びでござるな」

 

 モモンは僅かに驚く。彼はもとが戦士ではないので、そういった感覚は分からないのだ。だが、この森の賢王はちゃんと感じ取れるらしい。

 ますます、アインズには殺す気が無くなった。

 

「しかし、中々鋭い攻撃でござるな、封じさせてもらうでござるっ、〈盲目化(ブラインドネス)〉」

 

 攻撃もモンスターにしては良く考えてくる。精神攻撃では無いので、アインズにも有効といえる魔法攻撃だが、彼は低位の魔法を一切無効化する種族的特殊技術(スキル)も持っているので、残念ながら通じないものだ。

 ユグドラシルで魔法を行使するモンスターの使える魔法数は八つ程度が基本。コイツもそれぐらいだろうかと、アインズは少しユグドラシルのモンスター戦の感覚を思い出していた。

 殺す気は無いが、決着はきちんと付ける必要がありそうだ。

 そう思いアインズは、戦士モモンとして全力を出す。森の賢王へと二本の剣を素早く振るった。しかし森の賢王も前脚の爪は強固で、硬質なグレートソードを素早い動きで全て受け切ってくる。

 そんな中、ついにモモンの一撃が、森の賢王の防御を抜け右肩先の皮膚を掠める。剣が毛の隙間を通り身を僅かに削ったようだ。少量だが血が舞い、毛も数本が散っていく。

 

「むっ、なんと!」

 

 身を切られたことに驚き、森の賢王は次の剣撃が迫る前に大きく距離を取り後退する。

 だが、アインズは今のモモンとしてこのまま戦っても、大差が付かないと感じた。なので、追い撃つように唱える。

 

「〈完 璧 な る 戦 士(パーフェクト・ウォリアー)〉」

 

 森の賢王は距離を取ると、すぐさま長い尾による目にも止まらぬ攻撃を放った。

 しかし、モモンは右手の剣を地に突き刺すと――飛んで来たそれをガッチリ右手で掴まえていた。左の剣を背に収める。

 

「な、なんと、我が尾を掴むでござるかっ! むっ?」

 

 渾身の力で尾を戻そうと引っ張っても、もはやそれはビクともしなくなっていた。目の前の戦士とは圧倒的に思える体重差と筋力差があるはずなのにだ。

 森の賢王の表情に戦慄が走る。そこへ戦士からの声。

 

「終わりにしよう、森の賢王」

 

 その声と同時に森の賢王は、ズルズルと戦士の方へと圧倒的剛力で尾を手繰り寄せられていく。

 

「そ……そなた、一体……何を……」

「悪いなぁ。少し本気を出させてもらった」

 

 動物の直感とでも言おうか、森の賢王は大人と子供以上の凄まじい力の差と、すでに直ぐ背中から聞こえたそんな戦士の声に――こう告げた。

 

「ま、参ったでござる。降伏するでござるよっ」

 

 森の賢王は、その意を仰向けに柔らかそうな銀の毛の腹部を見せる事で示してきた。

 

「今、周辺に我々以外は誰もいないか?」

「はい、いません。アインズ様」

 

 戦士からの重々しい声に、白いローブの娘が答える。

 森の賢王は、仰向けのままでその様子を見ていたが、戦士がゆっくりと面頬付き兜(クローズド・ヘルム)を脱ぎ去る。その顔は骸骨。アンデッドであった。更に、彼は絶望のオーラIを纏う。

 森の賢王は――仰向けのまま震えだしていた。

 

「そ、それがし……殺されるのでござるか……」

「我が名はアインズ・ウール・ゴウン。配下にならないかと初めに言ったであろう? 私に仕えるのならその生を許そう。それに――同族探しにも協力してやろう、どうだ?」

 

 森の賢王は腹部を見せた仰向けのまま、伏して拝むようなポーズをとりつつ答えた。

 

「あ、ありがとうでござるよっ! 助命して頂いた上、ご助力までっ、心より絶対の忠誠をお返しするでござる! 森の賢王、これよりこの身は、偉大なるアインズ・ウール・ゴウン様の為に!」

 

 アインズはこの者を『ハムスケ』と命名する。そして、その縄張りも安堵してやった。

 

 

 

 

 

「(劇的かは微妙だが……)すまんな。ハムスケにはこの場で、森の賢王としてカルネ村周辺の森側の秩序を保ってもらわなければならん」

「……分かったでござる、殿」

 

 その会話の後に、主人は先程村へ戻っていった。

 ハムスケは、アインズの事を『殿』と呼ぶことにしている。主人であるからだ。そして自分は情けと恩ばかり受けている身であり、名でお呼びするのは畏れ多いという気持ちからでもあった。

 今は、不在の留守を守り、主人の期待にはしっかりと応えたいと考えている。

 彼女は、カルネ村から出発し畑の中の道を進み離れていく殿の乗る馬車を、大木の枝上より静かに見送る。

 ハムスケは、気付いた時からこの森でずっと一人で生きてきたが、初めて自分を圧倒する者が現れた。このトブの大森林はまさに弱肉強食の世界。ハムスケ自身もこれまでに名を上げようと密かに討伐に来た数百の人間や千に近いモンスター達と相対し、戦えば容赦なく屠ってきた。それ故、戦い、それに敗れれば殺されるのもやむなしと考えている。

 そこへ、アインズは戦う前から配下にならないかと言って来た。そんな事を言う者は初めてであった。

 しかしハムスケとしては初め、配下とは奴隷の如き形だと思ったのだ。人間には貴族という領主がいて、領民を虐げているのを知っていたから。だから、負けた後なら死んだも同じ状態だと思い『それがしに勝ったら』と告げていた。

 今実際に、アインズの配下になっているが、殿は優しく個の存在をきちんと認めてくれており、一人では無い思いと温もりを感じている。配下になって4日経つが、これまでに毎日、殿の部下という者が会いに現れる。

 

(仲間がいるのも悪くないでござるなぁ)

 

 仲間がいることで、一人では諦めかけていた『いつか同族にも会えるかも』という気がしてきている。

 殿を見送り終わるとハムスケは、森の巡回へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 八足馬(スレイプニール)の引く馬車は、南のエ・ランテル経由ではなく、西への細い街道を通って、王都への中間にある大都市エ・ペスペルへ向かうエ・ランテルからの街道に脇から最短で合流する進路を進む。この裏街道では幾つか森も通る。アインズ一行はそこで姿を晦まし、途中の4日分程をショートカットするつもりでいる。

 この箱型馬車の室内はかなり広い。扉は前と左片面に一か所ずつ。縦に少し長く、前部の御者席へ扉から出入り可能。最後尾に三人席があり、扉の無い側面に沿っても席があり向かい合うJの逆さのような形で、扉前の空間兼一部通路がありこの部分で5、6人掛けられる。さらに、前部の扉までに前へ向かい2人座れる席も後ろと背合わせする形で造られ、計7、8名が座れる形だ。内装は座席部が落ち着いた紺色で内壁は白である。

 最後尾の席にアインズとルベドが座り、それと向き合うようにシズとソリュシャンが座る。ルベドがこの位置に座るのは勿論、姉妹が揃っているのをバッチリ眺める為だ。今回は偶にナーベラルやユリとも入れ替わるバリエーションの豊富さを誇る。ルベドのワクワク感と口許のニヤリが密かに止まらない。

 一方、アインズは窓に流れる風景を横目に、今は王城からと王国戦士長から別々に届いた手紙を、眼鏡形状の解読アイテムを通し読んでいた。

 王城からの手紙は、王家の封蝋が有る正式の招待状で立派な筒に収められたものだ。旅費であるのか金貨5枚も添えられ、使者が2日前に村を訪れていた。

 内容は、此度の様々な行為に感謝を伝えたく王城へお越し頂きたいというものだ。署名は大臣クラスの人物だろうか。

 そして、ガゼフからの手紙を改めて読む。アインズの眼差しが少し緩む。

 彼の手紙は、王城からの使者よりも一日早く着いていた。

 

「ふっ、律儀な人だ」

 

 アインズは嬉しそうにそう呟いた。

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国の王国戦士長ガゼフ・ストロノーフは、カルネ村を後にした二日後の夜に王都へ帰還すると、急ぎその二日後、王城ロ・レンテ内の広い会議室にて、今回の出陣についての報告を王ならびに大臣や有力貴族たちの並ぶ前にて行なった。辺境の領地絡みの報告に、これだけの顔ぶれが揃うのは異例である。ひとえにスレイン法国の精鋭の出現が内容にあった事によるものだ。近隣では帝国を優に凌ぐと言われる国家。現在帝国を相手に毎年のように思わしくない戦費が消費されており、さらに強大な敵が増えるとなると国家存亡にも簡単に結びついてしまう。皆が傾注してこの場に座っていた。

 一応という形で、押収した敵騎士の鎧一式もその場に引き出されて置かれている。

 

「鎧はバハルス帝国の物のようですが、敵の騎士や魔法詠唱者は間違いなくスレイン法国の一団でした。村を正面から襲った別働隊の騎士団が60名近く、本隊の六色聖典の一つ陽光聖典の者が45名と合わせて100名を超える部隊です。被害は辺境の5つの村に及び、そのうち4つは焼き討ちまでされ……全滅しております」

 

 ガゼフはここで一瞬目線を横に逸らせる。その原因が自分を引き寄せる為の物であったからだ。自分の所為ではないが、国民を守る身として気持ち的には本当にやりきれないものがある。

 

「合わせて国民の650名以上が犠牲になったと思われます。最後のカルネ村だけが、旅の者達と思われる助力者の魔法詠唱者アインズ・ウール・ゴウン殿一行が駆けつけてくれたおかげで、村を正面から襲っていた騎士団は殲滅され、王国国民の80名以上の者が救われました。最後に村を包囲する形で登場した陽光聖典の戦力は、今回赴いた我ら王国戦士騎馬隊を大きく上回るものです。わたくしも全力で敵へと向かいましたが、残念ながら全てを倒すのは不可能と思われる戦力水準でした。しかし、彼らもゴウン殿により完全に撃退されたと思われます。その後全く姿を現しませんから間違いないかと。不本意ながら我ら王国戦士隊も、全員重傷で正に危ないところを入れ替わって助けて頂きました。なお我が隊に欠員は出ておりません。以上が報告となります」

 

 王国戦士長の報告が終わると一同からざわめきが起こる。そして当然のように彼へと叱責の言葉が飛んできた。

 

「なんとも情けない事ですな、王国戦士長殿。この王国最強の戦士が、旅の無名の人物に助けられるとは」

「全くです」

「最強の名が泣いておりますぞ」

 

 いずれも貴族派閥側の人物達だ。

 ここは、スレイン法国へ抗議するかや、今後の対策という話の方が先だと考える思いもある。

 だが、今回はガゼフ自身も彼等からの言葉をただ沈黙で返すほどの報告内容であった。他国が起こしたとはいえ、自分が火種で国民が犠牲になる事象を自力では解決出来なかった。さらに、王への忠義の道半ばで死ぬところであったのだ。

 それだけにガゼフは――国民を代わりに救い、強敵を退けたゴウン殿の功を評価して欲しいと感じていた。

 

「確かに。王命を受けながら、十分に戦果を上げることが出来なかった事、慚愧に堪えません。今後、より精進しこの借りを返したく存じます」

 

 戦士として凄まじい気勢を込めて述べると、その雰囲気にざわめきは鎮まった。さらにここでガゼフは進言する。

 

「御一同の方々、今回、私を含め王国戦士騎馬隊が負けていた場合、その後どうなっていたかをご想像していただきたい。そして、それが起こらなかったのは、どうしてなのかをお考え頂きたい」

 

 ここで、60の歳を迎えた白髪の王であるランポッサIII世が、忠臣の思いを汲み、またその旅の者の確かな功績を考えて意見を述べる。

 

「うむ。強敵を撃退し、我が忠臣達と国民を救ってくれた事を、そのアインズ・ウール・ゴウンなる人物に会って礼を伝えねばならんな」

 

 王のその言葉により、王国戦士長は主君に感謝し、この件に関しすべて清算されたかのように穏やかな表情に変わる。アインズの王城への招待についても、会議のあと直ちに動き出した。

 しかしそれは、良い事ばかりではない。

 貴族派閥側の者達は確かに聞いた。王国最強の戦士が適わない連中を、撃退するほどの者達なのだと。

 

 これは――味方に引き入れれば、国王派閥の切り札も恐れるに足らなくなると。

 

 

 

 

 馬車にてアインズが読んだガゼフの手紙には、こう記されていた。

 

 『ゴウン殿お元気か。この前は大変世話になった。おかげで部下も皆元気に働いている。先日、国元にてスレイン法国による襲撃の件について報告を行った。その際、我が国王陛下におかれては、貴殿の助力とその功に感謝の意を直接伝えたいとの事で、めでたく招待する運びになると思う。近日、招待状がそちらへ届くと思うのでよろしくお願い申す。ただこちらへ来られる際、貴殿らのその類まれである力を利用しようとする、低俗な者達が現れ不快に思われるかもしれない。その点を先にお詫びさせて頂く。王都まで良い旅であることを願っている。王城で貴殿とお会いすることを楽しみにしている。それと、是非我が家へ来てくれることを願う。酒でも飲もう。では』

 

 まさにあの者らしい文面である。

 アインズが、低俗な側へと向く事など全くないと信じている文言であった。

 絶対的支配者は、改めて思わず小さく声を漏らす。

 

「ふふふふっ」

 

 アインズは、真っ直ぐな人間が嫌いでは無い。その生き様が眩しいのだ。

 主の漏らす機嫌の良い笑い声に、シズやソリュシャン、そしてナーベラルにも口許に笑みが浮かんだ。

 もちろん、それら楽し気である姉妹を見ているルベドも内心ニヤニヤとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 戦略会議

 

 ちなみに、先の周辺地理調査では以下の順番と内容で報告されている。

 

 アルベド(南方担当 最も速かったが、質は充分も量が4人中最小)

 シャルティア(西方担当 質と量は充分)

 デミウルゴス(東方担当 質と量は充分)

 アウラ(北方担当 最後だったが、質と量で最大)

 

 そして今回は、戦略会議での守護者らの醜態を反省し、全員が褒美に関して辞退した。

 しかし、アインズは何かないかとあとでコッソリとそれぞれ皆に尋ねる。

 するとデミウルゴスは、「もう最高の物を頂いております。アインズ様がご健在であればそれだけで十分にございます」と答えた。

 彼にとっては会議で、ナザリック至上主義方向へ進む計画を支配者より聞き、それの概案作成を任された事が最大のご褒美なのだ。

 コキュートスも、「先陣コソ最高ノ御褒美デアリマス!」と。

 セバスは静かに一言、「執事の身には過分です」と固辞。

 シャルティアは、こっそりと「では……お姫様だっこを」と日課のアンデット作成ついでの夜の霊廟内デート。

 自分からは我が君へ抱き付きと積極的だが、いざされる側に回ると意外に照れて素直であった。抱き上げられるもじっとし、我が君の胸に赤く染めた頬を静かにスリスリしていた。

 最近は胸パッドも入れていない。下着だけでとレディーの嗜み程度に留める。主の『飾らなくとも十分綺麗でかわいい』の言葉以来、余り気にせず有りのままのサイズで通している。あの一言で随分気が楽になっており、その点を彼女は感謝していた。別れ際もナデナデをしてもらえ満足する。ただ、一応すでに用意してあるダブル棺桶ベッドへお誘いするも、共に入ってもらえなかったのは少し残念そうであった。

 アウラは、御手手繋いでのトブの大森林デートで満足。

 マーレはすでに冒険者パートナー&デートで満足。

 そしてアルベドは、第五階層の『氷結牢獄』にて見舞に来たアインズからお昼寝時に膝枕をしてもらい、もろもろの溜飲を大きく下げていた。

 ただ、膝枕当初は、ナデナデまでされ「くふぅーーー! くふーーーーーー!」と仰向け状態で歓喜を連発して恍惚状態に陥り、まあ昼寝どころではなかったが……。

 

 とりあえず、今のナザリックは皆、平和で幸せそうである……。

 

 

 




補足)捏造設定
本作では、新規NPC起動段階でユグドラシル金貨の消費等は起こらない。
ボディ形成(最低Lv.1必要)やレベル設定確定時に前払いで支払っているため。



一気に六体もNPCを出しちゃいましたが、キャラ分けはハッキリしているんじゃないかと。

温泉の管理人な麦わらのスケルトン爺さん。
鋏使いの白衣な巨乳エルフ。
スライム。
ゾンビなフランチェスカ……眼帯はしていない……。
デビル娘……尻尾ありますよ。
そしてネコマタでニャー。




『氷結牢獄』、ニグレド、お昼寝……アルベドがどんな姿でいたかは語られていない……。


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STAGE18. 支配者王都へ行く/各思惑ト震エル某国(2)

注)モモンの口調については、鈴木悟の素の口調になっています


 王都リ・エスティーゼの北西門から続く大通りを中心部へ進んで行くと、白亜造りの外観をした8階層もある一際豪華で立派な建物に気付く。ここは地方の男爵や、稼ぎの良い商人達が泊まる最高級宿屋の施設である。敷地内もしっかり手入れと整備がされており、噴水のある広い庭や厩舎、馬車小屋等を完備している。

 その建物にある最も広い部屋を借りている集団があった。

 王国で『朱の雫』に続き二番目に誕生したという、アダマンタイト級冒険者チーム『(あお)の薔薇』である。

 メンバー五人はすべて金髪女性で構成されている。

 最上階の、バルコニーへ続く窓際に置かれた装飾の施された机の席で、優雅にお茶(ティー)を楽しむ少女へ大柄の女が近付く。

 

「で、リーダーはそいつに会うのかよ?」

「そうね、そのつもりだけど?」

 

 確かに五人は女性だが、一人だけミディアムに伸ばした後ろ髪を少し刈上げ、逞しい筋骨隆々の男よりも更に漢らしい紫蘇(しそ)色の重装備で巨躯の者がいる。その人物が、白銀の鎧を身に付け少々少女チックの雰囲気も漂う緑の瞳で美しい乙女へ話し掛けた。

 リーダーと呼ばれたのは、椅子に座る弱冠19歳の少女、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラ。

 王国貴族アルベイン家の令嬢でもあるが、英雄に憧れてすでに家を身一つで出て来ている者だ。武器に魔剣キリネライムと浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)などを持つ。

 そして、『リーダー』と声を掛けた四角い顔の大女がガガーランである。

 アインドラ家を飛び出したばかりの頃の、無謀染みる戦いに臨んでいた小娘のラキュースを助けたのがきっかけで、彼女の「英雄になりたいんだってばよ」の本音の言に意気投合し世話を見ながらそれからずっとチームを組んでいる面倒見のいい女である。

 

「その、アインズ・なんとか・ウールだっけ? そんなに凄いと思うか?」

「アインズ・ウール・ゴウン殿ね。でも、あの戦士長殿が認める程の人物ですもの、只者ではないわ。ちょっと楽しみね」

 

 ラキュースはガガーランの問いへ素直に答える。実際、この広い世界に強い奴はまだまだ居るはずだと。そこの高みへ一歩でも二歩でも近付いて行きたいと考え、真の強者へ憧れている彼女は、そういった者達に会って色々話をしたいと思っている。

 

「まあ確かに、あのガゼフのおっさんがあそこまで機嫌がいいからなぁ……ティアとティナは、ゴウンというヤツをどう思う?」

「「おっさんに興味はない」」

 

 ベッド脇へ座っている二人の声が完全に揃う。

 ティアとティナは少し小柄で双子の美少女姉妹である。

 元々、帝国を中心に名の知れた暗殺集団『イジャニーヤ』の頭領三姉妹の内の二人で、ラキュースを暗殺に来て返り討ちに遭い、説得されてそのまま入団したという経歴がある。今は、二人とも仲間の為に死ねる程の信頼関係が出来ている。

 姿も得意の忍術を使いこなすに相応しく、体にフィットしたビキニ風の超金属製で広めの胸当てや、前垂れ布のある六分丈ズボン風な腰回りに、金属防具のある鎧ブーツを履いた動き易い衣装装備をしている。旋毛(つむじ)辺りで髪をリボンで縛っているため、二人とも髪が後頭部上で逆さ箒のようになっている。また、リボンや紐、布などの装飾について、青色で統一しているのがティア、赤がティナである。

 

「まあ、そう言うなよ、ティア。ティナも」

「……魔法系だけなら、私達みんなの連携の方が優れているはず」

「私達五人に隙はないから負けないはず。まあ、会うだけなら」

 

 

 姉妹は仲良くぶっきらぼうに答える。ティナの「会うだけなら」という言葉にティアも頷く。

 ガガーランはその返事に納得すると、メンバー最強の者に尋ねる。

 

「同じ魔法職のイビルアイはどうだよ?」

「ふん、本当に強い奴がいるなら会ってみたい。(懐かしい顔かもしれないし)……だが、実際にはほとんどいないがな」

 

 フード付きで内側が真紅の黒いローブを纏い、額の箇所に赤い宝石の入った仮面を顔に被った、五人の中で子供ほどにもっとも小さい身体の少女。基本、黒をベースにアクセント的に赤の彩色と抜きの有る洒落た妖精風の服装をしている。

 

「まあ、確かにおまえさんみたいな強さが、そうそう居る訳ないとは私も思うよ」

「楽しみは取っておこう。そのゴウンというヤツの、姿と動きを見れば直ぐに分かる」

 

 イビルアイの言葉にリーダーのラキュースが相槌を打つ。

 

「そうね。あと5日後にはいらっしゃるみたいだし、楽しみにしておきましょう」

「まあ、そうだな。世話になってるし、ガゼフのおっさんの顔も立てないとな」

 

 アインズに対しての、ガゼフから依頼された顔合わせの件は受諾の方向で決着する。

 

「おっさんで思い出したけど、それにしても王国は五つの村の襲撃と、戦士長暗殺の件についてスレイン法国に何も抗議しないらしいなっ。馬鹿じゃねぇのか?」

 

 ガガーランは、先日決まったというカルネ村を含む襲撃行為に対する王国の最終決定に失望していた。

 

「いろいろあるのよ。それでもし、スレイン法国が『全部部下が個人的にやった事』、『闘いたいのか?』と戦争を仕掛けて来たら王国は終わってしまうかもしれないってね。戦士長らは生き残ったわけだし、小さい村五つの被害だけで、国家間の戦争の引き金を引くかの『賭け』は出来ないってことだと思うの」

「そういう問題か? 正義は何処へ行ったんだっ、全く」

 

 ここで、国堕としとも言われる二つ名を持つイビルアイが割り込む。

 

「国という規模になれば、耐えたり、守る正義もあるって事だろ。がむしゃらな正義だけでは大量の不幸を生むことになる。簡単じゃないさ。ガガーランも本当は分かっているだろ」

「ふん、せめて生き残った奴にはいい人生を送って欲しいものだよ」

 

 国はどのみち何もしてくれない……というか、毎年の帝国との戦費に今干上がりかけている状況でも、今後更に搾り取ろうとするだろう。ガガーランはすでに国に期待はしていなかった。期待できそうに思う人物はラナー王女周辺ぐらいである。

 

「そういえば、明日はまた例の件(八本指)絡みの探索だって?」

「ああ、そうそう、それでね――」

 

 ラキュースが声を落とすと、仲間達は自然に集まった。

 アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』は今日も、リ・エスティーゼ王国第三王女ラナーからの依頼で裏社会からの王国経済への侵食行為に対して、打撃を与えるべく作戦を遂行していくのである―――。

 

 

 

 

 

 

 王都へと向かう馬車を進めるアインズ達は、予定通り裏街道の進路上に有る人気(ひとけ)の無い森を抜ける途中で一旦停車する。

 馬車の左の側面にある扉が開き、ナーベラルとソリュシャンが出て来ると扉外の右側へ並んで立ち、礼を取る。そして二人に続きアインズが静かに降り立った。

 

「では、ナーベラルにソリュシャンよ、下見の確認を頼んだぞ。〈転移門(ゲート)〉」

「はい、アインズ様」

「お任せください、アインズ様」

 

 ソリュシャンはナーベラルに連れられアインズの開いた〈転移門〉をくぐり、王都手前の馬車の再登場場所と宿泊地の確認へと向かった。

 もちろん事前にナザリックにて、防御対策強化済の『遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)』を使い、概ね当たりは付けてある。帰りはナーベラルが〈転移(テレポーテーション)〉を使えるので問題はない。

 現在ナザリックは、夜間モードも強化された『遠隔視の鏡』20枚を使い、第九階層に用意された統合管制室にて、一般メイドと怪人風の男性使用人に加え、シモベ達が入れ替わりで主に俯瞰からの周辺への広域監視について24時間体制を敷いて行なっている。責任者は、種族が鳥人(バードマン)で姿がイワトビペンギンの執事助手、エクレア・エクレール・エイクレアーである。至高のメンバーの一人、餡ころもっちもちさんの作成したLv.1だが、Lv.100の守護者達とも普通に敬称なしで会話をする、セバスと比し執事助手としてはどうなのかというNPCだ。

 プレアデスの二人が消えた後、アインズは再度〈転移門(ゲート)〉を開いてナザリック地表の中央霊廟前へと馬車を進めさせ移動した。一行はそこで一度、解散となる。

 その中でルベドだけは、ずっとカルネ村へ居たため久しぶりの帰還である。だが、些か彼女の表情は冴えない。

 そんな彼女へ、アインズは優しく声を掛ける。

 

「ルベドよ、姉達に会ってくると良い。お前が私の為に活躍したことは、私から二人に伝えてあるぞ」

「……分かった、アインズ様。その……ありがと」

 

 ルベドが、至高の者達――つまりアインズを尊敬していない設定を、姉達であるニグレドとアルベドは心良く思っていなかった。そのため特にニグレドからは冷たくされていた。アインズはそれを知っており、少し仲を取り持ってやったのだ。ついでに少々気持ち悪い歪な赤ん坊の人形も、アイテムボックスより出して手渡してやる。

 ルベドは、仲良し姉妹を夢見ているため、アインズの心遣いへ凄く感謝する。

 彼女は、少し頬を染めて人形を受け取り、不可視化を解いた美しい白い翼を可愛くパタパタさせつつ、ぺこりと頭を下げると笑顔で第五階層の『氷結牢獄』へ急いで向かって行った。

 例の狂った赤子イベントの後、正気に戻ったニグレドは、少し緊張気味でいたルベドへこう言い送った。

 

「私の、可愛らしい下の方の妹、お帰りなさい」

 

 長い髪の隙間から覗く姉の顔の表情に皮はないが、ルベド程の戦士ならその見える筋肉の動きで全て有る様に推測出来る。それはこれまでに自分へと向けられた事の無かった顔であった。

 

 ニグレドの顔は――穏やかで嬉しそうに優しく微笑んでくれていた。

 

 

 

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国は、王族が全体の領土の2割、大貴族が3割5分、他の貴族が4割5分を治める封建国家である。

 また、国内には国王派と反王派の貴族達による二つの派閥が存在した。

 そして、それら貴族の頂点には六大貴族が存在する。

 六大貴族家は、領土、軍事力、経済力などの分野で王家を凌ぐほどの貴族達である。

 国王派閥の盟主はブルムラシュー侯。40歳前で金鉱山とミスリル鉱山を持ち王国一の財力を持つが、欲深くさらに、王国を裏切り帝国に情報を流しているとも言われる。

 次がぺスペア侯で王の長女を娶った人物。代替わりしたての、能力、人物共に将来性のある若者だ。

 そして、六大貴族で最も高齢のウロヴァーナ辺境伯。人物的には一番出来ている。

 一方、反王派は呼称として貴族派閥と言われている。盟主は50歳代のボウロロープ侯で、貴族中最も広い領土を持ち、国内平均に対して質の高い私兵と住民兵を有する戦士の風体の人物。軍の指揮力はガゼフよりも勝る。

 次はリットン伯だが、六大貴族ながら勢力と人物水準が一段劣る狐を思わせる小物。領地に王都へ最も近い商業上地を持つが、常に力を拡大させようと卑劣な手も多く使う為に貴族内でも評判が悪い。だが、常にボウロロープ侯へ追随する形で親密のため、多くの敵意は逸らせている。

 最後に、金髪をオールバックに固めた切れ長の碧眼で四十歳手前の長身痩躯のレエブン侯。農作上地と商業上地のバランスの取れた領土と、王国内でもっとも安定した領地経営を行う。

 リットン伯以外の六大貴族達は領土内に大都市を有しており、両派閥は三対三と力関係のバランスはある程度取れている様に見えた。

 

 反王派内では、王城での王国戦士長の報告会議の後、今回のアインズの王城への招待に際し、速やかに彼を味方に引き入れる為の話し合いが王都内にあるボウロロープ侯の豪奢な別宅屋敷で密かに持たれた。

 その席で、ボウロロープ侯が提言する。

 

「強力である手駒を得る絶好の機会よの。ふん、旅をする者ならば、金貨の重要性や定住の良さを知っておろう。それと下賤の者が、好みそうなモノも幾らか付けてやれ。経費に金貨3000枚までなら考えても良い。ふふっ、国王派が褒美に用意できるのは良くて300枚程度だろう。国王派の連中よりも早めに先手を打つのだ。リットン伯、どうかな?」

 

 リットン伯はいつもの調子で、ボウロロープ侯に媚びる様に相槌を打つ。

 

「ボウロロープ侯の仰る事に全く同意です。今こそ国王派閥の番犬どもに対抗でき、表に出せる者を抑えるべきかと。他の方々はどうかね?」

 

 国王派閥の切り札的番犬は、王国戦士長のガゼフ・ストロノーフだけではない。あろうことかアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』が、ラナー第三王女と強い親交を持っているのだ。

 これに対し反王派の一部は、第三王女の提言し施行されてしまった奴隷廃止実施の是非でもめていた折から、正体を隠し僅かに接触してきた闇の巨大組織『八本指』とも一部水面下で協力(黙認)する形になっている。現在、裏側より国王派側の経済を食いつぶさせている。広い意味では、その『八本指』側の凄腕がいるという部署を動かせないことも無い。だがそういった連中に大きい借りを作るのは未来展望的に極力避けたく、傘下にも独自の腕利きが欲しい状況である。確かに元冒険者でミスリルや白金(プラチナ)級の者はいるが、王国戦士長や蒼の薔薇相手にはまず対抗出来ないだろうから。

 この会合には近隣から集まった伯爵、大きめの元締め的子爵ら貴族達が十名ほどいたが、「異議なし」「賛成です」「協力いたします」などの声が上がり反対意見は起こらなかった。六大貴族のレエブン侯も「賛同します」と告げていた。

 

 リットン伯は率先して話し出す。

 

「恐らく私の治めるエ・リットルも通る事でしょう。また街道沿いの領主達にも(弱みを握る)知り合いは多いですからな」

「うむ。ではエ・ペスペルよりこちら側は、リットン伯に、エ・ランテル寄りはスタンレー伯にお願いしようか」

 

 両卿は、「盟主よお任せあれ」「分かりました」と引き受ける。

 その様子をレエブン侯は、少し目を細めながら静かに見ていた。

 

 動いたのはまずスタンレー伯である。エ・ランテル近郊からエ・ペスペルまでの息の掛かった子爵、男爵家に強めの指示を出していた。

 『近日、王城へ招待されるアインズ・ウール・ゴウンなる旅の魔法詠唱者一行が、貴殿らの領内を通過するはずだ。その折、我々陣営の戦力へ加わるよう、良く良く努めて接待せよ。なお、その者はかの王国戦士長を上回る強さだということであり、特に留意するように。また、相手は顔に仮面を被り、立派なローブを羽織る巨躯の人物との事だ。見事目的を達した家には金貨2000枚が送られよう。皆の助力について私をはじめ、ボウロロープ侯やレエブン侯にリットン伯らも大いに期待している』

 金貨2000枚という数字と上層部からの直接的要望に、最近の懐事情が苦しい家々は我先にと動き出す。臨時収入に加えて、成功すれば派閥内での待遇も随分変わってくるだろうと。

 エ・ランテル近郊の男爵家の一つ、ポアレ家でも二日間に渡り、家臣達ら騎馬40頭も使って情報を集めさせた。しかし、街道を通る商人や領内の村民に尋ねるが、誰もそういった姿の人物の一行の姿を見ていないという。

 

「ええい、大事な好機を逃してしまうわっ。それだけ目立つ風体ならすぐに分かろうに、何をやっておるのだっ」

 

 男爵は、帰還し報告に来る家来たちをそう言って叱責した。

 だがこの時、指示を受けたポアレ男爵家を含む貴族達は、アインズ達が旅の一行だとのみ知らされていて、移動手段は徒歩や乗合馬車などだろうと考えていた。そのため、運よく遭遇していた超高級馬の八足馬(スレイプニール)四頭が牽引する圧倒的豪華さの大型馬車が目の前を通過しても、ポアレ男爵の家来たちはただその豪華さに唖然と端へ避けて見送るだけであった。

 

 そののち、家臣らの不甲斐なさに業を煮やしたポアレ男爵は、ついにカルネ村へ家来の騎馬を一騎差し向けた。そこで初めて、アインズが高級馬車で出立していた事が分かり、その報は慌てふためく家臣によって急ぎ男爵へと伝えられた。

 

「で、では……先の報告に、とても豪華だったという八足馬の馬車が通過していったとあったが、それに乗って……」

 

 屋敷へ留まり、敷地内で迎え用に二頭立ての結構気を遣った馬車を用意していたポアレ男爵は、もたらされた知らせに自分の領地内での好機をすでに失っていることへ気付く。男爵は、ゆっくりとその場に膝を突いていった。

 さらに好機を逃したその悔しさから、アインズが豪華な馬車で移動しているという事実を掴んだこと自体どこへも伝えず、無かったことにしたのである……。

 

 

 

 

 

 さて、アインズはショートカットした4日程の時間をどうしたのかと言うと、もちろん有効に――冒険者モモンとして活動した。

 カルネ村からは結局一時間半ほど馬車に乗っただけで、時刻はまだ午前9時を少し過ぎたところ。待っていたマーレを連れて、城塞都市エ・ランテルの西方にある街道が通る森の、周りから気付かれない場所へ〈転移門(ゲート)〉を開き現れる。

 そうして慣れた雰囲気で街道を進み、エ・ランテルの第三城壁門を通る。

 既に特徴の有る二人の姿は覚えられており、「組合か?」と用向きだけ聞かれると、毎回お決まりの様に『ほどほどにな』の言葉代わりに親指を立てられて衛兵らに見送られる。

 

「全くちがう意味で注目されちゃってるなぁ」

「は、はい……(嬉しいです)」

 

 モモンの言葉に、手を繋ぐマーベロは嬉しそうに頬を染めて、語尾を口ごもりながら俯いている。いつもいつも仲睦まじく手を繋いでいれば、そう思われても仕方ないだろう。

 そうして二人は、真っ直ぐに冒険者組合へとやって来た。

 相変わらず、中へ入ると二人は注目を浴びる。だが、今日は少し違うように感じた。

 実はンフィーレアの仕事を受け、その帰途に15体ものモンスターをたった二人で倒したという話が広く知れ渡っていた事によるものであった。

 その内訳は、身の丈が2メートルを優に超える人食い大鬼(オーガ)が四体に他は小鬼(ゴブリン)である。モモン達にしてみればこんなレベルが100体いても大したことは無い。しかし常識では、プレートが(カッパー)の二人だけでは荷が重すぎる仕事量であった。普通なら逃げるしかなく、死んでいるのが当たり前という規模の相手なのだ。

 モモン達はすでに色々と注目されている。

 二人の装備への妬みや憧れから、その実力を皆が知ろうとしていた。そして当人達が知らないところで、どうやら見かけだけでは無いという話で広がりつつあった。

 モモンは受付へ寄る。すると受付嬢は彼へ伝えてきた。

 

「ンフィーレア・バレアレ様より、9日後にモモンチーム指名でカルネ村へ護衛の仕事が来ていますが、どうしますか?」

「(もう決めたのか。行動力も有るな)……そうですか、分かりました。その依頼、お受けします」

 

 モモンはその場で即決する。組合として上客である仕事を熟すと、当然多岐の評価にも繋がるのだ。この街ではバレアレ家は有名で組合の上客である。そして最近は、(ゴールド)以上の冒険者を雇っている事も知られていた。それが、(カッパー)のこの二人を再度雇うという話は、組合のロビーにいた数組の冒険者達を再度ざわつかせる。

 冒険者達は、やはり実力も重視していた。プレートは確かに重要なものである。しかし一方でこれまでの実績によるものなのだ。また過去に、遠方から来た新参の冒険者が実は英雄級の凄腕という物語みたいな話が伝わっている。

 モモン達もそれなんじゃないのかと、腕を頼りに生きている者達の本能的に強者への憧れのようなものが垣間見える。一方で、上手い話がそうそうあるものかと、否定的に疑念や(ひが)みを込めた視線も当然交じっていた。

 多くの冒険者達の目に晒されながら、二人は受付を離れて掲示板に向かう。深いフード内で解読アイテムの眼鏡を付けマーベロが張られている仕事を読み取っていく。そうして、モモンへと知らせた。

 

「モモンさん、僕達の条件に合う仕事は無いようです。仕事自体は有るのですが日程が被っていて……(カッパー)でなければあるのですが」

「そうか、どうするかな」

 

 折角来たのにまた仕事があっても選べない。(カッパー)級冒険者の辛いところである。

 新NPCを起動したあとにも、一度組合へ足を運んでいる。しかしその時にも、条件に合うものがなくナザリックに戻っていた。仕方なくそのあとは色々とエクスチェンジ・ボックスの実験をしていた。パンドラズ・アクターに命じ、至高の一人である音改(ねあらた)さんになってもらい商人系のスキルを使用してみる。すると、この世界の金貨を2枚放り込む場合は、ユグドラシル金貨1枚を吐き出した。しかし、岩石などでは相当量を放り込まないとユグドラシル金貨1枚にはならないようだ。ふとアインズは思う、放り込んだものはどこへ行くのだろうかと……。

 さて今日はこのあとどうするかと、腕を組んでいるところへ後ろから声が掛かった。

 

「あの、よければ私達と仕事をしませんか?」

「え?」

 

 モモンは誰だ、という感じに振り向いた。するとそこには若い男四人の冒険者の姿があった。首に掛かるプレートは(シルバー)の輝き。

 

「えっと……仕事って、ここに貼ってあるものですか?」

「いや、そこに無いものですが、組合には当然認められていますよ」

 

 四人の内、しっかりした表情のリーダと思われる金色の短髪で碧眼の青年が答えた。鎖帷子の上に金属の防具を革のベルトで繋いだ形の帯鎧(バンデッド・アーマー)を装着した戦士風の姿。

 ンフィーレアの件もあり縁は大切にしたいところである。とりあえず、話を聞いてみてから決めるかなとモモンは返事をする。

 

「分かりました。俺達の条件に合えば一緒に仕事をさせてもらいましょうか」

 

 その言葉を聞いて、リーダーの青年とその後ろの気の良さそうに見える三人は微笑む。じゃあ、向こうの部屋を借りて話をしましょうかと動きかけた時に、さらに声が掛かった。

 

「あ、あのっ、私もその話に噛ませてもらえないかなっ?!」

 

 モモン達と四人組は、声の方を見た。

 そこには、歳はまだ二十歳ぐらいの短めで乱暴に切られた鳥の巣風な赤毛髪の女が一人立っていた。単独の冒険者で居る故か、整った顔ながら鋭く青い瞳とつり上がって見える眉で勝気の表情をしている。首に掛かるプレートは(アイアン)。腰の太いベルトに剣を下げ、金属の防具は着ておらず、動き易そうである分厚い布革の服装をしている。

 結局、じゃあ話を聞いてからという事で、四人組の中で小柄のかなり若い少年が受付に行って部屋を借り、七人でそこへと入り八つあった席へ各々座った。

 ここに座る四人組や単独の女性も皆、年齢は二十以下ぐらいに若いが、青さは感じない。冒険者として死線を潜ってきているという事だろう。

 はじめに声を掛けてきた四人組の若き青年が、司会進行をしてくれる。

 

「さて、仕事の話をする前に皆さんも呼び方にも困るでしょうから、簡単に紹介をしておきましょうか。ではまず私から。初めまして、私は『漆黒の(つるぎ)』のリーダーのペテル・モークです。そっちに座っているのがチームの目や耳である野伏(レンジャー)、ルクルット・ボルブ」

 

 皮鎧の金髪の青年が皆へ頭を軽く「どうも」と下げる。少し痩せたように見えるが鍛えられている結果だろう。

 

「そして、魔法詠唱者でチームの頭脳、ニニャ。二つ名は"術師(スペルキャスター)"」

 

 「よろしく」と恥ずかしそうに、赤い紐で前を閉じる明るい土色をしたマントを羽織る少年は軽くお辞儀をした。まだ15ぐらいかもしれない、大人と言うには若すぎる笑顔の表情を浮かべている。若さと小柄さのためか声がかなり高く感じた。

 

「二つ名持ちですか?」

「こう見えても生まれながらの異能(タレント)を持っていて天才と言われていますから、こいつ」

 

 モモンの声にルクルットが答える。

 『生まれながらの異能(タレント)』という単語にアインズの目が兜の中で鋭くなる。

 

「へぇ……あの、どういったものか宜しければ聞いてもいいですか?」

 

 ンフィーレアの件がある。とんでもない能力なら早急に手を打たねばならない。

 生まれながらの異能については陽光聖典の捕虜から、二百人程度に一人はいるらしいと聞いている。ただ、生まれながらの異能については厳密に調べると、特殊能力(スキル)だけでは無く、職業による場合もあるのではないだろうか。カルネ村の住民を厳密に調べると生活に合った職業レベルを持った者は結構いたのだ。

 また強弱もあり、驚異的な能力の者は都市でも一名いるかなど極少数のようだ。だが、それらの者は世界級(ワールド)アイテム並みで特異の者だろう。しかし逆に多くの者は、生まれながらの異能がその人物の才に全く噛み合わないものも多い。噛み合ったら本当に幸運という確率だろう。

 ルクルットはニニャの方を向きながら知られても大丈夫そうに答える。

 

「魔法適性とかいうもので、習熟に八年掛かるところが四年と半分になるんだっけ? 魔法詠唱者じゃないと意味が無いから、俺はピンと来ないんだけどね」

 

 魔法職のアインズには興味深い異能であった。奪う方法はないだろうかという考えが湧く。ナザリックにはない力を得る事は強化に繋がるのだ。

 方法として可能性があるとすれば〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉ぐらいかも知れない。

 アインズの若干悩める感情の視線を前に、ニニャは自分自身の異能について答える。

 

「この能力を持っていた事は幸運でした。私の望みに近付く事を助けてくれていますから。これが無ければ、まだ村で何も前へ進んでいなかったかも知れません」

 

 物事には機というものもある。それに乗ることも助けた異能だったのだろう。万感が湧くニニャの声は暗く重くなっていた。

 ペテルはそれを切り換えさせるように、明るい声で進行する。

 

「まあ、この都市では知られた生まれながらの異能(タレント)持ちということです」

「でも、私よりも凄くて有名な人がいますけどね」

「……ンフィーレアかな」

 

 沈みかけた気分を、明るい場側へ切り替えたニニャの言葉に、この中で一番親しく良く知るモモンが答えた。そこへまだ名乗っていない二人が相槌のように続く。

 

「正にバレアレ氏は凄いですな!」

「あの少年かぁ」

「彼の力はまだ見た事はないんですけどね。さて、脱線しそうですし紹介を続けて貰えますか」

 

 モモンの勧めに頷き、ペテルが口回りに髭を生やした恰幅の良いメンバーを紹介する。

 

「では。彼が森祭司(ドルイド)のダイン・ウッドワンダー。治癒魔法や自然を操る魔法と薬草知識に精通していますので、何か有れば声を掛けて貰えれば」

「よろしくお願いする!」

 

 ダインが低いずっしりとした声質で挨拶した。

 

「次は、そちらの女性の方、お願い出来ますか?」

「はい、私は戦士のブリタといいます。よろしくお願いします」

「あの失礼ですが、ブリタさんは確か冒険者チームに所属されていましたよね?」

 

 ペテルは、彼女が冒険者チームの多くの仲間といるところを数度、見た記憶があったのだ。

 ブリタは視線を落とし、複雑で少し辛い顔をしたが話し出す。

 

「実は3日前、チームで街道警備をしていた時、野盗の集団に襲われたんです。チームを二つに分けていたのだけれど、リーダー側の方は凄腕の剣士に全員斬殺され、私のいた方も数名が命を落とし三名は今も結構重傷で……。それで実質解散状態になってしまって……。持っていた手持ちは、怪我の酷い仲間に全部渡したので、仕事をしなくてはと……」

 

 恋人や夫婦ならその後の面倒も付きっ切りで見るだろうが、チームメンバーとは言えそこまでの義理は無いだろう。彼女が今一人で活動していることを非難する者はいない。

 

「それは大変でしたね。でも、あなたは無事に切り抜けてきたのですね?」

 

 彼女の今の元気でいる様子に、ペテルは腕が立つという意味もあって自然とそう尋ねたが、ブリタは首を横に振った。

 

「私も腹を刺された上、背中や肩を深く斬られて正直危なかったんだけど――購入したてだったけどバレアレ家製の治療薬(ポーション)を持ってたの。それを飲んで、最後の力を振り絞って必死で林の中へ逃げ隠れてやり過ごしたんです。傷は夜が明ける頃には全快していました。元気にはなったけど、仕事をするにしても流石に単独では危険が高すぎるので……」

「なるほど」

 

 ペテルの言葉に他の皆も、彼女が自分達に声を掛けた理由をハッキリ理解する。確かに腕が立つと言う訳でもない女一人で仕事を熟すのは難しいだろう。それに、他の冒険者チームに入るのも中々厳しい。

 若い女の身一つだと、女性チームか男女混合チームでなければ相当の覚悟が必要になる。

 幸いなことに、モモンチームは男女混合である。そして、チーム同士の協力で仕事を行おうという話を横で聞き、飛び付いたのだ。

 生きていくためには仕事で稼がなくてはならない。それが冒険者である。

 

「じゃあ、俺達の番かな」

 

 少し場の空気が固まるのを感じ取ったモモンは、営業経験を活かし場の流れを作る。

 

「そ、そうですね。お願いします」

「俺はモモンといいます。見てのとおり、剣には少し自信があります」

 

 背もたれの無い席に座っているが、彼の背負う二本のグレートソードは床に付くほどの長さとそれに見合う重量を擦れ起こす音から皆が推測出来た。

 

「そしてこっちに座っているのが、マーベロです。少し若く見えますが、第三位階までの魔法を習得してますよ」

 

 噂では流れていたが実際に紹介の言葉を聞き、皆から「おおっ」と声が上がる。

 一流とされるのが第三位階の使い手であり、間違いなく(ゴールド)より上位の冒険者チームでも主力として一目置かれる水準であった。

 特に反応したのが、ニニャである。マーベロは、身長やフードから覗く口許から随分若い風に……子供にも見える。それが天才と周りから言われているニニャよりも一位階上を習得しているというのだ。少なくともニニャよりも年上だろうと皆は推測する。

 一通り紹介が終わったところでペテルが本題に入る。

 

「それでは、仕事の話に移りましょう。まあ厳密には仕事とは少し違うんですけどね。つまり、この街周辺に出没するモンスターを狩る事です」

「そうか……モンスター狩りですか」

 

 モモンはなるほどという感じで納得する。仕事と違うと言うのは依頼では無いからだろう。街の周囲という広い範囲から、特定の種類を狙うという訳でなく行けば何種類も出没することだろう。

 人食い大鬼(オーガ)小鬼(ゴブリン)で報奨金に差があったが、おそらく強さによって金額差が有るようだ。よく考えると先日してもらった組合での倒したモンスターの査定には、仕事中かどうかは関係なさそうなのを思い出す。

 ユグドラシルでもモンスターを狩って、金貨やドロップアイテムを得た行為に近い。

 

糊口(ここう)を凌ぐのに必要な労働である」

 

 重みのあるダインの声がみんなの頷きを誘う。さらにルクルットがダメ押す。

 

「モンスターを狩る。それは俺達の飯になる。周囲の人達は危険が減る。商人も安全に移動できる。国は治安が良くなり税も取りやすい。損をする者は誰もいないという事っ」

「黄金の王女様のおかげですよね。今じゃどの国の組合でもやってますけど、五年前は無かった制度ですから。報奨金を街が組合に出してくれるようになっただけで、ここまで皆が嬉しい状況に変わったんですから」

 

 ニニャの言葉にもモモン達以外は頷いていく。

 基本、冒険者は国家とは距離がある存在なのだが、この制度によって冒険者も国に一定の感謝をするようになり、国も冒険者の存在を無視しなくなったという。

 ペテルはしみじみと言う。

 

「あの王女様は奴隷廃止等、本当に素晴らしい案を色々と出されるよ……殆ど潰されるというけど」

「あんな美人さんが嫁に欲しいー」

「それは、大貴族を目指すしかないである!」

「無理無理、それにああいった堅苦しい社会は御免だね」

「でも……ヤツらは住民から全てを絞り上げて、欲望のままに振る舞っても国を含めて誰からも咎められず、良い身分じゃないですか?」

 

 ニニャの笑みの表情と言葉には、羨むように思う部分が感じられない黒い雰囲気をモモンは感じた。

 漆黒の(つるぎ)のメンバーは事情を知っているようで、ルクルットが軽く突っ込む。

 

「相変わらず、痛烈だね。おまえさんの貴族嫌いは健在か」

「まともな貴族は極々一部。姉を豚に連れていかれた身内としては無理と言う話です」

 

 本題が逸れかけたので、ペテルが狩りについての話に戻す。

 

「とりあえず、そんなわけでこの街の周辺を探索する感じです。流石にさほど強いモンスターは出ないでしょうから、危険は低いかと。具体的な場所は、街から少し西側へ南下して……えっと、この辺りですね」

 

 そう言いつつ羊皮紙を持ち出しテーブルの中央に広げた。街道に森や川、都市や村など周辺について大雑把に書き込まれた地図である。彼はエ・ランテルの南西の森の手前辺りを指差す。

 

「その代わり弱いと報奨金もやっすいけどなー」

「それでも偶にオーガも現れる。油断は禁物だから。スレイン法国国境の森からモンスターが時々出て来るのでそれを狩ります。後衛まで攻撃が及ぶ武器を使ってくるのはゴブリンぐらいでしょう。彼らの飼う(ウルフ)にも注意ですね」

 

 ペテルの話をブリタは、仕事に噛めればいいと考えているようで黙って内容を聞いている。彼女も魔法の支援がある状態であれば、ゴブリンなら十分に相手を出来ると考えていた。

 一応モモンは尋ねる。

 

「強い小鬼(ゴブリン)とかはいないのかな?」

 

 カルネ村に現れたゴブリン軍団は、リーダーのLv.12を始め、最低でもLv.8はあった。

 

「森の奥には居ると思います。しかし彼らは部族を束ねている存在です。族長自身も出撃するような規模での戦闘は、人間達の間で厄介事になると理解していますので容易には出てこないかと」

 

 ここでニニャが、漆黒の戦士へ気を使う様に話し出す。

 

「えっと我々はいつも、危険の多い森には入らないので、草原では恐らく人食い大鬼(オーガ)が最大の敵かと。森には跳躍する蛭(ジャンピングリーチ)巨大昆虫(ジャイアント・ビートル)がいてこれぐらいなら何とか対処出来ますが、木上から糸を飛ばしてくる絞首刑蜘蛛(ハンギング・スパイダー)や、地面から丸のみを狙う森林長虫(フォレスト・ワーム)はキツ目ですね」

 

 モモンはふと忘れていた。

 『漆黒の(つるぎ)』達はプレートが(シルバー)、ブリタも(アイアン)なのを。一瞬皆が、ガゼフぐらいの感覚になってしまっていた。マーレに確認していないので正確には分からないが、彼らのレベルは恐らく高くても10そこそこなのだ。

 それでも、(シルバー)になれる水準である。

 まあレベルは下に合わせようかと、モモンは最後の質問をする。

 

「あと、期間と分け前はどう見込んでいます?」

「今日から二泊三日というところで考えています。前回それだけやって、各自一か月ぐらいは暮らせる程は稼げましたので。分け前は基本人数割り、但し働きは皆で話し合い考慮する。それで、どう……ですか?」

 

 前回は四人で金貨4枚無いというところか。今回も一人金貨1枚を見込んでいるぐらいに思われる。

 先日モモン達が15体を倒した時に金貨1枚と銀貨数枚であった。

 一人当たりあれより若干少ない数のモンスターが相手……いや安いゴブリンばかりなら、数は多いぐらいかと予想する。

 『漆黒の剣』達としては恐らく、チーム単独でも狩りは可能だが、15体を倒した(カッパー)チームと組む方が、安全を確保しつつ優位に交渉できると考えたのだろう。

 モモンとしては、情報を集めるのが目的というところもあり、一般の冒険者達がどう戦うのか見る良い機会でもあると考えた。

 

「分かりました。一緒にモンスターを狩りましょう」

 

 モモンの受諾の返事に、漆黒の(つるぎ)達は微笑む。そこへブリタもお願いしてきた。

 

「私も、日程とか大丈夫です。お願いできませんか?」

 

 ペテルがモモンの方を向き窺う。

 

「こちらは構いませんが」

「では、ブリタさんも一緒にお願いします」

 

 モモンの返事で、ペテルが笑顔でブリタへ告げた。

 

「やった、ありがとうっ! 困ってたんだぁ」

 

 ブリタは胸元で両手を握って喜びを表現する。

 ブリタの参戦へ、意外にニニャが嬉しそうな顔をしていた。

 モモンは、ここで皆に告げる。

 

「期間は短めですが、これで一緒に行動する仲間となったのですから、皆さんへ顔を見せておきますね」

 

 そう言って、面頬付き兜(クローズド・ヘルム)をゆっくりと外した。

 やはり、黒髪黒目で王国の者の顔の作りではない顔は、青年らに余り受けが良くないようだ。どうせおっさん顔である。ただ不思議にニニャと目が合うと、ニッコリしてくれたが。

 まあモモンよりも注目はマーベロだろう。マーベロも少し遅れてフードを下ろす。

 やはりどう見てもメチャクチャ若い。しかし可愛さや美しさに代わりは無く、それ以上に評価される。

 

「驚いたな……」

「マ、マーベロさん、めっちゃ美人じゃないですかっ。もう少し大人びてたら結婚を申し込んだところですよっ」

「まさに、妖精の如くである!」

「……綺麗……」

「……うわぁ、本当に美人で可愛いなぁ」

 

 四人の男性陣は兎も角、女の子のブリタからも、盛大に褒められていた。

 なお、マーベロの耳に関しては高度の幻術を展開して人間の耳にし、触ることも可能にしている。これは、法国で森妖精(エルフ)も差別の対象にもなっていると聞いたからだ。多少不自由だが、そういった部分でマーレを嫌な目には合わせられないと、アインズが考えての措置である。

 話し合いは纏まり、七名は組合を後にする。

 

 

 

 

 

 スレイン法国の神都にある、神官長直轄特殊工作部隊群『六色聖典』本部。

 真っ白で荘厳な石造りの建物が犇めく広い中央大神殿敷地内でも奥に置かれており、場所も存在も極一握りの人間しか入れない区域に国家レベルで隠蔽されている。

 このため、一部地上の施設もあるが大部分は自然と陰気な地下が多い。幸い魔法で調湿されており、カビなどで悩むことは無い。

 そんな施設の中でも、特に立ち入りが制限されている場所がある。国家最高戦力と言われる漆黒聖典の区画だ。

 だが一人の人物が、20名もの精鋭の守衛が守るその厳重である扉を、「ちわー」といいながらボディチェックも無く敬礼で見送られ中へと通過する。

 勿論、漆黒聖典第九席次、クレマンティーヌ『様』だ。

 漆黒聖典は最高機密の神人も含めて僅か12の席しか存在しない、スレイン法国内で個で最強の12名が集められている。まあ番外席次も一席あるのだが。

 その中の一人に数えられる彼女は、神人では無いため行動制限もそれほど厳しいものでは無く、また報酬として年間金貨1500枚が提供されており、普通なら悠々自適の暮らしに満足できるはずである。

 でも、彼女はもはやそういったものに興味が無かった。

 

 人生における最大目的は――一日も早い兄の死。

 

 それも可能な限り惨たらしくだ。ただそれだけ――と、思っていたが最近急激に変わって来た。

 彼だ。あの漆黒の鎧を纏う、圧倒的強さとこんな自分を『可愛い』と言ってくれる愛しの『モモンちゃん』である。

 以前からこの場所は、兄の在籍する糞部隊だとイライラだけが募っていたが、今は愛するあの人からのお願いと達成間近い目的もあり、歩を進める足の何と軽い事か。

 彼の事を思うと凄く幸せになれる。生きてて良かったと思える。少し自慢の大きめで綺麗な形の胸の奥がドキドキする、キュンキュンするのだ。

 モモンと別れて国へ帰還し、今日で早6日が過ぎていた。すでに禁断症状が出ている。

 大きいベッドで一人で眠るのがとても寂しい。あの筋肉のまるで無いように思えるほど、全て骨格の如く鍛えられた固めの膝枕が恋しい。そして彼の愛のある優しいナデナデが欲しくなってきていた。

 会いたい。固めの膝枕でのゴロゴロとナデナデを所望したいのだ。

 しかし我慢である。定例報告まであと14日。

 彼女は、本来ならエ・ランテルへの脱出の下見を直ぐに切り上げ、神都に戻り、盗み出した六色聖典のお宝を手にエ・ランテルへ逃走し、ズーラーノーンへ移籍するつもりが未だここに留まっていた。結果として、幸せといえる人生になりそうな予感の展開に満足している。幸いズーラーノーン側へは、電撃移籍の事前通告はしていなかったので現状維持でも全く影響はない。

 

 一方、彼女が本部へ戻って来るまでに六色聖典内では、驚くことばかりが起こっていた。

 まず土の巫女姫及び、精鋭の魔法詠唱者10名以上が突如の爆発攻撃により本部内で死亡していたのだ。次に、陽光聖典を率いる隊長ニグン・グリッド・ルーイン及び、配下ら計45人との連絡が急に途絶えていた。

 土の巫女姫は自我が無い為、クレマンティーヌは会ったことも無いが、陽光聖典隊長のニグンには数度会っている。欲深く好色的人間で、何度か夜に別宅で二人きりの食事でもと声を掛けられた事があった。もちろん「ごめんねー。これから彼氏と会うのでー」と彼女は断っていたが。

 六色聖典の部隊が、これだけ大規模で死亡や行方不明によって損失を受けるのは非常に稀な事態だ。最近の被害ではニ、三年程前に陽光聖典が亜人の村の討滅作戦の折、当時はまだオリハルコン級冒険者チームであった『蒼の薔薇』に阻止され死傷者を出して撤退して以来ではないだろうか。なお、六色聖典は国家の方針である人類の守り手たらんとするための存在であり、同じく人類側の強力な戦力である『蒼の薔薇』への報復は行なっていない。

 今回、風花聖典は土の巫女姫を使い、何かについて遠方に位置するこの本部から監視を行っていたことが分かって来ている。監視阻止は、あの帝国で有名の化け物魔法使いから受けた事はあったが、これほどの規模で反撃を受けたのは初めてであり、直ちに臨時の神官長会議も開かれている。

 その議題として、首都中心部にある、秘匿部隊の本部が直接的な攻撃を受けた事で、状況などを元に敵の実行部隊をまず掴む事が最優先に指示された。

 交戦中の『エルフ王国』を筆頭に、依然暗躍を続ける『ズーラーノーン』が候補として真っ先に挙げられた。『ビーストマンの国』もである。

 神官長会議は最高神官長、六大神官長、三機関長他の10数名で行われる、法国内での最高意思決定会合。全員が頭冠と神聖なる純白に青系と金の線の施された神官服に身を包んで臨んでいた。

 それが、10日前の会議。

 

 また、本日の会議の前回、6日前にあった会議では一つの決定があった。

 過去の記録資料の類似状況、そして漆黒聖典の一人、通称『占星千里』が破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)の復活を占い出したことが考慮され会合は結論に至り、国家の秘宝と共に漆黒聖典全メンバーの完全装備での出撃指令が発動されている。場所はアーグランド評議国とリ・エスティーゼ王国との国境付近にある山岳地帯。

 この時当然、クレマンティーヌは不在であったが聖典内の準備は進められていく。

 だが――4日程掛けて出撃準備が整い、秘宝を身に付けた名誉席次でもある老婆カイレの護衛の為に進軍用の戦車が数台用意された段階で、『特異な情報』がもたらされ―――出撃に待ったが掛かる。

 特異情報の裏付けと再分析で更に3日程経過した。

 クレマンティーヌはこの間に神都へ帰還しているが、直ぐの完全装備待機指令に驚く。

 情報が纏まり、本日再び臨時の神官長会議が開かれた形だ。

 

 『特異な情報』だが――今回、陽光聖典の隊長ニグンは神官長の一人より受けた王国戦士長抹殺指令を実行中であったという。また、その作戦の陽動としてバハルス帝国騎士に扮した60名程の騎士団が使われた。その生き残り数名が、神都へと生還し報告が上がって来たのだ。

 彼等騎士団が、エ・ランテルから北方のトブの大森林傍にあるカルネ村という場所にて陽動作戦中、突如謎の魔法詠唱者一行が現れ、圧倒的といえる力を持つ2メートルを大きく超えるたった一体のアンデッドのシモベによって短時間で全滅したという。報告者は、その謎の人物が騎士達の上空へ現れた時、同じく〈飛行(フライ)〉を使う配下が3名と、更に地上側より騎士団を全滅させたのと同種で巨躯のアンデッドを二体も引き連れていたと伝える。その状況により、つまり騎士団と行動を共にしていたはずの陽光聖典らが行方不明になっている原因が、その魔法詠唱者一行にあるのではという流れが見えてきた。

 更に神官長達は、そのアンデッドの特徴のある姿を詳細に判断した結果、非常に強靭で凶悪であるモンスターの『死の騎士(デス・ナイト)』ではと言うことでまとまっていく。しかし、デス・ナイトを3体も操る高位の魔法詠唱者など昨今聞いた事も無い。それはもはや伝説になっている『十三英雄』の死者使いぐらいであろう。

 加えて行方不明となっている陽光聖典隊長のニグンは、法国の宝の一つ、嘗て大陸を荒らし回った魔神すら打倒した、戦略級の第7位階魔法を行使出来る最高位天使の封じられていたクリスタルを所持していたことも考慮される。

 最悪の場合、謎の魔法詠唱者はそれら全てを打ち破る実力の相手だと容易に推測出来た。

 この状況を受け、漆黒聖典の出撃に完全に待ったが掛かったのである。

 彼等は気付き始める。

 

 何か隣国の中で――トンデモナイ事が起き始めているのではないかと。

 

 そして会議の中、神官長の一人の思考が一つの可能性の有る結論に到達し口にする。

 

「風花聖典の依頼を受けた土の巫女姫の隊で起こった爆発が、その魔法詠唱者の遠隔反撃という可能性はないだろうか?」

「な、なんと……陽光聖典の監視をした時にとでも言うのかっ」

「そんな事が……だが、可能性は十分あるな……」

「確かに、攻性防御という概念が情報系魔法には存在しますな……しかし、遠隔であれほど強力な威力で使える者がいるのですかな」

「むう……ちなみに、その魔法詠唱者の名は、何という者でしたかな?」

 

 

 

「確か――アインズ・ウール・ゴウン。あとその者から伝言が……〝この辺りで騒ぎを起こすな、騒ぐようなら貴様らの国まで訪れて死をくれてやる〟と……」

 

 

 

 一大国家の重鎮で、人類の守り手を自負し国を預かる神官長達が、一斉に押し黙る。

 国家に戦士系の精鋭は揃っているが、魔法系は総合力で恐らく帝国には一歩届いていない状況。確かに秘宝『叡者の額冠』により、最大第8位階までの行使は一部の種類で可能だが、個人で使える訳でも連発出来る訳でもないのだ。第6位階魔法を連発出来る帝国魔法省最高責任者で主席宮廷魔法使いのフールーダ・パラダインに加え、第4位階を使いこなす多くの高弟たちを擁する帝国はやはり脅威である。

 その帝国の怪物をも遥かに上回るかもしれない存在の出現を感じていた。

 そんな中、最後に一人の神官長が気付く。そして喘ぐように口から言葉が零れていった。

 

「うっ。……そのゴウンなる者の言葉の直後に……隊長ニグン率いる陽光聖典の部隊が、村を襲ったのではないの……か?」

「ぉおおお……」

「ニグンめ……何という……事だ」

「こ、これは大変な事に……」

「どう……なるの……だ」

「皆、ど、どうする……?!」

 

 神官長達の見ている纏められた報告書には、ハッキリ記載されていたのだ。一度捕まった騎士達がすでにスレイン法国の名を出したと……。

 数名の神官長は、席に固まりその場で目を閉じ頭を抱えていた。

 

 法国は、この日より全土で厳戒態勢に入ることとなる。

 

 

 

 だが、当のアインズはそんなことは完全に忘れて―――モモンとして淡く頬を染めるマーベロと仲睦まじく手を繋ぎ、結構暇であるモンスター狩りに勤しんでいた。

 

 

 




補足)暫定捏造
エ・リットル……王都とエ・ペスペルの間にある、リットン伯が治める商業の盛んな人口38万の小都市。周辺部を合わせると50万に迫る。


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STAGE19. 支配者王都へ行く/邂逅ト終ワラナイ色々(3)

注)モモンの口調については、鈴木悟の素の口調になっています


 王都へ向かうアインズ一行の乗る、ナザリック基準で()()()八足馬(スレイプニール)が牽引する四頭立て四輪大(コー)型馬車()は一路、大都市エ・ペスペルから王都の途中にある小都市エ・リットルへと向かう街道を進んでいた。

 アインズ一行の表向きの予定では、四泊五日で街道を進み王都に到着することになっている。四日ほどショートカットしたが、最後の一泊は実際に宿泊する予定。

 ナーベラル達が、十分下見済の森の中の場所へアインズが開けた〈転移門(ゲート)〉より先程出現し、脇道を数キロ走破してエ・リットルから20キロ程手前で街道へ合流したところである。

 その馬車の中、窓の景色を眺めていた最後尾の3人掛けの席に座るアインズは、横で頬を赤くしつつピッタリとくっ付いて寄り添う――ルベドへと目をやった。

 今朝、アインズがエ・ランテルからナザリックへ帰還した時から、ルベドの様子がオカシイ。

 まず帰還直後に、彼女から「ありがと」と抱き付かれてしまった。あの真っ白いモフモフで柔らかい羽毛の翼で包んでくれるオマケ付きである。アインズは正直ちょっと良かったと感じてしまう。それほどのモフモフなのだ。

 だが、マーレがすぐ横に居る状態であった。それは余りヨロシクない――下手をするとマーレの闇が垣間見えてしまうから。幸い、マーレも事情を知っており少しヤキモチ気味にムッとした顔だけで済んでいる。

 ルベドはアインズへと指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を持って待っていた模様。そしてどうやら彼女は、ニグレド、アルベドとこの数日仲良く過ごせたことに凄く感謝しているみたいだ。確かに、ニグレドが特に末妹に素っ気なかったので、アインズ自らルベドがきちんとナザリックと支配者に貢献していることを告げてはいた。ニグレドも末妹の働きに、ナザリックの一員としても姉としても安心したらしい。しかし、ルベドのここまでの懐きっぷりは支配者にとっても想定外であった。

 馬車の席に座るアインズの視線へ、身を寄せるルベドは嬉しそうにニッコリと見つめてくる。

 

「アインズ様、何かして欲しいか?」

「いや、今はよい」

「何かあれば、なんでも言い付けて。昼でも……夜でも」

 

 ルベドは恥じらうように、姉アルベドの面影の濃い綺麗な表情をニッコリとしながら朱に染まる頬をアインズの肩へとスリスリする。

 流石は姉妹……変にスイッチが入ってしまうと姉達と同じく豹変ということのようである……。

 ふと、アインズが目線を上げると、正面に座る戦闘メイド六連星(プレアデス)姉妹のシズとナーベラル、その向こう側に座るソリュシャンが仲良く――ハンカチを噛んで羨ましそうにこちらを見ていた。

 

 支配者は思う。本当に色々と事が起こるなぁとここ数日を振り返る。

 

 

 

 

 

 

 アインズ・ウール・ゴウンの怒りに対する襲来に備え、厳戒態勢に入ったスレイン法国ではあるが、神官長会議の動揺したあの場面には続きがあった。

 数名の神官長が席で固まり、目を閉じて頭を抱えていたあの時である。

 

「狼狽えるでない!」

 

 これまで黙って聞いていた、初老の最高神官長の声が部屋に反響して伝わる。

 

「一同、忘れてはおるのではないか? 我々には『番外』という人類の守り手としての切り札もある。敵が攻めて来るなら受けて立つのみだ。皆でまず備えよう。だが、一方で可能ならそのゴウンという人物との関係改善も考えるべきだろう。脅威であると同時に、それは我々人類側の即戦力の可能性もあるということ」

 

 最高神官長の冷静で具体的と思える言葉に、神官長達の狼狽は落ち着きをみせる。

 

「おお」

「そうですな……」

「確かに」

 

 最高神官長は、法国の理念の原点を、再び皆へ諭すよう静かに語る。

 

「この周辺地域を遥か離れた大陸の中央以東では、多くの国で人類が隷属的種族となっておる。嘗ての、かの六大神様や八欲王の時のように、再び人類が大陸全土を席巻する世界を創出出来る、次元の違う強大な力を持つ圧倒的というべき指導者の降臨を我々は待ち焦がれておる。我らは『その時間を稼ぐ為の』人類の守り手であるのだ。皆、それを忘れるな」

 

 神官長らは思い出したように多くが同意し頷く。同時に「そうでしたな」や「はい」と口に出す者もいた。

 だがその時、同意しつつも「ところで……」と意見を述べる冷静な者が一人いた――。

 

 

 

 

 

 ほぼ真円を描く大都市エ・ランテルのもっとも外側、第三城壁には真南と北東、北西の三か所にそれぞれ頑強に作られた門が設置されている。街道はその大きい門から各地へと伸びていた。

 『漆黒の(つるぎ)』の4人とモモンチームの二人、そして女戦士のブリタは冒険者組合を出ると、最寄りとは違う北西の門から歩いて出発した。ここはモモン達がいつも通る門であり、顔見知りの守衛らからまたも親指を立てられての(何人かウインクまで付けてくれる)通過になった……。

 目的の地域まで15キロ以上あるため、途中、昼休憩を挟んで進み、午後の良い時間に到着する。

 

「野営予定地は、先程通った川も近い草丈の低い草原の辺りです。日が暮れる少し前にそちらへ行く事にして、それまで皆さん頑張りましょう」

 

 この冒険者集団のまとめ役として、『漆黒の剣』のリーダーであるペテルが皆にそう伝えると狩りは直ぐに始まった。事前の話通り森には入らず、南西に広がる15キロ四方はある森の北側手前を捜索する。基本、戦力は分散せず7名は割と固まって進む形だ。一応、探査力のある野伏(レンジャー)のルクルットがいる漆黒の剣の四人が幾分先行し、モモンチームとブリタの三人が続いていた。

 振り返り後続を確認するダイン。その視界の中で、モモンとマーベロはずっと手を繋いでいる。

 

「それにしても、モモン氏とマーベロ女史は仲がいいである」

 

 森祭司(ドルイド)のダインが二人の様子に微笑ましく語った。

 リーダーのペテルもそれをダイン同様に捉える。

 

「はは、まあ二人組のチームだし、いいんじゃないですか」

「だよなぁ、でもベタベタって感じじゃねぇな」

 

 ルクルットは、モモン達に皆の前での遠慮もあるのかとも考えたが、結構鋭く見ていた。

 

「そ、そうですよね。守っているという感じで」

 

 他の者は気付かなかったが、ニニャは微妙に安心した雰囲気の言葉を口にしていた。それは、出会った時よりモモンに感じている不思議に思う感覚からだ。簡単に言えば好ましい、彼から大きく包み込む形の雰囲気を覚える。これまで日常や仕事で色々と冒険者達に会ってきたが初めての経験。例えるなら記憶の片隅にある温かい父や母、そして姉のような……。

 気が付けば、モモンの事が結構気になっている。

 もともと、ペテルやルクルットのような爽やか系よりも、ダインのようなどっしりしている人物に好感が持てる性格である。

 そういった事を考えてのんびりした雰囲気を、ルクルットの一言が変える。

 

「ん、近いなっ。あそこの奥の辺りだ。来るぞ!」

 

 彼の指差す方向には草木が群生していて、姿は見えていないがチームの他の3人は疑わない。ぺテルが後方のモモンらに振り向き、身振りで木々の方向を指差して敵との遭遇が近い事を知らせた。

 もちろんマーベロは、少し前からすでに気が付いている。

 

「〈衣装強化(リーインフォース・コスチューム)〉、〈下級筋力増大(レッサー・ストレングス)〉、〈下級敏捷力増大(レッサー・デクスタリティ)〉、〈下位属性防御(レッサー・プロテクションエナジー)〉」

 

 モモンの事前の指示でマーベロは、直ちに仲間のブリタを素早く強化してやる。

 

「えっと、一通り強化しておきました」

「あ、ありがとう……うわっ、身体が軽い」

 

 防御力強化、筋力及び敏捷性を2割UP、加えて攻撃ダメージの軽減である。

 まもなくルクルットの指差した辺りの草木が揺れて、身長が150センチ以下の小鬼(ゴブリン)が十一体に、3メートル程もある巨体の人食い大鬼(オーガ)が2体現れた。

 

「くっ、いきなりオーガ付きの団体様かよ」

 

 すでに〈鎧強化(リーインフォース・アーマー)〉をニニャから受けたルクルットが、同魔法強化を受けたペテルと最前列で並ぶ。

 しかし、流石に集団化した状態の敵に飛び込む訳にはいかないと思っていた時。

 

「俺がまず一部を引き付けるよ。上手くバラけたら個別に叩いて」

「えっ、て?」

 

 後ろから来たモモンは話し終えると、ルクルットの驚き声など意にも介さず、右に離れて行く形でモンスターの一団を牽制するように堂々と歩を進める。『漆黒の(つるぎ)』の4人とブリタは唖然と見送る。

 当然の形として、単独で移動する鎧姿のモモンに4体のゴブリンと1体のオーガが迫っていく。

 残りがぺテル達に迫るが半分程度になった事は大きい。

 

 「〈植物の絡み付き(トワイン・プラント)〉」

 

 ダインが、まず周辺の草を利用しゴブリン達の自由をある程度制限した。その瞬間にぺテルとルクルットにブリタも加わり、其々ジグザグに切り込む形で前進。接敵し、矢も放ってきたゴブリン達を次々と打ち倒す。ぺテルやブリタ達はこちら側を先に倒し、引き付けてくれているモモンに加勢する流れで動き出していた。この辺りは、経験を積んでいる冒険者同士の阿吽の呼吸だ。

 そうして出遅れた残るオーガを三人で囲み、ニニャとダインの支援を受けて追い詰めていく。だが頑強な肉体のオーガは中々倒れない。ぺテルは武技〈要塞〉を使えるが、それは防御側で攻撃面の決定打がなかった。

 その時、少し離れた場所から大きな断末魔の声が上がる。

 

「グガァァァァァァーーーァ……」

 

 皆がそれへ目を向けると、強靭なはずのオーガを、両手持ちで一本だけ抜き放っているモモンのグレートソードが袈裟懸けに一刀で真っ二つにしていた。

 巨体の上半身が、鈍い音を響かせてずり落ちると下半身もその場へ倒れる。

 モモンの周りには、もう立っているモンスターが居なかった。マーベロは、ニニャとダインを傍で守りつつ、モモンの方に注視する形でいる。

 漆黒鎧の戦士の見せた壮絶すぎる光景に、ぺテルらと周りを囲まれたオーガさえも固まる。

 

「ん? こっちは終わったけど?」

 

 と、グレートソードを右肩へ担ぎ、何気なく言ってのけるモモンの言葉に、最初に反応したのがオーガであった。

 その場で、巨体の腕を振り回す様にして植物を振り解くと、血を滴らせつつも森へ向かい逃げ始めた。ダインが〈植物の絡み付き(トワイン・プラント)〉を放つも、植物が巻き付ける蔓は巨体の重さと勢いに引き千切られ、ニニャの〈魔法の矢(マジック・アロー)〉も肩や背へ刺さるも止めきれない。その様子にモモンが告げる。

 

「マーベロ、やっていいよ」

「は、はい。〈雷撃(ライトニング)〉」

 

 マーベロの右手指先から伸びる眩い雷閃光は、人食い大鬼(オーガ)の分厚く強い筋肉の体を一瞬で貫通する。「ゲガッ」と呻いたオーガは、同時に転倒し起き上がることは無かった。

 

「お二人とも一撃で人食い大鬼(オーガ)を……凄すぎる」

「すげぇ……」

「まさに圧倒的である!」

「……なんて強さ」

「本当に……“凄いっ”としか言いようがないわね」

 

 モモン側からすると、鈍い虫を払っている程度であり、絶賛されてもピンと来ない。なので無難と思う言葉を返すに留める。

 

「まあ、みんな無事でよかった感じですね」

 

 モモンチーム以外には緊張感のあるそんな出だしで狩りは始まったが、その後は遭遇回数が多い展開も、ゴブリンの5体以下の集団がほどんどであった。偶にオーガと狼がちらほらといった状況で、一日目、二日目と過ぎていった。

 冒険者は、夜の暇な時間が結構長い。日が沈む前には宿営地の準備を終えなければならず、すぐに寝る訳でもなかった。モモンとしては設営やモンスター対策の仕掛け設置など、アウトドア的雰囲気を気楽に結構楽しんでいた。マーベロは、モモンの横にちょこんと静かに寄り添って満足している。

 一日目の晩は、モモンとマーベロの活躍の話に前半は終始した。伝説に成るかもと、ダインがニニャへその場面を詳細に日記へ書くように勧めたほどだ。その後、『漆黒の剣』というぺテル達のチーム名の由来の話になり、それは嘗ての『十三英雄』の一人である黒騎士と呼ばれた者の持っていた四本の剣にちなんでいるという。

 黒騎士に関する話を交えた後、ぺテル達の「仲間の絆だ」という黒い刀身を持つ短剣(ダガー)の話から、モモン自身の昔の仲間の話が零れてきた。

 救われ、仲間を知り、皆で集まり造ったチーム(ギルド)。共に冒険もしたその楽しい日々は正に輝いていた。彼は、それらを思い出す様に僅かに語る。

 

「――あの日々の事は忘れられません」

 

 だから今もこの新世界に、嘗てのギルド仲間の影を探そうとしているモモンは、そう締めくくった。

 その言葉でニニャが、モモンは仲間を失ったと悟りつつ、慰めるように呟く。

 

「とても素敵な仲間達だったんですね。素晴らしいです」

「……ありがとう」

 

 モモンは目を閉じる感じで、眼窩の紅い輝きを兜内でそっと落とすと静かにそう答えた。

 仲間の件ではブリタも酷い目にあったばかりで、少し湿っぽい話の方向性を変えようと、その後はルクルットがバカ話に切り換えて笑いの内に寝る時間を迎えた。

 そして二日目は、みんなで結構連携出来たという話になっていた。実は、昼食の後にニニャの提案してきた魔法支援者を交代してみようという事で一時的に、マーベロがぺテル達を、ニニャがモモンとブリタを支援したのだ。

 普通は余りやらないのだが、モモンはそういった『ノリ』が嫌いでは無かった。実際、特に問題は無かった。というか、マーベロの支援が強力なのでより安全に狩りが進んだのだ。順調な狩りの様子に皆も明るい。

 「明日もこの調子で熟せば目標の金額になるなぁ」とお道化るルクルットへ、「助かるわぁー」と相槌を打つブリタに、「ルクルットの空予定は、立てない方が上手くいくのである」とダインが落とし、「なんだよー」と言うルクルットのボヤキに、笑いの輪が起こった。

 

 

 その少し楽しい時間が――突然終わりを迎える。

 

 

 最初に気が付いたのはマーベロであった。

 

『モ、モモンさん』

 

 (あるじ)の隣に座っていた彼女は、フードで口元を隠しながら小声でもはっきりと伝わる〈伝言(メッセージ)〉を使ってきたのだ。

 

『弱い水準ですが、南から森と山岳の間を抜けて来たのか何者かが接近して来ます。数は4名。レベルは、43、40、31、5です。馬車に乗っている模様で接近が早いです。どうしますか?』

 

(何だと……)

 

 モモンは一瞬固まった。3人が王国戦士長のガゼフの素のレベルをかなり上回っており、今のモモンの水準以上。更に2人がクレマンティーヌをも上回る。本当にまだまだ強い奴はいるということだなと、アインズとしての警戒感が上がっていく。

 その正体については来た方角より直ぐに想像が付いた。

 

(――漆黒聖典か)

 

 モモンはクレマンティーヌより、スレイン法国の漆黒聖典は12名在籍し、自分の他に国内から個で最強の者を組織的に集めたと聞いている。

 どうやら最強部隊でも、流石に他国に侵入する場合、街道は通らないようだ。この場所は草丈が低く、馬車は走りやすい状態の場所であった。それが裏目に出たのか。

 いや、今はそれどころではない。皆へ知らせるべきかという判断を迫られる。

 

(どうする……………)

 

 知らせた場合、それはマーベロの探知能力について暴露することになる。一方、知らせなかった場合、相手が好戦的なら、『漆黒の剣』とブリタは死ぬ場合もあるだろう。

 ここで支配者は、冷静に彼等5人の価値を判断する。

 

(利点は小さいけどあるよなぁ)

 

 狩りにおけるモモンとマーベロの活躍を、周囲へ広めてくれるというメリットを持つ存在だと。

 評価はあくまで他者側の認識であり、地道に積み上げる他ない。駆け出し冒険者の支配者にすれば、第一歩に繋がる彼らは貴重である。

 一通り考え、モモンはマーベロに告げる。

 

「このままだ」

 

 ここで重要なのは、今から知らせても全員逃げ切れるかは分からないという事だ。それに、このままこちらへ気付かないか、無視して通過してくれる可能性もある。

 

『わ、分かりました。あと、北からレベルのかなり低い者達が3名――』

「(どうせ、冒険者だろう)今はいい」

『は、はい』

 

 モモンは結局、ペテル達へは知らせない事にした。

 ただし万一の場合は、クレマンティーヌと同じ展開に持ち込むことに決める。2対4だが、マーベロと共に離れた場所へ誘導し一瞬でケリを着ける形だ。彼にはまだ、あと二段階の変化が残されている。

 モモンは、この狩りが少し楽しかったのだ。

 そして、今は曲がりなりにも組んでいる『仲間』を目の前で殺されるというのは……。

 

 ―――非常に不愉快である。

 

 南から甲冑装備を付ける軍馬四頭立ての戦車が、少し道の悪い草原を北上していた。

 その戦車は、御者席までが木枠の壁のある車体を鉄の装甲に覆われている。重量を抑える為、四人乗りにしては小ぶりの箱型車体をしていた。

 その車内に3人の人物が座っており、二人が屈強である男達に、五角形枠の眼鏡を掛けた女性が一人。

 その女が大人しいながら、ボヤくように口を開く。

 

「もう、なぜ私が……。〝占星千里〟が自分で行くべきでは?」

「その愚痴は何度目だ? 実際に識別出来る探知能力を持つお前でなければ、確認は無理というものだろう?」

 

 馬車の床に仕舞ってあるが、巨大で防御の強固な魔法盾を使う『巨盾万壁』が低い声で窘める。それを支持する形に髪を括りオールバックで精悍な顔つきの無手である『人間最強』が諭す。

 

「その通りだ。だいたいもう出発してるんだ、諦めろ〝深探見知〟」

「ふん」

 

 それでも納得がいかないと、『深探見知』は顔をそむけ、既に真っ暗な窓の外を眺めた。二人の男達は目を合わせて、お手上げだなと『人間最強』が肘を曲げて両手の掌を上にするジェスチャーに『巨盾万壁』が苦笑う。

 彼等、漆黒聖典は当初、『占星千里』が予言した破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)の復活の確認と討伐のため、秘宝を身に付けた名誉席次のカイレ様を護衛しつつ漆黒聖典全員での出撃予定であった。しかし、出発直前に待機を告げられ五日も待たされたあげく、予定が大きく変更された。

 それは、神都へ直接進撃して来るかもしれない新たなる敵を確認し、その迎撃のためだという。その名はアインズ・ウール・ゴウンを名乗る魔法詠唱者一行とのこと。聞いたことのない名だが、陽光聖典や風花聖典ではともに一部の部隊が全滅と言える既に大きい被害を受けているといい、現状判断で最優先との判断が下る。

 ただ同時に最高神官長の『ゴウンなる者との融和路線』も広まり、様子見感が強まった。

 その中で、神官長の一人から「ところで……竜王復活の確認だけはすべきでは」と進言があり、出撃要員の規模が縮小されての派遣となって現在に至る。

 ふて腐れて、窓の外を闇視(ダーク・ヴィジョン)で眺めていた『深探見知』が、突如顔色を変えて今回のリーダーである『巨盾万壁』へ伝える。

 

「……んっ!? 前方に、強い奴がいる。何故か、()()()()()()()ハッキリしないんだけど、難度は恐らく――96前後?!……二人もいるわよ。他は低いけどあと五人いるみたい。動きはないから、こちらにはまだ気付いていないようよ」

「96……か、油断ならんな」

「おいおい、俺達に匹敵するんじゃねぇか。王国ではかの王国戦士長か、『朱の雫』、『蒼の薔薇』か、後は裏社会の連中に数名いると聞くぐらいだぞ」

 

 『深探見知』は、護身装備を別の形で持っているし一応剣や体術は得意だが基本、探知能力に特化しており武技は〈要塞〉ぐらいしか使えない。武技によっては難度はグンと上がる可能性もあり、探知した相手の難度96前後はあくまで最低の目安と考えるべきで、難度93程の彼女では少し厳しい相手かもしれない。今回一応、野郎達は彼女の防衛面も兼ねていた。

 『巨盾万壁』により御者の兵へ、減速と合わせて少し先の、その正体不明である7人集団が居る最寄り位置での停車が指示される。

 

「一応、何者かは確認しておくべきだろうな。最悪、裏社会の者達の可能性もあり、いきなり襲って来るかもしれん。とりあえず、我々は冒険者だということにする。名は適当に、俺がバンでお前らは、サイキョ、シーンとするぞ。ヘタな挑発には乗るな。二人とも、我々の今回の使命はあくまでも『確認』だということを忘れるなよ」

 

 『人間最強』は「ああ」と答え、『深探見知』も頷く。

 彼等の馬車は、不明である7人集団の野営地から東へ200メートル以上離れた場所で静かに停車する。良く調教された馬は最低の音しか出さない為、周辺の闇に紛れて通常なら気付かれない。

 そして御者の兵を残し、巨大な盾を持つ衛士、剣を腰へ差す女、無手の戦士である漆黒聖典の三人は、隠されながらも僅かに漏れる焚火の明かりへと近付いて行った。

 

 

 この狩りでは、基本マーベロは無口に過ごす。話を振られると、モモンの決めた設定へ合わせる様に話を返す形である。だから、その変化の差は感じられなかった。

 しかし、モモンはどんどん迫る漆黒聖典の三人の様子を、繋ぎっぱなしの〈伝言(メッセージ)〉でマーベロから聞き続けており、微妙に皆ののほほんとした輪に入れる感じではない。

 ふと、ルクルットが怪訝に思い、モモンへと気を向けた時に、その延長上の不明である妖しい気配へ初めて気が付いた。

 

「お、おい、みんな。誰か来るぞっ」

「えっ?」

 

 今回の指揮を執っているぺテルがまず反応し、剣を掴みその方向を見る。ブリタは少し怯えるように「ほ、ほんとぉ?」と呟く。彼女はこのシチュエーションで先日襲われており無理もない。

 直ぐに結界への進入探知にも引っ掛かりニニャも伝える。

 

「三人です。真っ直ぐにこちらへ向かっています。あの影ですね」

 

 すでに、目を凝らせば動く小さい三つの影が見える。

 そしてそれらは間もなく、7人の囲う焚火から20メートル手前で立ち止まった。

 屈強の男が二人に女が一人。その装備が、見た目に立派だという事が窺える。

 彼等は一通り見回すと、モモンとマーベロに目を止めた。

 だが、すぐさま盾を持つ男が話しかけて来た。

 

「夜分に失礼する。私はバンという。あなた方は冒険者か?」

「私はモークと言います。そうですが……なにか?」

「実は、我々は竜王国から来た冒険者だが、馬車で近道をしようとして道に少し迷ってしまった。北の海岸傍の山岳に有るという、薬草探しを頼まれてな。同業の好で、エ・ペスペルへの街道について教えて貰えないだろうか? 勿論、タダでとは言わん。王国の銅貨で10枚払おう」

 

 その戦闘的である身形と威圧に対して紳士的な問いかけに、モモンは目を細める。

 ぺテル達は騙せても、彼らの強さを知っているモモンとマーベロは誤魔化せない。実際、スリット越しに、向こうからの視線が突き刺さってくるのが分かる。あの者達は、わざわざ『確認』に来たのだ。どうやら探知能力者も居るらしい。だが、今のモモンとマーベロは、実際のステータスを最上位で誤魔化しているため、真の水準は見破られていない。そうでなければ、恐らく近寄って来ないはずだ。

 初め怪訝な顔をしていたリーダーであるぺテルは、話を聞き笑顔を作って対応する。

 

「いいですよ。えっと、今、ここにいるとすると、街道はこの辺りになります。距離で言えば15キロほど北です。東に逸れると森に突っ込むので、気持ち西に寄るように北上してください。着けば道幅があるので気が付くはずです」

 

 彼は、そう言って、地面に指で簡単な地図を描いて分かりやすく説明した。

 

「なるほど、よく分かり助かった、ありがとう。ではお約束のものを」

 

 そう言って、バンと名乗った屈強に見える男は、約束の銅貨10枚をぺテルへ渡す。そのついでという雰囲気で、最後にと何気なく確認する。

 

「モーク殿達はエ・ランテルの冒険者か? このようなところで、何を?」

「はい、まあ狩りですね。このところ実入りが少ないので。あと、この二人は最近エ・ランテルへずっと南の他国から来たそうで」

「……なるほど、そうでしたか。では我々はこれにて」

 

 難度90を超える冒険者達がいて、無名で資金に困るというのはおかしいと少し思った『巨盾万壁』だが、ぺテルの落ち着いた雰囲気の説明の中に『南の他国から来たばかり』という漆黒の鎧と純白のローブを纏う強者達の素性を聞いて、この場は納得したようだ。

 彼等は威圧を感じさせつつも、そのまま背を向けてゆっくりと去って行った。

 

「ふーっ、まいったよなぁ」

 

 ルクルットが大きく安堵の溜息を()き、その場に座り込む。気付けばモモン達以外は、皆立ち上がっていた。ルクルットにもある程度、力の強さが分かるのだろう。特に気勢を抑えていなかったあの三人の存在は、大きく感じていたようだ。

 モモンは気勢を余り出さない純粋な強さによるもので、簡単に言えば『パワードスーツ』や『機械』に近いかもしれない。

 

「全くである。息苦しい」

「よ、よかったです。何も無くて」

「はぁー、なんか危ない雰囲気があの時と似てたから……でもまあ、モモンさんとマーベロさんがいたしね」

 

 ブリタの明るい声に皆が笑顔で頷きつつ、モモン達を見てくる。そう、彼らはモモンとマーベロがいれば、十分対抗出来ると思ってくれていたらしい。

 

「だよなっ」

「ええ、だから私も普通に話せましたよ。でなければ、恥ずかしながら少し震えたかもしれません」

 

 ルクルットと、ぺテルもブリタに同意した。

 そんな、束の間であるが彼等の仲間としての信頼に、モモンは悪い気がしない。

 ぺテル達は、先程の3名についてあれこれ話をし始めていた。

 

『馬車が走り去っていきます。馬足を速めていっているので恐らくもう大丈夫かと』

 

 マーベロの〈伝言(メッセージ)〉はそこで終わった。その声で漸くモモンも内心で安堵の一息を()くが、それと同時に疑問が湧く。

 

(……あの3人は、どこへ行くつもりなんだろ?)

 

 モモンは少しするとマーベロを監視に残し、少し風に当たってくると場を外した。周りの様子を窺いつつ空を静かに見上げる振りをし、小声で〈伝言(メッセージ)〉をナザリックのアルベドへ繋いだ。

 

「アルベド、私だ」

『これは、アインズ様っ』

「悪いが緊急だ。時間が無いので用件だけ告げるぞ」

『はっ。何なりと』

「用件は3つ。まず、漆黒聖典と思われる馬車の追跡。位置はエ・ランテルから少し南西の平原を今、北上している馬車だ。レベルで45から30程度の者が3名とあと1名乗っている。2つ目は、これがナザリックとカルネ村に攻めて来る場合のみ、捕虜とせよ。対話を求めてきた時は、私が対処する。そして3つ目は、エ・ランテルから少し西方の街道に出没する盗賊団を狩れ。ただし武技を使う者は捕獲せよ。これは前の2つとは別件で優先度は少し下がる。居なくなっても良い人間達との情報を得た。我がアンデッドの手頃な材料になるだろう。以上だ」

『分かりました。直ちに対応いたします。不明な部分がある場合のみ10分後に確認させていただくかもしれません。また、盗賊団については、少々時間が掛かるかと思われます。シモベを張り込ませ、実際の現場から追跡し根城を突き止めてからの掃討になります』

「分かった。それでいい、任せる。ではな」

 

 アルベドは豹変するとアレなんだが、基本、最高に有能である。デミウルゴスの思考を本当の意味で理解出来る数少ないNPCなのだ。アインズは、彼等二人を信頼し本当に頼っている。そういえば先日起動した、ぷにっと萌えさんの作っていた小悪魔娘のNPCの、ヘカテー・オルゴットが相当凄いという。現在基本設計に入っている城塞都市の担当部分を見事に熟しているとデミウルゴスから聞いている。

 また、大浴場の管理者になったダビド爺さんは、至高の一人のるし★ふぁーさん制作の誰にも懐かなかった湯を吐き出すLv.77のライオンゴーレム達を配下にしていた。最近ではルプスレギナがマナー違反で頭をかじられている……。

 

(みんな結構、作成者の雰囲気とか性格を引き継いでくれてるんだよなぁ)

 

 それだけに余計、愛おしく思える者達なのだ。自分のミスであったがアインズは、仲間が増えた事は良かったのかなと思えた。ただ、今回レベル数が400近く変動したため、久しぶりに一晩掛けて面倒な維持運営費用の調整を行う事になってしまった。一応、最大枠までの準備は随分前からしてあったので、大きい問題は無かったけれど。

 上空には僅かに雲はあるが、圧倒的に雄大で美しい星空が広がっており、モモンはしばらく眺めていた。さて、そろそろ焚火へ戻ろうかと思った頃、マーベロから〈伝言(メッセージ)〉が入る。

 

『モ、モモンさん。一人、ニニャがそちらへ』

「わかったよ」

 

 昨夜、皆が寝入った頃に、マーベロからニニャが実は女性だと知らされて少し驚いた。雰囲気的に中性の少年だと思っていたが、ニニャにも色々事情があるのだろう。アインズは知らないふりを続けていた。

 

「モモンさん、いいですか?」

「あれ? ニニャさんか。どうぞ」

「ニニャでいいですよ。敬語も無しで。星が綺麗ですね」

 

 ニニャもモモンの隣に並び夜空を見上げる。そうして二人で少し見ていると、ニニャが口を開いた。

 

「先程は、ありがとうございました」

「ん? 俺はただ座っていただけだけどね。ぺテルさんが上手く話してくれてたから。御礼を言われるほどでは」

「いえ、彼等が何もせず帰ったのはモモンさん達が居たからですよ。あの者達の気勢は――殺戮者のものでしたから」

 

 モモンにはそこまでは分からない。でも、ニニャは色々と遭遇しているのだろう。

 

「私は運がいいのかもしれません。危ない所を何度も他の人に助けて貰ってます。私が姉を探していると言う話を聞いてましたよね?」

「ああ」

「まだ何の力も無く一人では動けなかった11歳の時、村から連れ出してくれたのが、偶々ふらりと村を訪れた私の師匠でした。師匠は相手の魔法力を探知、識別できる生まれながらの異能(タレント)を持っていて、私に才能があると言って、弟子にしてくれ魔法を教えてくれたんです」

 

 ニニャは、師匠に凄く感謝していた。モモンらの前では「まだ村で何も前へ~」と話をしていたが、当時彼女を預かっていた叔母夫婦の冷たい扱いに、恐らくあと1、2年遅ければ自分も姉と同じく貴族へ差し出される運命であった気がしている。

 

「そうか」

 

 モモンはそう返すも、ニニャの師匠の生まれながらの異能(タレント)に関心が向いていた。

 先程の漆黒聖典の者の誰かといい、予想していたがやはり正確性の高い探知能力者もいるという事だ。ただ安心したのは、例外はあるだろうけど、それらは概ね下位の能力で上位を破れない水準と思われる。

 

「師匠は、弟子が独り立ち出来る頃には追い出す人で、私も急に追い出されて、未だに御礼を言えてないんですよね。その頃、ぺテル達に偶然会って、直ぐにチームに入れて貰えて感謝してるんです。一人だと突出していないと苦労するそうなので。でもそんな感謝の気持ちを、みんなに言葉では中々伝えられなくて……」

 

 加えてニニャには彼らに対し一つ、とても複雑に考えている気持ちがある。

 男と偽ってメンバーに加わっていることだ。

 皆との川での水浴びも、これまでは幸い胸が無かったため、シャツと下着を履いて浴び、何とか誤魔化してきた。ところが最近、少し胸が膨らみ始めてきていて、近いうちに誤魔化し切れなくなりそうで、ニニャはその時の皆の反応に不安が増している。

 だが、これを相談できる相手は――居ない。

 よその女性冒険者へ急に相談など出来るはずもなく。また、他チームの近い世代の男子は、勢い感が強く雰囲気的に対象外。結構年上の冒険者達もエ・ランテルには少なくないが荒くれも多く、落ち着きのある者らは基本妻帯者で、これも近付けない状況。結局、ダインに打ち明けるかと考え始めていた……。

 そんな時に、頼れる部外者のモモンが現れたのだ。

 女の子のマーベロもいる。女の勘でマーベロについては、モモンを慕っている関係だけの様に見えていた。

 

 モモンは、ニニャのそういった考えなど当然まだ知るよしもない。

 

「(まあ、仲間だと改めて礼を言うのは確かに恥ずかしいよなぁ……お互いさまだと思うし)そうだね、分かるよ」

「だから、モモンさん達にはちゃんと御礼を言っておこうかなと」

 

 ニニャはそう言うと微笑んだ。マーベロには向こう側でもう先に言ってあり、二人にきちんと礼が伝えられ、自分の話に彼が共感してくれたことが嬉しかった。

 そしてそれに加え……。

 ぺテルの話では、巨体の人食い大鬼(オーガ)を剣で両断するのは、筋力や剣技について並大抵では無理だと聞いている。普通なら大斧といった重さと勢いだけで押し切る形が、モモンは見事に切り落としていた。通常は分厚い筋肉に剣が途中で止まると言う。それが可能なのは恐らく、オリハルコンやアダマンタイト級ではないかと。ニニャもそう思う。

 自分のすぐ横に立ち星を眺める男性は、正に英雄級なのだと。

 自然と胸の奥が熱くなる。

 大きく包み込んでくれるような、どっしりとした圧倒的に強い存在。先ほどの殺戮者の恐ろしい気勢を前にするも、平然と座っていた。

 

(この人が味方なら――直ぐに姉さんを救い出せるかも)

 

 そう思わせる、いや確信させる存在。

 ニニャは、出来れば知り合ったこの縁を、『ウソの無い』親密さの増した形へ発展させたいと思い始めていた。

 モモンはニニャの礼の意味に理解を示し答える。

 

「そっか、わかったよニニャ」

「あの、モモンさん達は、これからもエ・ランテル中心で冒険者の仕事をするんですよね?」

「まあ、そのつもりだけど」

「これからも、街で話し掛けたり……相談とかしてもいいですか?」

「ああ、構わないよ」

「やったっ。じゃあ、これからも街でよろしくお願いしますね」

 

 ニニャは、良かったと普通に()()()()()ニッコリする。目の前の戦士には、早めに女であるという真実を打ち明けようと決める。ふと彼女はホッとした自分が今、少年の振りをしていた事を忘れ掛けていて、ちょっと焦っていた。

 

「その前に、まず明日の狩りを一緒に頑張ろうか、ニニャ」

 

 モモンは、その右手の重厚に出来た漆黒のガントレットで、ニニャの頭を撫でる。この二日は仲間であり、小動物としての愛着がわいたのかもしれない。

 

「あ……は、はい……」

 

 そう答える真っ赤な顔のニニャのハートに、高鳴る想いの稲妻が走っていた。

 その時、マーベロから〈伝言(メッセージ)〉が入る。

 タイミングの良さに一瞬、モモンはマズイと思ったが、耳に入って来た内容の方がヤバかった。

 

『モモンさん、西から60人以上の集団がこの位置を包囲するように近付いて来ます。漆黒の剣のメンバーが気が付く時には、包囲完了されている可能性が』

 

 モモンの頭に浮かんだのは、盗賊団である。

 そう言えば、先程北から接近する3人の話をマーベロが言い掛けていたが、あれは斥候であったのかもしれない。

 

「そろそろ、焚火の所に戻ろうか」

「そ、そうですね」

 

 モモンはニニャが傍に居る状況から、マーベロには間接的に答えて歩き始めた。

 焚火を囲うマーベロの傍へ戻り座ると、モモンはマーベロの後ろに下がる位置で〈伝言(メッセージ)〉を再びアルベドへ繋ぐ。言葉は鎧の中で最小ボリュームで。

 

 

『私だが、追加で急ぎ頼む』

「はい、アインズ様っ」

 

 ナザリック内に常駐のアルベドとしては、アインズの声が聞けて直接命じられる事は完全に『ご褒美』である。ずっとアレコレ命じて欲しいのだ。

 

『今、ここへ西から60名程が包囲展開で迫って来ている。恐らく盗賊団だ。先程依頼した件と同一かは分からんが、可能なら根城ごと殲滅し死体を回収しろ。私の周辺はこちらで対処する』

「畏まりました。では、直ちに〈転移門(ゲート)〉を使わせ――シャルティアと配下を向かわせます。あと、先ほどの御依頼は一通り手を打ちましたので」

『うむ、流石は〝愛しい〟アルベドだ、助かる。ではな』

「くふー! アインズ様ぁーー」

 

 アインズは、度重なる急ぎの要望へ応えてくれるアルベドへ、リップサービスを付けてやった。

 先程から情報確認のため第九層の統合管制室にあり、一瞬我が身を抱き締めるアルベドだが、〈伝言〉が切れると直ちに指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)で第二階層へ〈転移〉する。そうしてシャルティアの屋敷に乗り込むと、「今度は何でありんす?」と言う彼女を連れて統合管制室へ戻った。シャルティア他数名には先の指令の二つ目と三つ目を告げてある。

 至高の御方の居る周辺は、すでに『遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)』数枚にて俯瞰監視されていた。

 

「シャルティア、直ちにこの位置に向かう盗賊団を一部泳がしつつ根城を突き止め殲滅し死体を回収せよとのアインズ様の指示です。但し先程も伝えた通り、特殊系統の武技の使い手は捕獲せよとのことよ。もしかすると、先の依頼と同じ盗賊団の可能性もあるわ」

 

 御方からの直接の仕事であり、シャルティアは顔の前で両手を握り嬉々とした表情を浮かべ俄然奮い立つ。

 

「分かったでありんすっ。すぐシモベらを連れて向かいますえ」

 

 一般メイドの操る鏡で位置を確認すると、シャルティアはアルベドに第二階層まで送られた。去り際にアルベドがエールを送る。

 

「しっかり頼んだわよ、シャルティア」

「もちろん、全力でありんすよ」

 

 絶対的支配者の勅命へ、二人は強力に手を組む。己の存在意義を敬愛する者へ示す為に。

 

 ナザリックへ連絡を終えたモモンは、マーベロへ小声でも明瞭に聞こえる〈伝言(メッセージ)〉を繋ぎ確認する。

 

奴ら(盗賊団)のレベルはどれぐらい?」

「えっと、漆黒の剣の水準を超えているのは10人程です。突出した者はいません。最高でLv.15です。いつもの強化を彼等へ一通り掛ければ、水準で上回るのは3名ほどになります」

「俺達は大丈夫だけど、数が多いな。シャルティアが割って入るけど、戦闘は避けられないか」

 

 マーベロも、『漆黒の剣』や女戦士の持つ、モモン達の噂を広めてくれるメリットは理解している。しかし彼女はそれよりもと、別の件で真剣な表情をし、モモンへ尋ねてきた。

 

「あ、あの、やはりあの方(アルベド様)は……愛しいですか?」

 

 この状況で聞く話かとも思うが、ザコにすぎない盗賊団やペテル達の生死よりも、マーベロには断然重要である。

 モモンは、間違えれば大変な事になると、冷静に言葉を返した。

 

「マーベロ、俺は――〝皆〟を愛しているぞ」

「あ、愛している……愛している……愛して…………」

「皆をだぞ、皆をだ」

 

 主が念を押すように繰り返すも、既に幸せいっぱいで聞こえていない模様。

 フードで隠れて見えないが、すっかりほにゃ顔のマーベロは「えへへ」と言うデレの声を漏らしつつ、頬だけでなく耳までも真っ赤になっていた。

 その時、緊迫した声が上がる。

 

「おい、すげーやばいぜっ。周囲から一杯こっちに来るぞ。この感じは人間だが、10や20じゃない感じだっ」

 

 流石にルクルットも、異変に気が付いたらしい。それだけ、もう近いと言う事だ。

 

「ええっ、まさか盗賊団っ?!」

 

 ブリタが真っ先に恐怖を覚える。暗闇の中で実際に襲われ刺されて、大勢に追われ死ぬ思いをしているのだ。十分トラウマが蘇るレベルである。連中は、切り殺した後に、装備やアイテム、所持金を全て剥ぎ取り奪い去っていく。

 

「くっ、個別だと直ぐに囲まれる。みんなで円陣を組もう」

 

 ぺテルが立ち上がると、焚火の所から離れながらこっちだと、冷静に皆へ最善策を伝える。ここで走って逃げると、足の遅い者から餌食になるのだ。彼は仲間を見捨てる内容の作戦を初めから破棄した。

 それは――漆黒の鎧を纏う戦士と純白のローブの魔法詠唱者が居るからでもある。

 

「ペテルさん達5人は、円陣で互いに背を合わせて身を守っていてください。俺とマーベロは側面から別働隊で狩っていきますので」

 

 ここでペテル達は、月と星の光だけの薄闇の下、モモンが背負うグレートソードを2本とも抜くのを初めて見る。これまでの狩りでは一本だけであった。その一本でも分厚く重い剣なのだ。両手で自在に振れるだけでも十分凄い。

 もう一本はもしかすると予備じゃないのかと、ルクルットがモモンの居ない時に冗談で言っていたが、全くそんな事はないのである。

 目の前で、モモンは二本の剣を其々片手で軽々と振ってみせていた。

 

「す、すげぇ」

「なんて人だ……」

「唖然とするしかなのである」

「……英雄……ですね」

「い、生き残れそうな気がしてきたわっ」

 

 5人の前で、今度はやっと現実へ我に返ってきたマーベロが舞う。

 

「〈飛行(フライ)〉」

 

 第3位階魔法でも有名である魔法だが、使える人間は限られている。そして空に上がれば、遠距離攻撃以外ではダメージを受けないという最高のアドバンテージを得るのだ。

 さらに、マーベロはぺテル達へ詠唱する。

 

「〈衣装強化(リーインフォース・コスチューム)〉、〈鎧強化(リーインフォース・アーマー)〉、〈下級筋力増大(レッサー・ストレングス)〉、〈下級敏捷力増大(レッサー・デクスタリティ)〉、〈下位属性防御(レッサー・プロテクションエナジー)〉」

 

 この支援魔法で5人のステータスは大幅に上昇する。

 

「きたきたっ、マーベロさんの支援魔法っ。サイコー!」

「負ける気がしないである!」

「みんな、生き残るぞぉっ!」

「「「「「おおおーーーっ!」」」」」

 

 ペテルの気合を入れる掛け声に士気が上がる。

 そうしていると、目の前に数名の男達が現れ始めた。彼らはすでに殺気を漂わせ、目が血走り剣を抜き放っている。

 どう見ても友好的に見える者達では無く、犯罪者確定である。そんな者達へモモンは、泰然と歩を進めつつ言葉を送る。

 

「死にたくなければ帰ることを勧めるよ?」

 

 盗賊団の面々は、初め巨躯で見事な漆黒の全身甲冑の男に驚いたが、Lv.15の屈強らしき体躯の男と、鎧姿の団長と呼ばれる口許に髭を生やすリーダー風の男がすぐ現れると徒党を組んで、モモン達を包囲しつつ近付いて来た。

 

「はははっ、多勢に無勢という兵法を知らないのか?」

 

 その団長は数の優位を主張し、余裕の態度を示す。

 だが、モモンはそれにこう返した。

 

「いやいや、数と言っても、対等な力がないと意味がないでしょ? 兎が集まっても獅子は倒せないんだし」

 

 カチンと来たその団長の男は、目を細めると戦いの始まりを告げる。

 

「やれ、皆殺しだっ!」

 

 彼の声を皮切りに部下らは動き出す。

 

「ひゃっはぁぁーーー!」

「いけいけぇっ!」

「うおおおおおーーーー!」

 

 圧倒する数を頼りに、団員は単調に数名ずつ纏まる感じで突撃して来た。ぺテル達の周りにも迫り、順次襲いかかっていく。

 だがまず一番近いモモンへと、正面から盗賊達が4人掛かりで斬り込んできた。

 モモンまであと一歩という距離まで来た時に、横からの突風が吹く。

 

 いや――それは横へ一閃の斬撃であった。返しは要らない。

 

 剣が起こした風が過ぎ去ると、鎧ごと上半身の切り離された人の体が4体転がっていた。人食い大鬼(オーガ)と同じ結果である。

 敵は全て死すべし。

 モモンにとってこの者達は、会話を交わし仲間として行動を共にし愛着の少し出てきたペテル達とは全く違い、ただの殺しに来た敵という存在に過ぎない。情けを掛ける道理がモモンにはない。

 

「「「「…………!?」」」」

 

 次元の違うモモンの強さに、敵味方の全員が絶句する。

 だが、盗賊団の団長は、そこで固まらずに団員を鼓舞する。

 

「ええい、ソイツには距離を取り離れて矢を使え。他の者を先に殺せっ! まだまだこっちが有利だぞ」

 

 結構、まっとうな指示を出すなぁとモモンは感心する。

 ぺテル達へも十人以上が囲み迫った。しかし、そこへ側面から削るように声が響く。

 

「〈雷撃(ライトニング)〉!、〈火球(ファイヤーボール)〉っ!」

 

 上空のマーベロから放たれた鋭い〈雷撃〉が3人を貫通する。そして、別の方向から迫る五名の団員へ、火力の有る火の玉が襲った。〈雷撃〉を受けた者は卒倒し、〈火球〉を受けた者は地を転がり直に動かなくなった。

 これで、ペテル達への接敵は5人ほどになる。ダインの〈植物の絡み付き(トワイン・プラント)〉やニニャの〈魔法(マジック)の矢(マジック・アロー)〉で自由を制限され傷ついた盗賊らを、ペテルにブリタやルクルットが協力して切り倒していった。

 一方、モモンの速い動きに当然矢など当たらず、真っ二つになった死体が増えていく。結局、盗賊団側はたった10分経たずで、35名以上が地面に躯として転がっていた。一時姿を見せたのは合わせて40名程だ。20名程はシャルティアが後方で対処した様子である。

 そして、モモンはぺテル達から少し離れた場所で、静かに左手のグレートソードを振り上げ、盗賊団のリーダーの前に立っていた。すでに、それ以外の盗賊達は逃げ去った模様。

 

「わ、悪かった。助けてくれ……なっ。そうだ、金をやろう。金貨100枚だっ」

「おいおい今更かよ。だから最初に忠告したのにな。それに、今までそう言われた時にどうして来たのか思い出したらどうだ? 残念ながら、俺の邪魔をしたお前の自業自得だよ。安心しろ、死んだ後で役に立てるから」

「ひっ、ひぃぃぃぃーーー!」

 

 モモンは団長を容赦なく二つに一閃した。

 その直後、彼の思考に〈伝言(メッセージ)〉のコールが入る。

 

 

 

 

 

 シャルティアは、4体の美しいシモベであるLv.26の吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)を率いて〈転移門(ゲート)〉からこの草原の地へ現れると、嬉々としてあっという間に20名程を狩り殺す。守護者最強の実力はこの新世界では、正にほぼ無敵である。今も、小指一本しか使っていない。

 彼女の頭上には特殊技能(スキル)である血を集めたブラッドプールが浮かぶ。高位の魔法の源になるのだ。

 

「お前達、死体を早く集めろ。我らの主であるアインズ様がご所望のものだ」

「は、はい」

「ただ今」

 

 階層守護者である彼女は、シモベ達に対して『ありんす』などの廓言葉は余り使っていない。

 盗賊達の死体を吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達に集めさせると、〈転移門(ゲート)〉を開いて素早く地上施設の中央霊廟から第一階層の霊廟に運び込ませた。そして、〈人間種魅了(チャームパーソン)〉で操るよう生かしていた一人を根城へと先導させる。

 盗賊団は、それでもまだ東方の山脈北端部付近の根城に20人を超えて残っていた。

 そこへシャルティアは、3体のシモベを外に残し、正面から悠々と乗り込んでいく。この新世界の通常の飛び道具では、全く彼女には通用しない。いや、一歩前を歩くシモベの吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)で全て止められていた。

 そうして、入口から近い位置で10人程狩り倒す。

 

「退屈で、ありんすねぇ……」

 

 通路状の洞窟を進みながら余裕の言葉を呟いていると、前方を歩いていたシモベが、前に立っていた変わった剣……確か刀と聞いていた得物を持つ青年剣士に、僅かに斬られて下がって来た。だが切られたシモベの傷は一瞬で治る。

 

「ヴァンパイアか」

 

 その青年が厄介そうに呟く。

 この場へ来て、初めてシモベを下がらせる者の登場にシャルティアは、期待し一歩前へ出てその者を眺める。だが――その瞬間に興味は霧散する。

 シャルティアも相手の動きを見れば、大まかな強さは推測出来るのだ。見たところ、目の前の男は、シモベの吸血鬼の花嫁には勝るが、その程度の水準であった。

 彼が20人いて、些か暇つぶしになるかという存在だ。だから彼女は次に期待する。

 

「他にも、お友達がいればお呼びになってもかまいんせんよ?」

「いらんよ、ザコがいくらいても邪魔なだけだ。ブレイン・アングラウスだ………………そっちの名前は?」

「ああ、名前を知りたかったのでありんか。シャルティア・ブラッドフォールン。一方的に楽しませてくんなましな」

 

 そう言って、両者は戦いに突入した。

 ブレインと名乗る青年は納刀した状態で柄を握ると、勝利へ自信満々に気合を入れてくる。そこへシャルティアが無造作に間合いを歩いて詰めると、彼は全力で攻撃を放ってきたように見えた。でもそれは、シャルティアには余りに遅すぎる予想通りといえる攻撃であった。彼女は普通に瞬きをしながら、親指と小指で刃を後ろから遅れて止める形に摘まみ止める。

 これまで自分の才を疑わなかった青年天才剣士のブレインが、鍛えに鍛えた全開の力と技で放った超高速の一撃――秘剣『虎落笛(もがりぶえ)』。武技〈瞬閃〉の先に極めた一撃必殺の〈神閃〉と、間合い内において極限まで攻撃命中率と回避率を上昇させる〈領域〉を組み合わせた彼最高のオリジナル技だ。しかしそれが、真祖の姫には遅すぎて全く通じない――。

 

「バ……、化け物……」

「やっと理解してくれたでありんすか。そろそろ、準備も出来んしたかえ? さぁ次は、私に武技を見せてくりゃれ」

「くっ……、そ、そのように見えたか。うおぉぉぉーーー!」

 

 渾身の武技を見せたつもりのブレインは精神的衝撃に震えながら、数撃鋭い攻撃を見舞うも、シャルティアは欠伸をしつつ小指の爪で全てを弾き飛ばしてみせた。

 そして彼女は気付く。一番初めの剣速が僅かに速かったかなと。

 

「……もしかして、最初のが武技でありんしたか。申し訳ないでありんすえ。私が計れる強さの物差しは1メートルから。1ミリ単位の差はなかなか気付かないでありんす」

 

 まあ、その差にきちんと気付くところも凄いのだが。

 その言葉に、目の前の青年は愕然とした表情を浮かべていた。

 余程ショックであったのだろう、目元へ僅かに涙まで浮かんでいるみたいであった。シャルティアは、少し慰めてやる。

 

「安心してくりゃんせ。武技が使えるのであれば、あの方のお役に立てるでありんすから。お前は他とは違い、とりあえず生かして連れて来るように言われてるでありんすよ。だから、この場では死なずに済むでありんすえ」

 

 ブレインは完全に戦意だけでなく自信を喪失し、シャルティアへ背を向けると逃げ出した。

 

「今度は鬼ごっこでありんすか?」

 

 目の前の青年が、どうやらここでは最強の模様。

 彼女は暇であった。それが理由。

 だから、シャルティアは溜めていた血を高位の魔法へ取っては置かずに――被った。

 シャルティアは、偶に相手を甘く見てしまう欠点がある。

 逃走した青年を追うように、シャルティアとシモベは中へと進む。

 奥では机や家具まで使いバリケードを作っていたが、ブレインが敗走して更に奥へと下がったのを見て動揺が走る。

 すると、続いてナニかがやって来た。

 それはシャルティアが血を浴びた時に起こる、血の狂乱と呼ばれる状態。この時攻撃力は上昇する。しかし、興奮で暴走状態となり、判断力が著しく低下するのだ。だがつまらない状態でも一気にテンションは上がる。

 そして、小柄だがまさに異形種に相応しい怪物の姿となる……それはユグドラシルにおける真祖(トゥルーヴァンパイア)の姿。

 普段のシャルティアの姿が美しいのは、あくまでも造物主であるペロロンチーノの入魂によるものなのだ。

 

「鬼ごっこの次はァ、かくれんぼォォォーー?」

 

 長い髪を振り乱し、四つん這いの状態と、イソギンチャクを上から見た感じの口許から蛇みたいに長く赤い舌が出ている。アインズの前では余り見せない姿。

 

「ひぃぃーーー」

「ば、化け物だぁ」

「ヤツメウナギィィィ」

 

 怪物を相手に人間種ではなすすべが無かった。1分も掛からず全員分の躯が洞窟の床へ転がる。

 そして逃げた武技使いを追い奥へ進む。しかし、そこにあったのは抜け道であった。

 

「あぁ? アアァァァ、これはァ、逃げ道かァァーー?!」

 

 だが、まだ時間は経っていない。まだ追い付けるはずである。

 

「シャルティア様、私達は残党を探しつつ、死体を纏めておきましょうか」

「……お前達は、そうしていろぉ。私はァ、武技使いを捕まえてくるゥゥゥ」

「はっ」

 

 焦りを覚えたシャルティアは、獣の如く逃げ道を通って追い掛ける。

 それは盗賊団の根城の裏側に繋がっていた。そこから回りを囲む森の木々に遮られて目測では見付けられない。シャルティアは大木の上まで駆け上がる。しかし眼下には広大な山裾の森林が広がっていた。

 

「くそぉ。眷属たちよ、あの武技使いを探し出せェェェェッ!」

 

 するとシャルティアの足元より、木の幹を這って影が幾筋も伸びていき地上へ届くと、それらが吸血鬼の狼(ヴァンパイア・ウルフ)へと姿を変え走り始める。

 狼達は、少し強い人間を探し求め森の中へと分散していった。

 シャルティアが木の上で待つこと20分。

 すると、西側の森の外れで、二体の眷属が消滅したのを感じた。

 

(なにぃっ、あの子達が倒されたァァ?! あのブレインという男が屠っているのかぁ?)

 

 少し違和感を覚えた。見つけたら眷属から知らせがあるはずだが、それが無くあっという間に消滅させられた感覚。

 しかし手掛かりがない以上行ってみるしかない。

 次の瞬間にシャルティアは、木から降りて疾風となって森の中を走り出していた。

 

 

 

「なんだ、あの怪物(モンスター)は……?」

吸血鬼の狼(ヴァンパイア・ウルフ)ね。難度は60と言うところ。でも、相変わらずよね、逃げようとしてたのにツブすなんて」

「連中は人類の敵。俺の目に止まったものを生かして返すわけないだろ」

 

 『深探見知』が怪物(モンスター)の接近を探知すると、それを『人間最強』が無手の連撃で倒していた。

 漆黒聖典の竜王確認遠征隊は、あれから少し北へ戦車を走らせた森に近いところで野営をしていた。彼らも人間であり、休息は必要なのだ。

 馬車の横で焚火を三人で囲み休んでいた。御者の兵は「私はここで」と英雄達へ遠慮もあり御者台で休んでいる。

 先程は、食事を取った後の会話が途切れ、軽く横になり休もうとした時であった。森の中から接近して来る何かを『深探見知』が感じ取ったのだ。

 難度が60というのは、人間種にとってかなり手強い相手。ミスリルやオリハルコン級の水準。

 だが漆黒聖典の水準は、全員が難度90を上回る。特に『隊長』は難度で200を軽く上回っているバケモノである。

 吸血鬼の狼の相手をした『人間最強』も難度120を上回っており敵ではなかった。

 

「"人間最強"、言っておいたはずだ。我々は破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)の確認をするのが今回の任務だ。まあ、今は移動していない状況で遅れはないからいいが、余計な戦いはするな」

「へいへい、リーダ殿。気を付けるでありますよ」

 

 『巨盾万壁』の忠告にも、お道化る様に『人間最強』が返していた。

 

「でも、吸血鬼の狼(ヴァンパイア・ウルフ)って吸血鬼(ヴァンパイア)のシモベよね。……近くにいたりして」

「ふっ、安心しろ。俺の『神の拳』で返り討ちだな」

「言った傍からそれか、"人間最強"。襲って来るならともかく、面倒事を増やすような動きはするな。なるべく早く神都に帰ってくるようにと、直接、神官長や隊長から言わたのを忘れていないだろうな?」

「へーい、明日も早いし休もうぜ」

「では、私がお先で」

 

 そんな感じに『深探見知』が再び休もうとしたのだが――横になった瞬間に彼女は飛び起きた。

 

「なっ、何よこれっ。難度200を超えるのが凄い速さでこっちに近付いて来るんだけどっ!」

「全く、"深探見知"まで。冗談はやめろ」

「はははっ。"深探見知"、やるな。でもその冗談はナシだぜ。休む前に脅かそうとするなよ。あとな、200は盛り過ぎだ」

 

 『巨盾万壁』と『人間最強』は寝る前の冗談だと決めつける。それに『深探見知』は真剣にすぐ反論した。

 

「ちょっとリーダー、本当なんだってっ! これ、嘘じゃないっ。大変だよ! あと数分で来るよ」

「……200って? 本当かよ……」

「…………全員、戦闘準備だ」

「「了解っ」」

 

 3人は立ち上がると、手際よく再装備し、馬車の反対側の森側に移った。

 しばしじっと待つと、『深探見知』が呟く。

 

「来た……」

 

 3人とも闇視(ダーク・ヴィジョン)で森の方も凝視する。

 すると、森からそれは出て来た。小柄に見える1体のモンスターがそこに立っている。

 

「うっ」

「……」

「うそっ」

 

 姿は髪を振り乱し、口から長い舌が伸びる吸血鬼の姿であった。

 化け物とは200メートル近い距離があったが、その強さは全員へビリビリと伝わってきた。

 『巨盾万壁』は一歩前で最強の盾を構えて防御態勢に入る。

 いつもなら、前へ打って出る『人間最強』は動けなかった。

 『深探見知』が一番キツイ状況となる。強さがダイレクトに確認出来る。目の前にいるモノは信じられないが『隊長』と同様に――測定上限を軽く超えていた。

 さらに気の所為かもと思いつつ、『隊長』をも上回っている感覚がしている。

 

 それは、すなわち完全に次元の違う強さだ。

 

 シャルティアはそこに立ち、二つの強烈な思考の板挟みになっていた。

 一つは、武技使いに逃げられてしまった事への怒りで暴れたい。そして、目の前の漆黒聖典は目的が分かるまで見逃せという指令に。

 

「コイツラはァァァ、アルベドから聞いている、行先について行動監視されている連中ゥゥゥゥ。クソォォォォ」

 

 怒りは治まらないが、手を出すことはアインズ様からの命令に背く行為に他ならない。今は絶対に手を出せない。例え暴走していてもその認識だけはハッキリと出来た。

 シャルティアは、やむを得ず静かにその場を立ち去るしかなかった。

 

 漆黒聖典の3人は、その場へ片膝を付いたり、座り込む。

 

「なんなんだ今のは……冗談じゃねぇ」

「……間違いなく難度200を超えてたの……」

「……法国のこんな近くにあれ程の怪物が居るとは」

 

 衝撃を受け、30分程、彼らはその場から動けなかった――。

 

 シャルティアは盗賊団の根城内へと戻る。

 その時には、真祖の姿からいつもの美少女の姿に戻っていた。そして吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)のシモベ達に根城内で集めさせた死体を〈転移門(ゲート)〉を開いて地上から第一階層の霊廟に運び込ませる。

 また、残党を調べた際、盗賊団に囚われていた10名程の女達が奥へ残されてる事に、シモベ達が気付いた。

 死体の運び込みが終わると、シモベ達は次の仕事としてシャルティアへ確認してきた。

 

「あの女達をどうしましょうか?」

「ああ? そんなこと知るかよっ! 我が君に献上する武技使いに我々を見られた上で逃げられ、漆黒聖典にまで姿を見られてしまったんだぞ、それどころじゃないっ!」

 

 結局、ブレインには見事に逃げられ、行方は分からなかった。

 彼には普段の姿を見られているためかなりの失態である。

 幸いナザリックとアインズの名前は出していない為、どちらも関連を確定させるものが無い事が救いだ。傷はまだ浅いはず。

 腹いせに女達をぶっ殺すかと一瞬思ったが、余計である事かもしれず、これ以上の失態は増やせない。

 

「うーん、なんとか―――そ、そうだわっ。我が君に、その女達を救出して頂ければ、名声を高める手助けになるのではっ!」

 

 死体回収だけでは、言われたことをただ熟したに過ぎない、使えないダメな子になってしまう。そう考えたシャルティアは、アインズへと、〈伝言(メッセージ)〉を繋いだ。

 

「ア、アインズ様っ」

『ん、シャルティアか、どうした?』

「実は……盗賊団のアジトで、囚われている10名程の女達を見つけました。これをアインズ様が救出すれば名声が上がるのではと。こちらの顔はまだ見られておりません。盗賊団員はすでにナザリックへ運び込んで、他に誰も居ない状態です。根城は我が君のいらっしゃる場所から、北東方向にある山岳の北の端にあります」

『……なるほど、良い考えだ。まず……私がそちらに向かう。途中から道案内を頼む。お前達は一度そこから撤収し、後でこちらに散乱している死体も可能な限りそっと回収しておいてくれ。ではな』

「はい」

 

 二つの失態については当然報告するが、この会話では時間の無駄になると考え差し控えていた。シャルティア達は一旦、ナザリックの第一階層の霊廟へと帰還した。

 

 

 

 盗賊団の団長を一閃したモモンの下へ、マーベロが空から降りて来た。

 

「マーベロ、丁度いいところへ来てくれたな。シャルティアから連絡があって、これから盗賊団の根城へ捕虜になっているという女性達を救出しに行ってくるよ。盗賊団掃討に加えて、ついでという形で名声が上がることだろう。マーベロは、俺から道を聞いてるとして、俺を探知しながら皆を連れて少し遅れてついて来てほしいんだ。俺はこの団長から、囚われている女性達の事と根城までの場所を聞いたことにするから」

「わ、分かりました」

 

 直ちに、マーベロは皆のところに時間が掛かるように、ローブを翻しながらたたたと乙女走りで可愛く駆けていった。

 モモンは、グレートソードを背に納めると走り始める。その素早い速度により、10分程で山岳の傍に近付いて来た。

 

「我が君」

「シャルティアか」

 

 彼女は〈飛行(フライ)〉で傍を飛んでいるようだが、不可視化を掛けているようだ。

 

「もう少し右側寄りでお進みくださいまし。……あの……」

「ん?」

 

 シャルティアは盗賊団の根城へアインズを案内しつつ、胸に(つか)えながらも先程の二つの失態をすべて報告した。やはりアインズの兜の内側に光る目が一瞬細まったように見えたが、彼の言葉は「そうか」とだけであった。

 シャルティアは叱責されないのを不思議に思い、根城の入口まで到着した時に姿を見せ尋ねる。

 

「我が君、なぜ私をお叱りにならないのでありんすか?」

「確かに失態ではある。だが、その後、最善策を取ろうとしたな。それからプラスになることはないかと考えてくれている。致命的か、反省が見られない様なら叱責が必要だが、今回は必要あるまい。信用が無い盗賊など放っておいても構わなかったのだがな。何を言おうと誰も真に受けないだろう?」

「あ、ぁぁぁぁ」

 

 シャルティアは、自らの愚かさにその場で頭を抱える。

 

「それより、漆黒聖典に見られた事の方が後を引きそうだが……まあ、問題が起これば皆で考えよう。我々は一人では無いのだからな」

 

 アインズは、随分落ち込んでいるシャルティアの頭を優しく撫でてやった。

 

「我が君……」

 

 こんな失態をした自分への、髪へ頭へ触れる慰めのナデナデを受け、シャルティアは喜びに震える。頬が染まり瞳が潤む。触ってもらえていることが嬉しいのだ。もっと体へも触って欲しい。

 先日の霊廟でのお姫様だっこが記憶に新しい。女として、愛しい人に抱き締められたい想いが湧くが、それは――この失態を挽回した時だと考え始めていた。

 スレイン法国最高戦力の漆黒聖典の3人だろうと、シャルティアの敵ではない。彼女は連中と戦いになった時は、漆黒聖典全員を相手に一人で勝利する姿を我が君へお見せしようと密かに決意する。

 モモンは、シャルティアへ「では、向こう側の死体回収を頼んだぞ」と告げ、単身で盗賊団の根城に足を踏み入れる。

 シャルティアが殆ど吸い上げたため、血の跡はほぼ残っていない。これならば、死体が無くても皆へ『脅すと残党はどこかへ散り散りに逃げた』と言い訳すれば辻褄は合うだろう。

 奥の一角へ進むと、女達が牢獄らしき太い木の柵が施された部屋へ押し込まれていた。モモンは「俺はエ・ランテルの冒険者でモモンと言います、皆さんを助けに来ました。盗賊団はもういないので安心してください」とグレートソードで錠前を叩き切り解放する。

 捕えられていた女達に少し話を聞くと、冒険者に商人、旅人、村娘と色々な所から連れて来られていたようだ。

 1時間ほど経つ頃、マーベロに連れられペテル達がやって来た。その後、解放された女性達は同じ女性のブリタに任せる。

 しかし盗賊団にも襲われ、救助も行い、もはやモンスター狩りどころではなくなった。

 モモン達は交代で番をしながら仮眠を取り、朝を迎えると根城に残されていた馬車を使って、女性達をエ・ランテルへ移送した。根城に有った、金貨約650枚と宝石、アイテム類も積んで。

 昼前に到着した北西の門では、襲われた経緯他も含めて事情聴取などで色々大変な事になった。結局解放されたのは夕方である。

 そのあと、冒険者組合へ向かい、狩ったモンスターを鑑定してもらい賞金を得た。合計で金貨6枚銀貨6枚。モモンは人数割りになるかと思ったのだが、ペテル達やブリタからモモンとマーベロは其々二人分ずつ受け取って欲しいと、モモンとマーベロで九分の四の金貨2枚銀貨16枚を渡され受け取る。

 その後は酒場で打ち上げになった。話題は色々と尽きない。

 まず、持ち帰った金貨や宝石等については役所へ全て提出したが、功労金としてのちに10分の1の配分があると聞いてルクルットとブリタは興奮が隠せない。おそらく金貨で100枚近い額になるだろう。

 しかし、ここで冷静にダインが釘を刺す。

 

「これは、全部モモンさんが指示していた事である」

「うっ」

「そ、それはそうだけどぉ……」

 

 確かに手伝いはしたが、ダインとしては分け前を考えるというのは図々しい考えに思えたのだ。

 だが、モモンも移送を十分手伝ってもらっているし、ブリタは女性達をケアしてくれていた事もあり考えていたところである。

 

「皆さんには移送時に手伝ってもらってますので、こうしましょうか。功労金があった場合、3割をお渡ししますので、そちらで均等割りにしてもらえれば」

 

 3割でも金貨30枚ほどになり、各自6枚の配分。大金である。

 

「えっ、ほ、本当に!? そんなに多くていいのっ?」

 

 ブリタは、ダインの話は尤もだと思い、金貨を1枚も貰えれば十分だと思っていたのだ。

 だが、ここで漆黒の剣のリーダであるペテルが発言した。

 

「モモンさん、有り難い話ですが、功労金は全額モモンさんの方で受け取ってください。気を悪くしないでもらいたいのですが、私達には少し荷が重いので」

「……そうですね。ペテルの言う通りかも。功労金を貰うという事は、盗賊団討伐について周りから、モモンさんのチームとある程度比肩するという目で見られるわけですよ?」

 

 ニニャの言葉に、ブリタとルクルットは冒険者社会の現実を思い出す。

 栄光だけでなく妬みや、威嚇などもされることになるのだ。

 

「そ、それは……無理かも……」

「うぁ、そりゃ、確かに受け取れないなぁ……」

 

 モモンやマーベロの『コレが強者だ』という戦いを見てしまっている者達は、それで納得した。

 

「なるほど。ではせめて――ここの支払いは俺が全額持つということでどうですか?」

「それなら、ありがたく」

 

 ペテルの言葉に、皆が続いた。

 

「モモン氏は、本当に太っ腹であるっ」

「じゃあ、遠慮なく」

「おおぅ、飲むぞ、食うぞぉ!」

「お腹一杯に食べるわよっ」

 

 テーブルに運ばれてくる山ほどの食事を、ダインとルクルットを主力に次々と平らげていった。

 それからは暫く狩りでの話や、モモン達の活躍を振り返って盛り上がる。

 次に『漆黒の剣』はペテルとダインのチームが元で始まった話も出てきた。そこからルクルットとニニャの加入話まで進む。それが終わる頃には皆のお腹も十分膨れてきていた。一段落着くと、今後の話が始まっていた。

 『漆黒の剣』らは、地道に(ゴールド)級冒険者を目指すと言う。モモン達も上を目指すと言うと、ペテルからは今回の件で、(ゴールド)級に上がるんじゃないかと告げられる。

 モモンとしては、次は(アイアン)級かと地道な昇級を想定していた。しかし、どうやら冒険者でも飛び級があるらしい。

 

「各階級へは、何か明確に基準があるのかな?」

「それは冒険者組合が判断しているようですよ。働きに応じた階級制を提言していますから」

「へぇ」

 

 最高位のアダマンタイト級冒険者には何をすればなれるのか。モモンは飲み物を口に運びつつ、ちょっとそんなことを考えていた。

 すると、ルクルットが不意にマーベロへ質問する。

 

「マーベロさんって、やっぱり――モモンさんと結婚するつもりなの?」

 

 モモンと何故か――ニニャが飲みかけていたスープをブッと噴いていた。

 

「……そ、そのつもりですが……モモンさんが良ければ……(いつでも)」

 

 食事中なので、フードを下ろしているマーベロは、真っ赤になり俯きつつも、そうしっかり言い切っていた。最後の語尾だけは、誰にも聞こえない声になっていたが。

 

(そうなんだ……)

 

 モモンは口元を冷静に拭きつつ、マーベロの想いを噛みしめる。

 だがモモンにずっと噛みしめている暇は無い。当然、マーベロの想いになんと答えるのかと、周囲の視線が向いているのだ。

 ニニャは自分でも気付かないうちに、真剣さのある視線を送っていた。姉を助け出す為に……と思いつつ、それだけでもない想いが膨らみつつあったから。

 そういった想いを他所に、モモンは周囲の雰囲気に押し出されるようではあったが、それなりの答えを口から吐き出していた。

 

「マーベロ、俺達の目指すアダマンタイト級冒険者への道はまだ遥か遠い。その気持ちは早いと思うよ」

「は、はい、モモンさん」

 

 アダマンタイト級冒険者には並大抵では成れない。それは誰もが知っている事である。なぜなら王国全土でたった2組しかいないのだ。才能が有ろうとも、他の全てを一時は忘れるぐらいでなければと。

 なにやら二人の関係を、周りは見たような気にさせられる言葉のやり取りであった。

 

「そうかー、みんな確かに色々目的があるよな」

「で、あるなっ!」

「……そ、そうですよね」

「我々、“漆黒の(つるぎ)”も負けていられないな」

 

 どうやらルクルットやペテル達が、納得してくれる答えだったようだ。モモンは内心でほっとする。

 ふと、ブリタだけがしょげていた。

 

「私は、どうするかなぁ」

 

 モモン達にしろ、漆黒の剣にしろ、きちんとした目標が有りそれへ向かって行こうとしている。自分も二十歳が近付き、頭の片隅には適齢期が後半に移りかけている結婚もある。しかし、冒険者の生活が嫌いでは無い。多くの新しい事に出会えるから。王都の近くにも行ったり、トブの大森林にも行ったりした。出来れば伴侶も冒険者がいいなと思っていた。一方で最近、死と隣り合う生活の怖さも突きつけられている。いっそ旦那は商人や鍛冶屋とかでもいいのかもしれないと。

 正直、自分の道に迷い始めていた。

 

「それって、冒険者を続けるかって事?」

 

 ルクルットがストレートに聞いてきた。生死を共にし、結構本音で皆が話し合えるようになっている。

 

「色々込みね。とりあえず、一人じゃ仕事も熟せないもの」

「そ、そりゃそうだよな……」

 

 だが、『漆黒の剣』もこれまで追加加入させずに4人でこれまで頑張ってきたこともあり、加えてルクルットはリーダーでもなく、じゃあ入れよとは言える立場でも権限もない。

 一方、モモンチームへ入るには余りにレベルが高すぎ、どう考えてもお荷物にしかならない為、誘われようとも断るのが冒険者の常識である。

 ここでモモンは提案してみた。

 

「急に決める事もないと思うけど、例えば、試しに村で暮らしてみるとかどうかな? 実はカルネ村というところが、住民を募集してるみたいなんだよ。そこには戦士は少ないから役に立てるだろうし、農業を教わることも出来ると思うよ。あと7日後ぐらいに、その村まで護衛の仕事があるんだけど。一緒に行くなら連れていけるけど」

「バレアレ氏の、引っ越しの件であるな」

「そう、それ」

「……村かぁ。どうしようかな」

「当日でもいいよ。それまで考えてみたら?」

「分かった。ありがと、モモンさん。ふふ、やっぱり違うわねー」

 

 ブリタも女の子である。なんやかんやで、強い男には一目置いている。だが、これまで見てきた強い冒険者達はやはり、曲者というか色欲が絡んでいて、クリーンに思える雰囲気が少ないのだ。良くてグレーである。少し近付くと、夜に声を掛けられるのだ。

 自分の身体にそれ程価値があるとは思っていないが、出来れば好きになってからという思いがあり、誰の部屋へも踏み込んではいない。

 このモモンという人は、例外中の例外かもしれない。これまで見た強い男達と、強さの次元がまず違う。述べる言葉も正論。気前もいい。気遣いや面倒見もいい……。

 

(あれっ……彼、なんか凄く良くない?)

 

 ブリタも――何かに気が付き始めた。

 

 打ち上げが終わり、また再会をと店の前で言葉を交わし、皆がそれぞれの宿へと散ってゆく。

 すでに城門は閉まっている時間であり、モモン達も普通に宿を取った。そして二人は翌朝エ・ランテルを後にする。

 

 

 

 

 

 アインズは馬車の窓の外を眺めながら、何か長い間考え事をしていた気がした。

 気が付くと彼の右手は、横に座るソリュシャンにいつの間か腕を組む形から、頬を染める彼女の大きい胸元で大事に抱き締められていた。手の甲にとても柔らかい感触が広がるように感じられて、ふと我に返る。

 

「ソリュシャンよ、何をしている?」

「アインズ様の大事な御手をお守りしております」

 

 更に目を左に振ると美しいナーベラルまでもがソリュシャンと同様に白い肌を耳まで真っ赤にしつつ、アインズの左手をその大きな胸元で大事に抱き締めていた。

 

「ナーベラル?」

「ア、アインズ様、一命に替えてお守りいたします」

 

 意味が分からない。とりあえず、視線を前へ向けたときに、シズとルベドがハンカチを噛みしめている姿と、すでに破れ散ったものが足元に――積もっていた。

 先程から席を入れ替わり立ち代わりしている感じの気がしたが、どうも『悔しがらせ大会』をしていた模様である。

 暇なんだなとアインズは諦めた……。

 窓の風景の先に、夕暮れを迎え真っ赤に染まり始めた空を背景に、小都市エ・リットルの影の外観が浮かび上がるように大きく見えてきていた。最外周に城壁が囲む城塞都市である。

 そうして間もなく城壁が迫り立派な鋼鉄製の城門へとたどり着く。

 そこには数名の守衛がいたが、余りに豪華すぎる馬車の登場を驚き、大貴族かと怯える風に近付いて来た。領主の機嫌を損ねれば即刻死罪も有り得る日常。衛兵一人の存在など貴族から見れば、蟻に等しいのだ。

 御者席に座る、眼鏡娘でメイド服美女のユリ・アルファへ丁寧な声が掛けられた。

 

「あ、あの失礼ながら、どちらから、どちらへ?」

「私達の主様が王城へ招待されて参るところです」

 

 招待状の収められている王家封蝋印の付いた、いかにも上等の飾り筒を見せる。書状自体を確認しようとしたが、優雅な召使いと『王城』の言葉を聞き、守衛が慌てる様に告げた。

 

「わ、分かりました。どうぞ早くお通り下さい」

 

 粗相があっては身の危険である。目の前を通り過ぎて貰う事が一番とでもいう雰囲気で急かせるように見送られた。

 すでに日が地平線に近付き、街中の大通り沿いは階層の高い石造りの建物が多いため、幅広い石畳の道だがすでに日影が濃く薄暗い。徐々に道を照らすランプに明かりが灯されていく。

 豪奢である馬車は周囲を歩く人々の目を釘付けにしつつ、高級宿舎を目指した。それは街の南大通り沿いにあると『遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)』とナーベラル達により詳細な調べが付いていた。広い部屋で1泊金貨1枚である。

 そこを目指し進んでいると、脇道から急に人が飛び出して来た。

 金髪の女性のようである。白いブラウスに青緑のスカート姿。彼女は馬車に驚き、方向転換するも数歩駆けた所で転倒する。

 属性が善のユリは、慌てて八足馬(スレイプニール)達に制動を掛けた。

 すると脇道から更に数人の男達が、女を追うように慌てて飛び出して来る。その中の黒服の男が大きく怒鳴り声を上げた。

 

 

 

「――おい、ツアレっ! おめえ、どこに行くつもりだっ!」

 

 

 

 『色々』はまだ続いている様である……。

 

 

 




捏造)
Web版第十一席次の二つ名は “深探見知" シンタンケンチ 『深く探りまるで見たように知る』な感じで。
本作では第七席次(眼鏡な女子高生風)を“深探見知"としておきます。


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STAGE20. 支配者王都へ行く/ツアレ劇場ト密約(4)

 王都に隣接することから、繁栄し活気のある小都市エ・リットル。

 その東地区の外周城壁近くに歓楽街が存在する。密集した建物群の中の一つに、リ・エスティーゼ王国の裏社会を席巻する『八本指』系列の娼婦の館があった。店は、この街の系列内でも上級層の客を相手にしている。

 そこで一年程働かされている金髪の綺麗な一人の娘がいた。通り名は――ツアレ。

 彼女は片田舎の村に住んでいた12歳の時、両親をモンスターに襲われ喪い、妹共々孤児となった。母方の妹である叔母の所へ預けられるも、13歳の時に叔母夫婦から税の免除を持ちかけられた役人の目に止まり、差し出される形で初老の領主貴族の妾にされてしまう。

 彼女は、ずっと耐えていた。気掛かりであったのが村に残した妹の事。まだ幼かったイリーニャは、今どうしているだろうかと。領主の所では妹について、決して口には出さなかった。それは妹まで連れて来られると思ったからだ。そうして、じっと逃げる機会を待っていた。

 しかし、領主の館では何代も前から用意されている隔離棟の部屋で、四重に扉や門が有り脱出は無理であった……。

 それから6年が過ぎた頃。領主の下を訪れた『八本指』の副幹部級の者の目に止まり、飽きてきていた面と、近年の戦争に因る出費の穴埋めがてら彼女は売り払われ、このエ・リットルの娼婦の館へと連れて来られたのだ。

 金髪で白い肌に綺麗で整った顔をしているため、ツアレは高い金額の娼婦として、街を訪れた大商人や貴族の相手をさせられることになる。

 だが、そんな娼婦の館に見張りは居るものの、領主の館ほど警備は厳しくなかった。特に移動の際は、外に出て馬車に乗り込む場合が多くあったのだ。

 更にこちらへ来た当初は、従順にしていたため付き添いも普通の従業員が行う事が多かった。

 だから、隙を見て一度逃げ出し――それで失敗していた。

 準備が足りなかったのが悔やまれる。地理を良く知らず、逃げた先が袋小路で捕まってしまったのだ。

 当然それ以来、彼女の見張りは厳重になっていた。そして店の幹部の(いか)つい顔で大柄の黒服の男にこう釘を刺されていた。

 

「ツアレ、おめーは大事な商品であるし、一度は許してやる。だが次は、死が楽に思える王都の地獄へ送られることになるのを忘れるな。この店は普通の店じゃないんだからな」

「………はぃ」

 

 しかし彼女は従順である振りをして、また機会をじっと窺っていたのだ。

 そして10ヶ月超が過ぎてその機会が、上火月(かみひつき 七月)上旬の今日、偶然訪れた。

 これまで、馬車で連れ出される度に、窓から偶に見えた景色等で逃走路の知識を蓄積していった。そのため、この街の道は特に店の周辺について以前よりも把握出来ている。

 お金も貴族や商人からこっそり貰った分があり、金貨数枚を靴の中底裏等へ縫い付けて音がしないようし身に付けている。

 いつでも外へ逃げられるようにと――。

 今日も高級宿泊所から朝に馬車で店へ帰りつくと、黒服の男より「今夜も貴族様の所からお呼びだ。夕方まで休んでおけ」と伝えられる。「はい」といつも通り従順ながら無感情にツアレは答えを返した。

 そして夕方を迎える。その時間に店の警備が、偶々(たまたま)4人も休憩や都合により少なかったのだ。4カ月前に1度有ったのみ。これにより死角がずいぶん増えていた。

 さらに、廊下でツアレに付き添って馬車まで連れていこうとした警備の男が、奥から黒服に呼ばれたのだ。警備の男は一瞬迷うも、黒服の男が厳しいため直ぐにそちらへ向かおうとし、ツアレへ「ここで待ってろ」と告げ、最近従順である彼女が「はい」と返事をすると信用し、奥の黒服の方へ廊下を駆けて行った。

 ツアレの周りには誰もいなくなる。

 この1年でこの店の構造も警備の位置も詳しくなり、ツアレは死角の多い作業出入り口から――満を持して逃げ出した。

 10分、20分経っても誰も追ってこない。息が切れ、駆ける速度を落とし噴水と木々のある小さい広場の脇に設置されていたベンチへ座る。このあと貴族の相手だった為、服装も白いブラウスに青緑のスカートを履き、特に周囲から見られても違和感はない。

 夕暮れが進み、夜の(とばり)が降り始めて闇にも紛れられる可能性も高まる。多少危険だが、彼女の今の状況から考えると圧倒的にプラスである。

 

「……やったわ」

 

 普段はずっと素面でいる彼女が、数年振りに笑顔を浮かべそうになる。

 しかし――。

 

「おいっ!、こっちかっ?!」

「へい、間違いありませんっ」

 

(…………えっ!?)

 

 近くで、聞き覚えの有る黒服と警備や従業員の微かな怒鳴り声が耳に流れてきて、ツアレは固まる。

 八本指系列の店には変わった生まれながらの異能(タレント)を持っている者も集めていた。それは、近場の希少鉱物を感知出来る者や、勘の鋭い者達だ。

 彼女の左手首へガッチリはめられた細い腕輪には、目立たないように希少鉱物が埋め込まれている。ツアレはそれを知らなかった……。

 ツアレは駆け出していた。必死である。厳つい黒服の男は甘い男ではない。店の商品の女に遊びで手を出した従業員を、半殺しにするところも目撃している。その従業員の場合も、1度目だったので殺されずに済んだらしい。

 黒服の男は元冒険者だと他の警備の男から聞いていた。

 

(捕まったら、終わってしまう。イリーニャのところへ何としても辿り付かないと)

 

 ベンチから声の聞こえた方向に並ぶ木々へ隠れる様に、反対側の石畳が敷かれた裏通りの歩道を駆け抜けて行く。しかし、彼女は日々館暮らしで走るための筋肉は、先程からの疾走ですでに悲鳴を上げ始めている。

 あと、どれほど走れるかは分からないが、こうなれば南南東の城門を目指すしかないと蓄えた知識を頼りに道を進んで行った。

 だが、五分ほど経ったころその逃走劇の『終わり』を告げるように声が後ろから聞こえた。

 

「いましたぜっ、こっちです!」

(――見つかってしまったの?!)

 

 思わず彼女が振り向くと、通りの横道から現れた位置に立ち止まる館所属の警備の男が、後続へ手招きしながらツアレを見て叫んでいた。

 ツアレは、直ぐに脇にあった下り気味の小道へと飛び込む。

 少し傾斜で下っているため、加速しながら進んでいく。もう膝がカクカクし始めていたが構わず進んだ。この先がどこに出るかも知らない道だが、もはや前に一歩でも遠くへ逃げるしかない状況に至っており、一心に駆けるのみ。

 日没が迫り、すでに建物脇に並ぶランプに灯が入っているのか、前方に捉えた小道の終わりで僅かにその明かりが見えているのを目指した。この時彼女は減速し切れず、勢い余る形で脇から通りへ飛び出していく。

 そこは大通りであった。おそらく南南東の城門から伸びてくる道であろう。

 ここで彼女は慌てる。左手から四頭立ての馬車が足早に迫って来ていたのだ。危険を避ける為、思わず体は馬車へ背を向け、門に逆走する向きへ転換し駆け出す。

 しかしツアレは、疲労からもう膝へ力が入り切らずに、間もなく石畳に足先を躓かせバランスを崩し、バタバタと数歩足を出したところで転倒した。

 馬車との距離は20メートルほどしかなかったが、咄嗟に制動が掛けられツアレを避ける形で、道の中央からやや左寄りに馬車は止まる。

 丁度、御者台の右手の路上にツアレが倒れていた。

 

「飛び出しは危険ですよっ!」

 

 御者台からまず大きめの声で注意の声が掛かる。だが続いて直ぐ、御者から善良者的な倒れた人物を心配そうに気遣う声が続いた。

 

「……大丈夫ですか?」

「は、はい……」

 

 起き上がりつつ振り向いたツアレは、眼前の馬車の豪華さと御者席へ座る眼鏡美人のメイド女性に目を丸くする。

 メイド姿の御者は、王都へ向かう至高の御方一行の馬車を操るユリ・アルファであった。

 

 急に掛けられた馬車の制動でアインズ達も異変に気付く。しかし馬車の室内には振動や急激な挙動への緩和魔法も掛かっており、たとえ衝突により急停止があっても酷い前のめりや椅子から落ちるといったことにはならない。

 アインズらは、扉と反対の側面側の窓から僅か横前方に、倒れたのか起き上がろうとする女性に気が付いた。どうやら足を捻って痛めたらしく立ち上がり切れずしゃがみ込む。

 

「ん? 事故か」

 

 アインズがそう口にした時、道の脇から数名の男達が飛び出して来た。数は五名。そして、周囲を見回し何か探す素振りをすると、すぐに道へしゃがみ込む女性に男達の視線が止まる。

 

「おい、ツアレっ! おめえ、どこに行くつもりだっ!」

 

 それは厳しい口調の怒声。

 その声を聞いた彼女は苦痛の顔を見せたが無理を押して、足を引きずりながらでも動こうとする。

 状況からツアレなる女性はこの男達に、追われているようだとユリもアインズらも推測した。

 一方男達も、目の前に停車していた馬車の異様さに気付き固まる。

 馬を良く見ると、四頭とも八足馬(スレイプニール)であり、車側も漆黒で艶の有る磨き上げられた大型車。普通の貴族が乗っている物とは豪華さが違った。それは一部の大商人や大貴族の水準。いや王族が乗っていても納得のいく代物であった。

 曲がりなりにも普段から上位客を相手にしている者達は、立場を弁えている。

 

「すいません、うちの使用人がご迷惑をお掛けしたみたいで」

 

 大柄で黒服の男は厳つい顔に笑顔を浮かべて、豪奢で気品ある馬車の御者へと詫びを入れた。

 

「その方は、怪我をしているようですが?」

 

 御者から声を掛けられるも、黒服の男は詫びを言い終えた瞬間から、御者席に座るメイド服姿の女性の美しさに目を見開いていた。それはその傍の男達も同様に。

 この街の系列の娼婦でもツアレは、三本の指に入る程の綺麗さであるが、更に二段以上高い水準の女に見えた。質の高い配下を揃えているのも名家の常識でもある。

 黒服の男は、この馬車の主人が只者では無いと直感で感じ取り丁寧に対応する。

 

「あの、こちらが全面的に悪いと思いますので、お気遣いなく」

 

 そう言って黒服の男がまず、ツアレを捕まえようと近付く。

 すると、黒服の行動を見たツアレが、馬車の方を向くと叫んでいた。

 

「助けてくださいっ! 捕まったら私は、殺されてしまいますっ!」

 

 彼女も当初、この馬車が貴族の馬車ではないかと考えた。もし貴族なら死んでも助けなど求めない――彼女はそれほど貴族達を恨んでいた。

 それは、貴族が弱い立場の領民を、特に女を食い物にする最低の存在だと考えていたからだ。意志の強い彼女は、そんなものに縋ってまで助かろうとは思っていない。貴族は美しい女を囲う。鳥籠に押し込んで逃げないよう弄び楽しむ為に。これまで相手をしてきたすべての貴族が、寝物語に自慢していたから間違いない事だ。

 つまり、貴族であればこれほど美人の御者は有り得ないのだ。ヤツラの館から出される訳がないのである。だからこの馬車の主は、貴族(けだもの)とは別の存在ではないかと思考が辿り付き、縋ろうと決心し声を上げていた。

 

「ツアレ、お前は口を開くな」

 

 上位者を前に黒服の男は、声のトーンを下げる形だがツアレを険しく睨む。

 それでもツアレは黙らない。

 

「助けてくださいっ! どうか、お願いしますっ」

 

 ツアレは他に頼る当てもなく、最後の願いに必死の表情を御者席へ向けてきた。

 だが、ユリは少し困った表情をする。個人的には助けたいが、細かい事情を何も知らない上、完全に部外者である。それに、主様は「何か価値やメリットがあるのか?」とこう言われるだろうと予測出来ていた。

 しかし目の前のツアレは、それらをすべて超越する単語を発したのである。

 

「連れて行かれれば殺されます。そうなればもう――『妹』に会えないっ!」

 

 女に妹がいると言えば、それはつまり姉妹だという事。

 次の瞬間に、早速異変が起こる。

 この時、アインズの隣に再び寄り添い座っていた、仲良し姉妹大好き天使――勿論ルベドが宣う。

 

「姉妹は揃っていて仲良しが一番……違うか、アインズ様?」

「しかしな、当然何かメリッ……うっ」

 

 アインズは、視線と共にゆっくり彼女の方を向いたところで言い淀む。ルベドは、神へ祈るが如き仕草で支配者に向けて胸の前で手を組み、上目遣いで『同志』として見詰めてきていた。

 ここで否定の意の発言をした場合、どうなるのか予想したくもない。ナザリック内の平和維持かどうかの天秤の片方にルベドが乗ると、選択の余地は殆どなくなってしまう現実。ナーベラル達までもが、ルベドから目を逸らして沈黙していた。

 アインズの紅く光る目が僅かに天井を仰ぐ。

 

(どうみても厄介事を背負った女性なんだけど……)

 

 だが、相手がこの街の一組織……いやこの国だとしても、身内でもある最強のルベドと対するよりはマシだろうなと。

 支配者は――ナザリックの平和を選択するしかなかった。

 

「……そうだな」

 

 その言葉を聞いたルベドは、アインズの肩へ親愛を込めて可愛く頬をスリスリすると〈転移(テレポーテーション)〉していった。

 平和は守られたのだ……それで良しとしよう。

 アインズは徐に座席から腰を上げる。

 

 ツアレの傍に、ソレは静かに佇む。近付く男達へ立ち塞がる形で。

 

「おあぁ?!」

「な、なんだっ……」

 

 突然目の前へ現れた少女に、黒服の男達は驚愕と警戒から数歩下がる。

 ルベドは一応、翼や頭上の光の輪を不可視化してそこに立っていた。見た目は、紺の艶やかである髪に純白の鎧と神聖味溢れる衣装の小柄で清楚な乙女。

 恐らくこの馬車に乗っている者だろうと男達は予想する。彼らは、御者の女性だけでなく、この少女のその美しさにも驚かざるを得なかった。しばし見惚れていたほどだ。

 だが、嘗て冒険者であった黒服の男だけは、目の前の少女がほぼランプだけとなった周辺の明かりの薄暗い状況を利用の上、〈屈折(リフレクター)〉で視界を誤魔化して現れたと判断し、気を逸らさず平静を保っていた。第三位階魔法の〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉も考えられるが、魔力の消費が非常に大きく専門性の高い系統でそれを使える者は殆どいない。〈転移(テレポーテーション)〉は高位すぎる為、彼の思考から除外されていた。

 また、この黒服の男ゴドウは旧ミスリル級冒険者で、現役の時から相手の強さを読んで戦うタイプでは無かったのが幸いした。ルベドの正面向かいに、立つという事の恐ろしさを味わわなくて済んでいるのだ。

 黒服の男ゴドウは、警戒しつつも依然丁寧に対応する。

 

「……あの、お嬢さん。そこを退いて頂けないですかね」

「我が主が、この者を保護する。お前達は去れ」

「な……」

 

 小柄である少女が平然と見下すように告げてきた言葉の内容に、強面をした大柄で黒服の男は少し動揺する。店の重要商品を取り上げようと言うのである。だが、偶に客の貴族らも女を気に入りゴネてくる場合があり、その点は結構慣れていた。なにせ、彼らの店は『八本指』系列である。そしてこの都市の領主のリットン伯爵家へも金貨を上納しているため、最終的に六大貴族の名を借りての威圧が掛けられるのだ。

 いままで立派な馬車を見て下手に出ていたが、そろそろ黒服の男は遠回りに釘を刺しておくべきだろうと考える。

 

「申し訳ないが、それは流石に再考して頂かないと。我々も大貴族の方々の助力を頂いている店なんで『従業員』を連れ去られると上の方々に迷惑が掛かってしまうので。それに当店と揉めると、そちらの主様も色々とお困りになると思いますがね?」

 

 過去に子爵家ですら数回手を引かせた経験があり、黒服の男は余裕を持って告げた。

 次の答えを少女に期待していたが、それは馬車の左手奥から現れた男の重々しい声により回答される。

 

「色々問題があるようですね(まあ、ルベドに比べれば特に大したことはないんだけど)。話を少し聞かせて貰いましょうか?」

 

 黒服の男は、ここで初めて相手へ警戒する顔を見せた。現れたのが巨躯で、全身を上質に見える漆黒のローブと魔法的な装備で身を固める仮面を付けた男であったからだ。その男は、ゆっくりとツアレと小柄の美少女の傍まで近づいて来る。

 ツアレは、現れた貫録の有る巨躯で仮面の男を、しゃがみ込んだ状態から振り返る格好で見上げた。あれほどの美しい女性達を、閉じ込めておかずに従わせている男の事が気になったのだ。声を聞くとまだ若く、重々しさに威厳を感じていた。

 アインズも横目でちらりと、見上げてくる女性を見る。まだ娘と言える若さだ。

 

(ん、ニニャ?!)

 

 改めて二度見して顔を向ける形で、アインズは娘を再確認する。髪の色は違うが、冒険者チーム漆黒の(つるぎ)の二ニャに目鼻立ちがよく似ていたのだ。

 

(ニニャは、貴族に連れ去られた姉を探していると言っていたが……まさかな。流石に出来過ぎだろう)

 

 そんな事を考えていると会話の間が僅かに開いたため、黒服の男の方が領主の影響力や八本指系列の自信を背景に堂々と名乗ってきた。

 

「某は、歓楽街のお店"(いざな)いの泉"の警備統括を任されているゴドウと言います。そこの娘ツアレの件については、場合によっては我々に味方して頂いている大貴族様を巻き込んだ荒事にもなりますので、何卒ここは馬車で通り過ぎて頂きますように」

 

 そう言われ、とりあえずニニャの話は置いておき、アインズも目の前の黒服の男に語り掛ける。

 

「殺されると聞いては、尋常では無い話です。話し合いや金銭的なもので解決出来る問題ではないのですか? 私は魔法詠唱者(マジック・キャスター)のアインズ・ウール・ゴウンと言います」

「金銭……えっ?」

 

 黒服の男は、話し合いは兎も角、初めから金銭取引を提案され驚く。

 ツアレは貴族から身受けした金額に加え、儲けを考えれば金貨300枚は稼いでもらわなければならない。つまり、金貨300枚なら取引に応じるということである。ところが、普通の貴族達は地位を嵩に懸かり、全てをタダで奪っていこうとした。彼らは、最近の経済状況から金貨を出し惜しむのだ。だからツアレは今も館に残っていた。ただ彼女が来て1年程が過ぎ、すでに身受けした金額の回収は終わっている。儲けはまだ途中というところだが、つまり――もう居なくなっても損はしないのだ。

 だが、黒服の男は、金銭取引よりもその後の名前に聞き覚えがあり固まる。

 

「アインズ・ウール……ゴウン……」

 

 それは、この都市の領主であり店への関わりもある六大貴族のリットン伯の名で、都市内及び周辺の全宿屋及び飲食店へ通達されている事項であった。

 

『アインズ・ウール・ゴウンを名乗る、大柄で漆黒のローブを纏い仮面を被った魔法詠唱者へ関する目撃情報について、最寄りの役所まで届けるように。これは、嘘の情報や怠れば懲罰も有り得る領主の厳命である。また、かの人物へ無礼があった場合にも懲罰は適用される。遭遇した場合には丁重に対応するように。なお、最も有益である情報を提供した店には、金貨30枚が与えられるであろう』

 

 身形の酷い者が、悪戯や苦し紛れに名乗る場合があるかもしれないが、これほど豪華な馬車に乗る人物がニセの名を騙るとは思えない。更に名前を含め、目の前に立つ男の特徴が通達事項の全てに当てはまり、黒服の男の額には薄らと汗が浮き上がる。

 

(い、いや、まだ無礼と言う状態ではないはず。だがマズイ……)

 

「いかがされたかな? ゴドウ殿」

 

 今度はアインズの方が、一点を見詰めて口が半開きで固まっている黒服の男に問いかけた。

 

「あ、いえ……」

 

 黒服のゴドウは名乗った上、すでに店の名前まで告げており、荒事には出来なくなってしまっていた。『八本指』系列の店とは言え、自分が店の最高責任者ですらない上に、都市の領主による御触れの懲罰へ店を勝手に巻き込むことは出来ない。とはいえ、ツアレをそのまま引き渡すというのも、店の沽券に関わるし自分の責任問題にもなりかねない。

 黒服の男は、ここで何か妙案がないかと思いを巡らせる。すると、通達事項の一つの言葉に気が付いた。『丁重に』という言葉である。領主が気を使う相手ならば、領主にとってツアレはこのゴウンという男との何か取引材料になるのではと考え付いた。そうして漸く口を開く。

 

「実はツアレは、この後、貴族の家への仕事が有りまして。それを放棄して逃げ出したので追い駆けていたところなんですよ。そもそもツアレには多額の借金も有りまして、当方も難儀している状況です。なので、その娘を一方的に取り上げられては、明日からどうしてよいのか」

 

 黒服の男に色々と不利な事項を告げられて、ツアレは下を向いた。

 仕事から逃げ出すという信用失墜となる行為に加え、王国全体が近年続く軍費の浪費で不景気なのだ。見ず知らずの自分へ何百枚もの金貨を出すはずもないと。

 だが、アインズにすれば、娘の借金や逃げた事など『どうでもいい』事象に過ぎない。なぜなら、そんな一般的な事は、すぐ横に居るルベドには全く通じないからだ。ナザリック内の平和の為には、ただ『助けるしか』ないのである。

 アインズは、一応娘に尋ねる。

 

「そうなのか、ツアレさん」

「わ、私は……親族に裏切られ貴族へ渡され、そこから売られてこの都市へ連れて来られました。でも、自分で作った借金では有りません。奴らが、貴族が……」

 

 ツアレは、本当に悔しい気持ちの表情で言葉を紡いでいた。

 この娘は、酷い目に遭ってきたのだろう。しかし今のアインズには、人間としての気持ちは希薄だ。特に初対面の者に対しては、目の前で死ぬような状況に遭っていてもナザリックに関係がなければ、虫同士の戦いを見るように平然と見送るだけである。この娘に対して一点だけ引っかかっているのは、ニニャの姉かも知れないという点だけ。それも少し愛着の出て来た小動物の姉という感覚に過ぎない。

 

「大体わかりました。それで、ゴドウ殿。この娘を自由にする条件はなんです? 単純に金貨を用意すればいいのですか?」

 

 アインズは早々と結論を要求した。

 

「……(えっ?!)」

 

 それを聞きツアレは、絶句したまま驚いた。見ず知らずの自分に巨額の手を差し伸べて来る……いや、常識的に考えれば無償など有り得ない。直前に自分の顔と姿をしばらく見ていたのを思い出す。

 

(この人物も、やはり私の身体を……)

 

 しかし、先程自分の前に立ち塞がってくれた美少女の様子に、この人物を嫌ったり憎む様子は全く感じられない。今も、逆に美少女は自ら寄り添って彼のローブの端をそっと掴んでいた……。

 

(これは……初めて出会う、優しいご主人様?)

 

 ――そう思うとツアレの身体は少し熱くなった。

 

 アインズの言葉に対して黒服の男は告げる。

 

「その結論は、残念ながら某からはお伝え出来かねます。ツアレには今夜仕事があると申しましたが、その方は当店にも影響のある方でして、是非会って直接確認して頂ければと思います。その方の名は――」

 

 黒服の男は、嘘を混ぜていた。ツアレの今夜の本当の相手は男爵であった。それを偽ってアインズへ告げる。その後、傍に居た警備の者達に耳打ちすると店へと全員返した。その男爵へ別の女を送るためだ。

 ゴドウだけが残り、アインズ達を案内する形でその会わせたい相手の居る場所へと向かう。

 大声を上げたり、それなりの時間馬車を止めていたが、大通りにも拘らず周囲は終始、貴族とのいざこざに巻き込まれたくないと誰一人、野次馬すらいない状況であった。

 それほど貴族達は、庶民から恐れられ敬遠されている存在なのだ。

 

 

 

 

「おおぉ…………」

 

 それなりに豪奢っぽい造りのお城風の館の主――リットン伯が、調度品で飾られた広間内で、前へ並ぶ探していたアインズ一行達を見詰め感嘆の声を上げる。

 

 面会までに色々とあった。

 黒服のゴドウは、案内役として御者席のユリの横に座らせてもらい、ツアレは馬車の中へと乗ることになった。その際、酷く痛めた足を気遣われ、アインズより下級治療薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)を貰い体力ごと全回復させる。

 一度アインズが馬車から降りた事で、シズやソリュシャンも車外へ出て直立で控えていた。その彼女達を見たツアレは、馬車へ乗り込むアインズが御者や美少女の他に、まだ二人も絶世と言える綺麗な女性を従わせている事に驚く他ない。この時、ナーベラルだけが不可視化して、車内前方の片隅に残っていた。

 ツアレは乗り込んだこの馬車の内装にも驚く。こんなに立派な馬車は子爵家でも見たことが無い。ただ、ツアレは最高級の娼婦というわけではないため、伯爵以上の相手をしたことが無くそれらの水準の馬車と比較しての判断出来ないのだが。

 彼女は、アインズの向かい側に座ることになり少し緊張する。彼の左横には美しい金髪巻き毛で裾が短めのメイド服の美女、そして右横に小柄で桃色の髪をしたメイド服の少女。ツアレの右隣には、あの紺の髪の美少女が座ってきた。

 そうして、四頭の八足馬の引くアインズ一行の馬車は再び動き始める。

 大通りの街並みをそのまま進み、都市中央部を目指した。一際大きな館の門の前まで来ると止まり、黒服のゴドウは御者席から降りて緊張気味に門の守衛へ取り次ぎを頼む。ゴドウは今まで数回、都市の領主と顔を合わせているが、居住するこの館側を訪れるのは初めてで内心かなり緊張していた。

 相手は六大貴族の一角。『八本指』系列の娼婦の館でも、機嫌を損ねるとかなり面倒な事になるからだ。

 待つこと数分。幅の広い鉄柵の門は開かれ、馬車は手入れのされた庭園風の敷地内の道を進む。まもなく玄関に付くとユリと不可視化のナーベラルを残し一行は下車し、館へと入って行く。

 アインズ達とツアレは一室で待たされた。その時間は15分程。

 黒服のゴドウは、伯爵へ事情を説明すると言いつつ使用人と共に入室当初に部屋を離れる。そして、彼は別室で秘密裏に謁見を申し出て、リットン伯爵へ媚びる様に一案を持ちかけていた。

 

「伯爵さま、ご無沙汰しております。"(いざな)いの泉"の警備統括のゴドウであります」

「おお、覚えておるぞ。今日は良くあの者達を連れて来てくれたな。お前の行動に満足している。金貨30枚はお前達の店に送らせよう」

「ありがとうございます。更に一点良いお知らせがあります」

 

 リットン伯は普段、店の下々の者とは直接余り言葉を交わさないのだが、今日は非常に機嫌が良く聞く事にする。

 

「なんだ?」

「はい、実はあの魔法詠唱者が、当店のツアレという女の身を是が非でも欲している様子で、その証拠に金銭を払ってでも身受けしたいと言っておりまして。その権利は、お世話になっている伯爵様に有ると告げております。この点をもし何か使えましたらと――」

「なんとっ! 良い事を教えてくれるものよ。して、如何ほどだ、その女は?」

「は、はぁ……金貨300枚にございます」

「わかった。うまく行けば、それは私が払おうではないか。それに、店について今後益々目を掛けてやる。……いいか、この件はここだけの話だぞ」

「ありがとうございますっ。勿論、心得ております」

 

 反国王派陣営に引き入れる為の手段は多い方が良い。強い魔法詠唱者と言えども所詮、当てのない放浪者に過ぎず、金と女に弱かろうと伯爵は考えていた。

 

「ふはははははっ、世の中はやはり悪知恵と金よのぉ」

 

 天井を見上げながら下品に高笑う少し白目気味になっているリットン伯と、伯爵からの覚えも良くなる上、褒美の金貨30枚に加え金貨300枚が回収出来そうで黒服のゴドウも、厳つい顔の口許をニンマリさせていた。

 

 

 

「(――という事をヤツラは話していましたが。何か企んでいる様ですね)……」

「……(ご苦労、ソリュシャン。……世の中はまず、情報戦だよな)」

 

 職業レベルでマスターアサシンを持つ、彼女の盗聴力は侮れない。王国戦士長からの手紙を、事前に読んでいた事もあり貴族達へ油断はしていなかったのだ。悪巧みの情報は、アインズ側へ完全に筒抜けていた……。ツアレへ聞かれないように、アインズから〈伝言(メッセージ)〉を繋いでいたが解除する。

 待たされている部屋の中、椅子へ座るアインズの傍でルベド、シズ、ソリュシャンは静かに直立し待機していた。

 ツアレも助け掛けられている身であり、座らないかと聞かれたが「大丈夫です」と、立場を弁えて少し離れた壁脇に立っている。

 彼女は、アインズをチラっチラっと見ていた。身受けされ、新しい御主人様になるかも知れない人物であるためだ。初めて優しいのではという……期待のような思いもある。

 彼は、周りを飛びきりの美少女達に囲まれるも、馬車の中からここまで下卑た感じやイヤラシイ雰囲気は皆無。彼女達の気遣う様子から絶対的主という事は見て取れる。でも、それは強制と違い純粋に彼を慕っている様にも見えていた。

 そんな初対面の人物が、なぜ自分へここまでしてくれるのか理由を尋ねてみたい。

 だが今、ツアレとしては妹に会う事が最大の目的である。それを許す人物なのかはまだ分からない。でも、もしそれを許してくれて、手助けまでしてもらえたなら――それは人生の中で最大の恩人となるだろう。その時には……それを考えると頬が少し染まり掛けた。

 あと、不思議なのがあの紺の髪の美少女である。馬車の中で、ツアレに対して妹とは仲が良いかや、一緒に居たいかや、似ているのかや、直ぐに会うのか等、何故か妹との関係ばかり聞いて来た。

 もちろんツアレは、妹が可愛く仲が良かった事、可能なら一緒に暮らしたい事、顔はよく似ていた事、以前居た村に行ってみる旨を伝えると、少女はニッコニコしながら「断然応援する!」と言ってくれていた。

 少しすると、黒服の男が召使いと共に部屋へ帰って来る。

 

「伯爵さまがゴウン様の話をお聞きするとの事です。さあ参りましょう」

 

 黒服の男の表情は、心なしか口許が緩んでいる様に見えた。

 だが、アインズはその意味さえも知っての上で、重々しい声で答える。

 

「分かりました、では会わせて頂きましょう」

 

 そうしてアインズ一行は、ナザリック的に少々品の無い調度品で飾られた劇場の半分程の広さがある広間へ通される。間もなく伯爵が、後ろに二人の屈強そうな衛士を従えて扉から入って来た。

 アインズ達は振り返る。中背の痩せ型で目が細く狐の如き雰囲気のリットン伯は「おおぉ……」と声を漏らした。

 それは、アインズにではなく――その横に並んでいたルベドら美少女達にだ。その嘗め回す形のイヤラシイ視線は、ツアレにも向けられ彼女は一瞬ビクリとする。

 漸くリットン伯は、アインズへ目を向けた。

 

「……貴殿が、魔法詠唱者(マジック・キャスター)のアインズ・ウール・ゴウン殿か」

「はい。本日は、この娘をこちらへ渡して貰いたく、話し合いに来ました」

「そうか。私がこの都市、エ・リットルの領主、伯爵のリットンだ。良く訪ねて来てくれた、歓迎するぞ」

 

 伯爵はアインズと握手を交わす。本来、ガントレット越しは無礼なのだが、アインズは敢えて気にしない。絶対的支配者の彼は気が付いていないが、彼自身が考えている程、低い水準の営業マンでは無い。彼は恩を受けたり誠意ある人達には親近感を覚え、気を遣い手を差し伸べる性格であった。一方、逆の軽薄で酷い者に対して、反抗心からわざと気遣いが自然と疎かになるのだ。リアルではそれが結構災いして、気が利かないと低い扱いに立たされていたが。

 それに今はアインズ・ウール・ゴウンを名乗り、ナザリックを率いている立場でもある。一瞬の迷いはあったが、せめて自分を慕うNPC達のいるこの世界では相手が誰であろうとペコペコせず、堂々と有るべきだと思った。

 伯爵も目的が有り、他国から来た旅の者の行動について細かい事は無視した。リットン伯は、機嫌よく話す。

 

「丁度、こちらも話があってな。いやなに、貴殿には良い話であるぞ。皆、そちらの机の席に掛け給え、ゆっくり話そう」

 

 広間の一角に、金銀をふんだんに細工へ用いた白く大きい長方形の机と椅子が並んでいた。奥の一人席に伯爵が座る。その右側の近い席にアインズは座り、ルベド、シズ、ソリュシャン、ツアレ、その向かいに黒服のゴドウが座った。

 全員が席に着くと、伯爵がアインズへ話し始める。

 

「まず先日、王城にて王国戦士長の報告から、辺境での貴殿らの活躍を聞いている。スレイン法国の六色聖典の精鋭40名程を、貴殿とそちらの者達だけで撃退したとな」

「そうですか」

 

 アインズは淡々と言葉を返したが、一番驚いていたのは向かいに座る黒服のゴドウだ。完全に青くなっていた。元冒険者の彼は、スレイン法国の秘密部隊の強さを知っていた。

 

(馬鹿な……)

 

 数年前、冒険者チームへ居た頃、必殺を確信していたのか法国勢を名乗ってきた第3位階魔法の使い手で揃えられた10名程の部隊に遭遇したことが有り、チームは全滅。大怪我を負って川へ落ち、死んだふりをして急流を流れて生き延びた過去がある。それで冒険者を辞め、名も変えてここに居た。

 その真の精鋭を40人以上も相手に……それをたった4人で撃退したとは信じられない話であった。常識的に戦力差を考えると無理な話ではと思ってしまう。それが可能だとすればアダマンタイト級冒険者チームぐらいだろう。

 しかし、報告者はあの王国戦士長のガゼフ・ストロノーフと言う。

 真実なら荒事など以ての外といえる話だ。ゴドウは自重していて良かったと、内心で胸をなで下ろしていた。

 そんな黒服を横に、伯爵の話は進む。

 

「実はな……私はかねてより、王国に於ける貴族達の地位向上を考えておってな、同じ六大貴族のボウロロープ侯を中心とする貴族の同志達が集まり、色々と力を合わせようとしている。その一環として有事に備え、強く力のある戦力を欲しているのだ」

 

 この時点でアインズは、何故ここへ呼ばれたのかある程度予想が付いた。王国には、内部に大きな貴族派閥間の争いの気配があるという事を知る。

 王国への忠誠心の塊で義にも厚くみえる、あの立派な王国戦士長はこちら側ではないだろうとも。

 

「そこでどうだろう。貴殿は我々へ協力してくれないだろうか。もちろん、多くの特別の見返りを用意している。まずは旅などせずとも済む永住出来る立派な屋敷、次に財貨として金貨1200枚。あと、そちらの美少女達には劣るが、十分楽しめる若い女の使用人達も用意しよう。もちろん――そこのお気に入りの女も差し上げよう。この他にも多くの貴族達と関係を持つことが出来る。少し貢献すれば我々の推薦と力をもって、領地すらある准男爵ぐらいにはすぐに成れよう。どうかな、悪い話ではないと思うが?」

 

 黒服の男とツアレは、旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)に提示された破格の待遇と金額に目を見開く。

 恐らく総額は金貨で2000枚を優に超えると思われる。ちょっとした男爵家の年収である。庶民の年収は金貨10枚程度しかなく、圧倒的といえるものであった。勿論断れば、この場に居るツアレも渡さないということでもある。

 だが依頼の内容も相当な事柄だ。容易には判断出来ないだろうと思われた。

 しかし、である。

 

「いいでしょう。お受けしますよ、その条件で」

 

 アインズは、即答でリットン伯の申し出を受けていた――。

 

 

 

 

 

 ツアレは、八足馬(スレイプニール)が牽引する馬車の中で前に座る、身受け同然に引き渡され新しいご主人様となったアインズを――見損なっていた。

 納得いかないという、少し暗めの表情でぼんやり、チラりチラりとご主人様を上目遣いに見ている。

 

(確かに条件の規模も凄かったけど……館や金品に目が眩み、貴族達に手を貸すなんて……優しいご主人様だと思っていたのに……)

 

 彼女は少し期待していたのだ。優しいご主人様がこの世界にも居て、一度ぐらい自分がその方に出会えてもいいのではと。どのみち誰かの子供を産む事になるなら、そういった人物の子がよいなと……。

 アインズは、非常に喜んだリットン伯が館へ泊まるよう勧めてきたのを「いや、早々にお暇します。この関係は内密にした方が良いでしょう。逆に相手側へ近い位置にいた方が、色々都合がいいのでは?」と国王派への潜入を匂わせる。すると、リットン伯は美少女らの早い出立にかなり無念さのある表情をしつつも「さ、さすがはゴウン殿」と納得し、黒服のゴドウを遣いに連絡し合うことを決めると、アインズ一行は領主の館を夜陰へ紛れて後にしていた。

 アインズとしては会話の間中も、獣のような目でルベド達を見ていたリットン伯が夜中に返り討ちに遭うと考え、問題を起こさないうちに出て来たのだ。今は、南の大通りを再び南下し、滞在予定の高級宿泊所を目指している。そうして間もなく、馬車は宿泊所の敷地へと入っていく。

 すでに時刻は晩の8時を過ぎていた。

 アインズが馬車から降りると、少し元気の無いツアレへ声を掛ける。

 

「ツアレさん、疲れたのか?」

「い、いえ。あの、ツアレとお呼び捨てください。その……ご主人様」

「えっ……、ご、ご主人様?」

 

 アインズにはツアレについて深い考えはなく、ルベド対策であり、今は自由の身にしたと考えていた。NPC達からであれば主人なので納得出来るのだが、人間にそう言われたのは初めてで、その呼ばれ方に少し困惑する。

 

「私の今まで背負ってきた膨大にあった借金を払って頂いた形ですから、恩をお返しするためにご主人様へお仕えさせて頂くべきかと……」

 

 そう告げるツアレの声は、やはり少し元気がない。

 アインズは、よく考えるとツアレを身一つで引き取った形で、今はまず暮らす場所もない事に気付く。

 

(いきなり放り出されるんじゃないかと、今後が不安なのかもしれないなぁ)

 

 自由にして良いと言うのは簡単だが、これまでの彼女の生活を考えれば慣れるには時間が必要と思われた。それに、ルベドがスッキリ納得するには、妹を探し出せて一緒に過ごせる状態になるまで掛かるだろう。それまでは近くで働いてもらう方が、グダグダせず丸く収まるように思えた。

 

「そう……だな、ではツアレ、宜しく頼む。あと、私の事はアインズと呼ぶがいい」

「は、はい、アインズ様」

「ユリ、ちょっと来てくれ」

 

 餅は餅屋である。慣れている者に任すべきだろう。

 

「はい、アインズ様、何でしょうか?」

「このツアレに、メイドとして出来る仕事をさせて欲しい」

 

 ユリとしては、面倒な仕事が増えることになるが、善良で優秀な彼女は全てを理解しにこやかに命を受ける。

 

「畏まりました」

「宜しくお願いします、ユリ様」

 

 ツアレがユリへ頭を下げると、早速ユリは馬車にある軽い荷物の運搬を指示する。

 そしてユリは、ソリュシャンと共にチェックインの手続きに向かった。ここはソリュシャン・イプシロンの名で予約していたからだ。

 残されたツアレが馬車の方へ荷物を取りに行こうとしたときに、アインズが一言告げた。

 

「ツアレ、後で聞きたいことがある。一段落したら私のとこまで来てくれ」

「は、はい」

 

 彼女の返事を聞いたアインズは、シズを伴ってそのまま建物の方へと離れていった。ナーベラルも不可視化のまま、アインズに付いていく。ちなみにルベドは、ユリとソリュシャンの仲の良い姉妹の後を口許を緩ませながら付けていった……。

 主へと振り返っていたツアレは、そのまま少し固まっていた。

 

(これは普通の……お話なのかしら……)

 

 これまでの娼婦の仕事での経験から、一瞬夜のお誘い的なお話かと思うも、馬車の中で見せたご主人様の姿にイヤラシイ雰囲気はない。

 その姿を見たり、自分をあの肉欲の館から解放してくれた事を考えると、貴族へ密かに協力するという下劣と思える行為を選択した人物なのだが、まだ心の片隅でこの新しい主を信じたいという気持ちがあった。

 ツアレは、馬車から運べる荷物を手にすると建物の方へと向かった。

 アインズ達は、間もなく部屋へと落ち着くと、少し遅い形だけの食事を取る。ツアレが増えたので、一泊銀貨4枚の部屋を追加した。そこへはルベドと共に泊まってもらう事にする。

 一段落したところで、別室にてルベドと食事を終えたツアレ達が、アインズらの部屋へとやって来た。

 ここは50平米ほどあるリビングに、寝室が二つある広い部屋である。バルコニーも有り、調度品も金細工の物が使用されていた。一泊金貨1枚の部屋だ。

 

「あの、アインズ様、ツアレです」

「ああ、入れ。こちらだ」

 

 ソファーに座るアインズは呼び掛けると、ツアレは恐縮するように入って来て主人の傍らに立った。だが、やはり淫らな用ではなかったことで、ツアレのアインズへの信頼度は高まる。

 

「お前に聞いておきたいことがあったのだ」

 

 主が改まって聞く事とは何だろうと、ツアレは少し緊張して答える。

 

「は、はい、何でしょうか?」

「ツアレ、お前の――妹の名は何と言うんだ?」

 

 アインズは、ツアレのニニャによく似た目鼻立ちは、果たして偶然なのかに対する答えを求めた。

 

「妹の名前は……イリーニャです」

「イリーニャ……やはり、違うか……」

 

 アインズは内心目を細めつつ、思わず本音が漏れた。

 

「え?」

「あ、いや、そうか。それで、居場所の当ては有るのか?」

「はい。まず妹と最後に暮らした村があります。あとは生まれ育った村です」

「なるほど。どの辺りだ?」

「この都市の南から細い街道や田舎道を南西へ70キロ以上行ったところに、その二つの村はあります」

「ふむ。では、王都から戻る時に用が無ければ馬車で寄ってみようか」

 

 その言葉に、ツアレは目を見開いて驚く。たかだか使用人一人の為に、あれほどの最高級馬車で態々村まで向かってくれると言うのだ。

 アインズとしては、正直ナザリックの平和のために、ルベドの件はなるべく早めに片付けておきたいだけである。

 

「し、しかし、もう妹はそこにいないかも知れません。無駄足になるかも」

「そうかも知れん。だが、行かねばそれは分かるまい」

「は、はい……」

 

 ツアレは――嬉しかった。彼女は微笑んでいた。何年ぶりだろう、自然の笑みが顔に漏れたのは。少し瞳も潤んで来てしまう。

 そして確信する。このご主人様は、やはり優しい方なのだと。そうなれば誠意を持って恩を返さなければならない。

 しかし、そうするとやはりおかしい。なぜ、ああいった下劣である貴族に手をお貸しになるのだろうかと。意志が強い彼女は我慢出来なくなった。

 

「あの、アインズ様、お聞きしたいことが有ります」

「なにかな?」

「なぜ、お優しいアインズ様が、冷酷な貴族達に力をお貸しになるのでしょうか? あの者達には、一言でいえば『欲』しかありません。弱者を虐げ、弱みを握り貪り食うのですっ。あんな――」

「――ツアレ、そこまでにしなさいっ」

 

 ユリがツアレの発言を切る。ユリは、ツアレが絶対的支配者様について勘違いしている事に気が付いた。ヘタな事を言うとここには、人間を弱者で貪り食うモノとしか見ていない属性が邪悪なソリュシャンがいる。パクリと食べられてしまうかもしれない。また、人間を弱者で嬲り殺す虫としか見ていない属性が邪悪なナーベラルも、部屋の端に不可視化で立って凄い目で見ていたりする。いきなり〈連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)〉を放ってくるかもしれないのだ。

 だがここで、アインズはツアレの問いに答え始める。

 

「ツアレよ、私は優しくないぞ。なぜなら意味や価値がない事はしない様にしている。つまり、お前を助けたのには、ちゃんと意味があるのだ。意味が無ければ――あの場でお前を見捨てていた。私に付いては、運が良かったと思った方が良い。だが、安心しろ。お前は今、私の庇護下だ」

 

 ユリは、その言葉を聞きほっとする。もうナザリックの者はツアレへ手が出せなくなった。支配者様は自分が優しくないと言ったが、ユリだけでなくナザリックの者達全員が十分優しい事を知っている。何と言っても最後の時まで、ナザリック全てを大事にし見捨てなかった主様なのだから。そして今も、冷酷に思える印象の発言の中にも『庇護下』と宣言し守ってあげている。

 ユリは、そんなさり気なく皆を気遣うアインズの事を密かに敬愛していた。

 そんな主の、ツアレへの言葉は続いていた。

 

「あと、これだけは答えておこう。安心しろ、私は先程の者達へむやみに力を貸す訳では無い。向こうがわざわざ嘘まで()いて趣向を凝らし、こちらを利用しようと言うのだ。お前達もあの狐のような男から醜い視線で嬲られる目に遭ったのだ。ただ断ってはやられ損で芸があるまい?」

 

 そしてユリは知っている。我らが至高の御方は、誠意が無い敵には本当に容赦がないことを。

 

「ふふっ――ならば、こちらも盛大に奴らの骨まで食らうほど利用しようではないか」

 

 ツアレは、大いに微笑んでいた。先ほどの非では無い。歓喜に近い。

 自分でも良く分からない程無意識にだ。

 それは多分、永い間、深く憎み恨み続けてきた怨敵である貴族達に、自分のご主人様が反撃の業火を見舞ってくれると言ってくれたことがとても嬉しかったのだろう。

 並みの者では、貴族達に手を上げる勇気も力もない為、到底叶わぬことなのだ。

 彼女は、最高のご主人様に出会えた気がし、すでに報われた思いであった――。

 

 

 

 翌日、アインズ達一行は無事に王都へと到着する。

 

 

 




捏造)
イリーニャ。ニニャの本名としてそれっぽく。

補足)
本作ではツアレとアインズが出会ったのは7月初旬となってます。原作の中火月(なかひつき 八月)二十六日でツアレがボロボロで捨てられる日より一月半程以上早い状況。


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STAGE21. 支配者王都へ行く/残サレタ者ト出会ウモノ(5)

 ナザリック地下大墳墓の第九階層に、絶対的支配者の執務室が一昨日完成した。

 アインズは昨日だが、その出来栄えを「ううむ、凄い出来だ」と満足し、すでに確認済である。ショートカット中の王都への道程最後で実際に一泊しておく為、ナザリックから〈転移門(ゲート)〉にて馬車で出発する前の事だ。

 この部屋を作るに当たっては、突貫ながら密かにナザリックの配下の者達から支配者への感謝が込められており、すべて新造された装飾部分は多くの者達により手が掛けられ、その細部に至るまで全く手抜きの無い最高の仕上がりを見せていた。

 その豪華に設えられた部屋を、デミウルゴスが訪れる。

 本来、主のいない部屋を訪れる理由がないはずなのだが、彼は――アルベドを探していた。

 

「やはりここにいましたか。困りますアルベド、仕事をしていただかなくては」

「アインズ様が、少しお座りになって、試しに横になられたのはこの位置よね、デミウルゴス?」

 

 聞いちゃいねぇ、正にそんな返事であった。

 

 アルベドは、執務室の奥にペストーニャへ追加で命じ作らせた寝室の、中央へ置かれたキングサイズの倍程も広さのあるベッドに潜り込んで、シーツに頬をスリスリしていた……。もちろん、自室へもう10個を数えるアインズ様抱き枕はすぐ横に標準配置。

 彼女の身体は今、一切衣装を付けていない。服は淑女らしく綺麗で丁寧に畳まれ、脇の机に並べられている。

 因みにこの防音、対振動までが完璧に施されている寝室と併設の浴室は、どちらも当初、アインズには要らないだろうと言われていたものだ。しかし、後継者必要論を述べているデミウルゴス、コキュートスをはじめ、女性陣のシャルティア、アウラ、マーレらも熱い期待を込めて黙認している。

 さて、現在アルベドは、デミウルゴスの大まかな基本設計の終わった新しい城塞都市について、統括がすべき細部調整を引き継いでおり、悪魔っ子である新NPCのヘカテー・オルゴットが手伝っている。デミウルゴス自身は、すでにトブの大森林や周辺への戦略面についての草案造りに入っていた。その中で、ヘカテーからアルベドが見当たらないと知らせを受けたのだ。

 新人であるヘカテーには、普段完璧超人であるアルベドが、まさか裸でこんなところに居るとは想定外で見つけられなかったようである。

 

「しっかりしてください。コキュートスなら、御部屋ニテ不敬ガ過ギルゾと言われてしまいますよ」

「……そう……ね。でも……(愛しい方のご不在が多くて寂しい……)ううん、分かったわ」

 

 そう言いながら、彼女は胸を布団で隠しつつ起き上がる。不敬と感じられては不本意である。アルベドは、男を誘うサキュバスであるが、愛するアインズ以外の男にはその美しい身体を見せたり捧げるつもりはない。

 本来、こういった姿もナザリックの身内以外の者なら命は無いところである。

 

「アルベド。我々は、まだここへ来て間もないですし、アインズ様も色々と考えておられるのです。でも、そのうちに時間は出来ますよ」

「そうよね。アインズ様だって、きっと本当は愛しい私と一杯一緒に居たいはずよねっ」

 

 アルベドが、戦略会議の折に興奮しすぎて至高の御方を押し倒すという無礼を働いてしまい、強制休養扱いになったにもかかわらず、アインズが第五階層の『氷結牢獄』まで見舞いに来てくれたことを忘れてはいない。ナデナデや膝枕を思い出すだけで頬が染まり歓喜が漏れそうになる。

 

「さあ、ヘカテ―が探していましたから、統括らしくお願いしますね」

 

 そう言って、デミウルゴスは優しい言葉で慰め終わると執務室を後にした。

 デミウルゴスとしては仲間であり、普段優秀である統括のアルベドが居てこそ自分が存分に動けるという事を知っている。二人はナザリックの両輪なのであるから。そして一番大きいのが、支配者が統率力の高いアルベドをとても信頼している事である。これまでも、主が外へ出る場合、ナザリックの管理はほぼアルベドに一任されていた。

 彼女には、統括としてしっかりしていてもらわなくては皆が困るのだ。

 アインズへ絶対的忠誠を捧げているデミウルゴスには、アインズが不在の今、これも配下として当然の気配りだとの思いがあった。

 

 

 

 密かに悶々としている乙女は他にもいた。まず、カルネ村の娘エンリである。

 アインズが王城へ向けて村を出発し、早や4日が過ぎていた。

 エンリも敬愛する旦那(アインズ)様が色々忙しい事は分かっているつもりだ。また、自分も今は村を守る対策などで、死の騎士(デス・ナイト)のルイス君や小鬼(ゴブリン)軍団への指揮に忙しい。

 

「エンリの姐さん、こんな感じでいいですかい?」

「うん、そうね、あとこっちもお願い」

「へい、分かりやした」

 

 今も、村を囲う防御起点となる門の設置について細かい所を指示していた。

 リーダーのジュゲムを始め皆機転が利き、良く働いてくれる彼らへ当初心配していた衣食住は何とかなりそうである。80数人程の小さい村に19名も一気に増えたのだ。住まいは、エンリ指揮の下で周辺の家を参考に彼ら自身で立派なものを建て、食事も森へ入って得た獲物を村にも差し入れ他の畑を手伝う事で、村の皆から少しずつ提供してもらえるようになっていた。これは、小鬼(ゴブリン)達がアインズの指示によりアイテムから登場した軍団という経緯もあり、村人達が非常に協力的なためだ。

 小鬼(ゴブリン)達は見返りついでの感じにエンリの指示で、矢や剣の使い方などを村人達へ教えている。これには村唯一の野伏(レンジャー)のラッチモンも加わってくれていた。彼は村が襲撃された時に、森へ狩りに出ていて命拾いをしている。だが、多くの村の仲間を失った事で、彼もこのままではいけないとエンリに賛同してくれたのだ。

 あとエモット家には、アインズ作成の新NPCのハーフ猫又(ネコマタ)であるキョウが、ソリュシャンらの代わりに滞在中。村への柵や塀の強化策について、彼女はエンリと色々仲良く相談し死の騎士(デス・ナイト)2体を使って森から材料となる木の運搬を手伝う形で準備を進めている。またキョウ自身も偶にこっそり、死の騎士らが運ぶより太い直径で2メートル、長さ50メートル程もある大木を一人で悠々と背負ってきたりしている。

 そういった感じで皆と忙しい昼間は、エンリも割と普通に振る舞えていた。

 しかし夜になると、小鬼(ゴブリン)達は主人であるエンリの家に遅くまで居座るのは失礼だと、建てた家へと去って行き、居間には姉妹二人きり。キョウはいるのだが、二階のルベドと同部屋ということで、夜はそちらや屋根で蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)達を指揮し村の安全を見守っていた。偶にキョウへは夜中、戦闘メイド六連星(プレアデス)のルプスレギナが、アルベドからカルネ村の様子を見てくるようにと言われて訪れる。

 

「どんな感じっすか? 森からモンスターがドバァッと襲って来て、村全滅とかないっすかねぇ」

 

 黒いシスターメイドさんは、決まって本気か冗談か分からない言葉を、ニコニコしながらキョウへ告げてくる。

 

「特に問題はありませんが……(ニャ)。そのために、私達が居ますから(ニャ)」

 

 そうキョウが答えると、なんとなく舌打ちするように歯を見せてルプスレギナは微笑む。属性が中立~善のカルマ値100のキョウには、笑顔での凶悪さがまだ理解出来ないようだ。

 エモット家の上階で色々あるが、エンリはいつも一階の自室で妹のネムと二人で眠っている。今夜もベッドへ仲良く並んで潜り込むと不意にネムが呟く。

 

「お姉ちゃん、アインズ様達が居ないとやっぱり寂しいね……」

 

 ネムは、何気に鋭い。ジュゲム達は賑やかで気の良い連中なのだが、配下として一歩引いたところがある。ネムはシズやソリュシャンから特に可愛がられていたために、そう感じやすくなっていた。勿論、アインズやルベドも愛着を持って抱っこしてくれるので大好きである。キョウは、良い意味でネムを子供扱いしないので対等な友達感覚だ。

 だがエンリ自身は、一点だけ妹と少し違った感覚を持っていた。

 

 それは――圧倒的さが傍に以前より感じられない事だ。

 

 ジュゲム達の方がエンリよりも強い。しかし、アインズやルベド達へ直感的に感じていた脅威の1000分の1も感じない。正直物足りないのだ。これはアインズに出会ってから感じる様になっていた。周囲にあった旦那様達の圧倒的さは、エンリの安心感へと繋がっている。

 今、彼女が不安を感じていないのは、傍にまだアインズ配下で強者のキョウが居るからだ。ジュゲムも、「キョウのお嬢は死の騎士(デス・ナイト)のアニキ達に比べても断然凄いですぜ」という。

 そういった心強い味方は居るが、エンリは普通に寂しい。偉大な恩人であり初恋でもある旦那(アインズ)様の傍に、ずっと居たいという想いが彼女の中で渦を巻いている。妹の前なので抑えているが、気持ち的にはベッドの上をゴロゴロと転げ回りたいほどの寂しさだ。旦那様にナデナデして欲しい、抱き締めて欲しいとの思いが落ち着いたこの時間になるとこみ上げてくる。

 しかし父と母が居ない今、ネムの前では弱い姿は見せられない。妹へ告げる言葉は、自分へ言い聞かせるように伝えられる。

 

「ネム、私達の主様は、明日にはあの王都へ着くのよ。戻っていらっしゃれば、色々お城でのお話を伺いましょう。きっとお姫様の事も聞けるわよ」

「お姫さまって……ラナーさまのぉ?! すごい、すごーい!」

 

 やはりお姫様は女の子の憧れである。一般の庶民では本来、そういった王族についての直接的な話は、聞く機会すらないのだ。ネムの寂しさは期待で紛れたらしい。

 

「だから、私達はそれを楽しみに頑張ろうね」

「うん、お姉ちゃんっ」

 

 ネムは、エンリへ寄り添うように目を閉じる。

 エンリは、ネムの髪を優しく撫でつつ、愛しの旦那様が早く帰っていらっしゃいますようにと願っていた。

 

 

 

 密かに悶々としている乙女は、まだいる。

 早朝のトブの大森林の中を、悠々と歩く者の姿があった。小柄な背丈で、金髪に白いジャケットとズボンを履いた姿――アウラである。

 彼女のシモベである狼のフェンリルのフェンと、巨大カメレオン風のイツァムナーのクアドラシルは、ナザリックの第六階層で留守番をしている。本来、階層守護者がナザリックを離れる場合、3体以上のシモベを連れていることがアインズの命で指示されている。例外は監視体制の整ったここカルネ村周辺と、アインズ、マーレの冒険者組である。

 

「おーい、ハムスケっ」

 

 この辺りは広範囲に渡って森の賢王であるハムスケが治めている地域だ。アウラは1キロ程の距離で森の賢王を捉えると、巨木の枝上から呼びかけていた。

 しばらくするとハムスケが巨木の根元近くへ現れる。

 

「これはアウラ様、某のもとへ態々何用でござる? カルネ村の用件でござるか?」

 

 ハムスケの治める地域にモンスターはいない。野生の動物達が生息するのみだ。そのため、豊かな生態系が維持されていた。

 最近、アインズの命によりカルネ村近辺の数平方キロについての村人の立ち入りを見過ごす様にと通達されている。狩猟に来るのはエンリ配下の小鬼(ゴブリン)軍団が数日に1回程度なのでハムスケは黙認していた。

 

「ちがうよっと」

 

 アウラは、アクロバティックに枝から飛び降りると幹の出っ張りを足場にしつつ、ハムスケの背中へと飛び乗った。

 

「固っ。これやっぱりフワフワじゃないね」

 

 初対面時でのアインズとの戦いでアウラも、ハムスケがグレートソードを優に弾く程の強度を持っているのを脇で見ていたが、見た目はとても柔らかそうなのだ。

 

「申し訳ござらぬ。殿にもそう言われたでござる」

「まあいいや、水辺へ連れていってよ」

「分かったでござる」

 

 当初、アウラはハムスケの毛皮を欲しがっていた。それは、死体から剥ぐということなのだが、ハムスケはアインズの配下になった事により所領と命が安堵されている。そのためアウラは毛皮を諦めていた。今日はついでにとその毛皮をちょっと確かめてみたが、貰わなくてよかったというのが結論である。

 ハムスケは森の中を疾走する。正直アウラ自身の方が断然速いのだが、アウラはシモベ達に乗って風を切って疾走することが結構お気に入りな事であった。圧倒的といえる運動神経を持つアウラは、ハムスケに対して背に跨ぐ形で乗りこなしている。

 

「ところで、アウラ様の御用は水辺へ行く事でござるか?」

「違うね、当ててみなよ」

 

 倒木や森林群の中を疾走しながら、ハムスケとアウラは会話する。

 

「狩猟?」

「ブブーッ」

「調査?」

「ブブーッ」

「暇つぶしでござるか?」

「ん、ちょっと近いかな」

「あっ、某に乗って走ることでござるな?」

「半分正解」

「半分……うーん、分からないでござる」

 

 間もなく二人は水辺へと着いた。アウラはハムスケの背から飛び降りる。そこはハムスケが飲用している岩場から湧く、湧き水の泉であった。木々の合間から、朝日が差し込んできていて少し幻想的といえる雰囲気になっている。

 

「へー、いいところだね」

 

 第六階層の『ジャングル』にも綺麗な泉があるけれど、ここはここで悪くない風景。

 

「某もここは気に入っておりますぞ」

 

 ハムスケも横へ並びその情景を眺めていると、アウラが静かに口を開いた。

 

「ハムスケは、アインズ様をどう思ってる?」

 

 ハムスケには少し唐突と感じる質問に思えた。彼女はモンスター寄りであり、ナザリックのNPC達程の複雑な思考は持ち合わせていない。しかし、上位の存在であるアウラに聞かれた事であり素直に答える。

 

「殿は、絶対的な強者の方でござる。そして某との約束を守り、生かし縄張りを安堵してくれ、信頼出来る主様でありますな。更に同族までも探して頂けるのでありますから、どこまでもついて行くつもりでござるよ」

 

 アウラに、ハムスケの姿は単に忠臣と見えた。それはそれで満足する。ナザリックの身内なら当然の姿なのだから。

 しかし、アウラはさらに突っ込んで聞いてみる。それは――自分の気持ちを重ねるように。

 

「アインズ様と、当分会えない事についてはどんな気持ち?」

 

 アウラとしては、妹のマーレやシャルティア、アルベドへぶつけるには少し恥ずかしい事象なのだ。アインズから「十分可愛い」と言われてから、敬愛の気持ちの炎は大きくなる一方である。この森にて二人きりで手を繋いでのデートは記憶に新しく、再度森でのデートの機会を得てナデナデも所望したいところ。でも、その為には新たに突出した成果が必要だと考える。

 しかし今、周辺国家へ戦いを挑めない。トブの大森林へも侵攻前であり動けない。冒険者のパートナーでもない。都市規模の設計ノウハウは微妙、戦略面も微妙。戦術面や戦力、建設については大きく力になれるが、まだ先の話……。

 そんな限られたこの状況下において、活躍は容易い事では無い。今の自分に何が出来るのか。

 だからアウラとしては、余計にモヤモヤが募るのだ。

 対して、ハムスケにそんな悩みは皆無。基本今日明日をどう生きるか、せいぜい半年後ぐらいまでの考えしかないという、小動物的といえる思考が大半を占めている。

 しかし、アウラに問われた事については明確な答えを示した。

 

「寂しいでござる」

 

 アウラもまさに同意見。ハムスケは言葉を続ける。

 

「これまで某、ずっと単体で過ごしてきたでござるが、殿を得た今、傍に居たいでありますぞ。一緒にもっと遊びたいでござる、可愛がってほしいでござる」

「ウンウン、そうだよねっ」

 

 ハムスケとしては、暇なので純粋に森で遊び相手をしてほしいということなのだが、アウラは笑顔を浮かべでコクコクと頷く。アインズの横に連れ添って、行動を共に出来ればそれに勝るものは無い。王都へ連れ立った連中が羨ましい。それは夜も共に出来ると云う事――。

 

「そうして――お役に立ちとうござるっ!」

 

 ハムスケとしては一転、戦いになれば主に対し非力ながらも何か力になれればと考えている。

 一方、そうだそうだとアウラは頬を真っ赤に染めつつ、アインズをアレコレ満足させる事を考えていた……。

 勘違いしつつも、そのあとアウラはハムスケと森を気持ちよく元気に疾走し、モヤモヤを解消させていた。

 

 

 

 

 

 ツアレがアインズ達の旅に加わって一番変わった点は、一行が真面目に食事を取ることになったという事だ。予定では注文はするものの、ソリュシャンに取り込んで貰い処分する事になっていたのだ。とは言え、ツアレとは別の部屋ではある。用心としての措置ではあったが、アインズとしては可愛いプレアデス達の食事風景が見れて満更でもない。

 ユリの指導の下、礼儀作法も皆一級品である。これらは社会人として社交で困る事の無いようにと、至高メンバーの年長者である大学教授の死獣天朱雀(しじゅうてんすざく)が資料だけでなくマナー一式やダンスまでも実際にギルド内へ(もたら)してくれていた事による。アインズも他のメンバーらと共に、正式なマナーについて基本的な事を教わっている。王城でのマナーは違う点があるかもしれない。しかし、「まず、落ち着いてゆっくりと周りを参考にすればいい」と彼が語った言葉を思い出し、不安は少ない。

 優雅に朝食を終えた一行は、ナザリック的に質素な八足馬(スレイプニール)の引く馬車に乗り込む。領主のリットン伯から何か連絡があったのか、来た時にはこれといった出迎えはなかったのだが、支配人と使用人たち総出で見送られエ・リットルの高級宿泊施設を後にした。

 大通りを北西に進み小都市エ・リットルの外周門を出る。そして距離にして50キロ弱を3時間半程で馬車は順調に走破し、王都リ・エスティーゼへとアインズ一行は到着する。

 王都リ・エスティーゼは周辺の人口を合わせると160万に届く、王国で最も繁栄している都市である。市街地には大商人の本店や大貴族達の別宅も揃い、北方へ広大に広がる平原は大穀倉地が隣接する特上地帯だ。

 王都へ合流する大街道は五本。一行はその南東街道からの外壁門を(くぐ)り大通りを進む。

 時刻はまだ午前10時半頃。馬車の窓から望む、快晴の午前の心地よい日射しが空を一段と青く感じさせてくれる。

 

 ツアレだけが何か場違いなところに居るような、そんな呆けた表情をしていた。昨日のこの時間はまだ籠の鳥で、奴隷と言える生活を送っていたのだから。それが次の日には、こうして大貴族達が乗る水準のとても立派な馬車で王都を訪れているという……。そう、まるで魔法でお姫様にでもなったかと錯覚する程の夢の様な状況なのだ。それは目の前にどっしりと座る、自分の新しい御主人様のおかげ。

 主様は、見ず知らずの自分を地獄から助けて出してくれた。恐らく金貨何百枚分の価値として、先の密約での対価に一部組み込まれ成立している。この不景気にも拘らずだ。

 それだけの損失を思えば普通の貴族なら取り返そうと、まず最初に彼女を弄び飽きるまでと数日間酒池肉林の状況になるはずなのだが、そういった事は全くない。また、恩返しに働きたいという意志の言葉も聞き入れてもらえ、今も清楚で上等のメイド服を着せてもらっていた。更に妹を探すため、帰途に田舎の村へこの立派な馬車で向かってくれるという。

 そして――自分の事はついでかもしれないが、あの憎い卑劣ながらも本来手の届かないはずの貴族達にも一撃を食らわせようとしてくれている。

 ここまでしてもらえる理由が実はよく分からない。だが、ツアレは感謝しつつも自然に考える。

 

(物事に理由は必ずあるもの。でもそれが、私の事を気に入って頂けたと……欲しかったのだと言われるのなら……嬉しいのですが……)

 

 ずっとついて行きたいと思い始めた気持ちは、目の前のアインズが映る彼女の瞳を潤ませ、頬を染めさせ、身体を熱くさせていく。そんな幸せな感覚が湧き上がってきていた。今の自分は十分恵まれているのだと気付く。

 窓から通り過ぎる街をよく見ると、道端にみすぼらしい姿で蹲る者達をちらほら見かける。王国は昨今の帝国との戦いに因る戦費の消費で税が嵩み、景気は右肩下がりの事態が続いていた。街中では失業者も増え、どの都市にもスラム街が幾つか広がり始めている。庶民の生活は年々厳しさを増していた。

 快晴の空に反して、暗い不景気の影が王都の街中へ濃く広がりつつあった。

 

 ついに、石畳の敷き詰められた中央通りを抜けアインズの乗る馬車が、王都北側最奥に建つ王城ロ・レンテの正面城門手前へと近付き停車する。城は堅固な城壁に十二の円筒形の巨大な塔が並ぶそれなりに格式を感じさせる造形をしている。跳ね上げ橋と、重厚に出来た鋼鉄の柵を有する大きい城門を守る立派な装備の衛兵達は、まず八足馬(スレイプニール)の牽引する高級な馬車の登場に驚き、次に御者台のユリの美しさに見惚れつつも問いかける。

 

「ほ、本日は如何なるご用向きでしょうか?」

「我が主、アインズ・ウール・ゴウン様は、この王城への招待状により遠方より罷り越しました」

 

 そう言って、立派な筒に収められた招待状を衛兵へ手渡そうとする。

 

「アインズ・ウール・ゴウン様……? では、御大臣や王国戦士長より衛兵隊長が聞いていたというあの……」

 

 実は、彼等衛兵達は近日、客人としてアインズ達が来ることを聞いていた。しかし、それは旅人だと聞く魔法詠唱者(マジック・キャスター)の一行だと連絡が降りてきており、徒歩かもしくは汚れの有る雇い馬車程度で現れると考えるのが普通である。

 一介の魔法詠唱者がこれほどの、ある意味凄まじいと言える高級馬車で乗り付けるとは想像していなかったのだ。八足馬四頭と馬車だけで、金貨で優に1000枚以上の価値があるだろうから。おまけに御者もとんでもない美人である。

 とは言え、ここは王城正門であり、守る衛兵達も大貴族にすらある程度慣れていた。一応という形で招待状の筒を受け取り、収められた招待状を確認する。

 

「こちら確認いたしました。騎馬兵がご案内いたしますのでそれに続いてください」

「分かりました。よろしくお願いします」

 

 跳ね上げ橋手前にある、衛兵の検問所には軍馬も数頭待機する詰所が脇にあり、そこから二騎の騎兵が先導する形で跳ね上げ橋上を進み始める。うち一騎は先に城内へ知らせに走っていった。

 ユリはそれに続く形で、ゆっくりと馬車を進める。

 

 

 

「そうか、ゴウン殿達が来たか」

 

 城内の王国戦士達の屯所へ、大臣に知らせた後の騎兵から伝言が入ると、普段厳しい表情が常のガゼフは微笑んだ。そうして彼は、態々アインズ達を出迎えに向かう。

 アインズの馬車は、騎兵に誘導されしばらく城内を走ると宮殿脇の小広場で停車する。王城の豪華な建物群に対して漆黒の馬車は全く引けを取っていない。

 騎兵も、どこへ止めさせるか気を遣ったほどだ。身形はいつの世も大事なのである。

 馬車の扉がツアレにより内から開かれ、アインズは馬車より降り立った。その後に、ルベド、シズ、ソリュシャンと続く。ツアレは馬車内の整理と手荷物を纏める。

 ナーベラルは相変わらず不可視化のまま車内から動かない。彼女には大役が控えているも、今ではないのだ。

 さて、とアインズが思っていると、野太い声が掛けられる。

 

「ゴウン殿、良く参られた。ルベド殿、シズ殿にソリュシャン殿も遠路ようこそ」

 

 相変わらず武骨な戦士姿の王国戦士長が、建物の入り口から現れアインズ達へ歩み寄る。一方で彼の視界には、目を見張る馬車と二人のメイド服姿の女性も目に止まる。

 

「こ、これは見事な馬車だな……」

 

 まずは仮面のアインズと顔を合わし握手を交わすも、黒塗りの良く磨かれた豪奢である馬車がやはり気になるらしい。八足馬にも興味があり、そちらを向いて外観を眺める。

 

「失礼ながら……これは、ゴウン殿の馬車なのか?」

「ええ、少し質素な感じの馬車なのですがね」

「そ、そうか、なるほど」

 

 アインズは素でそう答えたのだが、ガゼフは冗談と捉えていた。これほど最高級で上等の馬車が、新世界において質素であるはずがないのだから。

 ガゼフは、元々ゴウンが底知れない御仁という事で納得する。

 そんな考えのガゼフであったが、馬車を降りて来た綺麗なツアレに会釈をされた後、馬車の御者台にいる人物を見た瞬間に――固まった。彼は嘗て、ルベドにもシズにもソリュシャンに対しても、単に美しい女性達と思うのみであったが、御者席へ座るその優雅なメイド服のユリ・アルファは別物だったようである。

 

(な、なんと美しく女性らしい方なのだ……特に――眼鏡の表情がイイ)

 

 日焼けした精悍な戦士の顔に誰も気が付かなかったが、彼の頬は赤くなっていた……。

 ガゼフ自身も、女性にここまで興味を持つというのは余り記憶にない。彼は、すでに三十を過ぎているが若いころに数名の女性と付き合って以来、今は王への忠誠の為に全てを捧げる事を第一にしていた。偶に降って湧く、妻を娶らないのかという話は、いつの間にかうやむやになるように仕向けてきた。

 しかし彼は、目の前の眼鏡の女性にまさかの一目惚れをしてしまう。

 

「ゴ、ゴウン殿、あちらの女性は?」

「あれは、配下のユリ・アルファといいますが」

「(……配下の)ユリ・アルファ殿……(美しい名だ)」

 

 一般的な貴族であれば、これほどの美女達には当然お手付きと考えるのが普通の社会構造であった。

 ただ、主の命で主人が変わることも少なくない。弱い立場の単なる使用人達はそうだ。対して、配下にも自らの意志を持つ者達もいる。特に己の腕に覚えの有る者達は、主を選ぶ傾向が強い。

 ガゼフの目に映る眼鏡の女性は、明らかに後者である。只者ではないのが見れば分かる。ハッキリ言って自分より強そうに視えていた。

 アインズの横で、ガゼフは悩んでしまう。

 

(……嫁に貰えないだろうか………くっ、何を考えているのだ俺はっ。彼女の意志はどうなる)

 

 ユリへの熱烈に沸き上がった想いに一瞬、アインズへ頼もうかと魔が差し掛けるも、それは間違いだと思い直す。そして、仮面の客人へ気さくな感じに話し掛けた。

 

「王都までの道中は良い旅で?」

「ええ、まぁ。それについては、王都に居る間で少し話をしたいところですが」

「ほぉ。では、会わせたい者達もいますのでその時にでも」

 

 ガゼフは、アインズの言葉の中に何か含みがあることに気付く。戦士長が目を細めると、アインズは僅かに頷いた。

 

「そうですね」

 

 そうしていると、大臣と召使い達がアインズ一行を賓客として迎えるべく現れる。例の如く召使い達と共に大臣すらも横に止まっている豪華すぎる馬車へ目を見開いていた。

 大臣は、気を遣いつつも一般的な言葉で一行の長旅を労うと「まずは、お部屋へ」と告げる。アインズ一行は、メイドのツアレも伴い案内されることになり、その場でガゼフと一旦別れた。

 馬車を馬車庫と八足馬(スレイプニール)を厩舎へ誘導し、ユリをアインズ達の所へ送る為に、女性の召使いの一人が残っている。

 ガゼフは――召使いに用件を聞き手伝おうと名乗り出る。表向きは大きめの馬車であり、手間が掛かるだろうという理由でだ。召使いの女性から見れば、ユリはただのメイドにしか見えていない事から「助かります」と同意を得た。

 言うまでもないが、戦士長が普段、こんな事をする訳が無い。当然、ユリとお近付きになる切っ掛けを得るためである。

 ガゼフは召使いと共に道を先導しつつ、ユリに向かい内心緊張気味で声を掛ける。

 

「アルファ殿、馬車庫はこちらの先になる」

「分かりました」

 

 初めてユリの声を聞く。惚れた女の綺麗な声に感動しつつも、表情を変えずに先導していった。車庫に着くと後退で無事に車庫入れし、連結する馬具を外す。ガゼフも馬具には慣れているため、作業は早い。そうして、あとは馬を引いて厩舎まで向かう。

 その道すがら、二頭の八足馬を引くガゼフはユリへと問う。それは重要に思う事項を聞いていた。

 

「アルファ殿は、アインズ・ウール・ゴウン殿以外の方に仕えた事は?」

「いいえ、ありません」

「もう長いのですか?」

 

 プレアデス達もすでに10年以上は稼働していることになる。

 

「そうですが、なにか?」

 

 ガゼフが見たところ、ユリはまだ二十歳程にしか見えない若々しさ。もう長いといえば3年から5年ぐらいを差す。つまり、彼女はずいぶん若い時からゴウン氏の下に居たという事だろうか。加えて迷いのない言葉の雰囲気から、ゴウン一途ということが窺える。

 彼としては、それをいきなり確認するのは怖かった。救いなのは仕えた主は一人だけという事。それもあの真摯である御仁だ。何があろうと、彼女の可憐さと美しさは損なわれていないと思える。

 ガゼフは静かに尋ねた。

 

「ゴウン殿は、良い主なのですね……」

「はい」

 

 そう答えたユリの顔にすべての答えが有るようで、ガゼフは少しショックを受ける。

 彼女は――僅かに優しく微笑んでいた。

 厩舎に八足馬(スレイプニール)を繋ぐと、ユリは召使いの女性に連れられる形でガゼフと別れる。

 武骨である男は、それでも諦めきれないユリの姿を建物へ入る最後まで見送った。

 

 

 

 

 

 ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ。

 彼女は、二つ名『黄金』で呼ばれるリ・エスティーゼ王国の第三王女である。その姿は鮮やかな金色の髪に空色の瞳が眩しい稀に見る美貌の持ち主。

 そして、まだ十代ながら政治的にも奴隷廃止や冒険者組合の改革など、非常に優れた万人の為の人間味あふれる手腕を有した天才的人物である。

 

 

 だが彼女の正体は―――利己主義で異常な性格の変人と言わざるを得ない。

 

 

 彼女の部屋には、1メートル四方程の贅沢な金装飾の額縁に飾られた絵画が掛けられている。絵画には、豪華で華やかな衣装を着たラナーの姿が描かれていた。その絵を僅かにずらすと目立たない仕掛け扉の特殊な鍵穴があった。その扉の中には一枚の絵が大切に仕舞われている。

 その絵には美しいながら全裸で立つラナーの横に―――同じく逞しくありながら全裸に笑顔で四つん這いの少年が首へ鎖を付けられ、その鎖の先を彼女が握っているという内容の絵であった。他には何も要らないという想いがソレには籠っている。

 ちなみに、この絵は決まった手順で開けずに動かすと魔法アイテムにより自動発火し完全消滅する。また、この絵を描いた画家は、すでに『不幸な』事故に遭い葬られていた……。

 ラナーが、表面上善良で素晴らしい王女のフリをしているのは、この絵に描かれた何も真実を知らない忠犬のような少年であるクライムの為だけである。元来、国も民も、親の王さえも彼女にとってはどうでもいいのだ。

 王女は彼を肉欲的にも欲している。毎夜の如く月明かりの下でニヤリとしつつこの絵を眺め、一日も早い絵の内容の実現を目論み続けている――その手段は選ばない。

 なぜなら、彼女の立場は微妙であるのだ。

 第三王女というのは、確かに王の娘ではあるが、実質的な権限は殆ど持たない。つまり、本来どのように優れた能力や手腕を持とうと、政治には殆ど参加できない立場なのだ。前記の奴隷廃止や冒険者組合の改革も王が後押ししたから実現出来たに過ぎない。

 本来、第三王女の立ち位置は、婚姻による外交強化か、大貴族の身内化による基盤強化を図るぐらいのものと言えよう。自由な未来などほぼ絶望的と考えられる。

 すでに第一王女は六大貴族のぺスペア侯爵へ嫁いでおり、国王派の基盤強化に繋がっていた。

 第二王女は少し病弱という事で、貰い手がまだ見つかっていない。

 そういった意味で、健康で美しいラナーが先に嫁ぐ可能性もあり、彼女に残されている時間は更に限られていた。

 

 そんな彼女の真意など全く知らず、あくまでも国を思い民に尽くそうとしている麗しの大恩ある王女の為にと、一人の少年が王城の建物の一角で剣の修練に励んでいた。

 彼の名こそクライムという。

 

「ラナー様……貴方は私が万難の厄災より絶対に守り通します」

 

 王女とほぼ同年齢の中々凛々しい顔をしている少年は、王女より賜ったミスリル製で純白の全身鎧を大事に身に付けている。

 彼は幼少期に街中で死にかけていたところを彼女に拾われていた。その頃にはすでに王妃様は他界しており、ラナーは王や歳の少し離れた兄達、姉達からも相手にされていないようで、何かと同じく孤独なクライムへ身内のように気を使ってくれていた。平民で男だというのに常に傍近くに置き、話し相手を務めさせてくれる。

 だが少年も、いつしか感謝と忠義、そして恋心からラナーを守り、役に立つ騎士を目指すようになった。

 不思議な事に、ラナー王女は幼少より今もずっと専属の騎士を置いていない。どんなに名家であろうと、腕が立とうと、美男子であろうとも。

 幸い、クライムは王国では水準以上の剣の才能を持っており、王女の意見が通り晴れて王女付きの剣士となっていた。だが、貴族の子弟でないがため、ガゼフ同様、騎士には列せられていない。

 そのため、彼は貴族の子弟の騎士から常に妬まれ睨まれる存在である。

 多くの若い騎士達が、今もラナーの美貌に憧れ王女付きの専属騎士を志願しているが、全く任命される気配がない。護衛は交代制のため、騎士達が王女の傍を守れるのは1年に1回あるかという度合いになっている。

 それに対して、クライムは日頃から常にラナーより美しい声が掛けられ、傍へと呼ばれているのだ。

 一方、少年は騎士達の水準以上の腕が有る為、容易に挑み練習試合で叩きのめす事も出来ない。平民に負ければ家の恥になるからだ。そういった経緯から最近、クライムへは単純に『無視』という嫌がらせに留まっている。

 だから、クライムには普段練習相手はいないのだ。

 少年の所属としては常時王城配置なので、王国戦士達とも持ち場が違った。クライムからそちらへ練習に赴けば良さそうだが、その場合クレームを付けられ王国戦士側に迷惑を掛けてしまう事になる。

 それが分かっているから、彼は日々個人で練習するしかなかった。だが少年は、そんな事で全く凹むことは無い。

 

 王女を守る――その目的があれば彼はどんな状況でも頑張れるのだ。

 

 それに月に一、二回、偶に尊敬する王国戦士長が通り掛かる時が有り、武技を始め稽古を付けて貰えていた。時間にして三十分ぐらいであるが、そこで学んだことの反復練習や応用により、十分と言える力を付けることが出来ていたので、先が見えないで困るという事も無かったのである。

 

「クライム殿、王女殿下がお呼びです」

 

 今日も少年が練習をしていると、無表情な、いや、不機嫌なというべき召使いの女性が声を掛けて来た。

 

「分かりました、直ぐに向かいます」

 

 返事を聞いた召使いの女性は、即、踵を返す。王宮に配置される召使いの女性は基本、貴族の令嬢達であった。

 クライムは身を弁えており、常日頃より忠犬に近い性格からも王城内を含め女性に声や愛想を振りまくような真似はしない。だが、このことが悪い方へと向かう。すれ違っても、クライムは表情すら余り変えないため、平民に無視されたと多くの貴族の令嬢達を勘違いさせてしまっていた。結果、密かなバッシングが起こっていた。

 しかし、クライムのこの行動は結果的に、召使いの女性達の身の安全に繋がっていた事に誰も気付く者はいない。

 

 もし――仲良くする召使いの女性が現れれば、数日後には居なくなっていたことだろう、この世から――。

 

「ラナー様、クライムです」

「お入りなさい」

「失礼します」

 

 クライムは慣れた感じで、ここヴァランシア宮殿にある王女の部屋の扉を丁寧に開け中へ入ろうとした。

 すると、室内にはラナーだけではなく、窓際のティーセットの置かれたテーブル付近へ他に二人の姿を認めた。しかし、何度も顔を合わせている者達であった為、落ち着いて挨拶をする。

 

「おはようございます、ラナー様、―――アインドラ様、イビルアイ様」

「おはよう、クライム」

「おはよ」

「おはよう小僧」

 

 テーブルの席に座る、美しく咲き誇る華のようなドレス姿の二人から、優しく気軽い声が掛けられ、そして傍に立つ小柄で黒いローブに仮面の人物であるイビルアイからは、相変わらず聞き取り辛い挨拶が返された。

 扉を閉めるとクライムは、王女の席の傍へと歩み寄り直立する。

 

「お呼びとのことでクライム、参りました」

 

 アダマンタイト級冒険者である、ラキュース達の来訪を聞いていなかった少年は、呼ばれたことに何か関連があるのかと考えていた。

 すると、ラナーが理由を話し始める。

 

「今しがた、変わった方達が王城を訪れたって知らせが来たのよ」

 

 クライムはそれで思い出した。王国戦士長や街中の『蒼の薔薇』の宿泊先に行ったときにガガーラン達からも近い内に王都へ来ると聞いていた話を思い出す。

 

「もしかして辺境の村やストロノーフ様達を救ったという、旅人である魔法詠唱者(マジック・キャスター)御一行の事でしょうか?」

 

 いつもは厳しい表情の王国戦士長が、ずっと笑みを湛えた表情をして話していたのが印象深く内容も覚えていた。無論、敵対した相手が六色聖典に連なる連中という機密の部分については、少年に伝えられていない。でも、あの圧倒的強さを持った王国戦士長が窮地に立つと言う相手である。総力が国家所属レベルである英雄級の連中だということは容易に想像出来た。

 そして、それらを一蹴したという魔法詠唱者(マジック・キャスター)の一行。強さに加え、王国戦士達を救ってくれた行為に、真面目であるクライムはまず尊敬と感謝の気持ちを持っていた。

 少年の質問にラキュースが答える。

 

「そうそう、アインズ・ウール・ゴウン殿の一行よ。何でも、四頭立ての八足馬(スレイプニール)が引く凄く立派な馬車で、お城の正門へど派手に登場したらしいのよ。それも自前の馬車だって聞いて驚いちゃったわ。これで旅をする一行で更に強いって言うんだから、とっても英雄っぽくて、ちょっと会うのが楽しみなのよねぇ」

 

 もともと、強者や英雄大好きな彼女の特殊といえる地の心の闇が(こぼ)れかけていた……。

 普段あまり見せない、彼女のはしゃぎ様にクライムは少し引き気味に唖然とする。

 

「ふん、期待通りの強さだといいがな。自分達より弱くてもガッカリしないことだ」

 

 イビルアイは慣れた調子であるが、250年の経験から少し否定的雰囲気の言葉を返す。

 ラナーも余り気にしない感じで、彼へ本題を伝える。

 

「今日の午後、お父様へ彼等の謁見の場があるのよ。それでね、ゆっくり落ち着いた明日の午後、王国戦士長の声掛けでその一行と城内の一室で蒼の薔薇のメンバーが顔合わせをするというから、私も行くつもりなの。だからクライム、あなたに伴を命じます」

 

 偶々、王城では今日の朝に大きい会議が行われており、大貴族達も揃っている事からアインズ達の謁見も急遽昼の予定の一つに組み込まれることとなった。

 

「分かりました、お供させていただきますっ」

 

 クライムは、笑顔を浮かべ即答する。

 恐らく英雄級だろう人物達の邂逅の場である。届かないだろうが、興味が無いと返すのは嘘というもの。少年もまだ見ぬ旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の一行の姿に期待感のある想像を膨らませていた。

 

 

 

 

 

 宮殿の一室に通されたアインズ一行は、20分程遅れてユリも合流し、用意されたお茶を飲みながらのんびりしていた。部屋に入って一時間ほどすると大臣補佐が訪れ、午後2時より貴族達も列席しての王様との謁見を行うと知らせを受ける。

 その後、運ばれてきた昼食を取ったりして、ルベドやシズ達は寛いでいた。なお、ユリとツアレは召使いとして横の別室にて食事が振る舞われている。

 ツアレだけが、先程の食事と王宮の豪華さに終始目を白黒させていた。ナザリック勢にとっては、建物にしろ料理にしろ、まだまだここも質素にすぎないものに見えている。

 勿論アインズも終始落ち着き、どっしりと構えていた―――見た目は。

 

(うわ。ど、どうしよう……なんか緊張してきちゃったよ)

 

 エ・リットルでは伯爵と会見したが、なにやらモブっぽい感じもあったので、それほど緊張する事も無かったのだが、今回はなんといっても王である。

 今朝、ソリュシャンに簡易的な計測で確認してもらうと、小都市エ・リットルの周辺だけで人口は50万近くいた。

 そしてこの王都リ・エスティーゼに至っては、一度では計測上限の100万を超えていたため、分けて計測し直し160万を超えている事を確認している。

 王は、それだけの人間の住む国の頂点に立っている人物なのだ。

 リアルでは、営業で結構大きい会社の社長に会ったこともあるが、国家元首はおろか市長ですら顔を合わせた事が無い。

 ナザリックの数における現在規模だけ見れば、POP達を合わせてたとして1万5千程度に過ぎず差は歴然である。

 

(……何百万もの数を纏める王とはどういう考えをしているのか、可能ならじっくり話をしてみたいところだけど……)

 

 アインズは、これから国を作ろうとしている段階で参考にならないだろうかと考えた。

 だが今は王にとって所詮、少し功を成した程度である一介の旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)という地位の者に過ぎないだろう。

 一方で同時にナザリックという大きな組織を率いる者として、一国の王に対してどう向き合うのかソリュシャンら仲間達を前に突き付けられている。

 

(――まず一体、どういう態度を取ればいいんだ?)

 

 アインズは、僅かだが迷いを感じていた。

 その考えを模索していると結局、謁見の時間を知らせる使いが部屋を訪れるまで、アインズが椅子から動くことは無かった。

 

 

 

 王城は午後2時を迎える。

 玉座の有る謁見の大広間の、高さが5メートル程ある出入り口の両開き形式の大扉が、衛兵により開かれた。

 すでに玉座へは、王冠を被り黄金の笏杖を持つリ・エスティーゼ王国国王ランポッサIII世が着座している。だが年齢は60を重ね、老いからの衰えに加え虚弱気味の健康面を反映して、細い身体に顔色も今一つである姿に見える。

 王の座る玉座に向かい真っ赤な絨毯が引かれており、その両脇に衛士としての騎士達と、午前の会議に参加していた貴族達が居並ぶ。天井からは大きいシャンデリアと金糸で刺繍されたリ・エスティーゼ王国の紋章の入った赤い垂れ幕がいくつも下がっておりそれなりに華やかな雰囲気である。

 

魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウン殿とその一行、王の前へ」

 

 玉座近くに居た大臣が声を上げると、入り口で大臣補佐がアインズ達を先導する形で入場してくる。

 この場にはユリとツアレの姿はない。彼女達は先程の部屋で待機していた。

 招待されたのはあくまで、アインズとルベド、シズ、ソリュシャンの4名だけである。アインズ達は玉座の手前5メートル程の所で大臣補佐が立ち止まったのに合わせて歩を止めた。

 アインズ達が歩む途中から、その姿に列席の貴族達はざわついていた。理由は二つ。

 一つは、アインズの連れている配下、ルベド達の美しさである。ルベドは紺の髪に白き鎧衣装の清楚な美しい乙女。シズは桃色髪の眼帯をした黒い衣装の美少女。そして、ソリュシャンは金髪巻き毛で黒い短めのスカート衣装の美女。その造形は何れも余りに美しかった。当然と言えよう。

 そしてもう一つ。噂話通り、アインズが仮面を被ったままでいる事である。

 美女たちの方は全く問題ないが、王の正に御前で素顔を見せず仮面を被っているというのはかなりの失礼に当たるのだ。

 横に退いた大臣補佐から、ついにアインズへ声が掛けられる。

 

「ゴウン殿、ここでは流石に仮面はお外しいただきたい」

 

 貴族達の鋭い視線が巨躯の魔法詠唱者へ一斉に向けられた。

 

 魔法詠唱者は、その声に応える形でゆっくりと右手を動かすと――その仮面を外した。

 

 アインズは、この事態を当然予想していた。

 王の前では流石に仮面のままでは失礼だろうと、アインズはナザリックの出発前から対策をしていたのだ。その髪と表情がついに露わになっていた。仮面は袖のアイテムボックスへと仕舞う。

 髪は少し長めの金髪。そして顔の肌は白人調、瞳はグレー、そして顔立ちは――やはりあの東洋系の元の顔がベースになっている。但し、七、八年程若い頃まで戻し少し目元の彫りを西洋人風に深くしていた。カルネ村の若者達も参考にしており、モモン比で3割はマシといえる顔になっている。これで、新世界平均はクリアしていると思われた。パッと見ではモモンと似ているという水準で、同一人物とは分からないはずである。

 まあ、モモンもアインズも概ね顔を隠しているため、比較される機会は滅多にないだろうが。

 

「「「「「おおお……」」」」」

 

 貴族達から、低い何とも言えない声が漏れ聞こえてくる。

 

(どっちみち大した顔じゃないんだろう?)

 

 アインズとしては、顔に関しての評価は甘んじて受ける事にしている。なぜかやはり自分の素顔から逃げたくないのだ。それに、ナザリックのNPC達が特に気にしていない事も大きい。

 

 

 なぜならアインズの本来の顔は――格好イイ骸骨なのだから。

 

 

 仮の姿の顔を、絶対的支配者のアインズが気に入っていて良いと言えば、それで決まる。

 配下達は、それがたとえ白でも支配者が『黒』といえば黒なのである。そういう事だ。

 さて、仮面を取ったアインズに対して、満足した大臣補佐が次の指示を告げた。

 

「アインズ殿と配下の方々、王の御前に跪き礼を」

 

 王に対して当然の礼を取れという事である。

 だが、ここでアインズは重々しい声で堂々と告げる。これは先程からルベド達の前で支配者としてどう行動するか最も悩んでいた事であった。

 

「――我々は旅人ではありますが、王の臣下でも王国の民でもありません。申し訳ないですが跪いての礼はご容赦いただき、会釈のみで礼とさせてもらいたいのですが」

「なっ」

「ぶ、無礼な」

「どこの田舎者だ」

 

 大広間は一気にざわついた。これにはガゼフも目を見開いている。また、声を上げている貴族達は概ね国王派の貴族達であった。

 そんな中、王家の権威失墜を目論む反王派のボウロロープ侯とリットン伯は顔を見合わせ、アインズの行動にほくそ笑む。

 そして、六大貴族のリットン伯が口を開く。

 

「本日は、かの異国の旅人ながら我が王家所属の王国戦士達を救った恩人であるアインズ・ウール・ゴウン殿へ、その功績を称え返礼をするために招待していると聞いております。どうでしょうか、王家の明確な温情を示されては?」

 

 露骨とも聞こえる、儀礼免除の催促である。

 

「何を言っておるのだ、儀礼と功績は別物だ」

「そうであるぞ」

「だが、他国からの使者は直立での会釈であろう?」

「この者は一介の旅人だぞ?」

「恩人に対して強要するのは礼に反しないのか?」

 

 ざわつきは収まらないかに見えたが、その時はっきりと場に通る声が聞こえる。

 

「よい、ゴウン殿一行は大事な王国戦士達や民の恩人であり王家の客人である。膝を折るに及ばない」

「「「「ははっ」」」」

 

 王自らの言葉に、この場は一気に鎮まった。大臣補佐がアインズ達を促す。

 

「ではアインズ殿とその一行の方々、我らの王へ礼を」

「はい、では改めまして」

 

 アインズは、初めて王のランポッサIII世と目線を交わすと、堂々と挨拶する。

 

「私はアインズ・ウール・ゴウンと言います。王城への配下揃っての御招き、ありがとうございます」

 

 そうして軽く会釈をした。アインズに倣い、ルベド達も会釈をする。

 

「ゴウン殿と一行の者達、良く参られた。まずは礼を。他国の部隊を退け、配下の王国戦士達と領民の危機をよくぞ助けられた。心から感謝する」

 

 王の言葉は一言一句に心が籠っているように感じた。先程の礼の件といい、寛大な王の様だ。そう感じ取りながらアインズは返答を返す。

 

「王自らの言葉を頂き嬉しく思います。同時に多くの者を助けることが出来、よかったと思っています」

「折角来られたのだ、客人としてゆっくりとしていくが良かろう」

「はい、ありがとうございます」

 

 アインズの返事を聞くと、王は大臣へと目を向ける。

 大臣がアインズへ声を掛ける。

 

「ランポッサIII世陛下より、ゴウン殿にはこの度の勲功に対し、褒賞金として金貨――400枚が贈られる」

 

 大臣の言葉の後、召使い達二人により金貨の詰まった袋二つがアインズに手渡される。

 

「ありがとうございます」

 

 それらはすぐ後ろのルベドへ手渡した。アインズにはまだやっておくことがあった。実はその為にこの王城へ来たと言ってもいい事象である。

 アインズは、口を開く。

 

「王へ一つお願いがあるのですが、話を聞いて頂けますか?」

 

 一瞬、再び貴族達がざわついたが、王の言葉に鎮まる。

 

「ゴウン殿、なにか?」

「私が救った村から近い東方に、別宅として―――()()()()()()()を建てたいのですが。そこは王国領と聞いたものですから」

 

 ゴウンの言葉に王は、横へ立つ側近に確認しその村が直轄下領だと聞くと小さく頷いた。

 

「ゴウン殿、許可しよう。近ければ村の領民達も喜ぶことだろう」

「許可頂き、ありがとうございます」

「では、ゴウン殿、我が城でゆっくり過ごして行かれよ」

「はい」

 

 王は僅かに笑顔を見せると、大臣と王女、そして側近達に付き添われ、大広間を後にした。

 こうして、アインズの謁見は無事に終わる。

 反王派の貴族達は、アインズ達には提案通り接触してくる事無く去っていった。そのあと、国王派の貴族数人がアインズを多少なじろうとし掛けるが、王家の客人でもあると王国戦士長から宥められ大広間を後にする。

 王国戦士長もまだ仕事が有ると、苦笑いをしながら退室していった。

 残っていた大臣補佐が、召使い達にアインズ達を宿泊部屋へ案内するように指示を出す。召使い達に案内されたアインズ達は、バルコニーのある広めの部屋へと落ち着いた。

 こうして、アインズ一行の王都一日目は過ぎていく。

 

 

 

 

 

 金属の輝く甲冑を付けた軍馬四頭立ての戦車は、リ・エスティーゼ王国内の人気(ひとけ)のない裏街道を探知により選んで疾走し、王国と多種な亜人が共存している国家であるアーグランド評議国との国境へと迫った。

 この戦車には、スレイン法国の漆黒聖典に所属する『深探見知』、『人間最強』、そして『巨盾万壁』がリーダーとして乗り込んでいる。

 『占星千里』の予言した破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)についての復活確認を行うために、他国の領土を潜行してここまで到達していた。途中で遭遇した難度200オーバーの化け物について、その直後に本国へ一度引き返さないかという話になったが、結局翌朝エ・ランテルに滞在している密偵へ暗号を混ぜた手紙を託し、『巨盾万壁』らは探索を続行していた。なぜなら、そんな化け物が出たという事は、竜王も復活している可能性が高まったからだ。

 人類にとっての脅威は、速やかに確認しなければならない。

 北西側にある険しい山脈が迫るも道が続く途中まで戦車で一気に駆け登ると、彼らは道が途絶えた場所に御者の兵と戦車を残して広範囲への探索に入った。

 そして半日が過ぎたころ、山奥の険しい谷の近くまで来た時に、先頭を歩いていた『深探見知』が眼鏡顔のその表情を一変させ歩みを止める。

 

「……こ、これは……」

「どうした?」

「……おいおい、居るのかよ」

 

 探索当初からイヤな予感が三人の心へ広がっていたため、『巨盾万壁』はともかく冗談を良く言う『人間最強』も真剣さの浮かぶ表情で臨んでいたが、眼鏡娘の狼狽に緊張感は最高潮になる。

 リーダーの『巨盾万壁』が再度声を掛ける。

 

「"深探見知"、何を捉えた?」

 

 ここは山岳の高所であるため涼しい場所のはずが、少女の額には汗が微かに浮かぶ。

 

「どうしよう……ふ、二ついるの――難度200以上のが……」

「な……」

「………」

 

 経験豊富な『巨盾万壁』と『人間最強』であったが、悲壮といえる形相でその場に固まった。

 

 

 

 距離を置いた谷の一角の固い岩盤の場所へ大きい横穴の洞窟があった。

 その長い洞窟奥へ広がる巣としての空間に、それら二名は対峙する形で居た。すでに随分長い間論議を交わしているかに見受けられる。水晶が放つ〈永続光(コンティニュアルライト)〉や空間への調温湿魔法により、そこは十分明るく快適といえる環境だ。

 二名の内、片方は長い首に大きな翼、長い尻尾、そして黒紅の強固である鱗に全身を包まれたこの新世界で最強の生物と言える存在、(ドラゴン)

 その中でもこの個体は、全長が20メートルを優に超えた、一族を率いる風格を備えし者であった。

 

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)――ゼザリオルグ=カーマイダリス。

 

 15日ほど前に復活したこの竜は、傍に佇む相手へ向かって、唾を吐くように告げる。

 

「時代は変わった、だと? ――俺には関係ねぇよ。八欲王のヤツらがいないなら、むしろ好都合じゃねぇかっ。残った連中は何してやがるんだ? もういい、戯言は聞き飽きたぜ。俺を殺しやがった人間どもに、俺自ら思い知らせてやるっ」

「今は、それなりにこの地域は安定してるんだから。暴れないでくれよ」

「ここへツラも見せにこない奴に、どうこう言われたくねぇな」

 

 そう言って、ゼザリオルグは目の前に立つ全長3メートル程の小さい白き竜の者を睨む。

 

「悪いとは思うけど、今居る場所から動くわけにはいかないんだよ」

 

 白き小竜の者は、幼い感じの言葉ながら、怯える事も無く堂々と言い返す。実は、その白き小竜である姿は、一族の若い者の身体を借りて遠方から白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)であるツァインドルクス=ヴァイシオンが操っている。

 白金の竜王は嘗て、中身がカラであった白金の鎧を使い、十三英雄の一人『白銀』と呼ばれていた者だ。しかし、十三英雄は魔神を倒した人間側の存在で、一説には(ドラゴン)すらも討ち果たしているという話もあるため、白き鎧の『白銀』の姿は評議国国内では不用意に晒せない。

 そんな白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の言葉に呆れると、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)は、巨体を揺らしながら大きく穿たれた巣穴の通路を歩き出し、白き小竜の横を通り過ぎていく。

 

「話にならん。ジジイは黙って見ていろ――人間どもが滅ぶところをな!」

「……余り人間を甘く見ない方がいいよ。これ経験だから」

 

 昔の友たちの強さを知る白金の竜王は、もはやそう言って煉獄の竜王が序盤で敗走してくることに期待するしかなかった。

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)は、長い首を曲げて白き小竜姿のツァインドルクスへ振り返ると牙を見せほくそ笑む。

 

「ふっ。そいつは、楽しみだ」

 

 煉獄の竜王は、巣穴を出ると静かに巨大である翼を羽ばたかせ飛び立つ。

 そして――僅かに離れた所に潜んでいた、漆黒聖典の三人の所へ向かって来た。

 

「先程から、こそこそと地べたを這う弱きゴミどもめ、死ねっ。〈獄炎砲(ヘルフレイムバスター)〉!」

 

 口を大きく開くと、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)は、獄火の一撃を見舞う。その一撃の威力は強大で、着弾した場所から広い放射状の範囲を地面ごと吹き飛ばしていく。あっという間に、焼き払われた更地が山岳の地に登場していた。竜王は、直撃を確認すると、振り返る事もなく飛び去って行った。

 煉獄の竜王は、そのまま山岳地の里で三百を超える竜達を集め従える。

 

「諸君、待たせたな。脆弱な人間どもは皆殺しだっ!!」

「「「「「「「おおおおおーーー!」」」」」」」

 

 竜王率いる300の竜軍団は直ちに、東南方向へ広がる人間の国、リ・エスティーゼ王国への蹂躙的進撃を開始する。

 この日だけで、山岳の南に広がっているリ・エスティーゼ王国の平原の穀倉地帯にあった20以上の街や村々と3万人以上の人類が地上より消滅することになった。

 評議国としてはこういう場合、大抵が『少数による遺憾な暴挙』とし『一切関わり合いはない』という事で通している。つまり王国側で好きに処理しろということである。煉獄の竜王、王国双方にとって無情である対応と言えよう。特に被害を受け、対処を丸投げされた王国側は堪ったものでは無い。

 そして容赦ない煉獄の竜王の軍団は、平原西方の周辺人口85万人を有する大都市、エ・アセナルへと徐々に迫ってゆく――。

 

 

 

 煉獄の竜王により、焼き払われた直後の山岳の更地には、良く見ると僅かな場所が、魔法的な物により残されていた。

 

「だ、大丈夫か、二人とも?」

「はい、あちちっ」

「なんとかな……。ふー、その盾でなきゃ、絶対ヤバかったぜ」

 

 2枚の強固で大きい魔法盾で『巨盾万壁』は仲間達を守っていた。更に『巨盾万壁』と『人間最強』は武技の〈不落要塞〉を、『深探見知』もその間で〈要塞〉を発動して、何とか周囲の高熱を凌いでいた。ふつうの人間ではまず持たないだろう。

 

「……魔法で守られているはずの盾の表面が溶けている……なんという威力だ。……しかし、ヤツは聞いていた黒紫の鱗をもつと言われる破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)ではないな」

「あれは、黒紅の鱗……おそらく煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ね」

「どっちにしろ、ヤバイなありゃ。すぐに法国へ戻って知らせねぇと」

 

 『人間最強』の言葉に、『巨盾万壁』は頷くが、彼は気付く。

 

「んっ? そういえば、"深探見知"よ、もう一体は!?」

「あっ――えっ!? 居なくなってるわよっ。周辺にも感じないっ」

「な、なんだと?! 探さねぇとっ」

 

 『人間最強』は慌てるが、『巨盾万壁』は一度目を閉じると告げる。

 

「いや、ここで深追いはしない。状況を知らせる方が優先事項だ。"深探見知"、二体は同等の強さか?」

「今、攻撃をしてきた煉獄の竜王がずっと強いと思う。もう一方は難度200を少し超えたぐらいの感じだから」

「そうか、分かった。二人とも、本国へ報告する為に急ぎ戻るぞ」

「「了解っ」」

 

 いきなり人類の守り手をも巻き込んだ戦いが、王国で始まろうとしていた……。

 

 

 




捏造)
煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)。後先を考えない大馬鹿モノ。
破滅の竜王は、何か役どころがあるかもと思い、煉獄を別途追加してみました。





さぁ、王国の冒険者達よ、竜退治だぁ!(ガクブル


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STAGE22. 支配者王都へ行く/竜王進攻ト舞踏会(6)

 

「お父さん、アレなぁに?」

「うん、なんだ?」

 

 日が大きく傾き始めた頃、麦畑の手入れをしていた農夫の父親は、まだあどけない子供から尋ねられると、その指差す西方向の空へと目を向ける。

 そこには、数百の群れが飛んで来る様子。初めは蝙蝠か渡り鳥と思っていた。

 しかし、少しこちらへと近付いて来ると、それが何かが分かった。

 

「……ひっ、ド、(ドラゴン)っ!」

 

 (ドラゴン)――飛行して進む奴らの進撃速度は噂が広がるよりも圧倒的に速い。

 

 新世界において、人間など比べ物にならないほど高レベルで強者の生物である。同レベルにおいてですら対物理と対魔法に優れた強固である鱗と強靭な筋力、加えて飛行能力に口から吐く火炎の威力。そしてそれらを活かす高い知能により全種族を圧倒するのだ。竜種や地域差はあれど、成体になれば最低でも難度75を超えている水準。平均で難度120を上まわる竜種もある。その上で高等の武技や大魔法まで行使する個体も存在し、まさに最強種族と言える。

 それ故に、たった1頭だけでも十分脅威となりうる。それが今、300を数える軍団で現れ、アーグランド評議国との国境を越えてリ・エスティーゼ王国へと押し寄せて来ていた。これは新世界にとって、質と量の両面で近年における空前の圧倒的局所戦力を誇っている。

 農夫は、子供を抱き上げると妻のいる村落へと向かおうと駆け出した。しかし無情にも、彼らの上を凄い数の火の球が通り過ぎて行き――村落に着弾する。

 200軒程あった村落は一瞬で業火に包まれ、その後に高速で飛んで来た煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)であるゼザリオルグ=カーマイダリスの放ちし戦慄の一撃、〈全力火炎砲(フルフレイムバスター)〉で全てが薙ぎ払われるように消え去った……。

 その光景に呆然と立ち尽くす子供を抱えた農夫。彼らも、姿を見付けた竜兵の〈火の吐息(ファイヤーブレス)〉を背から受けると、全身を燃え上がらせながら崩れていく。

 

 

 これはもう一方的な――殲滅戦争であった。

 

 

 竜王ゼザリオルグの軍団は、上空から視界にとらえた村々を片っ端から焼き払っていく。

 だが、彼らも生物である以上、無限に戦えるわけでは無かった。大きかった20個目の村を焼き払ったところで、ゼザリオルグは配下へ声を掛ける。

 

「おう、肩慣らしはこれぐらいでいいだろうぜ。今日は、この地で休むぞ。明日は、40キロ程西方に見えた大都市を総攻撃だぁ」

「「「はっ」」」

 

 竜王からの指示に、難度180へ迫り見るからに屈強である3頭の百竜隊長、アーガード、ノブナーガ、ドルビオラが答えた。彼らは竜王の命を部下達へ指示する。

 

「全騎降下! 休憩だ。明日は都市で人間どもを皆殺しだっ!」

「「「「「「「おおおおおっーー!!」」」」」」」

 

 上空での警戒任務に就く数匹を除く300程の竜達は、地上へ降り立つと休息に入った。通常は山岳地の洞窟で休むのだが、戦時下なれば平地で休むことも有る。竜兵達は、まず食事の支度に取り掛かった。一応、高等生物の彼等にも食事のマナーや料理は存在する。衣装や装備も同様だ。

 彼等は雑食であり、村に居て丸焼けになった牛や豚や人などに加え、穀物や野菜などを食材に料理を作り摂取し翌日の戦いに備えた。漸く竜軍団の一方的だった進撃が自主的に止まる。

 この日、王国では3万人以上の人々が犠牲となっていた。しかし、村々の全ての人間達が死んだ訳では無い。

 偶々(たまたま)畑に出ていて潜んでいた元(ゴールド)級冒険者の村人、ジェイコブは生き残っていた。

 彼は竜去りしあとに、焼き払われた村と自宅を見て絶句する。彼の両親に妻と子供たちは、もはやその痕跡すら何処にも無かった。

 

「……(ドラゴン)どもめ……」

 

 野伏(レンジャー)であるジェイコブは、やられたらやり返す主義であった。

 彼は村の郊外で生き残っていた馬を見つけると飛乗り、大都市エ・アセナルを必死に目指した。エ・アセナルには、彼が以前加入していた冒険者組合がある。その所属する冒険者達の中には、獰猛な魔獣退治を専門にしている冒険者チームも幾つかあるのだ。

 彼は夜の8時頃に大都市エ・アセナルへと到着する。9時閉門には間に合っていた。

 ジェイコブはまず門を守る衛兵達に竜軍団襲来を告げる。

 

「俺は、エ・アセナルの冒険者組合に所属していた元(ゴールド)級冒険者ジェイコブだ。50キロ程東にあるリド村に住んでいたが、そこが200を優に超える竜の大軍に襲われた! 隣の村もすべて焼かれたんだっ。奴らは今、ここから東40キロの辺りで地上へ降りて休んでいる。すぐに軍も対応を! 疑うなら急いで斥候を出せばいいっ」

 

 日が沈む寸前、煙が上がる大きい村に降り立っていた竜群れを、通り抜けた林の中から彼は目撃した。竜達にとっては皮肉にも、上空から周辺警戒で飛んでいた竜が発見に繋がっていた。

 

「な、なんだと」

「本当なのか?!」

 

 数名がジェイコブの顔を覚えていた門の守衛達は、話の内容に驚愕し騒然となる。1頭でも脅威といえる竜が、200頭以上など考えるだけでも想像を絶する状況であった。

 この王国で北西の端にある大都市エ・アセナルは、エ・ランテルと並び王家直轄領である。元冒険者の彼は、まずもっとも力の有る自国軍へその危機を伝えた。それは、エ・アセナルの組合には冒険者が900人近く加入しているとはいえ、正直、ここの冒険者達だけでどうにか出来るとは思えない数であったから。

 彼は組合へ向かう旨を伝えると門を通過する。そうして大通りを馬で駆け抜け、冒険者組合へ飛び込んだ。

 ジェイコブは大急ぎで受付の女性に事情を話す。これはすでに依頼ではない。

 冒険者組合にとって、自身とお金を出してくれている都市にある商工組合を守る為の自衛の話なのだ。

 状況を伝え終ったジェイコブは、俯き目を細めると受付の女性へ最後に一言だけ告げる。

 

「村々の、皆の……家族のカタキを……頼む」

 

 

 

 ジェイコブの話の真偽は、直ぐに事実だと判明する。

 冒険者の中に〈千里眼(クレアボヤンス)〉の能力を持つ生まれながらの異能(タレント)持ちが居たのだ。断片的ながら遠方にある村々の惨状と、圧倒的数と言える総数300程の竜の軍団が視覚的に捉えられ、この状況はすぐに再度、都市の王国守備軍へも知らされる。

 夜であったが間もなく、組合所属の全冒険者へ招集が掛けられた。ここで臆病風に吹かれ参加しなければ、冒険者を廃業してもらうという脅し付きの強制参加であった。

 難度75を超える1頭の(ドラゴン)へ対峙するには、最低でも(ゴールド)級冒険者チームでなくては時間すら稼げないと思われる。だが金級以上は40組程しかない。なので(シルバー)(アイアン)級は数チームを束にして1頭に当たらせ、(カッパー)級は街の警護に回した。竜に対し、(カッパー)級冒険者達は完全に足手纏いと判断されたのである。

 予定では2組いるオリハルコン級と4組いるミスリル級の冒険者チームが、(ドラゴン)を順次狩っていくまで持ちこたえる必要があった。また、〈飛行(フライ)〉を使える者を有してるチームも10組以上ある。

 しかし、300頭程いるとみられる竜達が多数舞う地獄の上空光景を想像すれば、皆、容易に気が付く。

 

 (ドラゴン)の数からして恐らく、勝負にならないと。

 

 質と量の暴力である。

 (ドラゴン)側は、戦力をずっと集結させたままであった。間違いなく意図的にだ。個々撃破を防いでいれば、すべて圧倒出来ると確信している戦術である。

 だが、冒険者側にもまだ望みはあった。ここ、エ・アセナルへ彼等がたまたま滞在していた事だ。

 

 

 そう、アダマンタイト級冒険者チーム――『朱の雫』が。

 

 

 『朱の雫』は、王国にたった2組のみ存在するアダマンタイト級冒険者チームの一つ。噂によれば、凄まじい大魔法や武技を持つ者を集めたチームであるという。先の〈千里眼(クレアボヤンス)〉の特殊能力(スキル)を持つ生まれながらの異能(タレント)持ちも、実は『朱の雫』のメンバーの一人である。

 実際には6人組の冒険者チームで、リーダーは騎士風装備のルイセンベルグ・アルベリオン。

 彼は、ガゼフやクレマンティーヌが一目置くほどの武技使いでもある。装備も聖遺物(レリック)級アイテムの『疾風の双剣』を持つ。冒険者達にとって、朱の雫の存在だけが希望であった。

 早速、冒険者組合の一室に、組合長のハイダン・クローネルを初め、『朱の雫』のメンバーと、オリハルコン級とミスリル級冒険者チームのリーダーが集まり緊急対策会議が開かれた。

 時刻は晩の10時を回ったところである。

 竜は夜の活動も活発であり、いつここへ戦いが仕掛けられるか分からない。それは、リド村から竜達の駐留場所を結ぶ線の延長線上にこの大都市エ・アセナルが見えており、襲って来る可能性は極めて高いと思われたからだ。

 組合長のハイダンがまず口を開く。

 

「困ったことになったな。しかしこの数は……」

 

 竜が300頭というのは昨今では例が無い規模。

 もともと竜種族系は絶対数が多くない。東へ広大に広がる大陸全土を集めても、総数は数万程度に留まるだろう。だがそれを度外視する個々の強さがある。特に伝説に名を連ねる竜王達は別格と言える。彼等はたった1頭でも人間達はおろか、強靭ぞろいの亜人種達の国すら亡ぼせる力量がある者達であった。

 あの短期間で大陸を征服した圧倒的すぎる大伝説を残す八欲王らに、終止符への足掛かりを作ったのも竜王達の軍団である。結局竜王達の軍団は全滅したが、10頭を超える竜王達と1万頭以上の精強な竜達を犠牲に、何度か八欲王の一角を倒しレベルダウンを起こさせて将来の仲間割れを誘ったのだから。

 だが竜達は知性高き存在で、本来余り群れず無意味な戦いも行わない。

 

「これは――竜王だな。この規模の竜の軍団を動かせるのは、竜王だけだろう」

「「「「………」」」」

 

 アダマンタイト級冒険者の茶系のローブを纏うアズス・アインドラの言葉に皆が沈黙する。竜王と言っても中には難度が150を切る者も存在する。だが、軍団規模を考えれば最悪を考慮するのが妥当だろう。

 伝説の竜王の水準だと、アダマンタイト級冒険者チームですらまともに戦える力はない。

 こちらも伝説の十三英雄級の者達を揃えなければ厳しい戦いだと思われた。

 しかし、アズスは静かに光明を語る。

 

「竜軍団への初撃に賭けよう。幸い私には"赤賢者の杖"がある。全力の一撃なら魔法防御力の高い難度150の竜へも大ダメージを与えられるはずだ。効果範囲を限界まで広げれば、これで9割以上は落とせるはず。あとの残りは個別に対戦出来るはずだ」

「「「「ぉおおおおっ」」」」

 

 『朱の雫』を除く会合者達は感嘆の声を上げ、どよめく。

 『赤賢者の杖』――聖遺物(レリック)級アイテム。魔力を込めた魔石を直列に配し納めたスティックを燃料として杖へ装填することで、発動者の限界魔力を超えた強力な威力の上位魔法の発動を可能にする。また、スティック自体を更に直列で複数装填することで、より強力な威力の大魔法が使用可能という代物であった。

 『朱の雫』リーダーであるルイセンブルグは語る。

 

「大魔法を使うと、周辺への影響や初動を感知されたり魔力切れを起こして後が危険なのは承知の上で使う。竜の大軍団に対してこの都市だけの戦力で逆転の可能性があるのはこの一手だけだ。現状の(ドラゴン)300頭という数を考えればハッキリ言って、冒険者達の剣や槍でどうこう出来る相手とは思えない」

「……確かに。お願い出来ますか? 無事成功すれば報酬として金貨3万枚をご用意しましょう」

 

 組合長のハイダンは、ルイセンブルグへ告げた。『朱の雫』はこの都市の組合所属では無いため、戦闘参加を拒否することも可能である。

 しかし、ここで逃げ出す様では、アダマンタイト級冒険者を名乗る資格は無いだろう。アダマンタイト級というのはそういう階級なのだ。

 ルイセンブルグは笑顔で答える。

 

「もちろんです。皆でこの難局を共に戦い抜きましょう」

 

 他の『朱の雫』のメンバーも笑顔で頷いていた。

 

「これで、なんとか互角に戦えそうですな」

「さすがは、高名なアダマンタイト級冒険者チーム"朱の雫"。竜の軍団にも対抗策がお有りとは」

「全くですね」

 

 組合長や、オリハルコン級とミスリル級冒険者チームのリーダーらは、感服や敬意を漂わせて安堵していた。

 このあと、大魔法発動余波や戦闘を想定し、都市の住民らへ総起こしを掛け東地区の住民らの西地区への退避について直ぐに駐留軍へ勧告することや、竜への接敵手順などを手短に話し合い11時を越えた頃に会議を終了し、彼らは解散した。

 冒険者組合近くの広い公園へと、都市に居た約800名の冒険者達が続々と集結する。

 組合長らから、突貫で順次担当や組割りなどが決められ、冒険者達を午前1時頃には担当箇所へとすべて向かわせ終える。公園では憧れや敬う存在の『朱の雫』やオリハルコン級冒険者チームらが同席していたこともあり、混乱もなく順調に戦闘準備は進行した。

 一方、王国駐留軍の最高指揮官でもあるエ・アセナルの都市長クロイスベルの下にも、午後9時頃には東部穀倉地域への竜軍団出現の情報が届いていた。警備部署では、すでに騎兵20騎を5騎ずつ4分隊に分け、進攻並びに被害状況確認の斥候として東側の村々へと送り出す。

 

「なんという事なのですか。200頭以上の竜など(おぞ)ましいっ」

 

 子爵でもあるクロイスベルは、顔を顰めていた。就任してからの最近の7年、この地は平和であった。スレイン法国やバハルス帝国からは遠く、(いさか)いからは無縁の地であったのにと。

 彼は忘れているかのようであった。この地は、多種の亜人が共存している国家であるアーグランド評議国との国境近くにあるということを。

 大都市エ・アセナルには国境の要として予備兵も含め4万の兵力が常駐している。その中には、僅かに20名程ながら魔法詠唱者(マジック・キャスター)の部隊もあった。隊長と副隊長が第3位階魔法の使い手で、後は第2位階魔法の使い手である。

 都市長クロイスベルは、彼等全員を緊急起こしで都市の中心付近にある居城であるロ・ヘスタ城へと配備した。同時に、援軍を王都へと乞う使者を立てる。

 内容は『陛下へ火急でお知らせの用向きあり。西の国境を越え、その数300を数える目的不明の竜軍団現る。都市エ・アセナル存亡の危機なり。至急、全土の冒険者と、援軍10万を送られたし』と。

 エ・アセナルから王都リ・エスティーゼまでは直線距離で160キロ程だが、街道は穀倉地帯を左右へ極端に大きく迂回する形になっており、250キロ以上の道程となる。通常では数日を要してしまう状況だ。

 しかし国境近くにあるため、ロ・ヘスタ城には緊急用の飛竜(ワイバーン)2匹が置かれていた。これならば王都へ4時間程度で到達する。

 竜の情報を整理し終えた午後11時頃、陛下への書簡を持った飛竜(ワイバーン)1匹が王都に向けて飛び立った。

 日付を越えた午前2時前に、都市の守備兵4万も全軍が少しでも足しになる事を期待して、倉庫に眠っていた機械式弩弓を全て城や都市の外周壁上に展開し終え、都市の守備は整う。

 

 

 

 夕方頃から翼を休めて仮眠を取っていた煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグは、翌午前2時頃に目を覚ます。

 直ちに軍団へ全員起こしを掛けたのち、しばしゆるゆるとしていたが、午前3時を前に声を発した。

 

「お前らっ、これより都市へ進軍し攻め込むぜ。俺に続けぇ!」

 

 竜王ゼザリオルグは、その20メートルを優に超える巨体を、圧倒的であるその筋力から翼が生み出す豊富な揚力により軽やかに上空へ舞わせた。

 

「全騎急速飛翔っ! 竜王様に遅れるなっ!」

「「「「「「「おおおっーーー!」」」」」」」

 

 百竜隊長のアーガード、ノブナーガ、ドルビオラらも遅れないように竜兵達へ指示をしつつ地を蹴り夜の空へと舞い上がる。

 全軍300程の竜軍団は、西へと進撃を再開する。

 

 

 

 同時刻、エ・アセナルの城へには、午前1時頃時点の『まだ動かず』という竜軍団の動向を斥候の騎兵が伝えてきていた。それより1時間程前には、竜軍団と焼け落ちた村の存在も届いており、都市と城内の緊張感は上昇の一途を辿っている。また、一部の住民が西街道の門から脱出を始めていた。

 竜を退治した冒険者や騎士という話は、昨今余り聞かないためだ。王国側から竜種の多いアーグランド評議国へ入る冒険者もほとんどなく、(ドラゴン)については恐るべき力を持つ存在として人々から恐れられているのだ。それが大軍団で襲って来ると聞いては、逃げ出すのも当然と言えよう。

 王国軍側は午前3時の時点で、まだ竜軍団の動きは掴めていなかったが、都市の東外周壁上に待機している『朱の雫』のメンバー達の一人、遠視特殊能力(スキル)生まれながらの異能(タレント)持ちのセテオラクスが、5分ごとに竜軍団を確認しており出撃状況をキャッチする。

 

「奴らが動いたよ。やはり残念ながら、戦力を分散せずに動いたね」

「どこへ向かっている?」

「んー、多分ここと思う。上空から奴らの背中越しに見ると、遠くにこの都市の光が見えるから」

「そうか、分かった。お前達は計画通りこの場からすぐに離れて、組合の方に知らせてくれ。この場には俺とアズスが残る」

 

 ルイセンブルグが、セテオラクスらへ告げると、各自「了解」と答えつつ去って行った。腕自慢の彼等も、流石に300頭の竜に対する大規模での対抗手段は無く、アズスと彼の持つ『赤賢者の杖』の力に任せる形だ。

 

「さて、あとはどのタイミングで放つかだな」

 

 アズスは、そう言いつつ矢狭間のある防護璧に背を預け座り込むと、長年に渡り溜めていた魔石の入った有りったけのスティックを、のんびり赤賢者の杖に装填する。その数は実に10本。

 

「タイミングはアズスが決めればいい。お前に任せるさ」

「ああ。竜達の丸焼きが出来る、一発どでかいのを見舞ってやるよ」

 

 都市の東外周壁上で待つこと1時間弱。僅かな月明かりの下、ルイセンブルグは視界に(ドラゴン)の群れを〈闇視(ダーク・ヴィジョン)〉により捉えていた。

 

「来たぞっ」

「分かっている。私にも見えている」

 

 アズスは杖を右手に防護璧の上へと飛び上がる。そうして静かに目を閉じた。

 十秒程過ぎた時、魔力の全解放の準備が整うと、両腕を前へ突き出す様にし目をカッと見開いて彼は叫ぶ。

 

「人間種の放つ、この渾身の一撃を受けてみよっ! 〈魔法効果範囲拡大(ワイデンマック)魔法位階上昇化(ブーステッドマジック)連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)〉っーーー!!」

 

 城壁の上に仁王立ちするアズスの両腕からは、眩い竜の如き巨大な閃光の電撃が放たれた。それは竜の軍団へと真っ直ぐに突き進んでいく。

 魔法に関する変わった特殊能力(スキル)を持つアズスが放った、〈連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)〉は本来第7位階魔法だが、〈魔法位階上昇化〉により、位階が強力に上昇している。ただ、魔力と杖の限界で第9位階近くまでの上昇に留まっていた。

 それでも威力の強大さは、放つ輝きと広がりで目撃した者達全員が感じ取れるものであった。

 しかし――放たれる前に膨らんだ大きい魔法発動反応に、竜王はすでに前方へ1頭で飛び出して来ていた。

 

 

「ふっ、愚か者め。竜王(ドラゴンロード)の力を舐めるなよ! 〈最上位魔法(シールド・オブ・リフレクツ・)反射盾(グレーテスト・マジック)〉っ!」

 

 

 拡散しつつあった凄まじい閃光の雷撃が、一直線に正面へと加速して来た煉獄の竜王《プルガトリウム・ドラゴンロード》ゼザリオルグの前面に展開された魔法陣の盾に激突する。

 大出力の雷撃は、魔法陣前で一瞬プラズマ化するも、折り返されるように都市の方へと戻って行く。

 〈最上位魔法(シールド・オブ・リフレクト・)反射盾(グレーテスト・マジック)〉――膨大な魔法力を必要とする奇跡の盾である。その魔法名の通り上位魔法をも『反射』する。この魔法を使える者は極僅かであった。

 信じられない状況である。放った大魔法が都市側へ跳ね返って一瞬で押し寄せて来ていた。

 その光景にアズスは、愕然となり固まる。魔法で事前に〈加速(ヘイスト)〉をしていなければ反応出来なかった。ただ、先ほどまであった彼の魔力は一気に減少しており、もう抗する手は無い。

 

「ぁあ……」

「アズス! 何をしている、退避だっ!」

 

 〈疾風走破〉〈能力超向上〉により、いつの間にか横に居たリーダーのルイセンブルグの叫びで、我に返ったアズスは叫ぶ。

 

「私に掴まれっ。〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉!」

 

 唱えた瞬間にアズス達の姿は、外周壁上から掻き消える。

 そこへ、範囲拡大と強化された〈連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)〉が戻って来て炸裂した……。

 外周壁が大魔法の激突と威力による巨大な水蒸気爆発を起こし広い幅で崩壊すると共に、周辺の広範囲へ電撃の嵐が吹き荒れた。傍の外周壁上にいた400を超える兵士達が、一瞬で全員炭化する。更に、都市内からも広範囲の感電により火の手が上がっていく。一般市民の多くは東側から退避させていたが、外周壁崩壊や東部市街から上がる炎の明かりと想定外の状況に、都市内は各所で阿鼻叫喚が起こり混乱の度合いを強めていく。

 

「これは、どうなっているんだっ」

「竜の攻撃か?!」

「まさか、アダマンタイト級冒険者達が破れたのか!?」

「もうだめだぁぁぁーー!」

 

 甚大すぎる被害を目の当たりにし、冒険者を含めた民衆の多くが天を仰ぎ、竜の軍団に恐怖する。この時、城からその状況をすべて眺めていた都市長のクロイスベルも、「終わった……」と静かに呟いたという。

 対する煉獄の竜王も、僅かに表情を曇らせる。

 

「くそっ、下等な連中のくせに! 強めの雷撃魔法対応で力を大きく使ってしまったぜっ。おかげで今日は、強力な攻撃が余り使えないだろっ。人間どもめ……踏み潰してやる!」

 

 煉獄の竜王の対応により、竜軍団の被害は斥候で先行していて竜王傍の前方に居た2匹に留まっていた。しかし、この軍団において初めての犠牲で竜達は怒りに咆哮する。

 上空で恐るべき鳴き声を響かせつつ、竜王を先頭に竜軍団はそのまま大都市エ・アセナルへと雪崩れ込んでいった。

 

 (ドラゴン)達にとって――それは、あっけないと表現すべきだろう。

 

 冒険者達や多くの人々は見た。侵入して来た直後に放たれた、それはただの一撃。

 しかし、竜王が魁に放った究極の一撃と言える〈獄陽紅炎砲(ヘル・プロミネンス・バスター)〉により、都市中心にあったロ・ヘスタ城が一瞬で消滅する。

 その威力は城の全てを薙ぎ払うように貫通し、後方の都市西部地区を西の端にある外周壁近くまで2キロ程を放射状に地面ごと抉っていく。この攻撃だけで数万の民の命が奪われていた……。

 そのあとは、都市内各地で無駄と思える多勢に無勢にすぎない冒険者達の抵抗のあとの惨状、惨劇――。

 周辺人口85万を誇った王家直轄領の大都市エ・アセナルは、抵抗虚しく竜王率いる竜軍団の圧倒的すぎた攻撃と侵攻力の前に、たったの半日で紅蓮の炎によりそのすべてが灰燼に帰したのである……。

 

 

 

 

 

 昼間にランポッサIII世との謁見が行われ、夜には国王主催で貴族達も集めた晩餐会も催され、そして夜が更けた王都リ・エスティーゼの北側やや西奥に建つロ・レンテ城。

 その城内にあるヴァランシア宮殿の広いベランダを備えた一室に、アインズ達一行は泊まっている。すでに室内の灯りは全て落とされていた。

 だが、アインズ達は本来眠らない。ただ一名、ツアレだけが睡眠を取る必要があった。

 彼女は不思議といえる立ち位置の存在である。ルベドの『仲良し姉妹はいつも一緒』という要望にアインズが応える形で、それを実現すべく保護されていた。近い存在としてはカルネ村の住民達だろうか。

 アインズの考えでは妹探しが終われば、ツアレ姉妹はどこかの街か故郷の村ででも暮らせるように施し別れるつもりでおり、そんなツアレへは今のところ正体を隠しておこうと考えていた。

 またこの状況は、同行するナザリックの面々が人前で正体を隠す練習に丁度良いと思っている。

 ユリやソリュシャンは、その主の考えに気付いており、ルベドやシズ、一応ナーベラルへも密かに伝えられていた。

 一方、ツアレの方は生涯初めての優しいご主人様の登場で、一昨日から完全にときめき掛けている。手厚く受けたいっぱいの返し切れない温かい恩を、この身をもって全身全霊で可能な限りお返ししたいと。

 その想いはすでに、妹と再会出来たとしても――ずっとお傍で仕えようという気持ちで満ちていた。今は使用人として、別室のベッドにてアルベドに覗かれるとシットされそうな熱い想いの夢の中である。

 隣のベッドでは、ユリが横になったまま支配者からの新たな指示が無いか、静かに待っている。

 

 アインズは暗い部屋の中、椅子に腰かけていた。

 〈闇視(ダーク・ヴィジョン)〉が使える彼らは、部屋の暗さを気にする様子はない。皆にはのんびりしていていいと告げており、シズとソリュシャンは何やら話をしている。そんな仲良し姉妹の姿を、主の傍で口許をニヤつかせながらルベドが見ているという、一行のいつもの光景があった。

 その時アインズは、晩餐会での事を思い出していた。

 

 晩餐会が始まるまでの一時間半程の間、余興面で盛大に舞踏会も開かれたのだ。対面者が多いここでボロが出ると困るので、舞踏会へ同伴させたのは華やかな赤の舞踏会用のドレスに着替えさせたソリュシャンのみで、他は晩餐会まで部屋で休ませた。

 アインズは、いつものように仮面を被り舞踏会場の端にいると、すぐ横に立っていたソリュシャンへ、貴族の男達が群がってきていた。彼らの視線は彼女の美しい容貌とスタイル、そして――大きく開かれた白く豊かな胸元の谷間に当然吸い込まれる……。

 

「是非、私と一曲」

「美しい君よ、さあ踊りましょう」

「なにとぞ、吾輩とワルツを」

「いや、私とっ!」

「貴公は、向こうの御婦人達が似合いだろう?」

「それは貴公こそ」

「麗しのあなたに薔薇を……」

「ハァハァ、君には白馬が似合いそうだね」

 

 最後の方はもうよく分からない。

 彼女はそんな十人程のすでに興奮気味である老若交じった男達に囲まれて、腰を密着出来るワルツへの誘いを受け、僅かに瞳を潤ませつつ少し困っている様子に見えた。

 しかし、内心でソリュシャンはこう考えている。

 

(美味しそう……。傍へ食料(メンディッシュ)がこんなにいると、ついパクリと食べたくなっちゃいますわ。アインズ様へお願いしようかしら)

 

 困っている風に見えるのは、食欲を我慢しているため。ソリュシャンのアインズに対する圧倒的といえる忠誠心は、食欲をも超えているのだ。このように、この場で断りなく無断でガッつく事は一切ない。

 だが、アインズには言い寄られて迷惑そうに見えていた。

 

「皆さん、失礼。連れとは私が踊りますので、すみませんがお引き取りを」

 

 女の主である巨躯で貫録も備える仮面の男に重々しい声で言われては、男達も引き下がらざるを得ない。正直、皆、仮面の魔法詠唱者が羨ましくて仕方がない。この絶世と言える金色の巻き髪の美しい女を、日々自由に出来るという事に。

 しかし、諦めきれない40代に見える男爵が、他人に聞こえない様にアインズへと小声で耳打ちをする。

 

「この令嬢を一晩、金貨80枚で貸してもらえんかね?」

 

 その内容は小声であろうとも当然、マスターアサシンの職業を持つソリュシャンには駄々漏れである。

 その金額は、最高の娼婦達と比べても破格であった。普通は一晩で金貨20枚ぐらいが限度である。だが、アインズには金貨1000枚と言われようと関係の無い事だ。

 いや、それ以前に大切な仲間の娘も同然のソリュシャンへ値段を付け、どうこうしようと考えている事に一瞬切れそうになる。しかしここはグッと堪えた。

 

「(ふざけるなよ)……申し訳ありませんが、お断りします」

「そ、そうか。だがまぁ、金が必要になったらいつでも声を掛けてくれたまえ、歓迎する。吾輩はフューリス男爵だ。では、失礼するよ」

 

 男爵は横目で、何度もソリュシャンへ熱い邪な視線を送りながら立ち去って行く。

 

(馬鹿が名まで名乗って行きやがった)

 

 アインズはその男の顔もしっかりと覚える。リアルで営業の仕事をしている中でも、顔を覚えるのは得意であった。

 さて、踊ることを理由に貴族達を追っ払ったのだ。踊らないわけにはいかない。ソリュシャンも理解しており至高の主へと近付いて来る。しかし、その表情が少し赤くなっていた。

 元々彼女の属性は、カルマ値が-400の邪悪である。ドロドロとした肉欲の展開も平気であるのだが、理由はどうあれ敬愛するアインズが自分を大事に庇い守ってくれた事がとても嬉しい。

 

(アインズ様……)

 

 御方のこの行動から、ソリュシャンは自身からの肉欲的な展開は極力控えるべきかとの思いが湧く。つまり、エロを控えた邪悪さだけが突出して残る感じになるのだが……それもいいかと思わなくもない。

 

「ソリュシャンよ、では踊ろうか」

「はい」

 

 ダンスを踊る貴族達を先程から見ていると踊りそのものは、ワルツの型で大丈夫の様子。

 マナーとしてアインズから差し出されたガントレットの掌へ、ソリュシャンの赤手袋をはめた手がそっと乗せられ、アインズへ引かれる形で二人は貴族達が踊る会場の中へと入って行く。

 巨躯で仮面を付けた漆黒のローブ姿のアインズと、赤い薔薇の如き衣装で金髪の巻き毛を舞わせる、絶世の美しい令嬢であるソリュシャンの二人が目立たない訳が無い。

 出発前にナザリックでも、何度か社交ダンスをユリと少し練習してきたのだが、アインズは内心かなり緊張気味である。対してNPCのソリュシャンは、完璧で美しく優雅なワルツのステップを描く。

 アインズは右手でソリュシャンの左手を握り、左腕を彼女の腰へ添え、二人で反時計回りしながらゆっくりと踊る。

 

「アインズ様、もう少し私の腰を引き寄せて頂いたほうが(――嬉しいですっ)」

「そ、そうか。その方が踊りやすいか」

 

 ワルツに必死であったアインズは、頬が少し赤いソリュシャンに気付かず、彼女の指示に従う。二人はかなりの密着度となって軽やかに舞った。

 ソリュシャンは嬉しそうに微笑む。あとで姉妹のシズに自慢出来ると。

 練習の際にユリも完璧に踊ったため、ソリュシャンとの感覚が近くて結構踊り易く、アインズは恥を掻かずに済んだ。

 15分ほどクルクルと舞うと曲が終わり、しばし休憩となる。

 アインズは兎も角、ソリュシャンは周りから絶賛された。またもや、あっという間で貴族の男達に包囲されてしまう。花束まで持っている男も何人かいる始末。

 

(晩餐会の前なのに、何人も山の様に花束を渡してどうする気だよ)

 

 アインズが横目で様子を見ながら考えていると、後ろから声を掛けられた。

 

「あの、アインズ・ウール・ゴウン殿ですね?」

「ええ、そうですが」

 

 振り向きつつ、掛けられた声が綺麗で可愛く若いなと思ったが――向き終わった目の前には、豪奢で装飾の凝った白いドレスを纏う美しい金髪の令嬢が、2名の召使いを引き連れ佇んでいた。

 見間違いようがない。謁見の場でも王の近くにいた人物。あとで大臣補佐に確認して分かった。

 

 『黄金』の二つ名を持つ、ラナー第三王女殿下である。

 

(げっ、王女だとっ?!)

 

 アインズは、仮面を被っていて良かったと思った。体は微動だにしなかったが、表情には恐らく驚きが出てしまっていただろうから。

 彼女はニッコリと微笑む笑顔を崩さない。

 王城へ来る前に、エ・ランテルでモモンとして少し尋ね聞いたラナー王女について、まとめた暫定情報の資料を読んだデミウルゴスとアルベドから、『切れ者』ではという『要注意』の判断が下されていたのだ。

 正直、自分が平凡な底の浅い人物と考えているアインズは、余り近付きたくない人物である。

 武力ではなく智謀面では、逆に世界間での差は余りないはず。

 それゆえに王女の美しく可愛らしい笑顔が――さらに恐ろしさを加速してしまう。

 アインズはまず考える。

 

(一体、一介の旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)風情に王女が何用なんだ?)

 

 これは、何か意味のある接触行動だと直感する。しかしそれは心の奥底でだ。

 代わりに軽く会釈をしつつ自然の会話を心掛ける。

 

「これは、王女殿下。ご機嫌麗しゅう」

「楽しんでいますか?」

「ええ、連れも皆さんに好評の様です」

 

 そう言いつつ、貴族の男達に囲まれ、花束の山を持たされているソリュシャンに目を向ける。王女もそれにつられる形で目を向けた。

 しかし、彼女はその横顔のまま静かに話し出す。

 

「ゴウン殿は、戦士長殿を助けられて彼にこの王都へ来るよう誘われたとか。随分戦士長殿に信用されているようですね」

「ええ。光栄な事です」

「私と私の《騎士》も、いつも戦士長殿には助けて貰っていて感謝しています。ですからゴウン殿、もし私で力になれるような事があれば、気軽に声を掛けてくださいね」

 

 アインズは王女の、とりあえずという考えを理解する。

 この接触に更なる裏があるのか分からないが、アインズの持つ法国の特殊部隊をも退けるという力を、彼女は少なからず欲しているようだ。

 ラナーは正面を向くと、笑顔で伝えてくる。

 

「明日、戦士長殿が引き合わせると聞いている、アダマンタイト級冒険者チーム"蒼の薔薇"との顔合わせの場を楽しみにしていますね。では、また」

「(な、なんで王女が楽しみに?)は、はぁ」

 

 巨躯の姿で向かい立つ魔法詠唱者の戸惑いある答えを、小気味良く聞きながら王女は背を向けて去って行く。

 この時、舞踏会場のあちらこちらで、アインズと王女の立ち話する姿に驚く者が結構いた。

 王女が男性に自ら声を掛けるのは非常に限られていたから。大抵は男の貴族から声を掛けるも、早々に笑顔で僅かに会釈されて終わりであるのだ。

 その様子を見ていた中の一人に、反王派へ所属する六大貴族のレエブン侯もいた。

 

(布石か。流石に抜け目がないというか、侮れないというか)

 

 ――夜の王城の舞踏会場では、罠や策略も数多く踊っているのだ。

 

 

 

 そのあとのシズ達も合流した晩餐会では――ついにアインズの秘策が登場する。

 流石に王や貴族達の前で、仮面を被り両手に分厚いガントレットを付けたままで食事を取る事など失礼というものである。その為に、アインズは事前に準備を整えていた。

 そう、替え玉である。

 

 

 晩餐会の席には、ナーベラル・ガンマがアインズに姿を変えて参加したのだ。

 

 

 だが、ギリギリであった。

 ナザリックにて、ドッペルゲンガーのナーベラルへ、髪や顔、手や足等の身体的造形を初め、歩き方や話し方の特訓、そして礼服などを用意してこの晩餐の場に臨んではいた。

 しかし、ナーベラルにとって人間達とは――虫以外の何モノでもない。

 言動が非常にアヤシイ事になってしまった。

 極力無口を通させていたのだが、伯爵の一人に尋ねられた時の事。

 

「いかがですかな? 旅をするゴウン殿では中々味わえない料理の味では?」

「……ふむ。下等生物(ウジムシ)の料理にしてはまあまあ結構ですね」

 

 これでも、ナーベラルにしてみれば随分褒めたつもりであったのだ――味については。だが人間への評価が不意に口から洩れてしまっていた……。

 その無礼な言動に当然、伯爵は聞き返す。

 

「は? 今、何と」

 

 それを、妹のソリュシャンが「旅の途中で食べた、ウージムーシュという絶品の味の料理と同じぐらい美味ですわね」と横から咄嗟に機転有る相槌を打って、必死にフォローするという状況で事なきを得る。

 旅の一行にソリュシャンがいて、本当に良かったと思うアインズであった。シズやルベドでは対応出来ないタイミングだ。これと同等の対応を出来るのは、階層守護者の一部やユリの他そういない。

 入れ替わりにより、"質素な"馬車の中で不可視化して潜み〈千里眼(クレアボヤンス)〉で状況を確認していたアインズはその後、〈伝言(メッセージ)〉をナーベラルへ繋ぎっぱなしで必死に抑え込んでいた――。

 

 地獄の晩餐会を何とか切り抜け、直後は一部のメンバーが疲れ切ったアインズ一行だが、その後はこの夜中の暗闇で、午前4時半を迎えるまで静かな時を各々(おのおの)寛いで過ごした。

 ソリュシャンは晩餐会の(あと)、褒美に至高の主より金色の巻き髪の頭を一杯ナデナデしてもらい、舞踏会でのアインズから腰を抱かれての密着ダンスの話も姉のシズへ聞かせ、「……ソリュシャン……ズルい……」と悔しがらせて楽しんだ。

 晩餐会の回想を終えたアインズが、次に考えるのは王都でのこれからの事。

 王都を訪れ国王との謁見を終え、目的の一つであった()()()()()()()についての建設許可を貰い、ガゼフと再会も出来て彼との約束は果たせていた。

 アインズとしては後は名声をより高めるために、アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』達を上手く利用するぐらいである。

 

(さて、今日の顔合わせではどうするか。……どうやら王女も絡んできそうだけどなぁ)

 

 そんな事を考えていた時であった。

 上火月(かみひつき)(七月)上旬を迎えており、僅かに東の空はそろそろ白み始める時刻。無論、一般的にはまだ就寝中の時間帯。

 だが、アインズ達一行の休む部屋の扉の外からノックの後、声が掛けられる。

 

「アインズ・ウール・ゴウン殿と一行の皆さん、早朝より失礼いたします。誠に申し訳ありませんが、非常事態につき起床願えますか?」

 

 少々前からシズとソリュシャンが会話を止め、ルベドと戦闘メイド達は一斉に、壁や階さえ隔てた建物内をこちらへ近付いて来る者に気付いて通路側を見ていた。

 でも直ぐには扉を開かない。不自然であるからだ。

 間もなく、再度の外からの扉のノックと「申し訳ありませんが、非常事態につき――」の声に、隣の部屋から手早く身形を整えたユリが飛び出して来て扉を開く。

 そこには大臣補佐が立っていた。

 ユリは彼へと尋ねる。

 

「おはようございます。非常事態とは、何があったのですか?」

 

 すると、大臣補佐が緊張した表情で「おはようございます」のあとに事態を告げる。

 

「北西の要である大都市エ・アセナルが、竜の大軍団に間もなく襲われそうだとの事で、王城内と王都駐留軍全軍へ対し、総起こしが掛かりました」

 

 アインズ達一行は顔を見合わせた。

 

 

 

 エ・アセナルからの知らせである国王陛下への書簡を持った飛竜(ワイバーン)1匹が、王都へ到着したのは午前3時頃である。

 王城周辺が戦時下を除き、空路から直接ロ・レンテ城へは入ることは出来ない決まりであり、飛竜(ワイバーン)は王城正面の城門前の広場に着陸する。

 そして運ばれてきた陛下への書簡は、直ちに国王の寝室へと届けられた。そして内容に驚いた王は、自ら非常事態への総起こしの指示を出すに至る。

 王都駐留軍は3万。国境より距離があり、王都の常駐軍はそれほど多くない。また王国全土を見ても常駐軍として交代で兵役についているのは8万程度である。基本は戦争時に農民らを大量に兵役へ徴収する方式だ。

 急すぎる状況だが、幸い昨日の会議で集まった六大貴族達や上位の貴族達は王都にある別宅にまだ滞在しており、国王の命で緊急招集が掛けられた。

 午前5時、日が昇り始めた頃、王城の広い一室で緊急の対策会議が開かれる。

 初めに国王であるランポッサIII世が発言した。

 

「皆の者、大変なことになった。知らせによればエ・アセナルを襲う(ドラゴン)の数は300という」

「なっ!」

「真ですか?!」

「……」

「何という事……」

 

 竜が多く現れたとの話でこの場へ集ったが、詳細を聞いて驚き一言呻いたあと、口や額、目元を手で押え考え込む者が続出する。特に所領である大都市ボウロロールがエ・アセナルから伸びる東南東方向の街道130キロ先で隣接している反王派の盟主、ボウロロープ侯は酷い顔色に変わっていく。多くの者は、現れた竜について数頭程度だと考えていたのだ。

 (ドラゴン)が300というのは、それほど絶望的で空前の数なのである。

 

「ここは冒険者達も使いましょう。――それも王国中の者達を集めて」

 

 そう冷静に即時提案したのは、六大貴族のレエブン侯であった。

 レエブン侯は反王派に所属するが、これは反王派を内側からコントロールする為である。以前の彼は違ったが、今は安定した王国の存続を切望する貴族に変わっていた。それは家に残す愛しく思える妻や、まだ小さくも大事な大事な息子の存在ゆえに。

 

「おおっ」

「それは良いっ!」

「確かに」

「妙手ですな」

 

 それを聞いてボウロロープ侯が国王を見据えて尋ねる。

 

「エ・アセナルへの援軍は、どうお考えでしょうか? 早急に出すべきでは」

 

 ボウロロープ侯は自領への被害を恐れ、『損害をエ・アセナル周辺だけで何とか留めたい』との思いで頭がいっぱいだ。加えて、王家直轄領のエ・アセナルのみで被害が終われば、王家だけが甚大な打撃を受け弱体化すると。

 しかし即日派兵の考えに、乗り気の者は少なかった。同意者は、直後にボウロロープ侯へ媚びる様に「そ、そうですな。すぐ出すべきでしょう」と相槌を打ったリットン伯ぐらいである。

 皆が援軍に消極的である理由としては、守って待ち構えるなら物資の豊富な王都にすべきだろうと考えるのが自然だからだ。そして、正直準備不足といえる現状と竜の数からすればエ・アセナルは――すでに手遅れだと思われる。

 精々生存者への救援部隊派遣が妥当な線だろう。

 再びレエブン侯が提案する。

 

「皆さん冷静にお願いします。今、国家の危機にも直結する事態です。状況を整理すると、まず王都内が全くの準備不足。この地を空にする訳にはいかないでしょう。そして今すぐの援軍は、中途半端な規模になり、各個撃破されてしまう事は確実です。それよりも、すぐに全土で兵を招集するとともに、大都市リ・ロベル、エ・ペスペル、エ・レエブル、リ・ブルムラシュールの兵力と冒険者達を王都へ集めるべきだ。そして士気を上げるために、兵や騎士、冒険者達へは報酬として我々と大商人達で竜1頭辺り金貨300枚を用意するとともに、指揮官級の竜については更に数倍掛けで出すと御触れを出すべきです。残念ながらエ・アセナルへは、王都の準備が整ったあとで救援部隊を派遣するのがよろしいかと」

 

 会議内は一気にざわついた。エ・アセナルを見捨てるというのである。しかし、空から襲って来る(ドラゴン)300に対して、王都の一般兵3万で何が出来るのかという現実も理解出来き、少しざわつくも結局は王の意見を待つことになる。

 皆の視線が集まり始めた王も、王家直轄領のエ・アセナルを見捨てる判断は容易な事では無い。王家への大きい権利と資金と力に繋がる、周辺の人口を合わせると85万を数える大都市なのだ。

 至急の案件にも拘らず、会議に数分の沈黙が続いた。

 一度目を閉じて熟慮したランポッサIII世は、瞼を開くと国を預かる王の言葉としてゆっくりと述べていく。

 

「レエブン侯の意見を国王として支持する。王都へ王国の戦力を早急に集めよ。そして竜1頭辺り金貨300枚等の報酬について触れを出せ。今は国家存亡の非常時である。非協力的なる者へは罰を。容赦は不要である。あと、エ・アセナルの状況を把握するため、現地へ赴き生還出来る精鋭を派遣せよ。その際、可能なら――敵指揮官の竜を倒してくれることを望む」

「「「「「「はっ」」」」」」

 

 会議へ参加していた貴族達全員が立ち上がり、胸に右拳を当てる形で命を受けた。

 こうして王国全土へ向け、王の勅命が下る。

 温和な国王と思われていたランポッサIII世から、これまでない厳しい内容で発せられた。それは今、エ・アセナルの民を見捨てるしかない王としての不甲斐なさを痛感しての思いがそうさせている。

 国王の命は、王都から直ちに周辺の大都市とその近郊へ。王城には早馬が100頭も用意され順次勅命の書簡を携え駆け出して行った。

 

 

 

 王城ロ・レンテは午前9時を迎える。

 皆の心の思いを映すかのように、上空には雲の多いモヤモヤとした空が広がっている。

 当初午後にガゼフの声掛けで行われる事になっていた、アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』とアインズ達との顔合わせが、急遽この時間に行われる事となった。

 おまけに招集を掛けたのは、王国戦士長のガゼフ・ストロノーフではない。

 

 それは――ラナー第三王女殿下であった。

 

 王城の一室に集まったのは王女を入れて12名。

 王女付き剣士のクライム、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。

 そして、蒼の薔薇のラキュース、ガガーラン、イビルアイ、ティア、ティナ。

 最後に旅の魔法詠唱者一行のアインズ、ルベド、シズ、ソリュシャン。

 

 クライムだけは、王女の席の後ろに立っていた。

 他は長方形の大きく豪華で木目の美しいテーブルの上座となる短い一辺側へ王女が座り、長い片方側に『蒼の薔薇』の5人、もう一方へ向い合う形にガゼフとアインズら一行が座る。

 そして、錚々(そうそう)たる面々を前に、堂々と王女は告げた。

 

 

 

「では、皆さん揃ったところで―――エ・アセナル電撃潜入作戦についての会議(ブリーフィング)を始めますっ!」

 

 

 

「なんと!?」

 

「ええっ、聞いてないわよ、ラナー?!」

「なんだよそれ?」

「おいおい(あと、この連中もなんなんだ)」

「(白い鎧の子可愛い)……」

「(デカいおっさんと女だけか)……」

 

「はぁ?」

「……(どれも弱い――けど双子姉妹っ)」

「……(ナデナデ……希望……)」

「(一人Lv.50越えがいますわ)……」

 

 ガゼフと『蒼の薔薇』のメンバーらとアインズ達は、いきなりトンデモナイ事に巻き込まれていた……。

 

 

 




捏造)アダマンタイト級冒険者チーム『朱の雫』について
ほとんど情報がないので、6人組や戦士がリーダーになっている事や、装備については暫定的です。
(2018/11/13以下追記)
2018/4/28発売の漫画9巻Chapter-26にてアズスがリーダーの模様。
しかし本作では、2015年11月27日公開のSTAGE.22からルイセンベルグ・アルベリオンが務めておりますが、当面このまま進みます(汗)



捏造)ナーベラルの変身
種族はLv.1ですが、メイド姿に加え、あと一種類としました。
参考にしたのがweb版の宿屋の話で、男に偽装している形(美形という表現が無い)を都合のいい方へ解釈。
種族レベル:外装パターン=1:1があるので、種族限定アイテム併用で。


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STAGE23. 支配者王都へ行く/VS王女ト潜入ノバラ (7)

 未明に、王国北西の国境に近い大都市エ・アセナルより、飛竜(ワイバーン)による『竜軍団襲来につき、都市存亡の危機。援軍乞う』との現地からの知らせを受け、非常事態のまま朝日が昇った王都リ・エスティーゼ。

 朝9時を過ぎてもエ・アセナルの状況経過について続報は届かず。

 混乱の最中(さなか)と言えるこの時、王城ロ・レンテの一室では、ラナー王女よりいきなり、アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』が戦場の地エ・アセナルへの潜入をアインズ達一行と共に告げられようとしていた――。

 

 

 

 この日、王都リ・エスティーゼ西大通りに在る、『蒼の薔薇』宿泊の一際豪華で白い石造り8階建ての立派な最高級宿屋へ、急ぎの呼び出しが来たのは午前6時頃の事。

 伝えに来たのは、いつものように忠犬の如き少年剣士クライムであった。

 

「朝早くからすみませんっ」

「夜這いには少し遅いんじゃないのか、童貞。まあ俺は、これからでも構わないぞ、ん?」

「ち、違います。外出されてからでは遅いとの事で、お知らせが――」

「おいおい、恥ずかしがる事はないぜ」

 

 部屋の扉を少し開けながら、四角い顔をニヤニヤさせて出迎えるラフなタンクトップ姿のガガーランは、いつもの調子で彼をからかう。だが、伝言と共に城の緊迫した状況の雰囲気をも携えるクライムは、それを聞き流す形で真剣に満ちた表情で告げる。

 

「非常事態により、ラナー様より本日朝9時より城にて打ち合わせをしたいとの事です」

「ん、非常事態っ?! 今日午後に城へガゼフのおっさんから呼ばれてるんだが、それとは別件ということか」

「はいっ」

 

 伝言の内容とクライムの表情に、ガガーランの顔付きも変わる。

 

「ちょっと待ってろ」

 

 ラキュース達の着替えの為、クライムは少し待たされたのち部屋へ通された。

 そこには、リーダーのラキュースを初め、イビルアイやティアとティナも傍らに座っている。

 

「おはようございます、アインドラ様、皆様。早朝より申し訳ありません」

「おはよう、クライム。大丈夫よ気にしないで、緊急なんでしょう?」

「はいっ。今から3時間ほど前の午前3時頃に北西の大都市エ・アセナルより伝令として飛竜(ワイバーン)が到着し、(ドラゴン)の大軍に間もなく襲われるとの情報を伝えてきたのです。その竜の数は実に300程とっ」

 

 クライムは吐き出す様に迫る脅威を告げた。

 

「さ、300っ!?」

「ほんとかよ? なんてこった……」

「……流石に間に合わんな」

「「……無理」」

 

 これまで、幾多の恐るべきモンスター達を相手にしてきた『蒼の薔薇』も、まだ今のメンバーで竜と戦った事は無い。とは言え、自信が無い訳ではない。

 難度150を超える竜はそう居ないのだ。それ以上は竜王水準にも届く存在だから。また基本、竜は群れにくい種族。『蒼の薔薇』の装備とチーム力なら20体程度の群れまでなら、十分相手は出来る。

 だが、流石に300というのは想定する桁が違った。常識的に考えて、その数が50でも体力や魔力が持たないだろう。竜種というのはそれほど別格と言える。

 

「リーダーの魔剣か、イビルアイの魔法とかで何とかならないか?」

「10体ぐらいならともかく、無茶言わないでよ、ガガーラン」

「全くだ。いくら私でも、魔力が続かない。お前の体力も続かないだろ?」

「まあ、そうだけどな」

 

 いつも強気でいる四角顔の女も流石に頭をかいている。そんなガガーランへティアが突っ込む。

 

「ガガーラン、無茶すぎ」

「私達にも出来ない事はあるし」

 

 ティナも姉妹に続き現実を述べた。

 300体の竜というのは、どれほど屈強の冒険者チームも単体では対応不可能といえる数。そんなチームがいたら会ってみたいものである。

 クライムは、残りの伝言内容を伝える。

 

「そういった非常事態のため、ラナー様も動かれるようです。つきましてはお力添えを頂きたく、この後9時に城へ全員でお越しいただきたいと」

 

 ラキュースは、国の為に動いている王女の友人としても、アダマンタイト級冒険者としても、断る理由は全くない。

 彼女は、仲間のガガーラン達の見回す。リーダーの気質を良く知り、冒険者としてのプライドもある。皆が順に頷いていった。

 それを受けて、ラキュースはクライムへと答える。

 

「王女様には、承知しましたと伝えてね」

「はい。では失礼します」

 

 クライムは急ぎ踵を返す様に城へと戻って行く。ここにいる間にもラナー王女の周りへ竜が現れるかもしれないのだ。宿屋を出ると通りを全力で駆け出し始めた。

 一方、少年を見送った『蒼の薔薇』のメンバー達は、今回の敵の強大さに驚きを隠せない。それは十三英雄と共に旅をしてきた経験を持つイビルアイですらも。

 その仮面の少女が呟く。

 

「今回の敵はトンデモナイぞ。魔神の方がずっとマシかもしれん。魔神は単体で、攻撃を集中出来たからな」

「戦いの話も何度か聞いたが、魔神も強かったんだろ?」

「まあ、難度200は優に超えていたが……」

 

 イビルアイはガガーランへ答えながら途中で言葉が止まる。そして気付いたように話し出す。

 

「は……ははっ、竜の軍団を率いているのが、魔神級の竜王の可能性もあるな……」

 

 十分考えられる予想を聞いたガガーランとラキュース達は絶句した。

 そんな仲間達へ、イビルアイは改めて一言確認する。

 

「でも、戦うんだろ?」

 

 絶句し強張った表情をしていたラキュースだが、口許を緩める。

 彼女は、横に立つガガーランからティア、ティナへと視線を向けていく。目が合った者達の口許が順にニヤリとなっていった。

 そして、イビルアイへと。仮面を被っていても分かる。彼女の口許もニヤリとなっているのが。その反応に満足したラキュースが言い放つ。

 

「当然でしょう? 私達はアダマンタイト級冒険者チーム"蒼の薔薇"なのよ。ここで尻込みする者はメンバーにいないわ」

「だな」

「「私達は負けない」」

 

 ガガーランとティア、ティナが頷く。イビルアイも頷くが、重要点を指摘する。

 

「だが、作戦は必要だ。それと、他の冒険者チームや王国軍との連携も」

「それは、ラナーに期待しましょう。あの子の作戦なら敵の半分の戦力でも正面から十分勝てると思うわ」

 

 ラキュースはラナー王女を『信用』していた。

 王女は、国や国民、全ての事を良い方向へ向かわせるために動いているのだと。それはこれまでの奴隷解放や『八本指』対策等の実績が積み重なったものでもあった。

 また、あの真っ直ぐで純粋な少年剣士が、絶対の信頼と想いを寄せて王女を守っている様子は、応援したくもなる。

 

(私もラナーの、『黄金』の力を信じている。あの子が前に向かって手を打つときには、十分勝機があるということだから)

 

 蒼の薔薇のメンバー達は早めの朝食を取ると、万全を期し完全装備で出るべく身支度を整え終わると早めに王城へ向かった。

 

 

 

 

 そういう『蒼の薔薇』チームであったが、王国戦士長や旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)一行らとの王城内会合で、まだ互いの紹介も始まらない冒頭。

 王女から、この会合が『戦場の地、エ・アセナルへの電撃潜入作戦についての会議(ブリーフィング)』だという言葉で、ラキュースは「ええっ、聞いてないわよ、ラナー?!」と皆の前で敬称を忘れて驚く。

 事前に、クライムからも前振りが何もなかったからだ。彼も驚きの表情を見せている事から、知らせていなかったのだろう。

 するとラナー王女は申し訳なさそうにこの場の者達へ告げる。

 

「ごめんなさい。概要を伝えます。今朝の午前3時頃に、王国北西の大都市エ・アセナルより竜の軍団300余の襲来の可能性を伝えてきたのです。しかし現在、情報が殆ど何もありません。流石に準備不足の現状では、王国軍は大規模に打って出られず、当面この王都で戦力を整える事しか出来ません。そのため今は、敵地へ潜入しエ・アセナルの状況と敵の戦力の実態を掴むことが最優先となっています。本来これは斥候の役目ですが、相手は竜の軍団。並みの者達では生還の可能性や時間が掛かってしまうと思ったのです。また――王は、可能なら敵の竜の指揮官を決戦前に排除することも期待されています」

 

「「「「――!」」」」

 

 ガゼフやラキュースら数名の表情が更に強張る。

 だが、ラナーの言葉の内容は、いずれも正論を告げていた。戦いに情報は重要である。それも今回は国家存亡に関わる戦いになるだろう。より正確で最新の情報が必要なのだ。そして、指揮官を削れれば敵戦力が大きく下がることは戦の常識と言える。

 事の重要さと、実行の困難さを考えると達成可能なのは、英雄級以上の強さを持つ者達のみだろう。

 今、王女の前に座る彼等はその水準の者達であった。

 

「王女殿下、用件は良く分かりました。しかし……残念ながら、私は王国戦士長としてこの非常時に王の傍から離れることは出来ません」

 

 国王を守ることが最大の役目であるガゼフは、静かにエ・アセナル行きを拒否する。

 そして――。

 

「ならば、申し訳ないが我々も遠慮させて頂きます」

 

 アインズはそう答えを出した。

 すると同時に、ラキュース達『蒼の薔薇』の表情が怪訝に曇る。

 王国戦士長はともかく、目の前の見知らぬ者達は怖じ気付いたと思ったのだ。当然という思いもある。アダマンタイト級冒険者チームですら、手に余る圧倒的規模の敵なのだから。

 だが、それを否定するようにアインズは、整然と続けて理由を述べる。

 

「言っておきますが、我々は臆病風に吹かれた訳ではありません。理由は三つあります。まず――我々は冒険者ではなく、王国にも直接関係が無い事」

 

 そもそも、彼らが今ここにいるのは、先の勲功の後払いである。王国に大した義理はないのだ。それを思いガガーランの表情がムッとなる。だが続く彼の言葉にその表情は消える。

 

「次に、王国戦士長殿がこの地へ残るため。最後の一つは――王都にも戦力を残しておくべきだということ」

 

 つまり、『蒼の薔薇』に何かあった場合や不足の事態でも、独自に王都へ残って友人を守りアダマンタイト級冒険者チームの代わりをしてやると言っているのである。

 

「「ほぉ」」

 

 ガガーランとイビルアイが同時に呟く。

 ガガーランは言葉だけに反応しているが、イビルアイは違う。部屋へ入った時から感じていた、『こいつらは何なのだ』と。

 彼女は強さを探知出来なくても、その装備を見ればおおよその見当は付くのである。王国戦士長の横に座る四名の装備は、普段各所で見る者達の装備品とは明らかに『桁』が違った。

 王国の宝物よりも更に水準が高く、十三英雄達が身に付けていた最高クラスの装備品級か、それ以上の物だと思われた。白い鎧の少女と特に仮面を被った巨躯の男の装備は目を見張る。これまでの250年程の生涯で見てきた中で最高の装備群かもしれない。

 そんな者達が、只の旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の一行の訳が無い。それらの装備品は、金貨を幾ら出しても手に入らない物なのだから。

 装備が身の丈を過ぎれば奪われるのが常。

 

 

 故に――最高の装備品はトンデモナイ強者の証明でもある。

 

 

 アインズ達の装備については、嘗て盗賊であったティアとティナもかなりの良品だと気付いていた。良く分かっていないのはリーダーのラキュースとガガーランだが、彼女らも竜300に臆した様子がない目の前に座る旅の魔法詠唱者が普通じゃないことは理解出来ていた。

 

「そういうことですが、ラキュース。あなた方でお願い出来ますか?」

 

 「え?」と呟きつつ『蒼の薔薇』のリーダーは、横から不意に掛けられた声の方を見る。

 もちろんラナーである。

 王女の表情は申し訳無さそうであった。ラキュースも状況は理解出来ている。困難極める現地の情報をアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』に掴んできて欲しい。そして、可能なら竜の指揮官を屠るという事を。

 だが王女の言葉に、何か違和感を覚えた。

 とはいえ、それは思考の片隅に僅かである。ラキュースは横に座る仲間達の方を見る。今回の依頼はまだ竜の軍団と正面から戦う訳ではない。ガガーラン達も今は他に良案もなく自分達しかいないだろうなという表情だ。

 

「わかったわ、ラナー王女。エ・アセナルの情報収集と敵指揮官の排除について、〝蒼の薔薇〟が引き受けましょう」

「感謝します、ラキュース、ガガーラン、イビルアイ、ティア、ティナ」

 

 王女は目線を落とし頭を下げた。

 一段落したところで、ガゼフが口を開く。

 

「本題である王女様の用件が先に出てしまったが、改めて本日の客人達の紹介をさせて頂きたい」

 

 急ぎの重要任務を熟すことになった『蒼の薔薇』だが、これから旅の魔法詠唱者一行が戦友となる可能性も高く、あと10分も掛からないと考え、ラキュース達も異論はなく頷く。

 その様子にラナーはガゼフを促す。

 

「そうですね。では戦士長殿、お願いします」

「はい。私の隣が旅の魔法詠唱者のアインズ・ウール・ゴウン殿です。その隣から順にルベド殿、シズ殿、ソリュシャン殿です。ゴウン殿、代表して一言頂きたいが」

「分かりました」

 

 アインズは、相変わらず仮面は外さない。

 

「王女様には昨晩お会いしましたが、他の方々は初めまして。互いに最善を尽くして、今回の件を乗り切りましょう」

 

 アインズからの挨拶を受け、ガゼフは王国側で初顔の者達を、右手を使って知らせる様に紹介する。

 

「ゴウン殿達の前に座る、王女寄りの方から順に、アダマンタイト級冒険者チーム〝蒼の薔薇〟のリーダーで、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラ殿、そしてメンバーのガガーラン殿、イビルアイ殿、ティア殿、ティナ殿。あと、王女殿下の後ろにいるのが、王女様付き剣士のクライムだ。ラキュース殿、一言挨拶をお願いしたいが」

 

 ガゼフからの催促を受け、ラキュースは笑顔で話し出す。

 

「初めましてゴウン殿と連れの方々。王都へのお越しを歓迎します。是非、旅先の武勇伝をお聞きしたいところですが、面倒事を手早く片付けてからですね」

 

 アインズからも、ラキュースは有事に余り動じない胆力を持っていそうで快活な娘に見えた。また、王女のラナーは王国一の美人と聞いていたので昨日会った時に大きい驚きはなかったが、このラキュースも全く引けを取っていない事の方が驚きを感じている。同時にその隣のガガーランの女離れした逞しさも衝撃モノであった。だが、アインズは人間を止めている為か余り拒絶感はない。

 挨拶が終わると、ラキュースは立ち上がる。それに続いてガガーラン達も席を立つ。

 

「じゃあ、王女様。ちょっと行ってくるわね。2、3日で戻るから」

 

 やるとなれば、やはり腹を括れるらしい。『蒼の薔薇』のリーダは、まるでこれからフラリと買い物にでも行く程度の軽さで、言葉を友人兼雇い主へ告げた。

 

「みんな、気を付けて」

 

 見送りに席を静かに立つ王女の言葉に頷くと、5人の金髪の女戦士達は部屋を去って行った。

 見送ったラナーも、間もなくクライムを伴い退出する。

 

「では、私達も部屋へ戻ります。お客人には、王城でゆっくりして頂きたかったのですが、こんな事になってすみません」

「いえ、乗り掛かった船ですので」

 

 アインズは、この娘へ、なるべく手短に返す。要注意人物である彼女の控えめに見える笑顔へ、何か異質さを感じていたから。

 実は早朝に非常事態の知らせを受けてから、ソリュシャンへ彼女の動向も探らせているが、お付きの剣士や召使い以外と特に会うこともなかったが……『王の考え』など、彼女がまるでここまでの展開をすべて読んでいる風の感覚を覚えたのだ―――予見通りに。

 王女達が居なくなると、ガゼフも屯所へ戻ると言い、部屋から退出しかける。

 

「あ、戦士長殿、私の部屋まで少しいいですか?」

 

 アインズの言葉と立ち上がる動作に、ルベド達も主へ連動するように席を立つ。

 ガゼフは一瞬考えるも、仕事を後へ回してでも断る理由は全くなかった。アインズからの話というのもあるが、向かう部屋にはおそらく、眼鏡の表情が美しい愛しのユリ・アルファがいるはずだから。

 

 アインズは、このタイミングで反国王派の貴族の件を話す為にガゼフを部屋へ招いた。事前に手紙をくれていた戦士長には、知っていて欲しいと思ったからだ。

 王城内にあるヴァランシア宮殿での宿泊部屋は、寝室とリビングが分かれている。ガゼフとアインズがリビングのソファーへ座ると、戦士長の期待通りユリ・アルファが紅茶と菓子をワゴンに乗せて運んで来た。

 ガゼフの日焼けした精悍な顔が『好きだ』と火照り、急に額へ浮かぶ汗と共に暫し緊張する。

 ユリがカップを手前に置いてくれる時に、彼女の眼鏡付きの表情と髪を結い上げたうなじ、艶の有る唇から「どうぞ」という綺麗で落ち着いた声、豊かな胸が最接近してくる。そして若々しい乙女の良い香りも。彼は年甲斐もなくドキドキしてしまう。

 

「こ、これは、申し訳ない。頂きます」

 

 愛しの女性が入れてくれたものである。冷めないうちにとガゼフはカップへ口を付けた。

 

(――う、美味い! ……妻に相応しい……)

 

 孤高の武人にとっての、(ささ)やかだが幸せの時であった……。

 

 一方、ユリを初め、少し離れたソファーに無関心を装って座っているシズ達までも異様に緊張していた。

 なぜか。

 それはガゼフが、この部屋へとわざわざ『アインズが招いた客』であるからだ。

 新世界に来て、ナザリックの絶対的支配者が外からの者を招待したのはこれが初めて。粗相があっては、至高の御方に『恥を掻かせてしまう』ことになる。

 これは死んでも拭えない事象と言える。

 そのため、この場の給仕については、まだ臨時メイドになりたてと言えるツアレには任せられない大役だった。ツアレは邪魔にならないよう、少し離れた脇の壁の傍へ直立で静かに控えていた。

 忠実なる配下のユリとしては、本来ならナザリックの威信を掛けて豪華盛大に客人をもてなしたいところ。だが、いかんせんここは他国の王城である。馬車で持参している物は非常に限られていた……無念である。

 そんな配下の気持ちをよそに、余り粗相など気にしないアインズが静かに戦士長へ話を切り出した。

 

「実は、こちらへ参る道程で、成り行きでしたがリットン伯の館に呼ばれて、反王派陣営の貴族達へ加勢することになったのです。どうやら私に対し、街道の広い範囲で網を張っていたみたいですね」

「……そのようなことが。何か不利な条件でも?」

 

 アインズの言葉に、浮かれた思考を切り替えた戦士長は、僅かに細めた目線だけを向けて来た。

 

「いえ、特には。反王派陣営は、是が非でも貴方や〝蒼の薔薇〟の方々に備えたいらしく、私へ屋敷や金貨など好条件だけを並べてきました。ここは、断るよりも受けた方が問題も少ないと思ったのです。あちらの陣営の要請でも、本当に内容が良いものならやるべきでしょうし。あと一応、戦士長殿から王国派の情報をこっそり頂く事になっています」

 

 ガゼフという人物が、裏切り行為を良しとしない事は、アインズも分かっているつもりである。だが、臨機応変に適材適所という言葉もある。

 ただアインズは、配下へイカガワシイ欲望で接してきたり、自分を騙して利用しようとした貴族に痛い目を見させる目的は、裏へと隠しつつ言葉を選んでいた。

 

「なるほど。私には無理だが、状況的に断るより選択の幅を広げたという事なのか。……しかし、相手は大貴族達だ。油断や不用意となる行動は避けるべきだな」

「大丈夫ですよ」

 

 ガゼフは釘を刺すように心配するも、アインズの答えに余計な気もした。

 常識で考えれば普通、相手の身分が貴族というだけで震え上がる存在である。平民では、まして個人では虫の様に潰される末路しかない。

 貴族達は領地の中では何をやっても許される。そして、大きい資金力と数十から何百名もの私軍を持ち、時には徒党まで組んで領地内なら逆らう者を好きに罰することが出来るのだ。

 王国戦士長のガゼフと言えども、男爵以上の貴族相手だと、王の助力を得ないと正面からの対抗は厳しい。

 だが、目の前のソファーに座る旅の御仁は、後ろに控えている配下達も含めて只者ではない。何百名もの私軍にも怯むことは想像出来ずだ。大体あの、六色聖典の精鋭部隊50名程を短時間で退けた者らである。如何なる追手が掛かったとしても、全て返り討ちだろう。

 追加でアインズは、朝の事を戦士長へと知らせる。

 

「今日も、朝の7時頃でしたが、反国王派盟主のボウロロープ侯の使いが慌ててやって来て、侯爵の領地の大都市リ・ボウロロールを守るために竜軍団を直ぐになんとかしろと無茶な催促をされましたよ。とりあえず、状況が分からないので動きようがないと断りましたが」

「それは……ラキュース殿達が帰って来れば催促がありそうだな」

「その時は、皆で準備を整えて戦いましょう。領主は兎も角、リ・ボウロロールの市民達は助ける必要がありますし、どう転んでも倒さなくてはならない敵でしょうから」

 

 落ち着いた雰囲気で、アインズはそう返した。

 その様子にガゼフは、先程の会合でも口にしなかった事を、ここでアインズへと尋ねる。

 

「ゴウン殿は、今回の敵――竜300体もの軍団の戦力をどう思うか?」

 

 六色聖典の精鋭部隊50名程を退けた、この御仁の力の底を知りたい、聞きたい気がしたのだ。戦士長は内心で少しワクワクしていた。

 

「強大ですね」

 

 アインズは、ガゼフへ向けた仮面の顔を気持ち僅かに傾けると、まずそう呟く。

 戦士長は同意する形で小さく頷いた。

 仮面の魔法詠唱者の言葉は続く。

 

「恐らく率いているのは竜王でしょう。個が強い軍団を敵にする場合、こちらの後ろに守るべき者がいれば、多くの箇所で局所的に突破され厳しい戦いになると思います」

 

 苦しい内容に聞こえるも、ガゼフの口許は緩む。

 やはりこの御仁は、竜300体を対象にしても『負ける』や『勝てない』とは言わないようだ。守るべき者がいなければどうなるというのだろうか。

 だが、確かに竜300という数は一度には止められない可能性が非常に高い。この王都で城壁を盾にしても上空から来る竜の歯止めにはならない。帝国の兵団を相手にするのとは訳が違うのだ。

 この瞬間、王国戦士長は強大に迫りくる竜との戦いへ、上空も使う立体的戦術や大魔法でも被害が出ない広い場所が不可欠だと気が付いた。

 

「……貴殿が戦うなら王都ではなく、住民の居ない戦場へおびき寄せるか打って出るべきだと?」

 

 今朝午前5時から、王城の広い一室で有力貴族達を集めて開かれた緊急対策会議では、王の勅令により王都へ冒険者達を含めた王国の全戦力を集結させることが決まってしまっている。

 だが、それから先はまだ決まっていない。

 

「そうです。犠牲者から一般民衆を外したいと考えるなら」

 

 アインズはそう言い切った。

 ガゼフは、この事を王へ速やかに進言すべきだとの結論に至る。戦士長は静かに席を立つ。

 

「心得た。陛下へ急ぎ進言させていただく。反王派の貴族達については、この戦いが終わるまで大きく動くことは無いものと存ずる。ゴウン殿の方でよしなに」

「分かりました」

 

 アインズも立ち上がり、二人は堅く握手を交わす。

 ガゼフの去り際に、部屋の扉をユリが開けて見送ってくれる。戦士長は、会釈だけで済まさず、思い切って彼女へと声を掛ける。

 

「アルファ殿。紅茶、美味しかったです」

「ありがとうございます。喜んで頂けて良かったです」

(えっ?)

 

 ガゼフは、目の前のユリがとても嬉しそうに微笑んでいる事へ気が付いた。

 

(ま、まさか……ユリ殿も……俺の事を?)

 

 ドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキ――――。

 

 戦士長の心臓の鼓動が加速する。先の陽光聖典との激戦で、瀕死の窮地に立たされた時以上に。

 だが無情にも、ユリは敬愛する主人が招いたことで『ナザリックのお客となった』彼に、満足してもらえてほっとしていたに過ぎない……。

 一方、ガゼフにしてみれば、眼鏡姿のユリが給仕をしてくれたのである。たとえ彼女に青汁を出されていようと、目の前で躓いてお皿を割られたとしても、不満に思う訳もなくこのトキメキは変わらず――止められない、止まらないだろう。

 

「またのお越しを」

 

 そうユリに優しく告げられ、美しいお辞儀のあと扉は閉じられた。

 そのあと――ユリの事で頭が一杯になったガゼフは、どうやって宮殿内の王の居住区画まで辿り着いたのかよく覚えていない。なにか、年甲斐もなく途中でスキップまでした記憶もあるような無いような……。

 

 

 

 

 ツアレが、カップ類の片付けの為にワゴンを取りに奥へ下がると、いつの間にかアインズの座るソファーの脇に直立で控えていた、邪悪(カルマ値-400)のソリュシャンがニヤリと呟く。

 

「ほぼ、予定通りですね」

「そうだな」

 

 仮面の支配者は、平然と頷いた。

 王国戦士長を決して(たばか)っている訳では無い。

 しかし、早朝の午前4時半にアインズ達の泊まる部屋へ非常事態の知らせが来てから、絶対的支配者が何も手を打たない訳がないのである。

 何をしたかと言うと――。

 

「(ソリュシャン、城内での情報を集めよ。特に会議らしきものについては聞き漏らすな)……」

「畏まりました」

 

 このようにまず、非常時の雰囲気で起き仕事を始めたツアレに気付かれない様、ソリュシャンへ城内の盗聴を小声により〈伝言(メッセージ)〉で指示した。

 そして、その直後。

 

「(〈伝言(メッセージ)〉 ――デミウルゴス、聞こえるか)……」

『これは、アインズ様。何なりと』

 

 デミウルゴスは、ほぼ不休でトブの大森林への侵攻作戦立案や、アルベドの幾分不安定な精神面のケア、またナザリックの防衛面全般の確認に日々当たっている。

 最高の忠誠心を示す最上位悪魔は、多忙であっても自らの事は捨て置き、主の言葉へ直ちに傾聴する。主から直接の指示こそ、彼等NPCの存在意義の証と言える。

 

「(多忙なところ、すまないな)……」

 

 アインズも普段からデミウルゴスの半端ない量の働きは知っているつもりだ。

 恋愛部分でのみだが、不安要素のあるアルベドに対して、すべての面で圧倒的に安定性を持っているのが彼である。

 

『いえ、アインズ様の役に立ってこそのわたくし達でございます。して御用向きは?』

「(実は王都にて、我が名声を高めようと思った段階で、少し急の問題が発生した。これは、多分に軍略も絡む事項のため、デミウルゴスに協力を頼みたい――)……」

 

 その後アインズは、デミウルゴスへ王国の大都市エ・アセナルが、竜の大軍団に襲われた可能性の事実確認を指示。そして、その地は王都より北西国境近くの都市だと大まかに位置を伝えた。

 〈千里眼(クレアボヤンス)〉や『遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)』だけでは、竜に探知される可能性を考えた場合、離れた遠方位置からの確認に留まってしまう。

 それでも概要は掴めるが、やはり現地への直接潜入により、詳細情報が事前に欲しいとアインズは思ったのだ。この情報は、王国の命運を左右する可能性がある。

 

「(――報告の際、王城内では用心のため姿を隠せ。あと一応、同行者にアウラとシモベ数体は加えて行け。竜が相手だからな。あとの人選は任せる。くれぐれも――竜はまだ倒すなよ)……」

『はっ、すべて心得ております。ではアウラとシモベ達、シャルティア、あとは新入りですが〝同誕の六人衆(セクステット)〟のフランチェスカを連れて行きましょう』

 

 このやり取りで、アインズの大まかな考えは、デミウルゴスの中で既にいくつもの展開で完全に形となったようであった。

 また今、王都のロ・レンテ城へ六連星(プレアデス)のうち4人も連れて来ており、ナザリック内では新入りの『同誕の六人衆(セクステット)』達が重宝されているようである。Lv.64の動死体(ゾンビ)盗賊娘であるフランチェスカは、特殊技術(スキル)も豊富だ。

 仲の良いコキュートスを同行させるのではと思ったが、デミウルゴスは先の展開を読んだ上で、やはり堅実に盟友をナザリックの守りに残すことにした模様。

 アインズは、所要時間を確認する。

 

「(2時間で可能か?)……」

 

 すべてが急といえる話。だが――。

 

『では、1時間後に全てを終えまして、そちらへ参ります』

「うむ」

 

 階層守護者3名を含む超精鋭部隊であれば、造作もないようだ。

 これで、有能且つ忠臣のデミウルゴスへの指示を終了する。

 最後の主の締める声に、リビングの片隅で掃除のあと片付けをしていたツアレは、何かしらと主人の方へ一瞬顔を向けてきたが、何事もない雰囲気に仕事へ戻った。

 

 

 そして約1時間後。時刻は朝午前5時半過ぎ。

 東の地平線からは先ほど日が少し昇り、周りは早朝の明るい状態である。

 バルコニーへ開け放たれた大きな窓脇のカーテンが、風の無い状態で僅かに揺れた。ツアレ以外は、不可視の来訪者達に気が付く。

 ユリが自然な形で、ツアレを隣の寝室のベッドメイクへと声を掛け連れていく。

 不可視化のまま既に、ソファーへ座るアインズの直ぐ横まで来て控えるデミウルゴスが、静かに余裕を持った口調で話し始める。

 

「アインズ様、御報告いたします」

「うむ、頼む」

「まず、大都市エ・アセナルに対する竜軍団の侵攻は事実です。そして都市の状態については――もはや壊滅的状況であります。都市の中心に大きめの城らしきものがあったようですが、土台部分のみを残し完全に崩壊していました。そして土台を中心に周辺へ広がっていた街並みも同様に大半が倒壊し、現在も広範囲で炎上中です。明日には市街地の数キロ四方が瓦礫の焼け野原でしょう。大都市を囲んでいた高い外周壁も一部を残して破壊されていました。更に、都市周辺の主な集落もまだ竜軍団に攻撃され炎上中。城塞都市でありながら短時間に内側から壊滅的な一斉火炎攻撃を受けたことで逃げ場を失い、あくまで概算ですが憐れな人間達の死者数は――30万人を下らないかと。生き残った者は、周辺へかなり逃げ散った風でしたが、数万単位で捕虜になっているのを確認しました」

「……そうか」

 

 トンデモナイ被害が出ている模様である。デミウルゴスらは〈転移門(ゲート)〉を使っての移動であるため正にリアルタイムの報告内容と言えた。

 

「次に、(ドラゴン)の軍団についてですが、総数は計309体。レベル最高は竜王が1体おり89です。その配下に3体の副官がおり各、60、59、57。この他にもレベル50を超える個体が3体います。軍団のすべての竜がLv.25を超えており、30を超えている個体数は277体、40を超えている個体数は42体でございます」

 

 種族が強固な(ドラゴン)でLv.50ともなれば、プレアデスの面々でも苦戦する水準である。

 ということは、王国軍が全軍をあげても普通に敗北すると思われる。

 

「ほぉ……中々の戦力だな」

「はい。我々階層守護者でも、単独だと油断は出来きない規模です」

「その竜王とは、どういう奴かな」

「申し訳ありません。戦闘になると思われたので、近くには寄れませんでした。かなり探知能力の鋭い個体の様です。アウラの接近に気付き掛けましたので」

「……そうか」

 

 Lv.100であるアウラの隠形は普通ではない。この竜王は、高度な職業レベルや特殊技術(スキル)を併せ持つと考えるべきだろう。普通に考えれば、この世界の生まれながらの異能(タレント)は人間種だけのものではないはずだ。

 アインズは仮面の中で目線を少し横へ外し、元に戻すと口を開いた。

 

「レベルも89か。慎重に対応すべき相手だな」

 

 最早、アインズの上位各種無効化の特殊技術(スキル)を超えて、普通に攻撃が通ってくる対等といえる相手の登場である。

 (ドラゴン)の場合、シャルティアの様に全てのステータスが高くなる傾向だ。この高水準の竜と、ガチでの勝負となればアインズも用心が必要になる。

 ここで、不可視化のままデミウルゴスの横に控えていたシャルティアが進言する。

 

「愛しの我が君。何卒、(ドラゴン)退治の際は私へお命じくださいまし。その暁には全力の完全装備の上で、竜軍団全てを単騎にて撃破して御覧に入れますえ」

 

 シャルティアは、武技使いを逃した先日の失態を挽回する絶好の機会だと、決意硬く戦闘には自信のある表情で申し出ていた。

 彼女の武装は非常に強力である。全力時に装着する真紅の全身防具は伝説級(レジェンド)アイテム。そして先端が鋭く硬い槍状の強靭な武器『スポイトランス』は、相手に与えたダメージの数割を自らのHPへ変換吸収出来る神級(ゴッズ)アイテムなのだ。

 確かに、彼女の全力装備ならば単騎でも、300体超の竜軍団を十分撃破可能といえる。伊達にナザリックの階層守護者で序列一位ではない。

 アインズも先日の失態の件からの申し出という事は分かっており、可愛い配下に何か挽回の機会を用意してやるのも支配者の度量だと思えた。

 それに竜の数が多い為、ルベド以外に非常時用の後方待機で不可視化のシャルティアに居て貰えれば安心だろう。シャルティアなら抜け出した竜が数体居たとしても瞬殺出来る。

 

「そうだな……。シャルティアよ、考えておこう」

「は、はいっ。あぁ、我が君~。感謝で一杯でありんす!」

 

 自身の身体を抱き締める様に喜ぶ彼女としては、失態に対し主からのねっとりとした直接的の罰でも良かったのだ。また、椅子の様に背中へでも座ってもらえれば至福である。

 だが階層守護者の一人という立場を考えれば当然、役に立って至高の御方とナザリックへ貢献出来る方が良いに決まっている。

 シャルティアは、顔を赤くし目を潤ませアインズに感謝していた。

 そんな吸血鬼少女の嬉しそうにする姿へと、シモベ達を後ろに控えさせているアウラが、表情へ嫉妬心丸出しで話し出す。

 

「いっつもずるいわね、シャルティア。なら、あたしだって――」

 

 再びトブの大森林で主様と手を繋ぎ、二人寄り添っての散歩を所望するアウラも、一歩踏み出し名乗りを上げようとする。だが、そこでデミウルゴスがストップを掛けた。

 

「アウラ、今回はアインズ様の名声を上げる事が優先事項です。功を競う所ではないよ。君の力は森への侵攻時まで取っておきたまえ」

「――ちぇ、わかったわよ」

「焦る事はないぞ、アウラ」

 

 そう言って、ソファーに座るアインズは、前へ出て来て残念顔でいるアウラを慰めるように、手を伸ばし優しく金色の髪をナデナデしてあげる。

 

「はいっ。我儘を言い掛けてすみません、アインズ様っ」

 

 ここでまさかの支配者からのナデナデに、アウラは頬を染めて一気に機嫌を回復する。

 すると今度は同行していた新参の少女が口を開いた。

 

「至高様ー、フランチェスカでーすっ。ミーも頭、撫でてくださーい」

 

 彼女も至高の41人が制作したNPCである。今のところ役職は無いが、ナザリックでの地位は上位にある。そしてアインズにとっては、仲間であるチグリス・ユーフラテスさんの可愛い子供の一人と言える。

 不可視化中の彼女の姿は、白い髪飾りの付くオレンジ髪を些か長めのツインテールに、少し生地が多めの中東の踊子風に近い青メインの衣装。胸当てに黒い金属製の防具を付けている。(くるぶし)上ぐらいまであるブラウン系のショートブーツを履いて、背中側の腰へ剣を下げている眉の凛々しい目元のぱっちりした可愛い盗賊少女である。

 どうやら、至高の御方からナデナデを受けたアウラの表情で、とても興味が湧いたらしい。

 ナザリックの女性陣では、至高の御方からのナデナデが非常に注目されており、大きな話題の一つである。一般メイド達でも、運が良ければ撫でをしてもらえていたからだ。

 ちなみに、ナデナデ回数の首位は他の追随を許さずマーレが独走中である。そして、今ここにいるメンバーでは、意外にシズ・デルタがトップだったりする……。

 

(さて……)

 

 アインズはフランチェスカの要望につき、刹那に考える。

 シャルティアとアウラの反応を見ると、皮肉や止める様子がない。このことから、今回の件も含めナザリックでは十分といえる働きをする子なのだろう。また、口調は独特だが、皆との関係も悪くない様子。

 それに第一、可愛い配下の願いを断るのは可哀想である。

 

「よしよし」

 

 アインズは撫でてやった。

 オレンジ色の赤毛風の髪は、柔らかでサラサラである。大浴場も使っているのか広がるリンスの香りも心地よい。思わず爽やかさの広がる気持ちになっていた。

 一方、撫でられているフランチェスカは――とてつもない衝撃を受ける。

 

(な、なんて、スイーティーな御手なんでしょー)

 

 甘く見ていたのだ。ナザリックの絶対的支配者の腕より伸びてくる御手から翳される、目に見えない圧倒的な特殊キラー要素の満ちたオーラ力を。

 

 それは――絶望のオーラではない事を知る。

 

 気が付けば、フランチェスカの両頬は真っ赤に染まっていた。

 

 時刻は午前6時前。

 ポヤポヤの表情で体が固まってしまったフランチェスカは、すでにシズに抱えられて火照りが引くまで部屋の角へと速やかに移動されていた。

 デミウルゴス達により知らされたエ・アセナルの情報を聞いたアインズは、これからの事を考える。

 

 そう――どうすれば最も『アインズ・ウール・ゴウン』の名を効率よく世に知らしめることが出来るのかと。

 

 王都へ来た当初は、国王からの評価とアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』達と共闘し同等の力があるという評価を得て、それらを元に名声を広めようと考えていた。

 試合形式で対戦し『蒼の薔薇』を破るという手もあるが、ラキュース達の名をただ下げては効果面で低いように感じたから。

 とは言え、共闘して向かう敵は中々居ないように思われる。なので、想定していた敵は、『蒼の薔薇』よりも少し弱い程度の者達がいればいいという余興感の強い考えをしていた。悪漢の大貴族辺りをいくつか生贄にしようかと思っていたところである。

 しかし、状況は劇的に変わった。

 

 今は『蒼の薔薇』が居てもいなくても、十分に名を轟かせられる敵が現れたのだから。

 

 まだ会って力を確認していないが、『蒼の薔薇』がアダマンタイト級冒険者チームと言えども、300体の竜の軍団には歯が立たないと思われた。

 皆の前で、アインズが当面の考えを述べる。

 

「私が動くのは、アダマンタイト級冒険者チーム〝蒼の薔薇〟や王国が窮地になった時だ。それまでは極力後方で待機する」

「流石でございます。それがよろしいでしょう。恐らくこの国の戦士長は、王のいるこの王都を離れますまい。ですから、共に残られると宣言されれば、友の為と後方の予備戦力となり全く非は無くなりましょう」

「……私もそう考えている」

 

 デミウルゴスは、不可視化のまま口許に笑みを浮かべると恭しく頭を下げた。

 とりあえず急ぎの用件が済み、デミウルゴス達はナザリックへと帰還する。

 去り際、デミウルゴスは支配者へ注意を促した。

 

「もし、王国戦士長と共に残られるとの意思を表明された後、どこかで王女の反応をご覧になられる機会がありましたらお気を付けを。それが〝当然〟と感じる態度の場合、こちらの考えをほぼ把握されている可能性がございます。あの娘は恐らく〝蒼の薔薇〟も駒としか見ておりません――」

 

 ツアレ達が隣の寝室からリビングへ戻って来たのは、この1分程後であった。

 

 

 

 ガゼフがアインズ達の滞在部屋から去った後、閉めた扉から戻って来るユリに目を向けながら、ソファーに座るアインズは唸る様に低く呟く。

 

「あの〝黄金〟とかいう王女の笑顔……(こちらの動きや狙いも分かっているという事か。そして、自ら集めてお膳立て。ナザリックの外に置いておくのは怖いな……)」

 

 『駒は――〝捨て駒〟にも成り得ます』と言った、デミウルゴスの最後の言葉を思い出しつつ。

 

 

 

 

 

 ラナー王女の命を受け、王城を後にしたアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』は、最高級宿舎を完全装備で出て来ており直ぐに行動を起こしていた。

 冒険者チームである彼女達は、ほぼすべての権力から独立した部隊。それゆえに、軍などに縛られずに動く事が可能であった。

 早朝から王都内では、国王の勅命により非常事態が宣言されており、軍馬や兵達が徴兵を告げる立て札設置や、市民が輪になり役人が食料や物資の買い占め禁止の宣言書を読み上げる光景が各所で見られた。

 竜軍団出現の噂は早くも王都全域、そして周辺へと急速に広がりつつある。

 ラキュース達は、急に起こった非常事態で不安に駆られている市民達を落ち着かせ、鼓舞することも忘れない。彼女達『蒼の薔薇』は非常に有名であり、いざと言う有事の際の希望や心の支えの象徴の一つでもある。

 大通りが交差する広場のど真ん中に一際大きく人垣が出来ていた。

 その中心で、イビルアイの〈全体飛行(マス・フライ)〉により五人は僅かに浮かんだ状態で静止している。

 ラキュースが皆に告げる。

 

「みんなー、何も心配は要らないわ! 私達がこれからちょっと見てくるから。帰りに何枚か竜の革を持ってくるかもね」

「リーダーには負けないよ。持ち切れないほど、竜の革を取ってやるさっ!」

 

 ガガーランも力強く大口を叩く。

 「おおおおーーっ」と言う民衆達皆の期待の籠ったどよめきが起こる。

 竜という伝説的な恐るべき亜種に、人間は余りにも弱すぎるという自覚を持つのだ。その中で、英雄級の者が力強い言葉を放つ事で、人々も少しだけ力を貰えた気がして希望が持てるのである。

 

「頑張れーーーっ!」

「頼んだぞーーー」

「期待してるよーーーっ!」

 

 子供達や婦人達、屈強に見えるオヤジ達までが、人間種の英雄へ希望の声を掛けた。

 

「じゃあ、行ってくるからっ!」

 

 リーダの声を受け、イビルアイはそのまま微速で空へ上がり、30メートル程上空に一旦静止すると、北へ向かい最大加速で王都リ・エスティーゼを後にした。その姿はどんどん小さくなり、外周壁越しに数分で市民達の視界から消える。

 素早い〈飛行〉に、広場の人垣は湧いた。

 

「すげーーー」

「我々の救世主だぁ!」

「負ける気がしねぇ」

「うおー、俺もやるぞーーー」

 

 アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』の出立の雄姿はあっという間に『希望』として王都中へ、そして周辺へも広がっていった――。

 

 王都を少し離れるとイビルアイは減速する。王国北西の国境に近い大都市エ・アセナルまで直線で約160キロ。無理ではないが流石に全速では魔力を大量に消費してしまう。

 

「夕暮れまでには着きたいわね」

「大丈夫だと思う。まだ10時過ぎだしな」

「着くまで、寝てていい?」

「あたしも」

「……好きにしろ」

 

 ティアとティナに、飽きれつつ仮面の小柄な少女は言葉を返した。

 

「途中で飯はいらないんだな?」

「「それはいる」」

 

 ガガーランのツッコミへ、ハモるように双子の姉妹は答えた。

 

「それにしても、ゴウン殿は中々の人物の様ね。早く武勇伝を聞いてみたいわ、とっても楽しみ」

 

 ラキュースが、アインズ達の事を切り出す。

 

「リーダー。あれ、本気だったのかよ?」

「もちろん。それに、先日の陽光聖典との戦いも気になるわ。王国戦士長殿と王国戦士騎馬隊を完全に圧倒する為に、私達の時の3倍程の人数がいたのよ? おまけに草原で包囲されて戦ったって聞いたし。それだと恐らく魔法の集中砲火を浴び続けるはずなんだけど、どうやって戦ったのかしら」

 

 自分達が3年ほど前に戦った時は、まだオリハルコン級冒険者チームで、メンバーもイビルアイではなくリグリットが居た頃で、亜人の村のあった森を利用して巧みに誘い込み各個撃破し撃退したのだ。

 まさか、アインズ達が魔法詠唱者45名の召喚した天使のモンスターを全て乗っ取って利用し、魔法力を奪って魔法の使用までも封じてみせたとは、想像も付かない様である。

 ラキュースは、英雄譚に興味津々だ。

 彼女達『蒼の薔薇』より強い者の知人といえば、リグリットなどもう十三英雄ぐらしか居ない。

 同等の者達も王国の冒険者チーム『朱の雫』であったり、帝国の『銀糸鳥』であったりする程度でとても数が少ない。

 だから、ものすごい戦いの話は、叔父のアズスぐらいにしか聞けないのが現状だ。

 そこへアインズ達が現れたのである。実際に会ってみて、かなり強そうに感じた。

 まず気に入ったのは、『蒼の薔薇』の自分達や王女を前しても腰が低くならないところ。強者や勇者はそうでなくてはいけない。そうあるべきなのだと――これは、ラキュースの持論である。

 最近は異様に冒険者達からペコペコされすぎて、うんざり気味になっていた。

 それと一般的に、実力の有るチームのリーダーは剣士が多かったりする。それがゴウン達旅の一行は魔法詠唱者(マジック・キャスター)なのだ。『銀糸鳥』のリーダーは吟遊詩人だが、ゴウン氏の様に明らかに魔術師(ウイザード)風というのは、かなり珍しい。カッコイイではないか。

 ここでイビルアイが口を開く。

 

「あの仮面の人物は、相当強いぞ。あんな凄い装備群を見たのは生まれて初めてだ。装備だけなら十三英雄以上かもしれない」

「えぇ、本当にっ?!」

「まじかよ」

「「……おっさんに用はないけど、ヤルな……」」

 

 さらに、仮面の少女は話し続ける。

 

「あと通常は、凄い装備でも一つまでだ。しかし、あのゴウンという人物はあのローブにしろ、ガントレットにしろ、全身にいくつももの凄いアイテムを装備していた。隣の少女の白色の鎧もな。一体どこでそれらを手に入れたのか。王国周辺では見た事も聞いた事も無い特別な装備ばかりだ。もしかして……彼らは大陸のずっと東方から戦い抜いて、ここまで来たのかもしれない」

「「「「――!」」」」

 

 大陸の東方は、亜人の国家が乱立する世界。

 そして、そこで人間達は圧倒的な弱者なのだ。だがそんな地から旅をし、のし上がってきたとしたら――。

 

 真の強者達なのかも知れない。

 

 

「すごーい! カッコイイっ!」

「まさかな」

「……もう寝る」

「……同じく」

 

 ラキュースは、ぽつりとここまで言わなかった事をつぶやく。

 

「それにしても、彼の連れている横の子達は凄い美人揃いで驚いちゃった……」

「「…………」」

「……白い鎧の子は特に」

「少年が何故いない……」

 

 他のメンバーも同じ感想だった模様。

 

 そんな和やかな雰囲気も、日が大きく傾いた頃にエ・アセナルの光景が見えるまでであった。

 

「なに、あれ……?」

「……酷い」

 

 特に目の良いティアとティナが最初に呟いた。

 『蒼の薔薇』の5人は、過去何度かこのエ・アセナルの地を訪れている。壮観に広がる大都市があったはずである。

 それが遠方にドス黒い姿と、そこから薄い煙が幾筋も立ち上っていた。

 遠く極小の点で数十体舞う(ドラゴン)を視認したラキュースは叫ぶ。

 

「急速降下して! 匍匐飛行に切り換えましょう」

 

 匍匐飛行によりエ・アセナルまであと5キロほどまで迫ったところで、彼女達は地上の林へと降りる。そこからは周辺の街の廃墟や林の木々沿いに都市を目指した。

 ところが日暮前になり、あと2キロまで来た時点で『蒼の薔薇』の前進が止まる。

 この距離からは暫く隠れる場所が少なく、上空の数十体飛ぶ竜達に見つかってしまう可能性が高くなったのだ。竜は夜目も利くため、日没によって夜陰に紛れての移動も期待できない。特にガガーランとラキュースは装備の所為もあり、素早く移動出来なかった。

 

「私達が行ってくる。みんなはここで待機していて」

 

 廃墟の中に潜り込んでいた5人だが、ラキュースへティアがティナとの斥候をかって出た。

 彼女達は忍術により、影や闇を渡れるため竜達に視認されずにこの先も進む事が出来る。都市内へも問題なく到達できるだろう。『蒼の薔薇』として戦力的に一旦分散するが、概要的な情報も早く欲しいところだ。

 

「じゃあ、街中の様子や竜達の重要点を調べて、1時間半後にここへ戻って来て」

「「了解」」

 

 魔法詠唱者のイビルアイは、双子姉妹にも付いていける力量があるのだが、彼女らの後方支援で残ることにした。

 ティアとティナは、廃墟の影に紛れて移動を開始する。

 そうして日が沈み始めた頃に、多くが倒壊し崩れ去った外周壁の残り部分へと辿り着き、そこから都市の中の光景を垣間見る。

 そこには、以前の華やかだった街並みや商いでにぎわう商店の痕跡など欠片もなかった。

 視界の果てまで、全てが割れたレンガや砕けた石や燃え落ちた木材などの瓦礫により埋め尽くされていた。

 

「……全滅?」

「周辺から竜以外の気を感じない……」

 

 気が付けば、視界のそこかしこに炭に変わった嘗て人だったものが有ることに気付く。正に地獄絵図である。

 ティアとティナの記憶には、都市の中央部に石垣の有る城があったはずも、石垣の大半を失い広い丘の形で地肌がむき出しの土台しか残っていなかった。

 

「何が……」

「一体どうすれば、こんな……」

 

 (ドラゴン)がやったであろうことは推測できるが、広範囲に地形そのものが変わっているのである。どれほどの力が、威力があればそうなるのか想像出来ない。

 近代では、周辺の人類国家でこれほどの被害を受けたことは無く、忍術姉妹には比較する事象が思いつかなかった。

 強靭と聞く竜の筋力すら超えている被害状況から、超火炎砲を使ったであろう事は推測できる。それにしても圧倒的力量を感じさせる破壊力だ。

 これまでで、イビルアイの真の全力攻撃を見たことはまだないが、彼女にこれだけのパワーが出せるだろうか。何とも言えない不安だけが残った。

 20分ほど都市の南方地区を移動し、壊滅的な被害状況だけは確認出来た。

 しかし、生存者には未だ一人も遭遇出来ていない。

 

「時間が無い。(ドラゴン)の戦力について調べる」

「了解」

 

 なんとか、先の城を破壊した個体と指揮官級の個体を把握したいところである。

 ティアとティナは、慎重に移動しつつ、周辺から仲間へ指示する竜だけを追った。

 15分程見ていると十竜長と百竜長が居るようなのが分かった。そして百竜長1体を特定する。その百竜長へ指示をする者が恐らく軍団のリーダーであろう。竜王かもしれない。

 ティアとティナは、百竜長を追いながら瓦礫の廃墟を移動し周囲へと目を凝らした。

 そして、5分程経った時のことだ。

 

 

 

「――このゴミどもめ、何をしている?」

 

 

 

 まるで頭の中へ直接流れ込んでくるかの声であった。

 その瞬間、瓦礫の影に潜んでいたティアとティナであったが、死を直感する。

 都市を焼き払ったであろう、広範囲に影ごと石も溶ける高熱の超火炎砲で炙られれば逃げ場はないと……。

 二人は同時に、茜色から蒼くなりつつある空を仰いだ。ほぼ真上である。

 

 そこには上空高く、大きな竜が1体だけ羽ばたいていた。

 

 

 




薔薇は――美しく散るのか、摘まれてしまうのか、はたまた棘を刺せるのか……。
次回に乞うご期待。


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STAGE24. 支配者王都へ行く/暗躍ノ衆ト薔薇ノ棘(8)

 焼け落ちた惨状の大都市、エ・アセナル近郊の廃墟の中で、アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』のリーダーであるラキュースは、物陰から上空と周辺の様子を慎重に窺う。

 

「もの凄い数の竜ね。普通は英雄譚や絵物語だと大抵単体なのに。まるで……この世の終わりみたいな光景だわ(ノートにも書かなくちゃ)。大丈夫かしら、ティアとティナは」

 

 蒼の薔薇は、エ・アセナル都市長のクロイスベル子爵より、竜軍団襲撃の可能性を知らされた王都から、ラナー王女の独断的といえる依頼でこの地の情報を持ち帰るべく潜入途中である。

 しかし彼女達は、この先暫く隠れる場所が少なくなるため全員での移動が難しい事から、まず身軽で忍術を使えるティアとティナの双子姉妹を斥候に送り出していた。

 

「俺達の中で、最も潜入に適した人選じゃねぇか。それに、二人一緒だ」

「知らせがあれば、私もすぐ動ける状態で待機している。あの二人は"蒼の薔薇"のメンバーだ。心配いらない」

「そうね」

 

 ラキュースは、上空の様子を横へ見に来ようとするガガーランと、奥に座るイビルアイの方へと振り向き、一瞬弱く微笑む。

 ここへ到着するまで、心のどこかで『まさか竜の軍団なんて』という気持ちを持っていたが、もはや目の前に広がる無情を極めた現実に嘘は存在しない。

 彼女はリーダーとしてその先も見ている。情報を得た後に指揮官級の竜を削り、王都へ帰ったとして、そのあとどうするか……どうなるのか。

 今回の竜軍団は、『蒼の薔薇』結成以来、最高に困難な戦いである事は間違いない。過去、チームで難度140近い魔獣の群れを倒しているが、今度のは質と量でブッチ切っている。

 

(アズス叔父さん達のチームや、国中の冒険者達の総力を結集しないと、殆ど一般人の農民達が主力を務める王国軍では(ドラゴン)と戦いようがない。でも、体制を整えるそんな時間があるのかしら)

 

 相手は身軽に空を飛んでくる存在。まずそれが浮かんだ。

 そして、これだけの圧倒的といえる暴力の脅威に――本当に勝てるのかと。

 一方で、出発直前に会合した、ゴウンという仮面を付けた巨躯で凄い装備の旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)とその一行のことを思い出す。

 

(……スレイン法国の六色聖典の精鋭を、短時間に撃退したという信じられない実力が本当であってほしい。これだけの竜の数では、どう考えても冒険者達の連合で逃げ回る風に引き付け、なんとか耐え凌いで時間を作り、後方や脇から精鋭の冒険者達で手早く狩っていくしかないわ。完全に、アダマンタイト級でも手に余る。正直、リグリットら十三英雄級の戦力が居て欲しい)

 

 彼女の考える戦術には、出来るだけ力のある強い戦力が是が非でも必要であった。

 

「おい、動きが――」

 

 ガガーランの言葉に、イビルアイも寄って来る。ラキュースもガガーランの視線の先へと向いたその時。

 

 

 

 ――都市の外周壁内と思われる上空の300メートル程の一点から斜め下へと、巨大な竜巻状の火炎が火柱の様に地上へと放たれていた。

 

 

 

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)であるゼザリオルグ=カーマイダリスの放った戦慄の一撃、〈全力火炎砲(フルフレイムバスター)〉である。

 それは二名の人間種(ゴミ)共を見つけた直後に躊躇なく放たれていた。

 不用である。

 この時点と、この状況で生き残っている人間など、奴隷にするには都合の悪い『強い』人間だから。

 だが、味方の1体が()()()射線付近に入ってきたため僅かに狙いをずらしたものになった。

 

(!? っ……)

 

 竜王は険しい表情になる。だが、味方に怒った訳では無い。

 煉獄の竜王ゼザリオルグは、人間種には過酷だが、同種の味方へは結構気を使っていた。

 

「スみマセン、竜王サマ。不意に全身ヲしバラレタカンカクにナリマしテ」

 

 邪魔をしてしまった難度90超えの竜兵が竜王へと謝罪する。

 

「……いいぜ、大差はない。人間種《ゴミ》は燃えたはずだ。お前は、影を掴まれただけのようだな。怪我がなくて良かった」

「アりガトウゴザいマス」

 

 ゼザリオルグは、強力さ抜群の火炎で地面を数メートル抉るほど溶かし、放射状に直径150メートル程もクッキリ広がる巨大な火炎砲の跡を、悠々と上空から見下ろしていた。

 

「……ふん、結果は同じよ。小賢しいゴミどもめが」

 

 そう自然に語る竜王だが、〈全力火炎砲(フルフレイムバスター)〉を放つ瞬間、何か背後にトンデモなく凄い圧力を感じて、悪寒が全身へと走ったのを思い出す。

 

(………)

 

 だが、きっとそれは気の所為である――。

 

 

 

「蒸し暑いっ」

「危なかった……」

 

 アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』のメンバーは、普通ではない。

 双子姉妹は生きていた。

 ティアとティナは死を直感した瞬間から、条件反射的に手分けをして生き残る努力をしていた。

 ティアが妨害気味に時間稼ぎを、ティナが脱出路を探る。単独では自力で脱出出来なかったかもしれない。

 まず幸いな事に、日が殆ど落ちていた事で、膨大に影と闇が地上へあふれていた。ティアは、直ぐになるべく近くを飛ぶ竜兵1体の影を闇越しに全力で掴み、二人の潜む場所と直上付近にいる1体との軸線上に割り込ませようとした。足が地に付いている場合、縛りではその場で動かさない状態にすることしか出来ないが、空に居る者は滑空させて動かすことが出来た差は大きい。

 悪くとも、竜兵の強固に出来た身体が燃え尽きるまで盾になるし、あわよくば躊躇により火炎攻撃が大幅に遅れると踏んだ。そして、ティナは地上の影は諦め、周辺へ積もる瓦礫の隙間から僅かに覗いた、大きめの排水溝を視界の片隅に捉えていた。大都市には結構あるはずの大きい暗渠を期待して。

 時間稼ぎに集中するティアを担いで、ティナが排水溝の闇へ潜り込む。

 二人はあっという間に、右斜め後方の地下3メートルの位置を通っていた暗渠へ降り立つと全力で南方面側に走り出していた――。

 火炎砲の射線が多少逸れた上、石をも溶かす超火力と高圧ブレスでも流石に一瞬で3メートルもの地層全部を貫通することは無理というもの。だが(じき)に貫通するため、その場の周辺に留まることは出来ない。もう一つの脅威、熱風も存在し間髪容れずに襲い掛かってくるのだ。暗渠内を伝って吹き寄せてくる為、離れるのが遅れればそれだけで、大やけどを負うところであった。

 だが、熱は上へ上がっていくものである。地下へ逃げ込むことは、最良の選択であった。

 とは言え、完全には把握していない暗渠内であったため、一歩間違えば行先は袋小路で万事休すも有り得た。

 ――双子の燻製が出来上がっていてもおかしくなかったのだ。

 

「なに、今のは」

「バケモノ……。竜王?」

 

 二人は顔を見合わせる。間違いないだろう。

 先程の場所から1キロは離れた所から地上へ上がり、ティナが廃墟脇から顔を出しそっと北側上空を確認する。

 

「まだアイツ飛んでる。あ……さっきの場所の上空まで、凄い煙が上がってるんだけど。どれだけの威力あったのか……」

 

 過去の敵を考えると、効果範囲の規模と威力から優に難度200超えは間違いないだろう。

 信じられないが、あんなのが居れば、一日足らずで広大であった大都市も灰燼に帰すわけである。

 

「こっちには?」

「大丈夫、気付いてない。どうやら、捕捉範囲は1キロ無いみたい」

「……そろそろ時間だし、ティナ、一旦戻るよ?」

「そうしよう」

 

 双子の姉妹は、圧倒的すぎるあの竜からより遠ざかるように影の中へと消えていった。

 

 

 

 

「ただいま……」

「酷い目に遭った」

 

 疲れた風で近郊の廃墟へと帰還したティアとティナは、待っていたラキュース達に言葉を向けた。すでに、日が沈んで周りは真っ暗である。

 

「あの大きい火炎か?」

「そう。どうやら我々を探知出来たみたい、あの親玉」

「恐らく竜王。でも少なくとも1キロを超えては無理な感じ」

 

 イビルアイの問いへティナとティアが答えた。ラキュースはもっとも重要に考える事項を確認する。

 

「そう。それで……街中はどう?」

 

 ラキュースは、心の中の結論を実際に確認するよう緊張気味で二人を見つめた。

 姉妹は首をゆっくり横に振りながら答える。

 

「全滅……」

「見た限りで、生存者は居なかった」

 

 それから姉妹は、潜入から撤退までの簡単な状況を説明する。

 外壁内側の市街地の酷い状況に、無言でガガーランは目を瞑り、イビルアイは小さく舌打ちをした。

 ラキュースは、気持ちを抑えるもカタキを聞くかの如く少し強く尋ねる。

 

「……指揮官の竜は把握出来たの?」

「少しだけ。親玉以外は百竜長みたいなのが1体と十竜長が10数体程かな。百竜長でも相当の強さだと思う。多分、普通の竜兵でも難度で100ぐらいがごろごろいる感じだから」

「ははっ、豪勢だな。ヤり甲斐があるじゃねぇか」

 

 ガガーランはヤる気満々である。罪も無く死んでいった人々の思いを百倍にして返すつもりでいる。

 ティアとティナも無傷で、体力も十分温存しており、戦闘に問題は無い。仲間の為にどこまでも戦うつもりでいる。

 イビルアイは地上へ降りてから、魔力の回復に努めており、すでに9割9分は戻している。彼女には嘗て十三英雄達と共に人類の為に戦った自負があり、脅威の排除はライフワークになりつつある。皆の前でまだ見せた事のない、とっておきの魔法を使うつもりでいる。

 そして――英雄に憧れるラキュースも、ここが本当の英雄になれるかの試練だと感じていた。この日の為に、普段から妄想と共に自らを鍛えてきたのだから。

 

(これは、引けない戦いの始まり。私がしっかりしなくちゃ。さぁ、ラキュース。カッコよく、必殺技を敵へブチかますわよ)

 

 咄嗟にそんな思いが彼女の心の中へと広がった。

 

「で、どうするんだ、リーダー」

 

 ガガーランが、竜の指揮官を削る作戦について尋ねてきた。

 

「ティアとティナの脱出して来た地下から都市内へ潜入しましょう。竜達も戦いの後だから必ず休むはずよ。それに圧勝で大勝。油断が絶対に有るはずよ」

「そうだな。じゃあ、ヤツラの寝込みを襲うという事だな?」

 

 イビルアイの問いに、ラキュースは――首を横に振った。

 

「起きている奴を倒すわ。第一、宿営地には竜王がいるだろうから、ほとんど探知されてしまうでしょ。目標が、離れた端に寝てる場合は倒せるかもしれないけど」

「そうだったな……なるほど」

「それに、起きている竜は相当少なくなるはずだから。飛翔して、竜王から距離を取った所で狩りましょう。気付かれないようにしないと、チャンスはそう無いわよ」

 

 ここでガガーランが意気込む。

 

「で、どれから狩るんだ――竜王か?」

「――百竜長よ」

「ほぉ」

 

 ニヤついたのは、声を出したガガーランだけでは無かった。

 ラキュースはメンバーへ告げる。

 

「コイツが倒せないと、竜王は倒せないわ。逆に倒せれば、十竜長は十分倒せるということだし、竜王にも手が届くということ。いいわね、みんなっ」

「「了解、リーダー!」」

「「了解、ボス」」

 

 蒼の薔薇は一旦、ティアとティナの影による周辺調査を踏まえて、今居る都市の近郊を離れる形で遠めに迂回し、都市地下から伸びる暗渠に入った。暗渠内の先へは双子の姉妹が、竜が潜伏していないかを影と闇を通して先行する形で調べ慎重に進んで行く。

 こうして、蒼の薔薇は瓦礫と化した都市内へと潜入することに成功した。

 時間は午後9時過ぎ。彼女達は、竜の宿営地と百竜長の竜を探し始める。

 

 

 

 

 

 アインズ様はお忙しい。

 そんなことは彼女も良く分かっていた。

 でも、それでも――。

 

(もう――二日も、その愛しく偉大なるお姿と、凛々しいお顔を見ていませんっ!)

 

 第五層で強制休養のお見舞い時に主よりナデナデを受けて以来、彼女の禁断症状は激しいのである。

 何か養分が、モモンガ様分が不足しているかのような錯覚。

 時間にすれば、お預けはまだ40時間程度なのだが、白いドレスの豊かで形の良い胸の前にて両手を包む形で合わせ、腰から生えた黒い羽を時折パタパタと可愛く羽ばたかせながら、彼女は待っている。先程から、またも仕事を放って……。

 デミウルゴス達が、アインズからの依頼を当然の如く無事に終えてナザリックに帰還したのは、朝の6時15分頃。王城内より〈転移門(ゲート)〉にて戻り、地上から第一階層へと降りて来た。

 墳墓である第一階層の広い石床敷きのそこには、アルベドが静かに立っていた。彼女はすぐさま歩み寄って来る。

 デミウルゴスは、何かあったのかと訝し気味の表情になって声を掛けた。

 

「アルベド、どうかしましたか」

「デミウルゴス、アインズ様のご様子は? どうなの? お元気なの?」

 

 彼女は、ナザリック地下大墳墓を主より直々に任されている身であり、許可なく離れることは畏れ多い。第一、『妻として家を守る』という独自のプライドが、それをさせなかった。だが、飛んでも行きたいのだ。

 アルベドの目はすでにうるうるしている。

 もはや、ご様子ではなくご容態のような、とても心配に満ちた顔を彼女はしていた。

 

「もちろん、ご健在ですよ。大きい問題は起こってません。出発前に貴方へ告げた通り、竜の軍団が遠方へ急に現れただけです。ただ、アインズ様の予想を乱すように竜王もいましたけどね」

 

 その瞬間、アルベドの表情は目から赤く鋭い閃光が漏れ、般若で大口ゴリラの雰囲気へと変貌する。

 

「アインズ様のお考えを乱した……? デミウルゴーース。当然、ソレは跡形も無く排除したのでしょうね゛?」

 

 彼女の膨大に膨らんだ気勢で周囲へ風が起こり、ナザリックの第一階層の床が、ビリビリと地響きを鳴らしていく。

 すると、まだ新参の動死体(ゾンビ)ながらツインテールで可愛いフランチェスカの表情は「ヒェーッ」という驚愕に変わる。

 シャルティアとアウラ達、階層守護者にしてみれば、またかという感じでこれはアルベドの見せる愛のパフォーマンスみたいなものである。

 しかし、フランチェスカは起動して間もないため、Lv.100NPCの軽く本気を出した水準を見るのは初めてであった。つい先程見た強大な竜王のパワーを更に超えているのは間違いない。

 

(ウッハー。守護者統括様、スッゴーイっ! 対峙するだけで死体すら再度即死スルーレベルぅーっ)

 

 そんな守護者統括からの恫喝の如き質問へ、デミウルゴスは穏やかに答える。

 

「アインズ様はソノ無礼の者達も込みで、再度策を巡らされておられたよ。倒すなとのご指示もあってね。我らの至高の御方は深くお考えなのだよ」

「そ、そうよね。殺してはいけないわよね。ああ、アインズ様ぁ」

 

 デミウルゴスが温いようなら、頭突き一発で竜王の額の鱗ごと頭蓋骨を粉砕し、ソノ死体をハンマー代わりに片手で振り回して軍団をすべて肉塊にしてやろうかというアルベドの超越的パワーの考えと、怒りの雰囲気や機嫌が――一気に桃色へと変わる。

 愛しの御方の指示だと聞き、その場で悶え始めていた。

 彼女は、アインズの御意向を極力尊重したいと考えている。何でもいいのだ。たとえ自分の死ですらも、至高の御方が満足し喜んでくれるならば。その為に、存在しご意志を実行するため、傍に仕えているのである。

 なればこそ、絶対的支配者の意向を阻害する者は、全て即、排除対象に成り得る。

 唯一、ナザリック関係施設とその配下達のみが、考慮の対象にはなる。それは、アインズがとても大事にしているものであるから。御方に確認するまでは『死』の強制執行は保留するつもりでいる。

 だが、この考えは階層守護者達を初め、ナザリックに所属する者達其々の考えと大差は無い。

 ここで、シャルティアがアインズの傍では聞かなかった質問を、デミウルゴスへとぶつける。

 

「ねぇ、デミウルゴス。あの都市に転がっていた、山ほどの人間の死体をどうしてここへ運ぶかをアインズ様へ確認しなかったのでありんす?」

 

 シャルティアの声に皆が、この第一階層の広い墳墓の片隅と第三階層の一角には、支配者によって貴重なナザリックの新戦力となる上位と中位アンデッド作成用の死体が数百体保管されているのを思い出していた。

 

「……それはあたしも思ったかな。マーレが十日程前、アインズ様の命で夜中にカルネ村西方の全滅してた村から、埋葬される見込みのない人や馬の死体群を集めたあとナデナデを頂いたって嬉しそうに話してたし」

 

 アウラからも同様の声が漏れた。だが、その質問は、支配者への疑問という形ではなるべく聞かない。それは不敬なのである。これはあくまで、デミウルゴスが主様へ聞かなかった事への疑問なのだ。

 

「ふむ。確かにその答えは、君達には少し難しいかもしれないね。アインズ様の考えは深いのだよ」

「そうよ、アインズ様は不必要である事はお言いにならないわ」

 

 アルベドも正気に戻った頭の中で結論へ辿り着いたようで、デミウルゴスの考えに同調する。シャルティアも悟る。これ以上はアインズ様の考えと異なる方向の話だと。

 

「わ、わかったでありんす。私は、アインズ様のお傍について行くだけでありんすえ」

「あたしだってっ。少なくとも、男ムネの出番はないから」

「あ゛? チビにこそ金輪際、出番なんて無いでありんすよっ」

 

 フーッと、二人の階層守護者は相手の手を其々指の間で合わせる様に掴むと、互いのおでこをぶつけながら睨み合ういつもの和やかな仲良しの光景がそこにあった。

 その様子にデミウルゴスも暫し口許を緩めていたが、「二人ともアインズ様の為にする事があるのでは?」と告げる事でじゃれ合いは終わる。第一階層で解散し彼自身の執務部屋へ戻る頃に、デミウルゴスは少し考える表情に変っていた。

 

 

 

 

 一方、アインズはある事で悩んでいた。

 王都のロ・レンテ城内、宿泊用に与えられているヴァランシア宮殿の部屋で、王国戦士長が部屋を去ってから再度皆で優雅にお茶を終えたあと、ソファーに深く沈むように座って。

 時刻は午前10時半過ぎ。

 

(表面上、王都から動けなくなっちゃったなぁ。どうしようか。エ・ランテルへは、新参で新米の冒険者として何度か行かないといけないんだけど)

 

 そう、アインズは冒険者モモンとしての立場があった。ンフィーレアからの依頼の件も数日後に控えており、こういうブッキング時の為にも手を打ったつもりで考えていた。

 今、支配者から見える室内の視界の片隅に、不可視化のまま直立で静かに佇むナーベラルの姿を捉えている。彼女は忠実に不動だ。ピクリともしない。

 二重の影(ドッペルゲンガー)のナーベラルは、アインズの代役として万全を期し、種族限定アイテム併用までして外装パターンを増やし、話し方や装備類に人間体の身体をも摸して連れて来られていた。

 問題は何もないはずであった……。

 

『……ふむ。下等生物(ウジムシ)の料理にしてはまあまあ結構ですね』

 

 思い出されるのは昨夜の晩餐会での事である。ソリュシャンがそのあと咄嗟に機転を利かせてゴマかし凌いでくれたから良かったが。

 あの後も、少し話をさせてみたものの……ヒドイ。

 もはや、彼女一人では人間相手に何を言い出すか分からない。

 

 社交場で、彼女に一時でも任せるということは――『魔、課せる』と言いエル危険な臭いしか感じナイ。

 

(ウーム……どうすべきかな)

 

 まだ、アインズには秘蔵のカードが有るにはある。彼の自作したLv.100のNPC(パンドラズ・アクター)である。

 しかし……それもどうなのだろう。軍服に身を包んだ姿にあの口調にポーズ群。アインズは先日、地下深くで見たその嘗ての真っ黒の歴史を思い出すように内心で再び唸る。

 

(ウゥゥーーム)

 

 まあ、外装パターンをモモンガやモモンにすれば、そんな恥ずかしい事にはならないはず。それに()()も少し行なった。

 とは言えモモンの外装は、まだパンドラズ・アクターへ登録していないため、ナザリックに戻るかエ・ランテルにアインズ自身が行かなければならない。

 また、パンドラズ・アクターをここへ呼ぶという事は、ナーベラルへ十分に仕事を熟せなかっ(オ前ニハ失望シタ)た事(ゾ!)を突き付けることになるのだ。

 そんな事になれば、『このお役目、盾になって死ぬことに匹敵します』と喜び、随分張り切っていた彼女は……自害するかも知れない。

 支配者としては、大きめの問題があるとはいえ、未だ致命的という失態をしていない彼女に対して、それはとても可哀想に思えた。

 

(そうだな……うーん。エ・アセナルとは距離も有るし、今日明日は、王都で大きい動きも無いだろうしなんとかなるよな。竜軍団の方は、油断は出来ないけれど、戦力的に言えばルベド一人でも絶対片が付くだろうしなぁ……)

 

 先のお茶の席で、なにやら『双子最高』『正にアウラとマーレを見捨てるようなもの』とまで熱弁して某嘆願を行い、「ギリギリまで絶対に手を出すな」と主に念を押され、彼の座る近くに置かれた三人掛けのソファーで静かに監視体制へ移行し、ニヤついているルベドの事をふと考えるアインズとしては、身代わり問題の方がすでに竜軍団よりも難題の事項になりつつあった――。

 

 

 

 この日の昼食の後、アインズは戦士モモンとして漆黒の全身鎧(フルプレート)に二本のグレートソードを背負い、エ・ランテル北西の門から西側へ伸びた街道が通る近郊の森へと現れていた。

 

 結局彼は、影武者(ナーベラル)の失態で王国関係や竜問題に不都合が出る可能性よりも、仲間の娘同然のナーベラルが傷心により自害する可能性の方が高いと踏んだ。つまり、ナーベラル生存の方が当然大事だという結論である。

 今、王城の宿泊部屋のソファーには、仮面(正式名称:嫉妬する者たちのマスク)の()()()を被りアインズの疑似装備姿をしたナーベラルがどっしりと座っている。疑似装備だが、実物に近付けて非常によく出来ており、聖遺物級(レリック)アイテム水準の強度がある。ちなみに仮面は、悲しいかな、アインズのもとにユグドラシルの運用年数分あるという……。

 

 そして、アインズがナーベラルへ告げた厳命はただ一つ。

 

 

「――絶対にしゃべるな」

 

 

 それだけである。姿は完璧に近いのだ。

 傍には妹のソリュシャンを張り付けている。来訪者があった場合は、急に喉の調子が非常に悪くなったと言い張るよう伝えておいた。どうしてもという場合は、ナーベラルがアインズへ〈伝言(メッセージ)〉を繋いでくる事になっている。

 傍にはユリもいるし、なんとか凌いでくれるだろう。

 アインズの考えは悪くなかった。実際数日はうまく行くことになる。しかし、結果を見るとそう考えたのは甘かったのかも知れない……。

 

 モモンは人目の無い少し奥の木々茂る場所へ〈転移門(ゲート)〉を開いたが、すぐに純白のローブを纏い紅い杖を携える魔法詠唱者(マジック・キャスター)マーベロが現れる。

 

「お待ちしていました、モモンさん」

 

 マーベロことマーレともほぼ二日ぶりでの再会である。小柄の彼女はフードを下ろすと両頬を染めながら、とても嬉しそうに笑顔で可愛くたたたっと、周囲に茂る草木を魔法で避けさせつつ寄って来る。

 

「待たせちゃったかな? 少し拠点へ寄ってたから」

「い、いえ、全く」

 

 『拠点』とはナザリックの事。2人とも冒険者の時は、なるべくナザリックに関することはボヤかして話すように努めている。

 マーベロは、今後もこの周辺を利用する事から、有事の際の仕掛けを事前に施す為、1時間程先に単身で来ていた。

 敬愛するモモンガ様に会えるのが待ち遠しく、もちろん作業遅れでお待たせする訳にはいかず、早めに来た上で作業が前倒しに終わり、実のところ30分ほどもウロウロしてしまっていた……。

 

「……では行きましょうか」

 

 マーベロは微妙に小首を傾げたが、拠点に寄った支配者の行動の詮索はせず、そのあとは()()()()()()()し気にすることなく、先を促す形で歩き出そうとする。

 このときマーベロには、ハッキリと見えていた。モモンの右後ろに、不可視化・生命隠しをした上で足を開く形でふんぞり返る風に立ち、左手を斜め下に伸ばしつつ、顔の前へ指の間を開いた右手で覆い隙間から見つめる妙なポーズを決めたあと、こちらへ会釈する明るい土色の軍服姿に卵顔のパンドラズ・アクターの姿が……。

 今日、モモンが彼を連れてエ・ランテルを訪れるのは、モモンの周囲の状況や話し方と行動を見せる為である。外装パターンを模しただけでは『人物』を完全にまねることは出来ないのだ。

 

「マーベロ、ほら」

 

 モモンは、漆黒のガントレットの右手をマーベロへと差し出した。

 

 手を繋いだ二人は、いつもの如く仲睦まじく、大都市エ・ランテルの北西の門を通過する。顔なじみである門番達から例の如く親指を立てられるところまでは同じであったが、大通りへ入って二日前との変化に気付く。

 

「やあ、モモンさん、マーベロちゃん」

「どうも」

「ど、どうも」

「こんにちは、モモンさん、マーベロさん。組合かい?」

「ええ、まあ」

 

 街中ですれ違う人達や店の人々から、気軽に声を掛けられる風になっていたのだ。どうやらモモン達が、近郊の街道に出没していた凶悪と聞く盗賊団を倒した事を知った街の人達から敬意を持たれる事になり、急速に親しみや信用が増している様である。また、それだけの事をしたのが新参の(カッパー)級ということで余計に目立っていた。

 特に、綺麗で小柄で可愛いマーベロは、マスコット的にも見られているのか、林檎を初め甘い果物まで貰っていた……。

 通りを歩きながら周囲の明るい雰囲気にモモンは、あと一つ思う。

 

(流石に――みんな、まだ竜軍団の話は知らないみたいだな)

 

 国王も参加しての王城での緊急会議の内容も、ソリュシャンが持つマスターアサシンのスキルから盗聴によりすべて把握している。だがそれは今朝の話。

 このあと数日中に、国王の直轄地であるこの都市でも、勅命が届いて冒険者を含め総動員となるだろう。

 王都における一連の話は、マーベロへも都市へ入る前の街道を歩く時に、周囲へ気を使いつつ〈伝言(メッセージ)〉を使用して小声で改めて伝えてある。

 また、数日後にはンフィーレアの引っ越しもあるが、アインズ的にこの予定は変わらないと予想している。なぜなら、あの少年はエンリを守るため、余計にカルネ村行きを希望するはずであるからだ。優秀な薬師のため徴兵も有り得るが、王都に行くとしてもエンリへ伝えてからになるだろう。

 問題なのは、冒険者モモンチームの方だろうか。

 だが、まだ(カッパー)の新参冒険者チームという立場。(カッパー)級すらも王都まで呼ばれるかというと微妙という気がしている。地方のモンスターを完全に放っておけるかや、雑然とするのを防ぐ理由から冒険者の質で数を絞るようにするのではとの考えに至る。

 

(……そういえば、一人になっていた(アイアン)級で女戦士のブリタはどうするんだろ)

 

 仲間を失い、只一人で今後に悩んでいた彼女へは、移民絶賛大募集中のカルネ村行きも勧めておいたが。

 恐らくエ・ランテルを初め、周辺都市からの派遣は(シルバー)級以上になるだろう。

 冒険者チーム『漆黒の剣』のペテル達の顔も浮かんできた。彼らの戦闘水準を考えると、竜と戦う戦場は死地以外の何物でもない。竜軍団の低位でも成体なら死の騎士(デス・ナイト)並みの戦闘力と防御力があるのだ。

 それに、残る(カッパー)級や(アイアン)級達も国王の勅命により一部強制される状況になるのではと予想出来た。つまり冒険者モモンチームは、当面都市(ここ)から離れる形の自由行動が取れなくなり、表面上缶詰状態になる可能性が高い。

 

 あれこれ考えているうちに、広場の脇に建つ冒険者組合の建物が見えてきた。建物前の辺りには、数組の冒険者達がいて、いつもの情報交換をしている様子。

 彼等はモモン達に気付くと、手を上げてくれた。冒険者達からも二日前とは違い、もうこの都市で一人前のチームへ向けられている風に対応を感じる。モモンも新参冒険者として会釈を返しておく。マーベロも続いて会釈した。

 彼女は、モモンの行動を常によく見て判断しており、適度に合わせてくれていた。

 マーレをパートナーに選んだのは大正解といえる。なので――忠実で凛々しいナーベラルにも少し期待してしまうのは自然のことであった。

 モモン達は扉を押し開け、組合の建物へと入る。

 

「よう」

「おう、あんた達やるな」

「捕まってた女の子達も生還させたなんて、本当にすごいわね」

 

 来訪者が誰か気付くと、中にいた数組の冒険者チームの連中も、外の連中同様、多くが気さくに声を掛けてきた。

 無論、全ての冒険者達ではないが、向けてくる視線から『なんだ余所者のコイツら』感は随分無くなっている。漆黒の戦士と純白の魔法詠唱者の二人が、自分達の住み守る都市の安全へ貢献してくれたのだ。敵視する道理は段々と小さくなっていく。

 それに、盗賊団の規模は数十人という話もすでに知られており、それを背負う二本のグレートソードで豪快に二刀流で切り伏せた事も噂で伝わっていた。

 やはり冒険者達の間では、実力や実績が大きいということだろう。モモン達の付けるプレートは(カッパー)だが、(ゴールド)白金(プラチナ)級の冒険者からも挨拶声が掛かっていた。

 

「やるじゃねぇかよ」

「いや、無事に助けることが出来てホッとしてますよ。では」

 

 新参冒険者である漆黒の戦士は、そう謙虚に返しておく。

 モモンとマーベロは、まず受付嬢の所で依頼を確認する。

 

「えっと、5件来てますね」

 

 ンフィーレアみたいな人がいないかなと疑心暗鬼で聞いてみたのだが、なんとモモンチーム宛てで仕事が来ているという。それが5件もだ。どうも盗賊団の件は、相当反響が大きかった模様。

 内容を聞くと、護衛が3件、討伐が2件である。

 そして、どれも提示金額が普通の(カッパー)よりもずっと高く、中には(シルバー)級並みの金額もあった。

 いずれもモモンらの噂をすでに聞き、十分と聞く実力を買いつつ、少し安い形でという依頼内容である。

 現在、午後1時半過ぎ。

 さてどうするか。今のところ、ナーベラルから〈伝言(メッセージ)〉は来ていない。

 アインズは、新参冒険者モモンとして直ぐに答えを出す。

 

「じゃあ、5件とも受けます」

「分かりました。では、今日はまずこのあと一時間後に護衛の件からですね?」

「いえ。それまでに、とりあえず討伐の2件を先に片付けてきます」

「は?」

 

 受付嬢にポカンとされたまま、モモンはマーベロを連れて組合を後にする。

 討伐案件は、エ・ランテル郊外南の耕作農場主と南西に広がる森の傍にある大規模果樹園の農家の依頼で、近くの森から来るモンスターの排除。

 この2件は時間に縛られないのが良い。

 護衛の件は、西の森への希少キノコ採取の随伴。今日でなくても良かったが、これは時間的に夕方までに終わる日帰り案件であった。

 後の護衛案件2つは、今日の依頼では無かった。

 迅速な移動には、マーベロによる〈飛行(フライ)〉と第一位階魔法の〈浮遊板(フローティング・ボード)〉を利用した。

 モンスター討伐は、時間が無いので飛行中にマーベロが上空より森の広域を植物経由で探査し、モモンと森に降下して狩り一気にケリをつけた。二か所で小鬼(ゴブリン)豚鬼(オーク)人食い大鬼(オーガ)の計16体であった。死体は耳の一部だけカットし証拠とするのが通例。この作業をモモンがやろうとする前に、マーベロが率先してテキパキと片付けてくれた。

 マーレはナザリックの最高幹部の一角であるが、敬愛するモモンガ様の雑用に限っては全て自分がするつもりでいる。

 二人は討伐を速攻で終わらせて冒険者組合へ戻った。

 すると丁度早めにやって来た、護衛依頼主である中年男性の引く馬車にそのまま乗って一時間弱移動。次に一時間程、きのこ類採取を手伝って無事に帰って来た。

 途中で小鬼(ゴブリン)の集団に襲われ掛けたが、モモンがグレートソードで1体を真っ二つにすると集団は逃げ出したので後は追わずに終えた。

 今日は、モンスターだけで金貨2枚ほど。そして、3件の依頼分は金貨10枚銀貨10枚になった。数時間で金貨12枚以上を稼いだが、モモンとしてはそれほど金額を気にしていない。

 ナザリックでは、材料を森や山から集める予定で、都市を一つ造ろうかという計画もある。

 それに、王都にいるアインズ側の方が遥かに実入りは良いのだ。今朝、六大貴族ボウロロープ候の使いとして飛び込んで来た、黒服のゴドウではなく紺のスーツの男によれば、もう屋敷と金貨1200枚については王都内に用意しているという。その与えられた屋敷までの地図も渡されている。

 元々冒険者としての活動は、この世界の情報を広く集めつつ余興的活動といえた。

 

「お、おつかれさまでした、モモンさん、マーベロさん」

「じゃあ、失礼します」

「し、失礼します」

 

 受付嬢だけではなく、短時間にモンスター17体と依頼3件をあっという間に片付けた、(カッパー)級新参冒険者モモンチームのお手並みに周りの冒険者達も唖然として見送った。

 日が大きく傾いた午後6時前頃、冒険者組合を後にする。

 モモンとマーベロ、そして後方にずっと付いていた不可視化状態のパンドラズ・アクターは――宿屋街へと向かった。

 モモンチームは普段、門から都市郊外へ出て住所不定であるため、数日後に王都からくる勅命に関しての知らせが来ないと考えたのだ。

 なので、それを見越してモモンは、それまで大都市エ・ランテルにて宿泊することにした。

 

 

 

 

 

 王都リ・エスティーゼの南部地区の一角に、その総本部と言える洋館は建っていた。

 玄関ロビーに置かれている結構立派である大時計の針は、晩の10時を告げようとしている。

 建物の外観は普通の商人の御屋敷に過ぎない。しかし、その地下に幾部屋も広がる内装の豪華な一室で今、9人の男女が円卓を囲んでいた。

 その9人の内、8人が奴隷売買、警備、暗殺、窃盗、麻薬取引、金融、密輸、賭博の八部門の各責任者であり、最後の一人がこの館の主にして組織のまとめ役(ボス)である。

 水神の聖印を首から下げた、見た目は50代の温和そうな白髪の混ざった初老の男であった。

 彼の本当の名とボスとしての姿を知る者は、ここにいる8人と、この館でも護衛を含めたほんの一部だ。

 彼が率いるのは『八本指』という、このリ・エスティーゼ王国で最大の地下犯罪組織であった。

 とは言え、八部門は全て独立した部門組織であり、お互いに利権の食い合いから小さなゴタゴタも少なくない。だが、調整しないと大きい潰し合いにもなるので、それを互いに避ける意味でこういう場が出来、現在、組織という形を取っているのである。

 なぜ、八部門長よりもボスが上にいるのか。それは、警備部門のトップが彼に大きな借りが有り、従っているところが大きい。警備部門は、暗殺部門よりもはるかに強力な戦力を有しているのだ。総合戦力は、他の七つの部門を合わせたよりも上かもしれない。

 その警備部門の武力を背景に、他の部門を増やしてもきていた。

 今や、王国内の裏社会の半分以上を既に握っており、大貴族や大商人達の多くと繋がりがある。そしてその年間経済規模は、金貨で200万枚以上を誇っている。

 ここにいる9人だけで、年収合計は金貨30万枚程もあった。

 ボスは、8人の部門長を見回すと、会議の進行役の形で静かに話し出す。

 

「さて、本日集まってもらったのは他でもない。王国内へ竜の軍団が侵攻して来ているという件だ」

 

 ボスの話は、8人の部門長も今朝からすでにあちらこちらの噂等で耳に届いていた。

 

「竜が300体って規模は本当なんですかい?」

 

 賭博部門長の青いスーツ姿の男が、裏を取っているのかと尋ねる。

 それに対して、金融部門長の貴族風衣装で鼻の下へ威厳を示すが如く髭を持つ細めの若い男が説明する。

 

「確かですよ、今日の昼過ぎに御贔屓の子爵様より、エ・アセナルからの飛竜(ワイバーン)による知らせが早朝3時頃届いた事を教えられましたので」

 

 麻薬取引部門長の三十代風の綺麗で色気のある女、ヒルマが、溜息交じりに首を振る。

 

「はぁ、嘘であってほしかったわね」

 

 正直全員が同じ気持ちであろう。記憶というか歴史的に見ても、そんな規模の侵攻は最近の200年で聞いたことが無いものである。本当であるなら襲われた都市は、甚大な被害が出ているだろう。

 知らせからすでに一日近く過ぎている事から、エ・アセナルは攻撃され破壊された可能性が高い。

 あの大都市にも、『八本指』系列の大きい裏社会市場があったのだ。組織にとって、未曽有の大打撃と言える。

 

「うーん。連絡の冒険者達を走らせているが……」

「ウチもエ・アセナルに支部があるから一応、昼過ぎに確認の〈飛行(フライ)〉の使える魔法詠唱者部隊は出したがな」

「俺の所もだ。本当なら、えらい損失だ」

 

 組織が部門で独立している分、部門内での確認もバラバラである。

 そして皆、諦め気味だ。竜の軍団が相手では極悪集団の連中と言えどもお手上げである。

 奴隷売買部門長の、男ながら細身のオネエ系という雰囲気のコッコドールが願望を口にする。

 

「ねぇ誰か、隣国の竜種とのパイプはないのん?」

 

 隣国アーグランド評議国の亜人種達とは残念ながら、商人同士でも殆ど繋がりが無い。

 

 それは――商売にならないからである。

 

 亜人種達と人類の商人は、殆どが相手に奴隷の如き不平等な契約しか結ぼうとしなかったのだ。八欲王時代の500年から続く底深い恨みの連鎖も影響している。

 だが、それはお互い様ともいえる。

 交流が存在するものは、密かで細々としており、個人規模の水準に留まっていた。それは決して拡大することなく、少しでも大きくなれば内と外から潰されていった。

 そのため、昔から直接の組織的での商業交流や国交はほぼ存在していない。

 アーグランド評議国を初め、亜人種達は強靭である肉体とかなりの知力を持っており、生物として劣等と言える人間種に対してまず媚びることはしない。

 関係改善は、今後も絶望的と言え、生半可な事では無いだろう。

 

 そんな状況だが、ボスは手を(こまね)いている訳にはいかない。竜軍団が、他の大都市や王都を襲えば、被害が広がりどんどん闇市場を失う事になる。

 この状況は、八本指存続の危機と言って良かった。

 ボスは、静かに語り出す。

 

「竜軍団に対して、有効となる手を打とう」

 

 この言葉に、大柄で筋骨隆々とした警備部門長の男であるゼロが、確認するように尋ねる。

 

「ボス……それは竜相手に、戦うと言うんじゃないだろうな?」

「そのつもりだが?」

 

「「「「「「――っ?!」」」」」」」

 

 その言葉に、円卓に座る部門長の多くが、驚きと疑問符の付く声を一斉に漏らした。

 周囲に構わず、瞼を一度閉じ、カッと見開いたボスの少し大きい声の言葉がその場に響く。

 

 

 

「竜軍団の指揮官の竜達を――――暗殺しろ」

 

 

 

 部門長達の騒めきが止まる。

 ボスは、続けて概要の説明を始める。

 

「反王派のリットン伯爵からの依頼だ。大都市リ・ボウロロールが襲われる前に達成せよとのことだ。恐らく反王派盟主のボウロロープ侯が焦っているのだろう。六大貴族とは言え致命的な損失になるからな。こちらとしてもここで食い止めたい。我らと利害は一致している。軍団長を倒した場合の報酬は――金貨2万枚だ」

 

 全身黒服に紺のローブを纏う暗殺部門長の背の高い男が呟く。

 

「……王国中の冒険者達へは、竜1体に付き金貨300枚という触れが知られ始めているな」

「そうだ。その延長でもあるが、今回はこちらも死活問題だからな。乗っからせてもらう。警備部門長のゼロが中心で、戦力を整えてくれ」

「……仕方ねぇな」

「………」

 

 ゼロは答え、暗殺部門長は沈黙する。暗殺部門長も難度70程の使い手だが、彼の部門は基本対人戦が中心である。斥候面での働きには適しているが、モンスター相手……特に竜となれば攻撃力不足といえる。

 暗殺という事だが、今回はボスの考え通り組織で情報を集め、表の戦力に混ざって警備部門長の部隊中心で事を成すのが上策だろう。

 しかし、ボスの話のキーポイントはまだこれからであった。

 

「リットン伯爵からの依頼の中に、協力者の話があった。それらと共に事に当たれと。依頼文には、4人連れの旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)一行みたいだ。詳細は今後詰めることになる」

 

 乗り気になっていたゼロの表情が曇る。

 

「なんだそれは? 旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)と組めだぁ?」

「そうだ、ゼロ」

「仕方ねぇ……あんたが言うなら少し考えるが……俺は、弱い奴とは仕事しないぞ?」

 

 ボスは、口許を緩めながらゼロへ情報を付け足しておく。

 

「その旅の一行は、先日、スレイン法国六色聖典が一つ、陽光聖典の部隊50人程に襲われて殺され掛けた王国戦士騎馬隊と戦士長ガゼフ・ストロノーフを助け、六色聖典の連中を短時間で退けたそうだ」

 

 

「「「「「!? ―――」」」」」」

 

 

 ゼロだけでは無く、円卓に座る八本指の部門長達は驚愕する。

 スレイン法国の六色聖典の精鋭の一団、陽光聖典――円卓を囲むメンバーもその存在の詳細を知らないが、情報網から垣間見えているその実力は恐るべきものである。全員が第3位階魔法以上の使い手で揃えられているという反則の様にも感じる部隊という。

 英雄級と言われるガゼフの一団が敗れたと聞く敵を、一蹴するとは恐るべき実力なのは間違いなさそうである。

 

「ふっ、これは……面白くなってきやがったぜっ」

 

 冒険者で言えばアダマンタイト級に匹敵するという配下の『六腕』を率いる警備部門長のゼロは、指をベキベキと鳴らしながら思わず表情に楽しみの笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 廃虚と化した大都市、エ・アセナル北東側近郊の夜の闇に包まれた平原。

 北側8キロの位置には、北東へ150キロを超えて北海岸まで伸びる国境の山脈南端部が迫る。ここはその裾野の延長地にあたる。

 『蒼の薔薇』の5人はそこに見つけた竜の宿営地を、1キロ以上離れた都市北側の外周壁瓦礫内より先程から1時間程監視している。すでに日付を越え、午前0時半に近付いていた。

 ここへ来るまでに、都市内の調査は終わっていた。どれだけの死者が出たのか正確に分からないが、十万単位で命が失われた事は間違いないという結論である。『蒼の薔薇』はまだ、都市の住人達数万の捕虜が居る事を知らない。

 竜の宿営地内については、探知されれば全く闇討ち的奇襲の意味が無くなるので、ギリギリまで近付くということはしなかったのだ。今はどういう形で竜兵らが、上空への直援任務に着いているのかを知るため探っている状況であった。

 そして竜の軍団が、次の大都市を目指して動き出すのがいつかは不明であり、時間はそう多くないとラキュース達は考えている。しかし、戦力差は圧倒的であり、焦らず上手く機を見つけるしかないのが現状と言える。

 観察していると、30分ほど前から飛んでいる竜の数が随分少なくなってきた。本来、竜は夜行性で、結構活発なはずなのだが。

 どうやら昼間もずっと動いていたため、徹夜明けに近い状態の模様。加えて、ラキュースの予想していた通り、今は圧勝の状況からほとんどの竜が地上へ降りて休んでいる風に見えていた。

 

「ふふっ、これは思わぬ好機が訪れた様ね」

 

 『蒼の薔薇』のメンバー達は、観察に入る前からいつでも戦闘に入れる準備を整えていた。

 リーダーのラキュースは小声で皆に告げる。

 

「さぁ、狩りを始めるわよ」

「「「「了解」」」」

 

 

 

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグは、平原の地に都市から燃え残っていた綺麗で柔らかい布を大量に集めて作られた寝所へ座りつつ、少し前に部下の多くから進言を受けて考え事をしていた。

 副官といえる、アーガードとドルビオラを初めとする、180体を超える配下達が、今回の圧倒的戦果を材料に、本国のアーグランド評議国と歩調を合わせるべきですと伝えてきたのだ。

 一つの選択肢としてまだ生かしている人間種の捕虜も、数万を数える状態である。今の軍団のみで戦う場合、お荷物になるだけのものだ。まあ殺すのは容易で、自身の放つ火炎砲の一撃があればいい。

 だが、自国や大陸中央の亜人達が支配する各国へ売却すれば莫大な財源となるだろう。

 前日に、評議長の意見を無視し、軍団は評議国を出奔する形で勝手に飛び出して来ており、戦いの先を考えるなら食料は何とかなるとしても、配下の進言に一考の余地があるように思えた。昨日の今日でもあるし、まだ話しづらいという事も無い。

 

(ちっ。……まぁ、ツァインドルクスの糞ジジイら評議員も、これだけの戦果を知れば蹂躙するのが容易いと気付くだろうぜ。この地に暫らく留まり、昼にでも使いを出すとするか)

 

 また一方で、エ・アセナルの死ぬ気で反撃してきた数百はあった人間種の冒険者チーム達から受けた被害を思い出す。人間共の都市群を破壊し蹂躙する序盤戦で、竜兵9体と十竜長2体の仲間を失っている。重傷の個体も、20体近くおり無傷という訳では無かった。

 竜王ゼザリオルグは、個の強さを持ちながら竜兵達へ2体一組という恐ろしい戦術を取らせていたが、それでも犠牲は出てしまったのである。

 更に驚いたのは、難度171を誇る副官の1体であるドルビオラも軽傷を負っていた事実。乱戦の中、強固に出来た鱗を突き破る攻撃を受けていたのである。

 それに、初っ端に受けた大魔法――。

 まともに受ければ、自分はともかく軍団の9割近くが重傷を負っていただろう。

 

『……余り人間を甘く見ない方がいいよ』

 

 白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の言葉が思考の片隅に浮かぶも、「フンッ」と鼻息を吐いて、強制的に忘却した。

 冒険者達の一部は逃げ延びているという事も含めて。

 

 

 

 外周壁の廃墟内で、ラキュース達が静かに待つこと更に40分。

 竜の宿営地に動きがあった。

 

「竜王様、暫く警戒任務に就きます」

 

 『蒼の薔薇』メンバーの双子姉妹が識別していた指揮官の百竜長の竜が、星の下に広がる空へと優雅に舞い上がる。5人は素早く動き出す。

 上空へ飛び立ったのは難度177のノブナーガであった。間もなく都市上空を通過する。

 ティアとティナは満を持して瓦礫に潜んでいた。

 標的が高度を少し下げた時――同時に二人掛かりで忍術を渾身の全力で仕掛ける。

 

 「「縛鎖・影縛りの術」」

 「なにぃっ?!」

 

 この忍術により、本来は途端に体が完全に硬直する。だが、難度の圧倒的に高いノブナーガは筋力負荷が通常の数倍程度の影響に留まった。一応二人同時多重のため、10倍近くにはなっているだろうか。とは言え、百竜長の筋力はその程度では止められない。

 だが、それでも俊敏さは劇的に失われた。

 

 それで良いのである。

 

 羽ばたきが弱くなり、滑空もバランスを崩し揚力が落ちて高度が大きく下がる。宿営地からは見えにくい形となった。

 次の瞬間、イビルアイが〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉で、百竜長直上10メートル程の空中に現れた。小柄で仮面の魔法詠唱者は、左腕にガガーランの右腋を抱えて〈飛行(フライ)〉により浮いていた。ノブナーガは即気付くも、身体の負荷の大きさに反撃が大きく遅れる。

 その間隙を逃さず、『極大級魔法詠唱者』とも言われるイビルアイは、とっておきの魔法を炸裂させた。

 

「貫けっ! ――〈魔法抵抗突破最強化(ペネトレートマキシマイズマジック)龍電(ドラゴン・ライトニング)〉ーーっ!」

 

 イビルアイは、その自慢のスキルを最大限の効果で利用する。

 そして使用したのは、第5位階魔法だ。

 この世界で、第5位階魔法を使える者は、各国でもほんの数名程度と本当にごく一部しかいない。

 右手の指先から凄まじい稲妻の閃光を放っていた。更に、竜の頭部を狙い打ちで見舞ったのである。「うおぉ、すげぇ!」と初見のガガーランは間近で見て驚く。

 

「グがぁっ?!」

 

 流石の百竜長ノブナーガも、大きくダメージを受ける。グラつくほどの頭部への攻撃であった。

 だが――まだ飛んでいる。

 

「なに?! 私のとっておきだったんだが」

 

 そう呟いたイビルアイが、再び叫ぶ。

 

「では、おかわりだっ! 〈魔法抵抗突破最強化(ペネトレートマキシマイズマジック)龍電(ドラゴン・ライトニング)ーー!」

 

 再度、彼女の右手の指先から、眩く鋭い電撃の閃光が放たれていく。

 

「ゴァぁあぁぁぁーーーっ!」

 

 百竜長も第5位階魔法の連発攻撃を受け、流石に空中で悶絶し墜落し掛ける。

 そこへ、イビルアイから放られた両腕の剛筋を盛り上がらせて振りかぶるガガーランの、巨大刺突戦鎚(ウォーピック)である『鉄砕き(フェルアイアン)』による全力の超級15連攻撃が怒涛の勢いで打ち下ろされていった。

 勿論、狙うはやつの頭部の額、一点のみである。これは()()()でも起こす脳震盪を期待しての攻撃である。朦朧となって落下するノブナーガは無抵抗に、鱗と頭蓋骨から響く形の凄い連音を鳴らせてそれを受け続けた。

 そして、百竜長は廃墟の広がる地面へ一直線に激突する。ガガーランは、イビルアイにより空中で受け止められた。

 20メートル近い竜の巨体が、瓦礫を派手に周囲へと飛び散らせていく。

 だが、『蒼の薔薇』の周到な攻撃はまだ終わらない。

 百竜長の落下地点近くへ急ぎ駆けつけ、廃虚の少し小高い建屋の屋上に立ち、ラキュースは両手で静かに剣を上段へ構える。

 

 ――魔剣キリネイラムを。

 

 そして、信仰系魔法詠唱者兼神官戦士の彼女は、全身の魔力を剣に込めて派手に叫んでいた。ちなみに全く叫ぶ必要はない……彼女の魂の性がそうさせていた。

 

「超絶剣技っ! 暗黒刃超弩級衝撃波(ダークブレードメガインパクト)ーーーーーーーーッ!!」

 

 膨れ上がった夜の闇より黒い光が、綿飴の様に剣先から頭上より高速で振り下ろした方向へと素早く漏れてゆく。

 そして、横たわる百竜長へ命中すると地響きや轟音と共に、大爆発を起こす。

 ドズ黒い火球に数多の真っ赤な閃光を輝かせた後、衝撃波を伴って小さいきのこ雲が発生していた……。

 十分に第5位階魔法級の破壊力は有るだろう。

 

「うわー。リーダー、やっぱり魔剣らしい悪魔的威力だよな、コレ」

「ほぉ、初めて見た」

「やるな、ボス」

「すごい威力……」

 

 ガガーランだけが、以前に一度だけこの攻撃を見たことがあった。

 皆、夜の闇に薄らと湧き上がる勝利のきのこ雲を眺めつつ、口許に笑みを浮かべている。

 しかし、まだ少し肩で息をしている、ラキュースは無事に傍へ集まって来た皆へ告げた。

 

 

「みんな―――油断しないで」

 

「「「「――!?」」」」

 

 イビルアイやガガーラン達は、ラキュースの視線の先にある爆発の跡地を改めて凝視した。

 

 煙の中、良く見ると―――まだ、ソレは地面で僅かに蠢いていた。

 

 爆発により、周囲の瓦礫は広範囲へ放射状に吹き飛んでいたが、百竜長の巨体は翼や四肢、鱗も含めて、欠損してる風には見えなかった。

 イビルアイ達も動揺する。

 

「な、なんだと……」

「はぁ!? 俺達の連携攻撃が効いていないのかよ。コイツ難度幾つだよ」

「不死身?」

「……頑丈すぎ」

 

 しかし百竜長は、蹲ったまま立ち上がってくる感じの気配はなかった。

 

「どうやら、効いていないわけではないようね」

 

 ラキュースは少し安心する。

 

「イビルアイ、ついて来て。ガガーラン達はここにいて。何か有ったら……逃げてね」

 

 すでにティアとティナは、ほぼ全魔力を使い切っていた。イビルアイも魔力はもう半分以下である。

 ガガーランは、まだ十分動けるが通じない可能性が高い。リーダーは全力で逃げる場合を考えて告げていた。

 廃虚を降りて、まだ爆発の余韻で周辺が煙たく熱い中、百竜長の巨体が横たわる前までやって来る。胴体から伸びた首と頭。その大きい口は、呼吸が苦しいようで開いている。

 ラキュースは凛とした表情と瞳で、目の前のその巨大な竜の頭を見下ろす。彼女に驕りは無い。恨みもない。

 

 これは罪に対する――罰なのである。

 

 『蒼の薔薇』のリーダーは、罪も無い多くの人々や子供たちが住んでいた都市を、瓦礫の廃虚へと変えた敵に容赦しない。ラキュースは、間を置かず止めを刺しにいった。

 魔剣キリネイラムを、その口へと突っ込む。

 

「外はいくら頑丈でも、中からならっ」

「……気を付けろ。爆風が、口からも逆流して来るぞ」

「イビルアイに任せるわ」

「分かった」

 

 少し緊張するが、剣に魔力を込めてラキュースは叫ぶ。

 

「うぉぉぉーーっ、超絶剣技っ! 暗黒刃超弩級衝撃波(ダークブレードメガインパクト)ーーーーーーーーーーッ!!」

 

 再び、魔剣から黒い光が漏れ出したと思った瞬間に大爆発を起こした。

 〈加速(アクセル)〉を使いイビルアイは、衝撃より早くラキュースをその場から引き剥がすと、〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉により、先程の廃墟まで一瞬で移動した。

 内部からの爆発により、爆風が口からトンデモなく凄い勢いで出て来た事で、竜の巨体は一時、地べたを這いずり回る形になった。

 そのあとは、口や鼻から煙を上げて巨体は止まった。

 

 だが――まだ、動いていたのだ。

 

 どこも壊れ欠けることなく、僅かにもがく腕や足。

 

「嘘だろ? 難度で180ほどあるとは思ったが」

「くっ……頑丈過ぎるわね。これが難度で200に迫る水準の竜の体なのね。加工すれば伝説の甲冑や防具にもなる訳だわ」

 

 ラキュースの魔力残量はもう、暗黒刃超弩級衝撃波を打てない水準であった。

 隠れていたガガーラン達が再びリーダーの下へ近付いてくる。

 

「放っときゃ死にそうだが、無理か」

 

 どうやら、他の竜兵達が気付いた感じである。まあ、小さくともきのこ雲まで上がれば気付くだろう。作戦時間は10分無い程度であった。

 

「せめて、皆で倒したっていう証拠が欲しかったわね」

「ほら」

 

 イビルアイが、折れた拳大の牙先を見せる。

 

「リーダーの身体を攫う直前に、爆風で飛んで来たのを掴んでおいた。恐らく牙がかち合って折れたんだろうな」

「お手柄っ!」

 

 もはや、この場に長居は無用。

 

「出直すわよ、みんな」

「「「「了解っ!」」」」

 

 結局、アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』をもってしても、百竜長へ止めを刺し切れない現実を突き付けられた。

 ラキュース達は廃墟群を潜んで移動し、都市の地下で縦横に走る暗渠へ素早く到達すると姿を消した。

 

 『蒼の薔薇』による竜の指揮官削りは、翌日夜も行われた。

 警戒が厳しくなった中で神出鬼没に立ち回り、十竜長を4体倒し、その内3体を殺すことに成功した。しかしその後、怒りの竜王が都市内上空へ居座ったところで、『蒼の薔薇』は王都へ報告の為に引き上げることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 国王の前で

 

 早朝から、国王直轄地の大都市エ・アセナルからの竜軍団襲来予想の急報で起こされ、緊急対策会議に出席し、その結果――彼、国王ランポッサIII世はエ・アセナルを見捨てた。

 王国の民85万余を切り捨ててしまったのだ……。

 手は無かったとはいえ、最悪に思える朝である。

 朝食を終え、重たい気分の中で僅かに眠れぬ仮眠を取り、再び起きて決裁書類へ目を通し公務を始めた午前10時すぎの事。

 ランポッサIII世の執務室の扉が開かれた。

 取り次いだ大臣補佐より、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフより進言したい事があるという。

 ストロノーフは平民出だが、騎士にも劣らぬ忠誠心と働きを見せており、国王は彼をとても信頼していた。

 そのため、直ぐに通してやる。

 

「失礼いたします、陛下」

「うむ、何か」

「進言の前に、まずはご報告を。エ・アセナルの状況と竜軍団の動向を、ラナー王女の依頼によりアダマンタイト級冒険者チームの"蒼の薔薇"が探りに向かいました」

「おおっ、そうか」

 

 ランポッサIII世の表情へ僅かに笑みが浮かんだ。

 暗い話ばかりが続いていたのだ。今見ている決裁書類も戦費捻出のための税に関する臨時徴収発令書である。近年の帝国との戦争で王国国民の余力は殆どない。それでも、今は剥がしてでも得なければならない。すべてが、手遅れになる前にだ。

 王は、早くこの竜騒動が終わる事だけを願っていた。

 そこへ、この知らせである。

 『蒼の薔薇』は、名を聞いてから失敗したという事を聞いたことが無い優れた冒険者達と認識している。その者らが情報を集めに向かってくれた。

 国王は、ほっとする。

 王国軍では、飛竜(ワイバーン)での接近は見つかると考え、軍内で第3位階魔法の〈飛行(フライ)〉を使える魔法詠唱者2名を送り出そうと準備していた。出立は、昼からになると聞く。情報は多いに越したことはない。

 王国戦士長はそれに付け加える。

 

「また"蒼の薔薇"は、可能なら指揮官級の竜を排除する手はずです」

「なんと」

 

 緊急会議の場では、王自らそう口に出たが、軍として送り出す戦力は、第3位階魔法詠唱者2名。

 無理といえる要望である。今は情報だけでよしと考えていたのだ。

 王国戦士長の話が成功すれば、素晴らしい事である。

 

「見事討った場合、働きに応じた褒賞金を与え広く称えよ! 皆の希望の魁となろう」

 

 傍に居た大臣補佐へ向かい、王は右手人差し指で差しながら厳命の如く告げていた。大臣補佐は、王の指示に「ははっ」と恭しく頭を下げる。

 王国戦士長は、あとに回していた件について進言する。

 

「では陛下」

「うむ、聞かせてくれ」

「謹んで進言いたします。竜軍団との決戦地は、平原の如き場で待ち構え、城塞都市であろうと市街地を含む場所は避けていただきますように。これは、かの魔法詠唱者(マジック・キャスター)ゴウン殿よりの話です。竜の空からの苛烈極める攻撃は、通常の兵団へ対するように城壁では防げません。更に、強靭である竜を倒す魔法となれば大魔法しかなく、周辺への余波が甚大になるとの事です」

 

 王国戦士長の語る言葉へ頷きつつ、聞いていた王は小さく呟く。

 

「そうか……そうであるな」

「では?」

 

 ランポッサIII世は頷く。

 

「数日中に会議を開き、最良の決戦の場を決めるとしよう」

「……可能ならゴウン殿も会議へ呼ばれてはどうでしょうか。優れた戦術も見せてくれるかと」

「うむ、そうだな」

「では、午前中は私も仕事もありますので、昼食後か明日にでも時間があるときに彼へ伝えておきます」

 

 王国戦士長は、国王へと頭を下げた。

 ――アインズが(もちろん単身で)会議へと呼ばれる。

 なにやらトンデモナイ予感がして来るようなしないような……。

 

 一件は済んだのだが、国王の戦士長への話はまだ終っていなかった。

 

「ところで、こんな時勢になんだが……お前は、妻は娶らないのか?」

「つ、妻でありますか……妻……(ユリ・アルファ殿……ユリ……)」

 

 いつもは、サラリと「王国と民の為に命を掛ける所存」という感じに流せるはずの事項であった。

 しかし先程まで、スキップをしていたかもしれないほど、記憶が曖昧になって妄想し浮かれていたのだ。あの眼鏡の似合う、胸の豊かな美しい女性の事を思い出さない訳が無い。

 国王も、その普段と違う反応に気が付いた。堅物の戦士が、妻、妻と連呼している風。

 なにせ国王も二人の王子と三人の王女を生ませた男である。女体の神秘と夜の営みが嫌いであったわけがない。

 ふむ、と満を持して話し出す。

 

「実はな、さる男爵家なのだが、お前に娘を嫁がせても良いという話があってだな。娘は次女と聞くが器量も中々で歳もまだ若いぞ。どうだ、妻に?」

 

 もしも、娶れば貴族の親類になり、すぐにでも騎士へ列してやることが出来る。

 だがこれは先に言う話ではない。ストロノーフも分かっている事である。

 

「良いぞ、若い娘はー。すぐに、話を進めようか?」

 

 ニコニコと配下の幸せを願って王は微笑んでいる。一歩間違えば、危ないヒヒジジイになりかねないが。

 王は思っていた。今回は、うまく行くのではないかと。

 しかし――。

 

 

 

「お断りしますっ! 俺には、ユリ殿しかいないーーーっ!」

 

 

 

 ガゼフは、気付けば大きく声を出していた。

 無意識だった。条件反射的といえる。獣の本能かもしれない。

 まるで瀕死で朦朧とする中、陽光聖典隊長のニグンへ向かって叫んだように――。

 

 国王は、驚き思わず尻餅を付いてしまっていた。慌てて、大臣補佐が王へ駆け寄る。

 そのありさまにガゼフはハッとし、片膝を付いて手を組み合わせて王へ詫びた。

 

「も、申し訳ありません、陛下っ! (あぁぁぁぁやってしまったぁぁぁぁぁぁ……)」

 

 王国戦士長は頭を抱えてしまった。命を掛けて守るべき王へ怒鳴ってしまったのだ。

 ランポッサIII世は、大臣補佐の助けですぐに立ち上がる。

 だが、国王は怒った様子は無く、そして――聞き逃さなかった。

 

「良い良い、無理に勧めてしまったようだな。そうか……ユリか……良い名だな。愛は盲目という。お前もまだまだ若い。こんな時だが、うまく行くとよいな」

「は、はい……」

 

 ランポッサIII世は、臣下思いの優しい王であった。

 

 

(うあぁぁぁぁ、陛下に名前までバレてしまったぁぁぁぁぁーーー)

 

 眼鏡を掛けていることまではバレていないが、そんなふうに王国随一の戦士は内心で身悶えしていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 拠点にて

 

 アインズは一応の備えとして、パンドラズ・アクターに冒険者モモンの外装パターンを追加すべく、ナザリックへ一度帰還することにした。

 一時、あのナーベラルへ、その存在と姿を託すというハイリスクを冒して。

 ツアレが奥の家事室へ昼食の食器類をワゴンに乗せて移動すると、アインズは自身の外装に扮したナーベラルと入れ替わるように〈転移門(ゲート)〉を通り、二日ぶりにナザリックの第一階層へと戻って来る。

 徐に、久しぶりの感覚で仮面を外した。ここでは幻術を使う必要は無く、本来の骸骨顔が露わになる。

 そして、アルベドに指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を持ってくるように〈伝言(メッセージ)〉を繋いだ瞬間の事。

 

「私だ。今、第一――」

『あぁあ、アインズさまぁ!! くふっーーー! くふっーーーーーーー!』

 

 聞いちゃいねぇ。

 

(うわぁぁ……また"発作"が起こっちゃってるのかなぁ?)

 

 『急性アインズ症候群』とでもいうのか。

 そして特効薬は、アインズ自身である。

 

「お、落ち着けアルベド。私はここに居るぞ」

『――ハッ……これはアインズ様。何か?』

 

 完全に呆けていた状態から急速に正気に戻り、アルベドは何事も無いように努め振る舞う。

 

「今、第一階層にいる。指輪を――」

「――はい。アインズ様、こちらに」

 

 気が付くと、アインズの眼前に、取り上げ易いよう中央に指輪が置かれた上質の箱を胸元に携えて最高の笑みのアルベドが一瞬で現れていた。

 ずっと待っていたのだろうか……。インターバルが『ゼロ』タイミングの行動。

 嬉しさの余り、彼女の腰から生える黒い翼を小さくパタパタとさせている。まるで子犬が無邪気に尻尾を振るかのように。

 

「すまんな、アルベド」

「いえ、いえっ」

 

 至高の御方をじっと見詰める彼女の瞳は潤み、頬もどんどんと赤く染まってゆく。

 

「それで、次は何を致しましょうか? お疲れのようでしたら、是非設備(対防音・振動)の整った執務室の奥の寝室で、ゆっくりシッポリ休まれるのがお宜しいかと」

 

 もはや、添い寝する気満々である。

 満面の笑みも忘れない。

 勿論、この場へ来るまでに〈最上位超加速〉と指輪により、かの抱き枕はベッドより回収済であるっ。

 妄想が膨らんでいるアルベドに対し、アインズは声を掛ける。

 

「いや、今来たのは最下層に用があってな」

 

 満面の笑みが一瞬陰るも、彼女は再度微笑む。

 

「では、是非、わたくしもご一緒いたしますっ」

「アルベドも忙しいのではないのか?」

 

 最も多忙だろうデミウルゴスと比しても、彼女の仕事量はそう変わらないはずである。

 ナザリックの全個体を合わせれば一万五千はいる。それらを代行的に統べている彼女に、休んでいる暇など殆どないのだ。

 

 ちなみに同時刻、第九階層で警備中のはずであるルプスレギナは、一般メイドのフォウ、フォアイル、ルゥプ、アンドゥ、ヱンドに誘われて思わず昼食を食べた後、さらに大浴場で良い湯を頂いてゆっくりと寛いでいた……。

 以前、掛かり湯をせずに湯船に飛び込み、マナー違反でライオンゴーレムに頭をかじられたルプスレギナは、懲りたようで体をキレイキレイに洗ってから入るようになっている。

 風呂のマナーは学習したが、どうも食欲には勝てないようだ……。

 

 アルベドは、苦も無いように涼し気に答える。

 

「大丈夫でございます。今の倍の仕事を頂いても、些かの支障もございません」

「……そうか。では、ついて参れ」

「はいっ」

 

 二人は、一瞬である場所へと転移する。

 宝物殿である。

 ここへの通路は存在しないため、指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)がなければ出入り出来ない。

 そこは黄金の宮殿と言える正十二角形の部屋で、天井まで数十メートルの高さにコンサートホール以上の広さがあった。

 驚くことに床一面ユグドラシル金貨で埋め尽くされた上に、天から今も降り注ぐ金貨により中央へ黄金のアイテム群も埋もれる大きい山が出来ていた。

 

「うわぁ……見事ですね」

 

 アルベドは、周囲の壁面に数多あるブロックへ飾られた宝物群も見回しながら感嘆の声を上げる。彼女の目からもかなり整理されている風に見えた。

 飾られているのは、全て伝説級(レジェンド)聖遺物級(レリック)を含む遺産級(レガシー)以上のアイテムである。

 アインズは、ここから更にパスワードを使って霊廟へも繋がる武器庫の封印門を開け通路を進む。

 通路の壁面にも大変貴重である武器群が飾られている。ここには伝説級(レジェンド)に加え、非常に希少で強力な神級(ゴッズ)アイテム群が並んでいた。

 去って行ったメンバー達が残していった物の中で、身に付けていなかった秘蔵品とも言える。

 

「アルベドは、パンドラズ・アクターを知っているか」

「はい、管理上では。まだ会ったことはありませんけど」

 

 指輪を与えてから間もない事や、至高の者と同伴でなければ宝物庫もNPCは立ち入り禁止にしているためだろう。

 アルベドはパンドラズ・アクターについて、今知っている知識の概要を主へと伝える。

 

「ここ宝物殿の領域守護者にしてナザリックの財政面の責任者。階層守護者と同レベルの強さが有り、更に私やデミウルゴスと同等の頭脳を持ち、そして――アインズ様の御手によって創造された者です」

 

 最後の言葉を述べるアルベドの声は、気の所為か怒気を含んでいる様にも感じた。

 その真意は良く分からないが、アインズは触れないでおく。

 アルベドも、パンドラズ・アクターが絶対的支配者の創造物であるため、自分の感情とは別にして、失礼の無いよう十分言葉を選んでいた。

 二人は一室へと辿り着く。

 

 部屋の奥の通路が、指輪を付けていると攻撃される霊廟と言われる区画。

 通路の左右に、引退した至高の41人を模した37体程の像が立っており、其々の像には彼等愛用の破格の装備が身に付けられている。その奥に――世界級(ワールド)アイテムが眠る。

 だが今日は、奥への用事ではない。

 

 ここは、広い休憩部屋の形の空間であった。

 そこに明るい土色の軍服を着た1体のNPCが居た。アインズは数日前、すでに一度訪れており、その際に色々躾けている。その過程において精神の強制鎮静化が10回以上起こったのは秘密だ。

 敬礼ではなく、彼は設定に抗うように些か手振りを交えつつもお辞儀で迎える。

 

「これはこれはアインズ様っ!」

「うむ」

「それに綺麗なお嬢さまもようこそ」

 

 その言葉に、アルベドはカチンとくる。

 創造には大きく溢れる愛が必要である。目の前の軍服のNPCには造形物として、アインズを満足させた愛が籠っているのだ……。

 アルベドが、気持ち的にパンドラズ・アクターを気に入らないのは当然である。

 このNPCにだけは、只の小娘と思われる訳にはいかなかった。

 彼女も、アインズに設定を『愛している』と書き換えて頂いた自負がある。そして、この栄光のナザリック全NPCの統括なのだ。

 

「私の名はアルベド。ナザリックにおける守護者及び全NPCの統括です。そのような軽々しい呼び方は慎むように」

「これはこれは失礼しました、アルベド様……はい」

 

 続けて『薔薇のように可憐なお姿につい』とパンドラズ・アクターは歯の浮く言葉を言いかけるも、向かいで彼女の横に立つアインズから漏れ出る〈絶望のオーラV〉の雰囲気を察して言葉を切った。

 その創造主が、言葉を伝える。

 

「さて、用なのだが、パンドラズ・アクターよ。お前には新しい外装パターンを記録してもらう。外で、色々と起こっているので手札を増やしておきたいのだ」

「分かりました。創造主様っ!」

 

 一瞬右手が敬礼風に上がり掛けるも、止めてパンドラズ・アクターは答えた。

 パンドラズ・アクターは、アインズが先日来た際に新世界への転移現象と、当面の予定は聞かされており状況はすでに把握している。

 早速、モモンの人間形態データと、ナザリック内で複製されたモモンの全身鎧(フルプレート)や二本のグレートソードなどの装備類を外装パターンへ登録した。

 外観はまさにモモンである。

 

「ほぉ。ちょっと喋ってみろ」

「私がモモン。覚えておけ――この世界の全てを斬り裂く者だっ!」

 

 真紅のマントを翻し、開いた手を突き出している姿。

 そしていかにもアレ的台詞だが……声もデータが揃っていれば近い雰囲気が出せる。

 

「……まあいいだろう。では――付いてこい」

「えっ。あの、アインズ様。私が宝物庫を出てよいのですか?」

「お前には少しの間、私に付き従い実際にモモンの活動と周囲の状況を見てもらう」

「分かりましたっ」

 

 アインズの言葉に、アルベドがとても悔し気に満ちた顔をする。

 そして、パンドラズ・アクターを厳しく睨んだ。

 

「――ヒィッ?!」

「な゛に゛?」

「ぃぇ……なにも……」

 

 至高の御方の傍に、どこまでも付いて行きたいのは『私』なのである。アインズの背中側で、いつの間にか赤い閃光を放つ彼女の大口ゴリラ的表情の目はそう訴えていた――。

 

 

 ハンカチで目許を押さえるアルベドに見送られ、日課に近いアンデッド作成を終えた第一階層からの去り際にアインズは、ふと思考の片隅に何か忘れているモノが浮かんだ気がした。

 

(あれっ……気の所為かな……)

 

 一瞬首を捻るも、待っているであろうマーレのもとへ〈転移門(ゲート)〉を開くとパンドラズ・アクターを従えてさっさと向かった。

 

 

 

 絶対的支配者は、確かに忘れていた。

 第二階層の密閉された薄暗い部屋のモノ達を――。

 

 ………

 

「――だからな。俺は思ったんだ。ここで、絶対這い上がってやる。あそこじゃ死ねない……とな」

「「「「「「「「「「「「「……」」」」」」」」」」」」」

 

 (ニグン)は、依然不自由である拘束具を付けられ、石床へ転がる自身の体に群がっている者達へ懇々と語り掛けていた……。

 彼は、まだまだ元気にしているようである。

 

 

 




捏造・考察)外装パターン
参考にアニメを見直していると、パンドラズ・アクターがタブラさんの姿からぐにょぐにょ変形しながら姿を変えています。これを見て改めて思った。
本作では、パターン登録は身体と装備を別で保持することも可能だと考えます。外装パターンはアイテムボックスみたいな機能も内包するということで。もちろん、装備姿の外形だけの記録も可ではあります。
そう考えないと可愛いナーベラルの白い服も甲冑も下着も、破けたり脱げたり着替えたり出来ませんので……。




サテ……不死王が、アインズの横に立つ日が来るのか……(ガクブル


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STAGE25. ナザリックの祭日(1)

表面上、影が王都へ留まり、王国では対竜軍団がまだ続いてますが……やっと行う事になった玉座の間での集会のお話です。


 時間的にそれは、遠方で『蒼の薔薇』が竜軍団の百竜長の1体、ノブナーガへ襲い掛かる直前から始まる。

 

『――報告は以上です、アインズ様』

「うむ。引き続きそちらは頼む、ユリ。ではな」

『はい』

 

(確認は終わりっと。……さて、どうしようかなぁ)

 

 ここ大都市エ・ランテルにある、下級冒険者向けの宿屋の2階にある狭い一室。

 (カッパー)級冒険者モモンを装う、睡眠不要のナザリックの絶対的支配者であるアインズが、王都側に残したプレアデスのソリュシャンやユリへ〈伝言(メッセージ)〉を繋ぎ、状況を確認するも問題は特にない様子で、些か暇を持て余し始めた夜中の午前1時過ぎの事。

 王都の部屋へは、あれから特に訪問者は訪れなかったとの報告も受けていた。

 

(任せっきりでナーベラルやルベド達には悪かったけど、冒険者の方が仕事も3件熟せて有意義に過ごせたなぁ)

 

 加えて支配者は、ナーベラルが無事に役目を務め、昨日が難なく過ぎた事も内心喜ぶ。

 そんな時であった。彼の頭の中へ電子音のコールが響く。

 

『アインズ様、デミウルゴスにございます』

「うむ、なにか」

 

 

『――アインズ様、我々栄光のナザリックの戦略に関します計画の草案が纏まりました』

 

 

 支配者は、デミウルゴスからのその一言をはっきりと〈伝言(メッセージ)〉で受け取った。

 アインズが守護者達を集め、ナザリックの今後についての戦略会議を開いてからちょうど今日で10日目になる。

 恐らく、長中短期の各戦略計画に加え、新国家建設へ向けての国土となるトブの大森林と山岳部への進攻計画。そして、建設予定の新都市の詳細がかなり形となった物だろう。

 

「分かった。この場にマーレは居るが……これから皆を集められるか?」

 

 マーレはマーベロとして純白のローブを纏い、ベッドの脇へちょこんと可愛く座っている。

 今日彼女は、不可視化状態のパンドラズ・アクターが、時折変わったポーズをしつつ傍にいるので二人きりではないが、モモンガ様のすぐ横に居られるので目をキラキラさせ、ずっとニコニコしていた。

 支配者とはいえアインズは、最近働き過ぎに思う可愛いNPCの皆へこれでも結構気を使っている。周辺の情報が結構手に入り、ナザリックとして若干落ち着いた今は、無理を言うつもりはない。竜軍団の件も、ナザリックにすれば急ぎの事象とは異なる。

 そんな、至高の御方の些か控えめに感じる雰囲気での言葉に、デミウルゴスは自信を持って答える。

 

『はい、問題はありません。現在、アルベドを初め、マーレ以外の階層守護者達は全員、ナザリックにおりますので』

 

 デミウルゴスの様子から、性急に告げた要望ながら支障はないものと思われる。

 

「では、招集を掛けてくれ。皆へこれより20分後に、第九階層のナザリック戦略会議室へ集まるよう伝えよ」

『畏まりました、アインズ様』

 

 デミウルゴスの声からは、嬉しそうな思いが感じられた。支配者が望むこれから始まる大戦への高揚と、準備万端ということなのだろう。

 アインズは〈伝言〉を終えると、マーレ達に振り向き告げる。

 

「マーレ、これから共にナザリックへ戻るぞ」

「は、はい。アインズ様」

「パンドラズ・アクターは、ここで暫く代わりを頼む」

「心得ましたっ、創造主様っ」

 

 こうして、パンドラズ・アクターがモモンの姿に変わり、見栄えに問題ない事を確認すると、まだモモン姿のアインズはマーベロと移動するため〈転移門(ゲート)〉を開いた。

 

 

 

 一方、アインズへの〈伝言〉を終えたデミウルゴスは―――既に戦略会議室へ参集し、席から身を乗り出すようにしている階層守護者のシャルティアやアウラ達へと伝える。

 

「アインズ様は、間もなくこちらへいらっしゃいます」

 

 それを聞くと、キャッキャする女性陣と共にコキュートスからも「オオッ」と歓声が上がる。

 

「アインズ様のお喜びになるお顔が拝見できるのね。ペストーニャの方は、あと声を掛けるだけよ」

 

 もう昨日になるが、昼間にアインズと二人で宝物殿へと行動出来たアルベドは、にこやかに平静を保っている。

 守護者統括の言葉に、壁際へ静かに立つ執事のセバスも皆へと伝える。

 

「こちらも、エクレアや料理長へ指示を出すだけです。下準備は完了しています」

 

 セバスの答えに、デミウルゴスは彼へ目を合わせて小さく頷く。

 普段は同席すら滅多にない二人である。それは、よく意見を対立させていた二人の造物主、たっち・みーとウルベルトとの間柄から続いている伝統と言うべき関係。

 だが、同じ支配者を仰ぐ仲で、互いに忠義者で戦力として大きい存在であることは認め合っている。そして、アインズ様の為に協力して働くことに限っては、互いの個人的意向の外にあり、当然の事だと考えていた。

 アルベドは席から立ち上がると、ナザリックのNPC統括として、改まりつつこの場の皆へ凛々しく告げる。

 

「以前から話している通り、この戦略草案にお許しが頂ければ――玉座の間にて、世界征服への決起セレモニーを行います。各所責任者で防衛当直者以外は、参加させるように」

 

 いよいよ――至高の41人の頂点に御座(おわ)す御方の目的である『世界征服』の計画が動き出すのである!

 全員の表情は、非常に明るい。

 

「分かったでありんす」

「マーレも知ってるし、こっちも大丈夫」

「心得タ。問題ナイ」

「大丈夫ですよ」

「分かりました」

 

 

 

 仮面を外し、いつもの姿に戻りながらアインズとマーレが〈転移門(ゲート)〉から地上の石床の伸びる中央霊廟前へと出現すると、可愛い和風メイド姿のエントマが丁寧なお辞儀で出迎えてくれた。デミウルゴスが手を回してくれたのだろうか。

 支配者は、エントマから指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を受け取る。

 ここでアインズは、蟲愛でる彼女より忘れていた事を聞かされた。

 

「あの、アインズ様。恐怖公の所に居る捕虜達の世話ですが、順調でございます。まだあと2か月は生きているかと」

「(あ、忘れてた。マズイな、聞き出した情報も最近の分を見てないよなぁ)……そうか、丁度尋ねようと思っていたところだ。よしよし」

 

 褒美にアインズは、エントマの少し固めの頭を撫でてやる。蜘蛛人(アラクノイド)である彼女は主のご褒美行為にとても嬉しく、顔が微笑んだ表情へと切り替わっていた。

 アインズはここで少し考える。エ・ランテルや王都での情報と経験も含めて、捕虜44名の使い道を。

 

(目的であった情報を得ることは結構出来たよな。でも用済みとは言えないか。まだ、人間種の中では結構優秀な人材達で有ることは変わらないし。うーん、生存実験体として、何か価値はあるんじゃないかなぁ……)

 

 潰すのは容易い。

 でも冒険者組合では当初、とりあえず第三位階魔法の使い手としたマーベロの方が随分信用された。王城にも魔法詠唱者の影は僅かに数えるほどであった。それがここに44人もいる。

 それと、確かこの隊の指揮官は、召喚モンスター強化の特殊技術(スキル)を持った第四位階魔法の使い手と報告書にあった事も思い出す。

 

「……エントマよ、捕虜達に生き残りたいと感じる行動や発言は有るか?」

「はい。言葉では"何でも協力する、殺さないで欲しい"とすでに全員が発しています。その真意は不明ですが。特に指揮官であった者は、他者を押しのけて積極的に情報を話してくれており助かります」

「(指揮官……アイツかぁ。確かニグンとかいう男だったと思うけど……)捕虜の者達の事を改めて頼むぞ。上手く生かしておけ」

「(アインズさま……)畏まりました。お任せください」

 

 自分の存在意義と言えるアインズから直々に言葉と褒美と勅命を受け、生きた新鮮なお肉を少し食べたいという願望がありつつも、主の指示に従い『逃がさぬよう殺さぬよう』にと内心で静かに使命へ燃えるエントマであった。

 蜘蛛の少女に見送られマーレを連れたアインズは、第九階層の戦略会議室の扉前へと一気に指輪で〈転移〉する。

 率先するマーレにより格調高いその扉は開けられ、絶対的支配者が姿を現すと、室内の守護者全員がナザリックの主人を迎えるべく席から直ちに起立し礼をする。満面の笑みを浮かべてアルベドが、代表して支配者へと近寄り迎えた。

 

「アインズ様、お帰りなさいませ」

「うむ」

 

 そうして統括の彼女は、置かれた長方形の大テーブル上座の席まで、アインズに付き従う。マーレは、姉アウラの横の自席へと移動した。

 アインズとしては、穏やかに微笑むアルベドを初め、やはり仲間達の雰囲気的面影が濃いこの者達が揃っている姿を見るとホッとする。まだ自分を待ってもらえていて、こうして帰るところがあるのだと。

 彼は、ナザリック(ここ)が絶対に守るべき大切な場所であると再認識し、優しく声を掛ける。

 

「待たせたようだな、ご苦労。ふっ、みんな楽に座ってくれ」

 

「はいでありんす」

「ハッ」

「はいっ」

「は、はい」

「はい」

「はっ」

 

 アルベドも「では」と、アインズの左手前の席へと腰かけた。

 相変わらず、最後の方で答えたセバスだけは、執事として脇に直立のまま控えている。

 大テーブルの各席へは三十枚程の書類が置かれ、上座の席の前にだけ追加で、原本であろう八百枚程の分厚い立案書が置かれていた。不思議とこういう巻物(スクロール)には使えない単純な紙媒体は、結構在庫が有った。

 分厚い方の表紙には、『栄光のナザリック地下大墳墓総軍による世界征服戦略計画書 第一計画 国家アインズ・ウール・ゴウン建国に伴う五か年事業【草案原本】』と打ち込まれていた。

 

(うわぁぁ……随分分厚いなぁ……薄い方が要約した概要か)

 

 四辺を切り落としたように整然と積まれた分厚い紙の山を繁々と見た後、その横に目を移す。案の定、薄い方には【草案概要】と記されていた。

 

「じゃあ、早速始めてくれ」

「では、進行と説明は私、デミウルゴスがさせて頂きます。まず、お手元の三十枚程の資料の――」

 

 流石はデミウルゴスである。

 シャルティアは、何時間も続く分厚い資料の説明会議にはまず耐えられないだろう。前回は戦術に関連のある地理情報であったため、すんなり全資料が頭に入った。だが今回は違う。彼女はいつどこで戦えば良いかだけを要求するに決まっている。ある意味、コキュートスも同じかもしれない……。

 でも、この薄い資料なら許容範囲内だ。

 デミウルゴスなら一時間半もすれば分かりやすく説明は終わるだろう。

 

 デミウルゴスの説明は三部構成であった。

 

 まず、五か年事業の概要。

 次に領土確保戦と建国。

 最後に並行して行う小都市の建設だ。

 

 五か年事業の概要は、一年目に戦争準備と建設準備をし開戦と都市基礎工事、一年から三年目で領土確保、確保した領土の治安と経済維持に小都市建設、三年から五年目で建国と統治、小都市完成。

 次の領土確保戦と建国は、必要な戦力と準備内容と戦闘開始時期についての説明、そして時系列での進攻手順概略。建国宣言は、最低でも目標領土の7割を得て、小都市の城塞機能と宮殿、行政施設が完成してからとなる。

 小都市の建設は、石材、木材、鉄材、魔法素材を山岳や大森林からタダで取得し、ナザリックの第二の拠点を地上に構築する。労働力は、主に食費や疲労の発生しないスケルトン軍団から抽出。併合した大森林の部族からも供出させる。

 建設場所はカルネ村から東へ7キロほどの位置にある森の傍の平原となる。また、森の中を流れる大きめの河川から用水を引き込んで、水車や風車などでも水をくみ上げ街中へ上水道的に貯水槽や水路を巡らせるものだ。それらの説明と設計された正八角形を描く都市の概要図は地下部分も含め見事な出来栄えであった。

 説明は滞りなく終わる。

 

「さて、ここまでで問題がありますでしょうか?」

 

 デミウルゴスの確認は、支配者のアインズへ向けられている。

 アインズ的は、全く問題は無く……悪く言えば()()と思われるが、その前に先を聞くことにする。

 

「デミウルゴス、先にこれらへと想定される――人事を聞かせてくれ」

「はっ。ではまず……領土確保作戦の総司令は私が担当させて頂き、先鋒の軍団長をコキュートスに。参謀には新参ながらヘカテー・オルゴットを付けます」

 

 先鋒は、前会議でアインズからの指名があったコキュートスが確定していた通り。

 ヘカテ―は、『同誕の六人衆(セクステット)』の一人、Lv.92を誇る悪魔っ娘だ。都市の詳細設計でも力を発揮した頭脳派である。だが、戦闘もレベルに恥じない実力という。

 

「ちょっと、デミウルゴス。司令はアンタでいいけど、総司令はアインズ様じゃないの? それに、あたしの担当は? 次鋒なのっ」

「アインズ様は色々と御忙しい身。アウラ、君にも森林部の攻撃戦で軍団長で出てもらう局面が来るけれど、戦域が少し広がってからだね。それに君には――小都市建設の最高責任者をお願いする」

「はぁっ?! ……わ、わかったわよ」

 

 第六階層ジャングルの巨木の家や泉など、造形の細かいところは姉のアウラが指示していた。制作に関してはデミウルゴスもうるさいのだが、流石に領土確保の方が重要である。アインズの前では個人の考えは後回しとなる。アウラも、異論を唱えるのを止める。

 

「で、わたしはどうなのでありんす?」

「もちろん、シャルティアにも用意しているよ。当面ですが――ナザリックの防衛は、あなたに担当してもらいます」

 

 シャルティアは目を見開く。そして黙って頷く。アインズの前で重責となる担当への指名である。

 

「セバス。貴方には、シャルティアやマーレが不在の場合の防衛軍団長代行として考えています。マーレには予備戦力として動いてもらいます」

 

 セバスは「分かりました」と返し、マーレは小さく「りょ、了解です」と答える。

 確かに鉄壁の守りと強さのセバスが控えていれば安心だし、階層守護者序列二位のマーレの部隊が遊撃なら、大きく穴が開いていても埋められるだろう。

 

「そして、アルベドには広域統括としてナザリック内に留まり、全域を掌握していてもらいます。アインズ様、大まかな割り振りは以上ですが」

 

 実際、細かいところはそれぞれのシモベ達や、プレアデスやセクステットが入ってくるはずである。

 

(いいんじゃないかなぁ)

 

 分厚い人事でもある。問題は無いと、アインズはそう思った。

 いや、というか戦略については間違っているかまで分からない。一介の営業マンに何を求めているのか。都市を丸ごと新設という超大規模の建設工事にしろ、戦争にしろ専門外なのである。

 ただ、一つだけ気になっている。

 ここまで至って正攻法なのだ。

 

 つまり――『普通だ』という感想を除いては。

 

 アインズは、前回の会議のあとでデミウルゴスから聞いた言葉を忘れてはいない。

 

 『アインズ様があっと驚く戦略をお見せしなければなりませんね』

 

 あの忠誠心MAXである最上位悪魔の階層守護者は、そう支配者へ言ったのだ。

 普通で済む筈が無い。

 だがら、アインズはあえて尋ねる。

 

「デミウルゴスよ、一つ足りない気もするのだが?」

 

 アインズとしては、それほど重要ではない気もして、軽く指摘する。第七階層の階層守護者が思い当らなければ、このままでもいいという風に。

 

 だが、このアインズの言葉に、デミウルゴスは――「おぉ」と感激の表情を浮かべた。

 

 前会議で、支配者への熱い狼藉により連行され、その場に居なかった筈のアルベドも、デミウルゴスの作戦に気付いて口許へ笑みを浮かべる。

 

「「「「「――?!」」」」」

 

 これに対して、シャルティア、コキュートス、アウラ、マーレ、セバスの5名は、アインズの指摘が分からない。だが、絶対的支配者である至高の御方が納得していないのだ。配下として是正する必要があり、必死で頭を捻り始める。

 それを横に見つつ、デミウルゴスはゆっくりと語りはじめた。

 

「そうでした。守護者の皆へ伝え忘れていたことがありました」

「「「「「――!」」」」」

 

 シャルティア達が、デミウルゴスの言葉に傾注する。だが、皆の方を向いた彼の口からは予想外の言葉が飛び出る。

 

「指揮官は戦闘時に――必ず仮面を付け、出来れば仮装して戦うようにお願いします」

 

「はぁっ、何それ?」

「なっ、何でありんす?」

「な、何でかな?」

「……必要であれば、是非も有りません」

「……………私モ被ルノカ?」

 

 デミウルゴスは『どうですか』という満面の笑みで、支配者へと向き直る。

 それを受けたアインズ。

 

(うわぁぁ……何だろう。真意が全く分からないんだけど。仮面を付け仮装して驚かす……そんな単純であるはずがないんだけど。もっと何か意味や意図が――)

 

 そんな内心だが、表情は変えない。しかし、このまま無言でいる訳にもいかない。

 覚悟を決めて主は、それっぽく口を開いた。

 

「そういう戦略かっ。うむ、いい考えだ、デミウルゴス。問題あるまい」

「お褒め頂き、恐縮でございます」

「今、ここで答えを教えても面白くあるまい。全貌は、良い時期に皆へお前から教えてあげなさい」

「畏まりました、アインズ様」

 

 デミウルゴスは、満足げな表情で曲げた右腕を腹部に当て、席に着いたままながら恭しく支配者へと礼をする。

 主は、内心で「ふぅ」と出るはずない額に浮いた汗を拭っていた……。

 

 

 ナザリック地下大墳墓の絶対的支配者であるアインズから、世界征服戦略計画書へのGO(実行許可)がついに出されたのである。

 

 

 アルベドが、このタイミングに柔らかい雰囲気で主へ進言する。

 

「アインズ様、私達ナザリックの進む方向が決まりました。是非この事を、玉座の間にて、シモベ達皆の前でアインズ様からお知らせ頂けると嬉しいのですが」

 

 そういえば、前回の会議でもアルベドから、改名の名乗りを上げて欲しい事も希望されていたのを思い出す。

 アインズは、多くの者を統べる支配者として、きちんとした区切りは大事だという気がした。彼はゆっくりと上座の席から立ち上がると、この場の者達へ伝える。

 

「――そうだな。盛大に皆で、あの場に集まろうか」

「はいっ、アインズ様!」

 

 続いて立ち上がったアルベドも、とても嬉しそうである。

 愛しい至高の御方が、世界征服開始を宣言するという最高の威厳を示す場となるのだ。

 

「では、アインズ様、これから9時間ほどで準備を完了いたします。本日正午より、ナザリック地下大墳墓内全域へ向けて『至高の御方の重大発表』として完全生中継いたします」

 

 シャルティア達も席から立ち上がっていた。

 

「お祝いでありんすねっ!」

「ア、アインズさま、万歳っ!」

 

 マーレが敬愛の余り、思わず万歳を口にする。アウラも続く。

 

「あたしもっ、アインズ様、万歳ーっ!」

「ォォォオオ、アインズ様万歳ーーーーッ!」

 

 それに続き、雄叫びを上げてコキュートスが吠えた。もう、守護者達は止まらない。

 

「「「「「「「アインズ様万歳! アインズ様万歳! アインズ様万歳~~~!」」」」」」」

 

 淑女のアルベドを初め、寡黙なセバスまで全員がアインズの前でもろ手を挙げて万歳三唱を送った。アインズは、それを黙って受け止める。

 

「(は、恥ずかしい……)う、うむ。皆の気持ち嬉しく思うぞ」

「「「「「「「ははーーっ」」」」」」」

 

 漸く一段落となる。

 いつもは最後まで傍に居ようとするアルベドが、「それではアインズ様、準備が有りますので、お先に失礼します」と去って行く。セバスも「失礼いたします」と落ち着きの有る姿だが続いた。

 二人は、ペストーニャの率いる一般メイド隊と、エクレアと怪人の召使い達や料理長らへ会場と料理の準備に関する指示を出しに向かったのだ。

 予定では、玉座の間で式典を行ったあと、第六階層の闘技場で食材の限り宴会となる運び。

 今は午前3時に近く、あと9時間程しかない。裏方は、正に戦場と化していった……。

 

「あの、アインズ様、ハムスケを連れて来ていいですか?」

 

 結構可愛がっているアウラが、主へ確認してきた。そういえば、縄張りを安堵しているので、ナザリックへ呼んだことはまだ無い気がする。

 

「構わないぞ。知らせてやれ。あ、待て」

 

 アインズはふと、ここでパンドラズ・アクターは兎も角、王都にいる者達と、カルネ村の者らに関して呼ぶことを考えた。

 この段階ではアインズの正体を知らないクレマンティーヌ、ンフィーレア、ツアレ、カルネ村の一般村民は思考の中で除外する。

 ただ、王都は空には出来ない事と、ツアレ一人を残すわけにもいかない。なので、プレアデスの一人は残ってもらう手を一つ考える。

 カルネ村のエモット家の方は、ゴブリン軍団の連中を上手く使えば、まあ何とかなるだろう。

 エ・ランテルでンフィーレアの護衛に付いている八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)や、カルネ村の蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)達もそのまま任務続行である。

 

(……異形種のハムスケはともかく、エンリとネムは人間だよな。キョウが付いてはいるけど、数日会ってないし、俺が連れて来てあげようか。とはいえ今は夜中だし。ハムスケは、ちょうど起きてるよね)

 

「アウラよ、私も行こう。ふむ、日付が変わっているな。上でアンデッドの作成をする間、少し待て」

「はい、アインズ様っ」

「では、第一階層まで、私もお供するでありんす」

「ぼ、僕も森まで行っていいですか?」

 

 アインズの両手とお腹周りが、可愛らしい華で囲まれていた。

 

「うむ。では第一階層へ行こうか。……デミウルゴス、計画書の纏め役大儀であった」

「はっ、お褒めの御言葉、ありがとうございます」

「コキュートス、先陣でどう戦うのか楽しみにしているぞ」

「ハッ、オ任セヲ」

「そういえば、武技についてはルベドに聞けたのか?」

 

 何気にアインズは尋ねた。

 以前、武技の存在を少しコキュートスへ告げていて、彼も大いに関心を示していたのだ。

 

「ハッ。先日、王都ヘノ道中デ、ルベド殿ガナザリックヘ帰還シタ際ニ、地上ニテ軽く一手手合ワセイタシマシタ。上空ノ雲マデ難ナク切リ裂ク威力……アレハ凄カッタ」

 

 その報告を初めて聞いたアインズだが、全力ではないにしろルベドと手合わせして、普通に生きている方がスゴイ気もする。流石と言えよう。

 

「実際ニ見ルコトガ叶ッタノデスガ、マダ感ハ掴メマセヌ」

 

 剣技ではルベドを上回るコキュートスだが、武技には相性があるのかもしれない。しかし、使えればかなりの戦力アップになる。

 

「そうか、精進せよ。お前も武技が使えるようになることを期待している」

「ハハッ!」

 

 頭を下げる武人のコキュートスと優雅に礼で見送るデミウルゴスを残し、アインズとアウラ達は第一階層へと移動した。

 

 

 

 至高なる死の支配者(オーバーロード)は、第一階層の墳墓内の一角で、寄り添ってきた3名の階層守護者である超美少女達に見守られる中、手慣れた感じにアンデッド作成を行う。

 中位アンデッドは『魂喰らい(ソウルイーター)』も増やしつつあった。

 それが終わるとアインズは、シャルティアより別れを惜しまれつつ、白い衣装装備を纏う闇妖精(ダークエルフ)の双子姉妹と共にトブの大森林へと移動した。

 アインズの開いた〈転移門(ゲート)〉を、姉のアウラがまずピョンと可愛らしく元気よく通過し、右手でおでこへ庇を作るように見回すポーズで深夜の真っ暗な森の周囲を探知し、部外者が周囲1キロ以内に見当たらない事を確認する。

 

「大丈夫みたいです、アインズ様。あ、向こうの遠くでハムスケがこちらに気付いたみたいですよ」

 

 西の方角を向き、アウラが主へと知らせる。

 すると間もなく、ハムスケがダッシュで木々の間から現れた。

 ハムスケは、森へ急に現れた一行の中にアインズを見つけて大喜びする。

 

「殿ぉーーーーーーーーーーっ!」

 

 全長3メートル以上あり小部屋程もある巨体で、力任せに支配者へすり寄って来た。遠目には、ふわふわで可愛い姿をしていても、デカイ、硬い、僅かに痛い。まあ、ダメージは受けないのだが。

 抱き付いた後には、腹を上に向けての服従の姿勢を取った。

 

「わ、分かったから、ハムスケ。起き上がれ」

「もう、いいでござるか」

 

 臣下として、気持ち的にはまだ服従し足りないが、偉大である主人に言われては仕方が無く、森の賢王は起き上がる。

 ここで漸くアウラとマーレがいることに気が付く。

 

「これは、アウラ様にマーレ様」

「気付くのが遅いよ」

「そ、それと、シモベが至高の御方であるアインズ様へ気軽に抱き付くのは無礼だから。お仕置きしちゃうよ」

 

 黒き神器級(ゴッズ)アイテムの杖『シャドウ・オブ・ユグドラシル』を両手で握るマーレは、軽く振り下ろす素振りをしつつ間合いをじりじりと詰めていく。少し弱々しい言葉と動作に比して、秘めるその殴打の威力は計り知れない……。

 

「こ、心得たでござる。申し訳なかったでござるよ」

 

 野生の勘と言おうか、ハムスケは死を直感しペコペコとアインズ達へ可愛く頭を下げ、反省の意を示した。

 

「その辺でいいだろう、マーレ。ソイツは私が配下に加えて間もない。不慣れもあるし、多少は大目に見てやれ」

「は、はい、アインズ様」

 

 このアインズの一言で、ハムスケは救われた。

 アブナイアブナイ。マーレの機嫌を損ねると、死は直ぐ近くに転がっているのだ。

 

「そ、それで、殿達は某に何かお命じに来られたのでござるか?」

 

 正直、主を初め、途轍もない3名の強者が来るなんて尋常ではない状況と考えられた。

 しかしアインズは、落ち着いた感じで話を切り出す。

 

「いや。実はな、我々ナザリックの者達を集めての集会を開く。それで、お前を呼びに来たのだ」

「ハムスケ。お仕えする者として、アインズ様直々のお誘いなんて、とーっても凄い事なんだぞ」

「そ、そうだよ」

 

 アウラ達が、興奮気味に力説する。

 わざわざお越しの理由は今一つ分からないが、確かに支配者直々の誘いを受けるという事は、配下として非常に名誉な事。断る理由は全くない。

 

「わ、分かったでござる。喜んで参加するでござるよ、殿っ!」

 

 こうして無事に、ハムスケは〈転移門(ゲート)〉を通って、ナザリックへと入った。

 初めからアウラだけなら、死に近付く事は無かった気もした……が、無事移動を完了する。

 ハムスケは人語を理解するが、やはり夜行性の獣型モンスターである。そのため残念にも、超豪華仕様であるナザリック下層部内については、それほどの感動はなかった。

 ただ第六階層のジャングルは、暮らし易く「素晴らしいでござるっ」と喜んでいたが。

 

 

 

 アインズは王都へと戻った。時刻は午前4時頃。

 王城のヴァランシア宮殿で、宿泊や滞在にと国王よりアインズ達が与えられている一室。

 この時間、ツアレは当然眠っている。だが、他の者達は不眠のため全員が起きていた。

 〈転移門(ゲート)〉の出現は、10分ほど前に至高の御方から〈伝言(メッセージ)〉でユリのもとへ通達されており、仮面のアインズが現れた時には、ツアレ以外のルベド、ユリ、シズ、ソリュシャン、そしてメイド姿のナーベラルが並んで礼をしている姿で出迎えた。

 (かしず)く配下達へ目を向けながら、アインズ自ら手順を説明する。

 

「連絡した通りだが集会へ出てもらう為、本日午前10時半から、王城より馬車で出かける風を装う。目的地は――反国王派の連中から貰った王都内にある屋敷だ」

 

 このような配下への手回しは、セバス辺りへ頼んでも良いのだが、まめに自ら動くのはギルドマスターの名残なのか、はたまた社畜営業マンの性だろうか。

 アインズの言葉に、連絡を受けていたユリが眼鏡を僅かに押し上げつつ答える。

 

「はい、心得ております。その際、ソリュシャンとツアレをここへ残すのですね」

「そうだ。すまんなソリュシャン。だが、ここはお前が適任だと考えている」

 

 職業レベルのマスターアサシンにより、盗聴等が出来、機転も効く彼女の存在は非常に助かる。ユリは、馬車の御者としても必要であった。

 

「いえ。畏まりました、アインズ様」

 

 ソリュシャンのその表情に、微塵も残念に考える思いは無い。至高の御方にここぞという重役を指名されたことが嬉しくあった。

 返事に満足したアインズであるが、一旦この場を後にするため伝える。

 

「私は、冒険者の仕事がこのあと6時からあるので、午前10時頃に再びここへ来る。それまでナーベラルよ、代役をしっかり頼む」

「畏まりました。この命に代えましても」

 

 凛々しく仰々しいナーベラルの気合いはいつも高めだ。些か空回っている雰囲気もあるが。

 「ではな」という言葉を告げつつ、再び〈転移門(ゲート)〉を開いたアインズは、その中へと去って行った。

 

 

 

 その〈転移門〉は、エ・ランテルの下級冒険者向けの宿屋の一室へと繋がっていた。

 狭い部屋の中へ〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉と唱えつつ、アインズは漆黒の甲冑のモモンへと姿を変えながら現れる。その場には、もうマーレが紅い杖を握るマーベロの姿で控えていた。

 

「お、お疲れ様です、アインズ様」

「お帰りなさいませ、創造主様。特に周辺にも動きは無かったです」

 

 モモンに扮しているため、動作が普通になっているパンドラズ・アクターと笑顔のマーレが、言葉で労ってくれる。

 

「うむ。パンドラズ・アクターよ、これから仕事があるので代わろう。また暫く後ろで見ていろ」

「分かりました、それでは」

 

 鈴木悟の声色なので、些か異質に聞こえた。

 このあと、冒険者モモンチームは午前6時から、昨日受けた4件目の依頼の護衛を実行した。

 依頼者は中年風のエ・ランテルの行商人だ。使用人達も使い、荷物が馬車で三台あると言う。都市の南側にある山岳麓の街まで、片道4時間足らずとなる道程の送迎である。

 途中、街道から細道に入り森を抜け山岳脇も通るため、結構危ないらしい。帰りは翌朝ということで、再び迎えに行く予定。

 そんな依頼であったが、数回、ゴブリン等が現れるもモモン達が難なく追い払い無事に往路は終了する。

 「明日も頼むよ」と依頼者の男に笑顔で告げられつつ、モモンとマーベロは山岳麓の街を後にする。〈飛行(フライ)〉と〈浮遊板(フローティング・ボード)〉を使いエ・ランテルへと戻った。

 

 

 

 あっという間に時刻は午前10時を迎え、アインズは再び仮面姿で王城の一室に予定通り現れていた。

 すでに、ユリ経由で大臣補佐へ馬車による外出の話は了承が取れている。どうも客人が外出し、王都内を見物するのは普通の事らしく、「それはそれは。このような時節ですが、ごゆっくりどうぞ」と名所を幾つか勧められたほどである。

 ずっと部屋へ籠っているのはおかしい事のようなので、タイミングとしても良かったみたいだ。

 一行でただ一人、事情を知らないツアレだが、例の屋敷の下見ということで「左様ですか」と納得している様子だ。

 馬車の準備や乗り場まで移動していると早くも10時半を迎え、ユリを御者に八足馬(スレイプニール)四頭立てである漆黒の車体の馬車がロ・レンテ城内を静かに駆け始める。

 馬車にはアインズとルベドにユリ、ナーベラルとシズが乗り込んでいる。

 五人の乗る四頭立て四輪大型馬車(コーチ)は、王都最奥に建つ王城正門を颯爽と出るとそこから伸びる石畳の敷かれた中央通りを暫く進んで、中央交差点大広場から南東門に向かう大通りへと向かう。そこを進む中で、例の屋敷の区画へ通じる道へと右に入って行く。途中、街の通りを歩く人々は、多くが八足馬といい馬車の豪華さに二度見しつつ振り返り驚いていた。

 ナーベラルは不可視化してシズと座っており、ルベドはアインズの右側の席へ座りつつ、相変わらず時折ニヤニヤしながら遠方にいる双子姉妹の冒険者の監視も継続中である……。

 

「そういえば、早朝にエントマと会ったぞ。頑張ってくれてたので褒めておいた」

「左様ですか。ふふっ、エントマも喜んだことでしょう」

「エントマ……羨ましい……」

 

 普段、凛々しい表情のナーベラルも姉妹の話には締まりが緩み笑顔を浮かべる。ここ数日撫でを貰っていないシズは、物欲しそうにする表情であった。

 さて、アインズが考えた案は、反王派のボウロロープ侯爵らから貰った屋敷を利用することである。小さい林もある50メートル四方程の土地に、部屋数20程を有する3階建ての小綺麗な石造りの洋館であった。この屋敷については、維持に最低限必要な使用人数名を除いて執事や料理人等は不要と告げてある。

 その屋敷の一室から〈転移門(ゲート)〉を開けば色々と問題は解決出来る。

 また大臣補佐へは、先日褒美に貰った金貨400枚で王都での別宅に借りようか考えている物件だと説明済である。

 辻褄と全員のアリバイはこれで問題ないだろう。

 屋敷へ到着したアインズ達は、まだ若い3名のメイド姿の少女達に出迎えられた。恐らくリットン伯辺りが連れて来た者達のようだ。

 彼女達は、見た事も無いほどの最上級である馬車から、巨躯で漆黒のローブを羽織る仮面の御主人様の登場に、何か少し怯えた風の感じを受けたが、彼に続く可憐なユリやルベド、シズを見て少し落ち着いた様子。

 アインズは一応、ルベド達へ、屋敷に居る人間には手を出すなと告げている。

 支配者は、反応を気にすることなくメイド少女達へ声を掛ける。

 

「私がアインズ・ウール・ゴウンだ。話は聞いているか?」

「はい、ご主人様。生涯傍へお仕えするようにと言われております」

 

 三人の少女の中で、真ん中に立つ一番背の高くしっかりした雰囲気の黒赤毛を肩程で揃えた髪の娘が答えた。

 

「(生涯って……うゎぁ、また何かありそうだなぁ)……そうか」

 

 だが、今日は全部置いておく。時間は既に午前11時前である。

 アインズは屋敷の主として言い放つ。

 

「今日はこの屋敷を見に来た。日が沈むまでには王城へ帰る予定でいる。昼食は皆で早めに済ませてきた。私が再び1階へ降りて来るまで、お前達三人は2階以上へ決して上がってくるな。良いな?」

「畏まりました」

「「畏まりました」」

 

 真ん中の少女へ続き、右側の一番小柄で髪がロングツインテールの子と、左側に立つ腰ほどまで一本の三つ編みにした娘も返事をした。ふと、三人とも髪の色が近いように思えたが。

 アインズ達は、馬車をメイドの娘達へ頼むと、玄関の扉を開き屋敷へと入って行った。

 両脇へ階段が掛けられた広めの玄関ホール。大理石の床にホールの天井に掛かるシャンデリア。

 だが、ナザリックの中に広がる最高級の内装からすれば、非常に地味な造りであることは動かない。ユリ達にはそう見えていた。アインズとしては、雨露を十分凌げるしタダにしてはまあイイんじゃないかと思っている。

 一行の五人は、三階へと上がるとベランダのある広い一室に籠った。そして間もなく〈転移門(ゲート)〉にてこの屋敷から完全に姿を消した。

 

 

 

 アインズによるエスコートは、刻限である昼の12時が迫っていてもまだ続いていた……。

 時刻はすでに午前11時15分。絶対的支配者はトブの大森林にいた。

 

「さて……」

 

 今朝、請け負った護衛の仕事からの帰路に〈浮遊板(フローティング・ボード)〉へ座りながら、カルネ村のエモット家に居るモモンガの制作した青紫色系で盗賊と忍者風のデザインの混ざる装備衣装を着る、新参NPCのキョウへと〈伝言(メッセージ)〉を飛ばしていた。

 

「キョウよ、聞こえるか?」

「これは、アインズ様……(ニャ)」

「実は、急なのだが今日の正午にナザリック勢の集会が玉座の間で開かれる」

「左様ですか(ニャ)」

「ついては、お前がエンリ、ネム姉妹と、お守り代わりにゴブリン軍団のリーダとエンリに任せてある死の騎士(デス・ナイト)を、午前11時過ぎたぐらいにトブの大森林の少し奥へ入った辺りまで連れてこい。私がそこからナザリックへの〈転移門(ゲート)〉を開く。あと、そうだな……周囲の者へは薬草の採取とでもしておき、他のゴブリン軍団の者に上手く立ち回らせろ」

「了解です(ニャ)」

 

 そんなやり取り通りに、近くへ現れたアインズの存在へ、マスターアサシンの職業レベルを持つキョウがすぐに気付き、エンリ達を連れて現れる。

 

「アインズ様、指名された者達を連れて来ました……(ニャ)」

 

 草木の間から、デス・ナイトにより枝や蔓を除けられて出来た隙間から、手を繋いだエンリとネムの姉妹が飛び出して来た。

 

「アインズさまーーーっ!」

 

 ネムは一直線でアインズの胸へと抱き付いていた。

 

「こ、こら、ネムっ。すみません、アインズ様」

 

 6日ぶりの敬愛する旦那様との再会に、頬が赤いエンリである。

 くっ付いていたネムを胸元へと抱きながら、アインズは気にする様子はない。

 

「構わん。急に呼び出した形になったがエンリよ、村の方は大丈夫か?」

「はい、少し早めに来て、実際にこの通り薬草は摘んでいますので」

 

 彼女は、右腕に通した籠へ掛けられた布を捲って見せると、そこには一杯に薬草が詰められていた。

 どうやらアリバイを完璧にするために、すでに偽りの目的を達成してくれている模様だ。

 エンリは、それよりも心配するように尋ねる。

 

「あの本当に、私達が参加してもいいのでしょうか?」

 

 アインズは、まだナザリックについてエンリへほとんど説明していない。

 エンリが知っているのは、ルベドやソリュシャン達やキョウを紹介された時に、彼女達が人間ではない事ぐらい。そして部下達は数十人程は居そうかなという事。それと、非常に豪華な馬車を持っている事ぐらいだ。

 それでも、薄々気が付きつつある。

 

 つまりアインズの部下達は――人外達の集団であろうことを。

 

 エンリの少し不安に見える雰囲気を払拭すべく、アインズは自信を持って告げる。

 

「何も心配はいらない。エンリ達は、私の名で私の配下にしているのだ。そして、一緒に居たり会ったりしたルベドやシズ、ユリ達もいる。あと、私の部下の最上位幹部達もお前達の事はもう知っているしな。私が命じた以上、安全は保障される」

「ジュゲムさんも?」

 

 付き従う屈強のゴブリン軍団のリーダーは、「姐さん……」と言いつつ笑う。彼は、エンリの為に死ぬ事を恐れていない。

 

「もちろんだ。知らない者に会ったら、蟲の姿であろうとも"カルネ村の者だ"と告げれば分かるはずだ」

「ふふっ、私も傍にいますから大丈夫です(ニャ)」

 

 アインズの言葉の後に、キョウも微笑んでそう付け加える。

 漸くエンリは、笑顔を浮かべる。

 

「お姉ちゃんは心配し過ぎっ! アインズさまがいるんだからー」

 

 アインズにしがみ付いているネムは、姉に比べて全くマイペースであった。

 

「もう、ネムったら」

 

 エンリは、自分達が原因になって、アインズの配下達の中で問題が起こらないかを心配しているのだ。旦那様へ反感を持つ者などが現れ、求心力が落ちることに繋がらないかと。

 ナザリックの者達の圧倒的な忠誠心を考えれば、それはまあ殆ど杞憂なのだが、まだエンリに分かるはずもない。

 

「では行こうか、ナザリックへ。〈転移門(ゲート)〉」

 

 アインズの魔法により、目の前の空間に闇の様な面が大窓の如く広がる。エンリが、旦那様と初めて出会った時と、ンフィーレアが来た時に家で見た異質といえる光景である。エンリとしては、(くぐ)るのに少し怖さはあるが、旦那様の後へ続く事に否は無い。

 まず、ネムを抱くアインズが通り抜ける。その後にエンリ、ジュゲム、デス・ナイト、最後に不審な者が周囲にいない事を確認してキョウが〈転移門〉を潜った。

 

 アインズ達が現れたのは第九階層の端。

 『玉座の間』前にある、数十体のゴーレム群が飾られた形に並ぶ、広い高天井の通路空間へと降りる大階段の手前である。

 その目に見える広大な空間のすべてが、壮大である。

 まず床の最高級絨毯はフカフカであった。次に通路の足元から天井までの芸術的細工の素晴らしさ。そして、何より全域が過度にならない品の良い金銀宝石類での装飾群と巨大で絢爛豪華なシャンデリアが十点以上並ぶ。

 この周辺だけで一体、何十万カラットの宝石類に何百トンの金塊が使われているのか……。

 エンリは、その余りの豪華さに満ちる周辺光景に、唖然と固まって見入っていた。

 ジュゲムにも貴金属への価値観は有り、目だけが動き口を開けたままの状態で止まっている。

 ただ一人、ネムだけが、フカフカの高級絨毯の上を走り回り始める。

 

「すごいすごいすごい、すっごーーーーいっ! キラキラ、キンピカーーーッ!! アインズ様っ、超お金持ちーーーーーーっ! ワーイ、ワーイ!」

 

 エンリは、自分の愛しの旦那(アインズ)様について、まだ甘く見過ぎていた事に改めて気付く。

 狭い村のような地域の、そこそこ大きいお屋敷へ住む魔法に長けた偉い人物かなと思っていた。それでも十分凄いのだが、現実はその想像を完全にぶっ飛ばし突き抜けていた……。

 きっと、六大貴族や国王さえも優に凌ぐ財がある。その一方で、大半の貴族の様な領民へ示す傲慢さも、骨皮になるまで絞り尽くす貪欲さも、多くの村娘を飽きるまで貪る風の粗暴も無く、仲間には慈愛をもって臨む御方。

 

 

 これはもう間違いなく――伝説の神的水準といえる存在。

 

 

「ア、アインズ様……(貴方はやはり、死の神……さま?)」

「ん? なんだ、エンリ」

 

 すぐ横に立つ旦那様は、そんな彼女の考えも知らず、普通に軽く優しい伴侶への感じで返事を返してくれる。

 それも『エンリ』と自分のごとき凡人の名前を呼んでくれているのだ。

 エンリは思う。これは、きっと夢なんじゃないかと――。

 

「こ、これは……いったい……」

「ここは、ナザリックの第九階層。ここがナザリック地下大墳墓だ。配下は万を優に超える。この私、アインズ・ウール・ゴウンが治める、広大な十階層からなる、我々の拠点であり――家だ」

 

 

「――――――――っ!」

 

 

 凄まじいとはこういう事なのだろう。

 エンリは言葉にならず一音すら出なかった。

 ルベドやアインズから感じる圧倒的といえる威圧。他の配下の者達からも非常に大きな威圧を受けている。それらが率いる万を超える軍団……。

 ここで、特殊である職業レベルを持つエンリの頭に、世界の終末的な思考がふと浮かんだ。まさかと。

 

 

 もしかして――村を襲った50名の騎士団をたった1体であっという間に駆逐してくれた無敵無双の死の騎士(デス・ナイト)が、旦那様が率いる万を優に数える軍団のただの一兵卒という冗談みたいな存在である可能性が―――。

 

 

 それは、もはや国の枠を超え、この全世界に対して余りにも圧倒的過ぎる戦力。

 世界をまさに滅ぼせる程のモノなのではと。

 ネムはまだ無邪気に、フカフカで美しい絨毯の上を転げ回っていた。

 ジュゲムはそれを眺めながら、まだアインズからの言葉に絶句しているエンリの前で静かに呟く。

 

「姐さん、カルネ村は……安泰ですね」

 

 エンリは、しばらく間を置いてから答えた。

 

「……そうかも……アインズ様がいらっしゃれば」

 

 ここ数日の村民らの頑張りもあり、村の周りに柵が完成し一部に塀が設置され始めている。再び何か敵が襲って来ても死の騎士(デス・ナイト)達やゴブリン軍団もいてくれ、村人も弓や槍の訓練を始めている為、以前の様に無抵抗で押し切られることはもう無いはず。

 

(……いや、きっともうそういったチマチマした戦いのレベルじゃない)

 

 エンリは、アインズが王国戦士長と王国戦士騎馬隊を助けたという村の西方にある草原に行ってみた事が有る。

 そこには――直径で数十メートルもある、高熱で一部の石が溶ける程に焦げ切った巨大な跡があった……。

 だが戦いの痕跡はそれ以外には殆ど残っていなかった。

 敵は他国の50人程の精鋭部隊だと聞いた。苦戦しつつ撃退したと。

 しかし、多分違うのだ。

 彼らは消されたのだろう――殲滅だ――圧倒的であるアインズ様達の手によって。

 でも、それでいい。

 だって、大切であったカルネ村の人達を――お父さんやお母さんを殺した連中の仲間なのだから。

 アインズ様は、世界を滅ぼせる戦力を持っている。

 けれども、問題は何も存在しない。

 

 なぜならその力は、大事なカルネ村と村のみんなを『もっと守れるモノ』だからだ。

 

 エンリは、そう割り切った。

 その時、垣間見せた凛々しい彼女の表情には、何か未来の姿を予感させるものがあった。

 漸く彼女は、敬愛する旦那(アインズ)様へと素直な笑顔を向ける。

 

 

 

「ここがナザリック……素晴らしいお家です、アインズ様!」

 

 

 

 ナザリックは、間もなく正午を迎える。

 

 

 



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STAGE26. ナザリックの祭日/竜王ノ憂鬱/ニグン2(2)

※一部残虐的な表現や衝撃的場面があります。



 

 ナザリック地下大墳墓は、記念すべき日の正午を迎えようとしていた。

 

 この地の絶対的支配者であるアインズは、すでに荘厳さの漂うここ玉座の間の最奥に置かれた偉大なる玉座へ、皆に貫録を示す形でどっしりと座っている。

 主の左手には、ギルドの象徴と言える金色(こんじき)(スタッフ)状のギルド武器アイテム――『スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』がしっかりと握られていた。

 玉座の左脇には、全NPC並びに守護者統括のアルベドが、この広間で整然と並ぶ者達を眺め、粗相や不備が無いかを確認していた。

 

「そろそろ時間となります。皆、静粛に」

 

 配下筆頭である彼女の通る凛とした声が響き、玉座の間は正に無音と化す。装備の擦れる音すらしない静寂。

 広間の最端に姉のエンリと居て、天井に下がる先程見たものより格調高く豪華さの極まるシャンデリア群を仰ぐネムの、「ねぇ、ねぇ、あれも全部キンピカッ!」という小声が僅かに漏れ聞こえてくるほどだ。

 玉座の壇上から十段程降りた床の最前列には、巨体すぎる第四階層守護者のガルガンチュアを除く7名の階層守護者級が居並ぶ。彼らの一歩下がった横に領域守護者達も並んでいる。その後方には、整然と各守護者のシモベ達等の上位者がずらりと整列していた。

 ルベドは、アルベドやニグレドの配下では無く一人、『独立軍団』として左端に立つ。

 戦闘メイド六連星(プレアデス)達も、セバスの後ろへユリを先頭に付いている。姿の無いソリュシャンは、王都で任務中という報告は把握済み。

 途中、アルベドの視線が、恐怖公以下のところでだけ些か泳いでいた。公にだけ、精鋭のみ10匹以下と厳命していたが、紳士の彼によりそれは守られた風でホッとする。

 新参のNPC『同誕の六人衆(セクステット)』達も、大浴場管理人で骸骨のダビド爺さんと白衣の美容師、蛮妖精(ワイルドエルフ)のジルダはセバス後方。動死体(ゾンビ)であるフランチェスカはコキュートスの後方へ、スライムのエヴァはシャルティアの後方、悪魔娘のヘカテーはデミウルゴスの後方にと其々並んでいる。なお、配属については本人の意見が尊重された。シャルティアは、フランチェスカに来て欲しかったようだが……。

 NPCではないが、アウラはハムスケを配下に誘っていたが、『殿の傍にお仕えしたいでござる』と言われて断られていた。

 右端付近の二列にはアインズが日々、特殊技術(スキル)で作成し増やし続けているアンデッド達が100体ほど並ぶ。その更に外へ、キョウとハムスケ、エンリとネムにジュゲム達がいた。

 それらを見つめるアルベドの眼差しが一瞬だけ細まり妬ましいものに変わる。だがすぐに表情は戻り、視線は左方向へと折り返していく。そうして彼女の帰って来た視線は、普段ほぼ顔を見る事のない――()()()()の者達の前で止まる。

 

 今より少し前、アインズはエンリ達を玉座の間の中へ送った時、第八階層の者達がそこに居ない事に気が付き、更にそこから2名の守護者を迎えに行っていた。

 1名は、第八階層『荒野』の階層守護者、ヴィクティムである。

 アインズは、指輪の〈転移〉でヴィクティムの住居であるセフィロトを訪れる。

 

ひと()にゅうはく()あおみどり()ボタン()()ハイ()タイシャ()()あおむらさき()

 

 そこには守護者が、床から少し浮くように飛んでいた。変わったエノグ語を話して。

 種族は天使。ゆえに天使の輪と羽を持つ。だが姿は全長1メートルほどの桃色の胚子に似た形をしていた。羽も枯れ枝のような干からびた雰囲気。手足は有るが短くほぼ二頭身で、頭はマッコウクジラの頭部の如き形で目は其々側面側へ付いている。飛ばない場合、短い尻尾もあり、蜥蜴の様に四足歩行の形での移動する。ぬいぐるみのようで少し可愛い。

 階層守護者ではあるが、HP等の基本ステータスはナザリック内においてかなり低い。

 だがヴィクティムは、死ぬ事で第八階層において類まれなる防衛能力を発揮する。それは第八階層に対し、侵入して来た者ら全てへ呪いとして一定長時間の転移門使用不可に変え大きな制約を掛けるという補助的特殊能力である。

 しかしどちらかというと、安全装置的なトリガーとしての存在の方が大きいかもしれない。

 この階層は非常に特殊で、ナザリックの最終防衛線と最大戦力がここにある。

 

 なんと、広い荒野の地表自体が――『巨大な怪物達(八階層の闘士隊)』へと成るのだ。

 

 タイマンでは最強のルベドでも、怪物達の集中攻撃を受ければ10分持つだろうかという、切り捨てても殴り砕いても冷え固めても焼き滅ぼしても終わらない地獄の巨大無限兵団へと変わる。

 現在、至高の41人以外、この階層は立ち入り禁止である。つまりアインズ以外は、味方ですら安全が保障されていない。

 ただし、転移門の管理者が操作することでナザリック勢だけ階層を通過出来る特別製の転移門がある。一方で、それはあくまで意図的な措置であり、操作が無ければ通常の転移門を通って第八階層内へと入ってしまう仕組みになっている。

 アインズは、そんな危険階層の守護者の天使へと話を伝える。

 

「ヴィクティムよ。今よりナザリック勢の集会を開く。階層守護者の一角として、お前も玉座の間へ来い」

そしょく()やまぶき()だいだい()ぞうげ()()おうど()たまご()うすいろ()こくたん()()ときわ()たまご()たいしゃ()ぞうげ()

「ああ、ずっとここで守っていたのだ。今日ぐらいはいいだろう」

 

 そう言って、移動が遅いヴィクティムを左手で抱くように連れ出す。そうして、もう1名の守護者の所へと向かった。

 第八階層には、桜花聖域と呼ばれる桜の花びらが舞い散る美しい領域区画が存在する。

 ここも宝物殿と同様、出入り口が存在しない場所で、尚且つ第八階層内からの指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)使用でしか出入り出来ない。

 アインズが、桜花聖域内へと現れる。

 桜花聖域は70メートル四方ほどの場所で結構広い。昼と夜が存在し枝ぶりの良い桜の木がたくさん植えられており小川も流れ、中央付近に小さめの朱塗りの柱と白壁の神社風の建物がある。

 ここの桜は、花が散ってもすぐにつぼみが出来る特別製である。散った花びらを片付けるのもここに居る者達の仕事だ。丁度、数名の和風並びに乙女感滲む巫女服の少女達が、箒を手に花びらを掃き集めていた。

 その中で来訪者の存在を感じ、顔をいち早く向けてきた長い黒髪の美しい少女に声を掛ける。

 

「オーレオール」

「あれっ? これは、アインズ様。それに、ヴィクティム様も」

 

 オーレオールと呼ばれた彼女は、第八階層桜花聖域領域守護者のオーレオール・オメガ。

 この地の桜は、彼女の賑やかしい名前にあやかろうと植えられ増やされたものである。

 

 種族は、ナザリックのNPCの中で唯一の――人間だ。

 

 また名前の最後から分かるように、実はプレアデスの末の妹でもある。

 しかし職務に対応する為、この場に詰め、飲食不要のアイテムが与えられた上で不老となっていた。もう仙女と言った方が良いかもしれない……。

 掃除をしていた他の巫女達は、後方で箒を置き横に整列して支配者へと礼を取っていた。

 彼女達は、管理システムマスターソースのオプションを利用し、主にナザリック内にある階層間の転移門(ゲート)管理を行っている。

 管理についてだが、ユグドラシルの拠点ルール上、ナザリック地下大墳墓も地上中央霊廟正面出入り口から第十階層の玉座の間まで、転移門といえども必ず一本は常時制約無しに繋がっている必要がある。

 新世界に来た今でもそのルールは、アインズの命により守られている。未知のペナルティー発生のリスクを恐れたためだ。

 このため彼女達の重要となる役割は、転移門を閉じることではなく、繋ぎ換えや監視によって侵入者を転移途中で強制排除する事となっている。

 なので、オーレオール一人が持ち場にいないからといって転移門に問題が出る訳では無い。

 

「実はな、これから玉座の間で集会を開くので、ヴィクティムと共にお前も呼びに来たのだ」

「こ、これは。至高の御方自らのお迎えとは……愛溢れる行動に照れてしまいます」

 

 透き通るように白い美肌の頬へ右手を当て、なにげに顔を赤らめるオーレオール。和風の姿が妙に艶めかしい。

 

「いやいや、ここには私しか入れないだろう?」

「あっ、そうでした。でもでもぉ……」

 

 領域守護者の娘は、そう言いつつ可愛く身体を小さく左右へと振ってみせていた……。

 少し思い込みが激しい子である。注意が必要かもしれないとアインズは思うも、時間が無いので話を進める。

 

「とりあえず、行くぞ。私の手を取れ」

「は、はい」

 

 オーレオールは恥じらいつつ、差し出されている偉大な支配者の手をそっと取った。

 そうしてヴィクティム達は第八階層を再経由し、玉座の間まで連れて来られていた。

 

 先程より玉座壇上から第八階層の者達を見ていたアルベドは、会釈してきた巫女服の領域守護者に対して視線を外す。

 ――時間である。

 

 

 

 

 

 正午。特に鐘などは鳴らない。

 しかし、アルベドは無言で立ち位置を玉座傍まで下げてくると、支配者の方を向き片膝を突き傅く。

 玉座の間の者達も全員、アルベドに続き跪いていった。

 後方までの様子を感じ取り、アルベドは口元を僅かに開き小声で囁く。

 

「アインズ様、統括及び配下の者達全て、御身の前に」

 

 その声にアインズが、ゆっくりと黄金の杖と共に玉座から立ち上がる。

 目の前には、ナザリックの正に精鋭達が数百名と支配者の生み出したアンデッド達が壮観といえる光景で跪き並ぶ。

 ここは、支配者として恥じない姿と貫録の見せどころである。

 皆の御方は、一声を悠然と発した。

 

「良く集まってくれた、ナザリック地下大墳墓の精鋭達よ! 私は皆の勇ましい姿を見れて非常に喜んでいる」

「「「「「おぉぉぉぉ」」」」」

 

 至高の御方の喜びの言葉に、広間内へ集いし者達の感激と安堵の吐息が広がる。アインズが右手を小さく上げると静寂が戻った。

 

「この広間に居る者以外のナザリックの者達にも、今日は私の口から聞いてもらいたい事が有ってこの場を設けた」

 

 アインズの声と姿は、各階層の広い場所数か所に設けられた超大型の〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉を通して、防衛当直者以外の者達が地に絨毯の如く整然と跪き見ている。

 

「まずは、この場にても伝えておく。私は先日より名を改めている。すでに知っていると思うが、"モモンガ"を改め、今後"アインズ・ウール・ゴウン"を名乗る事にした。皆の者、宜しく頼む」

 

 ここでアルベドが、皆に先駆けて凛と響く言葉を発し盛り上げる。

 

「今、新しき御尊名を、全員が伺いましてございます。ナザリックで唯一の偉大なる御方に対し、改めて皆の忠誠をここに! アインズ・ウール・ゴウン様、万歳っ!」

 

 それにまず続くは、階層守護者達と領域守護者達。

 

「「「「「「アインズ・ウール・ゴウン様、万歳っ!」」」」」」

 

 そして、玉座の間内全域と各階層内から湧き上がる。

 

『『『アインズ・ウール・ゴウン様、万歳っ! アインズ・ウール・ゴウン様、万歳っ! アインズ・ウール・ゴウン様、万歳ーーーーーっ!!』』』

 

 三唱とその後に広まった拍手の音は、玉座の間内で反響し僅かに地響いたようにも感じる程であった。

 アインズが再び右手を小さく上げ、静寂を求める。

 

「嬉しく思うぞ。――さて、今日はこのナザリックのこれからについて、私の方針が決まった事を皆に知らせる事にした。我々は最終的に――世界征服を目指す!」

 

『『『うおおぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーっ!!』』』

 

 この瞬間、ナザリック全体が歓喜により大きくどよめいた。

 皆の前で支配者がハッキリと宣言したことに、ナザリック至上主義のデミウルゴスを初め、シャルティアやアウラにマーレ、コキュートスらも喜びを隠せない。

 守護者だけに留まらず、多くの者達が手を握り締めたり、拳を突き上げる仕草をして嬉しさを表現していた。

 

(うわぁ~言っちゃった。でも皆、喜んでて楽しみにしてるし……今は時間を稼いで、まとまることが大事だよな)

 

 目の前の配下達の光景を見るアインズの思いは複雑であった。

 

「――えっ?」

 

 その中でただ一人、思わず小さな呟きを漏らしたのが――エンリであった。

 世界征服。それは戦いを起こし、虐げる事を伴う蹂躙である。

 

(なんで……なぜです? アインズ様)

 

 エンリは、アインズの言へ僅かに違和感を覚え、無意識で指揮官的思考をフルに発揮し回想する。

 彼の村人達へ示してくれた、救いの手と施しと明るい未来。

 また、自分やネムへの身内に対する家族的な温もりのある優しさ。

 一方で思い出すのは、敵に対する情け容赦のない割り切りと暴力。

 

 そして今回の、世界征服発言――。

 

 間もなく、アインズを敬愛する彼女の中で結論は生まれた。

 お父さんやお母さん、いや何百年も続く村の貧しく苦しい生活。周りの領地を取り巻く変わらなく酷い貴族達の傲慢さ。毎年税を増やし続け、戦争を繰り返すだけの無能とすら感じる王家の王国。それを引き起こす帝国や法国。

 さらに、亜人種やモンスターが徘徊する大森林や、人間達を奴隷化していると遠い噂に聞く西方隣国や大陸の中央部に以東方面……。

 

 

(全ては、愛しい旦那様の下で変わるべきなのかも。そう、周りの世界は、全部――敵だ)

 

 

 こうして、エンリの若い熱き思考は、高速回転し更に割り切って着地していた。

 

「せかいの悪者を、アインズ様がこらしめるんだよねっ。すごいすごいすごーいっ!」

 

 やはり姉妹なのか、横に寄り添うネムも同じ結論に辿り着いていた……。

 アインズの話は、長期とする五か年の第一計画へと続く。

 

「世界征服の第一歩として五か年計画で、まず足場となる新国家を建設する。領土としてはトブの大森林と山岳部、並びにこの周囲の平原一帯だ。合わせて地上の拠点となる城塞都市も建設する。なお、我が名を世界へ広めるため国名は――"アインズ・ウール・ゴウン"とする!」

 

 玉座の間は、絶対的支配者の言葉毎にどよめきが止まらない。また、この後の司令や先鋒などの主な担当人事の発表では、配下達が守護者達の名誉に喜びの声をあげた。

 その都度、アインズは右手を小さく上げ話を進めていった。

 ニ十分程続いた支配者の話は最後に差し掛かる。

 

「――ついては、近日中に我々ナザリックは、トブの大森林への侵攻を開始するための準備に入る。ではナザリックの全軍各員、上位の者と共に協力し合い粉骨砕身せよっ! ――以上だ」

 

『『『『ははーーーーーーーーっ』』』』

 

 再び、玉座の間の配下一同が壮観と言える光景でアインズへと頭を下げていた。

 その光景は、各階層のモニタ前でも同様であった。

 アインズは無事に、絶対的支配者で至高の御方としての威厳を見せ付けつつ、重大発表の場を終えた。

 

 

 

 

(くふーーーーーーーっ! やっべ、アインズ様、かっけぇー。くふふふふーーーー)

 

 

 玉座の横で跪いているアルベドは、アインズの皆を前に堂々と世界征服を言い放って立つその至高で崇高といえる姿に、感激と欲情的興奮で目を全開に見開いたまま小刻みに震えていた。

 一方、近辺が非常事態に突入している事を知らないアインズは、ゆったりと再び玉座へと腰掛ける。

 

(ふーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ……無事に終わった)

 

 内心で、随分すぎる長さの吐息を吐いていた。

 ふと、アインズは二歩程離れたところで跪いたまま震えるアルベドへ気付き、小声を掛ける。

 

「アルベド、どうした」

 

 愛しの御方のその声にアルベドは、ピクリと反応すると、うつむき加減にゆらりと立ち上がる。

 アインズは――イヤな予感がした。

 目線を刹那で周囲へやると、一応護衛で八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)が増強され()()いるようだが。

 アルベドは、瞳を潤ませ頬を上気させつつ()()と呟いた。

 

「あとは――お妃とお世継ぎが必要ですわね」

「ぇ―――?」

 

 主人は漸く気付く。これはダメなパターンだと。

 アインズは頑強に作られた玉座に座ってしまっていた。後ろに下がろうにも――後がない。彼女は場所を選ばない。

 捕まったら、ジ・エンド。

 支配者は非常に焦っていた。

 

(な、なにか、手はないかぁぁ?! うわぁぁ……会議室の比じゃないよぉ。公開生中継だよっ!)

 

 そもそもAVは、大勢で見るものではない。コッソリと楽しむからいいのだ。イヤ――それは今、重要ではなかった……。

 ここは玉座の間であり指輪は使えないのだ。アインズは動けないっ。

 

 だがここで、彼は左手で握ってる物に気が付いた。

 

 ギルド武器――『スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』。これは指輪とは違う。

 これなら、この場からの〈転移〉も可能。さらに、宝物庫最奥の世界級(ワールド)アイテム保管庫内や、第八階層を経由せずに桜花聖域へも直接行く事すら可能だ。

 同じ指輪を持つ、アルベドをも置き去りに出来る。

 ギルド武器アイテムは伊達では無い。

 

(やったぁっ! 逃げられるぅぅぅ)

 

 でも――ちょっと待て、と彼の心が叫んだ。

 この場で玉座へと襲いかかって来るアルベドを〈転移〉で躱した場合、残された彼女がどうなるのかが支配者の思考へと過った。

 これが普段の場なら、いつもの顔ぶれで何とか取り繕う事は出来るだろう。

 しかし今回は、公式で厳粛な集会内において、全軍が見ている中での至高の御方への無礼行為になるのだ。おまけに見た目が、嫌がられた風で逃げられてしまうという……。

 

 間違いなく、強制休養では済まない失態の上、彼女の心は更にオカシクなるのではないだろうか。

 

(――――っ)

 

 彼女がこうなっているのも元はと言えば、設定を書き換えたモモンガ自身の所為ではないかという思いがある。彼女だけに負わせる事ではないと。

 そもそも、彼女を嫌いな訳が無い。綺麗だと思っていたのだ、愛してくれたら嬉しいなと。遊びが入ったとはいえ設定を変える程に。

 時間がないアインズであったが、一瞬で決断する。

 彼は――自ら前へと足を踏み出していた。

 

「アルベド!」

 

 絶対的支配者からの強い声よりも――玉座壇上で自分の熱い身体が御方によって強く抱き締められている事に、アルベドは逆に固まった。

 アインズは、拘束を掛けられる前にアルベド側へ仕掛けたのだ。

 もちろんアインズの声は、広間内の全注目を集める。その抱き合う姿も。

 

 

 そして、当然玉座の間内も固まった……各々が様々な表情で。

 

 

 この場においては少しハレンチ的行為だが、アルベドが苦境に立つよりか全然マシだろう。

 ありがたい事に、絶対的支配者であるアインズの如何なる行為も、このナザリックでは許されるのだから。

 彼は、自身への『伝家の宝刀』で今の状況を凌ぐことにした。

 

「――体調が悪いようだな。ちょっと付いてこい」

「は、い……」

 

 アルベドは、失態と状況から混乱気味に答える。

 思わぬ非常事態に支配者は、この場の後処理について、壇上から見下ろしつつ適任者へと指示を出す。このあと、第六階層の闘技場にて盛大な宴会が催される予定もあるからだ。

 

「デミウルゴス、少し任せる」

「はっ、畏まりました」

 

 最上位悪魔の階層守護者は、壇上での状況から何があったのかを即理解し、余分に話す事無く真摯に言葉を返した。

 それを聞くとアインズは黄金の杖を使い、アルベドを抱き締めたまま玉座の間から〈転移〉した。

 

(申し訳ありません、アインズ様……賢明な御判断に感謝いたします)

 

 デミウルゴスは至高の御方へ感謝した。

 流石の彼も待ちに待っていた集会で、その直後の満足感に満たされた雰囲気の中では、アルベドの変化に気付くのが完全に遅れた。その事を悔やみつつ、気配りが足らなかった事を御方へ詫びていた。

 シャルティアやアウラ達もデミウルゴスの下へと集まって来る。

 

「我が君が、あの女を抱き締めるなんて……一体どうしたでありんす?」

「何も問題ありませんよ。アインズ様の慈悲深いご配慮のおかげでね」

「あっ、……あの大口ゴリラのサキュバス、また盛ったのでありんすか? まぁ、今日は私も感動でちょっと下着が怪しいでありんすが」

「この乳ナシっ、何言ってるのよ。アルベドもアルベドね。大事な集会でしっかりしなさいっての」

「……ソウダッタノカ。統括ニシロシャルティアモ、コノ厳粛ナ場デ不謹慎デアルゾ」

 

 割と寛大であるコキュートスが、声のトーンを落とし不快感を露わにしていた。この場は、至高の御方の厳粛なセレモニーであるからだ。何人も汚すことは許されない。

 

「わ、悪かったでありんすよ」

 

 武人の言葉に、シャルティアも我が君の晴れの場という事で少し反省する。それと、コキュートスの本気もヤバイのだ。

 だが、そんなコキュートスを気にすることもなく、些かショックに思うマーレは呟く。

 

「モ、アインズ様……ギュッと抱き締めてたよ」

「「……っ」」

 

 マーレの言葉に、シャルティアとアウラはちょっぴり悔しそうな表情で口を結ぶと、一瞬目線を落とした。三人の美少女揃いの階層守護者達は理由はどうあれ、アルベドが羨ましかったのだ。

 その感情は、この場で見ていたルベドとプレアデス達やオーレオール、エンリら、主を敬愛する者に共通した想いであった。

 

「セバス、闘技場側の宴会準備はどうなっています?」

 

 デミウルゴスは、最も詳しいセバスへと確認する。本来、アルベドが皆へ指示する予定であったが、主より任された以上、見事に熟さなければならない。

 

「すべて順調です。ほぼ完了しています。問題はありません」

「そうですか、分かりました」

 

 ナザリックの執事からの回答を受け、デミウルゴスが玉座の間の者達、皆へと告げる。

 

「皆さん、聞きたまえ」

 

 アインズの消える前後辺りから、些かざわついていた広間内であるが、最上位幹部の階層守護者であるデミウルゴスの言葉に鎮まり、皆が傾注する。

 

「統括のアルベドが一時体調を崩したため、至高の御方より私が『宴会進行』代行に指名されました。これより、アインズ様の御改名と、その御方の下で我々ナザリックが偉業への第一歩を踏み出す門出を祝して、第六階層闘技場において宴会を行います! 今回は食事会だけではなく、アインズ様の御配慮と許可により催し物も豊富です。各員、速やかに移動し存分に楽しみましょうっ」

 

『『『おおぉぉぉぉーーーーーーーーっ!』』』

 

 宴会開催と聞いて、皆、大喜びである。

 もう先程の、アルベドに関するアインズの行為を気にしている配下は、殆ど居なくなっていた。そもそも、至高の御方であるアインズの行動への憶測すら、不敬となり下々にとって許される行為ではないのだ。

 アインズが〈転移〉前に、アルベドへ「体調が悪いようだな」と言葉にしているのを前列付近の者が聞いており、『そういう事なのだろう』として、この一件は完全に落着していった。

 

 

 

 

 

 アインズとアルベドは、宝物殿内の入り口付近、天井からユグドラシルの金貨が降り落ちて、床を敷き詰め山となって積もっている空間へと現れていた。

 アルベドは、まだアインズに抱き締められている。まさに、頭の中で何度も妄想していたシーンである。

 非常に嬉しくあったが、しかし、彼女は今――なんとも言えない不安を感じている。

 この体勢は、厳粛な場所においての明らかに彼女の暴走を、支配者から庇って貰った結果であるからだ。

 

「アルベド、もう大丈夫か?」

「はい」

 

 アルベドの声を受け、アインズは拘束的に抱き締めていた両腕を放し、数歩下がった。

 彼女はすぐさまその場へと跪く。

 

「申し訳ありません、アインズ様。厳粛で大切な集会の場で、我を忘れてしまいました。つきましては、どのような罰でもお与え――」

「――よい」

 

 "くださいますように"とアルベドが告げる前に、アインズの許しが聞こえた。

 アルベドは俯き落としていた顔を上げ、アインズを見上げる。

 支配者は――闇の眼窩(がんか)に収まる優しい赤き瞳で見てくれていた。

 彼は、ゆっくり静かに話し始める。

 

「お前の設定について、手を加えた事に……私は責任を感じている」

「いえっ、アインズ様に責任などございません。全て私の気持ちから起こってしまった事です」

 

 直ぐに反論するアルベドだが、その不安は大きくなってきていた。アインズの様子が重たいのだ。

 それが的中する形で、支配者はアルベドへとその『決断した考え』を伝えた。

 

 

 

「私は――お前の"その設定"を修正しようと思う」

 

 

 

「――――っ!」

 

 アルベドは絶句する。

 

 ――『モモンガを愛している』

 

 アルベドにとってこの一文は、心の拠り所でありプライドであり、主からの愛の証と考えている。それはそれは、大切な大切な宝物と言えた。

 しかしアインズは残念ながら、まだそこまでのモノだとは思い至っていない。変更してからまだ日も浅いものだと。

 支配者は、気付かないまま話を続ける。

 

「幸い今、私はこれを持っている。意識の中でお前の設定欄へアクセスし、ソフトウェアキーボードを使えば変更は可能なはずだ」

 

 支配者は、ギルド武器の『スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』を左手で僅かに持ち上げる。アルベドも、設定を変更された時の光景自体を見ていたので理解出来る。

 それだけに恐怖である。消えてしまうのだ、「モモンガを愛している」という愛しく刻まれた文字が。

 彼女は――願いを伝える。

 

「アインズ様。何卒、何卒、それはご容赦頂けませんか? 私がお嫌いになったのでしょうか? それとも私が――ご迷惑になって……いるので……しょう……か」

 

 そこまで伝えて、今日の厳粛であった集会での自らの失態を思い出していた。

 アルベドは小さく震え始める。

 そして叫びつつ懇願した。必死であった。

 

「ア、アインズ様、罰を。私に是非、罰をお与えくださいっ。で、ですから、どうか設定の変更だけはっ」

 

 いつの間にか彼女の美しい目元から一筋の涙がこぼれ落ちていた。

 

「……お前は悪くない」

 

 アインズは、罰の必要が無い旨を、ゆっくり顔を小さく横に振って伝える。

 そして、右手で優しくアルベドの頬を撫でながら涙の滴を拭い、優しく語り掛ける。

 

「分かってくれアルベド。これは――お前を守る為なのだ。このままでは、私が勝手に変更した設定によって、お前がいつか大きく酷い失態をしてしまうのではと思ってな。それが原因で守護者統括の地位を辞す事や、もっと悪い状況になるやもしれん。今日のように、私がいつも事前に気付いて助けてやれるとは限らないのだぞ」

 

 アインズはただ心配なのだ。自分の行った設定の変更が無ければ、彼女がこのような『発作』を起こさないのでないかと。

 しかし、アルベドは譲れない想いの言葉を返す。

 

「――仰る事が分かりません。それに構いません、たとえ一兵卒へ落ちようとも。私の忠誠は、永遠に、微塵も変わりませんっ。どうか、どうか……」

 

 彼女は言い切った。

 それほど大事なのである。僅か10文字程であるが、ハッキリとした至高の主から貰った愛の形であるのだから。

 

「アルベド……」

 

 アインズは困ってしまった。彼自身、これを言いたくなかったが、『命令する』しかないかも知れないと思い始める。

 彼女の必死に漏らしたこの後の一言を聞くまでは。

 

 

 

「それに、アインズ様が設定を変更されたとしても――私のアインズ様を敬愛する気持ちは、もう変わりませんっ!!」

 

 

 

「え゛っ………」

 

 盲点であった。

 というか、アインズもまだ新世界におけるNPCの設定の有効性を全て理解している訳ではない。

 アルベドの叫びは続く。

 

「設定はあくまでも"初期設定"で――必ずしも絶対ではありませんっ。その気になれば反することはあり得るのです。その証拠がルベドです。あの子には、至高の41人に敬意を持っていない設定が明記されている事をご存知のはずです。でも、今は違います。今日、あの子は――皆と同じにちゃんと跪いていましたから。あの子を変えたのは……アインズ様です」

「――――っ、そうか……」

 

 ルベドに付け加えたのは「至高の41人には従順である」という一文のみ。当初、ルベドは確かに命令には従ったが、愛想も会話も無く礼などは殆どしてこなかったのを思い出す。

 だが、今は明らかに違う。送迎の礼もきちんとしてくれるし、向こうから可愛くスリスリして来てもくれるのだ。

 アインズは、仲間の子供同然といえるNPC達のこの新世界における可能性を、もっと広い目で見てやるべきだという思いが湧いた。

 また、どうやら設定とは別でキャラごとに好感度等の多数のシークレットパラメーターも有るのではと感じた。これは、管理システムのマスターソースでも確認変更出来ない項目の様だ。AIとも関連する、いわゆる個性と言っていいだろう。

 アインズは、アルベドの肩へと右手を置いて伝える。

 

「アルベド。良い事を進言してくれた。良く分かった。もうこれ以上お前の設定について、変更するとは言うまい」

「ア、アインズ様っ……ぁっ」

 

 跪いていたアルベドは、安堵感により力が抜けてよろけそうになった。彼女にとってはそれほどの事象だったのだ。

 アインズは、彼女の肩に置いていた手で支えてあげる。

 

「立てるか、アルベド? 我々も第六階層の宴会場へ行かなければな」

 

 主役とトップレディーの二人である。会場も格好が付かないはずだ。

 アインズがそう尋ねると、アルベドは悪戯っぽく笑った。

 

「立つのは……無理なようですアインズ様。出来れば、その……抱っこをお願いします、お姫様風に」

 

 また、あの『発作』が起きるかもしれない。

 しかしアインズは、可愛らしい彼女のその要望に応えてあげた。

 

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓、第六階層『ジャングル』内の闘技場脇の上空へ二人は姿を現す。

 

(よっしゃぁぁぁーーーーーーーっ!)

 

 アルベドは、心身共に逞しく復活していた。まさに転んでもタダでは起きない。

 愛しのアインズ様にお姫様抱っこをしてもらい、ここまで連れて来てもらっていた。

 

「さあ、着いたぞ。我々も、そろそろ宴会での役割を果たそう」

「は、はい(グッと抱き締めて頂いた熱い感触とぉ、お姫様抱っこ……くふふふ)」

 

 ここへ現れるまでに、お姫様抱っこのまま素敵で静寂の広がる宝物殿内のホールを5分ほど歩いてもらえたという大サービスまで追加されていた……。

 アルベドはまだ名残惜しくも、予想外のご褒美を貰えたことを思い出しつつ満足する。

 アインズ達が玉座の間から姿を消して30分近く経過していたが、タイミング的には丁度良い感じに思えた。

 転移門を使っても、第六階層へ万を超える移動となると、それなりに時間が必要であった。

 この時上空への、ナザリックの絶対的支配者と守護者統括の登場に気付いた者達から歓声が上がり出す。

 軽く手を振るアインズとアルベドは、並んで空中から競技場の観客席部分にある少し張り出た舞台部分へ降り立った。

 そこにはデミウルゴスと指示を受けていた配下の三魔将の一人、筋肉質で美男子風の相貌と長めの赤髪を持つ強欲の魔将がおり、アインズらの登場に魔将は直ちに膝を折り、デミウルゴスは腹部へ手を添える形での礼にて出迎える。

 

「お待ちしておりました、アインズ様」

「うむ、ご苦労。すべて順調そうだな」

「はい。各階層の当直のみを残し、すでに大半が入場を完了しております。アルベド、貴方も大丈夫なようですね」

「ええ、任せてしまってごめんなさい、デミウルゴス。代わりましょうか?」

「まぁ、総合司会は私がやる予定でしたし大丈夫ですよ。では、少しバックアップをお願いします」

「分かったわ。では、アインズ様」

「ああ」

 

 笑顔のアルベドは会場の資料を受け取り、少し離れたところで指示を伝えているセバスのところまで、優雅な素振りと足取りで確認へと向かった。

 デミウルゴスは、アルベドの件についてはもう何も聞かない。アルベドのいつもと変わらぬ様子で察するとともに、支配者の対応と配慮の素晴らしさに感動していた。

 

(――流石でございます、アインズ様。先程、玉座の間で混乱し固まっていたアルベドが、この僅かな時間で生き生きとしています。"超位魔法"に匹敵する至高の存在力に感服いたします。同僚の私では、対応が難しい件でした)

 

 アインズは、デミウルゴスから会場のパンフレットを受け取りつつ、このあとの簡単な流れを聞く。殆どやることは無く、中盤にこの舞台を使った催し物で、一文読んで欲しいとだけ頼まれとりあえずOKすると、舞台後方の一段と高い位置にある支配者席へと移動する。玉座の間で別れた形のエンリ達の様子が少し気になったが、宴会開始直前で有り自重する。

 この全軍が揃う場所で、過度に贔屓されているという形の先入観を周りに持たせるわけにはいかないのだ。エンリとネムのような普通の人間は、このナザリックでは余りにも脆弱といえる存在でしかない。

 また一方で……初めて見る周りの異形の者達の姿に、震え上がっているのではないかと、そう不憫に考えていた――。

 

 

 

「うわーい、カッコイイ骸骨さんがいっぱいっ! あっちにも強そうな虫さん達がいるよっ! 悪いやつらをおしおきするアインズ様の軍団だよねっ」

「こら、ネム!」

 

 ネムは、ここへ来て絶好調であるっ。

 すでに森の賢王ハムスケの背に乗せてもらっていた。

 エンリとネム、ハムスケ、ジュゲム、デス・ナイトのルイス君はNPCのキョウに連れられ、パンフレットを片手に宴会直前の全軍集結でごった返す闘技場内を歩いている。

 ハムスケは、200年間ずっと独りでいたため、殆ど人間とも付き合ったことがない。出会ったのは、大半が名を上げに来た冒険者達。なので人間に余り良い印象はないが、アインズ配下の同輩となれば別であった。

 玉座の間で出会った際、キョウを挟んで互いに自己紹介していた。

 

「某はハムスケでござる。女の子同士、よろしくでござるよ」

「こ、こちらこそ、ハムスケさん。私はエンリ、こっちが妹のネムよ。あと、付き添いのジュゲムさんと、戦士のルイス君」

「ハムスケちゃん、凄くカッコイイっ!」

「そ、そうでござるか」

 

 長い尻尾を揺らしテレる稀代の森の賢王は、ネムにちゃん付けされて、すぐ懐かれていた……。

 カルネ村の中では、限られた遊びしかなく見世物も来ない。しかし逞しいネムにとって、このナザリックは目に入るモノ全てが、大スケールの遊び場的所にも見えていたのだ。

 その時、キョウ一行へと声が掛かる。

 

「……キョウ……エンリ……ネム……」

「あっ、シズ様ぁー。ユリ様達だぁ」

 

 エンリ達を見つけたユリ達プレアデスの一行が近付いてきた。エンリらに馴染みのソリュシャンが見当たらず、内三人は見慣れない顔ぶれ。ちなみにルベドは、歪な赤子人形を抱く姉ニグレドと姉妹仲良く闘技場へ移動してきている。

 ネムは、ハムスケの側面に横方向へ靡く固い毛を慣れた梯子のように素早く降りると、シズへ駆け寄り抱き付いた。

 ユリ達はいつもの装備服ではなく、スカートの裾が長いタイプのメイド服を着ている。セバスから、各所の応援へ少し入るように言われてこの辺りへと来ていた。

 

「あ、エンリとネムっすね、あとは……顔は知ってるっすよ。時々、夜中にキョウの所や森のハムスケの所に顔を出してるっすから。私はルプスレギナっす」

 

 耳型カチューシャに赤毛が美しく三つ編みおさげ、元気な雰囲気でどこか憎めない美少女が、人懐っこい口調で話し掛ける。

 ジュゲムの方がエンリより強くとも『格』の問題があった。またエンリについては、支配者が望んだ世界級(ワールド)アイテム並みの特殊な生まれながらの異能(タレント)持ちの人間(ンフィーレア)を、味方に引き入れた大きな功が伝えられている。

 次に白肌の卵顔でストレートロングに黒髪の凄まじい美人のメイドが続く。

 

「ハムスケに、エ……エ、ム……姉と妹だな。(顔は)覚えておこう。私はナーベラル・ガンマだ」

 

 彼女には、人の名前の記憶は難しい模様。また、ネムに「すごく綺麗」と呟かれ満更でもない。

 最後にもう一名。

 

「えーっと、まず(固そうなのが)ハムスケ。こっち(の柔らかそうな子)がネムで、そして(そこそこ柔らかそうな子が)エンリですねー。エントマですわー」

 

 斬新な覚え方である。相手はアインズ様直系の配下であり、自らが餓死しようとも食す気はないが、思考での表現は自由。

 ダークパープル系で節の有る独特の髪形をした、小柄で可愛い少女が綺麗な声で名乗った。

 そんな、見た目は凄く美しく見える人外のプレアデスである彼女らへ、エモット姉妹達も「エンリです」「ネムですっ」「ジュゲムです」という感じで名乗っていく。

 挨拶を終えて早々だが、ユリは眼鏡を上げつつ周囲に主が居ないこともあり、和やかに告げる。

 

「じゃあね。ボク達は、手伝いの方に行くので」

「頑張ってください(ニャ)」

 

 元気に激しく手を振るネムとキョウ達から見送られつつ、プレアデスの面々は去って行った。

 この時、キョウ一行の周りに大勢居る各階層のシモベ達は、この邂逅の前からしっかりと見ている。上位から手を出すなと通達はあったが、見慣れぬ『人間』のエンリ達がどういった立場の者なのかを知るためにだ。

 キョウについては、新参者であるが絶対的支配者アインズの制作したNPCということで随分上位というのは分かる。

 そのキョウが率いている事に加え、人間らは名を呼ばれている事が重要であった。ナザリック軍団において、大部分はまともな名前が無い。あっても、最後に数字が付いているのが大半と言える。

 きちんとした名前があるだけで、上位1000には入るはずなのだ。

 このナザリックでは、上位とレベルは余り関係が無い。至高の41人に近いかや実績・処理能力が重要で、統合管制室の責任者に就く執事助手エクレアは、危険な設定持ちの上にわずかLv.1である。

 そんな固有の名を持つエンリらは、プレアデス達と挨拶を交わし名を覚えられたことで、更に上位者として認識されていく。

 何と言っても戦闘メイド六連星(プレアデス)は、至高の41人によって生み出されたNPC達であり、第九階層の守備も任される間違いなく上位50番以内に入る存在。加えて、絶対的支配者の上、至高の御方であるアインズ様へも、直接意見を伝えられる者達なのだ。一兵卒達とは『存在次元』が異なる。

 気が付くと、混んでいるはずだがキョウ達の進行方向で、自発的にシモベ達が避けてゆき道が出来ていく。

 それは、プレアデスが去って行く時に近い感じであった。

 身分の低い一介の農民娘エンリには良く分からない異質である状況だが、キョウは一々気にすることなく誘う。

 

「では今度は、あちら側へ行ってみましょうか(ニャ)」

 

 ナザリックの軍団の大半は、減っても自動POPする兵団なのだ。そして、それらは個々で上位を認識してくれる為、意識する必要は無い。

 一行は通り易くなった道をゆっくりと進み始めた。

 

 

 

「では皆さん、大宴会の開催を前にこちらへ注目をお願いします!」

 

 

 その時、観客席から少し張り出た舞台の上で、デミウルゴスが両腕を大きく開くようなポーズで語り始めた。

 

「アインズ様も席へいらっしゃいましたし、御方の御改名とナザリックの栄光なる戦いの幕開けを祝しての大宴会をいよいよ始めたいと思います。つきましては開始宣言の前に、アインズ様から是非、一言頂きたいのですが」

 

 まあ、統率者の立場としてのお決まりと言える。

 アインズは、ゆっくりと席を立つ。

 宴の席であり、跪く必要もない。気楽にすればよいのだ。階層守護者と領域守護者達もアインズより一段低い席ながら両横に並んで座っている。

 それでも、全ての配下の視線がアインズへと集まっていた。

 

「では一言だけ。――アインズと改名して、皆の者とこの場を迎えられて嬉しく思う。そして、これから我々は一丸となって大きい目標へと向かって行くことになる、その門出だ。大抵のことは無礼講である。今日は皆、ゆっくりと楽しんで欲しい。以上だ。デミウルゴス、さあ、始めてくれ」

「無礼講の御許可も頂き、ありがとうございました。――では、宴会のスタートです! 皆さん大いに楽しみましょう!」

 

『『『『うおおぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーーー!』』』』

 

 観客席までもびっしり埋まり、競技場が地響く程の歓声で大宴会は始まった。

 さて振る舞いだが、守護者達の個別席には料理が並べられている。しかし、他の者達は違った。

 料理は基本バイキング形式。第九階層からバーも出張して来ており飲み物も充実。勿論食べ放題飲み放題だ。

 

 食材の大半は、トブの大森林やダグザの大釜で各種入手。あとは――――先日、モモンらが討伐した盗賊団員とか、盗賊団員とか、盗賊団員とか……。

 結構多くの者が死ぬ前に、最上位悪魔から用途を知らされたルプスレギナによって〈大治療(ヒール)〉されまくって確保されている。彼女は「危なかったすね。死なずによかったっすよ。ラッキーっすね」と助けた者達に笑顔で声を掛けていたが、その一部が新鮮なお肉としても提供されている。あの時、あっさり死んだ者は幸せである……。

 とはいえ、全軍の大半は飲み食いしない者も多い。そのため大いに盛り上がるのは、各種余興である。

 先日、討伐された盗賊団はここでも大活躍だ。的になったり、血飛沫や手足飛ぶ過激な見世物になっていた……。

 笑顔を浮かべるサディストのルプスレギナも周回して随時待機しており、壊れたオモチャを直すように『悪趣味な』終わらない地獄がそこに展開されていく。

 

 最後は、「スタッフで美味しく頂きました」という結末に向けて……。

 

 開始が宣言され少し過ぎた頃、宴会場内のある所でエンリの目が止まる。

 それは檻に入れられた――数名の人間の男達であった。

 そして、その横の舞台では、シモベ達により生きたまま●●●●●●な技が披露されていた。周囲は、シモベ達のテンションが上がり歓声に包まれている。

 

「ほう、余興でござるか」

「う、姐さん」

「あ、あれは……?」

 

 この光景にショックを受けるかと思われたエモット姉妹であるが、キョウの言葉で『納得』する。

 キョウはこう答えた。

 

「あの者達は、数十人で徒党を組み街道を中心に、長い間残虐的に盗賊行為をしていた者達で、アインズ様が冒険者に扮して討伐した後の生き残りです」

「………そうですか。では――当然ですね」

 

 この世界で、残虐な盗賊団の醜悪さは有名なのだ。

 襲われた者達の皆殺しは当たり前。若い女は連れ去り、使い捨てられた酷い遺体も良く発見される話を両親から何度も聞かされていた。

 エンリは、身内を失った家族達が少しでも報われる事を願う。

 姉から一応手で目を塞がれているネムも語る。

 

「悪者たちが、アインズさまの兵達にバツを受けてるんだよねー。すごいすごーい!」

 

 このように、エンリ達に関する物事の歯車は小気味良く回っていた――。

 

 

 

 宴会は午後1時頃に無事にスタートしたが、アインズは特に食欲は無い為、皆の様子を見て楽しむつもりでいる。

 この後、王城への帰還の時刻を考えれば、あと4時間ぐらいはゆっくり出来そうかなと考えていた。彼は、そう単純に思っていた……。

 

 さて無礼講である。そう宣言したのはアインズ自身。

 

「――!」

 

 宴会が開始されると、最初に予想外と言える予告なしの挨拶を受けた。

 支配者席の少し手前に無音で現れ跪いたのは、最上位悪魔の少女ヘカテーであった。

 可愛くつり上がった大きめの紅き瞳に、短めの左サイドポニーで炎のように濃い赤の髪。ボンテージチックである漆黒の装甲衣装とローブに、蝙蝠風で黒紫色の翼と悪魔の尻尾――。

 見るからに悪魔っ娘である。

 

「ヘカテー・オルゴット、御身の前に。この度、領土確保作戦における参謀就任の拝命を頂き、恐悦至極。まずはご挨拶をと。この戦いに、刻苦精進と慎始敬終の気持ちで臨む所存であります。また、何かご要望あらば、昼夜何時でも何なりと。しかし――ハレンチなのはイケマセン、いけないと思います」

「う、(先程のアルベドの件も込みかなぁ。そういえば設定が、真面目な風紀委員ぽいヤツだったかも……)うむ、考えておこう。今後何か頼むやもしれん。その時は、しっかり頼むぞ。下がってよい」

「はっ。では」

 

 彼女は瞳を閉じると〈転移〉で消えた。

 それと入れ替わるように、次は当然の如く熱いお誘いが右横からやって来る。

 

「我が君~。目出度いでありんすねぇ。ご一緒に会場を回りたいでありんす。その後は是非、私のダブル棺桶ベッドを見に~」

「シャルティア……」

 

 彼女は、今、アルベドが居ない状況を良い事に、アインズの右腕へと艶っぽく縋ってきた。

 開始5分程なのだが既に酒臭い……。いつから飲んでいたのか。まあ、楽しんでくれているようなのでいいんだが。

 

「――消えろ、この酔っ払いの男胸っ!」

 

 そんなシャルティアの頭を後ろから両側をガッと掴んで、後方にその身体ごと放り投げたのはアウラであった。無礼講、無礼講。

 そして何事も無かったかのように支配者を笑顔で誘う。

 

「アインズ様、是非私達と会場を回りませんかっ?」

「ア、アインズ様、是非」

 

 アウラは、更に妥協して妹のマーレも連れて来ていた。これは、一人ずつで行くよりも、優先度を上げさせる双子姉妹ならではの上策である。

 ところが後ろより――強敵現る。

 その者達は、僅かに出遅れたが、大きな切り札を持っていた。

 

「あのぉ、アインズ様。私達はあの階層から普段余り出る機会がありませんし、是非是非この機会にご一緒で見て回りたいのですがぁ」

 

 そう告げてきたのは、可憐さ漂う巫女姿の桜花聖域領域守護者オーレオールであった。そして両手で、第八階層守護者のヴィクティムを胸元へと大事に抱えて連れていた。

 

ボタン()()ハイ()タイシャ()()あおむらさき()()ぞうげ()ぞうげ()たまご()たいしゃ()

「うっ……」

「お、お姉ちゃん……」

 

 アウラ達の旗色は俄然悪くなった。アインズから返事を貰っていれば勝ち目もあったが、天秤に掛けられると分が悪すぎた。

 

「んー、そうだな。機会の少ないヴィクティムとオーレオールとは回っておきたいな」

 

 アインズの声に闇妖精(ダークエルフ)の姉妹はシュンとなる。

 しかし――。

 

「まあ、時間はあるし、30分ほど行ってこようか。アウラとマーレはその後でもよいか?」

「!――は、はいっ」

「だ、大丈夫です」

 

 双子姉妹に笑顔が戻る。

 アインズは、一旦選択するも順番だけを譲らせる形を取らせることにした。

 

「わ、我が君ぃ……あの……」

 

 そして、マーレ達の後ろで、寂しそうに立っている酔っ払いのシャルティアがいた。

 

「シャルティアはマーレ達の後でよいか?」

「えっ。は、はいでありんすっ!」

 

 彼女もアウラ達と同様、華がパッと咲いたようにうっとりとした笑顔を浮かべた。

 

「うむ。では、ヴィクティムにオーレオール、行こうか」

あおみどり()()

「はい」

 

 アインズは、第八階層コンビのヴィクティムとオーレオールを伴って闘技場内へと目立たぬように降りて行った。

 その彼の姿を、領域守護者席に来ていたルベドがじーっと追うように熱い瞳で眺めている。

 それについて、姉のニグレドが確認する。

 

「まぁ、可愛らしい下の妹よ、アインズ様とご一緒したいの?」

 

 コクリ。

 モフモフで純白の翼を僅かに動かしつつ、ルベドの頬は少し赤くなった。

 

「まぁまぁ。そうね――ここは、私達三姉妹のエースが来るのを待ちましょう」

 

 タブラ三姉妹のドン、ニグレドは落ち着いて切り札が来るのを待つことにした。

 

 

 

 ヴィクティムは、アインズに抱きかかえられて移動していた。

 

たいしゃ()しおん()あおむらさき()ちゃ()はい()

「いや、かまわん。無礼講だ。行きたいところや何か参加したければ遠慮するな」

 

 アインズの腕力からすれば、全く重くない。ヴィクティムの場合、地を這う速度と飛ぶ速度に大差がないので誰かが捕まえて運ぶ方が効率が良かった。

 動作もゆっくりなので、眺めているとそれなりに愛らしい姿に見えてくる。

 オーレオールも、そんな階層守護者が気に入っているようで、玉座の間から第六階層までも率先して彼女が運んであげていた。

 さて、宴会の余興は、見世物ばかりではなく腕自慢とかも開かれている。

 オーレオールの得意である武器に弓矢もある。

 極小の的をどれほど正確に、そして多く射抜けるかの競技も行われていた。

 

「アインズ様、少々お待ちを。ちょっと参加してきます」

 

 告げると同時に、パンフレットで知った催し物へ飛び入りで参加し、あっという間に競技を終えたオーレオールへ周囲から歓声が上がる。

 彼女は高速で動く極小の的三十個の中央を見事打ち抜き、二人目の満点を出していた。

 

「相変わらず、見事だな」

「恐れ入ります。――胸の形まで褒めていただいて」

「えっ……ま、まぁ……うむ」

 

 偶々、上から見下ろした視界に巫女服の胸元も入っていただけなのだが。彼女の思い込みは、激しさを増していた。確かに彼女のは、大きさといい形も良いので否定出来ない……。

 至高の御方に色々褒められ、バッチリ気に入られたと思い込む彼女は、染めた頬に手を当てつつ幸せな時間を過ごせた。

 

 

 

 アインズがオーレオール達と支配者席へ帰って来ると、今度はアウラとマーレの番である。

 

「待たせたな、二人とも」

「いえっ」

「ま、全く」

 

 双子の姉妹は、待ち時間など無かったかのようにニコニコとして、アインズと共に会場内へと向かった。

 

「今日は、遠慮するなよ」

「はいっ」

「は、はい」

 

 すでに、二人はアインズとそれぞれ手を繋いで歩いていた……。

 先程、ヴィクティムとオーレオール達とは会場の北側を回ったので、此度は東側の区域を回る。

 どうもこの辺りの見世物は、あの盗賊団員を使っての結構エグイ出し物が並んでいた。

 領域守護者の餓食狐蟲王(がしょくこちゅうおう)とグラントに、特別情報収集官のニューロニストも態々強烈な見世物を出しており、人気の一角となっている。

 しかし、アウラとマーレの属性はカルマ値マイナス100の悪寄りであり、全く気にする様子はない。そもそもマーレにすれば、モモンと共に斬り付けられた側である。アウラもアインズの敵を許すはずも無く、当然の結果だと双子の闇妖精(ダークエルフ)は冷徹に笑顔で眺めていた。まあ、アインズは言わずもがな。

 一方で、マーレは杖を腋に抱えての乙女歩きで相変わらず可愛く、アウラも見世物に目を向けながら可愛い笑顔を見せ、妖精達の様子にアインズは和んでいた。そして辺りを見物しつつ三人は、宴会の見どころについての会話に興じる。

 その話の中で、「このあと楽しみにしていて下さいね、アインズ様」と言われ、「うむ」と軽く答えたアインズが、この後何か催し物があったかと考えた時――道の途中で、宴会のバックアップに入っていたはずのアルベドに捕まった。

 

「アインズ様っ、姉さんに聞きましたわ。是非、私達三姉妹とも回って頂けますよね?」

 

 どことなくワインの香りをさせた彼女には、詰め寄るどこか有無を言わさないオーラが溢れていた。先程の失態など、すでに無礼講の彼方へと消え失せてしまっている感じだ。それもまあ良いかと、アインズは頷く。

 

「お、おう。では、シャルティアの後でな」

 

 ヤツメウナギィィィの後と聞いて、少し思い出したかの様にムッとなり掛けるも、笑顔でアルベドは伝える。

 

「はい。その時をお待ちしています。それでは」

 

 そう言って、彼女は僅かに裾を持ち上げる仕草を入れて華麗に礼をすると、会場のシモベ達を「くふふふーー」と派手に掻き分けながら嵐の様に去って行った。

 その様子にポカンとし、残りのデートの時間は「お散歩」に近い感じになるも、双子姉妹は主に触れていられればそれで十分幸せという風に、会場を回り終えるとアインズ達は観客席へと帰って来た。

 

 

 

 アインズは、守護者席でアウラ達と別れて支配者席まで戻って来る。

 すると、支配者席周辺には凄まじい――酒臭さが充満していた。

 そしてアインズは、うめき声のボヤキを聞く。

 

「我が君~~、我が君~~~~。ヒック……どうせ私なんかーーっ。胸っ、無いでありんすよーーだ。おっぱい無いのが怖くて、女なんかやってられますかってんだっ」

 

 支配者席には、酔いどれの吸血鬼が頭から倒れ込んでいた……。

 

(……良かった。無礼講でほんと良かった)

 

 アインズは内心でそう思った。

 ヴィクティム達の次にアウラ達と回り、合計で1時間ほどであったが、一体誰がここまで飲ませたのだろうか。

 

「……ぺったんこでも需要あるんでありんすよ、きっと。あ……我が君は、ヒック……大きさに拘ってないって、言ってたもんね~~。ヒヒヒッ、ざまみろ――――大口ゴリラぁっ。……ぉぃ、さっきから、聞いてんのかゴラぁ~!」

 

 どうやら、犯人はアルベドらしい……。後で聞いた銘柄は強力と聞く『絶望のワインIV』。この酔っ払い方だと、オーレオール達と回っていた時に、どこかで早飲み比べでもしていたのだろう。妨害工作的に酔い潰しかもしれない。

 ベロベロでも主との約束を守ろうと、左手にくしゃくしゃになった会場のパンフレットを握り締め、ここまで倒れたり這うようにして辿り着いたみたいだ。綺麗な袖やボールガウンの衣装に少し汚れが付いている。

 約束でもあり仕方が無いので、アインズはこのまま――シャルティアをおぶって連れていってやる。

 彼は西側の会場へと向かった。背負われた真祖の少女は、ほとんど動かず「う~ん、う~ん」と唸っているだけのデートであったが。

 その途中の催し物で、アインズは新参のNPC『同誕の六人衆(セクステット)』の一名より声を掛けられる。

 

「これは、アインズ様。ジルダ・ヴァレンタインであります」

 

 裾が短めの白衣で、胸元のボタンがはちきれそうな金髪白肌巨乳美容師の蛮妖精(ワイルドエルフ)がそこに居た。インパクトのあるサイズが揺れる胸元は忘れようもない。

 彼女は出張美容院を会場で開いている様子。

 

「おお、ジルダか。繁盛しているみたいだな(なるほど、こうしてれば皆と打ち溶けやすいよなぁ)」

 

 シャルティアをおぶりつつ、アインズは多くの客が入っている彼女の催し物の様子を眺める。

 

「はいっ、おかげさまで。……ところで、少し寄られませんか? シャルティア様の服が汚れていらっしゃるようなので〈乾燥洗浄(ドライ・クリーニング)〉を掛けさせて頂ければ」

「……そうか。では頼もうか」

 

 残念ながら髪がないアインズに、美容院は縁がないと思ったのだが、そういう事ならと寄らせてもらう。支配者席での余りの惨状に、そこまで気配り出来なかったなと思いつつ。

 シャルティアをマッサージ用の台へ寝かすと、何故かアインズは散髪台へと座らされた。

 蛮妖精(ワイルドエルフ)の彼女のぴちぴちで艶めかしい太腿のホルスターに、鋭い鋏を何本も下げている姿が目に入る。

 

「ジルダよ……残念ながら私に切る髪はないぞ」

 

 本日は無礼講である。こんなジョークも可能ではある。

 しかし、ジルダは言った。

 

「アインズ様、御髪をカットするだけが美容院ではありません。その至高なる骸骨のお顔を磨かせて頂ければと」

 

 なんと、美肌ではなく美骨エステをしてくれると言うのだ。

 

「ほぉ。……では頼んでみるか」

「はい。では、数分頂きますね」

 

 頭部の装備が一時外され、頭骸骨が露わにされると、蒸しタオル、特製のオイルとワックス、そして磨きが三段階で丁寧に行われた。

 そのつど「タイル入りまーす」「オイル入りまーす」「ワックス入りまーす」「磨き入りまーす」と可愛い声が響く。

 仕上がりは、テカテカというわけではなく、鏡に映る姿は威厳が増したシック(上品で洗練されているさま)な仕上がり。

 

「おおぉ。凄いな」

「お褒め頂き、有難うございます。シャルティア様の方も終わっております」

「そうか、手間を掛けさせたな。では行かせてもらおうか」

「お気を付けて。またのお越しをー」

 

 ジルダに手を(自然に巨乳も)振られて、酔いつぶれのシャルティアを再び背負ったアインズは催し物を後にした。

 その後10分ほど、アインズは律儀に周辺を回ると観客席へ戻ろうかと立ち止まり、シャルティアへ声を掛ける。

 

「シャルティア、そろそろ戻るぞ」

 

 彼女は、絶対的支配者の大きい背中でもぞもぞとする。……もぞもぞと動く。

 

「ん?」

 

 アインズが振り返えろうとするも……装備によって直接見ることが出来ない。仕方が無いので〈千里眼(クレアボヤンス)〉で確認する。

 すると、微かに頬を背中へスリスリしているシャルティアの姿が目に入った。

 

「我が君~~、我が君~~」

「なんだ?」

 

 主は優しく声を掛ける。しかし聞こえていない様子で「我が君~~」を繰り返していた。

 

「ふっ、仕方のない奴だな」

 

 そう言いつつ、アインズは大事に娘を背負い直すと再び歩き出す。

 すると、シャルティアは小さく呟き始めた。

 

「……こんな……みっともない……私でも……見捨てない……我が君の事……どこまでも(……灰になっても……愛しているで……ありんすえ……)」

 

 最後の方は、よく聞き取れなかった。

 

 

 

 絶対的支配者が階層守護者達と戯れていたころ、闘技場内の一角で一つの邂逅があった。

 それは、ネムの大きな叫び声が切っ掛けを呼び寄せる。

 

「ああっ、ゴキさんだぁぁーー!」

「ネ、ネムッーー!」

 

 エンリの声が空しく響く。

 小さい彼女(ネム)の視界には、村でも見慣れたアノ昆虫の姿があった。

 しかし、ずいぶん大きい30センチ程の体長で二足歩行の上、小ぶりだが金の王冠と金の笏丈まで持っている姿。

 呼ばれたと思い、紳士である彼は紅色で大きい襟のあるマントを翻しながら声を返す。

 

「何かね、そこのお嬢さん」

 

 声の(ぬし)は、第二階層の区画黒棺(ブラック・カプセル)領域守護者の恐怖公であった。

 無礼講とはいえ、キョウを含め周囲のシモベ達は騒然である。

 ナザリック上位20番にも入り、配下数千を誇る『別格』の存在だ。その傍にも精鋭の1メートル程もある配下達を連れていた。

 だが、ネムが凄いのはここからである。

 彼女は恐怖公へと近付いて行き――直前で目線を近付ける為、膝を折って両拳を握りつつ大声でこう告げたのだ。

 

 

「超カッコイイーーーーッ!」

 

 

 ネムは、動物や虫が好きな子であった。しかし、王冠を付ける虫はそういない。

 そしてこの掛けられたカッコイイという言葉に、恐怖公は少なからず――感激した。

 今のナザリックの女性陣で、まともに自分を見てくれるのはマーレぐらいである。

 エントマは、少し違った……危険な存在というべきかもしれない。

 恐怖公も階層守護者のシャルティアから、最近ナザリックへアインズ様の配下として加入した人間の娘達について聞いていた。珍しかったため覚えている。

 

「吾輩は第二階層黒棺の領域守護者、恐怖公である。お嬢さんは確か……」

「ネムですっ、恐怖公さま。うわー、りっぱな足のトゲトゲーー」

 

 少女の様子から分かる。嫌がっている様子は微塵もなく、非常に喜んでいるのが見て取れた。

 彼は思った、この子はナザリックの同胞でも凄く貴重といえる人材だと。

 ふと、階層守護者のマーレは圧倒的強さを持つが、このただの人間の子はいかにも非常にか弱く見えた。

 

「ネムか、良い名だ。良い子の君は――コレを連れているとよい。身を守ってくれるだろう」

 

 恐怖公は、マント内側の背中から取り出すと、ソレをネムの手へと乗せた。

 ソレは、体長7センチ程で「白く」美しい一匹のG個体であった。よく見ると真珠の様に薄く虹色の輝きを放つ特別な個体のようだ。

 

 ――ネムは何気にLv.23の助っ人をゲットした!

 

「また会おう」

「ありがとうございますっ、恐怖公さまっ」

 

 黒棺(ブラック・カプセル)の領域守護者は、金の笏丈を掲げ口を広げつつ笑顔で去って行った。

 手を振って見送るとネムは、その新しいお付きの白き者のお尻で気付く。

 

「綺麗ー。あなたはメスなんだー。じゃあ、えーっと……オードリー(高潔な強さ)って呼ぶね」

 

 白きG(オードリー)は、美しい触角を盛んに動かし喜んでいた……。

 

「ネムーーーーっ!」

 

 姉エンリの叱る声が響いたが、また格が上がった彼女らを咎めるシモベは周囲に居なかった。

 

 

 

 アインズは一般メイドを呼んで、シャルティアの守護者席傍に敷物を敷かせ優しく寝かし付けると、支配者席へと帰って来た。

 その際、漆黒のローブの背中側へ〈乾燥洗浄(ドライ・クリーニング)〉を掛けながら。

 最後の最後で、シャルティアは()()()()()をリバースにより噴き出し、御方の背中へぶちまけてしまっていた……。

 無礼講、無礼講……ノープロブレム。

 そして目の前には、スタイル抜群の三名の美女が並ぶ。……約一名、領域から出る為、顔の皮に不慣れだけれど。おまけに、本当に気持ちの悪い赤ん坊の人形まで持っているんだけど。

 ニグレド、アルベド、ルベドの三姉妹である。

 普段の服装色は黒、白、白だが、なんと今はデートの為、赤、桃、黄である。

 皆、華やかなドレスを身に纏い、颯爽と並び立っていた。

 それも、謀ったかのように全員大きい胸と胸元が更に強調されているデザインである。裾もスリットが強烈で覗く生足は艶めかしく、もはや十分エロいと言っても良い。ニグレドもアルベドとほぼ同じスタイルと、本来の美人の表情を主へと()()付けていた。よく考えると、本当に赤ちゃんが欲しいのは彼女なのかもしれない……。

 

「アインズ様、ほんのひと時ですが可愛らしい上の妹と可愛らしい下の妹共々、よろしくお願いしますね」

 

 いつもの形相と周囲の赤子群、出会い時の狂乱は異色だが、普段の思考は三姉妹で一番『普通』である、艶やかである髪を揺らす長姉のニグレドが主へと挨拶した。顔の皮が付いていると、本当にびっくりするほどアルベドとそっくりである。

 

「う、うむ、では参ろうか」

 

 アインズ達は、残った宴会会場の南側へと足を運ぶ。

 両手をニグレドとアルベドに引かれ、無礼講なので……首元に浮遊するルベドが纏わり付いての移動だ。

 最高位ペアを含む一行は、さすがに目立ち過ぎるようで、シモベ達は大きく道を開けて通してくれていた。

 それもあったのか場内を回り始めて5分ほどで、キョウ達一行と出くわす。

 

 

 

 ――エンリは玉座の間にて、アインズが壇上でとても美しい女性を、ギュッと抱き締める姿に大きくショックを受けていた。

 

(私はまだ、あんなふうに熱く抱き締めてもらったことがない――)

 

 彼女はまだ、ナデナデぐらいしかしてもらっていないのだ。

 エモット家で、美しい天使のルベドを抱えたアインズを見た時、偉大な英雄様には周りへ多くの女性が居るのは自然の事だと、自分もその一人に入って可愛がって貰えればいいなと思っていた。

 しかし改めて考えると、壇上の女性は自分より数段美形顔である上、長く綺麗な髪で肌も透き通るように白く、更にスラリと背が高く豊満で美しかった。黒い翼が腰から生えていたが、その神秘さは増すばかりと言える。

 エンリとしては、自分も主の妻の一人で居たいと考えているのだが、あの美しい女性との落差の現実にまた自信を失いかけていた。

 

(女性として大人と子供程の差があるかも……閨を一緒にした時、旦那様に触れて頂けなかったのはその所為なのかな……)

 

 見せ付けられた現実から、大きく寂しい劣等感と疑問は尽きない。

 エンリは、村へ高級馬車が来た時に感じた、村娘的な劣等感とはまた違う女の壁に当たろうとしていた。

 宴会会場を歩く中、時々ネムの暴走で忘れたような状況になるが、落ち着いて歩いていると圧倒的であるアインズ様はやはり遠い存在なのではと不安が襲って来ていた。

 

(私も、あんなふうに抱き締めて欲しいなぁ……私の身体じゃ無理なのかな……)

 

 そんな時だ。

 目の前に旦那様にルベドと、あの美人で『守護者統括』という配下最高位の女性が現れた――おまけになぜか同じ美人が二人もいる。一体どういう訳なのか。

 

「ん、お前達もこの辺りにいたのか」

 

 そんな熱い想いも知らないアインズから、自然にキョウ達へ声が掛けられた。

 ここでも、突破口を作ったのはネムである。

 もう二つ名に勇者をあげてもいい水準。

 

「あっ、アインズ様っ。それにすごくすごく綺麗なお妃さまだぁ! ……あれっ、二人いるよ?」

 

 ネムの言葉は、アインズぞっこんな小悪魔の彼女にとって衝撃的な単語を含んでいた。

 勿論反応したのはアルベドだ。

 

「くふふふふ、お、お妃さま……(なんて素晴らしい響きなんでしょうっ!)」

 

 アルベドの視線が、キョウ達の一行から数歩出て来ていたネムへと向かう。本来人間などゴミ同然なのだが――この小さい個体は気に入った。

 初めて呼ばれたのだ、『アインズのお妃』と。

 また『凄く凄く綺麗』も高好感ポイントを叩き出していた。

 一応、この個体は至高の御方が配下にした人間の、エンリとかいう娘の妹であるとは聞いていた。完全にオマケだと。一方でその姉の方は功を上げたと聞いたが、どうやら主の妾希望という厚かましい存在のような雰囲気。

 しかし――姉と違い、妹は中々見どころがあると再認識する。

 そんなアルベドの思考を他所に、アインズがネムへと間違いを正していく。

 

「ネムよ、私にはまだ妃はいない。……そうか、玉座の間の壇上での出来事を見て勘違いしたのだな。あれは――調子の悪くなったこの子(アルベド)を単に介抱したのだ、あの場に他意はない」

「分かりましたっ」

 

 アルベドは反論したいところだが、今回だけは大きな失態だった為に我慢し黙認せざるを得ない。

 アインズの言葉と、目の前の女性が反論しない事から、あの抱擁が緊急措置ということは本当のようでエンリはかなり自信を取り戻す。

 

(あれっ、旦那様にはまだ、お妃さまはいないんだ……それにあの行為は単に支えただけみたい。そうかも。私が倒れそうになっても、優しい旦那様はきっとギュッと抱き締めてくださるはず。私ももっと旦那様から色々可愛がって頂けるように頑張らないとっ)

 

 そう思うとエンリは、幸せ一杯の気分でアインズを熱く見つめ直していた……。

 深刻な悩みがいつの間にか一つ解決したことを知らず、アインズは紹介を始める。

 

「この桃色のドレスの者が、守護者統括のアルベドだ。私がナザリックに居ない時には、全権を任せている。しっかり覚えるのだぞ。そしてこの赤いドレスの者がアルベドの姉で領域守護者のニグレドだ。そして、ルベドは分かるな」

「はい、アインズさまっ。アルベドさま、ニグレドさま、初めましてっ、ネムといいますっ。ルベドさまもこんにちわっ」

「ネムね、その名を覚えておきましょう」

 

 元気で可愛らしいネムの挨拶に、言葉を返すアルベドやルベドが頷いていると――ニグレドがその横から前へと出て来て、ネムを優しく抱き締めていた。

 

「ネムって言うのね。可愛い可愛い」

 

 赤子ではないが、子供に慈悲深く大好きである。

 ニグレドは、アルベドが気に入った以上に、ネムの事を気に入った。なんといってもナザリックで希少といえる『子供』である。おまけだが、ネムなら第五階層『氷結牢獄』の行き来も、フリーパスが実現する。顔の皮等難点はありそうだが。

 守護者統括のアルベドも姉のニグレドには頭が上がらない。これでネムの安全は、ナザリック内では安泰と言えるだろう。

 このあと、キョウ達一行のエンリやハムスケらの自己紹介も無事に行われた。

 しかし、ネムのコネクト力というべきか、最上位ワンツーフィニッシュへと一気に駆け登った光景に、周囲のシモベ達は……もはや愕然となっていた。

 

 

 

 

 

 結局、アインズとタブラ三姉妹にキョウ一行達は、ネムのおかげで一緒にこの宴会場南側を回り始めていた。

 しかし5分ほど過ぎた頃、とんでもないモノが始まる。

 それは、観客席から張り出した舞台からデミウルゴスにより、予告なしに会場へと伝えられた。

 

 

 

「皆さん、宴会を楽しんでいますでしょうか。さて突然ですが、これより――第一回アインズ杯争奪、栄光のナザリック地下大墳墓ミスコンテストを開催いたしますーーーーっ!!」

 

 

 

『『『『うおおおおぉぉーーーーーーーーーーーーっ?!』』』』

 

 一瞬で会場を覆い尽くしたどよめきは、宴会開催宣言以上であった。

 

(なにぃーーっ!?)

 

 アインズも詳しく聞いていない。ただデミウルゴスから、進行の簡単な説明の中であの舞台を使った催し物があり、読み上げてもらいたい物があると聞いたのを思い出す。

 

(まさか、ミスコンの事だったとは……)

 

 だが問題が、色々あるように思われた。

 

(一体何を考えているんだ、デミウルゴスっ……女の子達の怖さを侮るなっ)

 

 そもそも、ダレをという点からヤバイ――。

 

「では早速、独断と妥協的にエントリーメンバーを発表しますっ」

(うわっ、いきなりかよっ!)

 

 選考基準は、物議をかもす最大要素である。入らなかった者の不満はどうなるのか。

 

「なお、あらゆる異論は――無礼講により却下です」

(正気かっ。それで片付ける気かーーー!?)

 

 デミウルゴスの軽快な語りはまだまだ続く。

 

「まずはエントリーNo.1番、守護者統括から、アルベドーーっ! そうそう、呼ばれた方はこの舞台まで来てくださいね」

 

 だが、支配者の横に居る名を呼ばれたアルベドは、余り乗り気では無い様子。

 恐らく、玉座の間での失態が有るのだろう……しかし、舞台にいる最上位悪魔は告げた。

 

「それから先に言っておきますと、今回の優勝者には、優勝杯へ名を刻まれると共に記念盾の他、豪華商品として――"御方の執務室寝室の使用済シーツ製である、アインズ様水着着用柄等身大抱き枕"が授与されますっ! また、抱き枕へは後ほど直筆サインも頂きますっ」

 

 アルベドの黄色い瞳が輝いたかと思った瞬間、彼女の姿は舞台へと〈転移〉していた。

 第九階層の彼女の部屋にある抱き枕群に、まだ水着着用柄は存在しない――。

 最上位悪魔の一般メイド達から得た情報調査に抜かりなしだ。

 また、興奮したのはアルベドだけではなかった。至高の御方の直に触れた温もりと直筆まで付くとなれば、その価値は計り知れない。

 

 場の空気が変わった……。

 

 次に誰が呼ばれるのかと、女性陣は固唾を飲んで悪魔の司会者を見守る。

 デミウルゴスは、次々に朗々と読み上げてゆく。

 

「さぁでは続けて、階層守護者からは――

 エントリーNo.2番、シャルティアーーー、

 エントリーNo.3番、アウラ・ベラ・フィオーラーーー、

 エントリーNo.4番、マーレ・ベロ・フィオーレーーーっ!」

 

 有名どころである名前が、呼ばれるごとに闘技場内から喝采と拍手が起こる。

 

(アウラ達が、"あとで楽しみに"というのはコレの事だったのか)

 

 アインズがそう思い出していると、まだまだ参加者の発表は続いてゆく。

 

「次に領域守護者からは――

 エントリーNo.5番、オーレオール・オメガーーー、

 エントリーNo.6番、ニグレドーーー。

 後、各職、その他から――

 エントリーNo.7番、一般メイド代表、ペストーニャーーー、

 エントリーNo.8番、図書館より、アエリウスーーー、

 エントリーNo.9番、戦闘メイドプレアデスより、ユリ・アルファーーー、

 そして、エントリーNo.10番、ルプスレギナ・ベーターーー、

 エントリーNo.11番、同誕のセクステットより、フランチェスカーーー、

 あと推薦枠より、エントリーNo.12番、配下最強、ルベドーーー、

 そして特別枠、エントリーNo.13番、拷問官――ニューロニスト・ペインキルーーー、

 以上の方々ですっ!」

 

 最後は「中性じゃねぇかー」っと、異質へ悲鳴に近い歓声も混ざっていた気がする。

 そんな声はどこ吹く風と、デミウルゴスの競技説明が始まる。

 

「さて、今回のコンテストの審査は、普段の姿での自己紹介、続いて水着審査、最後にアピールタイムの3つで公平に行われます。アピールタイムについては、自由で奇抜な衣装や小道具を使っても構いません。そして選考方法ですが――ご安心ください。一部の者の職権乱用を受け易い審査員制では無く、純粋に皆さん其々の無記名投票のみで行われます。そして発表は最多得票の1位のみ。禍根は残しませんので奮ってご参加ください。なお不正が無いように、投票方法は最後にお知らせいたしますっ」

 

 さすがのデミウルゴスである。ズルがしにくい点にアルベドがチッという悔しそうな顔を一瞬見せていた。

 だがアルベドは、すぐにニヤリとした表情に戻る。策がまだあるのだろう。

 いつもは同じ行動をしそうなシャルティアだが……さすがに『絶望のワインIV』の影響からか、未だ黒子の布を頭にかぶったシモベの吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)二人の間で干物が吊るされるように肩を担がれる姿で立っていた。それでも、愛しの我が君のグッズが欲しいらしく棄権はしない。

 エントリー者の全員が〈転移〉を使える訳では無い。ある者はその身体能力を活かし、長大ジャンプで舞台まで来たり、またシモベに運んでもらう者などさまざまだ。

 盛り上げるため、参加者が舞台へ辿り着いたところもデミウルゴスにより実況された。

 数分後、舞台の上へ参加者が全員揃ったところで、コンテストはスタートかと思われたが、ここでデミウルゴスの口から彼が呼ばれた。

 

「申し訳ありません、会場内のアインズ様。御足労をお掛けしますが、舞台までお願いします」

(あ、そうだったよなぁ)

 

 キョウらとミスコンの成り行きを見て楽しんでいた絶対的支配者は、話を聞いていたので「じゃあ、ちょっと行ってくるとするか」と舞台へ颯爽と〈転移〉した。

 至高の御方の登場に、場は一気に拍手と歓声で盛り上がる。

 

「ありがとうございます、アインズ様」

「ふふっ、皆が楽しめればそれでよい。後で、その抱き枕にサインをすれば良いのだな?」

 

 宴会の場が盛り上がっている以上、ミスコンにも協力してやるのが支配者の度量と務めである。

 

「よろしくお願いいたします。それと――」

 

 デミウルゴスが、オレンジ系の縦縞スーツのポケットから、メモが箇条書きされた用紙を取り出して見せながら伝えてくる。

 

「こちらの、禁則事項を読み上げて頂ければと」

「んん?」

 

 ざっと目を通すと、いずれの項目も――不正防止の命令であった。

 特に問題も無く、まあ良いだろうと内容を朗読する。

 

「えー、これより述べることを皆、禁則事項として守るように。

 ひとつ、選択を強制しての投票を禁じる。

 ひとつ、組織票を禁じる。

 ひとつ、結果が出るまで、投票しようと思う者、投票した者についてを互いに確認してはならない。

 最後に、自分の考えのみで選考し投票せよ。

 以上だ」

 

 至高の41人である御方からの言葉である。これで下々の者は清き一票が絶対厳守となった……。

 このアインズの宣言を聞いたアルベドは――その場に片膝を突き崩れ落ちていた。命令と組織票が使えなくなったのだ。凄まじい痛手である。

 彼女は顔を上げ、キッと最上位悪魔を睨む。そうして表情と僅かな指先の仕草だけで会話する。

 

(ちょっと、デミウルゴスっ。どういうつもりっ)

(ズルはいけませんよ、アルベド。ここは実力で戦って下さい。貴方の"力"なら十分勝算は有りますよ)

 

 小さく首を横に振り、口許に薄笑いを浮かべるイベント仕掛け人と化したデミウルゴス。

 アルベドは一旦目を閉じると、カッと見開いて目だけで答えた。

 

(希少抱き枕の為に、やったろーじゃないのぉっ!)

(それでこそ、アルベドですよ)

 

 そんな雰囲気で、デミウルゴスは「ふっ」と薄笑いのまま目を閉じた。

 

「アインズ様、ありがとうございました。会場内にて経過をゆっくりお愉しみくださいませ」

「そうさせてもらおう」

 

 何食わぬ顔で、悪魔はアインズがキョウ達の所へ戻るのを礼にて舞台上より見送る。

 至高の御方が去った舞台では、まずは普通にエントリー順での自己紹介が始まる。

 先頭を切って舞台の先端へ立つアルベド。アピールタイムでは無いため、いつもの白い衣装に着替え直しての登場だ。そのお色直しの為に、開始が10分ほど遅れたが。

 ここでは、普段の姿で登場し司会者からの名前の紹介のあと、本人からの名乗りと一言だけのスピーチ。

 そして、舞台上でくるりと回って全身の姿を見てもらう形だ。

 シャルティアはフラつきつつも、一人で登場し、弱弱しい声で名乗り、よろしくとだけ伝えると、そのまま下がっていった。

 そのあと、アウラ、マーレと続く。

 マーレは密かに上司にしたい階層守護者No.1であり、声援が大きい。照れつつ、くるりと短めのスカートを中が見えないギリギリで翻させるテクニックを見せていた。

 オーレオールとニグレドは、共に普段は姿を見れないため「おおぉ」と会場はどよめく反応。オーレオールは可憐な巫女服を見せつけ、ニグレドは顔に皮が乗っているとアルベドとそっくりな超美人であり、共に観衆を引き付けていた。

 そのあとも順調に進み、13番目の異色の参加者、ニューロニストが登場してまた盛り上がっていた。

 悪く言えば肉塊……灰色肌で触手っぽいモノを数本有した太めのタコの如き二本足で歩くずんぐりな体形に、左目は飛び出し潰れたような頭部。黒のビキニ系の衣装と破れた形の黒ストッキング風の装備衣装。

 

「うふふふ、みなさん、ニューロニストでぇす。頑張りますわよんっ」

 

 そう言って、可愛い風に右手を顔の横へ上げ、形が歪な人差し指だけを小刻みに振る。一般の人間から見れば、怪物が痙攣しているようにも見えなくはない衝撃のポーズだが、会場では一部が熱狂的に声援している。この者のキツい芸術的拷問に共鳴するもの達だ。

 そんな感じで自己紹介は終わる。

 

 次に続くは水着審査。

 これは公平を期すため、ミスコン側で用意した数種類から選ぶ。そして、舞台上を2分間歩いてもらう。止まっての立ちポーズは3度までOK。

 アルベドが選んだのは白のビキニタイプ。我儘ボディがそのまま表現されたと言っていい。

 アインズの横で距離が有る為、〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉で見せてもらっているエンリも、そのスタイルに思わず息を飲んでしまう程だ。

 続くシャルティアは勿論――紺色のスクール水着だ。アインズに胸の件を「拘らない」と告げられてから、平ら近い胸を誤魔化し隠すようなことはしていない。

 彼女は、そのすっきりとした若々しい少女の身体を披露していたが……ここでもまだフラついていた。

 アウラは、白のスクール水着を着用。元気に舞台上で前方伸身宙返りを見せ、デミウルゴスに注意されていた……。

 一方マーレは主による性別の設定変更後も身体的な名残りは一部あり、姉と同じ白のスクール水着に青系の布を腰に巻くパレオ風で登場。少し恥ずかしいのか、恥じらう姿も彼女の魅力を引き上げていた。

 スタイルの良いオーレオールとニグレドにユリは、其々オレンジのビキニと青のビキニと黒のビキニを選択。

 アエリウスとペストーニャが、黒ビキニのパレオと水色ビキニのパレオ。

 ルプスレギナは何を思ったのか、白いスクール水着を着用。狼的に少し白が好きなのかもしれない。

 ルベドもコンパクトグラマラスで大きめの胸ながら、パツパツの紺のスクール水着を着用した。

 ニューロニストは、こだわりがあるのか何故か黒のビキニで普段と余り変わらない感じで……(おぞ)ましさと共に登場。

 そんな若干1名を別にすれば、NPC達の身体のバランスは非常に美しく、アインズ的にも薄れ気味な男の感情が蘇る感じに、内心で少しムフフフな良い目の保養になった。

 会場はお目当ての女の子が現れるごとに、支持する歓声が沸き起こり徐々にヒートアップしていく。

 横でエンリだけが、時々溜息をついていた。彼女の場合、自分の全身スタイルを鏡できちんと見た事が無いだけなのだが。

 さて――ここまでは普通のミスコンであった。

 

 

 

 いよいよ最後のアピールタイムである。制限時間は、各自5分以内。

 ここでトップバッターのアルベドは、投票で勝つためにトンデモナイ事を開始する。

 彼女は、舞台より一瞬消えると闘技場側へ出て来てくる。その広場的場所に巨大で丈夫な『台』を指輪を使って移動し運んできていた。

 そしてまた少しの間消えると次に――なんと、第四階層の守護者、岩盤調の身体に太い腕に太い足のガルガンチュアも連れて来るサプライズを展開する。

 ゴーレムであるガルガンチュアの巨体は、ずんぐりと可愛くも見える姿に反し全高30メートルを超える。この会場に居るどの個体よりも圧倒的にデカい。

 開始から1分程が経過していたが、司会者のデミウルゴスは見当が付くも敢て尋ねる。

 

「アルベド。一応確認しますが、貴方は何をする気ですか?」

 

 すると彼女は当然の様に答えた。

 

「皆に私の"力”を見せてあげるのよ。――ガルガンチュアとの腕相撲勝負をねっ」

 

 それを聞いた会場は『うおおぉぉーーーっ!』と、どよめきの声が上がるっ。

 ただ、どうなのだろうか。体格差が余りにも有り過ぎるのだ。

 またNPCではないガルガンチュアの戦闘力は、あの守護者序列一位のシャルティアをも上回るほどだ。

 しかし一方で、基本体力であるHPは――アルベドが上回っていた……。

 この勝負は、やってみなければ分からないと思われる。

 そして、アルベドはここで一つのお願いをする。

 

「――アインズ様。ガルガンチュアへ、私との腕相撲の真剣勝負をお命じください」

 

 これが、命じられれば正に、イカサマ無しの全力ガチパワー勝負となる。

 会場の盛り上がり方は、尋常では無いボルテージへと高まる。

 アインズは、双方が怪我をしないかが心配であった。だが、あくまで腕相撲であるため、死ぬ事はないだろう。

 これは余興の中で有り、無礼講……なのだと。絶対的支配者は決断し告げた。

 

「ガルガンチュアよ、アルベドと腕相撲勝負を行え」

 

 声の出ないガルガンチュアは可愛く頷くと、アルベドの方を向き対峙する。

 時間の無いアルベドが、首や拳をボキボキと鳴らしながら先に台へと右肘を付け、手を開き左手の人差し指をクイクイっと動かし挑発する。

 

「さぁ、遠慮なく掛かってきなさい、"可愛い"ガルガンチュア」

 

 その声にガルガンチュアは小さく巨体の腰をひねり、その太く巨大な右腕と手を台の上へ低空でこする風に向かわせる。

 その先にサイズの違い過ぎるアルベドの右腕が待っていた。

 

 そして、互いの右手同士が――激突する。

 

 台の周囲を二重三重で取り囲むその多くの者らが、瞬間的に決着が付くのではと息を飲む。

 ゴツンッという、イヤな鈍い大きい音が聞こえた。

 常識的に考えれば、圧倒的といえる体格差が惨劇を生むはずなのだが――それは静止していた。

 

 

 なんとガルガンチュアの太い右腕が、対比すれば爪楊枝のようなアルベドの細めの右腕一本に止められていたのである!

 

 

 ただアルベドの表情も――大口ゴリラと化していた。美しくは勝てない。

 彼女は、その右剛腕をガルガンチュアの右掌の中へと、ひび割れを作ってめり込ませていた。

 そして、ジワリと動き出す。

 

「ぐぎぎぃぃ、ぐおおぉぉぉ、アインズ様の抱きまくらぁぁぁーーーーーーーーっ!」

 

 この瞬間の為にパワーを貯めに貯めていたのだろう。アルベドが吠えると、ジリジリとガルガンチュアの右掌が天を向いていった……。

 多少ガルガンチュアの腕が伸びる形で『てこの原理』もあるのだが、最初のガルガンチュアの勢いを止めた時点で、勝負は付いていたような気がする。

 ズンと、巨大で大重量である手の甲の接地振動が台から地に響くと、戦いは終わる。

 

 

「勝者、アルベド――――っ!」

 

 

 良いタイミングで、司会者のデミウルゴスが勝敗を告げる。

 

『『『『うおおぉぉぉーーーーーーーーーッ!』』』』

 

 会場は、改めて守護者統括であるアルベドの(パワー)に驚愕し歓喜した!

 

 

 

 余韻醒め止まぬ中、指名のコールが響く。

 

「では、エントリーNo.2番のシャルティア、お願いします」

 

 次はアノ体調不良であったシャルティアが出番を迎える。

 デミウルゴスからの声に、彼女の表情は冴えない。それは『絶望のワインIV』によるものでは既に無かった。

 

(うっ、ほんとに……誤算でありんすよ)

 

 実は、シャルティアはヘロヘロだったにもかかわらず、直前までミスコンでの勝算があったのだ。

 

 それは――パワー勝負でアルベドに勝って目立つことであった。

 

 酒の酔いについては、短期間での解決法が有る。下準備にシモベを使うことまでは禁止されていないので、10分ほどで会場から某盗賊団員達が催し物で流していた血をシモベ達に集めさせていた。

 血で酔えば、酒の酔いは飛ばせるのだ。

 しかし、その野望は潰えてしまった……。

 今、アルベドはガルガンチュアとの戦いで、実はそれなりに消耗していた。

 まず初撃で相手の巨大な右腕を受け止めた時に、背筋の一部を損傷している。さらに、そのまま損傷分を埋める為の一時的上乗せ(オーバーブースト)によるフルパワーで右剛腕の筋肉を断裂しながらの終劇である。それらのダメージはHP低下へと反映される。

 対する、ガルガンチュア側も右肘関節の一部を初撃時に損傷していたりする。大パワー同士の真剣勝負なら、無傷で済むとは限らなかった。

 とにかく、膨大といえるHPを持つ故に9割を切っているアルベドが、もはや2分以内で万全の状態に戻らない事は確定している。エントリー中のペストーニャは使えないし、他の者では時間が掛かり過ぎるのだ。

 それと、万全にして勝ったとしても、アルベドを連戦させているわけであり、何か美しくない。

 完全にシャルティアの計画は詰んでいた。

 

(か、覚悟を決めるしかないでありんす)

 

 酒の酔いが醒めたシャルティアは、仕方なく捨て身の作戦に出るしかなかった。

 

 

 シャルティアは、集めた血を使い―――水芸を披露していた……。

 

 

 虚しかった……5分間はまもなく過ぎていく。

 でも、なぜか意外に会場では受けていた。

 そしてアインズも、拍手してくれている。

 

(我が君~~。まあ、いいでありんすか)

 

 吸血鬼の真祖の表情は割と晴れやか。彼女の一つの戦いは、静かに終わった。

 

 

 

 ――会場は、血が拭き取られた舞台上に起こったその異変へ徐々に気が付いていく。

 いつもと違うと。

 

「エントリーNo.3番っ! アウラ、お願いします」

 

 支配者も含めてその原因は皆、直ぐに分かった。

 

「ま、まさか……そう来るか」

 

 アインズは先程デートの時に、アウラ達から聞いた事前の「このあと楽しみにしていて下さいね」の言葉の真の意味を知る。

 瞳の色は、間違いなく右眼が緑色で左が紫の闇妖精(ダークエルフ)の双子の姉、アウラ。

 しかし、その姿に大きな衝撃を受けていた。

 

 

 

 なんとアウラが―――スカートを履いていたのだ。

 

 

 

 マーレと同じ白いプリーツスカートである。だがここまでドキッとさせるものであったとは。

 アインズは、なにか……禁断のモノを見てしまったような気にさせられた。

 舞台上で、明るく笑顔を振りまく可愛い姿に。

 それは正にアウラのアピール。私は女の子なんですという、強烈といえる主張であった。

 派手な演出は要らない――と。

 ミスコンならではと言える。

 

 いや、これは至高の御方ただ一人への熱いアピールと言えるのではないだろうか。

 

 その衝撃の光景に会場と舞台の5分間は、あっという間に過ぎていった。

 

 

 

「続きましてエントリーNo.4番、マーレ、お願いします」

 

 デミウルゴスの声が掛かるも、双子の妹の彼女はまだ現れず舞台脇から声が。

 

「お、お姉ちゃん、やっぱりぼく、いつもので――」

「もう始まってるのに何言ってんのよ。ほらっ、とっととアインズ様へ見てもらいに行ってらっしゃいっ」

「でぇぇ~」

 

 姉に軽く尻を蹴り出されて、舞台中央へトテトテと杖を持ったマーレは出てきた。

 姉がスカートならと、アインズも想像は出来ていた。

 

 

 マーレは、白のズボン姿であった。

 

 

 慣れなく恥ずかしいのか、僅かに前屈みでモジモジしている。

 しかし――これはこれで頬を染め恥ずかしがる少し幼く見える若く可愛い少年(少女)の姿。

 ある意味、これも禁断と言える領域……。

 

 会場では『ごくりっ』と音をさせ、唾を飲み込む者が続出したとかしないとか。

 

 このあとの数分間終始、低い『ぉぉぉぉぉぉぉぉー』という、重低音のような声が会場内を取り巻いていた。

 上司にしたい階層守護者No.1の支持率は、また静かにUPしていく……。

 

 

 

 この後、エントリーNo.5番のオーレオールは、無礼講を利用して階層守護者コキュートスへ相手をお願いし、薙刀による見事な演武を披露。以下一言、「ナザリックの敵は華麗に散らせますね」

 ニグレドは、気持ち悪い赤子人形を抱きつつ、赤子についてを延々と制限時間すら超え8分以上も熱弁し、一般メイド達に舞台から運び出されて退場。「赤ちゃんは可愛い可愛い」

 ペスト―ニャは、第九階層のバーに有った、しつこい油のこびり付いていた業務用レンジフードの清掃実演。僅か4分程でピッカピカに。「根こそぎですわん!」

 アエリウスは、物静かに蔵書本を美声で朗読。「知識の宝庫である書物は偉大です」

 ユリは、棘付きの凶悪なガントレットを装着しスパーリングにて、ラッシュ『怒りの鉄拳』を披露。相手は、死者の魔法使い(エルダーリッチ)ベリュー=3により〈死者召喚(サモン・アンデッド)〉された某盗賊団員。それを一瞬でボコボコに。「この拳は御方の為に」

 ルプスレギナは、舞台上でそのサディストな凶悪性極まる。まだ死んでいない盗賊団員で三度〈大治療(ヒール)〉を披露するも、あの1・3メートル程の聖杖にて四度、笑顔で半殺しにしていた……最後もワザとトドメは刺さず。「よかったっすね、まだ死んでないっすよっ」

 フランチェスカは、綺麗な歌を披露した――〈奪命の歌(スティールライフ・ソング)〉を。至近距離で聞かされたあの直前に出演していた盗賊団員は、笑顔のサディストから四度目の〈大治療(ヒール)〉を掛けて貰っていたが……苦しみもがき、死んだ。「ミーの歌でみんな逝っちゃいまーす」

 ルベドは――聖剣シュトレト・ペインを持ち出し"通常の"剣技を披露しようとしたが止められた。仕方なく、武技によるパワー強化でガルガンチュアの巨体を左手一本で「よいしょ」と持ち上げて見せた……。会場は改めてその異常な強さにどよめく。「まあ、こんなところ?」

 最上位天使は小首をかしげ、離れた所に立つアインズへアピールの笑顔をみせた。

 ニューロニストは、座席を使った最も残虐で苦しい拷問の一つをハァハァしながら舞台上で披露。もちろんまた新たに盗賊団員が、断末魔的苦しみの絶叫を上げつつ活躍。「拷問は熱い芸術よ~ん」

 

 これでミスコンの参加者による自己紹介、水着審査、アピールタイムは終わった。

 次は投票作業となる。ここから一体どう集計するのか。

 すでに、宴会が始まって、3時間半近く過ぎていた。アインズが王都へ戻るまでには結果を出すことになっている。残り時間はあと30分強だ。

 しかしデミウルゴスに抜かりは無い。

 

「はい皆さん、第一回のミスナザリックに相応しい方は決まりましたか? それでは、投票方法についてお知らせします。先に全員へお配りした――会場パンフレットの最後のページをご覧下さい。そこには、注意事項が1番から15番まであると思います」

 

 どうやら、最上位悪魔は全員に配っていたパンフレットを利用するというウルトラCを考えていたらしい。

 

「そのページは切り外し易くなっており、該当の番号を端から破り抜いて4つ折りし、最寄りの投票箱へ入れてください。ただし、二か所以上や14番と15番を選択の場合、無効票となりますのでご注意ください。票は箱へ入れた瞬間から自動で集計が始まります。集計時間は今から20分間です。それでは、皆さんお願いします。集計スタートっ!」

 

 投票する箱は一般メイドや、怪人の使用人達が持ち、各所ですでにスタンバイしていた。

 箱の中は異空間へ繋がっている様子。集計機能についてはナザリックの管理システムマスターソースの一部でもある。

 ギルド内でメンバーや大人数を招いての、ビンゴゲーム等をサポートする無駄に沢山ある便利機能の一つだ。

 どうやら、執務室や統合管制室、戦略会議室等を改装する際、マスターソースにおける階層の設定変更をアルベドらへ少し任せた時に見付けたのだろう。

 舞台上の参加者達も、自分の番号を切り破り4つ折りにして箱へと手を差し込んでいく。商品を切望するアルベドは特に両手で「抱き枕~抱き枕~」と拝むよう丁寧に箱へと入れた。

 統率が取れているナザリック勢の動きは、流れる風で速やかに集計作業は進んだ。10分ほどでほぼ終わる。待ち時間の間に、舞台上ではデミウルゴスから再び賞品の説明とその現物が登場し、アルベドらが垂涎の表情で眺めていた。

 そうして、予告通り20分で投票は締め切られる。

 

 

 

 

「ではよろしいでしょうか? 皆さん大変お待たせしましたっ。いよいよ、結果発表です!」

『『『『『うおおおぉぉぉぉぉぉおおおわぁぁぁぁぁーーーーーーっ!』』』』』

 

 会場である闘技場は、そんな響きにしか聞こえない大歓声に包まれる。

 結果が出るまでは、漠然とした予想のみしか言うことが出来ない。誰も投票について相手へ詮索してはいけない禁則事項が支配者より出されているためだ。

 そして今回は、組織票もなく1位のみしか発表されない。純粋なミスコンと言える。

 デミウルゴスは、一応魔将らを護衛に付け先程一時消えると、玉座の間でマスターソースでの集計結果を直接確認して帰って来ていた。

 

「それでは発表します」

 

 凛々しいスーツ姿で目元の眼鏡を右手中指で僅かに押し上げると、居並ぶ参加者を後ろに舞台先端部へ立ち、観衆の皆へと通る声で告げる。

 

 

 

「第一回アインズ杯争奪、栄光のナザリック地下大墳墓ミスコンテスト、優勝者は――エントリーNo.8番、大図書館『アッシュールバニパル』からの参加者、司書のアエリウスーーーっ! おめでとうございまーすっ!」

 

 

 

 次の瞬間、アルベドは舞台上へと顔面からうつ伏せで大の字にバッタリと倒れ込んでいた……。

 

「頑張ったのにぃ。私の抱き枕がぁぁ……」

 

 所有権を主張しつつも、すでにその声は空しく周りの大歓声にかき消されていた。

 アルベドだけではなく、シャルティアやアウラにマーレも、両肩と視線を落とし、片膝を突いたりしてその場へへたり込んでいた。

 

 しかし一番びっくりしたのは、優勝した物静かであるアエリウス本人である。

 優勝者のコールを受けて女性骨格をしたスケルトンの彼女は、黒紅色のローブとアイテムで頭部へ付けている金のカチューシャで止めた美しい艶の有る黒髪のストレートロングヘアを僅かに靡かせて進み出てきた。

 彼女はてっきり、アルベドかルベド辺りだと思っていたのだ。やはりより大きく力を示した者が相応しいのではと考えていたから。

 

「わ、私でいいんでしょうか?」

「もちろんですよ、公平なる投票での最多得票ですから」

 

 アエリウスの美しい女性骨格スケルトンは骨盤の安産型の形が特に見事で素晴らしく、圧倒的に人気を集めていた。

 今回の投票、どんなに上位の者の得票でもただの1票であった。

 つまり、アインズですらタダの1票に過ぎない。

 なので、ナザリック勢で圧倒的最多数を誇るスケルトン勢が得票数を伸ばす可能性は高かった。

 

 

 何故デミウルゴスはそんなことをしたのか――それはこの宴会が余興で、且つ『無礼講』であったからだ。

 

 

 そうでなければ、審査員制にしていた。もちろん、審査員はアインズのみである。

 眼鏡の最上位悪魔は、考えられる多くの事象へ常に先手を打っているのだ……。

 

 

「おめでとう、アエリウス。君の朗読は、情景が綺麗に浮かび素晴らしかった」

 

 舞台では表彰式が始まり、絶対的支配者から言葉を送られつつ、優勝杯に記念盾と、抱き枕へアインズのサイン入れがされたあと、恐縮するアエリウスへと贈呈が行われていた。優勝杯は次回までの所持が認められる。

 

 シャルティアの横へ立つアルベドが囁く。

 

「まあ、私はヤツメウナギには、圧勝していたでしょうけどね」

「へっ、卑怯な手を使う大口ゴリラに入れるバァーカは、いないでありんすよ」

「あ?」

「あ゛?」

 

 僅かにオーラを漂わせ、互いの手を合わせて掴み合う二人。

 領域守護者達やプレアデスらは見て見ぬふりだ。ちょっと例えが違うが、駄犬も食わないのは確かだ。ルベドは『楽しそう』である姉アルベドを見てニヤニヤしている。

 その横で、階層守護者のマーレは無礼講の中、魔が差したのか軽い気持ちでぽつりと呟く。

 

 

「……ふー。でも―――アインズ様、誰に投票したのかなぁ」

 

 

 その瞬間、アルベドとシャルティアは争いどころでなくなった。

 確かにその答えは、最重要項目である。その一票は等身大抱き枕よりも価値は高い。

 ミスコンは、『お妃』候補の前哨戦の一つと捉える事も出来るのだ。

 絶対的支配者である至高の御方が、余興の中でだが複数の配下女性から一人を選んだという事なのである。

 

 これは、確認する必要がある――。

 

 しかし、どうやって。いや、もう一つしかないだろう。

 直接聞けばいいのだ。すでに投票結果は出ており、詮索しても咎は無い。

 では、誰がという話になる。

 少し考え気味にアルベドが言った。

 

「えーっと、ここは聞き出し易い者が……行くべきよね」

「そ、そうでありんすね」

 

 珍しい事にシャルティアが、アルベドの意見へ同調する。

 彼女達は本日、其々アインズへ失態をしてしまっているので聞きにくかった。

 

「あたしは、嫌だからね」

「ぼ、ぼくも、ちょっと」

 

 アウラとマーレは、普段と違う服装をしたので、支配者と顔を合わせるのが恥ずかしかった。今は、元に戻してはいるのだが。

 これで、調査隊の最有力候補二人が脱落。

 

「オーレオール、貴方行ってくれない?」

 

 アルベドは桜花聖域領域守護者へと振ってみる。普段はアインズと顔を合わせる機会も少なく気不味さは無いはずである。

 

「遠慮させて頂きます。もし自分じゃなかったら、敬愛するアインズ様に気を使わせちゃうじゃないですか」

「うっ、それは……」

 

 盲点であった。統括の彼女は『この者もアインズ様狙いか』と思うも……いやそれは今、重要ではない。アルベドは、要望が優先して気付くのが遅れた。ここに居る者が、アインズへ聞くことは良策では無いと。

 

「候補者だった私達が確認するのは、良くないって事ね」

 

 では他の者に……と思うも適任者がいるだろうか。中々難しい。

 すると、姉のニグレドが機転を利かせ伝える。

 

「――ネムなら、大丈夫じゃないかしら?」

「それだわっ、姉さん!」

 

 それどころか、あの子なら興味津々で、すでに至高の御方に最重要項目を尋ねている事も考えられる。

 ネムに聞いてみるだけで事は済むかもしれないと思われた。

 アルベドは、横に並ぶメンバーの顔触れを見ると――ユリへ声を掛ける。

 

「ユリ、悪いけれど、今からあの小さい人間のネムの所まで行って、アインズ様が誰に投票したを聞いてきてちょうだい。あの子が知っていれば、それを報告しなさい。知らなければ、ネムをここへ連れて来なさい。場所は――」

 

 ユリならカルネ村へ馬車で行っており、ネムへも面識があるはずである。ルプスレギナも顔を知ってはいるはずだが、村で昼間に会ったことはまだないと聞いている。

 ネムとプレアデスの闘技場内での出会いをアルベドは知らない為、確実な方を選んだ。

 場所については、〈人物発見(ロケート・パーソン)〉を横で唱えたニグレドが答える。

 

「会場の中央寄りの南側よ」

「分かりました。少々お待ちを」

 

 ユリは、アインズの意志を探るのは不敬ではと思うも、上位命令でありこの場は無礼講であるため、会釈をするとミスコン参加者の列から後方へ目立たないように離れると脇から下がり、闘技場内へと降りて行った。

 ユリは間もなく、会場南側でキョウ達といるネムを見つける。彼女はまたハムスケに乗っていた。キョウも近付いて来たユリに気が付く。

 

「これは、ユリ様……(ニャ)。コンテストへの参加、お疲れさまでした。鉄拳、良かったです(ニャ)」

 

 キョウは、そう笑顔で先輩を労った。

 

「ありがとう。ところで、知っていれば教えて欲しいのだけれど――」

 

 ユリは、ついでなのでここに居る者達へ纏めて聞く。

 

「貴方達は、アインズ様が誰に投票されたのか知りませんか?」

「えっ?」

 

 キョウは、何故その事を聞くのかと疑問が口から出た。

 投票側の情報を公開している訳ではないので、キョウとしては造物主であるアインズの考えを聞き出すという行為は、不敬ではと考えたのだ。

 アインズ作のNPCは、顔を横に振りながら答える。ただ、この場は無礼講であるため、不敬という言葉は使わなかったが。

 

「ユリ様、私達はアインズ様の投票者については何も伺っておりません……(ニャ)」

「そう……ネムも知らないのね?」

「しらないですっ」

 

 一応、当初の目的を達する為、念のためにネムへの確認も終えておく。

 

「分かったわ、ありがとう」

 

 そろそろ、午後5時になろうとしていた。

 ユリ達は王都へ戻る時間が随分近付いていたので、急いで舞台へと帰る必要があった。

 

「では、ネムを舞台まで連れて行きます」

「えっ? ユリ様、ちょっとお持ちください(ニャ)」

「いえ、悪いわね、待てないのよ。アルベド様からの上位命令なので」

 

 一瞬でハムスケの上へと移動し、ユリはネムを優しく抱き抱える。その動きは、ハムスケの尻尾が反応するよりも圧倒的に速い。

 

「――っ!」

 

 無礼講と命令は別物である。上位命令が優先されるのは当然であった。ユリを上回るLv.83のキョウだが、阻止は敢て出来なかった。

 

「安心しなさい。ネムの安全は保障します。万が一ですが、もしアルベド様がネムに手を出そうとされても、命を懸けてでも全力で阻止しますので。ネムの安全を保障されているのはアインズ様ですから」

「分かりました、私達もこれから舞台傍まで向かいます」

 

 キョウは、エンリの安全を優先すべきであり付いてはいけない。

 ユリはそれが良いと頷き、ネムの姉へ声を掛ける。

 

「エンリも、こめんなさいね。心配はいらないから」

「はい。皆さん、気になっているのですね」

 

 エンリには、ネムを必要としているアルベドの考えが分かった気がした。

 

「じゃあ、行くわね」

「いってきまーすっ」

 

 気軽そうにネムは元気よく、ユリに抱かれ連れられて行った。

 

 ユリが舞台へ戻ってくる直前に、デミウルゴスの声が会場へと響く。

 

「ではこれで、第一回アインズ杯争奪、栄光のナザリック地下大墳墓ミスコンテストを終わります。皆さん、ご協力ありがとうございましたっ。引き続き宴会をお楽しみください」

 

 観衆から盛大な拍手が湧き起こり、一大コーナーの幕は無事に下りた。

 そのため、舞台上ではアルベドにより、アインズの引き止め工作が行われるはめに陥っていた。

 

「アインズ様、私の雄姿を見ていただけましたか?」

「ああ、見たぞ。私も勝敗の行方が分からず、ワクワクしたな。見ごたえがあったぞ」

「ありがとうございます」

 

 そんなやり取りが舞台の脇で行われている後方から、ユリがネムを連れて来た。しかし、このままでは余りにも不自然な登場。

 ところが、ユリの帰還に気付いたアルベドが視線と小首を動かしての表情で、盛んにアインズ様へのアプローチに「いけ、いけっ」と言っている。

 全く、無茶を言う……。さて、どうしようか。

 ユリは無理やり知恵を絞った上で、無礼講もあり支配者へと声を掛ける。

 

「あの、アインズ様、そろそろ王都への帰還時間が近付いて参りました」

 

 そのユリの声に、アインズは「おお、そうだな」と彼女の方へと振り向く。すると、ユリの傍にネムが居るのに当然気付いた。ユリはここで、すかさず先に話し出す。

 

「じ、実は、王都への帰還メンバーらへ確認の為、少し会場内へと行っていたのですが……えっと、そこでキョウ達に会いまして、その時にネムがアインズ様へ――先程どなたに投票されたのか知りたいと。それで、ここまで連れて来た次第です」

 

 ユリの声は、最後の方で少しボリュームが小さ目になっていた。

 アインズはユリをパスし、ズバリ核心を聞く。

 

「ネム――そうなのか?」

 

 アルベドを初め、皆、アインズの後方で人間の子供へと拝んでいた……。すると、ネムは自然な感じに伝える。

 

「少し、知りたいかなって。……ダメですか?」

 

 ユリはネムへ、移動際中の短時間に、アインズへと質問して欲しい旨を簡単に伝えていたのだ。

 一応これで話は通った。ユリはホッとしつつ思う――無礼講は体に悪いと。

 ネムの言葉に、アインズはこう告げた。

 

 

「それは――――秘密だ、悪いがな。ふふっ。ではユリ、我々は一旦王都へ向かおうか」

 

 

 アインズは答えなかった。この件は、これで永久に決着する。

 それは、今回に限って、アインズが答えることは無粋というものである。

 もしここで言えばそれが広まり、優勝者のアエリウスの立場が無くなるからだ。

 司会のデミウルゴスは、舞台端でアインズの判断にただ頷きつつ黙ってずっと見ていた――。

 世の中には、知らなくてもいい事がやはり多少有ったりする。

 

 アインズはユリらと王城へ戻るため、司会のデミウルゴス、アルベドらミスコン参加者達及び観客席のコキュートスら守護者達に声を掛けると、闘技場の舞台を一旦後にし『円卓』へと向かう。

 この宴会は、このあと午後9時過ぎまで続いた。

 

 

 

 アインズが座を外した後、ミスコン参加者達は舞台脇にて間もなく解散した。その時、アルベドが皆へと伝えている。

 

「至高の御方の考えを知ろうなどと、私が間違っていたようね……アインズ様のご意志を尊重して、皆で宴を楽しみましょう」

 

 何故アインズが、秘密にしたのかの意味を、守護者統括は良く考えたのだ。

 そしてアルベドも、詮索しない方が良い事に気付いた。

 

 華達の戦いの為にも、良い事は何もないのだと――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグは、夢を見ていた。

 

 ――約500年前。

 先代、煉獄の竜王ガンゼリッドバール=カーマイダリスは、対八欲王竜種連合軍へ一族の難度で140を上回る精鋭730体を率いて参加する日の夜、我が子であるゼザリオルグへ出撃前に申し送る。

 

「ただ遊びの如く、圧倒的である強さのみを振りかざし人間達を率いる八欲王とその兵団は、世界を破滅に導きます。これに対抗できるのはこの大陸でも、各竜族の頂点に立つ竜王(ドラゴンロード)と精鋭達のみ。もし、我に何かあれば復活を待たずに――あとはお願いね」

「は……母上……」

「では、行ってきます。可愛い――我が娘ゼザリーよ。妹と一族の皆を頼むわよ」

 

 ガンゼリッドバールはその長い首を足元へと下ろし、赤紫の艶やかな髪を腰ほどまで伸ばし白い肌に二本足の姿で立つ竜に比べれば小さき身体の我が子へ、顔を寄せ触れ合う。互いに最後の別れを予感し、いつまでもこの時間を惜しんでいた――。

 

 竜王ゼザリオルグは、静かに目を覚ます。

 つい最近まで数百年間眠っていた彼女にとっては、体感で五カ月ほど前の出来事である。

 

「(母上……)――ちっ(……女々しいぞゼザリオルグっ! 今の煉獄の竜王はこの俺だっ。呪われた半身の俺は、最後の血の一滴までも竜種の為にっ! 俺を殺し、母上や一族の者達を1000体以上も殺した人間どもに見せてやる。地獄と滅びをっ!)」

 

 ここは、すでに廃墟と成った大都市エ・アセナルの北東郊外へ広がる平原に設けられた竜軍団の宿営地。

 夜中に、副官のノブナーガが瀕死の重傷を負わされて陣内へ運び込まれ、強敵の来襲ではと大騒ぎになった。結局敵は見当たらず、副官が命を取り留めたのを確認して、再びうつらうつらと眠ったのは早朝からである。

 日が昇って数時間は経過している様子。竜王は、柔らかい布の寝所の上に丸まって眠っていた身体から長い首を起こす。

 

「おい、誰か」

「ハッ、オハヨウゴザいマス、竜王サマ。オ水デゴザいマス」

「うむ。ノブナーガの様子は?」

「無事気ガ付き、再度治療ヲ受ケラレ、今ハ休マレテオりマス」

「そうかぁ、良かったぜ。じゃぁ、悪いがアーガードとドルビオラを呼んできてくれ」

「ハッ、少々オ待ちヲ」

 

 竜兵は少し離れてから飛び立つと、間もなく呼び出しを聞いた百竜長のアーガードとドルビオラがやって来た。

 

「竜王様、アーガード参りました」

「ドルビオラ、お傍に」

「おぉ。早速だが、例の本国と歩調を合わせる件だ。……吟味した結果、評議会へ使いを出そうかと思う。それでドルビオラ、使いをお前に頼みたい」

 

 百竜長のドルビオラは一族の中で見識も広く、話術は得意である。

 

「はっ、分かりました。議会を動かし、評議国の先陣として認めてもらう様、話を付けてまいります」

「頼むぞ」

「はい。ところで……現在人間の捕虜の数は、9万を超えております。その監視に竜兵を100体も当てております」

「――分かってる。軍団はしばらく動かさず、ここで待つわ。評議会との会談の結果で、捕虜どもの処分は決めよう」

「はい、それが宜しいかと」

 

 都市での人間の死者数30数万。生き残ったとは言え、放置状態でテントすらない捕虜が9万人。これらを除いても、エ・アセナル周辺における突然焼け出され南方面へ脱出した難民数は、実に40万にも及んでいる。

 年々疲弊してきた、リ・エスティーゼ王国の民達の食糧事情を含めた生活環境は、ここへ来て急速に下降しつつあった……。

 

 ドルビオラの話に続いて、百竜長筆頭のアーガードも確認する。

 

「現在、この宿営地を中心に随時、東西と南側の40キロほどを偵察域として備えています。直援部隊も二十体を上げて警戒しております」

「よし。まだ狼藉者達が近くへ潜んでいるはずだ。警戒を怠るなよ。恐らく冒険者のヤツラだ、クソッ。もしかすると、開戦時に初撃の大魔法を放った連中かもなぁ」

 

 ドルビオラ達ですら、大きく負傷をする恐れのあった威力を思い出し、百竜長らは「ん゛ー」と低く難しい表情で唸る。

 

「心配するな。見付けたら、俺が直々にブチ殺すっ」

「「はっ」」

 

 そうである。竜王は、あの大魔法すら完全に跳ね返してみせたのだ。

 恐れることは無いと気付き、アーガード達は大きい口を開け牙を見せ笑顔を浮かべる。

 

「それでは」

「私も持ち場へ」

 

 ドルビオラとアーガードは、ゼザリオルグの前を辞すと、それぞれの役目に赴いた。

 

 その夜のこと。竜軍団は警戒していたにもかかわらず、再び十竜長ら数体が立て続けに闇討ちされる。襲われた竜長らは宿営地内へ運ばれるも、3体とも死亡が確認され、煉獄の竜王へと伝えられた。

 その報に、一度目を閉じたゼザリオルグは目を開くと、天へと斜めに伸び上がる火柱を口から吐いて激怒する。

 

「ふざけんな、許さんぞぉぉーーーーーーっ! ソイツら全員、俺がぶっ殺してやるっ!」

「リュ、竜王サマ……」

「もういい――俺が、出るっ」

 

 竜王は綺麗な布の集められていた寝所から立ち上がる。

 その時、火柱を見て駆けつけ、舞い降りて来たアーガードが止めに入った。

 

「お待ちください、竜王様っ」

(やかま)しいっ! コソコソとした連中に、大事な仲間を討たれて黙っていられるかっ。……それに、俺なら多少の攻撃は直撃でも耐えられる。そう、案ずるな」

「ゼザリー様……」

 

 微笑み答える竜王の、身を挺しての行動に、アーガードは配下として胸が熱くなった。

 百竜長筆頭は、これまでの情報を纏め伝える。

 

「竜王様、襲われたノブナーガと十竜長達は、すべて旧都市部を飛行中に攻撃を受けた模様です。恐らく、都市地下の通路を利用し移動しているのではありませんか」

「そうか……、俺の探知が届かない厚さの壁が有るんだな」

 

 竜種達は愚かでは無い。高度な戦略を理解しきちんと使いこなすのだ。

 圧倒的といえる身体能力に、頭脳を併せ持つ彼等は、正に最強である。

 ゼザリオルグはアーガードへ命じる。

 

「今後、念のため旧都市上空を単騎では通るんじゃねぇ。常に一組五体以上にしろ。それと、これから俺がしばらく飛ぶ。誰も周囲に近付けるな。都市外壁内の地表を今一度全力で焼き払って、岩石を溶かし出入り口を全て塞いでやるわっ」

「はっ」

 

 蒼の薔薇が襲った最後の十竜長は、竜軍団側にとって囮的な形となった。丁度、宿営地から旧都市側へと接近して来ていた煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグは、その仲間が襲われている状況を自身の目で捉えたのだ。

 竜王は――その場へと突撃した。

 だが、まず行ったのは、十竜長を両足で優しく掴み、救い出す事だ。

 周辺には、確かに数体のゴミ(人間)達の反応を捉えた。

 ゼザリオルは、1キロ以上離れた場所へ、手負いの十竜長を横たえると、直ちに直上の空へと駆け上がるように飛翔し宙返りすると――

 

 究極の一撃である〈獄陽紅炎砲(ヘル・プロミネンス・バスター)〉を背面飛行のままゴミ達の居た付近へとぶっ放していた。

 

 城を一撃で土台ごと粉々に粉砕する衝撃力と、鋼鉄や岩石すら飴のように溶かす高熱に加え、着弾周辺直径1000メートルの気温は一気に数百度にも達するその威力である。それが首の細かい動きによって、周辺を広範囲に根こそぎ焼却掃除するのだ。

 

「はぁ、はぁはぁ……思い知ったかっ!」

 

 間もなく救援の竜兵隊が到着し、負傷していた十竜長は運ばれていった。

 竜王はこの後、予定通りに都市中の地表へ焦土作戦的に強烈なる火炎攻撃を見舞う。

 

 一方、蒼の薔薇達はなんとか逃げ延びていた。こういう事態に備え用心し、先程も暗渠の有るすぐ近くで闇討ちしていたためだ。

 その後、金髪の乙女達は2キロ以上離れた位置から外を確認したが、竜王が都市上空に居座って地上へ火炎攻撃を見舞い続けていた。

 間もなく、蒼の薔薇の潜む暗渠側へも竜王が移動して来たため、彼女達は別の場所へ転進するも、夜明け前を迎えても竜王は都市上空へ居座っていた。おまけに、強烈すぎた火炎攻撃を絨毯爆撃的に受けた都市内の暗渠が、十数か所で貫通され溶け落ちて塞がっていた……。

 以前のようには活動が難しくなったこの状況を受け、蒼の薔薇らは報告もあり王都への撤収を決定し、速やかにエ・アセナルを後にする。

 この日より、竜王の下へ闇討ちの報告は来なくなった。

 

 その二日後の昼過ぎ、アーグランド評議国の中央都へ評議会との話し合いに向かっていた百竜長ドルビオラが宿営地へと帰還する。

 ドルビオラはすぐに、煉獄の竜王の前へと報告に臨んだ。この場に重傷のノブナーガはまだ出席出来ず、百竜長筆頭のアーガードが同席するのみ。

 

「只今戻りました、竜王様」

「ご苦労であった。で、早速だが、どうなんだ?」

 

 そう聞きつつもゼザリオルグは、眼前に座し長い首を垂れるドルビオラが難しい表情をしていることに気付いていた。

 

(……うまく行かなかったのか。参ったぜ……)

 

 そんな、思いを表情へ出さず答えを待つ。

 目線を一度外し戻したドルビオラが、弱い口調で伝える。

 

「結論から申しますと――物資補給のみ許されました。条件として捕虜を国境へ連れよと」

「なんだ、それは」

 

 アーガードが訝し気に呟く。

 なにやら不穏な雰囲気のある要望に感じた。これだと、捕虜を売り払ってきたのは煉獄の竜王の軍団の独断だと、いつでも逃げが打てる形である。

 そして、あの白い竜のジジイにしては、ヌルイ決定にゼザリオルグは確認する。

 

「評議会では、誰に会ったんだよ? 永久評議員である竜のジジイ達は居なかったのか」

 

 評議会では色々な種族から複数選ばれた永久評議員7名、一般評議員104名の計111の議席が有る。

 白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)ツァインドルクス=ヴァイシオンは、永久評議員の一人。永久評議員は5名を竜王が占める。

 実は、ゼザリオルグの妹も族長代行で一般評議員に居たりするのだが。

 

「それが……評議会へ報告したところ、真っ二つではなく意見派閥が三つに割れてしまって……。好機なので打って出ようと言う交戦派、我々とは関わらず戦いに無関係を通そうと言う保守派、そして日和見派を含む、美味い処だけ利用しようと言う中立派です」

「なんということ……」

「泥沼かよ……くそっ」

 

 アーガードに続き、ゼザリオルグも本国評議会の混沌とした状況に呆れた。

 ドルビオラが続けて事の顛末を語る。

 

「それで、中立派の有力評議員である豚鬼(オーク)族長の一人、ゲイリング評議員が、先程の物資補給案を出して、交戦派を取り込み過半数で可決させたのです」

「……傘下の奴隷商を優遇する気だろう。まさに、餌を漁る肥えた(ポーク)ヤロウだな」

 

 ゼザリオルグは、吐き捨てるように罵った。

 しかし、本国に交戦派が生まれた事は、悪くない展開である。

 

「で、ビルデーは?」

「はい、妹君のビルデバルド様は――もちろん交戦派でいらっしゃいます」

 

 長年仕え、良くその性格を知るドルビオラは、苦笑し報告した。

 

「やっぱり……」

 

 同じく苦笑いのゼザリオルグは、母を討たれ自分が竜王を継いで、対八欲王竜種連合軍へ参加するときのことを思い出す。

 今もほぼ変わらないが当時、ゼザリオルグは人間にすればまだ15,6歳程度の姿であった。その時、妹のビルデバルドは10歳程度である。

 

『ビルデー、一族の要として俺の代役をしっかり頼むぞ。俺は必ずここへ帰って来るぜ』

『うん、お姉ちゃん。ずっと待ってる』

 

 それから500年程が経った今、妹の()()()は人間にすれば27歳程になっていた。そう、随分年月を重ね、再会した妹は姉よりも一回り大きい立派な姿で竜的に姉を超えていたのだ。

 そんな妹のビルデバルドだが、彼女は竜王へは即位せず姉の言葉に従い、帰りをずっとずっと待ち続け要として一族を守り通していた。

 

 そして――姉は復活して一族の里へと帰って来た。

 

 ビルデバルドは大喜びである。

 彼女は、姉の最大の理解者だ。

 復活して間もない姉が、また急に300体の一族を率いて、永久評議員ツァインドルクスの意に反して隣国である人間の国リ・エスティーゼ王国へ殴り込む時も、一番背中を押してくれていたのはビルデバルドであった。

 

『じゃあ、行ってくるぜ』

『うん、お姉ちゃん。思いっきりやっちゃえー』

 

 ゼザリオルグは、その数日前に妹へ尋ねていた。500年も一族を纏めて守ってきたのは、ビルデバルド、お前なのだぞと。

 しかし、出来た妹は静かに首を振る。

 

『族長は、お姉ちゃんだよ。お母様は、お姉ちゃんに竜王を託したの。お姉ちゃんは一族でただ一体の、自慢の煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)なんだから。私達はお姉ちゃんに付いていく。お姉ちゃんが戦うなら、私達も戦うよっ! 第一、人間にやられっ放しなんてお母様が許さないからねっ』

 

 逆に尻を叩かれた感じだ。

 ビルデバルドは姉の出陣に際しても、評議会で机をバンバン叩いて打ち砕きつつ、一人吠え捲っていた……。

 

『復活した我が姉、煉獄の竜王ゼザリオルグの強さは、かの八欲王へもダメージを与えたほど。今の時代では圧倒的ですっ。必ずや我が国へ勝利をもたらします。是非、今こそ兵を起こすべきなのです。かの目障りな人間至上主義で人間以外の種族を襲い、人類の守護者などとほざくスレイン法国も纏めて畳んで踏み潰しましょうっ!』

 

 普段は温厚な妹のビルデバルドだが――議会でもその強さは有名である。

 100年以上昔、里を訪れた国内でも有数のゴーレム使いで知られた精霊種の評議員がいた。その時、連れていた5メートル程もあるゴーレムは難度で実に200に迫る化け物であった。

 ビルデバルドとの会談の中で、その評議員は何時までも姉を待つ彼女を馬鹿にする。でも、ビルデバルドはそれには苦笑を返すだけであった。ところが、その評議員は少し口を滑らせ姉や母の事まで馬鹿にしてしまった。次の瞬間、評議員の横に立っていた化け物といえる屈強のゴーレムは太腿の途中から下の二本の脚部を残し、一瞬で上部が丸ごと消え去っていた……。

 ビルデバルドの口から咄嗟に放たれた絶大な破壊力を誇る〈獄陽紅炎砲(ヘル・プロミネンス・バスター)〉が、ゴーレムごと分厚い岩盤である洞窟の壁すら打ち抜き、その後方軸線延長上にあった山の山肌へまで大穴を空けていたのだ。評議員が火精霊系でなければ焼死していただろう。

 それ以来、ビルデバルドへ横柄な口を利く者はいない。

 そんな妹の武勇伝も、最近聞いていたなと頭に過るゼザリオルグはアーガード達へ告げる。

 

「よし、捕虜達を本国へ移動させるか。但し、3万人だけな。中立派を交戦派側に引き入れる餌の一つとして利用してやろうぜ。物資の供給も受けられるし、良い手だと思うがどうだ?」

「なるほど、確かに捕虜全部とは言われておりませんな」

 

 感心するドルビオラに竜王は重要点を語る。

 

「ふっ、選択権はこちらにもあることを示しておかねぇとな」

「はい」

 

 ドルビオラが頷くなか、アーガードは同意しながら具申する。

 

「ええ。あと我々は兎も角、現状では捕虜達の食料の不足が身近に迫っております。価値が出てきましたので、物資の供給へこれも追加依頼されては?」

「そうだな、水と空気だけではさすがに捕虜達も死ぬか。それでよろしく進めてくれ」

「はっ」

 

 本国と歩調を合わせる可能性が残ったことで、捕虜達は生き延びさせておくことになった。

 しかしその代償は小さくない。

 戦闘は、本国の評議会を動かす事へ左右されるように、この地で膠着し始めたのである。

 

 ゼザリオルグは――そのことが少し気に入らなかった。

 

 だが、軍団の配下達の間では、大きく良い方へ前進しそうだと笑顔が増えていく様子に、これも時代の差かと竜王は内心とは異なる良く晴れわたる青い大空を見上げた。

 

 

 

 

 

 

                 ※ ※ ※

 

 

――――進撃ノニグン2

 

 

 カツン、カツン、カツン……。

 

 嫌でも覚えた既に聞き慣れた足音。

 軽快で、気の所為かどことなく可愛らしくも聞こえる。

 固い素材の密閉空間は音を良く反射した。その足音はまだ随分遠い。

 

(ん? 『声の女』か)

 

 これまで、名を何度か尋ねるも「教えてあーげない」と躱された。

 天使のような優しい声の響き――だが、情け容赦の無いところから、ここでは単に『声の女』と密かに呼ばれている。

 ニグン・グリッド・ルーインは薄暗いこの場所で、すでに二十日近くも不自由な拘束具を付けられ、忌まわしい虫に体を這い回られつつ石床へ転がる屈辱の捕虜生活を続けていた。

 鼻は麻痺しているのか慣れたのか、すでに周囲を覆う強烈であるはずの異臭も余り気にならない。

 終わりは見えない。死が終点かもしれない恐怖。

 しかし、なぜか『死ぬ』という概念は湧かない。不思議である。

 ニグンは、あれから自問自答を繰り返し、ここが秘密結社ズーラーノーンの拠点であり、アインズが一説に『盟主』と呼ばれるその首領だと確信している。

 唯一疑問に思った、王国戦士長と王国戦士騎馬隊を助けた点についても、王国戦士長達へ恩を売り善人を装うことで、今後も暗黒組織への関係を疑われることは一切ないと、恐らく仮面の男がそう画策したとの結論に達していた。

 そうでなければ、この規模の施設と、アインズという偉大な強者についての説明が付かない。

 アインズが、帝国の化け物魔法使いの弟子という線も考えたが、それにしては自分達の扱いが低く、隔離し続ける点が納得出来なかった。

 帝国でも、第三位階魔法詠唱者ともなれば一流であり、捕虜といえども丁重に扱われるはずであるからだ。

 現在、ニグンは自分が魔法詠唱者(マジック・キャスター)として、人類の新しい『盟主』ともいうべき圧倒的力を持つ高位魔法詠唱者であるアインズに従わなかった事を随分後悔していた。

 自分ほどの男を、こんな状況に貶めていることに怒りと恨みも凄まじいが、一方で自らの『天使』に唾を吐いてしまったのかという自責の念の方が強いのだ。

 スレイン法国でも、あれほどの使い手に出会ったことはない。最高神官長ですら、威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)よりも遥かに弱く、第五位階魔法の使い手に留まっているのだから。

 魔法アイテムの『叡者の額冠』は確かに凄いが、短くない準備時間と大人数でなければ使えず、そして連続使用も難しい為、ニグンにすれば欠陥アイテム的存在だ。

 また、陽光聖典の隊長として、アインズを評価し期待している理由がもう一つある。

 それは、スレイン法国が誇る神官長直轄特殊工作部隊群『六色聖典』の中で、漆黒聖典の方が格上である事に起因する。

 漆黒聖典のメンバーは確かに強い。しかし、ヤツラは魔法詠唱者ではなかった。

 彼らは卓越した身体能力や武技使いに生まれながらの異能(タレント)持ちである。

 それが、最もデカイ面をしている――魔法をろくに使えない彼らがだ。

 神官長達にもその系統が多いことが、強く国家組織内に浸透し影響していると思えた。

 

 その事を内心ではずっと、非常に不愉快に思っていた。

 

 ニグンにはすでに、自分の出世の限界が見え始めてもいたのだ。

 金と地位と女を強く欲して多くを実現してきたニグンだが、自分の中で『第四位階魔法の使い手』という事を最も自信と誇りにしている。どこでも一流で、俺はやっていけるんだと。

 帝国の主席魔法使いフールーダ・パラダインの高弟達も、自分と同じ第四位階魔法の使い手なのだ。

 

(俺は、もっと上の地位に行ってもいいはずだっ)

 

 その点アインズ『様』は、高位の魔法詠唱者であられるので、配下になれれば魔法詠唱者は大いに優遇されるはずである。

 

 

(俺は―――ここで成り上がってやるっ!)

 

 

 すでにニグンという男には、下級貴族の身分にも貴族の三女の妻にも、そしてスレイン法国への未練はほとんど無くなっていた……もちろんここへ同時に囚われている43名の部下達にも。

 彼は、ここ数日を正に『死んだ』つもりでじっと耐え、ただひたすら機会を待ち続けていた。

 

 

 

 ……カツン、カツン、カツン。

 

 いつもの聞き慣れた足音が、いつものように近付き、狭い小窓の傍の外で止まった。

 小窓と言っても、床に面した横50センチ、高さ10センチ程で壁の厚みは優に1メートル以上の本当に通気口風。

 ニグンと、そして同じく囚われていた陽光聖典の隊員43名は、その異変に気が付いていた。

 それは、彼女の訪れる時間がいつもと違っていたのだ。明らかに体感で半日程早い。

 彼女はいつもの天使のような優しい声で――

 

「皆さん、長い間お疲れさまでしたぁ。さあ、ここから外へ出られますよぉ」

 

 なんと本当に優しい言葉を伝えてきた。それも全員に対しての模様。

 

「「「「「…………………………」」」」」

 

 歓声は上がらない。

 誰も信じていなかった。

 今まで無情だった『声の女』の言葉が信じられなかった。

 ただ、疑心暗鬼で周りの者の顔を互いに見合わせているだけであった。

 

 ここで変化が起こる。彼女の言葉が真実である証のように。

 ニグン達の周辺と、その衣服から虫達が離れていくと〈大洗浄(クリア・クリーニング)〉が掛かっていった。

 すると陽光聖典の隊員達は――優しさとは正反対の意味に捉え、途轍もなく怯え始める。

 よくある話なのだ、処刑の前にこういう最後の食事等の施しがされる事は。

 ニグンも周囲の雰囲気に動揺する。

 

(俺だけじゃなく、全員が出られるだとっ!? 本当にこれで最後なのかっ。一体外で何が起こったんだっ)

 

 ニグンには、その状況について全く想像がつかなかった。いや、単に命令が下されただけか。

 彼は、視線を下へ向けた。

 ――両手両足への拘束具がまだ付けられている現実。

 魔法も、自由もまだないのだ。逃げ場はない。

 しかし、陽光聖典の隊員達が怯える中、彼だけがこれは一つの大きな機会だと思えた。

 どうせ最後なら、言うだけ言ってみようと考えると、彼は行動を起こす。

 ニグンは、動きづらい拘束具を付けたまま、通気口のような狭い小窓の直前まで進むと、その小窓へ向かい土下座をし、そして叫んでいた。

 

 

「声の方っ! 是非、アインズ様に一度会わせて頂きたいっ!! これこの通りお願いする!」

 

 

 彼は10秒程頭を下げていたが、僅かに頭を上げ上目遣いで小窓の奥側を窺うと――

 

 向こう側からも、少女の顔が半分こちらを覗き込んでいるのが見えた……。

 

 初めて、天使のように優しい声を持つ『声の女』の顔を見る。

 少し変わった髪をしていたが、若く美しい少女であった。

 

 

 

 ニグンは、久しぶりに――――激しく欲情した。

 

 

 

 ここからニグンの進撃が、始まるかもしれない――。

 

 

 

 

 

                 ※ ※ ※

 

 

 

 

 ラキュース率いるアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』が王国北西部の大都市エ・アセナルから撤退を始めた頃、王都リ・エスティーゼの王城ロ・レンテの正門前に、3人の男達が現れていた。

 ナザリックで集会と宴会のあった、次の日の昼前の事である。

 いずれも、傷だらけの装備と全身が酷く煤けた姿をしている。ほんの先程まで戦場にいたという風体。

 その中の、双剣を腰に下げ騎士風の武装をするリーダーらしき男が、門を守る少し華やかな装備の衛兵達に告げた。

 

「緊急である。すぐに大臣殿か、王国戦士長殿へ会わせて頂きたい」

 

 衛兵の隊長が、煤けたその男の正体に気付く。

 

「こ、これは、アダマンタイト級冒険者チーム『朱の雫』のリーダー、ルイセンベルグ・アルベリオン殿っ!」

「いかにも。我らは竜軍団に急襲されたエ・アセナルに居合わせてな。その状況を伝えに来た。数万の捕虜と成った民衆を救わねばならん、急いでくれっ」

「なんとっ。おい、馬を出して急いで場内の大臣殿と戦士長殿へ知らせよ!」

 

 ちなみに『朱の雫』の残りのメンバー3人は現地周辺に留まり、潜伏して情報を収集継続中だ。

 大臣らへルイセンブルグ達から、現地でのその激しい戦闘と広がった惨状、そして何より――城すら一撃で粉々に薙ぎ払うという竜王の、圧倒的を超える絶望的な強さが伝えられた。城内は、王国が直面している悪夢の如き現実と、急がれる今後の対策についてで大騒ぎとなっていった。

 2時間後には国王の名で有力貴族達へ早馬が出され、再び王城での緊急対策会議開催が伝えられる。

 ところが、先日からの国家非常事態を受けるも、大貴族達を含め有力貴族達はやはり自領が大切であった。前回の会議から丸二日経過しており、すでに多くが王都を離れ始めていたのだ。

 そのため、追い付き呼び戻す事に手間取り、開催は明後日となる体たらくであった……。

 

 王国内の足並みが揃わぬバラバラのまま、強大すぎる竜軍団へと対していく。

 

 『朱の雫』の3人が王城へ現れたから6時間後。日が沈む直前に、王国内のもう一つのアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』達も王都へと帰還してきた。

 十竜長らの鱗や百竜長の牙の欠片という戦利品を携えて。

 

 まだ希望の欠片が、首の皮一枚で繋がっている……そんな王国の、揺れる王都に在るアインズは、モモンとしての冒険者依頼の四件目を午前中に片付けて、今はルベドやシズ達と午後の紅茶を飲んでゆっくりと寛いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 宴会から王城への帰還

 

 

 夕方の5時過ぎ。

 ナザリックでの宴会を一時的に離れたアインズは、ルベドやユリ達と共に王都の反王派貴族から貰った屋敷へ戻ってくると、建屋内を実際に軽く一回りする。途中、地図にメモ書きのあった天井裏で小さめの宝箱に金貨1200枚も確認し、アイテムボックスへ放り込んだ後、この屋敷に居た3人の新しい人間のメイド達に後を任せ、夕日の中、再び馬車で王城の宮殿にある部屋へと帰って来た。

 時刻は6時を少し回っている。

 

「「お帰りなさいませ、アインズ様」」

 

 アインズらは、留守を守っていたソリュシャンとツアレに迎えられる。

 ソリュシャンには、労いを掛けたいアインズだがこの場では言えない。そんな支配者へソリュシャンは伝える。

 

「昼過ぎのお茶の時間に、王国戦士長殿が来られましたが、不在をお伝えすると、また夕方へ参られると言われて帰られました」

 

 ソリュシャンとしては、急用では無いと判断し〈伝言〉しなかった。

 また、人間に敬称等がついているのは、ガゼフが御方から『本当に』客人待遇されている事を考慮されている。主人のご意向を自然に汲むのもメイドの仕事である。

 アインズは特に用が無ければ、ナーベラルに役を代わってもらい、ナザリックへ戻るつもりでいたが様子を見る事にする。

 

「そうか、では待とう」

 

 そうして、15分程すると部屋へガゼフがやって来た。

 ユリが扉を開け応対する。ユリに「どうぞ」と勧められ「ではお邪魔させていただく」と嬉しそうな表情でガゼフが入って来ると、アインズは席を立って出迎える。

 

「昼間来られたとか。今日は少し外に出ていましたので」

「いや、朝すぐに来ればよかったのだ」

 

 ガゼフへと席を勧めながら、アインズ達はソファーへと腰を下ろす。

 間もなくワゴンを押したユリがやって来る。

 

「して、戦士長殿、何か?」

「実は、ゴウン殿より指摘された竜軍団への迎撃場所の件について、王都では無い場所を再検討すべきだと、先日陛下へと進言したのだ」

「そうですか」

「それで、陛下は尤もだと仰られ、対策会議を近日行う事になったが、ゴウン殿にも是非その席に出てもらい、良い案を頂きたいと申されてな」

 

 ガゼフはそう話をしながらも、一人の眼鏡のメイドに内心夢中である。国王にも派手に知られてしまった以上、残念だったなと慰められるのを防ぐには、もはや――ゴールインを目指すほかない。前に進むしかないという状況は、ガゼフという男にとっていっそ踏ん切りがついたと言える。

 彼は武技を使って、斜め後方に立つ彼女の位置をしっかりと捉えていた。

 カップを手前に置いてくれるユリに、王国戦士長は厳つい笑顔で会釈をしつつ、彼女の主への用件を伝え終える。

 アインズは、王国戦士長の話の内容を一応理解したことを伝える。

 

「なるほど」

「これが、正式な大臣署名入りの出席依頼書だ。是非、お願い出来まいか」

 

 巻かれ閉じられた書状が、脇の小テーブルに置かれた。立派な朱い封蝋印で止められている。

 アインズはそれを手に取るも、眼鏡アイテムを使わないと読めないので、後で読む事にする。

 

「会議出席の件は分かりました」

「そうか、よかった」

 

 ここで断れば、ガゼフの面目が立たないと考えアインズは承諾する。

 

(王都の近くにも古戦場はあるはずだし。そこを推薦すればいいよな)

 

 アインズとしては、不自然でない形で名声が上がればいいので、過程に全くこだわりは無い。

 その後、二人は10分ほど歓談した後、ガゼフは席を立つ。

 

「それでは、失礼する」

 

 アインズも席を立ち、歓談の際に出た「差しで個人的な(嫁についての)相談がある」というガゼフの家への訪問の話を返す。

 

「では近い内に、お宅へお邪魔させて頂きますよ」

「是非に、お待ちしている」

 

 このやり取りの際、ガゼフはユリの方へと笑顔で何度も視線を送っていた……。

 ユリには、よく分からない。だが、王国戦士長は客人なので笑顔を続けていた。

 アインズは、何かなと一瞬思うも単なる愛想かと思い見過ごす。

 今日も扉の外までユリに送ってもらい、ガゼフは「お茶、今日も美味しかったです」と笑顔で告げる。

 ユリから笑顔で定型の「またお越しくださいね」という言葉をもらい、彼は胸を弾ませてアインズの部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

――P.S. 宴会の幕切れ

 

 

 宴会は、午後9時過ぎに終了となった。

 

 ただハムスケを含めたキョウ達は、アインズが座を外した少し後の日暮れ前に、アインズから頼まれていたアウラとマーレによってトブの大森林の出口傍まで送られ、無事にカルネ村と森の奥へと戻っていった。

 アインズは午後7時前に王都から宴会へ復帰していた。明日の朝は、また冒険者の仕事でエ・ランテルへ復路の護衛があるが、それまでは概ね自由だ。

 復帰から1時間ほどは女性陣らに攫われていたが、宴会の終盤はデミウルゴスやコキュートスにヴィクティム、セバス、そしてガルガンチュアに大図書館の司書らと観客席で歓談し静かに飲んでいた。

 女性陣らはいつの間にか会場内の仮設バーで寛いでいたが、また酔っぱらったシャルティアとアルベドが、コンテストでのどっちの水着姿にアインズがより興奮したかで、口論となった。

 

「アインズ様は当然、私のはち切れんばかりの白ビキニのパーフェクトボディーで、もうビンビンよビンビンッ!」

「へっ……大口ゴリラの武骨すぎる体なんて~、見向きもされてないであ、り、ん、す。我が君は~、私のまだ若くて青い蕾の、スクール水着の身体を~食い入るように見詰められて――ギンギンでありんすよっ」

 

 ビンビンやギンギンという言葉に、何か思い当るのかマーレは脇で人知れず赤面していた。

 その場の言葉の応酬では決着が付かずに、アルベド達二人は見上げて割と近い場所にあった、観客席から張り出したあの舞台上でのパワー勝負へと発展する。

 シャルティアとすでにHPが復活済のアルベドは、互いの手を合わせて掴み合い、双方オーラ全開を見せた。

 最後の余興が始まったと、会場のシモベ達も両者を応援し始め会場中へと広まっていった……。

 もはや引けなくなった二人は、掴み合ったまま一気にフルパワーへと近付けていく。

 二人の姿は、すでにヤツメウナギィィと大口ゴリラァァの状態に移行済だ。

 

「クッ、い、いい加減に、へばりなさいよっ!」

「そ、そっちこそ、くたばるでありんすっ!」

 

 そのまま5分経過。

 

「ぐぎぎぎぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」

「う゛ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」

 

 さらに5分経過。

 

「ふぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」

「くぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」

 

 二人の勝負は、このまま果てしなく膠着するかに見えた。

 しかし――二人のパワーに、舞台の方が耐えられなかった。

 両者、足元でも渾身の力で踏ん張っていたが、その中間を境にヒビが入ったかと思うと舞台が真っ二つに裂けていき、そして土台の闘技場の壁面ごと崩れ落ちていった……。

 

「げほ、げほっ」

「ぺっ、ごほっ、ぐほっ」

 

 アルベドとシャルティアは、分厚い瓦礫の山から自力で這い出してきた。

 さすが物理防御がトップクラスの二人である。埃は被ったが、大惨事にも拘らず全くの無傷。

 負傷者は僅かに出たが、幸い瓦礫の下敷きになっての死者は出なかった。

 近くの観客席にいたアインズ達も駆け付ける。

 

「お前達、怪我はないか?」

「は、はいっ、アインズ様」

「大丈夫でありんす」

「そうか、よかった」

 

 しかし――。アインズの瞳がここから光った。

 

「……二人ともこっちへ来て、私の右腕を掴め」

「はい」

「は、はい」

 

 至高の御方のただならぬ様子に、シャルティアの語尾が普通になるほどだ。

 アインズは、寄って来た二人から右手を掴まれると、左手の黄金の杖を使い〈転移〉した。

 そこは、静寂に包まれていた玉座の間であった。居るのはこの3名だけである。

 支配者は、玉座を奥へ一瞬眺めつつ、二人の配下へと顔を向け厳しく告げる。

 

「さて……二人とも何をやっているのだ。大事な施設を壊してどうする。お前達二人は、多くの者を代表する統括と、階層守護者なのだぞっ。無礼講とは言え皆の手前、状況と加減を考えよっ」

 

 アインズから『絶望のオーラV』が漂う。

 絶対的支配者からの初の叱責も加わり、アインズの前で並ぶ守護者統括と階層守護者の二人は硬直する。

 二人とも膝へはっきりと分かる震えまでも来ていた。

 

「「申し訳ございません、アインズ様」」

 

 アルベドとシャルティアの二人は、アインズの前でただの一兵卒として直ちに頭を下げる。それは腰を90度倒しており、45度の最敬礼を遥かに超えて、もはや拝礼になっていた……。

 たとえシモベ達がどれほど見ていようとも、至高の41人の御方であるアインズの前では地位など関係ないのだ。

 

 アインズは、それを見越してここに連れて来ていた。さすがに、仲間達の娘同然の可愛いNPC達に、最下級のシモベ達もいる前でまで酷く恥を掻かせる必要はないと考えた。

 ただ、その地位に相応しい考えと行動を示してほしいかなと叱ったのだ。

 たまに羽目を外すのは構わない。大抵は大目に見ようと思う。

 しかし、今回は上位の者が無用に力を振るい、施設まで破壊したのだ。これを許しては支配者としても示しがつかない。

 みれば、二人は震えて礼をしたままの姿勢で止まっていた。お許しが出ていないからだ。

 下から覗き込んで見たわけではないが、二人とも目を見開いて視線をくるぐる回し『どうしようどうしよう』という泣きそうな表情であるのが分かる。

 アインズは、もう十分二人を叱ったと判断する。

 背を向けつつ告げる。

 

「二人で力を合わせて、破壊した部分を綺麗に修繕せよ。その作業が、完了すればこの件は許そう」

「「ははーーーーっ」」

 

 二人は、90度を超えて頭を下げていた……。

 

 そうして間もなく頭を上げた二人へアインズは近付き、左手のギルド武器『スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』を軽く手放し空中待機させると――彼女らの頭を左右それぞれの手でそっと優しく抱き寄せた。

 

「ア、アインズ様……?」

「我が君……?」

 

 厳しい叱責を受けたばかりの二人は、ご褒美としか思えない支配者の行為に困惑する。

 

「余り無茶をして心配させるな。喧嘩をするなとは言わないがほどほどに、仲良くな。もし私に―――何かあった時が不安になる」

 

 それを聞いた、アルベドとシャルティアは同時にハッし、直ぐ反論する。

 

「アインズ様に何かなど、我々がこの身に替えて必ず断固阻止いたしますっ!」

「その通りでありんす。我らの身が塵芥になろうとも、我が君の身だけは絶対にお守りするでありんすよっ!」

 

 二人は、怯え切っていた先程とは別人といえるぐらい力有る眼光でアインズを見つめてきた。

 それだけは、他の何を犠牲にしても何が有ろうと、敬愛する主だけは絶対に護ると――。

 アインズは二人の頭をポンポンと叩くと、ほくそ笑んで告げる。

 

 

「ふっ、安心しろ。私を誰だと思っている――アインズ・ウール・ゴウンである。誰にも負けぬわ」

 

 

「はいっ」

「はいでありんすっ」

 

 アインズは、笑顔を見せ元気になった二人を連れて第六階層の闘技場へ戻ると、宴会の閉会式に臨んだ。

 アインズとアルベド達が消えた後、支配者の雰囲気がただ事では無かったため、アウラとマーレは本気でオロオロし、コキュートスにヴィクティム、セバスとデミウルゴスも含めて皆が緊張していた。

 残った彼等はとりあえず学んだ。無礼講でも施設を壊してはいけないと。デミウルゴスが、会場の皆に落ち着くよう告げた後、改めて通達したほどだ。

 先程の瓦礫は、指示するアウラを右肩に乗せたガルガンチュアがちょっと巨大な手で寄せ集めて二回だけ運んで、あっという間に片してしまっていた。

 そこへ、普段の様子のアインズ達が会場に戻って来たのを受け、内心ホッした司会のデミウルゴスが皆へと伝える。

 

「さて皆さん、そろそろ大宴会の終了が迫って参りました。再びこちらへ注目をお願いします! 閉会宣言の前に、アインズ様より締めの一言をお願いします」

「うむ……。今日は色々と楽しませてもらった。また皆と宴会を開きたいと思う。そう先の話ではない事だろう」

 

 アインズの言葉に、これから始まる初戦の勝利を想像し周辺から歓声が上がる。

 

「それと、先程の舞台崩壊の件はもう気にしていない。ただ、壊した所は率先して自分達で直してもらうということだ。あと最後に、そうだな――先程のアルベド達のパワー勝負は、次回の宴会にて何らかの形で決着を付けてもらうということで、以上」

「「えぇーーーーーーーーーっ?!」」

 

 アルベドとシャルティアが、トラウマ感で当面はコリゴリという風に叫び声を上げた。

 落としどころを間違えただけで、あの時多くの者が注目し歓声を上げており、催し物としては悪くなかったのだ。そして、それまでは二人とも万全でいろという事でもある。

 温かい言葉を聞いてデミウルゴスは、軽快に繋いでゆく。

 

「御言葉有難うございました」

 

 場内から御方に対する拍手が起こり、アルベド達の再考を願う反論的声はかき消される。

 

「それでは皆さん、これにて御方の御改名とナザリックの栄光なる戦いの幕開けを祝しての大宴会を終了いたしいます。ありがとうございましたっ。また次回、この場でお会いしましょうーーっ!」

 

 万を超えるナザリック勢で埋まる観客席と闘技場内の会場は、歓声と拍手で溢れた。

 

「それでは、出口に近い者達から順次退場し、持ち場の階層へ戻って下さい。それが完了しましたら、裏方の皆さんと有志の方々、会場内の催し物の撤収をお願いします」

 

 そんなテキパキとしたデミウルゴスの声の下方で、アウラ指揮監修の下、アルベドとシャルティアは不慣れであろう修繕作業へ突入していた……。

 アインズは「しっかりな」と声を掛け、第九階層へと去っていく。

 二人は至高の御方への謝罪の気持ちを込め、今回は協力して材料の持ち込み、切り出し、組み立て、仕上げをしっかり行なった。二人ともパワーは並みじゃなく重く巨大な材料でも人手は二人で十分。アルベドは万能なので切り出し加工も上手い。組み立てをシャルティアに任せ分業し、仕上げを共に行って2時間ほどで綺麗に元に戻し終える。

 作業を完了すると二人の乙女は、ハイタッチで喜び合っていた。

 

 予想以上に早い完了報告をセバスが脇に控える執務室で、扉より入って来たデミウルゴスより聞き、優し気に「そうか」と伝えたアインズは考える。

 

(ガッチリ二人が組むと、相性は良いはずなんだよなぁ……)

 

 守護者最強のオフェンスとディフェンスである。

 しかし、普段うまく行かないところが、やはりアルベドとシャルティアらしさなのかもしれないなと支配者は思うのだった。

 

 

 

 

 

 

――P.S. エントマは何を聞いたのか

 

 

 アインズは執務室へ来ているデミウルゴスに、少し考えていた事を告げた。

 

「第二階層の黒棺(ブラック・カプセル)にいる人間の捕虜達についての事だが――森への侵攻作戦の戦力に組み入れられないか。既に精神的に我々へ屈服していることはエントマの話と報告書から確認している。人間の住む大都市の冒険者をしていて分かったのだが、アレでもこの世界では上位に入る者達のようなのだ。私はまだ、生かしておく価値はあると考える」

 

 人間種としてはかなり上位の魔法詠唱者44名をあっさり潰す事に、アインズは少し勿体ない気がしたのだ。周囲の人間が治める三国を今後相手にする上でも、何か存在価値があるのではと。すでに人間の集落であるカルネ村を管轄下に組み入れており、今後もナザリック勢力下での人間の数は増えていくはずで、アノ者らだけを殺すメリットは無いと思われるのだ。

 支配者の意見を聞き、デミウルゴスは眼鏡を僅かに押し上げつつ答える。

 

「確かに、一理ございますね。ただ――アレらはアインズ様へ直接的に攻撃をした重罪人達にございます。見せしめのための惨たらしい死以外に、周囲が納得しないかと存じますが」

 

 内心では、あの程度の人間如きに殆ど価値を見い出せないが、至高の御方の意見であり最大限尊重しつつも、支配者の尊厳を傷つけない部分で、やんわりとゴミ達を排除の方向へと導く。

 罪を犯しておらず、協力的であったカルネ村の者達とは違うのだと。

 アインズとしても、このナザリックでは人間へ向ける下等動物的視線が、尋常では無い事を知っている。

 『絶対的支配者の命令』としてゴリ押すのは容易だが、それでは僅かに不満が残るかも知れない。

 

「そうか……(うわぁ、面倒くさいなぁ)」

 

 ここで高い知能を持つデミウルゴスを納得させれなければ、今後もアノ者らの件は円満に上手く運べないと感じる。緒戦でさりげなく後方からの誤爆攻撃で消されるのが見えるようだ。ここは踏ん張り所である。

 

(ふむ……死を免除する理由か……理由……理由……)

 

 アインズは、少し考えると妙案を口に出した。

 

「――私の改名も含めて、ナザリックの方針も決まり随分"目出度い"よなぁ。そう―――恩赦だ」

「恩赦……」

 

 デミウルゴスは――衝撃を受けた。

 なんという慈悲深い響き。

 最下層の者は、祝福の訪れた最上位のものから僅かに恵まれるのだ。許す行為も絶対的支配者の威を大いに示すものである。

 

「――畏まりました、アインズ様」

 

 大きなメリットを見出し、デミウルゴスは納得した。

 こうして、陽光聖典の44名は地獄から大きく一歩後退することになったのである。

 いや、始まったと言うべきだろうか……。

 

 

 

 間もなく、同感銘を受けたセバスにより、彼の事務室へエントマが呼ばれた。

 

「アインズ様の命です。黒棺(ブラック・カプセル)にいる人間の捕虜達を、拘束具はそのままであの場より解放したのち、清潔で温和な第六階層の闘技場内にある牢獄へ移し、健康的な食事を与えて体力を回復させよと。食事と衣服についてはペストーニャの方へ伝えておきます。あなたは、彼らをそこまで連れて来るように。なおこの件は、アインズ様の御改名とナザリックの方針が決まった目出度い事の祝いで、慈悲深きアインズ様からの恩赦により実行されます」

「アインズ様からの恩赦ですかぁ……分かりましたぁ」

 

 少し固めそうだが、新鮮なお肉達がいつ味わえるのかとずっと楽しみであったが、アインズ様の祝いの為であれば仕方がない。エントマはひとまず我慢し、ちょこんと礼をすると第二階層の黒棺へと向かい始めた。

 

 

 

 

 

 

――P.S. 王都屋敷のメイド達は

 

 

 彼女達三姉妹は、いきなり故郷から150キロ以上離れた王都へと連れて来られた。そこは街中でも閑静な50メートル四方程の土地に、小さいが林もあるかなり立派なお屋敷であった。

 

「綺麗なお屋敷……」

「メイ姉ちゃん、ここは?」

「ここが……我々の主となるアインズ・ウール・ゴウン様という方のお屋敷よ」

 

 下の妹の質問に、肩程で揃えた黒赤毛髪の姉は新しい主の名を挙げて答えた。

 三姉妹の長女で17歳のメイベラ・リッセンバッハと、次女で腰ほどまで一本の三つ編み髪のマーリン、末妹のツインテールのキャロルは、商人であった両親の抱えた金貨250枚という莫大な借金の(かた)の一部としてここへと連れて来られていた。生涯この屋敷の主人のゴウンという人物へと仕え、その身を捧げろと。

 貴族から両親を人質に取られている形である三姉妹は、檻が無くともここから逃げることが出来ない。

 彼女らの両親は、領主である()()()()()()()に商売で嵌められたと言える。

 これから値が上がるから買えと無理やり勧められた商品が、実は粗悪である二束三文の商品であった上、資産を大きく超える買い付けにより、莫大な借金を負わされたのだ。さらに同時に借り入れた資金の金利も異常であった。そのために全財産を奪い尽くされてしまった。

 フューリス男爵は、自領民達から重税で吸い上げたその金貨銀貨の山を元手として阿漕な『フューリス商会』を傘下に運営しており、高利の金貸しもやっている。そして、目を付けた娘の居る家庭を経済的に追い込み、借金の形に彼女らを掠め取っていくのだ。

 男爵は国王派の貴族であるが、裏の利益で反王派の貴族にも通じており、今回丁度狙っていた三姉妹を手に入れたが、反王派の六大貴族と縁が出来る方を選択し、3人のメイドの提供者になっていた。

 これがリ・エスティーゼ王国の全体の3割を軽く超えるというあくどい水準の貴族達である。その酷さに、国王派も反王派も大差はないのだ……。

 領主であるフューリス男爵の、領地における街や村の娘に対する痴態だけでも有名だ。

 その風貌に合うまだ50歳前だが、これまでに多くの淫靡な営みで生まれ始末された子供や使い捨てられた娘は100人を下らないという噂だ。

 そしてフューリス商会によって、潰された商人や農場主の数だけでも50ではきかないだろう。

 しかし、領地においてこの三十年、誰も……立派な方だと聞く国王ですら、彼に毛ほどの罰も与えることはない。

 これが、この生きている世界の現実なのである。

 そんな酷い領主から言い渡され、連れて来られた場所がここなのだ。真っ当である訳が無いと信じていた。その屋敷で数日が過ぎていく――。

 

 絶望しか残っていない三人姉妹の彼女達の前に――ある日、まさに目が覚める程の最高級馬車が庭を通って玄関へと現れた。

 白金の装飾部品が飾る、漆黒の超高級馬車を引く四頭の馬は、すべてが最高級馬と言われる八足馬(スレイプニール)であった。

 あの裕福に見えた糞領主の男爵の屋敷にすら八足馬はいないはずだ。

 そんな馬車から一人の男が降りて来る。

 

 変わった仮面を被り漆黒のローブを纏った人物。その身長は百九十センチはあろう巨躯な体格をしてた。

 

 長女のメイベラは恐怖した。

 少し背の高い自分は兎も角、小柄な末の妹はこの巨躯な男性との営みに耐えられるだろうかと……。

 当人のキャロルも顔が青ざめていく。

 すでに結婚適齢期を迎えていたメイベラ姉妹達は、一通りの家事を花嫁修業として習得しており、男女の知識についても友人らからそれなりに得ていた。

 好色で非道な、フューリス男爵との繋がりが考えられるこの変わった風貌の『貴族』に、慈悲があるとは思いつかないのは当然であった。

 とはいえ、両親の事を考えれば、この屋敷から逃げることが出来ない運命――もはや絶対絶命か。

 しかしその直後、メイベラの考えが揺らいでいく。

 巨躯の男の後に馬車から降りて来た者達を見て驚く。それは白い鎧を付けた少し小柄で綺麗な少女に、桃色の髪で眼帯をした結構小柄な美少女であった。上背が末の妹のキャロルとそう変わらない。そしてここで気が付いたが、馬車の御者も背の高い凄く美人であるメイド嬢であった。

 不思議な事に、彼女達はこの仮面の主へと敬意を払いつつも凄く自然に笑顔を向けていた。

 

 どういうことだろう。

 

 話に聞く貴族達は、使用人達すらこき使い、特に美しい女達は屋敷内でも奥へと隔離し、日々蹂躙を楽しみ虐待していると聞く。

 接する態度から、美少女らが配下であることは間違いないはず。しかし、貴族が配下の美しい娘達をこのように鎖で繋ぐ事も無く、普通に連れ回しているなど聞いたことが無い。

 メイベラは、何か思考と現実に大きい乖離があることに気付く。

 それを仮面の主の行動が、徐々に示していく。

 

「私がアインズ・ウール・ゴウンだ。話は聞いているか?」

 

 メイベラが、姉妹達の矢面に立って会話に臨む。

 

「はい、ご主人様。――生涯傍へお仕えするようにと言われております」

 

 せめて主が、より喜ぶ内容で伝えようと。

 

「……そうか」

 

 しかし主の男は一瞬間を置くと、なにか意外な感じで呟くように言葉を返してきた。

 単調な答えだが、メイベラはこの後、どのみちこの男によって結局は女として蹂躙される時間が始まると思っていた。

 ところが、主が直後に告げてきたのは、予想外の命である。

 

「今日はこの屋敷を見に来た。日が沈むまでには王城へ帰る予定でいる。昼食は皆で早めに済ませてきた。私が再び一階へ降りて来るまで、お前達三人は二階以上へ決して上がって来るな。良いな?」

 

 時間にすれば、今から6時間ほどだろうか。だが、それよりも重要なのは、私達三姉妹に対しての淫らな要求は全くないということだ。女に貪欲であるハズの貴族様が、これはどうしたことだろうか。

 でも、今はそれでいいという思考がメイベラの頭に広がっていた。

 

「畏まりました」

「「畏まりました」」

 

 主の命は姉妹三人に対してであり、下の妹達も姉に揃って返事をした。

 仮面の主人と少女達は、お茶のセットだけを持って上の階へと玄関ホールに掛かる階段を上がって行った。

 

「メイベラ姉さん、ご主人様が"王城へ帰る"と言っていた気がしますけど」

「そ、そうね……」

「じゃあ、王城から来られたのかな?」

 

 キャロルの質問は、主人の言動と立派な馬車によって間違いなさそうである。

 

「そうかも知れないけれど、詮索は後にしましょう。頼まれたこの馬車と馬達の世話が先よ」

 

 兎に角、粗相に気を付け、傷を付けないよう立派な馬車から片付けることにした。

 貴族様の機嫌を損ねる最大の理由は、『言われたことが出来ていないこと』に間違いないはずである。すでに、仮面のご主人様のものとなっている自分達は、少しでも気に入られるように、不満を持たれない形で生きていくしかないのである。

 二十分ほどで馬車を片付けた三姉妹は、二階以上には上がれないが、庭と一階に汚れや不備がないかを今一度見回る。

 そうして正午が過ぎ、姉妹達は昼食を取った。両親が今の境遇になってから、まともといえる食事も余りしていない。この昼食も水で薄めた形の野菜のスープとパンだ。それでも、この屋敷に来てからは、屋敷にある物が食べられるので随分マシである。そもそも、賃金などないのだから。

 味の有るスープを啜りながら、新しい主達の事を再び考え始めていた。

 

「あれから1時間以上経っているけれどずっと静かですね」

 

 マーリンの意見にメイベラとキャロルも「そうね」と頷く。

 少しだけ、ご主人様と美しい少女達での酒池肉林のケースも考えたが、どうも違うようだ。

 確かに、二階と三階だけで、部屋数は15以上もある。

 三階は眺めもいいし、いくつかの部屋でのんびりお茶をして寛いでいるのかもしれない。

 しかし――話に聞く貴族とはかけ離れている。

 貴族は、街や村では随分恐れられている。そして、本当に恐ろしいのだ。

 領内の通りすがりの街で、些細な事象から連れている騎士により無礼討ちにされた話も結構ある。自領内なら、何人殺そうと領主なら罪に問われない。それを楽しんですらいるのだ。

 本当に碌な話を聞かない。

 

 いっそ貴族達など滅びればいいのに――。

 

 両親の事を考えれば、本当にそんなことすら思ってしまう。

 ふと、このお屋敷のあのご主人様はどこの領主様なのだろうかと考える。

 馬車からすれば、男爵より上の子爵か。あの馬車は立派過ぎてそれ以上でも驚かない。だが、伯爵様なら別宅でももっと大きい屋敷を持っている気がする。

 また、三姉妹達はゴウンという家名は初めて耳にしていた。

 領民達の多くは、隣接する領地の領主名ぐらいしかしらない。手広い商人であったリッセンバッハ家の娘達はさらに広い近隣の領主の名を聞いていたが、ゴウンという家名は初めて耳にしていた。

 それから王城に出入りしているとなると、この王都に近い領主なのかもしれない。

 しかし、結論は憶測の域を出ず、よく分からない。

 三姉妹は昼食を終えると、馬の世話や庭の手入れをして主達が降りて来る夕方を待った。

 

 西の空に夕焼けが広がり始めた午後5時を回った辺りで一度、二階より帰りの馬車の用意を頼まれ、メイベラと姉妹達はその準備に掛かる。

 再び二十分ほどで準備を整えると、午後5時半頃に、一階も見回った仮面姿の主人と美少女達が玄関ホールへと現れた。

 メイベラ、マーリン、キャロルの三姉妹は、ホールにて礼を以て主人達を迎えていた。

 

「御主人様、馬車のご用意は整っております」

 

 そう伝え、メイベラがゆっくりと顔を上げ、姉妹達も続く。

 

「そうか、ご苦労……ん?」

 

 そう告げる為に足を止めた仮面の主人が、メイベラ達の方をじっと見た。

 メイベラは、何か不備が有ったのかと内心焦る。貴族に不満を抱かせてはならないのだ。

 ところが――主人の口にした言葉は意外なものであった。

 

「顔色が悪いな。ちゃんと食事をしているのか?」

 

 なんと、御主人様から気を使われたのだ。

 

「は、はい……一応ですが」

「そういえば、お前達はここへ住み込んでいるのだな?」

「はい、そうです」

 

 アインズは、ここで少し首を捻る感じに一瞬考える。

 

(――この屋敷は一応、俺が貰ったはずで、管理について今はこの子達に任せる訳で……)

 

 支配者は漆黒のローブの袖から10枚の金貨を取り出した。

 

「当面の必要なものは、これで補うように。お前達も栄養のある物を食べて、体調管理にも努めよ」

 

 拠点には維持管理費が掛かるのだ。おまけにこの子達は人間である。危なく飢え死にさせるところであった。ただ、素性がよく分からないので少なめに渡しておくことにする。だがこれでも、一般家庭の年収分に相当する金額だったりする。ここは家賃もなく税金も無い。とりあえずこれで、しばらくは大丈夫かと考えた。アインズは、リーダー格の少女へ金貨を渡しながら一旦満足する。

 

「は、はい……あ、ありがとうございます」

 

 金貨を受け取ったメイベラは、完全に困惑していた。

 貴族が使用人に10枚もの金貨をポンと渡すなど聞いた事も無い。また、体調まで気を使われてしまった。親族でもないのにだ。

 

(この方はもしかすると――大商人ではないかしら)

 

 余りに貴族らしからぬ行動から、そう考える方が自然であるように思えた。

 ここでアインズは漸く気が付く。

 

「そういえば、お前達の名をまだ聞いていなかったな。教えてくれるか?」

「は、はい。私がメイベラ・リッセンバッハ。次に、上の妹のマーリン、そして下の妹のキャロルです――」

 

 それを聞いた途端に、喜んだのはもちろんルベドだ。姉妹である。それも三姉妹だぁ。

 また、閲覧コレクションが増えてしまった。

 

「――お前達は仲が良い? 三人、ずっと一緒か?」

 

 いきなり主の前に出て来た白い鎧装備の綺麗な少女が、三姉妹へと迫ってきた。

 

「は、はい。ずっと仲良しで、三人で居ることが多いです」

「そう、――――素晴らしいっ! ずっとここに居ればいい」

 

 ルベドはニコニコである。

 もうダメだ……。今の時点から、この姉妹達は『世界』から守られた……。

 とても幸せそうなルベドに、声を掛けても大丈夫か支配者自身も不安だが、王城へ戻らなければならない。

 アインズは、勇気を振り絞る。

 

「ル、ルベド……とりあえず、今日は城へ戻るぞ。この屋敷は安全だ」

 

 ゆっくりと振り向いたルベドは不満そうだが、同志で主のアインズの言葉に首を縦に振る。

 

「……分かった、アインズ様」

 

 他の者の言葉であれば無視するところであるが、とりあえずアインズの管轄に入ったこの屋敷なら、心配はいらないだろうという、ルベドの主に対する信頼感の表れであった。

 アインズは、問題児の説得に一発で成功した今のうちにと王城へ戻ろうと思うが、他の者の名前ぐらいは知らせておく。

 

「メイベラに、マーリンに、キャロルよ。簡単だが紹介しておく。この者がルベド、こちらがユリ、そしてシズだ、見知りおけ」

「はい、ルベド様、ユリ様、シズ様、私達姉妹、これからよろしくお願いいたします」

 

 ここで紹介した者達は、属性が中立~善で100以上という奇跡の布陣。そのため皆、笑顔で礼を返していた。まあ、横に邪悪でマイナス400の不可視化状態のナーベラルが、下等生物ごときと不満げな表情でずっと居る訳だが。

 

「では、我々は城へと戻るがお前達、屋敷を頼むぞ」

 

 三人姉妹のメイド達は、馬車に乗り込んだ御主人様達を――屋敷から笑顔で送り出す。

 

 

「いってらっしゃいませ、ご主人様っ!」

 

 

 主の傍に居る自由で笑顔一杯の娘達の様子を見て、リッセンバッハ姉妹は全員思った。

 もしかしてこれは――良いご主人様に出会えたのではないかと。

 

 

 




捏造)第八階層の謎
原作では謎だらけ。
とりあえず今回、ナザリックのオールスターキャスト出演を目指し、本作では階層自体と階層守護者と領域守護者について、こんな感じかなと設定してみました。

『八階層あれら』については、書籍版6巻P35にメンバーの過去話で世界級アイテム熱素石(カロリックストーン)をメインコアに使った最強ゴーレムの話と、7巻P354に世界級アイテム併用するらしいので、翼を持ち音速越えの最上位物理攻撃なメガトンパンチのラッシュを放つ巨大で屈強な十二体の無限再生ゴーレム兵団を配置。
おまけに、各ゴーレムのコアは桜花聖域に有る為、倒すことは相当難しくなってます。
但し、第八階層の地表部を利用しているため、階層の外に出ることは不可。
ヴィクティムの死で即発現し、それ以外では階層内の時間毎に通過できる総個体数が3~6とランダムで変化し、異常時越に兵団発現。
至高の41人は、ナザリック内において随時、その残数と有効時間を知ることが出来る。

桜花聖域の領域守護者について。
原作ではLv.100ですが、本作ではルベドに譲ってるので、レベルは控えめに99で(笑
武器は二振りの金属扇と弓に薙刀も使える。
他の巫女たちは、箒を持ち替えての基本薙刀使い。
あと、七姉妹(プレイアデス)への移行は、緊急非常時を除いて至高の41人の認可が必要であり、非常時でも地位の最も高い桜花聖域領域守護者が判断する。

※桜花聖域領域守護者名を公式と同じ名へ修正。2017/03/24


捏造)ニグレド
外に出したいと言う願望に勝てず……そして、顔の皮についても何とかしたいと。
原作では、設定上「投獄」されているようで、第五階層の『氷結牢獄』から出ることはできない模様。
なので、物理的に投獄されている訳では無く、彼女個人では出れないが条件が揃えば期間限定で出れると拡大解釈。
条件としては以下。
・造物主かギルドマスターが許可。
・腐肉赤子(キャリオンベイビー)を1体持って出る事。
・上限は週1回で、1回に付き最大24時間。
・同空間に姉妹が滞在。
・ギルドメンバーが驚いて悲鳴を上げないように、元の顔の皮を付けるっ。
途中で違反した場合、次回の最大時間が半減、赤子の数も増える他、直後からHPMPが1を目指して下降するペナルティーが発生する。
なお、情報収集施設を兼ねる『氷結牢獄』から出ると情報収集能力は4割ほど落ちる。


捏造)アエリウス
図書館の司書の一人。司書達の名はローマの知識人の氏族名から付けられている模様。
まあ、一人ぐらいは女性のスケルトンがいても……と。


捏造)ネム
何故か、職業レベルで
サージェント 1レベル
ネゴシエーター 1レベル
発現。
将来の有望な外交官降臨。


捏造)ガルガンチュア
転移後、ガルガンチュアが何故かナザリック内を移動可能になっていた。(以前は外へ出れなかったNPC達が外へ出れるようになった事への類似)


捏造)アーグランド評議国
都市国家という形態。
首都を中央都と呼称し、評議会が運営されている感じで。
雄大で広い山岳部や点在する森林、長大な海岸線付近、西部の大森林地帯に、多種族の街や村々がある。
総人口は財産的奴隷階層の人間も含めて200万越えか……。
人類の奴隷は、儲かりまっせ!


解説)漆黒聖典のメンバーは確かに強い。しかし、ヤツラは魔法詠唱者ではなかった。
実際はメンバーに数名いるのだが、ニグンには全貌が知らされていなかった……。


解説)フューリス男爵
城の舞踏会でアインズへ、ソリュシャンとの一夜に金貨80枚の値を付けた小金持ちな貴族。
報いの天罰は近い?







●●●●●●=解体する残忍


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STAGE27. 支配者失望する/竜軍団ヘ動キダス人類(1)

注)モモンの声色と口調については、鈴木悟の素の声口調になっています


 

「……何という事だ。これは人類の守り手として憂慮すべき非常事態である!」

 

 スレイン法国の首都『神都』。中央部の広大に広がる敷地へ、白き石造りの巨大で荘厳さに満ちて建つ中央大神殿内――。

 水の巫女姫の部隊を管理する神官長より、自室で火急の報告を受けた国家主席である最高神官長は、その場でそう叫んでいた。

 スレイン法国が、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)率いる竜軍団の存在と動きを掴んだのは、リ・エスティーゼ王国の大都市エ・アセナルへの襲撃からわずか一日後の事である。

 

 

 法国が誇る国家最高戦力、漆黒聖典メンバーの『巨盾万壁』が率い、『深探見知』と『人間最強』を含む4名で編成された竜王確認遠征隊は、『占星千里』の予言した破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)についての復活確認を行うため、軍馬四頭立ての戦車によって隠密で王国内の裏街道を経てアーグランド評議国の領内まで侵入した。そして、国境付近の山奥の中で(ドラゴン)を発見するが、逆に向こうにも発見されてしまい、いきなり強烈な攻撃を受ける。

 あの日、その攻撃を『巨盾万壁』の魔法盾2枚と死に体を装う風に武技でギリギリ凌いだ面々は、竜軍団の襲った村々の跡を辿り、闇夜の中で異様に揺れる赤き光を放つ大都市エ・アセナルの惨状を遠方より確認した。

 

「ひでぇな……。他国とは言えムカつくぜ」

「あの攻撃では、都市内全域は火の海ね……」

「……行くぞ。今、我々の優先すべき任務は本国への報告だ」

 

 『巨盾万壁』は他の二人と戦車の所まで戻って来ると、速やかに御者の兵へ出発を告げた。

 だが、彼らはすぐに本国を目指して往路で通過した穀倉地帯を突っ切る裏街道へ進まず、()()()()()()()エ・アセナルの東南東130キロ程の地にある大都市リ・ボウロロールを目指す。

 それは、エ・ランテルから約300キロ南にある神都へ帰還するまでは計800キロ程の距離となり、軍馬を王国内各地の秘密支部で交換する通常の戦車による移動では、どんなに頑張ろうと5日以上掛かってしまうからだ。

 そのため法国首脳部は、『巨盾万壁』らが神都を出てから5日目以降、毎日午前十一時と午後二時に水の巫女姫達の部隊によって、大都市リ・ボウロロール及びリ・ブルムラシュールにあるスレイン法国の秘密支部内敷地の一角を、本部内の遠距離から確認することで情報を得る手を打っていた。

 そして次の日となる6日目の確認で、『巨盾万壁』らにより伝えられたリ・ボウロロール支部の敷地一角の一面に敷かれた板に大きく文章書きされた内容を見る事で、竜王並びに竜軍団の存在と被害を本国側でいち早く掴むことに成功していた。

 確認された文面の内容は以下。

 

 『昨日、評議国内山岳部にて難度200超えの竜2体確認。内1体は煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)の模様。竜王はその後、300体程の竜軍団を従え、越境し王国内の村々を襲った後にエ・アセナルまで侵攻。壊滅的で被害甚大。煉獄の竜王の難度は、我ら"隊長"に匹敵の可能性高し。もう1体の所在は不明。対策についてエ・ランテル支部まで伝達の事。』

 

 この深刻極まる状況の知らせを受け、法国内での最高意思決定会合である神官長会議が、昼食を後へ回し即時に非常招集で開催された。

 最高神官長を初め、六大神官長、三機関長他の10数名が集い、神秘的に輝く最高級ステンドグラスの窓群から光の差し込む神聖な会議堂であるこの部屋の席上にて、この未曽有の巨大災害級といえる亜人勢力からの攻撃にどう対応するかが協議されていく。

 

「私はやはり戦力の即時派遣には反対する。まずこの軍団だけなのか、相手の狙い等、動くのは情勢を見極めた後であるべきかと思います。評議国が我々人類に対し本格的に侵攻してきたのやも知れません」

 

 局院長の一人がそう告げるも、先程から大勢は討伐戦力の派遣で動いている。

 

「どちらにしろ、温い対応は後手に回る恐れがある。竜王(ドラゴンロード)が率いているのであれば、まずそれを叩くべきかと」

「その通り。王国の一般の戦力では全く対抗出来まい。時間が経てば人類の数が一方的に減っていくだけでしょう」

「同じく。人類の力を分からせる意味でも、直ぐに部隊を編成し派遣すべきだっ」

 

 先日、謎の魔法詠唱者アインズ・ウール・ゴウン一行の襲来が有るのではと頭を抱えて怯え、戦力の多くを神都に引き止めていた面々は、掌を返したように今は元気且つ強気である。

 それは現状において、噂のゴウン一行に『ニグン率いる法国部隊からの攻撃』への怒りの即時報復……という動きの無い事が、会議冒頭でこの場の皆へと伝えられていたからだ。

 神官長達は六大神を信仰するがゆえ、『死の神』がそうであったという圧倒的な高位の魔法詠唱者を強く崇め――密かに恐れていた。

 前回の会議内の最高神官長から「ゴウンという人物との関係改善も考えるべき」という言は直ぐに実行され、カルネ村への調査が行われている。

 その際、エ・ランテルの支部を経由し騎士らでは無く、近年エ・ランテル西方と北方の村々を回る農具等の物売りを行う元法国兵の老いた工作民間人達を利用した。

 結果、カルネ村における旅の魔法詠唱者というゴウン一行の法国への侵攻的動きは無く、どうやら7日も前に立派な高級馬車で王都へ向かったという情報を得て、即時の報復は杞憂に過ぎない可能性が高く、ホッとしている状態だ。

 

 

 

 つまり――今なら、法国の国家最高戦力である漆黒聖典を、問題なくこの『人類の平和を脅かす敵』の竜軍団へ全投入することが出来るというわけである。

 

 

 

 なお、ニグンの部隊の事は撃退されたとしか分からず、行方不明とあっさり結論付けされて捜索は終了していた。蒸し返す事は、ゴウン一行に喧嘩を売る事と同義となるため、もはや上司の神官長すら、再捜索について口にすることは微塵も無かった……。

 黙していた最高神官長は、会議内での皆の意見を十分に聞いた後に発言する。

 

「情報によれば、かの魔法詠唱者は、仁徳者らしいことも伝わってきている。法国にとって状況は大きく好転している。また、我々は人類の守り手である。国家を超えて、同胞である人類を守る為に、この未曽有の竜軍団の侵攻を一刻も早く阻止するべく――漆黒聖典の部隊を派遣しなければならない。評議国へも警告の意味を込めてな」

 

「異議なし」

「同意します」

「賛成です」

 

 次々と、神官長らが声を上げる。

 反対していた一部も、最高神官長の言葉に、「そう判断されたのなら従いましょう」と述べ、全会一致で国家の方針が『竜軍団へ対する漆黒聖典の部隊派遣』という形で決定された。

 

「派遣戦力は、どういたしましょうか? 私個人の考えでは、"番外"以外の漆黒聖典各員の最大装備での出撃が妥当と思われます。それと、もう1体いるという高難度の(ドラゴン)や竜王を撃破出来ない場合に備え、やはり"あの方"も同行して頂くべきかと」

 

 漆黒聖典を配下にする神官長が、最高神官長へと投入戦力について具申した。

 最高神官長は、目線を手元の現有戦力資料へ落とし、確認すると静かに告げる。

 

「よろしい。そなたの進言案で準備を急がせよ。カイレ殿も同行して頂こう。陽光聖典の精鋭飛行隊も付け護衛も厚くしておくべきだ」

「はい、では直ちに準備に掛かります」

「うむ。では本日の会議は――」

「あの、最高神官長。東方の隣国、竜王国から派遣戦力強化についての相談が来ておりますが」

 

 外交も受け持つ神官長が手をあげ、人類系国家の守護の観点からと、この席の最後でと伝えてきた。竜王国は、先月中旬ごろより首都から東方側にある都市群が、近隣のビーストマン国家による広い範囲で散発的に攻撃を受け始めた事も知らせてきていた。

 

「――その件については、まだ小競り合いの状況であるし当面自助努力するように仕向け、なるべく後日へ引き延ばせ。そもそも、今、回せる戦力が無い」

 

 回せる戦力――それは陽光聖典の実に半分、ニグンと彼が連れていた44名もの戦力喪失を指す。法国では組織的に信仰系魔法詠唱者を育てているが、優秀な者は帝国に比べるとそう多くない。結果的に隊長であったニグンの、判断を誤った愚かな行動により大きく戦力を損失したのだろうと、神官長会議の出席者の多くが考えていた。特に上司の神官長は……私は悪くないと。

 最高神官長の答えに、申し出ていた神官長は現状を理解し、渋い顔にて引き下がる。内心で、以前謁見したことがある某女王の悲壮感の滲む表情を思い浮かべつつ。

 

「分かりました。出来る限り引き延ばす形にて、こちらで対応いたします」

「あの、南のエルフ王国の方は大丈夫ですか?」

 

 別のふくよかな神官長がついでと尋ねた。

 

「問題ない」

「現状で十分大丈夫であろう」

 

 関係している神官長らが答える。

 現在法国は、南方の大森林にあるエルフ王国と交戦している状態を数年前から続けている。この戦争については、スレイン法国の第二位階魔法詠唱者達の部隊を含んだ通常軍が主力である。あくまで裏方として、陽光聖典の部隊30名と風花聖典の一隊も支援しているが、戦況は優位に進んでおり継続戦力に影響はないものと判断していた。

 最高神官長は「ふう」と一瞬の溜息を()き、皆へ告げる。

 

「本日の会議は以上である。主力の漆黒聖典のいない間は、残りの六色聖典各隊は通常の守備軍と共に基本王都待機とする。警戒を厳に頼む」

 

「分かりました」

「はい」

「そうですな」

 

 そう言いつつ六大神官長や三機関長達は頷き、最高神官長の退出を見送ると、彼らもこの荘厳である会議室を去って行った。

 

 

 

 

 

 周囲数キロを亜人からの攻撃へ対する外周壁が囲む都市内に、南西へ湖の見える高台がある。そこへこじんまりした王城が建っていた。

 竜王国は、スレイン法国の東方にある小国だ。首都であるこの都市も人口は40万人程。他に3つの都市があるが、総人口はスレイン法国の十分の一以下の120万人を少し超えた辺り。

 近隣には、亜人のビーストマンの国家があり、長年、餌や家畜としてこの国の民達の多くが連れ去られたり殺されたりしている。そのため国策で生めよ増やせよすれども、ここ50年の人口は横這いであった。

 そんな竜王国は、一人の女王により治められている。

 名はドラウディロン・オーリウクルス。

 その姿はまだ小柄で子供と言えるあどけない少女の姿をしている。しかし今、部屋には頭冠を付けた側近の宰相しかおらず、気の抜けたその表情と眼光にはこの地上に生を受けてすでに40年以上という経験が見え隠れしていた。

 竜王に建国されたこの国の王家は、代々竜の血を継承してきている。そのため、自身の形態を変化させる事が出来た。

 この姿は女王にとって、臣下や国民の不満を大きく逸らす苦肉の策であり、やむを得ず本来の成人女性の姿よりも幼い形態をとって日々を過ごしていた。

 

「宰相よ、最近東の都市群からビーストマンどもの強まる襲撃に苦戦していると伝え聞くが、手は打っているのか?」

「はい、もちろんです。先日、スレイン法国のいつもの神官長殿宛てで、派遣兵力強化について手紙を送ったところです」

「ふむ。我が国でも兵力を少し増強し、冒険者の組合への報奨金も増やしておるが、まだ効果は薄い感じだな。何かもっとこう、効果のある打開策はないものか。余力のある間に手を打たねば、手遅れになりましたではすまされんっ」

 

 数年前から、遠方のリ・エスティーゼ王国で推奨され始めた冒険者組合への報奨金制度を、この竜王国でも即時取り入れた上で、街からの他に国からも報奨金を出している。

 しかし、国の規模により冒険者の分母自体が少ないため、中々に個の強さと数を誇るビーストマン達の集団へ、効果的な敗北を強いることが現状で満足に出来ていない。

 そういった中で近年、都市ギルド内にアダマンタイト級冒険者チームが一つ誕生し、期待からチーム一行は王城で女王への謁見を許された。その後、何故かリーダーが異常に好意的で亜人討伐を猛烈に頑張ってくれており、唯一の希望になってきている。

 ただ、時々不足気味の報奨金代わりに褒美として謁見を要求された上、その度に女王はその少女姿の身体を、リーダーの男からの熱い視線で舐めるように見られていた。

 王女は薄々、『閃烈』とも呼ばれるこのリーダー――セラブレイトの異常さに気付き始めているが、冒険者ながらすでに国家の貴重な防衛戦力の一角であるため、今の無礼すら罰せられない。彼女は、報奨金の代わりの要求がエスカレートしないかと、内心で密かに不安が募っている……。

 とはいえ、1チームが突出していても全体を抑えられる訳が無い。

 先の「打開策はないものか」は、行き詰まり掛けている状況に喘ぐ小国の女王の文句と言える。

 普通ならここで宰相の、「何か良い手があればいいですねぇ」という言葉で終わると思われた。

 ところが――。

 

「そうですねぇ……思い切っていっそのこと――他国の冒険者にも募集を掛けてみては?」

 

 突拍子も無い案に呆れるも、「まあ、やってみろ」とダメ元で女王は告げた。可能性は、少しでも広げておいた方が良いと。

 しかし、このことが(のち)に奇跡の一行を呼び込むことになろうとは女王も想像していなかった……。

 

 

 

 

 

 スレイン法国神都、中央大神殿敷地内奥の地下に、隠蔽された形で存在する神官長直轄特殊工作部隊群『六色聖典』本部。

 漆黒聖典の区画は特に厳重警備された場所であり、そこへ通じるただ一か所の出入口は常時20名もの精鋭の守衛が守る。

 だがその中に入ってしまえば、動くことはそれほど難しくなかった。

 特に普段から、その素行が恐れられている彼女にすれば。

 暇だと告げてクレマンティーヌは個室を出ると、「自分の装備の修理記録の事がちょっと知りたいんだけどぉー?」と殺気の籠ったいつもの斜め右下へ見下す魚の死んだような目で、資料室扉横へ立つ守衛の許可を取ると、室内にて堂々と隊員各員の装備品へ関して、整備や修理記録に記載された状況や受けた損傷、補充記録からその性能と能力を大まかに把握していた。

 彼女は――この作業すら楽しかった。

 

(ルンルン。モモンちゃん、喜んでくれるかなぁ~、褒めてくれるかなぁ~。ギュッて抱き締めてくれたりなんかしちゃってーっ、なんてね。でもやっぱり、また膝枕でぇ頭撫でて欲しいかなー。んふっ)

 

 薄暗い資料室の中、ひとり足音無くピョンピョン飛び跳ねつつ、すでに表情が締まりなく笑顔で破顔していた……。

 これまで、兄への復讐殺害達成を唯一の人生の希望とし、自分以外へ興味はなく全てが詰まらないモノに見えていたが、今は愛しのモモンちゃんがおり、『二人の』目的の為に一歩ずつ近付いているのだと考えられたから。

 すでに、兄の死すら人生を謳歌するための、確定要素的踏み台と思えていた。

 この本部には――現在兄がいる。

 以前ならそれだけで、怒りと不愉快さに精神が不安定になっていたが、もはや愛するモモンちゃんに比べれば、全く取るに足らない人物と言い切れ、ほくそ笑む余力すら出来ていた。

 元々冷静になれば、よく頭の回る娘である。

 

 彼女の狙いはもう一つあった――『叡者の額冠』だ。

 

 現在、前使用者の土の巫女姫が爆死して、使用されずに保管されているスレイン法国の最秘宝の一つである。

 区画内でちらりと聞いた話では、巫女姫を蘇生予定だが、再び訓練し第五位階魔法を使えるようになるには2年は掛かるという話を耳にしていた。

 要するに、基本怖くて誰も触らないため、すり替えても2年間は気付かれないということだ。その頃には、愛しのモモンと幸せに満ちた家庭を築いているはずであると……。

 

("お土産"はー、何時取りに行こうかなぁ~)

 

 『ちょっとそこまで買い物に』でも行くみたいな気持ちのクレマンティーヌであった。

 しかし、ここで彼女は慎重さを取り戻す。資料室へ近付いて来る何者の気配を察知したのだ。資料を丁寧に所定の棚へと仕舞う。

 クレマンティーヌの表情は、純粋に恋する少女の笑顔から、いつもの歪んだ笑いの面構えへ戻る。彼女が不意を突かれることはほとんどない。

 また、警戒と閲覧時間を短縮する為、先程から武技〈流水加速〉〈能力向上〉〈能力超向上〉を実行し続けており、時間にすればまだ5分と経っていないが粗方読み終えていた。

 5日前にも一度行っており、比較的安全に集められる情報的には十分といえる量になっている。

 不自然さは残さない――モモンの為にと彼女は全力を尽くしていた。

 そこで、扉を開けて入って来た者から、優し気な声が掛かる。

 

「――クレマンティーヌ。ここで、お前は何をしているんだい?」

 

 彼女は背中から掛けられた『忘れることの無い声』の方へゆっくりと振り返った。

 

「これは、兄上……様」

 

 そこには、漆黒聖典の第五席次『一人師団』の二つ名を持つ妹と似た髪型で金髪の貴公子、クアイエッセ・ハゼイア・クインティアが立っていた。

 憎き兄で怪人がそこに居る。身体能力でも優秀であるが、その格の高い存在感が異常。皆が彼の魅力と能力に惹かれていく。その反動がクレマンティーヌの、これまでの素通りされ続け、下劣の者だけが寄ってくる不幸な人生なのだろうか。

 だが――兄本人は、妹が『狂気』『恐怖』『凶悪』『人外』『外道』という悪名で家名を汚している理由がよく分かっていない。忙しさの余りずっと妹と話をしていない為、思い当る節が無かった。まさか、自分の存在自体が原因だという事に思い付けないでいる。

 互いの存在を食いつぶしているような、不幸な兄妹とも言えた。

 一方で彼は、ビーストテイマーとしても優秀であり、難度80を超えるギガントバジリスク複数体を自在に操ることが出来る。状況次第では一国を一人で攻略すら出来る、大戦略級の存在なのだ。

 クレマンティーヌは一瞬迷う。これは非常に好機であったからだ。

 以前なら迷わず即、この場で兄殺害に動いただろう。運もあるのだろうが、これまでの数年間に漆黒聖典本部において、兄とこのように頑強で狭い場所にて一対一で向き合った事が無かったのだ。

 ここなら10メートルを超える巨体の、ギガントバジリスクを召喚出来ない。

 扉外の見張りは一人。兄を一撃で葬れば、区画の出入口を抑えられる前に出られる可能性は高い。

 しかし、もし一撃必殺に失敗すれば、見張りを逃がし『隊長』らを呼ばれ包囲されてしまう。

 それはモモンとの永遠の別れになってしまうのだ。

 僅かに、一旦目線を落としたクレマンティーヌは、ここでの襲撃を思いとどまる。

 

 彼女は――モモンへの愛と漆黒の戦士の圧倒的実力を取った。

 

(モモンちゃんとの、約束だし……)

 

 思わず彼女は笑いそうになる。それは、あの手の届かなかった恨み渦巻く圧倒的な兄へ今、『ここでは生かしていてあげる』と見下し見逃すほどの余裕がある状況におかしくなったのだ。

 兄へと視線を上げ、妹は腰の武器へと軽く手を当て、素で告げる。

 

「この、平時に使ってるスティレットをもっと頑丈に出来ないか、ちょっと調べようとしただけ。失礼します」

 

 目を閉じつつクレマンティーヌは、兄の横を通り過ぎ、足早で資料室を後にする。

 兄は静かに妹を見送る。彼は優しい表情のまま、無礼で素行の困った妹を――怒らない。

 

(ふー、相変わらずだね。どうすればいいのか……)

 

 クアイエッセは僅かに困った顔をしたが、『隊長』に指示された地図と資料を集め始めた。

 

 

 

 凛々しい青年の顔に、神聖騎士団風の非常に高位の装備を纏う――漆黒聖典第一席次の通称『隊長』が、神官長会議を終えた上司の神官長室へと呼ばれた。

 すでに会議へと向かう前の神官長から、「確定ではないが竜軍団討伐がありそうだ。王都を含むリ・エスティーゼ王国北東部の地理について、詳細な資料へ目を通しておけ」と告げられており、配下のクアイエッセだけに伝えて資料を揃えさせ、優秀である彼にとりあえず進撃路を吟味させ始めている。

 部屋へ入った『隊長』は、神官長の立つ前まで進むと、装備を僅かに軋ませながら跪き目を閉じる。

 

「お呼びにより、参上いたしました」

「うむ。神官長会議において……竜軍団討伐が正式に決定された。アーグランド評議国がとんでもないモノを送り込んできた。相手は煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)率いる300体もの竜軍団だ。すでに王国北東部の大都市、エ・アセナルに壊滅的といえる被害が出ている。この竜王の難度は――お前に匹敵するらしいぞ。それと、所在が不明だが難度200以上はもう一体いるらしい」

 

 『隊長』は、流石にその内容詳細部分に驚きパッと目を開く。

 竜《ドラゴン》の難度は、その強靭である鱗と筋力に圧倒的な火炎攻撃やそれらを活かす頭脳を考慮すれば、最低でも探知した数値の1割増しで考えなくてはいけない。

 つまり、竜王は『隊長』の強さを上回っている可能性が告げられていた。可能性だけでも脅威だが、総数も300。更に竜王級がもう一体出て来る恐れがある。今回は、かつて命じられた数々の指令の中で、最も過酷となる命令内容に思われた。評議国が動いたと言うのであれば、まだまだ敵が増える可能性も大きい。

 神官長は『隊長』へ告げる。

 

「お前達へ命じる。"番外席次"を除く、全漆黒聖典メンバーは最大装備にて明日午前10時を以て出撃し、速やかに人類の脅威となっている竜軍団を討伐せよ。なお、陽光聖典の精鋭飛行隊を護衛にカイレ殿も同行される。不明のもう一体が現れたとしても、これで何とかなろう。頼んだぞ。それと――くれぐれもお前の正体は知られるなよ」

「……了解いたしました」

 

 人類を守ったと聞く六大神への信仰心のもと、人類の守護者として、隊員の多くが今の役職を受けた漆黒聖典の彼等に『否』はない。

 特に国内で3名だけいる、血が覚醒し六大神の力を発揮する『神人』は、この人類の敵と戦う重責を担うために生まれたともされる。一方で、『神人』の存在が知られると『真なる竜王』が決戦を仕掛けてくると伝えられており、その余波で法国は滅びると言われている。なので、彼が『神人』という事実は、上層部以外秘匿とされてきた。

 そんな境遇の彼も含め、過酷の多い任務に対し、メンバーへは見返り的に普段の平穏時の好待遇や破格の装備が与えられているのだ。

 

 任務を完遂するか――死ぬか。

 

 この彼等の役職に生き残っての退役は稀と言える。年齢を理由に、才能のある若者へ席を譲るぐらいである。

 人類にとっての非常時には、番内以外もカイレのように駆り出されるのだ。そして、国家の存亡時には切り札の『番外席次』すらも。

 

 だが多くの者が「それでいい」と考えている。人類を守り切ることが出来るならと……。

 

 若き少年の顔を「相応の青年の表情に見せる魔法の仮面」を被る『神人』の隊長は、静かに立ち上がると一礼ののち神官長室を後にする。

 

 

 

 

 

 漆黒聖典隊員の全12名が、区画内にある広めの作戦室に集合する。

 時間は、午後の3時を回った辺り。

 このメンバーには第五位階魔法以上の使い手も複数名居る。普段は存在自体を消しており、陽光聖典隊長のニグンにも掴むことが出来ていなかった者達だ。その中に女もいるが、幼いころより特異の生まれながらの異能(タレント)持ちと身体能力の高さを買われ現在不足している巫女姫の過酷に満ちた運命から逃れている。

 他の者達も、難度で100を優に超える者達が大勢を占めていて、まさにこの新世界での人類最強部隊であった。

 その『隊長』が皆へと引き締まった表情で告げる。

 

「我らの神官長様より、指令を受けた。今、外へ出て情報を寄越してきた"巨盾万壁"達も含めて、漆黒聖典全員でリ・エスティーゼ王国北東部へ侵攻を開始した煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)率いる300体の竜軍団討伐に向かう。出発は明日の午前10時。装備は各自の最大装備とする」

 

 ざわついていた隊員たちは逆に一気に静かになった。内容が凄すぎたのだ。

 

「これより、任務内容の詳細に移る」

「ちょ……っと、待ってくれへんか……"隊長"。それって……わ、わたいの占いの?」

 

 小さく気弱い感じで変なアクセントの声が掛けられる。

 使い魔の如き大きく変わった帽子を被る『占星千里』だ。自分が占った破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)では無い上に、300体の軍団がオマケで付いてきた事で慌てていた。

 

「そうだ。実際に確認した結果、多少異なるが――竜王は復活していた。それを我々が討伐するんだ。では、話を進める」

「「「「「……」」」」」

 

 全員が、『占星千里』の再確認にも沈黙していた。

 『隊長』が冗談の類を言うことは無いはずだが、多くの隊員は今日はそうであって欲しかったと思わずにはいられない内容である。

 『隊長』の説明は、事前に少しクアイエッセと検討したものであった。

 基本的に『巨盾万壁』らが先日、戦車で通った法国が掴んでいる王国内の裏街道を進む。エ・ランテル南西へ小ぶりで横たわる山脈の西側の平原を通り、王都までの大街道に並行するように走る裏街道を通る。ただ、王都近くからは北東側に移動し、そこの15キロ四方に広がる森付近でエ・ランテルから折り返して来る『巨盾万壁』らと合流する予定である。

 約10分の要点説明を終え、何かあるかと『隊長』から尋ねられるも、現段階では皆からの質問は無かった。

 しかし――この出撃命令に困ったのは、クレマンティーヌである。

 

(モモンちゃんとあと1週間程で定例報告なのにー。どうしよう……)

 

 一瞬、彼女は直ぐにこの場からバックレるかと思うが、モモンとの約束もあって視線を横に逸らしつつ、ふと『隊長』の説明の中に抜け道を見つける。

 

「あのさぁ、エ・ランテルに一度帰って来る"巨盾万壁"のあんちゃん達に、誰が知らせるのかなー? ちょっとこの前ー、エ・ランテルに行ったときに買いそびれた欲しい物があってさぁー。私に行かせてよー、ね。――じゃないと、竜退治にいーかないっと」

 

 いつもの感じで、前半は歪んだ笑顔を浮かべ、クレマンティーヌは最後にしかめっ面の低音の声でゴネるのを忘れない。

 隊員達は、またいつもの我儘が始まったと、睨み付けて来る。

 第一席次の考えだと知らせに行くのは、ただの騎馬兵数名であった。漆黒聖典の隊員を動かすつもりは無かったので話していなかったが。

 指揮官として『隊長』は考える。今回、取り敢えず全員揃うまで、作戦は攻撃行動へは移らない。なので、最終的に合流してくれれば戦力に変動はない。同行する数日間、ずっと彼女にブチブチ言われ仲間内で揉め事が起こるより、一時別行動させただけで問題を解消し、そのあと気分良く戦わせるのも上司の裁量かと思われた。

 『隊長』は伝える。

 

「いいだろう。ただ今回は『巨盾万壁』らがエ・ランテルに到着するまで1日程時間差があるので特別だ。そして、合流後は文句の無いように」

「は~い」

 

 クレマンティーヌは、満面の歪んだ笑顔を返していた。

 

 新しく陽が昇った次の日の朝、午前10時。

 冒険者モモンが、直近の仕事でマーベロと4件目の商隊の復路護衛で、エ・ランテルへ向かっている頃である。

 神都の中央大神殿敷地外の、少し離れた場所にあり地下で繋がっている寂れた建物の秘密通用門。

 そこから、大急ぎで各種物資の準備を整え終えた漆黒聖典部隊の軍馬四頭立て戦車6両が出発した。だが、その中にはもうクレマンティーヌの姿は無かった。

 

 

 

 

 

 漆黒聖典の一団が神都を出発した翌日早朝のこと。この日、王家直轄地の大都市エ・ランテルへ激震が走ることになった。

 ついに、竜の大軍団についての情報が北西側第三城壁門の、いつもモモン達への挨拶に親指を立ててくれている気の良い守備兵達の所へ、王都からの騎馬兵達によって書簡と共に事変の情報がもたらされたのだ。これはまだ、竜王の存在が確認されていない時の文面である。

 門の周辺からどんどんと、その衝撃の事象は大都市内へと広まっていく。

 だがそれよりも当然早く、第二、第一城壁門を通過した王城所属の騎馬兵達によって、エ・ランテル都市長で貴族、パナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイアのもとへと書簡が届けられた。

 緊急という事で起こされ着替えたため、豚のように肥えた都市長の男はいつもより鼻が詰まり「ぷひーぷひー」と鼻を鳴らす呼吸音を連発しつつ、謁見の間で跪く騎士達を前に書簡を読み始めた。

 

「なんということー。わたしは、どうすればよいかわからんな。とりあえずしじはうけたまわる(本当にどうしたらいいだっ、300体の竜の軍団など昨今見たことが無いわっ)」

 

 普段から、相手を油断させる為のふざけた風に受け答えをするパナソレイだが、実は状況判断も的確で冷静に振る舞う男である。額から汗を滴らせつつも、都市守備隊の隊長を呼ぶように召使いへ申し送る。

 そして、書簡の指示通り周辺領域へも含めて臨時徴兵を掛け総動員し兵4万5000を王都へ送り、冒険者組合へも竜1に対し金貨300以上という特別報奨金の告知と共に行政府として協力への圧力を掛けると言葉にし、その内容を同席する書記に羊皮紙へ記させ即時署名し、それを目の前の騎士達へ渡した。

 騎士達が次の近隣貴族の下へと足早に去った広間でパナソレイは、気疲れの疲労でどさりと椅子に座り込む。王国の今後の未来に恐怖しつつ、守備隊の隊長の参上を待っていた。

 このあと、午前中には徴兵や報奨金についての御触れが街角や近郊の村々に次々と立てられる。戦況と終戦が明確だった帝国との戦いとは違う、怖さと異様さを持った非常事態の戦時下という嫌な空気が都市内へと徐々に充満していく。

 

 

 

 ンフィーレアの祖母、リィジー・バレアレはカルネ村への引っ越しには当初反対であった。

 当然だろう。何と言っても長年掛け、この大都市エ・ランテルでも屈指の薬師としての名を広めたのだから。リィジーは第三位階魔法詠唱者でもある。自身だけで危険の多い僻地にある薬草の採取も可能であった。コツコツと稼ぎ、そして研究室も備え持ち構えた彼女の店である『バレアレ薬品店』はその集大成の一つであり、今や非常に繁盛している状態。

 片田舎に引っ込む事に良い点はないと、ンフィーレアへは告げた。経営者として、また孫の将来を考える身としても当然の判断である。

 しかし、可愛く大事で優秀な孫の頼み込む真剣さに、結局折れた形となった。

 ンフィーレアは少し気が弱い所があるように感じていたが、本気になった時には粘り強く、心配いらないという事が分かっただけでも良かったと喜んでいる。まず、自分の女の為に動けない腰抜けでなかったと。

 しかし、カルネ村から戻って来た孫は、それ以上に偉大で凄い人物というゴウンなる者の事を盛んに告げてきた。

 「あの偉大なアインズ様に、僕は少しでも早く近付きたいんだ」と。

 心底好いた女を取られているというのに、孫はそのアインズという人物に近付ければ、まだ取り返せる機会があると信じている様子。

 年季の入った彼女から見れば、エンリという名だったあの村娘に利用されてる感じが凄まじいのだ。

 リィジーとしては、孫に女心は怖いもんだよと言ってやりたい。確かに可愛く働き者でしっかりしていて、芯の通った家族思いの出来た娘であったとは記憶している。

 だが、良く言えばこれも経験である。どう転んでも、結局はンフィーレア本人が納得するしかない。

 歳を経た彼女も経験したことが有るから分かることだ。恋は――盲目なのである。

 

 そんなこんなで、祖母とンフィーレアが仕事の傍ら、引っ越しの準備を進めて荷物も殆ど整理し纏め終わり、いよいよ明日が引っ越しという前日に、その早朝から都市の街中を駆け巡る衝撃の事象が、バレアレ薬品店へも舞い込んできた。

 薬の納品と集金を始めたばかりのンフィーレアが、祖母の所へと慌てて帰って来る。

 

「おばあちゃん、大変だよっ! (ドラゴン)が、それもいっぱいっ!」

「なんだい、なんだい、ンフィーレア。ちゃんと聞こえてるよ。竜の肝でも手に入ったのかい?」

 

 何の冗談かと、リィジーは慌てる孫へと声を掛けるが、ンフィーレアの次の言葉に目を見開いていた。

 

「王国に、竜の軍団300体が攻めて来たんだってばっ!」

 

 

「ハァーーーーーーーーーーーーーーっ!!?」

 

 

 祖母は、孫よりも大口を開け、大きい声で叫び驚いていた。

 これまでの彼女の人生で、一番驚いたかもしれない。それは王国の滅亡が考えられる水準の敵と言える大軍団であった。

 そもそも、生まれてこの方、人間が(ドラゴン)と戦ったという話は、御伽話でしか聞いたことが無い。

 また、経験豊富な高位の第三位階魔法の使い手として、話に聞く難度での成体1体の(ドラゴン)がどれほど強力で危険極まりない存在か知っているつもりである。

 正直――一人では逃げ出すしかない相手と言える。それすら、死への時間稼ぎかもしれない。

 まず第三位階魔法でも、一撃では彼らの持つ強固である鱗と肉体に恐らく殆ど通じない。更に〈飛行(フライ)〉で逃げようと、翼でどこまでも追い駆けてくる。そして、とどめの強力な遠距離火炎攻撃……。

 それが、300体とか冗談以外に考えたくないところだ。

 ふとリィジーは、明日のカルネ村行きが疎開に最適ではないかと思えた。住民が100人未満の極小の村である。それに孫から聞いた話では、村には例の御仁によって完全に使役されている屈強の怪物が3体いるらしい。

 竜軍団の標的にはなり難いはず。

 ただ問題は、戦争となると怪我人への対応を要求され存在価値が上がる自分達を、城壁外へ出してくれるかということだろう。

 そして大大的に逃げ出すという形は取るべきではない。名声に大きく影響が出るからだ。

 救いは、少し前から引っ越しの話は周知している事である。

 急に逃げ出すという訳では無いという、言い訳にはなる。

 しかし、状況は大きく変わってしまった。

 リィジーは、近くの水差しからコップに少しの水を入れ飲んで落ち着くと、静かに孫へ伝えた。

 

「明日はンフィーレア、お前だけ引っ越しをするしかないね」

「そんな……」

「いいかい、世間というのはとても厳しい目をしているんだよ。お前だけなら非常時の為に、ここと生産箇所を二か所にするという立派な言い訳が立つ。まだここには最低限の設備は残しておるしな。それに、二人ともここへ残るより、私もその方が安心だ」

 

 リィジーは、可愛い孫へと優しい笑顔を浮かべる。

 ンフィーレアは一瞬言い返そうとするが、自分はもう子供ではなく、あの偉大なアインズを目標としている一人の男なのだと思いとどまる。より大局を見て動かなくてはいけないと感じたのだ。

 少し大人になった少年は一度目を閉じ、再び大切に思う祖母を見つめて答える。

 

「わかったよ、おばあちゃん。カルネ村で、いつでもおばあちゃんが来れる様にしっかりと準備しておくから」

 

 リィジーは納得し、年季の入った皺の有る笑顔で小さく頷いていた。

 

 

 

 

 

 王都リ・エスティーゼの王城内、ヴァランシア宮殿の一室。

 アインズは、昨日に引き続き今日も優雅にお茶を皆と囲みながら、呑気に寛いでいた。

 昨日は、昼前に王城正門へ現れたアダマンタイト級冒険者チーム『朱の雫』の3名が最終的に国王とも謁見し、エ・アセナルでの惨状を直接伝えていた。

 その場で、思考の斜め上の厳しい現実を突き付けられた城の中は、直後から非常に混乱している。

 ソリュシャンの盗聴した話では、都市壊滅と概算で死者約30万、捕虜8万以上が伝えられた上に竜王の見せた、大魔法すら反射する完璧すぎる防御力と圧倒的である攻撃力が伝説の魔神以上で、正直なところ現状で倒す方法は――考え付かないと告げられ、その場が静まり返ってしまった模様。

 それでも緊急対策会議の開催が決まり、先日の様に大貴族達を呼び寄せる事になったようだ。

 更にそのあとも、日が沈んだ頃に帰還したばかりのアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』の報告が、国王謁見の間でこれから始まるとガゼフが部屋へと呼びに来た。折角なのでとアインズも立ち会う。

 広間奥の玉座に、国王ランポッサⅢ世がすでに着座していた。

 その傍に武人と聞く体格の良い第一王子のバルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフに、小太り気味の第二王子ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフ、そしてラナー王女が控えていた。また、この場には城に居合わせた国王派の貴族達も数名同席している。

 

「これより、アダマンタイト級冒険者チーム"蒼の薔薇"一行の帰還報告の儀を行います。"蒼の薔薇"一行、入場っ」

 

 大臣の声に広間の大扉が開かれ、五人の金髪の乙女達が入って来る。

 もとは王女の独断で動いていたはずだが、王国戦士長から彼女らの威力偵察を伝え聞いていた国王が、直接聞きたいという事でこの場が設けられていた。

 『朱の雫』の3人と同様に彼女達の装備もかなり煤けて足元も酷く汚れている。周囲はその激闘の跡を示す姿に騒めいている。当然綺麗な赤絨毯は踏んだ箇所から煤等で汚れる形である。

 しかし今は戦時下で、その汚れは王国皆の為に命をとしてのものであり、いかなる者も咎める事は有り得ない。

 リーダーのラキュースが王の前へ一歩出る形で、その後ろに4人も続き跪く。

 すでに、『朱の雫』からエ・アセナルの絶望的内容が伝えられていたが、彼女達はそれを再確認させる悲惨さで満ちた内容を簡潔に告げた後、いくつかの朗報を持ち帰って来ていた。

 

「――ただ、我々は難敵ではあるものの幾体かですが指揮官の竜を討つことに成功しました。百竜長の1体は重傷に留まりましたが、他十竜長については3体を殺害し排除することに成功しております。戦利物として十竜長の竜については其々の鱗を、百竜長の竜についても偶然牙の欠片を入手出来ました」

 

 この場に居るほとんどの者が、その快挙に「おおぉ」と驚きの声を上げる。

 そして、大臣補佐が戦利物を乗せた大きめの箱を持って王の脇へと見やすいように近付いた。

 国王は笑顔を浮かべ、それら4点を確認すると力強く頷く。

 

「"蒼の薔薇"の者達よ。アダマンタイト級冒険者に相応しい見事な働きであるっ」

 

 これで、王国にも戦い方の手掛かりが出来たのである。

 彼女達は、アダマンタイト級冒険者チームとして、正に勝利の形に向けての突破口となり『竜軍団も無敵では有り得ない』と証明してみせたのだ。冒険者のたった1チームでも(ドラゴン)に対し倒したり、大きく出血を強いらせることは十分可能だと。

 それを多くの冒険者チームや兵達で波状的に積み上げれば、圧倒的な竜軍団を倒せなくも撤退させるという手はまだ大きく残されているだろうと。

 蒼の薔薇達が持ち帰って来た最大のものは、形のあるものでは無く、多くの弱き人々へももたらす『明日へ希望』であった。

 

 そんな、王国にとって苦渋だった昨日を、呑気に寛いで振り返っていたアインズの頭の中に電子音の呼び出しが響く。

 

『ア、アインズ様、来ました。――冒険者モモンさんへの知らせが。竜軍団の情報が、今朝この都市へ届いたようです。これから1時間後に組合前の広場で集会があるみたいです』

 

 その声は、エ・ランテルでパンドラズ・アクター扮するモモンと居るマーベロことマーレであった。

 アインズは「うむ」と小さく呟くとゆっくり横顔を向け、自然の形でソファーの傍で静かに立つツアレへ伝える。

 

「ツアレよ、熱めのものが飲みたい。悪いが、新しいお湯をすぐ用意してくれ」

「はい。畏まりました、アインズ様っ」

 

 彼女はここ数日、今までのつらい人生に対して、本当に夢のように思える穏やかなる日々を送っている。

 すぐ傍の、想いを寄せる優しいご主人様からの指示を、綺麗な艶のある金色髪をふわりと揺らすツアレは、嬉しそうに可愛い笑顔で答えると奥の家事室へとワゴンを押して下がっていった。

 アインズはその様子を見届けると、小声でマーレへ伝える。

 

「今、宿か?」

『は、はい。先ほどまで、慣れる為にモモンさんへ擬態したパンドラさんと外を歩いていたのですが、周囲の雰囲気がいつもと随分違うので、こんな事じゃないかと戻ってきたところ、組合から宿へ知らせが来ました』

「良く分かった。すぐ行く、ではな」

『はい』

 

(マーレは用心深いし、自然に振る舞う行動をしてくれてとても助かるよなぁ)

 

 アインズは内心で嬉しく思う。パンドラズ・アクターも慣れれば大丈夫だろうが、まだまだ初めての場所だ。

 支配者は小声で、周りの者達へと告げる。

 

「聞け、マーレから連絡が入った。また冒険者へ変わる。ナーベラル、暫くここの代役を頼むぞ」

「畏まりました、アインズ様」

 

 不可視化していたナーベラルが現れ、アインズの装備姿へと変わる。

 アインズはルベドを初めとする周囲の者らの了承する頷きを確認すると、素早く〈転移門(ゲート)〉を開いた。

 

 

 

 エ・ランテルの冒険者組合は、植栽の植えられたかなり広い広場に面しており、その広場へは大商店なども多く囲うように建てられている。

 その広場に今、エ・ランテル中から多くの冒険者達が数百人集まって来ていた。

 もちろん、竜軍団の侵攻に関しての招集である。会場内ではギルド内の冒険者チームの大連合による討伐遠征だと専らの噂が広まっていた。

 集合期限の時刻までまだ30分程は有る。

 モモン達がこの広場へ来る途中、小耳に挟んで驚いたのが、この大都市エ・ランテルには、現在アダマンタイト級冒険者はともかく、オリハルコン級すらもいないという事だ。

 どうも都市周辺に脅威が少ないのも原因の一つと思われる。

 南側は20キロ程度でスレイン法国との国境が迫り、東側も30キロを越えた所で直ぐに帝国領。南東に広がるカッツェ平野は50年単位で見れば稀に危険だというデス・ナイトも登場するとの事だが、普段はミスリル級でも十分対応出来る難度70未満の『死者の大魔法使い(エルダーリッチ)』ぐらいまでの出没に留まると聞く。

 北方のトブの大森林も都市に近い周辺部は、森の賢王のハムスケが200年に渡り安定の支配力を見せており脅威的なモンスターは少ない。南西側の大きい森と山岳部にぐらいしか、難度で80を超える程の大物はいない模様。しかも、高難度の個体達は分別があるようで、人間達と衝突しないように配下の者らを抑えていると言われ、長年大軍では出没してこない。

 なので、ミスリル級がこの都市の冒険者組合では最上位の等級となる。そのチーム数も僅かに5つ。

 それゆえ彼等はまさに、この都市では冒険者達の目標でもあり憧れである。

 この場に集まった2割程の者達は、その5チームの周りを取り巻くように順番で挨拶をしたり話に興じていた。

 

(まあ、スターやアイドルみたいなものだよなぁ)

 

 モモン達は、パンドラズ・アクターも不可視化して連れている為、少し離れた所からその様子を眺めている。予想するに、挨拶は仕事を共にする白金(プラチナ)(ゴールド)、将来を見越して(シルバー)級辺りまでのチームのようだが。さすがに、銅《カッパー》や(アイアン)級の者達は、差が有り過ぎて邪魔になると遠慮している風に見える。

 だから未だ最下層の銅《カッパー》級であるモモンとマーベロ達は、当然蚊帳の外に思われた。

 しかし、先日の盗賊団討伐の件は本当に大きかった模様だ。

 討伐した盗賊団は、同行した(シルバー)級冒険者チーム『漆黒の剣』らの噂話からも50名以上の規模と思われ、これまでにブリタのいた(アイアン)級内でも十人程の大チームを初め、(シルバー)(アイアン)級の連合チームに(ゴールド)級のチームまでも血祭りに上げられており、総合的に見てモモン達の成した事は周りからは明らかに白金(プラチナ)級以上の働きだと判断されていた。

 さらに、巨躯で見事な漆黒の全身鎧(フルプレート)に二本のグレートソードを背負ったモモンの姿と、可愛いマーベロの高級感ある純白のローブと紅い杖である。やはり目立った。

 モモンらに気付いた冒険者チームの幾つかが挨拶に訪れ始める。

 大半は、(アイアン)や銅《カッパー》級だが、中には(シルバー)(ゴールド)級の冒険者チームからも声を掛けられていた。

 また数日前からはどうやら、その立派で目立つモモンの漆黒の鎧から『漆黒』というチーム名の二つ名を付けられているみたいで、「"漆黒"チームのモモンさんとマーベロさんですね? よろしくお願いします」と何度も聞かされている。

 状況に少し戸惑っていると、見知った顔が笑顔で現れた。

 

「ども、モモンさん、マーベロさん。街が色々大変な事になってるけど」

 

 乱暴に切られた髪が鳥の巣風で赤毛の女、ブリタである。相変わらず、動き易く見える分厚い布革の服装。この前の稼ぎは、銀貨で14枚。倹約すればやっと1ヵ月程暮らせる額であったため、装備等に回す余力は僅かもなかったのだ。

 彼女はあれから、一日だけ、『漆黒の剣』の手伝いをさせてもらって、銀貨8枚を得ていた。

 しかし、それ以外の幾つか他のチームに声を掛けたり掛けられたりしたが、結局合意出来ず組めなかった。単身の女1名という事で分け前の歩合が不利になる事も大きい。

 中でも、(シルバー)級だったが、酷いチームに宿場街外れの区域で出会っていた。つい昨日のことである。男5人チームで、あわや人気の無い路地奥へ連れて行かれそうになった、そのとき、たまたまモモンに扮した、パンドラズ・アクターとマーベロを見かけ、「モモンさーーん」と声を上げたのだ。

 マーベロは人間などどうでも良かったが、モモンの知り合いをここで見捨てると、モモンガ様の冒険者としての名に悪影響が出るのではと気を利かせる。

 人間について、やはりどうでもいいパンドラズ・アクターは、状況が分からないのでマーレに合わせた。創造主にこれ以上怒られたくないのもあり頑張った。

 (シルバー)級の冒険者達は男5人であったが、大盗賊団を討伐した『漆黒』のモモン達の噂を知っており、「やっべ。え、あ、いや……じゃあな」と言って逃げる様に去って行った。

 冒険者というのは、命を賭けた厳しい実力の世界なのだ。いきがるのも相手次第。モモン達が、銅《カッパー》級のプレートを付けている事も逆に不安を倍増する。近いうちに(ゴールド)白金(プラチナ)級となり地位が逆転した時のことを考えて。

 そんな『漆黒』の知り合いに、手を出すという愚かさも含めてだ。

 一方、助けて貰ったブリタだが、御礼の言葉を伝えるも、状況が情けなく恥ずかしく、その後直ぐにその場を去っていた。

 だが、再会した今は感謝で一杯だ。堂々と目の前に立つ漆黒の戦士と純白の魔法使いの少女がいなければ、昨日はどうなっていたことかと。

 

「昨日は本当にありがとうね」

 

 ブリタは焼けた浅黒い肌の頬を僅かに染めて、嬉しそうにそう伝えてきた。

 モモンは、マーベロから一応その助けたという事実だけは聞いている。

 なので、マーベロがブリタへ会釈したあと、少し距離が有る感じのクールな形に答える。

 

「当然の事だよ。無事で良かった。君とは一度一緒に戦った仲でもあるし」

 

 その雰囲気の言葉が良き人柄を際立たせ、さらにブリタの胸には響いていく。

 

(やっぱり、すごくモモンさん、いいかも……)

 

 だが、相手は美人の女の子を連れた三段は上の実力派冒険者だ。直ぐに仲を進展させるというのは無理な話。

 ブリタはずっと考えていた。既に良い歳でもあるし、この単身のままの冒険者では、誰かに縋り使われる酷い人生になりそうだと。それでは、モモンに近付く価値のない女になってしまう。

 そんな中、先日のモモンに提案されたカルネ村の話は、村人を守り助け手伝いながらと自分の剣に誇りと自信を持って暮らしていけるように感じていたのだ。

 ただ、一つだけの不安を彼女はモモンへと確認する。

 

「モモンさんは――あの、カルネ村にはよく行く予定なんですか?」

「えっ? んー……ンフィーレアの仕事もあるし、時々は行くんじゃないかな」

 

 ブリタは、とても安心したように笑顔を浮かべる。

 

「明日ですよね、バレアレさんところの引っ越しは」

「あ、そうかな」

「あの、私――カルネ村に移り住もうかと思ってます。一人じゃ今回の竜討伐も難しいし。この間のお話、いいなと思ったので。なので同行させてくれませんか?」

 

 まさか本当に、田舎のあの村へ移り住むとは思っていなかったモモンだが、存続の危ういカルネ村の為にも断る理由は無い。

 

「……そ、そうか。別にいいけど」

「やったっ。ありがとう。じゃあ、この後の集会次第かもしれないけど、行けそうなら明日朝に、バレアレさんの店まで行きますね」

 

 ブリタは、両手を胸元で合わせて喜んだ。

 その会話が丁度終わった時に、今度は(シルバー)級冒険者チーム『漆黒の剣』の一行に声を掛けられる。

 

「こんにちは、モモンさん、マーベロさん。ブリタさんも。それにしても今回、大ごとの内容みたいで、しかも王都からの知らせのようですが」

 

 リーダーのペテル・モークを皮切りに、他のメンバーも現状を受け微笑での顔で続く。

 

「こんちはー、モモンさん。綺麗で健康的なブリタさんに、超美人のマーベロさんもご機嫌麗しゅうっ! 酷い知らせだよなぁ」

「こんにちは。とにかく、御三方とも息災でなによりであるっ」

「こんにちは、ブリタさん、マーベロさん、そしてモモンさん」

 

 特に、最後で声を掛けたニニャは、特別の想いを抱き始めたモモンへ会いたかったのだ。個人的に相談したいことが、日々色々と膨らんできているのもあった。胸元だけではなくだ。

 

(ああっ、仲間達に黙っているそろそろ隠し切れそうにない秘密の事や、きっと今も酷い目に遭っている姉さんの事、そして――個人的にあなたを好ましく思っているこの気持ち……それらを早く打ち明けられたら。機会が中々ないところに竜の軍団だなんて……)

 

 それだけに今、会えた事が嬉しくて、まだまだ少女らしい少し色白で瑞々しい頬が僅かに赤く変わり、モモンに対してだけ視線も少し上目遣いになっていた。

 

(やっぱりこの英雄級の人は、他の冒険者の戦士達とは違う。さっき広場で見たミスリル級の人達よりも断然圧倒的に雰囲気があるっ)

 

 それは、才能豊かなニニャだから潜在的に分かることでもあった。

 彼女の正体に気付いているマーベロは、主への眼差しが熱い少女の様子に内心面白くない。ちょっとだけ口許が、むっとへの字になった。

 その横では「こんにちは。先日は仕事ありがと。とんでもない状況よね」と『漆黒の剣』達へと話し掛けるブリタ。それに「こ、こんにちは」と僅かに機嫌を害しているマーベロも続き、最後にモモンもペテロ達へ、この都市で聞いた事実だけを交えて答える。

 

「こんにちは、皆さん。そうですよね。俺も先程、"王都からの要請で、冒険者は組合前の広場に集まるように"と言われましたけど。宿屋の主人や周囲の冒険者の方達の、"竜300体の軍団が攻めて来てるそうだぞ"と聞いて驚いてるところで。このあと、ここで組合の方から、正確で詳しい話があるのかも」

 

 ペテル達は、『漆黒』と呼ばれるようになり始めた、驚異の冒険者モモンチームの様子に注目している。

 (ドラゴン)――それはこの時代の人間達にも伝説のモンスターと言っていい存在。

 冒険者として、生涯で一度でも倒すことが出来ればと憧れる存在ではあるが、夢と現実は異なるのだ。

 いざ敵として戦うとなれば、話が違う。成体となれば最低でも難度で80程にもなる。更に耐久性や体力、各種能力を加えた総合力を考えれば、実際の強さはもっと上だろう。

 普通に考えれば、そんな怪物を相手に倒す事まで出来るのは、冒険者チームでもミスリル級以上の力がないと難しいように思われる。

 つまり、エ・ランテルでも5チームしか本当の意味で戦えないのではと。

 だが『漆黒の剣』達は、6チーム目は確実に存在していると考えている。

 今はまだ(カッパー)級であるが、ペテル達はあの人食い大鬼(オーガ)を容易く一閃で両断したモモンの放ったグレートソードの斬撃を忘れるはずもない。

 

 彼のあの一撃は、間違いなく(ドラゴン)にも通じるはずだと。

 

 

 

 

 冒険者組合前の広場は、集会の開催時刻の午後3時となった。

 その少し前に組合の建物脇から、小さめで白色の舞台が広場の一角に出され、ちょっとした前準備が行われていた。

 今、その舞台へと、がっしりした40代前半の灰色の髪と口髭の有る一人の男が登場する。

 エ・ランテルの冒険者組合長のプルトン・アインザックである。彼自身も元オリハルコン級冒険者だ。

 彼は集まった冒険者達を見回すと張った声で多くへ聞こえる様に話し始める。

 

「組合長のアインザックだ。エ・ランテルの冒険者の諸君、良く集まってくれた。今日は君達に冒険者組合員として、リ・エスティーゼ王国の民として、そして――エ・ランテルの市民を守る者達として話をさせてもらう。今、我々の住むこの都市も含めて、王国には未曽有の危機が押し寄せてきている」

 

 アインザックは、組織の長であり、またエ・ランテルを守る一人として、冒険者達の良心と人の持つ精神に訴えようとしていた。

 

「一部ですでに話が流れているが、東北部の大都市エ・アセナル近郊へ竜の大軍団が現れた。その数は300と聞いている。これは……厳しい数字である。しかし、我々には守るべきものがある。家族であったり友人であったり財産であったりだ。それは他の誰が守ってくれる訳でもない――我々自身で守るしかないのだ。この場を失えばすべてを失うと知って欲しい。家族や友人はここに住んでいて、そして関係を築いてきたのだと」

 

 組合長アインザックの言葉に、皆が静かに耳を傾けている。多くの者が分かっているのだ。竜300体である。もし多くが逃げ出し、戦線が崩壊すれば国が滅び全てを失うと。

 

 だから静かに待っているのだ。魂を奮い立たせる、漢達の声を――。

 

「それらを守り通すために竜の軍団を倒す為に、我々は王都へ遠征隊を送り出す。これは、他の大都市からも集まって来る。そして、もちろん――私自身も出る。そこの足元に居る、旧友のラケシルもだ」

 

 アインザックは、白い舞台の脇に立つ痩せた細身の男を態々ゆっくりと指差した。

 苦笑うラケシル――テオ・ラケシルは、エ・ランテルの魔術師組合長である。

 アインザックが引退して5年は経っている。だがそれまでは、エ・ランテルで唯一のオリハルコン級冒険者チームを率いてきた男だ。ラケシルもそのメンバーの一人。

 それらが指揮官として現役に復帰すると言うのである。

 

『おおおーーーーーっ!』

 

 広場の男達は、彼らの男気と漢粋(おとこいき)に各所から声が上がった。

 

「なお、今回王都遠征に出てもらうのは(シルバー)級以上の冒険者チームの諸君だ。敵は強敵の(ドラゴン)。悪いが、後ろを守っている暇はない。精鋭に絞らせてもらう。そして遠征する諸君達も、自分のチームが最主力の存在だと思って奮闘してもらいたい。今回は、全員が高い気概なくして勝利は掴めないだろう。都市での仕事は、残る(アイアン)と銅《カッパー》級の諸君で協力し合ってお願いする。なお、今回は王国より(ドラゴン)1体に対して金貨300枚の報奨金が出る。指揮官の竜に対しては倍額かそれ以上となる」

 

『『『『おおぉーーーーーーーーーーっ!』』』』

 

 やはり、現金なものである。1体倒せば当分遊んで暮らせる額が提示されると、広場は大きく盛り上がった。

 

「甘くはないが、色々と好機でもある。皆を守る気概と共に奮闘して是非栄光も掴んで欲しいっ。出発は明後日の早朝である。皆で頑張ろうっ。やるぞーーっ!」

 

『『『おぉーーーーーーーーーーっ!』』』

 

 アインザックの大きな掛け声で、最後に大きく広場内の士気の上がって集会は終わった。

 (シルバー)級以上の冒険者チームは100チーム程で約490名。

 すでにこの都市が王国にある以上、行くも残るも全員がオンステージの状態なのだ。

 やるしかない――冒険者達の眼光には力が漲っていた。

 

 

 

 結局、未だ銅《カッパー》級冒険者チーム『漆黒』のモモンとマーベロは、エ・ランテルへと残ることになった。

 明日の冒険者の仕事である、バレアレ家の引っ越しは予定通り行えそうだ。

 先日、モモンが予想したほぼ同じ形である。都市も空にする訳には行かず、足手纏い気味の者らは送ってもしょうがない点から常識的に考えた範疇での結果だろう。この後、モモンらへ行動制限が付くかどうかは、王都遠征が始まってからという感じか。

 そして、(シルバー)級冒険者チームの『漆黒の剣』のペテル達は、広場から多くの冒険者チームが去り、別れ際の頃合いにはもう複雑に変わった表情をしていた。

 冷静になればなるほど直面する壁が大きく感じるはずだ。彼らの水準では、まず(ドラゴン)に傷を負わす事も出来ないだろうから、精々囮役ぐらいにしか成れないはずだ。

 しかし、全力で戦うしか道はない――。

 

 この現実は、無情で非常に厳しい。

 

 傍に佇む残る側のブリタも、下を向いていた。

 ペテルが『漆黒の剣』を代表して、苦笑しながら話し掛けてくる。

 

「あの……少し早いですが、この後、皆でまた一緒に夕食でもどうですか?」

 

 一同を見ると、ルクルットやダイン、ニニャも同様に苦笑いだ。

 モモンは営業マンとして当然その案も頭にはあった。しかし、普通の壮行会のノリでは声が掛けられなかった。何といっても――『死別』かもしれないのだ。

 非常に異色の雰囲気があった。

 こんなことは、自然環境の酷いリアル世界でも、流石に戦場では無かったため、経験が無かった。

 

「――そうですね」

「私もいいけど」

 

 モモンとブリタが同意し、モモン達は移動し始める。またあの思い出のお店を目指して。

 

 ただ雰囲気的にその料理や酒は、別れの予感の濃い味がしそうな気がしている……。

 

 

 

 

 

 

 

 バハルス帝国――アゼルリシア山脈を挟みリ・エスティーゼ王国の東側に隣接する、帝都アーウィンタールを中心に絶対君主制の帝政を敷く一大人類国家である。総人口は王国よりも僅かに少ない850万人程度。

 そのバハルス帝国情報局は、リ・エスティーゼ王国の王城で王国戦士長ガゼフ・ストロノーフより会議にて報告された、スレイン法国特殊部隊撃退とそれを成した謎の旅の魔法詠唱者一行についての情報を、内通している大貴族経由ですでに掴んでおり、それを確認するために先日より越境させている情報局工作兵達が、近年王国内へ潜りこませ定期的にエ・ランテル近隣を回らせていた商人の民間工作員へ接触し、得た情報を持って帰還してきた。

 この日の夕暮れが迫る頃、帝国が誇る大陸に僅か4人しか存在しないという、第六位階魔法の使い手、「逸脱者」の一人にして主席宮廷魔法使い及び魔法省最高責任者であるフールーダ・パラダインは、長年の熱心な魔法研究の跡が見える感じの、机回りと床が高位魔法に関する専門書に埋め尽くされている自室内のソファーで丁度寛いでいた。

 その彼の風貌は二百年以上の齢を物語り、雪のように白く長い髪と髭に、魔法使いらしく首へ水晶球のネックレスと純白のローブを羽織っている。しかし足取りは確かで、杖に頼ってはいない。

 そんな彼は、下から上がってきた西方隣国の例のカルネ村に関する一つの報告について、部屋を訪れた高弟から聞き、若者の如く立ち上がりつつ手元に握っていたカップを落とす。本来拾うのは彼にとって造作もない事だが、それどころではなかった。

 床で砕け散る乾いた音と波紋のように広がる液体。その様子と告げられた事象は、人生の無情と驚愕が込められている様であった。

 

 

 

「ほ、本当なのかっ――――ただの村の娘が、あ、あの死の騎士(デス・ナイト)を使役しているというのはっ!」

 

 

 

 フールーダの声は、歳の割に若い声の為、より素っ頓狂な形で響いていた。

 信じられないと――死の騎士(デス・ナイト)の使役は、「逸脱者」と呼ばれるフールーダが長年課題としている高位魔法へと繋がる『渇望』であった。現に、現在も帝都の魔法研究施設の地下深くへ秘密裏に頑強に出来た鎖でデス・ナイトを拘束し続けており研究中なのだ。先日も使役魔法に失敗したところであり、行き詰ってもいたのである。高弟も共にその様子を見て知っているため、慌てて知らせに来ていた。

 帝国の大魔法使いは、羊皮紙の報告書を高弟から奪い取ると、急いで自身の目を通し記載されている怪物の風貌から確かにデス・ナイトだと読み取り、暫く口を開いたまま僅かに震え固まっていた。

 

(うぉぉぉーーっ、何という事だっ。一介の村娘でも使える魔法が有るとでもいうのかっ。それとも村娘が凄いのかっ。いやっ! これは、謎の魔法詠唱者アインズ・ウール・ゴウンなる人物の仕業ではないのかっ?! ――知りたいっ。私は、その全ての真実と方法を知りたいぞっ!)

 

 もはや老人の目は、獲物を逃さない欲情した若き狼の如くただギラギラとしていた。

 

 

 

 帝国が、揺れ動き始める――。

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 知りたいっ。スベテガッ

 

 

 同時刻、見事に美しい茜色に染まる夕日の中、白きGを肩に乗せ木の小枝を振り回すネムと手を繋ぎ、死の騎士(デス・ナイト)とゴブリン軍団の一人のカイジャリを従えて、畑から村内の()()()()へほのぼのと帰る途中のエンリは、急に全身がゾワリとした。

 

「いやん。なによこれ……風邪でも引いたのかしら」

 

 うら若い村娘の身にジジイの影が迫ろうとしていた……。

 

 

 

 

 

――P.S. 国王謁見の間を後に

 

 

 国王ランポッサⅢ世と謁見し、直接報告した『蒼の薔薇』達には魁となった働きもあり、合計金貨2500枚の報奨金が与えられることになった。

 そうして帰還報告の儀が終了し、国王は退室し王族達も下がってゆく。

 『蒼の薔薇』達も大任を終え、黙して退出していく。戦場では身を清める事や睡眠もままならない。今日ぐらいはゆっくり休ませるべきだろう。

 戦いを良く知るガゼフは、本日の勇者である彼女達を静かに称え黙って見送る。

 仮面のゴウン氏もただ黙して横に居た。

 そうして、間もなくガゼフとゴウン氏も謁見の間を後にする。

 王国戦士長は、『蒼の薔薇』のリーダー、ラキュースの報告の間、横に立つ御仁の様子を実は窺っていたのだ。

 先の『朱の雫』のリーダー、ルイセンベルグの報告からおおよその惨事は分かっていたから。

 彼は、このゴウン氏という人物の少しでも驚くところが見たかったのかもしれない。

 

 ――しかし。

 

 都市の惨状の話にも、竜王(ドラゴンロード)の圧倒的で驚異度が凄まじい攻撃の話にも、特に反応が無かったのだ。

 

(こ、これは……どういうことだろうか。いや、やはりさすがの彼も、絶句しているのだろう)

 

 ゴウン氏は、いつものように仮面を被っているため、身体が動かなければその反応は皆無となる。

 だが先程の竜王の話は、先日『竜300体もの軍団の戦力をどう思うか』と尋ねた時の、通常の竜や竜軍団とも一線を画す想像以上の強さだったはず。

 目撃者から直に聞き、それが彼も居るこの王国へと襲って来て、迫っている現実。

 『恐れを抱いていない』――常識的に考えて、それは無いだろう。

 

(――ん? 常識的……? まさか……)

 

 ガゼフは、ヒヤッとし、一つごくりと唾を飲む。

 この城内の廊下を共に歩く御仁が、常識の範疇に入っていれば、あの村で配下と自分は死んでいたのではという事を思い出す。

 王国戦士長は、共に廊下を歩きながら改めて尋ねた。

 

「ゴウン殿、先程の話の竜王と戦うかもしれない事について、どう思われた?」

 

 すると、仮面の彼は前を向いたまま静かにこう答えた。

 

「――戦いは、やってみなければ分からないものですから」

 

 その言葉は謙虚。だが、彼の答えには、やはり怯えや迷いは全く無かった。まるでこれから気軽に遊びでクジでも引くような雰囲気である。

 ガゼフは、そのまま歩きつつも目を見開く。

 

(ゴウン殿……貴方という御仁は、伝説の魔神をも遥かに上回るという竜王すら怖くないというのか――)

 

 夜の帳が降りた王城の中は、『蒼の薔薇』の報告で僅かだが希望が見え、残った理性に落ち着きを取り戻した部分が有りながらもざわつきは収まらない。

 そんな中、王国戦士長は経験者として思い始めていた。

 

 

 

 まさかだが、この御仁が動いた時、魔神を超える強大さを持つだろう竜王率いる竜の大軍団すら、以前と同じ感じで本当にあっさりと―――また、消えていなくなるのではと。

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 漆黒聖典の上司の神官長室を出ると

 

 

「竜退治、まあ精々頑張ってきてね」

 

 『隊長』は神官長室を出て直ぐの、閉めた扉の左側から声を掛けられる。

 足元に得物の十字槍にも似た戦鎌(ウォーサイズ)を転がし、静かに壁へもたれ手に正方形状の玩具を弄っている一人の少女。彼女の風貌は風変りで、長めの髪と瞳の色が左右で違うという。髪の片側が白銀、もう片方は漆黒だ。

 

「盗み聞きは、よくありませんよ? "番外席次"の"絶死絶命"さん」

 

 『隊長』は『番外席次』へそう驚いた様子も無く伝えた。

 人類に残された最後の切り札が――彼女である。

 

「貴方達が失敗した時は私が戦ってあげるから安心して。その時は、是非雄の竜王だと楽しみが多いかもね」

 

 『番外席次』の彼女は、結婚するなら顔も種族もどうでもいいから自分より強くないとと、常日頃から言っている。

 『隊長』は、それを逆の意に捉えていた。

 

「(貴方に勝てる存在はいないと思いますよ。結婚する気が元からないんだろうなぁ)……」

「ん、何か言った?」

「いえ、別に。でもカイレ様もいますから――多分勝ちますよ」

 

 カイレの装備する秘宝は非常に強力である。最初に竜王へ使えば、あとは勝手に戦いが終わるかも知れないという代物なのだ。

 

「なーんだ、カイレ様も一緒か。それは残念。もう、つまらないわねー」

 

 『番外席次』の彼女もカイレの装備の凄さを知っているので、本気で自分の出番は無さそうだという表情である。

 

「期待外れで申し訳ないですね」

 

 そんな彼の言葉を聞き流し、彼女は『隊長』らの竜軍団討伐には、もう興味が無くなった風に、左手に玩具を持って、右足で足元の戦鎌(ウォーサイズ)を軽く蹴り上げ、右手でそれを掴むと『隊長』へと背を向ける。

 だが、ふと何かへ気付いたように振り向いた。

 

「そういえば、なんか高位の凄い魔法詠唱者一行が、神都に襲って来るって話はどうなったの?」

「その方達は、こちらに興味が無いようで、今は王国の王都へ行っているみたいです」

 

 それを聞いた『番外席次』は、ニヤリとして告げる。

 

「じゃあ、せめてお土産に竜王の強さと、その――すごい魔法詠唱者の話でも仕入れてきてよね」

 

 そう言って返事は聞かず、彼女は背を向けて去って行った。

 『番外席次』のその姿は、『隊長』が初めて会った数年前から全く変化がない。

 彼女も『神人』であり、法国の五柱の秘宝を守っているため、『番外席次』は長年ずっと外へ出ることが殆ど出来ない秘匿された存在である。

 

「遊びに行く訳じゃないんですけどね。まぁ、あの人は暇を持て余してるから……」

 

 『隊長』は自分の仕事に戻るべく、彼女とは反対方向の通路へと歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 酒場で

 

 

 『その料理や酒は、別れの予感の濃い味がしそうな気がしている』

 

 そのモモンの予想が、全くの見当違いに変わるとは……。

 

 あの後、冒険者チーム『漆黒の剣』のメンバーとブリタと共に、モモンとマーベロ達は盗賊団討伐の打ち上げといえる食事会を楽しんだあの同じお店に入った。

 そこで『漆黒の剣』一行の、竜退治に向かう王都遠征への『壮行会』的意味での食事の席となったが、またモモンが「この場は自分が奢ろう」という太っ腹な話になって、皆は食い放題、飲み放題で盛り上がっていた。

 モモンの向かい側のブリタは、それなりに食べて飲んでしているが、主役ではないのでやや控えめだ。

 左横のマーベロは、酔った振りをしつつ可愛く静かに、モモンへ寄り添ってニッコニッコしている。

 右斜め前へ座る、主役のペテルやルクルットにしてみれば、まだ若い身で後戻りの出来ない戦いへ赴く事にどこかやり切れないヤケクソ気味の部分もあるのかもしれない。二人は飲んで出来上がってからは「クソ、クソ、クソ、クソ」や「ちきしょーっ、イイ女と結婚したかったぜー! マーベロちゃんがもうちょっと大きくなってたら、今すぐ結婚してたーっ」と、大声で叫んでいる。

 一方、左斜め前へ座るダインは悟りを開いたかのように、黙々と凄い量を食べて飲んでとしていた。

 そして――ニニャはモモンの右側横に座っていた。

 酔っているのか、頭を時々左右に振りつつも、先程からずっとモモンを見ている。

 その彼の姿を、まさに目と記憶へ焼き付けるかの様に。

 

(モモンさん、モモンさん、モモンさん、モモンさん――)

 

 これが、最後かもしれないとの思いが大きいと言わざるを得ない。将来的に才能が有ろうとも、ニニャの現状は一人の第二位階魔法詠唱者に過ぎないのだ。

 竜の舞う厳しく過酷すぎる今回の戦場では、生き残れるとは思えない。

 それは、モモンも考えていた。

 デミウルゴスの報告からすれば、Lv.89の竜王だけでも王国の戦力では善戦すらも難しく壊滅するだろうと。

 ふと、確かマーレが第五階層にペットとして置いている(ドラゴン)がLv.90近かったと思い出す。ぶくぶく茶釜さんの課金アイテムでの当たりレアモンスターだったと。そして、それは2体いたはずだ。

 ちなみにアウラもLv.55のドラゴン・キンを数体、闘技場の片付け役で飼っている。

 酒の席でモモンは、これだけで竜軍団といい勝負になりそうかなと場違いの事象を考えていた。

 とにかく、モモンはニニャに会えるのはこれで最後かもしれないと考え、一度ぐらいはと、きちんと聞いてみる事にする。

 

「ニニャ、君はお姉さんが居ると聞いたけど……やっぱり顔は似ているのかな?」

 

 すると、彼女は酔った中でも、モモンが自分に関心を持ってくれたのが嬉しくて笑顔で答える。

 

「えっとですね……似ていると言われたことは、何度か有りますよ。……8年程前のまだ小さい時でしたけど」

「そうか……(そんなに前だと、余り参考にならないかな)……今は分からないよね」

 

 だが、ここでニニャは、驚くべき事項を口に出した。

 

「そうですね……それに私の茶髪と違い、姉は――綺麗な金髪でしたから」

「んん……? き、金髪……(ツアレと同じ、金髪だとぉぉーーー?!)」

 

 モモンは、面頬付き兜(クローズド・ヘルム)の中で、瞼のない赤き目のはずだが、何度か点滅するほど衝撃を受けた。

 そしてニニャへと、落ち着いて控えめに確認する。

 

「えっと……ちなみに、お姉さんの名前は?」

 

 すると、ニニャは酔っていたし、最後かもしれないと素直に姉の本当の名を告げた。

 

 

 

「―――ツアレニーニャ……ですけど?」

 

 

 

「ツ、ツアレ……ニーニャ……ね。ふぅん(うあぁぁぁーーーっ、もう、絶対ツアレだよっ、間違いないっっ!!)」

 

 モモンは、兜の頭を左側へゆっくりと向けてニニャから視線を外した。

 何故か、ルベドのニヤニヤした笑顔が思考内へ激しくオーバーラップしつつ。

 

 この瞬間、エ・ランテルのンフィーレアに護衛として付けていたLv.88の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)について、明日からの護衛対象が自動的に決定する。

 

 結果、他の『漆黒の剣』メンバーらもついでに恩恵を受けることになった―――。

 

 

 




捏造)クアイエッセと『占星千里』の口調
まあ、とりあえず……の感じで。


捏造)エ・ランテルのミスリル級冒険者チーム数
書籍版3-302で『招集に応えてくれた』のがモモン達を合わせて4チームだったので、5つぐらいのチームは存在しそうかなと。



資料)プロットから(左端が開始からの日数)
17 王城行きでカルネ村出立。モモンと漆黒の剣と出会う 『巨盾万壁』ら出発 法国、カルネ村への調査も開始。
18 モモン夜に漆黒聖典と遭遇 帝国-アインズ情報入手
19 盗賊団の根城から帰還。漆黒の剣とブリタと宴会
20 再びナザリックより出発。ツアレ エ・リットルに宿泊。
21 王城到着 晩餐会
22 竜王襲撃 会議 蒼の薔薇エ・アセナルへ モモンエ・ランテルへ 八本指共闘
23 蒼の薔薇反撃 ナザ戦略会議 正午から集会&宴会 ドルビオラ評議会へ 法国-竜情報入手
24 蒼の薔薇反撃2 朱の雫王都へ。蒼の薔薇も モモンの仕事を片付けてお茶 漆黒聖典出撃
25 エ・ランテルへ通報来る。冒険者集会。ニニャ、ブリタ ジジイ-デスナイト
26 ンフィーカルネ村へ ドルビオラ帰還

基本、こんな感じで、時々加筆修正しつつ書いてます(汗


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STAGE28. 支配者失望する/誤算×誤算 ソシテ咆哮(2)

 

「……何という事だ。これは法国として憂慮すべき非常事態である!」

 

 白き石造りの巨大で荘厳な、スレイン法国神都の中央大神殿内で再び響く声。

 緊張した表情を浮かべる最高神官長は、先日とよく似た文句を自室で立ち尽くし叫んでいた。

 それは、漆黒聖典の上司である神官長より伝えられた、寝耳に水という脅威であった。

 報告された内容は、エ・ランテルの秘密支部を7日程前に出た情報。報告に出た騎兵は裏道を進んだ際、不運にもアクシデントで馬ごと倒れてしまうも、なんとか自力で伝えてきたため大幅に遅れて届いたものだ。

 内容はつまり……。

 

「エ・ランテル南部の山岳北側の森林近くで"巨盾万壁"らが――難度200を超える吸血鬼に出会っていただと?! 法国のすぐ近くに人外の大きい脅威が……この半月で一体何が起こっているのだっ」

 

 謎の高位魔法詠唱者に竜王といい、この立て続けでの人類を揺さぶるような存在達が登場する状況に、さすがの最高神官長も震える。

 また今は、謎の魔法詠唱者の脅威が近隣からとりあえず去ったと思い、一昨日に漆黒聖典の全員を煉獄の竜王の率いる竜軍団討伐へ出撃させたところである。

 ただ、常の守りとして『番外席次』を残していたのが救いだ。あの者さえいれば何とかなる。

 幸い報告された吸血鬼は1体のみ。十分対応可能といえる。

 

「神都内の警戒状況は万全であるな?」

「はい。現在、人員を平時の3倍へ増員し、24時間体制にしています。吸血鬼が確認され次第、"番外席次"を討伐に当たらせます。しかし……昨今、そのような吸血鬼の存在は聞いたことがありませんな」

「うむ。この地で新しく生まれし存在という線もあるが、もしかすると例の()()()である旅の魔法詠唱者は、これを大陸東方より追って来たのやもしれん」

「おぉ、なるほど……それなら、話が繋がりますな」

 

 水の神官長は、未来に光射す話で僅かに口許が笑む。

 最高神官長も内心、そうあって欲しいという願望が膨らむ。いやきっとそうなのだと。

 

「とにかく今は、気を緩めず事に当たろう」

「はい」

 

 二人の思考では、『その恐るべき吸血鬼が、実は例のゴウンを名乗る仁徳者である魔法詠唱者の配下』という最悪のシナリオへは到達出来なかった……。

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓の第九階層、玉座の間。

 壇上の威厳ある玉座へと静かに目を向け、アインズの着席する凛々しい雄姿を熱く妄想しつつ、アルベドはふと思い出す。先日、その至高の御方よりお願いされていた調査があった事を。

 一度問題ないとの報告を受けていたが、その続きや最終的な結果の報告をまだ聞いていなかったのだ。

 彼女は一旦、玉座の間より出て怪人の使用人を見つけると、すぐにセバスを玉座の間へと呼び寄せ尋ねる。

 

「セバス、例の馬車追跡の件、その後どうなっています?」

「はっ、その報告はまだ上がってきておりません。責任者へ直接聞かれては」

 

 守護者統括の彼女は「……そうね。セバスはもういいから、代わりに"あの者"をここへ」と、責任者を呼び出した。

 

 イワトビペンギンの姿に黒ネクタイのみを締めたエクレア・エクレール・エイクレアーが怪人の使用人に担がれ、統合管制室責任者としてこの場へと現れる。

 アルベドは、内心で「設定とはいえ、この反逆志望者め」と本気で思いながらも、目の前の者はアインズに重用されている事から無表情で尋ねる。

 

「エクレア。頼んでおいた、スレイン法国の馬車追跡調査はどうなっているのですか?」

「ああ、それですか」

 

 なんとも呑気といえる回答だ。絶対的支配者であられるアインズ様による至高の依頼なのだ。完了するまでは死ぬ気で取り組むべき事項である。

 返答次第では、怠慢により懲罰を御方へ進言しようとすら考えているアルベドであった。

 だが対するエクレアは、どこ吹く風という感じで続けて答える。

 

「現在も一応まだ鋭意追跡中でありますが。目標の馬車は馬を変えて走り続けておりますので」

 

 その結果はまだ出ていないという報告であった。これでは、流石に糾弾するほどの材料にはならない。

 

「……そう。分かりました、お下がりなさい」

 

 アルベドの中では不穏分子筆頭のエクレアであるが、曲がりなりにも至高の41人の餡ころもっちもちにより作成されたNPC。それ故、正当である理由なくして排除は出来ない。その気になればシモベ達へ上位命令も出せて危険な者であっても。

 とはいえ、追跡監視責任者はここで、例の馬車の一行が竜王に遭遇して竜軍団を追跡し、大都市エ・アセナルの傍まで行き、何故かリ・ボウロロールの建物へ寄ってその庭に伝文が大きく書かれた板が敷かれた事や、その馬車が再び東へ引き返し始めた一連の事実を守護者統括へ伝えても良かった気がする……。

 エクレアが玉座の間を怪人の使用人に担がれて退出すると、アルベドは神へ祈るように胸の前で手を組み、玉座へ向かい溢れ出る想いを投げ掛けるように告げる。

 

「あぁ、アインズ様。このナザリックは今日も、わたくしが妻として守っておりますからご安心をっ」

 

 

 

 

 

 大都市エ・ランテルで、竜軍団進攻に対する冒険者の決起的集会があった翌日昼頃。

 上火月(かみひつき)(七月)の中旬に入り毎日が暑くなり始めた季節の、今日は雲が多くも時折薄日の差す空の下。

 木立が所々有り、深い雑草の茂る平原に一本伸びた細めの道を今、馬二頭立てでカルネ村に向かう荷台へ一杯荷物の積まれた一台の馬車があった。

 その御者席には、若き優秀な薬師のンフィーレア・バレアレと(アイアン)級冒険者のブリタが座っている。

 

「雨じゃなくて良かったわ」

「そうですね。草が多いこの道でも、場所によっては雨だと泥に車輪を取られちゃうので」

 

 時折そんな、たわいも無い話をする二人。

 そして、上空を〈飛行(フライ)〉で飛ぶマーベロと、彼女に引かれる形の〈浮遊板(フローティング・ボード)〉へ漆黒の全身鎧(フルプレート)を着たモモンが乗っていた。

 あと、不可視化しているがパンドラズ・アクターも〈飛行(フライ)〉で、僅か後方に追随している。彼は造物主からの用事の後、すぐ合流していた。

 だが一行の数は、当初の予定よりも1名と1体少ない。

 

 

 

 この日、大都市エ・ランテルを出発する予定の朝8時半前に、モモンとマーベロが第二城壁内に建つ『バレアレ薬品店』を内包する中流家庭規模で建つバレアレ家の前まで行くと、二つほど予定変更が起こっていた。

 一つ目はその場で知ったが、ンフィーレアの祖母、リィジー・バレアレが後方支援系生産者として、このエ・ランテルへ残ると言うのである。

 

「今はとんでもない非常時だからね、そう思うようにはいかないのが人生さね」

 

 彼女は、まさに経験が皺へと刻まれた貫録の有る表情で不敵にニヤリと笑っていた。

 モモンも王国の国家総動員的な非常事態を受けて、こういった状況もある程度想定しており、目的の人物であるンフィーレアがカルネ村へ来るのであれば異存はない。

 リィジーは既に、昨日の夕方中にエ・ランテル魔術師組合長のラケシルへ「生産拠点を増やす」という名目で話を通しており、ンフィーレアの移住を認める書簡まで貰ってきていた。

 (カッパー)級のモモン達も一応、朝一で組合に、今日の日帰りで都市外への仕事が可能かを確認してからここへと来ている。とりあえず、この数日中なら問題ないという回答であった。

 ブリタも、(アイアン)級だが現在偶然に単身の為、当面村への滞在を条件で移住は黙認される話になったと聞いた。

 こういった確認を取っておくことは、一人前の社会人としても、命掛けの仕事で信用が重要な組合に所属する者としても当然である。

 門で止められてゴタゴタするなど、目先の利かない手際が悪い奴がする事なのだ。

 今回の竜軍団遠征に関しては、逃げ出せば各都市のギルドへ通達され、少なくとも王国内で冒険者活動が二度と出来なくなる重たい罰則も組合では用意されている。さらにそれ以外も状況次第では、罰金に懲罰も辞さないという。

 どうやら冒険者他、各組合へ都市上層部からの大きい圧力があるらしい。

 二つ目の変更は、ンフィーレアに付けていたカルネ村警護の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)1体をニニャへ付け替える事である。

 過剰気味の戦力投入であるが、ルベドに関する世界平和への恩恵に対し(ささ)やかな代償。疎かには出来ない。

 モモンらがこの場へ着くと同時に、ニニャの顔を知るパンドラズ・アクターが八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)を『漆黒の剣』一行の宿屋へと連れて行った。

 そんな状況であったが、時間通りの出発である。

 

「モモンさん達、孫をよろしくお願いします」

「ええ、任せてください」

 

 リィジーは、モモンとマーベロらへ向かい頭を一つ下げる。

 先日のカルネ村への護衛や盗賊団討伐の話は聞いていたが、初めて会う冒険者であった。一流と言われる人生を歩んできた彼女は――一目見て、モモンとマーベロの自然体で落ち着いた雰囲気に二人が只者ではない事を感じ取っていた。人食い大鬼(オーガ)を一撃で二つになで斬ったと聞く、2本のグレートソードの長尺さと重量感に目を大きく見開きながら。

 

「じゃあ、おばあちゃん、行くよ」

 

 声を掛けられた祖母は表情を戻すと、御者席へ座る大切で可愛い孫を笑顔で送り出す。

 

「ンフィーレア、しっかりおやり」

 

 よく考えれば、男の子の人生の旅立ちという状況である。だが、リィジーは心配していない。ここ数年で孫は、大人として大抵のことが一通り自分で出来るようになっていた。それは家事についてもだ。

 

「偶には手紙ぐらい寄越すんだよ」

「うん、手紙書くから」

 

 祖母の言葉に頷くと、ンフィーレアは手綱を操り荷馬車を進める。馬車は進み、間もなく通りを左折する

 ンフィーレアにはその際、リィジーの姿がいつもより心なしか少し小さく見えた。

 

 

 

 『漆黒』のモモンらを護衛に付けたンフィーレアとブリタの引越一行は、門の通過から今のところ何も問題なく順調に進んで昼時を迎えている。

 

 ブリタの荷物は大きめの鞄2つ程。冒険者は基本、普段から身軽である為、装備一式と着替え程度の荷物だ。

 彼女はカルネ村へ移っても鍛錬を続け、戦士スタイルの生活を変える気はない。

 狩猟や、村人の森への護衛の他、体力には自信があるので、手伝いの傍らで農業も身に付けれればと考えている。

 それは慎ましくも、自分の力で切り開く生活である。

 

(モモンさんから見られても、恥ずかしくない生き方をしなくちゃ)

 

 笑顔のブリタはさり気なく景色を見る風に、後方のモモンへと目を向けていた。

 戦士としての誇りは守っていきたいのだ。想いを寄せる漆黒の戦士の隣へいつも堂々と立てるように――。

 

 少しずつ目的地へと近付くンフィーレアは、楽しくもあり悲しくもある。

 大好きな明るいエンリの隣に住めるという、村での新しい生活。しかし、同時に彼女は他の男の女という状況からのスタート……。

 果たしてあの偉大である魔法詠唱者から、奪われたエンリの心と身体を取り戻せるのか。

 でも、自分の足で踏み込まなければ、現状を何も変える事など出来ないのだ。

 それは、『自分の力で手に入れることに価値が有るのではないのか』と、あの人の言った通りだと。

 

(エンリ、僕は五十年掛っても絶対に諦めないからねっ。とにかく活躍してまず、エンリからお祝いのほっぺにチューが目標だっ。……でもエンリが子供を生んでくれるうちに何とか結婚したいなぁ。うーん、せめて子供だけでも先になんとか……)

 

 若き少年は、荷馬車の手綱を握りつつ、ささやかな想いの裏に、結構先走った願望満載で生々しいことを考えていた――。

 

 マーベロことマーレは、上空からンフィーレアを八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)の代わりに見守りつつ笑顔で泰然としている。〈飛行〉程度であれば、自動回復するMPの方が圧倒的なので高速飛行でも無限に飛べる程だ。

 彼女は、モモンガ様と共に有る事が大きな喜びである。

 

(モモンガ様と今日もご一緒だ~っ)

 

 今はまさに十分幸せと言える。

 姉のアウラには時々「代わりなさいよ」と言われ、アルベドからは偶に威嚇的で獰猛な目を向けられ、シャルティアに時折弄られていても、この冒険者パートナーの立ち位置を譲る気は無い。

 その内に宿で、こっそり閨へと誘って頂けるのを、彼女は気長に熱く静かに待っている――。

 

 一方、後方に追随するパンドラズ・アクターは、最近今一つ納得していない事が有った。

 それは、造物主様御自ら設定して頂いたはずの敬礼を含めた至高のポーズ類及び台詞集が、以前から披露する度に止められ続けているのは――何故だと。

 彼は、最高といえるタイミングと形でポーズや台詞を、バッチリと披露しているはずなのだ。

 パンドラズ・アクターはじっくり考えた。

 そして彼の完璧に高い忠誠心は、一つの絶対的なる結論に到達する。

 

(――これはきっと、他の者達には高尚過ぎてすべて理解出来ないからだっ。造物主様の、それが可哀想だからという『慈悲深き御配慮』なのであろう! やむを得ません。我が主(神)の御望みとあらばっ(Wenn es meines Gottes Wille)

 

 パンドラズ・アクターは、ひとまず自己完結で納得する。

 これ以後、他者の居る場で彼は、ポーズ等について()()自重するようになったという――。

 

 

 

 そして、〈浮遊板(フローティング・ボード)〉へあぐらを掻いて座っているモモンことアインズは、昨夜からの流れを静かに振り返っていた。

 アインズは昨夜、『漆黒の剣』のメンバーやブリタ達との夕食の宴を終え、夜遅めに宿屋へ戻るとすぐ、明日向かう予定のカルネ村へ単身で移動しキョウやエンリへ、ンフィーレアの引越に関し通告に向かっている。

 旦那様の夜の訪問にエンリは内心喜ぶも、ぬか喜びに終わる。主は説明後、間もなくその足で次の場所へと行ってしまったから。

 そうして、アインズは王城へとやって来る。明日はンフィーレアの引越で、冒険者モモンとして行動する為、王城をまた不在にする事を伝え予定や現状を再確認するためだ。

 既に部屋の灯りは消され、ツアレは隣室の使用人部屋にて就寝中の時間。

 この部屋には、ツアレ以外のルベド、ユリ、ナーベラル、シズ、ソリュシャンが集まり、支配者は出迎えられていた。

 定時連絡は採用していないため、異常がなければ〈伝言(メッセージ)〉は送られてこない。今日もこれまで連絡は無かった。だが支配者は一応確認する。

 

「特に問題はなかったか?」

「はい。アインズ様がエ・ランテルへ行かれた後、今日は午後に中庭を小一時間散策しただけで、特に変わった事はございません」

 

 異常が無かった事を肯定してユリは答える。

 流石に、丸1日部屋の中というのはマズイだろうと、お茶の後に少し城内を回る事を主はナーベラルらへ指示していた。

 こういう世間体の面を考えれば、あの貰った王都内の屋敷へ移った方が、面倒は少ないかもしれない。とはいえ、王城の方が情報を得易い利点は大きく、有効に使いたい。

 ソリュシャンだけ不可視化で潜り込ませる手も有りだが、何と言っても姉妹の揃っている方が某天使様は喜ぶのである……。

 すなわち、今はこれがベストという結論だ。

 また、ナーベラルもアインズの身代わり姿で頑張っている様子。

 ユリより、今日も廊下等ですれ違った人間達からの挨拶に、アインズとして『会釈を返す』など下等動物に対して奮闘したという話を聞く。

 

「ナーベラルよ、我慢させているか」

「い、いえ。この程度の事、アインズ様の御為とあらば、造作もありません」

 

 凛々しく答える表情も美しいナーベラルだが、非常に人間を蔑んで嫌っており、本当はギリギリである。自分に関してであれば、任務と言えどもナザリックと縁のない人間になど、1ミリも頭を下げたくない。心情的には、死んでも下げたくないのだ。

 しかし、今回はアインズの代役としての名誉ある使命であり訳が違う。これは『御方の盾となって死ぬ事に匹敵する仕事』と彼女は位置付け、普段我慢出来ない所を凄まじく我慢していた。

 

(アインズ様の御ため、アインズ様の御ため、アインズ様の御ため――)

 

 念仏の様に心の中で繰り返されるこの言葉で、拒絶する精神を抑え込み、敬愛する御方の身代わりとして、まさに自らを殺し任務へ当たっている。

 これには、先日の晩餐会での失態を取り戻す意味もあった。

 アインズは、その頑張るナーベラルへ歩み寄ると――卵顔の頭を優しく撫でてやる。

 

「良く頑張っているな。明日も頼むぞ」

 

 相変わらず彼女の黒髪はキューティクルが最高なのかサラッサラである。撫でる方も気持ちが良い。

 メイド服姿のナーベラルは、敬愛する絶対的支配者からの優しいナデナデに、白い肌の頬から耳までを真っ赤へと変えて受けていた。

 

「あっ、アインズ様……はぃ……こ、この命に……代えましても」

 

 何と素晴らしい夢心地であろうか。デレデレでいつもの凛とした声が出ない程だ。

 耐えて下等生物どもに会釈した甲斐があったという思いで、気持ちは満ちる。

 周りのルベドやシズ達は、文字通り指をくわえて物欲しそうにそれを見ていた……。

 その後、アインズはソファーへ座り、二つ三つ状況を確認しつつ暫く寛いだあと、不在となる翌日の行動についてユリ達へと指示する。

 

「そうだな……お前達は昼のお茶の後にでも、馬車で王都内を探索がてら三時間ほど回ってみるのがいいか。それなら、その間はナーベラルも外の者と接触することはあるまい」

「はい。ではそのようにいたします」

「それ以外の時間は皆、部屋で大人しく過ごしていてくれ」

「「「畏まりました」」」

「……了解」

「分かった」

 

 其々からの返事を聞いて安心すると、アインズはエ・ランテルの宿へと移動した。

 

 そして、日が昇り、仕事でカルネ村へ向かって出発した午前中は何も無い平和な時間である――はずであった。

 

『アインズ様、ソリュシャンでございます。王城にて困ったことが起こりそうで、恐れながら指示をお願いしたいのですが』

 

 そう〈伝言〉で知らせてきたのは、午前11時過ぎだ。

 恐らく盗聴により何か掴んだのだろうと、アインズは続きを要求する。

 

「分かった。状況を説明しろ」

『はい。実は先程、大臣と大臣補佐の会話にて、本日このあと午後0時半から急遽――国王と大貴族達の参加する竜軍団に関しての緊急対策会議が開かれることを掴みました。どうやらアインズ様も参加メンバーに入っておられるようで……王国戦士長殿が間もなく迎えに来られます』

「えっ……(明日じゃないのかよっ)」

 

 僅かに支配者は呆然とする。

 先日からアインズも、緊急対策会議が近日開かれるとは聞いていた。例の大臣署名入りの出席依頼書にもそう記されている。

 ただ、『いつ』とは明記されておらず成り行きの様子で、重要である会議にも拘らず国状を示すように温い予定であったのだ。そして昨日の夜の段階ではまだ、自領へ向かった大貴族達全員の動向が全く確認されておらず、てっきり今日は揃わず開かれないだろうとアインズは考えていた。

 この会議には、ガゼフ・ストロノーフと共に出席すると告げてしまっている。

 

 ここは入れ替わるべきか――。

 

 アインズの頭には、まず冷静に考えた判断が浮かぶ。

 だが同時に昨晩、ナーベラルが艶っぽくも呟いた『命に代えましても』という言葉を思い出す。

 

(…………)

 

 アインズは――迷った。

 対応力を普通に考えれば、ナーベラルはどうにもヤバイ。

 特に人間へ対しては徹底的といえる見下しを信条とし、使う言葉をはじめ、名前も満足に覚えられないほどなのだ。

 しかし、アインズへの忠誠心に揺ぎなく、ここ数日は努力の跡が見える。昨夜、主人として一度頼む形で命じている。それをここで『非常に不安だ』として取り消せばナーベラルはどう思うだろうか。いや、「もはや自分は身代わりとして用済み」と、その場で命を絶ちかねない。

 

 ――NPC達は変化していく可能性がある。

 

 アインズは、一度目を閉じる様に赤き瞳の輝きを落とす。

 そして、しばし考え呟いた。

 

「………細かくは〈伝言〉で直接指示をする。ここは――ナーベラルに任せよう」

『畏まりました』

 

 さあ、午後から大博打が始まる。

 

 

 

 モモンが、昨夜からの流れを静かに振り返り終わる頃、ンフィーレア一行は馬車を背の低い草地が広がる所の道の脇へと寄せ、皆で昼食となった。

 アインズが飲食問題へ蟲を利用するようになって以来、蟲がすべて飲み込んでくれるため、元々大して味が分からない彼の食事であるが、今は内心で特に気が気では無いため全く味について記憶へ残りそうにない。また、胃も無いはずなのに、すでに胃の辺りが痛いという心境でもある。

 そもそも、まだ会議すら始まっていないのだが……。

 兎に角、アインズがソリュシャンからの連絡を受けてまずしたことは――あのカルネ村近くにてガゼフとの入れ替わり時で使ったものと同じ500円ガチャの『小さな彫刻像』を利用して、王城内にいるナーベラルの現状をリアルタイムで掴む事である。一応、ナーベラルとパンドラズ・アクターには当初よりその彫刻像を持たせていた。

 今、〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉使用中で、〈千里眼(クレアボヤンス)〉等の魔法を使うため、パンドラズ・アクターにモモン役をやってもらうことも考えたが、ひとまずアイテムを頼ることにする。

 これである程度、現地の状況確認と指示が出来る。

 

「ナーベラル、私の伝える指示に従え。それだけでよい」

『はっ、畏まりました』

 

 ナーベラルは、先日の王城での晩餐会以来の状況に、少し緊張気味で返事をしていた。

 あの時はナーベラルの人間への拒絶反応が強烈で、指示した内容の半分も実行されなかった。ただ、ソリュシャンがすぐ横に居てくれて、辛くも切り抜けることが出来ていた。

 

 しかし――今日は傍に誰もいない状況も控えている。

 

 暫くして、アインズ達の部屋へと王国戦士長が迎えにやって来た。

 ナーベラルの持つアイテムの彫刻像を経て、向こうの状況が伝わってくる。幸い仮面を被っているので、彼女の表情に気を使わなくて済むのは助かる。

 アインズは、ナーベラルへ〝ソファーから立ち上がって出迎えろ〟や、戦士長の「急に申し訳ない」に対し、"いいえと言いながら握手しろ"や、その後戦士長との10分ほどの歓談を何とかこなした。

 途中、戦士長から「……ゴウン殿、体調が優れないのか?」とツッコミが来た時は、焦りを覚えた。やはり不自然さはあるようだ。そもそもナーベラルが、アインズの指示を受けてから動くのでそのタイムラグは防ぎようがない。

 とりあえず、「実は、今朝から少し。旅の疲れで風邪を引いたのかもしれません」と体調の悪さを訴えておく。多少のぎこちなさはそれの所為にしようと考える。

 そうして、「ゴウン殿、悪いがそろそろ参ろうか」の声で、歓談は終わりアインズの部屋を二人は後にする。

 ガゼフに対して、割とスムーズな形でアインズに扮したナーベラルの対応は進んだ。

 これは、『王国戦士長には先日より至高の御方と小さくない親交がある』という立ち位置が影響を与えている。

 ユリやソリュシャンらの対応を、ナーベラルもあの場にて不可視化して見ていた。それにより、『絶対的支配者に縁の有る者』として大きい抵抗は無かったようだ。

 ガゼフに案内される形で、それなりに小奇麗な廊下を二人は進んでいく――。

 

 そこで不意に冒険者の彼(アインズ)は、傍から声を掛けられた。

 

「モモンさん、先程から食事の手が止まってますが、大丈夫ですか?」

「あ、ああっ……大丈夫ですよ」

 

 流石に同時進行する状況なら、緊迫した方へ意識が偏るのを防ぎようがない。モモンはンフィーレアへ言葉を返しつつ、王城内でナーベラルが移動し一服している今、食事を蟲の口へとかき込んだ。

 ンフィーレア達は食事を済ませると、再びカルネ村を目指して移動し始める。

 

 

 

 

 

 

(――モモンちゃん、モモンちゃん、モモンちゃーーん!)

 

 元気一杯の笑顔をしたクレマンティーヌが、前を緩く開けた紺碧色のローブを纏い、その下に漆黒聖典の最大全力装備姿でエ・ランテルへと現れたのは、モモン達がカルネ村へと出発した後、午前10時頃の事である。

 今の彼女の戦闘力は密かに、王家へ伝わる四つの宝物をフル装備した場合の王国戦士長ガゼフ・ストロノーフをも上回っている。

 クレマンティーヌはこれでも、二日で300キロを馬で走破してきており、相当早い移動を熟していた。乗って来た軍馬は1日目を140キロ、二日目は160キロ以上の距離を移動してかなりへばっている様子。

 しかし、彼女自身は愛しのモモンちゃんにもう会えるという熱い想いから、全く疲労を感じていない。同時に「これ以上邪魔する奴はぶった切るっ」という雰囲気も漂うウットリとした中に危なく欲情した表情をしている。

 彼女はエ・ランテル郊外の秘密支部で、馬を手放し要点だけ伝えると即離れた。そして、いつものように都市西方共同墓地の外側近辺で人の気配を探り、第三城壁上の衛兵からの死角が多い場所より、白昼ながら侵入に成功する。

 彼女は、フードで目立つ髪と共に綺麗な表情も隠しつつ、早速宿屋街で冒険者モモンについて聞き込む。

 すると、モモンの最近の活躍と目立つ風体から直ぐに泊まっている宿屋が分かった。

 

(モモンちゃん、モモンちゃん、モモンちゃーーんっ!)

 

 彼女は即、迷うことなく一目散でその宿屋へと突撃する。

 

「冒険者モモン――(ちゃん)はー、どこの部屋なのっ」

 

 愛情籠る綺麗で可愛い声の言葉に反し、受付に立つ宿屋の親仁(オヤジ)へと向ける眼光が、氷のように冷ややかで殺気すら帯びている。早く答えないとぶっ殺すぞと。

 宿屋の親仁は驚く。彼も元冒険者で修羅場や普段から荒くれ者達を相手にしてきているが、それゆえに凄みが普通の冒険者達と違う事に。すでにこの場で自分は二、三度殺されたのではと錯覚するほどの雰囲気だ。

 

「ざ、残念だが、モモン達は、今朝から仕事でカルネ村まで護衛の日帰り仕事に出ているぜ」

 

 引きつった顔になっている宿屋の親仁だが、なんとかそこまでを告げる。

 クレマンティーヌはそれと聞くと、非常にがっかりし眼光からも迫力が失われていく。

 

(モモンちゃん、なんで居ないのよっ、モモンちゃん! モモンちゃんと両想いのクレマンティーヌが折角こうして会いに来たんだよっ。お土産も持って来たのにー。どうしよう、どうしよう! 追い駆けようかなぁ。でもでもぉ、彼、仕事中だしぃ……う~ん、う~ん)

 

 普段は冷酷で落ち着きの有るクレマンティーヌが、可愛く純粋な乙女心で右手を口許に当てふるふると身体を可愛く揺すり動揺する。そしてモモンへ尽くす彼女は、先日の仕事に真摯だった彼の言葉を忘れていない。

 今から追い駆け、会って飛び付いても「仕事の邪魔だ」と怒られてはラブラブで温かい雰囲気が台無しである。

 

「分かったぁ……また夕方にでも来るから」

 

 彼女はそう言ってトボトボと立ち去った。

 

「な、何者だありゃぁ……」

 

 宿屋の親仁と受付傍にいた冒険者達も含めて、全員が金縛りの解けたように「ふー」と大きくため息を吐いた。

 暇になったクレマンティーヌ。予定より1日早くエ・ランテルへ着いており、あと2日程も自由な時間が有った。少なくとも一晩は熱い夜を過ごせると必死で行動した結果だ。

 以前なら、暇が有れば冒険者達をスラムの路地裏や墓地の傍等、人気の無い所へ女らしい身体を見せつける様に誘ったり怒らせたりして(おび)き出し、陰湿にぶっ殺して楽しんだ後でプレート集めをしていたのだが、モモンと出会ってからそれはもう下らないコトに成り下がっていた。そんな時間があれば、モモンとの膝枕などの思い出を回想したり、イチャイチャする将来を妄想する方が楽しくなっていた。

 彼女は仕方ないと、取り敢えず――また都市西側にある共同墓地の一角へと足を向ける。

 そこには白い石造りの霊廟とおぼしき建物があった。

 その建物の周囲の陰には、黒色のローブを身に纏った魔法詠唱者らしき者らが幾人も、周囲を見張り備えるように控えている。

 彼等は、数年前よりこの墓地を守る守衛達から気付かれずに存在していた。

 そんな妖しいローブを羽織る者達らにすら悟られる事も無く、クレマンティーヌの装備である音のしない高位の甲冑特性も生かし彼女は無音で霊廟の中へ入り、床石に隠された階段を降りて地下へと向かう。

 そして底まで降りてから、途中二人ほど黒いローブを羽織る者らを軽く手刀で昏睡させつつ天井が低い通路を少し潜ると、広めである薄暗い地下空間へと出た。

 

「ちわー、カジッちゃん」

 

 クレマンティーヌは、そこで馴れ馴れしく声を掛ける。

 地下空間ながら明かりが多く灯る奥の、魔法陣のある広めの場所へ一人佇む40歳程の男へと。

 痩せた風で髪も無く少し老けて見える彼は、赤黒いローブを羽織り、小動物の頭蓋骨が並ぶネックレスを首に下げ、黒い杖を持ちつつゆっくりと振り向く。

 

「毎回、その呼び方は止めろ。威厳と誇りあるズーラーノーンで、畏怖される儂の名が下がるわ」

「そう? ズーラーノーンの十二高弟が一人、カジット・デイル・バダンテール。漆黒聖典の出撃情報を持って来たわよ。んふっ」

 

 クレマンティーヌは彼へと歪んだ笑みを向ける。

 

「ほう。しかし、デイルは止めぬか、既に捨てた洗礼名だ。それと、ここへの通路には見張りが居たはずだが?」

「ああ、部下の奴らねー。今は私がいるし、心配しなくても大丈夫だよ、カジッちゃん。寝不足解消にって通路で寝かせてあげてるわよー」

「はぁ……まあよいわ」

 

 ここ二年程、クレマンティーヌはズーラーノーンの為にも、その人外的といえる武の実力を発揮し大きく貢献して働いており、今は十二高弟待遇となっている。

 そんな十二高弟の中で彼のアジトが法国に近いのもあるが、クレマンティーヌはこの場を良く訪れていた。

 数々の悲劇や地獄を現世に発現してきた、恐怖をまき散らし邪悪に染まる秘密結社ズーラーノーン。

 盟主も含め高弟達の多くは、大量殺戮にしか興味のない者、死体や骨にしか欲情しない者、拷問や苦行を見て悦となる者など、当然癖の強く人間性は皆無でおかしな連中揃いである。

 その中でカジットは、目的へ邪魔となるものに容赦がないだけで、一番まともであった。

 この二年でクレマンティーヌと約束したことを一度も違えたことは無く、彼女のプレート集めで殺しまくった死体の処分等、厄介事をいつもしてくれた結構義理堅い男である。

 ただ、出会った当初から何度かクレマンティーヌがジャレて腕を試すも兄を殺せる実力は無さそうなので、身体と生涯を捧げるような盟約へ踏み込む事はなかった。でも、もしその力があれば年齢差はあっても『まあ、いいか』と思えた程で、表には全く出していないが今もそれなりに信用している。

 異常な行動をしていたクレマンティーヌであるが、結局、惹かれるのはまともといえる思考を持つ男のようである。

 そう見られていたカジットから見る彼女は、多くの死体処理という面倒事を押し付けてくるし、偶にサクッと命を狙っても来る、油断のならない馴れ馴れしい小娘という感じである。

 ただ、突出した武人として結構援護等を引き受けてくれる上に、組織として致命的水準で強敵となりうる戦力を持つ漆黒聖典の最新情報は、いつもまず彼の所へ届けに来てくれていた。

 クレマンティーヌによって、組織におけるカジットの働きが更に高く評価されているのも事実。

 カジットには、薄幸で死んだ実母をなんとか蘇らせたいという長年の野望があった。そのためには、レベルダウンなどの幾つかの問題と障害があり、蘇生魔法を極める為には時間が必要だと、エルダー・リッチになる事を決意。まずそれになるために『負のエネルギー』が大量に必要となり、盟主に師事するため強大であった秘密結社ズーラーノーンに入っていた。

 彼は良く師事し高弟となり、数年前からここ大都市エ・ランテルを『死の螺旋』と呼ばれる多くのアンデッドを利用した狂宴で死都に変え、一気により多くの『負のエネルギー』を集めようとしている。

 そのため初めに、多くのアンデッドを使役するため、彼のアイテム『死の宝珠』に莫大な『負のエネルギー』を溜めるところから始まっている。

 最終目的までが、非常に遠いがカジットは真面目に地道に進んでいた……。

 彼としては、ズーラーノーンへの貢献は恩返し的部分での意味が大きい。

 だからクレマンティーヌへも、目的に害のない間はと面倒に思いつつも、義理堅く対応していたのだ。

 

「で、漆黒聖典の情報とは、昨日からこの街でも騒ぎになっている竜軍団への対応だな?」

「あれー、分かっちゃった?」

「馬鹿にするな。いつもと違うそのおぬしの完全装備を見れば分かる」

 

 いつもの露出度の多いビキニに近い感じの装備ではなく、軽装だが凛々しい女騎士風の聖遺物級(レリック)アイテムである衣装装備。そして、主武装の伝説級(レジェンド)アイテムと聞くスティレットは、二振り一式のものを左右の腰へ1本ずつ装備していた。これは、かの剃刀の刃(レーザーエッジ)をも受け止める力が有り、衣装装備の特性も加え速度で十分勝る彼女は、王国戦士長のフル装備攻撃をも完封出来る。

 

「エローい。実はカジッちゃん、私のあの姿を食い入るように見てたんだねー」

「そんな訳あるか! それに――今のおぬしの姿の方が似合っておるわ」

 

 猛反論するカジットだが、貧しい家の出の彼には元々育ちの良いクレマンティーヌが、このアジトで普段の歪な笑顔を見せていない気の抜けた時に垣間見せていた、何気なくも御令嬢的である振る舞いを見ていたのだ。彼女には妖艶よりも、清楚な方が似合っているのではと。

 

「――っ……あ、ありがとー」

 

 それなりに信用してる人物から褒められることは、悪い気がしないものである。クレマンティーヌは素直に御礼を告げていた。

 

「ふん。それで、スレイン法国は竜軍団へ対しどう動いたのだ?」

 

 カジットとしては、竜軍団との戦いによる単純な形での大量犠牲者に興味は無い。

 『死の螺旋』は一連の儀式であり、その中で、カジットの操るアンデッドによる連鎖する殺戮が大きく『負のエネルギー』を集めるからだ。

 それよりも、人類への大量殺傷組織と言える秘密結社ズーラーノーンを敵視する、漆黒聖典の動きの方が重要である。

 クレマンティーヌは答える。

 

「私を含めて漆黒聖典全員が全力装備で、一昨日から出撃中ー。あと、秘宝を装備したカイレという老婆のお偉いさんも、陽光聖典を5名引き連れて一緒に出撃してるよー。神都には、まだ最強の"番外席次"が残っているけどねー。でも、アンチクショーは神器を守っているから動けないはずだよー。私達も王都以北まで行くから、当面この近辺は手薄になるよー。多分二週間ぐらいは、ナニをしても大丈夫、大丈夫ー」

「ほう。それは良い事を伝えてくれたな。どれ、我らがズーラーノーンの力を、儂が見せてやるかな」

 

 普段中々笑うことの無いカジットが、口許を僅かに緩ませる。

 そのカジットの言葉と様子に、クレマンティーヌの歪んだ笑顔の瞳の奥が光る。愛しのモモンは、ズーラーノーン内の情報も欲していた。聞き出せる情報は聞いておきたい。

 

「へー、先兵になるアンデッドの準備が結構出来てるんだー。もう始めるのかなー? ……他の高弟達は、何か動かないの?」

「んー、もう少し数が欲しいが……今が好機。10日程でなんとかなるだろう。この上の墓地は儂ぐらいの使い手には、良い素材の宝庫だからな。それと……他の連中は当分動かん。其々のアジトに籠っておるわ」

 

 通常、墓地へきちんと埋葬されれば、アンデッド化が自然に起こることは無い。ただ、ここの共同墓地のように数が揃うと発生し易くなる。また、この世界の高位のネクロマンサー達は、数の制限はあるとはいえ埋葬された死者をも起こすことが出来る。第五位階魔法だけでなく、『死の宝珠』を利用し魔力量によってはアンデッド系に関してだが最大第六位階魔法をも使えるカジットもその一人だ。

 彼は、クレマンティーヌを信用してか、気分が高揚していた為か、『死の螺旋』の開始時期と、他の高弟の状況まで口走っていた。

 しかしここで、クレマンティーヌは真面目であるカジットへ何故か自然に尋ねていた。

 

「カジッちゃん、――"死の螺旋"ってさーエ・ランテル以外じゃ出来ないのー?」

 

 カジットは、クレマンティーヌの真意が分からず、眉をひそめて答える。

 

「おぬしは何を言っている。儂のアジトはここなんだ。何年準備に掛かっていると思っておるのだ、全く。それに他の都市は――盟主様や他の高弟らのアジトがあるだろうが」

「だよねー。ちょっと聞いてみただけじゃん。気にしない、気にしなーい」

「……まあ、他でも可能ではある。だが、準備はほぼゼロからだ。あと王都と小都市がまだ一つ余っているがな」

 

 この質問は、無意識にこの都市ではモモンの強さから失敗すると予感して、カジットを助けようと思ったのだろうか。彼女自身にもよく分からなかった……。

 

 

 

 

 

 王国戦士長とアインズに扮するナーベラルは、いくつかの階段と廊下を経て高さのある大きめの扉を潜り、会議会場と思われる約30席弱程の長い大テーブルがある、窓からの景色も中々の部屋へと入る。

 ガゼフ達は先着の者らへ会釈をしつつ中を進む。

 既に、大貴族の幾人かは席についている。国王は当然最後の方に登場だ。

 ここで、ナーベラルは既に――カチンと来ていた。思わず考えを口にする。

 

「……私達は……立ったままなのか?」

 

 アインズのこの王城での立ち位置は、王家からの客人待遇だが、あくまでも一介の旅の魔法詠唱者に過ぎない。

 なので当然、国王を上座へ迎え大貴族達が机に座る会議中は、ガゼフと共に王の傍の壁近くで並んで立って控えるのが常識的状況である。

 しかしナーベラルには、そんなことは関係がない。

 下等生物である人間共が座り、絶対的支配者が端に立たされ続けるなど、あってはならない事なのだ。

 横に立つゴウン氏の平時は聞かない言葉に、ガゼフは直前の「彼は体調が悪い」ということを連想する。

 

「体調が悪いところ、申し訳ないな。だがここは暫く耐えて頂きたい」

 

 多くの王国民の命を左右する、国家存亡の大事な対策会議の場である。旅の魔法詠唱者の重要な意見に期待する王国戦士長が、多少の無理をお願いするのは仕方のない事である。

 ナーベラルが反論する前に、ガゼフの声を聞いたアインズが感付き命じる。

 

『ナーベラルっ、ここは反論するな。"大丈夫です"と答えろ』

「(!――っ)……大丈夫です」

 

 それから、10分掛からず20名を超える大貴族達に加え、アダマンタイト級冒険者チーム『朱の雫』からルイセンベルグ、『蒼の薔薇』のラキュースも揃い、そこへ二人の王子達にラナー王女も伴って国王ランポッサIII世が入場し上座へと着席する。

 ここは謁見の間ではないので出迎え時、全員起立しての会釈だけに留まる。

 王子達は国王の左側の席へと着き、王女はガゼフ達とは反対側の壁近くの別席へ腰かける。美しい第三王女は、ただ見る事を許されているに過ぎない。王子達の様に席へ付いての発言権はないのだ。

 この会議においては、冒険者達や戦果を上げ会議へ招かれた旅の魔法詠唱者の方が発言力が有る事を意味していた。

 そして一方で――ラナーはまるで、大貴族達への餌として見せるかのようでもあった。彼女の衣装は、いささか胸部の露出や腰部、素足の強調がされていたのだ。

 反国王派の貴族の子息達には、若く美しいラナーに関心がある者もいる。王家直轄領の特上地であった大都市エ・アセナルを失った王家は、国内での勢力維持を考えれば外国へ嫁がせるよりも、国内地盤の維持がすでに急務となっている。国王にとって、可愛く大事な娘に違いはないが、もはや権力維持も重要課題となっていた。

 そんな、各種の思惑の有る中、大臣が進行役を務める。

 

「それでは皆様、これより竜王率いる竜軍団侵攻に対します臨時戦略会議を始めたいと思います。まず初めにアダマンタイト級冒険者チーム『朱の雫』のルイセンベルグ殿から先日報告のあった――」

 

 そのあと、大臣により割と簡潔に伝えられた王国の被害と敵の戦力、そして現状の戦果。そのあと、ここまでの王国側の対応について伝えられた。

 現在、王都から各都市へ国王の命令書と共に、各領主の署名も入った徴兵指示書が届けられており、傭兵団招集はもとより兵員の徴兵が直ちに開始されている状況。今回の動員総数は、急にも拘らず対帝国戦を超える規模となる。

 そして怪物の竜相手ゆえに、各都市冒険者ギルドをはじめ、各組織への半強制的といえる協力依頼により、王国内の冒険者達も総動員する。だが、王都へ集まるのは精鋭に絞ったチーム群となりそうだ。

 あとはいつごろ全戦力が完全に揃うかだが――。

 

「その……どんなに早くとも……ふた月後かと……」

「ええい、そんなに待てぬわっ。竜共はたった1日で大都市を灰にしたのだぞ。その頃には王国の全てを焼き払い、もう帝国まで乗り込んでおるかもしれんっ。半月だ、半月でなんとか揃えよっ」

 

 気の短い第一王子のバルブロが、机を大きく叩いて怒鳴る。

 気持ちは分かるが国家総動員の兵力。遠方から集まる兵も多く、そう簡単に揃う訳が無い。

 対して、攻めて来るのは最強にして進撃速度は最も高いであろう(ドラゴン)の大軍団。

 そして最悪のケースだが、伝えられた桁外れであろう竜王の力量から、二カ月あれば王国全土の都市を焦土に変えるのも決して不可能ではなさそうな事が、逆にこの場へ恐怖を煽る。

 会議はざわつき始める。貴族達の多くはもはや皆、どうしてよいのか分からないのだ。

 すると場を落ち着ける為、国王自ら発言する。

 

「落ち着け、バルブロよ。ここには(ドラゴン)と闘ってきた者もおるのだ。会議もまだ始まったばかりで、結論は何も出ておらぬ」

「……失礼しました」

 

 (ドラゴン)と闘ったのはエ・アセナル防衛戦でのルイセンベルグ率いる『朱の雫』や、直近では『蒼の薔薇』のラキュースらだ。

 バルブロ王子は武人であり、実は同じ武人ながらも美しく処女の証となる無垢なる白雪(ヴァージン・スノー)を纏うラキュースに淡い想いがあった。

 その者がこの場へいる事を思い出し、彼はすぐ大人しく引き下がった。

 さて、この先どう反攻作戦を組み立てていくのか。

 大臣はこの直後に補足事項として、半月で集結可能と思われる王都を含む近隣都市の戦力を挙げていく。

「――となり、半月後には近隣4つの大都市の戦力を中心に合わせた兵20万と機動力のある精鋭冒険者700チーム程は戦線へ投入可能かと」

 

 大貴族達は、僅か半月でもかなりの戦力の集結に「おぉー」と期待の声が漏れる。

 バルブロが大臣へ、それを先に言えという顔を向けていた。

 ここからが戦略会議と言える。この貴重である戦力群をどう使い組み立て対抗するのかだ。

 しかしここで、人物には定評のある高齢の六大貴族の一人、ウロヴァーナ辺境伯が口を開いた。

 

(ドラゴン)の軍団は、王国民8万以上の捕虜を抱えていると聞きます。和平交渉の余地はないのかと。皆殺しではないというのなら人民の為、陛下へは国土の一部割譲も視野に交渉の道も探るべきかと」

 

 それに対して、国境が領地に迫る内容の話に反国王派の盟主ボウロロープ侯爵が声を上げる。

 

「そのような交渉、我々王国の力を見せてからの話ではないですかなっ? 今は、我々王国の怒りの一撃を竜王らに見舞うべきだ!」

「竜王に対抗できる戦力があればそうも言おう、ボウロロープ侯。だが、たった一撃で城をも吹き飛ばす攻撃を連発可能と聞く化け物に対抗出来るというのか? 交渉により戦いを終わらせる事も立派な戦略である」

 

 会議はもめ始める。

 いきなり戦い自体を避けようという意見と、あくまでも戦うという六大貴族同士の討論で、暗礁に乗り上げた。この後、周囲の貴族達が双方に賛同していく。

 しかし、場を見かねた六大貴族の一角であるレエブン侯の意見で流れは変わる。

 

「竜王と交渉をするとしても、まず成立する可能性は低いでしょう。我々は、その後の事も前提に考えて進めないといけない。交渉が決裂しても、捕虜を助けたいと言う意見はごもっとも。しかし現実を考えれば、敵は空を制する者達です。夜目も利き隠れ切れる人数でもなく、逃げ果せるのは非常に困難でしょう。先ほどの20万の兵を投入しようと、成果なく最悪全滅です。それゆえに、ここは苦渋の選択ではありますが、まず捕虜解放に繋がる和平交渉を行い、纏まらない場合は竜軍団を先に叩き、その結果で捕虜が解放されるという戦略で行くべきです。先に捕虜へ捉われてはいけない。また、交渉に赴く者達は――高い確率で死を覚悟してもらわなければなりません」

 

 会議の場は鎮まる。

 レエブン侯の意見は、全て正論であった。(ドラゴン)が矮小とする人間の言う事など考える訳が無いのだ。なので交渉に赴くものは、高確率で死ぬのは明らかだ。

 だがまず交渉し、そして戦うという流れに会議は戻った。

 ここで国王は、ガゼフ達の方へと顔を向け――尋ねてきた。

 

「ゴウン殿よ、配下の戦士長ストロノーフより聞いておるぞ。この王都リ・エスティーゼで向かえ討つのは不向きであると。確かに城壁は彼奴らには無効であり、市民達の被害を考えればその通りである。なので尋ねたい。其の方はどこで竜軍団と戦うが最適と思うかな?」

 

 『小さな彫刻像』を通して耳を傾けていたアインズは、素早く考えていた事をナーベラルへ伝える。ナーベラルは人間の名前は憶えないが、決して記憶力に問題が有る訳では無い。

 主人から伝えられた言葉を、旅の魔法詠唱者姿である彼女の口から順にアインズと同じ声で、こう王へと伝えられる。

 

「……では、進言させて頂きます。……可能であれば現在竜軍団がいると思われる、エ・アセナル周辺が最適かと。……失礼ながら、すでに人がいないのであれば好都合という事です。……あとは王都のすぐ北側へ広がる穀倉地帯でしょうか」

 

 旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の言葉に、レエブン侯の瞳の奥が光る。狙いは同じか、と。

 ナーベラル扮する魔法詠唱者の話に、国王は頷きながら内容を確認した。

 

「なるほど……あい分かった。いずれも住民がおらず壁となる防御施設が無い場所であるな」

 

 さらに国王は、再度レエブン侯へと尋ねる。

 

「では戦う場合、レエブン侯よ。其方ならこの難局、どう対処する?」

「決め手はやはり竜王です。竜王そのものとは可能な限り戦わないことです。まず勝ち目がないのですから。結論は、それ以外の戦力を先に削り切る事です。"蒼の薔薇"には竜王を挑発しつつ引き付けてもらう陽動部隊として動いてもらい、その間に他の冒険者達が300体の配下の竜兵を減らしていくのです」

 

「「「おぉぉーーっ」」」

 

 よくよく考えれば正に、その通りと言える。

 

「あと非情な手ですが――攻撃の主力となる冒険者達の囮として、一般の兵達を分隊ごとに広い範囲へ散ってもらい、物量的に時間を稼いでもらいます。ただ、冒険者の者達にも一般兵へ少し協力してもらいますが」

 

 帝国の精鋭騎兵隊へ対するのとは全く逆の発想。兵が固まる師団にはせず分隊まで小さく分散させることで一撃での大量の兵の損失を抑えるという考えだ。

 最高で城をも吹き飛ばす一撃である。固まっていれば一発で数万の犠牲が出るだろう。しかし、広範囲に分散していれば、奴らも火炎等の攻撃を何千回も撃つ必要が発生するはず。

 加えて、レエブン侯は冒険者の魔法詠唱者らに、一部の一般兵への体力強化の補助魔法や、防御魔法を掛けさせるという手で、補強するという案も考えていた。更に、攻撃隊は大きく3つに分割し24時間連続で波状攻撃させる。竜達を寝させないという事だ。

 これらの奇策に、会議の雰囲気は相当の被害を覚悟しつつも、絶望では無い希望が持てる流れに変わっていた。

 ただ、それはあくまでも戦術面だ。

 戦略的にはその大打撃をもって、竜軍団すべてを王国内からの撤退へ追い込む事である。

 それまでにこちらが擦り潰れるかも知れない戦いとなろう。

 そして、王都周辺以北に戦力を集中する為、正直帝国の動きも気がかりなところである。エ・ランテルの残存戦力1万5000で出来るだけ時間を稼ぐ他ない。

 最終的にはエ・ランテル割譲という手もある。少なくとも(ドラゴン)より帝国の方が話は通じるはずだ。

 広域の戦略については、こうして国王と大貴族達の前でほぼ固まった。

 

 あとは、先の竜軍団との交渉代表者を誰にするかである。

 

 これは高度に政治的といえる交渉役となる。

 最初のアポイントは兎も角、一兵卒にやらせるわけにはいかない。とはいえ、竜達に遭遇した瞬間、殺される可能が極めて高い役目だ。

 国王は、左手を口許へ当て、難しい顔をしていた。だが誰かにやってもらわねばならず、国を背負う王の鋭い視線は徐々に動いていく。

 おそらく十に一つも生存の可能性はない。流石にこの役目は、目の前に居並ぶ大貴族達へ振る事は出来ない。

 とは言え……大事にする可愛い息子達らへも命じる訳にもいかない。

 ストロノーフや大臣補佐、冒険者らでは政治家として役不足。

 

 つまり――国王の視線は、大臣で止まる。

 

 その大臣と目が合った。彼は、完全に顔が引きつっている。心なしか、顔が小刻みにイヤイヤと横へ振れている気がする。国王の命じる為の口が動かない事を願っているという雰囲気。

 気持ちは分かると、周囲で首を僅かに横へ振ったり、考えるポーズをする大貴族達の空気がもう囁いていた。

 そう、皆がすでに思っている。『大臣、お前がやれ』と。

 その言葉を国王が口を開き始め、告げるその瞬間であった――脇の椅子から静かに立ち上がり、彼女が発言したのは。

 

 

 

「――お父様、その交渉役、私がお引き受けしますわ」

 

 

 

 なんと、ラナー王女が会議の席の一同の前でそう名乗り出ていた。

 

「ラ、ラナーーっ!?」

「な、馬鹿な事を言うなっ!」

 

 王女を親友と思っているラキュースと、父親であるランポッサIII世が同時に声を上げる。

 ラキュースは、ラナーこそがこの地上でもっとも頭の良い人間だと考えている。

 勿論、その高い政治力もずば抜けていると。

 そして、国民や友人の為に親身になれる素晴らしい人でもあると。

 先日、エ・アセナルからの帰還の際、煤けて酷く汚れた装備を気にすることなく、ラナーは駆け寄りメンバー全員をギュッと一人ずつ抱き締めて「お帰り」と言ってくれたのだ。

 そんな、素晴らしい友が……ラキュースはここでハッとする。何か考えがあるのではと。

 

「いかんぞ、ラナー。断じて」

 

 国王は、右側の壁傍にあるソファーの前に立つ第三王女へ向かい、首を振りながら厳しい顔で告げる。

 だが、ラナーは黙らない。

 

 

「ただし、一つ条件があります。私の護衛を――魔法詠唱者のゴウン殿一行にお願いします」

 

 

 その言葉を、王城ロ・レンテより遥か離れたカルネ村への道中で『小さな彫刻像』を通して聞いた瞬間、アインズは非常にイヤな予感がした。

 そして改めて思う。この王女は危険過ぎると――。

 アインズ自身がその会議室に居れば、断るのは簡単であった。

 何を言われても仮面の顔で「申し訳ありませんが、お断りします。陛下もそれをお望みですし」と言えば済んだはずなのだ。

 

 

 

 しかし、その場に居るのはアインズでは無く――――ナーベラルである。

 

 

 

 王女は、口許を僅かに微笑ませると、全てを読み切ったように、だた一言だけ窺うように告げた。

 

「ゴウン殿もやはり、竜王(ドラゴンロード)のような相手は、強すぎて怖いのですよね。ふふっ」

 

 そういって、ゴウンを小馬鹿に過小評価する形で文句を口に出したのだ――――。

 アインズは止めた。必死で命じて止めた。忠臣の二重の影(ナーベラル)を。

 

『落ち着け、ナーベラルっ! 何もしゃべるなっ、絶対にしゃべるなよっ』

(…………アインズ様……)

 

 この場のゴウンが同意しなければ、条件が満たされず、そもそも国王が勝手に止めるはずである。

 

『いいな、ナーベラルっ。いかんぞ!』

(…………アインズ様の御ため……)

 

 自身の絶対的主人であり敬愛する至高の御方の声が、アイテムを通して頭の中へと鮮明に響く。

 今ならばナーベラルは、自分の事であれば下等な人間にどれほど酷い事を言われようと、主人の為に耐えられた。

 

 だが逆に――そのアインズ様への侮辱的低評価は絶対に許せない――この命に代えても。

 

 ナーベラル扮するゴウンは、小さく小さく呟き始める。

 

「……(アインズ様――申し訳ありません)」

『ナ、ナーベラル……』

 

 そして、その声は徐々に大きく、段々とラナーの方へと体を向けながら凄みつつ告げていく。

 

「(殺)――すぞ、この下等生物(アメーバー)が」

 

「「「「――――!?」」」」

 

 周囲がこの場のゴウンの様子の変化に気付く。

 しかし、ラナーは一人笑顔のままだ。

 ナーベラルが演じるゴウンは、ハッキリと吐き捨てる様に会議室内で宣言する。

 

 

 

「ふざけるなっ、我がアインズ・ウール・ゴウンは絶対無敵! 竜王(ドラゴンロード)? そんなものの一匹や二匹、私の敵ではないわっ!」

 

 

 

 旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)のその発言に、ガゼフをはじめ会議会場は当然の如く大きくどよめいた。

 

(うあぁぁぁぁーーーな、なんてことを言っちゃうんだぁぁぁーーーー)

 

 平和でニッコニコの表情のマーベロに引かれる〈浮遊板(フローティング・ボード)〉の上で、あぐらを掻いて座っていた漆黒の戦士モモンは何故か今、正座姿で盛大に頭を抱え悶絶していた……。

 

 

 




捏造・考察)500円ガチャ『小さな彫刻像』
とりあえず、原作準拠で相互転移機能はないアイテムとします。
文章は変更等していませんが、STAGE07.でも裏でアインズが魔法を使ったという形で。
書籍版1-P326で、ガゼフがアインズの声を初めて聞いた際、〈伝言〉のようなコール音はしていません。なので、少なくとも通話機能はこのアイテムにあると考えています。
音声から周辺の状況も拾えます。


捏造)ズーラーノーンの高弟らのアジト
王国の都市は小都市を入れ、首都を外せば13個(盟主+12高弟分? 笑)
帝国は古田さんいるし、法国も厳重そうだし。
あ、竜軍団に一つ潰されちゃったかも?


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STAGE29. 支配者失望する/王女ノ狂計ト深淵ノ主(3)

注)モモンの声色と口調については、鈴木悟の素の声口調になっています


 『黄金』と呼ばれるリ・エスティーゼ王国第三王女のラナーは、この竜軍団への緊急対策会議を黙して終わるわけにはいかない状況に立たされていた。

 それは、王家直轄領地のエ・アセナルを失った事による王家の権力低下を補うため、父である国王ランポッサIII世が手段を選ばず動く必要に迫られている事を想定し理解しているからだ。

 自身の縁談話も、残された手段の一つとして大きく急浮上するであろうと。

 予想通り、会議を前に父より「ラナーよ、すまんな……」と言われつつも、幾つか持ち込まれた男達に劣情を促す際どいデザインの入るドレスから、どれかを選んで着るようにと告げられる。

 

(そういった動きは断固阻止しましょう。――首輪を付けたクライムとの、鎖で繋がった二人っきりの全裸で甘い生活を実現するためにっ)

 

 王女の部屋の壁へ隠されたあの絵に描かれた異常溢れる情景は、比喩でも強調でもなんでもなかった。森奥に建つ絶界の薄暗い小屋で、禁断の欲に塗れて静かに二人きりで少年を飼って暮らす事を以前より切望している。

 結果的に、どうやって平穏に追手等のないその状況へ持ち込むか、また堅物のクライムをどう納得させるかと難題だらけではある。

 

 冷静でありながら、今日も彼女の『志向』は淫獣の如く完全に狂っていた――。

 

 彼女は、その目的へ他の全て、国や身内、国民を犠牲にしようとも、ただひたすら邁進するだけである。邪魔な者は殺害を含めて人知れず排除するのみだ。

 ラナーは、体力的に見るとあくまでも普通の人間である。しかし彼女の誇るべきは、その脅威の思考能力。

 記憶力に始まり、知識力、高速演算能力、想像力、発想力、構成力、判断力、理解力、そして圧倒的である洞察力も――。

 特に彼女は、顔を合わせる相手の表情、態度、その雰囲気からおおよそながら、相手の考えが的確に推測出来た。これは生まれながらの異能(タレント)とは違い、あくまでも自然の思考の一つである。

 更に、それらを組み合わせて導き出す、全ての未来が見えているが如き先読みの深さと多様さを有していた。

 

 だからラナーは幼少の頃から思っている。周りの者は――何と愚かで馬鹿な連中だろうと。

 

 その彼女が、対策会議冒頭から進行の様子を見守る。

 大貴族達の中には、息子達だけに限らず彼ら自身の中にも王女の肢体に欲情する者らが幾人もいるようだ。だが、それはあくまで、ただの女体としてだ。妻もいれば、王家に肩入れするデメリット等を考えれば、明らかに現実的ではない。

 また現状を悲観的に考え、王国を見限って金銀財宝を持って逃亡し帝国や法国を頼ろうかと考えている者も少なからずいる。

 兄達に目を向ければ、第一王子のバルブロはラキュースに欲情している模様。第二王子のザナックは横の兄をチラチラ見つつこの兄をどう蹴落とすかを考えていた。

 冒険者達では、ラキュースが真剣に竜との戦いをどうするか一生懸命思案している風。ラキュースの叔父アズスの隊長であるルイセンベルグは、『蒼の薔薇』らが手柄を挙げてきた事で風下に立ち、自分達も竜兵を二、三体討つべきだったと後悔している思いが伺える。

 父国王は、ラキュース達の示した戦い方の延長に光が有ると信じて、彼是と思案している。

 その近くに立つ王国戦士長は悠揚としていた。ただ国王を守るのだと。それと横の旅の魔法詠唱者ゴウンへ、かなりの信頼と期待を寄せているようだ。あの武人の戦士長が時折国王に向く時、ゴウンへとその背を平然と向けていた。国王以外へ余り見せた事の無い姿だ。

 そして――旅の魔法詠唱者ゴウン。

 何故か、仮面の下に自らの意志を感じない。いや否定されつつ、なにか指示された事を守っている風。どうも以前の会合で会ったゴウンとは違う、ただ強烈に周囲を見下す意志を感じる。

 

(見下すところはまるで私みたい……別人?)

 

 先の会合で同席した際の、旅の魔法詠唱者ゴウンは他者を見下すのではなく、大きく悠然とそこにあった。そして、とても裕福である身形や装備に馬車でも分かるが、何か規模の大きい組織を率いている雰囲気が有る。加えて、すでに竜軍団等有事の状況の全てを掴んているという思考の感覚を受けた。

 その事に王女は、仮面の彼がこれまで出会ったことのない、圧倒的と感じる存在だとすぐに理解した。同時に彼の横へ居並ぶ綺麗な女達が全て、前に座るラキュース達やラナー達のおおよその力量を一瞬で掴み「弱すぎる」と見下していることも分かった。

 それによりラナーの思考は、クライムから仕入れた『戦士長らを敵特殊部隊から無傷で救った』という事前情報を裏付ける形で、魔法詠唱者ゴウン一行が次元の違う強さと存在なのだという事実へ、あの会合の場へ入って僅か30秒程で自然に到達していた。

 さて、それに対して、この会議の目の前の人物。

 声口調に姿は旅の魔法詠唱者と同じであるが、その思考は似ず完全に非なる者。この者は先日の会合に居なかったとも感じる。

 まあ、ラナーとしては――誰が演じていようとどうでもいい話であった。彼女の目的は変わらない。逆に目的へは好都合でありバラす必要は皆無。

 あの会合の時のゴウン本人は、力が有りながらも慎重である男の様に見えていた。ラナーは途中、ゴウンが自分の事とラキュースの事を欲情の目ではなく、純粋に綺麗な姿の人間だと見ていた事まで気付いていた。しかし淫欲なくば、色仕掛けも容易に効かないという事。有効的手段は限られてくる。

 また、王国内を広く見てきて、謙虚で驕らない人物は非常に少数であったが、旅の魔法詠唱者はこれに含まれそうだ。調子に乗せる手も使えない。

 おまけに、もっとも困った事はゴウンが――ラナー自身の能力に、薄々気が付いて警戒している風なのだ。舞踏会で会った時、すでにそう感じていた。

 これではラキュース達のように、リーダーを上手く丸め込んで仲間達も、とはいかない。本当に厄介な相手だと表情へおくびにも出さず、あの会合の場で内心そう思っていた。

 

 そのゴウンが今、別人になっている。

 

 偽りのこの役者からは、周りの者らを軽蔑嫌悪し凝り固まった思考が感じ取れる――挑発に弱い人物の典型だ。

 

(これは、願ってもない好機のよう。ゴウンは高位の魔法詠唱者(マジック・キャスター)。恐らくここに居る者は、魔法で外部から指示を受けていますね。さて――)

 

 ラナー王女の未来計画はハッキリしている。

 元々は、まず『蒼の薔薇』を上手く利用して、王国の裏社会を制しつつ強大と聞く地下犯罪組織の八本指らを一年程で弱体化させて己の策謀力を示す。そして、王位継承を狙う第二王子ザナックに認められ彼を手伝って半年ほどで貴族支持層を増やし王位へと近付ける。同時に第一王子のバルブロを失墜させ、王女が嫁に出される数か月前に国王は何故か急逝し、ザナックが王位に就く。その見返りとして彼女は不治の病を理由に縁談が破断し、王家直轄地の森奥へクライムと隠遁するという既定路線の筋書きだ。

 クライムについては隠遁してから二人きりになって、ネットリと誘い言葉に若い身体を使い日々甘く蕩かせばいい。それから全裸首輪への調教だっ。

 若い青年のクライムにすれば、まさに蟻地獄といえる予定である……。

 

 でもそれが……竜軍団の侵攻により大きく狂ってきた。

 巨大で重要だった直轄地を失い、戦火は広がりを見せ貴族達に対して王家の権威が急下降し危ない。更に王都自体も標的に挙がる状況。早急に戦いを終わらせる必要がある。

 ただこうなると、単に戦いが終わっても第二王子ザナックも権力地盤の強化に、ラナーを政略結婚へ出そうとするだろう。

 つまりこのままでは『王家に頼れない』ということになる。

 他国へ逃げても重要人物として二十年間は追手が掛かるはず。その状況では恐らく二人きりでも、姫を守ることを信条とする堅物のクライムを篭絡しきれない。平和だから、ラナーを受け入れさせることが可能になるのだ。

 だから、彼女のすることは明確である。

 まず竜軍団の進攻を現状で止め、王家の力をこれ以上喪失させないことが急務なのは同じだ。

 ただその際に、高位の魔法詠唱者ゴウン一行を上手く手駒……は無理でも協力者に加えておく。どうやら戦士長を死なせたくないらしい様子。これを活用してだ。

 先の会合の時から、怯えることの無いゴウンは竜軍団へかなり対抗出来る水準だと、ラナーには既に分かっている。その力を傍に置く者となれば、王家もしばらくはラナーを嫁へ出せなくなる。

 時間を作ったところで次に、国王健在の内に六大貴族の一つを――密かに失墜させるのだ。帝国と繋がるブルムラシュー候爵辺りは国家反逆罪に追い込み易い。なにげにもう、ブルムラシュー候爵と帝国との密書が二通ほど手元に有ったりする。

 大都市を失ったのなら、どれか一つを手に入れればいい。王家の力が落ちたなら、ある所から奪い取り補填するまで。

 これで、爛れた隠遁計画は路線へ元通りだ。持てる知識を総動員したラナーの計画に容赦と抜かりはない。

 この対策会議の場は『上手くゴウンを協力者にする』為の第一段階となるのだ。

 

 会議の冒頭で、出た和平交渉の代表者について、先程からそれを誰にするかの話が始まり出した。

 ラナーには、交渉役が大臣になるだろう事は、ウロヴァーナ辺境伯が和平交渉を口にした瞬間に到達していた。これは父国王がいつもの消去法で選ぶと、到達する答えであった。

 そして、この交渉の場自体が大きいポイントである。

 『黄金』と言われる王女の戦略は『王家の権威を落とさずに終戦させる』ことだ。

 しかし、レエブン侯の計画で戦闘が始まれば勝ったとしても、優に半数の戦力は失っている。これではいけない。

 また、王女の考えもレエブン侯の意見と同じで、竜王は和平交渉など受けない。向こうから戦いを仕掛け、低い脅威の者らを相手に圧倒的有利な状況であり、侵攻をやめる訳が無い。

 では、どうやれば止まるのか。

 

 それは、王国側にも竜王らと同等の力をもつ脅威が有る事を早く教えてやることだ。

 

 つまりは高位の魔法詠唱者(マジック・キャスター)ゴウンとその一行を、交渉役の護衛ででも竜王に見せればいい。

 その際、交渉の場で竜王が交渉役以下を殺しに来るのが、最良かもしれない。

 実際に戦えば竜王も思い知り易いし、ゴウン達の本当の実力も白日の下に晒されるだろうし。

 そして()()()()()()に竜王達を驚かせ勝つのは、ゴウン一行なのだと。

 『持てる知識』の中でラナー王女は、ここまで読み切っていた――。

 

 

 

 ただその先読みは、あくまでもまだラナー王女の『この新世界の現代に生きる人間としての知識と思考力の範囲内』であった。

 ラナーは、目の前の『別人のゴウン』を交渉役の護衛として、引きずり出す位置へ確実に追い込んでいた。少なくともそう思っていた。

 実に扱いやすいこの場に居る別人のゴウンへ、内心ほくそ笑む。もうここまで発言させれば巻き返すのは容易ではない。第一、目の前の冷静では無い者では対応出来ないと。

 そして絶対的なのは、この状況で本人と入れ替わることは、不可能だと。

 今、ここに本人が来ていないのは厳然とした理由があり、更にここへ今慌てて現れズレが生じた場合、別人をこの重大である場所に立たせていたとなり、ゴウンはその瞬間に万事休すであるからだ。

 

 

 ――しかし、その不可能が起こっていた。

 

 

 ラナー自身がいち早くその異変に気付く。

 『別人のゴウン』が「私の敵ではないわっ!」と言い放ち、周囲がどよめく中で立ち尽くす事、僅か7、8秒。

 かの人物の空気が、瞬きもしていない間で手品の様に忽然と変わっていた。

 

 ――ありえない状況。

 

 そして巨躯の仮面姿の彼は、話を『冷静に』朗々と続けてきたのだ。

 

「―――こう()()()()言えば満足でしょうか、ラナー王女殿下? 私に爵位はありませんが、自身の力に誇りを持つ者。そして、今は国王陛下の客人としてここに居ます。皆の前で貶める様にからかわれては困りますし、いけませんよ?」

 

(!?―――っ、うそっ……馬鹿な……)

 

 ラナーは表情を全く変えずにいたが、内心では目を見開いていた。手段不明だが、あのゴウン本人に入れ替わっているのだけは把握する。

 『黄金』と言われる王女も、伝説的大魔法の深淵の奥までは覗き込めて居なかった。

 彼女は届かない。不可能を可能にする恐るべき神々しい第十位階魔法群の存在には――。

 それに加え、ラナーは痛い所を突かれてもいた。会場の皆が冷静になった時にだけ、浮き上がってくる盲点。完全に逆撃を返された形になる。

 先程王女は、高位の魔法詠唱者である客人を公式の場で、こき下ろす風に挑発したのである。巧みな入れ替わりを見せられた上で、低マナーを窘められてしまう形へ一気に抑え込まれていた――。

 

「ラナー様。ゴウン殿は本日朝より体調の悪い中、この席へ立ってくれております。お気遣いを頂ければと思います」

 

 ここで、すかさず王国戦士長がゴウンの先程の行動をフォローするように、口添えしてくれる。

 

「そうであったか……ゴウン殿、我が娘の非礼、許されよ」

 

 国王ランポッサIII世が、先にアインズへ一言詫びを入れてきた。

 自然ながら、もはや完全に王女は畳み掛けられていた。

 

「"アメーバー"とは何かな……?」

「さあ……何でしょうなぁ」

「少し騒がしいと思ったが、誇りを傷付けられれば仕方ないな……」

「ふん、ラナーめ。発言権のない分際で恥を晒すな」

 

 顕微鏡が普及しておらず新世界には馴染みの無い名称や、反国王派の六大貴族リットン伯の何気ない声に加え、最後の王女を鬱陶しく思っている第一王子バルブロの言葉が決定的となる。

 もはやアインズの、先程のパフォーマンスを責める者は誰もいない。

 この時になって、ラナーの艶のあるピンクの口元へ少し悔し気に力が入ったのが見えた。

 しかしアインズの動きは、ここで止まらなかった。周囲の者にも釘を刺す。

 

「有事の際に備え、友人と共に王都へ居る事が、今、私に出来る最大の行動かと」

 

 そう言って、王国民でない事を裏の盾にゴウンは王都から動かない事を周囲に告げた。

 当然だ。アインズの狙いはこの戦いに際し、高名であるアダマンタイト級冒険者達の窮地を待ち、代わって名声を上げる事。

 そしてもう一つ。

 人類国家のこの窮地を前に、絶対的支配者は静かに、密かに待っている。

 

 

 

 人類種のユグドラシルプレイヤー達が集結し、救援に現れるのではないかと――。

 

 

 

 ここは静観あるのみなのだ。天才王女だろうと、邪魔はさせない。

 

「……ゴウン殿、すみませんでした」

 

 ラナー第三王女は、言い訳することなく謝罪の言葉を述べた。

 国家で大事にされてはいるが、彼女自身に大きい権限は存在しない。

 未知の力を持つゴウン一行が動かねば、ラナーの交渉役就任に対し、国王の賛同は絶対に得られないだろう。竜王は、アダマンタイト級冒険者達ですら全く寄せ付けない強さであるためだ。

 僅かに穴があったとは言え、本来想定外のありえない逆転劇。

 生涯に仕掛けた数多の計略の中で初めての完全と言える『敗北』だろう。彼女の鮮明に残る記憶へ、全く新しい二文字が追加された。

 そのあと「くっ」と極小で呟きつつ、力なく壁際のソファーへ座り、ガゼフ達から顔を背ける。

 王女の掲げる爛れた隠遁計画は、旅の魔法詠唱者により夢の如く打ち砕かれようとしていた。

 

 

(初めて味わった今回の屈辱、忘れません。この責任は取ってもらいますからっ――アインズ・ウール・ゴウンっ)

 

 

 そして彼女にはもう一つ、気付かない初めての熱い感情も小さく広がり始める……。

 

 その後の会議は淡々と進んだ。

 我慢していたが目元へ僅かに小さく涙の粒を浮かべ――大臣は、役目を了承していた。彼が、和平交渉役へと国王の口より正式に任命される。

 だが慈悲深い国王は、続けて彼の若い息子を明日から大臣補佐の配下に加えると通達し、子孫を厚遇すると行動で伝えている。

 そうして和平交渉のアポイントと、護衛を騎士8名と第三位階魔法詠唱者1名を付ける使節10数名を決定し、その前に話をしていた交渉決裂後の戦いへの工程と手順や準備も再確認され、延べ三時間ほどで緊急対策会議は終わった。

 

 

 

 

 

 アインズは、国王や王子、大貴族達の多くが退場した後の会議会場を後にする。

 まだ壁際のソファーへ座り、目線を落とし落胆気味の儚げで美しいラナーの傍には、ラキュースが寄り添っているのを横目で見つつ。

 アインズをフォローし、国王の意向に沿い王女を危険度の高い交渉役にさせないという意味でも、最善の行動を起こしたガゼフであるが、王女を悲しませていることに内心は複雑である。

 

「はぁ……、少しヒヤりとしましたぞ」

「気分が優れず、僅かに苛立ってしまい、気を使わせましたね」

 

 アインズは嬉しかった。王国戦士長の友に対する気遣いへ――素直に感謝していた。

 アインズの言葉で、少し嬉しそうに変わったガゼフの表情と雰囲気が、気にするなと伝えてくる。

 彼は、ナザリックとは距離を置く人間種であるが、現在保護地区となったカルネ村を命懸けで助けようとし、今も自分を庇ってくれた。

 ガゼフ・ストロノーフはアインズにとって、心情的にもうただのレアな武技使いでは無くなりつつある。

 

「だが、ラナー様はどうされたのか。客人を貶め煽るとは少しらしくなかったが……」

「姫君もこの国家の窮地に焦っておられたのでは?」

「そうか。そうかもしれんな」

 

 アインズの言葉に彼は、平穏時と存亡危機時では、幾ら国を思い優秀であろうと若い王女に焦りが有っても不思議では無いと納得する。

 苦笑を浮かべ王国戦士長と並んで歩く支配者は、会話をしながら内心で「ふぅーーーーーーーーーーーっ」と盛大に安堵の溜息を付いていた。

 あの刹那的と言える修羅場を思い出しつつ――。

 

 

 

 アインズはナーベラルの『宣言』を聞いて一瞬頭を抱えてしまうが、その間は2秒ほど。そんな場合ではなかったのだ。

 彼は〈伝言〉を繋げ小声で素早く呟き出す。

 

「(デミウルゴス、緊急だっ! 今、王城へ飛び、ナーベラルの居る部屋へ―――時間保持魔法を掛けろ)」

『はっ、直ちに』

 

 アインズが、咄嗟に取った措置は、ユグドラシルの戦闘で鍛えた時間稼ぎをする合理的な方法でもある。

 防衛に関する話し合いで、シャルティアの居室のある第二階層を訪れていたデミウルゴスは急に席から立ち上がり、「えっ、なに?!」というシャルティアの声を置き去りにすると、主への一切の反論や確認無く直ちに行動する。

 指示の内容と状況から、一瞬でアインズ本人からだと確信済だ。

 連続〈転移(テレポーテーション)〉と階層の転移門を通過し、ナザリック地下大墳墓の地上中央霊廟の正面出入り口付近から一気に王城へ飛ぶと、瞬時にナーベラルの立つ部屋を特定し第十位階魔法である〈時間保持(タイム・ホールド)〉を放った。

 ――その間約5秒。

 その間にアインズはマーレへも〈伝言〉で前下方の馬車に念のため一瞬だけ〈時間保持(タイム・ホールド)〉を掛けさせ、パンドラズ・アクターと入れ替わった。

 そして、モモンの姿を解除した絶対的支配者も王城へと〈転移〉で飛び、時間停止対策をしてデミウルゴスと共にナーベラルの居る会議会場へと入った。アインズに扮したLv.63のナーベラルもこの場で固まった様に静止している。いつもの白いメイド衣装の装備なら、時間停止対策のアイテムもあったのだが。

 ここで初めて、デミウルゴスが至高の御方に確認する。

 

「アインズ様、ナーベラルが……何か?」

 

 彼は「失態を」とは聞かない。しかし、眼鏡の下の表情は無表情。アインズは配下の危険漂う兆候を察知する。

 だから支配者は穏やかにこう伝える。それは自然に浮かんだ気持ちでもある。無理をしているわけではない。

 

「私は、ナーベラルの行動に対し――満足している。私は十分満足しているぞ、デミウルゴス」

 

 それを聞いたデミウルゴスは漸く口許を緩める。彼の思考は非常に柔軟であった。

 絶対的支配者で至高の御方が優し気にそう告げるのだ。圧倒的忠誠心を持つデミウルゴスは、全面的に主の意見を尊重する。

 

「左様でございますか。分かりました。このあと、ナーベラルが何を口にしても結果は十分であると」

「そうだ」

 

 今回の状況は、そもそもアインズが不安のある事を知っていて、NPCの可能性を求めてナーベラルを指名している。彼女はそれへ懸命に応えてくれていた。そして、最も大事とする主人を侮辱された事に憤慨して反論してくれたのだ。

 アインズ自身、仲間やギルドを侮辱されれば、決して黙ってはいられないだろう。

 

 主として、配下の考えが自分にも通じていることが嬉しく、なんと可愛い事ではないか。

 

 このような配下に対し、「流石はナーベラルである」と褒めること以外に何があるというのか。彼女は命懸けの覚悟であの宣言に臨んでいた。それで十分。叱る要素など無い……平和の為にも。

 あとの事は、彼女の信頼する主人で絶対的支配者、このアインズ・ウール・ゴウンに任せればいいのだ。

 

(リアルで何度もギリギリの逆境を跳ね返し、超過(オーバー)労働で鍛え抜いた社畜の営業職をなめるなよ、箱入りの王女様っ)

 

 ここでデミウルゴスが、ナーベラルと向かい合う視線上に立つ人間の女が、ラナー王女だという事に気付く。

 

「この危険指定の人間が相手で?」

「そうだ。ラナー第三王女。確かに危険で凄い才能の娘だ」

「早急に排除しますか、アインズ様?」

 

 デミウルゴスの淡々とした進言に、支配者は直ぐに答えない。

 

「……所詮は一人の人間。キングやナイトは自在に動かせても――ゲーム盤までは動かせまい」

「チェスですか?」

「ふん。我々はチェックメイトの直前にゲーム盤を反転させて楽しめばいい。そして何時でも、ゲーム盤自体を壊すのも自由だ」

 

 最上位悪魔は、アインズの崇高な考えを理解しほくそ笑む。

 アインズは内心でナザリックが暴走しないよう時間を稼ぐ為に、以前から長い寿命だから急がずこの世界の攻略を楽しもうという意向を配下達へ伝えている。それを尊重するのはナザリックの総意である。

 

「左様でございますね」

「だが、この者が有能であることに変わりはない。もし傍に置ければ使い道は有るだろう。しばらく様子を見よう」

「畏まりました」

 

 デミウルゴスは笑顔で、曲げた右腕を身体に沿え恭しくアインズへと礼を取った。

 その後、アインズはナーベラルの立ち位置と魔法で寸分違わず入れ替わり、ナーベラルを抱え不可視化し部屋より退出したデミウルゴスが、アインズからの〈伝言〉で〈時間保持〉を解除したという流れである。

 後で気を利かせたデミウルゴスが、会議会場の大時計の針だけは数分の停止時間分をこっそり修正していたが、それは秘密だ。

 

 

 

 

 

 アインズ姿のナーベラルは、不可視化したデミウルゴスに隠されたまま、室内から〈転移〉で連れ出されると時間停止が解け動き出す。

 

「――っ?! ここは……えっ、デミウルゴス様っ!?」

 

 そこが、何故か会議会場では無く、王城内の上空でデミウルゴスに腰を抱えられておりナーベラルは驚いた。同時に彼女は憤慨していた興奮から覚める。

 

「悪いが、アインズ様の命で外へ運ばせて貰いました。とりあえず、自身で不可視化して〈飛行〉しなさい。話はそれからです」

「はい……」

 

 次にデミウルゴスは、アインズからの指示で〈時間保持〉を解除する。

 その姿を見ながら、ナーベラルは守護者の指示へ素直に従う。覚悟はもう出来ている。

 第七階層守護者様が来ているというのは、やはり尋常でないということだ。

 至高の御方の身代わりという誉れ高い期待に応えられず、敬愛する御方の再三の命令も聞かずに、大事であった会議の場をも壊してしまうという失態。

 

 

 ――間違いなく極刑が妥当である……。

 

 

 ナーベラルはそう考えるも、少し寂しく感じた。

 

(最後は、敬愛するアインズ様のお手で介錯をして頂きたかった……でも、それは過ぎた贅沢な罰というもの)

 

 デミウルゴスは移動を始める。

 

「ついて来なさい」

「はい」

 

 場所を変えるようだ。確かに空中では下へ遺体が落ちてしまうと思い、彼女はオレンジ縦縞スーツの守護者のあとを続く。

 行き先は……どうやらヴァランシア宮殿にあるいつもの部屋の方角。

 

「あの、デミウルゴス様」

「なにかね?」

「この先の宮殿の宿泊部屋で、私は――処刑されるのでしょうか?」

 

 姉妹達の前という、やはり中々に厳しい措置と感じていた。

 それを聞いたデミウルゴスは、先程の主とのやり取りを思い出す。それは、部分的ではなく「全体として十分満足している」と伝えられていた。

 デミウルゴスはナーベラルへと告げる。

 

「勘違いをしているようですね。アインズ様から、そのような事は指示されていませんよ」

「えっ? でも私は――」

「ナーベラル、貴方は今回の件について過程を誰にも話してはいけません」

「しかし」

「いいですか、アインズ様は貴方の行動について内容を言われず私へ、"十分満足した"と仰られた。それ以外の事実は必要ありません」

「そんな。し、しかし、私は――」

「アインズ様の評価が気に入りませんか?」

 

 論戦でデミウルゴスに勝てる訳もなく。アインズの名を出されそこまで言われれば、彼女に是非もない。反論は完全に途切れる。

 だが、ナーベラルには極刑級の罪状が並ぶ行為の後で信じられなかった。

 そして今、誰が自分の失態の尻拭いをしてくれているかという事も――。

 

 それゆえに、自分自身を許せない。生きていては至高の御方へ申し訳ないのだ。

 

 その彼女の横前方でデミウルゴスは、穏やかに言葉を続ける。

 

「我らナザリックの者達は幸せです。本来我々は、仕えるべき方を選べません。しかし今、素晴らしい主を仰いでいます。そんな我々が、崇高であられるアインズ様の最終決定に対しあれこれ考えるのは失礼です。我々は、ただひたすら至高の御方へ最後の瞬間まで生きて、全力で尽くすべきなのです」

「!――っ、はいっ!」

 

 デミウルゴスの完璧なる言葉は、自決に傾いていたナーベラルの心を引き戻す。

 ナーベラルはこう解釈する。

 多くの大きい失態もアインズ様は「十分満足した」と言ってくれている。でもこれは間違いなく庇ってくれているのだ。それは――『純愛』以外に何があるだろうか。

 愛されているとなれば、このまま役立たずで自ら死ぬ訳にはいかない。そうなれば、アインズ様がこの私の全てをお楽しみいただけなくなる。悲しませてしまうだろう。限りないお詫びの為に、せめてこの身も心も全て最後の瞬間まで、主に尽くさなければならない。

 何か違うが、これもまた一つの正論である。

 ナーベラルの愛情と忠誠心は、一気に軽くMAXを振り切っていた……。

 

 

 

 デミウルゴス達は、ヴァランシア宮殿のいつもの部屋にベランダより入る。

 シズとソリュシャンにルベドがそこへいた。予定変更で馬車でのお出掛けも無くなっている。ツアレについては、隣の家事室へユリにより急遽掃除をすると引っ張って行かれて居ない。

 ナーベラル達は不可視化しているが、職業レベルでアサシンを持つ二人と最上位天使はすぐに気付く。

 

「これはデミウルゴス様」

 

 ソリュシャンの声でシズも上位者へ頭を下げる。だが、ルベドは目を合わすと僅かに会釈のみ。あくまでも今、ルベドが従っているのは同志アインズ個人である。あとは二人の姉達のみだ。

 デミウルゴスも良く分かっている。そして改めて思う。守護者達すら超越する『一騎当軍』の化け物をも、一途にスリスリされるほど従わせてしまうとは、流石アインズ様だと。

 武技が使え、神器級(ゴッズ)アイテムの聖剣シュトレト・ペインを持つ今のルベドが敵に回るようなことになれば、世界征服すら釣り合わず天秤が傾くほどの難題となろう。

 ナザリックの……いや世界平和の為だと言いつつ、御方が大事に保護しているエモット姉妹やツアレの姉妹、最近加わった王都屋敷のリッセンバッハ三姉妹へ割く余力は、非常に僅かで済んでいる。まだ正式ではないが、ニンジャの双子姉妹もいる様子。

 あと姉妹といえば、ニグレド達とアウラにマーレ、そして、プレアデス姉妹……。

 ここで、デミウルゴスは宝石の目を見開きハッとする。

 ナーベラルの処遇を間違えば――平和の危機であった。

 

(わ、私は僅かに判断を誤るところでした。改めて忠誠をっ、アインズ様は素晴らしいっ)

 

 この思考は一瞬の間であり、表情を戻したデミウルゴスはソリュシャンらへ尋ねる。

 

「状況は分かっていますね?」

「はい」

 

 ソリュシャンにより、この部屋でも会議室内の状況はある程度理解出来ている。ナーベラルの宣言により、会議の場はアインズ自身でなければ巻き返せない事態になってしまったことも。

 そして、その状況に対して驚異の逆転劇を主様がしてみせた模様。

 ソリュシャンは、盗聴によりリアルタイムでそれ聞きスカッとした上、姉妹の引き起こした事態にも拘らず、御自ら挽回してくれた支配者へ感謝と敬愛で興奮し、捕食型スライムの体内に液体が溢れゾクゾクしていた……。

 

(流石は私達が仕えし、お慕いするアインズ様ですわ~)

 

 盗聴する彼女も、ナーベラルとアインズのやり取りまでは分からない。

 とは言えナーベラルの行なった発言は、彼女の気持ちの入った言葉であった。あの場では、明らかに主へ不利になる内容と行為だと言えるだろう。

 しかし、ナザリックの者であれば、反論せざるを得なかった。

 アインズのように、当初より冷静に周りが見えて正面から論破出来れば良かったのだが、それが出来るとすれば、守護者ではデミウルゴスとパンドラズ・アクターだけだろう。アルベドやマーレらでは怒りが先行し、相手の頭部を破壊する形で殺しに行っているはずだ……。

 だから妹としてソリュシャンは、姉に罪があれば、軽減を上位者やアインズへ申し出るつもりでいる。シズも同じ様子。

 その空気を感じつつ、デミウルゴスが伝えてくる。

 

「安心しなさい。アインズ様は、ナーベラルの行為について"結果に十分満足している"と言われたよ」

「えっ?」

「……ビックリ」

 

 ナーベラルの妹達は、まさかの――いや、アインズ様らしい評価に驚き、顔を見合わせると笑顔を浮かべた。そして不可視化の状態でメイド服姿に戻っているナーベラルのもとへと向かい、手を取ったり抱き付いたりして喜び合う。すべて、アインズ様の愛ある優しさだと。

 その三姉妹の楽し気で穏やかに戯れる様子を、ルベドは近くでニヤニヤしながらチラチラと眺めて楽しんでいる。

 デミウルゴスは再度感じていた。

 この難物揃いであるナザリックを丸く回すアインズ様は、本当に至高で偉大なる方だと。

 

「この件は、これで終わりです。さぁ、我らの主であるアインズ様のお帰りを皆でお待ちしましょう」

「「はい」」

「……了解」

「分かった」

 

 部屋の中は無事に普段へと戻った。

 ツアレも家事室から戻って来ると、想いを寄せるご主人様がいつでも気分よくこの部屋で過ごせるようにと、いつも彼が座っている椅子回りを丁寧に再確認している。

 ソリュシャンとシズもユリの指示に従い、埃や不備が無いかを今一度丁寧に確かめていた。

 そして、メイドではなく用心棒というべきルベドは窓際へ座り――仲良し姿のプレアデス姉妹を見てニヤニヤしている。あと時折ツアレには妹の事を尋ねていた……。彼女は、ただそれだけだ。

 デミウルゴスとナーベラルは不可視化した姿で、部屋の壁際へ並び立ち静かに平和な室内の様子を眺めて待っている。

 第七階層守護者の彼は主から、まだナザリックへ帰還の指示が出ていない。これは恐らく主自身が戻るまで、ナーベラルの万が一の行動を阻止し、説得する事まで期待しての待機状態なのだ。

 デミウルゴスは、ナザリックで最上位に位置する階層守護者であるが、今は決して席へ座ろうとしなかった。至高の御方が戻って来るまで、直立のまま動かない。それは、主人であるアインズ御自らが、まだ事態収拾に当たっていたからである。

 ただただ、一人の配下として忠臣の彼は静かに待っている。

 

 デミウルゴスが〈時間保持(タイム・ホールド)〉を解除して40分程経った頃、アインズがこの部屋へと戻って来た。

 王国戦士長は仕事が有ると言い、支配者と少し手前の階段で別れていた。

 

「お戻りなさいませ、アインズ様」

 

 ユリの声に、その横へ綺麗に並んだルベド、シズ、ソリュシャン、ツアレが礼にて出迎える。

 壁際で、デミウルゴスとナーベラルも礼をする。

 特にナーベラルは最敬礼である。

 ツアレがお茶セットのワゴンを取りに行っている間に、二人がアインズの所へと来る。シズ達はそれをじっと見守った。

 

「アインズ様……ありがとうございます」

 

 ナーベラルは、もう謝ることは出来ない。すでに主から満足と評価されているからだ。彼女はせめてと、心を込めてまずお礼を伝えた。ツアレが家事室に居るので少し小声である。

 申し訳ない顔のまま最敬礼のそんなナーベラルへ、絶対的支配者は告げてやる。

 

「流石はナーベラルだ。あの反論、(主として)嬉しかったぞ」

 

 そして、アインズは優しく――彼女の頭を優しく撫でる。

 

「!!?――っ」

 

 頬を赤くし驚くナーベラルを他所に、支配者は言葉を紡ぐ。

 

「あの時は、あれで良かったのだ。私が全て問題なく片付けてきた。すでに、この件で気にすることは何もない。少し油断した利口な王女へ、そのまま返すことも出来たしな。詳細はソリュシャンから聞いておけ。ただ、もう無茶はほどほどにな。では、私はまた冒険者へ戻る。――さあナーベラル、このあとはまた任せたぞ」

 

 ナーベラルは、ゆっくりと頭を上げると目尻へ僅かに嬉し涙を浮かべ、小声ながら凛々しく美しい笑顔で答えた。

 

「はい、アインズ様。畏まりました!」

 

 アインズが不可視化すると、入れ替わる様に再びアインズの装備姿へ変わったナーベラルが不可視化を解きその場へ現れる。

 彼女は何事も無かった雰囲気で、アインズがいつも座るソファーの席へ着いた。

 その様子を静かに見届けるアインズとデミウルゴス。

 ツアレが部屋へ入って来たため、二人は開いている窓扉からベランダへと出る。

 時刻は午後四時前である。

 雲は多めだが穏やかな空を眺めつつ、アインズがゆっくりと話し出す。

 

「デミウルゴスよ。今日は急での対応、本当にご苦労であった。あの後のナーベラルへの対処等、随分助かったぞ」

「はっ、お役に立てて光栄にございます」

「これは何か、褒美を与えなければな」

「本日はアインズ様の旗下として、誇らしく素晴らしいものを見せて頂きました。直々に労いの御言葉まで頂きもう十分でございます」

 

 礼の姿勢を取るデミウルゴスの、嬉し気な言葉と様子に嘘は無い。

 これがナザリックの、絶対的支配者だという包容力と行動力と存在力とでも言おうか、そういった水準の事象を確認出来て、忠臣である彼の気分は高揚している。

 充実気分である素晴らしき配下の気持ちを汲み、アインズは言葉を伝える。

 

「そうか。だが、近い内にその功へ必ず報いよう」

「はっ。では、日々更にアインズ様とナザリックへ貢献出来るよう努力しつつ楽しみにさせて頂きます」

「うむ。今日は大儀であった。ナザリックへ戻ってくれ」

「それでは、失礼いたします」

 

 そう告げ、この場を〈転移(テレポーテーション)〉で後にすると、デミウルゴスは密かにあの会議室へ一時寄ったあと、ナザリックへと戻って行った。

 

 そのデミウルゴスを第一階層の墳墓で待っていたのは、打ち合わせを途中ですっぽかされた形となった、いつもの赤紫調のボールガウン姿に日傘を石床へ突き立てる仁王立ちのシャルティアであった。

 単純で飽きっぽい彼女にしては珍しいと思いつつも、己の立場での役目と今回の打ち合わせの重要度を認識している動きは良い兆候だと、デミウルゴスは考えた。

 対してすぐさま「ちょっとデミウルゴスっ、打ち合わせをいきなり放って何処に消えたでありんすよっ!」と食って掛かられる。

 だが有事の際のNPC総司令官は、眼鏡の位置を直しながら「ナザリック(の平和)にとって大事な急用ですよ」としか伝えず、「では、打ち合わせの続きを始めましょう」と、渋い不満顔のシャルティアを促していた。

 アインズの名を出せば、「なんで私も呼ばないでありんすか!」と更に吠えられるだけであると。

 万事そつなく熟す――流石、デミウルゴスである。

 

 

 

 

 

 

 アインズは、有能で頼りになる眼鏡姿の階層守護者を見送った後、再び冒険者モモンの仕事へと戻る。

 とは言え、マーベロに〈伝言(メッセージ)〉で位置を確認すると、もうカルネ村の傍まで来ているという事で、〈転移(テレポーテーション)〉で先にカルネ村側へ飛び、不可視化のまま〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉で冒険者モモンに変わると、見覚えのある道を辿り前方から出迎えるようにンフィーレアの荷馬車の所まで戻った。

 ただ、入れ替わりの良い機会が無く、モモンはそのまま入れ替わらずに村へ着くまで並進する。

 マーベロによると、アインズが離れていた1時間程の間もモンスターに襲われる事は無かったという。結局、無事にカルネ村が見えてくる。

 だが、ンフィーレアは村の直前で荷馬車を止めた。そして、先日訪れたカルネ村との変わり様に驚く。

 

「こ、これは……一体?」

 

 以前は無かった60センチ角程の太い柱で造られた門が、広場への入口から少し手前に出来ている。それから続く空堀と土を固めた土塁上に板塀が左右に少しずつ伸びる。板を張る前段階だろう途切れた部分から村をずっと囲う形で、土塁の上へ太い木材で頑丈に組まれた柵が作られている様子が確認出来た。堀と掘った土で作られた土塁の高低差は約1メートル、そこから板塀が2・5メートルある。門は開かれた形であった。

 そして、村人の老人が門の傍で呑気に煙草を(くゆ)らし、門近くに建つ鐘の付いた見張り台には子供の男の子が腰かけている。

 明らかに村は頑強に砦化されつつあった。

 以前来てからたった2週間ほどである。この土塁等、一体労働力はどうしたのか……。

 しかしよく見ると、柵の中であの黒くゴツい巨体のモンスターが何本もの木材を軽々と運んでいるのが見えた。さらに――緑の肌をした屈強そうで、しっかりとした装備を身に付けた者達の姿もある。

 

「えっ? な、なんで、ゴブリンまで……?! 大変だっ、エンリィィ――――!」

 

 ンフィーレアは、村がモンスター達に襲われたのか、それにしては前にいる老人はのんびりしているしと、訳が分からず御者台に座ったまま最愛の少女の名前を思わず叫んでいた。

 ブリタも剣の柄を握り「な、なに、この村はっ?!」と身構える。

 だが少年の大きい声に対し直ぐ、馴染みの応答が来た。

 

「はーーい、って……ンフィーレア!? 今日だったのね引越は」

 

 呼ばれる声を聞いてやって来たのは、麦わら帽子を被った笑顔を浮かべる村娘姿のエンリ本人である。

 勿論演技が入っていた。少し前に畑から出迎えに村へと戻ってきている。ただ元々、半月ほどで引越してくると少年からは告げられており、その辺りも上手く言葉に込めていた。

 昨晩、キョウと共にアインズから夕方前に到着するという話は聞いている。その際、ゴブリン軍団をどうするかも少し話をしたが、村に移住してくるなら隠してもしょうがなく事情を説明するということで、特に変わらずいつも通りで過ごしている形だ。

 行商人が来た時は、とりあえずモンスター達は『森で病気の仲間を抱え食い詰めていたのをたまたま救った、義に厚く話の分かる気の良い傭兵団』という事にしている。気の利くジュゲム達も、その時は話を合わせて振る舞ってくれるので助かっていた。エ・ランテルからの徴税官は、収穫の終わった後にしか来ないので当分は大丈夫だ。

 そして何気に、エンリは今朝だが村長より正式に村の防衛責任者に任命されていた……小さい村にしては、配下として19体いるゴブリン軍団と手伝いのデス・ナイト1体だけでも圧倒的戦力であり当然と言える。野伏(レンジャー)のラッチモンも指揮下に入っていた。他のデス・ナイト2体は、エンリへ協力するキョウの指揮下で砦構築に絶賛活躍中だ。

 村での立場と状況も、着実に職業レベルと連動するようにレベルアップを果たしながら、旦那様の期待へ応えようと懸命に尽くす村娘エンリ。

 

 

「あっ、エンリ?!」

「カルネ村へようこそっ、ンフィーレア」

「う、うん。今日からよろしく」

 

 彼女の可愛い声にいつもの笑顔での登場と、周りのモンスターの居る光景へ特に気にする風も無い様子に、ンフィーレアはまだ驚きつつもそのトーンを下げて言葉を返した。

 

「驚いたでしょ? 凄く村が変わってて」

「う、うん」

「自分達の村は、自分達できちんと自衛しようって事になったの」

 

 門だけを見ても素人とは思えず、とてもしっかりと合理的に造られていた。板塀も火に非常に強い燃えにくい丈夫な木材が分厚く使われている。陣地構築に、エンリのもつ職業レベルが遺憾なく発揮されていた。

 

「あと、ゴブリン達に占領されたのかと思っちゃったよ」

「あははっ。そんなこと起こらないわよ。ゴブリンのみんなも、アインズ様のアイテムで来てくれたし」

「そ、そうだよね」

 

 ここは、恐ろしく屈強の黒い騎士達を操るあの偉大な御仁が居る村なのだから。

 エンリは、荷馬車後方へ空中から降りて来た護衛の冒険者達であるマーベロとそして愛しの旦那様が演じている漆黒の戦士モモンだと思っているパンドラズ・アクターへも目を一瞬向ける。

 でも今はまだ、ほぼ面識が無い形なので、彼女はその振りをして再びンフィーレアの座る御者席の方へとすぐ目を戻した。

 

「ンフィーレア、こちらの人は?」

 

 エンリは昨夜、現役の(アイアン)級冒険者ながら移住希望の女性がもう一人来るかもと聞かされてもいたので、内心で驚きは無い。

 自然である少女の問い掛けに薬師の少年は答える。

 

「こちらは、エ・ランテル冒険者組合所属で(アイアン)級冒険者のブリタさん。この村への移住希望の人だよ」

「どうもー。ブリタと言います。今日の護衛のモモンさんからこの村の事を勧められて、住む事にしました。森への護衛や、体力もあるから色々手伝えると思うわ」

「そうですか。ブリタさん、カルネ村へようこそ。歓迎します」

 

 エンリは、にっこりと答えた。しかし、内心ではブリタの行動に少し疑問が湧く。

 普通は小さい村へと引っ込まず、大都市で冒険者を続ける者が多いはずだけどと。

 とは言え、村民が一人でも増えるのは貴重だし良い事である。

 

「ンフィーレア、一昨日、隣の家の吹き掃除はしておいたから、まだそんなに汚れてないと思うけど」

「ほんと? 助かるよ」

「ブリタさんも、村長さんに挨拶をして、どこかいい空き家を探しましょう。案内しますから」

「ありがとう、助かるわ」

 

 門の前での話がまとまった感じのところで、モモンに扮したパンドラズ・アクターが声を掛ける。

 

「バレアレさん。カルネ村へは無事にお連れ出来た事だし、俺達は日が沈む前にこの辺りでエ・ランテルへ帰ります」

 

 引越の荷卸しは、冒険者の仕事では無いのだ。おそらくエンリがゴブリン達を2、3人手伝わせるはずである。

 

「そ、そうですね、ではここで渡さないと。ちょっと待ってください」

 

 後ろへ振り向いたンフィーレアは御者台から降りると馬車の横を通り、後方でマーベロと並んで立つモモンだと思っている人物の所まで来ると、少し色を付けた代金の金貨3枚を笑顔で手渡した。

 

「ありがとうございました。無事に送ってもらって感謝しています。今回はモンスターも出ず本当に安全でした。また是非お願いします」

 

 ブリタも傍にやって来る。

 

「じゃあ、モモンさん、マーベロさん、またね」

「ええ。ブリタさんも頑張って下さい。では」

「し、失礼します」

 

 冒険者モモン役のパンドラズ・アクターと、鮮やかに魔法を展開した純白のローブ姿のマーベロは、速やかに空中へと来た道の上を空高く飛び去って行った。

 ンフィーレアとブリタはその姿を見送る。エンリも離れた後方で見ていた。

 エンリは、内心かなり寂しい。こんなに傍へいたのに旦那様と直接会話が出来なかったのだ。

 しかしここで、切ない彼女の頭の中に聞き慣れない音が響くと、今度は小声が流れる。

 

『エンリ、私だ。これは〈伝言(メッセージ)〉という魔法でな、聞こえていれば小さく頷け』

「!?――っ」

 

 エンリは、立ち尽くしたまま小さくコクリと頷く。聞き違えるはずの無い愛しい旦那様の声。

 

『先程の漆黒の戦士は、私の替え玉だ』

「(えっ?!)」

 

 口調や声は兎も角、以前家の中で見た姿と寸分たがわぬ容姿で、完全に騙されていた。

 声が出そうになり、彼女は右手で口元を押さえる。

 

『私は、お前のすぐ横に居る』

 

 エンリは、無言で思わず左右や後ろを向く。挙動不審だが、ンフィーレア達はマーベロ達を見送っており、荷馬車も間にあって気付かない。

 しかし、不可視化しているため冒険者モモンの姿は、やはり彼女に見えなかった。

 

「そうか、今は魔法で見えなくしているからな。ほら」

 

 更に真横へ寄って来たモモンの微かな声が少し聞こえて、エンリは――その頭を撫でられていた……。

 

「あ、アインズ様……」

 

 久々に、旦那様から直接触れて貰えてエンリは嬉しく、頬が染まる。思わずギュッと抱き付きたくなるがこの場は我慢する。

 

「この状況だと、冒険者として残っても夜まで話も出来まい。落ち着いたらまた戻って来る」

「(は、はい)」

 

 エンリは、囁くように返事をした。

 アインズの言う通りである。ンフィーレアとブリタが見送りを止め、こちらに振り向いて歩き始めたからだ。ンフィーレアの荷卸しやブリタを村長へ引き合わせたり空き家を回ったりと、一段落するまで不用意に接触しない方がいいだろう。

 間もなく頭から愛しい彼の手が離れた。

 

「あとでな」

 

 旦那様の、自分を気に掛けてくれる優しい何気ない言葉。

 しかし、エンリには大きい。それは――夜の御訪問かもしれないと、思いは一気に飛躍する。

 その事へ心の弾むエンリは、見えない旦那様へと小さく小さく頷いた。

 

 

 

 アインズが去ったあと、ンフィーレア達は二頭立ての荷馬車を門の中へと進めゴウン邸の隣まで着く。

 ここで、「あれっ姐さん?」と出来過ぎた芝居の様に、ゴブリン軍団からカイジャリら二人が助っ人に現れる。

 Lv.8のゴブリン兵士の筋力は常人を遥かに上回る。一人でも重量が50キロを超える製薬機材を軽々と倉庫へと丁寧に仮置きしてくれていく。荷卸しはわずかに20分程であった。

 その間にブリタは、エンリに付き添われ村長宅へと伺い、挨拶を済ませる。村長も新しい住人を夫婦で歓迎する。

 それが終わるととりあえず空家を回り、状態が良い感じで村に一軒だけあったイメージカラーと同じの赤っぽい屋根の家を気に入り、新居として決める。

 ついでに近所への挨拶も済ませ、その家に残されていた掃除道具を使い、エンリも手伝って寝床にする部屋だけでもと掃除する。夕暮れが近い午後5時半を過ぎた頃、一段落着いた。

 幸い、まだ数日は使えそうな蝋燭や薪等も残されていて、夜も何とかなりそうである。

 後で食事を何か持ってくると告げ、エンリは一旦ゴウン邸へと道を戻る。

 その帰り道で、彼女は先程まで一緒にいた女戦士ブリタとの会話を思い出す。

 

「さっきね、護衛で送ってくれた漆黒の戦士、モモンさんっていうんだけれど、本当にスゴイのよっ」

 

 そんな感じで始まったが――。

 

 明らかに偏った比率で、冒険者モモンの話が多かったのだ。

 

 偶然ではないだろう。

 エンリよりも年上だが、ブリタもまだ若い乙女。それが何を意味するのかは明白だ。

 女戦士の終始笑顔だった表情からも、熱い好意の気持ちが伝わってくる。彼女も結果的だが、少なくとも二度はモモンに命を助けられたという話だ。

 最近のブリタの身の上話を聞くと、漆黒の戦士と出会う少し前、仕事で盗賊団に襲われ仲間の多くを失い結果的にチームは解散状態で1人になったらしい。モモンと出会ってからも、冒険者を続けたい気持ちは有ったが、新しい良い仲間と出会う機会が少なく上手く見つけられず、彼の勧めも有り誇りと自立を考えこの村へ来たという。

 兎に角、彼女が強調するのは冒険者モモンが紳士だという事。

 その圧倒的剣技と経験の豊富さ。恵まれた相棒は美しくて可愛い従順な魔法使い。普通なら、強引気味の自信家で、女は組み伏す感じの荒くれ冒険者でもおかしくない。というかそんな連中が殆どだと。

 しかし、漆黒の戦士には傲慢さや粗暴さは皆無――知的に冷静且つ謙虚で優しく、欲深くもなく気前がとてもいい、これまでに会った事のない人物だという。チーム『漆黒の剣』の面々も非常に友好的だが、実は彼らも少数側の部類だ。

 エンリにしてみれば当然である。モモンは、良く知る偉大な神に近しいアインズ様なのだから。

 国家を代表するレベルの大きな部隊すら、平然と無傷で完封してのける水準の強さ。一般的に出没するモンスターや盗賊団では、何百名いても恐らく全く勝てないだろう。

 そして、国王すら足元にも及ばないだろう財力と戦力と美女群を持ちながら、驕り溺れることなく冷静に悠然とこの世界を見ているのだ。

 

 まさに人物の格が違う。

 

 とはいえ、憧れる気持ちは共感出来るし、同じ人物に通じていれば価値観が近いと思え、親近感が湧いてくるものだ。

 元々エンリはあれほど至高である旦那様を、一人で独占などおこがましいと考えている。またカルネ村の防衛責任者として、新戦力の戦士ブリタとは仲良く出来そうだと笑顔で家の傍まで戻ってくる。

 

「ンフィーレア、片付けは終わった?」

 

 明かりが灯り隣家となったンフィーレアの新バレアレ家へ声を掛けると、すでにお邪魔していた妹ネムの出迎えを玄関前にて受けた。

 そして、ネムの後に続き外へと出てきた笑顔の薬師少年は礼を述べる。

 

「う、うん。大丈夫、問題ないよ。カイジャリさんとゴコウさんだっけ? ビックリしたけど、凄く力持ちで親切だし助かったよ、色々ありがとう。ブリタさんの方は?」

「家も決まったし、少し一緒に掃除して寝床も確保してきたよ」

「そう、よかった」

「今日はブリタさんの分もあるから、後で何か食事を持ってくね」

「ほんとっ?! 待ってる」

 

 思わぬ手料理の話に、とても嬉しそうなンフィーレア。

 

「じゃあ、あとでね、ンフィーレアっ」

 

 対して、アインズが夜に来るかもと思い、足取り軽くエンリもネムを連れて、踊るようにゴウン邸へと入って行った。

 

 

 

 

 

 アインズは大都市エ・ランテルへの帰路の途中で、無事にパンドラズ・アクターと入れ替わり城壁門まで戻って来る。マーベロが〈飛行(フライ)〉で相当飛ばしたため約30分程での帰還だ。午後5時へ近い。

 パンドラズ・アクターの化けた冒険者モモンは、ンフィーレアやブリタ、エンリにも十分通用する事が分かり、非常時には当てになりそうだ。

 ただ少し注意点がある。パンドラズ・アクターが扮する場合、素でレベルが80程になる。なので攻撃については、デス・ナイトを少し上回る程度まで力を押さえろと通達している。

 『漆黒』のモモン達は、カルネ村への護衛任務終了を伝えに、いつもの第三城壁門を通過し冒険者組合へとやって来た。

 明日も、先日引き受けた五つ目である最後の護衛案件が控えている。都市外へ出られるかについても一応確認しておくかと、組合の扉を開く。

 ロビーには掲示板に貼り出されている仕事を見ていたり、軽く情報を交換している冒険者達が10名以上いた。

 

 そんなロビーのソファーに―――ニニャは一人座っていた……。

 

 モモンは気付かなかった。『漆黒の剣』はいつも四人で行動すると思っていたからだ。

 入口の扉を開けて入って来たのが、先程から1時間ほど待ち続けた淡い想いを寄せる漆黒の戦士だと気付き、ハッとするように『術師(スペルキャスター)』の二つ名を持つ彼女は立ち上がる。

 

(モモンさん……これで会えるのが最後かも知れないから、今日お話をしておきたいっ)

 

 ニニャには、秘めた決意があった。

 

「ぁ、あの、モ――」

「――モモンさんっ、丁度いいところにっ!」

 

 ニニャがモモンへ正に声を掛けようとした時に、それを完全にかき消す形で受付の女性から大きい声が掛かった。

 ロビーにいた10名以上の冒険者達が、一斉に受付嬢を見る。隠す事ではない祝い的な意味も込めて、彼女は続けて叫んだ。

 

「先日の盗賊団討伐の実績が大きく評価されたのと、今、非常事態という事もあって急遽――モモンさんとマーベロさんのチームは白金(プラチナ)級へ認定されたんですよっ!」

 

 すると、本人達よりも周囲に偶々いた冒険者達の方が驚きと歓声の声を上げた。

 

「おぉーーーーっ、凄いなっ、加入して半月だぞ!」

「信じられないぜ、(カッパー)が一気に白金(プラチナ)級って。やるぅーっ」

「ええっ? すごい飛び級っ!?」

 

 ニニャもその場で唖然となる。彼女も聞いたことが無い驚愕の昇級内容。

 目立つ立派な漆黒の鎧や純白のローブに紅い杖を装備するモモンとマーベロが、まだ(カッパー)級という事実は有名であった。

 冒険者達の階級は本来、試験によって上がっていく。概ね期限内に基準の戦果を上げることで強さと能力を証明する形だ。

 だがこのように、大きな功績の場合は達成チームの水準が再評価される場合がある。

 今回の対象は特に、(ゴールド)級を含む冒険者チームまでもがいくつも犠牲になっており、相手が数十人である上に相当の難度を持つ者達で構成され、達成難易度はかなり高い内容であったと評価されていた。

 するとここで、受付嬢の声とロビーの騒ぎが届いていたのか、事務所奥から扉を開けて冒険者組合長のアインザックが出てきた。

 

「おお、噂のモモン殿とマーベロ殿か。丁度いい、少し奥で話をしたいが時間はいいかな?」

「ええ、大丈夫ですが」

「は、はい」

「では奥で話そう」

 

 そう言って通路を通り、モモンとマーベロは事務所奥の広めの会議室へ、アインザックに従い入室する。

 

「まあ、掛け給え」

 

 8人掛けのテーブルの手前側へモモンら二人は並んで着席すると、窓際の上座の席に組合長のアインザックが座る。

 そこで受付の女性が、お茶と林檎より一回り大きい袋を二つ乗せたトレーを持って入って来た。彼女はお茶を配り、袋を組合長の傍へ置くと礼をして出て行く。

 

「さて、少し話を聞いたと思うが、君達は今日から白金(プラチナ)級冒険者だ。先日の盗賊団討伐については人を送ってアジトも検証した結果、別の都市だろうが元冒険者崩れの連中だという事も分かった」

「そうですか……」

「手強い相手だったと思うが、本当によくやってくれた」

「いえ。皆さんの安全を守れてよかったです」

 

 街の多くの商人や旅人達を襲撃していたのが、元冒険者崩れの一団と分かれば、エ・ランテル冒険者組合の信用や面目的にも大きい問題となる。また、これに対処することは当然であり、急務になったと思われる。それをモモン達は結果的だが事前に処理してくれていた。

 アインザックは、そういった面も考慮して総合的に判断する人物であった。

 

「まず、白金(プラチナ)のプレートを渡しておこう。おめでとう、これからもよろしく頼む」

「ありがとうございます」

 

 大した労力を使っておらず、余り期待していなかった人質救出と盗賊団討伐が思いのほか好評で、モモン達の名声上昇と実績に随分貢献していた。街の中の人々、また冒険者達も、余所者で新参だったモモン達への見る目が大きく変わった。明らかにもう街の一員として、隣人的扱いで親近感を抱いてくれているのだ。この立派で友好性溢れる実績がそうさせていた。

 元々はシャルティアが失態を挽回しようとして、頑張って捻り出してくれた案であるのだけれど。彼女は、いい仕事をしたと言える。

 

「そして、これは功労金だ。アジトから回収した財貨は金貨で1150枚ほどにもなった。今回は色々と貢献度を評価して本来の1割ではなく1割5分としている。金貨――173枚だ、さあ受け取ってくれ。遠慮はいらんぞ」

「あ、はい、では遠慮なく」

 

 すでに、アインズ側でも金貨1200枚と400枚。モモン側でもこれで200枚程受け取っている。他、陽光聖典らから得たスレイン法国の金貨も80枚程あった。

 一般世帯の年収は金貨10枚程度。

 何気にアイテムボックスへどんどん貯まっているが、これはまだほんの始まりに過ぎない……。

 また、モモンは良い事ばかりに思考を向けていなかった。

 (カッパー)から白金(プラチナ)級へ変わった事で、大きく変わることがあった。

 それは続けてアインザックの口から伝えられる。

 

「ついては、分かっていると思うが今は非常事態だ。少しでも力があり戦力となる冒険者を必要としている。君達も――竜軍団討伐の為、急遽だが王都遠征に参加してもらいたい」

「……少しだけ質問が」

 

 その静かなる問いは急に遠征を振られた事で、この『漆黒』チームも(ドラゴン)を相手にする事へ内心動揺しているのかと思い、そういった関連の質問だと組合長は考えていた。

 

「何かね?」

「実は――明日、護衛の仕事を受けているんですけど、それが終わってからでも良いですか? それと、仕事は都市外に出てなんですけど、問題ないですよね」

「……そ、それだけかね?」

「はい」

「ふっ、ははははーっ。いいとも。いや、大事な事だな、うん。都市外に出ても大丈夫だ。王都で明日から一週間後に遠征した組合員の再点呼をするから、それまでに来てもらえれば問題ない。また急での病気なども考え、数日の遅れぐらいは大目に見るつもりだ。話は以上だよ」

 

 そう語るアインザックは内心で驚く。急であったはずのこの場での状況変化の後も、モモン達の雰囲気は横に座るマーベロも含めて微塵も変わらない事に。

 今日の昼間に会ったが、この都市で最上位クラスとなるミスリル級冒険者チームを数年率いるイグヴァルジですら、期待と恐怖の入り混じった複雑な雰囲気を漂わせていたから。

 先の集会でも王都での再点呼の話は伝えられている。そこに居なければ厳罰になると。(カッパー)級のモモン達は関係ないと、その場では軽く聞き流していたが。

 モモンは、新しいプレートを首へ掛け、金貨袋をとりあえず懐へしまうと席を立つ。

 

「では、明日の仕事を終わらせた後、王都にて合流しますので」

 

 続いて新しいプレートのマーベロも立ち上がった。最後にアインザックも立ち上がり、モモンとマーベロへ順に握手する。

 

「よろしく頼む。『漆黒』の君達には――大いに期待している」

 

 装備と貫録、そして実績と力量。アインザックはモモン達を最低でもミスリル級以上、恐らくオリハルコン級並みの実力だと推測し始めている。

 背負うグレートソードの二刀流と紅く高位の杖……噂通り人食い大鬼(オーガ)を一閃する威力で自在に振れる戦士と、第三位階魔法を無尽蔵に速射連発出来ると聞く詠唱者ならアダマンタイト級も有り得ると。

 正直、今回の盗賊団の規模を考えると、白金(プラチナ)級一組では難しい水準だと思えた。しかし、流石にいきなりミスリル級へは、実力よりもまだ実績が不足と言える。

 今回は実力とかなりの実績から、白金(プラチナ)級が落としどころだと組合長は判断していた。

 予想通り、街の安全に随分貢献したモモン達の異例の昇級をこのあと批判する者は殆どいなかった。実力があってこその冒険者である。同じことが自分に出来るかを考えれば、荒くれ達も自然と言葉を選ぶ。

 15分ほどで奥から出て来たモモン達は、いつの間にかロビーへ先程より集まって来た冒険者達から、祝福の言葉を受ける。

 

「昇級おめでとうっ!」

「快挙だぞ、王都でも殆ど聞かないぜ」

「ほんとに白金(プラチナ)へ上がったのねー」

 

 モモン達の首に掛けられたプレートは紛れもない白金(プラチナ)の輝きを放っている。

 ここへ来た冒険者達は(ドラゴン)と戦う事が不安なのだ。そんな状況の中で、モモンの様に突出した強者の出現は多くの者の希望となる。だから、出発前日の今、少しでもあやかりたいと集っていた。

 対してモモンは、とりあえず手早く礼を述べる。そして知り合いでもないのに、いつまでも付き合う気もなくお引き取りを願う。

 

「皆さん、ありがとうございます。俺達はまだこちらへ来て間もないので、これからもよろしくお願いします。すみませんがまだ仕事の途中ですので、この辺りで失礼します」

 

 そもそもまだ、ここへ来た目的であるバレアレ家依頼の『カルネ村への護衛』に関する終了報告が終わっていなかった。冒険者達も、仕事の邪魔は出来ないとロビーから引きあげ始める。

 モモン達はすぐに受付へ向かうと、手順通り受付嬢へと仕事完了の報告を行なった。今回はモンスターを討つ機会に遭遇せず、それによる功績と報奨金はゼロという形だ。

 ロビーから人は減ったが、まだ掲示板を確認する者もおり10人程の冒険者達が残っていた。

 ようやくモモン達が受付での報告を終えると、その残った冒険者の中で先端に輪の部品がある杖を持った一人の人物が後ろから近付いて来た。

 

「モモンさん、マーベロさん」

 

 結構聞き覚えのある声に、モモン達は振り向く。

 そこには――ニニャが立っていた。

 モモン達も遠征するという事で状況は変わったが、彼女の決意は固く変わらず、まだこの場へ残っていた。彼女は決めた事から逃げるタイプではない。

 モモンとしては、ツアレの妹と確信していて僅かに複雑である。一体どういう形で会わせれば自然かと。アインズとモモンの繋がりは余り感付かれずにいたいのだ。一番無難と思うのは、最終的にツアレをカルネ村へ連れていく事だと考えている。現状、それ以外に自然性の高い接点は皆無。モモンが村でツアレの事を一度でも聞ければ、「カルネ村にツアレを名乗る金髪の娘がいる」と一言報告するだけで良いし。

 

「見てましたよ。白金(プラチナ)級への昇級、おめでとうございます。流石ですね」

 

 ニニャは自分の事の様に、本当に嬉しそうである。

 今まで彼女も一階級の飛び級すら聞いたことが無い。しかし、モモンとマーベロの圧倒的だったあの戦いを見れば十分納得できる結果だと思う。ニニャは魔法詠唱者(マジック・キャスター)らしく、あの盗賊団との戦いで見せたマーベロの連続魔法発動数に驚いていた。正に速連射である。自分もリキャストタイムギリギリで頑張れば二連射、稀に三連射ぐらいまでは出来ると思うが、それ以上となると普通は続かないのだ。マーベロの十連射を受ければ第四位階の魔法詠唱者も普通に危ないだろう。

 そんなことを考えているニニャという戦友的知り合いからの祝福に、モモンは素直になれた。

 人であった頃の感情や精神は、随分薄れていたが無くならずに残っている。先程、面識のない人間達に祝福されても感慨はなかったが、『漆黒の剣』のメンバーに言われると心に届いていた。

 

「ありがとう。知り合いに言われるとやっぱり嬉しいかな」

「あ、ありがとうございます」

 

 マーベロも、モモンが喜んでいる様子に合わせてニニャへとお礼を言う。相手を判断してここでも自然に動いてくれる。

 ふとここで、モモンは気付いて尋ねた。

 

「あれ、今日はニニャ一人?」

「え、ええ。……ちょっと外に出ませんか?」

 

 彼女の苦笑する表情と雰囲気から、なにやら訳が有りそうだ。ここでは他の者に聞かれそうで話し難い内容なのだろう。姉の話かもしれない。

 

「分かりました。じゃあ外へ行きますか」

 

 そうして三人は受付や、残っている冒険者らに挨拶や会釈する形で冒険者組合の建物から外へ出る。

 パンドラズ・アクターは不可視化のまま、邪魔にならない様に〈飛行〉や〈転移〉を使って会議室等へもずっと傍に付いて来ていた。

 

(そういえば、新しく貰った白金(プラチナ)級のプレートのコピーを急ぎ作らないといけないか)

 

 今日の件でもそうだが、(カッパー)級のプレートは複製品を用意しており、パンドラズ・アクターはそれを持っている。今入れ替わる場合は、白金(プラチナ)級のプレートを渡す必要があった。手渡せない場合も考えて、複製品はやはり必要だろう。

 時刻は午後5時半頃。夕暮れは近いがまだ明るい。

 組合前に広がる広場の中へと進む。植栽や噴水もある場所だが人通りは多い。まだモモン達に挨拶をくれる冒険者達も結構いて、ここで立ち話をするという訳にもいかない感じだ。

 

(さて、どうするかな……)

 

 そう思った時であった。

 

「モモン……ちゃん?」

 

 また、聞き覚えのある()()()()()()()()()に、漆黒の戦士とマーベロ、そして釣られる形でニニャは振り向いた。

 

 

 

 そこには――前を緩く開けた紺碧色のローブを纏って、以前とは違う騎士風の衣装装備に腰へ左右1本ずつ握り手の細工も立派であるスティレットを下げ、フードで美しい金髪や表情を隠したクレマンティーヌがひっそりと立っていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. シャルティアと配下達。

 

 

 ナザリック地下大墳墓、第二階層の一角を占めるシャルティアの自室区画から少し歩いたところにある一室。

 デミウルゴスは、トブの大森林への侵攻時にコキュートスと変わりナザリックの防衛を担当する際の注意点等を洗い出す目的で、シャルティアとの打ち合わせの為、ここを訪れていた。

 その打ち合わせが始まって10分程過ぎた頃、デミウルゴスは急に立ち上がり「はっ、直ちに」と言葉を残し〈転移〉していった。

 

「えっ、なに?!」

 

 寝耳に水というか、残されたシャルティアは状況がサッパリである。

 デミウルゴスがあれほど畏まるのは、至高の御方の我が君に対してだけだ。

 

「なんて羨ましいっ、ズルいでありんすっ」

 

 確かに駆け引きが入る役目をシャルティアは余り得意としていない。彼女は、単に豪快なパワー勝負という戦いが向いていた。

 それでも、連れてけと思う。彼女も絶対的支配者のお役に立ちたいのだ。

 難しい駆け引きなど無視していっそのこと、全部倒してしまえばいいのだと。

 デミウルゴスには無理でも、全力装備のシャルティアになら可能である。

 相手が世界級(ワールド)アイテムを持っていなければ、相当強い敵に加え2、3体連戦でも圧倒して勝てる自信も持っていた。

 そのためにナザリックの門番とも言える、第一から第三階層の守護者を任されているつもりでいる。

 

 だから――シャルティアは機嫌が悪くなった。

 

 今回も駆け引きの難しい急務の依頼なのだろう。でも行けば、何か出来るはず。

 それが今ここで、お留守番である……。

 この時、側近の吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達が守護者を慰めようと声を掛けた。

 

「シャルティア様は、お強いですわ」

「デミウルゴス様は御忙しいですわね」

 

 それを聞いたシャルティアが、ジロリと側近らを睨むように目を向け口を開く。

 

「あ? 強いのに何故、残されてるんだ私は? そうだな、私はどうせ暇だよ」

「「……」」

 

 どうも、吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達の向けてくる言葉や行動は、シャルティアの思いから逸れていてチグハグなのだ。

 

「……もういい、お前達、下がれ」

「「は、はい……」」

 

 シャルティアが、配下へ手荒くよくイライラしているのには原因があった。

 彼女は、このナザリックのNPC達の中で僅か9体しかいない最高のLv.100を誇る。

 それに対して、見た目を重視したシモベである側近達の吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)のレベルは20台後半と低かった。

 Lv.80を超える最高位のアンデッド達も階層配下にいるのだが、戦闘に特化した者達で会話がかなり微妙といえる連中であり普段は遠ざけている。

 そのため、平時は要求に対して十分に期待へ応える者がいなかったのだ。

 

 そんな彼女の現状を見ている者がいた。

 ギルドのAIマスターであったヘロヘロ作の新参NPC『同誕の六人衆(セクステット)』の一人、謎スライムのエヴァである。ちなみにボディー色は高貴な紫だ。

 

「……………(イケマセンネ)」

 

 エヴァは物腰と話は静かでも、気はよく利く方であった。

 先日より、この謎スライムは自らの意志でシャルティアの配下に加わっている。

 紫色であるスライム状の粘体の身体で這うように近付くと、上司に向かい話し掛けた。

 

「……………(エヴァデス、シャルティア様。焦ラズトモ、竜王トノ戦イニハアインズ様ヨリ必ズ呼バレマスカラ)」

 

 シャルティアとしては動死体(ゾンビ)で可愛いフランチェスカに来て欲しかったのだが、我が君が決めた自主選択に異議を唱えるつもりはない。

 それにこの者はシモベでは無く、至高の41人の方の創造物。上下関係はあるが、会話には廓言葉を使っている。

 

「……そうか、そうでありんすね」

 

 だがエヴァの言葉も彼女には、気休めのように思え軽く返した。ところがそれを上書きする語りが続く。

 

「……………(先日ノ宴会デ、アインズ様ヘソレトナク再度確認シテオキマシタ。必ズ呼ブト仰セデシタヨ)」

「!――そうでありんすかっ、とっても嬉しいでありんすよ!」

 

 胸元で両手を合わせて喜び、シャルティアの機嫌は一気に直った。堂々と活躍出来るとニコニコしている。

 そして、エヴァは加えて前向きに提案する。

 

「……………(デミウルゴス様ヘ、次ハ呼ンデ頂ケルヨウニ、気持チヲ示サレテハドウデスカ?)」

「うーん、……どういう感じででありんすか?」

「……………(マズハ常ニ真剣ダト言ウ、意気込ミヲ見セテオクベキデス)」

「ふむ、ふむ。悪くないでありんすね」

「……………(コノ後、打チ合ワセガ大事ダト意思表示スルタメ、デミウルゴス様ノ帰リヲ出迎エラレテハ?)」

「そうね、積極性は大事よね。今回は特に大事なナザリック防衛の打ち合わせだし。待つのは性に合わないけど、いいでしょう。今日は待つでありんすよ」

 

 そう言って、彼女は第一階層へと単身で上がっていった。

 このときの積極的に取り組む彼女の姿勢をデミウルゴスは、細かい所ではあるが重要点として、しっかり評価している。

 

 デミウルゴスとの打ち合わせを終えたシャルティアへ、側近の吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達が労う。

 

「今回の防衛の大役はシャルティア様へピッタリです」

「きっとアインズ様も、シャルティア様の働きに期待されておりますよ」

 

 シャルティアは彼女達へゆっくり顔を向けると――ニッコリ微笑んだ。

 

「そうよね。きっとそうだわ……お前達もたまには良い事を言うじゃない。褒めてやる」

 

 側近の吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達も守護者に褒められ笑顔を浮かべる。

 単純に直感で動くタイプのシャルティアは、独りよがりの考えかと少し不安だった部分を配下に同意され、やっぱりそうかもと思い直しているのだ。

 階層守護者の真祖は、このあと気分良く過ごした。

 デミウルゴスとの打ち合わせ中に、エヴァが側近の吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達へ何度も問答をし守護者の考えや希望する言葉と意味を丁寧にレクチャーしていたという……。

 

 守護者序列一位であるシャルティアの率いる軍団が、高速回転で順調に回り始める。

 

 

 

 

 

 

――P.S. 王城にて。

 

 

 王都リ・エスティーゼにあるロ・レンテ城内のヴァランシア宮殿には、大理石で造られたそれなりに立派といえる浴槽のある入浴場があった。

 王家の客人であるアインズ達もその使用が許されている。

 ただし、水を薪で沸かす形なので、毎日とはいかず二日に一度という事である。

 宮殿の一階の一角にあり、男性用、女性用と分れていた。

 また王族の入る時間は決まっており、お湯の綺麗な午前、その10時までは客人も使用禁止である。

 それでも、ルベドやユリら乙女達は十分サッパリと出来る。

 いや――そんな甘いものではない。

 客人という名目上、アインズ達の一行もしっかり入浴しなければならない。

 『不潔なお客人』という不名誉的汚名が、至高の御方へ付かないように……これは正に課された義務なのであるっ。

 

 

 ルベド、シズ、ソリュシャンは客人という立場であり、王家の入る時間以外は自由に入浴出来る。彼女達は、日が沈んだ後で入浴する事にしている。

 水晶が放つ〈永続光(コンティニュアルライト)〉により浴室は幻想的空間になる。

 これは、昼間よりも視界が悪いという状況を利用できる時間帯でもあった。

 

 ルベドは腰から生えた白く優雅でモフモフな翼を持つので、人が多いと不可視化していてもマズイ点がある。浴槽に入ると当然、湯が翼の部分を避けるのだ。

 他の客と言っても貴族の婦人と召使い程度なので、本来気にするほどの人数ではない。ところが、色白で天使の彼女は美しすぎて視線を集めてしまっていた。

 ルベドは姉達であるアルベドらよりも少し背は低いが、コンパクトグラマラスで僅かも見劣りしない綺麗な肢体を披露している。なので、他に人が来るとルベドは浴槽には入らず、身体を丹念に洗っていた……。

 

 シズは、自動人形(オートマトン)だが、しっかり防水加工されているので入浴も()()可能だ。また、服は脱いでも眼帯はやはり外さない。

 着やせするタイプで、小ぶりながらも美しい形の胸はしっかりと存在している。

 そんなシズにも難点があった。浴槽へ横になると――比量で底に沈み続けるということだ。

 なので、浴槽内で横になることだけは禁じられている……。

 

 そしてソリュシャンである。

 プレアデス姉妹でも屈指の美しさ。それは髪や顔だけではなく、そのスタイルも絶世の女性体と言えるだろう。

 その彼女の難点は――入浴場で全裸の人間を見ると、絶好の餌に見えることだ……。

 入浴時は気分がいいので、思わずパクリと食べたい捕食衝動が激しくなるという。

 このため、人間の入浴者が他にいた場合は、背を向けて離れていなければならない。

 

 彼女達は入浴時、一切体を隠す形の湯浴み着や布などは身に当てずに入っている。

 いわゆる全裸である。

 そんなシズ達は、偶々3人でのんびりと浴槽に浸かり入浴していた。

 すると、ソリュシャンが不意にトンデモナイ質問を繰り出す。

 

「ルベドは――()()()()最初に洗うんですの?」

 

 すると、最上位天使はアッサリ答える。

 

「羽。元々敏感で大事な所だけれど、アインズ様が気に入って最近触ってくれるから」

「あら、そういえばそうですわね。アインズ様はモフモフなのがお好みみたいですわ。羨ましいですわね。私もソレ狙いで髪から丁寧に洗ってますわ。私の髪も艶々で触り心地良くロールも増し増しにしてますから、もっとナデナデして頂きたいところですけれど……姉様は?」

「……ナデナデ狙い。髪は……大事」

 

 少し頬を赤らめつつ、シズも答える。どうやら、姉妹の狙いは同じようだ。

 

「そうですわね。アインズ様に私達の髪をもっと堪能して頂かないといけませんわ。……でも、姉妹の中で姉様の撫で回数が多すぎるように思いますけど。少し私にも回して下さいな」

「……無理……譲れない」

「そ、そんな……」

 

 すでにナデナデは、シズの『らいふわーく』ルーチンに組み込まれている模様だ。

 ソリュシャンはこの時、要望を拒否されたと思った。シズとしてはナデナデを譲れないと。

 

「……ソリュシャン……それ……譲れるモノ……違う」

 

 だが先の『譲れない』は、拒否ではなく否定であった。

 

「うっ、確かにナデナデはアインズ様の御厚意でご褒美。失礼でしたわね……分かりましたわ、このソリュシャンも全力でナデナデを貰えるように励みますわっ」

「……シズ……負けない」

 

 ルベドは、姉妹の温かいやり取りをお湯にゆったり浸かりながら、ニヤニヤとご機嫌で眺めていた――。

 

 

 

 ユリとツアレは使用人という立ち位置。暗黙の了解で入浴は一番遅めの時間帯となる。

 ユリは首のチョーカーに白い布をスカーフの様に巻く形で、誤魔化して入っている。もちろん眼鏡は外さない。

 二人は色が透き通る様に白い。特にユリは胸も大きくスタイルは完璧で美しい。

 

「ユリ様は本当にお綺麗ですね」

「ありがとう。でもツアレ、貴方もとても綺麗だと思うけど?」

 

 ユリから見ても、ツアレは左右での差が比較的小さく、それを除いても艶の輝く金髪を初め、人間にしては顔立ちや体形の整った明らかに美人の容姿を持っていた。

 妹達も、まあ人間にしてはと、口を揃える。

 ツアレは、ルベドからユリがシズ達の長姉だという事を知らされ、このメンバー内で使用人という立場は仮初めであることを聞いて、それ以来敬称を付けている。

 彼女は底辺から救って貰った身で、ご主人様と共にゴウン家を支えている風に見えるユリやソリュシャン達とは立場が全然違うからだ。

 小都市エ・リットルにて、宿泊する高級宿屋でアインズより、貴族達への反撃の意志を聞いた後の就寝前に「これからは一個の人物として新たに誇りを持ち、過去の事は余り気にするな」と伝えられていた。

 もちろん、ツアレはそれ以来誇りを持っているつもりでいる。もう、ご主人様以外にこの身体で尽くすつもりはない。ユリ達ゴウン家の者への敬称は、救って貰った者のけじめでもある。

 それにしても、ここでは食事も三食あり豪華、寝床も立派で暖か、ご主人様は最高で、ソリュシャン達からも隷属的扱いは一切ない。おまけに、こうしてゆっくりのんびりできる入浴まであるという。

 ツアレは、こんなに幸せでいいのかと毎日思っている。

 

「ありがとうございます、ユリ様」

 

 褒められるもこの容姿の所為で、弄ばれる身分になり人生が狂ったと言える。しかし同時に、このご主人様へ引き合わせて貰える引き金になったのも事実。今は過去に囚われず、これで良かったのだと思える人生にしようと考えている。

 

「……ここ数日は夢みたいな生活です。ほんの一瞬で、ほんの小さいきっかけで、人は死んだり生きたりするのですね」

 

 ツアレに人生とは、本当に紙一重で難しいものに思えた。

 そんな彼女の言葉へ、あの出会いの時を思い出しユリが自分の考えで語り掛ける。

 

「でもツアレ。君はあの時、ちゃんと自分の力で手を伸ばしてきたのでは? 努力をしない者に、手を差し伸べる者は少ないと思うよ」

「……はい」

 

 確かに。

 ツアレはそう思った。あれは間違いなく毎日、屈辱に耐えて準備をしてきた結果だったと。そしてこれからは、アインズ様の為に日々尽くす努力をしていこうと思っている。

 ユリは、人間に対しても真摯に接する事から、このコンビは非常に良い自然の関係であった。

 

 午後9時を超えるこの時間、宮殿の召使い達の利用は多く、今も二十人近くが入浴場に現れている。

 宮殿の召使いは、下級貴族達の娘でも容姿の整った者らが寄越されていたが、その者らが集っているこの場の中にあって、ユリはズバ抜けて美人であった。そして次がツアレである。ツアレだけでも、貴族の娘達を凌ぐ美しさを持っていた。

 ユリとツアレは数回ここを利用しているが、二人に入浴場で遭遇すると、召使い達の女子からは密かに自身へのため息が漏れていた。

 

 

 

 アインズ一行の中で入浴に際し――ただ一人、微妙な立場の人物がいる。

 

 至高の御方の代役を務めるナーベラルである。

 

 影武者である以上、支配者の『入浴する清潔なお客人』という名誉を守る為……男湯に入る必要があった。しかも全裸でだ……。

 ナーベラルとしての存在は、この宮殿内にあってはならない。女湯ではダメなのだ。

 とは言え乙女であるナーベラルは、下等動物である上に全裸のオスと同じ浴槽に入るなど、絶対に御免被りたい。

 しかしそれは我儘というもの。凛々しい目付きで口をもごもごしつつも黙して悩むナーベラル。

 そんな、乙女の配下を不憫に思ったアインズが取った作戦は――誰も入らない夜中に男湯へ入るという手である。

 入浴場の掃除は、入浴の無い翌日に行われるため、お湯は夜中もまだ抜かれておらず使うことが出来た。

 だが、ナーベラルによる夜中の入浴が実行されたのは二回目の入浴時以降であった。

 王城に来て初めての入浴は、晩餐会の行われた夜の事である。

 しかしその時はアインズがいたため、ナーベラルはもしもの時のため不可視化で同行するに留まる。

 アインズは自身の周囲へ準備していた幻影魔法を展開することで、離れて見る分には人間の体に見えるようにした。

 もちろんソリュシャンにより、他に入浴者の居ない事は確認済である。

 ナーベラルは主へ失礼の無いよう、ドキドキしながら目を閉じ終始跪いて脇で控えていた。

 そうやって、アインズは入浴を無事に終える。

 さて、入浴場から引き揚げようと出入口を出た時だ。時刻は夜中の0時頃。

 この朝、竜軍団の知らせが来るのだが、この時間はまだ静寂が宮殿を包んでいた。

 男性用と女性用の入浴場は湯を沸かす等、構造上一部薪釜部屋を挟んで隣り合っていた。それゆえ、互いの入り口前を通る事もある。

 とはいえ遅い時間にも拘らずアインズは、四人の召使いの女性達に椅子を担がれ、それに座る一人の人物とすれ違った。

 正確には男湯の入口前を通過していた時に、アインズ達が出てきたという形。

 ソリュシャンは接近に気付いて一応〈伝言〉で知らせるも、入浴は終わっており、客人ゴウンの入浴を目撃している人物がいた方が良いと判断したアインズはそのまま出る。

 

「ん?」

 

 少し薄暗い廊下の中でアインズは、〈闇視(ダークヴィジョン)〉で鮮明に視界へ捉えるその人物を見て、少し驚く。

 その人物は、真っ白い肌で青緑の瞳の少女。身に纏うは真っ黒いドレス。

 

 ――そして、その美しい金髪と顔はラナーに似ていた。

 

 少女は、無言だったが軽く会釈をくれた。

 アインズも小さく返す。

 この時、彼の目に映った少女の姿に、脛の下の素足も見えていたが、退化した風に少し細かった。

 四人の召使い達と椅子に乗る少女は止まることなく、ゆっくりだが(じき)に入浴場の女性用入口へと消えて行く。

 アインズは、その場に立ち止まり見送っていた。

 

(足が不自由で、王女に似た少女……?)

 

 絶対的支配者の思考には自然と、その存在が空白の第二王女のことが浮かんだ。

 だがその価値は、王家でも存在を隠す様に入浴させられている状況と同じく見い出せず、アインズの記憶の奥へと今は仕舞われていた――。

 

 

 




捏造)第十位階魔法〈時間保持〉(タイム・ホールド)
止めた時間の中で動く〈時間停止〉(タイム・ストップ)とは少し違い、一定の範囲に〈時間停止〉を掛ける。中に入れば〈時間停止〉と近い状態になるが外の時間は流れているという形。
〈時間凍結〉(タイム・フリーズ)もあり、それは〈時間保持〉が長期的なもの。
消費するMPやデータ量に差がある。またユグドラシルでは、制限時間が存在した。
ただ、いずれも其々対策されれば無効化される。



捏造)ラナーの頭の中
あくまで普通の人間種として頑張ってみました(汗
さすがに普通の人間では、ナザリックの圧倒的な力を相手に限界はあると思います。

ちなみに元々は、うまく戦士長を先に和平交渉団の護衛に加える予定でした。そうすれば自動的にゴウン一行は付いて来るので。
それをゴウンが別人と見て容易だと、前後逆にしてしまった……策士策に溺れた感もあり。



捏造)王国第二王女
つまりラナーの姉。
そして、また登場する姉妹が密かに増えた……(笑



補足)ニンジャな双子姉妹
18話にて神視点で頭領三姉妹と出ていますが、この部分ではナザリックに伝わる情報とデミウルゴス思考の箇所なので。



誤字報告の方)機能に気付かず…サンクスです
Bow and scrapeほど格式ばっていないのもあり、ウィキの写真ですと曲げてるのはやはり右手で左手は伸ばし水平や下方に出すみたいなので、左手に関しては割愛する感じで表現を少し修正しました。
もう一か所は、一応補足に追加しました。
※なお、誤字報告と内容訂正は違う気がしますので、感想でお願いします~。


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STAGE30. 支配者失望する/箱のヒトツは開かれた(4)

注)本作のモモンの声色と口調については、鈴木悟の素の声口調になっています


 ここは、バハルス帝国並びにスレイン法国と国境が間近いリ・エスティーゼ王国王家直轄領都市エ・ランテル。その冒険者組合前に広がる広場前。

 王国北西の隣国、アーグランド評議国より国境を越えて、4日前に突如侵攻してきた竜軍団300余に対し、王都からの要請により招集される一般兵団に先立ち、ここエ・ランテルを拠点とする冒険者達の竜軍団討伐遠征隊の出発を明朝に控える前日の午後5時半を迎えた頃。

 広場には不思議な――いや、予想外の4人が揃い、顔を合わせていた。

 それは、完全不可知化でモモンらと同行中のパンドラズ・アクターと、アインズの命でニニャを遠巻きに護衛している八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)1体を除いて。

 

 まず必死の戦いを前にし、モモンへ最後の相談をしようと組合事務所で1時間以上待っていた、『漆黒の剣』のメンバーである男装の少女、魔法詠唱者(マジック・キャスター)ニニャ。

 次に絶対的支配者ながら冒険者に扮し、先程急に白金(プラチナ)級へと昇級と遠征参加を言い渡された、漆黒の戦士モモン。

 その愛しい〝モモンちゃん〟との5日後に控えた定例報告での再会が、在籍部隊の緊急な竜軍団討伐遠征で出撃になり、神都不在で無理となってしまう事を考え前倒しで会いに来た、スレイン法国特殊部隊漆黒聖典所属第九席次『疾風走破』の二つ名を持つ全力装備姿のクレマンティーヌ。

 そして。

 

(えっと、クレマンティーヌ……モモンガさま配下の人間の女。近付いて来てたけれど、敵対的素振りは無し、っと)

 

 その女騎士の接近に当然気が付いていた、冒険者モモン――いやモモンガ様に対し永遠の忠誠を誓う配下マーレ扮する、純白のローブに紅き杖を控えめに右手で持つマーベロ。

 紺碧色のローブの前を緩く開ける形で纏い、フードを顔の覗く程で浅く被った姿のクレマンティーヌは人間として究極の強さと警戒能力を持つと言えるが、それを目の前で見詰めているマーベロは遥かに上回る水準で不意を打たれない。

 ナザリックを離れ、今もさり気なくモモンと手を繋ぎ、微笑ましい2人きりのチームであるが、逆に言えばこの冒険者でいる間において、主人である『モモンガさま』の護衛はマーレしかいない。

 彼女はマーベロとして第三位階魔法詠唱者の立場であるが、主へ危険が及ぶ場合は何時でもそのLv.100の力を全解放するつもりで常にいる。

 どうやら今のところ、クレマンティーヌという女は、過度の心情が甚だ行動へ顕現するも冒険者モモンに対しての忠誠心だけは絶対的である様子。ナザリック所属となれば、その一点だけは決して揺らいではならない。モモン以外には容赦なく残虐に牙を剥くという点も、実はナザリック内においてかなり高評価だ。

 クレマンティーヌに対してマーベロは、モモン依存で弱い立場の少女として振る舞い、チームにて『新参だが上位者である女騎士』の行動を許容している立ち位置。

 人間であるクレマンティーヌの積極的行動に不満もあるが、主へ溢れ出る愛情については……タイプとして受け身メインで違うマーレだが想いは同様なので、とやかくは言わない。

 あとは、モモンガ様が判断される事である。

 一方ニニャに対しても今の所は、冒険者モモンの対応に合わせている形だ。

 マーレとしては本来、ナザリック以外の者などどうでも良かったのだが、モモンのパートナー『マーベロ』として、下手な行動は主が扮する『モモン』の名声や立場に影響する。それは細やかであろうと、絶対的支配者の意向にかかわる事象であり、勝手や失態は避けたい。加えて、先日の盗賊団からの夜襲に接して以降、ニニャらに関してはモモンの『武勇伝を広めてくれる存在で、協力者達でもあるからなるべく死なせるな』という指示により、余力があれば保護する対象になっていた。

 マーベロ自身も、冒険者は知り合いの多い方が、名声への反響や行動がスムーズだと実感出来ており、利点があるとして対面した人物らに対し無関心ではなく円満な会話や行動を組合入り当初から心掛けている。

 そして昨晩よりニニャは、姉のツアレの件によって、正式にアインズの名で保護対象となったこともあり、今のマーレはクレマンティーヌ共々ナザリックに関わる個体として、二人を認識している。

 

 

 

「モモン……ちゃん?」

 

 さて、クレマンティーヌの掛けた言葉に振り向き、顔を合わせる4人の面々。

 しかし当然という形でその場面は進行する。

 

「モモンちゃーーーーーんっ!」

 

 クレマンティーヌは、愛しの漆黒の戦士モモンへとまるで武技を使ったが如く、真っ直ぐに一瞬で距離を詰めて抱き付いていく。彼女は、モモンのマーベロと繋いだ右手をさり気なく引き剥がしつつ、身体を預ける形で腕も彼の巨躯の背へと回し強く抱き締め、そしてモモンの鎖骨から肩辺りの鎧へと頬を優しくスリスリする。また豊かで柔らかく形の良い双胸もギュッとサービスで押し付けていた。ただ装備が互いに丈夫で硬いため直接は伝わらないのだが。

 彼女は、今この時間に都市内へスレイン法国の密偵がいない事を知っていて、熱情のままに行動していた。クレマンティーヌにとって、横に居るマーベロは女として自分より格下の存在。そして随分若く顔立ちの綺麗な少年の魔法詠唱者には、単に熱いモモンとの関係を見せ付けるのみと思っている。

 

「ク、クレマンティーヌ!?(うおっ……ストレートな表現行動だなぁ)」

 

 漆黒の戦士は困惑する。

 しかしモモンとしては、この場でクレマンティーヌからの熱い抱擁を受けざるを得ない。

 躱すという手もあったが、クレマンティーヌの性格から理由を聞かれ言い訳するのもひと手間に思え、不機嫌からイラついてマーベロらに八つ当たりされても面倒だ。

 なので優しく受け止めてはいたが外からよく見ると、モモンからクレマンティーヌの背中までは手を回しておらず、彼の掌は彼女の肩に置かれていた。

 ただ、懐いてくるネコは可愛いものである。だからそこから彼女の頭を自然と撫でていた。

 一方で意外な事に、クレマンティーヌも自身の行動に驚いている。

 これまで兄の抹殺へと注視注力してきて、他者に関心のなかった自分の身体が、モモンとの再会に際し歓喜の想いで勝手に動いていたのだ。

 クレマンティーヌは、大きい心の安らぎと今も自然と熱くなってきている身体で再認識する。

 

 自分には、絶対にモモンというこの男の存在が必要なのだと――もうそれだけでいいのだと。

 

 そして、身体を合わせる熱い抱擁に優しいナデナデ。その事実で彼女は、伴侶的存在からの十分に大きな愛を個人的にヒシヒシと感じていた。

 

(んふっ、モモンちゃーんっ。相思相愛って最高ーーっ! 早く密室で二人っきりになりたいなー)

 

 先日、兄に対した時ですら冷静になれたクレマンティーヌは、相変わらずモモンへの愛では完全にデレデレの盲目となっていた……。

 

 見知らぬ騎士風の女といきなり目前で熱い抱擁を交わす『漆黒』のモモンの姿に、初めの瞬間はニニャもショックを受ける。

 しかし、気付くとモモンの手はフードを被った女の肩部を掴み、何か女からの一方的行為に見えていた。彼の圧倒的といえる強さに加え、仁徳も備えるモモンへ人気があるのは当然の事。自分もそうなのであるから。

 そして、フード越しながらふんわりしたナチュラルボブ系の艶のある金髪に、とても綺麗で男受けしそうな発情し淫靡さを含む表情を浮かべた女の顔が見えた。

 だからモモンの控えめに見える態度は、ニニャの心へ余計に響く。

 

(やっぱりモモンさんは、女に飢えた普通の冒険者の男達とは違う)

 

 仕事を数日共にした結構美人である女戦士ブリタや、常に連れ歩く美少女マーベロへいつも優しく、時には的確にアドバイスをし、今も目の前のこれほど器量良しの女にガッ付く事も無い。

 ニニャは、目の奥を輝かせ改めて感じ確信する。

 

(……自分の身の上を教えて、今後チームの仲間達へどう対すればいいのかを安心して相談出来るのは、やはりこのモモンさんしかいない。そして自分の、この乙女としての熱い気持ちも受け止めて貰えたら……)

 

 ニニャは、まだこの場に少年として立ちながらも、それへ終止符を打つように結構思い切った行動を始める。

 

「モモンさん。あの、こちらの方は?」

 

 抱擁を早めに終わらせる事を促す意味で、彼女はモモンと見知らぬ女へそう投げ掛ける。

 そもそも組合から広場へ出て来たのは、自分の用件を聞いて貰うためであったのだ。女騎士とモモンの再会はすでに果たされている。先約は自分で、これ以上は後にしてもらいたい。いや、この後、明日の朝までは渡さないぐらいの気持ちを、見知らぬ女へ密かに込めてである。

 ニニャは漆黒の戦士へ親しく抱き付く女騎士が、一応彼から撫でられた様子とモモンが『クレマン何某』という名を呼んだ事で、彼の関係者だとそれなりに予想は出来ている。

 当初、ニニャとしては戦友であり女の子のマーベロも、モモンと共に自身の話を聞いてもらってもよかったのだが、今は可能ならマーベロにこの女を連れて宿屋へ先に戻ってもらえればと思い始めていた。

 ここで、モモンは『漆黒の剣』の若き魔法詠唱者へ言葉を返す。

 

「……実は非公式だけど、この子……クレマンティーヌには助っ人として組合の外から情報集めを手伝ってもらっているんだ」

「そうですか。初めましてクレマンティーヌさん。わたしは冒険者チーム〝漆黒の剣〟のメンバーでニニャと言います」

 

 余り公には出来ないし珍しい形だが、稀に冒険者がワーカー等と組むこともある。紹介された形のクレマンティーヌを、この冒険者組合では見たことの無い顔から、ニニャはそう判断する。

 この目の前のドラ猫のような雰囲気の有る女性は、性質が良いモモンチームとは少し空気が合ってないように思えた。普段は別行動なのだろう。

 ここでクレマンティーヌは、愛しいモモンとの熱い再会に声を挟まれた事で、彼の鎧胸の中から鋭い眼光を少年へと向ける。

 死を感じさせる程の、ゾッとする殺気の籠る視線であった。思わずニニャは実際に一歩下がっていた。

 まだ未熟とはいえニニャも、才能豊かな魔法詠唱者(マジック・キャスター)である。相手の女の視線と雰囲気から漏れる力量が尋常では無い事を感じた。モモン達の仲間であれば、とんでもない使い手であっても理解は出来る。そして、女騎士からの威嚇もそれ以上はなかった。

 クレマンティーヌは、やはりモモンに会う前と少し変わっていた。

 以前なら当たり前のように、この割り込んできた可愛らしい未来ある少年の――耳か指か眼球を一つずつ順に抉っての小一時間の拷問に及んでいるはずだが、流石にモモンの知り合いを傷付けるというのは躊躇われた。

 モモンから嫌われるかもというリスクを考えると、割に合わなすぎると。

 この後でこっそり危害を加えても、モモンの実力から何れ知られてしまうと感じ逡巡していた。

 少し前なら考えられない事だが、モモンの知り合いである少年への残虐行為を――諦める。

 愛するモモンの胸へと二往復スリスリしながら。それで怒りは落ち着いた。

 そうして、クレマンティーヌはモモンの胸を離れると、ニニャへと振り向く。

 

「ごめんねー。私の視線に少しビックリしちゃったかなー? 私はクレマンティーヌよー。商売上、変な男が多くてさ。ニニャくんだっけ? よろしくー」

 

 歪んだ笑顔でそう告げた。彼女が純粋に優しい微笑みを向けるのは、モモンだけのようである……。

 

「こちらこそ……(なんでモモンさん程の人が、こんな怖い雰囲気の女の人と組んでいるの?)」

 

 ニニャは少し不思議な感じがした。同時に彼の知り合いでなければ、ただでは済まなかったかもしれないという思いも、僅かな震えと共に湧く。

 よく考えれば、冒険者の世界は綺麗事だけではない。

 そして、モモンの兜の下の顔から、彼とは年齢を経た絶対的といえる経験の差がある事を思い出す。あの強さを得る過程で、何があってもおかしくないだろうと。クレマンティーヌとの関係は、その一つなのだと思えた。

 

(いや、立派であるモモンさんだからこそ、これほど危険な雰囲気の女騎士もあれほど親密に接する味方として加わっているんだ、きっと)

 

 そう考える方が自然であった。

 ドラ猫的女騎士について、とりあえず自己完結の形で理解出来たニニャは、本題へ話を進める。クレマンティーヌの後ろに立つ形のモモンを真剣度の増した顔で見詰め、告げる。

 

「モモンさん。先日モンスター狩りの夜にお尋ねした通り、個人的にいくつか相談したい大事な事があるのですが。遠征の前に是非とも聞いて欲しいんです。時間はそれほど取らせませんので」

 

 時間については誘いの方便である。短く済ませるつもりはない。

 モモンは、先日のニニャの言葉通り、話や相談についてOKした事を思い出す。

 ここで、ニニャの言葉を聞いたクレマンティーヌも、モモンへと告げる。彼女も、定例報告をしに態々ここまで来ているのだ。

 

「モモンちゃん、悪いけど私も知らせたいことが山ほどあるんだけどー。今日は、早く宿に行こうよー。話を手短に済ませてさ、その後、イイ事も一杯したいしー、ねっ」

 

 クレマンティーヌは、再びモモンへ向き直りつつニッコリネットリとした表情で女の子の甘い良い香りと共に、若干潤んだ感じの上目遣いの瞳で見上げてくる。「今日は」などといつもの行動のように告げているし、ニニャ少年の存在すらどこ吹く風だ。

 そして内容も内容である。男女の熱い絡みが透けて見えてくるような言い様である。

 未経験のアインズだが仮にも歴戦の冒険者モモンとして、男としても底の浅い態度や発言は出来ない。

 一瞬冷静に「ふむ」と考えるポースをしつつも、内心ではかなり混乱していた。

 

(うわっ、イイ事って……マーレもいるんだよなぁ。うう、クレマンティーヌはエッチに関しても百戦錬磨っぽいけれど、大丈夫か俺っ。イヤイヤ、この鎧の下は骸骨だし今はニニャ側に上手く話を持っていくしかないなぁ)

 

 状況は明らかにクレマンティーヌの持ち込んで来た情報の方を優先すべきなのだが、ニニャとの約束を放りモモンの骸骨である正体を男女の流れの延長でバラしてもいいのかと迷う。また今、すこぶる形で発情している彼女が、冷静になる間を少し置く必要もあるだろうと考える。

 クレマンティーヌが現状、モモンに従っているのは『兄を殺害してやる』という契約があるためだが、モモンが異形種だということを彼女に伝えた場合、モモンへ従う事が継続されるかは不明なのだ。

 ここはまず、自軍の持っていない重要な漆黒聖典関係の人物や装備群を初めとするスレイン法国最深部の極秘情報の詳細を先に上手くマーレに聞き出してもらい、欲しいものをもらったあとなら反旗によるクレマンティーヌの損失も小さくなるだろう。貴重である武技使いを失うことは勿体ないが、ナザリックを裏切る場合は死んでもらうしかない。また、彼女の水準における死体の利用価値も捨てがたいものがある。

 それと、貰った情報が有益で且つ、彼女の兄の情報があるなら、のちに兄を殺せば契約を破ったことにはならないだろう。約束は彼女の身も魂までもくれるというものだったのだから。もたらされた情報がナザリックの為に役立つものであれば、その時に恩は恩で返すべきなのだ。

 とはいえ、これらは一番悪い展開の想定だろう。

 今、モモンの胸に再び愛猫の様に可愛くしがみ付いてきたクレマンティーヌの、あの時の気概は「兄を殺せればあとは大した問題じゃない」という重い究極の雰囲気があった。

 モモンの正体を伝えたとして、人間に向けていた発情的行動は無くなるかもしれないが、少なくともナザリック勢からの離反はない気がする。

 

「あの、クレマンティーヌ」

「なーに、モモンちゃん?」

 

 モモンにメロメロといえるクレマンティーヌの、彼を微塵も疑っていない表情と言葉を向けてきている気持ちが、声のウキウキな弾み方で分かる。

 

「このニニャとの話し合いは――先日、約束していたことなんだよ。だから、俺は少しの時間行かないとダメなんだ」

 

 モモンの向けてきた見えない兜の越しの表情に、クレマンティーヌのデレて甘かった視線が真剣になる。

 

「………わかったー。じゃあ、宿で待ってるねー」

 

 自分は、約束を守る男だと伝えてきている事に、敏感系の猫的感覚で彼女は直ぐに気が付いたのだ。

 そんな彼の気持ちをクレマンティーヌは無下に出来るはずもない。すでにモモンを信頼している彼女であるから。

 そうと決まったと同時にクレマンティーヌの思考は切り替わる。

 彼女は、すっとモモンの胸から静かに離れる。そして用のあるマーベロの手を掴むと宿街の方へとテクテク歩き出す。モモンの傍から引き離されることに「えっ、え?」となっているマーベロを引きずるように広場の石畳を進みつつクレマンティーヌは振り返る。

 

「早く帰ってきてねー、モモンちゃん」

「ああ。 そうだ、マーベロ。先に少し聞いておいて。頼んだよ」

「わ、分かりました」

 

 実は、クレマンティーヌにも結構大きめの不安があった。これまで操を守り、最後までの経験がないクレマンティーヌは、モモンの『以前の女』であるマーベロに聞いておきたいことが一杯あるのだ。どうすれば、モモンが一番喜んでくれるのかというとっても重要である知識についてだ。

 一方マーベロは、モモンの言葉の意味を素直に理解する。モモンから指示されたので、クレマンティーヌも断り難いだろうし、このあとの行動は取りやすい。そして、情報が聞き出せれば、後は何があってもおおよそ『問題ない』と。

 おどおどしているように見えるがあくまでも『振り』であり、モモンガと姉のアウラが絡まなければマーレは十分に高い判断力を有し、まさに沈着冷静である。加えてシャルティアに次ぐナザリックでは最高水準の身体能力と、ずば抜けた魔法力を持ち後衛だけでなく前衛も熟せる万能NPCなのだ。

 ただ、そのキラキラとした瞳の輝きが無くなった時の感情の底は、暗黒へ繋がっているとしか思えない……その奥を垣間見た者は間違いなく『物理的衝撃』により死へと到達するだろう。

 ナザリックの一部(アウラとシャルティア辺り)で密かに噂している。優しいマーレを真に怒らせてはいけないと――。

 

 マーベロ達を見送った、モモンとニニャも動き出す。

 モモンに時間を作らせたのはニニャである。少年の振りをしている彼女から決意を思わせる感じで動く。

 

「モモンさん、少し付いて来ていただけますか?」

「ああ。いいけど」

「こっちです」

 

 姉のツアレは良く働いてくれている事や、髪色と声音は違うが表情の良く似ている妹のニニャの言葉に抵抗は全くなく後に続く。

 まるで、事前に準備していたかのような、迷いない道程でニニャが東の方角へと広場からの脇へ入る小道を進んでいく。

 広場から5、6分歩いただろうか、周辺は各種資材置き場が多い感じだ。そして、大きめの空樽が沢山置かれた置き場の端にある、小さい小屋の前へとやって来た。

 「この時間からは翌日の朝まで人気がかなり少ない場所です」と、ニニャは己へも意味を込めつつ何気ない形に呟く。都市に結構長くいる者らしく、周辺のこういった状況に明るいのだろう。

 彼女はその小屋の扉を静かに開ける。

 

「大丈夫です。以前仕事で知っている方に、今日使うかもしれない事は伝えているので」

「……そうなんだ」

 

 予備の手だったのだろうが、すでに場所も根回しされているようだ。手をいくつか持っているという、中々有能なところが垣間見える。

 アインズとしては戦友でもあるニニャといる事に不安はないし、ツアレの件があり情報の漏れへ用心に越したことは無い。

 薄暗い小屋の中へと進むニニャにモモンも続く。モモンが扉を閉めると、光の少ない小屋の中で、ニニャはまず自身の魔法で明かりを付けた。

 戦士のモモンにはもう魔法詠唱者(マジック・キャスター)のマーベロが傍にいるとはいえ、少年を騙ってきた少女はやはり、想いを寄せる彼に出来ないことがこうして出来るという自分をきちんとアピールしておきたいと考えていた。私も役に立つのだと。

 温かい雰囲気の光が、床から2メートル程のところから二人に降り注ぐ。

 小屋内の窓際にあった4人掛けの木のテーブルへ二人は向い合う形で腰掛ける。

 座ってから30秒ほど、ニニャの視線は、モモンの机の上に腕を組んで置かれたガントレットとその左方向の空虚に薄暗い空間とを僅かに行き来する。

 どこから話そうかという少しの迷いがニニャにそうさせた。

 モモンは静かに彼女の言葉を待つ。ただ、内容にどう反応するか彼も迷っているところはある。例えばもし「昨日の私への質問で分かりました。貴方は姉ツアレニーニャの事を知っていながら、ずっと黙っていましたね?」などと突然に言われたらどう対処しようかと。ラナー王女相手の時の様な急展開は御免被る。

 

(いやいや、ありえないだろ。そもそも、今のニニャは終始落ち着いているし、一秒を争う性急な内容では無いはず)

 

「実は相談事は2つ、いえっ3つあるのですが」

「今回の遠征の前に片付けたいことなのかな?」

 

 モモンは、営業マンの経験からアドバイスする。一度に全部片付けようとすれば一部に荒が出るのだ。一つずつしっかり片付ける事の方が最終的に効率はいい。結局、全部やる必要があるなら特にだ。

 今回は3つというが、間近に迫った遠征(死の可能性)という事を受けて、時間的に可能なのかという線切りと、重要性をまず確認させる言葉を送る。

 ニニャはモモンの言葉から、それに気付いた。

 

「(……そうだ、姉の件については、今話してどうなるという訳じゃないよね……でも、死ぬかも知れない前に、世話になった仲間とモモンさんには伝えたい事がある)……では、2つですね」

「そうか。何かな、力になれる事ならいいんだけど」

 

 そう話の先を勧められたニニャであったが、モモンを見詰めていた視線を落とす。

 そして口を開いた。

 

「モモンさん。……()()()ってどう見えていますか?」

「えっと? ニニャはニニャに見えるけど」

 

 モモンには何となく聞かれた事が分かった。本当は女の子だという事なのだと。

 ニニャは微笑しながら再びモモンへと話し出す。

 

「何れ必ず気付かれる自分の秘密があります。それを事前に仲間へ知らせたいのです。でも今の良き関係が壊れてしまうかもしれない。それが怖くて出来ていません。世話になった仲間達です。これだけは遠征の前に知らせておきたい秘密なのですが、考えが袋小路に入ってしまって」

「なるほどね」

 

 最後の戦いになるかもしれず、隠し事は打ち明けたい。でも告白の所為で、戦いの前にチームの関係が瓦解するかもしれない。非常に微妙で難しい話だとは思う。

 しかし経験上で結論的に言えば、これは彼女の口から信頼する仲間に告げるしかない事なのだ。信頼している相手だからこそ、考えを自分の言葉で告げて欲しい場合は多い。

 モモンは、優しく落ち着いた言葉で一つの例を返してあげる。

 

「ニニャ」

「はい」

「例えばあのペテルが、個人的に非常に悩んでいる()()()()()を君達仲間に隠しているとする。それをある日、他のチームの者から回り回って知ることになったとしたら、君はどう思う?」

 

 彼女は、目を見開きはっとする。その結果に悩んでいたが、それよりも大切なものが前にある事を瞬時に感じた。そのアプローチは一つしかないことに気付かされる。そして視線を落とし難しい表情になった。しかし、間もなくモモンを見詰めて微笑みを浮かべる。

 モモンは告げてあげる。

 

「王都までの遠征の途中、四人で食事をしている時にも、少し畏まるかもしれないけど信用する仲間達に堂々と正面から相談するように知らせるのがいいんじゃないかな? 俺は今日はここで本当に詳細は何も聞いてないし、現時点で問題は何もないだろう? その後に何かあれば改めて話を聞くよ。マーベロと俺も遠征に行くしね」

「は、はいっ、ありがとうございます。自分の口からきちんと話をみんなへ伝えます!」

 

 ニニャは、決意したように明るい表情ではっきりと答える。ゆっくり頷く目の前のモモンを見ながら、彼女は思う。

 

(やっぱり、モモンさんは優しくて凄い! 危ないところだった。ここは大事な仲間達を信用して勇気を出すところなんだ。そう――今わたしは、直接伝える勇気を出す時なんだ――)

 

 ニニャは逃げない。

 彼女は席から静かに立ち上がった。モモンは、ツアレの妹ニニャとの関係を繋いでおく大任が果たせたかなと思えてホッとする。そして、あと一つと聞いていたが、てっきりこれで話は終わりかと考えるのは自然の事。

 しかしそれはここから、一つの始まりとなる……。

 

「モモンさん、今、あなたに、貴方だけに告げたいことがあります。私の秘密と――気持ちです」

「えっ?」

 

 表情の見えない面頬付き兜(クローズド・ヘルム)の中で呆け顔のモモンに対し、彼女のその雰囲気と表情は真剣そのものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 一方、少し前にクレマンティーヌとマーベロはモモンの宿泊する宿屋へ到着する。

 クレマンティーヌは今朝の到着時に場所をしっかりと確認しているので、マーベロを引き連れて真っ直ぐに辿り着いていた。

 笑顔のクレマンティーヌが足音を立てて、明かりが灯る宿屋の扉の中に現れると、聞き慣れない足音に受付の親父が振り向きざま「おう、いらっしゃ――」と言いかけて固まる。

 彼の頭の中に朝の衝撃的であった死の恐怖が蘇ったのだ。断末魔で脳へ焼き付くように、鋭い刃物の様な恐るべき殺気の籠っていたあの視線を鮮明に思い出していた。

 

 ――死視線の女騎士。

 

 だが、すぐに連れられてマーベロが入ってくる。そして先程から視線と共に終始柔らかい表情のクレマンティーヌが催促する。

 

「どもー、モモンさんトコの部屋の鍵をくーださい。朝はゴメンねー、急いでたから」

 

 そう優しく言われたが厳つい宿屋の親仁は完全に引きつった笑顔を浮かべ、クレマンティーヌへ目を殆ど合わせることなく「い、いや……」と言いつつ素直に鍵を渡した。3人になるなら料金が違うはずなのだが、それすらも言いそびれて……。

 

「あ、これ。同じ部屋の私の分ねー。余りは取っといてー」

 

 そう言って、自分から多めに追加料金として銀貨を1枚カウンターへ置き、胸横で可愛く手を振りつつ受付を後にする。

 階段を上りながらマーベロが少し心配そうに尋ねる。

 

「あ、あの、クレマンティーヌさん、今朝一体何を?」

「分かってるって。ちょっと朝に視線を送って挨拶しただけだしー」

 

 クレマンティーヌもここでモモンに余計な迷惑を掛けるのはマズイと思ったのだ。だから朝の事を思い出し、料金も自主的に多めに払い普段は殆どしない()()()()()()()をしていた。

 最近、これほど気を使う事はしたことがないし、神官長に言われようともまずしない事である。だが、モモンの為だったらなんということは無いのだ。

 そうして、クレマンティーヌ達は3階にあったモモンチームの宿泊部屋へと入る。

 そこは、レンガ調の石壁と板張り床の10平米程の小部屋で、鎧戸の窓辺へ花の飾られた台を挟みベッドが窮屈そうに二つ並ぶ。

 

「狭っ。まあ、ずっと身を寄せ合ってくっ付けるからいいけどねー。んふっ、モモンちゃんと私はこっちねー」

 

 満更では無いクレマンティーヌはそう言って、頬を僅かに染めてイヤラシイさ満点の表情で唇を少し舐めながら艶めかしくニヤリとしつつ左側のベッドへと倒れ込む。そうして、仰向けで部屋を見回し、依然立ったままのマーベロを改めて見た彼女は、ふと気付く。

 

「んー? ねぇ、今気付いたけどー、マーベロちゃん。いつの間に首に下げるプレートが(カッパー)から白金(プラチナ)になったのよー、凄くない? 私も一杯冒険者を知ってるけどー、(カッパー)級からこんな短期間でここまで昇級したヤツらって記憶にないよー」

「あ、あの、さっき、組合で組合長さんから直接貰ったんです」

「へぇー、流石はモモンちゃんね」

「は、はい」

 

 クレマンティーヌは自分の事の様に本当に嬉しい。自然に浮かぶ笑顔でニッコリ微笑む。

 愛する者が前人未到の事をしたことがとても誇らしいのだ。これまでに感じたことの無いこの感情も心地良く感じていた。

 ここで、マーベロは忠実にモモンからの依頼を遂行する。

 

「あ、あの、クレマンティーヌさん?」

「んー?」

「モ、モモンさんにも言われてますし、僕に例の事を先に聞かせてください」

「えーーっ」

 

 モモン達がなぜ、スレイン法国の奥の情報を調べているのかは知らない。彼等が他国の密偵で有る可能性は高い。しかし、王国や帝国でこれほどの使い手の話はずっと聞いたことがない。可能性があるとすれば、カルサナス都市国家連合辺りに、大陸中央の死地を生き抜いて流れてきた叩き上げの戦士ではないかということだ。

 しかし、クレマンティーヌは彼が憎い兄を殺して、あとは自分を伴侶的に可愛がってくれるなら他の事はどうでもいいのだ。ただ彼に尽くしてついて行くだけである。

 そのモモンに教える為に調べ上げてきた情報群である。

 だからイヤそうに返事をしたが、クレマンティーヌは考える。マーベロには彼について聞きたい事が一杯あるのだ。それに、トロそうなマーベロには二回聞かせるぐらいがいいのかもしれないとも思った。

 

「(交換条件でいこうかしらね)……じゃあさー、話すからー、そっちもモモンちゃんの夜に喜ぶこと事を教えてよ。(私もよく分かんないんだけど)特にー、体勢は前か後ろのどっちが好みとか、上か下かとかさぁー。右横か左横とかもあるのかなぁー? 胸でとかもどうなのー? あとはー、出すの中か外のどっちが好きなのかは重要だよねー。でも多分ー、何度も中だと持ってきてる薬を飲まないとー、まだ目的に差し障りがあるしー。でも、私はさぁー出来ちゃっても全然良いんだけどねっ。嬉しいしぃー、んふっ」

「(えっ、えぇっ?)は、はぁ……」

 

 色々想像した上で、すっかり赤面し可愛く俯きつつ曖昧に返事をするマーベロ。

 だがそれを、了解と取ったクレマンティーヌは話し出す。

 

「よーし、じゃあ話しちゃうから。んー、依頼されたのは、基本的なところで国家の総人口、総兵力、各都市群について、山脈等の地形、各地の産物、隣接する周辺国かなー。そしてー、中央組織と六色聖典ー? 最後に、それらの装備群と秘宝類に関しての詳細かなー?」

「そ、そうですね。そんな感じかと思います」

「まずは、総人口から言うとー、おおよそだけど戸籍とかの総数で1500万ぐらいかなー。通常兵力は総勢で約30万でー、歩兵が――」

 

 クレマンティーヌの調査についての話は進んでいく。

 某陽光聖典隊長らから得た内容も、整合性を確認する意味でもモモンから再依頼されている。意外に六色聖典ではない表の通常兵力側にも魔法詠唱者の纏まった部隊が有る事が判明。一方、裏の特殊工作部隊である六色聖典については、漆黒聖典、陽光聖典の他に、六という数だけ風花聖典、水明聖典等が存在するというのは某隊長らの情報通り。

 そして神官長、司法・立法・行政の三機関長らの中央組織の話を過ぎ――。

 ついに某陽光聖典隊長も情報を余り持たない、最精鋭と言える漆黒聖典のメンバーの話へ移る。「私はまあいいよね?」と自分を軽く飛ばす形で言うと、各員について名前や特徴、その装備と共に強さが『難度』という単位で一人、二人と女騎士の口から告げられていく。

 ここでまず『難度』という単位についてマーベロは正確に知ることが出来た。

 

「あ、あの、すみません。クレマンティーヌさんは、今のその状態で難度で言うとどれぐらいですか?」

「んー、120ぐらいかな。本気出せばもっと高いだろうけどねー」

「そ、そうですか(今で、Lv.40ぐらい……だから、表現として難度は約3倍ぐらいかな?)」

「でも、モモンちゃんだとぉー、絶対200は超えてるよねー」

 

 クレマンティーヌはニコニコしながら話す。己の愛しい人が自分を遥かに超えている事が誇らしく喜ばしいのだ。

 

「(難度200は、レベルで言えば67程……モモンガ様は、難度で言えば遥かに高い300かな)は、はい」

 

 クレマンティーヌが再び漆黒聖典のメンバーについて情報を並べていく。

 彼女はメンバーとして、クアイエッセ・ハゼイア・クインティアについて名前までを挙げる。憎い兄である。ここで、クレマンティーヌはマーベロへ静かに尋ねた。

 

「マーベロちゃん、この人物についてモモンちゃんから何か聞いてる?」

 

 一応、あの小川を橋で越えた向こう側でのモモン達の話は聞いてはいた。しかし実は、マーベロはマーレとしても、クレマンティーヌについて資料を見て事情は知っているが、主から直接には何も聞いていないのだ。なので、ここでどう答えるかは、少し重要に思えた。

 マーベロは一瞬考えた上で、事実の方を伝える。

 

「い、いえ、特には何も……」

「ふーん、そうなんだー」

 

 クレマンティーヌは、愛しのモモンについて――信用度がMAX以上まで上がっていく。

 

(モモンちゃんたらー。私の事が大事でー、ずっと一緒のマーベロちゃんにも殆ど教えてないんだー。んふっ。でもこのあとー、きっとお互いのすべてを見せ合う仲だしー、この子だけ知らないのはちょっと可哀想かな。だけどー、モモンちゃんとの秘密だしー、このままの方が今はいいのかもー)

 

 僅かな時間で結論を出すと、クレマンティーヌは淡々と兄、クアイエッセについてのデータをマーベロへと伝えた。

 第五席次で難度80以上(デス・ナイトの攻撃力に匹敵)の魔獣ギガントバジリスクを5体以上も召喚し操れるため、『一人師団』と呼ばれ圧倒的といえる強さを誇る。他の国家戦力と彼のみの単身で戦える人物だという。

 彼自身も難度が140程度あると告げられた。

 クレマンティーヌが単身で倒せるなら殺しているのだが、彼女は年下でもありいつも二歩も三歩も強さで先を行く兄をこれまで全く捉えることは出来なかった。

 しかし、今は違うと彼女は考えている。特に先日の遭遇では、狭い空間と不意を突ける状況でもあり十分に倒せる機会があった。まさに『見逃してやった』という心境。

 彼を倒すのは、約束をした伴侶で愛しのモモンちゃんと『一緒に』なのである。その想いが今、宿敵の事を話しても、クレマンティーヌを冷静で普段通りに居させた。

 

 そのあと11人までメンバーを告げられるも、マーベロは淡々と聞いていた。

 ところが、12人目の『隊長』以降については初めて顔色に変化が出てくる事になる。

 

「モモンちゃんは本当に強いけど、ウチの〝隊長〟はちょっと注意した方がいいわよー。彼は―― 〝神人〟だからねー」

「神人……ですか?」

「ええ。神人っていうのはねー―――」

 

 そう言って初聞きのふりのマーベロへとクレマンティーヌは説明するも、『神人』についてもナザリックの戦略会議での資料に、陽光聖典の隊長ニグンからの情報としてすでに登場しており、『以前に存在した神達の子孫で特に力の能力の一部を受け継ぐ者だ』という内容が記されていた。

 そして、神達は高位の身体能力や魔法を使ったと伝わっていることから、アインズはこれらがプレイヤーの可能性があるのではとの考えが一瞬思考を過っていた。しかし、存在した時期が随分昔という受け入れられない要素があり、今のところ一切言葉にはしてはいない――。

 クレマンティーヌは、その〝隊長〟の情報の最後になって客観的な強さの難度について数値を告げる。

 

「――騎士風の最上級衣装装備で、難度だけど間違いなく200以上あるはずー」

 

 難度で200以上。これは250など、より詳細なデータはないのだろうか?

 そう、マーベロはふと疑問に思う。

 

「あ、あの、先程から聞いていると、難度200以上についてが曖昧という気がするのですが」

「えー? だって、そんなの―――誰も計測出来ないでしょー?」

「……そうですよね」

 

 マーベロは深入りしない。純白のローブを纏う少女は、モモンの計画に波紋を起こすかもしれない余計な事には足を踏み込まない。

 しかし、感覚的に感じるものがあるのだろう、クレマンティーヌが告げる。

 

「でも、同じ難度200以上でも、強弱の差は確実に存在するのは確かよねー」

「――!」

「〝隊長〟は難度200以上の中でも―――多分桁違いに強いわよ。そしてもう一人の〝神人〟、漆黒聖典十二席の外に居る〝番外席次〟は更に一段強いけどね。ほんとに強いから、あの〝絶死絶命〟はっ!」

 

 クレマンティーヌの口調と表情が、忌々しいという感じで険しくなる。まるでその身へ強さに関する経験でもあるかのように。

 難度200でLv.67程度。それに対して桁違いと考えればLv.85から90ぐらいか。それより一段上だとLv.100にかなり近付きそうだ。

 マーベロは直感でそう想像する。その者らにモモンガ様を近付けるのは少し危険だという思いと共に。

 今すぐ、モモンガ様にはルベドの居る王都へお戻り頂き、パンドラズ・アクター等早急に動ける守護者5名ほどで、漆黒聖典は地上から速やかに殲滅すべきではないかと考えていた。

 おそらくシャルティアと自分だけで何とかなるとは思っているが、強力である武器アイテムが登場するなどすれば油断出来ないだろう。

 そういえば、漆黒聖典らの装備アイテムもはっきりした階級は不明で、クレマンティーヌの話から今のところはあくまでもマーレの推測でしかない。

 至高の御方の知識から判断してもらう方がより正確なはずで、モモンガ様の宿への帰着が待たれる。

 

「ああ、そうそう。あと秘宝と至宝が其々幾つかあるんだけどー、私が知っている至宝は一応2つだけかなー。秘宝の内4つは〝絶死絶命〟の装備なんだけどー、見たことは無いんだー」

「秘宝と至宝……」

 

 マーベロの表情は再度硬くなった。彼女も知識としては持っている。ユグドラシルで最高峰のアイテム――世界級(ワールド)アイテムの存在については。

 これらの攻撃を防げるのは、同級の世界級(ワールド)アイテムを所持するか、ワールドチャンピオンが持つ特殊技術(スキル)をタイミングよく発動した場合のみだ。

 10万を超すプレイヤーがいたと聞くユグドラシルだが、世界級(ワールド)アイテムについては僅か二百種しかなく、またそのほとんどが1点ものであった。

 つまり、世界級(ワールド)アイテムを使われた場合、防げる者は少なく、殆ど不可能な代物と言える。しかし、一応ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』にはそれが11点も存在する。

 でも良く考えると、それほどのアイテムが、そうごろごろあるとは思えない。

 クレマンティーヌより秘宝の内の4つと言うのは、装備する事からせいぜい神器級(ゴッズ)アイテムまでに留まると思う。そして、いくつか至宝があると聞いたが、これも全てが世界級(ワールド)アイテムでない可能性もあるとマーベロは考える。

 とりあえず何れにしても、重要度から入手後に全てをアインズ様に確認してもらう必要があるだろう。

 クレマンティーヌが至宝の、一つ目のアイテムについて性能を語る。

 

「まずはー、〝双滅の腕輪〟ねー。広範囲に強力な重力魔法を掛けられる腕輪みたい。むかーし、屈強といわれた奴が試しに使ったらしいけどー、自分で耐えきれず多くの敵と一緒に死んじゃってさー。その辺一帯は陥没して一時期広い湖になったって話だよー。発動者が死んだから、重力魔法は切れたらしくて腕輪自体は後で回収出来たみたいだけど。それ以来誰も使っていないって話」

「……そうですか(重力系攻撃完全無効化のスキルじゃ無効化しきれなくて、単純に高い体力が必要って事なのかな……だから、ずっと人間で使える者がいないとか、でも神人なら使えそうだけど、他にも条件があるのかも)」

 

 現状では聞いたことの無い何とも言えない至宝である。ただ、守護者クラスですら動けず脱出不能で長時間の負荷ダメージにより死滅させる程の威力を持つ可能性もある。実は元々自爆アイテムかもしれず、油断は出来ない。

 クレマンティーヌは二つ目の至宝について話し出す。

 

「そしてーやっぱり、〝ケイ・セケ・コゥク〟かなー。能力は〝耐性を持つ相手すら精神支配する〟ものでー、変わったデザインの装備服ね。これの効果は1対1でしか出ないんだけど、実際に結構どんな強い相手にも使えてるしー、効果抜群みたいよー。でも使用者は条件が厳しいみたい。女でないと無理みたいだし、使用すると生命力の水準が下がる上に、使用前には一定水準の高い生命力に加え、突出した〝魔法量〟がないと無理みたい。なのでウチではずっと、以前は連続発動も出来たっていうカイレの婆さんぐらいしか使ってないからー」

 

「―――――っ」

 

 再びその名称に覚えの無いものだったが、マーベロは能力を聞いたとたんに絶句した。

 危険すぎる能力を人間でも使えるという、実に恐るべきアイテムである。

 もしもそれが、自分や守護者達に使われたらと思うと――マーレは震える程、全身で戦慄を覚えた。もし攻撃を受ければ、モモンガ様を裏切った上で、平然とナザリックへ攻撃をさせられるかもしれないのだ。

 更にだ―――。

 一応、ナザリックの絶対的支配者はその御身に世界級(ワールド)アイテムはお持ちなのだが、安心は出来ない。万が一、その至宝が世界級(ワールド)アイテムでない場合は、モモンガ様も防げないかもしれないのだ……。

 精神作用無効のアンデッドの基本特殊能力があるはずだが、まだよく分かっていないこの新世界の中で、極限に特化したアイテムが無いとは言い切れないだろう。

 しかし、それは余りにもマズイ。絶対にあってはならない事なのだ。他の何を犠牲にしても。

 マーベロは正に精神的に究極の恐怖を覚えていた。

 

 

 

 あの、敬愛する優しいモモンガ様が――――守護者マーレとして認識してくれる事も無くなり無慈悲に襲って来るかもしれない。

 ナザリックのすべては、至高の御方の為にだけあるものにすぎない。

 ――もはや自分を初め、ナザリック全軍がただ無抵抗に殺されるしかない光景が浮かぶ。

 

 

 

 まさに最悪の展開に発展する能力を持つアイテムの可能性があると言える。

 

(……どうしよう。これは、なんとしてもすぐに破壊するか強奪しなければっ。モモンガ様ーっ)

 

 マーベロは、暫し沈黙していた。

 丁度、スレイン法国に関するかなりの情報は得た。相手戦力や地理的に神都の位置も分かる。

 お叱り覚悟で支配者からの指示を此処で一時中断し、独断で法国の二体の神人らと刺し違えてでも、問題のアイテムを今すぐ破壊する必要性を感じていた―――ひとえにモモンガ様のために。

 そんな命を賭ける真剣に悩み俯く少女へ、クレマンティーヌは呑気で淫靡な言葉を掛ける。

 

「ねぇー、こっちはもう話したんだしさー、そろそろそっちのモモンちゃんの熱く喜ぶことを一杯教えてよー」

「――うるさい」

 

 もう全くそんな状況じゃないんだと、狭い部屋にその小さく微かな声が発せられた。

 仰向けで天井を眺め、この後のモモンとの濃厚なエロい(一部マーベロも参加の)ことを色々考え、すっかり舞い上がって、鋭くなった周辺空気の変化に気付いていないクレマンティーヌは、か弱いマーベロの言葉を何か聞き違えたかなと思い、聞き直す。

 

「えっ、何ー?」

 

 すでにマーベロへ異変が起こっていた。

 彼女におどおどする感はもはや失せ、両手を拳状に強く握っている。

 加えて、クレマンティーヌへとゆっくり向けられた小柄である最狂守護者の目に、普段あるあのキラキラの輝きはもはや完全に失われていた。

 

 

 その右眼が紫、左眼が緑で美しいはずのオッドアイの瞳には闇色が広がり―――眉下から伸びる翳りがあらゆるものを飲み込むように顔全体を暗く暗く覆い尽くし始めていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 席から立ち上がっている真剣な表情のニニャを僅かに見上げる形で、モモンは告げる。

 

「分かった。じゃあ、聞かせて貰おうかな」

 

 どうやら今日、姉についての相談は無いようだ。

 それは良いのだが、この状況で気持ちと言われたら、間違いなく『好意』についてだろう。

 

(そうだったのか……うーん)

 

 表面上余裕で、堂々とした態度ながらモモンは、アインズとして内心少し複雑である。

 ニニャは、胸に手を当てると一つ深呼吸をする。そしてモモンの兜のスリット付近をしっかりと見詰める。

 その様子は、明らかに単に秘密を告げてくるということではなく、その後の気持ちの事の方に重きがあるように感じられた。まさに―――告白という雰囲気。

 モモンは、貫禄ある歴戦の男戦士として、また真剣にアドバイスをした者として、そして当事者として正面よりニニャからのアクションを受け止めざるを得ない。

 リアル世界において、社会人へ成り立てのころに一応告白の経験がある鈴木悟は、その心の中のせめぎ合いについて、今でも少しは理解出来る。

 決意有る想いの場合、告白には本当に勇気がいるのだ。

 克明に思い出す。前日の晩から明日本当に告げるかの葛藤が続き、当日は告げるその瞬間まで成功と失敗の両方の物語が思考の大部分を占めていた事を。

 そして――想いを否定され有職者の自信を打ち砕かれ、敗れ去った後の挫折感。現在でもトラウマ化している……。DMMOーRPGユグドラシルにのめり込んだ原因の一つと言えるかもしれない。

 正直、真っ向勝負な恋愛は苦手なのだ。

 対して、彼女はしっかりとした言葉で語り始める。

 

「モモンさん、実はわたし――――女の子なんです。生きていくためにそうして来ました。でも遠征に行く前にきちんと貴方に知っていて欲しかったので、今、伝えています」

 

 それを聞いたモモンは無言で、これまで守ってきている落ち着いた貫録を前面に出すような形で、纏った重厚である漆黒の鎧の上体を些か起こす様にする。僅かに驚いたようにだ。

 兜のスリット越しのニニャはそれで納得出来た様子。

 しかし、ここではまだ彼女の語りは終わらない。迫る竜軍団との決戦に遠い先の日々は見ていない。彼女の今日の決意は失うものは何もない、捨て身の心情。

 ニニャは、一気に熱く告げてきた。

 

「そして女の子としてこの想いも伝えます―――好きです。私はモモンさんの事を敬愛しています!」

 

 状況的にはエンリが一番近いかもしれないが、単にここまで純粋でストレートに告げられるのは初めての展開。冒険者同士というほぼ対等である相手。これまではいずれの場合も、権力的に制約ともいえる立場の差があった感じがする。

 この後、モモンとして、どういう返事をすれば正解なのか、アインズは一瞬で答えを出す必要に迫られていた。

 とはいえ、ツアレの件が有ることから、ニニャを上手く身近に繋ぎ止めておく必要がある――ナザリックの良き平和のためにも。

 そして、小動物的には慈しんでもいいかもしれない。結構貴重な、『魔法倍速習得』の生まれながらの異能(タレント)持ちでもあるのは評価出来るポイントだ。

 また、最後の恋かもと決意する戦友でもある顔見知りの少女の淡い想いを、この場でモモンはどうするかを決まる。

 

(……総合的にここで拒むという選択肢はナシかな)

 

 やはり大きな必要性、加えて少しの利点、そしてまあ無下にはできないかという点がそう結論付ける。これは、決して彼女を騙すということはない。モモンとしてもアインズとしても嫌う要素はないのだから。

 

 しかし更にニニャは、今の人気の無い状況を画策した上で大胆にも踏み込んできた……。

 

「明日から遠征が始まれば、こちらへまだ残られるモモンさんとは、しばらく傍に居られません。だから……今夜は……」

 

 ニニャは、頬と言わず顔と言わず耳までも真っ赤にして、良く見れば艶のある瑞々しい唇に、少し俯き加減で潤む青く澄んだ綺麗な瞳を向けてくる。そして、彼女の右手は胸の位置にある、ローブを留めるように閉じている紅い紐を掴んでいた。これから外装を外す準備なのだろう。

 

「……っ」

 

 モモンは、面頬付き兜(クローズド・ヘルム)の中で骸骨の口を僅かに開けたまま固まる。

 

 何という事でしょう……この瞬間、アインズはある意味、少女に追い詰められていた。

 

 このまま「分かった」と単に認めると、当然の流れで漆黒の鎧を脱ぐ羽目になってしまう。

 彼としては、付き合いだけをまず認めて、遠征等も利用し関係をなるべく引き延ばして徐々に対応しようと考えていたが、展開が思いのほか前のめりに早すぎである。

 骸骨の身体である以上、漆黒の鎧装備は外せない。

 また、ニニャが先程見知った好色だろうクレマンティーヌとの男女の関係も歴戦の男戦士として否定できないので、『俺の居た村の掟では、エッチは結婚するまで出来ないんだ』等の好都合的言い訳も既に言えない。

 今、周りには不可視化したニニャ護衛の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)と、モモンの行動等を把握する為にパンドラズ・アクターは居る。とは言え、良策がなければ絶対的支配者の面子として作戦的行動を指示することは出来ない。おまけに差し向かいでニニャと二人切りの状態では〈伝言(メッセージ)〉すら使えない。

 

(な、何かこの状況を回避する手は無いのかよ。モモンの次の動きとして……そ、そうだ、まずマーベロを筆頭にクレマンティーヌを初め、何人も他に女の子がいてもいいのかと聞けば……イヤこれじゃ全然駄目だ。諦められたりでもすればニニャとの良好な関係すら危うくなる。そもそもニニャもそんなことは承知の上で告白してきてるはずだし。強者に何人彼女がいても構わないと。これは……上手くないなぁ。うぅぁっ、モモンとしてもう何か言わなければ、何か――)

 

 その時、アインズの脳裏に「モモンとして」という部分に一瞬の閃きを見て――自力での行動に出る。

 彼は、ずっと演じて作り上げてきたモモンという、漆黒の戦士の人物像に賭けた。

 モモンは堂々と落ち着いて、内容は別にしていつもの(鈴木悟)口調で話し出す。

 

「――――ありがとう。ニニャという一人の女の子として寄せてくれた気持ちを、男として嬉しく思うよ。でも――」

 

 ここから、モモンは凛々しい雰囲気を残しつつも、僅かに申し訳なさそうな態度でニニャに語り掛ける。

 

「君も、昨日の酒場での飲み会で聞いて知っていると思うけれど、俺達『漆黒』は明日の朝に遠征前の仕事があって、これから後で少しその準備をする必要があるんだ」

「――っ!」

「今夜の君の魅力的な誘いは忘れないし、遠征中にでも会う時間を作るから。どうかな?」

 

 ニニャは、少し残念そうに思う表情を一瞬浮かべるも、敬愛する漆黒の戦士モモンの邪魔は不本意以外の何物でもない。こういう状況で、態々口に出した事からも重要度は高いはず。ニニャは普段の『責任感の強い』モモンの人柄から、そう判断する。そして、今の自分の精一杯の誘惑を『魅力的な誘い』と言って貰えて、想いは互いに十分通じていると確信する。加えて遠征中の逢引の約束まで告げてくれたのだ。ここで今日は引かなければ、モモンの『女』とは言えないだろう。

 

「す、すみません、私、明日の予定を考慮してなくて――」

「いや、謝るのは俺の方だよ。一生懸命頑張って誘ってくれたのに」

 

 アインズには分かっている。告白は本当に大変なのだと。

 ニニャは、真っ赤になりつつもコクンと一つ頷く。

 

「あのモモンさん、一つお願いが――」

 

 二人は小屋を後にして、殆ど人気の無い来た道を早速――『手を繋ぎながら』ゆっくりと恥ずかしさに無言で戻る。ニニャは、マーベロを見ていてずっと羨ましいと思っていたから。

 そうしてニニャ達は、冒険者組合の傍の広場に出た所で別れる。既に手は少し手前で離している。彼女はまだ一般には少年ニニャなのだから。

 

「じゃあ。必ず連絡するから」

「はい、モモンさん。明日のお仕事、気を付けて頑張ってください」

「君も、道中気を付けて。そして、みんなに良い形で知らせられるといいね。上手く行くように俺も願ってるよ」

「はいっ」

 

 ニニャはニッコリとして手を振る。その姿はもう完全な少年ではなく、少し女の子になっていた。

 漆黒の戦士モモンは、慕われる側として先に背を向けて男らしく石畳の広場を堂々と歩いて去る。

 しかし――モモンとしてだが、余りに歯が浮きまくった台詞を連発したアインズは、またしても兜の中で、一つ大きく「ふぅーーーーーー(助かった……)」と長い安堵の息を吐いていた……。

 

 

 だが、彼の偶然的緊急回避能力は、このあとの宿屋でこそ絶対に必要になるのだっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 クレマンティーヌには、マーベロの言葉が()()()「うるさい」と聞こえた。

 彼女は自分が完全に聞き違えたと思っている。なぜなら、この部屋で一緒に居るのは、格下でとても気弱いはずの小娘マーベロであるから。

 だから彼女は、左側のベッドで仰向けのまま、ベッド手前に立つマーベロへ「えっ、何ー?」と聞き返す。

 すると。

 

「うるさい、と言った」

 

 これは、クレマンティーヌにもはっきり聞こえた。

 マーレとしては当然である。今は()()ナザリック勢にとって非常事態に突入したといってもいい情報が入ってきているのだ。

 モモンガ様の直属の配下であろうと、この大事な時に思案中である階層守護者の邪魔するのは許せない行為といえる。でもマーレは、至高の御方に倣って下位の者に優しかった。また、目の前の配下によって持ち込まれた情報は、有益なものがかなり多い。

 だから、「うるさい」なのだ。シャルティアなら既に手や足が出ている。

 だが、「うるさい」と言われたクレマンティーヌは、マーベロに対して自分は上位と思っているので当然顔色を変える。

 ドラ猫の彼女は、鋭い眼光の歪んだ表情を浮かべ、低く唸るトーンで口早の声を部屋へ響かせた。

 

「何? ……ちょっとマーベロちゃん、分かってるの?」

 

 その鋭い眼光が、マーベロの暗黒に満ちる視線とぶつかるかというその瞬間――。

 

 

 コンコンコンコン。

 

 

 扉をノックする音がやけに大きく聞こえて鳴る。

 クレマンティーヌの鋭い眼光は一瞬で先に扉へと動いた。

 それは、今まで気配が無いと思っていた扉の外からノックされたからだ。

 しかしここで、サッと動き扉を開けたのはマーベロであった。

 

「……モモンさん」

 

 彼女の声は少し低め。

 マーベロは当然気が付いていた。そこに居るのが、()()()()()()()()()パンドラズ・アクターだと。

 だが、ベッドの上で飛び起きたクレマンティーヌは気が付かない。

 

「あーー、モモンちゃん! ちょっと、聞いてよ、マーベロちゃんがー」

 

 どうやら相手が超人的強さのモモンの場合、気配ぐらい容易く消せると思っているらしい。

 だが、ここで、偽モモンが右手を前に少し出す形で待ったの合図を送り告げる。

 

「クレマンティーヌ、悪いがちょっとここで待ってて欲しいんだ。急ぎ仕事関係の確認話があって、マーベロと少しだけ先に話がしたくて」

「えーーっ。……分かった。じゃあその後で、マーベロちゃんを叱ってよねっ。この私に、うるさいなんて言うんだもん」

「あ、うん、そうだね、じゃあちょっと」

 

 そう言って言葉を濁しつつ、早めに扉を閉める。

 マーベロらは急ぎ階段を下り、周辺に誰もいない2階の踊り場に移ると、パンドラズ・アクターは非常時として〈伝言(メッセージ)〉を使って兜の中、囁き声でマーレへ話し掛ける。クレマンティーヌは一部盗聴も可能で、普通には話せないのだ。

 

「ダメじゃないですか、マーレ様。マーベロさんの役を続けないと困ります。もうすぐ創造主様がこちらへ戻られます。先に戻って様子を確認せよと言われ――」

「え、モモン――さんが帰って来る?!」

 

 「モモン」まで言ってしまうと「ガ」は言えない。主様との二人切りでとの約束なのだ。

 そして温かく優しい主の事を思い出し、可愛いオッドアイにキラキラの輝きが戻って来る。彼女を闇の淵から容易く引き戻せるのは〝モモンガさま〟しかいない。

 また、すでにパンドラズ・アクターに見られ話を聞いてしまった以上、モモンガ様と会わずにここを離れる訳にはいかなくなった。

 

「うぅぅーーーん」

 

 マーレは視線を落とし、垂れ耳をさらに下げて可愛く唸る。そしてパンドラズ・アクター扮するモモンを見上げながら、口に手を当てつつ小声で呟き〈伝言(メッセージ)〉を返す。

 

「わ、分かりました。仕方ないです。冒険者を続けます。でも――このあとモモンさんの方が大変じゃないですか?」

 

 どうやって二人のモモンの辻褄を合わせるのかという事だろう。

 すると、頭の回るパンドラズ・アクターはあっさりと答える。

 

「それは大丈夫ですので、この場で暫く創造主様をお待ちください」

 

 そう言うとパンドラズ・アクターは、この場から――消えた。

 それから、長く感じる3分ほどすると、普通に階段下から上へと昇って2階踊り場に本物のモモンが現れた。先ほどと同じように〈伝言(メッセージ)〉経由で小声での会話が始まる。

 

「待たせたかな。話はあれ(パンドラズ・アクター)から聞いたよ。大丈夫。上の部屋では、先程からクレマンティーヌに〈ジュデッカの凍結〉(対象の時間を停止)を掛けている。間もなく解除するらしいけど。彼女は一瞬だけ気配を見失ったかもしれないけど、言われたら辻褄は俺が合わせるから。でも、どうしたんだマーベロ。らしくないだろ?」

「は、はい、ごめんなさい、本当にすみません。でもそれは、実は法国の至宝アイテムの中に〝耐性を持つ相手すら精神支配する〟ものが有ると聞いて、世界級(ワールド)アイテムかも知れないと」

 

 それを聞いたモモンも、流石に思わず兜に手を当てつつ、かなりの困惑さを感じさせる言葉を普通に発していた。マーベロのことは言えない。

 

「な、なんだと……。くっ。やはり最大級の警戒は常に必要ということかよ」

「は、はい」

 

 一大人類国家の一つであるリ・エスティーゼ王国の、今までの脆弱でしかない戦力や人材、装備を見てきて、新世界への脅威感と警戒心が下がってしまっていたと反省する。そして、この世界にプレイヤーの存在を熱望しながら、彼らが世界級(ワールド)アイテムを所持する可能性を失念していた愚か者の自分を猛省する。

 モモンは数秒間、視線を落とし左右の床へ彷徨わせるように、今後どうするか考えた。ただ、ここで焦って動くのは愚者のすることである。

 法国に加え、今後はあの竜軍団についても、もはや過小評価や油断は出来ない。竜王以外にも何か特別といえる力を持つ竜兵やアイテムが存在する可能性がある。正面から行く場合は、やはりかなりの危険が付きまとうということ。

 ユグドラシルにおける高レベルでの心理戦の駆け引きや緊張感を思い出し、常に意識して注意深く戦いを進めたいところである。

 この後は、情報の内容を再度確認する上でも初めからクレマンティーヌに話を聞くのが正解だろう。

 知識を仕入れ、対抗する準備をすればかなり危険度は減らせるはずなのだ。

 単純な話、その危険な能力のアイテムが世界級(ワールド)アイテムであれば、こちらも宝物庫に眠る世界級(ワールド)アイテムを出して持たせればいい。違うか不明なら、さらに対抗出来る魔法かアイテムで武装すればいい。

 とりあえず残念な事に、聞いた能力の世界級(ワールド)アイテムについてはアインズ自身の知識で思い当たらなかった。

 ユグドラシルにおいて情報は力であった。そのため結局、世界級(ワールド)アイテムについても能力は、使われて周知された物だけしか知られていない。その数は40種程。つまり、ナザリックの11個も含めて、正確な能力が分かっているのは50種程という事だ。残りの150種は全く不明な能力である。ただ、ユグドラシルでは世界級(ワールド)アイテム全体200種の内、発見されたと分かっている物も約半数に留まる。名をあげたいということで保有事実とアイテム名を出したりするが、その能力は非公開の場合も多い。おそらく有名ギルドの中には、発見と保有事実そのものを隠蔽しているアイテムも有るだろう。なので、今回の至宝も不明な中の一つかもしれない。

 世界級(ワールド)アイテムは、『運営は頭がオカシイ』とまで言われたほどの、中にはゲームシステム全体に影響する能力もいくつかあったりした。また『光輪の善神(アフラマズダー)』のように、たった一撃でカルマ値がマイナスの者に致命的なダメージを与えるという世界広域攻撃アイテムもあった。

 そして、ナザリック地下大墳墓は玉座の間にある世界級(ワールド)アイテム『諸王の玉座』で守られているため、外部からナザリック全域に世界級(ワールド)アイテムの攻撃を受けたとしても内部では無効化される。

 このように、世界級(ワールド)アイテムは、いずれもプレイヤー個人の力を超えた強大で破格の力を持ち、本当に全く油断できない能力ばかりなのである。

 一方、例の至宝が世界級(ワールド)アイテムではない可能性も残る。とは言え、アインズも『耐性を持つ相手すら精神支配する』という強力で危険すぎる能力について、一般的に手に入るアイテムでは聞いたことが無い。

 ならば、これまでの情報からそれは――かなりのレアアイテムということ。

 レアアイテムも、同じ物が五つも六つも見つかるのは稀だ。

 つまり、何れにしても一つ現物を抑えればかなり安心出来る事は確かである。

 

(しかしユグドラシルでは、プレイヤーを現実には洗脳なんて出来ないから、魔法やスキルの『精神支配』は攻撃先の敵キャラやNPCを乗っ取って操作出来る形で存在してたけど。うーん、耐性をも突き破るというのは、やっぱり今までに知らないアイテムだよなぁ。しかし、そんなのもあったんだ。ははっ)

 

 ゲームは終了してしまったようだが、ここで新しいアイテムについて知ることが出来るなんてと、アインズは一瞬だけ面白く感じた。

 しかし――今はすでにゲームとは違う。

 組織を率いる者として、情報を持たない、知らない事の怖さを改めて感じる局面であった。再度気を引き締める。

 そして、思う。

 あの頼もしい守護者達の誰かが『精神支配』を受け、その実行者に媚びへつらわされ好きに弄ばれた揚げ句に、敵として向かってくるという悪夢の可能性の存在を。

 正に冗談では無い。これこそ、決してあってはならない事態だ。

 

(………最悪だな)

 

 ここでふと、宿屋に戻る直前にあったパンドラズ・アクターからの報告と、目の前のマーレの雰囲気に感じる物があった。

 恐るべき能力が引き起こす可能性の脅威に、危険を顧みずこれから単身で動いてくれようとしたのだろう。

 気持ちは嬉しい事だが、余りにもリスクがありすぎる行動。

 それに可愛いマーレが捕まった場合、アウラに何と言えばいいのか、どうすればいいのか。もちろん相手は絶対に許さないが、洗脳されたマーレをどう救えばいいというのか。

 それは仲間が魂を込めて作った、どのNPCに対しても言えること――。

 加えて、更にナザリックの多くの情報が洩れる可能性すらある。敵が強大であった場合、実質的損失はそちらの方がずっと大きい。

 支配者として、苦渋の状況に陥る事になると容易に想像出来る。

 

(…………くっ。いや、まだ何も起こってはいない)

 

 兎に角、今は冷静で周りをしっかり見て的確に判断した行動あるのみ。

 偶然だが事前に、大切なNPC(家族)を守れて良かったとしよう。アインズとして口から、自然と言葉が出てきた。

 

「今回は不問だが、絶対に一人で動くなよ。お前の姿が見られなくなると――とても寂しくなるからな」

 

 モモンの重厚なガントレットが、可愛く左手を口元に当てているマーベロの金色の美しくサラサラで柔らかい髪を、優しく優しく撫でた。

 

「うっ、……は、はい……」

 

 気遣ってくれる支配者を見上げつつ、マーレは改めて思う。

 こうなれば、絶対にお優しいモモンガさまだけは守ると。出来るだけお傍にベッタリくっ付いて居ようと――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 クレマンティーヌは宿の部屋で、再びベッドへ横になっていた。

 不思議と、モモンの気配を一瞬見失った気もしたが、今は変わらず階下に感じるので気の所為かとも思う。ただ先程、扉の外の気配に気付けなかった事を思い出した。

 

(モモンちゃんだから仕方ないけど。……まあこの二日、移動しっぱなしで余り寝てないし、私も流石に少し疲れてるのかも)

 

 その所為とも少し考えたが、先からずっとモモン達二人の会話がよく聞こえない。

 これは、明らかに自分対策されているようだ。少し寂しい。

 何か冒険者として聞かれては不味い事があるのだろうか?

 

「もーー、モモンちゃん。私、誰にも言わないよ?」

 

 なにか、冒険者モモンチームの中で疎外感を覚えてしまい少し面白くない。

 だがここで、ふと正解と思われる理由が浮かんだ。

 

(あっ、も、もしかして! モモンちゃん、私に関してのエッチなことなんじゃ……。ふふっ。でも、もうすぐ全部隅々まで分かっちゃうのになぁ。相手がモモンちゃんなら、強引とか、大きさとか、痛みとか多少難があっても全然気にしないのに。でも、やっぱり彼も漢としての立場があるよね。うんうん)

 

 もはや思考がこの後の桃色行為で一杯のクレマンティーヌは、変に斜め上の発想で全てに納得していた……。

 また、クレマンティーヌはここで重大な事に気が付く。

 

(そうだ、身体をキレイ綺麗にしておかないと。あ、でもっ。……モモンちゃんって、どっちが好みなのかな。聞いてからにしーよぉっと。んー、でも、最初ぐらいは綺麗な方がいいよね、やっぱり)

 

 もはや手に負えない感じに盛り上がっていた……。

 それと彼女は、マーベロの「うるさい」と向けてきた言葉にも結論を出している。それは、トロい感じのマーベロへあれだけ一度に色々と情報を伝えたため、覚える事へ必死になってしまったと判断したのである。

 あとでモモンへと伝える為に、一生懸命覚えようとしていたのだろう。カワイイではないか。

 個人的な無礼であったなら許さないが、彼へ尽くそうと努力する気持ちは良く理解出来た。同じ男への愛ゆえなのだ。ここは、上の者として大目に見てやるのもいいだろうと。

 とにかくクレマンティーヌは、愛しのモモンが絡むと『べらぼー』に弱かった……。

 そんな形で勝手に色々不問になったところで、モモン達が階段を上がり始め、3階のこの部屋の扉前まで来る。

 まるで猫が玩具を見つけたように、感知するクレマンティーヌは再び上体を素早くベッドから起こした。

 室内がすでに桃色で充満している空気の中、扉は開く。

 

「モモンちゃん、モモンちゃん、早く、早くーー」

 

 モモンがマーベロを引き連れて入って来ると、もはや餌をねだる小動物と化しているクレマンティーヌがモモンに可愛く甘く抱き付いてきた。すでに、ローブや両腰の剣に鎧もベッド脇へ脱ぎ置き、綺麗な刺繍の入る胸の強調された白のブラウスに、白いフリルのあるこげ茶生地のホットパンツ姿であった。

 一方、モモンは現在それでどころでは無い。人間のままであれば美人の彼女の色香にグラっと来ただろうが、今の彼は純粋なアンデッド。性欲は二の次どころか、五の次ぐらいに落ちていた。

 胸へ飛び込んできて収まる色欲の令嬢の両肩を掴むと、モモンは容赦なく告げる。そしてその言葉には、先程ニニャが居て聞けなかった第一声を含んでいた。

 

「待ってくれないかな、クレマンティーヌ。まず――君はなぜ今日、ここにいるのかな?」

 

 そうである。

 本来は、その理由をまず確認すべきなのだ。

 予定では、定例報告は五日後にスレイン法国の神都で行うつもりであった。もちろんこちらは遠征地から転移系で最上位の〈転移門(ゲート)〉を使っての移動である。

 二週間程前、彼女との別れ際に聞いており、特に監視対策されていないと教えられた神都の外れの建物が疎らである会合場所は、すでに第九階層の統合管制室から『遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)』により確認済である。

 モモンは真剣な言葉を続ける。

 

「それと持ってきてくれた情報を改めて先に聞きたい。マーベロから少し聞かせて貰ったけど、途中にとても大事な情報があって、漏れが無いかもう一度確認したいんだ」

 

 一人盛っていたクレマンティーヌは、またお預けをくらい切ない顔をするも、モモンの凄く緊迫感のある雰囲気に折れた。

 

「うー、わかったー。モモンちゃんのお願いじゃしょうがないよね。それに、モモンちゃんが来てから話そうと思ってたことも結構あるしー、んふっ」

 

 モモンは、クレマンティーヌの顔をまじまじと眺めて思う。マーレからは依頼した項目の情報を、ほぼ得られたのではと伝え聞く。なので、まだ他にも驚く事実があるのではと、その情報に不安と期待が入り混じる。

 それと、よくこれだけの機密情報が持ち出せたものである。

 猫っぽい彼女はモモンの胸から離れると、さっきまで寝転んでいた左側のベッドへ腰掛けるように座る。そうして、その右隣をぽんぽんと叩きつつモモンを招く。

 

「モモンちゃん、ここに座ろ座ろうー」

「ああ」

 

 こうなれば、気分良く全部話してもらうため、そこにモモンは素直に腰かける。

 すると――クレマンティーヌは、ごろんと彼の膝の上へと横に左側から倒れてきた。

 せめて、愛しの伴侶の膝枕で甘えたいという作戦のようである。

 その態度にマーベロが、思わず怒り気味に声を掛け、モモンも続く。

 

「あ、あの、クレマンティーヌさんっ!」

「お、おい」

「分かってるってー」

 

 相変わらずひんやりと、そしてまるで肉質を感じない程堅いモモンの心地よい鎧膝へ、久しぶりにスリスリしながら、クレマンティーヌは話し始める。

 

「私がここに来れたのは、漆黒聖典の全員が竜軍団の退治に出陣したからなのよねー」

「――えっ」「なっ」

「あと、法国の至宝“ケイ・セケ・コゥク“を着たカイレの婆さんも一緒に出陣してるわよー」

「「――っ!!」」

 

 サラっと流すその言葉に、モモンとマーベロは衝撃を受け固まっていた。今猛烈に、ナザリックにとって一番の脅威が動いているというのだから当然だろう。

 

 だが、逆に言えば――これは鹵獲の絶好の機会とも言える。

 

 同時にアインズとマーレはそう考えるが、マーレは、絶対にモモンガさま抜きで作戦を行うべきだと考える。一方、アインズは、ここは世界級(ワールド)アイテムを常時所持し、多くの超位魔法も使える自分が最前線に立つべきだなと思考していた。

 しかし、今回は慎重に進めるべきだという考えは共に同じで、どちらも口にはしない。

 モモンは、己の膝上へ横になってその右膝に頭を置き、意図して女体の柔らかさをスリスリと直に伝えてくるクレマンティーヌへ尋ねる。

 

「漆黒聖典の部隊が動いているのは分かったよ。それで、君は1人でここにいていいのかな? それに俺とマーベロは1週間ほど前の夜に、この都市に近い郊外で漆黒聖典と思われる大きい盾を持った奴らと会っているんだけど?」

 

 モモンは、アルベドに奴らの追跡指示を出しているが、そういえば数日前にまだ王国内を随時移動中だとしか報告を受けていない。

 彼の言葉を聞き、ニンマリしなから背を反らし胸の双丘を強調しつつ色っぽく仰向けになった彼女は答える。

 

「ああー、そうなんだ。えーっとね。その連中が評議国との国境付近で、確か煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)だったかな、それを見つけて、その後から竜軍団は王国への攻撃に向かったみたいよー?」

「それって、奴らが引き金ってこと?」

「知らなーい。でも、違うんじゃないかな。あの盾を持った奴――セドラン……って言うんだけどー、バカ正直な奴だから、そうなら報告してくると思うんだよねー。それが無かったから、元々侵攻するつもりだったんじゃないかなー」

 

 クレマンティーヌは、セドランのことを『~のオッサン』と言いそうになったが、先日のモモンの顔も結構相応の年齢に見えたので口にしていない。モモンちゃんは違うもん、と。

 

「なるほどね」

 

 彼女は予想以上に冷静で、詳細に物事を捉えている。やはりかなり使えるとモモンは判断する。

 クレマンティーヌは、まだモモンには知らせていない情報を補完しつつ話を続ける。

 馬車で移動するセドラン達は、その後、本国へ直接帰らず王国の大都市リ・ボウロロールの秘密支部に情報を知らせ、本国の本部内の遠距離から六色聖典の一つである風花聖典の一部隊によって『支部の庭に示されていた情報』が取得されたという。

 どうやら間違いなく、法国は人間個人では足らない力を部隊で実現しているようだ。だが、その能力も限られてはいる様子。

 それからセドラン達は、今、このエ・ランテルを目指していて、ここで本国の指示を受け取る手筈。その指示役をクレマンティーヌが担っており、この場から王都の北にある森まで取って返す形で進み、漆黒聖典の全員が合流することになっているという。

 ここでクレマンティーヌは、更にモモンらが少しドキリとすることを告げてきた。

 

「そういえばー、元々竜王出現の予想が出ててー、それに対して部隊全員で出る予定だったのよ。その出撃の直前にさー、急に〝アインズ・ウール・ゴウン〟? ――っていう凄く強いらしい魔法詠唱者(マジック・キャスター)の一行が襲って来る話が、機密作戦で生き残って帰還した兵達から上がってきてねー、私らの部隊の多くは神都でその迎撃待機することになっちゃったんだ。結局その魔法詠唱者(マジック・キャスター)達は現れず、1週間ほど前に王都へ向かったみたいだけどー、それでセドラン達3人だけで竜王の確認に行ったんだよね。初めの予定通りにウチの〝神人〟の隊長を含めてさ、漆黒聖典の全員と至宝使いのカイレの婆さんも一緒に出てればー、竜軍団の都市を滅ぼす大暴れは防げたと思うけど」

「(神人の隊長……)……そうか」

 

 クレマンティーヌは自信があるように語った。例の至宝がある為だろうか。それとも、実際に聞いた、神の血を引きその一部の能力を発現させる『神人』である隊長の想像以上の強さなのか――。

 そして、少しのことでも歴史は変わる。

 カルネ村を襲った騎士を全て殺していれば、大都市エ・アセナルが消えなかったかもしれないと。

 モモンは王国で、大都市エ・アセナル壊滅の話を聞いた時も感慨は特に湧いてこなかった。鈴木悟だった時にニュースで聞いた、住宅街の一角で大量に発生した白アリの大群がすべて駆除された程度の感覚。

 

 

 ――邪魔者や弱者は単に消え去るのみ。

 

 

 それが自然の法則であるし、この新世界に生きる者の宿命であり現実だ。

 『たられば』はもう済んだ過去の話。状況はもう戻らない。それに、Lv.89の竜王率いる軍団300となれば、漆黒聖典も敗れる可能性はある。神人も至宝も上空の竜王には射程的に届かない事もありえるからだ。

 すべては、実際にその状況にならなければ分からない。

 さて、とりあえずクレマンティーヌが今、この場に居る理由と漆黒聖典の動きは把握出来た。

 

「クレマンティーヌ」

「んー? ――ぇっ!」

 

 クレマンティーヌは仰向けの艶っぽい姿勢のままで、モモンに頭を撫でられていた。

 

「よく知らせに来てくれたね。ありがとう」

 

 クレマンティーヌは伴侶からの撫でに頬を染め、ゆっくり目を閉じて悦楽の表情で受けていた。

 これは、アインズとして正直な気持ちである。持ち込まれた情報は値千金。ナザリックに多くの対策や安全をもたらすだろう。

 

「悪いけれど、マーベロに話した内容を確認がてらもう一度話してくれるかな?」

「んふっ。もちろん、いいよー。じゃあ、モモンちゃん聞いてね」

 

 膝枕に待ち望んだ優しいナデナデを貰い、表情がニコニコのクレマンティーヌの語りは絶好調で全ての情報を吐き出していった。

 30分ほどで、マーベロにも話した一通りの語りが済む。時折、マーベロから囁き調の〈伝言〉により彼の頭へ補足報告が入る。難度についてや、先程聞いた内容と言い回しは違うが同じである等々。

 淡々と語るクレマンティーヌの兄の情報もあったが、実のところ死の騎士(デス・ナイト)水準のモンスターを数体召喚出来たところで問題は無い。

 あと、周辺国についてだが、東には竜王の女王が居ながら小国である竜王国。西には数多の亜人部族らが紛争しているというアベリオン丘陵があるとの情報を聞くも、それらの存在は某陽光聖典隊長の調書情報ですでに知ってはいた。

 さてクレマンティーヌの情報で、気になったのはやはり秘宝と至宝、神人が3人いること、それに出撃中の隊長の装備。

 加えて更なる恐るべき情報があった。

 

 スレイン法国を随分南に、戦争中のエルフ王国を飛び越え、更に広大な砂漠を南奥へ進むと空中都市があるという――。

 

 3人目の神人と空中都市の話は、マーベロの時に漏れていたという追加の情報だ。ただ3人目の神人は、脅威度は低そうなので、アインズ的には流した感じである。

 対して、空中都市についての話を聞く雰囲気は一変し緊張する。

 都市の周辺は空中都市から流れ落ちる豊富な水で地上には豊かに緑が広がり、それを含めて広大な結界が張られた上、屈強である衛士達が居て入れないという。

 空中都市周辺の物理的規模は、ナザリック以上の大きさの可能性もある。立ったままのマーベロとベッドに座るモモンは、『これは、一つのアイテムの脅威どころじゃない』と、暫く目を合わせて沈黙していた。

 それだけ巨大である物体を永続的に浮遊させる点と、随分広い領域に対しての結界持続の其々で、世界級(ワールド)アイテム級の能力が使われている可能性が高い。いずれも長期的に個人で展開するには限界のある能力と言える。拠点に有用な世界級(ワールド)アイテムはナザリックでも使用していたりするのだ。

 

(相手は大ギルド規模……これは、プレイヤーがいる可能性が凄く高いかも。早めに直接行ってみたいけど、実態が分かるまで危険だよな。いきなりPK(プレイヤーキル)される可能性も十分あるし。まあどう対応するかは、例のレアアイテムを入手して、周辺が落ち着いてからかな)

 

 今は、目の前の問題が結構山積みである。ここは順番に片付けるべきだと絶対的支配者は判断する。

 モモンはここで、空中都市の件を一旦おき、漆黒聖典について考えていた重要点を確認する。一瞬、クレマンティーヌに『ユグドラシル』という単語について仲間内で聞いたことが無いかを尋ねそうになった。しかし不用意でもある気がして、彼は人口管理に戸籍が使われている事を思い出し、別の質問を期待を込めて投げてみる。

 

「一つ聞きたいんだけど、漆黒聖典のメンバーは全員、スレイン法国の生まれなのかな?」

「んー? ……えーと、そうだけどー、それが?」

「……そうか(近年突然に、他所から来た奴はメンバーにいないのか)いや、単によそ者は居ないのかと気になっただけだよ」

 

 精々Lv.40程度だろうが――人間である。もしかすると、プレイヤーがいる可能性があるのではと思ったのだ。

 これでまた手掛かりが一つ無くなった。近隣国にプレイヤーは誰も居ないんじゃという不安が僅かに広がる。一方で、周りの者のレベルが低いと、面倒な仕事ばかりが回ってきて鬱陶しいと思うプレイヤーもいたはずで、各地に隠遁している可能性はまだあると考えていた。その点で、近代では類を見ないという、今回の竜軍団との一大決戦には結構期待している。

 クレマンティーヌは、先のモモンの考えへ丁寧に説明してくれる。

 

「私の部隊の漆黒聖典はねー、人類の繁栄を願って他種族から守ったり亜人種らを排除するためにー、全国民から選りすぐった切り札的部隊だからねー。基本的に法国の思想を小さいころから学んでてさ、実践する者しかいないんだよねー。私は、まあ珍しく違うけど」

 

 色々捻くれていた彼女の場合、傍に潜み隙を突いて兄を殺せれば、他はどうでも良かったのだ。そして彼女の話から、メンバーの誰かに頼むという手段で兄を抹殺出来なかった理由が分かったように思う。だから、秘密結社ズーラーノーンとも繋がろうとしていたのだろう。

 

 さてアインズの願望であるプレイヤー探しだが、クレマンティーヌの話からどうも表社会に彼等は中々居そうに無いので、やはり王国の国難に際し、当面傍観して登場を気長に待つことになりそうである。

 ただここで、強力そうな漆黒聖典が出てきたことで、少々ややこしくなってきた。

 アインズとしては、王国が竜軍団により、更なる甚大な被害を出して苦境に立ち、その期間があと半月も過ぎれば、おそらくプレイヤーらにも状況が伝わって、流石に助けようかという気運が高まり腰を上げるはずだと考えている。

 一方で、アインズは漆黒聖典達の実力を見させてもらい、そのあと側面からの奇襲で問題のアイテムを鹵獲したいところ。

 だが、漆黒聖典の動きは人類側の被害の最小化を目指して時間稼ぎすらせず、さっさと竜軍団に挑みそうである。

 

「クレマンティーヌ、漆黒聖典は王都の北東にある森で合流完了のあと、すぐに竜軍団へ戦いを仕掛けるのかな?」

「おそらくねー。だってノロノロしてると、対抗手段の殆ど無い王国の人間は皆、丸焼きか奴隷になっちゃうでしょ?」

「まあ、そうだよなぁ」

 

 つまり、アインズの考えるプレイヤーの件と、漆黒聖典らの行動は、待ち時間として『長め』と『短め』が反目する形になっているのだ。

 

(どうすべきかなぁ……)

 

 仮にこのまま放置し、漆黒聖典らが先攻して竜軍団を倒したとする。公式には機密部隊であるが、法国が動いたことが伝わると王国に法国の大きな影響力が発生し残るだろう。

 そして脅威のアイテムも漆黒聖典傍に依然存在し、更に名声も法国側が全部持って行ってしまい、プレイヤーの存在も不明のままだ。

 

 つまりこの場合、ナザリックにとっての利点は全くない。

 それどころか、法国の影響が伸びてくると、王国の王都周辺で堂々と『アインズ・ウール・ゴウン』を名乗る魔法詠唱者(マジック・キャスター)一行の身が危なくなりそうだ。

 

 次に、ナザリック勢の暗躍等も含めて、竜軍団が漆黒聖典に完勝した場合(クレマンティーヌは離脱か救助)は、貴重だと考えるアイテムの一部が竜軍団へ移ることになる。

 竜軍団は相応の被害を受けるだろうが、竜王が無事なら総戦力はほぼ変わらないはず。いや、脅威度は更に増すはずだ。

 それに向かって、王国軍は戦わねばならない。王国軍の主力の敗北は計画通りだが、その状況から続いてアインズ達も動く事を強いられる。

 これだと王国軍は、より早期敗退が濃厚で、プレイヤーの存在有無の確認は期間的に微妙であろう。もしプレイヤーが加勢にこなかった場合、漆黒聖典のアイテムを引き継いだ竜軍団を正面から相手にする件や、法国の軍事力が下がり周辺のパワーバランスが不安定になる恐れを考えると、高確率で下策になりそうだ。

 

 あとは、アインズ達が先に漆黒聖典を闇討ち的に襲い、レアアイテムを一部取得した上で彼等を法国へ撤収させ、王国軍の主力(蒼の薔薇含む)が竜軍団に負けてから、アインズ達が再度動くという従来に近い作戦に至る。

 これなら、各状況で一番有利に戦えるだろう。

 特に今は――漆黒聖典達がバラけているという好条件付きでもある。

 

 モモンが途中でも考えた気になる事は、今、法国が最強部隊である漆黒聖典を全て失った場合、その勢力圏が早期に崩壊する恐れはないかということ。

 その疑問を解消すべく、モモンは口を開いた。

 

「漆黒聖典のメンバーが1人……例えば君が引退した場合、後釜はいたりするのかな?」

「えぇっ、もしかしてー寿引退とかー? まあ、そんなの無いんだけどー。メンバー交代は、死ぬか、大きく貢献してきて年齢的にか、それか失踪(トンズラ)するかなんだよねー。んーと、確かねー、難度100ぐらいの奴らが数人いたはずー。だから私の場合はー、そのうちトンズラしてモモンちゃんとこでコッソリ世話になるつもりだよー」

 

 ナザリック的に言えば彼女の強さは低レベル域だが、この人間達の支配する近隣での戦闘水準なら強者。仮に追われても、魔法も使える誰か……仮にハムスケ辺りと組ませれば、粛清に来るだろう格の落ちた聖典の後輩達に早々負けることは無いはずだ。

 

「なるほど(補欠も少しはいるんだな)、今5人ぐらい代わっても大丈夫ってこと?」

「んーまあ、兄や隊長、“番外席次“がいる間は総戦力的には問題ないかなー」

 

 彼女の兄クアイエッセは兎も角、特に〝神人〟の『隊長』と『番外席次』は、戦力的に代えがきかないということのようだ。

 またアインズとしては、老婆が装備するという至宝と、神人とその装備ぐらいにしか興味が無い。あと、約束であるクレマンティーヌの兄を殺せれば十分である。

 法国の南にあるという謎の多い空中都市の件もある。その近隣へのこちらの過剰な動きは、藪蛇になる恐れが考えられる。

 漆黒聖典全てを討たなくても、今は本国へ撤退させるのが最良に思える。

 

(今回、おそらく脅威順と戦力期待としては隊長、老婆で其々半分近くと三分の一を担い、その他で残りかな。隊長と老婆が十分機能しなくなれば、戦力不足から普通に撤退するはず)

 

 アインズとしては、ナザリックにとって単に短期的な影響と現実的実利を考えれば、身近な脅威排除として法国の漆黒聖典の全排除やレアアイテム群取得が優先である。

 しかし広域に、そして長期を見る場合、個人的理由と共にナザリックにとっても、空中都市の様なプレイヤー関連と思える存在は、なるべく早期に確認すべき事象なのだ。

 それは、世界征服計画が進行する前に、この新世界におけるプレイヤー達の存在規模の把握と同時に手を組んでおきたいためである。

 

 なぜなら、もし予想以上に多くの高レベルプレイヤー勢が隠れている場合、ナザリック戦略会議でも考えていた事だが、世界征服計画は―――暴挙に他ならない。

 

 現実がそうなら、アルベドやデミウルゴスらの守護者達への計画変更も説得しやすいだろう。彼等もナザリックの存続が大事であって、世界征服がそれより優先という訳は無いのだから。

 概ね予定通り、亜人達を配下にした建国辺りで止めれば、人間種のプレイヤー達とも大きく問題にならないだろう。

 アインズとしては、世界征服について、守護者達の希望を汲んでいるところが大きい。

 しかしプレイヤー達と交流出来て、ナザリックが守れるなら、それ以外は大きく譲ってもいいと彼はずっと考えている。

 

 とはいえ、これは世界征服を目論む絶対的支配者に比して、『弱さ、恐れ』の部分であり、既に一度は守護者達に伝えているが彼等に多くは見せられない姿。現実がそうであった時までは、極力秘めるべき『妥協思想』である。

 それまでは、最強の指導者として『覇者』を演じ続けなければならない。

 

 今、新しい脅威や未確認事項がナザリックの持つ新世界の情報に続々と増えつつある以上、可能な限り蛮勇的で愚かしい手は避けたいと思うのは統率者として当然と言える。

 情報はまだまだ不十分であり、今回の漆黒聖典についての対応は至宝アイテムの一つと、可能なら隊長の装備取得と、拘束か一時無力化で十分だろう。

 これなら、クレマンティーヌに関しても情報源としてそのまま生還させられるし、現状維持もできる。

 

(……全てに悪くないかな。さてしかし、作戦はどうしようか……)

 

 ここで改めて考えると、セドラン率いる別働隊を個別で撤退させるのは、()()()()()と中々難しいように感じた。半殺しにしても治療薬で復活するし、撤退後を考えると装備を奪う訳にもいかない。すると、一旦は止められるがやはり『隊長』らと合流しようとするだろう。なので、合流させた上で『隊長』に遠征を断念してもらう方が、流れ的には面倒が無さそうに思える。

 その場合は――。

 クレマンティーヌから目線をゆっくりと上げたモモンことアインズは、まずこの作戦に最適な人材を閃く。

 

 

 それは――――一度、彼らの一部に吸血鬼の姿を目撃されているシャルティアである。

 

 

 既に、強さと存在を知られているため、急に登場し襲われても不自然さがもっとも少ないと思われる。

 絶対的支配者もマーレ同様、隊長の推定レベルは85から90と判断している。そして、至宝を持っている老婆。だが戦闘力的にはいずれもシャルティアの敵では無い。

 階層守護者の彼女へ創造主ペロロンチーノより与えられた真剣な戦闘職と魔法職の構成は、最高に近いバランスで配分調整され、守護者最強という凄まじいポテンシャルを発揮している。

 また、シャルティアには豊富で強力なスキルの中に切り札の『死せる勇者の魂(エインヘリヤル)』がある。これは、魔法は使えないが、戦闘力はそのままの白い光体姿のシャルティアの分身である。

 圧倒的である近接攻撃力をそのままに、最悪乗っ取られても短時間で、自動消滅するという後腐れの無さは最適と言える。〈転移門(ゲート)〉で突入前に、ナザリック内から出しておけば危険度は更に下がるだろう。

 これを森へ集結待機した連中へ遠隔(シャルティアも完全不可知化等探知されない距離で森には居る)で突っ込ませ、最高速状態で対象を絞って近場の側面から不意で非直線的に攻められれば、低レベルである人間の老婆に的として捉えられる訳がない。

 5秒もあれば勝負は付くはずである。

 例の至宝が無力化出来れば、シャルティア本体も合流出来る。その後は生かすも殺すも余裕だろう。まあ、吸血鬼の姿でという制約があり、相手には若干のハンデは与えるが、ほぼ完璧なプランと言える。

 だが――とここで、支配者はそれを取りやめ思い直す。

 

 

 

 万が一がある。

 

 

 

 もし、慕ってくれている可愛いシャルティアが法国に奪われた場合、他守護者達やナザリックの者達に凄く辛い思いをさせることになるだろう。恐らく一番は当人だ。

 そして、丹精込めてその彼女を作っていたペロロンチーノさんに本当に申し訳が立たない。

 これは、自分の計画が甘かったで済む話でも納得出来る事でも無い。

 失敗は許されない。

 今回は、ユグドラシルですら経験したことのないぐらい危険度の高いレアアイテムなのだ。

 ナザリック地下大墳墓内で、最も装備や使用魔法が充実していて経験の豊富な自分が、やはりここは矢面に立つべきだと考える。

 支配者は、別の案を考えることに決めた。

 

 

「――――ンちゃん、モモンちゃん?」

「――ん? あ……」

「もう、どうしたのー?」

「い、いや。大丈夫」

 

 モモンは一瞬、思考の袋小路に入ってしまっていたようだ。

 クレマンティーヌは彼のそんな様子にも不機嫌になることは無くニッコリと微笑む。それは歪みの無い純粋に恋する乙女の可愛い笑顔。

 

「モモンちゃん、えっとねー」

 

 どうやら、クレマンティーヌの話にはまだ続きが存在する様である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. アダマンタイト級冒険者チーム『朱の雫』の戦いは終わらない。

 

 

 廃虚が一面に広がる旧大都市エ・アセナルには、いまだ薄らと煙が数本立ち上っている。

 現地側に残っているアズス・アインドラら三名は、竜軍団宿営地に隣接する劣悪な捕虜キャンプから少し距離を取った林に潜み、継続して現地状況を確認中であった。

 あの全てが燃え落ちる、本当に絶望的であった戦いから早くも丸4日。

 体力に自信があった彼等にも疲れが見え始めている。

 いや、出合い頭の渾身の大魔法が完全に反射され、それ以降は混乱する中、竜兵を数体倒した程度で鱗を剥ぐ暇も無く、ほぼ何も出来ず数十万人の丸焼きを見せられた事から、体力以上に開戦当初から精神面で大きくダメージを受けていた。

 しかし、家や財産、家族達を失った上で、竜達に今なお拘束されている多くの一般市民達の事を考えると、人々の期待に応えられなかったアダマンタイト級冒険者が弱音を吐いている場合ではない。

 地上の大部分が焼き払われたため、食料が十分に無い現状。潜んでいる『朱の雫』等ですら中々確保が難しい有様に、人口過密に加え治安も崩壊した捕虜キャンプ内は更に深刻だ。精神の狂った者達が些細な事で無意味に殺戮を繰り返し、その者らも道端で普通に白昼、集団撲殺される異常と化した領域。

 建物は焼け残った柱を地面に突き差し、ボロボロの布切れを紐で繋いで雨を僅かに凌ぐ程度。吹きさらしとほぼ変わらない。そういった生活の場に加え、食料も初めから在庫確保が微妙である上に管理も酷く、一部として大量に焼けて残った家畜や●●の肉も多く混ぜられ、水を足されつつ腐らないように、キャンプの端へ大量に並ぶのが見える大釜で延々煮詰められているモノと聞く。

 そのスープが大き目のカップに半分と、パンの切れ端が少し。すでにそれほどの水準にまで落ちている。

 このままだと、あッという間に食す物は無くなり半月で死人が出る程干上がってしまうだろう。

 生存する推定9万人もの食料は尋常な量ではない。1日2食にしても18万食。1食少なめに250グラムとしても、毎日45トンもの食事量になるのだ。

 竜族としては家畜程度に思っている人間達に、どこまで施しが続くか不安が広がる。

 『朱の雫』で残留組3名の食料については、メンバーで一番身軽であるアズス自身が時々自慢の走力と〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉で、ここから70キロ以上離れた周辺の街や村々から、割高に銀貨で譲ってもらったものを充てていた。

 

 今回の戦いでは伝説と言われていた竜族が、実に賢く同難度と比べ圧倒的強さだという事実をまざまざと思い知らせてくれている。

 1000人程もいた大都市エ・アセナルの冒険者達は、竜兵達10体程度の死と引き換えに――完全に敗れ去った。生き残ったのは逃げ切れる技術を持った上位階級を中心に僅か100名程度。壊滅と言える水準の被害である。

 夜目も完全な彼等竜族には隙が殆どなく、隠れて逃げ切る事も難しい状況であった。現に、捕虜の脱獄者らも100%見つかり、見せしめとして罰則的に引き裂かれて吊るされており、2日前からは捕虜達の脱走は無くなっている。

 ただ、それは直ぐに殺されないという可能性を知ったからというのもありそうだ。

 どうやら捕虜達は評議国本国へ奴隷として送られる事が周知され始めたらしく、ここから逃げて潔く殺されるか、他国で奴隷として生きて死ぬまでこき使われるかの二択を考えることになっている模様。

 あとは――密かに淡いが王国の底力を信じて三択目となる救援を待っている者達もいるだろう。

 しかし世界にも少ない『逸脱者』クラス以上の魔法を放ち、かなりの知識があるアズスにしてみれば、今の王国にあの驚異的である竜王を上回る戦力は王家の宝物庫を漁っても無いと思えた。

 わずかだが、姪の持つ魔剣キリネイラム。これを制御不能とした完全暴走時の超破壊力に竜王を巻き込んでどうかというぐらいしか考えが及ばない。

 おまけに、魔剣キリネイラムを暴走水準で起動させるには恐らく膨大な魔法量が必要で、実現は到底無理だと今は考えている。

 つまり――上手い手は、現状全く浮かんでこない。

 2日程前に、何故か竜王が夜中に都市部跡で大暴れしていたが、王城から何か動きがあったと思いたい。

 さて、現地情報の伝達についてだが、王城に居る『朱の雫』リーダーのルイセンベルグと一緒のセテオラクスが遠視特殊能力(スキル)生まれながらの異能(タレント)持ちなので、彼の力を利用予定だ。

 しかし、その距離は110キロぐらいが限界らしく、王都からその限界域近くの大地に文字を書く形で知らせる手筈。アズスは食料買い出し地から足を延ばす形で、今からその地へ向かう。

 

「では、行ってくる」

「頼んだぜ」

 

 残る側も出る側も、互いに今はこれ以上何も出来ない自分達の非力さへの歯痒さが表情に出ている。アズスは隠れ家である狭いテントの中に座る仲間二人に向かい、これだけを言っておく。

 

「くれぐれも油断するなよ」

「分かってるさ」

 

 あの時、何も出来なかった――。

 百竜長ですら怪物過ぎた。アズスの使う魔法以外では避けようともしない。結局、百竜長を1度としてダウンさせる事すらかなわなかったのだ。

 リーダーのルイセンベルグの振るう聖遺物級(レリック)アイテムの『疾風の双剣』は流石に有効であるが、百竜長の難度は実に180程。

 強力な魔法の殆どと物理攻撃が通じないその強靭さは、どう考えても異常であった。

 多少その頑強である鱗の一部を砕き割り、鋼鉄以上の筋肉を薄くは切り裂けても、その下にある1メートルは優にあるだろう分厚い胸筋や背筋を断裂させるには双剣を使う人間のルイセンベルグが非力過ぎた。

 ガゼフ以上かと比較される剣技を持つ彼でも、精々難度で110程度しかない。加えてアズスの魔法力の大半が失われていた『朱の雫』では押し切れなかった。

 難度で実に150というイビルアイもいる同じアダマンタイト級の『蒼の薔薇』達に比べると、突出したエースと、平均的な地力で劣っていたのだ。

 さらに乱戦が特定の指揮官を討ち取る難しさに拍車を掛ける。

 結局、早々に戦線が崩壊し惨敗の形で、無勢で逃げ回るしかなかったのである。圧倒的存在の怪物らに殺されるかも知れない死の恐怖と戦いながら――。

 

 気が付くと、アズスの見下ろす仲間の一人の手にいつの間にか震えが来ていた。

 彼はその手を握り締め、苦笑いをしながら呟く。

 

「……分かってるさ」

 

 今は、恐怖や全てに耐える時なのだと。

 アズスは無言で目を閉じ背を向けると、報告のため潜む林を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 黒の王女様

 

 

 王都リ・エスティーゼのロ・レンテ城城内のヴァランシア宮殿に王族と特別使用人数名のみしか入れない場所がある。その一角に昼間、出入り口が閉ざされた部屋が一つあった。

 その部屋の主である彼女の名は、ルトラー。

 フルネームは、ルトラー・ペシェール・ラドネリス・ライル・ヴァイセルフ。黄金と呼ばれし、ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフの姉であり、リ・エスティーゼ王国第二王女である。

 普段から彼女の衣装は、美しい金髪が良く映えるほぼ真っ黒であった。綺麗なレースのフリルが付いた王女仕様のドレスの、上から下までが真っ黒なのだ。お風呂に行く時以外では脱がない薄めの長靴下も靴も当然黒である。

 彼女は黒い色が大好きであった。

 なので、部屋の白い壁を除くと絨毯も机も椅子もカーテンもベッドも基調は黒色になっている。

 その黒い椅子へお淑やかに腰掛けるその美貌は、第三王女のラナーと似ており遜色がないほどの美しさである。いや、似ているというか、そっくりというか――。

 その瞳、ラナーの青よりもより緑に輝き、またその胸の双丘は一回り程豊かにも見える。

 しかし彼女は生まれつき足が不自由であった。

 勿論、父である王のランポッサIII世は彼女が幼少の頃、高名な信仰系等の魔法詠唱者を幾人も招き彼女の脚の治療を行わせたが、何故かその効果は皆無であった。

 

 

「陛下、恐れながら申し上げます。これは――強力な呪いだと思われます」

 

 

 ある日、王城を訪れ治療を行った高名な神官が、人払いのされた部屋の中で王へそう告げてきた。

 

「の、呪いじゃと?」

 

 ランポッサIII世は、腰が抜けそうに驚く。意味が分からない。

 人口が150万に迫る王都でもそんな不幸を持つ子供の話は昔も含めて聞いたことが無い。

 

「大変に申し上げにくいことですが、これは一生治りますまい」

「あぁ、なんということじゃ……」

 

 今も少し離れた椅子から、幼いながらも成長すれば美人になることを想像するのが難しくない、整った愛らしい笑顔をこちらへ向けてくる。

 しかし王女と言えば、全王国民皆の憧れの存在と言える。

 そういった立場の人物が『呪われている』など知られる訳にはいかない。診察した神官へ固く口止めし、この事実は王家の中でも封印された。

 そして――彼女は僅か4才にして表舞台から姿を消すことになった。

 彼女は重い不治の病ということになったのである。それから、時が10年を超えて過ぎた。

 だが、ルトラーは足以外は凄く健康であり、頭もすこぶる良かった。

 ある日、兄のバルブロはこっそりラナーの解いたのと同じ難解極まる計算問題を見せたところ、妹とほぼ同じ速度で解いてみせた……。

 兄のバルブロは一瞬寒気がした。

 妹と違い秘匿の面もあって、ルトラーには――教師が誰一人付いて居なかったのである。

 ただ、部屋へ知識になる本は沢山置かれているし、おそらく偶に来るラナーから教わっていると思われた。

 

 彼女が今日も黒い椅子に座って本を読んでいると、扉がノックされた。

 そして、使用人の『婆や』が扉を開けると兄のバルブロが部屋を訪れる。反王国派のボウロロープ侯爵の娘を妻に迎えている彼だが、妹のルトラーを不憫に思い、彼女が幼少の頃からほぼ毎朝顔を見せてくれていた。

 そのためルトラーは、とても自分に優しい兄を尊敬している。なので、彼女は次男のザナックでは無く、やはり長男であるバルブロが王位を継ぐべきだと考えていた。

 妹のラナーは頭が回るからと兄のザナックを押しているようだが、ルトラーとしては優秀な兄ならばなおさら家族としての愛を示し長兄を支えるべきだとの考えを持っていた。

 家が割れる元になるとして――。

 だが、無用である自分は手厚く幽閉され、単に王族というだけで生かされているモノに過ぎない。

 体に不自由がある為、王家を強化するための政略結婚にも使われないのだ。

 今の我が身は王家に僅かも貢献出来ず、価値の無い全くのごくつぶしである。

 自分はこのまま何も成さず、この部屋で静かに年老いて朽ちていくのだろう。

 その価値の無いモノに意見を言う資格はないと、彼女は自分の考えを述べる事は殆どなかった。

 

 だが先日、一つの気になる出会いに遭遇する。

 それは舞踏会も行われた夜中であった。こっそりと、邪魔にならない時間に残り湯の風呂を頂くつもりだったが、まさか家族以外の男性に直接出会うとは思ってもいなかったのだ。

 その彼は仮面を被った変わった人物であった。

 兄よりも体格が良さそうな、どっしりとした落ち着いた感じの殿方。

 だが、最も気になったのは別の点である。

 随分薄暗い通路で出会ったが、見慣れていた彼女にはハッキリと見えていた。

 

 

 

 その彼のとても立派な衣装には、『黒』がふんだんに使われていたのだ。

 いや、全身漆黒と言っていい。

 

 

 

 ルトラーは、偶に車椅子でこっそりと王城に少し伸びる隠し通路の隙間から、殿方の姿を見る機会があるのだが、普段は『黒』という衣装は殆ど着られることが無く、黒色が大好きな彼女は密かに寂しい思いをしていた。

 なので――彼女は兄へこう尋ねる。

 

「あの漆黒のローブを纏われた、仮面のお方はどちら様ですか?」

「ん? あの客人の変わった仮面の男か?」

 

 バルブロは、妹がこっそり隠し通路を使う事を知っている。だが、とやかく言うことは無い。妹にも楽しみの一つぐらいあってもいいだろうと。

 第一王子にとって、仮面の客人は胡散臭い平民に見えていたが、ルトラーが外に興味を持ち、自分に質問をするのがとても珍しいので素直に答えてやる。

 

「確か、旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)で、名を――アインズ・ウール・ゴウンと言ったか」

 

 その名を聞いた可愛く美しい彼女は、単純に思った事を口に出していた。

 

 

 

「あのお方と――趣味がとっても合いそうですわ」

 

 

 

 ここでも、波乱のフタは開きそうである……。

 

 

 




考察)『ケイ・セケ・コゥク(傾城傾国)』とカイレ
原作で老婆なカイレがまだ戦場に立ってることから、使用者条件が相当厳しいなと。
じゃあ、どんな条件かと考えました。
まず、神人らも使えないとなると、高いHPだけじゃ無理という事。
次に、法国には第五位階以上の魔法の使い手が数名いるのに、使用してない点。
一方で、パンドラズ・アクターのようにMP(魔法量)は凄く高くても、魔法攻撃が低い(書籍版3-429の表より)者もいることから可能性はあるように感じました。
この事から、『カイレは魔法攻撃(才能)は低いが、MPは(人間にしては異常に)高い』人物と想定しました。
シャルティアに当てる事が出来たのだから、カイレは魔法詠唱者ではなく武闘派っぽい気がします。なので、昔はバッチリとチャイナ服が似合っていたのかも。
でもカイレですら最盛期も、表のグラフで言えば半分も無いとは思います。それでも人類の中では逸脱者級に突出していると考えられます。
なお使用時のレベルダウンは1を想定。
あ、そうそうイビルアイ(Lv.50に対して魔法位階が結構低い)は使えるかもしれませんね。

パンドラの場合は、魔法攻撃以外に重点が置かれていますから特殊だとは思います。
それと、魔法攻撃の低さもアイテムや巻物を使えば補えるとは思うし、魔法戦でも高度な戦術を組み立てられるであろう彼が弱いという事には全然ならないと考えます。



補足)世界級(ワールド)アイテム所持について
現在、本作でナザリック内にて世界級(ワールド)アイテムを常時個人所持しているのはアインズ様だけです。(モモンガ玉)
タブラさんはルベドを起動して満足したようで、アルベドは『真なる無(ギンヌンガガプ)』を当初から所持していません。でも、彼女には似合いのアイテムですよね……。
本作第一話にて、原作であったタブラさんが勝手に持たせた事に、モモンガ様がムカッとするシーンを書いてないのは、それがなかったためです。
お気付きになっていない方がいるかもしれないので、一応ここで書いておきますね。

ちなみに直接関係ないですけれど、本作ではまだ指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)は、アルベドのみ所持となってます。「他の何を放っても、駆け付けますからっ!」



捏造)世界級(ワールド)アイテムの能力判明数について
使用されて能力が判明しているのは40種程というのが捏造。
原作では、随所に名や能力が登場していますが、ナザリックの分も含めてまだ30個分も書かれていないかと。



捏造)第二王女 ルトラー
ルトラー・ペシェール・ラドネリス・ライル・ヴァイセルフ。
完全に捏造です。





今回は戦闘も入れたかったのですが、延々と書き続けそうなので次回に。


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STAGE31. 支配者失望する/墓地デノ出会ハ突然ニ(5)

注)モモンの声色と口調については、鈴木悟の素の声口調になっています
作品内の本日はここまでに、ンフィー引っ越し、ラナー敗北、ニニャ告白、クレマン報告と続いております(汗)


 カルネ村のゴウン邸(旧エモット家)の外は、もう夜の帳が降り切ろうとしていた。

 その家事室に先程から上機嫌でエンリが立っており、少し遅めで晩の食事を作っている。

 実は先程、迎え隣のンフィーレアの家から戻って直ぐに料理を作り始めるつもりでいたが、帰宅直後にゴブリン軍団リーダーのジュゲムがやって来て、村の板塀設置作業について誤差確認と現場での指示要請を受けたので、1時間ほど外で作業の再確認と陣頭指揮を執っていたのだ。

 カルネ村の砦化計画は自警団や村人らも交代で参加するようになり、突貫工事的に作業は続いていて、日の出から日没後も数時間は作業が行われている。幸い灯りとなる篝火の燃料の木材は、森に近いため豊富で助かっている。

 その現場へ行く前に、晩飯が遅れることをンフィーレアへ知らせに行くと、少年は笑顔で「う、うん、大丈夫だよ。でも大変だね」と了解してくれた上で、少し遅れてブリタを伴い早速現場へ手伝いに来てくれた。

 設置作業は確認による修正部分も問題なく反映され、その段階で「姐さん方、ありがとうございました。あとは自警団の方や俺達とデス・ナイトのアニキ達(ルイスくん他)で進めときますんで」というジュゲムの言葉を受け、晩御飯の重要性を考えて先に戻って来た。

 

 今日はエンリにとって良い日である。

 夕方前、その御姿は直接拝見出来なかったが、旦那(アインズ)様と間近で会えて言葉を交わし、頭を優しくナデナデして触れてもらえた事で、その後ずっと幸せで胸が一杯のままだ。そして今晩にまた来てくれるという。

 

(あとで身体を綺麗に拭いて、下着も着替えて髪も丁寧に梳いておかないと。ふふっ)

 

 まさにルンルンである……。

 顔もずっとニンマリとしている。そんな彼女の横で晩御飯の調理を手伝うネムもニコニコしている。

 敏いネムには、嬉しそうに熱い吐息を漏らす姉の劇的といえる変化で『大好きなアインズ様が今晩か明日来る』ということが分かっていた。

 今日作る晩御飯は、新しく引っ越してきたカルネ村の新しい住人であるンフィーレアと、女冒険者のブリタの分も増えるのだが――最近の調理作業はエモット家の2名と19名のゴブリン軍団の分を大量に作っているので、今更2名分が増えても大差なく気にならない。ナザリックの面々は(今はキョウしかいないが)食事を取らなくてもいいという点とエンリに負担を掛けるのも大変だということで遠慮してくれていた。

 しかし、エンリにすればゴブリン達が殆ど料理が出来ないのは意外であった。特に、味覚はそれなりにあるのに、味付けが出来ないというのがよく分からないところだが、彼ら(モンスター)はそういうものなのかもしれない。そのため、ゴブリン達は生肉や草をバリバリ食べていればいいらしいのだが、調理した物の方が断然好みだという。

 ならばと、エンリは自分や村の為に尽くしてくれている皆の為に調理を引き受けている。

 ただ、全作業をエンリ一人というのは余りにも重労働のため、大量となった具材の大雑把な裁断や煮炊きはゴブリン軍団から2名が日替わりで手伝ってくれており、細かい皮むきと味付けをネムとエンリですればいい形だ。

 そんな包丁を振るい調理中だったエンリが、急に何か思いついた様子で、目線と顔を少し左へと向けつつ突然に声を上げる。

 

「あ、あれーっ?」

 

 ンフィーレア達を村の門で迎え入れてから旦那様のことで思考がポワポワだったため気が付かなかった。バレアレ家にはンフィーレアの家族がもう一人いるのだ。

 エンリは今、その薬師として偉大で、第三位階魔法の使い手でもある彼の祖母リィジーがいないことに思考が突然辿り着いていた。

 

(……どういうことかな。うーん)

 

 ンフィーレアからも全く話が出ていないという事は、望んだ展開や明るい理由という訳ではないのだろう。ずっと笑顔で機嫌の良かったエンリを暗い話に引っ張ってしまうからと、あの少年は時々そういった気遣いを見せるのだ。明日は話してくれるだろうけど。

 

「どうしたの、お姉ちゃん?」

「ううん、何でもないよ」

 

 姉の声で、たたたと横に来て小首を傾げたネムに、優しい顔でエンリは首を横へ振った。

 昨晩、ナザリックからの駐在員であるキョウと共に旦那(アインズ)様から聞いた話では、ンフィーレア達が今日の夕方前に村へ到着するという話で、ブリタについては決定事項ではなかった。

 だから、エンリは祖母のリィジーも来ると思っていたのだ。

 ただその直後に、王国へ攻め込んで来ているという300体もの竜軍団のトンデモナイ衝撃的な話も聞いていた。思考は一瞬で真っ白。

 それを聞かされた当初、彼女はこれまでの人類的常識から「えーーーーーーっ!?」と声を上げたが、アインズの「落ち着け。ナザリックにも(ドラゴン)ぐらい何体もいただろう? 私を含め部下達も王都に居るし、この村まで被害が及ぶ心配はない」という言葉を受けて「は、はい、すみません」と我に返った。普通に考えれば王国は完全に終焉を迎えると思える話だが、この旦那様が心配ないというのだからそうなのだろう。

 ナザリックの深い地下で見た巨体で美しい鱗が輝く(ドラゴン)達の荘厳で圧倒的すぎる迫力は直ぐに思い出せる。そんな絵物語的強者の彼等が、その立派な長い首を丸めるよう丁寧に下げて、神の如き旦那様の前で従順に傅いていた。

 いや、それ以上の様々な怪物達も含めて何百、何千、それ以上が御方へ跪いていた……。

 その戦慄的光景を思い出すと同時にエンリはピンときた。

 

 

 きっと300体の竜軍団も、圧倒的であるアインズ(旦那)様一人の前へそうなる予感がしている――。

 

 

 さて、思い出した竜軍団の件も気になるがエンリには途方も無い事であるし、今はンフィーレアの有名で偉大な祖母リィジーお婆ちゃんについて、村へ来ていない理由を知っておく必要があるだろう。何と言っても彼の事を旦那様から直接任されているのだから。

 一応現在、暫定であるがナザリック的組織図だと薬師の天才少年は、アインズ直属の配下であるカルネ村指揮官(コマンダー)エンリの部下という形になっている。これは、ナザリックの者でも、エンリを飛び越えてンフィーレアへの命令が出しにくい形にしてもらっているのだ。旦那様の寛大さで包まれている『この職務』への期待は絶対に裏切れない。

 そのため彼女には理由について把握しておく責任があった。今現在、ンフィーレアが離反するような要因が無いことを知るためにもである。

 とはいえその理由は、ンフィーレアへ直接聞かないと分からない。

 

(早い方が良いかもしれない。この後、晩御飯を持って行くときに聞くべきよね)

 

 ここは彼是(あれこれ)考えるより行動である。

 そう考えた時にエンリの頭の中へ――例の変わった音が突然鳴り、思考の中へ敬愛する者の声が非常にクリアな音質で響く。

 

『エンリ、私だ』

「は、はいっ、アインズ様」

 

 余りに不意の事で、ビクリと派手に大きく震えたエンリは、手元から包丁を取り落としたままその場に直立で固まる。包丁はそのまま刃の部分を床へ、「あぁっ!」と驚くネムとの間に突き立たせていた……。少し離れたところに手伝いで居るゴブリン兵士のゴコウとキュウメイも目を見開く。

 続けて再びアインズの声が聞こえてくる。

 

『ん? 大丈夫か、今?』

「大丈夫っ。全然大丈夫です。問題は特に起こっていません」

 

 状況はそうだが、気持ち的には全然そんなことはない。タイミングがピンポイント過ぎていた……。

 一気に全身へ汗が噴き出してくる感覚。額の端から顔の外側を通り汗が頬を伝う。頭の中がぐるぐる回るような、思考が全然纏まらない焦りの状態である。しかし、旦那様に無様なところを感じさせるわけにはいかないので、必死に語尾の震えを抑えていた。

 アインズは、まだ〈伝言〉に慣れず初々しいなと勘違いし、気にする風もなく落ち着いた小声で用件を伝える。

 

『ふむ。今はエ・ランテルにいて宿屋へ戻るところだ。今日そちらへ行くつもりだが、少々急に用が立て込んできてな、少し遅くなる可能性がある。午後9時か……10時迄はいかないと思うが。キョウにもそう伝えておいてくれ。以上だ』

「は、はい。畏まりました。お待ちしております、アインズ様」

「ではな」

 

 そうして〈伝言〉は無事に切れた。

 内心、旦那様の声でキョウよりも先に連絡事項を受けられた事が単純に嬉しかった。

 またこの命令は、非常に重要な事実と意味を持っている。絶対的支配者から直接、他者への伝達指示を受けるという事はかなり信用されているという証であり、今後エンリの立ち場が更に上昇することへ繋がっていく。

 

「はぁーーーーー」

 

 脱力して、エンリは手前の調理台へ両手を付いてもたれ掛かった。

 落ちた包丁が誰も傷付けていない事は見えてたので、慌てて動かない。すでにネムが、「ふん」と両手で引き抜いたところだ。

 直ぐに歩み寄って来てくれたキュウメイらも声を掛けてくれる。

 

「大丈夫ですか、姐さん」

「……大丈夫です。ありがとう」

「御屋形様ですかね?」

 

 ナザリックとは独立した忠誠心を持つゴブリン達が気を使ってくれる。彼等から見てアインズのその力は、まさに圧倒的。敵に回せば主であるエンリは確実に守れない畏怖すべき存在である。

 だから彼らがとても心配気に見えた。

 だが、エンリは決して旦那様自体が怖い訳では無い。むしろ愛しい。その信頼を裏切ることこそが怖いのだ。

 ンフィーレアについては、今の〈伝言〉の中でアインズへ確認すれば一番早かった。今朝、バレアレ家へ行っているのだ、一番詳しいと言っていい。

 しかし、ンフィーレアがここに居るにも拘らず「なぜそんなことが、確認出来ていない?」と問われることが怖かった。そして、旦那様自ら今も用が立て込んでいるという中、時間を僅かでも取らせてしまう事は、配下として愚か者と言えるだろう。

 少し切羽詰まった感もあり、エンリの思考が言葉へ少し零れる。

 

「ふう。早くご飯を作って、ちゃんと聞かなくちゃ……」

「ん、何を聞くの、お姉ちゃん?」

 

 心情を聞かれて一瞬ギョっとしかけたが、周りはナザリックの一員でもあるネムらなら問題はない。

 エンリは家族に軽く愚痴ってしまう。

 

「んー、ンフィーレアのお婆ちゃんが来てないでしょう。だから―――」

「――ああ、それなら、竜の軍団とたたかうのをしえんするために、まちに残ってお薬をつくらないといけないんだってー。さっき、ンフィーくんの家に行ったときに聞いたよ? 竜の一杯いる軍団のお話はビックリしちゃったけど、きっとアインズさまがこらしめてくれるから大丈夫だよねっ!」

 

 ニッコリとした満面の笑みでネムは、アッサリとそう教えてくれた。

 

 

 

 目をパチクリさせるエンリの、性急で重要だった悩みは速やかに解決した。

 

 

 

 持つべきものは、やはり仲良き姉妹ということだろうか――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 漆黒に澄んだ空へ僅かに雲の浮かぶ中、美しい星々が全天で煌めき、今日もエ・ランテルの街にいつもと変わらぬ夜が広がり始める。

 今の時刻は、午後8時半を回った辺り。

 この時間でもモモン達の居る冒険者達の宿屋街や飲食街は、まだまだ盛況である。護衛やモンスター退治は、農村や商人達の必要経費である事から、冒険者達は景気の影響を受けにくい。そして彼らは、生死を掛ける職業気質もあって、装備や食事に使い惜しみは余りしない。

 特に明日の朝から王都への遠征である。送り出す側の者達や、精神的部分で飲まずには居られない者達も多い様子。

 しかし、賑やかなのはその周辺だけだ。もし、一般市民達の住む内側の第二城壁側の区画内を上から少し見渡せるとすれば、すでに灯りの消えた家々が随分多い事に気付く事だろう。近郊を含めると70万人の住む大都市のエ・ランテルであるが、夜の明かり代を無駄に出来ない家庭が随分増加しているのだ。

 農村部に比べれば都市部の方が年収の稼ぎは多いとはいえ、彼等も贅沢を出来る水準には程遠い。貴族でもなく裕福という家は、バレアレ家のようにとても優れた技術を持つ職人や、広い規模で商売をしている中流商人以上ぐらいで、殆どの者達は真面目に精一杯暮らしていても、どこの家計もきつくなるばかりである。

 何と言っても近年は実利の無い戦争が繰り返され、ここ10年は毎年のように税が増え続けている。一方で、テコ入れが全く出来ていない王国内の経済は、ずっと右肩下がりの下降線を辿っており、帝国との通商的関係も益々冷え込む中、各都市にあるスラム街は無能さ際立つ貴族達の行為を物語るように拡大の一途を続けていた。そこに広がるのは、不満と裏切りと悲劇と妬ましい欲望などの暗い影である。彼らは全てに飢え続けていく……。

 だが、このエ・ランテルの市民達はまだ辛うじて恵まれていると言えた。

 ここを預かる都市長で貴族のパナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイアは非常に珍しく、弛んだ見かけの姿とは違い人物としては優秀であったからだ。彼は、有るだけ使う――いや、無駄に課税し暴利を貪るという悪徳心のある都市長ではなかった。

 それどころか、倹約に努め毎年の増税幅をなるべく低くする形の政策を取ってきた。

 今は廃墟へと変わったが、同じ王家直轄領の大都市エ・アセナルの都市長クロイスベル共々、そういった内政を取る者として、国王のランポッサIII世により任命されて要所を任されていた。

 パナソレイは、城壁や建物の修復、郊外の水路補修など公共事業をこまめに行い、また作業者らへの食事提供やその作業服の制作関連の派生産業も上手く回し、仕事が無く年収の低い者を男女バランスよく雇う政策を通して、スラム街の存在を最小限に留めさせていた。

 それでもスラム街では、やはり行き倒れて亡くなる者はどうしても出る。特に年老いて働けなくなったり、捨てられた病弱な子供らだ。

 今日も、ここ最外周第三城壁の西地区へ広大に広がる共同墓地に、そういった者の新しい墓が無縁者区域へと10基程並んで増えている。それらには、名や年代などが刻まれることもなく、見るからに安っぽい白木の十字杭のみが地面に突き立てられていた。

 その人気(ひとけ)の皆無といえる場所の脇を走る、星明りだけの暗い夜の小道を、3つの影が進む。

 

 

 漆黒の戦士モモンと騎士クレマンティーヌ、それに魔法詠唱者(マジック・キャスター)のマーベロが続いていた――。

 

 

「先の晩ご飯のさー、お肉とスープ、結構美味しかったねー、モモンちゃん」

「――おい、声。それにこっちで、大丈夫なのか?」

「大丈夫、大丈夫ー」

 

 なぜ、夕食を終えた彼らがこんな寂れた場所へ連れ立って〈闇視(ダーク・ヴィジョン)〉を効かせつつ歩いているのか。

 そもそもこの共同墓地は都市城壁内でも、更に4メートル程の人が上を歩ける程分厚い壁で囲まれた管理区域内であり、数か所ある出入り口の門には衛兵が24時間体制で非常時に備えて警備している場所となっている。それは墓地という場所、そして規模によりどうしてもアンデッドが発生してしまうためだ。難度15程度の黄光の屍(ワイト)や難度24程度の百足状の骸骨(スケルトン・センチュピート)も警備が手を抜き弱いアンデッドを放置すると出て来てしまうが、大抵は難度3から6の骸骨(スケルトン)動死体(ゾンビ)に留まる。

 そんな場所へ、クレマンティーヌが周辺の手薄と感じる場所を確認した上で、3名とも塀を乗り越えての不法侵入中だ。その敷地内へモモンを先頭に立たせ、とある場所へ向かってどんどんと進んでいく。

 この行軍する状況の発端は、宿屋のベッドでモモンの膝枕に寝転ぶクレマンティーヌが持ってきた、お土産に因るモノであった。

 

 

 

 

 

「はい、これー。お土産だよ。んふっ」

 

 少し不満のある表情でベッド脇へ立つマーベロを頭側にして、モモンの眼下の膝でリラックスし無防備に寝転ぶ、白ブラウスにこげ茶系ホットパンツ姿の妖艶なクレマンティーヌ。

 彼女は、先のモモンらの不在時にベッドの下へ隠していたのか、何やらアクセントに黒い水晶の大きい宝石が付いた、(サークレット)状に組まれた金属糸へキラキラした透明石の並ぶアイテムを、右手人差し指でゆっくりクルクル回しながら取り出してくる。

 そしてクレマンティーヌは、雑に扱うそのお土産をモモンへと可愛く微笑んだまま気軽に差し出した。

 女の子用みたいだが、宝物殿に送ってもいいし、或は誰かに贈ってもいい物だろうか。モモンは自然と尋ねる。

 

「ん、お土産? まだ聞いてないスレイン法国の特産品か何かかな?」

 

 普通はそういった感じに思うはずである。

 

「一応これもねー、―――秘宝の一つだよっ」

「なにっ!?」

 

 モモンは何気なく右手で受け取ろうとしていたが、流石に固まった。

 これまでの情報から、法国にはトンデモナイ至宝が有る以上、警戒するのは当然の事である。

 

「これは“叡者(えいじゃ)額冠(がっかん)”って言ってねー、両目を潰した魔法詠唱者(マジック・キャスター)の小娘の頭部に装備させると、そいつが一生自我を失う代わりに強力な魔法上昇(オーバーマジック)のアイテムとして機能するようになるんだよー。まあ、正確には“叡者の額冠”を壊せば正気に戻るけどー、額冠の方が貴重だからそんな事はしなくてさー、魔法詠唱者の子が衰えると無理やり引き剥がすから発狂しちゃうんだけどねー。それをバッサリ始末するのも一応、私ら漆黒聖典のお仕事なんだよー、あはっ。本来は頭に装備してるから後が面倒なはずなんだけどー、これは丁度、少し前に爆死した子が付けてたやつだから。保管庫から上手く盗ってこれて楽で良かったよー。ウチの国じゃ100万人に一人っていう第五位階魔法以上の使い手の子が、その生き人形になってるのねー。それでー、その子の周りに10名から20名程の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の部隊を配置してさー、魔力の集中供給と魔法の発動を部隊長中心でやってるの。風花聖典の6つの部隊それぞれでねー。頑張れば第八位階魔法でも放てるって話だよー」

 

 そう事もなげに非人道的である秘宝の説明を言い終えると、彼女は「はい、モモンちゃんっ」と、仰向けで秘宝を持つ右と空いていた左を合わせた両手で、モモンの固まって開いたままの右のガントレットの手へ優しく握らせてくれた。

 恐らくスレイン法国でも、金貨で言えば100万枚は下らないだろうというお宝。その価値を分かる者が存在を知れば、部隊ながら『逸脱者』らも使えない大魔法も放てるため、言い値で買うと思われる代物だ。買えるというのなら、国家規模の組織等から金貨500万枚でもと普通にオファーが来るかも知れない。

 だがクレマンティーヌは、頬を染める乙女のニッコリとした笑顔で、それを伴侶へと当然の様に差し出していた。彼女は温かい気持ちで満足しつつ、ふと見返りを求めないこの自然な感情も愛なのだと気付く。

 対してモモンとしては、嬉しいというよりも先立つ不安満載の考えが浮かぶ。

 

「そんな重要品が無くなったら、大変な騒ぎになると思うけど、大丈夫か?」

「大丈夫、大丈夫ー。今回の急に決まった出撃の件で本部内も結構混乱してたし、保管係の神官達はこれの自我喪失の作用にビビってるからさー、保管場所にも殆ど近付かないしね。あと2年は、すり替えてあるレプリカに気付かないんじゃなーい?」

 

 本当に大丈夫かは分からないが、これまでの行動からここは彼女の言葉を信じたい。しかし、度胸があるというか何というか。豪胆だろうクレマンティーヌの落ち着き振りであった。

 兄さえ殺せれば後は……いや、今はモモンへの一途さがそう行動させている様にアインズは感じた。

 モモンは少し見つめていた右手に渡された(サークレット)から目線を下げ、横たわって頬をスリスリしてくるクレマンティーヌを改めて見ると言葉を伝える。

 

「そうか……。兎に角、貴重な物をありがとうな」

 

 聞けば、20名も寄せ集めてすら第八位階程度しか放てない水準だが、使用者らが低レベルの問題もある。モモンにとって重要部分は他にあった。

 出来れば〈道具上位鑑定(オール・アプレーザル・マジックアイテム)〉を使って調べたいところだが、それも今は状況や制約上もあるし出来ない。多分、ユグドラシルには存在しえなかったアイテムだ。『群れで一つの魔法を放つことを補助する』アイテムというのは聞いたことが無い。

 一応ユグドラシルでも自分のレベルでの制限階位を超えて魔法が使える『魔法上昇(オーバーマジック)』のアイテムは存在するが、まず集団にならなくても、少しプレイすれば、Lv.70も軽く超え、第十位階魔法も難なく放てるようになるので殆ど必要性がないためだ。

 そのため貰ったモノは、ある意味貴重といえるアイテム。アインズはコレクターとしてかなり満足する。

 モモンの優しい御礼の言葉に、クレマンティーヌは嬉しく、柄にもなく彼へだけは謙虚に言葉を返す。

 

「いいよ、いいよー。前から用意しててついでだったしねー」

 

 クレマンティーヌのおかげで更に珍しいアイテムを得て、そして人材としても有能なことに、アインズは彼女への評価を内心で改めて大きく上げる。

 元々ナザリックの地上部における、独立した諜報機関の設置を考えているが、対人間部門の幹部の初めの一人に考えてもいいかもしれないと。

 いずれクレマンティーヌへナザリックに関して色々話した後は、是非残って任務に就いてもらいたいものである。ただその話をするのは、やはりきちんと約束の『兄を討って』からになるだろうとアインズは考え始めていた――。

 絶対的支配者は、相手が誰であれ恩には恩で返そうと思っている。クレマンティーヌは『恨む兄を殺害する』事に強い願望を持っている。彼女を誘う理由になった武技使いに関してはまだ貢献がないものの総合的に見て、彼女はもう十分にナザリックの為に働いているといえる。ならば、その願望をまず達成させてやるべきだろう。

 彼女を次のステージへ進ませるために、このアインズ・ウール・ゴウンの名において。

 その時、アインズの考えの横を抜ける様に、クレマンティーヌが次の扉への言葉をモモンへ伝えてくる。

 

「……本当はねー、それって―――秘密結社のズーラーノーンに移るためのお土産にと思ってたんだよねー」

「へぇー」

 

 そういえば、モモン達はまだ『ズーラーノーン』という秘密結社の詳細を殆ど聞いていなかった。前回は道中にンフィーレアが居たし、エ・ランテルに帰り着くとほどなく別れていたからだ。そして今回もまず法国の調査をと依頼していた事もある。

 丁度落ち着いた状況でもあるし、少し聞いて見ようと思っていると、クレマンティーヌの方から話題を進めて来る。

 

「ズーラーノーンについてはまだ、マーベロちゃんにも話してないしー、モモンちゃん達に初めて話す内容だよねー。じゃあ、まず組織全体からねー」

 

 そこから、大雑把に話が始まる。

 まず、秘密結社ズーラーノーンの組織規模。盟主の下に幹部達と、割と少数だがそこそこ精鋭に絞った感じの人員。意外に組織全体でも千人にはかなり届かないと思われる。

 次に彼らの拠点は、主にこのリ・エスティーゼ王国内へ点在するという。

 盟主が20年程前に人間の住む都市を一つ『死の螺旋』で滅ぼして以来、敵対関係にあるというスレイン法国の内地は、直接アジトを探知される可能性が高いので定着は難しいとの事。

 先の漆黒聖典の情報と、モモンとマーベロもセドラン一行の3名の中に、五角形の眼鏡を掛けた短めのスカート姿の少女『深探見知』を見ており納得する。

 また、バハルス帝国には、フールーダ・パラダインという第六位階魔法の使い手と、多くの高弟、魔法学院まであり、法国同様に強力な魔法詠唱者部隊と騎士団が整然と組織化されているため、自由には実験や行動が難しいという。

 結局、王国内に対抗出来る組織や機構が十分に作られていないため、早期にこの国へ落ち着いていた。

 そして、恐怖をまき散らす邪悪である彼等の真の目的は――ある強大な『儀式』を行う事らしい。以前に『死の螺旋』を実行して都市を滅ぼしているが、その際には達成できなかったためだと漏れ聞く。それ以後盟主は研究と小さい実験を繰り返しているようだ。

 クレマンティーヌは高弟待遇であるが、まだ正式に幹部では無いため、大手を振って詳細に組織を探れる立場になく、また盟主や幹部へ直接問う事はしていない。

 組織の目的や詳細を直接知ることは、しがらみに踏み込むという事であり、大きな危険が発生する。彼女はそれを良く知っていた……。

 幹部について、彼らは十ニ高弟と呼ばれ計12席用意されているらしいが、まだ空きがあると話に聞いている。単に役職名という事かもしれない。

 彼女によると高弟待遇になるまで既に、ここ2年程、秘密結社ズーラーノーンへ多く貢献してきているという話だ。特に天敵である漆黒聖典の、最新の動向情報は値千金となっており、すでに高弟の内の二人が襲撃の難を逃れていた。法国と漆黒聖典は、ズーラーノーンの全貌について余り掴めていないのだが、メンバーの『占星千里』が高弟らの規模の大きい殲滅実験を予測して、行商人を装う諜報員達が王国内でその動きを裏付けた事で襲撃を計画出来ていた。

 そんな状況でもクレマンティーヌは時間とアリバイを作りこっそりと、ズーラーノーン側の戦力として王国の幾つかの小さな村の殲滅実験に参加し、圧倒的隠密性と身体能力を使い、実験で殺し損ねていた生き残りの者らに加え、ある時領主が村へ救援探索に送って来た30人程の騎士団を一人であっという間に全員片付けている。勿論その際、足がつくのを防ぐためにスティレット等の普段の武器使用や殺し方はしなかった。どら猫の用心深さはさすがだ……。その事で、盟主にも直々に礼の言葉を掛けられたという。

 そういった積み重ねの貢献と実力により、幹部の一人に加わらないかという話が進み始めて、条件の一つに最秘宝の『叡者の額冠』も挙がっていた。流石に盟主も、既存の高弟らをすべて納得させるには相応の大手柄がないと難しいということだろう。

 モモンに渡された先のお土産は、その他の高弟らの不満を黙らせ一気に秘密結社ズーラーノーンの幹部にすらなれる逸品であった。

 しかしクレマンティーヌにはもう、ズーラーノーンの幹部への興味は無くなっている。

 

 彼女はモモンを選んだからだ。

 

 彼がいれば十分である。『復讐』もその先の桃色な『未来』も全く問題は無くなった。

 今は、モモンがズーラーノーンの情報も欲しいと希望しているから彼らと関わっているにすぎない。

 さて十二高弟達だが、普段の基本行動は個別組織を率いていて独立採算制らしい。幹部其々の考えというか趣味というか、そういったもので行動や研究が進められている模様。そのため自分の配下も殆ど自由に決めているという。

 秘密結社ズーラーノーンとしては、盟主の呼びかけの会議があれば動くという事みたいである。

 おかげでクレマンティーヌは、各地に散在する高弟達下部組織の詳細な動きについて、殆ど掴めていないという。

 だが……。

 自らの潤いのある唇を色っぽく右手中指でなぞりつつ、彼女はモモンに満面の笑顔で伝える。

 

「でもねー、一人だけ詳細を掴めている幹部がいちゃうよ」

「ほう」

 

 リアルで営業マンをしていたアインズの勘が、クレマンティーヌの営業センスの高さを感じ取る。

 営業の奥義は『相手の欲しがるものをどこまで高い水準で上手く大きく提示出来るか、そしてこちらの要求を限界まで飲ませられるか』である。外交官や問題仲裁人や商人もほぼ同じ能力が不可欠。彼女はそれを自然に身に付けている風に見えた。これまでの生き方が身に付かせたのだろう。

 だがこういう人材は、非戦闘面でも強いのだ。

 秘密結社を相手に女一人で堂々と、これまで上手く事を運んでいる彼女の手腕は、本当に大したものである。

 モモンが話の先を催促してやる。クレマンティーヌがそれを待っているのを分かって。

 

「そいつはどんな幹部なのかな、クレマンティーヌ」

 

 そして、寝転ぶ彼女の――頬を左のガントレットで優しく撫でてやる。

 口元が少しへの字になっているベッド脇に立ったままのマーベロの首が、更に羨ましさでゆっくりと傾く。

 モモンに触って貰えて、えへへへっととても幸せそうに微笑みつつ、クレマンティーヌは語り出す。

 

「ズーラーノーンの十二高弟である彼の名は、カジット・デイル・バダンテールって言ってさー。……あーーっ! 男だけどー、見かけによらず結構紳士なヤツだし、肉体関係とかこれっぽちもないからねっ! 漆黒聖典の情報のリークをずーっと彼経由で組織に伝えてて、あいつに信用されてただけだからね!」

 

 クレマンティーヌとしては珍しく、慌てて男女の仲を否定してくる。

 相手の秘密を握るという事は親密ということにもなる。つまり、男女の場合はねんごろである考えも連想させてしまうが、彼女としてはモモンにはそう思って欲しくないのだ。事実、不思議とカジットから変な目線を向けられたことは殆ど無い。配下からは結構あったが。

 密閉された暗いアジト内で目の前を、美人でスタイル抜群の若い金髪の女が、羽織るローブに一部隠れているものの胸元に太腿やヘソ等露出の多い装備姿で歩いていれば、男として欲情しても不思議ではないだろう。

 クレマンティーヌの言葉にモモンは、彼女の直前までの態度から、嘘は無いように感じた。だから、落ち着いた言葉と態度で肯定してあげる。

 

「うん、よく分かってるよ」

「んふっ。でね――」

 

 安心した彼女の話す十二高弟の一人カジットは、ここ、大都市エ・ランテルの広大な共同墓地にある霊廟の地下へアジトを構えているという。

 魔力系魔法詠唱者で、アンデッドを操るネクロマンサーであり、すでにアジト内外は150体を越えるアンデッドで守られているらしい。

 そして彼の主力の配下は第二位階以上の魔法詠唱者達が約15名、他に雑用の者らが10名程だ。配下の者達は、礼儀正しく且つカジットの実力を慕い敬って付いてきている者達ばかりで、良い部下達らしい。

 小さめの組織というのは、TOPがきっちりしていれば自然に引き締まるものである。

 モモンはクレマンティーヌの話を聞きながら思う。

 

(とりあえずカジットという者は、部下達を良く統率している指揮官みたいだな。それにクレマンティーヌほどの女の子に手を出していないって、かなり根が真面目ということかな……)

 

 某陽光聖典の隊長の如く立場を背景に、普段から好色を周囲へ垂れ流し、本音の言い訳も見苦しい指揮官をすでに見ているので、モモンは少し考える。

 この世界は、概ね強者に対してより寛容といえるため、力ある者は傲慢になりがちなはずである。

 だが、必ずではない。

 王国の国王は、かなりの理性と配慮を持っていた。王国戦士長のガゼフも、弱者や主、部下思いで誇りある立派な指揮官であった。

 一方で大貴族や貴族達には、やはりその領地における絶大である権力を背景にして私腹を肥やし、弱者達を欲望のまま弄ぶ連中が大勢いることも実際に見てきている。

 しかし、アインズは力を振りかざす貴族達が間違っているとは考えていないし、懲らしめようとも思わない。力のある者がすべてを御していくのは、この新世界の自然的光景と言える。

 簡単に言い変えれば人が、共食いをしている虫にふと気が付いて、食われている方を助けても殆ど助からないし、強いから食っている側をそこから殺そうとは思わないのと同じ状況である。

 

 

 

 ただし――ナザリックに関わる者へその傲慢な考えが向けられた場合は別という事だ。

 

 

 

 強者に気付かない『分を弁えない愚か者』には、地獄を味わわせてキッチリと踏み潰すのみである。

 とはいえ、周辺に難しい問題が増えている現状、状況によっては特別対応も有り得る。

 

 さてクレマンティーヌによる十二高弟の話は、その彼らの動向も語られ始める。

 あと、彼女が話した先程の高弟の名前には、いつの間にか馴れ馴れしい接尾語が付けられていた……。

 

「そうそうー、今日の昼前頃だったかなー。モモンちゃん達が仕事でいないから奴のアジトに行ったんだけどさー、()()()()()()に漆黒聖典の動向を教えて油断させた後で、さり気なく『他の幹部らで何か動きは無いの』ってサラッと聞いたのよねー。カジッちゃんは時々魔法で遠くの仲間と連絡を取り合ってるから。でもね、呆れたように連中は当分動かないーって。あの感じだと来月も動きは無いかもー。あ、そういえばモモンちゃんも遠征に行くんだよねー? 一緒だねっ。それと、白金(プラチナ)級への飛び級おめでとー! まあ、モモンちゃんの実力はもっともっと上だけどねー」

「ああ、ありがとう。特に飛び級を希望していたわけじゃなかったんだけどな」

 

 アインズとしては正直なところ、残った方が裏で動き易いと考えており、それが言葉にも表れていた。

 この先の局面は、王城側に居るアインズ・ウール・ゴウンとして動く必要があり、冒険者モモン役はパンドラズ・アクターに任せることが多くなりそうである。しかし、モモンとして共に彼女の兄であるクアイエッセを約束通り殺害するにはかなりいい機会とも思える。

 ここで、クレマンティーヌが遠征でモモンが街からいなくなる事に関わる話を聞いてくる。

 

「遠征に行くけどー、モモンちゃんにとってさー――このエ・ランテルの街って大事?」

 

 彼女の質問のその趣旨がまだ掴めず、漆黒の戦士は率直に意見を返す。

 

「……動きが気になるスレイン法国にも近いし、立地的には重要な場所だね。それにチームとして、仕事も人脈も増えつつあるから……って聞きたいのはそういう事?」

「んー、友人やー、死んだら困る人って多いのかなーってねー」

 

 少し歪んだ笑顔の表情になった彼女の言葉をそこまで聞いて、モモンは気付く。先に他の高弟らについての動きは聞いたが、まだ聞いていない者がいたという事に。

 カジットというズーラーノーンの高弟が、何か始めるのだろう。

 

「決行はいつの予定? ヤツ(カジット)は何を始める気なのかな?」

 

 モモンにそう尋ねられると、歪みが無くなり可愛い笑顔に戻ったクレマンティーヌが全て教えてくれる。

 彼女は、伴侶モモンの味方であるのだから。

 

「えっとねー、アンデッドをもっと増やす準備について10日程でなんとかなるって言ってたから、来週だねー。どうやらこの都市で〝死の螺旋〟をやるみたいよー」

 

 10日後だと、漆黒聖典は撤退させているだろうが、竜軍団への対応は残した状態だ。アインズとモモンは、王都かそれよりも北西地域に張り付いた状態になるだろう。

 『死の螺旋』――アンデッド達による一般市民大殺戮。アンデッドがアンデッドを生み出し死が死を呼んで、都市は瞬く間に全て死に包まれ冥府の地獄と化す……。

 対して、このエ・ランテル側の防衛は急に招集し寄せ集め中の一般軍兵数万と、(アイアン)級と(カッパー)級の下級冒険者のみで対応することになる。

 

「カジットって奴の難度はどれくらいかな?」

「そうねー、〝死の宝珠〟って凄いアイテムで強化されてるから――今の私に近い120はあるんじゃないかな」

「(またアイテムか……凄いというほどではないけど……Lv.40程度か。もしかすると第六位階魔法も使えるんじゃないか。冒険者の(アイアン)級って確かレベルは一桁だった気が……)……アンデッドも既に150体以上いるんだっけ。……十二高弟が率いた上で夜中に壁の内側から不意を突かれたら、衛兵らを含めて都市中が大混乱だろうし全く勝負にならないか」

「ならないよねー。んふっ」

 

 クレマンティーヌはニコニコしている。彼女の場合はどう転んでも気にならないのだろう。なぜならモモンに付いていくだけであるから。

 一方、漆黒の面頬付き兜(クローズド・ヘルム)で表情は見えないが、モモンとして、そしてアインズとしては、気持ちが明確になってきていた。

 この世界に不慣れであった冒険者として、この都市で登録し一般的な営みを回りから学び、客を得て知り合いも得て戦友も得て、シャルティアの案が奇跡的に効果を見せて名声も少し上がり街の住民にも受け入れられ始めた。気付けば、それらを息抜き的に結構楽しんでいたのだ。

 確かにナザリックとは比べるべくもなく、単なる情報収集の一手に過ぎず、未練の小さい事象や存在だろう。

 でも……それが、他者の手で勝手に壊されようとしている……。

 だから、漆黒の戦士の口が静かに語る――最後は絶対的支配者のトーンで。

 

 

 

「一応、ここは俺達〝漆黒〟のホームの都市だし、やっぱりこれは少し――――不愉快だな」

 

 

 

 そこからの動きは早く……はないが、ある意味当然と言えた。

 まず――アインズの声色での敵視認定に、先の至宝アイテムの件もあるのか傍へ立つマーレが即全力戦闘態勢に突入しようとし、瞳からキラキラの輝きが失われ掛けるも「マーベロ、まだいいからね」と動きを予感したモモンが優しい声を掛けると、ハッとし「は、はい、モモンさん」と少女の瞳に輝きが戻り、標的は一方的な難を逃れる。クレマンティーヌは「ん? ん?」と、この僅かなやり取りの意味には気付かず。

 敬愛する優しい至高の御方の意向をマーレは決して裏切らない。

 守護者の彼女にすれば、十二高弟の地下のアジトなど正にゴミを埋め固める程度の話。ここから少し距離を詰めれば余裕で射程圏である。いきなりエ・ランテル第三城壁内西地区の広い共同墓地が丸ごと地中に没するところであった……。

 相手の戦力が丸裸である今回、相手を潰すのは容易。しかしその結果、まだ多くが不明の組織立った敵が単に増える事になる。

 アインズとしては、新たに空中都市などの脅威情報の増大に鑑み、目先ではなく少し大局的にみての考えが生じていた。

 モモンは、膝上に寝転び彼の次の言葉を微笑んで待つ女騎士へ声を掛ける。

 

「クレマンティーヌ」

「分かったー。案内するね、モモンちゃん。でもー、その前に――――ご飯食べよっ」

「(えっ?)……ああ、そうしようかな」

 

 まさかここで飯かよとモモンは、思考の外を突かれるもこの場は余裕を見せ即対応の返事を返した。

 確かに必死になったり、急ぐ必要は全くない。クレマンティーヌらしい冷静で豪胆さの出た考えだ。

 それに、食事を取るという行為は戦さの前に限らず実に当たり前の事で、人間のコミュニケーション上でも重要である。傍にマーベロとパンドラズ・アクターだけではつい忘れがちになるが、まめに外の店で食べていないと「どこでいつも何を食べてますか?」という冒険者らの何気ない質問で苦しむことになる。なのでマーベロ達は、毎日宿屋から一定時間外へ出たり、二日に一回は外の飲食店で食事をしている。

 モモンの返事にクレマンティーヌは彼の膝から、寝転んでいた上体を起こすと装備を置いているベッドの反対側の脇近くへと軽快に立ち上がり、衣装装備と武器を鼻歌交じりの手慣れた手順で装着していく。

 彼女は余裕である。

 3人で乗り込む先は、あの知る人ぞ知る恐るべき秘密結社ズーラーノーンの十二高弟の一人が率いる戦力の充実されたアジト。並みのつわものらなら、間違いなく裸足で逃げ出す場所だ。

 予想される総戦力は、最低でも漆黒聖典のメンバー水準で3人ほどを相手にする規模。

 通常兵力換算なら万単位規模となり大きい戦闘になるはずで、クレマンティーヌも本来は本気を出す必要があるだろう。

 しかし現在、彼女は戦いに関しては何も心配はしていない。もはや『晩飯のついで』扱いである。

 

 それは、モモンの恐るべき強さを一度見ているが故に。

 

 加えて今はクレマンティーヌも全力出撃用の特別装備を身に付けている。地上の接近戦であれば、カジット達に負ける事はないとの自信もある。アンデッド勢は少し厄介だが。

 ちなみに、直接その戦う姿を見ていない『か弱い』マーベロについて、女騎士はそれほど期待していない。右往左往しながらカジットの配下のザコを二人か三人、釘付けにして時間を稼ぐ程度でよく、「まあ危なければ私が助けてやるか」ぐらいに思っている。

 クレマンティーヌがこの時点で重要なのは――何と言っても墓地から帰った後、時刻的にそのまま戦いの荒々しい興奮冷めやらぬ勢いでムフフッな桃色ステージ(宿部屋の左側ベッド)に朝まで突入予定である事だ。

 そのため、まずはすべての活力、精力を生む晩御飯であるっ。

 

 こうして、モモンら3名は宿屋の部屋を後にした……。

 

 

 

 

 

 

 

 宿屋の外へ出て近くの飲食街へ向かうクレマンティーヌは、周囲へ一つだけ注意を払っていた。この時間の賑やかである場所にこそ、スレイン法国の『密偵』有りである。

 流石にモモン達といるところを見られるのは、法国を欺く必要のある彼女にとってまだ都合が悪い。そのため飲食街の端側に在る、客の少なめの店にモモンらを引っ張っていった。

 まあ、見られたとしても単に()()()()()『密偵』を消すだけであるが。ここはリ・エスティーゼ王国。敵地で潜入工作員の一人や二人、突然姿を消したとしても大きい問題にはならない。

 テーブルに着いて注文をし、運ばれてきた食事を三人で頂きながらクレマンティーヌは終始ニコニコしている。

 何故なら、食事の時は兜を外した愛しのモモンちゃんの顔が見られるからだ。

 そして今日は……このあとのベッドでも彼の男として素顔も――。

 

「はぁ、んふっ」

 

 丸テーブルの左位置に座る漆黒の戦士への、時折想いを馳せた甘い視線と吐息が漏れる。

 自分の大切な全てを知られてしまうということで、少し恥ずかしいという気持ちもあるが、女としての喜びを今夜から彼に教えてもらえるということが嬉しく思える。

 

(もうすぐもうすぐっ)

 

 そんなイカガワシイ思考で一杯のクレマンティーヌも今は外での食事中で、三人の会話は差しさわりの無い今日のモモンの仕事や先程会ったニニャや、その所属する『漆黒の剣』などの内容に終始した。

 

 モモンはジョッキに入った酒ではない食後のドリンクを飲み終ると、両手でマグカップを可愛く持つマーベロらへ告げる。

 

「それじゃあ、“挨拶”にいこうかな」

 

 すでに、午後の8時も回っており、モモンとしてはこの件の後もカルネ村へ行く予定がある。

 さっさと面倒事は片付けて、カルネ村で静かに一息つきたいところだ。

 だが、支配者は至宝等アイテムの件で忘れている。桃色思考のクレマンティーヌがサキュバスのようにこの後、離さない気満々ということに……。

 そうして、一行はスレイン法国の密偵を避けるように飲食街を目立たない横道から去ると、クレマンティーヌが人気のほとんどない裏道を先導して通り抜けつつ、共同墓地へと辿り着く。三人は難なく順に塀を越えて敷地の中へと侵入していった。

 

 墓地内を歩くこと5,6分。あと30メートルほどで人影のない目的の霊廟という、一歩手前まで来たところでモモン達は立ち止まる。

 星明かりのみ届く闇夜の中だが、その白っぽいガッチリした石造りの建物はハッキリと見えていた。周りには葉の茂る木が霊廟を囲む形で数本立っている。

 闇のカーテンというか、僅かに地表近くから立ち上る形の霧もあり妖しい雰囲気が周辺を包む。

 気付くと、いつの間にか霊廟の入口前には、杖を持つ一人の紅色の濃いローブ姿の人物を中心に7名の紺のローブを纏う集団が出迎える様に現れていた。

 その紅色ローブ姿の男が声を上げる。

 

「クレマンティーヌよ、どういうことだ? そいつらは誰だ?」

 

 他の周りの者を従える雰囲気とクレマンティーヌに声を掛けたことで、モモンはこいつがカジット何某だと認識する。

 十二高弟にとって、自らのアジトは言うまでも無く秘密で非常に重要となる拠点である。

 そこへ、事前の知らせも無く、戦士と魔法詠唱者らしき部外者を連れて来る事は、許せない行為であった。

 

「ごめんごめーん。先に言っとけばよかったかな、カジッちゃん。でもさ、会ってくれないかも知んないしー」

「当たり前だ。儂らは人知れず地に潜みし存在。気軽に訪問者を迎え入れると思っておるのか」

「でしょー? だっから黙って連れて来たんじゃなーい」

 

 カジットの目は、不機嫌に随分険しくなっていた。普段から余計な事をするが裏切り行為はなかったクレマンティーヌだから故に、今、こうして配下から不審者同行の知らせを受け、自ら出て来て確認している。

 真面目なカジットはまだ最後の部分で、性格が狂ってはいるものの、能力や判断の優秀だったクレマンティーヌを信用していた。

 他の者の接近であれば、既に戦端は開かれている。

 カジットも十二高弟の一人。もちろんすでに、応戦の配置は済んでいる。

 とは言え、漆黒聖典第九席次であるクレマンティーヌの高い戦闘能力は折り紙付き。むやみには戦いたくない相手でもある。また、その女騎士はのんびりしている雰囲気に見える。

 つまり、戦いではなく何か話があるという事なのだろうと、カジットは考えた。

 しかし。

 

(んん?)

 

 カジットは、目の前に立つ女騎士の様子に少し驚いている。

 彼女は漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包む巨躯で背に二本の巨剣を差す戦士へ寄り添うように見えて立っていた。戦士らを率いてきたという雰囲気ではない。

 

(むう、この戦士の男側に付いたという事か。いや元から付いていたのかも含めて、現時点では不明か)

 

 カジット的に、クレマンティーヌは――男嫌いだと見ていたのだ。

 澄ました時の綺麗に佇む元の容姿は育ちの良い令嬢で、男は選り取り見取りのはずにも拘らず、あの歪んだ性格と笑顔である。そして、全員男であるカジット配下の者らが用などで稀に傍を通ったりすると、時折一定の距離を取ろうとしていた。

 初めは間合いかとも思ったが、どうやら違う意味で警戒している風だ。男で酷い目に遭った事があるのかもしれない。まあズーラーノーンでは能力と成果主義であり、そういった偏った人格は特に問題にはならない。

 一方で、彼女は何故かカジット自身へは、おちょくる感じでよく気軽に近付いて『刺そう』としに来る。配下と何か差異があるのだろうか。彼としては、少し力を見せ合い互いを尊重させる意味では悪くないと考えている。秘密結社に居る者が、緊張感のない弱い奴では困るのだ。

 そもそも、クレマンティーヌの様な女性らしい女は、カジットの好みでは全然無かった。

 短めの髪型や肌の色艶はいいが、それ以外に感じる劣情要素はゼロである。

 また、彼には母を蘇らせるという長年の宿願があるも、それは苦労の中で若死にした母に対する子としての純粋な愛だ。でも、その宿願を公けで口にすれば、いらぬ憶測を呼ぶだろう――『母に想いを寄せる者(マザコン)』と。

 だから彼は誰にも告げずにいる。

 

 でも、それは断じて違うのだ。好みの女性のタイプは、全然別なのだっと彼は心の中で叫ぶ。

 

 カジットのド・ストライク的好みは、表現するならクレマンティーヌに対してほぼ対極と言える姿の子。敢えて言うならば……小柄で……髪が短めで……胸が慎ましい感じで……結構幼い感じで……少しおどおどしていて……。

 

(ん? んんんっ!?)

 

 カジットは、思わず目を見開き唾をゴクリと一つ飲んだ。

 今まで非常に険しかった彼の表情は、一気に驚きのモノを見たという表情へと変わっていった。

 目の前には三名の人物がいる。一人はクレマンティーヌだが、あとの二人は部外者である。

 一人は巨躯の戦士で、残った最後の一人……。

 

 

 

 それは正に――――彼にとっての天使。

 

 

 

 純白のローブの前が少し開いていた。褐色の肌ながら艶もよく、まだ四肢の伸び切っていない感じのその小柄でスマートなスタイル。胸はまだ膨らんでいない清らかな蕾の如く。その短めのプリーツスカートから僅かに覗く瑞々しく健康的に輝く太腿。紅い杖を可愛く内股気味で頼りなく持つおどおどした姿。そして短めの金髪でおかっぱの髪型に、なんとも美しいが、今まだ幼げでどことなく不安そうにする表情。

 カジットの杖を持つ手が小さく震えていた。それは歓喜。

 だが勘違いしてはいけない。彼は『()()()()()()()』のではない。そういう雰囲気の働く一人前の女性がいいのだ。あの異常なクレマンティーヌとはいえ、この修羅場へわざわざ力の無い幼い子供を連れて来るとは思えない。

 

(――――――――――――待ち望んだ嫁だ。儂に相応しい嫁だ……)

 

 部外者の接近に対する非常に緊迫した空気が……なにやら異質の雰囲気に変わった。

 既に40歳に迫ろうとしていた独身のカジットは、一応愛妻募集中である。

 高弟の地位にまで上がってきたが、やはり『家族を持つ者』と独身者では組織内や配下の目線が違ってくる。男としても一人前かどうかということだ。これは率いている独自組織運営への影響も決して小さくはない。それと――配下まで全員独身者という今の状況も打開したいっ。

 これは数々の課題に対する好機(チャンス)である。やはりここはTOPが礎や魁となって見せるべきだと思った。

 カジットは、どうすれば良い方向に進むだろうかと、問題となっている前方の者らから一度視線を僅かに逸らす。

 

「うーむ」

 

 本来、招かざる客について、ズーラーノーンとしては、禍根を残さないよう速やかに問答無用で消すべきである。

 だが――身内になれば当然対象外。

 それにはまず、クレマンティーヌ達がここへ来た目的を知る必要があるだろう。

 そして、妥協点だ。何としても、嫁GETへ繋がるための道を模索しなければならない。

 目線を戻したカジットが語り始める前に、ここで漆黒の戦士が堂々と先に口を開いた。

 

「俺はこのエ・ランテルで冒険者組合に所属している、白金(プラチナ)級冒険者のモモンといいます。まあ、クレマンティーヌはご存知ですよね。そしてこっちは――冒険者のパートナーのマーベロです」

 

 順番的に最下位扱いと思われる、紹介されたマーベロが一応、小さいが会釈する。

 だがこの時、モモンの口走った内容に、カジットの目は血走り、握る杖から「ミシリッ」と険しい音が鳴った。先ほどから彼の顔は頬が赤くなったり、今は表情が青くなったりと激変している。

 

(パ、ぱぱぱぱぱ、パートナーだとっ…………あ、ありえんっ!)

 

 パートナー。相棒。又は――――『恋人、嫁』。

 王国における冒険者の、他人で組まれた男女2人組の肉体関係率は100%に近いと言われている。まさに無情である。

 一方で可愛いこの少女の名は『マーベロ』ということを知る。なんと美しい清らかな響きの名前だろうか。

 ほぼパーフェクトといえる女性だと再認識し、カジットの杖を持つ握力が緩みをみせた。

 それへ反比例するように漆黒の戦士へ向けられる視線には殺気が上乗せされる。

 

(この鎧の者を、マーベロ女史の傍から早急に排除せねば……そもそもクレマンティーヌがおるのだろうに、マーベロ女史まで侍らせるとは、ゆるせんっ!)

 

 齢40前の男の濃い思考は止められない。意に反しつつも淫らな想像を遺憾なく膨らませてしまう。

 モモンとかいう漆黒の戦士がその鍛え上げた逞しい巨躯の身体で、この妖精のように美しく小柄の少女を毎夜思うがままの力任せに嬌声を上げさせ蹂躙している行為など、考えたくもない。

 

(くそっ、死ねっ、モモンとやら! いや……儂が自ら冥府の地獄へ叩き込んでくれるわっ。そしてその後は……くくくくっ)

 

 普段は、(もてあそ)ぶが如き殺し方を好まない真面目なカジットだったが、今回は気持ちが違った。

 さてどうしてくれるか。カジットの口許の片方がニヤリとつり上がる。

 白金(プラチナ)級冒険者の標準的難度は高くても53程度まで。対してカジット自身は120を超えるほど。その差は圧倒的と言える。

 しかし、少し冷静になり良く考えると、あの傲慢でもあるクレマンティーヌが、格下の水準の者に付くとは到底思えない。つまり寄り添って見えているのは、見せかけの罠という可能性が高くなる。

 

(んん? ……結局、冒険者達は儂をからかう贄か?)

 

 そう思うと、カジットには気持ちへ少し余裕が出来た。

 部外者らはクレマンティーヌの配下か雇っているということなら、色々と話は付けやすくなる。あの異常性格の女に他者への配慮などほとんどないと思えるからだ。

 恐らく使い捨てだろう。しかし、マーベロ女史がそうなっては困るなと彼は考える。

 そうなる前に動こうと、カジットは話し掛けてきたモモンへ内心の炎の嫉妬心を抑え、威圧するように言葉を返す。ただ、可愛いマーベロ女史を不快にさせないようにと大いに言葉へ気を使いつつ。

 

「(白金(プラチナ)級程度の冒険者風情が……とは言えんな)……何をしに来た、モモンとやら? 貴様、死の淵に来ておることに気付いておらんのか? そこのクレマンティーヌに踊らされておるやもしれんが、おぬしの命は一つしかないのだぞ。先に言っておいてやろう。儂の力はアダマンタイト級にも引けなどとらんぞ」

 

 冒険者にとっては、アダマンタイト級とは正に雲の上の存在と言える。それを比較対象に出すことで、『強烈な脅し』になるはずなのだ。なにせ、この広い王国でたったの2組しか存在しない。そして、この脅しは同時に、可愛いマーベロ女史への大きな『儂強いから』アピールでもある。

 

(ふはははは。さあ、マーベロ女史の前で無様に狼狽えるが良い、モモンとやら。マーベロ女史の『はぁと』と身体は儂が頂く)

 

 内心の高揚に、彼の口元のつり上がりが止まらない。

 堂々そうにしているモモンのメッキを引き剥がし、少し身体がデカいだけの怯え震えるただのつまらない男だとこの場で徹底的に知らしめ、マーベロ女史の想いも自分へ強烈に引き寄せれるかもしれないと。

 だが。

 

「そうだね、バダンテール殿。確かに貴方はそれぐらいの強さがあるかな。早速だけど、俺達はここへ遊びに来たわけじゃない。交渉に来たんだ」

「!――っ。(なんだと、この男……冒険者の癖にアダマンタイト級という存在へ畏怖しないのか?!)」

 

 カジットは睨んでいたモモンへの視線を、思わずクレマンティーヌへ『どういうことだ』と向ける。それに女騎士は、肘を曲げ両の掌を上に向けて『さあねー』と歪んだ笑顔でお道化てみせる。彼女は当然知ってるはずである。十二高弟の彼の口元は『全くおぬしは』とへの字に歪んだ。一瞬の視線とポーズだけで両者の会話が成立し、何気に息が合っていた。

 カジットは視線を目の前の漆黒の戦士へと戻す。

 彼としては大きく目算が狂い、ハニーへの『儂強いから』アピールも空振ってしまった。

 だが、戦力的には依然、上回る総戦力とすでに包囲しているこちらが有利である。相手の目的が分からないままでは後手になることからカジットは話を進める。

 

「(くっ、訳が分からん。仕方ない)……儂も暇ではない。――用件はなんだ?」

 

 対するモモンは、一気に核心に踏み込んでいく。

 

「近々〝死の螺旋〟を使うそうだけど、その目的はなにかな。俺としては、この街を壊されるのは少し――困る。是非、中止して欲しいんだけど。俺達のホームであるし、馴染みも居るからね」

「なにをバカな――」

「――そういうことなんだけどさー、カジッちゃん。そうした方が絶対いいと思うよ。悪い事は言わないからさー」

 

 モモンから『死の螺旋』の話が出た事に驚きはなく、クレマンティーヌの部下なら知り得る情報である。あと、冒険者としては確かに困るだろう。しかし、事前に逃げればいい話だ。

 それよりもカジットの返事をあえて遮った、クレマンティーヌの威圧も伴う中止に賛同した言葉へ対する判断が難しい。ズーラーノーンへとこの女騎士が顔を出す様になって二年程経つが、捻くれた性格の為、その様子は細かく見てきたつもりである。その彼女の様子をよくよく見るに、『嘘では無いよ』的歪んだ表情の気がする。

 というか、やはりクレマンティーヌが主導する悪戯かという思いも強くなる。

 

(戦士から変に戸惑う話を切り出させて、儂らを混乱させるという楽しみか?)

 

 そもそも『死の螺旋』の中止で、クレマンティーヌが得をする事は無いはず。

 そしてこのあと漆黒聖典はこの都市の周辺から居なくなるのだ。その情報と提案を持ってきた本人が、中止へ賛同を述べる事に矛盾すら生じている。

 しかしふとここで、カジットは改めて大きく違和感を覚えた。

 

(クレマンティーヌにとっても、今の行動はかなり大きなリスクのはず。こやつ、何故それをする……)

 

 彼女は部外者を事前申告もなく勝手に他者のアジトへ招くという、秘密結社としてすでに冗談では済まない行動に出ているのだ。

 それは、より大事であろう事象が発生したからで、それが『中止への賛同』となっている……という事なのか?

 

(つまりこの状況は――――本当に冗談ではない?)

 

 残念ながら今、マーベロ女史のことを考慮する余裕が小さくなってゆく。

 カジットは不安げに再びクレマンティーヌへと目を向ける。すると女騎士は、目と口許をニヘラと歪めて『うんうん』と首を縦に振っていた……。

 再びの息がピッタリの以心伝心。

 

(お、おのれクレマンティーヌ。しかし……あやつめがそうするメリットは何だ)

 

 カジットは、彼女の兄や境遇の知識も多少持つが、クレマンティーヌの人生の目的そのものは知らない。

 しかしこの傲慢そのものの女が、冗談では無く今も目の前の男を立てる感じで寄り添っているという事実から、この漆黒の戦士が鍵を握ると言うことだ。

 ズーラーノーンの十二高弟らしくカジットは問う。

 

「おぬし、モモンと言ったか? 一体何者だ? そのクレマンティーヌを味方に付けるとは、只の白金(プラチナ)級冒険者ではあるまい。どこの手の者だ? 王国か? または帝国か? それとも……別の地下組織か?」

 

 ズーラーノーンへ対して接触してくる地下組織は色々あった。末端の末端が各地の都市上にも網を張っており稀に接触がある。王国では特に、強い戦力を持つと聞く八本指に対抗したいという地下組織らだ。十二高弟達の実力は八本指の『六腕』を凌ぐとも噂があり、一気に勢力逆転が可能だと目論む組織が少なくない。これまでも、多くの生贄の為の女達や目のくらむ大金を報酬にと挙げてきた。

 だが、ズーラーノーンの目的は裏社会の勢力争いの如き俗物的ものでは無い。より崇高で異質のモノ、大量の死とそこから生まれその先に有るはずの大いなる力である。

 十二高弟の問いに対し、モモンはこう答える。

 

「あの……バダンテール殿。まだこちらの最初の中止の要望に対する回答を貰っていないんだけど?(〝何をバカな〟の続きだけど)……まあいいか。じゃあ、先に答えでおきますか。俺達は、確かに〝ある組織〟に所属していますよ――」

 

 モモンとしては余り出したくないのだが、個人で組織を相手にすることの難しさをリアル世界で学んでいる。クレマンティーヌも漆黒聖典に所属しているから評価されている部分がある。組織を相手にするにはこちらも組織の影をちらつかせる必要があった。

 今のモモンの『ある組織』という言葉にクレマンティーヌは、彼へと静かに視線を向ける。

 真実はまだ彼女も知らない。

 でも彼女も想定はしている。この勇ましい伴侶が、どこかの密偵であるということを。そして、これほどの戦士を動かしている組織は何なのか確かに気にはなる。帝国の北方のカルサナス都市国家連合辺りではとも考えている。しかし、この人の傍に居れればそれでいいのだ。一生をこの都市で共に過ごし、数多の夜を越え妊娠し子を育て上げ孫に囲まれ年老いて朽ちてもいいし、放浪し次々と都市を目指して旅に明け暮れてもいい。

 

(私は、モモンちゃんと一緒ならどこででも最高に幸せだよっ!)

 

 そんな熱い視線を受けるモモンの話は、重要になる語りへと続く。

 

「――それと、単に中止ではそちらも困るとは思ってます。〝死の螺旋〟で何か得る予定なのだと俺は推測してるんですけど、例えば大量の死に関わる物とか。それを――こちらが代償として提供しても構いません。そして可能なら、それを機に組織間での協力関係を築きたいと思ってますが。窓口は彼女、クレマンティーヌで」

 

「「「――っ!!」」」

 

 カジットと配下達、クレマンティーヌ、そしてマーベロが揃って驚きの表情を浮かべた。

 カジットらは、代償などと世迷言だと。

 クレマンティーヌは、モモンが予想外で協力関係を望んだことに。

 マーベロは、気に入らない下等生物を直ぐに踏み潰さなかった絶対的支配者に。

 そして、間もなくカジットが笑い出した。

 

「ふははははっ。何を言い出すのかと思えば、余りにも突飛なる事を述べるものだ。おぬし、〝死の螺旋〟の恐るべき強大さを知らんのではないか。20年前に小都市を一夜にして一つ丸ごと滅ぼしておるのだぞ。それの代償を提供してもいいだと? そんな事、我々の組織か、一大国家でもない限り単なる一組織が出来るとは思わぬが」

 

 真剣に物事を考える性質(たち)のカジットは、頭が筋肉だと思われる巨躯の戦士へ『優しく』誤りを指摘してやる。

 十二高弟の彼はモモンが、どこかの小さい地下組織の所属で、ズーラーノーンを上手く利用するために接触してきたのだと判断する。クレマンティーヌを味方に付けられたのは、もしかすると、この戦士がミスリルやオリハルコン級の力はあり、そういった見どころが少しあった上で、激しく熱い男女の仲になり上手く味方に付けたのだろう。そうでなければ、クレマンティーヌと同等なら、間違いなくアダマンタイト級であるはず。彼女と同等の剣士は、周辺国にも片手で収まる数しかいないのだから。

 そして〝死の螺旋〟は、人を高位のエルダー・リッチへと変える程の膨大な負の魔力を十分生み出せる魔法儀式なのだ。まず、凡人らに代償が用意出来るはずなどないと言える。

 以上から、カジットは、先のモモンの中止要請に対しての答えを返し始める。

 

「故に、おぬしからの中止要請だが、残念ながら――」

「――カジッちゃん、中止した方が絶対にいいよー。これは二年間、色々迷惑を掛けた事への詫びの忠告だからね」

「!――ぬ」

 

 まるで餞別のように、優しく忠告をくれたクレマンティーヌのその表情を見たカジットの語りが完全に止まる。

 

 彼女の表情が微笑んでいたのだ――歪みなく。

 

 初めて見る彼女の美しい笑顔であった。それを見たカジットの全身には鳥肌が立ち、背中を幾筋もの冷や汗が流れていく。これは只事ではないと彼の本能が感じた。

 真面目なカジットには、それで確信出来た。

 信じられないがモモンというこの男は、クレマンティーヌの力を大きく上回っているようだ。そうでなければ、性格異常の彼女があの表情で忠告してくる訳が無い。

 正に以心伝心に乗せた最後通告であった。

 しかし、カジットは秘密結社ズーラーノーンの十二高弟という立場。他所からの中止など安易には飲めない話。つまり、今は先に納得できるその代償とやらを見せてもらうしかない。

 仮に本当に、その膨大といえる代償が用意出来ると言うのなら、秘密結社ズーラーノーンの組織の理念としても正当に評価できるだろう。

 信用期間の話もあるため、即時協力関係は難しいだろうが、実績が積み重なれば他の高弟達も説得出来るはずだ。

 ただ、クレマンティーヌの件は組織へどう説明したものか……。

 問題は色々ありそうだが、カジットはモモンに考えを伝える。

 

「……おぬしも、物事には段階があるのは分かると思う。つまり中止を要請をするつもりならば、まず代償が実際に用意出来る事を示してもらおうか。今日とは言わんし、一度に全部とも言わん。だが交渉にはそういった相手を納得させる物がまず必要だ」

 

 カジットのその答えに、モモンは理解を示す。カジット側が今日は何もせずこちらを返すことも伝えてきていた。少し甘い考えのようにも思うが、クレマンティーヌの言葉により、こちらの力が伝わったのかもしれない。相手の強さを常に察知し、柔軟に対応を取れるという事は非常に重要なことである。

 HPレベルが低いものの、カジットの冷静で高い判断力に、モモンは興味を持った。

 

「(へぇ、王都の貴族達ですら結構酷かったけど、秘密結社にもきちんとした考えの奴はいるんだな。交渉がグダグダになるなら、このまま叩き潰すこともやむなしと考えてたけど)……確かにそうかも。ところで、その代償……多分“負の魔力”だと思うけど、どこへ貯めるつもりなのかな?」

 

 カジットは一瞬眉間に皺が寄るも、ローブの内側からゆっくりと林檎ほどの球体を取り出した。

 

「これは〝死の宝珠〟というアイテムだ。これに貯めて貰おうか。まだ、四分の一ほどしか貯まっておらん」

「少しだけ、それを持たせてもらってもいいかな? 貯められるかどうかを確認したいんだけど」

 

 モモンの言葉は、ある意味凄い要求と言える。十二高弟の秘蔵のアイテムを触らせろと言ってきたのだ。

 これは、確実に『信用するかしないか』という大きい問いかけである。

 当然カジットの周囲の配下達は「師よ、いけません」「あの者らはまだ信用に値しません」など諌める言葉がモモンらのところまで聞こえてくる。

 距離的には実質15メートルほどであるが、夜が少し深まり声がよく通った。

 だが、カジットは告げて来る。

 

「よい。出来るかと問うたのは儂だ。モモン殿、一応ここまで来てもらえるのなら、手で直接確認してもらってもかまわん」

 

 此方はいきなり乗り込んで来た部外者であり、それぐらいの警戒は当然だろうと納得するモモンは「では、そちらへ行かせてもらうので」と告げる。

 そして、残すマーベロらへ向いて指示を出す。

 

「クレマンティーヌとマーベロはここで待っててもらえるかな」

「んー分かったー。しょうがないね。まあ、ああ言ってるし、カジッちゃんは真面目だから大丈夫だろうけどねー」

「は、はい、お気を付けて」

 

 クレマンティーヌは兎も角、マーベロはその場で静かに全力での臨戦態勢に入る。ほぼ瞬きをしなくなった……。

 モモンはマントを僅かに靡かせつつ直ぐに一人で前へと歩き出す。一応この時、パンドラズ・アクターだけは不可視化でモモンのすぐ傍で待機し有事に備え付いて行く。

 そうして、カジットを中心にした配下の円陣の中に入る形で、十二高弟の前へ立つ。

 漆黒の戦士が、左ガントレットの掌を上へ向けて開くと、そこへカジットが“死の宝珠”を静かに置いた。

 モモンはすぐ正面に立つカジットへ作業内容を確認する。

 

「これを最終的に負の魔力で一杯に出来れば、〝死の螺旋〟は中止してもらえるのかな?」

 

 カジットは、やはり簡単には無理だろうと期待薄にモモンへ妥協案も含めて申し送る。

 

「そうだ。でも本当に途方もない量が必要だろう。〝死の螺旋〟程の大規模儀式で無ければどれほどの年月が掛かるか分からん。まあ、数回に分けてもかまわんが……」

 

 そんな高弟の話もどこ吹く風で、モモンは手渡して見せてくれた信用に応える。

 

「まあ、大丈夫じゃないかな? 〈負の接触(ネガティブ・タッチ)〉」

 

 モモンの天へ向けている左ガントレットの掌と『死の宝珠』との間に真の暗黒が僅かに漂う。

 カジット達の目が釘付けになっていた。彼等には大きな負の魔力が分かるようであった。

 アイテム内の残量がよく分からないが追加することは問題なく出来るはずである。

 また、満杯になって壊れるというアイテムをこれまで聞いた事も無い。

 その時間は約30秒程であった。途中、漆黒の戦士はなぜか一言だけ、「そうだな」と誰に言う訳でもなく呟く。

 作業が終ったモモンは、サラりと周囲を囲むカジットらへ告げる。

 

 

 

「はい。じゃあこれ、確認してみて欲しいな――容量目一杯になってるはず」

 

 

 

「……ま、まさか」

 

 終始様子を見ていたにも拘らず、カジット達は漆黒の戦士の言葉に半信半疑だ。

 モモンは今、魔法は使えないのだが、特殊技術(スキル)は普通に使える。

 アインズの魔力量はLv.100のプレイヤーの中でも別格で異常に髙い。この新世界においては、正に神の如く圧倒的と言える水準だろう。

 なれば、この程度の魔法アイテムのMP(魔法量)をフルにするのは造作もない。

 モモンからアッサリ返却された『死の宝珠』を、カジットは見つめつつ恐る恐る確認する。

 

「マ、〈魔力量確認(マナ・ベリファイ)〉…………ぉおおおおおおぉーーー! こ、これは、一体……し、信じられん、確かに一杯になっておるわ! 奇跡だっ!!」

 

 それは、『度肝を抜かれる』というのが相応しい、本当に有り得ない衝撃である。

 大都市一つ犠牲の大惨事予定の壮大な魔法儀式が、たった一人による僅か30秒チャージで完了してしまっていた……。

 カジットは目的に到達した『死の宝珠』を大事に持ちつつも、思わず片膝を地面へ突いて静かに呟く。

 

「なぜだ……この儂が5年間かけて作り上げた努力の結晶が全て……この戦士の1分足らずの時間で終了したというのか……」

 

 十二高弟のプライドが大きく揺らぐ。

 そんな彼へ周囲の配下から「師よ……」「……無駄という事は何ひとつありませんぞ」「そうです」「そうだ、その通りかと」「我らはリスクレスで先へ行けたという事では」「これからです」などと励ます声が掛けられていた。

 

 一方、モモンはすでに結構いい時間なので、雰囲気に流される事も待つ事も無く声を掛ける。

 

「大丈夫かな、バダンテール殿? ということで、中止でいいかな?」

 

 カジットは、モモンの言葉にゆっくりと立ち上がる。

 慰めてくれる配下の居る前で、これ以上は責任者として醜態を晒せない。モモンへと再び向き合う。

 

「……カジットでよい。モモン殿の力には感服しかない。〝死の螺旋〟は約束通り中止させてもらおう。……力量差は歴然。恐らく我らが盟主様ですら同じことは出来まいな……。直ぐには難しいと思うが、組織間の協力の件も合わせて前向きに考えさせて頂く」

 

 カジットの語る内容は、モモンのほぼ望む形のものになった。

 続けて彼からは当然湧く疑問が発せられる。

 

「しかしそれにしても、戦士のおぬしが……その力は一体……?」

 

 カジットの配下達からも「凄いな」「羨ましい」などの小声が聞かれた。

 そう、特殊技術(スキル)は使えるが不自然という状況は想定されていた。でもこの世界には非常に都合のいい言い訳が存在する。

 

「実は、なぜか負の魔力が体に集まる――生まれながらの異能(タレント)なんですよ」

「なんと……そうなのか。それは実に素晴らしい生まれながらの異能(タレント)だ」

 

 カジットと周囲の配下達は、うんうんと頷きそれで納得した。力はまさに偉大である。

 こうして、すべては上手くいったかに見えたが、カジットは最後に告げてきた。

 

「しかし、クレマンティーヌ離脱の件は難しい問題になるかもしれん。あやつが裏切った件は消えぬ」

 

 その話をモモンはガントレットの腕を組みつつ聞いている。

 

「……制裁というわけかな?」

「儂らは秘密結社だ、これまでも裏切り者にはそれなりの代償を払ってもらっておる」

「……じゃあ、こういうのはどう? 遠征中の漆黒聖典の一人を俺達が消すというのでは? それもこのひと月以内にだけど」

「なんだと……うーむ。それは、実現出来れば確かに儂らにもメリットは大きくあるな」

 

 マーベロと共に離れて立っていたクレマンティーヌはピンとくる。

 兄のクアイエッセの事だ。彼女はモモンの機転に感動する。憎い兄の死が彼女を助けるのだ。まさに一石二鳥と言える。

 

「それに、必要なら組織間協力の面で今後も、漆黒聖典の動向と共に殲滅実験にクレマンティーヌを派遣しても構わない」

「……なるほど、組織は変わったが恩恵はこれまでと変わらないと……そういう事であれば他の高弟らも納得させれるかもしれん。実際の話、事情を知らぬ者にウロウロされるといい気はせぬからな。儂が最大限努力しよう」

 

 ズーラーノーンにとって、漆黒聖典の動向はかなり重要である。

 また、クレマンティーヌよりも強者はいるが高弟であり便利には使えないため、彼女の戦力は決して小さくない。カジットはクレマンティーヌと組む事が多かったので、特に実感している。

 ただ一点だけ、十二高弟のカジットはクレマンティーヌの裏切りに気付かなかったという汚点が残る。

 しかし――強大といえる負の魔力を提供できる力を持つモモンらとの協力関係の締結窓口は彼である。

 今後、協力関係が結ばれ、それにより多くの負の魔力を手に入れられば汚点を消して余りある功績になることは直ぐ先に見えていた。

 だからカジットは、最大限でモモンらの為に努力出来るのだ。

 この遭遇における実務的話し合いはすべて終わった。

 モモンは予定も有り、この地からの速やかな転進を告げる。

 

「では、カジット殿、我々はここらで失礼させてもらうので」

 

 そう言って、早々に背を向けてカジットと配下らの輪から離れるとマーベロとクレマンティーヌの待つ場所へと歩き始めた。

 そして、数メートル進んだ時である。

 配下らと共に後方へ立つカジットから声を掛けられる。

 

「モモン殿、少し待ってくれ。まだ一つ大事な話が残っていた」

 

 漆黒の戦士が振り返ると、ズーラーノーンの十二高弟であるカジット自ら配下らを残し歩いて来た。

 そうして、漆黒の戦士モモンの前へと杖を左手に堂々と立つ。すでに、『死の宝珠』はローブの中へ仕舞われていた。

 

「なにか、ありましたっけ?」

「うむ。実はな、一つ……是非一つ聞きたいことを忘れておった」

 

 モモンの思考にはスッと浮かぶ。恐らく――モモン達の組織の名称だろうと。

 カジットは、ズーラーノーンの他の高弟達に色々と説明し説得なければならない立場である。

 それが『ある組織』では話に重みがないというものだ。

 とは言え、問われない事を答えるつもりはない。

 ナザリック地下大墳墓の存在自体は、まだ知らせたくないためだ。今はあくまでも組織という『影』で十分である。地上に小都市が出来た後、公けにはそこが最大拠点だと思わせたいと考えていた。

 モモンはそういう絶対的支配者の思考で、十二高弟である彼の言葉を待つ。

 するとカジットは思いっきり深刻そうな表情をし、口元へ右手を添えつつなぜか凄く小声でこう尋ねてきた。

 

 

 

「――――マーベロ女史は……何歳かな?」

 

 

 

 まずは情報からの一歩である。

 恋愛に年齢差も以外に重要項目だと思っている。

 薬師の少年同様、齢40前の彼もまだ全てを諦めてはいない――――。

 

 

 

 

 

 

 エ・ランテルの共同墓地は西端を第三城壁、東端は第二城壁により30メートル以上の高さで挟まれている。そして、北側と南側を東西一直線に繋ぐ長く高い4メートルの塀で広大に仕切られている場所だ。一応、東の端と西の端の城壁に接したところにも塀を立て、塀の上を大型馬車も通れるほどの幅で南北でスロープも用意して通り抜けが出来るようになっている。

 

 夜の静けさの広がるその共同墓地の北側の塀で人影の皆無な地点を、漆黒の戦士ら一行は外へ出る為に再び越える。

 モモンは、中へ入る時にここから一応と掛けていた〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉を解除する。

 一行は再びクレマンティーヌの感覚主導で宿屋を目指した。

 クレマンティーヌは、モモンの先程の『死の宝珠』への魔力供給について、「モモンちゃん、あんなことも出来るんだー。すごいねー」とニコニコしたぐらいで、特に気にした様子はない。目の前の人がモモンであればそれでいいらしい……。

 すでに時刻は、午後9時20分。

 それにしても……クレマンティーヌの様子が熱い。

 モモンの右腕を引くのだが、猛烈に自らの胸の側面に押し当ててくれている。

 鎧があるので感触は半減以下だが、柔らかい物がその下に広がっていることは伝わってきている。クレマンティーヌもそれが分かっているのか時折頬を真っ赤に染めた顔で振り返り、「んふふふっ」と桃色空間に気分は完全突入している風。

 流石に、この姿を墓地から見せられると、アインズとして直ぐに思い出していた。

 

(ヤバい……そういえば、男女関係を後回しにしていたんだっけ。もう、彼女の絡む急ぎの用件が全部終わってるし、うわぁぁ、どうしよう……)

 

 カルネ村に行くからとも当然言えない。

 アインズは徐々に宿の狭い小部屋へと追い込まれつつあった……。

 3人は抜かりなく、法国の密偵にも見つからず無事で宿屋に到着する。

 モモン的には、もはや『見つかれ、見つかれっ』と叫ぶ思考の方が最後は圧倒的に増えていたが、それも儚い願いと消える。すぐそこに新しい(桃色に満ちた)世界の扉が開かれそうな予感。

 クレマンティーヌは軽やかに踊るようクルクルと回りながら器用に3階の宿泊部屋へと『女へのステップ』を夢見つつ、歩を一歩一歩進める。

 しかし、彼女にも不安はある。結局マーベロから、モモンの夜の好みを全く聞けていないのだ。まさに『ぶっつけ本番』である。

 対する漆黒の戦士の歩は、今の気分を乗せて重い。偶に階段の踏みしめる板が鎧と剣の重さを受けてキシリと鳴る。

 マーベロは、モモンの後を静かに付いてきている。

 そうして、モモンらも、クレマンティーヌが先に飛び込んで、扉が開いたままの明かりの蝋燭が灯った宿泊部屋へと入る。

 クレマンティーヌはすでに装備を外しブーツも脱ぎ、左側のベッドの上へ純白のブラウスとこげ茶生地のホットパンツ姿で白く綺麗で瑞々しい素足を曲げてペタリと座る。斜めに背中をこちらへ見せつつ胸も強調した振り向き気味の姿勢で、潤んだ瞳や艶やかにぷっくり湿った唇と紅く染まる頬の桃色である表情をこちらへと向けてくる。

 

 ハッキリ言って――すでに劣情指数がMAX。

 

 そのクレマンティーヌが、更に追い打つように艶っぽい声を掛けて来る。

 

「モモンちゃん………どうしようか?」

 

 アインズ的には『NANI(ナニ)をっ?! DOU(どう)っ?!』と内心であたふたする感じである。

 いや、そんなボケは通用しないほど、彼女の要求はその様子から明白である。

 自分で服を脱いだ方がいいのか、それとも脱がせたいのか――の確認だということが。

 おまけにアインズは、ここで思考が白くなり始めていた……。

 今日はすでに、ここまで散々閃きや発想力を使い過ぎていたのが原因かもしれない。同時にアインズの精神も土壇場が連続し相当疲弊していた。体力は回復するが、精神や思考の疲労は存在し、無尽蔵では無いように感じられた。

 アインズとしては、いい考えが浮かんでこないまま、クレマンティーヌの発言から数秒が経過する。もう何か返事を返さなければならないのにだ。

 状況は丁度――ニニャの時に似ていた。

 

(!――――っ)

 

 モモンはこの瞬間――凛とした声で、発情中のドラ猫へと問うた。

 

「クレマンティーヌ、君は――俺を見くびっているのかな?」

「えっ?」

 

 彼の声は静かながら怒気も感じさせる一言であった。

 クレマンティーヌは、予想外の事に驚く。モモンちゃんが怒ってる?と。

 マーベロも同様である。ここまで来ては桃色展開が進むところまで突き進むのではと思っていたのだ。

 それに――マーレ自身も密かに期待していないわけではないっ。キスを頂いて以来の好機到来かなとの想いもあった。

 だが、モモンの様子と言葉には、その桃色の雰囲気を感じさせない、それを白い邪念のない精神へ引き戻す感じの響きがあった。

 彼は穏やかに語り始める。

 

「クレマンティーヌ、君は俺の要求に十分以上に応えてくれているし、それには大きな感謝と信頼を感じてる。そして今また、君自身の美しい身体で俺に尽くそうとしてくれてて――とても嬉しく思うよ」

 

 クレマンティーヌには、まだ分からない。モモンが何に不満を持って「見くびっている」と言ったのかが。一方で、この身体を美しいや尽す行為に嬉しいと言ってくれたことだけで、心臓の鼓動が再び高鳴り始める。

 彼女は彼の言葉の続きを待った。

 

「――それに対して、俺はまだ何も君へ返せてはいないんだ」

 

 クレマンティーヌは、『そんなことは全然ないからー。今の自分に多くの安らぎと愛を向けてくれている事だけで十分なのにー』と内心で叫ぶ。彼女は今、大きな幸せを感じて日々生きている。すでに、兄への復讐すら、その存在が自分の中で萎んできているのが分かっている。今、『兄への復讐』とモモンを天秤に掛けられたなら――迷わずモモンを取る気でいた。

 でも、それらは口へは出さない。

 男には漢の立場があるとクレマンティーヌは考えてもいた。

 

「ここで、更に君から最も大切なモノ(身体)を貰う訳にはいかないんだ。少なくともまず君との最大の約束を果たしてからでないと、俺の君への信頼関係に不安を感じる事になる」

「!――っ。(信頼関係に不安?!) 」

 

 クレマンティーヌは激しい衝撃を受け座ったままでもよろめき、ベッドに手を突いていた。だが、次のモモンの言葉で一気に復活する。

 

「だから――早く一緒に約束を果たそうな」

 

 クレマンティーヌはベッドに立ち上がるとモモンへと抱き付いていった。

 

「ああっ! モモンちゃん、モモンちゃん、モモンちゃーーーーん!」

 

 彼女にとって、モモンの今の言葉はまるで――プロポーズのように聞こえていた。

 『兄への復讐』を共に遂げたら、改めて最も大切なモノ(一生)を貰うと。

 

 

 

「分かったよ、私は……ううん、私もあの約束を二人で果たす日まで、モモンちゃんと一緒にエッチを我慢するねっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 とりあえず、午後10時を前にアインズはカルネ村へ無事にやって来た。

 

(ふうーー)

 

 内心でだが安息のため息が漏れる。絶対的支配者は流石に思考が疲れていた。

 しかし、すでにここは馴染みのホームエリアであり、アインズとしてはかなりゆっくりと出来る場所になっている。

 特に、旧エモット家のゴウン邸はだ。

 エンリとネムには家を取り上げてしまったようで悪いが、この姉妹達がナザリックの事を知っている配下という事が、地上の他の場所に比べて精神的な気遣いが格段に少なくて済んでおり、甲斐甲斐しいエンリも会うたびに僅かずつだが愛しく見えてきている。ネムも可愛く、ここはとても和む空間となっていた。

 遅れる旨は不可視化していたパンドラズ・アクターの方からキョウの方へと知らされており問題はない。

 あの後、クレマンティーヌはモモンに膝枕だけはと要求するも、数分の御満悦の内に法国からの長駆だった移動疲労と安堵感からか静かに深い寝息を立てて、可愛い寝顔を見せ寝てしまっていた。

 後はパンドラズ・アクターに膝枕役を任せてアインズは今、ゴウン邸の一階の居間に立っている。

 替え玉についてだが、どんなにアインズ自身が追い込まれようと、男女の熱い関係時に関しては入れ替わりをする気は当初からない。

 ナザリックの存亡に関する作戦の一環というならやむを得ないが、個人の最も重要なプライバシーに関することへは取るべき手ではないと考えている。

 ここカルネ村の村内は連日、午後8時半過ぎまでは砦化作業が行われているとはいえ、日替わり交代で参加している村人らは一部のため、村人の多くは既に就寝している時間である。

 先程まで作業していた者達も、明日の畑作業に向けて床に入り始めていた。

 

 そんな時刻だが、〈転移門(ゲート)〉を出て居間に立ち見回すと、キョウとエンリ、そしてなんとネムがまだ起きていた。

 

「お帰りなさいませ(ニャ)、アインズ様」

「お帰りなさいませ、アインズ様」

「おかえりなさいませっ、アインズさま」

 

 三名は、綺麗に並び礼で出迎えてくれている。白きGのオードリーもネムの肩より触角を盛んに動かして敬意を示していた。

 

「うむ、少し遅くなってしまった。お前達も席へ座れ」

「はい(ニャ)」

「はい」

 

 礼が終りいつものように寄って来たネムを抱き上げた絶対的支配者は、粗末といえる木製食卓の上座へと腰かける。この居間の20平方メートルもない空間が、丁度落ち着く感じで気分がいい。

 キョウ達二人も続いて食卓の席へと着いた。

 

「すまんな、色々あってな」

「いえ、こちらとしては何時でも構いません(ニャ)」

「は、はい、大丈夫です」

「ネムは……真夜中はすこしきついかもです。今日はお昼寝をいっぱいしました!」

 

 支配者へ抱かれているが少し眠そうにするネムは、正直に答えていた。

 

「こ、こら、ネム」

「はははっ、いや、かまわん。ネムに用があれば、その時はちゃんと起こしてやろう」

「はーいっ」

 

 ここで過ごす時のアインズは、いつも穏やかだ。

 このあと、アインズは差しさわりの無い内容で波乱の今日を愚痴るように簡単に振り返っていた。そこには当然カルネ村への引っ越し話も出ており、最後にそこへ話が戻りキョウらへと促す。

 

「ではそろそろ、そちらの進捗と報告を聞かせてもらおうか」

 

 キョウは、カルネ村の広域での防衛を担当している。そしてトブの大森林側にいるハムスケとの連絡・連携も行っており、村人らへの配慮や無用な衝突が無いようにしていた。

 エンリは、カルネ村の内部の調整や防衛を担当している。カルネ村の村長や住民との橋渡し役だ。

 権限としてはキョウの方が強いのだが、エンリから要請があった場合、キョウが率いているナザリック駐屯軍は、エンリの考えや作戦を最優先で動くことになっている。

 そのため、砦化計画でもデス・ナイトや偶に夜中限定だが蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)達も木材運搬を行なっていた。

 二人の関係は良好だ。時間がある時はキョウも一緒にエモット家の畑作業を手伝っている。デス・ナイトに比べてもその圧倒的パワーとスピード、そして繊細さがあるキョウが手伝うと、広い畑一面の作業さえ10分強で終わってしまうほどだ……。

 本日は砦化の進捗と、ブリタらの引っ越しの話等が報告された。

 ンフィーレアについては、追加で明日、薬の研究と生産作業用の工房にする家を探したいと事が報告される。

 そこに、アインズは興味を持った。

 

「そうか。そういえば、あの少年の店で治療薬や他の薬も作っているのだったな」

「はい、同じ価格帯の薬でも、バレアレ家製は効果がずっと高いので評判がいいんですよ。折角なので、カルネ村の特産薬なんかもお願いしようかと」

「なるほど。そういうのも村興しには重要だな。可能なら進めてみてくれ。必要なものが有れば報告せよ。こちらでも揃えよう」

「はい、ありがとうございます」

 

 エンリは旦那様のいつもの優しい配慮に笑顔を浮かべている。共に過ごす幸せに満ちる時間が過ぎる。

 でもどうやら、今日の仕事関連の報告はすべて終わった様子。

 

「よし、今日はこんなものか」

「そうですね(ニャ)」

「は、はい……」

 

 気が付くとエンリは熱い眼差しで、髑髏ながら威厳に満ちるアインズを見詰めている。

 その彼も、人間だが配下であるエンリ達を気遣った。

 

「エンリにネムよ、近頃の体調は大丈夫か? お前達は我々と違うからな」

 

 NPCのキョウは体も丈夫で疲労もせず、食事も取らなくても大丈夫だがエンリ達は基本、普通の人間である。弱い存在なのだ。

 

「はい、大丈夫です、アインズ様。不自由なく元気に過ごさせて頂いています」

「ネムも毎日元気にしていますっ」

「うむ。もし、大怪我をしたり、体調に異常を感じたらちゃんと、私やキョウかナザリックの者へ知らせるのだぞ」

「はい、ありがとうございます」

「ありがとうございますっ、アインズさま」

 

 旦那様からの優しい気遣いが嬉しくて頬を染めるエンリには、骸骨のアインズの顔に笑顔が見えていた。

 なんとなく口元と眼窩の中の紅い光点の雰囲気で少し判断が出来る気がしている。

 

「さて、もう遅いし皆休むか」

 

 ここで、ネムは眠いこの時間まで起きていた願いを伝える。

 

「アインズさま、いっしょに寝たいですっ!」

 

 彼の胸元で可愛く手を挙げてのネムの要望に、支配者はふと考える。

 明日は午前中にエ・ランテルの冒険者モモンへの依頼はあるが、朝の早いエモット家で起きても十分間に合うと思われた。

 

「……そうだな。半月ぶりぐらいだしな」

「わーい、今晩はアインズさまと一緒だぁ。あと、お姉ちゃんも一緒にっ」

「いいとも。エンリも一緒に寝ようか」

「は、はいっ……」

「ねぇ、キョウも一緒に寝よっ」

 

 ネムが、キョウまでも誘う。

 だが、彼女にとってアインズは造物主であり父親的存在だ。尊敬はしているが、甘えるのは少し恥ずかしいという感覚。

 

「あの、私は寝なくても大丈夫ですし、仕事が少しあります(ニャ)。ネム達は明日に備えて早くゆっくり休んでください(ニャ)」

「えー、そうなの……」

 

 ネムは少し残念そうだ。キョウとも一緒に寝たかったのだろう。

 だが、アインズとしてもNPCと一緒に寝るのはまだ複雑な部分があり、これで良いと考えていた。

 

「では、アインズ様、エンリ、ネム、おやすみなさい(ニャ)」

「うむ」

「キョウ、おやすみなさい」

「おやすみなさーい」

 

 キョウが、二階の自室へ去ると、アインズ達も動き出した。

 すでに頬を染めるエンリはそわそわとしつつ、アインズの胸より下ろされたネムを連れると「寝間着へ着替えてからお部屋へ伺いますので」と自室へ入って行った。

 アインズは〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉で三角帽付きの空色チェックの寝間着に着替えると、二階に用意されているこのゴウン邸で一番広くベッドが二つ横にくっ付けられた部屋へと向かった。

 

 一階のエンリ姉妹の自室では、ネムが服を素早く脱ぐと服の畳みは適当にし、白い肌着姿で二階へと先に向かっていった。

 残されたエンリも、アインズを待たせるわけにはいかないと、短めで三つ編みの髪を解き櫛を通すと、服を上着から手際よく脱いでゆく。そして少し埃っぽいカーキ色のスカートも脱ぐと手早く畳んだ。

 彼女はアインズとの床入りがあった時の為にと、夕食のお皿の片付けも終わった7時半ごろから30分ほど掛けて、自室で僅かに筋肉の付いたかなという身体を丁寧に2度拭きしていた。ネムの身体もついでに1回拭いてやっている。

 

「……大丈夫……よね?」

 

 顔は外から帰って来る度に洗ってるし、手も腕も、今日は足先までも洗っている……。

 純白の新しい上下の下着姿。フリルとリボンも多めなものだ。

 そして、薄目で一張羅のワンピース系の寝間着を頭から被る。袖へ手を通し裾をのばすと、大きい鏡はないのでクルリとその場で回って不備がないかを確認。

 人差し指を柔らかい唇に当てると僅かに思考する。

 エンリの顔は十分熱くなっていた。

 

 寝室に今日は――ネムしかしない。

 

 そしてネムは早くに寝てしまう。

 加えて、アインズ様の傍だと熟睡して起きない――。

 ネムの姉は下ろした髪を少し手で整えると、胸元で両拳を握り――気合いを入れた。

 

「よしっ、頑張れエンリっ!」

 

 自室の扉を開けて、乙女エンリは二階のアインズの寝室を目指した。

 

 扉のノックに対して、アインズは「エンリか? 入って構わんぞ」と声を掛けた。ただ、それは小声でだ。

 夜なので扉越しでも聞こえたエンリがそっと扉を開く。部屋の中は魔法の明かりが灯っていて明るい。

 

(あ、……明るい……どうしよう。はっきり見られちゃったら、色々恥ずかしい……かも)

 

 旦那様とはいえ、初めは周りに薄暗さが欲しい気持ちである。

 だが、その心配はある意味杞憂に過ぎない……アインズには基本能力で〈闇視(ダークヴィジョン)〉を備えているのだから。

 その明るい灯りのおかげで、すぐに気が付いた。ベッドで胡坐を掻くアインズの膝上で、すでにネムは――。

 

「むにゃむにゃ、キンピカ……すごいすごーーい……あいんず……さま」

 

 すっかり再び、夢の世界のナザリック探訪へと旅立っていた……。

 エンリ姉妹の自室を出てか5分ほどしか経っていなかったが、すでに眠気のあった少女には十分といえる寝入りの時間だったらしい。

 ベッドの脇まで来たエンリは、ネムの爆睡ぶりに呆れてしまう。

 

「(ネムーーーっ! 流石にいきなりベッドで旦那様と2人切りなんて間が持たないでしょーーっ)……す、すみません……、アインズ様」

「いや、かまわん。この時間まで必死で頑張ったのだろう。元気よく部屋には入って来たが、膝の上へ抱えてやったら、3分ほどで可愛く寝てしまった」

 

 エンリとしては、せめて自分がベッドに上がるまでは起きていて欲しかった。

 この状況で自分からベッドへ上がるのは畏れ多いし、何となくはしたない女の子と思われないかと心配になる気持ちが出てきていた。

 そんなエンリにアインズから気遣いある声が掛けられる。

 

「エンリも疲れているだろう、早くここへ横になって休むといい」

「はい……。では、失礼します」

 

 渡りに舟というタイミングに、エンリは素直に従って旦那様と同じベッドへと上がった。そして、アインズの傍で横になる。仰向けだと胸の形が露わになるし少々はしたないため、アインズの方を向きつつの横寝である。

 

「お前には色々任せて大変だと思っている。だが、全てを知るお前でなければ出来ないことも多い」

「はい、大丈夫です。私が村人達の間に入るのが最善だと分かっています」

「うむ。村人達もお前には皆が協力的で……色々感謝している」

 

 アインズも村人のエンリへの態度から噂を知っている。エンリが、村人を代表してアインズへすべてを捧げて奉仕していると。

 そういう事もあって、モンスターのゴブリン軍団についても、『アインズ様のくれたアイテムから出てきた』というだけで良くしてくれていると聞く。

 しかし、その事は若い少女の住むこの家に、男性のアインズが来る時点で分かっていた事。

 エンリは、素直に今のその心の内を語る。

 

「いえ、感謝しているは私達姉妹の方です。すべては私が望んだ事ですから。それに……アインズ様へ仕えられて本当にずっと幸せですし……あとは、その――」

 

 エンリは、横になっていた体を静かに起こすと、その正直な気持ちを思い切って伝える。

 

「―――本当にこの身体も可愛がって頂ければと」

「……エンリ……」

 

 二人は暫し静かに見つめ合う。エンリはアインズの正体を知っているため、今のこの二人には『ナニ』の存在すら最大の問題では無かった。

 

 『ナニ』などなくとも、愛を感じる抱き締め合う事(ハグ)は出来るかもしれない……。

 

 エンリは、アインズがネムを膝上へ抱き乗せて動けない事を考慮して、身を寄せてきた上で両手をベッドへ突くと、静かに目を閉じ少し顔を上げた。

 間近に迫るエンリからは、女の子の良い香りが感じ取れ、精神が抑制されているアインズのはずが欲情を刺激されていった。

 また、頑張り屋であるエンリに対して、愛おしくも感じている。

 このエンリのアタックを拒む考えは、アインズに浮かばない。

 

 いや、むしろアインズの方から求めようとエンリの両肩へ手を置くと、彼は形の良い頭蓋骨を優しく寄せエンリの柔らかく瑞々しい唇へと、磨き上げられた白く美しい歯列が触れ――。

 

 

 

 ―――――――(キシリ)。

 

 

 

 アインズの歯が、エンリの唇へ触れていた時間は0秒。

 直前で行動が止まった。いや――邪魔されたというべきか。

 瞳が潤み耳まで赤く染まっているエンリから離れたアインズの赤き鋭い視線が、今は天井へと射るように向いていた。

 

 

 彼の思考に今、ナザリック戦略会議での、自身の『女性関係に関する多量な暴露報告』がチラついている。

 

 

 エンリが不安そうに、未だ両肩にアインズの手が置かれた状態で支配者を見ていた。

 アインズは、大まかだが情報を思い出していた。

 この時間に動いている者の名前を。そして、絶対的支配者はネムを起こさないようにと小声で告げる。それは、今ここを監視している者へ命じるものであった。

 

「今から3名だけ名を呼ぶ。聞こえたら出でよ」

 

 ちなみにキョウは、()()()()()()トブの大森林へ向かっていて不在である。

 一瞬の静寂の後、至高の御方は告げる。

 

「――エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ」

 

 プレアデスの6番目の記号の名を持つ妹。蜘蛛人(アラクノイド)であり、壁面や屋根の上なども苦にしない。だが、応答は返らないようだ。

 アインズは次の名を呼ぶ。

 

「――フランチェスカ」

 

 彼女は新参だが、特殊技術(スキル)が豊富で、隠密性も高い。しかし、反応はなかった。

 最後の1名。アルベド本人は――有り得ない。ナザリックからは出ないだろう。あとは、宴会で「ハレンチなのはイケマセン」と言った悪魔っ子のヘカテー辺りは怪しいとアインズは考えているが、多忙である上に真面目と思うあの娘がここまで来るほど暇とは思えない。

 

(うーん、するとあとは、まぁ……あいつぐらいしか……)

 

 絶対的支配者は、仕事を時々忘れて食事をする、風呂場でのマナー違反の為に頭をライオンゴーレムに噛まれたと聞くアノ者の名をゆっくりと呼んだ。

 

「…………ルプスレギナ・ベータっ」

 

 

「はっ!」

 

 

 するとベッドの脇の床へ、カルネ村へも時折来ると聞く赤毛三つ編みおさげにシスター調の黒地メイド服の美女が、スカートの大きいスリットから綺麗な足をのぞかせ跪いた形で、一瞬の間に現れていた。

 背中には、黒く重そうな柄先が円形の聖印を象ったハンマーとも言える聖杖を背負っている。

 エンリの肩から手を放したアインズだが、ベッドから動かず、顔だけをルプスレギナへと向けると――駄犬と化した彼女の目が『ど、どうしよう』と床の彼方此方へと激しく泳いでいた。

 

「やはりお前か、ルプスレギナよ。……まあ、ここに居たことは不問とする。そして、二つだけ命じる」

「はい、何なりと!」

「分かっているな、一つ目はここで見たことは他言無用だ。……いいな?」

 

 絶対的支配者の命令である。否は無い。

 

「ははーーっ、私はここで何も見ておりません!」

「よし。では二つ目は、詫びにエンリ・エモットへ〈大治癒(ヒール)〉を掛けてやれ」

「はっ、では! じゃあ、エンちゃん行くっすよー、〈大治癒(ヒール)〉!」

 

 エンリの身体の周りに光が溢れる事、およそ15秒。〈大治癒〉は終了する。

 

「あ、あれ。身体が軽い。手の潰れたマメも消えてるっ」

「うむ。……よし、もういいぞ、ルプスレギナ。下がってよい」

「はいっ! では、アインズ様にエンちゃん、失礼いたしまっす」

 

 ルプスレギナは、一瞬でこの場より消えた。

 この日、ルプスレギナからの報告に、アインズの女性関係の項目は無かった。

 そしてアインズの今日一日が終わった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. マーレ、駄々をこねる

 

 

「じゃあ、後は頼むよ」

 

 クレマンティーヌをパンドラズ・アクター扮するモモンの膝上に寝かせ、ベッド脇で不可視化しているモモンがカルネ村へ移動する前に、残る二人へそう申し送った時である。

 マーベロがマーレとして告げてくる。

 

「あ、あの、僕も傍で御一緒に、じゃ駄目ですか?」

 

 例の至宝アイテムの存在がこれまでに決めていた事では不安だと、階層守護者のマーレを動かしていた。

 至宝アイテム『ケイ・セケ・コゥク』への対応は、まだ現時点では御方預かりとなっている。

 だから至高の御方の直ぐ傍で守りたいのだ。アインズは、その気持ちを理解する。

 されど、最後の移動先はカルネ村であるし、この宿屋にマーベロが居なくなると冒険者モモン一行として不都合が起こるかもしれないリスクが高まる。

 普通に考えて、マーレの意見は却下となる。

 

「ダメだから。心配するのは分かるよ。でも行先は拠点に近いし、今夜はもう動くつもりはないよ。明日は冒険者としての依頼もあるからね」

「で、でも、それでもお傍でお守りしたいんです」

 

 マーレの表情は小声の言葉のおどおどに反して、真剣そのものだ。

 先程、単独で動こうとした時の覚悟の大きさが分かる。

 間違いなく敵と刺し違える覚悟を持って敵地へ単身で向かうつもりだったのだろう。

 依然強い意志を持つ視線で、彼女は見つめてきていた。

 

(うーむ、どうしようか)

 

 いささかズルい手かもしれないがと思いつつ、モモンはアインズとして説得を開始する。

 不可視化のモモンは〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉を解き、アインズの姿になると――小柄なマーレを両わきの下から持ち上げ、眼前までマーレの顔を寄せさせる。顔が近くマーレの頬が少し朱に染まる。

 

「お前は私が――弱いと思っているのではないか?」

「い、いえ、そのようなことは絶対ありません。至高の皆さまは最強の存在です!」

「うむ。そうだな、私は最も強い。ならば、これから向かう拠点傍の比較的安全といえる所に、ここへ残っているはずのお前程の者(守護者)を常に随伴させた場合、周りの者はどう思うか?」

「そ、それは……」

「向かう先が敵地のど真ん中なら、お前の同行も当然だろうと皆納得する。しかし、そうでない場合、無用な不安を周りへ起こさせる場合もあるのだ」

「は、はい……」

 

 主の説得力のある言葉に、しゅんとなるマーレ。

 その彼女を元気付けるべく――不可視化のアインズはマーレを優しく抱き締める。

 

「――っ!」

「そんなに心配しなくても、強い私は大丈夫だ。それに、お前の力が必要な時には必ず傍に呼ぼう」

「は、はい。……分かりました。今日は、ここに残ります」

 

 アインズはゆっくりと素直になったマーレを前へと下ろしてやる。

 微笑むマーレの顔は、敬愛する御方に優しく抱き締められ真っ赤になっていた。

 だが、マーレは一つだけ問いかけてくる。

 

「あ、あの、なぜ今日、秘密結社と手を結ぼうとされたのですか? (下等生物は)ただ踏み潰せばいいと僕は思ったのですが……あっ、これは、あくまでも僕が愚考しただけです。是非、その崇高なるお考えを知りたくて……」

(なるほど、俺が逡巡して動きが緩慢になってきていると感じているところが、不安を大きくしているのかもしれないな)

 

 アインズは、己の良くない傾向に気が付いた。少し『妥協主義』が見えすぎたのかもしれない。ここはその緩慢といえる部分を逆手に取るべきだろう。

 

「はははっ、それは簡単なことだ。玩具をすぐに踏み潰して壊せばどうなる? 壊すのは簡単だが、明日からその玩具では遊べなくなるのだぞ?」

「……………あっ」

 

 

 

「玩具は長く楽しむものだろう? 壊すのは――――この私が飽きた時だ」

 

 

 

 その、絶対的支配者に相応しい圧倒的さ溢れる言葉に、マーレのオッドアイの瞳は、まさに崇拝し敬愛する方を見るキラキラとした憧れで満たされていく。

 

「は、はい。良く分かりましたっ! す、すみません、僕、本当につまらない事を考えてしまって」

「構わん。私がずっと先の事も十分考えている事を理解していてくれ」

「ず、ずっと、ずっとついて行きますっ、先をお傍で僕も見る為に」

 

 こうして、マーレの不安はアインズの崇高な考えにより無事に解消された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. その質問の果てに

 

 

 結局、カジットはモモンの所属する組織の名称について問うことはなかった。

 それよりも、『死の宝珠』の魔力量を目一杯にした事実の方が、ズーラーノーンにとっては何倍も重要なのだ。理念に直結する事象が優先されるのは当然の事である。

 だから今、聞くべきことはこれであるっ。

 

 

 

「――――マーベロ女史は……何歳かな?」

 

 

 

 カジットからの前後不明で突然の質問に対して、モモンはズレた感じに答えた。

 

 『えーっと、俺もクレマンティーヌの年齢は知らないけど。例えば――若いと言うより幼い、とても若い、若い、少し若い、まだ若い、若く見える、頑張ればまだ若いと言えるかもしれない、昔は若かった……そういう大雑把な括りでいいんじゃないかな』と。

 『そ、そういうものか』なぁと同じ30代の男は理解した。

 

 カジットの最後の質問への返しとして、モモンも一つだけカジットへ尋ねた。

 

 『貴方は集めた“負の魔力”で、何をするつもりなんだ』と。

 

 カジットは自分の真の目的についてはずっと他者へ口を閉ざしていた。しかし、目の前にいるモモンはこれまでに会った者達と次元が違う気がしたのだ。

 だがら、少しだけ話した。

 

 『ある死者を蘇らせたいが、通常の蘇生魔法では灰になってしまう。だから灰にならない研究をするために寿命ではなく――より長年研究出来る体が欲しい』のだと。

 

 どうやら対象者が、通常蘇生の〈死者復活(レイズデッド)〉ではレベルダウンのため灰になるLv.5以下の者らしい。

 するとモモンは何気にこう返した。

 

 『一応そういった一般の者が、灰にならない蘇生方法なら知ってますけど』と。

 

 カジットの両目は、眼球が零れ落ちる程見開かれていた――。

 

 

 

 何気に、忠実なる配下が増えていく予感がする……。

 

 

 




戦いは一体どこへ…………。モウスグモウスグ(タブン


再確認)『このナザリック坂を』駆け登り始めるカルネ村の指揮官
現在、カルネ村総軍の総戦力は帝国以上。

コマンダーエンリ(Lv.5)と直属の配下
デス・ナイト1体(ルイス)、ゴブリン軍団19体、特殊スキル持ち第二位階魔法詠唱者1名。そして最強の幼女1名(Lv.23の白きG、オードリーの護衛付き)

野伏(レンジャー)1名が率いる自警団約20名
新参(アイアン)級冒険者1名

あとは、Lv.83NPCキョウ率いる圧倒的なナザリック駐屯軍
蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)(Lv.60程)3体
デス・ナイト(Lv.35)2体

参)八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)(Lv.88)1体出張中
以上





考察)アイテム等の価値換算
ゴミアイテムという『小鬼(ゴブリン)将軍の角笛』が、新世界の交金貨で数千枚程の評価。
これが有名ですね。エンリや守衛に魔法詠唱者らが動揺するほどの価値です。
本作で、『叡者の額冠』の価値をどうしようかと思い、本作用に少し基準を考えました。
結論的に言うと、アイテムの価値はユグドラシル時代の評価(単位が金貨のみ)となります。
だから凄く高い。
そもそも、この新世界でゴブリンを倒しても銅貨で数枚ですので基準が合いません。
また『小鬼(ゴブリン)将軍の角笛』が交金貨で数千枚程は、恐らくユグドラシル金貨評価枚数の倍になってます。

そう判断した基準の一つに、書籍版3-407にてLv.100NPCのシャルティア復活に、サクッと『ユグドラシル金貨5億枚』というのがあります。
この額は新世界に来ても、ユグドラシル時代のままのようです。
明らかに異常な枚数です。
なぜ異常かと言うと、書籍版2-60で王国の交金貨32枚で家族三人で3年暮らせるとあります。
なので、庶民家庭の年収は約金貨10枚ぐらいではと考えます。
そこから王国900万人の国民総生産をどんぶり勘定で出してみたのです。
本作では、農民を含む庶民、商人や僅かな士族(冒険者も追加)、貴族、大商人、大貴族、王家たちはそれぞれ年収がインフレ的に高くなっていくと考えます。
一家庭4人として、225万世帯。
農民+庶民192万世帯で金貨2100万枚、商人24万世帯で1300万枚、他貴族+士族1.7万2200万枚、六大貴族3300万枚、王家1500万枚、裏社会7.5万世帯で360万枚。
税は、多くが7公3民ぐらいですかね……(モウゲンカイ生活 汗)
領地としては、王家が国土の3割、大貴族が3割、他の貴族が4割となっていますが、広さイコール収入ではありません。王家は貴族達が見向きもしない下地を多く持っています。また、ブルムラシュー候爵が書籍版9-126にて財力で王家を上回るともありますが、この財力は王家が大都市を3つ持ち維持費等が掛かる点から自由に出来る資金か蓄財ではと考えられます。とは言え、ブルムラシュー候爵は金貨850万枚ぐらいの生産力があるのかもしれませんね。

そんな諸々により本作では、王国民総生産が金貨約1億枚の想定となりました。(少なっ)

さて、少し話を戻します。
『最高級ユニット復活コマンド実行』にユグドラシル金貨5億枚。
ユグドラシル金貨は、王国や帝国等の金貨に対し2枚分の価値なので、王国の総生産の約10年分になりますね……(笑)
凄い世界の隔たりを感じます。

そしてここでですが、『最高級装備』自体、例えば神器級(ゴッズ)アイテムの価値はどうなるのかを考えます。
『最高級ユニット復活コマンド実行』と『最高級装備』自体の価値を比べると、『最高級装備』の方が高いと感じる人が多いと思います。
神器級アイテムの価値は、1点でも恐らく少なくとも10億枚以上だと考えます。
いや、Lv.100のプレイヤーでも中々持てないという話がありますから、評価的に100億枚以上の物も多いかもしれません。
ならば、更に別格な世界級(ワールド)アイテムだと1000億枚以上。二十だと、ユグドラシル金貨2000億枚や、5000億枚以上かも……。
一方下方は、伝説級(レジェンド)、聖遺物級(レリック)、遺産級(レガシー)、最上級、上級、中級、下級、最下級とあります。
それぞれ、1億枚、1000万枚、100万枚以上という単位順になるのでしょうか。
そうすると最上級は金貨10万枚以上、上級で1万枚、中級で1000枚、下級で100枚、最下級は金貨10枚や5枚以上……。王国等の価値観ではケツが少し高い感じですが、単位が金貨しかないユグドラシルのゲーム内では妥当にも思えます。
対して、この新世界では上級までは変わらず、例えば中級で金貨で300枚以上、下級で金貨5枚以上、最下級で銀貨1枚以上ぐらいならいいかなと。
まあ、単純に階級10倍として考察したので、本作内の一つの目安だと思ってもらえれば。

金貨数千枚の価値という『小鬼将軍の角笛』の真の力、ユグドラシルでは弱い部類のゴブリン(最大Lv.43)を多数呼び出すのは、レア度も入れて中級アイテムぐらいだと考えれば、辻褄は合いそうな気がします……。多分ゲーム上だと5000体も一度に出せないですよね。

ちなみに本作で『叡者の額冠』は法国金貨100万枚の評価ですが、ユグドラシル金貨では、底値で50万枚程度ということで評価は最上級~遺産級アイテム辺りかと。

漆黒聖典のメンバーの装備品は、遺産級(レガシー)以上の物も多いはずです。
しかし、人類の為という崇高である使命に忠実な彼等の中に、横流しして大儲けしようという姑息な者はいないようです(まあ、足も付きますかね 笑)
本作のクレマンティーヌの装備もトンデモナイんですけど、彼女もお金にはそれほど興味がない様子ですね……。





捏造)死の宝珠(Lv.40程度)
本作では、魔法量(負の魔力)は殆ど自己回復しないアイテム。
だから、集める事も好きなので世界へ死を撒き散らすことにもより積極的。
その総量は、カジットが目指したのはエルダー・リッチ(Lv.22~30程度)への転進には十分である。
またカジットにはインテリジェンス・アイテムという事は知られていない。
所有者(人間に限る)を操る力として〈感情操作〉〈思考操作〉を行なう模様。
因みにカジット単体だと、難度は110程。なのでカジット自身が死ねばそれなりに貯まる。
近年、もっとも大量死を必要としていた高弟はカジットであったが、もっと凄い御方に出会ってしまった……。







『マーレ、駄々をこねる』にて

パンドラ「……」

話は聞いている。

アインズ「(マーレ)……」
マーレ「(モモンガサマ)……」

ハグする二人。

パンドラ「!!?……(女性関係デ報告スベキィ?)」


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STAGE32. 支配者失望する/遠征ト新依頼ト会談ト(6)

注)モモンの声色と口調については、鈴木悟の素の声口調になっています。
注)この回の最後のP.S.は、食事中に読まないことをお勧めします(汗)


 城塞都市エ・ランテルの翌朝は、まだ空が暗い中でいつもより早く訪れていた。

 日が昇る前より、多くの者が起き出しており、この都市とそして王国の存亡が掛かると言える竜軍団の討伐へ向かう冒険者達の雄姿を見送り、少しでも鼓舞出来ればと門までの都市内の沿道に人々が徐々に溢れ始めていく。

 鼻が詰まり「ぷひーぷひー」といつもの如く鼻を鳴らして佇む、都市長のパナソレイもその一人である。

 夏の季節の早い日の出を1時間程過ぎた午前6時前頃、冒険者組合前の石畳の広がる広場に集結した冒険者達の出陣式へ護衛を伴い彼も現れていた。

 パナソレイも市民らと同じく王国民として、冒険者達へ厳しくとも大きい望みを託さずにはいられない。

 リ・エスティーゼ王国建国史上最大となるはずの竜軍団との大戦に、この都市でも現在一般兵に関しても緊急招集を周辺地域へ掛けている。だが、準備を整え第一陣予定の3万の軍を送り出すには1週間は掛かると思われる。その後、残りの1万5000は第一陣の2週間後の出陣を予定しているが、それまでに定数を揃えられるかは不明だ。この都市の守りを空にする訳にはいかず、守りの1万余を引いた上での出陣となるだろう。

 都市長も現実を分かっている。送り出す一般兵計4万5000の兵力が、世界最強種と言われる(ドラゴン)に対してどれほど無力であるのかを……。

 一般兵の彼等では、冒険者達に比べただただ焼かれ踏み潰されるのみ。難度の水準で考えれば正直――殺される事による時間稼ぎしか出来ないだろう。

 それでも今は送り出す準備をするのみである。

 王都には、これから20万余の一般兵達の他に王国内でも優秀な冒険者達が3000を超えて集結する。リ・エスティーゼの武力の多くが集結し決戦が始まるのだ。

 そこには王国が誇る英雄達、強さで名を馳せる近衛の王国戦士騎馬隊やアダマンタイト級冒険者達も集うだろう。国王陛下の許に集結した戦力は強大のはず。そこで何とか手を打ってもらえると期待するのみ。

 

 

 そうでなければ王国は、民の大部分が殺戮された上で確実に終わる――。

 

 

 同時にパナソレイは思った。

 

(今の王国の終焉的事態にも、届けられた書簡の文面上ではエ・ランテルを割譲してのスレイン法国や帝国への助力要請案は全く検討されていない様子。いや、陛下を含めた貴族会議で出せる議題ではないか……。誰が発言しても権威失墜につながる言動になりかねないのだから。……完全に我が国政は行き詰まり腐っておるな)

 

 忠臣的貴族ながら一都市長に過ぎない彼では、どうにもならない事が多すぎた。

 国王と王家は、懇意にしていた六大貴族のぺスペア侯爵家を、数年前の第一王女の輿入れで完全に国王派閥の中心へ組み込み貴族派と十分拮抗した状態へ移ったが、それだけに留めた。

 自領の益のみを優先する貴族達の前に、基本的に保守層中心の王政は長年停滞が続いている。

 更に近年、ラナー王女の発案である『奴隷制度廃止』を国王が賛同して押し進めた結果、超派閥で多くの貴族の間に小さい不満が溜まってきているのを感じている。

 そう、実際には派閥に関係なく多くの腐った王国貴族達が、奴隷制度によって陰で少なくない収益をあげていたのだから。

 『奴隷制度廃止』は民を思う美しい行動にも思えるが、王家に対しては最終的にプラスとなるかどうかについて、パナソレイは個人的に疑問が残る気もしている。

 民達も、更に酷い奴隷地位の者達がいればこそ耐えられた思いもあるはずで、それが今は無くなっているのである。また奴隷から解放された者達の多くも職はやはり劣悪の上に限られており、経済が下降線を続けるのなら遠くない先に、民衆全体の不満は徐々に貴族達や国王へと高まっていくかもしれない。

 反王派閥を初め、いずれ内部から崩壊するそんな要因の多さに頭を抱えつつも、今、外患により王国の完全消滅の危機に目を向けるべきと、パナソレイは思考をこれから始まる冒険者達の出陣式へと切り替えた。

 

 

 

 あと40分ほどで王都遠征へ出発する冒険者達を広場で見送る側に、白金(プラチナ)級冒険者チーム『漆黒』のモモン達はいた。彼らはまだ今日の午前中に、この都市での護衛の仕事が残っているためだ。

 広場を囲み見送る群衆の数は、既に万を優に越している。

 現在、宿部屋のメンバーでこの場に居るのは、モモンとマーベロ、そして不可視化したパンドラズ・アクターの3名。

 クレマンティーヌは今朝、都市外西方にある表面上は農園を営む法国の秘密支部へ一旦戻っている。漆黒聖典のセドラン一行の到着と、クレマンティーヌ自身のモモン達との接触について漏れていないかを確認する為であった。

 

 アインズは昨晩、カルネ村のゴウン邸でのんびりと一夜を過ごした。

 その中で、エンリとアインズは良い雰囲気に成り掛けるが、たまたま暇でその近くに居たルプスレギナの存在がそれを打ち砕いていた……。

 さらに、ルプスレギナが去った直後に――ネムが目を覚ましてしまう。ネムは昼寝を長めにしていた事と、一旦眠って15分程で眠気を飛ばす形でルプスレギナの「はいっ!」という声に起きたため、その後1時間に渡り起きてアインズと話をすることになった。

 そのためにエンリの方が先に、圧倒的力の雰囲気を持つ旦那様の傍ということで安心感が広がり、すやすやと寝落ちしてしまったのだ……。

 東の空が白む頃に、いつの間にか部屋へ居たキョウと起きたエンリへ向かいアインズは「そろそろ私は行かねば」と告げ、眠っているネムの頭を撫でるとゴウン邸を後にする。そしてナザリックへ30分程、白金(プラチナ)級のプレート複製と中位アンデッド作成のために寄ってからエ・ランテルの宿屋の方へ戻って来ていた。

 なお、法国に関しての情報報告はマーレの例もあるため、冷静なデミウルゴスへだけ概要のみ簡単に伝え、まだ支配者預かりとしている。

 一方、昨夜のエ・ランテルの宿部屋内では、常識的に考えると『モモン』が鎧のままでベッドに入る訳にはいかず、指示を受けていたパンドラズ・アクター扮する偽モモンは、御方が去った一時間ほど後に膝枕からクレマンティーヌを普通の枕へと移し横たえさせ布団を掛けると漆黒の鎧を外し、事前に用意されていたグレーのシャツにラフで黒紫のズボンという鎧を脱いだ服装姿で、仰向けにベッドの上へ寝転んだ状態で朝を迎えている。マーベロも、ローブを外し隣のベッドへ目を閉じた状態でじっと横になっていた。

 クレマンティーヌは、もちろん身体を動かされた事で目が覚めるも細目で鎧を外すモモンの姿を『あざとく』ウフフッと堪能した後、布団の上へ寝転んだモモンへと体を可能な限り摺り寄せて再び幸福の中、眠りについていた……。

 問題は朝、鎧を再装備したパンドラズ・アクター扮する偽モモンとの入れ替わりであったが、結局マーレによる1秒無い程度の〈時間停止〉を使い上手く平和に切り抜けている。

 その後、一緒に宿屋を出た所でクレマンティーヌとは別れていた。

 

 広場には、エ・ランテルの冒険者組合(ギルド)に所属する本日出発予定である(シルバー)級以上の冒険者チームが、使い慣れた装備を身に付け自前の食料等の入った荷物を持って集まってきていた。その数約100チーム弱、470名程。この都市の冒険者数の半分強だ。移送と移動に軍馬や馬車を用意している上級チームも幾つか見える。

 今日集まった冒険者達は、先日の様に上位であるミスリル級冒険者チームらを其々囲むような形にはなっていない。挨拶は短く終わらせ、皆が装備や荷物の最終確認を行なっている。

 冒険者達の命懸けの戦いは、もう始まっていると言えた。

 今朝は見送る側であるモモン達だが冒険者達の輪の中へ入っていく。一応ミスリル級と白金級の冒険者チームへの挨拶を手短に済ませながら歩を進める。なぜならチーム『漆黒』は組合でも新参者に加え、異例の昇級をしたことで十分有名となったチーム。ここは常識的に考えられる範囲で、王都到着の前に上位チームへこちらから面通しをしておく必要があると、リアル世界で営業マンだったアインズは考えたのだ。

 それ以外にも、見覚えのある金級、銀級冒険者チームへも通りがてら幾つか挨拶して回る。そして、最後に『漆黒の剣』の所を訪れた。

 ペテルらは(シルバー)級冒険者チームであるため、白金級へ昇格したばかりのモモンチームの立場はよく理解している。一気に追い越され後回しにされたことは少し寂しいが、それがこの世界での常識でもある。

 また、数段格上になったにも拘らず、わざわざ挨拶に来てくれた事は彼らにとって素直に嬉しい。

 特にニニャは僅かに頬を染めつつ、『モモンの女』として彼氏の来訪を心待ちにしていた……。

 彼女としてはメンバーに()()を話した後でしか知らせる事が出来ない事実でもある。なので、彼女は『まだ』前に出てはこない。

 ふとニニャは、モモンの傍にあの美人だが『殺気漂う淫靡な女』が居ない事に気付く。しかし、あの淫靡さの濃い女はチームの外で動いているという事を聞いていたので、不自然に感じることはなかった。そして少しホッとする。

 

「“漆黒の剣”の皆さん、おはよう。準備は大丈夫?」

 

 モモンもニニャの状況を理解しており、特に気負うことなくペテル達へといつも通りに声を掛けた。マーベロもいつも通りに「お、おはようございます」と手を繋ぐモモンの横から挨拶する。

 『漆黒の剣』のメンバーらも笑顔で「おはようー」と返してくれ、ペテルが代表して返事をくれる。

 

「ええ、万全……とは行きませんが、必要なものは何とか揃えられました。モモンさん達はどうですか?」

 

 まだ銀級である彼等は蓄えが余りない状況と言える。冒険者は報酬を得るまでは、あくまでも自己負担なのが辛いところである。王国の兵達のように寝床や食料が準備されたり配られる事もないのだ。すべてを自分達で用意し報酬を得るまで凌ぐことになる。

 一方金銭には全く困っていないモモンとマーベロであるが、ダミー用に僅かな着替えや食料を数食分用意した程度だ。彼等にとって、荷物は見せ掛けに過ぎない。はっきり言って装備があれば荷物など無くてもよい。

 

「俺達も大丈夫です。今すぐ出立でも問題ないかな」

「そうですか、それはよかった。しかし、恐らく王都を初め途中の都市や街では、戦時下で物価が上がってると思うので、これからの道中、我々は結構キツそうです」

 

 ペテルはチームのリーダーとして、少し渋い表情だ。

 確かに戦時下といえば、商人達が食料や生活消耗品を買い占めるのは良くある行為だと思われる。一応このエ・ランテルも都市長の名で買い占め禁止の布告もされてはいるが、完全に無くすことは不可能だし、庶民達も大きく膨らんでいく不安から買い溜めに走るのはあるだろう。

 

「ほんと、ひでぇ話だよなー。俺達は皆を守る為に今、なけなしの金を使って準備してるってのによー。(ドラゴン)の一匹でも倒さねぇと割に合わねぇって」

「確かに今回は、色々勘弁して欲しいところであるな!」

「でも……(ドラゴン)なんて、わたし達に倒せるのでしょうか……」

 

 ニニャの呟く本音の言葉に、ルクルットが両肘を曲げ両掌を上へ向け、『さぁねー』という表情で無言のゼスチャーを見せる。

 幸い周りはガヤガヤとしていたのでニニャの言動へ周りは気付かずにいるが、この場では相応しくない言葉に、『漆黒の剣』のメンバーで続きを答える者はいない。

 その彼らの視線は、その可能性を持つ目の前の漆黒の戦士へと向かう。

 

「まあ、結局戦いはやってみないと分からないものだと思うけど」

「――ですね」

 

 相手は(ドラゴン)なのだ、それも大集団の。しかし。

 本当に何気ない感じのモモンの言葉とそれにコクコク頷くマーベロに、ペテルは即、相槌を打つ。ダインやルクルット、そしてニニャの表情にも笑みが戻る。

 彼等は安心する。

 やはり、目の前に立つ漆黒の戦士モモン達は頼りになる――いや、この都市の『希望』かもしれないと。

 現時点では王都に到着後、どういう流れの戦いになるのか全くもって想像さえ難しいが、可能ならモモン達の傍でその戦いぶりを見てみたいと彼らは思う。

 戦ってみないとというのは本当だ。アインズは知っている。ユグドラシルでは彼等レベルの弱者でも、アイテムボックス内にある余り物の中位アイテムを使えば、出合い頭に下位の竜種くらいは楽勝で倒せる。

 ただこの世界にそんなアイテムが手軽にあるかは知らない。

 そして――その中位アイテムの方が、ずっと価値のあることを支配者はまだ気付いていないが。

 それとニニャには、Lv.88の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)1体を付けており、今も広場周りの建物屋上から不可視化で静かに見守っている。かの者に拮抗出来るのは竜王(ドラゴンロード)ぐらいだろう。おもに専守防衛を命じているので、『漆黒の剣』が(ドラゴン)を倒すことに協力するわけではないけれど、結果的に下位の(ドラゴン)達は“なぜか”圧倒的すぎる八連撃を受けて周りで死んでいるかもしれない……。

 モモンはペテルらと数分、『漆黒の剣』の行軍予定を聞いた。彼らは概ね遠征の先頭にそれ程遅れない形で進むと言う。確か1週間後に現地で再点呼ということだが、王都までの距離から1日45キロ程は進む事になる。時速5キロで朝4時間、昼5時間進めばいい距離。冒険者達の体力は一般兵よりもずっと高いので全く無理せず進む距離と言える。まあ、先頭は5日弱ぐらいで着くように動くはずである。

 

「さて、今日はこの辺かな。俺達も護衛の仕事を終らせて、午後か明日の朝には出発するから。また道中で」

「ええ」

「マーベロさんも、またねー」

「は、はい」

「モモン氏とマーベロ女史も良き旅を!」

「……モモンさん達も気を付けて」

「ああ。ニニャ達も――しっかりね」

 

 仲間への独白を秘めるニニャと兜越しのモモンの視線が一瞬交わる。

 術師(スペルキャスター)の二つ名をもつ若き魔法詠唱者は、コクリと小さく頷いた。

 「じゃあ」とモモン達は背を向け冒険者達の集団から、再び外の見送る側の民衆の中へと移る。

 遠征の指示を受けてなお、仕事でこの都市へ数日残るチームはモモン達を含めて僅かに5つである。彼等はチームで受けた依頼について、極力自らの手で終わらせたいという信用を重んじる連中に思える。その中で、白金(プラチナ)級の『漆黒』チームは最も上位であった。他は(ゴールド)級チームが4つだ。(シルバー)級は、この遠征へ遅れる事に不安が大きいということだろう。

 本日モモン達が行う依頼は、(カッパー)級の段階で受けたものだ。白金《プラチナ》級として『漆黒』チームが、今日の昼はまだエ・ランテルに滞在しているとどこから知ったのか、昨日夕方から最後の依頼をねじ込もうと密かに『漆黒』チーム指名で依頼が幾つか来るも組合側で全て断ったと先程知った。

 この都市で上位冒険者と言える白金級冒険者にもなれば、重宝され案外長期的案件も多い。そのため、今回は依頼をキャンセルせざるを得ない既存チームがほとんどであったようだ。更にこの遠征により、銀級以上の冒険者達の受ける予定であった大量の依頼もキャンセルされている。

 その中で処理可能と思える分を、この地に残る(アイアン)級や(カッパー)級が再度受け持つ事になっているのだが、冒険者組合側で強制的に調整され5チーム以上の複数チームで受け持たせる案件も続出しており、手が足りないほどの状況のようだ。

 都市へ残る下位冒険者らも、多くが命を賭ける仕事になるだろう。

 考えるに女一匹狼のブリタは、カルネ村へ移住を選択して正解だったと言える。

 この非常時である。どれほど過酷で長期の組み合わせになるか。まず連日、難度の高いモンスター戦。そしてそれに生き残っても、大人数の荒くれた男達に囲まれて幾夜過ごすことになる事か……モモンと再び笑顔で会えなくなる確率は非常に高かった。

 ただ、そういった過酷である下位冒険者らの境遇が考慮された。急遽、報酬については遠征期間に限り2倍へと増額されている。冒険者組合と魔術師組合に商業組合、そして都市行政からの援助で補填されることになったのだ。実績についても緊急時の貢献度が増えて評価される予定である。

 対して今回の遠征に出る者達も(ドラゴン)を1体屠れば金貨300枚以上を得る。5人のチームで達成しても一人当たり最低で金貨60枚。数年は遊んで暮らせる。

 そしてメンバーには、竜殺し(ドラゴンキラー)の名誉も得られる。それは冒険者の夢であり、英雄に次ぐ二つ名とも言える。

 また1体倒すことで確実に大きく実績へも加算され、冒険者チームとしてもミスリル級までなら最低でも一階級は上がる事だろう。下級であるほど飛び級も有り得る。

 昇格直後のオリハルコン級チームですら、一戦で4、5体も倒せばアダマンタイト級に昇格できる実績となる。

 だが、あくまでも『1チームで倒せれば』の話である……。

 現実にはそれ以上の数の(ドラゴン)が周辺に居る訳で、負傷や疲弊する中、尋常ではない状況を生き延びねばならず、本当に実力が無ければ即、死である。

 複数チームによる撃破も達成となるが、モモンらの盗賊団の件のように実績は報告される情報や内容が考慮され判断される。また実力の伴わない昇級をしても、妬みや仕事で早死にするのが冒険者の世界の常識だという事を皆、良く知っていた。

 モンスターとして、難度以上の高い実力を持つそれほどの強敵(ドラゴン)に彼等はこれから挑むのだ。

 

 さて、今日も2日前の集会と同じ様に、集結した冒険者達の前には小さめの白い舞台が広場の一角へ引き出されていた。

 その壇上に、まず都市長のパナソレイが上がっていった。良く晴れた空へ登り始める角度の低い朝日により、彼の随分と薄くなった頭は光を増し輝く。そしてダレた貴族の見本とも言えるその限りなく丸い体躯と出張ったお腹を揺すりつつ一言述べる。

 

「ぷひーぷひー。としちょうの“ぱなそれい”だ。みな、がんばりたまえ。このとしのめいうんは、きみたちにまかせた。ぷひー。いじょうだ!」

 

 都市長はそれだけ言うと、ヨタヨタしながら舞台を降りて行く。

 周辺からは、ぱらぱらと拍手が聞かれる程度で、全く盛り上がらない……。

 本当のパナソレイは、もっと民衆の事を深く考えしっかりしているのだが、多くの人前ではこういった軽んじられる態度を取っている。今日は特にだ。

 なぜなら、冒険者達へ『貴族達は当てにならない、自分達でやるんだ!』という気概を強く持ってもらうためにである。

 表面上まさに頼りにならないブタ貴族の都市長が下がると、次に正反対とも言える対比の激しい凛とした人物が動き出す。

 灰色で少しアフロ風の髪と口髭を蓄える冒険者組合長のプルトン・アインザックが壇上へゆっくり上がって行く。

 彼の首には漢の宣言通り――煌めくオリハルコン級のプレートが再び掛かっていた。

 そして集った者達と同様、5年ぶりの冒険者姿である。両手にガントレットを付け、深緑色の戦闘衣装で背に一本の大剣を差して装備を固めている。

 遅れてもう一人、同じ階級のプレートを首へと下げた魔術師組合長テオ・ラケシルも、高級感ある黒灰色のローブを羽織った装備姿で壇上にあがった。

 

『おおおおおーーーーーーーーーーっ!』

 

 その気迫満ちる精悍な顔付きをした歴戦さを感じさせる舞台上の男達の姿に、見送りの群衆を含めて広場全体から歓声が広がり大いに湧く。

 アインザックは、集まっている冒険者達を静かに見回すと、軽く右手を上げる。ほどなく周囲の喧噪は鎮まっていく。エ・ランテル最高の冒険者の言葉に皆が静寂をもって傾聴する。

 彼はいつもの組合長とは異なる、気合の籠った冒険者としての口調で語り始める。

 

「いよいよ我らはこれより、王都に向かって移動することになるっ。皆、準備はいいか!」

 

『『『おおーーーーーーーーーーっ!』』』

 

 前方に陣取る5組のミスリル級冒険者チームらを初め、後方の(シルバー)級冒険者達までが拳を握って声を上げ応えた。

 それを受けてアインザックは告げる。

 

「この都市に住む、多くの同胞と友人達よ。我々は(ドラゴン)の軍団をこの国から撃退するまで―――この場所へは戻らないっ。だから、見事生きて再び戻って来た者達を街の皆で大いに称えてやって欲しい! そして、遠征に出る冒険者の諸君―――皆、栄誉と富を手に生きて帰って来るぞ! さあ、ミスリル級の者達から全員この私、オリハルコン級冒険者アインザックへと順に続けいっ!」

『『『『うおおーーーーーーーーーーっ!』』』』

 

 大きく広がる喧噪の中でアインザックが鋭く口笛を吹くと、背に荷物を載せた一頭の灰色の軍馬が白い舞台の前へと走り込んで来る。彼は40代とは思えない身軽さで、壇上から愛馬へと華麗に飛び乗り手綱を取ると叫ぶ。

 

 

「エ・ランテル冒険者組合王都遠征隊、出発ーーーっ!!」

 

 

 アインザックの騎乗する馬が先頭として進み始める。

 次に続く形で舞台上のテオ・ラケシルは、〈飛行(フライ)〉を使って軽やかに宙へと舞い上がる。

 それに続き、イグヴァルジ率いるミスリル級冒険者チーム『クラルグラ』、ベロテ率いる『天狼』、モックナック率いる『虹』ら以下、白金(プラチナ)級、(ゴールド)級冒険者チームらと続いた。最後に(シルバー)級冒険者達が続く。

 アインザックは広場から南側へ向かう大通りを抜け、一度第二城壁門へ入り、一般民衆の多く住む第二城壁内の大通りを半周以上北上する形で回り、数キロに渡り沿道に並んだ民衆達へ冒険者組合遠征隊の雄姿を目に焼き付かせる。

 おそらく最善を尽くしても――このうち多くの者は自分を含め、ここへ戻らないだろうという思いを秘めて……。

 

(……やはり美しいな。我が故郷、エ・ランテルの城壁と街並みは。しかし――これで見納めか……)

 

 アインザックは、沿道に愛しい妻や子供達身内らの並ぶ通りを過ぎると、その掛け替えのない姿を記憶へ刻むように一度目を閉じた。

 オリハルコン級冒険者まで(のぼ)った彼の経験からして、300体もの竜軍団は余りにも強大過ぎる。50体ぐらいまでなら、王国内の2組のアダマンタイト級冒険者チームと全冒険者達でなんとか出来ると計算も立つが、300体は余りにも多すぎる数と言えた。

 彼のチームは嘗てカッツェ平野で、難度で80を超える死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)さえも倒した事があるが、(ドラゴン)達の実力はそれを軽く凌ぐはず。なにせ、たった1体でも伝説に上がるほどの存在なのだ。

 それにアインザックはまだ知らない。その竜軍団を率いる余りにもこの世界では規格外の『竜王(ドラゴンロード)』という存在を――。

 エ・ランテルで最高位の冒険者を先頭に、勇壮なる500名弱のエ・ランテル冒険者組合王都遠征隊は、第二城壁内を北側の門から抜けると1キロ程第三城壁内を進んでモモン達が良く通る第三城壁の北西門を潜り街道へ出ると、王都までの遠征を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 モモンとマーベロは、引き受けていた最後となる5つ目の護衛の仕事を無事に終える。

 その仕事は銅級冒険者の時に引き受けたものである為、そもそも難易度は低かった。

 内容は、馬車1台の荷と依頼主である商人1名について、大都市エ・ランテルから南南東へ15キロほど離れたカッツェ平野に少し近い街までの往復の護衛である。偶に草原の狼(グラスランドウルフ)の群れやゴブリンの小集団が出る事もあり、報酬は金貨3枚銀貨5枚。

 結局、馬車による移動もあり、また途中でモンスターや盗賊達に遭遇することもなく往復5時間半ほどで滞り無く完遂出来た。

 帰還し第二城壁内にある依頼主の店から去るモモンとマーベロは、相変わらず仲睦まじく手を繋ぎつつ、完了報告をするため真っ直ぐに冒険者組合へと向かう。

 ちなみに別行動中のクレマンティーヌと再び落ち合う場所は、モモン達の宿部屋となっている。もしセドラン達との合流が早い場合は、漆黒聖典の合流場所となっている王都北東部にある森林まで、もう連絡は取らない予定だ。途中で無理に連絡を取る危険を冒すよりも、分かっている到着地点で落ち合う方が確実である。

 その場合は一気に『兄暗殺ステージ』に突入することになるが、あの豪胆なクレマンティーヌのこと、「分かったー。じゃあモモンちゃん、一緒に()ろうねっ」という感じの流れとなるだろう。

 あとは、漆黒聖典の合流場所が急に変わった場合だが、一応セドラン達の戦車の動向はナザリック第九階層の統合管制室にて『遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)』でも追い掛けているので何とかなる。

 最悪、第五階層にいるニグレドの探知能力を利用する手もある。耐寒装備かアイテムを持たせたネムを同行させれば何も問題はない……きっと。

 冒険者組合へ着くと二人は、受付で依頼内容の無事完了をいつもの受付嬢へ申告した。

 彼女は、慣れた手順で台帳を確認すると終了処理をしながら頷き答える。

 

「はい、問題ありません。依頼内容は無事に完了です。お疲れさまでした。モモンさん、マーベロさん」

「どうも。すんなり終われてよかった」

「は、はい」

「モモンさん達は、これから遠征ですよね? すぐに出発するのですか?」

「んー」

 

 遠征隊の見送りもそこそこに朝7時からの依頼であったため、今の時刻は昼を30分ほど過ぎたぐらいである。

 モモンは少し『人間らしく』気楽に答えた。

 

「そうだなぁ。とりあえず、マーベロと昼食を取りながら考えるかな」

「そうですか……。あの……気休めかもしれませんが、大盗賊団を討伐したモモンさん達なら、(ドラゴン)でもきっと倒せると信じてますから……そ、その、頑張って下さいっ」

 

 いつもの曇りのない笑顔と違う彼女の表情と、胸元で力が入って握り合わせる両手から、何かに縋りたい思いが十分伝わってくる。この受付嬢の娘も不安なのだ。

 冒険者達が敗北すれば、王国は終焉だろう事をこの組合で働く彼女も知っているから。

 そう言われたモモンだが、戦いに対して素直に気合を入れる程ではない。

 単にナザリックの戦力水準で考えれば、竜王を含めたあの300体の竜軍団ですら、アインズやルベド、アルベドら階層守護者達なら一人か二人いればほぼ確実に圧倒出来る。特に今のルベドなら単騎で、半分も力を出さずに短時間で片付けてしまえると思う。全力装備のシャルティアでも同様の結果となるだろう。

 正直――全然大したことはない。ただし、油断は危険だ。

 未知の世界級(ワールド)水準のアイテムを保有している可能性は十分ある。心配はその一点に尽きる。

 一方で、その脅威が無いとしても、現状で大した戦力が見当たらず怯える王国は、まさに何かへ縋らざるを得ないだろう。

 アインズはすでに、王国内でたった2組しかおらず最後の希望と言えるアダマンタイト級冒険者チーム、『朱の雫』『蒼の薔薇』が揃って、竜軍団長である煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)へ対し全く歯が立たない事を知っている。

 国王や王家の者、貴族達や一般兵力も戦力で考えると押しなべて脆弱でしかない。

 アインズが待ち望む『一大人類国家の苦戦によるユグドラシルプレイヤーの参戦と邂逅』という劇の舞台(ステージ)は順調に整いつつある。

 ただ、現在集結中であるスレイン法国の漆黒聖典と至宝を使う老婆は、竜軍団に対しても抗力が十分にあるとクレマンティーヌは言っていた。

 そのため、スレイン法国の奴らは、明らかに邪魔である。

 まず今回の大事な『舞台(ステージ)』を守る意味で、モモンは受付嬢へ自信を持って答える。

 

「ありがとう。出来る限りの〝最善〟を尽くすつもりだから――祈っていてください」

 

 漆黒の戦士の返事に、受付嬢の表情が僅かに柔らかいものに変わる。気休め程度ではあるが。

 彼女へ違う意味で告げるも、モモンの言葉は『本当』でもある。

 絶対的支配者アインズ・ウール・ゴウンとしては、王国に人的資源と王都周辺へは少なくない被害を出させてしまうが、この国が偶然ながらもこういう機会を提供してくれている事実とアインズの名誉向上の好機というメリットの面、そしてカルネ村やエ・ランテルを現状で当分維持する為に加え一応王国戦士長の故郷でも有る事から、最終的に王国側で参戦し助けるつもりではいる。

 

 

 

 冒険者組合を後にしたモモンとマーベロだが、昼食は取らず宿屋へと向かう。

 その道程で手を繋ぐマーベロは、昼食を取らないのかなと幾度かモモンを可愛く見上げるも、途中で飲食街へは寄らない経路から、受付嬢への言葉はブラフだったのだと気付く。

 モモンもその可愛い仕草に気付き教えてあげる。

 

「ああ、そうか。このまま宿屋へ戻るよ」

「は、はい、モモンさん」

 

 もちろんマーベロは御方の行動を支持し、主の受付嬢への言葉について今後の参考とする。

 モモン達は、このあと宿屋に置いてある遠征用の荷物を持ってチェックアウトする予定だ。

 宿屋へ戻ると、1階カウンターにいた宿屋の主人からは何も告げられなかった。

 

(……クレマンティーヌは〝やっぱり〟戻らずか……)

 

 階段を上がる途中でマーベロが「あ、あの、部屋には誰もいません」と教えてくれた。

 そのまま3階の借り部屋の扉を開けて、彼女が戻って来ていない事を最終的に確認する。

 ただし、これは想定済である。

 アインズは、今朝ナザリックに戻った時にセドラン達の戦車の位置についてすでに統合管制室責任者のエクレアへ確認し報告させていた。それは昨晩の内に、エ・ランテル近郊へ到達し移動を数時間停止しているとの事で、この状況は予想出来た。

 ただ、クレマンティーヌにはナザリックの存在を打ち明けておらず、戦車の到着に関して事前に知らせることは出来なかったが。

 

「あ、あのモモンさん。クレマンティーヌさんの状況が気になる様でしたら、僕が見てきましょうか?」

「いや、いいよ。まあ大丈夫じゃないかな」

 

 マーレは、モモンガ様直属の配下でズーラーノーンとの窓口や御方が欲する漆黒聖典の最新情報を得るために必要な人材のクレマンティーヌが、不手際で法国側に捕まりいなくなれば、モモンガ様が御不快になるのではと気を利かせる。

 しかし、今まで事を上手く運んでいるクレマンティーヌである。あと、マーレがしくじるとも思わないが、正確な位置を知らない秘密支部の周辺にとんだ罠が無いとも限らない。

 王都の北東にある森林で落ち合うことは、今朝の別れ際に『もしかの場合に』と告げてあり問題ないはずだ。

 

「さて、マーベロ。ここを出る前に少し王城側の確認をするから待ってくれる? それが済んだら出発しよう」

「は、はい」

 

 昨日の夕方に王都を離れてから、王城駐在メンバーから緊急の連絡は来ていない。定時連絡制ではないので上手くいっていると思われる。

 モモンは左側のベッドへ腰かけると、一応小声で語り掛ける。

 

「〈伝言(メッセージ)〉。……ソリュシャン・イプシロンよ、私だ。今、エ・ランテルの宿部屋にいる。そちらの様子はどうか?」

 

 本来ならばプレアデス副リーダーのユリ・アルファへ繋ぐのが筋だ。しかしここは、至急ということで盗聴も出来ているソリュシャンに確認する方が、短時間でより情報を得られると考えた。

 

『これは…………。失礼いたしました、アインズ様。昼食の片付けでツアレが傍におりましたのでバルコニーへ移動しました。こちらの状況ですが、特に問題はございません。本日も、城内は慌ただしいようですが、特にめぼしい動きは見受けられません。これから、食後のティータイムの後、昨日出来なかった姉妹共々馬車で王都内の回遊を行う予定です』

「そうか。……ラナー王女はあれからどうしている」

 

 今、王城内で要注意なのは、あの者ぐらいである。

 戦力としては非力だが、王族であり智者。油断すれば、国王や王子、力のある大貴族達を結果的に動かし、アインズ一行の名誉を失墜させた上で王城から叩き出す事もしてくるかもしれない。

 何と言っても王城の一室から余り動かずに、アインズ一行の力を推し量った上で、竜王の前へ使者の護衛として引き出そうとした、多局面を見通し動かす遠謀には一目置いておくべくだと考えている。

 すると、ソリュシャンは伝えてきた。

 

『あの戦略会議の後ですが、盗聴した会話から蒼の薔薇のリーダーに付き添われ、自室へと戻っています。慰めの言葉を掛けていた蒼の薔薇のリーダーが退出したのち、蒼の薔薇との会見の場にいたクライムという少年を呼ぶとしばらく話をしたくらいですね。ただ、その内容が――アインズ様との歩み寄りを望んでいる感じでありました』

「ほう……」

 

 支配者の眼窩(がんか)に収まる紅き輝きが幾分細まったかのように見えた。

 しかし、凡人のアインズとしては、まだ参考的部分の多い話と捉えている。相手は智謀の要注意人物である。こちらの盗聴すら見越し、何かへの布石かもしれないのだ。

 

『今朝も蒼の薔薇のリーダーと少年剣士は部屋へ来ていました。あとは使用人2名が出入りしております。今のところは竜軍団への戦術面の話や、お茶会の中での天気等の雑談事ぐらいでしょうか』

「そうか……分かった。引き続き頼む、以上だ。ではな」

『はい、畏まりました』

 

 ソリュシャンの返事を聞くと、モモンは〈伝言(メッセージ)〉を切った。

 どうやら状況はクリアである。

 モモンはベッドから立ち上がる。すでに、マーベロは壁際に置いていた遠征の旅への荷物を背負っていた。

 

「じゃあ、そろそろ行こうかな」

「は、はい、モモンさん」

 

 モモンが偶然とは言え、今日の護衛仕事をキャンセルせず残したのには幾つか理由がある。

 まず大きい理由として、遠征団に対しかなり遅れて都市を出るので、同行する冒険者達はほぼおらず、とりあえず王都までの道程をショートカットし易い。その為に、モモンはニニャと再会の約束もあるので『漆黒の剣』の予定を確認している。

 次に、冒険者組合で組合長のアインザックとの会見の場で動じない雰囲気をより見せられると考えた。

 もちろん、新生白金級冒険者『漆黒』チームの一度請け負った仕事への責任感の高さも十分に演出できるメリットが付いていた事も気付いている。

 加えて――今回はゆっくりと動いた方が多局面を見渡せて動けると読んだからだ。

 混乱した渦中だと、周辺の突発的流れに押され、急かされて付いて行ってしまう場合が多い。少し距離を置き、事態の状況を外から冷静に判断出来る位置にいたいと絶対的支配者は考えた。

 

 モモン達は、宿屋1階のカウンターで部屋の鍵を返してあっさりチェックアウトの手続きを終える。

 カウンターへ着いた冒頭で宿屋の主人は、「あの怖いねーちゃんはいないんだな?」と聞いてきた。「ああ。急ぎの用事でこの街も出てるんじゃないかな」とモモンが返すと「ふぅ、そうか」と安堵やコリゴリという雰囲気を一瞬させた。

 最後に宿屋の主人がモモンらへ申し送る。

 

「本当のところ、あんたら二人にはずっとこの宿屋へ居て欲しかったが――白金(プラチナ)級の冒険者が泊まるには、やはりここは手狭だと儂も思う。今日まで泊まってくれてありがとよ。竜退治、頑張ってくれ。あんたらなら竜殺し(ドラゴンキラー)の二つ名を引っ提げて凱旋してくると信じてるぜ」

 

 都市でも、その名が通り始めたモモン達の滞在は、この宿屋の満室率アップにも繋がっていた。そして、街の存続の為にとの願いも添えられている。

 

「世話になったね。吉報がここにも流れるように願ってて欲しいかな」

 

 モモンはそう無難に告げると、マーベロを連れて宿屋の扉を出て行った。

 不可視化したパンドラズ・アクターも伴い、彼らはいつもの経路を進むと毎回通る第三城壁の北西門を潜る。

 白金級に昇格したモモン達へ、「頑張ってくださいよっ!」「夜は程々にお願いしますぜっ」と言葉遣いが幾分丁寧になるも、明るくいつものように衛兵の皆が親指を立てて見送ってくれた。漆黒の戦士の顔には思わず「ふっ」と微笑みが浮かぶ。

 顔なじみの居る場所は、やはり居心地が良い。それも零から自分達で築いて来た関係であればこそと思える。

 顔なじみの小動物が増えてきたという感じではあるが、悪くない気分であった。

 その街を後にする――と、門を出て50メートル程のところで、道の脇に止められていた2頭立ての6人乗り程でブラウン系色の箱型馬車に気が付いた。王国では見慣れない緑系の色彩をした装備姿の衛兵が2名ほど脇へ立っている。

 マーベロと手を繋ぐモモンが、歩いてその横を通り過ぎようとした時だ。

 

「もし、あなた方は冒険者の方ですね?」

 

 馬車の窓越しから突然、美しくもそんな声が掛けられ、そして側面の扉がゆっくり開く。すると、モモンでも綺麗だなと思える優しい表情と上品な緑系のどことなくアラビアンの踊子風衣装を身に付けた、薄緑色の長い髪の若い女性が降りて来た。身長は165センチ程だ。

 彼女は両側へ屈強然とした衛士を従えて、立ち止まっているモモン達の横まで来る。

 

(ん、なんだ? ……どこか近郊の貴族の娘かな?)

 

 まず彼は、普通にそう考えた。

 しかし、続く彼女の力の入った真剣さ籠る一言で御方の思考は一瞬混乱する。

 

 

 

「助けてくださいっ、――――我が竜王国をっ!!」

 

 

 

「……はあ?」

 

 モモンは話の前後が全く無いため思わず首を傾げて、そう返してしまった。しかし、すぐに思い返し言い直す。相手は貴族かも知れず、この後予定が立て込む中、無礼で罰せられては堪らない。

 

「あ……えっと、確かに俺はエ・ランテルの冒険者組合に所属している白金級冒険者“漆黒”チームのモモンと言います。こっちの彼女は相棒のマーベロ。無礼ながら唐突過ぎて話が全く見えないので、まず聞かせてもらえますか。貴方はどなたで、ここで何をしているのかを」

 

 するとその女性は、僅かに悲しさを目許に浮かべ「白金級……ですか」と呟く。彼女はモモン達のとても立派な装備と巨躯の戦士の体躯に大剣等装備の重さを感じさせない身のこなしから、もっと上の階級だと思ったのだ。一度少し視線を下方へ落とすが、選り好み出来る状況に有らずと、後方にそびえ立つ巨大なエ・ランテルの城壁と強固に構えられた門を一通り眺め何かを決意する。視線を戻し、目の前の冒険者達を見つめながら静かに、そして手短に話し出す。

 

「私は、ザクソラディオネ・オーリウクルスという者です。この国の南東に位置する竜王国から急ぎ、このリ・エスティーゼ王国の勇敢と信じる冒険者の方々への依頼主として来ました。我が国は現在、東方側に隣接するビーストマンの国からこれまでに無い度重なる大規模な侵略を受けています。我が国の兵達も冒険者達も、精一杯戦っているのですが食い止める事で精一杯の状態です。敵は強い上に数が余りに多すぎて……。このままでは、我が竜王国の民達はそう遠くない内に皆、かの者らの胃袋に入ってしまいます。ですから、なにとぞ協力を頂きたいのです」

「なるほど……」

 

 話は分かり易く、良く理解出来た。

 しかし――聞かせろと要求はしたものの、この内容を一介の冒険者の自分に言われても困るというのが、モモンの率直な感想だ。

 この聡明に見える女性は、なぜエ・ランテルの冒険者組合へ伝えないのか……と考えたところで、既に昼を優に越えた時刻とこの馬車の現状にモモンの思考は戻ってくる。

 また人を勧誘する場合、マイナス事項は余り先に出したくないものだ。

 

(すでに伝えたが、断られたということかな……)

 

 まあ当然だろう。現在王国も城塞都市エ・ランテルも、他国どころではないのだから。

 そして残っているエ・ランテルの冒険者達も、鉄級と銅級のみで彼等もすでに仕事量が一杯一杯である。

 加えて、この後の大戦で大きく目減りするだろう冒険者達だ。先を見ても竜王国への遠征は実現されないだろう。

 そう考えて、モモンは提案する。

 

「……あの、組合で聞かれた通り今の王国に一切余力は無いかと。恐らくバハルス帝国やスレイン法国へ救援を依頼する方が現実的だと思いますけど?」

 

 それを聞いた目の前の女性の顔は、ハッキリと渋い表情になる。

 聞きたくない言葉を伝えられたという感じだ。

 

 『それはもう残った選択肢にないです』と彼女の雰囲気から伝わってきた。

 

 なぜなら竜王国はスレイン法国へ、毎年結構な額の国費を寄進した上ですでに救援を依頼済みも音沙汰がない。そして法国には冒険者組合が無いので頼みようもない。またバハルス帝国とは昨年、一度だけ小規模で救援を受けた際、最短の進撃路に飛竜を操る『蛮族』の地があるため、カッツェ平野を迂回し南下して来る必要があり、費用が嵩んでしまった。さらに国家予算における軍事費の増大で長年火の車である竜王国は、一方的に値切り倒すという金銭トラブルを起こしており再度の要請にどれだけ応えて貰えるだろうか。そして、受けて貰えたとしてもどれほどの代償を吹っかけられるか、国の財務部が怯えることになるだろう……。また、帝国の冒険者達は前述の事から報酬を値切られそうな竜王国への関心はない上に、王国に比べると低質だとも聞いている。

 そのため、すでに行き場がなくザクソラディオネは、寂しくこの場に残っていたのだ。

 

 実は、先日竜王国の宰相が女王へ突拍子も無い「いっそ他国の冒険者にも募集を掛けてみては?」との案を述べた数時間後に、ビーストマンどもの大規模な総攻撃が始まりだしたと東方の3つの都市から続けて順に早馬が飛ばされてきたのだ。

 そのため、この募集案が急遽真剣に検討され、そして交渉が円滑となるべく使者として、異例とも言える王族の者が抜擢され、リ・エスティーゼ王国へと非公式で送り込まれて来ていた。

 ザクソラディオネは、竜王国女王ドラウディロン・オーリウクルスの少し歳の離れた妹であり、王女殿下である。

 でも、竜王国の女王の名前まで知らないモモンには、彼女は只の文官の使者に見えていた。

 そんな、国の命運を急遽託された高貴である彼女だが、組合での結果はなんと――門前払い……。

 このままでは女王の姉や宰相を初め、多くの臣達に合わす顔が無いと、彼女はもはや個人的にでも王国の優秀で力のある冒険者を多く引き込めないものかと考えて今を迎えている。

 年若く綺麗で王宮にて箱入りで、男性経験の無い未婚の彼女が使者へと選ばれたのには、それなりの理由がある。

 女王ですら、報酬替わりとして自国のアダマンタイト級冒険者リーダーからの、度重ねて徐々にエスカレートする恥辱的要望(謁見)について飲まざるを得ない程の逼迫した国家予算状況である。

 当然、今回の依頼も――宰相の計画通りに格安まで値切った上で、組合には長期分割払いが提案される予定であった。

 そして、その酷い交渉を纏める為に、彼女は幾夜かに渡り関係各所の男達へとその美しい肢体を活用せざるを得ないと考えていた。姉や祖国の民達のために……。

 まあ結局は、そこまでの交渉にすら辿り着けなかったのだが。

 そういう時に出会った一組の白金級冒険者チームである。逃すわけにはいかない。

 でもこの時、ザクソラディオネ一行の所持金は交金貨で僅かに3枚。限界まで切り詰めても帰路の旅費を考えれば余剰金は交金貨でたったの2枚だ。

 王国でなくても常識的なギルドの相場だと、竜王国までの旅費を考えた時点で(カッパー)級の冒険者チームを1組雇う事すら無理だろう予算と言える。

 ザクソラディオネは、その貧困的情けなさに顔を赤くするも、正直に告げる。

 

「今は、我が国の戦費が嵩みすぎて十分な支度金すら用意出来ません。しかし、そこをなんとか、無理を承知でどうか何とぞ、お力をお貸しください。そして、お知り合いの方々も出来る限り呼んで頂ければと。もし――」

 

 この時、ここは城壁門から見える位置であったため、モモン達が見慣れぬ者達に呼び止められているのを見て「なにやら揉め事か?」と門の衛兵らが数人様子を確認しに近付いて来ていたが、彼女は構わずチームリーダのモモンへと頭を下げながら告げる。

 

「――それが叶えられるのなら、私個人で今日出来る事なら何なりとして差し上げますから――」

 

 彼女が鮮烈に口走った意味深な内容に、両脇を守る衛士達が目を見開きギョッとする。

 城壁門から来た衛兵達も、立ち止まり固まる……。

 周辺にいる者達は、マーベロを除き全員が男であった。

 門の衛兵の若者が、目の前に立つ清楚で若く美しいザクソラディオネの女性らしい身体を見ながら『ゴクリ』と一つ唾を飲む。

 その音が周りにも小さく聞こえ、彼女を護衛する衛士達の目すら幾分泳がせた。

 対して、そこまでの覚悟で願いを告げられたアインズ扮するモモンであったが――。

 

(うーん。初見の知らない子だし、そこまでする義理なんて全然無いよなぁ)

 

 この場を表現するなら、『見慣れぬ小動物に纏いつかれてエサをねだられた気分』が一番近いと思う。

 そして、ねだってきた小動物は『綺麗』である。

 ここで気になるポイントは『可愛い』とは少し違うということだ……。

 それに至高の御方には今は先にやっておくべき大切な事が山ほどあった。

 なので、アインズは『漆黒の戦士』として『まず』こう答える。

 

「ざくそら……でぃおねさんでしたっけ? 貴方の大変さ真剣さは十分伝わりましたよ。しかし――俺達はこれからエ・ランテル冒険者組合の一員として竜軍団討伐への遠征に赴かなければならないんです。エ・ランテルへ残って守る友人達のためにもね。だから、力を貸すことは出来ないかな」

 

 顔なじみのモモンが語る漢の言葉に、目の前の女へ少し欲情し掛けていた城壁門からこの場へ来ている衛兵達は、「おおっ」と皆正気に戻る。

 対する依頼側のザクソラディオネは、たった一筋残っていた光明が消えた事で、目に見えてガッカリした表情へと変わる。これからどうすればいいのかと。

 しかし、モモンの思考の中へは、まだ彼女に残されている手立てが浮かんできていた。

 

(確かに、エ・ランテルの冒険者達は残っていないけど――まだワーカー達は残っているはず。でも、王国のワーカー達は元々かなり少数だし、質も低いんだけどな……)

 

 ワーカーらの質が低いと言うのは腕前もあるが、人間性もである。

 竜軍団の噂を聞いて恐れをなし、即日帝国内へ逃げた者らも多い。彼等は当然の如く、金と女に飢えている。

 彼等へ依頼したとすれば、この目の前の美しい女性は間違いなく数日間、そんな荒くれの男達に散々散らされることだろう。

 まあでもそれは、あくまでもギブアンドテイクだ。

 ただ、この彼女の依頼について良く考えると、今のリ・エスティーゼ王国の状況に酷似しており『国家存亡の危機』と言える状況である。救えば確実に周辺へ名が轟き名声は上がることだろう。

 

(……うーん。案外悪くない依頼なのかな……)

 

 ナザリックの本気で少し考えれば、敵の数だけは多そうなので、マーレに広域単位で敵の駐屯地を夜間にでも一気に埋めてもらう手や、作った中位アンデッドの軍団300程の兵団をプレアデスやセクステット達辺りの誰か数名に指揮させるのも悪くない。

 

(……でもそれじゃあ、王都にいるアインズ・ウール・ゴウンの名は上がらないか……。それに依頼を受けたのは冒険者のモモンだよな。アインズとの関連性を感付かれる訳にはいかないしなぁ……んっ?!)

 

 ここでモモンは内心で大雑把ながら良い案を閃く。

 結果的にアインズ・ウール・ゴウンの名が上がればいいのなら、手はあると。

 だが、それには幾つか小細工が必要である。アルベドやデミウルゴスの考えを借りた方が良い気がする。

 またそのために――竜王国には袋叩きの現状でまだ当分耐えて貰う必要もある。

 随分『鬼』と言える案だが、結果的に国が救われるならいいんじゃないだろうかと、モモンは消沈しているザクソラディオネへ声を掛けた。

 

「あの……ザクソラディオネさん」

「……はい」

「これも何かの縁。近日中の対応は確かに無理だけれど、俺が――王都でエ・ランテルの冒険者組合長へ掛け合ってみますよ。これでも組合長のアインザックさんにはそれなりに実力を買ってもらっているはずなので、話を聞いてくれると思いますから。ですから、そちらは現状で何とか3、4週間程凌いでくれれば、俺も含めて何組か“強い”冒険者達を連れて貴方の守ろうとしている竜王国へ駆けつけましょう。報酬もビーストマンの侵攻が止まれば払えるでしょうし。ここは俺を信じてくれないかな?」

「まぁ……」

 

 諦めかけていたザクソラディオネは、出会って間もないモモンの男気のある真摯さも感じる提案に心が動く。さらに、漆黒のモモンは(一般的な)心を伝える。

 

「あと、この地にはまだ若干のワーカー達も残っているはずだけど、実力が伴わない上に気質は貪欲で余りお勧め出来ないので依頼は止めた方がいいかな。その……貴方の身が心配だから」

 

 結構きわどく聞こえる内容に、マーベロは若干羨ましく感じ、口許が少しへの字に歪む。

 城門兵達は、モモンの言葉に「そうだな」や「あいつら女にも強欲だからなぁ」と相槌を打ってくれる。

 絶対的に追い詰められた自分へと暖かい手を差し伸べ、身も案じてくれる目の前の戦士の言葉が好ましく頬が染まり素直に嬉しい。

 

「ありがとうございます。モモン――さま」

 

 重大な使命を帯びた旅の途中の思わぬロマンスに、彼女の口からは自然に敬称が出てきていた……。この彼の言葉を信じてみたいと思う。

 ザクソラディオネは、最終結論を白金級冒険者モモンへと伝える。

 

「……分かりました。この希望の知らせを竜王国の皆に伝えて一丸となって奮起し、防衛に徹してモモン様の率いる援軍の到着をお待ちしています」

 

 彼女はモモンへと、非公式ながら国の使者としての重大であった使命を果たせた事へ、本当に感謝の気持ちを添えて頭を下げた。

 漆黒の戦士は、話が一応まとまった事で一つだけ質問する。敵味方の規模について事前に知りたかったからだ。

 

「あの、ちなみに防衛側と、敵のビーストマン側の兵数は大体どれぐらいです?」

「今防衛に当たっているのは総勢で約12万程です。そして、ビーストマン側ですが、えっと……あの……その……」

 

 問われた彼女だが、敵の数は言い難そうである。それほどの数らしい。

 

「……およそ――――5万です」

「……(ビーストマンが5万ね)」

 

 それを聞いたアインズは、その場で僅かの時間考える。

 確かビーストマンの難度は30ぐらいはあるはず。対して一般の人間の兵士は凄く良くてもせいぜい難度15程度。分隊長や小隊長水準はまた違って来るが、通常兵力12万では強固な防御陣による絶対防衛線を引いていても守るので手一杯だろう。幸いビーストマンには突出した個体が少ないとはいえ、確かに急ぐ必要はありそうだ。

 敵の数を告げたザクソラディオネは、その一瞬動かない戦士の姿を見て少し不安になった。白金級の彼では、やはり流石に尻込みをするのではないかと考えてしまう。

 しかし、間もなくそれに反してモモンは平然と答える。

 

「良く分かったよ、ありがとう。――では、一旦お別れかな。俺達も先を急がないといけないから」

「えっ。ぁ、は、はいっ……」

 

 彼女は、漆黒の戦士の怯えの無い返事に驚きながらも、出会った彼との別れの時を迎えて寂しく感じる。

 そして少しずつ高まる気持ちが彼女を動かしモモンへと向けられる。

 

「あの、ここで一つだけお願いが」

「ん、なんですか?」

「是非、その……お顔を見せていただけませんか?」

「ああ、これは失礼」

 

 そう言って、モモンはマーベロと繋いでいた手を放すと両手で面頬付き兜(クローズド・ヘルム)を徐に外す。

 彼のその表情は決して美形ではないが……いや平均以下の●サ……イヤいや意外な事に、ザクソラディオネには、とてもキリリと精悍で勇ましく見えた。

 満足した彼女の心はキュンとし、頬が赤く染まっていく。

 

(モモン様……)

 

 兜を再び付けたモモンは、マーベロと再び手を繋ぐとこの場の皆に告げる。

 

「じゃあ、みんなまた!」

 

 そうして、背を向けて街道を悠々と進んで行く。

 やがて、都市西方に広がる大森林に埋もれるように姿は小さくなり見え辛くなった。

 そんな冒険者達の姿を見ながら門の衛兵達が呟く。

 

「やっぱ、モモンさんは違うなぁ」

「俺達のことも友人だって……嬉しいぜっ」

「大盗賊団を討って4階級も一気に上がったってのに、以前と変わらず偉ぶらないところが凄くカッコイイよな」

「ええっ?!」

 

 その話に、ザクソラディオネ側は衛士達共々驚愕する。3階級もの飛び越え昇級は竜王国でも聞いたことが無い。

 

「あ、あの……、今の彼が冒険者として4階級一気に上がったというのは本当ですか?」

「ええ、本当ですとも。モモンさん達は本当に凄いんですぜっ」

 

 そこから、主に『漆黒』のモモンについての武勇伝が暫しの間熱く語られた。

 背に差す二本のグレートソードを抜き放つと二刀流で自在に振るい、その一撃は人食い大鬼(オーガ)の分厚い巨体をあっさりと真っ二つに切り裂くという。また50名以上の元冒険者崩れと聞く盗賊達の内、40名程をたった一人で対処した等々。

 初めてその話を聞くザクソラディオネ達は目を丸くする。

 聞いた内容は、明らかに白金(プラチナ)級冒険者の力を大きく超えるものであった。

 彼女は思う……この出会いは『当たり』であったと。

 もしかすると竜王国のアダマンタイト級冒険者の『閃烈』の二つ名を持つセラブレイトに匹敵するかもしれない。

 ザクソラディオネが一点だけ気になったのは――モモンが相棒と紹介してきた、歳若く見える小柄で美少女だった魔法詠唱者(マジック・キャスター)マーベロの存在だ。

 竜王国にいるアダマンタイト級冒険者は、性格というか性的嗜好に些か難があった。

 

 救国の勇者で有りながら、なんと幼年の姿の少女を閨で激しく愛する事が大好きなのだ……。

 

 ザクソラディオネは、セラブレイトが女王の前で跪きながらも、欲望の血走った目で舐めるように姉の身体を見詰めハァハァしている姿を謁見の場で見ている。

 なのでモモンがマーベロを連れている点が気になった。

 彼について門を守る衛兵達の話では、マーベロとはやっぱり男女の関係ではとの話がある一方で、共通しているのは二人の関係に『イヤラしさ』を感じないとも聞いた。

 普通の男女関係の有るペアなら、偶に腰や尻などにベタベタとおさわり的な過剰といえるスキンシップがあるはずだが、これまでに全く目撃されておらず噂にも上がってこないようだ。

 二人については、漆黒の戦士がただ少女を守るかのように優しく仲良く手を繋ぐ微笑ましい姿が、目撃されているのみという。

 衛兵の一人が呟く。

 

「やっぱり、ほんとは知人の娘を大事に預かってる感じとかじゃないのか?」

「だよなぁ。俺もそんな気がしてるわ」

 

 普段の何気ない様子を見ている者らから真実っぽい事を聞き、ザクソラディオネは少し安心する。

 

 

 

(モモン様は――――変態じゃなくてよかった!)

 

 

 

 話を聞き終えたザクソラディオネは、この地での使命を完了したとして、間もなくエ・ランテルの門の衛兵達に馬車を見送られつつリ・エスティーゼ王国を後にし、竜王国へと戻って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 城塞都市エ・ランテルを出発した漆黒の戦士モモンと白き魔法詠唱者マーベロは、20分程街道を進み道が続く森林の中へ入る。

 そして、先日マーレが仕掛けを施した、ナザリックからの〈転移門(ゲート)〉での出現場所として適した人目の無い木々茂る場所の近くまで来る。

 前後の街道に人影が見えない事を確認すると、二人は森の繁みの中へと進んでいく。

 マーレが設定した仕掛けは、生物を自然と遠ざける『遠近感を変化させる』ものだ。

 そのため、ナザリックの者以外は、中々その場へたどり着けない。

 その広さは15メートル四方程ある安全地帯だが、たどり着いたモモン達がこの場で冒険者の姿を解くことはない。

 アインズは、今朝ナザリック地下大墳墓へ30分ほど滞在した時に幾つか命じていたので、その様子を確認するため一度ナザリックへ戻ろうと〈転移門(ゲート)〉を開いた。

 するとその時、彼の思考へ例の電子音が鳴り鮮明で美しい声が流れる。

 

『アインズ様、ソリュシャンでございます』

 

 先程、宿部屋より繋いでから1時間弱というところ。馬車で王都回遊へ出る直前というところだろうか。

 

「うむ。ああ、今こちらは大丈夫だが。なんだ?」

『はっ。実は今、宮殿内の使用人から、アインズ様宛の筒に入った書簡を受け取りました。差出人は偽名ですが、恐らく――反国王派の貴族の人間からかと』

 

 差出人を聞き、アインズの目の赤い光点が僅かに小さく細まる。

 

「ほう」

『急ぎの件かもしれませんので、中を確認させて頂いてもよろしいでしょうか?』

「……いや、私がこれからそちらへ行くとしよう。彼女(ツアレ)を別部屋へ誘導してくれ」

『はい。――大丈夫です。ユリ姉様が、私の視線で即対応してくれましたので』

「よし。では、そちらで会おう」

『畏まりました』

 

 ここで〈伝言(メッセージ)〉は一旦切れる。

 アインズは、マーレへと指示を出す。

 

「マーベロは、ここ(〈転移門(ゲート)〉)を通って一旦拠点へ戻ってて。数日振りのはずだし、姉と話でもして休んでていいよ」

「は、はい、モモンさん。報告書は僕が纏めておきます。では、お気を付けて」

 

 余計な時間を取らせないため、マーベロは指示通り先に〈転移門〉を通らせてもらった。

 モモンガ様直々に指示された通りの行動が取れるだけで、マーレは幸せを感じている。

 その彼女が〈転移門(ゲート)〉を抜けると、中央霊廟正面出入口前であった。

 

 

 そこには―――アルベドがにこやかに立ち、腰の黒い翼と右手を可愛く振っていた。

 

 

 その振りは止む様子が無い。間もなくマーレ後方の〈転移門〉の闇の影が消えるはずである。

 マーレは目の前の守護者統括の可愛い行動を理解し、恐る恐る近付きつつも告げる。

 

「あ、あの、アルベド様……アインズ様は王都の王城へ向かわれましたが」

 

 するとアルベドの動きがピタリと止まり、目が―――カッとホラー形式に見開かれた。

 

「な、なんですって……」

 

 マーレ後方の〈転移門〉の闇の影が徐々に消えてゆく。

 アルベドはマーレの言葉が本当だと理解し、ガックリとその場へ崩れる。

 彼女の左手には、アインズへ渡す為の指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)が握られていた。

 今朝アルベドは、第三階層で日課の中位アンデッド作成をしているアインズの姿を後方から見ていただけで、先客があり余り話をさせて貰えずにいた。

 なので、アルベドはその後ずっと第九階層の統合管制室から愛しい御方の姿を、攻勢防御に反応しない随分遠方の位置から『遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)』で食い入るように最大望遠ですら点ほどの姿を追っていたのだ。もちろん、並行して事務書類はその場で両サイドに積み上げて片付けている。

 そして、絶対的支配者様がマーレを連れて〈転移門(ゲート)〉を開いたことで、王都では無くナザリックへ戻って来ると分かり、ここで待っていたのである。

 それが……振られてしまった。

 

「ああ、アインズ様……今日は、私だけへの御命令の言葉をまだ頂いていませんわ」

 

 朝からずっとアインズの傍にベッタリいたマーレは、流石に気の毒と思いアルベドに付き添って地下へと降りて行った……。

 

 

 

 そういった事が並行していたとは知らず、アインズはロ・レンテ城内ヴァランシア宮殿の滞在部屋に開いた〈転移門〉より〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉を解除した漆黒のローブ姿で現れる。

 この場に居るルベド、ソリュシャン、シズが整列しており、絶対的支配者を出迎える。替え玉のアインズはいつもの椅子から立ち上り、ナーベラルの姿に戻り三歩下がって礼の姿勢を取ると即座に不可視化した。皆、ツアレが奥にいるため挨拶は礼のみに留めている。

 今は午後の1時半前。

 ソリュシャンは、筒から封蝋された書簡をアインズへと手渡しながら知らせてくれる。

 

「ツアレはユリ姉様と、奥の家事室でカップ等食後のティータイムの片付けを行なっています」

「そうか。………………ふむ、やはりな」

 

 アインズは巻かれた書簡の羊皮紙を開き翻訳眼鏡(モノクル)片手に文章の前半を斜め読みし、予想通りだという言葉を漏らした。

 そこには、リットン伯を思わせる人物から『竜軍団が大都市リ・ボウロロールへ襲来するまでに、それを全面撤退させるよう最善を尽くせと盟主様が某伯爵に厳しく通達された』とボカして書かれている。

 竜軍団の侵攻当日の朝は、直接部屋まで来た六大貴族からの使者を「状況が分からないので動きようがない」と断っていたが、敵の詳細と現地の状況はある程度掴めた事で、再度催促してきたようだ。この事は、反国王派へ接触した件を相談した時のガゼフも予想し言っていた。

 まあ、国家の悪漢らがアインズへ金と屋敷と若いメイド達まで与えてきたのだから、その分働かせようと考えるのは当然だろう。

 

「さて……」

 

 どうするかと考えつつ、アインズは文章の後半を読み進む。

 そこには、とある場所が記号的に提示されており、更に一つの決定事項が書かれていた。

 

 『御身が屋敷の所持や今の生活を続けたいのであれば、共闘組織の戦力と協力し事に当たられよ。本日の夜中24時に指定の場所へ行かれ会談されることを願う』

 

 常套手段的で『従わなければ今の生活は今後無い』と軽い脅しを匂わせ動かそうという、お決まり的流れの考えを「ふん」と鼻で笑いながら御方の目は、自信がある風に書かれている『共闘組織の戦力』の部分で一瞬止まっていた。

 

「貴族達との“共闘組織”……なんだ?」

 

 文面から私設軍ではない力のある別組織で、配下に大きい戦力を持っている事は分かる。

 そして、リットン伯らとつるむことから、真っ当な組織ではないだろうことも。

 すると主の呟きを聞いたソリュシャンが補足してくれる。

 

「“共闘組織”とは恐らく、この国の裏社会の大組織の“八本指”だと思われます。ここ数日でも、城内にいた貴族達が各所の小部屋でコッソリとその組織名称を持ち出して熱心に密談しているのを何度も聞いております。話の内容からですが大麻等の禁止薬物取引、娼婦や奴隷取引、賭博、暗殺などですね」

「ほう……(カジットの言っていた地下組織みたいなものか。同じ反社会的だがあの秘密結社と異なり、権力にもすがりつつ甘い汁を啜り貪る連中だな)なるほど」

 

 我の強い腐っている貴族達が気の長い連中とは思えない。今晩、この指定の場に行かなければ、早速なにか工作してきそうである。

 この時、奥でテキパキと仕事を終えてユリとツアレが部屋側へと戻って来た。

 アインズ自身を含め、ルべドやプレアデス達は問題ないがツアレや、王都内の屋敷にいるメイド達――リッセンバッハ姉妹達は危ないかもしれないと考える。それでは、ナザリックの平和に影響が出てしまう……。

 この時、不意にルベドと視線が重なった。コクコクと可愛く頷いてもいる。これは偶然だろうか……。

 あとその会談の場は、出席して座っていればいいというものでもないだろう。面々からして普通の会話で終わるはずもなく、微妙となる判断の必要性も出てくるはず。ここは、自身で動くべきだとアインズは決めて、手紙の概要と指示を皆へ伝える。

 

「どうやら、領地の大都市が危なくなった六大貴族が、慌てて私に協力を“要請”して来た。ここは信用させるために一度軽く受けるつもりだ。今夜その会合があるので、ルベド達を連れ(本物の)私自身が出ようと思う。確か今日はこの後、馬車で王都の回遊だったな? それに対して幾分加えて、今夜は王都内の屋敷で一泊ということにしよう。この王城から夜に外へ出入りして動くのは少し目立つからな。それと、屋敷へ持ち込む食料も忘れるな。王城にある物を少し融通してもらえないか確認しておけ」

「畏まりました。一泊と食料手配の件は後ほど大臣補佐へ伝えておきます」

「そうしてくれ」

 

 王宮対応担当のユリがそう話し、主は頷いた。

 ここでソリュシャンが具申する。

 

「ではまた、この場へは私が残りましょうか?」

「ではアインズ様、わたくしも」

 

 それへと続き、連日幸福に過ごすツアレも『ここはお役に』と胸元へ手を当てて申し出た。

 彼女は、ご主人様の話からあの憎い貴族達への反撃が始まろうとしていることにも内心ウキウキしている。

 

「いや、今回は全員で行くとしよう。夜に――お前達目当てに愚か者が忍んでくるかもしれんからな」

 

 それは兎に角もう、王城内で旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の連れている女達の美しさは有名なのである。

 ツアレが、元高級娼婦であったことも当然どこからか噂が広がっていた。

 高級娼婦という存在は『女として素晴らしい』という事であり、貴族らの愛人や後妻に迎えられることも割とあるので、実は上流階級では傍に置いていても全く恥ずかしい事ではない。寧ろ色好みの貴族の男達にしては羨ましい限りである。

 一説には城内でも、隙があれば関係を持ちたいという絶倫者が、美人の使用人や滞在者の許へ恥を忍んででも夜中に徘徊して来ることが多々あると聞いている。

 なので全員移動は、様様の問題も引き起こすことに繋がる面倒を避ける意味もあった。

 

「わ、分かりました、アインズ様」

 

 ツアレは、ご主人様がこの身を大切にしてくれている事への嬉しさで思わず上気し、顔と身体が熱くなってくる。

 

「畏まりました。それでは私も同行させて頂きます」

 

 しっかりとした口調で回答するソリュシャンであるが、想いはツアレと同じである。体内へ溶解液等が急激に多く分泌されていた……。

 

 このあとすぐにユリが、大臣補佐の所へと『馬車回遊のあと王都内の屋敷へ外泊する』事を伝え、問題なく了承される。食材も十分量調達でき、ついでに回遊用として軍事的に閲覧可の王都内の地図も1枚分けて貰う。

 その際、口の堅い40歳過ぎの大臣補佐の彼は思わず「実に羨ましい」と呟いていた。

 ヴァランシア宮殿内ではさすがに自前の側近らとはいえ、朝から晩まで美女達に抱き付いての肉欲三昧は出来ないが、個人の屋敷内ならこのあと明日の朝までくんずほぐれつ思うがままである。それを脳内で想像しての彼の言葉だ。

 この時、大臣補佐とユリが話していた近くに、数名の衛兵や使用人の娘が居た。

 基本、王城内の者達はゴシップ好きである。

 その約1時間後――。

 城内の広い範囲でいつの間にか、単に屋敷への外泊のはずが、勝手に大幅のアレンジが加わった好色話に変わり、囁かれ流れる。

 しかし結論的に、すべては旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の『権利物』であり、「羨ましい」という表現以外に形容のしようがなかった。

 また、使用人である小貴族の娘達からもゴウン氏は『乙女達の敵』とはなっていない。

 それには、あの八足馬(スレイプニール)が牽引する異様に立派である漆黒の馬車がひと役買っていた。玉の輿的憧れから城内の女性陣からも「羨ましい」という声が多く聞かれたのだ。

 王城においては『持てる者』はモテるということだろうか。

 そして大多数の者は、今は非常時という事もあり、いつものたわいない噂話だと軽く聞き流していた。日頃より堕落した生活を送る貴族が多い王国では、彼らの好色混じる噂話は日常会話と変わらない……とすら言われている。

 だが、そんなゴシップ話を耳にした意外なイカツイ人物が、部屋を出るアインズの前に現れていた。

 

「出発の直前、急に失礼する、ゴウン殿。今日は馬車で外を回られるとか」

 

 彼の名は――もちろん、ガゼフ・ストロノーフ。王国戦士長である。

 普通なら剣の道と忠臣一筋の男が、練習を中座してここに来ていた。

 平時、若い戦士達が話す青臭い恋愛や好色話など笑って聞き流すのだが、それがゴウン一行に関するものであれば――いや、眼鏡の表情が最高のユリに関するものならば話が違ってくる。

 

 聞けば馬車で『美人配下全員』を連れたゴウン氏が、王都内の屋敷で朝まで『酒池肉林外泊』と言うではないか。

 

(バ、バカな。俺の嫁が……いや、これは噂話に過ぎないのだっ。……し、しかし、眼鏡の似合うユリ殿はゴウン殿を慕っているのは事実で、当然これまでも良き主従で熱い男女の行為が幾度かあったはず……そして、こ、今夜も眼鏡顔で……うぉおおおっ!)

 

 そんな、胸の中の狂おしいまでの想いがこの場まで王国戦士長を突き動かしていた。

 彼は、当然『俺の妻候補No.1』の眼鏡美人であるユリ・アルファが心配になったのだ。

 カルネ村での行動や、今日までの城内での様子などを考えると、ゴウン氏の事を信用していないわけではない。

 しかし、王都へ来て多額の金貨も手に入り、場所が変われば人も変わるという話も聞く。

 

 

 

 だから、本人に直接男らしく聞きに来たのだ――『やっぱり、酒池肉林なのか?』と。

 

 

 

 もしそうなら、「貴殿程の人物が煩悩に(まみ)れるな」と忠告するつもりでいる。

 部屋の中の席へ招かれ座りつつガゼフは、直ちに本題へ入ろうとした。

 

「ゴウン殿、悪いが少し話がある」

「丁度いい。実は私もお話ししておきたいことが出来たのです。今日(の夜中に予定されている共闘組織との会合)が終わってからにしようと思ったのですが――」

 

「なにっ……(今晩の情事が済んでからだとっ。や、やはり狙いは眼鏡のユリ殿かっ)?!」

 

 ガゼフの表情が険しくなり、拳が握られ思考に戦慄が走る。

 先ほどから、戦場で瀕死の状態でも出来た冷静であるべき判断が、もはや難しくなっていた……。

 彼はいつも恋に盲目なのだ。

 ゴウン氏の普段と変わらない落ち着いた態度は、ガゼフに大きく『権利者の強み』を感じさせている。

 ガゼフにとって、他家配下のユリを『俺の妻』とするためには、家主のゴウン氏の許可は不可欠といえた。ここで、憤慨して場を崩すわけにはいかない。

 荒くなった鼻息を、戦士長はなんとか深呼吸で整える。

 そんなガゼフの様子に、アインズはこう感じていた。

 

(やはり出来るなぁ……王国戦士長殿は。――反王国派の動きだと即、気付いたみたいだな)

 

 カルネ村でのアインズ一行の実力を直ぐに見極めての行動や、王都から気遣いの手紙に、昨日の会議でも絶妙の助け舟の言葉もあり、支配者は友人的位置でガゼフの評価を高くしていた。

 だから今も国王への忠義から、反国王派らへの怒りが、その表情と呼吸や態度に表れたのだと考えている。

 一方ガゼフは、まず眼鏡の美人ユリ・アルファの『権利者』であるゴウン氏の話を聞くのが先決だと考え促す。

 

「で、では、ゴウン殿の話を先に聞かせてくれないか?」

 

 そう言い送ったものの戦士長はゴウン氏から、突然「私のモノである最高の女達は絶対誰にも渡さないっ。特に眼鏡の似合う女は!」などと宣言されるのではと額の脇に汗を滲ませ内心で恐怖していた……。

 悠然と座るアインズは、ガゼフの言に『やはり分かってるな』と頷く。

 ガゼフの話も気になったが、それは恐らく先日の『近い内に彼の家へお邪魔する』約束の件ではと予想する。戦いも近付いてきており、王都の回遊と屋敷への外泊をするなら、是非今度は我が家へもということだろう。今日の途中で寄って欲しいという話かもしれないなとも考えた。

 なのでそれらについては、これからアインズ自身の話す内容が返答にもなるはずだと確信している。

 

「実は――つい先程、反国王派のリットン伯から書簡が来たのです」

「――――っ!?」

 

 この瞬間、ガゼフは思った。

 一体何の話で、酒池肉林で眼鏡嫁の件は何処へ行ったんだと。

 しかし更に話が進むと、桃色思考だったガゼフは冷静で凛々しい『王国戦士長』へと戻ってくる。

 アインズの話は進む。

 

「あの方と盟主のボウロロープ侯は、竜軍団が大都市リ・ボウロロールへ襲来するまでに、何としてもそれを全面撤退させたいと命じてきました。まあ当然でしょうか、ボウロロープ侯の主領地ですからね。それで今夜ですが、反国王派と利害関係で一致した大きい裏組織の戦力と会談し、事に当たる事になりそうなのです」

「………そ、そうか……」

 

 気が付けば、ガゼフは眉間に皺を寄せ、目を強く閉じ膝へ両手を突き静かに肩を落としていた。

 その様子は旅の魔法詠唱者の目には、丁度『ゴウン殿にそんなことまでさせて申し訳ない』と言う態度に映って見えた。

 アインズは知らない。目の前の哀戦士が今、どれほど自分を卑下しているのかを。

 

(俺は何という不甲斐ない大バカ者なのだっ。あまりに、浅ましく恥ずかしい……。ゴウン殿が、まさに我が主の敵中への会談に臨もうかという相談にもかかわらず、噂に踊らされた上、俺は妻の話ばかりに囚われて……。頭が煩悩に(まみ)れているのは、俺自身ではないのかっ!)

 

 だが王国戦士長は、これ以上引き摺ることこそゴウン氏に失礼だと、頭をきっちり切り替えるところは流石であった。

 ガゼフは、旅人のゴウン氏が知らないと思える役立つ知識を伝える。

 

「……大きい裏組織とは、地下犯罪組織〝八本指〟のはずだ。奴らの組織はこの王国の裏社会で半分以上を握っていると言われている。組織内に警備部門という部署があり、そこには〝六腕〟を名乗る6人組のチームが存在するという。その者達は、アダマンタイト級冒険者に勝るとも言われているな。暗殺部門にもそれなりの手練れはいるようだが、果たして竜相手に通用するかどうか」

「〝八本指〟の警備部門……で〝六腕〟と、暗殺部門ですか」

 

 初めての情報がまた自然と増えていく。嬉しい事である。

 都合よくここで、王都内に詳しいガゼフへ書簡で記号的に提示されている会合場所の特定を頼む。先程貰った1メートル四方程ある王都内の地図が机に広げられると、アインズの屋敷とともに記号的に提示されていた区画を確認した。そこは屋敷から馬車で15分程の位置に建つ、資材置き場が多めの市民居住地帯内の小さめの倉庫が指定されていた。そこは中規模商人の所有らしい。裏で“八本指”の息が掛かっているのかもしれない。

 ガゼフが自分の考えを簡潔に述べる。

 

「〝八本指〟達も王国の都市が全て壊滅しては死活問題だからな。今回は、竜1体に対して多額の報奨金もあるし、利害が一致しているのだろう。それで……ゴウン殿。昨日陛下や王子、貴族達の前で〝王都を動かない〟と言われたあなたはどうされるつもりか?」

 

 当然問題になるだろう件なので、そこはアインズも考えている。その先もだ。

 

「竜軍団侵攻に限っては、王国内において敵も味方も無いという状況です。反国王派の信用を得るには、一度成果を出す為に動く必要があるでしょうし、それは今回王国民の為にもなるのではと考えています。宣言通り極力動かないつもりではいますが、もしも動く場合、私には魔法がありますので、その問題は概ね解決出来ます」

「……確かに、まずこの戦いを終わらせなければ、王国の明日は無い。それに、綺麗ごとだけでは民は救えない。ゴウン殿、その動くという考えには私も一理あると思う。もしゴウン殿らに王城へ残っているかのアリバイが必要になる場合、私も出来る範囲で協力させてもらおう」

「それは、とても助かります」

 

 ガゼフは、嘘が嫌いである。しかし、国民や国王の為となるのなら個人的拘りは後に回すことも出来た。また、それはゴウン氏が事前にこうして相談してくれていることも大きい。

 竜軍団撤退という大きい達成事がハッキリと前に見えており、納得して()く嘘によって強力な戦力が動け、全体の状況が改善すると分かっているのだ。

 『良い嘘』というのはあるのか分からないが、『人々を救う嘘』はあるのかもしれない。

 ゴウン氏一行が、これで動き易いのならとガゼフは思った。

 

 

 

 これには――ガゼフのゴウン氏へ先程の大誤解の詫びも入っていたのは内緒である。

 

 

 

 話は終わったとガゼフは、いつの間にかそっと出されていたユリが脇のワゴンで入れてくれた熱い紅茶を一気に飲む。

 二人は立ち上がり、お互い会談内容に納得出来た良い雰囲気で硬く握手をする。

 

「今晩の会合の内容は、明日にでもまた話し合いましょう」

「お待ちしている。――だが、くれぐれも注意されよ。まあ、あなた方なら大丈夫だとは思うが」

 

 そう言って、ゴウン氏の傍に控えるルベド、ソリュシャン、シズと美しい配下達を見る。

 主人同様に全く臆するという雰囲気は無い。

 見回す過程で、席の脇へ控える元高級娼婦だという綺麗なツアレ、そして――愛しのスラリと高い姿ながら胸の豊かなユリへも視線が向かう。

 すると、何と、眼鏡美人のユリがニッコリと愛を感じさせる優しい笑顔(御方のお客への営業スマイル)をくれたのだっ。

 抑え込んでいた、男の熱い気持ちが心の底から溢れてくる。

 

(なんて眼鏡が似合う美人なんだろうか……やはり欲しい――俺の妻に)

 

 日焼けした厳ついガゼフの顔色はよくわからない。しかし、その時顔全体が耳まで薄らと紅くなっていた。

 ドキドキドキドキドキドキドキドキドキ――――――。

 心臓は再び激しい鼓動を鳴らし始める。

 握手を解く前に、ガゼフは再びゴウン氏へ語り掛ける。

 

「――あと、我が家にて差しで個人的に(嫁についての)相談がある件も実現出来ればと思うが」

「なるほど、では明日か明後日にでも」

「――っ、うむっ。楽しみにしている」

 

 ガゼフの口元は嬉し気に笑む。

 やはりゴウン氏は、配下に慕われる誠実なる人物で、今夜も別件での正当な理由による行動であった。

 つまり、普段のユリ殿の清廉さは間違いない。

 

「それでは失礼する」

 

 そう言ってガゼフが扉へ向かうと、ユリが優しくその扉を開いてくれて部屋の外まで見送ってくれた。

 それは、毎回思う将来の自分の家を出る時の風景の妄想である。

 ガゼフはいつもの台詞を少し変え、緊張気味に伝える。

 

「ぁ……ゅ、ユリ・アルファ殿。紅茶、今日も美味しかったです」

 

 ユリからもおなじみとなった笑顔で「喜んで頂けて嬉しいです。またお越しくださいね」という言葉をもらう。

 その美しい声の言葉を胸に、王国戦士長は背を向けて廊下を去っていった。

 彼は、訓練場まで戻って来たが、またもやどの経路を通ったのか全く覚えていない。

 何故なら――。

 

 

(やった、やったぞ。今日は―――――ユリと呼べたぁぁあぁあーーーーっ!)

 

 

 彼は、ただそれだけを考えていたから……(実は階段から二度足を踏み外して踊り場まで転げ落ちていた……)。

 

 アインズ達一行は、一応部屋の荷物を纏めると午後2時45分ごろに王城ロ・レンテ城を馬車で後にする。

 ヴァランシア宮殿の滞在部屋には、馬車の準備の合間にアインズが暇だろうとナザリックより調査適任者として臨時に呼び寄せた、不可視化したルプスレギナが3時のおやつの袋を手に一人残っていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. あの竜軍団は今……(みんな元気です)

 

 

 今日のこの地の空には、雲が隙間なく広がっていた。曇天である。

 晴れていれば、ほぼ南側に眩しいお日様が輝いている時間。

 完全に焼け落ちた旧大都市エ・アセナルの郊外へ広がる平原の北側1キロほどの位置にある竜軍団の宿営地に、竜王(ドラゴンロード)の不機嫌さを強く帯びた声が響く。

 

「はぁ?! 仲間達の大事な遺体が消えているだと? 何体だ? 二日前、俺自らが〈凍結(フリーズ)〉を掛け、しっかりと衛兵も付けていたはずだぜ……。ドルビオラっ、どういうことだ。状況をきちんと説明しろっ」

 

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)のゼザリオルグ=カーマイダリスは、百竜長ドルビオラからの不快満載の報告に、寝床から立ち上がると翼を羽ばたかせ、長い首を振り勇猛に映る竜顔の眉間へ皺を寄せて憤慨している気持ちを面に出していた。

 一族は家族――そんな気持ちの彼女である。

 同胞の遺体は少し落ち着いた後、故郷へ連れ帰りよくよく葬るつもりでいた。しかし、竜種は巨体のため、安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)等で包み切る事はまず難しい。

 そもそも、この新世界の誇り高き竜種は小賢しいそのようなアイテムは持ち合わせていない。彼等の持つアイテムは、種族の誇りから代々武器や鎧などの装備品に限られている。また、最上位種族の竜種は、自然によるアンデッド化が最も起こりにくい。

 なので遺体の一時安置は、共有の大きな墓穴を掘りその底に土を掛けず丁重に並べる形が常識的措置となっている。

 ただゼザリオルグは竜王でも珍しく、冷気系の魔法も使えたため、それを掛けていた。

 そのあとしっかりと竜兵の警備も付けていたはずなのだ。

 竜王の叱責にも怯むことなく、百竜長ドルビオラが堂々と説明する。

 

「それが……、恐れながら忽然と消えたとしか。先程、亡骸達の〈凍結(フリーズ)〉に問題がないかを竜兵が墓穴へ降りて近くで確認したのですが、いつの間にか亡骸が全て〈幻影〉にすり替わっていたのです」

「……っ!?」

 

 ゼザリオルグは絶句する。

 遺体総数は確か、竜兵が9体、十竜長が5体である。

 遺体の安置場所である墓穴は重要であるため、自身の探知範囲内に設けてあったはずなのだ。確かに遺体からは、力等感知出来ないので消失を知ることは出来ないが、その〈幻影〉を施し、持ち去った者らは感知出来ていなければおかしい――。

 これで竜王自身にも過失の責任が出てきており、配下を責められなくなった。

 

(一体何者なのだっ。1体ぐらいならともかく……私の探知能力を掻い潜り、衛兵の誰にも見つからずにそれだけの数を持ち去るなど……)

 

 竜王ゼザリオルグは、思考を巡らせつつ、首を捻り視線を地面へ落とす。

 少し考えても原因や方法がはっきりと分からない。そして、失われた遺体の手掛かりもない。

 

「くそっ……この件の責任は一旦俺が預かるぜ。ドルビオラっ……直ちに目の良い竜兵5体を連れて墓穴の中と周辺に、穴が掘られた跡や地表に異種の足跡が無いかを外側から目で徹底的に探れ。おそらく――ヤツラは地下から来ているはずだ」

「――っなるほど。はっ、直ちに!」

 

 敵はここまで出来る連中である。馬鹿ではないだろう。空から来たというのは無いはずだ。後は最短で遺体に接触できる経路を使うと想定できた。

 離れて行くドルビオラの背を見送りながら竜王の思考には、高位の魔法がいくつか浮かんでいる。

 

(〈転移(テレポーテーション)〉や、〈空間収納(スペースストレージ)〉の使い手か? それに、私に探知されないという特殊技術(スキル)も持っている者すらいる組織……。まさか、この国の人間風情が……?)

 

 人間で、(ドラゴン)の巨体を引きずり動かせる者など、極々一握りに思う。

 だが存在はする。

 もし連中から遺体の引き渡しを条件に、撤退を要求された場合、一考せざるを得ない。

 1体ではなく失った数が14体もあるのだ。戦死させた上に遺体も無いとなれば、遺族達に何と伝えればいいのか。それほど一族の者を竜王は大事に考えていた。

 それは八欲王との戦いの時に、先代の竜王と同行した者達も含めて、千を超えて出撃しながら亡骸すら誰一人として連れて帰ることが出来なかった事への無念さから来ている。

 また、過程でこれほどの至難事をやってのけている相手だ。その実力は底が知れない。

 

「くっ、人間どもめ。先日の闇討ちといい、卑怯な手を考え使いおって……」

 

 だが、大きく戦わずに引かせるのも高等戦略である。

 あの白いジジイの『余り人間を甘く見ない方がいいよ』という言葉がまた浮かんできた。

 ゼザリオルグは渋い顔に変わる。

 このあと、百竜長ドルビオラと竜兵達により綿密に調査がされるも、結果、その実行者らの痕跡は皆無であった。

 

(……直接的に攻撃力のある手では無いようだが、これは油断ならん)

 

 ゼザリオルグは、予想外の静かな大反撃に頭を抱えた。

 これでいよいよ本当に、たかが人類国家と侮れなくなったのである――。

 

 

 

「ねえ、デミウルゴス。アインズ様はなぜ今朝、(ドラゴン)の死体を〝相手に気付かれず確保せよ〟と言われたのに、死体解体の指示まではお出しにならなかったの?」

 

 アウラは可愛い金色の髪を僅かに揺らし小首を傾げ、デミウルゴスへとそう疑問点について尋ねた。

 ここは、ナザリック地下大墳墓の第五階層『氷河』の一角。略奪品の死体がアインズの指示で丁寧に整然と安置されている。

 至高の御方からの直接指示なので、搬入は隠密性の非常に高いアウラ自身が喜んで行った。安置場所の穴が、竜王の寝床から800メートル程離れていたので、先日接近時より遠く全く感知されなかったようだ。

 現地及びナザリック表層から下層まで数回〈転移門(ゲート)〉を実行してくれたシャルティアは、「ここは冷気がお肌に悪いでありんす」と既に第二階層へと引き上げている。

 デミウルゴスは略奪の際、支援的に〈時間停止(タイム・ストップ)〉を実行していた。〈時間停止(タイム・ストップ)〉を掛けたことで、作業過程の露見を防げる上、あらゆるものに傷を付けられなくなるため、その間は地表にも足跡は残らない。縄で縛り地面へ杭固定されていれば少し面倒だったが、今回は持ち上げ動かすだけで済んでいる。

 この、遺体略奪作戦は今朝、デミウルゴスの提言によるものだ。

 ナザリックの資源を確認したところ、将来的に巻物(スクロール)の材料が不足しそうであった。

 それに、ナザリックの戦力強化を考えた場合、第十位階魔法を大量にストックしておけばと考えるのは普通の事である。

 ところが、第十位階魔法の巻物(スクロール)を制作する場合、最高級の皮である(ドラゴン)の皮が必要なのだ。まだ備蓄は結構あるとはいえ、確保できる時に確保したいと考えた。

 デミウルゴスの提言は、直ぐその場で御方から承認され実行に移されて今に至る。

 現在、巨体である(ドラゴン)の遺体を14体も得ている。綺麗に剥いで伸ばせば巻物(スクロール)サイズの皮は優に5000枚以上得られるだろう。

 智者の彼は、アウラの質問に少し考えてから答える。アインズ自身は、デミウルゴスからの提言で指揮もするというので「まあ、いいんじゃないか」と結構おおよそで指示を出したのだが、第七階層守護者的には至高の御方の考えは、連鎖している事が多く意外に奥が深く流石でございますと考えている。

 

 

 

「そうですね、目的の一つは恐らく――――牧場ですね」

 

 

 

 丸眼鏡を僅かに右手で押し上げながら、上位悪魔の彼は嬉しそうにそう言った。

 

「へ? 飼うってこと?」

「このままでは、一度“取って終わり”ということですからね。ただ、アンデッド化するか、生き返らせるかは、竜王と対面してからお決めになられるのでしょう」

「なるほどっ、流石はアインズ様っ!」

 

 アウラは笑顔で、デミウルゴスの言う『御方の考え』に賛同し感心する。

 それを聞く、デミウルゴスの表情にもずっと笑顔が浮かんでいた。

 

(交配させて増やすことも出来ますしね。そう、流石は我らの主様なのですよ)

 

 『牧場』という悪魔的といえる考えが、忠臣デミウルゴスを生き生きとさせていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 王女の心境

 

 

 リ・エスティーゼ王国第三王女のラナーは、あの会議の直後も壁際の長椅子に腰かけて視線を落とし落胆気味の儚げで美しい絵になる姿を見せていたが、内心は困惑した感情で溢れていた。

 彼女は、途轍もない屈辱と絶望を与えられたはずであった。

 しかし。

 

 

 不思議と――旅の魔法詠唱者ゴウンに対し『殺意』や『憎悪』という感情が全く湧かなかったのだ。

 

 

 せいぜい『責任を取って欲しい』という想いぐらいである。

 これには彼女自身が一番驚いている。

 いつもなら、復讐の為に全ての手を使ってあらゆる場所から巧妙に抹殺しようと思考が動くはずなのだ。

 例の『異様な二人の絵』を描かせた王宮お抱えの画家と同様に――。

 昨年の事。三十路で身内が少ないという独身のその画家は、王女から密かに依頼を受けたあと、まず普段のクライムに何気なく会って剣の話をしながら近付くと、練習のあとも会話をしながら鎧を脱いで体の汗を拭う彼の姿を観察。そしてまずクライムの四つん這いの裸体画を描いた。そして次に、首輪の鎖を握るラナーの裸婦画を描き上げるのだが、画家の彼は絵の参考と理由付けし王女の下着姿を彼女の部屋で密かに見せて貰いつつ、その美しい肢体を堪能する為、なるべく時間を掛け数回に分けて実行した。

 さらに最後の仕上げと称し調子に乗り、愚かにも彼は――美しいラナーを脅してきた。

 

『へへへっ、王女様、禁断の恋ですかい? これは動かぬ証拠になりますねぇ。でも、この絵はまだ完成しておりません。なぜなら――肝心の殿下のその下着の下のお美しいご様子が分かりませんので。今晩、このお部屋で私めだけにまず見せて頂けませんかね? さすれば、しっかり、ねっとりとした筆で描かせて頂きますので。ひひひっ』

 

 その日の夕刻、この画家は宮殿の脇で探し物をしていたが、4階から落ちて来た満水の水差しの直撃を頭部に受けて事故死する。

 上の階の窓辺にある花のプランターへ水やりを指示したのと、彼の物を落としたのはラナー王女ではない。

 水やりは日々の日課であり、探し物は彼が〝たまたま〟落とし物をしたのだ。

 ただ、普通落とさない物を落としたことは誰も知らないし、水差しの取っ手が精密な計算により巧妙に数か所削られていたことは、砕け散った欠片からは見当もつかない事象となっている……。

 そして、この水やりをしていた使用人は、とある男爵家の三女で、例の画家はこの男爵家の領内の村出身であった。

 ラナーは、この使用人の娘に「この件はこのままだと、貴方の婚姻の時の傷になるかもしれませんから、男爵である御父上にお願いしてこの画家に関する存在をなるべく無くしてもらう方がいいかもしれませんね。もちろん私もこの〝画家〟の事は知らないと協力しますから、安心しなさいね」と笑顔で申し送る。

 

 ラナー王女は、対象の命だけでなくあらゆる記録や記憶からも可能な限り存在を抹消している。あの画家が生まれた村の半分が今年の春から無事に麦畑へと変わっていた……。

 そんな気配り屋のヤサシイ王女様である。

 国王や兄達、大貴族達の前で、あれほどの屈辱と挫折を感じさせてくれた人物に対してラナーが『殺意』や『憎悪』を抱かないのは奇跡と言える。理由はマダよくワカラナイ。

 ただ、そうこれで二人目だ――異性では。

 

 

 

 もちろん初めての異性は、愛しいクライム。

 

 

 

 剣士の少年が覚えている、幼いころの路地裏でのラナー王女との運命的な初めての邂逅。

 あの日は冷たい雨が降っていた。

 

 しかし――ラナーにとっては路地裏での出会いが初めての邂逅では無かった。

 

 実はその前があったのだ。

 良く考えれば、愚民の子供を王女がいきなり助ける訳がないのである。

 

 それは、ごく平凡的に思える出来事。

 ラナーには子供の時に母から貰った唯一のお気に入りで大事にしていたドレスがあった。

 運命的邂逅の1週間ほど前。その日は王都内で祭りの行事があり、王家の者として大事なドレスを着て街へ出た折に、悪戯で護衛を撒くお遊びをし彼女が一人で居た時の事だ。

 王都の石畳の通りには多くの馬車が走っている。なので当然、幾つか馬の粗相したままの固体が残されていた。

 当時6歳の天才王女のラナーは華麗にそれらを避けていく。避けていたのだ、彼女は。

 とは言え、出合い頭というものは必然的にあるもの――路地から金髪の少年が突然飛び出て来た。

 勿論、ラナーはその手前で足元を注意し、少年とぶつかるのを華麗に避けた。

 だが……金髪の少年は違った。大人に追われていたのか必死であった。そしてラナーの立つ側と逆方向へターンをするために思いっきり足で地を蹴った。しかし、少年が見事に後方へと蹴ったのは馬が道端へ粗相をしていた固体であった。

 

 それは蹴った勢いも有り――激しい火花の様に後方周辺へ飛び散っていく……。

 

 金髪の少年は惨事に気付くことなく、大人から逃げる為に必死で走り去って行った。

 一瞬だけ見せたその顔の記憶だけを残して。

 続く大人もドレスの少女へは目もくれず少年を追ってじきに居なくなる。

 残されたラナー王女は、その場に固まっていた……。

 そして、大事であるはずの衣装に多数コビリ付いているモノの惨状に気付く。

 

「ぁ、ああっ、あああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」

 

 無論、将来『黄金』とも呼ばれる彼女の可愛く美しい顔にも数滴ハネていた……。

 

 6歳王女は、その時確かに怒りが湧くも、それだけであった。

 そしてすぐに違和感を覚えた。なぜ、愚民の子供一人の蛮行に『殺意』が湧かないのかと。

 取るに足らない低能な平民の、それも最下層の孤児の子供にである。

 間もなくその金髪の少年の所在を見つけ、死にそうで横たわる姿と再会しても、見殺そうとは思わなかった。

 不思議な感覚のまま、その意味を知るため、とりあえず手を差し伸べ引き取り傍へと置き続けた。

 そのうちに母は亡くなり、忙しい国王や歳の離れた兄達、一番上の姉とも距離が出来た。

 金髪の少年と二人きりと言える時を過ごした期間は、人生の半分以上もある。

 一昨年から蒼の薔薇のラキュース達も身近へと来るようになったが、今もずっと心の傍にいるのは金髪の少年剣士クライムだけである。

 時間を掛けて、今はもうクライムに対しての考えや行動への結論は出ている。

 それは『ひとめぼれ』――見返りを求めず引き取った行動や一途の気持ちは『愛』なのだと。

 

 

 

 ――だが、この『クライムのみ』に向けられていたはずの気持ちに異変が起こった。

 思い起こせば、それは王国戦士長のガゼフ・ストロノーフが持ち込んで来た話の中で初めて登場した『旅の魔法詠唱者アインズ・ウール・ゴウン』の強さを聞いた時かも知れない。

 アダマンタイト級冒険者チームである『蒼の薔薇』達の強さを王国戦士長は知っているにも拘らず、それを凌ぐ人物かもしれないと言葉には出さなかったが、ラナーには強く伝わって理解出来た。

 確かに蒼の薔薇達は強いが、それはこの900万もの人口を誇る広く大きいリ・エスティーゼ王国を右から左に動かせる程のものではない。

 そもそも、帝国の大魔法使いのフールーダ・パラダインですら、そんな事は力ずくでもすぐには実行不可能といえることである。スレイン法国には、それが出来る程の力の有る人材がいる様子だが、傍観し帝国に王国を併呑させようと画策しているように感じている。

 そういう状況でゴウンが配下を伴って王城へとやって来た。

 舞踏会の時、彼の傍へと近寄った際に、何か高揚しゾクっと感じてしまっていた。

 そして翌日ラナーは、王城の一室でゴウン一行と会合したのだが、その時に理解出来た。

 

 その力は、圧倒的と聞く竜軍団にも匹敵し、上回ることも有り得ると。

 

 これは、王国どころか、帝国、そしてどれほどの策略を駆使しようと、戦力的に全く手が出せないと思っていたスレイン法国すら、力だけで右から左に動かせる程のものに感じられる。

 もはやこれまでの、チマチマした策謀など必要ない水準なのだ。

 己の天才的頭脳すら超越していると思われる力の出現に、ラナーの心はメモリアル的にときめく。

 

 

 ゴウン一行を駒として……いや、もはや自分が駒でもいいかもと思わせる存在が身近に登場したことが――彼女の天才的思考の幅を無限の高みへと引き上げようとしていた。

 

 

 だが、その強いゴウンと自分の相性はどうなのか。

 ラナーは、クライムという愛しい存在が居たとしても、これは女としてやはり少し気になった。

 それが、今日の『敗北』で何となく分かってきたのだ。

 

(私は焦ったのかしらか……いえ、そんな事はないわ。私は――恐らく自分自身を試したのよ)

 

 ラナーはクライムを愛している。ただ、それは――幼年の初恋の様なものであるのだと。

 そして、感性が叫んでいる。

 

 

 

 少女の時代は終わり、これからまさに―――大人の女の恋が始まるのだと。

 

 

 

(やっぱりキスや身体で仲直りして、ゴウンさまって呼んだ方がいいのかしら……?)

 

 でも、そのために初恋を捨てる必要はないしつもりもないとも考えている。

 なぜなら、ラナーは深謀の天才なのである。バカな愚民どもとは違うのだ。

 

(クライム一人くらい、私の才覚でちゃんと生涯優しく飼ってあげるからね)

 

 一応確認は必要だろうけど、美女の配下を侍らせる大人のゴウンは多分処女には拘らないと思うし、クライムの子をこっそりとでも最低一人は生むつもりでいる。ただクライムは、根が真っ直ぐなのでやはり最後はどれだけタラせるかになるだろうし、特にゴウンの女と確定したあとだと難しく思え、未使用である今からの方がいいはずである。

 そんな生々しい思いに辿り着いた頃、ラナーは自室に戻っており、最も親しい友人だと思って色々気を使ってくれる『価値が下降中の駒』となった、ラキュースが心配そうに「また明日来るわね」と笑顔を作ってくれて、部屋を去っていく。

 

(やっと帰ったわ。さぁて、愛しい(ラバー)クライムの顔でも見て気分転換しましょうか)

 

 

 そう思ったラナーは、ベルを鳴らし使用人を呼んだ。

 

 

 

 ラナーの脳内快進撃はもう止まらない――――――まだ始まってないはずなのに。

 

 

 




捏造)ザクソラディオネ・オーリウクルス
竜王国の王女殿下。女王と少し歳の離れた若き妹。
竜王の血は薄いようで、姉のような原始の魔法や体形変化のスキルはない。
国や姉の為に身体を張って頑張るしっかりした健気な子。
但し箱入りお姫様のため、一部の常識がヘンかも……。



捏造)バハルス帝国と竜王国
王国の収穫期を狙った戦争の時期とはズレています。
そこで本作では、帝国へ救援を頼みにくい理由としまして、金銭トラブルを新たにご用意しました(笑)



補足)酒池肉林
みだらな宴会の例えとして使ってます。
本来は意味は『ぜいたくの限りを尽くした盛大な宴会』でエロはないのですが。



解説)そうこれで二人目だ――異性では。
もちろん同性では黒姉ルトラーです。
ただし愛ではなく、本能的に……。





次回、「不死王」現る……


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STAGE33. 支配者失望する/会合ノ六腕/帝国ノ罪(7)

 夜の暗闇が広がり僅かに小雨が落ちる中、王都リ・エスティーゼ内南東市街地の裏通りを人目を避けるように走る箱型の4人乗り小型馬車があった。

 ご丁寧にアインズの屋敷へリットン伯からのお迎えが来たのは、午後11時半前のことだ。

 御者席には黒服の元冒険者ゴドウの姿が見える。

 このあと24時から反国王派側に協力する上位戦力らが集まり、竜軍団に対する作戦会議を兼ねる初会合が行われる。

 アインズ一行はその一つで、待つのはどうやら『八本指』の組織の者らだと予想している。

 馬車の室内に座っているのは、アインズ、ルベド、ソリュシャン、シズの4名。

 ちなみに後方上空から戦闘メイド服姿のナーベラルも不可視化で付いて来ている。替え玉は何時必要になるか分からない事や、主人の対応を良く見て学んで貰おうという考えもあった。

 王城を出る前の王国戦士長が退出した直後、ツアレがお茶の片付けに奥の家事室へ行っている間に伝えていたが、アインズは改めて可愛いNPC達へと告げる。

 

「連中は、まだすぐに殺すなよ」

 

 皆、頷いた……一応。

 馬車は間もなく約束の会合場所、中規模商人が所有者だという倉庫の前へと到着する。

 

(さぁて、どんな連中が待っているやら)

 

 アインズは、ルベドらが先に降りて待つ湿ったレンガ畳の上へ降り立つと、僅かに深夜の雨空を見上げた。

 今日もここまでに、王国内外で様々なことが起こっていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国とアゼルリシア山脈を挟み東方に広がるバハルス帝国。

 帝国はその国力において、経済と軍事で王国を凌ぐ一大人類国家である。

 唯一の弱点は、戦力として突出している人材が少ないという点であろうか。

 しかし、全世界で4名しかいないという第六位階魔法が使用可能である『逸脱者』のフールーダ・パラダインを帝国魔法省のトップに擁しており、個で引けを取っている訳では無い。

 首都である帝都アーウィンタールは、その中央へ皇帝の居城である豪勢に装飾を凝らした皇城が築かれ、そこから放射状に延びる石やレンガで舗装された道路に沿う街並みは整然と広がり、美しく栄える帝国最大の都市だ。隣国の大都市エ・ランテルより北東へ最寄りの砦を抜け、間に帝国の大都市をひとつ置いた直線距離で270キロほどの位置に存在している。

 そして――帝都の皇城には、現在22才の若者である金髪の貴公子ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスが皇帝として全権力を掌握し存在していた。

 彼は、その苛烈であった行動から『鮮血帝』と呼ばれている。

 まず、弱冠14歳で八個軍団ある帝国騎士団を掌握し指揮下に収めると、その軍事力を背景に、反皇帝派の有力貴族達から次々と地位及び領地をはく奪し処刑してきた。

 それは、身内、兄弟にも手加減なく及んだ。

 そして昨年初頭頃、先代まで帝政に大きく悪影響を及ぼしていた貴族の大粛清を概ね完了し、権力を皇帝へ一極的に集めた中央集権化に成功していた。

 だが同時に文官であった貴族達も多く排除してしまった事で、国政に関して人材不足に落ち入っている。

 今は、積極的に平民から、能力の高いものを試験等で拾い上げる形で、行政の体制を新制度も組み込みながら徐々に固めつつ持ち上げようとしている段階である。

 そのため、連日の皇帝の公務時間が17時間と多忙を極めていた。平均睡眠時間は僅かに4時間半程で熟しており、将来的に身体へ局所的……特に頭部表皮にある毛髪……に与える影響がいささか不安視される。

 そんな彼の座る異様に巨大である机が、皇帝の執務室に置かれていた。

 1辺が2メートル50センチ程のコの字型になっており、後ろから出入りする形だ。

 そして、三方を囲む机には(うずたか)くサインを待つ行政指示書類や書きかけの各種草案、新制度関連の資料が積み上がる。

 時刻は朝の10時を回った頃。

 今もジルクニフは額に右手を当てながら、分厚い資料から自分の考えを裏付ける情報を探す。

 彼は昨晩も夜11時に眠り、今朝の3時半から起きていた……。

 そのジルクニフの下を、白髪で白鬚を長く伸ばした一人の老人が訪れる。

 

「陛下、御忙しいところ失礼しますぞ」

「……なんだ、爺か。別に入って構わんぞ」

 

 他の者であれば15分ほど後にしろと言うつもりでいたが、相手の声がフールーダだと知って手を止め、身を起こし口元に柔らかい笑みを浮かべ親しそうに声を掛けた。

 ジルクニフにとっては、血は繋がっていないが内心ながら正に敬意を持って祖父という気で接している。

 幼いころから良くしてくれ、大粛清の際に最も力になってくれたのはフールーダであった。

 彼がいたから帝国騎士団も掌握出来たし、魔法省と強力な魔法詠唱者部隊も直ぐに協力してくれた。

 この老人が敵に回っていれば、確実に今を生きていない。

 だから『祖父』のつもりで可能と思える事ならなんでも恩を返すつもりでいる。

 しかし、フールーダ自身からは魔法省の設備追加や蔵書である古典魔法書の収集、帝国魔法学院の建物の補修に一部設備の増強ぐらいで、豪邸や女や富といった私欲に関する物の要求はほとんどなかった。

 そのため、余計にこういった用向きの際に便宜を図るぐらいしかないと考えている。

 扉を衛士が開けると、フールーダが紅い高級絨毯を踏みしめ入って来る。

 普段は物静かに白鬚を触っている彼には珍しく部屋へ入るとすぐ、机に座るジルクニフへと饒舌に話し出す。

 

「実はですな、一昨日、非常に興味深い情報が王国の密偵より上がってきたのです」

「一昨日……」

 

 ここ数年秋の収穫期に起こす戦争の準備には少し早く、今はまだ日々、帝国内を回すことで頭が一杯でいた金髪の貴公子は一瞬『はて?』と思う。

 しかし、目の前の爺が饒舌になるのは、高位や難しい魔法の関係する場合だということを思い出す。そして、確か西側国境傍の王国の小村からの報告で、恐るべきモンスターを使役する娘の情報が上がってきていた事を思い出した。

 そのモンスターの名は確か、死の騎士(デス・ナイト)――。

 帝国の南西にあるカッツェ平野に数十年に1体ほど登場する恐るべき存在だと聞く。その強さは帝国四騎士達でも足止めがやっとで、倒し切れない水準のモンスターだとも。近年も登場し、フールーダによって退治されたと聞いている。

 そんなモノが、国境付近の小村にしかも王国側で使役されているというのは、看過出来ない事象と思ったが、よく考えればそれほどのモンスターを村娘如きが使えるなどありえるのかという点に気付き、正面の机の端へ置いたままにしていたはずである……。

 丁度良い機会だと、皇帝ジルクニフは問う。

 

「ああ、それは例の国境付近の小村の娘が恐るべきモンスターを使役するという話だな? そんなことが可能なのか?」

「ええ、まさにその話でありますが、私はその状況が事実であると考えております」

「なに?」

 

 ジルクニフの声のトーンは1オクターブ下がっていた。

 現実だった場合、帝国側の戦争リスクは跳ね上がる。それと報告には、確かその村が急速に砦化されつつあるともあった。

 フールーダは関連情報を皇帝に思い出させる。

 

「先日、帝国情報局が掴んだ王国王城での会議報告にスレイン法国特殊部隊撃退とそれを成した謎の旅の魔法詠唱者一行についての情報が有ったと思いますが」

「ああ、確かアインズ・ウール・ゴウンなる人物の一行だったか?」

「はい。実は村娘のいるその小村ですが、ゴウン氏一行がその際に助けたカルネ村だと」

「……確かに。そんな名が記されていたな」

 

 ここで、ジルクニフは事の重大さに気が付き始める。

 そしてフールーダの一言が、余計に不安を湧き起こし始める。

 

 

 

「そのゴウンなる人物、このフールーダ・パラダイン以上の魔法詠唱者(マジック・キャスター)やもしれませんぞ」

 

 

 

「ど、どういうことだ、爺?」

 

 大きく動揺を見せる皇帝へ、国の危機かもしれない事柄にも嬉しそうな顔を浮かべフールーダは述べる。

 

「私でも――魔法による死の騎士(デス・ナイト)の使役は無理ですからな。それを操れるほどの魔法を使えるかもしれない者という事です」

「…………」

 

 正直、ジルクニフはこのフールーダ1人が帝国の敵に回った場合、帝国騎士団と帝国魔法詠唱者部隊を総動員しても、すぐには討ち取れないと考えている。

 彼は国の戦力の要。その重鎮の答えに、口を開けたまま皇帝は少し絶句していた。

 しかしいつまでも指導者としてそんな態度はしていられない。

 

「――調査が必要だな」

「はい、陛下」

 

 フールーダはその答えを待っていた。

 皇帝の言葉を引き出す為にここを訪れていたのだ。

 まだこれは『かもしれない』という段階である。

 老師なら帝国魔法省最高責任者の権限で、大抵の事は独自に調べる事が可能。

 また、魔法省地下に拘束している国家滅亡級のモンスター死の騎士(デス・ナイト)についても本来なら裁量の度合いを越えていたが、フールーダには死の騎士(デス・ナイト)を倒せる自信があったため『実験体の一つを確保している』という報告に留めている。

 しかし、流石に自分を越える存在を相手にする可能性を見て、ジルクニフの同意を欲した。

 ゴウンなる人物が、最終的に優秀な魔法詠唱者で有る場合、己の師として帝国へ迎え入れる為にも根回しをしておくべきだと。

 深淵の魔法を研究する為には時間と設備と資金も重要。

 

 フールーダにとっては――そのための『帝国』なのである。

 

 もちろん彼にも人間らしい心は存在する。小さいころから慕ってくれているジルクニフには愛情すら感じている。しかし、魔法に関しての探究心はそれとは別次元のものだ。

 フールーダにとっての二百年を超えて生きる意味となっている。

 そうでなければ、実子を設け百五十年ほどで人生を終わっていた。

 長き白髭を扱きながら彼は、皇帝へ告げる。

 

「それでは、私が指揮を執りますがよろしいでしょうか?」

「うむ、魔法に関する件は爺に任せるべきだろう。で、どうするつもりだ?」

「その、村娘に尋ねるのが早いでしょうな。なので、少し――こちらに来てもらい“じっくり”詳細について話を聞こうかと考えております」

 

 考えるよりも『現物を確保』し確認した方が確実である。

 

「そうか、任せる」

「はい」

 

 死の騎士(デス・ナイト)の使役は魔法では無く、生まれながらの異能(タレント)持ちなのかもしれない。

 一方で小娘が使える程度の簡単な魔法ということも考えられる。

 もちろん、新たに目覚めた高位の魔法少女の可能性もある。

 

 だがやはり――謎の魔法詠唱者アインズ・ウール・ゴウンなる人物の仕業と考えるのが妥当であろう。

 

 一昨日の報告によると、ゴウン一行はすでに村を去り王都リ・エスティーゼへ向かって旅立った後だと伝わっている。

 

(旅人は去るもの。王国に先立ち村娘を念入りに調べ、彼の秘密を手に入れておくべき。魔法が事実であれば、私が王都に赴き、偉大なる魔法詠唱者(マジック・キャスター)を帝都へお連れしようぞっ)

 

 そんなワクワクする気持ちに瞳を若人の様にギラギラさせ、皇帝の執務室から下がるフールーダであった。

 しかし、不幸にもこの時、カルネ村がアインズ・ウール・ゴウンの保護下であり、村娘が彼直属の大事な配下であることなど知る由もなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

「お帰り、リーダー。で、どうだった、“王女様”は?」

 

 淡い青みのある瞳のガガーランは、王城から部屋へと帰って来た白銀の鎧を身に付ける美しい乙女のラキュースに声を掛けた。

 ここは、王都内でも一際豪華で白い石造りの外観を持つ、八階建ての最高級宿屋最上階にある部屋。アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』の、王都での宿泊場所である。

 

「そうね、昨日の去り際は凄くショックを受けていたみたいだから心配だったけど。今朝は大丈夫みたい」

「ふーん。しかし……姫さんらしくない話だったな。言葉でやり込められた事といい、大きい会議の場で発言権の無い身での挑発紛いの言動があった事といい」

 

 ガガーランは荒っぽいようで、周囲の人物をよく見ている。

 時刻は午前11時過ぎ。

 空には雲が多いためか、夏の季節にバルコニーから入ってくる風が涼しく心地よい。

 そこへ面したテーブル席へラキュースは腰掛ける。

 

「でも、私達や叔父さま達のチームでは、すでに竜王の前までの使者の護衛は難しいもの。だから、何とかしようと動いた。あのゴウン殿達の未知数といえる戦力に期待していたのでしょう」

「昨日聞いたけど、結局乗ってこなかったんだろ、あの御仁?」

「ええ」

 

 それは、初の会合の時にも言っていた『戦士長のいる王都に残る』という感じであった。

 王国民でない彼の言い分であるし、王都から逃げる訳では無いので、批判は早計である。

 ただ一つラキュース自身は、王女の友としてあのゴウンの言動の前半部分に違和感があった。あんな憤慨した反論の言葉でなくとも、後半の穏やかな口調の反論だけでよかったのではと。

 でも、だからと言ってラナーの挑発気味であった言動はやはり良くなかったとは思う。

 あの旅人の殿方にも譲れない誇りがあったのだから。

 そういう事で、ゴウンという人物への評価は中立的な状態だ。

 

「うーん。なかなか、読みにくい人物だよなぁ」

「そうね」

 

 ここで装備の手入れの終わったティアがラキュースに尋ねる。

 

「それで、ボス。私達は、どう戦う? 今日、王女に聞いてきたのだろ?」

 

 先日の闇討ちで敵百竜長の1体を半殺しには出来たが、同時にその彼らの恐るべき頑丈さを思い知った『蒼の薔薇』のメンバー達である。

 不意打ちの1対5であの戦果に留まったのだ。次の混乱した戦場で同等の戦果について、望み薄だということは明白。そして更に上の竜王級だろう竜軍団長は遥かに遠い気がする。

 彼女らには何か別の有効と思える手が必要であった。それも早急にである。

 そのために今朝、ラキュースは王女の所へと出向いていた。

 時間はもうそう残されていない。1日でも早くその手段を見つけ、自らの作戦を練る必要があった。

 彼女達5名は、周りの者達皆に最後の最後まで希望を見せなければならない。それは、冒険者の頂点にいるアダマンタイト級であるが故の責務なのだ。

 ラキュースは、仮面を外して磨くイビルアイ他、周りにいる仲間達へ伝える。

 

「正直、私達自身の修行による地道な戦闘力上昇は時間的に難しいわね。ラナーは言ったわ。だからこそ、魔法やアイテムによる基本となる体力への一時的な強化は有効だと思うと。もはや、それぐらいしか手は無いでしょうね」

「なるほど……いよいよ捨て身というわけだな」

 

 ティナが、皆を代表して冷静に、分かり易い表現で言い変える。

 副作用を考えなければ、そういった一時的での強化もありえる。だが平時において、それは冒険者としてどうかという思いがあったのだ。

 しかし今回は、単なる冒険者ではない。その背には子供や街の人々の未来を背負っているのだ。負ければ、王国は蹂躙され滅びるだろう。

 

 何もせず負けることは出来ない――皆に託されているものがあるから。

 

 

「ふっ、俺の限界をみせてやるか」

「それは、そろそろ血の色が変化を起こしての第二形態のこと?」

「言ってろ、ティア」

「私も楽しみ」

 

 ティアとティナは本気でガガーランに『変態』を期待している様子。

 

「私も付き合おう」

 

 それを横目に王国民戦力内最強のイビルアイも告げる。ティアとティナもラキュースへ頷く。

 反対するものは誰もいなかった。

 

「ありがとうみんな。それで、まずアイテムによる基本強化。次に王都に集まる冒険者達の中で、強化魔法の効果が最も高い者に体力強化を頼む。それが切れたら――最後は薬物ね。とりあえずメンバー全員が2割も強化出来れば、百竜長ぐらいは殺せるはずよ」

「竜王を引きつけて、逃げ回りながらというのは中々に厳しいがな」

 

 イビルアイの言葉に皆が苦笑う。

 王城会議でのレエブン侯の出していた案に沿う形の作戦が、すでにラキュースからメンバーへ一番現実的だとして伝えられている。

 竜王が、配下の多くを討たれて引き下がるか、怒り狂って王国を滅ぼすかは賭けの部分ではあるが、直接竜王にダメージを与える手が無い以上、仕方のないところだ。

 肉体が無理なら竜王の心理面を攻めるしかない。

 ただ、優秀な指揮官なら味方が2、3割も討たれれば、自らの作戦に疑問を持ち侵攻への行為の是非を再考するはずである。

 この大戦に限り、王国側に撤退は有り得ない。たとえ総力の8割を失おうと竜軍団の3割撃破を目指すのみである。

 ラキュースは望み薄ながらぼやくように呟く。

 

「和平の使者達の話が、万が一でまとまってくれれば最高ね……」

 

 

 

 

 同時刻。

 同じくアダマンタイト級の冒険者チーム『朱の雫』の王都帰還組のルイセンベルグは、王城の小部屋にて国王と大臣、そして同席した王国戦士長へ現地からの最新状況について報告していた。

 昨日、現地に残っていたアズス・アインドラからの地面に記した暗号での伝言を、セテオラクスが生まれながらの異能(タレント)の〈遠視〉で読み取り、その後で暗号解読したものだ。

 それにより、竜軍団が依然300程の数で都市北側近郊へ駐留し撤退の兆しは無く、8万以上の捕虜を本国であるアーグランド評議国に移送する準備をしている。その捕虜達は衣食住で苦境に立たされている。また、竜軍団はこれまでに13体程の死者が出ている。等々が伝えられた。

 しかし、王都側からは現状で何もしてやる事が出来ない。竜軍団を排除出来ない限り捕虜を救う事は夢物語と言える。

 また、エ・アセナルの戦いでは、4万の王国軍とアダマンタイト級冒険者を含めながら千人近い冒険者達でも10体程の(ドラゴン)しか倒せていない事が判明する。

 国王ランポッサIII世とガゼフ達の表情は、一様に渋いものとなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 曇り空の合間へ僅かに日が差す午後の3時に近い王都の石畳の敷かれた大通りを、1台の貴賓漂わせる漆黒の馬車が眼鏡美人の御者を乗せて静かに進む。

 それは四頭の超高級馬である八足馬(スレイプニール)に引かれており、沿道を歩いていた者は皆、その威風に一瞬目を向けた。

 それは、恐れが混じるものである。

 この国で八足馬(スレイプニール)の馬車を持てるほど裕福で余裕を持つ者らは、王家や六大貴族、大貴族の幾つかと大商人達の様な特権階級的地位に居る者達ばかりであるからだ。

 この馬の価値は金貨で250枚以上は確実で4頭いれば、ちょっとした屋敷程の値段であることから、伯爵の家柄でもなかなか持つことが出来ないと言われている。

 さらに馬車本体はスタイリッシュに造られたもので、最高の逸品と言える馬車であった。

 駆ける漆黒の車体の中、アインズは最後尾の広い3人掛けのフカフカである座席に座っている。その右脇へジャンケンに勝利したルベドが座り、時折御方の右胸へ可愛く頬をスリスリしてくる。

 今日は、それを向かいに座るシズとソリュシャンが仲良く並びつつも、ルベドへ羨ましい視線を送っている構図。ちなみにジャンケンにはツアレも参加していた……。

 ツアレは、シズらの座る席と背向かいになって進行方向を向いた座席に座っていた。更に不可視化しているが、ナーベラルもひっそり羨ましい眼差しを送りながら同乗している。

 そんな状況で支配者は、ぼんやりとパンドラズ・アクターの事を気に掛けていた。

 彼は今――竜王国に出向いているはずである。

 

 

 午後1時半前に森の中でマーレをナザリックへ見送ったあと、ふと傍に不可視化のまま佇むパンドラズ・アクターの事に気が付いたのだ。彼はいつもの軍服姿で今朝入れ替わった後、無言で付いて来ていた。

 この後、アインズは王城に行く予定だが、その場にパンドラズ・アクターのポジションは無い。

 小声でアインズは問いかける。

 

「おい、パンドラズ・アクター」

「はっ。私の創造主たる、至高の――」

「挨拶はいいから。……えっと……(そうだ!)」

 

 ここで、アインズはパンドラズ・アクターへ何か用はないかと考え、良い案を閃く。

 他の至高の41名の生み出したNPCでは扱いに気を使うが、自分の作ったNPCには気を使っていない。つまり、気軽に命じられるという事である。

 

「お前は、明日の朝まで――竜王国の現地に飛び、現状をなるべく調べてこい」

「……あの、一つお願いが」

「なんだ?」

「私に少しマジックアイテムと触れ合う時間を頂ければと。ここ数日、ナザリックの外にいましたので触りたくて、触りたくて」

 

 両掌を上に向け、指の動きがサワサワとし、話も部分的に聞くと完全に変質者だとも聞こえるが、確かにそんな設定を最後辺りで追加した気がする。黒歴史を宝物殿に置くために――。

 

「……いいだろう。30分だけ許そう。これより、〈転移〉でナザリックへ戻り、アルベドから私の指輪を借りて宝物殿へ行ってこい。指輪を返却後に統合管制室で場所を確認し、マーレかシャルティアにでも頼んでLv.80級の護衛数体を連れて竜王国内へ〈転移門〉を繋いでもらえ。言っておくが、現地では干渉せず見つかるなよ?」

「はっ、畏まりました。創造主たるアインズ様っ」

 

 そうやって自分のNPCを送り出していた。

 

 

(大丈夫かなアイツ……)

 

 アインズには他の仲間が作ったNPC達の方が、どこかしっかりして見えていた。

 傍にいるルベドも、告げた事はきちんと守ってくれている。それに、最初は素っ気なく困ったが懐いてくれると、アルベドよりも素直な気がする。そしてボディーガードとしては最も優秀だ。最近の彼女は、プレアデス以外にこっそりと王都屋敷のメイド三姉妹の仲良しでいる姿を楽しみに加えている模様だ……。

 御方にそんな心配をされているパンドラズ・アクターであるが、ナザリック地下大墳墓に戻った彼の動きはそつ無く、守護者統括を初め守護者達からの評価は上々で信頼も厚い。

 それは、至高の御方に生み出されたNPCという絶大な信用もある。

 加えてパンドラズ・アクター自身も応えようと努力していた。自らが不甲斐ないと創造主様の名を下げることにも繋がると考えているためだ。

 絶対的支配者の不安は、親の心配性とも取れる感情に近いかもしれない。

 

 アインズ達ナザリック勢7名を乗せた四頭立て四輪大型馬車(コーチ)は、大臣補佐に教えて貰った王都内の名所を回る。

 芸術的な噴水の有る交差点や、職人により整備された大きい公園、神殿、美術館、重厚に造られた長い石橋、中央市場や高級住宅街等々。

 それは、今後ナザリックによって作られる小都市の中にも活かせる物がないかという見学目的もアインズの中にはあった。場所によっては少し馬車を降りて歩いて見て回る。

 その折、王城内では有名であっても、この王都の市民達の殆どはアインズ達を知らないため、異様に立派な馬車からどこの御貴族様が現れたのかと、はっきり遠巻きにされていた。

 そして大分日が傾いた午後5時頃、王都を満喫した馬車は、アインズの屋敷の門傍へ止まる。

 

(あれ? いつの間にか『ゴウン』という鋼鉄の表札がついているなぁ。どうしたんだコレ?)

 

 一応、王国の文字で『アインズ・ウール・ゴウン』とサイン出来るように練習したため、門柱に付いていた表札の文字に気が付いた。

 もしかするとメイド達が気を利かせてくれたのかもしれない。

 ツアレが一度降りてベルを鳴らすと、窓から見えた主人の豪華絢爛の馬車に気付き、小綺麗である三階建ての洋館から、黒紅色の制服を着たメイド三姉妹のメイベラにマーリンとキャロルが出て来る。

 彼女達は門を開閉し、玄関へ横付けされた豪奢すぎる馬車の扉前に整列して出迎えた。

 馬車側面の扉が開くと、ツアレ、ソリュシャン、シズ、ルベド、御者のユリも降りて並ぶ。

 そして、仮面を付けたご主人様であるアインズが最後に降り立つ。

 三姉妹の『おかえりなさいませっ、ご主人様』と出迎えの挨拶を受けると、至高の御方は初顔のソリュシャンとツアレを紹介して屋敷へと入った。

 支配者は一度部屋に入って落ち着くと、今日は深夜まで時間も有るため庭をゆっくりと1周回ってみたり、食堂で晩餐を楽しんだり、居間でメイド達の話を聞いたりして過ごした。

 その間の午後8時過ぎから、小雨が降ったり止んだりしている。

 いつもは早く寝るリッセンバッハの三姉妹達も、今晩は主人が会合という事でまだ起きていた。

 そして、会合で屋敷を出るにはまだ早い午後11時を回った頃。

 ベッドメイクの準備の為、ユリとメイベラ、マーリンが居間には不在の折、キャロルによる物語の本の朗読をしてもらっていたところ、主の傍に立つ耳の良いソリュシャンから、席へ座るアインズへそっと知らされる。

 

「……(アインズ様、当家の門の脇に馬車が1台止まりました。……御者の声に聞き覚えがあります。確かツアレと出会った際にいた黒服の男です。一人で来たようですが……降りて来ません。待ち伏せているのでしょうか)蹴散らしますか?」

 

 最後の言葉に、属性が『邪悪』(カルマ値:マイナス400)でソリュシャンと並ぶ、不可視化しているナーベラルも僅かに身構える。

 アインズが小声で返す。

 

「いや、捨て置け。(……ゴドウとかいう奴だ。恐らくご丁寧にリットン伯からの案内役だろう。乗せていって貰おうじゃないか。なので、一応用心のため、ユリは居残りだな。代わりにナーベラルを連れて行くとしよう)」

「はい、畏まりました」

 

 ツアレとキャロルは、主人達の会話の意味がよく分からず「ん?」と首を僅かに傾げた。

 そして、時間は20分程過ぎて頃良い時間となり、アインズは居間の席を立つ。

 見送りもありアインズ他全員が玄関前へ現れると、ゴドウが馬車の御者席から降り、屋敷のベルを小さく鳴らした。

 アインズが「知り合いだから御者を招いてこい」と指示する。

 それに従いメイベラが門を開け玄関先まで先導すると、ゴドウがアインズ達の傍まで歩いてくる。

 ツアレだけが、現れた黒服男の姿へ僅かに身構える。あれからまだ1週間でありトラウマが残っていた。

 そんなツアレを――僅かに「フッ」と鼻で笑いつつゴドウが挨拶する。

 

「1週間ぶりでございます、ゴウン様。今宵は指定の場所への送迎に上がりました」

「ゴドウ殿も元気そうで何より。ところで……確かあなたはエ・リットルのお店の警備統括と聞いていましたが?」

「え、ぃいや、ええ。……実は上からの指示で、王都の店に出向してきております」

「ふーん、それは随分と大変ですね。では、“しっかりと”送迎をお願いしましょうか」

 

 日々良く働いてくれているツアレを鼻で笑ったゴドウが、どれだけ偉いのかをアインズはツアレに代わり聞いてやった。

 所詮は脆弱に過ぎぬ人間の上司からの指示で王都まで移された存在に、絶対的支配者の下で一生懸命頑張っているツアレを鼻で笑う資格などないと。

 それに、リットン伯と共謀してアインズを出し抜こうとし、反国王派へ引き込む手助けをした不快度の高い男でもある。

 アインズにとって、もう――いつ潰してもいい『玩具』となった。

 この時、元冒険者のゴドウの本能は、何か異様な雰囲気を察知するも仕事を進める。

 

「そ、それでは、少しお待ちを」

 

 そう言ってゴドウは乗って来た馬車へ戻り動かすと、門を抜け玄関の横へと着けた。

 アインズを先頭にシズらが、ギシギシと鉄バネが軋む一般的である馬車に乗り込む。一応これでも、男爵達も乗せる馬車らしい。

 室内のサイズ的制約もあり、アインズの横には小柄なシズが頬を染めつつ無表情ながらも嬉しそうに限界まで密着して乗る。

 屋敷のメイドにより馬車の扉が閉められたのを確認すると、ゴドウは「では、出発します」と告げ馬を走らせ始める。ゴウン屋敷の門を抜け、石畳の通りに出ると速度を少し上げる。

 時刻は午後11時半を過ぎたところだ。

 馬車で15分程のはずなので恐らく11時50分前には到着するだろう。

 時折、路面に出来た水たまりの濁った水を、深夜の誰も歩いていない歩道へ撥ねながら馬車は目的地へと近付いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 ポツポツと小雨が降る中、倉庫前の作業場として張られているレンガ畳上へ止まった馬車から先に降りて整列しているルベド達。

 最後に馬車からアインズが降り立つと、御者席からゴドウが告げてくる。

 

「某はここで、お待ちしてます」

「……そうか」

 

 アインズがゴドウへと僅かに顔を向け返事をする。この黒服の男が中まで案内はしない模様。

 

(じゃあ、倉庫から誰か迎えが来るのかな?)

 

 そう考えた時にソリュシャンから声が掛かる。

 

「アインズ様、出迎えが来たようです」

 

 アインズが倉庫の扉の方を向くと、()()()脇の小さい扉が開き2名の男達がこちらへ向かってくる。

 だが、彼らは訪問者達へと近寄り前へ立つ直前まで「お、おいっ」「あ、ああ、どうなってるんだ……?」と小声で話しつつ、かなりの動揺を見せていた。

 それは巨躯で仮面を付けた漆黒のローブの者――にではなく、横に居並ぶ若い娘達の美しさに度肝を抜かれている様子。

 この場へ(そばめ)を連れて来る事は有り得ないのに、三人とも絶世の美女であるためだ。

 しかし、驚く彼らは八本指の、そして今夜の秘密会合の担当を任された精鋭の警備者でもある。仕事を思い出し、確認の声を掛けてきた。

 

「ァ、アインズ・ウール・ゴウン殿と一派の方らだな?」

「そうだ。雨も降ってるし、早速案内してもらおうか」

 

 アインズは堂々と、不満げに結構強気でそう伝える。

 これまでは、王族や貴族、戦士長といった、表舞台の者を相手にしていたため、気を回したり敬語なども普通に使っていた。

 また、ズーラーノーンに関しては、小都市を滅ぼす力も一応あり、全貌が不明というのがあったため不必要に敵対しなかった。

 でも今回の相手は少し違う。脆弱といえる王国の更に裏世界の『悪の犯罪組織』。裏社会すら数日で統一も出来ない勢力。どの規模の組織だろうと明らかに脅威度は低い。

 つまり、雑魚なのだ。

 アインズはユグドラシルにおいて、雑魚を寄せ付けない『悪役』のロールプレイを行なっていたが、この相手には冒頭からそれが出来そうである。

 

 

 

 悪人の片棒を担ぐ連中の会合に――『善人』など必要ないのだ。

 

 

 

 『悪の犯罪組織』と組むのは『悪党』だと相手も思っていることだろう。

 ここはその当然の流れに乗るべきなのだ。

 『悪役』のロールプレイは舐められたら終わりである。

 だから絶対的支配者として、脆弱に思う連中へ下手に出る必要はなく『強気』あるのみ。

 そもそも御方の属性は、『極悪』(カルマ値:マイナス500)。

 

 なので、アインズは「ふふふっ」とノリノリである。

 

 出迎えの男達も「で、では、こちらです」と丁寧な感じに応対し先導する。

 荷物の置かれた倉庫の中を通り、奥の一角で仕掛けにより大きめの床石が持ち上がっている箇所までくる。

 そこから地下へと延びる階段が見えていた。

 

「こちらの階段を降りて、少し歩きますので付いて来てください」

 

 男達は2人とも階段を下りてゆき、アインズ達も続く。

 床石の仕掛けは階段を少し降りた位置にある壁の開閉装置で操作出来るようだ。

 彼等はその背で隠し、出入り口を閉じる。

 〈転移門(ゲート)〉を使えば閉じ込められる事はないが、一応アインズが顎を上げ数度軽く差すと不可視化している戦闘メイド服の彼女が彼等の横へ移動し行動を確認する。

 照明は所々に水晶が放つ〈永続光(コンティニュアルライト)〉が設置されていた。

 通路はアインズがギリギリ通れる程度。最悪、自身に〈縮小〉を掛ければいいのでまあ問題ない。

 男達が時折振り向き付いて来ているか確認しつつ前を歩き、直角で右に左にと曲がり途中合流や分岐も有り100メートル程歩いただろうか。

 移動する一行の列は、構造的に整備された地下空間へ着く。

 どうやら、地下通路が数か所からこの施設へ合流している模様。逆に言えば、逃走ルートも複数あるということ。魔法による若干の阻害も設置されているようだ。

 

(ふーん。施設には一応力を入れている組織のようだな)

 

 それは、資金力や組織力がなければ中々実現できない事だ。

 アインズはこの部分を素直に評価する。

 構造的に広がる地下空間は地下屋敷という趣きで天井も随分高い。

 廊下も大理石張りで、かび臭さや湿気をあまり感じない。晴れた日などに風車や水車で、地上の換気口から常に空気を送風・対流させているためだろう。

 施設内の所々に警備の男達が立つ。

 間もなく、メインホールから伸びる廊下奥に大きい両開きの扉が見えた。

 こちらに気付いた扉脇の男達が、僅かに片側の戸を開け中の者と話をしている姿を見る。

 そうして、アインズ達が扉の前に立つと、警備の男が本当に美しいシズ達を横目でチラチラ見つつも扉の取っ手を掴みながら知らせてくる。

 

「皆さんすでにお待ちです」

 

 時刻はまだ24時ではないが、5分前集合とはいかなかったようだ。

 だが、待たせるぐらいでいいと支配者は考えていた。

 警護の男達が両扉を内側へと全開で開く。

 その部屋は、ゴウン屋敷の居間よりも更に横幅が広く、奥行きも20メートル近くあるかというものだった。

 アインズとルベド達4人が部屋へ踏み入ると扉は後方で手早く閉められたが、彼等はそれに構わず4メートルほど進んだ。

 室内にも壁際へ等間隔で立ち警備する者らが20人は見えている。

 部屋の中央部には大机が周回する形で1辺が8メートル程の正方形に並べられていた。

 そのうち、扉前以外の三方はすでに陣取られている。

 扉から最奥の上座の位置に6席用意される中、()()()者達が座っている。

 その右端に居る、全身に筋肉が盛り上がり腕組みをする男は――両足を机の上に放り出し右足を上で組み、見下す様に扉方向から入って来たアインズ一行を鋭い目で睨んでいる。

 その横の優男も同様に、両足を机の上に放り出し両手を頭の後ろで組んでいた。

 そしてフードを被るローブの男と、薄絹の服装に顔を薄布で隠す女。モモンのように全身鎧の男が座っていた。

 向かって左横の1列には全身黒服に紺のローブを纏う背の高い男が率いる8名の者達が陣取る。

 右横の1列には冒険者崩れに見える7名が座っていた。金色長髪で騎士風の装備に、鼻と口元を銀マスクで覆い表情を隠す紺のマントの男がリーダーみたいだ。

 ただ、奥に座る者達以外に足を机上に放り出す者はいない。

 どうやら、奥に居る連中が格上の『六腕』なのだろうとアインズは当たりを付ける。

 

「ぁ、…………」

 

 だがその『六腕』の者達を初め、その場にいた連中も、やはりルベドやソリュシャン達を見て目を見開いていた。扉が開いた当初の室内の騒めきが一瞬停止する。

 それは座っている中にいた数名の女達も同様だ。

 女としての格の違いというのを感じていた――。

 

 なので、場を動かす為に、アインズの方から告げる。

 

 

 

「集まった者達よ、ご苦労。私がアインズ・ウール・ゴウンだ。よく覚えておけ。あと共同戦線と聞いたが、今回お前達は皆、私の指示に従って貰おう。何故なら――お前達は私よりも随分弱いからな」

 

 

 

「な、なんだと……」

「ふざけるなよ?」

 

 奥以外の両脇に座る者らを率いる男達が、アインズへと『敵意』を見せる。

 奥に居る『六腕』達に言われるなら納得出来るが、今日会ったそれも王国の裏社会では新参者の連中に軽口を叩かれて憤慨していた。

 それに対して――奥に座る筋骨隆々の男が、静かに一瞬目を閉じると口元に笑みを浮かべ、右手人差し指でアインズを指すと声を掛けた。

 

「ふっ、面白いなお前。――でも、間もなくそんなナメた口を利くのも終わるはずだ」

 

 彼――ゼロは、先日の八本指の部門長会議で聞いた、ゴウン達の陽光聖典に対する戦果を聞いて、その鼻っ柱をへし折ってやろうと『ある作戦』をサキュロントに指示していた。

 それは間もなくここへ到着するはずである。

 

 だがしかし――。

 

 

 

「それは、コレのことかな?」

 

 

 

 アインズの声と共に、閉まったばかりの後方の分厚い両開きの大扉が中央から粉々に砕け散り、扉の破片と共に一人の男が床を転がる。そして転がって来たゴミを避けるように中央を空けて振り返ったアインズ達のすぐ手前で止まった。

 

「げ、げへぇ……」

 

 その息も上がり、腫れあがり鼻や頬から血も流れるボコボコの表情とボロ布といえる状態の服装ながら、ゼロはそれが送り出していた『六腕』の一人であるサキュロントだと気付いた。

 

「……サキュロント……おめぇ……」

「ボ、ボス……すまねぇ………………でも……あ、あの屋敷には……」

 

 ゼロとサキュロントは、二時間程前の事を思い出す。

 

 

 

* * *

 

 

 

「えっ、アインズ・ウール・ゴウンって、今夜会談する魔法詠唱者(マジック・キャスター)のですかい?」

「そうだ。我々が今後、奴から主導権を得るために、我々の力を先に見せておく必要がある。お前にも分かるな?」

 

 この地下屋敷の一室で、地下犯罪組織『八本指』の警備部門責任者のゼロは、その執務室に同じ『六腕』メンバーの一人、フード付きの紺系のコート姿のサキュロントを呼び出していた。

 

「そ、それはもう。では奴らが来た時に、ここで不意打ちでも掛けますか?」

「いや。やつがボウロロープ侯らから最近貰った小奇麗な屋敷が王都にある」

「えぇっ? 奴は、六大貴族から屋敷を貰ったんですか?」

 

 サキュロントが驚くのも無理はない。そんなリッチな待遇を受けるのは稀である。元オリハルコン級冒険者ら5人が、レエブン侯に召し抱えられた時に、領内に其々家と多くの支度金を貰ったという話を聞いたぐらいである。

 

「ああ。金と若いイイ女のメイド達も付いてたそうだ」

「………ゆるせねぇな」

 

 数日かけて散々具合を楽しんだんだろうなと、持たざる者の僻みと言える考えと下卑た表情をするサキュロントであった。

 

「それを貰う前にも、奴は高級娼婦を一人、我らの八本指系列の店からリットン伯経由で、モノにしている」

「…………っ!」

 

 『六腕』であるサキュロントも当然金や家を持ち、結構イイ女も傍に置いているが高級娼婦はまだ手元に置いていなかった。

 流石に部門責任者のゼロは何人か高級娼婦を囲っているが、それは仕方がない。

 話は通った。サキュロントは理解する。

 

「それをさらうんですね、ボス」

「ははっ、そうだ。我々がいつでも、一枚上手であるという恐怖を植え付けておくことで、よそ者を黙らせ優位に立てる」

「分かりました。腕利きの警備の者も15名ほど連れて行きますので」

「捕まえたらすぐに連れてこい。面白い見世物を始めるぞ」

「はい、任せてください、ボス」

 

 ニヤリとイヤラしくサキュロントは笑った。

 そうして、サキュロントは警備の者を連れて荷馬車2台で『ゴウン屋敷』近くへと向かった。

 彼等には、リットン伯からの指示で『アインズ一行の会談への送迎』が伝えられていた為、送迎の馬車が特定の場所を通過するのを見てから、屋敷へ踏み入る手段を取った。

 このため、屋敷周辺を常に見ていたソリュシャンの警戒網には引っかからなかったのだ。

 ゴドウの操る馬車がゴウン屋敷を出てから僅かに3分。

 再び屋敷のベルが鳴る。

 初め、時間的に御主人様達が忘れ物かと思い、ツアレが玄関ホールまで最初に出て来ていた。

 そして続けて僅かに遅れて玄関ホールに来たユリだが、門は閉めたはずなのに玄関前の石畳のロータリーに響く多人数の駆ける足音に気が付いた。それは屋敷を囲むように散開する。

 この時、上の階から玄関ホールの両端に掛かる階段をメイベラやマーリン達も降りてきた。

 ユリは、扉へ近付こうとしたツアレを止める。

 

「待ちなさい、ツアレ。これは――悪意のある侵入者達です」

「えっ、えぇっ?! ぁあ、どうすれば……」

 

 ツアレはアインズが居ないため、僅かに動揺しかける。

 

「貴方は年長者として、この後ろの階段の踊り場でメイベラ達姉妹を守りなさいっ」

 

 伝えてくるユリの声と表情は、真剣そのもの。

 あの出会った時に、馬車の前へ飛び出し叱られた時の厳しいものだ。

 

「は、はいっ。でも、ユリ様は――」

 

 そうなると悪意のある侵入者の矢面に立つのは、ユリ一人なのだ。

 しかし、ツアレに背を向け正面玄関へと近付きながらメイド長は力強く宣言する。

 

「――大丈夫、心配はいらない。アインズ様から命じられているんだ。ツアレ達は――ボクが守るよ」

 

 その両拳にグッと気迫が籠る。そうしてユリは扉を開けた。

 屋敷の門は確かに閉まっていた。

 しかし、招かれざる客らの影は既に玄関前のロータリーに立っていた。

 

 一方、侵入者のサキュロントらは、ランプが灯る玄関から現れた女に絶句していた。

 美人過ぎたのだ。スラリとした身長のある色白で胸も豊かな眼鏡美人。夜会巻きの髪と項が艶っぽい。

 

「…………………………お、お前が元高級娼婦だな? 抵抗するな、痛い目に遭うぞ」

 

 サキュロントとしては疑う余地がない。こんないい女は見たことがなかった。

 恐らくボスのゼロが囲っている女でもこれほどの高級娼婦はいないだろう。

 あとはこの女を捕まえて連れて行くだけである。

 この時ユリがサキュロントの問いを無視して尋ね返す。

 

「一つ尋ねますけれど、貴方達はこのお屋敷の主に断って、ここへ侵入したのでしょうね?」

 

 その問いに改めてサキュロントも半分無視する。それは決定的となる脅しを掛ける為に。

 

「ははははっ。教えてやろう、俺達は八本指の〝六腕〟に連なる者だ。お前も元高級娼婦ならこの国の裏社会の大部分を仕切っている組織の名ぐらい聞いたことがあるだろう? 生憎だが夜の世界じゃ、お前のご主人様程度に断る必要なんかは微塵もねぇのよ」

 

 一般の市民や商人達では、八本指の系列と争うことすら難しかった。その場合、こちらも知人やコネを総動員して貴族や王族の息の掛かった商人らを仲介に立てるなど組織を以って当たらなければ示談は難しい。

 それに対して八本指本体との問題ともなると、大貴族以上が直接仲介しないとどうにもならない水準に上がる。

 今回は警備部門長のゼロから命じられた『六腕』の威信が掛かる行動であり、それをも越えた行為になっている。

 つまり誰にも文句も邪魔もされない自身がサキュロントにはあった。

 だが。

 

「そう、八本指ね。――じゃあ、これぐらいのお仕置きならいいでしょう」

「はぁ? ――――っ」

 

 結局、話が全く噛み合わないまま決着へと進む。

 サキュロントの頑丈なはずの頭蓋骨が、軋みを上げて「ゴガッ」と鳴った気がした。

 全く反応出来ない速度であった。

 次の瞬間、彼は門近くの地べたに飛ばされ転がっていた。

 サキュロントは、あまりに速い攻撃を受け、何が起こったのか分からず混乱する。

 

「ぁ……ぁあ……? な…………、な()が……?」

 

 周りの警備の男達もそのメイドの動きが現実だと思えず、戦慄に固まっていた。

 また、よく見ると彼女のメイド服が――戦闘メイド服に変わっていた。

 ユリは、たった一発の軽い拳ながら、猛烈であったダメージに脳震盪で動けず石畳みに転がるサキュロントへゆっくりと歩いて近付くと冷たく声を放つ。

 

「良かったですね。アインズ様の指示が事前にあって。なければ、貴方を確実に殴り殺していましたので」

 

 一応、まだ八本指の者達は殺すな(半殺しは可)と指示が出ていた。そうでなければこの不快である行動に命はない。

 サキュロントは震える。

 ふと眼鏡越しに目が合った絶世の美女と言える彼女の瞳だが、それは恐ろしく冷たく、完全に殺しに掛かってきていた目であった……。

 

「ひ………ひぃぃーっ、わ………悪かっ()………謝()………」

「ダメダメっ。悪い子達には〝キッチリ〟とお仕置きが必要ですっ」

 

 ユリは教師風に語り、屋敷周辺にいる警備の男達を見回すと視界に入れた。

 そして40秒後――ユリ以外に庭内で意識の有る者はいなかった……。

 ただし、ここで一つ困ったことが起こる。

 ユリはアインズから〈伝言(メッセージ)〉を受けることは出来るが、巻物(スクロール)で〈伝言〉を起動出来ないのだ。連絡する手段が無かった。

 でも会合の場所は、(あるじ)と共に地図を見ており知っていた。

 ユリはツアレ達に戸締りを頼むと、サキュロントらが2台で乗り付けて来た荷馬車の1台に馬を縦連結で繋ぎ換え、手や足を折った警備の者全員を纏めて荷台へ放り込むと、御者席で手綱を握り「ハイヤーっ」と叫び駆け出していく。4分程全速で馬を走らせると、そこで警備の男達を乗せた馬車を乗り捨てる。勿論車軸は拳でへし折っていく。

 これで、怪我人だらけの警備の者らは、ゴウン屋敷へ直ぐには近付けない。

 そこからユリは、ボコボコにして完全に気絶させているサキュロントを担いで移動した。

 彼女の脚力なら数分でアインズの乗る馬車まで追いつけると――。

 そして、馬車後方を飛んでいる不可視化中のナーベラルを捕まえると、ナーベラルからアインズへ〈伝言(メッセージ)〉を繋ぎ、アインズからユリへ〈伝言(メッセージ)〉を繋いでもらう形で全貌が伝わった。

 そしてナーベラルは屋敷へ〈転移(テレポーテーション)〉で帰ってもらうと、アインズの一行に装備機能で不可視化した戦闘メイド姿のユリ・アルファが白目をむくサキュロントを担いで続いていた……。

 

 

 

* * *

 

 

 

「……こ……この化け物が……いた……んだ。……無理」

 

 ゼロの視線は、扉の破壊された戸枠付近に、仁王立ちでいる一人の人物へと向かう。

 それはメイド服の女であった。しかも超絶といえる眼鏡美人。

 だが、少し変わったメイド服の両腕には、スパイクの付いた強力さ滲むガントレットがはまり、血に染まっていた……。

 そのギャップが、この場の者達の目に震える程異様な光景として映る。

 目の前の魔法詠唱者(マジック・キャスター)に仕えるのは、メイドの女ですらこの戦闘力と言わんばかりだ。

 

「アインズ様、ご指示通り向こう側は制圧しました。全員息は有ると思いますが」

「ありがとう、ユリ。お前は、そこで待っていろ」

「はい」

 

 何事も無かったようにアインズの命に従い静かにそこへ佇むメイド。

 ゼロはさらに気付く。彼女の後方の廊下には気絶する警備の者達がずっと先まで倒れているのが見えた。視界内だけで12人倒れている。

 もしかすると、すでに言葉通り、向こう側の地下屋敷内の警備者全員がやられているかもしれない……。

 アインズがこの場の者へ告げる。

 

「余興の力試し(デモンストレーション)はこの辺でいいかな?」

 

 だが、その言葉が終らない内に――奥に座っていた薄絹の女が動く。

 幾つかの煌めきが宙に舞ったのを見た支配者は、『ガンナー』らに命じる。

 

「――シズ、ソリュシャン、ルベド!」

 

 次の瞬間に、シズの構える魔銃『死の銃(デス・ガン)』から放たれるタタタという乾いた一瞬の機械音と「あぐっ」と言う女の声が室内に反響する。

 それと同時に、8つの飛行体が一瞬で撃ち落とされ、鋭い刃を見せて床へと転がった。それを放った薄絹の女は両肩を同時に魔弾で抉られるように貫通され、席の背もたれに叩きつけられる。

 同じく戦闘へと立ち上がり掛けた鎧の男は、その自慢のうねる特殊仕様の剣を抜く事も無く、いつの間にか横に立っていたソリュシャンの握る短剣に分厚い鎧ごと利き腕を切断されていた。

 利き手を失った鎧の男は「ぐあぁぁぁーー」と叫び、血を流す腕を抱えて蹲る。

 また、クレマンティーヌの一撃に近いとさえ言われるレイピアの『突き』を持つ優男は、机に脚を放り出したまま微動だに出来ずいた。

 何故なら、机の前にはもうルベドが立っていた。勿論、天使の輪と翼は隠したままだ。そして、優男の喉元にはすでに皮と肉を突き破り5センチほどルベドの握る聖剣シュトレト・ペインの分厚い切っ先の『突き』が、気道と頸動脈をワザとはずされてめり込んでいた……。

 そして、フードを被るローブの男――。

 

「舐めるなよ、人間。――――〈火球(ファイヤーボール)〉、〈火球〉、〈火球〉っ!」

 

 咄嗟に〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉で机の席から消え、アインズの左側面に出現した『六腕』のローブの男が、近距離から〈火球〉を高速で連射する。

 〈火球(ファイヤーボール)〉自体が高位の魔法なのだが、それを連発出来る者というのは余りいないのである。

 その三連射された〈火球(ファイヤーボール)〉は、見事に全弾アインズへと命中する。

 傍にまだ倒れていたサキュロントが「熱っ、あっちい!」と掛かる火炎から怪我を推して転がって逃げる程だ。

 しかし――。

 

「〈火球(ファイヤーボール)〉か、残念。私には全く効かないな」

 

 三連弾の〈火球〉を受けたはずのアインズはノーダメージの様子で言葉を返した。

 ローブの男は、仮面の男の言葉を信じられない。被るフードから僅かに見えるカピカピに乾ききった唇が震えていた。

 

「……そ、そんな馬鹿な事が……〈反射〉されたわけでもなく。魔法の威力は一体何処へ行ったのだ……骨の竜(スケリトル・ドラゴン)ではあるまいし……〈抵抗(レジスト)〉か?」

 

 アインズは常時発動型特殊技術(パッシブスキル)として〈上位物理無効化〉に加え、〈上位魔法無効化〉も備えているため、Lv.60以下のデータ量の少ない攻撃はほぼ全て、〈火球(ファイヤーボール)〉も勿論、完全無効化される。

 だがこの世界でまさに無双出来る、そんな神掛かり的といえる能力の存在に納得できるはずもない。

 

「(いや、単純に無効化なんだけどな)ん……?(このローブの男、アンデッドか?)」

 

 フード付きローブの男の先程の『舐めるなよ、人間』発言が気になったアインズは、アンデッドを探知する〈不死の祝福〉の特殊技術(スキル)を起動したが、それがこの男に反応していた……。

 アインズは親近感を僅かに覚え、目の前の男へ尋ねる。

 

「……お前の名は? 私は先に名乗ったぞ?」

「俺は―――デイバーノックだ」

 

 ここで、会話が終わっておけば良かったのかもしれない。いや、二人の会話は終わっていたのだ。

 しかし、『六腕』でない他の一団の中に、このフードで顔を隠す魔法詠唱者(マジック・キャスター)の強さを伝えようとしたのだろうが――とんでもなく無責任な外野がいたのだ……。

 

 

 

「その人はなー、“不死王”デイバーノックとよばれてるんだぞぉぉぉーーーーー!」

 

 

 

 その瞬間に、この場の空気が――『ガチン』と凍った。

 もちろん、凍らせたのは『不死王』という二つ名である。

 プレアデス達とルベドからの殺気が尋常ではない。

 その二つ名は、至高の御方であり彼女らの主にのみ相応しい物であると。

 ――紛いモノはイラナイノダ。

 彼女達はハモりながら確認するように呟く。

 

「「「「不死王……?」」」」

 

 気が付けば、“不死王”デイバーノックの周りは、その場で待機を命じられていたユリを除く3名が間近で取り囲んでいた……。

 

 “不死王”であるはずのデイバーノックは、3名の美しい娘達の瞬間移動したかに感じる逸脱した動きが死神に思え――――死を直感する。

 

 先程から尋常ではない殺気により、この場の皆が金縛りにあった形で固まっていた。

 ――しかしその時である。

 至高の御方自身から救いの声が掛かった。

 

 

 

「“不死王”? ――いいではないか。この(脆弱な)王国での“不死王”ということで……相応しいとは思わないか、お前達?」

 

 

 

 この時点で、もう不満を感じることはユリやソリュシャンらプレアデス達には出来ない。

 

「「はっ、御言葉のままに」」

「……御意」

 

 そう言ってアインズへと跪いた。

 ルベドだけは、デイバーノックの脇で仁王立ちのまま、まだ納得出来ていない様子。

 すると、アインズが右手で彼女へコイコイと傍へと招く。

 少し小柄のルベドは口を不満げにへの字に曲げ右肩に聖剣を担ぐと、トコトコ歩いて近付いて来た。

 支配者は目の前まで来たルベドの頭を、優しく撫でてやる。

 すると、徐々に不満げにへの字に曲げていた口許へニヤニヤが戻った。

 

 先程まで、真剣の上を素足で歩くような、恐ろしい殺気で充満していたこの場の空気が完全に和んでいた……。

 すでに、『六腕』の傷ついたメンバー達は、身に付けている治療薬(ポーション)を飲んで、回復に入っている。

 もうこの場の雰囲気が、アインズ側のものに染まろうとしていたその時。

 

 

「なんなんだ、この茶番はっ!!」

 

 

 ここで怒気を含み叫んだのは、相変わらず奥の席で机に両脚を放り出しふんぞり返っていた『八本指』の警備部門責任者で『六腕』のリーダー〝闘鬼〟ゼロであった。

 その言葉に、アインズが余裕を持って答える。

 

「おいおい。仕掛けてきたのは、そちらが先だぞ? まだやるつもりならば、今度はお前自身が掛かってくればどうだ。納得いくまで――この私が直接相手をしてやろう」

 

 絶対的支配者は、手を広げて掛かって来いとアピールする。

 次の1コンマの瞬間の後、周辺の大机を吹き飛ばし一直線に突っ込んで来たゼロの強烈な全力全開の一撃がアインズの腹部にめり込む――ように当たった。

 凄まじい衝撃波と爆音が部屋へと広がる。

 

 

 だが、それを受けたアインズは1ミリも下がっていなかった。

 

 

 その事実に、ゼロの方が恐怖し三歩下がる。

 

「な、な、なにぃ。なぜだぁ。どうなっているっ。今のは、鋼鉄の分厚い扉をも軽く貫く俺様の全てのスペルタトゥーを全開にした上での、合わせ技の究極の“一撃”だったのだぞっ!!」

 

 ゼロが踏み込んだ床はひび割れ、足形で数センチ沈み込んでおり、震脚をも加えた恐るべき一撃だったはずなのだ。

 漆黒のローブを纏う仮面のアインズは、それに対し淡々と答える。

 

 

 

「お前達の常識で語るな。本当の究極はもっと上に有る事を知れ。そもそも今の一撃程度では、竜王どころか――百竜長も倒せまい」

 

 

 

 ゼロは、真の強者の言葉に愕然となる。

 その両手を震えながら見詰め、崩れるようにその場へと膝を突いた。

 アインズは、その姿を見詰めたあと周りに固まる者らを見回すとこう静かに告げた。

 

「そろそろ皆、席について会議を始めようではないか。その前に、私は先に名乗ったのだ、もうそちらの自己紹介があってもいい頃だろう? そうでなければ呼び方が分からなくて困る」

 

 間もなく、床や天井に焦げ跡が残り、扉のぶっ壊れたままの部屋で、大机を並べ直しての対竜軍団作戦会議が始まった。

 もちろん、その席で奥の上座に座ったのはアインズ達一行である――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の王都の朝は、雲の少ない清々しい夏の青空がどこまでも広がっていた。

 都市内の神殿の塔にある大時計の時刻は、朝の9時を指そうとしている。

 本日、王城から大臣とともに竜軍団への和平の使者が出発する。

 一行は大臣他、護衛の騎士8名と第三位階魔法詠唱者1名。

 戦車1台、馬車2台の隊列を組み旧エ・アセナルの北側の竜軍団宿営地を目指す。

 移動に4日で、会見予定は5日後だ。

 これに加えて、本来先に出るはずのアポイントの使者として第三位階魔法詠唱者1名も同行する。

 直前のアポイントの成否に関わらず、和平の使者は竜軍団へ接触することになっている。

 

 

 ――これは決死隊なのである。

 

 

 ここに加わっている第三位階魔法詠唱者2名は、先日王国軍よりエ・アセナル偵察を言い渡され、昨日『朱の雫』の報告のあとに戻って来た者達であった。

 伝えられた内容は、上空を偵察する(ドラゴン)達のために近寄れず、『蒼の薔薇』や『朱の雫』らに比べ精度の低い内容にとどまる。

 しかし、現地を良く知っているということで再度メンバーに組み込まれた……死ねと言うのだろうか。

 それでも今は、王国の明日への希望のために再び行ってもらうしかない。

 勿論、慈悲深い国王ランポッサIII世は、彼ら和平の使者の家族達への手厚い待遇の将来を約束して送り出している。

 大臣を初め、王国や家族の為に死ぬ覚悟で臨む者達の表情は、まさに気迫があった。

 

「では、行ってまいります、陛下」

 

 戦略会議の折には、国王の視線にイヤイヤをしていたあの大臣は、腹を括った漢の顔をしていた。

 

「最善を尽くしてくれ。――守るべき者達の為にも」

 

 ランポッサIII世はあえて、『王国のために』とは言わなかった。

 それは、人が強く動くにはまず身近な『利』が必要だからである。親しい者達を守る思いは個人的なことかもしれないが、それが今回は結果的に国をも救う事に繋がる。

 今は、手段などどうでもいい。

 

 ただ結果だけが必要なのだ――。

 

 

「はっ。朗報をお持ちください」

 

 こうして、馬車に乗り込んだ大臣達は、王都のロ・レンテ城より出発していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. おかえりなさいませっ、ご主人様っ!

 

 

 ここは王都の南東部に位置している、王都内に数か所ある閑静な高級住宅街の一角。

 そこへ50メートル四方程の敷地に小さい林も見える部屋数20程を数える三階建ての洋館が建つ。

 住人達が屋敷の所有者である仮面のご主人様に初めて会ってから、4日が過ぎていた。

 昨日からこの屋敷の門柱には、王国の文字で番地と共に『ゴウン』の名の入った表札が掲げられている。

 それは差出人がゴウンの名で届けられるも実は偽名で、リットン伯が書簡での行動を効果的に促すために送ってきていた。

 しかし、この屋敷のメイド達であるリッセンバッハ三姉妹には気付きようもなく思惑通り丁寧に設置されている。

 今日は朝から特に用件も無いため、黒紅色のメイド服姿の姉妹達は仲良く日課である屋敷内の掃除に勤しんでいた。

 肩程で揃えた黒赤毛髪の長女メイベラは家事室と一階を、腰程まで一本の三つ編み髪の次女マーリンは庭と馬車庫、厩舎周りを、顔に少しそばかすのあるツインテールの三女キャロルは二階と三階の清掃である。

 彼女達は――不思議に思っている。

 この屋敷へは、両親の借金の(かた)の一部として、いきなりの終身雇用の身で連れて来られていた。それは衣食住のみはあるが、賃金はほぼ無しという奴隷的待遇を意味する。

 後日屋敷へやって来る貴族に仕える使用人達からも、最下層の扱いを受け地獄を見ると思えたし、それ以前に主人からは毎夜肉欲的奉仕を強要されるとすら考えていた……。

 しかし現実には今のところ、やって来たご主人様からの無茶な要望はなく、それどころかとても気を使われている。

 同伴してきた美しい女の子達は、ご主人様に同行して王城の宮殿に滞在しているという。

 だから現状、この邸宅へ姉妹三人だけで仲良く平和に住んでいる状況である……。

 更に当面の維持管理費として金貨10枚も渡されていた。

 天と地……そんな風にすら現状を感じている。

 彼女達は、もちろん分をわきまえて必要雑貨しか購入していないし、一階の片隅にある使用人部屋の一つで三姉妹は共に寝起きしている。

 

 さて、担当の掃除を終えたメイベラが「行ってきます」と買い物へと外出した。

 20分程歩いた市場の各商店へ買い物に寄る度、店の主人らから今は竜軍団の件で買い占めや買い溜めが起こり物価だけが跳ね上がり、どこも凄く大変と言う話ばかりを聞く。

 幸いどういう訳か、お屋敷の薪と小麦粉等は、裏の倉庫に山積されており当分は大丈夫に思えた。

 メイベラとマーリンはパンを自作で焼けるので主食に困ることはなさそうである。

 それでも野菜や肉類は、値がもう2倍近くまで随分と上がってきていた。

 しかし、健康に気を付けよと命じられているため、それを維持する為にケチる訳にはいかない。病弱だというメイドが居ては、立派なご主人様の風評にも差し障る為、メイベラはしっかりと選んで購入する。

 また姉妹達は、メイド服も臭わず清潔でアイロンも掛けた物を着用し身嗜みにも気を使っている。

 そういった生活へ余裕のある姿に、薄汚れや繕いのある服を着る街の下人や使用人達からは「いいわねぇ」と幾度か羨ましがられた。

 最近多くの仕事場で使用人達は、賃金も待遇もジリ貧で大変なのである。

 そして王国では中級の貴族や商人達以上でなければほぼ余裕はなくなってきていて、メイベラも自分達の異様といっていい待遇の良さに、未だ疑問符が並んでいる。

 

(そうなのよね……ご主人様は一体どのような身分で裕福なのかしら?)

 

 買い物から戻り、家事室で購入品を整理しながら市場の物価の上がり方に、これからは少し困るかもと考える。

 そんな平和な日常を過ごした夕方の五時を迎えた頃、門のベルが鳴った。

 メイベラは、家事室の門付近が見える窓から外を覗いた。

 すると門の傍の鉄柵越しに、先日ご主人様が乗って来た4頭の八足馬(スレイプニール)が牽引する漆黒の超高級馬車が止まっているのを見て慌てる。

 普段の午後3時には持ち場の仕事が終り、下の姉妹達は屋敷内に居るはずと、長女メイベラは家事室を出ると玄関ホールまで早歩きしながら叫ぶ。

 

「マーリンっ、キャロルっ、ご主人様がお戻りよーーーっ!!」

 

 すると、僅かに上階でドタバタとしつつも、妹達は15秒ほどで吹き抜けの階段を降りてホールへ集まってきた。

 三人は、顔を見合わせ頷き両開きの玄関扉を開けると、次女のマーリンと三女のキャロルが鉄柵門まで足早で進み「お帰りなさいませ」と告げながら急いで開放する。

 開かれた門から漆黒の馬車は、15メートル程の距離がある玄関まで移動。ロータリーとなっているところを回り、玄関前へ横付けされた。

 メイベラが紅い足拭きを馬車の扉の下へ置いていると姉妹達が戻って来て共に整列し出迎える。

 扉が開くと、シズらに、ルベドと続き、御者のユリも降りて来た。

 

「お帰りなさいませ」

 

 メイベラは、各人が降りてくるごとに一礼と声を掛けた。マーリンとキャロルも姉に合わせ礼で迎える。

 そして、4日振りに相変わらず仮面を付けた屋敷のご主人様であるアインズも降り立った。

 

「「「おかえりなさいませっ、ご主人様」」」

 

 アインズの時のみ、マーリンとキャロルも合わさった三姉妹の挨拶となった。

 すでに彼女達の人生は、この仮面の主人次第なのである。

 常に僅かの粗相もあってはいけない。

 特に長女のメイベラは、可能なら妹達の分まで責任を負うつもりでおり神経を集中している。

 先日は確かに優しい主人の姿であったが、あの短時間ではまだまだどういった人物なのか不明と言える。

 あれから数日色々考えていた。

 その一つで、もしかすると現状は単なる気紛れというかお遊びで、『優しくしてから地獄へ落とす』という手順かもしれないと。

 

 純粋に向けた笑顔を、苦痛の顔へと徐々に変えるのを楽しみ、そのあとで激しく蹂躙する……。

 

 そんな事も、両親が領主の貴族から受けたトラウマ的事例で経験済なのだ。

 だから本当に不安であった。

 貴族のみならず大商人らも信用できないと。

 しかしそんなメイベラへ、なんということだろう――。

 

「どうだ、何か困ったことなどなかったか?」

 

 ご主人様が先日と変わらず優しく気遣いの声を掛けてくれたのである。

 アインズは周囲の庭が掃除されている様子から、屋敷が管理されていることに満足していた。

 

「お前達だけに屋敷の管理を押し付ける形で任せてしまって、すまないと思っている」

「――――っ、ありがとうございます。大丈夫です。幸い今のところ、特に問題はございません」

「そうか。ご苦労」

「いえ……」

 

 夢じゃなかった……それが率直な彼女の気持ちだ。

 そして、『すまない』などという詫びの言葉を、貴族や大商人らから聞いたことが無い。

 驚きと感動の会話である。

 彼女らは、両親の店が貴族とその貴族の経営する商会に騙された上、気質も強面(こわもて)であった徴収部の者らから罵詈雑言を浴びせられ財産をむしり取られていく様をずっと見せられている。

 この時、アインズの言葉をメイベラだけでなくマーリンやキャロルも同じ思いで聞いていた。

 メイベラの頭には更に、先日の主人の出掛け際に浮かんだ考えが、確定に至る。

 

(間違いない。この方は――信用できる優しくて良いご主人様だわ)

 

 心の腐った者達は、持ち上げてくる場合もどこか『腑に落ちなさ』『不自然さ』があるものなのだ。

 今回は、状況は突飛であるが、このご主人様からの言葉に変な裏を感じない。

 今の状況に対する素直な気持ちの言葉だとメイベラは納得出来ていた。

 

 しかし、これは……凄い事である。

 

 これほど裕福である人物なのに、最下層の者にも気を遣ってくれるという話は、余り聞いたことが無い。大抵は無視し、直接口すら聞くことは無いのだから。

 人が良かった自分の父親に少し似ている気がする――。

 だから騙されたのだが。

 

(あっ。もしかすると……このお優しいご主人様は、あの酷い領主のフューリス男爵に騙されているのかもしれない。そうでなければ繋がりが分からない……。でもそれなら――あの憎い鬼畜極まる貴族のやり方を良く知っている私達がお助けしないとっ)

 

 メイベラの心に、新たな『このご主人様を守って差し上げたい』との決意が広がった。

 その彼女の瞳に居並ぶ美女達が映っているが、ふと先日に比べて二人増えていることに気が付く。

 その時にアインズから告げられる。

 

「今晩は夜中に会合があるが戻ればここで一泊する。王城から晩餐用に食材を運んできている。この後、馬車を片付ける際に載せてある食材を運び出しておいてくれ」

「はい、畏まりました」

「あと一応、屋敷で気付いた事などをユリとツアレに知らせておいてくれ……っと、そうか、初顔合わせが二人いるな。ついでだから今、紹介しておこう。この者が、ソリュシャン、そしてツアレだ。ユリ達の事はわかるな?」

「はい。ソリュシャン様、ツアレ様、よろしくお願いします」

 

 姉のメイベラに続きマーリンとキャロルも「よろしくお願いします」とソリュシャンとツアレに向かい一礼する。

 ソリュシャンは、すでにこの娘達がアインズの名で庇護下に入っている事を知っているので「よろしくですわ」と普通に答える。一方、『様』を付けられたツアレは少し複雑という表情である。ソリュシャンはゴウン家の一員であるが、自分は一使用人であり立場は明確にしておくべきだと考え、ツアレはここで伝える。

 

「あの、私はユリ様やソリュシャン様達と違い、あくまで使用人ですので、ツアレで構いません」

 

 メイベラと姉妹達は顔を見合わせる。しかし、家内での上下関係は重要で明確にしておかなければならない。この場はツアレの言い分を採用する。あとで詳しく聞けばいいと。

 ツアレは落ち着いた年上風であり少なくとも傍仕えであることから、敬称を付けるべきとメイベラは考えた。

 

「では、ツアレさんと。私達姉妹のことは、メイベラ、マーリン、キャロルと呼び捨ててください」

「わかりました。メイベラ、マーリン、キャロル、よろしくです」

 

 偶然にも似た境遇の彼女らは、互いに笑顔を交わした。

 挨拶も終わり、アインズ一行の多くは二階のベランダの有る広い居間へと移動する。

 マーリンとキャロルが八足馬(スレイプニール)の馬車を馬車庫と厩舎へと移動させる。

 台車も用意しており、この後、馬車の荷物室の食材を下ろして運ぶ予定だ。

 メイベラは、ユリとツアレを家事室へまず案内する。

 ここで、ユリは飲み物を主人へ出すよう指示する。三人で準備し、ツアレに届けさせる。戻って来るのをユリらは器具等の具合を確認しながら待ち、続いて倉庫へと簡単に案内してもらう。

 やがて再び家事室へ戻ると、間もなくマーリン、キャロルが食材の山を台車に乗せて裏口から中へ入って来る。

 家事周りを把握したユリがこの場で一応、自身が『ゴウン屋敷』のメイド長を兼任する事を伝える。不在の場合は、メイベラに屋敷メイド長代理を命じた。

 ツアレよりもメイベラ達の方が明らかに手慣れていると見たからだ。それに、ツアレは王城側の手伝いとして必要と考えている。

 ここ数日、就寝前と朝の時間にユリからメイドの特訓を受けているツアレも見込みは十分にある。彼女の覚えや仕事はそう悪くない。

 既に午後5時20分を過ぎており、5名は慌ただしく晩餐の用意を開始した。

 多くの食材を洗いながらメイベラは、近くで芋の皮をせっせとむいている穏やかで笑顔の多い美人のツアレへふと目を向ける。

 ご主人様が、4日前よりも美人女性の数を増やして連れて来ている事が気になったのだ……。

 裾の短いメイド服風の武装衣装の美女ソリュシャン。そしてユリと同じ型のメイド服を着た美人のツアレである。

 メイベラ達も親の店のあった街では美少女三姉妹と言われていたが、ご主人様の連れている女の子達の誰にも全く勝てている気がしなかった。

 だが重要なのはそこではない。

 この王国では、美人娘の辿る人生が幸せと言える形で終わる者の方が――明らかに少ない。

 もちろんそれは腐った貴族など、権力階級者からの私利私欲の圧力や暴力的強制搾取、蹂躙によるものだ。

 その為、王国内の力の無い美しく可憐な乙女達の表情は、多くに影があり冴えない。

 対してツアレやユリ、ルベドらの凄く美人の娘達が皆、自然に慕う笑顔の姿でご主人様の傍へ仕えている風に見える。改めて気付けば、自分もそういう表情と気持ちで頑張ろうとしていた。

 これは、アインズ・ウール・ゴウンという人物が、稀なる仁徳者であるということの証。

 ただ、若い彼女は僅かに頬を赤くし、少し妄想豊かに想像する。

 

(もしかするとご主人様は――――よ、夜の生活でもお優しいのかもしれない……)

 

 ご主人様も男性ということと周囲の美女陣の雰囲気を見れば、一番しっくりする考えだ。

 恐らく圧迫や強制という部分がない情愛の世界なのだろう。

 それは、自然にご主人様へ魅かれているということかもしれない。

 

(………自分も……?)

 

 メイベラはブンブンと首を振り、調理作業へ戻った。

 

 二階へと上がり、居間のソファーに座って一度落ち着いたアインズだが、前回に屋敷内は見て回ったため、ふと「庭を見てくるか」と言葉を口にし席を立つ。

 もちろんその後ろを、ぞろぞろとルベド達に不可視化のナーベラルも続く。

 絶対的支配者の意向に従うのが、ナザリック配下の者達の務めである。

 

(うーん、一人がいいとは言えないかぁ……)

 

 アインズ的には、ひっそり一人でのんびりしたかったのだが。

 玄関ホールの吹き抜けの階段を降りる途中で、ツアレが飲み物を持って上がってこようとしていた。

 端へ寄り畏まるツアレにはとりあえず庭行きを伝え、「後で飲むので居間へ置いて下がっていいぞ」と伝えておく。

 そうして、玄関から建物を左へ回る形で周回していく。

 玄関から門までは約15メートル。玄関前はロータリーだ。ロータリーの中心にはお決まりの小さな噴水が見える。正面中央に玄関のあるこの屋敷を中心に10メートル程の側面側と裏側は奥行で20メートルぐらいの空間がある。

 林は屋敷正面から見て右裏奥に広がっている。林と建物との間は適度に距離があるので、室内が暗すぎるということはない。

 この屋敷は、カルネ村のゴウン邸に比べて10倍程広いだろう。

 庭を周回中に、アインズはあえて感想を述べなかった。

 その周りで、ソリュシャンが盛んに「どこもかしこも、至高の御方の滞在される場所に相応しいとは言い難いですわ」と小声でブツブツ言っている。

 ルベドは、仲良し姉妹がいればどこでも気にしない様子。シズは妹の意見を「……でも……アインズ様容認」と宥める。それによりソリュシャンも渋々「そうですわね、仕方ありません。至高の御方の盾となって散るべく、如何なる場所へもお傍に付いて行くのみですわ」と締めくくり一行は屋敷へと戻って行く。

 

 家事室ではユリを中心に、晩餐の準備が進む。

 ユリの指示するレシピによって、ツアレ、メイベラ、マーリン、キャロルが食材を洗ったり、カットしたり、軽く焼いたり茹でたり、煮込んだりと下ごしらえを進め、最終的な調理をユリが担当し、彼女の指示で皿へと盛り付けてゆく。

 用意しているのは全7品からなるコースだ。

 ツアレ達がユリを褒めたたえるも、ユリとしては本来のナザリックの水準である副料理長らにはまだまだ全然届いていないと考えている。

 しかし、配下の人間達を前に、ディナーが無いなどと御方へ恥を掻かせるわけにはいかない。その為に形だけでもと用意していた。

 だが、それは中規模商人の水準であったリッセンバッハの家でも並べられた事の無い貴賓性がある料理であった。

 十分にユリの思惑は達成出来たと言える。

 それらの料理は、洋館一階の家事室に隣接する食堂で振る舞われた。

 料理が完成する少し前に、マーリンによって二階の居間のアインズ達へ知らされる。

 

「そろそろご夕食の用意が整います。ご主人様を初め皆さん、一階の食堂へお越しください」

「よし。では……ん?」

 

 席を立ち上がったアインズは、振り返りながら扉の所に立つ髪が『一本三つ編み』のマーリンを見て気が付き尋ねる。

 

「マーリンは、時々眼鏡を掛けているのか?」

 

 出迎え時などこれまで付けていなかったが、今の彼女は黒縁の丸眼鏡を付けていた。

 ナザリック勢でも眼鏡は、銀縁丸眼鏡のデミウルゴスと黒縁横長角丸眼鏡のユリしか付けていない為、ある意味貴重な人材にあたる。

 気弱であったマーリンは一瞬焦る。調理作業で効率を上げるため付けていたが、緊張して直前に外すのを忘れていたのだ。特徴があると目を付けられ酷い目に遭うかもしれないという理由で外していた。

 しかし、家事室で姉に「大丈夫。信用できる優しくて良いご主人様よ」と、先程聞かされてここへ送り出されており素直に答える。

 

「は、はい。でも、その……変に目立ってはいけないと思いまして……」

「ははっ。ユリも付けているのだ。目立つと言うことはない。気にせず付けたい時に付ければいい。似合っているしな」

「あぅ。は、はいっ。ありがとうございます、そうさせて頂きます」

「うむ。では、皆行こうか」

 

 アインズの言葉に、ルベドらも食堂へ向かい居間を出て一階へ降りて行く。

 知らせ役のマーリンは、全員が退出した居間の扉を静かに閉め『ほっ』と胸を撫で下ろし呟く。

 

「本当に優しいご主人様みたい……良かった、メイベラ姉さん」

 

 ここに、また一人眼鏡美少女が現れた。

 

 食堂には15人ほど座れて脚に彫刻細工のある長テーブルがあり、きちんと白いテーブルクロスが掛けられ、三又の形をした銀製の蝋燭立てに明かりが灯り花も飾られている。

 アインズを上座にその斜め両側へルベド達が座った。

 給仕にはメイベラが立つ。蝋燭の炎に浮かび上がるその表情と姿は中々に綺麗である。

 この時、彼女の目が釘付けになった。

 ご主人様の右手があの仮面を掴み外したからである。準備に出入りしていたマーリンとキャロルも一瞬足を止めて見入る。ツアレはすでに何度か見ており作業を続けていた。

 そこにあったのは、金髪の前髪が見えるギリギリ青年であろう人物の顔であった。

 一応アインズにより、元の幻影を平均以上にと調整された顔である……その顔で安心した様に三姉妹は微笑みの会釈をして作業に戻っていく。

 

(うーん。やはりこっちの顔の方が受けがいいなぁ。まあ、この肉の付いた顔で売り込むつもりはないんだけど……)

 

 アインズは泰然としている振りをしているが……男として複雑な心境であった。

 晩餐は、出来立ての料理がひと品ずつ順にワゴンに乗せられ、ツアレ達によって運ばれ下げられていく形式だ。

 テーブルマナーもきちんと身に付けているアインズに抜かりは無い。

 午後6時半過ぎに始まった晩餐会も無事にクリアし、少し落ち着いた後、再び仮面を付けた支配者とシズ達は二階の居間へと移動する。

 7時半を前にした頃、家事室では少し遅くなったが、晩餐会のメニューを少しアレンジした夕食がユリにより振る舞われた。

 しかし……ツアレと、リッセンバッハ姉妹は困惑する。

 

 豪華であったのだ。庶民には余りに。

 

 基本食材を、王城から持ってきた事もあるが、市場での相場を知っているメイベラは特に。この一食でひと月分の食費が出そうな……いや完全に出るだろうという水準である。

 しかし、ユリは当然気にしない。

 

「もう作ってしまったのだし、食べるしかないでしょう?」

「は、はい、確かに」

「でもいいのかなぁ……私なんかが食べても」

 

 マーリンは納得するも、末の妹のキャロルが心配げに確認する。

 でもユリがハッキリと伝える。

 

「大丈夫よ。晩餐会もここの全員が協力して上手く出来たし。それに、アインズ様からも事前に言われていたのだから」

「え、ご主人様からですか?」

 

 ツアレの問いにユリが頷く。

 

「そうよ、だから有り難く頂かないと」

 

 御屋敷メイド長の声に皆が、感謝の気持ちから豊かな胸元に手を置いた。

 若干一名、ツインテールを可愛く揺らす小柄のキャロルだけはまだ薄く発展途上だが……。

 メイド達の豪華な夕食が終わり片付けが進む中、二階の居間へ飲み物の補充に上がったツアレが戻って来る。

 

「あの、ご主人様がリッセンバッハ姉妹へ尋ねたいことがあるとお呼びです」

「えっ」

 

 メイベラは小さく驚く。内心はもっと大きいのだが。

 一応、預かった維持管理費の使用分は書き出して付けており、ユリにも見せている。

 不正と思う事はしていない。それとも、掃除されていない所でもあったのだろうか。

 確かに外周の鉄柵や屋根に、屋敷の外壁までは磨いていない……。

 

「ここはもうツアレと二人で大丈夫よ。早くアインズ様の所へ向かいなさい」

 

 ユリの勧めに姉妹らと代わるツアレも頷く。ご主人様を待たせてはいけないと。

 メイベラもここはお待たせするのが罪と頷き、妹達と共に階段を急ぎ上がって行った。

 二階の居間は、広いバルコニーや大きな暖炉を備え、横と奥行きが共に10メートル程と結構広い。サイドボードや棚も充実し、そこにはまだそれほど古くない本も残されている。

 リッセンバッハ三姉妹は居間の扉を叩き、対応するソリュシャンに中へと誘導され、一人掛けのソファーへ悠然と座るアインズの前へ進む。

 長女のメイベラが、片肘を突き威厳漂う主人であるアインズへと尋ねる。

 

「私達をお呼びという事ですが……?」

「うむ。今日はまだ時間があるのでお前達と少し話をしようと思ったのだが。それで、少し気になっていた事も思い出してな」

 

 なんだろうと、メイベラは先程頭を過った内容で少し不安になった。

 アインズが話を続ける。

 

「まず、屋敷の門柱に“ゴウン”という鋼鉄の表札が付いていたのだが、あれの費用はどれほど掛かったのだ?」

 

 それは、メイベラが考えていた事とは全く違う質問であった。

 そして主人と何か齟齬があると感じながら述べる。

 

「あのぉ、鋼鉄の表札ですが、こちらでは購入しておりません。昨日、差出人がご主人様ということで届いたのですが……違うのですか?」

「なに?」

 

 アインズは、これは何者かが仕組んだ事だと知る。

 だが、爆弾と言う訳ではない。普通の表札を送りつけてきた……それも『ゴウン』という名でだ。

 その意味を考えると、おのずとアインズの思考に答えは出てくる。

 

「(……この屋敷が私の物だと強く考えさせたい訳だな――リットン伯爵)……この表札の件は解決した。送り主は、私の知っている者だ。忘れ物なのだろう」

「そ、そうですか」

 

 メイベラが完全には納得していない感じの返事をする。

 しかし、アインズはこれ以上この件の奥を話す気はない。先に話を進める。

 

「さて次だが……メイベラよ。先日、私がここへ来た時、お前は確か“生涯傍へお仕えするようにと言われて”と話していた気がするが――そんな事を誰に言われたんだ?」

 

 メイベラは思う。

 その時は覚悟を決めていたが、今思い返せば少し恥ずかしい話であったと。

 だが三姉妹の長女は、信用するご主人様へ素直に答える。

 

「それは、私達の暮らしていた街の領主だったフューリス男爵です。正確には男爵様からの指示だと配下の者に告げられて、ですが」

「フューリス男爵……フューリス? ん? どこかで聞いた名前だな……そうか」

 

 王国の貴族にフューリスを名乗る男爵家がいくつあるのか不明だが、少なくとも舞踏会の折、ソリュシャンに欲情し一夜を金貨で交渉してきた不快な馬鹿がいたのを思い出す。

 アインズは、メイベラへその経緯を尋ねる。

 すると、メイベラは口元を押さえながら幸せだった生活と優しい両親のことを思い出しつつ、フューリス男爵とその傘下の阿漕(あこぎ)さ極まる『フューリス商会』に両親の店が圧迫的な酷い取引の上で、資産を毟り取られ莫大な借金を負わされ、今は鉱山で強制労働者に身を落としている事を語った。

 そして最後の方は涙と鼻声で……同じ表情のマーリンとキャロルを抱きよせたメイベラが小さく呟く。

 

「……た……助けて……ください。優しかった両親を……」

 

 アインズはその瞬間は微動だにしない。

 それは、あくまでもこの国の弱肉強食の世界の話で関係が無いからだ。

 しかし今、リッセンバッハ三姉妹は、ナザリック庇護下で拠点でもあるこの屋敷を丁寧に管理してくれて役に立っている。

 この分の恩は返してやってもいいだろう。

 支配者は告げてやる。

 

「ふむ、なるほど。……確約は出来ないが、状況によっては助けてやれるかもしれない。しばらく掛かるだろうが待っていろ」

 

 その言葉に、頼んだ方のメイベラ達の方が驚く。

 

「えぇっ……ま、まさか、助けて頂けると? でも……相手は男爵様ですよ」

 

 国王ですらなかなか罰する事は出来ない。それが貴族である。

 貴族を罰するには、王家と六大貴族の六家と大貴族から持ち回りで四家が裁判官をする王国貴族裁判において裁判官の全員一致で有罪にしなければならない。裏で蜜月という関係があり、この百五十年間、必ず裁判官のうち一家が反対し有罪は出ていない。そして過去の有罪も領地の一部を没収された二家のみに留まる。

 

 それがこの王国の正義である……。

 

 裁判以外は直接的に決闘もあるが、結局本人らだけではない代理人参加戦である。その上、私兵や金銭で凄腕の戦士を助太刀に雇うので平民ではまず勝てないのだ。

 そんな無理と言える貴族相手にもメイベラの今の主はこう答えてくれた。

 

「ふん、まあ見ていろ」

 

 その落ち着いた態度や言葉はメイベラ達姉妹に希望を信じさせる。

 強大である貴族相手に、味方など一人もいないと思っていた。

 この主人の気持ちだけでも十分嬉しいものであった。

 三姉妹はその場へ膝を突き、両手を握り合わせ神に感謝する姿でアインズへ向かう。

 

「「「あ、ありがとうございます。本当にありがとうございます」」」

「礼は、実現したら改めて聞こう。さあ、皆立つがいい」

 

 娘らの姿にアインズは、謙虚に答えた。

 立ち上がりつつ、もはやリッセンバッハ三姉妹には目の前の人物が、偉大と呼ぶべき救世主に見えていた。

 そこで、気になったメイベラはついに興奮を抑え切れず尋ねる。

 

「あのぉ……ご主人様は、一体どのような地位の方なのですか?」

 

 アインズは静かに淡々と返した。

 

「私は、旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。先日、王国戦士長殿の部隊を偶然助けたことで王城に招かれている。そして、今は竜軍団の侵攻に備えて王都で待機している状態だな。この屋敷は、色々と協力することで与えられたものだ」

「「「…………っ!」」」

 

 メイベラ達三姉妹は凄い内容に絶句する。

 特にメイベラは、(あるじ)が単に、フューリス男爵に騙されている変わった服装の人の良い商人辺りではと、酷い勘違いしていたのも拍車を掛けた。

 恐るべき(ドラゴン)の大軍団の侵攻は、王都民の皆が知るところである。

 あるのは恐怖。

 皆の希望であるアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』が、(ドラゴン)を数体討ち取ったという話を市場のあちこちで噂に聞くも、同時に噂で大軍団と伝わる敵の全貌に不安はぬぐい去れるものでは無い。

 その中で、ご主人様のこの余裕の雰囲気である。

 それに、王国戦士長の部隊を助けたというのなら、すでに『英雄級』の人物と言える。

 

 本当にこの方は、王国の救世主なのかもしれない――と。

 

 そして自分達姉妹がここに居る状況や理由も理解出来た。貴族達からの貢ぎ物だという事を。

 

(((それって……実は女として名誉なことなのかも)))

 

 三姉妹は同じことを考えていた。

 確かにここに至る過程は酷い物であったが、その相手がご主人様というのなら拒む要素が見つからないように思える。

 英雄で、気前が良くて、優しくて、貴族を相手に両親まで助けてくれるかもしれない(あるじ)さまである。

 

(((……寧ろ、嬉しい……?)))

 

 結婚適齢期を迎えている姉妹達は内心で皆、複雑に広がる想いを感じつつあった。

 

 このあと、アインズは旧リッセンバッハ家とフューリス男爵の領地の正確な場所に付いて確認した。王国戦士長に頼んで少し調べてもらえばすぐに確定出来るだろう。

 しかし支配者はこのとき、この居間に残された多くの書籍が並ぶ本棚に目が行く。

 

「メイベラ、その本棚か屋敷内に王国の“貴族全集”といったものは残っていなかったか?」

「……あっ、確か一冊あったはずです」

 

 主人の質問に三女のキャロルが答えた。本好きで二階と三階の掃除を担当することが多い彼女は、残っていた百冊ほどの本について表題と内容を大まかに把握していた。

 キャロルは元気一杯に、頼れる希望の主人へ説明する。

 

「子孫が絶えての断絶や幾つか新しい家の興りがありますけど、男爵以上はこの二百年でも大きく変化はありませんし、フューリス男爵家は古いので多少昔の資料でも大丈夫かと」

 

 小柄の彼女が壁際の棚から1冊の分厚い大きな本を両手に抱えて出してくる。重さは5キロ程有りそうに見える。

 王国内の准男爵や勲爵士(騎士)も含めると1万数千家にもなるので、その大きさと分厚さになっていた。准男爵は世襲、勲爵士は一代限りであるが、勲爵士も子孫がいれば『一人で鎧を付けれる』といった甘々な試験でほぼ再度叙任されている。

 一方で、平民からの叙任は――基本ない。

 王国戦士長ですら勲爵士ではないという事から、その身分の壁というか、腐った感がハッキリとしていた。

 キャロルは、持って来た貴族全集をアインズのソファー横の脇机に置くと、表紙を開きフューリス男爵を検索する。

 男爵だけでも1000家程はあったが、男爵家でフューリスの名は『ただ一つ』であった。

 彼の男爵家では二つの街と八つの村を含む平均を上回る7平方キロ程を領地として治めている。領地人口は約2800人。領内には一部砦仕様の屋敷があるだけで、城はない。私兵の数は50名程。お抱え騎士は5名。軍馬12頭保有等々。

 街も有る為、領地内からの税収はそれなりにありそうだが、上納金や屋敷他、道路に橋や水路、井戸等公共の設備維持費、給金や兵の装備等必要経費、そしてその他にも戦争関連等の臨時的な経費を除くと余剰金は殆ど無いと考える。

 恐らく一定の期間毎で領内の商家の財産を没収して不足分に補填しているはずだ。

 そんな中、あの舞踏会で確か金貨80枚を提示してきたが、絶対に馬鹿だろう。

 とは言えアインズとしては、別に男爵が自領内で何をしようと、領民の血税と言える金貨を情事に100枚無駄に使われようが全然構わない。

 ただ絶対的支配者としては、その勝手なくだらない事象に配下達を巻き込もうとしたり、また――既に巻き込まれた新配下のお願いなども判断基準や焦点となる。

 これでもう一人、いつ消えてもいい不快である『玩具』が確定した。

 

「フューリス男爵についてよく分かった。本に気付いてくれた事と、綺麗な声で読んでくれてありがとう、キャロル」

 

 彼女が内容を読み上げてくれたため、翻訳眼鏡(モノクル)を使わずに助かった。

 

「あ、いえ、お役に立ててよかったですっ」

 

 アインズの横で可愛く膝を突いて本を開いていたリッセンバッハの末妹は、『綺麗な声』と言われて頬を僅かに赤くし嬉しそうに笑顔で微笑む。

 

 この時時刻は8時半を回った辺り。先ほどから小雨が降り始めている様子。

 まだ3時間ほど時間がありそうに思えた。

 キャロルが棚へと本を戻しに行くのを横目に、アインズはリッセンバッハの姉妹へ今まで重要に考えていた事を尋ね始める。

 

「メイベラ達は――吟遊詩人(バード)の話を聞いたことがあるか?」

 

 メイベラとマーリンは顔を見合わせる。キャロルも姉らのもとへ戻ってきつつ首を捻った。

 その様子に、アインズは良く考えれば彼女達も田舎の領地から連れて来られて、間が余りないことに気が付く。だが、吟遊詩人(バード)達が地方を回る事もあるかもしれないと僅かに期待し、彼女らの主人はヒント的に例を出す。

 

「んー、そうだな例えば、英雄譚的な事とかだ」

 

 アインズは、プレイヤーの情報を吟遊詩人が歌っているような事はないだろうかとずっと考えていた。

 ここは王都である。最も情報が集まり易いはずと考えていたのだ。

 すると、本好きのキャロルが元気に尋ねてくる。

 

「吟遊詩人の話は直接聞いたことがないのですが、えーとぉ、例えば十三英雄とかですか?」

「十三英雄……? (確かその一人が『黒騎士』とかで四大暗黒剣を持っているとかだったような。『漆黒の剣』達から聞いた話にあったけど……でもこれを知ってるのはモモンだしなぁ。ここで、言わない方がいいかな)実は、私は王国から離れた所からやって来ているので、この地域の英雄譚には疎くてな」

「そうなのですかっ、では、宜しければこの部屋に物語の本があるのでお読みしましょうか?」

 

 キャロルは先程、アインズにその声を褒められ、ご主人さまの役に立てればと胸に手を当て『お任せを』と申し出た。

 アインズとしては、十三英雄がどんな連中かを具体的に知る事が出来るかもしれないと考える。時間も結構有った。

 

「うむ。では、キャロルに少しの時間、朗読を頼もうか」

「はい。今、本を取ってきますね」

 

 キャロルは、先程の貴族全集とは少し離れた違う棚から、手軽に持てる程度な一冊の白いハードカバーの本を持ってきた。

 タイトルは『十三英雄の活躍』。

 「では」と、キャロルの綺麗な声が部屋に流れ始める。しかし……。

 

「――人類は最高の存在である。その人類が亜種を淘汰し、全てを統べるのが自然の摂理と言えよう。その最たる者達が十三英雄である――。彼らは人類の絶対――」

「待て待て」

「え?」

 

 思わず、アインズは朗読を中断させた。

 キャロルが、折角良い所なのにと首を傾げる。

 アインズは一応尋ねた。

 

「その本は――どこの出版だ?」

 

 キャロルは本を裏返すと、少し日焼けしている白の背表紙を確認した。

 

「え? えっとですねー、“擦レ印(すれいん)聖典出版”ですね。古くから私達人類を称賛する本を多く出している王国でも老舗のところです」

「……そ、そうか……続けてくれ」

「はいっ。――彼らは人類の絶対的守護者――」

 

 どう考えても法国からの工作企業だと思うのだが、王国的には構わないのだろうか。

 まあいいかとアインズは朗読を聞き続ける。

 40分ごとに休憩を挟み、キャロルに朗読してもらった。

 そして、3時間程が経過する。結局100ページ程進んだところで時間一杯となった。

 途中でユリとツアレも居間へと来たが、1時間ほど前からユリとメイベラ、マーリンはベッドメイクで、居間を後にしている。

 確かに十三英雄の話なのだが、やたら途中の内容に『人類は最高の存在である。』が洗脳するかのように繰り返し書かれていた。

 ただ内容は、非常に興味深いものであった。

 明らかにプレイヤー要素を含む十三人の人間の、未知の存在に挑む“冒険者”達。

 リーダーが使う武器が、結構強力なものであった。

 死者使い、白金の鎧の戦士、巨人の戦士長、暗殺者、エルフの王族、黒騎士等が登場し、どうやってリーダーと仲間になっていったのかが今のところ、話の大筋になっている。

 

(仲間集めか……懐かしいなぁ)

 

 アインズは、ユグドラシル時代を思い出しつつ、物語に少し引き込まれる度に、『人類は最高の存在である。』で我に返されたがそれなりには楽しめた。

 最後の少し前に、ソリュシャンから耳打ちされたが、お迎えも待っている様子。

 

「――な音を聞き、リーダーは思わず振り向いた。しかし――」

「キャロル、ありがとう。時間だ。今日はここまでにしよう。またその綺麗な声で頼む」

「は、はいっ」

 

 ソファーから立ち上がったアインズは、しおりを挟み本を胸に抱えたキャロルの頭を優しく撫でてやる。

 メイド服を着たキャロルの小柄の可愛い身体が、僅かにピクリと震えた。

 

(な、なんて心地いい――撫でなのっ!?)

 

 既に居間の扉からアインズの出て行く姿が見えるも、キャロルは顔を真っ赤にして立ちつくしてしまう。

 そんな末妹も、同じ経験のあるツアレに「はいはい、行きましょうね」と背中を押されて、一階の玄関フロアまで移動した。

 アインズを初め一同が揃う中で小さく門のベルが鳴る。

 玄関を開けると、暗闇の中の鉄柵沿いにランプの灯る馬車が見えていた。

 

「知り合いだから御者を招いてこい」

 

 アインズから、そう命じられメイベラが連れて来たのは、リットン伯から送られてきた黒服の男ゴドウであった。

 彼と目が合い、ツアレは僅かに身構えた。その事にリッセンバッハ姉妹は何か嫌なモノを感じ、戻って来たメイベラがツアレの前へと立つ形で、妹達がツアレに寄り添い守ってあげる。

 

「1週間ぶりでございます、ゴウン様。今宵は指定の場所への送迎に上がりました」

 

 そんなゴドウと会話を交わし、アインズは「では、しっかりと送迎をお願いしましょうか」とその申し出を受けた。

 ゴドウが門の外まで馬車を取りに戻る間に、アインズが屋敷へ居残るユリの前に立つ。

 巨躯で漆黒のローブ姿をしたアインズに対し、ナザリックの女子で身長が最も高い眼鏡美人のユリが並ぶと『主とメイド』という構図で絵になった。

 支配者は、この屋敷に到着してからこの時間まで、晩餐の間もずっと裏方を仕切ってくれていた事へ労いの言葉を掛ける。

 

「屋敷に入って以後、快適であった。夕食も良く出来ていたな、ありがとうユリ。この後も、ここの留守を頼むぞ」

 

 そう言って、ユリの綺麗な夜会巻の髪に掛からないよう、前頭側を優しく撫でる。さらに。

 

「うむ。もう、いつでも嫁に行けるな。あぁ、でもそうなったら私が困るか」

 

 アインズからのご褒美の撫でと、この言葉に肌の真っ白なユリは、顔だけでなく耳やチョークのある美しい(うなじ)まで真っ赤になる。

 

(やだぁ……アインズ様、皆の前なのに。ボクも困っちゃう……)

 

 満更でもない。

 眼鏡越しの上目遣いで見上げる御方と地面とを視線が往復する。

 やはり、敬愛する至高の御方に認められることがユリは嬉しい。

 居なくなったら困るとまで言われたのだ。なので。

 

(ボクは傍に居なくちゃならないんだ――盾以外としてもっ)

 

 そう胸に誓う、心はドキドキするも動死体として鼓動はドキドキしない、眼鏡美人の首無し騎士(デュラハン)であった。

 

 玄関へと横付けされた馬車に乗り込んだアインズとルベド、シズ、ソリュシャンの4名は深夜会合の場へと屋敷を後にする。

 先程屋敷で、朗読の前のリッセンバッハ三姉妹とのやり取りの間、絶対的支配者で至高の御方であるアインズは、実は―――一瞬斜め後方から差し貫くように鋭い視線の凄まじいプレッシャーを感じていた……。

 そして今、その視線をくれた馬車の向かい座席に座る天使と正面で目線が交わる。

 彼女はニコニコと改めてここで言葉をくれる。

 

「私は、(同志)アインズ様をずっと信じているから――――」

 

 裏切りなど許さないということだろうか?

 これは――ナザリックに対する、最高の脅し文句にも思える。

 彼女の笑顔と「くふふふ」という某可愛い声が思考の中でクロスする。

 

(やはり、アルベドの妹なのですね)

 

 アインズの頭には、最終日に置き土産を残していったタブラさんの姿が浮かんだ……。

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. ニニャ、邪魔される……

 

 

 (シルバー)級冒険者チーム『漆黒の剣』のメンバーは、竜軍団討伐の為、順調に王都への遠征の道を進んでいた。

 彼等は予定通り、エ・ランテル冒険者組合王都遠征隊を率いる組合長で、灰色の軍馬に騎乗するオリハルコン級冒険者のアインザックらと行動を合わせている。

 『漆黒の剣』のメンバーらは、王都までを徒歩により5日間で踏破の予定だ。一日の移動距離は60キロになるが問題はない。また結局、多くのチームがこのペースに合わせて行軍するようだ。

 『漆黒の剣』はリーダーのペテル・モークを先頭に、ルクルット・ボルブ、ニニャ、ダイン・ウッドワンダーのいつもの慣れた順番で街道を行く。

 この四人でチームを組んで既に2年近くが立とうとしている。

 ニニャにとっては、姉、師匠、そして彼氏であるモモンと並ぶ凄く信用出来る仲間達だ。

 もし戦いの最中、庇った事で自らの命を落としても悔いがないほどに。

 それはもう家族と言ってもいい。

 

 だから――伝えなければならない事実があるのだ。

 

(先延ばしはしない。出発初日の今夜、みんなに秘密を告げよう――)

 

 ニニャは、決めた事はやる子である。

 

 

 

 だが、邪魔する者は存在するのだ。

 

 

 

 『あぁ? 俺達と酒が飲めねぇってのか?』――そんな台詞によって。

 

 遠征初日、日が沈む前に『漆黒の剣』は旅費を倹約するため、初めから野宿を選択していた。

 白金(プラチナ)級以上の上級冒険者チームらや(ゴールド)級冒険者チームの多くはこの先の街で宿に入ったようだ。

 この時、遠征に同行する(シルバー)級冒険者チームの多くが、『漆黒の剣』と同じように街の手前や近隣の野外で寝る場所を見つけていた。

 『漆黒の剣』以外のチームでは、お金に余裕のあるチームも有るはずなのだが、実はこの先の街には宿屋が少なかったのだ。なので下位チームの多くが上位の冒険者チームに譲る形でこの街道脇の草原に残っていた。

 ただ、その中に何故かあのチームが居たのだ……。

 

 冒険者チーム『クラルグラ』

 

 ベテランのミスリル級冒険者イグヴァルジが率いる4人組の、エ・ランテルではエース格のチームである。

 彼等が突如夕方に、今日は野営チームを集めて宴会をすると言い出したのだ。

 ミスリル級冒険者の掛け声に、参加しないわけにはいかない……。

 

 実はニニャは、ペテル達3人へ昼食の時に、前振りをしていた。

 

「今晩なんだけど、夕食の後にちょっと聞いて欲しい話があるんだけどー」

「分かりました」

「なんだよー、いいぜー」

「分かったである!」

 

 なのでペテルがそれを少し考慮して、イグヴァルジら4名が誘いに来た時に「急ということも有りますし、少し遅れるかも知れませんが……」と条件を付けるような応対をしてしまう。

 すると首を傾けて、イグヴァルジがこう凄んできた。

 

「なんだ、遅れるだと。あぁ? 俺達と酒が飲めねぇってのか?」

「い、いえ、そんなことは」

 

 この時、ニニャが小銭袋を振って、笑顔で親指を立てて叫ぶ。

 

「ペテル、お金ならまだ足りるよ、大丈夫っ」

 

 彼女は自分の所為でこじれかけた話を上手く方向修正する。

 イグヴァルジが、ニニャの分かり易い行動の意味を理解する。

 

「ああ、なんだ金のことか。心配するな、大半は俺達が出してやるよ。それなら大丈夫だろ?」

「あ、はい」

「じゃあ、すぐ来いよー」

 

 そう言って、イグヴァルジは右手を軽く上げ手を振りながら背を向け、仲間達と次のチームの所へ向かって行った。

 

「うはー、あぶねーぞ、ペテルっ」

「悪い。判断を間違えてしまいました。ニニャ、明日でいいかな」

「うん。ペテルは悪くないよ。みんな、わたしの所為でごめん」

「と、とりあえず、良かったである!」

 

 「ふー」とみんなで一息つく。

 銀級チーム程度でミスリル級冒険者チームに睨まれるのは、かなり厳しいのだ。

 だが、そのうちにみんなでこの失敗をくくっと笑い出す。

 

「くくくっ。いやー、それにしてもペテルのあの焦った顔は」

「それを、言わないでください。でも、ルクルット。あなただって、口開けて固まっていましたよ。ははっ」

「アレはマジで焦るだろ。ニニャ、グッジョブ!」

「わははははっ、平和が一番であるな!」

「あははっ(今日は無理になっちゃったけど、明日は必ず――)」

 

 ペテル達『漆黒の剣』の4人は肩を組み、背中を軽く叩きあいながら、仲良く宴会場所へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. で、どうなった? 深夜会議

 

 

 『八本指』が誇る警備部門の拠点の一つであるこの地下屋敷は、15名をゴウン屋敷へ送り出しながらも、まだ60名程の警備の者達を残していた。

 しかしその警備の者達は、アインズ達のいた会議室の21名を除いて、本当にユリ一人によって不幸にも短時間で全員戦闘不能にされていた……。

 それをゼロは、扉の壊れて無くなった出入り口付近で、淡々とこの会議室に残っていた警備の者らを使い順次確認、即対応指示で処理する。

 

「向こう側は見事に全滅か?」

「はいっ、息はありますが」

「……取り敢えず今はお前ら8名でホールを固めろ、そっちの4名は荷馬車で出て、乗り捨てられた地点へ向かい負傷者を回収してこい。残り4名はその辺に転がってるやつの治療対応だ」

「「「「はい、ボス!」」」」

 

 会議も再開するため、並行して5名がすでに大机を急ぎ並べ直していた。

 並べ終ると、2名だけここへ警備・伝令として残し、更に3名を地下屋敷の治療対応へと回す。

 そんな様子にルベドやユリらを横に従えるアインズが、近くで感想を語る。

 

「意外と冷静なんだな? ……そういえば、まだ名前を聞いていなかったか」

「……俺はゼロという。これでも組織では警備部門の責任者だからな。――机は並べた。奥へ座ったらどうだ?」

 

 意外にあっさりと、ゼロは奥の上座位置の席を譲る。

 まるで先程、両手を震わせて一旦膝をついたが、30秒程でぽつりと「……負けたか」と呟くと、すっくと立ち上がりサバサバと後処理を始めたかのように。

 

「いいのか?」

「ふっ、いいのかも無いだろう。指示してくれるんだろ? 今回は勝つためにやる。あれだけ強いんだ、俺に文句はねぇし、組織の者にも言わせねぇよ」

 

 ゼロにも組織で一番というプライドがあるのだろう。

 アインズが、周囲へ目を向けると他の5人の『六腕』が集う中で優男が代表してどうぞという手の動きで勧めてきた。

 勿論他の二つの一派にも異を唱える者はいない。

 あの『六腕』らが何も出来ず一方的に敗れたが、組織としても誰も責められない。

 それほどゴウン一行が圧倒的過ぎた……組織ごと潰される水準だと理解したのだ。

 これで協力しない方が責任を問われる行為であると。

 

 そうして、間もなく全員が会議の席に着く。

 奥をアインズ達、その左側に『六腕』達6名。右側に全身黒服に紺のローブを纏う背の高い男が率いる8名の者達が座った。

 最後にアインズ達の向かい側……扉の無い入口側に近い席へ、金色長髪で騎士風の装備に銀マスクを付ける紺のマントの男が率いる冒険者崩れ風の7名が座った。

 まずアインズが、提案する。

 

「会議を始める前にまず、其々どういう集団で、どんなメンバーなのか自己紹介からしてもらう。最初は、我々から。私はアインズ・ウール・ゴウンだ。我々は旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の一行である。右に座るのが、ルベド、ユリ、シズ、ソリュシャンだ」

 

 支配者からの紹介の為、ルベド達は一応会釈する。

 しかし周りの一同は、相変わらず絶世の美女ばかりなのが信じられないという表情を浮かべて静まり返っていた。

 アインズが進行させるために次へ振る。

 

「じゃあ、次はゼロのところだ」

「ぉ、おう。俺はゼロ。〝八本指〟警備部門の責任者だ。俺達は“六腕”を名乗っている。右からマルムヴィスト、エドストレーム、デイバーノック、ペシュリアン、サキュロントだ」

 

 その後、右側の全身黒服に紺のローブを纏う男が、『暗殺部門』の長だと告げてきた。そして並ぶ者達も、暗殺において歴戦の精鋭達8名だと。

 正面の連中は密輸部門からの応援で最強の護衛部隊だという。確かに運ぶために秘境を通る場合もある為、元冒険者達の精鋭というわけだ。

 こうして集まった上位戦力ということだが、ソリュシャンの見立てでは、平均で唯一Lv.30を超えている『六腕』が一番マシだと後で聞いた。

 他2つは平均でLv.20台前半であった。

 自己紹介に一応満足したアインズは、本題に入る。

 

「さて今回だが、竜軍団そのものを撤退させないと後が無いのは確かだ」

「そうだが……()()()()()は策でもあるのか?」

 

 ゼロが一番気になるところを聞いてくる。

 ちなみにゼロが人に敬称を付けるのは、これまで組織のまとめ役(ボス)だけであった。

 なので、僅かにザワついたが、ゼロがスッと視線を流し睨むと皆即押し黙った。

 

 さて、実際に力を見せた事で、裏社会の上位戦力を抑え付ける事に成功したアインズであったが、それにより難しくなった部分も出てくる。

 力を持っている事実が広がる事で、時間稼ぎがしにくくなるという事だ。

 より大きな戦力が、早期に前線へ投入されるのは戦いの常道と言える。

 それゆえに、アインズがここで打つべき手は二つであった――。

 

「その前に、一つ先に聞かせてくれ。お前達の描く最高の結末は――なんだ?」

「最高の……結末……」

 

 ゼロが自分へ問うように呟く。

 これだけ集まっているが、ゼロに先んじて意見出来る者は限られていた。

 その中の一人、暗殺部門長の男が口を開いた。

 

「当然、(ドラゴン)を多く倒しての竜軍団の撤退だろう? そうすれば報奨金も得られるしな。竜王は無理かもしれんが、百竜長でも金貨で3000枚は下るまい」

「そうよね、悪くない話よね」

 

 薄布で顔を隠すエドストレームが暗殺部門長の意見へ相槌を討つ。『六腕』のメンバーも普段からある程度はゼロへ意見出来た。ちなみに彼女は、とある目的に莫大な金が必要だったことが『六腕』入りの理由となっている。現在も警備部門とゼロにはかなりの借金がある。身体を売らずに仕事だけで返済し続けている苦労人だ。

 その足しにしたいという思いの発言である。

 

「俺は、やっぱり――」

「サキュロント、今日、おめぇは黙ってろ」

「――ぁ。へ、へぃ……」

 

 サキュロントの発言はゼロに止められた。罰なのか今日の発言権は無い様子。

 その直後、優男のマルムヴィストが、具体的だと思う事を口にする。

 

「蒼の薔薇と朱の雫が竜達に殺されていなくなってくれれば、仕事は楽になりそうだね」

 

 漸く真意に気が付いたゼロの目が、仮面のアインズを見る。

 アインズはひとつ頷き答えた。

 

「そういった話だ。結果的に竜達が引き起こす暴力を、今後の自分達へ有利にした展開に持っていく。この場はそういう会議なのだ」

 

 

「「「(なんという強大な悪党)――――っ!!」」」

 

 

 多くの者が衝撃を受けている様子。

 これの意味するのは、大戦に便乗して今回の依頼者でもある反国王派を含む、本来犯罪組織を取り締まる側の六大貴族達や王家の力をも削ぐという話にもなってくる。

 それが、戦後の八本指に有利に働く理想の展開に繋がっていくのだと。

 だが、アインズの思惑は更に深い。

 

(そんな形で誘導するのは面倒だけど、仕方ないかな。とりあえず一つ目の手は良い感触だ。悪党は利に敏いからなぁ)

 

 この直後から、ああだこうだと、八本指の未来にプラスになると考えられる結末が自然に語られ貯まっていく。

 そうしてまとめ上げ、それが結局、冒険者や王国の戦力を削る感じで時間を掛けるものにアインズが誘導し持っていく――。

 アインズは営業スキルも駆使して、1時間ほどでサクッと討議を纏めた。

 それには、二つ目の手も当然織り込んでいる。

 

「じゃあ、こういう事でいいな。お前達は、今日“私の実力は見ておらず”、竜に対する作戦立案は――難航していると」

「ああ、それでいいと思うぜ、ゴウンさんよ。俺達は今日、争い無く仲良く集まって話をしただけだ。それでいいよな? 暗殺部門長」

 

 警備部門長の確認に、暗殺部門長もしっかりと頷く。

 

「ああ、異議なしだ。死者なんていないしな。そうだよな、密輸部門の者らよ」

 

 それは、これを守れぬ者は八本指の警備部門と暗殺部門が相手をするという事。

 

「も、勿論。我々は、討議を尽くしたが、纏まらなかったな。これは、時間が掛かりそうだー」

 

 最後にいささか棒読みも入るが、密輸部門の最強の護衛部隊も少し額に汗を滲ませつつ、そう返すのみである。

 

 

 

 そうして、反国王派側に協力する上位戦力らが集まったはずの初会合は、対外的に見ると――不調に終わったのである。

 

 

 




補足)帝国情報局の情報網
王国に侵攻した総勢300体の竜軍団の話を伝えるため、王都から密偵が帝国へ移動中だが、まだ5日しか経っておらず、第一報にあと数日掛かる。



解説)フューリス男爵
実は、舞踏会の回、22話を公開した当初(昨年11月)は名前が『フィリップ男爵』でした(笑)
10巻発売で混乱すると思い30話公開時に22話と26話での名前を変更しています。
しかし、フィリップというのはろくでなしばかりなのか……。



補足・捏造)爵位と領地の広さ
西洋では男爵領を持つ領主を男爵と言い、昔から広大な所領をもっている土豪を差す。
また子爵は、上位領主より派遣された者がその地に根づいた家。侯爵、伯爵は、国王や上位領主から叙勲された家と言う感じ。公爵は王族系で、子爵は凄く少ないみたいですね。
このことから、男爵の方が地位は低くとも広い土地と実力を持っている事も起こる。
あと、准男爵と勲爵士(騎士)は貴族では無く平民で領地を持っていない。
准男爵位は地主(豪商や豪農みたいなもの)からの金集めの目的で創設。
勲爵士は、戦士、剣士に与えられた名誉称号。だから地位に対しての俸給はない。

これを本作では、国王>侯爵>伯爵>子爵>男爵と概ね爵位の高い方が広い土地を持っていると設定してます。これらは王国建国時前後に固まったまま。なので今は全部が土豪みたいなものです。
そして、准男爵と勲爵士(騎士)についても準貴族的に考え、平民とは異なる地位としてます。准男爵は男爵家以上に与力(寄生)し少し土地を持っていたり、給金制だったりです。
王国に少数しかいない騎士は、仕える家から給金を貰ってる感じですね。
日本的な大大名、大名、小名辺りまでが男爵以上で、それ以下の准男爵と勲爵士が上級武士、中級武士のような雰囲気です。
戦士、剣士は平民水準な下級武士辺りかな。
国王派、反国王派が、譜代と外様のような関係に近そうです。
あと冒険者のアダマンタイト級だけは敬意と発言権が別格みたいですね。子爵級ぐらいの待遇はありそう。
一方オリハルコン級では、普通は勲爵士級扱いか良くても准男爵の扱い止まりで。



考察・補足・捏造)プレアデスの姉妹の順番・呼び方
本作では現状、ギリシャ文字順としています。
それはアニメの1話で、その順に並んでいた事でそう解釈しています。
主がいる場所では、並び順で上下関係がはっきりしていると思ったので…。

一方、書籍版では1-029で『六人のメイド』としか記載がなく順番は不明。
1-030にて髪型でシニョン、ポニーテール、ストレート、三つ編み、ロールヘア、夜会巻きの順で記述有り。
この時の列の並び順の可能性は残るが、単に髪型をランダムで読み上げた感が強い。

また、限定閲覧の某「プレイアデスな日」で、
ギリシャ文字順ではない具体的な姉妹構成が書かれています。
書籍版1巻から明記されていない事項であり、その順になるかも。
ただ、冒頭の原作者様コメで「プレイアデスな日」は今後修正も有り得るとの記述もみられ、現時点で決定項ではない模様。

あと姉妹内での呼び方……。
本作で、ソリュシャンは姉達に対し「姉様」を付けています。
(姉さん→姉様へ修正)

原作では基本的に呼び捨てですね。
ルプ―とシズがユリに対して、「ユリ姉」
それ以外は「ユリ姉様」
ルプ―だけが、「ナーちゃん」「ソーちゃん」「エンちゃん」「シズちゃん、かっけー(プレプレ7話)」


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STAGE34. 支配者失望する/5つノ告白ト7つノ嘘(8)

 アインズ達が、『八本指』 との共闘に関する深夜会談を終えて『ゴウン屋敷』へ戻って来たのは、午前2時半前。

 その際、屋敷前に放置のままの荷馬車を回収する馬と人員を乗せた『八本指』からの馬車も付いて来た。屋敷前に着き、残されていた荷馬車へ馬を手早く繋ぎ換える作業に入ると、そのうち2人の男が、ゴドウの操る馬車から玄関前に降り立ったアインズのもとへやって来る。

 男2人は「警備部門長からの詫びとのことです」と、ずっしりと重たい幾つかの袋を渡した。袋の口から溢れそうに見えるのは金色の硬貨の輝き。合わせれば千枚は下らないだろう。

 アインズは、「ちょっとした借りが返ってきたようなものだ」と、驚きで目を白黒させるツアレやリッセンバッハ三姉妹にあっさりと受け取らせた。

 彼女達庶民からすれば、ちょっとした額では済まない。

 現物を見る機会など普通は一生無いほどの纏まった枚数で、明らかに貴族や大商人達が動かす水準の金額。この一袋分もあれば、間違いなくリッセンバッハ家のすべての多大な借金を簡単に完済出来るほど。一体、何のお金なのかも含めて、唖然となるのも無理からぬ事。

 あとでこのお金から、屋敷の管理維持費にと、金貨50枚が追加でメイベラへと渡されている。

 間もなく、仕事を終えたゼロの配下達とリットン伯の使いで来ていたゴドウらの馬車が、ゴウン屋敷から深夜の闇へと紛れ、速やかに去って行く。

 屋敷のメイド達は、それを確認したのち門を閉め、玄関から建物の中へと入る。

 ツアレが『嘗ての上役、黒服の厳ついゴドウ』の姿を見たのは、この時が最後となった……。

 

 

 

 

 

 翌日の快晴下に、アインズ一行の乗る王国の者達にすれば、洗練され美しい漆黒の超高級馬車が王城へ戻ったのは午前10時頃。

 ゴウン屋敷を出るまでの間、アインズは替え玉姿のナーベラルと入れ替わっていた。

 そしてアインズ自身はナザリックへと戻る。

 

 

◆  ◆  ◆

 

「ああっ、アインズ様っ!」

 

 主の帰還を待ち侘びていた守護者統括アルベドの、狂った愛犬のように熱烈である出迎えを支配者は受ける。アインズはそれについて不快に思った事は一度もない。

 アルベドだけではなく、ナザリックのNPC達の出迎えはどれも気遣いに溢れているのが十二分に見て取れた。

 アインズにとって、NPC達は皆、この世界に残された家族といえる大事な者達である。

 統括の彼女に終始ベッタリと付きまとわれつつ、アインズは日の出前に竜王国より帰還してきたパンドラズ・アクターからの現地状況を聞きながら日課のアンデッド作成を行う。

 作成したアンデッド達だがこれまでのところ、ベースになる人間のレベルも多少付加されることが分かってきている。

 カルネ村を襲ったスレイン法国の騎士達の中に、平均より些か強い者が一人いたようで、一体だけ他より2レベル高い死の騎士(デス・ナイト)が存在している。

 今日は、カルネ村傍の全滅した村から集めた放置死体から、上位アンデッドを3体創造する。

 ちなみに竜王国の状況を聞いたアインズの印象は、一言で表すと――『既に結構追い詰められているなぁ』という感じ。

 それが済むと、漸く落ち着いたアルベドを従えて玉座の間へ移動し、竜の遺体奪取等でデミウルゴスから、各階層内についてはセバス他数名から幾つか報告を受ける。

 また、デミウルゴスからは更に、トブの大森林へ侵攻する第一陣の戦力の概要が提示された。

 総勢は約2千。コキュートスを大将に、副将に恐怖公が就くという一部おぞましい大軍団が形成される予定だ。ちなみにナザリック勢の兵力の総数に、Lv.15未満の小ぶりで知性の低いGの個体数は含まれていない。なので正味数万に達する見通し。これには第2階層の『黒棺(ブラック・カプセル)』から溢れる恐れのある群体数の一部調整について、アルベドを筆頭にシャルティアやアウラらからの熱心な要望も汲んでいた。

 また遊撃部隊には、エントマ率いる新鋭のベリュー=3ら死者の魔法使い(エルダーリッチ)部隊と人間の魔法詠唱者部隊も含んでいるという……。

 続くエクレアからの、漆黒聖典一行の馬車追跡報告において、アインズの口から「なんだと?」と意外の感を含む低い言葉が漏れた。

 漆黒聖典の部隊が――全て合流していると伝えられたのだ。

 それは、一日半程先行していたクレマンティーヌにセドランの分隊がエ・ランテルにて合流し、折り返しで再度王都側へ動き出したところ、並走する形で本隊が偶然に追い付いたという真実。

 いずれにしても合流された以上、アインズにしてみれば少々予想と違う展開。

 

(……漆黒聖典の部隊は合流待ちが不要となった事で――今後、長時間一か所に留まらないかもしれないなぁ)

 

 一抹の不安が支配者の脳裏を掠める。

 実際のところ、漆黒聖典は神都より馬の休憩やその短い睡眠時間に合わせる形で、数時間休んでは移動を繰り返していた。

 ただ残す距離は長い。今後も馬を気遣うだろう漆黒聖典の部隊が、エ・アセナル近郊へたどり着き、竜軍団へ接触するにはまだ1週間ほどは掛かると思われる。

 一応クレマンティーヌには――あの、500円ガチャの『小さな彫刻像』も持たせている。

 彼女はそれを、エ・ランテルに来た理由の『買いそびれた欲しいモノ』にすると言っていた。

 この時点で漆黒聖典の動きに対し、アインズが慌てるほどの問題はまだ存在しない。

 

(まあ、なんとかなるか……)

 

◆  ◆  ◆

 

 

 そんなナザリックに戻った時の事を考えながら、アインズはヴァランシア宮殿のいつもの滞在部屋へと入った。

 ロ・レンテ城内では今朝から大臣が竜軍団への使者に立ったため不在となり、代わりに数名いる大臣補佐のうち、その筆頭が『大臣代行』の臨時職に就いて王家内の行事を回している。

 彼等の仕事は、竜軍団への対応以外は以前と変わらないため、城内の様子を見る限り特に混乱や停滞はなかった。

 客人で世話になっているアインズ達には余り関係のない話ではある。

 今この時の『旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)』は、ナーベラルでは無くアインズ自身が務めているが、昼食も食後のお茶会も午後の中庭への散歩も特に何事も無く、平和に時間が過ぎていく。

 暇なその合間に、支配者はツアレに知られず、不可視で室内に残っていた留守番役のルプスレギナから報告を受ける。

 昨晩の城内ではいつもの如く、武器や食料の横流しによる儲け話などの小さい密談会がいくつかあった程度で、アインズの期待する突発的に未知の強者の参戦話や、アインズ達を排斥する感じの裏工作系の情報は無かった。

 ただ、夜中にあの要注意人物である『黄金』の白いドレス王女が、とひっそりお風呂場にて話をしていたという事には、少し興味が湧いた。アインズは、忘れていた黒衣装の少女を思い出す。

 先日夜中の入浴の後に遭遇した、表情は第三王女のラナーによく似ていたものの、足が悪く薄幸そうな一人の綺麗な少女の事を。

 以前聞いたガゼフの国王派の話から、第一王女は六大貴族のぺスペア侯爵へと嫁いでいると聞いたので、黒い衣装の少女は多分(おおやけ)で姿を見ない第二王女と思われる。

 本来、こんな弱肉強食の形の世界で、身体が弱い者は普通生き残れない。どこにも余裕がないからだ。多くの弱い子供らがスラム街へ捨てられた事だろう……。

 

(あの薄幸の黒い服装の少女は、王族故に生かされているということかな)

 

 けれども、続くルプスレギナからの報告に、アインズのその考えは間違っているのかもしれないと考えさせられる。

 黒ドレスの少女の意見は……斬新なものであったのだ。

 彼女達の会話内容は以下。

 

『これまで皆の邪魔にならない様、ずっと黙って静かに生きてきたけれど……。ラナー、貴方は王国の皆の為にすぐにでも――スレイン法国の最高神官長の下に嫁ぐべきだわ。一夫多妻も認められてるし大丈夫』

『そんな事、分かってる……けど、私は絶対イヤ。ルトラーが行けばいいじゃない』

『私が行ければ喜んで行きますよ。でも、私のこの身体では無理。王国が今次の戦いに勝利するにはあの国の力が絶対に必要なのです』

 

 それは今の王国に於ける究極の一手と言えた。

 大都市割譲ではなく、対価を女一人で何とかしようという、ずば抜けた手なのである。

 しかも相手は、帝国ではなく未知の力を持つ法国――。

 ルトラーは兄のバルブロ第一王子から、アインズに関係する王国戦士長排除という法国の謀略を知った。

 また、近年の帝国と王国の戦いをずっと傍観する法国の動き等々。

 もうすでに彼女の思考はスレイン法国の『知られてはいけない秘密』近くまで届き、それを使って法国を脅してでもラナーの婚姻と援軍を乞うところまで至っていた――。

 更に彼女は述べる。

 

『ラナー。あなたは困った妹ですね……仕方がないです、では別の手を取りましょう』

 

 あの黒服の少女には、まだ手があるというのか――。

 「姉上の御勝手に」というラナーの言葉で話は終わったというが、アインズは一体どういった案なのかがとても気になった。

 

 報告を終えたルプスレギナは、「以上です。……それでは」と、静かに目を閉じ一礼すると背を向けつつ去り掛ける。

 

「待て」

 

 支配者は一言、人狼(ワーウルフ)娘を呼び止めた。そして手招きする。

 その指示に、ルプスレギナの大きな双胸がビクンと震えた。

 彼女は、敬愛する支配者へと内心で恐る恐る近付いた。また何か叱られるのではと。

 気分的に耳は閉じ、尻尾はダラリ状態。

 『床に仰向けで、恭順の姿勢(お腹)を見せた方がいいですか?』とそんな思いである。

 しかし。

 

「ルプスレギナよ、よくやった。ご苦労だったな」

 

 彼女はなんと――撫でられていた。

 実に、ルプスレギナにとって数々の失態の果ての、初めて至高の御方から直接的接触によるご褒美であるっ。

 彼女の頬は、感激と照れで真っ赤に変わる。気持ち的には尻尾全力フリフリである。

 

「あ、ありがとうございまっす!」

 

 相変わらず噛んでしまったが。

 ここで、アインズは一つの新たな任務を伝えると、ルプスレギナは「畏まりました!」と嬉しそうに微笑みいずこかへと姿を消した。

 

 今日のアインズは、昨晩の深夜会談の件も含めて、ガゼフが自宅へ誘いに来るかと考え、この後も時折ベランダへ出るなど、のんびり宮殿にて過ごしている。

 そして夕刻が迫る頃、その王国戦士長がアインズの部屋を訪れた。

 

「遅くなってすまない。数日中に王国各地から先行して集結してくる冒険者達の受け入れ対応を、王都の組合長と各所を周り色々詰めていたのでな」

 

 そう話しつつ二人は、いつもの様にソファーへと座る。

 ガゼフ個人としては、朝起きてから一瞬でも早くユリ・アルファの件でゴウン氏の所へ来たかったが、彼の性格上、この戦時下で一大事時の公務を疎かに出来るはずもない。

 アインズも、行軍中であるエ・ランテル冒険者組合一行の動きを良く知っているので、納得の返事を返す。

 

「いえ、こちらは大丈夫です。それでは、これから?」

「うむ。これより我が家へお越し願いたいがよろしいか?」

「はい、では伺いましょう」

 

 ガゼフに続き、アインズがいつもの一人掛けのソファーから立ち上がる。

 すると、周りのルベド達もそれに合わせて動き出す。もちろんユリも。

 しかしこれを見た戦士長は、相席への従者を外そうとアインズへ尋ねる。

 

「ゴウン殿は普段、馬にお乗りか?」

「馬ですか? ……余り乗っていません。専ら馬車ですね」

 

 冒険者モモンとして、馬にも乗れるべきかとゴーレム馬の練習を進めようとしているところで、本当に余り乗れなかった。まあ、補助アイテムを使えば無理やり乗れない事もないのだが。

 ちなみに冒険者マーベロは姉の影響もあり、普通に騎乗も熟せる。跨いで乗るとプリーツのスカートで大変な事になりそうだが、純白のローブがそれを『阻害』していた……。

 

「今日は、二人で酒でも飲みながら静かに語り合いたい。その間、連れの方達を待たせるのも忍びなく思う。そこで送迎はこちらの馬車で行いたいが」

 

 皆を代表してユリが何か言おうとするのを、アインズが軽く手で止めながらガゼフへと答える。確かに彼の家の前等に、何故か注目を異様に集める八足馬(スレイプニール)の引く漆黒の馬車を止め続けるのは迷惑かもしれないと。

 

「分かりました。では、そちらでお願いします。ルベドとユリ、シズ、ソリュシャンにツアレはここでゆっくりしておけ」

「「「畏まりました」」」

「分かった」

「……了解」

 

 本来、御方の代わりに盾となり散る事が宿命のプレアデス達である。

 しかしここにはもう一枚、不可視化したナーベラルがいるので、皆は一度引き下がる。

 彼女には〈兎の耳(ラビッツ・イヤー)〉もあり盗聴にも対応。人名の記憶は無理だが、抽象的な表現では人間を記憶出来るので概ね問題は無い。

 ガゼフとアインズは、ユリとルベド達に見送られて部屋を後にする。

 王国戦士長は、城内の厩舎詰所で馬車を手早く手配する。

 こうして、ロ・レンテ城の正面門とは違う城門から一台の二頭立て四人乗りの箱型馬車が、夕日の綺麗に見える石畳の道へのんびりと走り出る。その上空に〈飛行(フライ)〉と〈不可視化〉したナーベラルを従えて。

 体が大きい二人の男は、馬車室内でそれぞれ二人掛けの席へ対角に座る形で向き合っていた。

 アインズは、ナーベラルが付いて来ているが、久しぶりの直接視線を受けない状況に「ふう」と思わず一息つく。

 それを見た、ガゼフが僅かに首を傾げる。

 

「何かお悩みか?」

「あ、いえ。久しぶりに横へ伴を連れていないので、つい」

 

 戦士長は少し驚いた風にゴウン氏を見る。

 だが、あれほどの女性陣をいつも連れていれば、気疲れがあるかもしれないとは感じる。

 

「ははっ。まあ、今日はのんびり行くとしよう」

「ええ」

 

 アインズ達は、穏やかな雰囲気で王都の話などの会話を交わす。ガゼフもこの段階ではもう焦らない。

 二人の乗る馬車は中央通りを南へ進み、中央交差点大広場から王都の南西門へと延びる大通りへ方向転換し向かった。ゴウン屋敷は南東門方面に在り、遠のく形だ。

 大広場から8分程進んだ所で、南へ伸びる石畳の道へ入って行く。

 ここは一部の上級階層と多くの中級階層が住む地区で、通りに面して四、五階程度の高い階層の建物が並ぶ。そして二人を乗せた馬車は、五階建ての建物の前で止まる。

 王城からの所要時間は40分少々。時刻は午後6時を過ぎた辺り。

 二人は馬車を降りると、ガゼフは御者の男に「ありがとう、迎えも頼む」と言葉に加え礼金を渡し手を上げ見送る。

 アインズも馬車を見送ると、夕日で紅くなっている目の前の建物について一度最上階までを「ほぉ」と仰ぎ見る。

 リ・エスティーゼ王国の王国戦士長様の邸宅である。

 五階建てと言っても四階と五階は、両端がきつい傾斜屋根の屋根裏部屋風な配置の作りだ。

 一階は、優に3メートル以上の天井高がある建て方。その右側半分が裏庭に抜ける形で板張りされたガレージ風の造り。漆黒の馬車もここへ楽々止められそうだ。

 玄関は階段を上る形で二階にあった。

 ガゼフが前を歩く形で、ビルトインの階段を上っていく。

 上り切った先で、『ガチン』と重厚に出来た鍵を開けると、扉を中へ押し開いたガゼフが誘う。

 

「さあ、遠慮なく入ってくれ。少し散らかってるかもしれないが。普段は、老夫婦にこの館の管理を頼んでいるのでな。確かあの酒が、まだ残っていたはずだ」

 

 玄関を入ると吹き抜けのロビーになっており、右端の廊下を少し奥へ進むと広めの居間に出た。

 だが、白壁の板張り床で周りに置かれた家具は、武骨感の強い物ばかり。

 骨太の机に、丸太を加工した椅子。どでかい棚が二つ。なぜか積み上がる木箱も。洗練された感はない。それらはただ『頑丈』なのだと。

 ガゼフは骨太の机にジョッキを差し向かいで置き、木箱からワインを三本取り出す。肴は塩の効いた上質の干し肉のみ。肘をついてガゼフは片側の椅子へドカりと座った。

 

「悪いが、ウチには女っ気はないからな。はははっ」

 

 漢の家という感じだ。早速、ワインの栓を開け、豪快にジョッキへと注いでくれる。

 アインズも向かいの丸太の席へを腰を下ろした。

 飲む以上、ここで仮面を外す。

 

「その仮面、今は外せるのだな?」

 

 ガゼフは、気になっていたのだろう問いを寄越す。

 そういえば、カルネ村ではシモベ達が暴れるという名目で取らなかったのをアインズは思い出した。

 

「……今は、シモベ達もいないですから」

 

 そう言いながらアインズは、注がれたジョッキを軽くガゼフの物とぶつけ乾杯し呷る。

 それを見つつガゼフの問いは続く。

 

「確かに。王都へアレ(モンスター)を連れて来る訳にはいかないか。だが、あの村には残しているのだろう?」

「ええ、配下の者を呼び、その者に任せています」

 

 嘘を言っていないし、辻褄は合っていると思っていた。

 だが、ガゼフは半矛盾部分を突っ込んで聞いてくる。

 

「あの目の覚める程素晴らしい馬車といい、村へ配下を呼び寄せた事といい――一体どこからそんな?」

 

 一瞬、背筋がヒヤリとした。

 しかしアインズは、その嫌な問いを華麗に躱し難なく答える。

 まだナザリックについて、感付かれる訳にはいかないという思いを込めて。

 

「足元を見られない程度にとあの馬車で旅をしていました。遠方からあの村と周囲へ違和感を覚えたので、馬車が被害に遭っては困る事もあり遠方へユリ達と共に留め置き、私とルベドらだけ先行してあの村へ赴いたのです」

 

 確かにあの馬車は中に7人程でもゆったり乗れるほど大きい。漸く戦士長は納得する。

 

「なるほど、流石はゴウン殿。賢明な判断でしたな」

「いえ、結果的にそうなりましたが」

 

 これ以上、こちらが一方的に尋ねられると困るので、アインズから問いかける。

 

「この館は、戦士長殿の持ち家になるのですか?」

「ええ、いかにも。恥ずかしい話、私の趣味は――貯金でしてな」

「ほう」

「まあ、他に使い道がなかったということなのだが。ここは四年程前に購入している。裏庭も結構いい感じに広くて……少し王城から遠いのが難点なのだが、有事の際には結局城内へ詰めるので関係ないかとな」

「戦士長殿らしい豪胆な考えですね。何部屋程あるんですか?」

「25部屋ですな。上の階の窓からの景色が中々――――」

 

 アインズも王都内へ屋敷を持っている事もあり、少しの間、2人の会話に館の話が続く。

 実は、この家ネタがアインズより振られた瞬間から、ガゼフは悩んでいた。

 『家』と『妻』、これほど密接である関係が他にあるだろうかと……。

 しかし、話としては竜軍団対応の一翼になりうる重要度の高い、昨晩の『八本指』との会談を優先すべきである。

 ガゼフは、ジョッキに入っていたワインを一気に飲み干すと、アインズのジョッキへ先に注ぎ足しつつ、ついに彼は口火を切り始めた。

 

「実は今日、ゴウン殿に来てもらったのは、貴殿にしか語れない個人的相談があったからだ」

「はい、それも伺うつもりで来ています。しかし――昨日の会談の話が先ということですよね」

 

 アインズの奥を見通した見事と思う判断に、王国戦士長としてガゼフは頷く。

 酔いが回る前に、そういった重要事を進めたい。そして、顔が赤くなる話は、酔いが回った頃が良いと考えている。

 

「不躾ながら……そうしてもらえると、とても助かる」

 

 ガゼフの場合、酒を飲み過ぎてベロベロになる事は無い。

 それに、王国では婚姻等の話について、親同士が互いに酔いが回り打ち解けてから家同士の話し合いが持たれる事も多いのだ。

 アインズは「では、昨晩の会談の話ですが」と、語り出す。

 しかしそれは、終始無難といえる話の内容で進んだ――真実とは異なる内容で。

 リットン伯から迎えが来た事はそのままだが、ゴウン屋敷への襲撃や、八本指の地下屋敷での闘争について、語られることはなかった。

 そして、アインズの話は核心へ。

 

「結局、昨晩だけで大して話は進みませんでした。ただの顔合わせですね」

「そうか……まあ、相手は裏社会の有力な極悪人どもであるしな。ゴウン殿達をよく知らない所もあり用心するか」

「そうです。全く他所者は信用出来ない雰囲気でした。また、向こうは武闘派が多く、それを中核に組む連携に長けているのが大きいかもしれません。我々は魔法詠唱者(マジック・キャスター)中心の部隊ですので、私達にしても彼等とは性質が異なり組み難いのです」

 

 そんな、もっともらしい理由を並べる絶対的支配者。

 王国戦士長には嘘を語って悪いが、どうあってもここで早期に動くつもりはなかった。

 戦士長へは、密かに一方的ながら『彼の命は保障する』『王国は最終的に残す』『個人的な相談へ真剣に応じる』という事で、勘弁してもらうつもりである。

 

「ということは、再び会談があるという事か……。ゴウン殿に続けて頼むほかなく申し訳ないが」

「はい。任せてください」

「すでに、アダマンタイト級冒険者達ですら対応が厳しい状況だ。しかし、私は――いや……(ゴウン殿ならばと思う。だが、王国戦士長である私が、まずこの“命”を賭けねば――)」

 

 友人と思っているが、他国からの旅人であるゴウン氏達へ祖国の難題をただただ押し付ける事は出来ない。

 ガゼフはジョッキを机へ置くと、両手を勢いよく天板に突くと額も付けた。

 

「貴殿が協力可能という範囲でかまわない。よろしく頼む」

「……最善を尽くしましょう」

 

 王国戦士長の真摯な態度に、その眩い真っ直ぐさが伝わって来て支配者の胸へチクリと来る。

 それでも今、譲れないものは譲れないのだ。

 だからアインズは、次の――彼の『個人的な相談へ真剣に応じる』事にする。

 

「昨晩の会談の報告は、一通り済みました…………なので、戦士長殿の個人的な相談を聞かせてもらえますか? 勿論、ここだけの話で留めます」

 

 アインズとしては、無理のない範囲ながら幅広く対応するつもりでいる。

 六大貴族の誰かが邪魔なら、そいつをサクっと消すぐらいのことはしてやるつもりだ。

 一方、そう振られたガゼフであるが、途端に輝きの有った彼の挙動がおかしくなった。

 

「う、うむ。じ、実はな。……何から話すべきか……うーむ。……先日、中庭で初めて……いや……」

 

 そこまで語ったと思うと異様に顔が赤い感じの表情で「失礼」と席を立ち、木箱からワインの追加を持ってくる……その数8本。そして4本ほど一気に栓を抜き放つ。

 

「ここはまず飲もう、ゴウン殿!」

 

 そう言って「まあまあ」とジョッキに5杯も飲ませてきた……蟲が飲み込んでくれている為、アインズが酔う事は永遠にないのだが。

 少し薄い感じの口当たりのものとは言え、リアルであれば、短時間にワインをジョッキに5杯なら間違いなく倒れている水準。

 そして、なにが「ここはまず」なのか全く不明である。どうも要領を得ない。

 もっと飲まないと話せない内容なのだろうかと、アインズは首を捻った。

 しかし戦士長の話は突然始まる。

 

 

「率直に聞こう、ゴウン殿っ。――――眼鏡美人をどう思うか?」

 

 

 聞かれた側のアインズは、まだ瞬間的に話が見えない。

 絶対的支配者が思ったことは『美人』なのだから、眼鏡は似合っているんじゃないかという単純な事だ。

 しかし、ガゼフがそんな答えを望んでいるかを考えると、違う面が見えてくる。

 そして支配者は、深く考えず単にあっさりと問うた。

 

「まあ、配下にもいますし良いのでは。……戦士長殿は、(広い意味で)眼鏡美人が好きなのですか?」

 

 正面に座るガゼフの上体が、一瞬で固まる。図星のようだ。

 対して『配下に居る』などと言われ、『ユリへの想い』を完全に気付かれたと勘違いした戦士長は、もはやこれまでと一つ頷いた。

 そして、額を右手で押さえつつ、骨太の机の天板を見詰めながら語る。

 

「この気持ちをどう表せばよいのか……“魂”が揺さぶられるという感覚を。彼女の前では毎回極度に緊張してしまうのだ。これでも、青年の頃には何人かの娘達と付き合ってもいるし、それなりに相手もしてきた。だがどうも今回は……普通に接することが難しくてな」

 

 正直、未だ童貞の鈴木悟であるアインズには、どう答えるべきか迷う話である。

 しかしもうガゼフに決まった想い人がいることは、はっきりと分かる。

 

「……そういう形で好きになったものは、仕方が無いでしょう。個人の感情は縛れないですし」

「そうではある……だが、思い通りにならないことが当然存在する」

 

 それは、鈴木悟として失恋を経験した事のあるアインズには良く理解出来た。

 恋愛は一方通行では成就しない。相手の同意が必要なのだ。

 

 しかし――次に戦士長の発する言葉にはアインズの考えと大きく差異があった。

 

「やはり“身分”や“家”という壁は大きい。特に貴族のような力のある“家”の場合、所属する者の婚姻においても当主の許可が不可欠ということ、などがだ」

「……(えっ、家?婚姻? これ……恋愛開始部分の話じゃないの?)」

 

 どうやら、この新世界では『家』が基準の風習がある事にアインズは気が付いた。

 しかし話がズレているようなので、アインズは重要な事をガゼフへと確認する。

 

「あの、戦士長殿……相手の気持ちも思い通りにはいかないと、私は考えますが」

「もちろん。でもそれは、こちらが好意や相手を大事にする姿を示し、強さを見せれば大抵自然と近付いてくるものだろう?」

「……そ、(そうなんだ……)そうですね」

 

 アインズは、概ね納得する。

 確かにこの新世界は弱肉強食の色が濃い。その影響なのか、恋愛感情は『個の強さ』にかなり引き摺られる模様だ。

 子孫を残し生き残るための本能が、そうさせているのかもしれない。

 

(“強さを見せれば”か……言われた通り、確かになぁ)

 

 人間のエンリが種族の異なる死の支配者(オーバーロード)の自分へ男女の好意を示すのは、その理屈からなら理解出来る。逆にそうでなければ只の精神異常者だろう。

 クレマンティーヌが急に懐き、異様に夜の行為へ積極的なのもそうだと思いたい。

 ただの好色者である可能性は否定出来ないが……想いには当然、個人差もあると考えられた。

 そんな考えに少しふけっていた『ゴウン氏』。

 ガゼフは、『嫁候補』である眼鏡美人のユリ・アルファの『保有者』と言える仮面の客人へ、最重要事項を尋ねる。

 

「ゴウン殿は……配下の者について他家の者との婚姻をどう考えている?」

 

 そう問われたが、ここまで来てもアインズは、ガゼフの『ユリを嫁に』という個人的相談の全貌に気が付いていない。

 王国戦士長の表情は、緊張し真剣そのものではあるけれど、それは単にこの恋愛に対する必死さだと勘違いしていた。あくまでも『参考』として親密な『友人のゴウン』の意見を聞かせて欲しいのだと。

 思いが至らないのは恋愛経験が少なく、このジャンルに疎いアインズには仕方のない事かもしれない。今は、王国戦士長に対し『個人的な相談へ真剣に応じる』という気持ちだけがあった。

 ナザリックの部外者ではあるが、友人的にも人物としても見処の有る、この目の前の武骨で真っ直ぐな男を、応援したいというそんな思いでいる。

 でも一方で、この質問の答えは、ナザリックの絶対的支配者としてかなり重要な一言になると思えてならない。

 今もナーベラルが、皆を代表してこの会話を聞いている事だろう。

 アインズ個人としては可愛いNPC達が幸せになるのなら――『制限はしない』という親心的な考えを抱く。

 でも、そのままここでそれを告げてしまっていいものかを、ガゼフに向かい合う形で数分熟慮する。

 NPC達が、現状において絶対の忠誠を捧げている支配者から「自由にしろ」と聞かされて、まず何を思うだろうかと。そして。

 

(元々ギルドの仲間達は、外との横の繋がりには否定的だったんだよなぁ……それに、俺がNPC側なら、やっぱり――己は主にのみ必要とされていると思っていたはずなのに、自分に存在感がなかったのかと思えて結構寂しいんじゃないかな)

 

 アインズは一般的だろう話では無く、ナーベラルが聞いていると考え、ナザリックの絶対的支配者としての言葉をガゼフへ静かに伝える。

 

「戦士長殿。色々考えましたが他家の者との婚姻は――やはり“容易には認められない”というのが私の答えです。一名一名、大切に思っている配下達ですので。……あ、これはあくまでも私の家の意見で、他の貴族の家などは全く違う考え方かも知れませんし――――」

 

 期待を込めて答えを待っていたガゼフは、アインズへの視線を残念さから徐々に下方へと落としていく。その強靭である両の肩も少し落として。

 今は、ゴウン家以外の家の事などどうでもいいのだ。

 

「……そうか」

 

 しかし、戦士長も予想は出来ていた。

 あれほどの美貌と眼鏡の似合う女性がざらにいるとは思えない。それを容易に手放す方がおかしいと考えていた。

 それに『あの』知的そうで清楚なユリ・アルファが長年慕っている、この立派で頼りとする主への想いを容易に絶てるとも思えない。

 そもそもガゼフ自身が、そんな安っぽい女性に惚れたつもりもない。

 

 すべては――ここからなのである。

 

 王国戦士長は、視線を再び上げゴウン氏へ向けると、聞き逃さなかった語彙について尋ねる。

 

「“容易には”ということなら、条件次第では可能ということだろうか?」

 

 アインズは小さく頷いた。

 

「例外的にどうしてもという配下がいるかもしれません。その場合――まず私の前で両想いで有る事を其々が宣言し、私がその相手を気に入る事。他家の者が女性の場合は、ここまでに留めますが男である場合は、次に私と真剣勝負を行い、私へ一傷でも与えた者は認めてもいいかと考えています。強さは必須ですので。ただまあ、弱い者や気に入らない者も多いと思いますので、その時は手足の一本でも貰うぐらいで許し、縁切りの上での退場を願いますが――」

「……むう、厳しいな……」

「そうでしょうか? 大切な配下へ手を出そうとしたのですよ? その、他家の者の命を取るとは言っていませんし」

 

 大きい傷を受けていたとしても治療薬(ポーション)を使えば大抵治るのだ。まあ、大治癒(ヒール)でなければ、多くの時間と薬の量が必要だろうけど、随分手は緩めている。

 まさかガゼフが婚姻希望者本人とは思っていないので、アインズの話す内容に余り容赦がない。

 戦士長もユリとの婚姻の可能性への期待と、内容の厳しさだけに考えが集中し、それが第三者向けに語られたものだと気付けていなかった。

 そして、アインズは違った別の妥協案も語る。

 

「あとは――私が気に入った折に、私の配下になることですね。そうすれば、“家”の垣根は無くなりますから」

「…………」

 

 その案が一番妥当だとは思いつつも、ガゼフ・ストロノーフの眉間には皺が寄り、目を細めていた。

 恩人であるゴウン氏も、多くの王国民を救ってくれた尊敬出来る人物ではある。

 しかしガゼフには、単なる低層位の平民出の青年であった自分を、民の為にと王国戦士長という今日(こんにち)の側近にまで取り立ててくれた、大恩と徳の有る国王ランポッサIII世陛下のもとを去る気は全くない。

 それは、たとえ愛しいユリ・アルファが比較対象になっても揺らぐことは無い意思だ。

 

 つまりガゼフの願望へ結論的に残された手は、ユリと両想いになって友であるゴウン氏へ戦いを挑み、男としての実力で認めてもらうしかないという――燃える展開のみ。

 王国戦士長は、静かに太い右腕の手をゴウン氏へと差し出した。

 

「率直に色々話をしてくれた事に感謝する。“俺”の心は決まった」

「(相手はウチと近い条件の他家で参考になったのかな? それに、俺……?)そうですか。それは良かったです」

 

 アインズは、戦士長と握手をしつつ呑気に思う。

 

(戦士長殿……相手と上手くいくといいなぁ)

 

 大貴族相手で力技の要望なら手を貸せると思っていたが、慣れない恋愛については変に手を回して拗れさせる事は避けたいのもあり、暖かく見守るつもりでいる。

 アインズ達二人はこの後、飲みながらほろ酔いで家の中を見て回る。最上階の窓からは、遠く王城の明かりや王都の街並みが見えた。その景色を肴に、午後9時半頃に迎えの馬車が来るまで窓辺で男二人、静かに仲良く飲み続けた。

 

 

 ガゼフ・ストロノーフ――恋の修羅道を選ぶ。

 

 

 アインズが彼の恋の全貌を知るのも、間もなくである……。

 

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 

 『術師(スペルキャスター)』の二つ名で呼ばれ、短めの茶髪に少年的ローブ姿で杖を握るニニャは、エ・ランテル冒険者組合所属の(シルバー)級冒険者チーム『漆黒の剣』メンバーの魔法詠唱者(マジック・キャスター)

 彼女は昨日、自らの『本当は女の子』という秘密について、仲間達に告白するつもりでいた。

 しかし大事な機会は、ミスリル級冒険者イグヴァルジが率いる冒険者チーム『クラルグラ』が急遽開いた夜の宴会により偶然ながら邪魔された形で潰え、翌日へと延びる――。

 

 ニニャ達は、今日もエ・ランテル冒険者組合王都遠征隊の先頭を進むアインザックらに同行する形で、更に王都へと60キロ程近付いていた。

 明日の行軍で遠征隊は、大都市エ・ペスペルまで到達するだろう。

 既に日は沈み、夜の帳が降り切った午後7時。

 今日の野営は昨日と違い、(シルバー)級冒険者チームが7チーム程いるだけだ。

 最寄りの街には宿屋がそれなりにあり、銀級のチームも多くが街へ入り宿を取っていた。

 しかし、チーム『漆黒の剣』は今日も野営をしている。

 流石に明日の大都市エ・ペスペルでは宿を取るつもりでいるので、少しでも蓄えを温存するためである。

 この竜軍団の討伐遠征は、『長くなるかも』しれず、大事にお金は使うべきだと考えていた。

 実は、昨夜の宴会の開始間もない冒頭、イグヴァルジの口から知らされた事実があった。

 王都寄りの街の領主へ、先に次の新しい伝令が届いていたのだ。

 

 『大都市エ・アセナルは既に壊滅し、占領する300体の竜軍団を率いているのは、圧倒的といえる戦闘力を持った竜王だ』と……。

 

 酒宴のほろ酔い風の雰囲気は一気に消し飛ぶと共に、死への別れ酒的空気にまで落ちた。

 しかし、イグヴァルジの話には続きがあった。

 『威力偵察に出たアダマンタイト級の“蒼の薔薇”が、百竜長1体を戦闘不能にし、十竜長を3体討ち取ったぞ』と。

 “蒼の薔薇”1チームでの達成であり、これから王都へは王国中から何百という冒険者のチームが集結する。

 

 

 ――希望は有る。

 

 

 生き残る事、そして富と名誉のだ。

 そんな新しき各人の思いが膨らみ、宴会は持ち直して前向きで良い雰囲気に流れを変えて進む。

 イグヴァルジは、これらの竜軍団の新情報を野営地にいるチームへ伝える為に、独自の酒宴開催を組合長へ向かい熱い言葉で「俺も何かしたいんですっ」と告げ、買って出ていた。

 勿論それは、士気を上げれば自らの生存率も上がり、将来の為の点数稼ぎにもなるからである。

 

 ペテルやニニャ達は『蒼の薔薇』の示した希望に加え、信頼のおける力強い冒険者チームを知っていた。

 言うまでも無く、白金(プラチナ)級冒険者チーム『漆黒』のモモンとマーベロだ。

 王国にいる2組のアダマンタイト級冒険者チームとモモン達がいれば、今回の戦いが(もつ)れるのではという考えが、酒宴の端で『漆黒の剣』4人の共通の考えとして自然と出てきた。

 なので、今日も倹約での野営なのだが雰囲気的に悪くなく……ニニャとしては有り難い。

 デリケートな話なので、宿部屋や酒場では窮屈さもありリラックス出来ない。

 その点、雲は多いが果てしない空は開放的で、周りも隣の焚火とは50メートルは離れていた。これで、仲間達以外に先んじて告白を聞かれる事も無い。

 場は整っていた。

 今晩の食事はニニャが、これまでの嘘を詫びる気持ちで腕を振るった。街で仕入れた魚と野菜のスープである。

 四人でそれを十分に堪能した。大きい鍋で作っていたが、いつも通りにルクルットとダインの胃袋へその多くが飲み込まれている。

 

「ご馳走さま」

「食った、食ったー」

「美味かったであるっ!」

「……よかった」

 

 ニニャは、焚火を囲み胡坐をかいたり後ろ手を突いて足を伸ばしたりして寛ぐ、満腹気な皆の顔を順に眺めて笑顔を浮かべる。

 しかし、直ぐに彼女はその場へ一人立ち上がると、緊張し強張った表情で前置きをしながら語り始めた――。

 

「あの、今から皆に聞いて欲しい話をします。出来れば話の後でも……このチームに居させて欲しい」

 

 それにリーダーのペテルは頷いて答える。

 

「話ですか……分かりました」

「分かったであるっ」

 

 ダインも続いて頷いた。

 

「おう。でも、何の話だよー。今晩食った魚には、猛毒が入ってましたーとかは勘弁だぜー」

 

 ルクルットの冗談に皆が吹き出す。

 

「わはははっ、それはチーム自体の存続が危ういであるなっ!」

「はははっ。でもそうだとすれば、ルクルット。あなたが最初に召されるでしょうね」

「うわぉーっ」

「もうっ、みんな。うまいうまいって食べてたのにっ。……こほん……ありがとう」

 

 今までに無い、硬い表情をしていたのだろう。

 少し緊張を解いた表情になった彼女は告げる。

 ペテル達は、ニニャの語りが終るまで話すことは無かった。

 

「ペテル、ルクルット、ダイン。今まで嘘を()いていてごめんなさい。私の本名はニニャではありません。イリーニャです。そして名前の通り私は――女の子です。生きていくために、そして姉に会うために今まで男の子として振る舞いをしてきました。そのことに後悔はしていません。

 でも、この戦いはこれまでに無く厳しいと思う。四人で全力を出しても何が起こるか分からない。これまで一杯お世話になった、もう家族みたいに思っているみんなには、本当の、嘘じゃない私を知っていて欲しいと思ったの。自分勝手な考えかも知れないけれど、これからもよろしくお願いします」

 

 そうしてニニャは三人の仲間へ頭を下げた。

 すると、ペテルとダインが微笑みの表情でニニャへと伝えてきた。

 

「やっと、言ってくれましたか。よかったです」

「よかったであるっ!」

「えっ、なんで……?!」

 

 ニニャは予想と真逆の反応を見て驚きの声を発した。当然だろう、これまで気付かれた素振りがなかったのだから。しかし。

 

「ふぅー、やっぱり気付いてなかったのかー。戦いの後、よく俺達互いの胸を叩いているだろー?」

「あっ!」

 

 そういえば、肩付近は突かれたり叩かれたり組む事は有っても、胸を拳でドンと突かれたり叩かれた事がない事に気が付いた。

 それは、出会ってからの記憶に――一度も、だ。

 

「そ、そうだったんだ。うぅぅ」

 

 ニニャはショックに一人頭を抱えてその場にしゃがみ込む。

 そして改めて皆の気遣いに感謝する。これまで、不快な思いをすることなく過ごせてこれた事に。

 気になるので一応聞いてみる。

 

「……皆、どこで気付いたの?」

 

 すると、ペテル達はダインを見る。

 

「ニニャがメンバーに入って直ぐの、川での水浴びであるっ。流石に下着がびしょぬれなのに、股間に膨らみがないのは違和感が強かった!」

「なんて部分を見てるんですかっ」

 

 色々な意味で顔を赤くするニニャ。

 するとルクルットが、サラリと答える。

 

「女の子達同士も胸のサイズを気にするだろー? あれと同じで、漢達にも気になる闘いがあるんだよ。ダインも小柄の少年ニニャぐらいには負けたくなかったんだよなー?」

「その最後の一言は、余計であるっ!」

 

 大柄で髭ズラのダインがルクルットに突っ込む。

 答えようがないニニャだが、男の子的な思考で理解は出来た。

 ここでリーダーのペテルがニニャに問う。

 

「でも、本名も違っていたのでしたか。どうしましょう? ニニャのままで通しますか?」

「ええ、そうします。この“漆黒の剣”のメンバーはニニャだから……でもみんな怒らないの?」

 

 少女はいつも通りの少年口調で、焚火を囲むペテル達を見回した。

 それにルクルットがニニャへ説くように答える。

 

「生きていく為なんだろー? 俺達も同じだぜ。なんせ、俺達のチームには魔剣四本分しか席がないんだぞ。おまえさんは初めから優秀だからなー。俺達も凄く助かってたんだよー」

「そういう事です。確かに男で4人と思ってた時もありましたけど。でも、最初の戦いを終わった時に感じました。このメンバーはバランスよく守りも固いし凄く戦い易い良いチームになるでしょうと」

 

 ペテルが微笑を浮かべながら、気にする事はないんだという雰囲気で相槌を打つ。

 

「だから“漆黒の剣”はこれからも変わらないのである! でも、正直に話してくれた事は嬉しい事である!」

「みんな……ありがとう」

 

 ニニャは心強い仲間達の存在に感激し、少し目尻に涙が浮かぶ。

 そんな、気恥ずかしい雰囲気が苦手なルクルットが「そろそろ鍋を片付けるかー」と元気よく立ち上がった。焚火から既に下ろされ、冷えて持てる空の鍋の取っ手を握ろうとしている。

 だが、ニニャにはもう一つ、皆へ知らせておきたい話があったのだ。

 

「あっ、あのーっ、……あと一つだけ聞いて……欲しいけど……」

 

 先の『女の子である』という告白は凄く緊張した。

 しかし、次の『報告』は気恥ずかしいという気持ちが強い。それはこれまでの『男の子』としての事柄では無いからだろう。

 

「なんだよー?」

「何かまだありましたか?」

「どうしたであるっ?」

 

 男性陣三人が、ニニャへ再び注目する。

 ここで怯んでいても仕方がないと、ニニャは頬と言わず染めた真っ赤な顔で、仲間達に宣言した。

 

「この度、女の子として私は――“漆黒”のモモンさんと付き合う事になりましたっ!」

 

 

 

「「「え゛ぇぇぇぇーーーーーーーーーーっ?!」」」

 

 

 

 その時のルクルット達の上げた声量は、周辺の離れた冒険者チームの幾つかが「大丈夫か?」「何かあったのか?」と見に来るほどの大きさで放たれ響いていた……。

 結局、『漆黒の剣』のメンバーは、ニニャに驚かされたのである――――。

 

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 

 王城にアインズとガゼフを乗せた馬車が帰って来た時間は、午後10時15分近くであった。

 ヴァランシア宮殿に宿泊する客人のアインズは当然だが、ガゼフも戻ってきていた。

 それは勿論、現在王国は戦時下であるからだ。

 王国戦士長のガゼフは竜軍団の侵攻当日から王城内に泊まり込み、兵舎で寝起きしていた。アインズを宮殿の玄関前まで送ると一度屯所へと戻り、2名の宿直の戦士達に確認する。

 

「何か、変わったことは?」

「騎馬隊としてはありません。しかし先程、陛下からの使いの者が参り、戦士長は城へ帰還次第で良いので部屋へ来るようにと」

「――っ、そうか」

 

 こんな夜中に、という事であれば、恐らく内密の話とガゼフは考えた。

 友人と飲んだ気楽で美味い酒のほろ酔いを、その思考が一気に追い払う。

 戦士の顔を取り戻した男は、腰に帯びる剣へ僅かに手を当てると宿直の戦士達へ告げる。

 

「では、行って来る」

「はっ」

 

 この時間に呼び出しの場合、リ・エスティーゼ王国国王ランポッサIII世は、宮殿の最上階の居室区画の応接室に居る。

 応接室の隣が居室で、その奥に寝室が繋がっている。応接室が使われている場合は、その扉の前にも衛士が立つので分かる。普段は奥の居室側にしか衛士は立たないのだ。

 そのためガゼフは手前の応接室の扉の前に立った。衛士が中へ確認を取り、その扉が開かれる。

 しかし、彼は部屋の中へ数歩進んだところで驚き、立ち止まった。

 そこには、国王ランポッサIII世が豪華な椅子に座っていたが、その横の三人掛けの椅子に――レエブン侯が座っていたのだ。

 ガゼフの入室に、国王と大貴族である二人が立ち上がることは無い。

 

「おお、来たか。待っておったぞ、戦士長よ」

「これは、王国戦士長」

 

 そう言ってレエブン侯ら二人は顔だけを向け、ガゼフへ声を掛けてきた。

 

(な、なぜ反国王派のレエブン侯がここに……?)

 

 ガゼフに、この大貴族に対する良い印象は少ない。

 確かに、先の戦略会議で見せた的確であった建策は非常に評価出来る。しかしなればこそ、国王派には脅威の人物と言えた。

 これまでにも反国王派の意見の補足などを行い、国王の意見をいくつも抑え込む原動力になっているのを見ており、ガゼフとしては『敵』という判断を下している。

 その人物がここに座っていた。

 今のこの状況がよく分からない。ただ、ガゼフはここで立ちつくすわけにもいかない。

 

「遅くなりました、陛下。さらに飲酒のあとでの入室、申し訳ありません。レエブン侯にもお詫びいたします」

「いや構わん。この時期だ、適度な息抜きも必要である」

「そうです。急の話だし、気にしていない」

 

 二人の言葉を受けてガゼフは一礼し、国王の座る席の傍へと立った。

 国王とレエブン侯の座る席の前には膝上ぐらいの高さのテーブルが在り、その上には王国北西部の地図が置かれている。その上には、木製の駒が置かれており戦略的流れの話が展開されていた様子が窺えた。

 ガゼフの表情を傍で確認した国王は、戦士長の気持ちがよく見えていた。

 

「はは、戦士長よ。心配せずともよい。レエブン侯は――味方だ」

「――っ」

 

 ガゼフの表情が変わる。その視線はこちらへ笑顔を向けたレエブン侯へと注がれた。

 

「そんなに、驚かれるとは心外ですよ、戦士長。現在、レエブン候爵家は水面下だが陛下のお味方です」

「い、いや、申し訳ありません……」

「はははっ。無理もない。私が何も言っていなかったからな」

 

 その通りなのだ。

 国王から、殆どこれまでに侯爵への批判的な言葉さえ聞いていない。

 元々そういった愚痴をいう陛下ではなかったため、気付けていなかったのだ。

 しかしガゼフは確信出来る、昔から元々国王寄りということでは無いと。

 数年前までは、間違いなくこの候爵家は、反国王派側に立っていた。

 

(この近年にレエブン候爵家内で、なにかの流れが変わった……ということか)

 

 ガゼフは、レエブン候に幼い子供がいる事は知っている。でも、それが大きく方針転換する動機となった事へまでは考えが及ばなかった。

 何はともあれ、彼の国王派参入は大きな福音である。

 反国王派の六大貴族でもっとも警戒すべきと考えていたレエブン候爵家が、国王派側だという事実はリ・エスティーゼ王国の安定に大きく寄与するだろう。

 王家の力を六大貴族が周りで固める事で、その権力は盤石になるのだ。

 これは大きい前進であると言えよう。

 ガゼフはここで頭を切り替え、呼ばれた件へと思考を戻す。

 

「それで今晩の御用向きですが、もしかすると――決戦場の検討でしょうか?」

「う、うむ。この地図を使って、現在の予想糾合戦力で迎え撃つ場所を探っていた」

 

 国王が語り、それに続きレエブン候も述べる。

 

「竜軍団は多くの捕虜を有することで、エ・アセナル付近へ停滞していると考えられる。なので、我々としてはその近辺を戦場とする方が、これ以上の一般民衆の被害を低減出来るだろう」

「確かに。周辺はほぼ無人化していますから」

 

 この案は、ゴウン氏も提言していたがその路線で動くことになりそうである。

 正直なところ、王国軍で(まさ)っているのは兵の数のみと言える。

 作戦としては数で時間を作り、竜王をアダマンタイト級冒険者の『蒼の薔薇』が受け持ち引き付け、同級の『朱の雫』やオリハルコン級冒険者達が確実に百竜長ら副指揮官以下を討つ。

 そして、ミスリル級や白金級冒険者達で、下位になる竜兵達を削っていく――。

 その減じる数を90体以上を目指す。

 この作戦における王国軍の行動で大事な点は――集まらない事。

 竜軍団は、各個体が火炎という大砲を持っており、纏まればそれだけ相手に利する状況になる。

 恐怖や不安は人を安全と思われる場所へと寄らせてしまうが、それに抗って攻め続けるのが今次大戦の精神である。

 

「現在、すでに2万からの工作班の編成を終え、エ・アセナルから15キロから40キロの各地に仮設の補給拠点を作るべく動き始めている」

 

 レエブン候はそう告げた。大作戦は動き始めている。

 今回の総兵力は20万を超えるが、分散する為、広い範囲での補給が必要になっていた。

 予定数は実に500箇所を超える。しかし、各所とも数時間作業で仮設のテント風の、食料や雑貨補給所を作っているので手間が掛かり過ぎないように配慮されている。

 各地に散らばった小隊の多くが、そこで日々の糧の補給を受け散開し、都市で待つ家族達が生き延びる礎となるために――囮として逃げ回り、ただ時間だけを稼ぐのだ。

 

「………」

 

 ガゼフの表情は、厳しいものになるが無言。

 彼は目を閉じる。

 

(今の我々の戦力では、この作戦しか残されていない。この俺にもっと力があれば竜王へ一騎打ちの戦いを挑むのだが……いや、皆の勝利を信じ国王を守り切るのが俺の役目だ。勝ったにも拘らず国王不在となれば王国内は乱れてしまう。それだけは起こってはならない)

 

 王国戦士長の眼光鋭い目が開かれる。

 もはや迷いなど無い。

 

「それで、今日ここへ私をお呼びになられたのは?」

「うむ……一つ急だが、お前に頼みたいことが出来たのだ……」

 

 国王ランポッサIII世の目や表情が、これまでに見た事が無いほど複雑さの滲むものになった。

 先程までの表情からハッキリと更に難しいものへ変わり、長年国王を見てきたガゼフは、自分の入室冒頭から無理をして顔色と雰囲気を作っていたのだと気付く。

 いや、ガゼフは一度だけこの表情を見たことがあったと思い出す。

 それはぺスペア侯爵家へ、第一王女殿下の輿入れを決めたと陛下から告げられた時だ。

 ただ、それは今、当主となったぺスペア侯と昔から顔見知りの第一王女自らが望んでの婚儀であり、国王が指名し無理強いしたということではない。

 しかし、親としては複雑なのだろう。

 

「実はなぁ……その……」

 

 ガゼフは直感的に、これはラナー王女殿下についてでは、と思い当たる。

 

(急遽、遠方に領地を持つ大貴族への輿入れとかだろうか。だが、なぜ俺を……? いや……)

 

 一瞬疑問を感じたが、よく考えれば移動には警護隊が必要であり、矛盾は無い。

 言いにくそうな陛下の様子に、ここでレエブン候が助ける形で補足する。

 

「この緊急案件は、おそらく戦士長ストロノーフにしか出来ない事だと私も考えている。本日のことだが、陛下のもとへ王女殿下が訪れたのだ。――ルトラー第二王女殿下が」

「ル、ルトラー様が……」

 

 本来王家の者以外で知る者は少数だが、国王の側近としてガゼフも僅かに面識がある。

 長い金髪の映える、それはそれは美しい姫君だ。ラナー王女に瓜二つ――双子なので当然なのだが、瞳の輝きや自然な雰囲気の表情からガゼフとしては、『黄金』のラナーよりも()()()()好感が持てた。

 しかし、あの方は『足がお悪い』のだ。

 そのために、表舞台へは全く出てこられず、御自分でも悟られているかの様子で、すでに余生を宮殿で静かに送られている雰囲気。

 国王も可愛い娘を手元に置けるので、それを望んでいるように思えた。

 それが――。

 

「レエブン候よ。私が告げる。親として娘の事を大事に考えぬ日は無い」

 

 ランポッサIII世が横へ立つガゼフへと上体を向ける。

 

 

「ガゼフよ頼む。我が娘の、たっての希望だ。ルトラーと――あの旅の魔法詠唱者アインズ・ウール・ゴウン殿との婚儀が上手くいくように取り持ってくれんか?」

 

 

「えっ………………?」

 

 ガゼフは余りの内容に反応できず、そのまま固まった。

 王女殿下を、一介の旅人へ嫁がせるというのであるから当然だろう。

 リ・エスティーゼ王国の歴史上、前代未聞の珍事と言える。

 しかし、国王ランポッサIII世陛下は常識人でもある。酔狂でこのような事を、それも愛娘の婚儀というのは有り得ない。

 この決定には、非常に大きい意味と決意があると思えた。

 

「ふむ……。いきなりでは驚くのも無理からぬ事か。まあ聞け」

 

 国王は、反応の止まったガゼフに事情を語り始める。

 

 

 

 事の始まりは、今朝の午前11時頃。昼を前にのどかな時間が、ここヴァランシア宮殿に流れていた。

 この時間は会議や執務もなく、国王は居室で本を読み寛いでいた。

 すると来訪者が来る。

 一人の少女が急にここを訪れた。

 

「第二王女のルトラー・ペシェール・ラドネリス・ライル・ヴァイセルフです。国王陛下への面会をお願いします」

 

 ルトラーは、宮殿の隠し通路を車椅子で突破して来ていた。

 本来、火災などの非常時を除き、この場へ彼女が来てはならないのだ。

 この十年以上、それは守られ一度も訪れていない場所であった。

 しかしだ。

 

「国王であるお父様に、私の人生最初で最後のお願いに参りました」

 

 国王は、大臣代行からそれを伝えられると、会わずにはいられなかった。

 開けられた扉の中へ、ルトラーの乗る車椅子が入って来ると、国王は席を立ちゆっくりと近付き、優しく車椅子に座る娘を抱きしめた。

 

「よく来た」

「はい、お父様。国家の窮地を知り来てしまいました。申し訳ありません」

「いや、今日は――私が許す」

 

 2分ほど頭を撫でられていたが、ルトラーから話を切り出した。

 

「お父様。本日参りましたのは、大事なお話があったからです」

「そ、そうか」

 

 ここで漸く、ランポッサIII世は離れてルトラーの顔を見る。

 真剣さ溢れる強いまなざしであった。それはもう、確固たる意志を持った『人間』であった。

 幼かったお人形の様な姿は、いつの間にか過去となっていたのだ。

 親としては、その成長が頼もしく嬉しくも有り、頼られなくなる寂しさも有り。

 

「なにかな、ルトラー」

 

 父親は席へと戻り座ると、国王として尋ねた。

 ルトラーは車椅子を自ら進め、国王の前で止まると一礼し伝える。

 

「本日は、この私が(したた)めた書簡をお持ちしました。どうかお父様の国王としての目でお読み頂きたく思います」

 

 そう語り、彼女は膝の上に置いていた数枚の羊皮紙を紐で括った書簡を国王陛下へと奏上した。

 受け取った国王はその紐を解いて、その場ですぐに読み始める。

 国王ランポッサIII世は、間もなく読み進めつつも震え始めていた。

 その1枚目より最後まで驚愕の内容が記されていた――。

 

 

 大筋はこうだ。

 他国の間者を考慮し、口頭での説明では無く文書により上奏する。

 リ・エスティーゼ王国が竜軍団との大戦に勝つためには、次の二つしか手が無い。

 一つ、スレイン法国と同盟し、秘匿された最強の部隊を派遣してもらう。

 一つ、旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウン氏に戦ってもらう。

 現状、王国だけの戦力では竜王へ傷一つ付けられないため、これ以外では勝つ可能性はほぼゼロと見ている。

 竜軍団は、たとえ配下の三割を討たれても王国への攻撃を止めない。

 それは、過去の八欲王との戦いで全ての竜王大軍団が、全滅するまで撤退していない史実からの推測。その事は古い『他国の歴史書』の一説に書かれていた。

 少なくとも、竜王を倒す以外に竜軍団の撤退はない。

 

 スレイン法国との同盟にはラナー王女を嫁がせるか、エ・ランテルの割譲のように領地を切り売る他ない。

 確認したが、ラナーはその婚儀をもの凄く嫌がっている。

 また、王家直轄領エ・ランテル割譲は、国力と同時に既にエ・アセナルを失っている王家の力を急低下させるだろう。

 

 旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウン氏に戦ってもらうには――まず、王国民になってもらえばよい。

 その代価は、第二王女ルトラーとの婚姻を締結。輿入れ金として金貨100万枚。今大戦の戦果によりゴウン家を伯爵家として興すことで交渉。

 領地は、帝国と法国との境目、エ・ランテルの一部権利と近郊一帯。

 そこで両国へ睨みを利かせて貰う。

 竜軍団を討ち滅ぼした程の人物が着任すれば、これにより帝国や法国との争いもなくなるはず。

 交渉役は友人であるガゼフ・ストロノーフが適任。

 

 私個人の考えとしては、私が好感を抱いているゴウン氏との婚姻を希望し推奨。

 ゴウン伯爵夫人として、リ・エスティーゼ王国の発展を辺境の屋敷より子を産み育て静かに見守りたく存じます――、と。

 

 

 国王ランポッサIII世には、衝撃的過ぎる内容の列記であった。

 しかしどれもが、納得できる理由で詳細に書かれており、ルトラーの優秀さに驚く他なかった。

 彼は最後の案の箇所を再度眺めると――一人の父親として問うた。

 

「それがいいのか? ルトラーよ?」

「はい。きっと――凄く趣味が合う方だと思いますので」

 

 娘は、優しく満面の笑顔で小さく頷いた。

 

 

 

「そういうことだ、戦士長よ」

 

 ガゼフは、ルトラー王女が書簡を国王へ渡す下りまでを聞いた後、ルトラーの書簡を見せて貰っていた。

 その内容に驚きを隠せない。

 ガゼフの様子を見つつ、ランポッサIII世が話す。

 

「レエブン候には参謀としてこの書簡を見て貰ったのだ。良い内容とは思うが、流石に私だけでこれを進める訳にもいくまい?」

「は、はあ。……それではレエブン候もルトラー様の案で納得と?」

 

 直立するガゼフからは、国王を挟み斜めの位置に座るレエブン候が一つ頷いた。

 

「参ったという言葉しか思いつかない。確かに領地の割譲案は頭の片隅にあった考えだが、帝国や法国が動く確証がないものでもある。それに、これを提案すれば会議の場は必ず荒れるだろう。そして国力、王家権力の急低下は大きな問題だ」

 

 実現させても、良い未来へは繋がらないというものだろう。

 

「あと、スレイン法国の秘匿された“最強の部隊”が本当に竜王を倒せる程の存在なのかも不明ではある。しかし、私の配下の元冒険者達にすれば、嘗てスレイン法国が倒してきたモンスターの中にはアダマンタイト級でも難しいと思えるものが幾つかあると聞く。また王女は、古い他国の書物からそういった記述を見つけて判断しているようだ」

 

 少なくとも、我々よりも知識は広いという事だ。

 そして、アインズ・ウール・ゴウン氏――。

 ガゼフとしても、恐らく一番王国の明るい未来が見える希望の案だと思える。

 

(あの御仁の底が知りたい、見たいという思いは戦士として拭えない。だが、巻き込む形に。しかし――国王の命であり、王国はおそらく助かる)

 

 ガゼフ・ストロノーフは1分ほど再度熟慮し、ついに決断する。

 自身の嫁の話もあるし、招いた友であり客人だが、全てを掛けなければ竜王は倒せない。

 もはや、個人的な拘りに囚われている状況では無いと。

 公人として、ゴウン氏へ協力を要請してみようと――。

 それに決して悪い話では無いと思う。

 ルトラー第二王女は、足がお悪いものの聡明で美しく素晴らしい人物だと考える。

 婚姻が纏まれば王家とも縁続きである。

 更にこれにより、貴族の伯爵家を興してもらえ、金貨100万枚である。放蕩を続けても一代で食いつぶす事は無いだろう。

 

 

 

「分かりました。この縁組、ゴウン殿へは私から早速明日にでも話をしてみましょう」

 

 

 

 戦士長は、国王とレエブン候から握手を求められ、しっかりと交わした。

 

 

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 

 王国戦士長のガゼフに宮殿の玄関前まで送られた仮面姿のアインズが、3階にある滞在部屋へと螺旋中央部が吹き抜けとなっている赤絨毯敷の階段を上がってゆく。

 すぐ後ろにはナーベラルが不可視化のまま静々と従う。

 すでに宮殿における平常時の就寝時間を過ぎており、静まり返った階段や廊下に灯る蝋燭と所々に水晶から発せられる〈永続光(コンティニュアルライト)〉が光量を落とされ輝く。

 時刻は午後10時20分を過ぎていた。

 支配者の接近を察知しているソリュシャンにより、外を確認する振りで部屋の扉が開けられ帰還が告げられると、室内入り口付近で配下の者達全員が優雅に整列し、ユリが代表して挨拶を伝えて出迎える。

 

「お帰りなさいませ、アインズ様」

「うむ」

 

 アインズは、室内を進むといつものソファーへゆっくり腰替えた。

 すると間を置かずユリから、「午後9時半を回った頃に」と小間使いの来訪が伝えられる。

 

「お帰りした後でよろしいので、今日中に必ずこの手紙を渡して欲しいとのことでした――」

 

 しかしアインズはその相手の名を聞いて、嫌な予感のみが広がる。

 

 

 

「――ラナー王女より」

 

 

 

 何をするか分からない要注意人物であるため、仕方なく『ヒント』としてアインズは、ユリから受け取ったその封緘され封筒に四つ折りで入れられた羊皮紙の手紙を取り出し、翻訳眼鏡(モノクル)を使ってすぐに読んだ。

 それには、ただこう書かれていた。

 

 『早めに二人だけで相談したいことがあります。お手数ですが一つ上階奥の私の部屋までお越しください。大丈夫です、小間使いと護衛の者には早く休むように伝えますので。警戒しないでください。悪い話をするつもりは御座いません』

 

 そうして、手紙下方に宮殿該当階(4階)階段口からの簡単な見取り図と部屋までの最短経路が記されていた。

 この宮殿は国王の居室のある5階を除き、大雑把には同じ形の部屋割り構成だ。

 手紙は他の者が拾って読んでも特定出来ない様に書かれている……。

 

(…………どう考えても、これは怪しいよなぁ)

 

 4階の奥という逃げ場のない計算された位置にある部屋。

 5階の国王や王子達の居室階は当然として、先も2階で衛兵達が巡回して残っているのを見たところだ……。

 だいたい今の時間に王女殿下の部屋へ、護衛も小間使いも同席しない状況で立ち入ったことがもし広まれば、アインズは全ての立場を失いかねない。

 まあその場合、ラナー王女自身も自爆状態になるけれども……。

 ただそれは、現場で対処出来ない者の話だ。

 アインズには、最悪の場においても幾つか手はある。

 現状は彼女の策に対し動かず、墓穴を掘らない様に心掛ける事で問題ないと思われた。

 そう判断した支配者であったが……ラナー第三王女の最終目的が見えない為、対応が迷走気味に陥るかもとの不安が湧く。

 なのでそれを知っておいた方が良いと考えた。今回の誘いはそのきっかけになる可能性を持つ。

 一応、王城での戦略会議の際、すでに謝罪を受けており、公けには互いに遺恨のない状態。

 

(虎穴に入らずんばとも言うし、まあ罠前提で備えていればなんとかなるかな)

 

 アインズは、ツアレをユリと先に休ませ隣の部屋へ下がらせる。

 ソリュシャンとナーベラルに口頭でサポートを頼むと――アインズは部屋を出た。

 〈伝言(メッセージ)〉を繋いだソリュシャンに周囲を探らせ、巡回者との出合い頭を完全回避する。

 確かに、4階の階段口からラナー第三王女の部屋まで、人払いがされているようで、ソリュシャンから「部屋周辺にラナー王女以外の生体反応は御座いません」と知らされる。

 アインズは、4階階段口からラナー王女の部屋の扉前まで手紙に書かれていたルートで問題なく進んだ。

 そして扉をそっと叩く。すると扉が王女直々により開かれた。

 部屋の中に灯る明かりは蝋燭が僅かなのか、ドア越しの白いドレスを着るラナーは幻想の如くなんとも魅惑的に見えた。

 

「よくお越しくださいました。嬉しい。さあお入りください――ゴウンさま」

 

 ラナーとしては、『嬉しい』『さま』の言葉に仲直りの期待を込めていた。

 アインズは、王女が取っ手を握り開いてくれている扉を抜け、中へと進む。

 さりげなく「さま」付きで呼ばれても、何やら不安感が広がる。

 絶対的支配者は一応周囲を確認。確かに他の人気は無い様子。彼女のドレスと同じ白色で統一された室内の広さは150平方メートル程あった。

 部屋の高天井には数点のシャンデリア。扉面の壁へは、金銀で装飾された白塗りの本棚やサイドボードに飾り棚と洋服箪笥が並ぶ。対面側には、上質の白いレースカーテンが閉めれた、日当たりの良さそうな天井近くまで伸びる高い窓が幾つも見える。その窓辺の一つには、白塗りの小さい円形机と囲む3脚の椅子が置かれていた。

 部屋の中央近くには本棚を背に書斎机や、食事も楽しめるテーブルセット等もある。

 一番奥には――白と赤とピンクの高級レース布を交え天板が飾られた高品質のベッドも見えた。

 だがナザリック水準では、いずれも地味程度に留まる質と言えよう。

 それでも恐らくこの部屋の家具類だけで、一財産はあるだろう。流石は王女様である。

 アインズの後ろで扉がそっと閉じられ、ラナー王女はアインズの横まで戻って来ると「こちらです」と案内する。

 しっかりした造りの三人掛けの椅子が置かれたところでそこへの着席を勧められる。

 アインズが座ると「少々お待ちを、お茶を入れますね」と家事室に消えた。

 彼の前には腰掛けている椅子に合わせた低い脚のテーブルがあり、一人掛けの椅子も囲む。

 支配者は王女を待ちながら彼女の真の目的を考える。

 

(こんな時間と場所へ呼び出した狙いは、一体何かな?)

 

 あの戦略会議の時に、竜軍団と戦わせようとしたのは単に国の為なのかも不明。

 『蒼の薔薇』達もいた初会合の席では、王都待機を了承していたのにだ。

 

(あの行動ごとに意味があったのかなぁ……)

 

 支配者の今の感覚として、不気味としか言いようがない。

 今日、可能なら彼女の根底に触れる材料が得られればと、アインズは思っている。

 ラナー王女がカップ類を乗せた銀のトレーを持ち奥から戻って来ると、アインズの前のテーブルへ優雅に紅茶を置く。

 紅茶の良い香りに加え、間近を王女の身体が掠めると、若い娘でも別格の良い香りまで漂う。

 ラナーもテーブルへ紅茶を置くと、一人掛けの椅子へと座った。

 砂糖壺も乗せたトレーはテーブルの上だ。

 アインズは、自分なら砂糖壺もテーブルに置いて、トレーは自分の座った椅子の横に立て掛けてしまいそうに思えた。

 それにしても、彼女の仕草が洗練されていて美しいと感じる。品格の違いがあるのだろうか……。

 アインズは、このタイミングで紅茶を飲む為に仮面を外した。

 その様子をラナーはじっと見ている。

 

「……なぜ、いつも仮面を? 酷い傷がおありとか、その――醜いとかではないですのに」

 

 アインズは内心驚いた。この特殊幻影の金髪の顔は、絶世の美女である王女にとって耐えられる水準らしい。

 

「魔法に関しての制約みたいなものですね」

 

 彼としてコレは、金髪や若返りとこの世界風に補正している側の顔なので、王女が原型を見た時の反応は窺い知れないのだが。

 この時、アインズは全く気付いていない。王女の持つ魔女の如き思考洞察力に。

 

(さっきまでここへ呼ばれて来たことに困惑していたみたいだったけど、今の言葉に反応したわ。……驚いて……喜んだ? 何か別の顔と比較していての感想? んーよく分からないわね。でも制約というのはウソなのね、別の理由があると。……やっぱり思考面で存外広く見てるし、多少頭は回るけれど、私的には――“凡人か智者”ね。“天才”の域には遠いと思えるわ)

 

 思考の魔女は、思いとは別で納得したように答える。

 

「そうですか」

 

 ラナー王女は、先の戦略会議などから仮面の旅人を的確に解析していた。今日はまんまと表情が見えたため、更に確信が持てていた。

 しかし――。

 

(でもあの時、私は――予想で完全に上を行かれた。恐らく、私を超える思考や知能でも埋められないほど絶大な魔法が使える人物なのよ…………本当に凄いわ)

 

 ラナーには分かる。

 一匹の蟻がどんなに知能を持とうとも、大自然の洪水を止めることなど永久に出来ないのだ――次元そのものが違うのだと。

 それほどの力の差を感じている。

 

 

 そう、ここは止めずに乗るべきなのだ、この大自然の洪水のような大波(ビッグウェイブ)にっ!

 

 

 だからこそ、すんなり大人として憧れの如き好感を持って(ゴウン)の存在もこの身体に受け入れられる。

 既に午後10時45分を迎え、衛兵の巡回を空けているのにも制限時間はある。

 ラナーは、今日の時間が余りないことを知っており、静かに本題を語り始める。

 

「本日、こちらへゴウンさまをお呼びしたのは、私の夢を実現するために貴方のお力が必要だからです」

「……夢? それは一体……?」

 

 アインズとしては余りに唐突である。

 その困惑した表情の彼の問いに、薄暗い蝋燭の灯る部屋の中、ラナーは紅茶で濡れている唇に、右手人差し指を当てて艶っぽく語る。

 

「今、それの詳細は言えません。ですが大きいことではありません。そして、人が死ぬようなことはありませんし、少年が一人幸せになるという細やかな事です。もし――お力を貸して頂けるのなら――」

 

 ラナーはここで椅子から静かに立ち上がり、清楚なその純白ドレスの裾を礼をするかのように掴むと両手で大きく持ち上げていく……。

 すると当然、その下から白肌の美しいスラリとした生足が姿を現していく。裾は更に高く持ち上げられ柔らかそうな太ももをも優に越えていく。

 アインズは唖然と見ていたが、純白の下着が見え始めた辺りでラナーの言葉が続いた。

 

「――()()()、この私の身体をご自由にして頂いても構いませんから……」

 

 ラナーは頬を赤くしつつも、最高に可愛く可憐に微笑みしっかりと誘惑(レイズ)した。

 彼女のアピールはまだ終わらない。

 

「もちろん、私を我がモノにして頂くために、あらゆる手と策を献策し協力いたします」

 

 既に――ドレスは完全に捲られ両手で右胸横に束ねられている。

 美しい腰下からの体線に下着と素足が丸見えな状態――。

 

 間近で見ているアインズはというと……一周回って既に『沈静化』していた。

 

 目の前でいきなり始まった美しい王女のショーに、釘付けとなったが逆に一気に興奮度が上がりすぎたのだ。

 一周回ればもう何も感じなかった。

 

 ラナー王女自身も異変を感じていた。それはあの戦略会議での場と同じ衝撃。

 確かに目の前でゴウンが、この熱くなりつつある身体に大きく興奮してくれていたのを感じていた。ラナーも大きい力を持つ魔法詠唱者への好意が膨らんでおり――嬉しく思えていたのだが、彼の興奮する思考が突然に途切れたのだ。

 

 ――またしても理由が分からない。

 

 そしてラナー王女は同時に感じたのだ。否定的な考えが充満する彼の思考を……。

 

 アインズは、ハレンチでストリップ的姿のまま固まっているラナー第三王女へと明朗に告げた。

 

 

「趣向を凝らしてもらい申し訳ないが――協力はお断りします」

 

 

 ラナーは思わず、両手を広げ少し大きな声が出る。

 

「な、なぜですっ、ゴウンさま!」

 

 それにより、捲り上げていた純白のドレスは元の位置へ落下し花が開く様に戻り揺れた。

 

 

 

「簡単なことです。――――大したメリットが無い」

 

 

 

「――――――…………っ!!?」

 

 彼の淡々とした言葉に王女は絶句する。

 リ・エスティーゼ王国の誇る『黄金』と呼ばれし、第三王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフの天才的頭脳と絶世の容姿端麗である身体が、たった一言――『大したことは無い』と踏みにじられていた……。

 再度、ラナーはゴウンの思考を読むが、近日は関わり合いたくないと読み取れる。

 ラナーの知恵など無用で、己の力のみで竜軍団に対せると。

 しかし彼女はここで、このままで終われない。

 

「……ゴ、ゴウンさまっ。私――今、服を破り大声で叫びますよ!」

 

 彼女は脅迫する手を使ってでも、もはや引けなかった。

 ゴウンの力を得られなければ、近い将来にクライムと引き裂かれどこか他家へと嫁がされるだろう。

 それならいっそ、ここで自爆してキズ者扱いされた方がまだ目は有るのだ。

 

(この既成事実で貴方と一蓮托生の関係に持って行ってあげますからっ)

 

 だがそれに対して、アインズは平然と即答する。

 

「無駄ですよ。私には今、その状況に対して簡単に帳消しに出来る力がある」

「―――っ(嘘じゃないですって……)!?」

 

 ラナーの読みの思考がアインズの考えを完全に理解してしまった。

 もうこの男への手が無いのだと。彼の力は手に入らないのだと―――。

 

 立ち上がっていた彼女は、ガックリと無気力に後ろの椅子へと腰を落としていた。

 ここで手が尽きたという事は、彼女の幼い頃からの長年の夢の終わりが近い事を意味している。

 ラナーの目には、本気の涙が浮かんできていた。

 それは拭われる事なく、頬を静かに伝っていく。

 

 アインズは、仮面を付けながら静かに席を立つと小さく告げた。

 

「失礼する」

 

 ラナー王女はもう答えない。彼の姿も見ていない。

 答える気力が、彼女の眼光から既に失われていた。彼女の目は、何を見るのでもなく見開かれたまま止まっていた。

 

 まるで――糸の切れた人形の様に見えた。

 

(この私が、またしても……ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフに―――二度の敗北は無いのではなかったの……?)

 

 この取引は、彼女にとって知恵も身体も誇りもすべて使った必勝のはずであったのだ。

 

 アインズは、ラナーへ背を向けると王女の部屋から退出した。

 

 

 

 

 ――――――しかし、話はここで終わらなかったのである。

 

 

 

 

 アインズは階段を降りて三階の滞在部屋へと帰って来たのだが、どうも雰囲気というか様子がおかしい。

 そう言えば、ラナーとの会話の終盤辺り以降、ナーベラルとソリュシャンからの連絡が無い。

 どうしたのかと、アインズ自ら部屋の扉を押し開ける。

 

 

 するとそこには……ルベドが一人仁王立ちしていた。

 

 

 扉の傍ではナーベラルとソリュシャンが、其々巻物(スクロール)を使って、ルベドの絶大なパワーが部屋の外へ漏れるのを全力で遮断し阻止している状況。

 アインズは、それで「ピピン」と来てしまった。

 その予感は的中し、次の瞬間ルベドの一声が炸裂する――。

 

 

 

「――――――メッ!! アインズ様、メッだがらっ!」

 

 

 

 彼女は同時に右腕を伸ばし、人差し指をアインズに向けていた。

 その姉達譲りの美しい表情は明らかに怒っている。

 ルベドは、王女の部屋を透視で終始見ていたのだろう。

 確かにあれだとドレスまで捲らせられて、下着を見られて泣かせてしまったようにしか見えない……。

 最上位天使の左手には、すでに大長物である神器級(ゴッズ)アイテムの聖剣シュトレト・ペインが握られているではないか。王城ごと真っ二つに斬られかねない。

 もはや、待った無しである。

 ルベドは先程しっかり、絶対的支配者とルプスレギナとの会話を聞いていたのだ。

 

 その中での、ラナーとルトラーの王女姉妹の話を――。

 

 ルベドの眼光には、王女姉妹の幸せを守るという義務の炎が燃え盛っていた。

 また姉妹コレクションの増強期待のニヤニヤに水を差され、イライラに変わりつつもある。

 

「アインズ様っ。泣かせたり無理やりは、メッなんだからっ!」

 

 アインズは、指差してくるルベドへと右手を『待て』という形で向けると諭し始める。

 

「こ…………これは作戦なのだ、ルベド。早まるなっ。まず私の話を聞くのだ」

「……え?」

 

 ルベドの剣幕が途切れた。

 敬愛するアインズの話である。スリスリ出来る我が主の言葉である。

 そして、絶対的支配者はこれまでもターゲットにした全ての姉妹を愛し、手厚い保護をしてくれていた。

 彼の言葉には信用に足る力がある。ルベドを一瞬は押し止める力が。

 しかし、機会は一度だけと思えた。それが今――。

 アインズは頭脳をフル回転させ、言葉を選びながら話続ける。

 

「あのラナー王女は優秀でな、デミウルゴスとアルベドをして“要注意人物”に指定している程の者なのだ。だから、通常の策では懐柔出来ない。その根底を揺さぶるようなモノを掴む必要があった。その為に少し厳く見える形になったのだ。ここまでの話は分かるな?」

 

 そう尋ねるも、眉間に皺を寄せるルベドの表情は硬い……。

 アインズは内心で額へ手をあてつつ、内容を抽象的に変更した。

 

「つまりだ、仲良くするには彼女のホントに大切とするモノを知る必要があったのだ。それが掴めた。もう心配はいらない。――今から、あの子の笑顔を見せてやるぞ」

「――本当か、アインズ様?」

 

 この難題に念を押して来るルベド。

 だが口に出した以上、あのラナーを笑顔へと向かわせなければ――ナザリックの平和が終わる。

 

「もちろんだ。(うわぁぁーーーーっ)私に任せておけ(言っちゃったよーーっ)」

 

 アインズは、内心で頭を抱えつつも自分を鼓舞するようにそう告げた。

 ルベドがニヤリと笑顔を浮かべる。

 天使の表情に、なんとか機会を作れたとホッとする絶対的支配者。

 ラナー王女の対応をどうするかと必死に考えつつ、ルベドを傍でナデ(なだ)めた後、アインズは『やるしかない』という気持ちで、シズが開けてくれた扉から出ると、再び上階の王女の部屋を目指した。

 

 

 

 4階へ上がろうとしたアインズだが、ソリュシャンから周辺状況の知らせを受ける。

 不味い事に、上階にはもう衛兵達がいるという状況に変わっていた……。

 

(……王女の思惑通りなら、あのまま欲情されて身体を多少求められても、この状況を告げる事で結果的に断れると踏んでたか。(はな)から単に合意して宿泊部屋へと帰す予定だったんだな)

 

 時刻は午後11時30分少し前。

 アインズは仕方なく、一気に〈転移(テレポーテーション)〉でラナー王女の部屋へと移動した。

 あれから25分程経っていたが、ラナーはまだあの椅子に座ったままであった。

 断られたのが余程ショックだった模様。

 

「ラナー王女殿下、突然失礼する」

 

 流石に、去ったはずの人物が再び何故か部屋の中に居たため、ラナーの視線が声の方を向いた。

 希望を失っている表情は虚ろでしかないのか……いや、アインズには彼女の目が一瞬驚くも、少し安心したように見えていた。

 ラナー自身も不思議だ。他の男であれば確実に声を上げていた。クライムは別だが、これでも彼女の貞操は滅法固いのだ。認めた男性以外とは傍にいるだけでも実は不快だ。医療担当もこれまで女性のみにしてもらっている程。

 彼女は、仮面の旅人が大魔法使いならここへの登場も不思議では無いと思い、小声で呟くように話す。

 

「忘れ物でもあったの(彼の雰囲気に……焦り?)ですか……? あぁ、私の身体を味わいそびれたとか? ……別にかまいませんよ」

 

 既に夢破れたことで、いずれどこかの貴族でゴミ同然だろう低能の夫に散らされるのだ。せめて好意を持った者に捧げれれば、将来の低能である夫に一矢報いれるというもの。

 それと、実際に身体を使う事で、まだ道が開けるかもしれないとラナーの思考が動いていた。再度の敗北も重なり、自暴自棄気味なりにだが。

 彼女の目が棚の時計に向く。

 

「でも、残念。あと30分もすれば小間使いが見回りに来ます。少し短すぎますよね……ですから明日の晩も明後日の晩も……この先毎夜でもいいです……よ?」

 

 アインズとしてはルベドの離反と比較すれば、大抵は『大したことはない』事案になる。

 なので、ここは単純にラナー王女の熱い『申し出案』を受け入れると告げれば問題ないだろう。

 彼女の言っていた『大きいことでは無く。人が死ぬようなことでもなく、少年が一人幸せになるという細やかな事』を実現すると付け加えて――。

 しかし。

 

「ラナー王女殿下、私を見くびらないで欲しい。確かに貴方は魅力的だが――一度頭を冷やされてはどうでしょう?」

 

 アインズはそう静かに告げる。紳士的にカッコ良く。

 少なくともソリュシャンが聞いている以上このままで王女の提案を受ければ、「アインズ様はこの女の身体がお目当てだった!」と女性関係報告で通報されかねないと考えたのだ。

 

「――っ!」

 

 一方、ラナー王女はアインズの雰囲気から困惑に加え、偽りの無い思考を読み取る。

 更に仮面の男の言葉に状況が大きく前へ返ってきたと感じ、王女に精気が戻り始めた。

 確かに『蒼の薔薇』との会合でも、彼はこの身を好色の目ではなく純粋に綺麗だと評価してくれている思考を感じていた。それと同時に色仕掛けが効きにくい人物だとも理解していた。

 でも、先程は強い興奮を示したので、肉欲が有効の手であると過信してしまったのだ。

 加えて……今は何故か先程と打って代わって自分が『強く必要とされている』ことも窺えた。

 それもあり男女の関係を誘ってみたのだが。

 不思議に思う。クライムにも言えない恥ずかしい男を誘う言葉を、なぜこの仮面の男には伝えてしまえるのかと。

 

(これが大人の恋……?)

 

 彼女は艶っぽく握った左の手を口元に当てて恥じらうように黙った。

 アインズは諭す様に話し出す。

 

「正直に言います、ラナー王女。こちらも“急激に”状況が少し変わりました。(ナザリックの平和の為に)“私には貴方が必要になった”のです」

 

 その言葉にドキンとひとつ『黄金』の姫の胸が鳴る。

 男性から「必要だ」と正面から『求愛』されたのは初めてである。それも、力に魅了され好意を寄せている者からだ。

 王女のドス黒いはずの心が、キラキラとトキメく。

 アインズの紳士で真摯の言葉が続く。

 

「王女殿下には、その立派で類稀(たぐいまれ)なる知恵と知識があります。それで私を助けて欲しい。そうすれば――貴方の『夢』の実現に協力しましょう」

「えっ…………でも、それではゴウンさまがこの私の身体を自由には……」

「契約による関係と、出会いから始まる自然な関係と……王女はどちらを望まれるのか? それにラナー王女には、(民達の希望と憧れの一人として)大事に綺麗でいてもらわないと」

 

 アインズとしては、普通に考えればこれ以上王女と男女関係が進展するはずはないと考えての、もっともらしい発言をしたつもりでいた。

 しかし――上気し思考読みがズレ始めたラナーには違う形で心に響いていた。

 

(な、なんて欲の無い……愚かな……、うぅ……“ゴウンさまにとって”大事に綺麗でって……ふ、ふん。でも……お助けしないと……。そ、そうよ夢のためだもの)

 

 紳士で欲の無い所は、クライムとも大いに通じるものが有る――。

 やはり自分はそういった『珍しい人物』に()かれ愛を感じるのではと王女は改めて思う。

 考えたラナーは間もなく頷いた。

 

「では……私はゴウンさまを(お傍で陰日向にと)精一杯献策でお助けします。ですので、私の夢に協力をお願いいたします」

 

 彼女は同意を求め、そのか細いながらも乙女らしく美しい右の手を伸ばしてきた。

 

「了解しました。こちらこそよろしくお願いします」

 

 アインズは頷くと彼女と握手を交わした。

 ここで、ラナーが頬を僅かに染めて告げてくる。

 

「あの……ゴウンさま。互いに助け合う間柄(パートナー)になりましたし……二人切りの時には、その私の事は呼び捨てで呼んで頂けませんか? ただ――ラナーと」

 

 その姿は恥ずかしそうに上目遣いである。

 すると、アインズも真剣にお願いを述べる。

 

「分かりました……では私もアインズで構いません。それとこちらも一つだけお願いがあります。(助けると思って)私に微笑んでくれませんか、ラナー」

「はいっ……アインズさま」

 

 ラナーは、アインズが今の自分への愛情を表現して欲しいのだと思い、朧気に灯る蝋燭の幻想的な明かりの中、恋する乙女の素直で可愛らしい笑顔を浮かべた。

 

 

 

 こうしてルベドとの約束は見事に達成され、そして――ナザリックの平和は無事に守られたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. リッセンバッハ姉妹、大金を預かる。

 

 

「「「いってらっしゃいませ、ご主人様っ!」」」

 

 黒紅色のメイド服姿のリッセンバッハ三姉妹は、アインズ一行が乗る漆黒の最高級馬車を元気な可愛い声で見送ったのち、門を閉じ玄関を閉め扉を施錠した。

 次女のマーリンと末っ子キャロルは「ちょっと」と御屋敷メイド長代理の長女に呼ばれ、家事室へ三人が集まる。

 メイベラはかなり緊張した表情で、一握り程の大きさの革袋を広い調理作業台へ置くと、妹達へ告げる。

 

「あのね……先程ご主人様から、屋敷の管理費用だと思うけれど、追加で金貨を――50枚もお預りしたの」

 

「「えぇーーーーっ!?」」

 

 マーリンとキャロルは目を見開いて、その袋から数枚転げ出て来た輝ける金貨を見た。

 おそらく真夜中に見た、多くの金貨袋の中にあった金貨の一部だと思われる。

 それに加え、下の姉妹達も買い出しに出る場合が有る事から、先に姉が金貨10枚を預かっていることも知っている。

 メイベラは、家事室奥に立つ棚の鍵の掛かった引き出しから、金貨9枚と銀貨18枚を取り出し金貨袋の横へと置いた。

 昨日少し市場で買い出しをしたため使ったが、つまり今、この屋敷には金貨だけで59枚もあるのだ。この額は、嘗て母親が控えめながら自信ありげに話していた、街で中規模商人であったリッセンバッハ家の年収額に近い。

 まだ若い三人の少女達は、その魔性の輝きを目の前にしていた。

 キャロルが、自慢のツインテールを大きく揺らし尋ねる。

 

「ねぇ、これだけ有れば家も買えちゃうよね?」

「そ、そうよね」

 

 次女のマーリンも頷く。

 それに長女のメイベラが答える。

 

「買えるわよ。一括なら値切れるだろうし、恥ずかしくない新築の家がね。それに――私達は無理だけど、交渉次第では父さんと母さんを助けられるかもしれない金額よ」

 

 マーリンとキャロルは、ハッとした表情で姉を見詰めた。

 メイベラは姉妹達へと少し語る。

 リッセンバッハ家の借金の多くは、自分達姉妹の身体が背負っている事。強制労働とはいえ評価賃金は格安で、両親が馬車馬のように働いても金貨50枚分すら無事に返せるとは思えない事。

 そして『フューリス商会』との交渉次第では、両親はすぐに解放されるかもしれない事を。

 しかし、この大金はご主人様からこの屋敷の為にと預かったものである。

 

「これは、私達を信用頂いている証拠。だから、この場で改めてみんなに確認しておくわね。私は――あくまでも、待つわ。私達の立派で素敵なご主人様のお言葉を信じて頼りたいから」

 

 両親の事は一刻でも早く解放したいが、長女の決意の言葉に姉妹達も迷いなく頷く。

 昨晩以来、眼鏡を付けているマーリンも、頬を少し赤くしながら言う。

 

「それが一番いいと思う。あれほど優しく頼れて尽くせるご主人様は、そういませんもの……」

 

 それへキャロルも元気に手を挙げて続く。

 

「はいっ、私も。ご主人様大好き。きっとあの恐ろしい貴族と商会から、お父さんとお母さんを助け出してくれるって信じてるよ」

 

 妹達の言葉に同意見のメイベラは安心する。

 もし妹達が先走って、この大切なお金に手を付けるような事が起これば、大恩を仇で返すことになるため、その考えを確認したのだ。だがこれで考えは確認出来た。

 それにしても……どうやら妹達もご主人様へ自然と()かれているようだ。

 この金貨袋を渡された時のご主人様の声を、メイベラは思い出す。

 

『そうだ。表札の件で思ったのだが、急に大きい出費があるといけないし、他に多少必要なものもあるだろう。これだけあれば足りると思うが渡しておく』

 

(本当に気遣いのあるご主人様……)

 

 加えて、昨夜の晩餐では使い切らなかった、肉をはじめとする高級食材も家事室の保存庫にはまだまだ残されていたのだ。

 

『多めに持ってきているはずだ。お前達姉妹で仲良く食べるといい。健康に気を付けよ』

 

 ルベド様が主様のすぐ横でニコニコしている。

 言うまでも無く、食料というものは人が生きていくために無くてはならない。

 この新世界では、基本的に補償や医療制度、保険などは無く、市民は自身の身体のケアについて自己再生によるところが大きい。その原動力はなんといっても体力の元になる食べ物だ。

 

 ハッキリ言って、この世界は食事さえ与えれば――人は付いてくる。

 

 姉妹達は先日まで、両親が人質という大きな枷があるとは言え、イヤラシイ肉欲の目で見られようと、ゴミや物扱いされ故郷から離れたこんな所まで連れて来られようと、それまで渋々ながらも家畜の餌の如き食事だけで従っていたのだ。

 粗末でも空腹のお腹に食料が入ると、ストレスは大きく軽減された。

 

 ――短期間だが、洗脳されていたのかもしれない。

 

 それに対して、今のご主人様は人間らしく生きる尊厳と生活環境を与えてくれている。

 昨夜も姉妹達は一応、ご主人様の帰宅後に備えて浴室で皆、身体を清めていたが、夜伽を言いつけられる事もなかった。

 フューリス男爵とその商会の者達とは、人物の格が全然違う。

 

(ああ、英雄級の身でありながらもお優しい主のアインズさま……下賤の身のこの私もお慕いしていいのでしょうか……?)

 

 この後、日課である屋敷の掃除を始めるゴウン屋敷の住人達だが、その若い心には濃いピンク色が増し広がり始めていた……。

 

 

 

 王城へ戻る馬車の中で、アインズはふと気付く。

 

(あっ。メイベラへ“金貨30枚分ぐらい、姉妹で流行りの服装や可愛いベッド購入へ好きに使ってもいい”と言うのを忘れてたなぁ。まあ今は戦時下だし、今度でいいか)

 

 三姉妹は役に立ってるし、昨晩も地方での吟遊詩人(バード)の事や十三英雄の物語も少し聞けたしと価値ある情報を貰っていた。

 金貨の価値については、すでに冒険者等で知っているアインズだが、千枚以上臨時で増えたので結構適当である。

 なので、金貨50枚を使ってしまっても余り怒られなかったかもしれない――。

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. カルネ村の新人たち

 

 

 ンフィーレアは、カルネ村に来て早くも三日目の日暮れを迎える。

 今は昨日、村長に許可を貰った村外れの小屋で製薬装置の設置作業を進めていた。

 昨日中に新バレアレ家の倉庫から、馬車を使っての装置の運搬と仮配置を行なったが、再びゴブリン軍団から応援をエンリが手配してくれていた。

 軍団からは応援としてパイポとウンライが参加し、普通なら一日作業の力仕事の所を2時間程で終えていた。

 それから今日のこの時間まで薬師の少年は、装置の位置の微調整と固定、装置同士の配管接続作業を続けている。

 ンフィーレアは作業を始めると精神集中状態となり、気が付けが3時間ぐらい経っていることがザラであった。

 特に今は、兎に角愛しのエンリの前で実績を上げたいという思いから、作業環境を少しでも早く整えようと必死になっているので尚更と言える。

 夢中になると他が目に入らない性格を昔からよく知るエンリは、ネムを度々ンフィーレアの所へ向かわせて、食事や夜食を持ち込んであげていた。

 

「――――ンフィーくん、ンフィーくーんってばっ!」

 

 仰向けに寝そべって壁奥の配管作業に机下へと潜っている少年に、ネムは声を掛けるが反応がないため、足首上辺りを引っ叩いた。

 

「えぇっ、何っ、誰? ぁあ、やあ、ネムか。いらっしゃいってあれ? もう夕方!?」

「そうだよ。あっ、ンフィーくん。昼ご飯、食べてないっ」

「うわっ、そうだった」

 

 こんな感じでンフィーレアは、仕事に集中する余り生活に関する自己管理力がほぼゼロになっていた……。

 

 一方、現役の(アイアン)級冒険者のブリタは、この村に住んでいて難度で21程のラッチモンという現在自警団を率いている初老の野伏(レンジャー)をエンリから紹介され、村での生活の注意点や周辺の特徴などの他、剣の使い方についても鍛錬のアドバイスを受けていた。

 

「ありがとうございましたっ」

「うむ。若い者はやはり覚えが早いな」

「いえ、ラッチモン師匠の教え方が分かりやすいので」

 

 先の襲撃で村の同胞達の多くを失い、再び悲劇を繰り返さないようにとのエンリの考えに賛同して、作られたばかりの自警団を率いる立場にいるが、ブリタという良い後継者が現れて教え甲斐が出てきていた。

 ラッチモンは数時間程度の戦闘では、エンリ配下の小鬼(ゴブリン)兵士達と互角に近いが、それ以上の時間になると体力的に厳しいと感じていた。寄る年波には勝てないと。

 鉄級冒険者のこの女性が村の生活に慣れた頃、彼は自警団の指揮を彼女に譲るつもりでいる。

 そんな彼から教えを受けるブリタも、自警団のまだまだ素人といえる村人達の訓練を見ている。

 移住以来、村の砦化や護衛モンスター達との同居など目まぐるしい状況変化はあるが、この世界において自分達の命は自分達で守るのが常識であり、この村に居る限りは仲間達と精一杯取り組むつもりでいる。

 (アイアン)級冒険者のブリタは、自警団の村人の中ではラッチモンに次いでの実力であった。

 しかし、模擬戦を行うとエンリ配下の小鬼(ゴブリン)兵達には歯が立たなかった。

 プリタは、彼等モンスターがなぜエンリに従っているのか不思議に思えた。そこで話を聞くと、旧エモット家の主で、この村の英雄のゴウンなる大魔法使いから貰ったアイテムで呼び出されたという。ならばアイテム効果によって、現状の絶対服従もありえると理解した。

 また、村人達全員が「ゴウン様から譲られたアイテムの召喚モンスターなら」と完全に受け入れている事で、ゴウンという人物がどれほどの事をこの村で成したのかが窺えた。

 それとゴウン邸に彼の配下でキョウという人物が住んでいるのだが、凄い美人の娘でブリタはびっくりしている。マーベロに会って以来の驚きとブリタは感じていた。

 そのキョウの操るのが、この村にいるもう一種のモンスター、死の騎士(デス・ナイト)達だ。

 このモンスターも英雄ゴウンが召喚したという。確かカッツェ平野に出現したことがあるという非常に強いと伝わる伝説のモンスターのはずである。

 ブリタはまだ直接剣を交えた事は無いが、屈強であるエンリ配下の小鬼(ゴブリン)兵達から見ても「次元が違う」という強さらしい。

 そんなモンスターがここには3体もいた。

 そのうちの1体をエンリが、任されているという事に一番驚いたが。

 

 夕日が沈む中、ブリタの自警団への訓練が終り「また明日ね」と村人達が解散してゆく。

 「次元が違う」と聞いて、彼女が真っ先に想像出来たのは――密かに熱く想いを寄せる漆黒の戦士モモンの雄姿だ。

 あの人食い大鬼(オーガ)を斜め一閃した強さ。そして、盗賊団からの襲撃戦における非常に不利な数の中で、自分達を助けてくれた時のグレートソード二刀流の圧倒的といえる剣技……。

 そんなアノ人の姿や声を思い出し、頬を赤らめながら「ふふふっ」と微笑むブリタは、日課になりつつある『とある場所』へと向かっていた。

 

 少し癖のある赤毛の彼女が足を踏み入れた場所、そこは屋外に在った。

 小鬼(ゴブリン)軍団の共同生活館の前に広がるちょっとした前庭である。

 上空は東から濃いコバルトブルーの広がる天球に、星の瞬きが見え始める時間へと移っていた。

 庭の中央にはレンガ造りの焚火場所があり、料理も可能な感じに出来ている。

 

 ブリタは、エンリ達とここで食事を取ることが日常になり始めていた。

 

 エンリに「一杯作るので大丈夫」と言われており、昨日から厄介になっている。

 もちろん、ブリタは今日もラッチモンやゴブリン達と森へ行った時に狩りも手伝っており、共に食べる権利を持っていた。

 そしてもう一人、ネムに連れられてンフィーレアも現れる。

 彼はあの後、忘れていた昼食を速攻で食べていた。想いを寄せる子が作ってくれたものを無駄に出来るはずもないと。

 この世界での食べ物は貴重なのだ。「食べ物を大切に」はエンリの口癖の一つ。

 僅かでも嫌われる訳にはいかない。

 対してエンリとしては、ンフィーレアはアインズから直々に頼まれている人物でもある。

 それに近い将来、この村へ確実に貢献することから食事へと招いていた。

 薬師の少年も申し訳ない等色々考えたが、そもそもエンリ狙いなのに離れていては接点を失うと考え、割り切ってこの場へと積極的に来ている。

 そのエンリは、村に於いて非常に忙しい存在。今も帰ってきたネムと交代し、夕飯の調理途中で少し抜けて、近くの板塀設置の現場確認へ向かった。

 日々エモット家の畑を守りつつ、カルネ村の防衛責任者、更に砦化計画の最高責任者を熟す。それに加えて小鬼(ゴブリン)達の食事を毎食用意するのだ……。

 

「ふぅ。エンリ、大丈夫かな? 不安とか感じないのかなぁ」

 

 ンフィーレアとしては、彼女の体調や心理的部分での疲労面が心配であった。

 そして同時に少し不満があった。

 16歳の村の少女へこんなに仕事を押し付けているアインズ様にだ。

 

「ンフィーくん。確かにお姉ちゃんは忙しいけど、もっとちゃんと見ないと。楽しそうだよ?」

 

 ネムに言われてみれば、エンリはいつも笑顔で楽しそうに作業を熟しているのを思い出す。

 そして――彼の心配を他所に、エンリは見事に村人達らとモンスター達と連携し全ての事業を円滑に回していた。

 実はその身に持つ職業に因るものだが、その力を遺憾なく発揮している感じだ。

 

「……楽しんで……か(アインズ様はそれも分かってての指示なのか、うーん)」

 

 男として悔しい気分になるが、まだまだ英雄の主との経験の差は否めない。

 そうしていると10分程で、エンリが笑顔で戻って来た。

 ンフィーレアも気持ちと考えを切り替えて笑顔で出迎える。

 

「おつかれさま、エンリ」

「ありがとう、もうちょっと待っててね、すぐご飯が出来るから」

 

 エンリは腕まくりをしながら、ネムからかき混ぜ棒を受け取り大鍋に取り掛かる。

 その彼女の首には、ネムと“お揃い”の角笛風の首飾りが下げられていた――。

 ルプスレギナに邪魔され朝を迎えた時に、眠っているネムの首に掛かっているのを見たアインズが、再度一応予備にとエンリへ渡してくれたのだ。

 

 

 

 ――そう、これは3個目の『ゴブリン将軍の角笛』である。

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. その時ナーベラルは

 

 

 王城を出て王都内の大通りを南へと駆けるアインズらの乗る馬車を、戦闘メイド服姿のナーベラルは後方上空より不可視化のまま追い掛け進んでいた。

 すでに見た目も可愛い〈兎の耳(ラビッツ・イヤー)〉を展開し、御方をサポートすべく盗聴を開始している。

 

(アインズ様はなぜ、ナザリックの部外者であるこの“王国戦士長”なる役職の下等生物(人間)を優遇なされるのでしょう……?)

 

 しかしこの考えは、決して口に出すことは出来ない。

 絶対的支配者の応対の様子から、客人待遇の人物であることは間違いなかった。

 これまでこの下等生物(人間)が自分達の滞在部屋を訪れて去った後も、御方の口からこの者への不満や怒りは発せられていなかった。

 今も二人は馬車内で穏やかに会話を交わしている。

 

 至高の御方の意志が、ナザリック全ての者の意志となる。

 

 支配者からの直接指示は無いが、当初から友好的状況が続いている点を考慮し、長姉のユリからは『準保護対象』にとの指示も出ている。

 

(いけない。敬愛するアインズ様の意志なら、私はただ従うまで)

 

 ナーベラルは(あるじ)の為に、己の個人的考えは極力表へ出さないよう努めているのだが、敬愛する支配者の事を考えるだけで、心と身体が熱くなってしまう。

 今も、この眼下の馬車から下等生物(人間)を引きずり出して、その狭い馬車内を愛しの御方と仲良く二人きりでの秘密の空間にして過ごしたくなってしまうのだ……。

 ただそんな蕩ける様な自己満足のご奉仕をしても、アインズ様が喜ぶ事にはならないと思えた。

 もっと高い水準で至高の御方へ貢献出来なければ、一昨日から生き続けている意味はないとの考えにナーベラルは至る。

 今は彼女只一人が馬車へ追随し、護衛も兼ねている。

 ナザリックの一員として最高と言える誉れある任務を担っていた。

 直近の護衛に付くのが1名という状況は、カルネ村を除き守護者マーレ様以来と聞いている。

 ここで敵の強力な攻撃を受けて、主の盾となって散る事が出来れば、まさにナザリックと至高の御方に対して最高の貢献になるのは間違いない。

 永遠の存在として至高の御方の記憶に刻まれる可能性もある。

 まあ、厳密には最上位天使のルベドが随時遠距離監視しているのだが……。

 ルベドとは宮殿の滞在部屋にて、金髪の人間の女『ツぁ』何某というメイドが奥の家事室へ下がった折に何度かこっそり直接話をしている。

 ナーベラルもルベドが守護者ではないので、敬称は付けていなかった。

 

「ルベドはいいですね。至高の御方々を十分に守れる力があって」

「勘違いするな。私は、強者と戦うため造物主に作られただけ。至高の41人を守る為に居る訳では無い。私は私の考えのみで動く。だが……アインズ様は別だ。あの方だけは、私の大事なモノを全て『同じく()』でて、その偉大なるお力で今も保護してくれている。それに念願の私達三姉妹、ニグレド姉さん、アルベド姉さんとの仲を取り持ってくれた。だから、感謝に留まらず純愛も捧げる。そして(姉妹同好会の)同志であり、主と認めたアインズ様の指示には従う。それ以外は姉さん達を除いて従わない。つまり言いたい事は――――お前達も含めて、姉妹は仲良くしていて欲しいな」

 

 最後はもちろん『脅し』である。

 そんな感じの会話が一度あったぐらいで、殆どはプレアデス姉妹の話に終始する。

 ただ……ルベドの前では、姉妹喧嘩の話題はNG。

 彼女は「むむぅ」と可愛い声を漏らして唸ると不機嫌な顔になり、支配者へ改善案をねだりに行こうとするのを、姉妹で「ウソウソ、みんななかよし」と宥めて止める展開になってしまうから。

 ルベドにとって、自身の困難だったニグレドとの仲直りを、見事に果たした御方への信頼は絶大なのだ。

 

 このように御方ゾッコンのルベドも宮殿から見張っている以上、主様はほぼ安全だと言える。

 ナーベラルは、あくまで周辺からの先制攻撃の察知と盗聴に専念すれば良かった。

 そうして、御方と下等生物(人間)を乗せた馬車は、街なかに並ぶ五階建ての建物の前へ止まる。

 馬車を降りた二人は、建物へ入り二階奥の一室に移動すると、テーブルへ向かい合う形で座り話を始めた。

 ナーベラルは、その部屋の窓の外に浮かび、そっと中の様子を窺いながら聞き耳を立てている。

 一つ目の話は、昨晩のお出かけの内容。

 それは、絶対的支配者の計画通りといえる偽報告である。

 次の二つ目の話は、何やら下等生物(人間)の個人的相談らしい。

 戦士長の(つがい)相手の話にナーベラルは興味無かったが、御方の女性の好みが聞けるかもしれず開始直後から〈兎の耳(ラビッツ・イヤー)〉が最大集音を記録する。

 御方は、ユリのような眼鏡の女性も『良い』という。

 

(ユリ姉様……なんて羨ましい。どうかどうかポニーテールの卵顔も――)

 

 プレアデスでも最高の美しさを争うナーベラルなのだが、他者の評価など価値はないのだ。今はただ、至高の御方の評価のみが気になる。

 

(衣装装備などにもご要望があれば、期待にお応えしたいけれど……)

 

 彼女が、潤いのあるピンクの唇に左人差し指を押し当てて、艶っぽい表情でそう考えていると、酒を飲む為に仮面を外しているアインズが戦士長からトンデモナイ質問を受けた。

 

 

『ゴウン殿は……配下の者について他家の者との婚姻をどう考えている?』

 

 

 直接これを聞いたナーベラルは――異常に緊張が増す。

 ナザリック以外の者との、我々配下の婚姻……。

 すでに命も身体も心もアインズ様の物だと考えているナーベラル自身には、外の者へ懸想する事は考えられなかった。それでも。

 

(もし――アインズ様の御言葉で、ナザリックの外の者と政略的に(つがい)関係への指令があったとしたら……)

 

 この場合、ナザリックの地へ残れる確率はかなり低い。離れては(つがい)にする意味がないためだ。

 ナザリックに必要な者であれば、簡単にそうはならないはずだが……ナーベラルは先日、主様へお手数を掛けてしまった身。

 万一自分にその時が来たらと思うだけで、ナーベラルは想像を絶する凄まじい不安を感じる。

 主からの勅命の場合、拒否出来ない上に……ナザリック内で特段必要無しとの烙印を押された形だ。本心は、ツライ、カナシイ、セツナイ。

 しかし、至高の御方のご要望とあらば、笑顔を浮かべ人間の如き下等生物(アブラムシ)とでも添い遂げてみせなければならない。

 そして、その相手との子孫も残さなければいけないだろう……虫唾が走ろうとも。

 

(わ、私はそれでも構わない。もうアインズ様へ全てを捧げているのだから。それでお役に立てれば本望。でも、他の姉妹達、配下や守護者様の方々は……。アインズ様は、どうお答えになるのでしょう?)

 

 守護者達をはじめNPCや(しもべ)達は、偉大なる栄光のナザリック地下大墳墓に、最後までただ一人お残りになられた絶対的支配者であるアインズ様へ心からの忠誠を誓い、皆が精一杯これまで尽くして来た。

 なので其々が今の受け持ちの立ち位置で、アインズ様に十分必要とされていると思っているはずなのだ。

 

 

(それがこのお答え次第で、皆に少なからず衝撃が走るかもしれない――――)

 

 

 ナーベラルは、主人の動きと回答に全力で傾注する。

 すると、アインズ様は直ぐに答えようとしなかった。顎に右手のガントレットを、トントンと小さく当てながら目をつぶり思案している様子。

 下等生物(人間)の戦士長も、御方の答えを固唾を飲んで見守る。

 ――待つこと数分。

 絶対的支配者は、ナザリックにとって重大なその考えを目の前に座る下等生物(人間)へ静かに伝える。

 

 

 

『戦士長殿。色々考えましたが他家の者との婚姻は―――やはり“容易には認められない”というのが私の答えです。一名一名、大切に思っている配下達ですので』

 

 

 

 ナーベラルは感激した。

 特に『大切に“想って”いる』という部分に。流石は愛しのアインズ様だと。

 

(私如きも、深く愛して頂けているのですね)

 

 空中にて一瞬、喜びに自らを抱き締め〈兎の耳(ラビッツ・イヤー)〉ごと体を震わせるナーベラル。

 主との以心伝心かとも思えたが、それは自分の愚考に過ぎないと頭を振った。

 単に当然というだけであると。

 

(我々の栄光ある最強のナザリックに、外の勢力との政略的婚姻など必要ないということですね、アインズ様)

 

 今後あるとすれば、属国からの人質や貢ぎ物的に雌が絶対的支配者の下へ献上されるぐらいだろうか。

 続けて御方が、下等生物(王国戦士長)へ、ナザリックにおける他家との例外的な(つがい)へ関することを伝えた。

 万が一外から嫁を奪いに雄が来る場合も、アインズ様が評価(半殺しに)して追い返して頂けるということで、ナーベラルはすっかり安心する。

 そもそも自分達プレアデスの姉妹達や守護者の方々、それに一般メイドら他の女性陣も含めて、そのほとんどがナザリック外の者へ対し愛情的部分で興味が無い。特に、か弱い一般メイド達は恐れてすらいる。

 それは、そもそも皆の寿命の長さが一因だろう。百年、二百年過ぎようとほぼ頭数が変わらないので繁殖する必要性が低いのだ。

 一方ナザリック内で雄のデミウルゴス様やコキュートス様、セバス様達については、確かに外から同種や交配可能な雌を妻に迎える必要性はあるかもしれない。

 子孫達はかなり強くなる可能性があり、それはナザリックの戦力強化に繋がるからだ。

 またセバス様の考えとして、「基本的にナザリックの女性の方は皆さん、至高の御方であられるアインズ様の所有物ですので、私がお相手するのは話を楽しむぐらいですね」と落ち着いた語りを姉妹達と聞いたことがある。

 無論『黒棺(ブラック・カプセル)』の増殖する住人達は対象外で。

 ルプスレギナ経由だが一般メイド達の話では、ナザリックの男性陣において特にセバス様は性欲が強いという話を聞いている。

 なので、本人から要望は出ていないが、妻の他に欲求を満たす部分もあり、外から早期に雌をナザリックへ迎えるパターンは有り得そう。

 現在、外部から連れて来られ、ナザリック内でまだ生かされている者の数は(わず)かだ。

 第六階層の闘技場内施設にいる44名は、絶対的支配者からの特別恩赦により処理対象から除外されており、アインズ様とマーレ様らに襲い掛り討ち取られた盗賊団の者らが残っているだけ。

 彼等は回収時、瀕死の状態から大治癒(ヒール)により十数名完全回復させたが、先日の祝宴での余興と食材の地獄巡りで多くが命を絶たれるも、3名は残った……しかし全て雄だ。

 カルネ村近隣の全滅した村から集めた600体程の死体には、雌の個体も多く含まれていたが、まずアインズ様のアンデッド素材であるし、セバス様の趣味ではない模様。

 セバス様自身は、ナザリック内や近郊での職務が多く、未だにナザリックから30キロ以上離れた事はなくトブの大森林が現状での最遠方到達地点で、自ら現地調達で雌を確保する機会がなかった。

 カルネ村には若い女人が幾人か存在するが、ナザリックの友好保護対象地域であり駐屯軍もいるため遠慮している。

 このように厳しい状況でも、竜系の種族は精神力が非常に強いため、暴走的に欲望を探求するような行動は取らない――。

 

 ナーベラルがそういった事を色々と考えている内に、下等生物(人間)の個人的な相談は終わったようである。

 二人は、その後家の中を探訪し始まる。

 その重要性の無い様子を窺いながら、ナーベラルは先程の『アインズ様の特別な発言』の要点を、王城のユリへと〈伝言(メッセージ)〉を使い伝える。

 

 ナザリックにおいて、『配下の外部との婚姻は容易には認められない。配下の者達を大切に想っている』と。

 

 〈伝言〉受け手のヴァランシア宮殿側では、王家から提供されている夕食の後片付けが終ったところであった。ツアレは食後のお茶の用意を奥の家事室で行なっていた。ユリは、食卓机のテーブルクロスの交換を終えた所で報告を聞いた。

 ユリも、敬愛する主の発言がナザリックの強大さを意味し、改めて自分を含めたナザリックの者達を大事に想ってくれていることに喜びを隠せない様子だ。

 特にナザリックの華達を奪いに来る雄は、『アインズ様が身を挺して半殺しに叩きのめしてくれる』という部分では「そんなにも……アインズ様は私達を……」と、より感銘を受けていた。

 ナーベラルは、報告の最後についでとして「ユリ姉様の眼鏡顔はアインズ様に高評価です」という事も伝えている。

 嬉しさの余りユリは、首のチョークを外し「僕の青春は爆発っ!」と頭を放り投げそうになった……がソリュシャンに止められた。

 間もなく、ツアレがお茶セットを乗せたワゴンを押して奥の家事室から出て来る。

 ツアレも交えて、ルベド、ユリ、ソリュシャン、シズらでの夕食後のお茶会だ。

 勿論、話の中心は敬愛するアインズ様についてになる。

 今夜の戦士長と話は何かについてや、今朝、王城へ戻る馬車の中で、ツアレを含めた全員へ舞踏会用のドレスを近日新調して頂ける話が御方から出たところでは、皆が姦しくキャッキャと盛り上がった。

 その中で、ツアレに気付かれないように、ナーベラルから聞いた内容をユリが、こっそりソリュシャンへ伝えていく……。

 

 

 ――過剰に尾ひれの付いた〈伝言〉ゲームが静かに進んでゆく。

 

 

 お茶会が終って、ツアレがワゴンを奥の家事室へと引き上げる頃、ソリュシャンはナザリックへと〈伝言(メッセージ)〉が繋げられた。

 相手はアルベドであった……。

 「くふ。くふふふ。くふふふふふふふ――」と徐々に狂喜していく声をソリュシャンは忘れられない。

 通話は、狂喜の声でそのまま切れたという。

 

 

 ナーベラルはユリとの〈伝言〉を切ったあと、ふと姉の眼鏡を掛けた優しい表情について思い浮かべた。

 すると、下等生物(戦士長)の言葉にあった『眼鏡美人が好き』、『他家との婚姻』という内容から、彼女はある事に気付く。

 

 

(眼鏡美人って…………まさか、ユリ姉様のこと!? 他家とはゴウン家?)

 

 

 ナーベラルの表情が変わる。目元が鋭く険しくなった。

 

(……アインズ様は、簡単に婚姻は認められないとハッキリ仰られた。でも――例外について述べられたということは……)

 

 ゼロでは無い可能性を下等生物(王国戦士長)へ残されたということだ。

 でも確かに現在の友好的な間柄を見て、準保護対象級であれば、そういった特別待遇は考えられる。

 あとは――。

 

(ユリ姉様自身の気持ち次第……?)

 

 慈悲深いアインズ様らしい判断に思える。

 強制する事無く互いの意見をお汲みになられるということだ。

 すでに忘れていて、ユリに伝えそびれた条件の一つを、ナーベラルは辛うじて思い出す。

 

(えっと……(つがい)を希望する二人は、互いへの想いが同じであることをアインズ様の前で宣言する必要があったはず。……有り得ないと思うけれど)

 

 しかし属性が『邪悪』(カルマ値:マイナス400)のナーベラルの表情は、なぜか心配そうで完全には晴れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 驚きのペテル達

 

 

 ペテル達『漆黒の剣』で男三人の大きく上げた驚きの声に、周辺の離れた冒険者チームの幾つかが「大丈夫か?」「何かあったのか?」と心配気味に『漆黒の剣』の焚火の傍へ小走りに集まって来た。

 そのため、リーダーのペテルが、「仲間からちょっと予想外の話を聞いただけです」と事件や問題が起こった訳ではないと説明してなんとか追い返した。

 その間5、6分。

 渦中の『術師(スペルキャスター)』と呼ばれる男装の少女は鼻の前に手を合わせる形で、恥ずかしいどうしようという感じの表情で焚火前に座ったままでいた。 

 しかしリーダーの外との対応が終ると、改めてルクルットがニニャへと確認する。

 

「おいおい、さっきの話って……一昨日の昼間に知り合いに挨拶って一人で出てた時か?」

 

 偶にメンバーでも単独行動をすることはあるが、ルクルットの指摘は中々鋭かった。

 ニニャは観念して小さく頷く。

 

「そう。その時ですけど……怒ってる?」

「いや、怒ってねぇよ。怒れないだろ? モモンさんは十分知り合いだしさ、嘘を言って会ってたわけでもねぇしな」

「そうであるっ!」

「単純にみんな驚いただけですよ、ニニャ。元々、私達も彼女を作る場合には頭数的にチームの外に目を向けるのだから」

 

 ペテルの話に、ルクルットとダインは頷く。

 確かにニニャが女の子だとしても、全員が彼女を作るにはチームで最低男二人はどうしても外からということになってしまうのだ。

 なので、ニニャが外のチームの男と付き合っても、あれこれ言えない理屈である。

 

「うん、それなら良かったけど……」

 

 ニニャの少し安堵した表情に、ルクルットが突っ込む。

 

「いや……でもさ、モモンさんはなー。……よくOKしたよな」

「ちょっと、ルクルット。それどういう意味です?」

 

 ニニャが少し膨れながらルクルットに食って掛かった。

 

「えー? 仲間贔屓じゃなく、ニニャも凄いと思うけどさぁ……モモンさんは別格だし? あと、マーベロさんがいるだろ?」

「うー、でもでも、別にマーベロさんがいるからって、ダメだということじゃないですよね? それに、ちゃんと付きあうってモモンさん言ってくれましたし、遠征中に二人で会いましょうって約束してますし、一昨日の帰りには……少し手も繋いだんですよ」

 

 途中からの、ニニャののろけ話に、太い体を動かし珍しくダイン・ウッドワンダーが突っ込む。

 

「私は背中が痒くなってきたである!」

「俺も―」

「それですね、私も少し」

「うー。もう、いいですよーだ」

 

 二ニャは膝を抱えたまま、拗ねる様に横へ転がった。

 

「でもまあ、モモンさん程の強さがあれば、女は惚れるよなー。男の俺でもモモンさんのあの人食い大鬼(オーガ)を真っ二つにした一撃と、盗賊団戦で見た二刀流には憧れるよ」

「うむ。あれこそが男の理想形であるな!」

「身近にあれほどの人がいるって事は、凄い事だと思います。伝説の一節を見ている気がしますね」

 

 ペテルは続けてニニャの方を向いて静かに語る。

 

「……モモンさん達の力も借りれれば、ニニャのお姉さんと早く会えそうな気がしますね。頑張ってニニャ。私達はずっと味方ですから」

 

 ルクルットとダインも素の顔に戻り頷きつつ、一番年下である仲間のニニャを優しく見守る。

 ニニャは頭が良く、普段から色々先を考えて行動している事を知っている仲間達は、その人生の目的にブレがない訳も知っている。

 ニニャが単に好きなだけでは、付き合うところまでは行かない事も。

 貴族に対抗出来る程の、絶大な力が必要なのだと――それがモモンなのだ。

 

「うん。ありがとう、みんな」

 

 横に転がったままのニニャはそんなペテル達を見て、口許へ感謝の笑みを静かに浮かべた。

 

 

 

 

 

 

――P.S. 突撃のニグン(進撃ではない)

 

 

 ニグンは、ナザリック側で用意された上質な青色系の衣装を着終わった。そして、先日より新しく与えられ、昨日から施錠されなくなった地下部分にある牢獄の個室を出て、地上部建屋内にある会議室の一つへと入る。

 

(あの小柄の美しい娘は、まだ来ていないのか?)

 

 中に集う旧陽光聖典仲間の見慣れた男達を見てそう思った――。

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓第六階層には、重厚で立派な円形闘技場がある。

 その観客席の下部には常時開設ではないが、食事処から宿泊施設まで各種施設が存在する。

 また闘技場の地下には拷問部屋や独房等も備えており、今はそのごく一部が元スレイン法国陽光聖典所属であった44名の生活の場となっている。

 

 あの地獄と言える第二階層の黒棺(ブラック・カプセル)から、天国と思えるこの地へ移されて早や5日が経過。

 ここへ移された直後は拘束具により手足を其々クロスの形で固定されていたが、それも漸く昨日より外され魔法も使え、この制限空間内ながらかなり自由な行動が可能になっていた。

 現在、彼らはスレイン法国を捨て、アインズに屈服した形で忠誠を誓っている。

 まだ畏怖によるところが大きく、本当に心の底からという者は少ない。

 それは派閥に表れていた。

 真に強大なアインズへ忠誠を誓うニグン派と、そこまで到達していない反ニグン派である。

 捕虜になった当初から、隊長らしからぬ発言と部下らを犠牲に自分だけ生き延びようとした行動が目に余り、ほぼ全員が助かった今、彼に対する信用の多くが失われていた。

 この時点で、ニグンへ追随する者は5名に過ぎない。

 それ以外の38名は、強者のアインズには従うがニグンに対して余所余所しくしており、別の隊所属を密かに希望していた。

 ちなみに、彼等はニグンが口にした通り、ここをアインズが首領を務める秘密結社ズーラーノーンの大拠点だと思い込んでいる。

 そんな彼らの面倒をずっと見ているのが、戦闘メイド六連星(プレアデス)のエントマ・ヴァシリッサ・ゼータである。

 彼ら44名は屈服し従属を受け入れた事で絶対的支配者から恩赦を受け、今はナザリックの配下扱いになっている。

 このため、エントマはこれら人間を食用とは見なしていない。彼らが裏切るまでは……。

 上司のセバスからは、彼らの『教育』も引き続き指示されており、差し棒をピシピシさせる長姉の姿を思い出しつつ、教官として彼女は張り切っている。

 なので今日もエントマは、闘技場施設の会議室へと現れていた。

 するとこの場に集うニグンをはじめとする44名の人間の男達は、本日も騒めく。

 彼女のその若く愛らしく美しい姿に。そして南方風のメイド系衣装から覗く二本の瑞々しい素足に――。

 彼等は捕虜になって以来、女を得ていないため過剰反応気味だ。

 特に好色なニグンは、もうギンギンになっている。ゴクリと飲む唾も一度や二度では無い。

 

「エントマ様」

 

 ここで、教官の彼女は突然名を呼ばれた。

 嘗ての『声の女』は、すでに皆へその名を「エントマだよぉ」と告げてある。

 名を呼んだのは、反ニグン派代表で小隊長の一人、セテダという隊員であった。

 

「なぁにぃ?」

 

 彼女はゆっくりと可愛く首を傾げながら聞き返した。

 

「お願いがございます。希望する者達でニグン隊長とは違う、新しい部隊を編成して欲しいのですがっ」

「……チッ(セテダめ、元側近の癖に余計な事をっ!)」

 

 ニグンが内心と共に小さく舌打ちをする。

 このアインズ様の治める新天地でのし上がるには、隊長として戦果をあげ続ける事が不可欠。

 それにはより多くの隊員を率いていることが必要なのに、野望が狂ってしまうではないかとイラついた。

 ここでエントマは理由を問う。

 

「えぇ? どうしてぇ?」

「それは全員が隔離されていた際に隊長が情報や仲間を率先して売り、自分だけが助かろうとしたからです。そのようなニグン隊長の下では命を預けて戦えません」

 

 だがエントマはその言葉へ即答する。

 

「んー、却下ぁ。アインズ様から恩赦を頂けたのは、その“隊長”の行動があり、44名と数が纏まっていたからですぅ。アインズ様は、ニグン隊長を変えろとは仰られていませんよぉ。――甘えるなぁ! お前達はまた、あの冷たい場所へ戻りたいのぉ?」

「い、いえっ。申し訳ありませんっ、甘えておりました! ニグン隊長の下で頑張りますっ」

 ニグンは、この清々しく完璧と思える光景にほくそ笑む。アインズ様万歳と――。

 

「分かればいいけどぉ……それと、ニグン隊長ぉ」

「はいっ、エントマ様」

「昔の所属では仲間を裏切っても、こうしてアインズ様から恩赦が頂けたけどぉ、私達の所でそういったことをすればぁ……分かっていますねぇ? 仲間は(バリバリと食料にもなりますから)大事にしないといけませんよぉ。なるべく死なせないようにぃ」

「はっ、しかと心得ました。アインズ様の御為にっ!」

 

 新参ながら忠誠心溢れる隊長ニグンは、敬礼しつつ晴れ晴れと答えた。

 頷くエントマは、声が可愛く美しいが――超スパルタ教官なのだ。

 

 彼らの部隊は現状、『陽光聖典』とは呼ばれていない。敵の部隊名であったので当然である。

 昨日より、実質的には分かり易くプレアデス旗下にぶら下がる形で『エントマ部隊』となっている。

 本来、魔法詠唱者部隊ならば、姉であるナーベラルが総指揮官として適任かもしれないが、相性や人間が役に立つのかという試験部隊でもあり、『ムシツカイ』のエントマの支援という形で一団を組ませている。

 そして『教育』の内容だが、まだナザリックに付いては伏せられている。

 しかし、裏切れば『あの地獄』で確実に一生を過ごすという事は、繰り返し恐怖の『声の女』として告げていた。

 効果は絶大である。彼等全員があの尊厳の全く失われた空間を心底恐れていた――。

 彼等はすでに『スレイン法国を裏切っている』し、帰ることは出来ない事や、追手が来れば『殺られる前に殺れ』とも全員で繰り返し詠唱させられている。

 ただ、当面の敵はトブの大森林のモンスター達であることを伝えている。

 これは元陽光聖典の彼等にとって、大きく共感出来、現状を非常に受け入れ易くしていた。

 なので、今日のエントマの講義も時間を迎え、順調に進み一通り終わったかに見えた。

 小柄なエントマが「今日はここまでぇ」と告げ、会議室を後にし出てゆく。

 多くがその退出する彼女のお尻も揺れる美しい後ろ姿に見惚れていた。

 

 しかしここで――不屈の色欲をもつ隊長のヤツ(ニグン)は動いた。

 

 そんな可愛い鬼教官エントマへ、部屋を出た廊下で追いつくと、大胆にも肩に右手を掛け告げる。

 

「あのっ、エントマ様、ちょっとよろしいですか」

「なぁにぃ?」

 

 華麗に振り向くエントマが問うた。

 この世界でも整った顔立ちのニグンは、嘗てその地位と強引さも合わせてスレイン法国では数多の女性を食ってきている。かなりの上玉も高速の腰使いで落としており、サシに持ち込めれば女性に対して相応の自信があった。

 一応すでに支援隊長という役職であり、部隊長とは親密になれると予想し、余り変化しないポーカーフェイスの顔立ちも好みであり絶好の女に見え、早くもあわよくば飼いならし使()()()()()後で上への踏み台に……とも考えていた。

 

 

「その、貴方は凄く綺麗で魅力的だ。好きです。ソソられますっ。この後お時間があれば、食事でも? その後も、私とどこかで静かに二人切りで――」

 

 

 次の一瞬で何かが起こり、ニグンの視界はもう天井を見ていた。

 

「ぅ、がはっ……」

 

 気が付けば、ニグンは頬が変形するほど平手の甲側で打たれ、エントマから20メートルほど離れた廊下に仰向けて転がっていた。

 言うまでも無く、ニグンは新参の配下なので思いっきり手加減されている。

 外部の者なら間違いなく首が落とされているだろう。

 エントマは、肩に触れられた所をササッとハンカチで払いつつ告げる。

 

「支援隊長ぉ、キモイぃー」

 

 ニグンは早くも玉砕した……(一回目)。

 しかし、彼はこれで諦めたわけでは無い――――。

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. ルベドの姉妹同好会 その1

 

 

 世の中には恐ろしいことが存在する。

 なんと、ルベドの姉妹萌えの世界は、水面下で密かに組織化が進んでいたのだ……。

 

 第九階層にあるルベドの部屋には、ほぼ空の本棚が置かれていた。

 その上方の棚の端へ隠すつもりがあるのか無いのか、平凡な一冊の紙ファイルが立て掛けられている。ファイルの表紙には『姉妹同好会』のタイトル文字と『極秘 みたらダメ』と朱印が入り、会員ナンバーが2までの二枚の入会書と活動についてのメモ類がファイリングされていた。

 そして栄えある会員ナンバー1番はルベド自身ではなく、敬意を表して偉大な方へと譲られている。

 もちろんそこには、彼女の一番の同志であるアインズの直筆署名入りの入会書があった。

 記された入会日の日付は、馬車で王都へのショートカットの際、小都市エ・リットルの手前へナザリックから出発し〈転移門(ゲート)〉で出現した日。

 無理やり書かされた訳では無いはず……きっと。

 

 姉妹同好会会員名簿

 No.000001 同好会名誉会長:アインズ・ウール・ゴウン

 No.000002 同好会会長:ルベド

 以上――。

 

 ナンバーにはゼロが並ぶも少数精鋭である。

 ちなみに『愛好会』だと姉妹達を弄る水準になるのでルベド的に違うとの事。

 アインズの行為は一部『愛好会』の水準だが、ルベドを含め姉妹側へ強要しているわけではないので『黙認』されている。

 次回第三回を迎える〈伝言(メッセージ)〉による2人会員総会では、現在『アウラ、マーレ姉妹を愛でる会』開催の企画が進んでいる。また、今後『姉妹の姉妹による姉妹のための自然保護地域』も必要だという、壮大な内容の声が某会員から上がっているらしく、『世界征服』以上に名誉会長を悩ませているそうだ……。

 

 

 

 ルベドの部屋の掃除に訪れ、偶然、棚の拭き掃除の際に落として開いてしまったそのファイルを手にし、目を通してしまった一般メイドのフォアイルは――静かに両手で『それ』を閉じた。表紙の朱印も目に入る。

 短めに可愛く整えられた髪で活発そうな彼女は一人、動揺し視線の定まらない目を右へ左へと動かしつつ棒読み的声を出す。

 

「私は何も見てませんから、何も見てませんからね」

 

 そう言って、丁寧にファイルを棚の端の元の位置にそっと戻すと、何事もなかったかのように掃除を終え、静かにルベドの部屋の扉を開くと、優雅に完璧といえる一礼をし出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 

 アインズが戦士長の館を訪れてから五日後――。

 

 

「〈全力火炎砲(フルフレイムバスター)〉ーーーーーっ!!」

 

 それは巨大な火柱以外に形容のしようが無い炎熱攻撃であった。

 その火炎の直径よりも小さき人型の戦士が、ギリギリで急速に避けると間合いをとって攻撃者へと対峙する。

 

 旧大都市エ・アセナル廃墟の上空で二体の怪物が睨み合う形となった。

 その片方はその数300体を誇る竜軍団の軍団長、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)であるゼザリオルグ=カーマイダリス。

 大翼を羽ばたかせ空中に舞うその巨体の全長は、20メートルを優に超えており正に世界最強種族に相応しい風格。その圧倒的強さを支える身体能力と強固な筋力に外皮と鱗。竜王には下位魔法など殆ど通用しない。更に今も見せた口からの強力無比な火炎砲をも併せ持つ。

 人間種にとって、完全に難攻不落の空飛ぶ要塞と言える存在だ。

 それに対するもう一方は、スレイン法国神官長直轄特殊工作部隊群『六色聖典』のひとつ、漆黒聖典に所属しこれを率いる第一席次の『隊長』であった。

 『隊長』の纏う世界でも最高峰といえる騎士風の衣装装備は耐熱にも優れ〈飛行(フライ)〉の能力も併せ持つ。

 彼の難度は人間種では考えられない数値の200オーバーを誇る。

 それも、優に200を超えており、竜王に迫る難度水準の持ち主なのだ。

 

 彼は――『神人』であった。

 

 今、仲間達の部隊を離れただ一人、この地へと乗り込んで来ていた。

 その行動に、他の者は足手纏いだと言わんばかりである。

 本来『神人』である彼は姿を隠さねばならないところだが、竜軍団を相手に森や林へただ隠れて戦っても勝つのは不可能と考え、参謀的立場のクアイエッセ並びに名誉席次カイレと相談し、この場へと直接現れ、短期決戦として出て来ていた。

 相手が誇りある(ドラゴン)であれば、最後の一兵まで戦うはずだと。

 全て倒してしまえば、自身の存在を知られることは無い。すなわち、最終的に鏖殺(おうさつ)である。

 『隊長』は、まず強者の竜王と百竜長を一人で倒す気でいた。他の竜兵であれば、漆黒聖典メンバーでも対抗出来ると考えて。

 彼は――すでに、竜兵5体を各一撃で屠り、百竜長筆頭のアーガードをも僅か三撃で戦闘不能にして大地へと転がしていた。

 大きい力の存在に気付いたゼザリオルグが、アーガードへのトドメを手に持つ槍で刺そうとした『隊長』へ向かって、火炎砲を放ちつつ飛んできたというところである。

 竜王は、上空から地上に横たわる副官へと怒鳴る。

 

「アーガードーーーっ! てめぇ死んでねぇよなーーーっ?」

 

 大翼の右片方を根元から失い、強靭な鱗と分厚い剛筋肉に覆われているはずの胸部に大穴が空き片眼も潰されたアーガードはもはや立ち上がれない。

 

「……は……はい……ですが、もう……」

「ふぅ。よぉし、もういい。少し休んで寝てろ。後は俺が片付ける」

「申し訳……ガフッ――」

 

 血を吐きながら僅かに首を回したアーガードだが、気絶し動かなくなる。

 竜王ゼザリオルグの同族を思う優しい姿はここまで。長い首を正面の『敵』へと向けた。

 その表情と巨体には殺気が籠り怒り心頭である。

 両者は互いの力量を即判断する。

 

「(チッ、面倒な。……人間なのかこいつは。神の子孫か? だが)……人間種如きが図に乗るなよ?」

「(流石に竜王、隙が無いか。他とは桁違いに手強い)……人類に仇なす者は、ただ倒すのみ」

 

 煉獄の竜王ゼザリオルグは復活したばかりだが、『神人』という名ではないけれど六大神の子孫が強い事は、500年前の当時でもすでに知られており知識としては持っていた。

 

 ここで先に仕掛けたのは、漆黒聖典『隊長』であった。

 

「〈不落要塞〉〈回避〉〈超回避〉〈能力向上〉〈能力超向上〉っ!」

 

 これらの武技によりレベルで言えば85水準まで跳ね上げた。

 そして、その持つ槍を両手で鋭く構えると、発動した武技と〈飛行(フライ)〉の合わせ技にて竜王へと突撃していく。

 

 

 

 この新世界における空前の実力の両雄が、今ぶつかる――――。

 

 

 




補足)合わせれば千枚は下らないだろう
金貨は5つの袋に合わせて1315枚もあった……。



補足)パンドラズ・アクター
 本来、パンドラズ・アクターは至高の41人の姿に変われる事で、ナザリックで最も多くの特殊技術(スキル)と魔法を使う事が出来る。しかし、その能力の全貌はアインズの切り札の一つとして秘匿すべき存在で、現在、非常時を除きアインズの命がある場合のみとの使用制限を云いつけられている。
 なので実は、上位アンデッド作成や、〈転移門(ゲート)〉も自力で可能である。
 本作では、この事実をアルベドですらまだ知らない――。

 ただ、彼の作ったアンデッドの場合、アインズが作成した時のような強化付加が無い。
 また流石に超位魔法の発動もNPCの制約上、無理である。



補足)『家』と『妻』、これほど密接な関係が他にあるだろうか
ガゼフの思考は低下していた。
もちろん他にもある。
普通は人生でもっとも多額となる『返済(ローン)』という過酷な現実だ……。



補足)こちらが好意を~~~強さを見せれば大抵自然と近付いて来るもの
この理論で言うと、この世界の王族や貴族達は酷い事をしなければモテモテということだ……(そらそうよ)。



補足)闘技場内施設の44名
ニグンの率いた陽光聖典総勢45名に、女は一人もいない。
それは、好色な彼の隊へ女性を入れるとスキャンダルが絶えなかったからである。
「人類をより繁殖させ繁栄させたかった」と、無罪になった審問会での彼のヤムチャな答弁が残っている。
首にならない彼は、貴重な第四位階魔法詠唱者。やはり力が全てなのか……。
副隊長が率いるもう一隊の陽光聖典45名は、内27名が女性だった……。


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STAGE35. 支配者失望する/嫁ト、ソシテ闘イハ始マッタ(9)

注)モモンの声色と口調については、鈴木悟の素の声口調になっています
注)かなり残酷な表現があります
注)凄く長いです(10万字、4000行以上)


 

「くふ。くふふふ。くふふふふふふふふふ――――」

 

 

 王都リ・エスティーゼにある王国戦士長の館へ、アインズが訪れた晩の午後8時を回った頃。

 壁へ幾つも設置されている豪華なランプ内に灯る、暗めの落ち着いた光へ調節された水晶から発せられる〈永続光(コンティニュアルライト)〉の明かりを受け、キノコ頭の副料理長が立つ趣きのあるカウンターを備えた静かなバー空間内に、その独特の含み笑い的表情での声が響く。

 勿論、守護者統括のアルベドのものだ。

 

「……気持ち悪いでありんすねぇ」

「なに、アルベド。ついにオカシクなっちゃった?」

「き、きっと疲れ気味なんじゃないかな」

 

 同じカウンターへ横に並んで座るシャルティアとアウラの容赦ないツッコミと、助け船としてマーレの小声でのコメントが悦状態のアルベドへと語られた。

 シャルティアとアウラにすれば、普段のアルベドは余り落ち度を見つけられない為、ここぞとばかりである。

 ソリュシャンからの〈伝言(メッセージ)〉を受けた際、アルベドは階層守護者の女子会をこのナザリック地下大墳墓の第九階層にあるバーで行なっていた。ちなみに昨晩も行っており連夜での半貸切だ。

 〈伝言〉を受信した守護者統括の彼女は、通話途中から話を終えて切ったあとの今も、その伝えられた内容の嬉しさに我を忘れ、繰り返し思い出し笑いの声を漏らし続けている。

 しかし流石に――15分も続けていれば我に返るというもの。

 妹の天使とよく似た美しいながらもニヤニヤしていた顔を、驚きの表情に変え上方へと向ける。

 

「――っ。喜びの余り我を忘れていたわ」

 

 最近では偶にこうなるのだが、周りは訳もよく分からず正気に戻るまで放置プレイである……。

 今回は悦に入る前に「あら、ソリュシャン?」と漏れたアルベドの声で、王都からの〈伝言(メッセージ)〉を受信している事は皆が分かっていた。

 なので、我が君関連と確信してシャルティアが片肘に上体を乗せ、氷の浮かぶグラスを軽く揺らしながら横目で尋ねる。

 

「それで、アルベド。何がどうしたでありんすか?」

 

 当然、直前の15分間は何事も無かったかのように、アルベドが言葉を返す。

 

「くふっ。とってもいい話よ」

 

 勿体ぶる素振りに、アウラが僅かに苛立つ。

 

「ねぇ、早く言いなさいよ。アインズ様に関係ある話なんでしょう?」

「………(な、なにかな)っ」

 

 モモンガさま絡みであるため、姉の意見に同調するようにアルベドをジッと見るマーレ。

 統括としてもこの件は、じきに王都側の者からナザリック内へ伝わる話に思われた。

 知っている優越感はもういいかと、アルベドは階層守護者の女子3人へと話し出す。

 

 

 

「アインズ様は――――まず、ここにいる我々から(きさき)をお選びになるという事よっ」

 

 

 

「「「―――っ!!?」」」

 

 シャルティアやアウラ達の背筋が、驚きの内容に全員ピンと伸びる。

 どこで出た話なのかとマーレ達は思うが……アルベドは、ソリュシャンからの報告でそう判断していた。

 アルベドが聞いた中に王国の戦士長が御方に向けた質問で、「他の家との婚姻について」の件があった。

 このナザリックの者は全員、基本的に絶対的支配者の所有物なのである。

 重要であるのは、御方がお言葉の中でそれを「特に女達の、外の者との婚姻は()()()()()」と()()()語られたという話だ。

 当然とはいえ、非常にありがたく喜ばしい発言である。

 すなわち正当な妃は、外からの貢ぎ物の雌では有り得ず、『ナザリック内から』ということになるだろう。

 そして、それは無論『女子の上位者から』となるはずなのだ。

 

「しかも――盛大な挙式は間もなくの事かもしれないわっ」

 

 もはやソリュシャンらとアルベドの思考により、どれだけおヒレが付けられたのか想像すら難しい……。

 連続するアルベドの語る夢の如き衝撃的発言に、シャルティア、アウラ、マーレは――興奮を隠せない。

 

「あああああぁ、愛しの我が君ぃ~~ついに、ついにぃ~~っ」

「あたし……あたしが…………お妃に……」

「ぼ、僕が(モモンガさまの)お嫁さん…………よ、夜な夜なあんなことや、こんなことも……いいのかな……」

 

 彼女らも、アルベドの事は言えない。

 シャルティアは目を閉じ上気した表情で自分自身を強く抱きしめる。もう下着が少し怪しい。

 アウラは、まるで大好物の食べ物を思い浮かべている様にポカンとした顔付きに、口からのよだれが一筋、顎下まで伝っていく……。

 マーレは瞳を輝かせて、えへへという可愛らしい表情で両手の人差し指を見詰め、盛んに指同士をくっ付け合いながらブツブツとイケナイ事を唱えていた――――。

 

 そのフワフワとした華達の雰囲気に、アルベドがさも炎へ爆弾を投げ込むように重要事項を告げる。

 

 

「――――誰が第一(きさき)に相応しいか、よね?」

 

 

 バーのカウンター席には、左からマーレ、アウラ、アルベド、シャルティアの順で座っていたが、言葉を吐いたアルベドへと他の3名の視線が、バッと自然に突き刺さっていた。

 第一妃に関しては以前から物議を醸す話であった。

 しかしそれはもう昨夜の論議の途中で、基本的にアインズ様がお決めになるという事で結論付けている。

 そこからは『誰が相応しいか』の方に論争点を移していた。

 その結果、今のところはやはり総合的に見てアルベドが頭一つ出ている。

 最大の理由は、『対外的な見え方』だ。

 巨躯で威厳のある至高の御方の横には、やはり長身でボンキュッボンな体形の女性がより見栄え良いと。

 戦闘の実力ではシャルティアやマーレが勝るのだが、横に並んだ時のつり合い感がアルベドに比べるとどうしてもかなり低くなる。

 アウラとしては、戦闘力と見栄えの両方で不利であった。

 

(くっ、せめてあたしにあと百年あればっ)

 

 その時にはシャルティアよりも上の年齢に見えるはずで、美しさ瑞々しさではアルベドにも負ける気はしないのだが。

 一応、成長の魔法も存在はする。

 しかし、それは寿命をも縮めることになる。

 至高の御方と共に歩む事の方が重要であると、ナザリック配下の者達はすでに結論付けており、成長促進についての案は選択肢になかった。

 それとアウラ的には、愛しい子孫達を残した先の将来において、アンデッド化をマーレと共にアインズ様へお願いするつもりでいる。

 この『お願い』は妹のマーレも同様に考えていた。

 ここで、アルベドの投げかけてきた重要課題の言葉に対し、シャルティア達が答える。

 

「でも最も重要視すべきは――どれだけ愛されているかという事でありんすから。考え違いしないでおくんなんしっ」

「そ、そうよっ。お飾りだけの(きさき)よりも、あたしは愛される子沢山の臣下を目指すから」

「ぼ、僕もそう思います。至高の御方である(モ)――、アインズ様にずっと可愛がって欲しいです」

 

「うっ」

 

 確かに正論である。アルベドも一瞬反論出来ない。

 第一妃はとても魅力的であるが、最も重要なのは言うまでも無くどれだけ深く愛されているかだ。

 その前には『第一妃』も完全に霞む事象になる。

 正直に言うと、アルベドとしても日々主のお傍でスリスリイチャイチャして、ナデナデやお情けを貰い、穏やかにお話が出来て喜ばれれば一兵卒になっても全く悔いはない。

 既にベビー服も5歳まで5人分を作ってあるので、どんと来いである。

 『一発』頂ければ、更にベビー服の増産体制にも入るつもりだ。

 そんな感じに寵愛も第一位を狙うアルベドは、一応シャルティアらへ言い返す。

 

「――も、もちろんよ。私なら妃もご寵愛も一番を貰えると思ってるわ」

 

 女としての自信ある姿勢を崩さない統括へ、守護者筆頭のシャルティアは強烈なる言葉の一撃を見舞う。それはアルベドの設定に記された主からの“愛の形”に対する羨ましさの裏返しでもある。

 

「あらぁ~? 今朝も第三階層の墳墓で、我が君にただ縋り付くようにいて迷惑がられて見えてたでありんすけど?」

「な、なんですって!」

 

 鋭い所を突かれて、アルベドから思わず僅かに上ずった声が飛び出していた。

 彼女は今朝を振り返る。

 その時はアインズ様との接触(スキンシップ)に必死だったため気にしていなかったが、第九階層の玉座の間へ向かう時には落ち着いてきていて、冷静に考えるとちょっと煩わしかったかしらと自分でも反省しつつ、玉座に腰掛ける支配者の横に粛々と立っていたのだ。

 シャルティアのツッコミの内容を、移動途中に目撃していたアウラも続く。

 

「あれね。確かに、そう見えてた」

「あ、あのぉ、いくらアルベド様でも、アインズ様を困らせたらダメかなと……」

 

 姉の言葉に続き、マーレもダメ出しの言葉を重ねた。

 アルベドは、己の設定に御方の『愛』がしっかりと刻まれている者の威信において、必死に反論する。

 

「失礼ねっ。あ、あれは……そう、アインズ様の衣装を整えて差し上げていたのよっ」

 

 しかし「え~、あれがぁ~?」という、シャルティアとアウラからのキツイ疑惑のジト目が起こる。

 アルベドの弁明はいかにも苦しかった。

 アウラとシャルティアはそれとは別の線でも畳み掛ける。

 

「それに、あたしなんか今日は、竜の遺体奪取で直接褒めてもらったけどねー」

「私もでありんす」

 

 その内容にアルベドが両拳を可愛く握って、懸命にそれっぽい言葉を返す。

 

「わ、私だって、“いつも留守を任せてすまない”って今朝もお言葉を頂いているわっ」

 

 統括としてだけでは無く、一人の乙女として愛しい殿方の役に立っているという気持ちで負ける訳にはいかない。

 だが止めを刺す一言が、バー内の静寂に広がる。

 

 

「んー。なんかさ、アルベド。あんた最近、個人的にアインズ様のお役に全然立ってない感じよね?」

 

 

「――――……っ!!」

 

 アウラの言葉に、アルベドは思わず震えつつ絶句した。

 余りにも衝撃的事実を言われた気がする。

 

 ――確かにそうなのだ。

 

 先日も緊急で頼られたのは、デミウルゴスであった……。

 シャルティアとアウラは今朝、勅命の仕事をした。マーレは昨日までアインズの傍で守っていた。

 彼女達は個人的にアインズ様へとはっきり貢献している。

 対するアルベドは、大きい部分で至高の御方に貢献しているとは思えるのだが、宴会以降最近は個人的にいいところが全然無いのだ……。

 

「そのうちに我が君から避けられるかも……でありんしょうねぇ」

 

 シャルティアの言葉の現実味を否定出来ない。

 アルベドは――純粋に悲しくなった。

 

「うっ……ぅうっ…………わ、わだじだっで、頑張っでゆのに゛ぃ……ふえーん」

 

 本来強靭な精神力も持つサキュバスで小悪魔(インプ)なのだが、アインズの話だけは例外である模様。

 鼻も包むように目へ手を当てて隠し、涙を流し泣いていた……。

 これにシャルティア達は驚き慌てる。

 マーレはアルベドに同情し二人を叱った。

 

「お、お姉ちゃんっ。シャルティアもちょっと酷く言い過ぎだよ!」

「うっ、だって……悔しくてさ」

「ぐむぅ……。まさか泣くなんて思いんせんし……」

 

 今の段階で女として明確にある差を埋められない思いの歯痒さが、言葉をキツくさせてしまったのだ。

 だが、悪ふざけの延長でもあり、素直に謝る守護者達。

 

「……さすがに、少し言い過ぎたと思いんす……ほら、アルベド、悪かったでありんすから」

「もう、アルベド。泣かないでよ……ゴメン」

「す、すみません、アルベド様……」

 

 彼女らからの謝罪を受けて、漸く視線を僅かに上げるアルベドだが、少し不満が残っており呟く。

 

「ぐすっ。だって……個人的なお仕事の機会が……圧倒的に少ないんですもの……」

 

 統括の言葉に、シャルティア達は視線を合わせて頷くとアウラが声を掛けた。

 

「分かったわよ、アルベド。アインズ様にそれとなく何かないか聞いてあげるからっ」

 

 すると、アルベドは最近足掻き気味の恋愛分野への突破口も合わせ求めて反応する。

 

「…………本当?」

 

 主へ幾度も自分で仕事を催促すれば、『せっかちな女』と思われるため控えていたのだ。

 優秀であるアルベドも、主への恋愛パズルは容易に解けない。ヒントを求めて仲間からの救いの手を掴む。

 特に絶対的支配者と同行することが多く、溺愛されていると言っていい真面目なマーレもいるため期待出来る。

 

「詫びもあるんだから、嘘は言わないわよ」

「今回だけでありんすよ」

「い、1回ぐらいはいいんじゃないかな」

 

 アルベドは、『甘い子たちね』と思いつつも、胸元で手を包み合わせて少し感謝する。

 恋愛は非情といえる戦いでもある。

 

「その言葉に……甘えるわ」

 

 目を閉じたアルベドは素直な気持ちをアウラ達に伝えた。

 統括である彼女はプライドも高い。

 平時から好意を受けても、「助かったわ」「一つ借りね」などを返し、感謝の言葉はほぼ至高の御方にのみ告げる言葉となっていた。

 シャルティアらもそれは分かっている。栄光あるナザリック地下大墳墓の統括が、至高の御方々以外にペコペコするようでは困るのだ。

 アルベドの落ち着きを取り戻した言葉で、マーレ、シャルティア、アウラの3名はほっとした。

 そうして彼女達4人は、仲良く『統括の個人的お仕事』を考え始める。

 

 キノコ頭の副料理長は、何も語らず時折飲み物を提供しつつ、女子会をカウンターの奥からただ静かに見守っていた。

 彼は次に御方がナザリックへお帰りの時――妃問題がどうなるのかには少し注目している……。

 

 

 

 

 

 

 

 クレマンティーヌは、ぶすっとした表情で王都方面へ向かう戦車の席に座っている。

 それは、彼女が不機嫌そうにしていると、余り声を掛けられないからだ。

 実は、内心で少し困っていた……。

 

(あーあ、モモンちゃんと離れちゃった。次に会えるのは王都北東の森って事になってたけど、既に本隊とも合流してる以上、このまま燃え落ちたエ・アセナルの傍まで真っ直ぐ進んじゃうかも。どうしようかなー)

 

 一応モモンらも、冒険者としての遠征で王都までは確実に辿り着くという事は聞いている。

 しかし、合流した漆黒聖典の隊をこの段階から堂々と王都まで抜け出すには、かなりの理由が必要である。

 また『深探見知』が同行している以上、夜中の休憩時も頭数でバレる可能性があるのでコッソリ忍んでともいかないのだ。

 そもそも3時間程度では、いくら頑張っても50キロ以上は離れられない。その後にヘトヘトの姿を仲間に見られるのも困る。

 故にモモン達の方から近くまで来てくれないとどうにもならないが、彼と相談のしようもない状況であった。

 

(うーん)

 

 

* * *

 

 

 ――昨日の早朝、エ・ランテルの西方郊外にあるスレイン法国秘密支部の農園へ戻ると、竜軍団の侵攻を報告してきたセドラン達が戦車で到着していた。

 彼らは連絡役のクレマンティーヌを数時間待っており、彼女は即時に職務へ復帰するしかなかった。

 クレマンティーヌはセドラン達へ『隊長』からの指示を伝えると、彼らは直ぐに戦車で出発する。

 そうして半日強移動を続け、夕刻頃に馬速を落とし裏街道でも人気の無い場所で野営のため戦車を止めると――僅かその40分後に、五角眼鏡で女学生風装備姿の『深探見知』を乗せた戦車が1台やって来た。

 本隊もほぼ同じ道程を進む予定ではあったが、すぐ傍まで来ていたようである。

 『深探見知』の指示でクレマンティーヌらを乗せた戦車2台は、10分ほど移動した野営地に到着する。

 そこには漆黒聖典部隊の軍馬四頭立て戦車5両が止まっており、その時点をもって全隊員の合流が完了した。

 焚火の傍で休む『隊長』へ『巨盾万壁』のセドランが報告する。

 

「隊長。セドラン以下3名、只今合流しました」

 

 クレマンティーヌはエ・ランテルの秘密支部で合流後、一時的にセドランの指揮下ということになっていた。

 しかし、本隊へ合流したことでそれは解除される。

 

「ご苦労。各員は現隊へ復帰。皆、少し休んでいて欲しい。あと3時間半程したのち移動を再開する。全員が合流出来た以上、今後は軍馬の休憩に合わせる形で1日の行動を行う」

「了解しました、隊長」

 

 『隊長』は、面倒事の多いクレマンティーヌへ特に尋ねる事はしなかった。

 クレマンティーヌとしても、多少無理を頼んでエ・ランテルへ先行した以上、ここでは黙って従うしかない。

 そうして、日付を越える前に漆黒聖典の一団は動き始める。

 クレマンティーヌらの戦車隊は翌日も小休憩を挟み移動を続け、王国の大都市エ・ペスペルの手前辺りで馬の睡眠の為に4時間ほどの大休止を取った。

 随分前に日は落ちている。

 その時に『隊長』は、名誉席次で至宝装備姿のカイレと第五席次『一人師団』のクアイエッセを人払いした戦車へと呼び、今後の作戦を話し合った。

 いや、『隊長』が自分の考えを告げたと言った方が正解に思える。

 

「我々は、当初の合流予定地の森へは寄らず王都近くを直進する形で通過する。このまま進めば恐らく5日程度で我々は、エ・アセナルの近くへ到達出来るだろう。そこで半日の休憩を取る。行動はその後だ」

 

 膝上へ地図を広げる隊長の言葉にカイレとクアイエッセは頷く。

 それを確認すると隊長は伝える。

 

「カイレ様は、あくまでも二体目の竜王への予備戦力。またクアイエッセ達では竜王への太刀打ちは難しいだろう。だからまず――私が一歩先行し、不意を突く単騎で竜王らへ戦いを挑む。敵の指揮官達を排除したあとで総攻撃だ」

「……危険じゃな」

「私も、危険に思います。ですが……我々も周りへいれば、その時に隊長(あなた)が全力を出せないということでしょう?」

 

 腹心のクアイエッセは、疑問形ながらそう理解を示す。

 カイレが横目で見た先にある金髪の貴公子の口元には、笑みが浮かぶ。

 クアイエッセは『隊長』の強さを信頼している様子。

 老女もその事実を良く知ってはいる。

 当初の作戦ではカイレとその護衛隊を後方へ残し、300体を擁する竜軍団へ漆黒聖典12名での総攻撃となっていた。

 第五席次の落ち着いた笑みに対して、第一席次の『隊長』が静かに答える。

 

「そういうことだ」

 

 それは、巻き込む意味でも、強敵を相手に気を遣う余裕も無いはずの意味でも。

 今回の最大の敵は恐るべき難度を誇る竜王であり、実力は番外席次の『絶死絶命』に届く水準に思える。

 

(私も――本気の全力を出す必要がありそうだ)

 

 向かいの席に座るカイレは渋い顔をするが、この隊の指揮権は『隊長』にある。

 それに老女自身も『至宝の力』を連発出来る訳ではないし、神官長達からも「(隊長も通用しない場合の)最終手段として同行を願う」と言われていた。

 セドランの情報では、姿が見えない二体目の竜王はこれから向かう竜王程の難度では無いという話もある。

 先手を取り、強い方の竜王を倒しに行く隊長の、足を引っ張る訳にはいかない。

 

「……やむを得んようじゃな」

 

 結局、カイレも隊長の考えに同意した。

 そうして漆黒聖典の一行は大休止を終えると、午後11時を前に再び動き始めた。

 

 

* * *

 

 

 隊長の『作戦』は小隊長のところで止まっており、知らぬクレマンティーヌは戦車内の席で内心唸っていた。

 戦車隊が動き始めて1時間半近くが過ぎたその時であった――。

 

『クレマンティーヌ、俺の声が聞こえてるかな? 起きているなら何か合図が欲しいけど』

 

 馬車内のギシギシという鉄バネや車輪の騒音に紛れ、突然の予告なしで頭の中へ鮮明に愛しの彼の声が流れた。

 

「――……っ(モ、モモンちゃんっ?!)」

 

 その状況に流石の漆黒聖典第九席次も一瞬固まり目を見開く。

 しかし、すぐに目線を落として小さく咳払いをした。

 頭の回るクレマンティーヌはモモンから手渡されていた『小さな彫刻像』を思い出す。

 どういう原理か分からないが、魔法により会話が出来るアイテムであったのだろう。

 〈伝言(メッセージ)〉とは、いささか違う感覚で――信用出来た。

 実際、モモン側には戦車室内の音が全て聞こえている。

 この戦車は女子ばかりであり3名が乗車していた。

 クレマンティーヌは、斜め前の席へ座る『神聖呪歌』に小声で何気なく尋ねる。

 

「ねぇ、『神聖呪歌』。次の休憩場所ってさー、あと一時間ぐらいだっけ?」

「……? それぐらいだと……思うけど?」

 

 彼女は、眠そうに美しい声で答える。

 クレマンティーヌ的に、声だけでなく容姿の美しさまでも持つこの女は気に入らない。

 いつも幸せそうに笑顔を浮かべているのもムカつきに拍車を掛けていた……が、モモンの登場以来ムカつきは薄れてきており、今は彼女が起きていた事に感謝する。

 横に座る第二席次の小娘『時間乱流』は小さくイビキをかいて寝ていた。

 魔法を掛けている戦車なので多少は揺れが低減されているため、図太い者は寝る事も出来る。

 『神聖呪歌』も寝ていればクレマンティーヌは独り言を呟くつもりでいたが、尋ねる方が『神聖呪歌』の声もモモンへ伝えられ、より自然だと考えたのだ。

 

「じゃあ、私もそれまで寝ちゃおうかなー、おやすみー」

 

 そう言って、クレマンティーヌは目を閉じる。

 彼女の頭と耳の中には、モモンと『神聖呪歌』の声が同時に流れた。

 

『分かったよ、クレマンティーヌ。1時間後ぐらいにもう一度連絡するから』

「……おやすみなさい」

 

 モモンの声を聞いたためか、内心で『んふっ』と幸せ気分一杯のクレマンティーヌは束の間の時間まどろんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 アインズは王都リ・エスティーゼの宮殿にて、夜中にラナーと『相互協力』の密約を結び、彼女の笑顔をもってルベドとの約束も見事達成し、ナザリックの平和を守った……。

 その後、ラナーの部屋から階下3階の滞在部屋へと〈転移(テレポーテーション)〉で戻って来る。

 絶対的支配者は、いつもの一人掛けのソファーで寛ぎつつ、クレマンティーヌと『小さな彫刻像』経由で小声により連絡を付けようとした。

 しかし彼女側の状況が良くなく、1時間ほどの時間が空く。

 その時にふと、アインズは気が付いた。

 ルベドにナーベラル、シズやソリュシャン、果ては隣の部屋で先に横になっていたはずのユリにまでソファーの周りを囲まれていた事に。

 そして、彼女達はいきなり跪いてきたのだ。

 支配者は意味が分からない。

 ――いや、思い当るのはガゼフとの会話の折、ナーベラルから伝わったであろう『他家との婚姻について容易には認められない』と発した言葉である。

 そしてユリが、一同を代表して――謝意を述べる。

 

「アインズ様におかれましては、婚姻において一線を画すとのご発言に皆感じ入りましてございます。一同共々(かしこ)まり、新たに熱き想いと誇りを胸に、今後もアインズ様の御ためと我らナザリックの繁栄に貢献出来るよう邁進する所存でございます」

「(み、皆が納得しているようだし、ガゼフへ考えて答えたのはやっぱり結果的に正解だったのかな……)……うむ」

 

 ここまでの流れは問題が無いように思えた。

 だが、次のユリの一言は――アインズの想像を超えていた……。

 

 

 

「つきましては、区切りを付けられるということで、ナザリックの者から――――間もなくお(きさき)様を迎えるという事なのですね?」

 

 

 

「――――………ん? ……んん?」

 

 余りに突飛といえる言葉で、支配者は首を傾げながら猛烈に耳を疑った。

 

(お、お妃って、迎えるって……何の話だよ?)

 

 ガゼフへ伝えたあの時の、アインズの言葉は欠片(婚姻)しか残っていない雰囲気を感じる。

 そんな思いの主を置き去りにし、ユリは瞳を乙女風に煌めかせ、鼻息が荒くなっていた。

 

「すでに、ナザリックへもソリュシャンによりその旨伝えておりますっ――」

 

 

(――な ん だ っ て ーーー っ !)

 

 

 アインズはこの瞬間、既に一度抑制が掛かりながらも心に不安が再び膨張する中、即座にナザリックへ伝えたという本人へと尋ねた。

 

「……ソリュシャン・イプシロンよ。誰に伝えた?」

「アルベド様にございます」

 

 ソリュシャンは、天使にも見える笑顔でニッコリと微笑む。

 対するアインズは、両手のガントレットを頬へと当てた仮面下の骸骨の表情において――――まるでムンクの叫びのように顎が開かれていた……。

 

 しかし、アインズはこのまま現実逃避して今の状況を放置するわけにはいかない。

 支配者は無言でソファーから立ち上がると、夜中のベランダへ向かい外へと出る。

 ソリュシャンとシズが伴としてベランダへ続こうとするも、振り返った主は掌を前に出し『このまま一人にしろ』と意思表示する。

 ソリュシャンとシズは大窓より数歩下がると一礼し、室内から主を見守る形で立った。

 アインズは10分程、どうしようかと静かに落ち着いてあれこれ思案する。

 そして……結論として、報告が伝えられて数時間は経過しているだろうが、まずナザリック内の状況を把握し是正すべきという考えに至った。

 

(アルベドをはじめとする階層守護者級の者を一旦集め、酷い動きが広がる前に余計な誤解を一刻も早く解くべきだ)

 

 なぜこうなったのかは後に回し、いずれ原因が分かればそれでいいと。

 アインズはこの後、漆黒聖典の件でクレマンティーヌとの話も詰める必要があった。それまでにあと50分ほどある。

 絶対的支配者は、ベランダから室内へ戻りソファーの傍へ立つとこの場のルベドら5名へ告げる。

 

「私はこれより急ぎナザリックへ戻る。ナーベラル、王城での代役をしばし任せる」

 

 支配者としては今、ここにいる者への訂正や説明は後回しだと用件のみを伝えた。

 

「畏まりました、アインズ様――」

 

 ナーベラルの答えを待たず、アインズは〈伝言(メッセージ)〉を起動する。

 

「――アルベド。私だ」

『こ、これは~、アインズ様ぁ~。くふっ』

「……(だ、だめだぁ)」

 

 声の空気が――既にアウトであった……。

 絶対的支配者は、支配者ロールの厳しい雰囲気の言葉で指令を語り始める。

 

「これより、ナザリック戦略会議室において緊急の重要案件を処理する。守護者統括並びに、ナザリックに留まる第四、第八を除く階層守護者を至急集めよ。5分以内だ」

 

 御方の緊迫感ある様子に、アルベドの声が劇的に変わる。

 

『――はっ。直ちに守護者各位へ招集を掛けます!』

「戦略会議室で会おう、ではな」

『はっ!』

 

 アインズは〈伝言(メッセージ)〉をやれやれという思いで切る。

 すると、滞在部屋内のプレアデス達とルベドまでが、其々得物を取り出し物々しい臨戦態勢の雰囲気に変わっていた……。

 ユリが、通常のメイド服から戦闘メイド装備に変わり、スパイク付きガントレットの拳を握り締め尋ねる。

 

「あの、アインズ様の今のただならぬご様子。急に一体何事でしょうか?」

 

 それはこちらの台詞であるだが、アインズは時間がないのでスルーする。

 

「……後ほど通達があるだろう。それまで皆は装備を仕舞って普通にしておけ」

「はい、畏まりました」

 

 神器級(ゴッズ)アイテムの剣を握るルベドや、魔銃を構えるシズも「分かった」「……了解」と従った。

 アインズは〈転移門(ゲート)〉を開くと足早にナザリックへと戻る。

 

 地上の中央霊廟前で仮面を外しつつ、出迎えのフランチェスカより指輪を受け取る。アルベドのこの辺りに手抜かりがないところは流石だ。

 アインズはその『指輪』をゆっくりと嵌め、第九階層にある戦略会議室の扉前へと転移する。脇に控える怪人風使用人は、現れた支配者へ重々しく礼をすると扉を開いてくれた。絶対的支配者は、開かれた扉を通り会議室へと静かに進み入る。

 アルベドへ指示を飛ばしてから4分足らずだが――既に全員が揃っていた。

 ナザリックの主を室内に迎え、守護者全員が緊張の表情で一斉に起立する。

 

 ――今回は特に『緊急の重要案件の処理』という通達である。

 

 世界征服戦略に関わる重大な転機かとすら危惧する者までいた……デミウルゴスだが。

 アインズは、奥のひときわ背もたれの高い上座の席へと静かに座る。

 そして肩肘を突くと支配者らしく告げた。

 

「皆、ご苦労。まあ座ってくれ」

 

「はい」

「はいでありんす」

「ハッ」

「はい」

「は、はい」

「はっ」

「お気遣いなく」

 

 セバス・チャンだけは相変わらず脇に直立する。

 いつもの事なので、アインズは僅かに頷くとそのまま場を進める。

 

「さて、急で皆に集まってもらったのは、数時間前に『とある情報』がナザリックにもたらされたことに関するものだ」

 

 この段階で、デミウルゴス、コキュートス、セバスが、それは何かという難しい顔をし、まだ見当がつかない様子に見えた。

 対して、女性陣は「あ、あの話かな?」「かもね」などヒソヒソ声が漏れている。

 その状況にアインズは、アルベドから男性陣守護者にはまだ伝播していない話だと見当が付いた。

 そして、若干しまったという感じがする。

 

(招集は女性陣に絞るべきだったかも……うわ、どうしようかな……)

 

 そう思ったが、支配者の決断は早かった。

 

「デミウルゴス」

「はっ」

「コキュートス」

「ハッ」

「セバス」

「はい」

「悪いが、15分程この場の席を外してくれ。あとで説明する」

 

 コキュートスと、セバスは「なぜ」という疑問の雰囲気や表情を浮かべたが、デミウルゴスはすでに察したのか「畏まりました」と二人を連れて退出して行った。

 この場に残ったのは、アルベド、シャルティア、アウラ、マーレである。

 アインズは、時間も無いため手短に切り込んでいく――。

 

「アルベド、ソリュシャンから何を聞いた? 項目をすべて答えよ」

 

 支配者は、何がナザリックへ伝わったのかをまず正確に把握することが大事だと考えた。

 すると、アルベドは頬を僅かに赤くして『素直に』その内容を話してくれる。

 

「まずアインズ様が、王国の戦士長宅へ招かれた事。次に、前夜の王国地下組織との会談について虚実を混ぜて話されたこと。そして戦士長からの質問にいくつか答えられた事。一つは女性の好み。二つ目は――他家との婚姻について、です」

「……ふむ」

 

 聞く限り概要は、問題ないように思えた。最後の『例外について』は綺麗に無くなっているが、それは現状小さい話である。

 

(どこであんなに脱線してしまったのかなぁ……)

 

 アインズは、明確に焦点を絞る。

 

「私が間もなく(きさき)を迎えるという話は、どこから来たのだ?」

「それは――ソリュシャンより聞きました。我々の他家との婚姻についての話の中で、私達女子についてはアインズ様が完全否定され、御自ら相手を叩きのめして頂けると。それはつまり私達は至高の御方の物だという事に他なりませんと。私もそう思いました」

 

 アルベドの言葉に、シャルティア、アウラ、マーレもコクコクと頷いている。

 アインズはその状況に内心で困惑する。

 

(何かオカシイと思わないのかな。いや……ナザリックの全ては至高の41人の物だと思っているNPC達にすれば疑う余地のない当たり前の事なのかもしれないか――)

 

 アルベドの話は続く。

 

「ソリュシャンは最後に言いました。姉のユリは、アインズ様が今そう明言されたのなら、私達の中から妃を選ばれるのも近いのではないかと語っていたと」

「……(これはユリかーーっ! ……いや、ナーベラルからの伝言も介在しているし、気遣いの出来るソリュシャンと冷静なユリが話をする中で生まれた可能性もあるんじゃないかな。それに……)」

 

 この状況では、もう『これは全て根も葉もない内容だ』とは告げにくい。

 それは『主の言葉を勝手に捻じ曲げた』として誰かが罰せられるということなのだ。

 この場合、ナーベラル、ユリ、ソリュシャン達で連座の可能性がある。

 

(うーむ……)

 

 本当の原因の大部分は、上気し舞い上がったナーベラルの思考と、眼鏡顔を褒められたと聞いた際の、ユリの感情スパークによる思考と記憶の不安定状態なのだが、見ていない支配者はそれに気付きようもなく、あとの祭りという形だ。

 アインズは一瞬悩むと、アルベドへ静かに告げた。

 

「アルベドよ、(きさき)選びはいずれされるものではある。だが“間もなく”という話は予想のものだ。お前に届くまで3名を介している。その途中での“誤差”に思う。気にしなくて良いし、それをお前が鵜呑みにする事もないだろう」

「え……で、では……」

 

 アルベドは妃選びはあるという言葉に安堵するも、浮かれ気分から一転し不安になる。

 『妃は女子の上位者から』というのはあくまでもアルベドの御都合主義的考えであった。

 それを階層守護者の女子達に告げてしまっている……。

 その、後ろめたい気持ちのため、『間もなく』などという小さくない間違いについて声を上げ指摘することが出来なかった。

 またそれは既にアインズにより『誤差』で『気にしなくて良い』という結論も出ている。

 アルベドは、アインズの左側近くへ座っている席を辞すと、その場で支配者へ向かい跪く。

 

「アインズ様、申し訳ございません。先程、第九階層のバーにおいて、この場に残る階層守護者達へ“妃は女子の上位者から選ばれる”と憶測を告げてしまいました。お許しください」

 

 忠臣でもあるアルベドは、アインズへ対していずれ伝わる誤った話を仲間のいるここで報告しないわけにはいかなかった。

 アインズは、それを聞くと別の気になる点を確認する。

 

「そうか……先に一つ聞きたい。ソリュシャンから伝わった婚姻についての話は、ナザリックにおいてどこまで広がっている? 今は、トブの大森林への侵攻も控えており大事に進めたい時期だ。それと未確認の勢力情報もある。内輪の話で浮き立つのは余り良くないのでな」

「はっ。今のところ、ここに居る者達と副料理長のみにございます」

 

 流石にアルベドも統括として、ナザリックの慌ただしい現状は把握している。

 第九階層のバーにおいて、あの後階層守護者の女子へは『統括の仕事の機会を考える件』に絡み一時的だが緘口令も引いていた。

 またバーのマスターである副料理長は余計な事は言わない者だ。

 

「そうか」

 

 シャルティア達へ順に目を向けると、皆其々背筋をピンと伸ばし小さくコクコクと頷く。

 その様子は何気にかわいい。

 しかし若干の抜けが残っていた。

 

「では王城の者達にも、アルベドから説明し自制するように伝えておけ」

「はい、畏まりました」

 

 NPC間での〈伝言(メッセージ)〉を基本的に禁止しているため、おそらくこれ以上問題事にはならないだろう。

 アインズは、一段落したとホッとする。

 

「(ふぅ~)――よし。まあアルベドの“妃は女子の上位者から”という話は――大きく外れている訳では無い。余り気にするな」

 

 組織の体勢を維持するには、周りが納得する道理も必要なのだ。

 また一応、跪くアルベドへフォローも入れたつもりであった……。

 だが――。

 

 

「そ、それは、(まこと) で す か っ!」

 

 

 アインズの言葉通りだとすれば、間違いなくアルベド自身がアインズの妃候補筆頭になるのだ。

 最も浮き立ってはならないはずの統括ながら、彼女は喜ばずにはいられなかった。

 表情を色欲で上気させるアルベドは我を忘れ、胸元で両手を包み合わせると腰の黒いモフモフの翼をバタつかせて豊かな胸を揺らし勢いよく立ち上がる。

 そして1歩、アインズへと踏み出した。

 彼女の動きに――天井で控えていたアインズ護衛の7体もの八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)達が一斉に身構える。

 

「――(ハッ)」

 

 次の瞬間、アルベドは己が身動き出来ない事に気付く。

 彼女の両肩と腕をシャルティアとマーレが、腰をアウラが閃光の動きでガッチリと押さえていた。

 

「バ、バカ。早く正気に戻るでありんすよっ」

 

 アルベドの耳元でシャルティアが必死に囁く。

 ここでの大きく目立つ不祥事は、妃候補から除外されかねないと。

 我に返ったアルベドが再び跪く。

 

「も、申し訳ございません、アインズ様。その……余りに嬉しくて……」

 

 アルベドは弁解することなく主へ正直にその気持ちを伝えた。

 最近はある程度見慣れた光景といえる。

 アインズも、自分へアルベドが忠誠と共に熱い想いを寄せてくれている事は分かっている。

 これも彼女の愛情表現の一つみたいだと割り切りつつあった。

 

「――分かった。素直に謝った事で不問とする。ではこれで王都からの情報に関する確認は終わりだ。 マーレ」

「は、はい」

「デミウルゴス達を呼んできてくれ。近くにいるはずだ。〈伝言(メッセージ)〉を使っても構わない」

「分かりました」

 

 そうして、1分ほどで再び階層守護者達がこの場に集う。アルベドも再び席に着いた。

 アインズが全員を見渡しながら伝える。

 

「さて、先程の件だが一応終結した。その内容を知らせておく。実は、王都からの情報に私の(きさき)に関する話が流れたのだ」

「オォォ……ソレハ……」

 

 コキュートスがなぜか小さく感激の声を漏らし身を乗り出す。それをデミウルゴスが「まぁ、待ちたまえ」と小声で諭す。

 支配者はそのまま語る。

 

「将来的には当然考える話だが、我々には今進めておくべき事柄も多い。そういった話は、まだ少し先と思って貰いたい。そして、ナザリック以外との婚姻については男性陣の事もあり例外は考えなければならない。その時がくればいずれ相談しよう」

 

 この場でも、ナザリックの女性達が至高の御方々の物だとすれば、男性陣の相手は外からと考えるのは当然の様に思え、アルベド達からの異論は起こらなかった。

 守護者達は、アインズの言葉に其々「はい」や「承知しました」など答えて頷く。

 主は最後に皆の返事へ一つだけ頷いた。

 

 今の時点で、まだクレマンティーヌと再度連絡を取るまでに、あと30分弱はある。

 なので支配者は、折角集まった場を利用しようと次の議題へと移った。

 

「次の件は、他勢力に関するものだが――皆、落ち着いて聞いてもらいたい」

 

 その言葉に、マーレとデミウルゴスが緊張した表情へ変わった。

 他の者は「なんだろう」という表情。

 アインズは要点だけを伝える。

 

「先日、ナザリックの南方に広がるスレイン法国の最高機密情報が手に入った。あの国には“至宝”や“秘宝”と呼ばれているアイテムがいくつかあるそうなのだが、その一つに精神攻撃に完全耐性を持つ者すら支配してしまうアイテムが存在する事が分かった」

 

「「「「「――――っ!」」」」」

 

 戦略会議室の空気がガラリと変わるも、アインズの言葉は途切れない。

 

「そのアイテムは着用型のもので、法国における装備可能者はカイレという名の老婆のみだと思われる。おそらく装備する為に厳しい条件があるのだろう。力を行使した場合の様子はまだ分かっていない為、私の推測になるのだが恐らく大きすぎる効果の代償として、多数を同時に支配という事は無理だろう。それに、連発も難しいはずだ。ここで伝えたいことは――過剰に恐れるなということだ。用心し十分対策すれば、我々にとって問題はないアイテムだと私が断言しておこう」

 

 数日前にもあれこれ思案したアインズとしての考えは、今の言葉と同じである。

 どれほど強い力を持つアイテムも万能では無い。

 それに――『プレイヤーが使う訳では無い事』が非常に大きいとアインズは考えている。

 油断は出来ないが、脆弱である人間が使う以上、装備可能者を殺すことは容易と言えよう。

 

(ナザリックの脅威としてこの老婆に対してだけは、持てる全力で当たり容赦はしない)

 

 絶対的支配者はそう決めていた。

 このあとマーレから、他の至宝と秘宝、そして『番外席次』や『隊長』ら神人に漆黒聖典、その他の法国の注目点などが大まかに説明された後で、現在スレイン法国について情報を書類にまとめており、出来次第提出することが告げられる。

 ついでだが、秘密結社ズーラーノーンとの協力関係についてもアインズより話が振られ、マーレにより簡単に説明がされた。

 『支配者のいつでも潰せる余興的なもの』という趣旨で語られ、アルベドやデミウルゴスからは「左様ですか」と笑顔で承諾される。

 ただ、強大すぎるだろう謎の空中都市については未だ語られずだ……。

 ここでクレマンティーヌとの連絡まで10分を切った。

 

 アインズは、階層守護者一同へ静かに語り始める――。

 

「あと一つ。私は今、皆が知っての通り王都にて“アインズ・ウール・ゴウン”の名を広めようとしている。そこへ竜軍団が侵攻し、対抗する力が乏しいリ・エスティーゼ王国は大混乱だ。その中で現在、スレイン法国から竜軍団に対し撃退の任を帯び、漆黒聖典の部隊が廃墟となったエ・アセナルを目指して移動中だ。漆黒聖典は王国に対して極秘に動いている。その中に私の配下となっている第九席次である人間のクレマンティーヌと――先に挙がった至宝の装備を身に付ける老婆カイレも同行しているという」

「そ、それは……」

「えっ、そうなんですかっ!?」

「ナント……」

「……むう」

「そのババアは、わらわが一瞬で殺してあげんしょう」

 

 初めて聞く至宝の動向話に、マーレとデミウルゴス以外の者達がそれぞれ反応した。

 Lv.100の者達も支配される可能性を想定すると、行動を考える者が多い。

 しかし唯一、切り札の分身系のスキル『死せる勇者の魂(エインヘリヤル)』を持つシャルティアは、分かっているのかいないのか積極性が見え好戦的であった。

 そんな守護者達へアインズが告げた。

 

「シャルティアの言葉ではないが、今回は明らかに好機である。数日後にその至宝の奪取作戦を私中心で行う」

 

「「「「「「「――――っ!」」」」」」」

 

 これには、マーレとデミウルゴスも驚きの表情に変わる。

 その中で彼女がいち早く動いた――。

 

 

 

「断じて、なりませんっ!!」

 

 

 

 そう強く叫んだのは、アルベドであった。

 

「アインズ様に何かあっては、取り返しがつきません。何卒御一考の事を。――ぜ、是非私めにその指揮をお任せくださいっ。必ずやご期待に応えてみせます!」

 

 その表情はこれまでで最も真剣であった。

 それにアルベドにとって、これはアインズへ貢献する千載一遇の大チャンスであるっ。

 彼女の言葉に、他の守護者達も異論を唱えなかった。特に女子は。

 

「し、しかしな……(危険である上に、クレマンティーヌ絡みでは兄貴を葬るとか、“神人”のいる漆黒聖典は生かして帰すとか色々予定もあるんだよな……)」

「何卒曲げてお願いいたしますっ」

 

 アインズも、美しい金色の真っ直ぐに見てくる彼女の瞳の雰囲気から、固い決意を感じていた。

 ここで却下すると、今後アルベドの士気が大きく下がることは間違いないように思われる。

 

(うーん。うわ、そろそろ時間だよ……)

 

 アインズの眼窩(がんか)に輝く紅い光点は、左横に座りこちらを見つめるアルベドを捉えていたが、正面を向く。

 

「これから、老婆と同行している現場のクレマンティーヌと状況確認の連絡を取る。私は少し席を外すがお前達は暫くここで待機していろ。どうするかはその時に決めよう」

「……畏まりました」

 

 礼を伴うアルベドの言葉に、この場の守護者達も頭を下げる。

 アインズは立ち上がりながら「うむ」と伝えると『指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)』で〈転移〉すると、誰もいない宝物殿の金貨の山がそびえる入口広間へと飛んだ。

 パンドラズ・アクターには先日より第九階層に自室を与え、下位の宝物を数点置物として設置して凌がせている。下位の物だと、時々宝物を入れ替えてやらないと飽きるらしいが。

 そのため現在、許可なくNPCや(シモベ)達は、誰も宝物殿へは入れない事になっている。

 ここなら邪魔なく静かに会話が出来る。時刻は夜中の2時頃。

 アインズはモモンとして、(おもむろ)にクレマンティーヌへとガチャアイテムによる〈通話〉を繋いだ。

 

「クレマンティーヌ、今大丈夫かな?」

『……んー。ちょっと、お花摘んでくるねー』

 

 焚火の音や仲間達と思われる話し声が僅かに聞こえるものの、彼女に返ってくる言葉はない。

 そのまま10秒ほど周囲の雑音がフェイドアウトする風で極小になると、クレマンティーヌからの返事が始まる。

 

『待ってたよ、モモンちゃんっ! 本隊とも合流しちゃったし、連絡どうしようかと思っちゃったー』

 

 小声ながら、彼女の不安から大きく解放された感が伝わってきた。

 クレマンティーヌの本隊合流はモモンとして初めての情報だ。考えを修正しながら答える。

 

「言ってなくてゴメン。このアイテムが役に立って良かったよ。『神聖呪歌』が傍に居るからそうかなと思ったけど、本隊ともう合流したの?」

『昨日の晩に偶々合流したよー。でも、これ凄いアイテムだねー』

 

 こんなゴミアイテムを称賛されても仕方がない。適当に流し、アインズは用件に入る。

 

「まあね……さて早速だけど、合流したって事だしこれからの話なんだ。クレマンティーヌ側で部隊について今後の予定は聞いてるかな?」

『んー、それが聞いてないんだー。今は、馬の休憩サイクルで昼夜問わず移動を続けてるよー』

「そうか……ということは、余計な寄り道や待ち時間は無いということかな?」

『そうかも。“隊長”は真面目だからねー。最善で最短を目指してるんじゃないかなー』

 

 ある程度、アインズの推測通りだ。

 

「今、どこら辺りか分かるかな? それと、エ・アセナルへの到達にどれぐらい掛かるのかも」

『んーとねー今は多分、エ・ペスペルを少し越えた辺りだと思うよー。あと、エ・アセナルの傍までだっけー? このペースだとー、あと4日は掛からないと思うよー? あっ、着いたら少し休憩は有るかも』

 

 アインズの予想よりも1日以上は早い感じであった。

 

『モモンちゃんは今、どこー?』

 

 彼女からの普通のこの問いに、アインズは僅かにドキリとするが、無難に答える。

 

「ぁあ、エ・ペスペルに、今日の夜には着くという辺りかな」

『そうかー。うーん、直接会えないねー……』

 

 クレマンティーヌは可愛く寂しそうに残念がった。

 それに、アインズが励ます形で伝える。

 

「王都まで行けば、冒険者組合の点呼日までこっちは動き易くなると思うし、状況も変わるさ。因みに当初の作戦計画とかはなかったのかな?」

『一応あったよー。王都北東の森で合流したら、一気にエ・アセナルに寄せて、カイレの婆さんを後方に陽光聖典の護衛付きで待機させて、私ら漆黒聖典12名全員での総攻撃ーって感じのがねー』

 

 アインズは、カイレの位置に注目した。

 陽光聖典の護衛付きとはいえ、漆黒聖典と離れるというのは――非常にありがたい。

 それなら、至宝アイテムの奪取の指揮をアルベドへ任せても大丈夫だという気がした。

 クレマンティーヌの兄は、総攻撃中のどさくさで討ち取り、隊長を半殺しにすれば漆黒聖典の部隊は撤退するしか手がなくなるだろう。

 

「……クレマンティーヌは、この後、その流れで作戦が進むと思ってるの?」

『んー、どうかなー。ただ今のところ、早く合流出来た事で戦闘開始が1日程早くなった差以外感じないけどねー』

 

 漆黒聖典の戦車隊は俯瞰の形で、ナザリックの統合管制室からも随時追跡している。

 アインズ的には、かなり正確に戦闘開始時間を把握出来ると思えた。

 ただ漆黒聖典には、こちらの強者の反応を探知出来る者がいることを忘れてはいけない。

 先日のクレマンティーヌからの情報では『深探見知』の探査半径は優に5キロ以上もあるらしい。不用意な接近は早期に警戒される事になる。

 人間ながら人材としては中々優秀である。

 まあ、こちらも対策出来ないわけでなく何とかなるだろう。

 状況は概ね大丈夫に思えた。

 

「現状は分かったよ、クレマンティーヌ。それで、君の復讐だが――竜軍団との戦闘中に行おう。エ・アセナルの周辺に大きい森は焼けて残ってないかもしれないけど、林ぐらいならあるんじゃないかな。そこへ上手くターゲットを(おび)き出して欲しい。二人で倒そう」

 

 熱い憎き血が舞うだろう『二人の共同作業』に、クレマンティーヌは感激する。

 兄のクアイエッセを、漆黒の剣士の前に引きずり出せれば、あとはグレートソードでぶった切ってもらうだけである。

 そのあと二人は幸せな門出を迎えるのだ。

 

『モ、モモンちゃん……』

「王都で、エ・アセナル周辺の地図を探してみる。一度会って話を詰めようか。また連絡するから」

 

 通話時間が7分を過ぎていた。10分を超えれば、クレマンティーヌが怪しまれる恐れもあり、この辺りで切り上げる。

 

『分かったよっ! 私、待ってるねー』

「じゃあ、また」

『モモンちゃん、愛してるーーーっ!』

 

 そんな甘い声で〈通話〉は切れる。

 アインズは懐く配下として可愛く思うも余韻に浸ることなく、階層守護者達の待つ戦略会議室へと取って返した。

 

 

 

 

 

 

 

 至高の御方が、姿を消した直後の戦略会議室はなんとも言えない空気が漂っていた。

 デミウルゴスがアルベドへ声を掛ける。

 

「アルベド。貴方は何か――焦っているのではありませんか? らしくないですね。焦りは思考と機運感を鈍らせてしまいますよ」

 

 大元(おおもと)(けしか)けた感じのシャルティアとアウラの顔が渋くなった。

 デミウルゴスも案外鋭いのだ。

 

「こ、こちらにも事情があるのよ」

 

 アルベドは、そう返すのがやっとである。

 デミウルゴスは落ち着いて諭すように話す。

 

「アインズ様は、のんびりいこうと仰せの方です。以前も言いましたがそのうちに時間は出来ますよ」

「……」

 

 デミウルゴスの言葉に、アルベドも考え気味に視線を落とす。

 そんな彼女を見つつ彼は話題を変えた。

 

「そう言えば、アインズ様配下のパンドラズ・アクターが、御方のご指示でスレイン法国の東に隣接する“竜王国”という国へ偵察に赴いたとか」

「そ、それは僕、初めて聞きます。いつの間に……。トブの大森林の後にでも攻めるのでしょうか?」

 

 マーレは先日までパンドラズ・アクターと行動を共にしていたので驚く。

 

「ウゥム、気ニナルナ。私ハ連戦デモ構ワナイゾ」

「私も気になります」

 

 コキュートスにセバスも初めて聞く話で、戦になるという事ならナザリック地下大墳墓のためにも確認せずにはおれない。

 第七階層守護者は眼鏡を直しつつ、概要に触れる。

 

「私も彼と廊下で出会った折に、少し聞いただけですが、アインズ様はビーストマンの国から攻められている竜王国からの救援を“アインズ・ウール・ゴウン”の名を揚げるために利用しようとお考えのようです」

 

 マーレだけは、冒険者マーベロとしてその場に立ち会っているので概要は分かる。

 パンドラズ・アクターは、竜王国の東地域にある3つの都市と、攻め寄せる側のビーストマンの本陣までも偵察していた。

 ビーストマン側は竜王国内へ5個師団を投入していたが、指揮官の話からまだ本国には余力が十分にあるという。

 一方で人間側の竜王国は、3つの都市に兵数計11万8000余で籠り、更に市民の有志達も加わって必死の籠城戦を展開している状況。

 だが、都市の一つで兵糧が二カ月は持たないという在庫状態に、指揮官たちが頭を抱えている姿も彼は確認して帰って来ていた。

 とにかく、竜王国側は日々の戦いでも500名以上の戦死者を出し続けており、何時陥落してもおかしくない都市城塞で、血みどろの戦いを繰り広げている。

 

「――確かに困っているようですので、色々と利用は出来そうですが。まあアインズ様のご要望待ちですね」

「そうね。でも少し攻撃側のビーストマンの数が多いかしら。長持ちさせるために後方で幾らか間引いて差し上げた方がいいかも」

 

 アルベドが、アインズの関わろうとする案件であるため勝利への思考を巡らす。

 それは己がどのような状況であっても、この地上から消え去るまで変わらない思いだ。

 ただその気持ちは、他の守護者達も同じである。

 

「ぼ、僕の出番かな?」

「マーレ。あんたが出たら、数時間で竜王国の都市ごと全滅させちゃうでしょ?」

 

 空を飛べない種族が相手ならば、マーレはまさに大戦略級の魔法詠唱者(マジック・キャスター)である。驚異的である撲打力だけが突出しているわけでは無い。

 数日もあれば一都市と言わず、種族ごと絶滅させる恐るべき力を有しているのだ……。

 

「あたしがちょっと行ってこようかしら」

 

 アウラがそう語ると、今度は珍しくマーレが反論する。

 

「お、お姉ちゃんだって、ビーストマン達を本気でテイムしちゃうと、あっという間に味方が増えて敵がいなくなっちゃうよ」

「くっ」

 

 姉の彼女は大型肉食動物系には調教技で滅法強いのだ。フェンリルのフェン達を率いるとより効率が上がる。

 

「私も最近少し腕が鈍り気味ですので、機会を頂ければ良いのですが」

 

 そう告げたのは、これまでずっと静かに佇んでいたセバスである。

 コキュートスについてはトブの大森林侵攻戦で先陣を切ることになっているが、その際セバスはナザリックの防衛担当で、当面そう言ったお鉢が回ってくること自体なさそうであり、その驚異の腕前を持て余している感があった。

 また同時に彼の隠れた内心には、常に困っている側に立って力になりたいという思いも秘めている。

 執事の仕事についても、一時的にメイド長のペストーニャへ任せれば問題ない。

 ついでながら都市の子供達も守れるということであり、彼女も喜んで協力するだろう。

 

「セバス、圧倒的すぎるあなたが出ても結果は同じ様に思うけれど……。そうね、一番守備状況が厳しい都市に入って目立たない形で助っ人ならいいのかもしれないわね」

 

 そうアルベドが考えを口にする。

 外見が完全に人間と同じに見える為、そういった潜入工作活動は十分可能である。

 ――と、そんなことを話している時に、アインズが室内に現れた。

 

「皆、待たせたな。ん……どうした?」

 

 明らかに論議途中の様子を感じ、支配者は威厳に相応しい姿でゆったりと席へと着きながら皆へ問うた。

 それにアルベドが説明する。

 

「竜王国の話でございます。パンドラズ・アクターの偵察の話をデミウルゴスから聞き、皆でアインズ様のお役に立てないかと話をしておりました」

「そうか。まあ確かに竜王国は今、波状的に攻められてもう随分キツい状況だからな。ビーストマン側は後方の本国からの更なる大規模の増援も来るようであるし、何か手を打たないと竜王国側の東の三都市は3週間も持ちこたえられないだろうな」

 

 絶対的支配者は、ビーストマン側の動きをパンドラズ・アクターより聞いてそう考えていた。

 現在は三か所に分れて分散攻撃されているが、一つでも落ちればその戦力が残りに集束していく。

 そうなれば完全に絶望的だ。その前に手を打つ必要がある。

 

「はい。ですので、誰か目立たない形で助っ人を送り込むというのはどうかと話し合っておりました。大軍同士の戦いでは流れが重要になります。今は流れが凪ぐように戦況が拮抗するよう維持することが大事でしょう」

「(へぇ、そういうものか)……そうだな。で?」

 

 アインズは軍団を率いる戦争のプロでは無い。ここは一度、統率力の高いアルベドやデミウルゴスの考えを聞いておきたいところであった。

 支配者はアルベドの言葉に耳を傾ける。

 

「それで、今我々はまだ森へ軍を進めていませんしナザリックの守りは十分でございますので、ここはセバスを一時的に一番陥落の恐れのある都市へ向かわせ、敵の決定的と思われる攻撃を密かに間引くというのはどうかと思っております」

「ふむ……、なるほど、なるほど」

 

 十分納得できる発想に、アインズは満足する。

 誰を送り込むかを考えれば、人間の国で不自然無く自由に動ける者である。そして抜群の力を持つ必要がある。

 言われてみれば、階層守護者で誰が適任かといえばセバスというのは確かだ。

 ただアインズにすれば、強くとも1人というのは行動に制限が大きいと思えた。

 

「ではセバスよ。お前に竜王国の東部都市における影での防衛を任せよう。あと、間もなく帰って来るはずの、ルプスレギナも連れて行くのがいいだろう。一人だけでは、動きにくい時もあるからな。連絡についてもだ。だが、決して無理はするなよ。増援が必要な場合、遠慮なく告げよ。期間は――私が竜王国へ赴くまでだ」

 

 セバスだけでは〈巻物(スクロール)〉の使用すら難しかった。

 ルプスレギナがいればその部分もカバー出来る。

 

「畏まりました、アインズ様。では、ルプスレギナの帰還を待ち、出撃いたします」

「うむ」

 

 これにより、後日竜王国への臨時救援にセバスとルプスレギナがひっそりと向かう事になる――。

 

 先の話に手を打ったアインズは、手前の議題へと話を返した。

 

「さて一同の者、例の至宝の奪取作戦へ話を戻そう」

 

 アルベドが「はっ」と答えると他の者らも「はいでありんす」「ハッ」などと続いた。

 支配者は、この場へとまず最新情報を提供する。

 

「現在、至宝と同行し移動途中のクレマンティーヌから状況を聞けた。今の位置はエ・ペスペルよりも王都寄りの位置とのこと。廃墟となったエ・アセナル近郊への到着は早ければ4日程度との事らしい。途中で王都北東の森へ寄ればそれより遅くなるだろうが、その必要はもう無くなっているからな。なので、我々はそれまでに態勢を整える必要がある」

 

 ここでアインズはアルベドを見て、そして静かに告げる。

 

 

「――今回の“至宝奪取作戦”の指揮官として、アルベドを任命する」

 

 

 そう伝えられたアルベドは、目を見開く。

 まず、すんなりと告げられたことに驚いていた。

 先ほどからの合間に、デミウルゴスらより主への口添えは一切ないのだ。そして、先程のセバスの案もいきなり即採用されていた。

 彼女は、自分が目の前の至高の御方から、絶大の信頼を受けていることに改めて気付く。

 自分だけで勝手に不安になっていたのだと。

 

「どうしたのだ? アルベド」

 

 支配者は、いつも通り優しく声を掛ける。

 アインズの心に少し不安もあるが、NPC達は――人形とは違う。

 それぞれに様様な感情があり意志を持つ。

 先程から見るに、断固たる決意と能力を持つ者達を縛り続けることは、間違っているのではと考えたのだ。

 

「い、いえ。このアルベドが“至宝奪取作戦”指揮官の任、確かに承りましたっ」

「うむ。それでは私から情報と注意点と要望を伝え、皆で早速作戦の内容を詰めたい」

「はっ」

 

 アインズはこの直後に皆へ、漆黒聖典が竜軍団との戦闘開始時に、至宝を装備した老婆を後方へ護衛と共に予備戦力として待機させる予定で有る事を告げる。

 続いて、先の漆黒聖典の話で皆が知る『深探見知』の存在も注意が必要だと加える。

 『深探見知』対策には、漆黒聖典戦車隊の動きについて第九階層の統合管制室を利用し逐一報告させるようにと伝える。

 そして、ゴウンの暗躍の影は兎も角、ナザリックの存在をまだ極力知られないようにとも注文を付けた。

 またアインズは、冒険者モモンとしてクレマンティーヌの兄をこの戦闘時に紛れて討つ約束があることを伝える。

 あと、王都滞在組を長時間使う場合は、王城からの外出理由を考える必要があることを話す。

 それらを加味し、まず作戦中のナザリックにはデミウルゴス、コキュートス、アウラが残ることを決めた。

 このことで、セバスを除き作戦へ投入出来る一線級の戦力が絞られてくる。

 アルベド、シャルティア、マーレという事だ。

 一応、後方支援に『同誕の六人衆(セクステット)』から謎スライムのエヴァを付けることも浮上する。

 この全員が『深探見知』の探知を掻い潜る〈完全不可知化〉の使用が可能である。

 正直、老婆とその護衛はLv.70のエヴァだけでも圧倒出来る見込みだが、至宝への最前線には階層守護者を当て万全を期す。

 

 本作戦はいずれにしても完全に――撃滅作戦だといえた。

 

 この場で語られないがアインズの作戦では当初、至宝装備者の老婆の前に堂々とアインズ・ウール・ゴウンとして登場する案(譲渡交渉決裂からの広域への絶望のオーラⅤ)を用意していたのだが、アインズとして動く事は滞在する王国を対法国面で巻き込む可能性もあった。

 なので、とりあえず強行案の隠密での皆殺しでもいいかと思ったが、ナザリックとは知られずとも『謎の勢力の関与』をどう誤魔化すのかという問題が結局残る。

 アウラから、法国へ謀反したという事でニグン達を使おうという中々面白い案を聞く事が出来たが、それもアインズ・ウール・ゴウンとの関連付けがされそうであり却下となる。

 結局、無難に応用度の高いデミウルゴスの概案を聞き、支配者は納得してそれを支持した。

 それは以前アインズの考えた、法国の知る吸血鬼化したシャルティアを利用する案では無い……。

 そしてここでアインズは漸く伝える。

 

「なお今回、漆黒聖典についてはクレマンティーヌの兄以外、“神人”の隊長を含めて生かして帰すように」

 

 恐らく反対の議論があるだろうと思い、彼は要望の最後に回していた。

 

「――はい、アインズ様」

 

 しかしそれに対し、アルベド達は全く反論しなかった。

 一つは諜報員のクレマンティーヌがいるという点。そして、主の『余興を長く楽しむ』という最近の趣旨を考慮しての判断であった。

 

「(う、)うむ。ではそれで作戦を立案せよ。出来次第連絡を頼む」

「畏まりました」

 

 時刻は夜中の3時を過ぎている。

 

「皆、他に何かあるか?」

 

 守護者達は互いに見回すがこれと言って無い模様。

 するとデミウルゴスが尋ねる。

 

「アインズ様、この後のナザリックでのご予定は?」

「うむ。まず日課のアンデッド作成をした後に、〈伝言〉で王城へ様子を確認し、それから少し溜まった執務を朝までに片付けるか。何もなければここでゆっくりし、夕方から冒険者として行動しようかと思っている」

「では、執務の後に少々お時間を頂きたいのですが。我々の小都市について何点か確認させて頂きたいことがございます。私か――アルベドが伺います」

 

 アルベドが横目で一瞬、デミウルゴスを『忙しいのにどういうつもりよ』と見る。

 小都市について、彼女も責任者であるとはいえ、現在細かい部分はヘカテーが担当している。

 デミウルゴスは、その視線に気付きながらもアインズへ向ける顔の表情を変えない。

 

「そうか、構わないぞ。他に無いか? ……では今回の会議は、ここまでとする」

 

 アインズの会議閉幕の言葉を受け、アルベドをはじめ守護者全員が起立し礼をする。

 主はそれを受けると立ち上がり、セバスの開けてくれた扉を抜け、先頭で会議室を後にする。セバスはそのままアインズの傍付きとして従い退場していく。

 すると、アルベドはデミウルゴスへ近寄り小声で確認した。

 

「……(ちょっと、そんな急の都市計画調整の話はヘカテーからも聞いてないわよ?)」

「……(じゃあ、何かないかヘカテーに確認しておいてください。貴方がアインズ様と二人きりで話せる時間のためにね)」

「――――っ!」

 

 そう小声で告げたデミウルゴスはコキュートスと共に、頬が赤くなって固まるアルベドへ背を向けヨロシクと手を上げてクールに去って行った。

 確かに、これから王都の者達へ妃の件の訓示を伝え、作戦草案を作ってもヘカテーに確認するぐらいの時間は取れる――いや、取るに決まっているっ。

 そんな思いに拳を握るアルベドへシャルティア達が近寄る。

 

「なんか、急に一杯仕事が貰えて、少しズルいでありんすねぇ」

「そうよね。ちょっと多すぎじゃない? あたしはお留守番だし」

「ぼ、僕は……つ、次の作戦で活躍出来れば……」

 

 考えは三者三様である。

 シャルティアは、奪取作戦にも参加するので、控えめな抗議だ。

 マーレも参加組であるため、特に不満は無い。

 アウラだけが今回、ハズレ状態だ。なので不満が高まる……。

 それに対して此度は、アルベドがアウラを慰めた。

 

「アウラはまだ応援を呼ぶ際に、最初の支援隊の可能性が残ってるわよ。残留組で一番即応の機動力があるのだから」

「ふん。まあ、今回はそれに期待しとくわ」

 

 防御面を考えると作戦時、デミウルゴスとコキュートスはナザリックから動かせない。

 少し渋い顔のアウラだが、今回はアルベドに華を譲った形だ。

 彼女達もそうしてワイワイと会議室を後にした。

 

 

 そんな形で、『至宝奪取作戦』進行と共に、ナザリックの妃問題も今は静かに解決―――と思われたが、全くそうはいかなかった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゴウン殿、急な話で申し訳ないが、国王ランポッサIII世陛下のたっての願いである。

 ――第二王女殿下のルトラー様を妻に娶り、リ・エスティーゼ王国の一員として私達共々竜軍団と最前線で戦って頂きたいっ!」

 

 

 アインズがヴァランシア宮殿の滞在部屋で王国戦士長よりそう告げられたのは、昼食を終えお茶会も済んだ後の事。

 周りのルベドやプレアデス達も、ナザリックのアルベドから『訓示』を受けて間もない事もあり、その凄まじい衝撃の内容に固まった。

 それは、まだ独身だと聞くご主人様に全てを捧げる想いのツアレも同様である――。

 

 アインズは緊急会議終了後のナザリックにおいて、アンデッド作成の後で王城側の確認(夜中でもあり問題無し)、僅かにあった執務までを無事に終えると、デミウルゴスの代わりとして建設準備中である小都市の内容確認へやって来たアルベドと、差し向かいで穏やかに一般メイドの入れてくれたお茶を飲みながら小一時間の打ち合わせを済ませる。

 それからしばらく寛いだ朝の9時頃、王城から「王国戦士長が昼から急遽会いたい」と〈伝言(メッセージ)〉の知らせが舞い込んでくる。

 アインズは承諾すると暫し地下大墳墓の各所を周り、昼を前にナザリックを後にする。

 その時、見送りのマーレへ指輪を渡しつつ、冒険者の準備を整えいつでも動けるようにと告げていた。

 

 

 アインズへ国王からの衝撃の内容を告げた戦士長ガゼフの表情は、まさに真剣であった。

 仮面を通しても突き刺さるほどの視線を感じている。

 アインズも今の内容には驚くが、確認するために王国戦士長へ尋ねる。

 

「――本当に急な話ですね。先日の緊急対策会議での私の考えを変えるために……ですか?」

 

 アインズはあの場にて、国王や王子達、大貴族やラナーの前で『自分は王国民ではない客人であり、友の居る王都から動かない』旨を宣言していた。

 それを覆すには、確かに王国の関係者とすればいいということなのだが……それにしてもまさか王女まで持ってくるという事は、最終手段と言ってよい内容である。

 

「そう取って頂くほかない。本来客人であるゴウン殿へ()()()()()を告げることは、私としても酷く躊躇われたのだが、今の王国に後がない事が分かってしまった――ルトラー王女殿下のご指摘によってだ。貴殿らの実力は、陛下へ既にとても高く認められていると考えて欲しい。だからこそ、こういう事に相成(あいな)った。……もうこの話ぐらいしか我々に手が残されていないと思ってもらって構わない」

「……んー」

 

 目の前のガゼフから直接最終手段と聞いて、前掛かりの姿勢だったアインズは、腰掛けるソファーに大きく背を預ける。

 半信半疑だが、あの黒い王女様がこちらをある程度看破しているという風にも取れる。

 なにせ、あのラナー王女の姉なのだから甘く見る事は出来ない。

 そんな娘が輿入れして来るというのだ。

 だがここで完全につっぱねると、客人としての立場を失うとも判断出来た。

 と言って、ナザリックの支配者として、『第一(きさき)』というこれほどホットで重要である用件に今頷く事も難しかった。

 仮面の顎に右手を当て考えるアインズのその様子に、戦士長がここで『特典』を挙げる。

 

「もちろん、貴殿の実力に相応しい祝いの品を王家も用意している。まず、輿入れ金として金貨100万枚。加えて、王族の縁者として、王家直轄都市のエ・ランテルの収益の一部とその近郊へ領地が与えられる。恐らく年収で金貨15万枚は下るまい。これに伴い、爵位として新設では異例となる伯爵の位が用意されている。また、王国が無事に存続出来れば、他にも多少の要望は問題なく叶えられると思う。……どうだろうか?」

 

 告げられた内容は恐らくリ・エスティーゼ王国では破格の内容だろう。

 しかし、アインズにはそれほど魅力を感じ、興味を引く物が無かった。

 今、彼が欲しいのは広く国外にも鳴り響く名声である。

 アインズは顎に当てていた右手をひじ掛けに置き、そのガントレットの人差し指をトントントンと動かしながら考え続けた。

 それを斜め向かいの3人掛けソファーに座る戦士長が、しばらく沈黙を持って見守る。

 昨夜の戦士長宅での長考の再現にも思えた。

 待ち時間が5分が経過する頃、合間に〈時間停止(タイム・ストップ)〉も使って長考したアインズが穏やかに告げる。

 

「あなたからの話であり、王国に協力するという部分では前向きに考えたい。また輿入れ金やエ・ランテルの収益の一部を頂けるのは有り難い話です。しかし、今は反王国派と共闘の件もあります。それで……他の条件を変えたい、ということは出来るのでしょうか?」

 

 ガゼフは、眉間に皺を寄せるも一度ゆっくり瞬きすると「内容をお聞かせいただこう」と答えた。

 アインズは一大組織を率いる者として堂々と語る。

 

「私は人の下に付くという事が好きではありません。なので臣下を表す爵位を頂く事は御断りしたいのです。それに代わり――――独立自治領主として領土を割譲する形で頂けるのなら嬉しく思います。その領地ですがエ・ランテル近郊ではなく少し広くなりますけど、あのカルネ村を含むトブの大森林に隣接する辺りから現在ほぼ無人で放置されている帝国までの緩衝地帯を希望します。また、第二王女の輿入れについて話は分かりましたが、婚儀については反王国派との事もあり、先の領地の件も含めて今は約定という形で纏め秘し、暫く時間を頂きたいのですが」

 

 

 兎に角、支配者はナザリックで今絶対に物議をかもしそうな『妃』の件は後回しにしたかった。

 

 先程より、ソファー周囲のルベドや戦闘メイド達からずっとジト目で見つめられている状況から考えても、アルベド達が他の全てを放ってでも即刻王国まで押し寄せて来かねない……。

 しかし、戦士長へそれを前に要望として出すと変に勘繰られるかもしれず、先に領地の話をしたあとで伝えた。

 一方ガゼフにはゴウン氏が、知り合いの居るカルネ村が入るとはいえ、それら収入の低い痩せた土地を貰う理由がよくわからない。陛下の提示したエ・ランテル近郊の方が圧倒的に高収入の領地であった。

 アインズ的には、建国用の国土として領地を後でしっかり貰うとし、引き延ばして時間を稼げば王女と婚姻という状況はうやむやに流れるはずと考えている。

 それに対して、王国の戦士長としては当然王女の願いとして婚儀あってのお話という部分もある。

 もちろん最大の要望はゴウン氏が『竜軍団と戦ってくれる』という事が大事だ。

 それでもガゼフは報告する責任もあり確認する。

 

「一応、その暫くという期間をお聞かせ願いたい」

 

 アインズとしては3年と言いたいが、それは余りにも長いだろう。限界と思える妥当な時間を告げる。

 

「――1年です」

 

 絶対的支配者は、この場でとりあえず現段階だけの話にすればいいと割り切った。

 

「ではこの話を一度持ち帰り、出来る限り希望通りになるよう努力する。それ故王国への協力の件は何卒よろしくお願い申す。では今日はこれで失礼させていただく」

 

 戦士長は、竜軍団戦で敗色濃い国王からの使者として重々しくそう語るとソファーから立ち上がった。

 アインズも、立ち上がると告げる。

 

「分かりました。私にも、信念と状況や考えがあるので色々と申し訳ないです」

「いや、厳しい状況に巻き込んでいるのはこちらだ。許して欲しい」

 

 ガゼフ・ストロノーフは、目を閉じるとゴウン氏へと静かに頭を下げた。

 

 

 

 

 

 ガゼフは、本当ならこの部屋から去る際に、美しい眼鏡の笑顔で見送ってくれているユリへ親交を深めるため食事への誘いを掛けるつもりでいた。

 でも、今日は使者の立場であり、そうすることが出来ない。

 真剣なまなざしの彼はユリからの見送りを受け、静かにアインズの宿泊部屋を後にする。

 王国戦士長はそのまま宮殿外へと出て、城内の別棟にある国王の執務室へと向かった。

 執務室の扉前に立つ衛士へ取り次いてもらい、大臣補佐に中へ通されたガゼフは机に座る王の前に跪く。

 

「おお、待っておったぞ、戦士長」

「国王陛下、旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)ゴウン氏に(くだん)の話を伝えて参りました」

「うむ。それで……上手くいったか?」

「はっ。戦いへの協力的な言葉を貰うことは出来ました。また、輿入れ金やエ・ランテルの収益分一部譲渡についてはとても感謝していました」

「おお、そうか……」

 

 ランポッサIII世は、民の為に嬉しくもあり、親としてそうでなくも有る。

 娘を他国の者に嫁がせるのは、やはり良い気分とは言えないのだ。

 

「ただゴウン殿はいくつか条件を出してきました」

「ふむ。どのようなものか?」

 

 こちらの出したかなりの好条件に対して何があるのかと、国王は僅かに怪訝さの混じる表情を作る。

 

「まずは、爵位についてですが、ゴウン殿は誰かの臣下にはなるのは己の主義に反するとして、辞退するとのこと」

「なんと」

「その代わりとして、領地をエ・ランテル近郊ではなく、割譲により独立自治領としてあのカルネ村を含むトブの大森林周辺と帝国との緩衝地帯が多くを占める辺境地域を希望しております」

「…………んー(独立自治領主か……帝国との国境近辺は何度も侵攻された危険地帯で耕作地としても使えず無いも同然。王国を救う対価としてくれてやるのは全然構わんが、しかしなぜだ)」

 

 国王としては、いささか解せない。

 領地と聞いた瞬間は、ゴウン氏がもっと収入の多い場所を要望してきたとばかり思ったのだ。

 エ・ランテル近郊は人口も収益も多い農作上地。

 それは娘のルトラーに金銭面で窮屈を感じさせる暮らしはさせられないという親心が満載されていた。

 対して、ゴウン氏の要望した領地は伯爵級としては平均の5倍以上となる型破りの1000平方キロ程度もあるが、ほとんどが長年緩衝地帯のため放置された荒れ地で、人口は大森林の近辺周辺へ僅かに3000人ぐらいしかいない。

 仮面の客人の年収としてはエ・ランテル分を除くと、金貨で1万枚あるかという低水準の下地だ。

 可愛い娘を送り出す親として大きく不安が募る。

 ただ、エ・ランテルの収益の一部譲渡分を増額すれば回避出来る問題に思えた。

 独立自治領については、該当地がすべて王家の領地であるので認めることは容易だ。

 そう判断し、国王はガゼフへ伝える。

 

「要望する領地と独立自治領の件については、難しい問題は無いぞ。定例の貴族会議で周知するだけで良いから認めても構わん。それだけか?」

「いえ。実はひとつ、ゴウン氏につきまして先にお伝えすべき事案があります」

「戦士長よ、それはなんだ?」

 

 ガゼフはランポッサIII世へとここで人払いを要望する。

 国王は大臣補佐や衛兵を執務室の外へと退出させ、ガゼフへ席の横まで近付くことを許した。

 戦士長は、陛下へと小声で告げる。

 

「では申し上げます。実はゴウン殿が王都への旅の途中に、貴族派のボウロロープ侯爵やリットン伯爵らに戦力として誘われたそうにございます。そして、表向きは話に乗った振りをして協力関係を築きつつあります。そうして向こう側の動きを私へと知らせてくれております」

「なんと……そうであったか」

「そのため、今表立った領地割譲や縁談は待ってほしいとの要望がありました。その期間として1年と」

「……あの客人は、1年でどうするつもりなのだ」

 

 国王は漠然ではあるも、大きな力を持つ人物の言葉を聞き1年後の王国の状況に不安を覚えた。

 それに対してガゼフが力強く明朗に答える。

 

「陛下。あの御仁は――我が方の味方です。心配はいりません」

「……ふむ。戦士長がそう言うのなら、私も信じよう。そうだな……そもそもゴウン殿を信じなければ、竜軍団と戦って王国が生き残る事は難しいのであったな」

「はい、その通りです」

 

 愛しい娘の未来の夫として義理の息子となるかもしれない人物でもあり、ランポッサIII世は頼りになる縁者として仮面の客人をこれまでの行動からも改めて信じることにした。

 ガゼフは、国王へと上申する。

 

「ゴウン殿は、領地の割譲並びにその独立自治権の承認と、大都市エ・ランテルからの収益の譲渡及び、ルトラー王女殿下との婚姻等について約定を頂きたいとのことでございます」

「分かった。収益からの毎年の譲渡額は金貨2万……いや3万枚として、直ちに約定書簡を作成しよう。誰かある!」

 

 国王ランポッサIII世は、大臣補佐らを呼んだ。

 想定ではゴウン氏の領地からとエ・ランテルからの収益譲渡金と合わせて年収15万枚以上だったが、経費等を考えれば余剰金は金貨2万枚程度であった。

 それが一気に金貨3万枚以上になったということである。

 ただ新領地は荒れ地しかなく、何もない辺境のド田舎ということであり、ルトラーを不憫に思った国王の気持ちであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 『黄金』こと第三王女のラナーは、昨晩のアインズとの密約の後、二人切りで話をした余韻が残る部屋の、奥にあるベッドにて久しぶりに安楽の睡眠を取り、今朝を特に気持ちよく迎えていた。

 いつも通り、使用人達により身支度の終わった朝の7時半には、忠犬の如く傍仕えしてくれる可愛いクライムが部屋へとやって来る。

 

「おはようございます、ラナー様」

「おはよう、クライム」

 

 ここ10年、いつもと変わることなく交わされる挨拶。

 以前は、がむしゃらに真摯のまなざしのみであったが、最近の一、二年は少年の視線も時折、王女のふくよかな胸元や瑞々しい唇などへと向けられ、その真面目ではある感情にも僅かに女性への関心が感じられた。

 しかしそれは、まだまだ初々しく幼い感じである。

 

 でもそこが可愛いのだ。

 

 そして――これを、グズグズに(ただ)れた愛欲の首輪の世界へいかに引きずり込んでいくのかも楽しみにしている。

 対して、大きい身体に高級の魔法装備と漆黒のローブを纏い、圧倒する巨大な力で大人の壮大なる駆け引きを楽しませてくれるアインズには、心の芯から熱いモノを感じてしまう。

 クライムとのピンク色に染まる夢を叶えつつ、絶対的力の下で仮面の魔法詠唱者の虜になるのも悪くないと口許がニヤけていく。

 全くタイプの違う感じの二人の男を、彼女はその身に咥えこもうとしていた……。

 そんな主の甘い表情に気が付いた、清々しさの漂う少年剣士が尋ねる。

 

「……? ラナー様、何かいいことでもありましたか?」

「そうね。とってもいい事かもしれないわ。でもひ・み・つです」

「は、はぁ」

 

 クライムをにこやかに揶揄(からか)いつつ、窓辺で紅茶を優雅に楽しむ王女様であった。

 今日もアインズに会いたいという気持ちもあるが、立場上理由も無く頻繁に会う訳にはいかない。

 ラナーとしてはもう情事面で噂が立っても構わないのだが……旅の客人である彼の居心地が悪くなってしまう事は容易に想像出来る。なのでここは我慢である。

 それでも十分心に余裕が持て、今日一日を通して気分よく過ごせたため、一昨日に引き続き姉のルトラーのいる夜中の浴場へと『黄金』の王女はやって来た。

 すると、広い浴場へ先客で使用人達といた姉のルトラーが声を掛けて来る。

 

「あら、ラナー。二回続けて夜に来るなんて珍しいですね?」

「ごきげんよう、ルトラー」

 

 2人とも王女であるため、自身の白く美しい身体を洗う事は無い。それぞれお付きの使用人の娘が丁寧に洗ってくれる。

 それが終ると、共に浅い湯船へ浸かる形になった。

 互いに背や、足を延ばして晴れ晴れとした極楽気分を満喫する。

 

 間もなく二人同時に気分よく――鼻歌が始まる……。

 

 それはすぐ同時に止まり、姉妹は互いの顔を見合わせた。

 

「(んっ)ラナー? ……あなた、何か良い事でもあったの?」

「(むっ)姉上こそ、鼻歌なんて。どうしたのです?」

「……えっと、ひ・み・つです」

 

 そう優しく妹へ告げ、頬を染めて微笑むルトラー。そこは双子姉妹らしい感じがした。

 ――夕方頃、ルトラーの下へ一人の使用人が国王からの書簡を持って現れる。

 その書簡には、「縁組について先方が“快く”承諾した。婚儀は1年後だ。ただし、これは先方の都合で当面内密にとのこと」と書かれていた。

 妹よりも豊かな胸の前に、指と指の間で手を組み合わせたルトラーは、目を静かに閉じ心を激しくときめかせて「あの真っ黒い衣装の方は、やっぱり運命の夫殿ですわ」と静かに喜んだ……。

 

 そんな事とは知らないラナーは尋ねる。

 残念ながら流石の彼女も、なぜか姉ルトラーの思考だけは余り読めなかったためだ。

 

「そういえば、ルトラー。先日、国の為に別の手を取ると言っていましたが?」

「……」

 

 ラナーは当然鋭い。今の王国に残っている手は限られている事も理解している。

 (えぐ)り込んでくる形で第三王女の質問が続く。

 

「ま、まさか、あの――旅の魔法詠唱者に関わることではっ!?」

「ごめんなさい、ラナー。今は何も告げることが出来ないの」

「……分かりましたわ、姉上。また今度」

 

 気分を一気に害したラナーは、立ち上がり湯船を出ると足早に浴場を去っていく。

 

(毎朝会っているバルブロの思考を読んだ方が早そうだわ。それで駄目なら、お父様ね)

 

 『黄金』の姫はそう考えた。

 ルトラーは、同じ母から生まれた唯一の(かぞく)である。そして――足が悪いという弱点を持つ。

 それだけにラナーは強く思っている。

 

 

 『胸が少しだけ大きいこの美人の姉にだけは、女として負けられない』と……。

 

 

 しかし、第三王女でも気付けない事実は勿論存在する。

 異形種という存在のアインズには、もはや足の有無など些細だという事にである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 少年姿の乙女、ニニャは明らかに不機嫌であった。

 

 それは日が昇ってから昼食を挟み、日が沈む前まで1日中歩き続けて疲れたからと言う訳ではない。

 ペテル・モークとルクルット・ボルブ、そしてダイン・ウッドワンダーはその理由を良く理解している。

 既に王都へ向けて冒険者の遠征が始まってはや丸4日。

 

 未だ――彼女の彼氏である愛しの戦士モモンが現れないのだ。

 

 昨晩の大都市エ・ぺスペルでは、宿屋の狭い浴室を借りてまでニニャは乙女らしく夜の誘いに備え、旅の垢を落として待っていたが何の音沙汰もなしという結果。

 確かにニニャ達が最低6時間程先行しているとは言え、あの屈強であるモモンとマーベロがこの程度の行程を苦にするはずもない。

 

 先程、ペテルらは小都市エ・リットルの城壁門を潜り、安めの宿屋を探し歩いて見つけた店へ入り少し落ち着いたところである。

 ニニャが女の子だと分かっていても、銀級冒険者チーム『漆黒の剣』は四人部屋を取っていた。これまでの対外的にという部分もある。彼女もそれでいいと伝えている。

 ペテルが上からそっと、部屋に二台ある向かいの二段ベッドの下段に腰掛けるニニャの表情を窺うと、口元が『むっ』とへの字になっていた……。

 リーダーは心の中で強く願う。

 

(モモンさん、早く来てください。このままでは竜軍団と戦う前にチームワークへ影響が出てしまいますから……)

 

 その悲壮的願いが天に通じたのであろうか、彼らが宿に入って一時間を過ぎた晩の7時頃。

 『漆黒の剣』が泊まっている宿屋を『漆黒』のモモン達が訪れる。

 当然、宝物成分を存分に充填し切ったパンドラズ・アクターも不可視化で後方に付き従っている。

 店の前の案内板に『漆黒の剣、宿泊』と書かれているので間違いないだろう。

 広域への探知能力のあるマーベロによって、正確で確実に都市内でその位置が特定されていた。『漆黒の剣』の彼等にはニニャの護衛として八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)が1体ついているのだ。

 二階に泊まっていた『漆黒の剣』の部屋を宿屋の厳つい髭ヅラの主人が訪れる。

 少し似た相貌のダインが開けた扉から、その野太い声が部屋中へ聞こえた。

 

「下に白金(プラチナ)級冒険者チームの『漆黒』という二人組の方々が来ているんだが?」

 

 宿屋の親仁にしても白金(プラチナ)級冒険者は随分上位の客であり、かなり丁寧といえる対応だ。

 「直ぐに行きます」とペテルはベッドの梯子を降りながら答えた。

 その時のニニャの変化は顕著であった。

 先程まで仏頂面で声も掛け辛い雰囲気であったのが、今見ると口元がニヘラとしている……。

 頬も僅かに赤くなっているようにも見えた。

 暗いながらも蝋燭で窓に映る表情を見て髪をちょこちょこと直したりなんかするのだ。

 

(分かり易いですねぇ)

 

 ペテルがルクルットを見ると『女の子はこんなもんだろ』という雰囲気に右掌を上に向け笑い顔を浮かべた。

 そうして『漆黒の剣』の4人は急ぎ、宿屋1階のカウンター前にある、幾つかテーブルと席は有るが狭いロビーへと降りて来る。

 その場にはこの安っぽい宿屋に全く似合わない、輝きからして立派である漆黒の全身鎧(フルプレート)に二本の長く分厚いグレートソードを背負い赤色のマントを翻す巨躯の戦士と、業物の紅い杖を持ち一目で高級と分かる純白のローブを纏い妖精を思わせる小柄の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が待っていた。

 

「こんな時間だし、少し遅くなってしまったかな」

「ど、どうも」

「いえいえ、会えて嬉しいです」

 

 モモンとマーベロの言葉に、リーダーのペテルはお約束ながら素直な言葉を返した。そしてまず浮かんだ疑問を伝える。

 

「それにしてもよくここが分かりましたね」

 

 小都市とは言え、このエ・リットルにある宿屋の数は二百軒を優に超えている。

 ニニャは昨日もだがモモンの来訪を信じているようであったが、ペテルとしてはハッキリ言って、都市の手前で出会えなければ現実的に考えて遭遇は難しいと思っていた。

 一応、お願いして店の前の案内板に『漆黒の剣、宿泊』と書いてもらってはいたのが、功を奏したと考えるのは当然であった。

 モモンもそれを示唆する。

 

「たまたま通りを歩いていて店の前の案内板に気付きました。それがなければ大変でしたね」

「あれって、ニニャの発案だったよな? やっぱ俺達って、モモンさん達と縁があるんだろうなー、はははっ」

「全くそうであるっ! わはははーーっ」

「私もモモンさん達とは縁があるんだと思ってます。ふふふふっ」

 

 偶然にしては出来過ぎているが、笑いと笑顔を浮かべるニニャはそれを乙女的に運命として捉えていた。

 この再会自体は作られたものだが、ニニャの姉のツアレにしろ『漆黒の剣』との初めての出会いも完全に偶然で出会ったことから、モモンも否定する気は全くない。

 

「俺もそうかなと思います。ふははっ」

「そ、そうですね」

 

 マーベロも場の空気とモモンに合わせる形で相槌を打った。

 皆から自然に笑いが起きる中、ここで立ち話もなんだという事で外へ繰り出す。

 そうして適当に見つけた飲食店へ入り、またもやモモンの驕りでの大食事会となった。

 モモンの右横へマーベロ、そして左横にはニニャが座った。

 ニニャは、かなりモモンへと寄り添った感じだ。

 早く二人きりでという思いもあるが、ここは慣れない都市の中であり、気弱いはずの美人のマーベロを一人にしてしまうという部分もある。

 また場の流れという事もあるし、そしてなにより皆で食事をするのは楽しいものである。

 遠征はまだ続くし、今は好きな人のすぐ横に居れる事で、後でいいかなとニニャは思った。

 テーブルへ所狭しと並べられた料金が高めの料理の数々を前にし、景気よくルクルットとダインの声が場を盛り上げる。

 

「さあ、今夜も飲むぞ、食うぞぉー」

「そうであるっ!」

 

 エ・ランテルで最強だと思っている冒険者チームと合流出来た事で、彼等のテンションがいつも通りに戻っていた。

 それに対してニニャが呆れ、ペテルが申し訳なさそうに兜を外したモモンへ詫びた。

 

「もー、君達は」

「みんな、さっき晩御飯食べたばかりですよね? ……いつも悪いですねモモンさん」

「いや、全然構いませんよ。どんどん飲んでバリバリ食べましょう」

 

 モモンとしては、どれだけ彼らが飲み食いしても銀貨3枚程度なので全く心配していない。 それからの2時間と少し、冒険者達は悪くない時間を過ごした。

 歓談の中でモモンは、今日まで追いつけなかった理由をルクルットに「なにか事件とかあったりとかして?」と聞かれた。

 それに対し漆黒の戦士は、あの『竜王国からの救援要請』の事実をまだここだけの話として伝える。

 すでに、エ・ランテルの冒険者組合には駆け込まれている話であり、隠す必要は全然ないのだが『追いつけなかった理由』としての重み付けであった。

 ペテル達も人類の住む竜王国の存在は当然知っていて、ビーストマンの被害も長年であるため、商人経由でこの王国へも時期は遅れてだが惨状は時折伝わってきている。

 だが、ビーストマンの国からの『本格的な侵略を受けてヤバイらしい』という定かでない噂が入ってきたところであり、まさか東の3都市が既に絶対防衛戦状態になっている程深刻だという事を初めて聞くことになった。

 竜王国が滅亡すればカッツェ平野があるとは言え、ビーストマンの国の勢力がリ・エスティーゼ王国へ一歩近付いて来ることになり、常時不気味といえる状況になる。

 

「――それを使者から依頼として聞いていた事で遅れることになったんだ。なので、この事は王都で組合長に話す事になるかなと」

 

 モモン達の遅れた話のはずが、小国とはいえ一つの国の滅亡に関する話を聞くという、スケールの大きさに少しの間『漆黒の剣』のメンバー達は神妙な表情になった。

 

「そうですか」

「そりゃあ、モモンさん達も遅れるよな……」

「向こうの異国も大変であるなっ!」

「…………遅れ……ますよね」

 

 ニニャとしては、少し会えないだけで不機嫌になっていたことが恥ずかしいという気すらしていた。

 モモンがそれほど大きい話に関わっていた時に、個人のことでの短慮という対照的な貧相さに下を向いてしまう。

 すでに遅れた事がどうこうという水準を完全に超えていた。

 

(やっぱり、モモンさん達は凄い。これは品位なく弱そうに見える者へは絶対に直接されない依頼だ。これほど偉大な人達に、私も僅かでも近付いていかないと……置いていかれてしまう。それにしても――)

 

 彼女は、その竜王国の使者が、人を見る良い目を持っているのだなと思った――。

 

 食事会の後半の話題は、明日の王都到着である。

 すでに、王都に近い都市から続々と上位の冒険者達が集結していると推測され、他の都市の有名どころの噂が語られる。その輪の中に自分達のチームも入って行き、いよいよ壮絶だろう戦いが組織的に動き出すんだという気分高揚する話が続いた。

 モモンは、今日も王城で客人のアインズとして、廊下を忙しそうに移動していたガゼフに会っており、冒険者達の集結状況は少し聞いていた。

 その最終総数は、3000名を超える見込みで、金級以上の冒険者らは王都の商業組合と掛け合い、宿屋達で優先的に収容してもらうことになっている。連絡網も騎馬兵を使い定例便や緊急便を用意。

 銀級の冒険者については一部が収容しきれず王都内の軍駐留地に宿舎を確保しているとのことだ。

 それらについては一切ここで話すことは出来ないが、モモンとマーベロの二人も想像として「落ち着ける寝床だといいけど」や「し、食事なんかどうなのかな……」などと話に加わっていた。

 

 『漆黒』のモモン達は、午後の9時15分を回った頃に食事会を終え、『漆黒の剣』のメンバー達と店の前に出て来ていた。

 漆黒の戦士としては、このあとのニニャの出方に注目していたが、彼女はあっさりと「また明日、一緒に」と笑顔で手を振りながら仲間達と帰って行く。

 

(……ふう、今日はなんとか助かったのかな……)

 

 そういった気持ちのモモンは、覚悟していた。

 前回、エ・ランテル内の空樽置き場脇の小屋で、ニニャにより男女の仲を熱く迫られ絶体絶命の状況を迎えていたためである。だから流石に次回はニニャとの関係から逃れられないと考えた。

 それを思い出しモモンは思い切った対策に動き出していた。

 結果、マーレに一応冒険者の準備をさせていたが夕刻まででは時間が足らず、丸一日『漆黒の剣』との合流を遅らせている。

 アインズは先のナザリックの滞在時、アルベドとの小都市の打ち合わせを終えた後で図書館へ行き、仲間達と残してきた膨大にある書庫内の資料から、幻影の拡張や〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉等に関する高度な資料や前例を集めると、途中王城でガゼフとの面会を挟みつつ、第十階層の自室に延べ19時間以上籠って対策を練ってきていた。

 

 

 それにより――オリジナルの骨格体の上に人間の肉体風に見える上位の幻影とスキンを応用搭載した上で、漆黒の戦士姿の〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉において、各装着段階を分類、其々レイヤー化し、全身鎧やその下の着衣の個々の付け外しまでを可能に出来る段階まで到達したのである。

 これにかなり近い処理をパンドラズ・アクターも行っている。

 

 

 しかし、見た目を改善したのみであり、熱い男女の行為が出来る訳では無かった。

 実体のある幻影の身体で多少触れ合うことは可能であるため、裸体状態での添い寝ぐらいまでは可能だが、そこまででどう勝負するかにステージが移った程度のこと。

 これはクレマンティーヌに対しても同様である……。

 とは言え、支配者は今日を無事に凌げて良かったのだと考えを前向きにし、マーベロと仲睦まじく手を繋ぐと宿へと引き上げて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 エ・ランテルからの遠征者達にとって、翌日の朝は皆早かった。

 王国最大の都市である王都への到着を待ち切れないという思いが、彼らの目を覚まさせる。

 ここ小都市エ・リットルの空模様は曇天であった。

 しかし、十分明るくなった午前6時前頃には、エ・ランテル冒険者組合王都遠征隊を率いるプルトン・アインザックとテオ・ラケシルを先頭に行軍が始まっていた。

 整備されている幅広い王都へと続く街道を、左側へ寄る形で行進する。

 ペテルら銀級冒険者の『漆黒の剣』が隊列の前方へ出ることは出来ないため、白金級の『漆黒』のモモン達が後方へ下がって来る形で並んで街道をゆく。

 そうしてニニャはモモンと仲良く並んで行軍を続け、王都リ・エスティーゼの外周壁にある巨大で立派にそびえ立つ南東門を午後の2時過ぎ頃に潜った。

 王都の空は雲が適度に間引かれたみたいで、夏の太陽の光差す明るい情景がどこまでも広がって続く。

 沿道には市民達が到着を歓迎してくれており、時折両側に建ち並ぶ高階層の建物から舞う紙吹雪に、ニニャはちょっと結婚式での新郎新婦のような雰囲気も感じ、純に乙女心が熱く温まっていた。

 そんな穏やかな雰囲気であったが、間もなく終わる。

 

 王都の地理にも結構明るい歴戦のアインザックは、門から1キロ程入った所で、広めの公園風で水飲み場のある広場へと隊列を導き入っていく。

 本日到着したこれに連なるエ・ランテルの遠征隊は400名程であり、馬車が数台あるとは言え全体が揃うのにそれほど広い場所は必要としない。

 先頭が到着してから後続が揃うまで15分程小休憩となる。

 その間、冒険者組合長と魔術師組合長は、外壁門に常駐し急ぎやって来た王都の冒険者組合関係者と今後についての話を持った。

 そこでこれからいかに部隊を編成するかがエ・ランテル側の組合長らへ告げられる。

 アインザックは話に頷くと、その為の現在の参加予定の組合員情報を手渡し、代わりに地図の書かれた羊皮紙の束を貰うなどの対応に当たった。

 そうして小休憩が終わる頃。

 揃った皆を前に、馬へ騎乗するアインザックは〈飛行(フライ)〉で空中に静止したラケシルを横に従え、遠征隊全体を一度見回すと静かに話し出す。

 

「皆、私の言葉に傾注して欲しい。まず皆が無事に到着してくれた事に感謝する。ここから全てが始まるのだ。これより我ら全国から集まった冒険者達はこの王都でリ・エスティーゼ王国の旗の下一つとなる。そのために我々は現階級に寄って分けられ、部隊編成されることが決まっている。諸君達はこれより王都冒険者組合の指示により、チーム単位で数チームの纏まった部隊に配置され、その部隊長や部隊の一員となる。初顔と組む不満も出てくるだろうが、エ・ランテルの為と思って今は耐え協力し合って戦って欲しい。共通の敵が竜軍団だという事を決して忘れないでもらいたい!」

 

 アインザックの強い呼びかけに、「おおーーっ!」や「了解!」「分かりやしたー!」などの元気ある声が上がった。

 頷きつつその声が鎮まるのを待ち、組合長が再び指示を出す。

 

「さて、この後は各々階級ごとに指定の宿舎へと移動してもらう。各チームリーダーがラケシルの所で確認するように。今後何かあれば王都の冒険者組合へ来て欲しい。私とラケシルはそこを拠点にする。なお、王都到着の点呼は3日後の午前9時から午後5時までのこの広場だということを忘れないでもらいたい。理由なき遅延は厳しいペナルティーが科せられるので注意せよ。……今日のところはこれで解散だが、白金級以上のチームは少しこの場へ残って欲しい。では3日後にまた会おう」

 

 そんなアインザックの言葉で終ると、各チームのリーダーがラケシルの下へ列を作り並ぶ。

 魔術師組合長からは各リーダー達へ、冒険者階級及びチーム人数に加え宿屋の名と場所がチェックされている王都の簡易地図が渡された。

 それを受け取ったチームから徐々にこの広場を後にする。

 モモンは白金級のためにこの場へ残る事もあり、ラケシルの列が少なくなるまで待っていたが、ペテルは直ぐに並び2分ほどで戻って来る。

 彼はモモン達にその地図を見せてくれた。宿は王都の西側のようで、ここから4キロ程離れている。少し遠めだ。

 そうして『漆黒の剣』のメンバーは、ペテルの「では、私達はここら辺で」という言葉でモモンとマーベロから離れて行こうとする。

 今日もニニャからの誘いは無く、助かりそうである。

 しかし、アインズはこの時に思った。それは計算高いとはとても言えない感情。

 

 

(――本当に、これでいいのかな?)

 

 

 選択肢として『ニニャへ手を出さない』というのは安全ではあるだろう。

 ツアレの妹ということで、事無く縁を切らさないようにしなければいけない部分もある。

 だけど『そうじゃないだろう』という鈴木悟の思いが残されていた。

 歴戦の勇士、漆黒の戦士モモンという漢の虚像はこういうヤツなのかと。

 ニニャの前で、狂猫のようなワーカー(仮)のクレマンティーヌすら子猫の様に連夜侍らせる、プレイボーイでリア充のモモンではなかっただろうかと。

 あの時は都合よくそういう振りをしながら、今都合が悪くなると態度が変わるなど……ただのヘタレた童貞である。

 

 

 

 そんな男は断じて『冒険者モモン』ではないっ!

 

 

 

 裏ではともかく表で逡巡があってはならないのだ。

 漆黒の戦士は、自分の『彼女』へと優しく声を掛ける。

 

「ニニャ。明日、一緒にこの王都を見て回らないか? 迎えに行くから」

 

 その行為は完全に火中の栗を拾いに行っていたが不思議と後悔はなかった。

 対して、好きな彼氏の掛けてくれた声に、歩き始めていたニニャが即反応し歩を止める。そしてゆっくりと振り返る。

 彼女の瞳は潤んでいた。

 

(昨日といい、モモンさんからどうして声を掛けてくれないんだろうって思ってた。……私じゃダメなんですか……って。あの少し男好きそうで怖い女の人みたいに胸は大きくないし……でも――マーベロさんも小さいですよねっ)

 

 ニニャは真剣に悩んでいたのだ。

 自分よりも年上のはずの小柄で褐色肌の同志の存在は心強いが、向こうは数段美人であったから。

 なので乙女として不安が静かに膨れ上がってきていた。

 でも、そんなことはなかったと嬉しく感じている。

 彼女の横ではルクルット達が、ニニャから見えないようにモモンへ向けて、グッジョブと親指を立てていた……。

 ニニャは力強くモモンへと返事を返す。

 

 

「あ、はいっ。一緒に見て回りたいですっ」

 

 

 ――ただ一人、マーベロだけがモモンの横で、可愛い唇を歪めて面白くないという顔をしていた。

 

 

 

 王都観光の約束をニニャと交わしたモモンであるが、この直後に後方で「地図がまだの者は?」と声が掛かりラケシルの所へ地図を取りに行き帰って来ると……ペテル達三人が当日マーベロと食事やお茶に行くとか何とか適当に理由を作り、ニニャと二人きりの完全にデートとなってしまう。

 ただ、マーベロが「モモンさんがそうしたいというなら」と条件を付けたが。

 モモンもここまで来た以上、マーベロへ「少しニニャとの時間をもらえるかな」と告げる。

 マーベロとしては、主の意志を汲むしかない。

 きっとどこかでナザリックの為にも必要なことなのだろうと……。

 

「わ、分かりました」

 

 モモンのパートナーの許しを得て、晴れてデート話は完全に纏まる。

 明日の午前11時にモモンがマーベロを連れてニニャを迎えに『漆黒の剣』の宿屋まで行き、午後3時までマーベロはペテル達と共に別行動の予定となった。

 これは以前のモンスター狩りで、支援ポジションをニニャとマーベロで入れ替わった時と同じ形だ。

 なので、マーベロとしても慣れのある状況とはいえる。

 そこまで固まると、漸く『漆黒の剣』のメンバーはこの広場を去って行った。

 時間的には5分程度の事である。

 

 そして――この広場には組合長の言葉に従い十数組のチームが残っていた。

 エ・ランテルにおける最精鋭達。ミスリル級冒険者チームと白金(プラチナ)級冒険者チームだ。

 アインザックは単刀直入に話を切り出した。

 

「隠しても仕方がないので、率直にみんなの意見を聞きたいと思い集まってもらった。我々王国側の作戦は間引きの形を取るようだ。敵の竜王は強大であり、アダマンタイト級の“蒼の薔薇”が釣り出しを受け持つそうだ」

「「「おおーーーっ」」」

 

 流石に『蒼の薔薇』は有名である。

 モモンとしては『アインズ・ウール・ゴウン』もこれぐらいの名声を早く得たいところだ。

 アインザックは、僅かに難しい顔をして続きを語る。

 

「竜軍団には竜王の副官で百竜長として相当強い個体が数体いるらしく、アダマンタイト級の“朱の雫”と全国から集まったオリハルコン級の冒険者チームがこれの確実な殲滅に当たる。ミスリル級以下は十竜長等の下位指揮官と竜兵らを掃討する予定ということだ」

 

 集まった者達からは「これは行けそうだな」「凄い闘いだぞ」などの小声が漏れている。

 しかし、オリハルコン級冒険者アインザックの次の言葉に、場が沈黙する。

 

「知っての通り今、私とラケシルでオリハルコン級冒険者チームとなっているが、二人では難しいところがある。そこで――どこかのチームに手伝って欲しいのだ。希望する隊はあるか?」

 

 その瞬間、囁き声は一切なくなった。

 僅かでも声を上げれば指名されると恐れるように。

 そして皆が、互いや周囲へ探るように視線を目まぐるしく移していく。

 目の前の冒険者達の多くは、最下層の竜兵という相手ですら強い恐怖心を感じている。それを率いる指揮官でも更に上位級となればまさに化け物だろう。

 冒険者の誇りはあるが、ミスリル級ですら実践出来ることと難しい事は明確に存在する。

 難度が60を超えてくると戦いに因る死亡リスクがグンと上がる。白金級だとそれよりずっと下で命の危険と隣り合う事になる。

 竜軍団で百竜長に選ばれる者となると、難度で100を軽く超える水準のはず。

 アインザック達なら動きが見えるだろうし、直接攻撃にも耐えられるかもしれないが、ミスリル級()()だと一撃で即死する水準と思われる。

 幾ら組合長からの声掛けといえども、昇級に近付くチャンスであっても、イグヴァルジすら二の足を踏んでいた。

 周りが沈黙すること1分余だが、皆が10分にも感じた。

 明らかに自主的な形で手を上げる者はいないという事がハッキリした時間であった。

 だがこれは、アインザックによって不意に計画された事である。

 これでミスリル級の者を差し置いて、白金級の者が選ばれても文句は言わさないというお膳立てであった。

 そして、アインザックが真っ先にある者へと声を掛ける。

 

「―――モモンくん。君のチームはどうかね? そちらも二人だと思うし、どうだろうか」

 

 その答えに、他の十数組の冒険者チームの面々が傾注した。

 モモンは――平然と即答する。

 

「別に構いませんけど。お役に立てるよう頑張りましょう」

 

 モモンとしては本当は用事があるため断りたかった。

 しかし、ここで断るという事は『怖じ気付いた』という噂しか残らない。

 それだけは避ける必要があった。

 ここはアインザックが交渉上手というべきだろう。

 それに、竜王国の件もあり、ここで協力するメリットは十分有るように思える。

 だが周囲からは「受けるとか……正気か?」「マジかよ……」と驚きの声が漏れていた。

 常識的に考えればありえない。自殺行為といっていい選択なのだ。

 リスクヘッジが全く出来ていないと。

 アインザックは呆れる様に「ふっ」と笑いの小声を漏らすとモモンへと声を掛ける。

 

「本当にいいのかね?」

 

 それは今ならまだ引っ込められるぞという感じの確認であった。

 モモンは周囲の先輩や上位チームから反感を買わないようにと考えて答える。

 

「今は兎に角、どこかで各自が最善を尽くすしかありませんから。それで命を落とそうとも」

 

 その謙虚の中にある自信を感じる答えにラケシルも「良い覚悟だ」と頷いた。

 モモンの、上位者を下に見る形の内容や強気の言葉では無く、割と共感出来る言葉を残したことで荒れることなく収まった感じになる。

 そう周囲の空気を読むとアインザックは『漆黒』チーム以外の「解散」を告げた。

 ミスリル級らの馬車や白金級の十数組の冒険者チームが広場から去っていく。

 最後に残ったのは、アインザックにラケシル、そしてモモンとマーベロの4名。

 ラケシルがモモンへと伝える。

 

「しばらくは先程渡した地図の宿屋に泊まっていてくれ」

「分かりました」

 

 アインザックは先程のやり取りを思い出し語り掛けてくる。

 

「しかし――やはり君達は度胸があるな。貫録はもうオリハルコン級だ」

「先程の言葉通りですよ。今は皆でやるだけかなと」

 

 そんな返事を返したモモンの兜のスリットへ、アインザックの視線が鋭く流れ込む。

 

「……まあそういう事にしておこうか。とりあえず、一度君達の実力を見ておきたいが、ここは一般の公共の広場だ。暴れる訳にはいかん。軍関係の場所を借りて明日にでも宿へ知らせを向かわせる。その場所へ来てくれ。それまでは自由にしてもらって結構だ」

「分かりました。あー、すみません。明日は約束があって夕方前までは宿に居ないんですが」

「そうか……分かった。では、夕方頃に調整しておくよ」

「よろしくです。それでは失礼します」

「し、失礼します」

 

 そう言って『漆黒』のモモン達は颯爽と公園を後にする。

 

 

 

 時刻は午後の4時に近かった。

 モモン達の宿屋は、王都の中央交差点広場から歩いて7分程の所に建つ、5階建てで木材部分がブラウンに彩色されたまずまずの宿屋である。

 アインズにすれば、なにげに王都での3か所目の拠点だ。

 白金(プラチナ)級と言えば冒険者の上位者であり、今回の大戦では戦力としての期待から十分に待遇が考えられている様子。

 部屋は4階で20平方メートルほどはある。ベッドは窓際に2つ。大きな東向きの窓から光が入り白い壁に室内は明るい。収納や小さめのテーブルに椅子もあり落ち着いた感じだ。

 しかし……マーベロの様子が微妙である。

 手をしっかり繋いでここまで来たのだが、それでは足らない模様。

 モモンはベッドの端に腰掛けると、優しくオッドアイの闇妖精(ダークエルフ)に聞いてみた。

 

「どうしたの、マーベロ。ニニャへの対応はまずかったかな?」

「い、いえ……その……あの……少し羨ましくて」

 

 純白のローブを外し、いつもの白いプリーツのスカートを僅かに揺らすマーベロは、モモンの傍へ両手を胸の前で握り静かに上目遣いでオドオドと佇む。

 見慣れるも可愛い姿だ。

 モモンは彼女のサラサラで金色の髪をそっと撫でてやる。

 

「ニニャには、あのクレマンティーヌといるところを見られているし、モモンという人物像()を維持する必要があると思ったんだ。マーベロを蔑ろにしたわけじゃないから」

「は、はいっ」

 

 モモンガ様のナデナデで、ほにゃぁと表情が戻り、すっかり機嫌を回復する。

 と、ここでアインズは、マーレのすぐ右横へと目線を移す。

 一般人には透明に見えているが、そこには――不可視化中で軍服姿のパンドラズ・アクターが立ってこちらを見ていた。

 

(な、なんだ……よ?)

 

 パンドラズ・アクターは、先程まで壁際に立っていたが、アインズがマーレを撫で始めると彼女の横へと寄って来たのだ。

 

(……コイツ、マーレを撫でた事に……不満でもあるのかな?)

 

 昨今、ナザリックや王城などアインズ周辺で自身の妃の話が出ている。

 なので、他の男性守護者達に恋の話があってもおかしくはない。

 そもそも、アインズは例外を認めるつもりでいる。それはナザリック内の者同士での恋愛についても同様であった。

 

「どうした?」

 

 主語はなく、マーレにも分かるように目線だけはパンドラズ・アクターを捉え尋ねる。

 すると……アインズ達へ小声が微かに届いて来る。

 

「はっ。我が創造主様におかれましては、階層守護者の方やプレアデス達等へお褒めの言葉に続き度々“ねぎらい”があるように感じておりますっ。先日、私は竜王国へ調査へと赴きました。そして、“ご苦労”というありがたきお言葉を頂きました。しかし――まだ“ねぎらい”を頂いておりませんっ。いつ頂けるのかと……」

 

 モモン姿のアインズは一瞬首を傾げる。お前は何が言いたいんだと。

 すでに、宝物殿から特別に軍服の彼の自室へ、お手頃の宝物を貸し出している形で働きへの褒美は示したつもりである。

 

「……お前はあれでは不足だ、と?」

 

 すると、ここでユグドラシルでは男の子だった経験を持つマーレが助言を伝えてくる。

 

「あ、あの、もしかすると――頭を撫でて欲しいのかなと?」

「……(な、ん、だ、と)……」

 

 支配者は、心へと生暖かい衝撃を受ける。

 アインズの頭蓋の眉間には見えない縦皺が発生していた。同時に皺を指で摘まみたいとも思った。

 そもそも撫では対象が子供や女の子だから自然に行っている話で、野郎では全く絵にもならない。

 しかし――パンドラズ・アクターの暗黒の黒丸が3つ並ぶ形の表情は変わらないが、軍帽を被る頭はコクコクとマーレの言に同意して動いていた……。

 その様子にアインズの兜首はガックリとうなだれる。そしてコイコイと右手で招く。

 招かれる形でパンドラズ・アクターが御方の傍に来て跪いた。

 アインズはその頭を――ガントレットの大きい手で軍帽ごとワシ掴む。

 更に顔を寄せると小声で囁いた。

 

「……(なぁ、お前。子供じゃないだろ? 少しは弁えろよな)」

「……(し、しかし、私は創造主様に造って頂いた身。子供の様なものではないですかっ!)」

 

 その訴える内容に支配者の言葉が詰まる。

 

「――っ(確かに俺はマーレ達守護者やNPCらをギルドの仲間達の子供の様に思って慈しんでいる。だったら……パンドラズ・アクターについても認めるべきじゃないのか――)」

 

 我が子に諭された親の気持ちというのは、こういう思いなのかもしれない。

 アインズは鷲掴んでいた手をパンドラズ・アクターの頭から放すと――ポンポンポンポンと軽く軍帽の上から優しく叩いてやる。

 

「お前は、あの仕事を良くやった。流石は私の生み出した者だな」

「っ! ありがとうございますっ。今後、更に創造主様のため、身をこ――」

「――長い話はもういいぞ。下がってよい」

「あ、――はい」

 

 満足したパンドラズ・アクターは、音も無く速やかに壁へと戻り定位置に立つ。

 この後モモン達は、明日の準備と周囲への顔見せに外へと出かけ食事などを済ませ午後5時半頃に宿まで帰って来ると、アインズは替え玉のモモン役のパンドラズ・アクターと代わり、王城へと移動した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインズがここ王城へ向かったのには理由があった。

 実は今晩、第二回目となる八本指側上位戦力の面々との深夜会談が行われる予定なのだ。

 リットン伯爵からの空脅し的内容の書簡が、またアインズの下へ届いていた。

 一回目の会合が不調に終わったと聞いた反国王派盟主のボウロロープ侯爵は、当然の如く激怒。

 

「何をしているんだっ、早く奴らを動かせっ!」

 

 反国王派盟主と言えども本拠地の大都市リ・ボウロロールが廃墟となれば、経済力の大部分と共にこれまでの発言力も失い、痛手は計り知れなかった。ここは必死にもなるというもの。

 深夜会談の翌日から、リットン伯爵へ強く裏の対竜軍団戦力への対応催促が始まった。

 そのため伯爵は堪らず、猛烈に八本指側へ幾つかの大商会の伝手も使い再度の会合開催を打診した模様。

 しかし、すでにアインズの側へ上位戦力が付いてしまった八本指は、王国六大貴族であるリットン伯爵の話を仲介の系列商人達から聞きつつも少しずつ長引かせる。

 初めから直接アインズ一行だけに指示が来ていれば、遅延させるのは結構難しい話であったが、規模の大きい地下組織である八本指が入ったことでそれが容易になっていた。

 そうして、4日後となった今晩に漸く二回目の会談が再び開かれることになったのだ。

 そのため前回同様、アインズ達は事前に大臣補佐へ王城外で外泊するという予定を伝え、王城からルベドやツアレ達全員を連れて、いつもの八足馬(スレイプニール)が牽引する美しい漆黒の馬車で午後5時45分頃に出立する。

 途中で上流階級向けの洋服仕立て屋へ寄った後、ゴウン屋敷へと移った。

 なおヴァランシア宮殿の滞在部屋へはお留守番として、ナザリックより隠密行動に長けた盗賊娘のフランチェスカを出張させ残している。

 またルプスレギナは、アインズの命で未だナザリックの外で活動中である……。

 

 

「「「お帰りなさいませ、ご主人様っ!」」」

 

 ゴウン屋敷のロータリーを臨む玄関前へ、ここを預かる黒紅色の可愛いメイド服姿のリッセンバッハ三姉妹――長姉メイベラに次女マーリンと三女キャロルが元気に出迎え、若々しく張りの有る挨拶の声が響いた。

 漆黒の馬車を降りた英雄の貫録漂う仮面姿のアインズは、彼女達へと視線を送り「屋敷の管理、ご苦労」とその働きへ労いの言葉を掛けつつプレアデス達らと屋敷の中へ入って行く。

 

(((……ご主人様ぁ)))

 

 支配者は、三姉妹其々の瞳が前回と違い、僅かに熱く(うる)()であることには気付いていない。

 そんな姉妹達もそれからの1時間半程、主人との再会に浸る時間は多忙のため数分となかった。

 アインズ一行がゴウン屋敷へ入ったのは既に午後7時前であり、今から晩餐の用意を大急ぎで行うことになったのだ。

 その前にもう日が沈み暗い中、蝋燭の明かりの下、まず八足馬(スレイプニール)達と漆黒の馬車を厩舎等へ収容し、馬車から多くの食材を運ばなければならなかった。

 主らへの飲み物については、ツアレがこの合間に2階の居間へ運んでいる。

 そして家事室に戻ったマーリンら三姉妹達は、ユリからの切れ目のない手際のよい指示を受け、ツアレと共に調理に入っていく。

 午後八時を過ぎたころに、家事室と隣接する食堂で主達の晩餐が始まり、メイベラと姉妹は給仕や出来立ての料理の盛り付けと皿の出し入れに忙しくも、やりがいを持って楽しく働いた――。

 

 主人達の晩餐が終り片付くと、今回も彼女達に『まかない』としてご馳走が振る舞われた。

 三姉妹は一度夕食を済ませていたが、忙しく働いた後でもあり偉大な主人へと真摯に感謝しつつ、ユリやツアレ達と夜食的ではあったが優雅に食事を美味しく頂いた。

 午後の9時半頃になって漸く屋敷メイドらの仕事が一段落する。

 

 晩餐以外のそれまでの時間、主人のアインズは2階居間のソファーに座り、直近の『至宝の奪取』、『王国への協力』、『アインザックへの協力』、『八本指との共闘』、『クレマンティーヌの兄の抹殺』等について並行的に『名声』に繋がる最高の状況を思案していた……。

 替え玉の手はあるが、どの時点で任せるべきか、または完全に任せてしまえるものはあるのかを慎重に判断していく。

 静かに悩める主へ対し――ルベドやソリュシャンとシズは、新調中のドレスの話で持ち切りである……。

 

「出来上がるのが楽しみ」

「アインズ様とまた是非踊ってみたいですわ」

「……今度は……私の番」

 

 

 屋敷に来る前に寄ったのは、大通りに出店している上流階級向けの有名で大きな洋服店だ。

 入店時は大柄で仮面を付けた人物の登場と、続く超美人集団の存在に唖然とされた。しかし、王家からの紹介状を貰ってきていたアインズ一行は一転、最高クラスの上客待遇を受ける。

 連れ達を待つ仮面の客人にはサロンでお茶が出され、乙女達へは選りすぐられた店員らにより、生地の選定やデザイン、更に付ける装飾品までが提案される。そして各自の身体の採寸が行われた。

 御方からの指示でユリが生地他、値段については問わないがなるべく上等で丈夫である物をと注文する。それでも出来上がった後に、ナザリック側で強化は必要であろうと思われた。

 あとここで、ルベドに関しては問題があった。

 彼女は不可視化しているがモフモフで美しい翼があるのだ。

 そのため『身内以外に触れられるのがダメな子』としてユリが代わりに採寸する。デザインも背中側が大きく露出したセクシーな形のものになる予定だ。

 また、ナーベラルの分とエントマの分も体形の近いソリュシャンとシズを参考にしてユリにより注文された。

 使用人的立場のツアレは遠慮気味であったが、アインズの「遠慮するな」という言葉により、プレアデス達と同等の水準で注文されている。

 それは、ユグドラシル製の服に比べれば、ここの物はすべてに数段落ちている物であるからだ。

 でも、その(はか)らいにツアレが感激したことは言うまでもない。

 

「私などには勿体ないかも」

「ツアレも頑張っていますから、きっとそのご褒美なのです。アインズ様はお優しいですから」

「はい……」

 

 その時のユリの言葉にツアレは笑顔で頷き、サロンの椅子で肘を突き壁の風景画を見ながら座る主へと新たに熱い視線を向けていた――。

 

 

 ゴウン屋敷の居間にて色々模索するアインズの思考に、ふと国王からの書簡の内容が浮かんだ。

 今のところ、例のルトラーとの婚姻の件について、幸いなことにナザリック内では『王国からの貢ぎ物の娘が来るかも?』という扱いなので大きく問題にはなっておらず落ち着いている。

 先日より、ルトラー王女はラナー王女と共にアインズの保護対象として加入済である。

 それはナザリック内において個体としての尊厳もある程度認められたことを意味し、婚姻が成立すれば『妃』として認められる可能性が存在するのだ。

 なので、アルベドやシャルティア達がここまで押し寄せて来るのではとの考えも僅かにあった。

 しかし一年先という期間や極秘約定という名の空手形の可能性もあるため、彼女達も今騒ぐわけにもいかないという部分に助けられている模様。

 その約定の書簡については今朝、替え玉であるナーベラルの下へ、正装姿の大臣代行が大臣補佐や使用人十数名を引き連れて現れていた。

 書簡と共に、手付金として本気度満載の金貨5万枚も添えられている……。

 金貨の詰まった革袋は山となり、床が抜けそうに思える程の重量で(ドラゴン)を討つよりも遥かに多い金額であった。

 それはまさに――上位貴族と冒険者達との身分の格差の表れだ。

 アインズにしてみれば、金貨と領地は王国を助ける報酬として貰うはずのものであり想定内の事と言える。

 しかしここで……大臣代行の言葉だというナーベラルからの伝言内容を思い出した。

 

『第二王女が、非公式ながら一度きちんと会いたいとのこと――』

 

 アインズ自身は正直ものすごく忙しいのだが、いつも宮殿にいる『彼』は概ねヒマなのだ。

 そのため断れず、ナーベラルは「希望の時間を知らせてもらえますか。調整します」とその場での決定を回避することしか出来なかった。

 

(……ラナーの姉である上に、交渉で自分自身の身を上賭け(レイズ)してくるヤツは相当不気味なんだけどなぁ……)

 

 アインズはまずそう考えていた。

 兎に角、連絡はまだ来ておらず、結局出たとこ勝負になりそうだと考えていると、居間の扉が叩かれる。

 ソリュシャンによって扉が開けられると、黒髪のユリを先頭に金髪のツアレに続き元気に黒赤毛髪のツインテールが踊るキャロル、飲み物をトレーに乗せて運ぶ眼鏡の似合う一本おさげのマーリン、肩程で揃えたストレートの髪を揺らすメイベラ達が静々と入って来た。

 ソリュシャン達も含めて、メイドがたった一部屋にこれだけ集結するのは異様にも思える光景なのだが……皆、主人の顔を見たかったのだ。

 アインズは、屋敷への到着が遅かったため準備が大変だったと思われるユリやメイベラ達に声を掛ける。

 ただし当然の仕事を熟したことを褒めても、恐縮するだけだと思い違う言葉を向けた。

 

「メイベラ達姉妹は、王都の名所を見て回ったことはまだないはずだな?」

「はい、ご主人様」

 

 メイベラは先日、アインズへ悲惨であった商人のリッセンバッハ家や両親の話もしており、王都へも無理やり連れられて来た彼女達姉妹である。

 おまけに、終身隷属確定で最下層の使用人としてここへ配置されたため、観光という娯楽思考が湧くはずもない。

 その彼女達へ、主人は(ささ)やかなプレゼントを告げる。

 

「明日の午前中にユリとツアレ、そしてお前達で少し王都内を見て回ってくるといい。屋敷には私達が残っている。心置きなく楽しんできなさい」

「…………」

 

 姉妹を代表するメイベラであったが、最下層の使用人には余りに破格の事で言葉が出ず、どうすればいいかとユリを見た。

 その様子にアインズは更に幸福を追加する。

 

「そうだユリ。メイベラとマーリン、キャロルへも服を何か作ってやれ」

「畏まりました、アインズ様。メイベラ、ここは――ありがとうございますと答えるところですよ」

 

 にこやかに伝える御屋敷メイド長の言葉に、メイベラはアインズへ顔を向け答える。

 

「ぁ、アりがとうござイます」

 

 だが主人からの、二度の思いがけない厚意に、メイベラは声が随分ぎこちない形での返答となった。

 それは、元々素敵だと想いを寄せていた人を、もっと好きになってしまったから。

 同様のマーリンも感謝を込めて、アインズのグラスへと飲み物を注ぐ。

 そして、頬を染める三女のキャロルの綺麗な声による、『十三英雄の活躍』についての朗読が始まったのは間もなくの事である。

 

 そうして、夜の11時半を迎える。

 再びリットン伯爵からのご丁寧極まる送迎の馬車が、ゴウン屋敷へやって来て玄関のベルを鳴らす。

 礼儀正しい御者は黒服の男であったが、あのゴドウではなかった……。

 アインズが御者へ尋ねると、昨日の夕方から急に姿が見えなくなったという。宿舎には彼の黒服が残されたままだったという話だ。

 絶対的支配者は、それ以上ゴドウについて尋ねない――予定通りだと。

 ヤツをただ処分するのでは芸がない。

 前回の屋敷への帰路の倉庫前にて、八本指の馬車が回って来るまで待った数分間にゴドウの記憶は魔法で一部改竄されていた。

 ゴミはゴミなりに――最後まで有効利用されるべきである。

 ゴドウは今、ルプスレギナからもたらされる予定の『とある情報』を、某所近くで静かに待っている……。

 

 アインズ達4人を乗せた送迎馬車は前回と同じ倉庫前へ到着し、出迎えの警備員らに先導され、その倉庫地下から八本指警備部門のアジトの一つへと招かれた。

 今回ユリは屋敷でお留守番だ。

 

「ようこそ、ゴウンさん。配下の皆さんも」

「ゼロよ、お前達が貴族どもから上手く時間を稼いでくれて―――楽しいぞ」

「ああ。我々としてもウザイんでな」

 

 利害関係が一致していることもあり、遅延行為はすでに八本指主導だ。

 機嫌よく地下ホールまで出迎えた『六腕』のゼロだが、ゴウンの力を認めるからこそ他のアジトまで知られる訳にはいかなかった。だから今回も同じ場所での開催である。

 ゴウンから八本指への降伏勧告があれば、即時に従うしか生き残れないだろうとは考えている。

 ところがゴウンからは、現在までその動きがないように思えた。

 実際、アインズとしては支配下に入れても、時間がない今は管理が『面倒』なのだ。

 そもそも八本指の力は王国よりもずっと下である。時間が少しあればユリやソリュシャンが一人でも十分殲滅出来るぐらいの水準。その程度のものへ余計に手間は掛けられない。なので敵対はせず協力関係を持てれば、現状放置で問題なしと判断している。

 結果、脅威度は王国案件の『誤差範囲』としてナザリックへ彼等との協力関係の報告すらまだであった……。

 その彼等との今夜の会談では、今次大戦での具体的な話についてである。

 いつからどう動き出し、どういった形で結末へ向けて動くのかだ。

 アインズは、前回同様完全に『悪役』のロールプレイのつもりでこの場に臨んでいた。

 会議室の場所は同じであるが、4日の間で内装や設備が綺麗に修復されており、アインズ一行の為に用意された立派な机や寛ぎやすい椅子が奥の上座に配置されていた。

 完全に『悪人』VIP待遇である。

 アインズもノリノリで、背もたれへ大きく寄り掛かり深く椅子に座って片肘を突いている。

 足を組んでほくそ笑むソリュシャンの悪女感もなかなか堂に入って見えた。

 ただルベドとシズは属性が善なので少し大人しい感じだ。まあ圧倒的強さは前回披露済なので、軽く見られる事はない。

 会議室には、前とほぼ同じ顔触れで八本指警備部門の『六腕』6名と暗殺部門の7名、密輸部門の7名が集まり座っている。

 前回の会談で、八本指として戦後どういう状況になっているべきかを聞いている。

 彼等の組織としては、力を見せ裏社会での比率増で六割超を得た上で、最近五月蠅いボウロロープ侯爵やリットン伯爵ら大貴族の弱体化、敵対時の脅威低下としてアダマンタイト級冒険者の排除が提言されていた。

 アインズ的に、裏社会内の比率増や大貴族達の弱体化に問題は無いが、アダマンタイト級冒険者らの排除については、例の双子姉妹の保護と竜王国の救援の件があるので少し考えものである。

 とはいえアインズが活躍し、より『名声』を得るためには、アダマンタイト級冒険者が一度敗れた後の方が都合よい。多少の犠牲は止むを得ないところといえる。

 絶対的支配者としては、蒼の薔薇達が、竜軍団から半殺しに遭うぐらいが落としどころに思えた。

 深夜会談は開始から15分程、前回のおさらいの形で八本指の希望についてが改めて確認されて進む。竜軍団の停滞する現地の状況も八本指各部門の密偵から伝わってきており、最新情報として報告された。

 それらを聞いて、仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が口を開く。

 

「勢力拡大や大貴族の弱体化は進めても構わない。しかし、竜軍団の背後にやはり隣国であるアーグランド評議国の存在を排除できないな。亜人達と対抗するのは戦力として冒険者中心となる。王国がこの地に残った上で、八本指の長期的繁栄を考えるなら、上位冒険者の排除は程々にすべきだろう」

 

 ゼロ達がアインズの意見に考えながら答える。

 

「……なるほど。一理あるな。目先を追いすぎると全てを無くす憂き目に遭うケースだと。アダマンタイト級冒険者達については数名の戦闘不能者があればいいか……。回復までの間に組織として動けるだけ動く準備をしておこう」

「そうだな。希望と現実は両立が難しい部分もある。それに、竜や亜人よりはアダマンタイト級冒険者の方がマシか……」

「異論はない」

 

 警備部門責任者の答えに、暗殺部門のトップと密輸部門の護衛部隊リーダーも同意する。

 その後、共闘作戦の基本方針が議論され始めた。

 大貴族らの弱体化には、本拠地の都市の廃墟化がもっとも有効だが、それは八本指も大きい市場を失う事になる。

 つまり現状、大貴族らの動員した戦力の完全喪失が最大の打撃となる。それもなるべく長期間動員させ兵糧などの経費を掛けさせたあとが効果的だ。

 この時期の穀倉地帯の広域焼失も、年貢が取れず相当に痛手となるだろう。

 それは闇の大きな穀物市場を生み出し、莫大な富を八本指に(もたら)す。ゼロは既に進めている穀物の買い占めに更なる強化の指示を打ち出した。

 だが絶対的支配者にすれば、そんな『小さい事』はどうでもいいし、勝手にすれば良いと考えている。

 

「我々は準備を完了しつつも極力動かない事だ。まず王国軍に正面からどんどん戦って貰う。軍の激しい消耗がすべてに繋がる。都合がいい事に彼等も大都市を失うと困る。利害が一致しているところが最大の強みだ。必死で勝手に消耗してくれるだろう。こちらは全く動かずに利を得る」

 

 それは圧倒的である強さを持ち、頃合いの時点で逆転出来るアインズにしか立てられない戦略と思えた。

 八本指の者達は、上座からの彼の言葉に頷いて聞き入っている。

 

「そしてこちらが動くタイミングは――アダマンタイト級冒険者達が敗れた時だ」

 

 そう言ったアインズは、更に八本指へ計画を提示する。

 竜軍団へ当たる八本指の戦力についてはこの場のメンバーのみで行い、他の全戦力は地下組織拡大に当たるよう告げた。

 ここで、頷きながらもゼロが遠慮勝ちに手を挙げたので、支配者は尋ねる。

 

「どうした?」

「ゴウンさん達は、どれぐらいの期間(何週間程)で、そのぉ……竜軍団を撤退させるつもりなんだ?」

「まあ……………1日か、2日ぐらいあれば鏖殺(おうさつ)は可能だ」

 

 一瞬絶対的支配者は、素で『まあ、30分ぐらいかな』と言いそうになったが、大きくボヤかす。これで多分問題ない程度と思ってだ。

 しかし、アインズ一行以外の者達は――。

 

 

 ゼロをはじめ全員、支配者の言に驚愕の表情で目を見開いていた。

 

 

 敵は、半日程で広く壮大であった都市を、完全なる廃墟に変えたほどの圧倒的力を持つ戦闘種族の大集団である。

 それに対して有り得ない短い日数と『皆殺し』という強さの自信であった。

 多く見てもゴウン一行の主力は、今日いない暴力メイドを加えて5名程度と思われる。

 『六腕』達がいるとしても……だ。

 

 ――数が合わない。

 

 相手総数は竜王を含め、(ドラゴン)達300体程なのだ。低位のモンスター達300体相手ではない。

 注目を受けるアインズは、八本指側からの疑念の空気を感じ静かに語る。

 

(ドラゴン)如きが300体いても、私に傷を付けられる可能性があるのは竜王だけのはずだ。そして――その竜王も私より確実に弱いしな」

 

 何気ないという雰囲気の言葉。

 場は完全に沈黙した。余りの水準の違いにである。

 前回の会談の乱闘で、ゼロの猛撃がゴウンへ全く通らなかったのを全員が見ている。

 その言葉は嘘ではないという真実味があった。

 

 もはや、『彼は人間なのか?』という疑問しか残らない。

 ゼロの思考にふと過った。

 

(この極悪のゴウンさんの強さは、伝説の八欲王や六大神の水準じゃねぇのか……いや、まさかな)

 

 警備部門長の彼としては、それほどの強さで今までに実在していたのなら、沈黙を守っていた意味が分からない。

 思う存分にこの世界で力を行使すればいいはずだと考えた。

 ゼロは、誰しも話には誇張があるはずで、その半分程が真実ぐらいに感じている。

 つまり撃退出来る力はあるも、やはり1、2週間ぐらいは掛かるのではと。

 でも、八本指にとってゴウンにそれだけの力があれば十分である。

 仮面の彼が桁外れに強い事は変わらないのだ。

 

(いずれにしても、敵に回す人物じゃねぇ……それはバカのやることだ)

 

 旅の魔法詠唱者と八本指の利害は一致している。

 それにこれほど『偉大な悪党』なら組織で臣従しても構わないだろう。

 ゼロは他の八本指の者らに先駆けて力強く頷く。

 

「分かった。戦いはゴウンさんの計画で進めよう」

「……そうだな。では、暗殺部門側で王国軍の動きを色々探らせよう」

「異論はない」

 

 八本指最強の警備部門責任者の判断に、暗殺部門のトップと密輸部門の護衛部隊リーダーもほぼ同じ考えと思いで続いた。

 次回となる第三回の会談は、王国軍の出陣予定が決まってからとなった。

 それまでにゴウンの示した指針に従い八本指側全体内での調整、準備が行われる。

 またアインズとゼロ達は今日の深夜会合について、「再度の会合でも連携への溝は完全に埋まらなかった。しかし、少なくない部分で合意も出来た」という進展ありを臭わすニセ報告の企画も忘れない。

 完全に決裂すれば、別々に動くことになりボウロロープ侯爵やリットン伯爵への時間稼ぎが面倒になる。

 反国王派の彼等は、竜軍団へ裏戦力の集中投入を希望しているので、妥協点を探す様に再度のプッシュが始まるはずだ。

 そうして慌てふためき、哀れにも見える上流階級者達の姿を皆で想像しつつ、深夜会談は笑いの内に解散となった。

 ゼロは地下ホールまでゴウン達を見送る。その際、八本指から友好のちょっとした土産だとし、金貨1万枚以上の革袋の山が客人へと差し出される。

 『悪役』のロールプレイを続けていたアインズは「この世は常に持ちつ持たれつだからな」とらしい言葉を語り、勿論それを受け取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 王都は翌日の朝を、雲のほぼ無い快晴の空で迎える。

 ニニャの記念すべき約束された初デートの日だ。

 これまでの過去を振り返ると、彼女は村で叔母にこき使われ、師匠の下でも修行に明け暮れ、冒険者になってからは男の子として生きてきた。

 魔法詠唱者はモテるようで時折、年上の女性や女の子に誘いの声を掛けられたこともあるが当然そんな気はない。また、少しいいかなという男の人はいたが、人生を共に歩みたい程の出会いはなかった。

 もちろん『漆黒の剣』のメンバーは特別だが、戦友や身内へと対する気持ちであり、モモンへ向ける想いとはかなり違うものだ。

 ニニャは昨日の好きな彼氏との約束以降、乙女としてのドキドキワクワクな熱い気持ちで一杯になっている。

 彼女は日が昇る30分程前から目がパッチリと覚めており、ベッドの中で色々考えゴロゴロしていたが、宿部屋の鎧戸の隙間から僅かに漏れる日の光を見ると早速起き上がる。

 残念ながら『漆黒の剣』の宿泊先のこの宿屋は低級冒険者向けであり、水差しと洗面ボウルを貸し出しての洗顔サービスは付いていなかった。

 普段のニニャは仲間達と適当に川や共同井戸などがあれば利用する。なければそのままだ。それで問題はない。

 しかし今日は特別な日であり、なんとしても顔は綺麗に洗っておきたかった。

 そのため、彼女は昨晩に銅貨1枚を宿屋の主人へ払い、洗面用具を借りている。

 ニニャは早速顔を丹念に洗った。

 その水音へ、敏感に耳が反応したルクルットが起きて、二段ベッドの上から眠そうに顔を手で擦りながら向けてきた。

 

「ふぁぁ……まだ、6時前じゃねぇかよ……、早すぎだろ……」

「おはよう。なんかもう目が覚めちゃって」

「いいけど……ふぁぁ……俺はもうちょっと寝かせてもらうぜ……おやすみ」

 

 そう言って、ルクルットはニニャに背を向け横になった。

 いつものルクルットの様子に微笑むニニャには、このデートの日に備えて秘策があった。

 それもあって早めに起きたのだ。

 その一つ目は化粧である。

 この世界で女性の濃い化粧は、祭りの時や演劇など祭典や娯楽分野が多い。

 一般的には、王女にしても普段の色艶に近い薄い感じでかなり大人しいものになっている。

 別の角度から見ると、元の女性の素材に左右されていた。

 ただこの世界は全体的に美形が多いので、化粧を濃くする必要が少ないとも言える。

 

 化粧とは――乙女が美しく変身するためのものなのである。

 

 一方ニニャは、ここ数年男の子として生活していたため、少し女の子として自信がなかった。なので化粧の力を借りて変わろうと考えたのだ。

 彼女には慣れない事でもあり、普段練習する訳にもいかず、この早い時間から準備に入る。

 化粧道具はここ数日、()()()()自身で購入していた。

 彼女は手鏡と睨めっこしながら、元々白い表情肌をより整えていく。

 口紅はまだ引かない。それは、最重要事項のため朝食が済んでからである……。

 気が付くとあっという間に1時間が過ぎていた。そろそろとペテルやダインが起き出し始める。

 一通り表情肌は整えた事と、何と言っても恥ずかしいのでニニャは一旦化粧を終えた。

 彼女はデートの日に備えての秘策その二つ目に移る。

 

 それは――下着だ。

 

 普段のニニャは仲間達と川などでの水浴びもあるので、胸に布を撒いたり男物の肌着や下着を着用している。

 今日は、昼間のデートとは言え、しかし何(ナニ)があるかは分からない。

 まあ肌着や下着を脱ぐことはないかもしれない。

 それでも、上から触って貰える可能性は残されているっ。そんな時に男物やボロ布であっては、若い乙女としての沽券に関わる。

 ゆえに共用トイレで上の布をほどき、下もトランクス系から女性物下着へと履き替える。

 下着替えについては、先日のエ・ランテルにて小屋での相談時にも密かに実行していた……。

 そうして、ルクルットも起き出した8時過ぎに皆で外の通りに出て朝食。

 宿に戻るともう9時に迫っていた。

 ニニャは歯を磨くとここから口元へと紅を引く。

 唇の色は、基本的に口内の色の延長上に有る。このためレッド系やパープル系など結構個人差がある。

 ニニャはピンク系だ。彼女は慎重にサーモンピンクの紅を付けていった。

 でも、『漆黒の剣』の頭脳である彼女の準備は、ここではまだ終わらない。

 それが披露されたのは、モモンがこの宿屋へ到着した時であった。

 

 アインズはモモンとして、午前11時に『漆黒の剣』の泊まる宿屋までニニャを迎えに行く。

 それは――彼が昨夜の深夜会談を終え屋敷へ帰って来て、いつもの如く夜中にナザリックでの数々の用を済ませ、クレマンティーヌと再び連絡を取り、朝にはゴウン屋敷の三姉妹達とツアレやユリを王都観光へと送り出し、『王都へ遠征中な冒険者』としての宿屋へ戻ってからの行動だ。

 御方の働く姿は正に、水面下で激しく足をかくも優雅に前へと進む水鳥の如く。

 正直、24時間の物事と戦えるこの不眠不食無疲労の体でなければとても持たない……。

 ただアインズとして、精神だけは随分すり減っている気がしないでもなかったが。

 たまにルベドのモフモフの羽や、仲間の子供達といえる可愛いNPC達を見て撫でて和む時間が至福である。

 そんな彼を、宿屋から出て来たニニャが「ほぉう」と言わせた。

 

 一方上の窓から通りを見下ろして30分程も待っていた彼女だが、そのやって来た物が信じられず「えーっ!?」っ叫ぶ。

 ニニャは宿の主人から彼氏の到着の知らせを待たず、宿部屋から早歩きで階段を下り1階のロビーとカウンター前を通り抜け出口を出てモモンと会うまで、その羽織るマントで体を隠す様に進んだ。

 そして表の通りに出た彼女は間近で見る。

 

 宿の前にはなんと仮面を外したジェントルマン姿のモモンといつも姿のマーベロを乗せる、白馬と白い馬車が止まっていた。

 

 その光景は、完全にお姫様か良家のお嬢様を迎えに来た、夢の王子か幻の紳士。

 モモンはニニャとのデートに、御者付きに屋根が幌で、それを畳んだオープン仕様で2頭立ての4輪馬車(キャリッジ)を用意してきたのだ。

 ニニャは馬車とモモンの姿で二度驚き、前でマントを掴んでいた右手を放していた。

 その彼女の姿が秘策その三つ目である。

 

 ニニャは――水色のリボンやレースの飾りに加え、夏らしく涼しいレースの袖の付いた膝下まである白と水色のドレスを着てそこへ佇む。

 

 色白でブルーの瞳の彼女は、見違えるほど乙女に見えた。その左手には可愛い花飾りの付いた白い帽子も隠し持っている。

 互いに目を見開いていたが、モモンが先に感嘆の声を上げ、そして先ずはと大切な事を伝える。

 

「おはようニニャ。――とっても良く似合っているよ」

 

 その言葉に、乙女のニニャは我を取り戻すが、顔色や指先は白から見事にピンク色へと変わっていた。

 

「嬉しい……です。おはようございます、モモンさん、マーベロさん」

 

 そう言いつつも思わず帽子で鼻から下を隠してしまうほどに。

 マーベロは「お、おはようございます」といってモモンの横から馬車を降りる。

 今日のデートも御方とナザリックの為のはずだが、彼女の内心では結構複雑だ。最近『妃』の話がクローズアップされている事が大きい。

 こういった小さき事でも、モモンガさまのことはやはり気になってしまう。

 

「おはようございます、モモンさん、マーベロさん」

「おっはようでーっす!」

「おはようであるっ! モモン氏にマーベロ女史」

 

 恥ずかし気のニニャへ変に気後れの空気が広がる前にと、宿屋の前へ見送りとマーベロを迎えに出て来たペテル達が声を差し込んでくれる。

 モモン達もニニャから一度間を空ける様に彼等へ挨拶する。

 

「おはようございます、皆さん」

「お、おはようございます」

 

 ここでダインがニニャの肩から下ろしたマントを受け取り、ルクルットが彼女の背中を押す感じに言う。

 

「じゃあ、時間もないしとっととそれぞれ行動しようぜっ。ニニャ、早く横に乗っちまえよ」

「えっ、あ、はい」

 

 ジェントルマン姿のモモンの横に、花飾りのある帽子を被り涼し気なドレス姿のニニャが座る。

 満更ではない二人が白い馬車に座る光景に、ルクルットの口笛が鳴る。

 モモンも男らしく主導権を示す為動いた。

 

「では行ってくるかな。マーベロのこと暫くお願いしますね」

「分かりました。午後3時にまたここで」

 

 ペテルの言葉にモモンは頷くと、帽子を深く被る御者へ馬車を出す様に伝える。

 ちなみに――この御者がパンドラズ・アクターだったりする。

 マーレが、アインズに今日の護衛として彼を傍へ付けることを強く頼んだのだ。有能である軍服姿の彼は、昨晩中掛けて王都を色々と探索している。無論目ぼしい名所もだ。

 白い二頭立ての馬車は晴天の空の下、静かに走り出した。

 

 ニニャとのデート自体は流れるように進んだ。

 馬車は王都の名所を走り抜け、昼食は気楽にという事で中流のレストランで食事し、あとは川に沿って気持ちよく走ったり、公園でのんびり仲良くアイスクリームを食べたりだ。

 ニニャは下着まで換えてこの機に臨んでいたが、男女の肉欲的進展という動きはほぼ無かったと言える。

 でも彼女は冒頭から一つだけお願いしていた。

 

「――手を繋いでいていいですか?」

「もちろんいいよ」

 

 二人は食事以外ではずっと手を繋いでいた。

 ただそれだけ。

 共に過ごす楽しく掌の熱くなった時間は瞬く間に過ぎる。

 午後3時を迎え、『漆黒の剣』の泊まる宿屋の前に二人の乗る白い夢の馬車が戻って来た。

 でも、ニコニコのニニャは今日の時間に十分満足している。

 

 モモンからの多くの気遣いが、乙女の心に響いてきたから。

 

(モモンさん、大好きです)

 

 ニニャの恋心はより深まっていく――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 上火月(かみひつき 七月)下旬の午後4時半の空はまだまだ青く、日も白光で眩しい。

 漆黒の戦士モモンと純白のローブを纏うマーベロは、組合長アインザックからの指示に従い時間通り所定の場所へと現れる。

 

 ジェントルマン姿のモモンとニニャの乗る白い馬車が『漆黒の剣』の宿屋前に戻った時、ペテル達からこの後の予定を聞かれたモモンは「これから組合長らの所に向かう」と答えた。

 ペテル達は「昨日の公園広場で白金級以上の冒険者チームが残された際に告げられたという、組合長らのチームを手伝う件」かと問う。

 モモンは「そうだ」と返す。

 マーベロと食事をしたりしたペテル達は途中、エ・ランテルの冒険者達と出会った折、この広まり出した噂が耳に入ってきた。丁度居たマーベロに聞くのは自然の流れだ。勿論事前にモモンはマーベロへ、噂や近く周知される事だとし『実力を試される件』だけ伏せさせ、後は話す許可を出している。

 ニニャだけは、モモンとのデートの食事中に知らされていたが……改めてペテル達は驚く。

 普通はまず考えられないチームの組み合わせであるからだ。

 ただ、『漆黒』の高い実力と今次大戦自体が在り得ない状況に、臨機応変にという対応なのだろうと納得する。

 『漆黒の剣』の面々がモモン達に予定を聞いたのは、このあと暇だったからだ。

 しかし大事な予定がある事を聞いた以上、ペテル達は「そうでしたか、すみません」と引き止めず、モモンらの乗った馬車を見送った。

 モモンとマーベロは馬車で自分達の宿へ戻ると、1階の受付で宿屋の娘から予告通りといえるアインザックの呼び出しを知らされる――。

 

 呼び出されたここは、王都北西に位置した軍の管理下にある軍馬調練所であった。

 それゆえ、民間人はおらず広さも十分にある場所だ。

 すでに周りは人払いされており静かで、この場にはラケシルも含めて4人しかいない。

 

「モモン君にマーベロさん、よく来てくれた」

「いえ。それでどうしましょうか」

 

 アインザックの言葉にモモンが試す方法を問うた。呼ばれた目的は昨日聞いている。

 

 ――実力を見ておきたいと。

 

 すると杖を握る深い緑色のローブ姿のラケシルが提案してくる。

 

「アインザックは戦士で、私は魔力系魔法詠唱者だ。どうだろう、戦士同士、魔法使い同士で戦っても面白くあるまい。アインザックとマーベロ殿、私とモモン殿で炎を使う竜との仮想戦を再現できると思うが」

「なるほど、それは面白そうだな。どうだろうモモン君。もちろん互いに当てるというのは無い形で、互いの動きを見ることでどうかな?」

 

 アインザックもラケシルの案に同意しつつ、モモンへ確認してきた。

 

「分かりました、それでいいですよ。マーベロ、当てないようにね」

「は、はい」

 

 モモンの答えの内容にアインザックは、ニヤリと微笑み頷くと早速という感じで開始を告げる。

 

「ではまず10分間ほど1対1でやろうか。では――始めっ」

 

 アインザックは言葉が終わるや否や、素早い動きを見せ地を蹴り右横方向へ100メートルほど離れた所に移動し、マーベロへ右手で大きく掛かってこいと誘った。

 マーベロは〈飛行(フライ)〉で空へと舞い上がる。

 モモンもアインザックに倣い、反対側へと同程度の速さの動きで150メートル程距離を一瞬でとった。今のモモンの全力速度の3分の1も出ていない程度。

 しかし――その素早い彼の動きにラケシルは驚いた。

 

(速いっ! これは……確かに白金級の動きではないな。アインザックと同程度かっ)

 

 第4位階魔法を使えるラケシルは〈飛行(フライ)〉と〈加速(ヘイスト)〉で上空よりモモンへ接近すると、〈火球(ファイヤーボール)〉を漆黒の戦士から外して連射した。

 モモンはその攻撃を左側に高速で躱す形で回り込むとジャンプし、空中のラケシルから外してその右横をグレートソードで薙ぐ。

 この早い攻撃にラケシルは空中で体勢を崩し慌てる。

 

「なにぃっ!? (あの大剣を2本も背負ってこの身軽い動き。剣の振りも速く鋭いっ……彼が本気だったら切られていたかもな……)」

 

 〈火球(ファイヤーボール)〉の射程はそれほど長くないため、モモンなら高さ6メートル程へ15メートル程の直線的な下からの傾斜ジャンプで大きく間合いを詰める事ぐらいは優に出来る。

 問題点はその落下時だ。放物線で下へと落ち防御に徹するしかない。

 だが、モモンはラケシルが空中で体勢を立て直す間に着地し、一瞬で方向転換して間合いを取る。

 この空中への剣による迎撃は、アインザック側も同様の弱点に苦戦する。

 さらに組合長はマーベロの連射数に驚嘆した。

 

(この娘……本当に〈火球(ファイヤーボール)〉を10連射もしてくるぞ……直撃が続けばとても耐えきれない。こんなことはラケシルにも出来んっ。いや、他に出来る奴がいるかどうか……)

 

 アインザックはマーベロを空中で捉えきれず、落下時で逆に集中砲火をくらう形になってしまう。

 外されている形だが、体の周辺を乱舞する〈火球(ファイヤーボール)〉には恐怖を覚えた。

 地上に降りたアインザックは漸く厳しい状況から間合いを取る。

 そんな二組の攻防が、暫しこの広い地で繰り返され10分はすぐに過ぎていく。

 

「ここまでーーっ!」

 

 アインザックの大きく叫んだ声がこの広い場へと響き、模擬戦が一旦終わる。

 たった10分であったが、炎の乱舞もあってもう汗が額に滲むアインザックとラケシルは、歩み寄ると互いに頷いた。

 その考えは言葉としてすぐに、息の全く乱れていないモモン達へと伝えられる。

 

「ふぅ……。正直に言おう、――我々の完敗だな」

 

 ラケシルがアインザックの言葉へ苦笑う。ブランクがあったとしてもベストの動きをしたつもりであった。

 実は、モモン達と当たる前の午前中に、エ・ランテル冒険者組合の現役エースであるイグヴァルジ達ミスリル級冒険者チーム『クラルグラ』と20分程の模擬戦を2対4で2回行い2度とも勝っていたのだ。

 そのアインザックは、マーベロから苛烈に受けた信じがたい連続攻撃で逃げ場はないと判断した。

 そしてラケシルも、モモンが軽々と振るうグレートソードはまだ1本しか抜かれていない事で確信出来た。

 だから、アインザックとラケシルは揃ってモモンとマーベロへ――お願いする。

 

「竜達との戦い、是非俺達と組んで欲しい」

「足を引っ張らない様、努力する」

 

 オリハルコン級冒険者に、そこまで言わせる程の力の差をモモン達が感じさせていた。

 ラケシルらの難度は75程度。難度で90を超える手を抜いたモモン達に比べても確実に落ちるのだ。

 冒険者組合長らの言葉にモモンは『漆黒』のリーダーとして答える。

 

「分かりました。共にエ・ランテルと王国の為に頑張りましょう」

 

 しかし、モモンの言葉はここで終わらなかった。

 絶対的支配者は、発言力が増し有利と変わるこの瞬間を待っていたのだ。

 彼は今、伝える。

 

「あの、一つ話があります」

 

 アインザックは、改まった様子のモモンの言葉に眉間へ皺を寄せ答える。

 

「ん、なんだね?」

「実は俺達二人がエ・ランテルを出た直後にある人物と会ったのですが――」

 

 軍馬調練場の広い場所に4名は立ったまま、モモンより竜王国から来た使者の話を聞かされる。

 それは……すでに竜王国東方の都市三つが最終防衛戦の状況と、押し寄せている5万ものビーストマン達の大戦力の話。これに対してのエ・ランテル冒険者組合が竜王国への早急な救援要請を受けた事。そしてモモンは「組合長へ相談して応援を送る」と伝えた事も話す。

 それらを黙ってひと通り聞いていた歴戦のアインザックとラケシルは、直接戦ったこともあるビーストマン達の強さを知っている事や、その個体数の多さが脅威であると話してくれる。

 またエ・ランテルの冒険者達が、国外への案件に対応した前例があることも教えてくれた。

 そんなアインザックが最後に伝えてくる。

 

「話の内容はよく分かる。何とかしてやりたいと思う。だが――現実的な話ではないな。我々の冒険者組合には今、全てが足りない。少なくとも……エ・ランテルと王国を脅かす竜軍団の件が済むまで、その話は忘れた方がいい」

 

 エ・ランテルの冒険者組合では対応出来ない規模の話であり、アインズとしては予想通りの返事と言えた。

 支配者の狙いはそこではない。彼の狙いはアインザックの顔の広さである。

 今日も、軍の施設を借りるなど、王都の冒険者組合長を通じての働きかけがあったはずで、アインザックの人脈の力を示している。

 モモンは組合長へ頷きながらも言葉を返す。

 

「分かってますけど、それでも……話だけでも――他の都市の組合長や隊長の方々へ知らせて貰えませんか? 『竜王国の件』は、竜軍団との戦いが終ってから話をしたのでは、完全に間に合わない。せめて紹介状だけでも書いてくれれば、俺が話をしに回りますよ」

「モモン君……君は、そこまで……むう。それに、竜軍団に勝つ気なのだな」

 

 アインザックは、目の前に立つこの漆黒の戦士が竜王国のモンスター襲来で苦しむ人々を懸命に救うためなのだと思い切り勘違いしていた。モモンはそうと知りつつも、竜軍団に勝つ部分はその通りなので一つ首を縦に振った。

 アインザックは難しい判断に目を閉じる。

 

(竜軍団との戦いに直接関係の無い話を今、他の都市の冒険者部隊の長達に話すべきだろうか。だが、確かに今から声を掛けていないと、急すぎる話だとして竜王国東方の三都市の救援には動かないのも事実……)

 

 対するモモンも考えていた。

 竜王国の件で間接的にアインズの名声が上がる妙案とは、難解と感じる方法ではない。

 しかし、その為にアインザック達の人脈は必要であった。

 組合長ら二人からの手伝う話を了承したのは、モモン側で多少自由が利かなくなるがそのメリットを考慮してのものだ。

 アインズとしては、ここでアインザックに動いてもらわないと面白くない。

 

(この男は合理的に見えて情熱的かな。今を重視しつつも未来へ繋がる事なら動くと思うんだけど)

 

 なので支配者はモモンを動かし、アインザックへ共闘面での『脅し』を掛ける。

 

「冒険者組合長。俺とマーベロは竜王国の使者に名を聞かれ――名乗ってます。竜軍団との戦いは重要だけど、何もしてもらえないとなると……戦いに集中出来ないかも……」

「……むぅ。竜軍団を退けたとしても、確実に名を落とすという事か。……んー」

 

 ここで、アインザックの考え込む姿を見つつ、相棒の魔術師組合長のラケシルが尋ねてきた。

 

「ところでモモン殿。そういえば、その竜王国の使者の名前を聞いていなかったが、何という名かな?」

 

 モモンはその問いへ、「えっと……」と兜のスリットからの視線を左下に外すと真剣に思い出す。

 横でマーベロが、分からない時は聞いてくださいと可愛く見上げてきた。

 だが元営業マンの鈴木悟のアインズは自力で思い出していく。

 

(あの女性は、確か――ざくそら……でぃおね……何だっけ……。あ、オーリウクルスだ)

 

 『でぃおね』の『お』を伸ばすクルクルする名であったと連鎖的に思い出し伝える。

 

 

 「――ザクソラディオネ・オーリウクルスと名乗ったはず」

 

 

 それを聞いたラケシルとアインザックが驚き、そして語る。

 

「王族かっ!」

「――! オーリウクルスは現竜王国女王ドラウディロン・オーリウクルスの家名だな……、分かった。王都へ来ている各都市からの遠征隊責任者へ話だけはしてみよう。モモン君達も同席してくれるかな?」

「無論かまいません。ありがとうございます」

 

 こうして、モモンはアインザック達の人脈を辿ることが出来るようになった。

 模擬戦はここで終了し、4人は早速王都の中心地近くにある冒険者組合事務所へと向かう。

 6階建ての立派な石造りの組合事務所へ着くと、広い玄関ホールの受付嬢を通して2階の会議室へとすぐに通された。

 モモンが驚いたのは、その笑顔で出迎えに現れた組合長が40歳程の女性であった事だ。アインザックからは、彼女が元ミスリル級冒険者だということを後で聞いた。

 モモンの補足とアインザックより諸事情を聞き終えると、その内容に王都の冒険者組合長は当然難しい顔をする。

 

「なるほど……。やはり今すぐに竜王国へ出来る事は何もありませんね。――しかし、竜の軍団を退散させることが出来れば話は別です。我が王国の南東部には広いカッツェ平野がありますが、あそこはご存知の通り年に数日、死者の霧が晴れ往来が可能です。仮に『竜王国』が滅びた場合、その時に我が王国内へビーストマンの一軍が橋頭保を築く可能性が恒久的に発生する事になります。ですから、竜王国の存在について王国内の安全保障上軽視するのは愚かな事。派遣戦力の選出は後にするとしても、規模や兵糧と移動手段の前準備は今からしておくべきでしょう。しかし、大勢では準備にどうしても時間が掛かってしまう。なので少数精鋭の先発隊がまず必須でしょう」

 

 王都の冒険者組合は、エ・ランテルの規模の5倍程ある。アダマンタイト級冒険者2組が所属し、資金と資材でも圧倒的といえる組織力を誇っている。

 それを統括する組合長の彼女が動けば、全国の都市の組合は追随する可能性が非常に高くなる。

 完全に前向きで進む話に、モモンは面頬付き兜(クローズド・ヘルム)の中でほくそ笑む。

 

「先発隊へは、俺のチーム“漆黒”も入れて欲しいのですが」

 

 モモンの「先方との約束で」という言葉に、王都冒険者組合長の彼女は怪訝さが混じる困惑の顔をする。

 彼女の目は、漆黒の鎧の戦士の首から下がる白金(プラチナ)級冒険者プレートを見ていた。確かに白金級なら、並みのビーストマンには1対1で十分勝てると思う。しかし相手は多勢。今の悲惨といえる戦況から容易に5対1や10対1になることも頻発するだろう。その時には多分死ぬ事になる。それを志願する事に納得がいかないためだ。

 また、竜王国の使者と面識があるのなら簡単に死んでもらっても困る。

 彼女の不安の広がる表情に対し、ここでアインザックが伝える。

 

「ああ、心配はいらない。このモモン君とマーベロさんは――私やラケシルよりも強いと思ってもらって結構だ」

「えっ? ……それって……」

 

 王都冒険者組合長は戸惑う。

 アインザックとラケシルが、優秀なオリハルコン級冒険者だと知っているからだ。

 その彼らよりも上となると、その階級はもうたった一つ(アダマンタイト級)しか残っていない……。

 一瞬そう思うも、やはりこれはアインザックの彼等への底上げ風の気遣いかもしれないと考えた。

 それでも、オリハルコン級にかなり近い実力はあるのだろう。ならば精鋭の先発隊に入れるのは、やぶさかではない。

 王都冒険者組合長の彼女は漆黒の戦士らに告げた。

 

「――いえ、そうですか。分かりました。では竜王国救援の折に、モモン殿とマーベロ殿のチームは先発隊へ参加の方向で考えましょう」

「(よしっ)ありがとうございます」

 

 先発隊指名に、モモンは『漆黒』を代表して王都冒険者組合長へ感謝の言葉を述べた。

 このあと、王都冒険者組合長は、既に王都へ到着している他の遠征隊の責任者らへも話を通す事を約束してくれる。立地的にエ・ランテルから近い大都市の組合長らから賛同を得て、そのあと北方の都市らの責任者らも引き込むという。

 夕暮れの近付く午後6時前頃に始まった話し合いを、終わって表に出た頃には日の落ちた晩の7時を過ぎていた。

 モモン達は、アインザックから「協力し合う仲だ」として今夕食を共に取ることになり、組合事務所まで組合長らと乗ってきた馬車に乗り込み飲食街へと繰り出した。

 紅一点のマーベロは、彼等から話を一杯振られて困り気味であった。娘達がいるというアインザックとラケシルにとって、癒しであったのかもしれない。

 モモンとマーベロと不可視化したパンドラズ・アクターが宿へ戻って来た時には、午後9時半を回っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――託されたものが有る。

 人々の希望であったり、願いであったり、そして未来であったり――。

 

 

 その背負った想いだけで恐怖の心を押し殺し、彼等は『和平の使者』としてここまでやって来た。

 5日前の朝に快晴下の王城ロ・レンテ城の正門前より出発した戦車1台、馬車2台で隊列を組む決死の一行は、朝日を後方より浴びてただがむしゃらに先へ進む。

 エ・アセナル傍の敵の宿営地(ゴール)はもう目の前に迫っていた。

 

(陛下。我妻、我が子達よ。私に、私達に奇跡の幸運をっ)

 

 リ・エスティーゼ王国王家に長年仕えてきた大臣は、竜軍団の宿営地へと向け、先程一歩先行し会談のアポイントを取りに向かわせた王国軍の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の接触が上手くいくようにと全身全霊で願った……。

 

 王国でも数少ない〈飛行(フライ)〉を行使できる、第3位階魔法の使い手である王国軍魔法詠唱者部隊の長い金髪の男はエ・アセナルへと迫って行く。

 匍匐飛行で、広大に広がる廃墟へ接近する彼の衣装は白一色。また衣装には、黒の糸で文字が良く見えるように太く大きく縫われていた。

 

 アーグランド評議国の文字で『王国の使者』と。

 

 空が広がる男の視界へ、灰色の街の廃墟が遠くの先に見えてくる。

 彼は、数日前まで軍の偵察でこの地を訪れていたが、その際は(ドラゴン)に見つからないよう相当な距離を取っていた。

 しかし今回は――隠れる訳にはいかない。

 彼は哨戒中の竜が舞う空域へと勇敢に飛び込んでいく。

 交渉する為に、あの伝説のモンスターである(ドラゴン)らと接触しなければならないのだ。

 とはいえ彼自身、死ぬ確率は10分の10だと思っている。

 もはや火炎の標的になろうともと腹は括っていた。

 

 エ・アセナルの宿営地周辺に哨戒中の竜は3組()り現在15体であった。

 竜種は目も良い。警戒中の廃墟の都市周辺へとわざわざ高度を上げて〈飛行(フライ)〉で接近して来るナメた人間の姿を捉える。

 その竜達の内の1体に、例の13体の遺体消失を調査した十竜長がいた。

 周辺を飛翔する配下の竜兵の一体が、この指揮官へ近付き進言する。

 

「人間ノ魔法詠唱者(マジック・キャスター)ガ1体迫ッテ来マス。焼キ払いマショウ」

「のこのこと……私がヤる。一応4体付いてこい」

 

 5体一組での軍団行動指針に従い迎撃行動を開始する。

 この十竜長も、仲間の遺体消失を卑怯で下等な人間の汚い仕業だと考えていた。

 

(おのれ、仲間達の死を愚弄スるとは許せん)

 

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグの率いる一派は、炎の竜(ファイアー・ドラゴン)系だが、歴代竜王と代理の妹が余りに飛び抜けて強すぎた為、既に700年以上に渡り群れの統率が非常に取れている。

 そのため、一般の(ドラゴン)達と比べ仲間意識がかなり強い。

 十竜長は間もなく、火炎の射程までその侵入者へと近付いた。

 だがやって来た人間に逃げる様子はなく、あろうことか空中で堂々と停止した。

 そして、その人間の真っ白の衣装に縫われて記された『王国の使者』の文字がはっきりと目に入る。

 

(――!? 人間の国の使者だと……まさか)

 

 十竜長は、人間どもが『多くの遺体を条件にして何かを要求しに来た』のではないかと思った。

 これで竜王ゼザリオルグへ報告せず独断で殺す訳にはいかなくなる。

 十竜長は人間との間合いを詰めて近付く。

 人間は動かない。手と杖を後方へ回し敵対の意志がない事を示している様に見えた。

 二者の距離は10メートル程になった。

 この地の制空権を持つ十竜長から尋ねる。

 

「使者だと? 何しに来た」

 

 使者の間近へと、長い首先の精悍で鋭い表情を浮かべた顔を寄せる。

 大翼を羽ばたかせ滞空し、強固さを感じさせる輝く鱗に覆われた、体長15メートルを優に超える巨体。そこから溢れる伝説の竜の、圧倒的といえる『死』への威圧が人間の男へと伝わる。

 だが魔法詠唱者(マジック・キャスター)は震えつつも使者としての使命を果たす為に必死で言葉を返す。この時、王国でも古い文献を調べ、相手は竜王の鱗の黒紅の色から煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)の一派と予想していたが、違った場合が非常に失礼なので告げる言葉は無難である内容が選ばれている。

 

「強大なる竜王様(ドラゴンロード)へお目通りしたく参上しました。私は会談へのアポイント役の者でございます。承諾いただければ、我らリ・エスティーゼ王国の大臣の馬車が3時間以内でこの地に到着します。何卒謁見の御許可のほどを」

 

 そう告げると、空中で人間の魔法詠唱者は頭を下げた。

 十竜長は、人間からの話で『取引だろう』と用件を確信するも問う。

 

「謁見の内容は?」

 

 すると髪の長い人間は神妙ながらはぐらかす。

 

「この私は、会談への取次役。詳細は当方の大臣からお伝えいたします」

「(ここで秘匿とは小賢しいことを……。だが、止むを得ない)……この場で暫し待て」

 

 十竜長は直ちに竜兵の1体を宿営地へと向かわせた。

 

 遺体大量喪失事件から6日。

 王国からと思われる静寂に潜む大反撃で、竜王のゼザリオルグは少し迷いが出てきていた。

 

(人間どもめ、我らの怒りを買ってまで遺体を盗んだのだ。何か動くはず……しかし遅いな)

 

 竜軍団の侵攻の動きは、現在攻めきれず戻れない形で完全に停滞していた。

 しかし、彼等の宿営地内の人間の捕虜9万については『選別』が昨日完了している。

 まず男女で分けた。例外は赤子で、母親との同行が許される。そこから大人と子供で分けられる。その過程で、赤子でなく一人で動けない者は年齢問わず有効に廃棄された……。

 厭戦(エンセン)という雰囲気は今のところないが、竜王が侵攻を止めているのは事実である。

 長引かせるのは良くないとゼザリオルグが今日も考え始めた時、彼女の下へ伝令の竜兵がやって来た。

 

「竜王様、人間カラノ会談ヲ希望スル一団ノ使いガ廃墟上空ヘ現レマシタ。地上を這う一団ノ到着ハ3時間程後トノコト。いカガいタシマショウカ?」

「(チッ、やっと来たか)……会ってやる。使いに俺はこの場で待つと伝えろ。それと、ドルビオラを呼べ」

「ハッ」

 

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)は、間もなく現れた副官のドルビオラに向かい、例の『遺体喪失の件』絡みでこの場へ接近する人間共の一団への攻撃を控えるよう全軍に指示を出した。

 竜王の命を受けた竜兵は、往復8分ほどで廃墟都市上空の十竜長のとこまで戻って来る。すぐに、ゼザリオルグからの伝令を上官へ小声で伝えた。

 王国の魔法詠唱者の男は、指揮官も含めて周囲の(ドラゴン)の口から飛び出すのが、火炎か言葉かを恐怖の中でただただ待っている。

 そして、それは彼へ届いてきた――火炎では無い形で。

 

「竜王様が使者とお会いにナるそうだ。粛々とこの廃墟北側の宿営地へと来るがいい」

「――――ははっ! 有り難き事。では直ちに知らせに戻ります」

「ふん」

 

 魔法詠唱者の男は一礼すると、急ぎ飛び去った。

 彼は信じられなかった。あの伝説の(ドラゴン)と会話し、無傷で仕事を終えようとしている自分にだ。

 男が大臣の待つ一団へと戻るとその馬車列は数分停車する。その場で魔法詠唱者が報告すると、内容を聞いた大臣はホッとすると同時に表情を引き締めた。

 

「……本当に……本当によくやってくれた。そしてすまない。ここでお前を王都へと生きて返してやりたいが、すでに監視しているだろう竜達に今、変な疑念を持たれても困る。最後まで付き合ってくれ」

「はっ」

「後は私の仕事だな。出発するっ!」

 

 戦車を先頭に移動を開始した大臣一行は、旧エ・アセナルの北の地にある竜軍団宿営地を目指した。

 2時間15分程で、竜軍団宿営地へと乗り込み、支度後直ちに謁見の手はずとなった。

 そして、大臣は4名の護衛の騎士を伴い約束の時間内に竜王の前へと現れる。

 記念すべき今の時刻は午前10時45分頃。空には広く雲が覆う。

 場所は全天を仰ぐ草原の平地で野ざらしといっていい。

 一応、竜王の前には幅の広く長い紫の布が使者の立つ後ろまで続いて敷かれていた。

 多くの高級布が敷き詰められ積まれた竜王の居る席の脇に、翼を畳む副官筆頭のアーガードと警備の竜兵が10体を超えて佇む。

 大臣達は、完全に巨大な竜達に周りを囲まれているという形にしか見えない。

 だがその虜の状況の大臣は、僅かに震えがきつつも堂々とその場に立っていた。

 アーガードが、会談を進める言葉を吐く。

 

「人間の国の使者よ。煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)であられるゼザリオルグ=カーマイダリス様の前である。礼を尽くし用件を述べよ」

 

 その周囲の空気を実際に震わす程の肺活量を感じさせる野太い声に、大臣はビクリとしかけるが堪え、そして背を改めて伸ばすと一礼したのち口を開いた。

 

「煉獄の竜王様への拝謁、誠に恐悦至極にございます。この度参りましたのは、我が国王からの意志を伝えるためでございます。……なにとぞ戦いを収め――和平の締結をお願いいたします。竜王様並びに兵団の強さには国王を始め皆感服いたしております。ただ、これまで200年を数えて隣国アーグランド評議国とは大きく争わずに独立性を保ち共栄して参りました。我が国の国王は以前の状況へ戻ることを希望しております。勿論和平の締結の暁にはこの地、エ・アセナル周辺を竜王様の武勲として割譲させて頂く予定。ですので早急に停戦頂き、兵団を速やかに本国へ帰しての和平実現を切にお願い申し上げます」

 

 兎に角、今は停戦し和平に持ち込む事が第一である。王国民の犠牲をこれ以上出さないために。

 エ・アセナルは既に廃墟で王家としても保有価値はすでに低い。しかし、竜軍団側にしてみれば戦果としての武勲の証になり手放せないはずだ。

 ならば、王国の他の地と百万の民まで更に失う事を考えれば、和平の代償が割譲案で済めば最上策であった。

 国王は大臣へ王家の領地の更なる割譲案も柔軟に許可している。王都北側に広がる大穀倉地帯の3割までは、大臣へ交渉内での割譲を認めていた。

 大臣は強く心に願う。

 

(現状案で和平締結が上手くいってくれーーーっ!)

 

 それに対し、竜王は内心で――イラついていた。ナザリック地下大墳墓の存在など知るはずもないのだから……。

 

(なぜだ。なぜ、遺体の話が出ねぇんだっ! ……どうやら、ここで首を縦に振らねぇと、遺体がどうなるか……という事らしいな。チッ……どうするか)

 

 外交の切り札は、最後までチラつかせるのがセオリー。

 確かに遺体は、仲間達への気持ちを考えれば竜軍団にとって、大事で代えがたいモノと言える。

 しかし竜王側としては、極論なら火炎を抑えて力ずくで王国の全土全都市を制圧し、しらみ潰しにして調べればよい。

 今、一番の問題は遺体の略奪を実現した人間側の『手法』が不明という点である。

 竜王ゼザリオルグは、だからと自ら語り揺さぶりを掛けた。

 

「使者とやら、もし――俺がこの場で断った場合、どうするつもりだ?」

「…………その様な事にはならないと考えておりますが、その時は我々も坐して死ぬ事は出来ません。(しか)るべき措置を取ることになります」

 

 竜王は眉間に皺を寄せ、明言をさけた大臣へのイラ立ちが更に募る。

 

(然るべき措置ってなんなんだっ。それじゃ分かんねぇんだよ。人間如きがぶっ殺すぞ、クソッ。ビビッてると思われるから聞けねぇじゃねえかっ)

 

 不安が増す中、竜王自身の強者としてのプライドが変に形を歪めて働いていた。

 アーガードがこの結論をどうするのかと長い首を向けてくる。

 ゼザリオルグは、苦肉の案の形で遺体の件だけでも引きずり出そうと使者へ確認した。

 

「聞いた内容として、とりあえずこの地の割譲は当然だ。だが――領土以外のモノは何か提示されないのか?」

 

 大臣は竜王の言葉に返事が詰まる。

 竜種が宝石や貴金属を好むことも調べてあったが、その量については明記されていなかった。個体差もあるのだろう。大臣としては、事前に多少の金塊類の譲渡許可を受けていたが、中途半端なものを提示するのは怒りを買い危険だと考えた。

 最終的に王家に於ける莫大である保有量の十分の一を提示したいところだが、国王の承認を受けておらず苦悶する。

 大臣は時間のない状況ながら暫く考えると、竜王へ向かい伝える。

 

「竜王様。この件について、一度持ち帰りたく思います。数日、期間を頂けませんか。重大事項であり、中途半端に思われる回答は出来ませんので」

 

 人間の使者の答えに、竜王は僅かに譲り同意する。

 

「……(むう、これが重大な判断になると言う事は、やはり……我らの仲間の遺体は切り札ということかっ。だが……あれほどの『手法』を使った人間側の実力者の影が依然見えねぇ)……いいだろう。だが余り待たんぞ。特別に5日だけ待ってやる」

「5日……」

 

 馬車なら片道分の日数だ。しかし、無理だとは言えない。

 幸い〈飛行(フライ)〉を使える魔法詠唱者がいる。〈浮遊板(フローティング・ボード)〉に乗せて貰えるなら、往復に3日もあれば十分だ。

 

「特別の配慮、有難うございます。承知いたしました。では、一旦我々はこの宿営地から下がらせてもらい、5日後の今日と同じ頃……午前10時半に再び参ります」

 

 そう言って深々と一礼して、大臣と護衛の騎士達は謁見の場を辞した。

 戦車と馬車の止めてある場所まで大臣達は足早に戻って来る。

 そして、全員が速やかに乗車すると、一行の馬車は竜の宿営地を馬足を徐々に上げて離れていく。

 今の時間は午前11時25分。

 宿営地への入場時は死を前に周囲を見る余裕が余り無かったが今、馬車の窓の外を流れていく風景には、至る所に厳つく獰猛そうな表情ばかりの巨体の(ドラゴン)が翼を休めている。

 騎士達に数えさせていたが、現実に150体以上の個体の姿が宿営地の視界範囲内で確認出来ていた……。

 

「はははっ……本当にこれは、子供の頃に読んだ伝説や英雄物語の一場面。まさに夢のようだ」

 

 大臣の乾いた声の呟きに、周囲で守り座る護衛騎士らも目の前へと圧倒的に広がる光景をただ眺め頷くしかない。

 これらの化け物と正面から戦うことなど、普通の人類には到底不可能だと本能が理解する。

 エ・アセナルの広大に残る廃墟脇から街道へ入り南東へと戦車を先頭に一行は抜けつつ、大臣を含め護衛騎士8名と魔法詠唱者2名に御者達の全員が今、生きている事に激しく感謝していた。

 

 だが、彼らの仕事はまだ道半ばである――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国の大臣が煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグとの謁見を終えた時刻――。

 ここは、廃墟都市エ・アセナルの南側約50キロの穀倉地帯を通る細めの裏街道脇にあった林の中である。その東10キロのところには穀倉地帯の中央北部に存在する大森林の北端部が広がるが、そこからは外れている。

 漆黒聖典の7台の戦車隊は一旦全車がここで停車していた。

 戦車から降りた漆黒聖典の配下11名とカイレ、その護衛の陽光聖典隊員5名と御者の兵らを前に『隊長』は伝える。

 

「多くの者には黙っていたが――これより私一人で竜王と幹部指揮官らを倒しに行ってくる。2時間半ほどで戻る」

「「「――っ!?」」」

「なんやそら?」

「……えー!?(……モ、モモンちゃーん、どうしよう!)」

 

 太いおさげの髪に大きく変わった帽子を被る『占星千里』他、多くの隊員が驚く中、第九席次のクレマンティーヌも状況が劇的に変わった雰囲気に酷い焦りを覚えていた。

 その中、事前に『隊長』から行動を告げられていた彼女の兄であるクアイエッセは、平然とした声で『隊長』へ確認する。

 

「隊長、先日渡した非常脱出移動用のアイテムはきちんと持ったのでしょうね?」

「ああ」

 

 その言葉に、クレマンティーヌは反応する。

 

(えっ、部隊にそんなアイテムあったっけ……?! まさか……兄も……)

 

 予定が狂った以上に彼女のショックは大きかった。

 モモンの知らない情報であり、話からアイテムは即実行であり、彼が兄と対峙した時も逃げられる可能性が高い。

 それと、先日狭い資料室での兄との遭遇時に彼女が仕掛けていても討ち損じていたという事である。

 

(あの時、私は……また兄へ何も出来なかったってこと? ……クソったれっ、許さないっ……)

 

 クレマンティーヌの感情が怒りで爆発し掛けた。だが思い留まる。

 一時の感情如きで今、愛しのモモンとの約束と未来をフイにする事は愚かだと考えた。

 思い留まった僅かに震える体で呼吸を整えながら、状況を判断する。

 

 そして彼女が解答として出したのは――待機である。

 

 クレマンティーヌは今朝の日が昇る前、王都から来たというモモンと会っていた……。

 だが、そうして会うまでの下準備は案外面倒であった。

 まずは『深探見知』の周辺探知に関しての対応である。

 漆黒聖典の『深探見知』と言えども若く未熟さの残る人間である。彼女も休憩地で時々睡眠を取るのだ。そこに突破口を見つける。

 クレマンティーヌは忍び猫の如く行動し、この行軍の間に『深探見知』の呼吸を捉え、寝息を掴むことに成功する。

 『深探見知』の熟睡時間はおよそ1時間10分程。この間は流石に周辺探知されていない。

 次はモモンとの合流地点の決定だ。

 クレマンティーヌの小隊長の『神聖呪歌』は一見大人しそうで、実は勘の鋭い曲者であった。

 直接何度も質問することは、不審感を感じる点だとして気付かれる恐れがある。

 だから、それとは違うルートで情報を仕入れた。それは、普段から結構情報通の『時間乱流』へ、配給食の中からデザートを譲りつつ、行く先々のおおよその休憩地を前もって何気ない話の中から聞き出していた。

 それから割り出した密会位置情報を一昨日の夜中に、モモンからアイテムを通してきた連絡時に知らせる事で、彼との直接打ち合わせが可能になった。

 条件が揃ったことで今朝、休憩予定地から10キロ程離れた指定場所付近へ王都からモモンに脅威の身体能力で先回りしてもらい、暫く待っていてもらうことで大森林の中で再会していた。

 無論アインズは面倒であり、身体能力ではなく〈転移門(ゲート)〉を使っているが。

 密会の際に、二人はモモンの持参し広げた地図を見ながら20分ほどの打ち合わせをしている。

 もちろんその間、クレマンティーヌは彼へ可愛くスリスリしつつ、愛しのモモンから少し固い膝枕とナデナデをしてもらってだ……。

 これがあったから、先程の彼女のブチ切れが抑えられていたと言ってもいい。

 今朝の打ち合わせでは、その時居た休憩地の次の次、廃墟エ・アセナルの西方8キロへ回り込む位置で、漆黒聖典は総攻撃を開始するはずとモモンへ伝えてしまっている。

 次の休憩地までの到達時間は3時間先である。その休憩地にて最終の連絡があるはずだが、今は連絡の取りようがない。

 それに、隊長が居ないだけで、ほかの漆黒聖典のメンバーとカイレはここへ残る。なので現状、次の休憩地における予定状況からの差は、敵竜軍団の竜王と副官の上位指揮官級が残っているかいないかのはずだ。

 そこから竜軍団へ総攻撃を掛けるのなら、今は現状維持がベストだとクレマンティーヌは判断した――。

 

 

 右手に鋭い輝きを放つ槍を持つ『隊長』は、脱出用アイテムの所持を確認してきたクアイエッセへ回答したあと、まるでこれから安全な神官長室にでも赴く風に平然と告げた。

 

「不満や文句、詳しく聞きたい事はクアイエッセに任せた。では、私は少し行ってくる」

 

 彼の、〈飛行(フライ)〉の能力も併せ持つ最高峰に位置するという騎士風の衣装装備は、『隊長』を軽快に宙へと向かわせる。

 その空へ舞う凛々しい人類の誇る勇者の姿に、フードを被る老齢の第三席次の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が祈りのようで呪いのような言葉を捧げる。

 

「我らが人類の未来とこの勇者に栄光あれっ、亜種の怨敵は全て滅び去るのみっ!」

 

 それに続く隊員達。

 

「蜥蜴の親玉なんか一撃で軽く倒してくださいよーーっ!」

「人類の敵は、撃滅あるのみですからっ!」

「“隊長”、頑張れーーーーーッ!」

「竜共など……殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ――――」

「カクヤイカマラン、ザマラン。――敵将星落ちるべしっ!」

「絶対勝たんとあかんよ、“隊長”ーーっ」

 

 部下達の激励の声が届き僅かに口元を緩めると、『隊長』は右手に握る槍の如く高速で北側の空の彼方へ飛び去って行った。

 

 

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓第九階層にある統合管制室。

 現在ここでは、重要対策案件としてチームを組み、24時間体制で漆黒聖典戦車隊の動きを詳細に追跡している。

 この場の責任者で、黒い革張りの立派な席へ座るエクレア・エクレール・エイクレアーに、『遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)』を見ていた怪人から声が掛かる。

 

「エクレア様、至高の御方からの最優先目標の部隊で動きがありました」

「……どんなことですか?」

「部隊の指揮官と思われる者が、一人で北方向の空へと飛び去りました」

「行先はどこへ?」

「隣の席の者が、現在まだ追跡中です」

「分かりました。とりあえずセバス様……は出張中ですのでアルベド様へ報告してきます。厳重な監視を続けてください」

「はっ」

 

 エクレアは席を――立たず、横に立っていた怪人風の男性使用人の小脇に抱えられると管制室から退出する。その姿はイワトビペンギンのはく製が運ばれているようにしか見えない。

 彼は種族レベルがたったの1の鳥人(バードマン)であるため、スキルも魔法も持っていない。

 オマケに連絡には自分の足で進むより、運んでもらう方が早いという低スペックぶりであった。

 だが、セバスの配下で執事助手でもあり、理解力と判断力も高いため、アインズによりこの役職についている。

 アルベドの執務室へ通されると運んできた怪人風の使用人により、統括の座る机の前へと据え置かれる。

 そこでエクレアは一礼すると口を開いた。

 

「アルベド様、アインズ様から最優先目標とされている部隊『漆黒聖典』に動きがありました。どうやら指揮官が単独で北へと動き出した模様です。その行先はまだ追跡中です」

「……エクレア、管制室へ急ぎ戻りましょう。行先を確認してからアインズ様へは報告します。私も確認した方が良さそうですね」

「は、そうですか。では参りましょう」

 

 エクレアは飄々と答えた。

 そして再び、怪人風の男性使用人の小脇に抱えられて、アルベドの退出に続くべく待つ。

 アルベドは謀反を度々口にするエクレアを余り信用していない。

 主が指名したから使っているに過ぎないのだ。もし、報告に重大と認める問題があれば、直ちに更迭を支配者へ進言するつもりでいる。

 その為の自分の目による確認であった。

 アルベドは席を立つと、統括専用の執務室を後にし廊下を進み統合管制室へと入った。

 エクレアの座っていた席に座らず、立ったまま怪人のオペレーター達へ確認する。

 

「どう、漆黒聖典指揮官の行先は掴めたの?」

「現在依然飛行中ですが、直線的に進む移動経路がそのまま北側にある竜軍団の宿営地の方向へ向いています。速度からして到着まであと40分程かと」

「……分かりました。監視を継続しなさい」

「はっ」

 

 アルベドは迷わず、支配者へと〈伝言(メッセージ)〉を繋ぐ。

 

「あの……アインズ様、緊急の報告がございます」

『……アルベドか。どうした――』

 

 連絡を受けた時、モモンはクレマンティーヌとの約束をまず果たすべく行動ていた。

 これはズーラーノーンとの信用的な取引の一項目も兼ねており、片付けておきたい案件。

 護衛としてアウラとそのシモベ達5体、並びにフランチェスカを従え、エ・アセナル西方の山岳部麓に広がる森の中へ、漆黒聖典に先回りする形で潜伏中であった。

 勿論、王都のモモン役をパンドラズ・アクターと代わってだ。

 マーレの代わりだとして、モモンと手を其々繋いで頬を染めているアウラとフランチェスカは大いに張り切っている。

 冒険者チーム『漆黒』は今日、竜王国の件もあり朝一から大型馬車で連れに来たアインザック達や王都組合長と行動を共にしており、マーレもマーベロとしてモモン役のパンドラズ・アクターと共に行動しなければならなかった。

 昼前には解放される予定だとモモンはマーレより〈伝言〉で連絡を受けている。

 マーレもナザリック主力として参加する『至宝奪取作戦』の引き金である漆黒聖典の竜軍団への総攻撃は、午後2時頃を予想しており、その時チーム『漆黒』は昼食後に宿屋で休んで居るというアリバイを計画してある。

 

 モモンは、アウラから周辺に誰もいない事を確認済で、アルベドの声に耳を傾けていた。

 

「――何かあったのか?」

『はい。漆黒聖典の指揮官が、竜軍団の宿営地へと単身、〈飛行〉で向かっているとの事』

 

 アルベドは一応、残った漆黒聖典の部隊の構成や位置も細かく伝えた。

 

「(なんだとっ)……アルベドは、この行動をどう思う?」

 

 急に先手を取られた今の状況に内心(あわ)てつつもアインズは、広い考えの中から答えを拾うため、先にアルベドの考えを聞いた。

 その問いにナザリックのNPC統括は答える。

 

「はっ。スレイン法国の部隊戦力資料から、漆黒聖典隊員の総攻撃では、竜王や百竜長らの攻撃で隊員の多くが一撃で死ぬ可能性が高く、総攻撃に先立っての最強戦力“隊長”単体による敵の上位潰しと考えます。威力偵察の更に強行版かと」

「……(そういう目的の行動かなるほど)――流石はアルベド。私もそう踏んでいる」

「あぁぁ、ありがとうございます。それでアインズ様、いかがいたしましょう」

 

 アインズは『えっ?』と思った。しかし、最終対応を判断するのは絶対的支配者の自分であることをすぐに思い出す。

 アルベドは『至宝奪取作戦』の変更はないかと聞いているのだろう。

 ここで『どうすればいい?』とは聞けない。

 主は考えた。だが今、5分も10分も考える訳にはいかない。

 幸い『至宝奪取作戦』――『エィメン作戦』は最上位悪魔デミウルゴスにより漆黒聖典の部隊がカイレの傍へある程度残っている場合にも増員により対応可能な作戦となっている。

 ちなみに、トブの大森林侵攻作戦の呼称は『ハレルヤ作戦』、竜王国延命作戦は『ゴスペル作戦』である……。

 アインズは今作戦指揮者へと伝える。

 

「アルベドよ、作戦を前倒しで実行せよ。マーレにも緊急で連絡を取れ。あと変更手順はこうだ――」

 

 1分ほど指示を受けたアルベドは主へと謹んで答える。

 

『仰せのままに。それでは、作戦を開始いたします』

「うむ。私は並行して独自で動くが、全体の指揮は任せた。ではな」

『はい、アインズ様!』

 

 ナザリック地下大墳墓の誇る、強大すぎる戦力が徐々に動き始める。

 主力の一人、マーベロことマーレ・ベロ・フィオーレに連絡が入ったのはその直後だ。

 アルベドからの〈伝言〉で『作戦開始』の命令を受けたマーレは、即行動を開始する。

 その時、『漆黒』のマーベロは、アインザックら王都冒険者組合長達と王都内を大型馬車で移動中であった。

 しかし――モモンガさまから作戦開始が発せられた以上、何を放ってもである。

 

「す、すみません。僕、急用を思い出しましたっ。失礼します」

 

 そう告げると、走って揺れる馬車の中でモモン役のパンドラズ・アクターの隣席からスッと立ち上がると、側面の扉を開け放ち飛び降りる風に石畳の通りへ駆け出し、建物の脇道へとあっという間に消え去っていった……。

 同乗の皆が唖然とする中、落ち着いた偽モモンが「あの、マーベロは買い出しの忘れ物を見つけたみたいで……」と誤魔化す。幸い訪問先は回り終えていて、宿屋へ送られる途中であったためそれ以上の問題にはならなかった。

 

 マーレは、建物が犇めく脇道奥へと入ると周辺に人気の無いことを認識して〈転移〉でナザリックの地表部まで帰って来る。

 中央霊廟の正面出入り口前には、すでに作戦へ参加する戦力が集結していた。

 指揮官のアルベドを始め、マーレ旗下の8体の(ドラゴン)隊がすでに統括からの出撃準備命令を受け待機していた。平均でLv.80に迫りその内の2体はLv.90程にも達する。

 マーレはそれらを率い横に居るシャルティアが開いてくれた〈転移門〉によって出陣していく。

 それに続き、シャルティアも謎スライムのエヴァと吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達を連れてその門を潜って進む。

 最後にアルベドがデミウルゴスへ「しばらく守りを頼みます」と告げ、彼の秘策となる物体を抱え〈転移門〉の中へと消えた。

 出征する仲間を見送ったデミウルゴスとコキュートスが呟く。

 

「まあ、大丈夫でしょう。アインズ様の傍にアウラ達もいますし」

「ソウダナ。……シカシ、私モ早ク先陣デ剣ヲ存分ニ振ッテ戦イタイモノダ」

「竜の軍団と竜王国の件が終って少し先ぐらいでしょうかね」

「ムウ。マダヒト月近クモアルノカ」

「なあに、すぐですよ、すぐ」

 

 そう言ってデミウルゴスは、逸る武人のコキュートスを慰めた。

 

 

 

 アルベドが〈転移門〉を通った先は、漆黒聖典の戦車隊が留まる場所から15キロ程南西の位置に僅かに点在する森の中。

 集った戦力は、アルベドが単身で、シャルティアとマーレは配下を従えて整然としていた。

 作戦はすぐに実行へと移される。

 

「マーレ。(ドラゴン)達に例のアイテムを装備させ、命令を再伝達しなさい。私はこの者達に外見の〈上位幻術〉を掛けます」

「は、はい。じゃあみんな、まずこのステータスを誤魔化すアイテムを――」

 

 小柄で可愛いマーレからアイテムを受け取り彼女の明朗な説明に、個々で全長20メートル程ある巨体の(ドラゴン)達はコクコクと長い首で頷く。

 その後ろで、アルベドがスキルで1体1体に〈上位幻術〉を掛けていく。

 マーレは説明を終えると、「みんな、頑張ってね」と8体のうち既に幻術の掛かった4体を漆黒聖典の駐留場所へと送り出した。

 シャルティアも出撃準備を始める。一瞬で特別に強化のされた伝説級(レジェンド)アイテムの真っ赤である全力装備衣装を纏い、神器級(ゴッズ)アイテムのスポイトランスを握った。

 真祖の姫はあとの細かい事を、残る配下のエヴァに任せる。

 彼女の声はこれまでで一番真剣に聞こえたかもしれない。

 

「あとは頼んだでありんすよ」

「……(ハイ、オ任セクダサイ)」

 

 残りの(ドラゴン)達も〈上位幻術〉を掛けられ終わると、マーレの言葉で飛び去って行く。

 それを見送ったシャルティアもこの場より消えた。

 アルベドは、エヴァと吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達へ地面に転がしていた『例の物体』を指差し告げる。

 

「指定の場所で待機し、マーレからの〈伝言〉の指示に従ってコレを確実に届けなさい。そして、()()を絶対に忘れないこと。貴方達の役目は非常に重要です」

「……(ハイ、全テ心得テオリマス。デハ出マス)」

 

 アルベドとしては、機転がほぼ利かない吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)を率いるのが、結構短慮といえるシャルティアではないので幾分安心である。

 エヴァを先頭に吸血鬼の花嫁達6名が秘策の物体を抱えて出撃した。

 ここへ残ったのはアルベドとマーレである。だが、彼女達は『このケース』では待機で、出撃は状況次第だ。

 

「マーレ――状況はどうですか?」

 

 漆黒聖典が出撃して初めから標的である老婆の周りに居ない場合は、竜隊の陽動は使わずに彼女達二人が〈完全不可知化〉で出る計画であった。

 でも今回の状況では、マーレの広範囲の識別能力を全開で使ってもらう。

 デミウルゴスの立てた『至宝奪取作戦』の第一段階は陽動である。

 それも、三重に用意し執拗に実行する。

 まず4体の(ドラゴン)達の小隊を迂回させ、漆黒聖典の駐留場所へ北側から弧を描く形で偵察風にゆっくりと接近させ偶然の発見を装い攻撃させる。

 漆黒聖典側は『深探見知』により(ドラゴン)達の接近を事前に知るだろう。

 この時(ドラゴン)達は、偽装アイテムと幻術により煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)の配下の竜にしか見えない。

 漆黒聖典の者達は攻撃に対して抵抗するはずで、其々が難度120程度に見える竜小隊に対して恐らく老婆の傍へ2名程を残し撃退戦に出るだろうとデミウルゴスは想定した。

 ――そして実際には。

 

「あ、あの漆黒聖典は、老婆の護衛に3名を残したみたいです。残った中に――“深探見知”はいません」

 

 アルベドは『よっしゃー』という思いから拳を握る。

 この陽動による最大の狙いは、老婆の傍からの『深探見知』の引き離しである。

 計画案として、漆黒聖典隊員へは均等に攻撃する事になっていた。

 可能なら厄介な眼鏡の彼女(深探見知)についてのみ半殺しにしたいところであるが、集中攻撃すると『なぜ知っている?』ということにも繋がるので出来ないのだ。

 この攻撃はナザリックと無関係で、あくまでも竜軍団によるものと見せかけるのが作戦の狙いの一つである。

 竜4体の小隊は、漆黒聖典からの攻撃を躱しつつ、至宝を纏う老婆から遠退きながら隊員達を引き付け上空で予定通り騒ぎ立てた。

 その騒ぐ様子に対し遠方より発見したとして、東方より接近する2体の竜達で2つ目の陽動を駐留場所付近へ仕掛ける。

 これにより戦車隊を止めた所から移動し、林の奥の開けた場所で待機する老婆の傍に漆黒聖典は居なくなっていた。

 隊員等は前方へと出て、定石通りにカイレを守るべく敵を引き付けていた。

 この段階でまだ漆黒聖典が残っていたとしても、残る2体が間もなく西方の空より攻撃に入る。

 これが3つ目の陽動。そして第二段階の暗殺へと移る。

 至宝を装備する老婆の護衛は、杖を握る陽光聖典の5名。カイレも含め、彼らは上空に現れ周囲を舞う竜に注目せざるを得ない。

 

 ――それがチェックメイトとなった。

 

 アルベドの声が〈伝言〉で、全力装備で待機中のシャルティアに届けられた。

 

『シャルティア、今よ。時間が無いわ、2分以内に終わらせなさい』

 

 マーレは、『深探見知』とカイレの距離をずっと測っていた。

 それは竜では無い()()()()()の存在を知られない為にだ。実行者は強力だが〈完全不可知化〉が使えなかったのである。

 余り時間は無かった。第二の陽動で引き離した漆黒聖典の3名がカイレの上空に現れた竜を見て急ぎ戻って来つつあった。

 だが、万全で待機していたシャルティアは不敵に笑いこう伝える。

 

「ふっ、10秒あれば、十分でありんす」

 

 返事の前に、シャルティアの〈完全不可知化〉が使えない『白き分身』はもう動き出していた。

 デミウルゴスの計画では〈完全不可知化〉も可能なシャルティア本人であったが、アインズがここだけは変更させた。

 穀倉地帯のまだ緑の風景の地上を風の様に抜け、1キロ程あった距離を『死せる勇者の魂(エインヘリヤル)』は神速で詰める。

 そして本体の彼女が最後の言葉「んす」を告げる頃には、長く伸ばした白く発光する右手5本の鉤爪が、カイレを円陣で守ろうと動き出したまだ一列に並ぶ陽光聖典の5名を、後方からまるで竜の爪で粗々しく引き裂かれた感じでバラバラの姿に変えていた。

 護衛の彼等は真実を何も見ないまま一瞬で絶命する……。

 

 その刹那の周囲の異変と雰囲気に、武人であるカイレが気付き振り向きかけた時、耳元で可愛らしい少女の声が聞こえたような気がした。

 

 

 

 『――死ネ』と。

 

 

 

 それは幻聴だったかもしれないと、銀色地に金の糸で竜の刺繍の入った法国の至宝である衣装装備を纏うカイレは思った。

 その直後、自分の耳に入ってきたのが、己の苦痛に喘ぐ枯れかけた声であったから。

 

「あ゛……ぁぁぁ……」

 

 彼女の暗くなり始めた視界には、己の体を背中から心臓を突き抜けて光る血に染まった長く鋭い2本の爪が見えていた……。

 世界最高峰のアイテムを装備したカイレの視界は、間もなく暗転する。

 

 『至宝奪取作戦(エィメン作戦)』の最後は、第三段階の証拠隠滅である。

 至宝の装備者が絶命するとほぼ同時にこの地へ、エヴァと吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)らが現れた。

 そして、持ってきた秘策の物体――統合管制室の映像から至宝を模造した銀色の衣装を着た老女の死体を地面に置くと、『死せる勇者の魂(エインヘリヤル)』と吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)はカイレの死体を担いで退散する。

 残ったエヴァは、彼女らの足跡の痕跡を、竜の足形に変形した自身の身体を使って出来るだけ崩しておいた。

 そして〈完全不可知化〉しながら、エヴァ自身もこの場を静かに離れる。

 この間1分。

 最後の仕上げとして、上空にいた2体の(ドラゴン)が模造した目立つ血の付いた銀色の服を着た偽老婆の死体を掴んで飛び去ると同時に、この凄惨極まる現場へと〈火炎砲〉を多数打ち込んだ――。

 

 間もなく戻って来た漆黒聖典の3人は、木々や草が燃え盛る現場で、竜に連れ去られていくぐったりとした朱色にも見える服の老いた人物を見つめた。

 

 

 

 

 

 

「なっ、カイレ様ーーっ!」

「陽光聖典の護衛が全滅?!」

「なんだ、と……」

 

 戻って来た『神聖呪歌』達が目の前の惨状に叫ぶ。

 漆黒聖典の顔ぶれは『神聖呪歌』の他に『時間乱流』と大剣を握る第六席次である。

 

「くっ、時間を最大で巻戻して飛んでも状況が変わらないぜ。あたい一人じゃあの(ドラゴン)兵2体も倒せねぇし」

 

 『時間乱流』は生まれながらの異能(タレント)により、数分間なら『過去』に戻れる。また、例えば3分戻り、即2分未来にも行ける。ただし、1日のうちで計10分程しか戻れない。そして過去へ飛んだ時のみ未来に行け、過去へ戻った時間よりも多く未来には行けない。

 なお、飛ぶ前の記憶や位置、ステータスは引き継ぐので、足場が無かったり重傷を負った傷などはそのままである。

 なので、彼女がもっとも威力を発揮するのは過去にもたらす『最大10分先の未来の情報』である。

 だがこの場では活かせない。

 今、後方から追って上空に現れた竜兵に、漆黒聖典らの攻撃がほぼ通らなかったのだ。

 スプライトな螺旋模様のレイピアを持つ『時間乱流』は心で唸る。

 

(難度は120程度だって聞いたのに、鱗や体が硬すぎる。一体どうなってるんだ全くっ)

 

 『神聖呪歌』の第5位階神聖系魔法〈聖者の枷〉は相手の全ステータスを一時的に低下させる力があるはずだが、竜達は影響を感じさせない頑強さであった。

 第六席次の振るう大剣の一点への7連撃ですら、その強靭さに鱗を突破することが出来ていない。

 彼らはこの竜兵達が難度で200を軽く超えている事に気付けずにいた……。

 

 それは、『神聖呪歌』達だけではなかった。

 先に接触した、クアイエッセ達も広い草原や麦畑で戦線を展開後移動しつつ同様に戸惑っていた。

 

「どうなっているっ、魔法も打撃も殆ど効いていないぞ。本当にこいつらの難度は120程度なのかよっ」

 

 『人間最強』が珍しく遠距離攻撃用で大斧を握り、吠えるように不満を吐き出した。

 彼等8人は、上空の4体の竜へ射程の長い各種攻撃を順に繰り出しているのだが、多くが信じられない速度で回避された。強力であるはずの範囲魔法攻撃が当たった場合も一瞬効いた素振りは見せるが、俊敏な動きに変化が無かった。

 しかし『深探見知』の観測する難度は間違いなく120程度を指している。

 

(実質の難度って150ぐらいあるんじゃないの?! まさか……でも……)

 

 相手は全種族最強の(ドラゴン)。種類ごとの差もあるだろうし可能性は否定できない。

 眼鏡を右手中指で押し上げながら『深探見知』は苦し紛れに怒鳴る。

 

「そんなの(ドラゴン)に聞いてっ! 難度以上に強いって言われてるでしょ」

 

 仲間の混乱気味でのいら立ちに、セドランが大声を出し制す。

 

「難度を当てにするなという事だ。目の前にあるのが現実の全て。各個撃破しかない。皆の攻撃を1体に集中しろ」

 

 だがここで上空の(ドラゴン)4体の内、1体が離れていく。

 それに対して――クレマンティーヌが兄を誘う。

 

「兄上様っ、私達二人であの1体をまず血祭りに」

 

 副長である第五席次『一人師団』クアイエッセは一瞬考える。

 仲間が居て乱戦に変わった現状況では、ギガントバジリスクの軍団が使えないのだ。

 彼の主戦力は広域での包囲や蹂躙戦向きであった。

 ならば、ここは分かれた方が力を行使できると考えた。

 それと――妹から声を掛けてくれた事で、後で歩み寄れる多少の切っ掛けにもなるのではとの思いもあった。

 金髪の貴公子のクアイエッセが小隊長筆頭のセドランへ告げる。

 

「この状況では私の戦力が上手く使えません。セドラン、あなたを中心にこの場で3体の竜を足止めください。私と“妹”で、あの1体を片付けて来ますから」

 

 確かに、ギガントバジリスクの軍団が居ない今の漆黒聖典では戦力が万全とは言えないと、セドランも感じた。しかし『石化の視線』などがある以上、この場で彼の強い召喚モンスター群の投入は難しい。

 セドランは頷いた。

 

「よし、引き受けた。早く戻って来てくれ」

「わかりました。では頼みます」

 

 こうして、クアイエッセはクレマンティーヌと共に、1体だけで離れた竜を北西方向へと追い掛けた。

 兄クアイエッセの身体能力は、クレマンティーヌに殆ど負けていない。二人は人間離れした速さで地を駆け(ドラゴン)を追った。

 その(ドラゴン)は不思議な事に速度や高度を上げるなど全力で飛び去ろうとはしなかった。

 それが4分以上も続いた頃、前方を飛ぶ竜を見ていたクアイエッセは静かに眉を顰める。

 

「……(ん、竜が向かってこない? 何か気になります)……クレマンティーヌ、これは少しおかしくないかい?」

 

 すると、並走するクレマンティーヌが告げる。

 大口を開け大笑いしながら――。

 

 

「んはははっ、んふふふふっ。可笑しいよねーーっ。こんな簡単に兄上様が自ら――死地に飛び込んでくれるなんてねー」

 

 

 駆け続けるクアイエッセがゆっくりとクレマンティーヌの方へと顔を向けると、彼女の顔は最高に歪んだ笑いを浮かべていた。

 積年の恨みが報われて愛しの人とも結ばれるし、もう笑いが止まらないという感じだ。

 金髪の貴公子は余りの事に急停止する。

 この地を見渡すと広く麦畑がどこまでも広がっていた。視界の端に木々が集まる林が僅かにある程度。すでにセドランや『深探見知』からは十分離れた場所であった。

 クアイエッセは、妹へ人類の敵と戦闘中だという現状を考えて欲しいとの思いで語る。

 

「こんな時に、何を言っているんだい君は。“隊長”も命を賭けて戦いに赴いている今、人類が滅びるかも知れない敵なのに。兄妹で協力してあの竜を倒すんじゃないのかい?」

「だっさー。そんなのに私は全然興味ないからねー。アンタに興味があるのはー、苦しみ抜いての惨ったらしい死に様だけだからー。今日、見せてよねっ」

 

 妹の殺意漂う言葉に、クアイエッセの雰囲気が流石に変わった。

 

「…………私に、そんな酷い思いをずっと持っていたのかい?」

「ええ。この手でアンタを殺そうと努力してきたけれど、残念だわー。<超回避>、<能力向上>、<能力超向上>――殺せなくてねっ!」

 

 クレマンティーヌは、言葉とは裏腹で既に腰からスティレットを抜き去り二刀流で、クアイエッセへと襲い掛かっていった。

 <疾風走破>は兄妹で先程からもう互いに入っている。

 クアイエッセは、剣撃での勝負は分が悪いと、回避に専念し速やかに間合いを取る。

 そして、その間に召喚詠唱は終わっていた……。

 

 

「出でよ、我が軍団っ、ギガントバジリスクっ。ギガントバジリスク。ギガントバジリスク。ギガントバジリスクっ。ギガントバジリスクーーっ!!」

 

 

 広い周囲の空間にギガントバジリスクが1体ずつ現れ、一声ごとに増えていった。

 その数、実に5体。

 連呼するその声は、単に聴くとマヌケにも思えるが、現れたモンスターの強さが笑う事を許さない。

 体長は10メートル以上あり、蜥蜴に似た八本足で宝石風の固い角状のトサカを持つ巨体のモンスターだ。難度は83程度もある。

 この新世界の水準では、猛毒の体液や『石化の視線』を備えるギガントバジリスクは反則級の強さと言えるだろう。

 それを多数同時に操る彼は、伊達に『一人師団』と呼ばれていない。

 

「(ちっ、やはり厳しいか)……あらー、もう助っ人出しちゃうんだー、弱っ!」

 

 皮肉たっぷりの言葉を浴びせるクレマンティーヌが結構強気でいるのは、今の彼女の全力装備衣装である。

 外装の女騎士風の鎧は、軽装ではあるが聖遺物級(レリック)アイテムで一番厄介な石化等に耐え無効化してくれる。

 主武装の2本組のスティレットも伝説級(レジェンド)アイテムで、ギガントバジリスクの分厚い外皮も切り裂ける逸品だ。

 猛毒の体液も自慢の神速で躱せれば、ギガントバジリスクすら十分倒せるモンスターである。

 だが、それはあくまでも2対1程度での話だ。

 流石に兄も入れて6対1ではどうにもならない。クレマンティーヌの突進する足が止まった。

 それを見たクアイエッセが、疑問をぶつけてくる。

 

「――何故だい、クレマンティーヌ? 何故そんなに私を憎んでいるんだい。私が妹の君へ酷い事をしたかい? 私は何もしていないはずだよ」

 

 それへ、クレマンティーヌは歪んだ満面の笑顔で即答する。

 

「本当に――何もしなかったよねー、兄上様は。小さい時も、侍女任せにされた私が父様母様から注目されたくて、色々したけどスルーだもんねー。ずっと優秀で可愛がられてたアンタはそれを見て見ぬふり。学校でも社会でも常にトップで、ずっと目を掛けられていたから満足してるんだろうけどー。その偉いアンタに取り入ったり近付こうと、私に寄ってきて利用しようと持ち上げて可愛がって騙して捨てて裏切るバカの多い事多い事。ホーント、イヤになっちゃったわー。その時に何度も何度も何度も何度も随分酷い目にもあったけど、見ていたアンタは何もしなかった。知ってるんだよ私は。ろくでもない兄貴面だよねー。でー、腹いせにアンタや家の評判を落とそうと一杯ステキな悪戯をしてみたんだけどー、それほど効果ないみたいだしー。んふっ、気付いちゃった。アンタが居なくなれば、不満が早く綺麗さっぱり無くなるってねー。

 ――だから、オマエは早く死ね!」

 

 クレマンティーヌは、剣を握り凄い鬼の形相で仁王立ちのまま兄のクアイエッセを睨み付けた。

 彼女の視線には、凄まじい殺気だけが込められている。

 

 その妹の姿にクアイエッセが――満面の笑顔を浮かべる。

 彼は怒らない。

 

「素晴らしいね。苦悩に歪む表情もそそるけど、その殺意のある瞳や顔も可愛いよ。胸に響いてドキドキする。可哀想だけど妹の君には私を追い落とす力はないよ。だから――私の為に一生その苦悩を見せ続けて欲しい。ずっと楽しみに見ているからね。でも今、私はあの(ドラゴン)を倒さないといけない。少し忙しくてね。クレマンティーヌはこのギガントバジリスク達と遊んでいてくれるかい? 毒には気を付けるんだよ」

 

 優しい声の兄は――妹以上に平然と狂っていた。

 その事実だけがここに存在していた……。

 

 

 

「――――クズい兄貴だなぁ。まあ、気兼ねなく殺せるかな」

 

 

 

 その時にクインティア兄妹ではない声が空から聞こえた。

 勿論、モモンである。

 二人は条件反射的に声のした左方向を見上げる。

 その見慣れた漆黒の鎧姿へ、クレマンティーヌは思わずスティレットを握る左手を振り、愛の籠る黄色い声を上げた。

 

「キャー、モモンちゃーん。凄ーい、空飛べたんだねー。待ってたよー!」

 

 正に彼女の英雄(ヒーロー)が颯爽と、赤いマントを翻し空へと不可視化を解いて登場していた。

 当然、竜の動きについてはアウラが指示し、クレマンティーヌには「好機に兄を誘い出せ」とモモンからの『小さな彫刻像』を通した指示があった。

 モモンはゆっくりと、クレマンティーヌの隣へ降りて来る。

 彼女は子猫の様に、愛しのモモンへと寄り添い抱き付き、全身を絡めてスリスリした。

 兄の殺害は、二人の鮮烈な『共同作業』でもあるのだ。来てくれるだけで、一生モノの大きさの愛を感じてしまうクレマンティーヌであった。

 そのモモンに熱く縋り付く妹の表情を見て、兄クアイエッセの優しい表情が――怒りで激変した。

 クレマンティーヌの表情が、()()()()()頬を染める乙女の微笑みと言えるものに変わっていて我慢ならなかったのだ。

 

(なにぃぃーー、許せませんっ。クレマンティーヌの慢性苦悶の表情を奪う男などっ!)

 

 法国貴族クインティア家の嫡男クアイエッセ・ハゼイア・クインティアが、顔を真っ赤にしてモモンを怒鳴りつける。

 

「おいっ、平民の冒険者っ。私の妹に幸福を与えるなど――――恥を知れっ!!」

「……は?(身の程じゃないのかな)」

 

 モモンには意味が分からない。いや、多くの者も分からないはずだと思いたい。

 クインティア家の嫡男との価値観の相違だろう。

 なお冒険者と呼んだのは、クアイエッセが法国内での妹の人間関係をほぼ掴んでおり、把握していないエ・ランテルに関わる者と思ってである。

 兄クアイエッセの怒りの喋りは止まらない。

 

「クレマンティーヌは同性も嫌いだが、男はもっと嫌いなはずなんだ。私が強くそう仕向けたのだからなっ」

 

 『お前、何もやってないって言ってなかったか』とツッコミたい思いを押し殺し、モモンは黙って聞き続ける。

 

「つまり、私を含めて男が傍に居るだけで、常に妹はイライラするはずなんだ。苦悩するはずなんだっ! お前が酷い男ならまだ許そう。妹は激しくイヤがり、そう簡単に夜の身体を許すまいっ。そして強引に身体の全てを奪ったとしても憎しみと恨みだけが残る。スバラシイっ。しかし、そのスリスリと抱き付いている今の状況はなんなんだっ。どうしてそうなった? 完全に私の妹が発情しているじゃありませんかっ! どうしてくれるんですっ! 望んだ子供が出来ちゃったりしたらどう責任を取ってくれるんですか! 私のメロリアが凄い幸せを掴んじゃうじゃないですかっ!! 朗らかで歪みの無い幸福な笑顔しか見られなくなるなんて―――兄の私には耐えられない……」

「…………(あの、ちょっともう何言ってるか分からないんですけど?)」

「……兄上様最低ーっ」

 

 妹の殺気の籠る視線とキツい罵倒で、我を取り戻すクアイエッセ。

 

「……クレマンティーヌ、お前はその男に騙されているんだ。幸せなんて――寒い幻想なんだよ。必ず壊れてしまうから。この優しい兄を信じないのかい?」

「モモンちゃんは、温かいし絶対に私を騙したりなんかしないっ。ねーっ、モモンちゃん!」

「(ぐっ)勿論かな……」

 

 漆黒の兜のスリットから覗くモモンの視線は、クレマンティーヌから右下へ外れていた。

 純粋に響くクレマンティーヌの愛の言葉は、モモンの心に言知れぬ何かを激しく突き刺していく……。

 兄の言葉の方が、偶然にも現状に限りなく近い事を語っていたのは皮肉でしかないだろう。

 

(真実を知った時に、クレマンティーヌの心が壊れなければいいけどなぁ……)

 

 モモンは近付きつつある彼女への告白の時を考え、淡々とそう思った。

 だがクレマンティーヌとの約束を実行する時は今。このゲスい兄は殺害有るのみである。

 対象が配下の身内という事だが、支配者に『躊躇(ためら)い』という考えは清々しいほど微塵もない。

 モモンは縋り付く子猫の彼女へと問う。

 

「もう別れの挨拶はいいかな?」

「うん。いいよー。なるべく(むご)たらしくお願いねー」

 

 期待一杯の言葉を後に、クレマンティーヌはモモンから10メートル以上大きく下がった。愛しい彼の邪魔にならないようにと。

 

「(惨くと言う部分は、余り気が進まないんだけど)まあ、頑張ってみるよ」

 

 振り向かず、漆黒の戦士は右手を軽く上げて答え、金髪の貴公子とギガントバジリスク達に対して足を踏み出し歩きだす。

 怯む事の無いそんな漆黒の戦士の様子に、クアイエッセは怪訝に思う表情を浮かべた。

 

(この平民の冒険者、ギガントバジリスクが、石になることが怖くないのかい? そんなはずはない)

 

 中々立派である黒い全身鎧を付け、大きな剣を背負う巨躯の男ではある。

 だが、ギガントバジリスクは強い。多少の武芸や力自慢の人間などの比ではないのだ。

 3階建ての石造りの大きい屋敷ですら一撃で薙ぎ払い粉砕する尻尾もある。

 クアイエッセは、近付いて来るモモンを見詰め、思考のあとに呟く。

 

「……(〈飛行(フライ)〉を使えても、“石化の視線”に耐久(レジスト)出来ても、猛毒を体内中に秘めるギガントバジリスクはそう簡単には倒せないのです。思い知って下さい己の無力に。妹へ幸福を運んで来た事を後悔してですよ)……よろしい。愚か者には死をあげましょう」

 

 その言葉と同時に、クアイエッセはギガントバジリスクを操る。

 モモンに対して一番遠い右端のギガントバジリスクが、まず『石化の視線』でモモンを睨み付けた。

 しかし、漆黒の剣士の歩みは全く変わらず止まらない。

 クアイエッセへと一歩また一歩と近付いてくる。

 金髪の貴公子は、その様子に変わらず口元へ優しく微笑みを浮かべながら伝える。

 

「“石化の視線”を本当に耐えましたか……。では全員で――掛かりなさい!」

 

 そう言って、優雅に右腕を軽く振り下ろす動作でモモンを指し示した。

 クアイエッセの両脇から5体のギガントバジリスクが、我先にと漆黒の戦士へと殺到していく。

 その様子に、漸くモモンは右腕でグレートソードを1本抜き放つ。

 

(魔法で〈溺死(ドラウンド)〉を使えれば、汚れずに殺せて楽なんだけど。まあいいか)

 

 勿論、既に〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉は発動している。モモンに取ってギガントバジリスクなど、もうザコモンスターでしかない。

 漆黒の戦士は近寄って来た順に、ギガントバジリスクの1メートル以上ある太い首を一剛撃ごとに落としていった。

 猛毒である体液が首の切断面から周囲へ雨のように降り注ぐがモモンは止まらない。

 5体の『処理』に掛けた所要時間は合わせても15秒程。

 当然、首を落とされたギガントバジリスクは、その場で痙攣しつつ崩れ落ち即死していた。

 

「こ、この短時間で、全て一撃で軍団撃破だと……、低難度のゴブリン達などとは違うんだぞっ。そ、そんな、馬鹿な……」

 

 目の前で起こった圧巻劇の光景に、クアイエッセは自然と震えを覚えつつ追加召喚するために続けて叫ぶ。

 

「ギガントバジリスク、ギガントバジリスク、ギガントバジリスクっ! ――掛かれーっ、殺せー!」

 

 呼び出されてすぐ、ギガントバジリスク達は素早く突撃していくも、モモンにより確実に彼らのその太い首が、捉えきれず躱せない圧倒的速度の一撃ごとに切り飛ばされていった……。

 クアイエッセの召喚の呼び声は8体を出しすべて殺されたところで終わってしまう。

 彼の指にはめている10個の指輪の内、8つから光が失われていた。

 

「…………あってはいけない、こんな事が……。妹の歪んだ笑顔が……」

 

 今、僅かに震え立つクアイエッセの5メートル程前には、猛毒の体液を鎧に浴び平然とグレートソードを持つモモンが静かに立っていた。

 『平民の冒険者』が改めて告げる。

 

「次はお前が死ぬ番だけど、いいよな?」

 

 クアイエッセはビクリとするも、自分が殺されるなんてことは起こらない事だと思い出す。

 

「ははは。やりますね、平民の冒険者。でも残念でした、私は死にません。出でよ――クリムゾンオウル、クリムゾンオウルっ。この平民の足止めを命じるっ」

 

 金髪の貴公子の召喚に、全長3メートルはある赤く巨大な(ふくろう)のモンスターが二体、翼を広げ戦士との間へ割り込むように姿を現した。

 そうしてクアイエッセはニヤリと優しく笑い、ローブ系の衣装の腰に隠し持っていたアイテムに触れ声を上げた。

 

「〈脱出〉っ―――」

 

 そう叫ぶと同時に、クレマンティーヌの兄の姿がこの場より消滅した。

 

 

 

 

 クアイエッセは、今現れた場所の周囲を見回す。

 幸い廃墟エ・アセナル南方に広がる穀倉地帯のどこからしい。

 使用した緊急脱出アイテムは〈転移〉に近いが、出現位置は地上というだけで場所や距離を選べない。単に危険地帯からの離脱なのだ。

 そのため出口が、池や川、火口、モンスターの住処という場所もありえる。

 ただ、3キロから5キロ程度という距離は分かっているので、安全な広い場所での使用なら概ね問題はない。

 安全を確認した金髪の彼は、ホッとしながら片膝を突くと寸前まで対峙していた鎧の怪人を思い出す。

 

「なんなんですか、アレは……。まるで“隊長”のような強さではないですか」

 

 ギガントバジリスクを一撃で倒せるのは、漆黒聖典でも数名に限られている。

 更に短時間で8体連続ともなれば、『隊長』と『絶死絶命』しかいないのだ。

 苦悶する姿が愛しい妹の件があり、はらわたが煮えくり返るが、あの強さは一人で戦うには危険過ぎた。

 最後に召喚したクリムゾンオウル達もやられた様で、視界下の10個の指輪全てから輝きが失われている。もう召喚出来る駒を使い切ってしまった。

 今逃げ失せても一時しのぎに過ぎないだろう。

 

「これは……どうすればいいのでしょう……。そ、そうです、まず隊員達と合流して時間を稼ぎ、“隊長”をヤツに――」

 

 独り言のように呟いた。

 その考えは、竜のことなどもはや後回しである。人類の存亡の話は、もう思考の端へと追いやられていた。彼は、紛れもなくクレマンティーヌの兄なのだ。

 しかしそんな彼へと―――すぐ後ろから返事が返って来た……。

 

「いやいやさせないから。何を言っているのかな? 処刑劇はまだ続いてるし」

「そうそう。きゃはっ、無様ー。面白ーい。精々足掻きを楽しませてよねー、あ、に、う、え、さ、まっ」

 

 目を見開いたまま、クアイエッセの首がゆっくりと後ろを振り返る。

 そこには、クレマンティーヌをお姫様抱っこした『平民冒険者』が立っていた。

 妹は腕を戦士の首へと回し、ウットリ幸せそうに歪みの無い表情で漆黒の兜の頬に愛しくスリスリしている。

 クアイエッセにとって、二つの最悪が目の前にあった。

 先の場で兄の消滅した直後、モモンは完全不可知化したアウラから〈洗浄(クリーニング)〉を受け、猛毒の体液の痕跡はすでにない。

 脱出アイテムについても、クレマンティーヌから聞いており対応済である。

 この場所は、周辺域へ配置していたアウラのシモベ達30体からの情報で即時に判明していた。

 

「ど、どうしてこの場所を……」

「まず場所が近すぎかな(まあ遠くても、ニグレドが居るから逃がさないけどな)」

 

 振り向き見上げて来る片膝を突いた苦い表情の貴公子に、もう逃げ場は何処にもないのである……。

 そんな彼の目の前へと、笑顔の妹から一本のスティレットが放られた。

 

「ねぇ、アンタ。最後ぐらい少しは闘ってみせてよねー。このままじゃつまんないしー、んふっ」

 

 モモンの圧倒的強さをその身で味わってほしいと、クレマンティーヌの欲望丸出しのダメ押しが入る。

 だが、この剣が最高峰のアイテムだと知っているクアイエッセは右手に取った。

 

「(この剣なら、並みの鎧は全て貫通出来るのですっ。舐めないで欲しい、私の妹よ。私は剣も一流ですからね。君の目の前で、この恥を知らない平民の冒険者の心の臓を貫いてあげましょう。だから、絶望と怨念の溢れ出す最高に可愛い君の歪んだ表情を、さぁ私に見せてごらん)……では、勝負を。 ――<超回避>、<能力向上>、<能力超向上>っ」

 

 妹の恨みで歪む熱い顔を想像して冷静さを取り戻した彼女の兄は、立ち上がると騎士らしく身体を横に右肩を前に出し、右肘を曲げスティレットの剣先を天へと向け、膝と手首を反応良く揺らし闘いの構えを取った。

 モモンは、抱き上げていたクレマンティーヌを優しく下ろすと、彼女は無言で数歩戦士から後退した。

 クレマンティーヌはその歪み切った笑顔で強くモモンへと願う。

 

(むご)くだよっ、惨く。ぐちゃぐちゃに酷くもねーっ)

 

 クアイエッセの構えに、彼の妹からの激しく熱い視線を受けるモモンも、右手で背負うグレートソードを引き抜き、両手で正眼に構えた。

 その瞬間に、仕掛けたのはクアイエッセである。

 彼女の兄らしく猫のように、素早いジグザグの動きでモモンの右側斜め前方から回り込んで迫って来た。

 モモンは、そちらへ体を素早く振る。

 その一瞬先――なんとクアイエッセの身体は、モモンの左側間近へと現れる。武技〈縮地〉である。

 金髪の貴公子の狙いは平民冒険者の『心臓』なのだ。右側への振りはあくまでも陽動的動きに過ぎないのであった。

 

(――取りました!)

 

 スティレットの鋭利な剣先が漆黒の鎧胸部へと近付き、表面へ接しようとした刹那。

 クアイエッセは、確かに目の前の戦士の兜から漏れてきた呟きを聞く。

 

 

「――ふぅ。(のろ)いなぁ」

 

 

 次の瞬間、クアイエッセは何が起こったのかよく分からなかった。

 麦穂を巻き込んで畑の地べたを10メートル以上転がり止まる。うつ伏せの彼は直ぐに立ち上がろうとした。

 

 しかし立てない、そしてもう――何も握れない。

 

 クアイエッセは気が付く。自分の身体には、もはや両肘から先と両膝下から先が無い事に……。

 そして彼は見る。クレマンティーヌが、貸していた己のスティレットを拾い上げ、それを握っていた兄の右腕を解くとその血の滴る兄の掌で、自分の右頬を優しく撫でながら嬉しそうな笑顔を受かべている姿を。

 

「兄上様、ヘボっ、弱っ。あ、ゴメーン。モモンちゃんが強すぎたんだよねー? もう一回する?」

 

 出来ないと、不可能な事だと分かっての歪んだ満面の笑顔で告げてくる。

 でも、クアイエッセは妹のそんな歪んだ笑顔にも――――満足していた。

 

(ああ……最期に……魅力的な可愛い妹の顔が見れて良かった…………)

 

 クレマンティーヌはそれから数分、倒れている兄の近くに立ち、歪んだ笑顔で見下(みくだ)しながら散々兄を挑発するも、うつ伏せのまま顔を上げるクアイエッセはそれをただ優しい笑顔でずっと黙って見詰めていた。

 

 

 

「これでいいのかな?」

「うん。ありがとーモモンちゃん……。人生の願いが“一つ”叶ったよ」

 

 目を見開いたままのクアイエッセは満足した笑顔を浮かべ、二人の足元で血を流し切り絶命していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 漆黒聖典の『隊長』は、〈飛行(フライ)〉としては随分早いスピードを維持したまま真っ直ぐ飛行を続け、廃墟都市エ・アセナル上空で警戒網を引く竜達の空域へ突入した後も、最後に猛加速し只まっしぐらに――――竜兵の1体へ槍ごと突き刺さっていった。

 そのまま『隊長』は腕にパワーを込め、槍が竜兵の心臓を抉るように貫く。

 衝撃波が突き抜けるように背中側の強固であるはずの鱗とその破片が、剛筋肉片が、竜血が空へ花びらが散るように舞った。

 

「ガッ……」

 

 槍を引き抜かれた竜兵は、そのまま地獄へでも堕ちるように真っ逆さまに空の舞台から沈んでいった。

 

「まずは、1体」

 

 長髪を靡かせ、凛々しい青年の表情を見せる『隊長』の口調は淡々としていた。

 この様子を見て、周辺を飛ぶ竜兵達が火炎や牙で猛烈に侵入者へと襲い掛かる。

 しかし、『隊長』はその続く竜兵4体を次々と一撃で確実に頭や心臓を潰し屠っていく。

 都市上空周辺の直掩には10体の竜兵がいたが、1分程度で半分の5体が撃破されていた。

 この時の『隊長』のレベルは75オーバー程度で全然本気ではない。

 空という得意舞台で、その小さき者から圧倒的な戦闘力を披露された光景に、直掩隊を率いていた十竜長が思わず叫ぶ。

 

「な、なんだ、この化け物はっ!?」

 

 全空の雄、(ドラゴン)の指揮官をしてそう言わせていた……。

 そんな竜兵を率いる彼へ、後方の空から大声を掛けてくる者があった。

 

「狼狽えるなっ。何事だっ!」

「こ、これはアーガード様! それが、あの者から急に強襲されまして……」

「馬鹿者、弛んでいるぞっ。我々(ドラゴン)が空で先手を取られてどうするっ!」

 

 百竜長筆頭のアーガードは、目の前に居る者をしっかりと竜眼で捉えると驚く。

 

「……む、あの大きさに姿、あれは人間か。(ぬう、先程来た和平の使者は陽動だったのか?)……それにしても」

 

 その者の周囲に漂わせる力を感じさせる波動が、竜王の水準に似て感じられたのだ。

 咄嗟に呟く。

 

「お前達は直ぐに下がれ。私でも……何分持つか。はぁぁぁぁ」

「ひぃぃー」

 

 百竜長の激しい気迫に十竜長が気押され離れて行く。

 百竜長筆頭のアーガードが、久しぶりで本気になっていた。

 彼は竜軍団のNo.2である。難度は実に180。

 軍団でも筋骨隆々としたその鍛えられた体は、一目でわかる存在感があった。

 しかし。

 

 アーガードは、小さき者を眼前にして感じた猛烈に受ける『圧力』に―――敗北を悟った。

 

 互いに名乗らず戦いは始まる。

 正直、その小さき者の放った素早い一撃目はアーガードに見えなかった。今まで鍛えてきた本能が躱させたというべきだろう。

 右眼にめり込んだ物体の感覚に全力で首を左側へ振り、脳への到達を防いだにすぎない。

 その直後に胸部への強烈な蹴りを受け、「ぐっ」と一瞬呼吸が止まる。20メートル程のアーガードの剛筋肉の巨体が後方へと飛ばされていた。

 完全に力負けを感じさせる攻撃であった。

 

「ぐぅう……」

 

 アーガードは大翼を羽ばたかせて、体勢を立て直す。

 すでに潰れた右目の視界分が暗転していた。小さき者は、容赦なく死角へと入って近付いて来る。

 

「〈炎の吐息(フレイムブレス)〉ーーっ!」

 

 苦し紛れに百竜長が強火力の火炎砲を放つも、小さすぎる的にあっさりと躱され、それは一気に接近してくる。

 アーガードは鉤爪の左前足で殴りつけようとしたが、それは槍で軽く弾かれる。

 その直後、胸部の一点に強く鋭い衝撃を受けた。もはや痛みを通り越え只熱いという感覚。

 またそれが、胸部から背中まで体内で続いていた。

 すぐにアーガードは理解した。小さき者の槍の攻撃が、右胸から背中までをすでに貫通しているのだと――。

 

「がはっ……」

 

 槍を握る人間の攻撃は止まらなかった。

 目の前の竜にまだ飛ぶ力が残っていると判断し、間髪容れず死角側へ回ると右の大翼を切り落としていた。

 切断面の直径は2メートル以上あるはずだ。

 鋼鉄以上の強度を誇る剛筋肉の塊と剛骨格部分を容易に断っていた。並みの人間の筋力では絶対に不可能である。

 もはや飛ぶこと(あた)わず、アーガードは300メートル以上落下し地上へと落ちた。

 地表への激突でも、指揮官級の竜ならそうそう死なない。それほど彼等は頑丈なのだ。

 その百竜長が、小さき人間からこれほどのダメージを受けていた。

 

「こ……この者……強すぎる……ゴフっ」

 

 アーガードは、長い首を持ち上げたが口の先から血が噴き出した。

 

 

 

 

「な、なんだ、これは……」

 

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグは、探知範囲外にも拘らず、突然大きい攻撃的力を廃虚都市上空に感じた。

 こんなことは相当の実力者が接近しないと起こらない。

 体調が悪いとか、気の所為だとか、そういったものとは明らかに違うので間違えにくい。

 もう波動がハッキリ顔に当たってくる程の感覚で、その力の存在が漏れて伝わって来ていた。

 

(これは、竜兵達が危ねぇ……)

 

 迷うことなく、竜王は宿営地を飛び立つと、廃墟都市上空を目指す。

 すると、廃墟都市上空で警戒していたはずの、小隊がこちらへ向かって飛んで来た。

 

「竜王様っ」

「警備はどうしたんだ?」

「お叱りは後で。人間らしき化け物が1体現れて、仲間が5体やられましたっ。今、アーガード様がっ」

「おのれ……。――っ、分かったぜっ! お前達は、ドルビオラへ知らせ、宿営地にて総軍で臨戦待機してろ」

「えっ、援軍は?」

 

 ゼザリオルグは、十竜長から視線を外し、前方の廃墟都市の上空を鋭く見つめた。

 

「……ここまで寄ればハッキリ分かる。お前達じゃ幾ら居ても勝てねぇよ。死者が増えるだけだ。俺が殺して来てやるから後方で大人しくしてろ。いいな」

「は、はいっ」

 

 そう告げると、煉獄の竜王は敵の居る空域へと向かって大きく羽ばたき全速で突進して行った。

 十竜長達は皆、長い首を下げ勇ましい竜王(ドラゴンロード)を見送ると宿営地へ知らせに急いだ。

 

 

 

 上空の『隊長』は、這いつくばる百竜長を見下ろす。

 

「まだ、生きているのか。しぶといな。(とど)めだ……」

 

 地面に向かい必殺の槍攻撃を仕掛けるその瞬間、今まで経験したことが無い巨大で強力な炎の柱が真っ直ぐに迫ってきた。

 『隊長』は、自身の纏う世界でも最高峰の騎士風の衣装装備に信用を置いている。

 その中に火炎や耐熱にも優れているという機能があると知っていながらも――この火柱は本能が避けさせた。

 躱している間に、その強大である火炎を撃った竜王が現れ、地上の配下の生存を確認していた。

 『隊長』はその間の時間を竜王の強さの確認に使う。

 探知能力では無く、直感による相手の強さの把握である。強者との戦いでは重要だ。

 

「(ふっ。これはあの娘みたいに、でたらめな水準ですね)でも――」

 

 『隊長』が愚痴に近い言葉を小声て呟いた直後、部下生存の確認が取れたのか竜王がこちらへとその長い首を回して睨み付けてきた。

 そして、仲間が傷ついたり死んだ怒りがあるのだろう、殺意伝わる表情で冷静ながらも感情の爆発した言葉をぶつけてくる。

 

「……人間種如きが図に乗るなよ?」

 

 こちらも、攻撃態勢は万全だ。

 

「(流石に竜王、隙が無い……。他とは桁違いに手強い)……人類に仇なす者は、ただ倒すのみ」

 

 すでに先日、人類側は数十万人を失った。

 この戦いにはもう余計な言葉などいらない。竜軍団を殲滅する戦いのみが使命として残されているのだ――。

 漆黒聖典『隊長』は本気モードの武技を発動する。

 

「〈不落要塞〉〈回避〉〈超回避〉〈能力向上〉〈能力超向上〉っ!」

 

 彼が今展開する武技を用いた臨戦状態でこれまでに勝てなかったのは、番外席次の『絶死絶命』だけである。

 人類の敵は、守り手である漆黒聖典の『隊長』としてこれまで全て討ち果たしてきた。

 今日この時も、それが変わることはない。

 

 

 『10分後』の勝者は自分である――。

 

 

 神人の彼はそう強く心に決めると、先手を取るべく戦闘を開始した。

 両手で握るその槍と同化するように、竜王へと正面から突撃していく。

 だがここで、『隊長』は驚く。

 竜王が――火炎砲を今度は連発で撃ってきたのだ。

 

「〈全力火炎砲(フルフレイムバスター)〉っ、〈全力火炎砲〉、〈全力火炎砲〉ーーっ!」

 

 先程初手で見せた巨大に迫る火炎の柱の連撃である。

 流石に直撃ではダメージを受けると判断し、『隊長』は竜王の右下側へと回り込みながら大きく空中でジグザグに躱す。

 敵の動きに竜王は、首を器用に角度調節し、正確に狙いを定めた砲撃となっていた。

 

「くっ」

 

 それでも、『隊長』の飛行加速力の方が(まさ)った。

 火炎砲を躱して火炎の横をすり抜け、竜王後方の死角へ迫り回り込む。

 巨体の竜王ではどうしても、自分の身体に当たるというそういった角度が出来てしまうのだ。

 巨体の竜の場合、特に尻尾でも攻撃しにくい尻尾の根元周りが弱点になり易い。

 隊長は、竜王の右横を抜けて小さく急旋回し、まだ油断の有った竜王の旋回速度を上回って一瞬の隙を突き回り込むと、背中の真ん中へ槍の一撃を放った。

 キンと耳へ響く、恐ろしく高い音色の金属音といってよい音が戻って来た。

 『隊長』の槍が跳ね返されたのだ。

 

(これは硬いっ)

 

 攻撃時間が僅かしか無く、体勢も悪く、力の溜めも出来ないため跳ね返されていた。

 そうしていると、竜王はあっという間に体勢を整え間合いを取り正面へ対峙したと思うと、再び先程の強大で狙いすました火炎砲を放ってくる。

 巨体の割に空中での俊敏さも流石と言わざるを得ない。

 『隊長』も俊敏に反応して再び竜王の側面へ回り込み、不規則でジグザグに躱す。直線的に躱せば、正確な射撃を見せる竜王に撃墜されかねない。

 この戦い、アウトレンジは明確に、火力が強大で命中率の高い竜王側の分があり過ぎる。

 『隊長』にはインファイトしかない。竜王の巨体へと張り付いた接近戦有るのみだ。

 再び両者が空中で互いに右側へと回り込み合い、ぐるぐると回る状態での戦いに進展する。

 その中で、『隊長』は竜王へと肉薄すべく徐々に間合いを詰めていく。

 だが、竜王は首を器用に調整して、この遠心加速が掛かる中で、火炎砲を撃ってきた。

 もはや狭い範囲で回っており、『隊長』は大きく躱せずギリギリで躱していく。

 そして火炎砲を撃ったことで、僅かに旋回力が落ちた竜王へと逆襲的に肉薄した。

 『隊長』が今度狙ったのは胴体ではなく――翼だ。

 片方を奪い地上へ落とせば随分優位になるはずであるし、落とせなくとも翼を傷めれば少なくとも旋回力は落ちると考えた。

 この状況は千載一遇と言える。『隊長』は渾身の速度とパワーを槍の攻撃へと注ぎ込んだ。

 

 その神速の槍の一撃を――竜王は電光石火の動きで前足を背中側へと伸ばし、強靭に生えたその爪で挟み取るっ。

 

 竜王が口を開いた。口の開き方から何気なくニヤついている様に見える。

 

「そう簡単にやらせるかよ、人間っ」

「……(なんて奴だ)」

 

 その反応速度と器用さに驚く。『隊長』の握る槍のサイズは竜王のサイズからすれば爪楊枝程度の大きさだ。

 竜の前足はそれほど長い物ではないが、翼の付け根付近なら十分届く。

 また、長い首は背中側をしっかりと見る事も出来るのだ。

 掴まれた槍を通して、『隊長』は竜王の剛筋肉が生み出す恐るべきハイパワーを改めて感じていた。

 

 ――それはビクとも動かない……。

 

 流石は全種族最強と言われるだけの身体能力である。

 『隊長』は少し追い詰められ始めている。

 今の彼の身体能力は武技を重ね掛けしての状態である。すなわち体力や持久力的には限界があるのだ。

 すでに7分ほどが経過している。

 

(……これは10分では勝負がつかないか)

 

 武技が使えなくなるまで体力を消耗すれば勝ち目はないだろう。

 だが、10分で限界が来るわけではない。メリハリは付けているので、スタミナ的にはまだ30分は戦える。

 それに『隊長』は――まだ余力を残していた。

 使い処は悩むが、常に試してみたいとは考えている一手だ。

 

 

 『絶死絶命』との模擬戦でも使った事は無いのだから。

 

 

 

(……とりあえず素早く槍を引き抜いて離れないと、近距離で火炎を食らってしまう。それに、生死の掛かる実戦で出し惜しみをしても仕方がない。――使うか)

 

 武技との合わせ技なので、多用すると体力の消耗が激しい最後の『秘蔵技』だ。

 

 

 

「行くぞ、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)……

 ――スキル(奥義)発動、〈上限超越・全能力強化(オーバー・フルポテンシャル)〉っ!」

 

 

 

 体が淡い光に包まれグンと総合力の上がった『隊長』は、竜王の恐るべきハイパワーで掴まれていた槍を、力で引き抜いていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. ガゼフ参上(惨状かもしれない……)

 

 

 

 竜軍団との対決迫る王都のロ・レンテ城でその準備に忙しい王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。

 彼はゴウン氏を自邸に招き伴侶について相談して以来、氏の配下であるユリ・アルファとの親交を深める為に食事へ誘う機会を窺っている。

 ゴウン氏の滞在する部屋へ行き、ユリを呼び出して告げれば話は早いのだが、彼は城内で彼女との『偶然』の出会いを待っていた……。

 武骨である彼だが、少しロマンチストでもある。

 

「ふう……、今日も運命の出会いはなかったか」

 

 昨日の国王の書簡を持って行った日もそのあと終日機会はなく、屯所の固いベッドでまた朝を迎えた。

 戦士長自身は、自分の配下の王国戦士騎馬隊の城外での部隊訓練他、全国から王都に到着し始めた各都市の冒険者遠征隊との会合や折衝で、王城に居る時間が徐々に短くなってきている。そして生死を掛けた戦い自体も迫って来ていた。

 運の勝負は明日までだと決めている。明後日になったら直接部屋へ会いに行くしかないと。

 今日は、本物のアインズがナザリック地下大墳墓の自室に籠り、幻影の改良に勤しんでいた日の午前中のこと――。

 

 その運命の出会いの機会がついに訪れた。

 

 ユリは、ベッドの替えのシーツを幾枚も積み、運搬用のワゴンを使い運んでいた。

 ヴァランシア宮殿各階の階段傍にワゴン置き場があり、階段だけはシーツを抱えて運ばなければいけないがそれ以外の通路の運搬は比較的楽である。

 使用人の子達は、何度かに分けてシーツを運ぶ。

 下級と言えども皆、貴族の家の娘達である。余り重いものを持ってはイケナイのだ。

 名家の令嬢の嗜みである。だが、男は別だ。

 ガゼフは、ワゴンを押すユリの姿を見つける。ここは宮殿の2階であった。

 

(あれは、ユリ殿! ……ゴウン殿の滞在部屋は3階だ。これは運び上げるのを手伝って会話も出来る絶好の機会っ)

 

 そう思って階段脇にワゴンが止まったタイミングで、ユリへ声を掛けようとしたガゼフ。

 

 しかし彼はその直後――異様なモノを見た。

 

 それは、ワゴンが階段前で止まることなく、斜めに滑るようにユリと共に階段を昇っていく姿であった。

 いや――正確には、取っ手を握った状態で、ワゴンを斜め上に傾かせて持ち上げているのだ。下から手で持ち上げている訳ではない。

 

 

 それは腕力と握力のみで実現されていた……。

 

 

 

(え゛……?)

 

 その様子に唖然とし、声を掛けるのを忘れてガゼフは数秒その異様な光景に見入っていた。

 シーツも枚数があればそれなりに重いが、金属部もある木製のワゴンの方が断然重い。

 合わせた重量は30キロを優に超えるはずだ。

 ガゼフは考える。

 

(俺の自慢の握力でも、同じことが出来るだろうか……?)

 

 単に持ち上げるのは全然問題ない。しかし手前の取っ手では力点的にワゴン本体の重さに負けて下へ滑るはずなのだ。

 すぐさま階段傍のワゴン置き場の1台を引き出し、ガゼフは試してみた。

 出来た。

 

「おおっ! (――い、いやそういう問題ではないっ)」

 

 ガゼフはワゴンを急ぎ仕舞うと、階段を駆け登りユリへと追いつく。今はパワー勝負がしたい訳ではなかった。ただ、ユリが怪腕持ちだと言う事が少し意外に思っただけだ。

 確かに彼女は上背の有る女性ではある。

 それに――あのゴウン氏の配下。強者であっても納得できる。

 しかし少し『か弱く』あっても欲しい。ガゼフとしては男として守ってあげたいのだ。

 そんな考えの浮かぶ思考を、頭を振って追い払うと、彼は煌びやかな廊下でワゴンを押して優雅に進むユリへと声を掛けた。

 

「ユリ・アルファ殿」

「これは、ストロノーフ様」

 

 振り返った彼女の眼鏡の似合う美しい表情に、ガゼフは思わず心トキメく。

 正直出来れば「ガゼフ」と名を呼んでほしいが、それは後の楽しみに取っておこうと戦士長は考えながら、本題に入った。

 ここまで来て尻ごむ事は男として出来ない。はっきりと告げる。

 

「あの、実はユリ・アルファ殿と少しお話ししたい事がありまして。今度、食事の席でもと」

「まあ……」

 

 善良の心を持つユリは考える。

 本来相手がナザリック部外の男なら、大貴族など関係なく断固断るところである。

 しかしこの相手は――例外的で、アインズ様にとってのお客人級の人物である。すでに準保護対象でもあった。

 優しい彼女は、彼を無下には出来ないという気持ちが起こる。

 これが、ルプスレギナ辺りだと一計を案じそうだが……。

 それにユリは、彼のいう話の内容も気になった。もしかすると、アインズ様のお喜びになる話かもしれないと。

 なので、こう答える。

 

「――分かりました、仕事が有りますので長い時間は取れませんけど」

「で、では……(いきなり夕食はマズいか。明日と明後日の昼は城外の仕事があるな。……なら)……3日後の昼食では?」

 

 

「……はい。その日の昼食を楽しみにしていますわ。……今日もこれからアインズ様に御用ですか?」

 

 

 ユリは今、部屋に居るのが代役のナーベラルという事もあり戦士長へ確認した。

 だが戦士長は、首を横にピクピクと振り、声を絞り出す。

 

「い、いや……………………」

「そうですか。では、失礼します」

 

 そう言ってユリは笑顔を浮かべ僅かに礼をすると、ワゴンを押して廊下の奥へと立ち去った。

 

 

 ガゼフは――そこからの記憶が30分ほどなかった。

 単に嬉しすぎたのだ。

 歓喜が爆発して脳にダメージを与えるなど聞いたことも無いが、有るのかもしれない……。

 後で使用人達の噂で流れた話によると、嘘か本当か彼は宮殿の3階から階段を横になった状態で1階まで転がって来たと言う……そして平然と立ち上がると元気にスキップをして立ち去ったそうだ。

 

 

 

 アインズがナザリックから王城の宮殿に帰って来たのは昼過ぎであった。

 延べ19時間と、思いのほか幻影の体と〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉の調整に時間が掛かったが、現状で鎧が脱げないという問題はひとつ減っていた。

 少し気が楽になったアインズである。

 その彼がいつもの一人掛けのソファーに座り、寛ぎながらユリ達から『訪問者も無く、特に大きな動きは無い』と報告を受ける。勿論ツアレは丁度、隣の家事室でお茶セットの片付けをしているところだ。

 不在時の報告は、いつもの確認程度に留まり終ったかに思えた。

 ソリュシャンやルベド達がアインズの座るソファーから散開し、いつもの立ち位置や仕事に戻る。

 だがこの時、ユリだけがまだ支配者の傍へ残り、小声で一つの報告を行う。

 

「あの、本日午前11時過ぎの事ですが、ストロノーフ様から少しお話ししたい事があるとして――3日後の昼食の誘いを受けたのですが?」

「ん? 先程、今日はここまで訪問者はないと聞いたように思うが?」

「この話は、3階の階段から近い廊下で戦士長様より声を掛けられた時のものです」

「……何の話だろう。分かった、時間を調整して――」

 

 ここで、ユリは御方自身が戦士長に誘われたと勘違いしている事に気付き、小声のまま告げる。

 

「――あのお待ちください、アインズ様。昼食の誘いを受けたのは――『私』なのですが」

「――――えっ?」

 

 その驚きの声を発しながら、仮面の下で口を開けたままの主は連想する。

 『戦士長』に始まり、『ユリ』、『昼食の誘い』、『眼鏡美人が好き』、『配下の者について他家の者との婚姻』、『条件次第』、そして時折ここで見せたユリへの視線……。

 結果、総合的に『戦士長』は『ユリ』が『好き』と気が付く。

 

(……そういう事か!)

 

 今のガゼフの現状を端的で明確に表現するとこうである。

 

 

 

 ――アインズ(絶対的支配者)にバレた。

 

 

 

 戦士長の恋の修羅道が今、本当に始まっていた……。

 

 

 

 

 

 話を聞いたアインズは、ユリに「あの者の話を聞いてくるといい」とだけ伝える。

 彼は仮面下で眼窩(がんか)の紅い光点を消すとその思いを頭へと浮かべた。

 

(……彼の相談へ真剣に応じると決めていたし、出会いや恋愛については本人達でなければ分からないからなぁ。――ただ戦士長殿、道を間違えると貴方でも容赦はしませんので)

 

 再び頭蓋の眼窩(がんか)へ紅い輝きを灯した支配者は、今は黙ってこの恋の行方を見守ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. それはツアレの気のせい

 

 

「ツアレよ。カップからテーブルへ少しお茶がこぼれてしまった。拭き取りを頼む」

「畏まりました、アインズ様」

 

 ロ・レンテ城のヴァランシア宮殿3階のいつもの宿泊部屋。

 昼食後のお茶会(ティータイム)の際に、アインズが一般メイド服にも慣れてきたツアレへと指示する。

 すると、彼女はテキパキとアインズの座る手前のテーブル上の水滴を上達した所作で丁寧に拭う。そして一礼し下がった。

 ちなみに、貴重であるためご褒美として舌で舐め取るというのは、この場において適切ではない。それは単なる下品なプレイに見えてしまうから。

 『至高の御方から直々に命じられた御用』に対し、お茶会の席へ着きながらも主人のメイドとして控えるユリにシズ、ソリュシャンから羨望の眼差しの視線がツアレの作業の終わるまで付いて回った。(ルベドも一応見てはいる)

 ツアレには、その気持ちが良く理解出来る。

 なぜなら、命令を受けたツアレは――胸の奥が温かくとても幸せで嬉しいからだ。

 

(今日もご主人様から優しく名を読んで頂けて、お役に立つことが出来た。……まだ夜の閨へ呼ばれた事のないのが少し残念。呼んで頂ければ色々と……ハッ、はしたない。……でも……)

 

 奥の家事室で手拭きを軽く濯ぎながら、その身を左右へとよじり、昼間から時折あれこれ桃色のイケナイことを考えつつ、純な想いで頬を赤く染めるツアレであった。

 ドキドキが心地よく、毎日が概ね平和で幸せである。

 最近、物騒事として竜の軍団侵攻の話が聞かれ、お強いと聞く魔法詠唱者(マジック・キャスター)ご主人(アインズ)様の元を有名な王国戦士長や、大貴族からと思われる外からの使者などまでが訪れキナ臭い雰囲気。

 でもツアレは終始落ち着いている。

 それはもう、アインズ様へ黙って付いて行くと腹をくくっているからだ。

 例え、魔法や弓矢に血しぶきが飛び交う戦場のど真ん中であったとしても。

 ツアレにとっては、すでに生涯付き従う唯一無二のご主人様なのである。

 竜の軍団が相手という戦いは、恐らく凡人に想像すら出来ない厳しいものになるだろう。当然、じきにこの王国の全土は人間の死で溢れかえるはずだ。

 それが迫る現状況にもなぜか、ご主人様は未だ悠然とこの王城に滞在し続けている。

 ならば、ご主人様のメイドであるツアレがここを動くことはない。

 メイドの死に場所は主人の傍であるべきだ――と、それはユリからの大事な教えの一つ。

 

 確かにその通りであるっ。

 

 そんなツアレだが、時折ふと思う。

 

(気のせいかもしれないけれど……ううん。きっとそう)

 

 それは――。

 

「ツ~……おい、これより少し室外へ出るが私の服装でどこかおかしい所は無いか?」

「はい、アインズ様。大丈夫です、問題ございません」

 

「ッぁ……――おい、今日はこちらの道の先にある中庭を回るぞ」

「畏まりました、アインズ様」

 

 と、いう感じで、名前を呼ばれない『時』があるのだ。

 

 

 

 ――偉大なるアインズ様に限り、断じて頑張っている感や不自然さはない。

 

 

 

 一介のメイド風情が主の『噛ンだ発言』を一々気にしてはならないのだ。

 だが。

 数時間にわたりそんな『噛ンだ発言』の多い状況が、日をおいて何度かあったように思えた。

 特に――先日はほぼ丸一日だった気がする。

 

(ご主人様……やはり一日中、名前を呼んで頂けないのは流石に長く寂しいです。次は――「私の名前を今、呼んで頂けませんか」とお願いしますね)

 

 愛と忠誠心溢れるツアレは、アインズ様の『影武者』(ナーベラル)にそんなムチャ振りといえる『とんでもなく最悪の願望』を心に抱いてしまっていた。

 そして、早くも『その時』は訪れる……。

 

 

 

 

 アインズが『至宝奪取作戦』に絡むクアイエッセ暗殺の為、潜伏途中の事である。

 もちろん王城内に残るのは、替え玉である『偽アインズ』のナーベラルだ。

 あの王城内の緊急戦略会議の場での失態もあったが、あれから今日まで卵顔の戦闘メイドはミスらしいものはなく影武者のアインズを適宜演じてきた。

 例の『伝言ゲーム』での伝達ミスは不問にされている。

 あのあとナザリックからの指示を伝えて来たのが、同様に不問となった統括のアルベド直々であったため、一連の内容に関して特に改めての説明や指摘されることはなかった。

 

『妃関連の件の話は、私達の間で当面話題にすることを禁じます。そのようにアインズ様からの通達がありました。浮き立つことなく、栄光のナザリックのため、中期計画を早く確実に軌道へ乗せ実現することが先だ、との理由です。よいですか、つまり――作戦に失敗は許されませんっ。早く、早く、(敵を)はりーあっぷデス(DEATH)っ―――』

 

 ナザリックの為なのか、口調へ過分に危機迫るものがあった。

 そのため――ナーベラルやユリらは『伝言ゲーム』での伝達ミスにそもそも気が付いていない……。

 しかし。

 

(確かに、大いなる愛を頂き他家との婚姻が完全否定された当然の事象に浮かれている場合ではない。アインズ様へ挺身し同時にナザリックへ更なる貢献を果たさなくては)

 

 ナーベラルも毎日、至高の御方の傍に影として控え、こうして今のように替え玉を務めさせていただいている事だけでも名誉で過分な事である。

 加えて偶にだが、人間のメイドが場を外している時などに、そっと撫でを貰ったり、優しい愛の視線を向けられたり、小声で「代わりとしてナーベラルがいてくれて随分助かっている」とのお褒めの言葉に身体が熱くなり喜びに震えてしまう。

 この宮殿内の宿泊部屋は、幸せな時間が流れている場所と言えた。

 

(アインズ様に……この熱い身体を冷ましていただければと思わない日はないけど……)

 

 今、シズとツアレを伴いながら宮殿内の結構手入れのゆき届いた緑の多い庭園の散歩をし、足を止めてその景色を眺めつつ、いつもの様に仮面を付けた替え玉アインズのナーベラルは、そんな不埒なことを考えていた。

 だが、『……こんな事ではいけない。役目をしっかり果たさねば』と再び歩き出そうとした時に、足元に広がる石床から少しだけ浮いていた部分に躓く。

 ほんの僅かにツアレ側へ身体のバランスを崩した。それにツアレが身体を寄せて支えようとする。

 勿論、偽アインズのナーベラルが倒れるという事は無い。反応速度の最速点が違うのだから。例え体が85度まで倒れ切ってからも、地面に自由落下で体が到達するまでに余裕で体勢を立て直せる程だ。

 

「大丈夫ですか、アインズ様?」

 

 二人の身長差から、主を見上げ優しく微笑むツアレ。

 綺麗である金色の髪が、庭園を通り抜けて吹く柔らかい風で流れるように揺れている。

 人間にしては均整の取れた肢体を持ち、メイド服も当然それなりに似合っていた。

 

「――ッァー、大丈夫だ」

 

 ナーベラルは、ナザリックに保護されすでにアインズの傍近くで尽す姿を間近で見ているこの目の前の人間の名前を、知識内からわざわざ汲み上げようとした。

 

 しかし――明確には出てこなかった。

 

 意識面によるものか、制限によるものなのか……何故だかナーベラルにも原因は分からない。

 下等生物の一個体の名前など本来どうでもよいのだが、最近共に仕えている『人間』だという認識があり、名で呼んでやろうとしたのだが出来なかった。

 ただ、そのことでナーベラル・ガンマがこれ以上深く考える事はない。

 なにせ彼女の属性であるカルマ値は実にマイナス400。

 至高の御方や守護者達相手か姉妹達ならばともかく、邪悪に染まる普段の彼女は悪びれることなどないのだから。

 ところが、ツアレ側は違った。

 『その時』が来たのだ。

 

「アインズ様」

「ん?」

「あの……今、私の名前を呼んでいただけませんか?」

「――!!」

 

 ナーベラルは即、これはマズイと思った。

 『アインズ様』として、ここは気軽でかつスムーズに答える必要がある。しかし、一気に追い詰められたナーベラルの視線が仮面の中で泳ぎまくる。

 咄嗟に助けを求めるべく、期待値最大で傍にいるシズへと一瞬視線を送る。

 すると……。

 

 コクコク。

 

 ダメだった……。淡い桃色の長い髪を揺らし無言で可愛く頷くシズ・デルタはナーベラルの視線の意味を「呼んでいいのか」と単純に判断したようだ。

 ここは『……どうした……ツ●●?』とさり気なく単語として知らせて欲しいところであった。

 『アインズ様』がすでにご存知なメイドの名を、普段の質問で教えてもらう訳にはいかない。

 つまり、この物静かに居る場所で、双方が言葉を口にする〈伝言(メッセージ)〉も使用不可。

 周りに他の姉妹達は居らず、自身の使える第8位階魔法まででは時間も止められない。

 

(困った困った困った困った困った困った困った困った困った困った困った困った困った困った困った困った困った――どうすればぁぁぁぁぁ――――)

 

 愛するアインズ様には『ツアレにもバレないように、な』と告げられている。

 

(これは断固死守すべきと。……いっそのこと、この人間をサツガイして隠してしまえばバレることは永遠にないけれど――)

 

 一瞬そう思うナーベラルであったが、ここで保護対象者を消す訳にもいかずだ。

 彼女の思考視野は狭くなっていた。第10位階魔法を収めた巻物(スクロール)も所持していたりするのだが。

 ナーベラルはこうして狭い思考の袋小路で悩んでいたが、アインズとしては当初から軽い気持ちの『訓練も兼ねて、敵を騙すにはまず味方から~』という思いに過ぎなかった。なので、絶対的支配者としてはバレても大したことでは無いのだが、それが中々周りへ伝わるはずもない。

 ツアレの発言から早くも1秒程度が過ぎた。

 不自然さを最小限で留める為にナーベラルはこれ以上引き延ばせず、完全に苦し紛れでツアレへと言葉を返す。

 

「……なぜ……だ?」

 

 唐突の申し出には疑問があって当然。

 ツアレもそう判断し、愛しいご主人様へその考えを素直に伝える。

 

「はい。あの、今日はまだ―――私の名を呼んで頂いていないので……」

 

 メイド服のお腹辺りで両手をモジモジさせつつ、恥ずかしさで視線を時折下へ落とすツアレの顔が真っ赤になる。

 やはり愛しい方から名を呼んで貰えることは特別な事なのだ。

 その気持ちはナーベラルにもよく理解出来た。

 御方から己の名を呼ばれただけで身体が熱くなってしまう時がよくある。特に日が落ちてからなどは妙に大きく期待を込めて……。

 そんな想いもあり、ナーベラルにはこの人間の考えが良く理解出来た。

 同時に反比例する形で『替え玉アインズ』として、この人間の名前を呼ぶことを否定しにくい感じとなる。

 だから、思わず答えてしまった。

 

「そうか……。なら、仕方ないな」

 

 なぜ『仕方ない』などと言ってしまったのか不明だ。

 もうナーベラル自身が、一体どうすればよいのか分からない。

 偽アインズは『ええい、ままよ』と勢いのみで口を開き早口で人間のメイドへ告げた。

 

 

 

「――ツかKE」

 

 

 

「――――ぇ?」

 

 客観的にどう聞いても「つかけ」であった。

 発音は3つと「ツ」だけは何となく『音』として記憶から出て来るので合っているはずだが、期待に胸いっぱいで待っていた目の前の人間の女の表情が固まったのを見て、ナーベラルは慌てて言いつくろう。

 

「あぁ、少し――噛ンでしまった」

「ぁ、ああそうですか。大丈夫です私、待ちます。もう一度お願いします」

 

 ナーベラルとしては、待たなくていいし、心から「リトライするな」と言いたい。

 しかし、場の空気はそうもいかず、笑顔で気を取り直した人間のメイドが替え玉のご主人様へ優しく微笑む。

 もう言い間違いは出来ない。完全に追い詰められたナーベラル。

 しかし、やることは先程と同じである。

 

(もう、バァッと勢いで乗り切るのみっ)

 

 告げると同時に、「そろそろ戻るぞ!」と断固トボけることを決めた。

 そうしてついにナーベラルが口を開いて告げる瞬間――。

 

 

 

 ツアレは目の前に立つ、立派で似合っている魔法装備のいで立ちの、優しく愛しいご主人様から発せられた言葉をしっかりと聞いた。

 

 

「―――ツアレ」

 

 

 確かにいつもの重々しい声で彼女の名前が呼ばれていた。

 名を呼ばれたツアレは『今日も一日幸せです』と満足し、満面の笑みを浮かべて臣下としてお礼を伝える。

 

「……アインズ様、わざわざありがとうございます」

「いや――お安い御用だ。では、そろそろ部屋へ戻ろうか」

「はい」

「……了解」

 

 ナーベラル扮する『偽アインズ』は宮殿内の庭園での散歩を終わり、シズとツアレを連れてこの場を後にする。

 途中で城の兵達らや内務の貴族達とすれ違うも、会釈をして外出の任を無事に終えようとしていた。

 そんな戦闘メイドの彼女を救ったのは、そう――。

 

(ふー、助かったわ。ソリュシャン)

 

 ナーベラルが最後に口を開いた瞬間に、彼女の思考へと接続を知らせる電子音がなり、見知った声が流れて来たのだ。

 〈伝言(メッセージ)〉を繋げて来たのはもちろん妹のソリュシャン・イプシロンである。

 

『全部聞いていたから大丈夫ですわ。音を聞いているだけでしたからいつ割り込もうかと思って。じゃあ部屋で会いましょう』

 

 ソリュシャンはマスターアサシンの職業で、この場のやり取りも終始盗聴していた。

 そしてあの時、『ナーベラル、次に伝える三つの音を続けて言いなさい。ツ、ア、レ――』と、伝えて来たのだ。

 ソリュシャンは、その時にナーベラルへ『人間の名前』として知らせると上手く伝わらないことを良く知っており、的確な形で指示していた。

 だが、ソリュシャンもナーベラルと同じ、カルマ値は邪悪でマイナス400。

 少しだけナーベラルの土俵際の様子をニヤニヤして見ていたりいなかったり。

 

 

 

 こうして、『ツアレの気のせい』は無事に確定した。

 

 

 




参考)時系列
28 和平使者出る ガゼフ相談 ニニャ告白 アルベド女子会 ルトラー婚姻話 ラナーと結託
29 夜中クレマンと会話 緊急会議 ルトラー縁談 王割譲承認 夜中風呂ラナーVSルトラー
30 アインズ幻影改良済 ガゼフバレた 昼そのガゼフから冒険者数等情報有 夜ニニャとエ・リットルで再会
31 大臣が約定持参 ルトラー面会の要望 遠征王都到着 第二回深夜会談
32 ニニャとデート (屋敷から王城へ帰還) ガゼフへ第二報告 『漆黒』の実力の検証 王都組合長と面会 人間捕虜餞別完了
33 竜王国へ延命軍 (地方組合と面会) 和平の使者 至宝奪取作戦 隊長と竜王の戦い ガゼフ昼食
34 冒険者点呼日(7日後)

冒頭の話が『アルベド女子会』
ナザリックが転移してひと月は経過。



捏造)漆黒聖典達の特技・性格設定
『時間乱流』といっても、もの凄いことは出来ないと考えて、これぐらいが妥当かなと。
触れている複数人も同時に、という設定はナシで。情報通なのもこれが出来る事が大きい。
クアイエッセも兄妹仲良く…。





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STAGE36. 支配者失望ス/混迷ノ帝国/隊長VS竜王 (10)

注)モモンの声色と口調については、鈴木悟の素の声口調になっています


 バハルス帝国皇帝ジルクニフの居城、金銀をはじめとした貴金属類も豊富に使用し装飾された美しく壮大な皇城が中央に建つ帝都アーウィンタール。

 その市街西側の一区画に閑静で趣きのある高級住宅街が広がる。だがここ数年、建物や庭の手入れがされなくなるなど、費用と手が回らず維持が疎かになりかけている邸宅や屋敷は増えつつあった。

 

 ここは、そんな屋敷の一つに住まう代々貴族血族の一家――元準男爵のフルト家。

 

 この家は元が付くことからも分かるように数年前、貴族位を帝国から剥奪されている。

 主家であった中流貴族が反皇帝派であった為、配下のここも連座的に潰されたのだ。

 フルト家は現在、当主と妻、長女と幼い双子を含む三姉妹の5人家族の構成。そして、当主自身が大した収入源も無いまま以前と同じ形での生活を継続し、未だ他に執事以下5名の奉公人を抱えていた。

 貴族位喪失後、数年は代々の残していた蓄えや古い武具に地方の本宅、不要な家具の売却で金貨2500枚余をかき集めてなんとかしのいでいたが、それも無駄に食いつぶし一昨年より資金がほぼ枯渇している……。

 五女であった妻の実家はというと、『血の粛清劇』により皇帝から真っ先に断頭台に送られており頼るどころではない。関係が少しでも目立てばフルト家は位剥奪程度では済まず、妻の実家名を口に出すこともはばかられていた。

 そんなフルト家当主は、いつも貴族然とした仕立ての良い服を身に着けるまだ四十を僅かに過ぎた男だ。彼は、武も文も商の才もなく概ね無能であった。結末がどうなるのか分かっていながら、都合のよいことしか考えない『逃げ』の男……と言えば分かるだろう。

 その当主だが、まだ儚い野望を持っていた。

 

 妻が生んだ美しく可愛い金色の髪の娘達である。

 

 生まれた子に男子がいれば、次期当主の教育を受けさせたが、出来たのは全て女子――。

 しかし、長女のアルシェを見れば、少し背は低いものの容姿端麗に育ってくれていた。

 続く下の双子の娘達、クーデリカとウレイリカもアルシェの幼いころの可愛らしさに負けていない。

 

(これは――先の有望である貴族へと嫁がせ、玉の輿を狙えるっ。そして生まれた三男辺りをフルト家に迎えれば家も再興出来ようぞ)

 

 夢の如き一発逆転……いや三発の宝玉を持っていると望みを繋いでいた。

 なので、良家の貴族達に一目置かれるためにも貧民とは違う以前からの生活を維持する必要があったのだ。

 

 しかし――頼みの資金が先に尽きてしまった。

 

 当時14歳であった若き長女アルシェにはまだ良い縁談は無く……。

 さらに彼女は何を思ったのか貴族の娘的に好まれる習い事はせず、帝国魔法学院に在籍していた。

 でもフルト家の当主は当初より入学を容認。彼は美人なら後で何とでもなると思っていたのだ。当主のいい加減さはここにも出ていた……。確かに魔法学院は誰もが入れる訳では無く、名門であったことも大きかったが。

 しかし、当人であるアルシェの考えは違い、しっかりとしていた。

 

(これからの帝国は、貴族血縁の時代じゃない。実力の時代。もし武術や魔法、政治や商業の才能があるならそれを伸ばすべき)

 

 そう思って勉強し、試しにと大学院や魔法学院の入試を受けたのだ。

 すると上位で魔法学院の試験に引っかかる。

 特に「魔力系系統に優れているな」という言葉を、あの生きた伝説と言える大魔法詠唱者(マジック・キャスター)パラダイン老から受けたのである。

 アルシェは魔法勉学に励んだ。

 第1位階魔法を周囲が驚く3カ月ほどの速さで習得し、第2位階魔法をも一年半ほどで自在にこなせるようになった時――華やかであった道に終わりが来た。

 家に借金取りが来るようになったのだ。

 最大の原因は父であるフルト家当主の『買い物』。借金の額はすでに金貨100枚を超えようとしていた。

 『いや、今回は興味を引く良いものがありませんな』と客人の貴族や商人らに言えば済むだろうに、ひょいひょいと気軽に軽口へ乗って『買い物』をし、10枚分以上の金貨の浪費を繰り返した。

 それが、月に数度。年間にすれば金貨で実に200枚を超えている。

 貴族位剥奪前には、これほどの買い物はしていなかったが、今は周辺の貴族達の目を引くために以前以上に使っている風であった。

 加えて切り詰めても年間のフルト家の経費は使用人5名の賃金なども含め金貨で200枚ほどにもなる。

 対して収入は、かつて主家から金貨420枚程あった年俸も久しく無くなり、僅かに残った領地他から金貨で30枚弱程。

 バカでも分かる。フルト家の台所事情は完全に破たんし赤字へ陥っていると……。

 

 長女のアルシェは色々と考えた。

 可愛い双子の妹達は非常に幼い。

 母は優しい人であるが、育ちが良すぎて何も出来ない人であった。

 使用人達は、執事のジャイムスを初め長年勤めていようともあくまでも賃金を貰い、ただ指示を受けて働いている者達に過ぎなく見える。

 そして、父は以前、家を支え主家へ仕える姿に尊敬の念を持たせてくれたが……思春期も重なり、親の実能力を知った彼女にとって最早極悪で最悪な存在……。

 

 若いアルシェであったが――今、自分が動くしかないと決心する。

 

 彼女は唐突に、帝国魔法学院を中退した。

 理由は『一身上の都合』のみ。誰も助けてくれるわけがない。

 入学時、『平民』として入った事からイジメられることはなかった。なので、今更『貴族染みた生活維持のために出来た家の借金を返すべく働く』とは言い出せるわけもない。

 そうして彼女は名門の帝国魔法学院を静かに去って行った。

 

 しかし辞めてはみたものの、すぐに当てがある訳では無かった。

 一応、在学時に魔法詠唱者(マジック・キャスター)の将来の仕事について学ぶ機会があった。

 最も華々しいのが、学院を卒業した上位者は試験を経て近衛軍である皇室護兵団(ロイヤル・ガード)に就職することだ。

 給料は新人でも年俸が金貨150枚はあるという話だ。上位で十年も勤め上げれば金貨300枚程にもなり、昇格もすれば年俸で金貨1000枚も夢じゃないと聞いたものだ。

 他にも帝国魔法省で一人の魔法詠唱者隊員や職員として働くのも収入面を考えて悪くない。

 次に冒険者への道がある。全卒業生が第2位階魔法を習得し、上位者は第3位階魔法をも使いこなす為、卒業後すぐにも冒険者チームの主力として活躍できる。

 また、民間の商業方面に進む者達も少なくない。生産者や医療関係者としても優秀であるためだ。

 そんな話を聞いていたが、アルシェは魔法学院の中退である……。

 とりあえず第2位階魔法までは習得しているので、簡単でそこそこの仕事には付けるだろう。

 だが――フルト家の借金は金貨で100枚にまで達している。

 アルシェとしては必然的に、歩合の良い仕事を選ばなければならない。

 それでもまず探したのが生産者や医療関係者としての安全といえる仕事だ。

 しかし、若輩の新人で尚且つ、魔法学院中退ということでは中々見つからない。

 とある工房の親父が指摘する。

 

「おめぇがせめて卒業者ならなぁ。まだ、“精錬”の授業を受けていないんだろう?」

「あ、はい……」

「じゃあ、ウチでメインは任せられないなぁ。見込みはあるが、ウチの熟練者に教えてもらうにしても合間の習得じゃ早くても1年以上は掛かるぞ。当分は補助者として、月給で金貨4、5枚ってところだな」

「そうですか……」

 

 普通に考えれば、年収で金貨50枚ぐらいは軽くあるので悪くない仕事なのだが、多大な借金を背負うフルト家としては足らない。

 アルシェの考えでは、最低でも月給で金貨10枚は欲しいと思っていた。

 帝国魔法学院卒業生であれば、新人でもそれだけ出すと言う所が三つ四つあったのだ。

 月収で金貨10枚以上の稼ぎがあれば、父に無駄買いを止めてもらい、一部家財を売り払い、借金を返済。ぼちぼちと使用人を減らし、最終的に屋敷も売却して二回り程小さい建物に移り住めば家族仲良く暮らしていけるだろうと考えている。

 しかし、今すぐ彼女が安全の高い生産者や医療関係者としてその収入を望むことは、現実的に無理な模様。

 仕方なくアルシェは次に、帝都に幾つかある冒険者組合支部の一つを訪れた。

 その場に居合わせた冒険者達は皆、場違いと思える若く品の良い服装をした娘の登場に怪訝な表情を浮かべる。だが依頼者であるかもしれず声まで掛ける者はいない。

 アルシェは、特に気にする風もなく受付へ向かい「私はアルシェ・フルトと申しますが」と『アルシェ・イーブ・リイル・フルト』の貴族名は一応隠して名乗り、『自身の冒険者への登録』『知り合いやコネなし』『自分は第2位階魔法の使い手』『月収で金貨10枚以上希望』『魔法詠唱者を募集しているチームの有無』等の要望や状況確認を伝える。

 するとアルシェが若輩であったためか、彼女は白いブラウスの組合の制服を着た親切で優しそうなお姉さんから会話室の一つへと案内され、席へ向かい合う形で座り説明を受けた。

 当初、アルシェはこの状況を『幸運』の始まりかと考えた。

 

 しかし、それは現実が厳しいことへの裏返しであった。

 

 冒険者の世界――それはまず攻撃力、殺傷力、防御力等の戦闘面の実力がものをいう職業。思考力を含む人間性などはその次の評価となる。

 魔法学院中退ながら第2位階魔法を完全に使えるというのは、(シルバー)級並みの実力が十分に見込めるということで、無論評価はされる。

 だが、組合の制服を着たお姉さんは、上品で清楚な身形(みなり)も含めて明らかに育ちの良さそうに見えるアルシェへと、右人差し指を立てながら伝えてきた。

 

「うーん。あなたの歳で第2位階魔法を十分に使えるのは大したものだけれど、悪い事は言わないわ。ここは――凶暴なモンスターをも顔色すら変えず相手にする荒くれ者達の世界なの。あなたには頼れる知人やお兄さんとかいなくて一人でしょう? アルシェちゃんは、小柄でとっても可愛いから大変な事になっちゃうわよ?」

「……?」

 

 『可愛さ』が危険に繋がる意味が良く分からず、()()()首をひねるアルシェ。

 純真無垢な14歳で元お貴族さまの娘が、ヤサグレた野郎たちの『女への激しい爛れた情事』についてまだ知るはずもない。確かに学院で異性との淡いお話は出たが、濃さ深さが違った。

 そんなアルシェの様子に、組合支部のお姉さんはため息交じりにもう少し分かりやすく広い視点で伝える。

 

「ふぅ。あなたのようなこの業界の右も左も知らない若い女の子では、こなれた冒険者の多くから中々仕事で対等の相棒としては見てもらえないということよ。少なくともまずあなたの実力を周囲へ明確に見せなければ、誰もあなたの話は聞かないし依頼や取引もしないと思うの。そしてきっと――洗礼で半人前の弱者として、一方的な暴力の伴った命に関わるほどの酷い扱いを受ける」

「――っ!」

 

 隣国の大都市エ・ランテルで、ツテなしコネなしだった成りたての新人ながら4階級も飛び級するほどの圧倒的実力を持つ、どこぞの二人組の冒険者チームなど本当に極々稀で伝説になるほどの事なのだ。

 流石に、『伝手の無い半人前は人間関係だけで否応なく命が危ない』という脅し混じりの警告で、アルシェは驚きの表情を浮かべる。まだ何もしていないのに、どうしてそんな酷い事になるのだろうと。

 でもそれは無知であるアルシェの理屈だ。

 

「困る……私……どうしたら」

「私が言う事じゃないけど、確かに冒険者は当てれば収入が大きい。でも、もろもろの危険度は他の職業と比べものにならないわ。冗談で言うけど、正直まだ一般市民相手の泥棒とかの方が全然お勧めよ。冒険者は決して手軽に出来るものじゃない。本当によく考えて。絶対に甘く見たり舐めない事ね」

 

 アルシェは両手で鼻と口許を隠すように包む。

 彼女なりに危険を覚悟し決意してこの場に立っているつもりである。ところが、高収入だと当てにしていたその職業が、選択肢から(こぼ)れ掛けていた。彼女は、行き場の無い気持ちに困惑する。

 しかし、組合支部のお姉さんの言葉は概ね事実であり、世間知らずは恐ろしいと言わざるを得ない。

 もちろん良い冒険者達も大勢いる。だが、こういう純粋な子へと真っ先に群がって来るのは間違いなく()()()を持つ冒険者達だ。

 職業柄、この少女へハードルを高くしてあげるのは親切と言えるだろう。

 知り合いがいれば、伝手やコネでそういった酷い扱いにも歯止めが掛かるのだが……。

 こんなに可愛い女の子が知り合い無しコネなしの一人では、どうぞ自由に襲ってくださいといっているも同然である。

 それは流石にと見かねての組合支部のお姉さんであった。彼女は組合事務所の人間で、荒くれの冒険者達とも顔なじみであるから、冒険者系の者達から絡まれる形の危ない状況になっても助けが入ったり、立場を話せば見逃してもらえる場合も多くなるが、この目の前の子は間違いなく餌食になる。

 組合支部のお姉さんは改めて目の前の少女を見る。ここまで告げても、まだ迷っているようだ。

 

「……(この子にもやむを得ない事情があるんでしょうね。……まあ、今日知り合ったのも何かの縁かしら)仕方ないわね。良い条件のチームがあるかだけ少し調べてあげる」

「本当っ?!」

 

 これは千載一遇の好機である。アルシェの声は上ずった。

 

「でも、余り期待しないでね。全員女子のチームとか、男女混合チームとかからの募集があればいいんだけどね。まず冒険者達が本気でチームのメンバーを募集することなんて、メンバーが亡くなるか新設チームが出来る前後ぐらいなの。更に良い条件のチームに出会う機会は稀。だから元々情報も少なくて難しいものなのよ」

「……分かりました。そうですよね。でも、ありがとうございます。よろしくお願いします」

 

 アルシェは礼儀として笑顔を浮かべる。

 これでダメなら賃金は下がるが、今は安全といえる生産者や医療関係者としての職で我慢するしかない。そう割り切ろうとスッパリ決めた。

 「じゃあ、ちょっと待っていてね」と組合支部のお姉さんは部屋を出て行った。

 アルシェは勢いだけでここまで来てしまったが、良く考えれば見知らぬ者達とグループを組んで、命すら危険に晒す戦いが延々と続く職業を選択しようとしている事へ僅かに震えた。

 しかし、今の自分に出来る事は限られている。

 

(――歯を食いしばって前へ進むしかない)

 

 彼女は、自然と奥歯を噛みしめ両手に拳を作っていた……。

 20分程経ったかと思った頃、部屋の扉が開き組合支部のお姉さんが帰って来た。

 

「……アルシェちゃん。今日入ってた情報や知り合いに幾つか当たって聞いてみたけれど、冒険者のチームで今、メンバーを募集しているチームで良いところは―――この帝都内に無いみたいだわ」

「――っ。……そうですか……ありがとうござ――」

 

 アルシェが残念さで視線を落とし、別れの前のお礼を言い切ろうとした時、組合支部のお姉さんの言葉が割り込む。

 

「――でも、ある冒険者チームの知り合いで、元冒険者の神官の人が新設のワーカーチームを作ろうとしていて魔法詠唱者を丁度探してるって話を聞いたの」

「ワーカーの……チーム……」

「その元冒険者の人は、無償で多くの人を治療したくて人助けの為に冒険者をドロップアウトした程のお人好しだそうよ。それとメンバーには若い女性もいるみたいなの。あと結構強くてしっかりした人がリーダーらしいし、経験を積む機会として短期間でも悪くないと思う。冒険者に戻れないわけでもないしね。本当にあなたが急ぐのなら―――お勧めかもしれない」

 

 アルシェの目は、大きく見開かれていた。

 そして迷わず告げる。「行きます」と。

 今旅立つ若き少女に、多くの荒くれ達を見て来たお姉さんが言葉を贈る。

 

「一言だけアドバイス。私達の様な職業は舐められたら終わり。堂々と自分に自信がある部分を強気でアピールするのよ」

「はいっ、色々とありがとう!」

 

 少女はお姉さんへ礼を告げると急ぎ冒険者組合支部を後にし、教えて貰ったその元冒険者さんと仲間達が居るという店へ一目散に駆け込んだ。

 そして、アルシェは聞いた特徴に一致する人影の座る席へと詰め寄る。

 同時に相手への確認もせずに確信をもって口を開いた。

 

 

「――魔法の腕には自信がある。仲間に入れて欲しい」

 

 

 アルシェは、こちらへ口を開け唖然とした目の前の三人へ堂々とそう自信過剰に自身を売り込み始めた――。

 

 

 

 

 それから二年が過ぎた今――。

 肩口辺りにてバッサリ切られた金髪を銀意匠の入る漆黒のカチューシャで留めるアルシェは、相変わらず細身で少し小柄だが黒茶色のローブと魔法系の冒険者風の装いで身を包む16歳の気品を残す綺麗な少女になっている。

 手に握る杖には、ぱっと見で『鉄の棒』のようだが細かい文字の刻まれた魔法アイテムを選んでいた。

 

 彼女の所属したワーカーチームの名は『フォーサイト』。

 あれからアルシェは仲間達と数多くの死線を越え、一流と言われる第3位階魔法を既にほぼ網羅するほど成長していた。彼女だけではなく、メンバー全員のレベルが上がっているのが容易に窺えた。

 チームリーダーは、金髪で碧眼、程よく日に焼けた肌の男、ヘッケラン・ターマイト。

 年齢は二十歳程度。身長は約175センチで、両手に上質である革の手袋を付け、体には立派な服の下へ鎖着(チェインシャツ)を仕込み両腰に剣を下げている。

 冒険者でいえばミスリル級水準の実力を持ち、帝都のワーカー達の間でも名が知れており一目置かれる程の男だ。

 そして女性だが、野伏(レンジャー)で弓兵の力を持つイミーナ。

 表情は鼻筋の通った切れ長の目に緑系の瞳。髪は長めの紫色で左ポニーにしている。上半身と両腕には革系の防具を装備。弓以外では腰に短刀を帯びている。

 彼女は半森妖精(ハーフエルフ)のため、耳が人よりも長い。種族の影響からか細身の肢体で胸が平らである……。

 ヘッケランとは恋人関係みたいだが、彼は胸に関して少し残念に思っているとか。

 そして神官ではなく司祭(クレリック)職業(クラス)をもつロバーデイク・ゴルトロン 。通称はロバー。

 全身鎧(フル・プレート)を装備し、聖印の描かれたサーコートを着ている。腰のひときわ太いベルトには主装備のモーニングスターを吊るしている。

 30代ぐらいに見える刈り上げの金髪に輪郭のガッチリした少しおじさん風である表情の男。

 

 そんな4人だったが、その中でアルシェの装備に限り、2年程の間であまり変化はない。

 単に買えなかったのだ。

 先日、アルシェの手元には銀貨が数枚しかなかった。

 彼女はこの2年で実に350枚以上の金貨を稼いでいたにもかかわらずだ……。

 原因はもちろんアルシェの父、フルト元準男爵だ。

 

『お父様。今後、無用な物品の購入は控えてもらえませんか?』

『――なにを言うかっ! 貴族たるものこういったものに金を掛けるものなのだよ。お前にもすぐわかる』

『……』

 

 2年前にワーカーとしての初仕事を終え、金貨3枚を手に入れた日の晩のやり取りである。

 だが結局、この2年で父である彼の『買い物』が途切れることはなかった。

 アルシェの予想通り、『お前にも分かる』という機会など訪れず無駄な物に金貨が浪費されたのみであった。

 その裏を知ってよく考えれば当然である。

 フルト元準男爵は、いつしか野望を長女の婚姻からまだ幼い双子姉妹のクーデリカとウレイリカの婚姻探しへと切り替えていた。妹達はまだ5歳。結婚適齢期はずっと先の話だ。そのために、婚姻話が容易に進むはずがなかったのだ。

 なぜ、『アルシェの縁組』を考えなかったのか。

 それは――勝手に名門学院を中退しワーカーという貴族にあるまじき下賤といえる職に就いた長女アルシェを、内心で親の彼は玉としてすでに切り捨てていたのだ。

 

(穢れた娘アルシェよ。我がフルト準男爵家の礎となれ。妹達の為……いや、私のために馬車馬の如く金貨を稼ぐのだっ)

 

 2年程前のある日から、彼の長女アルシェは突然外泊をするようになった。

 初めは学院の女子の友人の屋敷に泊まるという話であった。

 しかし、そのひと月の間での頻度が突然な上に多すぎた。彼女はワーカーとして、仲間達と数日泊りがけで命懸けの仕事を熟していたのでそうなるのは当たり前の事ではある。

 度重なる外泊を不審に思った父は、執事に命じて帝国魔法学院への出席を確認させた。そして、長女アルシェの学院中退を知る。

 翌日、アルシェが家に帰って来た夕食後、妹達を食堂から下げさせると元準男爵は厳しい口調で長女を問い詰める。

 ただただオロオロする名家育ちの母。

 すると、アルシェは魔法学院からの中退をあっさり認め、魔法詠唱者としてワーカーの仕事をしていることを告げた。同時に、これまでに稼いできた金貨の詰まった革袋を差し出した。

 その革袋から覗く金色の硬貨の輝きを見て、怒っていた父の態度が目に見えて変化する。

 しばしの無言。

 父は最後に――「好きにしろ」と告げた。

 元準男爵はこう考え始めていた。

 

(外泊が始まってすでにひと月。金貨がすでに20枚程もある。まっとうな稼ぎであるまい。名門学院中退に始まり俗世の泥の中に落ちた娘は、もはやどこぞの馬の骨どもにも散々と散らされておるはずだ。最早、使えぬ……。名家の貴族に差し出せるモノではなくなった。あとは――育てた分は有効に()()()()利用しようぞ)

 

 この時から父としての彼は死に絶え、人としても腐臭を放ちはじめたのである。

 当のアルシェは、平民に落ちそして荒事のワーカーの職に就きながらも、その操は家の為に嫁ぐ機も有ると考え貴族の末裔として恥じないように固く守っていたにもかかわらず、その健気な意志が父に届く事は無かった。

 少女は厳しい冒険者系の世界で、チームのメンバー達と仲良く堂々と大胆かつ強気に生きていた。

 ただ、そんなアルシェは、実は女の子として本人知らずの形で結構人気が出てきている。

 小柄ながらも有能で、戦いも含めて常時憶すことなく少しベビーフェイスでポーカーフェイスなところが、荒くれ者達のハートをグッと捉えつつある。

 また金髪とその可愛い体形に加え、気品のある雰囲気と仕草に口数の少なさが、男女問わず街の商人達他の見知った者らの間でもウケていた。

 そもそも帝国魔法学院卒業生で第3位階魔法の使い手はそれなりにいるのだが、これまでに中退者でここまでの鮮やかな使い手に急成長する者は中々いなかったのだ。なので、逆に目立ち知られるようになった事も大きい。

 そんなアルシェの、フルト家以外の順風満帆であった人間関係がついに結実する時を迎える。

 

 

 

 先日まで手持ちとして銀貨数枚しかなかったアルシェであるが、ワーカーチーム『フォーサイト』が達成した帝都の大貿易商人からの密漁クエスト、『アゼルリシア山脈北端への珍獣狩り』で大成果をあげたのだ。

 大商人から支払われた報酬の総額はなんと破格の金貨885枚。

 依頼されていなかった殆ど見た事のない珍しいモンスターをついでに捕獲していたのだが、これが希少種であったため、その臨時報酬に金貨が700枚も追加されたのである。

 チームの諸経費を引いたのちに四等分されたのだが、これによりアルシェの手持ちのお金は一気に――金貨203枚まで増えた。

 少女は、この機を逃さない。

 執事のジャイムスへ事前に色々と確認していた。

 現在、家の借金の総額は金貨で約300枚。使用人達を解雇する為の諸費用が金貨30枚。双子の姉妹を引き取って暮らすための住まいと準備金に金貨15枚等々……。

 そうしてアルシェは満を持し、屋敷での夕食時に父である元準男爵の座る席へ近付くと、現在の借金の約半分となる金貨150枚の入った革袋を、彼の前へと叩き付けるように強く置いて告げる。

 

「お父様、お別れを告げる時が来ました。その革袋には私の稼いだ金貨が150枚入ってます」

「……なんだこれは! 父に対し無礼だぞ、何のつもりだアルシェっ!」

「これが最後のお金です。私はもう家にお金を入れないから」

 

 アルシェは目を瞑り、そう静かに父へと伝えた。

 すると、その様子に父は当主として当然とばかりにふんぞり返り、娘へと怒鳴り立てた。

 

「認めんっ。……お前が稼ぐようになるまで、この家で暮らせてこられたのは一体誰のお陰だと思っているっ!」

 

 ここで少女の眼が一瞬でバッと開き、怒鳴るフルト元準男爵を怒気の鋭い視線が射貫く。

 そして、この家から独立する者としてアルシェは口調も変えた。

 

「もうフルト家は8年以上も貴族ではないっ。嘗ての準男爵家としての生活は終りにしてっ! ……今日の分も合わせれば、家に入れたお金は金貨で500枚以上になる。もう十分に――利子も付けて十二分に恩は返したはず。妹達も連れて家を出るから。それに、雇用人らの解雇費用分についてもジャイムスを通してすでに渡してある」

 

 金貨500枚と言えば間違いなく大金である。たった一人の少女が稼げる普通の金額では無い。

 16歳となった少女の眼光は2年前とは別物に変わっていた。

 何度も熟練の冒険者達が怯む程の凶暴なモンスターすら倒し、死線を潜ってきた者の眼光は並みではない。今の彼女の視線には荒くれの男達をも身震いさせ黙らせるほどの眼力が備わっていた。

 

「――っ!? …………」

 

 フルト元準男爵は、()()()()()()の者からの尋常ではない想定外の強い圧力と、フルト家が解散する将来を示す内容の言葉に驚き、口を半開きにしつつ真偽を確かめる為、食事の乗るテーブルの傍に立つ執事のジャイムスへと恐る恐る視線を向ける。

 すると長年彼に仕えた執事は、申し訳なさそうに皺をより深く顔へ浮かべるも、目を細めつつ僅かに頷くのである。

 

「……ば、馬鹿な……」

 

 家の為、将来をも切り捨てて飼い殺しにするはずの長女からの下剋上であった。

 一度席を立ち上がりかけ腰を上げた元準男爵は、思考の行き場が無く背もたれへとヘタり掛かるようにドサりと座った。

 

「ああ、アルシェ……アルシェ……」

 

 母は食堂の席に座ったまま、やはりただオロオロするのみ。

 そんな父母へ、アルシェは畳み掛けるように今後の方針を指し示す。

 先程から、この場には長女アルシェからの有無を言わさない雰囲気が漂っていた。

 

「ここに有る金貨で借金の半分は無くなる。あと、この屋敷はフルト家が帝都へ寄った際の別宅だったから小さいし本宅程は高く売れないけど、それでも金貨で400枚以上にはなるはず。そのお金で借金を全て返し、地方の土地に一軒家を借りて二人で静かに暮して。贅沢をしなければ売却分の残りと家財一式に、領地の残りから上がる収入であとの生涯出費は賄えるはず。しばらくはジャイムスとメイドの人が一人残ってくれる。……心配ないから、大丈夫だから」

 

 どうしようもない父と何も出来ない母だが、それでも――彼女の親なのである。

 完全に捨て去る事など出来るはずもない。最後の真心の気持ちで言葉を伝えていた。

 アルシェの根底は、素直で優しく少し甘い子なのだ。

 

 

 それが――禍根を残すことになろうとは、この時のアルシェはまだ気付くことが出来なかった……。

 

 

 

 

 はや二日が過ぎた。

 アルシェの宣言通り、妹達は屋敷の外へと共に連れ出されたため、すでにこの結構広い元準男爵フルト家の中に、「おとうさま-」「おかあさまー」という可愛く幼い双子姉妹のクーデリカとウレイリカの声が響いてくることはない。

 三姉妹は早々とあの夜にこの屋敷を去っていた。

 

「……げふふふっ……。ふざけるなよ、アルシェめぇ……」

 

 無精ひげが幾本か顎に見え出した元準男爵の当主は、睡眠不足も多少あり目を血走らせつつ居間にてソファーへ座り度数の高い酒を呷りながら吠えていた。

 猛烈に高まった苛立ちと腹いせの為に、あの後二夜連続で――未だ三十代であるアルシェの母と『4人目の娘を』と激しい子作りを慣行し、それは連日朝にまで及んでいた……。

 クーデリカとウレイリカの双子は、貴族位剥奪後に生まれていることから分かるように、跡継ぎかもしくは玉の輿の玉となる事を狙ったものだ。

 

 居なくなれば――また作るだけである。

 

 すでに、当主の(オス)の思考は犬猫以下の水準にまで落ちて来ていた。

 そんな状況のフルト家に一通の書簡が今朝届いていた。

 既に昼前だが居間で酒を啜りつつ、ふとその書簡に気付いて読み始めたアルシェの父の手が小刻みに震え始める。

 差出人は、皇帝派で伯爵家の貴族ながら、40を超えた妻帯の跡継ぎが女性に対し『特殊な傾向の趣味』を持つという噂の囁かれている家だ。

 そして書簡にはそれを示すかのように、『幼い娘希望』『フルト家再興の条件』等が書かれた内容の文面が見て取れた――。

 内容はどう読んでも可愛い双子達の幸せといえる『婚姻』には結び付かないものである。

 しかし。

 幼いクーデリカとウレイリカの父である獣になり下がった男は、奇声の如き声を上げる。

 

「も、もう少しだぁぁぁーーー。もう少しの辛抱だぁぁ、ふふふしゅっ。クーデリカとぉウレイリカを欲する名家が見つかったぞぉぉぉぉ。グへへへ……。フルト準男爵家ぇぇぇ再興の邪魔はさせんぞぉ、何人(なんぴと)も、我が裏切りの娘、アルシェもだぁぁぁぁーーー」

 

 その時、キシリと音が鳴った。

 

「――――んん゛!?」

 

 居間の開いた扉付近の廊下、その床板の軋みである。

 元準男爵がゆっくりと書簡から顔を上げ、そちらへ顔ごと目元にクマも出来ている血走った視線を向ける。

 するとそこには、元準男爵の異様な発言を聞いてしまい表情の固まった執事のジャイムスが立っていた……。

 

「く、くふしゅー……。ジャ~イムスぅぅぅぅ、お前~~、自分のぉぉぉぉ主の名を言ってみろぉぉぉぉぉーー!!」

「ひっ、だ、旦那様……ひぃぃぃぃぃぃぃぃーーーー」

 

 帝国の伯爵家まで巻き込み、御家再興に鬼畜と成り果てたフルト家当主の野望の手が、再び娘達であるアルシェ三姉妹のもとへ迫ろうとしていた。

 

 アルシェの波乱の物語は、こうして幕が上がる――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エ・ランテル冒険者組合王都遠征隊が王都へと到着した日のこと。

 

 帝都アーウィンタールの50キロ程南方に、500平方キロほどの大きな湖がある。その南側に『湖の都市』と呼ばれる城塞都市セギウスはあった。

 帝都から南西にある大都市へと伸びる街道が途中で南東に分岐し、この湖の(へり)を沿うように北西から南東へとほぼ真っ直ぐ小都市内を抜けている格好だ。帝都からの道のりは約120キロ。セギウス周辺の人口はおよそ41万人である。

 小都市の中心に城があり、街の周囲は湖の水を水路の様に通した堀で囲まれている。他の都市に比べると幾分低めの外郭璧で守られている感じだ。

 外郭内にはぎっしりと建物が並ぶ。そんな街並みの西側の一角に、無法者達の多く住む区域が広がっていた。

 

 その闇世界へ埋もれる形で、人知れず拠点の一つを構える暗殺者集団があった。

 

 入り組んだ街中へ潜む彼等の6階建ての建物は総石造り。

 4階の日射し差し込む窓辺から、離れた奥へ置かれている3人掛けのゆったりしたソファーへと、金毛の髪を箒の形に緑系の紐で結んだ人物が座っている。

 

「ティラお嬢様、珍しい所からの少し変わった依頼が舞い込んで来ておりますが」

 

 忽然とその傍に現れた白髪に白鬚で眼帯を付けた男が、お嬢様と呼んだソファーへ座る少女へと書簡を渡した。

 男は齢60に迫るもまだまだ体格のいい黒ずくめの装備を纏う。

 書簡を手にする彼女は、衣装の各所に緑系のアクセントのあるその忍び風の装備を身に付け、胸には立派だといえる膨らみもあった。

 幾分釣り目で、表情は少し涼し気の綺麗な少女が口を開く。

 

「頭領と呼べ。いつまでも廃業した姉妹らの気質が抜けんよな爺よ。今、この“イジャニーヤ”を率いているのは私だ」

 

 爺へ文句を言いながら、開いた書簡を読み始めるティラ。

 

「――ん? 中央からの極秘だと? 概要は……帝国との辺境地域に在る王国の小村に住む標的人物の確保? なんだコレは。日程等詳細は受諾後に、か。暗殺者集団に人さらいをさせる上、報酬が金貨3000枚とか、田舎村の者の対価にやたら金額がいいな。……絶対にヤバイ案件だろ、これ」

 

 彼女は三つ子の姉妹だ。

 ティアとティナとの三姉妹で、腕利き揃いの暗殺者集団『イジャニーヤ』を頭領として纏めていた。

 しかし、他二人の姉妹らは二年ほど前、王都での任務を金貨1500枚で請け負うも、失敗したのか突如音信不通となった。

 だが後日、そのまま標的達とチームを組んで、アダマンタイト級冒険者をやっている事が判明。今も元気にしている様子。

 一方、その未達となった仕事の責任で、依頼主である『法国の一個人』から、以前に彼が撃ち漏らしたという亜人の村の要人殺害等、いくつかタダ働きするという面倒事を処理させられた。

 名声失墜とそんな泥を被ったティラだが、元から姉妹共々呑気である性格なのか廃業した姉妹達のその後の行動を余り気にしていない。

 ただそれ以来、表立って仕事で“イジャニーヤ”の名前は使わず、以前から存在する幾つか別の単なるワーカー集団として偽装し細々と活動している。

 この依頼も、帝国東北部の都市にある支部へ伝手で舞い込んで来たものだ。

 書簡を丸め始めたティラを見て爺は問いかける。

 

「どうします、頭領?」

 

 爺から言い換えられた呼称に満足しつつ、直感ながらティラは明確に答える。

 

「中央から舞い込むのは無茶ばかりだ。放っておけ」

「はい。私もコレは、きな臭い案件だと思いましたので賛同いたします」

「ふん。で、この件はこれで終わりなのか?」

 

 ティラが確認すると、爺は別の書簡を手渡してきた。

 

「実はですな、一部の上位ワーカー達にも先の件が別の形で出回っているようなのです」

「ほう?」

 

 ティラは急ぎ、ワーカー達に出回っている書簡を斜め読む。

 内容の概要は以下。

 『難度60以上と思われる強力なモンスターの討伐。帝国との辺境地域に在る王国内の小村にいるモンスターを倒せ。1体あたり報酬金貨150枚。但し、王国軍兵と遭遇の危険有り。連絡乞う。ケーオス商会帝都支店』

 

「ふーん。村人の確保に、ワーカー達を陽動として使うつもりだな」

「そのようですな。隣国で軍がらみも有りでは、冒険者はまず動きませんから。……結構良い値ですし」

「そうだな。……強力なモンスターか。何がいるんだろう? だが、先の報酬の金貨3000枚との差は大きいぞ……もしかするとトンデモナイものがいるのかもな」

 

 ティラの勘は鋭い。表情をニヤリとさせる。それを知る爺が相槌を打つ。

 

「確かに。村人確保の報酬との差は不気味ですな。ワーカーどもはまるで――場をかき回すだけの捨て石のような」

「そんなところか、ふん。……とりあえず、帝国中央は事を秘匿する為に軍の関係者を動かしたくないということは窺える。ケーオス商会の名は長年知っているが、おそらく有事用のダミー商人の一つなのだろうな」

「後で確認いたします」

「ふむ。……ワーカーか。そういえば――先日の雨の日に、私が拾ってきた()使()()の男はどうしてる?」

 

 ティラは1週間程前、この都市のスラム街にて、ずぶ濡れで蹲っていた紺色の髪の男を拾ってきた。

 男は手に珍しい剣、『刀』を強く握りつつ、半袖の黒ポロシャツに動きやすいズボン姿であったが、雨に因る寒さの為なのか、それとも何かに怯えているのか終始震えていた。

 

「一応、今日も落ち着いています」

「そうか」

 

 というのは、ここへ連れて来た当日、男はどう見ても錯乱していた。

 彼はベッドに潜り込み、頭を抱え目を見開き、時折涙を流し「努力は無駄だ、無駄なんだ、あはは」と意味不明な事を小声で呟き続けた。相当酷い目にあったのか。

 翌日の昼になって、腹が空いたふうで出された食事を口にすると漸く落ち着いた。

 そこで初めて彼は片言の様に告げてくる。「俺は――――。王国の……ワーカーだ」と。

 恐らく嘘だろうとは思っている。

 でも構わない。ここでは過去は気にしない。

 それよりティラは、彼のずぶ濡れだった姿を最初に一目見て、この男がタダ者ではないと感じていた。

 それは――彼が震えていた状態でも隙が全く無かったのだ。

 声を掛けずに近付いていれば、奴の握り続けていた刀で切られていたはずだと。

 正直なところ今、姉妹の二人が廃業してから“イジャニーヤ”の戦力は大きく減っている。

 この施しは一種のスカウトなのである。

 ティラは爺を伴って3階へと降りて来た。刀使いの男を放り込んでいる部屋の扉前に立つとノックする。中に気配はまだある。

 

「――チャーリー・ウイラント、起きてる? 入るから」

 

 刀使いの男はそう名乗っていた。

 返事はないが、ティラ達は構わず部屋へと入って行く。

 

「……」

 

 チャーリーを名乗る男は、カーテンを閉め切った薄暗い15平方メートル程の部屋の中、壁際のベッドの上で背を壁に付けて座り、己の刀を両手で握ったままじっとそれを無言で見つめていた。

 何かに悩み続けているのは容易に感じ取れる。

 しかし、ティラは気軽に声を掛けた。

 

「こんな所にじっとしていないで、外でも歩きに行かない?」

「……放っておいてくれ。邪魔なら出て行こう。……世話になった分はこれでいいだろ?」

 

 そう言って紺の髪の男は、ズボンのポケットから硬貨を1枚握り出し親指で天へと弾く。

 硬貨は綺麗な放物線を描いてティラの手元へと落ちた。それはなに気なく()()()()()

 借りは作らないし、お金には困っていないというアピール。

 だがティラは金貨を手に握ると、ツカツカと彼の方へ近寄りベッドの端へどさりと座り込んだ。

 そして、すでに1週間もここへ居続ける男の心へと図々しく切り込む。

 

「別に邪魔じゃないけど。それに――あんた、行く当てないんでしょ?」

 

 紺の髪の男(ブレイン・アングラウス)はハッとする。

 そう、いつの間にか先程の金貨が、ポケットの中に戻っているのに気が付いたのだ。

 

(……この娘、タダ者じゃないな)

 

 チャーリーの浮かべた僅かな驚きの表情に、ティラはニヤリとする。

 先日の雨の日、彼の隙の無さにビビらされたお返しである。

 チャーリーを名乗る紺の髪の男ブレインは、腑抜けて油断し少女からの殺気もなかったとはいえ、自身の身体に接触されていた事へまだその原理を理解出来ていない。

 ティラが使ったのは『影』。元からある彼自身の影と接地する面からのアプローチのため、間合いが一瞬無効化されたのだ。

 それと流石に咄嗟では、影という自然現象と映る面ごと切り裂くという対応法には連動出来なかっただろう。

 もちろんティラは種明かしする気などない。

 しかし、ネタとして誘い出す餌にした。

 

「さあ、一緒に外へ出るのよ。ポケットに湧いた金貨の原因を知りたくない?」

「……」

 

 手口は兎も角、借りに対しての金貨を返されたことで借りが残ってしまい、チャーリーを装うブレインは渋々重い腰を上げた。

 

 

 

 ブレイン・アングラウスは、あの吸血鬼(ヴァンパイア)との戦いのあとにどう逃げて来たのか正確に覚えていない。

 ただ恐怖と絶望と惨めさで、北東方向へとがむしゃらに勢いで逃げ出したに過ぎない。

 そうして走り、歩き、泳ぎ、伝いしてこの街まで辿り着いた。ずぶ濡れだったのは雨の所為ではなく、実は堀のような水路を泳いでこの都市内へ侵入したからだ。

 あの化け者と出会うまでの彼は、ただ一人の男、王国最強の戦士ガゼフ・ストロノーフだけを目標に体を鍛え剣の腕を磨き続けてきた。

 

 その修行の場として、人にあるまじき『禁断の修羅の道』を敢えて選んでだ。

 

 常に命のやり取りになる戦いの場――盗賊団側の用心棒として、その鋭い殺気や人を斬る技を高め続けた。

 しかし。

 あの吸血鬼との『絶望の戦い』で、それまでの全てがまるで意味を持たなくなった。

 生涯で一番熱かったであろう、あのガゼフ・ストロノーフとの決勝戦さえも。

 単に自惚れていたのだ。ガゼフ・ストロノーフを超えればそこが目指したものの最高点なのだと。

 

 

 だが――すべては幻想だった。

 

 

 かの吸血鬼の(ふる)い戦う水準は、次元が違ったという表現しか思い浮かばない。

 生涯の倍の期間鍛えようが、絶対に届くはずがないと強烈に思わせる世界を垣間見せられた気がしたのだ。

 自慢の究極と考えていた神速の武技〈神閃〉が、彼女にとってコマ送りという情景にすぎない事実は愕然とした。

 だが、それ以上にブレインが戦慄したのは、紅き吸血鬼(シャルティア・ブラッドフォールン)がその圧倒的な力を持ちながらも――それを完全に持て余していた事だ……。

 

 

(真の最高点に到達しても見える世界は、存外退屈で狭いのかもしれない)

 

 

 最強というものの輝き、それへの憧れがブレインの中で完全にヘシ折れた瞬間であった。

 もはや、ブレインに人生の目的は無くなっている。

 最強を目指す為に、人間性すら退け全てを掛けて来たからこその絶望的といえる喪失感なのだ。

 

 まるで燃え尽きたかのように、彼の心も思考も白くなっていた。

 

 

(――――これからどうしようか……)

 

 それが率直なブレインのここ数日の漠然とした気持ちだ。

 やり残したという感慨が湧かないので、もう死ぬことは特に怖くない。

 また、すでに数多の罪もない者達を剣の腕を上げるために斬ってきた身である。罪人として断頭台も上等――そういう思いで彼はいる。

 ある意味、悟りを開く者達の心境に彼は立っていた。

 

 今、夏が近づく快晴の空のもと植生の木々は緑鮮やかながら、少し薄汚れ気味な闇の漂う街並みを普通に歩いている。

 共に歩く横へは、足音を全くさせない変わった娘も一人いるが。

 建物を出る時に、心配なのか爺と呼ばれる老偉丈夫が何人か他にも同行させようとしたが、この頭領と呼ばれるティラという娘は断っていた。

 

「大丈夫。(チャーリー)がいるから」

 

 そう言ってさっさとレンガ畳の道を歩き出していた。

 ブレイン自身、帝国や法国で偽名を名乗っていても、疑う者は少ないと考えている。

 何故なら彼は帝国や法国へ行った事が無く、顔を知る者はほとんどいないからだ。

 なお、帝国の通貨を持っているのは、手持ちの金に盗賊団の餌食になった商人達のものが混じっているからだ。法国の通貨すら持っていた。

 ブレインはあくまで貨幣は貨幣だとして使っている。綺麗も汚いも無い。

 もちろん彼は、自分を正当化する気はない。

 しかし、ここは弱肉強食の世界。

 商人達もピンキリである。底辺の弱者から巻き上げた分も当然混じっているのだ。

 それが自然と世界で回っているだけのことなのだと。

 

 ティラが、無口に半歩遅れで横を付いて歩く紺の髪の男(チャーリー)へ話しかける。

 

「あんた、強いでしょ?」

 

 ブレインは、娘からのいきなりの会話に無言を通そうと考えたが、その内容に思わず答えてしまう。

 

「俺は――弱い」

 

 男の重い口調にも、ティラはさっくりと反論する。

 

「ウソだね。私の目は節穴じゃない。歩くアンタの身の熟しは普通じゃないから」

 

 青年と言える風貌ながらも、彼は全方位から幾人で襲われても、即反応出来る感じの経験深い雰囲気がしてみえ、少女はそのまま伝えた。

 

「……俺の主観論だ。君の考えに文句を言う気はない」

「ふーん。随分謙虚なんだ」

「……俺は弱いさ。上には上がいる。この世には人間じゃ到底届かない信じられない化け物がいるのを知っているだけだ」

 

 『信じられない化け物』という言葉に、今度はティラが反応する。

 

「強力なモンスターか……。ひとつ、帝国との辺境に在る王国内の小村に強力なモンスターが居るって話、知らないか?」

 

(辺境の……小村?)

 

 ブレインの足が止まる。一瞬あの化け物(ブラッドフォールン)を連想したからだ。

 しかし、()()が小村に居座り続けるとは思えない。小村などまさに一瞬で血の海の地獄と化すはず。

 別のモンスターだろう。

 

「……いや、聞いたことはないな」

 

 立ち止まったチャーリーを名乗る男へティラが振り返る。

 

「そうか。難度で60以上って事だけど、もっと強いのがそこには居るのではとな」

「難度60?(かなり強いが、次元が違う圧倒的なあの吸血鬼(シャルティア・ブラッドフォールン)なら、難度でいえば200はあるはずだ)……」

「そんなに強ければ、王国のワーカーのあんたなら聞いた事もあるかと思ったんだけど」

 

 そう告げられたが、ブレインは聞き流すしかない。

 盗賊団内に入って来る情報は、主に獲物の商隊関係の情報がほとんどで、知識は兎も角、テリトリー外でのモンスター出現の噂話まではよく知らなかった。

 

「うーん」

 

 ティラは唸りながら、チャーリーへ背を向け再び前へ歩き出す。

 仕方ないので、チャーリーを装う男(ブレイン)も歩き出し彼女へと追いつく。

 するとティラはここで、スッパリと抜けていた重大な事に気が付く。

 

「っ! そんな強いモンスターなのに――なぜ、王国の冒険者達は動いていないんだ?」

「ん……そうだな。でも、それはやはり単なる噂話だからじゃないのか?」

 

 普通ならそう考えるのが自然。

 しかし、ティラは帝国中央から、ある程度特定された者達にのみ撒かれた依頼案件を見ている。裏が取れているからの依頼のはずなのだ。

 

(なんなんだ、この違和感のある案件は。何かが普通と違うのは確かだ……本当に危機の潜む案件であったのだな)

 

 難しい顔をしているティラに、チャーリーを名乗る男は一つの可能性を伝える。

 

「もしかすると――モンスターと共存している可能性はあるな」

「んんっ?! 村では暴れていないという話か。……遭遇の多いゴブリン達とも一応会話は通じる。難度が上がれば知能も上がる。人の少ない辺境だし状況次第では確かに考えられる。そうか、しかし――」

 

 彼女は、チャーリーを名乗る男の気晴らしにと外へ出てきたはずであったが、気が付けば道のすぐ先に見えた街中の小さな噴水の傍へと腰を下ろしていた。

 その脇へ立つブレインが、ふと思い出した王国の強力なモンスターの名を彼女に伝える。

 

「あのな。アゼルリシア山脈の南側に広がるトブの大森林の南端一帯に住み、森を静かに守っている1体の強大なモンスターがいる。通り名を“森の賢王”という。これまで百年以上その名は周辺へ響いていて、森にいる他のモンスター達や幾多の冒険者達も全て退け無敗と伝わっているんだが。強さからして、恐らく難度で100を超えるだろうな」

 

 ティラはそれを聞くと意見を返す。

 

「へぇ。私は知らないけど、難度100に無敗……確かに凄い。そいつが小村に時折現れるとか?」

「森を長年静かに守っているなら、近隣の村人達から大事に崇められていても不思議じゃないからな」

「ふーん。……そういう事なのか。(難度100以上のモンスター討伐なら、ワーカーらへの報酬として金貨150枚はかなり少なすぎる。敵モンスターは冒険者のアダマンタイト級以上だろうしな。それに加えて、極秘に村人の確保か……)」

 

 ティラはここまでの状況内容から一つの結論を閃く。

 

(考えられる事として、強大なモンスターである“森の賢王”と親交を深めた村人がいて、“森の賢王”を戦力として動かすことが可能なのではないのか。だからその村人を帝国に招けば“森の賢王”を帝国の傘下に組み入れられると――)

 

 彼女の想像が、近いようで遠い気もする話に落ち着いていた。

 現実には、確かにその村人である司令官エンリ・エモットが頼めば“森の賢王”ハムスケは『同期の同僚』として全力で支援に動いてくれる。敵が王国だろうが帝国だろうが森のモンスター達だろうが関係無くだ。この“森の賢王”は忠実な配下(ペット)として至高の死の支配者(オーバーロード)に飼われていたりするのだが、そんな想定外のことは知る由もない……。

 更にここでティラは頭領として再度の思考が起こる。

 

(難度100以上のモンスターは確かに脅威。しかし――この目の前のチャーリーも相当の腕前。私も難度81程度はある。あとウチの何人か使えば村人の確保は難しく――ない?)

 

 暗殺者集団『イジャニーヤ』は、先の帝国での『血の粛清劇』の際に中央へ協力し、反皇帝派の貴族や反攻軍の司令武官を少なからず屠ってきており、代々の埋蔵金も合わせ金貨で50万枚以上の蓄えを残している裕福な集団といえる。

 そのため、いずれの仕事も無理に動くことはない。

 今回も少し気になる案件だが、ティラは結論を急がない。

 

「……(すべては爺にも話してから。それに――(チャーリー)が協力してくれないと)……」

 

 結構長い沈黙のティラへチャーリーを名乗る男は尋ねる。

 

「……何かする気なのか?」

 

 ブレインは当然、ティラ達が何らかの裏組織を形成している事に気が付いている。

 周囲の雰囲気に薄暗さの混じるこの裏業界独特の街並みは、王国も帝国も変わらない。

 嘗てブレインが居た『死を撒く剣団』。戦時は傭兵団なのだが、平時は大きな盗賊団として活動し、支部をエ・ランテルにあった同じ雰囲気のスラム街へ置いていた。

 だから彼はよく理解している。

 それにティラ達の組織は相当な凄腕揃いだと感じている。

 この娘とあの老偉丈夫をみても、同時に相手となると全力が必要だろうと考えていた。

 

(こいつらは普通じゃない)

 

 ブレインの率直に思った感想である。

 近頃は大抵の集団を見ても、剣豪のブレインは自分と相手集団全体で比較していた。

 だが、ティラ達の組織は格が違う。

 配下の数人を見ても、各人が相当な腕の猛者達なのが窺えた。

 

(この組織の上位メンバー5、6人を同時で相手にするようならば――殺られるかもな)

 

 そんな可能性を久々に感じた。

 実は、それと同じ感覚の事を支部の建物の中にいた暗殺者集団『イジャニーヤ』の者達も感じていた。

 

「ヤロウ、お嬢を連れて行きやがって……。だがあの男、俺の殺気を軽く流しやがったぜ」

「だよな。俺のもそうだ。普通のやつなら飛び退くんだがなぁ」

「儂の気も流しよるからな。タダ者じゃないぞ」

 

 『爺』とティラから呼ばれていた老戦士が語った。

 

「えぇっ!」

「本当ですか?」

「ああ。だから単独で手は出すなよ――儂でも奴の放つ剣の数撃の間に死ぬと思うからな」

「「「……」」」

 

 若いが主力級の者達が沈黙した。それほどの青年の男と、可愛い頭領が一緒という事実。

 しかも、結構男前のヤツでもある。

 

「……お嬢、大丈夫ですかねぇ。あっさり惚れちまうとか」

 

 思わず配下の一人がそう不安そうに言葉を零した。しかし『爺』は言い切る。

 

「それは―――問題ない」

 

 

 

 

 噴水を囲う石に座っていたティラは、立ち上がりながらチャーリーを名乗る男へと言葉を返す。

 

「……アンタがどうするか決めてみる?」

「なんで俺がだ?」

 

 関係ないし、冗談じゃないと考えブレインは答えた。

 するとティラは、計画的皮算用等、色々込みで口許を緩ませる。

 

「ふっ。1週間も世話になったら、普通は何か返すものでしょう?」

「……あのな。それなら金貨で――」

「――そこは、何か仕事で返して欲しいわね」

 

 少し身長差のある二人の視線がぶつかる。

 ブレインが見下ろす少女の表情は、ニヤリと『したり顔』である。

 

(くっ、この(アマ)。……俺に行き場や当面の目的が無い事を見透かして誘ってやがるな)

 

 男として非常に悔しくあり、ブレインは免疫のなさそうな若い娘にと『特別な言葉』を浴びせる。

 

「そんな誘いをするってことは、君は――俺が好きなのか?」

 

 するとティラは……即答した。

 それも、『マジで何言ってんだコイツ』という怒りの表情で。

 

 

 

「はぁ? 伴侶としてはアンタなんかに全然興味ないから。少なくともあと7、8年経ってから言いなっ。ふんっ。

 ――――ええいっ。どこかに凄く強くて、“顔に味のあるおっさん”はいないのかっ!」

 

 

 

 ティラも他の姉妹同様、男の趣味が少し変わっていた……。

 

 それでも、彼女からの虚を突かれた言葉にブレインは、この直後に大笑い。

 ひとまず彼は、この少し変で可愛い娘の傍で暇を潰すことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新世界のこの大陸西方で人類が治める主な国家と人口は以下。

 人類三大国家の筆頭であるスレイン法国の人口は1500万人。

 同じく三大国家の一つリ・エスティーゼ王国は900万人。

 ローブル聖王国は約600万人。

 カルサナス都市国家連合280万人。

 竜王国の120万人――。

 

 そして、人口850万余を誇るのが人類三大国家の一つ、バハルス帝国。

 皇帝は有名な『鮮血帝』ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。

 さて、帝国の誇る人材でこの皇帝以外に最も有名な人物を挙げるならば、それは間違いなく主席宮廷魔法使いのフールーダ・パラダインである。

 では「その次は誰か?」と850万人の帝国民に尋ねたとする。

 帝都アーウィンタールにおいてならばその答えは、大闘技場で最強を誇る武王ゴ・ギンかもしれない。この時代の人々は戦いへの憧れや救いを求めて『強さ』に大きく惹かれるのであるから。彼は強い。恐らく冒険者の水準でいうのであればアダマンタイト級だろう。

 だが、帝都を含め帝国内全体になると最も多くの者から名が挙げられるのは、やはり種族がトロールの武王ではなく同じ人類である『帝国四騎士』の者達となるはずだ。

 

 他国から見ても『帝国四騎士』は有名である。

 

 それはもちろんバハルス帝国内において、四騎士の各人が個で最強戦力と呼ばれており、皇帝陛下直属で常に傍へ控える騎士達だからだ。そのため、有する権限は帝国八騎士団の軍団長である将軍達と同格でもある。

 彼等四人の強さは、分かりやすい基準で伝えると個々が冒険者のオリハルコン級以上の水準と評されている。

 ならば冒険者のオリハルコン級以上がその扱いを受けるのかといえば、全然次元が違う話である。

 確かに強さは評価されるが、冒険者はあくまでも一個人に過ぎない。

 人類国家間の戦争になった場合、冒険者組合に所属する者は規則上基本的に戦闘には参加できない事情もある。

 それに指揮系統を持った組織の代表である将軍級の者は、数多の部下の命を左右する大きな責任を負っている立場にも居るのだ。

 極論だが将軍が倒れるような有事の際、帝国四騎士が代わりに率いる可能性も含んでいる。

 また軍団指揮官級の者は国家を代表する立場の一人であり、一個人とでは扱いが異なるのは当然と言えよう。

 とにかく、帝国四騎士は帝国内外で名の知れた偉大なる重要人物達なのである。

 そんな4人の騎士達なのだが――。

 

「はー、やってられんぜ」

「……帝都まで来たら逃げてもいいかしら」

「とんでもなく大変なことになってしまったな……」

「………むぅ」

 

 四騎士のリーダーであるが平民からの叩き上げの騎士、〝雷光〟の二つ名を持つバジウッド・ペシュメルの投げやり気味である言葉に始まり、紅一点の〝重爆〟レイナース・ロックブルズの『逃げ』の言葉に、貴族出身の〝激風〟ニンブル・アーク・デイル・アノックの難しい表情の声が続き、言葉を押し殺して悩む表情の〝不動〟ナザミ・エネックから漏れた重い息が僅かに聞こえて。

 帝都アーウィンタール中央に建つ皇城の一室で、彼らは渋い顔を突き合わせていた。

 発端は、数時間前に帝都へ届いた『(ドラゴン)300体の軍団、アーグランド評議国よりリ・エスティーゼ王国へ侵攻す』の急報である。

 

「1体で伝説にもなるモンスターが300体とか……マジか……」

「嘘で冗談だったとしても、笑えるのは50体までよね……逃げるから」

「まだ、そんなに固まって残って居たんだな……それだけで伝説だ」

「………ふぅ」

 

 自らの力量と、モンスターとしての圧倒的存在である(ドラゴン)の強さを知るが故の帝国四騎士達の言葉であった。

 ハッキリ言って、帝国八騎士団の精鋭8万騎も竜の軍団を相手にどこまで戦えるか。

 弱い小鬼(ゴブリン)などのモンスター群との集団戦ならば問題は小さい。しかし業火を吐く空の雄である竜軍団と戦う場合、地上戦主体の帝国兵団としては全く違う相手となる。

 帝国の総力戦で臨むと考えても相当厳しいと言わざるを得ない。

 その理由の一つが冒険者組合の力だ。

 モンスターの群れと戦うならば、大きな戦力となるのが国内の冒険者達である。

 ところが、だ。

 帝国の冒険者組合の総力は、王国の冒険者組合の総力よりもかなり落ちる。

 それは、総数の規模とアダマンタイト級の実力の差といってもいい。大きな原因に、帝国の騎士団が組織的にモンスター狩りの一部を行なってしまっている部分があがる。

 また、一応帝国にも2組のアダマンタイト級冒険者チームが存在するものの、その力を比べると相当の違いがあると言っていいだろう。彼等の攻撃力の最高点に大きな差があった。

 王国の『蒼の薔薇』は難度で150にも達するイビルアイに、魔剣使いのラキュースを擁している。

 また『朱の雫』には、秘めた大魔法を使うと聞くアズス・アインドラに、最強の剣使いと名高いルイセンベルグ・アルベリオンの二人。

 対して帝国の『銀糸鳥』と『漣八連』はチームで戦う冒険者達だ。彼らの個々で薄い攻撃力では多数の竜を同時に相手をする戦いは相当キツイはずだ。

 つまり、竜軍団に王国が敗れ蹂躙されれば、帝国も同様の目に遭う可能性が高くなる。

 ただし――。

 帝国には、王国に存在しない帝国魔法省と300名程を擁する強力な魔法詠唱者部隊がある。

 そしてこれを率いるのは、脅威の第6位階魔法を行使する『逸脱者』で世界有数の魔法使いフールーダ・パラダイン。

 また、彼の高弟として30名程の精強である第4位階魔法の使い手達が揃っている。

 更に帝国四騎士が率いる対魔法装備の皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)の近衛軍も最後方に控える。

 ゆえに王国の総力よりも帝国の総力が随分勝ると考えてはいる。

 

 しかし、300体もの竜軍団と比較した場合、勝てると断言できるだろうか。

 

 おそらく相当厳しい『望み』であろう。

 勝敗が付くころには、最低でも帝国領土の半分以上が灰燼に帰すはずだ。

 それでも帝国民の為に、騎士らはその前へ出て「勝てる」と言わねばならない。

 

「相変わらずだな、レイナースは」

 

 軽い口調で、ミスリル製の全身鎧に〝雷光〟の二つ名へ由来する剣を腰に差したバジウッドが弄る。

 リーダーである彼は、皇帝と帝国に対して忠誠心の厚い男だが、他人へ自分の考え等を無理強いや押し付けはしない。なので本来は叱責すべき同僚のレイナースへも呆れる程度である。

 そんな彼だから、帝国四騎士はうまく回っていると言える。

 しかしリーダーの声に続き、アダマンタイトの鎧で身を包む、金髪で碧眼の貴族然とした美男子のニンブルが釘を刺す。

 

「レイナース。とりあえず兵達の前では、逃げると言葉に出すのだけはやめてくれよ。軍団全体の士気に関わる」

「でも、結局兵達の前から逃げれば一緒でしょ? 私は負けるとなれば逃げるから」

 

 レイナースも元貴族のお嬢様なのだが、そういったシガラミはとっくの昔に捨てている。

 いや、四騎士への加入段階で、既に皇帝の手により取り除かれていたと言うべきか。

 とにかく、勝てない相手からは帝国を裏切ってでも逃げる気満々であった。

 ただし決して彼女が弱い訳では無く〝重爆〟の名の通りその攻撃の全てが強烈で重い。烈火となったときの彼女の攻撃と姿を見れば、逆に皆が逃げ出すだろう。

 『自分』と『目的』が大事という自己中心的なのがこのレイナースである。

 容姿端麗ながら、金色の髪をかなり長く伸ばし腰の辺りで括っていた。そして顔の右側半分を先が胸まで届きかけの長い前髪が隠す形で覆う。

 綺麗であったその右側の表情は、実は今、モンスターの呪いで醜く膿んでいた。

 そのとても正視出来ない顔の崩れ方にレイナースは『女性』という立場と幸せを失っている。

 ――それも呪いに含まれているのかも知れない。

 なので、ここにいる他の3名の男性騎士達からも可憐な扱いは一切されない。

 顔に刻まれた呪いから抜け出すことが、今の彼女の最重要目的で生きがいとなっている。

 現在の他の全てを捨ててもだ。

 

「せめて……直前までは最善を尽くせ」

 

 そんなレイナースへ、重い言葉が〝不動〟のナザミから漏れ出す様に呟かれた。

 彼は、防御重視で盾を両手に装備する『壁』タイプの戦士。多種のエネルギー系攻撃をも防御出来る。またその盾はそのまま攻撃として殴りつけることも可能だ。

 帝国で唯一、短時間ならあのパラダイン老の攻撃を凌げるかもしれないと言われている騎士である。

 しかし、この一流の彼が窘める言葉も、四人の騎士に突き付けられた竜軍団というこれまでに類をみない難題の前には虚しく聞こえる。

 冷静に考えて、竜300体に対しレイナース一人の増減で、どうにかなるのかという現実。

 

「「「「…………はぁ……」」」」

 

 改めて漏れるのは、全員が視線を落とした帝国四騎士のため息となる。

 

 

 

「陛下やパラダイン様からは、この件についてなんと?」

 

 20秒ほど沈黙が続くも、真面目であるニンブルが話を再度起こした。

 彼等は帝国四騎士。この大問題から逃げる事など出来ないのだ。

 ニンブルの質問に対し、先程まで皇帝の執務室の場に同席したリーダーのバジウッドが語り始める――。

 

 

 

 『竜300体の軍団、アーグランド評議国よりリ・エスティーゼ王国へ侵攻す』

 

 その一報がバハルス帝国へ(もたら)される直前、フールーダは帝国との辺境にあるカルネ村の村娘から貴重な情報を聴取すべく、彼女本人の確保へと四方へ手を回しつつあった。

 あの強大なモンスターである死の騎士(デス・ナイト)を本当に操っているのか、その方法は、如何なる魔法にようものなのか――その熱い思いは尽きない。

 一番期待値が高いのは、ゴウンなる旅の魔法詠唱者から教えられたであろう、小娘にも操れるほどの素晴らしい魔法の存在。

 その原理が究明出来れば、第6位階魔法の更に上の世界への扉を開く足掛かりになるかもしれないのだ。

 また魔法が事実であれば、フールーダ自身が王都に赴き、偉大なる旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)を帝都へ招くつもりである。

 

(そうなれば……我が生涯の大願も)

 

 調度品は控えめだが、高額の魔法書が所狭しと置かれた帝国魔法省の自室。彼はそこでその事を考えているだけで、気が付けば口から涎が垂れている程である。

 大願のためにもまず、少女を最高の待遇で丁重に迎えなければならない。

 既に200年以上生きてきたフールーダだが、魔法を自分へ教えてくれる存在に出会うのはどれほど振りだろうか。

 相手が小村の小娘であったとしても構わない。頭を下げる事など造作もない。

 

(靴を舐めろというなら底であろうが敬意を以って舐めようではないか、――ペロペロと)

 

 姉弟子になるかも知れない者であり、魔法の深淵に近付くことが出来るのなら容易い事である。

 だが村娘確保に、王国の領土内まで表立って帝国の精鋭を送り込むのは最終的にマズイと判断された。

 当初は、こっそりフールーダ自らが現地まで動こうと考え、仮名の非常に優秀な隊員を擁した実行案を協議。

 帰りは第6位階魔法の〈転移(テレポーテーション)〉が使え、一瞬で済むからでもある。

 しかし、実行者がフールーダだとバレた時点で、彼の高弟達に「師よ、なりません」と止められていた……。

 

(くっ、非常にじれったいが致し方なし。焦っては事を仕損じるというもの)

 

 大いに熱くなったが、我慢も心得ている老人である。

 そして先日漸く、ダミーの商会を通じた捨て石の陽動者連中と、凄腕の傭兵団や暗殺集団へ誘拐案件をぼかした内容での呼びかけを始めている。

 経費は多少掛かるが、魔法省の年間予算からすれば微々たるものである。

 

(ふははは、あと少し待てば~)

 

 年甲斐もなくワクワク状態であった。

 そんな楽しい思いの時に、フールーダの自室へと帝国情報局に届いたばかりの緊急情報を伝えるべく、高弟の一人が駆け込んで来た。

 

「師よっ、一大事にこざいます!!」

「ん。慌ててどうしたのか?」

「そ、それが――」

 

 その青ざめた表情の高弟の話す内容が進んで行くと、フールーダの表情が見るからに『なんということだ』というものになっていった。

 

「にわかには信じられん、(ドラゴン)どもが300もだと……。このことを陛下は?」

「この時間だとまだかと、しかしあと10分もすれば伝わりましょう」

 

 フールーダは太い白眉下奥からの視線を床に落とし、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 

(おのれぇ、もうすぐ魔法の深淵に近付ける手掛かりが手に入ろうかという時に……。ゴウンなる者は己で何とかしようが、王国辺境の村娘だけは断じて守らねばならぬぅっ)

 

 だが、出現した脅威は過去最大で強大。

 大事な計画を前に、大賢者自身の存在意義他、帝国も含めた全てへと風雲急を告げてきた。

 

 それから間もなく信頼厚い『爺』であるフールーダは、当然の成り行きとして皇帝ジルクニフからの呼び出しを受ける。そして直ちに、主のいる皇城宮廷内の巨大な机が置かれた皇帝執務室へ帝国主席宮廷魔術師として参上した。

 扉の外には増員された近衛騎士が6名おり、すでに厳重警戒態勢で警備に当たっている。

 執務室内には、各種資料と書類の山がそびえ立つ大机の椅子へ深く座り静かに頭を抱えている皇帝の姿と、帝国四騎士のリーダーのバジウッド。そして、信頼できる側近で四十代のベテラン秘書官ロウネ・ヴァミリオンの計四人だけが集っていた。

 状況からみて、ここへ伝えに来たのは秘書官のロウネと思われる。

 すでに状況について知っているはずのバジウッドは、武人らしくあっさり気持ちを切り替えている模様。

 

「あー、陛下。全員揃いましたが?」

 

 騎士の彼が、いつもの気安さでジルクニフへ声を掛けると、皇帝は気が重そうにその顔を上げる。

 ジルクニフは、この場に揃った者達の顔を一通り眺めると、静かに口を開いた。

 

「なぜだ、クソっ。……帝国にとって未曽有の局面が迫ろうとしている。大規模な竜軍団が隣国のリ・エスティーゼ王国へ攻め入った。今、矢面に王国が立っているが、これは決して他人事ではない。我々は何としても王国を脅威への防壁として生き残らさねばならないぞ」

「……左様ですな。止むを得ませんが」

 

 皇帝の発言は、これまでの王国疲弊併呑計画への見直しとなる重大発言であるが、近々の重大である野望(村娘保護)を最優先するフールーダはさり気なく即同意した。

 フールーダにしてみれば、王国北西部や中央部は灰になっても構わない。帝国との辺境が守れればそれでいい。

 

 いや――帝国さえも多大に消耗しようと構わないという気でいた。

 

 完全なる裏切り行為的思考である。

 しかし、それこそが生涯を魔法習得に掛けるフールーダ・パラダインの真意。

 ここで皇帝の考えに、一応秘書官ロウネが確認の意味で発言する。

 

「それですと、これまでのわが帝国の戦略方針と反する部分もあると思いますが、方針の転換ということでよろしいのですね?」

「ああ。もはや王国北西の情勢が大きく変わったと見るべきだろう。亜人達の国と国境を接するというリスクを私は、いや我々人類は軽視しすぎていた。なにせここ200年間で小競り合いしかなく、これほどの規模での侵攻は一切なかったからな。“起こらない”と決めつけていたのだ」

「そうですねー。王国もきっと、不意を突かれた感じでしょうね。経過の続報が怖いですね」

 

 皇帝の発言に、バジウッドは軍人として敵の進撃度合いでの戦力実状が気になる内容の言葉で相槌を打った。

 秘書官ロウネが、帝国情報局に入っている最新の情報を再度伝える。

 

「今から8日前の夕刻頃に、総数で300余体の竜軍団がアーグランド評議国南西部山岳地より越境し、リ・エスティーゼ王国北東山岳部を越え平野内まで侵攻。村々を焼き払い、西に移動しつつ大都市エ・アセナルを目指して侵攻中と伝えてきています。おそらく既に、王国の大都市エ・アセナルは大被害を受けているかと」

 

 竜軍団の北から西へ回り込む侵攻経路や攻撃目標がエ・アセナルという情報を、フールーダはこの時に知る。

 

(エ・アセナルといえば確か、亜人の国の近隣という立地のため、中央へは切り立った丘に建設された要害の城と都市全体を分厚く高い外郭璧に護らせた堅固に出来た大都市であったはずだが……)

 

 それがまさか、たった数時間で燃え落ちて廃墟になるとは、この時点では『逸脱者』すらも想像していない。

 加えて竜軍団には難度150を超える個体が実に7体も含まれている。

 その詳細が帝国へと伝わるのは当分先であるが、豊富な経験を持つフールーダだけは顎の白鬚を扱きつつここで予言する。

 

(ドラゴン)が纏まり300体という数。間違いなく率いているのは、大いなる力を持つ竜王(ドラゴンロード)のはずですぞ」

 

「「「――っ!」」」

 

 竜王(ドラゴンロード)――それは完全に物語の中でも最後の存在。

 伝説のモンスターの(ドラゴン)の中にあって、それらの群れを統べる者。

 モンスターとしての括りには入るが、まさに逸脱した存在。

 皇帝と秘書官ロウネはほぼ同時の結論に達する。

 それについて、背もたれから前へと身を起こし、片肘を突いたジルクニフの方が口に出すのが早かった。

 

「――和平案を何か考えられないか? 今後、相互不可侵であれば我が帝国だけも構わん」

「陛下。彼らが何故急に侵攻を開始し始めたのか、その部分に交渉の余地が隠されていると思います。その辺りへ関し早急に調査が必要かと」

 

 ロウネは、主の言葉へいち早く対応策を具申した。

 しかしすぐ、フールーダが俯瞰した意見を主へ述べる。

 

「まずそんな時間はありますまい。あと、(ドラゴン)という種族性です。誇り高い彼等は対等と考える者の意見しか尊重しませんぞ」

 

 つまり、軍団を率いる竜王(ドラゴンロード)に対し、同程度の力を示さないと約束事は進められないということ。

 軍人のバジウッドも真っ直ぐと思える意見を続ける。

 

「いやー、私が敵だったとしても、バカや弱いヤツの言う事なんて単なる軽い戯言でしょうね。少なくとも一度は大反撃を見せて、一目置かせないと交渉の余地はないでしょうなぁ」

 

 皇帝も縋るような思いで考えを述べたにすぎない。

 そもそも、『血の粛清劇』で自らも同じことをしてきたのだ。

 

 反皇帝派は勿論、一目置くべき価値すらないものらは――帝国において『不要』であると。

 

 皇帝ジルクニフは、前に乗り出していた身を溜息を洩らしつつその席の背もたれへ深く倒した。

 まもなく、目前の机へ僅かに残った更地の面をジッと見詰めたまま、彼は口を開く。

 

「相手は、竜王に亜人達の群れであるアーグランド評議国……もはや、背に腹は代えられん。スレイン法国やカルサナス都市国家連合らとの人類連合軍を考えるしかあるまい」

 

 現状で立場が同じ国家同士ならば、対等の内容で協議が出来るとの考えで大戦略を述べた。

 ロウネは皇帝の意見へと支持を伝える。

 

「各国の利害は一致すると思います。早期に実現可能となる案かと」

「ふむ。かの大国である法国が、どう動くかは気になりますけれど」

 

 フールーダも、王国辺境の維持に有用と思える案には肯定的に頷く。

 そんな中、戦いの矢面に立つバジウッドが気になる事を数点確認する。

 

「あのー、リ・エスティーゼ王国も人類連合軍ですよね?」

「ああ、勿論だ。しかし――腹を踏まれ泥を被ってもらう国は必要だからな。まずそういう国を退けて話を進める方がスムーズに物事は決まる。そして後でも小は大に従うものだ」

 

 外交の駆け引きに、冷たい瞳でジルクニフは確信をもってそう告げる。

 これほどの大戦の場合、広い戦場が必要。そして王国には、帝国の防壁として疲弊した名ばかりの戦勝国なりにしっかり残って貰わなければならない。

 国益を考えれば、のちに多少の援助ぐらいはしてやるつもりだ。

 

「ですが、あのスレイン法国が話に乗ってきますかね?」

 

 バジウッドの確認はなかなかニガい。

 バハルス帝国は、過去数代に渡り幾度もスレイン法国へ外交の使者を送っている。

 しかし、好意的な合意には一度も至ったことがないのだ。

 それには、六大神のアイテムの共同研究や、『死の霧』の覆うカッツェ平野の共同制圧の話もあった。だが、概ね帝国側に利益が大きい話に思えた。

 ただ今回は、意図や規模、背景状況が大きく異なる。

 すべての人類国家に対しての問題と言えるだろう。

 

「かの国は“人類の守り手”を自負している以上、動くのは間違いないでしょう。密かに竜王国へも毎年援軍を送っているという情報も掴んでおります。今回は、北西の亜人国家発でありますが、大陸中央方面の亜人の大国連合がいつ動き出すとも限りません。その予行演習との考えを伝えればより乗せやすい話のはずですし」

 

 秘書官ロウネはそう返す。

 しかし、バジウッドは武人の勘なのか、こう切り返した。

 

「そんな“人類の守り手”のスレイン法国だからこそ、表立っては組まないんじゃないのか? もし人類側が連合し亜人の国を討ったと大きく伝われば、尚更、亜人達が多く住む大陸中央の列強各国への動きを誘発すると考えないか?」

「そ、それは……」

 

 ロウネを初め、皇帝ジルクニフも目を見開いていた。

 恐るべき話である。

 大陸中央は正に亜人達の巣窟。亜人どもの治める国ながらその列強各国が手を組んだ場合、敵総人口は億を軽く超えてくる。

 スレイン法国がいかに強かろうと、六大神でも復活しない限り人類に勝ち目など無い――。

 

 しばしの沈黙がこの場を支配する。

 

 つまり、表立っての人類連合はマズく、アーグランド評議国を全力で潰すのも危険を孕むという空気が流れていた。

 

「では、各国が、個別で……戦えというのか……?」

 

 目を閉じた皇帝ジルクニフが拳を握りながら小声でボヤく。その声が僅かに震えていた。

 それへフールーダが助言する。

 

「ここは、アーグランド評議国が総力で動く前に、今の竜軍団侵攻の段階で自国へ引き揚げさせるのが上策。それには――密かに各国の精鋭をぶつける以外に手はないかと。私以下、高弟達からも100名の強襲魔法詠唱者部隊を選抜いたします」

「……爺」

 

 続いてバジウッドとロウネも、自らが取るべき行動を仰ぐ主へと伝える。

 

「……ですなぁ。帝国八騎士団や近衛軍から、防御と対空攻撃力の高い5000騎程を早急に選りすぐりましょう」

「では私は、冒険者組合と各国への働きかけ並びに、王国へ対し幾つかの大規模商隊として密かに通行許可を取り付けるよう全力で動きます」

 

 机の前に凛と並び、頼りとする臣下三名の力強い言葉に、若きジルクニフは椅子から立ち上がると皆の顔を眺め、一つ静かに頷くと右手を前に翳し主らしく命じる。

 

「王国に侵攻せし竜軍団を我が帝国の選抜精鋭軍にて撃破し、アーグランド評議国へと叩き返せっ! 手段は選ばず、費用は必要なだけ掛けて良い。これはバハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの厳命である!!」

 

「「「ははっ!」」」

 

 

 

 

 

「――というわけだ」

 

 バジウッドの語りが二十分ほどで終わる。

 皇城内の一室で机を囲んだ、彼の前へ座る三人の騎士の内、ニンブルとナザミが胸へ拳を当てた姿で席から立ち上がる。

 そして、()()()()()()皇帝執務室の方向へ向かうと拝命の姿勢を取る。

 そのあとに遅れて「仕方ない」と、レイナースも立ち上がりその姿勢を取った。

 ニンブルらの気が済んだかという頃にバジウッドは伝える。

 

「このことは、明日夕刻に臨時招集される中央閣議で正式通達される内容だし、まだ口外するなよ」

 

 帝国は、皇帝を中心とした絶対王政の中央集権国家である。

 なので中央閣議では決定事項のみが通達周知される。

 しかし、全てがいきなりその場での通達は、色々不満等の問題が出て来るため根回しが順次事前にされている。

 今は、帝国八騎士団の将軍達数名を集めて、皇帝との意見交換がされている時間。

 

「結局、状況は変わっていないんだがな」

「行けと命じられれば、炎の中へも飛び込むのが帝国の騎士だ」

「……そうだ」

「まあ……私は逃げるけどね」

 

 レイナースだけは変わらない。

 帝国八騎士団は各軍団の将軍達が騎士の選抜を担当するはずだ。

 バジウッドら帝国四騎士は、その手伝いと近衛軍の選抜作業を始めることになる。

 常時厳しく管理調練されている帝国軍の部隊は洗練されており、動き出せば整然と非常に迅速である。

 また、数が絞れれば全軍が騎馬隊として行動も可能だ。

 帝都内では冒険者達への強制的参加要請も通達が始まっているはず。

 帝国から王国内への出撃は、早ければ恐らく数日後より順次始まるであろう。

 

 勅命による彼等帝国四騎士の出陣も間近に迫り始めていた――。

 

 

 

 

 そんな中、フールーダは帝国魔法省の自室で、時はまだ有ると寛ぎつつ小声で静かに呟いていた。

 

「ふははは、これで――自ら堂々と王国領内へ入れるな。辺境の村娘よ、会うのが楽しみでならんっ」

 

 はしゃぐその様子は、圧倒的である規模と強さを誇る竜軍団との戦いを気にする風もない。

 当然だ。

 魔法習得に影響しない戦いの勝敗は余り考えていないのだから。

 それに、彼だけは〈転移(テレポーテーション)〉で大抵の局面で逃げ去る事が可能。

 また一応、竜にも効果の高い攻撃魔法が幾つも使えるのだ。

 まあ、相手に難度170以上の百竜長達やそれ以上の竜王までいるとは想定していないが。

 知らぬが仏という時間である。

 

 魔法狂いの老人は、本当に何も知らない。

 竜軍団すら比較にならない禁断の『ナザリック友好保護対象地域(カルネ村)』へと、彼は満面の笑顔で踏み込もうとしているのだから……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 兄クアイエッセがモモンによって倒され、妹の復讐劇は終わった。

 同時に秘密結社ズーラーノーンへの借りも達成している。

 念願であった兄の『血みどろな死に様』を間近で見て、身が熱く盛る女騎士クレマンティーヌ。

 

「ねぇ、モモンちゃん……これからどうしようか?」

 

 金色の髪を揺らして彼女は、頬を染め優しく穏やかに甘える表情で尋ねてきた。その猫の如き身体を漆黒の鎧姿のモモンへと預け妖艶に擦り寄りながら。

 その言葉には、数々の想いと事柄が詰まっている風に思われた。

 

 ここは、廃墟エ・アセナル南方に広がる穀倉地帯の麦畑の中。南西へ伸びる大街道に近い場所だ。

 モモンらの前には、未だクレマンティーヌの兄クアイエッセの亡骸が、目を見開いたまま周辺の麦の穂軸を広く押し倒す形で転がっている。

 クレマンティーヌの質問に対して真面目に予定を考えれば、彼女には苦戦中の兄の応援を呼ぶ振りをして一度漆黒聖典の仲間の所へと戻ってもらう。兄はカイレ同様討ち死し連れ去られたとして、彼女はそのまま隊長らと共に順次スレイン法国へ引き上げてもらう事が最良だろう。

 このクアイエッセの亡骸も復活されると色々困るので、デミウルゴスの『至宝奪取(エィメン)作戦』の()()()()()()一応押さえておく必要がある。

 とりあえずそんなところだが、彼女がモモンへと向けてくる僅かに潤みもある視線からは、先日約束した二人の深い関係を熱く期待している雰囲気が感じられた。

 

 つまり彼女の質問は――男女の仲の寿的門出について、なのだっ。

 

 そのためにはまず、二人きりでの逃避行(エスケイプ)で、この場からの即刻離脱も熱望していると思われる。

 そしてどこか遠くの森の暗めになっている木陰で、いきなり男女の熱い交わりを……と。

 

 

 クレマンティーヌに残されている願望は、すでにモモンとの婚活、妊活といえる甘い日常のみである。

 対するモモンは、彼女へと自身の異形種を含む全ての真実を告げた後の、ナザリック残留を願う。

 

 

 支配者としては、ナザリックの地上方面における独立した諜報機関での対人間部門の幹部として、周辺に詳しく交渉力も高い有能なクレマンティーヌの活躍を期待している。

 彼女は人間だが、既にナザリックへの貢献度は相当高く、エンリと変わらない待遇を用意するつもりだ。

 「大願であるその蘇生の秘術を教えて貰えるなら、儂は直ちに貴殿の忠実な配下になろう」と言ってきた、あの律儀で真面目そうなカジット辺りと組ませてもいいだろうと。

 

 このように、クレマンティーヌとモモン両者の思考には大きな隔たりがみられた。

 ただ、彼は可能な限り、弱点と言える素肌接触を伴うハレンチ方面への流れを逸らせたい。

 その考えの中で、ふとモモンの返した返事の言葉は、先の質問から些かズレたものとなった。

 

「……これからが大変かな」

 

 これは真実の暴露や漆黒聖典他の行動誘導に対する、彼の不安や思いを述べたものでもある。

 しかし――()()()クレマンティーヌとの未来をしっかり考えてのものにも聞こえた。

 なので、その言葉に彼の胸で頬をスリスリしていたクレマンティーヌの動きが止まり、感激と共に非常に大きな問題の待つ現実へ気付き、目が大きく開かれる。

 

 そう、大変なのである。円満な家庭を築くという事が、だ。

 

 この後、勢いで連日朝から晩まで、モモンと散々気持ちのイイエッチなコトをし子供が出来たとしても、安住の地が必要。

 今ここから離脱や職務放棄することは、刺客や追手に追われる等、決して幸福には繋がらない気がした。

 まず彼女自身、現在スレイン法国が貴重品として保有する全力装備衣装を着用し武器も帯びている為、回収に追手がくるのは確実。

 またクレマンティーヌは、今回遭遇した(ドラゴン)達の組織的であった行動から、モモンとマーベロ達の素性について思い当っていた。

 

 

(モモンちゃん達って―――アーグランド評議国と繋がってたんだねーっ)

 

 

 とんでもない勘違いである……。

 

 しかし、最近の周辺情勢からと、伝説の(ドラゴン)達を動かせる部分を考えれば自然に湧く思考の流れといえよう。

 アーグランド評議国は亜人達の国。

 かの国で、奴隷階級と伝わる人間達の肩身は狭いはずなのだ。

 その点から『こうに間違いない』とクレマンティーヌが妄想した話――『真・モモン†無双』は以下。

 評議国首都に程近い亜人の治める街。

 両親が南方の国系種の奴隷であったモモンは、闘技場の中で見世物的に日々戦わされていた……。

 だが彼は、その類稀な剣の実力で奴隷人間の強敵を初め、亜人の猛者達をも次々に倒し続け、頂点まで駆けあがる。

 モモンはついに奴隷から解放され、平民階級へと這い上がった。

 彼の驚異的強さは、評議国の対人類国家内部工作隊隊長の目にとまる。声が掛かり公僕として潜伏出撃も近付いた。そんなある日。

 街で褐色小娘のマーベロが、あられもないボロを着せられ奴隷娘として安く売られていた。

 偶然通りかかった人間のモモンの姿に千載一遇と救いを求めるマーベロ。

 

『せ、戦士様にだけ、僕の秘密を教えます。じ、実は僕、魔法が……少しだけ使えるんです。役に立ちますっ。だから、僕を買ってください……そ、その……なんでもしますから……』

 

 おどおどしつつ恥じらう少女は、モモンに僅か金貨3枚で救われる。

 

『これからは、モモンでいいから』

『は、はいっ。モモンさん……』

 

 そしてそれから各国へ潜伏しながら数年の日々、役に立とうと必死に修練しヘボながらも魔法を上達させるマーベロは、同時に恩人の彼へ感謝を込めて自ら献身的に熱い昼夜の奉仕もしているのだと……。

 クレマンティーヌの見たところ、年齢差のあるマーベロは一切の不満なくモモンへと喜んで仕えており、忠実な下僕の如く見える。

 また、二人は冒険者として新人であったにもかかわらず、その手にしていた立派である装備品の数々。後方の組織力の影が見える。

 情報を総合すれば、全てが女騎士の考えの中で明瞭かつ完璧に繋がった。

 

(モモンちゃんは、強くて優しいんだもんねー)

 

 クレマンティーヌ自身も優しく救われた身。疑う余地はない。

 さて、そんな評議国の関係者であるモモンちゃん。

 もしここで、彼がクレマンティーヌの意見を飲み共に公職から逃げ出せば、二人は強い亜人達と揉めたり追われることになるだろう。

 いかに彼が強くても、自分達の愛しい子供らはか弱いかもしれない。

 執拗となるだろう法国と評議国からの逃亡では、円満で甘い夫婦生活を維持する事は難しく思う。

 そんなのは誰でもイヤに決まっている。

 だから、一時的感情での爛れた愛欲に身を任せるのは、夢見つつもマズイという思いが、彼女の心の中に燦然と芽生える。

 

 エッチは、竜軍団他、この一連の件が片付くまで、状況に余裕が出来るまでの我慢だと。

 

(う~ん。でも、仕方ないよねー)

 

 クレマンティーヌは、竜軍団ら評議国側が勝つか、漆黒聖典他の人類側が勝つか動向を最後まで見守る事にする。

 万全を期し、それからモモンとの眩しく甘い生活場所を決めるべきだと。

 真剣に考えたクレマンティーヌが自分でモモンから身体を離すと、元気いっぱいの笑顔で彼へと告げる。

 

「モモンちゃん、ごめんねー。私――一杯エッチのことばっかり考えてたー。でも、今はもっと大事にする事があるよねっ」

 

 相手は夫婦となる約束を交わしている愛しい男である。言葉への取り繕いはない。

 気持ちのまま彼女は可愛く伝えた。

 

「ぁ、ああ、そうだね」

 

 異様にテンションの高い乙女色の女剣士の勢いに、モモンは少し押され気味だ。

 クレマンティーヌは「ねー、モモンちゃん。私はどう動けばいい?」と、モモンへこの場からの指示を仰いだ。

 彼女の突然の方針転換した問いに対して、モモンは内心で大いにホッとしながら、当初通りの真面目な指示を伝える。

 

「トリックを仕掛ける。君は一度応援を呼ぶフリで、漆黒聖典のもとへ戻ってくれないかな。で、誘導場所はココじゃなくて、先のギガントバジリスクの死体がある場所でよろしくね。あとは、何とか他の隊員達と法国に引き上げてくれれば――」

 

 途中、モモンは一点気になる事を考えた。

 今回は隊員の死であり、それを同じ場に居た『不仲な兄妹』の妹が伝えに来た。これまでのクレマンティーヌの行動が無事であった事から、『嘘を見破る』という魔法も特殊能力(スキル)も仲間から掛けられていないようだが、流石に今回はそれが無いとは考えにくい。

 常に油断は禁物である。

 

(対抗出来るアイテムを渡しておくべきか)

 

 一瞬考えるモモンが答えを出す前に、ここでクレマンティーヌが尋ねてきた。

 

「でもさーモモンちゃん、コレはどうするのー? 装備類は確実にウチらの誰かが回収に来ると思うけど」

 

 『コレ』という代名詞と化した、兄であった亡骸に対しての当然の質問。

 モモンとしては、出来る限り容疑者をクレマンティーヌ以外で確定させなければならない。

 

(先の(ドラゴン)に命じてギガントバジリスクの死体周辺へ、火炎砲を何発か吐いてもらおうかな。それから3体と合流してもらえば。向こう側やこの地も含めて、アウラ達に上手く隠ぺいしてもらおう)

 

 盗賊娘で毒耐性のフランチェスカもおり、隠ぺいのエキスパートは揃っている。

 モモンは大丈夫だと確信をもって、クレマンティーヌへと告げる。

 

「こっちで処理しておくよ」

「……分かったー。モモンちゃんにおまかせー」

 

 優しく笑う彼女は「どうやってー?」と詳しく尋ねない。

 恐らく、先程の(ドラゴン)を上手く使うのだろうと薄々予想出来る。

 ――彼からは『必要が有れば知らされる』と思うべきだと。

 

(近いうちに全部話してくれるよね? モモンちゃん……)

 

 可愛い女は慎ましくそうあるべきなのだと、乙女モードであるクレマンティーヌは思った。

 

 この時、モモンは返事へ一拍置いてきた笑顔のクレマンティーヌが、何も聞いてこなかったことで、逆に後ろめたさを感じていた。

 彼女にしてみれば正直、この状況のあとに漆黒聖典の所へ戻るのは怖いと思う行為である。

 モモンの様に圧倒的ではなく、彼女と互角の技量者達が何人もいるのだから。

 バレればどうなるか。

 逃げ切れず捕まり――待つのは拷問死だろう。

 

(クレマンティーヌは、モモンを好きで信用しているんだなぁ)

 

 それが確かに伝わって来たのだ。

 対して自身が彼女へ、多くの裏切りとも取れる重大な秘密の山を抱えているという事実――。

 恩には恩で返すのがアインズの流儀。信頼には信頼――とは少し違うものではある。

 

「じゃあ、私行くねー」

 

 伝説級(レジェンド)アイテムである立派な二本のスティレットを腰へ下げる金髪の美人女剣士は、モモンに最愛の者へ向ける優しい微笑みを送ると背を向け走り出す。

 

「―――ぁ、待ってくれ!」

 

 数歩駆けたところで、それを漆黒の戦士が呼び止めた。

 クレマンティーヌがその急である叫び声に反応し足を止め振り返る。

 

「えっ? 何ー、モモンちゃーん!」

 

 モモンがゆっくりと歩いて、50メートル弱麦畑を進んでいた彼女へと近付いてゆく。

 近付きながら彼は、色々と湧く葛藤事を考えていた。

 

(真実を告げたいけど……。でも、ここは戦場。いいのかそれで――)

 

 今は機会が悪いようにも感じる。

 もっと落ち着いた時に話を伝えるべきだと、モモンの頭では思っている。

 しかし、口から言葉が流れ始めていた。

 

「クレマンティーヌには伝えておかないといけない、とても大事な事があるんだ」

「………なぁに、モモンちゃん……?」

 

 呟くと彼女は静かに彼の言葉を待っていた。

 雲が多いながら日の差す空の下へ一面広がる黄金の麦畑には、向かいあう二人だけが立ち尽くし、そこを緩やかに風が音も無く抜けていく。

 モモンは目を閉じ、内心で眉間に皺を寄せる思いで語る。

 

 

 

「……驚かないで聞いて欲しい。――実は、俺は――――人間じゃないんだ……」

 

 

 

 ついに話してしまった。明確に最大の真実を伝えたのである。

 そして、それを聞いてしまったクレマンティーヌの反応は――――。

 

 

「えっーーー!?

 ぁ……でも(やっぱり人類に抗する亜人の国だし、()()()()()()()を捨てるのは)、しょうがないよね。(私も捨ててたしー)うん、大丈夫ー」

 

 

「(笑顔で、大丈夫って)……あれ(齟齬なく伝わったよね)?」

 

 何故か返って来た言葉が、アインズの想像していた「この嘘つき」「人間じゃないのに結婚とか信じられない」「恨んでヤル」「殺してヤル」「バラしてヤル」など終末的なものと違う上に、意外に反応も小さく平静を保っていた。これでいいのだろうか?

 双方気付くことなく豪快に空振っていた……。

 

「え、なにー? それだけ?」

 

 クレマンティーヌの中では、モモンが反人類の為に、妻となる女の兄で『人類の守り手』である漆黒聖典のNo.2を平然と討ち、暗黒の秘密結社ズーラーノーンと手を組もうとした事も『人間じゃない』という言葉を十分に裏付けるものだと、理解が理路整然と進んでいた。

 

「ぁあ、今は……それだけ……かな」

「うん、分かったー。じゃあまたねー」

 

 彼女の反応は軽かった。

 今のクレマンティーヌには、自分や下僕のマーベロ、そして今後生まれてくる我が子に優しい(モモンちゃん)ならそれで充分だと。

 彼女の見せた余りの変化の少なさに意表を突かれた事で、モモンはナザリックに関する話を伝えるのが思考から()()()()()()と共に飛んでしまっていた。

 

 

 二人の真の相互理解は、まだ少し遠くに有るように思えた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午前中、この地の広い空へは雲が広がり、風が穏やかに流れていた。

 先程からその雲は薄くなり、時折日の光が差す空模様。今日一日、雨は降らないだろう。

 アーグランド評議国国境からの距離、およそ40キロ。

 廃墟となった旧エ・アセナル市街上空では、難度200オーバー水準同士の二者、『竜王(ゼザリオルグ)』と『神人(隊長)』による激しい一騎打ちの死闘が繰り広げられていた。

 

 『八欲王と共に皆を殺した人間(ゴミ)どもめ死ね』VS『人類の敵はただ倒すのみ』。

 

 両者の強き思いは相手の排除へと収束する。

 この世界で、圧倒的といえる力同士の戦いが新局面を迎えつつあった。

 

 槍を竜王に掴まれた漆黒聖典の『隊長』は、逃げ場のない近距離からの火炎攻撃を危惧。

 その『隊長』が、ついに秘蔵の力を全解放したのである。

 

 

「行くぞ、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)……

 ――スキル(奥義)発動、〈上 限 超 越(オーバー) ・ 全 能 力 強 化(フルポテンシャル)〉っ!」

 

 

 余り類をみない〈上限超越・全能力強化(オーバー・フルポテンシャル)〉の効力により、この時点で『隊長』の総合力はなんと、レベル換算で煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)をも上回っていた……。

 

 実にLv.91相当である。

 

 これはレベルそのものが上がった訳ではなく、一時的にその水準の強さの力が出せるというもの。

 なので例えば『Lv.90以上の者には無効化される攻撃』は普通に通って来るのだ。

 隊長の本来のレベルは80程度に留まる。それを武技と特殊技術(スキル)で底上げに下駄を履かせた形。

 だが、その体はエクストラモードを示す様に、美しい淡い光に包まれていた。

 そして己に湧き上がる大いなるパワーをもって、『隊長』は強靭である竜王の前足の爪に握り止められていた主武装の槍を引き抜いていった。

 この予想外の変化には、ゼザリオルグも気が付いた。

 

(なにっ?!)

 

 先程までは引き抜かれる気配は全く感じなかったが、(ほの)かに光り始めた人間側へ、いきなり槍の穂先が流れ始めたのだ。

 ただ、そもそも穂先と持ち手部分である柄とは有利不利の差がある。

 まだ剛力で劣っている訳ではない。竜種とはそういう化け物なのだから。

 槍を引き抜いた『隊長』は、翼を羽ばたかせる竜王と空中で一度40メートル程の距離を取りにらみ合った。

 しかし、それは一瞬。

 なぜなら『隊長』側の能力に制限時間が存在するからだ。

 1秒も無駄には出来ない。早急にこの目の前にいる巨大である人類の脅威を倒す必要があった。

 槍を構えた『隊長』は、間を置かず動き出し仕掛けていった。積極的に弾丸の如く進み敵の火炎砲撃の間合いへと入って行く。

 でも、その竜王側から火炎での迎撃は無かった。直線的だが飛び込んで来た敵のスピードが先程より各段に上がっていたためだ。

 踏み込みといってよい感覚。

 『隊長』は正面から挑む形で、口を開き威嚇して来る竜王へと近付き、そして――槍の柄でそのゴツい顔面を殴りつけた。

 

「ぐっ」

 

 強烈に受けた不意討つ一撃の痛みで、ゼザリオルグの頑丈な顔が歪み後退する。

 竜王は、『隊長』の空中にもかかわらず素早い接近に加え、穂先の方へ気が向いていたのだ。

 

(くそっ、予想外の動きだぜ。なんだ今の空中での急転換の連続と速さは)

 

 移動には〈飛行(フライ)〉〈加速(ヘイスト)〉以外にも〈足場(フッティング)〉を連続展開しているように見えた。

 〈足場〉を連続展開出来れば空中においても、踏むことで方向転換や加速が地上と同程度に行えるのだ。もっとも5回も10回も連続展開出来る魔法詠唱者がいればの話であるが。

 これも『隊長』の纏う、最高峰という騎士風の衣装装備の能力の一つ。

 そのため、人間側の急転換する動きに、竜王側の火炎砲での迎撃は間に合わなくなっていた。

 だが、竜王も最小限に受ける攻撃を抑える。

 振り下ろされた柄の攻撃は食らったが、高速で来た返しの刃の一撃は後退しつつ首をひねって避けていた。

 

「……躱したか」

 

 『隊長』は躱された体勢のまま竜王を睨む。

 そうして、彼は再び素早く槍を構え直すと竜王へと飛び込んで行く。

 敵の人間が〈足場〉を使い急転換とその速さにより、竜王は得意とする空中での戦いにもかかわらず火炎を撃つタイミングすら取れず、受けに回ることが増え反撃の場が最早無くなりつつあった。

 明らかな相手の変貌に、ゼザリオルグは思わず舌打ちする。

 

「チッ……(この急激と思える伸び。コイツ、どんだけ能力強化しやがったっ)」

 

 『隊長』の身体能力の全てが強化されているため、接近戦中心にその攻撃も多彩だ。

 槍術に加えて、鋭い肘打ちや蹴り技も加える。ここまで温存していた彼の全攻撃力が存分に披露されていく。

 

 

 空中ならではの全方向からによる連撃の滅多打ちである。

 

 

 ピンボールの様でもあり、槍と爪からスパークも舞い散り花火の様でもある光景。

 

(クソォッ、捌ききれんっ)

 

 そのため竜王は飛びながらの防戦一方となった。動体視力では捉えていてもだ。

 穂先は爪を使い、肘打ちや蹴りも可能である限り俊敏な両前足で丁寧に受けていたが、弱点となったのは結局、頭から尾まで20メートルを優に超える体の大きさである。

 人間の小ささと高機動に対して、どうしても死角が出来やすいという事を意味していた。

 そのため『隊長』の鋭い攻撃が、ゼザリオルグへ少なからずモロに当たり始める。

 また、体格的には竜王の方が圧倒的だが、現状のように力が拮抗すれば、竜より随分小柄である『隊長』の方が密度が上がり強い事になる。その放つ一撃は必然的に強烈さが増していた。

 一方の『隊長』にとって、的はデカく心掛けるのは一撃の威力のみ。

 だがそれでも――流石は煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)

 

 

 兎に角、硬く頑丈なのである。

 

 

 『隊長』の放つ鋭い槍が、確実に幾筋も竜王の身体にヒットしているが、おかしい。

 僅かに鱗を削るのが精いっぱいであった。

 一向に突き破る事が出来ない。

 信じられないが、恐らく槍の丈夫さと攻撃性能が竜王の外殻に対し拮抗しているのだろう。

 目や口の中なら通ると考えられるも、当然完全にガードされていた。

 肘打ちや蹴りも積極的に放つが、正直打った『隊長』の手足側部分が逆にシビれる程の鱗の硬さで突破出来ずにいる。

 

 恐らく今、人類最強水準の『隊長』が放つ槍や蹴りの一撃一撃は、小山が軽く吹き飛ぶだけの威力があるはずなのだが……。

 

 それでも渾身のパワーで攻撃を打てば、竜王も「グゥッ」と呻き体を軋ませ巨体が後退するほどのダメージがあり、それは確実に蓄積しているように見えた。

 とはいえ、打撃系では打つ『隊長』のダメージと消耗も小さくないのが事実。

 なので試しに彼は浸透波導系の攻撃も混ぜてみた。

 それは剄に近い技で、槍の突きの力を突いた点に集中させ貫くのではなく、通す形で奥に届ける技だ。上手く放てば、硬く分厚い外殻を浸透しその内部の対象に攻撃する事ことが出来る。

 周囲の空中を高速で移動しながら放った『隊長』の鋭い槍九連撃の一つが、竜王の受け手数を上回る。

 そして確かに肩口へ当たった槍の先を通して、攻撃が鱗の内部へと通ったはずであった。

 

 だが、煉獄の竜王の体内は超剛筋肉の塊。

 

 見た目、竜王の動きに変化は感じられなかった。

 ――凄いとしか言いようがない。

 分厚い外殻を持つ難度130程度のモンスターであれば、これを正面から食らうと、背中側だけが爆発したように後方へ背骨の破片や内臓をまき散らし吹き飛ぶ程の威力がある。

 勿論、即死する。

 その後も十数回叩き込んだが、攻撃は思うように効かなかった……。

 竜の通説からすれば、これに加えて上位魔法攻撃も殆ど受け付けないと思われた。

 正に世界最強の種族でその王に相応しい強靭的身体と言える。

 クールな『隊長』が槍を握り直すと、小声ながら思わず唸った。

 

「ふぅ、本当に化け物だな……」

 

 それは、弱音ではなく相手への称賛と――覚悟の言葉である。

 『隊長』は自分の身体を庇うのをやめた。

 直後――。

 彼渾身の最速全力での閃光のように鋭い三連撃―――突き、殴打、蹴撃が竜王へと炸裂する。

 

「グッ。ガハッ、ウッ」

 

 あの頑強さを見せていた竜王が、苦しみの声と共に空中でよろめいた。

 ついに、左上腕、右腹部、左足の3箇所の鱗を突き抜き、割り、砕いて破ったのだ。

 その傷口からは血が滴っていく。

 

「………」

 

 『隊長』は無言。

 若く凛々しい表情を変えず、依然美しい淡い光に包まれた体で空中に立ちながら、30メートル程の距離で、呻いて僅かに高度を下げた竜王を見下ろす。

 だが、こちらも只では済んでいない。

 握り持つ槍の穂先が欠けていた。右肘の防具は軋みその下の皮膚が酷く捲れ、左足首近くの骨にはヒビが入っているように感じていた。

 隊長は騎士風の衣装装備の内ポケットから、二本の小ぶりな短杖(ワンド)を取り出す。

 そして素早く唱える。

 

「――〈治療(ヒーリング)〉、〈復旧(リカバリー)〉っ」

 

 自身の身体と、手に握る武器へと魔法を施した。

 それぞれ10秒ほど淡い光に包まれる。

 

 

 

 そう―――壊れれば直せばいいのである。

 

 

 

 これは一騎打ちの試合ではなく、戦争なのだ。

 手段には最善を選べばよい。

 

 加えて、誇りある竜種はアイテムを殆ど持たない……。

 

 彼等が持つアイテムは、殆どが武器か衣装装備品に限られていた。

 煉獄の竜王ゼザリオルグも例外ではない。

 そして『隊長』にはまだ、10分程の制限時間も残されている。

 つまり。

 

(……勝負の終わりが見え始めたか)

 

 

 『隊長』の思考へ僅かにその考えが浮かんだ時に、『竜王』が口を開いた。

 

「おのれぇ、やるではないか人間。……俺を殺す気か。そうなんだろうなぁ」

 

 この時点に於いて、両者に対し明らかといえる優劣が付いていた。

 決して楽ではないが『隊長』の肉を切らせて骨を断つ風の攻撃が、巨体を持て余す『竜王』へと炸裂し始めている。

 今の『隊長』の超絶な三連撃の攻撃があと20回も続けば、確実に『竜王』は倒せる。

 それは、負傷した箇所が以前ほどの防御力を持たないからだ。

 分厚い超剛筋肉の胸部や腹部でも、渾身の槍が同じ所へ3度当たれば背中側へ貫通出来る。

 その手ごたえを彼は感じていた――。

 

「二度目の敗北死とかなっちまうともう、妹のビルデーや仲間らに笑われちまうかもしれねぇなぁ。それは嫌だなぁ」

「……」

 

 竜王の言葉に対して、依然として『隊長』は無言で見下ろす。

 今更交わす言葉など無いのだから。

 だが、良く聞いてみると竜王は『隊長』へ語り掛けているのではなかった。

 それは自身に対して、決意を促しているように聞こえた。

 

「なら、やっぱり――殺される訳にはいかねえよな。……絶対に使いたくなかったが仕方がねぇ」

 

 奴の雰囲気が変化した。

 竜王ゼザリオルグは、これから行う事へ気が進まないのもあるためか、長い首に乗る厳つい頭を些か振りつつ、両目を静かに閉じる。

 直後に眉間へ皺を見せながら小さく呟いた。

 

 

特殊技術(スキル)発動、――〈竜    の    闘    気(ドラゴニック・オーラ)〉」

 

 

 ここは上空900メートル程の位置。先程まで穏やかに流れていた風が渦巻き始める。

 その中心に竜王が居た。

 同時に、昼間にもかかわらずそれ以上に竜王の身体が白く輝き出し、徐々にその輝きを増してゆく。やがて眩しさで巨体の輪郭すら見えないほどになった。

 だが、眩しい輝きは間もなく――萎むように縮んでいく。

 合わせて周りの風も急速に収まってきた。

 そしてその輝きは、姿を現した者の体を包むように薄く残る状態で落ち着く。

 同様に美しい淡い光に包まれている『隊長』の目が、驚きで見開かれていた。

 視線の先に浮かぶ者は、なんと最早禍々しい巨大な(ドラゴン)の形をしていなかったのだ……。

 彼の口から思わず言葉が漏れる。

 

 

「……こ、子供? 人間だと……!?」

 

 

 今まで怨敵として激闘を繰り広げてきたはずの、『人類に仇成す(ドラゴン)』が身長150センチは無い人の姿となっていたのだ。

 それはまだ12、3歳にしか見えない姿。真っ赤な瞳の釣り目でムッとした表情と、復活時にバッサリ切り落とした黒紅色のワイルドな髪型。少しハレンチっぽい黒緑色のビキニ系の衣装装備を纏う白肌美少女であった。ただ、胸は……スプーンのさじ部程度に膨らんではいるっ。背に残る小さな黒紅色の羽だけが人との僅かな差だ。

 ちなみに巨体に隠れ目立たなかったが、両耳傍へ羽根飾りの付く冠も付属する彼女の衣装装備は、竜体の段階でも身に着けていた伸縮型の優れモノである。

 ここで「人間」の、おまけで「ガキ」と言われた当の本人が激昂する。

 

「あぁっ!? 失礼な事をぬかすな。俺は――竜人、しかも成体だっ!」

 

 先程までと異なる可愛い声ながら竜王自ら即、下等生物(人間)呼ばわりほかを否定してきた。

 当然である。

 人間が大嫌いである彼女、ゼザリオルグ=カーマイダリスはこの姿になるのも当然猛烈に嫌なのであった。些か小柄過ぎる身体の所為も多少ある。

 だから、弱点を克服できると知っていても、人の姿になってしまう〈竜の闘気(ドラゴニック・オーラ)〉の使用を今まで避け我慢していたのである。

 それでもついに、『猛烈に嫌だが死ぬよりかはマシ』と決意したのだ。

 

 その意味は、この目の前の人間には『ぜーってー(絶対)に勝つ!!』という事。

 

 すでに、闘気での身体強化と巨体からコンパクトな人型化で『隊長』との形勢は逆転済。

 だが、竜王は高らかにもう一つ吠える。

 

 

 

「俺が偉大な竜種なのだというその証拠をこれから見せてやるぜ。

 ――〈竜     の     進     化(ドラゴニック・エヴォリューション)〉っ!!」

 

 

 『隊長』は予感を覚える――人類が危ないと……。

 

 ゼザリオルグは、この人型形態からしか使えない生まれながらの異能(タレント)で自身の最終形態へと徐々に進化し始めた。

 彼女の姿は身長が少し伸び、頭から二本の可愛い角がハッキリ見え、鋭い爪の両腕と両足に背部の小翼が少し大きくなり、見えなかった尻尾が伸びる。白肌全体が以前の黒紅の鱗色へ変化し模様を再現していく。

 そして、何と言っても胸が十分に膨らんで、口からは可愛く炎がチロチロと見えていた。

 

 先程の巨体の『竜王』とは、姿と共に分かり辛いが強ささえも別物に変わっている。

 対峙する『隊長』は、いつの間にか顔を引きつらせ、少しずつ自然と距離を取っていく。

 そんな彼に、ゼザリオルグは余裕の薄笑いを浮かべて尋ねてきた。

 

「おい。これが人間か? ゴミ(人間)はこれほど強くねぇよなぁ?」

「…………」

「――お前も含めてな」

 

 弱いと言われながらも『隊長』から反論の言葉が出ない。

 とても危険と思える雰囲気が漂っていた。

 スレイン法国の至宝を纏うカイレが傍にいれば、『隊長』は迷わず叫んでいただろう「使えっ!」と。

 少女ゼザリオルグの目立つ赤く美しい瞳の眼光が『隊長』を鋭く射抜いてきた。

 デス・オア・ライブのへの最終ステージが始まる。

 

 

 

 

 その口火はすぐに切られた。

 時間も後もない『隊長』は自らが仕掛けるしかない。

 彼は、槍を強く強く気持ちと共に握り込んで構え直す。

 先手必勝。先に大きなダメージを『敵』へ与える事に賭ける。

 

「うおぉぉぉぉぉぉーーーーーー!」

 

 自身を鼓舞するように咆哮しつつ、最高速で一直線に両者の距離である30メートル程を刹那の時間で突貫する。

 

 これは、体ごと体重も乗せ渾身での全力全開、人類最強水準に高められ、あらゆるものを吹き飛ばす槍による凄まじい突きの雷光の如き一撃。

 

 槍は『竜王』の胸部奥深くまで真っ直ぐに突き刺さり、ついに―――。

 そんな優勢予想だった、はず。

 されど気が付けば、放った槍の穂先は少女ゼザリオルグの両手の爪でしっかりと握り止められていた。

 

「――――なっ?!」

 

 『隊長』の困惑の声が思わず上がる。

 断じて見たくない光景がほんの目の前にあった。

 特に槍先の尖った先端は、受け止めた『竜王』の右掌へ垂直に当たっていた。

 しかし切っ先は――貫通どころか、粉々に砕け散りへし折れて欠けていたのである。

 

「いってぇな、おい」

「………」

 

 『隊長』の攻撃に対するゼザリオルグの反応はそれだけ。

 気持ち的には、全人類の未来を掛ける程の思いと願いを込めた一撃であったというのに。

 その槍の破損面の接する、彼女のきめの細かそうに見える黒紅色肌の掌が、手傷を負ったようには見えない。

 

 

 先制は見事に失敗――無常である。

 

 

 人サイズの竜王は細腕で柔肌に見えているが、超剛筋肉と超硬化鱗の皮膚は先程以上の化け物ということだ。

 

「さて……これ、いらねぇな」

 

 そう口から火の粉混じりにつぶやいた少女は、両手の爪で受け止めていた槍の穂先部分を――握り砕く。

 残った柄の部分を持ったまま、固まった表情の『隊長』は10メートルほど離れた。

 そんな人間の行動をゆるりと眺めつつ、竜王が首や手を交互にボキボキと鳴らしてほぐしながら告げる。

 

「そろそろいいよなぁ? 刺され殴られ蹴られまくった先の分も、きちんと返さねぇとな」

 

 次の瞬間。

 『隊長』が見ていたはずの、竜人少女の姿が一瞬で掻き消える。

 ふと、ソレはもう眼前にいた――更なる別物の怪物らしく。

 

(――しまった!)

 

 躱す暇もない。

 

(おせ)ぇ」

「っ!――――ガッ」

 

 恐らく、竜王の放った打ち下ろしの左ストレート。

 『隊長』は、右頬にまるで彗星でも食らったほどの強烈な衝撃を受けて、撃ち出された弾丸の様に一瞬で地面まで到達しめり込み、瓦礫と土砂を押しのけ一直線に100メートルほど地上を抉り派手に目立つ線を残して止まった。

 左手にまだ槍の柄を握ったまま、押しのけた瓦礫混じりの土砂を背に、体で削った溝といえる場所で倒れて空を見上げる形だ。

 軽い脳震盪を起こしている『隊長』は、口から見事に折れた奥歯数本を吐き出しつつ、右手で二本の小ぶりな短杖(ワンド)を取り出すと息絶え絶えに魔法を唱える。

 

「……っ……〈治……療(ひ…ぃ……りん…ぐ)〉……、……〈復旧(リカバリー)〉っ」

 

 そして、全快した体と武器を手にすっくとその場へと立ち上がる。

 その姿を500メートル上空まで降りて来たゼザリオルグが眺めながら叫ぶ。

 

「そうそう、精々足掻いてよねーー! ゴミらしくさっ!」

「……」

 

 そう見下され告げられるも『隊長』は冷静だ。

 直ちに、受けた敵の攻撃力から今の竜王ゼザリオルグの強さを判断する。

 でもそれは最低でも――『絶死絶命』である番外席次の水準。

 いや、恐らくそれ以上に感じていた。

 少なくとも、番外席次にはこの槍の切っ先を握り砕く程の剛力はない。

 加えて、竜王の空中での動きだ。

 まだ全て見ていないが、『隊長』自身が使う〈飛行(フライ)〉〈加速(ヘイスト)〉〈足場(フッティング)〉を駆使する動きよりも、竜王の純粋な翼のみによる動きの方が変幻自在で速いと思われた。

 それはまるで、小鳥達が高速で森の中の枝木の茂る中を自由に飛び交う姿そのもの。

 身体の一部である翼と、魔法補助の連続では速度や微調整に差が出てくるのは当然と言えた。

 空中戦はすでにかなり不利と言える。

 それでも竜王の持つ圧倒的といえる長距離火炎砲撃力を考えれば、接近戦に持ち込まざるを得なかった。

 彼は、空に居る全空の猛者へ再び挑まなくてはならない。

 

 ――この槍の一撃に掛けて。

 

 『隊長』は勝利をまだ諦めてはいなかった。

 すなわち依然として、この竜王を『倒せる』と考えている。

 弱点は――目だ。

 『隊長』は、ヤツの眼球部分を槍で抜ければ、脳を必ず破壊出来るとの結論に達していた。

 竜王の人間体に近い現状で内部構造を考えれば、眼球の後方に脳があるはず。

 外皮の鱗と超剛筋肉は強靭で硬いが、それでも眼球には鱗程の強度は考えられない。

 

(そこを抜けば、脳までの筋肉等の障害物は多くないはず)

 

 ただここで問題なのが――機会と速度である。

 今の竜王へそう易々と接近は出来ないだろう。だが、彼の終局案では()()()()()()()必要があった。

 同時に先程、仕掛けた最速の攻撃が手で掴まれてしまっている。

 『隊長』に残された時間は、あと6分程度。

 この短時間で何とかしなくてはならない。彼は残った策をかき集める。

 しかし二撃はいらない。たった一撃だけでいい。

 

 ――必殺の一撃を――あの竜人の(まなこ)に叩き込む。

 

 地上に立つ『隊長』は槍の柄を地面へ突いて右手に持ち、上空のゼザリオルグを見据え正々堂々と伝える。

 

「竜王よ、勝負だっ! 次の一撃で雌雄を決しよう!!」

 

 瓦礫の地に、空の雲の切れ目から神々しく光が零れ差し込む中。

 槍を携え騎士風の衣装装備を纏う凛々しい表情の青年が、竜王へと名句を述べる。

 まさに物語の中のクライマックス的一コマの情景。

 ところが。

 

「ふざけんな、下郎っ! 一撃だとぉ? 俺がどんだけの数、攻撃を受けたか……。忘れたとは言わさんぞっ! 乙女の柔肌を散々突いたり切ったりぶったたきやがって。すげー痛かったんだからなっ!」

「………」

 

 どうやら竜王様は酷くお怒りの御様子。

 目を瞑り右拳を震わせながらの彼女の発言に、『隊長』も困惑し言葉が続かなくなる。

 ゼザリオルグは竜王として、人間からぶたれた頻度に怒りが収まらない。

 少し別だが『隊長』の行なった内容を少女が告げるとアブナイ感じも漂う……。

 僅かに場が、和んだというか白んだというか。

 しかしそれも一瞬。

 

「やはり人間共は、卑劣で身勝手な連中だよなぁ……。和平などありえないぜ。簡単には殺さねぇぞ。奴隷種族として徹底的に使い潰してやる。特に仲間を殺しアーガードを半殺しにした頑丈そうなお前は……手足を千切りボロ雑巾の様にしてやる。覚悟しとけ」

 

 人間という下等種族に対して殺気を漲らせ、炎の如く赤い瞳をギラギラさせながら竜王は、『隊長』を上空から見下ろした。

 そして、いきなりのお返しをあっさりと放つ。

 

「―――〈全力火炎砲(フルフレイムバスター)〉。……まずは身を炙ってやる」

 

 少女の口から放たれた巨大で太い火炎の火柱が、一直線に『隊長』へ向けて放たれる。

 彼は地面から即時離れるしかない。地上では威力と熱が溜まってしまうのだ。

 

 つまり、空へ――。

 

 それでも今は敢えて敵の土俵へ上がるしかない。

 『隊長』は〈飛行(フライ)〉〈加速(ヘイスト)〉〈足場(フッティング)〉を駆使して空へと注意深く上がって行く。

 竜王の思うツボという形。

 

(万事休すか……果たしてそうかな?)

 

 確かに敵地だが、逆転への要素は空にしか無い。彼は死中に活を求めているのだから。

 

 『隊長』はその後も竜王から連射される〈全力火炎砲(フルフレイムバスター)〉を避けつつ、高度500メートルまで上がって来た。

 両者は、竜王と300メートル程の距離で対峙する。

 この距離は明らかに竜王の距離。

 そして『隊長』の残り時間はあと4分程となっていた。

 一応〈上限超越・全能力強化(オーバー・フルポテンシャル)〉の効力が切れたとしても、まだ武技で底上げされたLv.85相当の力が10分程度は残る。

 だが『隊長』は、この敵を相手に考えるとそれでは勝算は全く無いと判断していた。

 今しかないのである。

 最初で最後の機会へのアプローチとして、『隊長』は竜王へと接近を始めた。

 

 一方、ゼザリオルグは〈全力火炎砲(フルフレイムバスター)〉の攻撃が不発に終わるも想定内である。

 

「チッ、やはり〈耐熱〉の能力もあるようだし、簡単にも当たらんか」

 

 もともと、いたぶるのは『熱さ』ではなく、『痛み』で思い知らせるつもりでいた。

 自分はあれだけボコられたのである。打撃で返さなければ気が済むはずがない。

 

「じゃあ、行くかぁ――」

 

 小ぶりの翼を可愛く羽ばたかせると、竜王の少女が動き出す。

 彼女の飛行は、飛ぶというよりも空を滑るように滑らかで軽快な動き。

 そして何より速い。

 直線ではもう、空を進む弾丸の如き勢いである……。

 人間までの距離である300メートルを、一気に余裕のトルネード飛行で縮めてきた。

 『隊長』も前へ出て来ていたため、両者の空中での激突は直ぐに起こり始める。

 勿論、今回はゼザリオルグが全方向からのラッシュを仕掛けて派手に幕が上がった。

 左右からの怒涛の連続フックに、蹴り、蹴り、蹴りである。

 ガードもへったくれも無く、上からガンガンに攻めていた。

 まさに嵐か暴風かという勢い。

 一方の『隊長』は先程のように棒立ちではなく、磨き上げた槍技で上手く完全防御に徹する。

 長い柄を含む槍は、体の後方すら守り切る変幻自在といえる円の防御陣を敷ける。

 そして激烈な威力を誇る竜王の拳や蹴りの一撃一撃を、その柔軟が生み出す撓りで流し逸らし分散していた。

 まともに受ければ、一撃で砕ける程の攻撃であろうとも……見事に全て受け切ってみせる。

 

 本来、上位の強者と戦う(すべ)――それこそが『技』なのである。

 

 この異様と思える状況に、ゼザリオルグが驚く。

 

「クソッ、これは……一体どうなってやがるっ?!」

 

 連撃を続ける彼女は、すでにこの時点でこの人間をタコ殴りでボコボコに圧倒出来ていると考えていた。

 それが全く出来ない。

 どう見ても自身の方が、この人間よりも速く、ハイパワーで攻撃しているにもかかわらずである。

 この時、受ける『隊長』は遅れながらも半分以下の動線と動作で、力も打撃も受け流しているため拮抗していた。

 しかし、残り時間はあと3分を切る。

 ただすでに、彼の狙いはまんまと遂げつつある。

 『今一度肉薄する』という状況は、間もなく起こる。

 短気であろう彼女に、あと3分も我慢できるわけがない。

 恐らく、攻めあぐねた竜王は業を煮やし、渾身の一撃を放ってくる――人間に直接当てるために。

 

 

 『隊長』が狙うはカウンターだ。

 

 

 これで、槍の速度も威力も竜王自身のお陰で実質『倍』以上になる―――。

 それとこれはパンチに対する反撃が望ましい。

 なぜなら、それにより槍の握り止めをさせにくいからだ。また雑にパンチを打つゼザリオルグの姿を見ると殆どガードもしていない。

 だから――『隊長』は、竜王の拳への防御は甘めにし、蹴り足攻撃を一層完全に封じていた……。

 人類の守護者を自負する、クールな『隊長』に抜かりはない。

 

(こんなところで死ぬわけにはいかない)

 

 漆黒聖典の隊長に相応しい不屈の精神。

 蜥蜴の発展形に過ぎない亜人に、負けるわけにはいかないのだ。

 

 そして――時は、やはり訪れる。

 残り、あと2分に差し掛かった辺りの事。

 つまり……僅か1分で彼女の怒りは我慢の限界に達した。

 

「……ぐぬぬぅぅぅ。防御、防御、防御、防御、防御、だとぉ。許さねぇ。ならばこの渾身の一撃で防御ごとぶっ飛ばしてやるぜっ!!」

 

 その一撃は、明らかに右肩の振りが大きかった。

 彼女は頭に来ており、もはや攻撃にしか気が向いていないのが手に取るように分かった。

 『竜王少女』ゼザリオルグの可愛く綺麗な顔が、炎の虹彩を光らせ阿修羅の如き怒りの表情で歪む。

 そして、その強靭である右肩を起点に、『隊長』の待ち望んでいた彼女渾身の打ち下ろす右ストレートが伸びて来た。

 超剛拳と呼ぶに相応しい、まさに防御する槍をへし折り、目の前の人間をも打ち砕く勢いであった。

 『隊長』は仕掛ける――ついに槍の防御を解いて。

 竜王の右肩の振りを見た時点の一瞬で、素早く槍の穂先側を左手に持ち替えていた。

 敵が右ストレートなら、もちろん『隊長』が狙うは全力全開での『左クロス』である。

 彼の左手のその先には、本命の槍がしっかりと握られた。目を狙った完全なる凶器攻撃。

 そうして『隊長』の放つ左クロスは、しなやかに打ち出される。これは、竜王の圧倒的スピードと威力の乗った右ストレートの、その肩のラインに沿って外角から彼女の顔面へ飛んでくる一撃となる。

 そのため、竜王からはかなり見えにくくもある。

 竜王の右ストレートと『隊長』の左手が交錯する瞬間に、竜王は右手での防御が難しくなった。

 この段階で、流石にゼザリオルグも人間の『攻撃』に気が付いた。しかし左手のガードは大きく下がっていて明らかにもう間に合わない……。

 彼は一つ一つ狙い通りに状況を進め、自然と竜王側の手も封じていた。

 『隊長』は、ただあとは左腕を勢いよく全力で振り込む。竜王の顔面へと目掛けて。

 

 ――狙うは竜王の『右目』。

 

 

「勝つのは、我々人類だぁぁぁぁぁーーーーーーーっ!」

 

 『隊長』の雄叫びが響く。

 そして、彼の槍はめり込んでいった――。

 

 

 

 クロスカウンターには相討ちもあり得た。

 しかし、竜王の強大である右ストレートが『隊長』に届く事は無かった。

 『隊長』の身長は、そもそも175センチほどあり竜王よりも腕のリーチが長い。

 更に槍の長さ分も加わって速度の差を補っており、打ち負ける要素は無かった。

 

 

 ――無かったはずだった…………。

 

 

 

あはひは(甘いわ)っ! ほんはほほはほうほ(そんな事だろうと)おほへひはへ(思っていたぜ)!っ」

 

 

 

「ッ――――?!!」

 

 穂先がめり込んでいたのは――なんと竜王少女の口の中。

 いや、その頑丈で綺麗な並びの歯がガッチリと槍を噛み止めていた―――。

 竜王ゼザリオルグは、嬉しそうに歯を見せたままニヤリと笑う。

 

ふははへはへ(捕まえたぜ)! ここほひへくはへ(心して食らえ)あがいはひほいひへきほ(我が怒りの一撃を)――」

 

 『隊長』は竜王の口の付近から圧倒的で強大としか言えない熱量を感じた。

 噛み止めていた竜王の口が開く。

 無論、槍ごと人間(ゴミ)を吹き飛ばすためである。

 

 

 

「〈獄   陽   紅   炎   砲(ヘル・プロミネンス・バスター)〉ーーーーっ!!!」

 

 

 

 かつて八欲王らとも矛を交えた古の雄、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグ=カーマイダリスの誇る究極の一撃。

 尋常では無い威力の予感に『隊長』は寸前に槍を手放し、〈飛行(フライ)〉〈加速(ヘイスト)〉〈足場(フッティング)〉を駆使して空へ逃げようとした。

 しかし僅かに遅れ、左肩から先が直撃を受けて彼は吹き飛ばされていく。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーー――――――――」

 

 空へ水平に一直線で伸びていったその美しい火炎の一撃は、火柱周辺の広い範囲で空気中の水分を一瞬のうちに蒸発させるほどの温度を放った。

 そしてその威力も凄まじく、旧エ・アセナルから9キロ程の所にある北側の山岳地へと命中し周辺600メートル以上が吹き飛ぶ大爆発を起こしていた……。

 遅れて届いた弱い衝撃波と、そのキノコ雲が上空へと高く上がって行く様子が、ここからもハッキリと見えた。

 

「ふん。思い知ったかよ」

 

 少し遠くで一瞬、空中をゴミの様に舞って、旧市街の外郭璧傍近くの地面へと落ちていく物体があったように見えた。

 竜王は、翼を可愛くパタパタと羽ばたかせそれを追い掛ける。

 

(息はまだあるだろうから、手足を千切っとかねぇとな。――あの人間)

 

 人間ながら、竜王自身の猛攻をこれだけ受け切った者である。油断は出来ない。

 ただ、彼女はすぐに殺そうとは考えていなかった。

 アレは中々の『強者』であるからだ。軍門に下るか選ばせようと考えていた。

 生き残った弱者はただ死ねばいいが、強者には選ぶ権利がある。たとえ人間であっても。

 復活して間もないゼザリオルグは、神人についての扱いを良く知らなかった。

 それに、聞きたいことがあったのだ。

 

(恐らく、仲間の遺体を持ち去ったのは、あいつの仲間のはずだ。それだけの力があった……人間風情の癖に。ふん。とりあえず、話と名を聞いておくか)

 

 そんな事を考えながら、瓦礫の広がる地上へと降りて来た。

 

「アーガードの奴も連れて帰って、羽もくっ付けて早く治してやらねぇとな……。……えーと、確かこの辺だったぜ。…………ん? ……え。……あれ?」

 

 しかし、落ちた痕跡もなく、自慢の周辺感知にも引っかからず。

 

 

 

 なぜかあの人間は、どこにも見つからなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 『隊長』の護衛者

 

 

 『隊長』は完全に気を失っていた。

 彼は、夢を見ていたのかもしれない。そう思った。

 

 白き鎧を纏い、綺麗で純白の翼を持ち、光の輪を頭に浮かべる美しい天使様の後ろ姿を見たような気がした――。

 

 

 

 竜王の放った〈獄陽紅炎砲(ヘル・プロミネンス・バスター)〉を受けた『隊長』の左手は、指無し手袋(オープンフィンガーグローブ)から出ていた5本の指の第二関節より先が全て炭化していた。

 そして、左腕自体は火が綺麗に筋肉へ通った状態に仕上がり、至近距離にいた彼自体も、衣装装備の耐久限界を超える熱量に大やけどを負っていた。

 鉄が焼ける程の熱風を、大量に吸い込んだ両肺も大半が焼き付き、呼吸がほとんど出来ない状態。

 それほどの威力が、あの竜王の最後に放った火炎砲にはあった……。

 

 そのため、飛ばされた火炎砲の周囲から離れて間もなく、彼の意識は混濁する。

 そうしてまともに飛べず、やがて瓦礫が残る地面へと落下していった。

 だが、『隊長』は地面へと激突することはなかった。

 彼の首根っこを掴んで受け止めた者がいたからだ。

 

 その者は〈完全不可知化〉中であった。

 ちなみに、地上への接地直前で首根っこを掴んだのには理由がある。

 〈獄陽紅炎砲(ヘル・プロミネンス・バスター)〉で遠くへと飛ばされた男の槍を取りに行っていて遅れたのだ。

 ()()は、同志で好意を寄せる大切な主から、この男を「死なせないようにな。スレイン法国へ帰ってもらわないと困る」と直々に頼まれていた。

 これまでに優しい主には、いくつも頼み事を叶えて貰っている。

 また、普段もスリスリと甘えさせてもらったり、ゆっくりとさせてもらっている事もある。

 こういった役に立てる機会があれば、僅かでも感謝の想いを返しておきたいところなのだ。

 

「これで、準備よし」

 

 そう彼女は美しく可愛い声で呟くと、手へぶら下げる男と共に廃墟の地から姿を消した。

 

 

 

 

 大都市エ・アセナルの廃墟から北へ約7キロ少し。

 北東方向へ山々が連なる南側のすそ野近くの森の中に二人は〈転移(テレポーテーション)〉して来た。強烈だったあの砲撃に、体を飛ばされて来ても不思議ではない軸線に近い位置だ。

 騎士風の衣装装備の男を、ワザと枝を派手に折った木へともたれ掛けさせると、彼の衣装装備の中から二本の短杖(ワンド)を取り出す。

 竜王と男の戦いは、全部見ていたので持っているのは知っている。

 その治療用の1本を男の傷を治すために、彼の体へ翳すと素早く唱える。

 

「〈魔法位階上昇化(ブーステッドマジック)〉、〈治療(ヒーリング)〉っ!」

 

 魔法の発動と共に神々しい光が男を包んだ。

 残念ながら天使とはいえ近接戦闘に特化している彼女は、大きな治癒魔法が使えない。

 しかし、第10位階まで〈治療〉の威力を引き上げて発動した。

 〈大治療(ヒール)〉以上の十分強力な治癒魔法である。

 この短杖本来の〈治療〉25回分よりも遥かに強力なものだろう。

 その証拠に、魔法が重傷であったこの男の怪我も見る見るうちに完治させた。

 ただ、神人は放っておいてもこの程度の重傷では死なない。それほど彼らの生命力は高い。放置しても数日で完治するはずだ。

 彼女は彼の傷は治ったので、あとは勝手に帰るだろうと判断する。

 倒れている男の顔色は良くなり、呼吸も穏やかに戻っていた。

 槍を周辺へ適当に放置し、最後に二本の短杖を彼の軽傷であった右手へと握らせて。

 

「よし、終わり」

 

 仕事を終えた彼女は、彼を見下ろしながらそう呟くと、この場より〈転移〉を使い退散する。

 その時、騎士風の衣装装備を纏った男がゆっくりと目を覚ました。

 

 

 

 

 アインズは、アルベドから『隊長』の単独行動の知らせを受け、『至宝奪取作戦』を前倒しで行わせる指示を出す際に変更手順を伝えている。

 実はその中で『隊長』の突発行動に対し急遽切り札として、ルベドの現地投入に踏み切る事も含まれていた。

 本来ルベドは王城の宮殿にて〈千里眼(クレアボヤンス)〉のみの監視のはずが、『隊長』の単独行動ということで、『彼のその自信』にアインズが警戒したのだ。

 『隊長』が勝ちそうな場合には竜王を支援するよう、また竜王が勝った場合は『隊長』をそっと助け出すようにと。

 少なくとも竜王が倒されると、プレーヤーを呼び寄せる大舞台が維持出来なくなるので、優先順位は相当高いものとなった。そのためのルベド投入である。

 

 その際、宮殿の宿泊部屋では結構大変であった。

 急に入った話で、ユリは間もなくガゼフとの昼食の約束があるので動けず、ソリュシャンとともに「馬車庫で、馬車の手入れをしてきますわ」とメイドではないのに、ルベドを手伝いとして連れて行かせる無茶をしている。

 使用人としてツアレが気を利かせて、「ルベド様の代わりに私が行きましょうか?」と言ってくれたが、『そうじゃない』という状況。

 偽アインズ様は、人間のメイドの名前が出てこないので無言に徹する。

 「大丈夫よ、大丈夫。この子も偶には働きたいって言うから」「……問題……ない」とユリとシズが、働き者のツアレへ告げてなんとか誤魔化す。

 そして馬車庫へ着いた二人は、ソリュシャンが馬車の外側で車体や車輪、金具を実際に確認しながら見張り、ルベドは馬車の車内から〈転移〉で消えていた。

 

 およそ1時間10分後、仕事を終えて悠々とルベドは馬車内へ戻って来た。

 この王城の側近メンバーでは、唯一Lv.100を誇り圧倒的戦闘力を持つ完全攻撃型の彼女にしか出来ない仕事であった。

 武技も使える今のルベドならば、強者が支配するこの世界の多くの状況を打破出来る。

 

 だから――敵に回しちゃいけない。ご希望の姉妹達は守らなくてはならないのだっ。

 

 漆黒の馬車の中から扉を開け、輪や翼等を不可視化し、白い鎧を纏う美しい聖女が降りて来る。

 

「竜王が勝った。漆黒聖典の隊長が殺されそうなので助けて、治療したあと周囲に誰もいない森へ置いてきた。アインズ様へそう伝えて」

 

 一応用心のため、ルベドの〈千里眼(クレアボヤンス)〉での監視は竜王と『隊長』へ交互に継続中である。

 

「わかりましたわ。上で連絡をお待ちしましょう」

 

 至高の御方以下、アルベドらの多くが未だ作戦行動中であり、ソリュシャンはそう答える。

 時折なぜかニヤニヤしながらルベドは、戦闘メイドが宮殿傍の馬車庫の扉をメイドらしく丁寧に閉めるのを待つと、宮殿の宿泊部屋へと共に戻っていく。

 

 

 

 優しい天使の彼女は、アインズへ必ず伝えなくてはいけない。

 

 同好会のメンバーとして、竜王は――――『姉妹』なのだという重大事項を!

 

 彼女は護らなければならない。いや、主で同志のアインズ様に護って欲しいのだっ。

 ルベドは、竜王少女の発言にあった「妹のビルデー」という言葉を決して聞き逃さなかった……。

 

(きっと、笑顔で喜んでくれるっ)

 

 ホットな話題を知った時のアインズの行動に、ルベドは今からとてもワクワクしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 昼食会のガゼフに何が起こったか

 

 

 ガゼフとユリの昼食会――遂にその日がやって来た。

 待ち望んだ朝に彼、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフは、王国戦士騎馬隊屯所内の固い寝床で日が昇る前の早朝から目が覚め切っていた。

 日が地平線から昇ったところで、戦士長が行った事は――行水である。

 幸い季節は夏。気持ちもシャキッとスッキリし体もサッパリする。

 

「ふぅ。やはり、気持ちが良いな」

 

 普段は、武人で野郎ばかりのこの場所。もちろん国王達との謁見や王城にいるため身綺麗にはしている。行水は一日おきで、あとは絞った布で拭うという形だ。

 しかし本日の彼は、そうはいかない。昨日に続き連日の行水である。

 これは相手への気持ちなのだ。手抜かりがあってはいけない。

 ユリ・アルファの仕え魅かれる主のゴウン氏は、常に磨かれた立派な装備といい、身嗜みへの気配りといい、華やかに行われる宮殿での晩餐会や舞踏会へいつ出ても恥ずかしくない身形をしている。

 同じことは出来ないが、ガゼフは出来る事を彼女のためにしておきたかった。

 天気は、早朝から雲の少ない日差しの強い晴れた空が広がっている。

 暑くなりそうだが、足元が悪くなる雨よりか余程良いと思われた。

 服を綺麗なものへと着替え、手慣れた手つきでバスタードソード等の装備を身に着ける。

 現在王国は未曽有の戦時下であるため、今日の午前中も王都へ集結し始めた王家周辺領からの民兵の状況確認や、周辺都市からの兵達の駐屯地割り振りについての会議など目白押しだ。

 王の忠臣の彼としては私用にかまけて、些かも今の公務を疎かには出来ない。

 王国戦士長は、騎馬隊の兵達と同じ朝食の少し硬めのパンをかじりジョッキの牛乳を飲み干すと、各所への確認や会議の時間が延びない事を祈りつつ颯爽と屯所を後にしていく。

 

「では行ってくる。留守中は頼んだぞ」

「はっ。お任せください、戦士長」

 

 副長の返事を聞くと馬止めから馬に乗り、ガゼフは王城正面門を出ていく。

 各所への移動途中も時折、夜会巻きの髪も印象的に残る美しいユリの眼鏡顔や、その愛しいスタイルを思い出すが、公務の事で概ね思考は埋まる。

 なのでガゼフは、今日の早朝の寝床から起き上がるまでの時間に、会食で話す事やその目的を考えて確認していた。

 今日の第一目標は、悪い雰囲気にしない事。

 焦りだけは禁物。相手は憧れの君なのだ。目標は少し控えめで始める。

 極力ユリの知っている内容の話にすべきだろうと考えていた。また戦争の話はゴウン氏に悪い為、自分で振ることはしない予定だ。

 第二目標は次回の交流の場を用意し約束する事。

 周囲の状況は良くない。だからこそだ。ガゼフには、少しでも心が温まる希望が欲しかった。

 

 第三目標は――手を繋ぎたい。

 

(こ、小指でもいいが……)

 

 もはや、彼の男の欲望が漏れ出していた……。

 

(贅沢はいけないな……しかし……しかしだ、やはり少しあの身に触れてみたい)

 

 これまで、ゴウン氏の宿泊部屋の扉から見送られる際も笑顔とお辞儀のみ。お茶のカップも手前に置かれたのみ。そのきめの細かい肌なのは肉眼にて確認しているが触れる機会はゼロ。

 すでに女の良さを知る彼として、涙がにじむ内容だ。

 だが恋愛とは身体だけでなく、気持ち同士の交わりであり繋がりでもある。

 付き合い毎にリセットが掛かる。開始時は初心に帰らなければならない。

 特に今回は――垂涎といえる眼鏡美人で良家メイドのユリなのだ。

 戦士長が彼女のこれまでを見て来て、まずどう互いの気持ちの繋がりを持つかで悩まざるを得ない。

 青年期に付き合った相手は正直、言葉は悪くなるが……入れ食い状態であった。

 道は一本道で、好意を寄せた女性に想いを伝えると、剣の強さと名声もあり、始めは迷っていても身体へ触れ交わせて直に傾いてくる。

 まあ確かに結婚までは至らなかったが。

 その理由としては、互いに若く最後の段階で問題がまだ埋め切れなかった為だ。

 気持ちの問題に、家の問題や、生死の掛かる仕事の問題、身体の不一致の問題もあった……。

 しかし概ねガゼフ主導であった。

 対してユリは、まずこれまでの女性よりも格段に美人。次に格段に身体能力が高い。加えて有能で優秀。つまりユリ自身の女性としてのスペックが各段に高い。その為、自分の個に対し固く自信が強い。

 ガゼフと以前に関係のあった女性は、彼の能力の高さへ魅かれ傾いたが、ユリはそのタイプでは無い。いや多分、その逆が起こっていて、ガゼフがユリに惹かれて、さらに好意が募ってきている状態だ。

 また、ユリには想っているゴウン氏なる立派な(あるじ)がいるという事。

 その主が、ガゼフ自身よりも圧倒的だという現実。

 すでに、超高級馬車に巨万の富と独立自治領の約定までも持っている資産家であり、個での能力も、ガゼフを全て上回るだろう人物。

 これらの点からガゼフは依然、ユリへの明確な攻め処が見つけられないでいる。

 ただ経験則から、これまでの女性達も小さな事や何気ない行動から心を開いてくれた場合が少なからずあった。

 あとは……彼女が王城へ来てそろそろ2週間。

 その間に主との熱い夜の関係は――無さそうである。

 彼女が、すでに夜な夜な火照った若い女の身体を持て余しているとか……あれば好機(チャンス)っ。

 

(何かユリ殿のそんな事象を掴みたいが……。本人と会って話し雰囲気で掴むほかにない)

 

 突破口は、恐らく多くない。

 超絶眼鏡美人ながら、ユリは主を敬愛し大切にする才女で淑女。

 正面からでは無理だろう相手だと分かっているつもりのガゼフである。

 

(だが、無理強いや焦りはいけないな)

 

 ゴウン氏の、あの容赦のない婚姻の条件の話はよく覚えている。

 

(ゴウン殿は恐らく――友人として公平な機会をくれているのだから)

 

 ほぼその通りである。

 王国戦士長は、正々堂々とした男らしい彼に感謝していた。

 また、もちろんガゼフも己の分は弁えているつもりだ。

 王国の現状打破のためにも、絶対に機嫌を害してはいけない人物であるということを。

 

 そんな思考を頭の端へ置いていたが、王国戦士長は仕事対応で一杯一杯。会議などを熟しているうちに、あっという間で午前中は過ぎ去った。

 

 

 

 

 対するユリだが――食事会とは全く別の案件へ思考が全力で向いていた。

 何と言っても本日は、ナザリックにとって危険である特殊アイテムの鹵獲を行う作戦が予定されている。

 

 作戦名は、『至宝奪取(エィメン)作戦』。

 

 重要であるため、投入される戦力は階層守護者や守護者統括にまで及ぶ思い切った規模。

 また、それと並行して主人であり敬愛するアインズ様自らも別の作戦に出られるとの事なのだ。

 本来六連星(プレアデス)長姉のユリ・アルファも、支援や遊撃戦力としてこの部屋での待機が最良であると考えている。

 だが彼女は、作戦行動を起こす前の至高の御方から直々に言葉を掛けられていた。

 

「こちらは大丈夫だ。ここにはルベドやお前の妹達が残る。ユリよ、今日は予定通り戦士長殿と昼食を取ってくるがいい」

「……畏まりました」

 

 絶対的支配者からのお勧めである。反論は出来ない。

 この場に自分しかいなければ個人的意見として進言するが、ルベドやナーベラルにシズ、ソリュシャンがまだいてくれる。

 なので今、意見するという事は彼女達をも信用していないことになる。

 

 アインズとしては、ガゼフの『勝負ステージ』を用意してやるだけしか出来ない。

 ユリの気持ちを純粋に引き寄せられるかは彼次第だと。

 またそうするのは、NPCのユリにとって、新世界での新しい幸せの道への可能性を否定出来ない部分もある。

 すでに、NPC達は各自の設定を超える個性を持つに至っているのだ。

 押し付けは出来ないが、色々選ばせたいという親心でもある。

 あと、これはもちろん、これまでアインズへ協力的であるガゼフ・ストロノーフゆえの施しといえる。たとえ相手がリ・エスティーゼ王国国王のランポッサIII世であろうと、ほかの者からの要望なら却下していた。

 なお先の他家との婚姻否定の件と、ナザリックのほかの者の目があることから、アインズは今回のガゼフとの食事会を『王国戦士長護衛の予行的仕事』だとしている。

 竜王軍団の動きは不明である。王都まで迫った場合を考えるということだ。

 これでガゼフは、正式にナザリックからの保護対象となった。男ではカルネ村の村人以来の存在となる。        

 絶対的支配者から直々の仕事ゆえに、姉妹達からは『羨ましい』という状況。

 ユリを怪しいと思う視線は皆無である。

 一応、ユリとしては食事会へ行く理由が出来た事にはなる。

 

 彼女の心は不思議とホッとしていた……。

 

 それは何を意味したのか、ユリは薄々気が付いてはいるが。

 

 さて、アインズが王城をナーベラルの『替え玉アインズ』に任せ、離れてから暫く時間が経ち、昼が近付いて来た頃。

 ユリの思考の中へ〈伝言(メッセージ)〉の接続するアラームが鳴り、主の声が聞こえてきた。

 

「ユリ、私だが今は大丈夫か?」

「はい。ツアレは雑務でニ階へ行っていますので」

 

 この時ツアレは、シーツ類の交換のためワゴンを動かしこの部屋を出て階下にいた。

 ソリュシャンの探知能力範囲内であり、変質的に動く貴族達への対応は十分出来るので、現在宮殿内での彼女の単独作業を容認している。

 

「そうか。実はな、先程――」

 

 アインズの説明で始まったそれは、漆黒聖典隊長の始めた単独行動に対し、抑止力部分での監視へルベドを投入する話であった。

 ルベドは、ナザリック地下大墳墓に9体しか存在しないLv.100NPCであり、王城側近メンバーの切り札。それは近接戦闘では、ナザリックNo.1の存在。

 彼女の投入に、緊急事態を考慮しないユリではなかった。

 しかし、ルベドへと〈伝言〉指示の終わったアインズは、再度のユリへの〈伝言〉で伝える。

 

「ユリ、お前はもう出掛けるだろうから、シズかソリュシャンを上手く使ってくれ。……ぁああ、ソリュシャンに……そうだ、馬車をルベドと整備するとして連れ出させよ。ルベドは馬車内から出撃すればよい、以上だ」

 

 アインズは一瞬、ユリへ全部任せようとしたが、これから外に出る彼女に時間を取らせられないと、苦し紛れに思い付いた考えを告げていた。

 

「……承知いたしました」

「ではな。食事会はゆっくりしてくるがいい。今日、我々は大規模戦をやる訳ではない。余裕を持って計画を立てている。ルベドも……大丈夫だ」

「はい……」

 

 支配者は最後のルベドへ不思議と急に不安を覚えるも、ここは気持ちで自然に押し切る。

 ユリにのんびりと過ごしてもらうために――。

 

 通信終了のあと、ユリはナーベラルとシズも同席する中で手短に用件を伝え、御方からの手順をソリュシャンとルベドへ説明する。

 間もなくツアレが新しいシーツ類をカートに乗せて部屋に戻って来ると、いざソリュシャンが説明を実行。しかし……。

 悪気はない働き者であるツアレに、一瞬邪魔されそうになり少しバタバタしつつも主人の指示通りにユリは、ソリュシャンとルベドを宮殿傍の馬車庫へと送り出した。

 そして、ロ・レンテ城内のヴァランシア宮殿は間もなく正午を迎える。

 

 なお今回の食事会は、城外でという話だ。

 ガゼフ・ストロノーフからは、封緘された正式な招待状もユリ・アルファ宛てで届いていた。ゴウン家に対しての筋を通す形である。

 文面には、この部屋へガゼフが迎えに来ると記されていた。

 正式の招きということでユリも――メイド服以外へ着替える事になっている。

 それを部屋へ衝立を立てて、ツアレとシズが手伝っていた。

 先日街で注文した衣装は舞踏会用であるため、今回はアインズの保有していたデータから提供されている。

 恐れ多い事である。当初は下賜されると主から告げられるも、ユリは固辞した。

 先日のゴウン屋敷への襲撃を見事撃退し報告した功という事だが、現在御方から品を賜ったのはアルベドのみ。

 階層守護者のデミウルゴスでさえも貰っていないのだ。序列と順序というものがある。

 結局アインズが「その辺りはきちんと考えねばな」と今回は貸出と言う事で落ち着いた。

 衣装は、この世界に合ったもので、舞踏会等で使う上流社会向けではない程度の物ということで、胸元から上は白地で肩の膨らんだ袖口の広い半袖に、腰下からは僅かに明るいマリンブルー地のドレス。裾は靴までも隠す少しだけふわりと膨らみのある淑女らしいデザイン。両腰の部分へ縦に白紐で閉じられた形の意匠もある。

 胸の部分には縦にレースの装飾と襟口には紺の細めのリボンが付いている。

 眼鏡と夜会巻きの髪はそのままに、足元はネイビーブルー色のヒール。右手首に金のブレスレットと耳へイヤリングのアクセサリーも身に付けた。

 手には白いレースの手袋と扇も持って。

 

 大人の女性の雰囲気漂う装いに、ユリの美しさがより際立って見えた。

 

 あとは、エスコートの人物を待つだけ。

 ユリとしては、この姿をアインズ様に見て貰えないのがかなり残念であった。

 

 

 

 

 ところが……ガゼフの到着が遅れる。

 会議というものは、時代や場所に限らず延びる事が発生する場である。

 更に彼自身も時間が必要であったのだ。

 逸る思いで奥歯を噛みしめ眉間へ皺を寄せる。前かがみに着席していたが、両手の握力で握る膝の防具を壊しかねない状況。

 

「……(なんということだ)」

 

 口にも出せず、公私重大という精神の板挟みで胃までキリリとし始める。

 ただ、遅れる可能性については招待状にも書いてはいた。

 この戦時下である。非常時なのだ。公務が優先されるのは当然ではある。

 

 しかし、ガゼフとしては――痛恨。

 

 遅れること30分。

 ヴァランシア宮殿3階のゴウン一行の宿泊部屋の扉がノックされた。

 ツアレが扉を開けて応対に出ると、そこにはバスタードソードを背負わず、そして甲冑も付けていないガゼフが立っていた。

 

 紳士ストロノーフは、少しどことなく貴族風の正装をしていた。

 明るいベージュ地へ凝った刺繍のされた詰襟シャツへ洒落たボルドー色の上等な上着を羽織り、ズボンにもスカーレット色の上等で厚い生地の太ももへ膨らみがある形のものを身に着けていた。靴には膝まで金属外装のあるダークブラウン系のブーツを履いている。

 ツアレに通され、部屋へと入るとまず彼は詫びる。

 

「遅れて申し訳ない、ユリ・ア――るふぁ……殿」

 

 しかしガゼフには、もうそれ以上言葉が続けられなかった。

 前頭葉が単語を送り出してこなかった。脳の能力が視覚側と性欲側へ奪われたかのように立ち止まっていた。ある意味棒立ち。

 それほど彼は、目の前のユリのドレス姿に食い入ってしまう。

 

「大丈夫です、ストロノーフ様」

 

 遅れに対するユリの行動は自然。

 彼は主から客人待遇され保護対象の人物である。

 また事前に、遅れについては告知されており、たとえ階層守護者であってもこの男を無下には扱えない。

 現在ナザリックにおいてガゼフの扱いは、内内ながらリ・エスティーゼ王国国王よりもずっと高いのだ。

 ユリの声に、ガゼフはハッとなる。

 呆けている場合ではない。男としての重大である嗜みを怠るところであった。

 

「これは……今日の衣装、本当によくお似合いだ。ユリ・アルファ殿」

 

 これを伝えなければ全てが始まらない程の言葉を、ガゼフは彼女へと無事に贈った。

 無論彼本心からだ。おべっかなどはない。

 そして改めて彼は思う。――『彼女こそ妻に相応しい』と。

 「ありがとうございます。ストロノーフ様も」と言うユリからの言葉のやり取りが行われるも、既に時間は押している。

 「では早速行きましょう」ということで、部屋からエスコートされてユリはガゼフと共にシズとツアレから見送られ部屋を後にする。

 宮殿の階段を降りた先の館の出口には、二頭立ての馬車が待っていた。

 程度の良い箱型4人乗りの車体である。

 本日の食事会は『話』をしたいというお膳立てなのだ。まだ流石に並んでの2人乗りは、露骨だと節度を持っての選択となっていた。

 ガタイの大きいガゼフである。並んで座るということは、もはやユリの肩と腕……豊満な胸もあるのかという激しい密着を意味する。

 

(むう、それはいい……いやっ、ならん、ならん)

 

 僅かに芽生える欲望に抗い、斜めに向かい合う形で馬車へユリの後に乗り込むと、ガゼフが御者へ「行ってくれ」と指示した。

 颯爽と宮殿周辺の石畳みの道を抜けて進み、程なく王城正面門を出て街の通りへと向かっていく。

 食事をする場所であるが、王都でも珍しい手入れのされた庭を窓から眺めながらという上流階級者へ向けたレストラン風の食事店だ。

 ガゼフは騎士ではないが、国王直属の有名な騎馬隊隊長であり、ユリも国王の客人の連れということで予約が通っていた。

 お値段も随分張るが、ガゼフには趣味の貯金が少なからずある。今日着ている洋服一式もケチることなく新調していた。

 本日の諸経費には、彼の給金の半月分程の金貨で20枚以上掛かっていた。

 その分もあり、自然にガゼフの鼻息は強め。

 移動の馬車の中では、まず晴れた天気の話で平凡に始まり、そこからどの天気が好きか、そして雨の日はどう過ごすかなどなど。

 和やかに話が交わされる中、移動時間は20分ほどで到着する。

 

「こちらの席でございます、ストロノーフ様」

 

 髭を生やした品のよいウエイターにより、二人が案内されたのは大きい窓へ面した席であった。

 窓の外には庇があるので直接日光は入ってこない。そうして、その日差しでコントラストが鮮やかな庭が描き出されていた。

 席に着いた二人へ前菜と飲み物の白ワインが出され食事会は始まる。

 しかしこの時、ナザリックの作戦は動き出しており、前線からソリュシャンの方へ送られてきた連絡が、ユリの頭へも作戦開始について〈伝言(メッセージ)〉で一瞬だけ入ってきていた。

 それはつまり――。

 

(ん?)

 

 ガゼフは、ふと気が付いた。

 何となくだが、前へと静かに腰掛ける理想的で絶世の眼鏡顔の令嬢ユリが、そわそわしていないかと。

 ユリは、アインズから直々にゆっくり食事会をと告げられてはいるが、気にならない訳がない。

 そもそもプレアデスの存在意義は、至高の御方の盾となり散る事なのだ。

 ここで、男と向かい合い食事をすることでは断じてない。

 ただ、これもれっきとした保護対象を守る中での『お勧め』事項である。

 独断で離れることは主の意志に反すると思われた。

 ゆえに、彼女はそわそわするのである。

 その雰囲気にガゼフは色々と勘違いする。

 

(……花摘み(トイレ)……だろうか?)

 

 まずはコレだ。レディーとして中々言い出せないだろう事。

 とはいえガゼフから「どうぞ」とはマナー的に問題がある。

 第一我慢しきれる事象ではなく、指摘が違う場合に被る己のイメージダウンの方がハイリスクといえよう。

 また昨日の午後4時頃、ゴウン氏に会って第二回深夜会談の報告を聞きに行ったが、その折、今日の事について特に何も言われなかった事実が頭に浮かんだ。

 逆方向への不安が急速に募る。

 ユリの方から、決裂的発言が飛び出す前兆なのではないか……と。

 フォークで前菜を口へと突っ込むも、ガゼフの味覚は何も思考へは伝えてこない状況に陥る。

 

(そうなのか、ユリ殿……そんなはずは――)

 

 彼の早朝時に考えていた『悪い雰囲気にしない』という、第一目標自体に暗雲が立ち込める。

 しかしそんな状況の中、口火を切ったのがユリだ。

 

「――ところで、今日のお話なのですが」

「――っっ(やはり、ダメなのかっ)!」

 

 ユリの問いかけにガゼフは、緊張と恐怖思考で背中の背筋が一気に攣りそうになる。

 対して彼女は正直、手短にガゼフとの話し合いを終わらせて作戦側に復帰したいとの考えに向かって舵を切り、尋ねる。

 

「アインズ様の事でしょうか?」

「……(ふうぅ、どうやら先程から彼女は、今日の内容で色々考えをしていたが、中々言い出せなくて……ということなのか)」

 

 半信半疑ながら安堵しつつ、状況を少し掴んだガゼフが話し始める。

 慎重に。

 

「それもあります。ただ、まずユリ・アルファ殿と色々と話をしたいと思いまして」

 

 ユリとしては、今日のこの人選から戦士長の今後の護衛も自分が務める形の流れを感じる。ならば、目標のことを行動把握の意味でもより知っておく必要はあると考えられた。

 

「……そうですか。では、よろしければ……ストロノーフ様はどのような経緯で今の王国戦士長になられたのですか? 話して頂ける範囲で構いませんけど」

「おお。(おお、おお、おおぉぉぉぉーーーっ)で、ではまず、私が初めて剣で――」

 

 ガゼフはまるで丘に打ち上げられていた魚が、水を得たように生き返り話を始めた。

 食事会の時間は前後の移動も含めれば1時間半少し程。

 それから話せる時間を割り出し、省けるところは省いて語ろうと『王国戦士長誕生伝』を語った。

 ただ、ナイフとフォークを休めて話す時間も限られている。

 なので彼は、幼少期を省き、若き日の剣での初めての挫折、師ヴェスチャー・クロフ・ディ・ローファンとの出会いに国王との邂逅、そして御前試合、優勝により王国戦士騎馬隊の創設へ――を自分の想いを寄せる女へと熱く熱く語り伝えた。

 ユリはそれを黙って熱心に――は聞いていなかった。

 それよりも、途中で入って来たソリュシャンからの一言伝言『作戦継続中ですわ』の報にそわそわが増していた。

 

(あぁもう、アインズ様。御無事かなっ? ボクも早く……。アルベド様の指揮する作戦もどうか上手く……)

 

 ガゼフの時折求める相槌や、「私がその時、どうしたと思いますか?」などの質問へも、頷きや「そうですね」「うーん」とうわの空で返事を連発。

 そして時間は流れ、遂に――。

 

「――のように、今の私があるのは陛下のお陰。私は今後も王国戦士騎馬隊隊長であり続けるでしょう。これが私、ガゼフ・ストロノーフです」

 

 その締め言葉でグラスのワインを口にすると、無事にガゼフの語りが終った。

 食事そのものはデザートも出され終わっている。

 まさに今。

 丁度時を同じくして、ソリュシャンからの一言伝言が再びユリの思考に届く。

 それは、『ユリ姉様、作戦はほぼ無事終了ですわ』と端的に流れて途切れた。

 この報に思わず目を閉じるユリが胸の前で手を強く握り合わせ、心からの言葉を口から溢してしまっていた……。

 

 

「――本当に良かったっ! ぁ(っ……しまった)」

 

 

 ガゼフは、ユリからの力の籠ったこの真剣な言葉に目を見開く。

 

「そ、そう……ですか(おおっ、おおおぉぉぉぉぉぉーーーーっ?!)」

 

 彼は動揺したと言っていい。

 過去話がユリの心への突破口になったのかは不明だが、そこに何かがあったように彼はこの大きな反応の手ごたえをそう分析した。

 だが、そんな細かい事は後という思い。

 彼は機会はココだと考えた。

 

「あ、あの、ユリ・アルファ殿。よろしければ、また今日のように食事会で話を聞いてもらえないだろうか?」

 

 戦士長の申し出に際し、この時まだユリも「無事終了」の報に少し浮かれていた。それに護衛の話もある。

 自然と彼女は、彼待望の言葉を微笑みと共に返す。

 

「はい、是非また」

「……(うおおぉぉぉぉぉぉーーっ!)」

 

 彼はこの瞬間を逃さない。

 彼女のその表情を目にして――ガゼフはもう一つ踏み込む。

 すべては流れ。決して、調子に乗っていたのではないと思いたい。

 

 

「あの、約束の握手をしていただけまいか?」

 

 

 そうして、ガゼフは席から立ち上がると分厚いグローブのように大きい右手を、遠慮気味にユリへ差し出した。

 良く見れば僅かに彼の手は震えている……。

 ユリは一瞬、首を傾げたが無下に出来ず、彼女も立ち上がると――優しく彼の手を握った。

 

(………――――!!)

 

 なんと……冷ややかに感じる手だろうか。しかし――やはり滑らかな肌で柔らかい。

 

(この()()()夏に……抱いて眠れれば最高かもしれない……)

 

 完全に放心状態へ一瞬引き込まれかけたガゼフ。

 彼が早朝に考えていた『ユリ計画』を完全制覇した瞬間であった。

 しかし、ユリはさっさと手を離すと、戦士長へ余韻に浸る間を与えず告げる。

 

「そろそろ帰りましょう。よい時間ですし」

「………え……っええ。ですね。そ、それでは……待たせてある馬車を呼んでこよう。入口で待っていてもらえれば」

 

 完全にフワフワと舞い上がっていたガゼフは、近くへ停めさせていた馬車を呼びに、街の石畳の続く大通りへと軽やかな足取りで躍り出る。

 そして、無意識にスキップも交える彼は――。

 

 

 いきなり通りかかった多くの子牛を乗せる荷馬車に轢かれていた。

 

 

 急に飛び出すから……。

 左右の確認は必要である。

 

 

 

 ガゼフが気付くと見慣れた天井が見え、自分の固めのベッドへ寝かされていた。すでに夕日の差し込むそこは、城内の王国戦士騎馬隊の屯所であった。

 街の大通りは一時『王国戦士長さまが轢かれたぁぁ』と大騒ぎになったが、王都の街の者に慕われるガゼフは馬車へと丁重に乗せられ王城まで送られて来たという。

 そして、それを指揮したのが、なんとあのユリ・アルファだったと。

 おまけに屯所前からこのベッドへは軽々と彼女自らが大事そうに運んできたと聞く。

 ガゼフは屈強で大柄の身体。100キロは優に超えた体重であったが。

 

(さすがはユリ殿……)

 

 ユリとすれば護衛任務のハズが、とんだ事になってしまい慌てていた。本気で心配する表情を浮かべ、何度も「ストロノーフ様、ストロノーフ様ぁ!」と叫んでいた話を聞いた。

 だが、体を調べてみると4頭立ての荷馬車で完全に踏まれ轢かれながらも掠り傷程度であり、安心し落ち着いて暫く見守っていたユリには、先程宮殿の部屋へと戻ってもらったとの事。

 

「な、なんと。そうであったか……」

 

 副長達からの話を聞き、彼は一瞬、もう少し怪我が酷かった方が看病してもらえたかもと思ってしまった。

 

(……何を俺は幸せで甘い思いをしようとしているんだっ。今は戦時中……しかし)

 

 最愛のユリへの想いは尽きない。

 全治1日の擦り傷程度で済んだのは流石、王国戦士長であるっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 裏切りのクレマンティーヌ

 

 

 クレマンティーヌを除く、漆黒聖典の残りの隊員達9名は少なからず動揺していた。

 昼前の『隊長』の単独攻撃出陣以後、想定外である一連の騒動と陰鬱な結末に。

 (ドラゴン)達の偵察隊に見つかった事に始まり、流されるままに戦闘へと突入する。

 竜兵達の強さに翻弄され、後続の登場に分断され、こちらは個で足止めと撃破された形だ。

 

 まず、法国の切り札と言える至宝衣装を装備したカイレが敗れ、連れ去られた上に生死不明。護衛の陽光聖典隊員5名も全員殺されていた。

 次いで1体の竜を、妹のクレマンティーヌと共に追って行った第五席次『一人師団』クアイエッセ・ハゼイア・クインティアまでもが、妹に応援を頼んだ後で、シモベのギガントバジリスク他が全て倒された上で消息不明。

 (とど)めに、帰還宣言時間を2時間近く過ぎても未だ、あの無敵の『隊長』が帰って来ていない――。

 

 連続する異常事態に何かがおかしいと皆が感じ始める。

 特に(ドラゴン)兵達には、強さと動きに今一つ納得できない雰囲気が漂う。

 結局、8体の竜兵達のうち1体も倒せなかったのだ。攻撃が殆ど通らなかったのが理由。

 それはまだ理解出来た。

 おかしいのは、対する竜兵達側からこちらへの攻撃が今一つ薄かったように感じた。

 その必要性が理解出来ない。

 漆黒聖典の隊員が、全力ではないと警戒した事も可能性としては残る。

 でも、敵ならば積極的に倒そうとしても良いはずなのだ。

 そうしなかった理由として考えられる点は確かにある。

 

 『陽動』と『偵察任務重視』だ。

 

 結局クアイエッセは、シモベのギガントバジリスクとクリムゾンオウルを、全て召喚した上で竜兵に敗れたと思われる。

 彼は、この地へ残ったカイレの次に力がある隊員。

 つまり、現在不明である者は、この地に居た、No.1とNo.2である。

 ここから竜軍団は計画的に二人を屠ったと考えられる。

 カイレの連れ去られた現場、ギガントバジリスクらの死体があったクアイエッセの戦っていたであろう場所。激戦が繰り広げられたのは間違いないだろう。

 しかし何か、偶然と片付けられない状況に思えた。

 漆黒聖典の現状を正確に把握されたタイミングでの動きに、その情報元はどこから来たのだろうかと。

 

 現在、副長のクアイエッセもいない事から、小隊長筆頭のセドランが隊を纏めている。

 警戒のため、先程の漆黒聖典の戦車隊が留まっていた場所、廃墟都市エ・アセナルの南側約50キロの穀倉地帯を通る細めの裏街道脇にあった林の中からは移動していた。

 ここは、西へ3キロほど離れた森の小道。森へ僅かに入った道の脇へ戦車隊を一列で停車させている。

 非常時のため、装備品を回収された陽光聖典隊員達の遺体は全てあの場で放置された。

 今は隊長を待ちながら戦車列脇で円陣を組み、反省会的にこの後も考慮した意見交換がされている。

 応援が必要でクアイエッセの苦戦を伝え、戦っていたという場所を知らせてきた、兄が行方不明のクレマンティーヌは――終始視線を落とし、もちろん悲しい表情芸に徹している。

 しかしここで。

 

「確かにあの場には火炎の跡が周囲へ広がり、モンスター達は全部死んでいましたけど……。クレマンティーヌ。貴方、何か嘘を吐いていませんか? そもそもなぜ応援が必要だったのです? 私はその場に居ませんでしたが、貴方達は二人で倒すと言ってセドラン隊長達から別れたのですよね? 本当はお兄さんを死なせたのでは? そして、都合の悪い死体はどこか地面にでも埋めた――」

 

 彼女の小隊長である『神聖呪歌』から厳しく追及される。

 

 ――『嘘を()いていないか』

 

 この場では、モモン扮するアインズが危惧していた通りの状況が展開を見せ始めていた。

 それに対して、クレマンティーヌは「違いますー」とふて腐れるように、『大きくは反論せず』を貫いている。

 

「やめろ。“今はまだ”証拠が何もないのだからな」

 

 女性陣のやり取りを見ていたセドランが止める。

 だが、まるで『証拠』が、もうすぐ何か手に入ると思わす雰囲気が漂っていた……。

 ここには第5位階魔法の使い手が数名いる。

 彼等には、『嘘を吐いていないか』を確かめる(すべ)が幾つかあるのだ。

 それをセドランが告げてくる。

 

「クレマンティーヌよ、悪いな。 一応だが――直接確認させてもらうぞ」

 

 それは恐らく、クレマンティーヌ自身も武器アイテムを用いて良く使っていた〈人間種魅了(チャームパーソン)〉だろう。

 

「鎧や武器、アイテム類は外してくれるか? 分かっていると思うが、妙な真似はするなよ?」

 

 座っていた周囲の仲間達が立ち上がり、腕組みをしたり剣を肩へ乗せたりと、彼女をジッと睨んで来ていた。

 逃げようかと考えても、一人か二人ならともかく、この全力装備のメンバーで同時に三人以上の相手は無理があった。8対1ではお手上げだ。

 もう完全に部屋の角へと追い込まれた上で袋のネズミの状況。

 クレマンティーヌは表情を変えないが――内心で凄くヤバイという感情が心に広がっていた。

 

(ど、どうしよう、モモンちゃんっ。バレる。バレちゃうよ。魔法が来たら終わりだよー)

 

 剣士のクレマンティーヌ自身には〈人間種魅了(チャームパーソン)〉へ抗う方法が無い。

 彼女の女騎士風で聖遺物級(レリック)アイテムの衣装装備には、その効果もあったはずだが、外すよう告げられた以上どうしようもない。

 いつもはドラ猫で図太い彼女も、表情が固まった状態に一瞬なる。

 

(最早、これまでなの? もう会えないのー? ああ、モモンちゃん。―――助けて……)

 

 でも、評議国公僕の任務中であるモモンが、ここへ助けに来られる訳がない。

 クレマンティーヌの目が、最後を悟り僅かに細まる。

 兄を討つという生涯の願いを叶えてくれた優しく愛しい人……モモン。

 その彼に迷惑だけは掛けられない。

 彼の女として、モモンに関係する事を口走る前に、二本のスティレットを抜いて仲間へ斬り掛かり、派手にこの場で散ろうと「くっ」と唇を噛み両手へ力が入り、凄まじい殺気を放ちかけた瞬間。

 

『――――――』

 

 聞き覚えのある音と共に、馴染みの声がクレマンティーヌの頭の中に流れた――。

 

 

 

 クレマンティーヌは指示通りに武器と装備類を外し、綺麗な刺繍の入る胸の強調された白のブラウスに白いフリルのあるこげ茶生地のホットパンツ姿となった。

 フードを被る老齢の第三席次の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が、仲間の円陣の中央に座ったクレマンティーヌへ手を翳すと魔法を唱える。

 

「〈人間種魅了(チャームパーソン)〉。さあ、話してもらえるかな? 君が第五席次を置いて帰って来る時の理由を」

 

 霧と似た雰囲気にのまれると、親しい者へ対する様に接し、問われれば歯止めなく殆どの事を話してしまうだろう。

 今のクレマンティーヌなら、モモンに問われた時と同じ対応を取るはずと彼女自身は考えていた。

 だからヤバイのだ。それはもう隠すのは到底無理なのだと。

 そのクレマンティーヌが静かに話し出す。

 しかし、その答えは先程と同じ「兄から応援を呼んでくるようにーって頼まれましたー」である。

 円陣の一同は、第三席次へと真偽の確認で見るが「これが本当なのだろう」と彼は告げた。

 そうして、クレマンティーヌへの魔法は即時解除される。

 これは――仲間との信頼関係に一石を投じた尋問であるからだ。

 これ以上の質問は、今後の隊員の士気と戦闘指揮に影響するだろう。

 さっと雰囲気を変える為、セドランの意見でクレマンティーヌも加え、この後も考慮した前向きの意見交換が活発にされた。

 今回の敵の行動で、色々と納得出来ない件については、やはり不明である事も多い竜種で、知能の高い竜王の率いる竜軍団が一枚上手なのだという結論に収束し始める。

 (ドラゴン)という相手をナメずに、もっと慎重に情報を収集しつつ優勢に対応しようという結論へたどり着く。今回は接近速度を重視しすぎたのだと。

 場は随分と落ち着いた雰囲気へ変わった。

 ここで満を持して、クレマンティーヌは『兄からの指示』に対して、決定的といえる()()()()()()()を口にする。

 もちろん、芸を極めたといっていい寂しく悲しい仮面の表情でだ。

 

「……きっとねー、兄はあの場所で……私を死なせたくなかったのかもー」

 

 対峙する竜の強さを把握したクアイエッセは、意図的に妹を生かす目的で仲間のもとへ戻した――という話なら無理はない。

 

「……ぁ」

「――ぅっ」

「「「「「………」」」」」

「……っ」

「だなぁ……」

「……そうやねぇ」

 

 隊員の多くの者が納得し、兄から妹への命懸けである『家族の愛の絆』に胸を打たれた。

 

『普段、中々仲良く出来ないですが――(私好みのそそる慢性苦悶の表情をしてくれる)可愛い妹なんですよ』

 

 セドランも、確かにクアイエッセが妹の事を大事にしていた発言を思い出していた。

 

「本当に悪かったな、クレマンティーヌ。お前の兄はそういう(良い)人だった」

「本当にごめんなさい。私は見る目がありませんね……」

 

 尋問を指示したセドラン、先の行き過ぎた発言をした『神聖呪歌』、そして仲間達も。

 

「悪い」

「すまなかった」

「あいすまない」

「すみません」

「……すまん」

「ホントすんまへんなぁ」

「御免」

 

 隊員全員がクレマンティーヌへ謝罪した。

 クレマンティーヌは、いつも以上の歪み切った顔で『ニヤリ』とする。

 ついにもう誰も、この件を訝しがるものはいなくなった……。

 

 さて、あの救いの手は誰なのか。

 クレマンティーヌが覚悟の瞬間に聞いたのは、あのおどおどした魔法少女の声。

 勿論、モモンから「クレマンティーヌへ言い忘れていた件」として、『至宝奪取作戦』を終えたマーベロが主より〈伝言〉経由で応援指示を受けたのだ。

 場所についても、随時追跡しているナザリック第九階層の統合管制室より入手。

 

『―――だ、大丈夫です、クレマンティーヌさん。モモンさんから頼まれたので。そのまま周りの指示に従ってもらえれば』

 

 『小さな彫刻像』も無いため〈伝言(メッセージ)〉である。

 信用出来ないと言われている〈伝言〉であったが、女騎士はモモンという名の方を信じた。

 時置かず、周辺で〈完全不可知化〉したマーベロが、クレマンティーヌへ〈偽りの情報(フェイクカバー)〉と〈幻影(ミラージュ)〉により魔法探知及び魔法発動時に対する偽装と〈上位精神防御(グレーター・マインド・プロテクション)〉を施してくれていた。

 クレマンティーヌはマーベロへひとつ借りが出来た。

 ――という事である。

 

 

 

 

「ふう、やっと見つけたぞ」

 

 隊員全員がクレマンティーヌへ謝罪を終えた直後、()()()が聞こえてきた。

 漆黒聖典の隊員へいつも指示を告げていた馴染みの声に、円陣で座る隊員全員が振り返る。

 そして、多くの者が大きく叫ぶ――「隊長っ!」と。

 騎士風の衣装装備に愛用の槍を右手に持った『隊長』は、立ち上がった隊員達から掛かる声にいつもと違う切羽詰まった響きに気が付き眉を顰める。

 

「遅くなったが……どうした?」

 

 ざわめく皆を手で制したセドランが隊長へと近付き、この時間までの戦闘及び総損失、不自然と思えた状況に対するクレマンティーヌの尋問と解決、その後の皆での意見交換での結論。

 そこまでの全ての概要を5分ほどで端的に纏めて伝えた。

 『隊長』は自由な左手を握ると額へこつんと軽く押し付ける。

 

「そうか、カイレ様が。……至宝が所在不明とは、うーむ。甚大過ぎる損失だな。それと(妹へ歪んた欲情感を持って楽しんでいた変態の)副長(あいつ)までも……戦力がズタズタだな」

 

 『隊長』は、旧エ・アセナルの廃墟を時計回りで大きく迂回し帰還してきた。また、出発時と戦車隊の位置が違っており、途切れる(わだち)を地道に追って来たことにより時間を食ったのだ。

 スレイン法国から秘密裏に派遣された漆黒聖典を率いる隊長として、状況を確認した彼は総合的に今後の行動を判断する。

 

「……ふーっ。結論を明確にする意味でも、初めに伝えておこう」

 

 度重なる多大の戦力喪失を抱えた現隊への『隊長』の発言に、隊員を初め御者ら補助兵員達も含めた全員が傾注する。

 

「旧エ・アセナルの上空にて、私は竜兵5体と百竜長1体、並びに竜王と戦った。そして、竜兵5体は屠ったが、百竜長1体は重傷に留まった。竜王に邪魔されたのだ。そしてその竜王に対して――私は完敗した」

 

『『『――――!?』』』

 

 彼の答えに周囲の一同、クレマンティーヌさえもが大いに驚く。

 人類の守り手である、スレイン法国神官長直轄特殊工作部隊群『六色聖典』の誇る漆黒聖典第一席次『隊長』は、無敵。それほど圧倒的に強かったはずなのである。

 クレマンティーヌとしては、「モモンちゃんとどっちかなー」と判断が付かない程の考えであった。

 彼女は、両者の全力を見ていない。単純に機会が無かった。

 

 そんな『隊長』が、完全に負けたと告げた……。

 

 皆の場を沈黙が支配する。

 そこへ『隊長』の落ち着いた言葉ながら、驚異的内容が再び流れる。

 

「竜王の力は想像以上だ。私の所感だが、カイレ様の力か、もしくは私と番外席次が二人掛かりでないと勝利への確証が持てない強さと見た。あの竜王は間違いなく――古竜(エインシャント)の化け者だ」

『『『――――っ!』』』

 

 竜王はまだまだ青いはずなのに、そんな評価をされていた……。

 恐らくこの場で『隊長』の話を即、完全に納得し理解出来た者はいないようにみえる。

 その強さが正確に掴めない程の高水準の存在の話だからだ。

 それは――他の漆黒聖典隊員では全く歯が立たない事を意味している。

 対抗出来るのは3名のみ。

 しかし今、その力の一翼を担うはずのカイレが至宝装備と共に所在不明となっている状況。

 この状況は、人類側の酷い苦戦以外を示す意味はない。

 『隊長』は静かに告げた。

 

「至宝装備だけでも探したいところである。だが――正直、我々だけではかなり厳しい。それにアレは誰にでも使える物ではない」

 

 ここでセドランが重々しく尋ねた。

 

「隊長が万全を期し、再度竜王と戦ってもどうにもなりませんか?」

 

「負ける。信じられないだろうが、私の渾身の打撃がまともに当たってもダメージを殆ど与えられない……あれは我々の使う並みの魔法も通用しないと思う。叡者の額冠を使った究極の大魔法がどこまで通用するか。この広い大陸でも最強の竜王の1体だと私は思う」

 

 『隊長』の言葉を聞いた全員が口を開け絶句していた。

 クレマンティーヌも同様に。

 

(モ、モモンちゃん……)

 

 それをまず伝えた『隊長』は、漆黒聖典戦車隊の行動を示す。

 

「以上の話から、現有戦力での戦闘続行は停止する。一旦、セドランの小隊はリ・ボウロロールの秘密支部へ移動し本国へ現状を伝えてくれ。そして、エ・ランテルで指示を聞いてきてほしい。我々は移動し王都リ・エスティーゼ北東の大森林で待つ」

「了解しました。直ちに移動します」

「よろしく頼む」

 

 『隊長』の言葉に、屈強で重装巨体のセドランが頭を下げると彼は一つだけ質問をしてきた。

 

「隊長、ひとつだけ宜しいですか?」

「なにか?」

「竜王に敗れたと聞きましたが、御無事だったのですか?」

 

 よく考えれば、負けたにもかかわらず無事帰還し、ここへ無傷で居る事に対するセドランの疑問であろう。

 『隊長』は隠さずに伝える。

 

「竜王に敗れた最後の一撃は壮絶な威力の火炎砲だった。まともに左腕へ食らい、どうやら派手に高速で数キロの距離を飛ばされたようだ。その後、私は森の中で木の根元にいた。だからあの竜王から逃げられたんだろう。記憶にないのだが、自力で短杖(ワンド)を使って〈治療(ヒーリング)〉したようで気が付いた時には完治していたんだ」

「おお、それは正に奇跡ですなぁ」

 

 

 

「ああ。これは天使――――いや、神の御加護だ」

 

 

 

 漆黒聖典の戦車隊は、間もなく二手へと分かれて速やかに移動を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 復活の鉄拳

 

 

 シャルティアは既に全力装備の真紅の鎧から、いつもの可愛く似合う紫系のボールガウン姿に戻っている。

 そんな階層守護者の前へ、一人の()()()が目を閉じて膝を突く。

 一つの儀式が終ろうとしていた。

 

「顔をあげろ。新しい我が忠実なる配下として名を名乗れ」

 

 シャルティアは、場所や相手で適当に廓言葉を使い分けている。この下僕へは使わない。

 鼻筋の通る細い眉の新入り娘は、主の命令に従い恭しくゆっくりと顔を上げ、目を開く。

 彼女の涼やかな目の瞳は、朝までの濃い灰色ではなく、今は妖しく赤い輝きを放っていた。

 娘はその若々しい声で告げる。

 

 

 

「――カイレにございます。本日只今より可憐で美しき我が主、シャルティア・ブラッドフォールン様へ生涯に渡り厚き忠誠を捧げます」

 

 

 

 彼女こそ、至宝『ケイ・セケ・コゥク』を着用装備していた元老婆カイレである。

 至宝のアイテムの詳細情報を得る為、作戦通りに吸血鬼(ヴァンパイア)化を施すと、何故か時間が巻き戻るように皺が消えてゆき、この若い姿で固定された。

 すでに、新しい血により忠誠を捧げるべき尊い主を得て、スレイン法国への思いはない。

 今は至宝の模造型で、柄を変えた黒地に金色の華刺繍の入った超金属も織り込んだ衣装装備を着ている。また、その艶やかである金髪は後頭部へ一つ団子の形ではなく、両側へ長く垂らしたツインテールに変えた。

 カイレの身長はそれほど大きくない。……胸も同様。

 シャルティアの口許は『うん、悪くないでありんすね』と緩んでいる。

 

「よい。 カイレよ、言っておくがわたしの主は、いと愛しく尊き至高の御方。この栄光のナザリック地下大墳墓を唯一絶対支配されているアインズ・ウール・ゴウン様だ。無礼は絶対に許さん。その我より分け与えた魂へ命じるぞ。今後我が君へも私以上に心して仕えよ。いいな」

「はっ、心得ました。アインズ・ウール・ゴウン様へも同様の忠誠を」

 

 若き娘カイレは赤く輝く目を閉じ、恭しく主へと(こうべ)を垂れる。

 これにより、配下への儀式は終了する。

 

 その様子を脇でマーレを除くアルベドとエヴァ達支援組――『至宝奪取(エィメン)作戦』に参加した者達が見守る。

 ここはナザリック地下大墳墓第二階層の墳墓。その一区画で広い石室内。

 アルベド達は、作戦を無事に終えると速やかにナザリック地下大墳墓へと帰還してきた。

 まずは最重要目標であった危険アイテムを完全に確保するためである。

 今、カイレは“耐性を持つ相手すら精神支配する”という至宝『ケイ・セケ・コゥク』を着用装備していない。

 

 

 非常に危険であるこのアイテムは、もちろん――守護者統括のアルベドが手にしている。

 もう安心である。

 ()()()()さまを深く愛しているアルベドが、シッカリと手にしているのだからっ。

 

 

 裏は無い。

 ()()()()()()()()()今は動かない。

 彼女がこの重要アイテムを隠匿し、『アインズ様、体内にお持ちのその美しい世界級(ワールド)アイテムを、是非少し私めにお見せいただけませんか?』などとお願いするはずもない。

 なぜならば、今回の作戦は絶対的支配者へ懇願してわざわざ任せてもらった任務である。

 御方からの大きく強い信頼が、些かも揺るいでいない現状も先日再確認している。

 きっちりと終わらせなければ、彼女自身の存在価値は地に落ちる。

 自分で自分を許せなくなる。

 忠誠を捧げる臣下として、『盲目的で浅ましい欲望』には代えられないのだっ。

 

(ああ、アインズ様……。私は我慢します。出来ますともっ)

 

 日々、アインズからの優しい愛を感じている。

 先日の小都市についての打ち合わせも、向かい合わせの節度ある形ながら二人は和やかで良い雰囲気であった。

 また妃の最有力候補でもあるのだ。こんなところで忠義の道を踏み外す事など出来ない。

 

(よっしゃぁぁぁぁーーーー、任務完了っ。もっと頑張るでぇーーーーーーっ)

 

 そんな残念な内心をおくびにも出さず、華麗に振る舞うアルベドは、柔らかく微笑みながらシャルティアへと歩み寄り言葉を送る。

 

「これで終わりかしら? お疲れさま」

「そうでありんすねぇ。今回も一瞬で終わりんしたね。もっと、歯ごたえのある者はいんせんものか」

「シャルティア、今回はこれでよかったのよ。このアイテムは一歩間違えば、同士討ちになったのよ。もしかすれば最悪、アインズ様へも弓を引くようなね」

「それは……そうでありんしたね。失言しんした」

 

 シャルティアも精神の完全支配を受けるのだけは避けたい。

 もちろん、至高の御方からなら構わない。この身が朽ちようと、お役に立つならそれで良い。

 でも、それ以外の者からの攻撃や命令であったならば許せない。

 万が一で、マーレやアルベドら他の守護者に討たれるのはやむを得ないだろう。

 だが、もし御方と直接戦うことになるというのなら、先に自身の消滅を選ぶ。

 至高の御方の忠実なる臣下として、直接対決だけは絶対にあってはならないのだ。

 しかしすでに、その危機と大任は無事に終わっている。

 シャルティアもアルベドの言葉に一瞬大いに緊張したが、ふっと息を吐く。

 そして気晴らしにと目の前に依然膝を折る娘へと命じた。

 

「カイレ。暇だし貴方の闘いをここで見せるでありんすよ」

「畏まりました、シャルティア様」

「そこの花嫁達、3人程前へ出るでありんす」

「「「はい」」」

 

 脇に居た吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)へも命じると、カイレはゆっくりと立ち上がり花嫁達の方を向く。

 シャルティアは相手を見れば大まかに強さを判断できるが、アルベドは動きによって判断するタイプ。

 

吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達は確かLv.26前後ぐらいかしら。元の老婆だった人間は、どのぐらいなの?」

「そうでありんすね……吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)よりも弱かったでありんすよ」

「ふーん。じゃあ、全然大したことはなさそうね」

 

 総合力重視のシャルティアも、パワー&防御力重視のアルベドも、Lv.100のバリバリといえる戦闘(かちこみ)屋NPC。

 この世界で、神話水準のLv.80程度でも――弱々しい雑魚に過ぎない。

 そんな階層守護者と守護者統括の前で、余興は始まる。

 カイレの前に吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達が3人並ぶ。明らかにカイレは不利に見える構図。

 

「じゃあ、始め」

 

 シャルティアが目の前の4人へそう声を掛ける。

 カイレは、足を軽く開き膝を少し曲げる緩い構えを即時に取る。深いスリットから僅かに覗く瑞々しい太腿以下の素足が眩しい。

 しかしその思考は、一瞬で彼女の動きにかき消される。

 

 

「はぁーーーっ。 ハイ! ハイ! ハイッ!!」

 

 

 広い石室内へと反響するほど響く若い娘の張りのある掛け声と同時に、武技〈裡門頂肘(リモンチョウチュウ)〉、〈鉄山靠(テツザンコウ)〉、〈崩拳(ホウケン)〉が、速攻で近付いて来た吸血鬼達へ見事に炸裂。

 手加減しながら鮮やかに放たれたその個々の攻撃の威力が、3名の吸血鬼の身体を大きく軽やかに空へ舞わした。

 

「50年早いわね」

 

 掌を前にして技を放った低い震脚の構えを崩さない元老婆は、石床へと転がる吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達へと決め台詞を申し送った。

 そして姿勢を正すと、主シャルティアと格上のアルベドらへと一礼する。

 新参者の一連の動きを見たアルベドが呟く。

 

「変わった攻撃ね。まあ、私には通じないけど」

「武技っていう、この世界の新しい系統の攻撃スキルのようなものでありんすよ。ナザリックでは、もうルベドが剣の技を幾つか身に付けているはず」

 

 シャルティアの情報に守護者統括は軽い返事を返す。

 

「ふーん。……今の動きだと、やっぱり吸血鬼(ヴァンパイア)化すると、大幅に身体能力が上ったみたいね」

 

 アルベドの目で今の攻撃の動きから推定するレベルは、武技も含めてLv.50を少し超えるかという水準であった。

 

「ふーん、て。武技については、我が君がナザリックの戦力強化の柱の一つに挙げられていたでありんすよね?」

「当然知ってるわよ、アインズ様絡みなんですもの。でも――自分で散々やってみて無理そうだと、ガックリくるじゃない」

「あ……そういうことね」

 

 アルベドは部屋に籠って、巨大刃が光る斧頭を持つバルディッシュを「えぃ、えぃっ」とすでに散々振っていたのである……。

 シャルティアは、少し涙目であるアルベドを慰めるように誘う。

 

「今度、みんなで練習するでありんすよ。何か掴めると思いんすし」

「そ、そうね。アインズ様の為に、諦めちゃだめよねっ」

 

 嘗てスレイン法国の亜人多き北西辺境地において、ナイキ・マスター他の職業(クラス)でその姿には炎を見る『鉄拳カイレ』と呼ばれた娘を新しく仲間へと加えつつ、そんな可愛い二人の守護者であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 夢で逢いましょう

 

 

「お姉さま、きらきら見たいーー」

「お姉さまの魔法、きらきらーー」

 

 アルシェは部屋の蝋燭の灯りを落とし、クーデリカとウレイリカの姉妹達をベッドで寝かせようとしたが、可愛い声でリクエストされた。

 

「しょうがない。ちょっとだけね」

「はーい」

「はーい」

 

 アルシェが魔法を発動すると、部屋の昼間白かったが夜の闇に落ちた壁や天井へと明滅する小さな数多の輝きが現れる。

 

「わぁーーーきれい」

「きれい、きれいーー」

 

 それはまるで外の夜空の様に見えた。

 双子の姉妹達は、ベッドの中で布団から僅かにちょこんと顔を出してそれらをじっと眺める。

 笑っている妹達の顔をアルシェは黙って優しく満足そうにただ見ていた。

 すると、クーデリカとウレイリカがぽつりと思いをこぼす。

 

「ねぇ、お姉さま。お父さまとお母さまはいつ来るの?」

「お父さまとお母さまに早く会いたいなーー」

「――っ」

 

 純粋な希望。

 アルシェもこの年頃には同じ様に両親を想っていたと思う。

 だが現実は無情である。両親へ今会わせる訳にはいかない。

 クーデリカとウレイリカは何も悪い訳でないのにだ。

 アルシェは、申し訳ない気持ちを隠し優しく答える。

 

「そうね、今はいろいろと大変だから……良く寝て、元気にしていれば、きっと会える」

「わかったーー」

「ウレイリカ、いっぱい寝るーー」

「二人ともいい子ね」

 

 そう言いながら、アルシェは二人の姉妹の頭を優しく優しく交互に撫でた。

 ――クーデリカとウレイリカが夢の中に落ちるまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジャ~イムスぅぅ。お前、分かっていような?」

「は、はいぃ、旦那様。ご指示通りに……」

 

 そこは、暗室。

 ほんの僅かに天井の小窓から星の輝きのみが入ってきている。

 そこで怪しげに相談を纏める二人の男が居た。

 

 ――(まこと)に時間と現実は無慈悲で無常である……。

 

 

 




参考)時系列
28 和平使者出る ガゼフ相談 ニニャ告白 アルベド女子会 ルトラー婚姻話 ラナーと結託
29 夜中クレマンと会話 ナザ緊急会議 ルトラー縁談 帝都混迷 王割譲承認 夜中風呂ラナーVSルトラー
30 アインズ幻影改良済 ガゼフバレた 昼そのガゼフから冒険者数等情報有 夜ニニャとエ・リットルで再会
31 ジャ~イムスぅ 大臣が約定持参 ルトラー面会の要望 ティラ&ブレイン 遠征王都到着 第二回深夜会談
32 ニニャとデート (屋敷から王城へ帰還) ガゼフへ第二報告 『漆黒』の実力の検証 王都組合長と面会 人間捕虜餞別完了
33 竜王国への援軍 気の所為(地方組合と面会) 和平の使者 至宝奪取作戦 隊長と竜王の戦い ガゼフ昼食 守護者ルベド
34 冒険者点呼日(7日後)



捏造)元準男爵
フルト家の借金具合から、家の規模を推測。


捏造)『湖の都市』セギウス
とりあえず(仮)と言う形で名前を付けてます。


捏造)ティア、ティナの姉妹の名
公開当初は姉妹ティア、ティナと母音からなんとなく「ティサ」としてました(汗)が、
19/01/22に原作者様twitterで「ティラ」と判明。ティラへ変更。
30レベル?


補足)依頼主である『法国の一個人』
本作では、ニグンさんです。金掛けてでも恨んでます(笑)



捏造・考察)この大陸西方で人類が治める主な国家と人口
まあそれっぽい数を。
聖王国は領土北部内に都市が6つ以上存在し人口は多いですが、人材はいない国という感じです。隣接する亜人達の犇めくアベリオン丘陵に対し、国家の東側全面に総延長100キロ程の防壁を築ける程の豊富な労働力はあるが弱者の多い国。12巻予告からも強者の不在が伺えますし。
カルサナス都市国家連合は都市国家ということと隣接する帝国がそれほど脅威視していない感じなので、規模は意外と小さいかなと。

あと人類国家としては、大陸南方に黒髪黒目の顔立ちが一般的な国がある(書籍2-079)みたいですね。周辺に強い人類国家がない『単独』ならば、環境的に守られているか、亜人の国と同盟関係なのか、強国なのかというところでしょう。噂から「大きな国」という風でもなさそうな気もします。推定の人口は500万程。第6位階魔法の使い手も恐らく一人は居るかと。幾つか人類国家が固まっている可能性もありますが、大陸で人類国家は少ないという話から単独っぽい。
なお、『大陸南方』とは竜王国の東側、ビーストマンの国より南側に広がっていると思います。法国の南側は恐らく半島になっていて砂漠の南にある空中都市の南側はあまり広くないと考えています。(竜王国の面する海は囲われていないはず。地球の世界地図でいうと丁度トルコがアーグランド評議国の位置でアラビア半島内北部に法国がある感じです。そういう意味ではインドの位置辺りが黒髪黒目の顔立ちの国になりますねぇ。ただ距離感は地球の7割程か)

個人的にこうやって空想で本作の世界を広げてます。

18/06/10 上記へ補足
書籍13-430において、『聖王国より南方には人間主体の国家はない』模様。一応人間が居るにはいるが一方で混血が進んでいるとのこと。王族がいても混血確定。
またアベリオン丘陵の亜人軍が10万超から、丘陵の亜人総人口は乱世ながら産めよ増やせよで30万程は居るのかも。



補足)現在御方から品を賜ったのはアルベドのみ。
アウラとマーレは水。
エンリは3つ目の笛。



補足)カイレ
若返ったのはシャルティアの好みということで……。




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STAGE37. 支配者失望する/竜王国ニテ/姉妹ト主ト(11)

 リ・エスティーゼ王国に(さきがけ)る形で、滅亡の足音が割と近くから軽快に聞こえ始めた人類国家。

 ――竜王国。

 

 黒鱗の竜王(ブラックスケイル・ドラゴンロード)である女王ドラウディロン・オーリウクルスが治めるこの国は、長年の間、東側に接するビーストマンの国から不定期で越境侵略を受け続けてきた。

 女王は竜王の血を引くが基本体形と能力は人間。僅かに自爆技(じばくわざ)的で使用不可に近い巨大爆発を起こす『始原の魔法』と老若の形態を自在に操る身体を持つが、通常戦闘においては概ね一人の弱者に過ぎない。先代辺りからビーストマンの国に舐められている一つの要因でもある。初代王で曾祖父の七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)がいればこの事態は避けられたであろうが。

 今や8分の1に薄まった血を反映するのか、七彩の一色も維持出来ていない……竜王のカラーは黒だ。

 竜王国の(あるじ)の能力低下を反映するように先々代、先代と受ける攻撃の回数と規模が段階的に拡大を示した。

 ただ数年前まで、ビーストマン軍の侵入規模は大軍でなく、多くても数百名の大隊程度までが殆どと記録されている。

 小規模のビーストマンの兵団は、自国北西部の山岳部を踏破し竜王国国内の各地へと神出鬼没であった。柵や塀で備える村々が突如襲われ、幾つかは攻撃に耐え切れず陥落し、都市からの冒険者を組み込んだ掃討軍が到着する前に、村民は資源や食料代わりも兼ねた人間狩りでほぼ全て姿を消した。

 一方で竜王国の掃討軍も、ビーストマンの軍をなんとか追撃し多くで国外へと撤退させている。とはいえ連れ去られた者達を、生きて再び取り戻すのは難しく、救出生還の割合は10分の1もなかった。

 また近年も三度、東方の山岳地と平地から連隊規模で3000名程を擁したビーストマン兵団に広範囲で侵入される事態となったが、かろうじて隣国であるスレイン法国やバハルス帝国からの援軍を借りて撃退に成功している。

 そんな終わり無き闘いがこの国では、100年を超えて延々と繰り返されてきた……。

 

 しかし――。

 

 夏へ向けてのここ1カ月半に渡るビーストマンの国からの継続侵攻は、戦略と規模がこれまでと明らかに違っていた。

 彼等の侵攻は当初から平野伝いに粛々と、連隊を上回る兵数6000程の旅団規模を3つ繰り出し、遂に二週間ほど前からは万を超える大規模な数師団もが参戦。今やその総兵力は四将軍が5万を率いる軍団規模まで拡大していた……。

 ビーストマンは、ライオンや虎などの猛獣が二足歩行している形の肉食亜人種の連中だ。体躯と体力面から人類よりも個々で圧倒的に強い。その難度差は10倍程度ともいわれている。

 自前の毛皮に、分厚く武骨な鎧や兜を装備する将軍達ともなれば難度で60程度はあった。

 ビーストマンの国の侵攻開始序盤は、竜王国軍側も冒険者達を前面に立て散発的ながら平地で応戦し、局地戦でいくつも勝利していた。

 しかし、万に届く師団規模を投入されると状況は一変する。

 敵の個の力と数が掛け合わさった圧倒的軍事力に対して、野戦は確実に不利とみた竜王国各都市守備隊はやむなく籠城戦を選択する。

 竜王国には小都市規模の首都『竜王都』の他に、東方へ3つの小都市が在った。

 それらは、東に隣接するビーストマンの国への防波堤も兼ねている。各都市は予想される国境からの侵攻面である南東平野部に対し、その途中の正面へ壁の如く8キロ程の間隔で3つ並べ阻止する位置に置かれた。

 また各都市は非常に堅固な城塞として設計建築されている。川から引いた水源を兼ねる幅のある深い堀に、跳ね上げ式の橋。加えて引き込み入り組んだ城門と高く分厚い二重の城壁。弩弓などの各種兵装に石造りの櫓も各所に備え、周囲の住民などが避難出来るキャパシティーも有していた。

 竜王国の北と北東側には山岳地帯が広がっており、ビーストマンの国が大軍で攻めるには、東方の平地を遮る都市群を落とし進むしかない。

 なぜなら竜王都までの街道途中の要所にも砦が幾つか並び、山越えの大隊程度の少数では流石に打ち破るのは難しいからだ。

 あと東のビーストマン達はその本能的習性から、仲間を囮にする戦法は殆ど使わない。

 彼等の国の指揮官達はそうやって昇進してきていた。

 山岳越えがあるとすれば、それは主力ということだが、この戦略展開からしてまず無い。

 今回の場合、敵はこちらの三都市の連携を防ぐため数と力で同時に攻め、弱い都市から叩く。

 狩りと同じである。

 逆に言えば、三つの都市が同等の防衛力ならどこかに集中されることはない。

 竜王国の上層部は、90年程も前にこのような渾身の守りの一手を打っていた。

 だが、2週間前からの大増援を加えたビーストマン側の予想以上の攻撃は、この三つの都市の対応能力を超えようとしていた。

 その為に各都市は竜王国首都へ再三の援軍要請を送ってきている。

 要請を受けた女王や宰相と側近達は、ひと月程前に三都市に対しアダマンタイト級冒険者セラブレイト率いるチーム『クリスタルティア』を始め、精強な冒険者チーム群40余組と兵15000の援軍を送る。その後、半月程前に冒険者チーム群10余組と兵9000を送った。

 それで――手は尽きていた。

 竜王国の()()()()()()軍司令部は5日程前に前線へ以下の書簡内容を通達する。

 

 『竜王都の守備を空には出来ない。これ以上首都周辺の守りを割いての増援は厳しい。スレイン法国からの援軍が来るまで、補充には都市内の一般住民達を臨時の兵として徴兵し極力使え』と……。

 

 返事を引き延ばされており当てのない隣国の援軍情報を伝えるのみ。非情である。

 

 そんなジリ貧の続く日々の今夕程に8日ぶりで、長い薄緑色髪の若く美しき王女ザクソラディオネが()()でソワソワしながら隣国から王城へと戻って来た。

 今日も前線を思うと陰鬱である姉の女王ドラウディロンは、夜を迎え天井のシャンデリアへ明かりの灯り出した王宮の一室で装飾の施された椅子へと掛ける。

 女王の姿は、豊満な胸や肌へもまだまだ張りを見せる本来の容姿端麗である大人の姿に戻っていた。歳は40代へ乗ってしまったが、見た目は20代後半だ。

 ドラウディロンは、頭冠を付けた宰相も傍へ立つ中、国民色漂う薄絹もある踊子風の衣装を身に付けた妹から早速報告を受ける。

 

「姉上、朗報です! リ・エスティーゼ王国東方の大都市、エ・ランテルの精強な冒険者達の援軍が4週間程で来るかもしれません。いえ、必ず来ますっ(()()()()()()なら……きっと)」

「……そうか。良くやった」

 

 姉のドラウディロンは、ひとまずザクソラディオネを(ねぎら)う。

 どうやら予算が無かったにもかかわらず、何とか話は上手く纏まったようである。

 一方で、埃を被ってはいるが妹の身形や表情への乱れはない。また予想よりも数日は早い帰還である。()()()使()()()()()()()()をも覚悟し送り出していたため、少し気になり尋ねた。

 

「その……費用交渉は大丈夫であったか?」

 

 いずれは確認の必要がある重要事項といえた。彼女はその為の人身御供なのだから。

 すると妹の王女はにっこりと答える。

 

「報酬は後払いという事になっています。ビーストマン達を早く追い返せば戦費分が浮き、それで払えるだろうと」

「そ、そうか。確かに早期に撃退出来れば戦費分を報酬に回しても構わない。……うむ。よく纏めたな、我が妹よ」

 

 姉は漸くホッと息を吐く。妹の身も大事であるが、今回は多くの民と国の存亡が掛かっている。

 現在最重要なのは、援軍の派遣の約束を取り付ける事だ。王族娘の操ではない。

 女王は己自身すらもすでに覚悟している。この戦争が終った時にあの変態アダマンタイト級冒険者への莫大な報酬を全額払えない場合だ。奴からは極秘ながら、代わりとなる褒美の選択肢に『十を超える幾晩もの奉仕』も組み込まれての提示があったのだ……。ヤツはコレしか選ばないはず。

 世継ぎすら生まれるかもしれないが、最早背に腹は代えられないっ。

 王族の者として、国家や人民の犠牲になるのは――もはや職務の一つ。

 でも妹は今、やたらニコニコしていた。幸せそうですらある。

 決して楽しい旅ではなかったはずだ。現に出発時は泣きそうにしていたのだから。

 それはそうだろう。他国の中で初めて会う腹の出た少し臭いオッサン達に乙女を散らされ、夜毎弄ばれる事も覚悟しての旅立ちであったのだ。

 そんな妹に何があったのか。

 

「……ザクソリー、旅先で他に何か良い事でも?」

「えっ?」

「先程から笑顔が絶えぬが? 確かに援軍契約の大任を果たした喜びはあろう。だが、それとは質の違う表情に思うてな」

 

 仲良き家族であるから、その表情が読み取れるのだ。

 そうでなければ、こんな苦行の如き交渉役を妹も承諾するはずがない。

 姉に尋ねられたザクソラディオネは、エ・ランテルでの事を話し始めた。

 だが妹の話を聞き冒頭より、ドラウディロンは背もたれから身を起こし驚きの声を上げる。

 

「なにぃ!? リ・エスティーゼ王国北西国境から竜の大軍団が侵攻して来ているだと?」

 

 彼女と絶句し口が半開きの宰相は、催促をしてもスレイン法国が今動かない原因を聞いたように思えた。以前から竜軍団の動きを掴んでいたのかもしれないと。

 かの大国は、人間第一主義と人類国家の守護を国是に掲げている。

 現在も近隣の亜人種を淘汰する為に、確か南の森妖精(エルフ)の国とも戦争を継続していたはずである。

 それでは流石にこちらまで戦力を回す余裕は無いと思えた。

 

(くっ。 最悪この本格的な戦いを、自力でなんとかしなければならんのか……。すでに守備兵の残りは5万程しかなくこの都市は……いや、国自体が限界なのだぞ。この身で何とかなるなら、どこへでも喜んで差し出すが……)

 

 状況は竜王国にとって『最終戦争』の水準に届いていた。

 竜王都に残っている冒険者も精鋭チームは(ゴールド)級を中心に10組余り。他の100組弱は(アイアン)級以下のチーム。あとは凄腕1組を含むワーカーチーム群ぐらい。

 元々、東の三都市へ戦力を多く振り分けていた。侵攻からすでに戦死者行方不明者は兵2万7000、民間で1万5000人を数え、守備隊は恐らく総数で12万を切り始めている。冒険者チームも計170組以上いるはずだが……。

 三都市内へ退避した周辺からの一般市民は16万に達し、籠城総数は兵も合わせ54万を超えていた。各都市内の道や通路にも彼等避難民が溢れ不安な日々を過ごす。

 これだけの人間の数に兵糧が長く持つはずもない。

 都市内の街路の傍らで、土埃に汚れて泣き叫ぶ我が子達の額を拭う避難で家財を失い疲れ切りやつれた母親の姿。

 その近くでは、家族を目の前で食い殺されたと喚き散らし立ちつくす農夫の男……。

 

 縋る藁すら見当たらない――正に絶望的光景が女王ドラウディロンの脳裏へ広がった。

 

 そんな地獄の思考の中の姉へ、妹は熱く語り出す。

 勿論、頼りになる漆黒の戦士モモンの話である。彼については拡大版的に女王へと語って聞かせた。

 しかし、妹の話を聞き終えたドラウディロンは視線を落としたまま複雑な表情になった。

 

(モモンという戦士。魔法詠唱者(マジック・キャスター)が居るとはいえ2人のチームで、4階級もの飛び昇級は確かに聞いた事が無い。一刀であの人食い大鬼(オーガ)の巨体を両断とは剛剣だと思う。加えて華麗に二刀を使うなど確かに武勇伝は、白金(プラチナ)級に留まらない強さに聞こえる。アダマンタイト級に近いのかもしれない。それでも――相手は竜軍団だ)

 

 妹もそうなのだが、女王自身(ドラゴン)の末裔。

 本当の怪物の恐ろしさは知っているつもりだ。その脅威はビーストマン達の比にあらず。

 1体でも伝説――世界最強種族である竜は一撃で倒せる程弱くない。

 リ・エスティーゼ王国は確かに大国だが、援軍については望み薄に思える。竜らの撃退で手一杯のはずである。それすらも危ういと彼女は考えていた。

 リ・エスティーゼ王国の地は、すでに死の獄だと……。

 とはいえ、妹のザクソラディオネの鋭い感性も信じたい。

 逆に救いの無い今だからこそ、縋りたいという女王の気持ちは膨らむ。

 そんなドラウディロンは妹へ一つ尋ねる。

 

「ザクソリーよ。この件、お前は厳しい賭けだとは思わないのか?」

 

 

「はい。なぜなら、あの方はその過酷である戦地へ正に向かおうというのに―――全く怯えていませんでしたから」

 

 

「――っ! ……なるほど。それは竜の強さを十分知っている者だからだな」

「はい」

 

 彼女が本国への帰路で、想いを抱く漆黒鎧の戦士の事をあれこれ考えているうちに辿り着いた結論である。

 本当に不安無くニッコリと微笑む妹の表情と今の話に、ドラウディロンは僅かながら希望を見出す。

 

(どの道ジリ貧。これに賭けるのも悪くないか――)

 

 彼女は顎先へ指先を曲げた右手を当てつつ、(おもむろ)に左傍へ立つ宰相の方を向く。

 宰相の方も、既に女王へと顔を向けていた。

 目線を静かに合わせた両者は無言で小さく頷いた。

 

 

 翌日、女王の名が記された形で、東方各都市へひと月分の兵糧に加え兵1万ずつの援軍を送るとの御触れが出された。

 

 

 

 

 

 

 一方、ここは竜王国の築いた絶対防衛線である三都市から、南東へおよそ12キロ程離れた多くの畑が一望できる平原。

 王女ザクソラディオネが竜王国へ帰還し、既に丸二日が過ぎていた。

 某『至宝奪取作戦』が行われる日付へ変わった、まだまだ闇夜広がる深夜の時刻。

 平原のこの場にはビーストマンの国の侵攻拠点として、200メートル四方の周囲を少し掘って囲う形に盛られた陣地の中の一角に、前線野営司令所が設けられていた。

 曇天の為、星や月の無い闇の濃い中で魔法による少し薄暗い明かりが、椅子代わりの土塁内の段差に腰掛ける彼等二人の傍に灯る。

 一人は、見事なヒョウ柄の毛並みの腕を羽織るローブから覗かせる、細身で長身の文官らしき豹顔の男。もう一人は勇ましい銀色の鎧を纏い、厚みのある巨剣を背負う首回りが一際フサフサしている獅子顔の将。

 豹顔の男が、獅子顔の将へと声を掛けた。

 

「将軍、先日より大した進展はなしですかな? これはまだ暫く時間が掛かりそうですな」

「い、いや。あと一息なのだがな、大首領第二参謀殿。頑強に抵抗され中々先兵が城内へ侵入出来んだけだ。だが、先日から聞く師団増援の件は、早急に上手く通して欲しいぞ」

 

 ひと月以上前の作戦当初、各都市へ五千獣長率いる6000ずつを広範囲展開で進撃させ、さらに2週程前に増援軍として万獣長である虎顔将軍や美洲狮(ピューマ)顔将軍、美洲虎(ジャガー)顔将軍率いる約1万ずつを送っていた。本陣拠点には、このひと月半ほどで出た負傷兵3000弱と予備戦力3000余を残すのみである。

 現在、ビーストマンの軍が攻め立てている竜王国側の堅固な三都市の各兵力は、約4万の人間兵と冒険者という職の者に一般の人間達も加わっていて兵数差でこちらの約3倍。同等の敵への攻城戦には3倍程度が必要ということだが、恐らく都市の防御力が異常に高く、総合的にその差は優に15倍以上の人間の軍と同等となっている。そのため戦線が拮抗している形だ。

 しかし今、ビーストマンの国内の最寄りの小都市には、猎豹(チーター)顔将軍らが率いる2万の兵力が集結を完了しようとしている。

 そして、この地にはまだ()()()()()()()()も残されていた。

 『大首領第二参謀』と呼ばれた大首領側近の男が、その事へ触れながら将軍へと語り掛ける。

 

「まあ、確かに将軍はまだ――あの強力で対魔法外装をも付けるゴーレムを最前線で使っておりませんからな」

「ハハハハハ、その通りだ。まだ焦ることはない」

 

 ビーストマンの国は長年に渡り小競り合いで竜王国の対応力を把握してきた。今回は隣国のスレイン法国などからの援軍があっても、押し切れるだけの戦力を用意して臨んでいる。

 そもそも竜王国への援軍には限度が存在するもの。他国の事へ無尽蔵であるはずがない。またバハルス帝国とは金の切れ目が縁の切れ目の問題がある事実も掴んでいた。

 十分な勝算の背景と余力に対し、第二参某と将軍はニンマリと余裕の表情でほくそ笑む。

 ゴーレムは、ビーストマン系の国家では多く使われている決戦兵器といえるモンスターである。

 大陸中央で有名な、ビーストマン連邦では8メートル級ケンタウロス型ゴーレムを保有している。ミノタウロスの国家との戦争でも使用され、かつて8体存在したが今は4体まで減ってしまったと伝わっている。

 この竜王国の隣国であるビーストマンの国もゴーレムを現在3体保有していた。

 7メートル級ギラロン型ゴーレムである。

 ギラロンは、ゴリラのような顔とガッチリした体格に脇下辺りからも腕が生え計4本あるモンスター。

 このゴーレムはビーストマンの国の虎の子的戦力だ。難度は実に162を誇る。

 その一体が、竜王国の都市攻略へと投入する為に、本国からこの陣地内へと既に運び込まれていた……。

 豹顔の大首領側近の第二参謀は将軍へと問う。

 

「いつ頃お使いになりますかな?」

「フフフ、三つの都市の内でどこかが落ちた後だ。人間共の中に、1組だけ随分と強いチームがあると聞く。今のところ、その都市へぶつけようと考えておるわ」

「なるほど、良い考えです。一気に戦いの趨勢が見えましょうな」

「ハッハハハハハ――」

 

 陣内から勝利を疑わない獅子顔将軍の高笑いの声が響いていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、竜王国側の東方三都市へと夜行性でもあるビーストマンの国の軍が、雲広がり闇深き今夜も夜陰に紛れ猛烈なる攻撃を仕掛けてきていた。

 

 一軍を率いるのは、黒光りする鎧に身を包み黒茶のマントを靡かせた万獣長である虎顔の将軍。

 彼は暗闇でその眼を黄緑の蛍光色に光らせ、前方600メートル程先の平原の中へ視界一杯に横たわる人間達の籠る城塞都市の影を、重厚なガントレットの右手で指さし吠える。

 

「掛かれーーっ、今日こそあの壁を踏み越えるのだ!」

『『オオッーーーー!!』』

 

 ここは三都市の中で一番早く北側に築かれた『東方第一都市』。

 30メートルを超える高い外郭璧と幅40メートル以上の堀もあるが、敏捷性の高いビーストマン兵らは、肉球のある手足で水を掻きながら巧みに泳ぎ切ると、僅かな出っ張りをも足場にして軽快に壁を昇ってくる。

 城内側は、それを豊富にある水を沸かした熱湯や、弩弓、弓、石などを使い、正攻法で壁面上部にしがみつく者から順次叩き落としていく。特に熱湯が顔や舌に多く当たれば、ビクンと飛び上がるように落ちていった……。

 だが、その雨の如き攻撃の中から、壁の頂上まで辿り着くビーストマン兵も少なくない。

 

「ガハハッ! 俺様が一番乗りダァっ!」

 

 身長2メートルを超える1体の獅子顔のビーストマンが城壁頂上へ手を掛けると、一気に片腕の力で飛び上がり、遂に城壁上へと降り立った。

 槍を持った兵が突きを見せたが、ビーストマンの太い腕で腰から抜き払われた1メートルを超える剣の一撃の威力で軽く飛ばされる。槍兵は外郭璧の上から堀へと落ちていった。

 獅子顔のビーストマンに続き、その部下達と思われる虎顔の兵らも数体が壁を登り切ってきた。

 

「隊長、流石でスネっ。これは、俺達大手柄デすゼ!」

「ガハハハッ! 慌てルな。褒美をモらウのはこの都市ヲ落としテからだ。そレまで――エサ共の殺戮を楽シムぞ」

「へいッ。ヒャっはぁーーーーーっ!」

「うラぁぁぁぁーーーーー!」

 

 城壁上への侵入個体数は既に7体にまで達し、周囲の兵隊の顔色が青くなった。

 しかし。

 

 

「――余り調子に乗るなよ、猫族風情が」

 

 

 気が付くと縁際(へりぎわ)の高い場所に、すらりとした一人の凛々しい雰囲気を持つ剣士が立っていた。

 髪が銀色の流れる巻き毛の長髪で、整ったハンサム顔の青年。鎧は軽装ながら総オリハルコン製の逸品で正に騎士らしい身形。赤い派手なマントも纏い――非常に目立っている。

 急に現れた弱いはずの人間にデカい口を叩かれ、小隊長である獅子顔のビーストマンが吠えた。

 

「あァ? 何だテメェは」

 

「私は紳士の騎士――セラブレイト。ここは我がカワイイ(おさない)女王(ようじよ)陛下の領土だぞ。うせろ」

 

「ガハハッ。餌の言う事ナンぞ、聞けネェな」

「「「そうダ、そウだっ!」」」

 

 小隊長のビーストマンへ呼応するように、周りの獣兵らも威勢よく相槌を打つ。

 そのガナる彼等へ紳士と自称する騎士は目を閉じると、ふた言述べる。

 

「そうか。――では死ね」

 

 次の瞬間に、獅子顔で小隊長のビーストマンをはじめ、敵兵達は人間の騎士を見失う。

 同時に奴らの間をすり抜ける形で、鋭く光った軌跡を残す斬撃の連続。

 そして、全員のその獰猛な肉食獣の顔が頭ごと縦へ真っ二つに切り裂かれていった……。

 金属や肉の塊が落ちた風に重い音が7ツ起こり、7体の敵ビーストマン兵の躯が石床に転がる。

 

 

 まさに――――『閃烈』。

 

 

 リーダーが侵入兵を片付けている間に、チーム『クリスタルティア』のメンバー達も、敵の後続を外郭璧の下へと魔法や高速の石塊で突き落としていく。

 セラブレイトを名乗った銀巻き毛髪の青年は、躯達の後方へ抜けており離れて立ち、すでに腰の鞘へと細身の剣を収めていた。

 アダマンタイト級の騎士ら戦友の雄姿に、周囲の守備兵達から歓声が起こり始める。

 さっくりとこの場での対応を終えると、戦闘で息一つ切らさなかったセラブレイトは周囲の兵らへと、若干ハァハァしながら力強く語った。

 

 

「すべては、カワイイ(おさない)女王(ようじよ)陛下の為に!」

 

 

「「「女王(じょおう)陛下の為に!」」」

 

 最後だけ合わせてくれた周囲の兵らに満足したのか、紳士と自称する騎士は仲間を連れて、次の修羅場へと向かっていった。

 

 

 

 

 この様子を外郭璧上のすぐ傍で、驚異的に突出した戦闘力を誇る二つの影が静かに見守っていた。

 

「あの人間。全然弱いですけれど、この視界内一帯のビーストマン達ではちょっと勝てないっすかね」

 

 いつもより少し丁寧に話そうとしつつも、語尾に日頃の癖が出ている赤髪で黒服の美少女(ルプスレギナ)の言葉に、漆黒の服を着るダンディな白髪白鬚の男性(セバス)が彼女の語尾を気にする風も無く真摯に答える。

 

「そうですね……確実とは言えませんが、少しは任せてもいいでしょう。我々は余り表立って派手に動けませんからね」

 

 彼は大切な主からそのように命じられてこの場へ来ていた。

 『ビーストマンの国』はナザリックと直接的に関係がない。つまらぬ露見によるナザリックへの余計な脅威認定や敵視を避ける為でもある。

 この程度の数のビーストマンを退けるのは、Lv.100を誇るセバス一人で半時間もあれば十分だが、不必要な殺生をしなくても良い事に内心で少しホッとしている。

 周りの大局を丁寧に見ている、そんな主であるから仕える事に何の不安も無い。

 だから勿論、至高の御方の指令があれば何万、何十万であろうとも敵は全力でただ倒すのみだ。

 

 

 彼等――セバスとルプスレギナがこの地に来たのは、つい先ほどの事。

 二人は、ビーストマンの軍団に侵攻され窮している竜王国延命の任へ向かう事になっていたが、両名がナザリック地下大墳墓に揃ったのは『至宝奪取作戦』が行われる今日の日付に変わる直前であった。

 ルプスレギナがそれまで(あるじ)アインズから受けていた任務を熟し、胸を張って第九階層の上司セバスの執務室にて帰還の報告を終える。

 

「アインズ様からの任務を無事に完了しましたっ」

「分かりました。ご苦労様です。さて、ルプスレギナ。早速ですが、次の仕事を――」

 

 そして休む間を置かず、彼女は次の指示としてアインズ様発令の、初めてとなる『戦地』でのセバス補佐という指令を上司自身から伝えられる。人狼(ワーウルフ)娘は即刻動き出した。

 当然なのだ。「喜んでっ!」である。歓喜に尻尾を激しく振るがごとく。ご主人様をべろべろに舐めて差し上げたい思いで一杯だ。

 確かに彼女ら戦闘メイドプレアデスは、至高の御方の為に散る事が最大の誉れであるが、主の希望する仕事を成すのも無論、存在意義としてとても重要であった。

 おまけに間引き作戦とはいえ、『戦闘』である。

 属性の凶悪(カルマ値:マイナス200)や、職業(クラス)のバトル・クレリックを存分に生かせる機会。

 ルプスレギナは再出撃で地表へと向かう前に、第九階層でふらりと少しだけエントマの顔を見に寄る。プレアデスの執務室には居なかったので部屋へ向かう。他の姉妹が任務で王都にいるため、比較的この可愛い妹と良く会っていた。末妹も残ってはいるが重要箇所の桜花聖域内の為、会いにはいけないのもある。

 エントマの自室は一角の棚全てが蟲達で覆われている。その自室にいた妹に対し早速、ルプスレギナは胸元近くで両拳を握り腕をフルフルさせながら嬉しそうに笑顔で話す。

 

「聞くっすよ、エンちゃん。アインズ様からの三連続の任務っすよ。私、頑張るっすよー」

「いいなぁ。がんばってねぇ」

 

 可愛い声で励ますエントマもアインズから、配下となった人間達44名の教育を任されており、激しく使命に燃えているため、ルプスレギナの気持ちはよく分かっていた。

 時間が無いため1、2分の会話のあと「じゃあ、行ってくるっすー」と妹の部屋を後にし、自身の部屋へ一瞬寄ると人狼(ワーウルフ)の彼女は、四足で駆けるように集合場所の地上へと向かった。

 夜中で真っ暗なナザリック地下大墳墓の地上にある、中央霊廟の正面出入り口前まで来る。

 この時はさすがにまだ、『至宝奪取作戦』の参加メンバーやシモベ達は集まっていない。

 既に居たセバスとルプスレギナ達二人は今回、街中ではなく戦場での潜入活動となる。

 普段着の衣装は多くを持たないが、戦闘服については幾つか彼らの創造主が用意してあった装備衣装が残っている。

 ルプスレギナは、黒のシスター服系ながら胸部や腕部へ白銀と漆黒の鎧が付加され、スカートも深いスリットを残しつつ、裾は膝下程度の位置までV字に斜め上がりカットされた動き易い衣装を纏う。キャップも布製とは違い希少金属で出来た逸品の兜だ。武器と勿論、可愛さは変わらない。

 セバスも普段の執事衣装とは変えてきていた。モンクらしく白手袋ではない、漆黒のクールで分厚い特殊装甲のガントレットを装備。硬質革製で肩部に金属防具のある前部に頑丈でゴツいチャックが付いたバトルジャケットを羽織っている。靴も悪路に適した金属防具の付いた黒のローブーツを履く。黒シャツにネクタイは変わらないがチョイ悪なダンディさが一際引き立っていた……。

 彼らにとって、この使命は重要であるが内容的にみると随分容易と思えるものだ。

 片手間どころか両手間でも十分だと思える水準。

 気負いなどはない。ただただ、完璧に熟すのみ。

 

「遅くなりました、セバス様」

「いえ、問題ありません、ルプスレギナ。そちらの準備は大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です」

「そうですか。では早速行きますよ」

「はい」

 

 ナザリックから竜王国の東方の都市までは、カッツェ平野を挟んでおよそ400キロ以上離れている。

 今から陸路を使う場合、万一時間的に間に合わないと問題なので、パンドラズ・アクターを〈転移門〉で送り込んだ階層守護者へと頼む。

 

「それではお願いします、シャルティア様」

 

 先程から彼女は、この場所で優雅に佇み闇に溶け込んで待っていたのだ。

 セバスは実質的に第九階層守護者であるが、元々の『至高の41人』の生活面を支える最高責任者である『家令』という役職を重んじており、紳士的に振る舞う上でも女性階層守護者達へは敬称を付けている。

 一方でデミウルゴス、コキュートスやヴィクティム、ガルガンチュア達に対しては敬称を付けず対等の立場で呼んでいた。

 

「了解でありんす。今日はこちらも頑張るでありんすから、両名ともそちらでしっかり役目を果たしてくんなんし」

「はい」

「はいっす」

 

 セバスと違い、ルプスレギナは少し緊張気味である。彼女も、今日シャルティア達がナザリックにとって、これまでで最も危険となる任務に就くことを知っていた。己も御方の為にたとえお腹が減っても、負けてはいられないという強い想いの気合が入った。

 

「〈転移門(ゲート)〉」

 

 真祖である令嬢の美声により〈転移門〉は開かれ、そうしてセバスとルプスレギナは一気に竜王国東方の小さい森の奥へと出現する。

 ここは、最寄りの小都市まで5キロ程西の位置と聞いている。三つの中で北側に在る都市だ。

 2名の超越者達は、そこから任務へと動き始めた――。

 

 

 北の都市について、「取り敢えず大丈夫でしょう」としたセバスの判断に従い、二人は南へ7キロほど地上を駆けて中央の都市へと移動する。

 この都市も幅50メートルにも及ぶ堀と、30メートル以上の高さがある外周壁で堅固に守られた城塞としてビーストマン軍の前へ立ち塞がっていた。

 ここを攻めるのは、無柄でベージュカラーの毛並みをした美洲狮(ピューマ)顔の将軍だ。

 彼は緑系色の軽装防具を鎧替わりに装備する、速攻重視の武将であった。

 将軍自ら掘の傍まで寄り、抵抗を強烈に続ける壁が立ちはだかる最前線へ向かい仁王立ちで檄を飛ばして命じる。

 

「突っ込めーっ、登り切れー。下等である人間如き、今踏みつぶすのだーー!」

『『ウォォォーーーーー!』』

 

 その指示に、周辺の獣兵達も吠えて応え、今日も続々と堀へと飛び込み、高い外周壁へもしがみついて一歩一歩登っていく。

 しかし、竜王国側の都市守備隊も冒険者部隊を中心として昼夜連携し必死に応戦していく。

 ここでも上からの熱湯散布は大活躍である。

 弓や落石にも辛抱強く耐えるビーストマン達の、本能的な部分を激しく攻めていた……。

 熱湯攻撃をモロに浴びた獣兵らは、次々と壁から飛び上がるように跳ね堀へと落下していく。

 

「おのれぇ……(人間どもめ、制圧の折には鍋で煮て()()()()()、食ってやるわっ!)」

 

 壁の上部を睨み上げつつ、美洲狮(ピューマ)顔の将軍は右拳を強く握り込んで唸った。

 現在この都市への攻撃戦力は獣兵1万4000程だ。侵攻以来、400名以上の戦死者と1500名程の負傷者を出している。

 負傷した兵は傷の重いものを後方の本陣へと移送していた。

 彼等ビーストマン軍の戦法は基本『力技』である。

 一斉に攻撃し、弱者をあぶり出し狩るという基本戦法に沿っている。

 それが彼らの誇りだ。

 仲間を囮にする下策の戦法しか残されていないなら、潔く撤退する。彼らにとって撤退は恥ではない。隊が全滅する程の無理のある進撃をしたり、仲間を見捨てる者が恥さらしなのだ。

 そういった集団主義の種族である。

 それゆえなのか、平均難度の30以下も少ないが平均以上も少ないという、差の非常に小さい兵力編成も持つ。

 突出した難度を持つ個体は非常に希少で、難度で51以上は5000名に1名程度。

 難度60以上は将来、将軍が約束されるほど貴重だ。

 また侵攻軍の獣兵は基本雄で構成されているが、雌の方も弱い訳では断じてない。雌の猛将軍と雌のみの師団も多数存在している。

 そんな彼らビーストマンの国が長期で竜王国への大侵攻を計画したのは、増え続けた人口に対しての食糧問題があった。

 大陸中央は亜人の列強国同士が互いに覇権を争い、大規模な戦争がいくつかあり人口は長年横ばいなのだが、周辺の亜人の国は列強の要請に出兵はするが、矢面に立つわけではないため、ここ100年での国民数の増加が顕著であった。

 無論、『ビーストマンの国』の領内でも人間を十万単位で飼育してはいるが、以前は安価だった価値と生産コストが近年は大幅に上昇。

 ビーストマンの雌達が組織する婦妻全国会からの突き上げも受け、中央議会とフサフサで立派な(たてがみ)を持つ白獅子顔の大首領閣下は決断を余儀なくされていた……。

 

「……(妃達に噛まれるかもしれん)……侵攻せよ」

 

 黄金の王冠を戴く恐妻家で知られる閣下の重い気持ちの命が下り、参謀府と大将軍を中心に作戦が練られ、勇猛で知られる獅子顔将軍を方面総指令官に据えて出陣し今へと至る。

 

 セバスとルプスレギナは、中央の都市の周辺戦況について確認するが、美洲狮(ピューマ)顔の将軍の師団戦力と都市側の戦いは、北の都市に比べまだまだ十分拮抗して見えた。

 美洲狮(ピューマ)顔の将軍自身の難度は60程あるが、外周壁上の守備隊内に混ざる冒険者達には、それに十分対抗出来るミスリル級の冒険者チームが4チームは揃っていた。

 

「どうですかねー。さっきの都市程のレベルを持つ人間はいないみたいですが、ビーストマンの方も攻めきれない感じっすよね」

「ふむ。確かに人間達は陣地の要所をしっかり押さえていますね。このまま長期化すれば分かりませんが、今日明日はまだ大丈夫でしょうか。次の都市に移りましょう」

 

 今回二人は、セバスが主力でルプスレギナはバックアップという形だ。

 セバスが3つの都市を日々確認しながら移動し対応。ルプスレギナは3つの内、いずれか一か所の都市へ留まって連絡をする係。当然、手が必要なら人狼娘も他の都市へ付いて行き処理する。

 活動資金は、交易のあるスレイン法国の金貨も使えるという事から、陽光聖典の者達が持っていてナザリックが没収した金貨の中から20枚程持ってきているので問題はない。

 間もなく両者は、深夜の闇に篝火の絶える事がないこの中央の都市を後にし、更に南へと移動を開始する。

 そして僅か1分程で3キロを超えて街道を移動し、南の都市へと近付きつつあったその時。

 

「ん? あれは……」

「あぁっ。セバス様、アレちょっとやばいんじゃないですかねー?」

 

 麦畑の中を貫き、都市へと繋がる北方街道から近付く二人が見た光景は、遠くの平原に横たわる長い外周壁の影の一角から、闇夜の空へ淡く赤みが見え始めている状況であった。

 

(――むぅ、火災ですか)

 

 セバスは咄嗟にそう判断する。

 普段は冗談を交えるルプスレギナも目を見開き真剣な表情で無言。この初手段階で失敗に終わらせるわけにはいかない。

 ――敬愛する(あるじ)様をガッカリ(失望)させるわけにはいかないのだっ。

 二人は地を激しく後方へ蹴り上げると猛加速する。

 弾丸の勢いであっという間に街道を突っ切り南の都市へと接近し、地面へ線を引きながら制動を掛けつつ、セバス達は視線を左右へと振って直ちに現場の状況を確認した。

 視界へ納まる中に、ビーストマン側で突出した猛者を捉えることは出来ない。

 二人は立ち止まり素早く状況と方針を確認する。

 

「……どうやら防壁上の一部で数に押し切られたようですね」

「この場から少し間引きますか、セバス様?」

「いえ、先に都市内の様子を確認しましょう。まだ、炎は小さいみたいですから」

「分かりました」

 

 この時、二人の周辺には10名程の纏まったビーストマンの小隊がいた。

 そして――夜目の利く彼等は不幸にも『先を急ぐ者達』を偶然に見つけてしまう。

 今の深夜の時間に、それも都市外に広がるこの平地のド真ん中で、忽然と現れた人間を二人確認し、少し怪訝に感じた虎顔の小隊長である。

 

「アぁん……あレ、さっキまで居たカ?」

「イえ」

「雄ト雌か……(人間どモは皆、震えあガッて都市の中にいルと思っテイたが。まア、腹も減ッタしな)おい、オ前ら行クぞ――夜食の時間ダ」

 

 そうして、よせばイイのに彼を先頭として小隊は、小走りで近付きつつ声を掛けてしまう。

 

「よォ、人間共がこンナところで何ヲシてん―――」

「―――悪いっすねー、見られちゃ。今は遊ぶ余裕が無いんすよ」

 

 すでに彼の目の前まで逆に踏み込むルプスレギナは、人狼の目をギラめかせ1・3メートル程も有る武器の聖杖をフルスイングしていた――。

 虎顔のビーストマンの小隊長は、言葉の途中で全身が砕かれ絶命する。ガッシリとした彼は砲弾として、後方に続いて並んで駆けて来る10名程の配下全員を巻き込みその者らごと肉塊を周囲へと派手に飛び散らせていく。

 小隊長の躯の剛体をカウンター気味でモロに受けた配下達も、訳の分からぬ間に周囲へ弾け飛び、圧倒的な衝撃により内臓破裂や全身の粉砕骨折などで躯となって全員が40メートル以上の広範囲に広がって倒れていた。

 その光景は正にビリヤードのブレイクショット状態だ……。

 

「あーっ、コレ……不味かったですかねー?」

 

 反射的に動いてからルプスレギナは、後方に立つ上司セバスへと恐る恐るゆっくり首を大きく向けた。

 

「いえ、問題ありません。姿を見られましたし、初めが肝心ですから。でも、状況には注意してくださいね」

「あー、(よかったっす)……了解でありますっ」

 

 左肩に武器の聖杖を担ぐルプスレギナは、可愛く笑顔で右手を上げ敬礼のポーズ。

 敵にビビることはないが、上司へは気を遣わなければならない。勝手に動く奴だと、御方へ心証が悪くなる話が伝わるかもしれないのだ。ナザリック他で当初凡ミスを繰り返していた彼女は、最近巻き返しを見せている。仕事を命じてくれる優しくて尊く大好きである主に対し――これ以上、駄犬であってはならないのだ。

 対するセバスも、敵のビーストマンの(もろ)さを確認出来て良しとした形。

 

「(私にとっては初の遠征ですから、)ここは慎重に行動しましょう。では行きますよ」

「はいっす」

 

 共に気力十分のセバスとルプスレギナは、急ぎこの場を後にする。

 しかし、通常では考えられない強力なゴーレムにでもぶん殴られ潰されたとも思える、多くの破損遺体が転がるこの惨状は残された。

 少し後に、未帰還であった先の小隊を探しに来たビーストマン兵がこの驚愕の現場を発見。その報告により、当都市攻略師団の獣兵1万5000余を率いる美洲虎(ジャガー)顔の将軍や野営司令所の豹顔参謀らが、何かこの地に『途轍もないモノが舞い降りたのでは』と推測する要因となる。

 人狼の彼女は派手で華々しい痕跡を残してしまっていた……。

 さて、そうとは知らない二人の怪物達は、助走加速しあっさり堀ごと外周壁を飛び越えると都市内の夜陰に沈む区画へと地味に潜入した。

 

 

 

 

 竜王国の東方三都市のうち、最も南にある『東方第三都市』。

 この地は三つの都市の中で最後につくられた場所であった。

 その為――いろいろと予算面での皺寄せがこの都市の防御設備建造時に出てきていた。

 堀の幅は平均すると40メートルを数メートル割り込み、都市を囲う外郭璧の高さが、設計段階よりも1から2メートル低いという……。

 公共事業でさえ、無い袖は振れないという、当時も今も予算乏しき小国の悲しき現実。

 だが、戦いが拮抗すればするほど、こういった手を弱めた部分がここぞという時になって凶悪な牙剥く顔を見せてくるのだ。

 また不運も重なる。

 この度のビーストマンの国の侵攻に際して、この地へ配置された冒険者チームに竜王国唯一のオリハルコン級冒険者チームがあった。

 確かに平時であれば彼等は、ビーストマンの兵達をその難度70超えの優勢的武力で退け続け、問題のない働きをしたであろう。

 しかし、既に侵攻からひと月半を経て、オリハルコン級冒険者チームの中心的リーダーで主力の彼――59歳の髪の薄くなった鎧姿の老戦士には、身体の隅々へ戦いの疲労が重く蓄積してきていた。

 城塞都市守備にとって、貴重である魔法詠唱者には魔力を温存してもらう意味でも、多くの者達が各種回復を薬に頼っていたが、この世界で一般的に流通する回復薬は完璧ではなかった……。

 某大都市エ・ランテルの当代有数の名薬師製ですらそうなのだから。加えて、戦場であるこの都市での過剰消費に安定生産は概ね破綻し、粗悪品も多数出回っているのが現状だ。

 そして今夜もまた始まった敵の猛攻へ、薬を飲んだ老体に鞭打ち外郭璧の最前線でリーダーの彼は輝きを見せ奮闘する。

 だが、老齢と超過就役に睡眠不足、蓄積された疲労がついに、戦いの最中で噴き出してきた。

 10体程のビーストマン兵を討ちとった時である。老戦士は突然の猛烈な目眩に襲われる。

 

「(――?!)むぅ……」

 

 彼はその場で立っていられず、右手に握る大剣を石床へ杖の様に刺し、思わずガクリと右膝を突く。

 

「リ、リーダーっ?!」

 

 敵の攻撃を受けたのかと、仲間達から驚きの声が上がる。

 体を襲う突然の異常に驚き、瞬きもせず息を乱し大きく目を見開いて床を見る老戦士。その前には、次の新たな美洲虎(ジャガー)顔のビーストマン兵をはじめ、3名の敵が現れ立っていた。

 種族は違っていても、相手の老若男女は判別できる。

 美洲虎(ジャガー)顔のビーストマンが少し息を切らせつつも悠然と語る。

 

「ふぅ。どうされたかな、御老体? そろそろ黄泉の世界へ向かう頃合いでしょうか」

 

 すました口調で、すでに剣を振り上げていた。

 そのビーストマンが放つ上からの強烈な斬撃に、老戦士は咄嗟で仲間達側へ転がり身をかわした。

 周囲の守備兵達が槍や弓を構え、壁上部の幅の狭さを利用し老戦士を援護する。

 老戦士は何とか仲間達の傍まで来たが、やはり立上がれなかった。

 ここで彼の仲間の魔法詠唱者が、〈火球(ファイヤーボール)〉を二連射で放ち、美洲虎(ジャガー)顔のビーストマン兵らを外郭璧上から飛び降りさせ撤退に追い込む。

 だが、身体的に強いビーストマンの兵は30メートル程の高さから堀に落ちても死ぬことはない。たとえ下が地面であっても柔軟な身体で軟着地し、重傷は10体に1体程度だ。奴らへの対処の基本はやはり傷付け、倒すほかない。

 それでも一時的だが危機は去った。

 この隙に、仲間の魔法詠唱者がすぐ〈中傷治癒(ミドル・キュアウーンズ)〉と〈中疲労治癒(ミドル・キュアストレイン)〉を老戦士へと施す。だが、彼の疲労状態は重症気味であったため大した効果がなかった。また疲労治癒は概ね一時的といえる誤魔化しに過ぎない。

 

「これは不味いぞ……すぐに回復しない」

 

 仲間の魔法詠唱者の言葉に、老戦士と仲間達、周りの守備兵達はその顔色が一気に青へと変わる。

 『東方第三都市』には、オリハルコン級冒険者チームである彼らの他にもミスリル級冒険者チームが2組や白金(プラチナ)級らも外周壁上各所に配置されているが、勿論その者達の受け持ち場所も修羅場になっている。

 この辺り一帯の広い外郭璧上部をオリハルコン級である屈強の老戦士らのチームが受け持っていた。

 故に彼らが機能しなくなると、この都市の防衛上で大きく穴が開く事になってしまうのである。

 

「ま、まだ戦えるぞっ」

 

 老戦士は、死を覚悟し剣を杖に立ち上がる。

 

「無茶をいうな、まともに一人で立てないじゃないか。……リーダーは一度下がってくれ」

「なっ……くっ、足手纏いにしか……ならんか」

 

 彼へと向けてくる年齢差はあるが良く纏まった仲間達みんなの微笑みの表情に、『死に場所はまだここじゃないだろ』という熱い思いが読み取れたのだ。

 「すぐの援軍はない」と首都の軍令部から都市長へ書簡が届いたと伝え聞く。綱渡りが続く戦況の現状を考えれば、この東方三都市が落ちるのも遠くない未来に思える。そうなれば首都決戦となるだろう。

 死ぬ事はいつでも出来る。多くの知り合い達の為にも耐え、そこまで生き延びると決めてこの地の戦闘に臨んでいた。

 リーダーの自分が今、駄々をこねている場合ではない。

 

「分かった。暫く任せるぞ」

「ああ」

「任しとけ」

「朝飯は肉がいいなぁ」

「朝からかよ、ははっ。よし、下で儂が用意しておいてやる」

 

 そこで周囲に小さくも笑いが起きる。でもその時間は本当に短く。

 

「来たぞーっ、4体だーーっ! その後も続々来ているぞっ」

 

 和んだ雰囲気を、(へり)に居た弓兵の緊張感に満ちる鋭い叫びが破り、次の凶悪な来客を知らせた。

 先程、老戦士が戦う間にオリハルコン級の仲間が、一度この周辺一面の壁をかなり綺麗にしたが、数分しかもたない。

 壁には再びイナゴの様に鈴なりでビーストマン達の軍が壁を攻め登って来ていた。

 

「ドラ猫退治だ。迎え撃つぞーーー!」

『『おおぅ!!』』

 

 先程、切れた水を運び上げ足した釜も煮え立ち始め、応戦の準備も整ってきた。オリハルコン級チームの魔法詠唱者の掛け声で、塀際へと皆が急ぎ駆け出していく。

 老戦士は、肩を貸りる1名の若い兵とこの場へ残り、それを見送った。

 こうして彼は最前線を後にする。

 

 それから40分――。

 だがやはり、リーダーの彼が抜けた穴は大きかった。

 熟練的な剣技の前衛であった老戦士を欠いたオリハルコン級チームの強さは、ミスリル級冒険者チームを僅かに凌ぐ程度の力しか発揮出来なかった。

 チームには野伏(レンジャー)の男がいて奮闘するも、一人では数の多さに前衛を支え切れず、都市内へのビーストマン兵の侵入を許し始めていた。

 一般的に魔法詠唱者は当然殆どが連射出来ない。なので再発動までの時間(リキャストタイム)を前衛が稼ぐのが常識である。それが上手く出来ずチームの苦戦はやむを得なかった。

 だが、さすがはオリハルコン級冒険者チームであり、不利になっても連携を強め討たれるほど弱くはなかった。また侵入者は最小限に抑えている。それでも、時間が経つほど討ち漏らしの個体は増え、それが20体以上となっていた……。

 

「うおわぁあーーーっ、ビーストマンが現れたぞぉぉーー」

『『キャァァァーーー!』』

『オギャァ、オギャァ』

「た、助けてくれぇーーー」

「わーん、お父さん、お母さーん」

「まだ死にたくねぇぇぇーーー」

 

 婦人らに赤子や子供、男達と阿鼻叫喚が街路の夜陰にこだまし始める。

 街中にも守備兵達は大勢いた。しかし、難度の差が大きい上に暗闇に苦戦を強いられる。

 ビーストマン兵達の平均難度は30。街中に立つ農夫や漁師上がりの兵達は概ね6から12である。守備隊側の小隊長や騎士の者には難度30近い者もいるが、大勢(たいせい)は一方的であった。

 立ち向かった人間の兵達は全て殺された。その数は30分足らずで200名を超えてゆく。

 逃げ遅れ孤立した市民達も同様である。今日までの外郭壁外での散々と言える苦戦の憂さを晴らす形で、ビーストマン兵達による守備兵以外の無抵抗者への殺戮も起こった。

 また街へ侵入直後に奴等は、外郭璧を上へ登る階段脇に置かれていた篝火の幾つかを、木の柄ごと槍の様に傍の家々の中へと窓を突き破って投げ込んでいた。

 ほどなく建物から火の手が上がり、徐々に両隣へと燃え広がっていく最悪の展開。

 ビーストマン兵達の目的はあくまでも城門であった。跳ね上げ橋の機構部分を制圧し橋自体を下ろしての開門だ。それにはまず、都市内の市民達が大混乱している状況が理想である。なぜなら組織立った都市守備隊の行動がとれなくなるからだ。

 奴らの狙い通りに騒然が混乱を呼び、街中の一角が徐々に逃げ惑う人々の騒めきで溢れていく。

 その中であの老戦士は、外周壁を降りて少し歩いた篝火の明かりが置かれている袋小路の路地奥にあった井戸で水を飲み、その後は敷布を借りて井戸の程近くで先程から横たわっていた。

 だが勿論、状況的に眠れる訳も無い。そして周囲の異常な悲鳴も混ざる人々のざわめきが、敵の侵入を知らせてくる。

 

「いかんな」

「は、はい。これは、かなり入って来てますね」

 

 付き添いの若い兵との会話が凍った風の緊張感に包まれていた。

 井戸の周りのこの路地へも所狭しと、都市周辺から退避して来ている農民ら弱者の一般の民達で道は溢れている。

 そんなところへ、子供や赤子を連れた婦人達が30人程逃げ寄せて来た。

 街中の守備兵や男達が、盾や囮になって逃がしてきてくれここまで辿り着いていた。

 しかし、ここは袋小路であった……。

 殿には数名の男と槍を持った兵士が2名いた。

 返り血を受けている羽根付きの簡易兜をかぶった兵が苦い顔で叫ぶ。

 

「くそっ袋小路か。向こうの通りも……ダメだっ。――囲まれたかっ!」

「ちくしょうっ。いや、最後まで戦う……」

 

 私服で帽子に口髭のガッシリした男が暗い路地外の通りの奥を見ながら愚痴った。

 続けて口髭の男が、こちらへと振り返り叫ぶ。

 

「この路地にいる男達よっ、手伝ってくれ。クソッたれのビーストマン達がそこまで来ているんだっ。もう向こう側の通りは4組程の奴らの兵隊でどこも塞がれている、逃げ道はすでに無いぞ」

 

 その絶望的な知らせに、この路地内と周辺の建物の窓から顔をのぞかせる者達が騒然となる。

 

「あぁっ、なんだとっ!?」

「うおおお、ヤッてやろうじゃないかっ」

「冗談じゃないわーーっ!」

「キャーっ、だれかぁ」

「うわぁぁ、一体どうすればいいんだいっ」

「おかあさぁーん、うわーん」

 

 路地内には130名程が座ったり寝転んでいたが、今30名程増し敵を間近へ感じて動揺で一気に場が騒めき立ってきた。

 見回せばここは、4メートル幅の路地を出入り口に一つ持つ、左奥近くに井戸がある幅10メートル奥行40メートル程の空間が4、5階の建物の壁で完全に囲まれた場所である。

 建物の壁は垂直で、今から脱出するには皆が建物の中の階段を上がり最上階から屋根に出て逃げるほかない。しかし男は兎も角、小さい子供に赤子を抱えた婦人達が屋根に上がるのは難しいだろう。

 それにビーストマン達の方が――壁伝いで屋根側に回るのが早いはずであった。

 だがここで、ある建物の3階の窓から中年の叔母さんに見える婦人が告げる。

 

「うちの建物には、反対側の建物へ抜けられる扉があるよっ。婦人や子供達は急いで来な!」

 

 それを聞き、まだ文句を言いながらも、竜王国の男達はその場から次々と立ち上がる。勿論、時間を稼ぐためだ。未だ本格的に都市内の徴兵は進んでいない事もあり、ここで立ち上がった40名程は老若混じっていた。彼等は、身内でビーストマンに食い殺された話を聞かない者はいない。そして、常に男達が女子供を守って死ぬ話もだ。決死の考えの男達は、路地の家々の外にあった角材や、桑、斧などを手に入口の路地側へと集まり始める。

 それを見て、使い込まれた金属鎧を纏う老戦士の彼もゆっくりと身を起こす。もはや寝ている状況にあらずと。

 女子供達を守らずに、漢は名乗れない。

 彼が横になって15分は経っていた。しかし、病とは一度ある程度回復しなければ、まともに動けるものではない。

 

「むう……(まだ身体が動かんか)」

 

 鞘へ納まった剣を杖にし立ち上がろうとしたが、重い体がいうことを聞かない。

 すると付き添っていたまだ若い兵士が立ち上がり伝えて来た。立派な漢の顔で。

 

「あなたは、()()()()()()休んでいてください。――私が行って来ますので」

 

 どこから見ても彼は普通の兵士であった。

 それはビーストマンの強靭な強さに敵わないという事。近い終わりを自身も予感し彼の左手は小刻みに震えていた。でも彼は腰の剣の鞘へその手を添え老戦士へ別れの会釈をすると入口の路地へと堂々と走り寄っていった。

 老戦士は、兵士の漢の決断を黙って見送るのみ。自分の今すべき事は、少しでも僅かでも体を回復する事なのだ。

 無論今、赤子を抱える婦人や親と手を繋いだ子供達は、あの抜け道の扉があるという袋小路のやや奥めに在る建物の扉へ殺到している。しかし、抜け道が狭いのか、遅々として退避は進まない。建物の外には近隣の住人まで出て来て加わりまだ100名以上を数えていた。

 だが時間は、ただ無常に過ぎる。

 この袋小路から殆どの男達が、幅4メートル程の路地へと消えて2分ほどが経った頃。

 

「来たぞっ!」

「うぉぉぉぉーーー!」

「ギャアァァァァーーー!」

「ぐあァァァーーーぅっ」

「死ねぇーーーー! ガッ」

「いてぇーーー、右手を食われてるぅぅぅーーー」

「ぁぁぁあああーーーっ!」

「とあぁァァーーーーぁへッ―――」

 

 多くの者の決死や正に断末魔の絶叫が、突然のこと切れも交えこの袋小路へも伝わり大きく反響し響き渡る。

 だがそれも――僅かに3分ほどで途切れる。40名程いたはずなのに。

 一方的闘いの終わりを告げる様に、勇敢な男達であった数名の遺体の断片が路地へも転がって来た。

 そして身の丈がなんと3メートルに届こうかという大柄で虎顔の戦士が刃渡り1・6メートルという大剣を握り現れる。

 その大剣には人が串刺しになっていた――あの若い兵士であった……。

 虎顔の戦士は剣から邪魔な血を払うように、大剣を横へ払う。

 血飛沫(ちしぶき)と共にぐったりした若い兵士は袋小路の地面に叩き付けられ一度大きく跳ねると地を長く転がり壁際で止まった。

 だが、若い兵士はまだ剣を手放してはいなかった。握った手が、痙攣なのかまだ微かに動いている。

 もう彼が助からないのは分かっていた。

 袋小路の奥で胡坐をかき地に座る老戦士は、その光景について目を閉じ心へと焼き付けつつ、仲間達の顔を思い浮かべ呟く。

 

「みんな……すまんな」

 

 目を開いた彼は懐から小瓶を出すと栓を抜き、入っていた緑の薬を一口で呷った。

 

 剣のゴミを払った大柄で虎顔の戦士と続く獣兵ら14名は、一軒の建物へ殺到している下等な人間の雌や子供の集団がまず目に入った。

 先程から兵や雄達に邪魔され、取り逃がしてきていたので、思わず口を開けて柔らかい肉を思い浮かべ舌なめずりしニンマリとする。

 

「ハハハ。無駄な足掻きであっタナ。今かラ存分にブチ殺してくレルわ」

「柔い首をモいで紐を通し首飾りにデもしマすか?」

「ハハ、それも良イナ」

 

 無茶苦茶な事を言って余興の始まりだと奴らは楽しんでいたが、人間の雌達が逃げようとしているのは分かっているので、それを阻止すべく虎顔の戦士が歩を早めて突っ込んで来た。

 建物の入り口から引き剥がす為に、その部分に立っている赤子を抱いた裾の長い青い服のまだ若い婦人を目標にその圧倒的威力を持つ巨剣を振り上げつつ踏み込んでいく。

 

 それを見た老戦士は――すっくと立ち上がる。

 もう、疲労は感じない。痛みも感じない。そういうとっておきの劇薬であった……。

 袋小路の井戸傍の奥から虎顔の戦士の動きが見え、彼は一気に動き出した。

 虎顔の戦士が、赤子を抱いた若い婦人へ巨剣を振り下ろし始めた時、散り始めた婦人達の集団を大きく飛び越えて老剣士が若い婦人の前へと鮮やかに降り立つ。

 そして彼は、両手で鞘に納まる剣をガードとして掲げ仁王立ちの姿で、虎顔の戦士の巨剣の剛撃の前へ留まる。

 剛撃は構わず振り下ろされるが、それは見事彼に受け止められていた。

 その衝撃は老戦士の両足が僅かに足形を残し地へ沈む程の威力。だが、十分受け切っていた。

 

「―――なニィっ?!」

「隊長の剛剣がッ、バカなァ!?」

 

 見たところ、1名でたかだか身長170センチ程の人間の老戦士だが、自慢の剛剣を完全に止められ虎顔の戦士とビーストマンの兵達は大きく目を見開き驚くと思わず5歩程下がった。

 老戦士の彼は鞘から使い慣れた愛剣を抜くと、目の前へ居並ぶ虎顔の戦士らを強く鋭く睨み付けて言い放つ。

 

 

「我ら人間達の最期の輝きを侮るなよ、猫供」

 

 

 59年生きて見て来た人々の生きる輝きを彼は少しも忘れてはいない。

 先程の若き兵の姿も無駄ではないのだと。兵士の行動には心へ炎を滾らせる想いがあった。

 そして今、己の最期の輝きをそこに重ねていく。

 

 相手の人間の凄まじい気迫に、大柄の虎顔の戦士は巨剣を両手で握り込む。

 闘いの場となったため、奥に脱出扉のある建物の前から婦人や子供達と近隣の家の者らは袋小路の奥側へと退避せざるを得ない。

 つまり、この老戦士が負けると逃げ場はもう無いという事だ。

 100名程の命は彼の両肩に掛かっていた。

 

 その男へ仕掛けたのは虎顔の戦士の方であった。

 彼等には都市内の混乱を拡大させるという大きな役目が残っており、ここで時間を使うのは避けたい考え故だ。

 恐らく、後続のビーストマンの兵達も更に入って来ているはずで、手柄がそれだけ減るという事も焦りを生み出していた。

 虎顔の戦士は大剣を剛力で振り回してきた。

 それを、老戦士は熟練技が冴える剣の縦受け横受けで華麗に受け切っていく。

 だが敵の数は他に13体を確認している。

 その者達も、後方へ回り込もうと動きを見せた。

 回り込む獣兵に対し、彼は武技〈縮地〉を連発して、あっという間に3体を切り捨てる。

 とは言っても、多勢を相手に隙が出来ない訳も無く、特に大柄の虎顔の戦士は難度で50程と思われ、片手間で倒すのは中々難しい相手であった。

 

(せめて1分でも他のビーストマン兵達を足止め出来れば、奴へ専念出来るのだが……)

 

「戦士様がんばれーーっ」

「がんばってーーー!」

「頑張ってくださーーい」

「お頼みしますぅーっ」

「せんしさまーーーーーっ!」

 

 子供や婦人達から応援の声が上がった。

 先に彼が救った、赤子を抱く若い婦人も叫ぶ。

 

「みんなの仇をっ、あの人の仇を―――」

 

 老戦士の剣には皆の多くの気持ちが込められていく。

 

(……そうだな、ただ倒すのみ。全てのビーストマン達を――)

 

 老戦士は修羅と化す。

 大柄の虎顔の戦士へ、グッと踏み込み巨剣を払って奴を一度大きく引かせると、後方へと右から回り込もうとした7体を時計回りで一気に斬って斬って斬りまくった。

 武技〈連鎖斬〉――斬撃数は実に18撃。一切受けをしない斬撃のみを繰り出し続ける熟練技が可能にしていた。

 

「くソっ、何ダこいつハっ?!」

「ヤバイですぜ、ヤツはっ」

 

 一気に残り4名となり、ビーストマン側の気勢と優勢感が大いに後退していた。

 巨剣を握る獣戦士の視線が一瞬、袋小路の外へ繋がる通路側を見る。

 その行為へ、老戦士が猛烈に煽る。

 

「ふふっ、もう逃げる算段か猫の大将よ。――弱いな。あの若い兵士をはじめ、先の皆がお前達を前に誰か一歩でも下がったか? あいつら皆が命で稼いだ時間は貴重なものだ。儂がお前らを一匹でも逃がすと思うなよ」

「クッ。ヤれーっ!」

 

 虎顔の戦士の叫びに、両手へ斧を持ったビーストマン兵が老戦士へ切り込んでいく。だが老戦士は〈縮地〉で横を抜けながら相手の胴を大きく致命的に薙ぐと、残り3体へ再び武技〈連鎖斬〉を炸裂させる。

 斬撃数12撃に、虎顔の戦士以外の受け切れなかったビーストマン兵2体は絶命し倒れていた。

 血が(したた)る剣を強く握り、老戦士は背中越しに残った大柄の虎顔の戦士へ淡々と現実を伝える。

 

「あとはお前だけだぞ」

「………馬鹿ナ。人間如きガただ一人でコの短時間に、我らビーストマンを13名モ斬り倒したダと」

 

 虎顔の戦士もこのまま戻っては、仲間を全て死なせ人間の前から逃げ帰った恥さらしである。

 

「グフフっ、面白い。お前の首ハ食わズに塩漬けにしテヤるわ」

 

 両者は、自然と振り返り剣を構え合う。

 夜陰の街中の袋小路で僅かに灯る篝火が、両者の薄く長い影を地面に照らしている。

 筋二つ向こう側の街並みでは火の手が上がっており、僅かに焦げ臭い空気が漂う。

 街中は完全に戦場。

 そして、血の臭いが充満するこの場でも再び斬り殺し合いが始まる。

 大柄の虎顔の戦士は先程から一撃の威力に頼らず、剣の速度を重視していた。パワーで比類する者に、速度で劣れば勝ち目はない。

 本来ビーストマンの身体能力は総じて高い。特に近接戦でのその素早さと動体視力には定評がある。同難度の人間に対してであれば、確実に素早さで上回っていた。

 だがこの目の前にいる人間は、恐らく難度で一回り上の水準と判断し全速で応戦している。

 そのためか、20合近く打ち合っても勝負がつかずに過ぎた。

 両者は一旦離れ対峙する。

 

「……(流石に速いな、デカい体躯といい千獣長並みの強さか)」

「くっ……(今のコの俺に一撃も斬ラセないとは、こイつ人間の癖に。だが、早く倒さネば)」

 

 焦りがあったのはビーストマンの側であった。

 斬り結ぶ大柄の虎顔の戦士は、更に威力を落として当てに来た。また体躯の差を使い、多少斬られても人間側へのダメージを重視する形にも変わる。

 しかし歴戦の老戦士には、虎顔の戦士のこの考えが直ぐに読めた。

 覚悟の差というのだろうか。

 当てに来るという事は、腰が入っていない。一撃を放つ時、それは途中から容易に変えられないものだ。だから勝負はあっけなく付いた。

 虎顔の戦士の軽く浅い踏み込みの一撃に――老戦士が合わせて深く踏み込み渾身の一撃を下から斬り上げた。

 老戦士の左肩を狙った虎顔の戦士の一撃が当たることはなかった……。

 

 なぜなら老戦士の一撃が、虎顔の戦士の橙色の毛で覆われた太い両腕を、肘先から空へと切り飛ばしていたからだっ。

 

 また例え当たったとしても、腰の入っていないその斬撃は彼の鋭い踏み込みの勢いと鎧に弾かれていただろう。

 

「グぉぉーー、俺のウでッ――――」

 

 老戦士は、即時に返しの振り下ろす剣で無防備にした獣戦士の首を半分断っていた。

 宙に舞った大剣を握ったままの両腕がゴトリと地へ落ちてくる。

 腕と首から血しぶきを上げ、虎顔の戦士は重い肉の塊と化した巨体をゆっくり倒していった。

 

 老戦士は、静かに愛剣から血を一振りで払うと鞘へと納める。

 遂に彼は一人で凶暴に襲って来たビーストマン部隊を全員撃破した。

 この目の前での偉業の達成に、婦人や子供達と住民は大興奮する。

 

「すっげーー、戦士様ーっ!」

「やったぁぁぁぁーーーーーっ!」

「「戦士様ありがとうっ!!」」

「オギャァ、オギャァ」

「愛してるわよぉぉーーーー!!」

 

 泣く赤子を他所におばさんの投げキッスと大絶賛の嵐だ。

 振り返って苦笑う、髪の薄い哀愁漂う鎧姿の老戦士。

 しかし――今の彼は漢らしく間違いなく格好イイの一言であった。

 

 ふと、老戦士は自分の足元へタラタラと血が滴っているのに気が付く。初めは返り血かと思ったが、すでに薬により痛覚が感じられないため、斬られたかも不明である。だが軽く体を動かすが、バランスを崩す事は無く脇腹や筋が切られたという話でもなさそうだ。

 そして気が付く。下を向いた時に己の鼻からポタリポタリと垂れていることに。

 

(ははっ。あと動けるのは5分か半日か)

 

 先程の緑色の薬に明確な制限時間はない。

 動けなくなった時、それが薬の効力の切れる時。でももう役には立った、それでいいと。

 今は、婦人や子供達の退避が先だと考える。

 老戦士は鼻を手拭きの布で拭うと、急ぎ呼び掛ける。

 

「早く逃げてくれっ。ここはビーストマンの連中の侵入口に近い場所だ。すぐに都市の反対側へ行った方がいい! でないと恐らく、すぐに奴らが―――」

 

 

「―――その通り! あぁあぁ残念でしたね、御老体」

 

 

 

 悠然と語り、この場の英雄の声を遮る大きい声が、建物の上から反響と共に聞こえてきた。

 老戦士をはじめ、婦人ら皆が大きく見上げると、7体程のビーストマン達が入口の路地近くの建物の屋根上からこちらを見ていた。眉間の皺を更に深めた彼は、屋根へ立っていた美洲虎(ジャガー)顔のビーストマンを見て、聞いた声だと思い出す。外周壁上で体調を崩した直後に、剣を振り上げて襲って来たビーストマン兵であった。

 だが老戦士は先と違い、今は戦える。

 

「降りて来たらどうだ、猫共」

「ほう。――ん!? そこに転がっている大柄な我が同胞の躯は……五千獣長の御子息。まさか御老体が倒したのかっ?!」

「ああそうだが?」

 

 老戦士がそう答えると、屋根へ立っていた美洲虎(ジャガー)顔のビーストマンは、途端に(まばた)きを盛んにしつつ視線を逸らして告げた。

 

「私達は――先を急ぐのでこれで失礼する。ではっ」

 

 ビーストマンらは返事を聞くことなく踵を返し、足早に屋根を伝って離れていった……。

 これは恥ではない。目的ある転進なのだ。

 老戦士も呟く。

 

「奴は……デキるな」

 

 考えを切り替え、すぐに彼は袋小路奥に居る皆の方を振り返って、再度大きな声で告げる。

 

「――さあ敵は去ったぞ、御婦人達に子供達、近隣の者も急いで避難してくれっ」

 

 そんな老戦士は背中にふわりと生ぬるい風を感じた。

 彼の方を見ている婦人らから、「キャーッ、後ろー!」「後ろにー!」と急に悲鳴が上がる。

 彼は、後ろを窺う素振りをする前に、咄嗟に両手を曲げて僅かに屈み脇を守った。

 次の瞬間、老戦士は凄まじい衝撃を受け左側へと飛ばされ、建物の壁へ激突しめり込んだ。

 

「――ガッ、がはっ」

「やはりお前か。我が息子を殺したのは?」

 

 長さ2メートルを超える両端に棘部分のある金属の太い棍棒状の武器を構えた、鎧姿の老け気味ながら貫禄ある虎顔の獣兵が1体立っていた。

 その身長はなんと3メートルを超えていた……。

 老戦士はここで気付く。

 美洲虎(ジャガー)顔のビーストマンがこの場を直ぐに離れたのは、適任がいたからなのだと。

 

(く、油断した。甘かったな。右腕が……折れている)

 

 めり込んだ壁から老戦士は何とか這い出てきたが、絶体絶命である。

 今、配給の下級治療薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)を飲んだが、これはすぐにも完全にも回復しない……。

 相手の難度は60以上ありそうに思えた。

 そして不意を突き、最大の威力で先制打を当ててきていた。明らかに戦慣れしている。

 流石、何度か戦場で手を合わせ見知った顔である。

 当初6000名を率いて、この地へと攻め込んで来たビーストマンの国側の攻撃部隊長であった個体だ。今は副将の職にあった。

 

「今日こそは死んでもらうぞ、この都市で冒険者一番の戦士よ。息子を討たれて仇を取らない親はいないっ」

「くっ。己の時だけ都合よく怨敵扱いか? お前らのしてきた事を考えろ、この猫が」

 

 残る左手だけで左腰に差す剣を抜き構える。

 歴戦の老戦士は、当然左片手での剣も十分修練してきている。だが、困ったのは完全に折れた右腕だ。緑の薬のお陰で痛みはない。

 だが正直、ブラブラしていて邪魔なのだ……。しかし切り捨てる訳にもいかない。出血で数分しか戦えなくなってしまう。

 それに最大の問題は――万全でもこれまでに三度勝負がつかなかった相手である。

 このハンデで勝つのは、相当厳しいとの考えが頭の中で蔓延していく。でも今ここで負けることは、多くの尊い輝きを見せた命を無駄にしてしまう事になる。

 彼は大いに苦悶し震え、思わず初代王へと祈っていた。

 

(――――我らが王国、竜の神よっ!)

 

 すると……救いの手は、急に現れる――――。

 

 

 

「失礼しますよ。――はァッ」

 

 

 

 再び頭上から低く渋い男の声が、良く通ってこの場全体へと響いた。

 先程の感じから間違いなく建物の屋根上からの呼び掛けだろう。

 でも老戦士は、6メートル程前に立つ棍棒を握った老け気味に見える虎顔の獣将から目を離す事は出来ない。声の登場者は恐らく敵と思うが、獣将程の者ではないはずであった。老戦士は気配だけでの対応を余儀なくされる。

 続けて屋根から飛び降りて来た雰囲気。虎顔の獣将が僅かにそちらを見たが、ふと右片手で棍棒を水平に掲げ上半身を守る防御の構えをとった。

 いや――とっていたのだが。

 

 

 老戦士は見た。防御した太い金属の棍棒ごと、虎顔の獣将の頭がひしゃげ地面の下へと完全にめり込んでいくのを……。

 

 

 それはどう見ても、一般的に言う『踵落とし』である。

 ただそれだけなのだが――威力が段違いであった。

 建物の上からの攻撃というだけでは説明がつかない、周辺の大地が揺らぐ程の圧倒的なパワー。

 敵の老け気味に見えた虎顔で巨躯の獣将は、もう動かない。強引に膝を屈し上半身を地へと付けるようにして命の時間は止まっていた。

 

「大丈夫ですか?」

 

 漆黒のバトルジャケットを着る人間姿で白髪白鬚の男性は、獣将の大柄の躯へ気を残さず背を向け、老戦士の居るこちらへと静かに落ち着き歩を進めつつ涼しく尋ねてきた。

 それはこっちの台詞なのだが、袋小路に居た全ての者が固まっていた。

 

「……は、はい………………」

 

 老戦士は呆然とそう答えるのがやっとだ。

 白髪白鬚の男は、まるであっさりと、道で見かけた害虫をそっと踏み殺した程度の事――そんな雰囲気の物腰に見えた。

 確かに力量差から『象と蟻』の邂逅だったのかもしれない。

 

「セバス様ーっ、こいつだけまだ、生きてますけど?」

 

 突然、意識外の方向からの若い女声に、老戦士は緊張してそちらに視線を向けた。敵がまだいたのかと。

 いつの間にか視線の端には、漆黒の服を纏い武器らしき物を担いだ人間の女性が、あの壁際で転がる若い兵士の傍でこちらを向いて立っていた。

 

「では、助けてあげなさい」

「えー(ツツいて苦しむ断末魔を見届けずに助けるんすか?)……了解でっす。〈大治療(ヒール)〉っ」

 

 彼女は満面の弾ける笑顔で答え、魔法を発動した。

 路地に()()他の者は、酷いありさまでこと切れ10分以上時間が過ぎていた。〈大治療(ヒール)〉でも、そこからの完治は無理である。

 だが、若い兵士は仮死状態に陥りつつもまだ辛うじて心臓が鼓動を打っていた。

 それであれば一瞬の間に完治可能だ。

 周囲の闇の中で淡い光に包まれた若い兵士の左腹に開いた大穴がみるみる塞がり、全身骨折も治っていく――。

 

 

 

 

 治療魔法が終わって、やがて若い兵士は目を覚ますと敷かれた布の上で飛び起きた。

 

「大丈夫か、若いの」

「……戦士殿?」

 

 彼の周囲では鎧姿の老戦士と、婦人達に子供や住民らの十数名が心配そうに、少し焦げ臭い中で見守っていた。

 ここで、若い兵士は意識を失う直前の事を思い出し慌てて尋ねる。

 

「――あっ、敵は?! ビーストマンの、虎顔の――」

「安心しろ、皆討ち果たしたわ。すでに侵入したビーストマン共は外へ押し返しておる。それに奴らの副将が討たれて混乱し、今日はもう撤収気味だしの」

「ええっ!? それ……すごいじゃないですかっ!」

 

 あの状況から何をどうすれば巻き返せるのか。そういう単純な興奮と疑問が若い兵士に浮かび、彼は率直に尋ねる。

 

「一体どうやってですっ?」

 

 質問に対して、老戦士は困った風に答えた。

 

「――あーー、聖者が現れたとしか言えんなぁ」

「は? はぁ……」

 

 死に直面した者を一瞬で完治させる魔法――それぼどのものをあの時、老戦士は初めて見た。

 仲間でベテランの魔法詠唱者が言っていたのを思い出す。

 『第四位階魔法の〈治療(ヒーリング)〉が使えればなぁ』と。〈治療〉は戦傷において重傷もほぼ完治させ、仮死状態の者すら持ち直させると言われる最早奇跡の域の魔法だと。

 しかし、この若い兵士の後に、老戦士も若い女からの魔法治療を受けたのだが――傷ではない『病』といえる重い疲労感や劇薬による重度の後遺症までもが一瞬で完治していた。

 〈大治療(ヒール)〉――これを神業といわず何と言おうか。

 そういった大業を成した2名の聖者達は「それでは、失礼します」「おさらばっす! ああ、近くにいて逃げなかったビーストマン達は、30匹ほど退治しておいたっすから」と言って名も告げずに颯爽と屋根へ飛び上がると去って行く。彼等は行きがけの駄賃に「ふん」と拳圧で火事まで吹き消して。

 目立ち過ぎである……。

 

 あとで老戦士が確認したビーストマンらの躯の中に、あの美洲虎(ジャガー)顔のビーストマンがいなかったのは確かだ。恐らく逃げたのだろう。

 

 

 

「セバス様、どうしますー?」

「そうですね、ルプスレギナ。この都市には他と比べ構造上に弱点があるようですし、暫くここを拠点にしましょうか」

「了解でっす。適当な部屋を借りますねー」

 

 どうやら聖者達はまだ、この都市のどこかにいるようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仮面を被ったアインズが、王都のロ・レンテ城内ヴァランシア宮殿3階にあるいつもの宿泊部屋へと戻って来たのは午後3時半前頃のことだ。

 だが、その前に彼は一度ナザリックへと戻ったのち、再び外でアウラ達を労い、フランチェスカとシモベ達にも声を掛けていた。

 

 

 何と言っても今回は、ナザリック地下大墳墓がこの新世界へと転移して来て以来、最大の危険を伴う作戦(ミッション)であったからだ。見事に達成した者達を労うのは主の務めといえる。特に前線で指揮したアルベドを誉めてやろうと考えていた。

 〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉の黒き重甲冑姿を解き、いかした骸骨顔に漆黒のローブ姿のアインズが、〈転移門(ゲート)〉を使いナザリック地表の中央霊廟前へ現れると――すでにアルベド自らが出迎え跪いてくれていた。

 アインズは一瞬戸惑い、眼窩(がんか)に輝く紅い光点がまばたきの如く明滅する。

 どうやって今ここに現れる事を知ったのかが不気味だと……。

 

(忙しいアルベドが、ずっと待つわけはないよなぁ)

 

 彼女が第九階層の統合管制室で、仕事の傍ら『遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)』の最大望遠にて、王国北東の地でのアインズの行動を先程から20分ほど食い入るように見ていたことまでは気が付かない。

 アインズは「まあ偶然もあるか」と疑問を横へ置いて気を取り直し、アルベドの前まで静かに歩を進める。

 彼女は、穏やかな表情で目を閉じていた。しかし、期待からか……腰の黒いモフモフである翼を微妙にパタッパタッとさせている。近付くとその度合いが劇的に増した……。

 パタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタ――――。

 可愛いものである。それには今触れないのが思いやりだろう。

 

「お帰りなさいませ、アインズ様」

「うむ。……先に伝えておこう、アルベド。本日の働き見事であったぞ。流石は我がナザリックの守護者統括だな」

 

 アインズは跪いていたアルベドの頭を優しく――ナデナデする。

 頭を撫で易い位置へ置くための跪きでもあった。完全にアルベドの作戦通りである。

 ナデの瞬間、彼女の黒い翼は羽ばたきがピタリと止まって完全に伸びきり……痙攣していた。

 そして眼が全開し、軽く握られていた手もプルプルしていく。

 

(あぁぁ、アインズ様……幸せっ。よっしゃぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーっ! 撫でをもろたでーーーっ!!)

 

 彼女の心の中で、足を開き力こぶを作る形で盛大にガッツポーズが何度も行われていた。

 

「ありがとうございます」

 

 しかし、表面上では控えめに答えて淑女を装う。

 なぜならアインズであるモモンガ様が、自分への愛を設定へ刻んでくれたのは、彼女自身の清楚で貞淑そうに見える雰囲気の部分であると考えていたからだ。それを彼の為にも大事にし壊さずに守りたかった。彼女の設定は、創造主によりギャップ萌えの内容でてんこ盛りだが、絶対的支配者が望む姿へと少なくとも努力をし続ける必要はあると。

 漸く上げた彼女の顔の表情は美しく満面の笑みを浮かべていた。

 そして当然の様に、アインズの指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)をそっと差し出す。

 

「あの、アインズ様、こちらを」

「うむ。いつもすまないな、助かる」

「いえいえ(くふふっ、もうすっかり夫婦の会話だわっ)」

 

 アインズが、受け取った指輪を指へと嵌める動作を彼女はにこやかにジーーっと見守る。

 主の向けてくる優しい表情と言葉に、アルベドの最近の良い所の無かった仕事へ関するモヤモヤは、全て綺麗に流されて澄み切った()()()()()のみが心の中へ広がっていた……。

 

「では、中へ移動しようか」

「はいっ。それで――こちらでのご休憩は60分ですか、90分ですか?(やはり執務室奥の防音振動対策済の寝室で……熱く熱くっ。……シャワーをアインズ様が先でぇ、私が後から……キャッて)」

「ん。いや、休んでいる暇はないな。アルベドの気遣いには感謝するが。まず、第二階層へ行き、シャルティア達を(ねぎら)ってやりたい」

「(えーーーっ……焦らないで、ま、まだチャンスはあるハズよっ)あぁ、そ、そうですよね。参りましょう、直ちに!」

 

 勝手に持ち直したアルベドを伴うと、アインズ達は指輪により第二階層へと一気に足を運んだ。

 シモベの吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)から、アインズの来訪を伝え聞いたシャルティアは自室の死蝋玄室から急ぎ〈転移門(ゲート)〉を使い建物前へいつもの紫系の衣装で登場し、石床に御方へと跪き出迎える。

 

「ああ、我が君っ。お戻りをお待ちしていたでありんす」

「うむ。それにしてもこの度、敵との直接接触という危険な任務を見事に果たしたな。ご苦労であった。さすがは戦闘において守護者序列一位のシャルティアだ」

 

 アインズは真祖の彼女へ近寄ると、優しく頭の可愛く大きいリボンを避けて撫でてやる。その右手の一部が彼女の髪下の耳をもくすぐっていた。

 

「あぁぁ、何と気持ちよく、嬉しきや。あぁぁーーーーっ、我が君の御手は……絶品でありん……すっ。(――――っぁぁ)」

 

 そう言ってくれたシャルティアであるが、そのあとナゼか表情を見せず頭を下げたまま小刻みにプルプルしているだけであった。一瞬伸びきった舌が見えてたのは気のせいだろうか……。

 主は、何かオカシイ感じもしたが、その場を乙女としてアルベドがそつなく静かにフォローする。

 

「シャルティアは、余りの嬉しさに感じ()ってるようですわ。アインズ様、エヴァ達にも何かお言葉を」

 

 シャルティア以外に、作戦へ参加し遺体回収隊を率い偽装工作も行なった謎スライムのエヴァと吸血鬼の花嫁達も脇に控えていた。

 

「ああ、そうだな」

 

 アインズはそれらの近くへと数歩移動する。

 

「エヴァよ良い働きであった。これからも頼むぞ」

「…………(ハッ、御言葉有難ウゴザイマス)」

「うむ。横へ並ぶ他の者達もよくやった」

「ははーーーっ」

 

 この階層のシモベの中でも下位の吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達にとっては、正に神の如きナザリックの絶対的支配者である。

 言葉を直接貰うことは中々ない。そのために彼女達は凄まじく緊張していた。

 しかしそうでもない者が、その端へ新参のシモベとして膝を突く。

 アインズの視線が、そのナザリックでは見慣れないスリットの大きい黒き現実世界の大陸風の衣装装備を身に纏う者を捉える。

 

「……お前が()()()か? (おもて)を上げよ」

 

 その指示に応え、金髪ツインテールの少女が細い眉に涼やかな瞳の顔を上げる。

 

「はい。至高様へはお初にお目にかかります。本日、シャルティア・ブラッドフォールン様のシモベの端へと加えて頂きました、カイレにございます」

 

 アインズへも忠誠を誓ったが、あくまでも主はシャルティアである。その初期化当初と言える今の心の中は、ナザリック産のシモベ達とは忠誠心の純粋面で差があった。

 

「そうか。これまでの過去は問わん。シャルティアと私に尽くし我らナザリックへ貢献せよ」

「はい。シャルティア様より分けて頂きましたこの血に誓いまして」

「うむ。ところで、お前が身に着けていたスレイン法国の至宝に付いて、制限や性能面を聞きたいのだが?」

 

 スレイン法国の至宝、それは国家の最機密事項である。本来ならば死しても秘匿すべき内容である。

 しかし生まれ変わったカイレは、即頷く。

 

「はい、何なりと。私の知る限りの情報を提供させていただきます」

 

 それから10分ほど、アインズはカイレから至宝について情報の提供を受けた。

 攻撃対象は1回につき1体。

 対象は耐性や種族、難度(レベル)を問わない。

 使用時に使用者は難度3(1レベル)ダウンする。

 難度75(レベルで25)以上なければ発動できない。

 連続使用は使用者の魔力量と残レベル次第で可能。

 再使用までの時間は20分。

 最大射程は150メートル。

 使用者は、魔法攻撃(才能)が低い割にMPが異常に高いこと。比率で5倍以上。(能力表において魔法攻撃8程度の者がMP40以上ある等の特殊ケース)

 

 そして――支配効力は256時間、約10日半程である。

 

 効力が切れれば概ね敵対対象であり、その前に自身の体を壊させ自殺させるという。

 確かに考えれば、無期限有効なら世界中の強力なモンスターを支配下に置き、スレイン法国の戦力としてもいいはずである。

 それが出来ていないのだから、有効期間の制限や問題点も考えられるはずであった。

 実際、カイレは再度の難度引き上げには数カ月掛かり、継続支配は実現できなかったと発言。

 ただアインズは、クレマンティーヌから重要であるはずの至宝による支配有効期間について、報告を聞いていない。なので無期限有効か、とも考えていた。少しの期待外れ。

 語られなかった点から、彼女はたぶん有効期間の存在を知らなかったのだ。

 

 なぜ、クレマンティーヌは知らなかったのか。

 

 アインズにこれは納得出来た。有効期間存在の事実は明らかに至宝の『弱点』であるからだ。

 対象の身柄を確保し続ければ、やがて支配状態は解除されるという手が有効と分かる話。

 法国としてクレマンティーヌ……いや漆黒聖典にも隠していたのだろう。至宝を使って敵を支配下に置いても、恐らく効力期限がバレる前に「人類への脅威は早急に滅せよ」など理由を付けて不自然なく直ぐに殺させたのだ。

 さて、カイレの情報でアイテム効果は絶大だが、レベルダウンなど対価も少なくない事がわかった。

 ナザリックにおいても使用者選定はかなり難しい。

 特異な使用者制限もあり、使う場合は今のところやはりカイレが適任と思われる。彼女ごとの確保は結果的に正解であった。

 また彼女へ他の至宝と秘宝について確認したが、彼女自身で使用出来ない事から詳しくは知らず、以前クレマンティーヌが伝えてきた以上の情報は無かった。

 それも予想の範囲内である。法国としてこれほど危険度の高いアイテムを持つ者が、万一敵に回る可能性も考えれば情報の制限や遮断は当然だ。

 アインズでさえ、宝物殿だけは基本開放していない。詳しく知るNPCはナザリックでも当然口止めしてあるパンドラズ・アクターのみだ。

 

「なるほどな、良く分かった。カイレよ、何かあればまた頼む」

「はい」

 

 アインズからの視線が去った事を感じカイレは頭を垂れ、目と閉じた。

 

「アルベドよ。回収した至宝を私へ渡せ」

「はい、こちらです」

 

 静かにゆっくりと歩み寄って来たアインズへ、脇へ立って控えていたアルベドは自身で預かっていたアイテムを躊躇なく手渡す。もはや、彼女自身では使えない代物と分かったこともある。

 だがもちろん、奪取したアイテムを主へ渡して初めて今回の指揮官の任務の完全終了を意味すると考えていた。

 綺麗に畳まれた白銀色の生地の衣装装備に金の竜の図柄が見えていた。それを絶対的支配者は受け取る。

 

「ふむ。これは私自身の手で宝物殿へ移しておく」

 

 アインズは、新しく非常に貴重であるアイテムを手にし満足する。一時的にアイテムボックスの奥へと収納した。

 主の少し嬉しく見える様子にアルベドは、大任終了を安堵しつつ同意の言葉を伝える。

 

「はい、それがよろしいかと」

 

 一つ頷いたアインズは、シャルティア達への用を終えてこの後の行動を伝えようと口を開く。

 

「さて、次は――」

「――ご休憩ですか?(くふふっ)」

 

 アルベドが、豊満な胸の前で手を包み合わせ、頬を染め期待の表情で主の言葉へ被せるように尋ねてきた。

 シャルティア達への労いは終わったのだ。もう二人の時間はたっぷりと――。

 

「あ、いや、デミウルゴスやコキュートスのところへ行くぞ。作戦の基本案を出し、ナザリックを守っていた事を労わねばな」

「そ、そうですわねっ……(くすん。いえ、まだまだっ)、行きましょう!」

 

 カラ元気に半分声が裏返るもアルベドは負けない。今日は既に撫でを貰い悩みも消え気分が最高であるから、多少のことでは気にしないのだ。

 

「シャルティアよ、今日はゆっくりと休むが良いぞ」

 

 アインズは背を向けかけた去り際に、中々顔を上げなかった彼女(シャルティア)が、作戦での気疲れで疲弊しているのかと思い優しく声を掛けた。

 すると、漸く僅かに()()()()()()()シャルティアが恥ずかしそうに火照った顔を上げる。

 

「は、はいで……ありんす」

 

 しかし(ひざまず)く彼女のボールガウン姿の大きく膨らむ紫色のスカート中では、人知れず太腿が時折スリスリし共に内側へ妙に寄っていた……。

 加えて元々真っ白く美しい肌のため、耳元や首まで綺麗に赤くなっているのがよりハッキリと分かってしまった。

 それを見た、アインズが驚きに眼の紅い光点を強くし思わず心配になって歩み寄る。

 

「んんっ? シャルティア、熱でもあるのではないか?」

 

 NPCであり体調を崩す事はないはずなのだが、何かの突発的な異常が発生したのではと絶対的支配者は彼女の前へ屈み、右手を優しく背へと回して抱き、咄嗟に左手をシャルティアの額へと当てる。

 その愛しく尊い主からの献身性溢れる心配振りと密着の抱擁に加え、絶大なる謎のパワーを持つ御手の再タッチである。

 ある意味、先程から続いている嬉し恥ずかしといえる羞恥プレイ状況の果てに掴んだ思わぬご褒美で、シャルティアはついに――。

 

「――――ぁぁっ、我が君っ。あぁぁーーーーーーーィィっ!」

 

 カクリ。

 

 彼女は――極限の愉悦によりアインズの腕の中で満足し、幸せそうだと思える表情を浮かべ失神していた……。

 目と口を閉じておりとてもお上品であったことに、横で見ていたアルベドは「ふーん」と感心して冷静に眺めている。

 一方、さすがにアインズもシャルティアの声が可愛い嬌声にも聞こえていた。

 

「ど、どうした? シャルティア……?」

 

 しかし、原因(ネタ)や今のこの状況でか、とも思い半信半疑に困惑する。

 その時に、見かねたアルベドが間へと立ち入った。

 

「アインズ様、今日シャルティアはやはり少し疲れているようですわ。ここは私にお任せください」

「そ、そうか」

 

 アインズの向かいへ跪いたアルベドは、支配者から気を失うシャルティアの背を受け取る。

 いずれにしても、ここは女性のアルベドに任せるのが最適だと絶対的支配者は判断する。今日の作戦では、緊張した戦闘があり今のシャルティアの感情にいつもと差があった可能性も十分考えられる。

 なので今の出来事は引き摺らない方が良いと考え、支配者は立ち上がると足もとの守護者統括へそれを伝えておく。

 

「では、頼むぞ。この倒れた件、シャルティアが気にするようなら、無礼は無かったと伝え安心させてやれ」

「分かりました」

「さて、私はデミウルゴスのところへ行ってくる」

 

 笑顔のアルベド以下、エヴァ達皆の見送りを受け、絶対的支配者は指輪を使い第二階層を後にした。

 

 

 その直後、一瞬で笑顔を殺したアルベドは支えていたシャルティアの背より、パッと手を離す。と同時に立ち上がる。

 当然、バッタリ後ろへと倒れて真祖の乙女は後頭部を(したた)かに打った。だがこの程度はLv.100の者にとって当然ダメージにはならない。これは気持ちの問題である。

 そして見下ろすアルベドは、片膝を立てているがほぼ仰向けの真祖の乙女へ言い放つ。

 

「――シャルティア。ちょっと、どういうつもり?」

 

 非常に雲行きが怪しいと、機敏であるエヴァから、今日の作戦でも使用した無音での手先指示を受け、シモベ達はサーっと階層守護者の二人だけを残しこの場を退散していく。

 

「――んっ……もう。いい気分でありんしたのにィ……」

 

 まだ快感の余韻残る仰向けの乙女は、まだ太腿を少しスリスリしながら気怠げに薄目を開く。

 腰に手を当てて見下ろしているアルベドを視認すると、彼女へ反撃の言葉を送る。

 

「下の統合管制室で、我が君の様子をネットリとストーカーしていた者に言われたくないでありんすね」

「ちょ、ちょっとぉ。ストーカーだなんて。私はただアインズ様の安全を確認していただけよっ。それよりも一人だけズルぃ……コホン、失礼なんじゃないアインズ様の前で――楽しむなんて」

「これはっ、敏な耳まで触って頂けたからよ。完全に成り行きでありんすからね。偶然なのっ」

 

 しかし、アルベドは納得できない。

 あの戦略会議室の自身の時は、全公開風で()()()()()()()()()()()()()シャルティアとマーレに外へと連行されていったのだから。そのまま、第五階層の氷結牢獄の姉の部屋へと投げ込まれて……。

 

「私の時には2日も強制休養だったのにぃーー」

 

 アルベドの不満にシャルティアは依然仰向けのままで、掌を上へ向ける形でのパフォーマンスも加えて呆れる。

 

「そりゃそうでありんしょ? あれは我が君に対する暴力行為。筋肉ゴリラであるぬしお得意のね」

「何ですってぇ?」

 

 眉を怒らせカッと大きく目を見開き、肘を曲げて拳を握り込むと両肩へ筋肉が盛り上がらんとしたが、それ以上をアルベドは思い留まる。

 今は御方がナザリックに帰ってきているのだ。いつでも出来る口論に時間を食っている場合ではない。それに今日は、シャルティアの働きを少しは評価してやるべきと考える。

 かなり安全に目的のアイテムを入手できたのは、万一乗っ取られても短時間で消えて後腐れの無い『死せる勇者の魂(エインヘリヤル)』を使えたからである。

 だから先程も、微妙となった場の中へ入りアインズへ取り成したのだ。

 

「――ふん。今はあなたの相手をしてる暇はないわ。じゃあね」

 

 アルベドは、NPC達の中で唯一持つ指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を使ってこの場から消える。

 

「……あらん? 随分引きが早かったわね。まあ……助かったでありんすけど」

 

 主の趣味もまだ詳しく分からず妃の事も有り、やはり少し女の性へは慎重を期したい真祖である。

 アルベドが去るのを見送ったあと、シャルティアは冷たい石床から体を起こすとゆっくりその場へ立ち上がる。床には僅かにシミが少し広がっていた……。

 彼女は、周囲を一応確認すると――最後にスカートの中へと〈乾燥洗浄(ドライ・クリーニング)〉を密かに実行した。

 

 

 アインズが移動し現れたのは、ナザリック地下大墳墓の第七階層『溶岩』。

 見渡す限り一面はゴツゴツした溶岩で埋まり、高熱から放たれる地面の明かりで赤く薄暗い雰囲気が広がる。奥には小高く鋭い山も見える。気温は無論かなり熱い。当然、アインズは装備やアイテムによりほぼ影響は受けないが。

 中央の溶岩の川を挟み、その奥に立つ赤熱神殿が第七階層守護者デミウルゴスの居室のある建物だ。

 溶岩の川には、領域守護者の中でも最高水準の戦闘力を有する戦闘特化型NPCの紅蓮が潜んでいる。

 赤熱神殿は、一部がわざと崩壊した形の古代ギリシャ様式の神殿で、施された彫刻も最高級であり格調の高い趣きのある建物だ。

 アインズが歩を進め溶岩の川へと近付く。

 敵であれば容赦しない超巨大奈落(アビサル)スライムの紅蓮であるが、至高の主を迎え川から顔を出すと会釈をし、その体を伸ばしわざわざ30メートル以上の長い橋を作ってくれた。

 〈飛行(フライ)〉で上空をパスしてもよかったのだが、主として気持ちに応えてやる。

 

「紅蓮よ。では、通らせてもらおう」

 

 アインズは橋の中央を堂々と歩いて渡り、周りの光景を眺めながら少し歩くと赤熱神殿へとたどり着く。

 そこにはシモベから聞いたのであろう、既に神殿前へデミウルゴスと魔将軍らが跪いていた。

 

「これはこれは、アインズ様。この地へのわざわざのお越し感激でございます。お声を頂ければこちらから出向きましたが」

 

 アインズの種族の弱点に『炎ダメージ倍加』があり、炎や熱に対しての相性は良くない。

 そのため、この階層へ来ることは余りないのだ。

 

「私がこの世界への転移の直前に来て以来か。たまには、主として回らないとな」

「左様でございますか。ささ、中へどうぞ」

「うむ」

 

 アウラ達との第六階層でのやり取りがあるので、アインズは「邪魔するぞ」とは言わなくなっていた。

 神殿の奥へ通され、普段は使われていない至高の者達の会席していた広間に入る。

 見るからに重厚さが伝わる岩盤造りの上座の席へアインズが腰掛けると、その前に付き従っていたデミウルゴスが床へと跪く。

 

「今日ここを訪れたのは、先の作戦が上手くいった労をねぎらいたいと思ってな。デミウルゴス、今回も柔軟性のある作戦の基本立案、見事だった」

「はっ。お褒めの言葉を頂き有り難き幸せ」

 

 最上位悪魔は、口許に満面の笑みを浮かべ頭を下げる。

 ここで、アインズは尋ねる。

 

「デミウルゴスには先日も王都での良き働きがある。何か望む物はあるか? 可能なものであれば与えよう」

 

 アインズ個人としては、指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)が良いかと思ったが、本人の希望をまず聞いてみることにした。

 すると、顔を静かに上げたデミウルゴスが伝えてくる。

 

「では、ひとつ頂きたきモノがございます」

 

 絶対的支配者は内心で「ほう」と思うと同時に強い関心を持った。このデミウルゴスがわざわざ言い出すほどの物があることに。

 

「申せ」

「はい。それは――先日、パンドラズ・アクターがアインズ様より頂いたものでございます」

「ん? (なんだ? ……宝物殿のアイテムをアイツの傍に貸し出している事かな?)」

 

 アインズが、視線を僅かに左右へと漂わせてそんなことを考えていると、デミウルゴスは()()()に伝えてきた。

 

 

「あの者は、アインズ様から――頭を撫でて頂いたとか」

 

 

「―――っ?! (確かにマーレも見てたけど……どちらからか伝わったんだな。いや、今更詮索は意味がないか)」

 

 既にパンドラズ・アクターへ与えている事から、この場での言い逃れは無理に思える。

 配下の丸眼鏡が、彼の大きくする期待でキラリと光ったようにも見えた……。

 

「(……ええい、どうにでもなれぇ)……分かった。デミウルゴスのたっての願いだ、叶えてやる」

「ははっ、ありがたき幸せ」

 

 アインズは席から立ち上がると、忠臣の最上位悪魔(アーチデヴィル)へと歩み寄り、その後方へ靡く形であるオールバックの髪を、後ろへ軽く流す形でポンポンポンポンと撫でた。

 デミウルゴスはナデを直接受け宝石の眼をカッと見開き感極まる。

 

「……っぁ(こ、これはっ……想像をはるかに上回る、魔性の御手……でございます)」

 

 アインズは、10秒ほど褒美を与えると、問うた。

 

「これで良いか」

「はっ。格別なるご配慮にこのデミウルゴス、更に日々の貢献を胸に誓いましてございますっ」

 

 デミウルゴスの忠誠心は、正にエクストラモードへと昇格したかに感じられた。

 

「(そ、)そうか。期待しているぞ」

 

 アインズはその後、数分デミウルゴスと話を交わすと赤熱神殿の外へと向かう。

 ざっと話を聞く限り、やはりデミウルゴスは多くの仕事を抱えていることが感じられた。

 一応総量をアルベドと分け、彼女が同程度を回してくれているので大丈夫ですと聞く。しかし二人への負荷は相当であると改めて気付く。アインズがナザリック内部について殆ど任せ、外にいる事に原因があるのは明白であった。

 とはいえ、もとは凡人の営業マンに大企業以上である組織を円滑に回す事など難しい。

 ユグドラシルの時にはNPCを始め、配下達は単にゲームの駒であった。だが、今は全く違う。それぞれが意志と感情をもってバラバラに動く。組織としてしっかりした統率と管理が必要なのだ。

 

(格好だけではいけないなぁ。今度、下の大図書館で少し真面目に帝王学の本でも探して読むか……)

 

 今は忙しいが、寿命とは無縁の死の支配者(オーバーロード)である。時間は有るはずだと。

 先の事を少し考えつつ、デミウルゴス達に神殿の外まで見送られ、アインズは第七階層を後にする。

 

 

 絶対的支配者は、次に第五階層の『氷河』を訪れる。

 この階層は、概ね冷気ダメージと行動阻害のエリアエフェクトに覆われているのだが、維持コスト低減のためにこの時間は停止している。第七階層と交互に稼働させている形だ。

 勿論、ナザリック周辺へ敵が迫れば全力稼働へと移行する。

 

 アインズが階層フィールドへ出現すると、速攻でアルベドが近付いて来た。今は見通しが良いので直ぐにみつけられることもある。デミウルゴスの次はコキュートスを労うと聞いていたので、彼女は勿論先回りしていたのだ。

 

「アインズ様っ、こちらでお持ちしておりました」

「(うぉっ。他の仕事は大丈夫なのか……)そうか」

 

 突然の登場に内心驚くが、アインズは主らしく落ち着いて答えた。

 アルベドは、有能さを見せる臣下らしく先程の件について、早速最良の結果を報告してくれる。

 

「シャルティアの方はご心配なく。既に目を覚ましました」

「……色々任せてアルベドも忙しいのであろうな」

「いえいえ。まだまだ大丈夫でございます」

 

 アルベドは、気疲れを感じさせないニコやかに笑う余裕の表情で答える。

 ここで時間を取って、後ろへシワ寄せが来ようとも全く苦では無い。

 いや、今時間を空けずにいつ空けるのかという考えでいた。至高の御方と共にある時間の尊さは他に代えがたいもの。他の多少を放るのはココなのだ。

 

(今よ、今でしょ)

 

 どこでも誰でも愛には盲目なのである……。

 そうこうしていると、コキュートスの館へ着き、シモベの雪女郎(フロストヴァージン)を通して中へ入り、守護者の武人へと会ってアインズはナザリック防衛の労を労った。

 

「コキュートスよ。作戦中のナザリックの守備、大儀である」

「ハハッ。勿体ナキ御言葉」

 

 ここでの時間もあっという間に過ぎる。

 凍河の支配者とシモベ達に見送られ、アインズとアルベドはクリスタルの建物を後にする。

 遂に先の作戦に関しナザリックでの労いの件は終わったはずである。アルベドは『至宝奪取(エィメン)作戦』の指揮官。間違えようがない。

 確かにまだマーレが残るも今はまだ外にいるし、絶対的支配者配下の人間の女(クレマンティーヌ)の救援任務で、まだ当分は……ご休憩60分はいけるはずである。

 第五階層の風景を二人で眺めていたその時。アインズが口を開く。

 

「では、私は少し―――」

 

 この瞬間アルベドは、今度こそ確実だと考えた。『休憩』のニ文字が主から飛び出すと。

 だから自信を持って彼女は、晴れやかに口走る。

 

「―――ご休憩120分ですねっ?」

 

 時間が30分延長込みでサービス最大(マキシマム)に伸びていた……。

 だが痛恨である。アインズから出た言葉は違っていたのだ。

 

「いや。お前達の懸命なる働きを思えば、私に()()()()()()()()()な」

「――!?」

「これから宝物殿へ行って危険度の高いこのアイテムを厳重に仕舞ってくるつもりだ。アルベドも付き添いはもうよいぞ。仕事へと戻るがいい。私はこの後、マーレやアウラ達を労いに再び王国北東部へとゆき、また王城へ戻るつもりだ」

 

 大きく心に衝撃を受けるアルベドであった。

 

(そ、そんなぁ。貢献しようと働くほど、“ご休憩”無しだなんて……どうすれば)

 

 彼女はアインズの為に一生懸命働いている。しかしそれがここで枷になろうとは――。

 

「ではな」

「は、はい……」

 

 やっとの思いで返事を返し黄昏るアルベドを残し、アインズは宝物殿へと移動した。

 

 

 宝物殿の入口と言えるこの場所は、広く正十二角形の床面を持つ天井まで数十メートルもある黄金の巨大宮殿の大講堂内と思われる圧倒的空間。

 壁面全ての棚には天井までキラ星の如く遺産級(レガシー)以上伝説級(レジェンド)までのアイテム群で埋め尽くされ、その天井から一筋落ち続けるユグドラシル金貨の滝で中央には数多の下位アイテムも混じる金貨の山脈ができ、その下の床一面は兆を超える金貨で埋め尽くされた黄金郷の光景が広がっている……。

 アインズは、そこで〈道具上位鑑定(オール・アプレーザル・マジックアイテム)〉によってアイテムの能力を詳しく知ることが出来た。

 

 至宝は予想通り――世界級(ワールド)アイテム。名は『傾城傾国』。

 

 『傾城傾国』の性能は、先程カイレから聞いた内容を裏付ける内容であった。

 それは彼女の忠誠を物語る証拠にもなった。

 アインズは、もちろんこの為にカイレへ事前に問うたのだ。

 確かに、シャルティアによる血の支配力は絶大だが、アインズはNPCの設定すら変化を見せるこの世界では100%だとは言えない気がしていた。

 並みのシモベならどうでもいいが、万が一にこの世界級アイテムを使わせる者なのだ。慎重すぎても後悔することはない。

 なので今のところ、大丈夫というのが確認出来てホッとする。

 アインズは『傾城傾国』を収納するため、奥の厳重封印の武器庫へ進むべくホール真正面奥の高く幅広い『闇』の壁を見据え前に立つ。

 

(えーっと、パスワードは何だっけ……)

 

 先日アルベドがパンドラズ・アクターと初顔合わせした折に来て以来である。

 その際にもここを通る必要があり、一応事前にシズへ確認していた。

 シズ――CZ2128・Δ(シーゼットニイチニハチ・デルタ)は、ナザリックの全ての仕掛けと解除方法を知っているという設定のNPCなのだ。

 こういった点からシズはかなり重要そうに思えるが、漠然とした質問には答えず、回答もあの口調である。また指輪を持っていないことと宝物殿の秘蔵アイテムの知識も全くないため、単体での存在について他のNPCと同様と考え、アインズはナザリック外へも連れて出ている。

 その彼女に、先日アインズは自力で思い出したパスワードを確認し問題ないと使ったはずだが、今は長すぎてとっさにパスワードが出てこなかった。

 支配者は、とりあえず慣れた共通パスワードを語る。

 

「“アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ”」

 

 すると、Ascendit a terra――で始まるラテン語で80文字程の一文が闇の上へ漂う形に白く輝く文字で浮かび上がる。

 通常なら共通パスワードのみで解除されるが、この場所だけは大ヒントが表示された。

 それを見たアインズは思い出し、正式な長いパスワードを述べる。

 

「(あぁ、確か)――“かくて汝、全世界の栄光を我がものとし、暗きものは全て汝より離れ去るだろう”(――かな)」

 

 すると闇が一点に吸い込まれるように退き、奥への通路が現れた。

 そうして中へ進み、霊廟の更に最奥にある世界級(ワールド)アイテム保管庫までくる。

 棚はシースルーだが、いきなり手にすると大ダメージを受ける呪いのトラップがあり、多少緊張してパスワードを告げる。

 漸く棚へと手が届くようになった。ここの枠のサイズは可変である。それでもデカすぎて入らず玉座の間に置いてある物もあるが……。棚の総数は210。

 勿論見栄とは思うも、トップギルドが目指すものの一つとして、世界級アイテム制覇はあって当然である。

 その棚の一つがここで埋まった。アインズが『傾城傾国』を収納したのだ。

 ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』にとって12個目。保有数は過去最大となった。

 ユグドラシルにいた頃、途中で世界級アイテムを1つ奪われた時は、まだナインズ・オウン・ゴールの古き時代で、もっとも増えたのは1500人の討伐隊から巻き上げた時だ。あの時には一気に増えたが。

 

「うーん。やっぱりいいよなぁ。感慨深いものがあるよ」

 

 仲間達との事を思い出ししみじみと眺めていると、アインズの姿であったが素に戻っていた。気が付けば、10分ほど世界級アイテム保管庫を彼は静かに眺めている。

 だが、いつまでもここへ居る訳にはいかない。

 

 

 今は、ナザリック地下大墳墓のNPCやシモベ達すべてが、絶対的支配者アインズ・ウール・ゴウンである彼を待っているのだ。

 

 

「さて、行くか」

 

 再び、重々しい声で呟くと彼は、この場に背を向け歩き出し武器庫の外へと戻っていく。

 アインズは宝物殿を去る前に、アイテムボックスの中に忘れていた、クレマンティーヌから渡されていた『叡者(えいじゃ)額冠(がっかん)』を取り出し、壁の棚の一つへとそっと置いた。

 

 

 ナザリックの面々を労い終え、ヴァランシア宮殿へ帰還し室内に現れたアインズ。

 

「……(この天井付近の位置なら邪魔じゃないよな)」

 

 間に、ナザリック第二階層で()()()を食べようと上がって来ていたエントマに会って指輪を渡し、王国北東部でアウラ達も労った後である。

 時刻は午後3時半前頃。

 この時、支配者は〈転移門(ゲート)〉ではなく、不可視化した状態での〈転移(テレポーテーション)〉による宿泊部屋帰還であった。〈転移門〉は確実だが〈伝言(メッセージ)〉による事前確認と、目立つという部分があるため、この時は〈転移〉の方を選択した。

 不可視化し〈飛行(フライ)〉するアインズが室内へ現れた際、丁度ツアレが窓拭きを終え、居室内から奥の家事室へと移動し始めた時と重なる。ルベドとソリュシャンにシズは、一瞬で大切な主の登場に気が付いたが、ツアレがまだ居るため視線だけが左右へと泳ぐ。

 

 一応、ツアレには未だアインズの替え玉の件を伏せていたからだ。

 

 支配者としては、密かに身近なところで、ルベドやプレアデス達の人間世界での対応力を継続して磨く狙いもある。

 ソリュシャンは、手ぶりでユリとナーベラルへ知らせた。

 しかし今、突然ツアレの移動を急かすのは不自然であり、ここは見守るのが最良と判断する。とはいえ全員の口は、完全に止まっていた。

 やがてすぐ、ツアレが奥の家事室側へ入り扉を閉めた。

 たちまち替え玉アインズ役のナーベラルが不可視化し、仮面のアインズが隅から移動し床へ降り立つと不可視化を解除する。そしてソリュシャンらが整列すると、小声での主のお出迎えがユリの声で起こる。

 

「お帰りなさいませ。作戦成功おめでとうございます、アインズ様」

 

 ルベドをはじめ、不可視化のナーベラルも壁際で皆が揃った笑顔での礼で迎える。

 

「うむ。こちらは変わりないか」

「はい、特には」

「そうか」

 

 (あるじ)の満足そうな言葉のあと、ユリが申し訳なさそうに伝える。

 

「ただ……あのぉ、戦士長様が昼食会のあとで馬車に轢かれました……。申し訳ありません、私の不注意でした。怪我は無いのですが」

「はぁ? ……んーまあ、怪我が無かったのは良かったが。今後は注意しておくように」

 

 アインズはユリの話しぶりから、ふと現実世界の感覚で稀にある、少し身体が接触した程度に軽く感じていた。だが実際には、重量のある荷馬車で思いっきり胸の上と片腕両足を踏まれたのだ……それでもLv.27の身体は頑丈と言えた。

 肝心の食事会については、戦士長になるまでの話をガゼフから聞いたという。

 

(そうか……、戦士長はまず自分の過去話でユリに興味を持ってもらおうとしたんだなぁ)

 

 ガゼフの強引ではない正攻法の努力に、アインズは理解を示す。何が上手くいくかは分からないのが他者との関係といえる。

 食事会第二弾もあるという話なので、引き続き黙って見守る事にする。

 ユリとの会話のあと、アインズはいつもの一人掛けのソファーへと座り、まず落ち着いた。

 彼は間を置かずに、いつもの声で口を静かに開く。

 

「さて――」

 

 実はアインズには――まだ働きを(ねぎら)うべき者が一人だけ残っていた。

 

 

 そう、ルベドである。

 

 

 アインズの描く『プレーヤーを呼び込む大作劇舞台』の敵役のトップである竜王の護衛を任せていたのだ。

 漆黒聖典の隊長が負けたと速報は聞いたので予定通りだが、意外に責任の大きかった役目を彼女は難なく無事に務め終えていた。

 正直、ルベドを除けば力量的に階層守護者級でなければ厳しい相手であったように思う。だからまず、この可愛いNPCを褒めようと考えたのだ。

 腰へ届く長い艶やかな紺色の髪と、大きい胸を時折弾ませる白い鎧装備を纏い、最上位天使として神聖さの溢れた立ち姿。

 だがアインズの考えに対し――動きは彼女の方が早かった。

 

 ニコニコの表情で主の膝もとへ可愛く縋っての、ルベドのその衝撃的な報告の言葉が、支配者の『大作劇』の屋台骨を直撃する。

 

 

 

「アインズ様っ、竜軍団の竜王って――姉妹だ。仲良し姉妹は揃ってるのが一番、ねっ」

 

 

 

「(なにぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーっ!!!?)……」

 

 驚きのため強烈に全開した骸骨の顎で、思わず仮面が外れそうになった。

 アインズの(くつろ)いだここでの時間は一瞬で吹き飛ぶ。「ねっ(笑顔)」ではないっ。オシマイである。

 話が急過ぎる上に、彼にとってはとんでもない話であった。

 支配者の計画では、苦戦する人類国家を助けるプレーヤーをまんまと呼び込んだあとに、竜王一派を倒し『アインズ・ウール・ゴウン』の名を高らかに周辺世界へと広めることなのだ。

 そこへ、ルベドの希望は『竜王の保護』と言ってきた……。

 現在のアインズ周辺の状況は、完全に竜軍団が王国や法国ら人類国家にとっての敵である。

 竜王を保護するという事、それは。

 

 絶対的支配者の計画を含め現状を全て投げ捨て――人類国家との敵対か。

 一方でルベドの願いを払うということは――最強のNPCとの敵対か。

 

 絶対的支配者はここで、重大で難しい二者択一を迫られた。

 今日の昼の作戦、『至宝奪取(エィメン)作戦』が新世界転移後でナザリックにとって最も危険な……という話であったが、それは『今だろ』という事態になっていた……。

 しかし、仮面の中で赤き(まなこ)の光を落とすと、彼は呟くように即答する。

 

 

 

「――ダメだな」

 

 

 

「「「――っ!?」」」

 

 ルベドの笑顔が口を僅かに唖然と開けた表情で固まっていた。同時にその他の者達も。

 あの圧倒的強さを誇るルベドの願いである。姉妹の絆を大切にし拠り所の一つとするルベドの考えを支配者は却下した。

 

 場へ、異様に張りつめた空気が漂い出す。

 

 アインズを守る為に、ユリは一瞬で戦闘メイド服姿へ変わると、ソリュシャンとシズへ素早く目配せした。頷く妹達。壁際のナーベラルはナザリックへ「〈伝言(メッセージ)〉――」と繋ぐ。

 勿論攻撃は、同時に3名掛かりでだ。ところが今、ルベドは御方の足もとに密着していた。

 絶体絶命――。

 その中で、栄光のナザリック地下大墳墓の主として、ユリへと左手を挙げ『待て』の意志を伝えると静かにアインズは語り始める。

 

「ルベドよ、それは出来ない」

「……どうして?」

 

 ルベドの声を聞きつつ、アインズとしては内心でドキドキの苦渋の選択である。

 

「改めて問おう、ルベドよ。お前は、自分の言っている事が分かっているのだろうな? 私にも出来る事と出来ない事がある」

「……」

「ナザリックへの害の無いものなら、私もお前の(ささ)やかな希望は叶えてやりたい。ただし今回は、そうではないだろう?」

 

 アインズはただ静かに問う。

 

「よいかよく聞け。この王都へ竜王軍団が攻め寄せて来た時に、王都内の私の屋敷と私の保護するあの三姉妹達はどうするのだ? それをお前は見殺すのか? あのカルネ村もだ」

 

 そう、ルベドの願いには大きい矛盾点が存在したのだ。説得するのは難しくないとアインズは自分の考えに賭けた。

 今のところ、ナザリックの者達から異常に戦闘力の強いルベドへ対して、主が引いているのではないかという明確な考えはまだ起こっていない。だが、このままでは何れ権威に陰りが見える可能性は否めない。その芽は早いうちに摘むべき必要が、絶対的支配者の宿命として有った。

 これはナザリックの支配者として、ルベドも含めた配下の誰であろうと断固跳ねのける事があるという主の意志を示す見せ場だと思いアインズは臨む。

 彼は今、力での制御が難しいルベドに対して、言葉で押さえつける機会を得ていた。

 それでもこれは賭けの部分も大きい。

 ルベドが完全に拒否し、離反すればナザリックにとっては致命的にもなりかねない事態も考えられるのだから。

 しかし、普段からルベドを見ていると、彼女は優しく属性通りに髙い『善』者である。

 

 ギルドマスターとして、これは――絶対に勝つと信じていた。

 

 主からの強くて正論を含む言葉に、ルベドは言い澱む。

 

「……それは……」

「ここでお前にはっきりと問うぞ、ルベドよ。竜王の姉妹と私と、どちらを選ぶのだ?」

 

 ルベドとアインズ、両者の視線が密着した体勢の至近距離で交錯する。

 でも、彼女が考えた時間は僅かに20秒程。

 そして主を持つ当然の答えを最上位天使は選ぶ。

 

 

「………アインズ様」

 

 

 結局ナザリックで最強の戦闘力をもつNPCのルベドが折れた。

 アインズの、ルベド相手に一歩も引かないその驚愕の成り行きの全編を、間近でユリら戦闘メイドプレアデスの面々はハッキリと見た。

 

「「「……(流石はアインズ様―――お強い、カッコイイっ!!)」」」

 

 ルベドは、腰掛けるアインズの腰へと手を回して可愛く身体を預けて抱き付いて来ていた。パタつくモフモフである純白の翼の先が、アインズの顎下を時折くすぐる。

 詫びに甘えるルベドの頭を主は優しく撫でてやる。

 心を持つNPCを信じたアインズの大勝利と言えた。

 

「(助かったぁ……)……ふむ。お前の私への忠誠心はよく分かった。今日の作戦でもルベドは良い働きをした。それへ応えるため、私も出来る限りの手を回そう。――評議国を動かすぞ」

 

 アインズとしては、竜王と戦わないのは無理だが、殺さないことは可能に思えた。状況としては竜王を半殺しにし、評議国側が撤退の意志をもって軍団を引かせれば、アインズの名声を高める計画に問題は無い筈と考えを巡らせる。

 アインズは余裕の雰囲気を漂わせ、この場で静かにそう宣言する。

 顔で笑って心で泣いて。ルベドの顔も立ててやるのが真の名君だろう。

 だが支配者は、ここで大きい問題に気付く。

 非常に残念な事に、今王国で名声上げをやっているのは、アインズの独断である。

 忙しいと考えるデミウルゴスやアルベドへ情報が微少である評議国を動かす知恵を、今から頼む訳にもいかない事をここで思い出した。

 

(うわぁっ、どうしようーーっ)

 

「嬉しい……アインズ様にお任せ」

「おうっ」

 

 ルベドの、主からの一杯の撫でに頬を染める乙女の顔で告げられた言葉に、アインズは思わず勇ましく答えてしまう。

 だが、どうすれば。

 仮面の中で彼の紅き光点の視線が、グルグルと巡る。

 ここでふと、アインズの脳裏へ鮮烈に一つの煌めきが起こった。

 あのデミウルゴスやアルベドをして危険人物と言わしめた一人の王国の才女を思い出したのだ。

 

 

(―――そうだ、ラナーがいたっけ)

 

 

 なぜかどこかに『いよいよ』という雰囲気。

 相手が竜王軍団に留まらず、アーグランド評議国へも広がりを見せ始める。

 『黄金』とも呼ばれる思考の魔女を軍師に巻き込み、アインズの戦いは草原に広がる野火の様に一気に拡大を続けていく予感が一瞬漂う。

 

(気のせい、気のせい。だよなぁ、そらそうダよ)

 

 もしそうなった時、火中へ取り残されて焼け死なないように、彼は出来るだろうかという不安を残して……。

 

 

 

 奥の家事室の扉が丁寧にゆっくりと開く。

 お茶セットを乗せたワゴンを押して出て来た、もうすっかりゴウン家のメイドらしいツアレが、窓際のテーブル席へ優しく穏やかに皆を誘う。

 

「あの、アインズ様、皆さん。お茶にしませんか?」

 

 王都遠征組の今日の夕刻前は、こうして平和に過ぎていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナザリックの面々で某『至宝奪取作戦』の行われたこの日、遂にバハルス帝国のリ・エスティーゼ王国内への対竜軍団派兵が秘密裏で開始された。

 帝国へ脅威の侵攻が伝わり、僅かまだ4日目での対応行動である。

 日頃より即応態勢について訓練整備されていた騎士団員と作業兵らは、24時間体制での装備や軍馬に車両、食料の準備を行い瞬く間に編成と駐屯敷地内での行軍予行までを終えていた。

 精鋭騎士騎馬隊の総勢は、主力騎士5000に輜重隊も精鋭騎士で、1000を加えた6000騎。

 彼等を帝国八騎士団の6名の将軍らが率い、歩兵ゼロという騎馬と戦車、荷駄馬車のみで最終編成された特別高速機動軍団である。

 魔法省開発部からも試作段階ながら、最新の対空魔法兵器も戦車上へ20台以上設置し、突貫であるが騎士達の装備も全て衝撃と火炎に対し効力が急遽付加された鎧で揃えられていた。

 フールーダ・パラダイン率いる強襲魔法詠唱者部隊100名に先んじる形での出発である。

 その前代未聞の騎馬隊は、昼を少し過ぎた頃より帝国各地から分れて順次出撃する。

 彼等の身形は驚いた事に『商人』。

 王国にて急遽大量に必要となったという馬や鎧を運ぶ商人並びに使用人らとして、50名単位程に分れて120組の移動で行軍を実現した。戦車にも上部へ布が掛けられ、外した鎧や剣などの荷も木箱で積まれて荷馬車風に偽装されている。

 それでも普通は、王国各地の領主らの領地内通過時に不審を持たれる可能性があった。

 だが、この行軍を手配するのは皇帝側近のベテラン秘書官ロウネ・ヴァミリオン。彼は、リ・エスティーゼ王国内の内通者である六大貴族ブルムラシュー候爵派閥の各地の貴族達のいくつかにも素早く接触したのだ。普段から連絡を取る彼等領主へ早馬で予定進路上の順次領地内通過や水に食料、野営滞在といった配慮を軍団に先行する形で今も取り付け続けている。一部では王国の剣や弓矢等、消耗品について補充の約束さえも金貨の大袋で交わしていく。

 通過等の交渉工作費用は少し嵩むが、皇帝命令で採算は度外視であった。

 

 

 

 このようにバハルス帝国では、まずその戦力をもってリ・エスティーゼ王国に侵攻中の竜軍団撃退に動いていた。

 しかし続報で、隣国北西の大都市エ・アセナル内が既に炎上し甚大なる被害が出ていることも伝わってきた。経済的にも衝撃的である話は当然、巨万の富の中で生きる帝都の商人達を中心に帝国全土へと急速に広がっていく。

 その余波として、例の『王国辺境の小村にいるモンスター討伐』についても延期となって現れていた。もちろんこれはフールーダ自身が現地へ行けるようになったからであるが。

 延期の話については、希望したワーカーチームが幾つも依頼元のケーオス商会帝都支店へ参加希望を伝えに行って事情を伝えられたという。

 それを伝手で暗殺集団“イジャニーヤ”も知ることになった。

 

 帝都アーウィンタール内の北端に位置する、少し薄汚れ気味な闇の漂う街並みの中へ建つ建物の一室。彼女らは、居場所を一時的に情報を集めやすい中央へと移してきていた。

 爺と呼ばれる体格のいい白髪に白鬚で眼帯を付けた男から、椅子へ腰かける頭領のティラは聞かされる。

 

「ほう、延期だと?」

「はい。聞いた話によれば、報酬の資金繰りが付かなくなったと」

「……ふん。確かに今は竜軍団出現の話の方がワーカー達にも魅力的だしな。腕利きが集まらんよな。まあ肝心の金が貰えずだと皆、興味をすぐ無くすし危ない橋も好んでは渡らん。変に勘繰られず後腐れなしと」

「ですな」

 

 ワーカー達の求める最大のものは、やはりお金である。目的を無くせば興味が無くなるのは道理。

 しかし流石に、その上の水準の話でティラの所へ来ていた、辺境小村の人さらいについて金貨3000枚での依頼がどうなっているのかまでは掴めていない。

 今、部屋の隅の壁へもたれて立つ腰に刀を帯びた紺の髪のチャーリーを名乗る男も戦力として居る事から、試しに受けてみるのも悪くないと思っていたが、風向きは変わったように思えた。

 ティラは一度目を閉じる。

 

(まあ、なぜか余りチャーリーは乗り気じゃなかったしな)

 

 彼としては当然だ。万が一の怪物(ブラッドフォールン)との再会は御免被るのは当然である。

 場数を踏んでいる者達の直感は無下に出来ない。彼女は頭領としてゆっくりと目を開く。

 

「……この件は一旦見送る。それより今は竜王(ドラゴンロード)の率いる軍団の動きが気になるな」

 

 一大国家の帝国すら怯えたように、暗殺集団“イジャニーヤ”としても、他人事ではない。

 組織としての資産の多くが、この帝国内にあった。帝国の存亡はティラらにとっても重要ごとなのだ。

 頭領の考えを受け、ここで爺が尋ねてきた。

 

「では、中央から竜軍団への対応要請があった場合は動かれますか?」

「そうだな。我々にとっても最優先事項だろうな」

 

 しかしもちろん、タダで動く気はない。ここはまず要請を待つのが得策だ。

 それは長年の職業柄、爺も心得ている。

 

「畏まりました。中央から話があり次第、報告いたします」

「うむ。(……王国内にいる姉妹達はどうする気だ)」

 

 ティラの頭の隅へ、そういった思いがふと浮かんでいた。

 

 

 

 

 帝都内にて時を同じくする形で、『王国辺境の小村にいるモンスター討伐』の延期を語る者達がいた。

 場所は、見事に石畳で舗装された大通りから一つ脇に入った、それなりに賑やかな所へ建つ『歌う林檎亭』というワーカー達の定宿となっている中々設備の良い店だ。

 その一階の酒場兼食堂の中のひと席に座った3名の中の金髪で日に焼けた一人(ヘッケラン)が、同席する全身鎧(フル・プレート)の上へ聖印の描かれたサーコートを着ている男(ロバーデイク)からの話を聞くと、目を閉じ顔を上げ残念ぶる表情でボヤく。

 

「かぁーっ。そうか延期かぁ。良い稼ぎだと思ったんだがなぁ」

「そうよねー」

「店の担当によれば、竜軍団の出現で商会の総売上が予想を全く確保出来なくなりそうで、報酬の予算どころじゃないそうだ」

 

 そう告げたワーカーチーム『フォーサイト』のメンバーの一人であるロバーデイクは、自身も少し残念そうに椅子の背へと背中を預けるように上体を倒した。

 ヘッケランも残念がるが相槌を打つ。

 

「まぁ、数日の竜軍団の攻撃で隣国の50万以上の人が住む大都市が半壊したって話だからな」

 

 実際の情報は『たった一晩で壊滅した』というものだが、帝国情報局によりその部分については余りに衝撃的過ぎると公表されていない。

 とはいえ大都市の持つ経済力は想像を絶するほど巨大だ。それほどの消費市場が大きく打撃を受ければ、商売が傾くところも出てきて当然である。討伐延期の理由に疑うところはない。

 3人の話は早くも、その先に進んでいく。

 

「でも、どうするの、リーダー?」

 

 細身の両肘を卓上へ突き両手に顎を乗せたイミーナが、竜軍団への対応を確認してきた。

 

「んー。相手が相手だしなぁ」

 

 対するヘッケランの口許は少し渋い。

 ワーカーの間で、今一番の話題は全国の冒険者組合()へ帝国政府から出された告知だ。

 

『竜軍団の撃破又は撤退までに、竜1体討伐の報酬として金貨400枚。指揮官の竜を討った場合は数倍の報酬を約束する』

 

 冒険者達の所属には決まりがあるが、モンスターの所属には縛りはない。

 狩場については、王国内だろうが帝国内だろうが評議国だろうが、(ドラゴン)は竜として扱われる。

 そして今回のお振れは――商工会にも出されていた。

 つまり、ワーカー達も大いに該当する話といえる。

 ある者は商人から依頼される場合や、極論、自前で商工会に登録する事もありうる。

 竜もピンキリのはずである。1体で金貨400枚ならチームでも3年は遊んで暮らせるだろう。

 でも『フォーサイト』のメンバーは、先日珍獣狩りで金貨800枚以上を大稼ぎしたばかりであり、約1名を除き懐は満杯と言える状態だ。

 なのでここ数日、彼等はのんびりしていた。今も机の上には、2つはワインで1つは林檎水の入ったジョッキと干し肉が置いてある。

 今日は、早くも懐の金貨が5枚程に減ったその1名が、この店にやって来るという。

 

「大変よねぇ――アルシェ。親の借金に妹達を引き取って、新しい使用人も一人雇ったんでしょ」

 

 イミーナの言葉に他の二人が頷く。

 これまでの付き合いがあり、懐も温かい今、三人は其々が無償で金貨10枚ぐらいなら融通してもいいと思っているが、アルシェ自身からはそういった話は一切ない。

 あれは、加入時から元々しっかりした強い娘である。

 だから3名とも、仲間へのおせっかいは何時でも出来ると、今はじっと見守っている状態だ。

 アルシェはまだ『フォーサイト』を抜けた訳ではなかった。流石に急すぎる話であり「新しいメンバーが見つかるまではいます」と告げていた。

 ところが「そうか」とアルシェへ答えた他の3名に、新しいメンバーを探そうという考えは全くなかった。

 理由はふたつ。まずアルシェ程の能力と気の合う者を探すのが難しい現実。そして、今ワーカーをやめても十分と言っていい資金があったからだ。

 

 そのためワーカー『フォーサイト』は――アルシェの為に、儲け度合いがいい案件のみを探していた……。

 

 今回の延期になった案件は、冒険者でミスリル級チームに匹敵する4人の実力を考えれば、難度60以上でも1体あたり報酬金貨150枚は悪くないと考えたのだ。

 応募に5チームぐらいは参加するという話であったし、複数のモンスターに囲まれなければ十分対応出来る内容とヘッケラン達は判断していた。

 実際には地獄であり――結果的に話が流れて良かったのだが……。

 アルシェの事を3人が色々思案していると、その彼女が今日ここへ来る理由の人物が現れた。

 

「お嬢様がお世話になっております。私、フルト家で執事をしております、ジャイムスと申します」

 

 紺色系の服を着る身形の良い物静かな老紳士はそう挨拶してきた。

 

「どうも。本人はまだ来てませんが」

 

 先日唯一顔を合わせ、話を聞いているヘッケランが席を立ち、仲間の客人を別のテーブルへと招く。

 

「少し早く着きましたので」

「もう来ると思いますよ。こちらで待っていてください」

「そうさせて頂きます」

 

 執事は会釈すると勧められた席へと掛けた。

 実は、フルト家ではジャイムス他、誰もアルシェの新居の場所を知らなかった。

 アルシェが妹達の世話を見てもらう為に雇った使用人の娘は、フルト家に全くゆかりの無い新規の者であった。

 当然の処置ともいえる。アルシェに抜かりは無い。

 彼女は、ジャイムスにだけ連絡場所としてこの店を指定していたのだ。

 そのジャイムスから2日前に連絡を受け、今日会う事になっていた。

 そして、3分ほどするとアルシェが現れた。

 

「あ、来ていたのね。待たせた?」

「いえ。少し前に来ましたので」

「そう。何か飲む?」

「いえ」

 

 アルシェは、立ち上がっていたジャイムスの席に卓を挟んで向かい合う位置へと座る。

 着席を見てから執事は座った。

 

「それで、どうしたの?」

 

 早速本題を切り出させるアルシェ。

 すると、一度周囲を見回してからフルト家の執事が静かに告白する。

 彼は給料だけをもらう只の使用人ではなかった。既にしっかりした考えのアルシェをフルト家当主と考えていたのだ。

 

「大変でございます。実は先日、とある裕福な伯爵家より1通の書簡が参りました。旦那様がそれをご覧になったのですが、酷く興奮されて……。内容がフルト家の再興に関わるものだったのです」

「えっ?」

 

 予想をしていなかった話にアルシェの目が大きく見開かれる。

 彼女とて、貴族の長女としての血が流れている。御家再興は、もちろん叶うなら叶えたい話であった。

 そのためなら、己の婚姻も自由に父が決めて貰っても異存はないほどに。

 しかし、直後に執事から告げられた事実に衝撃を受ける。

 

「その条件ですが――クーデリカ様とウレイリカ様を……伯爵家お世継ぎ様の……その……あの……側女(そばめ)にと……」

「えぇっ!? そ、側女? クーデリカとウレイリカは、まだ……5歳だけど?」

 

 ここでジャイムスは、ポケットから白い手拭きを出し一度額を拭った。

 言いにくい話であるが彼は伝える。

 

「その伯爵家の40代のお世継ぎ様にはすでに妻がおりまして。また……そのお世継ぎ様には女性に対して……特殊なご趣味があるとのこと。……それが年端もいかぬ―――」

 

 その後1分程の話であったが、アルシェにとって聞くに堪えないものであった。

 同様の立場の娘が今、伯爵家屋敷の奥へ、他に数名いるとのこと。

 噂ではこの状態がこれまで20年以上続いており、側女が15歳を迎えるころには飽きたとして心神喪失状態で家へ戻されるという。数名は死んだという話もあるとかないとか……。

 

(―――く、狂っている)

 

 アルシェは人としてそう思った。だがこの時代、全ては権力者の自由で特権なのである。

 たかだがお抱えの準男爵家の一つや二つ、伯爵家の世継ぎにすれば増やすも減らすもポケットマネーの中の水準なのだ。

 

 

 ――――力  こ  そ  正  義(Power is justice)

 

 

 

「――残念ながら、もう旦那様は正常なご判断が……快諾し、伯爵家へ対して助力を要請する動きがあります。昨日、伯爵家へと私が参りました。――間もなく追手が掛かるかと」

 

 姉として断じて、そんな劣悪な所へ可愛い妹達を差し出す事などできない。

 それを望む父は最早、許せない存在であった。

 アルシェは、視線を執事から卓上へ落とす。

 

「そう(……それをしようと考える父も、親として終わっている――)。良く知らせてくれたわ。ありがとう、ジャイムス」

 

 彼女は思う。甘かったのだと。断固立ち向かうのみと決心する。

 しかし、敵は余りに強大と思えた。

 親に加え、この帝国で未だに裕福な伯爵家を維持しているとなれば、皇帝陛下の覚えの良い家ということである。

 個人で相手をするには、シャレにならない水準という現実が窺えた。

 

「少し考えてみる。こちらで何とかするから、ジャイムスは心配しないで。何かあればここへ知らせて」

「分かりました。くれぐれもお気を付けを、お嬢様」

 

 そうして、執事は立ち上がると恭しく主へ礼をするとこの場を去って行った。

 静かに毅然と見送ったアルシェだが、執事の姿が去るなり椅子へどさりと腰掛け、額に右手を当てて率直に唸る。

 

 

「――どうしよう」

 

 

 ヘッケラン達3人も余りの内容に、揃いも揃って渋い顔を見合わせていた……。

 

 

 

 

 帝国八騎士団より選抜された精鋭騎士騎馬隊の分隊が各地から順次出撃する中で、帝国四騎士もまたこの日、皇室兵団(ロイヤル・ガード)の精鋭を率いて出撃予定である。

 ただ、帝国八騎士団で将軍が国内へ2名残ったように、帝国四騎士でも1名が残ることになった。

 残留騎士は――〝激風〟の二つ名を持つニンブル・アーク・デイル・アノックである。

 勿論、紅一点の〝重爆〟レイナースが帝都残留を熱望したが却下されていた。

 リーダーのバジウッドは、戦力バランスを考えて決断する。

 

「どうしてよっ」

「強敵に対して、君のその重く強烈に威力のある攻撃は不可欠だからな。まあ、我慢してくれ」

「……はぁ。……勝てそうになかったら逃げるから」

 

 そう語りつつも彼女は承諾した。

 今のところ、帝国にも王国にも法国にも()()で彼女の呪いを解除できる者を聞かないため、一応だが評議国の竜軍団にすら淡い期待もあったのだ。

 本当になりふり構っていない彼女である……。

 

「ほんとに……俺の分も頼むぞ、レイナース」

「……戦え……」

 

 ニンブルとナザミは呆れ気味だ。

 さて今日より、〝雷光〟バジウッドとレイナースに〝不動〟ナザミの3名は、皇室兵団(ロイヤル・ガード)の精鋭200名程を率いて移動する事になるが、彼らの軍団だけはジャイアント・イーグル等の飛行魔獣に騎乗する皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)を含む為、100名程の商隊2つに分ける。

 ジャイアント・イーグルは全長3メートル、翼を広げると6メートル程の大きな鷲で高い知性と鋭い目を持ち、訓練すると騎乗出来るようになる魔獣だ。だがどうしても姿が目立つことから、帝国内も含めて夜間での行軍に加え、野営地は住民不在の森の中や王国の内通領主の城内や傍という厳しい条件があった。

 一隊をバジウッドとレイナース。もう一隊をナザミが指揮する。

 万一、レイナースが居なくなっても機能するように考えれば、この配置がベストであった。

 次々と帝都から出撃する精鋭騎士騎馬隊の偽装分隊らを見送りつつ、彼等は夜を待った。

 日が完全に地平線へと落ちた頃。

 

「では、そろそろ行きますか」

「……はぁ」

 

 いつもの大剣を持たず革ジャケットを着た私服のバジウッドに続き、馬上で大きく溜息をする深緑色のローブ姿のレイナースが続く。皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)の操るジャイアント・イーグルも15体が空へと舞い上がり皇城の周囲を大きく2周旋回して離れていく。

 帝国の命運全てを精鋭達へ託した皇帝ジルクニフが、皇城の広いベランダから城門近くの篝火の列間を進み出ていく帝国四騎士隊を見送る。

 

(頼むぞ、バジウッドっ!)

 

 眺め見送るジルクニフは、両拳を強く握りしめていた。

 こうしてまずバジウッドらの隊が帝都より静かに出発していった。ナザミの隊は1日遅れという予定である。

 なお、全て空路を進む予定である大魔法使い率いる虎の子の強襲魔法詠唱者部隊の出発は、3日程後という話だ。

 ところが期待の部隊を指揮するはずのフールーダ・パラダイン自身は、帝国魔法省の自室でとんでもない事を考えていた。

 

(……うーむ。どうやって、抜け出すかな。1日程弟子達が適当にやってくれれば、王国の各所へ行った事のある私はすぐに〈転移(テレポーテーション)〉で追いつけよう――)

 

 すでに心、ここにあらずという雰囲気。

 老人は長年の執念に掛けて、王国辺境の村への単独行動を全然諦めていなかったのである……。

 

 ちなみにバハルス帝国軍の王国内での移動ルートについては、それぞれ以下となっている。

 帝国軍主力の精鋭騎士騎馬隊の分隊らは、都市を繋ぐ大街道と内通領主領地の小街道が中心で進み、鉱山傍の北東最大の大都市リ・ブルムラシュールを経由してそこから西の間道を通って大都市リ・ボウロロールを経て更に西の旧エ・アセナルを目指す。

 これに対し帝国四騎士隊は、辺境の緩衝地帯にある草原の中やトブの大森林から数キロ南の位置を人知れず移動し北の大都市リ・ブルムラシュールを目指しその後も人口微少地を西へ進む道程を辿る。それによりナザリック地下大墳墓の南15キロの平原やカルネ村の南10キロ程を通過する予定である。

 帝国四騎士隊の進軍は3日後、ナザリック第九階層の統合管制室で捕捉されることになる……。

 

 

 

 

 目の覚める程キビキビとした、即応にも応えるバハルス帝国の洗練された帝国騎士団の派兵状況に対して――リ・エスティーゼ王国内各都市の兵力集結状況はあまり芳しくなかった。

 敵は竜王を含む竜300頭の軍団という、対世界最強種族戦。

 伝説や物語の中の存在が、おまけに集団で襲って来るという冗談のような戦いに、人々は何をするにも士気は上がらない。

 ただ、ここ大都市エ・ランテルでは都市長のパナソレイの淡々とだが的確に行われた指示の下、周辺地域へ緊急招集を掛けて集めた一般兵力3万の出陣準備がほぼ予定通り整い、今日の昼過ぎから北西の門より進軍が始まっている。

 恐らく、先に出撃した冒険者組合長のアインザックの出陣式の影響が大きいと思われた。その勇敢な者達の進む光景は、華々しく周辺地域へも広く伝わっている。

 それもありエ・ランテルでは事前に告知された通り、昼前に一般兵力3万についても第三城壁内の広場にて同様の式典が行われたのだ。

 出陣時に通る都市内の街路には父親や兄弟、友人らを見送ろうと多くの市民達が見送りに集まった。兵達自身が先の冒険者達の雄姿も見ており、『自分達の生まれた街や大切な家族を守る』――そういう今の状況から逃げる者が非常に少なくなっていた。

 

「――諸君ら一人一人の大切なものを守るという思いは大きな力となり必ずや(ドラゴン)を討つ! 勝利は我らに!」

 

 将軍の勇ましい宣言のもと、エ・ランテルからの一般兵力3万の遠征軍は、堂々と大街道を進み一路王都リ・エスティーゼを目指す。

 その王都リ・エスティーゼでも、周辺人口160万という巨大地域からの兵力が集まり始めていた。第一陣として10日間での招集兵力は実に7万。しかし、2日前まではまだ4万程という集結人数であった。

 担当しているのは、王家の大臣補佐の軍役担当者だ。

 大臣が現在いないため、その歪がここに出て来ていた。大臣に比べ大臣補佐の軍役担当者では、近隣領主への確認と根回しが上手くいっていなかった。

 王国戦士長も、困った大臣補佐から時折相談を受けたが、戦士長は平民であるため周辺の貴族領主への物言いは一切できない。あくまでも、王家として軍役担当の大臣補佐が指示する必要があった。

 しかし、そこはさすが戦士長である。事前に神の一手を回していた。

 大臣が居ないということで、それとなく一応として国王ランポッサIII世に周辺の貴族領主への進捗伺いの確認書簡を書いてもらっていたのだ。

 流石に国王から「此度の重要な戦いの準備進捗はどうか?」と聞かれて「まだまだ」とは言えないのが臣下。

 いずれの領主も「間もなく」「問題ありません」との回答が寄せられ、街で荷馬車に轢かれた戦士長が目を覚ました本日夕刻頃に、招集兵力は無事予定の7万に到達していた……。

 戦士長は目を覚ました10分程あとで、わざわざ屯所を訪れた軍役担当の大臣補佐から礼を受ける。

 

「ガゼフ・ストロノーフ殿、感謝いたします。首が繋がりました……」

「いや、私は特に。陛下が此度の戦いに慎重であられたからでしょう」

 

 一件落着し、めでたしめでたしである。

 しかし。

 

「……(実に控えめな方だ)」

 

 戦士長へ恩義を感じ、その人柄にも改めて気付いた大臣補佐は――口走る。

 

「確か、ストロノーフ殿は独り身でしたな?」

「ええ」

「あの、実は私には年頃の娘が一人おりましてな……いかがですかな、嫁に?」

「……あ、いや。私は、(ユリ殿が)……」

「そうですか……いや、残念。いささか急でしたな。また、改めて」

「は、ははは……」

 

 危ない危ない。突如湧く婚姻話(トラップ)。切り抜ける戦士長であった。

 

 

 

 

 

 そして、アインズはラナーとの深夜の極秘会談を終え、翌日へと進む――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 潜入! 『ビーストマンの国』の侵攻軍本陣

 

 

 竜王国『東方第三都市』への滞在を決めたセバスとルプスレギナであったが、ねぐらの部屋を借りて決めようにもまだ日が昇るまで当分時間があった。

 なので両者は、時間つぶしも兼ねて都市の東側へと少し足を延ばす。

 そこは――ビーストマンの国側の竜王国侵攻拠点にして、方面指令官の獅子顔将軍が居座る陣地。前線野営司令所も設けられている。

 ここには兵力として6000名ほどのビーストマン兵が確認出来た。

 

「なんか、手薄ですねー」

 

 ルプスレギナの言葉に上司セバスも頷けた。

 各都市の東方手前には、いずれも1万5000程のビーストマンの兵達がいたからだ。

 しかも、ここの半数ほどは負傷兵の様子。

 

「前線が優位に進めていた部分と、情報では近々援軍が本国からくるようですし安心感があるのでしょう」

「油断してるっすねー」

 

 彼女としては嬉しい。不意や弱い所をじわじわと攻め、苦しむ様を見るのは至福の時間と言える。

 さて、とルプスレギナは左手を庇の如く額へ当てると陣地内をぐるりと見渡す。

 勿論何か獲物はないものかとだ。

 すると、面白い物を一つ見つける。

 

「セバス様、アチラへ行ってみませんか?」

「ふむ……アレですね。確かにこの地では一番危険度が高そうですね、分かりました」

 

 そうして二人は陣地内の中ほどの一角に置かれていた、仁王立ちしているモノの傍へと近付く。

 すると高さ7メートル程の硬質性の金属で出来たモンスター型のソレは、無言で静かに動き始めた。自動迎撃の行動の模様。

 そして、二対四本の腕から()()()()()右拳を二つ同時に見舞ってくる。

 だが奴の巨大である右の両拳は、漆黒のガントレットを付けるセバスの左右の手先それぞれ指3本によって難なく受け止められていた。

 

「ふん、どちらも軽いパンチですね。パンチは()()、ですよ」

 

 刹那の瞬動。

 セバスは、受けていたパンチを左後方へ流す形で踏み込んでいた。

 

 そして閃光と化した右拳の一撃――。

 

 直後、小さい家一軒程もあるゴーレムの動きがピタリと止まった。

 そして、雨が降る時のザーッという感じの音と共に、金属の大きな塊だったものが細かい砂と化して見る見る崩れ落ちていく。

 

「すごいですねー、セバス様……内部からも粉々ですね」

「大した技ではありませんよ。ナイキの上位打撃系技〈粉砕虎撃〉です」

 

 セバスならばスキルを付加せずともLv.50程度の相手は一撃で軽く粉々に出来る。

 「次は」と言いつつルプスレギナはまた額に手を当て周囲を見回すが、他に大したものは見つけられなかった。

 

「うーん。あとは、特に脅威らしきものはありませんねー」

「油断は禁物ですが、取りあえず今日はもう良いでしょう」

「そうっすよね(楽しみは取っておくっす)。では戻りますかー」

 

 そうして二人は、あっさりとビーストマンの国の本陣を去って行った。

 

 

 

 それに入れ替わる形で、3分ほど後に勇ましい銀色鎧を纏う獅子顔の将軍と黒茶のローブ姿で豹顔の参謀ら二名は、ビーストマンの国が誇る最強の切り札である7メートル級ギラロン型ゴーレムの雄姿を見に来た。

 しかし……そこにあったのは、只の大きめの砂状と化した金属の山であった……。

 

「こ、これは?! なんだこれはーーーっ!」

 

 思わず駆け寄って叫ぶ獅子顔の将軍の傍で、顔面蒼白の豹顔の参謀も呟く。

 

「……あのゴーレムが……一体、この場でなにが……」

 

 獅子顔の将軍は周囲へ「衛兵っ! 衛兵はおらんかっ!」と叫びまわり始める。

 その近くに立ちつくす『大首領第二参謀』は、これまで経験した事がない不気味なものを直感で感じていた。

 

(どうすれば硬質性のあの金属が、ここまで細かくなるというのだ……魔神の仕業か?)

 

 豹顔の参謀の恐れはのちに的中した。

 このあと日の出までに本陣へは、南の都市にて副将討ち死にと、南の都市北側で激しい遺体散乱を引き起こした正体不明の敵と思われる存在が報告され、このゴーレムの謎の損壊事件と共に、騒ぎは参謀の帰国の際に大きくビーストマンの国の中央へと伝わっていく事になる。

 

 

 

 

 都市へと戻る途中、一面の暗闇の地を駆けながらセバスがルプスレギナへと尋ねた。

 

「でも今更ですが、良かったのですかルプスレギナ。あなたは人狼。ビーストマンとの戦いは気分的に少し酷では?」

「ご心配に感謝します。しかし問題ありません。セバス様も王国へ攻め込んでいると聞く竜王の軍団と我々が戦うとなれば、関係ないと言われると思いますし」

「……そうですね、愚問でした。我々はただアインズ様のもとで力の限り戦うだけですから」

「はい、そうっす!」

 

 両者は駆けながら、今の至高の御方直々の指令を思い、満足そうに微笑んでいた。

 しかし、やり過ぎである……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. あの総会での大事なお話

 

 

「アウラにマーレ、ともにご苦労」

「いえ、お安い御用ですっ」

「い、いえ。お役に立てて嬉しいです」

 

 アインズは姉妹へ順に頭へと優しく撫でを加える。二人の満足と嬉しさが滲む表情の頬は、真っ赤に変わっていた。

 

「そうか。ところで……」

 

 ここはリ・エスティーゼ王国北東の穀倉地帯。その北限近くの麦畑が広がる平原の中である。空へ雲は広がるが日は高く、もうすぐおやつの時間だという頃。

 一応、周囲へ認識阻害の魔法を展開する中、クアイエッセの後始末とクレマンティーヌの救援を終えたアウラとマーレの可愛い闇妖精(ダークエルフ)姉妹がこの場へと揃っていた。

 フランチェスカとアウラ姉妹のシモベ達は、まだ少し残務のためこの場を外している。

 艶々(つやつや)とした褐色肌で笑顔を浮かべる姉妹二人を前に、アインズがいよいよ言葉を切り出し、()()()()()()()()()()()()()を個人的に要望として持ち掛ける――。

 

「その、なんだ……(凄く言い出しにくいんだよなぁ……)実は、少しささやかな希望があってな。出来れば……()()二人揃っての踊りを私に見せて欲しいのだが」

「え? 踊りですかっ」

 

 笑顔のアウラは綺麗の金髪を揺らし、敬愛する主様からの希望なので、並ぶマーレの横で両手を丸めて可愛く身を乗り出し純粋に興味を示す。

 一方、握った右手を口許に当て、純白で短めのプリーツスカートを可愛く揺らすマーレは――その逞しい想像力が空振り的に炸裂していた。

 

「そ、その……服は着てですか?」

 

 深夜に三人きりという話なら、第六階層の巨木の寝室で生まれたままの姿で熱くひっそりと……と。

 しかし。

 

「……ん? もちろん踊りに合わせた服の派手なアレンジは構わないぞ。昼のひと時辺りに私の広い執務室でと思っているが。見るのは傍仕えの一般メイドと、あと一応――()()()()()の者が一名付くぐらいだからな」

 

 アインズからの言葉に、マーレの心へ描いた桃色の空間劇は夢に消える。

 マーレは、少し残念そうに眉が僅かに下がるも、モモンガさまに姉や自分を良く見ていただけるのならと興味と高揚感は高いままだ。

 姉アウラが告げる。

 

「分かりましたっ。マーレと一緒にきっとアインズ様がお楽しみいただけるものを披露します」

「は、はい。僕も頑張ります」

「そうか……嬉しいぞ、二人とも。 ああ、今日明日という訳にもいくまい。いつか希望日はあるか?」

 

 忙しい守護者の二人へ無理を言っている訳で、アインズは急ぐわけではなかった。

 

「いえ、3日もあれば大丈夫です」

「は、はい。大丈夫かなと」

 

 二人の自信あふれる言葉に、アインズは満足する。

 

「その日を楽しみにしているぞ(――ルベドもな)」

「はいっ」

「は、はい」

 

 こうして、姉妹同好会二人会員総会での初議題、『アウラ・マーレ姉妹を愛でる会』開催の企画が実現されることになった。

 

 

 

 なお――その日の担当メイドが、掃除の折に資料を偶然盗み見て同好会の存在を知る一般メイドのフォアイルになるのは、至極『偶然』の事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. デミウルゴス、ナザリック第九階層のBARにて

 

 

 夜が更け、日付が変わるまであと1時間程の時刻。

 地下に存在し、ほぼ睡眠という概念のないナザリックには余り昼夜の関係はなく、単に24時間として時は滔々と流れる。

 

「では、代わりに少しだけお願いしますよ、ヘカテー」

「はい、デミウルゴス様」

『『行ってらっしゃいませ、デミウルゴス様』』

 

 純白の衣装でカラスの嘴を模した仮面の道化師、副官のプルチネッラや三魔将達に、入れ替わりで来てもらった至高の41人の一人、ぷにっと萌え様のNPCである悪魔娘のヘカテー・オルゴットらに見送られて第七階層の主は館を後にする。

 数時間だけ仕事を任せ、デミウルゴスは第九階層にある副料理長がマスターをしているバーへとやって来た。

 扉に付けられた黄金の鈴が、気持ちよくカランと鳴る。

 ここの扉は、西部劇のバーで見かけるあの扉『ウェスタンドア』だ。

 彫刻の細工も凝っており、この扉へも金具部分へ黄金等の貴金属が華美にならない程良い装飾がされている。

 

「待たせましたか友よ?」

「イヤ、私モ数分前ニ来タトコロダ」

 

 寡黙な副料理長が立つカウンターに8つある席の真ん中付近へ座り待っていたのは、デミウルゴスの盟友とも言える第五階層守護者コキュートスである。

 程よい雰囲気と暗さのバー全体の広さは30平方メートルほど。奥へ酒瓶の並ぶ棚とカウンターの他にテーブル席やソファー、自動演奏の最高級グランドピアノなどもある。

 ナザリック地下大墳墓にしては小さい空間だが貴重な場所だ。

 ここのバーへとやってくるのは基本的にNPC達だけである。シモベ達では、エクレアが自分を運ばせる為の怪人の男性使用人ぐらいだろうか。

 なぜならこの場は、至高の御方々が愛用していた場所だからだ。彼等は自分達の可愛く自慢のNPC達を時折同席させることがあった。

 それを偲ぶ部分もあって自然とNPC達はここへ足を運ぶのだ。

 なお一般メイド達は、自分達だけでバーへ来ることはない。まず彼女達は日に2時間半×3回の食事時間以外の休みが殆ど無かった。無論日々楽しく仕事を熟し無休暇の点に一切の不満はない。少し話は逸れるが、現在アインズ自身が多忙過ぎて一般メイド達の休息について頭が回っていなかった。ただし、一般メイド達一同から早い段階でただ一つの業務改善要求が出ていた。内容は新たに改装され登場したアインズの執務室へ、担当メイドを日替わりで置いてほしいという話であった。

 『担当区域が決まっていると不公平があります』――執務室登場翌日に一般メイド長のペストーニャへと上がってきた意見であった。至高の御方へ尽くすことにこそ存在意義がある。ナザリックのNPCにとって最も重要である事。そこから始まって、一般メイド達の熱望する日替わり案は、数日でアインズの承認も通り採用されていた。アインズの執務室担当日には、もしナザリック内にアインズがいれば、傍の用向きを全て請け負うとするもので『今日のアインズ様当番』なる神聖なものが登場していた……。

 もちろんアインズが移動すれば、バーへも喜んで同行してくれるだろう。

 さて、話は再びバーへと戻る。

 コキュートスとデミウルゴスもNPCであることから偶にこのバーを訪れていた。

 デミウルゴスはいつもの様にコキュートスの右側の席へと座る。

 

「マスター、私に“炎の雷”を」

「はい、少々お待ちを」

 

 副料理長は、オーダーを手慣れた手つきで用意する。

 丸い氷の入ったロックグラスに、バーボンを3分の2程注ぐと赤二号を加え、軽くスティックでかき混ぜると、丸眼鏡の守護者の前へとコースターを敷いて置いた。

 ちなみにコキュートスの前には、液体窒素にエチゴサムライと緑一号を注いだ『氷河期侍』が氷点下の白いスモークを吹き出しながら置かれている……。

 彼等がこのバーへ足を運んだ最初は創造主への事もあったが、10日程前の前回と今日は違っている。

 すでに、ナザリック地下大墳墓へ唯一残っておられるアインズ様の為のみに動き出している二人であった。

 栄光のナザリックの最終目的として壮大な『世界征服』を見据え、今はその栄えある長期計画の第一弾、新国家『アインズ・ウール・ゴウン』設立への完遂が、ナザリックの配下全員へ課された使命なのだ。主の為に己の時間も全て使われるべきと考えている。

 故に、コキュートスとデミウルゴスは、計画完遂において必要性のある意見を、戦略会議でも話せない個人的といえる事も含めてこの場で交換していた。

 至高の御方の考えを、最大に汲み取る意味でも。

 初めの1時間ほどは今日の御方からの喜ばしい労いの話を皮切りに、コキュートスの武技の進捗や問題点、デミウルゴスの進軍予定計画などの話が続いた。

 そして本題に入っていく。

 

「さて……どうです、コキュートス。前回の私からの宿題に答えは見つかりましたか?」

「フム……。アインズ様ガ私ヘ望ム戦イトイウモノニツイテダナ? (ちから)ヲ見セルダケデハダメナノダト。シカシ、我々ナザリックニ従ワナイ者達ヲ許スコトハ出来ナイダロウ? ヤハリ斬ルホカアルマイ」

「我々ナザリックの力を見せる事は、確かにとても重要です。ある程度の犠牲は、力の差を気付かせ恐怖として払わさなければいけない。しかしコキュートス、君の考えでは犠牲としてどれほどの数を斬るつもりかね?」

 

 コキュートスは、己の実力に合わせて自信を持って答える。

 

「ソンナモノ、正面から正々堂々と半分モ殺セバ十分デハナイノカ?」

 

 盟友の考えを聞き、デミウルゴスの眉間へ静かに皺が寄る。

 

「………、君はアインズ様が望んでいるのはそういう状況だと? アインズ様は確か君にこう言われた。――『威を見せるのは構わん。だが、大量殺傷には大義名分が無くてはならん。我々にはまだそれがない。また民あっての国という事を念頭に置いて欲しい。若い者や優秀そうな人材も残しておけよ』――と」

「勿論覚エテイル。堂々ト宣戦布告シ正面カラノ攻勢デ討ツノダ。ナザリックノ名ヘ傷ガ付クコトハアルマイ。マタ、半分モ居レバ人材モ十分残ッテイヨウ」

 

 コキュートスの答えに、デミウルゴスは一つ大きく息を吐くと、革新を促す言を伝える。

 

「ふぅ……。では、友コキュートス。問おう―――仮にナザリックの者が半分討たれたとして、それを成した者に君は従うかね? まず、どんな感情を抱くかな」

「ンーー。ムム、ソレハ……」

 

 デミウルゴスへ向けていた顔を、コキュートスはゆっくりと正面へ向け沈黙し視線を落とした。

 15分程の静かな時間が続く。

 デミウルゴスは辛抱強く待っていた。答えは自分で見つけなければ意味がないのだから。

 そして、コキュートスは視線を下げたまま静かに尋ねてきた。

 

「……私ハ……間違ッテイタノカ?」

 

 デミウルゴスはそれに答えず、自分の思考での解決を促す様に語る。

 

「どういう形なら従えるかと、自分がその状況に置かれた場合も考えてみる事だね」

「……ムウ、……弱者ガ生キ残ルノハ――大変ナコトナノダナ」

 

 共に正面を向いているデミウルゴスの口許が僅かに緩む。

 強者には中々気付けない部分があるのだ。

 このあと、強者の二人は黙って暫く飲み続けていた。

 

 

 




考察)総合的にその差は優に15倍以上の人間の軍と同等
人間難度3に対しビーストマン難度30という評価設定。
これは100倍以上の実力差はありそう。
あえて、結構鍛えた人間兵の難度9や難度12とビーストマン兵難度30では差は縮む感じで。
それでも、平地なら10人対1体で全く勝てるが気しない…。
籠城してるので上から弩弓やら石やら浴びせれば。そして熱湯も…。
あとは最前線各所に冒険者達が立っているのでギリギリもっているという状況。



捏造)7メートル級ギラロン型ゴーレム
攻城戦兵器みたいな感じで、あってもいいかなと。



補足)『カワイイ女王』のルビが、『おさないようじょ』
セラブレイトにとっては正義。



補足)ルプスレギナのフルスイング他
「――夜食の時間ダ」
戦場ですし、完全に正当防衛ですね。虐殺なんかじゃない。



捏造)世界級アイテム『傾城傾国』の設定
いずれも本作においてです。

別の案も一杯あるかと。
たとえば、
支配は1体のみ。1体を支配すれば、先に掛けていた個体の支配は消える。(原作では出撃前に自殺させてフリーにしていた)
無期限有効だが、対象はいずれ眠ってしまう(最後は死亡)
アイテム自体に使用回数制限がある。(最後は破れて消える→老婆全裸に 笑)
……とか普通にあると思いますし。
ただ無期限有効で徐々に狂って暴れ始める場合は、歴史に残るでしょうから無いかな。

ジャンジャン発動できない理由も色々考えられますね。
3レベルダウンとかだと回復訓練がキツそう。
神人と同じで、保有が亜人勢力にバレると普通にヤバそう……。



補足)先日アルベドがパンドラと初顔合わせした時に来て以来
STAGE24. のP.S.2 拠点にて



考察)“かくて汝、全世界の栄光を我がものとし、暗きものは全て汝より離れ去るだろう”
主は世界を手に入れ、悪名だけが消え去り、大団円。
ふと、これって何気なく『オーバーロード』の結末かもしれない…。
なんてね




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STAGE38. 支配者失望する/新タナル計画/フ-ル躍動(12)

注)不快になる冷徹で胸糞な雰囲気が一瞬だけあります。
注)凄く長いです(9万字)


 

「えっ、休暇?」

 

 

 それは、絶対的支配者アインズ様のお言葉――

 

 『お前達の懸命なる働きを思えば、私 に 休 ん で い る 暇 は な い』

 

 ――を聞き、()()()()衝撃を受けたアルベドが数時間、第五階層で()()()()()呆然と立ち尽くしたのちに少し悩んだ末、これをナザリック全体の緊急問題として、バーから第七階層の赤熱神殿へと戻って来たデミウルゴスへ相談に訪れた時の事。

 無論、建前は『至高の御方のお体を心配して』だ。

 すると、赤熱神殿内で赤暗い溶岩光の灯る執務室の中央にあるテーブルを挟み、向かい合うソファーへ座るアルベドを前に、彼女の前後の話も加えて少しの間考えた、当代の大天才で最上位悪魔のデミウルゴスは「休暇ですね」と提案したのだ。

 彼の言葉でアルベドはスッと概ね全容を理解した。

 

「私達にですか?」

「そうです。ナザリックの我々が忙しいということで、至高の御方がお休み出来ないとの事ですから、臣下に暇がある事をご理解頂き堂々と御休息頂くのです」

 

 しかしアルベドは即時に反論する。

 

「私達にとって、仕事が出来ない休暇は――酷い罰ではないですか! 到底受け入れられません」

 

 すでに連続2日も強制休養を受けたことのある彼女の言葉には、実感がとても籠っていた……。

 だが、それに対してデミウルゴスは燦然と言い放つ。

 

 

 

「アルベド。――我々臣下がこの身を()()()()()()()へと差し出してでも、アインズ様には大切なお体を休めて頂くという気概が無くてどうしますかっ?」

 

 

 

「――――っ!! そうだわ……確かにあなたの言う通りだわっ」

 

 主の為に()()になれる。そしてご休憩時間も作れる……一石二鳥のこの妙案にアルベドは恍惚の表情を浮かべた。

 

(くふ――――っ!)

 

 ここで悦のまま40秒程経過。

 

「……ハッ?!(こうしちゃいられないっ)」

 

 守護者統括の彼女は、骨細工の並んだ執務室のソファーから勢いよく立ち上がると、直ちに第四、第八、及びこの直後に現地から報告の〈伝言(メッセージ)〉で連絡が取れ了承したセバスを除く階層守護者を、第九階層の戦略会議室へ招集した。

 会議の場には、アインズから朝までナザリックへ姉妹での滞在を許されたマーレも参加。

 アルベドの20分にも及んだ長い一節での説明の最後を飾り、もっともである熱弁がここで冴える。

 

「――いいですか? アインズ様は、私達が暇でいる姿を見せない事から頑張り過ぎておられますっ。私達が枷になってはいけません。だから今こそ、あの方の忠実なる臣下として決断しましょうっ。たとえ――我々にとって、辛く身を切って()()()()()という“休暇”を取ることになろうともです!」

 

「あぁぁそんな……でも、分かったでありんす!」

「オオォッ、ナント厳シイ……。ダガ従オウ」

「辛いけど、勿論賛成っ!」

「ぼ、僕もっ」

「異論ありません。賛成ですね」

 

 至高の御方の為という話であれば、異を唱える者など存在しないのだ。

 また、アルベドは不満を最小限に抑えるべく、当然()の言葉も用意していた。

 

「安心しなさい。無論、仕事量はこれまで以上に(こな)してもらいますから」

「「「おぉー」」」

 

 総量で御方へ貢献出来るとあって、皆に安堵の溜息が漏れる。

 全員の同意を受け、部屋の中央よりやや奥に置かれた、大きく黒き会議テーブルの上座左横の席から、アルベドは立ち上がる。

 

「まだ、それぞれ配下のシモベ達への通達はありますが……まず、ここで決定します。私達は――“ローテーションによる休暇制度”を配下達の分も含め取り纏め、その導入をアインズ様へ具申します。全ては偉大なる至高の御方、アインズ様の為にっ! アインズ・ウール・ゴウン様万歳っ!」

 

 彼女の鋭く挙げた両手に続き、皆も立ち上がり両手と三唱の声が共にあがる。

 

「「「「「アインズ・ウール・ゴウン様万歳! アインズ・ウール・ゴウン様万歳! アインズ・ウール・ゴウン様万歳ーーっ!」」」」」

 

 凄まじい忠誠心と団結力を見せる階層守護者達の面々であった……。

 こうして、いきなりの予想外といえるナザリック休暇推進計画が、NPCとシモベ達主導でここに立ち上がったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、彼等の(あるじ)であるアインズは当然、ナザリック地下大墳墓の可愛いNPC達の新しい動きについて、まだ全く知らない。

 そんな彼は、漆黒の戦士モモンとしてエ・ランテル冒険者組合の王都での『遠征現地確認点呼日』とされた翌朝を迎える。

 王都の中央交差点広場から歩いて7分程の所に建つ、この地では些か上等といえる5階建ての滞在宿の4階借り部屋にて、ベッド脇の窓から差し込む朝の陽射しをモモンは受けていた。

 今日は白金(プラチナ)級冒険者チーム『漆黒』としてあの公園に行かなければならない。

 マーベロが隣のベッドへちょこんと遠慮気味に座り、モモンからの指示を可愛い瞳の輝きで待ち侘びている。不可視化中のパンドラズ・アクターも白塗りの壁際で待機していた。

 

 昨日、絶対的支配者はルベドの一件のあと夕食に続きお茶会までを皆と宮殿にて過ごし、ユリとツアレが片付けで奥の家事室へ下がった折に、マーベロ不在のこの部屋まで一度戻ってきている。

 パンドラズ・アクターと魔法を使った知識の共有をするためだ。それは〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉に近い。

 

「じゃあ、始めるか。〈記憶共有(シェア・メモリー)〉」

 

 ユグドラシルでは、条件が揃ったユーザー同士なら未踏破でも一部の情報に限り、同水準までコピーで合わせることが出来た機能。〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉ではそれを閲覧し、(ダミー)や全く違う情報に書き換えることが出来た。耐性や制限がないと攻撃を受けた瞬間は、どこの知識情報が書き替えられたのか分からないという嫌な魔法といえる。

 この新世界では、どちらもダイレクトに記憶へのアクセスが可能みたいだ……。アインズは実験的にパンドラズ・アクターとのみ局所記憶に限り数回〈記憶共有(シェア・メモリー)〉を行なっている。

 パンドラズ・アクター側からは、アインザックらと馬車で回った『竜王国救援』とその先発隊について、近隣三都市の冒険者組合代表格らとの会合の様子を得る。アインズ側からは、モモンとしてクレマンティーヌとその兄抹殺にかかわるやり取りをパンドラズ・アクターへ伝えた。

 『竜王国救援』の件では、すでに最大の難関と言えた王都冒険者組合長が動いているため、予想通りに他からは良い感触であった。当たり前だが、一介の冒険者モモンらと王都冒険者組合長の言葉とでは重みと説得力が全然違うのだ。ただ、あくまでも『竜王軍団の撃退』の後の話だが……。

 そのパンドラズ・アクターとの情報のやりとりの最後の辺りで、(シルバー)級冒険者チーム『漆黒の剣』のルクルットがふらりと、明日の点呼日に御一緒しないかと確認でやって来た。点呼時間は午前9時から午後5時と幅があったからだ。

 『漆黒の剣』の彼等も食事を終えた後みたいで既に午後8時を回っており、ここへの距離も2キロ以上あったので、女の子のニニャではなく彼が来ていた。仲間から大事にされている事が窺える。

 

「じゃあー、朝の10時頃ってことでー?」

「ええ、それぐらいかな」

 

 ルクルットの最終確認にモモンがそう答えると、宿屋の前まで出ていた鎧の戦士へ片手を上げ、笑顔で野伏の彼は去って行った。

 夜でもあり、横に不在のマーベロへの不信感は持たれていない様子。偶にこういった状況が起こるため、モモンとマーベロは揃っている必要があるのだ。

 ほどなく部屋にて、パンドラズ・アクターと知識の共有が終ったアインズは再び王城へと戻り、午前0時前から第三王女ラナーとの深夜会談に臨んでいる。それはまた思わぬ方向へと動いてゆくが(詳細はのちほどで)。

 更にアインズは夜中にナザリックを訪れて、日課のアンデッド作成と支配者執務室で雑務を行なっている。しかし、それはNPC達の例の会合が終わった後の時間であった……。

 そうして日が昇る前頃、ナザリックからマーレと共にこの冒険者チーム『漆黒』としての宿屋へと戻って来た。

 合流したマーレであるが、先のナザリック休暇推進計画については現時点での体裁が整っていない事も有り、アインズへの報告には至っていない。彼女にはその前に、クレマンティーヌから伝えられたスレイン法国関連やズーラーノーンの情報にかかわるレポート提出が優先されていて出発前にそれが終わったところだ。それにモモンガ様へ披露する踊りの稽古の件もあった。

 

(モモンガさまに……喜んで頂けるかな。えへへ)

 

 姉アウラとの練習で息の合った踊りを頭の中で反芻しながら、アインズの姿を見詰めているマーレ。

 その様子を『手持ち無沙汰』と思ったモモンは、自身も()()()()や色々と考える事もあり、ふと誘う。

 

「マーベロ、少し街を歩こうか?」

「は、はい」

 

 モモンは朝日の差す窓辺から離れると、腰掛けるベッドからすっくと立ち上がりキラキラの瞳でテテテと寄って来たマーベロと手を繋ぎ、時間つぶしも兼ねて一度朝の王都へと宿の階段を降り外へと散歩に出かける。

 ここは中心地の中央交差点大広場に近く、石畳の大通りは大きい店ばかりであり、朝の6時過ぎではまだ全て閉まっていた。二人は2つほど入った裏通りを進む。

 赤レンガ敷きや砂利へと変わった道を歩いた。両側にはびっしりと店は並ぶが、大通りに比べればかなり規模が小さめの店へと移る。

 その中にはパン屋なども多く、下準備や朝食向けに先程から開店している店もあった。これらの店は午後3時頃には早仕舞いし、翌日に備えるのだ。

 モモン達は、更に奥の通りに入るが店の並ぶ賑やかさは変わらない。流石、人口100万を超える巨大都市といえる。

 アインズ達が作ろうとしている新小都市は、城塞性が少し高い。

 しかし、繁華街や居住区を巨大に階層化するという、現代思考の要素を取り入れ経済面にも配慮したものが建設される予定だ。故に外周壁の高さは脅威の50メートル超え。

 もちろん大火災にも対応する様、耐火性の高い総石造りや消火槽に防火壁までも有している。

 新小都市の計画をあれこれ思い出しながら、モモンはマーベロと歩を進めた。

 そのとき王都中心地から1キロ程離れた道の途中でスラム街風の地区があった。そこを貫き通る道の入口から奥が垣間見える。日当たりの悪い湿気た雰囲気のうえ、ゴミ溜めの如き状況の場所だ。夏に近いため、壁に背を付け(うずくま)っていたり、ボロ布を敷いて路上で眠る者も多い。

 エ・ランテルでは週に数回スープが無料で振る舞われていたり、その対価で自主清掃が行われていたりと随分マシだった気もする。

 しかしここは、見た目の様子からそういった慈善の手は感じない。単に都市から捨てられ、悪意も渦巻く場所だ。国王のいる王都がこの有り様では、エ・ランテルが異質という事だろう。もしかすると、地下犯罪組織『八本指』の影響かもしれない。

 入口前を颯爽と素晴らしい装備で過ぎてゆくモモン達の姿。それを、ひとえに眩しいモノだと虚ろで澱む視線が一斉に追うのを感じた。

 モモンとマーベロはそれらを気にすることなく、ただ通り過ぎる。

 全ての事象に優劣強弱はソンザイする。それは不動の摂理。ましてやここは他国の都市。

 それらの事を最強者が一々気にしても仕方がないのだ。

 

 でも――我らの新小都市内では存在しない場所にしたいなと、絶対的支配者は考えていた……。

 

 午前7時半頃から外で朝食を済ませると、不可視化中のパンドラズ・アクターも連れたモモン達は8時頃に宿部屋へ戻る。

 そこでモモンは、アインズのなるべく落ち着いた声で、王城のユリへ『重大な事』を確認する。

 

「〈伝言(メッセージ)〉。ユリよ、今大丈夫か?」

『はい。丁度今、私だけが家事室にいますので』

「そうか。変わったことはないか?」

 

 協力者とはいえ()()()()()があり、アインズは一応確認した。

 

『特に動きは。それで例の件ですが、宮殿内ではまだ――王国戦士長様に会えておりません』

「うーむ。では、戦士長殿に例の件を直接頼みに、騎馬隊の詰所まで行って来てくれ」

『畏まりました、アインズ様』

「頼んだぞ、ではな」

 

 そう言って、モモンは通話を手短に切った。

 気持ち的にはアインズが、直接ガゼフのところへ行って頼みたいほどの急ぎでもある話なのだ。

 しかし、アインズは王家の客人でゴウン家の主の立場。そしてまず、周りに違和感や焦りを感じさせる動きは避けたいこともあった。

 だから形式上、使用人としてのユリに頼んでいたのだ。

 

 そのロ・レンテ城内側のユリはソリュシャンへと自身の外出を告げると、急ぎ主の命に従い宮殿を出て、広い城内の西側城壁付近にある王国戦士騎馬隊の屯所へとやって来る。

 昨日、馬車に思い切り轢かれた戦士長を運び込んだ場所でもあり、迷うことなく辿り着いていた。

 時刻は午前8時15分。

 幸いなことにまだガゼフは、空き時間で詰所の外にて剣の手入れをしていた。

 

「ストロノーフ様」

 

 その聞き違うことのない、愛すべき美しくも突然のユリの声にぎょっとするほど驚き、目を見開いて顔を上げ向けるガゼフ。

 彼は昨晩もよくよく考え、昨日の失態をとても気にしていたのだ。

 本来、誘ったご婦人を宮殿の部屋まで送り届けるのは男のマナー。それを成す前に、己は馬車で勝手に轢かれたうえでベッドへまで運んでもらうというトンデモナイ迷惑を掛けてしまっており、剣を布で拭く手と身体が固まる。

 しかし、礼儀的にも黙っている訳にはいかない。

 

「……これは、ユリ・アルファ殿。昨日は大変失礼で無様なところを……」

「い、いえ、私は気にしておりません。それよりもお怪我がなくて本当になによりです。でも……(護衛対象だったのに申し訳なく、アインズ様の客人の身体が壊れてないか)その心配で……」

「(――!? こ、これはっ)……」

 

 ユリの凄く心の籠る言葉に、ガゼフの見開かれた目が更にカッと開かれた。

 どう聞いても――心配を告げる内容ではないかっ。

 

 愛ゆえに?

 

 ガゼフは歓喜で僅かに震えが来ていた。なぜならアインズの命で来たという事象をまだ知らないため、心配のあまり様子を見に来てくれたのだと信じ切る。

 対して善の心を持つユリは、本来護衛する対象であり、轢かれたのは自分の失敗という気持ちだ。それを、気にしないはずもなく、戦士長へ随分申し訳ないという心境。

 それに、今は新しい主からの急ぎの命も受けており、頼む相手としてもガゼフを気遣う流れが出来ていた……。

 ガゼフはユリの心配を振り払うために、剣を置き立ち上がると元気に伝える。

 

「ユリ・アルファ殿は何も気に病む事はありません。すべては不注意だった私の責任ですから。そして、ここまでわざわざ運んで頂いた。感謝しています。私に何か出来る事が有れば、気楽に申し付けてください」

 

 ガゼフが真摯で紳士に振る舞う人物で良かったと言える。仮にフューリス男爵辺りが相手であれば、弱みに付け込まれて(操も含めて)何を要求されたか……。

 責任を感じているユリなので戦士長へ用を言い付ける事はしないつもりだが、この言葉により彼女はアインズの命を伝えやすくなった。ただ『本題』については、周囲に数名居る王国戦士の目があり言えなかったが。

 

「あ、そういえば主が、ストロノーフ様に今日少しお時間はないかと」

 

 戦士長に、それはいかにも()()()()()()()に聞こえた。

 

「ゴウン殿が? ……分かりました。二件程公務があるので、午前11時過ぎに部屋へ伺うとお伝え頂きたい」

 

 ガゼフは厳つい顔へ笑顔を浮かべそう返事を述べた。

 ユリは、程なく王国戦士騎馬隊の屯所を戦士長の『幸せ一杯の表情』に見送られて後にする。部屋へ戻ったユリから、ソリュシャン経由にて事情込みで支配者へと戦士長来訪の時間が伝えられた。

 

 なお、幸せで胸いっぱいの戦士長がこの後、剣の手入れ中に指を切り落としそうになったり、公務への打ち合わせ場所へ軍馬で移動途中に三度落馬し二度馬に踏まれ、一度は後ろ足で蹴り飛ばされたのは、もはや自然の流れであろうか……。

 

 

 

 

 

 

 

 白金(プラチナ)級冒険者チーム『漆黒』のモモンとマーベロが、王都リ・エスティーゼ内の南東門から大通り沿いに入って1キロ程の、先日遠征隊が集った広めの公園風で水飲み場のある広場に到着したのは、午前9時45分頃のこと。

 モモンの身に付ける漆黒の全身鎧は目立つので、すぐに先に来ていた冒険者チーム『漆黒の剣』の4人が見つけて挨拶にやって来た。

 

「おはようございます。モモンさん、マーベロさん」

 

 リーダーのペテルの挨拶を皮切りに「おはようでーっす!」「おはようであるっ! モモン氏にマーベロ女史!」「おはようございます、モモンさん、マーベロさん」といつもの流れ。

 

「おはようございます、ニニャに皆さん」

「お、おはようございます」

 

 モモン達も挨拶を返す。先日と違いニニャはいつもの輪の付いた杖を持ち、ベージュ系のローブを羽織る魔法詠唱者少年スタイル。

 デートの日、ニニャは女の子の服を着ていたが、彼等の宿へ宿泊する冒険者チームにエ・ランテルの者は『漆黒の剣』だけだったのだ。また宿も結構都市外周に近く離れてもおり、ニニャが女の子だという話は全く広がる気配をみせなかった。

 ニニャとしても、チームの仲間達とモモンのチームだけが知っていれば良い話なので、以前のままの状態は望むところである。

 

「私達は10分ぐらい前に着いて点呼を受けましたので。モモンさん達も先に済ませて来ては?」

「ええ、そうですね」

 

 ペテルからの勧めに従い、6名は受付の机が置かれた広場の東端にあたる場所へと移動する。ペテル達4人は少し手前で立ち止まり待つ。

 点呼場所には銀級の冒険者の女性が手伝いなのだろう、ひとりで仮設机の席へ座っており名簿資料にチェックを入れていた。

 そして、冒険者達の出席を確認しているのは勿論、プルトン・アインザックとテオ・ラケシルの二人だ。

 一切の誤魔化しは利かないということである。

 近付くモモンとマーベロの顔を見ると、エ・ランテル冒険者組合長とエ・ランテル魔術師組合長はこちらへと小さく頷いた。

 本当なら、決戦時にチームを組むことになったモモンとマーベロ達も、手伝うというのは普通かと思える。しかしそれは、アインザックの方から昨日の『竜王国救援』の件で馬車移動の途中に不要だと告げられていた。

 アインザックという人物は、中々人と組織を見る目があった。

 彼が言うには、「今、新規参入の君達を多く重用すると不和が起こる」というものだった。

 ミスリル級冒険者チームの中で、長年幅を利かせている幾つかはモモン達の存在を良く思っていないと。

 モモンとしてはどうという事はないが、統率者のアインザックとしては乾坤一擲の決戦を前にし、小さいいざこざも困るのだろう。

 なのでここは、冒険者組合長に合わせていた。

 

「おはようございます、アインザックさん」

「お、おはようございます」

 

 挨拶するモモン達に、冒険者組合長が笑顔で返す。

 

「よく来たな、二人とも。君、白金(プラチナ)級冒険者チーム“漆黒”のモモン君にマーベロ君は参加である」

「は、はい」

 

 声を掛けられた席に着く女性冒険者は、緊張気味で資料へチェックを入れていた。

 

「もうこの数日中に動きがあると思う。(それ以後は共に行動してもらう事になるだろうから)今日も含めて、それまでは好きにしていたまえ」

 

 アインザックの声に、横に立つラケシルも右手を軽く上げ、そうしてくれと相槌を示す。

 

「……分かりました。ではこれで失礼します」

 

 モモンはそう言ってマーベロと会釈をし、点呼の場を離れる。そうして『漆黒の剣』の居るところまで戻って来た。だが、冒険者組合長の声は、ペテル達の所まで少し聞こえていたらしい。

 耳のいいルクルットが、視線を落として真剣な表情で呟く。

 

「動きがあるって……いよいよかよぉー」

 

 どうやら『漆黒の剣』の点呼の時には告げられなかった言葉のようだ。

 だが、知ったからといって何が変わるわけでもない。単に数日早く冒険者達の動きの予定を掴んだだけで、竜達と戦うというヤルべきことは――必死の場へ挑む事は同じである。

 ルクルットが昨日夜にやって来たのも、昼過ぎから隊を組む予定だという同じ宿の他の都市の銀級冒険者達との集まりが、夕方まであったからだと聞いていた。モモン達はアインザック達他と少数で動くので、他の白金級とそういった会合からは外れていて予定はない。

 ルクルットの溢した言葉に、死闘という現実が心を襲いだし、ペテルやダインも難しい顔になる。

 ニニャも不安げにモモンへ近付くと、彼の右腕のガントレットを両手で上下から掴み見上げる。その表情は女の子のものであった。彼女にすればモモンは組合長らと行動を共にするので、戦場ではまず一緒にいられない。ニニャはあくまでも『漆黒の剣』の一員として仲間達と最後まで行動を共にするつもりだ。

 これは、王国の者として誰もが逃げられない闘い。

 そういった深刻さ漂う雰囲気のところで、モモン達は突如声を掛けられる。

 

「よお、ルーキーの“漆黒”の戦士。ビビッてショボくれてんじゃねぇのか? ハハハッ」

 

 他人の声にニニャは、慌ててモモンの腕を解放し顔を逸らせると、一歩離れる。

 モモンやペテル達が声の方を見ると、全員が傲慢(ごうまん)そうにほくそ笑む表情を並べた、そこそこの装備を付ける4人の男達が立っていた。

 その中央にいたのが腰へ左手を突き、もっとも偉そうで態度のデカイ男。

 

 ――ミスリル級冒険者チーム『クラルグラ』のリーダー、イグヴァルジである。

 

 少年の頃から身体能力が故郷の小村でズバ抜けており、近隣に出没するモンスターの小鬼(ゴブリン)を13歳の時に一度の機会で3体も倒す程であった。

 モンスターだけでなく村娘達も何人か散々食ったその後、18歳の時に故郷を捨て一人飛び出し、名を揚げるために大都市のエ・ランテルへとやって来た。

 それから10年以上を掛け、ようやく都市の冒険者組合(ギルド)で最上位階級であるミスリル級でもトップの3チームのひとつにのし上がってきている。彼は、まずエ・ランテルでのトップを目指していた。だから、早くオリハルコン級へ上がりたいのだ。それで、自分達に非協力的で邪魔の目障りなチームは陰でいたぶり、幾つも移籍か廃業にまで追い込んできた。

 

 その彼の目に今、悪い意味でモモン達は留まってしまっていた……。

 

 そもそも(カッパー)級のくせに、見るからに光沢のある上質で漆黒の全身鎧(フルプレート)に二本のグレートソード。連れは小柄ながら超絶美人の魔法少女。

 目立ちまくりであった。

 それでヘボいのなら笑いのネタだと放っておくのだが、組合加盟後たった半月で、『大盗賊団討伐』という誰もが勇敢さと強さを認め一目置くだろう大きく目立つ実績を上げると、4階級の飛び級で今や白金(プラチナ)級冒険者である。

 さらに自分達を中々評価してくれない、あの組合トップのアインザックとラケシルにもう目を掛けられている雰囲気があった。不愉快極まりないうえに、イグヴァルジはすでに背中まで追いつかれている気しかしていなかった。

 

(冗談じゃねぇぞ。俺がここまで上がって来るのに10年以上掛かってるんだ。ポッと出のオッサンに邪魔されてたまるかよーーってな、まあその心配はないか。指揮官級の竜と戦う組合長とじゃ直ぐ死ぬだろうぜ。くくく、ざまぁねぇ。……だが、娘の方は長く楽しめそうだがなぁ、死んでなきゃ俺様が拾うか)

 

 そういう考えで、イグヴァルジは『漆黒』の戦士の方を笑いに来ていたのだ。

 だがその明らかに『漆黒の戦士』をバカにした語りと雰囲気に――一瞬で瞳のキラキラが灰色に変わった者がいた。

 

 勿論、マーベロである。

 

 自分へと向けられるイヤラシイ視線と雰囲気はまだ、マーベロ役として我慢出来る。

 しかし主へとモロに発せられたナメた言葉で完全に頭に来ていた。

 

(殺す死ね殺す死ね殺す死ね殺す死ね殺す死ね殺す死ね殺す死ね殺す死ね殺す死ね殺す――――)

 

 ただ現状は『冒険者モモン』が、そういう目をみているということであり、またアインズからは、冒険者マーベロとしての行動を守るように言われている。

 そのため即滅する動きには、まだ移っていない。

 しかし、少しうつむくおかっぱの前髪で、呪い殺す勢いの鋭い視線は隠されていた……。

 そんな主思いで可愛いマーベロの様子に気付くモモンは、フード越しに我慢強い配下の頭を撫でつつ、目の前の上位者の『先輩』へと言葉を返す。

 

 

「どうも、イグヴァルジさん、『クラルグラ』の皆さん。“私”のことは気軽に、モモンと呼んでもらえれば」

 

 

 声は重々しくないが、どこかで聞いた感じのフレーズである。

 これには、落ち着いたマーベロも気が付いた。漆黒の兜のスリットから一瞬見せたモモンの――アインズの紅い瞳の光も、彼女は見逃さない。

 しかし、続くモモンの言葉は、すでに普通になっていた。

 

「相手は竜軍団ですし、戦いでは()()()()()()分かりませんので」

 

 モモンはイグヴァルジ達について、ミスリル級冒険者チームの中でも特に印象が悪かったためよく覚えていた。とにかく相手が下手(したて)だと常に見下す雰囲気しか感じられず、人間性にかなりの偏りがある人物なのは間違いない。だが、ここで相手にするのは短慮者のすることだ。

 また実際、竜軍団が未知の恐るべきアイテムや特殊技術(スキル)を持っている可能性はある。

 

 それに――戦いの中でクダラナイ者達があっけなく死ぬ事もだ。

 

 でもここは優しく、彼等がどうとでも解釈出来る言葉を返してやっていた。

 すると、イグヴァルジはモモンが気弱く肯定したと捉え、調子を良くし余計である一言を口走る。

 

 

「まあ、貴様がくたばっても心配するな。もし相棒が生き残ってりゃ――俺達がタップリと面倒みてやるからよ。ハハハーーー」

「ギャハハッ、そりゃいいな。黒い鎧の、心配いらねぇぞぉ」

「クククッ」

「キヒヒヒヒ」

 

 

 またしても伝えた名前を使わない連中。

 それでも、支配者は自分(モモン)の事についてだけならば、目を瞑ってもいいかと思っていた……しかし、その時期は遂に過ぎてしまった……。

 ()()()()は、エ・ランテルの冒険者の生き残りに彼等が居る必要はないとの結論に至る。

 歪んだ笑いを続けるイグヴァルジ達へ、モモンはこの場では理性的にこう返した。

 

「御心配なく。それに今回は、互いに自分達の身を守ることを第一にすべきかなと」

「ハハハーー、それもそうだよなー(まあせいぜい頑張って1秒でも長く竜の指揮官から逃げてくれや)。じゃあな」

 

 他意を含みつつも当たり障りのない言葉を、モモンから哀れな者達として贈られた事に気付かず、イグヴァルジは漆黒の戦士の死を信じ、勝ち誇ったように気分よく背を向け、取り巻き達の集まる少し離れた場所へと去って行った。

 

 冒険者組合員間の争いに関しては、基本各自自己責任となっている。

 ただし、冒険者組合組織へまで影響が出る場合に限り示談が採用されるが、基本階級が上のチームの方が優遇される。

 それは、実力上位者への尊敬と遠慮があってしかるべきという加盟時の盟約に沿ったものだ。加えて冒険者組合は、力ある者が加盟することで、より組織として力を得る事も起因している。

 これらから、最上位階級者チームに酷く睨まれるとその冒険者組合ではやっていけなくなると言われているほどだ。エ・ランテルでの加盟人数は1000名程であり、人間関係について連鎖影響も馬鹿にならなかった。世渡りと実力がなければやっていけない世界である。

 

 『漆黒の剣』のメンバーは、イグヴァルジらの言葉の内容の酷さに顔を(しか)めつつも沈黙していた。

 上位者であるミスリル級と白金級の会話であったからだ。銀級冒険者達の出る幕は無い。

 それを物語るように、イグヴァルジ達から『漆黒の剣』へは一言の声も掛けられなかった。

 ここでペテルは、申し訳なさそうにモモンへと詫びる。

 

「モモンさん、すみません。私達はただ傍で見ているだけで……」

「いや。その気持ちだけで十分かな。俺も噂で、彼等から酷い目にあったチームがあるって聞いているし。まあ今も会話だけで、特に被害はないしね」

 

 モモンは、慣れた風に表面上では泰然としていた。

 ペテル達は、そんな堂々たる漆黒の戦士の姿に対し、流石だという信頼の目を向ける。

 当然ニニャも左手に持つ杖の握りを強くし『モモンさんって本当に凄く頼りになる』と改めて頬を染める。

 イグヴァルジ達は、裏でワーカー達すら使って周到で陰湿な手を巡らし潰しにくるとも聞くので、不用意に噂すら余り立てられない怖さがあった。

 睨まれたチームが生き残るには、エ・ランテルで同じ他のミスリル級冒険者チームかイグヴァルジ達と仲の良い白金級のチームと懇意になるのが数少ない逃げ道となっている。

 その中で最高の状況と言えるのが、冒険者組合長達と懇意にしていることだ。

 イグヴァルジ達の『クラルグラ』も冒険者組合長らを敵にする訳にはいかない。ゆえにアインザックのチームと組むモモン達へは、言葉だけで済んでいた。

 奴の気持ち的には、モモンを裏道の袋小路まで呼び出し、少しボコるぐらいしたいところであった。まあ、実行すれば返り討ちは確実なのだが……今日は運良く自業自得にならずに済んでいた。

 

 こんな出来事があり、少し話をしていると午前10時半を迎える。

 モモンとしては、11時には王城の宮殿にアインズとしていつものソファーに座っていたい。

 しかし――。

 

「さぁて、どうしますー? 少しブラリとして飯でも食べますかー? 昼の1時過ぎからまた俺達、銀級冒険者の集まりがあるんで」

「モモンさん……一緒に居たいです」

 

 ルクルットの言葉の後に、ニニャから『モモンの彼女』としての熱い視線と要望を受けてしまう。

 歴戦の漢モモンとして、非常に断りにくい。

 しかし、王国戦士長との話の比重の方が明らかに大きいと思われた。

 モモンであるアインズは、内心で苦悩する。

 

(うわぁぁ……予定が被っちゃったよ。こうなったら食事に付き合う形で進めて、適当なところでパンドラズ・アクターと入れ替わるしか。それから戦士長との会談に向かおう。でもまずマーベロ達と打ち合わせが必要だよなぁ)

 

 一応、この場へ来る前の宿内で、マーベロ達には11時過ぎからの王城での戦士長との会談予定と有事の入れ替わりの必要性を伝えてはいる。しかし、アイコンタクトだけでは『入れ替わり実行の意思』や『こういったタイミングで』という具体案を伝えきれない。また、モモンのすぐそばにはニニャがいて〈伝言(メッセージ)〉も事実上使用不可だ。

 幸いモモンとマーベロ、パンドラズ・アクターも、急の〈時間停止(タイムストップ)〉への対策は常時していて影響は受けない状態であり、魔法を発動出来ればなんとかなる。

 だが、それにも障害が存在した。〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉による漆黒の戦士の状態では自由に魔法が使えないのだ……。

 なので、隙を見てマーベロかパンドラズ・アクターに掛けてもらうほかない。

 彼等に指示する時間を作るべく、とりあえずこの場はモモンの答えのみをニニャ達へと伝える。

 

「分かったよ。みんなで食事に行こうか」

 

 その回答にルクルットやダインが大いに喜びの声を上げる。

 

「やったー、食べ放題だぜ」

「この食事は貴重であるっ!」

「もう、また二人ったら」

「……すみませんね、モモンさん」

 

 男仲間達のハシャギっぷりにニニャ、最後にリーダーのペテルは嬉し申し訳なさそうにする。

 戦時下のここ王都は、物価がかなり上がっていたから。

 すでに平時の2倍超えの料金だ。一応、宿泊宿と食事券の援助があり、ほぼお金を使わず宿泊や指定の店にて幾つかの種類で安い少量の食事が可能ではある。モモン達も今朝はその券を使って食事をしている。でも、若きペテル達の胃袋がそれで満足出来るはずもない。

 といって、毎食の自腹も考えものだ。

 そこへリッチお財布モモンさま登場であるっ。期待は当然というべきもの。

 モモンとしては盗賊団との戦いで戦友の部分があり、気にする事でもない。

 

「大丈夫。じゃあ、どこにいきます?」

 

 そう語るモモンの言葉を受け、ペテルやニニャ達は動き出し広場を後にする。

 大食漢のルクルットとダインを先頭にペテルが続き、そしてモモンとその両隣にニニャ、マーベロという形で道を歩く。

 マーベロとは手を繋いでいるが、少年衣装のニニャは残念ながら隣で寄り添うのみだ。

 彼女的に、歴戦の戦士モモンは男らしく『女』が好きであってほしい、という気持ちであり我慢しているのが分かる。モモン寄りの手が掴みたそうに何度も空を切っているから。

 切ない感じに手を繋いでいなくともニニャの位置が随分近いため、モモンはマーベロ達へ『入れ替わりの説明』が出来そうになかった。

 

 そのままの状況で20分以上が経過する。

 悠然と歩く漆黒の鎧姿のモモンであるが、兜の中では思考と視線が左右へとブレていた……。

 

(んー、ヤバいな、コレ。どうしよう……全然タイミングが無い……)

 

 先導する野伏(レンジャー)の男はこの後の予定を考え、彼らの宿の方向も考慮しつつ道を選び移動していく。歩く通りは先程から飲食店が並んでいる風景に変わっている。また、彼はモモン達の宿の位置も正確に知っているので、丁度良い経路をチョイスしていた。

 そして更に5分ほど歩いたところでルクルットは、道に一軒の店を見つけて傍まで進むと振り返りつつ、軽く握った右手親指で建物を差し告げる。

 

「ふっ、よーし。ここにしようぜー」

 

 すると、皆がその店の看板を見上げた。

 

「あ、ここって」

「いいであるなっ!」

 

 そこはエ・ランテル料理の店であった。

 東の大都市エ・ランテルを出発して1週間が経っている。やはり、ホームの飯の味が食べたくなってきたのだ。店外に掛けられたお勧めメニューリストに書かれている値段も多少お手頃価格の様子。

 モモンは、彼等の気持ちを理解し了承を伝える。

 

「うん、いいんじゃないかな?」

 

 今いるメンバー全員の共通点。仲間として連帯感を覚える事象である。

 モモンも悪い気はしない。

 それに――この瞬間、ニニャの意識が店の方に取られてモモンから4、5歩離れたのだっ。

 支配者はこの隙を見逃さない。小声で早口に述べる。

 

「……(〈伝言(メッセージ)〉。マーベロ、〈時間停止(タイムストップ)〉だっ)」

 

 次の瞬間、世界が止まった。

 モモンはアインズとして配下へ声を掛ける。

 

「マーレに、パンドラズ・アクターよ」

「は、はい」

「何なりと、創造主様っ」

「宿を出る前、先に述べていたが、私はこの後すぐに王城にて王国戦士長殿と会談がある。パンドラズ・アクターよ、()()()()ここで入れ替わるぞ」

 

 無論、そんな予定はない。偶然だ。

 だがモモンは、(ようや)く巡って来た機会を、見越していたように伝えた。多分、ここを逃すと食事の席でもニニャは傍に居続けるだろうから、残り僅かの午前11時までの時間で最後の好機のはず。

 命を受けたアインズの創造せし不可視化中のNPCは、直ちに応える。

 

「畏まりました。少々お待ちをっ」

 

 パンドラズ・アクターはその不可視化を解き、軍服から変形により漆黒の鎧の戦士姿へと見る間に変態する。そしてモモンの位置と入れ替わると、代わって〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉を解除したアインズが()()で不可視化した。時間停止中は攻撃系と移動系の魔法は無効化されるが、それ以外の魔法は使える。

 

「これ以後は頼んだぞ。マーベロも上手くやれ」

 

 マーベロは瞳をキラキラさせながら支配者へ答える。

 

「は、はい。お任せを」

「うむ。〈魔法遅延化(ディレイマジック)〉〈転移(テレポーテーション)〉。ではな、時間停止解除を頼む」

 

 そうして、アインズは〈時間停止〉解除の瞬間、この場を後にした。

 店に入ったペテルら一行は、このあと存分に彼らのホームであるエ・ランテルの食事を楽しんだ。

 パンドラズ・アクターは、先日から不可視で何度も『漆黒の剣』との食事風景を見ているので、自然とニニャとマーベロを両脇に座らせる形になり、偽モモンとして振る舞う。

 しかし、彼の内心は凄く複雑だ。

 パンドラズ・アクターは、アインズの事を密かに『父上』だと思っている。だから、もし『父上』と結ばれる女性がいれば、それは――『母上』となるわけで……。

 目の前の人間ニニャは、『モモンの彼女』という立場上その候補の一人なのだ。

 時折、その人間が瞳を潤ませ、頬を染める熱い想いの顔を向けて来る。食事の為に面頬付き兜(クローズド・ヘルム)は脱いでおり、『自分(モモン)の彼女』に対して目を逸らすのも不自然である。時折そっと手も握られるし、身体も熱く寄せられる。

 欲情などは全く湧かないが、『母上』候補に迫られるこの状況には思わず困惑していた。

 

(創造主のアインズ様ぁ、私は、ど、どうすればぁぁぁーーー)

 

 子として苦悶する彼は、とりあえず――笑った表情で必死に誤魔化し続けていた……。

 

 

 

 

 

 

 なんとか王城のヴァランシア宮殿へと戻って来たアインズは、ほどなくナーベラル扮する影武者のアインズと交代する。

 一般メイドと違い、いつも熱い視線でジッと主を見詰めてくれるツアレが部屋に居たので、熱めの飲み物を頼んでもらい奥の家事室へと下がらせた隙にだ。

 不可視化したナーベラルが壁際へと下がり、アインズはいつものソファーへ腰掛けて寛ぐ。

 支配者は本気で寛いでいた……。

 

(ふーっ。間に合ったなぁ)

 

 部屋の飾り棚にある大きい置時計を見れば、時刻は午前10時58分であった。

 戦士長からの言伝(ことづて)では11時過ぎという話。

 11時半頃かもしれないなぁ、と思っているとソリュシャンが告げる。

 

「アインズ様、王国戦士長殿()が宮殿内に来たようです」

 

 これも常に流動変化する“諸行無常”の一環なのか、絶対的支配者にまともな休みは無いようだ。

 

「……そうか」

 

 よく聞くと、王国戦士長へ対しての敬称がプレアデスの中で微妙に割れている。

 『様』を付けているのはユリだけだ。アインズは以前と変わらず『殿』付けである。

 おそらくユリはアインズの、ひいてはナザリックにとって唯一の客人という存在に対して付けているのだろうと、支配者は理解している。ソリュシャンやシズらは、客人とはいえ主を初めナザリックの上位者達と同じ敬称は付けたくない様子。その辺りについて、アインズは個人の裁量に任せている。

 2分ほど後、宿泊部屋の白い両開き式の扉が叩かれた。

 ユリが出迎え、笑顔のガッシリとした男を室内へ招くと、部屋の主がソファーから立ち上がる。

 

「ようこそ。折り入って少し話がありまして」

「いや、こちらも」

 

 アインズとガゼフの二人は握手の後、話をしながらいつものようにソファーへと掛けた。

 ユリは、脇へ止めていた来訪者用に準備万端のお茶セットを乗せたワゴンで、お茶の用意を始める。

 その愛しい女性の姿を視界の端に捉えつつ、戦士長の方が先に昨日の件について伝えてきた。

 

「昨日は無様な事になり、ユリ・アルファ殿をこちらまでお送り出来なくて申し訳ない」

「ああ、お気になさらず。それより、大事なく良かったです」

「いや、お恥ずかしい。……ところで、早速だが君の用件を伺いたい。今は30分程しか時間がないものでね」

「分かりました」

 

 いよいよ、この王都リ・エスティーゼ内も王国全土からの冒険者や各都市の大規模に膨れ上がった兵団が集結を進めており、王国戦士長の多忙さは十分推察出来る。

 そのガゼフから発言を促されたアインズは、ソファーの背へともたれ掛かり落ち着いた雰囲気を一旦作ると、少し意外な用件を告げる。

 

「では。……先日、大臣代行殿から話を聞きましたが、その―――ルトラー第二王女殿下と会えないでしょうか」

「……ルトラー様に?」

 

 実は、元々朝にユリを戦士長の下へ行かせた理由が、『ルトラー第二王女殿下に会えないか』ということだったのだ。しかし、この件は反国王派との件もあり、公には安易に口外出来ない内容で、ユリには可能ならという話で指示しており、本題はこの場に持ち越されていた。

 ゴウン氏からの申し出の言葉に、ガゼフはその真意を探る雰囲気で斜め前に座る友人の仮面へと少し視線を強める。なぜ大臣代行ではなく自分なのかという事も含めて。

 だがそれは、親交のない大臣代行よりもという部分と、秘密裏で当初説得に来た者へ掛け合おうと考えるのは当然に思えた。

 絶対的支配者としては、急ぎや切羽詰まった感は極力感じさせないように理由付けも忘れない。

 

「ええ。彼女の希望でもあるということを聞いていますし、例(婚姻)の件も含めて早めにお会いして一度話をしておくべきかと思いまして」

「……ふむ、確かに」

 

 国王の忠臣として戦士長は主の為に、姫君の強く希望しているこの幸福であろう縁談を、無事に叶えてやりたいと考えている。

 またガゼフも、ルトラー王女が旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)との面会を望んでいることは聞いていた。

 ゴウン氏の語る内容に道理としておかしい部分は無い。

 加えて近い将来に婚姻を結ぶ約定――つまり婚約者同士の二人が話をするのに異論を挟むのは野暮というもの。

 ただ、当初の対竜王軍団戦への参戦の見返りとして、第二王女との縁談説得時に反国王派との関係の兼ね合いからだろうか、ゴウン氏から何となく『王女と会うべきではない』という強い意思の漂う雰囲気を感じていたのだ。

 それが、この5日程で「積極的に会いたいという話に?」と……。ナゼに。

 眼前へ悠然と座る友人の大きく変わった考えについて、ガゼフとしてはまだ完全に理解出来ていなかった。でも、戦士長自身――突然好きになったモノはどうしようもないという、激しい心理変化がどれほどかを現在進行形で良く知っている身。

 だから仮面の友人も、若くてとても美人で清楚なうえに知的であるラナー王女とほぼ瓜二つと聞く双子のルトラー第二王女へ、そういう気持ちになったのかと考えた。

 戦士長は、当然真実を知らない。

 そもそもアインズ自身にとって、丁度ナザリック内での『妃』問題に連なるデリケートといえた話に加えて、まずラナー王女の姉ということと、『自身を人身御供にすら使う遠大な戦略家の影』が垣間見える第二王女に、近寄りたくなかったのが正直な思いである。

 

 

 しかし、そういった流れが()()()()()()()()()大きく変わったのだっ。

 

 

 

 

* * *

 

 

 アインズは昨日、可愛く忠誠を示したルベドからの『姉妹だから(敵の)竜王も守ってほしい』という無理難題を最大限考慮するためにアーグランド評議国を動かすと明言した。

 ゆえに、本来の計画へ上積みしてそれを実行する必要がある……。

 しかしそこで、()()()()今も多忙のデミウルゴスやアルベドへと追加で知恵出しを頼むのは忍びないと考えてしまう。

 評議国についてほとんど何も知らないアインズは、良案を立てる為に苦肉の策ながら、脅威の知識と知恵の両方を合わせ持つ危険人物指定のラナー王女の力を借りるのが近道と考えた。

 ラナーとは、先日(6日前)の夜遅くの密談において、彼女の瑞々しい生脚と純白の下着まで見せられたうえで最終的に『姉妹保護の観点』から既に協力関係となっている。それ以後、二人の時は「ラナー」「アインズさま」と名で呼び合う間柄ということで、相談には乗ってもらえるはずだと。

 ただ、相手はこのリ・エスティーゼ王国と王家から、実質『政略結婚用の弾』として大切に保護されている美しくうら若き第三王女殿下である。

 この正当なる玉の姫と、わざわざ戦争協力の餌として多くの財と難ありながら第二王女を(あて)がったはずの旅の風来坊の男とが、大ぴらに談話を重ねていくなど国王達は良しとしないだろう。

 つまりラナーとの協力関係に加え、面会も秘匿する必要ありと思われた。

 それと、先日のラナー王女側からの使用人経由での書簡は上手く届けられたが、本来、言伝や書簡など記録が残る形でのやり取りは、貴族達の大変好む色モノゴシップの餌食になりかねない危険行為であったはずだ。

 ちなみに、あのラナーからの書簡を届けてきた小間使いは、例のラナーの部屋に隠された『異質の絵』を描いた画家の頭へ水差しを誤って落とし殺してしまった貴族娘の妹であり、内容を改められること無く秘密は完全に守られている。あの書簡は表向き、「先の会議の詫び状です」という話で後腐れなく片付いていた。前後の状況から許された一度きりといえる機会を、あの王女が上手く使っていたのは流石と言える。

 

 

 さてここで問題なのは、アインズとラナーとの連絡に入る人物はいないということ。

 

 

 アインズとしては〈伝言(メッセージ)〉を使えば事足りそうだが、人間達が使用すると距離により不鮮明となる魔法の模様。嘗て300年程前だろうか、不鮮明さを利用されて主戦力が都を離れた隙に王は討たれガテンバーグという王国が滅んだ事もあり、それ以後“〈伝言〉を重用せし者”とは『信用できない人物』、『愚者』という意味合いで使われているほどだ。

 ラナーからも過去の厳然たる史実から、〈伝言(メッセージ)〉のみという手段は断られていた……。

 そんな二人の関係は、ガゼフにすら秘された関係である。

 戦士長にとっても二人の関係を知った場合、それは主と祖国の『とっておきの姫君』のただならぬ男関係となり、友人であるゴウン氏といえども眉を顰めざるを得ないモノといえる。

 玉に(きず)が付くということなのだ。

 側近の剣士クライムについては、これまで10年以上に渡り使用人の娘達や宮殿の衛兵達が傍にいる状況で問題は皆無と確認されている事と、少年剣士自体が『忠犬』という陰口的二つ名へ表れている風に主へ手を上げることはないだろうと、ある意味かなり信用され始めていた。

 ラナー王女への色モノゴシップは『忠犬』の存在でかなり守られていて、これまでにほとんどない。それは、ラナー第三王女が専属の騎士を全く置いていない事や、過去数年の舞踏会でも父や兄達以外の男性と踊ったことや、会話すら殆どない事実が物語っている。

 平時はクライムや守衛の目が光る宮殿と庭を散策する程度で、話し掛けられても上手くほぼ会釈のみの対応に留める第三王女。

 可憐で純粋に見えるラナー姫の、若く美しく整った表情とその如何にも男を喜ばせそうな肉体への関心だけは、貴族間でかなり高い。特に自領内で弱者を甚振(いたぶ)り唯我独尊の生活を送る欲深い貴族ら特権階級の者達には、自制心の希薄になった者が多く、色欲に目が血走っている獣の男が多数いた。

 第三王女がか弱い性格の者ではない事は、『奴隷制度廃止』や『冒険者組合の改革』へ対する会議での強く説得力のある発言から周知されている。逆に、そういう知的で綺麗で強気の女を虐げることに悦楽を感じる貴族連中が、より彼女へと狂おしく熱い欲望に萌えていた……。

 そんな折、あの竜王軍団侵攻前夜の舞踏会で少し王女の行動に異変が見られたのだ。

 珍しく舞踏会の開始当初からラナー第三王女は出席していた……まるでダレカを探して待ち焦がれるように。いつも通りに、欲望混じりで向けられる男達からの挨拶も言葉も、ただ軽い会釈と最低限の会話で全てスルーする。それで時間はどんどん過ぎ、問題は何も無かった。だが次の瞬間、ラナー王女がなんと、よそ者である平民と(おぼ)しき仮面を付けた旅の妖しい魔法詠唱者(マジック・キャスター)へ“笑顔”で彼女の方から話し掛けたのだ。『ラナー狙い』だが手の届かない中層級の老若混じる貴族男性らが、一斉に拳を握り込んだのはいうまでもない。

 第三王女の珍しい行動は翌日も続き、『蒼の薔薇』と王国戦士長がいるものの、再び旅の魔法詠唱者と同席する場が設けられたのだ。

 でもそれは、王国戦士騎馬隊の救出や竜軍団の占領するエ・アセナルへの潜入調査と、異例の部分も垣間見え、幸いまだ貴族達からの明確に『王女との男女間での怪しみ』に関して、客人『アインズ・ウール・ゴウン』へと向けられてはいない。

 また、王城で開かれた『竜軍団に関しての緊急対策会議』での、ラナーの仮面の客人への煽りシーンも地味に効力を発揮していた。噂では一部罵倒したとも伝わっていたからだ。

 ラナーは、一般にしっかり者で思いやりのある知的で素晴らしい人物として知られている。そんな彼女は、目立つ立場の対立者へは、無関心の立場を取るようになると……。

 だから会議日以降、いずれ王城を去りゆく客人のゴウン氏とはもう接近しないだろうという憶測が貴族達の中で大半を占め始めており、ラナー王女への淫らで激しい想いを秘め熱く狂う貴族達には安堵感が漂う。

 ソリュシャンにより、王城内の噂も把握確認している指揮官アインズとして、周囲の状況からラナーとはこのまま秘密裏の関係を続けるのが最良と判断する。

 

 だから勿論、支配者は事前に布石を打っていた。

 

 アインズは先日の密談の最後、平和を守るため微笑みを要求したあとのラナー第三王女へ――今後の連絡手段の参考情報として宮殿4階奥にある彼女の部屋近辺について、夜間の衛士交代と使用人の娘達の見回り巡回時間を確認している。

 すると、彼女からそっと小声で「午後10時5分から10時10分までは、毎日必ず誰も来ない時間が存在します」と呟く。それは、ラナー王女殿下の部屋において巡回の隙といえるもので、貞操を考えれば男性には本来告げられない情報である。

 だが自身の苦しい現状を打破し、クライムとの桃色の野望を実現出来る強大な力を持つ者は、すでに仮面の彼だけとラナーは確信し一蓮托生と考え、強者から支配される想いも熱く寄せつつアインズへとソレは伝えられた。

 その隙間の機を利用するべくアインズは――昨夜、パンドラズ・アクターとの〈記憶共有(シェア・メモリー)〉による情報共有を終え、暫く後の午後10時前に再び王城へ戻る。そこでナーベラルとは入れ替わらずベランダにて、ラナーから聞いたその時刻の午後10時6分頃、彼女へと静かに呼び掛けた。

 

 

「〈伝言(メッセージ)〉。ラナー、聞こえますか? アインズですが」

 

 

 この時、相手のラナーは、ヴァランシア宮殿4階奥の自室に居た。

 本日は入浴日であったが、今日の彼女は夜遅くの利用ではなく朝食の後、まだお湯の綺麗な午前9時過ぎ頃に1階の浴場で入浴を終えている。

 現在王国は戦時下で非常事態であるが、敵の王都リ・エスティーゼへの直接進撃は確認されておらず、定刻午後9時に剣士のクライムは王女の下を退出していく。しかし部屋には使用人の娘が1名残っていた。9時半には王女の寝間着への着替えがあり3名にまで増える。着替えが終わると再び1名が残るといった感じで、基本1名は室内に居る形だ。

 そして、扉の外には剣を帯びた腕の立つ騎士が衛士として直立で護衛する。

 ラナー専属の騎士は1名もいないため、近衛騎士達による数時間ごとの持ち場交代任務と定められている。美しいラナーへ憧れる騎士も多いがこれは近衛騎士隊の中で順番になるので、1年に一度あるかという機会。それも僅か数時間のうえに、部屋の外という切ない状況である。廊下を不定期で巡回する衛兵もいるため、中でお着替えの時間と分かっていても、ラナーの部屋の扉に聞き耳を立てる訳にもいかず、若き騎士達はモンモンとした想いで数時間を過ごす場となっている。

 その中で、連日朝から夜まで剣士のクライムだけは中での護衛。姫から挨拶や声も掛けられ、時折楽し気に美しい声の会話まで聞こえてきた……。

 こうして騎士隊の者達の苛立ちは、平民風情の少年剣士へ共通した恨みに近い考えとして連帯感すら生み出し決して小さくなかったのであるっ。

 時間は午後10時5分。ここでラナーの部屋にいた使用人が退出する。この後5分間は部屋へラナーひとりである。実は1日の内に、この5分という空白時間は数回発生している。それは1日中安全でいることを見張られている形のラナーへ、解放感を与える時間でもあった。だが、文字通り彼女にとって恵みの時間へ変わろうとしていた。

 ラナーは魔法の〈伝言(メッセージ)〉について知識を持ちつつも、実際に頭の中に流れる独特の電子音の知らせと、音声をこの時初めて聞いた。

 アインズからの問いかけに、ラナーは目を少し見開き驚きの表情で答える。

 

「!?――……はい、聞こえます、はっきりと」

 

 記述では、〈伝言(メッセージ)〉とは雑音が酷く、かなり聞き取りにくいという書籍の知識を持っていたが、アインズの声はそれを完全に裏切り、鮮明に澄んでいる声質が頭の中へと届いている。

 そんな、驚きの収まらない中で仮面の相手がラナーへと尋ねてくる。

 

『今はお一人ですか?』

「はい、―――アインズさま」

 

 ラナーは今、少し胸がドキドキし始めている。

 それは、あの「アインズさま」と呼ぶ様になった晩の事。アインズへ、『この先毎夜でもいいです……よ』などと、トンデモナク淫らな誘いの言葉を贈っていたからだ。

 翌日も本当に来たら……と実は熱く()()()()()挙句に空振りを食らい、その直後の入浴場で姉のルトラーとの話から特異の状況を察知する羽目になった。

 翌朝に、長兄のバルブロに探りを入れるが、まだ何も聞いていないらしく、仕方なく父のランポッサIII世に『あの旅の方々を戦いに引き込めれば良いですね』と探りを入れ、『そ、そうだの』という王のラナーへ対しバツの悪そうにする態度を見て、漸く確信する。

 『姉ルトラーは、アインズさまと―――婚約している』という事実に。

 王の居室を去る時に、ラナーはナゼか感情の高鳴りにより少し手が震えた。これは怒りか悔しさか、そして第三王女の姉に対する敗北感なのだろうか。

 でも、彼女は探りでもう一つ分かった事もある。この婚姻は『すぐ』ではない。

 つまり姉に対して――まだ先手の『実』は取れるという話だ。

 今のアインズの言葉から、そういう『夜のお誘い』なのかと、ラナーは姉への対抗心からの期待も含み一瞬で考えていた。

 しかし、全く違う内容を聞く……。

 

『実は、今回の竜王軍団との戦争について、アーグランド評議国に対し内部工作もしようと考えています』

「――えっ」

 

 ラナーは内心些かガッカリしつつも、別の意味で小さく驚きの声を上げた。

 それだけの内容で、アインズの要望のほぼ全てが分かったからだ。

 確かに、『竜王軍団をアーグランド評議国側の指示で撤収させる』というのは、理に適っている。竜王軍団を力のみで殲滅撃破した場合、かの国には王国への恨みしか残らないだろう。

 リ・エスティーゼ王国は、既に未曽有の損失を受けており勝つのは最重要だが、今後になるべく遺恨を残すべきでないのは確か。

 それは、竜などに対し寿命の短い人間の英雄(アインズさま)が死んだあとの事も考える必要があるためだ。戦後も数十万の民と大都市とその経済全てを失った王国の、隣国と亜人らへ対する恨みは消えないが、人類全体にとって未来の新たな戦いの火種となるなら目をつぶるのも肝要である。

 だがこの時、ラナーの思考にひとつ、アインズへの大きい疑問が浮かぶ。彼女も乙女である。その急に湧き上がった想いが『思考の魔女』を大きく狂わせていく。

 

(先日まではその必要性がない雰囲気であったのに、ナゼ考えが変わったのです?)

 

 これは……姉ルトラーとの縁談が強く関係しているのかもしれないと、ラナーは彼へと温まる心をチリチリと焦がしつつ、目を細め考えを巡らせる。

 以前、彼はいずれ去るつもりでいたこの国の百年後を考える必要が無かった。しかし、美しく自分(ラナー)にそっくりで()()()()()()()女と富と安住の地をこの国へ得たことで、先の……夜な夜な熱く愛を育んで生まれる子供達の未来を考えるようになったのか、と。

 派手にボキリと女のプライドの折れた音を立てる第三王女の心が(うな)る。

 

(……悔しい。負けたくない。―――先んじて必ず『実子』を取ってやるわっ)

 

 ラナーにとってこの心情は、可愛いクライムとでは一度も感じる事のなかった強烈な、女としての想い。恐らく少年剣士へちょっかいを出す女には、「ペットを盗みに来た愚かなヤツ」という程度の感情しか湧かないと気付く彼女であった。

 いつの間やら裏で、勝手に激しいラナーVSルトラーの子宝戦という様相だが気付くはずもなく、アインズはまず確認する。

 

『兎に角、〈伝言(メッセージ)〉ではなく直接そちらで話していいですか?』

「……はい、大丈夫です」

 

 彼女の答えを聞いた瞬間にアインズは、ラナーの部屋へと〈転移(テレポーテーション)〉する。扉の傍はマズいので、少し奥にある前回来た時に座った三人掛けの椅子とテーブルの傍だ。

 アインズは出現して気付く。ラナーの姿が普段見る王女仕様である豪華っぽくそれなりに飾った純白のドレスではないことに。前回はラナーが使用人らに手を回し、2時間以上空白を作り着替えの時間をズラしたので普段のドレス姿を見ていたが今日は違った。それは、リボンとフリルが可愛らしい真っ白のネグリジェ系の寝間着であった。幸いに裾の長く夏ながら透けのないもので、支配者は目のやり場に困らず済んだ。

 だが、常識的に考えてそれは、姫君が他家の男の客人には絶対に見せることのない姿。

 

 見る事の出来るのは同性の友人か……夫を含めた身内のみであろう。

 

 アインズの思考に、ふとカルネ村のエンリの姿がダブる。

 いや、そういう光景があるとはいえ今は時間がない状況で、支配者は礼儀としてまず姫へ断りを入れる。

 

「……お休み前なのに、急に申し訳ありませんね」

「いえ。そのことよりもまた私の部屋へ来て貰えて嬉しいです。ただ、時間があと3分ほどですけど」

 

 『夜に愛しい男を部屋へ招く』――この事実は、貞操の固い彼女ら王女にすれば、決心した後の禁断の行為。しかも二度目の来訪である。逢瀬といっても過言ではない。

 ラナーとしては、姉よりも一歩先に進んでいる感がしていた。少し彼女の心が軽くなる。

 アインズは今の僅かの時間へ対し、本題を進めるために彼女へ問う。

 

「今日のこのあと、どこかに話をする時間はありますか?」

「予定表では確か0時を過ぎると、私の就寝中の時間でもあり1時間ほど小間使いの子がいない時間があったはずです」

 

 先日よりラナーは毎朝一応といって、アインズとの密会のために、使用人らの担当予定表を見せてもらい確認することにしていた。それが生きた形。姉へ先んじるためにも好機は逃したくないと十分可能性のある纏まった時間を、想いも込めて彼へと伝えた。

 彼女の答えにアインズは即飛びつく形で提案する。

 

「その時間に、先の件を話せませんか、ラナー?」

「分かりました、アインズさま。では後ほど」

 

 優しく微笑んでのラナーの言葉を支配者は聞く。

 もう残り時間は1分ぐらい。

 アインズは彼女へ頷くだけで、「〈転移(テレポーテーション)〉」と小声で呟き、この場から掻き消えた。ラナーの「()()()()お待ちしています」と囁く言葉は聞こえぬままに。

 それから30秒ほどして、ラナーの部屋の白い扉は使用人に小さく叩かれた音がした。

 

 

 

 約2時間後の日付を越えた午前0時1分。

 絶対的支配者の巨躯の影が、時間通りにヴァランシア宮殿4階奥の、ラナー第三王女殿下の私室の真っ白い壁へと浮かび上がっていた。

 ソリュシャンの確認で、王女の部屋から使用人の姿は0時に迫る3分程も前に消えている。

 使用人らの多くは下級貴族の娘でもあり、王女も随分前に部屋奥の大きなベッドへ入り、この地は戦場からも随分遠く、見られていない部分での緊張感は皆無で、手抜きの窺える結構ゆるゆるの勤務状況だ。アインズとしては、勿論その方が色々と助かる。

 彼が広い部屋を見回すと、就寝時間の今も全ての明かりが消されたわけではなかった。

 普段からこの特別である部屋には有事用に水晶が放つ〈永続光(コンティニュアルライト)〉の燭台風の明かり台が4本残されており、薄暗くあり室内は真っ暗ではない。

 明かりは入口の白い扉脇に1つ、途中のテーブル等障害物の傍に2つ、そして部屋奥に置かれた白と赤とピンクの高級レース布を天板から下ろし飾られた高品質のベッド脇に1つだ。

 アインズは、その明かりに沿うよう進み、ベッドから少し手前で止まると、寝たふりをしているであろう王女へと声を掛ける。

 

「ラナー、起きてますか? 約束の時間です」

「はい……起きています」

 

 彼女は、フカフカの布団から枕に乗せた頭を覗かせており、美しい顔の閉じていた目をゆっくりと開いていった。

 そして目を開いて彼女が見た光景。既に三度目の逢瀬。そのアインズの様子に、彼女の彼への信頼度と好感度が増した。彼は、紳士らしく乙女の王女に配慮した行動をとっていたからだ。

 今回こそ、力を笠に着てズガズガとベッドまで乗り込まれ、匂いや寝顔を舐め回す形に堪能される無礼で幻滅する行為をされるかもしれないと、ラナーは()()()()していた。もちろん更にいきなり唇を奪われ激しく身体を求められることも……。この密室には彼と自分の、大人の男女二人だけしかいないのだから。そうなると布団越しでも声などで衛士に見つかる可能性が、と。だがそれも、この時代の強者の示すひとつの特権といえるものである。

 圧倒的な力に支配されるのは、彼女の()()()()()()ところでもある。

 天才である自分の『夫』ならそれぐらいであってもイイ。ちなみに、クライムは淡い初恋の可愛い――『愛犬』だ。

 でも、初めぐらいはロマンチックに、乙女として優しく扱ってほしいと思うのは自然のこと。

 

 そういった王女の期待に、目の前の仮面の人物は十分に応えてくれていた。

 

 ラナーは嬉しさで自然と穏やかに微笑む。彼が優しく配慮の出来る良い殿方なのだと、今知ることが出来たのは福音である。使用人達の話でも、良く希望で出るのだが現実には欲深く強引なるモノが殆どで中々いないらしいのだ……。

 少し子供でガッ付き気味のところがある少年のクライムも、こうはいかないだろうと思っている。

 幸せ感と甘い思考に浸り動かない王女に対して、アインズは時間を有効に使いたいため、早速アーグランド評議国に関する情報と、対応策について話し合おうとラナーへ催促する。

 

「では、この遅い時間で申し訳ありませんが、話を始めませんか?」

 

 すると、アインズの人柄を知ったラナーは、憂いなく驚くべき会談場所を提案する。

 

「あの……アインズさま。談話中に使用人が来ても困りますので、こちらで――ベッドの中で話をしませんか?」

 

 

「―――ぇ?!」

 

 

 これには思わず、絶対的支配者も極小声ながら驚きの声を出してしまった。

 確かに、談話へ夢中となり使用人が万一やって来て見つかる可能性はあるが、それにしてもその案は思いつかなかった……。

 アインズの考えでは、部屋の一角へ認識阻害と幻術魔法でも使えば大丈夫だと考えていた。それなら、他者からはラナーがベッドで寝ている風に見え、部屋の隅でコッソリ話していれば気付かれることはない。彼としては正直、ラナーへ余り手の内を見せるべきではないと考えている。

 まあ、アインズだけが隠れる形で、王女だけ見つかるケースも(ゼロ)とはならずだ。確かに夜中の部屋の端で、一人掛けの椅子へ座りブツブツ言っている姿を見られるのはイヤかもしれないが……。

 アインズが絶句していると、ラナーは積極的にベッドの上へ掛かる広い掛け布団の端を、彼を誘うために大きく捲ってくれたのである。

 しかし、捲られた布団の下に見えたラナーの寝間着は、先ほどの白く裾の長いネグリジェ系の服ではなかった。

 

 それは、メチャメチャ透けているモノに変わっていたのだ……。

 

 

 

 驚くアインズは仮面の中で――骸 骨(がいこつ) の (あご) が外れた。

 

 

 

 いや、仮面が外れ掛けた。運よく即時に精神抑制が発動していて助かった形に見える。

 童貞の彼には、予告なしでの若く綺麗で健康的な瑞々しい乙女の生シースルー姿は、精神的に顎が外れる程の衝撃であった。精神抑制はみるみる軽く2周してしまっている……。

 目の前の状況をテンポ的に述べるとペロン、ポロリンだ。

 

「――(ちょ、ちょ……)オホン。……(……ふーーーっ)」

 

 しかし、ナザリックにとってここで動揺を見せていい相手とは依然思えず。

 アインズは仮面の中で遮二無二(しゃにむに)落ち着きを取り戻す。

 第三王女の衣装は十分ハレンチで正視を躊躇われるが、彼は絶対的支配者『アインズ・ウール・ゴウン』。この程度、強者の漢なら泰然とし堂々と見なければならないっ。

 それに眼前のベッドへと横たわるラナーは、純粋に綺麗であった。イヤラシさというよりも、〈永続光(コンティニュアルライト)〉の幻想的な灯りの中で絵画のように芸術と考るべき光景に見える。

 その艶のある長い金髪とブルーサファイアの瞳。容姿端麗である表情に、肌の透き通るように白く均整の取れた胴と四肢。女性らしい胸のふくらみと腰の括れ。瑞々しい桃の如きお尻と太腿から足先への完璧なライン。

 ラナーは、白き袖無しネグリジェ系で裾の長い完全シースルーの、女性の魅力を際立たせる寝間着を着ていた。その広い胸元に付く可愛いリボンやフリルまでも薄く繊維間のあるもので出来ており透過性の高いモノである。

 そして、彼女は胸の部分にブラジャー風の下着を付けていない。更に下は、スケスケの短冊風の前垂れ布に紐が……まず腰側に短冊部分をたらし、紐を前で括って後ろから短冊状のスケスケ布を前で括った紐の下から通しその余った長めの布部分を前へ垂らす形の、良く見ればいわゆるフンドシタイプ。

 でも前垂れによりパッと見は、女神的で神聖味のある趣きを感じさせた。

 その全体の姫君の雰囲気にアインズは率直に呟く。

 

 

「……美しいな、ラナーは」

 

 

「――――っっ!? ……」

 

 思考の魔女のラナーには分かる。今のアインズはおべっかは言っていないと。

 それは――王女の心に最高の褒め言葉として突き刺さる。

 10日程前、『蒼の薔薇』と初会見時でのアインズの思考からも、近いものを読み取っていたが、二人きりで見つめ合いながら直接語られるのはまた全然違った。

 王城の舞踏会にて、目の血走った下等極まる貴族達からの「美しい」と聞こえた言葉の裏の思考には正に汚物的なモノしかなかった。

 対する仮面の彼の言葉とその思考は、一致し純粋に「澄んでいた」のだ。

 

 またもや色欲の無かった彼の気持ちに、少し感動していた。

 

 常に冷静で心の底は完全にドス黒いはずの彼女だが、顔と言わずその白い肌の全身へと赤みが差していく――。

 嬉し恥ずかしという言葉がピッタリな気持ちであった。

 心臓の鼓動がドキドキドキと心へも鳴り響くのだ。

 

(……いったいどうしちゃったの、私……)

 

 ラナーは混乱しつつも気付く。乙女として自分が十分興奮していることに。

 大人の女性の階段を、自分は上り始めたのだということに。

 強い気持ちを寄せ始めたアインズへその火照る身体を晒しながら、彼女は思わず可愛く両手を頬に当てていた。

 処女の王女は想いを強める。己を散らすのは、まさに今夜が相応しいのではないのかと。

 ラナーには、今夜時間があった。それもまだ十分と言えるだけ。

 ベッドからも見える、着替え用の豪華で大きい姿見に映り込んだ飾り棚の時計の時刻から、まだ52分以上残されている。

 

 

 実は――――ラナーの知識に亜人の国に関するものは余り無かったのだ……。

 

 

 王女がアインズへ参考になる情報を伝える時間は、2分もあれば事足りる。後は自由の時間。

 つまり、アインズの期待する情報はラナー自身からは十分得られないということだ。

 ではラナーは、アインズを騙したのかというとそれも違う。

 先程の短い時間のやり取りでは、伝えきれなかったのだ。そして、ラナーはアインズの要望に応える方法を知っていた。

 そうとは知らないアインズが、ラナーの最初の誘いについての返事を漸く返す。

 

「ラナー。貴方からの魅力的で嬉しい話ですが、その特等席について今夜は断らせてもらいます。まず(ソリュシャンとルベドが耳と目で監視中で、ナザリックでの女性関連報告も含めて、精神の)平静を保てそうにない。それに、私のこの目的はラナーの『夢』の実現にも繋がるもので重要なのです。失礼ながら――貴方との大切な約束の責任上、寝物語に聞けるものではない」

「―――っ!」

 

 王女は「でも」「どうして?」とは絶対に言えなかった。

 自分から持ちかけたアインズとの協力話である。そして彼は今その課題へ真剣に挑むところなのだ。ラナーの希望のすべてを握る彼の邪魔は、当然出来ない話となる。

 夜中の密室のベッドで、イチャイチャと初エッチをしてる場合ではないのだっ。

 アインズの言葉に、熱い想いを飲み込んだラナーがベッドへ起き上がった。そして膝を崩した姿勢で背を伸ばし両手を腿の上に置いて姿勢を正すと、アインズへ伝える。

 

「アインズさま……私からお伝えすべき事が大きく2つあります。一つは先程来られた時には時間が無く伝えられずすみません。実は、私には亜人の国に関する知識が殆どありません」

「えっ! そうなの?」

「はい。公務などがあり、亜人らに関する大量の文献へこれまで殆ど目を通せていないのです」

「……そう……ですか……(うわぁぁぁーーーどうしよう。どうすれば……やっはりデミウルゴスに――)」

 

 アインズは思わず、右手のガントレットを仮面の右前側へ当てる形で頭を抱えた。

 しかし、ここでラナーから続きの声が掛けられる。

 

「それと、お伝えしたい2つめですが、確かに亜人の国の情報を私は知らないのですが、その―――姉のルトラーは亜人の文献へも多く目を通しています」

「――っ(公務をしていないから、タップリ時間があったということか)、そうかっ」

「姉は、必ずアーグランド評議国の内情に関する書物も読んでいるかと」

「分かりました。教えてくれてありがとう、ラナー」

 

 一度沈んだ気持ちが希望に大きく立ち直り捲土重来(けんどちょうらい)という感じで、とても安堵感を漂わせるアインズであった。

 ラナーとしては正直、教えるかを迷った情報である。でも、いずれ分かってしまうはずの事に拘りは無駄というもの。それよりも今すぐに知らせる事で彼からの信頼を得る方がずっと有益と考えたのだ。

 それでも姉の第二王女は恋敵であり、気になるのが乙女心。彼の心に余裕の出来た様子を見て、ここで第三王女は初めて尋ねる。

 

「アインズさま、ひとつだけ。その……姉のルトラーと婚約を?」

 

 ラナーに対して、隠し切れそうにないため、アインズは一瞬悩むが事実を告げる。

 

「……今は両家の秘匿事項だけど――確かに約定は貰っています」

 

 アインズ自身から事実と告げられ、複雑に思いが重なった表情のラナーである。

 だが、今の王女というお飾りの彼女では実の力は何もない。「私ではダメですか」とも言えない立場。

 期待する眼前の仮面の男が竜王軍団を打ち破り、アーグランド評議国へ撤退勝利させた時に、初めてアインズは王国に対して大きい発言力を持つ存在となるのだ。

 そこまでは我慢しなければならないし、約定もそれ以後に発動するものだと思いたい。

 

「分かりました、アインズさま。教えてくださりありがとうございます」

 

 落ち着き返事を返すラナーであるが、納得していなくて何かをしでかしそうな雰囲気に見えた。

 それは現実になる。彼女は咄嗟という感じに支配者へ要望する。

 

「つきましては、アインズさまが姉と会われるその場に――私も同席出来ないでしょうか?」

 

 それでは支配者と第三王女の関係が露呈してしまう、簡単にマズイと分かる話だ。

 沈着冷静で利口者のラナーからは、まず出ない考えだと思えた。

 

「それは……難しいだろう、ラナー?」

「……でも、私……」

 

 ラナーはベッドの端から、そっと降りつつ履物へ足を通し立ち上がる。そして両手を胸元で包み合わせるようにし、ゆっくりとアインズへと歩を進め近寄って来た。

 幸い王女の胸元は、腕で隠され間近でも正視に冷静さを持って耐えうる状況だ。

 ラナーはアインズの前まで来ると……彼の胸へと熱い身体を軽く飛び込ませる――。

 

「(おほぅ!)………」

 

 アインズは支配者としてラナーを悠然と受け止めた。その一方で、彼女のその柔らかい肉体の感触と乙女の香りを直接受け、静かに――内心で激しい動揺が起こる。

 

 ラナーは甘くなかった……。それは女の揺さぶり。

 

 更に彼女は見上げてきた。そのすべてを透過する程の死んだ魚のようなブルーアイの恐るべき目が、『思考の魔女』ならではの輝きを放つ。

 

「私と貴方はもう一蓮托生……逃がしませんわよ。姉からは、情報だけを貰ってくださいな。()()()()、アインズさまに知恵と策を示しお手助けするのです――私との約束でもありましたでしょう?」

「!?――っ」

 

 心を見透かしてくるような魔女の言葉だが、絶対的支配者はこの程度で屈する訳にはいかない。

 一気に沈静化した精神から、保護対象の王女へとその(あるじ)は告げる。

 

 

 

「……勘違いしないでほしいな、ラナー。――どうするかを決めるのは、この私だ」

 

 

 

 その力を感じさせる重々しい声の言葉に、第三王女は――瞳を乙女のモノへと戻し、優しく嬉しそうに微笑む。

 

「………はい、分かりました、アインズさま」

 

 ラナーは『仮面の男』の思考が、普通の人である事は分かっている。だが、それは彼女にとって先日からもう重要ではなかった。おおよそ、統計的に彼女以上の知能と思考を持つ男性はいないだろうことは、彼女ほどの知力が有れば当然分かる話。

 彼には英知の策謀を一蹴し圧倒する絶大無比の魔法の力がある。それで十分。あとはラナー自身をどう使ってくれるか。そう、女に溺れ頼り過ぎる愚物なのか、己を律し女を活用する側の者なのか。

 

 そして、それをしっかりと冷静に決断出来る者であるのか……。

 

 でもラナーの心配は杞憂に終わったようである。

 女で王女である者に流されることなく、強い意志を見せてくれた頼れる主人たる殿方、アインズ・ウール・ゴウン。

 これからは離れず、添い遂げるべく付いて行くだけと、彼女の心は不思議と安らぐ。

 ふと王女は考える。

 クライムはとても可愛く大事と思うけれど……恐らく高みへと引っ張って行ってくれる者とは思えない。あの少年は主へ従う『忠犬』の域から出ることはないだろうと。

 あとは……伴侶アインズとの前に大きく立ちふさがる、双子の美しい第三王女殿下(じぶん)より胸の少し大きい第二王女殿下(ルトラー)だ。

 だから、妹は、主へと姉について教えてあげる。

 

「アインズさま。ルトラーについて少しお伝えしましょうか?」

「……そう……だな。では使用人達が来てもマズイし、そちらの奥に見える端の席で話をしようか」

 

 すでに自然と二人の口調は、従う女とその主人が交わす風になっていた。

 アインズはまずベッド周辺へ〈幻影〉で寝ている形の様子を持たせる。次にアイテムボックスから白地のフワフワなガウン調の服を出しラナーへと掛けてやる。流石に、張りはあり形良く揺れる胸元と腰下への目のやり場に困る為だ。

 ラナーは「わぁ、素晴らしい品ですね」と、その高級さと上質感に感動していた。そして主人の自分への優しさも感じ、心は温かくときめく。すでにこの身体をしっかりと見られてしまっているはずだが、後悔は全くない。もっと見ても……触ってもらってもいいのに……と。

 支配者は、目の前へ立つ白いガウン服を羽織るラナーの右肩へ手を背中側から回してそっと抱くと、部屋奥の窓際にあった小さいテーブルと一対の椅子の席へとエスコートして移動する。その場の周りへ認識阻害の魔法を施すと、二人は向かい合い席に着いた。

 

「さて。では、ルトラーについて聞かせてもらおうか」

「はい、では――」

 

 ラナーの話は、自分についても主人へ知って欲しかった気持ちもあり30分程続く。

 彼女ら姉妹の生まれから始まる。美しかった母は、国王派男爵貴族の末娘であった。

 第一王子と第二王子に第一王女も生んだ国王の最初の妃が亡くなったあと、3年後の舞踏会で見染められる。半年後、国王とラナー達の母の婚儀が行われた。それから1年後に、双子のルトラーとラナーが生まれる。その母は彼女らが8歳の時に他界した。以後、国王ランポッサIII世は妃を娶っていない。あとラナーらの母方の男爵家とは、母が末娘で嫁いでから既に代替わりが2回されていて、母の叔父の娘婿が当主となっており関係は随分薄くなっている。

 さて、双子で生まれた姉のルトラーだが、生まれながらに両足が不自由。そして5歳の時にその原因が前代未聞の『呪い』だと判明する。厳しい緘口令が敷かれ、ルトラーの容体について公では不治の難病ということにされた。だが、ラナーには関係なく周囲の思考から、姉は風評の悪さを王家が恐れて――冷徹に表舞台から脱落させられたことを知る。

 

 ラナーはこの時、目的に親類の情など一切不要なのだと大いに学ぶ。

 

 それからルトラーは、現在まで王城を一歩も出ることなく、ほぼ王家以外の者の目に留まる事もなく、このヴァランシア宮殿5階の一室にてひっそりと暮らし続けていた。

 そのため、幼少期から時間だけは山の様にあったのだ。ラナーに匹敵する頭脳を持ち、彼女は王城にあった閲覧可能な書物を取り寄せほぼ全て読破している……。それは、人類国家関連に留まらず200年近く前より亜人の国から王国へもたらされ、誰も読まず読めずで残されていた大量の書物にまで及んでいた。

 彼女が解読出来る言語数は、この広い大陸の全域に及び既に90以上あるらしい。ラナーが読めるのは、過去にも存在したものも含めて人類国家中心に15言語程に留まる。

 ラナーとしては、姉が恋敵になるとは想定外で、もし亜人の国に関しての変事が有れば、嫁がずにずっと残っているだろう彼女を頼ろうと考えていたようだ……。

 ルトラーは幼少時から時折、ラナーとは5階の自室内で会っており、共に勉強をしたり姉妹での会話も楽しんでいる。

 妹からみる姉ルトラーは『寛容』『聡明』『可憐』だ。姿は似ているが心が温かい姉の方が綺麗に見えていた。特に澄み切った穢れなきブルーエメラルドの瞳だ。また幼少期には容赦のない地もみせたラナーは、何度か窘められている。

 客観的にみてみるとラナーには悔しいが、姉の方が人として総合的に優れているのが感じられた……。

 

 だからずっと親近感は抱いていない。

 

 ラナーにとって、姉のルトラーは人間的能力と容姿での永遠のライバルなのだ。

 ただ、一つだけ姉にも『欠点』がある。『呪い』の件はともかく、お飾りの王女に足の具合は余り関係ない。妹的にみて欠点とはルトラーが――『黒』を溺愛していることだっ。

 部屋の白い壁を除くと室内は、絨毯を初めカーテンやベッドに至るまであらゆる家具が黒一色に埋もれている。また身に付ける服も下着すらも全て真っ黒々だ。まるで葬儀場の如き異質である光景が、姉の自室には日常として広がっていた。

 

 姉ルトラーは言う。『他色の全てを容易(たやす)く塗りつぶす事の出来る黒こそが、不変で美しい』と。

 

 その台詞を僅か5歳でさらりと述べた姉が、ラナーには怖かった……。

 なぜ、美しい『白』ではないのか。その後よく、好みのカラーで言い争いになったが。

 『欠点』を除けば兎に角、姉ルトラーはラナーにとっての『眠れる獅子』だ。

 ソレが、恋愛にまでも激しく加わって来るとは……。

 

「――姉は、父上と母上、兄妹達や自分の生まれた我が王国を愛し大事に思っています。そして、次期王位はここ十年、毎朝見舞いに来る長兄のバルブロ第一王子が継ぐことを望んでいるようです。そこで、王家でずっと厄介者の自分を王国存続のために活用したのです。財と権力に紛れて餌となりアインズさまを動かし利用しようと企んだ……その身も上手く押し付けて……ズルい人ですわ」

 

 姉ルトラーの株を僅かでも下げようと、妹のラナーは言いたい放題である。ラナー自身もアインズを利用している身のはずなのだが……。

 そして、姉が主人の妻にと上手く納まる形の妙策に、羨ましいとラナーは素直に思ってしまっていた。流石は自分が姉だと。

 でも、ラナーとしては目の前に居るアインズはすでに生涯の良人と決めた者。ここで彼を取られそうになり、大人しく引っ込むはずがない。

 また、姉ルトラーの『寛容』な性格は良く知っている。

 間もなく祖国を救う偉大で英雄の魔法詠唱者アインズに、自分以外の女が1人や2人ぶら下がっていてもとやかく言う程狭量ではない事を。

 王家の魔女は己の主人へ余裕の笑顔で伝える。

 

 

 

「きっと、私が同席していても大丈夫ですよ――――()()()ですから」

 

 

 

 アインズは、ナゼかそれには納得してしまった。

 

「……そうか……だが少し考えたいな。いずれにしても、段取りはこちらで用意する。それまでラナーは、()()()()も大人しくしていろ」

「はい、アインズさま」

 

 ラナーはニンマリと微笑んだ。

 

 時間はまだ15分ほど残っており、アインズはラナーへ現状で予想される評議国の内情を話す。スレイン法国の陽光聖典の連中から得ていた情報だ。竜種達も含め数々の亜人の種族の連合体で国家を形成している模様。それを評議国という国名から推測すると合議制で運営しているのだろう。だが、そこまでだ。実際にはどんな種族がいて、組織があって、どういった手順で今回の軍事行動は決められたのか。また、どの種族の誰がどういう立場でいるのかといった詳細は全くの不明。

 これでは具体的な作戦の立てようがない。

 現地へ赴き、行き当たりばったりで行動している時間は多く取れないだろう。精々1週間ぐらいか。

 現状の情報でラナーが示す大まかながら確実だという手は、評議国における権力者の――直接支配だ。

 彼女は笑顔で主人へと勧める。

 

「アインズさまは、()()()()篭絡出来たのですから、大丈夫ですよ」

 

 智謀の王女が語るには、亜人達の世界においても“力は絶対”とのこと……。

 半信半疑で「そうだな」と支配者は答えた。

 時間が来たため、アインズはラナーの部屋を後にする。

 先程彼女へと掛けたフカフカの白いガウン服について、「此処への来訪がバレるかもしれない」と回収を忘れない。

 脱いだラナーは残念そうにその服を一度抱き締めると、アインズへと別れ際に差し出していた。

 

 

* * *

 

 

 

 

 結局、支配者は昨夜、無駄足を食らっていた。

 ルベドの為に評議国の情報を得ようとラナーを頼るが、亜人情報は有さずと言われ、姉が知識を持つと知らされたのだ。

 そうして、王国戦士長へとルトラー第二王女殿下との会談伺いを立てる今へ至る。

 アインズは、表面上焦りなく悠然と語る。

 

「日々急変もあり得る戦況と出陣も迫る状況です。出来れば早い方がいいのかもと。こちらとしては、会談時間や場所は王女殿下側で任意に決めて貰って構いませんので」

「んー」

 

 客人の(表では)殆ど宮殿の部屋か庭園で過ごしている風に見えるゴウン氏からのいつも聞く控えめの言葉を、戦士長は目を閉じて一つ一つ思考で反芻する。

 3日程前に話を折り返されたはずの大臣代行は、少し頭の固いところのある人物で、ゴウン氏のこの戦争に関する大きい存在をまだ十分に捉えていない節があった。

 戦士長は閉じていた瞼を上げ、姫君の婚約者たる客人の友へ伝える。

 

「一々もっともだ。この話を持ち帰り、早急に実現するよう努力しよう。今日明日にでも予定をお知らせする」

「よろしくお願いします」

 

 二人の交わす会話の際中、ユリによりいつも通り温かいお茶の入ったカップがガゼフの席の前に置かれていた。それを厳つい顔ながら美味しそうに飲み干すと、戦士長は「では急ぐので、これにて」と立ち上がる。

 アインズも立ち上がると握手を交わし、ユリに扉の外まで送らせた。

 去り際にガゼフは愛しの眼鏡美人へと告げる。

 

「ユリ・アルファ殿。近日にまたお食事への招待状を出しますので。本日もお茶、美味しかったです」

「ありがとうございます。分かりました。では、またのお越しを」

 

 戦士長は、ユリの眩しい笑顔(半営業スマイル)を贈られる。

 しかし、朝に受けたユリからの感激の衝撃に比べ振れ幅が小さく、感情が安定内に留まった彼は――珍しく正気のままこの場を後にした。

 人はもちろん恋でも精神が進化する生き物なのであるっ。

 

 

 

 

 王国戦士長ガゼフ・ストロノーフは、ゴウン氏との用件を10分程で終えたため、まだ時間があると判断する。

 宮殿を出て少し歩いた王城建屋内にある国王ランポッサIII世の執務室を訪れ、王の座る執務机の前で跪き、仮面の客人と姫の会談の件について父親である国王へとまずお伺いを立てた。

 

「陛下。先日、大臣代行殿をかの御仁へ遣わした折、王女殿下からの会談ご希望の旨も伝えられたかと」

 

 約定の件とルトラーの話は公では禁句のため、(ぼか)されてここでは伝えられた。

 

「……うむ」

 

 国王は一応、大臣代行からゴウン氏の返事について「実は……」と話は聞いていたようであるが、娘の要望とは言え今の段階で足に難しい問題の有る姫を、魔力系であろう旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の前に出していいものか改めて思案していた。

 嘗て娘の足を診断した信仰系魔法の権威で、第4位階魔法詠唱者の高名な神官から「恐らく人類が使える魔法の範囲で、呪いの解除は無理でしょうな」とも告げられている。先日の会議で己に誇りを持っていると語った仮面の客人へ、()()()()()も失礼だろうと尋ねることも出来ていない。

 何と言っても此度は王国の命運が掛かっている戦いで、今は彼の『竜王にも対抗出来る』と予想される未知の力無くして勝利は難しいという話になっている。

 その男に、王女をこの機会で会わせ『解除出来ない呪い』に彼の自尊心を傷つけ「やはり、気が変わった」と言われ、王城から立ち去られる可能性は残る。それにより今次大戦の敗北――王国の滅亡へ向かう事にでもなれば一大事である。全ての国民が絶望に打ち震えるだろう……。

 ランポッサIII世は重く口を開く。

 

「今、二人を会わせて大丈夫なのかと思うてな。かの人物は、我が王国にとって最後の希望かもしれん。娘の(さま)を見て失望し、この地を去ったりしないかと心配でな……」

 

 主の不安を抱える心を聞いたストロノーフは、国王が大臣代行らに言いくるめられゴウン氏を嫌うなどして敬遠しているのかという不安が杞憂だと安堵する。忠臣の彼は、心配無用と自信ある表情を浮かべ、国王へ向かう。

 

「御安心ください、陛下。今、かの御仁に呼ばれ宮殿の部屋で会ってきたところでございます。あの人物は、竜王軍団の話にすら泰然としている真に勇の者。狭量の人物では決してありません。それに――王女が不安がっていないかと心配し、会談を早めにした方が良いのではと気遣っていましたぞ」

「ぉおお、なんとっ。そうであったか……」

 

 戦士長の語った仮面の客人の話に、国王の表情は一気に安堵と喜びの混じる表情へと好転した。

 ランポッサIII世は執務机の席から立ち上がると、大臣補佐へと声を掛ける。

 

「小間使いの婆やを呼べ」

「はっ、しばしのお待ちを」

 

 ルトラーの部屋を長年仕切る小間使いのベテランを呼びに大臣補佐が執務室から退出する。

 国王は席を離れ、机の前方で膝を折る戦士長の横へ近付くと左肩に手を置き呟く。

 

「……あの心ある強き客人は、我が王国の救世主かもしれんな」

「はい」

 

 このあと、呼ばれた婆やは国王よりルトラー宛の書簡を受け取る。

 それには『彼との会談は今日、明日の何時が良いか?』と記されていた。

 

 

 

 

 アインズと第二王女ルトラーの面会が行われたのは、それから――僅か2時間後の午後1時半からであった。

 ルトラーは約定が決まったと知らせがあった日から、ずっとこの時を心待ちにしていた。

 なんといっても『漆黒』のカラーを愛用する者同士である。

 広い城内において殿方で、連日黒系の衣装を着こなす人物にお目に掛かったことがなかったのだ。

 彼女としては『黒系を愛用する殿方に嫁げる』、もうそれだけでよかった……。

 無論、ルトラーの会談用のリボンとフリル満載の袖なしで胸元も広い豪華調のロングドレスは真っ黒だ。両手にはめるレースの長手袋も真っ黒、手に握る羽根付きの扇も真っ黒。靴もストッキングも髪飾りの花も、そして見えない下着すらも全部黒一色である。

 どこからどう見ても、完全に葬式帰りの立派すぎる衣装に見える。

 だが、彼女の艶のある美しく長い金色でストレートの髪と、輝くブルーエメラルドの瞳に加え透き通る白い肌が強烈なコントラストを示し、車椅子ながらルトラーという女の存在をより鮮やかに魅せていた――。

 

 そして会談の場所は、アインズの宿泊部屋となっている。

 

 車椅子のルトラーの付き添いには()()と若い使用人が一人。

 このヴァランシア宮殿には、普段は使われないがからくりを使った昇降機が廊下へ面する一角に小部屋として増設されている。

 それを使い5階から3階へと第二王女一行は降りて来た。

 先程から5階の一部区画と、この部屋周辺の守衛状況の変更が行われ、王女の姿を見られることなく旅の客人の部屋へと、婚約者的立場の姫君が入室する。

 

 黒き車椅子に乗ったルトラーは、扉から中へ進みながらゴウン氏の部屋を視線のみで見回す。

 正面から歩み寄る漆黒のローブを纏う仮面のゴウン氏に、警護だろう白き鎧の者とメイド服調武装の2人に、使用人衣装の者が()()見えた。そこで第二王女の視線は、その中にいた使用人服姿の一人へ釘付けとなる……その娘の顔が、自分に瓜二つなのだ。長いはずの金髪は、大きめのメイドキャップに納まっているが、どうみても(ラナー)である。

 婆やと使用人は距離もあり『特異な使用人』には気付かない様子。

 姉の視線に気付いた妹が、口許へ僅かに笑みを浮かべ「フッ」と微笑む。

 第二王女は、そう言えばと思い出す。国王から面会場所と時間が記されて届いた()()()の書簡には『今日の会談で、“婚儀について”の話を客人はしたいらしい』とあった。

 

(……本当にそれだけ?)

 

 現状からおそらく、この会談のお膳立てに第三王女が一枚噛んでいるのは確実。直ちに何故かをルトラーは推測する。ラナーの『姉』はよく知っている。妹が、無駄なことはしない者だと。

 優秀なラナー自身が解決出来ない部分で、姉に頼ろうと思う部分となると()()()()()()()()()

 また、先日の深夜の入浴場での妹の雰囲気から、ゴウン氏への接触を少し予感させたが……。

 

(これは……)

 

 ラナーとゴウン氏は、この王国の未曽有の状況に協力関係を取っているということは理解出来た。でも、この状況は一体全体どういう事だろうと、偉才のルトラーも表情は変えずとも澄んだ青緑の瞳に困惑の色が浮かぶ。

 

 格式あるリ・エスティーゼ王国。その第三王女が、()()()使()()()()()()をするなど知れ渡れば前代未聞……というか大問題になる行動だ。

 

 おまけにラナーは、今、公務の時間のはずである。どうやって抜け出してきたのか……。

 第一、協力するなら普通に同席すればいいはずだが――と、ここでルトラーの思考が、妹からの無言での主張の答えに辿り着いた。

 

 

(ココで、あなた(ラナー)に目を瞑れって事? それも……ゴウンさまの女として――)

 

 

 強烈なる妹ラナーからの挑戦であるっ。

 しかし、この今日の会談への動きには妹の手が入っていると考えられる。また王国の命運を掛けた今次大戦への、これは大事な会合なのだろう。

 ルトラーは複雑に想いの交錯する中、一瞬で考えると――ゆっくり目を瞑った。

 

(…………分かったわラナー。あなた、仮面の客人に惹かれているのね)

 

 双子の姉妹である。熱くなった想いの気持ちは強く理解出来た。

 それに、国家存亡の超一大事の際中。王家の者として今、個人的な部分は十分飲み込めるものだ。

 第二王女が次に輝いた眼を開けた時には、もう特異の使用人は視界から外れていた。ルトラーは、正面に立った漆黒のローブのとても似合う大柄の魔法詠唱者を見ていた。

 部屋に入ってからこの間、3秒足らずだ。

 

 

 アインズは、車椅子の黒い客人を歓迎する。

 

「ようこそこちらまで。下の廊下でお会いして以来ですね、ルトラー王女殿下」

 

 ルトラーは、目の前の()()()()(ラナー)を手懐けた様子を姉へと見せつけながら、随分と冷静な声を掛けられるものだと感心する。

 

「……そうですね、ゴウン殿()

 

 第二王女は、複雑に乱れた思考をもう切り替え終えていた。当初の浮かれ気分はどこへやらだ。すでに彼女から恋心の大半は霧散していた。

 それは当然だろう。アノ妹に、あの貶める服装をも決断させる()を前にしているのである。

 妹とこの御仁、二人の関係は普通に考えて蜜月。

 

 それは――彼女の妹であり、王国の『大切なとっておきの姫君』を既に夜な夜な散々に散らされ失っている事が容易に想像出来る。

 

 ゴウンは多分、上級の魔法詠唱者だ。護衛を騙し誤魔化すのは簡単だろう。今、ラナーがここに居ることがそれを証明していた。

 この目の前の()()()()と婚姻の約定までしている自分にやるせない思いも湧く。

 とはいえ、仮面の男の力無くしてこの祖国と数百万の民は救えない。双子の王女姉妹を贄にするだけで、国と皆が救われるなら上等であるっ。

 

(これは、王家に生まれし者の定めなのね……)

 

 だからここは、売女(ばいた)の如く全ての屈辱を見事に耐えてみせ()(へつら)い、リ・エスティーゼの礎として明日へと進むのみ。

 たとえ、婚姻の遥か前の今夜から秘密裏に、濃厚であろう閨での散々に繰り広げられるご奉仕の日々であろうとも――。

 

(ぁ、入籍前に望まれない禁断の御子が生まれてしまうかも……)

 

 ゴウン家との約定が成り1年先の婚儀に備えるべく、先日から王家の若妻達が読んだという書物を解禁されたルトラーは、夫婦の夜の過ごし方が列記されたソレを軽く30回以上も読み返していた……一言一句まで覚えたはずなのに。おかげで基礎知識はぼんやりと埋まった状態だ。

 その実践を考え、少し身体の奥がジンと熱くなる想いに、ナゼか僅かにゾクゾクとしてしまう彼女。ラナーの姉なのは伊達ではないということだろうか。

 こんなイヤラシイ思いを一瞬でさせた目の前の男を、王女は少し睨むように見た。

 でも、そのトキメキの言葉は突然で。

 

「先日とまた違った、素敵で見事にお似合いの“黒のドレス”ですね」

「――っ!?」

 

 ()()()()のはずである男の言葉に、ルトラーの胸が大きくドキンと鼓動を打った。声の雰囲気から取り繕って出されたものではなく、自然の感想ということが窺えるものだ。

 

(あぁ、そんな……)

 

 黒の良さを知っている人でとてもとても嬉しいけれど……それだけに余計悲しい。

 何という無情だろう。

 巡り合った生涯の伴侶たる『黒』を理解する殿方が、妹を食い尽くした()()()()とは……。

 だがここで、ルトラーは思い至っていなかった『とある思考』をハッと(ひらめ)く。

 

(……本当にゴウン()()は――ケダモノなの?)

 

 父の国王や兄バルブロから聞く貴族の男達は、必ず女を組み敷くといい、安易に近寄るなと口を揃えて語っていた。一度でも隙を見せれば、毎夜飽きるまで襲われ続けると。

 『でも』と、目まぐるしく変わる乙女の心理が、ここに炸裂していた。

 妹のラナーは、我の強い大物でクセ者である。

 それゆえに――貴族達の大多数を占めると聞く、女を漁り溺れる愚者に道を託す訳がないと思えた。もしそうなら今、第三王女(ラナー)がこのゴウンさまを従えてここに出迎えているはずだ……。

 

(そのラナーが、彼に黙って従っているということは……)

 

 偉才の第二王女ルトラー・ペシェール・ラドネリス・ライル・ヴァイセルフには、今日の件の全てが見えた気がした。

 

 昼前に戦士長《ガゼフ》を迎えた時と比べ3人掛けのソファーが外され、アインズの一人掛けのソファーも動かされている。車椅子用の位置がテーブルを挟みアインズの一人掛けのソファーと対面の形で空けられていた。

 客人の車椅子がその位置へ移ると、アインズも一人掛けのソファーへと腰を下ろす。

 この時に漸くルトラーは、彼の周りに控える者達の尋常ではない美貌に驚く。『黄金』と呼ばれる妹のラナーにも勝るとも劣らない者達が多く揃う。

 外の世界を知らないルトラーは、容姿の基準が分からない。

 ヴァランシア宮殿5階のルトラーの部屋へ出入り出来る使用人は、計7名で全員女性だ。非常に限られており少ない。50代の婆やを除くと、30代1名と、20代2名に10代3名。全て国王派の中でも長く親密な貴族の娘達だ。

 その者達の容姿は……悪くないと思っていた。稀にこっそりと秘密通路越しで、宮殿内を歩く使用人の娘達を見ても変わらないように見えたのだ。

 でも、この部屋にいるゴウンさまの連れている女性達に絶世の美人が多すぎた。一人だけ普通そうに見える娘がいるけれども、その金髪の娘でさえも宮殿中で一人、二人いるかという可憐な者だ。

 ちなみにルトラーの部屋は国王の居室空間の更に奥へあり、常時、王の近辺を守る衛士や衛兵を10名以上倒さなければ入れない場所だ。第三位階の移動魔法〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉を感知出来る仕掛け等もあり、大事な姫を突然襲う魔法詠唱者の侵入も許さない。

 そういった中で過ごしているが、仮面の彼への疑問が膨らんでいた。

 

(ゴウンさまは……何者?)

 

 三大人類国家の一つ、リ・エスティーゼ王国の人口は実に約900万人。

 ここはその国王の居城。威信もあり使用人達は、容姿の美しい者を集めているはずなのだ……。

 ルトラーは統計学的に、オカシイ部分に気が付きはじめる。

 一介の旅の魔法詠唱者一行の娘達5人全員が、大国内から選り抜きされた貴族の娘達の容姿を、圧倒するということはあり得るのかと。

 ただ、貴族達が多くの美女達を隷属的に閉じ込めて続けているという悲しい事情はある。しかしそれでも、ラナー姉妹やラキュースなど飛び抜けた美貌の者達の例は少数にとどまるだろう。

 

(これは――ないですわ)

 

 常識的範疇で普通に考えれば簡単な話である。まずあり得ない。

 でも、ここにその現実は有る。

 

 つまり、それだけで旅の魔法詠唱者一行が普通ではないことを立証していた。

 

(これほどの人材達を、()()()集められたのかしら……)

 

 これは、絶対的支配者にとって、窮する致命的な質問。

 ルトラーの思考は、視界外から抉り込んでくる威力を持つモノである。正に鬼才といえよう。

 だが、彼女はそれについてゴウンさまへ問わなかった。

 

「ドレスについて、お褒め頂きありがとうございます」

 

 ルトラーは、最初に礼を述べた。まず、もう少しゴウンという者を知りたかった……いや、『黒』をどう思っているのか探りたかったというのが本音であるっ。

 しかしなんと彼から、いきなりファイナルアンサーが返って来た。

 

「いやぁ、実は私は――“黒”が大好きなもので」

「――っ!!」

 

 ルトラーは震えた。絶句するように、口許を微かに開いたままで。

 

 アインズは、リアルの鈴木悟の時から黒にこだわりがある。

 知り合いからよく「ちょっと服、黒過ぎない?」とよく言われていた。グレー系も含め服を初め、部屋の家電や家具もブラック調で統一していたほどだ。

 それはユグドラシルでも変わらなかった。第十階層の自室もブラック調。このアインズの装備もギルドマスターとして金も取り入れているが、なるべく黒基調で揃えた。冒険者モモンの全身鎧も剣も漆黒の多い物を採用している――。

 だから、女性であるルトラーの()()ながら真っ黒の衣装は、新鮮でとても美しく見えた。それを纏うルトラーも。

 金色の髪に咲く真っ黒な花飾りが、彼女の端正である表情を際立たせる。透き通る質感の肌は、ラナーと同じ滑らかさを見せていた。また胸元には、ラナーより一回り大きいかもしれない、柔らかさとまろやかさの漂う双胸がクッキリと谷間を作り僅かに揺れる。

 そして全てを見通すが如き、美しいブルーエメラルドの瞳。

 支配者は、黒を存分に着こなす彼女とは趣味が合うかもと思った……。

 

 第二王女にとって、ゴウンさまの『黒』大好き発言は幸福感を十二分に満たすものだ。

 先日から王国のために、彼への輿入れは確定している状況にある。ラナーの態度からゴウンさまは、アノ妹が従うに足る資質と紳士さを持つ方のようだ。立派な方で何よりに思う。ただ、お陰で妹までが、ゴウン家に加わりそうという勢いではあるけれど……。

 それでも祖国救済への見返りの天秤へ乗せられたのならば、異議はない。双子の姉妹で仲良く、この『黒好き』のステキな夫殿を奥から末永く支えていくだけとの考えを固める。

 その鬼才の彼女が開口する。

 

「今必要なのは、アーグランド評議国の権力組織等に関する情報ですね? 後は、経済方面も。どこからお話ししましょうか」

「――!? (ラナーの同席でこちらの計画を読まれたんだなぁ……手間が省けたかな)」

 

 流石はラナーの姉だと、アインズはその圧倒的である慧眼への驚きで僅かに上体が動いた。

 それを誤魔化すのもあり支配者は語る。

 

「ありがとうございます。今は、この王国をまず勝たせることが優先されますので」

 

 目の前のルトラーは、それを聞き頷く。今はそれでいいと。彼女のゴウンさまへの気持ちはもう決まったのだから。

 しかし、彼女は一つだけ、情報を語るその前にとお願いする。

 

「あの――かなうならば先に、その……ゴウン()()のお顔を拝見出来ませんか?」

 

 そう、彼女はまだ見たことが無かったのだ。上流階級の貴族の娘達は、他家の顔を知らない男へ嫁ぐことも多いと聞く。でも今は、目の前にいるのだ。是非見ておきたいのは女心である。

 彼女の要求にアインズは応え、ゆっくりと右手で仮面を外す。鬼才のブルーエメラルドの視線の先へ現れたのは、一応平均以上をキープする金髪の顔であった。

 ルトラーは、二コリと微笑んでいた。祖国の者に多い髪の色を眺めて。

 彼女はふと思う。

 

(でも―――入籍前に御子が生まれてても……いいかも……)

 

 二人の愛の結晶。その可愛く愛しい子は間違いなく綺麗な()()()の髪だろうと――。

 

 まさか、もし生まれれば大好きである色の()()や神人という可能性については、鬼才の彼女でさえもまだ知る由もない……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 アーグランド評議国第三の都市サルバレ。

 リ・エスティーゼ王国に南東部へ横たわる山脈を境とする形で隣接している国境から25キロ程の場所に位置し、北西側に広がる大平原への出入り口で交通の要衝に造られた小都市だ。先日廃墟と化した王国側の旧大都市エ・アセナルから見ると北北西へ70キロ程の地にあり、人類国家群へ備える城塞化された軍事都市でもある。周辺の亜人個体数は8万程。

 アインズ達一行はルトラーとの面会のあと、午後3時半をこの地で迎えていた――。

 

 

 

 アーグランド評議国は、現在4つの都市を中心に栄えている。

 第三の都市サルバレから西北西へ直線距離で約120キロ行くと、首都の中央都がある。中央都周辺は賑やかに発展し、亜人個体数が約15万ほどだ。他に北海岸と南西海岸近辺へ2つの都市が存在し、それぞれも繁栄している。

 国民達は基本的に多くの種族ごとで分れ、共同体的なコロニーをつくり生活する。都市内でも区画で分れている形だ。混合して暮らすと揉め事が多くなるため、共に暮らす地域は第三の都市サルバレなど極一部である。

 また海岸部には、マーマンやシー・リザードマンら海の種族が多く生息し、山岳部には竜種などが集まり易い。森林部には精霊種、林や平原には豚鬼(オーク)小鬼(ゴブリン)らがと、地方では住み分けも自然と行われている。

 ただ、アーグランド評議国の奴隷階層を除いた人口――総個体数は67万台に留まる。

 竜王国の東の()()『ビーストマンの国』の亜人総個体数約280万からすれば随分少ない。

 だがこの評議国には、多種混成国家のお陰の部分も存在する。竜種だけで4000体(Lv.50以上は20体程度)を数える。そして、大陸でも珍しく陸海空の全ての大軍団を保有していた。多くの人類国家や大陸中央寄りにある単種での小国に対し、圧倒出来る程の戦力を持つといえる。

 建国当時の300年程前に比べ、アーグランド評議国は奴隷達を利用した豊富な労働力と食肉産業を生かし、国を発展させながら亜人の総数を何とか20倍以上に増やしてきた。

 そうなれば、当然領土拡大をすべく人類国家に対する戦争の話が出て当然であるが、中央都の評議会で議題に上がるたびに、永久評議員7名の多数決で否決されている。

 その回数は評議会発足以来、実に139回を数えた。直近の100年で、それは90回へ近付く。特に永久評議員筆頭の白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)ツァインドルクス=ヴァイシオンは一度も可の決定を下していない。

 

 彼は、古き歴史上100年単位で登場してきた六大神や八欲王など、飛び抜けて圧倒的といえる力を持った破壊思想を持つ人類側救世主達の再度の登場を危惧している。

 

 遺恨が大きければ、反動は凄まじいと。

 現に600年前、大陸上で人類国家の淘汰に近付いていた状況下で六大神が突然登場する。人類救済の名目の下、人間を隷属化し生き残らせていた全他種族へ対し大規模排除の形で鏖殺(おうさつ)が行われた。結果、僅か2年で亜人の国々や異形、死者の国までが20を超えて滅び去り、特にこの周辺である大陸北西部一帯の人類以外の総個体数は一気に50分の1以下になったのだ……。

 

 だから、ツァインドルクスは偶に「余り人間を甘く見ない方がいいよ」というのである。

 

 彼自身、六大神や八欲王と対峙したことがあり、実際の悪鬼的恐ろしさを知るからだ。

 ゆえに『神人』を滅ぼす言い伝えも、人類国家を打倒し評議国を建国した際の報復で発する新しい戦争の歯止めになるよう、スレイン法国へ脅しというべき形で密かに広めていた。その際、遠隔操作した人間用の鎧姿で法国の各地をこっそり行脚している。また、数十年単位で時折感知した世界に脅威を与えそうな存在へも、鎧姿で確認を行なっていたりする。

 それが興じて、特に国内世論が「今なら勝てる」と対人類戦争へ向け急に高まり始めた200年前の時期のこと。白金の竜王は100年振りで()()()()()()()を見つけると、人類側の状況把握と人間達を理解しようと考え、『十三英雄』の『白銀』として遠隔操作の鎧姿で人類世界を旅し、共に戦い喜びも分かち合い、その価値観を理解した。

 彼等人間達の価値観は共感出来る部分も多く、『共存は可能だ』と彼は個人的に今理解している。

 しかし、国の代表の一人としての立場から見て、国内に延々と定着している『人間どもは先祖の仇にして、クソで脆弱な奴隷』という常識を覆すのはほぼ不可能である。アーグランド評議国は、今なお人類勢力が共通の敵として存在することで、(まと)まっている部分もあるからだ。

 評議会は、永久評議員7名と一般評議員104名の計111の議席で運営される合議機関だが、最近は一般評議員の中でも横暴に振る舞う者が増えて来ており頭を痛めている。

 

 評議会を無視し、勝手に大きな争いを起こす者が現れたのだ。

 

 確かに評議国内の竜王の中でも、今騒動を起こしている煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)は、嘗て八欲王らにもダメージを与えた事もある古の実力者ではある。

 更に、私欲に走る実力の無い者までが、それへ便乗する形で動くという悪循環が起こっていた。

 国内で、不満感が増えたと見ているここ100年でも無かった事態である。

 寿命の短い者らの世代交代が随分進み、格式と威厳に満ちた評議会も300年前からの同じ顔触れは、もう2割ほどに過ぎない。

 最近は『老害』などと長老らを陰で馬鹿にする新興の勢力も登場しつつあると感じている。

 

(困ったねぇ……)

 

 国や国民へ対する板挟みのジレンマと、空中都市の主を失った守護者達より()()()()()()()()()()として密かに託された至高の八武器の一つを守る責任を思いつつ、ツァインドルクスは今孤独に――全てへの突破口をずっと欲している。

 

 だが、国内で世界最強水準の力を唯一持つ彼以外に、その悩みを(にな)える者はいない。

 アーグランド評議国も、決して安定している国ではないのだ……。

 

 

 

 

 そんな滅入り気味の竜王が一本柱で支える評議国の大地へと、ナザリックの絶対的支配者は偽装も交え密かに乗り込んで来ていた。

 準備は万全――とは、やはり言い難い。

 何せルトラー第二王女との会談が終ってから1時間程でここへ来ているのだ。

 

「……(へぇ、中々にぎわっているなぁ)」

 

 だが、()()()()()()()のアインズは、人類世界とは異なる未知の領域であり、初めて踏み入る亜人国家内に繁栄する都市の、周囲の街並みを興味深く見回している。

 アインズの一行は、至高の御方を含めて総勢8名で編成されていた。

 ハッキリ言って、今一時的に動かせる戦力として即興でかき集めた感アリアリだ。

 まず支配者の護衛として、また今回の火付け役でもある彼女、完全不可知化のルベド。彼女がいればたとえ最上級のプレイヤーが数名現れても一応何とかなる。次に、お伴として最低1名は交渉役も兼ねた亜人を連れて行く必要があった。だが、ギルド内は殆ど異形種か人間種なのを思いだす。そこでアインズは一旦ナザリックへ戻り、大図書館にて召喚巻物(スクロール)の中から見つけてきた小鬼(ゴブリン)でLv.43のレッドキャップを5体呼び出した。なるべく低レベルを心掛けたがこれ以上低い者はいなかった……。

 そして最後は――Lv.83の自作NPCのキョウである。

 他に心当たりがなかったのだ。その時に閃いたのが()()()()を守っていた彼女だ。

 キョウは、便利な二重の影(ドッペルゲンガー)と、ネコマタのハーフでもある。ネコマタ状態へ変化すれば、猫耳と顔にも可愛く長い髭が伸び、銀の体毛がフサフサでお尻へ尻尾が二本揺れる形で、戦国鎧調忍び装備のほぼビーストマンの姿だ。

 この一行は、表向き彼女が率いている風を装う事にした。 

 また一応後方支援として、パンドラズ・アクターとマーレが予備戦力として王都の宿屋で待機してくれている。しかし、冒険者モモンらにはチーム『漆黒』としての仕事があり、基本は王都から動かしたくはない。

 なぜなら、人を動かすにはそれなりに手間が掛かるのである。

 ルベドの外出とキョウの村外へ出るのにも、周囲への理由付けが必要だ。これは、アインズの部屋へ公務中のラナーを登場させる時にも用意されていた。

 ラナーの場合は、4階で公務中だったがそれでも王女専用の御手洗いへは行けた。そして、ソコで不可視化したナーベラルが活躍してくれた。(詳細は補足に)

 ルベドの場合は、ツアレと大臣補佐らに対してで幾分楽だ「数日の王都内での所要」。あと、キョウについては「トブの大森林内の調査」となっている。

 面倒事を考えつつアインズは、大図書館から上階への移動ついでに第九階層の統合管制室に寄り、アーグランド評議国の第三の都市サルバレと首都中央都などを俯瞰から拡大状態で確認していた。

 そうして評議国訪問メンバーは、先程トブの大森林内からアインズの〈転移門(ゲート)〉で評議国のこの都市の傍の林奥へと移動して来たのである。

 一行は高い外周壁に護られた都市の正門から、堂々と中の街へと入っていった。ただ入門前に一つだけ困ったのは、またしてもお金だ。しかし都市の近郊にも街が有り、評議国の貨幣については、アインズ向けにンフィーレアからエンリ経由で献上されていた2ダースの青い下級治療薬の内2本を、都市外の店で売却し得ることができた。初顔だがキョウが超美人だということもあり、買い叩かれることもなく大きめの金の粒に彫刻のある貨幣が手渡される。粒の数は5個。どうやらひと粒で金貨1枚分と思われる。魔法を使う鑑定者のガッシリした人馬(セントール)の親仁が「こいつは随分上質だな」と感心していた。相場は人間の世界よりも高いみたいだ。ダースで王国金貨18枚程と聞いている。なので2本なら金貨3枚……粒で3個程度の価値が5個であった。

 さて、視界に見える都市の建物は石と土を固めて作られており、5階以上ある高層階の建物も普通に建てられている。ただ人間世界とは違い、各階は大柄の体格へ合わせるように天井までが5メートル程あり角に丸みがある感じで、アバウトでもっさり感のようなものが感じられた。扉や窓の付いているものもあるが、布を垂らすか穴しか空いていない形のものも結構見られる。亜人達は人間に比べ体毛や皮膚が丈夫なので、寒暖に差があっても大きい影響はない部分が街の造形にも影響しているようだ。

 商店や露店も多く見られるし通りも亜人達で賑わうが、目立つのは――意外に人間の男達の姿と数である。

 彼等は多くで荷車を引き、荷を運び下ろし、建物を作り、作業後の片付けなどをしていた。指示を出すのは、上質の服を着た恰幅の良い虎顔のビーストマンや小鬼(ゴブリン)らだ。

 亜人達が馬車へ乗降する時には、人間の男が四つん這いになり足元の台の替わりを当然のように行う。

 その人間達の衣装は、殆どが粗末に出来たボロ布を腹部で縛っただけのものを身に付けていた。

 

 王国では見掛けなかった家畜的奴隷階層の人間達――。

 

 支配者も新世界へ来て、初めて見る光景である。話で聞くのと実際に見るのとでは悲惨さが違った……。

 そんなドロに汚れ、何かに終始怯えたビクビクとする彼等の、額へ『Z』に似た刻印が押された表情と仕草は何を物語るのか。

 不可視化のアインズが気付くと、道端の先の方では主人の亜人が奴隷の男を棍棒で本気にぶん殴っている姿も見えた。

 人間の奴隷達が街中で多くみられるのは、亜人へ対して人口比で2倍以上いることと、都市には何れの地にも広大な奴隷繁殖飼育区画『牧場』が多く併設されている事情もあるのだろう。

 その時突然、歩くキョウへと道脇の店から子供の声が掛けられる。

 

「あ、あのー、美し獣人さまっ。ボク買って、雇ってほしいっ。このまま、ボク――今晩、()()、ですっ、お願い、ます。ボク、実は少し、魔法使えます。だから――」

 

 ネコマタの彼女は立ち止まった。片言のコトバの中に、トンデモナイ訴えがあったから。

 アインズも思わずその声の方を向いてしまう。

 

 そこは―――精肉屋の前であった……。

 

 人間専門店らしく、店先には鋼鉄の小さい冷蔵庫ぐらいの大きさの檻へ、鶏の羽根を毟った後の様に丸坊主で白肌の3名の子供が詰め込まれて店の前に置かれている。そういった形の檻が7つほど大雑把で山積みにされていた。どうやら、新鮮さと柔らかい若肉が売りの模様……。後の無いヤバイ状況。でもこれが、亜人世界の日常的現状でもある。

 キョウは善の心を持つNPCであった。

 彼女の猫的で、美しい縦の瞳孔の広い目がその悲惨な光景を捉えると、視線が誰もいないはずの不可視化したアインズの立つ方を一瞬見る。

 弱者が食われる……これは世界の縮図だ。この場で助けることに意味はない。

 しかし一応とアインズは、キョウへ〈伝言(メッセージ)〉の小声で確認した。

 

「……(この子供が、魔法を使えるというのは本当か?)」

「……(はい。職業レベルで料理人(コック)Lv.1ですニャ)」

 

 状況から生まれながらの異能(タレント)持ちだろう。変わった職業なのだが、ユグドラシルでは火炎や冷却系の魔法に加えて刃物系が繊細に使えて意外な強さを持つ(プレイヤー)も何人かいたのを思い出す。確かキレた時の決め台詞が全員「今からお前を(偶に“美味しく”が付く)料理してヤル」だったなぁと。

 でもそれも概ね関係なく、ここでアインズが確認したのはあくまでも――ウソを吐いているかどうかだ。

 ただ助かりたい一心で騙す者もいる。そんな奴には、まず救いの手は在り得ない。

 それだけ聞くと、アインズは首を冷徹に横へと振り歩き出す。

 ルベドは、見える子供達の顔触れが、()()()()()でないと見え特に反応は無く……アインズの後を進む。

 その(あるじ)達の様子に、キョウは声を掛けてきた子供へ視線を交わせ残念だけどという表情を向けると、首を横へ無言で小さく振りレッドキャップスを率いて立ち去って行く。

 

 淡い期待に檻を小さな手で強く掴んでいた子供は、彼女の立ち去って行く様子をただ黙って見送るしかなかった。獰猛そうで恐ろしい亜人ばかりの中で他にも声を掛けたけれど、今日一番の優しそうで綺麗な顔と姿の者だったのだ。期待を込めていた。

 

 でも、まったく――拾って貰えなかった。

 

 優し気に見えた雌の獣人さんの、去って行き人混みへ消えた背中の幻をじっと数分間見送ると、子供は涙を浮かべ視線を落とす。

 魔法が使えるという言葉は、最後まで残していたとっておきの事実であった。ただ、火が少しだけ魔法で熾せようと、鋼鉄の檻の中では全くの無意味である現実も、今まで手に火傷を何度も負いつつ散々感じていた。

 

(やぱり、お肉いう存在価値だけ、のかな……ボクって)

 

 午後4時に近付き、夕食時がくれば需要増でこの首はスパッと刈られてしまう事になるだろう。

 あと数時間の命……。子供がそう思ったとき、声が掛かった。

 

「オヤジ、この――魔法を使えるというガキを、家の晩餐用に持って帰りてぇ。ちょっと絞めてくれるか? 美味そうじゃねぇかっ」

「――!!? (あぁぁ……)」

 

 御指名の子供は、驚愕の表情でそちらを向く。すると声の主は、涎を垂らしている上質の服を着た身長が2メートル半程度ある奴隷達へ指示していた虎顔のビーストマンであった。

 子供ながら自分の首を絞めてしまったことに少し後悔する。

 客らしき声に、店の奥から店長らしい熊顔で3メートル超えの巨体を揺らし、返り血で染まる革の作業着を着たベアーマンが現れる。

 

「いらっしゃい。他と違うから少し色付けさせてもらうが。金の粒で5個を頂きやすけど?」

「ああ、いいぜっ。金はある」

「じゃあ、ちょっと待ってくだせえ。今すぐ、さっと絞めちまうんで」

 

 鶏や豚とは違い、相手の話す内容が死の直前まで筒抜けなのは、想像を絶する恐ろしさを持っていた……。

 

「…………」

 

 死の宣告に、子供は泣くのも忘れ固まっていた……思わずここで粗相をしてしまうほどに。

 店のオヤジは鋼鉄の檻の鍵を開けると、「ああっ。ちっ、またこいつも漏らしちまったか」と悪態を吐き、手足に木製の枷を付けた裸の子供の頭を左手で掴むと、3人詰め込んだ中から荒っぽく持ち上げて出した。そのまま右手で鍵を閉め奥へ運び、水桶から柄杓で粗相の後をザッと流すと、厚さが10センチもありマナ板というよりは机の天板というべき巨大な調理板の上に、子供の頭を右側にして仰向けに横たえた。

 子供は、振り下ろしの刃が見える体勢で、恐怖の余り硬直し完全に動けなくなっていた。

 そんな状況を見慣れていた店の親仁は、もう子供は逃げないなと経験から判断し掴んでいた手を頭から離す。そして、後ろの壁に吊るしてあった首をちょん切るための、ドデカいトマホークの如きL字型麺切り包丁風の刃渡り90センチもある重厚な特殊包丁を、僅かに振り向きフサフサで太い右の剛腕に握る。

 

「さぁて、絞めるか」

 

 準備万端で彼は前を向くと、仰向けにした調理板上の――――子供の姿が忽然と消えていた。

 

 店長のベアーマンは、目前での一瞬の出来事に「ハァ?」と野太い声を上げ眉を顰めて固まるも、すぐに慌てて周囲を見回す。

 だが、調理台の周りには姿が見えなかった。

 店長はおかしいと思った。

 そして、その鋭く獰猛である目を……疑いの浮かんだツブラな瞳を――店の表で背を向けて立って待つ、虎顔のビーストマンへと向けた。

 

(アノヤロウ、盗みやがったなっ!)

 

 獣系の者達は、ルプスレギナの例の如く――少し直情的(バカ)だった。

 体長3メートル超えの巨体を怒らせて、ゴツい特殊包丁を右手に握ったまま店先へと向かった店長はドスの利いた声で、唸るように虎顔のビーストマンへ告げる。

 

「おい、お客さんよお、ブツ持っていくのは……金を払ってからにしてもらおうじゃねぇかっ」

 

 急に怒り声を後ろからぶつけられ、虎顔のビーストマンはビクリと一瞬怯む。しかし、荒くれ商人である彼も直情的(バカ)であるっ。威勢よく振り向く。

 

「あ? なんだとコラァ……」

 

 ところが、眼前へ分厚い胸板があった。前に立つ3メートル超のベアーマンの、強靭さ溢れる体格からの圧力は半端がない。少し気弱になった……。

 

「ぁ――前払いならそう言えやっ」

 

 ベアーマンにとっては、そういった小さいことではない。虎顔のコイツは先程、「絞めてくれ」と言ってきたのだ。その前に油断させ無断で持っていくのは、もはや小細工を交えた計画的犯行というほかない。ビーストマン達の素早さは知っている。

 

「そうじゃねぇ、お客さん。アンタ、まだ絞め終ってねぇのを勝手に持っていっただろう?」

「あぁ?! 何言ってんだ、そんなことしてねぇぞっ、オラァ!」

 

 流石に、やってない事に言いがかりを付けられ、虎顔のビーストマンは気勢をあげた。

 でもベアーマンの店長は全く怯まない。

 

「今なら、許してやる。正直にブツを戻せ。でないと―――アンタからコレで絞めるぞ?」

 

 そう言いながら右手に持つ、特殊包丁を少し腕を曲げて振る形でチラつかせた。そこらにある剣よりも余程切れ味が良さそうに見える。

 虎顔のビーストマンは大いに身の危険を感じ、護身用として腰の背側に差す小剣の柄を握りつつも言い返す。

 

「――証拠はあるのかよ?」

「――っ! ……傍にいたのはアンタだけだ」

「そんなの理由になるかよ、ふざけんな。証拠だせやっ」

 

 戦えばヤバイと、頭を回した虎顔のビーストマンの方が幾分冷静だ。

 少し分が悪くなったベアーマンのオヤジだが、ここは多少論理的に言葉を返す。

 

「隙を見て素早さで盗む。アンタ達が良く使う手じゃないかっ。だいたい、店の奥の扉には錠前が掛かっていて行き止まりだ。調理台や周辺の棚にも見当たらねぇ、唯一の逃げ道になる店先に居たのは――テメエだ」

「冗談じゃねぇ、オヤジが寝ぼけてたんじゃねぇのかよ。そもそも、盗むなら奥よりこの店先に並んでるのを盗っていく方が手っ取り早いじゃねぇかっ!」

 

 そう言って、虎顔のビーストマンは傍横にあった鋼鉄の檻の上部を手で『理屈としてどうだ』と叩いた。

 するとその瞬間、叩いた檻の中の3人の子供が次々と手枷足枷だけカタンカタンと音込みで残し消え――虎顔のビーストマンとベアーマンのオヤジの顔が向いていた、店先の道端に登場する。

 自由になった3人の裸の子供達は、方々へと走って逃げ去っていった……。

 

「「ハァァ?!」」

 

 二人とも進行する光景に状況が分からず困惑し、同じ声を上げた。だが、その現象はそれで終わらない。連鎖的に続いていく。

 虎顔のビーストマンが手を置いていた檻の下に置かれた鋼鉄の檻から横に置かれているものへと、次々に中の子供達が枷だけを残して消えていき、その次に通りへ順に現れ走り去る。

 檻の二つ、三つ目まで見ていたベアーマンのオヤジも、売り物が次々と失われ逃げ出す状況に――思わず、その現象の犯人らしい目の前にいる虎顔のビーストマンの顔を左拳でぶん殴っていた……。

 意外に虎顔のビーストマンの難度の方が高く、拳を食らうも道へ転がる程度で済む。しかし、逆に力が拮抗することが分かり、店先は獣人二人で殴り合いの大混乱に陥っていく。そして、いつの間やら店頭の檻の中の子供は一人残らず姿が消えていた……。

 

 先程からの現象は無論、不可視化したキョウが()()()()()()()()()()()()()に〈解錠〉と〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉を連発して、檻の中の子供達を全部、店から見える少し離れた道端へと飛ばしていたのだ。

 これは救出ではなく――あくまでも陽動と混乱への利用の範囲であるとして。

 

(後は、創造主さまから恵まれたこの好機を活かして、自分で自由を最後まで掴みなさいニャ)

 

 その荒れた状況を、不可視化したキョウは傍で確認し終えると背を向け、小脇に抱える〈乾燥洗浄(ドライ・クリーニング)〉を掛けた子供を連れてこの場から〈転移〉する。

 

 

 

 アインズ一行は声を掛けられた後、あの精肉店の店先から道を歩いて進んだ。

 支配者は少し表情を曇らせたキョウの様子を見る。元々起動前の調整以前は――凶悪(カルマ値:マイナス200)程度の悪寄りの設定予定であった。しかし、可愛いマーレまでが、人間らを無価値に捉える状況に一抹の不安を感じ、善側に振り替えていた。

 でもこういった局所では、心を痛める原因になりかねない。

 ナザリックの極悪な絶対的支配者としては、メリットも感じず軽率に慈悲は与えられない。それはせいぜい、気紛れに力を見せるという名目で、第10位階の爆裂魔法などで区域ごと消し去り、楽に死なせてやることぐらいだ……。

 

 とはいえ()()()()()があれば別である。

 

 歩きながら不可視化の支配者は、後ろに続く少しうつむき加減のキョウへと〈伝言〉経由で囁くように尋ねる。

 

「……(キョウよ、お前はすでに先日より今日も含め色々と役に立ってくれている。そうだな、ナデもいいが……少しなら褒美を与えよう。――姉妹ごっことかどうだ? 妹は1人だけなら適当に決めてかまわんぞ)」

「……(――っ! 創造主様……。そのご褒美を謹んで頂きます……ニャ)」

 

 アインズは、先程の魔法を使えると語った裸の子に()()()()()()()()()()ため、女児だと気付いていた。それでこの案を思い付いたのだ。

 キョウは、豊かに膨らむ胸元へ手を合わせると嬉しそうに猫耳も揺らし微笑む。

 また、姉妹という言葉を、横にいる最強天使が聞き逃すはずはないっ。

 

「……(もう――それは守るしかないっ!)」

 

 ニヤリとし両拳を強く握るルベドであった。……仲良し姉妹なら結構なんでもいいらしい。

 まあ、アインズとしてはこれも狙いのうちである。こうでもしなければ、ゴミの如き人間の子供へ命を恵んでやることに関し、デミウルゴス達を黙らせることは出来ないと。

 支配者としては、あの状況下で声を掛けてきた子供の努力も買ったのだ。それは、ナザリックの支配者の一行へであった。偶然であろうが、その機会を掴んだ者だと言える。ゆえに他の子供らには興味がない。

 ただ、キョウの手前捨て置くことも出来ず、利用する代わりに他の子へも分の悪い機会だけは与えるという、支配者として寛大なる慈悲を示した形である。

 先程の店から5分ほどの場所にある狭い袋小路を見つけ、一行は人目を避ける形に片隅で留まりアインズの認識阻害魔法で身を隠す。そうして、主はキョウへと策を指示して送り出した。

 とはいえ、この都市内で人間の子供が逃げ切れるはずはないのだ。でも――今晩の『お肉』へとならずに済むかもしれない。

 生き延びても、他の亜人に使われるだろうが、今夜の運命よりかは幾分マシなものを自分で掴めばと至高の御方は考えていた……。

 

 10分ほどでキョウは、この場へと子供を連れて戻って来た。

 小脇に抱えられている子供は初め、殺されるはずの店の中で何が起こったのか良く分からなかった。しかし、モフモフで柔らかい毛と良い匂いに包まれ安心感が広がっていた……まるで母親か姉にでも抱かれているかのようで。

 アインズからルベドへと、子供に羽織らせるための上質で肌触りの良い小振りの青紫色系のローブが渡されていて、天使の彼女はそっと女児の小さい体へ纏わせてやる。

 当初の策では店頭の子供達を突如解放し、それに店主が混乱した中であの子供を攫う予定であったが、すでに調理板へ乗せられていたため手順が変わる。しかし、結果は上々となっていた……。

 銀の毛並みの美しいネコマタ姿の獣人は、小脇から優しく子供を地面へと下ろしていた。その時に子供は、雌の獣人と小鬼(ゴブリン)達の傍に立つ、不可視化を解除した巨躯の――骸骨顔の人物と、小柄の天使の女性を強烈に認識する。

 女児は、困惑し驚きと恐怖の表情で固まった。天使は兎も角、相手は生者を憎む死者(アンデッド)のモンスターである。

 その様子にキョウは、横でしゃがむと子供の肩を優しく抱いて告げる。

 

「この方は、私達の優しい主、アインズ・ウール・ゴウン様です(ニャ)」

「アインズ……ウール・ゴウンさま……」

「そう。貴方を救ったのはこの方の意志だからですよ。そして――私と貴方は姉妹となります(ニャ)。それだけが、貴方が生き残れる道です。受け入れますか(ニャ)?」

 

 そう語り掛けるキョウの顔を見た子供は、小さくこくんと頷く。

 選択の余地はなかった。それに――この綺麗でやっぱり優しかった雌の獣人さまの傍に居たかったから。

 その頷きにより、女児はキョウの妹と承認されナザリックの保護対象となった。

 同時にこの国の奴隷階層から完全解放されている。ちなみにこの10年で評議国内の人間の奴隷から平民へ昇格した者は、僅かに7人である……。

 目の前の子供には怪我が目立っていた。特に手足への火傷の痕である。また、額の他に右肩甲骨の辺りへデカく生産者と用途を示す焼き刻印まで押されており、アインズは赤い下級治療薬を飲ませて全快させ、忌まわしい傷痕も刻印も完全に消し去った。

 こうしてアインズ一行は、未踏だった地で短いながらいきなり拾いものを得る寄り道を食い終わる。

 

 

 

 

 

 絶対的支配者は、王国の第二王女ルトラーとの先の会談を予定通り1時間程で終えていた。

 最後は「次回こそゆっくり――これからの二人のお話をしたいですわ」と、熱い瞳で告げられて……。

 その会談の間、まずアーグランド評議国の総人口220万(奴隷階層を含み、20年程前や過去の記録から現在を推定)や都市、有力種族、派閥、山岳部や森林、海岸線に西部の大森林地帯と多種族の街や村々などの地理について。次に政治面の評議会構成、主な議員らに、国の抱える諸問題などを。また経済面では、農業、漁業、製造業が普通にあり、特に畜産業、繊維工業、軍船や武器生産工業も独自に発達している点。そして軍事関連では竜種中心の陸海空の軍団を揃える話を一通り聞いた。

 正直これは、アインズ達の建国予定の多種族国家について、随分参考となりそうな国に思える。

 それらの情報を頭の中で吟味したうえで、アインズが()()()()()として望む今の戦略を口に出す。

 評議会を動かし、竜王軍団の苦戦の情報だけで、それらを本国へ撤退させたいと。

 すると、ルトラーは書物からの知識だけでポイントを推測してくれた。

 

『まず、議会に広く影響力があって、利益に敏感な人物を貴方の意志の虜とすることです。その人物は――』

 

 

 アインズ達の目的は――豚鬼(オーク)族長の1体、ゲイリング評議員の懐柔である。

 

 

 彼は新興政治派閥の代表格を務めているという。また近年において経済面で大きい財閥的組織を国内へ有し、市場的発言力はかなり大きいだろうと王女から聞いてきた。

 名声とユグドラシルプレイヤーをも呼び込む『大舞台』が、満足のいく結果を残すのであれば手段は選ばない。期間は1週間を予定している。

 とにかく、今は優勢の竜王軍団が苦戦に陥った段階を見て、撤退させる方へ評議会を傾かすよう仕向けることである。

 今はまず、ターゲットの評議員の現状の考えについて知ることが肝要となる。そのために、アインズは周辺の情報集めから始めようと考えていた。この都市には、彼の経営する大商会本店があるというのだ。それがあって、御方はまず評議会の大議事堂のある中央都ではなく、この地を訪れていた。

 

 早速、袋小路を後にし計画遂行への作戦行動を再開するが、見た目に人間の子供を連れていては色々とマズイ。とりあえずルベドが抱き不可視化している。

 子供という要素は、社会的交渉事では基本不要……というよりは不利にしか作用しない項目。真面目であるほど交渉時に一員としていれば『馬鹿にしているのか』と相手が不快になること必然だ。おまけに、この国では最下層の人間(ドレイ)の子供という煽り要素満載ときている……。

 だが、アインズとしては、それも面白いと考えていた。

 正攻法だけが活路ではないと。

 アインズは完全不可知化で歩きつつ、この都市と周辺の入る地図を僅かに広げる。

 地図は、第九階層の統合管制室にて俯瞰情報から作成されていた。

 上から見ると都市はいびつな七角形をしていて、3キロ四方以上の広さがある。水源は井戸を掘り地下水で(まかな)っていると思われ、山脈から続く大きい川は離れた北西側の耕作地域の中を流れていた。

 都市周囲へは門の脇に空堀がある程度で、基本外周壁だけで囲っている城塞型だ。外周壁の正門は二箇所。また、都市の中にも仕切りとして低い防御壁が塔を結んで一部にあり、侵入された場合も一気に全域へ踏み込まれない形で整備されている。商業地と住宅地と軍用地は管理や防衛を考え、それぞれ分けられていた。

 

 時刻は午後4時を過ぎていたことで、まず拠点替わりとなる宿を探し入ることにする。

 アインズ達一行は女児が加わり9名となっていたが、見た目はキョウと小鬼(ゴブリン)のレッドキャップスの6名だ。とりあえず、目的の市街南西部へ広がる商業地に近い清潔感のある総石材造りの宿屋を見つけ、一泊銀の粒1つの部屋と銀の粒2つの部屋を取った。女性陣と男性陣――という形にである。アインズとしては普段より気が楽に出来る雰囲気だ。

 ルベドは、アインズを女部屋へと引っ張ろうとしたが……。

 彼等は一旦別れて各部屋へと入る。

 アインズだけがベッドへ腰を下ろし、レッドキャップらは直立のまま待機する。

 レッドキャップ達は、呼び出した主であるアインズへ絶対の忠誠を持つ。あと、彼らは呼び出される際に、此度の用途期間の長さから課金されており消滅はしない。レベルが50以下なので格安ということもあり、そうしている。

 とはいえ、Lv.43はこの都市にいる8万の亜人個体の中でも相当上位になる。

 アインズとルベドにキョウは、アイテム類で本来の強さを消したり改竄しているので、この一行ではレッドキャップらの方に用心棒感がある形だ。

 また、キョウの持つ広域探査能力で、どうやらこの都市と近郊には竜種らを初め、Lv.50を超える者が5体以上いるようだ。支配者からすれば敵ではない水準だが、見つかるのは避けたい。

 やはり、予想外のアイテムの存在を考えると、正面からの戦闘は常に出来る限り避けるべきだろう。

 

(さて、ここはやはり不意を突き――魅了(チャーム)系の魔法で、情報を安全に集めていくべきだな)

 

 まどろっこしいが、アインズは堅実な作戦を重視する。加えて残り時間的に効率よくだ。

 探索要素を重視したNPCのキョウは、この為に連れて来たと言ってもいい。

 アインズは、隣部屋の彼女へ連絡をとる。

 

「〈伝言〉。キョウよ、こちらへ来れるか?」

『はいです(ニャ)』

「では、頼む」

 

 次の瞬間、キョウは〈転移〉で、こちらへと姿を現す。

 隣の部屋では、ルベドが子供の面倒を見ていた。傍に跪いたネコマタへアインズは聞く。

 

「あの子の、名前は決めたのか?」

 

 実は、女児にはまだ名前が無かった。先程の袋小路から移動するときに名を問うも、『施設』では「1726」という番号で呼ばれていたという。

 キョウから「ではアインズ様から良い名を」と言われたが、支配者としては『ほにょっぺ』や『ちりまる』とかしか思い付かない……。仮称ならいいかもと考えたが、人間の名と『何かが違う』気がし、キョウへ「姉のお前が名を付けてやれ」と告げていた。

 主からのその問いに彼女は答える。

 

「はい(ニャ)。その……“ミヤ”、と」

 

 子猫の鳴き声を思わせる音の響きにも思えた。『京』に対し『宮』とも聞こえる。アインズに異論はない。

 

「ふむ、いいんじゃないか」

「ありがとうございます、では後ほど名付けます(ニャ)」

「そうしてやれ。さて――」

 

 アインズは本題へ入った。アイテムボックスから都市の地図を取り出し広げると、キョウを近寄らせて大まかに目的地と行動を指示する。

 まず、日没までは商人『チリマル』として小鬼(ゴブリン)のレッドキャップスを引き連れ、商業地区で『ゲイリング大商会』との商談交渉についての話を聞き込む振りをしながら、現状の系列連結規模で国の経済へどれほどの影響力があるのかを確認せよ、と。そして日没の暫く後には、『ゲイリング大商会』サルバレ本店へ潜入し、最高幹部級の者ら数名からゲイリング評議員の弱みが無いかを直接確認するよう指示を与えた。文字の解読用に一応と翻訳眼鏡(モノクル)も渡しておく。但し、今日は逃走路や周辺の確認など探りを入れる程度にし、接触や行動が難しそうと感じる場合は実行に及ばずとも伝える。

 キョウは「勅命を承りました。では」と姿を消す。

 アインズの居る部屋からも、レッドキャップを3体送り出した。残り2体は、不在時に部屋へ踏み込まれた時に備えてだ。この地はこれまでの人類世界の常識が通じない場所かもしれないと。

 現地指揮官として、警戒心だけは解かなかった。

 

 

 

 中央都へのこの潜入前の事前準備調査について、キョウは至高の御方からの命令をほぼ完ぺきに熟していった。一昨日、昨日、本日において――『ゲイリング大商会』系列の最新の規模と経済力情報に加え、ゲイリング評議員の弱みについても潜入調査により幾つか得る事が出来ていた。

 こうして正に順風満帆の状況で、アーグランド評議国第三の都市サルバレでの3日目の夜を宿泊宿で迎えているアインズであった。この3日程の間も支配者自身は、昼間に情報を整理し日付を越えればナザリックで日課のアンデッド作成や、クレマンティーヌも含め各所への確認と指示を行なっている。昨日の夜にはカルネ村や王都の冒険者宿へも赴いていた。

 だが昨夜は、日付を越える少し前にナザリックよりバハルス帝国からと思われる怪しい100名程の商隊風の一団が、大墳墓の南15キロの平原を西方へ向かい通過中の報を受け、アインズはナザリック側へ移動し状況確認後にその追跡を指示した。その隊はカルネ村の南10キロをも通過する。更に、統合管制室の観測班は50キロほど東側からもう1隊、帝国領内より西方へ進み来る100名程の隊列を発見していた。そのために、通過する明日まで南方への警戒を一応強めるようアルベドへ指示している。それらが落ち着くとアンデッド作成を行い、支配者は日が昇らないうちに評議国のこの宿へ戻って来ていた。

 そうして昼が過ぎ、夜の午後7時を過ぎようとしてた。キョウは、そろそろ昨晩掴んだというゲイリング評議員の広い自宅へ潜入している頃だろう。追加で情報が得られるかもしれないなと、アインズはほくそ笑む。

 明日の午前中にはこの都市を発ち、いよいよ中央都へと向かう予定だ。

 

(さぁて、明日の夜には都でゲイリングというヤツに接触して上手く計画へ引き込まないとなぁ)

 

 全てが順調であり、そう意気込むのは当然といえるだろう。

 しかし――ここで絶対的支配者の思考へと、あの電子音が鳴る。

 

『アインズ様、エントマでございます。あの……急ぎご報告申し上げます』

 

 ナザリックにいる蟲愛でる彼女から〈伝言(メッセージ)〉が届くも、その突然の可愛らしいエントマの声に、いつもと異なる些か怯えと緊張が感じられた。

 

「ん、(この声の雰囲気。例の商隊風の隊列絡みか)……何かあったのか?」

 

 先を急かすように、それでも支配者は落ち着いた声で事情を確認した。

 するとエントマが告げる。

 

 

 

『実は、今から2時間ほど前となりますが、その……カルネ村から――

 人間の司令官エンリ・エモットが行方不明となっている模様です』

 

 

 

「なに……?」

 

 アインズは思わず絶句した。

 エントマが、問題発覚の経緯を報告する。

 

『先程、本日のカルネ村の様子確認へ赴きましたが、村内の様子がおかしく、慌てていた妹のネムへと確認したところ、突然の姉の不明を伝えられました。行動を共にしていたと思われる小鬼(ゴブリン)の1体もです。蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)達を初め、急ぎアウラ様へお願いし、ハムスケにも手伝わせていますが、村内やその周辺と森林内の反応をくまなく探索したにも拘わらず未だ発見出来ておりません。申し訳ございません。ただ、特殊能力を持つンフィーレアの所在と安全は村内で確認と確保が出来ております』

 

 44人の人間の教官で忙しいエントマに、キョウ不在の穴を埋める形で、今後の数日間を半日だけはンフィーレアの居るカルネ村へこっそり居てもらうように命じていた。これは、まだ直接面識の無いフランチェスカが1日中いるよりも、宴会の闘技場で会ったというプレアデス姉妹の一人の方がエンリらとも確認時に接触しやすいと思ったからであった。また、この新しい追加指令に張り切っていたエントマである。予定時間に遅れたという事は無かった。これは不運といえる部分がある。

 そして――常駐での護衛役としていたキョウをカルネ村から、一時的に動かしていたのはアインズ本人である。

 

 自身の開けた穴で、エンリが居なくなってしまったという事実だけが残っていた。

 

 

「………誰だ?」

 

 

 絶対的支配者の、静かながら重々しい声が、宿部屋の中へと漏れた。

 傍で控えていたレッドキャップら2体の顔が緊張する。絶対的支配者の身体から、『絶望のオーラ』が弱く漏れ出してきていたためだ。

 至高の御方の意思が、世界を終わらせる……そんな雰囲気が一瞬のうちに周囲へ広がっていく。

 彼の頭蓋の眼窩(がんか)に、輝く紅き光点へ『不愉快』という明らかに強い怒りの色が加わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「見ーつけた」

 

 まるで、かくれんぼをしているが如き少年風の少し甲高い声を、200歳は超えたはずの帝国主席宮廷魔法使いフールーダ・パラダインは上げていた――。

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国へ侵攻した竜軍団の早期討伐のため、バハルス帝国の切り札である、選抜された100名の強襲魔法詠唱者部隊を引き連れ、帝国魔法省最高責任者の彼、フールーダは今より皇城から出撃する。

 地上の騎士団本隊より遅れること3日。

 それを、皇帝ジルクニフを初め、多くの重臣や残った将軍に騎士団の面々が見送る。

 フールーダは、白系色ながらいつもよりも()()()()()を着ていた。それは、少し戦闘向きではないようにも思える畏まった感じのするものに見えた。

 

「……(村娘に対して粗相があってはいかんからなぁ。まずは身嗜みからよ)」

 

 その彼の思いは、右手へと握っていた彼の使う杖の中でも最高の逸品の一つであるアイテムがあった事で、ジルクニフや皆はこの戦いへ老師が大いに気合を入れているのだと錯覚し受け入れていた……。

 彼の持つ杖は『雷氷の杖』といい、聖遺物級(レリック)アイテムだ。名の通り、火気系の竜に有効な魔法を補助増幅する効果が高いものだ。また自動で〈魔法抵抗突破最強化(ペネトレートマキシマイズマジック)〉が追加で掛かるという優れものである。

 それらを装備した大賢者は、皇帝ジルクニフへと淡々と告げて旅立つ。

 

「それでは陛下、行って参ります」

「うむ。万事よろしく頼んだぞ、爺」

「では。〈飛行(フライ)〉」

 

 そういって、会釈すると皇帝の傍から、一気に高く空へと飛び立った。

 指揮官の出撃に、皇帝の前で凛々しく整列していた重装備の部隊員達も順次出発していく。

 100名は上空で勇壮に大編隊を組み、帝都を大きく1周すると、南西に向かって進み始める。

 今は、まだまだ日の高い丁度午後3時といった頃だ。

 高度を取って上空を移動するとは言え、100名も纏まっていると見つかってしまう。そのために、王国内では夜間飛行が計画されていた。

 今日は、これから帝国との国境傍まで7時間ほど掛け220キロほど空を進み、明日の夜に王国内へと進撃する行程で予定が組まれている。

 

 そうして30分ほど巡行速度で飛行しただろうか。

 先頭で風を切り進んでいたフールーダが、突如、隊から突出して進行しだす。

 ――『時は今』と。

 

「し、師よーーっ」

「いかがされましたかーー?」

「お、お待ちくださーーいっ」

「弟子達よー、この隊は一時任せたー。私は先に予定の野営地で待っておるぞーー」

 

 ぴゅー。

 そんな猛烈な急加速を見せ、彼は空の彼方へと飛び去って行った。

 

「ぁ?!」

「え?」

「えっ?」

 

 側近の高弟達は全員が、全力で飛ぶも追いつけずに取り残され、唖然と師を見送った……。

 

 

 その日、カルネ村ではいつもと変わらぬ日常が流れていた。

 エンリは今日も朝から、忙しそうに家や畑の仕事の他、村の砦化の作業への指揮に忙しい。

 昨晩はエントマを伴った旦那(アインズ)様の来訪で、1時間ほど会話も楽しめ、それを思い出しつつ今も自然と彼女の顔には笑顔が浮かんでいる。

 キョウの招集とエントマが代役の件は勿論、アインズからエンリとネムへ真実がきちんと事前に伝えられている。

 村民の彼女としては村の皆に隠し事が増え悪いのだが、旦那(アインズ)様からの信頼を感じられて結構嬉しい。ただカルネ村の指揮官として、エントマ様が居ない時間帯となる朝の5時から夕方の5時までは、キョウから一時指揮権をもらった死の騎士(デス・ナイト)3体はいるが、直接危険者を探知出来る者はいなくなるので少し不安がある。

 先日、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)3体の存在も知らされたエンリであるが、その指揮権はキョウからエントマに一時移譲されている。エントマがいれば、蟲の連絡網を周囲へ張れるため、所定の場所を守る場合はマスターアサシンに近い敵探知力を見せてくれるのだ。

 ンフィーレアを任されているエンリは、エントマ様へ「まず彼の存在確認と安全を第一にお願いします」と頼んでいる。

 妹のネムは今日も、姉の傍で補佐をゴブリン軍団の2名程と力を合わせて元気よくしていた。

 ブリタは、村の自警団の朝の鍛錬指導が終わると、ラッチモンらと狩りの手伝いに勤しむ。

 

 そうした中で、天才薬師少年であるンフィーレア・バレアレも頑張っている。

 彼が借りている村外れにある小屋には『バレアレ薬品店・カルネ村製作所』の看板が掲げられていた。3日前に設備へ火が入り、漸く治療薬の生産が出来る程の状態まで持って来ており、本格的生産開始も近い。

 しかし、それに伴い新薬の実験も始まっていて、小屋の周りには何とも言えない刺激臭が漂い出している……。

 少年は、早朝からハイテンションで張り切っていた。

 昨日、エンリから「ねぇ、ンフィーレア。カルネ村特産のお薬って、何か作れないかな?」とお願いされたのだ。

 詳しく聞けば、村を少しでも繁栄させたいという話で、その起爆剤にしたいという。

 それを聞いて薬師の少年の思考には、熱く強い想いが溢れた。

 

(こ、これは……もし村をうんと大きく出来れば、彼女の大好きなこの村の立役者は――僕だよねっ。そ、それならチューを貰えるはずっ。そ、それも、頬じゃなく……)

 

 彼のニヤけ切った表情は、もはや思考が完全に透けて見える程だ。その妄想は、エンリが目を閉じて顔を上げ、僅かに唇をとがらせ寄せてくる光景に他ならない。

 

「待っててね、エンリっ! 頑張るからっ」

 

 右拳を一瞬強く握ると、早速薬草の調合を始めるンフィーレアであった。

 

 

 

 そうして、今日も無事に暮れてゆくかと思わせる夕焼け前の空がまだ青い午後4時半頃、エンリは畑仕事を早めに終え、傍で雑用の力仕事を片付けた死の騎士(デス・ナイト)のルイス君に砦化の作業へと戻ることを頼むと、一旦晩御飯の支度の下準備にゴウン邸へ向けあぜ道を戻っていく。

 外作業により草木で、旦那(アインズ)様から見られる腕へ傷が付かないようにと着ていた服の、長袖を捲る。

 すると主エンリに対して、一歩下がった位置を歩く荷物持ちのゴブリン軍団のカイジャリから褒め言葉が贈られる。

 

「姐さんは最近、逞しくなりましたね?」

「そ、そうかな?」

 

 エンリにしてみれば、正直余り嬉しくない言葉だ。

 逞しいといわれた彼女の、先日キョウに知らべて貰った職業レベルは以下。

 

 ファーマー   Lv.1

 サージェント  Lv.2

 コマンダー   Lv.2

 ●ェ●●ル   Lv.2

 ネクロマンサー Lv.1 (新規登場)

 

 一生懸命()()()をしているが、上昇するのは他の職業レベルである事に、エンリ自身納得出来ずにいる。

 おまけに死の騎士(デス・ナイト)のルイス君を初め、他の2体へも最近ガンガン手伝いをお願いしていたので――目新しい職業までが増えていた……。

 そのうちアンデッド・コマンダー(死者の職業)とかも追加されるかもしれないなと、旦那(アインズ)様に冗談を言われていたのを思い出す。

 

 それに、エンリは体力的にみるともう()()()Lv.6の戦士相当であるっ。

 

 (アイアン)級冒険者になれるかもしれない水準だ。

 力勝負だと村の男性で彼女に勝てる者は、もうラッチモンぐらいになっている現状があった。

 ブリタに腕相撲で勝つことが多くなってきてもいる。

 

(そういえば、最近――以前重量のあった角材が随分と軽くなった気がするんだけど)

 

 旦那様に可愛いとか、女の子らしいとか、綺麗だとか言って欲しいのに……逞しいと言われては、村の皆から旦那様の女だと思われているのに、何か申し訳なく思ってしまう。

 そんな長閑(のどか)な考えをしていた少女の前へ異変が起こる。

 

 

 忽然と5メートル程前の道へ杖を持つ白髪で白鬚の老人が現れたのだ。

 

 

 エンリは思わず目を見開き立ち止まる。

 彼は、純白の上品で高級そうに見えるコート系の服を着ていた。なので、まるで幽霊にでも遭った雰囲気だ。

 

「見ーつけた」

 

 その老人は嬉しそうに微笑む表情で、いきなり随分子供っぽい言葉を少女へと向けてきた。

 実は、先程からこの老人は不可視化し気配も魔法で抑え、村の中で死の騎士(デス・ナイト)へ指示を出す者がいないかこっそりと探していた。そして見付けたのだ。

 少女は、背中へゾワリと強烈に寒気を感じた。

 何故かというと、それは目の前の人物が――風格と練達さを感じさせる魔法詠唱者(マジック・キャスター)に見えたからだ。

 少女は、この村の司令官として目の前の謎の老人へと声を掛ける。

 

「あの……どちらさまですか?」

 

 後ろにいたカイジャリが、剣を抜こうとする動作を感じ、エンリは冷静に手で制し止めた。

 旦那様の強さを知っているからこそ、老人の余裕のある登場の仕方で、敵対すれば容易に自分やカイジャリが殺されるだろうと判断してだ。

 ここは、情報をなるべく引き出し、カイジャリにネムやハムスケの所へ走って貰った方がいいと判断する。

 だが、それはどうやら難しい様だ。老人が口を開く。

 

「失礼する。〈昏睡(トランス)〉」

 

 その言葉が発せられた直後、魔法を受けたカイジャリが仰向けにバッタリと倒れた。

 

「カ、カイジャリさんっ!?」

 

 エンリは、心配から思わず倒れている配下の傍へ両膝を突き、小鬼(ゴブリン)の頭を抱き抱えた。

 その少女へ魔法使いは優しく声を掛ける。

 

「心配は無用です。しばらく眠って貰っただけですので。しかし、貴方は死の戦士(デス・ナイト)以外に小鬼(ゴブリン)までも従えているとは、素晴らしいですな」

「――っ! ……もう一度伺います。どちらさまですか? ……目的はなんなのですか?」

 

 状況が全く分からず、いきなりの攻撃に、エンリは少し怒りも含めた声で問いかけていた。

 すると、老人は一方的に告げる。

 

「――詳しくは後ほど。〈睡眠(スリープ)〉」

 

 第1位階魔法だが、受けたエンリはしゃがんだ体勢でグラリときた。しかし、彼女が地へと倒れることは無かった。

 フールーダが、傍に現れ丁重に彼女を支えたからだ。そして、道の脇へ転がる目撃者の小鬼へ発覚を遅らせるように、認識阻害の魔法を追加で掛けておく。

 

「……(死の戦士らへの指示をこの目で直に見せてもらったが、この娘の魔法力は――小さい。……ふむ、新しい魔法かもしれんなぁ)……ふはははは!」

 

 老人は高らかに笑い声をあげたあと、最高に高揚した気分で第6位階魔法を叫ぶ。

 

「〈転移(テレポーテーション)〉っ」

 

 二人の姿は、その場からあっさりと消え去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 天啓なるお言葉

 

 

 デミウルゴスは、先日アインズの第七階層への来訪時に主から()()()()()()()()を受けていた。

 

「王国の隣国―――バハルス帝国もそろそろ動き出すかもしれないな」

 

 近年は、毎年秋近くに王国へと戦いを挑んでいると聞く国である。

 アインズとしては、スレイン法国が動いたのだからという、ふと浮かんだ軽い考えだ。

 対して、以前よりデミウルゴスは、バハルス帝国の持つであろう大よその国力と戦力からその『王国弱体化後の併合』的な真意を既にくみ取っていた。

 しかし、竜軍団の侵攻を聞いた帝国の判断には幾つかの新しい手が考えられる。もちろん近隣の国家を動かし連合も一つの案には考えられた。

 ただ最上位悪魔は、スレイン法国の隠密である動きからそれは無いとの結論を出し、主へと回答している。

 

「はい。恐らく、かの国は王国を盾に使うことでしょう」

「そうか。(気楽な王国へ)余り帝国からの影響は受けたくないものだな――()()()()()()()か」

 

 アインズはこの時、何気ないつもりで口にしていた。

 

 

 だが――忠臣デミウルゴスがその『お言葉』を大きく重く受け止めていたのは当然と言えよう。

 

 

 それが、見事に炸裂することになろうとは……帝国の命運は風前の灯火と変わっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 運命の就職活動

 

 

 ――権力に勝てるのは、権力のみ。

 

 

 結局、それは現世界での絶対論理。

 アルシェが、時間が無い中で悩み苦悶した末、最終的に出した答えである。双子の妹を犠牲にする鬼畜すぎる御家再興案の話を聞いて早二日が過ぎていた。

 国外逃亡は考えなかった。手元の資金の問題もあり、それは最後の手として今は残している。

 相手は父と、そして帝国の伯爵家という権力の怪物。

 だが、よくよく話を思い返し考えれば父と取引をしたのは、その伯爵家のお世継ぎ様という話。

 伯爵家当主がいる以上、当主から認めがなければ、フルト家に準男爵の貴族位を与えることは出来ないはず。

 それが確定出来れば父も此度は諦めるだろう。

 

 つまり――伯爵家の御当主へ意見出来る方から「認めないように」と、お声掛けをしてもらえれば何とかなる。

 

 さて、そこで伯爵家の当主へ意見出来る人物で最高位の者と言えば、それはバハルス帝国皇帝のジルクニフ陛下である。そして、その人物に最も意見が可能な者となれば――。

 

 アルシェ・イーブ・リイル・フルトは今、帝国魔法省の受付に乗り込んで来ている。

 

 父や伯爵家の悪趣味な世継ぎから手を回され、アルシェを追い隠れ家を突き止めて妹達をさらおうとする者らも、まさかここに来ているとは思わないだろう。

 実際、ここへは手が回っていない。

 そもそもこの魔法省は、許可が無い一般者は魔法が使えないと門すら潜れないのだ。

 万が一、不審者として捕まるリスクを貴族家の者達が容認するはずがなかった。

 

 フールーダ・パラダイン――名前からも分かるように老師は、貴族ではない。

 

 『血の粛清劇』の折に陛下へ絶大な与力をしながら、彼は爵位を望まなかった。それだけを取っても、皇帝へ非常に大きい借りとなっている。

 彼ほどの功労者が望まないのに、と。

 もちろん、彼が要望すれば喜んで縁戚を結び特例措置で侯爵にしていただろう。

 また、もしその老師が皇帝陛下へ真摯に嘆願すれば……どれほど名門の伯爵家でも簡単に潰されるはずだ。

 それほど帝国魔法省の最高責任者、三重魔法詠唱者(トライアッド)とも言われる、魔法の逸脱者で主席宮廷魔法使いは皇帝陛下に信頼されている。だから、アルシェはここへ来ていた。

 彼女は、受付へ座る者に最高責任者への面談の伺いを堂々と立てる。

 

「嘗て帝国魔法学院に在籍していました第三位階魔法詠唱者、アルシェ・フルトと申します。パラダイン様との面会の取次をお願いします」

 

 第三位階魔法詠唱者は、帝国内に1000名も居ないエリートである。

 アルシェも昔とは違い、一人前の魔法使いになっていた。

 受付の者から「問い合わせいたしますので、しばらくおまちください」と告げられ、待合席に座り時を待つ。

 見上げると、10メートル以上の高さの天井に、家が数軒は建てられる広さのロビーである。但し、造りへ金銀などは一切使われておらず、白壁や梁の形状など洗練されているが質素といえる。

 建物自体も豪華さよりも広さや姿と頑丈さを第一にしっかりと建てられていた。

 帝国魔法省関連の敷地面積は帝都周辺も合わせ、10平方キロ以上ある。莫大な年間予算もパラダイン老師に上限無しで一任されているという話だ。

 しかし、彼は150年を超えて帝国に仕えているが、余分のある不正計上は1度も記録されていない。魔法を極めることを旨とし、全てに対して公正に振る舞っていた。

 まさに、皇帝と帝国に仕える者として最高であるといえるだろう。

 噂では、現皇帝が急病で職務が難しくなった場合は「フールーダに判断させよ」という言葉もあると聞く。

 アルシェは考えている。

 

(なんとか今日、パラダイン老に力を認められて、家の話を聞いてもらいたいけど……)

 

 正直、不安だらけである。

 老師にすれば、あくまでも没落した小貴族の家の問題というもの。でも彼女としては、他に縋り付ける存在へ当てが思いつかないでいた。

 常識的に考えて、現存する貴族達は皇帝に認められているという家ばかりのはずで、小娘一人の話など何を告げても老師から戯言と一蹴される気もしている……。

 

(あぁ………)

 

 時間を長く感じた。しかし、時計を見るとまだ10分も経っていない。

 その時、奥から受付の女性が帰って来た。

 そして――。

 

「お会いになられるそうです。こちらへどうぞ」

 

 そのまま受付の女性が先導して、上階の会談室へ通された。

 カップで飲み物が出されたが、とても喉を通らない。女性は「このままお待ちください。いらっしゃいますので」と告げると下がっていった。

 さらに5分ほどが経過する。扉が軽く叩かれ、開いた。アルシェは礼儀的に条件反射で立ち上がる。

 すると、以前見た姿と余り変わりない印象の白髪で白鬚に白いローブを纏った老人が、杖も無くスイスイと歩いて入って来た。

 

「…………アルシェ・フルトか、覚えているぞ。まあ掛けたまえ」

 

 彼は会話しつつそのままテーブルを挟んだ差し向かいのソファーへと掛けた。

 

「御無沙汰しております。では」

 

 アルシェには分かる。以前も直接傍で会ったときに感じていた。老師の体から溢れるその桁違いに大きい魔法力を。

 一応すでに老師は、記憶から魔法の才能の高かったこの少女の事を思い出していた。

 

「しかし残念な事に君は確か、学院を中退したのではなかったかな?」

「はい。恥ずかしながら、家の事情がありまして」

 

 家の問題をここで話すかとも思うが、まず己の力を見せてからと考える。

 パラダイン老師は、学院の中退についてはそれほど拘りなくアルシェへと尋ねる。

 

「ふむ。まあ、過去は過去か。今は働いているのか?」

「一応ワーカーを。ですが、妹達が居ますので近々辞めようかと考えています。それで、こちらに来ました」

 

 とりあえず、客観的に問題が無い範囲で現状を伝えた。

 それを聞くとフールーダは、白髭に覆われて見えにくい口許を僅かにニヤリとさせつつ誘う。

 

「どうかな、アルシェ・フルトよ。この――魔法省で働いてみる気はないか?」

「……(えっ、中退した後、2年も経ってるけれど、今の私の魔法技術を確認されなくて良いの?)」

 

 帝国魔法省は国立の公共機関である。雇うというのであれば、確認しないのかという彼女の疑問はもっともなものだ。でも一方で、確かに最高責任者が認めれば関係ないとも言える。

 実は彼女の心配は杞憂となっている。確認はすでに終わっていたのだ。

 先程、会談室に入った直後に、パラダイン老師もアルシェの総魔法量などを把握し、合格を出していたのだ。

 この二人は、非常に近い能力を持っている者同士であった。

 

 さて権力者の誘いの言葉を蹴ることは、この後の願いを聞いて貰えるはずもない。

 だから今、アルシェは要求にまず応えるのみ。

 

「ありがとうございます。私で、お役に立てるなら喜んで。よろしくお願いします」

 

 己の持つ力を老師へ見せてからと考える彼女は、家の事情を打ち明ける機会を今少し窺う事にした。

 

 

 

 

 二人が会う少し前の時間。

 魔法省の自室に居たフールーダは、明日の王国領内への出撃を前に一点気にしている事象があった。

 もちろんカルネ村の村娘の件だ。それは、彼女をこの帝都へと招いたあとの話である。

 

 

 ――いったい誰に面倒を見させるかと。

 

 

 相手は辺境でも極小村の村娘。確実に田舎者である。

 なので、貴族家の者は気疲れするので付けられないと考えた。

 かといって、街の者では礼儀が不十分だろうと思われる。あと、更に担当は年齢の近い若い娘の方が良いはずだと。

 色々思案するが、適任者が中々思い付かずにフールーダは「うーむ」と唸っていた。

 そうしていると、扉を叩き受付嬢が入って来て知らせる。面会希望者が来たというのだ。

 フールーダは少々しかめっ面で問う。

 

「この忙しい時に。誰か?」

「あ、あの、学院の卒業生かと思うのですが、第三位階魔法詠唱者のアルシェ・フルトなる若い娘で――」

 

 フールーダは、魔法については何事もよく覚えている。そして才能の高い者達の事もだ。

 だから、彼女アルシェ・フルトが今は平民だが――元貴族の娘であった事実も思い出していた。

 悩める事象への適任者現る、と。

 

「――会おうっ」

 

 即答した大賢者の顔は、悩みが晴れた少年のような笑顔を浮かべていた。

 

 

 

 嗚呼、アルシェの運命がこれから試される……老師と共に。

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. アインズ、評議国の都市内のぶらり探訪でもアレに遭遇する

 

 

 窓の外には快晴の青空が広がっているお昼前の午前10時半。

 ルベドのお願いに関する難題を解決する用件で、アーグランド評議国という人類国家とは異なる未知の地へ来ているアインズであった。

 NPCのキョウは、先程9時過ぎからまた情報を集めるべく小鬼(ゴブリン)のレッドキャップを3体連れて商業地を回っている。

 宿屋へ籠り、昨晩から始まっているキョウの商業地や『ゲイリング大商会』へ潜入により入手した情報を早朝から整理していた支配者であるが、昨日分は初日ということもあり午前10時頃には終わってしまっていた。

 

 つまり――暇なのだ。

 

 そうなれば、当然支配者が気になるのは窓から見える空の下に広がる光景。宿の外の亜人世界という目新しい場所というもの。

 

(ここまで来てて、見て回らないというのもなぁ)

 

 とはいえ、普段の異形種の姿で街へ自由に出る訳にはいかない。

 確かに不可視化を使えば良い気もする。だが、視認されないため周りへ対してこちらが全て避けなければならず普通に歩きたいものだとアインズは思う。また〈幻術〉という手は手軽で便利だが、実体を持つためには結構調整が必要であり、今はその時間が惜しい。

 一番理想的なのは亜人のキャラに変わる事である。ところが、ユグドラシルでは1プレイヤーに1キャラのみと制限されていた……。

 それでも、課金アイテムを使えばキャラを偽装することは可能であるっ。

 但し制限も多い。公式イベント系には参加不可や、1回につき最大12時間という時間制限が存在した。また当然だが、その偽装キャラに対しての経験値は付かない。あくまでも、元のキャラに対する行動として経験値等が加算される。つまり、アインズが戦士で人間アバターのキャラ偽装を選んだ場合、剣は振れるが剣技に対しての経験値は、魔法使い側にパラメーターがないものは加算されない等が起こるということだ。

 

(一応、そのキャラの雰囲気は味わえるし、お試し風のものと考えれば十分だよな)

 

 そう思い支配者は割り切っていた。

 まさに今日のような時間つぶしには打って付けである。

 アインズは、ユグドラシル時代に幾つか偽装キャラを試しており、その中に亜人のものが数種残っていたはずと思い出していた。

 彼は、ルベドに宿で()()の面倒を見てもらいつつ、〈千里眼(クレアボヤンス)〉での護衛を頼む。

 

「分かった。こっちも忙しいけど」

 

 聞くと、ルベドは()()へ姉妹となる事への心構えをコンコンと語っていたという……。『姉妹仲良し講座』なるものを繰り広げている模様だ。12章もの構成らしく、意外に奥が深い。まあ平和ならいいかと、ゴブリン達2体を留守番に残しアインズは宿を後にした。

 そうして、不可視化したアインズは〈転移〉で都市の外の林の中まで出てきた。

 アイテムボックスから、課金アイテム『偽装鏡(フェイクアップ・ミラー)』を取り出す。メイクアップと掛けているような名だ。これは姿見型のアイテムで、まず写った自身の姿が事前に設定登録したキャラ姿で見える。そして気に行ったキャラを『転写』コマンドで実装することで、偽キャラになれるという手順。

 支配者はコレだと選ぶと、『転写』コマンドを実行した。

 

 

 

 サルバレの都市外周壁の南東にある正門で、アインズは昨日のキョウと同じ様に亜人らの列へ並んだ。

 資金というかお金については、活動費としてキョウ達へ金の粒を3つ、ルベドへ銀の粒を10渡してあるので、今のアインズは金の粒1つと本日分の宿代を前払いした残りの銀の粒3つ程を持っていた。銀の粒4つではないのはミアと小鬼(ゴブリン)達へ食料を買い与えたためだ。

 さて、門においては前日同様に、通行税や通行料は無い模様である。

 国内の経済の安定上、通行税は物流へ制限を掛けたい場合に有効な手段だ。この世界で国家を運営するなら経済面で考慮しておくべき項目。

 しかし今は横へ投げ置き、気楽に並んでいるアインズであった。

 門の守りには10名程度の姿が見える。槍や剣、弓などで武装した守衛達の隊長は恐らくひときわ大きいミノタウロスだろう。他は下半身が獅子風のラミアが並ぶ。

 ふとアインズは昨日通過したよりも守衛の数が多いかなと感じた。

 間もなくアインズの順番が来る。

 

「次の者。名は何という?」

「(え?)……」

 

 名前など、昨日は聞かれなかったのだ……。キョウと小鬼(ゴブリン)の一行は行商の荷物もなかったため、身形(みなり)を確認されただけで通過出来ていた。

 それが、今日は確認されていた。これは――と、考えてる暇は無さそうだ。

 

「どうした?」

「いや。私は、モ……――()()()()()という」

 

 頭に被る目許までを隠す銀兜のスリット感から思わず、『漆黒の戦士』の時の名前を言いそうになり、焦って飛び出した名はダメダメなモノであった……。

 だがもうコレでいくしかないっ。

 あと、発する声についてだが、言葉遣いはアインズで声音を鈴木悟の域で話した。以前、スレイン法国の騎士から奪った声帯の口唇蟲を持っているが、今日は余興的なものであり、それはまだ使わず温存する。

 守衛の男のラミア兵は、帳面へ羽根ペンでよく分からない文字を記入していく。

 

「モニョッペ…………かの英雄と同じか、イイ名だな」

「ああ(ダレだよ。どんな英雄だよっ)」

「……立派な装備に、その姿。――人馬(セントール)の戦士だな?」

「そうだ」

 

 アインズは、下半身がこげ茶色の黒鹿毛の馬体で上半身が人に近い腕と胴を持つ人馬(セントール)の戦士を選択していた。兜からは長めの黒髪が垂れ、縦に二つ立ち上がった馬耳が穴から飛び出している。耳を含まずとも身長は210センチ程ある。上半身には肩へ金属防具の付く革製の装備と腰に剣を差していた。馬の胴体側には前面に金属防具を、そして胴には上質の生地で出来た、赤と黒と白色にてデザインされた服を纏う。これら装備類は、設定当初適当に余りもので()()()()()()()()()を付けたと記憶している。

 人馬は4本足のため、ユグドラシルの時は歩く感覚を表現すると『二人三脚』の感じだ。なれれば結構動けるが、それまでは大変でかなりコツがいる。しかし、この新世界では『歩きながら足の指を動かす』程度の感覚で動いてくれる。最初から走るのも難しくなかった。

 さて、名前の確認は何とか切り抜けたアインズ改め『モニョッペ』であるが、ラミア兵の質問がこれで終わらなかった。

 

「どこの街から来た?」

「――!?(げっ。ヤバイよ)………」

 

 いきなり大ピンチである。モニョッペは、皮膚を持つため僅かに手汗をかいていく。

 適当に言っていいのか彼は悩む。なぜなら調べればすぐにバレる話だ。とはいえ知っている街といえば――中央都などの都市しかない。

 モニョッペは、思わず何か良い手はないかと情報を欲し問い掛ける。

 

「……何かあったのか? 直ぐ通れると知り合いから聞いてきたのだが」

「ああ、実は街へ昨日から盗賊で腕の立つらしい魔法詠唱者が出たようでな」

 

 モニョッペが身形のいい戦士でもあるため、魔法詠唱者の能力はないとみて話してくれる。

 だが聞き進むと、それはなにやら聞いたことのある話に聞こえた。

 

「揉め事での単純な殺しや喧嘩は元々多いんだが……昨日から白昼の街中で売り物の精肉用の人間が20体以上盗まれたり、深夜にはいくつかの商会で幹部が()()()()に気絶させられ、金品目当てなのか室内を僅かに物色されたりしている変な事件が続いているんだ」

「ほぉ、そうですか」

 

 アインズとしては、どこか自業自得の気がする部分もある……。

 しかし、こんな序盤でボロを出す訳にはいかない。ここは「中央都から来た」と言おうとした瞬間――。

 

「あれ? その黒髪。私の故郷の街“ゲテル”の方ですか?」

 

 それは数名分、列の前にいて門を抜けた所へ居た人馬(セントール)の娘であった。豊かで長い黒髪の毛先へ可愛く巻き毛が揺れる。彼女は故郷の者が珍しいのか、人懐っこそうに笑顔でこちらへと少し寄って来た。

 守衛のラミア兵は、これが良く見る娘であり、先程城外の街への買い物で出入りしたと知っているらしく、目の前の戦士へと確認してきた。

 

「そうなのか?」

 

 モニョッペは、もちろんそれへ飛びついた。ギリギリ感へもう慣れた風に堂々と伝える。

 

「ええ、私は“ゲテル”の街から来ました」

 

 すると、ラミア兵は再び帳面へ記入しつつ告げてきた。

 

「そうか……ふむ。戦士殿、通って構わないぞ」

「では」

 

 何食わぬ素振りで、人馬(セントール)の彼は正門を潜っていく。勿論、モニョッペはゲテルの街がどこにあるのかなどまるで知らずだ。

 そして――見知らぬ人馬の娘の待つ所へと足を運ぶ。

 守衛の目もあり、ここで素っ気なくするのはマズいと考えての行動である。それと、一応助けて貰った形でもあり、彼女へ先に名乗る。

 

「……どうも。私はモニョッペと言います」

「わぁ、やっぱり“ゲテル”の方だったんですねっ、モニョッペさんは」

 

 彼と守衛のラミア兵の声が聞こえていた様子で彼女は、故郷の者に会うのが嬉しいらしく、興奮からか困ったことにテンションが高い。

 (オス)人馬(セントール)は結構ゴツイのだが、雌の人馬は意外に可憐だ。上半身は人に結構近く、胸も人と同じ双丘が胸部にあり彼女は大きめであった。

 また馬の耳は立っているため兎風な感じで頭の上方から生えているのだ。それが、長く広がる黒髪から出ている。表情も目鼻立ちは人間とそれほど変わらない可愛い子といえる。

 彼女は馬の胴体と上半身が一体で繋がっているフリルの多い愛らしい白と灰系のブルベリーカラーの服を着ていた。上半身の腰からは前垂れ状のスカートも付く。馬足先部分から馬体は赤系の鹿毛のようだ。

 元気よく彼女は名を告げて来る。

 

「あ、ワレの名はシェルビー・カロです」

「……(ワレ? 方言かな? いや、こちらは突っ込まれていないし大丈夫か)どうも、初めましてカロさん」

 

 評議国でも、ラストネームが家名というのは同じとルトラー王女から聞いていた。

 モニョッペは、こちらが年上だろうし変に故郷の話を振られても困るので、主導権を握りつつ手短に話を済ませようと試みる。

 

「カロさんは、もうこちらで長く住んでるのか?」

「はい。ワレが“ゲテル”で生まれて暫くのちに、父が仕事でこちらへ来て以来と聞いていますので」

「なるほど。私はこちらで仕事がないかと思いまして。あ、いけない。色々話はしたいところだが、仕事を探しに来ているので。それに早く今日寝る場所も決めないと、だから――」

 

 すると何と、その言葉に食い付かれてしまった……。

 

「あ! でしたら宜しければ、ウチに泊まりませんか? 仕事も父の商売の護衛とかどうでしょう? 同郷で父も喜びますし、遠慮なさらずに是非、どうぞどうぞ」

「(えぇっ、藪蛇かよっ?! 俺はただ街を見物したいだけなのにぃ)……」

 

 もう離さないという感じで、右腕を柔らかい彼女の両手で取られてしまっていた。

 しかし、これは蟻地獄的状況だ。いけばジリジリとボロが出て終焉は必定である。

 ここでモニョッペは、リアルで培ったもっともらしい言葉を並べた営業的話術を炸裂させる。

 

「御厚意は、大変ありがたく感じている。しかし――この地へ来てすぐ甘えてばかりでは、私自身のためにならない。ここは自分の足で一度は仕事を探してみたいと考えています。それでも、もし私が仕事を見つけられなかった、そういった折に助けていただければ幸いです」

 

 そう伝えると、シェルビーと名乗った人馬の娘は――余計に興奮していた。

 

「うわぁ。やっぱり、同郷の方ですねっ! 父も同じことを言っていました。ここで転がり込んでくる者には “ゲテル魂はないっ!” って。もしかの時は是非ウチへお寄りくださいね。これ、ウチのお店のビラです。お持ちください。それでは」

 

 彼女はぺこりと一礼すると、笑顔で去っていった。

 

(こういうのをなんというのだっけ……『瓢箪から()()が出る』かな)

 

 本来の『駒』とは馬の事だが、そう言った『はずのない』状態を意図せず実現した状況に、モニョッペは持ち込んでいた。

 手渡された宣伝ビラへ目を落としつつ呟く。

 

「(ふう)さあて、じゃあ、街を見て回るかなぁ」

 

 モニョッペはこうして、サルバレの都市内を自由に見て歩き出した。

 時間は午後3時ぐらいまでと考えており、すでに11時を過ぎているので、残り時間を考えれば住宅地は却下。そして、関係者以外は立ち入り出来ない軍用地関連もこの姿では入れないだろう。なので商業地を中心に練り歩く。

 アイテムを売る店や、武器専門店、食事処に各種娯楽施設などなど。

 彼が流し見た店先で、並んでいた掘り出し物といえるアイテムは、非売展示品の遺産級(レガシー)アイテムを一つ見たぐらいだ。購入可能なのは『最上級』の下の『上級』アイテム。それが金の粒で万単位の大金であった。

 アインズは、人間世界ではじっくり店の中の品まで見てこなかったのだが、ここにきて(ようや)く気が付く。

 

(どうしてこんなに、アイテム類が高いんだよ? あ。いや……ユグドラシルと同じぐらいかな。つまり、物価の差や市場規模が小さいということなのか)

 

 よく分からない。でも、これだけは言える。普通に考えると国家元首級でなければ、最上位水準の装備には手が届かない金額だ。収入の劣る冒険者のような平民階層の者達が手に入れるには、まず譲ってもらうか、あるいは自力で探し出すか、それとも――相手から奪うしかないだろう。

 思わぬ事実を知った絶対的支配者であった。

 そういった事もあったが結局1時間半ほど歩いたころ、モニョッペが足を止めたのが闘技場である。

 そこにはポスター調の大きい布の垂れ幕が吊るされ、

 

 『腕に覚えある者来たれ! 5人勝ち抜けば金の粒5つが貴方の物に! 参加費:銀の粒2つ』

 

 ――の内容で闘士達の躍動する絵柄と文字が躍る。

 しかし、モニョッペは字が読めなかった……。

 それでも図柄や雰囲気で十分意図は伝わる。これは5回勝ち抜ければいいようだ。

 大体の場合、こういった形式だと最後に登場するヤツはとんでもない強さであると相場は決まっている。主催者の狙いは、概ね銀の粒2つの大量回収なのだから。

 1回戦、2回戦の相手はザコ水準で、「これはいける」と思わせる。そして「3回戦」辺りからぼちぼち腕の立つ者が現れるはずだ。

 今のモニョッペの戦士としての強さは『漆黒の戦士』とはちょっと異なる。

 これはアインズの、戦士でLv.100の〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉とも異なる。

 剣の実力で並べると『完璧なる戦士』>>>>現在の『偽戦士(+キャラの体力若干分)』>>『漆黒の戦士モモン』という感じだと考える。

 魔法詠唱者としてLv.100での体力にキャラ分の体力も乗り戦士として剣が振るえる状態。ただ、やはり人馬の戦士キャラなので魔法は随分制限されている。

 剣については『漆黒の戦士』で、扱いや戦い方についてのみだが少し掴んできたつもりだ。これに加えて、冒険者の時より強化されている体力から振るわれる一撃が、弱く遅い訳は無い。

 しかし――多くの観衆がいる闘技場でそれを披露する訳にもいかないだろう。

 

(楽しめればいいよな。どんなヤツが出て来るかが面白そうだなぁ)

 

 この場は全力でなく、銀の粒2つを払って雰囲気を味わうぐらいがイイんだと、人馬の戦士モニョッペは受付窓口へと向かった。

 

 

 

 この闘技場は、サルバレの都市内の西方側の商業地にある。

 全体の外観は立方体を高さ3分の2程で水平に切ったすり鉢風に見える。基礎が正方形の形で1辺は約120メートルの総石材造りされた施設だ。観客席はどこからでも良く見えるように急こう配になっている。更に最上部にはぐるりと、VIPルームの窓の広い個室が並んでいる造り。そして中央にある闘技エリアは円形で直径は約70メートル。東西に入場口が作られていた。1万体以上の観衆を収容出来るため、偶に集会場的にも使われている施設のようだ。

 だが、本来の用途は娯楽提供の場である。基本入場料は銅の粒3つ。あとはVIP席や闘技エリアに近付くほど追加の料金が掛かる形だ。

 本日の演目は、モニョッペの出る飛び入りアリの『腕自慢』に始まり、『サルバレ杯タッグ戦』『殺戮ショー』『サルバレ杯個人戦』である。

 『殺戮ショー』は、志願した屈強の奴隷達同士が1対1で計19戦を勝ち上がり自由への切符を掴めるか、敗れて死ぬかというデスオアライブ対戦である。

 一度エントリーすれば、治療薬を買えない中で病や怪我による欠場は認められない。特別戦の第20戦目を生きて終えた者のみが奴隷から解放され平民へ上がることが出来る。おまけに対戦相手は、二つ以内の勝ち星差の者同士に限るという過酷極まる組み合わせ。勝っても傷を受け共倒れ的に死ぬ者も少なくない。相手が誕生せず19戦目を1年以上待った者もいるほどだ。勿論、1年も戦わなかった奴は負けて死んでいる。

 そうして特別戦で20勝目を迎え平民に上がっても、25勝するまでは19勝した奴隷と生死を掛けて()()()()()という奴隷上がりに相応しいお役目がある。サルバレにおいて、最近の10年で平民までの達成者は3名。そして最後まで生き残った者は僅かに――1名だけだ。

 都市主催のサルバレ杯はトーナメント形式の対戦で全国規模の『評議国武道大会』予選も兼ねているらしい。小都市サルバレには、見世物ながら真剣に戦う闘士達が400名以上存在している。彼らは名声と富を掴む為、日々修行し精進していた。

 評議国には、人類国家圏でみられた冒険者やワーカーといった職業団体が基本存在しない。なぜならモンスター的なモノが余り存在しないからだ。しかし、山野へ野蛮な盗賊団は存在するので、護衛隊などはここの闘士達がお金を貰い付く形だ。

 また野生動物に対して、亜人らはそれぞれが十分強いともいえるので護衛がいらない者らも多い。その辺の店のミノタウロスの親仁が、難度で100以上とかも普通にあるのだ……。

 ここ闘技場は、その中で集まった腕自慢の闘士達のいる場所である。

 

 人馬の戦士の1回戦、対戦するのは意外にも闘士の一人でまだ若い(オス)賢小鬼(ホブゴブリン)だと、モニョッペは他の数名の一般エントリー者もいる控室で係員の者から聞かされた。

 対戦開始時刻は受け付け順ということもあり、昼下がりの午後1時20分と決まった。

 なお、『腕自慢』では真剣による勝負は行われない。武器で剣を使うと申告したモニョッペは、竹に近い良く撓る木で組み上げた棒を剣の代わりにと渡された。槍や弓使いなども穂先や矢じりを加工されたものが試合では使われるようだ。

 『殺戮ショー』以外では『相手の殺害禁止』『攻撃部位に制限』『審判による判定』『制限時間3本勝負』と随分緩い。確かに『腕自慢』は金を払ったお客が楽しむ娯楽の範疇であり、また闘士を集める場でもある。『サルバレ杯』関連も闘士を育てる意味で行なっている面もあり、殺し合いは行き過ぎという運営側の判断があるのだろう。

 支配者としては、もっと殺伐とした世界観を持っていたが、亜人都市の住人達は意外と理性的で合理性を持って考えていることを知った。

 さて闘技場は、見なれない飛び入りの戦士モニョッペの試合時間が近付く。

 係員の少し年老いたリザードマンの雄が呼びに来た。

 

「モニョッペさん、準備はいいですか? 東の登場口より入場をお願いします。こちらです」

「分かりました」

 

 当初、1回戦、2回戦はお遊びかと思っていたモニョッペであるが、先程から8名程試合が進んだ中で戻って来たのが2名だけという状況を見て、どうやら真剣さのあるものだと理解する。

 

(逆にワクワクしてくるなぁ)

 

 まだ、彼の後ろにはビーストマンや豚鬼(オーク)など3名程が残っていたが、緊張感を滲ませる表情で座っていた。

 見れば彼等の身形は余り良い姿ではない。装備も古びた防具や破れ目の目立つ衣装だ。闘士という職業に就きたいという思いを持って真剣にこの場へと来ている様子。

 でも、事情は各者それぞれである。モニョッペは控室を後に石造りの廊下を進んで行った。

 

 東の登場口より、まだ快晴の空が広がる眩しい闘技エリアへ、対戦する二者は足を進める。

 足元は砂利が敷かれた水はけも良く()()()()()()()造りである。

 闘技エリアと観客席は5メートル近い高さの垂直壁が段差としてあり、安全に観戦出来るようになっている。

 観衆は、軽食を片手にする者もまだ見え半数程の席が埋まっていた。夜に行われるメインイベントの『サルバレ杯個人戦』では8割以上の席は埋まるそうだ。

 状況は淡々と進む。遅れて西の入場口からエリア中央へと3名の審判が現れると、対戦の二人を呼ぶ。

 基本的な、『真剣を使わない』『相手の殺害禁止』『目や耳鼻口内、及び金的への攻撃禁止』『かみつき禁止』など、注意事項を確認する。そして、1本の制限時間10分で「始めっ」と声が掛かった。

 

 対戦相手の体色がやや深い緑の賢小鬼(ホブゴブリン)の闘士は、背の高い人馬の相手に対し150センチほどの低身長を活かす。右側からサッと回り込んで間合いを詰めて近寄り、下方から馬胴へ()を水平に薙ぐ形で素早く振るってきた。

 審判の判定は、『致命傷となる箇所』への一撃の有効度だ。ゆえに、前だけでなく背中からの首や胸付近の攻撃も有効になる。

 敵の攻撃に、モニョッペは素早く体を躱し間合いを取る。ユグドラシルの人馬の『二人三脚』感覚では足が縺れてコケていたかもしれないが、今の人馬の足周りは十分に反応してくれた。

 向こうは随分慣れた感じの剣使いであった。モニョッペは、その動作や様子を窺う。

 王国やカルネ村で見た小鬼(ゴブリン)らは、レベルは高くても10程度であったが、この対戦相手は随分違った。王国戦士長には及ばないが、Lv.20は確実に超えていると思う動きを見せた。まあレッドキャップよりかは全然弱い水準なのだが。

 受けられずに、素早く動きだけで人馬に躱されたことへ驚き、賢小鬼(ホブゴブリン)の闘士は()をやや斜め中段に構え直す。待つことは無く、次の瞬間踏み込んで来た。

 しかし闘士はモニョッペを、見失う。

 

「な!?」

 

 思わず声が出たが気が付けば、側面から人馬に首筋を棒で打たれていた……。

 真剣であれば首が落ちている一撃である。

 

「モニョッペ、有効打で先制」

 

 豹顔のビーストマンの審判が、手で人馬の戦士を差した。

 会場は勝者の華麗な動きへの驚きと、賛辞の喚声があがる。

 

 でもモニョッペにすれば、これは随分――遅い動きなのだ。

 

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)だがLv.100の絶対的支配者の最大戦闘時の動体視力と反応速度は距離をとれば、同等のプレイヤーやシャルティアの動きに対応出来る水準である。加えて体力は戦士体でプラス気味。

 その彼にしては、相当ゆっくり動いて躱したつもりだ。

 しかし、相手がLv.20台では当然の結果だろう。

 

(まあ普通、こんなものかな。じゃあアレを使うか)

 

 この場では、いくらなんでも敵から未知のアイテムを使われる事は無いはずである。

 モニョッペのアインズは、余りに結果が見えてしまい面白くないので、プレイヤー自身への防御面と攻撃面のうち攻撃面に限り、殆ど使う事のない『制限』モードを80%程度で起動する。

 これにより、感覚や速度、威力はLv.50水準まで下がったはずだ(最大だとLv.40水準にまで下がる)。ただ、基本が魔法詠唱者(マジック・キャスター)の体力の出力を絞るということで、戦士系が多くそろう闘技場の闘士達を相手には結構厳しい気がする。

 

(さぁて、真面目に()()()やるかっ)

 

 思わず兜から見える人馬姿の御方の口許へニッと笑みが浮かぶ。

 防御面は今までのまま。常時発動型特殊技術(パッシブスキル)の上位物理無効化と上位魔法無効化は有効なので、実質完全に舐めきったプレイ状態ではあった。

 でも、今の全力を見せられない状況で本気を楽しむには、ピッタリの機能と言える。

 少し下げ過ぎの感もあり、攻撃面については劣勢が予想され、久しぶりで真剣に()()()()()()()()である。

 あと一本とれば、1回戦は勝利で終わる。

 インターバルの3分が過ぎ、2本目が「始め」の掛け声から始まる。

 

 直後に仕掛けたのは、モニョッペの方だ。

 相手との8メートル程の距離を、真っ直ぐ正面から一気に詰めて左手に握った棒での、上から打ち下ろすような敵顔面への突き。それが空振り後も左の側頭部への払いを連動で見せる。

 賢小鬼(ホブゴブリン)はまず突きへ上体を振って避けたが、同時の払いへの対処が間に合わないとし、後ろへ倒れるように転がる。両手を地面へ突いて飛び跳ねるように起き上がると、足で地を蹴り後方へ数歩下がり間合いを取った。

 モニョッペはその動きを見つつ追っていく。棒の柄を一瞬両手で握ったが右手に持ち替えると、馬体で踏み込みながら左下方から右斜め上方へと敵胸部へ切り上げを見せた。

 その棒撃を賢小鬼(ホブゴブリン)は、両の手で握った棒で受けて押し上げるように弾く。

 人馬側は賢小鬼のその後の振り下ろしの反撃を考え、強く馬脚で地を蹴り馬体を機敏に右横へと飛ばして間合いを取った。

 賢小鬼は追撃せず、両者は棒を構えてにらみ合う。

 この一連の攻撃でモニョッペは理解する。

 

(よし。まだ、こちらの方が動きが速いかな)

 

 そして、決着を付けるべく「いくか」と呟き、賢小鬼へと棒撃の速い連打を浴びせる。

 人馬からの鋭い踏み込みに賢小鬼は、避ける間がなく最初の一、二撃を何とか棒で受けきったが、三打目以降は続けて、数撃を頭と首へ受けてしまう。

 

「戦士モニョッペ、有効打で2勝。1回戦突破です」

 

 モニョッペが攻撃を止めると、賢小鬼は軽い脳震盪を起こしたのか片膝を突いた。

 その様子も見えて、明らかな決着で周辺の観客席が沸く。

 

 娯楽へ飢える彼等が見たいのは、憧れでもある明確な『強さ』なのだ。

 

 闘い慣れている闘士の賢小鬼は直ぐに立ち上がると、こちらへ僅かに会釈を寄越し去っていく。

 それに礼を返してから戦士モニョッペも、歓声に手を上げて暫し応えると、入場口から退場した。

 その後『腕自慢』は進むが結局、モニョッペの後ろに居た3名は誰も残らなかった。

 そうして2回戦、3回戦と進んでいく。

 3回戦が終った時、残ったのは人馬の戦士モニョッペのみになっていた。

 1回戦を勝ち上がったのは3名おり、2回戦も全員が2勝で順当に勝ち上がったが、3回戦で前の2名は接戦で健闘するも負けた。

 モニョッペも3回戦は苦戦した。出てきたのは獅子顔のビーストマンで素早い攻撃にかなり苦慮したのだ。1本目を8分過ぎに激戦で先制したが、次を追い込みながら隙を突かれ逆転取りされた。3本目をなんとか取り勝ち抜けである。

 闘士達の水準はレベルで30は越え始めていると見ている。

 時刻は2時半。『腕自慢』は唯一残った参加者の4回戦を迎える。

 人馬モニョッペが闘技エリアへ入場口から出てくる。そして、既に仁王立ちで待っていた対戦相手を見て驚いた。

 

 そこに立っていたのは、大柄に全身鎧で武装した少し髭顔の―――人間。

 

 彼の額には『Z』に似た焼き印のあとは存在しない。現在闘士となっている彼は、奴隷から解放される時点で治療魔法を受け、忌まわしい烙印は消されていた。

 彼こそが、都市サルバレにて難度114の力で同じ自由という夢を追いかけた()()()を屠ってきた男である。

 そんな彼へ、後ろの入場口そばから「頑張れーっ、ご主人(ノーモン)様っ」と元気で可愛い声が飛ぶ。見れば額に焼き印の見える日焼け肌の赤髪の年少奴隷だ。

 

「マベルめ、困ったヤツだ」

 

 全身鎧の男は僅かに振り向くと、そんな下僕へ優しく呟く。

 評議国の奴隷制度の決まりで、旧敵である人類だけは平民へ上がっても、20体以上の奴隷を持つことは許されていない。これは、同族である人類への大量の救済行為を阻止するための事項だ。人類への恨みはどこまでも根深いのだ……。

 

 一瞬驚いたモニョッペであるが、人類国家領域にも突出した強さの人間はガゼフや漆黒聖典に六腕らなど20名を数えて居る話で、亜人の中で生き抜く人間の存在も十分あり得ると理解する。

 今は殺し合いでなく、ただ腕を競う場所であり、落ち着いて審判からの確認を受けた。

 そして戦いを待つ両者へ「始め」の声が掛かる。

 人間の男の握るのは戦斧型の棒であった。

 開始2分程は一、二合打ち合う間合いを測る展開がみられた。しかしその直後、モニョッペの様子見で打った棒撃に対し、早く鋭く正確に打ち込まれてしまった。御方の喉元へだ。

 

「――闘士ノーモン、先制」

 

 審判の手が素早く、人間の戦士へと振られた。

 馴染みの観客も多く観客席よりの歓声が起こる。人類を毛嫌いする層も多いが、純粋な『強さ』を認めている者達も少なくない。

 闘士ノーモンは人間だが、『サルバレ杯個人戦』のトーナメントで昨年はその実力で亜人達を退けて堂々のベスト16の一角となっていた。

 全国行きのベスト8戦で敗退したが、日々鍛錬し今年はその雪辱に燃えている。

 

 一方、初めて先制を許したモニョッペは、唸っていた。ある意味楽しい。

 

(く、クソぉ。普通に悔しいなこれは)

 

 先程の、3回戦で落とした接戦は勿体ない感があったが、今回は相手の力量がかなり感じられた。

 なので、ここはこちらも相応の工夫を加え、動きを結構見させてもらったクレマンティーヌの動きも取り入れつつ棒を振るう事にする。

 インターバルの3分を終え、気迫のある表情でモニョッペは次本へ挑む。そして審判の二本目を告げる「始め」の声が掛かった。

 今度は、一旦受けて――全力での攻撃をと。

 相手が出てこないと見ると、人間の闘士は一気に踏み込んで来る。だがモニョッペにもう油断は無い。相手の動きは良く見えていた。二合、三合と流し受けで打ち合う。流石に大きめで力の加わった戦斧型の棒の威力をまともに受けるのは、体勢が悪くなり上手くないからだ。

 そして、人間の闘士が一歩間合いを取ろうと下がり掛けたところで、今度はモニョッペがクレマンティーヌ風のラッシュを見せる。ただ残念なことに、『制限』モード中でもあり、彼女ほどの速度は出ないが。

 御方の持つ棒は、グレートソードよりも当然細く軽いので、その攻撃が活かせる部分もあった。

 突き主体の人馬側の鋭い連撃に、人間の闘士は長い柄の戦斧型の棒で左右への払い受けがメイン。その隙を突く形で戦斧棒の先にある刃形状部で突いての応戦となる。

 モニョッペが狙うのは、その相手の戦斧棒の突きへのカウンターだ。

 御方が狙う形の、人間の闘士が打った戦斧の突きが襲って来る。モニョッペはそれへ人馬側の膝を溜める姿勢で身を落としつつ、棒撃で戦斧棒を下から右上方へと払い流した。これで戦斧が浮いた形になり、闘士の胴はガラ空きになるのが見えている。

 この時、人馬は膝を溜める姿勢から低い位置となっており、その溜めた力で素早く前へと飛び込む形で足を後ろへ蹴って進んだ。

 同時に御方は、戦斧を浮かした棒を持つ手首を返し、それで人間の闘士の喉を突きにいく――。

 しかしである。

 気が付けば、モニョッペは右胴を見事に打たれていた……。

 

(――っ! 武技かっ)

 

 モニョッペの視界前面から戦斧を持つ闘士の姿が、右横へと武技〈縮地〉で素早く移っていた。そして、男の浮かせていた戦斧を持つ手首が返されていて、振り下ろされてきたのだ。

 

「――闘士ノーモン、有効打で2勝。4回戦これまで。勝者――闘士ノーモン!」

 

 場内から勝者への歓声が上がる。

 周りの声を聞きながら人馬の挑戦者は、静かに天を仰いだ。

 そんなモニョッペは横から声を掛けられる。

 

「貴殿、中々に巧者ですな。武技を使わねば負けでしたわ」

 

 右手に木製の戦斧棒をまだ握った人間の男の方からだ。

 

「(えっ)あ、いや、お恥ずかしい。1つも取れず、まだまだのようで。それでは」

 

 人類国家側から来た身で生い立ちを知らないのも有り、彼へのこだわりは無い。

 それでも人間へ接する場合、この地では注目を集める恐れもある。手短に会話を切り上げて去る。

 人の世も亜人の世も各自其々のようだ。気性の荒い者もいれば、理性的な者、平和的な者がいるのだと。

 人馬『モニョッペ』が敗れた事で、『腕自慢』への挑戦は終わった。

 

 

 

 石材造りの闘技場を出た人馬の戦士モニョッペは、建物を振り返りながら見上げ少し黄昏る。

 

(まあ、楽しかったかな。最後、一本ぐらい勝ちたかったけど。でも目立たないこれぐらいが良かったはず)

 

 参加記念として渡された、実に安っぽい木彫りのワッペンのような物を見詰める。

 それを思い出も交え一応という気で、アイテムボックスへと仕舞おうとして、ふとあの人馬の娘から貰ったビラを見つけた。

 今の時間は、午後2時55分――。

 

(明日はキョウからの情報整理で外に出れないはず。もう会うこともないんだろうな。……最後にお店だけ遠くから見て終わるか)

 

 ビラの文字は相変わらず不明だが、店先を書いた線画の絵柄から彼女の父親のお店は、洋服屋のようであった。記された地図には闘技場と思われる雑なイラストも入っている。図を見るに歩いてそう遠くないだろう。恐らくこのまま宿泊宿へ戻ってもキョウの一時帰還まで1時間ほどは暇なはずなので、これで20分ぐらいは潰れるかと、モニョッペは呑気にパカパカ蹄を鳴らしながらゆるりと道を歩いた。

 そうして、人馬の彼はビラに書かれていた商店街の通りへと辿り着く。

 

(えーと、ビラの雰囲気からこの通りの南側の何軒目かに並ぶお店だよな)

 

 日焼けして生地の傷む元である日光が、店の中へ直接差し込まない北向きに面している店だろう。

 モニョッペが歩き進んで、15軒目程まで来た時に、前方へ少し亜人らの溜まりが出来ていた。

 更に近寄ると、怒鳴り声が聞こえてくる。

 

「おいおい、このクソガキ達のしでかした事に、親としてどう責任を取るつもりなんだ?」

 

 亜人らの並ぶ合間から見ると――洋服の見本の掛かる窓の並ぶ店の前で、3体の丸太のような腕や足を持つガッシリした体躯のバグベアがいた。バグベアはゴブリン類の中でも随分大型の種族。身長は2メートルを超えている。顔の雰囲気はブルドッグ系だが、鼻は熊に似ている。彼等3体の中で真ん中に立つ随分赤い皮膚を持つ個体が一番良い装備衣装を身に付けている。その左横に立つバグベアが威勢よく吠えていた。

 

「洋服店の旦那さんよお。アンタん家のクソガキが、兄貴のこの豪華な装備衣装に、ベッタリ飴菓子を塗り付けたうえに、トンズラこきやがったんだぜ」

 

 荒っぽい男の言葉へ、人馬(セントール)で黒い口髭と黒髪を短めに刈り上げた白シャツ姿で馬体へ灰色生地の服を着た店主と思わる男性が、平身低頭に対応している。

 その店主の傍で、まだ小柄な人馬で3名の――子供達が涙顔で父親だろう彼へ縋っていた。

 

「ウチの子供が本当に申し訳ありません」

 

 いつもは自分達へ厳しい親が、他の大人へ頭を下げている姿に申し訳なく、恐怖でぐずる子供達で一番年長そうな肩下程まで髪のある子が男達へ言い訳を口にする。

 

「だ、だから御免なさいって。ちょ、ちょっとだけ、ぶつかってしまったのー」

「あうぅぅ」

「……ふえーん」

 

 すると今度は、それを聞いたガラの悪いバグベアの一人、兄貴の一番の舎弟と思われる右に立つ男が、親ではなくその子供の言葉に反応し凄む。

 

「おい、そこの子供、今、なんて言った? ちょっとだぁ? 兄貴のこのお高い装備衣装へと、これでもかというぐらい飴菓子で汚しておいて、何も無しで済むと思っているのかっ!」

 

 どう見ても強請(ゆす)りタカりの連中である。だが、その兄貴と呼ばれた者の装備は、他の2体と違って随分本格的に見えた。

 声を上げつつ、一番の舎弟と思われる男が店主の傍までやって来ると、次の瞬間なんと――人馬の子の襟首を左腕でつかんで持ち上げる。それを父親は止めようとしたが、バグベアの太い右腕で払い飛ばされ横に大きく倒された。

 その時である。

 店先に並んでいた()()()()()()()()()()()()の危ない状況を見て、完全不可知化のヤバイモノがモニョッペの傍に現れていた……。

 

「……」

 

 ()()はこの状況を静かに見ている。でも大変危険な雰囲気だ。世界の平和が揺らぐ可能性があるほどに……。彼女は決定的な、ただ一言を待っている。

 この状況に、ガラの悪い連中の真ん中に立つ赤めの皮膚をしたバグベアは何かを感じた。彼の本能が呟かせる。

 

「……おい、何か寒くないか? 一瞬ゾクリとしたんだが」

「えっ、……そうですかい? 病じゃないでしょうね?」

「あっしは、特には何も。今、夏ですぜ?」

 

 舎弟の二人は特に気付かなかった。難度的に一流の水準へ達していないという事だろう。

 勿論モニョッペは気付く。だって、そのモフモフの翼で優しく頬を撫でてくれているから……。

 彼女に独断で動かれる恐れもあり、もはや猶予は無い。人馬姿の支配者は小声て呟く。

 

「……(ここは私が行く)」

「……(分かった。フォローする)」

 

 慎重なやり取りが続いた。

 彼女としては、慕う主人の手によって対象は護って貰いたいのだ。

 しかし、ここで突然の乱入者が現れる。

 外回りで店を出ていた一体の人馬の娘が、その可憐な馬体を高く躍動させ飛び込んで来た。

 

 

「ちょっと、貴方達っ。父さんや――ワレの可愛い()()()()()に何しくれてんのよっ!」

 

 

 その姉の登場と同時に、襟元を掴まれて吊るされた年上の子の横にいて、怯え切る随分小さい人馬の子が半泣きで呟く。

 

「ぁ、お姉たん……」

 

 その瞬間に状況は一変した。

 小さな人馬の年長で可愛い娘を掴んでいた者の手が――突如、メキッと潰れる程の力で掴まれたため思わず手放す。少女は自力で着地する。同時に、そのバグベアは何故か通りの中央まで勝手に吹き飛んだ様に転がっていった……。倒れたままソイツは動かない。気絶している模様だ。

 その気絶したバグベアの強靭である頭蓋の額には、指状の型でヘコんだ痕が出来ていた。デコピンのサイズは――ル●ドのモノへ完全に一致しそう。気持ちは分かるが、天使の彼女には状況をよく考えて欲しいものだ。

 攻撃を受けた舎弟の様子を見て、赤めの皮膚のバグベアが無言で身構え周囲を警戒する。

 もう一人の舎弟のバグベアは、状況が分からず慌てた声をあげた。

 

「な、何っ!?」

 

 この混乱が良い頃合いである。

 人馬姿の支配者が、今行くしかないと力強く悠然に問答の場内へ進み出る。

 

「その辺にしたらどうだ? 大人げないとは思わないのか」

 

 警戒すべき敵の登場と認識し、赤めの皮膚のバグベアが問う。

 

「……今のはいったいどうしやがった?」

発勁(はっけい)……かな」

 

 無理やりの理由を、考える方の身にもなってほしいもの。とはいえ、彼女の気持ちは分かり今の行動はしょうがないだろう。

 ここで、助けに登場した人馬(セントール)の戦士の姿を見て、人馬の娘シェルビーが気付く。

 

「あぁっ、モニョッペさんっ!?」

「ちょっと時間が出来て寄ったのだが、大変そうだな。ここは私が引き受けよう。君はお父さんと妹さん達を見てあげて」

「え、でも……。さすがにこれは、モニョッペさんに迷惑を――」

 

 ここで戦士モニョッペは、颯爽と語り聞かせる。

 

 

「あなたが朝、出会った時に私へもしてくれた。

 

 ――“ ゲ テ ル ” の者は、同 郷 の 者を見捨てない。

 

 そうだろう、シェルビー?」

 

 

「……はいっ!」

 

 目の前で、自分達家族を守る位置で立ってくれている同郷の戦士の言葉に、思わず嬉しさで目が潤む彼女であった。

 そんなイイ雰囲気のところへ、残ってる舎弟のバグベアからの声がけたたましく割り込む。

 

「ははははッ、馬鹿だろオメエ。こちらの兄貴を誰だか知ってるのか? 兄貴は去年、サルバレ杯の個人戦トーナメントでベスト4のお方なんだぞっ。どこの馬の骨とも知らない戦士野郎の出る幕じゃなかったんだよ。それを手ぇ出しやがって。俺達は、金の粒7つ程も貰えば、帰ってやったのによー。もう無事では帰れねぇぞ。……そうですよね、兄貴っ」

 

 大口を叩いた舎弟。だが、直ぐに横の赤めの皮膚のバグベアの顔色を窺った。

 もちろん、部下をやられている以上武闘派の闘士が引っ込む事は出来ず、兄貴と呼ばれた彼は舎弟の言葉を肯定する。

 

「そういうことだ。でも――連れの治療代も含めて、金の粒10寄越せば水に流そう。お前は運がいい。俺は今晩、大事な試合があるんでな」

 

 そう言って、貫録と殺気の籠る鋭い視線をモニョッペに一度飛ばすと目を閉じた。

 赤めの皮膚をした闘士のバグベアは、自分の強さへ絶対の自信を持っている。

 その――難度153の実力に。

 

「じ、10粒っ?!(そんな大金……)」

 

 話を聞いたシェルビーは、請求金額の大きさに驚く。こんな話、モニョッペさんはどうするのだろうと……。

 対して目の前の人馬の戦士は、兜から出ている馬耳を触りながら淡々と言葉を返す。要求が金の貨幣で100粒でも、1000粒でも同じことだ。当初から払う気の無い彼には、金額などもう関係が無いのだから。

 

 

「じゃあ、この場ではなんだろう。時間もないし、ちょっと人気(ひとけ)のない路地の方へ行こうか」

 

 

 普通に聞けば、話を飲んだ風に聞こえる不思議な文句である。

 モニョッペの言葉を聞いて、周囲に溜まっていた亜人達は、話が付いたんだと()()()して去っていく。これ以上は(かね)の受け渡しで、見ていればガンを付けられるだけの話だと分かっているからだ。

 ここで、ノビていたバグベアが気が付く。額には強烈なタンコブが出来ていた。

 

「う、痛ぇ……っ。なんだぁ……すげぇコブになってやがる。ハッ、何が起こったんだ……!?」

「行くぞ」

「え? あ、兄貴。クソォ、オレはっ!」

 

 慌てて怒りと共に起きあがった一番舎弟の彼だが、兄貴に諭される。

 

「いいんだ。話は概ね付いた。さあいくぞ」

「……ぁ、そうなんですかい?」

 

 狙いの物が貰えるならと舎弟の機嫌は随分回復した。そうして、赤い皮膚のバグベアらはモニョッペを連れ、少し離れた普段人気(ひとけ)の無い街裏の寂れた路地奥へとやって来た。

 闘士の兄貴が口を開く。

 

「さあ、ここらでいいだろう? ――()()()()()()寄越せよ。それで命だけは助けてやろう」

 

 考えが凶悪である。金の10粒を払うというのならもっと持っているだろうと。

 

「兄貴ぃ、いつもながら(ワル)ですねぇ」

「流石、兄貴だ」

 

 目の前の連中は、完全に強請りタカりの常習犯らしい。

 闘技場で対戦した闘士達は、割と真摯に戦う者達であったので、戦えなくするのはどうかという考えが少しあったのだ。

 モニョッペは、遠慮することはなさそうだと、笑顔を浮かべて伝える。

 

「そうか。じゃあこれで心置きなく―――踏みつぶせるな。先程の悔しい戦いもあるし、口直しにもう一戦だな」

「あ? 何言ってやがるんだ。ハハハ。まさか俺と戦う気か、可哀想に。いいぜ、手足の一つも切り落とし、半殺しにしてから懐を毟ってやろう」

 

 人目の無いこの場では闘士のバグベアも、周りを気にせずに済むため、本心で語った。

 その言葉へ、人馬の支配者はあの言葉を返してやる。

 

 

「心配無用だ。 私は……――〈 完 璧 な る 戦 士 (パーフェクト・ウォリアー)〉」

 

 

 台詞へ乗せるように、彼は唱えていた。

 

 その後の戦いは、ただ一方的である。

 

 次の瞬間に闘士のバグベアは、卑劣にもなぶるために、まず馬体の前足を1本切り落とす目的で腰に帯びていた大剣を素早く抜いて打ち込んできた。だが、モニョッペはその一撃へ速度を合わせ、左の素手で剣自体を軽く掴む。直後に支配者はグンと一歩踏み込んで接近し、闘士の顔面へ右拳の――パンチパンチパンチ。

 闘士のバグベアの顔面は鼻が潰れ、歯が顎骨ごと折れ、最後の一撃で片目が陥没するほど破損していた。最後の一撃時にモニョッペが剣を手放し少し力を込めた事で、そのまま拳の威力を受けたバグベアは、汚れた路地の地面を転がっていった。

 その様子に、「ぁぁああ兄貴が?! うわあ、バケモノだぁぁ!」と舎弟の二人は逃げ出すも、背を向けた瞬間に見えない何かの手で、両足の太腿部分の太い大腿骨を直角にへし折られて転倒し「ぎゃあぁぁ、痛ぇ」「折れてる、コレは折れちゃってるよぉぉ」と自身の太腿の異常な曲がり具合を見ながら呻き出していた。

 

 人馬の戦士は、闘士のバグベアへ近付いてゆく。

 まだ、彼は生きている。大剣を地に突いてなんとか立ち上がっていた。

 赤めの皮膚に顔面からの血が滴るバグベアは、背中から寄る驚異的威圧の気配に気付きゆっくりと振り向く。

 モニョッペは腰に差していた剣を抜いて構えていた。そして静かな口調で軽く誘う。

 

「さあ、その剣でさっさと掛かって来たらどうだ。まだまだ始まったばかり。お前は金の粒がタンマリと欲しいのだろう?」

 

 だが、先の強烈すぎる剛力のパンチを受け、己との大きい力量差へ気付いた闘士のバグベアは戦意を喪失しており、泣きを入れてくる。

 

「アンタ強すぎだよ。お、俺が悪かった。この通り謝る。金の粒20、いや、50出すからっ。な、今回は助けてくれっ」

 

 そして、大剣を横の地へ放り出し両膝を突き両手を地に付け、額までも付けて許しを乞う。

 

「これ、この通りだっ」

 

 だが、そんな一時しのぎに過ぎないヤツの土下座の姿を見つめながら、絶対的支配者は冷酷に告げてやる。

 

 

「金など不要。私は言ったはずだ。――――踏みつぶすとな。そこから一歩も動かなければ命だけは助けてやる。死にたくなければ、痛みに耐えてまあ頑張るんだな。これからは少し、因果応報という言葉を覚えておけ。では、遠慮なく」

 

 

 支配者は、路地裏の地で土下座する闘士へと馬体の歩を一歩ずつ進めていく。そうして、ヤツの両手を蹄で踏み砕き、右肩や左股関節に続き両足首関節をただ剛力で踏みつぶし通り過ぎる。

 

「は……はぁぁぁぁ、くっ、ひぃぃぃぃーーー、痛いぃぃぃーーーーーー、ぐっ、ぎゃぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁーーーーーーーーーー……」

 

 

 こうして、赤めの皮膚をした闘士のバグベアは、治療薬を使ってさえも全治1カ月という重傷を負った。当然、今年のサルバレ杯トーナメントは『不慮の事故』ということで欠場することになる。

 ちなみに舎弟の二人も、天使さまからの両肩へ粉砕骨折というアリガタイ追加の贈り物が与えられ重傷を負っているという話だ……。

 

 

 

 

 

「行ってしまうんですね……モニョッペさん」

 

 目を熱く潤ませる可愛い人馬の娘シェルビー。

 戦士モニョッペは、重傷のバグベア達を放置してお店まで戻って来ていた。

 彼は当初、そのまま消え去ろうかとも思った。しかし――これは一つの物語のエンディングやエピローグといえる。

 

 彼は、是非やってみたかったのだ。

 

 シェルビーの父親の経営する『カロ洋服店』には、娘と同様に外回りをしていた美人の母親も戻って来て、優し気な4姉妹を含む家族6人が出迎えてくれた。

 長女のシェルビーを筆頭に、店主である彼女の両親からも、人形のように可愛い下の3姉妹からも、一杯礼を伝えられて支配者は満足していた。

 彼女の一家には、「もう話は無事に付けたから」と伝えている。

 支配者は闘士を踏みつぶす最中に、念を押すのを忘れていない。この一家に限らせないよう――「次にこんな強請りをすれば、粉々に磨り潰す」と。ついでに「分かってると思うが、この件は他言無用だ」とも言ってある。実行されれば確実に死を迎える内容に、「はぃぃぃぃぃぃぃ」と闘士は答えていた。

 

 戦士モニョッペは、先のヒロインからの問いかけにもっともらしい答えを返す。

 

「追手が来て迷惑を掛けるといけないからな。中央都辺りにいくつもりだ」

「……もう戻ってこないのですか?」

余熱(ほとぼり)が冷めるまでは、ね。今日のことは忘れない」

「私もずっと………」

「じゃあ、そろそろ行くよ。元気でな」

「はい。……モニョッペさんも、ずっとお元気……で」

 

 別れが迫り、グッと目を閉じる。彼女の涙が一筋、頬を流れた。

 

「ああ。じゃあシェルビーも、皆さんも」

 

 まだ日の高い午後3時50分頃、6人の「ありがとう」の見送りを受けた戦士モニョッペは通りを歩く多くの亜人達の影の中に消えて行った。

 

 

 

 熱い涙の視線で戦士を見送った長女へと、父親が静かに問いかける。

 

「いい方だったな。……シェルビー、お前、付いて行かなくてよかったのか?」

「……もう、父さんったら。――彼には、また会える気がするの。そのときにはきちんと――顔を見せて貰うんだからっ」

 

 振り向いて、そう語る人馬(セントール)の娘の顔には、笑顔が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 ただこれだけは言えた。

 ルベドの姉妹リストに、可愛い人馬のカロ四姉妹が追加されたことである―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 神聖なる『今日のアインズ様当番』

 

 

 その凛々しき髑髏のお顔と骸骨のお姿は、正に神の如し――。

 

 一般メイドのリュミエールは、金色の髪に星(ふう)の輝きがあり、眼鏡の似合う清楚で落ち着きのある子だ。

 彼女達の主な任務地はこの地下大墳墓の第九、第十階層。階層守護者級以上の直接命令以外で、上階層への移動は禁止されていた。

 一般メイドは、人造人間(ホムンクルス)でLv.1のためだ。か弱い。

 彼女達のメイド服は、防御面での底上げが多少されている物を着用。胸部が白なのはユリやナーベラルの着る服と同じだが肩からのフリルが黒である。また、スカートは足首上から膝下程と数種類あり幾分短めの形だ。リュミエールは膝下程のものを着ている。あとは白地の前垂れ調のエプロンが付く。

 それらを全力で綺麗に整えた今日のリュミエールは、滅法張り切っていた。

 ナザリックで統括も参加されたという作戦の翌日未明午前2時14分に、桜花聖域よりアイテム経由で『数分前にアインズ様がご帰還され、現在第三階層にて御公務中』の一報が入ってきた。

 執務室にて、午前6時までの任務であったリュミエールは緊張する。

 彼女は、昨日朝6時から初めての当番日であったからだ。

 『今日のアインズ様当番』は導入から2週間程で、まだまだ41名分の1周目の半分も終えていなかった。

 しかし、すでに当番を終えた姉妹と言える多くの者達からの情報があり、それを整理すると――。

 

 

 アインズ様は格好良く、優しく、慈悲深く、またご褒美の――()()が凄いらしいという。

 

 

 当番以外も含めて、今まで10名近くの一般メイド達がそれを受け……感激していた。

 リュミエールもこの機会にそれが是非欲しいと思っている。

 しかし一般メイドの彼女達は、格上の戦闘メイドプレアデス達とは違う。

 

 強請(ねだ)る事は一切出来ない。

 

 だから、メイドとして自らのその誇るべき、お掃除やお着換え補佐、扉の開閉補佐などで傍付きにおける『存在意義』の実力を見せなければならないっ。

 

(アインズ様に、私の特訓した華麗なる扉のオープンクローズ技術を見て頂きますねっ!)

 

 両拳をきゅっと握り、可憐にがんばるぞポーズをする清楚で眼鏡っ娘のリュミエール。

 彼女は気を利かせて、絶対的支配者の豪華な執務室の扉前で、直立のまま静かにその偉大なる主の到着を待った。

 しかし1時間経っても、1時間半経ってもあのお方は現れなかった……。

 

(他でお忙しいのかしら)

 

 そう考えていた。

 ところが、2時間が経とうかという時、何と……背側の部屋の中から僅かに声が聞こえたような気がしたのだ。

 リュミエールは、ゆっくりと振り向き一応恐る恐る最高級の装飾のされた両開き式の扉をノックしてみた。

 すると……。

 

「誰か? 入っても構わんぞ」

「!?――っ」

 

 重みのある偉大すぎる声を受け、そっと扉を開けてリュミエールは中へ一歩踏み入る。

 程よい雰囲気にシャンデリアを含めた照明群の明かり灯る超豪華で広い執務室の中では、あろう事かすでに至高の御方アインズ様が奥に設けられた漆黒の大机に座り、颯爽と公務を行なっている姿があった。

 

「……(ぁぁぁ……ああ……あああぁぁぁぁぁーーーっ!)」

 

 思考を乱し、視線を床へゆっくりと落としたリュミエールは、己に絶望した。

 この栄光あるナザリック地下大墳墓の主にして絶対的支配者を、どれほどの時間御一人で放置してしまったのだろうかと……。

 

 

 一般メイド達のこれまで積み上げてきた職務上での最悪といえる、 大 失 態 であるっ!

 

 

 ショックの余り彼女はトボトボと数歩進むと――モフモフの最高級絨毯の上に両膝を突き、更に両手を突き、それから額を床に擦り付ける。土下座である。

 彼女は心底、主へと詫びた。

 

 

「申し訳ございません、アインズ様っ! 扉の外でお待ちしていて……このような酷い仕儀に……この上は、ナザリックの至高様に命を懸け仕えしこの身、如何なる処罰をも――」

 

 

「(えっ。突然なんだぁ?!)―――待て」

 

 ここでアインズはストップをかける。そして、確か書類があったと思い出しファイルの当番表を見る。

 

「……んー、今日の担当は……リュミエールか」

「はいっ。リュミエールに御座います、アインズ様」

 

 会話をしつつアインズは、最高級の背の高い黒皮の椅子から立ち上がる。

 

「リュミエールよ、立つが良い」

「は、はい」

 

 近付いたアインズへ彼女は悲しい表情で、申し訳なさそうに胸元で手を合わせつつ立った。

 彼女の身長は160センチ少しほど。量産型のメイドだが、個々の表情や髪型、身長等でキチンと個体差があり、それほど手は抜かれていない。彼女達もヘロヘロさん達の残した娘達のようなものだ。

 元々目くじらを立てる程の失態ではない。

 また状況から、アインズが指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)で執務室へと直接入った事でこの状況になったと予測出来た。

 これまでの一般メイドは常に部屋の中に居たのだ。今日は偶然であるが、決めごとではなかったのが原因だろう。

 

「お前はどれほど、扉の前で待っていたのだ?」

「はい――2時間程かと」

「(長っ!)……そうか」

 

 確かに彼女達は指輪(リング・オブ・サステナンス)を装備しているので不眠不休でも食事さえきちんと取れば基本疲弊はしない。

 最後は結局、彼女が気付きノックして入って来たのである。主として一般メイドが部屋へ居ない差異に気付くべき部分もある。それなのに彼女一人の罪を問うのは行き過ぎだろう。

 

「リュミエールは、なぜ外で待っていたのだ?」

 

 ふと浮かんだ主の問いに、彼女は恥ずかしそうに伝えてくる。

 

「あの……今日に向けて扉の開け閉めを練習してきましたので……ですからその……」

「そうか。良く分かった」

 

 ここでアインズは、ペストーニャを呼ぶ。

 

「〈伝言(メッセージ)〉、ペストーニャよ、今どこだ?」

『これは、アインズ様……わん。今は、第九階層の客間のお掃除です、わん』

「ちょっと私の執務室まですぐに来てくれ」

『畏まりました、わん』

 

 同じ階層なので、2分程で扉が叩かれた。

 

「入れ」

「ペストーニャです。失礼します、わん。……リュミエール?」

 

 入って来た可愛い犬頭でメイド長のペストーニャは目に入ったメイドの名を口にした。

 普通、一般メイドは部屋の扉脇に立って待機する形になっている。

 それが、部屋の中央寄りにアインズと共も立っていたので、ペストーニャは何かあったのだと気付く。

 

「アインズ様、この者が何か? ……わん」

 

 『わん』については無理やり感が酷いが、それも可愛い設定である。

 アインズは気にせず語る。

 

「いや、決めていない事象があったようでな。一般メイドは基本、執務室の中で待機していることとしよう」

「分かりました。……わん」

 

 ペストーニャは絶対的支配者の指示を速やかに了解した。異議などない。

 その言葉にリュミエールは少し残念である。練習してきた最初のお出迎えは今後出来そうにないのだから。

 だが、アインズの言葉にはまだ続きがあった。

 

「基本はそうだが――外で待つことも認めよう」

「「!?――っ」」

 

 これにより、リュミエールは今日の件について罪は問われないし、これからも練習が無駄にはならないこととなった。

 アインズが執務室内へ現れた時に一般メイドが居なければ、扉の外に指輪で転移してやればいいだけだ。彼にすれば手間と言うほどではない。

 

「わ、分かりました、わん。ですが……」

「うん?」

 

 ペストーニャが尋ねようとしたが、主の雰囲気から察する。

 

「(お手間では)……いえ。……わん」

「……(アインズ様っ……)」

 

 リュミエールは二人の会話を見守るだけである。意見を言える立場ではないためだ。

 

「ペストーニャよ、ご苦労。もういいぞ」

「はい。では失礼します、アインズ様。リュミエール、交代までしっかりお仕えしなさい、わん」

「はいっ、ペストーニャ様」

 

 上司へと、リュミエールは元気に弾ける笑顔で答えた。

 ペストーニャが去った後、彼女は主へと礼を述べる。

 

「アインズ様、ありがとうございます」

「(配下達の努力は、やはり報われて欲しいからなぁ)……うむ、精進せよ。さあ、仕事を始めよう」

「はい」

 

 アインズは再び漆黒の大机の席に着き公務へ戻り、リュミエールは扉脇にて直立で待機の状態へ移る。

 彼女は、午前6時までの間にアルベドらの来訪他で扉を華麗に五度開け閉めし、大図書館へも付き従い無事に当番の職務を終えていた。

 

 そして、アインズが日の出前の5時過ぎに王都へ戻るため執務室をあとにする際、彼女は主からナデナデを貰ったという――。

 

 

 

 リュミエールは、アインズ様の威厳と優しさに感動した。

 自分やメイド長のペストーニャ様をも、堂々と呼びつけ命じる姿に、そして配下への気遣いに。

 

(至高のご主人様は、やはりこうあるべきなんです……)

 

 一般メイド達はリュミエールの伝説級の話を聞き、更に絶対的支配者への忠誠心を高めていった。

 

 

 メイド達皆は、明日か今日かと待ちわびている――神聖なる『今日のアインズ様当番』を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 彼女達は休暇で何をするべきか

 

 

 ナザリック地下大墳墓第九階層の戦略会議室を、男性陣が去って行ったあとのこと。

 新しく大きな準備計画を皆に告げた守護者統括のアルベドへ、アウラがぽつりと尋ねる。

 

「でもさぁ、“休暇”を貰ったらあたし達は何をすればいいのよ?」

 

 アウラとマーレが管理する第六階層『ジャングル』は、ナザリック全階層の中で最大の面積と容積を誇る。配下の数も上位に入り、マーレの不在が多い中で日々、指示や管理・確認で忙しくしている身なのだ。

 それが休暇(仕事以外)と言われても……という話である。

 これに、アルベドはニンマリとした表情を浮かべ余裕を持って答える。

 

(わたくし)は、ヤルことが一杯あり過ぎて特に困ることはないかしら」

 

 彼女には、主と熱く多くの愛を育み生まれてくる子供達の衣服の作成作業が山ほどある。勿論今は、跡継ぎの為の必要作業として公務の一部に少しずつ時間を組み込んでいる形だ。

 当然、アインズとの子作りも大事な大事なナザリック地下大墳墓の未来に必要な大事業として捉えている。

 無論これらは『仕事だから』という話ではないが。

 

 アルベドにとって、御方との『愛』は全てを超越し優先されるものなのである。

 

 ただその中で、数が20に迫る『アインズ様抱き枕』については、一体公務のドコに該当するのかがいささか不明な気もする……。

 姉のアウラの言葉に、マーレが呟く。

 

「ぼ、僕は……お邪魔にならないなら、いつもアインズ様のすぐお傍にいたいかな。お膝の上とか」

 

 とても危険だとされた世界級(ワールド)アイテムは無事に回収されたが、それでもお傍でお守りしたいというマーレの純粋な想いが溢れていた。だから闇妖精(ダークエルフ)の彼女の言葉にはまだ、何時でも至高の御方の閨のお相手をするという女としての意味合いは含まれていない。

 だが、シャルティアは()()()()()で解釈する。

 

「あら、マーレには、バカ姉と共にまだまだ役不足の部分もあると思うでありんすぇ」

「だれがバカよ、骨に当たる男胸なんかよりもあたしらの方がずっと柔らかいんだからっ!」

「ぐっ。いい度胸でありんすねぇ……それ一度勝負したろか!」

 

 何をどう勝負するのだろうか。

 アウラとシャルティアは互いの肩と、こめかみ辺りをぶつけ合って一触即発風でにらみ合う。でも最近は皆、互いに加減が分かってきたらしく、じゃれ合いも仲が良さそうに見えてしまうほどだ。

 

「あぁぁ、お、お姉ちゃん」

 

 マーレが、可愛くわたわたする。

 その守護者達3名の様子にアルベドが、先程アウラの質問への一案も兼ねて一石を投じる。

 

「そうね。一緒に休暇を頂けたら――皆でお風呂とかどうかしら? 勝負とやらもその時に」

「「「――!!」」」

 

 ここナザリック地下大墳墓第九階層には、至高の41人のブルー・プラネット協力のもと、ベルリバーの手により造られたゴージャスな入浴場『スパリゾートナザリック』が存在する。男女用合わせて9種17浴槽を誇り、もはや一大娯楽施設と呼べるだろう。

 あの場所は常時、『同誕の六人衆(セクステット)』の一人で、麦わら帽子を被ったスケルトンのダビド爺さんが怪人風の使用人らも使って綺麗に管理してくれている。

 だが今、注目するのは『皆』という言葉だ。

 ここに居るメンバーは兎も角、プレアデス達らや――そして、アインズ様もいっその事―――。

 そんな思いが各自の心へ大きく広がる。

 

 

 統括及び階層守護者達は、顔を見合わせると最後に……無言でニッコリと微笑み合った。

 

 

 アインズに迫るのは、ピンチかそれとも天国か――?

 NPCら主導の『ナザリック休暇推進計画』の完了が待たれるっ。

 

 

 

 

 

――P.S. 守護者の彼らは休暇で何をするべきか

 

 

 コキュートスは、会議の終わった戦略会議室をデミウルゴスに続いて出る。

 すると最上位悪魔から「仕事へ戻る前に少しいいかね」と誘われる形で、蟲王は共に少し歩くと、同じ第九階層にあるバーへと入った。

 程よい明かりの灯るカウンターの席に其々が座り、副料理長のマスターへ「いつものを」「私モ」と注文(オーダー)する。

 守護者統括主導により、階層守護者達の取り決め合意の計画とはいえ、急に『休暇』という少々対処に困ったものを貰う為の下準備に努めよという話になった。

 だが、コキュートスは内心でまだ困惑気味の思いがあった。

 彼としては、忠臣として1日中休むという行為が、怠惰に思えて仕方がないのだ。

 

(我ラニ休暇ナド本来不要。シカシ、至高の御方ガ存分ニオ休ミ頂クタメニハ仕方ガナイ。ソウ、コレハ仕方ガナイノダ。代ワリニ常時ノ仕事ニ励メバ問題ナイ)

 

 それで己を納得させようと真剣に考えていた。

 そんな思いを巡らしつつ、コキュートスはふと隣のデミウルゴスを見る。

 すると――珍しくデミウルゴスも、左手を右肘に当て右拳を顎に当てる形で考え事をしている風に見えた。

 

「何ヲ考エテイルカ聞イテモヨイカ?」

「いいとも、友よ。君とだいたい同じことを考えていたよ。“これは仕方がない”とね」

 

 デミウルゴスもアルベドへ提案はしたが、休暇を取る事へはやはり気がすすまない。

 しかし、偉大な主が広い視野でお考えの『世界征服』を前提に考えた場合、地上の戦力をナザリックの先兵とし、世界の列強制圧の主力に組み込む事を考えるならば、いずれ取り入れざるを得ない事でもある。地上の生者達には休養が必要なのだ。

 

 アインズ様の遠大な()()()()()()かもしれない――そうも考えて。

 

 ならば、導入はより早い方がいいと。彼はそう思ったのだ。

 最上位悪魔の、そんな先見の明までは聞けなかったが、コキュートスは十分納得する。

 

「ウム、ソウカ」

 

 盟友のデミウルゴスがソレで納得したのなら、自身も納得しようと考えた。

 元々難しい話を考えるのに、己は向いていないと蟲王は思っている。

 

 ただ、偉大なる至高の御方の忠臣として恥ずかしくないよう、武士道に反しない道理の通った行動をと常に心掛けている。

 

 デミウルゴスは、大事な主と栄光のナザリックに関しては非常にストイックだ。

 その件に関し、この盟友の行動に一点の曇りも見えない。

 だからコキュートスは信じられた。

 

 二人のドリンク、『炎の雷』と『氷河期侍』が出されると、両者は僅かに杯を合わせ乾杯する。

 デミウルゴスがコキュートスを誘ったのは、休暇で何をするかを相談する為である。

 

「友よ、“休暇”はどう過ごすつもりかな?」

「ウム、中々難シイナ。コレマデ経験ガ無イカラナ」

 

 盟友の問いに、コキュートスは二対の腕を共に組んだ。

 装備については、常日頃から入念に整備しているし、精進についても武技について少しだけ見えてきていた。

 しかし、いずれも“休暇”の時に行うものではないと思える。

 これでは、単に日頃の武人の嗜みと言えるだろう。

 忠臣として、見事に休まなければならない。そんな彼の心を、ふと一案が(よぎ)る。

 

 

「――座禅デモ組ムカ」

 

 

 足が組めるか微妙だが、精神の鎮静は心の静養を含み、且つ武技に繋がる部分もある。

 普段は出来ない静かなる行動だ。

 それを聞き、頷きつつデミウルゴスが答える。

 

「なるほど。私は――骨細工ですね」

 

 最上位悪魔の作る骨細工は、更に魔力供給のアイテムにも追加加工出来るため趣味と仕事の延長上で作っている部分もある。

 近い将来、トブの大森林を制圧した際や小都市が完成した暁には、敵の監視阻害範囲が大きく広がることが確実だ。現在、御方が周辺へ地雷的に設置している対情報系魔法の魔力供給アイテムとして多くの需要が見込まれる。

 ナザリックに元々在庫は存在するが、貴重なものだ。主はなるべく地上の物を活用して使うようにとのお考えを既に皆へ伝えている。

 それの助けになれば、休暇も無駄では無いと丸眼鏡の忠臣は思う。

 

「ソウカ」

 

 コキュートスには、骨細工の良さがよくわからないが、それは個性というものだと感じた。

 

 あと、デミウルゴスは別々で常に休暇を過ごすのもありだが、折角でもあるし偶には共に寛ぐのもいいのではと考えていた。

 なので、最上位悪魔が盟友へと提案する。

 

 

「どうかね、都合と時間が合えばだが―――至高の御方もお誘いして皆でお風呂というのは」

 

 

 デミウルゴスは、至高の御方々が第九階層の大浴場で楽しくお遊びになった事を覚えていた。

 友の言葉にコキュートスも昔を思い出す。

 

「オオ、ソレハイイ。アインズ様モオ喜ビニナルノデハ?」

「では状況が整い次第、それとなく上申しておくよ」

 

 セバスについては、無理に都合を付ける気はない。

 そもそも互いに多忙であり“休暇”が重なることは殆どないだろうと予想している。

 まあ、主が望めば別であるが……。

 

 

 結局、水が高き所から低き所へと行きつくが如く、ナザリックが誇る大入浴場『スパリゾートナザリック』へ全てが至るのであるっ。

 

 

 




考察)ユグドラシルの時間停止魔法について
時間停止には制限があるはず。
それは制限時間であったり、(見えない)範囲であったりと。
ユグドラシルの全プレイヤーの同時ゲーム進行上で突然の『時間停止』を実現するためには、西暦2126年に始まったゲームを動かすハードの進化した性能が重要。
1秒を60フレームに区切る60fpsで見せているのがまだ続いているとして、その60分の1秒間をさらに、『時間停止』の制限時間で仮想的に区切り、プレイヤー個人の簡易の仮想思考だけを加速させる技術があれば実現できると思う。



捏造)時間停止中は攻撃系と移動系の魔法は無効化されるが、それ以外の魔法は使える。
原作の書籍9-411では「全ての攻撃は意味をなさない」とあり、それ以外は不明。

本作で移動系を制限するのは、時間停止魔法に有効範囲が必要だ考えたから。
なぜなら範囲が無いと、誰かが時間停止を掛けると、ユグドラシルや新世界内全域で、対策している人だけが動くという状態に陥ると考えられる。(別の視点でいうと、対策していないプレイヤーには、対策者が突然消えたり現れたりする異常な世界を見ている感じになる)
それは逆に言うと、新世界で誰かが使えばプレイヤー級がいる可能性を知る手掛かりになってしまうオチ…(笑)

なので本作では、有効範囲があると決めて、影響を受ける対象を絞ります。
ちなみに歩いて範囲から出ようとすると……境界で180度向きが変わってその場へ出て来る感じになり出られない。

なお、本作STAGE.29の〈時間保持(タイム・ホールド)〉は密閉空間内に掛けるため、密閉空間外は普通に時間が流れており、有効範囲への出入りは可能になっている。



捏造)ラナーとルトラーの母
生まれや国王の周辺環境などなとゴッソリ。
ラナー達の姉妹は、第一王女(推定26歳?)とは異母姉妹。



補足)ラナーの抜け出しの件
ラナーの場合は、4階で公務中だったがそれでも行ける所があった。そう――用を足しに席を立ってもらう。面談の10分ほど前だ。当然、使用人が王女専用の御手洗いの扉前まで付いて来る。だが中までは入ってこない。そこで不可視化したナーベラルに〈幻影〉でゴウン家のメイド服調に変えさせラナーの服をそっと掴んでもらい〈転移〉で3階の衛士らの死角に現れさせる。
そしてソリュシャンがタイミングよく部屋の扉を開けてくれるという寸法。ツアレには、「国王側からお目付の使用人が、ゴウン家の者に偽装し少しの間だけ居る」と事前に告げていた。会談開始直後にラナーの用件は済んだので、5分後にラナーは退出。階段への角を曲がり死角へ入った段階でナーベラルに王女専用の御手洗いへ再度〈転移〉してもらい、〈幻影〉も解除。
 ちなみにアインズはラナーへ「魔法はすべて遠隔だ」と打ち合わせ時に伝えてある……。また、ラナー不在の御手洗いにはナーベラルがいて、事前にラナーの声について公務で発した「まだです」「まちなさい」をアイテムで〈録音〉しており〈再生〉して使用人の伺いに対応している。
以上で、ラナーは10分ほどのアリバイを稼げた。



捏造)アーグランド評議国(26話あとがき・続)誕生秘話他
八欲王が滅んだ500年近く前は、この地に亜人達と争う三つの人類国家があった。
当時のこの地の亜人達は、ひと昔前、今の王国や帝国、法国周辺に住んでいた者達が、六大神率いる人類軍に淘汰され生き残り逃げ場を求めて集まった残党である。だからより多種に加え、別々で戦っていた。その後に登場した八欲王らは、大陸中央へ進んだため、この北西端の地の亜人達は多くが生き残った。
そしてその後、亜人達は徐々に連合し人類小国家を一つ二つと滅ぼし、やがてこの半島地域で最後に残っていたガテンバーグ王国を打倒征服する。約300年前の話だ。半島内陸部にある現在の中央都は、この王国の首都の地である。
最終的に、山脈で隠遁していた竜種の王達が全軍を率いたため、団結し狡猾で強くなった。最後は人類側の連絡手段の〈伝言〉を逆利用し不意を突いて人間の王一族を討ち、それらの首を見せ大混乱に陥ったガテンバーグ王国軍主力を蹂躙殲滅し勝利している。なお、全軍で最強のツァインドルクスは総軍司令として、軍団筆頭の一人に名を連ねたが、某武器を守る立場も有り戦闘には参加していない。彼としては、多くが纏まり始めた亜人の軍団を今後の未来に統率する機会はここしか無かったためだ(空中都市の守護者らとも揉め掛けた)。第5位階魔法が使える晴天の竜王(ブルースカイ・ドラゴンロード)が指示を受け総軍団長を務めた。この時、煉獄の竜王の妹ビルデバルド=カーマイダリスは、姉の復活を一族揃って待っており参加していない。

奴隷階層の98%程を占めるの人間は、昔の人類国家の民の末裔。
現総数は実に150万人を超えるが、代を重ねつつ殆ど勉学を受けていない為、文化や歴史を完全に失わされた上で一部は片言の言葉しか話せない。牛や馬と共に、家畜として悲しく使われている。主に労働力としてだが、見世物や食肉用、夜を含む娯楽などにも利用されている。
2万ほど多種族の奴隷も存在する。

ここは五体以上の竜王を擁し竜種の残存数も多く、スレイン法国にとって遠方であることや法国周辺地域の平定と維持管理もあり、奴隷人類の奪還は当初より諦められた見捨てられし地となった……。



捏造と考察)『(人類世界との)和平と共存』の証
言い伝えで「神人とは決戦」という割に、空中都市の強力な守護者達は見逃されてる点を考えてみました。


考察)フルダ
フールーダ = FOOL(馬鹿者)だ…


捏造)人馬
人類勢力圏と評議国において「セントール」と呼称。
大陸中央部側では「ケンタウロス」と呼称。


捏造補足)上級アイテムの価値
本作では、およそ金貨で1万枚から10万枚程度
31話あとがき参照


捏造)英雄モニョッペス
ガテンバーグ王国を打倒した決戦時に、全国で奮闘した37英雄の1体。
ラミアの種族。


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STAGE39. 支配者失望する/森ノ異変トエンリノ苦難(13)

※一部残虐的な表現や衝撃的場面があります。


 ()()も、長き歴史の狭間に埋もれし、忘れ去られた存在であった……。

 

 

 1週間程前の、トブの大森林北寄りにある低標高の山野を鬱蒼とした森が覆う中央最深部。

 ハムスケの縄張りから北へ50キロ程の辺りには、以前からじわりと広がり続ける枯れ木の森が直径1キロを超えて広がっていた。この地域は数十年ごとに緑で覆われたり枯れたりを、とあるタイミング毎に繰り返している場所でもあった。

 その中心付近にて、これまで体の大半を地中に埋没させ、数百年に渡り精気を集め続けてきた巨大な魔物が遂に蓄え作業を終え、夜明けと共に突如目を覚まし地表へと登場する。

 現れた魔物の全高は実に100メートル。根元周りは60メートル程もある樹木のモンスター。

 この魔物の巨体を地上から人が見上げれば、天を()くといっても語弊がないものだ。

 根元から20メートル程上には禍々しく大きな口の如きものが開いて見える。また、全長300メートル以上もある触手のような太い蔓の枝を6本も持っていた。魔物本体の巨体周辺へ触手がとぐろを巻く姿から、全体の大きさは陸揚げされた超巨大タンカーにも匹敵するだろう。

 根の部分はうねり始め、塔を持つ要塞の如き魔物の巨体が徐々に移動していく。

 

「ああぁあ、ついに復活しちゃったよぉ。世界は滅びるっ。もう終わったぁぁーー」

 

 五月蠅(うるさ)く叫んだのは小柄の者で、人とよく似た体形だが樹木を磨いた感じの艶肌をもつ生命体。

 葉っぱが変形した髪風の頭と表情は人に近かった。腕や下半身には蔓状の枝が巻き付き、住処にする宿り木(やどりぎ)から伸びている。その宿り木の近くまで、魔樹による精気吸い取りの侵食が進んで来ていた為、結構まめにヤツの様子を窺っていた木の妖精(ドライアード)のピニスン・ポール・ペルリアは、絶望的と感じる光景を草木の陰へ潜み、目の前に見ていた。

 すでに数百年を生きている彼女達だが、レベルでいえば二桁に届くかという水準でしかない。こんな巨体の圧倒的といえる生命力で溢れたバケモノから触れられたならば、あっさり容易く手折られてしまう存在だ。

 だから、ピニスンは魔樹の動きをただただ見送るだけであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 アインズ一行が、アーグランド評議国へ潜入した丁度その頃。

 スレイン法国の首都『神都』。

 その中心部を占める中央大神殿敷地内で最奥にある『六色聖典』本部をはじめ、『六の姫巫女』指示所の他、最高執行機関内においてかつてない衝撃が走っていた。

 

 

『至宝〝ケイ・セケ・コゥク〟の喪失』と『漆黒聖典〝隊長〟の敗北』に――。

 

 

 漆黒聖典が出撃後も、王国の大都市リ・ボウロロールとリ・ブルムラシュールにあるスレイン法国秘密支部内の敷地への、遠視による毎日午前11時と午後2時の確認はまだ続いていた。

 そして『隊長』と竜王の戦いの翌日である本日、午後2時のリ・ボウロロール支部への確認に、セドランの隊が間に合い、その驚愕の事実が本国へ届けられた。

 敷地へ並べられた板に書かれた文章を、遠視により水の巫女姫所属の部隊が入手。

 伝えられたその文面は即時に書簡へ書き起こされ、上司の神官長が内容を確認して――震える。

 神官長が目にした内容は以下の通り。

 

『昨日昼過ぎ頃、漆黒聖典〝隊長〟が煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)と単騎で交戦に至り完敗す。その戦闘の合間に、遠方で待機中の隊が竜隊に襲われ、カイレ様と至宝〝ケイ・セケ・コゥク〟を共に喪失せり。その際に、護衛の陽光聖典5名全員と第五席次クアイエッセ・ハゼイア・クインティアが戦死。なお〝隊長〟は存命で健在なり。竜王は余りに強く、応援として〝番外席次〟の出撃を具申する。〝隊長〟と〝番外席次〟の二名による竜王再討伐の要あり。現在、隊は一時転進し王都北東の森で待機中。連絡はエ・ランテルにて待つ。最終判断を神官長会議にて決し、速やかに指示を願う』

 

 書簡を読み終えると、老いた風体の神官長ジネディーヌ・ゲラン・グェルフィは、身じろぎせず1分ほどその場で固まっていた。

 この事態が、ずっと人類世界を見てきたここ100年……いや150年で最悪の状況に思えたためである。

 また、人類の守り手の最後に切る札の内、2枚もが通じなかったのかと失望する。

 相手は評議国に君臨する、かの最強の『白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)』ではないというのに……。

 

(……なんたることに。人類はこれからどうなるのだっ)

 

 しかし、直ぐに対策を考え動く必要があった。

 彼は枯れた老体を感じさせつつも、急ぎ姫巫女の指令所から出ると地下ながら幅の広い通路を進む。そして最高神官長の執務室へ辿り着くなり、ノックと同時に中へ飛び込んだ。

 

「大変です、最高神官長!」

「何事ですかな、水の神官長? まず落ち着きたまえ」

「それは、中々難しい言葉です。今入った知らせで、漆黒聖典の〝隊長〟が敗北し、至宝〝ケイ・セケ・コゥク〟を喪失したとのことっ」

「なんだと!?」

「これを!」

 

 水の神官長ジネディーヌは話しながら、驚きの表情に満ちる最高神官長へ文面の記された書簡を手渡す。

 顔色を変えつつ、最高神官長は書簡を一気に読み終えた。

 

「なんということだ……。あの奇跡の至宝を失った上に、第一席次の〝隊長〟が敗れるとは……」

 

 最高神官長でさえも、書簡の衝撃的内容を理解し固まった。

 スレイン法国が長年頼ってきた、とっておきの切り札を含んだ2枚までもが竜王の軍団へ通じなかったのだ。

 特に至宝〝ケイ・セケ・コゥク〟は、使用適任者のカイレを見出してからこれまでどれほど強力さを誇る怪物にも有効であった。このため、その喪失は人類と国家にとって限りなく大きい損失と打撃である。

 最高神官長の両手には震えがきていた。

 今後、どう対策すればいいのかなど、すぐに考えられないほどに。

 スレイン法国は、あらゆる怪物に対抗出来た大きな攻撃手段を一つ失ったのだ。

 彼にとって、この2つの件は、漆黒聖典の副官であった第五席次の『一人師団』クアイエッセを失った事すら完全に霞む事象に思えた。

 そんな最高神官長だが声を絞り出す。

 

「――直ちに臨時の神官長会議を行う。全員の招集を頼む。最優先だ」

「ああ……心得た」

 

 水の神官長ジネディーヌは、会釈すると最高神官長室を急ぎ退出した。

 それから20分後に、法国内の最高意思決定会合である神官長会議が、神秘的に輝く最高級ステンドグラスの窓群から光の差し込む神聖さの溢れる会議堂で開かれた。

 歴史を感じる使い込まれた大机と椅子に掛け、この場へと集ったのは、頭冠と神聖なる純白に青系と金の線の施された神官風の服に身を包んだ最高神官長、六大神官長、三機関長、研究機関長、大元帥の総勢12名。

 しかしその者達の顔は暗く、全員が眉間に皺を寄らせ視線を下へと落とした深刻極まりないものであった。

 最高神官長がまず口を開く。

 

「忙しい中、急のところを良く集まってくれた。既に皆、話は聞き及んでいると思うが、昨日あった戦いで我らスレイン法国にとって大きい損失が起こり大変な事態となった。それについてベレニスよ、説明を頼む」

「はい」

 

 そうして、この場の紅一点である50代の火の神官長ベレニス・ナグア・サンティニが、手元の資料を見つつ状況と損害と死者について一同へ伝えた。

 それが終ると、再び最高神官長がこの会議の本題について告げる。

 

「さて皆の者よ、ついては早急に大きな判断が必要となる」

 

 それは、リ・エスティーゼ王国の少なくない人類について見捨てる事を含めるものであった。

 彼の言葉に、六色聖典を指揮する土の神官長レイモン・ザーグ・ローランサンが問う。

 

「最高神官長、それは――竜軍団討伐隊を撤退させるかの判断という意味ですか?」

「……そうだ。もはや状況挽回の対処として〝番外〟投入しか手はないと思う。しかし今、彼女を送るとすればこの神都に長期の不在が起こる事となる。だが、それは出来るだけ避けるべきと考えている」

 

 ここで会議の場がざわつく。

 

「王国に住む人類を見捨てるということですか? それは……」

「それよりも〝隊長〟が全力を出した以上〝神人〟の存在が広くバレている可能性がある。〝真なる竜王〟が法国まで襲ってくる可能性へ急ぎ備えるべきだ。神都が燃え落ちる前に」

「私は最高神官長の考えに賛同する。これ以上の対応は確かに難しい。自国の守りを危うくしてまで他国へ出張る事もないだろう」

「戦略的にみれば一度仕切り直し、エ・ランテル辺りで決着を付けるのがよろしいでしょうな」

「しかし、困りましたなぁ。何か別の良き手は有りませんかなぁ」

「そういえば、あのゴウンなる謎の旅の魔法詠唱者とかは……いや……」

「うーむ。確かに現状では、戦場まで距離が随分ありますね」

「至宝とカイレ殿を失ったのだ。また〝一人師団〟クアイエッセの損失も小さくはない。〝隊長〟が健在とはいえ、敵の大きい戦力に対し、これ以上の戦闘継続は残存戦力を消耗するのみ。一度引いて立て直すことをお勧めする」

「先日の報告資料にあった、化け物というべき強さの吸血鬼と、竜王軍団がどこかで派手にぶつかりませんかねぇ……はぁ」

 

 満を持して送り出した漆黒聖典の〝隊長〟達が敗れた事で、撤退寄りの意見が多くを占めた。

 中には竜王軍団の余りに強い戦力へ対し、藁にも縋る気持ちの思いもあって、謎の人物や怪物の話も聞こえてきた……。実はすごく現実味のある話だったりするが、良く知らない法国の者達にとってはタラレバ的なものといえよう。

 ざわつきが鎮まり気味のところで、土の神官長のレイモンが意見を述べる。

 彼自身15年以上も漆黒聖典として最前線で激しく戦ってきた護国の英雄である。それだけに、あれほど強い〝隊長〟の敗北は、未だに信じられないものがあった。元漆黒聖典としてのプライドもある。

 

「〝番外〟を使わない手段としては、竜王の鱗や体の一部を手に入れ、巫女姫達を使った大魔法による五重の呪いや負荷を掛けるなど、弱体化はまだ可能だと私は思いますが? それに、王国の冒険者達に紛れるという手も残っております」

 

 すると、風の神官長のドミニク・イーレ・パルトゥーシュが相槌を打つ。

 彼は元陽光聖典の所属で多くの異種族を葬った聖戦士である。先程、陽光聖典5名の死亡を聞いた時には、凄まじい怒りの闘気を放っていた。

 

「おお、それならば竜王の部位の輸送には、陽光聖典の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の精鋭を使うと速くて良いだろうな。それと王国軍が兵数により24時間波状的に1週間も攻撃してくれれば、生物である以上竜王達も流石に疲れてくるはずだ」

 

 歴戦の彼も竜王への手はまだあるだろうと考えていた。

 そんな二人の神官長に、最高神官長は緩やかながら首を横へ振りつつ伝える。

 

「憶測で、残る貴重な人類の守り手たる戦力をこれ以上動かすことは出来ない。あの漆黒聖典第一席次が、〝完敗〟したと伝えてきたのだ。……恐らく傷を負わすことも殆ど出来ていまい。大魔法も、どの程度作用するのか不明の相手。再度戦わせるなら万全を期すべきだ。

 ――ゆえに、竜軍団討伐隊の本国への帰還を命じる」

 

 これに、土の神官長のレイモンと風の神官長のドミニクが反論する。

 

「いや、人類の守り手として、やはり王国に住む人々を見捨てるわけにはいきません。最高神官長、ここは我らの踏ん張りどころかと思います」

「そうですとも」

 

 だが最高神官長はそこで、報告の中に確認出来た無視できない事実を皆へ明確に突き付ける。

 

「報告で、大いに気になったのは〝隊長〟の単騎攻撃の合間に、まさに狙い撃つ形でカイレ殿やクアイエッセらが討たれた事だ。()()()作戦行動が把握されていたとしか考えられない」

 

「――くっ」

「それは……」

 

 勿論二人も気付いている点である。それでも、という思いでいたのだ。

 対して最高神官長は、大きい痛手を受けた今だからこそ堅実に、直接〝隊長〟らの考えも早期に聞く必要があると判断していた。

 

「だから私はここで無理をして、安易に動くべきではないと考えるのだ。今、まずしっかり対策すべきである。それを怠れば――全滅すらも考えられると思うが、いかに?」

「「「「「……」」」」」

 

 土の神官長と風の神官長をはじめ、誰もそれ以上反論が出来なかった……。

 こうして竜軍団討伐隊へは、本国への帰還命令が伝えられる事になったのである。

 

 

 

 

 スレイン法国に『至宝喪失』と『神人の敗北』という激震が走ったその夜のこと。

 王都リ・エスティーゼの王城へ、竜王軍団との和平交渉に赴いていた大臣が帰還して来る。

 彼は取次役で同行した魔法詠唱者(マジック・キャスター)とは違う、もう一人の護衛の魔法詠唱者に〈浮遊板(フローティング・ボード)〉へ乗せられる形で運ばれ、王城まで途中数度の休憩と仮眠を取りつつ、丸一日近く飛び続けて帰って来ていた。

 些かやつれ顔の大臣は、王城内へ戦闘時以外で空から直接乗り込めない決まりを厳守し、城の少し手前で降りて城門前へと魔法詠唱者を引き連れ歩いて現れる。

 だが夜の到着という事もあり、城門の守備兵らは一時「大臣の亡霊か?!」という話にすらなった……。

 大臣の帰還は一時的なもので、宝石貴金属の竜王側への譲渡量を確認すると共に、国王の確約を求めてのものである。

 国王ランポッサIII世は、大臣の帰還と用件を受けて直ちに宮殿5階の居室を出ると、王城側建屋の執務室に移った。間もなく扉を叩いた大臣の入室を許すと3人掛けの椅子へ座らせて早速会談する。

 

「用件は聞いている。まだ任務も途中だろうが、先に一言伝えておく。――よくぞ生きて戻ってくれたな。大儀である」

「はっ。竜王への取次役の者が特に頑張ってくれました」

「そうか。そうであろうな。……では話を聞こうか」

 

 ランポッサIII世は、配下らの竜種との交渉の難しさを思い、必ず功に報いようと心に刻みつつ話を進めさせた。

 大臣は、竜王との謁見で交渉した内容を改めて国王へと伝える。

 圧倒的風格と存在感を持っていた竜王の雰囲気や側近の者らの話に、和平締結への関心と感触。その条件となる都市以北の地域割譲の件。また捕虜についての交渉はしていない点も。

 公務における長年の経験から、大臣は竜王の態度から『領土』に『捕虜』も含まれていると判断したことも付け加える。

 ランポッサIII世は、一瞬だけ目を閉じるも頷く。これ以上の犠牲と未来を思って。

 そして、竜王から「領土以外のモノは何か提示されないのか?」と告げられ、王家の宝石や貴金属類の譲渡が必要だろう件について、その量へ国王の承認を確かめに来たというくだりまでを話し終えた。

 大臣の提示予定量は、最大で王家の全保有分の十分の一で、金貨にすればおおよそ2200万枚分以上にもなる量だ。

 なお六大貴族の一つ国王派のブルムラシュー侯は、領地内に金鉱山とミスリル鉱山を有して160年以上が経ち、王家を凌ぐ金貨にして2億5000万枚以上の蓄えを既に持っていると思われる。

 大臣の報告を一通り聞いたランポッサIII世は、視線を左右へと動かしながら考えた。

 竜王への提示予定量は、王家の全経費の数年分に及ぶもので、昨今の戦費すらも十分賄えるほどだ。それでも、大都市エ・アセナルの方が損失的にはずっと大きかったが……。

 すでに大都市を失った上で、この支出に国王の眉間には深い皺が浮かぶ。

 今、並行して竜王軍団との決戦の準備も進んでいる。20万余の兵と3000を優に超える冒険者達。

 加えて旅の魔法詠唱者一行の助力――。

 だが、やはり戦わずに穏便に終える手があるなら、それも進めるすべきだと国王は考える。

 王国の平和と人類世界の今後を考えるのならば、ここでの線引きは上策に入るだろうと。

 ランポッサIII世は大臣へ告げる。

 

「――竜王への譲渡提示量について、最大で王家の全保有分の十分の一までを承認しよう。現在、王都には戦力が集結しつつある。しかし、戦えばその多くが失われよう。周辺の都市が新たな戦場と変わるかもしれない。それを事前に防げるなら無駄とはなるまい。――大臣よ後は任せるぞ」

「は、ははっ」

 

 国の王としての惜しげもない決断である。

 退出の為に席から立ち上がり、頭を下げた大臣は、長年ずっと見てきた。

 国王ランポッサIII世は、無駄に贅を尽くす王では決してなかった。このような有事の際に対し、最大限対応をする為に莫大である先祖から引き継ぐ王家の宝物を大事に守っていたのだ。

 

「必ずや陛下と国民へ吉報を」

「うむ」

 

 国王の執務室を退出した大臣は、夜明けの出立まで全力で体調回復に努めた。それは、食事であったり、入浴日ではなかった事で湯による行水や、数時間の仮眠を取る形でだ。

 そして東の空が白み始める頃、大臣は再び〈浮遊板(フローティング・ボード)〉へ乗ると、共に決死の覚悟で任務へ就く魔法詠唱者(マジック・キャスター)に引かれ、王城をあとにした。

 

 

 

 

 全てが黒く焦げ、無残さ甚だしい廃墟と化したリ・エスティーゼ王国の旧大都市エ・アセナル。

 その北東側には何事も無かったかのように平和な平原が広がる。

 空は良く晴れて青一色になり、早朝から夏の陽射しが地上へと照り付けていた。

 今は、()()()()()最強天使(ルベド)が保護対象に加える日の朝の10時前である。

 ここは、廃墟から北へ1キロ程の場所にある煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグ=カーマイダリス率いる竜軍団の宿営地だ。

 ここには現在、安置中の5遺体(行方不明14)を除くと、計290体もの生きた竜達が滞在する。その中には、侵攻時からの負傷者も含まれるが、順次回復しその数は7体程へと順調に減ってきていた。

 

 しかしそこへ軍団としては重要な2体が含まれる。

 

 副官級の百竜長3体のうち、難度177のノブナーガと配下筆頭でもある難度180のアーガードが重傷で寝込んでいた。

 現在は、難度171のドルビオラのみが副官として忙しくしている。管理職の厳しさに種族など関係ないのだ……。

 元々ドルビオラは、軍団の糧食や陣地内の整備など後方支援のまとめが主な担当。ノブナーガは攻撃隊の訓練や警備体制の管理が主な担当である。アーガードこそが、全軍の状況を最も把握していた竜であった。

 その重要である二名の抜けた穴は本来小さくない。それでも、残ったドルビオラは一族の中で見識が広く話術も得意であり、たった1体であったが十竜長等と上手く連携し副官職を十分に熟していた。

 そんな彼のもとへ1体の竜兵がやって来る。

 

「ドルビオラ様、竜王様ガオ呼ビでス」

「そうか、では直ぐに参る」

 

 ドルビオラは、急ぎ主のもとへと移動した。そうして尊敬する竜王へと恭しく長い首を垂れる。

 

「ドルビオラ、お傍に」

 

 信頼する配下の言葉に、上質の柔らかい布の上に巨体を横たえて座る煉獄の竜王が声を掛ける。

 

「昨日からすまんな、ドルビオラ。アーガードが動けず、1体では流石に忙しかろう?」

「はっ。確かに」

「そこでだ、攻撃班の訓練や警備体制の部分は、俺が受けもとう」

 

 先日ゼザリオルグは、アーガードを半殺しにし、竜兵5体を殺した人間を――まんまと取り逃がしていた……。

 圧倒して半殺しにし追い込んだはずが、完全に見失い捕まえ損なったのだ。信じられないが、すべて事実。

 これは軍団の指令官として、小さくない失態である。

 また、理由はあれど侵攻もこの場で止まりすでに長く、先の遺体喪失を感知出来なかった件も含めて、かなり失策が積み上がってきているように思ったのだ。

 

 竜王たるもの、力だけというのでは愚物と化す。

 

 英知を見せ責任も十分に果たしてこそ、一族の頂点と言える。

 そういった思いがゼザリオルグにはあったのだ。

 しかし、配下の百竜長ドルビオラとしての見方は全く違った。

 あの難度180を誇る一族きっての強者アーガードを、あっという間の一方的で半殺しにした相手を――逆に半殺しの返り討ちにして、なお無傷……。

 

 我々の竜王様は―――正に圧倒的であるっ。

 

 そう誇らしく思っているのだ。

 この場に陣を敷いていることは、本国との連携を考え捕虜を後方へ送る為には必要な事で、先日の遺体喪失はすぐ傍で警備していた者すら全く気付けていない事件。

 またアーガードを倒したほどの人間が、脱出能力やアイテムを持っていても全く不思議ではなく、主の責については微塵も考えていなかった。

 なので、これほど偉大といえる竜王に、忠実な配下として雑務などさせる訳にはいかない。

 だからこそドルビオラは泰然と答える。

 

「竜王様、お気遣いありがとうございます。ですが、十竜長等の協力もあり全く問題はありません。竜王様はゆるりとこの場でお寛ぎください」

「……そうか」

 

 竜王とは余り配下の手伝いをするものではなく、これ以上の言は控えるしかない。

 失策の挽回が出来ず、内心ちょっぴりガッカリのゼザリオルグである。

 仕方がないと、竜王は気持ちを切り替えて別の件を――ドルビオラを呼んだ本題を語り始める。

 

「さてドルビオラよ、先日来た王国からの和平の使者についての件だ。お前はどう考える?」

 

 ゼザリオルグは、一昨日の騎士風の人間の殴り込み当初は、憤慨して「和平などっ」と考えたが、闘いが終わり直後の失態もあり、落ち着くため睡眠をとって一夜明けてから再度冷静に考えてみた。

 人類圏へのこの進撃の目的は『人間共への復讐』で人類の大量殺戮である。

 概ねゼザリオルグの個人的恨みであるが、一族の中で親族を人類側の八欲王らに殺され思いを同じくする者も多い。それゆえ無傷なら攻め込み続けるのは当然である。しかし、現在19体もの犠牲者が出ていた。

 そして副官級の竜をも易々と倒す、人間世界の上位戦力を侮り難しと考えない方がおかしい。もしも、先日の騎士風の人間以上の者が数人も出てくれば、現軍団の優位は風前の灯火となる。

 竜王には、今生きている一族の者を巻き込んでも、更に攻め込むべきなのだろうかとの迷いが大きく膨らんできていた。

 

 彼女の結論は、更に攻めゆくなら己の身ひとつでと――つまり今は和平もありだと考えに至る。

 

 対して主からの言葉に、どう返すか百竜長は思案する。

 

(この問いかけは……悩んでおられるのか? 同胞に戦死者を出した上で、その遺体を奪い去られ、戦闘力の高い人間を差し向けられてきた事に)

 

 先日の強い人間は――己の所属や名を一言も語っていなかった……。

 

 ゆえに、()()()先兵だと考えるのが自然であるっ。

 

 そしてあれほどの手練れの2人目、3人目が居ないと断言出来ようか。それが一度に攻めて来たとしたら。

 少々荒っぽい気もするが彼等王国は、こちらが和平を飲まない時に際し、実力的脅しをチラつかせてみせたのだろう。

 使者は「(しか)るべき措置を取ることになります」と告げていたのだから――。

 ドルビオラは、それでも己の主である竜王が取るべき道を示す。

 

「ゼザリー様、よろしいですか。竜王たる者、弱者の人類如きに逡巡するような事があっては決してなりません。竜種とは数多ある全種族の頂点。嘗て八欲王らへも我らの先達が見せたように、最強を示し続ける義務があるのです。それは――我らの命よりも重いということをお忘れなきよう」

「――っ! ……よく分かった。下がっていいぞ」

「はっ」

 

 ドルビオラは、長い首を一度垂れ礼をすると数歩下がり、背を向けて飛び立つ。

 配下からの大事な言葉を汲み取り、王国への返事を決める竜王であった。

 

 

 

 

 バハルス帝国の首都、帝都アーウィンタールの北端付近には無法臭漂う街並みが広がる。

 その中に建つ、暗殺集団〝イジャニーヤ〟の拠点の一つであるこの建物では、装備を整えた団員を中心に遠征第三陣の準備が進んでいた。

 時間は、エンリがカルネ村で攫われる日の、午後の昼下がりの頃。

 ふと、盗賊風の装備をした若手の男が、少し年上の戦士装備の男に向かって、頭領であるティラへの心配を口にする。

 

「お嬢、大丈夫ですかねぇ?」

「まだ帝国内のはずだ、心配ないだろ?」

「そうじゃないですよ。あのヤロウと一緒じゃないですかっ」

「ああ、―――チャーリーか」

 

 この拠点に居る連中は、少なくとも10年は〝イジャニーヤ〟で仕事をする連中ばかりだ。親の代からという者もいる。人情味と連帯感の強い組織だ。

 一方で一定以上の実力が無いと加入出来ない精鋭集団でもある。

 新参には、少し風当たりのキツさや規律の厳しさも感じるが、逆に身内へは甘いところもみられる。

 なんといっても首領だったお嬢三姉妹2名の未帰還を、『ちょっとした出向』と言っているぐらいだ……。

 確かに、雑魚と闘い負けたままなら問題となっただろう。しかし、風の便りが届いた時には標的だった連中と表舞台で、音に聞くアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』の一員を平然とやっている誇らしい状況に、「流石はお嬢達っ!」と皆が驚き笑い喜び、今は納得している。

 少し作業の手を止め、新参で刀を使う紺髪のチャーリー(ブレイン)の話を呑気そうにしていた二人へ大声が飛ぶ。

 

「おい、お前らっ! 口動かさずに、手ぇ動かせ!」

「「はいっ!」」

 

 年配の厳つい黒髭の忍び風戦士から一喝され、彼らは遠征の準備作業に慌てて戻った。

 さて、建物内はざわつき騒がしいが、どうして遠征かというと、勿論王国の竜軍団に関する事が原因である。

 昨日の朝に、彼等の組織宛てで中央から依頼が舞い込んで来たのだ。ただこれは彼等だけではなく、帝国の裏社会で有名な一部の腕利き組織へ通達されていた。

 ここへ届いた内容は、以下の通り明解である。

 

『〝イジャニーヤ〟首領殿への依頼を伝える。リ・エスティーゼ王国にて、竜王並びに副官級の竜を討ってもらいたい。返事は不要である。戦果で示してもらえればよい。副官討伐には金貨2万枚、竜王では金貨10万枚を与える。竜王の軍団は現在、王国北西部にて陣を構えている。以上、実行されたし』

 

 当然直接この建物へ届いたわけではなく、帝都南側の裏町の地下飲み屋に届いてから3箇所ほど経由して運ばれてきた。

 それを、頭領のティラが直々に読み最終判断したのだ。

 

「……竜退治だ、爺」

「やりますか、頭領」

「ああ。大仕事だが、帝国へ竜王軍団がやって来る前に対処する。ねぐらは守らないとな。第一陣の準備を急げ」

「はい」

 

 ティラから読み終えた書簡と指示を受けとり、白鬚(ヅラ)に眼帯を付けた白髪の爺は一礼するとこの場より影に溶け込む形でスッと消え去る。

 〝イジャニーヤ〟の者達はこの依頼を待ち、あらかた準備していた。

 それから1時間後に第一陣が幌の付く荷馬車で出発する。

 第一陣の団員の顔ぶれは、頭領のティラと眼帯の爺、そして紺髪の刀使いチャーリーに他3名。

 だがこの時、頭領のティラは中央からの依頼の裏の無さで、逆に少し油断してしまっていた。

 普通は依頼を受諾して初めて詳細が分かるはずなのに、今回は戦果を持ち込めば報酬が貰えるという()()さだ。

 確かに〝イジャニーヤ〟の組織として、他人事ではないというのもあったのが……。

 

 それでもティラ達は、肝心の竜王らの強さを完全に見誤っていた。

 

 まさか、副官の竜達ですら十三英雄級を含むチーム(蒼の薔薇)でも殺しきれないとは想像出来ていなかったのだ。

 そのティラ達一行は、帝都を出ると王国北西部を目指し帝国の大街道を南西へ進んでいく。チャーリーことブレインは、幌荷馬車の荷台の側面の囲い板に背を預け、刀を左手で握り黙って座り揺られていた。半日移動したところで宿に入り本日早朝に出発。その朝方、湖傍の小都市セギウスに向かう南東への分岐路を、直進し通過している。

 報酬が金貨で最大10数万枚という大口の話に、士気の揚々と上がるメンバー達の様子。

 その中で、チャーリーだけが一人ローテンションであったが、彼は浮わついた空気を見かねて向かいへクッションを敷いて座るティラに尋ねる。

 

「団員の中で(ドラゴン)と戦った事がある者はいるのか?」

「ん? ……爺はどうだ?」

 

 帽子を深く被って御者席へ座り、手綱を握る爺が横を向いて答える。

 

「若い頃に一度だけあります。強大な1体の霜の竜(フロスト・ドラゴン)でしたよ」

 

 闘いにおいて経験の有無は非常に大きい。たとえそれが敗戦であっても。

 竜と対戦し、生き残っているだけでも凄い者なのだ。夜目も利く奴らは高速で空を飛んで追い縋りながら冷気や火炎を吐くのだ。並みの者ではまず逃げ切れず死ぬ――。

 

「そこは大森林を抜けた奥の山岳地帯でした。当時、魔法の武器の持ち合わせがなく刃が通らず、結局怪我を負い地下の闇に紛れ逃げるほかなく……。まあ、若気の至りですかな」

 

 一瞬後ろへ振り返りつつ彼は白髭顔の眼帯へ、右の人差し指をトンと一度だけ当てた。

 その様子を見た紺色髪の剣士は、真の最強怪物を見た者として冷静に、より上の水準で皆に問い掛ける。それは憶したというのではなく、当然闘う際に考える状況想定の範疇である。

 

「向かう相手は竜の集団。乱戦になれば――最悪、複数の竜を同時に相手する場面も考えられる。勝てると……いや、()()()()()と思うか?」

 

「「「「――っ!」」」」

 

 ティラをはじめ、皆が紺髪の彼を見た。

 チャーリーを名乗る男は言葉を続ける。

 

「皆の腕は確かだと思う。並みの(ドラゴン)となら良い勝負になるだろう。だから言いたい。絶対に同時で複数の竜と戦わないことだ。その兆候があれば事前に必ず引いて、一度態勢を立て直すべきと考える。そして、いきなり竜王や副官を標的にするのはまずやめた方がいい。竜の軍団に対して自分達の力量を掴んでからでも遅くないと思うぜ。帝国が王国へ国家の精鋭中の精鋭を送り込む時点で、相当ヤバイ敵ということだからな」

 

 報酬の金貨に目がくらんで命を落としては、元も子もない。

 しかし新入りの言葉に、大げさだと横に座る若い戦士の団員らが言葉を返す。

 

「そんなことは分かってるさ。相手が(ドラゴン)なんだからな。でも、難度で80台程度なら問題ねぇ。俺がこの魔法剣で何体でも叩き斬ってやるよっ」

「そうだぜ、新入り」

 

 彼等は、(ドラゴン)の難度は90程度が殆どだろうと考えているようであった。

 だが、ブレインの見方は違う。

 リ・エスティーゼ王国には、強さで名高いアダマンタイト級冒険者チームが2つある。

 噂からすれば、彼等は其々のチームが、難度80台のモンスター達20体程でも一回の戦闘で全て倒してしまうぐらいの実力を持つはずだ。

 なのに最初の情報が届いてから数日経つ今も、大した反撃の噂は聞こえてこない……。

 それはつまり――それ以上の難度を誇る竜達の犇めく軍団という可能性が高いと考えられるのだ。

 だが、ここでこれ以上警告しても水掛け論的に思え、チャーリーを名乗る男は「そうか。俺の気の回し過ぎだといいが」とだけ返しカウボーイハット風の帽子を深く被った。

 

 彼等の乗った幌荷馬車は今夜、帝国の南西にある国内有数の大都市に到着の予定だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ん……」

 

 薄らとエンリの閉じられていた瞼が開いていく。

 ぼんやりとした彼女の目には見知らぬ天井が映っていた。それは、高級感のある白やベージュ調の大きい石材群で組まれている。

 

「……?」

 

 そして、再び彼女の目が静かに閉じられていく……。

 だが次の瞬間、彼女は目を全開。凄い勢いで飛び起き上半身を起こした。呑気に二度寝している場合ではない。

 エンリは、自分がここに居る直前の状況を思い出したのだ。

 

 純白の上品なコート系の服を着た老人からの魔法で気を失い、カルネ村から攫われた事を――。

 

 思わず一瞬、いつもの服装へと目を落とすが幸い乱れはない。

 

(よかったぁ)

 

 旦那(アインズ)様への操が立ち、ホッとしつつ両手で胸を隠す形で、視界の周りに気が回り始める。

 視界正面の先には、立派な木製の両開きの大扉。その取っ手は黄金色を放っている。横になっていたのは、赤色の肌触りの良い高級で高価だろう厚手の布が掛けられた横長のソファーであった。布の周囲の端は金糸のモール調飾りで仕上げられている。

 そして、ソファーの周囲へ古い専門書物の積み上がった山が幾つも並び、床の多くを埋めているという謎の視界の光景に、エンリの思考と身体は固まる。

 

(……何……ここはどこ?)

 

 すると彼女の耳へ、背中方向から聞き覚えのある、老人にしては随分高く若めの声が飛びこんで来た。

 

「おぉ、起きられたか。お嬢さん」

 

 自分を(さら)った魔法詠唱者(マジック・キャスター)からの声を受け、エンリは目を見開いたままの恐れが浮かぶ表情でゆっくり左後方へと振り向く。

 その過程で、この部屋が壁の多くに天井までの本棚の並ぶ50平方メートル程の広い部屋だということと、本棚へ収まる大時計により午後4時45分頃なのだと理解出来た。

 攫われてからまだ10分と少しという経過時間だ。

 振り返ったエンリの視線の先4メートル程には、まだ昼間の光の差し込む5つの縦長に並ぶ窓を背に大きい机があり、そこへ白髪白鬚の老人が座り何かを調べる感じで分厚い本を捲っていた。

 エンリが老人へ視線を合わせると、彼は席へ座ったままだが客人へと丁寧に名乗る。

 

「私はフールーダ・パラダイン。お見知りおきを。ここは私の仕事部屋の一つです」

 

 エンリは、その余りに有名な名を聞き、表情が恐怖から驚きのものに変わっていた。

 

「えっ? あのバハルス帝国の……ですか?」

 

 フールーダの名は彼女でも知っている。

 第6位階魔法詠唱者という大賢者にして、バハルス帝国へ数代に亘り仕える柱石的人物である事を。強大な帝国の皇帝に続く実力者No.2である。いや実質、皇帝すらもこの老人の意見の全てを無視できないだろう。

 彼の名前が周辺の人類世界へ広まり優に100年以上経つ。隣国の辺境の小村の者でも知らない者は殆どいない有名人といえる。

 フールーダは、客人からの問いへ小さく頷く。

 

「そう。こうしてお会いすることが出来嬉しい限り。本日は誠に勝手ながら、実力で貴方にここまでお越し頂いた」

 

 (さら)った真意を、老人は招きたかったのだと言いたげだ。

 この場の先進的雰囲気と人物の風格に、現状の全てが真実だと彼女は認識する。

 しかし、隣国のカルネ村から連れ去られた側のエンリは、困惑するしかない。彼女は辺境の小村に住むただの村娘に過ぎないはずなのだ。だからどうしてという思いを抱き、振り返っていた彼女は、ソファーから足を下ろすと立ち上がり、その率直な思いを尋ねる。

 

「一体、何の為にですか?」

「それはですね――あの死の騎士(デス・ナイト)小鬼(ゴブリン)をいかなる魔法で操っておいでなのかを、是非にも教えて頂きたく思いまして」

 

 白鬚を扱きながら笑顔を浮かべる老人は、机の席から立ち上がりつつ本題を述べた。

 この少女を見つけた際、彼女の魔法力は小さい部類であった。この場合、死の騎士(デス・ナイト)だけを操るのであれば、ネクロマンサーという生まれながらの異能(タレント)持ちの可能性が高いと思った。

 

 しかし――小鬼(ゴブリン)をも完全に従えているとなると話は別だ。

 

 これは新魔法に因る『難度上位者支配』が濃厚だと、今のフールーダは判断していた。

 今もそれに関する書籍を机で調べ始めたところであった。

 一方、老人からの言葉の内容に、エンリの表情は固まる。

 

(そ、そんな……。いつの間にみんな(モンスター)の存在を帝国へ知られてしまったの?)

 

 王国からではなく、帝国からの宣告に、村の指揮官は隣国の情報収集力の高さを思い知る。

 それと同時に、このみんな(モンスター)についての話は、全て旦那様から力を頂いているものだという考えに辿り着く。それは、勝手に話してしまっていいものかとも。

 エンリは愛しの旦那(アインズ)様の忠実な配下として、毅然とフールーダへ尋ねる。

 

「あの……この件について、お断りすることは出来ますか?」

 

 その言葉を聞き、フールーダは笑顔から一瞬驚いた表情になるが、再びニッコリとする。少し忘れていた風に少女へと、右手を開いて差し伸べ掌を見せる仕草を付けて告げた。

 

「ああ、そうでした。勿論、お教えいただければ私に出来る事なら何なりと叶えましょう。たとえそれが――金貨100万枚でも、()()()()貴族の領地と地位をお望みでも。当然、この帝国の貴族位も思うがままに。さあ、どうですかな?」

 

 老人は長年の経験から、用意周到である。

 王国の辺境の貧しい小村と聞けば、平均年収でいうと馬車馬の如く働いても金貨数枚。帝国の平均年収に対して3分の1以下だろう。非常に苦しい生活のはずである。

 本来なら金貨100枚とでも告げれば……いや、圧倒的な権力を背景に「()の命を取る」と脅せばいい話に思える。

 しかし、フールーダは己の人生に対しての対価として評価し提示していた。

 だからこそ、全てが驚異的に破格であり、満を持していたともいえる。

 ところが……少女は困った顔で、直ぐに返事を伝えてくる。

 

「あの、凄く有り難いお話ですが、やっぱり……お断りさせてもらえませんか?」

「な……なんですと?」

 

 フールーダは、ここでポカンと口を開け本当に驚く。

 王国の辺境の小村の村娘にすれば、どれ一つ取っても夢以上の提示であるはずなのだ。

 それを即時に断るなど、フールーダの思考を振り絞っても出てくる理由は一つしかない。

 

(語れば――彼女はそれと同時で確実に死ぬ――ということか……)

 

 彼女の死は、フールーダにとってある意味、非常に困る。

 まず全容を聞いた後ならと思うが、途中や出だしで死なれては大きく膨らんだ希望が水の泡となる。また、彼女を足掛かりに旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンへの接触に影響が出るかもしれないのだ。かの人物は、半月以上前の時点でカルネ村内に見えず村を離れたと報告されており、その足跡の情報も村娘から聞けると考えている。状況から、〈魅了〉の魔法を用いても、彼女が話す事に変わりなく使うのは危険に思われた。老人は、自分の魔法の持ち技に記憶をトレース出来るものがないことを内心で残念がる。

 対してエンリとしては、確かに目の飛び出る水準の夢ある対価が提示されたとは思う。あのお方にお会いする前なら、村や妹の為にも飛びついただろう。でも今は、村を守り頼れる優しい愛しの旦那(アインズ)様の事を考えれば、提示された富や貴族位などは不要で完全に霞んだ存在といえる。だから、比べるまでもなく彼女は即答出来た。

 だが難題の解決に悩むフールーダは、豊富な経験を活かし即座に少し視点を変えて考えると、村娘へ改めて尋ねる。

 

「そういえば、まだお聞きしていなかった。お嬢さん、貴方のお名前は何と?」

「あ、すみません。私はエンリ・エモットといいます」

「では、エンリ・エモット嬢へお願いを。今は死の騎士(デス・ナイト)達を操る詳細をお話しいただかなくても結構。その代り――その力を少し私へ見せていただけないか?」

「えっ?」

「例えばだが、新たな死の騎士(デス・ナイト)を支配するところを見せてもらえればと」

 

 フールーダの考えは、直接魔法の発動の様子をみることで多くを参考に出来ると踏んだのだ。幸いここの敷地内の地下へ長年に亘り死の騎士(デス・ナイト)が1体拘束されている。これなら、秘密の魔法の詳細や話を聞く訳ではないし、ハードルは随分下がるのではと思えた。

 だが、彼の話を聞いたエンリにすれば状況は変わらない。

 

 過程も旦那(アインズ)様あってのもので、帝国の魔法詠唱者(マジック・キャスター)へ勝手に見せる事は出来ないと考えていた。

 

 それにエンリとしては、実際のところみんな(モンスター)を支配などしているつもりはない。手伝ってもらっているのだ。もし新たな死の騎士(デス・ナイト)がいたとしても――()()禍々しい巨体へ向かい「あの、すみませんけど……」とお願いするだけである。

 カルネ村にいた死の騎士(デス・ナイト)達に対し、エンリはそれで全てうまくやっていた……。

 ゆえに、彼女は気持ちを真っ直ぐ伝える。

 

「申し訳ありませんが、お見せするというご期待には沿えません。私は、可能なら静かにカルネ村で一生を終えるつもりです。ですからお願いです、私をあの村へ帰してください」

 

 エンリには、カルネ村の指揮官として他所へ攻め込むという気はまるでない。

 村の砦化も鍛錬や武装もあくまで専守防衛である。

 

 

 でも、その思いは――魔法狂いで魔法研究が生きがいの頑固な老人には通じない。

 

 

 村娘の言葉を聞き終えると、フールーダの表情から微笑みと共に、白い眉毛の下へ見えていた少年の如きキラキラの瞳も眉下へと消えていた。

 そして彼はエンリへ淡々と伝える。

 

()()()()、悪い事を私は言いません。一度でいい。その魔法を私の目の前で見せて欲しい。それが叶えば、何時でも直ぐに村まで御返ししましょう。勿論、対価として私に出来る事なら何なりと叶えますしな。ゆえに―――それまではこの帝国へ居て頂く」

「―――っ!」

 

 リ・エスティーゼ王国辺境の田舎村からの虜である、褪せた金髪の少女は、強大な力を有した帝国の権力者の言葉に絶句する。

 それは、誘拐に加えての幽閉通告。フールーダの人としての罪は重なっていく。

 だが帝国内では、皇帝や彼こそが『法』である。彼等を国内で裁ける者など存在しないのだ。

 エンリは沈黙したまま、視線を床へ落とす。そのまま3分近く経過するが村娘は何も語らない。

 フールーダは、一度エンリを見て溜息混じりに目を瞑ると、大机の上にあった鈴を小さく鳴らした。1分が過ぎようとした頃、大扉が数度叩かれる。

 

「入れ」

「失礼します、パラダイン様」

 

 扉が開かれると一人、エンリより幾分小柄の人物が室内へ入って来た。

 白いローブに白銀の金属防具衣装装備という魔法省の制服を身に付けた魔法詠唱者(マジック・キャスター)で綺麗な金髪の少女だ。彼女の右手に持つ杖は『鉄の棒』のようだが細かい文字の刻まれたものを握っていた。

 エンリは振り返り、現れた魔法省の兵である者を見る。

 魔法詠唱者の少女は、扉を閉め数歩進んだ位置で立ち止まった。一瞬だけ左前方に置かれたソファー傍に立つ、村娘風の服装の少女と視線を合わせるが、正面奥の大机横へ立つ上官へ目を向ける。

 

「お呼びにより――アルシェ・フルトが参りました」

 

 白髪の魔法使いは、魔法詠唱者(マジック・キャスター)の少女へ頷くと告げる。

 

「うむ。早速だが、アルシェ・フルトよ。帝国魔法省最高責任者フールーダ・パラダインとして厳命を伝える」

「はっ」

「お前には、そこにお立ちのエンリ・エモット嬢の保護・世話役の任を命じる。この方を当面の間、帝国魔法省で保護し滞在してもらう事にした。私からの変更命令があるまでこの任務を最優先で続行せよ」

「了解です」

 

 アルシェは、エンリ・エモット嬢と呼ばれた娘の姿を再度見る。今は、パラダイン老の方へ顔を向けていた。気になったのは、あの老師が少し丁寧な口調をしている事だ。でも、相手の娘の服装は汚れやほつれも散見され、どう贔屓目にみても貴族の令嬢や中流層以上の娘には見えない。

 これは、どういうことなのか。

 一応アルシェは本日、パラダイン老から王国への出発前の午前中に呼ばれており、10分間程度事前の話を聞いている。だが、その内容から理由の推察は無理に思えた。

 彼女は老師からの言葉を思い出す。

 

『王国への出陣後、間もなく私は一度魔法省へ帰還する。その際に、もしかするとお前を呼ぶかもしれない。そして、今日から外部の若い女性を一人、保護する事を伝えると思う。なので部屋や衣服、食事の手配などの準備をこれからしておいてくれ』

 

 概要は要人対応のものだ。魔法省に全く不慣れな為、話の多くの時間は滞在対応についての問い合わせ部署などの説明を聞かされた。なので保護する期間やその人物の詳細などは、一切知らされていない。

 ただ最後、老師より気になる注意事項がアルシェには伝えられていた。

 

『絶対、行方不明にしないことだ……魔法省の敷地から極力出さないように注意せよ。その為に、彼女の足首へは――』

 

 その言葉を思い出し、彼女はエンリの足元へと視線を落とした。

 すると村娘の左足首に、金属の輪っかが付けられているのを見つける。

 

 その様子にアルシェは、保護とは名ばかりの彼女がまるで――囚人のように思えた。

 

 

 

 

 時刻は午後5時45分を過ぎつつある。

 帝国魔法省敷地内の地下奥に垂直で掘られ石材で壁面を築かれた穴へと、5階分程の螺旋階段を降りた一行が、更に重厚な扉をいくつも解封しつつ奥へ進む。

 一行のメンバーは、魔法省に残るフールーダの高弟2名を先頭に、フードで顔を隠したフールーダ自身。続いてフード付きローブで姿と顔を隠されたエンリが歩き、すぐ横にアルシェが付いて手を取っている。最後を高弟の3名が続く計8名。

 フールーダは、交渉で村娘エンリの協力を得られなかった。しかし、王国に侵攻した竜王軍団討伐へと向かう強襲魔法詠唱者部隊に合流する直前でもまずやっておきたい事があった。

 

 

 それは、エンリ・エモットと死の騎士(デス・ナイト)との対面だ。

 

 

 普通に考えれば、幽閉しようとする村娘を、彼女が操る事の可能な死の騎士(デス・ナイト)に近付けるのは危険度の高い行為と言えるだろう。しかしフールーダには関係ない。エンリ嬢が逃げる為に死の騎士(デス・ナイト)へ魔法を掛けてくれても『見られれば一向に構わない』――そういう考えの男である。

 彼だけは何時でも〈転移(テレポーテーション)〉で逃げられるのだから……。

 

 エンリが、フールーダの部屋で協力を断り()()担当のアルシェが呼ばれたあのあとすぐの事。

 保護部屋へ村娘を移すのかという時、フールーダから「ああ、その前に」とアルシェへ、老師不在時の魔法省責任者である高弟宛の書簡が託された。

 地下の扉群を開け進む現状は、書簡を読んだ高弟により全て段取りが進められている。

 白鬚を扱く老人は、エンリへ「先に少し会わせたい者がいる」とだけ告げていた。

 一行は最初に帝国魔法省の敷地内最奥の塔へと進む。衛兵の2メートル半を超える石動像(ストーン・ゴーレム)4体とそれを操る皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)達へ、高弟2名が「パラダイン様の命によるものだ」と告げて入口を潜った。

 塔の奥から、直進する密閉通路途中の広いすり鉢状の円形屋内空間を周り込み抜け、向こう面の扉から更に奥へ進み突き当たる場所が垂直の形で掘られた穴だ。

 螺旋階段を降り、封印された扉を解除する数が5枚目を迎えた。それを押し開いたところで、エンリ達は魔法の明かりが灯され続ける牢獄部屋へと辿り着く。

 扉を解封するたびに、高弟達は極度に緊張していったが、それはアルシェにも言えた。

 

(この先に一体何が……あるの?)

 

 ここまで(いだ)いていた感情がこの部屋で極限に達する。

 そこには高い天井まで届く太く頑強に出来た柱が一本あり、根元には死の騎士(デス・ナイト)が太い鎖により(はりつけ)の状態で拘束されていた。黒い鎧の体は厳重に何重にも鎖が巻かれ、手足へも巨大な鉄球が繋げられている。

 フールーダの5名の高弟達の内、4名はなんと歯を鳴らす程の感情に追い詰められていた。強大な暗黒の力を内包するアンデッドからの波動は、初めてこの怪物を見るアルシェにも大いにその恐怖を伝える。

 

「気を強く持つのだ。油断すれば精神を飲まれるぞ」

 

 老師の真剣さを含む、鋭く低い声が皆に掛けられた。

 この場に立つ者は、一介の村娘を除き全員が第3位階魔法を修めた実力者のみ。すでに精神の守りの魔法を掛けているが、生者として死への恐ろしさを抑えるのは難しいのだ。

 

 その中において、エンリだけは違った。

 

 すでにアインズへ対し死兵の心情を持っているからだろうか。それとも、日々のアンデッドとの協力関係が精神を強化したのか、はたまた(むしば)んだのか……。彼女はフールーダ以上に平然としている。

 エンリには、暗黒波動からの空気がよく理解出来た。この部屋全体が、死者からの怒りで盛大に満ちていると。

 

(放セ殺ス放セ殺ス放セ殺ス放セ殺ス放セ殺ス放セ殺ス放セ殺ス――――)

 

 場の空気と同じく禍々しい棘のささくれ立つ、黒色の全身鎧(フル・プレート)の巨体。腐りかけの死者の顔が収まる角を生やした兜の頭部が僅かに動く。その赤い瞳が室内に踏み入った者達を捉えた。死の騎士(デス・ナイト)は度々体を動かし鎖を軋ませ、重い鉄球をごろりと転がした。

 それは、視線を合わせた順にその人間をブチ殺したいという殺意の衝動。

 ところが赤い光の視線がエンリに向くと、死の騎士(デス・ナイト)の動きがピタリと止んだ。

 

 そして―――咆哮。

 

 

「オオオァァァアアアアアアアーーーー!」

 

 

 フールーダを始め高弟達が全員、思わず魔法をいつでも放てるよう死の騎士(デス・ナイト)へ手を(かざ)し身構えた。それはこれまで、この怪物(モンスター)が殆どこの部屋で声を上げていなかったからだ。突然の行為で、フールーダ達の表情には驚きと恐怖しかなかった。

 今の状況に、アルシェもエンリから思わず手を放し、未経験の強い暗黒波動に固まっていた。

 そんな怯え固まる魔法詠唱者達を尻目に、エンリは死の騎士(デス・ナイト)へと歩を進め近付いて行く。

 なぜなら、()の咆哮が「助ケテクレ」と言っていたから。

 

「ぁ……エモット……さん……?」

 

 客人の驚愕の行動に、保護担当であるはずのアルシェは、僅かに小声を掛けるに留まる。

 高弟達に至っては怯えて目を背け気味だ。

 ただフールーダだけは村娘の行動に見入っていた。瞬きも惜しみ一瞬も見逃さずという強い視線を少女の行動へと向ける。

 でもエンリは、死の騎士(デス・ナイト)の傍まで寄りその手に触れると、申し訳なさそうに呟くのみ。

 

「……今は、私もあなたと同じ身なんです」

 

 それだけ述べると少女は背を向け、アルシェの傍へ戻ってくる。

 今の彼女も虜であり、何も出来ない事だけを伝えたのだ。

 

「ォォォ……」

 

 そんなエンリへ死の騎士(デス・ナイト)が何か声を送るように唸った。

 フールーダの期待した、村娘と黒い鎧の怪物(モンスター)との対面はこれで終わった……。

 

 

 

 

 死者(デス・ナイト)の居た地下の穴から戻ったエンリは、立派な帝国魔法省中央棟の西側に建ち、空中通路でも繋がる第三施設棟内の宿泊区画の一室へと通されていた。

 既にフールーダは〈転移(テレポーテーション)〉で魔法省を後にしていた。ゆえにアルシェがエンリの面倒を見なければならない。

 フールーダが去ったあと、アルシェは高弟の一人から、「村娘が死の騎士(デス・ナイト)を支配出来る魔法を使えるのかもしれない」と聞かされた。「だからしっかり見張れ」と。

 その場は驚きながらも一兵卒として「分かりました」と彼女は答えている。

 確かに地下であの時、鮮烈な強さのアンデッドと聞く死の騎士(デス・ナイト)を恐れないエンリの取った行動に皆が驚かされたのは事実。

 午後6時半を回っており、部屋の窓から見える西の空の太陽はもう地平線に掛かりかけていた。

 第三施設棟は1、2階吹き抜けの講堂も備える10階建ての大きな総石材造りの建物だ。ここはその8階。高層階ということで、窓は人が通れる程大きく開閉出来ない構造になっている。部屋は15平方メートル程の居間と10平方メートル程のベッドルームのふた間を備えていた。

 エンリは居間の窓辺へ掌を突いて、覗き込むように景色を眺めている。

 アルシェはその後ろ姿を、居間の椅子に腰掛けぼんやりと見ていた。

 先程の敷地奥の塔からここへ来るまでに、アルシェはエンリからも衝撃的な話を聞かされた。

 

『私は、リ・エスティーゼ王国の帝国寄りの辺境にある小村のカルネ村に住んでいたのですが、先程パラダイン様に――突如、魔法で眠らされた上で誘拐されて今ここに居ます』

 

「………」

 

 アルシェはその非人道的話に絶句した。

 自らの国を代表する英雄級の上司の行った事が信じられなかった。信じたくなかった。

 でも、もしかして……という予感が彼女にはあった。

 まずアルシェ自身の試験スルーでの急な不自然さを感じる雇用や、『保護』だとし実際の『幽閉監視』とは違う役割の説明など、当初からの老師の言葉と行動に違和感と疑念が(ぬぐ)えなかったのだ。

 確かに、帝国魔法省最高責任者として、国家規模の重大な理由があるのかもしれなかった。それが軍事転換も可能な『死の騎士(デス・ナイト)を支配出来る魔法』を手段問わず手に入れるというもので。

 ただ、それがあったとしても……。

 

 

 これは明らかに――人の権利を害した犯罪である。

 

 

 しかし、帝国においてパラダイン老は絶対権力側で『法』ともいえる人物。

 彼は今回の行動を「是」としたのだ。

 帝国内において、それは『もうどうしようもない』と言えるだろう。強い力のある者に追随するのは、この世界の習わしでもある。

 多くの忠実なる帝国民はそう自分を納得させ、偉大なるバハルス帝国主席宮廷魔法使いの言葉に従うはずだ。そうしなければ、帝国への反逆罪に問われ粛清される可能性も十分にある。

 何と言っても、相手は皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスに多大な影響を与えている人間なのだから。

 

(でも……)

 

 そうなのだ。

 今のアルシェには、たとえ権力者からの言葉だとしても、これは絶対に受け入れられない事象であった。彼女が、この帝国魔法省最高責任者の犯した、未来ある若い村娘を他国から攫う非人道的行為を受け入れるということは――幼い妹達を非人道的に貴族へ売ろうとしている父親らを認めるのと何が違うのかという話なのだっ。

 おまけにパラダイン老が主犯である為、あの老人の人間性に最早全く期待出来ない事もあった。

 

 つまり――伯爵家当主への例の口添えの件を皇帝に奏上するか非常に疑問なのである。

 

 大局で、村娘の魔法の価値を天秤に掛ければ、国家にとっての必要「悪」なのかもしれない。

 でも、これまで自分の仕事や生き方で人身に関し最低限曇りのないアルシェには、決定的な判断要素になった。

 また普通に考えると、片田舎の村娘一人に大した事が出来るとも思えないのだ。そもそもエンリの魔法量はアルシェよりもずっと少ない。彼女の生まれ持った能力で見れば分かる。恐らく、支配という高等である魔法には相当量の魔力が必要。ゆえに目の前の少女では大した効果を望めないのが常識というもの。

 個人的な見解だが、魔法詠唱者(マジック・キャスター)の少女はパラダイン老が間違いを重ねて犯していると考えた。

 

(………私はこの子の件に目を瞑れないっ)

 

 アルシェは、椅子から立ち上がると窓から景色を眺めているエンリへ数歩近付き声を掛ける。

 

「エモットさん」

「あ、はい?」

 

 魔法詠唱者の少女からの言葉にエンリは振り向いた。

 アルシェは小声で本題を尋ねる。

 

「…………(あなたは、どうしたいのです?)」

 

 だが、帝国の兵からの言葉にエンリはその真意が掴めず言いよどむ。

 

「(えっ、どうしたいって……逃げたいかってこと?)……」

 

 アルシェは、少し眉間に皺をみせて悩みの雰囲気を感じさせるエンリへ、口許を手で隠し小声で自身の話を少し語る。

 

「……(実は私は、昨日パラダイン老と面談し、今朝から急に魔法省へ勤務している。それまでは2年程ワーカーをしていた。だから殆どここの者ではない。そして、私はあなたへの老師の犯罪行動に失望し憤慨している。だから――脱出したいなら助力する)」

「――っ!」

 

 一瞬、罠ではないかとエンリは思いつつも、アルシェ・フルトと名乗ったまだ若い少女の真剣さの深く満ちる表情と瞳に嘘の影はまるで見えない。

 それは、指揮官の勘といえる。ここが切所だとも。

 エンリとしては、もしかすると旦那様が助けに来てくれるかもしれないとも思う。でもお忙しい主である旦那様に、配下の自分が頼り切っていて良いはずがない。ナザリックの皆が、旦那様の為に懸命に働いているのをまだひと月程だがずっと見てきた。つまり、己の難局は自力でなんとかするべきだとエンリは決断する。兎に角、ここは外へ出る事だと。

 エンリは、魔法省の制服装備を着る魔法詠唱者(マジック・キャスター)の少女へ小声で伝える。

 

「……(私はカルネ村へ帰りたいです。フルトさん、手伝ってもらえますか?)」

「……(分かった、エモットさん。貴方に協力する。老師は、恐らく目的に囚われて酷い過ちを犯している)」

 

 二人の少女は握手を交わす。互いにこれが一蓮托生ともいうべきものになるだろうと。

 帝国の少女は、父や伯爵の跡継ぎが妹達へやろうとしている事を侮蔑し否定する立場であり、今回の老師の行なった目の前の村娘への人(さら)いの状況を許せないという思いを重ねて口にした。

 アルシェはこれまでのワーカーのあくどい仕事でも、人攫いや人殺しの仕事だけはしていない。メンバーのロバーデイクもそういった仕事を一切受けなかったので、ワーカーチーム『フォーサイト』はいつからかそんな依頼が舞い込まなくなった。

 ヘッケランやイミーナも「その事は気にしなくてもいい」と言ってくれている。本当にいいチームだ。

 だから〝人として〟、老師の考えをぶっ潰す意味で、今回は(さら)われた側の少女の脱出に手を貸そうと決心した。ただその場合、アルシェ自身も最も軽くても監視不行き届きで罪を問われることになる。同行を見られれば任務放棄や違反、挙句は反逆罪すらもあり得る……。

 罪で彼女が捕まれば、妹達の身を父達に確保されるのは時間の問題といえた。

 

 最早、帝国の権力階層に希望を持てないアルシェは――妹達を連れて国外逃亡への決意に傾く。

 

 しかし、さてどうするかと第3位階魔法詠唱者の少女は少し考える。

 フールーダは希少金属を使った警報装置も使用していた。それを埋め込んだ頑丈な輪を、ここへ眠らせ連れて来た際に村娘の左足首へ、低位の〈解錠〉では外れない中位魔法を込めて付けたと聞いている。魔法省の中央棟からエンリがある一定距離を離れれば、もう一片との引き合う力が弱まり逃亡がバレてしまうという仕掛け。

 ここは老師側の本拠地の首都。逃走すれば魔法省からだけでも、相当数の追手が掛けられるだろう。その中で、更に妹達を連れての国外脱出は限りなく難しく思える。

 だからこそ有事の際に妹達の件は、ヘッケラン達へ依頼しようと考えていた。信頼出来る仲間達にしか頼めない内容であったから。

 

 実は昨日の面接を終えるとアルシェは、あれから直ぐ『歌う林檎亭』へ赴きヘッケラン達に帝国魔法省への就職の件を伝えたのだ。

 すると「おいおい、凄いな」「おめでとう」とは言われながらも「少し気になりますね」とロバーデイクの言葉が強く胸に突き刺さる。

 

「――以前、帝国魔法省への就職は相当厳しいと聞きましたが。試験がないのはおかしくないですか?」

「――っ」

 

 アルシェ自身も老師と面談を終えてから少し気になっていたのだ。そんな例があるのかと。

 だがら、会談室退出後の帰りに寄った受付で女性から『多分、前例がない』という話を聞いていた……。

 明らかに、パラダイン老師によるあの会談室の場での即決によるものだと理解出来た。

 

 そして――ナゼと。

 

 この2年間のワーカーでの仕事を熟して数々の裏も見てきたアルシェだからこそ、『なにかあるかも』と思い、手を打っておくべきと考えた。

 ゆえにこの場の仲間達へ思い切って伝える。

 

「お願い。もし明日以降、私がここへ連日顔を出さなくなったら、王国の最寄りの大都市で妹達を匿って欲しい」

 

 私的でトンデモナイお願いである。

 しかし、ロバーデイクとイミーナから直ぐに向けられた視線を受け、ヘッケランは――。

 

「分かった。俺達にまかせろ」

 

 そう笑顔でアルシェへと伝える。ロバーデイクとイミーナも笑顔で頷いていた。

 あの日、執事との家の話を横で聞いていたヘッケラン達は後日、アルシェへ何が出来るのかと話し合っていた。そして結論として、可能な事は手伝ってやろうと。

 この願いが、『一緒に伯爵家と戦って』というものなら厳しく難しいが、単に逃げるならそうでもない。信用の出来る情報屋からの言葉でも、伯爵家の跡継ぎがワーカーを雇ったという話はまだ無い様子。

 それなら旅行と変わらない水準の逃避行だ。

 あのアルシェが真剣な表情で頼んで来ていた。本当に困っているのだろう。ここで、応えてやるのが仲間というものである。

 真に頼りとしていた仲間からの言葉に、アルシェは思わず涙ぐむ。

 

「ありがとう、みんな」

 

 自然と感謝の言葉が口から出ていた。

 そうしてヘッケランからの要望として、隠れ家の地図と妹達の特徴、使用人の者への通しについて手を打つように伝えられ、即座に地図を書き特徴を知らせ、使用人の娘には木片を二つに割った割符の片方を預け『合うモノ』を持つ者が現れたら、アルシェの代理人として信用してよいと告げている。

 生死の伴う仕事も多く共にした息の合う仲間だから、1時間程で手を打ち終わっていた。

 でも、まさかの昨日の今日で、それがいきなり発動しそうであるとは……。

 

 こうして妹達の件への後顧の憂いは一応ない。つまり今、アルシェにすればエモット嬢を連れ出す上で一番問題といえるのは警報装置の件となっている。

 アルシェの考える手は大きく2つ。

 恐らく試すと警報が鳴るので後へ見送るが〈解錠〉が通じない場合、何とか()()()外すか、強引にそのまま突っ切り逃げるかだ。

 とは言え、突っ切るのは継続して希少金属が探知され続ける事といい、余りに現実的でない。

 ただ外すとしても――面倒なのは、多分老師の魔法が位置固定の類と思われる点。輪っかとしてスルリと外れるものではなく足と一体化し至極厄介と考えられた。くっついた筋組織ごと(えぐ)るしかない。

 時間の無さと強力だろう追手を考えれば、足首を切り落としてでも置いていく方がいい……と。

 

 一方エンリだが、「村へ戻りたい」という意見に同意してくれた目の前に立つフルトという娘が、難しい表情をしているのに気付く。

 思い出せば先程この地が、あの毎年王国へ戦いを挑む強大なバハルス帝国の首都である帝都アーウィンタールという事実を聞かされていた。加えて、今は帝国魔法省という警備の厳しい重要拠点の中なのだ。

 眼前の制服装備の少女が、一流の第3位階魔法詠唱者であってもエンリを帝国から逃がす事の容易ではない状況はよく理解出来た。

 なのでエンリは、自分自身でも何か出来ないかと必死に考える。強い気持ちから思わず力が入ったのか、左手を握り胸に当てた。すると……僅かだが胸元へ当たる固い感触に気付く。

 

「―――ん? (ああっ、コレ!)」

 

 

 

 あの()()()()角笛のお守りであった。

 

 

 それはエンリへ笛を吹くことを思い付かせる。

 制服の少女と二人では難しくても、20名程の新しい仲間と協力すれば道も開けると信じて。

 

(私は、なんとしても旦那(アインズ)様の下へ、カルネ村へ無事に帰りたい)

 

 ただ彼女はここで、前回笛を吹いた時の事を思い返していた。少し不安があったのだ。小鬼(ゴブリン)達の登場までに幾分の……数分の時間が掛かっていたことに。

 安っぽいが周りへと響く笛の音も出るのだ。居場所を知らせてしまい時間が掛かっては逆効果となる代物である。

 でも、時間の掛かる理由については、恐らく森から遠かった事が原因に思えた。あの時呼び出したのは草原のど真ん中であったと。周りに森らしきものがなかったのだ。そしてジュゲム達がやって来たのは、森の方角だったことを覚えている。

 魔法省のこの高い建物の窓からふと見ると、広大な敷地の奥へ小さい森があるのに気付いた。

 エンリは、首紐を引き上げ手繰り角笛を胸元から取り出す。

 

「(きっと、あの森の傍で吹けばすぐ来てくれる気がするけど……)えっと、この笛を使えばここから逃げられるかも」

「それは?」

「もしかの時に身を守ってくれるお守りです。でも森の傍に居ないといけないの。窓から見えた敷地内の森まで、なんとか行けないかな?」

 

 アルシェは、エンリの示す笛型の『魔法のアイテム』であろうそれを一度見詰める。生者、死者問わず相手の魔法力を見ることは出来る彼女も、アイテムについては何も見えない。

 でも、協力を求められた制服装備の少女に良案も無い為、エンリを信用し即答える。

 

「わかった。あの場所までは私に任せて」

 

 一旦笛について胸元へ仕舞わせたエンリを椅子に座らせると〈幻影(ミラージュ)〉でその様子を幽閉部屋内へ造り出す。次に〈屈折(リフレクター)〉の魔法でエンリ自身の姿を一定方向からしか見えなくし発見されにくくすると、逡巡することもなくアルシェが先で部屋を出る。

 幸いにも同階に衛兵の魔法詠唱者(マジック・キャスター)は立っておらずホッとする二人。

 廊下奥から階段を降り始め、途中、通路や出入り口の3箇所で見張りの者が立っていたが、なんとか無事に通過し建屋の外へと出る事が出来た。

 そうして油断することなく、魔法省敷地内の森の傍20メートル程の所までエンリ達はやって来る。

 立ち止まるとアルシェが全周警戒をしつつ告げる。

 

「時間が無い。策があるなら直ぐに」

「はいっ」

 

 頷くエンリは、再び首紐を手繰り胸元から角笛を引き出す。僅かに旦那様からの贈り物と再度の別れを寂しく思いつつも、ぐずぐずしている時間は微塵もない。自分の居るべき場所へ戻る為、彼女は大きく三つ深呼吸し角笛を唇に当てると、思い切り吹いた。

 この窮地に、(ささ)やかでも信頼出来る力強い仲間達であれと、強く祈りを込めて――。

 

 

 しかし――――今回、それは細やかではなかった。

 

 

 周辺に響いたのは、前回と全く違う地を揺らす程の「ボォォォーーォゥ」という重低音。

 その直後から、目の前の小さな森の木々の間からあふれ出てくるこの状況は何なのだろうか。

 アルシェだけではなく、エンリもただただ茫然と立ち尽くし光景を見ている。

 19体――そんな小さい数ではなかった……そして、100や200でもなかった。

 1000を超えても、()()の出現の終わりがみえないのだ。

 

「……あれっ?(ああぁっ、一体全体どうなってるのかなコレって……? ど、どうしようっ)」

「エモットさん……こ、この小鬼(ゴブリン)の……大軍はナニ、ナニィッ!?」

「あはは……」

 

 呼び出した当人も含め、訳分からずの有り様を見て完全に狼狽するアルシェであった。

 帝都の魔法省内へモンスターの大軍を呼び込んでいるとしか思えない惨状に、村娘を幽閉しようとしたパラダイン老師の方が正しかったのかと、後悔の考えも浮かび始めていた……。

 ただ、ここは帝国魔法省の敷地内。

 当然周辺へ何棟もある大きい魔法省施設の建屋には、竜軍団討伐でベテラン勢の7割強を欠く中、まだ魔法詠唱者部隊の精鋭達が多く残っていた。

 たちまち非常呼集の鐘が周囲からけたたましく鳴り響き出し、大規模で広がる異変に気付いて動き出した80名を超える魔法詠唱者らが、出現したモンスターの大軍と200メートル程の距離を取った場所へ集まって来る。

 でも、目の前に密集し整然と整列するように隊列を組み上げ続けていく1500体以上の小鬼(ゴブリン)の軍団と、奥の小さい森からまだまだ小鬼(ゴブリン)達が湧き出て来つつある光景を見た者は一瞬立ちすくんでしまう。

 そんな味方の状況に、魔法省の留守を任され魔法詠唱者部隊の先頭で率いるフールーダの高弟は思わず唸る。

 

「くっ。一体何事なんだ、これは。トブの大森林にある小鬼(ゴブリン)国家からの軍勢を伴った侵略かっ」

「代行! 隊の攻撃準備、整いましたぞっ!」

 

 魔法詠唱者部隊の中でも、死の騎士(デス・ナイト)を見ているフールーダの高弟達は流石にまだ動けた。若輩らを導く仲間の報告に責任者代行の高弟は頷く。

 この出現しつつある軍団の目的や原因究明は後回しである。今は兎に角、帝都へこのモンスター達が雪崩れ込む前に敷地内で殲滅するしかない。そうしなければ都市中が大混乱になるだろう。

 二列横隊で鶴翼に整列した魔法省の魔法詠唱者部隊は、最高責任者代行を務める高弟の鼓舞の声と共に一斉攻勢へと出る。

 

「精鋭の諸君よ。帝都の民の為にも今ここで勇気を振り絞り、目の前のモンスター群を〈火球(ファイヤーボール)〉で全て焼き尽くせぇぇーーっ!」

『『『おおーーーーーっ!!』』』

 

 80余名の魔法詠唱者達から第3位階魔法である〈火球〉が連射で猛烈に放たれていった。

 

 だが――実に200発近くにも及ぶ〈火球(ファイヤーボール)〉群は、ゴブリン新軍団まで届かない。

 

 既に1700余名以上に膨れ上がっていたその軍団の中には、もう魔法省の魔法戦力へすら対抗出来る部隊が出現していたのだ。

 その時、新軍団の中で綸巾(かんぎん)を被った凛々しい髭のゴブリン軍師が、羽扇を前方へ翳し指示する。

 

「魔法砲撃隊及び魔法支援団、接近する〈火球〉群を急ぎ薙ぎ払えっ! 我らが旗頭、エンリ()()を守るのだ」

「「「了解!」」」

 

 流星群の如く見えてエンリ達のいる方向へ飛び込んで来る脅威的なはずの〈火球〉の雨は、手前の草原に突如出現した直径が50メートル程もある〈竜巻(トルネード)〉へどんどんと巻き上げられていく。それは風系の範囲攻撃魔法を拡張し、動きも小鬼(ゴブリン)魔法隊に操作されて。その光景は、まさに巨大な〈炎竜巻(ファイヤー・トルネード)〉と化していた……。

 眼前の圧倒される盛大な火柱の姿に、魔法省の魔法詠唱者部隊の多くが思わず声を上げる。

 

「ああぁぁぁぁっ!」

「ば、馬鹿な、小鬼(ゴブリン)如きが、大魔法を?!」

「あ、あれがもしこちらに迫って来れば、ヤバイぞっ!」

「おい、見ろ……ヤツラの軍団の奥に陣幕が展開され始めたぞっ」

 

 敵の膨張する形で増え続ける2000体に届きそうな怪物《モンスター》戦力とその行動に、帝国魔法省の魔法詠唱者部隊員らは驚きを隠せずにいた。

 最も攻撃力のあった〈火球〉群の無力化に次の攻撃を考えるが、第3位階魔法の〈電撃(ライトニング)〉や〈電撃球(エレクトロ・スフィア)〉であっても、〈竜巻(トルネード)〉の起こす気流層の壁に阻まれればゴブリン軍団までは届かない。

 直ちに、高弟達が第4位階魔法の〈気流操作(コントロール・ウインド)〉でこちらも竜巻(トルネード)を作りぶつけたが、簡単に弾かれてしまった……。

 ゴブリン軍団の魔法砲撃隊員の方がレベルが高く、加えて魔法支援団による支援魔法もあって寄せ付けなかった。ただ、ゴブリン軍団の魔法砲撃隊員は5名しかいないので弱点と言える。しかし知られなければ優位は動かずだ。

 戦闘開始から15分程が過ぎた頃、互いの力の差が歴然と見えてきていた――。

 そして晩の7時を越えており、無情にも日没である。

 夜の暗闇が全てに広がり、出現したモンスター陣営に有利な状況が連続していき、魔法省責任者代行の高弟は焦りと、打開への閉塞感に手が震えていく。

 

(あぁ、師がおられぬことの何たる無力さよ。我々だけでは小鬼(ゴブリン)の軍団一つ倒せぬのかっ)

 

 戦闘の合間のこの瞬間も、森からは小鬼(ゴブリン)達が滾々(こんこん)と湧き続けていた……。

 

 

 

 帝国魔法省敷地内で発生した非常事態の知らせは、皇城へも急ぎ伝わる。

 間もなく、帝都皇城の執務室にあるコの字型の大机へ座り、今日も朝から資料や書類と格闘をしていた皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの元へ慌てた騎士姿の伝令が入ってくる。

 

「大変ですっ、陛下ーーっ!」

 

 その取り乱した騎士の姿を見た皇帝は、僅かに視線を上げつつ眉を顰めると冷静に注意する。

 

「狼狽えるな、馬鹿者。バハルス帝国の騎士が多少の事で取り乱してはいけないな」

「はっ、申し訳ありませんっ。しかし――それどころではありません! 魔法省の敷地内に、ゴ、小鬼(ゴブリン)の大軍が突如出現っ。現在、敷地内にて魔法詠唱者精鋭部隊と交戦しておりますが苦戦中とのこと。敵の数なんと――2000体以上!」

 

「なっ、なんだとーーーーーーーっ!?」

 

 若き皇帝は大口を開けて叫び、大いに取り乱していた……。

 大机の椅子から驚きで立ち上がり手を天板へ突くと、目の前の伝令から視線を机へと落とす。

 帝国の威信を掛け整備された監視網や防衛の備えは万全と考えており、現に絶対防衛線である西の南北へ通る大街道から東方域内へ、大軍の侵入を許したことは近代の100年で一度も無かったのだから。

 

「爺の居ないこの間隙を突かれたのかっ(くっ、帝都アーウィンタール内や周辺の戦力で足りるのか……)?」

 

 そんな言葉と共に自問自答もしている最中、まだ開け放たれていた部屋の扉から伝令がもう一人、衛士を押しのけ飛び込んで来た。それは残留していた帝国四騎士の一人、〝激風〟のニンブルであった。

 

「非常事態の伝令だっ、通せーーっ! 陛下っ、大変でございます!」

「なんだ、お前もか?! 小鬼(ゴブリン)の話は聞いたところだぞっ」

 

 対処の結論をまだ告げていない内容に、不機嫌さが表情へ吹き出したジルクニフ。

 だが、帝国四騎士の(ニンブル)は、一瞬怪訝な表情が混じるも告げる。

 

小鬼(ゴブリン)? いえ、全然違います、陛下っ」

「っ!?」

 

 皇帝は漸く、ゴブリン軍団とは別件の更なる非常事が起こっていることを理解する。

 ニンブルは早口で続きの決定的な内容を伝えた。

 

 

「西の大森林より、火炎魔法や打撃をほとんど受け付けない()()()()()()()()()()巨木のモンスターが、西の穀倉地帯を東北東へ低速で移動中とのこと。明後日には西の南北へ通る大街道を横切り、数日後にはこの帝都付近まで到達の予想でありますっ」

 

 

「……ななな何ぃぃぃぃーー(どうなっているんだっ! 私は、どうすればいいっ)!!」

 

 その場で呆然と立ちつくしたジルクニフは、無意識に両手でその美しい金髪の頭を――力強く掻きむしっていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なに……?」

 

 アインズは、カルネ村からのエンリ行方不明報告に対して一瞬呆然とした。

 同時に外部の人為的なものを直感する。

 まず、日頃の彼女(エンリ)より敬愛的忠誠を感じる行動から、突然自主的に失踪するとは思えなかった。

 そしてエントマからの報告で、失踪に小鬼(ゴブリン)の1体を含むと聞いている。あの角笛から呼び出された者らの忠誠はほぼ絶対だ。自分の命よりもエンリの無事を優先し行動するはずで、不測の事態へ共に巻き込まれたのだろう。

 またエンリへ関し、アウラによる窪地や井戸なども注意した探知へ引っかからない事から、近隣にはいない可能性が高い。不慮の怪我等で動けないなら、もう発見出来ているはずである。

 ンフィーレアを狙われた可能性もあるのだ。最近の順調さに慢心があり、自ら隙をつくったのではと己の油断に苛立つ。

 

(俺の考えが甘すぎたのか……クソッ)

 

 慌てていたと聞くネムも、可哀そうに姉を凄く心配している事だろう。

 一時的に1週間程の警備状態であり、顔見知りのエントマだけではなく、フランチェスカ()当てるべきだったのではと思う。

 この時、(かす)かにエンリへ〈伝言(メッセージ)〉をと、支配者の思考に(よぎ)る。でもここは思い留まる。アウラは失念しているのかもしれないが、ある意味正解にも思う。

 まだエンリが生きていて、連絡を取れて足が付いたと敵に気付かれれば、首謀者らが――少女を殺して逃亡するかもしれない。〈伝言〉は、この世界でも知られている。あれは通話のみで、その場がどこかは分からない魔法……。彼女が今、目隠しなどで自分の居る場所を知らない可能性も十分にある。その瞬間は、アインズですら何もしてやる事が出来ないのだ。

 それでは囚われの配下の不安を煽るだけといえる。故に〈伝言(メッセージ)〉は、万全を期したあとでよいと思った。

 御方から湧き出す負の感情は、エンリ誘拐を引き起こした者へと向けられるのは当然である。

 

「………(命じて、(さら)ったのは)誰だ?」

 

 

 ――絶対的支配者が動く。

 

 

 アインズは現在、アーグランド評議国内第三の都市サルバレの市街南西部に建つ、宿屋の一室でベッドへと腰掛けていた。明日の朝からは、竜王軍団撤退へ向けての裏工作で中央都へ向かう予定である。

 今夜は王都をはじめ、竜王国のセバスも連絡先に加えて確認やナザリックでの日課を熟し、明日の中央都での行動を色々思案する時間を朝まで見込んでいたが、一部の予定は完全に吹き飛んだ。

 まず現時刻を確認する。アイテムボックスには時計や収納履歴も付いていた。

 今は午後7時5分を回っている。

 念のためにと、この部屋でもずっと不可視化していた姿で、彼は立ち上がった。

 すると、壁際へと控えて立つLv.43の小鬼(ゴブリン)レッドキャップの2名は自然と緊張しだす。なぜなら絶対的支配者の身体から、『絶望のオーラ』が弱く漏れ出してきていたからだ。

 

(まず、エンリの居場所を調べて、早く安全を確保してやらないと。急ごうっ)

 

 少女の傍にいた小鬼(ゴブリン)は殺され、たった一人で今も酷い事をされているかもしれないのだ。

 (エネミー)へ怒りの鉄槌を下すのは後である。

 そうして、主の彼が状況へ対処する為にナザリックへ動こうとしていた矢先。その思考の中へ〈伝言(メッセージ)〉の電子音が響くと、王城から美女の美声が届く。

 

『アインズ様、ソリュシャンでございます。今、よろしいでしょうか?』

 

 この急ぎのタイミングで何かっ、後にしろっと思ったが、一つの小さな傷を蔑ろにすればダムすら決壊する例えもあると考え直し早口で確認する。

 

「……うむ、だが急ぎの用がある。手短に用件を頼む。なんだ?」

『はい。では御報告いたします。今、王国戦士長殿の言伝を大臣補佐の者から預かりました。戦士長殿が、竜王軍団への具体的な戦術面での話を内々にしたいため、今日明日で時間を少し貰いたいと』

 

 これまで、反国王派との絡みと王都に駐留すると公言している為、王国軍や冒険者達との戦術会合には余り出ていないアインズである。だが、流石に先日アインザックに「動きがある」と聞いてもいて、王国全軍が近日動き出す以上、すでに自治領土に第二王女との婚姻の約定や多くの前金を受け取り国王派の奥の手とされた己の闘いの内容を、問われる場が来るとは考えていた。

 それもこの時間に伺いが来たという点から、人目の少ない夜の間にということだろう。

 アインズはソリュシャンに告げる。

 

「では、約2時間後の午後9時でどうかと確認せよ。今から私は緊急で用件を1つ片付ける。だから、決まらない場合のみ連絡しろ。連絡がなければ、私は午後9時の10分前に王城へ行く」

(かしこ)まりました、アインズ様。では失礼いたします』

「うむ」

 

 そうして〈伝言(メッセージ)〉は切れた。この様子なら、今日明日にも反国王派側の第三回深夜会合も動き出しそうである。

 このように、増して忙しくなりそうな予感へ、至高の御方はエンリの件を1時間半程度で終わらせるべく隣室のルベドへ連絡を取る。

 

「〈伝言(メッセージ)〉。ルベドよ、聞こえるか?」

『――だから姉妹とは、一緒に仲良く寝るのも良ぃ――っ。()()少し待て。アインズ様、何か?』

「うむ。私は今より少しナザリックへ戻る。そのあと王城へも向かうかもしれん。何かあれば知らせよ」

『分かった。異変があれば知らせる』

「ではな」

 

 アインズは、ここでエンリの件をまだ敢えて伝えなかった。ある意味、全てはマダ確定的ではない。巨大な混乱と惨劇を防ぐことになると信じてだ……。

 それと、最強天使から()()への『姉妹仲良し講座』はまだ忙しく続いているようである……邪魔をしてはイケナイ。

 ルベドは一応、今日も昼過ぎにカルネ村のエモット姉妹の仲の良い様子を見て楽しんでいた。

 つまり、彼女の次のお楽しみの時間までに片を付けないと――世界に悲劇が起きる可能性大。

 夜中にふとエモット姉妹のベッドでの仲良く休む姿を堪能するかもしれず、それを考えればタイムリミットは近いっ。

 妹のネムの様子が少し気になったが、カルネ村に今寄れば10分はロスするだろう。アインズは諸々の怒りを持って、先に急いでエンリを探すべくナザリックへと〈転移門(ゲート)〉で移動した。

 

 

 

 カルネ村は、現在リ・エスティーゼ王国ヴァイセルフ王家の領地内にあるが、アインズの名の下、ナザリックの友好保護対象にしている地域だ。その中での今回の事件へ対し、既に階層守護者のアウラを始め、NPC達が動く騒動へと拡大している。

 

 支配者としても、まさに威信が傷付けられたと言っていい。

 

 この不愉快な感情を抱かせた連中に、アインズは全力で対応すると決めた。

 故にまず配下エンリの確保に総力を投じる。

 ナザリック地下大墳墓所属の者達において、捜索の切り札と言えばアルベドの姉、ニグレドである。

 急ぐ支配者(アインズ)はナザリック帰還後、指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を受け取る前に真っ直ぐ下層を目指す。

 途中の第二階層で、セバス配下の『同誕の六人衆(セクステット)』の一人、蛮妖精(ワイルドエルフ)のジルダ・ヴァレンタインから指輪を受け取ると一気に第五階層奥へと飛ぶ。そして、右手にアイテムボックスから取り出した不気味な腐肉赤子(キャリオンベイビー)を掴みつつ、眼前に建つ館『氷結牢獄』へと踏み込む。

 すると、たちまちニグレドが現れた。

 慣例となる、黒色の喪服姿に長い黒髪を振り乱して追い縋って来る魔物的姿で「こどもをこどもをこどもをわたしのこわたしのこわたしのこぉお! さらったさらったさらったなぁぁあ!」というイカれた言葉の雨をアインズは聞きつつ「お前の子はここだ」と告げ赤子を優しく渡してやる。

 

「おおおお!」

 

 顔の皮膚の無い異様な形相を、長い前髪で隠すニグレドは落ち着きを取り戻し、受け取った赤子を女性らしく大事に優しく抱くと揺り籠へ移す。

 アインズとしては、今緊急さもあってこのやり取りを省略出来ないものかと思うが、タブラさんの考えでもあり無下には変えられない。ただ、彼女は『亡子を求める怪人』という設定だとはいえ大の子供好き。もしも――自身の子が出来た時にはどうなるのかという考えがふと浮かぶも、今は思考の端へと追いやった。

 そして(ようや)く二人の会話が始まる。

 

「これはアインズ様、御機嫌よう。本日はお一人で(わたくし)に御用が?」

「うむ。少し急ぎで行方不明になったナザリックに所属する()()をお前の力で探したい」

 

 するとニグレドが少し慌てるように尋ねてきた。

 

「それは、とても大変心配ですわっ! そ、それで一体誰を?」

 

 ナザリックに所属する人間には、可愛い可愛い子供のネムも居たからだ。子供は可愛く活発で元気がよく、意外と遠方で迷子になったりや怪我をしやすい。

 だから属性が「善」の通り、優しい母性本能溢れるニグレドは胸元へ手を組み合わせ、心配そうな仕草でアインズを見詰めてくる。

 その姿は顔に皮膚が乗っていれば、慈悲深い女神のようにも見えたかもしれない。

 しかし……今は髪の隙間から瞼のない右の丸い眼球が不気味に覗いていた。

 そんなニグレドへと支配者は告げる。ただ、エンリをと告げても、子供にしか興味のない彼女は関心が薄そうに思えた。なのでここは、ネムを大事と思っているニグレドにやる気を出させる形で伝えた。

 

「探してほしいのはネム――の姉のエンリだ。先程、午後5時前から行方不明になっている。ネムも不安から慌てているらしいのだ」

「……分かりましたっ。では始めます」

 

 子供のネムを安心させたいという気持ちが、ニグレドのやる気を高く維持させた。

 姉のエンリとも面識があるため、探知へ特に支障はない。すぐにアルベドの姉は複数の魔法を発動する。それは多種に及んだ。当然対策や対抗魔法も含めてだ。

 そうして、1分ほどで探知魔法を駆使し彼女は知らせて来た。

 

「無事、発見いたしました……」

「場所は?」

「ここより北東方向へ220キロほどの、頂いている地理資料から推測してバハルス帝国内の中央部の大都市西側外縁部かと」

 

 実はまだこの時、ナザリックの持つ周辺地理資料には帝国の帝都アーウィンタールの詳細な情報は無い。第九階層の統合管制室において、あくまでも『遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)』での俯瞰映像から起こした資料を見ていた。

 

「200キロ以上も遠方の帝国内だと……?(不明から2時間程……魔法だろうが、〈飛行(フライ)〉にしては早すぎるなぁ……何者かな)……まあ、今は無事なら」

「ですが、これを……〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉」

 

 気を利かせたニグレドの魔法で登場した画面へ映し出された光景に、アインズは驚く。

 

 

「――っ、はぁ?! (一体何だよ……コレはっ!?)」

 

 

 アインズには、目に飛び込んで来た画面の状況が今一つ分からなかった。

 それは、陣幕内で見知らぬ小柄の魔法詠唱者の少女と並んで立つエンリの元気そうな姿であったが――周辺には二人を取り巻き守るように犇めく、数千体もの小鬼(ゴブリン)達の整然とした軍団も映っていたのだ。

 

(なんで、レッドキャップスまでもがいるんだっ?!)

 

 エンリが、先日再度渡した『小鬼(ゴブリン)将軍の角笛』を使ったのであろう事は推測出来た。

 しかし、オマケを20体程しか呼ばないはずのゴミアイテムで、ナゼこんな状態になっているのかまるで不明――。

 そしてこれからアインズは、今回の『配下エンリの誘拐』の件に対し、ナザリックの絶対的支配者として帝国内の実行犯や首謀者達へとケジメをつけに行く身だ。でも、新世界のプレイヤー達を意識している支配者にとって、今、人類国家へ表立っての悪名は避けたくもあった。

 『アインズ・ウール・ゴウン』として、この先の行動が混沌としてくる。

 

 

 

(コリャ、もう大事(おおごと)すぎるだろぉぉぉーーーーーーーーーーーーーっ!!)

 

 

 

 この、初めて赴くバハルス帝国内で展開された待ったなしの大騒乱収拾の困難さを思い、彼は心の中で絶叫していた……。

 

 だがそれでも、腹を括った絶対的支配者は間もなくナザリック内から一軍を従え、帝国内の中央部にある大都市西側外縁部へとエンリの主として〈転移門(ゲート)〉で移動し乗り込んでいく―――。

 

 

 

 

 

 ナザリックの一行は、帝都へと向かった。

 だがしかし、実のところそれは、アインズ達()()ではなかった――。

 

 エントマが至高の御方へと連絡を終わった頃、エンリと共にいてフールーダから〈昏睡(トランス)〉と〈認識阻害〉を受け、気を失っていたゴブリン軍団のカイジャリが(あぜ)道脇で目を覚ます。

 

「……ぁ……俺は……」

 

 すでに辺りが真っ暗で、彼は驚き飛び起きた。

 

「――っ!? 姐さんは?!」

 

 倒れていた(あぜ)道周辺を見回し確認したあと、彼は直ぐにエンリを探しつつ村へと入って行く。主人の安全を真っ先で確認するために。

 ゴブリン軍団の者にとって、軍団全員の命よりもエンリ一人の命の方が大切なのだ。ゆえに必死である。

 同時に、主人の妹でナザリックとの繋がりを持つネムも探した。本来()()()がいれば先にそちらへ行くところも、先日より彼女は「トブの大森林内の調査」の名目で遠方にいた……。

 ふとカイジャリは周囲へ、この時違和感を持った。何となく、自分へ興味が無く誰も声を掛けてこない気がしたのだ。その時、ゴブリン軍団のゴコウを見付けた。彼も姐さんを探している様子。

 そこでカイジャリから声を掛ける。

 

「おい、ゴコウっ。姐さんはっ?」

 

 ところがなんと、ゴコウはカイジャリを無視し、そのまま通り過ぎようとしたのだ。

 カイジャリはそのゴコウに掴み掛かる。

 

「おい、何で俺を無視するんだよっ! 姐さんは?!」

 

 すると、ゴコウは――驚愕の表情で目の前のカイジャリを見詰め大声で驚く。

 

「オぁーッ! カイジャリじゃねぇかよ、生きてんじゃねぇか! 一緒にいた姐さんは?! お前、今までどこにいやがったよ!?」

 

 何か話が噛み合っていない事に、掴み掛かったままのカイジャリは疑問を持ちゴコウへぶつける。

 

「何で今直前に、俺を無視しやがったんだっ?」

「え? あ、そりゃ――お前の姿が、それまで目に入らなかったんだ。あれっ、見えてたのに何でだろ?」

「――っ?!」

 

 村に入って誰からも声を掛けられなかったが、偶々と思っていたのはやはり間違いみたいだ。

 この距離で姿が目に入らないってことは明らかに異常である。魔法だろうか。

 

(しかし今、それは重要じゃないっ)

 

 思い出したように、エンリと一緒に居たカイジャリの口から()()の話が飛び出す。

 

「それは後だ。時間は多分、午後4時半頃だったと思う。姐さんと一緒に家に向かって畑の畔道を歩いてた時だ。突然、白髪白鬚の老人が現れて……俺は、直ぐ魔法で眠らされて、気が付けば夜だったんだ。それでゴコウ、姐さんは大丈夫か?!」

「――行方不明だ」

「えっ、行方不明?!」

「そうだ。午後5時過ぎからは、御屋形様の配下のお偉い方も何名か動いていただいてるが、未だ見つからねぇ。トブの大森林の方も村の近隣も、数キロ単位の凄い広範囲で詳細にお調べのようだがな……」

「――っ!」

 

 リーダーのジュゲムから、御屋形様の配下の武力水準を聞いていたカイジャリは固まる。ジュゲムの話を聞く限り、死の騎士(デス・ナイト)のアニキたちが束になっても通用しないという方々ばかりと聞いている。

 それほどの者達が見つけられないとなると……。

 カイジャリの心に大きく不安が広がる。あの目撃した白髪白鬚の老人も、雰囲気のケタが違ったのだ。少なくとも死の騎士(デス・ナイト)のアニキ達より、一段上の水準に思える。

 

「くそっ、俺が死ぬ気であの爺さんに切り込んでりゃ」

「……」

 

 ゴコウにもカイジャリの悔やむ気持ちはよく理解出来る。

 だからゴコウは、気持ちを共有するべくカイジャリを急ぎ、馴染みの場所へ引っ張っていった。

 村の端寄りに建つ小鬼(ゴブリン)達の住処である共同生活館だ。中へ入ると、蝋燭の灯る食卓兼用の大机の席に、両肘を突いて頭を抱えた暗い表情のンフィーレアが一人座っていた。その天才薬師少年の傍には、小鬼(ゴブリン)兵のパイポとクウネルが同じく深刻な表情で腰の剣の柄へ手を置いて臨戦状態で立っている。

 エンリから非常時になった時、ンフィーレアを絶対に守ってと二人は護衛を言い付かっていた。

 だから彼等は、それを忠実に守っているのである。

 

「なんだ、()()()()……」

 

 パイポの呟きが示す様に、そんな室内にいた3名はカイジャリの存在へ気付いていなかった。

 なので、彼から腕を掴まれているゴコウが、横のカイジャリに変わりこの場の者へ告げる。

 

「――おい、姐さんと一緒に居たカイジャリから聞いたぞっ。姐さんは午後4時半頃、畑の畔道を歩いてた時に突然現れた白髪白鬚の魔法を使う爺さんから攻撃を受けたらしい。恐らくその爺さんに(さら)われたんだっ!」

 

 その言葉に、パイポとクウネル、そして―――ンフィーレアの表情が生き返るっ。

 

「なんだとぉ、アイツ生きてたのかっ!?」

「本当かよぉーーっ!」

「エンリィィィィーーーーーー!」

 

 パイポとクウネルは、護衛をそっちのけでゴコウの傍まで迫る。そして当の護衛されていた普段物静かなンフィーレアが、更にゴコウの襟を両手で掴んで揺すりながら聞き返す。

 

「エンリを(さら)ったのは白髪白鬚の魔法を使う爺さんだって?! 身長や服装や装備はっ?」

 

 ンフィーレアも第二位階でも後半の魔法詠唱者であり、筋力は常人以上にある。少しでも大好きなエンリの手掛かりをと正に必死であった。

 すると、ゴコウは横から腕を握られているカイジャリへ顔を向け発言を促す。

 頷いたカイジャリが、ンフィーレアの襟を掴み、彼の意識を引き寄せると告げた。

 

「その老人について俺が教えやしょう、兄さんっ!」

「――あっ、カイジャリさんッ?!」

「身長は俺達と同じぐらいで、ンフィーの兄さんより低い。長い髪と髭は股間ぐらいまで伸びてましたよ。白い上等のコート……ローブを(まと)った感じの姿でしたね。杖も右手に持ってましたよ。そして――あれは人間でしたが、貫録が死の騎士(デス・ナイト)のアニキ達より上かもしれませんぜ」

「――っ! まさか……」

 

 そこまで聞いたンフィーレアは、伝え聞く一人の有名人の風貌を思いついていた。続けて名を口にする。

 

「もしかして、バハルス帝国の大魔法使いフールーダ・パラダイン老じゃないかな……でも……いや」

 

 帝国の一大要人が、この辺境の片田舎の小村へ来るという理由……。

 しかし、それが大魔法詠唱者アインズ・ウール・ゴウンに関するのなら十分にあると思えた。

 パラダイン老は、第6位階魔法の使い手であり、確かにこの村へ侵入出来ても不思議ではない実力者だ。

 並みの人物らでは、恐らく死の騎士(デス・ナイト)達や、目の前のカイジャリさんらゴブリン軍団に阻まれる事だろうと。

 

 ンフィーレアは相手が誰であっても、大好きなエンリを取り戻すつもりでいる。

 

 それが――目標であり尊敬し組織を率いると聞くアインズ・ウール・ゴウンであろうとも。

 ただ、今回の相手はバハルス帝国の権力者No.2である……。一組織ではなく、三大人類国家の一角が控えているのだ。

 でもこの若き天才薬師少年の、初恋の人エンリへの熱い想いがブレる事はない。

 

「――行こう。帝都でも帝国だろうと、エンリが助けを求めてるなら、僕はどこでも構わない!」

 

 ンフィーレアはアインズと握手を交わしているが、『エンリへの協力をよろしく頼む』という形でのみだ。救援に向かう行動に制限がある訳ではない。

 すると、少年の勇気溢れる言葉に周囲4名のゴブリン軍団の者達も賛同する。

 彼等は密かに、人間の主のエンリには、異形種の御屋形(アインズ)様よりも人間の雄であるンフィーレア・バレアレの方が、跡継ぎが出来易くてお似合いと考えている者も多かった……。

 

「よく言ったっ、兄さん!」

「ンフィーの兄さん、俺達も乗るぜ!」

「助けに行きやしょうっ」

「おうとも! じゃあ、俺がちょっとリーダーへ言ってくる」

 

 ゴコウが入口の扉へ向かい開けようとした時、それよりも速く扉が外から開かれた。

 

 

「話は全部聞いたからっ。ンフィー君、みんなっ、私も行くっ! お姉ちゃんを助けないと」

 

 

 入口にはネムが、両腰に手を当て鼻息を荒くし仁王立ちしていた。

 アインズ様同様に『悪』を懲らしめるのだと。

 村が襲われて以降、小さい彼女もアインズから大事に守られつつも、自分達でも何とかしようと考えるように変わってきている。

 

「ネムさん! ―――あっ」

 

 ゴコウの視線と声に後ろへ振り向いたネムをはじめ、室内奥の全員が館の外へ注目する。

 ネムの立つ出入口の扉の後方、館の前庭をゴブリン軍団リーダーのジュゲムとシューリンガン、キュウメイ他3名がこちらへと歩いて来るのが見えた。

 村の中は、エンリの捜索で自警団のラッチモンが詰所に残る。夜となり道に篝火が立てられ、村人やブリタらは村近郊を、夜目の利くゴブリン兵らにより畑周辺とまだ対応が続いている。

 

「どうしました? ネムさんにンフィー兄さん、それにお前らも」

「実はエンリ救出に、東方の帝都へ行こうと――」

 

 ンフィーレアが率直に切り出す。

 情報を持ったカイジャリが生きて戻った事で、状況は一変した。ジュゲムらも交えて急遽、10分だけと共同生活館一階の大机にて作戦協議は進む。

 主人であるエンリを(さら)ったのが、東隣国の大魔法使いという話。残念ながらその凄さについてある程度知っているのは、この場でカイジャリとンフィーレアのみだ。

 ここで、ジュゲムは小鬼(ゴブリン)兵を1名、大森林内のエントマへ『カイジャリ生還と敵遭遇状況』の伝令として出す。但し、ナザリックを知らないンフィーレアが居るので「畑の連中へ」と経由させ秘密にしてだ。ゴブリン軍団は、あくまでもカルネ村指揮官エンリの配下であり独立した支配系統を持つ。だが、手厚く主人エンリの捜索もしてもらいナザリック傘下に入っている以上、通知の義務は守る。

 さて、帝都へ行くにはまず高速の移動手段として、ナザリックとのパイプを持ち副官的なネムが、死の騎士達に頼んで運んでもらう案を出して来た。

 彼等(デス・ナイト)も今はエンリ指揮下である。1体に5名乗せてもらえば、疲労しないし〈闇視(ダーク・ヴィジョン)〉と彼等の素早い巡行の動きなら3時間程で遠方の帝都まで着けると。

 だが問題は多い。まず帝都に小鬼(ゴブリン)達や死の騎士(デス・ナイト)達が入れるのか。次に、エンリの正確な居場所。そしてどうやって大魔法使いから奪い返すのか。

 でも行動派のンフィーレアは言い切る。

 

「まず行ってみないと。対応策は現地でも考えられるよ。だけど、こんな離れたところで首を捻ってるだけじゃ――エンリへ何も出来ない」

 

 今は夏。河川が有れば潜ってでも都市へは入れる。大魔法使いは魔法省が本拠地。大魔法使いは一人に対し、こちらは強力な死の騎士(デス・ナイト)達が3体いる。それらの事を少年は、サラリと並べた。

 堂々の意見のこれらには、ネムやジュゲム達も感心するのみだ。だからリーダーは言う。

 

「では、死の騎士(デス・ナイト)のアニキ達に話が通れば出発ということで」

「「「おおーーーっ!」」」

「任せて。ちょっと頼んでくる」

 

 交渉人(ネゴシエーター)ネムが、まだ少し足が付かない椅子から降りると館を飛び出していく。夜でも心配いらない。彼女にはLv.23の白きG(オードリー)が護衛として常に付いている……。

 少女は村の中央広場まで駆けて来る。

 そこには、巨大である剣と盾をもつ圧倒的な死の騎士(デス・ナイト)達が静かに3体立っていた。

 小さいネムは、まずルイス君へとその巨体の彼を見上げながら素直にお願いする。

 

「ルイス君、あのね、お姉ちゃんが隣の国の悪ーい魔法使いに捕まったみたいなの。助けに行きたいんだけど、心細いし少し遠いから連れて行って手伝ってくれる?」

 

 すると……彼から少し唸るように返事が返ってくる。

 

「オォ……ァァ……」

 

 それを聞いたネムは、にっこりする。

 

「ありがとう、ルイス君、大好き!」

 

 ネムは、死の騎士ルイスの巨剣フランベルジェを持つ太い腕へと躊躇なく抱き付く。この剣は、無念にも殺された、村の皆や父母の仇を討ってくれた業物である。怖いはずがないのは当然だ。

 

「……ァァ……」

 

 少し彼が照れている様に見えるのは、気の所為ではないだろう。

 ネムは他の2体にも其々きちんとお願いする。

 すると、「オ……ァァァ……」「オォ……ァァォ……」とどちらも協力の意を示してくれた。恐らく日頃からエンリが、アンデッドとして嫌うことなく対等に、そして指揮官として道理を通し丁寧に接していたからだろう。

 それはネムにも言えた。だから、困ったときに手伝ってくれようとしているのだ。

 アインズが生み出した彼等は、元スレイン法国の騎士でもある。その残滓なのか結構プライドが高く、ゴブリン軍団の言は全く聞くことはない。

 あと、ネムもアインズの配下として認められていることもある。そして、ナザリックの大宴会ですべてを目撃したルイスから、彼女がアルベドやニグレド、恐怖公にプレアデスの方々からの覚えがめでたいとも聞いている。

 シモベとして――無下には出来ない()()()()()もあった……。

 

 ネムが死の騎士(デス・ナイト)達と交渉している間に、ンフィーレアは自警団のラッチモンへエンリの誘拐時の状況経緯を話し、奪還の為に帝都へ乗り込むことを伝えた。夜中に村が随分手薄となるので彼に、この場へ不在のブリタには念の為、村に残っていてもらう事の伝言も頼む。

 頷いたラッチモンはその場で少年に告げる。

 

「うむ、若いな。羨ましく思う。だが偉大なあの方もいる。無理はせんことだ。生きていてこそという事も忘れるな」

「はい」

 

 一礼し詰所からンフィーレアが戻って来ると、共同生活館の前庭で準備が整っていた。

 死の騎士(デス・ナイト)達3体と、ジュゲム以下完全武装した13名の小鬼(ゴブリン)達にネムが、携帯食や布も詰めた鞄を幾つか抱え出撃を待っている。

 そうしていよいよ、ンフィーレア達が――死の騎士へと乗り込む。

 まず死の騎士達は巨大な剣と盾を持つ故に両腕を曲げているのでそこへ一人ずつ腰掛ける。次に両肩に一人ずつ乗り、最後は兜へ1名しがみ付く形で5名乗るのだ。

 ネムが死の騎士(デス・ナイト)へ頭を下げて、その珍妙な乗り方を飲ませていた……。

 

「じゃあ、お願いっ。出発―っ!」

 

 ネムの声に、死の騎士(デス・ナイト)達が地を滑るように動き出す。凄い速さで村内を駆け抜け砦の正門を潜る。

 だが、その村の門から出て間もなく、不意の情景がンフィーレア達には見えた。

 空から1体のモンスターが現れ道の先へ降りて来たのだ……。

 

「――っ! みんな、止まってっ!」

 

 ()()の存在を一応知るネムの声の前後で死の騎士(デス・ナイト)達も制動を掛けた。

 思わず小鬼(ゴブリン)らは、乗る巨体へしがみ付きながら固まる。目の前に降り立った怪物から、強大な戦闘力が漏れていたからだ。

 

 それは蒼い馬に乗った禍々しい姿を持つ騎士の上位アンデッド、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)

 

 レベルは実に58である。幸い、彼はまだ腰の剣を抜いてはいない。

 ここ数日の指揮権をエントマが預かる彼等の任務の最優先事項は、ンフィーレア・バレアレを守る事である。

 蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)から、ンフィーレアら一行へ向け警告風に声が響く。

 

「コオォォォーーーー……」

「オオオォォォアァァァーーーー」

 

 それに対して、兜部分にネムが乗り先頭に立つ死の騎士(デス・ナイト)のルイスが真摯に答えた。

 ンフィーレアには、恐るべきアンデッド達である彼等が、一体何を言っているのかまるで分からない……。

 その会話のやり取りが「クォォ……コォォーーーー」「オォォ……アァァ……オォォー」と続く中でネムの声で妥協案が割り込む。

 

「あの。じゃあ、貴方も一緒に傍で守っててほしいけど……だめ?」

「……」

 

 怯えることなく、首をカタンと右へ可愛く倒しつつ尋ねる交渉人(ネゴシエーター)の少女の言葉に、蒼い馬へ乗った騎士は一時沈黙する。そして……。

 

「…………コァァ……」

 

 大人の事情も少なからずあるのだろうか……彼は、ネムの言葉に同意した。

 

 蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)の受けている命は、確か『ンフィーレア・バレアレを守る事』へ付随してのカルネ村防衛である。なのでそれは、カルネ村へ薬師の少年を閉じ込めることではないのだ。

 少年が移動した場合、そこが守る場所となっても命令へは一向に反しない。

 蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)は残りの2体へ村の防衛を頼みに行くと戻って来た。

 

 

 こうして、ネムの言で新たなる過剰戦力を加え、ンフィーレア一行は帝都を目指し始める――。

 

 

 ただ、このあとネムは、ンフィーレアへ蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)の存在がバレて、その言い訳をするのが大変であったけれど……。

 

 

 

 

 

 アインズと共に帝国へと〈転移門(ゲート)〉を潜り移動して来たメンバーは、まずアウラとその精鋭のシモベ達10体とプラス1体。そして――デミウルゴスと嫉妬、強欲、憤怒の三魔将達6体である。

 

 バハルス帝国が、この新世界の地上より完全消滅するには十分すぎる程の戦力といえる……。

 

 ただ、デミウルゴスは丁度良い機会として、バハルス帝国の調査に来ただけであった。三魔将達は彼の護衛だ。元々初期の地理調査で、東方を担当していたデミウルゴスがついでにと御方へ申し出て同行をアインズが許した形だ。

 デミウルゴスの同行に、アウラが少し残念そうにする。

 

「もう。ちょっと、デミウルゴス。折角アインズ様と二人っきりかと思ったんだけどぉ……?」

「悪いね。でも、私が居なくてもシモベ達はいるんじゃないのかね?」

「みんな、あたしの邪魔はしないわよ」

「そうかね。だが、これは仕事だよ。割り切ってくれたまえ」

「はいはい」

 

 正直アインズは、もし帝国の戦力が単に王国と数倍程度で比すレベルであるならば、自身だけでも過剰戦力だと考えていた。とはいえ、流石に未踏の国家へ護衛無しでは油断しすぎであり危険が大きいと判断する。そのため、ニグレドがエンリを見つけてくれた事もあり、トブの大森林の中から周辺探査してくれていたアウラを〈伝言(メッセージ)〉で護衛にと呼び戻していた。

 ただこの時、喜び勇むアウラはエントマへ「あたしはアインズ様にナザリックへ呼ばれたから戻るね」とだけしか伝えていない……。忠実な配下として、すでに敬愛する主の命へ注意が全力で向いていたから。

 またその際にアウラは、アインズに会いたいというハムスケも、()()()()()として主の了承をとって連れて来る。

 ハムスケは、ナザリック地上中央霊廟正面入口前にてアインズとの再会を果たし、巨体を細かく軽快に揺らしはしゃぐ。

 

「殿、嬉しいでござる。某、頑張るでござるよっ」

「うむ。まあ今回、お前でも活躍の場も少しはあるだろう」

 

 Lv.30台程度であるが、アインズの予想で今回のエンリ誘拐に関し、制裁を与える相手は大したことのない者と考えている。なぜならば、カルネ村で最重要人物のンフィーレアでなく、若く可愛い笑顔の娘のエンリを攫ったことからだ。

 カルネ村に住む既婚者も含む若めの女達を見て回れば、エンリが多分一番に目につく娘である。

 日頃から偶に、カルネ村へと行商人が幾人か来ていたとの報告を受けている。その中に、こっそり女達の値踏みをし、目星を付けた悪徳者もいたのだろうと。辺境の小村から村娘が一人ぐらい居なくなっても騒ぎはしれていて、そのうち未解決で忘れ去られていくのが現実なのだ。

 支配者的には、恐らくLv.15以下の手慣れた帝国内に居を構える裏社会の人攫い集団辺りではと想像している。王国では奴隷を禁止しているし、隣の帝国なら奴隷制も生きており、余計に足は付きにくいだろう。また、220キロという距離を短時間で移動していた点も『移動アイテム』があれば十分可能だ。

 なので、その程度の組織連中ならハムスケでも、敵の手下ら相手に十分と主は判断した。

 ただその狼藉者達を倒す前に、アインズは大問題を解決しなければいけないのであるっ。

 

 さて、エンリの()()()()も概ね特定し救援の為、帝国の中心都市へと一気に乗り込んだかにみえたアインズ一行。

 しかし、実は大都市外縁部にある()()()()の敷地外(そば)の緑地群森林内にまだ潜んでいた。

 先程から3分ほど、御方達はこの場より防御対策しつつ〈千里眼(クレアボヤンス)〉と〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉を使い闘いの様子を窺っている。

 エンリの呼び出した小鬼(ゴブリン)の軍団は、なんと最早5000体に迫ろうとしていた……。

 その近くに対峙する、統一された制服装備を纏う100名程の魔法詠唱者の集団も確認する。彼等は恐らく帝国の正規部隊の一部に思われた。

 ここで直ぐに支配者が手を出せば『アインズ・ウール・ゴウン』の名がバハルス帝国中へどういう形で広がるのかは目に見えるようだ。

 

 

 確かに、すぐ絶大に『名声』は得られるだろうなと思う――ただし悪名として。

 

 

 それはあっという間に王国へも広がってしまう事だろう。そこまで進めば容易に取り返しはつかないはずだ。

 故に絶対的支配者は正直、次の一手を打ちあぐねていた。

 そして、その思いは表立って言えずにいる。

 

「うむ。少し……様子を見る」

「分かりました、アインズ様」

「賢明なご判断かと」

 

 アウラは兎も角、意外にもこの行動にデミウルゴスが微笑みを浮かべ賛同してくれていた。

 よく分からないが、アインズは「悪くはないのだ」と思う事にする。

 そうしていると丸眼鏡を僅かに押し上げつつ、最上位悪魔の忠臣が告げてくる。

 

「それでは、アインズ様。私は少々都市と周辺を調べて参ります」

「うむ」

 

 主は何食わぬ雰囲気で、悠然と配下の彼を送り出す。

 デミウルゴスは、恭しく左手を曲げ腹部に添え一礼すると数歩下がり、そのまま三魔将達と姿を消した。

 アインズは、プレッシャーが少し下がった気がしている。表裏に卓越したナザリックの参謀ともいえるデミウルゴスへ、醜態は見せられないとの考えがあった。

 だがすでに、ここへ出発する前のナザリックの地上にて、本日午後9時の王城での予定をアウラとデミウルゴス達に告げてしまっていた。

 時刻はもう午後7時半を過ぎ掛けている。

 優秀な配下の彼の事、多分1時間もすれば戻って来るだろう。

 

(あぁ、デミウルゴスが戻ってくるまでに何とかしなくちゃ……無能と思われかねないしなぁ)

 

 もう汗など出ない身なれど、アインズはふと白金の輝きを持つ頭蓋の額へと手を当てていた。

 

 

 

 アインズの下を離れたデミウルゴスであるが、真の目的は帝都周辺の調査――ではない。

 ナザリック至上主義にして、配下最高の頭脳を持ち沈着冷静の彼であるが、主の前で興奮を隠すのが大変であった。

 3日前に第七階層の『赤熱神殿』にて、至高の御方より、帝国へ対し「――何か布石を打つか」という要望らしき話を伺い、同階層守護者は色々策や布石をと考えていた矢先――。

 

 

 アインズ様配下の(エンリ)が、既に鮮やかな利きを見せていた……。

 

 

 デミウルゴスがこの地へ同行したのは、表の目的である帝都アーウィンタールを最速で精密調査しつつ、裏の本題であるアインズ様の奥深きお手並みをお傍で直接学ぼうとしていたのだっ。

 

 罠的な隙を作り、まんまと相手を呼び込んで、弱みを生成しそれを元に完全に打ち砕くっ!

 

「アインズ様の……これは、なんと素晴らしき一手でしょうか。流石でございますっ!!」

 

 忠臣は帝都上空で思わず叫んでいた。

 この状況の実現まで、たったの3日に過ぎない。

 デミウルゴスは、主の才に当初、愕然としたほどだ。

 

 物事への大半の判断は――その『結果』である。

 

 『愚か者(バハルス帝国)』は、御方の餌へと盛大に食い付いている状況。栄光あるナザリックに連なる者への攻撃は全力で対応するのみ。

 配下の拉致についてこの国の弁解の余地はナイのだ。

 正義は(ナザリック)にあり。

 

 

(ふふふ、討ち滅ぼすも属国にするも牧場にするも何の障害もありませんね)

 

 

 そこまでの攻撃性は、さすがナザリックの大悪魔と言えた。

 デミウルゴスは、至高の御方の次の輝ける一手を今か今かと楽しみにしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. その者、元黒服の男につき

 

 

 曇天の中、ぱらぱらと小雨が降る。

 随分前に日が昇った午前の砂利道を、一台の馬車を先頭近くに2名の馬へ乗った騎士が先導する形で、荷馬車と歩兵30名ほどを連れた隊列は東の王都へと向けて粛々と進む。最後尾近くにも騎士が一人騎乗し続いていた。

 それは、王都リ・エスティーゼへと竜軍団討伐戦の集結の場に向かう地方貴族の一団であった。

 国王の厳命であり、拒否は出来ないために渋々の出陣となっている。

 運よくこの家の当主は、先日の王城での舞踏会で一夜の女遊びへ金貨80枚を使わずにいたのでそれを戦費の足しに出来たという……。

 しかしその隊の進行が突如止まった。

 隊列の前に、一人の男が道を『通せん坊』する形で立ち尽くしていたためだ。

 先導する騎馬のうち右側の騎士がその男へと厳しく告げる。

 

「冒険者よ、脇へ寄れ。これは男爵様の隊列であるぞっ」

 

 そう、道に立つ男は冒険者の姿をしていた。

 彼は大都市リ・ロベルにて元ミスリル級冒険者であった()()()である。

 冒険者は騎士の言葉を無視し、腰の剣を抜くと騎馬の騎士へいきなり斬り掛かっていく――。

 

 襲って来た冒険者はとても強く、あっという間に騎馬の騎士からの攻撃をいなして切り込み、二騎士を打ち倒していった。

 それを見た馬車の御者や槍を握る歩兵の半数が武器を投げ捨てて周囲へと逃げ出す。

 ただ、この酷い状況下の中でも後方の騎士だけは、「逃げるなぁぁーーーっ、槍を構えよっ」と冷静に命令を叫ぶ。その声に残った歩兵達が従った。

 そこからは6名一組のリーチのある槍の部隊3つに囲まれ、指揮する騎士も少し腕が立ちゴドウは手こずる。

 

「クソッ。俺はこの数年で、随分と怠けていたようだな……」

 

 昔よりも身体が全然動かず、この場の苦戦を痛感していた。

 ところが数分の間が過ぎ、馬車の中で外の様子を見て震えていたフューリス男爵は、じっとしてればいいものを『逃げ出す好機』だとして側面の扉を開け外へと飛び出したのだ。

 このタイミングが最悪といえた。

 何とか槍兵を2名討ったが攻めあぐんでいたゴドウは、護衛のいない男爵を視界に捉えると軽快に走り出す。

 すると「いかんっ、御屋形様を守れーっ」と騎士は指示を出すしかなく、歩兵達と共に走り出す。

 それにより――整然とした陣形が大きくくずれていった。

 隊列はすぐに足の速さに従ったものとなる。

 それを見たゴドウはすぐさま反転し、槍兵一人一人を切り倒していき、8名程斬った途中で騎士をも打倒した。

 それを見た残りの槍兵達は、もうかなわないと背を向けて逃げ出していく……。

 

 砂利道から脇の畑の中へと逃げようとしたフューリス男爵だが……足元の泥に足を取られ派手にコケる。その拍子に足首を思い切り捻挫していた。

 普段から何も鍛えていない彼の軟弱さがここへきて炸裂した形だ。

 返り血で装備が染まる冒険者の男に追いつかれると、泥へ塗れるフューリス男爵は仰向けで後ろへ手を突きつつ後ずさりながら叫ぶ。

 

「お前は誰だっ。知らんぞ。私はフューリス。間違いじゃないのか?!」

 

 するとゴドウは、剣を振り上げつつ口許をニヤつかせて伝える。

 

「あの時は瀕死で川に落ちて意識が曖昧だったがな、俺はまだ覚えているぜ。昔、法国からの特殊部隊の奴らに殺され掛けた時に奴らが言ったんだ。フューリス男爵――アンタから頼まれたってな。だからここでコロシテおかねえと」

 

 よく考えれば矛盾だらけの話のはずである。

 しかし、ここ10日ほどは残るがその前の数年分の記憶の多くはゴッソリ無く(知識は残ったが過程が不明)、その昔に森で襲われ告げられた部分だけが強烈に記憶へ焼き込まれていた……。

 

 そして『殺される前に今度はこちらからヤル』と決めていた事をニセの記憶で思い出していた。

 

 仇の行動の詳細情報は、『トラトラトラ』ではなく、『ニョッコニョッコニョッコ』という三度繰り返しの合言葉を話す八本指系列の者が伝えに来るとも()()()()()

 

「や、やめろっ。死にたくない! 金を払うからっ。な、金貨100枚でどう――」

 

 ゴドウは、突如背中から衝撃を受けるも、そのまま金で命乞いをするフューリスへ構わず剣を斜めに振り下ろした。

 

「ぎゃああぁぁぁあぁぁーーーーっ!!」

 

 ただ熱いと思える激痛に男爵は声をあげる。

 暗殺者の手元が、衝撃で体勢と共に狂ったため男爵の首ではなく、右腕が肩から離れて泥の道へと転がった。

 その光景を見たあとにゴドウは、己の胸から突き出した剣先に目を落とす。

 どうやら、とどめをさしきっていなかった騎士が起きあがり、最後の渾身の力で背中へ突きを放ってきた様子。

 元冒険者は後ろから倒れ込んできた騎士と共に、やや斜めに前のめりで倒れていくと男爵がもがく横の泥道へと突っ伏す。

 横へ向けた彼の顔の目には最早、力が感じられない。

 胸元からは大量の血が流れ出していく。

 

「俺は……なんでヤツを必死に殺そうとしたんだ? あ……、情報をくれた……赤毛で黒服のねえちゃんに報告がまだだぜ……まあいいか……」

 

 意識は混濁的状態に陥り、記憶が余計に曖昧となった。

 ゴドウは、そのまま夏のぬるい雨に濡れる地面で動かなくなる。

 雨は徐々に強さを増していく。まるで地表へ撒かれた血をすべて押し流そうとするかのように。

 周囲へ逃げ散った歩兵が、数名戻って来た。

 

 フューリス男爵は大量の血を流すも、まだしぶとく生き残った。

 

 でもそれは、運の悪い……更なる苦しみを受ける為だけではないだろうか。

 壮絶な死への恐怖心だけが男爵の胸に刻まれていく……。

 わがままな彼の心に生への黒い狂気が広がり始めた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 突撃のニグン2(進撃ではない)

 

 

 あの尊厳を根こそぎ奪われ囚われた屈辱が……いつしか喜びに変わる事もあるのだろうか。

 最近、彼の顔には笑顔が多く浮かぶ。それは些か傲慢で歪み気味にだ。

 少し幸運を掴みつつある男の名は――元陽光聖典隊長、ニグン・グリッド・ルーイン。

 先の監獄での修羅場を凌ぎ、彼の図太い精神は再び調子に乗り始めていた……。

 

(くくくっ。どうだ、今日も生き残ったぞ。それは当然、私程の者だからだっ!)

 

 人なるものは、命が助かり衣服や食事に寝床が整えば、欲が出てくるものらしい。

 彼の場合、特に性欲が。

 支援隊ながら隊長職にも据え置かれ、恵まれたニグンは少しずつ全てが自分へ都合のいいように解釈し始めていく……。

 

 

 

 本日も、旧陽光聖典で現『エントマ部隊』支援隊所属の隊員達は、闘技場の地上建屋内の会議室で『講義』を受ける。

 その冒頭は必ず、教育係も兼ねる美人で可愛い部隊長のエントマにより、この『組織』における最も大切な思考と行動への訓示から始まる。

 

「いいですかぁ、皆さん。〝全てはアインズ様の御為に〟ですぅ。これを忘れたり、怠ったり、破ったりしたらぁまた暗い監獄へ入って貰ってガジガジも追加しちゃいますよぉ」

「「「「……(ヒィィィーー!)」」」」

 

 あの心の折れた暗闇で、記憶へ染み込んだ地獄の経験は、簡単に払える物ではない。

 隊員にとってエントマは、監獄の番人にして『声の女』であった。彼女の声は、彼等へ絶対的に響くものと変わっている。

 精神的に屈服していた隊員達の多くは、徐々に『教育』を素直に受け入れて始める。内容は、おもに『この組織に存在する施設や人材は、全てアインズ様の物。そして常時、全員がアインズ様の御為に命を賭して働く』という内容である。

 それは、人として付いていけない下劣なニグン隊長ではなく、髪質が少し変わっているが、身近で接する憧れの美しい乙女、エントマ部隊長の為にという部分もあった。

 その彼女が、ニグンの顔面へ強烈なビンタを炸裂させた初のスキンシップから早1週間――。

 『エントマ部隊』支援隊隊員へ対する、闘技場への軟禁状態は依然続いている。

 

 彼等がナザリックの元敵兵という事実は、()()()()において小さい事ではない。

 

 許されたとはいえ、人間でもあり立場的に直ぐ組織の中でデカい面は許されないのだ。

 当初から裏で拷問官のニューロニストにより、「うふふふ、対象は極限へ追い込んだ後が肝心。徹底した再教育が必要よん」と判断されていた。隊員達の教育はそのカリキュラムに従っている。

 なお『講義』の内容には、まだ『組織』の全体像などの具体的内容は含まれない。それと並行して『個の利益についての考えの全否定』、『集団主義の徹底』もしつこく植え付けていく。この措置は、彼等が反乱要素を多分に含む隊員であるためだ。勿論、『偉大なるアインズ様の御為に死ぬ事が最大の名誉』であるという教えも続く。この世界は『力ある者を崇める事』は自然といえるので、屈服した状況から各自の心の土壌は整いつつあり、彼等は行き場の無い己の立場も理解し粛々と教えを受け入れていった……。

 その中で、ニグンだけが異様に高いポジティブさを誇っている。彼は確かに、何かモノが違うのかも知れない。

 

(はははっ、私には強運があるっ。流石は私だ。その事を神に……アインズ様に感謝したい!)

 

 自画自賛の精神は健在ながら、国を捨て去ったニグンの中において、嘗ての神々しく眩しい光に包まれ崇めた神のビジョンは、今や奇異な仮面を付けた漆黒の魔法詠唱者のものにすっかり変わっている。

 仕える主が身体能力だけの戦闘馬鹿ではなく、絶大の力を持つ偉大なる魔法詠唱者(マジック・キャスター)という状況は非常に安心出来た。何故ならこの組織に於いては、魔法を使う者がのし上がれる環境を持つという最大の証明であるからだ。

 尊き『盟主』への忠誠心が、日々高まっていくのを彼自身が感じている。

 アインズ側としては、特にアイテムや魔法での洗脳などしていないのだが……。

 この地が秘密結社『ズーラーノーン』の施設と信じ、『エントマ部隊』より上の肩書きは知らないニグンであったが、とりあえず支援隊長の地位には十分上を狙える位置だと満足している。

 部隊長から釘を刺されているが、捨て駒となる配下達も居た。

 

(くくくっ、我らが〝組織〟と盟主様は、第7位階魔法を行使出来た威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)ですらものともされないのだっ。直に世界は、スレイン法国も含めて盟主様のものとなるだろう。そうなれば――活躍次第で、端の小国ぐらいはきっと私のモノに。……その時こそ、女どもを自由に食い放題だ。それまで少しの間は、まずコノ目の前に立つ小柄の部隊長をコッソリと使()()()()()我慢するか……御方の為、私は懸命に働くぞ。はははっ)

 

 ゲスな彼の自己中心的皮算用の野望は健在で、特に変わっていない。

 周囲を活用し、己の力で成り上がる者の何が悪いのかと。運も含めて全て個人の力なのだと。

 こうしてニグンを筆頭に、支援隊全体の『盟主』へ従おうとする気運は、順調に高まる。

 ただ一つ、彼等は詮無き現実を心に持っていた。

 連日『講義』の中で見せる、エントマの可愛らしい声やポーズ。また変化が少なめの表情とその後ろ姿に浮かぶ(うなじ)、揺れる南方風のメイド系衣装の裾下からスラリとのびる若い素足も見せられていた。既にひと月程も女を抱いていない壮年の男達にすれば、部隊長は目の前にダラリとぶら下げられた『ネタ』である……。

 同時に、隊員達が彼女の『講義』により十分教えられた『組織の全てはアインズ様のもの』の一項により……目の前に立つ美人で可愛らしいエントマ自身も、『盟主様のもの』だということがイカガワシイ方向でも散々想像出来た。

 先日、ニグンからの「エントマ様も盟主様のものでしょうか?」との質問に対し、彼女が「その通りですぅ。私の命もぉ、あなた達の命もねぇ」と決定的な返事を伝えると、場に座る隊員の多くが溜息や唾をごくりと音をさせて飲み込む。アインズ様は、こんな可愛い部隊長の身体までも連夜好き勝手に出来る存在だという現実に……。そして彼等自身の生殺与奪すらも。

 『盟主』のその大きい権力に関し、隊員達はエントマの姿を見る度に思い知っている。

 

 しかし――エントマの件に限り、色欲旺盛な(ニグン)のみ納得していなかった。

 

(あの王国の小村近くの草原で我々は見た。盟主様は美しい天使様を含む3名もの美女を連れておられた……だから、コノ一人ぐらいは……イイハズ)

 

 ご都合主義にもほどがある。

 実に浅ましいニグンの考えがジワリと、彼の行動を支配し始めていた。

 

 

 

 エントマの『教育』は座学の講義だけではなく、闘技場の闘技エリアに移動し『彼女の支援隊』としての連携を確認する『訓練』も厳しく行われた。

 この時、隊員達はLv.51――難度153のエントマの恐るべき実力の一部分を知る。

 部隊長の乙女は、嘗てカルネ村の外の草原で『盟主』や3名の女性従者達が軽く見せた闘いに劣らない視認の難しい素速い動きを、人の体形のまま披露した。

 だがニグンらはここで支援部隊として、その部隊長の高速の動きに合わせなければならない。

 隊員全員がニグンの指揮で必死に食らいつく。何故なら、エントマは『出来るまで』鬼のように何時間でも続けたからだ。

 またエントマは時折、蟲を呼びつつ自身が(アグレッサー)として、5対44程度で支援隊のみの動きの対応も試した。因みに使う蟲は大きめのG達だ……。合間に第3位階魔法もニグンらへ平然とぶっ放す。

 彼女は、殺さないように急所は外して手加減をしているが行動と視線は冷たく、主以下、姉妹達や組織のNPCらへ向けるような『真心』は今のところ見られない。

 至高の御方からも「よろしく」と言われているだけに訓練は終始、怪我人も出る程の真剣なものだ。

 それだけに――支援隊の隊員達は、鬼教官エントマの見せる尊敬と恐怖すら感じる実力に、彼女へ対して時折ムラムラと(よこしま)な想いを目で向ける程度までに(とど)めていた。

 

 だがニグンは違う。それでもエントマを求めようと行動した。

 

 但し、彼も仲良くする足掛かりが全く掴めないでいた。講義の後に言葉で誘うがつれない態度の連続。残るはスキンシップのみと考えた。しかし講義と訓練を除くと、彼女が闘技場に居る時間は殆ど残らない。

 ゆえに狙うは、接近することが比較的多い訓練時間だろう。

 確かに、訓練任務上で相手の手や肩を掴むことが稀にあるかもしれない。だが、ニグンの彼女へのアプローチ回数は度を越して感じられた。

 それをエントマは全てサッと躱していく。

 普段、プレアデスの姉妹達や至高様からの接触であれば気にすることはしない。

 

 しかし、ニグンの彼女に対する手つきと指の動きは(いびつ)――如何にも下心の溢れるイヤラシイ雰囲気に染まっていた……。

 

 新しい配下として信用する形で、一週間前に一度は肩へのみ触れさせたが、二度目を与えるほど彼女は優しくない。

 ビンタを再度ヤツの顔面に打つ手もあるが、次は『壊れそう』なので彼女はずっと避ける事にしていた。

 

 この考えに対し、ニグンは――ヤツはなんと捨て身で突撃を慣行する。

 

 ここ数日、5時を前にすると鬼教官の「用があるからぁ、ここまでぇ」と切り上げる午後のキツイ『訓練』が今日も始まった。午後3時を過ぎ、エントマと支援隊の連携について、(アグレッサー)のG達相手に近接からの包囲殲滅を訓練する。混戦の中、ニグンは部隊長の傍へ寄った瞬間にGへ魔法を放つ振りをしつつ、〈空気破裂(エア・バースト)〉を己の近隣で炸裂させた。彼は、その衝撃に加え〈加速〉も使い、愛らしいエントマへ何とかどさくさの力任せで押し倒すべく抱き付いていく――。

 しかし……ニグンがエントマの側面後方から羽交い絞めを狙い迫るも、その結果はみえていた。

 

 

 「ホントにキモいからぁーーっ!」

 

 

 寄り付く害虫を払うが如く、その声と頬の叩かれる音が辺りへ響くと同時に、ニグンは闘技場の観客席上段に頭から突き刺さっていた……玉砕である(二回目)。

 『声の女』の不機嫌な大きめの声と状況に、隊員達はその場で凍り付く。

 前回のビンタは()()で打たれたが、今回は普通に平手で、更に手首の利き(スナップ)まで入っている。

 そのパワーから正に弾丸のような速度で、硬質石材製の観客席へと飛び込んでいた。

 無論、割れたのはニグンの額のみである。観客席は血に染まった――。

 

 それでも運よく、この男は首の捻挫と額の裂傷と大きなタンコブ程度で済む。

 ただ、角度で10度ほど首の(かし)いだ感じは暫く戻らなかったが……。

 魔法で傷を止血され、闘技場地下の自室の牢屋へ転がされたニグンは目が覚めると、闘技場地上建屋に用意された教官としてのエントマの執務室へと速攻で詫びを入れに行った。

 

「申し訳ありません、エントマ様。ですが、貴方のその若き美しさと可憐さに男として我慢出来なかったのです。毎夜うなされる程のこの私の熱い想いは――」

「もういいけどぉ。聞きたくないからぁ。以後、二度とないよう注意することぉ」

 

 下等な人間の雄如きに、熱く劣情されても彼女の心には全く届かない。

 エントマとしては、汚らわしく無礼である。

 普通なら問答無用でバリバリと食うところだ。

 しかし……大事でお優しい主から直々にも「よろしく」と『教育』を任されている以上、殺すことはやはり躊躇われた。もしかすると、殺した事情をお聞きになったアインズ様が「嫌な思いをさせてしまったな――スマナイ」と詫びの言葉を仰るかもしれない。偉大な至高の御方に、そのような尊い事を思わせるぐらいなら、この場は飲み込んだ方がいいと。

 なので、注意し早く場を切り上げる事にした。

 

「おお、エントマ様っ。なんと寛大なるお許し。私は感謝の気持ちで愛が――」

「――もう、下がっていいからぁ」

「はっ。ありがとうございます。では」

 

 ニグンは、体を深々と90度まで倒して一礼し退出する。

 しかし、無論――頭を下げた時、彼の顔に反省の色は見えない……。

 

(危ない危ない。首がモゲるところだったが、また私は助かり許されたぞ。流石は高い実力のある私だ。どうやらこの女――割ともう直ぐでモノに出来るかもしれないな、くくくっ)

 

 何か凄まじい勘違いのまま、『エントマ部隊』支援隊の隊長ニグンは上司の部屋を後にする。

 彼は、イヤラシく歪んだニヤケ顔で思い出す。ビンタを受けた瞬間、咄嗟で彼女へ懸命に伸ばしていたそのスキンシップ改め猥褻(わいせつ)目的の手が、僅かに可憐な双丘の胸へ(かす)っていたことを……その感触を……。

 地味に積み上がっていくこれらの薄い幸運達。

 

 だが、最後までこの男を生き残らせるのかは――全て彼の行動次第である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. VS(バーサス) 森の巨大魔樹

 

 

 トブの大森林中央から東北部への異変に気が付いたのは、木の妖精(ドライアード)達だけではなかった。

 巨大な魔物が枯れ木の森を出た辺りから、まず森の中に住む動物達が騒ぎ始める。そして次に、もっとも近い場所に暮らしていた蜥蜴人(リザードマン)の者達が、いつもの森とガラリと違う空気の異変を感じ取る。

 彼等は、枯れ木の森から直線距離でおよそ十数キロ離れた25キロ四方程の広さのある逆さ瓢箪型の湖の南端の湿地へ、5つほどに分れて集落群を構えて住んでいた。

 間もなく異変の元を調べに行った蜥蜴人の戦士達が戻ると、彼等の声帯を活かした甲高い擦過音が各集落の中へと響く。それは厳重警戒や避難を呼びかける水準のものであった。侵略や戦争、紛争等の対処が難しいもので、例えば稀に湖面上で発生する竜巻といった自然災害など通り過ぎるまでじっと潜んでおくしかない類のものも含む。

 魔樹は、本体の巨体と触手風に伸びる太い蔓の枝の重さと力で周辺を押しつぶしつつ、一部精気を吸い取りながら進んでいた。それにより進行速度も1時間に1キロ程度だが、その緩い速度でさえ彼らの村まではあと数時間分しか離れていない。今晩を経ずして最接近されるだろう。

 現状は直撃コースと違うが予断を許さず、最良でも2,3キロ南を東方面へ進むと思われた。このため、集落群は協力した緊急での対策が不可欠であった。

 

 魔樹の北方向への転進を少しでも防ぐために。

 

 けれどもここで色々と問題が存在した。

 元々この蜥蜴人(リザードマン)達の部族集落は長年の間、基本的にバラバラな自治をしている。

 でも、これほどの強敵である魔樹を相手とするには、力と歩調を合わせて互いの手が裏目にでないよう纏まった対応行動が早急に望まれた。

 ところが――数年前に7つ存在した部族が、5つになってしまうほどの部族間総力での激しい戦いがあり、その爪痕はまだ深く残っていた。戦いのきっかけは主食である魚の不漁。つまり食料不足であったから、なおさら依然として遺恨が残っている……。

 ただ結果的だが、激しい戦闘で2つの部族が瓦解して消え去るほど数が減った事で、戦いの直後から食糧不足は一気に解消されて平和へ戻り今日(こんにち)の現状がある。

 残っている5つの部族は、2つの部族を戦いで消し去った三部族連合の〝緑爪(グリーン・クロー)〟、〝小さき牙(スモール・ファング)〟、〝鋭き尻尾(レイザー・テール)〟と、戦いに不参加だった2つの部族〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟、〝朱の瞳(レッド・アイ)〟である。旧三部族連合間以外では、互いに現在も交流がほぼない。

 特に〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟には、ほぼ壊滅した〝黄色の斑(イエロー・スペクトル)〟、〝鋭剣(シャープ・エッジ)〟の部族の生き残りの者達が合流している形だ。

 それだけに嘗て同盟の形をとった〝緑爪(グリーン・クロー)〟、〝小さき牙(スモール・ファング)〟、〝鋭き尻尾(レイザー・テール)〟は纏まり易いが、残りの2つである〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟、〝朱の瞳(レッド・アイ)〟とは溝があると言えた。

 しかし、三部族連合を率いた〝緑爪(グリーン・クロー)〟族の中で、五部族連合を唱える者が登場する。

 

 元戦士で今は『旅人』のザリュース・シャシャだ。

 

 その二足歩行で、平均的体躯に全身が結構丈夫な鱗で覆われている蜥蜴顔の亜人の彼は、緊急招集で湖畔の杭上に建つ部族村最大の木造集会小屋へと集められ開かれた部族内会議の場にて、族長の兄であるシャースーリュー・シャシャへ対しその『驚くべき意見』を突き付けていた。

 それまでに出た意見の多くは『静観』である。その後で、ザリュースは意見を言わせて欲しいと希望し、族長の許しを得て発言していた。

 

「一時的でもいい、同盟だ。それも――全五部族でだ。合同部隊による魔物の誘導が必要なんだ」

「「「――っ!?」」」

 

 彼の言葉に多くの者が困惑した。

 ここには血筋ではなく、部族の実力者らが集っている。絶対権力者である族長の他、長老達や戦士階級の者、森祭司(ドルイド)の者らである祭司頭と祭司達、野伏(レンジャー)の者ら狩猟班だ。

 『旅人』というのは、ある意味特別であろう。一度部族とその権力を離れ外の世界へと旅立った者を指し、多くが帰らない中、戻って来た者は外の知識を持つ故に高く評価される。権力の外の者だが、一目置かれる存在である。

 

「いやぁ、それは無理だろう」

「そうだそうだ。組むなら〝小さき牙(スモール・ファング)〟、〝鋭き尻尾(レイザー・テール)〟とだけでいいじゃないか」

「旧三部族連合以外の者らは信用出来ん」

 

 『旅人』の言葉へ否定的な意見が幾つも流れる。でもそれをザリュースは続けて即一蹴する。

 

「相手は山の如きバケモノと聞く。一歩足並みが乱れれば、我々は住処を追われるか、全滅する。生者達がこの地で生き続ける為に、過去へ拘っている場合じゃない――今こそ同種族で力を合わせるべきだと考えるが?」

「「「……」」」

 

 多くの者が、事の重大さに口を閉じた。

 万が一に自分の下手な意見次第で〝緑爪(グリーン・クロー)〟族だけでなく、この湖畔の全部族が消え去るかもしれないという話になっていたからだ。

 身長2メートル20センチを超えた圧巻の体格を誇る族長のシャースーリューは、弟のザリュースへ問う。

 

「お前の考えにも一理ある。だが……この難しい使者に、一体誰がなる?」

 

 言うのは容易いぞという厳しい視線も付けての事だ。身内であるがゆえに身贔屓は出来ない。

 〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族は兎も角、〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族では、何をされるか分からない。実際、交流が無いため湖の狩場の範囲も明確には取り決めされておらず、先日も〝緑爪(グリーン・クロー)〟族の狩猟班が〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟の狩猟班と湖面上で偶然遭遇し、互いに無言の牽制をしあったという報告など一触即発の空気があるのだ。

 並みの者を行かせては足元を見られかねず、かといって族長が出向くわけにはいかない。

 族長のシャースーリューが室内を見回す。その鋭い視線を順に向けられるが、今ここで誰も手を上げる者はいない――いや一名いた。

 ザリュース自身が語る。

 

「もちろん、二部族へは俺が行こう。今は時間が無い。……あの戦いへも参加し、世界を見て来た旅人の自分に任せてほしい」

 

 力強い言葉とその決意の眼光に、周りの長老や戦士に祭司らが反論を言い出す事はなかった。

 族長は、周りの承諾も得られたとして弟へ告げる。

 

「ザリュース・シャシャよ。族長として命じる。〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟、〝朱の瞳(レッド・アイ)〟と一時的でも構わん。同盟を締結せよ」

「承りました」

 

 このあと、会議は〝小さき牙(スモール・ファング)〟族と〝鋭き尻尾(レイザー・テール)〟族への使者を決め、魔樹の誘導を行う戦士をすぐに選抜する件などを話し、程なく終わる。

 部族内会議の閉会後、時間が無いためザリュースは兄へ二、三告げると直ぐに出発する。

 愛剣の『凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)』を確認しつつ、生け簀の傍で「ロロロ」と名を呼ぶ。すると脇の水辺の小屋から一体のモンスターが喜び勇んで現れた。

 それは5メートル程の巨体を持った4つの長い蛇首と四足獣の身体を持つ多頭水蛇(ヒュドラ)という種族のモンスターである。ただ本来の多頭水蛇は8つの頭を持つ。この個体は――奇形体で幼く棄てられていたのだ……。

 ザリュースは、ロロロがまだ小さい時に拾って育てていたので、ロロロは言葉を話せないが彼を親か兄の様に慕っていた。

 多頭水蛇へ跨ると彼は、湿地を駆けるように最大巡行速度を上回る速さで移動を開始し、最初の目的地として西の〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族の集落を目指した。

 

 そうして2時間程が経過する。

 途中でザリュースも必死に泳いで急いだ事で、本来なら半日弱は掛かる土地へと到着する。

 ロロロと共に両者はかなりへばっていた……。肩で息をしつつ呼吸を整えながら周りを見回す。

 集落の周囲は、先端を尖らせた木の杭を張り巡らせたもので守っている様子が見えていた。湿地へ杭を打ち、その上へ小屋を作っていてそれが無数に並ぶ風景は〝緑爪(グリーン・クロー)〟族と大差はない。小屋の数は少ないが個々が大きいという差があるぐらいだ。

 『旅人』の彼は、まずここと一時的に同盟を結び、それを難敵の〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族へ示す形でこの難問を進めようと考えていた。

 4つの部族がこの難局で一時的でも纏まっている状況は、大きな判断材料になるはずなのだ。

 それだけに、ここ〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族との交渉は慎重に進めたいと考えていた。

 ただ時間だけが無かった。ロロロもかなり疲労しているがこの限界ペースで移動してもここから〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の集落へはあと1時間以上は掛かるはず。一刻も早く用件を済ませる必要もあった。

 彼は、背上よりロロロへ指示し集落の手前からわざと水音を立てつつ、〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族の戦士達の出方を窺う。戦いや敵意を向けられる前に、用件を伝えるつもりでいる。

 そうして集落の入口の門の傍まで来ると、ザリュースはロロロから降りる。次いで集落内から見慣れぬこちらの様子を窺う者らへ向かい堂々と声を掛けた。

 

「俺は〝緑爪(グリーン・クロー)〟族のザリュース・シャシャ。ここの族長殿と一族を代表して……いや、三部族連合の代表として、例の巨大な魔物の件で急ぎ話がしたいっ!」

 

 魔物という単語で、〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族の戦士達は顔を見合わせ何かを小声で話すと1名が村の奥へと一時消える。

 動きがあるなとザリュースはここで静観する。

 数分待っていると、集落の奥から捻れた杖を持つ歳を経た蜥蜴人(リザードマン)が現れた。その全身には白い塗料で紋様が書かれている。その者を守る形で数名の戦士と思われる者らも連れていた。

 

(祭司頭……か?)

 

 その者が堂々と待つザリュースへと伝えてくる。

 

「魔物という言葉で……用件は理解した。部族を纏め上げる者が会うそうだ。後へ続くが良い」

 

 老いた蜥蜴人の言葉に頷くと、ロロロには集落外のこの周辺にいるように手で合図する。

 ザリュースは先導する者達に続いて〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族の集落の中へと入って行く。

 道すがら戦士達が立ち、ザリュースを警戒しているだろうと思っていたが、そういった様子は無く、大きめの立派な小屋へと通された。

 そこで祭司の者と数名の戦士達は下がっていく。

 ザリュースは、代表者の度量が広いなと感じる。権力者には臆病な者も多く、中々出来ない事であるからだ。

 入る際に「俺は〝緑爪(グリーン・クロー)〟族のザリュース・シャシャだ。入らせて頂く」と名乗ると、中から「どうぞ」という高めの小さい声が聞こえた。

 どうやら雄ではなく雌の模様。さらに入口からはツンと薬湯のような香りの空気が流れてきた。

 恐らく中年から老年の雌の蜥蜴人だろうと、中へ入って――彼は思わず目を見開いた。

 

 そこに居たのは――ただ真っ白き者。

 

 暗めの室内でも暗視能力を持つ目にはハッキリと見える。

 純白の鱗は美しく、傷一つない滑らかさを感じさせるスラリとした姿をしていた。

 つぶらな目はルビーの如き真紅。そのシルエットは明らかに雌。それも、全身の赤と黒の紋様から未婚の者ということが分かる。更に一目で若いと知れた。

 気が付けば、ザリュースの心に大きく何かが突き刺さって、身体が固まっていた……。

 そんな棒立ちの来客へ彼女は告げる。

 

「よく、いらっしゃいました。〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族の()()()()を任されているクルシュ・ルールーです。まあまず、お座りください。堅苦しい会話は無しで率直に話しましょうか。……あら、かの四至宝の〝凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〟を持つ方にもこの身は異端のようですね?」

 

 間近で聞く声は、良く聞けば張りのある澄んだよい声である。

 アルビノ特有の自身の身体を気にするそぶりもなく彼女は微笑む。そもそも稀な存在だが、蜥蜴人でも目立つ上に平均よりも弱い体となる事が多く成体まで生き残る者が少ない。

 その彼女へ、急激に熱い想いの湧き起こるこの衝動は、ザリュースの一目惚れというもの。

 彼は、次の言葉に「結婚してくれ」と思わず言いそうになった。

 

 しかし――種族存亡の一刻を争う今はと、彼はここでそれを告げる気持ちをグッと飲み込んだ。

 

 ザリュースは、勧められてその場へ腰を下ろすと漸く話し出す。

 

「あ、いや、そんな事はない。では、普段の話し方で。お初にお目にかかる、俺はザリュース・シャシャだ。急の訪問で悪いが、例の魔物について五部族合同で対策すべきとここへ来させてもらった」

 

 前に座った雄の蜥蜴人の話を聞きつつもクルシュは、()に感じた。

 この白い身体を不気味がらない者はいないはずと思っているからだ。〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族の中では、強い祭司の力によって真っ当に扱われているが、既に3年程も前から結婚適齢期を迎えていながら集落に百名居るどの雄もこれまで全く言い寄って来ないのだ……。

 陰口は揃いも揃って『白いのは弱さを呼び込む』、『白すぎて怖い』と。加えて強い祭司の力も特別さへ拍車を掛けていた。

 だからクルシュは「生涯独身かしらね、しょうがないかぁ」と、もうサバサバと諦め気味である。

 彼女が気になったのは、ザリュースの否定する文句だ。

 その言葉からは――族内の者達と違い、怯えが全く感じられなかったのだ。一体どういう事か。やはり『凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)』を持つ者は度胸が違うという事だろうかと。

 彼女は思考の隅でその事を考えつつも、今の部族の直面する問題へと向き合う。

 

「そうですか。つい先程の知らせでは、この集落の端から端までの長さの7倍ほど南の付近を通りそうだと聞いてますが」

「それは、魔物がこのまま方向を変えなければな。だが、そう言い切れるか?」

「――っ!」

 

 クルシュはザリュースの考えを理解する。

 万が一、一番西にある〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の集落が巨大な魔樹に襲われた場合、湖岸に沿って東へ進む可能性が濃厚だ。

 その時、この地の蜥蜴人の集落は5つとも壊滅する。さらに精気を吸い取るという話で、もし湖の魚達が纏めて餌食になった場合――近隣の蜥蜴人(リザードマン)の全部族は未曽有の大飢餓状態を経験する可能性が考えられた。

 おそらくは、そうならないかもしれない。

 だが、そうなるかもしれない。

 この場合、権力者はそうならないように最善の手を打つ責任があるのだ。

 クルシュは他に選択の余地なしとし口を開く。

 

「……分かりました。この件に関して、〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族は三部族連合に協力しましょう」

 

 彼女の顔――それは、実際に修羅場を経験した者のみが出来る厳しい表情であった。彼等はあの三対二の部族戦争には参加していないはずなのに。

 ザリュースの思考は、それがどういった状況かと想像し始めて、真っ先に掠めた『飢餓に因る同族食い・内紛』が恐らく事実と気付き考えるのを即ヤメた。

 この部族に族長がいない今の状況に、それが現実なのだという事を無言で突き付けられて……。

 彼は一度目を閉じると、気持ちを入れ替えて再び目を開く。

 

「では、部族内で10名ほど魔物を誘導する者達の選抜を頼みたい。分かっていると思うが、魔物の前へ出るので我々同種族の為に、死ぬ可能性がある事は告げておく」

「了解したわ。すぐに人選を始めます」

「では選抜が終わり次第、〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の集落の少し南で待つ形をお願いする。東の三部族からも向かって来ているはずなので、出会った際はこれを見せてやってくれ」

 

 ザリュースは、懐から掌程の長さの魚の木彫りを取り出しクルシュに手渡した。

 彼は出発前に兄のシャースーリューへこの事を伝えている。

 

「では、今から俺は〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の集落へ向かう。もしかすると三部族連合への協力が事実かどうかを確認に来るかも知れない。その時に事実だと伝えてほしい」

「……やっぱりこれから行くのね。あそこは〝力こそ全て〟という部族だけど、交渉できるのですか?」

「分かってる。全部族で最大の武力を持つと言われているな。でもやるしかない。それに、彼等も現状の考えは理解出来るはずだ。山ほどの巨体のバケモノに、村へ来てほしくないという事は」

 

 ザリュースはここでの用が済んだと立ち上がる。

 

「では、失礼する。あ、これだけは言わせてほしい。――協力してくれると言ってくれてありがとう。大きい希望と勇気を貰えたよ。後はよろしく頼みます、クルシュ・ルールー族長代理殿」

 

 クルシュの頭には、〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族へ共について行った方が説得は容易いのではとの考えも(よぎ)る。でも、まず〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族を纏め戦士を選抜するのが先だと背を向けた彼を見送る。

 

「――はい」

 

 彼女は、平均的な蜥蜴人の体格であるザリュースの、その背中に大きな漢の姿を感じた。

 ここでクルシュは一つだけ贈り物をする。

 

「シャシャ殿、少し待って」

「え?」

「体力の回復を――〈中傷治癒(ミドル・キュアウーンズ)〉」

 

 ザリュースの体は淡い光に包まれる。同時に、全身からだるさが完全に消えた。

 

「おおっ、これは凄く助かる」

 

 外へ出たザリュースは、クルシュの小屋の傍で控えていた祭司と戦士達に再び付き添われて村の外まで見送られた。彼は、ロロロと湿地の深めのところで合流すると、再び全力で西を目指し進み始める。

 

 

 

 

 〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族の集落を後にしてから1時間と少しが過ぎた頃、湿地をロロロに乗って急ぎ駆けるザリュースの視線の先に、〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の集落が見えてくる。そこで彼は「さて、どうなるか」と呟くも進む足を止めない。

 それよりも、腰に下げる剣の柄を一度掴み確認する。

 

 愛用する牙が凍った風で4つに枝分かれした魔法剣『凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)』――これは元々、数年前の戦いの際、〝鋭剣(シャープ・エッジ)〟族の族長を討ち取った強者である誇りの証しとして引き継ぎ持つ剣であった。

 

 今から分け入ろうとする〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の集落には〝鋭剣(シャープ・エッジ)〟族の生き残りも40名近く暮らしていることだろう。

 一斉に取り囲まれれば、無事では済まない。しかしそれは、〝緑爪(グリーン・クロー)〟族の集落を出た時から百も承知の事。

 ザリュースの接近に数多の戦士風の者達が気付き、村へ入る手前に号令も無く集まり始めた。流石は最大戦力を持ち勇ましいと聞く村だけの事はある。

 向こうからのアクションがあるかと思われる寸前で彼は止まると、声を周囲へと響く様に張り上げて叫ぶ。

 

「俺は、今回の魔物の件で、〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族の一時協力を含めた四部族連合の代表としてこの地に来たザリュース・シャシャだ。至急、族長に会わせてほしい!」

 

 魔物の件と『四部族連合』の言葉に、戦士達が少しざわつく。

 彼等のこの村でも当然、接近中の余りに巨大な魔物への対応を憂慮していた。加えて『四部族連合』という衝撃と威圧度の高い文句。

 そこへ、巨体のロロロがザリュースの為にと、4つの頭を上に向け大顎を開けると、周囲へと威圧の唸り声を上げてくれる。

 だが、その声をそよ風の如く受け流して、村の奥から巨体を誇る一体の蜥蜴人(リザードマン)が現れた。

 

「よく一人で来たじゃねぇか。流石は〝凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〟の持ち主よ」

 

 身長は2メートル30センチはあるだろう。そしてその右腕が筋肉で膨れ上がり、尋常ではない力の持ち主だということがはっきりと理解出来た。

 その表情は口が切り裂かれたのか大きく横まで裂けており、蜥蜴というよりはワニというべき厳つい顔をしている。

 だがザリュースが最も注目したのは、胸に押された焼き印だ。

 それは――ザリュース自身にもついている『旅人』になった者の証しであった……。

 ロロロに跨る彼は、目を細める。

 

(この者は外から戻って……)

 

 ザリュースの予想通りの言葉を、大柄の蜥蜴人(リザードマン)が告げる。

 

「俺が〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族長、ゼンベル・ググーだ。ゼンベルでかまわんぞ」

「お初にお目に掛かる。俺は……ザリュース・シャシャだ。用件は、例の魔樹に対しての五部族連合での対応だ」

「ほお、あとはウチだけということか」

 

 ゼンベルは耳が良いらしく、ザリュースの最初に叫んだ言葉が届いていたようだ。

 そうであれば話は早いとザリュースが協力の話を伝えようとしたとき、ゼンベルがそれを制する様に兆戦の言葉を先に叩き付けてきた。

 

「――なら、まず剣を握れ。共に戦うに相応しいかその力を皆へ示してもらおうか。俺らが信じるのは強者のみ」

「……(言葉での説得は無理か)分かりやすい判断だ。ならば俺は力を示すしかないな」

 

 訪問者の周囲を戦士達や祭司の者らが半包囲に囲う、敵陣のど真ん中といっても差しつかえのない状況。そこへ堂々と立っているだけでも、十分に度胸のある者だと知れる。

 誰であれ真の強者には敬意を払う。それは、この種族の本能的文化とも言えるだろう。

 

「ふふ、怯みがまるでないか。見事な使者殿だ。伊達に四至宝の一つの所有者じゃねぇな。勿論、相手は――俺がする。付いてくるがいい」

 

 族長のゼンベルが、差しの戦いの場へと集落の大通りを進み案内する。

 こうなれば、部族の者は誰も横から勝手にザリュースへ手を出すことは出来ない。

 それは卑怯者のすることで、もうこの集落にはいられない事を意味するのだ。

 ザリュースはロロロから降りて、再び深めの湿地で待つように手で指示すると、ただ身一つで集落へと足を踏み入れていく。

 当然の如く多くの鋭い視線が突き刺さる。数年前のあの凄惨な戦いの随分前から、この村へ単身で〝緑爪(グリーン・クロー)〟族の者が入った話を聞かない。

 でも今は、そんな過去など脇へ置いておく。五部族全部の命運が尽きるかもしれない魔物へ足並みを揃えなければならないのだ。

 ゼンベルが足を止めたのは集落の中央にある湿地の集会広場と言える場所。楕円風で、狭い部分でも30メートルはあるだろう。その地へ間もなく人垣で円陣が出来上がる。直径で20メートル程あるだろうか。

 勝たなければ、生きて出られないだろう決闘場が出来上がる。

 ワニ顔の族長が3メートル程の長さの槍、石斧状の部分も付くハルバートを配下から渡され、太い右腕へ握ると尋ねてきた。

 

「さて、準備に不足は有るか?」

「ないな。開始の号令を頼む。あ、大怪我をさせるのが目的ではないんだが?」

 

 両者はまるで酒の席での会話のような雰囲気に、周囲の者の方が緊張で固まっていた。

 そんなザリュースの言葉に、じゃあという感じでゼンベルは返す。

 

「ふん、では俺に負けだと認めさせろ。周りの者らはよく聞け! もし、俺がここで死んだら、こいつがその瞬間から族長だ、忘れるな!」

 

 族長としての厳命を聞き、戦いを前にざわついていた周囲の者達は押し黙る。

 その決意にザリュースも伝える。

 

「俺は絶対に死ぬつもりはない。だが、もし俺が死んだ時は、魔物も含め好きにするがいい。それと、この〝凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〟はゼンベル殿のものだ」

 

 雄と雄の決闘の宣言と言える。

 これで、もはや誰にも汚すことは出来ない。

 二人は円陣の中央付近で向かい対峙する。体格差は190センチ程の平均サイズのザリュースと比べ大人と子供程の差が見て取れた。

 ゼンベルは戦士頭へと視線を向ける。

 すると、その者が手を上げて「始めっ!」と叫んだ。

 

 互いの得意手が不明のため、数合は探り合いという感じに進む。

 腰のいびつな斧にも見える愛剣を抜いたザリュースが間合いを詰めたところで、ゼンベルがリーチの長いハルバートを振るう。

 その次の段階としてザリュースが踏み込むと、ゼンベルがハルバートを鋭くぶつけて来た。

 巨大といえる右腕から発せられたその凄まじいパワーで、ザリュースは強い衝撃により数メートル軽々と飛ばされた。

 ゼンベル優位の状況に周囲の円陣が湧く。

 だが、受けたザリュースは全然違う考えをしていた。

 

(なんだ……これは? 弱い? ……いや油断を誘っているのか)

 

 そんな思考の途中で、ゼンベルが尋ねてくる。

 

「まだ、その剣の力を使わねぇのか?」

「――っ!」

 

 族長の言葉で、ザリュースは気付く。この目前の雄は『凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)』の能力を知っていると。

 続けて、ゼンベルの方からその事実をあっさりとバラしてきた。

 

「俺は昔、その剣を持っていた奴に負けたんだよ。この左手の有り様はその時の傷だ。それから俺は旅に出たのさ」

 

 ゼンベルの左手の太い指はその二本が欠落していた。

 

「……そうだったのか」

 

 相手は同じ〝鋭剣(シャープ・エッジ)〟族の族長であったはず。

 ザリュースが先の戦いの中で勝てたのは、混戦の終盤で〝鋭剣(シャープ・エッジ)〟族の族長が、すでに一日に3回使える『凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)』の能力を使い切っていたことが大きい。あの強大な力がザリュースと戦った時に残っていれば、死んでいたのはどちらであったか……。

 つまり、この剣の全開能力と戦った事がある戦士と今、ザリュースは向き合っているのだ。リーチの長いハルバートを持つ意味にも頷ける。

 だが、ザリュースも旅人として昔とは戦士としての水準を随分と上げている。

 そう思い彼は、憶することなくゼンベルの懐へと先程よりも速い身の熟しで踏み入り剣の一撃を振るおうとした。

 しかし――それをゼンベルは待っていた。

 ザリュースは、ソノ攻撃を右手で握る剣へ左手を刃面に添える形で受ける。

 ゼンベルは右手に握っていたハルバートをすでに手放し、太い右腕の手刀を震脚と腰の力強い捻り込みも上乗せし力強く突き込んで放ってきた。それは受けなど関係ないとお構いなしにだっ。

 丈夫な『凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)』がへし折れるかという側面への衝撃の直後、威力を不用意でまともに受けたザリュースは弾丸の如く飛ばされる。

 円陣の人垣の上を飛び越えて、その後方の湿地帯の抵抗の大きい路面を20メートル程転がる。

 

「ぐっ、何てパワーだ」

 

 ゼンベルは戦士ではなく、修行僧(モンク)だったのだ。

 ザリュースは受け身から立ち上がると、湿地を軽快に走り円陣を飛び越え決闘場へと戻る。

 その様子を腰の低い構えのまま、両の手を閉じたり開いたりしながらゼンベルは悠々と待つ。まるで、手応えが不十分だったことですぐ戻ってくることが分かっていたかのようだ。

 

「さあ、仕切り直しだ。ここから本番だぜ」

「凄い手刀だな」

「こおぉぉぉおおおお!」

 

 ザリュースの言葉へ、ゼンベルは息を長めに吐き出し、凄まじい手刀の攻撃で応える。

 不意を付けたと思った一撃をザリュースが剣で受け切ったからだ。加えて、部族内の他の者なら、今の一撃で昏倒していてもおかしくない衝撃のはずであった。現に、ザリュースの身体は飛んで行ったぐらいなのだから。

 鋭い手刀は肉体も含め鍛錬により〈アイアン・ナチュラル・ウェポン〉で、硬質化もされその硬度は鋼鉄に近付く。最高の熟練者にもなれば、アダマンタイトの鎧がへしゃげるとも言われている。

 ゼンベルの剛力で鋭い手刀の攻撃をザリュースはなんとか『凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)』でいなし流し、体勢を崩さない範囲で耐える、耐えて、耐えた。

 双方二十合以上を交え、間合いを取って睨み合う。

 互いの剣と手刀が周囲の空気すら震わし、顔を掠める攻撃が幾つも放たれ届いており、ザリュース側の顔や体には数か所から流血が見えていた。

 その姿を見つつも、未だ無傷のゼンベルは全然納得がいかない。

 

「(チッ、どれも浅いか)……はっは。この攻撃に耐えるかよ」

 

 一方、受ける側のザリュースは、クルシュに心の中で感謝していた。

 

(あの去り際の回復魔法を受けていなければ、ここまで体を動かす体力が残っていなかった……本当にイイ雌だな)

 

 思わず内心でニヤけたザリュースの表情に、ゼンベルの不満が声となって告げられる。

 

「どうしたよ、何故剣の力を使わないんだ? 手加減されてる気がするんだよ」

 

 それへ真顔に戻ったザリュースは答える。

 

「悪いが、あれを使うつもりはない。この闘いは―――殺し合いじゃない。勇気と力量の見せ合いだろう?」

「そうか……、なら俺の修行僧(モンク)の神髄を見せるしかねぇな」

「ああ、こちらも剣技の全力を見せよう」

 

 直後から更に戦いは凄まじいものとなった。

 ゼンベルは、気の効果で包み込むことにより肉体の各所を〈アイアン・スキン〉で鋼並みに強化する技も投入し、剣を恐れず前に出て鋭い手刀の攻撃だけではなく、蹴り、尻尾での払い、殴りを連撃で畳み掛けていった。

 それに対して、ザリュースも受けるだけではなく、何度も間合いを素早く取ると回り込みつつ切り込んでいく。

 なので徐々に傷が増えていくのは、普通の鱗に過ぎないザリュースの方のみであった。

 その壮絶さに、円陣をもって囲んでいる〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の者達は圧倒され固唾を飲んで見入ってしまっていた。

 

 しかし――勝敗とは見た目の傷でつくものではない。

 

 ザリュースの持つ魔法剣『凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)』は、刀身に冷気が宿っており、切り裂いた相手……攻撃時に接触した者へ追加で冷気のダメージが与えられるのだ。

 つまり、『凍牙の苦痛』の刃を受け止めただけでもゼンベルには冷気の攻撃が当たることになる。〈アイアン・スキン〉で低減してはいるが、夏の季節にもかかわらず手足へのかじかみを感じ、長時間の戦いは不利だと悟った。

 

(大技に気を取られていたが、本来の能力はコレかっ。前はもっと早くに負けたから気が付かなかったぜ、畜生っ)

 

 これがあれば、防戦のみに徹していればいいはずだが、このザリュースという戦士は、更に踏み込みを見せてきていた。

 目の前へ立つヤツには、もうゼンベルの必殺のはずである激しい猛攻を何度も全て凌ぎ切られている。

 

 ゼンベルは嘗て自分の負けた者を倒した漢が、本物だというその事に――満足していた。

 

 〝鋭剣(シャープ・エッジ)〟族の族長は、魔法剣の大技を全て使い切っていたとしても、少なくともこの状態でザリュースに破られているはずなのだ。

 すでにゼンベルは、全身が重くなり始めていた。あと数分で勝敗はついてしまうだろう。だが、それは彼にすれば『見苦しい』というものに他ならない。

 

 突然にゼンベルは、潔くここで自ら構えを解いた。

 

 ザリュースとゼンベルとの見た目では、明らかにザリュースが苦戦しているように見えていた。それは多くの傷に加え、既にザリュースが僅かだが肩で息をし始めていたからだ。1時間分の全力移動の後での全力戦闘が約15分。

 余裕はほとんど無かった。しかし、ゼンベルのダメージ具合は勿論知っている。

 だから……ザリュースが告げた。

 

「引き分けだな?」

「――そうだな」

 

 彼の意外な言葉に対してゼンベルは直ぐに乗る。族内の者からザリュースの言葉へ文句や反論の出ないうちにだ。

 恥ずかしいのはコチラなのであるから。

 今回の魔樹の協力の件は、一時的なものに過ぎないと容易に考えられた。

 ザリュースは「引き分け」と言い出した時点で、この部族を率いる気もなさそうなのは明白。

 だから、ゼンベル自身も部族の為にここで求心力が落ちる事を避けたいと考えた。

 最後まで決着が付かなかったが、〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族内の者でゼンベルとここまで戦える者はいない。10分もつ者が一、二名いる程度である。

 多くの者が忘れていたみたいだが、この闘いは勝敗を決めるモノではない。ゼンベルが『共に戦うに相応しいかその力を皆へ示してもらう』と言っていた。あくまでも、使者であるザリュースの強さを確認する為に行なったのだ。

 そして、ザリュースは族長のゼンベルと互角の戦いを見せてその強さを多くの者に見せたのだ。

 ザリュースは改めて〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の族長ゼンベルへと願い出る。

 

「例の魔樹に対して、〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族とも歩調を合わし五部族連合で対応したい。ついては是非協力をお願いする」

 

 これに対し、ゼンベルが直ぐに答える。

 

「いいぜ。種族全体の危機に勇敢なザリュース・シャシャは単身でこの地へ赴き、皆の前で見事に奮戦と勇を示した。故に――〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族も協力する。皆、わかったな! 異論は族長である俺がゆるさねぇ」

 

 円陣で集う多くの部族の者達からの反論は出なかった。

 こうして、遂にザリュースは難問であった〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族からの協力の取り付けに成功したのである。

 彼はすぐさま、ゼンベルへ告げる。

 

「〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の戦士を10名程選抜して欲しい。これから出来るだけは早く魔樹への対応に向かおうと思っている」

「おいおい、お前自身がか?」

「そうだ」

 

 このザリュースの言葉に、〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の中からも「すげぇヤツだな」「本当に勇敢だ」という声が漏れてきた。あの巨体の魔物の話を聞けば、絶望的な気にすらなるのだ。

 五部族で最大戦力を持つ〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族でも一部で『静観』という流れを見せつつあった。

 ゼンベルはというと、もちろんザリュースと同じ対処派である。

 だから、勇敢な使者の言葉にこう語り出した。

 

「じゃあ、先陣はもちろん俺をはじめ、この〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の精鋭が務めよう」

 

 戦ではないのだがとザリュースは思う。

 でも緊張感はそれ以上にあってもいい局面なのは確かだ。

 集落どころか五部族全てが無くなるかもしれない大任である。族長が率いるのは当然だと言わんばかりであった……。

 

 

 

 

 それから3時間近くが過ぎたころ、五部族からの選抜戦士達が〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の集落の南方500メートルの辺りに集結した。

 時刻は丁度、正午を過ぎた頃。

 集まった者達は、各部族の族長の地位にいる者達が各10名程の戦士らを率いていた。

 まずシャースーリュー・シャシャをはじめ、各族長を中心に話が進み、戦士長など共に戦う者として一言ずつ挨拶を行う。彼等の中で異色なのが最後に一団を率いて現れたクルシュ・ルールーであった。彼女は「日光に弱いので」と伝える。真っ白の身体に日除けのため、上半身へ草で作った被り物を纏った姿により植物系モンスターかと思わせる(なり)を披露していた……。

 〝緑爪(グリーン・クロー)〟ら三部族の一行は、湖で水揚げしたばかりの魚を差し入れ、〝朱の瞳(レッド・アイ)〟は薬などの医療系の物を持ち込み、最も近い〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族は矢や槍、斧などの武器を多めに持ち込んでくれている。

 五部族での総勢は58名。これには最終連絡要員も含む。各村では、もしもを考えて戦士以外の湖中央北岸側への退避が始まっていた。

 そして挨拶に続き、魔樹対策の当地臨時指揮官が決められる。

 

 それには――多頭水蛇(ヒュドラ)のロロロを従え、この場の脇にいたザリュースが指名された。

 

 彼の指名は、一時的に協力を承諾したゼンベル・ググーとクルシュ・ルールーからの強い要望でもある。

 特にゼンベルは「他の者の指揮なら、俺達は抜けさせてもらう」とまで言い出していた。直後にクルシュ・ルールーも「申し訳ないですが、こちらもザリュース・シャシャの言葉を信じて来ましたので」と付け加えた。

 このため、三部族の代表でもあるシャースーリュー・シャシャが、「ザリュース、この場は全てを言い出したお前が指揮するのが相応しいだろう」と伝えて話は落ちつく。

 兄は元々弟の力量を高く買っていた。族長すらも広い判断力に多くの英知を持つザリュースの方が相応しいのではと考えている。しかし、弟としては族長について、高い武力も含め以前から部族内に多くの人望や統率力のあった兄が適任だと疑わないでいた。一度権力の外へ出た自分は、その補佐程度が適任なのだとの思いは変わらない。

 一同の話が一段落し休憩を兼ねて食事が始まると、ザリュースは真っ白の君であるクルシュ・ルールーとの再会を果たす。

 

「中々しぶといのね」

「どういう意味だ?」

「さあ。一応褒め言葉だけれど?」

 

 笑顔を浮かべる彼女により、彼の疲労と傷は〈中傷治癒(ミドル・キュアウーンズ)〉にて回復してもらう。

 30分ほどで荒事前の急ぎ気味での食事休憩を終える頃、〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の斥候から、最新の魔樹の位置情報が伝えられる。

 

「魔物は依然として東北東へ向けて移動中。あと2,3時間で、我らの集落へ最接近するとみられる。その距離は、ここから我ら集落までの4倍程の位置だ。一応まだ安全圏とはいえ、早朝よりも――やや北寄りを通ってきているぞ」

「「「「「――!?」」」」」

 

 五部族の長達とザリュースは顔を見合わせる。これ以上進路を北寄りへ向けさせれば、非常に危険だと。

 ザリュースが各部族へまず尋ねる。

 

「あの魔物へ攻撃を仕掛けた部族はあるか?」

 

 その返事は「いや」「うちもない」「いえ」「まだだ」など何処も試してはいないようだ。

 当然と言えば当然。もし軽率に仕掛けて暴れたことで進路が変わった場合、その責任を取れるのかという話だ。

 しかし今、誘導する為にはいくつかの即時決断が必要であった。まずザリュースが考えるのが『囮作戦』だ。進路上に立ちふさがり反応を見るというものである。

 ただし、既に森に生える樹木などはお構いなしに踏みつぶしており、動物への反応確認と蜥蜴人(リザードマン)自身での確認を予定する。

 まず、大きめの動物がいいだろうと、大鹿辺りで試すことにした。

 そして囮となる蜥蜴人(リザードマン)は――。

 

「俺がこの中で一番頑丈のはずだぜ。動きも悪くないはずだ。なあ、ザリュース」

 

 自分しかいないだろうと、ゼンベルが太い右腕に持った石斧風のハルバートを肩に乗せつつ、ニヤけながら要求してきた。先陣を切らせろとだ。

 ザリュースも彼が適任だろうと、それを認めた。

 

「……そうだな。では、〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の族長殿にお願いする」

「ふん、堅苦しいなぁ。あれだけの戦いが俺と出来るんだ。堂々と対等でいい」

 

 ゼンベルは、ザリュース程の雄が風下に立つ事を許さない。

 それは自分の誇りにも繋がるものであるからだ。己を凌ぐほどの者は、やはり並び立ってもらわねばスッキリしないと考えていた。

 また、己が言い出さなければ、間違いなくザリュース自身が行くと言い出しただろうと。

 一時的とはいえ不可能に思えた五部族連合を現実化させ、英雄的風格を見せるヤツは、最後まで残っていてもらわなければ種族としての損失にも思えた。

 

(魁は、俺のような前のめりに闘うことしか出来ない者が適任なんだよ)

 

 ゼンベルは、皆へ的確に移動の指示を伝える指揮官ザリュースの姿を見つつ満足気に微笑んだ。

 

 ロロロを連れたザリュースと五部族連合の一行は、速やかに南西の地へ移動すると、魔物の様子を探り随時連絡を寄越す班と木材で箱型の檻を作る班、森の動物を捕らえる班と――蜥蜴人(リザードマン)自身で魔物の反応を確認する班とに分けられる。

 魔物の様子を探る班は〝小さき牙(スモール・ファング)〟族、檻を作る班はクルシュらの〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族が、森の動物を捕らえる班は〝鋭き尻尾(レイザー・テール)〟族が受け持った。

 そして、蜥蜴人(リザードマン)自身で反応を見る班は、ザリュースとシャースーリュー率いる〝緑爪(グリーン・クロー)〟族とゼンベルら〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族が合同で担当する。

 時間がないので、動物を使う確認の下準備の間に、魔樹の蜥蜴人(リザードマン)への反応確認を行う。

 危険も多いが30分ほどとはいえ、待ち時間すら貴重で無駄には出来ない。

 囮であるゼンベルが、落ち着いた様子でただ1名、巨大な魔樹の進路上真正面へハルバートを右手に仁王立ちしていた。

 そこは森の木々が少し薄く、日が随分差し込み地面には草が少し伸びている場所だ。木々の間から、魔樹の巨体が十分視認出来る程。

 ただ、果たして魔樹側から外を視認出来ているのかも分からない。もしかすると枝や根などからの接触で外を認識している可能性もある。

 他の者は、ゼンベルの姿が辛うじて見える200メートル程離れた場所で待機する。

 ゼンベルは一応〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の戦士達へ、「俺に万が一の事があればザリュースの指示に従え」と伝え、その10名を彼に率いらせていた。

 なので今、〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の族長は、一人の修行僧(モンク)としてここで魔樹の前に立っている。

 ザリュースからは、「()()手を出さないでほしい」と伝えられているので、まず躱したり逃げたりして反応を確認するつもりだ。

 正直、ゼンベルも実際に西から迫りくる山のようなあの魔樹の巨体を目にして唖然とする。どうこう出来るとは到底思えない大きさである。

 

「おいおい。なんだよ、ありゃ。笑っちまうぜ、俺達が闘うとか考える規模じゃねぇな……もはや竜王とか神の領域だぞ」

 

 たとえ魔物の全身が、本来の樹木程度の強度であったとしても、その重量比が半端ではない。左右にうごめく巨大な蔓の枝の一撃は、間違いなくすべてを圧殺するものと確信出来た。

 そうして、10分と少しで魔物の左右から出る太い蔓状の枝がとぐろを巻き、両脇から先行する形に本体もゼンベルの目前50メートル程まで迫る。つまり、魔樹の前は幅300メートル程の鶴翼隊形の壁正面に位置しているような雰囲気といえる。凄まじい威圧感で迫って来るとゼンベルは感じていた。

 

 しかし――魔物の前進速度と進路はまるで変化がなかった。

 

 怪物の動きはあと30メートル、更に20メートルまでメリメリと木々を押しつぶしつつ寄っても変わらない。そしてついに本体の根元が10メートルほどまでにゼンベルへ近付いて来た。

 勇敢なゼンベルもこれ以上は危険だと、南東へと急いで下がる。それは追って来られても良いように南への誘導も考えてだ。

 だが、魔樹はその進路を変えなかった。彼は再び、正面やや右の位置へ立って南側へ誘導を考えたが、進路を変更してまで迫って来る感じはなかった。

 それを更に3回ほど繰り返し、5度目の正面位置への挑戦に立った時、遂に異変が起こる。ゼンベルの周囲は、すでに樹木の間隔が詰まり鬱蒼としたいつもの森の光景であった。

 それゆえに、はっきりと認識出来た。

 魔樹の長い蔓がゼンベルへ向けて放たれたのが――。

 

「――ごがぁっ!!?」

 

 咄嗟に樹木の間へ下がり避けたにも拘わらず、ゼンベルは周囲の木々十本以上と、へし折れたハルバートと共に派手な形で空中へ吹っ飛ばされていた……。

 魔樹本体右手側から伸びる上から二番目の蔓の枝で、中央から外へと払う形で鞭の如く放たれたものだ。

 直撃を躱したはずだが、それでも彼は軽く100メートル以上後方へ飛ばされ、数度樹木へぶつかり地面に転がる。

 〈アイアン・スキン〉も発動し屈強であるはずのゼンベルだが、完全に脳震盪を起こしていて立ち上がれなかった。

 幸い、魔物と距離がひらいたのでザリュース率いる、〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の戦士達に急ぎ進路外へ運ばれ手当てを受ける。

 そんな際中にもゼンベルは語り出していた。

 

「アレは、敵を確実に視認しているぞ。樹木の間に入ったが、構わず打ってきやがった。巨体の割に狙いが随分正確でもある。なんとしても、五部族の集落からヤツを引き剥がさねぇと――全てを失うぞ」

「分かった。少し休んでいてくれ。まだ試してみたい事がある」

 

 ザリュースは立ち上がると、檻を作る班である〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族の所へと向かった。森の中は狭いので、ザリュースはロロロを降りて歩いている。ロロロは終始彼について回っていた。

 〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族の彼等は3つ目の檻を作っていてまだ作業途中であったが、指揮官は先に確認させて欲しいと割り込む。

 クルシュらの隊には、彼女以外にもう一人戦士兼任の祭司が来ていた。クルシュとその者へザリュースが一言問いかける。

 すると、クルシュ達から彼の期待する答えが貰えた。すぐさま、ザリュースは最前線へとって返し〝緑爪(グリーン・クロー)〟族の数名の戦士へ後で試すためにある事の準備を頼む。

 間もなく、森の動物を捕らえる班の〝鋭き尻尾(レイザー・テール)〟族の戦士達が大鹿を捕らえてきた。戦士が3名もいれば、難度が20程の野生動物を正面から捕らえることはそれほど難しくない。

 戦士達は、足を縛った生きている大鹿を担いで運び、出来上がった檻へ放り込むと、縛っていた紐を引いて解き解放する。そこまですると〝鋭き尻尾(レイザー・テール)〟族の戦士達は再び動物探しに出かけていく。

 その檻を連絡を受けた〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の戦士らが担いで、魔樹の進路上正面へ放置し様子を見る。

 すると、一度目は直進して来る魔樹の根の部分に踏みつぶされてしまう。

 しかし次の檻では、驚愕の展開をみせた。太い蔓を器用に使ってその檻を掴むと――なんと口の如き開口部へと檻ごと動物を放り込んでしまった……。

 ザリュースと戦士一同は、その光景を目の当たりにし戦慄する。

 

「うあぁあああ……」

「……この魔樹は力で踏みつぶすと共に植物の精気を吸い取り、生物を丸のみして食うというのか……」

「これは余りにも、危険過ぎるっ」

 

 植物には樹液で生物を溶かして捕食する種類もあった。

 だが、この超巨大サイズである。また蔓状の枝は、太い木々も無傷で軽く打倒する強靭さとパワーから、村や街を襲い種族を絶滅させることも容易に思えた。

 ザリュースは眉間に皺を寄せて苦悶する。

 

(コイツを何とか滅ぼす手を打つ必要がある。もう俺達が助かればいいという次元じゃない。何とかしないとこの森全体と言わず、その外の世界も全て滅びるぞっ)

 

 ただ、この後に3つ目の檻を進路の右側へ置くと――捕食の際、ついに右側へ少し方向が動いた。

 ザリュース達は僅かだが、南寄りへ巨大な魔物の進路を変えることに成功する。

 だが、歓声は上げられなかった。本題のこの魔樹をどうにか出来ないかという部分は、多くの者の中で完全に見通しが立っていないためだ。

 そんな中、ザリュースは先程から一つだけ手を考えていた。とはいえ種族の生存環境付近での実行は躊躇われた。

 

 暴れた時に、何が起こるか誰にも分からないからだ。

 

 〝緑爪(グリーン・クロー)〟族の戦士等へ頼んだ準備は整ったが、まだそれらの用具を担いだ戦士達は魔樹の進路上をただ先行する。ロロロにも一部運んでもらっていた。

 強い者や出来る者が生き残る。それがこの世界の現実である。『全てを救う』という考えは綺麗ごとにすぎない。それは最早、傲慢ともいえる神の水準。

 だから、今は種族優先で可能な事をしようと(ザリュース)は動いていた。蜥蜴人の生活圏以外での処分である。戦闘地域の住民は貧乏クジを引くという事だ。

 まずは巨大な魔樹について、彼等の湖からの引き離しを行う。

 追加で檻と動物を増やし、本当に僅かずつだが進路を南寄りへと変えさせた。動物を入れた檻は、一行が東へ移動しながら皆で6時間を掛け、計15個を超えて作りあげ魔物へ捧げられた。

 そうして、夜中の日付が変わる頃には、5部族で一番東の〝緑爪(グリーン・クロー)〟の集落の南東側4キロを無事通過させていた。

 彼等は、森の途中の泉や沼で水分を補給しつつ、更に東側へと移動し交代で3時間程の仮眠を取ると、早朝の日の出の時刻を迎える。

 すでに、逆さ瓢箪型の湖から東南東へ10キロ程離れた位置に来ていた。湖近隣の蜥蜴人種族の安全は確保出来たと思われる。

 ここでザリュースは、いよいよ魔物に対して一つの策の実行を提案する。

 

「俺は、可能性のある手を今試しておきたい。なんとかあの魔物を止めたいんだ」

 

 それに対し、シャースーリューやクルシュ、治療の終わったゼンベルらも賛同した。

 

「出来るなら倒しておきたいと、そういう事か。……そうだな」

「いいんじゃねぇか。誰かがやらねぇと効果もわからないしな」

「怪物を放っておくわけにはいかないわね」

「仕方ないの」

「見過ごせんか」

 

 一応全部族長の合意を受け、まずその前段階の確認を開始する。

 満を持して〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族のクルシュともう一人戦士兼任の祭司に頼む。そうして、ザリュースは肝心のモノを出してもらい受け取った。

 それを片手に、彼はゼンベルや〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の数名の戦士と、〝緑爪(グリーン・クロー)〟の例の用具を担いだ戦士数名やロロロも連れて森の中を移動していく。

 魔樹の進行方向の少し前方。僅かに開けた場へ陣取ると、石で囲みを作り森の中で収集させた乾いた木々を積み、ザリュースは手に持っていた――『()()』から焚火を起こした。

 勿論あの怪物が避けることを期待して正面に配置する。

 そう、これは魔樹の、地へ置かれた炎に対してどういった行動をとるかを見る事が目的だ。

 

 ザリュースは強大な魔樹も、樹木のモンスターである以上『火系』が有効だろうと考えた。

 

 『火』というのは水場を好む蜥蜴人(リザードマン)にとっても忌むべきもの。しかし、すでに種族の伝統や手段を選んでいる場合ではない。

 そうして、じきに魔樹が焚火の前へやって来た。

 

 だが、ヤツは避けることをせず――焚火を触手風の蔓の枝で叩きつぶし確実に消す。

 

 その様子にザリュースは、予想通り魔物は植物ゆえに火が苦手と考え、急ぎ次の行動へ移った。

 5分程で5名の戦士達に火矢の準備をさせる。手持ちで用意していたのは魚の油だ。蜥蜴人達はほぼ火を使わないが彼は〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の村から何とか用意させていた。あと数少ない乾いた織物の布を撒いて足しにする。

 それを魔樹の後方、バラバラの5箇所より木々の間の位置へ隠れ潜み、ザリュースの「打て―っ!」の声に合わせて一斉に放つ。

 的は巨大であり、確実に当たる――と思われたが、なんと矢よりも数段速い蔓状の枝の動きにより一瞬で全てが撃ち落とされると同時に、念入りに炎は消されていた……。

 魔樹の正確な対応に、戦士達は困惑する。

 

「馬鹿なっ」

「そんな」

「なにぃっ?!」

「くそっ」

「見えてるのかよ?」

 

 おまけに枝の動きはまだ止まらない。矢を放った者達と、声を上げたザリュースへもカウンターの如く蔓の鞭が襲い掛かっていく。その結果、〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟の3名と〝緑爪(グリーン・クロー)〟族の2名の戦士が、剣を抜いて構えるも虫のように叩き潰された……。

 

「なっ!」

 

 見えた太い蔓の動きに指揮官のザリュースは、仲間の凄惨な最期を確信する。だがそれに囚われている場合ではない。ザリュースへも枝が正確に高速で迫って来ていた。

 

「――くっ!」

 

 迫る枝へ咄嗟に、手へ握る『凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)』の能力の大技である〈氷結爆散(アイシー・バースト)〉を手前の広域へ放って逃げた。魔樹によるザリュースへの一撃が空を切る。

 蔓の表面を僅かに凍らせ固めて方向を辛うじて僅かにズラすことが出来たので死なずに済んだ。だが二度目は無いように思えた。

 近くへロロロと潜んでいたゼンベルが、仲間をやられた怒りに唸る。

 

「畜生っ、仲間をヤラれたっ。あの怪物めぇ。ザリュース、大丈夫かっ!」

「ああ。く……」

 

 ザリュースは、『結果的に判断ミスをしてしまったのでは』という激しい自責に一瞬固まる。

 彼は指揮官として『火』が有効なら大量の火矢が武器として使えるだろうと考えていた。更には森ごと燃やす手も考えて。最終的に五部族の全戦士達を動員してもだ。ただ、今の反撃を見れば全部族を集めても、まだ手に余る怪物と考える。

 ゆえにザリュースは、他の種族との連携も視野に入れて始めていた。確か東側の森には『東の巨人』が支配している地域が広がっていたはずだ。火矢への結果を材料に、ザリュースは東の森の支配者へ対し、直談判に向かえるなら行ってみたいと。

 しかし一方でそんな時間の猶予は全く無さそうにも思えた。

 まず彼等の正確な本拠地の場所が不明。東の勢力とは、森での距離をもって不干渉が長年の常識である。同種族ならともかく、異種族と聞く価値観すら違うだろう連中と歩調を合わせるのは難しく、時間が必要との予測も立つ。

 ザリュースらの人類にも近いその思考力は、歯がゆさと焦りを心の中へ広げていく。

 五部族連合に『より強い力』があれば、協力の取り付けや従わせるのも難しくはないのにとの考えも生み出しつつ。

 

 この世界において――『強さ(strength)』だけが万者の共通語なのだ……。

 

 だが今、ザリュースはそういった攻撃思想が仲間達を危険にしてしまったのかと後悔に浸る。

 

「クソぉっ、俺が……」

「おいっ! 一人で背負いこむなよ。これは五部族連合の族長らの総意だ。お前だけが気にする事じゃねぇ。誰かがやるべきことなんだ。()()()()()が戦うには手を何か考えるしかないだろっ!」

 

 ゼンベルが厳しい表情で告げていた。

 だが、問答や落ち込む時間すらも魔樹は与えない。

 

 なんと巨体の魔物は猛烈に前進をしだし、急激に速度を上げたのだ。

 

 進行方向の先には――兄やクルシュ・ルールー達がいる。30分ほど先行しているという予想で動いているはずだ。でも、このままでは数分で追いつかれ彼らへ危機が迫る。

 ゼンベルが咄嗟に叫ぶ。

 

「不味いぜっ! 急いで戻らねぇと」

「あ、ああ。今は皆に急いで知らせようっ!」

「よし。てめえらも急ぐぞっ」

 

 得意ではない森の中の踏破だが、一刻を争う。魔樹が一歩先行するも、時速は4キロ程度である。だが、すぐ横を走り抜けることができない。回り込む分遅くなることに焦りを感じた。

 ロロロを連れたザリュースとゼンベルに〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟の戦士達は森の中を急ぐ。

 

 

 

 

 

「――何か、騒がしくありません?」

 

 クルシュの言葉に、シャースーリューが直ぐに反応した。

 

「ん……? おい、そこの2名で魔物寄りの周囲を少し確認してきてくれ」

「「はっ」」

 

 歩哨に立っていた配下の戦士2名が、即行動を起こす。今は戦場にいるのと何ら変わらない。

 それに、魔物がいつも同じ速度で行動するとも考えていなかった。

 『火』を試すという話で、事態が急変することは十分考えられている。この位置は従来の魔樹の進む速さから30分ほど先行する位置だが、仮に魔物が10倍の速度に上がった場合、あっという間の位置でもある。

 もちろん、高速で迫られれば脇へ躱す一択となる。

 確認に行った2名の戦士がすぐに戻って来た。

 

「大変ですっ、魔物がこちらへ迫っていますっ、直ちに退避行動を。推定であとひと息(5分)ほどです」

 

 その報告に、〝鋭き尻尾(レイザー・テール)〟の族長が進言する。

 

「重い荷は捨て置こう。退避を急ぐべきだ」

 

 〝小さき牙(スモール・ファング)〟の族長やクルシュも頷き、シャースーリューも同意する。

 

「そうだな。皆、身軽に持てるものだけ持ち、南側へ移動せよっ。急げっ!」

 

 4部族40名程が森の中を南へ移動する。そして、距離を取って腰を下ろし息も殺して巨大である魔樹の通過をじっと待った。行動としては敵を挑発することなく、冷静な対応で悪くないと思われる。ところが、魔樹の攻撃範囲の見積もりが少し甘かった。

 彼等が急ぎ隠れた木々の場所は、魔樹の枝がとぐろを巻いた見かけの全福よりも100メートル以上離れて退避していたが、枝を最大で伸ばした半径300メートルよりも近くにいたのだ……。

 そのために、左右6本の太い枝全ての射程内であった。

 火矢を射かけられる前までは、枝の届く範囲にいても無視していた魔樹の反応が一変していた。

 それはシャースーリューらが居た位置へヤツの本体が最接近した瞬間に起こる。

 

 突如、魔樹の枝が全力で襲って来たのである。

 

 1本の枝には各所に小枝もある。当然小枝といっても、元枝が太いので普通の巨木よりも太いものすら存在する。それらが一斉に迫って来た。

 退避していた40名ほどの蜥蜴人(リザードマン)達は、北側からの半包囲を受ける形で大乱戦と化す。

 だが、精鋭の戦士で固めていたのは正解であり、その中にあって彼等の多くが愛用の武器を抜いて本分を全うする。

 戦士達は魔物への攻撃の手であると同時に、族長の守り手でもあった。

 

「枝の有効範囲から、全力で退避だーーっ」

 

 シャースーリューの大声での指示に、「「「おおっ!」」」の声が各所から返ると同時に数名ごとで分散する。檻を使った魔樹誘導の中で、脅威となる枝に対しての対処を検討していた。

 それは、木々や岩などの狭い間を出来るだけ抜けて逃げるというものだ。蔓は余り伸びる物には見えない。間合いに抵抗物が増えれば長く追うのは難しい。恐らく、30秒は追って来れられないと予想する。

 ゆえに初動が重要。

 全員が速やかに南側の木々が茂る方向へおのおの走り出していた。

 その中で標的になった者がいる。それは――最も目立つ者。

 戦士ではないその白き者は、両脇から戦士2名に抱えられつつ、その後ろに2名の戦士に護られ全力で走っていた。

 〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族の族長代理であるクルシュだ。

 戦士らの邪魔になるため草で作った被り物は退避時に手放し、今は布を上半身へ急ぎ巻いていた。

 白き異端の者であるが、付き従っている戦士等は長老達から命を賭しても守れと言われてきていた精鋭達である。

 あの魔法でクルシュと火をおこした戦士級の祭司が前を進む2名の戦士へ指示する。

 

「私達2名が下がり応戦する。10秒は稼ぐ――その時間で何としても逃げ切れ」

「「分かりました」」

「いけませんっ」

 

 クルシュは叫ぶが、祭司の者は族長代理の安全を最優先した。

 彼女を抱えるため、狭い所を余り通る事が出来ないのも狙われる要因となっていた。それを補うために囮として2名の者は速度を落とす。

 それに襲い掛かる三又に分れた枝の蔓。

 祭司の者は、魔樹の枝へ魚の油の小壺を投げつけると叫ぶ――「〈火球(ファイヤーボール)〉」と。

 後方の視界の端に炎を見たクルシュは、前を向くしかなかった。彼らの働きに応えるには逃げ切るしかないと決意して。

 ところが、次の瞬間。クルシュ達は左側から別の蔓の枝の攻撃を受けてしまう。

 3名はその威力に右側の木々や草木の茂みへと別々にふっとばされた。当然移動の足が止まる。

 直撃を受けた戦士は、気絶したまま太い枝に叩かれ頭を潰された。

 もう一人の戦士が剣を抜いて立ち上がるも蔓が首に巻き付くと同時にその圧倒的な力で、体が持ち上がり絞めにより脊髄圧迫損傷で、握っていた剣は握力を失った手より抜け落ちる。さらに、万力の如き力に断裂した胴体と頭が地面へと落ちていく……。

 そして蔓は次の獲物を求める。衝撃に朦朧としつつも逃げる為に立ち上がったクルシュへと迫って来た。

 彼女はどちらが南かも分からない状況だが、兎に角まず蔓から逃げようとフラフラと転がるように地を進もうとする。

 だが、蔓はもう彼女の傍まで来ていた。

 

(〈火球〉が使えれば――くっ、まだ魔法に集中できないわ。一歩でも進まないと……皆に……あの雄は無事かしら……)

 

 変わった形のクリスタル風の剣を腰に差した、種族の新たな英雄の姿がふと心に浮かんだその時、恐ろしい力で蔓に右脚の脛部分を掴まれ彼女は転倒する。

 その絞める余りの剛力に脛部分の筋繊維がブチブチと断裂していくのが激痛と共に伝わって来た。

 

「い、痛いぃぃ。キャァぁぁーーーっ!」

 

 最後を感じ、クルシュは思わず絶叫する。

 次の瞬間――周囲へと声が響いた。

 

 

 

「その雌に、触れることは俺が許さないっ! 魔樹めぇぇぇーーーっ!!」

 

 

 

 彼女の脚を絞めていた強烈な剛力がプツリと途絶えた。

 ザリュースの両手で握られた『凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)』からの渾身の一刀が、直径で15センチはあろうかという太さの蔓を絶ち切っていた。

 自身の断裂に一瞬引いた蔓の枝だが、再び小枝を伸ばしザリュースへ迫る。

 

「〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族の族長の方は任せろ。とっとと逃げるぞ」

 

 ロロロを〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟の戦士達に預け、共に先行して来たゼンベルがすでにクルシュを担いでくれていた。

 

「ああ、長居は無用だっ」

 

 言葉と共に頷くと、ザリュースは手へ握る『凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)』の大技である今日二度目の〈氷結爆散(アイシー・バースト)〉を手前の蔓と草木へ向けて放った。

 前面の風景が空気中の水分ごと一瞬で凍りつく。

 それへ背を向けてザリュースは、ゼンベルへ続きこの場を去って行く。

 

 彼はこのまま無事に逃げ切れると思った。

 

 なぜならあと少しの間、移動すれば蔓の到達圏から出るからだ。

 しかし――ザリュースは背中へ強い衝撃を受ける。

 それでも彼は木々の間や草木の群生場を走り続けた。そして、30秒ほど過ぎ、ゼンベルへ遅れるも蔓を振り切っていた。

 幸い魔樹は、()()()()()()にはさほど興味が無い様子で、そのまま東北東へと前進を続けて遠退いていく。

 苦痛の表情だが命に別状のないクルシュとそれを担ぐゼンベルが、後方に感じた草と枯れ枝を踏む足音に振り向くと、その場にドサリと両膝を突いたザリュースが前のめりにゆっくり倒れていく光景をスローモーションの如く見る。

 倒れた彼の背中には、浅くない()()と思われる赤い血の流れ落ちる傷が数か所、口を開いていた……。

 クルシュは自身の脚の痛みすら忘れ惨劇へ目を見開き、ゼンベルは思わず叫ぶ。

 

「ザ、ザリューーーースーーーーーーッ!」

 

 一時的ながら五部族連合を実現した蜥蜴人(リザードマン)の英雄は、圧倒的な魔樹からの攻撃で、ついに倒れてしまった。

 

 彼の深手は――次なる大規模の戦いに種族の重要な中心戦士の不在を意味していたが、それを思い知る者はまだいない。

 

 

 

 

 トブの大森林における巨大な魔樹との戦いはまだ続いていた。

 東部戦線ともいえる新たなる局面。

 

 

 しかし――率いる者が大バカであった……。

 

 

 蜥蜴人(リザードマン)達とのこの差は非常に大きいと言える。

 そのために、悲惨な結末を迎えるのは既定路線とも思える展開を、当然のようになぞっていく。

 

「お前ら準備はいいなっ! ()()()()突撃するぞ!」

『『『オオォォーーーーッ!!』』』

 

 戦術も戦略も何もない。魔樹の正面へ横列の感じで集まった一団が居座るのみ。

 ただただ、今までと同じ『 力 に よ る 戦 い (power battle)』がそこにあるだけだ。

 確かに相手が難度100程度の相手であれば、こんな形の戦い方でも十分通じたように思う。

 だが、今回は相手が悪すぎた―――。

 

 

 蜥蜴人(リザードマン)達を振り切り3時間が過ぎた頃、魔樹は周辺に『火』を使うものが居なくなったと認識し、再び速度を落としていく。この怪物もずっと警戒状態をとるのは精気を使い、多少疲労するらしい。

 しかしその時、魔樹の到達していた地域は『とある者』の勢力圏に深く入り込み始めていた。

 『とある者』とは、最近の30年程に亘りトブの大森林の東部森林地帯を治めている『東の巨人』という妖巨人(トロール)種族の部族長「グ」なる魔法剣を振るう支配者のこと。

 その「グ」と部族総戦闘力は、現在のトブの大森林で最強かもしれない。

 妖巨人(トロール)は長い鼻と長い耳を持つ種族である。筋骨が強靭に見えるけれど、人とは異なる異形により不気味さのあるモンスターだ。全高は2メートル後半程度だが、人食い大鬼(オーガ)よりも怪力を持つ。さらに抜群の再生能力を持っており肉片からでも蘇るほどだ。

 彼の傘下には現在、人類から見れば不死身のように思える妖巨人(トロール)が200余体の他、人食い大鬼(オーガ)も実に1000体程居た。あと「グ」の力により蛙頭のボガード、屈強なバグベア、言葉は話さないが理解し行動する悪霊犬(バーゲスト)も多数従える。支配集団に含む人食い大鬼(オーガ)の数が物語る通り、元々大森林東部にあったゴブリンの大部族を力で幾つか討ち滅ぼしている。隷属的となったゴブリンは1万余だ。ゴブリンの生き残りの一部は森の西側へも落ち延びていった。そして今も「グ」の勢力は、東部へ取り残されたゴブリンの大部族と小部族をいくつも同時に威圧し、隷属しようと考え動いている。

 『東の巨人』の勢力の目的は力に因る森の全域支配であり、昔より力を付けた彼等にはその戦力があった。でも智が皆無で、野望の進行は遅遅としている現状。

 「グ」は、妖巨人(トロール)の中でもひときわ大きく3メートル以上あり、筋骨隆々とした立派な体躯をもつ戦妖巨人(ウォー・トロール)で、大きいグレートソードで毒魔法の剣を装備した彼はLv.30以上であるハムスケをも超える攻撃力を有している。

 しかし、知能も加えた1対1での総戦闘力ではどちらに分があるのかは不明だ。

 とはいえ現在はまだ、ハムスケの勢力である南側へは不可侵の状況を守っている。

 それは嘗て南側に居るのは只1体と聞き、腕の立つ部下10名を送り込んで武を交えた事もあるが、だれも帰って来なかったことで妖巨人(トロール)を滅ぼせる存在と認識し、それ以後手を出していない。

 また北の湖のほとりに住む蜥蜴人(リザードマン)達には、力のある魔法を使う祭司と武勇の優れた戦士が多数いると聞き距離を取っている。

 しかし現在、東側方面の3分の2を統一した状況で、橋頭保として森の中央部を抜け西側方面の一角へと手を伸ばそうかという時期であった。

 

 その折に、「グ」のもとへ伝令として、一兵卒のバグベアが緊急事態を知らせてきたのだ。

 ここは東部大森林のほぼ中央辺りの地面に残る、大きく古い亀裂の入った跡。

 大地の裂け目の途中に掘られた洞窟の、その最奥へ作られた『支配者の間』と名付けた「グ」が執務をする特別の空間。その奥の上座に置かれた石材で作った歪な椅子へ、彼は座り報告を受ける。

 

「グ様、お知らせいたします。巨大な樹木姿の魔物が、森の中央より領内の木々を倒しつつ東へ向かい移動して来ていますっ」

「おのれ、どこの無法者だ! 俺の領地で暴れているのは! ぶっ殺してやる!」

「あの、それは難しいかと。山ほどの大きさでして――」

「――やかましい! 俺様がバラバラにして、残らず食ってやるわ! 下がって今直ぐに集められる軍団へ出陣を告げろ!」

「は、はいっ」

 

 配下の言う事など、彼はまるで聞いていない。正に力ある独裁者であった。

 既にそれが30年も続いているのだ。

 逆らう者、気に入らない者は、全て力で踏みつぶすものと考えて疑わない。

 

 それこそ――強者にとっては至極当然のことなのである。

 

 「グ」は側近の妖巨人(トロール)騎士達へ告げる。

 

「お前達も準備しろ! 出陣するぞ!」

「「「はっ」」」

 

 『支配者の間』から私室へ移動した「グ」は雌の妖巨人(トロール)3名の手伝いにより部屋の脇に飾られていた鋼鉄の鎧を纏うと、愛用の魔法剣を掴み洞窟の外へと出ていく。

 そこには、既に500体程の強兵が揃う。そうして更に10分ほどで800体前後が集まった。

 妖巨人(トロール)が130体、人食い大鬼(オーガ)400体に、ボガード50、バグベア100、悪霊犬(バーゲスト)50、そして荷物運びも兼ねた隷属的ゴブリンらが100体程だ。

 それらを前に「グ」が吠える。

 

「俺の領土を踏みにじるデカい図体の魔物が現れた! 皆でぶっ殺すぞー!」

『『『オオォォーーーーッ!!』』』

 

 勇ましい声を聞き満足すると「出撃だ!」と告げ、神輿型の物に乗り込む。

 それを、人食い大鬼(オーガ)達12体が担ぐと駆け足で移動を開始した。

 森の中を魔物が進む先にと先回りする道を進む。距離で15キロ以上あったが、2時間もあれば余裕で到着出来るようだ。

 軍団を急がせたが移動途中に話を聞けば、木の魔物は凄く足が遅いらしい。

 

「ふぁふぁふぁふぁ! デカブツのノロマなど、俺の敵ではないわ! 愛剣でガリガリ削ってやる!」

「左様にございますな、グ様はお強いですから」

 

 太鼓持ち的なボガードが相槌を打ってくれ、「グ」は機嫌よく頷く。

 実際、ゴブリンの軍団などを相手に彼は先頭へ立って進撃し、難度で90を超える程の敵部族で最強の戦士達も、その不死身の如き体を生かし多く討ち取っていた。

 全軍で難度が100を超えるのは『グ』だけであった。

 彼に続くのは側近の妖巨人(トロール)騎士の難度87や84に留まる。とは言え一般配下の妖巨人は、難度で45を超える者が全体の9割以上もいた。それだけに『グ』の軍団は、高い再生能力も相まって異様に強かったのである。

 だから「グ」が先頭に立つとき、敵の大規模集団へ対しての、その突貫力はかなりのものを誇った。

 軍団の者達には強気さが広がっている。もちろん今回の敵に対しても――だが。

 接敵地へ到着し、遠目に見え始めたその相手の姿に、軍団のざわめきが起こった。

 なぜなら、中央にそびえる敵の本体だけでも根元の太さが60メートルを超え、全高が100メートルもある正に山の如き相手であったのだから。

 それの周囲には追加で、長い枝のとぐろの山頭が6つ見える。

 

「き、来たぞ。……なんだ、あれは」

「大きい……山のようだ」

「カ、カイブツダ」

 

 バグベアやボガード、低知能の人食い大鬼(オーガ)すらも圧倒される大きさへ恐怖を感じていた。

 その皆が怯む中で、「グ」が声を張り上げ鼓舞する。

 

「憶するな! 逃げ出す奴は俺がぶっ殺すぞ! 見てみろあのノロマさを! よじ登り、全員で切り倒しちまえばいいんだ!」

 

 すると、同種族(トロール)の者らをはじめ、バグベア達も賛同する。

 

「……おおっ、それがいいっ。流石はグ様」

「全軍でやりましょう!」

「ワレラ、シタガウ」

 

 自分より大きく強い者など、「グ」にとって邪魔と考えた勢いのみの発言であったが、偶然的に軍団の士気は戻り好結果となった。

 そうして、魔樹の進路上の森の合間へ広がっていた狭い原っぱに800名が犇めく。

 間もなく彼等の目前へ遂に迫る魔樹。それが残り50メートルとなった時だ。

 「グ」からの「()()()()突撃するぞ!」との命令が出された。

 神輿を降りて自らの足で駆ける彼が、先頭で軍団から飛び出していく。

 それに続いて側近の妖巨人(トロール)騎士3体が進んで行く。更に妖巨人(トロール)の兵達と並走し、バグベアや人食い大鬼(オーガ)達も魔樹へと殺到して近付いた。

 

『『『オオオォォーーーーーーーーッ!!』』』

 

 この時の彼らの上げた声は、地響きをも思わせる程に盛大であった。その響きに「グ」の上げた()()()()絶叫の声は掻き消されていた。

 次に――軍団の上げていたその声が突如途切れる。

 

 

「――――ぐぎぁ……」

 

 

 それが聞こえた「グ」の最後の声となる。

 彼の落とした大剣が地面へ墓標のように突き刺さっていた。

 先頭を駆けていた『東の巨人』である戦妖巨人(ウォー・トロール)の「グ」が、魔樹からの高速の蔓に捕まり、()(すべ)なくあっという間に握りつぶされ、そのまま魔樹の口の如き開口部へと放り込まれたのである。

 

「「「「――っ!? …………」」」」

 

 突撃していた軍団全員がその恐怖の光景に立ち止まり絶句した。

 これまで戦場で圧倒的強さと数々の不死身さを見せた「グ」が、ものの数秒で戦場から姿を消してしまったのだから。

 もう、どうすればいいのかダレモワカラナイ。

 

 

 『東の巨人』の誇った軍団は――次の瞬間に崩壊していた。

 

 

 それは、一斉の撤退であり、一瞬の逃走であり、最後は魔樹による蹂躙劇で幕が下りる。

 その時間は僅かに5分だ。

 触手風のひと枝の全長は軽く300メートル以上に及び、それが6本。さらにその其々に数十の小枝群を持つ。また、餌の800体は全て本体の目前にいた。

 この地に幻想的地獄が浮上し展開する。

 

 兵等は死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ――タクサン。

 

 多くが魔樹の枝に絡め取られ捕まり、易々と引き裂かれ捻り潰されくたばる。

 鎧も武器も単なるモノとして肉塊と合成されてしまうように……。

 ある者は口の如き魔樹の開口部へ放り込まれ、ある者は手足が千切れて地上へ転がった。

 地面に散った幾多の体は、とどめの如く魔樹の根で1万トンを優に超える巨体の全重量を地面との間に掛けられつつメリメリと擦り潰されて……全ては土に帰っていく。

 地面を覆っていた周囲の草の色は、緑から朱く赤く紅く染め上げられた――それはやがて闇の如くドス黒く変ってみせる。

 この闘いの生還者は、何度も磨り潰されながらも肉片から再生出来た妖巨人(トロール)達のみの僅かに8体である。

 

 

 

 だが、精神的な面でみるとそれは(ゼロ)だったと後世に伝わっている――――。

 

 

 




補足)時系列
29 夜中クレマンと会話 ナザ緊急会議 ザイトル復活 ザリュース同盟活動 ニグンビンタ ルトラー縁談 帝都混迷 王割譲承認 夜中風呂ラナーVSルトラー
30 アインズ幻影改良済 ガゼフバレた 昼そのガゼフから冒険者数等情報有 森のザイトル戦 夜にニニャとエ・リットルで再会
31 ジャ~イムスぅ 大臣が約定持参 ルトラー面会の要望 ティラ&ブレイン 遠征王都到着 服あつらえ 第二回深夜会談
32 ニニャとデート (屋敷から王城へ帰還) ガゼフへ第二報告 『漆黒』の実力の検証 王都組合長と面会 人間捕虜餞別完了
33 竜王国への援軍 (地方組合と面会) ツアレ気のせい 和平の使者 至宝奪取作戦 アイ、デミ訪問 隊長と竜王の戦い ガゼフ昼食 守護者ルベド 帝国派兵 ラナーと深夜会談
34 冒険者点呼日-7日目 ルトラー面会 アインズ評議国潜入 法国激震 大臣帰還
35 大臣再出発 竜王の思案 ゴドウ死 アルシェ就活 モニョ都市散策 ニグンビンタ2 ティラ&ブレイン王国へ
36 帝国近衛通過1 エンリ誘拐 ゴブ5000 ザイトル襲来 アイアウラデミ帝国潜入



考察・捏造)ザイトルクワエ&トブの大森林
ザイトルクワエは、トブの大森林中央部の森の中に封印されていた。
ドラマCDより、強化されたハムスケの足で数時間から半日強(いつ出発したのか不明)は掛かることから、足場や草木、地形の障害も考え、本作ではハムスケの住処から北へ距離的に50キロ程度離れていると想定。このことから書籍9巻の地図のトブの大森林はU字に見えるが、中央部も大部分は低標高の森林地帯と思われる。そして、書籍4-011からアゼルリシア山脈と大森林の間に山脈から流れ込んだ川で逆さ瓢箪池が出来ていて、その南湖畔にリザードマンの集落がある。
つまり、ザイトルクワエの封印場所はそれよりも南であり、リザードマンの集落は『東の巨人』らの拠点(9巻地図で東の森中央部)よりもかなり近い位置という前提になってます。



補足)かの人物は、半月以上前の時点でカルネ村内に見えず村を離れたと報告されており
実は、王城出入りの王国側内通貴族が、竜軍団侵攻の件で慌て大いに混乱。
アインズの王城到着・滞在を、帝国情報局の王都近郊滞在員へ伝え終わっていると勘違いし、実は派手に伝え損ねている……。





最近各話お待たせし、文字数も大変な事になっているとは思ってます。
ただ個人(読者、作者)には各人でペースというものがあります。そこをご理解ください。


STAGE.38の最後へ1500字程で、『休暇関連P.S.』を追加してます。
未読の方はどうぞ。
更にその後ろへ『休暇関連P.S.その2』を39話更新時に追加してます(2000字程 野郎編 笑)
合わせてどうぞ。


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STAGE40. 支配者失望スル/飛びカウ失策とジェネラる(14)

 さて、ここ王都リ・エスティーゼは午後9時を迎える。

 アインズが帝国へ乗り込む前にソリュシャンからの〈伝言(メッセージ)〉で、王国戦士長と会合の約束をした時間だ。

 仮面姿の支配者は、ナーベラル扮する替え玉の魔法詠唱者(ニセアインズ)と代わり、約10分前からロ・レンテ城のヴァランシア宮殿3階の滞在部屋に居る。

 そうしていつもの一人掛けのソファーへ悠々と座り、ほんのひと時を寛ぐ。

 この部屋の時間は外とは違って優しく平和に流れている。

 一般メイド服の格好に身を包むツアレはその中で、以前より艶の増したその綺麗な金髪を揺らしつつ、今日も愛しのご主人様の傍で幸せな一日が過ごせた事への感謝の気持ちから、目を無意識に熱くうるうるとさせていた。

 一行のうち、先日からルベドはご主人様の御用のため王都内へ出て不在であるが、(あるじ)を始めユリにソリュシャン、シズは変わらず優しく共にあり仲良く過ごしている。ツアレにとって優雅な三度の食事、お茶会や王城内のお散歩に入浴等々(などなど)一日一日が贅沢だ。

 彼女が残念なのは、未だにご主人様から閨へのお誘いがない事ぐらい……いや、あと妹のことである。以前は苦々しい屈辱の日々において、妹の事をいつも考えていたとふと思い出す。最近、それが少し減ったように感じた。これはもしや――と思い掛け、目を閉じ頭を一度左右に振ったツアレは仕事へ戻る。

 そんな中で、部屋の両開きの扉がノックされた。直ぐユリが扉へと来訪者の対応に向かう。

 これから絶対的支配者(アインズ)は、竜王軍団に対する旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)として取る戦術について説明を行う会談に出るのだ。

 声が漏れる〈伝言(メッセージ)〉を使うため、役交代の入れ替わり時にベランダへ出た不可視化中のナーベラルから、会談に関する戦士長側からの申し送りも受けた。

 今よりアインズはガゼフに連れられ、国王らの待つという王城側の国王執務室へ向かう予定だ。

 このような状況から配下(エンリ)(さら)われた一件は全て無事に解決したのだろうか。

 

 

 いや―――そういう訳では()()()()()()……。

 

 

 依然として、この時間もエンリは帝国のど真ん中へ小鬼(ゴブリン)軍団5000と共に残っている。

 

(はぁ……)

 

 支配者は問題が四方へ山積みになってきたなと今日(こんにち)を思い、心の中で小さく溜息を一つ吐くとソファーから立ち上がり、ユリが扉を開け招いた厳つい顔にガッシリした体躯の戦士長へと歩を進める。握手する右手を差し出しながら。

 入室するガゼフは、応対に出てくれた眼鏡美人のユリへと精一杯の笑顔を向けていた。一般的には『暑苦しい』という表現が的確かと思う。

 彼はユリへの約束を当然忘れてはいない――昼食会への再度の誘いについてをだ。

 しかし、臨戦態勢へ移行し始めたリ・エスティーゼ王国総軍にあって王家領や王城を守る戦士騎馬隊の隊長に、昼の最中(さなか)30分を超える暇な時間があるはずもなく、次の約束はまだ告げられていない。

 ただ、戦闘前には「もし生き残ったら」という言い回しで決定的な想いを伝えるつもりでいる。

 立ったまま握手を交わしたアインズとガゼフは、すぐ滞在部屋をあとにし国王の執務室へと慎重に向かった。

 

 夜の国王の執務室での会談――それは例外なく陰謀色が濃いものである。そのため反国王派も警戒しており、通常の建屋の出入り口を使うと感知されてしまう。だが、国王の執務室前には、幾つかの部屋から隠し通路を経て到達が可能になっていた。

 それらの一つを通り、ガゼフとゴウン氏は衛兵の立つ国王の執務室へと辿り着く。

 なお、夜の密談という場でもあり、客人の仮面装着については不問となっている。

 中へ通されると二人の内、ゴウン氏には席が用意されていた。

 部屋の中にはナーベラルからの申し送り通りで、国王ランポッサIII世の他に大貴族が1名と大臣代行がおり、大臣代行は黄金細工の椅子へ座る国王の左横に立つ。大貴族というのはレエブン侯であり、国王の左斜め前の三人掛けの椅子へ座っていた。

 反国王派のレエブン侯が裏で国王派へついている事実を、ゴウン氏はガゼフから隠し通路を進む途中で聞いていたのでこの場で驚く事はなかった。まあ仮面で表情は見せていないので同じなのだが。

 ゴウン氏が彼等に会釈すると、ランポッサIII世より「客人は右のそちらへ掛けられよ」と勧められた。巨躯の客人は王国六大貴族の一人が座る席の正面ローテーブル越しの、国王右斜め前に置かれた二人掛けの椅子へと腰掛ける。ローテーブル上には、王国北西部の大きめの地図が開かれていた。

 仮面の客人はまだ一介の旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だが、間近に控える竜王軍団との戦いの裏の主力であり第二王女殿下の婚約者。王国戦士長とはすでに異なる立場といえる。

 国王から、椅子に腰掛けたゴウン氏へと万感の籠った言葉が掛かる。

 

「娘に会われたかな?」

 

 ランポッサIII世の質問はあくまでも嫁に差し出そうとしている第二王女ルトラーの事だろう。

 一昨日の昼過ぎに会って、アーグランド評議国の情報を色々と聞かせて貰ったところである。

 最後に「次回はゆっくり、これからの二人のお話をしたいですわ」と、熱い瞳で告げられて。

 でも王もまさか、国家にとっての『玉』である第三王女のラナーまでもとは考えていない様子。

 早くも夜中に数回逢瀬の如くひっそりと会い、ベッドに横たわる彼女の華麗な薄着(シースルー)の姿態までも拝見させられ済み。

 ゴウン氏は、会う(たび)に親密度を微妙な形で健気に高めようと励む国王陛下の()()を思い出す。

 

「はい、(どちらも)美しく聡明でしっかりされていると感じました」

 

 国王は将来の義理の息子となるかも知れない者からの、娘の足の件に不満を漏らすでもなく、当たり障りのない穏やかな物腰での答えに満足したのか「……左様か」とだけ返す。

 その間にガゼフは定位置である国王の右横へと立った。

 顔ぶれが揃ったみたいで、大臣代行が進行役なのか静かに話し出す。

 

「それでは皆様、此度の竜王軍団との大戦における、我が軍の反撃について整理しお伝えしたいと思います。我が軍の兵力は――」

 

 大臣代行からまず伝えられたのは、本日18時時点の王都に集結の終わった戦力数。

 緊急招集後僅か10日間で王都と周辺の大都市や諸侯の兵を中心にその数約12万。士気は低めだが国家存亡に際し、国王からの催促状もあり貴族達が招集へ厳罰令も出し過去最速の異常な迅速さをみせているようだ。あと4日以内で軍勢はエ・ランテルからの3万も含め20万まで増える見通し。冒険者達も王都へ入った精鋭等は既に650チームを超えたとも語られた。

 対策会議の場で耳にした、近隣の兵力20万と精鋭冒険者700チームは当初の予定通り揃いそうである。流石に後のない乾坤一擲の戦いというところだろうか。

 そして次におさらいも兼ね、王国軍の表側として取る作戦の話が机上の地図を指示棒で指しつつ始まる。中位の冒険者達を含め竜軍団に対し勝る兵力数を活かした、分散による時間を稼ぐための囮作戦と言うべきものだとし説明が進む。すでに進行中の計画では、即応出来た王都の常備兵と工作兵等2万を使い北部の旧大都市周辺の穀倉地帯各所へ400箇所もの仮設の補給施設が設置済で、数日後に500箇所全ての準備を終えると聞く。

 作戦の表側主力は上位の冒険者達であり、彼らが(ドラゴン)を各個撃破していくというもの。

 ただし竜王に対してだけは、現時点での情報で手に負えない存在の為、囮として逃げ回るのみという形だ。今次の戦争では竜軍団の3割撃破のみが目標とされている。

 ここまで大臣代行から作戦について皆へと伝えられると、(おもむろ)にレエブン侯が口を開く。

 

「さて。私は立案当初、竜王が余りに強すぎるため“蒼の薔薇”には終始引き付けてもらう事だけを考えていました。しかし今回、その役目へ――密かにゴウン殿一行も加わってもらいたいのですが、いかがか? 無論、竜王への戦術については一任という事で」

 

 この王家側とレエブン侯の思惑についてだが、ゴウン氏の案を重用したり一行だけを前面で戦わせようとは元々考えていないものであった。

 それはゴウン氏主導の結果、彼等だけで見事に勝ってしまった場合、王国内のパワーバランスが大きく揺らぐと考えたからに他ならない。戦後、辺境で小領の独立自治区の領主だけなら無視も出来るが、第二王女の夫という立ち位置は依然として権力にもかなり近いといえる。

 救国の功績と実力を背景に、仮面の彼を次期国王にと担ぎ出す者がきっと出て来るだろう。

 加えてレエブン侯の密かに描く次代の王国像は、血の気多く戦いを好むバルブロ第一王子ではなく、武の争いからは一歩下がるザナック第二王子の擁立である。そこから始まる盤石なヴァイセルフ王家の治世が侯爵家の幼い愛息には必要、という思考で今も動いている。

 だからゴウン氏には単独で軍中央の先頭に立ってもらうのではなく、王家や六大貴族等の率いるリ・エスティーゼ王国総軍の只の(いち)小隊という地味な立場で動いてもらいたいのだ。

 

「……(うーむ)」

 

 この時の支配者(アインズ)は目的の方向が違う為に、侯爵画策の王国側の思惑を余り理解していなかった。

 レエブン侯の案に、ゴウン氏は改めて単純になるほどと思う。竜王の供回りを圧倒的な王国側の兵数で少しずつ自然に引き剥がし、竜王を手薄にした段階で因縁のある“蒼の薔薇”が現れる。そして竜王を(おび)き出しての支配者一行によるトドメ。これなら竜王を倒した時点で勝敗が決定的になるだろうと。

 だが絶対的支配者としては、やはりこの『大舞台』で直ぐに勝負がついてもらっては困るのだ。

 人類側に絶望的苦戦を長々としてもらい、有名な『蒼の薔薇』にも敗れ去ってもらった上で、窮地を見かねたプレイヤー達に出て来てもらうまでは。

 そこで初めてプレイヤー達と共にアインズ・ウール・ゴウンの実力を見せ名声も得るのである。

 王国内が総崩れの死屍累々で酷い状況となっても、嘗てのトップ十傑ギルドのプレイヤー技を駆使し、竜王だけ絶対的支配者自らが半殺しにして早期に確保すれば、後は竜王軍団の撤退の件も含めどうとでもなると……。

 そのためにと、ゴウン氏は答え始める。

 

「竜王は恐らく、難度で軽く200以上あるでしょう……ですが、倒す事は可能だと思います」

「おおっ」

「“蒼の薔薇”との共闘を受けられると? これは、頼もしい限り」

「素晴らしい」

「やはり、ゴウン殿……」

 

 国王や六大貴族、大臣代行は感嘆の声を上げ、そして戦士長は薄々予想していた実力の片鱗を語った友人へ満足し口許を緩める。

 しかし、仮面の客人の発言には続きがあった。

 

「ただ一つ、大きい問題があります」

「なんでしょうか?」

 

 国王や戦士長らがハッとする中で、いち早くレエブン侯が問うた。

 旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)は単に己の要望をもっともらしく述べる。

 

「今回の強大な敵へ私が決定打を撃つためには――長時間、魔力を溜める事が必要です。それも支援魔法を起動して目標を認識した後からとなります。補足後、連れの者らに護衛してもらいつつ後方へ一時下がり一定時間備えなければ」

 

 勿論、支配者にそんな必要はない。

 

「っ?!」

「なんと」

「そ、それは……」

 

 ゴウン氏の言葉に、国王やレエブン侯と戦士長から驚きの声が起こった。

 この戦いの決定的な鍵を握る者が、戦場で直ぐに使えないという恐怖。

 そんな彼等の様子すら楽しむかのように、支配者の考えがブレる事はない。

 

「相手は竜王。普通の攻撃が通じる敵ではない事をよくご理解ください。私にもすぐに出来る事と出来ない事があるのです」

「むう」

「「……」」

「ゴウン殿……」

 

 この時のゴウン氏の表情は、仮面によって誰も(うかが)い知る事が出来なかった。

 その仮面の下の、満面でほくそ笑む顔を……。

 だがレエブン侯や国王達は、この直後にゴウン氏から発せられた言葉で納得するに至る。

 絶対的支配者はこの場の者に語り聞かせた。人間にとって限界という領域と比べる形でだ。

 

 

 

「なぜなら、私が竜王へと放つ魔法は――第6位階よりも上位の魔法だからです」

 

 

 

 第6位階より上は、あの帝国の大魔法使いフールーダ・パラダインの()るう魔法位階を上回る神話域の水準である。

 それほどの魔法を放つためならば、膨大に魔力が必要なのは当然と思えた。

 

「おおぉ……それは凄い。前人未踏の域じゃ。ならば無理は言えぬのう、レエブン侯」

「はい、確かに。それほどのものなら仕方がないですな」

「……(前人未踏……)」

「第7位階以上の魔法……か(もしやそれは、陽光聖典の者達を消し去った魔法では……)」

 

 こうして夜の国王執務室での会談の結果、絶対的支配者の予定通り、今次大戦の戦闘に関し『ゴウン氏の放つ決定的な一撃の時間を稼ぐ』という重要事項も極秘裏に追加される模様。

 これでアインズは、堂々と後方で高みの見物が出来るというものである。

 冒険者達を含むリ・エスティーゼ王国軍は、5日後午後より王都から順次進軍を始め動き出す方向で、3日後の午後に開かれるという戦時戦略会議にて決議する予定が告げられる。また『蒼の薔薇』との一時連携に伴い、彼女等との打ち合わせ会合の場も戦時戦略会議までに用意される事も決まる。

 大臣の和平使節団も並行して動いているが、『北西部穀倉地帯の戦い』の開戦は早ければ9日後との予想で王国軍は動き始める。

 

 そろそろ席を立とうかという会談の最後に、レエブン侯が仮面の魔法詠唱者へ尋ねてきた。

 

「そうそう、ゴウン殿。この戦いで貴殿は貴族派閥の方々に対し、どう動かれるつもりかな?」

 

 この侯爵も反国王派の会合に六大貴族として参加し、先日よりゴウン氏がボウロロープ侯爵やリットン伯爵等から大金や若い娘達に屋敷まで贈られ、表戦力として期待熱き存在であると見知っている者だ。

 レエブン侯も反国王派のフリをするため手を汚す部分もあり、ゴウン氏の得たモノや行動を細かく暴露するつもりはない。『力ある者が全てに優遇されるのは当然の権利』という貴族思考は侯爵にも健在であった。

 ただ今回、ゴウン氏と共に反国王派大貴族からの呼びかけへ応える形で主力として動くのは、王国裏社会の最大組織『八本指』の戦力と聞く。優秀な元オリハルコン級冒険者チーム等を私軍内に持つレエブン侯としても、かの地下犯罪組織はアダマンタイト級の水準と噂の『六腕』達を擁したかなり手強い連中で、王国を腐らせる(やから)と前々から警戒している相手だ。

 『八本指』の戦力とゴウン氏の共闘会談についても、ガゼフ発国王経由で詳細の一部を聞いている。それは武闘派の八本指側と、魔法詠唱者を中心とするゴウン氏達とでは中々戦術面で連携方針が纏まらず、話が進んでいないという事を。

 まあその話はアインズの告げたニセ情報なのだが。

 これらについて、戦士長の「見ず知らずの自分達騎馬隊や村民を助ける仁徳を見せたゴウン殿が、人殺しや弱者を食い物にし利を得ている八本指の、その警備部門等の連中と合意するのは難しいはず」という見解も国王より伝わっており、レエブン自身も同様に考えた。

 だからゴウン氏の取る今後の対応が結構気になったのだ。

 

 しかし――現実のゴウン氏と八本指との関係は、多くを裏切りズブズブである。

 

 絶対的支配者の垣間見せた大スケールの極悪さと超越的力に心酔した八本指警備部門トップのゼロは、配下の『六腕』や暗殺部門のトップ達も引き込み、巨大な裏組織八本指の方針を反国王派大貴族達寄りからすでにゴウン氏の意見に同調させていた。

 賄賂として、強大な魔法詠唱者へ金貨1万数千枚以上を渡している関係でもある。

 加えてゼロが最早ゴウン氏の傘下になってでも裏切るつもりがない事で、絶対的支配者の裏の極悪評価は表に出ることもなく、絶妙といえるバランスを見せ始めていた。

 今後、至高の御方の率いるナザリックがみせるだろう王国や人類圏でのアクドイ行為の多くは、彼ら八本指やズーラーノーンの名の下で行われた事になる可能性が膨らんでいく……。

 そんな裏の面を微塵も知らないレエブン侯へ、ゴウン氏が質問に対し答える。

 

「かの大貴族の方々が最も要望されているのは、概ね領地を守る事ではと思います。ですからそれを結果的に達せられれば問題ないでしょう。ただ、貴族派の共闘戦力には王国裏社会側の大組織所属である者等がいます。どうも思想的にも妥協点が少なくて。別々に動く可能性も完全に否定出来ない現状ですが、一応調整の峠は何とか越え掛けている感じかと」

「ふむ。此度に限り竜達に勝てば結果は同じですか、なるほど……しかしゴウン殿、貴殿も大変ですね」

「貴族派と名高いレエブン侯からこの場で(ねぎら)って頂けるとは、ふっ」

 

 仮面の客人からの返しの言葉に国王ランポッサIII世も相槌を打つ。

 

「全くだな、はははっ」

「なんとも、はは」

「くっくくく」

 

 国王につられ大臣代行や戦士長からも笑いが起こり、この会談は和やかさのある中で午後10時を迎える前に終わった。

 秘密の通路を通り、ガゼフとゴウン氏は王城建屋内の別棟1階の部屋へと現れる。

 そこから裏手を回る形でヴァランシア宮殿の入口まで戻って来ると支配者と戦士長は別れた。

 

 御方は宮殿3階に()る滞在部屋へと戻り、一人掛けのソファーに暫し腰掛ける。

 壁際に置かれた時計の時刻午後10時15分を横目で確認したアインズは、ツアレが飲み物を用意するため奥の家事室へ下がると同時に、再び間髪をいれず動き出す。

 

「ナーベラル、後は任せる」

「畏まりました」

「ユリ達も引き続きこの場を頼む。私は()()()がある」

「承りました」

「……了解」

 

 絶対的支配者は依然ユリやシズ、ソリュシャン達へ多くを語らず。

 それは、(あるじ)直属の配下エンリが外部の者に連れ去られたという事実――これにどういった反応をみせるのかへ不安が残ったからだ。

 この場のプレアデス達とエンリは、ネムを含めカルネ村のエモット家で数日の交流があった。先程ニグレドのネムへの反応も見ており、万一直情的に動かれては困ると……。

 ただ、この件についてデミウルゴスは兎も角、アウラを見れば随分冷静……というか「あたし達ナザリックに挑戦者ですか?」と対戦相手が見つかった風で嬉しそうにすら感じた。

 恐らくアウラにすれば、ナザリック配下とはいえエンリとの関係がまだ薄く、この世界の人間という部分が大きいと思われる。

 やはり受け止め方にもNPC達で個性が出ている様子だ。

 

 一方で至高の御方から詳細を聞かされない事は、ユリ達としても内心で気になる。

 しかし、それは些細な事かも知れないのだ。また秘め事かもしれない。そのような事を一々伺うのは無礼に近い。

 だからこそ、プレアデス達は普段の主の行動について余計な事を多く問わない。

 告げられないのなら、その者達は聞く必要のない事なのだと理解に努める。彼女達は至高の御方の意向に従い貢献する事こそが、最大の存在意義なのだから。

 

「ではな」

 

 〈転移門(ゲート)〉を開くとアインズは急く姿を感じさせないようにして王城の宮殿より姿を消した。

 

 仮面を外した彼が現れたのは、言うまでも無くバハルス帝国の帝都アーウィンタールだ。

 一方アーグランド評議国側では、今現在キョウが潜入調査をしているはずだ。

 またルベドを長時間放置するのも少し危険だ。エンリ姉妹の様子をいつ楽しむのか分かったものではないからだ。

 幸い、()()の存在は本当に随分助かっている……。

 

(まさに――情けは人の溜め(為)ならず――か)

 

 あそこで偶然、奴隷少女を助けたことは意外に大きかったと感慨深く思えた。

 

 そしてここ帝都での展開は、名声への影響から直接介入に微妙な立場であった御方の、予想した斜め上の筋書きで動きをみせ始めているのだ……。

 その詳細は、今から3時間程前まで遡る――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ニグレドのいた氷結牢獄を後にしたアインズが、ナザリック地下大墳墓で友好保護地域のカルネ村から配下を(さら)った賊への制裁軍を急遽編成し移動出撃する直前のこと。

 帝国魔法省内敷地にて――。

 エンリへ協力した成り行きで、()()()()の重低音のあと出現した1000体を軽く超える小鬼(ゴブリン)軍団にあっという間で辺りを取り囲まれ、しばし呆然としていたアルシェ・フルトであった。

 

『もしかの時に身を守ってくれるお守りです。でも森の傍に居ないといけないの』

 

 エンリのこの言葉で、アルシェは森から森へ移動する類の脱出に画期的な魔法アイテムではと期待していた。

 でもそんな少し童話的考えは森と同色とはいえ、緑のムサ苦しい状況に見事打ち砕かれて……。

 彼女は当然の疑問を、同じ陣幕内で横に立つ一介の村娘と思っていた少女へと向ける。

 

「エモットさん……あなたは何者ですか?」

「わ、私は……」

 

 問われたが、彼女(エンリ)自身もまだ状況を整理しきれない。

 修羅場を潜って来た少女(アルシェ)の鋭く強烈な視線も受け、思わずエンリは答えに詰まる――。

 

 

 

 今、バハルス帝国首都の地へ忽然と現れた数千体の小鬼(ゴブリン)軍団は、唯一の主人にして人間の司令官エンリ・エモットからの指示を待ち望んでいた。

 故に正面より襲い来た〈火球(ファイヤーボール)〉群の対処でも、軍団の魔法部隊が受け止め〈炎竜巻(ファイヤー・トルネード)〉並みと化した巨大な風の渦を、人間の魔法詠唱者部隊側へとまだ押し込まず保留している。

 それを実行すれば、攻撃を放ってきた相手へ甚大な被害を与え、非常に優位な局面を作り出せることは間違いない。

 綸巾(かんぎん)を被り凛々しい髭に羽扇を持った小鬼(ゴブリン)軍師が、軍団の中から主人である村娘の傍へ急ぎ近寄り一礼すると確認する。

 

「私は現在、代行的に軍団の指揮を執る者。エンリ()()()()、展開途中の当方でありますがこの場での規模、戦力ともすでに相手より優勢ですぞ。このまま、あの火炎の渦を敵側へ押し込み反撃されますか?」

 

 その内容と状況に、エンリの横へ立つアルシェは緊張する。

 村娘は先のアルシェの質問にまだ答えていなかった。故に制服装備の少女側の邪推は拡大する。

 

(将軍閣下?! ……やっぱり、この人は帝国民の――人類の敵なの?)

 

 目の前の無防備に見える村娘へ即時、殺傷力のある魔法を放つのは可能だ。しかし、それは周辺の強力な小鬼(ゴブリン)達から己が確実に殺されることも意味した。アルシェは、妹達の為にまだ死ねない。また会話など接して2時間程だが、エンリ・エモットという娘が悪い子には見えないのだ。

 それに第一、この村娘を殺しても小鬼(ゴブリン)軍団を止められるとも思えない。

 ここはまず――窓口として『将軍閣下』と呼ばれたエモット嬢を生かし、交渉する方が最善と判断する。

 エンリとしては、状況に思考が追いついていなかった。

 ただ、目の前の羽扇を持つ者と、怪物(モンスター)軍団が笛により呼び出した存在であり、最高の協力者達であろうことは理解している。だから彼女は最優先事項を告げる。

 

「ダメですっ。攻撃は受けたけど、今ああして攻撃を無力化し私達の力を見せることは出来てると思います。外部からの相手の援軍もまだ未知数ですし、だから――私は交渉を希望します」

「……どのような形でしょうか?」

「まず、炎の混ざるこの渦を上空へと飛ばして消し、私の声を敵陣まで届けて欲しいのですけど」

「心得ましたぞ、エンリ将軍閣下。お任せを」

 

 小鬼(ゴブリン)軍師は主人へ一礼ののち数歩下がると、脇へ控える伝令へ軍団内指示を伝える。

 

「魔法砲撃隊及び魔法支援団へ伝令。将軍閣下が敵陣へ勧告する声を届けて欲しいとご要望だ。魔法支援団より1名をこの場へ()させよ。準備が整い次第、現状の〈竜巻(トルネード)〉を天空へと移動し霧散させ一時消し去るよう私が指示する。その後、すぐ勧告のお声を相手方へ流すのだ」

「はっ、畏まりました」

 

 そのやり取りの様子を横で見ていたアルシェが、別件をエンリへと問う。

 

「……魔法省の装備を着ている私って、拘束や攻撃されないの?」

「多分大丈夫です。皆さん、フルトさんは私が困ってた時の味方だって分かってますから。それよりも、さっきのフルトさんの“私が何者”って問いだけど――」

 

 アルシェへ笑顔を向けていたエンリだが、一瞬視線を落としたあと難しい表情に変わった。

 自分の今からの立場と行動について、組み立て始めていたのだ。

 まず、エンリの目的はカルネ村へ無事に帰る事である。しかし、祖国よりも強大であろうこのバハルス帝国の首都で亜人の軍勢を出現させてしまっている。これは空前絶後の大問題以外の何物でもない。

 

 ――もう歴史に名を刻み、消す事の……後戻りの出来ない状況であると認識出来た。

 

 目的を成就するにはもはや、軍事行動で訴えるか、あとは上位の政治交渉しかありえない。

 でもエンリは()()()、軍事行動へ訴えようとは思っていない。

 彼女個人として、自身の村から誘拐されたことは問題だが、今現在殺意を抱く水準には程遠い感情でいる。妹や村人が殺され、手酷い形で大事な貞操を散々に散らされていれば、そういう思いに至ったかもしれないけれど……。

 騎士団にカルネ村が襲われた状況を思い出し、この数で争いになればこの都市だけでなく帝国内各地で村の惨劇を軽く上回る事態になるのは容易に想像される。また、人とも共存出来る程の気のいい小鬼(ゴブリン)達にも犠牲が出るだろう。そのため、戦いは可能なら避けたかった。

 あと、この状況はエンリ自身の行動の結果でもある。

 彼女は旦那様の配下であるが、今、彼の名前を出すことは大いに躊躇われた。出した瞬間に、村の救世主で王城へも招待されている『アインズ・ウール・ゴウン』の名が傷つくであろう事を許せるはずもない。

 それに、旦那様の大森林への侵攻から始まるという『世界征服』計画はまだ何も動き出していないのだ。エンリ個人が引き起こした事象で、勝手に魁となる事は許されない。なので。

 

 

(ここは――私が〝将軍〟として前に出て帝国と交渉するしかない。あぁ、旦那(アインズ)様……ネム……)

 

 

 心で震えつつも覚悟を決めたエンリは、アルシェの目を見ながら自身について伝える。

 

「私は、王国辺境の小村カルネ村に住む娘、エンリ・エモット。それは嘘じゃないです。でも、大切なお守りで予想以上の軍団を呼び出し、先程から彼等の“将軍”となってしまった事も事実だと思います。だけど信じて欲しい。私は平和に村へ帰りたいだけなんです。だから、戦いが起こらないように努めるつもり。今から――この国の最上層部の人達と交渉して」

「えっ? それって……皇帝ジルクニフ陛下とも?」

 

 目の前の戦いで、魔法省側は先制魔法攻撃を完全に食い止められた状況だ。だが魔法省の部隊は、先程から手を変えて来る様子すらまだ見せない。こちらの数が増える前に潰すのが得策と思うのに。アルシェは魔法省側が攻めあぐねていると理解する。

 一方、エンリから見て羽扇を持ち脇へ控える軍団指揮者の小鬼(ゴブリン)にはまだ余裕が窺える。こちらが強く大きい戦力だと皇帝に認識されれば、十分交渉の余地は存在するはずだ。

 だから将軍少女はアルシェへ、皇帝との交渉もという話についてひとつ小さく頷いた。

 直後、伝令により軍団内の魔法支援団から1体の魔法詠唱者の小鬼が陣幕内へ現れる。脇にいた小鬼(ゴブリン)軍師は、その者と共に連れ立ちエンリの下へ再度近寄る。

 

「エンリ将軍閣下。では声を先に〈録音〉させて頂きます。その後、この〈竜巻〉を消し去ると同時に〈拡声〉にて相手方へ伝えます。連中へ勧告する内容はもうお決まりですかな?」

「はい」

 

 そうして、エンリの声は即時〈録音〉された。記録媒体はもちろん魔法詠唱者の頭の中だ。

 魔法詠唱者の小鬼はエンリの声を聞き届けると、軍師からの指示を受け陣幕内から出て行った。

 エンリの勧告の内容を横で聞いていたアルシェが尋ねる。

 

「本気なのね」

「はい」

 

 将軍少女は、力強く制服装備の少女へと頷く。

 そうして、2分ほどするとエンリ達の軍団の前へ展開されていた〈竜巻(トルネード)〉に気流の変化が起こり、地上を離れ上空へどんどん登って行くと高高度で霧散し消滅した。

 その直後、エンリの若い声が周囲へと響く。

 

『バハルス帝国魔法省の皆さん、私はこの小鬼(ゴブリン)の大軍団を率いる――()()()()()()()エンリ・エモット()()です』

 

 突如流れる声に、竜巻が消えた事での帝国魔法省側のざわつきは止まる。声は続く。

 

『私は本日、この地の責任者であり有名なパラダイン様によって突然、トブの大森林南端傍のリ・エスティーゼ王国辺境の小村カルネ村より拘束を受け連れて来られました。この小鬼(ゴブリン)軍団は、私自身を守るために呼び寄せたものです。故にこの責の多くは、パラダイン様に負ってもらうほかありません! 代償として――』

 

 パラダインという責任者の名の部分で彼女の声は大きくなった。

 このあと続く言葉でエンリが求めたのは、「無血退去による帰路の国内通行の許可」と「半月分の食料」、そして「地下に閉じ込めてある1体の黒い鎧の怪物死の騎士(デス・ナイト)の引き渡し」である。

 帰路に関しては、大街道と西部の穀倉地帯について、帝国騎士数名が先導を行い街道沿いの宿場街などの迂回にも応じるというもの。食料もジュゲム達の日々の消費量から算出は容易だ。

 「魔法詠唱者フルトの同行」については、ヘタに目立っては彼女や身内も大変になるだろうと敢えて『捕虜1名』とし名前は伝えなかった。囚われの魔法詠唱者としていれば、アルシェの帝国での立場は変わらないとも思って。

 

『私は、この場であなた方帝国との戦いを考えてはいません。ただひとえに、軍団のトブの大森林までの無血退去を望みます。先程御覧の様に、魔法戦で当方の力はご理解いただけたものと考えています。以上について、皇帝陛下の承認を求めます。今より当方は、2時間お待ちします。よろしくお願いします』

 

 これを聞き終えた魔法省側の内部は、一般魔法詠唱者隊員や建物内の職員を中心に騒然となる。

 

「何っ、あの偉大な方が隣国の村娘の拘束と拉致だと?!」

「これ程大規模な戦力で現れて、こいつら撤退希望なのか」

「おのれ、パラダイン様に限ってあり得ない話を!」

「おい、死の騎士(デス・ナイト)っていえば、あのカッツェ平野に現れるっていう伝説的モンスターじゃ?」

「はぁ、どういうことよ? そんなモノ、地下に置いてある訳が――」

「これは間違いなく、敵の虚言だろう」

「でも、本当なら……どうなるんだ?」

「「「……」」」

「まさか、嘘ですよね……?」

 

 帝国の長年の英雄フールーダにとって、強烈な暴露話の連続である。

 まず、エンリの拉致については、フールーダの高弟達でも一部しか知らない事象であった。皇帝にも「そうか、任せる」と一応話が通ってはいる。だが、本日とは()()()()()()()()

 その拉致した少女が、帝国の帝都アーウィンタールへ甚大な脅威を運んで来たという現状。

 これだけでも事実ならば、バハルス帝国主席宮廷魔法使いといえども――無視出来ない大きい失態である。

 更に、地下に封印する禁忌の死の騎士(デス・ナイト)の存在までも語られていた……。

 

「な、なんということだ……」

「……師よ……」

 

 先程村娘のエンリと、地下の死の騎士(デス・ナイト)の部屋まで同行した高弟達は頭を抱え愕然とした表情に変わっていく。

 どちらに転んでも酷い状況になることがみえていた。

 村娘の発言を認めれば偉大なる師が窮地に立ち、拒否すればこの帝都は火の海だろうと。

 国家にとって大きな判断という事実は、その決断を皇帝へ投げるのに時間を取らせない事を助けた。フールーダの高弟達は、警戒態勢の部隊内で集まり、「仕方がないでしょう」と直ちに師の行動とエンリの要求が含まれる第二の報告の使いを皇城へと送り出す。

 それと共に、エモット将軍の率いる小鬼(ゴブリン)軍団へ対し、魔法省側も皇帝陛下に確認する間は『停戦』する旨を伝えた。

 

 

 

 

 魔法省側が『帝国にとって未曽有の大局の判断』について、皇帝ジルクニフへ丸投げの形で使いを送り、一応エンリ側と『停戦』の状態に移行して20分程を()る。

 小さい森から既に30分間も続々と(あふ)れ出ていた小鬼(ゴブリン)軍団は、遂に5000体へ近付いていた。先程より森からの登場数が緩やかに減少をみせている。なお、軍団の出現する為の時間が森の大きさによることは誰も知らない……。

 ようやく出現は終わりかと思ったエンリのそんな思考の中へ、以前聞いた不思議な音が鳴る。

 

(――?)

 

 直後によく知る声が頭に流れて来た。

 

『エンリ、私だ。無事のようだな、良かった。今、そちらの状況は近くから魔法で見えている』

 

 アインズは、5分程前となるが護衛のアウラとそのシモベ達と共に魔法省の敷地外傍の緑地群内にある小さめの森林へ〈転移門(ゲート)〉で登場し、デミウルゴスらを見送った後の今も身を隠していた。日が沈んで真っ暗の中、先程から防御対策しつつ〈千里眼(クレアボヤンス)〉と〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉で数分様子を見ながら、これから取るべき正解の行動に悩んでいる状況だ。

 王国にいるはずの謎の旅の魔法詠唱者が、この場に姿を現すという意味はあらゆる点で大きい。彼がエンリ率いる小鬼(ゴブリン)軍団側に立てば、話を見聞きした者の考えは恐らく人類に敵対する存在としての認識へ収束するだろう。

 物や想いを積み重ねるのに時間が必要でも、ブチ壊すのは一瞬で足りる事を誰もが知っている。

 ゆえに軽々しく動けないのだ。

 でも現在、エンリ側と共に帝国側の部隊内も戦闘を中断している様子に思えたことで、少し落ち着いて基本的な対応から始めようと、アインズはまず正確な状況を確認する為にエンリへの通話へ踏み切っていた。

 

「――ア……(インズ様っ!)」

 

 自力脱出を心掛けつつも、当然待ち焦がれていた愛しの旦那様からの声に、エンリは目を見開き思わず声を上げかける。しかしフルト嬢の存在を思い出し声を押し殺すと、彼女から顔を背け数歩離れ口許を右手で隠すと小声になった。

 

「……(すみません。私、(さら)われちゃって御迷惑を――)」

『お前が無事ならそれでよい。一応援軍(ハムスケ他)も連れて来ているぞ』

「――ぁ、はぃ(あぁっ)」

 

 あの強大なナザリックを統べる旦那様が、囚われの自分へと態々(わざわざ)兵を率いての救援に加え、その伴侶らしい優しい言葉も聞き、エンリは乙女として頬を染めつつ感激し口許に手を当てたまま固まる。

 一方で傍に立つアルシェは当然、そんな将軍少女の突発的挙動不審の様子に声を掛ける。

 

「……エモットさん、一体どうしたの?」

「えっと、あの……そう、くしゃみかな? 大丈夫ですよ、大丈夫!」

「んん?」

 

 魔法省仕様の制服装備の少女は眉を顰め首を傾げる。

 丸めた背を見せていたエンリは、アルシェからの疑惑の目に慌てて背筋を伸ばし向き直ると、左手を後ろへ回した姿勢で愛想笑いの顔と胸横辺りで右手を違う違うと振りつつ再度取り繕う。

 

「なんでもないですよ……なんでもっ」

 

 だがやっぱりメチャメチャ怪しい。多分に隠し切れていない感じだ。

 エンリが思い切りもよく、割り切る性格とはいえ、基本は明るく活発で人がよい所為かもしれない。

 アルシェからの少し警戒する視線がエンリへと向けられ続ける。この帝国が祖国であり、元とはいえ貴族の誇りを依然として持つ彼女からすれば、脅威度の非常に高い亜人の軍団をこの帝都へ招いている少女を全面的に信じるのは難しいのだ。

 そういった二人の少女達の微妙な雰囲気を〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉の映像で見ていたアインズが感じ取る。

 絶対的支配者は、エンリの横に立っている金髪で小柄の魔法省の少女兵を、紅い光点で容赦なく射貫く様に睨んでいた。そうして繋ぎっぱなしの〈伝言(メッセージ)〉で問い掛ける。

 

『エンリよ、その傍にいる娘――そいつはお前を攫った一味の者か?』

 

 旦那様の様子は見えないものの、尋ねてくる声のトーンが随分下がって彼女には聞こえた……。

 フルト嬢へ旦那様が明らかに容赦ない敵意を向けようとしているのが感じ取れたのだ。

 エンリは、少し目と口を開いて硬直気味になる。マズイと思った。エンリにとって彼女はこの地での最大の恩人であり、大きく見ればナザリックへの協力者とも言える。

 だから、エンリはアルシェと向かい合いながら、ハッキリと旦那(アインズ)様へ説明する風に伝えた。

 

「アルシェ・フルトさん、私が本当に困っていた時によくここまで連れ出してくれました。この地で唯一の大事な協力者である貴方に今一度感謝します。本当にありがとうございます」

 

 改まって礼を告げられた形のアルシェは複雑な表情を浮かべつつも「うん」とだけ返す。

 それを聞いた森の中で暗闇に佇むアインズは、目を閉じる様に紅色の(まなこ)の光を落とすと呟く。

 

「そうか……良く分かった」

 

 装備が帝国側の兵と同じ娘であるが、アインズ直属の配下エンリの窮地を救ってくれた者だという。支配者が改めてアルシェ・フルトなる魔法詠唱者装備の少女の様子を見ると、確かに逃げようという雰囲気は感じられない。

 詳しい理由は分からないが本当に『協力者』なのだろう。

 ならば、こちらものち程何か恩を返すべきと考えた。ただアインズは今、この『新ゴブリン軍団が人間の大都市へ湧き出た』状況をどう収束させるかと、街中へ潜みまだ見ぬ敵である人攫い集団への制裁が優先事項と判断している。

 エンリは、旦那様の声のトーンの戻りからフルト嬢への敵意が消えた事を感じ取りホッとする。

 でも彼女は改めて緊張する。

 旦那(アインズ)様の怒りが、次に帝国魔法省の部隊へと向けられるのではという予感に。

 単純に考えれば貰った角笛で数千の小鬼(ゴブリン)軍団が登場した事から、元持ち主の絶対的支配者の力量はそれを遥かに上回るモノだと考えるのは自然である。また、ひと月程前にカルネ村を襲ったスレイン法国の者達の結末を村娘は思い出す。

 スレイン法国の特殊部隊との戦闘については村外で戦場跡しか見ていない。だが、村へ攻め込んでいた騎士団50人以上のほぼ全員を、平常心と思われた時に容赦なく短時間で殺害した旦那(アインズ)様達が、この地で怒りのまま本気を出せばどうなる事だろうかと――。

 エンリの説明はまだまだアインズにとって、不十分に思われた。とは言え今、この場にフルト嬢を残して退席するのもどうかと思える。大量の小鬼(ゴブリン)達に対してフルト嬢が不安がるはずだ。

 だからエンリは再びアルシェへ尋ねるように旦那様へ伝える。

 

「ねえ、フルトさん。先程、私が皇帝陛下宛でこの軍団をトブの大森林に無血退去させる希望を打診したけれど、私を単独で攫った帝国魔法省の最高責任者であるフールーダ・パラダイン老が竜軍団への攻撃でお城に不在でも承認されると思いますか?」

 

 エンリの話は、アインズに衝撃を与えた。

 

(えっ? 犯人は都市の街中に巣くう人身売買の一党じゃないのか?)

 

 アインズの怒りの対象は、あくまでもエンリを(さら)った犯人達なのだ。

 正直、この地へ来る際も人類国家の帝国軍とはまだ無用の戦闘を避けたいという考えでいた。

 なので今、エンリと対峙している帝国の100名程の部隊については『絶望のオーラIII』辺りで軽く気絶でもさせ戦闘不能に追い込んだ隙に、一瞬の内で広域不可視化した小鬼(ゴブリン)軍団を〈転移門(ゲート)〉で順次撤退させるぐらいの案を考え始めている。その矢先の情報である。

 エンリの口から聞こえて来たのは、単なる小組織の賊ではなかったという事実……実行犯が帝国魔法省の要人という話。

 でも支配者の思考には疑問符が並ぶ。

 

(なぜ……? どうして、バハルス帝国の者が村娘のエンリを攫ったんだよ?)

 

 既にエンリは無事な事で、怒りよりもその部分が支配者の思考の中でクローズアップされる。

 今回の件が起こるまで、帝国の情報にまだ余り関心の無かったアインズは、寝耳に水の気持ちで一杯になっていた。

 あと、どうやらエンリはバハルス帝国の皇帝へ小鬼(ゴブリン)軍団の無血退去を提案している模様だ。

 エンリからの質問に少し考えてアルシェが答える。

 

「退去承認の可能性はあると思う。明らかにこちら側有利にもかかわらずの状況での提案から、退去希望が真実だという大きい理由付けになるはず。そして帝都に亜人軍団の侵入を許した事は問題で留意点になると考えるけど、この帝都が戦場になる事や攻撃による軍の甚大な損失を天秤に乗せれば無血退去は良案だと受け取れる。帝国には今、王国の竜軍団撃退という足枷も有るから」

 

 将軍少女と魔法詠唱者の娘の語りはこの後も数分続く。

 〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉の映像とエンリの語りしかアインズへは届かないが、彼女の言葉に絶対的支配者は耳を傾けた。そして話が終る頃、現状における立場や概要は掴めたように思えた。

 ナザリックやアインズの存在には触れず、エンリがトブの大森林に暮らす亜人の一軍団を率いる将軍を名乗った事や、連れ去られた理由が死の騎士(デス・ナイト)を操った魔法を帝国魔法省最高責任者のフールーダ・パラなんとかが恐らく軍事転用目的で求めた為であり、魔法省の地下に閉じ込められた哀れな死の騎士(デス・ナイト)の引き渡しをエンリが求めている等々。

 支配者やナザリックにとって、帝国の地で混乱を生んでしまった小鬼(ゴブリン)の大軍団の呼び出しはマイナス要素。だがそれはアインズ自身も知らなかった予想外の不可抗力的状態であり、その後の対応を含め小規模なカルネ村の指揮官に留まらない広い視野での少女の判断と行動力に驚きと満足感を覚えていた。

 絶対なる主は、この世界に在るもので新しくナザリックへ加わる即戦力を求めている。直属の配下エンリの能力が意外に高い事と忠実な5000体の小鬼(ゴブリン)軍団は大きいプラス要素である。

 それと彼等大軍団が『ゴブリン将軍の角笛』の真の能力なのだとアインズは理解した。

 これは正直に嬉しい誤算と言えよう。

 ただ、少女の温和な対応内容に対し、絶対的支配者としては少し()()()()と思った。

 

 

 本来なら少なくとも、そう――帝国魔法省最高責任者の〝首〟を追加要求したいところである。

 

 

 しかしアインズも、難題となるそれを今要求するのはエンリに対し酷な様に思えた。

 フールーダなる者への慈悲は一切ない。ただ頑張っているエンリへの負担を単に気遣ったのだ。ここは機密であった死の騎士(デス・ナイト)が、帝国の飲めそうな厳しい代償という所だと考えたのだろう。折角彼女がアインズやナザリックの名を出さずに帝国と交渉してくれているのである。

 そう、人間の魔法詠唱者如きは、またいつでも簡単に縊り殺せる。

 だから支配者は、可愛い〝将軍〟に免じて帝国へひとつ貸しというつもりで、アルシェ・フルトとの会話が途切れた配下の少女へと伝える。

 

「エンリよ、私は近くから静かに見届けよう。暫定だがお前には()()()()()()()()()としてこの場での帝国との交渉を任せる。無事にその軍団を連れて帰ってこい。定住地や食料確保については、移動が始まる段階で私の方から指示しよう。それと――あとで地位に見合う制服を届けさせる。通話上限時間を超えるので、一旦ここで切るぞ、ではな」

 

 〈転移門(ゲート)〉を使用しての撤退も、色々と憶測を呼ぶと思われるので今回は避けることにする。エンリが連れ帰ってくると信じ任せて。

 アインズの傍には、住居の造形に慣れたアウラとトブの大森林の南方一帯を制するハムスケがいる。流石に人間の小村へあの小鬼(ゴブリン)の大軍団を住まわせるのは無理があると感じ、最終的に数百棟を建築する必要があるとはいえ、作業面も含め特に問題はないはずだ。

 5000という個体数は多いが、新国家の首都となる小都市の地盤普請事業が新規で間近に控えていることもある。労働力としてアンデッド以外の手も欲しい所であった。

 決して悪くない展開。

 また支配者は、今のエンリへ帝国側上位者との交渉でそれなりの服装が必要だろうとも考えた。

 

「(えっ、私が正式に将軍として?)……」

 

 支配者の言葉を聞き終えた村娘のエンリは内心で驚きつつも、周囲の小鬼(ゴブリン)兵を見回しているアルシェの目を盗むと、見ているだろう旦那(アインズ)様へ無言でひとつ大きく頷く。

 将軍という響きは全く慣れないが、既に大軍団を呼び出し混乱させている責任から逃げる事は出来ないと腹を括っていた。

 それにしてもとエンリは思う。5000体もの配下が突如増えようと容易く受け入れてしまえる旦那様は懐広く偉大で本当に心強い存在であると。

 

(私、お慕いしているアインズ様のために、この御役目を精一杯頑張ります!)

 

 すでにエンリには後顧の憂いなど無く、この瞬間より安心してアインズ配下の将軍という考えで全力をもって行動を開始する事が出来た。

 

 

 

 

 アインズのエンリへの指示を横で聞いていたアウラは、ここで少しでも至高の御方の役に立とうと短めの綺麗な金髪を元気に揺らしながら笑顔で可愛く具申してくる。

 

「あの、アインズ様。(さら)った敵が少し強そうなら、あたしが相手をしようかと思いますが?」

「悪いなアウラ。エンリの話だと犯人は竜軍団を迎撃するために王国へ向かったようだ」

「そうですか、残念。あっ、じゃあ、その不届きな犯人を追い掛けて竜ごと殺しちゃいますか?」

 

 元気でにこやかに微笑むアウラにすればどれも造作もない()()。竜王が例えLv.100だとしてもアウラとシモベ達が組めばテイムすら可能だ。

 この新世界で大陸を震わせる程の強者達ですら、尊く大好きな(あるじ)の手を煩わせる必要は微塵もないと言わんばかりである。

 彼女は帝都への出現当初、この都市内の強者を広域で探査し大した者はいないと支配者へ知らせてくれていた。ハムスケと良い勝負の出来そうな者が小鬼(ゴブリン)軍団配下を除けば3体程でLv.40を超える者はおらず、エンリの連れている軍団でも都市の全人口を容易く殲滅出来るはずだと。小鬼(ゴブリン)軍団の近衛隊にはLv.43のレッドキャップが10体以上もいたからだ。

 後は帝国がどれほどの秘蔵アイテムを持っているかという話ぐらいである。

 

「ありがとう、アウラ。だが今回の事はエンリが帝国の者らと話を付けてくれるようだ」

 

 アウラの懸命に役立とうと頑張る意思と姿を可愛く思い、アインズは見上げてくる闇妖精(ダークエルフ)の頭を大きい手で優しくナデナデしてやる。

 

「あっ、アインズ様……分かりましたぁ」

 

 アウラとしては、この場で役立てていないことを少し気にしつつも、頬を染めて(あるじ)の撫でに逆らうことなく可愛く目を閉じ甘えていた。また同時にエンリへついて今後、アインズ様の傍でずっとご寵愛を頂く気であれば、役にも立ちつつ身に振り掛かる問題の一つや二つ、容易に自力で解決出来るぐらいでなくては困ると考えている。

 この新世界からナザリックへ加わった筆頭のお手並み拝見という感じだ。

 守護者(アウラ)様の殿へ甘える光景を見てハムスケは自分もと思うが、アウラの引き連れるLv.90にも届くシモベ達の足元にも及ばない立場を考えて自粛する。

 ハムスケもエンリ同様、確かにアインズ直属ではあるが、腹を見せて撫でてもらえるかというペットの立ち位置。褒めてもらうには、やはり役立つしかない。

 

「殿、エンリ殿の移動時に(それがし)も同行したいでござるよ!」

 

 ハムスケからの上申に、アインズはこのあとエンリへの制服の届け役としてまず決めていたが、その先も少し考える。

 アウラによると、エンリの率いる小鬼(ゴブリン)軍団の戦力には魔法部隊が少数しかいない模様だ。ハムスケは死の騎士(デス・ナイト)を凌ぐ戦闘力を持ちながら結構効果の高い魔法も使える。非常時ならともかくそれなりの安全を確認し確保出来た現在、最上位の階層守護者のアウラやシモベ達ほどの戦力をエンリへ数日付けるのは過剰に思えた。

 

「……(んー、ちょうどいいかもしれないなぁ)いいだろう。このあとエンリへの制服をお前に託すつもりであった。そのままエンリの軍団と森まで行動し援護してやれ。森の方は数日なら村の警備担当が少し兼務すれば問題ないはずだ」

「殿、ありがとうでござる! 頑張るでござるよ!」

 

 ハムスケは上体を起こし、前足を浮かせて体の上半身を嬉しさで小刻みに上下へ震わせた。

 その和む平和な様子にアインズは、あと――ルベドにどうこの件を伝えるかと考え始める。

 いっそのことネムもここへ連れて来て『帝国でエンリとネムに姉妹仲良く少し仕事をしてもらっている』とでも告げ、苦しい言い訳をしようかと思い浮かべていた……そんな時だ。

 支配者の思考へ電子音と続いて、とても可愛いらしい声が流れる。

 但し、彼女の声はまたとても恐縮気味であった。

 

『アインズさま……エントマでございます。実は、護衛対象としていたンフィーレア・バレアレがネムと共に、攫われたカルネ村指揮官のエンリ救出のため、恐らくアインズ様が今ご滞在と聞くそちらの大都市へ向かったとご報告を……。――続けての失態、お詫びのしようもございません!』

 

 御方の居場所はアルベド辺りに聞いたのだろう。

 最後で申し訳なさそうに謝るエントマは、まだカルネ村近くのトブの大森林の中に居た。

 彼女は元々、御方から蟲達を使って()()()()()()()について命じられている。先までエンリ捜索へ注力し続けていた彼女には、アウラからの申し送りも余り無く、それらがまだ変更されていないこともあり非常に動きづらい立場のままだ。

 一旦確保していた護衛対象のンフィーレアが、ネムと死の騎士(デス・ナイト)小鬼(ゴブリン)らと村を離れた事を村に残った2体の蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)の片方から報告を受けたが、どちらを優先すべきかでしばらく悩み、今連絡をして来た形だ。

 

「(なにぃ……)ンフィーレアとネムが……?」

 

 (うめ)くように名前を語る絶対的支配者。

 今の時刻は午後7時45分を過ぎたところ。

 

『アインズ様、罰は後でいかようにでも。しかし先にお知らせを――』

 

 忠実な蟲愛でるエントマは(あるじ)へと健気に村で得た情報を述べてくれる。

 そんな戦闘メイドからの知らせは、カルネ村で行方不明だったエンリ配下の小鬼(ゴブリン)の生存と、(さら)った実行犯と思われる杖を持ち白い衣装を着た老人の話であった。

 実行犯についてはエンリから『帝国魔法省の最高責任者のフールーダ・パラダイ何某(なにがし)』だという部分は頭に残っていたが、それが老人だとここでアインズは初めて気が付く。「老」の部分を聞き逃していた。

 その部分の認識と、後でエンリに確認すれば裏付けがきちんととれる貴重な情報となった。

 ンフィーレアとネムの一団がカルネ村を出たのは、おおよそ15分程前だと言う。

 『――以上です』と最後まで告げたエントマは、支配者からの御裁きを待つように沈黙する。

 そんな様子に、アインズはよくよく考えた。

 まず事件が起こったのは彼女の警備時間外なのだ。

 また、少々厳しくなってきたスケジュールのエントマへ追加で警備を命じた上で、カルネ村に不慣れな彼女をここで強く責めるのは余りに酷だと思えた。

 これではパワハラ横行のブラック企業と変わらない。

 

「(一番悪いのは穴のある警備をさせていた俺自身だ……エントマ、お前は悪くない……)……現場も混乱していた。エントマよ、今回は不問とする。お前はそのままカルネ村の警備を頼む」

『え? えぇっ!?』

 

 二度もの続けての大失態で、激しい叱責を受けたうえで勅命による死罪を静かに覚悟していたエントマは、理解出来ない風に驚く。

 そういう不安の滲む様子の彼女へ絶対的支配者は穏やかに威厳をもって伝える。

 

「エントマよ、慣れない場所での懸命な捜索と丁寧な報告、ご苦労だったな。命令に変更はない。このまま明朝の時間まで予定通り警備をしっかりと頼む。ンフィーレアとネムについてはこちらで対処する、安心しろ」

 

 既に明日の朝5時よりエントマのいない時間は、盗賊娘のフランチェスカをカルネ村警備に充てる予定である。

 そして不問は最終決定事項である。異論的考えも許されない。

 

『は、はい! ありがとうございます、アインズ様っ』

 

 エントマは、支配者の温かい言葉の中に寛大さを知って強く感動し、胸を熱くしつつ礼を述べると〈伝言(メッセージ)〉を終了した。

 

 

 

 

 通話を終えた至高の御方へと、静かに横で待っていた闇妖精(ダークエルフ)の双子の姉が聞き覚えのある人間の名に加え「こちらで対処する」との御言葉も耳に入り、少し緊張気味で尋ねる。

 

「カルネ村のンフィーレアとネムが、どうかしましたか? 御用であればあたしにお任せを」

 

 ネムが絶対的支配者直属の配下であり、ンフィーレアは特殊能力の重要人物だと守護者達も全員理解している。

 今、至高の御方の近くにいる守護者はアウラだけだ。

 護衛の仕事と平行して可能な事は、全てシモベ達と処理するつもりでいる。

 アインズはアウラへと髑髏の顔を向けながら答える。

 

「ンフィーレアとネムが村を出てエンリを救出するため、こちらに向かっているそうだ」

「えっ、その二人でですか?」

「いや、村にいた蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)1体を筆頭に死の騎士(デス・ナイト)を高速移動の足にして小鬼(ゴブリン)軍団の連中も連れているようだ」

 

 村の周辺でもっとも危険度の高いトブの大森林を詳細に探索したアウラは、森の南側や東側に蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)へ対抗出来るモンスターはいない事を把握していた。

 

「そうですか。では、ここまでは一応安全かもしれませんね」

「……そうだな(……んっ?)」

 

 だがここで、ふとアインズは重大な事に気付く。

 死の騎士(デス・ナイト)達は兎も角、どうやって村に居た蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)を随行させたんだろう……と。

 蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)のレベルは実に50以上ある上位アンデッドだ。

 死の騎士(デス・ナイト)達を逆に従える力や立場を持っていたはずである。

 

蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)が隊の先頭に立って率いているという訳でもないだろうし……一体どうなってるんだよ?)

 

 一行の主要メンバーとしては、ンフィーレアとネム……あとジュゲムぐらいだ。

 ナザリックの名持ちNPC達なら、確かに低レベルでも関係なく指示できるだろうと絶対的支配者は考える。

 

「(でもまあ、ジュゲムはないな。……バレアレ少年もそんなレアアイテムは持っていないだろうし……すると、ネムか?! いや……それは流石に……しかし、あの恐怖公にも気に入られて、護衛を付けて貰っているぐらいだからなぁ。ニグレドらも大事にしているし……んー、ありえるのかもな)…………」

「アインズ様、なにか気になる点でも?」

 

 すでに自己解決した感じだが、不思議がっていた雰囲気の支配者へアウラが声を掛けた。

 余計な疑問に思えバツが悪いので、支配者は別のもっともらしい考えを伝える。

 

「(う、)うむ。エントマにも伝えた事であるし、一応、こちらからの監視役を付けておこうかと思ってな」

「そうですね! では、あたしの配下から1体か2体出しましょうか?」

 

 ここにいるアウラ配下のシモベ達10体は皆精鋭ぞろいだ。

 ただ彼等は、アウラの最大のスキルであるテイムを行使する際に当然居たほうがいい存在。

 クアイエッセ探索時のように短時間離れる程度であればそれを選んだが、やはり初めての地で長時間は不安が残る。常に油断しない方がいいと判断する。

 

「いや、護衛であるお前達は今のまま残しておきたい。ここは召喚しよう」

 

 アウラとしては少し残念な思いもあるが、確かに今は至高の御方を守るのが最重要の役目であり当然納得した。

 

「分かりました」

 

 アインズは個人で手持ちのユグドラシル金貨を使いモンスターを2体召喚した。内1体は連絡用だ。

 そのモンスターの名はヒューマノイドで忍者系統の〝ハンゾウ〟である。

 レベルは80を超えており、隠密発見能力が優れている。今回の護衛・探索で正に打って付けのモンスターだ。

 ナザリックの支配者は、ここでふとエンリの妹のネムは兎も角、それにしてもとバレアレ少年の行動力に恐れ入る。

 

(あの少年はエンリのことが随分好きなようだからなぁ……)

 

 この世界は力と共に貧富によっても差が非常に激しい。

 その中で彼は大都市に構える裕福な有名店を迷うことなくあっさりと出て、危険も多いあの辺境の小村へ引っ越して来るとか、もはや尋常ではないエンリへの想いが伝わる。

 とはいえ当のエンリについて、少年と仲良くも今の所、その気が全くないように見える。

 

(……エンリか……)

 

 支配者はエンリからの幾つもある熱い告白シーンやエモット家での配下入りの様子を思い出す。

 知らないそれらもあり薬師の少年は必死になってカルネ村へ来たのだろう。

 ただアインズ自身は魔法や脅しで少女へ忠誠を無理強いしているわけではない。加入許可の根拠は、単に人間の村の窓口的存在であり、拠点として都合もよかったという事だけであった。

 

 しかし今――カルネ村のゴウン邸は疲れた支配者の憩いの場所へとなりつつある。

 

 最近のエンリは、ナザリックにとって今後も人間との窓口として傍に居て貰わないと不都合にも思える娘だ。彼女へは美人というよりも、ネムとともに健気で「可愛い子」との気持ちもある。

 加えて、先程からすでに5000体程の絶対忠誠を持つ軍団の指揮官。

 この新世界において正に欲する新しい戦力で、その指揮官は得難い人材と言えよう。

 

(ん? もしエンリが少年に魅かれてくっついた場合、これらがナザリックから離反する可能性も出て来るのか?)

 

 アインズの認識において、ンフィーレアはエンリのためだけに近くへ居ると考えていた……。

 配下の恋愛に、あくまでも中立という立場でいたい絶対的支配者として、バレアレ少年には悪いがこのまま貧乏くじを引いていてほしいところだ。

 現状、主として少年に先んじてエンリへは手を差し伸べている。だが、少年の方が危険に身を晒しての救出行為と考えた場合、人の心や愛とはどう動くのか誰にも分からないのだ。

 

 そう例え本人らでさえも――。

 

 もろもろの答えの出ない迷宮的想いに、アインズは眼光を一度落として思考を元に戻す。

 さて、エントマに告げたとは言え、強力なモンスターを別で用意したのにはそれなりの理由がある。

 ネムに〈伝言(メッセージ)〉で連絡を取ることや指示も可能だが……ンフィーレアに全てがバレる場合を考えていた。

 少年は、未だにナザリックや「世界征服」も含めアインズの暗躍について何も知らないのだ。

 蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)の件も、あの後ネムは「キョウが一応って残して行ってくれたのかも」と無理やりっぽい理由で押し切っていた。

 そういった事情を知らないアインズであるが、少年に余計な情報は与えたくない。

 アインズは呼び出したハンゾウへ一行の現状戦力を考えて「この大都市を目指しているンフィーレアとネムを()()()()で探し出し、安全を確保しつつ陰から見守り異変があれば連絡せよ」と、少年らの顔と姿の知識を〈記憶共有(シェア・メモリー)〉によって分け与えて送り出した。

 

 

 

 

 

 

 帝国の絢爛豪華な皇城の中央塔一角にある皇帝ジルクニフの執務室。

 高級感漂う燃える様な赤い絨毯の敷き詰められたこの場へ、先程突如出現した全く謎である小鬼(ゴブリン)の大軍団と対する魔法省敷地内交戦の一報が届いてから、早くも20分が過ぎようとしている。

 普段は整えられているはずの綺麗な金髪が乱れたジルクニフは、苦悶の表情のまま机へ肘を突き頭を抱えた状態で沈黙し視線を天板の一点で止めたままだ。

 静かに壁際の大時計の針がまたひとつカチリと進んでいく。

 この場の空気は先程から最悪といってもいい――。

 

 

 執務室へ、まず魔法省内に大量の小鬼(ゴブリン)集団出現と交戦の知らせが届き、続いて直ぐに巨木のモンスターの襲来について帝国四騎士の一人であるニンブル・アーク・ディル・アノックが報告に飛び込んで来ていた。

 ジルクニフ自身、相手が人類ではなく怪しいモンスターの軍で国内へ侵攻されると、これほど不安になるものなのかを初めて実感し思い知る。

 それにはこの時、帝国軍でもっとも頼りにするフールーダが不在というのもあるだろうとも。

 若き皇帝は『爺』を力強く思い、とても頼りにしていたのだと……。

 一度首を左右へ振ったジルクニフは、ニンブルと秘書官ロウネ・ヴァミリネンに状況と周辺の戦力を改めて確認し始める。

 皇帝は、まず2000体以上もの小鬼(ゴブリン)の軍団だけでも自分の采配で対処できないかと考えた。『逸脱者』フールーダ・パラダインは帝国の誇る最後の切り札である。

 それを支えに、ジルクニフはまず現帝国残存戦力での対策を組み立てる。

 皇城や帝都にいる騎士団は第一軍を始め皇室兵団(ロイヤル・ガード)の部隊他1万1000ぐらいは居て直ぐに集まるはずだ。これに魔法省の部隊も加えればなんとかなるだろう。

 だが、大きさを聞いた巨木のモンスターはこの皇城中央塔以上の巨体があるという。

 

(くそ、周辺の大都市から早急に4個軍程の騎士団をなんとかかき集めて……足止めが出来るのか? ……ここは、やはり爺しか……)

 

 戦いでは、大きく被害を受ける前に常に先制攻撃すべきなのだ。

 鮮血帝のジルクニフだからこそ、後手に回れば厳しいことはよく理解しているつもりである。

 苦しいなと、煮詰まっていた時であった。

 

「陛下、小鬼(ゴブリン)集団に関する続報を持って参りました!」

 

 そう言って、新たな魔法省からの伝令が執務室へと入って来た。

 伝令が矢継ぎ早に概要を述べる。

 

「敵、小鬼(ゴブリン)集団は新規出現数が漸く減り始め、あくまでも現時点での推定でありますが――約5000体近くで落ち着く模様」

「ご、5000だと(くっ、多すぎるだろうがっ)……」

 

 帝国の主は、より険しい表情で先程の騎士戦力では到底厳しい数だと判断する。

 魔法省隊員の言葉は続く。

 

「ただその指揮官で〝将軍〟位を名乗る小娘から自軍団の無血退去要望の申し入れがありました」

「なにっ? 内容を正確に詳しく述べよ」

「はっ」

 

 ジルクニフは魔法省の魔法詠唱者隊員が伝える内容を一通り黙って聞いていた。

 途中の表情は、フールーダの人攫いに関する糾弾とデス・ナイトの存在が周りに漏れた部分で、流石に少し眉を顰める。

 とはいえ、怪物は爺により数十年間問題なく地下で秘匿封印保管出来ていた事実から不問とする考えだ。また爺自身での人攫いの件についても、軍事技術面で大きく国益に関する「作戦」としてフールーダの正当性を述べ、全て皇帝の命での事だとし自ら庇うつもりでいる。

 皇帝はこの段階で、フールーダが死の戦士(デス・ナイト)を使役すると言っていた王国辺境の村娘が『トブの大森林の将軍』を名乗っている事を理解する。

 その娘の要求はシンプル。

 村から誘拐したのは帝国魔法省の最高責任者であり、その罪と償いにおいて大森林までの無血退去の許可と糧食、加えて元になった死の戦士(デス・ナイト)の引き渡し、以上の承諾である。

 なお拒否したときの事は、何も聞いてないという。

 

(おのれ、エンリ・エモットとか言う小娘め……語るまでもないということだろうなっ)

 

 皇帝としては大いに苦々しい。

 強力な魔法を使う兵まで存在する小鬼(ゴブリン)5000体の軍団がいるわけで、この優麗な帝都アーウィンタール並びに帝国全土で大暴れし、地上における血塗れの地獄絵図でも見せようと言う事だろう……。

 

 どう考えても圧倒的に――小娘側が有利。

 

 色々と国内事情を考え、ジルクニフは先程から10分以上も沈黙して綿密に思考し続けているが、帝都周辺の現有戦力を考えると決定的な打開策は皆無であった。

 

(正に屈辱だっ……弱い王国のド田舎の村娘ごときに偉大なる帝国がいいように振り回されようとは。それにしても……竜軍団という強大な敵が迫っているこの大事な時期に……とんでもないものを呼び込んでくれたな爺よ……)

 

 それでも、現帝国や皇帝へのフールーダ・パラダインの貢献度は勝る。

 フールーダ自身の持つ戦力としての力は、今も常に健在なのだ。

 またあの老人の魔法への探求癖について尋常ではない事も知っていた。

 呆れつつも、皇帝の心にある爺への信頼と重要度の天秤は全く傾かない。

 幸いにどうやら小娘側のフールーダ・パラダインへの「罪」は、地下で封印中の死の戦士(デス・ナイト)引き渡しという部分に置き換わっている模様。

 これで帝国側も絶対に飲めない話ではない。

 

(仕方ない。他にも大きい問題が発生している。帝国として受諾しか選択の余地はない――)

 

 こう考えた時、皇帝の思考に一気に解決する閃きが起こった。

 ジルクニフの受かべていた苦悶の表情が、嬉しさへ狂気すら混ざるものに変貌していく。

 大机の椅子にゆっくりと背を預けたバハルス帝国皇帝は、自信満々に告げた。

 

「――()()()()()()の申し出を受けよう。……ふっ、ふふふ」

 

 真面目に語ったかと思いきや、彼は自ら噴きだしていた。

 その様子は、部屋でずっと立ちつくしている周りの者にとって訳が不明で少し不気味に見える。

 余りのプレッシャーに気が触れたのではないか……とだ。

 皇帝は正面に立つ伝令や周りのニンブルとロウネへ確認する様に口を開いて問う。

 

「確か、街道選択や先導は我が軍の兵がしていいはずだったな?」

 

 主の笑いと何の関係か分からず、秘書官が不思議そうに回答しつつ尋ねる。

 

「はい。今聞いた内容なら、先方からそのように告げられていたようですが、何か……?」

「ふふっ、この時期の帝国西方の穀倉地帯は、雨上がりの午前中に濃い霧がよく出るはずだ」

 

 それを聞いた秘書官の顔色が一気に変わっていく。

 

「陛下……ま、まさか」

小鬼(ゴブリン)軍団を霧に閉ざされた巨樹のモンスターへぶつける。はははっ。化物どもには共倒れしてもらうのが、最良とは思わないか?」

 

 追い込まれたジルクニフに、嘗ての容赦ない鮮血帝の思考が蘇って来ていた。

 

「しかし……もしそのようなことが相手に発覚すれば……」

「ヴァミリネン、大事なことを忘れているようだな。そうなっても、我々帝国には爺が―――大賢者フールーダ・パラダインがいる。問題は全くないっ。大丈夫だ! ははははは――」

 

 世界でも有数の使い手、第6位階魔法詠唱者の存在に皇帝は絶対の自信をのぞかせる。

 皇帝ジルクニフは有無を言わさず即刻、出撃したフールーダを一時呼び戻す様に、近衛である皇室兵団(ロイヤル・ガード)のジャイアント・イーグルの隊へ緊急出撃を指示した。

 鷹はもともと夜目は凄く利き夜間飛行も大丈夫なのである。

 10分程で密命を帯びた2体のジャイアント・イーグルが南西へと皇城から飛び立って行った。

 

 

 

 

 森から集めたのか薪を篝火として配置し、帝国魔法省の敷地一角を占領する小鬼(ゴブリン)兵5000を率いるエンリ将軍の元へバハルス帝国からの正式な使者3名が現れた時、それを出迎える『トブの大森林』軍団の中に小部屋程もある一際大きい体をしたモンスターの姿があった。その見た目は明らかに周辺の小鬼(ゴブリン)達とは異なる。

 目にした皇帝の使者達は、皆感嘆気に意味が揃う感じで順に(つぶや)いていく。

 

「なんという立派な魔獣なのだ……」

「おぉぉ、これは凄い……まさか……噂の〝森の賢王〟では?」

「驚いた……これほど力強い風格を感じさせる姿をしているのか……」

 

 ナゼか大絶賛である。

 絶対的支配者の感じていた愛らしい「ハムスター」姿だが、どうやらこの新世界の彼等にはとても偉大な雄姿をした存在に見えている模様……。

 帝都アーウィンタールは、午後8時20分を過ぎていた。

 

 

 20分程前、ハムスケはアウラの不可視化によって共に〈飛行(フライ)〉で連れてこられ、エンリ達の軍団後方にあった小さい森の中に放り込まれていた。それは一旦アインズがナザリックの第10階層の旧個室まで戻って取って来た特別な衣装を預かり、それをエンリへ届けそのまま軍団と森への帰還に物理と魔法攻撃の両面で援護も兼ね同行するためである。

 巨体ながら軽快な動きで、ハムスケは森の中から将軍率いる軍団の後方へ現れた。

 召喚された小鬼(ゴブリン)らは、主であるエンリの気質や知識を一部引き継いでいる。

 なのでハムスケの姿と「エンリ殿への用向きにつき、ここを通してもらうでござるよ」という言葉で味方と認識し、陣地後方へもしっかりと配置されている重装甲歩兵隊などが割とスムーズに道を開いてくれていた。

 そして身軽にエンリのいる陣幕を外側から上を飛び越えて入り、器用に少女の前へ降り立つ。

 

「エンリ殿、森の賢王でござる。さあ、お届け物でござるよ。こちらが制服でござる」

 

 アインズは、ハムスケの語尾が独特の所為で、敬語が曖昧に聞こえるのも考慮していた。

 また、「誰から」は告げないようにも指導してここへ送り出している。

 

「わっ?! まあ……(ここでは、通り名の方がいいのかも……)森の賢王さん」

「(ひぃぃーー)っ! …………えっ……も、森の……賢王さん?」

 

 エンリも驚いたが、もっと驚いたのは横に居たアルシェである。

 修羅場を潜って来ているからこそ空気で危険と彼女は感じる。且つ、このモンスターが誇る大きな魔法力が鮮明に視えており、いきなり見知らぬ大柄の獣が現れたことで、思わず数歩下がり逃げ出す感じの態勢になる。

 しかし直ぐ目の前に立つ、その巨体の素晴らしい雄姿を見て少し感動する。

 小鬼(ゴブリン)人食い大鬼(オーガ)のような亜人独特の異質さではなく、全体に勇壮で気高さを感じるフォルムなのだっ。

 

「初めましてでござるな? 人間の魔法詠唱者(マジック・キャスター)よ。某は『森の賢王』でござる」

 

 一応アインズと共に〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉で様子を見ており、支配者からも「この地で難儀したエンリに協力した者だ、一応守ってやれ」と告げられてもいる。

 なので、ナザリックの者ではないがハムスケも敵対行動は取らず穏便に会話する。

 その落ち着いた話しの様子に、先から周囲の小鬼(ゴブリン)らに慣れてきたアルシェは、この立派な魔獣もエンリの関係者だと理解する。

 

「ど、どうも。アルシェ・フルトです」

 

 だが、ずいぶん遅れて後方から来た感じと、エンリには臣下の姿勢を取っていない行動、そして『森の賢王』という二つ名。

 

 アルシェは、それらからこの魔獣が――『トブの大森林』を治める者ではと理解する。

 

 そして、村から(さら)われた事を知って救出にこの場へと駆けつけて来たのだろうと考えた。アルシェの考えを肯定する様に、『森の賢王』を名乗った者がエンリへと伝える。

 

「カルネ村も大変でござったよ。村人達や(それがし)も周辺を随分探したでござる」

「すみません、心配を掛けちゃって。ネムやンフィーに(軍団の)皆は?」

「あー、某は村へ入れないから詳しく見たわけではなく(軍団の者から)聞いただけでござるが、一応村内は落ち着いているみたいでござるよ――」

 

 そこまで聞いたエンリが旦那(アインズ)様も来ているし「そうですよね」と言い出した時だ。

 ハムスケの言葉は終わっていなく、続いてトンデモナイ事実が告げられた。

 

「――少年とネム達が強い仲間達(死の戦士(デス・ナイト)ら)を連れてこちらに向かったから、もう村ですることは余りないでござろうし」

「はいぃ?!」

 

 エンリは話の内容に驚きつつ自分の耳を疑った。

 ンフィーレアはナザリックの重要人物である。警備も戦闘メイドのエントマに頼んでいたのだ。それなのに村から出れるという事がありえるのかと。

 しかし、目の前のハムスケは間違いなく旦那(アインズ)様からの使いである。

 

(じゃあ、ネム達は旦那(アインズ)様からの指示や許可をもらってるってことかな……?)

 

 そう考えるのは支配者を信じている彼女には自然であった。守る力が大きいからこそ、より楽観寄りに考える流れになる。気遣いのある旦那(アインズ)様であるし、彼らの出発時間にズレがある気もするが結果は同じとして、ンフィーレア達は「エンリを出迎えるオマケ」という位置がピッタリにも思えた。

 あと、確かに死の戦士(デス・ナイト)達の護衛力は十分で、移動速度も相当早い。

 ただエンリは、この帝都とカルネ村の距離がどれぐらいあるのかを知らなかった。そのため、いつ頃到着しそうかを全く予測出来なかった。

 完全に、『いつどこで出会うかはお楽しみ』のお膳立てが整っている……。

 

(……うん。きっと、旦那様が把握しているのなら全く問題ない……よね)

 

 エンリには、この場で多くのやるべきことがある。ンフィーレアとネム一行については、アインズ様へ任せた方が良いと判断する。

 ハムスケもアルシェのいるこの場では、殿の存在を口に出せないので沈黙した。それを見たエンリも話を別に振る。

 

「――まあ、大丈夫よね。会えるのが明後日以降かもしれないし。それよりも、森の賢王さん――服を持って来ていただけたんですね?」

「そうでござる。これを今、渡すでござるよ」

 

 ハムスケはエンリの判断を肯定し頷きつつ巻いた長い尻尾を伸ばすと、その先に括られた包みを解いて中の服と装備一式をエンリへ渡す。

 エンリはそれをしっかりと両手で受け取る。見るからに高級感のある光沢と材質の衣装装備であった。羽織る立派なコートまであり、武器として見事な剣も一振り添えられている。

 配下を指揮する将軍を名乗るのだ。相手を殺傷する道具である武器は持てない、などと言える訳もない。

 エンリは一度目を静かに閉じる。そうして、次にぱっと力強く瞼を開くと周りの屈強そうな小鬼(ゴブリン)兵達へ告げる。

 

「着替えます。陣幕の一角に布で着替える場所をお願いします」

「ははっ、エンリ将軍閣下っ」

 

 そう言って小鬼(ゴブリン)軍師が羽扇を翳し率先して指示を出す。

 

「さあでは、そこの二名。向こうに置いてある予備の陣幕を使ってそこの一部の区画を区切り、閣下のお着替えの場所をご用意せよ。あと、雌の小鬼(ゴブリン)兵を3名連れて来るのです。閣下のお着換えを手伝わせる」

「「はっ、直ちに」」

 

 小鬼(ゴブリン)軍師より命じられた者らは敬礼後、テキパキと指示通りに行動する。

 エンリは用意された場所と、手伝いの兵等によって無事着替えを終わった。

 着替えの場所から出てきたエンリの姿に、アルシェを始め、軍師を筆頭に周辺の小鬼(ゴブリン)兵らは驚き「閣下っ、なんと凛々しい」「おおお」「万歳ーーっ」と歓声まで上がった程であった―――。

 

 

 陣幕の中、その新装備を身に付けたエンリが、この場へ迎えたバハルス帝国の使者3名の前で静かに椅子へ座っていた。

 だが使者達はまず、場の少し脇に居て威圧感のあった巨体の魔獣(ハムスケ)に目を奪われてしまう。

 しかし、魔獣の立ち位置はこの場の中心ではないことに、使者達は直ぐに気付く。

 その中心に居る人物の姿を視界に捉えると、ベージュと金糸の線の意匠のある礼服で身を包む帝国の使者達は、目の前の余りに洗練され高級度の高い衣装に驚嘆し目を大きく開き見入る。

 将軍は、炎の如き鮮烈な赤と黒の素晴らしい()()へ最高級の紅色のコートを羽織っていた。

 頭へと被る漆黒の軍帽にも、正面へ意匠の凝った希少金属のプレートが輝き、紅のラインが鮮明に入った見事なものであった。

 

 

 そう――炎莉(エンリ)将軍はパンドラズ・アクターの軍服のレッドカラーバージョンを着ているのだっ。

 

 

 故に衣装としての強度と防御力は最上クラスの水準だ。各種の防御・対策機能も付加されており、この新世界ではほぼ入手不可能だろう。

 そして腰に差す細身の洋剣もなんと遺産級(レガシー)アイテムである。

 臨時とは言え将軍である。ナザリックの領域守護者階級に近い扱いでアインズは衣装と装備を用意していた。

 立派な衣装を見て固まっていた使者達だが、間もなく急速にその顔色が青くなっていく。

 もちろんそれは、見事な装いの将軍を無視する形でいきなり無礼な態度を取ってしまっていたからだ。

 将軍を名乗るが、相手は王国辺境の田舎に住む一介の村娘と聞いていた。きっと身形は貧相に違いないと考えるのに異論を挟む者はいないはず。それなのに現在目の前に映る者の服装は、皇帝陛下の衣装にも引けは取らないだろう洗練さを放っている。

 話の相違の大きさに仕方がないともいえるが、エンリ側には全く関係の無い話である。

 彼等の代表が直ちに頭を大きく下げて告げる。他の二人も続いて同じ姿勢へ変わる。

 

「エモット将軍閣下っ、御挨拶が遅れて申し訳ない。無礼の段ご容赦いただきたい。我々はバハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス陛下の名代としてこの場へと罷り越した」

 

 代表で名乗った皇帝秘書官の彼は、ロウネに並ぶ優秀な男だ。

 万事に精通した男であったが、それほどの文官でも想定外の事は存在する。

 もはや目の前の人物を『田舎の村娘』として見る事は出来ない。それは帝国に深刻な事態を及ぼすと直感していた。

 どんな皮肉の言葉を受けるかと緊張し難しい顔になった3名に対して、エンリは言葉を返す。

 

「大丈夫です、気にしていませんから。無理もないと思いますので……。御使者の訪問を歓迎します。どうぞ、そこへお座り下さい」

 

 簡易的な木製の椅子へ勧めに従い座りつつ、代表の秘書官は将軍の声を聞き僅かに――『おやっ?』と感じた。

 それは確かに権力を握る者達の持つ威圧ある雰囲気ではなかったように感じたからである。

 また彼にとり、目の前の指揮官を始め、軍団へ関し解せない点が多すぎた。なぜ『森の賢王』がこの場に居るのかという話。そしてその魔獣がこの軍団の中心に居ない事実。加えて将軍少女が身に付けた凄い衣装の存在や、5000の軍団を一体どうやって連れて来たのか……等々。

 しかし、たとえ真実を語って貰っても結局事態が大きく変わるものでもなく、貰えるとも思えない。

 

 なお帝国の使者達が『森の賢王』について知っていたのは、小鬼(ゴブリン)大軍団が『トブの大森林』の部隊と名乗ったからで、帝国情報局の資料を調べるのは当然である。

 また帝国は『トブの大森林』の東部外縁で稀に演習を行なっている事も手伝い、皇帝秘書官の護衛として噂も含めて大森林に詳しい精鋭騎士2名をこの場へ付けていたからだ。

 ただアルシェは、先程「エモットさん、『森の賢王』……さんはこの軍団の主ではないの?」と尋ねている。ハムスケがアインズ配下なのは、まだ村人を始め他者の知らない事実。

 それに対して、エンリは目を随分とパチパチしながら数秒後に(必死で)こう答えている。

 

「(えーっと、……)縄張りが違う……お隣さん、かな」

 

 嘘は言っていないと思い、新米将軍はニッコリと微笑んだ。

 

「そ、そうでござるよなぁ、エンリ殿っ」

 

 そう告げて横でウンウンと小刻みに頷く『森の賢王』。

 アルシェとしてはそれらの様子に大きな違和感を覚えるも、『森の賢王』がエモット嬢と友好関係であり、将軍少女率いる5000の小鬼(ゴブリン)軍団の上に居ない事だけは確かだと理解する。

 つまり、やはりこの大軍団で帝国を生かすも殺すもエモット嬢次第だという事が、アルシェの思考の中で改めて確定したのであった……。

 

 さて話は帝国の使者達に戻る。

 秘書官は、皇帝からの使命を達成するために話を進めだす。

 

「では早速ですが、本題に入りたいと思います。貴殿からの戦闘を回避し帝国内からの退去案に対して、主よりの返事をお持ちしました」

 

 エンリの表情が正に真剣さを帯びたものへ変わる。

 帝国で今後の歴史に大殺戮者として『血塗れのエンリ・エモット』と名を残すかの瀬戸際なのであるから。

 

「では、お聞きしましょう」

 

 エンリの返事に、秘書官は手に持っていた書簡筒から巻かれた羊皮紙を取り出し、紐を解いて広げると10項目程度の覚書を順次読み上げていく。

 その内容は――『貴殿旗下の部隊が帝国側へ戦闘行動を取らない限り、トブの大森林に移動完了するまで帝国全軍は敵対しない』『今回の元となった死の戦士(デス・ナイト)を引き渡す(但し搬出・運搬は貴殿側で願う)』『行軍に対し金貨2万枚と糧食()()()()を提供』や『領内の行軍は全て帝国側の先導小隊の指示に従って頂く』等もあり、エンリの要望と譲歩をほぼ飲んだものであった。細かいところでは『足に付けられた警報装置の魔法省側の解除』も入っている。

 聞いた中で少し気になったのが『行軍時の周辺安全確保や悪天候により数日宿営地に留める場合あり』の項目だ。エンリとしては、森への早い帰還を考えれば、多少の雨天でも行軍しようかと考えている。

 しかし帝国側にも都合があるのは理解する。また提供される物資だが、行軍期間は流石に10日もあれば余裕だと考えていて、戻った後の数日分を確保する意味で多く伝えていた。その食料が更に多めというのも金貨2万枚と共に気前がいいと少し思ったが、行軍に数日の停滞が起こる事を考えてだと判断する。

 なおエンリはこの時、金貨2万枚と聞いても非常に冷静であった。これは全てナザリックの軍団へと提供されたものだと考えていたからだ。

 だが皇帝ジルクニフ側にすれば、敵が喜びそうな誠意の一つとして当然将軍個人への施し感の高いモノと言っていい。

 一通り内容を述べ終えた秘書官は、皇帝のサインが入った羊皮紙をゆっくり丁寧に巻くと高級な紐で縛り、書簡筒へ納めて将軍の前へと置いて差し出した。

 その間にエンリは目を閉じたり、視線を周囲へ僅かに彷徨わせる風に聞いた内容を頭の中で反芻すると、その書簡筒を受け取り帝国の使者達へ向かって伝える。

 

「内容について確認しました。皇帝陛下のご英断に感謝します。我々は無血退去します。指示があれば今からでも構いませんので、よろしくお願いします」

 

 その言葉を聞き、交渉は纏まったと皇帝秘書官を始め護衛騎士達も心からほっとする。

 

「エモット将軍閣下、ありがとうございます」

 

 なお――この使者達は皇帝ジルクニフの真の壮大で卑怯な計画を知らない。

 皇帝秘書官は、この後について知らせる。

 

「これから帝国各所への手配となりますので、本日の移動はございません。話がまとまり次第、まず地下の死の戦士(デス・ナイト)を引き渡す様にと告げられております。なので明日の朝に引き渡しを行う事になるかと存じます。それまではこの地へ留まって頂きたいのですが」

「分かりました」

 

 エンリの答えに秘書官は満足する。だがこの直後、少し困った風に述べる。

 

「ただ、申し訳ありませんが閣下の軍勢を安全に収容出来る施設がございません。閣下と側近の方々については施設をご提供できるのですが……あと、そちらの――」

 

 実は、皇城の執務室のやり取り段階から皇帝も余り気に掛けず、文書の中に記されながら話題に上がらなかった事項がひとつ存在する。

 それは、魔法省一般魔法詠唱者職員捕虜1名の扱いについてだ。

 もちろん彼女の名はアルシェ・フルト。

 今はエンリ側でそれっぽく見せる為に、手首を前で括られた彼女の両脇には聖騎士風の屈強そうな小鬼(ゴブリン)が張り付いている。

 書簡の文面では名目上、エンリ側の要望により『小鬼(ゴブリン)軍団撤収までの安全の為、同行をさせる』という話で記載されている。

 大儀に犠牲は付き物。それが皇帝ジルクニフ側の総意である。

 皇帝秘書官がアルシェに関して発言しようとする段階で、将軍少女が割って入る。

 

「――()()()()については、当面こちらで任せてくれませんか? 考えがありますので。それと、これから森まで宿泊施設はないでしょうから、私達はこの場の滞在で構いません」

「はっ。では……そのように。合意しました件、直ちに皇帝陛下へ伝えた上で順次、糧食等をここへ運ばせますので」

 

 確かに秘書官からすれば、帝国をすぐ全面的に信用する様では逆に怪しくも思えた。

 そして帝国の安全と無事を考えれば一般職員の捕虜1名ぐらいへ目を瞑るのは、帝国と皇帝に仕える秘書官として普通の判断である――。

 皇帝の使者達は席から立ち上がると、もう捕虜の存在を忘れたように見る事も無く将軍へと一礼し陣幕を出ると、足早に小鬼(ゴブリン)軍団の陣地を去って行った。

 

 皇帝の使者達が引き上げた軍団陣幕内は穏やかな空気に変わる。

 それは、皇帝からの使者達が下がるのに呼応して、対峙していた約100名程の魔法省魔法詠唱者部隊も監視要員と思われる8名を残し一気に引き上げた事も寄与する。

 割と広めの陣幕内には簡易ながら机や椅子が置かれ、エンリ将軍にハムスケと縄を解かれたアルシェ、小鬼(ゴブリン)では軍師を筆頭に、近衛隊5名と聖騎士隊5名、一般装備の伝令小鬼兵3名が居た。

 先程のアルシェの扱いについては、彼女自身がエンリへ「悪いけれど」と進言していた。

 捕虜という待遇であれば、アルシェやフルト家は被害者という立場。

 エンリとしては悪役になるが、恩を少し返せる事や魔法省魔法詠唱者がここにいる理屈も通る事もあり快諾していた。

 

「ふーっ、なんとかなったかな」

「お疲れ様でございます、閣下。上手くいきましたな」

 

 将軍の言葉へ、羽扇で仰ぎつつ小鬼(ゴブリン)軍師が笑顔で伝えた。

 

「凄いわね……助かった」

 

 そう言いつつアルシェは、先程からのエモット嬢の度胸と柔軟な対応に目を見張る。

 自分はワーカーで修羅場を潜って来てそれなりに自信のある身ではあるが、同じ状況へ置かれた時にこれほど見事な大立ち回りを出来るとは思えない。

 

 というか――高位の魔獣と対等に会話し、大軍団を登場させる混乱の状態から、あっという間で兵達と現状を完全に掌握し率いる姿は、本当に『ナニモノ?』という水準だ。

 

 おまけに相手は貴族どころでは無く、大国であるバハルス帝国そのものなのであるっ。

 そして圧倒的な立場で、アルシェの超難題までも容易にほぼ解消してしまっていた……。

 

(本当に凄い……)

 

 魔法詠唱者の少女にすれば、あとは10日後ぐらいに王国の大都市エ・ランテルで『フォーサイト』の仲間達と可愛い双子の妹達を探し再会するだけである。

 

 

 

 

 陣幕内や周辺について、ここまで概ね一連の流れに関し〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉を使い魔法省から近い森の繁みの中で見ていた絶対的支配者の元へ、デミウルゴスが帝都アーウィンタール周辺の詳細調査を終えて帰ってくる。

 

「アインズ様、デミウルゴス以下三魔将達、只今無事に戻りました」

「うむ。デミウルゴスを始め、皆、周辺調査ご苦労」

 

 威厳を漂わせつつ、そう言って支配者は忠実なる最上位悪魔と配下らを労う。

 至高の御方のそこに在るべき態度と言葉に、傍で跪くデミウルゴスはまず満足する。

 

「誠にありがたき幸せ。報告書につきましてはナザリックに戻り次第纏め、近日中には提出いたします」

「そうか――」

 

 そんな態度と裏腹に、内心ではエンリの件が全然解決していない状況について、弁解の言葉はどう表現すればいいのかこの一時間、悩んでいたアインズであった。

 でも当然の如く、デミウルゴスが満足するほどの『完璧ないい訳』を思い付くわけも無く、仕方なく支配者は告げる。

 

「――さて、エンリの件についてだが――」

 

 ここまで言葉が進んだとき、デミウルゴスの両目の宝石眼が燦然と輝く。

 

(おぉぉぉーーー、遂に至高の御方が放つ輝ける次の一手が始まるのですねっ)

 

 期待で一気に思考力と興奮度が増す最上位悪魔。

 それに全く気付く事もなく、アインズは()()()()と語っていく。

 

「――よく聞け。まあ、私に少し考えがあってな(特に……いや、全然ないんだけど、この惨状を収めるにはエンリの案がちょっといいかなーと)――この場はこのまま一旦エンリに『トブの大森林』の将軍を名乗らせ任せることにした。犯人であった帝国魔法省の責任者でフールーダなる人間などいつでも殺せるしな。(ううっ、あと何て言えばいいんだ。……あ、そうだっ)帝国内のプレイヤーの存在も分かるかもしれん……ふふふっ、楽しみはこれからだ」

 

 まさに()()()()()()()()()語った内容にデミウルゴスは――。

 

「左様でございますか。(ぉぉおお、追加の布石を交えられ深淵にも届く、新たに楽し気なお考えのご様子。この私でも直ぐには読み切れない程とはっ!)いずれも――素晴らしきお考えかと」

 

 もちろん主による、更なる輝ける一手の行く末に興味が湧き、異論などあろうはずがない。

 またここで臣下如きが結末を先に知ろうとすることは、御方の楽しみを奪う事にもなるためデミウルゴスは早々に立ち去る。

 

「では、周辺は安定しているようですしお傍にはアウラもおりますので、私は先にナザリックでの仕事に戻ります」

「うむ、色々とご苦労だった」

「はっ、では失礼いたします」

 

 そう言って、主へと尽くす(うやうや)しい礼を終えると、デミウルゴスは魔将軍らとともにこの地から消えた。

 アウラが至高の御方の精悍な骸骨の横顔を見ながらニッコリする。

 

(流石、アインズ様っ。あのデミウルゴスを感心させる策なんて想像もつかないけど。それに、これでアインズ様と二人きり)

 

 一方、支配者は内心で大いに安堵していた。

 

「……(ふぃーー、どうなるかと思ったが失望はされてないみたいで、助かった……)」

 

 だが、彼の大いなる苦悶はここで終わらない。

 

 

(さて次は――ルベドなんだが……どう言えば納得するかなぁ)

 

 

 そう。夜中にエモット姉妹を観察される前に、先に告げておかなければならない。

 取り返しがつかない事態は……ナザリックの平和だけは、守らなければならないのだっ。

 恐らくキョウの妹となった()()への、姉妹大好き天使からの『姉妹仲良し講座』はまだ続いているはず。

 ヤルなら早い方がいい。

 

 極限の難題への苦悶が、疲労を知らないはずの絶対的支配者の思考を追い詰める……。

 

 思わずここでアインズは、両手で頭を抱えてしまった。

 御方の異変に、ずっと傍で時折可愛く見上げて来るアウラが慌てて気付く。

 

「あ、アインズ様っ、どうかしましたか!?」

 

 御用や問題があれば即対応、それが傍に控える階層守護者の使命である。

 至高の御方あっての彼女達と言える。

 他の全てを犠牲にしてもアインズ様への献身は最優先されるのだ。

 心配そうなアウラの姿が目に入り、主は姿勢を直ぐに正す。

 

「あ、大丈夫だ。もう8時50分(ルベド……ガゼフや国王達との会談のあとでも大丈夫だよなぁ……)だと思ってな」

 

 絶対的支配者は時間に追われている気がしつつも、胸を張り威厳ある姿でアウラへと弁明した。

 気負っていた支配者は、時間切れでルベドへの報告が伸びた事へ単に疲れたのだ。

 

「アウラよ。私はこれより約束で王城へ行く。何か変化があれば即時に知らせよ」

「はい、分かりました。……アインズ様、無理はしないでください。面倒な連中はあたしが全部始末しますので。言い付けてもらえれば例え地の果てまでもっ」

 

 小さい両拳をギュッと握って真剣な表情で可愛く健気に訴えるアウラの姿を見て、アインズは『自分がしっかりしないと周りを無用で不安にさせるんだな』と再認識する。

 そんな闇妖精の姉の右肩へ、(あるじ)は全ての指が神器級(ゴッズ)やレアアイテムの指輪で飾られた白骨の手を優しく置くと語る。

 

「本当に大丈夫だ。今のアウラの可愛い応援で元気が出た」

「――っ! ……はぃ……」

 

 また『可愛い』と言われてアウラは思わずポゥとなり顔を赤らめていた。

 

「ではな。この場はしばらく頼んだ」

「はい!」

 

 元気なアウラの言葉に見送られ、アインズは「〈転移門(ゲート)〉」と告げると、王城でガゼフや国王らと深夜会談へ臨むため、一旦この地を後にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨日の夜中未明に愛しのモモンから連絡を受けた、漆黒聖典第9席次女剣士クレマンティーヌ。

 その時のモモンからの指示は『待機』であった。

 彼女には漆黒聖典のメンバーとしてスレイン法国へ無事に戻ってもらう事が、絶対的支配者の基本計画である。

 そんな漆黒聖典の戦車隊は、昨日に続き本日も移動することなく王都リ・エスティーゼから30キロ程北東にある大森林の中で待機し続けている。

 この状況は、戦車1台でリ・ボウロロールに在るスレイン法国秘密支部へ『至宝とカイレ消失』と『隊長敗北』等の報告へ向かい、そのままエ・ランテルの秘密支部で本国からの『竜王軍団への対処』指示を貰いに行くセドランの小隊が戻ってくるまで続く予定だ。

 

 

 しかし――クレマンティーヌにはそれが耐えられなかった。

 

 

(モモンちゃんは今も王都にいるんだよね……それでアーグランド評議国に有利な工作をしてるんだよね)

 

 3日前、(ドラゴン)を利用して兄を討った状況から、彼女はモモンとマーベロがアーグランド評議国からの密偵だと思い込んでいる。

 状況は完璧であった。一介の冒険者である漆黒の戦士が複数の竜と連携など王国や帝国、そして法国でも考えられない作戦。疑う余地がない。

 でもクレマンティーヌにすれば、そんな事はもはや全く気にしない。

 大事なのは兎に角、モモンが傍にいることであるから。

 

 全世界が敵でも構わない――それが彼女の愛である。

 

(モモンちゃん、会いたいよー)

 

 先日は逃亡者として法国と評議国から追われるのはマズイという判断から、モモンの指示に従いここへと戻ってきた彼女である。

 格下のマーベロに助けられたのはかなり悔しいが、あれほど強力な魔法は評議国から享受されたアイテムを利用したのだろう。

 今、漆黒聖典の部隊は大森林北西端から500メートル程入った、少し開けている場へと戦車を円陣にした状態で野営中だ。

 その中心で火が焚かれているが、午後10時を回りそろそろメンバーで夜番2名を残し就寝の時間に近付く。

 聖典のメンバーはセドラン達3名と行方不明としている兄を除いた8名が、基本的に火の周りを囲む形で寝転んだり座ったりしている。御者役の一般兵達は遠慮して脇で固まっていた。この場を離れなければ別に戦車の中で過ごすのもありだ。

 そんな時、クレマンティーヌが漆黒聖典の『隊長』へ思い切って直訴する。

 

「隊長っ。あのー、竜王軍団に関しての情報を王都リ・エスティーゼに潜入して調査したいのですがー。 ――兄の仇も討つための情報を得ると言う意味でも」

 

 前半の言葉は遊びかとも思ったが、後半の言葉を聞いた周囲の全員の視線が女剣士に集まる。

 

「……んー、確かに一理あるか」

 

 現状、ただ漠然と此処で待つだけでは能がない。詳細な敵情報は戦うためにも必要だ。

 

 近くに良い情報源の場所が確かにある――。

 

 ここにいるメンバーを見回すが……どうも装備や表情に一癖、二癖ある連中ばかり。

 その中で、目の前の彼女は女騎士風の落ち着いた感じの装備だ。

 装備自体は法国でも超級クラスであるが、知る者が見なければ見逃すだろう。

 また普段、クレマンティーヌはローブを纏っている事でもある。

 ここで、女剣士の小隊長である『神聖呪歌』からもフォローが入った。

 

「そうね……クレマンティーヌなら、適任で大丈夫じゃないかしら」

 

 先日の詫びもある形で強力に推してくれていた。

 クレマンティーヌは真面目な表情を変えずに、心の中で狂気にほくそ笑む。

 

(ぷぷっ、バーカ。まんまと引っかかってくれちゃってー、ありがとーねーっ)

 

 クレマンティーヌのいつもと違う落ち着いた様子を見て、『隊長』は決断した。

 

「いいだろう。君は潜入にも慣れてるだろうし、王国軍と竜王軍団の動向に関する調査を命じる。そうだな、まず5日間で頼む。明日から数えて5日目の晩に報告の為、ここへ復帰せよ。それまでは単独行動を許可する。セドラン達もまだそれぐらい掛かるだろうしな」

「了解―。じゃあ、早速夜陰に紛れてちょっと調べてきまーす」

 

 クレマンティーヌは右手を曲げて皆に「じゃ」とポーズを見せると、戦車傍に繋がれた軍馬を一頭拝借して、華麗に飛乗り大森林の闇の中へと消えて行った。

 

(モモンちゃん、モモンちゃん、モモンちゃーーーん! 今から行くから待ってねーーー!)

 

 もう、クレマンティーヌの思考にはモモンの顔しか浮かんでいなかった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 国王ランポッサIII世や六大貴族のレエブン侯、王国戦士長ガゼフらとの深夜会談を終え、王都から帝都へと〈転移門(ゲート)〉にて移動を終えたアインズ。魔法省の敷地外傍の緑地群内にある小さめの森林へ帰って来た。

 勿論、出迎えるのは護衛のアウラと〈転移門〉が開くと同時に整列したそのシモベ達10体である。

 

「お帰りなさいませ、アインズ様っ」

「うむ、今戻った。変わりはない――」

 

 その時だ。支配者は、何やら突如ゾワリと悪寒が走った気がした。

 

「――っ?!」

 

 彼には何か……遠い遠い声(モモンチャーーン)を聞いたように感じたのだ。

 アウラが、(あるじ)にまたお疲れでも出たのかと少し心配げに見上げてくる。

 

「アインズ様、何か?」

「……いや、問題ない」

 

 時刻は午後10時16分辺り。

 しかしアウラは反応していない事から、それは完全に空耳で気の所為だろう。悪寒もアイテムにより冷気系にも耐性があるのだから。 

 アインズは気を取り直して、再度アウラへ尋ねる。

 

「連絡は無かったし、こちらは特に変わりはないか?」

「はい。〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉で見ていましたが、人間側から物資の搬入があって食事の準備と食事をして、今は就寝の準備中ですね。周辺にも脅威は確認出来てないですし、今晩は大丈夫そうですよ」

「ふむ、分かった。ご苦労だったな」

 

 至高の御方は横目で映像を眺めつつ、自然とアウラの頭を撫でてやる。

 闇妖精(ダークエルフ)の姉はニコニコと嬉しそうにそれを受けていた。彼女としては、御方と二人きりで、撫でまで貰える最高のお仕事状況に笑顔が自然に溢れていく。

 だが、ここでアウラが真顔になった。そしてアインズへと告げる。

 

「アインズ様、ハンゾウが1体戻って来ますよ」

「そうか」

 

 どうやらこの都市の周囲に網を張っていた甲斐があったらしい。

 ンフィーレア一行のカルネ村からの動きについて、ある程度方角は絞れているが流石に帝国も広いので行き違いになる確率は小さくないと思い、支配者は待ち伏せする手を指示していた。

 それから3分ほど待つと、ハンゾウがアインズの前へと現れた。

 膝を折って畏まると主に指示されていた内容を伝える。

 

「アインズ様、御命令の一行を無事に補足しました。護衛対象のンフィーレア、ネムは健在でございます。他、死の騎士(デス・ナイト)3体に分乗した小鬼(ゴブリン)達が13体、上空に非実体化した蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)を1体確認しました」

「よしよし。どの辺りだ?」

「はっ。最終確認位置はこの都市から西南西に約20キロの位置でしたが、高速での移動でしたので今はこの場所から10キロ圏には入っているかと」

「なるほど、ご苦労であった。ではお前は戻って、次の動向情報を運んでこい」

「はっ。では、これにて失礼を」

 

 そう告げると、ハンゾウは中腰のまま高速で後ろを見ずに下がって行く形で、直ぐ背後に広がる森の木々の合間の闇に消えて行った。

 エントマからンフィーレア達が午後7時半前にカルネ村を出たと聞いていたが、迷わずに3時間と少しでここまで来たことになる。恐らく蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)がいた事で上空から先行させ、調べつつ直線的に来れたからだろうと予想する。

 アインズの安心した様子を見て、アウラは同じ様に嬉しそうに伝える。

 

「よかったですね」

 

 御方が嬉しそうだと、守護者達も自然と穏やかである。

 

「うむ。既にナザリックの一員で重要な者達だからな」

「そうですね」

 

 アウラは主へと答えながら、先程のお疲れの様子から『世界征服』には、この世界の人材や戦力も手として確かに必要なのではと真剣に考え始めていた。

 一方、至高の御方はこれで()()へのピースは埋まる。

 絶対的支配者は、いよいよ残された次の修羅場的難題に向き合う。

 

 

 ――――有無を言わさずルベド対応の時間である。

 

 

 先程9時前に挑戦しようとしたが、アインズはそれが『誤りだった』と今は考えている。

 

(……待ったなしだよな。午後10時を回ってるし。()()はもう眠っている時間のはずだ)

 

 この夜の絶対的支配者のルベドへ関する予想は抜群に冴えていた。

 午後9時を前に、まだ幼い()()は眠気に負けていたのだ……。

 だが、それも偶然の助けになる。人類であるが現在はキョウの妹。ルベドはとても気に入り、自分用のベッドで寝かせると、姉のキョウと仲良く寝た時の寝顔と情景を思い浮かべつつ20分程も堪能する。

 ()()はナザリックの平和にとって値千金の時間を稼いでくれていた。加入からの期間を考えれば、貢献度は驚異的水準で非常に高い子である。

 そのあと、モフモフの白き翼を繕いながら慎重な選考の末に最上級天使(ルベド)は、午後9時半前より王国王城ヴァランシア宮殿滞在部屋のプレアデス姉妹の様子を〈千里眼(クレアボヤンス)〉により現在まで存分に堪能しニヤニヤしていた。

 今午後10時を回り、そろそろルベドは次のターゲット候補対象について、カロ四姉妹かリッセンバッハ三姉妹へと迷い始めていた。

 

(――ん、どちらを先にしよう)

 

 カロ四姉妹の下の可愛い3名は共に同じベッドで休むのだ。まだ小さい三姉妹のスヤスヤと眠る寝顔と寝姿、これは天使の世界……。

 一方、リッセンバッハ三姉妹は王都内ゴウン屋敷の使用人部屋に置かれた三段ベッドで休んでいる。これが実は穴場で、斜め上方俯瞰から見ると大人びた三姉妹の寝顔と寝姿が同時に楽しめる。

 ルベドにとって、どちらも捨てがたい絶景であった――。

 だがここで、なんとルベドは選択肢から余りに想定外で急すぎる運命的展開を選択したのだ。

 

(――後に残して――――()()()先にエモット姉妹を見て堪能しよう)

 

 現在、当然カルネ村のゴウン邸には1階の姉のベッドで仲良く眠る姉妹の姿はない。

 決してあってはならない状況へ……ナザリックの、いや新世界の終焉と思われる(とき)が迫った。

 正にその瞬間。

 

 

 

『――ルベド、私だ』

 

 

 

 電子音の後に、至高の御方の声がルベドの思考内へと鮮明に響いた。

 流石は絶対的支配者、アインズ・ウール・ゴウン様である。

 彼はこれまでも幾度か見せてきた、超ギリギリでの偶然的危機回避能力の実力を、ここでも存分に発揮してみせる。

 主は続けて最強天使へ話し掛けた。

 

『今、時間は大丈夫か? 落ち着いている感じか』

 

 同好の同志でもあり敬愛するご主人様でもある者からの〈伝言(メッセージ)〉を受け、ルベドは重要な趣味を一旦中止する。

 

「アインズ様、ミヤはもう寝ている。問題ない。先程から各所の姉妹達を見ていた」

『……そうか』

 

 ミヤが起きていて『講座』が続いていれば問題であったかも知れない……。

 また、姉妹達の絶対的プライバシーが大いに気になるところではある。

 だがアインズはそれらを口にせず、とりあえず了解をとった事で本題に入る。

 

 

 

『実はな、今日の夕方前に―――エンリが誘拐された』

 

 

 

 支配者には、この時点で次の瞬間が予想出来ていない。

 卑劣な誘拐行為により仲良しのエンリ・ネム姉妹が、無残にも引き裂かれる事態となった。

 それは人類種によって行われた暴挙であり、『姉妹同好会』の()()()会員が無事に許す展開を予想できそうにない……。

 また、そんな姉妹を守り切れなかったのは、一体――誰か?

 そんな思考の連鎖が起きれば……と、絶対的支配者すら本来ならば震える場面。

 

 しかし、嘘はいずれバレると分かっている。だから今、彼はまず真実を伝えていた。

 

 すでに夕方からカルネ村とナザリック地下大墳墓全体で騒ぎとなっている。

 至高の御方であるアインズ自身が先頭で動いているのだ。隠ぺいはもう不可能と言える。

 今伝わっていないのは王城の宮殿と評議国にいる者達だけに過ぎない。

 強者双方の見えない思惑が交錯する中、暫しの沈黙の後、ルベドが淡々と言葉を紡ぐ。

 

「状況は? 私の力が今、必要か? たとえ、敵に竜王(ドラゴンロード)が100体いても問題ない。一言私に『倒せ』と言えばいい」

 

 声のトーンと内容だけで彼女の憤怒の大きさが伝わって来た。

 ただ事件時の夕方前からは既にかなり時間が経過している。その事が逆にルベドを落ち着かせているのだろう。

 絶対的支配者は慎重に事実を伝える。

 

『現状、当面の問題は概ね解決された。それもエンリ自身の手でな。ただ――姉妹はまだ再会出来ていない』

「な、なんという酷い状況だ……。犯行者は成敗されているのか?」

 

 再会未達の内容に、ルベドの怒りの直球が込められてきていた。

 なお、ルベドの重要点は一般的な常識と大きくずれている。

 アインズの嘗ての社会人としての豊富な営業経験は、それを多分に看破しつつあった。

 でも、ここからはアインズも理由付けが難しい事になるところだ。ルベドが納得出来る言葉を伝えられるか自信はない。

 しかし、それでもルベドへと語って聞かせる。

 

『再会出来ていない最大の理由は、エンリからの私、アインズ・ウール・ゴウンへの優しい配慮に起因する。彼女は今居る遠方地から容易に動けない。また、犯行者も存命だ。ナザリックの総意として、犯人が個人や小規模な組織程度なら、勿論塵も残さないつもりでいた。ところが、実行犯は一大人類国家の要人であったのだ。これをエンリ自身が、私やナザリックの名を出さずに上手く収めてくれた。この姉エンリの努力を主として無駄には出来まい? あと妹のネムは今、姉の元に向かっている最中だ』

「むぅ……」

 

 ルベドも敬愛する同志の名と、彼から知らされた道理の通る内容と再会が近い現状に押し黙る。今は自分の力が必要でないだろうことも理解して。

 そんな彼女が尋ねてくる。

 

「今、どこにいる?」

『……バハルス帝国だ。お前の今居る評議国の東が王国。その東にある国だ』

 

 一瞬の躊躇があったが、支配者はそのまま教えた。

 ルベドは続けて静かに問う。

 

「アインズ様は――ここへいつ帰って来る?」

 

 それに対し、天使の主は穏やかに答える。

 

『状況は、非常に落ち着いている。護衛にはアウラとシモベ達がすぐ横へ居て守ってくれている。今夜中に宿へ戻る。明日は予定通り評議国の中央都を目指すぞ』

「分かった。ここでアインズ様の御帰りをお待ちしている」

『うむ、ではな』

 

 ――アインズは、そのまま〈伝言(メッセージ)〉は無事に終了させた。

 

(よし。よしよしよしっ!)

 

 アインズは心の中で大いに喜んだ。でも、アウラが傍に居る為に支配者としてガッツポーズはとれなかったが。

 ナザリックの平和はナゼか守られた……。

 アインズにも不思議だった。

 なぜあのルベドに、失望感や激情を交えての原因や落ち度等を問い詰められなかったのかについてだ。

 その理由は……NPC達で誰も気が付いていないと思われているが、ルベドだけは気が付いている事がある。

 

 

 それは――至高の御方々が完璧な存在ではないということだ。

 

 

 ルベドは元々、至高の41人に対して敬意や忠誠など無かった存在として作られている。

 なので、彼等への評価は冷静である。

 そのため御方も「ミスをする」という単純な事であるが、当たり前の知識を彼女は持っているのだ。

 それにルベド自身も戦闘力には、特に近接戦闘については現在、あらゆる者に対し無双出来る自信がある。しかしそんな自分も……嘗て姉達との関係改善は全く上手く出来なかったのだ。

 各個体には得手不得手がある事を十分理解している。

 だから、改めて失望したりすることはない。

 今回も速やかな対処を、『姉妹同好会』の会長で総責任者のアインズ自身が先頭で対処してくれ解決していると認識した。

 故に今回、ほぼマイナス点はなく、逆にルベドのアインズへの信頼度はまた上がった。

 そのためルベドは引き下がり、最後は平和に落ち着いたということなのだが……未だ誰もそれを知らない――。

 

 

 アインズはその後すぐ、王城のユリへも〈伝言(メッセージ)〉を繋ぎ、解決の流れが十分見えた形のエンリ誘拐の件を知らせていた。

 だが以後も、この件に関して御方のミスという話はどこからも一切出なかった。それは、『これも御方の遠大な計画の一つ』という話が何故か、ナザリックへと戻ったデミウルゴスから速やかにアルベド経由で上位NPC達のみへと秘匿的にフォローされていたからである……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ンフィーレア・バレアレの発案と主を護りたい小鬼(ゴブリン)のジュゲムらが同調し、ネム・エモットのネゴシエーターの力が集束して結成された、カルネ村エンリ救出部隊。

 彼等はカルネ村から一路北東方向へ、まず王国内に広がる帝国との緩衝地帯となっている草原を死の騎士(デス・ナイト)達が激走する形で進んでいく。

 分かり易く言えばトブの大森林の南から東方外縁部の外側を走るイメージになる。

 ちなみにナザリック地下大墳墓の北側傍を通過しているが、友好地域の住民達であるため不問とされている。この時、アルベドからエントマへ問い合わせがあったが、至高の御方側で対処するとの通達を受けた直後で統括へもそう伝えての流れだ。

 そんな一行の移動速度は時速で70キロ以上出ているだろうか。おまけに5名ずつを乗せつつも、死の騎士達は全く疲労しないと聞くアンデッドの特性を存分に発揮する形だ。

 また、進路の確認誘導と護衛を兼ねて上空へは蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)がいてくれた。

 ンフィーレアは全く知らないが、一応ネムは蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)の強さについても聞いている。この隊には屈強な強さを誇る死の騎士が3体もいるが、その総合戦力よりも蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)の方が強いという事実をだ。

 とはいえ、ネムも死の騎士(デス・ナイト)達の強さへの認識は漠然としている。

 『騎士の小隊よりもうんと強い』ぐらいの感覚だ。

 まさか彼等1体だけでも、隣国である大帝国の全騎士団と対抗出来る可能性があるなどと夢にも思っていなかった……。

 

 一行は、帝国主力騎士団に対し明らかな過剰戦力である。

 

 そんな事は全く知らない救出部隊であったが、1時間を超えて進みすでに帝国内へ入ったかと思われた辺りで、上空に舞い少し先行していた蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)が、ネムの所へと急速降下して傍へと近付いて来た。

 そして、少女へと何やら叫ぶように伝えてくる。

 

「クォォォココォー……コォォクオォーーーー」

 

 一応この救出部隊の隊長は、帝国地理についてもある程度知る知識豊富なンフィーレアであるが、アンデッドの言葉は流石に専門外。分かるのはこのメンバーではネムしかいない。

 そしてアンデッド達は全てネムに従っていた……。

 ンフィーレアや小鬼(ゴブリン)達の指示は基本的に聞いてくれない。ネムから口添いの「お願い」と言われた時だけなのだ。

 そのアンデッドの1体、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)からの知らせにネムは――驚く。

 

 

「えっ? 巨木のバケモノ?! この先にいるの?」

 

 

 そう、ンフィーレア一行は、先日『トブの大森林』で大暴れをした巨木のモンスターを、気が付けば後方から追う形で進んでいたのである。

 さらに蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)が伝える。

 

「コォォー……クォ……ォコォークォーー」

「……本当に? 本当にあなたより凄いの?」

 

 意外な内容に、ネムの動揺した言葉が出た。

 少女の問いへ初めから蒼い顔色のアンデッドが一つ頷く。

 距離は北東へ約10キロ程で、この先にいるようだ。平原といっても多少の起伏はある。夜暗も関係ない死の騎士一行からはまだ見えないが、速度は遅くすぐに追い付くのは子供でも理解出来た。

 先頭のルイス君に乗るネムは、右後方を走る死の騎士(デス・ナイト)の頭にしがみつくンフィーレアに向かって叫ぶ。

 

「ンフィー君! この先に、大きいモンスターの障害物があるみたいなんだけどー、どうするーーー?」

「えーー!? じゃあ、ちょっと一旦止まろうかー」

 

 単に障害物なら避ければいいが、『モンスター』が付いていた。

 少し意味が分からないが、ここはもうバハルス帝国の領内だと思われる。

 先日エ・ランテルで聞いた竜軍団の件ももう帝国へ伝わっているだろうし、用心は一応した方がいいとの判断。

 なお国境については、長年王国側からの威圧などなく、王国側で緩衝地帯を作っている程で、腰が引けて見えている状況を反映してか、帝国側では特に警備などはしていない。基本的に王国も帝国も、各村や各都市で侵入者を警戒する体制だ。

 ンフィーレアの停止指示を、ネムがルイス君ら死の騎士(デス・ナイト)達へ告げ部隊は草原で止まる。並走していた蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)もだ。

 死の騎士(デス・ナイト)上で少年は、内容を再度確認する。

 

「障害物のモンスターって聞こえたけど、どれぐらいの大きさか分かる?」

 

 彼の言葉はアンデッドにも一応聞こえている。蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)がネムへ唸りのような声で伝えると、ネムが少年へ回答する。

 

「えーとね、全体だと板塀で囲ったカルネ村ぐらいの広さがあるらしいよ」

「は、はぁ?」

「高さも、トブの大森林で有数の大木ぐらい、100メートルとかあるみたいだって」

「「「………」」」

 

 途方もない大きさに思えた。ジュゲムやカイジャリ達も顔を見合わせ、首を傾げながら唖然として聞いている。

 更にネムは語る。

 

「外見は大木を中心に太い蔓が周りでとぐろを巻いてて寄り集まった形に見えるみたい。でね――それが低速でほぼ東北東に動いているって」

 

 ネムの言葉を聞き終えても、ンフィーレアの他、全員がしばらく沈黙していた。

 とんでもない状況に思える。

 でも、これはあくまでバハルス帝国内の問題である。

 しかし、今後の進路はほぼ魔法省のある帝都の方向を示している事は容易に予想できた。

 そこには、少年の想い人であり少女の姉で、小鬼(ゴブリン)達の主でもあるエンリが囚われているはずなのだ。

 少年が堪らず重要なポイントを口にする。

 

「その怪物、帝都寄りで向かってるね。時間がどれぐらいあるのかな?」

 

 ンフィーレアの知識では、大都市エ・ランテルから帝都アーウィンタールまでは約270キロと聞いている。なので近いはずのカルネ村からなら直線で240キロないぐらいと考えていた。また彼の予想で、現在位置は帝都まであと130キロ程。

 時速500メートルだと260時間あるが、時速4キロだと1日半程度しかない。

 エンリ救出へ大きい障害になる可能性も残る。

 ここで、ネムが蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)に可愛くお願いする。

 

「あのー、どれぐらいの速さで動いているか、近くで調べてもらえないですか、ダメ? 私達は、距離をとって大木さんの南を安全に真っ直ぐ抜けて行くから」

 

 ネムも時間を無駄に出来ないと思い、移動を再開しつつ調査をこの部隊最強の戦士に頼む。

 ただ蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)としては、ある程度の指示は任務の範疇内と割り切るが、あくまでもンフィーレアを傍で護衛するのが最大の目的。

 危険度の高い強大なモンスターへ接近するのは、幾分躊躇われる依頼である。

 すると、ネムの乗る死の騎士(デス・ナイト)のルイス君が声を上げた。

 

「ォォオオアァァーー」

 

 そのネムとアンデッドにしか分からない『少年は任せろ』という自信溢れる意に、部隊最強の戦士は一拍置くと応える。

 

「……コォー」

 

 聞こえてきたそれは『分かった』と周囲の皆に伝わるものであった。

 巨木の行動は、少年の安全確保にもいずれ影響の有る必要情報と考えられたからだ。

 馬上の彼はネムに改めて頷くと、馬の踵を返し背を向け非実体化すると、上空へそして巨木の怪物に向かって空中へと駆けて行った。

 ネムが部隊長のンフィーレアへ元気に声を掛ける。

 

「馬に乗った騎士さんが調べに行ってくれたよ。さ、行こう、ンフィー君!」

「うん。ただ帝国の哨戒兵が周囲にいる可能性があるから注意して。じゃあみんな出発!」

 

 ネムが「お願い」すると、3体の死の騎士(デス・ナイト)は草原を疾走し始める。

 

 10分ほどすると、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)が部隊へと無事に帰って来た。

 彼は巨木から十分距離を取って並走することで速度を測ったという。巨木の進行は時速1キロ程だとネム経由でンフィーレアへ伝えられる。

 つまりまだ100時間以上の猶予は有りそうである。

 とはいっても、今の速度が続けばという不安定な条件でだ。

 結局今は、『一刻も早く帝都へ辿り着きエンリを救出し脱出する』という事が最良であるとの結論に達する。

 現状の延長線上の成功を目指すのみであり、ンフィーレアとネム、ジュゲムらはそのまま風の如く真っ直ぐに帝都を目指した。

 

 

 

 カルネ村からの救出部隊が村を出て3時間近く経った頃。

 上空の蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)が知らせてきた、前遠方へバハルス帝国帝都アーウィンタールの灯が見えるとの報に、地を滑る形で駆ける一行は湧く。

 ンフィーレア達は、帝国内の村や都市を避けつつもほぼ直線的に230キロ程走破して来た。

 そうして、午後10時40分へ近い時間に帝都外縁部まで到達する。

 帝都外縁部は高く分厚い堅固な城壁で守られており、4つある正門からしか出入り出来ない。

 部隊は一度、到達位置で最寄りの繁みに身を隠す形で全員が死の騎士(デス・ナイト)から降りる。そうしてまず魔法省や帝都内の様子についての情報収集を始めた。

 

 しかしその結果――大問題が発覚する。

 

 都市上空より魔法省の位置調査から戻って来た蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)の話によると、魔法省と共に上空からエンリ本人を発見出来たのだが、どういう訳か彼女は小鬼(ゴブリン)数千の軍団に護られているという。また、現在その軍団は整然とし戦闘状態中には見えなかったとも告げられる。

 その話を聞き、ネムはピンと来た。多分姉が首へ下げていたお守りの角笛を使っただろう事に。

 でもネムには今一つ状況と話がよく分からない。

 ここで、幼い少女の頭に浮かんだのはアインズ様の事だ。

 

(アインズ様がお姉ちゃんへ何かしてくれたのかな?)

 

 ネムは、エントマ様達ナザリック勢が動いて2時間でも行方が知れなかった為に必死で村を飛び出し、姉の救出作戦第一でここまで頭が一杯になっていた。通報はしたし、それから3時間程経っている。ただ、あのお方ならこんな軍団が必要とも思えない。やはり姉の角笛の力だろうと考える。

 

(んー。お姉ちゃん、攫われたはずだけど……。小鬼(ゴブリン)さん達のお陰で開放されて、帝国の魔法使いのお爺ちゃんと仲直りしたのかなー?)

 

 でも妹は、小鬼(ゴブリン)の数がいくら何でも多すぎると思った。

 

(あと50人ぐらいなら頑張れば、皆で村に住めそうだけどー。お姉ちゃん、村に食べ物も少ないし何千人も住めないよー。どうしてそんなに大勢呼んじゃったの?)

 

 子供心に純粋な感想である。

 最近、彼女は姉の傍で色々と手伝いをするようになり、村の事情にも随分詳しくなった。

 カルネ村は以前から貧困域の村であったこと。エンリの家は薬も商っていたから、村では上位に入っていたが税を納めると基本どこの家も余裕は無いなど。

 そして税から残った食料は、村全体でもそれほど余裕がある訳ではない事を知った。

 幼い少女には考えもしなかった大人の事情。

 食べ物の重要さを知って、ネムはもう食べ物を一切残さなくなっている。

 そのため少し姉の行き過ぎた行動に不満が出たのだ。

 そんな色々考える風でもあり怒った様子にも見える顔のネムに、まだ話を聞いていないジュゲムとンフィーレアが用件を早くと尋ねてくる。

 

「ネムさん、姐さんは!? 何か問題が?」

「ネム、どうだったの!? エンリは、魔法省の場所は分かったの? それとも厳重すぎて入れないとか? うわ、まさか魔法省はもうこの都市じゃなかったとか……」

 

 彼が数年前に読んだ本は、15年程も前に書かれた帝国紹介の書物であったのだ。

 少年はエンリの居場所へ近付き焦り始めていた。犯人が著名な老人とはいえ巨大な組織に誘拐などされれば、何をされていてもオカシクはないっ。

 魔法詠唱者でもある少年は、〈魅了(チャーム)〉でも食らえば仲良く同衾も難しい話ではないとも考えている。

 

「ぁぁ(あ、エンリィィ)……」

 

 若さ溢れる妄想が爆発しかけて、ンフィーレアが顔に両手を当てて悩み出そうとした時に、ネムの口がその首に下げている角笛を見せながら動き出す。

 

「魔法省は見つかったって。位置はここから、外周壁に沿って北側へ2キロぐらい行った所が近いって。あとお姉ちゃんが――新しい何千もいる小鬼(ゴブリン)の大集団を呼び出してるみたい。凄い数だけど、多分この笛の力だと思う。集団の周りに相手はいなくて、戦っている感じは無いって事だけど。どうしよう、ンフィー君……」

 

 魔法省の存在を聞き、顔をパッと上げて気を取り直したが、ネムから難題を振られたンフィーレアは即答出来ない。

 問いには不明点が多すぎた。

 少年はナザリックの存在をまだ全く知らない。

 でも少年の頭へ真っ先に浮かんだのは、恋敵である村の英雄的魔法詠唱者(マジックキャスター)アインズ様の存在。

 以前エンリが笛を使った時には19名しか出てこなかった事実。それが今回数千。この軍団はどこから来たのか、なぜ戦っていないのか。

 そして――エンリは何故、まだ帝都の魔法省内の地へ留まっているのか。

 色々考えつつも最も気に掛かる事がある。

 

 少年は今も、アインズ様がエンリを先に助けてしまわないかとずっと恐れている。

 

 でも今、あの方は遠い王都に居て、留守を守るキョウも2日前から大森林内へ探索に出かけている。いくら優秀な彼の関係者でも知らない事へ即応は難しいはずだと考えていた。

 この世界は危険が多く、守ってくれる男性に女性が強く魅かれるのはオーソドックスな事。

 高いポイントが稼げる今回の機会を少年は絶対に逃したくないとし、帝都まで男らしく必死で来ているのだ。薬師の少年はカルネ村の惨劇で既に一度彼女を救えなかったから……。

 だから今回、どうにかしてエンリの心を引き寄せ、偉大な盟主にも先んじたいのだ。エンリから感謝の『チュー』が貰えるかもしれないとの考えも盛大にチラついていた。

 鼻先へのニンジン効果で、馬車馬のように少年の思考は俄然高速で回る。

 あれから3時間。蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)が村にまだ残っていると聞くし、森のキョウさんへ知らせが届き村側で動きがあるかもしれないと。でもこの帝都は、カルネ村からは230キロ以上の距離があった。また通常の〈飛行(フライ)〉では死の騎士(デス・ナイト)程のスピードは出ないはずとも。知らない場所への移動は、魔法でも容易では無い事を魔法詠唱者の彼は知っている。

 ンフィーレア少年はエンリへ「僕が助けに来たよ」と早く伝えたいのだ。

 

 再び魔法省内でのエンリの現状へ少年の思考が回帰する。

 エンリの傍の小鬼(ゴブリン)の大集団は一応角笛の力だろうと冷静に考えてみた。

 ならば、いくらなんでも帝国側がそれに気付いていない事はありえない。また、ここは帝都内であり単に行動を見逃しているという事も考えられない。つまり合意の上で戦闘が発生していない状態と考えるのが自然だ。

 ならば、ンフィーレア達が勝手に場を乱すことは少し待つべきだろう。

 そしてエンリの軍団の動きを見てからの行動が最善だと直ぐに判断する。この辺りは、流石に冷静さに加え知性と理性的な考えを持つ少年と言えた。

 少年より先にジュゲムが告げる。

 

「その軍団は、ほぼ間違いなく味方ですね。全員が姐さんを死守するはずですよ。俺達と同じぐらいの連中が揃ってるなら相当の戦力でしょう。ひとまず安心してもいいんじゃないですかね?」

 

 確かに、屈強なジュゲム達19人は(ゴールド)級冒険者チーム3つ分ぐらいの戦力。

 それの250倍以上の規模となれば、国家規模の軍団戦力といえる。

 帝国といえども手出しには十分な戦力と検討が必要に思えた。

 ンフィーレアの思考の中で予想が立ち始め、皆へ話し始める。

 

「もしそうだとすれば、帝国と何らかの交渉と合意があっての今の状態なんだと思うよ。普通に考えて、此処は帝都内だしそれほどの戦力を相手に対抗戦力を傍に置いていないのは違和感が大きすぎるからね。僕達は、エンリの行動に合わせる必要があると思う」

 

 ンフィーレアの発言に、ジュゲムとネムは頷く。

 ただやはり、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)による上空からの情報だけでは少なすぎた。

 そこで、ンフィーレアは二つの計を指示し実行していく。

 

 一つは帝都内潜入である。

 大門はこの時間も2箇所は開いている。とはいえ、人外がほとんどである部隊全員がそこから入れるとは到底思えない。

 少年には帝都北方の山脈から都市の東を抜けて南の湖まで河が流れていて、一部を都市内へ水源として引き込んでいるという知識があった。

 そこで、ネム経由で蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)に場所を特定してもらい、一旦全員で帝都東方側へ移動する。

 帝都東側外郭璧に築かれた用水の取り入れ口は水中に1メートル以上水没しており、更に取り入れ口の3メートル奥には頑丈な鋼鉄の柵が1メートル離して二重で設けられており、侵入は困難に思えた。

 常識で考えればまず無理であるが、この部隊には余り通用しない。水中でも間口は十分にあり蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)がレベル58のハイパワーで鋼鉄の柵を引き千切ってくれた。

 それが完了してから重たい死の騎士(デス・ナイト)達にしがみつく形で1分以内で水中を全員が帝都内へと突破する。

 エンリに対するンフィーレアの行動は非常にダイナミックであった……。

 

 一行は用水路を辿り、都市内の公園で上陸すると、林に潜んで一段落する。

 ンフィーレアは生活魔法の〈乾燥(ドライ)〉をネム他数名へ実行した。流石に全員へは消費が激しいので皆納得する。夏場なので夜でもそれ程寒い訳ではない。

 さて、魔法省は都市の西側にあり反対側となる。直ぐに移動したいところだが、あと数時間過ぎた夜明け前の方が適していた。だから先にンフィーレアのもう一つの計を実行する。

 それは当然、帝都内におけるエンリ軍団と帝国軍の動向情報収集だ。

 ここで意外に重宝されたのがカイジャリである。

 彼には――フールーダから掛けられた強力な『認識阻害の魔法』がまだ効いていた。

 単独行動すれば、一般人はまず誰も亜人の彼を意識しないのだ。

 それは今でも、カイジャリが大声か、強く掴まれた者でなければ認識出来ないので効果は間違いない。

 フールーダとしては、小鬼(ゴブリン)を1日ぐらいは眠らせておくつもりであったのだろう。各魔法への抗力は個体差がある。カイジャリは眠気に抗力が高かった模様。

 先程の水中行軍での雫が落ちればバレるので〈乾燥(ドライ)〉を掛けられたカイジャリと、ンフィーレア自身が情報集めに出る。多少危険だが少し地理を把握しているし、エンリの為ならばと率先した。

 ンフィーレアは、鼻の利くものには弱いが視覚を誤魔化す〈屈折(リフレクター)〉が使える。それを後方からしか見付けられないという形で実行し中腰気味になり、少年の肩へ手を置くカイジャリをすぐ後ろへ立たせれば、ネムやジュゲムらからンフィーレアがほぼ見えない事も確認出来た。

 時刻はもう深夜に近いが、此処は大都市の帝都。エ・ランテル同様、まだ街の明かりが残っているところは多いはずである。

 時間を置くことなく、急ぎンフィーレア達2名は情報集めへと出ていく。一応蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)が上空から護衛には就いていた。背に乗せて貰えれば最高なのだが、彼等は非実体化しないと飛べないので、残念ながら空中では乗せてもらうことが出来ない。また完全透明化しているわけでもないので、街中では超低空で隠れながら飛ぶ必要もあった。遠方の皇城周辺上空を時々、近衛である皇室兵団(ロイヤル・ガード)のジャイアント・イーグルが夜間警戒で飛行しているのが見えたためだ。

 見送った残りのメンバーは、公園の林の中で装備や服を乾かしつつネムを中心に結果を待つ事とした。

 ただこの機にと間もなく、歴戦の姿をしたジュゲムがネムへ重要な事を尋ねていた。

 

「ネムさん、御屋形様はまだ動いていないと思いますか? 既に4時間は経ってますぜ。村を出る時に連絡を入れてますし、俺にはもう動かれた結果、こうなっているんじゃねぇかと」

「じゃあ、アインズ様から私達に連絡が無いのは?」

「それは姐さん側の件は急ぎで大きいですし、こちらに――ンフィーの兄さんが居るからじゃないですかね」

 

 小鬼(ゴブリン)18名を率いるジュゲムは、いつもエンリの立場も考えている。

 魔法による直接連絡については、エンリがアインズと会話しているのをネムや小鬼(ゴブリン)達も見て知っていた。

 ナザリックについては少年にまだ秘匿されている事も、エンリの配下として守らなければならない。だからここまで御屋形様関連の話は出来なかったのだ。

 しかし、今ここにンフィーレアは居ない。

 アンデッド達も全て御屋形様の陣営の者らだ。問題はない。

 ジュゲムの難しい展開の絡む言葉にネムは、ネゴシエーターとしての力で考える。

 

「ぁ……うわぁ……もしかすると、ンフィー君をすぐにお姉ちゃんに会わせない方がいいのかな」

「我々がどこで合流するか、問題になる可能性がありますしね」

 

 今、姉エンリの率いる現戦力と帝国軍がアインズ様の助けで話が纏まっているとする。

 そこへ、これだけの余剰戦力が別で『話に聞いていない形で突然登場』した場合、「一体どうなっているのか?」と再度大きい問題になって揉めないだろうかと。

 また揉めた難問の際中に少年が傍にいれば、エンリはアインズ様との綿密な連絡も取りにくくなると――。

 ネムは両手を頬へ強く押し当てて『困った』という表情を作る。

 

「どうしよう……」

 

 幼い少女ネムとジュゲムは大いに悩み始める。少年が戻るまでに何か良案を捻り出そうとしていた。

 

 

 

 アインズの目には帝都アーウィンタールの人通りの(まば)らな裏通りを、中腰でカイジャリとまるで電車ゴッコをしながら歩く滑稽なンフィーレア達の姿が〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉を通して写っていた。

 御方の特殊技術(スキル)〈魔法的視力強化/透明看破〉により、二人はアインズから丸見えであった。

 支配者は、先程から完全に落ち着き就寝時間に移行し始めたエンリの陣地側ではなく、不安要素が高そうなカルネ村部隊を見ている。

 ハンゾウの1体が訪れ、「彼等は帝都の南西から東へ移り、都市の用水取入れ口から侵入したよし」との知らせを受けてだ。

 アインズは、先程からいっそのことンフィーレアへも自身の力とナザリックの存在をバラそうかとも考えた。そうすれば、彼等はまだ帝国に発見されていない小部隊なので撤退させるのは簡単だと。

 しかしそれは、あの少年を猛烈に突き動かす純粋で尊いモノを完全に打ち壊すような感覚があった。また何か負けたような気もするので、今一度考えて直して今に至る。

 

(とりあえず、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)がいるし、死ぬことはないだろう)

 

 支配者からそう見られていた少年は、カイジャリと共に約2時間半に渡り10軒を超えて酒場や軍事関連の駐留所へと侵入し聞き耳を立て続けた。

 特に酒場では声や物音が大きく、全く気付かれる要素が無かった。流石に夜中の静かな帝国の軍事駐在施設は、慎重に遠方から石などを使い侵入者検知魔法の有無を確認した上で、足音を殺しながらゆっくりと近付いて退散時にも気を使ったが。

 そうして、無事にンフィーレアとカイジャリは皆の待つ公園へと戻って来た。

 ただ、得た情報は余り芳しくない。

 もう昨日になるが、魔法省の敷地内部で大魔法実験らしき天に(そび)える巨大な〈炎竜巻(ファイヤー・トルネード)〉が10分程も見られたという話題や、先日から戦時下移行しているが昨日は夜に入って帝都内で騎士や軍属へ非常招集が掛けられた事実と、騎士団が都市の騎馬だまりへ数百騎ごとに分散待機の動きがある事を掴んだぐらいである。

 一番情報として欲しかったエンリの小鬼(ゴブリン)大軍団については、緘口令でも出ているのか、どこの酒場でも噂すら全く話題には上がっていなかった。

 そのため、今朝からの動きが全く掴めない形の結果となっている。

 逆に言えばエンリの大軍団は帝都内で大きい戦闘も起こさず、帝国と交渉が完了している可能性が益々高いと思われた。

 最有力の予想案としては、小鬼(ゴブリン)大軍団の不戦での移動だ。亜人の軍団に領土を踏み歩かれるという帝国の威信失墜は兎も角、これは両者に大きな利点を有し十分あり得るだろう。次点案は大軍団の条件付き降伏。魔法省から出られない状態で、帝国側に巨大な〈炎竜巻(ファイヤー・トルネード)〉を見せられて屈したという展開。エンリが助かれば良いという軍団の考えに基づくものだが、エンリ自身飲まないと少年は思える。それにあの大軍団は相当強いはずだと。

 公園までの帰路、周囲を警戒し殆ど会話出来ない事から少年はそんな事を考えつつ歩いていた。

 林の中でンフィーレアとカイジャリを出迎えたのはジュゲムとゴコウ達である。ネムを見るとルイス君が仁王立ちし見守る形の足元で布の上へ横になって眠っていた……。無理もない。

 少女なりに精一杯頑張ったが流石のネムも、日付を超えた辺りでまどろみ、この時間は完全に夢の中である。

 ンフィーレアも流石に疲れていたが、休む前にとジュゲムらへ得た情報の通知を行なった。

 一通り伝えたところで「ひとつ話が」とジュゲムから少年へ、ネムと考えた案が語られる。まあ案と言うか、エンリが苦境に立つ事はしない予想への誘発なのだが。

 それは少年にとって少し無情な内容。

 

「これは、先程ネムさんと気が付いた事なんですがね、今我々の戦力が姐さんの軍団に合流すると――話が纏まった風にも見える帝国とまた揉める口実にならないかって」

「……そ、それは……否定できない……ね」

 

 空に居れば良い蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)と、ネムにンフィーレア自身も葉っぱの緑系の汁を体へ塗る事や13名の小鬼(ゴブリン)らは誤魔化せても、黒くて巨躯の死の騎士(デス・ナイト)3体は無理に思える。部隊としてここまで来た以上、加わるなら全員でが前提だ。

 少年は、徐々に小さくなっていく声に伴い、視線が下がり表情が段々と沈み固まっていった。早く会いたいが、それが致命的な問題に発展しては意味がないと。

 でも、しかし、だが、それでも、何のために、いや、されば、ところが、まだしも、だけど……と少年の心の中で激しい葛藤が実に7分ほど続く。

 その結果、彼の口から出てきた妥協の言葉は――。

 

 

「――様子を見よう」

 

 

 彼は、これから少し仮眠を取って日の出前に潜伏の難しい帝都内から一時退去し、小鬼(ゴブリン)の大軍団の動きに合わせて行動する方針へと転換する。

 でも、ンフィーレアとしてこれだけはしておきたいという事があった。

 少年は腰から携帯用の筆記用具を取り出し、2分ほどで羊皮紙へと全力の想いと真心を込めて10行ほどの短い手紙を書き上げる。

 それは『大好きなエンリ・エモット嬢へ』で始まり、『君の隣人で親友のンフィーレア・バレアレより』で締められていた。

 間の数行には、エンリを助けるためにンフィーレア自身で思い立ち、ネムを始めカルネ村から救援部隊のメンバーを結成し出てきた事と、今帝都内東方の公園にまで来ている事、こちらの戦力の存在が遅れて発覚すると問題になる可能性の事、故に夜が明ける前に都市外へ一旦退去し周辺で様子をみる事、最後に早く会いたいという思いと帝都からは一刻も早く脱出するべき事を熱く綴ったものである。

 ネムはもう寝ていた。

 しかし、ンフィーレアは地上に降りていた蒼い顔の空を駆けられる()へと近付く。

 そして書いた手紙を差し出しつつ真剣に語る。

 

「エンリまでこれを届けてほしい。よろしくお願いします」

 

 頭を大きく下げたまま気持ちで蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)へと託す。

 すると――蒼い顔の彼は、手紙を少年の手から無言で受け取ると鎧装備内へ挟む形で非実体化に成功し上空へと駆け上がって行った。

 

(僕もああやって晴れた夜空を駆け上がって、すぐにでも会いに行きたいよ……エンリ……)

 

 手紙が無くなった感覚で顔を上げたンフィーレアは、仲間の蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)が見えなくなるまで長い前髪の間から覗く目で見送った。

 

 少年の想いを乗せた上空を進む蒼き馬の戦士は、一路帝都西方側を目指す。

 帝都内には高い建物もあり、王城周辺から離れたそれらを盾にする形で、少し北側回りで迂回気味に帝国魔法省へと近付いて行く。

 15分弱で、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)は目的地へと到着した。

 魔法省の建物側には監視の魔法詠唱者が居る為、陣地背後の森側へと目立つことなく慎重に降り実体化する。

 ふと彼の右前方から風を感じ、突然の声が掛かる。

 

「貴殿は、カルネ村の衛士の一人でござるな」

 

 巨体でも木々の間を敏速で軽快に間を詰めてハムスケが現れていた。

 勿論、彼女は軍団の護衛で周辺警戒をしていたのだ。傍に動きの速い小鬼(ゴブリン)聖騎士団の10体も控えている。

 蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)は告げる。

 

「クコォォォォーコオォォォーー」

「て、がみでござるか? エンリ殿に? 申し訳ないが、言ってることの半分ぐらいしか分からないでござるよ。エンリ殿はもうすぐ寝そうなので、急ぐでござるよ」

 

 そう言ってハムスケが先導し、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)、聖騎士団らが陣内を続いた。

 陣幕の一角、着替え用に分けられた部屋に、エンリとアルシェは寝床を其々造って貰っていた。

 とは言っても、低い木の板間に布を数枚積んで少し厚みを作り白いシーツをかぶせた程度だ。

 そこへ横になろうとしたところで、声が掛かった。

 

「エンリ殿、起きてたら来て欲しいでござる。てがみなる物が届いてござるよ」

「は、はい。ちょっと待ってね」

 

 アルシェとエンリはもう休む為、下着に掛け布を巻いている姿になっていた。起きあがろうとした小柄の少女に手で起きなくていいよと合図し、村娘の服を被って着たエンリは垂れ幕を潜って外へ出る。

 すると、カルネ村で見た事のあるモンスターがいた。

 彼は先にハムスケへ向けた内容で再度、「クコォォォォーコオォォォーー」と馬上からエンリへ告げつつ手紙を差し出す。

 

「え? ンフィーレアから手紙!?」

 

 受け取ると四つ折りの羊皮紙を開く。

 そこには、お出迎えのサプライズにしては早いし、少し違う熱い内容にも思えるけれど、昔から変わらない少年の真っ直ぐさが出ていた。

 ありがたくもあり、旦那様を持つ身として困る部分もあり――そんな手紙であった。

 とはいえ少年ももう立派なカルネ村の住人で大事な隣人である。

 エンリはンフィーレアへの返信を羊皮紙の裏側へ、周囲を見回し見つけた細い枝の棒と葉っぱを数枚潰した汁のインクで2行ほど書き上げる。

 

「届けて頂きありがとうございます。返信もお願いしますね」

 

 少女は逆折りにした羊皮紙を蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)へと手渡した。

 彼は一つ頷くと、ハムスケを先頭に陣幕を速やかに去って行く。

 エンリ・エモットは、手紙にこう書いた。

 

『ンフィーレア・バレアレ様、心配してくれて、来てくれて本当にありがとう。とても嬉しいよ。ネムをお願いね。これからカルネ村へ帰ります。すぐに会えるから。隣人で親友のエンリ・エモットより』

 

 帝都内へ亜人の大軍団を呼び出すと言う暴挙で人類史に名を刻み、且つエンリ将軍にとっての波乱続きの誘拐一日目はこうして終わった……。

 

 

 

 公園の林の片隅で蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)へとお礼を言いつつ、返信を貰ったンフィーレアは、とりあえず二度喜んだ。

 

(エンリは帰って来るっ! 隣人で親友って、凄く近くて仲良しだよねっ)

 

 更に何とか身内になりたい薬師ンフィーレア少年の敵地での闘いはまだ数日続く―――。

 

 

 

 

 

 

 アインズはンフィーレア少年が手紙を書き始めた辺りで、アウラ達をナザリックへと帰し、自身も評議国へ戻る事を決めた。

 ネムの、姉との再会はお預けだが双方の安全は確保済であり、昨日が今日に変わったぐらいの事だと思える。

 なので支配者はハンゾウの片方へと〈伝言(メッセージ)〉を繋ぐ。

 

「〈伝言(メッセージ)〉。連絡役のハンゾウ、聞こえているか?」

「はっ。ご心配ありませぬ」

 

 鮮明ながら小声で返って来た。ンフィーレア達と距離が近いのかもしれない。

 アインズは用件だけ短く告げる。

 

「連絡役は一時なしだ。お前も護衛に回れ。連絡・確認はこちらからする」

「はっ、全て御下知通りに」

 

 連絡が終ると、支配者はアウラ達へと指示する。

 

「アウラと、そのシモベ達よ。長い時間ご苦労であった。もう朝まで動きはないだろう。お前達はナザリックへ帰還せよ。エンリとンフィーレアとネムへの監視については第九階層の統合管制室へ引き継がせてくれ。私は評議国へ戻る」

「わかりました、アインズ様。エンリ達についての監視指示はお任せくださいっ」

「うむ。〈転移門(ゲート)〉」

 

 アインズはまず、ナザリック地下大墳墓の中央霊廟の正面出入り口前へ繋げてやる。

 シモベ達を先に通したあと、アウラは告げる。

 

「じゃあ、アインズ様、お先に失礼します。あっ、例の踊りの方は何時でも大丈夫ですから、では」

「おっ、そうか。ならマーレと共に、近いうち声を掛けよう」

 

 アウラ達に頼んでから、まだ丸3日程度しか経過してなかったが。

 主の返事を聞くと、可愛く笑顔で最後に手を振って、ぴょんと飛び込む感じに〈転移門(ゲート)〉へと消えて行った。

 もちろん、最後まで彼女が残ったのは出来るだけアインズ様と一緒に居たかったという乙女心である。

 そしてアインズはナザリック地下大墳墓への〈転移門〉を閉じると、アーグランド評議国の宿部屋へと〈転移門(ゲート)〉を開き、その中へと消えて行く。

 既に午前2時を回っていた。

 そろそろキョウが『ゲイリング大商会』の潜入調査から戻って来るか、待っている頃である。

 明日の中央都へ乗り込む事にアインズは集中し始めていく。

 

 

 そのためかアインズはこの時より、何かを忘れている気がしていた――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 空へ雲の広がった翌朝の帝国魔法省の敷地内では、朝の8時過ぎから死の騎士(デス・ナイト)の引き渡しが行われた。

 帝国魔法省側は、まず塔を含む封印施設の開放を行い、地下の螺旋階段下の全扉等を開くと周辺から総撤退した。

 変わって、赤と黒の美しい軍服衣装を身に纏ったエモット将軍が、陣地から小鬼(ゴブリン)兵の精鋭300を率いて死の騎士(デス・ナイト)の封印されし敷地内最奥の塔へと向かう。エンリの両脇へ軍団最強の戦士レッドキャップスが付き、先頭を固めつつ10体程で奥へと進む。

 地下へ5階分程も続く螺旋階段の降り場の床へ錠前の鍵の束が残されていた。

 それを拾い上げ、エンリらが階段を地下へと降り切ったその時である。

 

「オオオァァァアアアアアアアーーーー!」

 

 突如、何枚も開かれた扉の奥から死の騎士(デス・ナイト)の叫び声が急に上がったのだ。

 その声のもとへ将軍達が進むと、昨日見た柱へと縛られたままの黒い巨躯の姿が再び現れた。

 彼の黒い歪な顔から紅い強烈な視線が、ギロリとエンリに向けられる。

 しかし、その瞬間から死の騎士(デス・ナイト)の叫び声が止まった。

 

「助けに来ましたよ。 さあ、彼の鎖を外してあげて下さい」

 

 指揮官の声にレッドキャップ達が、剛力で柱へと死の騎士(デス・ナイト)を縛っていた太い鎖を力強く引き千切る。

 最後は、大きい鉄球を繋ぐ手足の丈夫な金具の鍵を、先の錠前の鍵の束を使い外してやる。

 こうして魔法省の地下へと封印されていた死の騎士(デス・ナイト)は無事に解放された。

 

「オオオァァァォォォ……オアアアァァァ」

 

 

 彼は、エンリへと礼を述べ、そして当然の様に――配下へと加わった。

 

 帝国魔法省に居たフールーダの高弟らや魔法詠唱者隊員達が遠巻きで見ている中を、最奥の塔より撤収してきた小鬼(ゴブリン)兵らから一際飛び出た黒い鎧を纏う巨躯の騎士が歩を進める。

 その彼の右腕と肩にエンリ将軍が座る形での行進であった……。

 人外らの堂々たる隊列を目の前に見て、魔法詠唱者隊員の一人が額へ冷や汗を浮かべながら思わず言葉を溢す。

 

「……じょ、冗談じゃない。俺には分かるぞ。あんな化け物達、パラダイン老以外に殺せるわけがない。そ、それを容易く従えているあの若い人間の女の姿をしたヤツは一体なんなんだ……」

「お、おい。気持ちは分かるがここでは口を慎め。殺されるぞ」

 

 並んで見入る者達のほどんど全てが恐怖する中、建屋の端へ人知れず隠れる形で立ち、フードを深く被って顔を隠した小柄な一人の男の目がキラキラと輝いている。

 

「おお! す、素晴らしいっ……。村でも見たが、あの地下の死の騎士(デス・ナイト)が今まさに従っているっ。私が自身の手で叶えたかった数十年夢見ていた光景……あの魔法を何としても手に入れたいものだ。……いや、必ず手に入れる……あの娘は私だけのモノだっ」

 

 己の欲望と興奮に肩を震わせるその人物は、急遽帝国の王国国境から呼び戻されて来た者。

 帝国の主席魔法使い、フールーダ・パラダイン。

 真っ先に帝国の最高権力者である皇帝ジルクニフの元へと出頭するように言われ、帝都まで舞い戻って来た男である。

 今、『認識阻害の魔法』を自分へと施し、これだけは見ておきたいとこの場に来ていた。

 フールーダは一応今朝の午前4時過ぎ、既に朝として起きて執務室で本日の公務を進めていたジルクニフの前へ現れている。

 帝都からの伝令者が街道沿いの国境砦傍の宿泊施設まで知らせて来たのは、午前3時過ぎであった。フールーダも寝ていた時間であったが、皇帝の緊急命令により起こされ、帝都での事態急変と巨木モンスターの襲来対応で一時的帰還が指示されたのだ。

 執務室の大机へ座る皇帝を前にして、今回の失態を知りつつも普段と変わらない雰囲気の老師。

 基本的にこの大賢者は、貴重な魔法が己の手に入ればあとはどうでもいいと考えている。

 

「お呼びにより、一時遠征を配下に代行させ急ぎ戻って来ましたぞ、陛下」

「……爺、話は聞いているか?」

 

 意外にもジルクニフはいつも通りでにこやかに話し出した。

 他の者なら……秘書官ロウネら側近や帝国四騎士、帝国八騎士団団長や各省責任者、各神殿神官長に大貴族達でさえも許していない。いや許されるはずがない。だが、この大魔法使いだけは、歴代の、そして現皇帝と帝国への貢献度と信用度で次元の違う存在であった。

 

「はい。逃亡した村娘が亜人の軍団を呼び寄せ、魔法省の者らの攻撃を抑え込みながら死の騎士(デス・ナイト)の引き渡しと無血退去を申し出たとか。また西方の穀倉地帯へトブの大森林から巨木のモンスターが現れたとも」

「そんな感じだ」

 

 ジルクニフは爺を今後も叱責しようとは一切考えていない。

 今は、それこそ終わった事で最も非効率で非生産的な行動と考えられた。

 これから必要なのは、爺フールーダの持つ他者を圧倒する高位魔法と魔力量なのである。

 皇帝は要点を話しつつ帝国魔法省最高責任者へと命じる。

 

「本日より帝都から領土内を移動をさせる亜人の軍団を帝国騎士団誘導のもと、巨樹のモンスターへとぶつける。その生き残った側を爺が高位魔法を持って絶命させ帝国内より完全に排除せよ。巨木のモンスターとの激突の後は全て任せる。これはバハルス帝国皇帝としての命令である」

 

 『任せる』という事は別に魔法省等の残存戦力を自由に使っても構わないという指示。

 フールーダは伸びた白い眉毛の下から瞳を覗かせ、長く白い顎鬚を扱きつつ僅かに一拍の間考慮すると口を開く。

 

「その命令、確かにこの魔法省最高責任者フールーダ・パラダインが受けましたぞ」

「うむ、頼むぞ爺。以上だ」

 

 忙しい身でもあり皇帝は多くを語らない。

 今回の命令には、秘匿していた死の騎士(デス・ナイト)と村娘も攻撃排除対象に含めている。完遂すれば綺麗に清算されるのだ。鮮血帝としてこれ以上の語りは余計というものである。

 一方フールーダは、『また表では死んだ事にすればいい』と考えていた。

 爺にとって――皇帝の命令よりも未知の魔法の方が、何倍も重要なのだ。概ね結果を出せば文句を言われる事も無い。

 死の騎士(デス・ナイト)についてはカルネ村にもいるわけで、()()死の騎士にもう用はない。小鬼(ゴブリン)の軍団もいらない。巨木のモンスターは一度実際に見ておく必要が有るだろう。だが基本豪火には弱いはずで、早晩木の燃えカスになる物体に過ぎないと。

 そういった事を思い出しつつ、フールーダは死の騎士(デス・ナイト)の肩に座る立派な衣装装備を身に付けた村娘エンリへと、再び新魔法への熱い視線を向けていく――。

 

 

 

 何やら途中で気持ち悪い視線を感じつつも、この状況ではと諦め気味のエンリであったが、軍団の陣幕へ戻ると帝国軍の昨晩来た騎士の使者2名が早くもやって来た。

 彼等曰く午前9時半より、魔法省敷地内及び帝都内からの移動を開始する準備が()()()で整っている旨の『知らせ』を伝える。

 これは『命令』出来ない話で、連絡水準となる事項なのだ。

 帝国からの通知に対して、椅子に掛けるエンリは頷くと述べる。

 

「こちらもそれまでに移動準備を進めておきます。先導をよろしくお願いします」

「今の閣下の御言葉を持ち帰り伝えます」

 

 使者2名はその様に告げて皇城へと戻って行った。

 昨夜、エンリ達小鬼(ゴブリン)大軍団へは金貨や糧食物資と共に荷馬車も供与されていた。帝国としては早く移動してもらう事に関し、必要経費は惜しまないという感じだ。

 その馬車群へ、寝具的な布類もエンリ自らの実演を参考指示に軍団の手で畳んで積み込み終えており、死の騎士(デス・ナイト)受け取り前には動ける形にほぼなっていた。

 捕虜であるアルシェは帝国軍の手前、見張りに雌の小鬼(ゴブリン)2体を付けていれば陣内で自由という形式をとっている。軍団内では護衛付きと言った方が分かり易い。

 後ろに続く形なので、意識しなければアルシェ一人という感じだ。

 彼女は曇天の空模様を見つつ思う。

 

(不思議……昨日の朝とは別世界ね)

 

 24時間前はまだ、隣国へすら轟く帝国魔法省の一般魔法詠唱者職員として頑張ろうと張り切って、雲間から眩しい陽の光の射す魔法省の晴れやかな正面門を潜っている頃の時間であった。

 それが、今や穢れた帝国に見切りを付け、その大国を力で圧倒する亜人の軍団内で闊歩している自分が居るのだ。今日だけでなく、明日からもどうなっていくのか全く不明である。

 ただ……このまま帝国魔法省の中で腐って行くよりかは良い気もしていた。

 帝国の使者来訪により席を外す為、陣内を見ていたアルシェが陣幕内へ戻って来ると、軍団長が優しく声を掛けてくれる。

 

「何か困ったことがあったら言ってね」

 

 アルシェの不思議は同時に、これだけの大軍団と一流貴族の蓄財に匹敵する金貨2万枚を得たにもかかわらず、全く人が変わっていない将軍エモット嬢へも向く。

 彼女は、ご立派な……典型的な田舎の村娘に見えていたのに、どういう精神構造をしているのかと。

 ただ、こういった金や権力での変化の無い姿に――尊敬の念が出て来ていた。

 

(本来、上に立つ者はこうでなくてはいけない。彼女は立派な人物だ)

 

 また一方で、肝が太いというのか、ナゼか弱々しさを感じないのだ。これまで見た所、指示も随所で的確さをみせており、もし帝国が戦いを挑んで来ても、正面から受けると決めれば凄い戦いを見せるのではと思えた。

 

 午前9時半より帝国八騎士団第一軍の精鋭騎馬15騎に先導される形で、帝国魔法省の敷地からエンリ率いる小鬼(ゴブリン)大軍団の移動が始まった。

 帝国騎士団第一軍の全軍1万騎余他、都市内の予備役及び皇城の衛兵から輜重兵の一部までが、都市内外経路封鎖と警備に充てられた。

 皇帝ジルクニフも、昨日より帝都内と自身の精神と金髪までを激しく掻き乱される要因となったその憎き女将軍の姿を一目、仇として記憶に焼き付けようと密かに経路傍の高さのある軍関連施設内の窓際へ立ち行軍列を観覧する。

 

「……亜人どもが帝都内を歩いておるわ。おのれ、女将軍め――」

 

 亜人については帝都内の闘技場で、冒険者達と小鬼(ゴブリン)人食い大鬼(オーガ)との対戦も、数度は見ていて目新しいものではない。

 なので、目が行ったのは小部屋程の体躯があり遠目にも立派な姿をした『森の賢王』と黒鎧で巨躯の死の騎士(デス・ナイト)、そして一際赤と黒で壮麗な軍服に漆黒の軍帽、最高級の紅色のコートを羽織った人物。

 夏だが、温湿調整もされた装備服であり彼女が汗をかくことは余りない。

 その娘の姿をジルクニフの眼が捉えた時だ。

 

 少女は飛び切りの美人ではない。だがナゼか――衝撃を受けていた。

 

 見事な衣装を見た為か……何かよくわからないまま、気が付けば彼は無言になっており、女将軍の姿は視界内で随分小さくなっていた。

 そのまま、エンリの大軍団一行は帝都アーウィンタールの()西()()()を出て、帝国騎士隊の先導指示通りに街道を南西へと進み始める。

 

 

 

 エンリ率いる軍団の帝都アーウィンタール退去の知らせを、5分遅れで蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)から受けたンフィーレア達カルネ村エンリ救出部隊である。

 

 しかし――昼間は部隊として不用意に動けなかった。

 

 人前に出て問題なく動けそうなのは、少年と幼い少女と認識阻害状態中のカイジャリだけであった。

 彼等は今朝仮眠を終えて4時半ごろから帝都内を脱出。

 取り敢えず、トブの大森林の近い帝都西側まで移動し、昼間も十分身を隠せる林を見つけるとそこに陣取っている。

 先程、村から持参した食料を食べ終えたところだ。一応少年の防水魔法で、水中移動での水による侵食は防いだのでまだ数日は傷まないはずだ。

 部隊が目立ち見つかってはエンリ達の問題になりかねず、ここはアンデッドであり不眠で疲労しない蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)に頼るしかない。

 ンフィーレアはネム経由で空を自在に駆けられる彼へ、遠方からの追跡をお願いした。

 

 

 

 

 こうして、エンリ将軍率いる『トブの大森林』軍団は、帝国から退去するための堂々たる進軍を開始した。

 ただそれは巨木のモンスターとの邂逅が近付いているという事と―――帝国の未来が自業自得になる瞬間が一歩一歩確実に迫っているということである……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. そういえば、あの人達は今

 

 

 カルネ村を襲ってアインズ一行に討たれたニセ帝国騎士団のスレイン法国騎士ら50程の死体。

 夜陰に紛れて回収された内、5体が食料等に回されている。

 隊長だったベリュースは、ナザリックの大宴会で出てきた死者の魔法使い(エルダーリッチ)ベリュー=3として死体を中位アンデットの基として再利用され、現在エントマ配下となっていた。

 

『フフフフ、私は死者の魔法使い(エルダーリッチ)ベリュー。アインズ様万歳!』

 

 どうやら名まで与えられたことで、忠誠心は大丈夫そうだ。

 死者の魔法使い(エルダーリッチ)は新たに6体作られている。

 また騎士ロンデスは、平均よりレベル2高い死の騎士(デス・ナイト)としてナザリック内で待機中。

 一方、死体の内の1体が実験で魂喰らい(ソウルイーター)になっている。

 更にロンデスの次にレベルの高かった騎士の1体が、実験で軍馬ともに蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)へ。

 あとの残りは全て死の騎士(デス・ナイト)に生まれ変わっていた。

 カルネ村近郊の先に滅ぼされた村々から集められた数百体の死体の山と、盗賊団の死体も順次有効的に再利用中だ。

 ただ、上位アンデッド蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)については、軍馬の死体が切れた段階で作成できていない。どうやら人間だけや下位の一般馬とでは無理らしい。

 彼ら新生アンデッドの活躍の場は近い――。

 

 クアイエッセ・ハゼイア・クインティア。

 クレマンティーヌの兄である彼の肉体は現在、第五階層”氷河”で冷凍保存されている。人間として最高峰のレベル40に近い肉体と武技も使えるということで、実験や蘇生も含めた利用方法を検討中である。

 あと彼のもたらした装備品類も別で保管され研究されている形だ。

 特に彼の指にはまっていた10個で1セットの召喚指輪は、最上位モンスターをも保持・召喚可能と言うレアアイテムであった。

 妹と再会されると少し面倒なので、その部分で支配者が蘇生には難色を示していると言う。

 

 

 

 弱肉強食であるこの世界の村長も当然ピンキリである。

 領主と癒着し私腹を肥やすヤツもいるが、それでも大半は周辺住民と共存している以上、村民寄りの立場で行動している者が多い。

 村人達の信任を得る者がその役を引き受けるので、村においては非常に大きな影響力がある。

 それは、和をとって世襲する場合もあったりなかったりで民主的な部分と言えよう。

 さて、カルネ村は周辺の辺境村と共に国王の直轄地で、税の取り立てもエ・ランテルから派遣されていて貴族領と比べればかなりマシな徴税官である。貧しい土地でもあり、幸い長年に渡り国からの無茶は無い。

 今の村長は元々前村長の一人息子で、それを継いだ形である。温厚で面倒見が良かった彼は慕われて、すんなりと皆から当代の村長に選ばれた。

 彼はそれなりに頑張って来た。ただ村長夫婦には平凡な性格の一人娘しか生まれず、既に村の農夫へと嫁いでいた。

 一応、義理の息子は性格のいい青年といえるも、村を任せるには少し不安があった。

 なので村長自身が健康でいたので、行ける所まで自分が頑張ろうと過ごしていた。

 

 そんな中で――いきなり大切な村は異国の騎士団に襲われる。

 

 顔見知りの村人達が3分の1も死んでしまう悲劇……。

 長年トブの大森林の脅威から伝説の『森の賢王』に守られ、油断して何も村の危機管理が出来ていなかった。これは紛れもなく村長の過失だろう。

 彼は、大きい衰退を逃れられない村への不安と、村民を率いていく自信を大きく失った。

 

(私如きに、このまま村長の身である資格はない……)

 

 その考えに拍車をかけたのが、カルネ村の絶体絶命の窮地を救ってくれたアインズ・ウール・ゴウンを名乗る旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)様が村へ残ってくれた事だ。

 彼はあの有名な王国戦士長にも認められ、更になんと国王陛下にまで王城へと招かれているほどの人物。

 かの御仁は両親を失った村娘の一人を見染め気に入り、その家に残ってくれている。

 またその村娘――エモット家の長女は利口で活発で、幼いころから何故か人を引き付け引っ張る気質を持っていたように思う。良い例が大都市から時々来ていた有名で裕福な『バレアレ薬品店』の御曹司で天才薬師の少年だ。村長にすれば、あの少年とくっつかなかったのは不思議なことであるが……。

 

 村娘エンリ――まだ村へ来たばかりの恩人へ村長をさせるのは難しいが、その嫁ならばと――。

 

 更に都合よくエンリが魔法詠唱者から頂いたと言う、間違いなく高価な魔法アイテムで小鬼(ゴブリン)の小隊を「村の護衛に」という名目で呼び出していた。

 その兵1体で、村一番の戦力であったラッチモンを優に凌ぐ強さで、もはや彼女が村の軍事部分を握る位置に立った。

 ただ、流石にいきなり「村長」を若い村娘に告げるのは、年長者として無責任というものだろう。故に村長はまず、「村の防衛責任者」へエンリを任命する。

 少女は、予想通りその利口さと部下になった小鬼(ゴブリン)達や、協力関係というアインズ様が生み出し村人の仇を討った敬畏の存在である死の騎士(デス・ナイト)達、そして村人らも含めて人を率いる才を発揮して、円滑に村運営の大きい部分を回すに至っている。

 村長は近頃強く思う。

 

(ふう。もういつ村長を譲っても大丈夫だろう)

 

 最近、大都市から2人と他国の騎士に襲われた別村の生き残りの3人だが村の仲間に加わった。

 村の人口は、亜人を含めれば3ケタへと回復し活気も出て来ており、あの惨劇から劇的と言える回復を見せていて村長の顔は日々穏やかになってきている。

 たった一点、気になるのは、大都市から来たあの御曹司で薬師の少年の存在だ。

 明らかに若い村娘エンリへの激しい横恋慕を感じさせる。

 村の英雄で、エンリの旦那であるアインズ様とエンリを交えて面会したとも聞く。

 村へ引っ越して来て2日目に村長が作業小屋候補の家へと案内しながら、ふと冗談で「逃した好物の獲物は随分と大きかったんじゃないかね」と尋ねたのだ。

 あとで思うと、村長は純な少年を派手に煽ってしまったとしか思えなく……少し後悔している。

 その時に少年からとんでもないことを聞いていた――信じられないが。

 

「僕は……まだ諦めた訳では――――いえ、なんでもないです」

 

 幸い「何を?」とは確認していない。

 一抹の不安を村長は「私は何も聞いていない」と記憶の奥へ全てを押し込んでいた。

 

 

 

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグの妹、ビルデバルド=カーマイダリス。体長は25メートル以上もあり、その全身は翼も含め見事な黒紅の鱗を輝かせる優美な姿を持ち、潜在的総合戦闘力は大陸北西部で有数を誇る程だ。だが現在、彼女はスキルを常時使用し自身の強さについてステータスを幾分下げて見せていた。もちろんそれは、昔から知る『お姉ちゃん』の水準に気を遣っての話である……。

 アーグランド評議国建国時、彼女は姉の復活を一族揃って待っており戦闘には一切参加していない。なので彼女の一族からの参加は、義勇兵として出た僅か竜兵3体にとどまる。

 そのため、部族の実力がありながら永久評議員7名に名は列せず、一般評議員の末席のひとつという位置にあった。

 また彼女は普段、己の力を大して振るう事は無かった。

 だから長年、国内では随分と力が過小評価されてきたのである。先の対ガテンバーグ国討滅戦でも参加しなかったのは、きっと彼女を筆頭に「実は凄く臆病で弱かったからだろう」というもっぱらの噂であった。

 しかし――それはとんでもない間違いであった。

 100年以上前になるが里を訪問し、偉大な母と姉を馬鹿にしてしまった愚か者の火精霊系種族の評議員が現れたことで、その飛び抜けた実力が全国へ鳴り響いた。

 

 背丈5メートル越えの難度200に近い護衛ゴーレムを、たった一撃で粉砕してみせたから。

 

 彼女の実力は古老の竜王(エインシャント・ドラゴンロード)でも化物級であったのだ。

 以来、評議会で彼女に喧嘩を売る者はいない。

 そんなビルデバルドだが、ずっと姉を待ち竜王は名乗らず。また強さ故か、一族にも他の竜族からも彼女へ言い寄る殿方も現れず――。

 だが転機が来た。

 大望の竜王である姉がついに約500年ぶりで復活したのだ。

 ゼザリオルグは煉獄の竜王らしく、一族内の屈強の者ら300余を率いて人類へ報復としての殲滅戦争を仕掛け、颯爽と評議国から隣国の人類国家へ出撃して行った。

 

 ところが華々しい姉の進撃は、隣国の一つ目の大都市を廃虚にしたところで停滞が始まる。

 一つは軍団内で敵都市殲滅という大戦果を背景に、この侵攻へ関して一応ながら評議国承認でという動きがあった事。

 そしてもう一つがゼザリオルグの強引で大規模なこの侵攻行為に対し、国内で戦争に異を唱える永久評議員を中心とした保守派の連中や、中立派ながら戦争の裏で派閥勢力拡大と大儲けを企む新興勢力らの利権勢評議員連中までぶら下がり始め、古い永久評議員達との軋轢が頂点に近付き、議会情勢が混沌としてきた事だ。

 姉の英雄的行為へ対し、議会の連中はまるで評議国の御荷物的扱いを思わせており、妹のビルデバルドは非常に憤怒が溜まって来ている。

 交戦派の彼女は竜王らしい、暴れまわる強いお姉ちゃんが大好きなのである。

 一方で中立の連中の多くを率いるゲイリング評議員は、まず戦場で大量に確保出来そうな人間奴隷で大儲けしたいらしく、欲を丸出しで交戦派へ接触して来ていた。

 ゲイリング評議員の要望はハッキリしている。

 ビルデバルドを中央都にもある広大な滞在屋敷へ招くと、彼はひとつの密約の内容を告げる。

 

「戦場で得た全捕虜の7割を無償提供して欲しい。そうすれば、我らの派閥は交戦に関して賛成へと回りますぞ。あと食料や必要品に関してご所望ならば、更に2割分の捕虜提供でいかがかな? ブヒッ、グヘヘヘッ」

 

 姉のゼザリオルグからは当面の援助物資と引き換えに、先日攻略した大都市捕虜の一部譲渡という形で早速近日に相互輸送が始まる話で纏まっていたが、欲深い豚鬼(オーク)の評議員は全然満足できなかったのである。

 ゲイリング評議員の難度は140程度。新興勢力の者としては、強さはそれなりらしい。

 だが下品さは最後の笑いでも如実に伝わって来るトップクラスの豚野郎な感じだ。

 それに彼が率いる傘下の『ゲイリング大商会』系列は評議国でも有数の経済圏を持つ。

 彼等の要求は、姉と一族の軍団が少なくない死者まで出して得た人類圏側の捕虜の実に9割を寄越せと言って来ていた……。

 ゼザリオルグの炎竜部族は、実力はあったが長年に渡りビルデバルドが財宝類を集めることなく静かに暮らしていた為、それほど裕福ではなかったのだ。姉達は食料などを現地調達という形で隣国へ乗り込んでいる。

 評議国の多数決による最終意向や手厚い援助を得るには、現状でこのゲスの率いる派閥と手を組むしかなかった。

 勿論、「取り分が余りに多すぎる」「他に頼むぞ」「我らの力を侮るなよ」との文句も告げた。

 しかし巧者のゲイリングは「手回しには色々と必要でしてな」「ほう、私以外の他の者が話を聞こうとしましたかな?」「私達や国内に被害が出れば姉上君への助力は難しいでしょうなぁ」と周辺や交戦派の議員の多くへも手を回していたのだ。

 なにせ、彼ら中立派の経済力や影響を受けると、食料や武器、生活必需品を抑えられてしまい評議国内での日常に大きな不便が起こるのを評議員の多くが知っており避けようとした……。

 目の前の豚は、それらの話も余裕の笑顔に「ブヒッ、ブヒッ」と交えながら会話の端々に滲ませ語る。

 周囲の動きを完全に抑えられていることを思い知ったビルデバルドは、遂に右の前足を振るわせつつも、苦渋の選択による言葉を述べていく。

 

「分かった……よろしく頼む、ゲイリング殿」

 

 横の繋がりや知人も少なく、実のところ交渉力と政治力が苦手で低かったビルデバルドは、建国前の共同戦線を始め、評議国の合議体制にずっと馴染めていないのだ……。

 

(くすん……お姉ちゃん……私、役立たずの力不足でゴメンね……)

 

 交渉が終り、竜王の妹が長い首を垂らし下を向きつつ巨体ながらトボトボと廊下を歩く。

 ビルデバルドは後方で高笑いの声が微かに聞こえるゲイリング評議員の広大な邸宅から外に出ると、翼を広げ日が西へ傾き始めた空へ足早に去って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 『死の支配者』は当然、彼らの死後をも支配する

 

 

 アインズとガゼフは密談場所であった国王執務室を離れ、夜の王城内を回り込みながら宮殿へと向かう。このときになると警戒場所からも距離が空き、小声での会話が自然と起こる。

 その中で戦士長は当然ユリの事もあったが、それよりも先にカルネ村近郊での陽光聖典の件について尋ねて来た。無論、周囲への油断無く秘匿事項は伏せた形でだ。

 

「ゴウン殿、やはりあの村へ来た異国の連中へは上位の魔法で攻撃されたのか?」

 

 それに対し、横を歩く仮面の魔法詠唱者は前を向いたまま泰然と返した。

 

「彼等はまあ……(ドラゴン)程の強敵ではなかったので違う魔法でですが。あの敵には――見知らぬ遠方へと飛んでもらいました。ですので、今も生きているのかは分かりません」

「ほぉ」

 

 ガゼフはあの時の、魔法での戦士騎馬隊隊員らごと入れ替わったカルネ村での経験を思い出し、確かにゴウン氏なら可能だと再認識していた。そういう事ならばあっさりと無傷での完全勝利にも納得がいく。ただ、遠方と言っても戦士長の常識から距離に相違があった。

 

「では再び現れる可能性もあると?」

 

 それに対してアインズは顔を戦士長へとゆっくりと向け静かに答える。

 

「未開の恐るべき怪物達から生き残れれば……そうですね」

「……(相変わらず厳しい御仁だな)なるほど」

 

 ガゼフは理解した。陽光聖典の連中が、恐らく大陸中央部寄りの想像を絶する地域まで飛ばされたのではと。

 ゴウン氏一行は旅の途中にそれらの地域を見て来て生き残り、今ここにいるのだろう。

 この人類圏で精鋭のスレイン法国の特殊部隊といえども、相手の規模や強さが分からない怪物等の巣窟地帯へ放り込まれれば、いずれ餌になるしかない……。

 納得気味の顔に変わった戦士長へ今度はアインズより問い掛ける。

 

「そういえば、先ほども大臣代行より聞きましたが、戦士長殿も確認されている貴族方の兵の集結具合は何も問題もなく順調ですか?」

「ええ。隊同士での小さいいざこざは勿論有るが、今のところは。あぁ……ただ1件――先日近郊の男爵の隊列が王都への道すがらに冒険者風の異常者から襲われ、兵達の多くが殺されて男爵は片腕を失い重傷を負ったと聞いている。幸いにも王都の神殿で手当てを受け、命に別状はないらしいが」

 

 その話に、仮面に隠された支配者の紅き光点が僅かに細まった様にみえた。

 

「そうですか。随分とお気の毒な話ですね」

 

 アインズはそれだけを返す。

 戦士長はこの件の話をまだ少し続ける。

 

「しかし()()()()()に、その目撃された犯人とそれを最後に倒したと思われる騎士の姿が――消えたらしい」

「それはまた一体……」

 

 聞けば、一度は逃げ出した兵達が現場へ戻って来て、男爵の腕を縛り止血し助け馬車へと運んでいる間に、こと切れていたはずの二つの死体が無くなっていたというのである。

 

「幾分おぞましい話になり申し訳ない」

「いえいえ」

 

 そう返すアインズの仮面の下の表情は、まずまず計画通りという笑みを感じさせた。

 元黒服の男ゴドウは生き残れば、狂った記憶で余計な事をべらべらと喋るかも知れず、フューリスも腕を失った上で死に直面し大いに恐怖したはずで結果良しと。

 ゴドウは死亡後、自動アイテムでアンデッド化したのである。傍の騎士の死体は、当面の仲間として連れ去ったのだ。男爵の右腕も共に……。

 フューリスが死んでも、ゴドウがルプスレギナからのアイテムを使いアンデッド化して去る予定であった。死した後まで有効に使う事が、地上の物資を無駄にしない事へも繋がるとして。

 これが、最近の絶対的支配者の考えでもある。

 

 間もなくアインズとガゼフ両者の視界に、ヴァランシア宮殿の入口が見えて来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. シズ デレた その瞬間

 

 

 ガゼフと宮殿前で分かれ、用件が一つ済み気持ちを次へと切り替えるアインズ。

 絶対的支配者は宮殿正面玄関から中へ進み、赤絨毯の階段を上って3階の宿泊部屋前へと戻る。

 午後10時を回り、平時の就寝時間を過ぎた宮殿内は階段や廊下に設置の〈永続光(コンティニュアルライト)〉が光量を落とされて灯る。

 扉を叩くとユリが優しい笑顔で恭しく開けてくれ、「おかえりなさいませ」と整列した(王国、法国、帝国で)三国一だろう可愛く美人揃いのメイド達の出迎えを支配者は受ける。無論、不可視化のナーベラルもお出迎えの礼を壁際でだがしてくれていた。

 

「うむ」

 

 アインズの(あるじ)らしい重みのある声が、人間のツアレも含めメイド達へと届く。

 その声に彼女達は安心感を覚える。特にプレアデス達は、自らの存在意義を感じさせてくれる唯一無二の存在の帰還を認識するのだ。

 本日は入浴日でなく、本来午後10時ならこの部屋もツアレの就寝を含め自由な時間帯に入る。しかし主が城内の用向きで動いている場合は当然、主を待ち続けるのがメイドというもの。

 そのため左腰に魔銃を差すシズも、無表情ながら内心では気を張って大切なご主人様の帰還を待ち続けていた。その桃色の長く美しい髪を垂らし頭を下げる彼女の前を、主が堂々と通り過ぎる。

 支配者の通過を機に頭をゆっくりと一斉に上げたメイド達は、アインズの動きを見守る。

 その視線群の中で彼は、先程シズが心を込めてカバーを取り換え綺麗に整え終えた、いつもの一人掛けのソファーへとゆっくり座り寛ぐ。

 そこからメイド達は、持ち場へ戻ったり帰還した主へ手拭きや飲み物を用意したりと動き出す。

 シズ・デルタは立ち位置へと戻りつつ、視界の中でソファーへ満足気に座るご主人様(アインズ)の様子にホッとしメイドとしての充実感と幸せを感じていた。その喜怒哀楽の少ない表情からは(うかが)い知れないが。

 彼女の体内は、頭部を含め全てが機械仕掛けである。

 

 しかし、その(ハート)は熱く豊かな感情を有していた――。

 

 シズは、日頃から自分自身を他の者達とは少し違う存在だと感じている。

 なぜなら彼女は他の姉妹達やナザリックのNPCらと違い、痛みという感覚を一切持たない。異常があれば返って来るのは不具合内容と『ERROR』という情報だけなのだ。だから、死や損傷に対しての恐怖は余り感じていない。

 でも――至高の御方へ関する感情は別のように思われた。

 

(……ずっと傍で……お護りしたい――)

 

 身体を構成するパーツの中でも心臓部(コア)にあるのだろう思考を司る器官がそう叫ぶのだ。

 シズはこの新世界へ来てから主との同行が増え、多く傍に仕えることが出来てとても嬉しい。

 以前は第九階層の一角で長年ずっと待機のみであったから……。

 彼女は自身を戦闘兵器と理解している。だからこそ主に使ってもらっての存在だと考えている。

 ところがこの新世界へ来てすぐ、自動人形(オートマトン)の彼女にとって衝撃的な事件が起こったのだ。

 ナザリックから支配者と共に、敵規模の不明な近場の小村らしき集落へ出撃したまでは凄く良かったのである。これで、主の盾として散る事が出来れば最高の存在意義を見い出せると。

 そのはずが、なんと強敵の登場が危ぶまれた時、「私より後ろへ下がれ」と護るべき御方に護られてしまうという事態に直面してしまう。

 戦闘兵器であるシズは、本気で拒否しようとした。

 でも不思議である。その主の言葉がとても暖かく、そして嬉しかったのだ……。

 

(……アインズ様……)

 

 多分その時点からだろう。彼女は心臓部(コア)の温度が僅かな上昇と鼓動を始めたように感じた。

 そして下等な無礼者を1名、魔銃で撃ち殺し仕事を終えたあとの事も興味深い。

 シズは護られた上に支配者から「良い反応であったな」とお声をいただいてしまう。

 

 更に革命的なのは絶対的支配者からのご褒美――撫で(ナデ)である。

 

 オカシイのだ。最高精度を誇る体内の全センサーに変わった反応は全くみられない。

 ところが心臓部(コア)が、そして(ハート)が激しく鼓動し非常に熱く感じていく。頬の外装も赤身を帯びていく気がする。

 極め付けにそれでいて『ERROR』が全く出ないのだっ。

 シズには訳が分からない……。

 

(――なぜ?)

 

 しかし、それは共に村まで草原を歩いていたソリュシャンの小声の一言で納得出来た気がした。

 

「ふふっ、アインズ様からの“愛”をとても感じますわね」

 

 

 そう、これが『愛』なのだと彼女は初めて認識した。

 

 

 その時、シズの口許が初めて微かに緩んで見えたことへ気付く者は誰もいなかったが……。

 今日もヴァランシア宮殿の滞在部屋の壁際へ立ち、相変わらず無表情のシズである。

 しかし、御方へ向けられているその機械仕掛けのイエローグリーンの瞳が放つ、ターゲットスコープ的視線には熱い『愛』が籠っているのだ。

 

(……アインズ様……私の最期の一瞬まで……ずっとお傍で―――)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

* * *

 

 この星の世界は、どの地も雄大な自然がどこまでも広がり本当にとても美しい。

 その輝ける地平線から再び日が昇り、新しい朝を迎える。

 昨晩はイロイロあったけれども……。

 さてアインズ一行は、本日予定通りこのアーグランド評議国小都市サルバレの西北西120キロ程にある首都の中央都へと向かう。

 目的は、竜王軍団の苦戦情報が入った段階で、中央評議会にて王国からの竜軍団撤退へと方針転換させる事。

 

 つまり、有力派閥を動かす実力者豚鬼(オーク)族長の1体、ゲイリング評議員の懐柔だ。

 

 この実現に(あるじ)は、昨晩も大商会本店及び議員宅へ侵入し早朝に帰還したハーフネコマタのキョウより聞いた情報を数時間整理し、午前10時を前に出立の準備を整え動き始める。

 なおこれら評議国への潜入工作は、殆どルベドの忠誠心維持対策の一環である。

 やると口にした以上、支配者にはただ行動あるのみ……。

 

 

 

 アインズが未明の午前2時過ぎに宿へと戻って来た直後、隣の部屋からルベドが〈転移(テレポーテーション)〉して来た。

 見ると、ルベドの顔には不満が滲んでいる。

 

 そう――誘拐されたエンリに、ネムがまだ再会出来ていないからだっ。

 

 あの後、どれほどの時間〈千里眼(クレアボヤンス)〉で見ていたのかワカラナイ。しかし彼女の可愛くも恐ろしい態度が今の感情を物語っている。

 ルベドはアインズの胴にあっさり抱き付き、上目遣いで見上げつつ告げてきていた。

 

「プンプン。アインズ様、これは一体どういう事だ?」

 

 返事次第では締め殺されかねない鯖折り(サバオリ)体勢に移行済だ……。

 この部屋に護衛として控えていた2体のレッドキャップス達は何も出来ず、最早見ている事しか出来ない。

 一瞬での間合いの詰めは見事。流石は近接戦闘で無類の強さを見せていただけの事はある逸材。

 接触され完全に逃げ場はなく、〈転移(テレポーテーション)〉するよりも折る方が確実に早いだろう。

 アインズは観念し、ルベドを――両手で優しく抱き返しながら答えを考える。

 勿論、時々右手で頭を撫でてやる事も忘れない。すると最強の守護天使は、純白でモフモフの羽根を僅かにパタパタしてくれるのだ。

 甘えに来ているのか、殺しに来ているのか不明だが、アインズは状況が甘くない事を理解している。

 だから、更に強力な餌を撒いて行く。

 

「そうそう、先程アウラから姉妹で披露する出し物の準備が出来たとの知らせを受けたぞ」

「素晴らしいっ! ――ハッ……むむむ」

 

 逃れられない彼女自身の(さが)を思い知らせなくてはいけない。その素晴らしい踊りは、支配者と一緒でなくては見れないのだと。

 これで今、容易には手を出せないはずとアインズの骸骨の口許がニヤリと思わず緩む。

 絶対的支配者は更に完全なるトドメをこの天使へと刺しに行く。

 

「ルベド、お前はエンリ達の手紙のやり取りを見たか?」

 

 支配者の胸の中から見上げつつ、彼女は上目遣いに小さく頷く。

 でもそれは、男が姉のエンリへ手紙を書いたに過ぎない。それはつまらない。

 ところが――。

 

「姉の返信を少年から見せて貰った妹ネムの笑顔を、今朝だと思うがお前も見たはずだ」

「――ぁ、あああーーっ」

 

 姉妹守護天使は鮮明にネムの可愛い笑顔を思い出し、そして大きく声を上げていた。

 

 姉妹の仲とは、会う姿だけを見るのが全てでは無い事にルベドは改めて気付く。

 

 アインズは勿論その様子までは見ていない。しかし――この可愛い天使は絶対に最後まで見ているだろうと考えていた。

 絶対的支配者は完全勝利を確信しつつ一言優しく問う。

 

「どうだ?」

「ア、アインズ様……凄い。――上級者過ぎる。尊敬するっ」

 

 ルベドは誤りを認め御方の腰から手を離すと、彼の胸へと何度も頬をスリスリして甘えた。

 アインズは、ルベドの紺の綺麗で艶やかな髪を優しく撫でつつ心の中で小さく「ふぅ」と胸を撫でおろす。

 こうしてアインズの腰と、またしてもナザリックの平和は無事に守られた――。

 

 

 

 その後、ミヤの話等ルベドとの触れ合いもそこそこ(彼女の姉妹話は尽きないの)で終え、調査に出ているキョウもまだ戻って来そうにないので、支配者は次に冒険者モモン役のパンドラズ・アクターへと繋ぎ昨日になるが1日の様子を確認した。

 モモン達には大した動きも無く、怪しまれないよう昼間に外出したぐらいとの事。

 マーレにも繋ぎ、1日の働きを労う言葉を掛けた。また、姉から踊りの話を聞いた事を伝えると「が、頑張ります」と可愛く返してくれた。

 冒険者担当との確認を終わらせ支配者は、次の確認先を考える。

 王城へは、3時間程前に繋いだところなので、次に竜王国のセバスへと繋いでみた。

 彼等が乗り込んでから初めての通話である。

 

「〈伝言(メッセージ)〉。セバス、私だ。今、大丈夫か?」

「これは、アインズ様。はい、大丈夫でございます」

 

 〈伝言(メッセージ)〉の場合は本人の声しか聞こえない為、周りの状況は分からない。

 セバスの返しの言葉に、支配者は竜王国の様子を問う。

 

「戦況はどうだ? かなり厳しい話は聞いているが?」

「はい。前線都市はいずれもかなり切迫する形で拮抗しております。南北に三つ並んだ都市の内、北から二つは手堅い守りをしておりますが、南の都市が少し都市の造りが弱いようでしたので、そこへ部屋を借り拠点を置いて対処しております」

「なるほどな」

 

 その後、滞在する部屋や都市の話、獣人(ビーストマン)側の増援の動きについて10分弱会話が続いた。

 

「まあ、くれぐれも()()()()()ようにな」

 

 アインズの気掛かりはそれぐらいである。

 殆どが難度30程度の獣人(ビーストマン)達では、戦力的にセバスとルプスレギナをどうこう出来るとは思えない。

 その懸念に対してセバスは(あるじ)の命であり、自信を持って当然との言葉を返す。

 

「もちろんでございます、アインズ様。今のところ――特に大した事は何も」

 

 どうやら、先日粉砕した敵のゴーレムはザコ過ぎたらしい……法国対策の超秘密兵器がだ。

 

「そうか、ではよろしく頼むぞ」

「はい、畏まりました」

「ではな」

 

 終始普段通りのセバスの口調に絶対的支配者はすっかり安心して通話を切った。

 ちなみに、この会話の間にセバスは獣人(ビーストマン)兵を50体以上間引いていた……。

 

 どうもキョウの戻りはまだ遅いようなので、この隙にアインズは一旦ナザリックへ日課を熟しに〈転移門(ゲート)〉を開き移動する。

 まず第二階層で30分ほどアンデッド作成の後、第九階層のアインズの執務室で統括及び階層守護者との打ち合わせ(新小鬼(ゴブリン)軍団の居住区開発他)に各種書類の確認と承認作業を1時間半程。そして再出立の間際には統合管制室で一応エンリ達の状況確認もして午前5時を前に評議国の宿部屋へ戻って来た。

 するとフサフサな毛並みのネコマタ状態のキョウが既に情報調査から戻って来ているのはいいが、確認も無く()()()()()アインズの滞在する男部屋側の中に立っていた。

 絶対的支配者の登場に猫耳や髭を揺らし臣下としての礼をとるキョウ。

 だがここで、アインズには()()()なにやら不機嫌そうに見えた。

 絶対的支配者は、この原因へピンと思い当る。

 

 そういえば――キョウにも何も知らせていなかったと……(ヤバイ)。

 

 

「お帰りなさいませ、アインズ様。ところで……何か私に仰るべきことはございませんか?」

 

 どう見ても、これはルベドから殆ど聞いている態度にみえた。

 気付くとすでに、脇へ居るレッドキャップス達5名も緊張の表情で固まり、直立のまま微動だにしていない……。

 彼女は、戦闘メイド六連星(プレアデス)らから引き継いで友好保護対象地域のカルネ村をナザリック地下大墳墓の名の下、正式な立場で守る者。

 正当継承者として、キョウは少し怒った表情で質問を向けてきていた。

 昔からいる他のNPC達はアインズへの遠慮があると思うも、この子は転移後に調整し稼働した正に我が子のようなNPC。更に善としての心もあり、この怒りはまさに正論で正当。

 

(娘に怒られる、父親の気持ちってこんな感じなのか……これは……コワイ)

 

 支配者の精悍な頭蓋骨の眼窩(がんか)に灯る赤い光点の目が思わず右へと泳いだ。

 しかし、至高の御方として逃げる訳にはいかない。

 咄嗟にアインズ・ウール・ゴウンとして吐いてしまった言葉はこれ。

 

 

「――御苦労」

 

 

 だが彼女の右目と眉がつり上がる瞬間に、次の言葉を即時に早口でモモンガ的に両手を広げ宥めながら語り掛ける。

 

「――いやあのな、何を優先すべきか私も悩んだのだ。お前がカルネ村の現責任者であることは分かっているし、エンリと仲良しである事も理解しているつもりだ。あの、その、つまりだな―――連日忙しく仕事に集中しているお前に、余計な心配を掛けたくなかったのだ」

 

 最後の言葉を聞いた時、キョウの態度に変化が出た。

 右手をぎゅっと握るとそれを豊かな胸元へと当てるポーズで上目遣いに探る姿へ変わる。

 そして、確認するように尋ねて来る。

 

「……本当に、ですか?」

「本当だ。だから、まず私自身が動いたのだ」

 

 頷きつつ、至高の御方は語気を強めながら落ち着いて伝えた。続いて語り聞かせる。

 

「まあ、結果はエンリ自身の上手い判断に因るところも大きいが、ナザリックの支配者として最大限助力出来ているはずだ」

「……はい、確かに」

 

 キョウは、現状を総合的に判断すると『犯人に対しての直接的処罰』がないけれど、それ以外は丸く納まっていると考えられた。

 この地でのキョウの潜入調査についてもだ。もし、最悪彼女がエンリの件で抜けた場合、調査が遅れ、評議国でのスケジュールが狂うことになる。また残って調査続行時も、誘拐の報告を聞いていたら興奮して冷静に調査を実行できたかも怪しい。ミスをして潜入が発覚し大事(おおごと)になって……それらは(あるじ)の計画全体に影響が出るかもしれないのだ。

 更に、エンリ救出で(はや)ったキョウが帝国で戦うような状況になった場合、帝国での問題も同時に発生する事となる。

 冷静に考えれば、現状よりも良い状況になったり良策とは到底思えなかった……。

 目の前のネコマタ娘の様子がまた変わった。

 己の早計さで元気なくシュンとしてしまう。

 そんなキョウへ、絶対的支配者は傍へ寄ると優しく頭を撫でつつ声を掛ける。

 

「キョウよ、お前はこの1日、受け持った仕事をきちんと熟してきたのだろう? ――それでいいのではないか。本当にお前の力が必要な時があれば、今回の役目みたいに私が直々で声を掛ける。それを待て」

「はい。アインズ様。もぅ――」

 

 謝ろうとしたキョウへと被せるように告げる。

 

「よい、不問とする。お前の真剣さは十分伝わった。まず知識を増やし視野を広くせよ。そうすれば見えて来るものが多くなり、判断材料は増える。これも良い経験だろう(お互いにな)」

 

 彼女は稼働して間もない者で、経験が絶対的に少ない。

 今の件ぐらいなら、しばらく目を瞑ろうとアインズは考える。

 それにNPC達の士気も考えれば叱るのは、まるで反省をしない場合や、もしくは致命的な事象か、繰り返しの愚かしいミスが妥当であろう。

 アインズとしても、配下対応の教訓の一つとなった。

 それからすぐ、アインズは気落ち風のキョウを褒めフォローしつつ、持ち直させ報告を受ける。

 彼女の情報はゲイリング評議員に関する中々面白い話が集められており、交渉の手札が増えそうである。話を一通り聞いてこれまでの要点を書き出しキョウと二人で整理すると、もう朝9時を迎えていた。

 

 

 

 絶対的支配者達一行の中央都への出発予定時間は午前10時である。

 でも子供にはそれまで役目は無い。

 

「ふぁぁ」

 

 平和な朝である。ここに虐待や『新鮮なお肉』としての死の恐怖は皆無。

 元奴隷少女()()はアインズと姉のキョウ達の居る隣室で8時頃から起き出していた。

 

(暖か……)

 

 ベッドで薄めの掛け布の中でゴロゴロ。

 これが安らぎという気持ちなのか、まだそれすらもよく知らない。

 添い寝をしてくれていたルベドが、すぐ相手をしてくれて嬉しい。中でもたまにしてくれる、5メートル程の天井へ届きそうな絶妙の連続投擲による『高い高い』が最高だ……「キャッキャ」という声が出てしまうほどに――。

 

 ルベドは、アインズ達の動きを待って少女と戯れていた。

 9時を15分弱過ぎた頃に一行達は朝食をとると、午前10時の少し前に出発の準備を整え終った。そのまま商業地区内の宿泊していた宿を引き払い、都市の北西側正門を抜け街道を進む予定。

 先頭にはキョウが立ち、小鬼(ゴブリン)レッドキャップ5体が続きその後ろにアインズ、ルベドの順とする。

 子供の()()については、先日と同じく不可視化するルベドが大事に抱えると言い張る。キョウの妹なのだが、完全に情が移ったかの勢いである。

 ミヤも外はまだ怖いのか、出発前からルベドとキョウの傍から離れずいた。宿に入った日から彼女は、キョウが街中で探し買い求めた下着や肌着を身に付けており、服も先程アインズがデーターライブラリから可愛いものを見繕って提供され着替え中。

 間もなく似合いの可愛らしい服へ青紫色系のローブを纏った姿が、アインズを始め皆の前で披露された。

 髪は切り落とされて坊主頭のため、当分は合わせた青紫色系の綺麗な布を巻いて被る。

 食材として奴隷繁殖飼育区画『牧場』で隔離人生を送り、死の恐怖を味わった幼い少女ミヤ。それが幸いなのか、まだ先入観となる知識をそれほど持たないこともあり、思いのほか異形種への抵抗はなかった。

 逆に助けてもらったという温かい記憶で占められていく。

 

「ありがと、ございます。アインズさま、姉さま、ルベドさま、皆さん。ボクは嬉しです」

 

 髑髏顔の支配者を始め、皆へ優しい笑顔でペコリと頭を下げ礼を述べた。

 

「うむ。ミヤよ、私や姉達に孝行しナザリックを大切にせよ」

「はいっ」

 

 アインズは恩には恩を、礼には礼を返す者。幼年で人間だからという差別はしない。

 大きな優しい手で御方はミヤの頭を撫でてやった。彼女はくすぐったそうにはにかむ。

 この幼女は、まだ全く知るはずもない。

 自身が既に世界の勝ち組の中でも頂点の一員に居る事を。

 彼女の義理の姉のキョウは、ナザリック地下大墳墓の主、アインズ・ウール・ゴウンの生み出したNPCなのである。支配者にとっては娘も同然なのだ。

 ――これはもう、オソロシイ。

 

 そう、ナザリック地下大墳墓守護者統括(アルベド)の反応が。

 

 この娘がネムの様に強い事を祈るばかりである……。

 準備万端の支配者ら9名は、意気揚々と小都市サルバレを後にした。

 

 

 

 一行がアーグランド評議国の首都、中央都へ着いたのは午前11時前の事。出発から僅かに1時間足らずだ。

 もちろん正直に120キロも地上を歩く訳もなく。

 彼等は滞在していた都市の門を出て30分ほど歩いたところで休憩する振りをしつつ、脇道の通る人気(ひとけ)のない林の中からアインズの〈転移門(ゲート)〉で思い切りフェードインフェードアウト的ショートカットを実行していた。

 そして、支配者一行の再出現した場所は中央都南西側の近郊。中央都において小都市サルバレから最も遠い位置になった。これは無論、行動経路の偽装でもある。

 北東へ20分程歩いて到達した中央都の大門での検問は、先の小都市と同じ様に顔や身形の確認のみで名前を問われることはされず問題なく侵入出来た。

 まあネコマタのキョウに対し、胸も大きく随分美人だと獣人(ビーストマン)の雄の守衛が数人、色目を使って来て困ったぐらいだ。

 こんな時のためのLv.43を誇る用心棒小鬼(ゴブリン)レッドキャップスである。

 難度129が5体も居れば、並みの衛兵では束になってもどうにもならない水準といえる。

 争うまでも無くレッドキャップスの気迫ある睨みだけで獣人(ビーストマン)の雄達は、慌てて目を逸らし諦めた。

 そうして、アインズ達は都市内の道を進んでいく。

 都市は旧人類国家の首都だった場所で、廃墟とはならずエ・ランテルと同様に半径3キロ程の円形で二重の外周壁に護られて大通りも石畳で整備されていた。外周壁門は全て巨大な塔の下に設けられている形だ。中央都周辺に住む亜人個体数は約15万。

 門から大通りを進みすぐ、支配者一行は噴水の有る休憩場へ寄ると、早速キョウに都市内のレベル上位者の探査をしてもらう。なおアインズ、ルベド、キョウは最上位アイテムで誤魔化しているので、バレることはない。

 すると、Lv.50を超えるものが9体。その中で更にLv.70を超える者も2体確認された。

 

「ほぉ」

 

 アインズは思わず小声を上げる。

 Lv.70――ここまで来るとユリらプレアデス達一人一人では装備差を考えなければ概ね撃破される水準。ここに居るレッドキャップスが総掛かりでも確実に全滅するだろう相手だ。

 武技を使う相手であれば、キョウと互角程度かもしれない……。

 ただしそれでも――ルベドやアインズにすれば子供以下の水準でしかないが。

 とはいえレベル水準から言えば最大で第10位階魔法の使える域である。能力不明なアイテム等にも留意が必要だ。

 絶対に油断してはならないだろう。

 とはいえ過剰反応していてもしょうがなく、支配者はさっさと次の行動へ移ることにする。

 勿論まず宿探しである。あと数日この地で過ごす予定であり拠点は重要となる。

 人間の子供の()()を連れて歩くのも当面避けておきたい。

 初めての地であり、まずは各所を歩いて見て回るほかないと支配者達は移動を開始する。

 ついでなので、評議会の大議事堂やゲイリング大商会の首都店舗、商業地、住宅街など旅人でも見て回れる範囲を見聞して回る。

 その最中、僅かに気になったのは()()の気持ち。

 この中央都でも、人間の奴隷がそこかしこに溢れている。亜人より弱者の彼等は打たれこき使われ、正に働く生きた道具であった。

 それでもやはりこれが評議国都市の日常で情景。他者に優しくないアインズ達はただ通り過ぎる。

 ()()自身も実体験から良く分かっていた。

 

 全ては自分の力で運命を変えるしかないのだ、と。

 

 途中で12時を迎え、昼食として通りの店で手軽な軽食を持ち帰りで買い、人目のない所で休憩という形で頂く。()()小鬼(ゴブリン)達は食事が必要であった。姉のキョウとルベドは付き合って共に食べている。

 アインズだけが、その様子を見てのんびりと寛いでいた。

 中央都の今日の天気は、雲も見えるが陽が眩しい良い空模様である。

 1時間程のあと、一行は再び都市内を観光気分で回遊を再開し、夕方前の4時頃に見て回った中で幾つか見つけた宿屋の一軒に部屋を求めた。

 ここでも2部屋を借りて二手に分かれる形をとる。路銀はまだまだ残っていてあと半月は問題ない。足らなければ、またンフィーレアからの献上品の下級治療薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)を1、2本手放せば済む話だ。

 拠点は出来たので、アインズは早速――挨拶に行く事に決めた。

 

 当然目的である、ゲーリング評議員の首都屋敷だ。

 

 ルベドには宿屋で()()小鬼(ゴブリン)1体と残ってもらって、妨害対策した〈千里眼(クレアボヤンス)〉でのバックアップを頼む。〈転移(テレポーテーション)〉で随時乱入は可能だ。

 キョウを先頭に小鬼(ゴブリン)レッドキャップ4体と完全不可知化のアインズが宿を出て行く。時間は午後5時前。まだ日没までは2時間程残している。

 先程、評議員の屋敷傍は通っているので、覚えのある道を辿り5分程で到着した。

 歩いて赴けば足元を見られるだろうと、金の粒1銀の粒10で結構いい屋根の無いオープンの4頭立て馬車(キャリッジ)を借りてそれで乗り付ける。

 奴の屋敷は、商業地から離れた閑静な邸宅地の中でも一際建物の大きさと広大さを持っている。皮肉にも広さにより、多少の音では隣家まで届かないという好条件物件だ。

 表立っての用件は――『南方の獣人(ビーストマン)の国への人間奴隷輸出計画による大口購入依頼』である。

 小都市サルバレにある本店の者らからの必要関連事項の聞き出しを、キョウはここ数日の潜入調査の過程で行なってきた。今朝、アインズとの作業である程度手順も決めている。

 キョウは、『ゲイリング大商会』と中央都でも取引の有る『カデロイオザ商会』の名を出し、商会所属商人名ドレティプフと名乗った。

 今日はあくまでも顔見せの繋ぎである。勝負は明日辺りを予定していた。

 また本来、商談の話は『ゲイリング大商会』の中央都店へ持って行くべきだが、この大量奴隷入荷関連は未だ大商会幹部内でも裏で秘密の話。

 屋敷の門前の警護所から中へ伺いが走る。屋敷にゲイリングが居ない可能性もあったが、キョウの話では必ずヤツには『凄腕の護衛』が付いている情報を得ており、その反応がこの屋敷内に確認出来ていた。

 

 その者達はLv.50を超えるものが3体。その中で更にLv.72が1体いた。

 

 豚鬼(オーク)のゲイリング評議員が屋敷内に居るのは間違いない。

 屋敷の鋼鉄門が重々しい金属音を鳴らしつつ開いた。人間の目には結構歪に見えるが豚鬼(オーク)的には高級な門構えなのだろう。

 門前の警護所から、豚鼻でお腹を見せつつも黒い上着とズボンを着た執事っぽい豚鬼(オーク)が現れる。

 

「……主がお会いするそうです。あ、その前に、商会所属の(あかし)を見せて貰えますかな?」

 

 そう、書面類が余り発達していない評議国では、物と信用により証明する形が多い。

 

「はいはい、そうですね。ではこちらを」

 

 もちろん、キョウはこの国の一般的商人の取引ルールについても聞き出している。そして、該当商会の支店からも証となるものを拝借していた。抜かりはない。

 ただ、この国の商人に服装の法則があるのかまで詳しく分からない。

 現在(あるじ)から借りた灰色のローブを纏い、顔だけしか見せていないキョウは腰の小物入れから、5センチほどの希少金属に宝石の嵌った型の証を提示する。

 これらに信憑性を持たせるため、態々『カデロイオザ商会』勢力が強いという南西地方に通じる門から通って来ていた。尋問はなかったが、特徴のあるキョウ達の一行が通ったことの問い合わせが門側へあってもクリア出来るはずだと。

 執事っぽい黒服の豚鬼(オーク)はそれを受け取り少し持ち上げ陽光に翳す。宝石を通し掌に映った模様を見て彼は呟く。

 

「確かに。では、こちらでございます」

 

 そうして、ドレティプフと護衛達として、キョウ達は屋敷の中へと招かれる。

 泥とレンガと木材で建てられた人類からみればもっさりとした建物だ。所々に金や宝石細工が見えるも、それが美しいとは中々思えない造形が続く。

 ただ建物には窓と扉が全ての部屋に付いていた。

 黒服の豚鬼(オーク)に先導され、キョウ達は応接室なのか大扉を潜り講堂程の高さと広さの部屋へと通される。6名はとりあえず立ったままテーブルや椅子も置かれた室内を見回す風に佇む。

 その部屋へ、使用人らしき豚鬼(オーク)が数人いたが、アインズらと入れ替わるように1体が扉を開閉し出て行った。

 廊下を歩く途中よりアインズから〈伝言(メッセージ)〉を繋がれているキョウが口許に握った手を当てて小声で伝えてきた。

 

「……(アインズ様、バレています。今、扉を出た者が扉横の警備へ『ニセモノだ』と告げて奥へ――)」

「(なにぃ、クソッ)」

 

 彼女は特殊技術(スキル)マスターアサシンにより随時周辺の盗聴も実施している。

 恐らく、ドレティプフなる人物をよく知っている者がいたのだろうと、アインズは判断した。

 だが、キョウは続いて伝えてくる。

 

「(でも、どうやら話を聞いたゲイリング評議員本人は、このまま我々に会うみたいですよ。ただし、護衛を連れてますけれど)」

「(そうか……やむを得ん、芝居はここまでだな。とりあえず材料を並べて、交渉失敗なら――あとは力でゴリ押すぞ)」

「(はいっ)」

 

 アインズは、実に三段構えでこの場へと望んでいた。

 つかみの偽商人、商魂&政治的裏交渉材料、最後に剛腕力である。まだ二つを残している。

 

 

 

 完全不可知化の絶対的支配者アインズは、交渉用の仮面下の赤き眼光を激しく煌めかせていた。

 

 

 




参考)エンリ誘拐の時系列
PM―4:30頃 カイジャリ昏睡。エンリ、フールーダにより誘拐される(38話)
PM―4:45頃 エンリ、魔法省で目覚める(39話)
PM―5:00前 カルネ村でエンリ不明で騒動になる(39話)
PM―5:00過 エンリ捜索にエントマ経由でナザリック側も参加(39話)
PM―5:45頃 エンリ、地下のデス・ナイトとの邂逅(39話)
PM―6:30過 エンリとアルシェ、脱走(39話)
PM―6:45頃 エンリ、笛使用(39話)
PM―6:50頃 カイジャリ目覚め、ンフィーとネムへ報告(39話)
PM―7:00頃 ゴブリン軍団と魔法省と交戦開始(39話)
日没
PM―7:05過 エントマからアインズへエンリ行方不明報告(38話)
PM―7:10頃 ジルクニフ、魔法省の交戦と巨樹の報告受ける(39話)
PM―7:15前 エンリ、魔法省勢へ無血退去提案(39話)
PM―7:15頃 アインズ、ニグレドの能力でエンリ確認(39話)
PM―7:30前 ンフィーとネムがエンリ救出に出発(39話)
PM―7:30頃 アインズ、アウラら帝都へ。デミウルゴスは周辺調査へ(39話)
PM―7:30過 ジルクニフへエンリの提案届く(40話)
PM―7:45頃 アインズ、ンフィーとネムのエンリ救出の動きを知る(40話)
PM―7:45過 ジルクニフ、秘策指示(40話)
PM―8:00前 ハムスケ、制服をエンリに届ける(40話)
PM―8:20過 帝国使者来訪。停戦し無血退去合意、20分程で終了(40話)
PM―8:45頃 デミウルゴス、調査終了しナザリックへ帰還(40話)
PM―8:50頃 アインズ、王城へ移動する(40話)





参考)作品全般の話を凄くボカした概要っぽいあらすじ

1話-37話
ユグドラシル最終日にモモンガは、遊びでNPC達の設定変更をしてしまう。
24時を超え、気が付けば新世界へ来てしまったナザリック。
モモンガから名を改名したアインズは、スレイン法国の偽装部隊をカルネ村で撃破し、エンリ姉妹とガゼフを助ける。
情報集めでモモンとして冒険者を始め、狂気の女他、いつの間にか地道に協力者を増やしつつ、アインズとしては国王より招待され王都へも赴く。
しかし、復活した竜王が軍団を率いて突如戦争が始まる。
アインズは、表向きガゼフを助ける名目で王都へ居座る。
一方、法国も裏で動き出す。
王国は王女が暗躍し蒼の薔薇などを戦地へ派遣。敵情報持ち帰りに成功する。
平和なナザリックでは正式にアインズの改名と野望発表式典を行い、大宴会も開催。
王国は和平案を模索しつつも戦争の本格的準備に入る。そんな会議の最中にアインズは窮地の論戦を展開。
またエ・ランテルでの問題をモモンが裏で解決しつつ、続いて竜王国の問題まで舞い込み、更に王都ではアインズが裏の組織とも接触する。
やがて、法国から潜行して来た戦力が竜王の軍団とついに激突し、局地で静かなる激闘が起こった。アインズはそれを利用し背後で幾つかの目的を達成。
竜王国問題の時間稼ぎで、ナザリックから送り込んだ面々が活動開始。
王城では王女がアインズを取り込もうと暗躍して----。
そして帝国も、カルネ村に興味をもった大賢者が徐々に首を突っ込みつつあった……。

注)アインズによるナデナデが時折発生します(本作品の仕様です)
注)モモンの声色と口調については、鈴木悟の素の声口調になっています


38話:支配者失望する/新タナル計画/フ-ル躍動(12)
アインズの何気ない一言は、守護者達の新計画を生み出していく。
漆黒の戦士モモンらは王都でエ・ランテル冒険者組合遠征員の点呼日を迎えた。
アインズが、ガゼフへ「とある要望」(密かに王国の王女らを巻き込んでいる)を出す。
同日、絶対的支配者は元凶のルベド他を伴い某隣国へ潜入する。
某隣国3日目の夜にアインズはトンデモナイ知らせを受けた……。

P.S. アルシェが妹達を救うべく難題解決に意外な手段を取る。
P.S. 某隣国2日目に展開されたアインズ様の楽しい散策劇をお楽しみください。
P.S. ナザリックのメイドのお話。
P.S. NPC達と新計画について。


39話:支配者失望する/森ノ異変ト囚ワレノエンリ(13)
法国へ「至宝とカイレ」と「対竜王」に関する情報が伝わる。そして神官長会議が開かれた。
王国と竜軍団の和平交渉における、それぞれの思惑は。
帝国内でイジャニーヤに動きあり。
エンリがふと目覚めたそこは……。そこで人類史上とんでもない事態が発生する。
エンリのピンチにアインズを始め、ンフィーレアとネムも立ち上がる。

P.S. そんな中、関係のないところで地方貴族は災難に遭う。
P.S. そして、ニグンはマイペース。
P.S. 一方、トブの大森林では激しくも後味の悪い戦いがあった。

注)分かりにくい部分は、やはり本作品を全編読んでもらうしか……(宣伝)



参考)31-37話の内容を凄くボカした概要っぽいあらすじ

31話:支配者失望する/墓地デノ出会ハ突然ニ(5)
カルネ村のエンリは自分の大きな失態に気が付いて、なんとかしようと……。
クレマンティーヌから十二高弟の者の話を聞き、アインズは奴の計画の実行を不快に思い……。
アインズとイチャつきたいエンリだったが……。
P.S. 駄々っ子マーレ。

32話:支配者失望する/遠征ト新依頼ト会談ト(6)
エ・ランテルから冒険者達が出陣する。
エ・ランテルの門外でモモンは意外な人物に会って……。
王国で裏社会組織との深夜会合へのお誘い。
P.S. 竜軍団は遺体を喪失。
P.S. ラナーの不思議な心境。

33話:支配者失望する/会合ノ六腕/帝国ノ罪(7)
アインズ一行は深夜会合に出るも……。
フールーダは、とある一報に歓喜する。
アダマンタイト級冒険者チームのお話。
王国から竜軍団へ、和平使節団が出発。
P.S. 王都屋敷の人間メイド、リッセンバッハ三姉妹について。
P.S. 邪魔されるニニャ。
P.S. 深夜会合は計算通りに。

34話:支配者失望する/5つノ告白ト7つノ嘘(8)
アインズはガゼフの館へ赴き、彼の個人相談に乗る。
ニニャの独白タイム。
ガゼフは国王から難題を頼まれる。
支配者、ラナーと密会す。
P.S. リッセンバッハ三姉妹は大金を目の前にして……。
P.S. ンフィーレアとブリタのカルネ村生活。
P.S. ナーベ発、伝言ゲーム。
P.S. ニグンの野望(欲望)。
P.S. 竜王は強敵と急な遭遇をして……つづく。

35話:支配者失望する/嫁ト、ソシテ闘イハ始マッタ(9)
(長い…)
守護者女子会。
クレマンティーヌ、漆黒聖典部隊へ合流。
アインズ「伝言ゲーム」を処理する。
アインズはナザリックの戦力で難敵に当たることを決める。
アルベドが決意を持って指揮官を熱望す。
ついでにナザリックの竜王国への対応も決定。
王城にて、アインズはガゼフから対竜軍団戦参戦のために、難題を押し付けられる。
その夜、第二回深夜会合。
翌日にニニャとのデート。
その後にアインザックらと腕試し。終了直後から某国対策へ。
次の日、王国の和平使節団が竜王と会見。
ナザリックの難敵への作戦が実行される。
少し遅れてクレマンティーヌは長年の願望を果たす。
そのころ竜王は強敵と対峙する……まだつづく。
P.S. ガゼフ、アインズに気付かれ
P.S. ツアレの気のせい

36話:支配者失望ス/混迷ノ帝国/隊長VS竜王 (10)
アルシェ登場。
イジャニーヤと藍色の髪の男のお話。
帝国に「王国への竜軍団侵攻」が伝わり、帝国四騎士へも激震が走る。
クレマンティーヌへモモンが告白か。
激闘の竜王戦決着?
P.S. その裏で守護天使暗躍。
P.S. ガゼフは大望の昼食会へ。
P.S. 危うしのクレマンティーヌ。
P.S. シャルティアに吸血鬼の配下が増えた。
P.S. 幼い姉妹は「きらきら」が好き。

37話:支配者失望する/竜王国ニテ/姉妹ト主ト(11)
滅亡の瀬戸際の竜王国。女王の妹が帰還する。
竜王国の東方三都市攻防戦と暗躍するナザリックの影。
ナザリックにおける奪取作戦成功者へのアインズの労い。
ルベドへ対し、絶対的支配者の思い切った決断が……。
竜軍団へ向け帝国の選抜精鋭が出陣を開始。
アルシェ、父親の計画を知る。
P.S. 竜王国で暗躍する影、やりすぎる。
P.S. アウラとマーレは踊りたい。
P.S. ナザリックBARにて。




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STAGE41. 支配者失望ス/舞台裏ノ攻攻/願イ叶ワズ(15)

注)本作内でのアーグランド評議国内の設定は、ほぼ捏造です
注)モモンの声色と口調については、鈴木悟の素の声口調になっています
注)一部残虐的な表現や衝撃的場面があります
注)凄く長いです(約10万字、4000行以上)

補足)登場人物紹介
ゲイリング評議員……………評議国中央評議会の中立派の有力者
煉獄の竜王ゼザリオルグ……八欲王に殺され最近復活した評議国の竜王。王国へ侵攻中
キョウ…………………………アインズが作った2体目のNPC。ドッペルとネコマタのハーフ
ミヤ……………………………アインズが助けた評議国の元奴隷幼女
ゴドウ…………………………元ツアレの居た娼館の警備責任者


 王都リ・エスティーゼの壮大な外周壁には北、東、南東、南西、北西の位置へ5つの門がある。

 5門の内、真東へ置かれた『東門』は朝午前6時、晩の午後10時に開閉される決まりだ。

 本日も開門する直前には、高さのある大扉の前へもう入門待ちの列が出来ていた。

 その列の後方へ、軍馬に(またが)った紺碧(こんぺき)色のローブで身を包むクレマンティーヌが付ける。

 モモンに会いたいが為、『竜王軍団と王国動向の調査』を名目として昨夜、漆黒聖典の隊列を出立したクレマンティーヌは未明にこの地へ到着。開門時間まで近くで休んでいたが、なんと少し寝坊する形であった。

 彼女としては痛恨だが、夢の中でモモンから膝枕をされていては怒る事は出来なかった。

 甘んじて現状を受け入れる。

 

(モモンちゃん、もうすぐ会えるよー)

 

 横目で今日はずっと晴れそうな雲が疎らの空を僅かに見上げ、『今、想い合う二人は、同じ空の下で同じ空気を吸ってるんだねー』とポエミーな恋乙女と化しているクレマンティーヌは、深めのフード内で歪みのない可愛い笑顔を浮かべていた。

 そして定刻を迎えての開門。

 入門時の確認は順調に流れ、10分程でクレマンティーヌの順番となる。戦時下ということで、王都の警備は強化されており全員が身形や簡単な用件を確認された。

 事前準備の近郊貴族の封蝋(ふうろう)が施された平たい形の便りを持つ彼女は、ほぼ素通りとなる。直後に門の近郊で何か事件でもあったのか、衛兵達が騒ぎ一隊の動く姿もみられたが、もう門を抜けていて影響は受けない。

 さて王都へと無事に入り込んだクレマンティーヌであるが、名目上は『調査』で来ているため建前として先にやっておく事象がいくつか存在する。それを片付けに向かう。

 まずは、スレイン法国の秘密支部のある()()()の所有する資材倉庫へと到着した。

 敷地脇にある小さめの厩舎へ馬を繋ぐと、彼女は建物へ近付いて行く。

 だがまだ午前6時半の為か、1階の扉を叩いても返事がないのでアイテムを取り出して〈開錠〉し、上の階の部屋へと向かった。気配から1名ではあるけれど、建屋内に当直者が居る事は分かっている。

 すると事務室らしき場所で、当直者は椅子へ座ったまま眠りこけていた……。

 女剣士は、大都市エ・ランテルの秘密支部へしか赴いた事はない。でも、いつの時間も当直者達は交代で真面目に起きて仕事していたのを覚えている。

 これには都市気質の影響もあるかもしれない。エ・ランテルは都市長以下結構真面目に行政が行われており、賄賂などの汚職も随分適正に裁かれている。ところが、この王都では官民の多くで腐り切っている部分が見られた。首都であるが故、王都内には他の勢力も多く入り込んでいるのだ。3割程が大貴族達の息の掛かった地域であり、そこは実質国王の権勢の外になる。

 この地もその一角の中にあり、賄賂や汚職からの怠慢的空気が秘密支部内へもいつの間にか充満しているように思えた。

 普段のクレマンティーヌなら、周囲がどうあれ気に障らなければ無視(スルー)だ。

 でも今日は、既に『散々待たされた』あとで、今も『非常に急いでいる』のである。

 漆黒聖典といえば、神官長直轄特殊工作部隊群『六色聖典』の中でも最高の者達。各地の秘密支部の者とはいえ詳しく知る内容ではなかった。その事は漆黒聖典メンバー側も心得ており、単にスレイン法国の連絡員風に接する指導が伝えられている。

 だが彼女は、クレマンティーヌ様である。

 

 眉を顰めつつ――思い切り椅子ごと寝ている当直者を、死なない程度に蹴り倒していた。

 

 しかし壁へ飛んで行ったのは椅子だけであった。

 無精髭を少し伸ばす男の当直者は、手荒い女剣士の頭上の空中へ頭を中心に反転倒立する形で身を翻しつつ、足から彼女の後方へと着地する。

 

「――っ!?」

「おいおい、トんだご挨拶だな? ぉお……えらい別嬪(べっぴん)さんじゃないかよ」

 

 些か油断のあったクレマンティーヌは、背中側を取られない様に素早く半身を後方へと向ける。

 彼女より背のある男性当直者の服装は一般の商人系の服を着ているが、歴戦の彼女に気付かれない素振りと、今の身のこなしは明らかにタダ者ではない。

 流石、王都に置かれた秘密支部工作員の一人というべきか。

 先を急ぐ彼女はフードも下げず不機嫌そうに、手首のスナップを効かせて回転の付いた小道具の『便り』を無精髭の男へ投げ付け、今の暴力には言及せず用件のみを告げる。

 

「――私は本国からの使いだよー。侵攻して来ている竜王軍団についてと、王国軍側の動きに関して調査に来たってわけ。4日間で集められるだけの情報を寄越してよねー」

 

 全く悪びれない様子の女に少し呆れるもそう言う立場だと察し、指で挟んで受け取った『便り』の出来を表裏見て確認しつつ、支部員の男は答える。

 

「……じゃあ、あんたは4日間は王都へいるんだな?」

「んーまあねー」

「――ならその間、俺と付き合えよ。別嬪のあんたが気に入った」

 

 いきなりの告白に、流石のクレマンティーヌも『コイツは何を言い出すのか』と虚を突かれる。

 それに彼女の相手はもう居るのだから。

 

「はあー? そっちにそんな暇ないでしょー、仕事は―――」

「部下がやる。あと俺も情報集めは勿論するさ。あんたも込みでな」

 

 それは、クレマンティーヌへ『同行』と『女の身のイロイロ』も含んでの言い回し。

 男連中だけでの会話内ならジョークで済むが、今は仕事内容の話し中であり、『ふざけた言葉』である。

 だから漆黒聖典第九席次は男が次の瞬きを始めた一瞬で、武技〈能力向上〉〈疾風走破〉を発動――支部員の男は一気に壁際へ叩き付けられる風に押し付けられ、クレマンティーヌの剛力の手刀で首を吊る形に浮かされる。

 

「――っ!」

「あのさー、死にたくなければ、黙って言われた仕事をしてなよねー」

 

 彼女のフードの奥より発せられた言葉が軽口のようでも、赤き瞳は本気で殺しにきていた……。

 無精髭の男は驚く。スレイン法国の正規兵で大隊長まで叩き上げで上った自分が、この瞬きの瞬間に何も出来ずに死にかけたのだ。

 

「(この女、ここまでの突出した実力……六色聖典かよ……凄くイイね。絶対ブチ込んでモノにしてぇ)わ……悪かった、失礼した」

 

 中吊りの態勢にされた男は肘を曲げた形だが両手を上げ、許しを請うた。謝りつつも彼は全く懲りていなかったが……。

 一方殺しても良かったが、クレマンティーヌも先を急ぐので今はモモンのためと我慢する。

 男の首へ押し付けていた手刀を引き、背を向けて歩き出す。

 

「じゃあ、4日後の昼に――」

「――いやいや、お詫びも兼ねてまず少し王都を案内しますよ。ここも色々今は問題がありますからねぇ」

「――っ(……確かに少し王都について知っておくべきかも)」

 

 彼女は愛しのモモンを探すのに、秘密支部の力は借りられない事を思い出す。加えて、逢瀬の事実を知られてもイケナイのだ。知られた場合、見た者をその場で始末する必要もある。

 秘密支部の人員構成や行動など内情についても細かく知っておく必要があった。

 

「……そうねー、少しだけならいいかー」

「とりあえず、部下への指示と、何か飲み物でも――」

 

 無精髭の男は、如何にも世渡り上手の態度と言葉巧みな話術を駆使して、程よい距離でクレマンティーヌへ繋がる赤い紐を手繰ろうと努力を進める。

 飲み物を出し、部下への指示を書置きすると「では周辺を案内しましょう」と、女剣士を連れ出した。

 覗いた書置きへ彼の肩書きが示されていた。どうやら彼は副支部長という立場らしい。

 周辺を案内されながら、彼女の『支部情報や王都の注意点を把握したい』要望は叶えられつつあり、モモンへの再会を()くも無精髭の男の横を歩き続けた。

 途中の会話において、他の都市からの兵や冒険者が増えたことで、一層の物価上昇と共に治安の悪化などの他、戦時下で警備が強化され、調査を行う上で潜入や退去時に重宝していた広大な地下下水路網も、多くが監視対象となり今は十分使えていないという。

 二人は1時間程で事務所へ戻る。

 既に秘密支部も職務時間となったことで脂っこい顔の支部長や人員も顔を出していた。適当に自己紹介を済ませ、調査資料の確認もあって彼女の午前中は過ぎて行く。

 支部の総勢は12名。本日の非番は3名ということで、事務所には5名、外回りで4名がいるとのこと。聖典の一員として一応事前に10名程度という支部情報は得ていたので、非番3名を多すぎるように感じたぐらい。

 外回りは最大で8名まで増えると聞いて、ここまで出入りした者の顔と水準は把握出来た。

 明日も顔を出せば全員把握出来るだろうと彼女は確信する――いつでも殺せるために。

 先程からフードを下ろして窓辺のソファーへ座り(しば)し資料を見ていたが、クレマンティーヌはそれを閉じると立ち上がる。

 

「また明日来るねー。馬をよろしくー。今日はこのあと適当に外を回ってみるからー」

「あっと、俺も一緒に出ますよ。昼食や晩の食事も上手い店を知ってますし。それと宿はどうされるんです? 当てが無いなら親切でイイとこ紹介しますよ」

 

 無精髭の副支部長が席を立ち、目を付けた上物の剣士の女へと食い付く。

 先も朝食に、お勧めの片手で手軽に食べられて美味い軽食の店へ連れて行き「へぇー、なかなかおいしいー」と好評を得ていたと考えている。

 店については、色々と手を使える酒場や宿屋を数件知っている。夕食へ時間差のある強力な眠り薬を盛り摂らせ、夜中に合鍵で入る事すら造作もない――。

 権力や金で心が腐った者達のなんと多い事か。だが、副支部長らは存分にソレを楽しむ。

 クレマンティーヌはモモンの所に転がり込もうと思っていたが、無精髭のツラを見て『それは危ない』と考えた。

 

(ケッ……お前らは邪魔なんだよ、糞がぁー。もう全員ぶっ殺すかー)

 

 そう考えたが、表情には出さず。

 さて、彼女がモモンと再会する前に、先にやらなければならない事の二つ目がある。

 

 それは――漆黒の戦士達の居場所を知る事だ。

 

 モモンは当初よりクレマンティーヌ達の法国本国への無事帰還を希望し、王都への到着について知らせたが宿泊場所は伝えていなかった。女剣士(クレマンティーヌ)も兄の抹殺計画実行と聖典一団への合流の中で『必要知識』ではなかったことから、彼の宿泊場所が完全に確認漏れとなっていた……。

 そしてクレマンティーヌがモモンの所在地を知る為に、当てにしていた王都冒険者組合には秘密支部員が以前から調査の為、ほぼ張り付いているという事実を先程知る。

 こうなると、秘密支部に関わりが無く王都冒険者組合にコネがあって機転の利く者を雇ってそいつに調べてもらうか、地道に酒場を回ってエ・ランテルの冒険者を探し連絡を取ってもらうしかない。

 しかし前者は費用は兎も角、探し出すまでの時間が惜しい。つまり残るは後者。ただ、その場に目の前の副支部長が居てもらっては困る。

 だから、上手く断る一択。

 

「私の身体能力見たでしょー? この後の調査の邪魔になるから遠慮してねー」

 

 だが、そこは百戦錬磨の漢である。無精髭の彼は正論でまだ食い下がってきた。

 

「し、しかし、緊急時においてですね連絡が取れないのは我々も――“規則”として困ります。ですから、宿泊場所だけは後程でも構いませんが、知らせて頂かないと……」

「……わかったー、決まった後で知らせる。それでいいよねー?」

「はい、それで構いません」

「じゃあねー」

 

 漸くクレマンティーヌは正午を少し回った頃、法国秘密支部の建屋を後にする。

 ここで当然、副支部長が、事務室にいた若いが一番腕利きの青年支部員へ近寄ると囁く。

 

「……(彼女を遠めに付けろ)」

「……(ぇ? しかし……)」

「……(やるんだよ、今月の給料無しにするぞ。ヤレる女の紹介も、もういらないんだな?)」

「……(えぇっ!? りょ、了解)」

 

 1分程遅れて、秘密支部事務室から青年支部員が外へと出て行った。

 だがそこはクレマンティーヌの事。

 初めは普通に飲食街を目指し歩いていたが周辺の気配を見てとり、後ろを付けられていると知るや人通りの有りそうで無人の通りへと誘い込み気配を消す。

 見失い慌てる支部員の後方から、気付かれる事無く首元へ失神の一撃を軽く加えて、道の脇の繁みへと転がした。

 彼女にすれば殺す事は何時でも出来る。単に王都内で問題になることを避けただけだ。

 証拠も無く、この程度なら支部から本国へ抗議があっても取り合わないだろうと確信していた。 クレマンティーヌは鼻歌交じりでそのまま飲食街を目指し進んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 バハルス帝国八騎士団第一軍の精鋭15騎に先導され、都市内の沿道や街道沿いを騎士隊らに警備される形で魔法省から出発し、帝都アーウィンタールを後にしたエンリ率いる5000の小鬼(ゴブリン)軍団は、ゆっくり歩く程度の速度で理性的に整然と行軍を行なった。

 進み通り過ぎる小鬼(ゴブリン)兵達1体1体の鍛え抜かれた姿からは、素人目に見ても屈強さが滲み出ており、街の通りの両側へ集まった少なくない民衆はそれらを目撃して、何事も無く立ち去って行った状況に胸を撫でおろした……。

 帝都内を含め、早くから経路周辺が封鎖されながらも亜人軍団と移動についての噂は馬まで走って知らされ、都市内全域へ伝わるのに3時間と掛からなかった。

 素早い民衆側の動きへ並行し、帝国情報局の手により急遽――

 

 『昨日、西方に広がるトブの大森林から、大規模な小鬼(ゴブリン)軍団が突如帝国魔法省内に出現したらしい。一旦戦端を開き掛けるも、精強な帝国の戦力と皇帝ジルクニフ陛下の御英断で無血により停戦合意となり、小鬼(ゴブリン)の軍団は国外へ速やかに退去する運びとなったそうだ。故に当面の間、彼等軍団や兵への理由なき攻撃行為は死罪等の厳罰と聞いた。とにかく大きい問題は無く、我々民衆は帝国民としての誇りと平静さを守るようにしないとな』

 

 ――そんな皇帝と帝国の威信を守りつつ民心の動揺を抑える内容の指示と話が、意図的に帝都から国内の関係地域へと広められていく。

 バハルス帝国側では、この度の一件へかなり神経質な対応が目立った。

 

 一方のエンリは、見事な仕立ての赤と黒の軍服装備姿で隊列の中央からやや前寄りの位置を、幌がオープンにされた上等の馬車に乗る形で移動している。これも気分良く早急に帝都から去ってもらう為の帝国からの提供品だ。ジルクニフ的には一応、敵の村娘を確認するのにも役立ったが。

 エンリは自分で馬車を走らせることも出来るが、もちろん今は小鬼(ゴブリン)兵の御者に操ってもらっている。

 小鬼軍師は狼に乗りつつ馬車のやや前の位置を進む。馬車の脇へは死の騎士(デス・ナイト)や最精鋭のレッドキャップスが付き、守りをガッチリと固めていた。

 捕虜役のアルシェだが、流石にエンリの馬車へ同乗させられないので、すぐ後ろへ続く荷馬車に護衛の小鬼(ゴブリン)2体と乗って貰っている。なお、ハムスケは重いので荷馬車ではなく隊列先頭付近で自ら歩いていた……。

 エンリ一行の移動初日は、帝都から1時間程移動し昼食休憩を2時間取ると再度動き出し、午後5時過ぎには帝国騎士団側から指示された野営予定地へと到着する。

 ここは帝都から20キロ程進んだエ・ランテルへ至る大街道沿いの草原。秋には毎年草が刈られて、傍の村の収穫祭が開かれる平らな場所である。そこの草が今朝から急遽刈られたのだろう、結構地面の見える状態に変わっていた。

 先導していた帝国騎士隊の隊長が、顔を強張らせつつエンリへと伝えて来る。

 

「本日はこちらの場での御滞在をと、政府中央より聞いております」

「分かりました、ご苦労様です」

 

 帝国騎士達は少し離れた場所で野営をすると聞く。気を遣ったとも思えるが、彼等にすれば領土内へ侵入している形の亜人達となれ合う気もないのは道理。

 エンリは、騎士らの背を見送ると小鬼(ゴブリン)軍団の将軍として馬車内から告げる。

 

「では皆さん、野営の準備をお願いします」

「ははっ、閣下。ささ、全員直ちに作業を開始するのです。まず馬車から陣幕を下ろし中央へ。重装甲歩兵団より外周へ展開。長弓兵団も続いて動くのですぞ、ほっほっほ」

 

 小鬼軍師が閣下の指示を受け、すぐに簡易陣と陣幕の展開を指揮し、全軍が(ようや)く落ち着くこうとしていたその時。

 陣幕内の準備完了待ちで、まだ馬車内に一人座っていたエンリの思考で例の変わった音が鳴り、続いて――聞き覚えのある()()()()が響く。

 

『エンリ、聞こえていますか? 守護者統括のアルベドです』

「――っ(旦那様じゃない)!? はい。聞こえています、アルベド様」

 

 エンリは緊張し、一瞬その場で固まる。

 魔法の〈伝言(メッセージ)〉について、一般的な伝承を聞きつつも旦那(アインズ)様からの通話で信用が増していた。

 だがここで、旦那様以外からも連絡が来ることに改めて気付く。一応音声は鮮明のため、情報として大丈夫と考えられる。伝承では随分聞き取りにくいという話で伝わっていたから。

 とはいえ、今回の相手は階層守護者統括様であった。

 大宴会で大勢の中、挨拶をしたが、1対1の直接通話は初めてだ。

 

 ――栄光あるナザリック地下大墳墓における不動のNo.2、アルベド。

 

 彼女について、エンリはそういえばまだ詳しく知らないと思い出す。それはマズイ事だとも。

 これまでは何かとキョウや戦闘メイド達が間に入っていてくれており、矢面に立つのは今回が初と言っていい。

 エンリにとっては圧倒的に格上の相手であり、思わず手に汗が出てきていた。

 不思議と旦那(アインズ)様には、そういった心情を抱いたことはない。傍にいればとても安心出来て落ち着ける……そんな存在なのだ。

 エンリからの返事を受けアルベドが用件を伝える。

 

『あなたの率いる小鬼(ゴブリン)の軍団について、アインズ様から定住地や食料関連などの便宜を図るようにと指示を受けています。こちらで少し検討した結果――』

 

 エンリは旦那様から昨晩の通話において、確かに『移動が始まる段階で指示』と聞いていたが、5000体もの数に対して昨日の今日である。

 本当に何とかなるのだと、感動しながら少女は続く話へ耳を傾けた。

 

『――カルネ村へは連絡要員と貴方の護衛にまず新軍団から少数を置き、残りは本拠地としてトブの大森林南部の水源の確保出来る地区を伐採して土地を確保しつつ、木々を〈乾燥(ドライ)〉後に主材として建物を建設する形で進めます。細かい位置については森の入口へ周辺警備担当のエントマか、フランチェスカを向かせる予定なので心配無用です。ただし諸々の協力の対価として、労働力を提供してもらいます。近々()()ナザリックの地上首都として小都市の建設が始まります。その手伝いをお願いすることになります。いいですね?』

 

 エンリは聞き逃さない。アルベドの伝えてきた『我々』という言葉を。

 一員として――支配者から臨時とはいえ将軍の役職を頂いている身である、否はない。

 将軍少女は馬車で座りつつも背筋を正すと元気に即答する。

 

『はいっ。わたくしエンリ以下、アインズ様とナザリックへ全員喜んで協力いたしますっ』

「そう」

 

 その迷いの無い即答を受けて、第九階層の統合管制室にいるアルベドは――満足する。

 「お妃さま?」と言ってくれた可愛いネムの姉とはいえ、エンリは人間である。

 至高の御方は「大丈夫だ」と言っていたが個人的には、正直なところ多少不安を持っていたのが事実。

 そんな少女の様子を望遠の『遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)』と対応面から見ていたが、不快に思える態度は確かに皆無。

 迷いなく真摯に至高の御方への協力を伝える様子は、正にナザリックの一員が見せるべき姿である。

 今回帝国での件もエンリの対処は指揮官として及第点であり、アインズ様の選択と眼力は流石だと目を僅かに閉じ喜ぶ。

 

 

 ただ、この者(エンリ)はアインズ様と仲の良い点が()()()気になる。

 

 

 すでに厚さを増し始めた極秘の『アインズ様女性関係報告目録大全』において、エンリは仲睦まじい雰囲気に加えて数度添い寝に留まるが、御方と閨を共にしているという詳細報告も確認している。統括には何とも羨ましい限り。

 守護者達でも、マーレがデートの晩に多くの時間を抱っこされて過ごしたぐらいで、アルベド自身すらまだないというのにだ。

 

(この際、一晩中抱っこでもいいわ。まずは抱き枕と同様、尊き(あるじ)の温もりが重要ですっ)

 

 彼女の中へ、御方との一夜の強いふれあい希望の想いが浮かぶ。

 アルベドの想い出としては、初日玉座の間での二人きりの熱いモミモミを頂点とし、式典時に大勢の面前でしっかりと抱き締めてもらったのとお姫様抱っこ。後は……会議中に強く押し倒して馬乗りさせて頂いて、急遽第五階層の姉の下へ2日も『自主休養』なる厳しい罰を受けるも見舞いの折、御方の膝枕とナデを堪能……というぐらいしか……。

 現在、お(きさき)候補のライバルは、シャルティア達守護者勢だと見ている。

 だが連日ご寵愛される対象は、もしかすると別ということも十分ありえる。アルベドとしては、そちらも捨てがたい。なんといっても御子をゲット出来る可能性がグッと高まるのだ。

 

 御子のゲットは、未来の第一(きさき)としての最重要課題であるっ。

 

 もはやアルベドとしては『婚前でも特に構わないのでは?』と、金色の瞳の奥をギラギラと輝かせて考えている始末。

 良い機会なのでアルベドは、人間のエンリへと核心に迫る問いを放つ。

 

「あの、話は変わって唐突だけれどエンリ……あなたはアインズ様と数回夜を共にしているけれど、どうやって寝所へ誘ったのかしら?」

 

 直前まで、小鬼(ゴブリン)の軍団とナザリックの一大事業への協力という、大規模な内容で語られていたものがいきなり夜の色物へ変わり、問われた側のエンリは目を大きく開く。

 

「(えっ?)……」

 

 実に突飛すぎる内容と思えた。

 しかし先日地下大墳墓内で会った美し過ぎるアルベドは、栄光あるナザリックの絶対的支配者のお(きさき)候補において先頭にいるのは容易にエンリでも思いつく。

 まあ、共に会ったアルベドの姉ニグレドや妹のルベド、それにキョウやプレアデス達も全員が途轍もない美人達であったのだけれど。

 そういった方々を差し置いて、村娘の自分があの御方と数回寝所を共にした事で、問題になったのかもしれないとエンリはブルリと震える。

 

(うわぁ、ど、どうしよう)

 

 アルベドは『遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)』ごしで、驚き困った風のエンリの様子に言葉を加える。御方への重要な手掛かり入手へ平静さを必死に保ちながら。

 

『ああ、別にあなたを責めている訳ではないの。誤解しないでね。ただ――どうお誘いしたのかと()()()()()()()()()気になったのよ』

「そ、そうですか」

 

 エンリは、取り敢えず落ち着く。アルベドの声へ圧力や厳しさは込められていなかったためだ。

 少女から見て、アルベド程の大人の女性には余裕があるのだと感じてもオカシクはない。

 対してアルベドは『ちょっと』を強調しすぎたかもと内心焦っていた。

 だがエンリは安心の方が大きかった様子で素直に答える。

 

「それは――眠くなったネムが、一緒に寝て頂けるように頼んだからだと思います」

『……(なるほど。人間は寝るし、配下で子供なら自然で誘いやすい……お優しいアインズ様は確かに快くお受けになるでしょうね)そう、よく分かったわ。さて、もし集落建設や何かあれば知らせなさい。()()対応しますから』

 

 アルベドとして、礼ではないがネムの姉でもあるし、役に立つ者を助けるのは当然である。

 ネム繋がりだがエンリに対しても、幸運な統括からの味方ランプが点灯した。

 新参のナザリックの一員としてこれは非常に大きい。No.2を正面から敵に回せるのは守護者級達ぐらいなのだから。

 

「ありがとうございます。あ、でも私はこの連絡用の魔法を使えません」

「あら? 確かそちらに居るハムスケに巻物(スクロール)で幾つか〈伝言(メッセージ)〉を持たせていると聞いています。それをお使いなさい」

 

 ハムスケは殿からエンリへの報告を忘れていた……制服は尾に結んでいたので手渡せたが。

 エンリは後で『森の賢王』本人に聞いてみるとして、アルベドへ伝える。

 

「分かりました。必要の際にはその様にいたします」

「ではね、エンリ。頑張りなさい」

 

 少女の言葉と姿に満足すると、アルベドは通話を終えた。

 守護者統括には、すぐに『作戦』を考える時間が欲しかったのだ。

 

 もちろんアインズを、甘い甘い寝所へ招くという新秘策についてである。

 

 アルベドは立ち上がると、統合管制室内の一角で腰の黒い翼を盛んにパタパタ動かし、そわそわとした雰囲気で行ったり来たりしながら考えを巡らせ始める。

 彼女の普段の冷静さも、恋のパズルを解くには中々大変でどこへやらの様子。

 

(眠ることの出来る人間の子供よ、子供……でもネムはマズいわね。ナザリックの中に居るのは余りに不自然ですもの)

 

 よく考えると、カルネ村ぐらいにしかナザリック関係で人間の子供はいない。

 でも誰でも良いという訳ではない。

 判断を一歩間違えると、絶対的支配者の逆鱗に触れてしまう可能性をアルベドは十分理解している。

 重要なのは、(あるじ)がその子供を『可愛い』と思っている事が必要という点である。ここの難易度がかなり高そうに思えた。

 

(アインズ様は私達配下にはとてもお優しい。でもその列に加わるのは容易ではないのよ)

 

 守護者統括は立ち止まり一言呟く。

 

「……ダメね。この手は、機会を待つしかないのかも」

 

 もしそういった子供を意図的にアルベドが都合よく用意したという事が、至高の御方へ伝わった場合、取り返しのつかない事態になると統括の思考は至った。

 アルベドの表情は大いに落胆気味へと変わる。

 

 

 だが、意外に駒は遠方でもう揃っていたりする。

 

 

 どうやら評議国に居る幼い少女(ミヤ)の心配は全く不用の様である。

 そのあと、ハムスケは人気(ひとけ)のない場所で将軍としてのエンリに少し叱られていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉したアインズをはじめ、一行がニセの商人名を名乗り、通された応接室で待たされていた頃――。

 

「ブヒッ! 何ぃ、客人はドレティプフ氏本人ではないだとぉ?」

 

 アーグランド評議国中央評議会で派閥の重鎮が付ける『三ツ星』の評議員バッジ。それを、派手な黄の腰帯で橙っぽい暖色系の文人風衣装の胸元に光らせる雄の豚鬼(オーク)が、表情を訝し気にしつつ恰幅のいい姿で振り向きながら、足早に部屋へ入って客人の事を告げて来た使用人へと言葉をぶつける。

 目立つ彼こそ、アインズの懐柔相手であるコザックト・ゲイリング評議員。

 ここは評議国中央都にあるゲイリング所有の広大な滞在屋敷の自室である。

 ゲイリング家は代々商人で豚鬼(オーク)の中の一大部族の長を務めている。先々代が財力で評議員へ加わってから、政界の中でも経済力を背景に商売を交渉・協力方面へ活用し勢力を地道に伸ばしていた。そして、当代のコザックトが23年前から『三ツ星』評議員となり、現在評議員の中立派で最も幅を利かせる立場にまでのし上がって来ている。

 とは言え、彼自身2メートル程の大柄で難度も140程度あり、評議国でも十分上位に入る強さを持っていればこそではある。

 ゲイリングは先程、来客者が相互に裏取引もする『カデロイオザ商会』所属であり、面識はないがドレティプフを名乗る人物からの用件で『南方にある国への人間奴隷輸出計画による大口買付依頼』と聞いていた、今後隣国から余るほど手に入るはずの『品』を巨利へと頭で結びつけ「ブヒッブヒッ」っと下品な笑いを漏らし着替えていたのだ。

 その雲行きが少々怪しい。だが欲深い彼は、知らせて来た雄の豚鬼(オーク)で緑系の服を着た使用人に問う。

 

「――その者の身形(みなり)はどうだ? 良い物を着ていなかったか」

「はい。とても身綺麗で、ローブ下から僅かに覗いた装備も大変良い物に見えましたが」

「ふーむ」

 

 これも重要な判断材料の一つ。

 『カデロイオザ商会』の証を持っていたことで多少信用しかけており、親族やドレティプフ氏の紹介で裏取引に来ている可能性を考えたのだ。

 ゲイリングには余裕がある。既に『ゲイリング大商会』系列はアーグランド評議国の全経済圏の3割を優に超える財閥。また、中立派に留まらず、交戦派、保守派にもかなり食い込んでおり国内で敵対する者は限られていた。

 永久評議員達……あの最上にいる白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)すらも、評議国経済への影響を考えればゲイリング家へ好きに手出し出来ないはずと、この豚鬼(オーク)の評議員は考えている。

 また、少なくない盗賊や暗殺らしき攻撃者達を討ち果たしてもきた。

 ゲイリング家配下のお抱え護衛団は総勢76名。実に全員が難度70以上の闘士級。特に上の隊長達3名は全て難度150を超える猛者ぞろいでもあった。3名の中でも護衛団団長は難度200をも超えている。

 それらを少し考慮すれば万一の不安も小さい。

 考えれば考える程、待つ客人へ対して、大規模商会所属とはいえ一介の商人が自分へ喧嘩を売るために、こうして正面切って訪問してくるとは考えにくいのだ。

 これは秘密の取引が目的のはずだと、彼の商売の本能が囁く。

 ゲイリングは最後の確認をする。

 

「客の者と、従者風の4名の強さは?」

「私の見立てでは、偽名を語った者は難度で60程、従者らは難度でいずれも120程ではと」

「む、中々腕の立つ者らを連れているな、ブヒッ。――だが問題なかろう。団長と隊長らだけを同行させる。一応、一隊を隣室に伏せておけ」

「では、そのように」

 

 使用人は足早に下がって行くと、2分もしない内に護衛団を率いる3名の隊長がゲイリングの元へ現れた。

 彼等の風貌(ふうぼう)は、まず紅黒の毛並みで茶色調の服と銀色鎧のミノタウロスに、横を歩く灰紫色の胸当てが目立つ戦士風の豚鬼(オーク)、そして二体の後ろを歩く肩当てのある身軽そうな漆黒の鎧を上半身へ付ける鷲頭で翼を持つ鳥人(バードマン)アーラコクラだ。

 前二体の空けた間を鳥間接の足で歩を進め抜け、前へ出た団長の鳥人が主人へ声を掛ける。

 

「お呼びにより我ら三隊長、参上した」

「ブヒッ。団長は非番のところ、手間を掛ける」

「いや、構わない。我々の仕事は常に油断があってはならない。今日は既に昼から4時間程ゆっくりさせてもらった」

「まあ、団長の出番は全然ないだろうがなっ」

 

 団長の後ろに立つ、身の丈3メートルに届く巨体と巨剣を背に差す隊長の一人であるミノタウロスが太い声で囁いた。

 

「確かになぁ」

 

 それへ相槌を打つもう一人の隊長である腰に2本の剣を()く戦士装備の豚鬼(オーク)。この者はゲイリング家の率いる部族最強の戦士でもある。

 族長ゲイリングの身内的立場でもあり、評議員の屋敷で特にデカイ顔をしている。ゲイリングの娘を狙っているのは誰の目にも明らかだったが、意外にも袖にされていた……。

 団長は、少し緩みの見える後ろの部下へ、向ける横顔から鋭い視線を送ると告げる。

 

「常に油断はするな」

 

 真面目に指導する団長であった。

 彼は死と隣り合わせの厳しい鍛錬を積んだ修業時代の少年期からすでに師匠以上の実力を開花させ、14歳で表舞台へ出てからは闘士として一度も負けたことがない。

 だがそんな彼も、師以外で長年尊敬する者がいる。

 その内の1体が先日この館を訪れていた交戦派評議員で竜種のビルデバルドだ。

 主のゲイリングにも「絶対に過度の刺激はしないように」と彼女の母や姉を(けな)す事は決して無いよう進言していた。何が起こるか分からないと。

 竜王の妹の100年前から伝わる武勇伝に加え、実際にその隠しても漂う圧倒的闘気の風格を見る事ができ感動と同時に、当代生れの評議国の(ゆう)が直感する。

 

(闘ったり鍛錬を全くしなくても、強いモノは元から圧倒的に強い……強すぎる)

 

 彼女へは、武技や体術で何をしても負けるだろうと確信していた。

 そういう真の強者を知り、水準に届くだろう団長の鋭い視線に気付き、気丈な荒くれ戦士も従う。

 

「分かってる、分かってるよ」

 

 流石の豚鬼(オーク)の戦士もこの団長は怖い。

 武技を全開にした団長は無敵だと思っているぐらいだ。

 実際、どれほど不利な修羅場でも――あの8年前の最悪の暗殺計画を受けた中、敵が90名を超えて不意に襲ってきた乱戦時も、団長が先頭へ立って見事に突破してきた。その時、難度100から140の猛者6人が主人(ゲイリング)へと同時に襲って来た際、豚鬼(オーク)の戦士とミノタウロスが一人ずつ抑えるので手一杯の窮地に、たった一人で4人を引き受け全員倒してしまうほどの実力と勇気を持っている。

 そんな団長ほどの戦士が悪徳のゲイリングへ従うのには、いくつか理由がある。

 元々ゲイリング家が、師匠の門下の兄弟子の闘士らを厚遇しており、師匠へも長年援助をしている事実がある。

 そしてコザックトは非道で悪徳だが――

 

 相手がどれほど邪魔でも暗殺や武力という手は決して使わなかった点だ。

 

 あくまでも交渉や経済力で相手を屈服させた。そして、使える者は味方に組み入れ厚遇する度量があった。

 そうでなければ、一国の経済圏の3割を超えて勢力を維持拡大するのは難しい。

 引き抜き寝返りなどは必ずあるが、それでも再度策を使い経済力で相手を押しつぶすのだ。裏切る程の覇気の有る者が真の仲間になれば、より経済圏の戦力になるとして。

 抑止力として護衛団を持つが、商会拡大においてゲイリングの非武力は徹底しており、先のような暗殺計画を受けたとしても、対抗勢力へ武力での反撃は一切しなかった。

 彼が行なった報復は――他の商人らと連合し徹底した経済制裁である。

 実に4年にも及び結局、暗殺計画を実行した大商会は、系列も総破産し完全に解散した……。

 これは名うての商人としてある意味、一瞬で殺されるよりも地獄である。

 数多(あまた)の過去の実績がある故に団長達のやり取りを見ながら今日も、ゲイリング評議員は余裕のある態度で右人差し指を立てながら、護衛団隊長達へ伝える。

 

「客人との商談で何が出るか楽しみだな、ブヒッ。守りは頼むぞ」

 

 頷く団長らを率いて主人(ゲイリング)を先頭に部屋を出ると、彼等は応接室へと向かった。

 

 

 

 客の待つ場へ廊下を進むホスト役であるゲイリングは、偽名の件についてどう切り出すかを少し考えていた。

 

(まあ、相手を直接見てから判断するか。こちらに選ぶ権利があるのだしな)

 

 弱みを握った優位に立つ者の、強く出られる力も持つ側の考えを巡らせる。

 客人から用件と取り分の詳細を聞いた上で『ゲイリング大商会』の圧力で有利に持ち込み、最後は『偽名』を引き合いに出して『相手利益』のほぼ丸取りが狙いだ。その機と相手の落ち込む顔を思い浮かべて彼はほくそ笑む。

 駆け引きは商人として最高の醍醐味でもあるのだ。

 

「(これだから、商人は止められんて……)ブヒッ、ブヒッ」

 

 思わずゲイリング評議員は、下品な『絶好調時の鳴き』が出ていた。

 そうして間もなく応接室入口前への主人登場に、廊下へ立つ使用人らが大扉を開いていく。

 ゲイリングらの視覚域に、広い室内空間の中央へ立っていた客人ら5体が映り()る。

 

 その瞬間――ゲイリングの半歩後ろに付いていた団長は、震える。

 

 使用人から伝え聞いた話で従者全員は赤身の体の小鬼(ゴブリン)であり、それらが難度でおおよそ120程度と。

 そして謎の客人は、難度で60ぐらいという獣人ぽい雌だと。

 だが客人の所作から漂う力量は、鳥人アーラコクラの団長自身の素体水準すら上回るものを刹那で見て取れた。

 彼は護衛人として一瞬での判断を余儀なくされる。

 

(もし、これが暗殺者であれば先制攻撃を掛けない場合――ゲイリング氏はヤラれる)

 

 団長には商談も何もない。唯一主人を護りきる事が仕事なのだ。

 それに……これほどの使い手が、商人の訳がない。

 近年、難度で200以上の商人が居るなどと評議国内では聞いた事がないからだ。

 油断無き団長は即、決断し動く。

 

()()()全員へ一撃を加え、身体を破壊し即時戦闘不能にする――)

 

 団長のアーラコクラは、たちまち脅威の武技により劇的な速さの『一歩』を踏み出していた。

 それは、あの不動から距離を一瞬で詰める〈縮地〉をも越える『極限の一歩で達する』という幻の武技〈歩達(ほだち)〉。転移系を思わせるほどの超高速移動技だ。

 彼は、いきなり客人の眼前に肉薄した。

 また〈歩達(ほだち)〉には『一歩』があるため、その余りに鋭い踏み込みの震脚から生み出された超高威力の乗ったナイキ(内気)の上位打撃系技〈粉砕虎撃〉……先日、セバスがゴーレムを軽く粉々に打ち砕いたのと同じ攻撃が、客人の腹部へとめがけ飛んでいく――。

 

 

 

 鳥人(バードマン)の雷光の如き動きは、護衛のLv.43のレッドキャップスには捉えきれなかった。

 

(なにぃー、一旦は会って話をするんじゃないのかよっ!?)

 

 絶対的支配者(アインズ)はマスター・アサシンの特殊技術(スキル)で盗聴していたキョウの報告を〈伝言(メッセージ)〉で聞いてそう思っていたが、話が違う眼前の展開に内心混乱した。

 それでも、完全不可知化中のアインズと客人の振りをして佇むキョウには、アーラコクラの動きが()()()いた。

 ただキョウは、反応が僅かに遅れてしまう……。

 それをアインズは咄嗟に彼女の肩を掴んで半歩強、体を後退させる。攻撃技は打点がずれれば攻撃力が大きく落ちるのだ。

 ところが相手の鳥人は更に『一歩』を踏み出し、逆の腕で同じ〈粉砕虎撃〉を叩き込んで来た。

 敵側戦士のこの瞬時の攻撃対応動作にアインズも思わず唸る。

 

(こいつまさか、左右で同じ技が使える達人なのかっ)

 

 ユグドラシルにおいて普通、こういった打撃系は利き腕側の技として登録されている場合が多かったのだ。左右で同じ技を真に使いこなせる者は本当に少なかった。

 鳥人が追加の一歩を踏み込んだことで、キョウへの攻撃がモロに腹部へ命中するのはもう避けられない。

 

 でも――――当たらなかった。

 

 支配者が咄嗟で〈時間停止〉の「タイムス」まで言い掛けた時に『一陣の風』が吹いたのだ。

 圧倒的優位で攻めていた鳥人は、逆に何か強烈な衝撃を受けアインズ達の傍から吹っ飛び、応接室の分厚い壁を紙の如く突き抜け、この部屋から瞬時に退場していった……。

 

 

 

 はじめに踏み込んだ際、団長には謎の客人があの〈歩達(ほだち)〉に反応し一歩分下がった様に見えた。

 だから彼は、強敵へ容赦なく〈歩達(ほだち)〉であと一歩踏み込んだ。

 そして逆側の腕を使い最高のタイミングで攻撃を当てに行き、一撃を放った。

 超高速で放ったはずであった。

 

 ところがその〈剛腕剛擊〉をも含む拳は、膨大な威力ごと何者かに『掴まれて』いた……。

 

 鳥人らしく全身に鳥肌――というか強烈な寒気が走って行く。正に死が拳を伝わり這い上って来る感覚。

 彼にとってその体験した事のない強い掴む力は『不動の壁』や『時が止まった』という表現が適切だろう。

 それらに加え、団長が最も驚愕したのは武技〈能力向上〉〈疾風走破〉や〈超回避〉も発動した自慢の自身の動きよりも、相手の接近や動作の方がずっと速かったという事実。

 

(――っ!? アリエナィ――――)

 

 彼は能力を上げた体から放つ武技〈歩達(ほだち)〉が最速だと思っていた。

 でも今、何か白い物が一瞬見えた気がした瞬間、〈要塞〉で強化した団長の胸部が漆黒の鎧ごと陥没する脅威的威力の衝撃を受け、胸の部分でくの字に折れる感じで気が付けば建物の壁や上階の床や天井等を6枚以上突き破り邸宅の外、さらに敷地外の道まで飛ばされ彼は転がっていた……。

 

「ガ、ガハッ……」

 

 団長は血反吐を派手に口から噴くと、一撃で気を失った。

 

 

 

「ブヒッ、一体何が起こったのだっ? 隊長らよ、団長は!?」

「今、凄い勢いで何かが部屋の壁から飛び出ていったように見えたが」

「……あの団長がいない……って、えっ?!」

 

 物凄い衝撃音と共に破片も室内へ舞い、ゲイリングをはじめ、主人の後ろから前へ出て身構え護りに付く残った二人の護衛隊長達と、応接室内にいた使用人らも状況に狼狽する。

 面前に立つ客人らからの攻撃らしきものを受けたのだから、当たり前の反応と言える。しかも行方不明なのが、このアーグランド評議国でも有数の使い手の団長であり無理もないだろう。

 コレらを成したのは語るまでもないが、ルベドだ。

 何と言っても、()()()()を護るのは彼女の絶対正義である。

 「――成敗」と、そんな『正義執行』完了の声が、アインズの耳元で微々に流れたような気もする。彼女はさっさと目的を果たすと、とっくにこの場より消え去っていた……。

 でも、残された者達は―――目の前の状況にアインズは内心でしばし途方に暮れる。

 

(ちょ! またルベドめっ。気持ちは分かるけど、どうすんだよ、コレっ)

 

 全く交渉へ結び付きそうに思えないこの惨劇の情景にキョウすら一瞬、『どうしましょうか?』という目を主側へ向けて来ていた。

 アインズ自身も少し『ナザリックへ帰るか』的心境になるが、そうもいかない。

 ()()が今も見ている。

 極限の天使(ルベド)は後先を考えない、そして場所も選ばない。我を失った姉アルベドとソックリ。

 ルベドは敵左側から左手で相手の左拳を掴み、右手に出して握る聖剣シュトレト・ペインの柄部を敵胸元へ斜め上方に打ち出す形で打撃を放っていた。ここで特筆すべきは〈転移(テレポーテーション)〉からの流れ。〈転移〉は希望するドンピシャの位置へは99.9%出現しない。いつも僅かにズレて周辺になるのだ。ルベドはそこから〈歩達(ほだち)〉を上回る速度で敵の鳥人へと接近し間合いへ入り込み攻撃していた。

 正に今未明、アインズへ鯖折り(サバオリ)体勢に移行したワールドチャンピオン級の近接戦闘速度を再度見せたのだ。

 なので幸い、余りの速さでアインズとキョウ以外の者達には、視覚へ僅かに白い霧のような錯覚的雰囲気を残し鳥人アーラコクラが勝手に飛んで行った風に見えていた。その直後に壁面の破片が飛んで混じり、もはや気にするものは皆無。

 派手な橙色衣装のゲイリングを中心に狼狽(うろた)える彼等を含め周囲の混乱は続く。隣室からは、控えていた護衛団の一隊20余体までが場へと出てき始める。

 

 

 絶対的支配者はふと、まだ―――イケると思った。

 

 

 すでにこれまで何度かギリギリの窮地を潜り抜け、経験を積んでいた彼には自然と理解出来た。それは理屈ではなく感覚。

 今の驚愕が支配する周囲の雰囲気を利用しない手はないと。

 また、先に手を出して来たのはゲイリング側なのだ。優位に立てるはずである。

 アインズは間を置くことなく一つの行動に出た。〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉をここで解いたのだ。

 意表を突いて場へ登場すると重々しい声に加え、敢えて涼しい雰囲気の語り調で室内へ告げる。

 

「突然失礼する。私はアインズ・ウール・ゴウン。アインズと呼んでもらっても構わない。私をはじめ、我々は強い。御覧の通り敵対すれば、先の者の様に余計な()()をする事になるぞ」

 

 こうして至高の支配者は、どう見ても団長を吹っ飛ばし応接室の壁を破壊する闘いをしたのが、目の前に現れた者だろうと思わせる盛大なブラフ効果を演出し最大利用した。

 ただ怪我というのは本当の話だ。鳥人(バードマン)はまだ死んでいない。ユグドラシルの知識があれば常識的な事である。

 ルベドがいくら強いといっても先程は『単なる一撃の強打』に過ぎず、Lv.70にもなれば超位魔法や即死等の特殊攻撃以外でHPがいきなりゼロにはまずならない。

 まあ一気に7割程のライフゲージが削れて、瀕死に近い事は間違いないだろうが。

 突然の新たな謎の来訪者の登場と言葉に対し、ゲイリング側応接室内勢は一時鎮まり固まった。

 現れた者は顔へ仮面を付け、白金や大玉の紅玉など高級感のある見事な装備に漆黒のローブを纏う敵対者(エネミー)。身長は標準的な(オス)獣人(ビーストマン)らよりも二回りは小さいサイズで、マーマン系達に近いぐらいに見える。腕にも高級さの滲むガントレットを付けており、腕の毛並み等で判別は出来ない。

 国家最高峰の闘士の一人が眼前で消え去り、雌の客人らが団長への攻撃者と思いきや、更に想定外の新規出現者である。

 対応について護衛隊の者らが再びざわつく中、屋敷の主人であるゲイリング自身が言葉を慎重に選び要点を尋ねる。

 

「ぉ(お前ではマズいか)ブヒッ、……アインズ……殿。貴方は、横に並ぶ来客者らの代表なのか? また目的はなにか?」

 

(お、ちゃんと名前で返して来たなぁ。でも、ブヒッって……まあ豚か)

 

 経験上、アインズとして『名前で呼ばれるか』はかなり評価ポイントの差が出る部分だ。彼の仮面顔がふむふむと値踏みするように揺れる。しかし、ここで丁寧な言葉を使うと足元を見られるだろうと考え、強気に語る。

 

「そうだ。今はまだ()()()()敢えて――旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)として振る舞っているがな。あと質問された我々の本日の目的だが――今、隣国へ攻め込んでいる竜王軍団が苦戦した場合に、即刻国内へ撤退させて欲しいのだ」

「なにっ」

 

 謎の出現者からの嫌な内容に、ゲイリングはピクリと反応する。これから大儲けの『品』集めが始まる矢先に、それ自体を中止しろというのだ。

 本来なら飲めない話というか、聞く耳を持たず門前払いにするものである。

 しかし、目の前の者達の力は噂やまやかしなどではなく既に見せ付けられてしまっていた。

 ゲイリングは極端に不利な状況へイラつき、腕を小刻みに震わせるが反論もせず押し黙る。今はまだ続くだろう相手の語りを、ひとまず無言で聞き続ける他ないと。

 何か譲歩や駆け引きに持ち込め、付け入る部分がある言葉を懸命に期待して……。

 そんな必死の相手をそれ程気にする風もなく絶対的支配者の発言は進む。

 

「ふっ、難しい事ではあるまい? 貴殿の居る派閥と他派へも経済的影響力を行使すれば可能なはずだ。これは本日攻撃を先に受けた我々からの強い要求だと思って貰いたい。――万が一にも拒否すれば、相応の代償を払う事になるだろう。御覧のように我々は貴殿らの想像を絶する力を行使することが可能だ。また本来、平和的に今日の交渉をする為に、ゲイリング家や貴殿にまつわる()()()ゴシップも随分集めさせてもらっている。金、賭け事、(メス)関係……詳しく知りたいかな?」

 

 『三ツ星』の評議員は全く聞きたくなかった。彼の首と眼は左右へと泳ぐ。

 これだけの隠密性と武力を有しながら、その前段階で『平和的に交渉する為』に集められた内容だという。恐らくそれらは、ゲイリング家や大商会に()()()()()()事実に思われた。

 屋敷の主人はこの目の前の者達が一体『何者か』ということを考えていた。おそらく、大商会の対抗勢力が放って来た強力な交渉者と当たりを付ける。

 また内部の裏切りもあるのか、昨日の竜王妹ビルデバルドとの交渉前準備の動きを嗅ぎつけ、『ゲイリング大商会』の扱う奴隷市場での巨利や影響力へ大きな打撃を考えた連中。つまり奴隷の増加により相場が下がることで大被害を被る、奴隷市場に比重を置く大商会達や系列が怪しいのではと結論を出した。

 奴隷市場の商会達は、多くが評議国の闇と深く繋がっており荒っぽい連中なのだ。

 ゲイリングは『かなり厄介な』と目を細める。

 また表の商売というものは、「大衆の心理――評判」という部分を絶対に無視できない。

 『ゲイリング大商会』の所有者は、謎の出現者アインズのゴシップという言葉を強く恐れた。

 事実、キョウの調べた項目は強烈だ。

 (ゲイリング)の商人としての裏の闇側面で、中でも『商品品質のごまかし・水増し』、『全国規模の“評議国武道大会”の八百長』、『贋金の鋳造』は、流石に民衆達から総スカンをくらって大商会は大きく傾くはずである。

 評議員としての裏でもえげつない。特に『評議員団圧力と談合によって公共事業の多くを独占』や『同じ豚鬼(オーク)族の別評議員の協力誘導に関し、その妻ら数名との不倫、隠し子も』では、相手から直筆の熱烈な手紙等も小都市サルバレの自宅などから幾つか押収している。

 いずれも確実に、世間を使いゲイリングのトドめをさせるだろうとアインズは確信していた。

 非道で悪徳に相応しい豚のゲス野郎である。

 

 しかし――旅の魔法詠唱者(アインズ)は今回、ゲイリングを追い落とすのが目的ではない。

 

 逆に『竜王軍団の撤退』を実現してもらう為、評議会内でデカい顔のまま今後も居座り続けてもらわないと困る存在。

 あくまでも評議員の懐柔が目的だ。

 正直、今次の竜王軍団との大戦で王国内のプレイヤーが見つかり、竜王が評議国内へ引っ込めばそのあとゲイリングが奴隷売買で大儲けしようが、ドロドロの不倫を続けようが、再度王国へ別軍団で攻め込もうがどうでもいいとすら思っている。

 一方、謎の出現者のそういう意味を込める話と知るはずもなく、聞いたゲイリングは飲める内容では無いとし、ならばと悪徳商人らしい懐柔策を試みる。

 

「ブヒッ。 ――アインズ殿は、今回の仕事を幾らで引き受けたのですかな? こちら側へ寝返れば、5倍……いや10倍出しますが、どうです」

 

 ゲイリングは、これだけの大仕事と実力を考慮すれば、敵の商会連中は目の前の交渉者達へ成功報酬として破格の額……金数万粒を約束しているとみた。

 だがゲイリング側へ今後湧く大量の奴隷利益を考えれば、金の粒で何百万は儲かるはずである。

 ゴウンというこの旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の者らへ今、金数十万粒出しても十分と考えたのだ。あとゴシップ情報は広がれば価値が霧散する為、敵商会側へはまだ渡ってないとも確信している。

 評議員は、これで全て上手くいくと思考の算術器を弾いていた。

 ところがゲイリングの確信的思惑はあっさりと崩れ去る。

 アインズは悪徳豚からの懐柔案を一蹴しつつ淡々と回答していく。

 

「どうやらゲイリング殿は考え違いをしている。私は誰かの使いで来ている訳ではない。私の意思として竜王軍団の苦戦時に際し撤退の要求をしている。これが金銭等で変更されることはない」

「――っ(竜王の軍団撤退が実行されて、こいつらに一体何の利点があるんだ……)!?」

 

 評議国内中心で全思考するゲイリングには理解不能であった。

 行動する場合、目的や利点があるはずなのだ。

 強いてあげれば旅の魔法詠唱者が、個人的に『ゲイリング大商会』の拡大を望まないか、竜王軍団の国外進出や勢力拡大を望まないぐらいではと思える。もはや遺恨的という水準だ。

 

(でも、そうかもしれん)

 

 物事に計算や理屈ではないことなどザラにある。

 経験豊富な商売人としてゲイリングは大きい決断を迫られた。

 だがまずゴシップ情報だけでも、今の大商会へ大損失が出ると予想される。奴隷市場で莫大に稼げる可能性は捨てがたいが、屋台骨そのものを犠牲には出来ない。

 屋敷の主は、顔と視線を落としていく。彼の答えはもう見えていた。

 弱気が透ける評議員の様子を窺うアインズが、ここで意外な事を告げる。

 

「そちらの返事は明日の朝10時に、改めてこの場で聞かせてもらうとしましょうか。今日は顔見せで来たに過ぎないのでね」

 

 一応の理由にもゲイリングはナゼという表情で顔を上げる。結論はもう出掛けていたのだ。

 これには傍に居たキョウも同様の表情を(あるじ)へと向けていた。

 一瞬、アインズはキョウへと顔を向けるが、ここで話す内容ではないので元へと戻す。

 選択肢の無い屋敷の主は、アインズへ屈辱的思いで伝える。

 

「………明日の件、了解した」

 

 その答えを聞いて、絶対的支配者は退去の意思と一つの警告を返す。

 

「では、我々はこれで失礼する。私はこの場で消えるが()()()()()。横の者らについて出口まで案内を頼む。ああ、そうそう――くれぐれも我々の事は内密で詮索はしないことだ」

 

 そう告げると「〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉」と小さく呟いたアインズの姿は、皆の見つめる中で忽然と消滅した。

 視覚を含め存在を全く感じなくなるため、〈転移(テレポーテーション)〉にしか見えない。

 この場のゲイリング側の者達からは「おぉっ」と短く低い狼狽えた感じの声が場に広がった。

 キョウは気にする風もなく、御方の言葉に従うべく「あの、出口へお願いします(ニャ)」と正面でまだ固まった様子の護衛隊長二人の後ろに居るゲイリングへと声を掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1時間程前に日は沈み、全天の雲間から僅かに星の瞬きが見える程度で、大勢の亜人(ひし)めく野営地を先に望む低めの草木が茂る周辺には暗闇が広がる。

 今は午後8時を過ぎた辺り。

 小声でヘッケランがイミーナへ問う。

 

「様子はどうだ?」

「凄く守りが堅いわね。それだけじゃない、ヤバイわよ。奴ら1体ごとの体付きが、今まで見た事もないぐらい鍛え抜かれた戦士だったわ。それに陣幕傍に小鬼(ゴブリン)じゃない大柄の怪物も見たわ」

「これは随分厳しそうですね」

 

 彼女は(ささや)く感じに答え、その内容にロバーデイクも言葉と共に表情を曇らせる。

 野伏(レンジャー)であり弓兵として目のいいイミーナが斥候に出る形で、高い木の上へ登り出来る限り距離を取って遠くから陣内の様子を探って今戻って来たところ。

 

 何と言っても相手は――5000体もいるという小鬼(ゴブリン)の大軍団なのだ。

 

 ワーカーチーム『フォーサイト』は、帝都から20キロ程南西へ離れた、人間の娘が将軍として率いていると言われているこの軍団の野営地へとやって来ていた。

 目的は勿論、捕虜となっている仲間、アルシェの救出である。

 しかし、周辺も帝国軍騎士隊や兵らが街道や周辺を封鎖警戒しており、近付くのにも苦労するあり様だ。やっとの事で先程、陣地から500メートル程の現在地まで来ていた。

 ヘッケランは右手人差し指と親指で作ったL字を顎へ軽く当て考えつつ、イミーナへ確認する。

 

「んー、それ程違う風に見えたのか?」

 

 ミスリル級冒険者相当の実力を持つ彼は、難度で言えば20に届かないだろう一般の小鬼(ゴブリン)なら10体程に囲まれてもどうにか出来る。

 一般的に知られている小鬼(ゴブリン)達は、少し細身で痩せ気味なのだが、イミーナが伝えるものは上半身や腰回り、肩から上腕等の筋肉の付き方が全然違うという。

 それも1体だけではなく、体形が確認出来た個体全て……恐らく数千体規模でと伝えた。

 ヘッケランも、イミーナの伝える内容と両手を使って囲う形に腕の太さを表現されたものを比べて、眉間に強く皺を寄せた。

 

「それは、確かに油断はマズいな。だけど――やるぞ」

 

 相手側の危険度に納得はしたものの、何とかしなくてはいけない。

 仲間の為に――。

 この作戦は、軍団全部を相手にする必要はなく、アルシェだけを連れ出せればいい話なのだ。

 リーダーの宣言に、イミーナとロバーデイクは頷いた。

 さて、どうしてこうなったか。

 

 2日前、まだ『フォーサイト』の一員であるアルシェ・フルトは、妹達を鬼畜と化した父の『貴族復帰計画』から護るべく帝国魔法省に就職が決まるも雇用状況へ言い知れない不穏さを感じ、万が一の対策で『妹達を王国の都市へ逃がす件』について頼りとするワーカー仲間の『フォーサイト』の面々へ相談し取り決めをした。

 翌日、アルシェが帝国魔法省の正規制服に身を包み、新たなる職場へと出仕した初日。

 「遅くなっても、毎日寄るから」という決め事はいきなり途絶える。

 仕事に慣れるまでは大変だろうと思うが、全く職場慣れしてない者を初日から徹夜させるのは、余りにも非常識で異常があると思えた。

 危機を感じる状況に対してアルシェ以外の3名は、翌朝9時半頃の『歌う林檎亭』1階、酒場兼食堂内に並ぶテーブルの一つへと集まる。

 ロバーデイクがテーブルへ置いた右拳を握りしめながら、ヘッケランとイミーナへ仲間の魔法詠唱者から連絡がない事への疑念を伝える。

 

「まだ2日目ですが、やはり変ですね」

「どうするの、リーダー」

「午前中に、動きが無ければ昼から、情報屋へ少し探りを入れてみる」

 

 しかしそこへ、外に出ていたこの宿に泊まる顔見知りのワーカーが「おい、昨夕に亜人の軍団が帝国魔法省の敷地内へ現れたが停戦し、朝の9時から10時の間に魔法省から出て帝都外へ退去するらしいぞ」という想定外の知らせを店の中へ持ち込んで来た。

 その場へ他にも寛いでいた数名のワーカー達も、驚きを隠せない。

 ヘッケラン達も席から立ち上がり、「それは本当なのか!?」と驚きの声を上げつつ、顔を見合わせる。

 これでは確かに昨夜、アルシェが帰って来れなかったのも仕方ない――と。

 3人は迷わず店を出ると近場で馬を借り、状況を知るために魔法省の方角へと駆けて行く。

 途中にある情報屋へ立ち寄り、亜人は小鬼(ゴブリン)であり数が数千にもなる上、どうやら捕虜もいるらしいという話を入手する。更に帝都南西の外壁門への小鬼(ゴブリン)らの退去経路情報も聞けて情報屋をあとにしたが、そこへ至る道の多くが騎士隊により封鎖されていた。

 その為、迂回ルートを辿り、11時を回った頃に外壁門近くの経路の沿道へとたどり着く。

 ところが――多くの群衆の壁で、見えたのは隊列の最後尾付近に続く高さのある荷馬車の幌部分だけであった。

 亜人に帝都の大通りを踏みしめられ、いい気はせず隊列も確認出来ず残念に思うが、戦いは回避されて都市にも被害はなく、『フォーサイト』的にも借り馬と情報代で銀貨数枚程度の損失しか出ておらず、「まあいいか」という雰囲気が占め始めた頃。

 ヘッケラン達は一度魔法省へ確認に向かおうとして馬止めへ向かう際、偶々路上で出会った馴染みの情報屋が「おお、いいところに」と会話の過程で、トンデモナイ事を教えてくれる。

 

「――ヘッケランよ、捕虜なんだが帝国魔法省一般魔法詠唱者職員のアルシェ・フルトって名の女だってよ。で、そう言えばお前のチームにもアルシェって女の子がいたと思ってな」

 

 人混みから少し離れた場の立ち話冒頭において、ヘッケラン以外のロバーデイクとイミーナは先を急ぎ気味もあって殆ど背を向けて聞いていたが、その内容に二人も思わず振り向いた。

 

 ――なお、帝国魔法省内の事であり、本来これほど簡単に捕虜名は漏れない。勿論、皇帝秘書官ロウネ・ヴァミリネンから情報局経由で裏情報としてリークされたもの。何故なら捕虜を取られた帝国は被害者度合が上がるからだ。捕虜の名誉を守るという理由から、公けでは発表されないとしている――。

 

 ヘッケランは情報屋へ金貨を払って2時間程掛け、他の複数の情報屋も別で動いてもらい魔法省内に同じ名前の者が他に居ないか、間違いではないのかを確認してもらう。だが彼らの情報網内で、捕虜はアルシェ・フルトという名であり、魔法省に同名は他にいないと伝えられた。

 

 金髪で碧眼のリーダーは、仲間のハーフエルフの女と全身鎧(フル・プレート)の男へ厳しい顔を向けると呟く。

 

「何とかして助け出すぞ」

「そうね、行きましょうか」

「はい、もちろんです」

 

 相手の数は数千と多いが、一般的に難度や知能の低い部類の小鬼(ゴブリン)であり作戦次第で勝算はあるだろうと。

 モンスター相手にも十分実績があった彼等は、そのまま救出の準備を整えると夕方前に帝都アーウィンタールを後にした。

 

 そして現在に至る。

 篝火の灯る亜人軍団の野営地を前に、ヘッケランの考えたオーソドックスな作戦はこうだ。

 イミ―ナの全方向から見た調査では、アルシェは荷馬車内か中央の陣幕内だろうという。

 それ以外の場所では姿が確認出来なかったためだ。

 そこで、ロバーデイクが囮の遠距離攻撃で、荷馬車群の止まる陣の逆側で騒ぎを起こし、注意を引き付けている間にヘッケランとイミ―ナが気配を消しながら荷馬車群や陣幕へ近付き、アルシェを開放。あとは連れ立って脱出という手はず。

 

「始めるぞ」

 

 膝突く姿の3名がヘッケランの小声での合図に頷きあい、今動き始めようとした瞬間であった。

 突如、彼等へと声が掛けられる。

 

「その方達、何を始める気でござるかな?」

「「「――!」」」

 

 『フォーサイト』の面々は、思わず反射的に声の方を向いてしまった。

 彼等の眼前には小部屋程もある巨体の影を起していた相手の姿があり、その胸から腹へ掛け、魔法紋章が浮かび上がっていく。

 

「〈全種族魅了(チャームスピーシーズ)〉」

 

 ヘッケラン達3名は、正面からそれを受けてしまった……。

 魔法を放ったのは無論ハムスケだ。

 エンリに報告不備を叱られ、詫びとしてこうして陣の外周警戒を買って出ていたのである。

 イミ―ナもこれには気が付けなかった。

 現在、軍団は帝国より退去中であり、なるべく穏便に対処という“将軍”の指示に彼女(ハムスケ)はこうして応えていた。見えない後方には屈強の小鬼(ゴブリン)聖騎士達5体も控えている。

 魅了系は術者以外、普通に敵判断されてしまうのでその配慮だ。

 

「それでその方達、何を始める気でござった? 代表の者が答えるでござる」

 

 魅了され、目の色が変わった『フォーサイト』の3名の内、動き易そうながら立派な服を着た左右に剣を帯びる者が親し気に伝えて来る。

 

「ああそれは、ここで捕虜になっている俺達のチーム仲間のアルシェ・フルトを助けに来たのさ」

「ほお、アルシェ殿はその方らの仲間でござったか。でも“魔法省”で働いているのではござらんか?」

「働き出したのは2日前からだぜ。それも、妹達をクソ親父から護ってやるためにな」

「……中々複雑そうな話でござるな……」

 

 彼女(ハムスケ)は早くも男から目を逸らした。

 所詮は獣に近いハムスケ。ややこしい人間関係に興味もない上、理解が面倒になり始める。

 また、エンリの協力者のアルシェの仲間という事も確認した方が良さそうに考え、早めに対処することにした。

 ハムスケは後方の小鬼(ゴブリン)聖騎士の1体を陣幕まで伝令として走らせる。

 

『アルシェ殿の知人でチーム“フォーサイト”を名乗る3名の者が、捕虜のアルシェ殿を奪還に来たため〈魅了(チャーム)〉魔法にて拘束中。対応を乞う』

 

 丸投げの感じである……。

 エンリと共に陣幕内で報告を聞いたアルシェは驚きつつ、捕虜役なので一応傍で護衛する雌の小鬼(ゴブリン)に手首へ縄を掛けてもらう。

 ヘッケラン達は信用の出来る仲間達であるが、帝国を敵にする状況を考えこれはまた別の話に思えたのだ。

 それと今は彼等へ魅了が掛かっているという事を聞く。

 魅了の間の記憶は保持されるのだ。しかし、魅了中の判断は完全に正常とは言えない。

 説明は、落ち着いてからでも出来ると判断した。

 アルシェはエンリに要望を伝える。

 

「彼等が私の知る者達なら、私が後日開放されて王国の大都市エ・ランテルに向かう事を伝え、帝都へ帰してあげて欲しい。帝都に残した私の幼い妹達を彼等に任せてあるの。だからお願い」

 

 話を聞いたエンリは心良く頷いた。恩人のアルシェの願いであり、同様に妹を持つ姉として聞き届けずにはいられない。

 そして、非常に幸運というべき事にまだ――ここに強烈な姉妹守護の者は居なかった……。

 行動は妨げなくスムーズに流れていく。

 このあと、エンリ達はレッドキャップら数体を護衛に陣幕を出て行き『フォーサイト』の面々の近くへと少数で向かった。

 交渉はアルシェの登場やハムスケの魅了が掛かっている為、かなり友好的に進む。

 赤肌の小鬼(ゴブリン)数体と、立派な赤と黒の軍服を着た随分若く見える女将軍の登場に驚き少し怯むも、ヘッケランは伝える。

 

「自分はワーカーチーム“フォーサイト”を率いる、ヘッケラン・ターマイトといいます。チーム仲間である捕虜のアルシェ・フルトを是非開放してもらいたい」

 

 それに対してエンリは軍団の将軍として告げる。

 

「私はこの軍団を率いるエンリ・エモット将軍です。今、それは出来ません。これは帝国との書面による約定でも決められたこと。でも、トブの大森林への退去完了の後、彼女は解放されるでしょう。彼女が王国の大都市エ・ランテルに向かう日は半月以内に訪れます」

「……アルシェ」

 

 リーダーが、縄で拘束されて将軍の後方脇へ立つ、仲間の小柄で金髪の少女へと『こいつは信用出来るのか?』と顔を向ける。

 それに対し、アルシェは大きく一度頷いた。

 その表情と様子を見たヘッケランは、後ろに居るイミ―ナとロバーデイクの顔を窺う。

 彼等には、確かにアルシェが酷い扱いを受けているようには見えなかったのだ。

 それにこの場まで軍団の将軍が少数で出向いて来た上で、そう告げてくれている。

 また人間の様に見える女の敵将の目も狂人には見えず、瞳は綺麗に澄んだものであった。

 

(信用してもいいかもしれない。それにアルシェの妹達を届けるのを任されているからなぁ)

 

 ヘッケランは小さく頷くと、同じ考えだとイミ―ナとロバーデイクも頷いた。

 イミ―ナも、色々と大勢の顔色を見て来ている。

 一番年上のロバーデイクも相手の将の行動と表情や落ち着きぶりに、ここは信用してもいいと考えた。

 そもそも、3人とも間近でみた赤肌の小鬼(ゴブリン)数体のその岩の如き貫録は絶対にヤバいとも感じていた。戦わずに済むならそれを選ぶべきだと。

 だから、前を向き直したヘッケランは告げる。

 

「分かりました。我々はここから一度引き返し、隣国の大都市エ・ランテルにて彼女との再会を楽しみに待つこととします。それではこれで失礼します。ああ、友よありがとう」

 

 ヘッケランに続き、イミ―ナとロバーデイクもハムスケへ手を振りつつ背を向けてこの地を去って行った。

 〈魅了(チャーム)〉は時間が経てば解除されるので放置でも問題は無い。

 アルシェは静かにホッとする。間もなくエンリ達は陣の中へと引き返して行った。

 ハムスケはそれを見送ると、また周囲警戒を小鬼(ゴブリン)聖騎士団の5体と共に続行し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 秘密支部員を力ずくで撒いたクレマンティーヌは、深夜を迎え1時間程前に宿屋へ入った。

 それまで10時間程も、本来の目的であった漆黒の戦士モモンとチーム『漆黒』についての聞き込みを昼食へと入った店から直ちに始め、ずっと続けたのだ。

 しかし彼女も上手くいかない時はあるもので、昼過ぎから慎重に支部員の存在を確認しつつ王都の広範囲で行なったが、夜遅くまで40軒以上回って遭遇したエ・ランテルの冒険者チームは僅かに8つだけ。

 またその彼等は、モモンチームについて「宿名は知らないなぁ」「聞いてないけど」と口を揃える。どうやら階級ごとで別れた上、適当順に宿屋が振られた為、直接教えてもらっていないと違う階級の者達についての宿は分からないらしい。

 そして揃って彼等は女剣士へ告げてきた。

 

「王都冒険者組合で宿泊している、エ・ランテル冒険者組合長のアインザックさんか魔術師組合長のラケシルさんなら知ってるはず」

 

 だがクレマンティーヌは、王都冒険者組合へ彼の宿を調べに近付くと、内部調査網すら持つ秘密支部員の報告から『逢瀬』に関しバレる危険性が上昇すると考えていた。そこで一応、適当な者を雇って外へ呼び出してもらう手を思い付くが、行き詰ってからの実行と決める。

 結局、今日はモモンに出会えず、宿部屋へ入り貴重な高級装備類を外し、備え付けの浴室で汗を湯で流すと、一人寂しくキングサイズ程の大きいフカフカのベッドへと横になった。

 ちなみに泊まった宿屋は、王都内でも最高級水準の宿屋の上層階で一泊金貨1枚の広い部屋である。クレマンティーヌはお嬢様で且つ非常に高給取りでもある。闇の野に(ひそ)むのも得意だが、貧乏くさいことはしないのだ。それに秘密支部の余計なゴミへの対策でもある。こういう高級宿は信用を重んじセキュリティーもかなり厳しい為、不法侵入は相当難しいのだ。

 でも随分寂しい夜となり、恋乙女はモモンから手渡されている木彫りの『小さな彫刻像』を胸元で優しく抱き締める。

 

(ねぇ、モモンちゃんどこー? ……連絡、今日はないのかなー)

 

 そんな事を考えていると――タイミングは正にピッタリであった。

 

『……クレマンティーヌ、聞こえてるかな? モモンだけど』

 

 アインズは『とある催し』を終え今、午後11時10分過ぎから午前0時まで時間が丁度空いたのだ。日課のアンデッド作成が午前0時を過ぎなければ前日分の予備で残している数回しか行えないと。

 だからそれまでの合間にと彼女へ連絡を寄越していた。

 

「――っ!? モモンちゃん!」

 

 クレマンティーヌはベッド上で飛び起きると、そのまま勢いよく仰向けに倒れながら叫ぶように伝える。

 

「きゃー、モモンちゃんだー! クレマンティーヌだよー。ホントに、待ってたよー」

 

 仰向けになると次に、ベッド上で左右へのゴロゴロを嬉しさの表現として連発した。

 モモンは彼女の声の喜びようが尋常では無く、一体全体どうしたのかと思い声を掛ける。

 

『何か大きい動きでもあったのかな? いつもと違う感じだけど』

 

 すると、クレマンティーヌはベッドでうつ伏せになると猫っぽく動きながら、嬉しそうに悪戯っ気のある小悪魔チックに伝えて来る。

 

「んふっ、なーにかな? 何だと思う―、モモンちゃーん?」

 

 片方は完全に恋人達の会話っぽくなっていた……。

 『分わかんねぇよ』と思いつつもモモンは、随分嬉しそうな彼女の様子から冷静に考え尋ねる。

 

「(……彼女にとって明らかにイイ事なんだろうなぁ。あー)もしかして王都に寄るとかかな?」

『あーーっ、正解っ! モモンちゃん、凄いねーっ。やっぱり私の事、良く分かってくれてて、と……とっても嬉じいよぉぉー。ぅううぁあーーん』

 

 モモンが、向こう側の音を良く聞くと、嘘泣きして冗談かと思いきやクレマンティーヌは実際に泣いていた……。

 自分を本当に理解してくれている者など、世界中でモモンだけしかいないと本気で考えていた彼女は、今それが現実なんだと改めて知って思わず感動していたのだ。

 

『モボンぢゃーん、わだじずごくうでじぃぃー』

「わ、分かったから、泣くなよ」

『う゛ん、泣き止むよー』

 

 凄く素直に反応するクレマンティーヌであった。すんすんと鼻を啜り、まだ泣き止んでいないけれど。

 落ち着き気味の彼女にモモンは尋ねる。

 

「それで、いつ王都に来れそうなのかな?」

 

 その問いを聞いて恋乙女は俄然復活する。

 

「んふっ、実はもうねー、王都に来てるもーん。んふふふー」

『……(えっ)』

「てへ、ねー驚いたー? ってーあれっ……モモンちゃーん?」

 

 予想外の事態で()()りつつも無言のため、モモンの反応を薄く感じたクレマンティーヌが尋ねてきた。

 アインズは明日、まだ評議国での用件を残しており、かなり鋭い彼女が王都へ張り付くと、モモンの代役であるパンドラズ・アクターで大丈夫かと思ったのだ。

 ただここは、取り繕うように急ぎ漆黒の戦士が答える。

 

『ぁああ、まさかもう来てるなんて、ちょっと驚いちゃったかなぁ』

「そうだよねー。そう思ったー、うふふふ」

 

 恋乙女は、多少の事は全く気にならない風であった。

 モモンはその彼女へと探りを入れる。

 

「でも―――ずっと居るって訳ではないんだよね?」

『そーなんだよー。隊長に『王国側の竜王軍団への対応とかを調べて来る』って言ってここに来ててさー。だから今日から4日後の晩にはー、情報を持って戻らないといけないんだよねー』

「じゃあ滞在中は、結構忙しそうな感じなのかな?」

 

 クレマンティーヌは部屋周辺の気配を探りつつも、モモンへは隠す気が全くないので、何でも話してくれる。

 

『んー、それほどでもないんだけどー。あのねー、本国の秘密支部が王都にもあるだけどさー。連中、調査で街をウロウロしてるんだよー。一々邪魔な感じだし五月蠅くてー、ほんっとムカつくんだよねー。モモンちゃんとの事がバレそうなら、全部で12名居るけど、みんな拷問気味に殺しとくからー』

「あ、そうだね」

 

 だから彼女との会話はさらりと、いきなり凄い内容にもなるのであった。

 

『大丈夫、大丈夫ー。そうなっても、私がちゃんとバレないようにしっかりキレイに片付けとくからー。あっと、でもまだ4人、顔を確かめてないんだよねー。明日には把握していつでも殺せるようにしとくねー』

「ああ、頼むよ」

『えへへへー、私におまかせだよねー』

 

 兎に角、人知れず殺し慣れている感じが凄まじい。ただ、この世界ではとても頼りになるとも言えた。

 そんな彼女が熱く呟いて来る。本題を。

 

「モモンちゃーん。ねぇ、会いたいよー」

『そうだね。でも……今の時間だと目立つんじゃないかな』

「そーなんだよねー。連中、夜の静かで人気(ひとけ)の薄い時間帯に敏感な外回りのヤツが多いらしくてさー。全くー、安心して会えないじゃん。――やっぱりもう全部殺しちゃおうかー?」

 

 気に入らず邪魔な者は、いたぶって即亡き者に。それがクレマンティーヌ思想。

 人間の感情が薄れた今の合理的に思考するアインズは一理あると理解するも、この好条件を彼女への防壁に有効利用しない手は無い。

 

「――でもまあ先を考えれば、ここは少し我慢出来るんじゃないかな?」

 

 利口なクレマンティーヌは愛しい者の『先』が混じる意見に、『二人の熱くエッチで子沢山の幸せな夫婦生活の未来』を大いに妄想する。

 同時にここで、ゴミ同然ながら味方の支部員を突如全員殺したとなれば『不可解な行動だ』として、本国へ帰った後に監視者や重い行動制限が付くかもしれず、『王国での仕事を終えたから評議国へ帰国する』というモモン達へ付いてけなくなるかもしれない等の大問題に直面するかもしれない。

 そういう悲劇は御免だと、豊かに揺れる胸元へと大事な彫刻像を抱きしめる恋乙女は笑顔で我慢する。

 

「分かったー。私はモモンちゃんの考えに従うよー」

 

 従順といえる彼女の答えにアインズは髑髏の口許を緩める。

 そしてモモンとして振り回されないよう、先に主導権を握る上で逸り急かす雰囲気を装い予定を提案する。

 

「でも、少しずつ短時間で偶然風に会うだけなら大丈夫だろうし。それで早速だけど明日の朝、8時半から9時過ぎぐらいまで会わない?」

『うん、いいよー。分かったー、うふふふー』

 

 モモンの短い時間ででも早く会いたい風の会話アクションに、クレマンティーヌは嬉しそうに答えた。

 求める彼氏に呼び出される彼女の気分を満喫する。

 心が浮いた雰囲気の乙女へとモモンは用件を伝えて行く。

 

「それで場所なんだけど――」

 

 待ち合わせの場所はクレマンティーヌへ位置確認した秘密支部からの距離も十分ということで、エ・ランテルの冒険者達が王都到着時に集まったり点呼日で訪れたあの公園風の広場を指定した。

 また偶然を装う形での手はずや合図なども決めていく。

 

『じゃあ明日の朝ねー。モモンちゃん、愛してるーー』

 

 そうして熱烈な彼女との連絡をモモンであるアインズは終えた。

 

「さて、10分程寛いだら、次は王城のユリに繋ぐか……」

 

 執務室の大机に着く絶対的支配者には、依然として1時間を超える安息の暇は殆どない――。

 

 純愛が通じたとも思える、突然に始まった通話を終えたクレマンティーヌは、とても幸せな心地で改めて彫刻像を胸元で抱きしめつつ浅い眠りへと落ちて行った。

 

 

 

 

 翌日朝8時前、フードを下げたローブ姿のクレマンティーヌは綺麗な金髪を揺らしながら、秘密支部の事務所へと何食わぬ表情で顔を出す。

 

「おっはよー」

 

 彼女の適当だろう朝の挨拶へ、脂っこい顔の支部長や副支部長らが慌てて返す。

 

「おはようございます、クレマンティーヌさん」

「あ、どうも、おはようございますっ」

 

 前日、何者かの実力行使で彼女の追跡を撒かれたわけであるが、顔を見たわけでは無い。

 室内を一望すれば、その青年支部員は外回りなのかまだ不在。

 それに――予想通り何も言われることはなかった。

 副支部長が「そう、資料資料っ」と、とぼけた感じに棚へと動いていった。

 こういうのは失敗した方が恥でマヌケなのである。

 故に安心すると共に、サバサバとクレマンティーヌは顔を出した用件の一つ目を早速片付ける。

 規則という話から「そうそう、私の宿だけどー」と、宿泊中の最高級宿屋名を伝えた。

 宿名を聞かされた無精髭の副支部長らが目を丸くさせる。支部員の彼等もそれなりの高給ではあるが、聞いた宿屋では宿泊費だけでも5カ月分ぐらいが精一杯なのだから。

 最高級の宿屋への費用を考えれば普通の者では泊まるなど考えもせず、経費で落とせるはずもないので、眼前の女剣士の立場というか階級的なものが垣間見え、副支部長も少し怖くなってきていた。

 ここで、珍しくクレマンティーヌへと脂っこい顔の支部長が話し出す。

 

「あの、少し前に本国からの調査依頼でアインズ・ウール・ゴウンなる者について情報を集めよとの指示があります。ですので、それについての資料も最終日にお持ち下さい」

 

 スレイン法国の中央から『王国辺境のカルネ村から高級馬車で、王都に向かったはずの旅の魔法詠唱者アインズ・ウール・ゴウンについて、情報を調査し送れ』と届いていたのである。

 それに対して女剣士は気軽に笑顔で答える。

 

「あー、全然いいですよー」

 

 確か神都へ襲ってくるという、旅の魔法詠唱者の名だったはずであるが、今のクレマンティーヌには余り関係がないし行動に影響がないので引き受けた。

 そう返事する合間に、彼女はもう一つの用件であった昨日見なかった顔の者らを把握する。4名不明だったが、内2名を今この場で把握した。

 なので彼女の今ここでの用事はもう済む。早くも内心ウキウキのクレマンティーヌは告げる。

 

「ちょっと2時間ほど()()()出て来るねー」

「……あっ、俺が――」

「―――あー、案内もいーらなーい、からっ」

 

 女剣士の声の内容に、慌てて振り向き声掛けした副支部長であったが、彼女の断りの声と目を見て一気にトーンダウンしていった。

 

「ぁ……はーぃです」

 

 「からっ」と言う低い声に合わせる、彼女の視線の放つ殺気が尋常では無かった――。

 今朝の彼女には早く飛んででも行きたい場所があるのだ。逆に言えば『邪魔すれば即ブッ殺す』である。

 無精髭の副支部長は昨日、出合い頭で彼女の恐ろしさを体へ直接十分思い知らされており今は大人しく引き下がった。

 

 

 雲間から時々日が差す天気の下、クレマンティーヌは王都中心部から南東の外壁門へ続く大通りを4キロ少々進み、1本脇の通りへ折れて角一つ分だけ入った場所にある、指定された広めの公園風で水飲み場も見える広場近くへと現れる。

 待ち合わせの時間の都合上、途中で道では無くショートカットの為に気配を消しローブのフードも深く被り、高層階の建物の上を走って辿り着いていた。

 勿論周囲への秘密支部員の存在有無についての警戒は怠っていない。

 広場の500メートル手前からはローブのフードも下げ、のんびり無駄に迂回的経路も歩いて来るなど、『焦って』や『この場が目的地』といった事を悟られないように行動したつもりである。

 彼女には経験上、それだけの動きは自然と身についていた。

 クレマンティーヌは、それまで前を見て歩いていたが、『偶然』に広場を見つけた感じに振る舞い、さり気なく中へ入っていく。そして、(しばら)く歩くと木製ベンチへと腰掛けた。

 ローブ下ながら、しおらしく膝を揃えて座り、時折空を見る彼女の視線に周囲を探る素振りは無い。

 そんな彼女の思考にふと、なぜという思いが一瞬浮かぶ。

 

(モモンちゃん、どうして外を指定したんだろ。室内なら一杯抱き付けるのにー)

 

 だからである。

 密室で共に1時間を超えれば、ナニが起こるか分からないからだ。

 しかし、その重大な疑問に自ら桃色の終止符を打ち込み自己内完結する恋乙女。

 

(……でもさー、やっぱり一緒に外を歩きたいよねー。モモンちゃんの気持ち分かるよー)

 

 彼女は立ち上がると歩き出し、少し離れた場所のベンチへと腰掛ける。そしてハンカチを軽く額に当て汗を拭く素振りをする。

 間もなくクレマンティーヌは、また立ち上がると歩き出した。

 するとその時、彼女へと男性の声が掛かる。

 

 

「あの、ハンカチをお忘れですよ、お嬢さん」

 

 

 思わず吹き出しそうな、クサい台詞が場に流れて。

 でも振り返る女剣士の顔は変わらず、内心では『待ってたよー』と叫んでいた。

 クレマンティーヌの視線4メートルの先には、ハンカチをゴツイ黒のガントレットの手で持ち差し出す、愛しの漆黒の戦士モモン―――とその横へ紅い杖を握る純白のローブを纏うマーベロが立つ。

 この出会いは偶然という設定なので、チームパートナーであるマーベロの同伴は織り込み済である。

 彼の傍へと駆け寄りハンカチをそっと両手で受け取りながら、実はそっとではなく手をギュッと強く握るクレマンティーヌ。

 そして手を離すことなく、握った手を上下しながら礼を述べる。

 

「ありがとー。これー、死んだ兄の形見なんだよねー」

 

 予定の『母の』から変わっていた。

 確かに最近兄クアイエッセはモモンと共にブッ殺したばかりだ。ちなみに兄程ではないが彼女は両親も大嫌いであった。

 そのハンカチをテキトウに受け取ると、こげ茶系ホットパンツのポケットに突っ込む。

 既に恋乙女の彼女は、面倒臭くなってきていた……。

 

「お礼を何かしないとねー、じゃあ――付き合ってよ(デートしよ)ー、男女的お付き合い(デート)

「え(っ、あれ)?」

 

 予定では『お礼に何か飲み物でも一緒にどう?』となって、この広場を回りながら会話をしつつ、最後に広場に近い飲料店のオープンスペースで10分程話をして別れるはずであった。

 

「ねー、もういいじゃん。(把握した連中の気配は無いから)今居ないってー、ねっ」

 

 モモンとしては「ねっ」じゃないのであるが、待つ気なく強引にクレマンティーヌは満面の笑顔でガントレットの手を引っ張り始めている。

 

「ぁ、っ……」

 

 マーベロは、どうしようかとオロオロ(する振りを)していた。

 モモンことアインズは面頬付き兜(クローズド・ヘルム)の中で視線を下方左右へと激しく彷徨(さまよ)わせつつ色々迷う。

 

(うわー、ルベドといいクレマンティーヌといい、自分の事しか考えてないヤツが多いなぁ……、あぁどうしたら……。もうデートしちゃうかな……いや、でもまだ4日もあるんだし、ここは……じゃあなんて言えばいい――)

 

 その時彼は閃く。歴戦の『漆黒の戦士モモン』ならと行動を決める。

 

「……今ここも戦場だよ。気持ちはよく分かるけど、(チームのパートナーの)素敵な君なら正しく行動出来るんじゃないのかな」

 

 諭すような()()()()()()()()()()愛しい男の言葉に、引っ張るクレマンティーヌの力が消える。

 同時に、『(伴侶の女性として)素敵』という彼の言葉へ、熱い愛の繋がりを求めて寄り添い守ろうと乙女は動き出す。

 

「ぁぁ……分かったー。……じゃあお礼にー、何か飲み物でも一緒にどう?」

 

 大幅に暴走し掛けた方向は見事修正された。

 二人は、それから手を繋ぐことも無く……モモンはマーベロから伸ばされた手を繋ぎつつ、3人で歩きながら中味の無い世間話に終始する。

 今は――傍で横で隣で歩ける事を堪能する時間。クレマンティーヌはそう割り切った。

 何故なら二人きりの会話は、大切にする『小さな彫刻像』で可能だから。

 

 

 だが、飲料店のオープンスペースで寛ぎ、束の間の後訪れた別れ際に『恐怖』が残っていた。

 

 

 席で兜を外しているモモンは、当たり障りない内容で今後の行動をボヤき気味で語っていく。

 

「間もなく俺やマーベロも出陣する準備に入るから、余り自由の時間は取れない感じかな。でも(王都に居る)今だけで――」

 

 彼の、会えない事への残念さを語る言葉が耳へと流れる中、クレマンティーヌとしてモモンが死ぬことは無いだろうけど戦地へ赴く以上、やはり少し心配である。

 その気持ちの彼女の前で、モモンが彼女にとって困る内容をふと口にしてしまう。

 

「あ、明後日以降はエ・ランテルの冒険者組合長達のチームと行動する予定で、今の宿を出て王都冒険者組合の建物で出陣まで寝泊まりするから」

「ええっ?」

 

 今朝、モモンの宿泊する宿屋へと知らされた指示であった。

 しかし王都冒険者組合の建物では、クレマンティーヌはうかつに入れない。転がり込めない。イチャイチャと色々ナニを出来ないのである。

 だからなのか夜も歴戦だろう戦士へと、ゆっくり女剣士の恋乙女が問う。

 

「……じゃあ……今晩と明日の晩はまだ時間……あるよねー? んふっ」

 

 それが何を意味するのか。

 モモンの正面席に座り、円卓の小テーブルに両肘を突き乗せる彼女の顔の両頬は、少しもう赤く染まっているように見えた。

 絶対的支配者は焦る。

 左手に座るマーベロが、何か言いたげに手をクイクイと引っ張ってくるが、モモンは分かっている。一瞬僅かに顔を向けたが、それどころではないと。

 一晩は逃げられるかもしれないが、流石に――二晩連続は難しく思えた。

 

(うわぁぁーどうしよう。今晩、竜王が急に全軍で襲ってこないかなぁ……。あぁ全然ダメだ。ゲイリングとの約束すらこの後だし、評議会での可決もされてないじゃないかっ。どうすれば――)

 

 年貢の納め時というやつだろうか、正にこれは絶体絶命。

 行き詰ったモモンは悩んだ挙句、遂に……腹をくくる。

 先日自分が『人間では無い』事は彼女へ伝えた。それでもいいというのだから、もう行くところまで行くしかないだろうと――。

 モモンはクレマンティーヌへと漢らしく口を開く。

 

「ぁ――(あ、あるよ時間)」

「――なんてねー。多分、二晩も宿に――同じ地区の近い所に出入りしてたら見つかっちゃうー、――って。え、今モモンちゃん、何か言い掛けたー?」

「あ、ん? いや、同じ同じ。危ないかなぁ、見つかりそうでって。でも残念だなぁって」

 

 それを聞いたクレマンティーヌは笑顔を浮かべ、右手の人差し指と中指で下唇を艶っぽく横へと触りながら告げて来る。

 

「私が法国に戻って……モモンちゃんがエ・ランテルに帰ったら、絶対会いにいくからー」

 

 溢れる気持ちを伝えると、彼女はさっと席を立つ。

 

「じゃあ、また(午後に)ねー」

 

 モモンらへ背を向けたクレマンティーヌは、店のオープンスペースを後にし通りへ出ようとして、見覚えのある顔の者に出会い立ち止まる。

 女剣士が見詰める先には、以前大都市エ・ランテルでモモンやマーベロと居た少年の魔法詠唱者に加え、彼のチームらしき4名が立っていたのだ。たまたま店の横の通りを歩いて来たのだろう。

 

「(……このガキ、名前何だっけ。確か猫の鳴き声みたいな)えっと……ニニャくんだっけ」

「……どうも。クレマンティーヌさんでしたよね」

 

 (シルバー)級冒険者チーム『漆黒の剣』で唯一女剣士を知る記憶力抜群のニニャの声は、抑揚が薄かった。

 やはり、ボブ調金髪のクレマンティーヌは黙ってそこに居れば整った顔立ちから相当綺麗なのである。エ・ランテルでも見たが、ローブから覗く清楚感のある騎士の装備も加わり尚の事だ。

 少女ニニャとして、後方の席へ見える間違えようの無いモモンの座る姿に、綺麗な女ワーカーとの熱い関係性を再認識し少しショックなのである。

 それはモモンも同感。何故に今のタイミングで、と思わずにはいられない。

 先程マーベロがモモンへ教えたかったのは、この事だったのだ……。ニニャに付けていた八肢刀(エイトエッ)の暗殺蟲(ジ・アサシン)は以前〈不可視化〉していたが、現在は王都内に増えた上位の冒険者達に数度、気配で察知されかけ〈上位不可視化〉に移行していた。その為、マーレをもってしても直前まで気付けなかったのである。

 女剣士の本性を知らないルクルット達が陽気に声を掛けて来る。

 

「あれま、美人さん。それに座ってるのモモンさんとマーベロさんじゃないの? おっはよーでーす、モモンさんとマーベロさんっ」

「確かにモモン氏らである!」

「おはようございますっ、モモンさんとマーベロさん。ニニャ、こちらは知り合いの方ですか?」

 

 モモン達へ手を振る彼等の様子と言葉で、クレマンティーヌは少年だけでなくこのチームが結構親しそうな知人だという事を知り行動を考える。そうでなければ反射的に、殺気満ちる視線に加え「何見てんのよー」の後で罵詈雑言が並んだところである。

 視線を一度右に外したクレマンティーヌは、ニニャのペテルらへの「はい、以前にエ・ランテルで」のあとへと割り込み引き継ぐ。

 

「どうもー。私は()()()()()偶にモモンちゃん達の仕事を陰で手伝ってる、クレマンティーヌ。よろしくね」

 

 モモンチームとの関係を強調しつつ、ウインクを交え可愛く右手を肩付近へと小さく上げて微笑み挨拶する。

 ニニャがペテル達へ彼女に関して伝えていなかったのは、クレマンティーヌの怖いと言えるドギツイ性格の一端を見ていた為、モモンへの印象を心配しての事だ。

 冒険者達が綺麗ごとだけでやっていられない仕事だということは、ニニャも十分理解しているがその中でもこの女騎士は異色に入ると見ていた。

 ある意味モモン達に近くて……善悪で対局の立ち位置の雰囲気と力量を感じさせている。

 ただ彼へ――漆黒の戦士モモンへ『身も心も』という雰囲気で、強く追従していることだけは救いであり間違いない。

 彼と知り合いで無かったらどうなっていたか……記憶からあの初出会い時の殺気満ちる眼光を思い出し、魔法詠唱者の少女はブルリとする。

 か弱さを感じさせる少年を横目に、クレマンティーヌはペテル達へ告げる。

 

「ちょっと頼まれてる用事があるんでー、じゃあねー」

 

 そうして手を振りながら店から道へ出ると進み、角を曲がっていった。

 ローブ姿の女剣士を少し目で追い見送ったモモンらとペテル達。

 しかし、次に少女ニニャの視線がモモンへと向いた。

 今は兜を取っているので、視線を弱々しく彷徨わせる事が出来ない。彼は真正面から彼女の想いの目を受け止める。

 

「ニニャ、みんなもおはよう」

「お、おはようございます。皆さん」

 

 (あるじ)に合わせマーベロも挨拶する。朝で良かったと、明るい雰囲気と声で伝えたモモンは思う。昼の「こんにちわ」だと余りに浮き過ぎる挨拶だ。ここは平穏を装うしかないと彼は判断した。

 

「今日はみんな、近くに演習か何かで来たのかな?」

 

 だから、こう話を振ったはずであった。しかし――ガン無視でニニャの厳しい逆襲が始まる。

 

「モモンさん、クレマンティーヌさんはいつからこちらへ?」

 

 最早、ペテルやルクルット、ダインは首を不自然に別方向へと向け、空や周囲の景色を楽しんでいる。

 今この(とき)この瞬間、男性陣としてモモンは孤立していた。

 マーベロを見ると……ニッコリと可愛く微笑んでくれている――頑張って下さいと。

 逃げ場はない。

 彼等が王都リ・エスティーゼへ到着して早7日目。到着翌日にニニャとデートをしてから、『漆黒の剣』らは会合や連携演習もあり二人の時間が取れていなかった。

 そこへ、上背と()()()()()()美女クレマンティーヌの登場である。

 ニニャは思う。自分には声が掛からず、これは双丘の柔らかさを求めた甘い逢瀬だろうかと。

 胸の慎ましい魔法少女は、不思議と同志マーベロについて不安視していないのだが、あの女騎士にはライバル心を燃やしていた。

 

(……やっぱり大きい方が……いいんですかっ!?)

 

 彼女のモモンを見詰める視線には、先日(いだ)いた疑惑の再真偽が込められ、炎の如き強い意思が感じられた……。

 飲料店のデッキ上の席へ掛けたままで内心焦るモモンは、道へ立つニニャへ素直に伝える。

 

「昨日の朝に到着したって聞いたけど。俺の宿泊先が分からなくてずっと困っていたらしい」

 

 だが、彼はここまで語り『しまった』と思った。皆に(さら)している表情が少し固まる。

 『じゃあなんで今会ってたの?』と成るのはみえているだろうに。

 ところが――ニニャは興奮気味で一気に語り出す。

 

「じゃあ、今日さっきここで偶然、出会えたって事ですよねっ!? 私達も今も偶然でしたし。それにエ・リットルやエ・ランテルでだって……凄い。もう絶対に運命ですね、これはっ!」

 

 ニニャの中では、モモンとの再会は『偶然』という事が『自然』となりつつあった。

 また彼女の場合『大きい存在』が現れると『小さい問題』に思える事象はクリアされるらしい。

 『漆黒の剣』の少女魔法詠唱者の瞳はキラキラとして輝く。

 彼女がこれほど偶然的出会いの運命に強く反応するのには理由が存在した。

 

 

 ――貴族の下に連れていかれた姉を探し出し、いつか必ず再会する為である。

 

 

 それには『偶然』も交え並々ならぬ常識外の強い力が必要だと信じて止まないのだ。

 一方で現実は当然厳しいはず。

 だが現在、偉大な戦士であるモモンに出会えている事は、彼女を心底勇気付けてくれている。

 故に彼女は、多種多様な意味で『小さい』問題に目を瞑る事にした。

 ニニャは毅然と(モモン)の女らしく言い放つ。

 

「分かりました、モモンさん。(一人ぐらいなら胸が)おっきくても許しましょう!」

 

 何を許すのか良くワカラナイが、モモンはフラリと垂れて来た蜘蛛の糸を掴むが如く答えた。

 

「ありがとう……ニニャ……」

 

 困難を極めるだろうはずのコノ一件はナゼか急速に無事平和で落着した。

 

 

 結局ペテル達は、夏場の時期でも比較的熱くない早朝の6時半から8時半過ぎまで演習があったと語った。彼等の泊まる宿屋に近い王都西側の軍訓練所は予定が詰まっていて、今日は東側南東門に近い王都外の訓練地で行われたとの事。

 今は宿屋への戻りがてらついでにと王都南東側の名所を少しの時間回っていて、たまたまこの広場脇の通りを通っていたらしく、本当に偶然だと話す。

 先日のエ・リットルでの再会はマーベロの探査力だし、今日のクレマンティーヌとモモンは落ち合ったわけだが、モモン自身もツアレの件も含めて『漆黒の剣』の面々と確かに縁があると思っている。

 さて、ちなみに広場でモモンがクレマンティーヌに声を掛けたのは午前8時44分頃、クレマンティーヌが飲料店の席を立ったのが9時10分頃。

 この日、アインズがアーグランド評議国の宿屋を出る時間は9時20分頃を予定していた。

 またもやギリギリである“分刻みスケジュール”を繰り広げる絶対的支配者。

 先程ルクルットが王都東方へ居る理由を陽気に話している途中に、キョウからの〈伝言(メッセージ)〉が繋がるも、ニニャが横に座っている為、ひっそり小声で「先に……(行け)」と呟くのが精いっぱいであった。

 『漆黒の剣』もオープンスペースのモモンらのテーブルへ相席し、話はこれから向かう名所選びの話へ移っており、今すぐに終わる気配は無し。

 気が付けば間もなく時刻は午前9時半を迎える。

 もうゲイリングとの交渉への限界時刻に思い、左の席にニニャが座るモモン姿のアインズは右側の席に腰掛けるマーベロへと目を合わせた後、合図を――右手の中指と薬指の間だけを意図的に5回開閉した。

 それと同時に時間が止まる。マーレが〈時間停止(タイムストップ)〉を掛けてくれたのだ。

 アインズは〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉を解除すると――ずっと傍に付いて回っていた()()()()()()に告げる。

 

「パンドラズ・アクターよ。悪いが後は何とか上手くよろしく頼む」

「はい……了解しました、創造主様っ」

 

 パンドラズ・アクターは僅かに戸惑い気味の声で答えつつも、漆黒の戦士モモンの姿に素早く変わると兜を外し、座席から立ち上がったアインズと交代すると(あるじ)の直前姿勢をとる。

 支配者の考えでは、モモンとして一応難問を解決しており問題はないと判断しての移動だ。

 

「〈魔法遅延(ディレイマジック)転移(テレポーテーション)〉 マーレよ、解除を頼む。 〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉」

「は、はい、アインズ様」

 

 速やかに〈時間停止(タイムストップ)〉は解除され、アインズはアーグランド評議国中央都のゲイリング評議員の屋敷へと〈転移(テレポーテーション)〉していった。

 そして入れ替わったパンドラズ・アクターは――。

 またしても『母上になるかもしれない』ニニャから、潤ませる瞳からの熱い視線を受けたり、手を握られたり身体を寄せられたりと猛烈なスキンシップを昼食後まで受けたのであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほどなく朝10時より、再びゲイリング邸の補修されたここ応接室内で、約束通り評議員からアインズへと承諾の言葉が伝えられる。

 

「ブヒッ。……アインズ殿、貴方の要求である煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグ=カーマイダリス率いる軍団撤退について、ゲイリング家の総力を持って実現することをお約束する」

「(竜王の名はそんなのだっけ。王国の大臣が伝えてた名で合ってたな)よろしく頼みます、ゲイリング評議員殿」

 

 魔法詠唱者のガントレット越しの手へと、『三ツ星』バッジを付ける評議員が合意の握手の手を伸ばす。

 悪徳豚(ゲイリング)の方が10センチは上背のあるはずも、こうして並んだ二者の様子は正に対照的であった。

 如何にも前日より肩を落とし少し背筋が丸く感じる顔色の悪い大商人ゲイリングと、威厳を感じさせる風に胸を張った旅の魔法詠唱者を名乗る至高の支配者アインズ。

 そう、昨日だがキョウ達のゲイリング屋敷退去後にも色々起こったのだ。

 

 アインズが消えた後、ネコマタ姿のキョウと小鬼(ゴブリン)レッドキャップ達は、執事である黒服の豚鬼(オーク)と使用人数名に見送られて重々しい鋼鉄門を、乗って来た馬車で出て行く。

 この時、ゲイリングは応接室内へ残る団長の隊へと、吹っ飛び行方不明である彼の捜索を指示。そして愚かしい事に、次いで客人の馬車のあとを付けさせるようにと2体の隊長らへ命じたのだ。

 ミノタウロスの隊から、隠密性の特殊能力(スキル)を持つ3名の闘士を追跡の任へと送り出す。一方の戦士の豚鬼(オーク)は敷地内の別棟にある隊の屯所へ向かい〈千里眼(クレアボヤンス)〉の特殊能力(スキル)を持つ闘士に、馬車と奴らのアジトについて場所や様子を調査するために()させる。

 だが、闘士の遠隔の視線が馬車を傍から捉えようと300メートル内へ近付いた瞬間――。

 

 

 屯所の別棟は大爆発を起こし、盛大な火柱を上げて跡形も無く吹き飛んでいた……。

 

 

 豚鬼(オーク)の隊長1名が瀕死の重傷、闘士17名を含む30名以上が死亡する大惨事となる。

 勿論、馬車の傍にいたアインズの強化された情報系魔法への攻性防御に引っ掛かったのだ。今回威力的には5段階で3設定及び逆探対策がされており、ゲイリング屋敷敷地内の建物から覗かれた様子を完全に把握出来ていた。

 高くまで上がった火柱はキョウらの乗る馬車からも楽しめたという。

 そして隠密性の特殊能力(スキル)を持つ3名の闘士達――彼等は2時間後に死体で発見された。

 外傷が無く、まるで心臓発作でも起こったかのように脇道で倒れていたという。

 これはキョウが探知で馬車への接近を把握し、支配者が〈心臓掌握(グラスプ・ハート)〉を3回実行したという形だ。当初、貴重な死体をナザリックへ回収しようかとも思ったが、行方不明ではインパクトが少し弱い気がした為に放置する。

 

 広い屋敷の敷地内の一区画で突然の大爆裂が起こり、大混乱となった屋敷内でゲイリング評議員も恐怖する。思わず分厚い壁と扉で作られている自室へと逃げ込んでいた。

 室内には難度132の闘士を筆頭に3名、扉の外にも2名が護っている。

 ゲイリング自身も右手に愛用の剣を握っていた。普段は文官姿だが、一応難度140程の体力と得意な剣を使わせれば、闘士達に遅れは取らない実力はある。

 ただ団長の今までの圧倒的強さを知っている者として、その彼を上回るであろう相手にどこまで通用するかと。それゆえに、少しでも対策を取りたい気持ちは止められなかった。でもそれが完全に裏目へ出た形だ。

 最近、これほど派手に火柱の上がる大規模な爆発が起こった話は聞かない。

 普通に考えて、『詮索』し『その様子の確認』や『馬車のあとを付けた』事が原因で、ゴウン側からの報復だということは確定的に思えた。

 相手との実力差を改めて痛感し思わず『絶望の鳴き』が出るゲイリング。

 

「ブヒッブヒッブヒッ……(ぁああ、ついに私は殺されるかもしれん……)」

 

 竜王だろうが評議員や商人、都市住民などシガラミのある者達は周辺から圧せば制し易い。だが、突如現れた旅の魔法詠唱者という不明の相手では手の回しようがなかった。

 不安だけが募る中で、使用人達により護衛団団長の全身強打に胸部肋骨の全骨折と重度の内蔵損傷報告や、身内の戦士の豚鬼(オーク)の全身火傷に全身骨折と右腕爆散損失で再起が厳しい話や、爆発により警護団の一隊が壊滅という状況を知る。

 更に日が落ちてから、追跡に出た3名の闘士の死体が発見されたとの報も届く。

 

 だが――ゲイリング評議員自身はまだ無傷で生きていた。

 

 彼の精神は『次は私では』との恐怖が膨らみ満ちていく。

 対して護衛団で固めた屋敷へ近付く者は無く、直ぐに襲われる気配はないように思えた。

 それでも怯え続けた評議員は、日没後も自室の明かりを点けないまま、晩の食事も軽食と水だけで終えた。そのまま夜中の間も常に剣を抜ける態勢で、結局屋敷内の警戒を解くことなく朝を迎える。

 徹夜明けの上、今日再び屋敷を訪れるという旅の魔法詠唱者(アインズ)は怒り狂って殺しに来るかもという恐れだけが思考によぎる。評議員はゲッソリとした表情のまま、朝食も喉を通らず午前9時半も過ぎていく。

 そして遂に恐れる客人らが屋敷へ到着した。

 周辺を固める今の警護団の中に、鳥人の団長と戦士の豚鬼(オーク)の姿はない。屋敷内の闘士達も20名程減っている。ゲイリングの近くにミノタウロスの隊長が1体のみ。一応気休めだが闘士を数名、壁際へ配置済である。

 焦燥感も混じった、敗北感ともいっていい空気が充満していた。

 その中で応接室へやって来た獣人っぽい雌(キョウ)率いる一行()()を粛々と迎える。

 もはやゲイリングは観念していた。生涯で最悪の相手としか言い様がない……。

 敷地内の爆発は強力で、戦士の豚鬼(オーク)が助かったのは対爆防御に優れていた遺産級(レガシー)の鎧のおかげであった。計測した結果、魔法位階はなんと第6位階よりも高い可能性が判明している。

 絡め手が一切使えないあの怪物を満足させるために、ゲイリングは一刻も早く合意をして楽になりたいという思いで一杯だ。この短絡的さは少し寝不足の所為であるのかもしれないと彼自身も考えている。ただ最善手との予感は変わらなかった。

 

 ゴウン氏の意に逆らう事は、死に近付くのと同意であると――。

 

 キョウ一行が室内へと入って来た後に、アインズは〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉を解いた。

 あの仮面を被った魔法詠唱者が再度一瞬で登場し、応接室内は緊張が走る。

 昨日起こった団長の重傷を筆頭に、広い敷地内一角での建物大爆発の惨事や追跡した闘士らの殺害は眼前の者の仕業だと、屋敷内を含めこの場にいるほぼ全員が理解していた。

 中央都の市内にも軍隊や犯罪者を捕まえる機構は一応存在する。だが、突き出そうという発想に闘士達も含めて至った者は皆無……。

 常識として罪を裁かれる者と裁けない者が存在するのだ。

 

 アーグランド評議国においても――『強さ』こそ偉大な正義。

 

 法すらいい加減になるのだ。

 100年以上前のビルデバルドの武勇伝でも武勇を賞賛こそされ、罪に問われるような動きは一切無かった。

 勿論、強さには権力も含む。この閑静な邸宅地一帯や商業地の一部はゲイリング家の率いる一族の勢力管轄区でもあり、中央都の長ですら口は出せない地域でもある。

 故に、ここではゲイリングが動かなければ、何も無かったのと同じになる。

 様々な思いが入り混じる、今の何とも言えない異様な雰囲気の広がる中、アインズが軽快に口を開く。

 

「おはよう、諸君。昨夜はよく眠れたかな?」

 

 厳重警備のままで徹夜明けの面々に対し、凄まじい皮肉と言えよう。

 これは無論わざとだ。特に悪徳豚野郎(ゲイリング)へ向けられている。

 絶対的支配者は昨日、ヤツの屋敷から上がる火柱と煙を見ながら、ハーフネコマタの娘へ『時間を与えればこうなると思ったし、これでヤツが私へより協力せざるを得なく出来た』と説明した。

 アインズは丁寧に警告してやったのだから、この程度の言葉はまだまだ優しい対応だろう。

 一方、恐れる魔法詠唱者の挨拶を聞き、ゲイリングの視線は床へと泳ぎまくっていた。とてもアインズの方向をまともに見る事が出来ない。

 仮面を被るゴウン氏の怒りの無い様子と言葉から、全てが彼の思惑通りなのだと気付く。

 

(あぁ、何故(なぜ)かヤツが死の王に見える……)

 

 『悪魔』には見えないのが不思議である。それは悪道へ(いざな)うのではなく、単にあっさりと死が隣へと舞い込んで来るからだろう。

 国内有数を誇る大商会の主人は完全に委縮していた……。

 

 その情けない様子を、応接室の隣室側から戦士装備をした1体の雌の豚鬼(オーク)が豊かな双胸の片側を壁へ押し付けながら密かに見詰める。

 不倫も含め非道を続ける父親の顔を、日々憎らしく思っていた娘のブランソワ・ゲイリングだ。

 

「ふふっ。あの全てに傲慢で剛腕な父が、精神的に屈服しているなんて……」

 

 父の表情は、最近のアーグランド評議国内で権勢を思うがままに掌握しつつあり、自信に満ち溢れたいつもの豚鼻顔とは程遠いものであった。

 彼女にとって、初めてといっていい父の弱々しい姿へほくそ笑む。

 それと同時に強大な権力者である今の父に対して、これほどの圧力を示せる仮面の者に大きく興味が湧く。

 使用人に聞いた話では、アインズ・ウール・ゴウンという旅する魔法詠唱者だと記憶する。

 配下だろうか、視界には彼の傍へ立つ獣人と思える綺麗な雌も見えている。

 

(……んー、豚鬼(オーク)の雌は好みとしてどうなのでしょうね?)

 

 彼女は、目の前のアインズの如き破天荒な(オス)との出会いを待っていた。

 護衛団隊長の一人である身内の戦士の豚鬼(オーク)をはじめ、父の傍に居る者ややってくる縁談は、大金持ちのゲイリング家や『三ツ星』評議員の父の顔色を窺う連中ばかりであったのだ。

 評判だけでなく商会の催し物で会ってみても、概ね父に飼いならされたクダラナイ者達――。

 だが、目の前にいる漆黒のローブの者は全てが違うように思えた。

 

「……是非話がしてみたいわね」

 

 彼女の足は、隣室から目立たない形で応接室の中へと進んで行った。

 

 周囲の様子に満足し、ゲイリングの様子を見続けながらアインズは直接彼へと声を掛ける。

 

「ゲイリング殿、昨日の返事を聞く前に――確認したいことがあるのだが」

「ブヒィィッ。な、なんでしょう……アインズ殿」

 

 変な声が出つつも、ゲイリングはなんとか取り繕おうと背筋を伸ばし気持ちの悪い笑顔を向けてくる。

 そんな豚野郎へアインズは、右ガントレットの人差し指を立てゆっくりと振り『どうなんだ』という強い雰囲気を見せつつ容赦なく問う。

 

「昨日、私が消えてから、新たに二つ三つ貴殿から私へ借りがあると思っていいんだよな?」

 

 当然警告の『詮索するな』について無視した事を確認していた。

 あっさりと追跡者(チェイサー)らを殺していることから、「何の事で」などと言えばどうなるかは容易に想像出来る。

 ゲイリングは汗を盛大に噴出し始めた笑顔で首を細かく振りつつ伝える。

 

「も、勿論。勿論ですとも、私の出来る事なら何でもさせて頂きますです、ハイっ」

 

 揉み手まで見せ、もう既に下僕化し掛けていた……。

 嘗ての営業でもここまで想像以上に行くことは無かったので、アインズの心は上機嫌となり言葉へと出ていた。

 

「よしよし。では昨日、私が去ってからの不快な件は全て忘れよう」

「ありがとうございます、アインズ殿」

 

 命が助かったと評議員は本気で思い、一瞬ホッとした表情を見せた。

 そのタイミングで絶対的支配者が告げる。

 

「それでは、改めて昨日の竜王の件の返事を聞かせてもらおうか?」

 

 圧倒的優位に進め、借りも作らせたところでアインズは本来の目的を――有無を言わさない圧力を込めて要求した。

 ゲイリングは仮面の者らが現れたことで、莫大な儲けが飛ぶことや護衛団と屋敷で甚大な被害を出し、そして己の権勢への自信を容易に砕かれた思いがフラッシュバックする。

 でもまだ死にたくない彼は、要求を飲むしかなかった。

 ゴウン氏らへ対し完全なる敗北者……その屈辱に塗れた思いで承諾の言葉を述べ、勝者といえる旅の者(アインズ)の返事を聞いた。

 最後に合意の握手を交わす為、ゲイリングは眼前に揚々と立つヤツのガントレットへと苦々しく肩を落としたまま手を伸ばす。

 しかし――。

 

「ああ、ゲイリング殿。承諾の握手は別の者としてもらいたい」

「えっ? あ、では……」

 

 評議員(ゲイリング)は、当初から獣人の娘が客人として交渉に来た事を思い出す。なので、その者かと思いそちらへ顔を向けた。

 その時、仮面の魔法詠唱者の口から名が呼ばれる。

 

「――()()よ、前へ」

「はい……」

 

 ゲイリングの伸ばす手が依然空振り状態の中、雌の獣人――ではなく彼女が連れていた小鬼(ゴブリン)4体の横へ立つ、更に小柄で青紫色系のローブを纏いフードと黒い布で顔を隠した者が、周りを恐れる形で控えめに前へ出て来た。

 手前過ぎるので、アインズは「私の前まで来なさい」と告げ優しく手招く。

 その姿は、ゲイリングらへ向けた際に散々感じさせた威圧感はなく、評議員は驚きを覚えずにはいられない。

 ()()と呼ばれた者がアインズの前まで来ると、支配者はフードと黒い布を下げた。

 豚鬼(オーク)のゲイリングを筆頭に、応接室内にいる護衛団や使用人ら亜人達は目を見開く。

 

 そこに居たのは人間であった。

 

 このアーグランド評議国では完全なる奴隷種族だ。頭へローブと同じ色の布を巻いて被っているが、まだ子供だと分かる。

 ただ、額に奴隷を示す『Z』状の印は見つけられない。

 

(どういうことだ?)

 

 評議国の権力者(ゲイリング)は、疑問に満ちた表情を浮かべた。

 ゴウン氏の意図が分からないのもある。それにアーグランド評議国において、奴隷でない人間は非常に少ない。

 また奴隷から解放されても回りの環境は厳しいままである。

 結婚して子孫を残しても、奴隷から解放される程の力があった親やその前の代が死んだ時、身内にまだ実力者が居れば良いがいない場合、子孫は誰からも守っては貰えないのだ。それら一族は大概再び周りからの手で奴隷層へと落とされる。

 それを避けたい者からアインズの下へ預けられたという線が濃厚に思えた。

 だが、相当な友好や信頼関係がなければ奴隷種族の『人間』など迎え入れたりしないだろう。

 人間の子孫へは先に額へ『Z』状の印を刻んでやった方が楽というものだ。

 ここでゲイリングは、旅の魔法詠唱者が何者なのかと改めて思考し一つのケースを口にしかける。

 

「……貴方は、まさかニン――」

「フッ。もしや貴殿はまた私の詮索でも始める気か?」

 

 ()()という人間へ向けていた優しさから、一変した威圧的な態度と言葉が飛んで来た。

 

「――ブヒィッ。いや失礼、何でもないですぞ」

 

 よく考えれば仮面の彼は、美しい獣人の娘と屈強な姿と面構えの小鬼(ゴブリン)達を従えている者。違う可能性の方がずっと高い。

 この国の亜人へ向け『人間』とは最大の侮辱用語の一つであり、ゴウン氏へ告げるのはもはや自殺行為と言っていい。挙句に禁止の詮索を再度行い掛け、自分の愚かさに評議員は動転する。

 その無様な豚鬼(オーク)へ、アインズが不快感を滲ます雰囲気で逃げ場の無い選択を迫る。

 

「で、我が方の者と承諾の握手をするのか、しないのか? いつまで時間を掛ける気だ」

 

 人間の、それも幼い子供との歩み寄ってする握手が、評議国内で権力の一翼を担うゲイリング家へ膨大な利益をフイにする約束の正式な承諾になる……。

 どう考えてもこれは――最大級の屈辱と侮辱に違いなかった。

 だが、握手する以外に選択肢は無い。

 

 ゲイリングは引きつりまくった顔のまま、アインズ側の幼い人間へ自ら近寄り握手を交わした。

 

 これにより、竜王軍団撤退工作の交渉は纏まり無事に締結されたのである。

 

 

 

 アーグランド評議国における社会構造などの基本情報は、リ・エスティーゼ王国ルトラー第二王女がくれたものが役に立った。一方で、基本的な考えとしては第三王女ラナーの示した〝権力者懐柔〟と〝力は絶対〟という流れが正解であり、大きい成果を生み出すに至った。

 勿論ルトラーがそれらを伝えなかったのは、妹が既に伝えていると看破していたからに他ならない。

 あと王女二人は同じ重要な事を支配者へ知らせてくれていた。

 

 ――〝評議国と人類圏との間では情報の行き来が殆どない〟と。

 

 そのために『アインズ・ウール・ゴウン』を名乗り、強引とも言える展開をしてみせたのだ。

 こういった王国の王女達の助言を踏まえつつも、ナザリックの絶対的支配者として更に先へと続く新たなる試みをアインズは持ち出す。

 

「ゲイリング殿、一つ覚えていて欲しい事がある」

「ブヒッ。な、なんでしょうか?」

 

 莫大にあったはずの儲けを諦めたダメージが充満する心に、更に手酷いものが襲い掛かって来るのではと、恐る恐る返事を返す大商人。

 怯えるこの地の権力者へアインズは語る。

 

「近い将来、私はここ中央都と小都市サルバレで商売を始めたい。ついては貴殿の大商会所属の証を使おうと思っている。20個程都合しておいてもらえるか? だが、勘違いしないで欲しい。貴殿の商会とは別の存在になる」

「そ、それは……」

 

 酷い話だ。明らかに『手っ取り早く信用と名前だけ使わせろ』というのである。

 一方で大商人は断ることが無理にも思えた。これは貸しの一つなのだろうと。

 すると、言いよどむゲイリングではない声が横から響いてきた。

 

「アインズ様。そのお話、この私に手伝わせてもらえません?」

 

 アインズが声のした右へ仮面の顔を向けると、アルベド程の背丈で長い腰まで届くストレートの茶髪を揺らす一人の若い戦士風の豚鬼(オーク)の娘がニッコリと笑顔で立っていた。

 雌の豚鼻については個体差もあり、多くは下向きで高い形で人間種との差の違和感をそれ程感じない。なので顔立ちの整った者は彼女のように綺麗に見える。

 やや露出度高めの戦士風装備から、キョウに引けは取らないスタイルの良さも垣間見せていた。

 彼女の声に反応したのは当然ゲイリングだ。下手な妄言はゲイリング家の滅びに繋がると。

 

「ブランソワっ、お前は勝手――」

「――君は?」

 

 荒げる声へ被るようにアインズが声を向けると、豚野郎は口をまだ開けつつも声を止めた。

 豚鬼(オーク)の娘はその様子の合間に名乗る。

 

「初めまして。私はブランソワ・ゲイリング。そこへ立つ評議員のゲイリングは父です。商会を手伝って3年ですが、私は父の商会から独立したいと思っていたところなのです。十分力になれるかと」

「ふむ……」

 

 正直、当国内に不慣れな支配者としては現地に詳しい者がいればとても助かる。それが『ゲイリング大商会』所有者の親族ならば、なお好都合の話である。

 アインズとしては評議国内へ折角来たのだから、将来への足掛かりを残しておきたかった。

 損得はまだ別であり、彼女の申し出は渡りに船と感じた。

 とは言え、父親のゲイリングに断りなくとはいかないだろう。絶対的支配者は彼へと利点も込めて伝える。

 

「ゲイリング殿、どうだろう? ブランソワさんが私を手伝ってくれるというなら、ゲイリング大商会は竜王軍団の退却が無事実行された将来において、当然味方という事になる。その辺り、いかがかな?」

 

 『怪物が味方』――その素晴らしい響きに悪徳非道の豚野郎は猛反応した。

 加えて政略婚姻のため、結婚適齢期の前から幾多の縁組を勧めるもすべて断っていた娘である。依然結婚適齢期前半であるが、もう手は尽くした感もあって諦め掛けていた。またブランソワ自身の積極的反応も普通では無く、ツガイの相手をもう決めたかの雰囲気も漂う。

 

「(親不孝者と思っていた娘が、まさかこれほど役に立とうとは)……アインズ殿、不束者の娘ですが、お役に立つようでしたら末永くよろしくお願いします」

「(――っ。もうやだ、父上っ。でも……)……以後ブランソワと呼び捨てで構いません。どうかお任せください」

 

 悪徳ながら子の想いを汲む父と顔を赤める娘の親子二人が、目の前に並んで頭を下げる姿に――アインズはズレた事を()()に思う。

 

「(ゲイリング家を守るために、必死なんだなぁ)ではよろしく、ブランソワ」

「はい!」

 

 こうして、支配者の意図とは少し違うような形も有りで、評議国内の根回し工作作業がほぼ全て終わる。

 本当はもう一つ聞いておきたい重要事項があった。

 

『この国の中に人間で難度200を超える者はいるか?』

 

 至高の御方は、アーグランド評議国内でのプレーヤーの情報を欲したのだ。

 だが、それを確認した瞬間に評議国を良く知らない者だという事実がバレてしまう。今はまだ『国内を旅する』魔法詠唱者を騙っていたほうがいいだろうと判断した。

 評議国の構成や運営には、アインズの作ろうとする多種族の新国家の参考として興味もあり、情報を集める内にいずれ得られると信じて。

 一行は機嫌が超回復したゲイリング評議員により、キョウや小鬼(ゴブリン)達、人間のミヤまでもが、新たなる将来の親族候補として昼食を皮切りに大歓待されそうになる……本来ならメデタイ宴はこのあと夜通しで、という提案もあったのだ。

 しかしアインズはリ・エスティーゼ王国王城にてすぐの予定があり、少しコザックトやブランソワへ商い面で話をすると「所用があり、またの機会に」と(ケム)に巻き、今回は追跡されずまた昨日から通して仮面を一度も外すことなく屋敷を去っていく。

 

 

 ――そうアインズ達は本日、蒼の薔薇達との作戦会合を迎えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが今日はリ・エスティーゼ王国の北西において、各所からひっそりと忘れ去られそうになりながらも、もう一つ大きな交渉が行われようとしていた。

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグの軍団と王国との間で協議途中であった和平交渉が最終会談を迎えたのだ。

 時間はアインズがゲーリングの屋敷内で交渉している丁度同じ頃である。

 どの世界でも当然、多面張(タメンチャン)の形が存在して状況は進んでいく――。

 

 

 大臣は王城の国王ランポッサIII世へ報告確認後の翌早朝に折り返し、出発3日後の夕刻(エンリが小鬼(ゴブリン)軍団を呼び出す直前)頃に和平の使者一行へと帰還し復帰する。

 代表であり、王城への使命を熟す彼の戻りを待っていた一行は、(ようや)く大都市リ・ボウロロールまで40キロ程の位置にある街へ入った。旧大都市エ・アセナル周辺70キロ圏内の街中は多くが店を閉めていた為にここまで移動して来ていた。

 本来、任務の完遂を持って寛ぎたいところであるが、2日後に竜王との再謁見もあるため、身を洗える施設のある場への逗留を求めたのだ。

 日が沈み、一行の騎士達や4日間近く強行を続けてきた大臣と魔法詠唱者らは湯を浴びて暫しの時間を息抜く。

 ただこの地は反国王派のボウロロープ侯爵の影響を受けている地域。ここで油断は出来ないと大臣は考えている。

 実は街へ入る門で、目的及び身分を明かさず単に「王城からの一行」と告げた際、領主館まで馬が走り「是非こちらの上級宿へ」と招かれていた。

 貴族自身の館に逗留だと、盟主の侯爵との折り合いでマズイとの判断もあったのだろう。

 現在、各地の貴族は王都へ派兵する必要があるも、北方の兵力は王都から折り返す手間を考慮され、一部が大都市リ・ボウロロール周辺へ集結中であった。

 

(確かここの領主の男爵は高齢で、御子息の長男が兵を率いてもう出ているはず。……もし今宵、我らを亡き者にする目的で、領主が兵を動かしても『()()()()援軍として動かす折、兵らに多少の混乱があった』程度でいい訳が立ち……ますか)

 

 不測の荒事に対しても大臣は考えつつ、少しの間とはいえ息を()けた湯の浴場を後にする。

 宿屋は5階建てでその最上階の部屋へ戻ると、宿の主人に代わり、領主からの使いが接待に立ってきた。

 漢のみである一行の顔触れを一通り確認したのち、使いの彼は告げて来る。

 

「何かご要望がございましたら、料理でもお酒でも、もちろん閨への連れなども精一杯ご用意させて頂きますので、ご遠慮なく申し付け下さい」

 

 領主側としては王城からの使者となれば、賄賂や接待の出費を惜しんで国王陛下などに悪い噂を吹き込まれては堪らないという考えで来ていた。狐ほどの力はなく、威に隠れる鼠という存在だ。これらの行動は、王国貴族社会での常識的範囲内である。

 自身も直参の男爵である大臣としては、その行動を理解しつつ『毒物』『ハニートラップ』の可能性も考える。

 この度は国家の大任を任されて来ており、遊んでいる暇など無い――身体の一部はムクムクと反応しつつも……。

 一行の戦力は戦車1台、馬車2台と護衛の精鋭騎士8名に第三位階魔法詠唱者2名である。恐らく夜中に宿を囲まれても、一般兵100名程度の兵力なら問題なく退けてしまえる。

 隙や思い上がりがなければ。

 なので大臣は、些か残念に感じつつも伝える。

 

()()殿()の御心遣いに感謝を。しかし現在戦時下であり、我々は明日早い出立を予定しています。御厚意はまたの機会にて」

「さ、左様ですか……」

 

 通常1名か2名であるはずの王城の使者に対し10名を超えた規模から、使いの男は(あるじ)に手厚い歓待をと言われて来ていたので、多少苦しい立場であるが『男爵を殿で読んだ』相手の地位の高さから無理強いも出来ず下がって行った。

 翌朝早く、大臣一行は上級宿を後にし出立する。その際、『これだけは何卒、路銀の足しに』と金貨100枚の賄賂だけは、使いの者と当地男爵の顔を立てる意味で受け取って。

 その日、彼等は周辺へ注意を払いながらゆるりと、ほぼ無人の大街道を北西へと進んだ。旧エ・アセナルから8キロ程手前の、人気(ひとけ)の絶えし大半が燃え落ちた村跡内に残った井戸脇の馬小屋近くを野営の地と定める。

 そして日付は変わり、和平会談当日を迎えた。

 

 

 生憎(あいにく)の曇天の下、先日の真っ白な衣装に『和平の使者』の文字が刺繍された姿の魔法詠唱者が一行の戦車隊列を〈飛行(フライ)〉で前方の上空から先導する。

 都市廃虚に近付き竜の姿も次第に大きくなって来たが、2体程こちらを確認する形で僅かに近付き()ぐにUターンして行ったぐらいであった。

 どうやら本日の再来について周知されている模様。

 本来の竜種は、やはり人類と変わらないかそれ以上の知性を持つ存在だと再認識出来る。

 それ故に大臣は、きっとこの和平締結も可能なのだと信じずにはいられない。

 こうして間もなく『和平の使者』一行は、無事に竜王らの宿営地内へと到着した。

 素早く支度を整えると指定時間の午前10時半の少し前に、大臣は護衛騎士3名を引き連れて煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)らの前へと進む。

 野外であるこの謁見の場は、正面奥へ数々の上質な生地が敷かれた席に巨体の竜王が座り、そこから一直線に謁見場の後方まで続く幅の広い紫の敷物の上に大臣らは立っていた。

 その敷物を挟むように10体程の見るからに屈強さの漂う(ドラゴン)達が居並ぶ。

 大臣は王国代表として堂々と挨拶する。

 

「ご健勝なるお姿の煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)様へ、再度の拝謁を許され恐悦至極にございます。本日は双方の間での和平につきまして、我が(あるじ)、リ・エスティーゼ王国国王ランポッサIII世よりの最終案をお持ちした次第にございます。つきま――」

 

 それに対し、竜王の脇に控えている百竜長のドルビオラが割り込み告げる。

 

「――人間の使者よ、これより我々の竜王様が今回の件につき話される」

「……はっ」

 

 大臣は前回交渉時の内容の確認と本日、王国と国王からの新しい贈り物についてまだ提示が出来ていない状況に躊躇するも一旦是と答えた。

 竜王自らの発言を止めては、失礼だと判断したのだ。

 ドルビオラからの「どうぞ」という長い首を下げる仕草を受け、上質な生地の敷かれた場に座るゼザリオルグが僅かに身を起こし、鋭い視線を王国の使者達に向けながら短く語る。

 

 

「交渉は打ち切る。

 今後俺らは、人類国家連中の全ての都市と地と国民を踏みにじって前進する。以上だ、消えろ」

 

 

 その後、静寂が10秒程続いた。

 周辺へ響いた余りに一方的である交渉破棄の発言の声は、もうこの空間に残っていない。

 唐突な驚きと絶望で、竜王から20メートル程離れた敷物の中央に立つ大臣は固まっていた。

 彼の後ろに控える3名の騎士達は、表情が恐怖に凍り(たたず)む場での無力で無残な死を直感する。

 それは彼等の周りへ前回と同様に、竜王以下12体の精強な竜達が取り囲んでいたからだ。

 助かる見込みはゼロである。

 竜王がもう用は終わったと、腰を上げ長き首を横へと向け始めた瞬間。

 

「お待ちください、竜王様っ。理由を、その理由をお聞かせ下さいませーー!」

 

 引けない大臣が叫んでいた。

 すると、竜王は()()へと静かに怒りを込めて告げた。

 

(かつ)て偉大な母や俺、同族の多くが人類に殺され、俺は今再び煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)として復活した。

 ――理由はそれだけで十分なんだよ」

「――!」

「文句があるなら、ごちゃごちゃと言う前に全力で掛かって来いや」

 

 もはや取り付く島はなかった。

 恐怖では無く、大役に失敗した事に震えながら大臣はその場へと膝を突く。

 その小さき者へ竜王は背を向けつつ伝える。

 

「ふん。二度俺の前に堂々と立って説得しようとした勇気に免じて、今日は全員、生かして返してやる。まあ次はねぇがな。精々遠くへでも逃げるといい」

 

 がっくりと膝を付いたままの大臣は、護衛騎士達に支えられる形で馬車の所まで連れられると、一行は速やかに竜王達の宿営地を離脱して行った。

 

 

 自分の居所へ戻ろうとした、ゼザリオルグは百竜長のドルビオラから声を掛けられる。

 

「ゼザリー様、最強種に相応しい良い御言葉でした。

 そもそも竜王(ドラゴンロード)とは――負けず、退かず、媚びず、省みずの偉大なる存在。

 竜種の寄る辺であり先代も優しいお方ながら、神話的殺戮者であった八欲王との戦いに一族の勇者達を先頭で率いて只の1体も戻らず。その後ゼザリー様も第二陣を率い一度それに続かれた。立派に勇猛果敢なお姿を示されたのです。此度(こたび)もこれで良いのですよ。今日(こんにち)のゼザリー様へは、我らが地の果てまでもお供いたします」

「ああ、頼りにしているぜっ」

 

 結局、多くの遺体達の所在も謎の脅威の連中も王国側へ確認しないままであり、もう後戻りは出来ない。

 この2日前、人間の捕虜3万についてアーグランド評議国本国への移送が開始されている。

 今後の行動は、本国側の中央評議会で国家の承認を待つつもりだったが、竜王はその考えを少し変えていた。

 

「ドルビオラよ」

「はっ」

「本国より物資が届きゃ、評議会による進撃の承認も近いんじゃねぇか?

 物資が来次第―――景気付けに進撃を再開するぞ。里に残った連中には立派になった(俺以上に強い)ビルデーが居るしな。この先何が来るか分からねぇが、心置きなく派手にいこうかっ」

「ははーっ!」

 

 竜王軍団はリ・エスティーゼ王国との和平交渉を蹴り飛ばし、遂に再進撃が迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインズ達と『蒼の薔薇』の会談、王城一室に9名が集う席でのこと。

 ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラが言い放つ。

 

「勿論タダでとは言いません。金貨2万枚と、お望みなら――私の処女も差し上げましょう」

 

 彼女の(げん)に当然、『蒼の薔薇』のメンバーを中心に場は騒然となった――。

 

 

 

 アインズが評議国より王城内のヴァランシア宮殿3階滞在部屋へ戻ったのは午後1時前。

 丁度昼食の後片付けで、ワゴンに乗せた食器類をユリとツアレが奥の家事室へと下げ洗い作業を始めた折だ。

 アーグランド評議国を去る際の後処理に2時間程を要したが、この5日間程で無事に一つ『面倒な目的』を果たし、ナーベラルと入れ替わった絶対的支配者はいつもの一人掛けソファーでホッと寛ぐ。

 部屋の様子や、使いで不在の天使(ルベド)を除く戦闘メイド達の姿を眺め数分無心で過ごすも、約30分後の会談に対し思いを巡らせ始める。

 『蒼の薔薇』達5名は冒険者として最高位のアダマンタイト級だという。

 確かに、Lv.60弱の百竜長を平均Lv.30台前半の5人チームで戦闘不能にしたというのは快挙と言える。恐らく卓越したチームワークの下、魔剣や特殊技術(スキル)などで非常に効果的な攻撃が行われた結果のはずだ。

 ただユグドラシルではアイテム類が豊富にあったので、同様の事は難しくなかったけれど。

 その分、今居る世界では相当困難な成功例だとアインズも考えている。

 

(流石は、他国へまで名声を馳せる歴戦と実力のアダマンタイト級冒険者ということなのかな)

 

 クレマンティーヌがエ・ランテルへ出入りしていたからかは聞いていないが、『蒼の薔薇』達を知っていたのは間違いない。

 とは言え、いずれにしてもナザリック的には弱者のチームに過ぎないのだが。

 その彼女達はこの戦争の大舞台で、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)を引き付ける役だと決定している。

 強敵だったLv.60程度の百竜長とLv.90付近の竜王との戦力差は天と地ほどある。

 一応報告ではその竜王に見つかりながらも双子姉妹は逃げ延びたともいう。レベルから考えれば奇跡的だ。

 

(確か双子姉妹は“忍者”の職業を持っていると聞いたから、『逃げ』に関して絞れば可能性ぐらいあるかもだけど)

 

 それでも、他の3名も含めれば不可能へ挑もうとしている様にしか思えなかった。

 今日の会談の主旨は、アインズ達も一旦彼女達と前線に出る機会があり、そこで彼の(ニセ)超大魔法に対し『竜王を標的としてロックオン』を行なって、仮面の魔法詠唱者達は(溜める必要のない)魔力を溜める為、後方へ下がる流れの中での調整という事らしい。

 また会談自体は、ラナー王女の了承と共に王国戦士長が取り仕切っており、アインズとしては単に呼ばれる側に立っている。

 昨夜〈伝言(メッセージ)〉を繋いだユリからの『反国王派の使い』を含む報告で、王城内を盗聴しているソリュシャンによれば、『蒼の薔薇』は明日夕刻以降の王城内大会議場にて開かれる『戦時戦略会議』へ呼ばれており、アインズ達の動きを踏まえさせて出席させたいというレエブン侯と国王の意向が入っている模様。

 『蒼の薔薇』達はどこまで名声をあげても『冒険者』なのだ。国政に全く影響ないのである。

 一方、辺境とはいえ第二王女を娶り独立自治区の領主となる予定の人物が更に台頭する事態を、レエブン侯としてはなるべく避けておきたいのだ。この侯爵の考えをアインズはまだ知らない。

 ソリュシャンをはじめ、ユリもなぜ主力となるはずの(アインズ)が会議に招集されないのかと憤慨気味で伝えられていたが、支配者としては参加したらしたで面倒だしどうでもいいと考えていた。

 旅の魔法詠唱者が大貴族達の会議に出たところで、上がる『名声』は知れているのだから。

 

 名声の源は結局『強き力』であり、それを此度(こたび)―――戦いの最後に見せ付ければいいのである。

 

 故に、絶対的支配者は今はただ泰然と待つ形であった。

 間もなく、ツアレが食後のお茶会のセットを乗せたワゴンを押して家事室から出て来た。

 

 

 

 本日、会談へと望むアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』の一行は、慌ただしい早朝を過ごしていた。

 以前から第三王女ラナー指示の下、特定を進めていた麻薬農園の襲撃を前倒しで行なっていたのだ。先日も3つの村の麻薬畑を容赦なく焼き払っていた。

 竜王との大戦が控える情勢でも、彼女らの正義の闘いは続いている。

 これにより、村一つ分程の規模の秘密農園を焼き討ちしほぼ壊滅させた。敵側には100名近くの人員がいたが、半数以上は戦闘不能にしたはずである。

 無論、『蒼の薔薇』側に手傷を負った者はいない。

 その農園の背後には国を蝕む巨大地下犯罪組織である『八本指』が見え隠れしていたのだ。

 

 だから『蒼の薔薇』は王国にまだ残る正義を示したかった。

 

 ただ場所が王都から少し離れており、宿にしている西大通りへ建つ八階層の最高級宿屋に戻って来たのは午前10時を回った頃である。

 彼女らは順次、浴室で湯を浴び幾分(すす)けた体の汚れを落としていく。

 一番湯をもらいバルコニーへ続く窓辺の席で髪をときながら乾かすラキュースへ、ガガーランがふと伝える。

 

「んー、それにしてもリーダーは、女の俺から見てもイイ女だな」

「あはは。なに、急に?」

 

 思わず笑いながら、まだ下着姿で椅子に腰掛けるラキュースが振り返る。

 色白の彼女の姿態は、あの『黄金』の姫君にも負けないだろうと屈強の女戦士は思う。

 しかしそんなリーダーは、間もなく自分達を率いて地獄も(ぬる)く見えるだろう300体近い竜達が舞う死地の広がる戦場へと突き進んで行くのだ。

 

「いや。強さを求めた俺自身はこの強靭な身体と今の生き方に悔いはねぇけど、リーダーには別の生き方もあったんじゃないのか、とな」

「え? 何かよくわからないけど、安心して。 ――今が私の望む生き方よ」

 

 ラキュースは何の未練も無く言ってのける。

 彼女は人々に誇れる正しき英雄になりたいのだ。その為に家を飛び出してまで冒険者になっている。名声は英雄として気にするが、富や地位への興味は特に無い。ただただ、強い英雄に憧れ少しでも上を目指すのみである。

 いつか、未来の人達や少年少女達が憧れてくれれば、それだけでもう悔いは無く最高なのだと。

 彼女の自信に満ちるエメラルドグリーンの美しい瞳がそう語っていた。

 

「ふふふ。そうかい、ならいいや。悪い悪い、何でもなかった。ああ、そういえば最近――」

 

 ガガーランとラキュースはそれから軽い雑談を始めた。

 仮面を外し浴室が空くのを待つイビルアイが、二人のやり取りに遠い昔を思い一人弱く呟く。

 

「ふ、若さか」

 

 10分程でティアとティナが浴室から退室し、イビルアイも魔法では無く湯でのんびり汚れと疲れを流した。

 全員が身軽い服装に着替え一段落し、装備の手入れを始めた11時半前、ラキュースが今日の昼からの会談について少し語り出す。

 

「みんな聞いて。昨日の午前中、王国戦士長のストロノーフ殿から、竜王への陽動作戦の際に開始段階でゴウン殿達への護衛行動を要請された話はしたと思うけど」

「あれか、かの魔法詠唱者が大魔法を使うという。しかも第6位階を超えるものをと」

 

 同じ魔力系魔法詠唱者としてイビルアイが反応した。かなり気になっていたのだ。

 第6位階以上の使い手は『逸脱者』と呼ばれるが、仮面の彼の名は過去にも聞いたことが無い。

 

「そう。だから色々と、魔法を発動するまでに手順が必要らしいの」

「んー、理由を考えれば協力するのはしょうがねぇだろうな。リーダーもそう決めたんだろ?」

 

 ガガーランの言葉にラキュースは頷く。

 

「これは、ラナーからの承諾も得てるという話で来てるから。間違いなく勝機があるのよ」

 

 ラキュースは王女ラナーのこれまでの行動と判断を信じている。

 『黄金』の認めた過去数多(あまた)の作戦は常に『勝って来た』のだ。

 またその作戦を、見事に実行指揮したチームのリーダーをティナとティアは信頼していた。

 

「鬼ボスの決めた事ならやるだけ」

「今回も鬼リーダーに最後まで付き合うだけ」

 

 最後にイビルアイが同意を伝える。

 

「その大魔法がどれほどのものか我々が手助けしてでも、見ないわけにはいかないだろうな」

 

 全員の、旅の魔法詠唱者への援護を肯定する考えを受け、ラキュースは話を進める。

 

「それでね、これまで私達は竜王への対策を進めて来ているけど、まだ足りない」

「そうだな。結構、伝手や金を使ってアイテム類を探してはみたものの、突出した目ぼしいものが中々ないな。あと王都へ集結している冒険者の連中の中で第5位階魔法の使い手は一応見付けているが、強化系魔法は得意じゃないらしく、結局第4位階の連中に頼むことになりそうだ」

 

 ガガーランは、現状確認もする意味でラキュースへ返す。人柄も加わり意外に人脈があって調査を主導していたのは姉御肌の彼女だ。

 ここまで話すと、イビルアイがある事に気付き笑いながら指摘する。

 

「おい、まさか強化について――かの魔法詠唱者へ頼む気か?」

「「「――!?」」」

 

 双子姉妹とガガーランは視線と首を一斉に『蒼の薔薇』リーダーの顔へと向ける。

 ラキュースはチームの皆に、顔へニッコリと笑顔を示して自らの意を見せた。

 

 

 

 『蒼の薔薇』との会談の席へ所用中としてルベドは間に合わず、午後1時半からの開始時に揃ったのは王国戦士長の他、ラキュース達5名の面々と、アインズ、ソリュシャン、シズである。

 ラナーは公務の為に出席していない。

 これもレエブン侯の計らいだ。ただ、ゴウン氏と揉め事を起した王女を排除した形。

 『黄金』がラキュース側に立ち、裏の切り札の仮面の男を不快にさせない為にと手を回す。

 策士策に溺れるとなりかけている事実に侯爵本人は気が付くはずもない。まさかラナーとアインズが一蓮托生で手を組んでいるなど想像の斜め上であるのだから……。

 会談の冒頭は、この場を作った戦士長ガゼフ・ストロノーフの話で始まった。

 

「今日は、近日に迫って来たアーグランド評議国から侵攻中である竜軍団との決戦において、敵への最後の隠し玉としてゴウン殿達に動いてもらう際、“蒼の薔薇”の面々と一時行動を共にしてもらう事からここへ集まって貰った」

 

 そう、レエブン侯は竜王軍団への『隠し玉』という形で、王国軍全軍からもゴウン氏一行の存在をなるべく隠そうとしていた。

 王国戦士長自身は、ここへの移動の迎え時にゴウン氏へ「色々と申し訳ない」と苦しい立場を説明している。

 ガゼフは国王を守る一人の隊長であり、六大貴族のレエブン侯と国王ランポッサIII世の決めた事へ大きい発言権は無い。レエブン侯の意見は、知能の高い(ドラゴン)を相手に筋が通っており口を挟めるものでもなかった。

 アインズは「いえいえ」と相変わらず気にすることなく、またその時、昨夜ユリからの報告にあった反国王派のリットン伯爵からの使いに対し、今朝『先日より戦士長が仲立ちとなり、国王が私へと水面下で戦力協力に関し金貨を積み接触して来ている』とだけ漏らした事を事後報告した。

 これは、アインズへ与えた屋敷類を取り上げれば、ボウロロープ侯爵とリットン伯爵らは苦しくなるのは必至である事も狙っていた。実際国王から金貨5万枚をもう貰っている現実もある。

 ガゼフとしては、敵対勢力に対するゴウン氏の立場も考え「了解した」と黙認する。

 二人はそのあと揃って、先日『蒼の薔薇』らと会合した同じ王城一室へと共に足を踏み入れていた。

 王国戦士長の会談冒頭の言葉へ対しガガーランが発言する。

 

「話はだいたい聞いてるよ。そちらの大将達も大筋は聞いてるんだろ? ならここは全員で腹を割って話し合おうじゃないか」

 

 大きなガガーランの顔が、前回からずっと沈黙し続けるソリュシャンとシズへと向いていた。

 普通の冒険者チームでは大きい課題について皆で相談し解決する所が殆どである。ワンマンチームは無いとは言わないが極々少数。

 その極々少数が、アインズの一行とは思っていなかった風だ。

 ガガーランの言葉で、僅かに視線を向けたものの無口なシズは兎も角、ソリュシャンすら口を開く兆しはない。

 彼女達は絶対的に護るべき(あるじ)であるアインズの言葉へ忠実に従うのみ。

 戦えと言われれば、例え相手が強大であろうとも関係なく喜んで死ぬまで戦い続ける――それが彼女達自身が考える存在意義なのだから。

 その二人に代わってアインズが淡然と答える。

 

「それで良いのでは? そちらとの協力の話は聞かせてもらっています。今回、私の特別な魔法の使用に際して、多くの魔力を集める必要があるのです。理解されていると思いますが、これは私の個人によるお願いではありません。王国軍全体の作戦の一部として行われる事なのです。王国の存亡と生き残りをかけての。だからこそ、万全を期すためにこうして私も部下も来ています」

 

 支配者アインズの言葉で、ソリュシャンとシズは漸く口を開く。

 

「私達は、一時的に前線へ出る必要があるのですわ。その為に分厚い守りが必要ですの」

「……守り手が必要」

 

 姿だけではなく、二人のその美しい声にガゼフをはじめ『蒼の薔薇』達も目を見開く。

 カルネ村から顔を知り何度か部屋へ出入りしている戦士長も、直接声を聞いたのは1度程で僅かの言葉のみであった。

 アインズ側全員の言葉を受けて、『蒼の薔薇』のリーダーのラキュースは一つ頷き、凛とした声で伝える。

 

「私達“蒼の薔薇”は、その最大限の力を持って、ゴウン殿の護りに当たらせてもらいます。それで行動開始の時期と動きに関しては――」

 

 そこからアインズ側と『蒼の薔薇』側とで行動時の話をすり合わせる。竜兵が王国軍の総攻撃で広範囲へ分散することで竜王の供回りが少数となった段階……開戦半日か1日後辺りでゴウン氏らが一度竜王へ接近する事を決める。

 その接近時『蒼の薔薇』達は同行したのち残って引き付ける。一方、離脱するアインズ側も竜王の供回りから邪魔がある場合、片付けるまで攻撃する事で纏まる。

 あとは数日から1週間を要するという後方での魔力収集期間を、王国総軍は広域で地獄を見せつつ兵や冒険者達の命により時間をひたすら積み上げ凌いでもらう事になる……。

 現状のリ・エスティーゼ王国にはこれしか無いという流れなのだ。

 約300体の竜王軍団の圧倒的優勢は、動かしようのないものだとアインズ達を除き誰の目にもはっきりと見えていた。

 仲間達を率いこの死地へ向かうに際して、『蒼の薔薇』のリーダーには壮烈な決意があった。

 

 

 自身の何を対価にしようと、仲間が少しでも生き長らえる為に最善を尽くすという想い。

 

 

 だからこそ強く戦える力を欲して、彼女は旅の大魔法使いへと申し出た。

 

「ゴウン殿、一つお願いがあります。竜王との対峙の際、是非貴方のその飛び抜けて高い魔法力で我々への身体強化魔法をお願いしたい。勿論――」

 

 ラキュースは惜しげなく、預けてある個人の持つほぼ全ての金貨と『身体』をも提示する――。

 だが、『蒼の薔薇』のメンバーは一斉に慌てた……。

 

「おい何言ってんだ、リーダーっ」

「ちょい、鬼ボスっ」

「えぇっ。それは勿体ない!」

「……本気か?」

 

 事前に旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)への身体強化申し出は聞いていたが、多額の金貨や『処女』云々までの話は聞いていなかったのだ。

 

 とはいえ、ラキュース自身は無計画ではなかった。

 彼女も女として、いつまでもこの鎧『無垢なる白雪(ヴァージン・スノー)』を着ては居られない事を知っていた。

 若き乙女の『英雄』として『処女性』は一つの魅力であり、難しい選択ではある。

 だが、今19歳で次は結婚適齢期の中盤でも大台の20歳を迎える事や、彼女の夢見る女傑英雄がこのまま『男性未経験』というのは……少し寂しくコレジャナイと考えていた。

 目前のお相手も美女らを侍らせ十分英雄級の人物であり、故にここが捨て時ではと考えたのだ。

 

 それにもう言い放ってしまった以上、誰もひっこめる事など出来ない。

 

 当の本人のラキュースは僅かに頬を赤くしつつも堂々としていた。

 これには大切な仲間の命が上乗せされている。恥ずかしがる事など一切ないと。

 彼女の態度がその心の強さというものを垣間見せる。

 場は固まっていた。

 ソリュシャンとシズは主の様子を鋭く窺う。いつの間にか窓の外には不可視化し距離を取って浮く〈兎の耳(ラビッツ・イヤー)〉装備のナーベラルや、室内空間には完全不可知化したルベドの姿もあった。

 そんな配下達の姿勢にアインズも暫し動けず……。

 案としては悪くない。今のままでは煉獄の竜王と『蒼の薔薇』達では差があり過ぎるのも確か。

 ただ絶対的支配者は、金貨は兎も角、やはり()()()()()()()()して受ける訳にはいかない。

 

 噂に聞く――自身に関する『女性関係報告目録大全』なるものの存在の為に……。

 

 だから、彼は思わず横柄に口を開き伝える。

 

「――ダメだな」

 

 場は再び動き始める。

 口調から不満さを感じ取り、頬を赤らめ気味でガガーランが大机を右手で軽く叩き吠えた。

 

「ど、どういうつもりだ。リーダーの身体だけでは、ふ、不足だということかっ!」

 

 誰もそんな事は言っていないのだが、更に場へと大量の油を注いだ。

 聴力も強化されているアインズの耳には不可視化のナーベラルから「アルベド様に、アルベド様へ何と……」という恐ろしい呟きが届いた気もする。いやきっと気の所為だと気を確かに持つ。

 ゴツイ仲間の衝撃発言に、相手のゴウン氏が少女ではないティアと、仮面の男が少年にも見えないティナは警戒するように胸元を隠す形で素早くその身を抱き締める。

 イビルアイすらも仮面越しで口許を右手で恥ずかし気に抑えて身体を引いていた。

 ここでなんとアインズの感情抑制が一度働く。

 

(うわ、なんか凄く恥ずかしいんだけど……)

 

 横のソリュシャンを含め元々旅の一行は美女ばかりだが、改めて色好みと女性陣から見られたことで、女性経験の乏しかった彼は強烈に恥ずかしさを感じたのだ。

 だが、一周回って落ち着くと、絶対的支配者らしく慌てることなく告げる。

 

「あの、少し言い方が悪かったようで……。男なのでそう言う部分は否定しませんが、()()勘違いしないで欲しい。魔力を温存する必要が有るので、現実的に考えて断るという話です」

 

 その言葉を聞いてもラキュースは、席を立ち上がり大机に手を突きつつ必死に再度交渉する。

 

「金貨はあと(仲間に借金して)2万枚ぐらいなら追加しても構いませんし、この際――この身体も1度とかケチ臭いことは言いません。戦いが終わったあと、何度ででも好きにしてもらって結構ですから。今、王国の人々の未来のために貴方の力が必要なんですっ!」

 

 美しく覇気に満ちあふれる緑の魅力的な瞳の眼光がゴウン氏を捕らえていた。

 仮面越しにアインズはその視線と対峙する。

 二人の間で僅かな時間が流れ、やがて彼は静かに決定的な一言返した。

 

「申し訳ないが――私は、支援魔法が得意ではないのです」

 

 当然嘘だ。

 ユグドラシルでも屈指の使用可能魔法数718を誇る絶対的支配者は、基本的なものは当然押さえていた。

 だが、いかにも弱い部分を最後に回して伝えた感が出ていた。またアインズとして、彼女達の活躍は望んでいない。死なない程度で無様に敗れ去ってもらいたいのだ。

 これで諦めてくれるか微妙に思ったが、都合のいい事にこの世界で得手不得手が有るのは常識的な話であり、どうにもならない事も普通の光景として存在した。特に高位魔法だと『種類は非常に限られ幅も狭い』ものだと多くの者が諦めている。

 希望は絶たれたと理解し、ラキュースはゆっくり瞬きすると視線を机へと落とす。

 

「そう……です……か」

 

 美少女剣士は椅子へと静かに力なく腰を下ろして行った。

 その様子は失望ではなく、どうにも出来ない己への無念さが漂っていた。

 こうして少し紛糾した両組の会談であったが、あとは戦士長の進行で淡々と行動手順を再確認ののち終了する。

 

 ただ後で、ラキュースの発言をメンバーから聞いたラナーが「そう」と静かに笑ったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 名高きアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』にとって、実り無きとも言えるアインズ一行との会談のあった、その翌日午後6時頃。

 このリ・エスティーゼ王国にとり、実に悲しい知らせが届いていた。

 

 ――竜王軍団との和平交渉決裂の一報である。

 

 アダマンタイト級冒険者チーム『(あけ)(しゃく)』のメンバーで〈千里眼(クレアボヤンス)〉の特殊能力(スキル)を持つ生まれな(タレ)がらの異能(ント)持ちにより、その事実が確認され王城側へと伝えられた。

 以前王都側へとアズスが情報を送った同じ地点に『成否にかかわらずこの時間』と先日の一時帰還の折に取り決めており、大臣達一行の魔法詠唱者が和平会談終了後、1日強の間〈飛行(フライ)〉で移動し交渉の結果を示したのだ。

 交渉失敗の報告も王国総軍の行動決定には、最重要な役目と位置付けられていた。

 成功の場合は、白装束に『和平の使者』と評議国文字で刺繍された衣装の魔法詠唱者が立ち、手を振る。

 失敗時は、白装束では無い魔法詠唱者装備の衣装で立っているか、全員殺され誰もいないかだ。

 誰もいない時は、間に合わない場合も考え速報という形になるが、確認された光景は白装束と異なる王家部隊衣装の魔法詠唱者が一人俯き、ただ立ち尽くしているものであった……。

 

 

 

 ――そして午後6時半。

 王国の王都リ・エスティーゼ北部最奥に建つロ・レンテ城内でも一段と格式を持ち、幾つか弧を描く様に並ぶ天井まで伸びし金縁の大窓により夕刻でもまだ明るい、ここ大会議場にて『戦時戦略会議』が開催された。

 

 主な議題は――『竜王軍団に対するリ・エスティーゼ王国軍の出陣陣触れ』についてである。

 

 その会場中央に置かれた約30席を有する長い大テーブルへ、六大貴族の他に王国の有力大貴族達が一堂に会していた。協力する戦力の要として、『蒼の薔薇』のリーダーのラキュースと『朱の雫』のリーダーであるルイセンベルグも同席する。

 なお王都冒険者組合長を始め、組合連合側は王国軍と別の体制で動くためこの場には出ない。

 最高指導者の席へは国王ランポッサIII世陛下が座し、その後方左側へ王国戦士長のガゼフ、右側へ大臣代行が直立で控える。両隣の座席には二人の王子が座っていた。

 国王の左側第一王子側の列には、さり気なくボウロロープ侯爵やレエブン侯爵にリットン伯爵らが座っている布陣。右側の第二王子側の列にはぺスペア侯爵、ブルムラシュー候爵、ウロヴァーナ伯爵らの国王派が座り、いつもの如く迎え撃つ形だ。

 場に王国権力勢の顔触れが揃うそんな壁際の椅子へ、第三王女ラナーが静かに座っていた。

 最近はアインズの存在により、ランポッサIII世の内心へ僅かに余裕が出来たことで、今回は淫らな露出の抑えられた貴賓高い衣装を身に纏う。父国王の内心を読んで理由を知るラナーとしては、我が身を間接的ながら仮面の君に守って貰えている事が嬉しい。

 本来男嫌いの彼女である。アインズやクライムの前なら全然構わないが、国王の指示でなければ大きく胸元を開き強調した衣装で、欲情した低能な者らから見られるなど虫唾が走るというもの。

 

 ただ今、会場内にその愛しい仮面を付けた魔法詠唱者の姿はない――。

 

 思考の魔女の彼女にすれば、『なるべく手柄を立てさせずに、辺境の自治領へ追いやる』という戦後を見据えたレエブン侯やそれに同意した父国王の考えが透けて見えている。

 

(愚かしい連中。アインズ様を国王にでもして差し上げようかしら)

 

 王女は、この重要会議に主人であるアインズの席が無い事を知って、表情には一切出さないが憤りつつ一応彼に代わって状況を知っておこうと、先日の反省を口にした上で傍聴を父へお願いしていた。

 敵に回せば、智謀の限りを尽くし手段を厭わない恐ろしい令嬢であるが、愛しい者へはそっと最高のフォローをしてくれる存在でもあった。

 会議は程なく始まる。

 進行役の大臣補佐が本来まず、本日正午までに集った戦力を誇らしく伝える予定であったが、最初の報告として竜王軍団との和平交渉は成立せず完全に決裂したことを場の者達へ伝える。

 

「昨朝、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)との和平交渉が失敗と、先程一報あり――以上、(まこと)に残念であります」

「うむ。大臣達は二度竜王らへ会い、頑張ってくれたのだが……。非常に残念であるな」

 

 場を代表する形で、ランポッサIII世が無念さを伝えた。

 悲しい気持ちの王の言葉へレエブン侯が慰めの言葉を述べる。

 

「まあ、非常に難しく、決裂も概ね想定はされていましたので」

「そうですなぁ。こうなれば早急に追い払うべきでしょう」

「竜種とは人類へ対し常に容易ならぬ業を持つ存在ですな」

 

 120キロ程で隣接し領地が心配なボウロロープ侯爵や、経験豊かな辺境伯の言葉も続いた。

 そうして最後に、元々和平案には乗り気でなかった好戦派の第一王子バルブロが景気の悪い内容だとし吠える。

 

「ふん。所詮は、戦狂いの蜥蜴の化け物に過ぎなかったというだけの事。話を次に進めよ、戦いの前に気分が悪いわ」

 

 血気盛んな王子の言葉でもあり、大臣補佐はそのようにし次へと移り、言葉で現状の王国軍の戦力を並べ上げていく。

 半月の短期間であったが、王国は兵力20万と上位冒険者達700組を揃えていた。

 そして今日の議題の中心である陣触れへと移って行く。

 

 注目は――先陣の前線を誰が受け持つかだ。

 

 今回、20万の大部分を10名の小隊ごとで別々に行動させる部隊として分けていく。

 実に約2万組の別動部隊である。

 兎に角各隊は密集せずに、距離を取って挑発行動しつつ敵を分裂させながら逃げ回るのだ……。

 だからこそ先制攻撃でなければならない。竜王軍団が従来通り戦力を集中し『攻撃目標地』を決めて動き出す前に。

 なにせ、なぜ今竜王の軍勢が留まっているのか不明なのだから。1分1秒でも早くこちらが仕掛けるべきなのである。

 そういった事も含めて初動を掛ける兵達は迅速で確実に、そして敵の竜軍団を広範囲に包囲する形で一斉攻撃を掛ける。こうした指揮を冷静に執ってもらう力量が必要となる。

 これに対し――すぐ名乗り出る者がいた。

 

「本作戦は、私が提案しました。なのでその責任もあり、私自身が指揮をさせていただきたい」

 

 勿論、レエブン侯である。

 指揮に際しては前線へ立つ事になるが、彼には強力で優秀な元オリハルコン級冒険者5名を傘下に持っており自信もあった。

 他の六大貴族の面々では、集結した軍団指揮なら嘗て武勇で鳴らし大規模戦経験のあるボウロロープ侯爵ぐらいだが、今回は変則的な事であり傍の供回りも少なくなる点、それに反国王派のレエブン侯が目立ってくれれば盟主が動くまでも無いと考える。

 故に、真っ先に賛同した。

 

「彼が適任だと私は思う。あらゆる協力をさせて貰おう」

「私も彼の指揮官就任へ同意いたします」

「難しい局面であるがこそ彼でよろしいのでは」

 

 ボウロロープ侯の動きにリットン伯爵も即反応した。

 老齢のウロヴァーナ辺境伯も自身では無理と若いレエブン侯に期待した。

 これで、流れはほぼ決まったかに見えた。同席の多くの大貴族達も顔を見合わせ、賛同の声を上げようかというその時。

 

「私も今回、先陣で指揮してみたいのだが」

 

 そこへ割って入ったのが、第一王子のバルブロであった。

 王国の王子として、まず軍議の中心へ立ち颯爽と振る舞いたかったのだ。王位も近くなると。

 そしてもう一つ王子には企てがあった。既に彼はボウロロープ侯の娘を娶っているが、まだ子は出来ていない。

 それは少し別の話なのだが、彼は好みの顔と姿であり場へ同席する若きラキュースを是非、側女にと前々から狙っていた。

 ラキュースは貴族の娘でもあり、貞淑さも『鎧』が証明しており資格は十分。

 だが、彼女の好みを人伝(ひとづ)てに聞けば『英雄的な殿方』という話であった。故にこれは絶好の機会と考えた。

 

(20万の軍の中で魁れば、皆の目を俺に注目させ、彼女への覚えも良いはず。それは何れ俺様への恋慕となって閨にて、ぐふふふ)

 

 当然危険は承知しているが、下半身の勢いもある。人並み以上の武勇を持つ彼の驕りなのだ。

 悲しいかな誰もこれを指摘し諫める者はいない。

 義理の父になるボウロロープ侯はレエブン侯を推しているが、王族と貴族では立場が違った。バルブロは我の強い男である。

 しかしここで、第一王子を危険な前線へ出すことに異を告げる形で国王自体が動いた。

 帝国との戦いでさえ前線は危険なのにも関わらず、今回の相手は竜であるのだから。

 

「バルブロよ、そなたには第一王子として我らが王都を守ってもらいたいのだが?」

 

 これには王子も苦しくなった。

 国家最高権力者で父の言葉である。覆すには正当で且つ相当な理由が必要となる。

 第一王子は、ここで妹の第二王女ルトラーからもしもの時と聞いていた、父王泣かせの芝居を一つ打つ。

 

「父国王陛下へ申し上げます。今こそ、王国の存亡が掛かった戦い。王子の私が国を守るため、前線へ立って進まなければ、一体誰が国を守るために死地へ赴きましょうか?」

「バ、バルブロ、そなた……」

 

 ランポッサIII世は、我が子の語った尊い言葉に心を打たれていた……。

 そのバルブロは、将来の王位と求める女への欲望を通すために語りを続ける。

 

「ただ、父上の私への気遣いのお気持ちは嬉しく、ならば王国戦士長とは言いません。彼の、王国戦士騎馬隊の副長と精鋭から15名を付けて頂きたい。また前線の半分とは申しません、3分の1でも4分の1でも構いませんのでどうか指揮をお命じ下さい。このバルブロ、一生のお願いです」

 

 父である国王は、王子の言葉に一筋の涙を流した――『天よ感謝します、良き王子を』と。

 国王は、『人は追い詰められた時こそ本性を出す』と聞いており、今が正にその時。

 椅子から身を少し乗り出していたランポッサIII世は、背もたれへ体を預けると静かに告げた。

 

「よかろう、王子バルブロよ。王国戦士騎馬隊の副長ら15名を率い、前線にてレエブン侯と協力しその4分の1を指揮せよ」

「ははーっ」

 

 バルブロは、実ではなく名を取った形である。そこそこ成功すれば『竜軍団との前線での指揮官』という英雄的名誉が転がり込む事になった。

 国王は、前線指揮官に相応しい六大貴族へと顔を向け伝える。

 

「……レエブン侯よ、前線の4分の3を預ける。すまんが我が王子をよろしく頼む」

「……はい」

 

 レエブン侯は非常に複雑な顔をしていた。彼としては将来、第二王子を推したい所なのだ。

 一方、王子バルブロはもろもろの野望へと近付き、口許が僅かにニヤけていた。気持ち的に下半身も絶好調気味である。

 ()()()()の妹のルトラー曰く――。

 『父上は――ここぞという時の自己犠牲の言葉や、可愛い子達の一生のお願いに弱いのです。また、城内の名門貴族出の近衛騎士達では、過酷な戦場においてきっと精神を病み最後まで守って貰えません。対して王国戦士長の部下達こそ死をも恐れず一騎当千の精神を持つ戦士達。もし戦場へ赴く時が来たとすれば、是非に彼等を付けてもらってください』

 彼女は国王の性格を読み切っていた。ただ兄がここで使う事までは予想出来なかったけれど。

 対竜種との戦いの前線は温くない事に、敬愛する兄はまだ全く気付けていない……。

 

 それから順次、関係の大きい順に配置が決定されていった。

 第一王子が前線へ出たとはいえ、国王が王都へ残っていては話にならないとランポッサIII世は語り、王都へは第二王子のザナックを配置する。

 国王自身は穀倉地帯中央部の大森林内へ設けている、一部地下化された司令所へ兵300と王国戦士長並びに王国戦士騎馬隊が付く形で出陣。

 六大貴族達は、ボウロロープ侯爵とリットン伯爵以下反国王派の大貴族達を中心に、王都北側の14000平方キロ以上ある広大な穀倉地帯の西方半分を担当。そしてブルムラシュー候爵、ぺスペア侯爵、ウロヴァーナ伯爵以下国王派の大貴族達を中心に国王のいる中央部と東側を受け持つ形で展開することとなった。

 国王ランポッサIII世が総括として場の者へと呼び掛ける。

 

「我々には困難が待っている。だが、この地を守るために協力して欲しい。皆の者、出陣だ。宜しく頼むぞ」

「「「「「ははーっ」」」」」

 

 集った大貴族達は、全員が席から立ち上がると恭しく礼をして出陣について拝命した。

 彼等の忠誠は大半が微妙だ。しかし、己の領土や富に女など手放したくない物へと欲望と渇望と未練が士気を保たせている。

 そして――開戦は6日後の午後5時と決まった。

 戦闘開始後、前線4万、4000小隊が竜軍団宿営地を円形全方位から進撃し、反応した竜兵達の数によって部隊を広い外へと誘い反転していく作戦。

 ただし北への部隊は少数とし、竜軍団の多くを東西南の三方向へと分散させて広げていく。

 だが一度では上手くいかない可能性もあり、追って来ない場合は再度配置場所へ戻り、調整後に全方位進撃を再度行う。

 またこちらの意図に気付かれる恐れもあるが、作戦は続行することも決められていた。

 あと、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)へ対する『蒼の薔薇』の陽動作戦は、竜王の供回りの状況を見て半日か1日後から行動を開始する事や、『朱の雫』ら上位冒険者が指揮官級の竜を順次削って行く旨の確認がされる。

 王国軍本体は一心に竜達を分散させ、冒険者達が個別に倒せる機会を作り――最終的に()()()()()()が目的なのだ。彼らの行動に『竜軍団を倒す』という意味合いは欠片程しかない。

 配置位置に関する地図が、大量に用意されており順次大貴族達へ束で配布されていく。

 ただ戦域が非常に広く、貴族達で高齢の者は次男三男の息子達が代わって指揮する者も半数を超えていた。

 ラナーは、小馬鹿にする笑みを僅かに口許へ浮かべつつ思う。

 

(やはり家や目的、そして生を含む欲望の為に子を切り捨てる。親子の情などは無いも同然)

 

 大貴族達は傘下の有力な子爵と男爵達への配置をまず大きく相互で確認し話し合うと順次、駐留する彼等へ知らせる馬を走らせて行く。有力な子爵と男爵達にも其々傘下として小規模な男爵達が多く控えており指示を待っているのだ。

 王国全軍の移動配置は、この会議終了直後午後9時より各自で開始された。待ったなしである。

 なおエ・ランテルをはじめ、各地での一般兵の追加戦力の招集はまだ続いている。

 王国軍の兵達が地獄の戦地へと歩を進め向かい始めた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国の王城へ竜王軍団との和平交渉決裂が届く1時間程前。

 バハルス帝国内、帝都アーウィンタールから南西約70キロの位置、隣国の大都市エ・ランテルへと続く夕方前の大街道上を、エンリ・エモット将軍率いる小鬼(ゴブリン)5000の軍団の列が進む。

 隊列の進行は今日で3日目であるが、日々まちまちであった。

 初日20キロ、昨日の2日目は僅かに15キロ。それに対して3日目の今日は、朝早くから移動を開始し35キロを超える勢いである。

 ただこの状況を、人の良いエンリは普通に『帝国側にも、その地域ごとにも都合があるよね』の感じで、周辺地域の地形毎に騎士隊の配置移動や封鎖等へ時間が掛かるのだろうと考えていた。

 まさか……巨樹との距離と天候を測られ策を謀られているとは思いもしていない。

 本日の移動距離が大幅に伸びた理由は簡単である。

 上空を見上げると、今にも泣き出しそうな曇天模様が全天を覆い尽くしており、まだ午後5時を前に辺りは随分と暗さを増していた。

 

 今晩雨が降るのである――。

 

 皇帝秘書官のロウネ・ヴァミリネンは、帝国八騎士団第一軍の将軍並びにニンブル率いる近衛の皇室兵団(ロイヤル・ガード)200名へのみ、王都方面へ移動を続ける巨樹の存在を知らせている。

 それ以外に知る者は皇帝ジルクニフ以下数名だけだ。

 亜人達の軍団へ知られないようにと、味方側へさえも情報を徹底して秘匿した。

 皇室兵団(ロイヤル・ガード)達の数が多いのは、巨樹の侵攻に関する連絡と周辺封鎖を担当させるためだ。

 ロウネは第一軍の副将軍へは「先導する15騎や周辺封鎖担当の者達には直前に通知します」と伝えているが、正直確実性と秘匿性を考慮し『両敵』激突後に――と非情な選択で考えている。

 また、帝国西方から中央部に住む農民の村々へ一般騎士の伝令を定期的に出し、天候を見るのに長けた者達から『雨の降る日時はいつ頃か』を確認させ続けていた……。

 全ては確実に皇帝の計画を実行し成功させ、帝国に平和を(もたら)せようと努めての事だ。

 午後5時20分頃の事、15分程前から南西へ向かう大街道を外れ麦畑の広がる脇の道を真西へと入り込み進んで来ていたが、前方からの伝令の騎士により先導していた帝国騎士達15騎は最寄りの()()()()()()()()空き地へと向かう。

 巨樹の侵攻に合わせて、帝国は小鬼(ゴブリン)軍団へ複数の野営候補地を用意しており、その一つへと到着した。

 騎士達は昨日と変わらず将軍のエンリへ「本日はこの地での野営をお願いいたします、では失礼します」と伝達し少し離れた所へと下がっていく。

 3日目なので慣れて来た感も出てきたエンリは小鬼軍師へと伝える。

 

「では軍師さん、早速陣設営をお願いいしますね」

「ははっ、エンリ将軍閣下」

 

 指示を受けた彼は、次々と場所に合った陣張りを命じていった。

 

 

 

 一方そこから少し時間が過ぎた頃、エンリ達を追い掛ける形で移動を続けていた薬師のバレアレ少年一行は、今の不規則な行軍状況に困惑気味であった。

 彼等はエンリ達が今朝まで陣を張っていた場所から700メートル程の位置にある林内へ潜んでいる。

 午前中の軍団の移動に距離が出た動きを、『本日の途中経過』として蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)からネム経由で午後1時頃に聞き、そして午後6時前の現在、野営位置等の知らせを再度受け取った。

 そうして利口な少年の思考の中で情報を並べ、ンフィーレアは確信する。

 この時、夏期の帝国西方の雨上がりに霧が出るという、地域の気候を知っていれば彼の確信は変わっていただろう。

 少年は相談があるとし、ネムやジュゲムに認識阻害も無くなったカイジャリ他、小鬼(ゴブリン)達を集めると衝撃的な予想を伝える。

 

「エンリ達は恐らく明日、僕らの見た巨木のモンスターと正面から遭遇すると思う」

「「「ええーっ!」」」

 

 驚くと同時に、エンリを心配しジュゲムが提案する。

 

「それじゃ、急いで乗り込んで姐さんに知らせましょう!」

 

 それは当然の意見である。

 ンフィーレアはエンリの忠臣達である小鬼(ゴブリン)らへ向かい、頷きながら意外な事を伝える。

 

「そうなんだけど、まずあれだけ大きいと遠くから見えて十分逃げられるし動きも遅いしね。あと――これってさ、エンリ達が急遽、帝国の為に戦おうとしてるんじゃないのかとも思えて」

「あ……」

「あちゃー」

「うわー、お姉ちゃんならありそう」

「姐さーん」

 

 ンフィーレアは一度手紙で彼女へと早期に退去するよう危機を知らせている。

 また遠方から丸見えの巨体から、不意を突かれる事はないとの認識が思考を邪魔していた。

 なので未だ距離を測る動きで、もしかすると帝国側上層部との間で高度な政治的取引があったとも思えるのだ。

 それなのにここで勝手に、エンリ達へ知らせる形で乱入すれば『我々帝国側の存知あげないこの大きな戦力は一体……?』とまた大問題へと発展する可能性が見えてしまった。

 

 故にエンリの性格を知る面々は、結局彼女の傍へとまだ動けなかったのである。

 

 

 

 アインズからの監視指示を受け、ナザリック地下大墳墓第九階層の統合管制室では担当の怪人達がエンリ率いる隊列を24時間態勢で追い掛け視ていた。

 先日、バハルス帝国からと思われる怪しい100名程の商隊風の一団の2つを捉えた際は、ナザリックの随分高高度の俯瞰位置からの広域定点監視で発見している。

 昨日未明の二つ目の隊列通過も問題なく、大墳墓の南15キロの平原を通過していったのを終始把握していた。

 それに対し、小鬼(ゴブリン)5000の軍団監視はエンリらの様子を知ることが重要とされ、随分高度が下げられており、周辺把握はかなり狭い範囲で実施されていたのだ。

 そのため、統合管制室責任者のエクレアの席へ、怪人は直立姿勢をとり現状を報告する。

 

「報告します。エンリ率いる味方の部隊は野営地に入り止まりました。現地は雨が降りそうですが、今は特に問題ありません」

「はい、ご苦労。分かりました」

 

 足の全然届かない席へ座ったまま部下を労う黒ネクタイ付きLv.1の全裸ペンギンは、内心で創造主餡ころもっちもちからの『使命』を交え考える。

 

(うーむ、この際、大墳墓の支配の駒に地上の者達……エンリとかの引き込みも考えるべきか。

 ―――あっ、角奥の壁のツヤが僅かに曇っていますね、掃除掃除)

 

 そんなトンデモナイことも日々結構考えつつ、彼は掃除で移動する為に怪人を呼び寄せた。

 

 

 

 帝国中央西部にて夜10時を回る頃、静かに運命の雨が降り始めた――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 王都の怪人

 

 

 王都リ・エスティーゼの北東郊外へと、騎乗するクレマンティーヌが現れたのは漆黒聖典の隊列を離れて3時間弱過ぎ、日付を越えた翌日未明である。この日は午前中にアインズが評議国の中央都へ乗り込んでいる。

 夜は更けており星明かりの中、薄暗い畑の畦道を抜けて門の閉じられた村々を迂回し巨大都市である王都の長大な外周壁の東門傍までくると、(ようや)く彼女は一度馬を降りた。

 人目を気にする風に紺碧色のローブのフードを深く被る女剣士は、周囲を見回し近くの目立たない場所にある木々の茂みを認めると再騎乗してゆるりと常歩(なみあし)で向かう。

 間もなく茂みへ着き、馬を木へ繋ぐと背伸びし少し落ち着く。

 

「どうしよっかなー、んふっ」

 

 口より出た言葉がそのご機嫌度合の高さを感じさせた。

 現在居る場所から、心より愛する者へ会うまでの障害はもう随分と『低い』ためだ。

 彼女の身体能力なら、目の前へ髙くそびえる外周壁さえ垂直に駆け上がることすら可能である。

 気配により周辺や外周壁上の警備配置は概ね把握した。

 だが……彼女は()いているが、壁を越える行動へは直ぐに移らない。

 それには理由がある。

 今、戦時下にある王都周辺は厳重警戒態勢であり国内から冒険者達も大勢集まっている為、伏兵的生まれながらの異能(タレント)持ちが居る可能性を危惧していた。不法者へ反応するバカを。

 だからこのまま無理せず数時間待てば、東の門は開かれ安全に通れるはずと考える。

 なお、王都周辺におけるスレイン法国の秘密支部は―――“擦レ印(すれいん)聖典出版”だ。

 その所有する資材倉庫の一つにあった。

 王都外周壁内にある事は漆黒聖典隊員へも一応知らされており、地方からの便(たよ)りを届けるという役回りで、たとえ検問があっても正面から通過出来る手はずを平時より準備されている。

 便りには、“擦レ印(すれいん)聖典出版”から賄賂を貰っている近郊貴族の封蝋(ふうろう)印まで押されており多くの問題は消されている。とはいえ急の開門を可能にするものではない。

 しかし――だ、クレマンティーヌは俄然急いでいた。

 ただ不法で見つかると厄介である。こうして恋する女剣士の思考は何度も堂々巡りし続ける。

 実に悩ましい思いから、彼女は深めに被るフードで隠す顔へ両手を当てて唸る。

 

「うーん。うーん。うーん。………しょうがないかー」

 

 クレマンティーヌは結局待つことにした。つまらない事でのリスクを避けることにする。

 単に5時間程待てばいいのだ。それでもまだ丸4日以上ある。

 モモンが絡むと彼女はとても慎重になる。そしてそれを我慢出来るのだ。

 不思議である。

 他の事では、まず悩むなど馬鹿らしくて考えられず、即実行である。もちろん邪魔や気に入らないヤツが現れれば拷問気味に殺害するのみ。

 彼女は、馬の鼻筋や肩の辺りを撫でつつ呟く。

 

「モモンちゃんに会うんだもんねー。ゆっくり堂々と会いたいよねー」

 

 頬を染める乙女の表情のキレイなクレマンティーヌは、モモンの事を色々考えて5時間を待つことに決めた。無論エロい事もアレコレ一杯含めて。

 傍の農家の作業小屋横から桶をパクり小川から水を汲んで馬へ与えると、手綱を繋いだ木の根元へ足を抱えるように座り込んだ。

 だが、ここで邪魔が入る。

 明らかに今潜む目立たない場所へと接近する、何者かの気配をクレマンティーヌは感じていた。

 

(おぃおぃ、ダレだー。このクレマンティーヌ様とモモンちゃんとの大事な大事な時間を邪魔するバカはー。……糞ったれめ、ぶっ殺すーーー)

 

 桶を盗った様子や水汲みが見られたのかという考えも僅かに浮かびつつ、素早くローブをフワりと大きくはためかせて立ち上がると、既に腰へ佩く業物である2本のスティレットを抜き放ち完全攻撃態勢に入っていく。

 大方、帝都周辺へ集まって来ている冒険者の連中だろうと考えて。

 だがこの時、彼女は何かがおかしく感じた。

 近付いてくるモノだが、気配を察する事の出来る冒険者達の動きではなかったのだ。

 隠れる様子も見せず、淡々と歩を進め向かって来る。加えて一人ではない。

 

 そう、まるで――生者を感じて襲い掛かってくるアンデッド達のような。

 

 茂みで見えないが距離は30メートル程前方に迫っていた。

 予想外の相手で、少し怒りの冷めたクレマンティーヌは腑に落ちない表情を冷静に浮かべる。

 

(……えーなに。こんな王都の東門傍なのに……どういうことー?)

 

 確かに人口が多いと墓地も周辺に大きいものが作られる。そのため偶に出没することもある。彼女にすれば、良く知るズーラーノーンの高弟が平時から使っている事から武器のようなモノで、恐怖などの思いはない。

 圧倒的に慣れているのだ。

 当然、対応や扱いについてもしかり。

 だがら先を制したのはクレマンティーヌの方である。

 

「〈要塞〉〈超回避〉〈能力向上〉〈疾風走破〉――」

 

 呟き終えると同時にローブ姿のまま駆け出し、彼女は目の前の繁みを軽やかに飛び越えると、空中で太い枝を蹴って斜め前方へ降下し繁み外へと着地する。

 そこには、身形から元農民達と思われるアンデッド――従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)が数体繁みへと向かってきていた。

 視界内へ捉えた数は4体。全員丸腰の無手である。

 クレマンティーヌは、そこからアンデッド達へと一気に突撃する。

 すかさず、まるで風の駆け抜けるが如き鋭い突きからの払いを連続で放つと、連中の後方へ抜け出ていく。

 素早さを優先し噛み付き攻撃予防で〈不落要塞〉の下位の〈要塞〉に抑えて〈能力超向上〉もまだ使っていないものの、武技が上乗せされた今の彼女の戦闘力は難度で優に100を超えてくる水準である。

 一瞬で、アンデッドらの4つの首が各胴体から離れていた。

 彼等へは突きの攻撃がほぼ無意味。首を落とすか、手足を切り飛ばすかだ。ただ、手足では動きが止まらず、中には切り落とした部位を再度繋いで直す猛者もいる。油断は出来ない。

 クレマンティーヌが周囲を窺うとまだ他にもいるようだ。

 

「……(こいつら、まだ新しいわね)」

 

 隙なく動き出さないかを一応確認する彼女の目には、もう動かないアンデッド達の衣服へまだ新しい血の(あと)が見てとれた。

 今居るのは王都東門から200メートルほど離れた木々の茂る場所を北側へ出た、脇へ用水路的な小川の流れる低い草の生えた平らな地で、視界の遠くに柵のある小さい村の集落が見えている。

 恐らくそこからここまで来たと女剣士は判断した。柵を巡らす為に家々は密集するため、村の中は少しヤバい雰囲気が漂う。ただ、高い板塀ではないので、早く気が付けば十分逃げ出せる機会はあると思えた。

 

「――(まあ、私には全然関係ないんだけどー)」

 

 これは全て王国内の問題で、縁もゆかりもない村が惨劇に見舞われても彼女には痛くもかゆくもない。

 ただ――ニンマリと歪み切った狂気の笑顔を浮かべてこのイカレタ女は思う。

 

「イイところを邪魔されたしー、ちょっと暴れたい気分なのよねー、んふふふふー」

 

 そう、アンデッド達がいるのだ―――ついでに今、生きた村人を殺しても()()バレないと。

 

 殺しと血に飢え始めた彼女は、村へと疾走する。

 従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)へではなく、まず殺害を楽しめる生者の生贄を探して……。

 近付くと、こじんまりした外観通りに村は30軒程で、村内からの恐怖と断末魔の叫び声が時折聞こえてくる。

 クレマンティーヌは、村の門から通りへ入りつつ邪魔なアンデッドの首を10以上かっ飛ばして突進。

 それは、何人かの村人の危機を救う形になった。でもそれは一瞬だけの……気の所為。

 動死体(ゾンビ)に襲われ掛けるも、一撃で切り倒してくれたフードを被るローブ姿の剣士の登場に、助かったと思い笑顔を浮かべ掛けた中年女性。

 だが、瞬きする間もなくその首筋に、狂気の女のスティレットが容赦なく突き刺さる。

 

「な、ガッ……?!」

 

 襲われ喉から血が流れ始めた中年女性は目を白黒させ、眼前の者を見つめる。

 その――フード奥にある、これまで出会った事のない『人とは違う』異常者の目と歪み切った笑顔の表情へ気付き、恐怖し絶望する。

 剣先が喉を貫通しつつも、それはまだ一瞬で意識と命を奪わない一撃。

 

「うぷぷぷーー。んーこれこれ。スッと人の体を刺す良い感触ぅー。あぁ、オバサン、ゆっくりと死を楽しんでいってねー」

 

 喉より引き抜き戻す剣先の返しで、中年女性の脇腹をも深く切り裂いて背を向けると、次の獲物を求めて足早に立ち去った。

 その後も、絶好調のクレマンティーヌは、無垢な子供でも老人でも見つけ次第容赦なくバンバン狩っていく。

 嘗て秘密結社ズーラーノーンの実験への協力時、幾つか村の口封じをした手法に習って二刀流ではなく剣1本で、且つ普段とは違う突くのではなく『切る』剣術スタイルで殺傷する事を彼女は忘れない。

 

「みんな苦しんでねー。んふふふー、死ね死ねー。楽しー、うぷぷぷ――――」

 

 村の人口は100名ほどで、発生した従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)は40体程であった。

 一方、御機嫌で思うがままに振る舞ったクレマンティーヌの殺傷した人数はなんと50名を超えており、その悪魔的な虐殺劇を僅か2時間未満で展開し終えていた。

 正に狂った殺人鬼の名が相応しい女である……。

 周到な彼女は動死体(ゾンビ)について、これら悲劇の犯人として数体逃がすという事を忘れない。

 久々に満喫した時間を過ごし終えたクレマンティーヌは、闇に紛れ人知れず村を少し離れた辺りでアイテムを使い、返り血の滴るローブを始め全身の汚れを〈清潔(クリーン)〉する。

 身を覆い隠すローブへ綺麗な紺碧色が戻っていた。

 そうして、馬を繋いだ先の繁みへ戻ると外周壁の開門までの3時間、モモンの事を色々と甘い情景も含みつつ考えて……いつの間にか幸せの中で僅かに微睡(まどろ)む。

 

 村人の内、早い段階で村から遠くへと逃げおおせた数名だけは助かった。

 狂気の女剣士が村を去ったあと、朝を迎えてここへ戻って来た村の者達は僅かにまだ息が残っていた数名から事切れる直前、動死体(ゾンビ)と共にもっと恐るべき「うぷぷぷ、うぷぷぷ」と鳴き、血で闇色に染まったローブ姿をした謎のモンスター『()()()()()()』についての殺戮劇を伝え聞く。

 以後、この地域を中心に親がわがままな子供を叱る際に「そんな悪い子は、夜中にイカれた怪人に襲われるぞ」と言って教育ネタにされる存在になったという――。

 

 

 

 村の惨劇を終始、呼吸をする事も無く気配を消し静かに見ていた者がいた。

 騎士風のアンデッドと並んで潜む冒険者風の姿をした、顔が死人らしく土色に変色したアンデッドが呟く。

 

「失敗シタ……」

 

 元ミスリル級冒険者でゴドウという名の男であった動死体(ゾンビ)である。

 アンデッド化により全ての身体能力は強化されていたが、知能だけは幾分下がった形だ。

 

「オノレ、フューリス男爵メ次ハ殺ス……」

 

 冒険者風のアンデッドがしわがれた低音で語る。彼は、先の襲撃地の王都西部から東の郊外へと移動潜伏し一つの策を実行しようと考えた。仲間を大勢増やし、奴が逃げ込んだ壁の中へ攻め込み『仇』のフューリス男爵を殺そうとしたのだ。

 ところがそれは上手くいかなかった。『仇』が直ぐに取れず残念な思いが広がる。

 ただ彼は、もう既になぜ『仇』なのかはよく覚えていない。しかし『仇』を殺す事が己の存在意義に変わって来ていた。

 

 ――故に果たさなければならない。

 

 共に居る騎士風のアンデッドは、自身を生み出した冒険者風の動死体(ゾンビ)へ従っている形だ。

 身体能力が強化されたことで、難度で42程度の実力になっているので力強い存在だ。

 

「フューリス男爵ハドコダ……」

「ヤツハ城壁ノ中ダ。次ニ出テ来タラ必ズ殺ス」

 

 騎士風のアンデッドの問いにゴドウであったアンデッドが答え(なだ)めた。

 全身鎧の動死体(ゾンビ)は、創造者へ強く頷く。

 

「分カッタ。殺ソウ」

 

 忠義心溢れ従う元騎士の彼だが知能は些か低かった……。今後苦労しそうである。

 彼等はフューリス男爵を殺す為、『息をせず』静かに待ち構えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 『アウラ、マーレ姉妹を愛でる会』開催!!

 

 

 開演時間は本日午後10時。

 場所はナザリック地下大墳墓第九階層の通称『アインズ様執務室』――。

 

 アーグランド評議国において好条件での密約交渉の正式締結を明日に控え、アインズに今宵時間が出来たため、王都の冒険者宿屋に待機するマーレへまず「実際、昨日の今日という事だが、どうか?」と声を掛けてみた。間が空けば再練習もあり得て、善は急げの方がいいだろうと。

 鑑賞者は「(アインズ・ウール・ゴウン)と、後は護衛と当番のメイド各一名のみだ」とも伝えて。

 主からの声掛けへ「だ、大丈夫です」と伝え、(マーレ)は銀のどんぐりのネックレスを使い姉へ連絡を取り、第六階層に揃った双子の姉妹達へ直接アインズが確認承諾後、二人へと正式に実践通告したのは開演僅か3時間程前である。

 

「分かりました、ではあたし達の精一杯をお見せしますね、アインズ様」

「お、お姉ちゃんとぼくで一生懸命頑張ります、アインズ様っ」

 

 双方キラキラとした瞳で金髪を揺らし、本当に可愛く楽しげに微笑む双子の闇妖精(ダークエルフ)の姉妹達。

 

 遂にこの時が来てしまった。

 そう思わせるものが確かに存在した。

 『やってしまった』感を拭えないとの思いが、地下大墳墓の絶対的支配者の心に一閃を起こす。

 だがここで後ろを振り返って何になろう。

 そして、姉妹の美しい努力を無駄にしてはイケナイのである。

 それは悪魔の所業と言っても過言ではあるまい。

 後悔や挫折すれば我々は前へと進めない。もはやここは前進あるのみなのだっ。

 そんな、綺麗事を心の巨壁へと並べ立てまくって……納得するフリに甘んじる。

 彼は開演を目前に、毅然とその精悍な髑髏の顔を上げてみせた。

 さあ、姉妹同好会の記念すべき――――ファーストイベントである。

 

 

 『アウラ、マーレ姉妹を()でる会』

 

 

 なんという、イカガワシイ……いやイケナイ……イヤイヤ、そうっ正に愛らしい響きだろうか。

 その表現に困るほどである。

 だが、表立って正式な『その題名』を公言出来る訳もなく、アインズは建前としてそれとなくオブラートで包むが如く、今日の地下大墳墓内におけるこの時間帯の行動予定へ『執務室にて、双子に癒される会』とした。『心労を癒される』と付けたいところだが、後日守護者達が新たに騒ぎそうな思いもして支配者は外している。

 ところが、『双子に癒される会』――そして午後10時――。

 風の噂で開催はアウラの口から『昼のひと時辺りに』という事で薄れていた感があったのだ。

 だが御方による()()()()()の行動予定がNPCらへ周知されると、疑惑は逆回りし余計に深まってしまっていた……。

 執務室の扉の前には、アルベドとシャルティアという妃候補の双璧が並び立ち、それに加えてヘカテーまでが来ており「ハレンチな行為はイケマセン。いけないと思いまーす」と背にある小さめの蝙蝠風の翼や悪魔の尾も動かし、一人可愛い声で反エッチコールを上げて陣容は固まり騒然としている。

 仕事を放置して駆け付けたアルベドは、両手を胸元で緩く握りつつ落ち着きなく腰の翼を時折乱雑に羽ばたかせ、かなりの動揺を見せていた。

 

「これは一体、どういうことなのです……。アインズ様は私がいくらでも癒して差し上げるのに」

 

 一方、赤い完全装備の鎧姿でスポイトランスまでもう右手に握り込むシャルティアは〈転移門(ゲート)〉を繋げてまで、中を覗き見しようかどうかを悩んでいた。

 

「いと頭のおかしいチビすけとその妹に、真面(まとも)なご奉仕は無理でありんしょ。わたしがこの若い身体で尽くしてご覧に入れるでありんすえ」

 

 とてもそんな雰囲気では無い。骨が砕け散る惨劇の予兆しかない……。

 

 こうして場外も十分温まって来た頃、執務室内を優雅に飾る壁の大時計の鐘が、正に10時の刻を告げ重たく鳴る。

 今、執務室に居る『アインズ様当番』の一般メイドはフォアイルである。

 開催は急遽決まった事であり、これは偶然。

 そう別に先日、ルベドの部屋を掃除していた折に、極秘ファイルを落としてその禁断の中身を見てしまったからでは断じてない。また直前と言える1時間程前に本日当番日だったフィースが、室内へ護衛で(アインズ)と共に来た()()()()()使()に執務室から廊下へと連れ出され「体調を崩した」とし、急遽一時交代をペストーニャへ申し出た上に、態々付き添いで横へいた()()()()()()()()()使()経由でフォアイルが『ご指名』されたのは断じて……偶然に他ならない。

 正に偶然という名の――無断閲覧()への懺悔を静かに待っていた天使からの戒め。

 些か顔色の悪いフォアイルであるが『体調不良』は許されないため、天使という『嵐』が過ぎるのを待つのみである。

 

 執務室の隣室である寝室が、双子の姉妹の準備部屋として提供されていた。

 開演40分程前にここへと入ったが、二人は完成前に少し覗きに来たのみで、初めて完成状態の部屋を拝覧した。

 それは支配者に誘われた時の楽しみとしていた部分もある……。

 暗すぎない明るさに調整された見事な間接照明を始め、黒を基調にし落ち着いた雰囲気の全てが破格に豪華である広い室内の奥気味に大きいベッドが据えられている。

 もちろん、支配者を含めた闇妖精姉妹3人が横になっても圧倒的な広さを残すものだ。

 

「お、お姉ちゃん、勝手に乗ったらまずいよ」

「大丈夫だって。こうして中を見れたんなら、色々知っておかないと。ほら、マーレも」

 

 姉に引っ張られる形で、マーレも巨大なベッド上へと倒れ込む。

 適度にフカフカであった。

 

「うわぁぁ……あ、とっても寝心地がいいんだね、お姉ちゃん」

「うん。丁度いい柔らかさと反発性があるから、色々と上で騒いでも大丈夫そうだよねー」

 

 アウラは無邪気な笑顔で横へ転がりゴロゴロとする。

 マーレも仰向けからうつ伏せへ変わりその柔らかさと掛け布団の肌触りを暫し楽しむ。

 数分ベッドで戯れ、5分程室内を見て回る。クローゼットや広い浴室も覗き込んだ。

 だがそれから、彼女達がここに来ている本題に戻って来る。

 二人はまずは最後の合わせ練習を早回しで一通り行なった。通しで20分程だ。

 そのあとに最初の出し物用の衣装へと着替えていく。

 

 執務室の壁を飾る大時計の重厚な鐘の音が聞こえると同時に、寝室側の扉が開き小柄のアウラとマーレ達が時間通りで登場する。

 

「うんうん、可愛らしいな」

 

 姉妹の普段と違う姿に、アインズは赤き光点を小さくし優しく目を細めるように満足した。

 支配者の後ろに立つ屈強の護衛者も当然、口許から漏れるニヤニヤを止めようがない。

 闇妖精二人の頭には白地に青のセーラー帽、胸に赤いリボンの白地セーラー服。ただ、下は両者とも紺の短ズボンであった……。膝下少しまである6分丈程の感じ。

 今日の披露は、あくまでも『踊り』についてである。

 『その他(エロス)』のご要望ではないのだ。故に、下着などは見せないようにとの配慮。

 

 あと一応曲についても、聞けば正六面体(キューブ)状のアイテムにアウラが、ナザリックの管理システム『マスターソース』にあるグループでのお遊び系オマケのBGMの中から選び鼻歌を付けたものを用意してくれていた。

 反響の良さそうにみえる壁際の棚へ、その音源アイテムを起動し浮かべる。

 間もなく綺麗な鼻歌も付いた曲が流れだし、アインズの座る漆黒の大机の前方10メートル四方で遂にショーは開演する。

 普段大机の前にはテーブルやソファー類が置かれているが、今は片付けられて広々としている。天井も5メートル弱ほどは有った。

 二人は中央でスタートのポーズを取り、数歩離れて横に並んだ状態から可愛らしい振付と共に近付き、中央で背中合わせになって回ってゆきつつ踊りは始まる。

 腕を元気に曲げ伸ばし振り広げ閉じ回し、足も上げ下げ軽いステップと弾みのある全身の動きの中、基本は二人が同じに動き、時に対称、時には二人で別々の動作をして一つのポーズへと繋げていく。

 その流れの中のポーズや動きは30通り以上あるため飽きることは無い。構成は二人が並び背中合わせとなり回りつつ再び横に並び、離れ近付き時折お芝居のワンシーンの様な呼ぶと近寄るなどの場面も有り、偶に向き合うといった複数のパターンで組み合わされていた。

 特に、可愛い姉妹が並びその笑顔で首を左右へ数回傾けるところなど心が和む。

 飛び上がる高さも上手く差異を付けるなど、変化もあって7分弱を十分楽しめた。

 最後も横に並ぶ二人が片手を繋ぎ合い空く手を高く上げ、近い将来の『世界征服』への勝利を確信するVの字のような互いに斜めの状態で綺麗にフィニッシュする。

 アインズは思わず自然に両手を叩いて賞賛した。

 特にルベドは……ニヤニヤが進化してしまい姉顔を彷彿をさせ、その両目が悦っていた……。

 

「おお凄いぞ、アウラにマーレよ」

 

「あ、ありがとうございます」

「ありがとうございますっ。それでは次へ移る前に、少し御化粧直しをしてきますね」

 

 そうなのだ――本日の踊りはこれで終わらない。なんと大きく3つも用意している。

 

 一つだけでは支配者は単調に思うかもしれないと、双子の姉妹が考えて増やしていたのだ。

 まず、今みせたのは緩い自由感のあるジャズダンス系。

 次が――2分程で着替えを終えて隣室の扉を閉めると二人はその場から飛び出し、高い天井を少し下回る高さで反転倒立2回ひねりで、場の中央まで来る。

 アクロバティックなブレイクダンス系である。

 今回の二人の姿は、いつものアウラの白いベストに白いズボン姿。これと同じものをマーレも着用していた。

 違いは竜王鱗を張り付けた軽装鎧の色が青いことぐらいで、襟元のいつもの緑で短めのショール風の装備も外している。

 曲をスタートさせると踊りも始まる。床で片足を延ばし手も付く感じで横へ円を描く様に回るズールスピンやスワイプス、派手で有名な肩や背を使い足を開いて伸ばした身体を回転し地を独楽のように回るウィンドミルなどを二人で揃える形で冒頭に披露。

 そもそも守護者達の運動神経は人外であり、伸身2回捻り宙返りなども二人で空中でクロス風に魅せることすら朝飯前である。また、アウラやマーレが交互に片方の腹部へ仰向けに巻き付いての変則的パフォーマンスも見せる。

 締めは二人で横へ程よい距離を取り、並ぶ形でウィンドミルからヘッドスピンへ、そこから腕だけで倒立のまま回って腕の反動で立って静止ポーズという流れの踊りでフィニッシュする。

 飽きさせない構成と見事なシンクロを見せる二人の踊りに、アインズは満足し拍手を送る。

 ルべドに至っては護衛者の立ち位置であるはずの壁際から既に数歩前に進み出て、砂かぶり的位置に座るアインズの後方傍へと近付いていた……。

 

 そして3つ目となる最後は、ペアの踊りらしい競技ダンス系である。

 化粧直しの後に隣室から登場した姿は、赤いスーツ姿のアウラと青く裾の長い胸元から膝程まで白糸で華の刺繍の入った素敵なドレスのマーレ。

 曲が流れだすと男性役的なアウラがリードする形で踊りが始まる。

 序盤は軽快なチャチャチャ。

 構成のメインは片手を繋ぎ合い、鋭いツイストやターンを主体にしている。代表的な素早く繋ぐ手を変えつつ空いた手を伸ばし広げ左右両面へアピールするスプリット・キューバン・ブレイク等、キレッキレな動きの踊りだ。

 中盤は陽気なルンバ。

 手を離してそれぞれが踊る機会も多く、求愛表現も含む情熱的スタイルと腰のくねりも特徴的雰囲気の踊りだ。その立ち位置で既定の振りを付けての華麗な回転や止めポーズが見せ場である。

 最後は優雅なクルクルと舞うワルツを選んでいた。

 スタート時にアウラが右手を差し伸べると、それに応えマーレが乙女チックに左手をアウラの右手の上へと置く様に手を繋ぐ。そして近寄り向かい合いで両手を握り合った。

 社交チックな横への移動にはスローテンポの舞い。しかし、回転する動きは速度に緩急があり、止めるポーズやタイミングが最高の見せ場となっている。

 時には回転を止めて揺れるように、更に逆回転へと動き、運動量は決してヌルイわけではない。

 絞めは、手を繋ぎ向かい合う双子がクルクルと回転を上げて舞い、のちに速度を落として揺れるように優美さをアピール。

 そしてアウラが握り手を解くと、マーレが離れながら一回りして止まり、優雅にアウラと共に支配者へと礼をした。

 姉妹はいずれの踊りも可愛さと華麗さで魅せて踊り切る。

 

「二人とも本当に素晴らしい踊りだった。お前達は私とこのナザリックの誇りだ」

 

 アインズは、立ち上がるとアウラとマーレの姉妹へ惜しみない拍手を送った。

 ドアの傍では踊りの見事さに魅入っていたフォアイルも同様に手を激しく叩いている。

 

「可愛い、素晴らしいっ!」

 

 そんなルベドからの賞賛する声も()()()()()聞こえてくる。

 主達からの言葉を聞き、アウラとマーレの姉妹が抱き合って喜んだ。

 

 ふと気が付けば――いつの間にかルベドはもう絶対的支配者の後方へ居やしなかった。

 遂には漆黒の大机の前に回り込み座って楽しんでいたのだ……。

 今の時間、護衛者なる者はこの場に誰もいない模様。ただただ姉妹を愛でる観客が二人と、1名のもう逃れる事の出来ない()を背負ってしまったメイドが居ただけである――。

 こうして双子の踊りを存分に楽しんだ『アウラ、マーレ姉妹を()でる会』は無事に終わりを迎えた。

 

 

 いや、そんなわけも無かった。

 

 

 約40分ほどの可愛い闇妖精(ダークエルフ)姉妹の講演が終わる頃、執務室前の開演前に温まっていた空気は――狂った澱みを見せ始めていた……。

 

「もう我慢出来ません。今ならまだ、私もアインズ様との淫らな閨の宴に参加出来るはずですっ」

 

 そう言って、あろうことかアルベドが腰へ手を伸ばし、廊下のド真ん中で華麗な衣装を脱ぎ出そうとしていた。

 

「抜け駆けは許しんせんっ。では、わらわもハレンチに参りんしょう」

 

 真祖の吸血鬼の彼女は最近もパッドを使っていないので、胸へ盛ったモノが舞うという見苦しさは見られない。アルベドに負けじと完全装備を解除すると、深い紫の可憐なボールガウンのボタンを外しだす。

 その行動に統括としてアルベドが反応する。

 

「ちょっと、シャルティア! 何、真似しようとしてるのよっ」

「はぁ? 早いモノ勝ちは女の戦いの常。そんな出っ張りの酷い弛んだ身体じゃ時間が掛かりんしょう。先に行かせてもらいんす」

「なんですってぇ!」

 

 守護者統括アルベドの怪腕と、階層守護者第一位シャルティアの剛腕が久々に激突する。

 二人は額をぶつけ両手を掴み合う形になった。互いに体調は万全。

 Lv.100同士による異次元のパワー勝負が、いきなりフルスロットルへ突入する。

 傍にいたヘカテーだが、止めるべきと思いつつも余りの戦闘力の差に、数歩下がっていた。

 その行き場のない両者の究極のパワーは、微かに周囲へ地響きを感じさせ始める――。

 

 

「ん、なんだ?」

 

 心を癒してくれたアウラとマーレの頭を、左右の御手で同時に撫でてあげていた支配者は、ふと周囲の異変に気付く。

 ルベドの方を見るも、彼女は扉の方を黙って静かに指差すのみ。

 すると扉のすぐ外で、確かに何者か()が、大きい声を上げている風に感じたのだ。

 静かで安らかな雰囲気を誰が乱すのか。

 そういった思いが芽生え、アインズは撫でる手を止めると扉へと近付いて行った。

 高級感の満ちる重き扉は、脇へ控えていたフォアイルにより開かれていく。

 

 

「何事かっ。皆の者、騒々しい。静かにせよっ!」

 

 

 絶対的支配者からの一喝に、アルベドとシャルティアは掴み合ったまま一瞬固まる。

 アルベドの衣装からは両手の白い手袋が床へと落とされ、腰から下の衣装を僅かにずり下げようとした状態……。

 シャルティアも大きな可愛いリボンの付いたヘッドキャップを廊下へ放り、上着の背中のボタンの上二つを外した所……。

 乱れた衣装であるが至高の御方の言葉を受け、直ちに畏まり片膝をついてその場へと控える。

 ヘカテーや騒ぎに集まって来ていた数名の一般メイド達も跪いていた。

 気が付けば、執務室内のルベド以外のアウラやマーレ、フォアイルまでもがその態勢へ移っている。

 (ちな)みに女の闘いへ男は無用と、デミウルゴスやコキュートスは知らせを受けても見て見ぬふりをし、ここへは近付いていない。

 

 状況が良く分からず、アインズが統括のアルベドへと尋ねる。

 

「どうしたのだ、アルベド?」

 

 なんと答えるべきか、アルベドは悩む。しかし、明晰な頭脳を持つ彼女は見ていた。

 扉が開かれたままである執務室内のアウラやマーレの姿を。

 

(……あれは……ダンスの衣装であったように記憶してるわ。それに40分程の時間……ご多忙なアインズ様が閨をお楽しみになるにしても少し短すぎよね。もしかして、単に踊りを見られただけなのかしら――)

 

 主の問いに嘘を吐く事は出来ず時間も置けないとし、守護者統括が伝える。

 

「はい……正直にお伝えしますと、アウラやマーレが羨ましく思い私とシャルティアが、この場にて次の順を争っていた次第です。ヘカテーは私達の行動に対して慎ましさを求めていたようです。でも――願わくば、私達にも機会を頂きたく思います」

「ん?!」

 

 支配者は、次の順というのは何の事だと思うも、アルベドが続けて見事に()()()()()()で明確に補足の言葉を述べて来る。

 

「なにとぞ、姉ニグレドや妹のルベドと共に私も御前で舞わせて頂きたく思います」

「(え、なに? でも、アルベドには負けられないっ)――なら、私も――そ、そう、眷属になったカイレと共に舞いんす」

 

 シャルティアはアルベドの行動を良く理解していないが、同様に御方へ要求し食い下がった。

 両名から急の申し出にアインズは即席で思考する。

 

「あー(ど、どうしよう。でもアウラ達はOKで、アルベドの姉妹やシャルティアらはダメというのは、悲しむだろうしなぁ……ルベドもヤると言うだろうし……はぁ)分かった。では踊りの練習が出来たと思えれば知らせてくれ」

 

 そこでもう終わりそうなはずであったが、ルベドは引きずるようにフォアイルを横に連れて来ていた。

 そしてナゼだかルベドが姉妹同好会会長(会員No.1のアインズ)へと語り出す。

 

「(姉妹ともいえる)メイド達一同も――――ラインダンスを見せたいらしい、是非にと」

 

 執務室前に衝撃が走った。数人いたメイド達が固まる。掃除以外の仕事は得意では無いのだ。

 アインズが、本当かとフォアイルを見ると、首を横に振りた()にしていたが、ルベドの力強い片手がLv.1である彼女のか弱い首筋を掴んでおりコクコクと縦に振らせる。

 希望と同時にフォアイルから漏れ知った者達へも団体責任を課すが如く。

 その様子を全て見届けるも詳細を知らぬアインズは、せめてこう述べてやるしかなかった……。

 

「(すまない……)いいだろう。お前達も()()()練習が終わった時が来たらペストーニャ経由ででも知らせてくれ」

 

 こうして、惨劇に近い形で新しき『()でる会』計画がまた次の一歩を踏み出したのである――。

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 商会(みせ)の名は。

 

 

 アーグランド評議国内での商会立ち上げについて、アインズ一行とゲイリング家との間で応接室の中にある柔らかいソファーへと腰掛けての話合いが半時間程持たれた。

 アインズの横へは当然の様にキョウが上品な仕草で腰掛け、その横に()()が元気よく座る。立場の違うレッドキャップスは立ったままだ。幼い少女の地位が窺えるこの状況から、握手をした評議員の面目は一応立った。見上げるミヤは姉の手を握ると両者は可愛い笑顔を咲かせる。

 その様子を、向かい側へ父コザックトと50センチは離れて座りつつ、ブランソワが静かに眺めていた。

 

(人間の子供と獣人の娘は随分仲がいいのね。それにしても……獣人の娘とアインズ様の距離が近すぎない?)

 

 ソファーの幅には十分余裕があった。見れば、アインズのローブ下で開き気味に座っていると思われる膝より、10センチ離れている程度でキョウは傍へ座っていた。毛並みも容姿も装備すらも美しい獣人の少女としては護衛のためぐらいで、他へ特に思惑など無いのだが。

 でも自然に傍へ寄り座れるという事は、地位と共に他者から見れば気持ちも遠からずとも映ってしかり。

 豚鬼(オーク)娘のブランソワには獣娘が身の熟しといい、美しさといい強敵に見えていた……。

 

 乙女の密かな思惑がありつつも、商会に関する事柄は順調に決まって進んでいく。

 資本金として、ゲイリングが金の粒で5万粒を申し出たが、アインズは却下。

 娘ブランソワの個人資産内より金1万粒を、アインズがアイテムボックスから取り出した上級アイテムの小剣を担保に借り受けるという形で話が付く。上級は遺産級(レガシー)、最上級に次ぐ水準である。アインズの個人所有していた余りアイテムの一つ。

 それでも場にアイテムが出て来ると当然商人の目を持つゲイリングとブランソワは普通じゃない品だと理解する。それはアインズの身に付ける破格の装備も今、改めて間近で見ているためだ。

 この上級アイテムの小剣は後日、ゲイリング家お抱えの鑑定師により金4万粒分ぐらいの価値は十分あると査定されている。

 新商会の所有者にアインズが就き、責任者代行としてゲイリングの娘が給料をもらう形で運営する体制で合意。

 また用心棒や監視人として、小鬼(ゴブリン)レッドキャップの内3体を残す事にした。

 あと、所属商人についてはブランソワの方で腕の良い者へ声を掛けるという。

 国内有数の『ゲイリング大商会』と完全同盟を組む形の新商会である。成り手は後を絶たないだろうという話だ。

 ブランソワが要点の一つである方針を尋ねてくる。

 

「商会としてどういった特色を持たせるおつもりです?」

 

 今のところ、アインズとしては大規模化を望んでいない。

 

 おぼろげだが最終的に目指すのは――『八本指』やナザリックの地上新都市間での闇貿易。

 

 なので、人類圏に反感を持つ商人を現時点で大量に抱えたくないと考えている。

 一方で奴隷売買も含め、必要なら全項目の取引を行えるようにしておきたかった。

 

「変動の少ない塩や調味料を主力で、あとは一部穀物、衣類でいこう。雇い入れは少数精鋭だ。口が堅く一度受ければどんな仕事でも、黙って命を掛けてやってのける信用のある者達を10名程集めていて欲しい」

「……なるほど。分かりました、最善を尽くし集めます」

 

 商品は兎も角、人集めはまだ若輩のブランソワには少し荷が重い話でもある。

 それほどの腕利き商人達が只の小娘の誘う商会に入るとは思えない。

 しかし、ブランソワには一つ秀でた面があった。それは、父をも越える程の難度144の丈夫な身体と高い身体能力だ。

 身内の隊長である戦士の豚鬼(オーク)でさえも、彼女を容易に組み伏せる事が出来ないと判断し、欲情のまま強引に襲い掛かる事はしなかった。

 彼女は自身の強さを武器に、これまで3年余りの仕事で商人関係の信用を急速に築きつつある。

 難しいがだからこそ、やりがいのある大役だと引き受けていた。

 その彼女が支配人(アインズ)へともう一つ要点を問う。

 

「あのそれで、商会の屋号(名前)はどうしましょう?」

「ふむ」

 

 胸元で腕を組み少し考える素振りをしてみせるが、絶対的支配者は『名前を』と要求され仮面の中で目を一瞬泳がせる。自慢ではないが、名付けへ関してはセンスに全く自信が無い。

 責任者代行で副支配人となるブランソワが気軽に助言してくれる。

 

「どうでしょう、知名度の高い名称とかも良さそうですが」

 

 その言葉で、アインズの脳裏に燦然と閃いたものがあった。それを口にする。

 

「“モニョッペ”――商会とかはどうか?」

「ああ、ラミアの英雄モニョッペスですか。良いのでは」

 

 ブランソワは笑顔で賛同してくれる。種族が違っても有名な強者は人気があるのだ。

 ここで正解の名称を知るも、いいのかよと思いつつ素早く言い直して相槌を打つ。

 

「そう、モニョッペスだな。モニョッペス商会、これで行こう」

 

 旅の魔法詠唱者は、如何にも評議国の知識がある風にと頑張って振る舞った。

 無事にナザリック所属のアーグランド評議国内新商会は名称他、資本の金1万粒や、基本方針は塩、調味料や一部雑貨等も決まり、アインズはブランソワと握手を交わす。

 

 翌日から若き敏腕の副支配人ブランソワ・ゲイリング率いる『モニョッペス商会』は小鬼(ゴブリン)レッドキャップスと共に営業を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 幼い少女ミヤは……(評議国からの引き上げにつき)

 

 

 アインズは、コザックト・ゲイリング評議員の昼食から始まるであろう大宴会を断り、所用へと急ぐ風に小鬼(ゴブリン)レッドキャップの3体をブランソワの下に残し評議員の中央都滞在屋敷を出た。

 本日、アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』との王城一室で行われる会談へ赴く為だ。

 会談開始の予定時刻は午後1時半。今は午前11時前後である。

 時間はまだ十分あるように思えた。

 だが、絶対的支配者が『評議国の旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)』のフリを続ける為、殆ど姿を見せていない〈完全不可知化〉のアインズとルベドに()()は兎も角、キョウ一行は直ぐに中央都やアーグランド評議国から消え去る訳にはいかないのだ。手間であるが、国民らしい一連の行動を暫く取る必要があった。

 ネコマタ娘(キョウ)とレッドキャップ1体は、宿屋に残していたレッドキャップ1体と合流し、それから間もなく予定より1日以上早いが宿部屋を引き払う。

 小都市サルバレでは目を付けられる立場でなかった為、宿屋や街中でのんびりと出来たが、近日中の中央都ではそうはいかないと考えた。それにあと数日残ってもアインズは不在気味となる事に加え、キョウも不穏状態のカルネ村へ戻りたがっていたのもある。

 そうしてキョウ一行は、昨日入場した中央都の南西側大門から正午前に退去した。

 アインズはまだアーグランド評議国へナザリックの本拠地がない状況へ、何か考えておく必要性を感じる。

 

(王都のように、どこか適当に屋敷でも借りようかな)

 

 ただ長期滞在の適任者が中々いないなど、直ぐにとはいかないだろう。

 色々思案をしているうちに、6名は昨日小都市サルバレ近郊から〈転移門(ゲート)〉で出て来た街道の脇道が通る小さな森へ到着し、誰も立ち入らない茂み奥の空き地まで進む。

 その地でアインズとルベドは不可視化を解除した。

 さて――ここで()()をどうするかと支配者は考える。

 姉のキョウはトブの大森林内へ、レッドキャップ2体はナザリックへ、ルベドは王都内へ……と行き先を割り振ろうとしていた。

 キョウと一緒というのは姉妹として好ましいが、村へ連れ帰り森の中に人間の子供がいたというのは不自然過ぎた。とは言え王都へ連れて行くわけにも行かずである。

 結局、アインズは姉のキョウにその旨を伝え、了承を得ると守護天使へと告げる。

 

「……ルベド、()()をナザリックのニグレドの所へ預けて来てくれ。この冷気対策のアイテムが有れば問題ないだろう。お前はその後目立たないように王都へ戻れ」

「分かった。必ず無事に届けて傍へ戻ってみせる」

 

 既に少女を優しく抱きかかえつつ、何故か鼻息が荒い感じのルベドは主から対策アイテムを受け取る。

 少し不安そうに見える幼い少女へ支配者は伝えておく。

 

()()よ、これから送り届ける地は我々ナザリック勢の本拠地であり家だ。ニグレドというのはこのルベドの姉でな。ただ、顔や姿に少し驚くかもしれない。でも、子供をとても大事にする者だ。安心して向かうがいい」

「はい。分かりました、アインズ様」

 

 ニグレドなる者がルベドの姉と言う話を聞き、ミヤは安心し笑顔を浮かべた。

 その様子を見た後に支配者は〈転移門〉を順に開いていった。

 

 

 

 ミヤを連れたルベドは小鬼(ゴブリン)レッドキャップ2体と共に〈転移門〉を抜け、ナザリック地下大墳墓の地上施設である中央霊廟正面出入り口前に降り立つ。

 至高の御方がいないので出向かえはない。

 レッドキャップ2体については生存に水や食料が必要なため、第六階層の『ジャングル』にて待機するようにと指示されている。

 それを伝える意味もあり、ルベドがそこまで同伴した。

 これでもレッドキャップスはアインズが金貨を使い呼び出している直属の配下の為、自動ポップする連中と扱いが違う形だ。

 第六階層を歩くと密林の手前に守護者のアウラがいたので、ルベドは簡単に説明し引き渡す。

 

「アウラ、この2体はアインズ様が呼び出した直属だ。ここで預かれと」

「了解っ。……で、その子は?」

 

 闇妖精の姉(アウラ)は、小柄で自分程の背をしたルベドと手を繋ぐ人間の子供を不思議そうに見た。

 

「この子は()()、アインズ様の計らいでキョウの妹になった。第五階層の姉の所で預かる。虐めるな」

「へー。分かった、よろしく、ミヤ。あたしはアウラ。一応ここの階層守護者だよ」

「よ、よろしくお願いです、アウラ様」

 

 新入りの人間には『階層守護者』なるものはよくわからないが、やり取りから偉い責任者の感じに見えた。

 また褐色肌の彼女の傍へは巨体の怪物達が多数控えているのが見て取れている。

 幼いミヤであるが(アインズ)達を知り、単に姿や形で左右されてはいけないと理解していた。

 アウラとしては、御方自らの肝入りであるしキョウの妹という点や、幼いながらきちんと頭を下げる殊勝な態度に笑顔で頷き伝える。

 

「ようこそナザリックへ。いつでも、ここへ遊びに来てもいいよ。あそこは少し寒いからね」

 

 とりあえず今はそう言って歓迎した。

 笑顔で手を振るアウラとレッドキャップスと分かれ、ルベドとミヤは、第五階層の『氷河』へとやって来る。

 まずは、階層守護者コキュートスへの挨拶である。冷気対策のアイテムは有効に働いていた。

 吹雪いてはいないとはいえこの階層は全域へ氷塊が広がり気温は常時マイナスなのだ。

 ルベドら二人は大白球(スノーボールアース)に向かい、シモベの雪女郎(フロストヴァージン)へ用を伝え中の一室へ通される。

 間もなく身の丈2・5メートル程の巨体の蟲王(ヴァーミンロード)が現れた。

 

「ルベド殿、新入リノ挨拶ト聞イタガ?」

 

 ルベドより武技の教えを受け、武人としての強さを評して珍しく『殿』を付けていた。

 守護者のその大柄さと異形の姿に、()()は思わずルベドの手を強く握る。

 ルベドがコキュートスへと少女を紹介する。

 

「コキュートス、この子はミヤ。アインズ様の計らいでキョウの妹になった。この階層の姉の所で預かる。だから挨拶に来た。少し怯えているぞ、虐めるな」

「ソウカ……私ハ何モシテイナイガ。ミヤヨ……私ハ虐メナイゾ」

 

 コキュートスは、態々(わざわざ)僅かにしゃがむ形て視線を随分下げて話す。

 彼の属性は中立(カルマ値:50) であり、強者的理性を持ち無益な殺生はしない。至高の御方がナザリックに目の前の少女を加えたのなら、それへ従うのみと考えている。

 その少し気を使ってもらっている雰囲気を()()は直ぐに理解する。

 

「よろしくお願いです、コキュートス様」

「ヨロシク、ミヤ」

 

 可愛く微笑むミヤは、もうコキュートスへの怯えをみせなくなっていた。

 かなり順応性が高い子であった。このナザリックでは重要な事だ。

 こうして第五階層の守護者への挨拶を終え、ルベドとミヤはいよいよ『氷結牢獄』の館へ入って行く。

 今、ルベドは歪な腐肉赤子(キャリオンベイビー)は持ってきていない。ミヤしかいないのだ。

 すると、()()がやって来た……。長い黒髪に黒色の喪服姿で迫って来る魔物的姿。

 狂ったような「こどもをこどもをこどもを――」という一連のイカれた言葉の連打が来たが、ルベドは最後まで聞いて告げてやる。

 

「姉さんの子はこの子、()()

 

 そうして両脇を抱え上げ顔を前へ向けていた人間の子供()()を手渡す。

 すると――いつもと反応が違った。

 赤子と違うからか揺り籠へ移すことなく、いつもよりも柔らかく優しく胸元で抱きかかえていた。

 

「あああ、ミヤ、ミヤちゃん、私の可愛い子供」

 

 正に『亡子を求める怪人』に子が戻って来たという雰囲気。幸せな空間がそこにあった。

 一方ミヤは、支配者から聞いていたので『覚悟』しており、長い前髪の間から覗く表皮のない顔面と瞼のない目玉からの視線を受け入れていた。

 表皮のない顔面とは、極論で言えば髑髏的にも見えるのだ。

 慣例が終り、ミヤを抱っこし続けるニグレドがルベドへと話し掛ける。

 

「まあまあ、可愛らしい下の妹よ、ご機嫌よう。(いと)おしい子を連れて、どうしたのです?」

「ニグレド姉さん、この子はミヤ。アインズ様の計らいでキョウの妹になった」

「よろしくお願いです、ニグレド様」

 

 ルベドの姉へ抱かれつつ、ミヤは小さくペコリと頭を下げた。

 その様子を見ながら妹の天使が姉へと伝える。

 

「当面、姉さんの館でミヤを預かって欲しいとのこと」

「――なんですって! 素晴らしい」

 

 柔らかいミヤの頬へスリスリしながら、ニグレドは喜んで引き受ける。

 生きた純粋の子供はネム以来で、まさか共にこの牢獄空間で暮せる日が来るとは思っていなかったのだから。

 こうしてさり気なく姉孝行もしつつ、ルベドは無事にナザリックへとミヤを送り届け、地下大墳墓の地表へ上がると王都へ〈転移(テレポーテーション)〉して行った。

 

 

 そして―――。

 

「くふ、くふふ、くふふふふふふ――――」

 

 ルベドはもう一人の姉へも福音を届けた形となった。

 妹が地上の中央霊廟前にその()()()()()と現れて以降、統合管制室の一角にアルベドの楽しげな声が響いていた……(勿論、誰も近付かない)。

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 恋乙女クレマンティーヌの誤算

 

 

 クレマンティーヌが王都リ・エスティーゼに来て初めてモモンと(マーベロはオマケで)の再会へ向かい鼻歌交じりで“擦レ印(すれいん)聖典出版”所有の資材倉庫事務所を出た時、彼女は不覚にも気が付かなかった。まだ顔を見ていない支部員二人の内の1名が〈生命隠し(コンシール・ライフ)〉で潜んでいた事に。

 この少し太り気味の支部員の男は、副支部長が王都にて引き入れた元(ゴールド)級冒険者で、足跡の残り気による追跡も可能であった。

 太り気味の支部員は、懲りない副支部長よりクレマンティーヌの驚異的身体能力と追跡者把握など高い隠密力の情報を貰い、遅れて経路を辿らず平行移動し距離を取るなど攪乱的に追跡を行なった。

 その結果、王都の南東地域の広場で、漆黒の全身鎧(フルプレート)を着た戦士と小柄な純白のローブの者との接触を目撃する。

 ただし、通り過ぎるようにしか確認出来ていない為、会話等の収集は皆無。

 その後も通り過ぎる形で、飲料店の場で4人組の冒険者チームと思われる連中とも会話をしているところを目撃していた。

 標的の金髪で可愛い女剣士が間もなく去った為、用心深い太り気味の支部員の彼も、経路を大回りして時間を置き引き上げた。

 

 

 クレマンティーヌが秘密支部の事務所へ午前11時前に戻って来た。この時、顔を合わせていなかった2名の内の1名を把握している。

 室内も副支部長らが「お疲れ様です」と声掛けぐらいでシツコイ接触も起こらず、特に問題を感じなかった。彼女は事務所内で調査資料に30分程目を通すと昼食に外へ。不思議と副支部長からのアクションは見られず。

 ところが食事を終えて戻って来ると、無精髭のあの男がニヤニヤしながら直ぐに横から近付いて来た。

 そして、周りの作業する支部員には聞こえない囁きで伝えてくる。

 

「クレマンティーヌさんは――エ・ランテルの2人組と4人組の冒険者の方々とお知り合いで?」

 

 豪胆で冷静なクレマンティーヌが、思わず目を見開いて動きが一瞬止まってしまった。

 

(――なんで知ってんのっ……この糞がぁぁぁ)

 

 だが、まだである―――殺すのは。

 おもむろに左横の男へと向きながら彼女は笑顔で答える。

 

「んーまあ、よく王国への情報収集や調査で行くからねー。偶然会っちゃったー」

 

 すると、副支部長がニヤリとして鋭く突っ込んで来た。

 

「そういや朝は、()()()()()()回って来ると言ってませんでしたっけ?」

 

 これも揺さぶりだと場数を踏む彼女は感じ、落ち着いて言葉を返す。

 

「私の身体能力だと王都の近郊周辺までは全部近くなんだよねー。ゴメーン、ここの“規則”ってよく知らなくて。行先申告はそもそも言われてないしー、一々細かく言わなきゃいけないのー?」

 

 この答えにさすがの無精髭の彼も苦笑う。

 

「あー、そういやそうですね、ははは」

 

 人外のクレマンティーヌに、普通の人間への問答は意味を成さない時が有るのだ。

 更に、彼女は今事務所へと入って来た太り気味の支部員が最後の1名として認識する。一瞬目が合った雰囲気で彼女は悟る。様子から推測して元冒険者だと予想した。

 

「(……こいつかぁ) で、何か用ー?」

 

 思考では支部員を追いつつ、言葉は鬱陶しい副支部長へ対して『反撃』した。

 クレマンティーヌからの不自然さのない返事を受け、副支部長は考えと共に答える。

 

「(この女、付け入る隙がねぇ。イイぜ、落とし甲斐がある)……出来れば、何か情報を仕入れたのなら知らせてもらえりゃと思いましてねぇ」

 

 チョイ悪そうな無精髭のこの男も、伊達に副支部長をしていない。

 ここは王国と王都内の情報を集める秘密支部。女の弱みを探る行為を仕事へと置き換え、辻褄をキッチリと合わせてきた。

 それに対して女剣士は、もう余裕を持って返す。

 

「彼等は王都へ来たばかりだからー。あの場じゃ、挨拶程度しかしてないしー、大して情報はなかったよー。まあ、何かあればその時、知らせればいいんだよねー?」

「ええ、そういうことで一つよろしくお願いしますよ。ははは、では」

 

 副支部長は、後ろ髪へ手を当て口許へ無理やりに笑いを浮かべるも、背を向けたと同時に表情を不満溢れる顔にして席へと戻って行った。

 クレマンティーヌは、もう彼を視線で追っていなかった。既に先の、今後の事へと考えを巡らしている。

 

(好きに動けなくなっちゃったじゃん、アッホがーっ)

 

 支部員を全員把握したことで、彼女にとって事務所の連中を撒くことは難しくない。

 しかし、今後何度もモモン達『漆黒』チームと街中で接触することは、リスクが跳ね上がってしまった。モモン達と接触した事実は、持ち帰り用で手渡される資料に記録として含まれるだろう。

 例えその資料を取り除いても、ここの資料と支部員の記憶には残り、竜王との戦いの後などで再度本国へ知らされる可能性は十分にある。

 今、資料的に誤魔化しをすると、逆に目を付けられバレる可能性の方が高くなると判断した。

 またこれ以上の状況悪化は極力避けるべきとも考える。

 

(王都内で会うことへ偶然を装うならあと一回が限度かー、うえーん)

 

 クレマンティーヌは近くまで来てるのにと酷く悲しくなってきた。

 それがあり午後(『蒼の薔薇』との会談が終ってしばらく後)、モモンからの『小さな彫刻像』を通した連絡に対して、彼女は事務所でのやる気を無くすと飛び出し、宿屋へ向かいながら会話する。

 そして『モモンらとの接触露見』に関する一連の内容を伝える雰囲気は沈んだものであった。

 

「――というわけー。がっかり―。仕方ないけど、今日はこのまま宿に帰るねー。寂しいよー」

『分かったよ。寂しいね。こっちでも何か対策を考えるよ。また連絡するから』

「うん。待ってるよー、モモンちゃんっ」

 

 愛しの彼との連絡が切れる前に、クレマンティーヌは少し笑顔が出来た事が救いであった。

 恋乙女の王都での奮戦はまだ続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 竜王国で(くつろ)ぐ犬

 

 

 (アインズ)の特命を背負いしナザリックの者ら二名、セバス・チャンとルプスレギナ・ベータが竜王国の地へ降り立ち、既に丸3日が過ぎる。

 だが、4日目で早くも飽きが来てしまった駄犬(ルプスレギナ)がそこにいた……。

 

「ずっと、暇っすねー。もっと……大軍で襲ってこないっすかねー」

 

 口調はしびれる程クールに、そして内容は呆れる程フールで。

 上司のセバスは都市内の様子を見に出ており今は一人。

 借りた部屋の窓際に残されていた椅子へのんびりと座り、開いた窓からぬるい風を受けて晴れた昼下がりの夏空を眺めていた。

 黄昏ている感すらある。

 決して疲れた訳では無い。彼女達戦闘メイド六連星(プレアデス)は疲れない。主も姉妹達もおらず、相手も弱く単に飽きたのだ。

 

 東方三都市へ到着した晩のゴーレムを粉砕した後、夜が明けるとセバスとルプスレギナは一番南の『東方第三都市』にてしばらく街中で色々聞き込むと、外観がベージュ色の5階建て雑居棟の3階一室を師弟の冒険者チームだとして借りた。

 これは勿論、セバスが偉大な至高の御方の行動を参考にした形だ。

 ただ宿屋とは少し違う賃貸部屋であった。既に宿屋は空きが無い状況での選択である。ここも今朝、数日前の戦死が分かった冒険者チームの部屋という有り様。利点としてはベッドメイクなどがないので、終始誰も部屋には入って来ない。但し1週間分の前払いを要求されたが。

 信用がない初めての者は決まりの措置らしいので、白鬚白髪の紳士は気にせず要求に応じた。都市を守る者らである職業から、一応大家から歓迎されスムーズに話はつく。

 二人に食事の必要はないが、セバスは「あの、最寄りの市場はどの辺りでしょうか?」と紳士風の丁寧な言葉でいくつか尋ねたりしていた。

 鍵を受け取り教えられた部屋へ向かう。武器はあるが二人とも荷物はないので、家事室とお手洗い(兼浴室)に納戸、寝室とリビングの2部屋ある借りた室内を一通り確認すると外へ出掛けた。

 連日の戦場と化す都市の中は、はっきり言って荒んでいる。

 通りには近隣からの難民なのか、宿無しの者達で溢れている光景が都市全域でみられた。夏場なので過ごせるが、衛生面には色々と問題が起こっているように感じた。

 幸い難民へは配給制で食事券が配られており、なんとか食い繋ぐことだけは出来ている。

 身内が兵へ志願すれば、難民にも長屋風の住まいが与えられるなどの優遇面もあるようだ。

 だが、過酷な戦場へ出れば容易く命を掛けなければならないのは明白で、多くの父親だろう男達は家族と通りの端で身を寄せ合っている姿が見て取れた。

 セバスの善の心には、悲惨な者達の姿が克明に刻まれていく。しかしその彼も、行動はあくまでも絶対的支配者の命令の範囲内で、とは十分理解している。

 

「皆……困っているのですね。助けになればいいのですが」

 

 彼は自然に呟いていた。

 今の言葉にルプスレギナは――。

 

「頑張るっすですよー」

 

 敬語が混ざり変になったが、心の中は明かさずにどうとでも取れる相槌を打っていた。

 あくまでもアインズ様からの指示である『戦地でのセバス様補佐』、そのセバスの仕事『御方の到着まで都市を防衛しつつ闘いを拮抗状態で維持させる事』についての発言である。

 まず、この使命での上司に良い印象をと、ルプスレギナは努力する。

 セバスは主にも信頼厚き側近で階層守護者級の者。

 ここでミスれば、御方にダメっぷりが伝わってしまうと彼女は気を引き締めていた。

 御方からは『なるべく目立たないように』という重大な指示もあるのだが……。

 

 セバスとルプスレギナの二人は、自然と目立っていた。

 

 特にルプスレギナは派手な上に綺麗な赤髪と突出した美貌の持ち主。更にスリットが深くて可愛さも追求された上に、白地のアクセントの効いた黒の最高級衣装装備なのだから。

 なので、軽くあしらうがよく何度も野郎から声を掛けられてしまう。

 セバスについても、ダンディーな雰囲気にワイルドな特別製の黒いバトルジャケット。そして紳士的な物腰と言葉。

 いかにも何者だろうと思わせる空気が漂う。

 更に市場でセバスは、荷が満載の重い荷馬車が道の穴に嵌り込んで困っていた運び屋の老人を見てとっさに助けてしまう。

 車体の下へ差し込んだのは、どう見ても片手であった。

 更によく見れば、床板を支える横梁棒に引っかかっていたのは小指の先だけだった――。

 『ため』が全くなかった様子や通常起こらない地面への足型沈み込みも非常にマズいと思えたが、本人は気にする事もなく車輪を持ち上げ出して前へと進めてやる。

 周囲にどよめきが起こったのは言うまでもない。

 直後から、セバスの横を付いて歩く美少女ルプスレギナへの声掛けは随分と減っていた。

 

 その後や翌日も昼の街中へ出るとセバスは、可能な範囲でいくつか困っている人を必ず助けていた……。

 また、先日からこの都市の噂になり始めている謎の二人組の話も、ルプスレギナ達の注目度へ輪を掛ける。

 強烈な足技で敵ビーストマンの副将を倒した男性戦士と、瀕死の兵士と老戦士を一瞬で完治させた天才魔法詠唱者(マジック・キャスター)の華麗な少女の事である。火事を鎮火させるのに貢献したとも伝わる。

 だが近くで両者の姿をハッキリと見た者は、オリハルコン級冒険者チームのリーダーで鎧の老戦士のみ。何でも『聖者』の二人は正式には名乗らずすぐ去って行ったらしく、紳士的偉丈夫と美少女でどちらも黒い装備衣装だったという情報ぐらいしか流れていない。

 とは言え、噂の組み合わせはそれほど多くなかった。

 特に目撃者である老戦士への重篤な病の症状の完全回復魔法は、オリハルコン級冒険者チームの魔法詠唱者にも出来なかったとも伝わる。

 『聖者』と呼ばれるに相応しい者達だと噂が都市内の一部から広がっていく……。

 その中で、目立つ手助けを繰り返していれば――軍から声が掛けられるのは必然だろう。

 

 3日目の今日はルプスレギナも連れており、直前に老婆の背負う大箪笥程の荷物運びを手伝ったセバス達は、都市の通りの脇を歩いていた。

 彼女的には、先日から上司がこの都市の者へ施す行為はとても無駄に思える。ナザリックへ無関係の者を助ける意味など欠片も見いだせないのだから。

 逆に苦しむのを楽しんだ方がずっと有意義に思えていた。

 

(動かない馬車も馬の尻をひっぱたきまくった方が絶対に面白いっす。今の大きい荷物に「しんどい」と(うずくま)ってた婆さんも、背中に火を付ければ全速で走って行ったはずっすよー)

 

 人狼(ワーウルフ)の娘がトンデモナイ事を考えつつも黙し、ニッコリと上司の行動へ理解を感じさせる笑顔を浮かべていた、その時。

 

「失礼するぞ。二人とも少しよろしいかな?」

 

 それは前から来た15名程の都市を巡回している風の衛兵小隊。それを率いていた隊長が声を掛けて来た。

 上背と体格はセバスよりもある男だ。もっとも、レベルは10を僅かに超えている程度のゴミ水準。ルプスレギナの視線はそう捉えていた。

 彼女の半歩前に立つセバスが、隊長へと紳士的な言葉と雰囲気で応対を始める。

 

「何か、御用でしょうか」

「うむ。あなた方二人は、その服装から冒険者の様に思えるが、今どの地域の護りに当たっているのですかな?」

 

 衛兵の隊長は、多くの冒険者達が都市防衛へ交代で参加していることを良く知っている。

 なので、防衛戦へ参加していないチームの方がずっと少ない事も分かっていた。

 そして参加していないチームは(カッパー)級ぐらいで、彼等も最前線ではないが多くが街中の警備へ当たってくれていたのだ。

 つまり、所属が言えない者達は『非常に特殊』だということ。

 セバスは特に気にする風もなく答える。

 

「いえ、我々は特に都市の護りへは付いていません」

 

 答えを聞き、隊長の目は驚きに変わる。目の前へ立つ白髪の老紳士的戦士と美少女の組み合わせは、オリハルコン級冒険者チームのリーダーから()()()()()()の二人に一致していた。

 隊長は思い切って尋ねる。

 

「あの、もしや二晩前の夜にビーストマン側の強い副将を倒されたのは、あなた方では?」

 

 ルプスレギナの視線は一瞬流れる――が、セバスの視線は隊長から動くことは無かった。

 紳士の彼は静かに泰然と告げる。

 

「人違いではと。我々は周辺から退避してきた身。今後も滞在しますが戦うつもりはありません」

 

 歴戦の隊長には、眼前の者の答える姿にどう見ても肝が据わり過ぎていて、身震いを感じた。

 そして、その豪胆な男の言葉が続く。

 

「ではこれにて、失礼させてもらいます」

「あ、ぁあ、申し訳なかった」

 

 立ち去る二人へ、隊長はそれ以上何も踏み込んで聞くことが出来なかった。

 でも彼の言葉『今後も滞在しますが』の部分で確信する。

 

(あの『聖人』達は、きっと我々の()()()()味方なのだっ!)

 

 隊長は更に気付いたのだ。

 

 もしかすると彼等は、スレイン法国からの強力な援軍ではないのかと――――。

 

 勘違いされた『援軍』の存在は、公然と都市防衛陣でも秘密裏にされることとなった……。

 

 

 

 『東方第三都市』へ対する『ビーストマンの国』側の攻勢は副将を討たれ士気が下がったこともあり、ルプスレギナらが部屋を借りた晩と翌晩と翌々晩について、かなり大人しいものと成った。

 そのため、小都市の護り手達は上手く機能でき、辛くも防衛を続けていた。

 だが逆にセバス達は様子を見ているだけとなる。

 無論それも尊い任務の一つであり、セバスはルプスレギナへ監視を任せると北の二つの都市の様子を見に赴いていた。

 結局、ビーストマン側はこの3日、都市内への侵入はゼロである。

 

 しかし4回目の晩を迎え真夜中を回る頃、今宵は違う流れになった。

 敵の兵が少し増えていたのだ。恐らく本陣にいた負傷兵の復帰分1500程が、副将を失ったこちらの攻撃軍へ加わった様に感じられた。

 そのためビーストマン達が各所で防衛網を突破し侵入しており、誰も対応に来れていない二カ所について、セバスと分かれ片方の動向を追いルプスレギナは今、それを屋根上から寝そべり寛いで見ている最中。

 一応常に、白銀と漆黒の鎧付で動き易い戦地仕様の黒いシスター服系衣装装備姿である為、戦闘準備は万全であった。

 視線の先、約50メートルの場所に侵入者のビーストマンは7体おり、襲った人間へと容赦なくかぶりつく。それは必殺の攻撃でもあり食事とも言える。

 

「いいっすよねー。お腹すいたっすよねー」

 

 ルプスレギナは、何気なくビーストマン達の行動に共感していた。

 そして都市内の一般男性数名が勇敢に戦うも次第に殺され、女子供達が路上で追い詰められて絶望的思いに黄色い悲鳴を上げ、それがより大きくなる中――寛ぐ駄犬は全く動かない。

 

「可哀想っすよね、悲惨っすよねー。無力で弱い死んじゃう連中は、はっはっはっは」

 

 間も無く、20名程の女性と子供達が全員殺されるまでその惨劇を笑顔でじっくり見ていた。

 なぜなら『非戦闘員であり、都市防衛の大勢に影響がない』と判断したからだ。

 衛兵の一団でも居れば、助けに出るところであった。

 ()()()()敬愛する絶対的支配者の命令だけには忠実である。

 そして、弱い人間どもを殺し尽くし、口から血を盛大に滴らせ満足するビーストマン達が残った。

 駄犬はここで満を持して動き出す。

 『満足と優越感に浸る』ビーストマン達へ絶望を見せ思い知らせ、己が楽しむ為に――。

 その後、ビーストマン達7体は、まず手足を根元で折られて仰向けで横に並んで生かされ、次は全ての指を順に折られていく拷問を20分程受けた後、最後に頭をゆっくりと1匹ずつランダムに潰されて死を迎えた。

 ルプスレギナは泣き叫ぶ相手へ笑顔で容赦ない声を掛けていく。

 

「あれー。人間達を最後に殺せて食べて、もう十分楽しんだっすよね? 泣いても誰も助けないっすよー? ざまぁな自業自得ぷりっすよね、はは。最後ぐらい狂気に叫んで私をもっと楽しませるっすよー」

 

 彼女の属性、凶悪(カルマ値:マイナス200)の残虐性が竜王国の戦地で大炸裂していた。

 

 

 

 駄犬(ルプスレギナ)が散々寛ぎ、少数の敵へ時間を掛けて楽しんでいる間に、一カ所を片付けたセバスは追加で湧き続けるビーストマン勢らを数カ所で計60体程倒し、部下の所へ合流して来た。

 路上の片隅へ女子供の死体が無残に転がる光景に、上司は目を細める。

 

「なんと……間に合わなかったのですか?」

「はい、残念ながら。なのできっちりとビーストマン達は殺しておきましたー」

「分かりました。では次へ行きましょう」

「はいっす」

 

 残念さを滲ませ目を閉じ語るセバスの言葉に、人狼(ワーウルフ)の娘は機嫌よくニッコリと笑顔を返す。

 二人は一気に、周辺の6階建ての屋根へと飛び上がり屋上伝いに駆け出す。

 そこで、紳士的上司がルプスレギナへ伝える。

 

「先程、戦闘の最中にアインズ様より状況確認の〈伝言(メッセージ)〉を頂きました」

「えっ……」

 

 取り繕う笑顔をしていたルプスレギナは絶句し、余りの緊張で顔が引きつりだす。

 

 

 その時刻に己は何と――散々(くつろ)いで居てしまったからである……。

 

 

 敬愛する至高の御方が、お忙しくも配下の働きへ確認の作業をしておられたのにだっ。

 

(あぁーーーっ、最悪っすーーー! 申し訳ありませんっ、アインズ様ぁぁーーー)

 

 屋根の上を疾走しながらも、思わず頭を抱えた駄犬にはもう前が良く見えない。

 彼女は精神負荷で思わず倒れそうな感覚に陥る。

 ところが――。

 

「アインズ様は、我々の行動に満足されているご様子でした。最後に“ではよろしく頼むぞ”と、これからの働きへの期待のお言葉も頂きましたよ」

 

 セバスから伝えられた内容を受け、単純なルプスレギナは復活する。

 正にそれは、ご主人様に褒められた犬の如く。

 

「私、超頑張るっすーーーー! ビーストマンを惨く殺しまくって、アインズ様の使命を絶対に達成しますからーーっ!」

「ええ、その意気ですね」

 

 ルプスレギナの遠吠えのような可愛い絶叫に上司セバスは、部下のやる気のある態度へ満足し次の敵の侵入場所へと向かって行った。

 この日、二人は少し張り切り過ぎた……後半は都市外へも10分程飛び出し、今宵『ビーストマンの国』が大攻勢を掛けて増加動員したと思われる分に匹敵する1300体の死体を積み上げてしまったのである。

 その誰か分からない『聖人』二人の登場と大活躍の噂は、明日への希望として密かにこの都市内で有名になりつつあった。

 

 『くれぐれも()()()()()ように』という絶対的支配者の言葉は一体どうなるのか――。

 

 二人の使命はまだまだ続く。

 

 

 

 『ビーストマンの国』の竜王国侵攻拠点の陣地へ、伝令の兵により前線『南方都市』で戦死者急増という深刻な事態の報告が届く。

 

「や、やはり。参謀殿の言う通り、あそこには何かがいる……」

 

 竜王国方面指令官である、銀色鎧を纏う獅子顔の将軍の顔色は青ざめていた。

 

 3日前に『ビーストマンの国』へと帰国の途に就いた、豹顔で雄のビーストマン『大首領第二参謀』。

 彼の携える国家兵器ゴーレムの完全損壊や副将死亡など竜王国側の反攻報告は、あと数日でかの国の中央へと伝わる事になる。

 その先に何が待つのか、まだ誰も把握する者はいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. アルシェの家にて

 

 

 ヘッケラン達は小鬼(ゴブリン)軍団の野営地から、帝国騎士団の隊にも見つからず無事、南西外壁門の閉まる前に帝都アーウィンタールへと戻って来た。

 途中で〈魅了(チャーム)〉が解けると、あれだけいた屈強揃いの小鬼(ゴブリン)軍団と将軍へ捕虜救出行動を知られたにも関わらず解放された状況や、威厳に満ちた巨体のモンスターから魔法を掛けられていた事に3人は改めて震える。

 帰り着いた『フォーサイト』の面々は夜中の『歌う林檎亭』1階のテーブルに座っていた。

 野営地で起こったことを踏まえ、今後の行動を話し合うためにだ。

 

「それにしても幸運よね、無傷で帰って来れたなんて」

「不思議なぐらいだよなぁ」

 

 少し難しい顔をしながらイミーナとヘッケランは呟く。

 近くで見た赤肌の小鬼(ゴブリン)らの、鍛え抜かれた戦士的雰囲気は本当に危険さを感じさせたのだ。

 それらの記憶に対し、僅かに考えてからロバーデイクが語る。

 

「恐らくですが、現在亜人の軍団が異例の無血退却中だったからでは?」

「そう……だなぁ」

「それしか……ないわよねぇ」

 

 無傷で済んだ事自体、普通と違う事が逆に説得力を持たせ、十分妥当な理由といえた。

 他に考えようがない。関連情報不足もありアルシェと軍団の将軍が、まさか裏でつるんでいるとは想像出来るはずも無いのだから。

 素朴な疑問に全員が納得したところで、ヘッケランは次の議題に移る。

 

「アルシェが無事で解放されるって事で話を進めようと思うが、二人ともそれで問題ないな?」

 

 ロバーデイクらは頷く。

 リーダー他、全員、アルシェが無事で解放される予定だと、若い女将軍の語った言葉は鮮明に覚えている。

 最早これも実行されると前向きに考えようという流れで進む。

 逆方向へ悪く考えても、あの小鬼(ゴブリン)軍団へ再度強引に喧嘩を売りに行ったあげく『死』という結末が待っているだけなのだから。

 故に、アルシェは2週間後ぐらいに大都市エ・ランテルに来ると想定して動くことになった。

 まずは、帰って来ないアルシェの家へ行って、世話をするメイドと妹達に知らせるべきだという流れになった。次に引っ越しの件を告げ、出立まで数日預かってもらってという事になる。

 

「じゃあこれで、明日以降行動するぞ」

「そうね」

「頑張りましょう」

 

 このあと三人は漸く酒や果実飲料で、仲間(アルシェ)の無事確認と姉妹再会計画の発動に先立ち乾杯した。

 

 

 翌日の朝、早速ヘッケラン達はアルシェから預かっていた木片の割符も持って、地図を元にアルシェが妹達と住んでいると聞いていた帝都南東地区の一軒家へ足を運んだ。

 それは狭小と言える小さな白壁の可愛いお家。

 なおアルシェは、帝国魔法省への届け出住所として、先日から『歌う林檎亭』の一番狭くて安い一室を借り続けており、宿屋の番地を書いて提出している。彼女は常に狂った父親や貴族からの追跡を想定していた……。

 ヘッケラン達男性陣はまだ幼いと聞いた妹達を脅かさないようにと、家から少し離れた見える場所で待機し、この場のメンバーで紅一点のイミーナが玄関脇の呼び鈴を鳴らす。

 すると中から、白いキャップにメイド服を着た住み込みと聞いている小柄の娘が出て来た。

 イミーナはアルシェから聞いていた偽名の家名で尋ねる。

 

「こちらは、アルシェ・()()()さんのお宅かしら?」

「はい……どちら様でしょうか?」

 

 主人のアルシェが昨日から帰っていない事もあり、少し不安そうな娘にイミーナは割符を見せながら伝える。

 

「私はイミーナ。アルシェさんとは同じ仕事をしているの。これに合うものを貴方が預かっていると聞いているけど?」

「あ、はい確かに」

 

 少し掠れのあるハスキーボイス風のメイド少女は割符を確認する。アルシェからは『割符を持つ者が来たらそれは信頼できる仕事仲間であり、優しい家族同然の者だ』と告げられており、少し安心の表情に変わる。

 その変化に、イミーナが微笑みつつ伝える。

 

「アルシェさんは、昨日から急に10日以上の長期の仕事が入ったの。それと、その仕事が終ったらそのまま隣国の都市へ一時移る事になりそう。なので私は彼女の姉妹達の事を頼まれてここへ来たってわけ」

「えっ……」

 

 余りに急である内容と予告のため、娘が動揺したように見えた。

 

「ああ、勿論今日、今すぐ妹達を連れて行くということではなくて、8日後ぐらいに迎えに来る予定とアルシェさんの事を伝えに来たの」

「そ、そうですか……」

「それに御給金の事も全然心配しなくても大丈夫よ」

「……はい」

 

 訪問者からの追加の言葉にも、メイド娘の困惑した表情は続いていた。

 当然であった。彼女はここを追い出されれば行く宛が無かったのだ……。

 元々娘は孤児院で育ち、そこから2軒ほど通いでメイドをさせてもらっていたが、『住み込み』でということで孤児院を出てここに決めたのだ。

 主人のアルシェは優しいし、信頼して銀貨まで預けてくれており、その幼く可愛い双子の姉妹も懐いてくれている。

 だから、メイド娘はイミーナへ相談した。

 

「あの、実は私、このお家から御暇を出されてしまうと行く宛がありません。ですから姉妹達と一緒に私も連れて行っていただけないでしょうか――」

「――え?」

 

 予想外の発言に、今度はイミーナが困惑した。

 とりあえず、互いにその件はもう一度良く考えましょうということで、この日は家の中で一度アルシェの妹達クーデリカとウレイリカの元気な顔を確認すると「2日後にまた来るわ」と告げ引き上げた。

 

 

 

 

 元準男爵フルト家現当主の彼は『貴族への復帰』という野望に追い詰められていた。

 

 足りないのだ。手に入れなければならない。

 

 今日も朝まで2階自室にてイライラを紛らわす思いで妻を散々犯し続けたのち、昼間もずっと分厚いカーテンを閉ざしっぱなしの1階の洋室――かつては笑い声の聞こえる家族団欒があった場へ籠り、目の下にクマの浮かんだ顔で時よりウトウトしつつ椅子へ我慢強く座り続けていた。

 それはまるでずっと何かを待つかのように……。

 また時折、元凶を思い出し吠え立てる。

 

「お、おのれぇ、アルシェめぇぇ……馬鹿者が、馬鹿者がぁ」

 

 自分の()()であった双光の『玉』をビッチになり下がった己の娘に奪われていた。

 当初は金貨500枚と引き換えにくれてやったと考え、妻と連日夜通しで次の『玉』造りに励んでいたが、先日届いた1通の書簡により流れが一気に変わって来た。

 

 今こそ必要なのだ、幼い『(ぎょく)』二つが。

 

 4日前の午前中、彼は伯爵家を訪れて御子息から直に声を掛けられ、「ボ、ボクちゃんに()()()()を差し出すなら、望みを叶えてやるぞぉ」という『ありがたいお話』を真摯に受け止め、交渉を纏めようと考えた。

 しかし御子息曰く、重要なのは――『幼い』対価の現物だという。

 元准男爵にも異論はない。

 

(ふふふ、宿願である貴族への復帰のためには、我が家の何を犠牲にしてもかまわんのだっ)

 

 親の心はこの鬼畜の男にカケラも存在していなかった……。

 ただ叩き上げのワーカーである娘のアルシェは優秀で、気配と匂いすら無効化して屋敷を去っており、元準男爵は娘らが家を出た3日後……書簡が来た午後に安めの冒険者を雇うも、その日の内に追跡不能と回答されそこから困り果てていた。

 だから彼は伯爵家での会談の場にて、御子息から力強い援助を受けたのである。

 無論、万一にも伯爵家へ影響が無いよう、それはフルト家の全責任の下で動き始めていた。

 

 既に日が沈んだが、今日も変わったことはフルト家の屋敷で起こらなかった。

 しかし元準男爵の口から不気味な言葉が漏れる。

 

「くふしゅー、アルシェめぇぇ、絶対に逃がさんぞぉぉぉオーー」

 

 叫びは少し大きい声になり、廊下奥でそれを聞いたジャイムスはビクリと震え不安げに佇んでいた。

 

 

 




補足)時系列(新世界での日数、内容)
33 竜王国への援軍 (パンドラ地方組合と面会) ツアレ気のせい 和平の使者 至宝奪取作戦 アイ、デミ訪問 隊長と竜王の戦い ガゼフ昼食 守護者ルベド 同好会踊り依頼 帝国派兵 エ・ランテル出兵 アルシェ父の計画知る ラナーと深夜会談
34 冒険者点呼日-7日目 ビースト参謀帰国始 フルト氏伯爵家へ ルトラー面会 アインズ評議国潜入 法国激震 大臣帰還
35 クレマンと連絡 大臣再出発 竜王の思案 ゴドウ死 アルシェ就活 モニョ都市散策 ニグンビンタ2 ティサ&ブレイン王国へ 夜カルネ村へや王都の冒険者宿へ
36 帝国近衛通過1 エンリ誘拐 (人間捕虜移動開始) フルダ国境へ ビルデー密約 大臣和平使節団復帰 ゴブ5000 ザイトル帝国襲来 アイデミアウラ帝国潜入 アイ、国王等と密談 クレマン王都へ 駄犬寛ぐ
37 (双子踊り解禁)セバス駄犬1300 クレマン王都到着 帝国近衛通過2 エンリ移動 アインズ中央都へ アルベドエンリ伝言 同好会双子祭り クレマン王都1日目-連絡来る
38 クレマン王都2日目-再会ト誤算 和平の使者再び ゲイリング撤退密約 アインズ評議国退去 ミヤ,ナザへ 蒼の薔薇と連携に関し会談 (セドラン達エランテルで撤退指示受)
39 和平決裂一報 午後に戦時戦略会議で王国軍出陣 帝国に雨



捏造・補足)ゲイリング大商会
アーグランド評議国の亜人総個体数は67万台で奴隷を合わせても人口は220万程度。
多少裕福なので、国家の経済規模では王国の8分の1程度になる。
ゲイリング大商会は、評議国で3割強の経済圏を持つが、『八本指』の倍ぐらいの規模。



捏造・補足)アインズの情報系魔法への攻勢防御
5段階設定…対100-80-60-40-20レベル。3設定だと対Lv.60用。
範囲最大設定だと屋敷全体どころか都市にも甚大な被害が出るので局所に調整していた。
火柱は威力が横へ広がれず上方へ出た形。
また王城等では、爆発は大騒ぎになるので逆探機能しか有効にしていない。



補足)豚鬼(オーク)
書籍12-357で、『人間ほどの身長を持つ豚のような顔をした亜人で、綺麗好き』とある。
2メートル程のゲイリング評議員はかなり大柄。
ちなみに身内の豚鬼(オーク)の戦士は185センチぐらい。
鳥人の団長は180センチ無いぐらい。



補足)〈歩達〉
〈瞬歩〉(瞬間に歩を進める)よりも速い。



補足)「――ミヤよ、前へ」
もちろんキョウ、ミヤ姉妹の揃うシーンをニヤニヤ楽しむため、完全不可知化の守護天使様が歩く少女のすぐ横に張り付いていました。
評議員が小さく幼いミヤを強い握手でイジメるようなら『きゅッ』と首を絞めにいくつもりで。



捏造・補足)商会、大商会、連合商会
本作において商会は通常、特定の業種に大部分を特化する場合が多い。
自らも商いをする傍ら、仕事や情報、資金を傘下の個人商人へ貸付・融通したりし稼ぐ。
商人らも含め基本は独立採算制。
大商会になると、手広く全業種へと広がり、現代の財閥体形へ近付く。
別業種の商会が親商会と上下関係を持って集まったと思ってもいいかもしれない。
商会らが平等に手を組んだ『連合商会』もある。



補足)クレマンティーヌの笑い声
んふふふー 書籍2-154
えへへへー 書籍2-269
うぷぷぷ 書籍2-313
という感じですね。あと、
鼻歌 ふんふんふーん 書籍2-091
照れ てへ 書籍2-191
んふっ 本作で良く使いますが実はアニメ



捏造・考察)金貨の重さと管理
デカいユグドラシル金貨1枚を20グラム程度として、
王国や帝国や法国の金貨は10グラムぐらいかと。
100枚で1キロ。1万枚で100キロ。
アインズが国王から手付に貰った5万枚で500キロに(笑)
これでは、普段持ち歩くのが大変。
なので金持ちの多くの者は金貨を盗賊などから守るため、警備の整った各地の王家直轄の鋳造金細工施設にある大金庫へ預けている。
本作では王家や皇帝の直轄鋳造施設が銀行っポイ事をしている感じです。
故に『蒼の薔薇』など破格の資産を持つ者達は一部だけを宿屋へ持ち込んだり持ち歩いています。

ちなみに中世のイギリス金貨は7グラム、フランスやドイツ、イタリアでは3.5グラムの重さ。
あと中世後期、金細工師の家に大金庫があって、金持ちは金貨を盗賊から守るため、その金庫に預けていたそう。また、その証文が紙幣の元になったとか。




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STAGE42. 支配者失望する/猛ル魔樹ト帝国ノ代償(16)

注)かなり残酷な表現があります
注)モモンの声色と口調については、鈴木悟の素の声口調になっています

補足)登場人物紹介
魔樹……………………………まだ誰もその名前を知らない。ピニスン捕獲に期待


 バハルス帝国西方地域に雨が降った。

 それは、皇帝ジルクニフと帝国、そしてもう一人の罪人共にとっての運命の雨―――。

 

 エンリ率いる小鬼(ゴブリン)の大軍団が、帝都アーウィンタールから退去を初めて4日目の朝を迎える。

 昨夜10時過ぎから野営地へと降り始めて一時強くなった雨は、夜中の内に分厚い雲が通り過ぎたのか午前3時半頃には上がった。

 今は中火月(なかひつき)(八月)の初旬で夏場。にも拘わらず、帝国西方地域の日の出が近い周辺の空気はひんやりとしていた。

 これは霜の竜(フロスト・ドラゴン)霜の巨人(フロスト・ジャイアント)達が住むというアゼルリシア山脈から北西の風となって()りて来る冷気に因るものである。冷気系の彼等は夏場に暑さを抑えるべく、雨が降ると周辺の溜まった水を氷へと変える習慣を持っている模様。南北に300キロを超えて伸びる山脈の中央部付近の山麓には大森林が広く途切れている部分があり、そこから直接帝国西方地域へと温度の低くなった空気が流れ込んでくるのだ。故にこの地方へ住む農民達は建国以前より代々、冷害に強い品種を選りすぐり植え育て続けていた。

 また晴れた明け方は、放射冷却で夜中より気温が下がる事も拍車を掛ける。空気中の水分は気温の低下によって飽和し、濃霧となって姿を現していた。

 なお今の気象状況は、数日前から降雨とその後の霧の濃さと持続時間を的確に帝国政府側で把握されている。

 それは、この地方に住む農夫の中で湿気や事前の空模様だけで天候について熟知する者がおり、ここ数日で張り巡らせた騎士達の伝令を通じて帝国情報局へ予報が集められていたのだ。

 皇帝秘書官のロウネは午前3時頃、予報通りの待望の西方地域への降雨を早馬で知る。

 彼は直ちに皇帝執務室へ赴くと主へ最後の確認を取ったのち、『皇帝陛下からの厳命』として秘匿作戦開始の密命を、速さが売りのジャイアント・イーグル隊へ指示し前線へ全速で飛ばした。

 

 

 

 

 巨樹の進路上700メートル前方地点の朝霧の中。

 午前5時を前に帝国が誇る四騎士の一人、〝激風〟ニンブル・アーク・ディル・アノックは複雑な心情を胸にしていた。それでも、皇帝ジルクニフ陛下の厳命を実行しようと眼前に揃う配下である皇室兵団(ロイヤル・ガード)100名程の騎士達へと、視線も巡らせつつ清廉(せいれん)な声を掛ける。

 

「全員、準備はいいか?」

「完了しております、いつでも。アノック様」

 

 騎士隊隊長の声に、金髪でスラリとした青年騎士(ニンブル)は頷く。

 アダマンタイト製で魔法強化もされた黒色(こくしょく)全身鎧(フル・プレート)を纏うニンブルは、帝国八騎士団の将軍と同等の権威を持っており、時としてこのように一軍をも率いるのである。

 彼が指揮する皇室兵団(ロイヤル・ガード)の騎士達は当然、剣や槍だけではなく弓術や体術、魔法に関して一般の騎士達よりも厳しい審査と評価を満たした面々である。

 既に馬へ跨る彼等の肩と手には、弓と火炎矢の武装が見て取れた。

 ロウネからの密命による指示は「巨樹へ火系攻撃を仕掛け引き付けつつ、多くが寝静まる小鬼(ゴブリン)大軍団のところまで()()()退却し、散開する」事である。体裁の良いなすり付けだ。

 濃霧の立ち込める周囲の視界は僅かに50メートル無い程度。

 霧内の魔樹のおおよその位置については二日前、複数の希少金属を細かめに砕いて混ぜた食物系の重粘着質の液体を上空から掛ける事で付着させ、希少金属の感知で捉える事が出来る。

 的がデカい事から、それで十分であった。

 本作戦は帝国が女将軍と交わした『帝国全軍は亜人の軍団へ敵対しない』との覚書通り、直接亜人らへ攻撃をするわけではない。攻撃対象なのはあくまでも巨樹である。結果は知らないとして、帝国は姑息に一応だが逃げ道を残していた。

 これに対し、誇り高き貴族騎士のニンブルとしては『巨木の存在を知らせず、亜人らへの完全な騙し討ち』に思える。

 それでも、皇帝陛下と帝国、帝国民の為にここは動かなければならない。

 

「ではいくぞ。両翼へ展開を開始する。巨木の動きには十分注意してくれ」

「「「はっ!」」」

 

 帝都までの距離が80キロを切った地域を動いていた()の『巨大な魔物』はこの時、随分と速度を落としていた。時速にして約500メートル。

 それは、穀倉地帯に実り始めた穀物からの養分を、足と言える根の部分から大量且つ存分に吸収出来たからである。奴は満足していた。

 ニンブルを始め騎士隊100騎は、事前の計画通りに霧の中で向かい来る巨樹へ対し、希少金属を感知出来る者を先頭に50騎ずつ二手となって広がり接近した。重さで6キロ程の油を壺へ詰めた物に長めの縄を付け、遠心力を利用し放物運動で投擲する。難度30程度の者なら100メートルを優に超えて投げる事が出来た。半数程の騎士達が一斉に投擲した後に残りの者が火矢を射かける手順。

 別働でジャイアント・イーグルと並び、皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)所属の2体の鷲馬(ヒポグリフ)――体長が3メートル弱で翼を広げた幅は6メートル程の、胸部と後半身が馬で前脚と翼と頭部は鷲――も騎士を乗せると上空へ舞い上がる。そして、地上の部隊位置から敵との距離を掴むと順次、濃霧に紛れて直上から25キロ程もある大きい油壺を鷲馬(ヒポグリフ)1体当たり4個投下する。更に騎乗する騎士の一人が、希少なアイテムを使用し第3位階魔法である〈火球(ファイヤーボール)〉を直上から見舞う。

 上空からの油壺は全て巨木へと当たり割れ、〈火球〉からの火が引火して一部で霧中へぼやけるように燃え上がる。同時に再度地上の前方左右からも、巨樹へ多くの油壺を投げつける行動に続き火矢が放たれていく。

 これらの敵対行動に対し魔樹は―――当然、猛然と人間達へ襲い掛かってきた。

 ここ数日、ヤツは結構気分よく穏やかに地を進んで来ていたが、全てを台無しにするこのイヤな火計攻撃で憤慨し始めた。突如、地響きを起しつつ急激に速度を上げ前進を始める。

 魔樹は、ニンブル達による地上からの攻撃を6本の巨大な(つる)とその小枝群により全て払った。でも投擲した油壺はそのことごとくが衝撃で割れ、蔓等へ掛かる。火矢攻撃は視界内に入った多くを撃ち落とすも視界の悪さと数の多さからか数本が命中し、霧の中に赤い火の手を上げ出す。

 ニンブルらの攻撃は成功したかに見えた。

 しかし、巨木は身体の左右へとぐろを巻いていた6本の蔓を全展開する。奴の太い蔓はそのままニンブル達へと襲い掛かっていった。空中の鷲馬(ヒポグリフ)は既に圏外へ去っていたため、その6本全部でだ。

 巨木側から見て、ニンブルは前方150メートルほど離れた先の右位置で、直ぐに動けるよう背を向ける形で50騎程を率いていた。だが、素早く伸びて来た(つる)は僅かの時間で150メートル程度など一気に詰めてくる。

 

「全員散開っ! ()()()()()走れー!! 誰でもいい、何としても到達しろーーー!」

 

 今はそう叫ぶしかない。目的地はここから約3キロ東であった。

 ぼんやりと霧の奥から巨大な蔓が騎士らへ幾つも迫って来ていた。隊列などを組んでいる暇など無い速さで。

 巨樹は、視覚か生体反応の有る物にしか反応しないように思えた。なぜなら危険な火矢はともかく、油壺にはそれほど過剰反応しなかったから。

 最も動きの早かったニンブル他、十数騎が殆ど散り散りで攻撃圏からの脱出に成功する。

 残りの者は馬ごとふっ飛ばされたり潰されたり、蔓や枝に捕まり巨大な口へ放り込まれたか、ひねり殺されていったのだろう、その絶叫や悲鳴だけが霧の中にくぐもる風に響いていた……。

 恐怖から馬を畑の中へと全速で走らせるニンブルは馬上で震え、冷や汗が額へ滲み、言葉が口から噴き出してくる。

 

「今のがヤツの攻撃か……圧倒的じゃないかっ。家の高さ以上の太い蔓を持つ魔樹など、普通に考えて人の剣や腕力でどうこう出来る相手では無い。あれを倒せるとすれば――(ドラゴン)の火炎砲や強大な魔法以外に存在しないはずだ!」

 

 相手が体格の近い小鬼(ゴブリン)軍団の方が、まだなんとか対戦可能のように思えた。

 ニンブル自身、帝国騎士で最強の一人と言われている身ではある。だがこの局面へ対し、思考内には祖国最後の希望として世界で『逸脱者』と呼ばれるバハルスの守護者的魔法詠唱者(マジック・キャスター)の姿しか浮ばない。

 ただ今の混乱の中にあっても、帝国四騎士の彼は名に恥じず、希少金属を感知出来る騎兵を守るように走っていた。

 その者の横に並ぶと声を掛ける。

 

「おい、奴はすぐ後ろを追って来ているのか」

「……あぁぁ、いえっ。アノック様、御無事で」

「今、どれほど離れている?」

「大体500メートル程です」

「――っ、止まれ!」

「ひっ、正気ですか。追いつかれれば、殺されるっ」

 

 ニンブルは剣を抜いて、並走する騎士へと翳す。

 

「止まらなければ、私が貴様をここで反逆者として切り捨てる。この作戦にも帝国の命運が掛かっている事を忘れたか! 既に数十人の血が流れている。貴様も彼等と同じ誇りある騎士ならば腹を括れ」

「――了解っ」

 

 叱咤された騎兵はハッとすると帝国の騎士らしく従い、手綱を引き直ちに馬脚を緩める。

 しかしこの時、ニンブルはもしこれがレイナースなら……と一瞬頭に(よぎ)った。

 

(……彼女は譲らないでしょうね)

 

 目的の為には、同胞と争い見捨てる事も辞さない女である。

 その時どうなるか。

 現在、バジウッドやナザミらは竜軍団との戦いへ王国まで赴いているが、苦戦時に自分も居れば今の自然にとった『帝国第一の行動』から『保身する』彼女と闘争になる可能性は高いと思えた。バジウッドはその状況を見越して帝国に自分を残したのかも、と金髪の貴族騎士は考える。

 でも今はと頭を一度振り、横の騎兵に合わせ手綱を引いて馬へ制動を掛けさせた。

 濃霧は午前9時過ぎまで濃い状態が続くと聞いている。先程、魔物が放った想像外の攻撃なら、小鬼(ゴブリン)の大軍団にも相当の被害が出るはずだ。

 視界が悪い中でも、ニンブル達の多くは現在地から()()()についての道程を把握出来ている。

 ここ三日程近隣周辺をずっと、霧の掛かったような眼鏡を付けて実際に回り、状況と土地勘を掴んでいた。

 既に日は登っており、周辺が明るい中で彼は改めて後方を振り返る。

 濃霧の為、後方へは壁のような真っ白い世界が広がっていた。

 本来なら魔樹の高さ100メートル超、両翼300メートルにも及ぶその目にした者達へ間違いなく強圧感をいだかす巨大城塞の如き圧倒的姿で迫って来る光景がハッキリと見えただろうが、今は全く捉えられない。加えて音についても霧の所為か随分と響かない。ただ不気味な振動だけは僅かだが確実に馬の鞍から伝わって来ていた。

 ニンブルは騎兵へ確認する。

 

「巨木との今の距離はどれぐらいになる?」

「およそ400メートルです」

「……なら分速80メートル、時速で5キロ程か(30分ぐらいで目的地へ着きそうですね)」

 

 視界は50メートル弱あった為、ここでニンブルの所へと左右から5騎程集まってくる。

 皇室兵団(ロイヤル・ガード)の騎士達は、皇帝陛下の盾となって死ぬ覚悟が出来ている者も多い。彼等は指揮官であるニンブルの動きをしっかりと見ていた。

 人間と馬が7騎纏まり揃っていた事で、魔樹はここを目掛けて近寄りつつある。

 しかしニンブルはまだ動かない。彼は先程まで剣を握っていた手に弓を握りしめていた。希少金属を認識出来る先程の騎兵へと告げる。

 

「250メートル程の距離になったら知らせよ。移動を開始する前に、再度火矢を放つ」

「はっ」

 

 難度で70を超える帝国四騎士の身体能力なら通常の5倍の剛弓を引き、重い鋼鉄製の矢を200メートル先へ飛ばす事は難しくない。また風系の補助魔法も付く弓でもある。

 ニンブル自身、弓矢はそれほど得意ではないが人並みには打てた。

 指揮官が馬首を前へ向けたまま半身で振り向きつつ、火が灯る矢を引き絞り構える中、騎兵が叫ぶ。

 

「今ですっ!」

「はぁっ! ――全員、まず敵との距離を確保し騎馬間を取りつつ、目的地へ常歩(なみあし)にて前進せよっ」

 

 火矢を放つ指揮官の指示に、横並びの7人の騎士は素早く最終目的地へと移動を始めた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 『トブの大森林』のエンリ・エモット将軍率いる小鬼(ゴブリン)軍団5000余の内、午前5時半前の時点で約半数が起きていた。

 それは――将軍のエンリが早起きだからである。

 村娘でもある彼女は、野営地中央の陣幕内一角の寝所で辺りが明るくなった午前4時半には目が覚めていた。村での生活習慣がそうさせる。

 ただ今朝は、彼女の近くでアルシェ・フルトがまだ眠っていた事もあり、起き上がる事なく頭上の天幕を暫くの間見ていた。

 昨夜は雨が降っていたので、幕を寝床の上部へ斜めに天幕の如く(たる)みなく張る事で、雨を地面へと流す形にしてくれている。

 小鬼(ゴブリン)軍師を始め、この大軍団の小鬼達全員がエンリをとても大事にしてくれていた。先に登場した19体の軍団の面々と同じである。

 

旦那(アインズ)様に頼るだけじゃなく、私自身がみんなの事をしっかりと考えなくちゃ)

 

 ジュゲムらについては部下というよりも、一蓮托生の共同体みたいな存在と考え始めていた。

 最近の彼女の中では既に人の世界という思考ではなく、旦那様の率いる偉大なるナザリックの中で自分達はどう貢献していけるのかというものに変わってきている。

 帝国を出て森へ到着後も居住地の整備や食料自給についても考え率先して指示し、行動を起こさなければと『将軍』は思う。

 

(でも今はとにかく、争いや問題なく無事に森まで到達することが大事かな)

 

 皆を率いる者として40分程あれこれ思いにふけっていたエンリは、床を出て自分で将軍の服を着始めた。

 小鬼軍師は、昨日も(エンリ)のこの自主行動に余り良い顔をしなかった。『閣下には、もっと閣下としての自覚を持っていただかなくては――』と親身に色々と小言を言ってくれていた。

 エンリにより召喚された彼等には、世界の知識もある程度備わっている。

 思い返せば小言を言ってくれたのは、今は亡き父母だけであったので彼女には少し心地よい。

 兵5000の将軍ともなれば、どの種族であろうとも間違いなく上流階級なのである。だから彼女の下々的行動を心配してくれているのが伝わる。

 上流層は皆、服装の着付け他、日常の世話は下位の下僕にしてもらう事が標準(スタンダード)なのだ。そして、そういう権力地位に就いた者はそれを往々にして好む。

 (きら)びやかな装飾や金ピカが大好きな妹のネムもそうかもしれない……。

 だがエンリは少し違った。

 彼女は出来れば敬愛する旦那(アインズ)様にひっそりと慎ましく寄り添い、父母の生まれて亡くなった大好きなカルネ村で子を育て、秋には収穫で汗を流す農夫として静かに一生を過ごし村の土へ還れれば満足なのである。

 豪華な生活や栄達などは全く望んでいないのだ。

 しかし現在、身に付けている豪華な軍装にしろ、彼女の周辺は大きく変わりつつある。それでも彼女は心の奥底でカルネ村の一人の村娘という気持ちを変えようとは思っていなかった。

 勿論、大恩あるアインズ様第一なのは不変だ。大切なカルネ村と家族である自分や妹を守ってくれている旦那様の希望ならば、先頭に立ち王国や帝国との一戦も辞さないつもりでいる。

 それが、彼女の真っ直ぐで芯の強い心の形であった。

 エンリは着替え終わると髪を()き、いつもの通り一部を三つ編むと寝所から出る。

 すると既に起きて陣内の安全を確認し始めていた、綸巾(かんぎん)を被る凛々しい髭の軍師が笑顔で挨拶してくる。

 

「おはようございます、閣下。ほっほ、また自らお着替えですか。お声を掛けて頂きませんと」

「おはようございます。ありがとう。でも、まだ早い時間ですし――」

「――時間は関係ございませんぞ。こうして皆、常時控えておりますゆえ」

 

 陣幕内の脇へ控えていた雌の小鬼(ゴブリン)達が、軍師の羽扇を向けられて会釈をして応えた。

 

「そ、そう。あ、でもほら、体を少しは動かさないとなまっちゃうのかなと……」

「はぁ……。まあ、今朝はそういう事にしておきましょうか」

 

 小鬼軍師も大切な主へあれこれ言うのは本意ではないので切り上げる。

 「はい」と笑顔で返すエンリは、彼のそんな優しい気遣いが有り難い。

 恒例となりつつあるやりとりを終えると、軍師が報告してくる。

 

「閣下、本日は周辺の霧が少々濃おうございます。今のところ陣内に問題はありませんが、出立の時間に晴れない場合は影響があるかもしれませんぞ」

「えっ? あ、本当だ」

 

 陣幕内では白い幕が視界の大部分に入り気付かなかったのだ。改めて幕の上方の遠くを良く見ると、昨夕は周囲に見えてた森の木々が随分モヤって見えにくい事を把握する。

 

「じゃあ、一応時間が後ろへずれる事も考えて……ん?」

 

 この時、話しつつ腰掛けたエンリは椅子の座面へ僅かな振動を感じた。立っている者や歩いている者は意外に感じにくいものである。

 また、小鬼(ゴブリン)は多くが大雑把な精神構造をしており、横になっていても微振動を気にする者は少なかった事も災いする。

 昨夜は夜番として50体程の小鬼(ゴブリン)らが警戒の任についていた。

 そして午前5時半の現在、ハムスケも夜番明けで出立まで仮眠をと30分ほど前に寝入ったところであった……。

 周囲を感知出来る獣の彼女だからこそ、起きていれば違う展開になっていたかもしれない。

 

(地震……かな?)

 

 まずはそう判断したエンリであるが、僅かにびりびりとする感じで『揺れる』という雰囲気ではない。

 

「閣下、何か移動に関して問題でも?」

 

 言葉を突如切った将軍の様子に小鬼軍師が尋ねた。

 エンリは首を横へ振った後に伝える。

 

「今……地面が細かく揺れているみたいなんです。でも、弱さに対して長い気がします」

「……」

 

 羽扇を握る彼は癖であろう己を仰ぐ様な仕草をやめると、少し濡れた草の生える湿った地面へ視線を落とした。そして、しゃがむと汚れるのも構わず耳を地へと付ける。

 

(――!?)

 

 軍師はそれが何かを部分的に理解すると、顔色を変え立ち上がりながら主へ告げる。

 

「将軍閣下、大変です。これは地響きですぞっ! 近くを大規模な軍団か、巨大な攻城兵器でも移動させているのでは?」

「大規模な軍団!? 攻城兵器?」

 

 エンリは『なにかなそれは』という表情を一時浮かべる。

 彼女は、人類三大国家であるバハルス帝国との覚書を真摯に信じており、先程からずっと『これはきっと自然現象だ』と思い込んでいたのだ。

 ここはまだ帝国領土のど真ん中と言える場所。しかし――その帝国からは何の知らせも無い。

 

 

 何かがオカシイと、エンリはここで(ようや)く気付く。

 

 

 女将軍の顔色は急速に悪くなり同時に険しいものへと変わった。

 

「皆へ命じます。直ちに総員起こしをっ! 続いて速やかに陣形を整えて」

「ははっ、直ちに!」

 

 小鬼(ゴブリン)軍師は羽扇を翳し命じる。

 

「エンリ将軍閣下所属の全軍、全兵団へ伝令っ、総員起こせーー! 順次円陣を組むとも伝えよ」

 

 その声が終ると同時に十数体の伝令が陣幕内と周辺から各兵団へと散って行く。

 でも遅かった。そんな時間は既に殆ど残されていなかったのだ。

 魔樹は濃霧の中、野営地まであと400メートルを切った位置まで猛然と迫って来ていた。

 まだそれを知らないエンリはアルシェを起す為に寝所への幕を潜る。すると、異変に気付いたアルシェはもう魔法省の制服を殆ど着終えていた。

 修羅場を見ており即応へ慣れているワーカーの少女は、何度かモンスターから夜討ちされる経験もあった。

 

「地面が揺れてる。一体何が起こってるの? まさかっ、帝国騎士団の朝駆けじゃ」

「まだ分からないですけど、急の異常事態なの」

「……この地から急いで離れた方がいいかもしれない」

 

 そんなやり取りの際中に、巨体が陣幕を下から押し退け、ハムスケが大きい顔をのぞかせる。

 だがその表情に余裕が無い事が自然と窺えた。

 

「エンリ殿、逃げるでござる。スゴいのが直ぐ傍に向かって来てるでござるよっ!」

「えっ!?」

「凄いのって?」

 

 エンリに続いて思わずアルシェも尋ねていた。地響きが耳でも捉えられる程にデカくなって来ている。もう答えている余裕などない。

 

「急ぐゆえちょっと失礼するでござるよ」

「あっ、ハ――〝森の賢王〟さん!?」

「え、くっ、どうする気?!」

 

 ハムスケは尻尾を器用に8の字に変え、エンリとアルシェの体をその輪の中へ抱えると、全速で寝所を区切っていた幕を突き抜けて陣幕内中央へ戻る形で駆けていく。

 流石の彼女も逃げる一択だ。迫り来るヤツへ尻尾による攻撃や〈全種族魅了(チャームスピーシーズ)〉を掛けようとは思わなかった。強さの感知は余り出来なくても、圧倒的な大きさは把握出来たからだ。

 走り抜けつつハムスケが、小鬼(ゴブリン)軍師らへ叫ぶ。

 

「軍師殿らも、怪物がそこまで迫ってござるから急ぎ逃げるでござるよ!」

 

 エンリも普通では無い状況から、ハムスケの判断を優先して後方となった軍師達へと叫ぶ。

 

「全員、南へ逃げてーー! 立て直しはそこでしますっ」

「「「――!」」」

 

 軍師が口笛を吹くと狼が現れ、それに飛び乗ると周辺全体へ聞こえるよう大声で指示を出す。

 

「全兵団、閣下の御命令ぞっ。一時南へ移動せよ!」

 

 野営地内を移動しつつ連呼し、羽扇をオーバーアクションで兵らを陣外へ誘導するようにしてハムスケの通った後へと続いた。

 小鬼(ゴブリン)兵らはその指示を聞くと、レッドキャプスを筆頭に多くが続いて行く。

 中央の陣幕近くにいて、移動の素早い死の騎士(デス・ナイト)だけが速いハムスケへと並走出来た。彼等は、見渡す限り一面がほぼ穀倉地帯の畑内や畦道を南方面へ全力で逃走する。

 1分後――巨大な本体に先駆けて陣内へと太い蔓の先端が襲い掛かって来た。

 貴重な糧食を積んだ直ぐに動かせる馬車を退避させるべく走らそうとして、まだ残っていた健気な小鬼(ゴブリン)達へ向かって行った。

 その攻撃的な蔓群に対して、無防備な仲間らを守ろうと有志が足を止め駆け戻り加勢する。しかし、迎撃した勇猛な小鬼(ゴブリン)兵10体以上が次々に犠牲となっていく。

 彼等は皆Lv.25以上の者達ばかりであったが、小枝部分は兎も角、強烈なパワーを持つ魔樹の太く重い蔓本体の先端部を受け止めきれなかった。

 小鬼(ゴブリン)の大兵団の野営地は大混乱と化していく……。

 だが、この絶望的状況において突如不思議な事が起こる。

 

 

 次の瞬間に、全ての攻撃が治まったのだ。

 

 

 同時に周辺の全員が感じる程大きくなっていた酷い地響きも突然にピタリと途切れた。

 野営地から南へと全速で駆け離脱しつつあったハムスケが、地面へと跡を残しながら急に立ち止まる。

 彼女は魔物の反応を捉え続けていたので、急変を感知したのだ。

 

「なんたること!? あの怪物の大きな存在が――いきなり消えたでござるよっ」

 

 霧満ちる後方右側の巨大怪物の居た方向を振り向きつつ、叫ぶ形で尾っぽに握るエンリらへ伝えた。

 

「えぇっ、消えたって?! もう、一体何が起こっているんですかっ」

 

 急展開の連続に、今まで凌いで来たエンリも冷静ではいられなかった。

 すると、将軍少女の思考へとあの不思議な音が鳴り、彼女の主(アインズ)の重々しい声が聞こえて来た。

 

『エンリよ聞こえるか。私だ。お前達の無事な姿は魔法で見えている』

「は――(ぁ、いけない)」

 

 思わず愛しの頼れる旦那様へと嬉しさから元気よく「はいっ」と言いそうになったが、直ぐ近くにはアルシェが居たので思い留まり、彼女から見えない形でゆっくり頷く。

 それを受け支配者は言葉を伝える。

 

『こちらで一応全体の状況は把握しているので、用件だけ手短に話すぞ』

 

 エンリは『了解』と、また一つゆっくりと頷いた。

 アインズは指示の要点を語る。

 

『巨大な樹木の魔物に見える、よく分からない()()()()()はこちらで引き受ける。帝国は、故意に面倒な者達の同士討ちを狙ったのだろうな。もうそちらでの怪物への直接的対処は不用だ。だが、帝国の軍団が東側から迫って来ている。空からも魔法詠唱者(マジック・キャスター)部隊が動いているようだ。同士討ちで残った方を片付けるつもりの兵に違いあるまい。それら帝国との交渉は――お前に任せる』

 

 エンリはナザリックへ多少慣れたと思っていたが、今回も驚きの連続である。

 まず、ハムスケの強さは死の騎士(デス・ナイト)以上という事は聞いていて、その彼女が一目散に逃げ出す程の強敵を、さも平然と引き受けると語る旦那様に一つ。

 次に、この状況で非常に重大な帝国との再交渉の任を告げられたことに一つ。

 でも出来ると旦那様から見込まれての指示だろうと考え、身が震えつつも少し嬉しくもあった。

 ナザリックの支配者の命を受け、ゆっくりだがここは大きく頷いた。

 彼女の驚きはまだ直ぐあとにも訪れる。

 アインズの言葉が続く。

 

『あと常時安全は確認しつつも、独自にカルネ村を抜け出したので当初から連絡は取っていないのだが、間もなく周辺からンフィーレアとネム達の隊が合流するはずだ』

 

 幼馴染からの手紙で帝国へ来ている事は把握しているエンリだが『えぇっ?』と思った。彼女はここで初めてンフィーレアとネムが、旦那(アインズ)様の指示では動いていない現状を知る。だが、『常時安全は確認しつつ』の言葉から黙認されている状況であり罰は無さそうとは推測出来た。

 また、ネムやジュゲムへ連絡を取らなかったのはンフィーレアがいた為とも理解する。

 続く主の最後の言葉にも村娘は表情を固める形で驚かされた。

 

『それと――上空へ先行して来ていた帝国の老人(フールーダ)だけは、レベル……いや、装備込みの難度で140以上あったので捕獲させてもらった。それもこちらで()()する。以上だ』

 

 エンリが頷くと、『では頼んだぞ』の声で旦那様からの〈伝言(メッセージ)〉は終わった。

 彼女は『ナザリックの将軍』としてこの後の行動を直ちに組み立てる。

 

「おお閣下、御無事で何よりですぞ」

 

 ここで、狼に乗った小鬼(ゴブリン)軍師が後ろから追いついて来て再会への喜びの声を上げた。

 羽扇を振る彼へと頷きながら、エンリは旦那様の言葉を考慮し自分の考えとして伝える。

 

「森の賢王さんの周辺把握の感覚で、恐るべき敵は急にいずこへか去ったようです。そして状況的に考えて――バハルス帝国は領内に居た恐るべき敵の存在を知りながら私達へ知らせて来なかったみたい。またこんな、丁度野営地にぶつかると言う偶然は有り得ません。故意にこの悲劇は仕組まれたのでしょう」

「――閣下。毎日の行軍距離の不規則さから見ても、帝国軍の狙いは同士討ちだと仰るのですな」

 

 ここでハムスケの尻尾から制服の魔法少女と共に開放された将軍は、軍師の言葉に頷く。

 エンリらの言葉を聞いたアルシェは、帝国の後先を考えていない強引なやり方に愕然とする。

 

(なんて無謀な……。謎の強い魔物と私達の力が拮抗していれば成立するけど、現実はどうみてもそうじゃなかった。小鬼(ゴブリン)の大軍団は確かに減らせたかもしれない。だけど、魔物は残ったはず。……そうか、皇帝陛下はパラダイン老に倒させる気だったんだ。ただどちらにしろ――そうなると帝国からの人質である私は……)

 

 アルシェとしては、このまま何事もなく無事に小鬼達の退去が完了してしまえば、全てが上手く回っていくはずであった。

 しかし、これで人質のアルシェが無傷で解放されるという事は『不自然』という話に変わる。

 視線を落とし表情が冴えない小柄な帝国の少女の様子をみて、エンリと小鬼(ゴブリン)軍師もその忘れかけていた問題点に気付く。

 

「フルトさん、お話があります。実は……」

 

 将軍エンリ嬢の口からトンデモナイ処罰案が飛び出すのはこの後すぐであった――。

 

 

 

 

 朝、虫の知らせや嫌な予感もあってか、ンフィーレアは早く目を覚ます。

 薬師の天才少年とネム達カルネ村エンリ救出部隊は、昨夜も、日が沈み周辺を封鎖警戒する帝国騎士団の動きが無くなった8時過ぎから1時間程掛けて移動。見渡す一面全てが麦畑の中で確認出来たエンリ達の野営地の南側約900メートルの所に見つけた林内へと潜んでいた。

 仰向けに寝ていた彼は、懐から取り出した時を刻む高価なアイテムを見て確認する。

 今の時刻は午前5時20分過ぎ。

 木の根元の乾いた落ち葉の上で身を起した少年は、昨夜から一変していた周囲の状況に驚く。

 

「うわぁ、50メートル先も見えない凄く濃い霧じゃないか――――あぁっ!」

 

 この瞬間、利口な彼はバハルス帝国の狙いに気が付き、思わず大声を上げる。

 昨晩、ここへ移動する前に巨木のモンスターとエンリ達が遭遇する危険について仲間達と話をしていた。そこでは毎日の不規則な移動距離を疑問視するも、エンリの軍団が自主的に動いている可能性もあり様子をみてしまった。

 昨夜10時過ぎから雨が降り始めるも、その時点ではまだ夜目が利けば遠くまで見渡せる感じで安全は十分確保出来ていると思い込んでしまったのだ。

 天候をも作戦に組み入れた帝国の憎らしい計略である。

 

「……なんですかい、兄さん?」

 

 少年の上げた声で、戦士のジュゲムやゴコウらが目をこすりつつ警戒気味に起き出す。

 ネムだけはまだ「ムニャムニャ」とぐっすりと夢の中だ……。

 ンフィーレアが、指さす周囲の光景を小鬼(ゴブリン)達は見るがまだ気付かない。

 寝起きで頭がまだ回っていないのか、霧と巨樹とを結び付けれない模様。少年が補足する。

 

「この霧を利用して、エンリの軍団を巨木のモンスターの前まで誘導するんじゃないのかな?」

「ああぁ!」

「まずいじゃねぇですかいっ」

「姐さーん」

 

 (ようや)く大問題に気が付きジュゲムやゴコウらの目がカッと開かれた。

 一気に深刻さが増した一行を追い打つように、戻ってくる時間では無いはずの蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)が空から駆けおりて来た。

 緊急事態を感じ、ンフィーレアはネムを急ぎ揺り起こし話を聞いてもらう。

 冒頭は半分寝掛けたが、余りの内容に少女は眠気が飛んで完全に目覚め驚く。

 

「えぇっ、人間の騎兵隊が火矢で巨木を怒らせて、お姉ちゃん達の所に向かってるの!?」

 

 蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)曰く、濃霧の為に状況把握が遅れたらしく、それで経過時間を考えればエンリらの野営地までもう1キロを切っているだろうという。

 帝国は今からエンリ達を誘導するのではなく、巨木の魔物側を引っ張って来てぶつけようとする作戦であった事に薬師少年は頭を抱えて唸る。

 

「うわぁぁーー、エンリーーっ」

「混乱してる場合じゃないですぜ、ンフィーの兄さんっ」

 

 ジュゲムの言葉にその通りだと、少年はその場へと立ち上がり皆に指示を出す。

 

「エンリ達の所へ乗り込んで助けよう! 全員、すぐ準備してっ」

「「「おおーーっ!」」」

 

 もう、かくれんぼは終わりである。

 帝国の酷すぎる計略を考えれば、エンリ側へ援軍があっても文句を言われる筋合いではなくなったのだ。

 ネムを通して蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)に上空から先行させると、ンフィーレア達は荷物を大袋に突っ込みつつ死の騎士(デス・ナイト)へしがみ付く形で乗ると林から飛び出して行った。

 少年らの居る場所から野営地までは1キロ無い距離であり、死の騎士(デス・ナイト)の全速なら2分掛からず到達可能の位置にいたため、(じき)に北北東方向へ薄らと南に向かい移動する小鬼(ゴブリン)の集団と霧の中で遭遇する。

 この時ンフィーレア達は、エンリ達の野営地に対し若干南西から接近しており、視界の悪さから真南へ向かったエンリとハムスケとは行き違う形になっていた。

 だが、構わずネムは死の騎士(デス・ナイト)達一行を出会ったその者らへと寄せていく。

 突如現れた死の騎士(デス・ナイト)3体にしがみつく小鬼(ゴブリン)達に、一時小鬼聖騎士団の隊が身構える、だが。

 

「お姉ちゃんは――エンリ・エモットは無事ですかっ!?」

 

 エンリの妹であるネムの姿とその言葉を聞いて、小鬼(ゴブリン)聖騎士団の長が一歩前に出る。彼等にはネム達が認識出来た。

 

「これはこれは、閣下の妹君一行でありますか! 私はエンリ将軍閣下率いる軍団の小鬼(ゴブリン)聖騎士団団長であります。閣下は既に友軍の方や供回りと南へ脱出され、我らと重装甲歩兵団は後方からの追手を遮断しつつ向かう途中であります。ささ、共に参りましょうぞ」

 

 エンリの無事を聞いて、ネムを筆頭にンフィーレアやジュゲム達も一安心する。

 ンフィーレア一行は聖騎士団の一隊と共に、すぐさまエンリの居る南へと向かった。

 

 

 

 

 本題と概要はエンリから話があり、補足事項を小鬼(ゴブリン)軍師より告げられて処罰案を聞いたアルシェは、少し複雑な表情をする。

 しかし、大国である帝国に対しての事情を考慮すれば、他に選択の余地はないように思えた。

 

「……分かりました。それで、構いません」

 

 覚悟を決めたワーカーの魔法少女は、決意を伝えるとエンリの瞳を見つつ頷いた。

 ハムスケが急停止して以来、処罰の件の話を進めている最中も、北から小鬼軍団の各兵団小隊が続々と追い付き集結しつつあった。

 ここは野営地から真っ直ぐ南へ750メートル程来た辺りだ。

 その時、エンリの耳へ見知った者達の声が続けて飛びこんで来た。

 

「お姉ちゃーん!」

「エンリィーーー!」

「「「姐さーーん」」」

 

 エンリが振り向くと、ドリフト気味に横向きで格好良く止まった死の騎士(デス・ナイト)達から、妹のネムとンフィーレアらが飛び降り駆け寄って来る姿が見えた。

 

「ネムっ! ンフィーレアっ。ジュゲムさんやカイジャリさん達に死の騎士の方々まで……」

 

 二人の後ろから13体の小鬼(ゴブリン)達や死の騎士らの続いてくる様子も目に入る。

 先日に少年から手紙を貰い、先程は旦那様から聞いてはいたが、隣の大国である帝国内のこんなド真ん中で再会するとは思っておらず、危険な場所であるため何とも言えない気持ちであった。

 ネムは姉へと抱き付き、エンリも妹を抱き締める。  (「スバラシイ!」)

 ただエンリは、姉として言っておかねばならない。彼女は一度抱き締めたネムの両頬を強めにつまむと怖い顔をして告げる。

 

「ネム。勝手にこんな危ない事をして、ダメじゃない」

「痛いよお姉ちゃん。だって――お姉ちゃんが心配だったから……」

 

 ここまで明るく気丈にしていた妹は、姉との再会に涙ぐむ。

 それは頬が痛いからでは無い。やはり姉と離れて寂しかったからである。

 ネムの言葉に「バカね。怪物はもうどこかへ去ったしお姉ちゃんは大丈夫」と語り、エンリは一回目を閉じ妹の頬から手を離すと、再び可愛い妹の顔を確かめ優しく抱き締める。

 少しだけ眼前の危機が遠のいた今、温かい姉妹の姿に帝国の魔法少女(アルシェ)の他、ンフィーレアやジュゲム達、そして小鬼(ゴブリン)軍師ら新軍団の者達も和みつつ見守った。

 蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)だけは上空で大きく旋回し続けていた。彼はンフィーレアの護衛が主命であるため、広域をカバーする意味でもこの形が良いと判断し実行中だ。

 姉妹の再会を終えたエンリとネム。

 ンフィーレアはここでやっと会いたかったエンリへと話し掛ける。

 

「本当に無事で良かったよ。でも、怪物はどこかへか去ったの?」

「うん。怪物についてはもう大丈夫。()()()()消え去ったはず。何も追ってこなかったでしょ?」

 

 エンリは言い切った。旦那様の落ち着いた声の雰囲気から、あっさり処分されたに違いないと。

 

「まあ、そうだったけど……(カルネ村ぐらい大きさがあるって聞いた巨木の魔物のはずなんだけどなぁ)」

 

 ンフィーレアも実際に見た訳ではないので、そうなのかと思ってしまった。確かにそれ程大きい魔物を外部からどうこう出来るとも思えないから。

 

「ところでエンリ、そちらの方は?」

 

 ここで少年は、幼馴染の横に立つ格式のありそうな魔法詠唱者風の衣装を着た、見慣れない可愛く小柄の少女について尋ねた。

 エンリは笑顔で恩人を紹介する。

 

「ンフィーレア、こちらはアルシェ・フルトさん。魔法省で捕まって本当に困ってた私を助けてくれた人なの」

「そうなんだ。エンリを助けてくれて、本当にありがとう、フルトさん」

 

 『本当に困っていたエンリを助けてくれた』――バレアレ少年がアルシェを信用するのにそれだけで充分である。

 

「「「ありがとうございますっ」」」

 

 妹のネムやジュゲム達も同様の思いだ。恐らくアルシェがしてくれたその行為は、大国が相手で命の危険も当然あったはずなのだから。

 

「あ、はい。よろしくお願いします。皆さん」

 

 アルシェは、エンリの村の人と亜人達に仲良く礼を言われて、カルネ村の雰囲気を少し理解しつつ、こうして皆の輪へ馴染んでいく。

 さて、(ようや)く十分落ち着いた一同。ネムは、早速次に姉の豪華衣装へ興味津々である。

 

「お姉ちゃん、その衣装カッコイイ! すごいすごいー」

 

 金属装飾の多くに金やプラチナも使われピカピカしていた。ネムは姉の周りを笑顔で踊るようにぐるぐると眺めながら回る。

 

「確かに、その凄く豪華な衣装はどうしたの?」

 

 ンフィーレアもエンリの素晴らしい軍服姿に見惚れつつも、自然な疑問を投げて来た。

 一瞬、エンリの目は泳いだが、その方向にはハムスケの姿が有り、そこから無理やり言葉を捻り出す。

 

「えっと、そこにおられる〝トブの大森林〟の〝森の賢王〟さんが届けてくれて――」

「〝森の賢王〟って、まさかあの!?」

 

 5年程前から何度もトブの大森林近郊に足を運んでいるンフィーレアはその度に祖母のリィジーから聞かされていた。少年が目線を向けると、その名にふさわしい勇壮な姿をした小部屋程もある魔獣の姿が目に映る。

 「うわー」とハムスケの姿に気を取られ感嘆する少年を傍で見ているエンリ。だが、このままではまだ『森の賢王とどういう関係か』や『なぜ森の賢王が人用の衣装を』など色々マズいと思い、軍服の話を早々に切る為に本心からの小言をンフィーレアへと向ける。

 

「――それはそうと、気持ちは嬉しいし有り難いけれど、ンフィーレアもンフィーレアよ。相手は村から一瞬で私を攫って、王国の敵といえる帝国内へ戻ったのに。どう考えても危険過ぎるでしょう?」

 

 彼に何かあれば保護責任者として、旦那様は勿論、リィジー様にも申し訳ない事になる。

 てっきりこれは、アインズ様の了承が得られているものと考えていた部分もあったのだ。だから手紙を受け取った時は嬉しさと感謝だけが残った。でも今は半々というか複雑だ。

 確かに王都へ行っている事になっている旦那様から、直接了承を貰ったりは出来ないだろう。

 でもだからと言って、強大な帝国にまで乗り込んで来ることはない話である。

 薬師の少年は第2位階魔法詠唱者であり、博学で優秀なのは知っているけれども、相手は世界有数の第6位階魔法詠唱者フールーダ・パラダインその人であり遭遇する可能性もあったのだ。

 流石に『逸脱者』が相手では、ンフィーレアが二人居ても逆立ちしても絶対に敵わない。

 でも一方で、先日求婚を断ったにも関わらず、死ぬ可能性を顧みないで来てくれたという彼の優しさと勇気と不屈の想いには、人間の乙女として様々な気持ちが混じる。

 対して、目の前に大軍団の指揮官として立ち、剣を帯びて豪華な軍装姿で腰に手を当てるエンリについて、想いを寄せながら今、有名な天才少年から見ても彼女は、いつの間にか迫力を感じる存在に見えた。

 だけどやはり熱い気持ちは冷めず。

 好意のためなのか、華麗な衣装を纏うエンリはとても美しく輝いている――。

 

「ご、こめん。だけど今、アインズ様は村にいないし、僕は同じ村の中に居たのにエンリが攫われたと知って、凄く心配で苦しくて居ても立ってもいられなかったんだよ」

 

 不在の盟主(アインズ)へ対し狡いとは思ったが、それでもここはエンリの為に危険を顧みず行動出来る男だと強くアピールさせてもらうンフィーレアであった。

 エンリと同年代の女の子であるアルシェ。彼女も混じった大勢の前で大々的に告げられると、将軍少女もここは少し頬が赤くなる。

 人間同士の少年とくっ付くのも悪くないと思っているジュゲム達はニタニタしていた。

 帝国の魔法少女も、『あ、この少年はもしかしてエモットさんを?』と勘付く。カルネ村を救った英雄の話を知らない事や、一般的に見ても年が近いペアが多い傾向なのもあるが。

 『もう、この雰囲気をどうするのよ』と困った顔をするエンリであるが、それを救う形で小鬼(ゴブリン)軍師が現状で先にやっておくべき案件を述べてくれる。

 

「ほっほっほっほ。皆さん、話の途中かもしれませんが今は急ぎ、まずは陣形を整えて帝国の出方へ備えるのが肝要ですぞ。恐らく先の怪物と我らの残った方を、傷ついている間に討つのが目的のはずでありましょうから」

「「「「――――っ!」」」」

 

 少し和んでいた全員が、緊張した顔へと戻る。

 ここは(いま)だ戦場なのである。

 ンフィーレアも、エンリへのアピールは出来て裏目的はほぼ達成したとし、現在の状況の後へと続く発言をする。

 

「僕達も王国側へ戻るまで同行するよ。何か今、協力出来る事はない?」

「この辺りで小山や河川など、陣地や戦場として考えられる情報はありませんかな?」

 

 軍師には残念ながらバハルス帝国の地理についての知識がなかった。それは(あるじ)のエンリの中にそれらの情報が存在していなかった事に引っ張られている。

 尋ねられたンフィーレアは、現在自分達の居る地域へ関して、広い穀倉地帯のど真ん中でありほぼ平地であると認識していた。なので個々の兵の技量等が拮抗すれば、大軍や戦力が勝る方が有利に戦えるはずだと考える。

 エンリ率いる大軍団の総戦力を数で捉え気味のンフィーレアとしては、やはり地の利は多くが帝国側へある様に感じていた。

 ただ幸い、河川に関しては広大な畑へ水を引く為、各地へと満遍なく引かれている。その中で馬で渡るには幅と深さの有るものを要害として使う形で利用は出来そうである。

 ンフィーレアらは昨晩、エンリの居る野営地傍へ潜む場所を探す際、同時に周辺を調べて回っていた。少年が考えを伝える。

 

「残念ながら、周辺2キロ程は起伏が少なくて麦畑が殆どです。その中で、先の野営地は少し小高く木々に囲まれ、周囲の一部には小川も沿う感じで流れてました。昨夜の雨もあり水量が増しているはずなので、先の魔物には関係なかった部分も帝国の騎士団や軍馬には攻めにくい形になるんじゃないかと」

「なるほど。エンリ将軍閣下、この少年の案を考慮し具申いたしますぞ。今一度あの場所へ戻られるべきかと」

 

 軍服の少女は、ンフィーレアと小鬼(ゴブリン)軍師の真剣な表情と、主から『帝国との再交渉を任せる』と命じられていることから、このまま単に帝国を退去するのは下策になるだろうと判断する。

 確かにただ混乱し逃げる様では、弱気と思われて後方から攻撃される可能性も十分にある。

 エンリ達は被害者なのだ。旦那様やナザリックは――強さを全面に前へ出る戦略に見えた。

 『トブの大森林』のエモット将軍は全軍へと命じる。

 

「決めました。我々は先の野営地へ本陣を置き兵を展開。間もなく来るであろう帝国の部隊を待ち構えます、戻りましょう」

 

 将の命を受け、軍師が羽扇を振るう。

 

「ほっほっほ。皆の者、お下知された通り、速やかに移動を開始しますぞ」

「「「「オーーーッ!」」」」

 

 エンリの傍で集結し始めていた小鬼(ゴブリン)大軍団は折り返す形で北上を開始し、南下して来る隊を吸収しつつ1キロ足らずの距離を急ぎ戻って行った。

 なお結局、戻りの道程で新参の死の騎士(デス・ナイト)の左肩に乗るエンリは、並走するンフィーレアより『森の賢王とどういう関係なの?』と『なぜ森の賢王が人用の衣装を?』という難題についてを質問される。

 そこで一時、顔を背け目を激しく(しばたた)かせるも『森の賢王とどういう関係か』へエンリは、強力な19体の小鬼(ゴブリン)軍団を得てから、ンフィーレアが来る以前に彼等と薬草を取りにトブの大森林へ行った際、〝森の賢王〟と対峙し同盟関係になったと話す。

 黙っていたのは、人間達を驚かせたくないという〝森の賢王〟からの約束があったという理由にして。

 そして『なぜ森の賢王が人用の衣装を』については、随分昔〝森の賢王〟を襲って来た異国からという冒険者を倒した際の戦利品であり、カルネ村との友好同盟の証しとして譲渡する予定の話や、エンリが攫われたと村に残っている小鬼(ゴブリン)より聞き、救援ついでで帝国との対話の場で役に立つかもということで持参し贈られた形だと説明した。

 

 

「へぇ-、凄く優れた考えだよ。なるほど、流石は名高い―――〝森の賢王〟だね」

 

 

 かくして、ンフィーレアはニッコリと納得してくれた。

 濃霧のお陰で視界が悪く、エンリと反対側の死の騎士(デス・ナイト)の左肩へ捕まって乗り、話を聞いていたアルシェも〝森の賢王〟の風格ある立派な魔獣の姿からフムフムと頷いている。

 真実を知るハムスケやジュゲムは知らんぷりをし、カイジャリやゴコウ達は苦笑い気味。

 ネムも『お姉ちゃん頑張ってるけど』とハラハラ。

 

(ンフィー、ゴメンね。殆どウソで)

 

 エンリは胸が少し痛く苦しい感じもしてきた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『我がバハルス帝国は、第6位階魔法詠唱者フールーダ・パラダインがいる限り不滅である』

 

 一大帝国の頂点に君臨する金髪の貴公子は、何があろうとも変わらない事だと信じている。

 今の度重なる国難についてでさえも――。

 

 

 午前3時過ぎの、帝都アーウィンタール中央地区にそびえる皇城中央塔の皇帝執務室。

 皇帝ジルクニフは書類の山が並ぶコの字型の大机にて、手元の書き進めていた書類の手を休めると顔を上げ、今入室してきた秘書官ロウネ・ヴァミリネンからの報告を受ける。

 

「陛下、予報通りに昨夜より西方から現地へかけ広い範囲で、雨がしっかり降っているとの報告が参りました」

「そうか。では爺にも知らせ、予定通りに――帝国の敵を全て片付けよ」

「はっ」

 

 ロウネは執務室の扉を出て、足早に塔上部の待機場で待たせていた皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)飛行魔獣隊の騎士達へ知らせると、次に自ら皇城中央塔内にもあるフールーダの個室という区画へと入る。

 帝国の大英雄らしく、数代前より皇帝以外で唯一、皇城中央塔内で広い個人的な空間を与えられている。

 これに異を唱える者は、帝国の中に誰もいない。

 ロウネは幼い頃に祖父から「先々代の陛下も、パラダイン様を随分頼りにされていてなぁ」と何度も聞かされたものである。

 パラダイン老は国の柱石であり、正に帝国の繁栄と共に歩んで来た存在なのだ。

 歴代の皇帝達が何人もひっそりと、歩く道すら譲ったという話もあるぐらいの偉大な人物。

 現在、自分がそんな大賢人と帝国の中枢を共に預かる立場に、改めて身が震える思いのロウネである。

 

(確かにこの難局、フールーダ・パラダイン様以外で、払拭出来る方は帝国内に存在しない)

 

 騎士であったという(ロウネ)の祖父は、かつて南方のカッツェ平野の戦場にて実際に老師の放つ凄まじいまでの大魔法を見たらしく、その話も秘書官は聞いていた。

 今一度、連続する国難に脅威の攻撃魔法を炸裂させて帝国を見事に救って欲しいと願いつつ、パラダイン老の部屋の扉前へと立つ。

 普段の老師は、帝都西方にある魔法省内の自室区画に居る事が多いのだが、ここ数日の夜から朝までは秘匿作戦へ待機する形で皇城側に来ていた。

 本区画の普段の警備は近衛隊の騎士の他、魔法省の魔法詠唱者達も務める。

 魔法詠唱者の一人が中へお伺いを立てると扉が開かれ、ロウネは進み入る。

 室内ではフールーダが奥で、前にローテーブルのあるソファーへと座り魔法書を見ていた。

 

「傍まで失礼します」

 

 声を受け、僅かに顔を上げ目を合わせ無言で頷く白鬚白髪の老人に対し、秘書官のロウネは秘匿作戦であるジルクニフの命をソファー脇より耳元まで近付きそっと伝える。

 

「本日朝に決行との事。生き残った者は、()()()()との命にございます」

「……わかった。直ちに配下の部隊を率いて出陣しますと、陛下へお伝えせよ」

「はい。では失礼いたします」

 

 ロウネは速やかに退出し去って行った。

 フールーダは、扉外の衛兵らへ「私は急用ゆえ魔法省へ戻る」と伝え皇城を後にする。

 だが、老師は魔法省へは戻らない。

 〈飛行(フライ)〉で皇城上空へ滞空すると〈伝言(メッセージ)〉を使用して帝国魔法省にて待機していた高弟の一人であり責任者代行の者へと伝える。

 

「私だが、陛下からの命が下った。昨日の作戦会議で伝えた通り、お前達は行動を開始せよ」

『はっ、畏まりました、師よ』

 

 人間が使う〈伝言(メッセージ)〉は近距離でさえ音質が非常に悪い事や、過去の歴史において甚大な被害とそれ以来の風評もあって殆ど一般には使われないが、フールーダの水準や情報系魔法が得意な者達は比較的鮮明に通話が出来た。

 老師は帝国魔法省内において〈伝言(メッセージ)〉の質で信用出来る水準の者を選抜し、最近は試験的に約10キロ圏内では使用する傾向である。

 魔法省最高責任者から連絡を受けた高弟は、周辺の大都市の魔法省支部へ招集を掛けて完全攻撃装備で待機させていた精鋭70名に及ぶ魔法詠唱者部隊へ出撃を命じた。

 一方、帝都上空をゆっくりと進むフールーダ・パラダイン本人は――

 

「あのエンリ・エモットなる村娘だけは、何としても確保せねばな。ふはははーー」

 

 ――そう語りつつ、彼は深淵の魔法の探求者らしい嬉々とした目をギラギラさせ、当初の予定通り()()()行動を開始した。

 

 

 

 

 午前3時過ぎに帝都皇城の皇帝執務室より発せられた、ジルクニフからの重大な秘匿命令は約1時間程で、大規模に展開されている帝国軍野営地へも伝わる。

 まだ暗い中だが星は全く見えず、日付を越えた未明から雲一面の空より雨粒が落ち続けている。西からの分厚い雲が掛かっていたが小降りとなり、そろそろ過ぎつつある頃だ。

 野営地には、帝国八騎士団の中でも本来帝都のみを守るはずの第一軍の約半数、そして帝都の東西にある各大都市を守る第二軍と第三軍の八割以上、更に帝都南東の大都市を守る第四軍と王国に最も近い帝都南西にある大都市を防衛する第五軍から七割以上に加え、各都市の予備役も招集されて4個軍団の4万2000余騎が帝都から南西60キロの湖西方岸の地域へ集められていた。

 実に、ここ数年毎年秋頃に隣国リ・エスティーゼ王国との戦いで投入されている戦力を若干上回る規模である。

 帝国は王国へ侵攻中の竜王軍団撃退に兵力を裂いたが、国内残存戦力の主力を投入する形で、正に本気の殲滅戦の備えをこのたった数日で揃えていた。それは、4つの都市から70キロ程度であった事から輜重関連を後回しに騎士戦力中心で動かせた事が大きい。

 各軍団を率いるのは帝国八騎士団第二軍の将軍と第一、第三、第四軍の副将達である。

 竜王軍団への精鋭軍へ6名の将軍が赴き、本国には第二軍と第七軍の二将軍しか残っていない。

 とはいえ本作戦の最高総指揮官は、武勇ではないが帝国きっての統率力と堅実さで名声を響かせる第二軍のナテル・イニエム・デイル・カーベイン将軍だ。

 先代皇帝の時代にその才により取り立てられた人物で、風貌や物腰は軍人と言うよりも貴族然とした男であった。

 昨日よりこの野営地へ第二軍の騎士団8200余騎と共に着任している。帝国軍指揮官の幕舎に相応しい立派な天幕の中、現在午前4時過ぎの東の地平線が薄明るくなり始めた早朝にも関わらず静かに椅子へと座り、臨戦態勢で待ちしところへジャイアント・イーグルの到着を知らされる。

 間もなく皇帝陛下の命令書を持った伝令の騎士を、幕内へ互いに敬礼でもって迎えた。

 

「カーベイン将軍閣下、皇帝陛下より出陣の命が発せられました。攻撃目標は――変わらずです。現地にて指揮官判断で決定せよとのこと。以上であります」

「陛下の御命令了解しました、そうお伝えしてくれ」

「はっ」

 

 現野営地へ集った将官の中でカーベインだけが事前に、2つの攻撃目標について知らされている。『移動する巨樹の魔物』と『亜人の大軍団』である。

 他の3名の将達は『移動する巨樹の魔物』のみ一つの通知。

 だが、彼等も帝国で最上位水準にいる軍人達。おぼろげには気が付いている。

 

 これは帝国内に居る、害の有るモノを討ち果たす為の出陣なのだと――。

 

 それに『移動する巨樹の魔物』は城塞の如き規格外の大きさだという情報も告げられている為、人馬ではどうにもならないだろう事は予測出来た。その相手にわざわざ貴重な騎士団を向かわせるとは考えにくい。

 また、極秘に大魔法使いのパラダイン老が帝都へ呼び戻されており、魔法詠唱者部隊の編成準備中との情報も将達の手元へは入って来ていた。

 なので間違いなく『移動する巨樹の魔物』へは帝国主席宮廷魔法使いの率いる部隊が向かうはずだと将達は考えている。

 となると消去法的に、先日皇帝陛下が覚書を示し退去を認めたはずの、大部隊を有する『亜人の大軍団』が相手だと想像はつく。

 嘗て鮮血帝と恐れられた彼は、あらゆる手段を用いて国家を纏めて来た。

 概ね低能な小鬼(ゴブリン)達相手への覚書はタダの紙切れと同然にも思える。

 帝都アーウィンタール南西の大門にて、実際に個体数が計測されており幌馬車内の数を考慮してほぼ5000との最終報告が帝国情報局へ届いていた。

 ただカーベインは、加えて魔法省内における小鬼(ゴブリン)大軍団側の戦術について詳細を聞いており苦慮していた。

 

(敵の亜人らの魔法詠唱者部隊による大規模な〈竜巻(トルネード)〉を受ける前に、早い段階で接近し混戦へ持ち込むしかない。……それは霧を利用出来る今なら可能だが、それだけで本当に勝てる相手なのか)

 

 出陣に先立ち、将軍には街中の絵描きにより先日描かれし筋骨隆々とした標的である小鬼(ゴブリン)達の絵画が見せられていた。魔法省内では結局、小鬼(ゴブリン)兵それぞれの武量は見ることが出来ていない。

 なので接近戦に際して、亜人達の個々の武勇がどれほどのものかという怖さがあった。

 一応戦場予定地は、この野営地から5分で1キロ強進む馬の速歩(そくほ)にて約3時間で到達と再集結が可能。霧は午前9時まで続くという予報であり、現地は殆ど麦畑が広がる平地の中、全軍による存分の騎馬突撃が掛けられる時間は十分に残されている。

 もう主命による敵討伐の厳命は下っていた。

 優秀で忠誠心厚い将軍は、効率よくどう闘うべきかを悩みつつも、天幕を出ると軍馬へ跨り号令を発する。

 

「全軍、前進する。私に続けっ!」

 

 彼の指令は近くの各将へと流れてゆき、どれも見事な隊列で迅速に動き始める。

 バハルス帝国騎士軍団はカーベイン将軍の下、粛々と進撃を始めた。

 

 

 

 

 巨木に追われ『命からがら』という表現が適切だろう状況で、一応の目的を果たしたかに思える帝国四騎士の一人〝激風〟と6名の皇室兵団(ロイヤル・ガード)の騎士達がいた。

 彼等以外の者達についてだが、もう1名の希少金属を認識できる騎士が作戦冒頭に死んだ事で二手に分かれた一方の隊は魔樹との距離が分からず、それでも果敢に作戦を継続しようとヤツへ再度接近し殆どが命を落としている。

 2体の鷲馬(ヒポグリフ)に騎乗した騎士達と地上の5名が逃走した形で死なずに済んでいた。指揮官の認識の甘さからか戦力の大差で隊列が完全に崩壊しており、極限的混戦状態を考えれば配下達を責めることは出来ない。

 デカくゴツい魔物(アレ)は、火を射かけてきて腹立たしいニンブル達を先程まで猛然と追って来ていたが、彼等よりもずっと多くの生命反応数を有する小鬼(ゴブリン)の軍団に気付くと、そちらへ向かって家の高さ以上の太さを持つ6本の(つる)を伸ばして襲い掛かって行った。

 ニンブル達は自らの目的を達成したとし、急いで次に帝国八騎士団第一軍から亜人軍団の先導役として派遣されて来ている15騎の騎士達の野営地へ向かう。

 就寝地は連中から200メートル以上離れるようにというアドバイスのみを与えていたが、彼等はその通りに小鬼(ゴブリン)達から250メートルは離れており、運よく怪物の進路からも外れていた。最悪巻き添えを食う可能性も高かったのだ。

 何も知らず綱渡り的な状況にいた先導隊。その夜番の者が〝激風〟らを迎えた。

 ニンブルらは「事情は後だ」とし、夜番の騎士と共にまだ寝ている者らを起こした。

 

「これは……アノック様……こんな早朝にいかがされましたか?」

 

 寝起きの騎士隊隊長が尋ねて来るが、構わず告げる。

 

「急で悪い。しかし帝国四騎士の一人アノックが、八騎士団第一軍将軍からの命を伝える。貴殿らは今の任務を放棄し即刻、南西の都市へ撤退せよとのことだ」

「えっ……?」

「驚きは分かるが、厳命だ。反論は許されない。時間が無い、野営の装備は打ち捨てて急ぎたまえ。ここは――すぐ地獄になるぞ」

「りょ、了解しましたっ」

 

 周辺は既に異様な振動と地鳴りもあり、亜人の軍団を先導していた第一軍15騎の騎士達は、水筒と携帯食を握り慌てて軍馬へ飛び乗ると同時に南へと駆け出して行った。

 彼等は巨樹の進路に対し南側に居た為、帝都への帰還は危険だと事前の取り決めに従い南へ退避させた形だ。兎に角、無事に退却させる事が出来て、将軍との最低限の約束は守れたはずである。

 対してニンブル達は、西から大きく反時計回りで迂回しながら帝都へ帰還する事になっていた。

 最後に任務として、もうじき怪物からの戦端が開かれるだろう小鬼(ゴブリン)軍団の野営地の様子を確認しておこうと約300メートルの安全距離を取り、霧の中で続く地響きを確認しつつ小鬼(ゴブリン)達の断末魔的地獄の叫び声の始まりを待つ。

 

 

 そして、その声が僅かに聞こえた辺りで―――地響きが突然消失した。

 

 

 辺りは単なる濃霧の早朝へと戻り、一気に静まり返る。

 同時に希少金属を感知して距離を測っていた騎士が叫ぶ。

 

「あ? あぁっ、希少金属の反応が消えている……。アノック様、いきなり消えました! 何も感じません。……ど、どうしましょうか?」

 

 それを示すように、周辺を広く覆う形であった魔物からの圧倒的威圧感も全て解けていた。

 ここに残る7騎士の中でも、帝国四騎士の一角であり冷静なニンブルであったが今、激しく思考を混乱させる。

 

「なっ……、一体何が……」

 

 彼にもこの現象が何か分からない。理解不能である。

 多大な犠牲と苦労の末、計画通りに誘導でき、これからという状況であったのだ。

 本当に、どうしようという気持ちである。

 なぜあの巨大な存在が感知出来なく……消え去ってしまったのか。

 ニンブルには、ふと可能性だけがいくつか浮かぶ。

 

(魔法の〈転移(テレポーテーション)〉か、それとも召喚魔法……か)

 

 〈転移〉は第6位階魔法だが、ニンブルはパラダイン老が使えると聞いたことがある。でも今、彼がいたとして敵へ利するだけの事を態々するとは思えない。第一、あれほどの大きさと重さの物体を共に移動させられるかという話もある。

 基本的には、移動対象物の大きさや質量と距離に応じて魔力を消費するのだ。対価は常に発生している。

 また、召喚魔法という事だとしても、あれほど巨大なモノの召喚など昨今聞いたことがなくほぼ神話の領域である。

 

(確かにアレは、神話の怪物かもしれない……。まさか……あの魔物が自分でどこかへ移動したのか……? ……ありえない。いや、そんな事は絶対にあってはならないぞ)

 

 そういう帝国を超え人類の未来すら揺らぐ、おぞましい事まで考えられた。

 だが、それが事実であってもどうしようもない。今ですら彼には何も出来ないのだから。

 ニンブルは思わず、無力でちっぽけな自分自身を思い、目を閉じて僅かに天を仰いだ。

 そして6名の騎士へと努めて冷静に伝える。彼は混迷の状況で将に相応しい判断を示す。

 

「これより我々の取るべき行動は―――小鬼(ゴブリン)軍団の今後の動きを把握する事と、今の現状を陛下や帝国へ知らせる事だ。故に三手に分かれる。ここへ残り把握する隊、帝都へ知らせる隊、そしてこの地へ今動いている騎士軍団へ知らせる隊とする。割り振りだが――」

 

 万が一の再度の巨樹の登場を考えて、此処へは希少金属を探知できる騎士と他1名を。彼等は把握と同時に追って帝都へ知らせに走る。そして先発で帝都へは3名。最後に騎士軍団へはニンブル他1名とした。

 

「各員、困難で重要な任務だが死ぬなよ。帝都でまた会おう」

「「「はっ」」」

 

 ここには、先導隊の残した水と食料がまだ残っており携帯出来る物を通達組の各自は持つと2名の騎士が見送る中、帝都通達組は当初の計画通り確実さを取って西から反時計回りで移動を開始する。次にニンブル達は、果敢にも北上して巨樹の通った場所を南から踏み越えた後で右へと回り込み、亜人の宿営地北側傍を東進して抜けていった。

 その過程でニンブルは、確かに巨樹が通りまだ青いはずの麦が枯れ果てた線上を通過していく。

 

「……本当にヤツはあの巨体で消えてしまったのか」

 

 真実は一つのはずであるけれど、残念ながら彼の思考が正解へ辿り着くことはなかった。

 というか、これは英知の外側の深淵にも届くだろう(パワー)であり、天才をもってしても難しいと思われた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインズはその『巨大な樹木の魔物』登場の知らせを、ナザリック地下大墳墓第九階層の執務室にて法国連中から得たアイテムに関する書類の確認作業中に受ける。

 この一報を持って執務室の扉を()く様に通って来たのは勿論、現状のナザリックのほとんどを仕切る守護者統括のアルベドである。

 先日のスレイン法国特殊部隊への『至宝奪取作戦』――『エィメン作戦』の指揮官を拝命・完遂し愛しい至高の『モモンガ様』よりお褒めの言葉とナデをもらってから仕事に対し完全復活しており、日々自信を持って精力的に職務を熟してきている。ただ少々、抱き枕的な至高の御方の温かみが欲しい想いを隠しつつ……。

 普段の実務面を見れば非常に優秀であり、ナザリックをデミウルゴスと円滑に回す姿から、正直もうずっと任せて自分は静かに着の身着のまま冒険者でもしながら、隠居してもいいかなぁと支配者が思うぐらいであった。

 加えてその後光が差す程の容姿端麗な彼女、その美声から緊急事態を思わせる言が告げられる。

 

「アインズ様、お忙しいところを失礼いたします」

 

 アインズとしては、友人の可愛い娘や子供達といえる者らを、微笑ましく見ていたいし優しい声を掛けてやりたい気もする。だが、NPC達がナザリックの絶対的支配者へ期待するのは圧倒的さや威厳に満ちた姿と声であり、それに応える形として改めてどっしりとその身を黒き椅子の背へもたれる形で声を放つ。

 

「ん、どうしたのだ? 少し(せわ)しいな、アルベド」

「ああぁ、申し訳ございません。ですが――統合管制室責任者のエクレアより報告があり、帝国内のエンリ達の部隊に対し西より迫る巨大なモンスターを確認したとの事でございます。距離は約1キロで、進行速度からあと10分少々で攻撃を受ける恐れ大との事」

「なにっ」

 

 アインズは思わず椅子の背から上体を起こした。

 なぜなら内心で『しまった』と思ったからだ。支配者は少し油断していた。ンフィーレア達には独自で2体のハンゾウを付けていたのだが、少年等はここ数日、前夜に移動し翌日夕方まで動かない形であった。なのでハンゾウ2体について、本日未明より距離が近い南西の大都市と南東の小都市へ其々赴かせ、プレイヤーの可能性のある強者の探索を実行させていたのである。そのため、エンリの陣を含む周囲数キロへの探知がされなかった形だ……。でも、今悔いている場合では無い。

 (あるじ)の声に当然説明が必要と、アルベドが現地状況の詳細を語り始める。

 だがまず、監視状況にて映像が拡大気味で周囲把握が不十分で遅れた事を告げ謝罪する。

 そして魔物の詳しい大きさや特徴に始まり、帝国勢の数名の騎士らがその魔物から逃げつつもほぼ誘導する形で、西南西から真っ直ぐにエンリ達の野営地へ向かっている姿を確認したと伝える。夜盗の集団ではなく帝国の騎士と断定したのは、数名が全く同じ鎧装備である点。更にカルネ村襲撃の際に押収していたバハルス帝国製の鎧一式よりも上質の飾りが多い鎧であると、映像から確認された事を補足しながら。

 これにより帝国勢の関与は確定的となり、退去承認を偽装しエンリ達を闇討ち的に巨大な樹木の魔物で潰そうと姑息に考えた作戦だろうと、ナザリックの英才者は御方へと伝えた。

 なお支配者により機能付加と調整で視認能力と精度を向上させている『遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)』は霧や雲などの影響を最小限に透過する形で捉えることが出来ている。

 

「――アインズ様、いかがいたしましょうか? 愚か者達には相応しい罰が必要かと」

 

 彼女の声のトーンは随分と下がって来ていた。

 現地指揮官のエンリは、可愛いネムの姉で先日より役に立つと認識する者。そして、栄光のナザリックの兵団へと愚かにも牙を剥いて来た低俗なバハルス帝国の人間どもへ、どのような厳罰が相応しいかと統括の頭脳が罪人達を苦行の世界へと落とすべく回り始めていく……。

 アインズも概ね同様の考えではある。

 しかし彼には、帝国内にもいるだろうプレイヤーの存在に対しての考えがあり、現在まだ怒りは随分下がったものとなっている。

 

(マズい。このままアルベド主導の作戦じゃ、帝国に住む人間達を全て殺しかねないなぁ)

 

 そう即座に判断した支配者は、さてどうするかと急ぎ算段する。

 ふと、手元にあった書類へ目が行き、その内容を思い出していた。その瞬間に閃きが連鎖して作戦の骨格へと膨らんだ。

 アインズは思い付きを整理しつつ伝える。

 

「今回の件は――アウラに指揮を執ってもらう。直ちに、次の者らを地上の中央霊廟の正面出入り口前へ集めよ。その間に私は幾つか取って来るものがある。さて陣容だが、まずは指揮官のアウラ、次に――」

 

 その挙げられた意外な名に驚きつつも、一通り聞いた守護者統括は支配者のその後に続いた簡単な作戦の内容の言葉に納得して頷く。

 

「そのようなお考えとは、流石です。委細畏まりました、各員を直ちに招集します」

「うむ、頼んだぞ。私も直ぐに地上へ向かう」

 

 その言葉を残し、アインズは指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を使い移動し姿を消えた。

 

 ナザリック地下大墳墓の地上施設である、巨大で荘厳な雰囲気漂う中央霊廟の出入り口前へ現れた支配者は、最終的にナザリック内の計三か所へ寄って地上へと出て来た。

 その彼の左手には、模造品ではない本物のあの金色に輝くの(スタッフ)――『スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』が握られていた。

 更に、右手にも一つの世界級(ワールド)アイテムを手にしている。

 アインズは、執務室から同階層の『円卓(ラウンドテーブル)』へ移動し壁面のニッチからギルド武器を取ると、第十階層の宝物庫へ移動して奥の世界級(ワールド)アイテム保管庫へまで行き、最後に統合管制室にて、エンリ達の野営地周辺の地形を映像で確認しこの場に立っていた。

 宝物庫へは丁度1週間前に、世界級アイテムの『傾城傾国』を収納しに行っているので速やかに出入り出来たのは僥倖(きょうこう)である。

 すでに、アインズの前には招集を掛けた指揮官のアウラと、急派する総戦力3名の強力な顔ぶれが並んでいた。

 御方の登場と同時にアルベドが良い事を伝えてくれる。

 

「作戦については概ね、もう3名へ持ち場ごとに指示しております」

「おお、随分助かる。流石はアルベドだな」

「はぃ~。くふーーーっ」

 

 今回の作戦へ出ないアルベドは、細かい仕事ながらお褒めの言葉をゲット出来て喜びの声が漏れた。

 ここまでの所要時間は6分弱。

 急がなければならないが、これで数分は短縮出来た。

 絶対的支配者は、アウラへ貴重な世界級(ワールド)アイテムとあと一つアイテムを渡すと、基本的な使用方法だけを簡単に説明する。多くても4つ程のステップなので難しくはない。また先程、攻撃対象となる魔樹の映像を見たアインズは、初めて見る姿にも知能はさほどでは無さそうな点に安心する。

 2分程で説明を終えると、指揮官に任命されているアウラが満面の笑顔で御方へと尋ねてくる。

 

「あのー、アインズ様、今回の作戦名はなんですか?」

「ん? (あーなにがいいのかなぁ……あっ、移動支援でもあるし)―――アリヤー、そう“アリヤー作戦”だ」

「“アリヤー作戦”ですね。分かりましたー」

 

 アルベドはその言葉の意味を思い浮かべて、なるほどと感じていた。

 アインズは他の2名へも顔を向け声を掛ける。

 

「急だが、お前達もアウラを助けしっかりと頼むぞ」

「ハッ」

 

 両名が頭を下げ返礼すると、直後に支配者は〈転移門(ゲート)〉を開く。

 ()()()()()()()()であるアウラ達は、漆黒の壁の如き〈転移門〉の開口部へと突入して行った。

 

 

 

 

 魔樹と亜人軍団の激突で修羅場となるはずの地域上空に、自身へ認識阻害魔法を掛けた一人の人物がいた。大国バハルス帝国を代表する魔法詠唱者(マジック・キャスター)、フールーダ・パラダインである。

 村娘の監禁に使う誰も知らない秘密の場所の再確認を終え、30分程前から到着している。全て討ち果たせという皇帝の勅命を一部曲げる事もあり、老師は単独で動いていた。

 彼は魔物共の激突の始まりが、今か今かと先程から待ち侘びる。現時点で魔樹と亜人軍団の魔法詠唱者達は共にフールーダ本人よりも魔法力の水準が低いと思われたが、双方とも力を隠している可能性があり力量が不明な為、隙を窺っている状況。

 最終的に彼は再び、辺境の村娘であるエンリを攫うつもりである。

 

「他は後でも問題ない。とにかくあの娘だ。私の希望の光を誰にも渡さぬぞ」

 

 邪魔をするなら帝国の兵でも容赦はしない気でいる。

 まあ地位や力量差から、まずそんな状況にならないだろうと豊富な経験から確信していたが。

 

「エンリ・エモットよ、次は逃がすまい」

 

 フールーダには秘策があった。魔法で聞き出したり操作や支配するのが難しい場合、古き昔から『薬』というものも存在するのだ。

 長く生きている彼は人というものが、ソレにより簡単に変わって行く様も随分と見て来ていた。

 魔法に200年を超えて人生を掛けて来ている彼には、いくらでも取れる手段がある。

 

「ふははは、小娘よ。ひと月もあれば私の忠実な助手になっておることよ」

 

 そんな恐ろしい事を実に、もう夢叶う如く楽し気に一人で話す老人は――ふと横から魔法力の波導というべき大きめの気配を感じた。

 自然とそちらへ顔と共に、白眉の奥からスゥと目を向ける。

 その気配は彼の気の所為でなかった。

 フールーダと同様に空中へ腰かける感じに浮かぶ、人間ではないその立った長い耳と金髪で褐色の肌、白いベストに白いズボン姿の()()がいた。

 一応、魔法的オーラはフールーダよりも規模は小さい。

 ところが、何か途方もない存在感を放っているのが分かる。圧倒的な何かを。

 

(なぜ闇妖精(ダークエルフ)が……?)

 

 それだけでも異質。

 しかしパラダインが目を見開いたのは、その者の装備類。

 上下衣装の生地を始め、赤き軽鎧の圧倒する質感や両手の金属プレートの付く手袋、右肩に鞭だろうか握り手部の精巧な仕上げに加え、背中へ負う弓の装飾の見事さは皇帝の、いや帝国中の装備でも見たことがないものだと思える程の出来であった。

 ただ、もっとも目がいったのは腰の後ろに見えるアイテムである。それは最早、装備の次元を超える『何か途方もないもの』を感じさせていた……。

 とても凡庸の者が持っていられるものでは無い。

 上位のアイテムを持つ者は、奪われるリスクも同時に持つのだから。

 個人で守り続ける事は中々難しく、貴族や国家的な権力階層による『力』が必要であるはずなのだ。

 

「お爺さんさあ、もしかしてフールーダって名前の人?」

 

 そんな中、いきなり少年と思われる子供が無邪気な笑顔で尋ねて来た。

 なぜ老人の魔法詠唱者がフールーダだとアウラが知っているのかというと、アインズは先日の誘拐の件をエンリやエントマから聞いた話に関し、一応要点を纏めて執務室で資料にしていたのである。

 守護者達が、御方自ら直々に書いたそれへ目を通さない訳が無い。

 闇妖精(ダークエルフ)の姉は帝国の地へ〈転移門(ゲート)〉から登場した際に、安全確認の為に当然まず周辺を広域で探知した。すると魔樹の他にLv.40に到達する者を発見したのだ。反応は近く、その場で視覚を特殊技術(スキル)で強化すると霧を通して老人の姿が見えたのだ。

 アウラは、今一度の『アインズ様とのお散歩』的ご褒美をやっぱり欲して狙っていた。

 一方の大賢者は、自国の一部に森妖精(エルフ)の者が住む事は知っている。耳も斬られていない事から奴隷ではないと考えた。

 そして相手は子供であり、既に防御系魔法を展開していた『逸脱者』は恐れることなく伝える。

 

「そうだが、それが何―――グハァッ」

 

 フールーダが認めた次の瞬間、分厚いはずの防御魔法を超えての単純ながら難度200を軽く振り切っている筋力での右拳による圧倒的打撃攻撃を腹へ受ける。

 単純な体力と筋力ならマーレをも上回っているアウラである。

 彼女にすれば相手はナザリックへ挑んで来た愚か者。老人だからという手加減は無く、単に弱いからこのくらいという一発見舞った懲罰攻撃であったが、内蔵と背骨がぐちゃぐちゃになるほどの破壊力があった……。

 いきなりの攻撃に帝国の大賢者は混乱する。

 

(ぅうう、おのれっ。防御魔法を突き破るとは……だがなぜ、私は攻撃されたっ? くっ、それに何者か)

 

 口から盛大に吐血しつつも、伊達に『三重魔法詠唱者(トライアッド)』を名乗っていない。

 フールーダは威力で飛ばされるが地上へ落ちることなく、信仰系で第4位階魔法の〈治療(ヒーリング)〉を実行する。

 即時に大半の傷の治癒が成るも、闇妖精(ダークエルフ)が急速に迫って来た為、流石に一時離れようと場を脱するべく叫ぶ。

 

「――〈転移(テレポーテーション)〉っ」

 

 ところがなんと〈転移〉しなかった。それどころか落下し始める。

 気付くと彼の右手首には拘束具の形をしたモノがぶら下がっていた。今の接近時に取り付けられた模様。取ろうとするが外れない。

 そう、これは元陽光聖典のニグンを拘束していたもので、中位魔法までを無効化し亜人モンスターを拘束するアイテムである。

 エントマが人間の魔法詠唱者達を拘束していた話を聞いたアウラは、第六階層の円形闘技場(アンフイテアトルム)から、現在外され使われていないものを独自に持ち出してきていた物だ。

 落下中の老人を、アウラは得意の鞭を走らせて空中で捕まえると巻き取る。

 

「よし、捕縛完了。次、次ー」

「こ、こら、離せっ。私は大事な用があるのだ! 聞いておるのか小僧っ」

「うるさいなー。こっちも急いでるし、えいっ」

「うっ」

 

 (やかま)しいので首筋へ軽くひと当てし老人を気絶させた闇妖精(ダークエルフ)の少女は、簀巻(すま)き状態の彼を軽々と抱え、別の階層守護者が捕まえている随分大きさの目立つ魔樹の方へと空中から近付いて行く。

 至高の御方へと〈伝言(メッセージ)〉で子供らしく嬉々としつつホットな朗報を届けながら。

 

 

 

 

 高さ100メートル超の魔樹が、激しい地響きを起こしつつ猛然と麦畑の平原を進む。

 先程、自分へと投げ射かけられた油や火は、今や油の大半が燃え尽き僅かにくすぶる程度。丈夫で燃えにくい建材と言えるかもしれない……。

 その巨体の(ぬし)は、前へと逃げる細かい数体の獲物のやや左前方に生命反応多数の集団を捉える。恐らく、目の先にいるイラつくモノ達の仲間であろうと。

 だから、僅かなモノよりも集団の方へと本能的に進路を向けていった。

 そして両側の自慢の長く太い6本の(つる)を、攻撃射程圏に入ったところで伸ばしていく。

 

(……ミナ……コロシテ、メシダ……)

 

 さあこれから食事だと、気分良く完全に前のめりの態勢でそう思った瞬間。

 1万トンを軽く超える体の前進が、根元近くの後ろから強く引っ張られる力により止まった。

 

(……ナ、ナンダ……?)

 

 

 そして次に、自身の大きな体が下から―――なんと持ち上げられ浮き上がる。

 

 

 更に、後ろへと少し運ばれたと思いきや、最後は豪快に後方へ投げ飛ばされていた――。

 

「グガッ(………バカナ……)」

 

 己が仰向けの状態に魔樹は驚いていた。まさか自分の巨体が放り投げられるとは思っていなかったから。

 周囲を探ると不思議な事に自分を含めて、()()()()()しか存在を感知出来なかった。周辺の景色は特に変わりなく、直前まで前方に数千も確認出来ていたのにだ。

 急ぎ近辺に敵の姿を求め視線を伸ばすと、根元の右斜め前方へ小塔程の高さで岩肌のゴーレムの様な姿を捉えた。

 

(……アレか……)

 

 起き上がろうと両側の太い6本の蔓先を地に付け、力を入れようとしたその時。

 

「〈不動明王撃(アチャラナータ)〉! 三毒ヲ斬リ払エ、倶利伽羅(クリカラ)剣ッ!!」

 

 野太い感じのそんな声が左側下方の地面付近より聞こえた。でもその姿は幹の太さと角度から見えず、小さいヤツのようだ。

 その直後、体の左側へ並び直径が20メートルはある自慢の太い蔓3本からの地面を含めた感触が途切れ、続いて激しい痛みが襲って来た。思わず悲鳴を上げる。

 

「ア゛ァァァァァーーーー」

 

 魔樹は、上質の金属よりも強固なはずの蔓が、3本とも根元から一閃で切り落とされた事実を理解した。

 更に体の根元部分へ、ゴーレムから凄まじいパワーの強烈な蹴り蹴り蹴り、そしてワンパンチが襲い掛かる。

 

「ウ゛ォォォァァーーーーーーーーーーッ!」

 

 堪らず魔樹は、天へ向かい強大な声で怒りを示して咆哮し、目障りな足元のゴーレムと空へ浮かぶ小さきモノへ蔓を伸ばそうとした。

 だが、そんな威嚇など全く気にされもしない。

 ただただ圧倒的な難度200を完全にブッチギった水準の容赦のない重い攻撃が続く。

 

「―――レイザーエッジ・羅刹!」

 

 いつの間にか右側へ回って来た、小さきモノからだろうその言葉が終ると、右側に並んだ残り3本の蔓も20カ所以上が同時に切り飛ばされ、ほぼその根元からゴッソリと切断されていく。

 

(……ナ……バケモノ……。コレ……ヤツラ……バケモノ……)

 

 幹と根元だけを残し、柱の様な棒状となり自力で立てなくなった魔樹は、巨大な口らしき開口部をパクパクさせ慌て怯えた。

 でも、周りからの激しい攻撃はまだまだ終わらない。

 ここで、空に舞う凄く小さきモノが語る。

 

「コキュートス、ふとーい根っこが邪魔。根元もバッサリ切り落としておいてー」

「ソウカ、ワカッタ」

「ガルガンチュアぁー、ソレまだまだ体力残ってるからさー、殴り続けてねー」

 

 分かったと答えるように、両腕を上げてグッと力こぶを作り、ポーズを見せるゴーレム。

 

(アヒィィィィーーー。オ、オノレェ)

 

 単なる棒状と化し丸腰でまな板の上の鯉状態の魔樹は、根をばたつかせ身の幹をよじるも大して動けず、周りのカイブツ達へ対し己の無力さだけでなく更なる恐怖を覚える。

 その後、魔樹は姿見えぬ小さな剣豪に根を丸ごと根元でスパッと切り落とされ、ゴーレムにより一方的に幹が『凹み穴』で埋まるほど、フルでボッコボコにされたのであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 相変わらず霧が濃く立ち込める中、帝国八騎士団総勢4万2000余騎は行軍3時間半後の午前7時半過ぎに、『トブの大森林』のエモット将軍率いる小鬼(ゴブリン)軍団約5000の野営地へ東約800メートル地点で、見事に整った隊列の横陣を展開し対峙していた。

 場所は帝都アーウィンタールから約75キロ。南西へ伸びる大街道を進み、南東へ街道が分岐する地点を過ぎて10キロ程の所で西方穀倉地帯からの脇道へ折れ、5キロ超入った辺りである。

 視界は80メートル程と僅かに回復していたがなお悪い状況下。斥候の騎士達の報告を総合すると、亜人の軍団は野営地を中心に防御陣を整然と展開しており、()()()『巨大な樹木の魔物』による決定的な被害は確認出来ないという結論へ至る。今回の騎士軍団の最高総指揮官である聡明なカーベイン将軍は馬上にて絶望感に近い衝撃を受け止めつつ大きく迷っていた。

 

「……(我々は――帝国は判断を誤ったのかもしれない……)なんということだ」

 

 そう思わせている大きい原因は他にもあった。

 騎士団の傍に並ぶ、帝国魔法省の魔法詠唱者部隊の者達である。

 彼等の部隊長であるパラダイン老の高弟から告げられた、その最大の衝撃的事実。

 

 

『大変なのです。我らの師が――フールーダ・パラダイン様が、見当らないのです』

 

 

 卒倒しそうな内容であった。

 既に、その報を聞いて1時間程が経過していた。結局魔法省側だけの独断では不用意に動けない事から、将軍へと伺いを立て、現在は地上にて待機している状態である。老師は未だ現れない。

 予定によるとパラダイン老は、1時間半前には魔法詠唱者部隊と合流し、攻撃を開始しているはずであったのだ。

 巨木の魔物によって小鬼(ゴブリン)の大軍団がほぼ殲滅され、その魔物は『逸脱者』率いる部隊の攻撃と大魔法で燃え落ちる形で上手くいけば、将軍率いる帝国八騎士団は後詰め的な亜人の敗残兵狩りすらもう終わっていてもいい時刻。また、魔物を亜人軍団がボロボロになりながらも打倒してくれれば、その疲れ切った連中の側面から魔法詠唱者部隊と帝国八騎士団全軍の騎馬突撃で完膚なきまでに粉砕している時刻でもあった。

 でもどちらの展開とも違った。

 魔樹だけが元気に残っている状況と大差ない最悪の展開といっていい。亜人軍団と魔樹が共同して両方が襲い掛かってくるよりかはマシという水準だ。

 だが、何れにしても帝国主席宮廷魔法使いが不在という状況は想定外過ぎている。

 カーベイン将軍は、帝国民としてまた帝国騎士として、心の支えの一つがボッキリと折れた感じでいた。

 袋小路的考えを繰り返し妄想する将軍の横に、跳ねた泥で漆黒の鎧が少し汚れ気味の帝国四騎士の一人であるニンブルも(くつわ)を並べる形でいた。

 彼は『巨大な樹木の魔物』が忽然と消えた状況をパラダイン老の件より先んずる形で無事に報告しており、そのまま今後の状況を皇帝陛下に先駆けて知る意味でもまだこの地へ残っていた。

 以前から顔見知りで貴族繋がりでもある将軍は実績と年を重ねた尊敬すべき存在だ。

 将軍と同格である帝国四騎士のニンブルだが己の分を弁えれば、経験豊富なカーベインへ作戦等の指揮は完全に任せるのが筋。

 しかし今、混沌とした状態となり、何か助けになればと己の考えをカーベインへ伝える。

 

「依然、敵の亜人軍団の戦力は未知数です。あの化け物であった巨樹が突然消えた事、またパラダイン様が行方不明の点についても関連性があるのかもしれません」

「……確かにそこも大きく気にはなる。――が今だ。今、この局面の最善策とは……」

「ぁ……」

 

 その問いへ帝国四騎士の貴族青年は声が出ず答えられない。

 カーベイン将軍は、目の前の戦いの更にその暗い先を見越しているようであった。

 帝国の柱石であり頼みの綱であるパラダイン老がいれば、ここは全軍前進あるのみだろう。

 だが、その大英雄の姿は周辺に見えない。にらみ合い、時間を稼いでいる形。

 カーベイン将軍だけでなく、ニンブル自身もパラダイン老は十中八九単に体調を崩されて、どこか近隣の地で休んでおられるはずだという思いを持ち続けている。

 捨てきれない思いは今、老師の不在を知る者達の共通的な考えであった。200年以上も帝国を強く支えてき続けた伝説の存在であるのだから当然かもしれない。

 

 

 だがらこそ―――現時点ですでに『帝国の領内にはいない』などと考えられるはずもない。

 

 

 彼はもう……バハルス帝国が誇った大魔法使いフールーダ・パラダインはどこにもいないのだ。

 それは今後、未来永劫変わらない――。

 事実を知る事なく、この局面に対しての重苦しい雰囲気漂う将軍達の軍馬が並ぶところへ、ここで伝令が現れる。

 

「閣下、我が方の軍団前方に亜人側の使者を名乗る者達が現れました。それが――実に禍々(まがまが)しいアンデッドの黒騎士と小部屋程もある巨大で非常に立派な魔獣とであります。魔獣は〝森の賢王〟を名乗っており“エモット将軍の軍団との交渉を仲介したい”と伝えてきております。いかが致しましょう」

「なに?」

「………(確か、その〝森の賢王〟なる勇壮な魔獣は女将軍の配下ではなく盟友という事だったはず……)カーベイン将軍、一度その者と話されてはどうでしょう? 良ければ私が話を聞かせていただきますが。ここが切所かもしれません」

 

 ニンブルからの進言に、カーベインは極限の中で考えを纏める時の苦しい表情を浮かべる。

 帝国の守護者的存在のパラダイン老の健在確認がとれない以上、不用意に戦いを始めるのは危険が大きく難しい。何故なら、帝都の守りは現状でかなり薄く、後が無い。ここで負ける事は絶対に避ける必要があるのだ。

 でもだからといって、皇帝により小鬼(ゴブリン)大軍団撃破の命も受け、ここまで進軍して来ており易々と引き下がることも出来ない。

 将軍は視線を下方の左右へ彷徨わせ、とても長く感じる数秒の間を思案する。

 

「ニンブル……悪いが、会ってくれるか?」

「はっ、お任せを」

 

 結局、時間自体を稼ぐと共に、進展の材料を何か得られる可能性へカーベイン将軍も賭けた。

 

 

 

 

 ――その2時間ほど前の事。

 南へと撤退しかけていた『トブの大森林』のエンリ将軍は、旦那(アインズ)様から〈伝言(メッセージ)〉により、巨大な魔樹について『ナザリックの方で引き受ける』とし、帝国との交渉は『お前に任せる』と伝えられる。この為、小鬼(ゴブリン)軍団を即折り返す形で立て直しながら再北上し、合流したンフィーレアやネム達も連れ一度放棄した先の野営地に帰って来た。

 すでに、小鬼軍師の指示により先発で戻った幾つかの部隊により、混乱し乱れた陣内の片付けや整理が始まっている。

 その陣の傍らに、先程の巨樹の攻撃で仲間を勇敢に守り命を落としたという、小鬼(ゴブリン)兵達の遺体が安置されていた。

 その数、20体。

 少女の率いる小鬼(ゴブリン)達に出た初めての戦死者である。

 エンリは思わず震えつつも歩み寄っていく。ハムスケとアルシェにンフィーレアやネム、そしてジュゲムらの他、各兵団の長達が少し下がった位置で並び見守る。

 多くの遺体は敵の途方もない重量の乗った強撃に潰れ破損が激しく原型を留めている者は僅か数体であった。

 でも、その者らの表情は誇らしそうに穏やかであった。

 まだ一度も声を掛けていない者も兵達には多く、将軍少女は残念でならない。だがこれが戦う事の結果なのだ。

 涙ぐむ優しい将軍の姿に、傍へと近付いた小鬼軍師が声を掛ける。

 

「笑って褒めてやって頂ければ。彼等に悔いはありませんぞ」

 

 あの時、皆が必死で果敢に最善を尽くしていた。それを悔いるのは侮辱だろう。

 

「はい。……皆さん、ありがとうございます。最後まで勇敢に良く頑張って下さいました。私の誇りとしずっと忘れませんから」

 

 両頬を伝う涙を右手で拭い毅然とした表情で一礼後、一度目を深く閉じる。

 軍団の総指揮官である彼女は、悲しんでいる場合では無い。ここはまだまだ戦場である。ボーッとしていればこの後、もっと多くの大事な仲間が死ぬかもしれないのだ。

 それに今は、ネムやンフィーレアやジュゲム達も合流して来ている。

 

 ――決して下策による悲惨な結末を選ぶことは出来ない。

 

 現状況へ強く歯を食いしばりながら瞼を開いたエンリは、即座にこの場より背を向けると、小鬼軍師へと防衛陣の構築と情報収集の指示を出し、兵5000の軍団を再稼働させた。午前5時20分頃の話である。

 それから、1時間半ほどで防御陣と兵の展開を終えていた。

 木材として野営地の周りの木を60本程伐採し活用すると、周辺の幅の広い用水路的小川も堀として取り込み、槍状の突起を設けた軍馬対策の柵を各所へ設け土塁も構築。

 圧倒的な重労働を死の騎士(デス・ナイト)達は、カルネ村で慣れた形で熟していく。

 またレッドキャップスや各兵団の猛者達もレベルが半端ない事もあり、山盛りの作業を片っ端から圧倒的な力技で片付けていった。

 最後は上空へと蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)が舞い、総構えの外にルイス君を始め、漆黒のボロマントを纏い巨大なタワーシールドを左手に、1・3メートル程のフランベルジェを右手へ握る3体の死の騎士(デス・ナイト)達が東南北の三方へ其々(それぞれ)麦畑へと寝転んで潜み、陣へ取り付いた敵の後方から襲う形で待ち受けていた……。

 帝国兵がどこから来ても『全て死地』という陣容だ。

 

 並行して今回の件をバハルス帝国へ問いただす意味で、ここ数日先導していた騎士達を探したが姿は見えず。

 その代わり、周辺警戒しながらのこの任務の合間にハムスケが、〈全種族魅了(チャームスピーシーズ)〉で捕らえた2名の帝国騎士の捕虜を連れて来た。

 アルシェは変な疑いを持たれないよう、エンリの居る陣幕内から護衛の雌小鬼(ゴブリン)達と馬車の方へ一時退避する。

 捕虜2名は親友と思っていた魔獣に誘い出され、まんまと周りを小鬼(ゴブリン)聖騎士団の15体に囲まれると降伏し捕縛されたが、ハムスケへは「大親友と思っているのに酷いヤツだ」とずっと文句を告げていた。〈魅了〉魔法の恐ろしさである……。

 遭遇時の魔法を掛けた直後、ハムスケが簡単に『所属』『目的』『誰に頼まれたか』『先導隊』へ関し聞き出してくれていた。

 ハムスケが伝えた捕虜騎士の話は、所属が『バハルス帝国皇室兵団(ロイヤル・ガード)』で、目的は『消えた魔樹の再出現がないかと、亜人軍団の動向把握』で、誰に頼まれたかについては『帝国四騎士の一人のアノック様』で、先導隊については『アノック様の命で南の大都市へ撤退』となっている。

 エンリはこの時、『魔物を誘導した者達』についてを問わなかった。それは、作戦を立案し指示した者の責任だからだ。

 中央の陣幕内ではアルシェが不在なところも、博識のンフィーレアが本で得た皇室兵団関連の知識を少し持っていて穴を埋めていた。

 

皇室兵団(ロイヤル・ガード)の騎士は、皇帝や皇城を護るのが主任務のはずだけど。だから帝都から出ることは稀のはず。帝国四騎士もそうだね。帝国騎士では個人で最強の4名と言われている使い手達だよ。彼らが先導隊を逃がしたり、魔樹に襲われた後を確認したりと、どうやら完全にバハルス皇帝の勅命のようだね」

「そうなんだ………(騙されてた)」

 

 エンリは友人からの説明を聞いて険しい顔になった。

 彼女だけでは無く、小鬼(ゴブリン)軍師もンフィーレア達も可能性は考えていただけに甘かったと悔やみのある表情となる。

 幼馴染の少年は彼女の結構色々な顔を見てきているが、初めて見る程の怖い顔であった。

 ただ少女は、ンフィーレアに対し敬愛する旦那様の為に『ナザリック』『人間じゃない』『頻繁に連絡が取れる』等の小さくない事を隠しウソを吐きつつ黙っているのだが……。

 それでも死者が出た事で帝国へと凄く怒っていた。

 

(皇帝が大嘘を吐いたんだっ……なんて酷く、愚かなの)

 

 大国の皇帝が覚書まで交わして退去を承認したはずなのに、その本人が命令して――大事な仲間の小鬼(ゴブリン)達が死んだのだ。

 祖国のリ・エスティーゼ王国の内情も貴族達の各領内での欲望的乱れを筆頭に酷く醜い状態。だが、バハルス帝国の内情も、伝説的恐怖の魔物を秘密裏で地下にて研究し人攫いまでする魔法省の最高責任者を筆頭に、皇帝までもが約束を守らずだまし討ち的な行為を先導して実行する……。

 善かれと思って行動をした正直ものが甚だしく悪い目に遭う。

 それは間違っている、と村娘は思った。

 

(どこもかしこも、人の仕切る世界にはもう正義なんてないのかな……それならやっぱり――)

 

 

 エモット将軍は、旦那(アインズ)様の掲げる『世界征服』により人類圏の浄化が急務ではと考える。

 

 

 ただ、普通に戦い争えば大勢の罪のない死者が出てしまう事は悲しいと思う。

 だからこそ旦那(アインズ)様のような、()()()()()()()()()一方的で圧倒的な力の超越者がこの世界には必要なのであるっ。

 しかし今回、帝国との交渉を任されているのはエンリなのだ。

 単純に比べて自分の力だけでは、とても大国である帝国と戦わず穏便に納得させて引かせるのは不可能な話。

 どうしたものかと思いながらも、将軍少女エンリは帝国への罰をと考える。

 

「帝国には今回の件で何か身を切って欲しいかな」

 

 陣幕内には小鬼(ゴブリン)軍師、ンフィーレア、ネム、ハムスケ、ジュゲムやゴコウにカイジャリ達の他、レッドキャップス等20名以上を数えた。

 だが、彼女の発した難題すぎる言葉に反応出来るものは少なかった。

 その中で適任者からの可愛い声が響く。

 

「じゃあ、お姉ちゃん。領地を貰えるように要求すれば? んー例えば、トブの大森林から近い土地とか」

 

 そう、この場にはネゴシエーターの職業(クラス)を持つ少女がいたのだ。

 しかしネムの発した内容は『領土の割譲』であり、普通に考えれば実現可能だと思えない。

 どう考慮してもバハルス帝国と戦争をして勝たなくてはならないだろう。

 するとネムは大ヒントを与えてくれた。

 

「大きな約束を破られたのは、お姉ちゃんと小鬼(ゴブリン)軍師さん達だよね? あと魔法省で大きい竜巻を出したって、確か聞いたけど?」

 

 先の巨大竜巻には、帝国魔法省の魔法詠唱者部隊もお手上げであった。

 あれを今一度出せば、戦いにならずに話が付けられるかもしれない。

 何故なら帝国には今、『公の約束を破った』『魔法省責任者が行方不明』『消えた巨大怪物が再登場するかもしれない』という負の重しが残っているのだ。それにアルシェから聞いている『竜軍団との戦い』という大きい重しも底にある。

 エンリは思考の奥から上策を汲み取るべく瞼を閉じると口を開いた。

 

 その、領土要求をも含む意外性の有る内容に場の者は驚く。

 

 彼女は、軍隊や都市ではなく別の帝国の重要なモノを人質に取る事にした。

 そうなれば恐らく、バハルス帝国は更に王国への毎年の戦争をするどころではなくなるはずだ。

 心配なのはそんな事を要求した時の風の噂や吟遊詩人達から語られよう『悪名』である。

 だがそれについて、先日の騒ぎで既に『帝都で亜人の大軍団を呼び寄せた人類の大敵――狂乱の将軍エモット』というくらいの話になっていてもエンリは驚かない。それへ多少尾ひれが増える程度だ。人として寂しいが、最早気にする程ではないと。

 それよりも本案なら上手くいけば帝国に後々も後悔を促しほぼ誰も傷つかず、現状打破が可能になるはずと考えた。

 

「……凄いね、エンリ。いけるかも。この警告は、流石に帝国も無視出来ないと思う。実際に被害を受ければ凄い打撃だからね。ただ、本当にあの高名なフールーダ・パラダイン老が魔樹と一緒に消えたのならばだけど……」

 

 帝国が乗って来る条件はソコである。老師が居るから、と思わせない事が重要であった。

 エンリだけは彼の不在を確信しているが、他の者は誰も事実を確認出来ていない。

 『フールーダ・パラダインが姿を見せない』という現実を上手く使うしかないだろう。

 

 ただこれに同意し乗ると、同行するンフィーレアやネムも最悪、悪名を付けられ罪人だ……。

 

 捕虜達は幌付きの馬車で隔離しており、まだ見られてはいないはずだが心配である。

 でもそんな気遣いを元気な声が吹き飛ばす。

 

「やろうっ、お姉ちゃん! どのみち大きいお話を出さないと、この場で戦いになるよ」

「「「―――っ!!」」」

 

 交渉仲裁者ネムの言う事は鋭く正しい。

 今の状況でぬるい話など誰も耳を貸さないだろう。

 互いに脅威や威圧などのインパクトがあるから駆け引きになるのである。

 ここで、歴戦のジュゲムが名乗り出るかのように尋ねる。

 

「で、その危険な話を伝えに敵陣へ乗り込むのは誰なんですかい。良ければ――」

 

 

「――それは、(それがし)が適役でござろうな」

 

 

 なんとここで名乗り出たのはハムスケであった。

 彼女は殿(アインズ)からの大事な伝令の一部を失念していた事を挽回しておきたかったのである。

 また、エンリ達を守る役目も逃げる形でしか示せておらず、自分では余り良い所が無いと考えていた。このまま今の策が上手くいって帰還すれば、良い所ナシで終わると思ったのだ。

 

 決して――深い考えはない。

 

 だが、エンリや小鬼軍師にンフィーレアは、悪くないと考える。

 〝森の賢王〟の存在は、帝国も情報局が『100年以上も広大な大森林の南方を支配し凄く強い』事や、覚書の交渉時で『エモット将軍の配下とは違う』という情報を持っているはずと考えた。

 それに小鬼(ゴブリン)達やアンデッド達では、人へ余計な警戒心を募らせる恐れがあるのだ。

 勇壮で立派な魔獣のその姿は、騎士達にも好評に思えた……。

 僅かに視線を上げエンリは考えると、ハムスケへと顔を向けて伝える。

 

「分かりました。ここは〝森の賢王〟さんに使者をお願いします」

 

 かくして、交渉役〝森の賢王〟は準備を整えると、心強き護衛を連れ出陣していった。

 

 

 

 

 霧の中で4万騎を超える帝国騎士達が整然と整列する中を雄渾(ゆうこん)な魔獣が、1体の死の騎士(デス・ナイト)を連れ幻想感漂う情景の如く見せて淡々と歩き進む。

 ハムスケは当初、「某だけで大丈夫でござる」と言ったが将軍のエンリが許さなかった。

 帝国に大きく裏切られた形の少女は、もう信用していなかった事が大きい。

 また程なく小鬼(ゴブリン)達の斥候により、東方に現れ展開されつつある帝国の騎士団は総数でなんと3万5000人以上が確認された大軍団だと陣幕内へ報告される。

 その場の者は僅かにどよめく。

 エンリもそれを聞き唖然とした。どこか国でも攻める気なのかという陣容であるからだ。

 帝国側は本気で完全に『殺しに来ている』――と。

 そのため万一の時、いくら強いと言ってもハムスケにも体力の限界があるはずなので、エンリの傍へ控えていた無尽蔵の体力を持ち一騎当千である新入りの死の騎士(デス・ナイト)に護衛として白羽の矢を立てた。彼は仕える将からの頼みを快諾しハムスケに同行する。

 これで高速移動の出来る無双の戦士が2体いる訳であり、何かあっても一点突破は十分出来るとした上で送り出されていた。

 

 間もなくハムスケ達は、騎乗した騎士達が軍馬と千を超えて並ぶ一角にて、馬を降りている金髪で黒い鎧の青年騎士と対面する。

 するとまず、若い彼の方から先に会釈と共に名乗った。

 

「高名なトブの大森林の〝森の賢王〟にお会い出来て光栄です。私はバハルス帝国、帝国四騎士の一人でニンブル・アーク・ディル・アノックと申します」

 

 ニンブルには周囲の萎縮感を払拭する狙いがあった。

 ハムスケは兎も角、驚異的な伝説のアンデッドである死の騎士(デス・ナイト)の登場は騎士団全軍へ広く大きい緊張感を与えていたのである。

 大軍団における士気は、攻撃の総力に大きく影響する。「恐るるに足らず」という雰囲気を帝国四騎士の一人として見せておかなくてはいけないと感じての行動だ。

 

(向こうの将は村娘と聞くが、重要な所をさり気なく突いてきますね)

 

 金髪の貴族騎士は、死の騎士(デス・ナイト)を派遣する女将軍の渋い手腕にやりにくいかもとの考えが湧いた。

 ハムスケは、目の前の人間の挨拶を受け『帝国四騎士』『アノック』という響きが流れるも、それは思考を素通りしたのか何事も感じず名乗る。

 

(それがし)は、ハ――……〝森の賢王〟でござる」

 

 思わず殿(アインズ)から貰った名で名乗りそうになってしまうハムスケ。

 彼女的には、名前というものに初めは愛着がなかった。でも名を付けられてから、ナザリックの面々より気軽に呼ばれると仲間意識を感じて少し嬉しかったのだ。今は気に入っている。

 そのため思わず口から出そうになった。

 しかし、この交渉ではエンリ陣営と立場の少し異なる〝森の賢王〟を名乗り通すべきだろうと単に思い実行していた。そして遠慮なく話を進める。

 

「早速で申し訳ないでござるが、本題を伝える前に確認したい事がござる」

「なんでしょうか?」

 

 勇壮な魔獣からの改まった言葉を聞き、内心へ僅かに不安が広がるが表情へ出すことなく余裕の有る雰囲気でニンブルは答えた。

 それに対し――。

 

「帝国の大魔法使いは魔樹と共に消えたでござろう? 某は、周辺の気配を感じることが出来るから分かったでござるよ」

「――そ、それは…………」

 

 優秀な青年騎士の彼も、これには言葉が詰まり動揺の無い表情をとても維持出来なかった。

 ハムスケはエンリらと準備段階での打ち合わせが終ったあと、出撃直前の見送り時に将軍少女より小声で『(アインズ)から〈伝言(メッセージ)〉で“魔樹と共に拘束した”』事実から、この確認を最初に帝国陣営側へ告げて欲しいと言われてきており、強烈に揺さぶりを掛ける一声となった。

 ニンブルは視線すら僅かだが右往左往させてしまう。

 無理もない。彼自身が答えを知らない問いであり、帝国の喉元へ食い付かれかねない致命的な内容でもあったからだ。恐らくカーベイン将軍や皇帝ジルクニフでさえ、変な挙動を抑えられない事項だろう。

 『トブの大森林』へ100年以上君臨する〝森の賢王〟から自信ありげに「分かる」と言われては、青年が言葉で否定をしようとも現実にパラダイン老の姿が見えない状況なら、陳腐な回答になるだけなのは明白であった。

 今のは彼に答えようのない質問。それでも何か返事を返さなければならない。

 貴族騎士は覚悟を決め、重たく口を開く。

 

「――これは難しい事情を聞かれる。……申し訳ありませんが、()()そちらの用件をお伺いさせて頂きましょう」

 

 ニンブルは問いを思い余ってパスする。

 先の質問は『本題』の前振りなのは明らかであった。ならば、もう相手の本命の要望を聞いてしまった方がスッキリするというものだとして。

 

「そうでござるか。ならば小鬼(ゴブリン)軍団を率いる将エンリ殿の申した言葉をここで」

 

 だが〝森の賢王〟から発せられた『本題』は、心晴れるどころではなく――苦しい心中のニンブルの密かな怯えを裏切らず、帝国にとって十分に足元を見られた衝撃的な内容が伝えられる。

 

「かの将は帝国へ対して、自軍団について再度の無血退去を提案したいとの事にござる。但し条件がござり、先導無用と、そして――償いに領土の割譲をと。トブの大森林へ隣接する10キロ内の土地全部でござる。もしも、交渉が決裂いたせば追撃を阻止する策の一環として、巨大火炎竜巻で麦畑の広がる西方の穀倉地帯を焼き尽くした上で、()()()()するほかなしとの話でござった。回答期限は本日日没まで。心されよとの事にござる」

 

 なんと、再度の無血退去の意思に加えて、広大な領土を要求しなお、エンリが人質に取ったのは帝国の食料であった。

 人が生きていく為に不可欠であり、土地から離し隠すことは出来ない代物。

 先の巨大竜巻へ、帝国魔法省の部隊が対抗出来なかった事実を前面に立てた優位な要求である。

 勿論、エンリ達へのマイナス要因もある。この件で帝国に対してトブの大森林の軍団は、飛躍的に敵性脅威度を増し隣接するせいで常に緊張状態になるということだ。

 ただ、そうであっても今後、大魔法使いが不在のバハルス帝国は軍を容易に動かせないだろう。

 正に喉元、もとい胃袋へ食い付かれ、且つ森に近い肥沃で豊かな広い土地までもが要求されていた……。

 しっかりと聞いたニンブルであるが、続けざまに絶句するしかない。

 

「……(そ、そんな事を……冗談ではありません)」

 

 食料の安定は民心の掌握に欠かせないものだ。それに打撃があれば、帝国そのものが大きく揺らぎ危うくなる。血の粛清を行なって落ち着いてから5年と経っていない中で、慢性的な食糧不足にでもなれば民衆の不満は加速し数年で確実に混迷した時代が到来するだろう。

 ニンブルは血の気が引く程の衝撃を受ける。僅かに強靭な身体が左へ(かし)ぐ程に。

 そして言葉はまだ出ず思考だけが回る。

 

「…………(相手が一介の村娘の将なんてとんでもない。野営地周辺の防御陣を短時間の瞬く間に整然と効率良く攻め辛く設置する指揮能力の高さの上に、この交渉の機と内容は恐ろしく効果的。正に――鬼才の将です。話はとても厳しい……でも一理ありますか。そもそもが穏便な無血撤退を蹴って、先に襲い大きく信頼を裏切ったのは我々なのだから……)」

 

 少なくない代償を払えば、帝国は絶対に負けられない重大な戦いを避けられる。

 相手に裏切られ、腹立たしい状況の今もそういう道すら明確に残している点が、名うての巧者を思わせるのだ。

 この大局に置いて思慮の狭い凡人には到底出来ない事である。

 ニンブルはこれで亜人大軍団を率いる、名将エモット将軍の全ての用件を聞いた気がした。

 威信ある大国の帝国にとっては厳しい……いや酷過ぎる要求である。

 カーベイン将軍へと報告をするが、まず間違いなく手に余ると思われる。帝国八騎士団の将軍の権限はあくまでも此度の戦闘に関するものである。国政や領土を左右する判断は完全に権限外となる。

 

 

 それを判断し最終決定できる資格を持つ者は、帝都の皇帝ジルクニフ陛下ただ一人。

 

 

 1分程の沈黙の後、ニンブルは目の前に佇む魔獣とアンデッドへ改めて目を向ける。

 

「〝森の賢王〟、他にエモット将軍から、こちらへ伝えておくことはありますか?」

「いや、もうござらぬ。ただ、(それがし)から一言」

「……なんでしょうか」

「帝国は――ここが最後の引き時でござろうな。誰も悲惨な目には遭いたくないでござろう?」

 

 エンリ達の後ろに控える強大過ぎる存在の全てを知るハムスケは、抵抗力の弱そうな帝国の軍隊を()の当たりにして余りの哀れさからさり気なく伝えた。

 その言葉をニンブルは単に警告だとしながら内心神妙に受け取る。

 

「……お気遣いに感謝を。こちらも一つ聞いてもよろしいですか?」

 

 帝国側も確認したい重要な事が残っていたのだ。

 ハムスケはエンリから、質問は極力受けないように言われている。しかし単純に聞いてから断っても構わないと判断した。

 

「何でござろう?」

 

 真剣な表情のニンブルが問う。

 

「巨大な樹木の魔物は、そちらの部隊の魔法で消されたのですか?」

 

 もしそうであれば帝国は小鬼(ゴブリン)軍団に敵うはずもないと。

 彼の問いに対し〝森の賢王〟は躊躇なく答えた。

 

「あの巨大な魔物は――突然自分で消えたようでござる。もし初めから消せるのなら小鬼(ゴブリン)達に犠牲が出る前に消していたでござるよ」

 

 『魔物は自主的に消滅』とした理由は、実際そこまでの魔法を軍団内では使えず、ブラフにしては水準が高すぎて信憑性が微妙である事。

 それよりも実際そうであったし巨樹側の謎とした方が、不安と脅威感が高まるとエンリや軍師、ンフィーレアらは総合的に判断して打ち合わせの段階で決定していた。

 

「そうですか(亜人軍団側でも犠牲は出ていたのか)……話は全て聞かせて頂きました。ただ、内容は非常に高度ですので皇帝陛下へ確認する可能性もあり、時間を頂く場合は2名の騎士の使いをそちらへ向かわせます。交渉の結果については4名の使いを向けるとお伝えください」

「心得たでござる」

 

 ニンブルに外まで送られ、2体のモンスターは帝国八騎士団の陣を後にする。

 颯爽と去っていく〝森の賢王〟達。

 だが彼女(ハムスケ)は――捕虜2名とアルシェの処遇につき帝国側へ伝えるのを完全に失念していた……。

 帝国四騎士の青年はカーベイン将軍の下へ急ぎ向かいつつ、先の2体が会話の際中も4万騎を超える周りの騎士団の中で、終始怯えなど欠片もなく平然としていた事を鮮烈に思い出す。

 その光景から、口には出せないが強く感じた。

 

(勝負は見えているかも。もう我らの信じる陛下が、愚か者でない事を祈るほかないですね)

 

 金髪の貴族騎士は、速やかに将軍へと子細を語り伝えた。

 軍団総指揮官の領域を超えた判断を要求され、経験豊富なカーベインも動揺をみせた。それでも冷静さを保ちつつ、即座に帝都への連絡用にと一度報告後折り返して戻って来てもらい待機させていた皇室(ロイヤル)兵団(・ガード)のジャイアント・イーグルの騎士へ、書面にて陛下への伺いを立てる。

 ニンブルは将軍へ報告者として申し出ると認められ、その乗り手(ライダー)の後ろへ掴まり帝都アーウィンタールへ同行した。

 

 

 

 

 帝国八騎士団側との仲介もとい、交渉役としての大任を終え、小鬼(ゴブリン)大軍団が陣を築く野営地まで無事に死の騎士(デス・ナイト)と戻って来たハムスケは、当然中央の陣幕内にて報告を行なった。

 まず、交渉の場へ黒い鎧を着た若い一人の騎士が相手に立った事を知らせ、名前については「ニンブルとか申したでござるよ」と報告する。これでは誰も帝国四騎士の『アノック』とは気付かない……。

 そして、帝国側への通達事項をエンリらから一つずつ確認されると、最後に大きな残件に気が付く。

 

 そう――捕虜の騎士2名とアルシェの処遇について通達していないことが判明したのだ。

 

 重要な案『再度の無血退去』『領土割譲要求』『麦畑への巨大火炎竜巻の脅し』を敵側へ伝えるとホッとしてしまったらしい。

 確かに、捕虜の件は先の項目に対して帝国への影響度は随分小さい。

 

「エンリ殿、申し訳ないでござる。某、急いでもう一度行って来るでござるよ」

「ちょ、ちょっと待ってくださいっ」

 

 背を向け陣幕内から速攻で出ていこうとするうっかりものの魔獣を、エンリは慌てて止めた。

 その声にハムスケは振り向く。

 

「なぜ止めるのでござる?」

「流石に大きな交渉は、気軽に何度も出来るものではないかなと」

「そ、そうなのでござる……か?」

 

 野生の世界も厳しさはあるが、基本ずっと大雑把に生きてきたハムスケに微妙な駆け引きのある交渉は難しい。

 先の交渉はその大雑把さが、怯えの無い大胆さとなってプラスに働いたのだが……。

 ここで小鬼(ゴブリン)軍師が羽扇で僅かに扇ぐ仕草も交えて助言する。

 

「こちらは一度騙しを食ったのですから、駆け引きの小道具として、これも手ではありますぞ」

 

 エンリは交渉に際してある程度誠実に望みたかったのだ。

 だが、軍師の言葉も一理あるとは思えた。それに、もう後出しの手しか選ぶことは出来ない現状に将軍として頷く。

 

「そうですね。では、帝国側の使者が来てから提示することにします」

「すまないでござる……」

「いえ。〝森の賢王〟さんの交渉で本題の話は上手く進んでいます。捕虜についての話は明確な嫌がらせ的な要素でしたので。結果としてはこれで良かったのかも」

 

 実際、今回の件が門前払いの場合、アルシェについては色々あるのだが、基本的に捕虜達は全員『こちらで処分する』という形で警告を促す予定だったのだ。

 それが無かったことで、今は覚書を破ったという帝国側の一方的な非道性が強調され、全てが報復的な要求の形となっている。

 

「捕虜の件の無い分、いい意味で誠実さとしての圧力が掛かっていますね。状況は逆にいいと僕は思いますよ」

 

 ンフィーレアも、怪我の功名として現状へ賛同する。

 天才少年は〝森の賢王〟を不思議と天然でも“賢王らしい”として買っている風であった……。

 

「そ、それなら良かったでござるが」

「大役、ありがとうございました」

 

 笑顔のエンリ将軍からの礼を貰い〝森の賢王〟は、嬉しくて起こしていた上半身で思わず小刻みに頷く。

 わざわざ殿(アインズ)へと申し出てここへ援軍に加わっており、足を引っ張る役立たずという汚名を貰わず済み、ホッとしたハムスケである。

 それから周辺の濃い霧は、1時間程掛けて徐々に晴れていった――。

 

 

 

 

 午前9時を10分程回った、バハルス帝国帝都皇城の豪奢な皇帝執務室内。

 大机の前で、戦地から戻ったニンブルが直立不動の姿勢をとる。

 室内には彼の他、座る主の(かたわ)らへ控える皇帝秘書官ロウネ。そして帝国の頂点に立つ金髪の貴公子ジルクニフのみが待っており、非常に重大と眼前の騎士から渡された現地よりの書簡での報告へ目を通していた。

 またジルクニフはこの時、既に1時間程前だが『魔樹が小鬼(ゴブリン)軍団野営地へ襲い掛かる付近で突然消えた』という報告を、無事に帰還した皇室(ロイヤル)兵団(・ガード)の騎士から受けている。

 急ぎ読み進めていた皇帝だが、とある文章で突如視線が止まると、書簡を持つ手が震えていく。

 

「バ、バカな、爺が行方不明だと……」

 

 魔法の探求や気が乗らないという気紛れ的話で、姿を見せないのとは違うだろう。

 先日ジルクニフは直接厳命として申し付けている。現状況で姿が見えないということは、全く動けないか本当に巨大な魔物と共に消えてしまったとしか説明がつかない。

 フールーダがいずこかで動けない状況という事なら、まだ救いがあった。

 しかし、既に小鬼(ゴブリン)軍団に同行する伝説の魔獣〝森の賢王〟が老師の不明を知っているということは、事実の可能性が非常に高くなる。

 そして記された衝撃的報告はそれだけではない。座って読み進む皇帝の持っていた書簡が、如実に破れそうなほど手で強く握りしめられていく。

 

「お、おのれ……辺境片田舎の村の小娘如きが、膨大な麦の穂を担保に我が誉れある帝国の領土を望むなどと……」

 

 正に前代未聞のお話である。

 領土要求などバハルス帝国建国以来、リ・エスティーゼ王国はおろか強国のスレイン法国にすら一度も求められた事がないのである。

 それが、まさか汚らわしい亜人どもの軍団を率いる平民の娘になろうとは、慙愧(ざんき)に堪えない。

 ジルクニフの怒りは決して小さいものではなかった。

 その彼が、読み終えた書簡を顔を向けずに右手でロウネへと突き出しつつ、目の前へ立つニンブルへと口を開く。

 

「お前達は誇りある帝国騎士として、この屈辱的要求にもあの場で思案していただけなのか?」

 

 流石に『臆病』とまでは語らなかったが、雰囲気からは伝わるものがあった。

 ニンブルには目の前で怒りに震える誇り高き皇帝陛下の気持ちが良く理解出来た。

 しかし平和な帝都の皇城一室の机上と、怪物や小鬼(ゴブリン)の大軍団の陣と対峙している現場とでは、やはり空気に大きく差が出るのは仕方がない事だと思う。

 皇帝の側近である帝国四騎士の一人として、青年騎士が仕える主へものを申す。

 

「陛下っ。パラダイン様を欠いた酷く厳しい現状、怒りだけでは到底乗り切れません。小鬼(ゴブリン)軍団は将の下で見事に統率され強固な陣を構築しています。更に向こうは大魔法も使えるのです。どうか今こそ冷静に」

「くっ、分かっている。だが、余りにも腹立たしいではないか。貴族どころか騎士ですらない村娘だぞっ?」

 

 相手がまだ貴族の出というのなら帝国として格好が付くというもの。

 それすら僅かも許さないといわんばかりの屈辱的要求である。

 将来、帝国民達が巷で自分をあざ笑う光景が見えるようで、ジルクニフは思わず苛立ちから髪を激しくかいていた。精神的且つ、頭部へのダメージも甚大であった……。

 ここで書簡を読み終えた秘書官のロウネが皇帝へと進言する。

 

「陛下、アノック卿の言葉は正に正論です。書面を拝見させて頂きましたが、帝国の現状を見て非常に痛い所をことごとく確実に突かれております。お気持ちは分かりますが、ここは時間を置く意味でも()()()を示されますよう」

 

 ロウネの考えとしては、現帝国騎士団の主戦力と魔法詠唱者部隊を投入しているが、かなり分の悪くなった今、それも国内にて総力戦をすべきでは無いとの考えであった。

 相手は帝国の西端の土地を要求してきたに過ぎない。

 これと、対竜軍団に加え大賢者の不明等、難しい局面を抱えた現段階での帝国軍の虎の子的戦力の消耗を天秤には乗せられないとの判断である。ここで魔法詠唱者と騎士達の多くを失えば――弾圧され力を随分弱めたはずの貴族達が、再び力を集結し台頭してくる可能性も出てきてしまうと。

 目を閉じ、左手を額から目許へと当てる苦悶のジルクニフ。

 

「はぁ、今はそれしかないのか……」

 

 国を預かっている者だからこその、身を切る程の我慢と決断が必要なのだ。

 彼は感情の豊かな面を持つが、元々非常に高い知性と判断力を持つ優秀な君主でもある。

 悔しくともこの期に及んで自殺的行為は選ばない。

 ただ皇帝は、小鬼(ゴブリン)軍団へと魔樹を誘導した敵の同士討ち作戦への後悔はない。

 何故なら――巨木が居なくなったのは、あの策があったからだと思っているためだ。巨木が消されたか、自ら消えたかは分からないが、きっかけはあの作戦であると。

 表情が暗いままのジルクニフだが、貴族の騎士へと静かに問う。

 

「ニンブル、巨木の魔物と小鬼(ゴブリン)軍団、相手にしたくないと思ったのはどちらだ?」

「――っ。陛下……それは明らかに巨木の魔物でした!」

 

 巨大なアレは、完全に自然災害と同じ水準であり亜人や人がどうこう出来る存在を超えていた。

 小鬼(ゴブリン)軍団をあのまま穏便に森へ退去させていれば、一方の誘導や行動を制御できないであろう巨樹を帝都傍へ近付けさせていた極悪の展開が残ったはず。それが今は、交渉の出来る小鬼(ゴブリン)軍団だけが残る形。

 確かに、依然巨木が再出現する可能性はある。

 だから今だけの結果論かもしれないが、それでも状況差は歴然としている。

 皇帝は皇帝で、最善を尽くしていたのだ。

 さて、回答期限は日没まで。移動の時間を考えれば、回答を決めても残り8時間程で纏めなければならない。

 是非もなく要求を呑むという方針となったが、調整等忙しいのはこれからである。

 先の、秘書官の語った妥協案という単語を思い出し、ジルクニフは言葉を返す。

 

「そうか。トブの大森林傍の数キロは魔物出現の脅威を避ける為、作付量はさほどではないのだったな。では森から5キロまでを譲り、作付けが盛んなもう5キロは与えず、代わりにそうだな……毎年小鬼(ゴブリン)1万体分の年間食料を贈るということで交渉するか。今年は備蓄分から亜人の隊列に続く形で先に渡すと伝えれば現実感も出るだろう」

 

 帝国は血の粛清で取り潰した多くの貴族から得た土地を、政府が一括管理している。現在、西方の穀倉地帯は一部皇帝派閥の貴族が治めているが概ね政府系が管理していた。故に譲る事に大きな問題はない。

 ただ作付盛んな5キロはトブの大森林の隣接幅約120キロほどを考えれば約600平方キロ。年間生産量は、贈る予定の麦の量の何倍もある。

 これは政治的な賭け引きである。

 帝国側は600平方キロの土地を渡さずに済み、毎年贈る事で今後もある程度の信用と友好を保てるという特典も付く。小鬼(ゴブリン)軍団側も不慣れで面倒な農作業が省けるメリットがあった。

 すらすらと案を並べ、皇帝はまだ爺フールーダの帰還への想いを捨てず確認する。

 

「ヴァミリネン、これでどうだ? 爺が戻って来るまでや、竜軍団との戦いが終わるぐらいまでの時間は十分稼げよう」

「はい。大変よろしいかと。後は、向こうの将が土地の削減を飲むかですな」

 

 今の領土割譲問題や駆け引きの話の間、ニンブルはただ黙って聞いていた。

 彼は騎士で軍人であり政治家ではないのだから。

 でもそのやり取りを見るに、やはり皇帝ジルクニフが帝国を率いる名君である事に一安心する。

 

(陛下のあの作戦に騎士として後ろ暗い思いがあったけれども、帝国の今の好転した状況を考えれば、あれは多くの帝国の民を守った一手であったのだ。敵の将や亜人達から非難されようとそれは――帝国の騎士として堂々と受けよう)

 

 国が違えば自然と守るべきものは変わってくる。

 

 正義は一つでは無いのだと――。

 

 ただニンブルが心配なのは、帝国にとり偉大なフールーダ・パラダインの不在である。

 彼の存在に因る帝国への恩恵は非常に大きかった。

 特に南西で国境を接する強国のスレイン法国に対しては顕著であったのだ。

 今後、どういった災厄(さいやく)が帝国へ降りかかるのか……それを凌げる大きな傘であった人物は何処かへ去ってしまったかもしれない状況。

 青年は、柱石にも数えられる帝国四騎士の一人として国民へ対し弱音を吐ける立場では無い。

 

(私も底の部分でもっとしっかりとしなければ。まずは――エモット将軍との交渉だ)

 

 このあと貴族騎士アノックは、皇帝より労われ休憩をと一時皇帝執務室より下げられる。

 

 そして、皇城内では秘書官のロウネがその手腕を発揮する。情報局中心でまず譲渡する土地に関して住民達の数が急遽調べられ移住と補償の件を見積もると同時に、西方の貴族達への根回し他、5時間程で各所へ交渉を押し進め整理しつつ覚書を作成したものについてジルクニフの承認を受ける。ここで、別の部屋で控えていた騎士アノック卿(ニンブル)が再度皇帝執務室へと呼ばれた。

 大机から席を立ち、腰に手を当てた皇帝が直々に告げる。

 

「ニンブル。これよりヴァミリネンに同行し再び帝都帰還まで護衛せよ。亜人軍団の将との交渉はヴァミリネンが務める。よろしく頼むぞ」

「はっ。皇帝陛下と帝国の為、最善を尽くします」

 

 秘書官ロウネとニンブルは皇城上部の待機場へと上がっていく。其々皇室(ロイヤル)兵団(・ガード)のジャイアント・イーグルの騎士へ掴まると間もなく飛び立ち、帝都アーウィンタールを後にした。

 

 

 

 

 朝霧が晴れた後は、夏の角度ある陽も差し暑い日中が過ぎて、時刻が午後5時に近付いた頃。

 雲が疎らで空の色はまだまだ青く期限の日没に随分時間を残す中、4名のバハルス帝国側の使者がエモット将軍の野営地に設けられた陣を訪れていた。

 勿論、エンリから提示された再度の『無血退去』についての会談を行う為である。

 その陣は、近付いていくほど防御が固く、侵入口も位置を限って置かれ効果的に集中して迎撃出来る様子が見て取れる。そして、聖騎士団団長により陣内を通される途中、備える周りの小鬼(ゴブリン)兵達の姿を初めて直接見た礼服姿の皇帝秘書官ロウネ・ヴァミリネンは、彼等の鍛え抜かれた体格に改めて驚く。報告書には十分目を通していたが、これ程とはという思い。

 明らかに戦えば危険だという空気がそこに満ちていた。

 ニンブルや護衛騎士も王都で亜人達の姿は見て来たが、仲間を失いその責任所在を求める様な厳しい視線の彼等はまた別物にも感じられ、背筋が随分寒くなる。

 朝の闘いでニンブルも率いた多数の皇室兵団(ロイヤル・ガード)を失ったが、それは自軍の作戦の中の話しであり、彼等の思いとは全く違うのだ。

 一行は中央の陣幕内へ入り相互の挨拶を終え、帝国側はベージュと金糸の線の意匠が入る礼服姿のロウネと黒色鎧のニンブルが席へ着き、皇帝八騎士団第一軍の精鋭騎士2名が席の後ろへ控えていた。

 小鬼(ゴブリン)軍団側は、格式と品位漂う赤と黒の軍服に真紅のコート姿の将軍エンリと綸巾(かんぎん)を被る小鬼(ゴブリン)軍師が着席する。他は陣幕内で護衛するレッドキャップス3体と聖騎士団の5体、さり気なくジュゲムとカイジャリにあと、黒い巨躯の死の騎士(デス・ナイト)が1体である。

 因みにハムスケは、外の奇襲へ警戒する隊を率いて警備の任へ就いていた。少し頑張ったので今はその方が気楽だとして。ンフィーレアやネムは帝国側へ目に留まると、色々と面倒に思い場を外させている。

 さて、直前のンフィーレアからの話に因れば、相手の皇帝秘書官は帝国内でも最も知能高く優秀であろう役職という。それを聞き、凡人肌のエンリは小細工的な話術をされる前にと、最後に着席後直ぐ自ら問い掛ける。

 

「では、早速こちらの要求した件につき、回答して頂きたいのですが」

 

 将軍からそう告げられ、秘書官は頷く。

 ロウネは、中央の陣幕へ入ってから密かに人間である目の前の女将軍を分析していた。

 気品ある立派な軍服の報告は先日受けているが、まず改めて衣装装備からしてただ者ではないと思わせる。目利きという自覚は彼にないが、その判断力には自信があった。だからこそ皇帝の宝物でも見たことの無い最上級の品質に大きく驚く。

 

(片田舎の村娘と聞くが。しかしこれは一体、どうやって手に入れた物なのか。もしや、どこか王族か大貴族の末裔では……?)

 

 余りにも破格すぎる装備に疑念は尽きない。ロウネ程の男が思考を困惑させる。

 通常、小鬼(ゴブリン)達の知力は人類よりも落ちるのが一般的であり、高度な政治的駆け引きは難しいと考えられている。故にこの陣も、先の帝国への提案も目の前の謎の娘が指示していると考えて探っていた。彼の中でコンマ5秒内の葛藤。

 

「(……惑わされるな)分かりました、閣下。それでは」

 

 内心で気持ちを落ち着けると、秘書官は覚書を立派な筒より取り出し紐を解いて広げ読み上げていく。

 その内容の概要は――帝国の釈明から始まっていく。

 『今回の仕儀であるが帝国軍による直接の攻撃は一切無く、意図するところでもない非常に偶発的で不幸な出来事であった。しかし、帝国側に安全配慮の不備があったと認める』と、帝国側は威信を守る為の酷い言い逃れを付けていた。

 怒ってもいい部分に思うが、この新世界の王族に貴族や大商人などの上流階級は、殆ど謝らない事が『常識』なのだ。特に弱者である平民などとは、まず論争にもならない。上流階級の家には騎士などの私兵達が大勢おり正義に関係なく、力尽くで物事は運ばれるのだ……。

 だから、帝国が安全配慮の不備を認めた事自体が、異様で異例なのである。

 そこからが本題へ続く。

 『故に帝国はエンリ・エモット将軍閣下の率いる小鬼(ゴブリン)軍団の再度の無血退去申し出を歓迎し受け入れる』とし、要望への一つ目を回答する。

 『その際、帝国は先導を置かず。また、退去完了まで双方とも敵対行動を取らず、閣下の率いる軍団は西方へ向けて任意で速やかに移動し国境を越えて頂く。交渉締結後5日以内で実行完了とする』と領内の行動を認めた。そして争点となる項目へ。

 『今回の安全配慮不備の償いとして、帝国はトブの大森林へ隣接する領土を割譲する。その範囲について――境界より10キロという要望であるが、これを5キロとし代わりに小鬼(ゴブリン)1万体分の年間消費分の穀物を毎年納付する。なお今年に限り納付は収穫期後ではなく、備蓄分より閣下の軍団へ続く形で届ける』と明確に告げた。

 エンリと軍師、ジュゲムらは境界が5キロという部分で顔色が其々変わったが、代替え案を聞き更に各人の表情は違った。

 

 しかし――最終決定するのは最高指揮官の将軍少女エンリである。

 

 ロウネは視線を僅かに将軍閣下へ合わせると、ゆっくり羊皮紙の覚書を巻いて紐で閉じ筒へと納め両者の間に置かれている低めのテーブルへと置いた。

 帝国は『無血退去』を認めたのである。

 これはエンリ達にとっても喜ばしい。だが代償についての案が結構変えられていた。

 ただ実はこういった帝国側の変化球は、ネムやンフィーレア達により想定されていたのだ。

 ――朝の打ち合わせの時。

 エンリとしては提示してみたものの、正直ずっとどうかと思っていた。

 

『あのぉ、幅10キロはちょっと広くないかな?』

 

 要求する総面積は実に1200平方キロ程度にもなり、貴族でいえば侯爵級に並び広大であったのだ……。

 

『まあそうだね、エンリ。でも、減らされるのを考えれば多めに言うべきなんだよ』

『うん、もっと多いめでもいいと思う(お姉ちゃんは素直なんだから……)』

『そ、そう? でも多すぎても話しにならないから。これでいいかな』

 

 ンフィーレアは幅広い相手へ商売をやっていて、加えて余りに商売上手な実力者の祖母もおり、数値的交渉には常識的に駆け引きが発生する場合が多い事を知っていた。

 また、ネムは大物である。すっかりナザリック的考えであった……。

 なので、事前に今回の請求への妥協点を決めている。

 そのために――代表者のエンリは帝国の使者へ対し、平然と速やかに動く。

 

「削減地での生産量に比べて、納付分が随分少なく感じます。3万体分は頂かないと」

 

 エンリからの指摘は的確であった。とはいえ穀物による納付は想定しておらず、村娘の少女は広さから概算での計算だが。

 確かに元がかなり少なすぎる量である。秘書官は眼前の小娘の落ち着いた対応で、将軍としての才覚を汲み取る。

 それは、こちらの意見を想定していての回答だと感じられたことだ。

 場へ無策で臨む将は、限られた時間の戦いの中へ放り込まれた際、判断へ事前に考えることの出来たはずの内容まで思考し貴重な時間を使い切ってしまうのだ。

 故に優秀な指揮官は、数多の分岐を事前に想定している。だから判断が早くて的確なのだ。

 それは敵に回すと非常に厄介であるということ。

 今、ロウネは難しそうな将を相手に小さい駆け引きを始める。

 だが、3倍と求められてそれをハイいいですよとは、帝国側も言わない。

 

「では、2万5000体分では?」

 

 ロウネからの大きめの値切りへ、エンリが上乗せ(レイズ)する。

 

「なら2万8000で」

「2万7000では?」

 

 エンリはンフィーレアから今回の数値交渉について言われていた。欲深く追わない方がいいと。

 なので、将軍少女はここでロウネの告げた数値へ折れて手を打つ。

 

「分かりました。2万7000体分で結構です」

 

 秘書官は一つ頷いて確定を知らせる。彼はこの交渉を絶対纏めなければならず5万体分の納付までは許されていた。

 優秀な将は色々な案を想定するが、その中でも更に『選別』と『加減』がある。

 細かすぎても無駄になり、選択を誤っても無駄になる。そして加減が酷いとそれも無駄になるのだ。

 今も10万と提示されていれば、5万で落ち着いても何と傲慢で欲深いという印象にもなる。

 何事もやり過ぎては遺恨が残るのだ。

 そういう意味でも、不快なく土地や食料へ固執した部分を見せなかった事で、皇帝秘書官の前に座る将の評価は随分上がる。

 

(うむ……狂人などという一部の報告はとんでもない誤りだな。確かになぜ亜人を率いているのかの経緯は分からないが、この指導者との敵対は帝国へのプラスにはならない様に感じる。

 いやいっそ、パラダイン様の不在が現実ならば、これを機に正式に手を組むという案も、陛下は検討すべきでは……)

 

 先日の一連の行動からも誠実さが見えており、帝国の最高幹部級に近いロウネはそういった判断へ変えつつあった。

 対して小鬼(ゴブリン)側で、土地は半減し随分手を引いたと思われるが、実際に広大な土地を維持管理するのは非常に大変である事を村民であるエンリは良く知っていた。

 放置してただ土地を荒らしてしまうよりか、実利を得た方が何倍も良いのである。これでエンリの小鬼(ゴブリン)大軍団5000体は、自力で大量の食料確保に成功した。

 秘書官のロウネは、皇帝の署名の入った覚書へ対して、訂正せずに穀物納付分について小鬼(ゴブリン)1万7000体分の加算がある事を加筆する。

 ジルクニフより、4万体分までの加算や土地への増量についても権限を持たされていた。

 加算加筆部分については皇帝秘書官ロウネのサインが入り、特別な皇帝代行印が押される。

 勿論、勝手に使えば一族ごと首が飛ぶ代物である。

 覚書は再び丁寧に筒へと納められ、エンリの前へと置かれた。

 『トブの大森林』のエモット将軍は、それをそっと手に取り立ち上がる。

 そしてロウネへと合意の握手のための手を伸ばす。

 帝国の秘書官と、ニンブルも立ち上がり、ロウネはエンリと笑顔で握手を交わした。

 

 これで、帝国と『トブの大森林』の小鬼(ゴブリン)軍団との再度の無血退去合意は成った。

 

 さて、将軍少女が先程、先に折れたのには理由がある。捕虜の件が依然残っていたためだ。

 握手をしながら、ここでエンリは秘書官らへと告げる。

 

「あの、実は今朝、野営地の近くで貴国の騎士の方を2名拘束しています」

 

 笑顔を浮かべていたロウネの表情が、『今、ここで言うのか』という顔をしていた。

 当然だろう。もう交渉は上手く終わったはずなのだ。

 あとは気分良く皇帝陛下の下へ帰るだけと考えていたところで捕虜の話である。

 ニンブルはその者達へ思い当り呟く。

 

「まさか、あの者らか」

 

 複雑な様子の二人へエンリは柔らかい表情で言葉を続ける。

 

「交渉合意の握手が出来て良かったです。騎士の方はこの後、解放しますので一緒にお連れください」

「……そうですか、分かりました」

 

 解放と聞いてニンブルはホッし、秘書官は再び笑顔を浮かべようとする。こういうプレゼント的流れならばサプライズとしてアリだと納得出来るからだ。

 でも、その笑顔が浮かぶ前に将軍少女が口を開いた。

 

「でも――先の魔法詠唱者の者は違います。お分かりですね?」

 

 エンリはロウネとの握手をここで手放す。

 そう、魔法詠唱者の捕虜については、前覚書に『撤収までの安全の為、同行をさせる』という記載があったのだ。

 だが安全について実際は守られなかった。

 ロウネ達は先程陣内を通される途中、僅かながら死臭の舞う20程並んだ埋めた後の傍も通っていたことを思い出す。小鬼(ゴブリン)軍団側には犠牲者が出ている状況。

 つまり、魔法詠唱者の捕虜アルシェ・フルトについては処刑されていても文句は言えない存在なのである。

 将軍少女は苦しそうな悲しい表情で伝える。

 

「配下の者からは魔法詠唱者の少女へ『死ぬまで()()()()を』という声があります」

 

 エンリの恩人なので無論そんな声は全く無いが、これは賭け引きである。

 だがそれを聞き、ニンブルらの表情は凍りつく。実行されれば帝国の乙女への惨さ極まるその状況を思い浮かべて。

 

「彼女の待遇について、今は私の権限で預かっています。今日の新たな覚書が今度こそ、最後まで守られる事を切に願います」

 

 エンリは書簡を改めて胸元で両手に持つとロウネ達へと視線を向けた。

 これは帝国の命も『こういう形で何時でもずっと握っている』という警告でもあるのだ。

 

「閣下の御配慮に帝国民として感謝します。そして、今の言葉を必ず我らが主君へ届けます」

 

 ロウネら一行4名は、エモット将軍へと深々と頭を下げた。

 将軍少女はその返事を受け納得し小さく頷く。

 

「では、私達は届くという穀物と荷馬車の列が確認でき次第、撤収作業に入り退去します」

「分かりました。こちらも軍を下げ、早急に準備いたします。それでは、これで失礼いたします」

 

 ロウネ達は中央の陣幕から下がりあとにする。

 先のエンリからの言葉通り、彼等の退去に合わせ捕虜であった皇室(ロイヤル)兵団(・ガード)の騎士2名は開放され帝国八騎士団の陣へと6名で引き上げていく。

 その去っていく様子を、アルシェは野営地外周傍に止められている幌馬車の荷台の布の隙間からそっと見送った。

 

 

 

 

 この後、バハルス帝国側の動きは顕著であった。

 ロウネとニンブル達の動きは早く、カーベイン将軍へ見張り以外の騎士団の撤収を通達すると、一路帝都へと飛んでいた。

 ジルクニフへの報告を終えると、日没前には帝都の大穀物倉庫から穀物を満載した千を超える荷馬車の列が、輜重護衛隊に護られて移動を開始していた。

 エンリ将軍側も、対峙していた帝国騎士団の撤収を確認した日没の少し後には、ハムスケが持っていた巻物の〈伝言(メッセージ)〉を使い、夕方前の帝国との交渉締結を旦那(アインズ)様へと報告している。

 花摘みへ行くと言って、ンフィーレアやアルシェ達の集う陣幕内から抜け出し、ひっそりとした場所へ来ると、ハムスケから聞いた様に巻物を使ってみた。

 アインズとの〈伝言(メッセージ)〉を乙女の胸をドキドキさせながら、前髪辺りも思わず直しつつ繋ぐ。

 

「あの、アインズ様、聞こえますか? エンリですが」

『うむ、聞こえているぞ』

「お時間は大丈夫でしょうか?」

『ああ、今は大丈夫だ』

 

 旦那様の威厳あるいつもの声が聞け、無難に繋がりホッとしたエンリは、今日あった事を8分程に纏めて伝えた。

 時折、相槌を打つも静かに聞き入っていた旦那様から、エンリは最後に大望のお言葉を貰う。

 

『そうか。エンリよ、本当によくやった。食料の量が相当あるだろう。保管場所は一時ナザリックで用意しよう。皆で気を付けて帰ってこい』

「はいっ。ありがとうございます」

 

 〈伝言(メッセージ)〉を無事に終了する。周囲はほぼ真っ暗だ。

 でも彼女の心の中は喜びや満足感、解放感などの眩しいもので満ち溢れていた。

 

「やったーー、旦那様に褒めてもらえたっ」

 

 もう気軽ないつもの村娘の衣装へと着替えている少女は、満面の笑顔で思いっきり背伸びをし、一人晴れた星空を暫しの間のんびりと眺めていた。

 

 

 因みにエンリの職業(クラス)であるジェ●ラルは、いつの間にか急速にLv.4へと近付いていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. VS魔樹 ナザリック視点編

 

 

 絶対的支配者の開いた〈転移門(ゲート)〉を潜ってバハルス帝国西方へまず現れたのは、今回の指揮官で第六階層守護者のアウラ。

 アインズは此度、適当に指揮官を選んだ訳では無い。彼女は過去の詳細な北部地域の周辺調査や日頃の守護者としての的確な仕事ぶりなどを考慮・評価されている。また、先日はアインズとこの国の地を踏んでおり、適任と判断されてだ。

 そして、彼女の補助系の特殊技術(スキル)も丁度合っていた。

 指揮官に続いて帝国の地へ現れたのは、事前にアウラの特殊技術(スキル)でもってパワーが一時的に2割程も強化された第四階層守護者ガルガンチュア。

 30メートルにも及ぶ身長から〈転移門(ゲート)〉を拡張して開く必要が有り、アインズはギルド武器であり各種増幅(ブースト)も掛けられる『スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』を持ち出していたのである。

 ガルガンチュアの単純な攻撃力は、守護者序列1位のシャルティアを上回るほどである。

 先日の大宴会で起動や移動、動作について全く問題が無い事は確認されており、ナザリックの大戦力の一つとして今回、デカブツの怪獣が相手というのならパワー勝負もあるだろうし適任と派遣された。

 そして最後に登場したのは第五階層守護者コキュートスである。

 蟲王で大剣豪である彼については、多くを語る必要はないだろう。世界級(ワールド)アイテムを持たせるアウラの護衛も兼ねている。あと、敵が長い蔓をいくつも持つ事から、アウトレンジでの打撃戦はマズいとの考えから、『切り落とせ』とのアルベド経由で(あるじ)の命を受けての参戦だ。

 ナザリックの階層守護者3名が濃霧で満ちる帝国の地に立つ。

 

「三色色違いか。へー、レベルは80から85ってとこだね。他に……(あっ、でも先に)」

 

 アウラは豊富な特殊技術(スキル)を使い、10秒程で周辺の探知及び標的の強さを計測し終えるとまず世界級アイテムを使う為に指示する。

 

「ガルガンチュアは、まず霧の先200メートル前方にいる魔樹を捕まえて後ろへ引き戻して」

 

 見上げる可愛い指揮官の指示に、ゴツゴツした岩肌のドデカい体の彼は首らしきものが無いので上半身を使って頷くと、巨体を揺らし速足(はやあし)を見せ前へ出て行った。

 その様子を認めつつ、褐色の闇妖精は蟲王へと伝える。

 

「コキュートス、ちょっとここで待ってて」

「ン? 分カッタ。ダガ私ノ射程カラ離レルナヨ」

 

 コキュートスは視界がゼロでも圏内なら気配ある敵は逃さない。

 

「大丈夫大丈夫、すぐそこだから」

 

 この場での待機を頼み、彼女は何かを見つけたのか笑顔を浮かべ〈飛行(フライ)〉で離れていく。

 

 正に巨大な木の魔物が、エンリ率いる小鬼(ゴブリン)大軍団の野営地へ襲い掛かるのとほぼ同時に、魔樹に対してかなり小さいが相手の巨体を後方からガルガンチュアが太い両腕でガッチリと掴み力技で進撃を止める。

 そのまま下から抱え上げ後方へと移動させることで、魔樹の6本の巨大な蔓の先端は野営地内から遠退いていった形である。

 その機に、空中でナザリックへの罪人を捕縛してきたアウラが戻って来ると、支配者より預かってきた巻物風の世界級(ワールド)アイテム『山河社稷図』を開き能力を発動する。

 このアイテムは敵をほぼ脱出不能な空間に閉じ込める事が出来る。その過程で、閉じ込めた空間は巻物の絵画の世界と入れ替わる形で、現実世界から切り離される。

 元の場所には、絵画とはいえ直前と寸分違わぬ同じ世界が登場する事になる。

 今回の隔離範囲は直径約600メートルで実行されている。魔樹には少し手狭なサイズかもしれない。霧もまだ相変わらず残っている状態だ。

 『山河社稷図』は全百種類より異界を選べるのだが、必ず脱出方法が存在し万一それをクリアされると所有権が移るという弱点的ルールがある。

 特定異空間以外では高難度ながら40個の脱出方法から自動で1つが選ばれる。いくつかの特定異空間は各1つで固定されている。

 若干の注意が必要だが、使用者以外は基本的に脱出方法を知らない事から、突破は容易では無く頭も使うゆえに、今回の相手は油断出来ないが本能的な動きから余り心配なさそうである。

 また今回は()()()()()により角へ逃げられないよう円形とし、ノーエフェクトの特定異空間の一つである単純な閉鎖空間となっている。

 『山河社稷図』が使用者のアウラや待機中のコキュートス、そして魔樹を取り込んだ瞬間、ガルガンチュアが豪快なバックドロップ風の投げ技を浴びせていた。

 巨木を倒した状態にすることで、蔓を鞭として使う威力は随分落ちるはずとアルベドからのアドバイスを汲んだ形だ。

 アウラ自身が鞭を使う事もあり、地面へ擦れるなどの抵抗が大きければ、速度や威力は落ちる事を良く理解していた。

 無様に仰向けとなった巨大な樹木の魔物は、直ぐに左右の蔓を利用して起き上がろうと動きを見せる。

 

「……ソロソロ私ノ出番ダナ」

 

 (コキュートス)は、ただ静かにこの(とき)を待っていた。

 武人の蟲王は、日々ナザリックの先陣で切り込む事により、自らの存在価値を示したいとずっと心の中で望んでいた。一応、間もなく始まる『トブの大森林』侵攻において先陣を告げられてはいる。

 だがそれまでは防衛の要という重要な役目により、最前線での活躍は今日(こんにち)まで叶わず。

 無論、それも至高の御方に高く認められている証しであると理解している。

 それでも早く――創造主である至高の41人の武人建御雷様により、武器攻撃特化型で作り上げて頂いたその『武力』でコキュートスという存在を改めて(あるじ)とナザリックへ示したかったのである。

 

 今、それが報われる。

 

 

「参ル」

 

 気合を込めるよう自身に聞かせるが如く小声で呟くコキュートス。

 御方から『脅威となる蔓を切り落とせ』との命を受けていた。これは絶対に完全遂行しなければならない。

 ナザリックの武人は、主命を果たすべく嘗て創造主が装備していた神器級(ゴッズ)アイテム『斬神刀皇』を抜き放っていた。その見事な刀身からは神秘的輝きが零れ、刃の残像を揺らめかせ流していく。

 そして、腕二対の内の一対で握り持つ手へ力を籠めると、この一瞬無心の一撃を放つ。

 

「ォオーーッ、〈不動明王撃(アチャラナータ)〉! 三毒ヲ斬リ払エ、倶利伽羅剣ッ!!」

 

 凄まじい気迫が籠る全身の動きから振り絞られ、全てを乗せた恐るべき破壊力の斬撃。

 ただ一閃したはずのその威力で、3本の蔓が見事に太い根元から切断され魔物からは派手に悲鳴が上がる。

 正に圧倒的な攻撃であった。

 今の一撃を受けて、この地上に無傷でいられるものは――いない。

 

「ヒュー」

 

 上空のアウラが思わず口笛で感嘆する。

 コキュートスは普段、なんやかんやとアウラやマーレに結構甘い。

 双子には彼へ対し、優しさからの僅かになあなあ感が膨らんで来ていた。

 だが今、前にいるカミソリのような振れれば斬られるという武人の闘いが本来の彼の姿なのだ。

 

(うはー流石だなぁ、マーレにも言っとかなくちゃ。あたしらもしっかりしないと)

 

 大人の真剣な姿こそが、ナザリックの情操教育にも繋がって行くようだ。

 コキュートスによる左側からの攻撃に対し、ガルガンチュアは魔樹へ右側の根元寄りの位置にて強烈な重たい蹴りを見舞う。

 驚異的衝撃を受けた魔樹の太い根が潰されるように次々とへし折れていく。

 そして強烈な左フックを根元の幹へと炸裂させた。

 ヤツの幹を覆う皮は分厚く固く、(ドラゴン)の鱗に近いかもしれなかったが、突き抜けるように拳の先を一部めり込ませる。

 一方的な攻撃を受け、ここで魔樹が盛大に呻き声を上げた。

 しかし、コキュートス達の攻撃は、より過酷さを増していく。

 武人の蟲王は魔樹の尖塔部側を回り込み、右側へと移動して来た。だが丁度、魔樹の残った3本の長大な蔓と小枝群がガルガンチュアや上空のアウラへと動き出そうとしていることに気付く。

 彼は咄嗟に、複数を標的にする特殊技術(スキル)を使い再び渾身の一撃を見舞った。

 

「ハァァァーーッ、レイザーエッジ・羅刹!」

 

 攻撃は切れ味鋭い複数の斬撃となり、魔樹の残った3本の蔓を根元でたち切りつつ『なます切り』の状態に20以上の部位へとバラバラにしていった。勿論、味方に蔓と斬撃を共に(かす)らせる事もなく。

 蔓を全て奪われた魔樹は、もはや倒れた只の巨木と変わっていた。

 魔樹の側も、幹をくねらせ根をバタつかせ鳴き声を上げて最後の抵抗を見せる。

 アウラとしては、まだ巨木の根元からの根が多く残っている事が気になった。植物にとって体を支えつつ、養分を集める器官である。

 なので、コキュートスにはそれを除去してもらう指示を出し、ガルガンチュアには打撃により体力をドンドン削ってもらう処理を指示する。

 アウラによる先の魔樹への計測で『体力が測定外』で特化していた為だ。

 早速コキュートスの斬撃による『伐採』と30分程のガルガンチュアの華麗なるシャドーキックボクシング大会により、高さ100メートル超、幅300メートルの異様を誇った魔樹は、90メートル程の完全に痛み切った丸太状のゴミモンスターと変わっていた……。

 

 

 さて、討伐はこれで一応終了した。おまけながらナザリックへの重罪人も拘束出来て。

 だがアインズの計画した目的は、巨大魔樹の殺害ではなかった。

 遠大なる真の目的は別にあった。

 それへと繋げるべく弱り切った魔樹へ対し、1時間にも及ぶ――アウラの鞭を派手に華麗に鳴らせた激しく厳しい調教(テイム)が行われる。

 アウラとしては当初、『猛獣使い(ビーストテイマー)』という職業(クラス)から逸脱する気もしていた。しかし、この魔樹が肉食でもある雑食という広い括りにより結構な効果が発揮されていく。

 最終的に、魔樹はアウラへと従属した。

 ここで彼女はプレートの付いている両手にはめた手袋の右手側を外す。すると褐色肌である彼女の手の指には5つの指輪が嵌っていた。

 

 

 それは――クアイエッセが装備していた10個で1セットの召喚指輪。

 

 

 最上位モンスターをも保持・召喚可能と言う伝説級(レジェンド)アイテムである。

 アウラの操作によりその一つへと契約し、魔樹は指輪へと無事に封印された。

 

「ふう。これでよしっ」

「見事ダ」

 

 ほっとした第六階層守護者を第五階層守護者が労う。

 なお、指輪の1つと契約させる事で、今後は他の者でもアイテム越しで『魔樹』を召喚し使役が可能となる。この召喚指輪はそういうレアアイテムなのだ。

 アインズとしては、戦闘メイド(プレアデス)や同誕の六人衆(セクステット)にエンリや将来的にネム辺りへ装備させても良いかなと思っている。

 アウラは封印の後に最後の作業を行う。一度瀕死の『魔樹』を呼び出すと、持参していた巻物(スクロール)で〈大治療(ヒール)〉を実行し、巨樹を完全状態へ完治させたのち召喚を解除して作戦を終了した。

 

 絶対的支配者は、最終的にこの10個の指輪を世界中の強大なモンスター達で埋めれば面白いなと考えている。

 今後もその候補探しと捕獲や調教作業は続いていく――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. その時、彼女はもちろん見ていた。

 

 

 死の騎士(デス・ナイト)のルイス君から飛び降りたネムが、姉エンリへと駆け寄って行く。

 実に4日ぶりの再会である。

 仲良しの姉妹が、これだけの間離れていたのは初めての事。

 大都市エ・ランテルへ薬を売りに行くのは決まって父であり、エンリとネムはいつもカルネ村で過ごしていたから。

 おまけに、誘拐されての心配事の後での再会だ。

 元気で気丈な風を装っていたが、ネムの方は抱き付く直前でもうウルウルである。

 手を広げる姉に飛びついていった。

 その勢いにエンリの身体がくるりとその場で回る。

 妹はいつもの「お姉ちゃん」の声もなくただ静かに咽ぶ。

 エンリも可愛いネムを強く抱き締める。

 その後の姉からネムへの愛のある小言も含め、心和む姉妹の様子を周りの者達は温かく見守っていた。

 

 そしてその端へ混じり――完全不可知化の中、日々エモット姉妹を見守る最強天使は、死の騎士(デス・ナイト)のルイス君の肩へ腰掛け、ニヤニヤしながら当然のように姉妹の仲良し振りを存分に堪能するのである……。

 

 

 巨大な魔樹が襲い、姉のエンリに危機が迫っていた時。

 〈千里眼(クレアボヤンス)〉で見ていたルベドは――勿論、傍へと駆け付けている。

 ただ、ハムスケやレッドキャップスに死の騎士(デス・ナイト)が居た事で、魔樹への攻撃は控えていた。

 もし傍に誰もいなければ、聖剣の一振りで魔樹をあっさりスライス(成敗)していたことだろう。

 あとの事は何も考えず豪快に……。

 でも今、そんな破格の力を持つ彼女の存在へ誰も気付く者はいない。その軽さ故に、腰掛けられたルイス君でさえも。

 また、天使の放った感激の声「スバラシイ!」を聞いた者もいないという――。

 

 

 守護天使(ルベド)は十二分にニヤニヤし終えると、いつの間にか満足げにこの場より消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

* * *

 

 白鬚白髪の老人は(もや)が晴れるように意識が戻った事を感じ、静かに薄暗がりの中で目を覚ます。

 明かりは、部屋の高めの天井付近へ設置されている照明用の水晶が放つ〈永続光(コンティニュアルライト)〉の儚げな弱い光のみである。

 

(ん? ……私は、確か闇妖精(ダークエルフ)の小僧に捕まったはずだが……ここは)

 

 彼、フールーダ・パラダインは床の丁度真ん中付近へ仰向けで転がされていた。

 即座には起き上がらない。まず慎重に周囲へと視線だけを向けていく。

 そこは見た目に無人で何もない広めの石室であった。右璧面の足元奥に扉が見える。

 ふと右手首を見ると、記憶の最後に付けられていた拘束具が今はなかった。だが、身に付ける衣服がゴワゴワし随分粗末な状態のまるで()()()()()ボロ着に変わっていた。

 それで直感する。

 

(装備品とアイテム類を全て盗られたか。……まあよい)

 

 身一つでも問題ないと第6位階魔法詠唱者は考えた。

 首筋への強打や猛烈なグーパンチをされた腹部がまだ若干痛くもあるが、手足も問題なく動く事を確認し、一通り周囲の変化も無い事を把握すると彼は漸く上半身を起こし胡坐(あぐら)をかく。

 防御魔法を突き破った先の途轍(とてつ)もない攻撃は一体何者だという気もするが、子供ということから今の雑な警備状況も加えて警戒心は下がる。

 

「ふむ、私に対して随分と不用心だったな。ではさらばだ。――〈転移(テレポーテーション)〉」

 

 余裕綽々(しゃくしゃく)に言葉を放った―――が、またしても〈転移〉しなかった。

 

「はぁ? 〈転移(テレポーテーション)〉っ」

 

 二度目の言葉は大きく石室に響いた。しかし、彼の体は移動する気配がなかった。

 流石のフールーダも困惑する。アイテム類は奪われたが、制約はないはずである。

 帝国内への転移先を認識することも問題なく出来るのだ。

 

(……一体、どうなっているのだ!?)

 

 250年も生きているが、こんな衝撃的な事は初めてである。

 

「これは、もしかすると……周囲によって〈転移〉魔法が阻止されているのでは」

 

 彼は恐怖よりも―――大興奮していた。

 

「ふははははーーーー。素晴らしい、信じられんっ。第6位階魔法を阻止しておるぞ。どういった仕掛けと理論なのだ。壁か、床か?!」

 

 老人は嬉々として、床や壁をまるで舐めるようにして丁寧に2時間以上も見て回った。

 普通なら脱出の為、石室の出口の外に関心を示すのが普通のはずである。

 しかし、この老人はそんな事は二の次で、扉も一度開けたが舐めるように調べると再び閉じてしまった……。

 そんな熱心な彼の背へ突然声が掛かる。

 

「――先ほどからお前は床や壁に顔を張り付けて一体何をしているのだ?」

 

 突然の威厳のある重々しい声に、フールーダも驚き気味ではあったが、しかしゆっくりと床へ張り付いたまま体ごと右へ90度向きを変え半身の体勢をとる。

 顔先1メートル程のそこには、変わった仮面を付け両肩部へ白金と紅玉の立派な装備のある漆黒のローブを纏う巨躯の者が堂々と立っていた。

 二者の様子は、他者から見ればまるで老人がもう一人の足元へひれ伏している形であった。

 フールーダは視界へ飛び込んで来た仮面から、ふと眼前の者の身形について帝国情報局からの報告資料で読んだ人物像――『カルネ村を救ったその者は変わった仮面を被り、背丈が190センチ程で黒色のローブを纏う容姿の模様』――を思い出す。

 そしてその名前を口にした。

 

「もしや、貴方はアインズ・ウール・ゴウンといわれる方では?」

「ほお」

 

 アインズは少し驚く。この新世界へ来て名乗る前に初対面の者から『アインズ』と告げられたのは、王城の式典を除くと王国六大貴族のリットン伯や舞踏会でのラナー王女ぐらいである。帝国の者からは初めてだろう。

 それは、僅かだが『アインズ・ウール・ゴウン』という名が広まって来ている事を意味する。

 ただフールーダは、国家の要職を務める優秀な人物であり、カルネ村をピンポイントで襲って来た事から特定の狭い範囲での資料的な情報を持っていたにすぎないとは思う。

 なので、気分が特に良くなる感じには程遠い。

 それにより目の前の老人が行なった行為への怒りは、些かも減る事は無かった。

 とはいえフルネームで呼んでくれた事から、支配者は最低限の礼は返す。

 

「如何にも、私の名はアインズ・ウール・ゴウンだ。アインズで構わない」

 

 フールーダは、その答えを聞き完全に体をアインズへと向けて立ち上がると、その白眉の下に埋もれる瞳を少年のようにキラキラと輝かせて歓喜する。

 

「おぉぉぉぉ、やはり、やはり。私はフールーダ・パラダインと申す者。()()()()()、この部屋は一体どうなっておるのですか? 第六位階魔法〈転移〉を見事に阻止しておりますな。感激しましたぞ、素晴らしい!」

 

 彼は、自分が脱出できない事よりも高位の魔法の存在へと直面した事の方が遥かに嬉しかったのだ。

 しかし、支配者にしてみれば『こいつは何を言っているんだ?』という変人的感覚。

 それでも一応答えてやる。

 

「この場では第六位階魔法の〈転移〉について発動制限を掛けているということだ。自由に転移系の魔法は使用出来ない。更に上の〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉もだ」

「グ、〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉ですかっ、一体それは第何位階の魔法で、どのようなものなのでしょうか? 是非、私めにご教授をっ」

 

 老人とは思えない少年的食い付きぶりに、アインズは思わず僅かに仰け反る。

 ふと、フールーダは気付く。目の前の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の回りに本来見えるべき魔法詠唱者特有のオーラ的な輝きが消えている事に。それを尋ねる。

 

「あの、アインズ様は今、自身の魔法力への探知防御をされておりますか?」

「……ふっ、少し待て」

 

 含み笑うと、絶対的支配者は老人の最後の願いを叶えるかのようにローブの袖の中で左手のガントレットを取る。ナザリック内ではいつも左手の薬指へ『リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』を付けていることから、常時中指へ付けている攻撃強化の指輪の代わりに今は最上位の魔力探知不可の指輪を嵌めておりそれを外してやる――。

 その瞬間、支配者の前へ立つフールーダの白眉で見えなかった瞳が完全に見える程大きく目が見開かれる。

 

「……な…………(なんと、なんという輝きと力の奔流っ!)」

 

 完全に絶句した老人の視界には、眼前の空間全てがただ閃光に包まれて見えていた。

 これまでに見た事のない光景であった。

 もはや目の前に立つ仮面の人物の到達しているその位階が、どれ程上なのか想像もつかないぐらいに。

 

「……ははっ……あはは……ふはははっ…………なんという高みなのですか。最高すぎるっ。これは届くのでは、あの頂点と言われる第10位階魔法にさえも、その先へも――」

 

 彼は魔法の深淵を遂に覗き込める場所を見つけたと確信し、心からの歓喜と感動と驚嘆と運命と希望とに震えていた。

 

「アインズ様、全ての魔法の仕組みの何たるかとその極致を共に極めましょう!」

 

 フールーダの言葉をここまで聞いていたアインズは気付く。

 目の前の老人が、長年本気で上の魔法を探し調べ追い求めているという事が本当なのだと。

 元陽光聖典のニグン達から集めた、フールーダ・パラダインなる人物についての資料が一応存在し、それには『200年にも及びあらゆる魔法の探求者である』と記されていた。

 アウラからも魔力系魔法の〈飛行(フライ)〉や防御を幾つも張っていたり、目の前で重傷の腹部を自ら信仰系魔法の〈治療(ヒーリング)〉を使用して治療したとの報告を受けている。

 今後のナザリックにおいて魔法の研究は必要になる可能性は多分にある。

 されば魔法の原理に詳しい者は有用ともアインズは思う、だが。

 

 ――それが必ずしもこのフールーダ・パラダインであるべきか?

 

 その問いに対して、絶対的支配者は目の前で浮かれまくっている老人へ答えを伝える。

 世界は広く、『絶望』と『拒絶』として。

 

 

「ダメだな。パラダイン、お前に魔法をこれ以上探求するというその機会は無い」

 

 

「え゛っ……?」

 

 既に師と思っている偉大な人物(アインズ)からの冷たく言い放たれた言葉に、哀れな老人は固まる。

 絶対的支配者は淡々と理由を語っていく。

 

「パラダインよ、お前は私の配下であるエンリを(さら)ったな? そして私の行動の邪魔をした。

 故にお前は――不快で不用な存在だ。

 50年、100年後は(代わりがいないかもしれず)分からないが、今の私には必要ない。残りの生涯をこの何も無い場所で静かに朽ちてゆくがいい。これはお前にとり死よりも辛いだろう最大の罰で、同時にその器となったバハルス帝国への私からの報復でもある。

 ――さあ受け取れ」

 

 次の瞬間、指輪を光らせたアインズの姿と設定変更で出口の扉がこの石室から姿を消した。

 

 

「あ゛? うわああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

 

 無力な老人は閉じられた石室の中、絶望から絶叫する。

 ナザリック地下大墳墓第三階層の一角に用意された永久監獄区画内へ、その日いつまでも彼の悲壮な叫び声が微かに響いていた…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 女戦士クレマンティーヌは正直迷い困っていた。

 それは、スレイン法国特殊工作部隊の漆黒聖典隊員としての立場と、一方で純粋に激しく恋する一人の乙女として……。

 

 大都市エ・ランテルの冒険者チーム〝漆黒〟の戦士モモンと魔法詠唱者マーベロとの接触を、スレイン法国の王都リ・エスティーゼ秘密支部の面々に知られてから早2日。

 彼女は苛立ちから引き篭もり、昨日も秘密支部へ顔を出していない。ここ最近の王国軍の出陣関連調査で事務所は忙しいはずであるが、彼女には関心もなかった。

 でも滅入る中で、目撃され難癖を付けられ掛けた日の晩に続き、昨晩も愛しのモモンから大事な木彫りの『小さな彫刻像』経由での慰め混じる連絡を貰い、ホッコリ感と安心感から気持ち的に落ち着いてはいる。

 

(モモンちゃん優しーし。あー、でもやっぱりモモンちゃんに会って、隣で甘えたいよー)

 

 あの鋼の筋肉だろう異様に固い膝枕が恋しい。

 そして、全てを蕩かす様な魅惑のナデである……。

 それでもやはり恋乙女として、彼氏にそっと傍で膝枕の一つもしてあげたいと思う。やがて二人は熱く見つめ合い、良い雰囲気になって……ウフフフ、と。

 だからはっきり言えば、今の漆黒聖典の立場は(おおむ)ねどうでもいいのだ。彼女としては、単に彼がスレイン法国や漆黒聖典の動きを知りたいという為だけに居座っているのである。

 

「んー。今度マジで、もうトンズラしてもいいか聞いてみようかなー」

 

 既に兄も消しており組織や待遇、地位に対して、全く未練はなかった。

 とはいえ、自分の意志では抜けられない組織でもある。手練れの追手が掛かる可能性はかなり高い。非常に執拗で鬱陶しいという過去話も聞いており、それも少し現状へ留まる気持ちに加算されていた。

 

「ハラボテ妊婦になっても特攻的な激務をさせられたりしてー、あははー。……はあ、今日はどうしようかなー」

 

 最高級宿部屋のベランダ傍の窓辺に置かれた、金細工が光る白い椅子へと片肘を突いて座るクレマンティーヌ。

 確か隊員でも結婚は出来たような話を聞いた気がすると彼女は思いつつ、窓の外の風景をぼんやりと見ていた。

 時刻は午前9時過ぎ。

 彼女は色々と憂鬱である。今日は、モモン達が王都冒険者組合へと宿泊場所を移すからだ。

 移ってしまえば、会うのが更に難しくなることは必至。

 昨晩の会話では朝の10時頃から移動すると聞いている。

 経路も教わっており街中での接触はまだ可能。とはいえ、この宿屋もどうやら外から監視されているようなのだ。2日前から彼女の特殊技術(スキル)は、細身の青年支部員と太り気味の支部員が交代で動いている気配を捉えている。

 勿論、副支部長の()()()()()だろう。

 人外の身体能力に加え、気配をほぼ消せるクレマンティーヌの実力なら当然、()く事は楽勝である。

 一昨日の晩にモモンへ、太り気味の支部員は残り気での追跡が出来ることも伝えており、愛しい彼から『部屋の内外に限らず、出来るだけいつも気配を消して機会を窺うしかないかな』との助言を貰っている。なので今は睡眠時以外、ずっと気配を常時消して行動していた。

 しかし、そういう問題ではなくなってきている。疑惑も積み重なれば真実に近付く。

 次にモモン達との接触を見られれば、関係が疑われる可能性は相当上がるだろう。

 スレイン法国側の評価を受ける彼女自身はそれでも一向に構わない。

 

 でも――評議国の密偵の任務中であろうモモンへ迷惑が掛かるのだけは避けたかった。

 

 それとこれはもう個人的な粘着といっても良い状況と言える。貴重な日々を食いつぶしてくれている原因は間違いなくヤツだ。

 

(チッ。あの無精髭ヤロウ、部下に仕事させろっての。………うん、もう決めたー。あいつ絶対にぶっ殺す。目障りなんだがらー、ま、しょうがないじゃん)

 

 殺気を抑えつつも怒りは込め、人外の握力で静かに右手を握り込む。

 同時にその彼女らしい歪み切った笑顔の表情は、どうやって奴を残酷に殺そうかと実にイキイキしてきた。

 標的の今日の様子を探るという娯楽的意味を見い出し、クレマンティーヌは鎧装備に身を包むと2日ぶりに気分良く秘密支部へと向かうべく部屋を後にした――。

 

 

 

 

 王都リ・エスティーゼ中央交差点広場から歩いて7分程の場所に、上級風の内装と接客を提供する5階建てで中々の門構えの宿屋が見える。午前10時を前に、白金(プラチナ)級冒険者のモモンとマーベロ達は、王都で表向き8泊した事になっているその4階にある少し慣れてきていた宿部屋を引き払いあとにする。

 外は雲が多めで時折、夏場の強い日が差す程度のお天気模様。

 モモンらは、本日よりエ・ランテルの冒険者組合長や魔術師組合長……というより、今はオリハルコン級冒険者のプルトン・アインザックとテオ・ラケシルの二人と行動を共にする為、王都冒険者組合へ合流する形で宿泊場所を移す事になっていたのである。

 

「じゃあ、行こうかな、マーベロ」

「は、はい、モモンさん」

 

 二人は徒歩で石畳の通りを移動し始める。

 王都冒険者組合へは先日、竜王国への援軍の件で訪れており、今日は馬車ではないが道を覚えているし地図も渡されていた。

 勿論、馬車に乗っても良かったが、モモンとしては気分的に高い空の下で少しのんびりと街中を歩きたかったのだ。

 いつも通りにモモンは、見上げてくるマーベロの手を引く感じで手を繋ぎ歩いていく。二人の後ろには用心して上位不可視化したパンドラズ・アクターが続いた。

 この日の早朝――バハルス帝国内では巨大な魔樹と亜人軍団と帝国騎士団の間で一触即発の状態となった。

 その為、アインズは先程までナザリックに滞在しており、王城宮殿の宿泊部屋へ少し寄った後に冒険者の宿部屋へと現れて現在に至る。

 ここ数日、評議国へ赴いたり、その途中にエンリが誘拐されたりと慌ただしく、冒険者としては多くの時間をパンドラズ・アクターとマーレに任せたきりであった。

 先程〈記憶共有(シェア・メモリー)〉で、パンドラズ・アクターからここ数日のモモンの映像や知識的記憶を纏めて貰ったところだ。ただ大きい事項は無いと聞いており、実際に受け取った記憶に違和感はない。アインズからは通話によるクレマンティーヌへの対応についての記憶が渡された。まめに交換しておかないと齟齬が大きくなるので注意が必要である。

 王城宮殿におけるアインズの影武者であるナーベラルとは、彼女のプライバシーの面を考慮して〈記憶共有(シェア・メモリー)〉をしていない。なので申し送りだけであり多少不安はあるが、基本彼女は虫扱いの外部の人間とは極力接しないのでさり気なく助かっている。幾つか欠落する人名部分については、前後の様子を伝えるとユリかソリュシャンが答えてくれるので大きな問題にはなっていない……。

 王都リ・エスティーゼ内の街の雰囲気は、王国軍の出陣が部分的に始まっており忙しい戦時色に染まった形で活気があるようにも見える。

 王国第一王子が率いる王家の軍などは、明日の午後出立とのことでそれに合わせる貴族も多く、準備の最終確認やまだ不足分についての調達など慌ただしい人の流れも見られた。

 なので通りは大勢の人達でどこも混雑気味の様子だ。

 そんな一方で、物価の上昇は竜王軍団との戦いが布告される前の3倍近くに到達している。そのため、商店や市場では喧嘩腰のやり取りも見られ、庶民らの糧を得て生きる為に必死の殺伐としたものも感じられた。

 ふと、アインズは王都内のゴウン屋敷の事を思い出す。

 

(結構大きい屋敷を3人の女の子に任せているけど、大丈夫かな)

 

 住み込みメイドとして頑張ってくれている普通の人間のリッセンバッハ三姉妹の事だ。

 王国の首都には今、色々な地域の兵や人が集まり、王国戦士長の話では都市内の至る所で治安の手が回らず、物価も上がった事などの不満も重なり凶悪な強盗もかなり増えていると言う。

 一応、某天使(ルベド)が趣味も兼ねてしっかりと連日見張っているらしいので、ゴウン屋敷内は大丈夫に思われた。

 それとあと――実は『六腕』のゼロへなにげにそれとなく頼んでいる。

 ゼロとしては、メンバーや配下をゴウン氏の屋敷へまで殴り込みで差し向けたという借りもあり、「気を付けさせる」との答えをもらっていた。ただアインズとしては、別にどうしろとまで細かくは告げていないが。

 まあ、ずっと某天使(ルベド)からの不満は来ていないので、特に今は問題ないのだろう。

 歩く中、時折モモンの顔を見上げて来るマーベロが、()()()()()()()()()抽象的な言葉を選び聞いて来る。

 

「あ、あの、モモンさん。今日の朝(お姉ちゃん)は……どうでした?」

 

 尋ねてきたのは、勿論、帝国内の闘いにおける姉アウラの働きぶりである。指揮官として出撃して「褒められた」と嬉しそうにどんぐりのネックレス経由で連絡をもらっていたのだ。

 ただ、重要なのはモモンガ様のお考えとして、姉の働きはどうなのかが心配での質問である。

 アインズも、マーレの気にしている部分を理解している。

 

「ああ、うん。(アウラは)とても良い働きだったと思うよ。満足してる」

「そ、そうですか。良かったですっ」

 

 マーベロはホッとし、同時にパッと花咲く風で自分の事みたく、とても嬉しそうにおかっぱで金色の前髪を揺らし可愛く微笑む。

 姉に失態あれば、絶対に自分が取り戻すというぐらいの姉妹仲の良さを、アインズは改めて微笑ましく感じた。

 そんな温かくほのぼのとした空気の中、近くでその会話を聞く者がいた。

 ――クレマンティーヌである。

 彼女は、一度秘密支部へ顔を出したのだが、標的である肝心の副支部長は午前中、王都南側へ急用と言う話らしく不在であった。支部員曰く、昨夜突然女連れで話を聞かされたとかで、女騎士は呆れて事務所から出て来たのだ。恐らく奴はまだその女のところだろうと……。

 クレマンティーヌは、当然気配を消して太り気味の支部員の追跡も振り切っていた。そして、ひと目街角から移動中のモモンの歩く姿をみようかなと、教えてもらっている王都冒険者組合への経路でこっそり待ち構えていたのである。

 そして、不意を打たれないマーベロにより、女騎士は得意の特殊能力(スキル)でシッカリと聞いてしまった……。

 

(朝に……良い働き……で、満足って……)

 

 ちょっとショックであった。

 羨ましい行為を想像し少し頬を染めるクレマンティーヌは、十分分かってはいる。明らかに女として格上なのは自分なのだと。そしてマーベロはモモンの単なる下僕的存在なのだと。

 たまには『マーベロ』を、という日もあると。

 でも、でもである。

 よく考えると確か、昨晩の木彫りの『小さな彫刻像』での通話にて、「今、下着姿」や「下着の色分かる?」に「胸の形見てみたい?」など話の合間へ相当挑発した内容を語ったのを思い出す。

 

(ああっ、モモンちゃん逞しい。やっぱり、私とのエッチを我慢出来なかったに決まってる……)

 

 自分への激しく熱い欲望の猛りが、朝のマーベロの身体に向けられたはずなのだと。

 クレマンティーヌは俯き姿で街角の影へポツンと、通りへ背を向ける形で立ち尽くし、石畳の道をモモン達が過ぎていく中も顔をあげることはなかった。

 彼女が考えているのは、なぜ――昨晩のモモンのベッドの中に自分がいなかったのかと言う事。

 

(……おんどりゃあ、あの無精髭め……これも全てアイツの所為だっ)

 

 もう誰も、彼女の恋に狂った乙女心からの殺意を止められそうになかった。

 

 

 王都冒険者組合へとマーベロと共に通りを歩き近付いていたモモンは、ここで〈伝言(メッセージ)〉の着信の電子音を聞く。続いて、思いがけない者からの声が思考へと流れた。

 

「カジットだが聞こえておるかな、モモン殿。火急でお知らせしたい事が」

 

 それは秘密結社ズーラーノーンの十二高弟の一人であるカジット・デイル・バダンテール。

 先日、『死の宝珠』へと大量の負の魔力を提供された事を受け、現在、ズーラーノーン内でもモモンの所属する組織との協力関係へ比較的前向きに動こうとしている。

 同時に十二高弟の彼だが――モモンから秘術を教えてもらい、現在実行中であり個人的な協力関係も築いていた。

 ヤツは結構律儀且つ真面目な努力家である。

 ただ所属が異質であるので一応、心構えをしつつ平静を装ってモモンは対応する。

 

「はい、大丈夫です。何ですか?」

「実は――我々ズーラーノーンの盟主様が、今回の王国での竜種達との戦いで、死者を巻き込んで盛大に特別な〝儀式〟を実行されると――」

「えっ……?」

 

 恐らく王国貴族にも、ズーラーノーンの息の掛かった者がいるのだろう。

 なるほど竜達の死体も使えば、彼等にとり途方もない負の魔力が得られるのは確かだ。

 また大規模な兵力の集まる場の情報を得て、それを使いとんでもない連鎖的仕掛けを用意しているのかもしれない。

 

「モモン殿も冒険者として戦場へ出られると思い、先にお知らせしておく。注意されよ」

 

 カジットはまだモモンから提供を受けた秘術を実行していないが、恩を感じての行動に思えた。

 

「はぁ、どうも」

 

 モモンは寝耳に水であり、思わずどうしたものかと面頬付き兜(クローズド・ヘルム)の首を傾けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. フューリス男爵の苦悶

 

 

「右手が痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――」

 

 彼の右腕は既に無いが、幻想的な痛みを訴える。

 40代にもかかわらずまるで子供の様にみっともなく、貴族の当主という自己の存在だけを主張するべく口走っていた。

 寝室のベッドで横になっていたこの人物の名はフューリス男爵。

 彼は今、王都内にある男爵家が所有する小ぢんまりした屋敷に居た。

 本来、リ・エスティーゼ王国の男爵である彼は此度の竜王軍団迎撃の為、騎士3名を含む32名の兵を率いて今日にも出陣しているはずであった。

 しかし先日、王都集結に向かう途中、突然冒険者風の狼藉者に襲われ、騎士3名と兵10名が死亡しそれどころではなくなったのである。

 戦の準備を行い、荷馬車や兵を率いていた事で、戦傷者扱いとなっており闘病中の身だ。

 右腕は完全に紛失したため、傷を塞ぐところまでで治療は終わった。

 損傷など状態が悪くても右腕さえ残っていれば、王都内にある神殿の大神官が使う第4位階魔法の〈治療(ヒーリング)〉やバレアレ家の下級治療薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)数本でも完治出来たろうが。

 欠損時の即時回復の場合、〈大治療(ヒール)〉でなければ無理であり、王国内に実行出来る程の者がいなかった……。

 襲撃を受けてから5日が経つも、男爵は自身がなぜヤツに襲われたのかが分からずにいた。

 

 だが――他の者に襲われる要素は山程思いつく。

 

 彼は領主になる前の跡継ぎの青年時代から、罪もない領民へ対し殺人も含めて数限りない悪事を行なってきていた。命じるなど直接でないものや人知れず闇で処分した数も含めれば、死んだ人間の数は100名を下らないだろう。

 それでも、領主の家族、そして領主という立場から罪を問われる事は一度たりとなかった。

 だから『領内では思うがまま何をしてもいい』――それが当たり前の考えなのである。

 王国貴族のここ200年の立場(ステータス)といえる。

 彼としては、これでも随分欲望を抑えたつもりでいるぐらいなのだ。

 第一、傘下に一応高利貸しも行う『フューリス商会』を持つが、フューリス家は特段金回りが良い訳では無かった。

 恐ろしくも、数年に1軒の割合で趣味と実益を兼ねて目を付けた娘も居る領地内の商人を騙し、財産を巻き上げて高価な買い物をした赤字分を埋め凌いできたぐらいである。本来、もっとお金を使い贅沢し、多くのいい女を侍らせ楽しんで過ごしたかったのだ。

 またここ15年程は悪名が酷くなり、商人を始めとして領内の人口が緩やかに減り続けていた。他の多くの貴族達も自領内で、少なからず驕傲(きょうごう)で欲深く振る舞っており、他所へ移ってもよそ者は冷たくされる場合も多いので、移住するという選択は余程のことである。

 それでも出ていく者が後を絶たないぐらい、フューリス男爵領は不人気であったのだ。

 人口や商人の減少は当然、男爵家への税収へ跳ね返って来ている。なので数年に1軒で財産を巻き上げられる商人達の年数の間隔が、徐々に短くなってきていた……。

 もちろん、男爵曰く「商人はまだまだ居る」と殆ど気にしていない傲慢ぶりだ。

 そんな彼を襲った今回の不幸。でも。

 

「ええい……どうして、私だけが酷い目に―――オカシイではないかっ!」

 

 男爵は「痛い」という連呼を突然やめると、己の右腕が無い事も含め不公平さを呪う。

 王国の貴族達とは過去など直ぐ棚に上げてしまう、こういった業の深い生き物なのである。

 主人の荒ぶる声に室内で控える小間使いはビクリと怯える。

 本当にろくでもない主人であるが、彼女も長年逃げることは出来ない。なぜなら、父や祖父の代々がフューリス男爵家の執事の一人であるからだ。

 幸い、男爵も身内に近い執事の家族までは手に掛けなかった。

 この狂った男の対象は、あくまでも下々と見ている領民達である。

 不意に寝室の扉が静かに開くと、執事風の口許に整えられた髭を生やした男が入って来た。

 

「旦那様、気分転換にお飲み物でもいかがでしょうか?」

「んぁー……なら、いつものものを貰おうか」

 

 男爵はベッドの中で、執事風の男の顔を見ることなく告げた。

 

「はい。では、早速ご用意を」

 

 執事の男は、部屋の外にまで漏れて来た主人の声を聴いて動いていた。己の娘である小間使いへ視線を向け、顎を使って「早く行って用意してきなさい」と指示する。

 小間使いの娘は父の指示に頷くと部屋を静かに出ていった。

 外はもう昼前の時間だが、寝室の中は分厚いカーテンにより光は遮断され暗い状態であった。

 ただし、燭台の蝋燭型水晶が発する〈永続光(コンティニュアルライト)〉の明かりで、真っ暗ではない。

 男爵は負傷後にまず神殿で神官の治療を受けており、既に痛みはほぼなくなっていて動く事に支障はない水準まで回復している。

 なので、執事の男は進言してみた。

 

「気晴らしに、午後からは馬車で王都内でも回られてみては?」

 

 その問いかけに、フューリスは上半身を起こす。

 そして、何かを思いついた様にニヤリとイヤラシイ表情で微笑んだ。

 

「――王都の下民達を漁るのも悪くないかぁ」

 

 一度殺され掛けた事で下民共にはもっと酷い苦しみと恐怖を味わわせたいと、懲りない男爵は理解に苦しむ低俗で欲望的考えを平然と言い出していた……。

 (あるじ)に恵まれない者達は優秀な人材でも不幸である。

 主人の気晴らしのつもりで良かれと勧めたのだが、その思いは狂人を別の方向へと向かわせた。

 

 

 

 

 午後に入り、貴族らしく服装を整えステッキを持ったフューリスは、玄関先で待つ二頭立ての馬車へと乗り込む。内装への血の痕は拭き取られたり、塗り替えられたり、張り替えられたりして既にその名残は見付けられない。

 護衛として騎乗した雇い騎士が1名付いている。

 領地から連れて来た配下の騎士が全員討たれいない為に、急ぎ王都で雇ったのだ。難度は21程と聞く結構腕の立つ者を雇えて一安心の男爵。

 フューリスが御者へ指示を出すと、護衛を後方へ従え馬車は執事や小間使い達に見送られ屋敷を出て行く。

 間もなく石畳の通りに入ったが、昼中という時間でもあり道は雑然と混んでいた。

 しかし、貴族様の小ぶりな紋章旗の掲げられた馬車の前は自然と道が空いて行く。平民達は皆、関わり合う事を恐れていたから。

 もし、機嫌を損ね問題になるような状況になれば、その場での無礼討ちもあり得る相手である。

 王都であろうと、貴族達が特権階級なのは何も変わらない。

 商人達も中規模の商人でなければ、商会の動きも微妙である。貴族が相手であれば、商会の受ける影響や損失も馬鹿にならず、小規模な商人らは切り捨てられる事も昔から多く見かけられる。

 フューリス男爵の機嫌は、その道に湧く下々らの紋章旗に慌てる様子を見て特権感覚を得ることで、徐々に上向いていった。

 加えて庶民らの行き交う光景の、ボロを纏う者達の姿で優越感も得ていた。

 

(ふん。私は崇高なる貴族。お前達のような塵やゴミと変わらない存在とは違うのだっ)

 

 殆ど努力をすることもなく、与えられた富と地位、そして多くの欲望の中でずっと生きて来た彼の心の中には、人としてあるべき感性を余り見い出せない。

 人間は豊かな心を持つ。そして助け合い協力し苦労して目的を達成した時こそ、真の喜びが得られるものだと言う事すら、可哀想な男爵は知る機会を得ずここまで生きてきていた。

 彼の欲望の極限は『人の苦痛』である。

 今、馬車の中の彼は窓越しに街中を歩く無数の下々の者の中から最大の獲物である、『幸せそうな表情をした好みの顔の娘』を漁っていた……。

 ふと一人のギリギリ基準に合う目鼻立ちの整った女の顔が目に入る。だが、その者の幾分まともな衣服にあった紋章が見えた。

 

「くっ、王都近郊のデストラード男爵家のゆかりの者か……。仕方ない次だ」

 

 貴族の使用人やその家族などは、紋章が入った服を着る者も多い。彼等は特権階級ではないが、貴族達は家へと連なる者が手酷い事案に(さら)された場合、家名を侮られたと取る事も多かったのである。

 なので無用の問題事を結構避ける事が出来た。

 だが、それを利用し全く関係のない者が騙って紋章を付けたりすることは殆どない。なぜなら見つかった場合に公開処刑を含みトンデモナイ事になるのは常識であり、多数の前例と長い歴史が示していた。

 また、上流階層の互いの常識として他家の者への手出しは、断りを入れるのが決まりでもある。

 破れば両家での抗争や最悪の進展では貴族裁判にも持ち込まれ、かなり面倒で厄介なのだ。

 フューリス男爵自身、貴族としてのプライドはそれなりに髙い事から、他家の者へ『難癖』を付けることは諦め、次の標的を探し始める。

 気晴らしに路上の男達を詰問し二、三人いたぶってもいいのだが、彼は結構な拘り派でもあり標的は厳選する方であった。

 気が付けば小一時間程、馬車で王都内を走らせていたが、収穫は今一つ。それなりの顔の女は数名いたのだが、髪の色や、身長、体形、年齢などで満足出来ず、今日はもう適当でいいかと思い始めた頃である。

 石畳の道前方の歩道を歩く下々の中へ、程よい身長と肩程で揃えた美しい黒赤毛髪に、籠を持つ身形の整った黒紅色の小間使い的姿の者を認める。

 馬車の追い抜き様に、横顔とそして正面からの心配事のなさそうに穏やかで且つ、鼻筋の通った綺麗な顔を見た瞬間、男爵はいやらしく笑う。

 

「おおっ、ふふふ。(ようや)く、たっぷりと楽しめそうな娘を見つけたわ」

 

 黒赤毛髪の娘も横を過ぎたのが、旗から貴族の馬車だと一瞬で気付くと彼女の表情は固まった。

 次にそのイヤな馬車が、なぜか急に止まってしまう。そして、側面の扉が「急げ」と主人に急かされた御者により開けられる。

 中からは一目で貴族と分かる中肉中背の姿をした人物が降りて来た。

 よく見れば、立派な貴族衣装の右袖が中身なくプラプラしている。彼には右腕が無い様子。

 でも今はそんな事などどうでもいいと、馬車周囲の者達は一斉に恐れる形で離れていく。

 当然黒紅色のメイド服の娘も。

 ところが、道に降りた貴族から即、鋭い声が掛かってしまう。

 

「おい。そこの黒赤毛髪で使用人風の娘、止まれ」

「――っ!?」

 

 周囲に黒赤毛髪は彼女しか居なかった。貴族からの声を受け、少女は立ち止まらざるを得ない。

 ――リッセンバッハ三姉妹の長女メイベラは、血の気の失せた顔で声の方へと振り向いた。

 

 

 

 

 昨日も王都内南東部の閑静な街中に建つ、約50メートル四方の敷地を持ち中々に立派なゴウン屋敷では、戦時下の中も平和な夏の朝を迎えていた。

 ここには、もう近場の市場でも元気で美人と噂になり始めたリッセンバッハ三姉妹が、先日から住み込みの小間使いとして働いている。

 彼女達は元々反国王派六大貴族のリットン伯爵系の手配で両親の借金の(かた)として隷属的に“生涯傍へお仕えするよう”と連れて来られていた。ただ彼女達自身は、六大貴族経由で今の状況があることは知らない。あくまでも、以前住んでいた街の領主傘下である『フューリス商会』からの配置であると思っている。

 そんな三姉妹達であるが、屋敷のご主人様であるゴウン氏により、使用人としては異例の厚遇を受ける状況であった。

 なぜなら屋敷管理を仲良し姉妹だけで任された上に、破格の大金である60枚近くの金貨を預けられており、更に両親への救援対処までも口にしてくれていたのだ。

 長年仕えている使用人への温情というのなら理解も出来る。だが、彼女達はまだ殆ど見ず知らずの下賤な隷属的下女で他人なのである。

 このような大恩を受けた形の彼女達は、だからこそせめてもと任された屋敷の管理に今朝も全力で励むのである。

 午前5時、寝起きの良い長女のメイベラが今日も一番に目を覚ます。

 ご主人様が屋敷を出て王城の宮殿へ行かれて7日目の朝。

 目覚めてすぐ、ふと敬愛する方の事を考えるメイベラであった。

 

(ご主人様、今日はお屋敷へお帰りになるかしら……)

 

 彼女は、国王ランポッサIII世陛下から招かれる程の王国への英雄的貢献者に加え、立派な仁徳のご主人様のあの威厳ある声が聞きたかった。あのお声で名を呼んで頂けないかと……。

 

 さて、次女のマーリンと三女キャロルと共にメイベラ達三姉妹は、屋敷へ来て以来、一階の使用人部屋にある三段ベッドで連日仲良く休んでいる。特に元気で寝相の少し悪い三女キャロルが一番下で、最も寝相の良いマーリンが一番上で寝ている構図だ。

 三段ベッドの中段から身を起したメイベラは、まず上段で寝ているマーリンを起こす。

 次女は朝の寝起きが少し悪いのだ。

 

「はいはい、マーリン、朝よ。早く起きなさい」

 

 夏場でもあり、次女は下着姿にお腹への薄い掛け布をして寝ていた。

 姉の声にも瞼を開くことなく、桃尻を隠すことなく可愛くもぞもぞと背を向ける。

 

「んー。メイベラ姉さん……もうちょっと」

 

 そんな寝起きの悪い妹には、最近特効薬があるのだ。長女は、ほくそ笑みながら告げる。

 

「そんなお尻丸出しのだらしない姿を、ご主人様がご覧になったらガッカリされるから」

「え……ぇっ、ご主人様……!?」

 

 『ご主人様』というキーワードにマーリンの瞼は開かれた。頬を薄く赤くして彼女は思わず起き上がる。

 

「はい、早く着替えて顔を洗ってね」

「……はぁぁい、姉さん」

 

 メイベラは、下着の上に薄いワンピース風の寝間着の姿で梯子を下りる。

 一番下で寝ているやはり下着姿のキャロルは、姉マーリンを起こす声を聞いて、同じキーワードに反応して飛び起きたところだ。目を擦りながら、慌てたように語る。

 

「あぁぁ、着替えてないよ……まだ」

「はいはい。大丈夫、まだご主人様はいらっしゃってないから、でももう朝だから早く着替えなさい、仕事よ」

「は~い」

 

 5時20分頃には三姉妹各自とも寝床を整え直して、顔を洗い身支度を整えシャキッとした立派なゴウン屋敷の黒紅色のメイド服姿になっていた。次女のマーリンは、いつもの腰程まで一本の三つ編み髪で黒縁の丸眼鏡姿となり、キャロルは長い髪を丁寧に編んだツインテールを揺らす。仲良くマーリンがキャロルの髪を、キャロルがマーリンの髪を毎日編み上げている。

 メイベラも長めの髪を綺麗に梳いて艶やかにしていた。

 三名とも、いつご主人様が屋敷へ戻られても恥ずかしくないようにと念入りにだ。

 そこから屋敷での毎日のお仕事が始まる。

 今日の担当は、1階がメイベラ、2階と3階がキャロル、門回りと厩舎と倉庫がマーリン。あと洗濯と水回りをキャロルが、残り2名は庭掃除にあたり日々ローテーションする形。

 ゴウン屋敷メイド長代行のメイベラは、全員が一通り出来る態勢を作っていた。

 朝食は7時半である。

 料理についても、パンが作れるメイベラとマーリンはユリの残してくれたレシピを参考に腕を磨きつつある。食事には気を付けよとも、ご主人様から言われており精を出していた。キャロルは倉庫からの材料調達を始め、皿洗いや配膳面など補佐的な作業についての効率と手際を探求する。

 そこから午前中は各自の担当分の掃除を行う。

 正午より昼食休憩を挟み昼からは買い出しや、水回りに庭掃除といった形で、午後3時のお茶の時間を挟み夕方前には日々の作業を終わる。

 そこから夕食の準備となり日が沈む頃には片付けを終え、夜は概ね自由時間となる。

 ご主人様の出してくれた水晶で〈永続光(コンティニュアルライト)〉を放つランプ型の明かりが何台かあり、蠟燭の使用は随分抑えられていた。

 自由時間だが、まず姉妹の団欒。一階には使用人用ながら暖炉付きの部屋があり、冬場を見越してそこを3人で使っている。2階、3階の立派な部屋は、ご主人様方のお部屋であり分を弁えていた。

 その後に個人の時間となる。毎日ではないがこの時間に入浴もあり。

 メイベラは繕いや本を読む一方で、真面目に屋敷や明日すべき予定などを考え、マーリンは新しい料理やお菓子を思考しキャロルは主に読書である。

 そうして夜が更ける頃。

 

「はいはい、みんなもう寝る時間よ」

「あ、はい、メイベラ姉さん」

「はーい、メイベラお姉ちゃん」

 

 長女の呼びかけで、別室の三段ベッドへと向かい姉妹達の「おやすみ」と長閑(のどか)な声が流れる。

 遅くとも午後10時には仲良く就寝した。

 

 新たな陽が昇り、本日も長女メイベラは5時に起き、午前中の仕事を熟したあと予定として昼から入荷すると聞いた魚を手に入れる為、銅貨10枚と銀貨1枚を手に午後から市場へと向かうべくゴウン屋敷を後にしていた。

 買物については、長女メイベラがメインで、日によってマーリンを連れて行ったり、キャロルであったりと徐々に外の雰囲気に妹達を慣らしている感じだ。

 今日は一人であった事だけが幸いと――街中で貴族に呼び止められたメイベラは思った。

 

 

 

 

 

「はい、貴族様。あの何でしょうか……?」

 

 メイベラは、機嫌を損ねないようにと平静を装いつつ尋ねる。

 一方、フューリス男爵は振り向いた娘の顔を改めてみると、どこかで見たような気がした。

 それは男爵が領地内の街で、潰す商人を選ぶ際にリッセンバッハ三姉妹をその目でこっそりと確認しているので当然だ。

 しかしフューリスは――今の目の前に立つ娘の方が綺麗で魅力的に感じていた。

 それは彼女が、今住むお屋敷のご主人様へと淡い恋をしているからかもしれないけれど。

 ただその娘を結局、男爵は以前に反国王派の六大貴族と縁が出来る方を選択し手放したのだが。

 服装まで違う事もあり、目の前の使用人風の娘が商人のリッセンバッハ家の者とは気付かずに告げる。

 

「おい、平民の娘。先程、馬車の中の私の顔を見て、無礼に睨んだな?」

 

 無論、そういった事実はなく凄まじい難癖で言いがかりである。

 特権階級の貴族様からの、逃れようがない非常に危険な雰囲気が辺りへ立ち込め、周りには人が一気に居なくなっていく。

 

(あぁぁ、……これから私はどうなるの)

 

 メイベラは窮していた。しかし、自分の行動と反した事を認める訳にはいかなかった。

 

「……いえ、私は馬車の窓へ目を向けていません」

「ええい。平民の分際で、男爵の私の言葉を否定するのか。――お前には家族もいるのだろう?」

 

 男爵お得意の身内を巻き込んだ脅迫である。汚過ぎる手だが、これが実に良く効くのである。

 

「うっ……(そんな、マーリンやキャロル……ああ、ご主人様……)」

 

 返事に困った表情と姿をみて、男爵の次の答えは決まっていた。

 

「認めるならば、さぁ黙って私と馬車へ乗るのだ。そうすれば、お前の家族は見逃してやろう。ふふふ、お前には我が屋敷で――私が直々にたっぷりと快楽と苦しみの罰をくれてやろう。くけけけけ」

 

 思考が完全に狂い始めた男爵からは、最後に下卑た笑いが漏れていた。

 彼の余りの(おぞ)ましさに加え、メイベラは気付いてしまった。馬車に掲げられた貴族旗の紋章に見覚えがある事に。

 流石に子供の時から見慣れているものは忘れない。それは紛れもなく『フューリス男爵家』の紋章であった……。

 夏にも拘わらずメイベラは腕に鳥肌が立っていく。

 

(あぁぁぁ……もしかすると、この最低の男に激しく無残に犯され殺されていくのが私の運命なの? 私は呪われているのかしら――)

 

 最高に憎い仇の貴族に、二度までも捕まってしまいリッセンバッハ家の長女は、そんな自分に絶望すら感じていた。

 

 

 

 

 ゴウン屋敷から籠を持った可憐な使用人の娘が一人出てくると、どうやら市場の方へと向かう姿を少し離れた場所から見守る者達が居た。

 

「おい、出て来たぞ」

「やっぱり、何度見ても随分と美人の娘さんですねぇ」

「バカ。手を出せば、その首ボスに折られるぞ」

「分かってますって」

「いくぞ」

「へーい」

 

 そんな会話を交わすと、2人の男が娘の後ろを付け始めた。

 彼等は地下犯罪組織『八本指』の警備部門の警備班のメンバー。難度で言えば36程度という腕利き組の者らである。

 警備部門長から直々にメンバー6名が「ゴウンさんの屋敷の者達が、下らない問題に遭わないようにそっと見ておけ」と通達されていた。ゴウンという謎の人物が『八本指』にどう関係があるのか詳しく聞かされていないが、これはボスからの命令である。

 間もなく、混雑する石畳の通りへと出る。

 厳しさの増すご時世の中、ゴウン屋敷の者達は3名いずれも立派なお揃いの小間使いの制服を着ており、庶民の汚れてよれた服装の中で良く目立ち追跡はいつも楽チンであった。

 娘は笑顔も良く、しっかりして気立てのいい事が良く分かり、知り合いなのか買物中も良く声も掛けられていた。

 娘を付けている若い方の警備員が呟く。

 

「ああいう子を嫁に欲しいですねー」

「ウチはもう間に合ってるがな」

「あー、そういえば先輩とこのお子さん元気ですか? 男の子でしたよね」

「ふふ、凄くワンパクで困ってるよ」

 

 そう語る彼の顔は、闘う時に見せる殺気に満ちたモノとは全く違う優しい父親の表情であった。

 地下犯罪組織でも、ごく普通の民衆と変わらないものも持っている。

 和む話の際中であったが、一台の馬車が止まった所から、事態は突如急変した。

 

「先輩っ!?」

「ああ」

 

 会話するもほぼずっと娘を見ていた2人であるが、馬車を降りてきた貴族は娘に対して『事実に無い』言い掛かりを仕掛けている事はすぐに分かった。

 なぜなら……『八本指』の奴隷売買部門でも売春婦を探す時に使う手でもあるからだ……。

 2人は逃げ出した周りの民衆に紛れ脇道へと下がる。

 この場合、相手がチンピラなら、単に二人で叩きのめせばいい。だがこれが正式な貴族となれば本来、警備班メンバーでは手が出せない相手であった。

 

「ど、どうします?」

「チッ。おい、急いでここから一番近くに居るはずのあの方を呼べ」

「えっ? ……わ、分かりました」

 

 若い警備員は大急ぎの全力で脇道の奥へと駆けだしていく。

 相手の貴族旗の紋章をみると王都西方の悪名を聞く『フューリス男爵家』のようであったが、2人は警備部門長から「何かあれば俺の名前を出せ」とまで直接指示されていた。これは『六腕』の名を出してでも対処しろと言う事であり、前代未聞の規模の問題になる可能性も孕む。

 だが、地下犯罪組織『八本指』の者達の気性は荒い。

 はいそうですかという流れに逆らいたい者も多いのだ。

 

「……面白くなってきたな」

 

 警備員の男は少しワクワクして来た。

 ただ、目の前の展開は貴族の思惑通りに進もうとしていた。

 可憐な黒赤毛髪の娘は、自分の過酷な今晩からの激しい運命を思いモタモタしていた、が。

 

「仮に母や姉妹がいれば、お前よりも長く酷い快楽と地獄を味わうのだろうなぁ。可哀想に」

 

 その言葉で小間使いは遂に観念したように「分かりました」と告げ、貴族の後に続き馬車へと乗り込んでいく。

 どう考えても、娘の身が碌な目には合わないだろう展開――。

 

「おいおい、あの方はまだか。間に合わないぞ」

 

 そして御者により、無情にも馬車の扉が閉じられた。

 御者が御者席へと座ると手綱を操り、馬車は動き出していった。

 

「や、ヤバい。このままじゃ俺は、ボスに殺されるかもしれん。くそっ」

 

 警備員は『もう自分が止めるしかない』と石畳の通りへ駆け出していた。

 ところが通りへ出て数歩駆けたところで、先を走る馬車が馬のいななきと共に急停車したのだ。

 

 警備員の彼が目を凝らすと、馬車の前方には――貴族姿の男が立っていた。

 

 貴族の馬車が止まったのはその為である。

 平民なら轢き殺しても最悪の罪状ですら銀貨数枚という安い罰金程度にしかならないが、貴族の場合は膨大な見舞金となるのだ。

 だから流石にフューリス男爵も御者からの報告に停車していた。

 フューリス男爵が馬車の窓から問う。

 

「急ぎなので、馬車内の高い所から失礼する。私はフューリス男爵。お初にお目に掛かるが、どちらの家の方かな?」

 

 すると見慣れない貴族風の男が自信を持って答えた。

 

「俺……私は――『八本指』警備部門『六腕』のサキュロントと申します。男爵様、今馬車内にお連れの娘につき、話は私が聞かせてもらいましょうか」

「な……に?」

 

 男爵はこれでも阿漕な『フューリス商会』を持っており、凶悪で資金力と戦力を持つと聞く地下犯罪組織『八本指』の噂を確かに耳にしてはいた。

 だが、たかが下賤の地下犯罪組織。それらがいかほどのモノかを実際に見たことは無かった。

 これからお楽しみの玩具を得て、(たが)が少し外れていたのか、男爵は思わず言い放つ。

 

「私は、王国の男爵なるぞ。『八本指』か何か知らないが、貴様無礼であろう。我が騎士よ、無礼者を追っ払えっ」

 

 馬車の後方へ顔を向けてそう告げた。

 それを聞いた長い槍を天に向けている男爵の雇い騎士は、銀の面頬付き兜(クローズド・ヘルム)の目のスリット部分を上げて、顔を見せる。

 

 そして――『イヤだ』と首を横に振った……。

 

 王都内に長年住む雇われの騎士は『八本指』などと関わり合いになりたくなかったのだ。

 彼は騎士として、連中の恐ろしさを知り合いからも随分と聞いている。王国内の悪事の『全て』をし尽している連中であると。

 それと戦う奴は正に大バカ者である。

 雇い騎士の態度に威勢の良かった男爵は固まった。だが、引っ込みがつかず叫ぶ。

 

「報酬に金貨10枚出そう、どうだ?」

「男爵様、これは金貨とかの問題ではありませんぞ。金貨10枚で命は到底買えませんからな。『八本指』と戦うという事は、六大貴族と戦うものだとぐらいにお考えください。それと、もう少し世間の風を知られた方がよろしいですぞ」

 

 騎士はもう首だと分かっている事もあり、今の娘の件も含めて言いたい放題で伝えていた。

 

「なっ……」

 

 六大貴族などと冗談じゃない……それがフューリス男爵の感想である。

 六大貴族達は資金並びに格式は勿論、私兵も一家の単独だけで万を超える。数百名の騎士団も有し、男爵とは全ての水準が天と地ほどの差があるのだ。

 それと『八本指』が比類するという。

 男爵は恐る恐るゆっくりと前方を向く。

 そこには、貴族風の男ではなく、フードを被った戦士風の男が立っていた。

 魔力系魔法詠唱者 幻術師(イリュージョナリスト)軽戦士(フェンサー)であるサキュロントは幻術を解いたのだ。

 彼は落ち着いた風で静かに告げる。

 

「男爵様、先程の言葉は忘れましょう。但し――馬車の中の娘は下ろしていってもらえますかね? 悪い事はいいませんから」

 

 男爵は無言のまま、馬車の中で貴族のプライドを折られた心から左手を震わせていた……。

 

 

(なぜだ、何故だ何故だ何故だ何故だ何故だーーー、私だけが何故こんな惨めな目にぃぃぃ)

 

 

 間もなくフューリス男爵の馬車は、騎士の馬を取り上げて先頭へ連結して連れ、雇い騎士を残して去って行った。

 そして、可憐な使用人の娘は狂った貴族から無事に開放されていた。

 それもこのまま帰ってもいいという。雇い騎士も見逃してもらい、手を振り笑顔で足早に場を離れていく。

 普通に考えて、貴族を追っ払った男は犯罪組織の人間であり、てっきり貴族から地下犯罪組織へ娘が一人横流しされると思っていた。

 

 彼女――メイベラは礼を伝えると最大の疑問を問う。

 

 

「本当に、ありがとうございました。 あの……その――どうして私を?」

 

 地下犯罪組織『八本指』の名は、商人の娘であるメイベラも両親から、若い娘の〝人攫い〟の噂で聞いたことぐらいはある……。

 人道的な話は聞いたことが無かったからの疑問。

 すると、サキュロントが静かに答えた。

 

 

「それは――屋敷のご主人へ尋ねるのがいいでしょう。じゃあ、俺はこの辺で」

 

 

「……えっ?(ま、まさか、ご主人様が……)」

 

 意外な相手から聞くご主人様の助けに、一瞬複雑に感じるも『正義』は我がご主人様にありと考えて納得する。王国内の貴族達は腐り、地下犯罪組織も大手を振って跋扈している時代なのだ。

 

(私達は敬愛する偉大なご主人様に付いてゆき、ただ信じればいいのよ。私達の正義はきっと――そこにあるから)

 

 彼女は直ぐにそう強く思う事にした。

 サキュロントは、ボスとあの強大な魔法詠唱者(マジック・キャスター)の事を恐れ、それ以上何も語る事も色目を使う事もなく、そのまま脇道へと姿を消して行った。

 警備班メンバーの2人は通りの影から問題解決にホッとし、可憐な使用人の娘の護衛へと戻る。

 

 ゴウン屋敷ではその夕方、無事予定通りに市場で買った魚料理がリッセンバッハ三姉妹の長女メイベラの手により妹達へ振る舞われたという。

 

 

 




捏造)霜の竜(フロスト・ドラゴン)霜の巨人(フロスト・ジャイアント)達が雨が降ると周辺の溜まった水を氷へと変える習慣
夏場の暑いのが苦手でその対策という感じです。



補足)アルシェは処罰案として何を言われたか
エンリから
本題「帝国の不誠実に対する捕虜アルシェ・フルトさんへの処遇について」
概要「表向き、苦行による死罪としますが、将軍預かりとします」
軍師から
補足事項「我々の軍団は皆、貴方にとても感謝しています。ご安心ください」



補足・考察)帝国での〈伝言〉の使用について
書籍版9-033に帝国において〈伝言(メッセージ)〉が伝令で使用されている記述あり。
フールーダは有用性と魔法への探求心もあって積極的に使っていると判断しました。



補足・考察・捏造)世界級アイテム『山河社稷図』
書籍版11-402 取り込んだ者のサイズへの記述はなし。
本作では、脱出方法について体が大きくても出口空間が広がる等、体格による有利不利は小さい形に調整されるとします。



補足)フールーダの移送
魔樹を指輪へ封印後、アウラが〈伝言〉でアインズへ通知し『山河社稷図』を終了。
濃霧に紛れて開かれた〈転移門〉からナザリックへ帰還。



補足)「スバラシイ!」
ページ内検索すると…。








朗報?)ルベド歓喜ネタ
今更ながら書籍10巻末、ニンブルの設定に姉・妹を発見…(笑)
12巻のレメディオス、ケラルトのカストディオ姉妹といい、
オーバーロードは絶対に姉妹が多いと思いますね。



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STAGE43. 支配者失望する/モモン、王城ヘ/ズラ動キテ(17)

注)モモンの声色と口調については、鈴木悟の素の声口調になっています

補足)登場人物紹介
カシーゼ………………………王都南東小都市エ・リットルのミスリル級チーム『炎狼』のリーダー
ヘカテー・オルゴット………ぷにっと萌えが自室に残してたNPC。潔癖の最上位悪魔っ娘
フランチェスカ………………チグリス・ユーフラテスが自室に残してたNPC。動死体(ゾンビ)の盗賊娘
ポアレ男爵……………………アインズが王城へ招かれ向かう際、超高級馬車を見落とした
リッセンバッハ三姉妹………長女メイベラ、次女マーリン、三女キャロル。王都ゴウン屋敷で働く


 王都リ・エスティーゼの、石畳も敷かれ整備されている見た目は華々しい中央通り。

 時刻は午前11時前。

 戦時下に加え、迫る出陣準備もあってか、多くの民達と荷駄が行き交い混雑する中を一台の馬車が進んでゆく。方角は北へ、王城へと向かっていた。

 馬車の座席には、深緑色の鎧を纏うアインザックと黒灰色のローブを羽織るラケシル。

 それに加え――漆黒の全身鎧(フル・プレート)を着たモモンの姿があった。

 

(何も起こらなければいいんだけど)

 

 兜のスリットから覗く彼の目は、いささか不安な色を帯びていた。

 

 

 

 事の起こりは、宿屋を引き払ったモモンとマーベロが王都冒険者組合へと到着し、エ・ランテルの組合長らと合流したところから始まる。

 立派な石造り6階建ての王都冒険者組合事務所の一階受付で取り次ぎを受けると、程なくアインザックとラケシルが現れた。

 まず宿泊する部屋へと案内されるのだが、漆黒の戦士はその上層へと階段で向かう際中に、意外な言葉をエ・ランテルの冒険者リーダーから告げられる。

 

「モモン君、実はこれから王都へ集まっている冒険者組合方の出陣前会合があってね。すまないが、そこへ私達と共に是非出て欲しいのだが」

「俺が、ですか……?」

 

 自然に組合長へと顔を向け話すモモンは、彼からの要求への返事に詰まった。後ろへ続くマーベロは(あるじ)の判断を待つ形で見上げるのみ。

 冒険者組合の会合については、実を言えば朝にナザリックから王城へ寄った折、ソリュシャンが昨日盗聴した情報だとユリ経由で聞き知っていた。でも、それはあくまで組合代表級の会合という話と聞いており、白金(プラチナ)級の冒険者に過ぎないモモンには全く関係ないはずと高を括っていた次第。

 アインザックの後ろに続くラケシルも口を開く。

 

「まあ、面食らうのも無理はない。しかし、モモン殿程の力のある戦士の意見も是非聞いておきたいのだよ」

 

 アインザック達は組合組織を率いる者に相応しく、柔軟で合理的な考えを持っていた。

 プレートの位に固執せず、マーベロも含めたチーム〝漆黒〟の実力について、白金級から2階級上のオリハルコン級より更に上だと確信している。今は正に非常時だからこそ、ここは実力主義で行くべきだという判断があった。

 モモンの方も、そういう考えからではないかと想像出来た。

 

 しかし、王城と言う場所とメンバーに―――嫌な予感が広がる。

 

 どうやらこの会合には、最高峰の冒険者としてアダマンタイト級冒険者チームも合わせて参加するという。

 『朱の雫』はともかく、()()『蒼の薔薇』達と会うはどうなのかと……。

 先日はあくまでアインズとして出た会合だ。モモンの立ち位置なら初対面の場ではある。

 ただ、感情の薄れている身であっても、あの意表を突かれた対価の件等で、中々気持ち的に切り替えるのは難しいところ。

 更にアインザックの口から説明される。

 

「そうそう、会合にはラナー第三王女も出席なされるそうだぞ。まあ君には場違い感があるかもしれないが、これも良い経験だと思ってくれたまえ」

 

 笑顔で語るアインザック自身「私も王女殿下には、初めて直接お会いする」といい、名誉な事とも言ってくれる。でも、アインズ的には王女達との接触なら、片方だけでももう十分間に合っていると内心で考えていた。

 それよりも、と改めて考えを纏めるべく、モモンは宿泊部屋があると伝えられた組合の4階まで上がった踊り場で足を止める。

 

「んー、そうですか……(兜を取る場合もあるかもだし。やっぱり、集まる顔ぶれにアインズと顔見知りを含むのは、ちょっとマズいかなぁ……)」

 

 中でも、特に王女のラナーは気になる存在。

 ここまで彼女へ、アインズがモモンだという話は必要もなく告げていなかった。

 王城のアインズは、悟風のモモンに対して声口調や歩き方すら意識して変えており、外形から気付かれるとは思っていない。

 しかし、あの娘はそういう部分では無く――別の部分で気付きそうな予感があった。

 ただ気付かれたからといって、既に手を組んでいるので問題にはならないか、とも考えが至る。

 

(まあ、王女には先に手を打っておけばいいし、蒼の薔薇の面々へも関心のない雰囲気で意識しなければいいかな)

 

 あとはメリット、デメリットのバランス具合をみて……という判断。

 幸い今回の会合にアインズは呼ばれていない。

 ここでモモンとしては、竜王軍団を倒した後の事へも気を配る必要性を感じた。

 

(竜王国の使者の……でぃお、いや……ざくそらディオネって名だったか。3、4週間で救援に向かうって伝えてたと思うんだよなぁ。あれからもうそろそろ2週間経つけど。こっちが終ったら組合らに直ぐ動いてもらわないとだし、皆に再度繋ぎも入れる必要があるか……。んー、出るしかない気がしてきたぞ)

 

 また今後、冒険者として他の都市へいった場合にも、各地の冒険者の上層へ「あの時は」という大きい共通の話題になる点でプラスと考えられた。

 モモンは僅かの間で営業的要素も加え吟味すると、アインザックらへ伝える。

 十分に真摯且つ謙虚さの滲む言葉で。

 

「……分かりました。この様な状況だし、俺で何かお役に立つのなら」

 

 期待を寄せる戦士の姿勢に、ラケシルはアインザックと顔を見合わせ頷く。

 アインザック達にはこの時も、組織の長として結構大きい悩みがあった。

 それは今のエ・ランテル冒険者組合員の層が、分厚いとは言えない事だ。

 確かにミスリル級冒険者チームとして、『クラルグラ』『天狼』『虹』など5つ程ある。

 しかし、他の大都市にはオリハルコン級チームが2組以上存在していた。アインザック達自身をカウントしても、十分とは言えないのだ。

 また目の前に迫った竜種との戦いに、自分達二人も含めてどれほど生き残れるか。おまけに、重要な質の問題も控えていた。

 エ・ランテルで三大チームの一つ「クラルグラ」リーダーのイグヴァルジを始めメンバー達は、性格が「(ワル)」だと裏で知られている。

 それでも冒険者組合として、貴重な存在であり最低限のルール上にいる彼等を排除へとは踏み切れていない。加えて30歳前後の彼等。まだ少しぐらい、更生の余地が残っていて欲しいとも考えていた。

 

 ――見本になるような『圧倒的力の者』達の登場で、変わる事もあるのではと。

 

 先日、アインザック達は確かに演習場でチーム『クラルグラ』を優位の形で連破した。

 しかし上司の決めたルールや制限の有る戦いの中でだ。

 イグヴァルジらについて裏界隈の噂では、勝つために手段を選ばないとさえ聞えてきている。対して演習時、組合長らに花を持たせる意味もあるのか、無理や無茶はしていないように見えた。

 このように組合長達上司では、御機嫌伺い程度の格好をさせるにすぎないと考えている。

 勿論、本気の戦いでもアインザックはチーム『クラルグラ』に勝てる自信と実力を持ち合わせている。でも、『圧倒的力の者』の姿は示してやれそうにない。

 それを、モモン達なら明確な強さで見せてくれそうなのだ。

 また同僚の『漆黒』からの刺激の方が、イグヴァルジ達への影響が大きかろうと期待した。そして今、モモンが示した謙虚さなども是非見習って欲しいのだ。

 

 ただ最早――絶対的支配者の『決定事項』として、悪どさと不快感際立つイグヴァルジらが生きたまま謙虚な者達へと変わる可能性は微塵もない。組合長らは知る機会もないが……。

 

 ピンキリの冒険者を率いる彼等は『クラルグラ』に限らない広い範囲でも、以前から組合員の良き前例や目標として強く立派な伝説的冒険者チームの登場を欲していた。

 だからこそ早く、彗星の如く現れた冒険者チーム『漆黒』をオリハルコン級以上へと昇格させたいと考えている。

 

「ありがとう、モモン君」

 

 アインザックは嬉しそうに漆黒の戦士の肩を気持ちも乗せて一つ叩いた。

 もう『漆黒』の実力は十分見ており、あと必要なのは周りが文句なく認める実績だけなのだ。

 彼等には今、正に格好の標的が存在する。(ドラゴン)どもを堂々と討ち取ればいい。

 その前に一流の揃う会合の場へ出て、注目され認められる事も当然評価へのプラスになる早道と考えての声掛けである。

 

 冒険者は――ほぼ完全に実力主義の世界。

 

 強さと力があれば評価される。

 概ね規約を守り殺人狂でさえなければ、たとえ人間性に相当の問題があろうとも。

 しかしモモンとマーベロについて、ラケシルとアインザックはそういった部分へ全く心配をしていなかった。

 普通の新人なら、エ・ランテル冒険者組合史上初の4階級特進で白金(プラチナ)級へ上がり、名声と共に待遇や手当も各段に増えて気が緩み少しは天狗にもなるはず。

 ところが『漆黒』の噂や情報をずっと集めていても、彼等が驕った振る舞いを見せたと言う噂を一切聞いていない。逆に仕事も含めて謙虚さと気遣いの対応が目立っていた。

 その中には組合の多くの上位冒険者へ仕事をくれているお得意様である、バレアレ家の天才少年からの話も含まれている。

 

『モモンさんとマーベロさんは、無名時から理性的行動や会話等を含め間違いなく全てが上級冒険者でした。特に小鬼(ゴブリン)人食い大鬼(オーガ)の集団に襲われた際に見せた、冷静で且つ圧倒的な対処能力は、オリハルコン級かそれ以上とさえ感じましたから』

 

 他にも、実力からすれば随分と安い手当で受けた、幾つかの送迎の堅実な仕事振りなどからもモモン達の人物が伺い知れた。

 そして王都へ着いてからの、モモン達が見せた新人らしからぬ対応の数々。

 

(状況と周りがよく視えているものだ)

 

 ラケシルと共に組合長はそう感心していた。

 エ・ランテルからの出陣当初、アインザックは竜王軍団を相手に正直、生きて故郷の地を二度と踏むことは無いだろうと考えていた。

 だが、演習場で『漆黒』の高みの実力を垣間見たのもあるが何より、王都へ到着した広場で彼等を指名した折の、余りの落ち着き振りを見て少し考えが変わって来ている。

 横に立つモモンらの存在は実に大きく心強い。

 

(この男を見ていると、死にに行くという恐れや雰囲気が本当に感じられない。不思議だ。ずっと自然体のまま。なんだか、(ドラゴン)達の強さが理解出来ていて、大丈夫だ任せておけという気持ちなのではと思えてくる……)

 

 実際、モモンとしては特殊技術(スキル)によって完全無効化されるLv.60以下の竜達の攻撃は意識していなかった。

 竜王についてだけ気を付ければ今回の戦場において、手傷を負う可能性は皆無なのだから。

 モモン達は再び歩き出し、宿泊部屋の扉前まで案内されると、アインザックが伝えて来た。

 

「申し訳ないが、中は一般的な宿泊部屋だ。昨日まで泊まっていた部屋よりも普通で手狭かもしれんが我慢して欲しい」

 

 ここは、冒険者組合事務所でありモモンも期待していない。支配者としては結局寝る事も無い訳で、雨が凌げれば問題ない程度。盗聴など密閉性や遮音性の方が重要であった。

 

「ああ、大丈夫です。十分ですよ」

「そう言って貰えて助かるよ、モモン君。では急ぎで悪いが20分後に下の受付前へ来てくれたまえ。こちらで馬車を用意しておく」

「分かりました」

 

 そうして、モモン達()()は組合長らと別れたのち部屋に入る。広さは今朝までいた宿と余り変わらないが、窓際へ二つ並ぶベッドや小物の質は確かに余裕で1階級以上落ちていた。

 モモンとしては、さほど気にする風も無く、とりあえずマーベロへ指示する。

 

「えっと、俺がいない間は、ここで待機しながら無理なく建物の内情を探っててくれればいいよ。話では周辺で張り込んでるヤツも居るらしいから」

「わ、分かりました、モモンさん」

 

 脱いだ純白のローブを椅子へ掛けようとしたが、わざわざ姿勢を正して主の言を聞く少女(マーベロ)

 モモンの護衛には不可視化したパンドラズ・アクターが付く。

 なお、一人きりとなるマーベロの安全確保には一応、王城に居るルベドへ頼む。対象が闇妖精(ダークエルフ)姉妹の妹でありホクホク気味におまかせであった……。

 そして次に、モモンはアインズとして――とある人物へ〈伝言(メッセージ)〉により一報しておいた。

 手を組んでいる以上、知らせない事で信用を失うデメリットが大きいと判断してである。

 

「――という訳で、これから()()としてそちらへ赴くが、私だと意識しないように」

『……そう……ね』

 

 了解と取れる部分で区切るように、若く美しい声の(ぬし)は発音した。

 どうやら先方は手が離せず、誰かと会話している模様。支配者は「ではな」と通話を切った。

 これで一通り宿泊部屋での用は済んだとし、モモンは少し早いがマーベロに扉外まで見送られ1階へと降りて行く。

 間もなく待ち合わせ時間となり、アインザックが事務所前に呼んでいた馬車へと3名の男達は乗り込んで今、移動途中である。

 

 

 

 さて、馬車内から窓の外の流れていく景色を見ているモモンとしては、初めての王城訪問になる訳で、それなりの行動や仕草が必要に思われた。

 城へと近付く街並みを、興味ありげに眺めつつ仁徳も感じさせるそれらしいことを語る。

 

「王都は流石に随分広いけど、王城へ近い地域へも困っている者達は多い感じに見えるかな」

 

 近道に二本ほど裏の通りを進めば、街角の路地口には先頃の物価高もあってか、更に生活に困窮した者達の姿も少なからず見えた。

 戦時下でもあり、誰も彼も多くの者達が余裕のない暮らしを強いられていく。

 エ・ランテルでは市政により救済が見られた分、王都より随分マシに思える。

 この地に、そういった救いはなかった。

 

「そうだな、モモン殿。我々が勝って、戦いを早期に終わらせるしかない。頑張ろうじゃないか」

「はい」

 

 鎧の戦士は、魔術師組合長の言葉へと一応小気味よい返事を返す。ただ戦いが終わっても、容易に解決できないだろうとの思いは変わらないままに。

 そんな会話を交えていると、いつしか馬車はロ・レンテ城正門へと進み、衛兵へアインザックが書簡を見せると通された。

 

「モモン君は、こういった国家の主の居る城へ登城した経験はあるのかね?」

 

 何気ないが、僅かに探りを感じる質問にも思えた。

 なので漆黒の戦士は、無難に答えておく。

 

「いえ。初めてなので、少し緊張してる感じで」

「ははっ、そうかね。だが、国王陛下は寛大なお方だし、滅多な事ではお咎めもない。普通にしていればまず大丈夫」

 

 何度か来てる様子でアインザックが教えてくれる。

 なぜなら貴族によっては、冒険者も含めた下々の者らに対し、屋敷や城内へ酷く厳しい規則や罰則を用意している場合もあるのだ。油断は禁物と言う話。

 大都市エ・ランテルの冒険者組合といえども、年間総生産で金貨数十万枚ある王国の大貴族の一つを前にすれば、権威以前に単純な資金力でも太刀打ちできない程度の組織だ。

 オリハルコン級冒険者チームの組合長等が一度の依頼で得た過去最高額は、金貨で3000枚程度。嘗てカッツェ平野に出没した強力なアンデッド群の退治で得たものである。

 アダマンタイト級冒険者チームの貰う水準なら、金貨で万枚超えも珍しくないが。

 故に、戦力では優位に立てるかもしれないが、もし有力貴族らと正面から揉めればやはり一大事なのだと組合長らも危惧している。

 

「そうですか、それを聞いて(ひと)安心かな」

 

 モモンはわざと少し安心した風を装った。

 ラケシルは、漆黒の戦士の一般的と言える反応へウンウンと頷き疑念を抱かない。

 いかに強い冒険者でも、逆らえない、太刀打ち出来ないという上位者の壁があるのだと……。

 しかし――ナザリックの絶対的支配者に、そんなモノは存在しないのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 馬車は石床の通路を進み、王城正門から80メートル程(なか)と割に近い区画で止まる。

 既に10台程の馬車が整然と脇へ止められ並んでいた。

 そこから降りて直ぐの、城内建屋3階にある広めの部屋で会合は行われるとのこと。

 御者へと、小窓から戻るまで待つよう指示を出すと、アインザックが先頭で席を立ち馬車を降りる。

 

「さあ、いくぞ。モモン君」

「はい」

 

 城内の盗聴で以前から知っていたが、貴族や騎士でもないアインズが王城内のヴァランシア宮殿に滞在しているのは、非常に例外的であった模様。『国外からの旅人』で『国王陛下の戦士と民を守った功績』の客人という特別待遇かららしい。

 本来、王国の平民がロ・レンテ城内の奥へと入るのはかなり特別な事なのだ。

 アインズ達以外では極少数。最近では戦士長や隊員らにクライム、貴族子女のラキュースを除くアダマンタイト級冒険者の『蒼の薔薇』や『朱の雫』のメンバー達ぐらいである。

 現在、アインズ一行はどうやら『ゴウン家』として貴族達から黙認されている様子。

 貴族派閥の盟主達とも裏で協力関係を持っており咎められることも無く、国王陛下個人に認められているという騎士水準を超える程の扱いから、『平民とは違う地位にいる者』で見られていた。

 地味に威力を発揮したのが支配者(アインズ)曰く『質素な』あの黒塗りの超高級馬車だ。加えて、三国一だろう美女達を連れている点である。

 貴族達も数々羨む『持てる者』の存在感は非常に大きかった。

 最近は王城内にも慣れ結構知られている姿であり、アインズは騎士や衛兵らからも会釈される事が多い。

 同様に、オリハルコン級冒険者のプレートを下げた士官等上級騎士にも比類するアインザックとラケシルへも、畏敬の念などあり時折会釈が入る。

 それに対して現在のモモンは――地方のしがない一人の白金(プラチナ)級冒険者に過ぎない。

 (ゴールド)級以上は騎士水準を満たすと言われているが、平民という立場が壁となる。クライムのような立場の者と言えば分かり易いかもしれない。

 王城の衛兵や騎士らは、漆黒の戦士へと偉そうに胸を張り、頭を下げる気配は皆無。そんな城内を彼は今、組合長らへ続く形で控えめに歩き進んだ。

 会合のある部屋へ到着すると、組合長を先頭に3人は中へと入る。

 そこには、既に王都冒険者組合長を始め、大都市エ・レエブルやエ・ペスペル等の冒険者組合長や冒険者筆頭の代表達が顔を揃えていた。

 元ミスリル級冒険者ながら突出して人望のあった王都冒険者組合長を除けば、代表者達は皆がオリハルコン級を経験する顔触れが並んでいる。さればこそ、古い顔見知りと言える関係でもあるのだ。

 勿論、彼ら以上の実力勢の姿も既にあった。英雄級の武人で王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。アダマンタイト級冒険者チーム『朱の雫』のリーダー、ルイセンベルグ・アルベリオンと、『蒼の薔薇』のリーダーのラキュースに――難度150を誇る王国最強の使い手と目されるイビルアイ。

 また格上の存在とも言える王国第三王女、ラナー殿下の姿も護衛剣士と共にみえた。

 漆黒の戦士は会釈をするが、いつも通り自ら先に兜は外さない。この場にはこれまで終始面を付けたままだったイビルアイも居る為、多分問題ないと判断する。

 後ろにモモンを従えた組合長が、改めて『黄金』へと頭を下げる。

 

「これは、王女殿下よりも遅くの入室となり申し訳ありません」

「いいえ。私がラキュースと少し早めに来ただけですので、気にしないで下さい」

 

 殿下の言葉はもう何度目かの様子で、ラキュースはラナーの顔を見て「だから後にしようと言ったのに」という表情を向けていた。

 

「はっ」

 

 当然アインザックは会合開始予定時間よりも15分程早く到着している。

 ただ礼儀として、上位の者を待たせない意味で先の入室は常識であり、一応一言筋を通したのである。

 そして――ラナーも己の主人(アインズ)へ対してその行動を示していたのだ……半分は。残りの半分は「私だと意識しないように」という部分へのちょっとした茶目っ気に思える。

 王女からコンマで一瞬、モモンへの視線の交錯と口許端の微かな緩みが感じられた。

 

(うわっ。黙っていても絶対、入室の瞬間にバレていただろうなぁ……。伝えててよかった)

 

 ちょっとした事であるが、あとにどうなるかの不安がないのは誠に良い流れである。

 先の読めないギリギリの展開も多い支配者にとっては、ホッと出来た。

 この後、2地域の組合代表者らが現れ、消え去った一つの大都市を除く7つの大都市と5つの小都市の冒険者代表達や戦士長ら22名が一堂に揃い、会合の席へと着いた。

 予定の午前11時25分を過ぎた。進行役は彼女、王都冒険者組合長が務める。

 進行役という意味合いで今回、王都の組合長は窓に近くコの字に配された机の上座となる中央部分に座っていた。オブザーバーとして座る王女ラナーと戦士長に挟まれる形。

 コの字の両側の机へ、各地の代表者が整然と座っていた。

 

「時間もありませんし、竜王率いる軍団への対応について最後の確認と意見交換を行いたいと思います。まず――」

 

 一通りのおさらい的概要を要約気味で語っていく。

 今回、前線へ出る冒険者達は階級ごとに分けられ3000人超に達する。彼等の担当は重大で且つ幅広い。

 王国軍の一般的兵力20万はほぼ全てが陽動である。軍に所属する20名程の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の部隊は全て王都の防衛に回っており、前線へは全く出ない。

 代わって、300頭に迫る圧倒的数の(ドラゴン)達を実際に討つのは冒険者達である。

 また彼等の内、魔法詠唱者(マジック・キャスター)達は、前線で王国軍の兵達の一部へ数時間程有効な強化魔法を掛ける役目も担う。

 その上で開戦となり、銀級、金級、白金級、ミスリル級冒険者チームが下位の竜兵達を順次狩っていく。

 そして、オリハルコン級冒険者チームとアダマンタイト級冒険者チームの『朱の雫』が十竜長や百竜長ら竜軍の上位勢を叩く役で、同時に最後『蒼の薔薇』が竜王を引き付ける形だ。

 なお誰も口にしないが、今次作戦が上手く機能する保証は全くない。

 全部が完全にぶっつけ本番である。

 いかに竜王の軍団を分散させ各個撃破出来るか、それだけに殆どの重点が置かれていた。

 竜単体なら、冒険者上位陣チームに勝機が出て来るだろうという希望的作戦。

 

 ――王国側にはそれしか手がないのだ。

 

 モモンは、アインズとして得ている知識を元に竜王軍団側の戦力と王国総軍の戦力での戦いを想定してみる。

 

(確か、竜王を入れてLv.50以上の(ドラゴン)が7頭いたはず。1匹倒せれば御の字だと思うなぁ)

 

 竜王軍団の全ての竜兵がLv.25を超えおり、30を超えている数は270頭以上、40を超えている数も40頭以上である。この世界では段違いの精強な軍団といえる。

 竜王が居なくても先の巨大魔樹を焼き尽くせる総火力がありそうな規模だ。

 それほど強い相手に対し、ミスリル級の一部とオリハルコン級とアダマンタイト級冒険者チームのみが、竜兵と十竜長までを最大25匹程度倒せるかというところ。半分以上がアダマンタイト級冒険者チームの勲功となる予想だ。Lv.15程度の白金(プラチナ)級冒険者達の攻撃が、竜兵の強固な鱗を貫通出来るとは到底思えない。

 Lv.50水準の竜長が暴れまわり、竜王軍団側が2頭一組以上なら、王国側の戦果はより少なくなるだろう。

 Lv.30台の竜兵2頭に対し1人でも戦えそうなのは恐らく、難度150を誇る王国内最強の使い手ではとソリュシャンが言うイビルアイのみ。

 竜兵と1対1なら、ガゼフやアダマンタイト級冒険者チームのメンバーの一部。

 それ以外はチームでなければ討伐は難しいとみている。

 

 だがここで――モモンとマーベロのチーム『漆黒』ならどうか?

 

 ここまで表立っては、Lv.30少しの戦士と第3位階魔法の使い手のチームでやってきた。

 奥の手無しに考えるなら、武技も使えず竜兵と1対1の水準に届くかという辺りである。

 ただ〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉を使えば、竜王とも問題なく戦えるだろう。

 マーベロも第5位階ぐらいまでは開放してもいいかもしれない。

 しかし、今回の戦いの主役はアインズや未だ潜伏しているはずのプレイヤー達であり、判断が難しいところだ。

 それでも竜王国へ救援の件もあるため、竜兵を数頭倒して冒険者モモン率いる『漆黒』の存在をアピールしておく必要はありそうに思われた。

 

(うーん、加減や影響予測がしにくいなぁ)

 

 そんな悩める彼へ、ここで一瞬のうちに思考を暗転させるような事態が襲う。

 会合とは少し違う所に意識が随分行っていたモモンへと、あろうことかアインザックからの質問が飛んで来たのだ。

 

「――という事もあり、こちらの彼を同席させています。モモン君、今のをどう思うかね?」

「(――え゛っ? ヤバイ、全然聞いていなかったぞぉぉぉ)……」

 

 モモンは場違いの階級であり、単にずっと座っていればいいだけと安心し過ぎていた……。

 流れていない血の気が引いていく思い。いつもの如く体は微動だにしないが、面頬付き兜(クローズド・ヘルム)内で視線が泳ぎまくる。

 ただ、モモンには今聞きそびれた内容を完全に知る術があった。

 あの定型の仕草により、護衛で傍にいるパンドラズ・アクターに〈時間停止(タイム・ストップ)〉を掛けさせて今の質問内容を聞く手だ。

 これならば、盗聴しているだろうソリュシャンにすら失態を聞かれる事も無い。

 しかし、である。「おい、聞きそびれたから今の質問の内容を教えろ」と、そんなクダラナイ理由でワザワザ第10位階魔法を使わせ、創造したNPCへ質問すれば、されたヤツ(パンドラ)は創造主に対し失望するのではないだろうか。

 

(うわぁぁ、マズイ。だが、どうすればいいんだよ……)

 

 何か知らない内に、一気に追い詰められた気がしているのは支配者自身だけである――。

 既に1秒弱経過中。

 あとが無かった。すると。

 

「――竜王国への支援ですか。噂は遠く少し聞いていましたが、そんな深刻な状況とは。竜王国が滅びる様な事態になれば、次は我が王国とも隣接する状況になります。今の話は決して他人事ではありませんね。『先発隊』という案ですが、やはりアダマンタイト級の者達の派遣も視野に入れるべきでしょうね、モモン殿?」

 

 なんと、ラナーが即応で助け舟を出して来た。

 アインザックの話は、一通り王都冒険者組合長の現状説明のあった終わり際、「亜人軍の猛攻で存続に窮する竜王国への対応もすぐ控えていますし、上位陣には奮戦をお願いしたい」という流れから。それを知らせて来たのがモモンであり、彼の提案に『先発隊』という話があって、この場に集うアダマンタイト級冒険者らへの勧誘の場に良いのではと考えモモンへ声を掛けていたのだ。

 故に今はモモンが答える時間で、王女の発言は明らかにマナー違反。だから普通はしない。

 この瞬間にアインズは、ラナーの(しん)の恐ろしさを知る。他人のその思考をほぼ完全に読んでくるという力に。

 1秒程度しか経過していない為、現在部屋内でモモンが詰まっている事実を正確に把握している者はいないはずなのだ。

 特殊技術(スキル)なのか、地力なのかは関係ない。

 

 ただ彼女は――もう味方であり、障害的意味の問題は存在せず。

 

 ズバリ、助かったというのが正直なところである。

 モモンは一つ王女へと頷き、意見を述べるべく口を開く。

 

「はい。まず我々は、眼前の竜達を何とかしなくちゃいけない。けど、その後に多大な準備をしてては竜王国の救援へ間に合わないって考えます。使者の言葉と声は本当に逼迫していましたから。なので先発隊を送りたいんです。それも強力な戦力に〈飛行(フライ)〉を駆使して急派する必要性を感じてます。ですから、最高の武勇を持つアダマンタイト級冒険者の方々に参戦して欲しい」

 

 上半身を少し前掛かりに力説するモモンの意見を聞いて、会合の場は僅かに騒めく。

 無論これは、王女ラナーの言葉がまずあったことが大きい。本来、今の顔ぶれの中で白金(プラチナ)級冒険者の発言は扱いの低いものになるのだ。

 腕を組むルイセンベルグや手を合わせるラキュースの表情は、視線を下方左右へと巡らせ思案中といった雰囲気があった。話も今後、王国への影響も十分考えられる大きさのものであり、ここで検討すべきと判断している風に見える。

 長く感じる30秒程の時間が過ぎ、先に口を開いたのはルイセンベルグ。

 

「先のエ・アセナルでの苦い経験がある。救える内に多くの人々を救うべきだろうな。時が来て、我に命あれば、剣に誓ってきっと馳せ参じよう」

 

 言葉に経験と覚悟の重みが備わっていた。

 一方のラキュースは眉間に皺を寄せて色々と考えていた。注目と期待を受けるアダマンタイト級の『蒼の薔薇』として、いつも自信のない約束はしない主義なのだ。数日後にあの圧倒的な竜王を相手にする訳で、最善を尽くしても無事で生き残れる可能性はかなり低いように感じている。

 敵と現場を一番見て来た彼女達である。此度の作戦が、随分希望的な見方のものだということに当然気付いていた。

 でも今は、全体の士気を大事にし優先すべきであると考える。個々の拘りに縛られてはいけないと。彼女は一度目を閉じ、そして次には綺麗な瞳の笑顔で伝えてくる。

 

「私達も勿論、竜達の件を片付け次第、竜王国の窮状を救うべく全力で駆け付けましょう。その時はよろしくお願いしますね、モモン殿」

 

 この辺り、流石にラキュースは優れたリーダーである。

 また、先にモモン達のチームも『先発隊』だという話が王都冒険者組合長やアインザックより場に流されており、支配者は少し顔を立ててもらった形にもみえる。

 先日は、そのラキュース渾身の願いを正面から無にすると同時に、皆の前で酷い仕打ち的状況となった事を思い出す。モモンは(いささ)か申し訳なく感じた。

 

(あー、意外にいい子なんだなぁ。うーん)

 

 絶対的支配者としては名声アップの為に、『蒼の薔薇』らアダマンタイト級冒険者勢には今次大戦で惨敗してもらう必要があるが――誰かを死なすのは少し可愛そうな気がしてきた。

 『八本指』勢との会談では、深い所でまだ生存に関して最終的対処を考えず、どちらでもいい計画をやや適当に述べていたが改める。竜王国の件も控えており、その部分でもあとあと上手く進むように取り計らうべきと考えを巡らせていく。

 

 だがここで、竜の軍団をも『駒』扱いにする強大さ溢れる主人の一連の思考に対して、慕いつつも一部異を唱えるのが、にこやかに美しい笑顔を浮かべて座る王女さまである。

 

(……あら、アインズ様がラキュース達を死なす事に躊躇ってる……? 私のご主人様を厚かましくも寝取ろうとした、こういう妄想好きの尻軽売女なんてあっさりと見捨ててしまえばいいのに。――いえ、私が処女のまま殺しておいてあ・げ・るっ)

 

 王国の魔女は、静かなる殺意を不要になった嘗ての『駒』へと募らせていた……。

 

 竜王国の件については、とりあえずだが『先発隊』として両アダマンタイト級冒険者チームと、エ・ペスペルのオリハルコン級1チームとミスリル級2チームにエ・ランテルのミスリル級2チームにモモン達『漆黒』を派遣することで一旦終える。

 今は何より竜王軍団への対処が先である。ここを越えれなければ王国に未来は無いのだから。

 それ故に――王国戦士長ガゼフ・ストロノーフは昨日よりずっと悩んでいた。

 

(王国の安定した将来の為に、ゴウン殿の勲功を小さくしておきたいという、レエブン候爵と陛下のご意向に反する行いを考えるのとても心苦しい。だが、今は明日の王国の確かな未来の為に冒険者達とゴウン殿との連携は、やはりどう考えても不可欠だ……)

 

 竜王へ大魔法を使うと聞くが、事を成した後について冒険者達との行動もあると考えている。

 だからこそ、この場に本来居るべきあの御仁の不在に、戦士長は納得出来ていなかった。

 でもそれがレエブン候からの要望。

 現在室内では、冒険者同士の魔法による強化手順について、再確認する話し合いが進んでいた。

 その中でガゼフは、席から(おもむろ)に立ち上がる。

 何故か、既にラナーは顔を右側へ少し向けると、白きレース調の長手袋の左手で口許を隠す形で人知れず緩ます。

 戦士長の唐突な行動に、場の者らの視線が当然集まっていく。

 

「――急ですまない。だがこの場へ集まっている者達に、是非会って貰いたい人物がいる」

「「「――?」」」

 

 誰なのかという空気の中で、モモン的に一難去ってまた一難というイヤな予感が走る。

 

「(――ハッ。ちょ、まさかっ)……」

 

 そもそも、『レエブン候らの意向で、客人は目立つ活躍を極力抑える目的で会合へ出席させない』という、つまらない盗聴ネタで安心していたのにだ。

 『蒼の薔薇』のラキュースも、ガゼフの呼ぶ相手にピンと来た様子でいささか頬を赤らめる。

 ラナーに至っては――僅かに目も笑っており失笑している雰囲気が濃厚に漂う。

 王女は、先日の国王や大貴族達が参加した竜軍団緊急対策会議にて、論争となった短気気味の偽アインズの事をよく知っているのだ……。

 戦士長は、和解済という先日のラナーとアインズの両者が若干揉めた件を一応断っておく。

 

「……王女殿下もよろしいか?」

「構いませんよ」

 

 姫の了解を受けて、支配者にとっては無情にも聞こえるガゼフの言葉が続く。

 

「10分程でお連れするので、少し席を外させていただく。失礼」

 

 モモンは頭痛のしない頭蓋に被る兜の額部分を、思わず右手で押さえてしまう。

 

(戦士長殿っ、なぜそんなに正義(たぎ)る様な瞳で真摯に頑張るんだっ。気なんか使わなくていい。俺がここにいるんだから呼ぶ必要なんかないだろ)

 

 心の中でいくら考えても、ガゼフが知る事も彼へ届くはずもない。

 無駄な思いの中で思考に電子音が響くと、やっぱり盗聴していた優秀な戦闘メイドからの美声が〈伝言(メッセージ)〉によって伝わって来た。

 

『アインズ様、失礼いたします。ソリュシャンでございます。ストロノーフ殿が宮殿のお部屋へと近付いていますが、いかがいたしますか?』

 

 彼女の声でふと、パンドラズ・アクターにアインズ役をやらせる手もあると気付く。

 

(うーん、どうするかな。でもなぁ)

 

 ()()以来、ナーベラルは問題なく役を熟している。

 だからこそアインズ的に思う。それなのに大役を取り上げてしまっても良いのだろうかと。きっと、『一度失敗したら、二度と本気で信用されないのですね……さめざめ』と大いに悲しむに違いないとの想像を膨らませる。

 支配者にはまたしてもそんな、可愛く健気に頑張っているNPC達を信じたいという全く根拠のない親心的な考えが湧いて来ていた。

 

(…………………………………………………………………うん、きっと……大丈夫だよな……)

 

 

 

 ここに、忠臣ナーベラル・ガンマの対応力が再び試されるっ。

 

 

 モモンは、面頬付き兜(クローズド・ヘルム)の中でソリュシャンに対し、濁点の無い静かな発音で小さく呟く。

 

「……(このまま)…………」

『畏まりました、その様にいたします。では』

 

 なお、ナーベラルの日々演じている偽アインズが、偶に王城内でガゼフに会っても彼の名前で困る事はない。何故ならガゼフには実に手頃な呼び名があったから。

 ナーベラルはガゼフに対し一貫して――『戦士長殿』と役職名で通していた。

 彼女は努力する。王城や宮殿に居る他の人間達も、虫の呼び名を我慢し『衛兵』や『大臣補佐』など役職名で押し通して……。

 

 間もなく宮殿3階へ、親しい客人の滞在部屋を訪れた王国戦士長は、愛しく美しい眼鏡姿のユリに迎えられつつも愛に浸っている時間は無い。彼はすぐさま、出迎えたゴウン氏へ事情を話す。

 簡単ながらも熱く、反撃の機会に飢える冒険者らとの連携への必要性を説いた。

 

「――ということで、ゴウン殿には是非、会合の場までご足労を願いたい」

 

 この要請に対してナーベラル扮するアインズが答える。無論、伝える言葉は〈伝言(メッセージ)〉経由でツアレや二人から離れて立つソリュシャンからの指示だが。

 

「……本当にいいのですか? 私が行っても」

 

 ゴウン氏らしい洞察眼を見せる発言に、ガゼフの目は一瞬大きく開く。この御仁なら、国王陛下やレイブン侯らの思惑を見抜くのも納得と瞼を軽く閉じ伝える。

 

「構わない。私はゴウン殿と冒険者達の連携が、必ずや陛下と民達の為になるものと信じている」

 

 次に向けられた力有る戦士の眼光に迷いはない。

 それは、目の前の仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)を強く信じている証拠でもあった。

 (あるじ)を慕っているナーベラルにもそれが自然と伝わる。

 

「……(この人間、確かにそこらの虫とは少し違うようだ)分かりました、戦士長殿。その場へ行きましょう」

 

 こうして、ゴウン氏を連れた戦士長が会合の場への帰路を進む。

 

 

 一方、冒険者代表らの会合はオブザーバーのガゼフが居ない中でも、強化についての話し合いが進んでいた。

 基本は以前からチーム内での強化を、との考え。だが、魔法詠唱者達は限られた魔法才能と魔力から取得を攻撃系へと割り振る者も多い、また強化魔法を元から使えない者も結構存在する。

 更に今回部隊は階級で分けてられており、下へ向かうほど支援は厳しくなる問題を抱えている。

 彼等の限られた魔法力をどう割り振るかに、シビアな状況と真剣さから意見と議論が何度も堂々巡りする。

 

「王国軍の兵達へ強化支援する事もあり、やはりどう考えても(シルバー)(ゴールド)級の余裕は殆どない。他所のチームへの支援は諦めるべきでは?」

「何度も言うように、ここはチームではなく同階級でも力の有る前衛戦士へ使うべきだろう。(ドラゴン)達を倒せなくては話にならん」

「いや、壁になる防御力の有る者へ振るべきと存ずる。今回はヤラれたら後が無いという状況なのだ。後方に余裕がなく気持ちに焦りが出れば、全体が浮足立ってきますぞ」

 

 どの意見も長い経験からのもので一理ある内容が並んでいく。

 話を聞きつつも王都冒険者組合長はまだ意見を言わない。彼女自身も迷いがあったし、今、王国戦士長が連れて来るという人物の話も聞いてみてからという考えを持っていた。

 その時に扉が叩かれ、入口が開くとガゼフに続く形で、変わった仮面を付けた巨躯の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が入って来た。

 

「「おおぉ」」

「これは……」

 

 彼の姿に室内での論争が止まると同時に、一同のどよめきが上がる。

 初めて見る人物の、まず身に付けている装備に皆の感嘆の声が漏れていた。

 

「何という凄い装備なのだ……」

「一品一品の輝きが違う……一体何者なんだ」

「王城に異国から来た凄腕の旅の魔法詠唱者がいると聞いているが、この方か?」

「黒きローブも見た事も無い高級生地。どんな経路で手に入れたのやら……」

 

 ナーベラルの身に付けている装備は大半が絶対的支配者のレプリカ品。

 それでも、ローブやガントレット他遺産級(レガシー)を調整したものも追加し当初よりグレードアップしており、いずれも最上級(遺産級の一つ下の)アイテム水準の性能以上を誇る。

 その者の身形が人物の全てではないが、最初の印象として多くの基準になるのは当たり前の事。

 だが室内で一人だけ、訝し気な表情をする者がいた。イビルアイである。

 

「……(ん?)」

 

 アインズと同様に仮面越しの彼女は、以前見た彼の圧倒的装備程の輝きが無い姿に気付いた。

 とは言え、宮殿の客人であり急に呼び出された状況や戦闘中でもない事から、完全装備でなくてもおかしいとは言えない。戦場で会うようなら偽アインズの存在がバレる恐れも残っている。しかし、開戦後直ぐに後方へ下がる予定のアインズ一行と遭遇する可能性はかなり低く幸いである。

 実際、この場のイビルアイも完全装備ではなかった。

 なので彼女もここでそれほど気にせず、一瞬で別の事を考えていた。

 

(……奴がもし支援強化魔法を得意であったなら……あわや私の穢れなき身体まで……ふう)

 

 世の強者に強欲な者は意外に多い。彼等は小さい理由から言い掛かりのように絡め手も混ぜ、物理的だけではなく心深くへも平然と押し入って来るのだ。

 純真なリーダーのラキュースだけでなく、兄貴系のガガーランや二癖はある双子の忍者達に、もしかすると――ツンデレアンデッドも関係ないかもしれない……。

 250年の人生の大半を孤高に生きて来た彼女である。恋や愛など、人であった遠く古い時代に置いて来たものだと思っている。

 

(陳腐なっ)

 

 危うく人間性の何かを目覚め掛けさせて、イビルアイは頭を小さく振った。

 ふと、その仲間の変わった様子にラキュースが気付く。

 

「どうかしたの?」

「いや、なにも」

「そ」

 

 正面のガゼフとアインズへと顔を向けたイビルアイを、まだぼんやりと見るラキュース。

 例の物議をかもした会合から早二日が過ぎていた。

 今日、彼女はこの場に無垢なる白雪(ヴァージン・スノー)を着て来ていないが、もしあの時、話が纏まっていたら、こうして着ていない事が当たり前の身になっていたかもしれなかった。

 更に、竜王軍団との激闘に生き残り、次の竜王国の救援が終って落ち着きひと月を過ぎた頃には、自分一人だけの身体ではなくなっている想定外の展開も――。

 

(ふふ、なんてね……、あーあ)

 

 仲間の命も背負った上で未来の女傑英雄構想を描き、結構思い切った処女喪失の決心で居ただけに、思い通り進まなかった未来予想図に脱力感も意外にあったのだ。

 口の堅い王国戦士長に、どうやら旅の魔法詠唱者(アインズ)一行からもあの時の『恥ずかしい言葉』は全く外へ漏れていない模様。

 強請(ゆす)りどころかあれから彼に声を掛けられることも無い。城内で2度ほど姿を見掛けられたにもかかわらずだ。

 まあ、偽アインズ(ナーベラル)が自分から(にんげん)に関わりを持つはずもなく……。

 

(戦士長殿は分かっていたけど、あの英雄級の魔法詠唱者さんも随分と紳士な方なのかしら)

 

 仮面の彼が、稀代の美女達を何名も(はべ)らせている事から、強烈な意外性を感じた。

 美しいラキュースだが、オリハルコン級へ階級が上がるまでは、当然のように随分と男性冒険者達から声を掛けられたものである。

 実家からも稀だが、真っ当な縁談を持った使いが宿屋へ来たりもしていたのだ。

 でも最近は、アダマンタイト級という冒険者達の頂点に立つ者への畏敬の念が凄い形で、全くそういったアプローチが無くなっていた。

 

(まさか……まだ19歳なのに、もう私って乙女としてダメなんじゃないのぉ。魅力ゼロとか!? あぁぁぁ、暗黒の根源たる闇がー、なんて言ってる場合じゃないのかも………はぁ、超弩級英雄伝(メガヒーローズ)ノート、どうしようかしら)

 

 ままならないという、ちょっと乙女として悲しい気持ちが心へと広がっていた。

 その思いを一人抱き締めたまま、ラキュースは前を向く。

 だが、視界の端に入る彼女のこの思考を、近くへ座るラナーが偽アインズに視線を向けたまま、苦々しく読み取る。

 

(もうすぐ死ぬ運命のブスが。なんて図々しいっ。ご主人様との御子を先に孕むのは、お前なんかじゃないのよ。ルトラーにさえも、絶対負ける訳にはいかないのですから)

 

 永遠のライバルと感じている第二王女との対決を思い出し、笑顔に無言も内心で憤慨する王女さまであった。

 

 冒険者代表達の視線を受ける中で、王国戦士長よりゴウン氏が紹介される。

 

「ラナー王女を始め冒険者の方々、お待たせした。こちら、国王陛下の客人でもあるアインズ・ウール・ゴウン殿だ。今回の竜王らとの戦争では、我々王国にとって勝利への非常に重要な任務に就かれる」

「「「おおぉ」」」

 

 王国戦士長から『勝利』という言葉に室内へ歓声に近いざわめきが広がった。

 厳しいはずの王国側の現状において、当然とも言える反応。

 特に、エ・アセナルで絶望的戦闘を経験したルイセンベルグは、本当なのかという驚きの表情を浮かべていた。

 ラキュース達『蒼の薔薇』は、ラナーから聞いた『風の噂』なるガゼフが救われたというの異国の特殊部隊殲滅の件と、2度の会談をへて相当な実力であると理解しており、この場では特に表情を変えなかった。異国の特殊部隊とは、スレイン法国の陽光聖典辺りで規模も数十名と推測。それをアインズ一行のたった4人で、短時間に無傷で消し去っている状況から異様な強さは確実だ。

 ラキュースは思う。そうでなければ大都市を一晩で灰にした圧倒的強さを持つ竜王軍団へ対してさえ、これほど無頓着といえる態度に説明が付かないと。

 ラナー王女も特に変わらず上辺だけの笑顔を続けていた。

 因みにモモンは、周りに合わせて「おぉ」と驚く振りだけはしている。しないと不自然という立場からだ。流石にこういう細かい部分までNPC達では難しい。

 

 支配者として、今目立つのは『アインズ・ウール・ゴウン』だけでいいという考え。

 

 ガゼフは、一応ゴウン氏の具体的な任務に関して明言をこの時は避けた。

 その情報が冒険者達との連携に直接関係ないからでもある。己の主人へ出来る限りの配慮を忘れない。

 戦士長はこの場の全員に向け、一度右側から視線を端まで流すと告げる。

 

「開戦から数日間は、激しく厳しい戦いが続くと思う。でも、ある瞬間から劇的な展開が始まるはずだ。そこが――我々の反撃の(とき)だっ。……その時まで何としても耐え忍んで欲しい。今から少しだけ、開戦から反撃時等についての話をさせて頂く。皆の参考にして頂きたい」

 

 王都冒険者組合長をはじめに、各地の冒険者代表らが頷いた。

 戦士長はこの場において、あくまでもオブザーバー。決定権はなく、冒険者達へ参考意見を述べる立場でしかない。

 ガゼフの語りはじめた内容はまず、王国軍側と王国戦士騎馬隊に関するものであった。

 王国軍に関しては『最終目的は同じ』である事。故に冒険者達は心情を割り切り、戦士長自身も含めた上で、『庇うに及ばず』『局所的指示があっても無視可』『盾として利用可』だと伝える。次に王国戦士騎馬隊は『王の守り』と『反撃時の戦力』とし、明言しないが事実上開戦時から余り動かない予定を示唆する。

 続いてガゼフは、冒険者の士気を考えるとゴウン氏について、やはり大まかな具体的行動の開示は必要だと踏み切る。魔法詠唱者(マジック・キャスター)の彼は来たる時に明確な『勝利』への反撃の狼煙を上げる者だとし、冒険者諸君は撤退することなく無理をしてでも全員で戦線を評議国側へと押し上げて欲しい旨を伝えた。

 状況からその時に戦場は混乱しているはずで、細かい部分は各自の判断でと付け加える。

 でも自然と、目の前の強者であるゴウン氏が中心になるような形で動くことは想像出来る話だ。

 冒険者達の連携は、現場判断での臨機応変なものになると思われる。だから一番に重要なのは、まずゴウン氏がどういう姿でどの程度の実力者かを知ってもらう事であった。

 今日、彼の上位の装備を見た代表者達や話しを聞かされた者らは、(おの)ずとその時に行動を考え出すだろう。

 

「改めて言おう。反撃の時が訪れれば、我々王国戦士騎馬隊や残った王国軍も陛下の命の下で一斉に動くことを」

「うむ」

「良い流れだ」

「おう、やってやろうではないかっ」

 

 ゴウン氏を呼ばず不在で、ガゼフが話をするだけという流れもあった。しかし、実際に立派な装備を持つこの者の姿が、あるのと無いのでは実感が全く違う。言葉だけでは、強大過ぎる竜王の現実から余りに絵空事と思えるのだ。

 現に会合の場の雰囲気は一気に活気付いた。

 室内の戦いへの空気が温まったところで、ガゼフがここまでまだ発言のないゴウン氏へと言葉を求める。

 

「ゴウン殿からも、皆へ一言頂けるか?」

 

 虫達がどうなろうと余り興味のないナーベラルであるが、今は目の前に見えるアインズの代役として見事に振る舞わなければならない。

 

「……皆さん、改めてになりますが、私はアインズ・ウール・ゴウン。……この度は国家の客人として竜王らとの戦いに参戦させてもらいます。勝利の風は必ず吹きます。それを信じて戦いに臨んでください」

 

 ソリュシャンからの指示には建前的な『微力ながら」やアインズらしい「アインズと呼んでいただければ」という言葉もあったが、ナーベラルは自主的に外していた。偉大と慕う絶対的支配者の立場を少しでも大きく見せようと心掛けてだ。

 ここで、ルイセンベルグから当然と言える質問が飛ぶ。

 

「ゴウン殿の使うのは、やはり大魔法と思っていいのかな? 一体どんな魔法なのか」

 

 それに対して、魔力系魔法にも詳しい偽アインズは、偶然にもはぐらかす形で淡々と答える。

 

「竜王の強大な魔法抵抗値すら突破する――そういうモノです。安心ください、私の攻撃は強いですから」

「「「おおおーーー」」」

 

 オリハルコン級が多くを占める代表者達が一斉に驚きの声を上げる中、最強の剣士との声も高いルイセンベルグも唸った。

 

「なんと……本当なら驚愕すべきことだ」

 

 あのエ・アセナルで見た、チームメンバーのアズスの放った〈連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)〉の拡大魔法すらも反射する絶大な魔法防壁の話は伝わっているはずで、どうやって突破するのかへ興味は尽きない。

 王国内屈指の魔力系魔法詠唱者であるイビルアイもその一人。

 

(百竜長ですら、私のとっておきの第5位階魔法連発でも、トドメを差し切れなかった。間違いなく竜王はそれ以上の化物で、そこまで届く魔法があるのか? 逸脱者級の第6位階魔法でも、恐らく難しいはず……)

 

 この場の、特に魔法詠唱者達からの畏敬の視線がゴウン氏へと向いていた。

 モモンは第三者的で眺めるその様子に、名声が広がっていく高揚感をくすぐられ十分満足する。

 

(おお、いいぞぉ。やるじゃないかナーベラルも。まあ、ソリュシャンやユリからの助言があるんだろうけど。でも、ここまで出来れば問題ない。やっぱり、俺が心配しすぎなんだよなぁ)

 

 立派に働くNPC達をもっと信じてやるべきだ、と絶対的支配者は強く思った。

 ――ここまでは。

 このあと、ガゼフが余計な気を利かせる。

 

「良い機会だ。ゴウン殿、会合参加の者達を個別に紹介しよう」

(うわぁぁ。挨拶とかは別にいらないんじゃないかな)

 

 常識的な戦士長の行動へ、ナーベラルの人名不得意の件もあってそんな思いを向ける支配者。

 ただラナー王女や護衛剣士のクライム、『蒼の薔薇』『朱の雫』らは城内の謁見時や戦略会議にて面識があり省かれた。それでもモモンには少し、ほんの僅かにイヤな思いが広がる。

 不安な主を横目に、ゴウン氏は王都組合長に始まり、小都市の前に各地の大都市の組合代表者らから順に挨拶を行なっていく。

 皆、机を挟んで席から立ち上がった形の定型パターン。

 まずはガゼフからの紹介があり、本人達が言葉を交える。

 

「こちらがエ・ペスペルの冒険者組合長、オリハルコン級のリートバルド殿だ」

「リートバルドです、ゴウン殿。よろしくお願いする」

「どうも。こちらこそよろしくお願いします、リートバルド殿」

 

 だが偽アインズは、人の名前に関しほぼ完全な対応を見せた。

 裏でソリュシャンが懸命に、人間の名前としてではなく別の表現で指示を出す事で、表面上は不自然なく名の発音がされていく。

 間もなく大都市として4番目にエ・ランテルの順番がやってきた。

 冒険者組合長のアインザックに魔術師組合長のラケシルが紹介され挨拶も程なく終わる。

 そして、いよいよ漆黒の戦士へと移る。()()は当然その時に起こった……。

 モモンについてガゼフとしては、今日初めて合う人物であったが、竜王国救援の件は大きい問題であったため彼の印象はしっかりと刻まれていた。

 

「こちら、エ・ランテルの冒険者でモモン殿だ」

 

 戦士長の紹介を受け、モモンは前の組合長らと同様に定型で平然と答える。

 

「モモンです。ゴウン殿、よろしくお願いします」

 

 対して、仮面の魔法詠唱者がどこか緊張気味に告げる。

 

 

「……どうも。こちらこそよろしくお願いします、モモンさ―――ん。………失礼、モモン殿」

 

 

 身長がほぼ同じで、机を挟み兜と仮面の顔を付き合わす大柄の二人。

 

(おいーっ、ナーベラル! なんでここで他と違うんだよぉぉー)

 

 ナーベラルへの突っ込みと内心で激しく動揺し、一度沈静効果が起きたほど。

 絶対的支配者には何となく予感があった。至高の者らに対し忠誠心が高すぎる傾向から、敬称は大丈夫なのかと……。更に。

 

「――っ!?」

 

 眼前のゴウン氏が咄嗟に頭を下げようとしたのを、モモンは右手を軽く上げて制止した。

 この会話で場の空気が、一瞬「あれっ?」となったのは言うまでもない。

 ただ、誰にでもいい間違いはある。それに『さん』で留まり『さま』と言い切っていない事から結構救いがあった。そして、支配者がナーベラルに頭を下げさせなかったので、ギリギリ状況も踏みとどまっていた。

 またここで戦士長が、他への紹介も途中であった事から停滞させずに、次へと進めてくれたのも大きい。

 特段に不自然さを引き摺ることなく、そのままガゼフは一通りの冒険者代表らとゴウン氏の挨拶を無事に終わらせる。

 モモンは、正直ホッとしていた。

 

(あー、こういった状況も想定して、練習や訓練をしておくべきだったよな。うーん、俺の考えがまだ足りなかったかな)

 

 既にモモンの中で、ガゼフや戦闘メイド達へのマイナス性を含む思いは残っていない。

 ナーベラル自身の気持ちは別にして――。

 

 その後は、途中になっていた冒険者達の強化の件について、話し合いが続く。

 ゴウン氏には席が用意され、ガゼフの隣に座る形でそのまま会合へ残っていた。

 強化の件に影響を与えたのは、ゴウン氏の『反撃の刻』という話である。

 冒険者達は、大きい希望をもって戦えるという心の拠り所を得ることになる。その為、他チームへの強化については、各階級の力の有る前衛戦士へ強化を振る方針にほぼ満票で決まった。

 王都組合長から「では最後の議題となりますが、冒険者達の展開につき今一度確認を」という話が出ると、ルイセンベルグは厳しい表情で「少し時間が欲しい、皆に話がある」と告げて来た。

 王都組合長の他、会合の組合長らが頷き促すと、ルイセンベルグは口を開く。

 それは1週間前の話。

 旧都市エ・アセナル上空であった竜王らしき個体と不明者との壮絶な戦いについて語り始めた。

 モモンにはその内容が何かを理解出来た。しかし、目撃したアズス達3名には遠すぎて闘う相手の正体は不明のままであった。竜王よりも随分小さい相手なのは確からしい。また竜軍団側の被害状況も不明だという。

 結果は竜王が勝った模様で、趨勢を決める一撃により遠方の山の一部が吹き飛ぶ程の攻撃を見せた話を伝えると、ルイセンベルグは述べる。

 

「現地に潜伏を続ける者達から知らされていた情報だ。竜王側が勝った事から、それほど大勢に影響を与えず、伝えてもこれは士気を下げる内容だと思い今まで黙っていた。でも状況は随分変わったと考え、今伝えた。ゴウン殿も竜王の必殺の一撃には十分注意されよ。最大射程は――10キロに届く模様だ」

 

 ゴウン氏は一言「分かりました」と泰然に答えて一つ頷く。ただそれだけ。

 その様子に、会合の冒険者代表らは互いに驚きの表情で視線を交わし合い、同様の考えを心に浮かべていた。

 

(((この人物は、本物の英雄級だっ)))

 

 続いてルイセンベルグは、その竜王を相手にした者についても考えを語る。

 

「恐らく人程の大きさだと思う。しかし、我々王国の者ではないだろう。先月に戦士長が異国の部隊に襲われた件もある。故に私は、越境して来た法国の特殊部隊の者ではないかと考えている」

 

 聞いた者達は多くが「んー」と唸るような声を思わず出していた。

 スレイン法国の特殊部隊。遭遇した者は、ミスリル級冒険者のチームですら殆どが死んでいる恐怖と謎の精鋭部隊である。

 法国内に幾つか存在するとされるも、王国内では殆ど把握出来ていないのが現状である。

 そして、これらに対し調査し備え国民達を守るのは冒険者達の役目ではない。

 王国戦士長や王家や貴族達、王国軍の仕事であった。

 

「アルベリオン殿、貴重な情報提供を感謝する。我々も先日の件から現在、対策(各大都市へ影響力を持った調査機関の立ち上げ)を模索しているところだ」

 

 ガゼフが、耳の痛い話について手を(こまね)いている訳ではないと強めに言葉を発した。自身が狙われた所為で3つの村が壊滅した責任と怒りは決して忘れていないのだと。

 ルイセンベルグは戦士長を責めているのではないと、話を区切る意味で首を縦に一つ振った。

 

 最後に、冒険者達の展開について今一度確認が行われ、一部調整されると冒険者代表達による会合は無事に終わる。

 解散となり、まずラナー王女とクライムが会合部屋から去っていく。結局、ゴウン氏とは直接会話せず、不仲案は健在のままに。

 続いて戦士長がゴウン氏と退出する。その際、冒険者代表の皆から「我々に希望と力を戦いの中で見せて欲しい」と期待の声を掛けられていた。

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)と300頭もの(ドラゴン)は、人間達がどれほどの武勇を誇ろうともやはり大いなる脅威でしかない。その強敵の壁へドデカい風穴をあけてくれる『人類の英雄』へと希望を託すように……。

 そうして壮絶な戦いへ臨む者達の顔は、皆、最後にそれでも上を向き部屋を後にする。

 

 モモンは、王城からの帰り道の馬車でアインザックから問われる。

 

「あのゴウンと言う魔法詠唱者は、どういう人物に見えた?」

 

 漆黒の戦士は、難しい質問をされた気がした。

 客観的に答える必要も感じ、モモンは偽アインズと初対面を利用する形で返す。

 

「んー、正直、まだ良く分かりませんね。やはり、実力を見てみないと」

「そうだな」

 

 アインザックは、モモンの意見にも理解を示す。

 しかし、王国民としてはやはりかなり期待していた。

 ゴウン氏と同じ魔法詠唱者のラケシルは、興味深げに話す。

 

「ははっ、第6位階の魔法かもしれないぞ。是非とも直に拝見したいところだ」

 

 久しぶりにはしゃぎ気味のラケシルの姿に、昔から変わらんなと組合長は楽しげに呆れる。

 馬車は王都冒険者組合の建屋へと近付いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏の陽射しが照りつける組合事務所前の石畳へ、馬車から降り立つモモン。

 アインザックらに誘われ、漆黒の戦士は一度上の部屋へ戻るとマーベロを伴い4名で少し遅めの昼食に向かう。

 冒険者の多い王都冒険者組合の建物内には、2階に酒場兼食堂もあった。

 時刻は午後1時を回っていたが、急ぎの用はなくのんびりと45分程昼食休憩となる。

 食事を終えて飲み物を取りながら席で寛ぐ最中に、ラケシルからある行事を知らされた。

 

「そうそう、モモン殿。今夕に、ここの1階の大広間でちょっとした宴が開かれる。我々の協力チームとして是非君らも出て欲しいのだが」

「宴ですか?」

 

 出るのは構わない。だが、モモンは一介の冒険者だ。国王の客人であるアインズみたく勝手な格好は出来ない。

 この世界の正装の知識をそれほど持っておらず内心で戸惑う。以前のデートで着た上下黒でジェントルマンみたいな方がいいのか、それとも貴族風のシャレたものがいいのかと首を傾けた。

 すると、アインザックが内容について補足してくれる。

 

「なに、今日会合で会った各地の冒険者代表を始め、上位冒険者達を集めての相互激励会みたいなものだ。いつもの身形で構わないよ」

「あ、そうですか。分かりました」

「モモン君達は、午後5時半ぐらいに1階の大広間へ来てくれればいいぞ」

 

 モモン達とアインザックらは昼食を終え食堂を後にする。

 代金はアインザックが()()全部払ってくれた。先日も共に食事をした際、モモンは払わせて貰えず。思いのほか良い上司達だ。

 この新世界で初めて絶対的支配者を奢ったのはアインザック達である。マーベロからの報告により、密かに組合長等はナザリックの歴史にその名を残していた……。

 今、午後2時前を迎えていよいよ暑いが、調温調湿出来るモモンとマーベロは涼やかに王都冒険者組合の建物から外へと出たところ。

 3時間程自由時間となったため、暇つぶしもあるが結構深刻な話も存在して『漆黒の剣』の宿屋へと向かう。

 組合長達はのんびりした昼食時にあえて触れなかった。先程馬車の中では、アインザックから戦場の持ち場についての話もあったのだ。会合の最後で最終確認があった際に出ていたが、改めて告げられていた。

 

「――我々は、旧エ・アセナル東方域で百竜長級の(ドラゴン)を相手にする予定だ」

 

 一応、それは大都市エ・ペスペルの2組のオリハルコン級冒険者チームと合同作戦とのこと。総勢で14名だ。

 恐らくLv.50以上辺りの竜長が討伐対象というところだろう。

 ただ、アインザック達オリハルコン級のレベルは25弱程度だ。かなり無茶である。いやユグドラシル的には、もう絶望的と言った方がいい。

 

(どうしたものかなぁ。組合長ら2人に死なれるとエ・ランテルの組合はどうなるんだろう。あ、エ・ペスペルのオリハルコン級達が居なくなるのも竜王国救援に支障が出るじゃないか)

 

 『漆黒の剣』の滞在する宿屋への道を進みながら、モモンはずっと難題を考える。

 

(うぅぅ……。んー……)

 

 いずれも生き残って欲しいが、現実的には難しいと言わざるを得ない。

 かと言って組合長らへ、異常に不自然な強化の下駄を履かせるわけにもいかないのだ。

 

「うーむ」

「あ、あの、モモンさん。どうかしましたか?」

 

 支配者の苦悶するような声に、手を繋いで歩くマーベロが守護者として役立とうと尋ねた。

 常にモモンガ様の敵を全て薙ぎ払う準備が出来ており、彼女の眩しいオッドアイの瞳の奥は、色あせた灰色の闇が見え隠れする。

 モモンは中々厳しい難問に当たり悩ましい中、見下ろす先の可愛い闇妖精(ダークエルフ)の笑顔でも見て和むことにする。

 しかし、ここで絶対的支配者は見上げている()()()()()()から閃き、足掛かりを掴む。

 

(……あー。これなら、いけるんじゃないか)

 

 策を得た絶対的支配者は立ち止まり、手を繋ぐマーベロへ体を向けると、ヒントをくれた彼女の頭をフード越しに空いた手で優しく撫でてやる。

 

「いや、マーベロが良い所で声を掛けてくれて、なんとかなりそうかな」

「あぁっ。は、はい、よかったです」

 

 主の声が明るい雰囲気を帯び、思わぬご褒美まで頂いて、小柄な最狂の守護者は満面の笑みを浮かべた。

 『漆黒』の二人はそのまま10分程、計50分弱歩き、王都の西側の中央からみて、少し外周壁寄りの地区に建つ宿屋へと至る。

 宿屋としては中の下という感じ。冒険者人口で(シルバー)級の階級相当に比例した辺り。ニニャやペテルらの話しから、他都市の同階級の冒険者達で満室らしい。

 一応『漆黒の剣』の泊まる宿屋の場所は聞いていたものの、真っ直ぐこの周辺へ来れたのは、無論八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)の反応を探ったからである。〈上位不可視化〉実行中でかなり接近しないと捉えられなくなっているが、ペテル達は宿屋近くの店と思われる建物にいるようだ。

 合同訓練は早朝ということだし、この時間は昼寝か涼んでいるかだと聞いていた。

 しかし、いきなりニニャ達の居る場所へ向かっては不自然。

 まず「他から聞いた」という行動の理由を作るべく宿屋へと寄っている。1階の受付で宿屋の親仁へと『漆黒の剣』の者達について尋ねる。すると、意外な事にダインが降りて来た。どうやら彼だけ昼寝をしていた模様。

 

「これは、モモン氏にマーベロ女史。では、ペテル達のところに案内するである!」

 

 二人が来たのはニニャの件だけでなくきっと話があるのだろうと、ダインはメンバーらの居るところへ直ぐ連れて行ってくれた。

 

「それにしてもモモン氏、先日の食事の席は楽しかったであるな!」

「ああ。ルクルットが自分の拳を口の中へ入れてみせたのは驚いたけど」

 

 数日前に会った際の内容について、支配者はパンドラズ・アクターから記憶を貰っているので、道すがら会話を振られても問題ない。

 1分程で着いたのは酒場風の店で、ダインを先頭にモモン達も入って行く。

 

「あれっ、ダイン。昼寝してたんじゃ……って、モモンさんにマーベロさん!?」

 

 最初に反応したのは入口が見えていたルクルットだ。仲間の声に、背を向けていたニニャや横向きのペテルも驚く顔をこちらへと向けた。

 

「あれ、こんにちは」

「えぇっ、モモンさんとマーベロさん!? こ、こんにちわっ」

 

 ペテルの挨拶に続き、昼下がりに暑さもありダレた感じでいたのでニニャは少し焦る。

 

「ニニャ、二人もどうも。ちょっと話したいことがあってね」

「こ、こんにちわ」

 

 モモンの後にマーベロも挨拶を送る。

 ニニャ達には現在、強力な八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)を付けているので、中位の竜兵なら数匹同時に襲われても問題はない。

 それでも支配者は、一応戦場の場所や役割を把握しておこうと考えての行動だ。

 ――保護対象死亡という失態は許されない。

 なぜなら、ツアレの妹であろうニニャの存在を、未だ直接某天使へは伝えていないと言う恐ろしい事実があった。ただ護衛を付けている現状から()()()()()が、気付いていないわけもなく……。

 達人級の同志である会長(アインズ)の行動を、静かにワクワクしながら見守っているのは間違いない。

 ペテルらとモモンにマーベロは、店員を呼ぶと大きめの6人席へと移る。

 店内や周りはざわついており、大声でなければ注目を集める感じではなかった。

 ダインと共にモモン達も飲み物を頼むと、漆黒の戦士は率直にペテル達へと尋ねる。

 

「みんなの担当はどの辺りになりそうかな? 俺とマーベロは旧大都市の東方になったよ」

「「「「っ!!」」」」

 

 どうやら彼等4人にも配属指示が来ていた模様。

 モモン達は後でルクルットに教えられた。経験と情報豊富な老練の冒険者達によれば、最も激戦地となる予想は旧大都市南方域という。

 また一番小規模だが、袋小路で必死地という北側。そして西側は元々竜達の防御陣が薄く一番マシと言う話だ。噂では王国の第一王子がそちら方面を率いるらしい。

 東方側も戦域は広く、激戦が予想されているそうだ。

 モモンの問いへペテルが若干、間を空けて答える。

 

「……そうですか。私達は、旧都市の南東側の配置になりました。6つの(シルバー)級チーム合同隊です。少し配置が近いかもしれませんね」

 

 『漆黒の剣』の4人は、穏やかな笑顔を浮かべた。以前見たモモンの雄姿がそうさせる。

 竜兵の強さについては、『朱の雫』や『蒼の薔薇』達からの報告と共に難度で60以上が伝えられていた。全体の士気を考え、随分と控えめな値で。

 その数値を上回る水準が目安で、各地の合同隊は組まれている。

 

 でも――現実は余りにも厳しい。

 

 兜を外し、頼んだ飲み物を受け取ったモモンは、ペテルから真剣な表情での相談を受ける。

 

「モモンさん。私達〝漆黒の剣〟は……どうすれば戦力に成れるのでしょうか」

「何かあったのかな?」

 

 余計な言葉も吐くイグヴァルジに近い悪漢冒険者は、他にも居そうに思えた。

 

「実は――」

 

 一昨日の早朝訓練において急遽、(シルバー)級冒険者チームの各リーダーへ対し、難度60水準の強さを体験するため、ミスリル級冒険者との練習手合わせが行われたという。

 普通は、上位階級の者達が下の相手をすることなどない。

 その経験を各チームメンバーへ伝え、(ドラゴン)との対決に備えるという特別メニュー。

 『漆黒の剣』代表としてペテルは武技〈要塞〉も駆使して立ち向かったが、相手に手加減されつつも惨敗していた……。

 その差は余りに歴然であったという。

 

「人にすら全然届かなかった。なのに……全てが強靭な竜種には特に外皮の鱗もあります。低位の魔法なら完全に跳ね返し、上位の武器の攻撃で殆ど傷も付かないという伝説を良く聞きます。

 ――モモンさんならどう戦いますか?」

 

 戦いがいよいよ現実味を増し、ペテル達に言い知れぬ難敵への恐怖が迫って来ていた。

 それに対してモモンは、嘗て絶望的なワールドエネミー級との戦闘やナザリックへ大侵攻を受けた折も、真剣に死力を尽くして覆してきたユグドラシルでの戦いを思い出し伝える。

 

「確かに火炎竜(ファイヤードラゴン)は強い。それでも、無敵じゃない。まず相手の得意な分野では闘わないこと。つまり、空中や火炎系、打撃戦では元から不利なんだ。それ以外で突破口を見付けて貫くしかない。雷撃や冷気系には耐性が弱い傾向にある。一部個体によっては、鱗の強度にムラがあるヤツもいる。

 そこへ――俺は全力を出し切って戦うだけ。苦しくても、前を向くしかない。結局はまず自分がやるしかないんだ。しかし、その中で俺は―――絶対に仲間を見捨てないつもりだ」

 

 確かにユグドラシルで、鈴木悟の命は掛かっていなかったかもしれない。

 しかし彼自身、ヌルイ気持ちで戦いに臨んだことは一度も無かった。それがあったから、仲間達とナザリックを護りきれたのだとギルドマスターとして自負している。

 憧れ頼りにする戦士の放った言葉に、ペテル達は強く勇気付けられていた。

 

「ありがとうございます、モモンさん。目が覚めた感じです。もっと策を練ってみます」

「流石、モモンさんっ。力も使いどころがあって、集中すべきって話だよなー」

「やっぱりモモンさんは凄いです。私も冷気系や雷撃系を中心にし、竜へもっと負荷を掛けれないか考えて組み立ててみます」

「うむ! 私にも、点在する植物群を使って竜達の足を捕まえ、地上へ釘付けが可能かもしれない〈植物の絡み付き(トワイン・プラント)〉を強化するなど、まだまだ出来る事があるな!」

 

 (シルバー)級冒険者チームだけで倒すのは無理かもしれないが、竜を足止めしている時にミスリル級の冒険者チーム達と合流する場合も考えられる。

 何が起こるか実際に戦ってみないと分からないと、ペテル達は個々で考えを新たにする。

 自分の言葉を信じ、懸命な彼等の姿を見てモモンも少し複雑な心境となった。

 

 

(仲間……を見捨てない……か)

 

 

 ユグドラシル時代を思い出し、心の底が少し熱を帯びていく、そんな感じを覚えていた。

 このあと15分程、竜について6名で特性や戦いを整理する。モモンは勿論のことマーベロも、マーレとして配下に竜達を従えており意外に詳しいのだ。それから店を出ると少し歩いた空き地でペテルとルクルットはモモンへ、ニニャとダインはマーベロへ1時間程、体を動かした対応の指南を乞うた。

 想像する訓練も重要だが、実際の動きやタイミングを掴むのは、やはり見て体感した方が早い。

 モモンは二刀の剣で竜の鋭い爪を表現し、マーベロは空を舞い空中の者への対応を考えさせた。

 マーベロとしては、『漆黒の剣』達への感情は特にない。ただ、熱心に〝漆黒〟の噂を広げてくれる有益な者達である点や、至高の主が他の者とは違う待遇をしている事は十分感じられた。だから手を抜かずに手伝っている。

 あっという間に時間は過ぎて午後4時半を大きく回る。

 『漆黒の剣』への指南の前に、5時半から外せない用がある件を告げており、モモンら二人は組合事務所へ引き上げる時刻となった。

 ペテル達から、遅くとも明後日の朝には部隊が移動を開始する予定と聞く。

 ニニャとモモンが、マーベロら4人から少し離れた場所で静かに向かい合う。

 

「モモンさん、今日来てくれてありがとう。私はチームの仲間達と、全力で戦って来ます。戦いが終ったらまた会って下さいね」

 

 約束は守るためにある――ニニャの強い決意が表情から読み取れた。

 頷く目の前の彼氏が、あるモノを彼女へと手渡す。小さな『木彫りの彫刻像』を。

 

「これを。……君に持っていて欲しい」

 

 魔法詠唱者の少女は笑顔でそれを大事そうに受け取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここひと月程の昼間、至高の御方の不在時間が多めのナザリック地下大墳墓。

 今日のこの時も大墳墓内に(あるじ)の姿は無い。

 栄光ある本拠地の留守を守る最高責任者にして、またしてもアインズの執務室に籠る守護者統括のアルベドは思う。

 

(寂しいわね。あぁ毎日、夜のお戻りが待ち遠しいわ)

 

 愛しいモモンガ様が居てこそのナザリックなのである。

 No.2の彼女にも御方に遅れる形だが当然、第九階層に専用の執務室が与えられていた。

 しかし――彼女は当初より支配者へと願い出ている。

 

『あの……アインズ様。御不在の折ですが、()()アインズ様の執務室にて仕事をさせて頂いてもよろしいでしょう……か?』

 

 彼女は淑女らしく、それはそれは随分と寂しそうな表情で訴えていた。

 

『ん? (まあ見られて困るものはないんだし、それぐらいならいいか)ああ、別に構わないぞ』

 

 アインズとしては、既にデミウルゴスも含めて多くの面倒事を押し付けていた面もあり、そう伝えていた。いや、伝えてしまった……。

 そのためアルベドが、御方の部屋へ居る事は正当であり不敬と言わせないっ。

 彼女は了解を貰って以後連日、支配者を想い時折「くふふ」と微笑みつつ、愛しい主の居た空気がまだ残るアインズの執務室で仕事の8割近い時間を過ごす。当番のメイドへも「くれぐれも、アインズ様退室直後の空気の入れ替えは断じてしないようにっ」と厳命気味で通達していた。

 本日のアインズ様当番のメイドはフォス。彼女は、室内の扉脇で直立姿勢のまま微動だにせず控えている。

 アルベドは、絶対的支配者が使う黒き大机の前にあるソファーセットへと腰掛け、日常の膨大な仕事を(こな)す。彼女が、支配者の大机と立派な椅子を使うような無礼をするはずもない。ただ、偶に大机や椅子の背もたれへ手と指を這わせ、主人の温もりを探すぐらいである……。

 あと常時、支配者のベッドへと潜り込み程良い己の香りを残している訳ではない。――稀にだ。

 愛する至高の御方に、この大事なナザリックを頼まれているのだ。『妻のお仕事』という気持ちで運営には常に命を掛けていた。

 なお仕事の2割の時間は、統合管制室で御方の野外活動に合わせて超望遠映像を楽しみながら業務する。

 先程もマーレと手を繋ぎ街中を歩く豆粒ほどの御方の姿を堪能していた。マーレが甚だ羨ましいがコレは順番である。

 

(あぁん。きっともうすぐ私に決定的なターンがくるはず。今は我慢よ、我慢っ)

 

 今日の彼女には目覚ましい成果があった。

 第五階層へと赴き、姉ニグレドを介して()()なる雌ながら人間の子供に接触することが出来ていた。統括の個人的にビッグな計画はもう走り始めている。

 

 そして計画といえば―――NPC達主導のナザリック休暇推進計画。

 

 彼女はここ数日、日常業務の傍らで別の書類の山と猛烈に格闘している。

 各階層毎に守護者から上がって来た、ナザリックのNPCやシモベ達及びポップするモンスター達に至るまで、その休暇ルーチンのおおよそ全てへ目を通していた。

 

「くふふふふふふ――――――」

 

 いずれアインズ様とのご休憩に繋がる為、この膨大極まる作業すらもご褒美のようなモノだ。

 アルベドが代行した第四階層が一番早く終わり、第八、第七、第一から三、第六、第九と十、そして最後の第五階層もメドが立つ。

 コキュートスには、3回やり直しが掛かっていた……。

 

『事務ハ慣レナイノデ、スマナイ』

 

 武人の彼は、少し苦手としており苦戦するが、良き配下達にかなり助けられている。

 シャルティアも、配下で謎粘体のエヴァが上司を上手く気分よく自発的に考えさせていた。彼はシャルティアが性格から単調になりがちなだけで、完全に馬鹿というわけではない事に気付いていた。それは……時折思考から零れ、口から漏れ聞こえる支配者との『四つん這いの上に座ってもらう』等、求愛パターンへの余りの巧みさからの推測によるものだが。

 ――まあ違う意味でオカシイと言えそうではある……。

 第八階層内の頭数が少ない事もあるが、慎ましいヴィクティムと思い込みの激しい桜花領域守護者オーレオールのコンビも意外に悪くない。

 第六階層は不在がちな妹をフォローし、二人三脚的に姉のアウラが安定した結果を出している。

 第九、十階層は善意溢れしっかり者のペストーニャと、意外に細かいところも見ているエクレアが無難に纏めた。

 デミウルゴスは、多くの魔物の配下と山ほどの仕事を抱えつつも、第八階層とほぼ並ぶ速さで完璧な内容の資料を提出していた。圧巻である。

 このように調整と資料が揃ったナザリック休暇推進計画は、まもなく至高の御方へとNPC達の総意として具申される予定だ。

 一方、第七階層守護者の本日提出した資料の中に、トブの大森林へ侵攻する『ハレルヤ作戦』の関連物があった。

 関連資料を斜め読み、優秀なアルベドはデミウルゴスのその意図を掴み始める。

 

「ふっ。流石はデミウルゴス、いつの間に。――アインズ様へ楽しんでいただくために、随分と趣向を凝らしているようね」

 

 資料には参考や補足情報風で、トブの大森林以北の地理や勢力の調査情報までもが上がって来ていた。加えて王国内のトブの大森林の西側にある小都市の詳細情報も目に入る。

 長時間に渡り北方を調べていたのは『同誕の六人衆(セクステット)』の一人、ジルダ・ヴァレンタイン以下数体のシモベ達だ。ジルダはナザリックの大宴会で、アインズの頭蓋を見事に磨き上げた胸の大きい蛮妖精(ワイルドエルフ)の娘である。

 善寄りの彼女はセバス配下。しかし、竜王国へ乗り込む以前からデミウルゴスより『ハレルヤ作戦』へ間接的に協力出来る面を伝えられたセバスが調査の指示を出していた。これはナザリックの方針からで、デミウルゴス個人に手を貸すわけではないと。

 王国の小都市については三魔将達が調べ報告されていた。

 これらはまだ、上がって来た単なる地域資料に過ぎない。しかし、各指揮官への仮面装着指示など、それらから派生する戦略が――その奥底に隠された大仕掛けを含む最終目的について、統括の思考へ微かに浮かび上がらせる。

 アルベドは、アインズを輝かせる時事や計画が順調に進行していることに満足しつつ、次の案件書類へと目を落とした。

 

 

 

 そのころ、デミウルゴスは第九階層へと降り立ち、階層代表代行のペストーニャと調査したジルダより新たな報告と共に資料を受け取っていた。

 

「階層守護者であるデミウルゴス様自ら、わざわざのお越し恐れ入ります」

「いやいや。満足のいく情報を調べてもらっているのだから、何も問題ありませんよ」

 

 とても穏やかな笑顔でデミウルゴスは答えた。外部の連中に対し、全く容赦のない恐るべき最上位悪魔の彼だが、有能且つアインズ様へ忠実なナザリックの者達へは気を配り非常に優しい。

 セバスが注文を付けたのは、第九階層まで報告を受け取りに出向いて来るのならという点だけであった。協力する事へ、悪魔も感謝と誠意を少し見せて欲しいとの気持ちからだ。

 デミウルゴスの方も、これは大事なナザリックの方針の中の話や、同じ主へ仕える者が頑張ってくれている訳であり、小さな部分だと割り切って「いいでしょう」と快諾している。

 絶対的支配者へと尽くす強力な両名の守護者は、個人的拘りなど後に回して協力していた。

 

「あの、デミウルゴス様、サンプルの者達については……?」

「大丈夫ですよ。まだちゃんと生かしてますから」

 

 ナザリックの良心を持つペストーニャからの問いへ、笑顔を崩さず最上位悪魔は答えた。

 デミウルゴスからの強い要望で、資料として集められたモノの中には下位のイキモノも混じっていた……。

 本来、デミウルゴスであれば用が済めば全部殺してしまうところである。だが今回、要望を受ける代わりとして無事に生かしておく事をお願いされた。彼にすればこれは完全に特別措置。

 小鬼(ゴブリン)を始め数種族の者達は、各勢力について持てる知識の多くを魔法で聞き出されていた。

 

「サンプルの1体、蜥蜴人(リザードマン)の話からすると、どうやら森の湖南岸に住む蜥蜴人(リザードマン)達の勇者が例の魔樹と遭遇した際に大怪我をしたようですね。その際に病気に感染したらしく、怪我は随分回復しても、まだ起き上がれないらしい。――士気を上げたりでき統率力も高そうな中心者を欠けば、攻略はそれだけ容易くなります」

 

 此度、ナザリックの総指揮官として『ハレルヤ作戦』へ臨む以上、大悪魔は一切手を抜くつもりがない。各地の情報を集めて抜かりもほぼ全部埋めつつあった。

 

「またボガードによれば、東の森では魔樹により最大勢力である妖巨人(トロール)達の部族も壊滅したとのこと。小鬼(ゴブリン)の話だと、森の西側の勢力は被害無く健在みたいで、この機に数を揃え東へ侵攻準備中のようです。そういった混乱に付け込めば、序盤は随分楽に進められますね。この分だとコキュートス抜きで恐怖公だけでも、今調査で分かっている山脈中央までは短期間で制圧出来そうですよ(まあそこまでは、まだ本計画の準備段階なんですけどね――)」

 

 もう既に、彼の頭の中では戦いが終わっていて戦後の、更にその先も全て見ている感じだ。

 ここのところ、驚異の策を連続して見せている(あるじ)に対し決して恥ずかしくないモノをと、侵攻間近に迫るデミウルゴスの意気込みは相当の強さを持つ。

 

(それにしても、アインズ様の先見と巧みな策には常に驚かされます。評議国へ大きな楔を打ち込む片手間で人間の配下エンリを餌に、その者の力と忠誠心も確認しつつ帝国を油断させ、罠に誘い込んでの痛い懲罰をなされるとは。大外から見ていて何と清々しい。巨大で余分な魔樹すらも、気が付けば我々の戦力へと絶妙に組み込まれている……)

 

 デミウルゴスの想定する斜め上の結果を得ており、大悪魔の描く計画よりも広域で随分早い進捗が多いのだ。

 

(本当に存分に楽しまれておられる。これで、帝国は大駒を一つ失った上に魔樹への恐怖も含め、領土すら奪ったエンリの存在を未来永劫無視出来ず、今後へいくつも楽しみが残りましたねぇ)

 

 偶然ではあり得ない展開を数多く見せつけられていた。

 そんな華麗に立ち回った至高の御方へと、今度はデミウルゴスが忠実な配下として魅せなければならない。

 ナザリックが誇る天才へ嬉しいプレッシャーが掛かっていた。

 

(私がお仕えするのは、私を超えるアインズ・ウール・ゴウン様ただお一人。是非とも喜んで頂けるものを示さなければっ)

 

 それは――大量殺戮での単なる征服では余りに芸が無いものになっている。

 ここまで絶対的支配者が示した多くのものは、『殲滅』ではなく敵を激しく翻弄し愕然とさせるゲーム風の闘い。苦渋に苦しむ相手の姿をあざ笑い、己が存分に楽しむ余興そのものと悪魔には見えていた。

 

『楽しむことを忘れるな』

 

 デミウルゴスは、嘗て支配者から自身へと掛けられた重大な言葉を忘れてはいない。

 

(滅ぼすのはアインズ様が飽きられた時に限るのだと、我々配下は常々心掛け守らなくては)

 

 そういう部分も振り返れば、先日から生かしている賢小鬼(ホブゴブリン)らしき個体や白い蜥蜴人(リザードマン)の他、第六階層の村へ預けた昨日の木の妖精(ドライアード)や今日も手に入れた山小人のサンプルらについても聴取後、何か使い道がある様に思えてくる。

 

(ふむ。いずれアインズ様に会わせるのも良いかもしれませんね)

 

 やたらに元気よく(やかま)しいかった木の妖精(ドライアード)などは直ぐに首を手折られるかもしれないが、それこそ御方の自由というものであろうと。

 サンプル達の生存を聞いてホッとするペストーニャらに見送られ、デミウルゴスは上階層へと移動して行った。

 

 

 

 第七階層奥の赤熱神殿まで戻ると、デミウルゴスは入口で立つ補佐のプルチネッラに出迎えられた。カラスの嘴を模した仮面の道化師は大げさに報告する。

 

「これ()これ()デミウルゴス様。ヘカテーさんが執務室で粛々とお待ちです」

「そうですか」

 

 早速彼は執務室へ向かい、中に入る。壁の棚には相変わらず飾られたデミウルゴスお気に入りの骨細工が並んでいた。

 上司の入室に『同誕の六人衆(セクステット)』のヘカテーがソファーから立ち上がる。

 彼女は、頼まれてから4時間程で早くも描き起こし終えた小鬼(ゴブリン)軍団5000体分の集落配置図を差し出す。大きめの用紙で10枚程あった。

 

「デミウルゴス様、こちらが新しい集落図です。ご確認を」

 

 階層守護者は1枚1枚をしっかりと確認する。

 それは部隊構成を元に総数で350棟を超えていた。まず倉庫なども含め大中小12パターンの建造物を考え、それを立地に合わせ調整配置するものであった。

 

「……んー、いいですねぇ。問題ありません。プルチネッラ、十二宮のサバオートを呼んで、守護者統括へこれらを届けさせたまえ。運ぶ際、くれぐれも燃やさないように」

「おおぉ、畏まりました」

 

 オーバーアクションで答えると、プルチネッラが集落建屋の設計図と配置図を持って退出する。

 ヘカテーにすれば、間もなく土台の基礎工事が始まるナザリックの地上都市の設計時でも、抜群の才を発揮した身である。この程度は全く問題なかった。

 デミウルゴスとしては、彼女がいる事で随分と助かっている。

 次の大森林への侵攻に際しても、各所に砦的なものを作る必要が有り、自分で考案しても良かったが現在、建造物系は全て副官のヘカテーにお任せである。

 

「よくやってくれました。アインズ様も喜ばれることでしょう。私からも君の素晴らしい成果だとお伝えしておくよ」

「ありがとうございます」

 

 時間は午後5時半過ぎ。急ぎと思われる仕事は一段落した形。

 

「どうかな、バーへでも。偶にはのんびりと何か飲まないかね?」

 

 悪魔は長寿であり、ここは地下でもあるので時間への感覚は結構アバウトである。

 しかし――彼女は全く違う考えへ反応する。

 

「失礼ながら、これは男女に関するお誘いなのでしょうか?」

 

 NPCの身でもアインズへ臆せず、例の言葉(ハレンチなのはダメ)を放つ彼女である。上司のデミウルゴスにも遠慮はない。

 ヘカテーはLv.92の最上位悪魔だが、属性は中立でカルマ値はマイナス20という中途半端な数値。おまけに設定へ『男女交際はプラトニック推奨』と書かれているのだ……。

 創造主はギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の軍師ともいうべき、あのぷにっと萌えさんである。

 『焦りは失敗の種であり、冷静な論理思考こそ常に必要なもの。心を鎮め、視野を広く、考えに囚われることなく、回転させるべき』という理念から、単純に善悪へ寄らずハニートラップにも動じない事を言いたかったのだろうか。

 しかし彼女が起動されていなかった状況で、それらは打ち消されていると考えられた。

 まさか、あの人でさえも転移した今の状況を想定出来たはずもなく、起動後にヘカテーの設定を一応確認したアインズにも、「ハレンチなのはいけないと思います」の真意は分からなかった。

 そんなヘカテーの問いに対し、デミウルゴスがナザリックの良識を語った。

 

「ヘカテー。君の創造主から与えられた大切な考えは尊重しましょう。でもですね、一言だけ告げておきます。このナザリックの全ては――アインズ様のものであると。だから我々は、あの方の望みとお言葉へ忠実に従うべきなのだよ。それが如何なる要望であってもね。基本的に反抗、反論は許されません」

 

 頭の良いヘカテーには、上司の伝えたい真意を理解する。

 普通に彼女へアインズ様の要望があれば拒む事は許されないと告げただけではない。

 つまり同時に、ヘカテーがアインズ様のものである以上、ナザリックの男性は勝手に手を出せないと伝えたのだ。

 彼女はデミウルゴスの言葉に一応納得し、二人はのんびりとバーへ赴いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 王都冒険者組合事務所1階の大広間では、午後6時前から宴会が始まっていた。

 給仕の居る立食のビュッフェのような形式といえば分かり易いだろうか。中央に広い空間が取れる事もあり、立ち止まっての会話がメインの場には向いている。

 参加者は、王都リ・エスティーゼに集結した冒険者の中でミスリル級以上の者達である。

 その身形は皆、自身の強さを誇るかのように煌びやかな装備を整えて会場へ現れていた。

 特に破格の装備を付けるアダマンタイト級冒険者チームの周りには、自然と塊が出来ていく。

 地方の都市の者達は、王都組合所属で剣豪のルイセンベルグや、魔剣使いのラキュースと直接話せる機会は多くなく、この宴会は千載一遇という場でもあった。

 欠席者はいるものの、400名を超える王国内最精鋭の冒険者達が揃う。

 一応マーベロに指示し探査してもらったが、素でLv.30を超える者はやはり片手に数える程だ。依然としてプレイヤーの影は見えない。

 

「モモン君にマーベロ君、どうかね? 王国全土の上位冒険者達が並び立つこの壮観な光景は」

「……流石に凄いですねー」

 

 会場内でのアインザックからの問いへ、モモンは棒読みにならない感じで答える。

 

「は、はい。僕もそう思います」

 

 宴で無用の関心を避けるべくフードを浅く被らせたマーベロも、主の発言に合わせて組合長へ伝えた。

 「ははっ。流石の貴君らでもそう思うか」とラケシルもご機嫌の様子。

 組合長達は、これまでモモンとマーベロから随分驚かされているのもあり、少しぐらい彼等の驚く姿を見てみたいと思っていたのだ。

 そうしていると、モモンは胸に王都西方の大都市リ・ロベル所属を示す、緑色の花飾りの胸章を付けた見知らぬ冒険者からも軽く手を上げられる。

 5時半過ぎに会場へ入って気が付いたが、モモン達〝漆黒〟はもう結構有名になっていた。

 『竜王国への救援』の件は、水面下でかなりの反響があった模様だ。

 難度30程度のビーストマンは、数を除けば手頃な獲物ともいえる。名を上げるには悪くないと多くの上位冒険者が考えを持ったのである。

 それを伝えて来た、漆黒の見事な全身鎧(フルプレート)で大柄の戦士と、気品のある純白で上等のローブを羽織り、紅色の杖を持つ小柄な美少女のコンビの名も同時に広がっていた。

 〝漆黒〟は白金(プラチナ)級にも拘わらず、オリハルコン級のアインザック達と組むという異例も『4階級特進』を交えてこの場の話題へとなり易かったのだ。

 

(冒険者の俺達の名は、そこそこでいいんだけどなぁ)

 

 耳を傾ければこの会場内で『アインズ・ウール・ゴウン』の名もよく聞く事が出来る。

 この宴会は、ゴウン氏の名が王国全土の冒険者へと広がっていく良い機会となっていた。

 何と言っても竜王の軍勢へ、『反撃の刻』を派手に奏でる実行者という魔法詠唱者(マジック・キャスター)の名である。各都市の代表から話を聞かされ、上位冒険者達の間でも数日中に始まる戦いの趨勢について話題となるのは至極当然。

 しかし、大きい話であるからこそ、当のゴウン氏本人が居ないため、どうしても少し希薄となった。今のところ、〝漆黒〟も話題が並んだ形で伝わっている感じだ。

 

(まあいいか)

 

 別に目くじらを立てるものでもない。この世界では名が知れていれば、各地へ赴いた折に活動がし易いはずなのだ。

 そして名声は、仕事の料金の他に待遇面へも歴然と表れてくる。

 今後も冒険者モモンとして活動する訳で、大きなプラスに考えるべきと支配者は思い直す。

 組合へ加入間もない二人だけの新人チーム〝漆黒〟が、目覚ましい活躍をした話――10名以上の不明者を救出し50名を超す凄腕の盗賊団を討ち果たした――は、竜達との戦いが迫る厳しい状況の中で、勇ましい彼ら冒険者達の心を燃え上がらせていた。

 だから、白金(プラチナ)級であろうと〝漆黒〟の二人へ、多くの声や合図的挨拶が掛けられた。

 

 でも――そういう羨ましい流れを恨めしく思う者らもいる訳で。

 

「けっ! 面白くもねぇ。ちょっと新入りが一発まぐれで大手柄を上げて、次は運よく情報を貰っただけじゃねぇかっ。どいつもこいつも、単なる見た目に惑わされやがって。……俺達がこの10年でどれだけエ・ランテルの街の連中に貢献してきたと思ってやがるんだ」

 

 愚痴るのはエ・ランテルへの貢献より、裏でもみ消した被害や犯罪数で馬鹿にならない人物。

 モモン達と少し離れた所から、椅子に掛けるイグヴァルジが二人を苦々しく見ていた。

 チーム『クラルグラ』の面々は、先日からちょっとした悪行で意気投合した小都市エ・リットルのミスリル級冒険者チーム『炎狼』の者らと10名程でテーブルを一つ占拠し酒を飲んでいる。

 

「ふん、あの全身鎧(フルプレート)、売り飛ばせばかなりの値段だろ。新入りが随分いいのを着てやがるな」

 

 『炎狼』リーダーのカシーゼが、漆黒の戦士が纏う鎧に目を付けていた。

 彼等はよく〝余興〟を行う。装備を賭けたとある真剣勝負を。

 冒険者達には、人間という枠から突出した様々な生まれながらの異能(タレント)を含めた特性を持つ者がいるのだ。

 イグヴァルジが、ニヤリと笑いを浮かべ(けしか)ける。

 

「あんたなら、あの見掛け倒しのヤツには楽勝だと思うぜ。――ガガーラン以上って言われてるあんたのアノ実力を知らないだろうしな」

「ふっ。それじゃあ、一丁決めてやろうか」

 

 イグヴァルジはモモンが成した盗賊団討伐について、自分達のチームでも同様に可能だと考えている。盗賊団の連中は(ゴールド)級冒険者チームをいくつか殺害しているが、恐らく不意を突いたとかで大したことはないとの見方。だから自分達ミスリル級には遠く及ばず、以前から尾ひれの付いた噂がモモン達の無双劇の正体と決めつけていた。

 そもそも下っ端の(カッパー)級がそういうオイシイ話に遭遇したら、上位のチームへ知らせるのが世渡りの常識というもの。

 エ・ランテルで色々幅を利かせている上位冒険者の自分達を差し置いて、組合長らに上手く取り入り、『クラルグラ』の地位へあっさり迫って来ている事が気に食わなかった。

 これまでイグヴァルジは、組合長らに随分と遠慮していたものの、今日のこの流れでもう限界が来ている。

 またモモンと一緒に居るマーベロとかいう美しい娘は、気弱で言いなりになりそうなオマケもあり、仲間達で十分に楽しめそうなところでも目が眩んでいた。

 

(くくくっ。チームに夜も便利な魔法詠唱者(マジック・キャスター)が一人いてもいいだろ)

 

 

 宴会の冒頭は、王都冒険者組合長からの「では始めましょう。暫くは歓談を」と短く簡単な挨拶だけであった。

 そうして40分程が過ぎ、互いの会話が進み場が温まって来た今、王都の女性組合長が再び2段ほど上がる壇上へ立つ。

 

「お集まりのみなさん、少しの注目を。早い方々は明日から王都を離れ担当の戦地へ向かうと思います。今からあれこれ言うのも無粋でしょう。なので皆を鼓舞したいと私がお願いし、これよりアルベリオン殿に剣舞を披露頂きます」

 

 王都組合長のサプライズに、会場内の冒険者達は沸く。

 ルイセンベルグは、剣技であの王国戦士長ガゼフ・ストロノーフをも上回ると言われている冒険者。その太刀筋を見れるというのは中々ないことである。

 同階級のラキュースの横へ立つ完全装備のガガーランも「ほう」と興味津々の表情をした。

 ティアとティナも、其々会場内で趣味の娘や少年の姿を求めて彷徨ったが、収穫なく共に見物する。イビルアイだけは、剣技に余り興味なさげであった。

 名の上がった『朱の雫』リーダーが会場中央へ出て来ると、周囲が下がり直径13メートル程の人の輪が出来上がる。後ろの魔法詠唱者(マジック・キャスター)の中には〈飛行(フライ)〉で4メートル程の高所から見るものも結構いた。

 

「では舞おう」

 

 両腰の鞘を鳴らし聖遺物(レリック)級アイテムの『疾風の双剣』を抜き放つと、腰を少し落としつつまず左右で全く違う技を見せる。右は武技〈穿撃〉、左が〈斬撃〉。彼は左右で同時に別々の武技が発動可能なのだ。

 決め技の一つに、左右同時で〈三影連斬〉を別々に放つ〈三影連・倍斬〉が存在する。ガゼフやブレインとも違う天才剣士である。ガゼフの両手持ちで前方中心の〈六光連斬〉より、前後や左右も攻撃可能で攻めの範囲を広く取れる。ただし、片手持ちのため威力が落ちるという面はある。

 ルイセンベルグは次に地上へ立ちつつ体を中心に激しく回転し周囲を撫で斬る〈転斬改〉を見せた。

 それを軽やかに宙へ反転倒立しながらも持続し、着地と同時に〈双斬月影〉を放つ。簡単に言えば腕を超高速でクロスさせつつ往復させ、軌道が弧を描き三日月型に敵を薙ぐ技だ。

 彼の強烈な太刀筋は簡単に武具ごと切り裂いてしまうと言われている。

 8分程の間、洗練されたルイセンベルグの剣舞は会場の多くの者を魅了し、最後に拍手が大きく広がった。

 アダマンタイト級冒険者という階級は、単に強さを示すものでは無い。

 恐怖の中だろうと数多の冒険者達を導き、勇気付け、そして上へと引き上げる。また仁徳や寛容さにカリスマ性等そういったものも備え『格』の差というか『英雄』にも届く存在なのだ。

 そういう者達でなければならないし、示す責任もあった。

 

「ありがとうございます」

「お見事でした」

「いや」

 

 王都組合長やラキュースから贈られる言葉に、ルイセンベルグは目を閉じながら答える。

 誰もが彼は謙遜していると見た。が、剣豪の心には寒風が吹きまくっていた。

 

(渾身のパワーでさえ、百竜長級には鱗の薄皮一枚傷付ける程度だからな……硬すぎる)

 

 驚異的な竜鱗を突破出来ても、その下のメートル単位で立ちはだかる圧倒的な剛筋肉を――人間の力では断ち切れない。

 

(だが、まだ諦めん。竜達も不死身では無い)

 

 それでも、彼は瞼を開き声援に手を軽く上げ応えると前を向いて歩き進む。これがアダマンタイト級冒険者である。

 

 会場内では、「やっぱり凄いな」「うずうずしてきたぜ」「私も」「俺もだ」と男女関係なく冒険者達の士気が上がっていた。

 剣舞から15分が過ぎた頃。まだ先程の剣舞の興奮さめやらぬ中で、会場一角のテーブルが突如砕ける。

 冒険者達は常人よりも筋力が高く、この場の強化されているテーブルでも意図せず少し壊してしまう事は開宴時から数件あった。

 しかし、今回は故意の破壊である。大きな音を伴い派手に破片が散らばり、会場の視線の多くが一カ所へと集まった。

 同時に小都市エ・リットルの『炎狼』リーダーであるカシーゼの声が場に響く。

 

「おやおや、エ・ランテルの冒険者の方は、少々〝か弱い〟ようで!」

 

 『クラルグラ』メンバーの一人がわざとらしく倒れており起き上がる。

 この騒動は勿論仕組まれていた。

 モモン達は鬱陶しいイグヴァルジ達をさりげなく避けて動いていた。下位でもあり、宴会開始後間もなく一度は挨拶も済ませている。でも、だからといって組合長らにくっついたまま、その後全くヤツらの傍を歩かない訳にもいかない。

 その動きを待つように、(ようや)く標的が近付いてきたタイミングで悪漢達は事を起していた。

 イグヴァルジが、丁度()()()モモンとマーベロを見付けた風で告げて来る。

 

「あー、全くいいところに。ちょっと助けてくれよ、盗賊団50人斬りで強くて有名冒険者のモモン君さぁ」

「えっ?」

 

 言葉には悪意の雰囲気が満載であり、状況がキモチ悪さと嫌な予感しかない。

 場が整ったと、周辺にテーブルの残骸が転がる中で、椅子に座ったまま居たカシーゼがゆっくりと立ち上がる。

 身長は1メートル85センチ程度ながら、彼のアンバランスな体型にモモンも僅かに驚く。

 

 ――強固な肩当ての装備を始め、むき出しの両腕が人間離れした異常な太さをさらしていた。

 

 大きめのメロン大の拳に、両前腕と上腕回りは1メートル程ありそうなゴリラ的サイズだ。

 薄ら笑うイグヴァルジがモモンを『とあるゲーム』へと招く。

 

「なあに、難しいことじゃねぇ。ただちょっと――〝腕力勝負〟で勝ってくれればいいんだよ」

 

 支配者は、それにしても腕相撲に自信があるのがメチャメチャ分かり易いヤツを選んだものだと呆れる。この悪そうな二人がつるんでいるのはミエミエであった。

 しかし、イグヴァルジの挑発は意外に巧妙で逃げる事を許さない。

 

「まさか、相手が強そうだからって逃げたりしないよな? 盗賊団50人へ立ち向かえたのに腕力勝負では戦えませーんとか……ねぇよなぁ? あ、それともやっぱり噂通り、弱ーい盗賊団だったのかねぇ」

「………」

 

 これほど大勢の上位冒険者達の前で、高らかに散々言われて引き下がっては、流石に〝漆黒〟の名声が落ちるのを避けられない。

 ただ、それより敬愛するモモンガ様をこき下ろす風の発言から恐怖が迫る。

 早く答えて決着を付けないと、俯くマーレの瞳が灰色を超え目に見えて黒ずんできていた……。少女は小幅も1歩また1歩と前へ出て行く。それが支配者の視界の端に映り込んできて焦る。

 

(あっ、ヤバい)

 

 彼女の両手に握る丈夫な紅色の杖が、人間の愚か者共の頭へといつ容赦なく振り込まれてもおかしくない状況。

 支配者は主思いの配下の頭を優しく撫でつつ(マーレの瞳に辛うじて色が戻り始める)、気持ち早口で意思を伝える。

 

「分かりました。この勝負を受けますよ」

「おおぉ、そうこなくっちゃ」

 

 ニヒヒとイグヴァルジは、ご機嫌で邪悪な満面の笑顔を浮かべた。

 そして受けた以上、もう引き下がれないだろうと確信し、調子のいい言葉を並べる。

 

「――あー、ただし悪いが賭け勝負なんで、そのご立派な全身鎧をベットしてもらうが。実はな、先の勝負で仲間の装備と結構値の張る剣が取られそうなんだわ。まあ、勝てばいいんだよ、問題ないよなぁ? エ・ランテルの冒険者の力をお前が見せてやってくれよぉー」

 

 『クラルグラ』と『炎狼』の面々も既に、漆黒の鎧を売り払った代金でかなり遊べると気が逸りニヤけた顔を浮かべている。

 モモン的には、『お前がリーダなんだし先にやれよ』と思うが、イグヴァルジも非難を最小限にする逃げ道を用意していた。

 

「無いだろうけど、もしかの時は勿論、次に俺がやるからさぁ」

 

 そこで勝っても、先の『仲間の装備と剣が』という空手形分がチャラになるだけで、モモンの鎧は戻ってこないのだ……。

 エ・ランテルの冒険者の面目を回復した上で、モモンの名のみを地に突き落とす計画的犯行といえる。

 やり方は単純で幼稚だが、明解なので効果は絶大だ。

 あとはカシーゼという男の力量である。

 マーベロの調べで、レベルだけは24とオリハルコン級並みの水準であった。モモン側でそれ以上不明だが、武技を想定すればLv.30に近い戦力と考えられた。

 実際、大きい拳に長く太い腕のカシーゼは、武技の〈能力向上〉と〈剛力〉と〈超剛力〉を発動し、更に秘策として装備の〈筋力強化〉を起動することで、力だけなら難度90程度の者と同等のパワーを発揮出来たのである。

 あながち『ガガーラン以上』というパワーは嘘ではない水準。

 カシーゼは、己の大きい掌を力強く開いたり握ったりして自信のほどをアピールする。

 用意周到にも『クラルグラ』のメンバーらが、大広間脇の倉庫にあったのだろう頑丈な金属製で1メートル四方の作業台を、大広間側へと運び込んで来る。

 この騒ぎを王都冒険者組合長やエ・リットルの冒険者代表に、アインザックも止めようとはしなかった。既に少なからず冒険者達の意地が掛かっていた為、仲裁は結局何かで決着をつける必要があるのだ。

 だから皆、ここは見守っている形である。

 ラケシルが相棒へと厳しい表情で囁く。

 

「またイグヴァルジらか……、困った連中だな本当に」

 

 アインザックはそれへ静かに答える。

 

「ああ。でもモモン君が王国内へ轟く本物の戦士なら、ここで掛かる火の粉を己で払って見せる必要が有る。……頑張って欲しいし、彼なら出来るだろう」

 

 この大一番の公平を期すために、審判はラキュースが務める。

 程なく、広間中央に置かれた黒い丈夫な台を挟みモモンとカシーゼの二者は右手を合わせて握り合う。

 そして台へと両者が肘を付けた。互いに左手はもう台の外側を掴んでいる。

 あとは、その両者の組み合う右手上を審判が叩けばいい。

 この一戦は注目を集め、会場は一瞬の静寂に包まれた。

 

「――――始めっ!」

 

 綺麗なラキュースの声が聞こえたと同時に二人の右手が叩かれ、両者の戦いが遂に始まる。

 開始直後から時折、両者を応援する声が飛び交う。

 しかし、間もなく会場の者が息を飲むような展開が待っていた。

 カシーゼは、いきなりモモンの右腕を破壊するつもりで渾身の力を出し、自分の極太の腕をプルプルさせる程の状況。

 

 にもかかわらず台の上では二人の腕の位置が――――余り動かない。

 

 カシーゼは、見る見るうちに額へ汗を浮かせていく。全力を出し「うぉぉぉー」「あぁぁーっ」「おりゃぁぁ」と気迫の叫び声を上げる状況が3分程続いた。

 なお、モモンは〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉をまだ使っていない。

 支配者の狙う闘いのポイントは己のLv.30強の力と――疲労や衰えない無尽蔵の体力だ。

 眼前の両者が、まさか拮抗するという大きな誤算を見てイグヴァルジは、口を開けたまま呆然とした表情で固まり呟く。

 

「バ、バカな。そんなはずが……」

 

 ムカつく新入りの無様さをあざ笑う目算が大きく狂い困惑する。ほぼ実力主義の冒険者業界で、罠に嵌めた相手が全て上手であったなら――後はどうなるのか。

 今の彼はソレを考えたくなかった……。

 人間が最高水準で力を出し続けられる時間はそう長くない。

 それでも鍛え抜いた冒険者達は、持続力もあり10分ぐらいは持つだろう。

 しかし、アンデッドの支配者にはそういった制限時間はなかった。

 モモンは涼しげに首回りの凝りを取る感じで兜を被った頭を左右へ動かすと、軽い雰囲気の声で煽る。

 

「これがそちらの全力かな? 出せるんなら今のうちに全部出して欲しいね」

 

 カシーゼは相手の腕を余り動かせない状況に愕然とする。

 手合せする男と筋力差がそれほどない事がわかった。故にこれは純粋に持久力勝負もあると。 

 渾身の力を入れたまま、言葉を絞り出すように漆黒の戦士へ煽り返す。

 

「お、おい……モモンとやら。慣れてないお前がこの状況で……いつまでもつと思ってやがる」

 

 勝負には駆け引きがあり、(そし)り合いでなければ言葉を交わす事も反則では無い。

 相手の苦し気な言にモモンは平然と返す。

 

「宴会の時間はまだたっぷりあるみたいだし、あと30分間ぐらいやります?」

 

 カシーゼは馬鹿言えと感じた。もってあと10分程だ。人間の全力の持久力がそんなに続くわけがない。だが、思考がある予想に至る。

 

(こいつ……まさか俺よりも筋力が若干上なのか……? そうでなければ、30分などと言えないはずだ)

 

 まだ余裕を残す力加減なら持続時間が、随分伸びるのは常識である。

 焦りを覚えた『炎狼』リーダーは、目の前の戦士の余裕を、筋力の余剰分だと感違う。

 そして、このままでは惨めに負けだとも思い始めた。

 楽勝で勝てると思ってイグヴァルジの話を受けたが、白金(プラチナ)級に負ければいい面汚しである。

 このままでは、『宴会で調子に乗り、下位のヤツに惨敗した大馬鹿者』として王国全土の冒険者達に知れ渡る存在になってしまうのだ。

 

(じょ、冗談じゃねぇっ)

 

 カシーゼは何としても、自分の持久力が尽きる前に、先に仕掛けようと決心する。

 でも、少し筋力差がありそうなのにどうするのか。

 カシーゼには豊富な知識と経験があった。それはというと、『腕力勝負』には勝つための理論的テクニックが存在するのだ。これには鍛錬が必要で、素人相手ならかなりの筋力差があっても勝つことが可能だ。

 勝負は一瞬と考えていた。

 『炎狼』リーダーは腕の力を保ったままで、握力を若干強弱させ握り具合を確認する。

 

(……いけそうだ)

 

 互いに掌を握りがっちり組んでいるようでも、実際のところ指を抜いたりずらしたりするのは思うほど難しくない動作。無論それは握力や手首(リスト)の強さがあっての話であるが。

 余力のある今のうちにと、カシーゼが仕掛ける。

 『腕力勝負』は腕力が割と近ければ最終的に支点、力点、作用点を上手く利用する者が勝つ。そのために、それぞれの点を自分に有利な形に、位置へと構築し直す。

 まずは握る指を上へ引き抜く様に微妙にずらす。この時相手の指先を引き延ばす様にしつつ腕も引くようにすると相手は手首から離れた所へ作用点が移り組む力が随分下がる。

 ここが勝負時。更に自分側へ相手の腕を引き込むようにすればモモンの腕が伸び切った感じの状態に変わり、そこで手首の強さと回転運動で捻るように一気に倒すのだ。

 宴会場内は『腕力勝負』の急展開に、大きな歓声が上がった。しかし。

 

「――あれ……?」

 

 疑問的な声をあげたのはカシーゼであった。

 彼は確かに勝ったという手ごたえを感じていた。体勢的には確実に有利であるはず――今も。

 しかし、固まったかように相手の腕が倒せなくなっていた。

 その相手であるモモンが満を持した様子で告げる。

 

「これで、もう手は全部出してもらえたかな? じゃあ、今度はこちらの番で」

 

 如何にも余裕の有る雰囲気と言葉であった。

 その言葉通りに、手の甲があと2センチほどで付き掛けていた不利な体勢から、腕がスゥっと立ち上がっていく。そのまま『炎狼』リーダーの必死の形相や抵抗する雰囲気をよそに、何の抗力も感じさせない形で漆黒の戦士は反対側へ相手の手の甲を台へと押し付ける。

 

「――勝者、〝漆黒〟のモモン!」

 

 

 場に響くラキュースからの勝者コールを受け―――モモンは見事に勝利した。

 

 

 今、大広間の者達は新星の活躍に沸き、また表面上はパンドラズ・アクター達にも『御方は下等な相手を初めは泳がせ、最後に華麗な逆転劇……と計算通り』の展開に見えている事だろう。

 ただモモン側は腕が伸び切り、指も伸ばされその第一関節を相手に握られた形で、どう見ても力が入れにくい状態にされていた。

 支配者自身、内心では多少ドキドキの展開であった。

 

(ちょっと、ヤバかったか。まあさせないけど、あのままだったら本当に負けてたかも。なるほど〝腕力勝負〟が得意なだけはあるなー)

 

 支配者は最後、堪らず大きな歓声に紛れて小声で〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉を咄嗟に発動していた……。

 冒頭で単調な力任せの組み手になり、予想通りに凌げた状況からこのまま単に時間が経過すれば相手の疲労で十分勝てる、という見通しを覆された形だ。

 モモン自身、手を用意し真剣味が欠けていた訳でもなかった。しかし、狭い範囲においては知恵や技術、手段により負ける可能性も潜むと言う事だ。

 相手が格下でも油断大敵であり、再度少し甘く見ていた考えを戒める。

 

(……竜王戦には全力で備えよう)

 

 

 モモン達の勝敗は明確についた。

 余興風とは言え冒険者の意地を掛けた真剣勝負に、勝利者が宴会内で喝采される。

 王国東方の城塞都市へ彗星の如く現れ、4階級特進で白金(プラチナ)級になったチーム『漆黒』リーダーの戦士モモンが強敵のミスリル級チームリーダーとの〝腕力勝負〟を見事に制し、エ・ランテル冒険者達の面目を守ったというお話が残る。

 多くの冒険者が、『漆黒』の二人へ次々と声を掛けてくれた。

 

 『漆黒』のモモン達の名が、実力も含めて王国中の上位冒険者達に認められた夜となった。

 

 その中でイグヴァルジも、苦々しい顔で一言「よくやった」とだけ言い残すと『クラルグラ』のメンバーを連れ端の方で大人しくなった。

 ある意味被害者的なカシーゼ率いる『炎狼』も、モモン達に握手を求めた。

 

「完敗だった。悪かったな。行きがかり上だが吹っかけて」

 

 冒険者達は、多くが強者を認める。

 お互いに持てる力を出し合ったわけで、カシーゼ側も『腕力勝負』自体にズルはない。

 黒幕はハッキリしているので特に後引かす理由は無いと、モモン側も応じる。

 

「いえ。好勝負の中で、いい勉強をさせてもらったかなと」

 

 酒杯を鳴らし合い、この件は良い余興という事で宴会内で丸く水に流した。

 ここは冒険者組合内でもあり、冒険者達の宴会はまだまだ日付を越え賑やかに続く。

 

 ただ、モモンらの勝負から1時間半程あと――。

 

「おい、戦士カシーゼ。俺とも〝腕力勝負〟してくれよ。右はしんどいだろうから、左でいいぜ」

 

 そう語って肩で風を切りつつ、漢らしい重甲冑姿のガガーランが例のウワサを聞いて、カシーゼのところへ現れたのは不幸であったかもしれない。

 モモンと戦わなければ、こんな事にならなかっただろう。

 『炎狼』リーダーは再び宴会の余興として、華々しく散った……左腕を派手に骨折して―――。

 でもこれは名誉の負傷とも言える。

 高名な戦士ガガーランは強者としか勝負しないといわれており、白金(プラチナ)級に負けたというカシーゼの汚名は、同日に随分と返上されていた。

 モモンの力量をみての、女戦士の手荒く優しい気配りというところかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 多くが謎と闇に包まれた人類圏に潜む一大組織―――秘密結社ズーラーノーン。

 組織の全貌を知る者は、恐らくただ一人。

 それはズーラーノーン盟主本人だけである。

 ズーラーノーンの高弟達は、もれなく王国内の各地の大都市に本拠地を置いていた。

 しかし盟主本人の『彼』の本拠地は、少し異なる。

 王国中央から北東へと伸びる山脈の北端近く、鉱山都市と言えるリ・ブルムラシュールから南西に40キロ程の山脈の広くすそ野が東側へ伸びた地。160年間、近隣の金山にミスリル等各種鉱山を始め大貴族達の下で死んだ者達を大量に葬って来た広大な墓地があった。

 その地下へ、大規模に『彼』最大のアジトが築かれている。

 生きた手下の数は100名程である。そして200体程のアンデッドの群れも従えていた。

 地下150メートルの本拠地最深部へ近いところには、100メートルを超える長細い空洞が存在する。高さも20メートルに届く場所もあり、地下ながら圧迫感は余り感じない。

 自然の残した壮大さも含め、盟主はこの場所を気に入っており、魔法陣や祭壇を置いていた。

 深夜の今、足元へ浮かび上がる魔法陣の中央へ一人の人物が静かに立つ。

 細身で170センチ程の身長に、魔石の並ぶ首飾りや黒茶のローブに金属的な銀色の杖等、その身は各種魔法装備で固められていた。

 しかし、その中でも一際の輝きを見せていた部位があった。

 

 

 勿論頭部である。そこに、髪の毛は一本も見えず――。

 

 

 大きめのゴーグル風の物を顔へ装着しており表情は余り伺えない。

 ただ口許には皺は見えず、40歳未満ではなかろうかという年齢に見える。

 『彼』は特殊な魔法陣で増幅した魔力を使い、(ドラゴン)の軍団の情報を遠視を使って密かに探っていた。

 組織的にリ・ブルムラシュール内へ潜む部下から、王国軍の噂等も集めている。同時に竜の軍団については高弟達より多くの情報を得ていた。

 しかし自身で確認してみればみるほど、噂以上である竜達の戦力の強大さを痛感しているのが実情だ。

 正面からの戦いは随分愚かに思えた。

 だから、今こそより活用すべきだと感じた――(ドラゴン)の死体を。

 ところが侵攻から出たであろう(ドラゴン)陣営側の犠牲者の躯が、宿営地内で5体しか見つからなかったのである。また1体毎で安置場所が違う上、周回での警備も付いていた。

 

「意外に少ない……埋めた形跡も無いようだが(それほど竜達が強いということなのか?)」

 

 盟主は少し困惑していた。

 エ・アセナルの戦いでは、アダマンタイト級の冒険者も参加していたと聞く。ならば躯が15体程は有るだろうと思っていたのだ。

 アンデッドの竜は、火炎力やパワーだけなら生前より3割は確実にアップする。15体程での遠距離一斉最大砲撃を掛ければ相当な火力のはずである。

 盟主は結果的に、更に多くの竜達の死体から強力なアンデッドを量産出来ると見越していた。

 しかし5体という規模の小ささから始める場合、死体を増やす前に殲滅される可能性が残る。

 儀式に祝われたアンデッド竜達の攻撃による死体増加でなければ、連鎖的に闇の魔力は増えていかないのだ。

 状況を考えれば、ズーラーノーン単独で仕掛けるのではなく、王国軍の動きに紛れて竜達の部隊の後方から不意に襲うべきだと結論付ける。

 

「難題も多いが、今回の儀式で得られる闇の魔力量は嘗ての〝死の螺旋〟の比では無い。我はきっと神にも到達出来るだろう。これは千載一遇の好機である」

 

 盟主直属の配下には、高弟水準まで及ばないが第4位階魔法の使い手が揃う。その上位の配下達10名が、闇の野望溢れる主人の言葉に魔法陣の傍で感涙しつつ粛々と頭を垂れていく。

 今回の儀式は『混沌の死獄』という。盟主が長年研究し続けてきた成果の一つであり、高弟達と連携して超大包囲魔法陣を王国北方に展開する大計画。

 その範囲内において祝われたアンデッドに殺された者は高位で連鎖してゆき、最後に闇の魔力の源になる。そして『混沌の死獄』は人間だけで無く、()()()()()()()()()()となるのだ。

 それだけに今回は想像を絶する成果が期待出来る。

 ただ今回、高弟内で参加するのは5名のみ。その中にカジットの名は無い。

 彼は勤勉で義理堅い男であるが、どうやら最近活動の一部に――怪しい動きが伝えられている。

 盟主直属の配下がカジットの下へ赴き、直接〝死の宝珠〟の状況を確認して、モモンなる謎の戦士の話が嘘でなさそうとは理解する。

 一方で、クレマンティーヌの件は漆黒聖典隊員の抹殺の知らせを待って目を瞑るとしても、謎の戦士が何者で如何なる組織に通じているのかは、やはり気になるところなのだ。

 盟主本人にも出来ない事を成す者へ、不安を覚えないわけがない。

 更に組織への、カジットの忠誠を揺るがせる『死者復活の件』にも何か変化があった模様。

 カジットは自分の配下にも完全秘匿にしており、盟主の犬を紛れさせているが『灰にならずの復活』とはどういう方法なのか依然把握出来ていない。

 でもそんな心配は、此度の儀式が成功すれば小さなものに成り下がると確信している。

 

「(小さい小さい)くははははははは――――」

 

 早くも闇神(あんしん)への到達を疑わず有頂天の気分に酔いしれ、頭部を燦然と輝かせるズーラーノーンの盟主は地下の空洞へ声を反響させ高らかに哄笑(こうしょう)した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはよう、ルトラー。今日の気分はどうだ?」

 

 朝の少し落ち着いた時間帯、9時を前に王都王城内ヴァランシア宮殿5階奥のルトラー王女の部屋を、兄のバルブロが訪れた。

 彼はいつもと余り変わらない服装と雰囲気で挨拶を伝える。妹を心配させまいとしてだ。

 今日の午後、バルブロは王都より北方の戦地へと出陣する。そのために、明日から当分この部屋を訪れることはない。

 しかし、そんな思いなどルトラーには全て御見通しであった。

 

「バルブロ兄様、本日出陣されるのですね?」

「……はぁ、やはり分かってしまったか。困った妹だ」

 

 これまでも、義母の葬儀や自身の結婚式など区切りの日にバルブロは語る前に告げられていた。

 だから今日も努めていつもの風を装った。それでも当てられる予感はあった。

 ルトラーはこの部屋からほぼ動く事は無く、基本的に多くを知る術がない。偶に、覗き窓から外を見ても声まで聞こえてくるわけでもないのにだ……。

 どういう理屈かは分からない。それでも妹に分かるのは、きっと兄妹だからと兄は考える。

 そんな妹が一言だけ助言を伝えてきた。

 

「兄様。くれぐれも絶対に、絶対に攻撃の先頭へは立たないようにしてくださいね」

「……分かった。お前がそれほど言うのならそうしよう」

 

 傲慢さと気の強さで他人の言に大概耳を貸さないバルブロであったが、この妹の言葉だけは金言として信用していた。

 そしてやはり結果的に、この言葉が生命線の境界になる事を長兄はまだ知らない。

 バルブロが少しだけカーテンを開けた窓の外は、快晴の蒼い空が広がっていた。

 兄妹は遠い夏の日に庭で遊んだ僅かな思い出話をしばし楽しんだ。

 長兄がどれほど欲望を秘めていようと、ルトラーへ優しい第一王子として王国を守るために戦場で命を掛けようとしている事は不変である。

 

「御武運と無事の御帰還を、バルブロ兄様」

「うむ。では行ってくるぞ、我が愛しい妹ルトラーよ。変わらず強く生きよ」

 

 死ぬつもりは毛頭ないが、戦場では何があるのか分からない。

 まだ兄らしい行いは何もしてやれていない事もあり、励ます言葉を残す。せめて妹がいつか、窓際から見て気に入った者と添い遂げさせてやれればと思いながら――。

 第一王子は宮殿を後にし、城内の自身の公務室へと戻っていく。

 同じ妹のラナーの部屋へは立ち寄らず。なぜなら、彼女には自由に歩け挨拶に来れる足がちゃんとあるとして。

 バルブロが公務室の前まで来ると衛兵より、珍しい人物の来訪を聞き一瞬驚く。

 室内へ入ると、来客用ソファーに掛けていた第二王子のザナックが立ち上がる。

 

「お邪魔してます、兄上。挨拶をと。本日の出陣の準備はいかがです?」

 

 弟は兄へと、挨拶に来たのか追い出しを喜びに来たのか分からない言葉を伝える。

 近年、将来の王位を意識している両名である。普段から会話をするのも数える程だ。

 なお城内において、室内や廊下の衛兵と騎士は時間ごとに不規則で変わる体制を取っており、不意の訪問では害するのを自然と難しくしている。

 

「(厄介払いか、失態でも探りに来たか?)ふん、問題ない」

「それならば、今しばらくゆっくり出来ますか」

 

 弟は薄い笑顔を浮かべた。

 今回の兄バルブロの出陣は、ザナックにとって崖っぷちと言っても過言では無い。

 もしレエブン侯の作戦がそれなりの成功を収めれば、第一王子であるバルブロは未だ空席の王太子の座へ確実に就く未来を意味していた。

 ザナックは、父で国王のランポッサIII世から、それ程評価されていない事を知っていた。

 それは次男という立場に加え、余りにも見栄えが悪い見た目も影響している……。

 身長が155センチ無い程度で、足も短くおまけに幼少から太り気味という体形はエレガンスに欠けるものがある。

 対してバルブロも細かい思慮に欠ける点から、第二王子同様に国王より今まで王太子について口にされなかった。それでも長兄であり、並み以上の武の才と大きい体格にも恵まれるバルブロは、青年へ成りたての時期に妻を娶らせたりと長年成長を父から望まれていた。

 そして先日の会議にて、王国の厳しい状況での王子らしい発言と行動でランポッサIII世から、現在随分と期待されている。あの意気なら貴族派に担がれ大きく流される事もないだろうと。

 

 だが、戦場に出れば第一王子の死亡もあり得る。

 

 他力本願であるが、ザナックはまだ次期王位争いで十分に逆転可能であった。他力も(ドラゴン)の軍団という、非常に力強き存在なのだ。

 王国軍に負けてもらっては困るが、ギリギリで勝つぐらいの戦況なら、最前線のバルブロは死んでいる展開を間違いなく期待出来る。

 故に、第二王子は現時点でまだまだ焦っておらず落ち着いていた。

 弟のザナックが、兄を押し退けて国王を目指した最初の理由は、昔より王家他多くの者達からことごとく疎まれている恨みと言っていい。

 国王と我の強いバルブロや大貴族達の他、挙句は妹のラナーまでもが第二王子の自分を軽くあしらうような視線と態度をずっと感じていたのである。

 実際、貴族の次男の立場は長男のスペアみたいな扱いが多くなる。病気などで跡継ぎが死ぬ確率は30に1つぐらいだろう。概ねオマケ扱いだ。

 

(ならば、自分が王になってやる。兄を含め、全ての者を見返して、足元へ跪かせてやるっ)

 

 動き始めたのは青年になってからだ。子供では相手にされない為である。

 ラナー程ではないが、幸い頭は悪くなかった。

 水面下で地道に交渉し、六大貴族のレエブン候を上手く味方へ引き込めている。

 レエブン候が戦争国家ではなく、平和な封建制の法治国家を望んでいる思いが会話や書簡により掴め、直接の密談で水面下での協力関係を構築した。

 第一王子のバルブロは激しい気性と我の強い性格から、そういったチマチマした交渉事が一切出来ない。毎年の帝国からの揺さぶりでイラ立ち(いくさ)で返し、徐々に揉みつぶされていく未来が見える。

 

 第一王子が王位を継げば、リ・エスティーゼ王国は――10年持たないだろう。

 

 それがレエブン候と共に出した結論である。

 王太子がバルブロと決まれば、現国王の存命中も国力は年々衰退傾向を維持。そしてバルブロが継承した2、3年後、帝国との敗戦からエ・ランテルが割譲され、数年で候爵規模を含む多くの貴族の裏切り等が起こり国内は大混乱に陥る。最後に王都が帝国騎士団の直接進攻を受け陥落するとの見方だ。

 だから今は、王国の将来的にもザナックは王位争いから降りる気がない。

 最悪――兄を暗殺してでもだ。

 

「ザナック、お前の方こそ王都の備えは出来ているんだろうな? 父上も明日、ご出立されるんだぞ」

 

 一方のバルブロは、最近の弟の行動に兄として苛立つ。

 第一王子の影的存在のはずの弟が、ここ数年、会議において兄を差し置き度々主導権を臭わす発言をしていることが気に食わない。弟は、ただ黙って父上や兄へ従い、場に座っていればいいのである。

 妹のラナーもしかりだ。いずれ、政略結婚で王家盤石の礎になるだけの存在にすぎない。

 奴隷廃止などと、貴族達の利権を奪い王家に反感を持たせる火種を作って何を考えているのかと思う。

 

(己の立場を(わきま)えんザナックとラナーは話にならん)

 

 妹と弟の頭の良さは多少認めるが、第一王子という存在に比べればとるに足らないモノである。

 バルブロにとって、全ては次期国王の自分へと利するものでなければならないと考える。

 その点、嫁いだ第一王女や、役立つアドバイスをくれる第二王女のルトラーは可愛い。

 二人の妹達は日頃から兄を立て、素直に王家や兄へと貢献してくれている。役に立ってこそ家族の愛情も強固となる。慈悲も見せようと思うものだ。

 バルブロは貴族派に担がれているが、第一王女の嫁ぐぺスペア侯爵とは仲が良い方である。

 義理ではあるが、実弟のザナックよりか余程弟として信頼しているぐらいだ。

 信用度の低い実の弟が答える。

 

「大丈夫ですよ、兄上。王都は私がしっかりと守りますので、是非とも前線にて先駆けで武功をお立てください」

 

 さりげなく煽るザナックである。

 弟の言葉に、弱気は見せられないと第一王子の兄が吠える。

 

「ふん、言われるまでもない。(ドラゴン)の首を土産にしてくれるわ、はははっ!」

 

 大きく笑いたいのはザナックの方であった。

 

(はははっ。これで、(ドラゴン)達の方で片付けてくれるだろう)

 

 本当に単純な兄で大助かりだという気持ちで一杯になった。

 満足出来る良い答えを聞け、弟は席から立ち上がる。

 

「長い時間邪魔してもいけませんので、これにて失礼しますよ、兄上」

 

 ザナックは、これが実の兄を間近で見る最後だと思い、その元気な姿を目に焼き付けると背を向け退室した。

 

 

 

 正午が近付く辺りから、王都リ・エスティーゼの全ての大通りは、竜王軍団へ挑む勇兵達を見送ろうとする多くの民衆により徐々に埋まっていく。

 昼食についてランポッサIII世は、出陣するバルブロの他、ルトラーを除きザナックにラナーも集めて共に過ごした。

 そして午後3時過ぎ、王国軍前線の旗頭的立場として第一王子バルブロが出陣する。派手な真紅のマントを翻し黄金と銀色の鎧に身を包み、王城ロ・レンテ城の正面正門より1万余の兵を率いて中央通りを進んだ。王子の傍へ近辺を守る15騎の王国戦士騎馬隊の同行する姿も見える。

 これに合わせて、王都の各地より総勢8万を超える大貴族達の兵団が、王都北方の各担当戦地へと向かい動き出した。既に出立した兵と大都市リ・ボウロロール周辺に待機する北方の兵団を除くと、残りは明日出陣する国王らの約3万弱を残すのみ。

 ただ王都守備軍の兵は、現在も周辺領地内より集結中であり、明後日以降も王都へは少なくとも3万以上の兵力が籠る形だ。

 王都の外周壁に5つある大門はいずれも全開され、勇ましい騎士や兵達を次々と送り出す。

 バルブロの軍勢は中央通りを一度南下し、王都の中央広場から北西に向かう大通りへ転進後、北西外周壁の大門を抜けて旧エ・アセナル西方へ向け進軍していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 本日の王国軍出兵という大きい動きに隠れ、王都周辺ではいくつか別の動きも見られた。

 

 午前中10時頃の王城ヴァランシア宮殿。

 アインズの下へ、使いが訪れ()()深夜会談開催の書簡が舞い込む。

 絶対的支配者は今早朝、冒険者の宴会後にナザリックへ日課を片付けるべく赴き、午前9時過ぎから王城宮殿の滞在部屋へ移り、今は暫しの合間を寛いでいたところ。

 昨日まで反国王派から会合の連絡が来ていない時点で、今日にも来るだろうと考えていた。既に貴族達の出陣が順次始まっている。流石にもう時間がないと、ボウロロープ侯やリットン伯らは相当焦っているはずである。

 『八本指』が随分焦らして引き延ばしたのだろう。大丈夫かと少し心配する程だ。

 当初、子爵からの使いと聞きドコのと思うも、書簡と共に「(貴族派の盟主ボウロロープ)侯爵様は本日出陣されますが、(リットン)伯爵様は明日、国王陛下の出陣に合わせて出立されます」とボカし気味で伝えられ、聞こえた内容にユリ達もピンとくる。

 使いが去ったのちに書簡を開くと、やはりどう見ても内容は某六大貴族の伯爵からである。

 アインズは翻訳眼鏡(モノクル)越しで内容を読む。以下は要約。

 

 『盟主様の示す最終期限が迫る。伯爵に、リ・ボウロロールへの被害を確実に食い止めよとの厳命あり。多くを与えられし者は今宵、最終行動を示されたし』

 

 いつも通り、どうとでも取れる風に書かれていた。

 ボウロロープ侯爵は、自領地の中心的大都市のリ・ボウロロールだけは是が非でも死守したい模様。『反国王派の戦力』と広く言いつつも、元々アインズへの投資の殆どを侯爵が払っているので気持ちは理解出来る。『八本指』との繋がりは、色々な貴族が絡むのだろうけれど。

 リットン伯爵は、アインズ参画へ賛同しツアレの件などで少し噛んでおり、侯爵への面目上で仮面の魔法詠唱者に動いてもらわないと苦しい立場。

 恐らく明日の伯爵の出立時に『共闘組織との良い話』を切望しており、『多くを与えられし者』という表現で、必ず今晩方針を纏めろという圧力へ繋げているようだ。

 ただ今回は――屋敷取り上げに類する脅し的な文句が無くなっていた。

 先日の、『王家からアインズへと金銭を交えて接触があった』話を伝えた効果が結構出ていると思われる。

 『反国王派の戦力』のフリを依然続ける為に、アインズはとりあえず動き始める。ユリへと本日の王都内屋敷への外泊を、宮殿管理担当の大臣補佐へ伝えるよう指示した。

 話を伝えられた大臣補佐は了承するも、また妄想を膨らませ「はぁぁ、(いくさ)の前のお楽しみですか、実に羨ましい」と呟いたとか……。

 今日の午後2時以降は、王都内の全ての大通りが数時間封鎖される事もあり、午後1時過ぎに城を出ることにする。

 アインズは、少し別件があるため昼食後までの時間を、ここでナーベラルへと交代した。

 

 

 

 

 正午を迎える頃、この新世界でも変わらず多くの者が食事を行う。

 王都南西の外周壁門の最も傍にある酒場風の食事処に、フードを深く被るクレマンティーヌの姿があった。

 無論、宿泊する最高級宿屋から気配を消して抜け出してきており、秘密支部の者の監視を完全に振り切ってこの場に居る。

 彼女は今夜、漆黒聖典の部隊へ合流することから、王都を日没後には離れると語った。

 四角い4人掛けのテーブル席の向かいへ座る――愛しのモモンへと。

 

「王都で、モモンちゃんと一緒に(一晩も)過ごせなくて、ほんと残念だよー」

 

 不満気の言葉を口にするが、彼女の表情は飼い慣らされた猫の様に穏やかで嬉しそうである。

 絶対的支配者は、朝のナザリックから木彫りの『小さな彫刻像』を使い連絡を取っていた。彼女が王都でまだ来たことが無い地区を聞くと、再会場所へここ(南西の門から一番近い食事処)を指定した。

 大通りの門から近いので人の出入りも多く、紛れるには容易いとの考えもあった。

 因みに今、マーベロもモモンの横に可愛く座っている。流石にモモン一人とだけでは、偶然という言い訳は不自然過ぎるので、いつものこの組み合わせとなっている。

 昨日のマーベロの()()()()は、クレマンティーヌにとって少しショックであるが、この華奢(きゃしゃ)な娘はモモンの下僕であり、逞しい歴戦の男性戦士なら『正常な欲求行為』と割り切る。

 今後も小娘(マーベロ)はモモンに付いてくるだろうし、まあ彼氏のアクセサリーのような物だとして、クレマンティーヌの熱い想いは特に冷めない。

 だから愛しい男からの呼び出しに、弾む気持ちで駆け付けた形だ。

 

『えへへー。モモンちゃんにまた会えたー』

 

 店の前でそう語った再会当初、本当はモモンの胸へと抱き付きたかった。でも諸々の面と周辺の目を考慮し、クレマンティーヌは彼氏の両手をしっかり握って激しく上下させ嬉しさを表現している。

 時間は無く、三人はそのまま直ぐに店内へ入り席についていた。

 

「悪かったかな、急だし。でももう(今日王都を)出るんだろうし……」

 

 運ばれて来た料理を前に、そう口にするも支配者がクレマンティーヌを呼び出した理由は明確。

 

 ――当然ズーラーノーンの件である。

 

 竜王軍団と王国軍の戦いの中で、何か大事(おおごと)を起こす計画が存在し進行しているとカジットから聞いたのは昨日の朝のこと。モモンは行事の多かった昨日一日掛けあれこれ悩む。

 結局、それにつき一番詳しそうなどら猫的彼女へ問い、必要なら一応可能な限り調べて貰おうと考えた。恐らくズーラーノーンの支部も王都内にあると睨んでだ。

 一見、これら支配者の行動に関し、単に『小さな彫刻像』経由で確認し指示すれば事は済むように思う。だが支配者は、クレマンティーヌとのこれまでの親密といえる関係を踏まえ、王都を今日離れる彼女とここは直接会って頼むのが自然体だろうと出張ってきていた。

 効果はてき面で、女剣士は鎧越しの豊かな胸元前で僅かに手を傾けて合わせると、歪みない満面の笑みを浮かべる。

 

(んふっ。やっぱり、モモンちゃんも私と離れるの寂しいんだー)

 

 両想いの彼氏の気遣いがとても嬉しい。こうして今も危ない橋を渡っているクレマンティーヌだが、全く悔いはない。自身の溢れる愛で、目が完全に眩んでいる状態だ。

 モモンの為なら、傍で何でもしてあげたいとの想いが心に温かく広がっていた。

 彼女はそれを嘘偽りの無い言葉で伝える。

 

「全然大丈夫だよー。モモンちゃんの為なら、この大陸のどこへだって私は駆け付けるからー」

 

 食事を取り始めたモモンが、それを聞いた上で口を開いた。

 

「実は、昨日()()()()()()から知らせがあってね。どうやら彼等の組織は、間もなく戦争の際中に大きい仕事を始めるらしいんだ。だけど詳しくは言ってくれなかったなぁ」

 

 支配者は名や計画をはぐらかす事で、極力周りの者達からの関心を引かないように配慮した。

 利口なクレマンティーヌは、無論これだけで用件の大半を理解する。

 

「あれー? そうなんだ。私は何も聞いてないけどー。あとさー、多分あいつ計画から外されてるみたいで笑っちゃうー」

 

 カジットはわざわざモモンへと重要な秘密事項を知らせた。なのに、詳しくなければ意味がないところから、彼女の推測は外れていないように支配者も感じた。

 (うなず)くモモンへ、クレマンティーヌから笑顔で申し出る。

 

「それじゃー、時間ないけどちょっと調べてみるねー」

 

 少しでも大好きな人の役に立ちたい彼女は、支配者の希望する思惑通りの行動を提案してきた。

 モモンは、食事の席で兜を外していた顔へ笑顔を浮かべて「悪いね、凄く助かるよ」と語る。

 クレマンティーヌには、この夫婦的一コマの光景だけでも幸せであった……。

 来るべき未来、世界の片隅でこうして愛し合う二人が笑顔で毎日を過ごせたらと、ちょっと遠い目をしそうになる。

 でも、彼女は直ぐ現実に戻る。まだそういうお楽しみの機会は先であると。

 

 今夜は――王都に来て以来、散々邪魔をしたムカつくアノ男の処刑が控えているのだ。

 

 それまでに愛しのモモンからの期待へ応えたい思いもあり、クレマンティーヌは名残惜しいが1時間弱で楽しい二人(プラスオマケ1名)の食事会を切り上げる。

 「じゃあ、モモンちゃん。会いに来てくれて、凄く嬉しかったよー。後で(今夜の内にでも)またねー」と、調査結果を知りたい彼氏からの連絡を楽しみに元気よく手を振りつつ、女剣士は王都大通りの人混みの中へと消えていった。

 

 

 

 

 漆黒聖典第九席次の女剣士と分かれた支配者は、パンドラズ・アクターとモモン役を交代。そのまま王城へトンボ返りし、食後のお茶を片付ける合間に偽アインズ役のナーベラルと入れ替わる。

 早くも午後1時を迎える。

 約2時間後に第一王子が出陣する為、城内は普段と違い随分物々しい感じであった。

 客人で本作戦の裏の主戦力のアインズであるが、表ではレエブン侯と国王の方針から全く知られていない。王子の出陣する今日と国王の出陣する明日は、余りお呼びでは無い存在と言える。

 城内の公務室に居るバルブロの所には、朝から今日明日出陣する大貴族達が時折挨拶に訪れていた。

 アインズも、王家の客人の礼儀として城外へ出掛ける前に数分王子との会見に臨む。

 ランポッサIII世としては、バルブロが見事大任を果たしたのちにルトラーの件を知らせるつもりでいた。なのでこの時、彼の前にいる仮面の者はまだ只の旅人の客人にすぎなく、挨拶は実に形式的なものであった。

 貴族間での『形式的』なやり取りについて、ソリュシャンの盗聴により把握出来ており、アインズの挨拶は最後までスムーズに進んだ。

 

「――ではこれにて失礼します。バルブロ殿下のご活躍を期待しております」

「うむ。客人の来訪は覚えておこう」

 

 当然ながら終始、上から目線の王子であった。

 明日、アインズはゴウン屋敷から戻り次第、国王の下へも挨拶に赴く予定だ。

 時刻が午後1時15分を回る頃、4頭立てで八足馬(スレイプニール)に引かれるあの見事な漆黒の優美さを放つ自称『地味』な四輪大型馬車(コーチ)が、王城ロ・レンテ城の正門を出て行く。前回と同様、ユリ達全員を連れての移動である。留守番には、キョウがカルネ村周辺へ戻っている事から、先程昼食より王城へ戻る時点でフランチェスカを〈伝言(メッセージ)〉で呼び寄せている。

 

『フランチェスカ。再度、王城宮殿の滞在部屋での留守番役だ。急の用だが、よろしく頼むぞ』

「至高様ー、了解でーす。ミーにおまかせー」

 

 彼女はトブの大森林内にて、声だけの命令にも掌が上を向く可愛いポーズでオレンジ色の髪を揺らして敬礼。そのまま指示へ従う形で不可視化し、〈転移(テレポーテーション)〉にて宮殿へと来ており後を任せた。

 一応、アインズ一行も出撃を控える立場だが、今のところまだ正確な時刻が決まっていない。

 軍の攻撃開始二日前に動くというアバウトな情報のみだ。理由としては、『蒼の薔薇』が強化についてギリギリまで模索検討したいという理由から。つまり明日一杯は王都に留まる。

 『蒼の薔薇』が要の竜王を抑えるという事なので、彼女達の意見が尊重されている。

 とりあえず、最終的な出撃時間については『蒼の薔薇』から知らせを送るという取り決めで、それまでアインズ一行には自由時間があるという状況だ。

 

 王都南東部の閑静な高級住宅街区へ走る石畳の道を、眼鏡美人のメイド御者に操られ一際目を引くアインズ達の馬車が進む。

 間もなくゴウン屋敷が見えて来た。二回目の深夜会談の翌朝以来10日ぶりの帰宅と言える。

 門周りや周囲の鉄柵も含めて、屋敷は以前より綺麗になっていた。

 『ゴウン』と家名の刻まれた門柱プレートの良く磨かれた様子が馬車の中からも窺えた。

 ご主人様の帰宅に、庭の掃除をしていたリッセンバッハ三姉妹のうち、長女メイベラが門を開くと脇で礼をして迎える。

 次女マーリンは下車時に敷く赤いマットを用意持ち、末妹のキャロルも馬車の扉を開ける役で玄関前へと姉妹が並んで待っていた。

 そんな中で〈千里眼(クレアボヤンス)〉越しで見ることの多い三姉妹を、肉眼で間近に堪能出来て車内のルベドはニヤニヤしている……。

 馬車が泊まるとマーリンによりマットが敷かれ、キャロルが馬車の扉を開く。そして、門を閉め戻って来たメイベラとマーリンが並び、降りて来た者達を「お帰りなさいませ!」と迎えた。

 最後にアインズが降り立つと、屋敷を守っていた3人に声を掛ける。

 

「メイベラ、マーリン、キャロル、……屋敷が綺麗になっているな。本当にご苦労」

 

 それぞれ名が呼ばれると、その場で背筋がピンを伸び直立してご主人様の言葉を受けた。

 一瞬、お叱りでもと思うも、主の声は十分に優しさを感じさせる。

 

「「「ありがとうございます」」」

 

 三姉妹は笑顔で答えた。

 アインズ達は2階の居間へと移動し寛ぐ。ユリとツアレが屋敷の手伝いへと加わった。

 今日明日の、王国軍の王都からの出兵については街中へも立て札他で周知されていたという。

 リッセンバッハ三姉妹は、買い物等の用を昨日中に終えていると屋敷メイド長のユリへ報告。

 まだ午後2時前でもあり、マーリンがお茶を入れたりと屋敷内にはのんびりした時間が流れる。ルベドだけは三姉妹の姿の堪能に忙しそうであったが……。

 それと、マーリンが下がったその直ぐ後にソリュシャンがアインズへと耳打ちする。

 

「アインズ様。人間が二人、屋敷の近くでこちらを窺っている風に思えます。レベルは12程度とゴミですが。排除いたしましょうか」

 

 属性が邪悪(カルマ値マイナス400)なので、外部の人間へは容赦ない表現となる。

 

「いや、伯爵に連なる連中かもしれない。……あと〝八本指〟からの手の者とも考えられる。しばらく泳がせておけ」

「畏まりました」

 

 この件について色々分かったのは、夕食の後の時間である。

 

 時間の空いたアインズは、2階と3階の各部屋に屋根裏も見て回る。どの部屋も、隅々までよく掃除と手入れのされていたことに驚く。

 庭へもソリュシャンとシズにルベドを連れて出ると、キャロルがまだ残っていた仕事を続けていた様子で、ロータリーの花へ水を撒いていた。ここも前回来た時よりも華やかに変わっている。

 そのあとも予想した通り、裏庭を始め倉庫や馬車庫と厩舎なども満遍なく掃除と手入れがされていた。

 気が付けば屋敷の外壁も少し綺麗になって見える。そういえば倉庫に随分と長い梯子があった事を思い出す。この分だと屋根の上までも……と考える。

 

(うん。実に良く働くイイ子達だなぁ)

 

 正直、掃除に関しては〈清潔(クリーン)〉を使えば一瞬である。

 だが絶対的支配者は素直に感心していた。

 

 

 

 

 王国軍の隊列行進が王都を離れて大通りから消え去り、一段落した夕暮れの近付く時刻。

 1000名を超える結構な数の冒険者達が、王国軍の後に続いて動き出す。

 それは、貴族の率いる軍へ道を譲る()()()機会を少なくするためでもあった……。

 

 準男爵達の兵の隊列と遭遇した場合、白金(プラチナ)級であっても多くが「道を譲れ」と言われ平民並みの扱いだ。

 貴族達から正式に一目置かれるには、昨今ではミスリル級以上が目安。

 とはいえ、ミスリル級でさえも騎士級の扱いにすぎない。

 男爵様や子爵、伯爵、侯爵など特権階級の上流貴族連中とは明らかな差があった。

 また王国には1万以上騎士の称号を持つ家が存在するが、実際に(ゴールド)級の冒険者とある程度戦える者は3割も居ないと言われている。(シルバー)級と比べても8割を切る数らしい。騎士の中には成人ながら難度でたった6という、ある意味ツワモノらもいるという噂だ。

 王国の騎士は貴族同様に、多くがただ古来の地位にしがみ付く。そのために低い水準の者が目立つ。

 これに対し、バハルス帝国には騎士として満たす明確な基準が存在し、2代目がそれを満たせない場合、その2代目の死で騎士称号は剥奪される。3代目が成人し満たせば継続されるという救済はあるが。

 養子についても等親で制限されており、遠い縁者や赤の他人では継ぐことが出来ない。

 それ故に、バハルス帝国の八騎士団は王国の雑兵らに比べて精強なのである。

 

 王都の外周壁の北西と北の門より、午後6時から2時間程の間に冒険者達が出立していった。

 なぜ明朝にしないのかというと、明日も国王を始め3万程の貴族率いる兵達が動くからである。それへ出来るだけ先んじた形で動こうと考えた者達が今晩動いていた。

 移動に際し、白金級や金級以上の上位チームには馬車を利用する者らもいる。馬車持ちの御者を雇い入れての乗り合いや、共同で馬車を買って途中の街で手放すなど色々だ。

 勿論馬を使う者もいる。魔法を込めた防具で軍馬を飾る猛者も当然存在する。

 でも大多数はやはり徒歩である。

 そんな感じで移動する冒険者達の中で『とある話題』が広がりつつあった。

 

「そういえば、ミスリル級の強い先輩の剣士に聞いたんだけど、戦争の途中で俺達の軍から魔法らしき大反撃があるらしいぞ」

「ほんとかよ」

「あ、俺も聞いたぞ、その話は。確かゴウンとかいう魔法詠唱者(マジック・キャスター)が絡んでるって」

「私も聞いたわよ」

 

 話題と並行し『アインズ・ウール・ゴウン』の名も時々流れていた。

 

 今、王都から戦地へと移動を開始した冒険者の中に、『漆黒の剣』のペテル達4人の顔も混じっていた。

 いよいよ竜の集団へ近付いて行くわけで彼等の表情は皆、多少強張り気味である。

 少し離れる形で、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)が4人を静かに見守り続けている。

 『漆黒の剣』は他に同階級の銀級冒険者チーム5つと共に移動していた。30名近い集団だ。

 時折、ニニャが後方の地平線へ徐々に小さくなる高い外周壁に囲まれた王都へと振り返る。

 彼氏のまだ残る巨大な都市を、何故か少し懐かし気に見た。胸元の小さな『木彫りの彫刻像』へと手をそっと当てて。

 

 王都内で、明日の出陣を控える者達もまだまだいた。

 昨日、『八本指』のサキュロントに見逃してもらった、長槍を持ち銀の面頬付き兜(クローズド・ヘルム)を被っていた騎士の称号を持つあの男もそうである。

 家の借金に養うべき妻と可愛い娘達。彼には、お金が必要であった。

 称号があっても、主が居なければ当然給金を貰えないのだ。

 安くても出来れば、戦場に出ない昨日の様な貴族様に仕えれればよかったが、そんな上手い話が戦争間近のこの世知辛い日常渦巻く王都内に多く転がっている訳も無い。

 そんな時に、ピンと両側へ跳ねた口髭を生やす一人の騎士から声を掛けられた。

 彼は、東方の大都市エ・ランテル近郊へ領地を持つスタンレー伯爵派の男爵、ポアレ家に仕えているという。

 

「お見受けするに貴公は吾輩と同じ騎士と存ずる。当家の主であるポアレ男爵が、今、腕の立つ者を王都で探しておってな」

「おおっ」

 

 困った折の渡りに船と思い、長槍の騎士は男爵へと目通りした。

 貴族様は例に漏れず悪癖のありそうな人物。しかし――贅沢は言っていられない。

 長槍の騎士の難度は21。(シルバー)級冒険者と戦っても厳しい水準だ。

 でも戦場へ出ることもあり、雇われにしては給金が1日に銀貨3枚。月給で金貨4枚半程にもなる。

 男爵の下には20名以上の騎士が揃う事から、結構裕福な家柄に感じた。

 戦後も上手く継続して士官出来れば、生活は上向くと長槍の騎士は夢を見た。ただ、現実の戦場は竜達側からの狩場だと噂が広がっている。

 それでも彼は雇い入れを受けた。前金で10日分を先にもらい、家路に就く。

 だが途中、足がふらりと自然に酒場へ向いた。彼は久しぶりに金貨を握った所為で、気が大きくなったようだ。

 明日の出陣を前に、酒場は多くの兵達で埋まっていた。

 空いていたカウンターへと長槍の騎士は座る。長槍を片手に、反対の右手には酒杯を握り喉を酒で潤した。

 後ろの席に座る王都の兵と、エ・ランテルの兵が会話が聞こえてくる。

 

「俺たちゃ、エ・ランテルから予定より1日早い到着したほど、行軍が早いんだぜ」

「あー? 早いのは、てめえの逃げ足の速さじゃねぇのかよぉ、あははだ」

「何をーっ」

 

 そんな感じて、軽く始まった酔っ払い同士の乱闘を、背中越しに斜め見て長槍の騎士は久しぶりの酒の席を楽しんだ。でも――酒4杯に銅貨4枚が消えた。

 ほろ酔いの騎士は、愛する者達のいる家へと帰る。

 しかし士官を報告すると、見事に妻から怒られていた……。

 

「あなたっ、どうして勝手に決めて、勝手に戦場へ出ちゃうんですかーっ」

 

 両手を腰に当てて仁王立ちの妻の激怒に、子供達までが起きて来る。

 

「んー、母上―、父上ー」

「むにゃ……トトさまー?」

 

 妻の怒りを横へと流す為に、両手にそれぞれ可愛い娘達を抱きあげる。

 娘達はキャッキャと喜んだ。

 そして騎士は言い訳がてら妻への説得を試みた。

 

「これでもお前達の事をよく考えたつもりだ。今度の主様は結構裕福だと思うんだよ。それにこのままじゃいつまでも暮らせないだろう? 家賃も半年溜めてるんだしな」

「でも、戦場なんて……」

「大丈夫だ。20名も騎士が居る男爵様だぞ。私は生き残って帰って来るよ――綺麗なお前やこんな可愛い娘達がいるんだからな」

「あなた……」

 

 長槍の騎士は両手に娘達を抱えつつ妻を優しく抱き締めた。

 ―――彼は、妻の説得に成功した。そして子供達を寝かせた後に、夜の妻の攻略にも……。

 

 腰を僅かに痛めつつも、長槍の騎士は翌日午後勇ましく出陣するっ。

 

 

 

 

 今宵は仰ぐ主人と家人達の滞在で人が増え、王都ゴウン屋敷の中は賑やかだ。

 リッセンバッハ三姉妹は、メイド長ユリと先任のツアレと共に楽しく仕事を片付けていった。

 夕食後、2階の居間でアインズはユリから三姉妹の長女メイベラが昨日、大変な目にあった顛末の概要を聞く。

 そこで被害を受けた当人を居間へと呼び、詳細を話させた。

 街中でリッセンバッハ家の仇とも言える憎きフューリス男爵の馬車と遭遇し、馬車の中へ連れ込まれたが、『八本指』警備部門『六腕』のサキュロントを名乗る男が男爵と交渉し助けてくれたと語る。

 

「――以上……ですけれど……」

 

 彼女は、その時見た欲情気味の男爵のキモチ悪い情景と、あのまま連れ去られていれば今どうなっているかとの恐怖がぶり返し、己の身体を抱き締めていた……。

 真面目な仕事振りを評価している彼女のその様子に、アインズが気遣う。

 

「嫌な事を思い出させてすまなかったな。よく分かった。この件は知っておく必要があるのでな。助かる」

「い、いえっ。私などでお役に立てれば」

 

 支配者としては打ち漏らしていたフューリス男爵の件や、ゼロ達への対応を考える必要があり確認したのだ。

 強く慕う立派なご主人様にまたも謝られ、肩程までの黒赤毛を揺らし彼女(メイベラ)は頬を染め恐縮する。

 そもそも、昨日の不幸もあの時間に買い物へ出てしまった己の運の悪さが原因と彼女は考えていた。それをご主人様の偉大な御威光から、本来悪漢であろう『八本指』の者に救われたのだと。

 あれからメイベラは思いを巡らし、姉妹達と昨晩の自由時間にも話し合って結論を出している。

 それは、英雄にも近い我らのご主人様に、悪の組織『八本指』も何か大きい恩があり、それで助けてくれたのだろうと考えた。

 仁徳者の(あるじ)が、極悪の地下犯罪組織と仲の良いはずもなく自然とそう思った次第。

 この件でメイベラは、主にまた身の窮地を助けられたと敬愛度を激しく上昇させる。同様に部屋の扉傍へ控えるマーリンとキャロルも、姉の窮地を見えない力で救ったご主人様への親愛が更に増していた……。

 さてまだ午後8時を回ったところで、11時過ぎの外出までは時間があった。

 なのでこのあとにまず、まだまだ夢見る少女らしく好奇心盛んなキャロルから「あのぉ、少しお城の中のお話を聞かせてもらえませんか」と元気に可愛く後ろへ両手を組む姿でリクエストされ、主は20分程歓談する。

 アインズは、塔の並ぶ城の中の様子を簡潔に語り、宮殿や複数の中庭、貴族や王女についても聞かせて一応「華やかだぞ」と夢見る乙女へと伝えてやる。

 姉妹らも含め平民達は、まず一生入れない事もあり、キャロルは目をキラキラとさせマーリンやメイベラも終始聞き入っていた。

 次に、支配者は屋敷の行き届いた手入れについて、とても満足しているとリッセンバッハ三姉妹を改めて褒めた。

 

「これからも、変わらず宜しく頼む」

 

 そう伝えられた三姉妹は、こみ上げた嬉しさに目頭を押さえて「はい、頑張ります」と声を合わせて答えていた。

 彼女達の心には、気が付けば忠誠に等しいものがしっかりと固まっていった。

 最後は早、恒例になりつつあるキャロル自慢の綺麗な声での朗読である。

 末妹の朗々とした上手い語りは、40分間隔で休憩を挟み2時間を越えた。『十三英雄の活躍』についての物語は完結まで進む。

 創作や誇張された部分もあるだろうが、とりあえず十三名の特徴をアインズは掴めた。

 小柄なキャロルが本を閉じ、綺麗に編まれたツインテールを揺らして主へペコリと一礼する。

 そこでアインズが彼女へと仮面の顔を向け、労いを伝える。

 

「今日の綺麗な朗読もとても楽しめた――ご苦労だったな、キャロル」

 

 少女としては、この朗読へと大きな感謝を込めていた。

 悪漢の貴族達や犯罪組織が蔓延り景気も治安も年々下へ傾いている王国で今、二人の姉達とこうして共に平和で過ごせているのは、目の前の優しく立派なご主人様のお陰であると。

 まだ深夜会合までに時間があり、ベッドメイク等作業を終えて居間へと集まっていた上の姉妹達も含め、ついでにツアレへも自然に問う形で(あるじ)は尋ねる。

 

「十三英雄についてだが――まだ生き残っている者はいるのか?」

 

 朗読を聞いた限り、彼らの中にプレイヤーを含む可能性は高い。特にリーダーにはその雰囲気を感じていた。

 しかし4人からの回答は芳しくなかった。

 三姉妹を代表して黒縁の丸眼鏡を掛けたマーリンが話し出す。

 

「あの……有名だったのは200年前ですので既に亡くなっているかと。最近は人間の国同士での争いはありますが、人類の存亡に関わる魔人などは現れていませんでしたので、話も聞きません」

 

 ツアレへも仮面の顔を向けたが、申し訳なさそうに横へと小さく顔を振った。

 多くの時間を閉鎖空間で過ごした彼女には、知る機会がほぼなかったようだ。子供の時に聞いたことが無いかと思ったが、些か過去を(えぐ)ったかもしれない。

 

「そうか、分かった」

 

 アインズは、そう小さく答えて話題をここで切る様に終えた。

 十三英雄については、元陽光聖典のニグン達からリグリット・ベルスー・カウラウなる者の存在が挙がっている程度。

 支配者はふと、250歳以上だというフールーダなら詳しく知っているのではと思い付く。

 しかし、一度『不要』と言い切った以上、改めて聞くのはバツが悪いと考え直す。

 

(まあ、世界は広いし、そのうち知っている奴に会うんじゃないかなぁ)

 

 至高の御方はまだ、イビルアイの年齢やガゼフに最強の奥義を伝えたローファン、評議国の最強の竜王ツァインドルクスのお茶目に、ピニスンが以前に会った者らのことを知らない。

 間もなく屋敷のベルが鳴らされ、(リットン)伯爵からの迎えの黒い馬車が現れ、外出の時間がやって来た。

 屋敷の玄関で、主ら外出組がユリを筆頭に整列した献身的なメイド達から見送られる。

 黒服の御者が操り、アインズにルベド、ソリュシャン、シズを乗せた馬車は、天に月光も注ぐ夜の更けた石畳の道へと走り出して行った。

 

 

 

 

 夜中間近、クレマンティーヌにも動きがみられた。

 王都北東へ30キロ程の位置に大森林が広がる。その北西端から500メートル程入った場所に漆黒聖典の宿営地があった。

 午後11時の少し前には、クレマンティーヌが予定通り部隊へと復帰した。

 拝借していた軍馬も、止めてある戦車の傍へと手綱を繋ぎ無事に返却する。

 これは彼女にとって、『王都で特に問題はなかった』との結構重要なアピールのつもりである。

 彼女はまず、『隊長』のところへ向かい報告に臨む。

 

「隊長ー。今戻りましたー。これが王国内の動きと竜軍団の分の資料で、こっちが――アインズ・ウール・ゴウンなる魔法詠唱者(マジック・キャスター)の資料ですよー」

 

 クレマンティーヌとしては酷くムカついた邪魔者の所為で、モモンとの熱い想いを少しも遂げられず不満満載。しかし王都出向には多少無理を通した事から、心とは裏腹に明るくハキハキと伝えた。

 ただ、口頭での説明は面倒なので、いつも通り一切しないが。

 それに対して『隊長』は――。

 

 

「クレマンティーヌ、君はとてもいい働きをしてくれた。助かった」

 

 

 クールな彼にはかなり珍しく、非常に嬉しそうな表情を浮かべた。

 しかしそれは、何故か『アインズ・ウール・ゴウン』の名が出た時からで、彼女には意味が分からず不思議であった。

 とはいえ特に関係も興味もないので軽く返事する。

 

「いやー、そりゃ、よかったー。じゃあ、私はちょっと疲れてるんで休むかなー」

 

 そう言って所属小隊の戦車へと向かう。

 この時、『隊長』の他に『神聖呪歌』ら小隊長達も胸を撫で下ろしていた。

 何故なら『アインズ・ウール・ゴウン』について、あの番外席次『絶死絶命』から「じゃあ、せめてお土産に竜王の強さと、そのすごい魔法詠唱者の話でも仕入れてきてよね」と頼まれていたからである。

 番外席次の怖さは、その圧巻の強さも去ることながら――。

 

 凄く不機嫌になると『組み手』をして苛立ちを発散する悪癖である。

 

 それは『地獄の組み手』といわれ、何もさせて貰えず一方的でボコボコにされるのだ……。

 難度で200を遥かに超える『隊長』ですら長生きを後悔するほどのキツさ。

 実はそれをクレマンティーヌも経験している。

 その時は、〝漆黒聖典十二席5名〟対〝漆黒聖典番外席次1名〟であった。

 結果は言うまでもない。手加減され遊ばれながら、僅か3分弱で漆黒聖典十二席側は全員KOである。

 兎に角、キツイ事から二度と味わいたくないのが、漆黒聖典隊員達の共通意思である。

 『隊長』はカイレを失い自身も竜王に惨敗した事から、そんな指示は頭の隅へ行ってしまっていた。だが、クレマンティーヌを送り出した後に、〝王都〟と聞いて何かあったような気がし、そして思い出したのだ。

 なので『隊長』は、もしクレマンティーヌがアインズの資料を持って来なかった場合、再度王都へ派遣する話を小隊長達にしていた。

 その二度手間が省けた事から、第9席次を随分と褒めたのである。

 『隊長』は満足気に受け取った資料を確認し始めた。

 王都秘密支部からの資料には、クレマンティーヌが支部をいつ訪れたのかの日時等も詳細に書かれている。事務所での資料確認など行動の一部も記されていた。

 

 だがその中に――彼女が王都で偶然遭遇したという、エ・ランテルの冒険者達の事を記した内容は一切存在しなかった。

 

 不満も残るがその点についてだけ、女剣士(クレマンティーヌ)はホッとしていた――。

 

 

 

 

 もう間もなく深夜迫る時刻。

 レンガ畳の広がる以前訪れた倉庫から地下の通路経由で、『八本指』警備部門のアジトの一つへと絶対的支配者一行が踏み込む。

 先導で案内する警備の黒服達が「ようこそお越しくださいました」「こちらへどうぞ」「狭めなのでお気を付けください」と非常に丁寧である。

 地下屋敷の広めの入口空間でゼロと『六腕』メンバー〝幻魔〟のサキュロントの二人が、アインズを始め、シズにソリュシャンとルベドの4名を出迎えた。

 

「どうも、ゴウンさん。配下の皆さんも」

「ようこそ、お越しに。ささ、奥へとどうぞ」

 

 堂々と語るゼロの横で、笑顔を浮かべ腰も低めで控えめにサキュロントが招く。

 恐らく以前の屋敷を襲った事への贖罪もあるのだろう。アインズが先に告げる。

 

「そうそう、ゼロと特にサキュロント。昨日は屋敷の者が、危ない所を救ってもらったと聞いている。助かる」

「いいってことですよ、ゴウンさん。前に随分迷惑を掛けてるんで」

「先日は大変失礼しました」

 

 最初の深夜会合の晩にゴウン屋敷へ、ゼロの指示でサキュロントが兵を率いて乗り込んだ不手際があった。ゼロ達はその大穴を少しでも埋めれればと、今も組織内で腕利きの警備員を割いて護衛に当たらせている。

 

「うむ。では、屋敷の傍にいる連中もそうなんだな?」

「ああ、そうですぜ。その件を、今伝えるつもりでしたが、先に言われちまいましたね」

「そうか、助かる。これからも見てやってくれ」

 

 一応支配者も、エンリ達がカルネ村へ戻ったらハンゾウを1体屋敷へ当てるつもりでいる。それでも、ハンゾウが人前に出る訳にもいかないだろうし、人間側の手があった方がいいだろうと考えた。

 アインズの指示に、もはや配下の如くゼロ達は答える。

 

「分かりました、ゴウンさん」

「何かあれば、俺も含め皆が駆け付けますので安心ください」

 

 彼等二人から満足いく答えに頷くと、アインズ達は会議室へと向かう。

 奥の立派な机と椅子へアインズ達4名が着くと、席を立ち直立で迎えた『八本指』側のゼロら『六腕』の警備部門6名、暗殺部門の8名、密輸部門の7名らが順次座っていく。

 ここでゼロが、今日の本題的な事情を尋ねてくる。

 

「ゴウンさん、今日は俺達の具体的な作戦行動を決めちまうんですよね?」

「そうだ。伯爵や侯爵らが随分と焦っているようだからな。ふっ」

 

 椅子の背へ大きくもたれながら語る支配者の言葉に、場へ笑いが起こる。

 忠実なソリュシャンも、支配者からの言葉ゆえに笑う。その笑顔の美しさには、かなりの美貌を持つ『六腕』のエドストレームも思わず魅入る程だ。

 ここで『八本指』側から暗殺部門で王国軍の動きを探った内容が報告される。

 王国軍の一般兵の総兵力、冒険者達の数、貴族達や冒険者らの主な配置位置についてが、配布の資料へ地図入りで簡潔に纏められていた。抜けはあるが概ね間違っていない。でもそこへ御方にとって目新しい情報はなかった。

 一応だが、その中にアインズによる『反撃の機会』についての情報も含まれていた。冒険者達から伝わったのだろう。

 ただこの場に集う顔ぶれ達は、前回の深夜会談で目の前の恐るべき魔法詠唱者(マジック・キャスター)が『竜軍団について1日か、2日ぐらいあれば鏖殺(おうさつ)可能』と言う話を聞いているので特に今動じる事は無い。

 さて、絶対的支配者は『八本指』の者達への指示について、一応色々考えていた。

 それは『八本指』側の望む理想的展開と利益に近付けつつ、今日まで掴んでいるアダマンタイト級冒険者達の動きも考慮したもの。

 また――一部オリハルコン級の上位戦力については、竜王国への影響を考慮して極力死なせない方針を盛り込んだ形になっている。

 アインズが、独自の計画を告げる。

 『悪役』のロールプレイを心掛けつつ、前回、ゼロの語った『戦いはゴウンさんの計画で進めよう』にコジつけて。

 

「では〝私の計画〟を伝えるぞ。細かい話はあとだ。まず〝八本指〟として大目標を決める。

 今後〝八本指〟は運営の独立性を維持するが――私の影響下に入ってもらう」

 

 いきなり度肝を抜いた。

 今現在、『八本指』は八つの部門がある。

 八人の部門長を上手く纏めるのが『八本指』のボスだ。彼は金融部門長の父親でもある。

 アインズは、ゼロがボスに過去、大きな借りがあると聞いていた。

 ボスは各部門へ影響力を持ち、ゼロを従えたことで纏め役を務めれたのである。

 だから体制を維持出来れば、既にアインズへ心酔するゼロはボス以下を説得し、絶対的支配者の考えに従うと判断した。

 でも、これだけでは一方的な押し付けのみが目立つ事から、極悪な魔法詠唱者は『飴』を用意している。

 

「その替わりとして、竜軍団を私が王国から排除した上で、リ・ボウロロールにおける〝八本指〟の権益圏を拡大する。

 実現については簡単だ。 ――ボウロロープ侯爵にはこの戦争で戦死してもらう」

 

 50代で武勇と戦場及び公職の経験に優れ統率力の高い当主がいなくなれば、後継は若輩で領地内は大きい揺らぎが起こることだろう。

 それとアインズは、自分を都合よく利用しようとした報復の意味も込める。

 

 絶対的支配者からの予想外の反逆を促す斜め上の言葉に、会議室内は静まり返っていた。

 圧倒的な力を持つ目の前の人物に、反論は許されないだろうとも。

 その中で最初に口を開いたのは、やはりゼロである。

 

「俺は、ゴウンさんの考えに従うぜ。俺達〝八本指〟はもっと大きく成れる筈だっ」

 

 ゼロが動いた以上、『六腕』のメンバーが同意を語り始めた。

 『八本指』最強の警備部門が反逆したことで、近い暗殺部門長以下も続いた。

 それを見た密輸部門から来ている冒険者崩れ風の7名は「異議なし」と即答する。

 ただ、密輸部門の者達はあくまでも構成員であり、個人的な考えに留まるのだが。

 それでもアインズは構わない。

 彼は言い放つ。

 

「ゼロよ、近いうちに私と残り六つの部門長達並びにボスとの会見の場を用意しろ」

「分かったぜ、ゴウンさん。俺が〝八本指〟の将来の為に何とかしよう」

 

 目の前に居る圧倒的な強者で『大悪党』のアインズが動いたのである。

 ゼロは最早『並んで走る以外に道は無い』と考えていた――。

 このあと戦場での細かい作戦について、新たなる『八本指』の指導者から言葉が告げられた。

 大まかに言えば、『蒼の薔薇』達と前線へ出たあと、偽アインズが後方へ下がるタイミングから、アインズ自身は『六腕』達と変装して行動を開始する。その際、ルベドも変装させて支配者へ随伴させる。

 建前的には後方のアインズとルベドは、幻術での見せかけという形だ。

 ナザリック的には後方傍へ本人の希望通りシャルティアも配置する予定なので、ソリュシャン達の護衛の面で問題はない。

 そして『六腕』とアインズ達が戦場で実行するのは、竜退治とボウロロープ侯爵の暗殺となる。

 ついでで冒険者の上位陣が死なない程度にフォローしつつといきたいところ。

 戦場の後方では『八本指』主導で総力による、大都市リ・ボウロロール裏社会への攻勢準備を行なってもらう予定も伝えた。ゼロが「了解だ」と頷く。

 最後に支配者は、当然お決まりの――ボウロロープ侯とリットン伯達へ報告する、本日のニセ進捗内容について内容を語った。

 

『ゴウン氏と〝八本指〟側精鋭の両者は期待通りに手を取り合い、作戦も全て纏まりました。盟主様のご満足のいく、大都市リ・ボウロロールを守り将来も末永く栄える我らの作戦行動にご期待ください』

 

 血も涙も無いような、『大悪党』に相応しい死する者へ送る騙しの報告文である。

 悪党のゼロ達も爆笑した。

 

 内容が厳重に秘匿された書簡は翌朝、『八本指』の使いにより出陣準備中のリットン伯達の軍勢の所へ。実に喜ばしい裏戦力合意による深夜会合の報告内容に伯爵は喜ぶ。

 そして書簡は早馬によって、その日のうちにボウロロープ侯爵へと届けられた。それを見た侯爵は、満足そうにほくそ笑んだという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. ナーベラル痛恨の失態

 

 

 アインズに扮するナーベラル・ガンマは、ヴァランシア宮殿の近くで王国戦士長と分かれ3階の滞在部屋へと戻って来た。普段と変わらず、定位置である一人掛けのソファーへ悠然と腰かける。

 ツアレが主への飲み物を用意しに、いそいそと奥の家事室へ入って行くのを見届けると――偽アインズは小声を漏らし頭へと右手を当てた。

 

「(ぁぁぁ)…………」

「お疲れさまでした」

「お疲れさまですわ」

「……お疲れ」

 

 傍へと控えるユリとソリュシャンにシズも大役を(ねぎら)ってくれる。

 ただ、王都には居ない扱いとなっている姉妹(ナーベラル)の名が呼ばれる事はなかった。

 因みにルベドは、警備という役目の下にマーレの『観察』が忙しい模様でベランダに居る。先日の双子が仲良く踊る場面や楽し気な会話風景などを思い出しつつ、且つ戦闘メイドの姉妹達4名が揃う様子も逃さず、チラリと室内を眺めニヤニヤしていた……。

 さて、今日はナーベラル自身、ただ一点を除き上手く出来たといえる。

 

 しかしそのマズイ点について、至高の御方の判断が分からない。

 

 以前の大失態がなければ彼女もここまで気にはしなかった。

 仮面の下を美しい卵顔へ戻していた戦闘メイドは、丁度(あるじ)のところでの挨拶におけるミスを悔いる。

 

(至高の御方で、我々の希望、そして……敬愛するお方に『さん』などと低い敬称などを……)

 

 支配者の所有物に過ぎない己であり、個人的には『さま』と言い切るべきだったと考えている。

 それがナザリックのNPCとして正しい行動であり、他を考える余地なしと。

 

 

 完全にミスの争点がズレまくっていた――。

 

 

 あの時、ソリュシャンからの指示の言葉は『モモン殿』であった。

 でも偉大なる御方へ付ける敬称ではないと、『さま』でいこうと発音に入っていた。

 だがソリュシャンからの「ユリ姉様がお怒りになるわよ」の言葉で咄嗟に「さん」へ切り替わったのである。姉妹の絆の強さを、本能が示す反応であった。

 既に済んだ事で時間はもう戻らない。

 しかし思い返すと、失礼を詫びる仕草を支配者から制止されていた事もある。

 

(……あれは、お許し頂けたという印なのでしょうか)

 

 ナーベラルは頭の中でそう考えるが、ツアレがお茶セットの乗ったワゴンを押して戻ってきたため誰にも相談出来ず。

 その後間もなく1時間遅れでの昼食となる。

 昼食後も、姉妹達はシーツやカーテン類の交換など部屋での仕事が有った。アインズが日課とする散歩へはツアレと共に出て来たので、相談も出来ずモヤモヤとスッキリしない気持ちのまま、午後の時間が過ぎていった。

 気が付けば宮殿は早くも夏の夕方を迎える。

 途中、姉のユリから「ボクの所へアインズ様からは特にお叱りなど来ていないから、きっと大丈夫」と気を使った言葉を貰っている。戦闘メイド六連星(プレアデス)の現場トップの姉は絶対的支配者からの信望が厚く、宮殿内の滞在に関する交渉もほぼ任されている。

 そんな姉のところへ何も言葉が来ていないというのは、確かに説得力があった。

 

 では、逆に――アインズ様からのお褒めの言葉があってもいいのではとの考えも浮かぶ。

 

 ただそれは、守護者の列にもいない配下として、欲張りで贅沢な希望的発想とも思える。

 表面上は慎まなければならない。だが、心に思う事は自由である。

 

(あぁ、『よくやった』と一言頂ければ、とても嬉しいのですけど……)

 

 でも未だ何の通達も無いことから、気分はどうしても沈み気味でその顔も自然と俯く。

 ナーベラルは日が沈み暗くなっていく窓の外の光景を、午後に取り換えられたレースの純白のカーテン越しにボーっと眺めていた。

 

 結局その日、絶対的支配者から連絡が入ったのは夜も遅い時間であった。

 ユリへと王城側の確認と言う形での、ごく普通の一報。

 ツアレが横のベッドで休む奥の寝室から抜け出た長姉は、王都内の情報を一通り伝えた後で、支配者へと提案してくれていた。

 

「――あの恐れながら、本日の妹の働きに本人へ何か一言頂けないでしょうか」

 

 その言葉への返事を貰ったユリが、ソファーに座ってソワソワしていた偽アインズへ向くと一つ頷く。

 間もなく、ナーベラルの思考へ接続の電子音と待望の御方からの言葉が流れた。

 

『私だ。ナーベラルか?』

「はいっ」

 

 小声ながら、彼女は主の言葉へ正に食いつくような反応を見せる。

 その行動に絶対的支配者は、可愛い配下が随分不安がっていた事を知る。彼としては、昼前の会合ではちょっとした言い間違いがあった程度ともう流して終わっていたのだ。

 どうやら先日の件もあって気にしていたナーベラル様子に、アインズは言葉を贈る。

 

『ナーベラルよ、本日昼前の代役()()()()()()()と思うぞ。これからも―――)』

 

 偽アインズ(ナーベラル)は、このあとの支配者からの言葉をよく覚えていない。

 

 彼女は無言ながら、嬉しさ極まり思わずソファーから立ち上がり、両手で万歳をしていた……。

 

 だが聞きそびれた言葉は『ソリュシャンやユリの指示を上手く判断するように。それと――何か褒美に要望があればいうといい。ではな』である。

 彼女の逃した言葉(モノ)は随分と大きかったではないだろうか。

 それでもナーベラルの心は今、十分に温もっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 冒険者達の宴のあとで。

 

 

 楽し気な宴は、気が付けば午前4時を過ぎ朝方を迎えていた。

 ほろ酔いだった王都冒険者組合長が叫ぶ。

 

「戦いが終ったらもう一回大宴会をやるから! 全員死ぬんじゃないよっ。ただじゃおかないからね」

 

 笑いを誘う言葉で宴はお開きとなり、冒険者達が会場を順次後にする。

 東の空が明るくなり始めたまだ静かな大通りを歩きながら、昨夜のガガーランの腕力勝負を思い出しティアとティナ達は囁き合う。

 

「チッ。あれは、もうちょっと強敵だったら、絶対第二形態に進化してたと思う」

「多分血の色がまだ、少し紫っぽく変わってるはず」

「そんなわけあるかっ!」

 

 ガガーランのツッコミの言葉にラキュースが笑い、頭の後ろで手を組むイビルアイは呆れながら続く。

 有名な彼女達は馬車での移動ばかりで、こうしてのんびり道を歩く機会は随分減っていた。

 『蒼の薔薇』のメンバー達は、久しぶりに自分達の足で澄んだ空気の中を、冒険者組合の建物から遠ざかっていった。

 

 

 

 

 イグヴァルジと『クラルグラ』のメンバーは、宴会が終ると同時に真っ先で大広間から姿を消していた。間もなく離れた閉店間際の酒場へ押しかけると、無理やり営業時間を延長させ飲み直す。

 

「……ふざけんなよ。おかしいんだよ。……なんでこの前まで(カッパー)級のヤツが、俺達ミスリル級に圧勝するんだよっ!」

 

 変えようのない事実にも納得のいかないイグヴァルジが、不満から愚痴りまくる。

 メンバー達は、モモンの実力を間近に見た事で、複雑な表情をしつつもリーダーに「ですよね」「なにかアイテムでも使ってるとか」と二人が同調する言葉で場を取り繕う。

 それでも結局、実力がものを言う業界であり、本当に強い相手なら波風を立てない方が賢い選択なのは明らかだ。

 だから、メンバーの一人が、遂に口にする。

 

「リーダーよぉ。そろそろ、あの連中に絡むのはやめないか? アイテムを使っていようが、魔法だろうが、あの筋力は普通ちょっと出せないぞ」

 

 この男は、カシーゼと軽くだが『腕力勝負』のマネごとをしたので、その筋力が丈夫なテーブルを粉々に破壊するほど尋常じゃなく凄まじい事を一番理解していた。

 それにカシーゼは、あの高名なガガーランとの勝負も完全に一方的では無く、武技〈怪力〉へ耐えた際中に腕が折れていたのだ。

 つまり、そんな男に勝ってしまうチーム『漆黒』のモモンは、相当ヤバいという事である。

 また、あの宴会で『漆黒』は白金(プラチナ)級とはいえ全土規模で有名なチームへとなり掛けている。

 ミスリル級の『クラルグラ』も結構知られてはいるが、同じエ・ランテルのチームであり、争っても利が感じられないどころかマイナス面しかない。

 ここまで名が広まり掛けている相手だと、無理に絡む方が馬鹿にされ、名を落とす事にもなりうる。

 仲間からのビビリ気味の警鐘に、イグヴァルジが吠える。

 

「ケッ。ビクつくんじゃねぇよ。あいつらはもうすぐ、組合長達と共に竜長らとやり合うんだぞ。くたばるに決まってる。俺達が何も心配する事なんてねぇんだ。組合長達が居なくなれば―――俺達の時代がくるんだぜ。ヒャッハァー、ざまぁ見ろだろ?」

 

 『クラルグラ』のリーダーは、酒で濁り血走った目を仲間達へ向けた。

 可能性の高い先の事を考えているイグヴァルジの発言で、先の2名の仲間が息を吹き返す。

 モモンらへの警鐘を語った隊員へ「心配し過ぎなんだよ」「リーダーに付いて行けば間違いないって。これまでも上手くいってたろ?」と酒を進めながら宥めた。

 確かに、言われてみれば竜の軍団とモモン一人では比べようもなく、「そ、それもそうだな」と結局、全うな道を踏み外すのであった……。

 

「ヤツらの派手な最期に乾杯だーーーっ!」

 

 イグヴァルジの()()()()()()で、『クラルグラ』の面々は笑顔で酒杯を鳴らし合う。

 「ん?」とメンバーで野伏(レンジャー)職業(クラス)を持つ一人が既に明るい窓の方を向いた。

 

「どうした?」

「……いや、気の所為だ」

 

 一瞬だけ何者かの気配を感じように思えたが、今は何もない。

 「なんだよ、飲め飲め」というリーダーからの言葉に、隊員らは酒で喉を潤した。

 酒場から一体の影の悪魔(シャドウ・デーモン)が離れていく。

 それは人知れず優しい仮の(あるじ)である、闇妖精(ダークエルフ)(妹)の下へと帰って行った……。

 

 

 朝、王都冒険者組合の建物周辺で、突風が鋭いスイング音のように多数鳴き吹き抜けたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 王都リ・エスティーゼ内スレイン法国秘密支部所属 副支部長殺害の件につき。

 

 

 無精髭の副支部長が目を覚まし瞼を開く。

 ぼんやりとした意識へ首元から痛みが走り鮮明に変える。

 

(……俺は確か――)

 

 晩に秘密支部の事務所を出て、100メートルぐらい歩いたところからの記憶が途切れていた。

 

「ふんふんふーん。おやー、お目覚めですかー」

(――この甘エロい声! クッソ、あの女剣士か――)

 

 実に嬉し楽しの声がする方へと、地面に転がされていた副支部長は思わず恐怖の顔を向けた。

 

「クレマンティーヌ……さん。あんたはとっくに王都を出たんじゃ……」

 

 話す彼の見た光景は、星明りの薄暗い林の中、腰のスティレットを一刀抜き放ち立つ、歪み切った愉悦に溢れる表情で見下ろしている彼女の姿だ。

 その彼女が抜いていた剣を舌でイヤラシく舐め上げながら語る。

 

「うぷぷぷ。やだなー、私との二人きりの熱い(血の)夜をたっぷり楽しみたかったんでしょー? だからー、一杯激しく遊んで、あ、げ、るっ。んふっ」

 

 そう言ってクレマンティーヌは、手首を効かせて剣を楽し気に軽く振って見せる。

 嘗て法国の軍で大隊長を務めた事もある歴戦の男も、自身の結末を理解する。彼の背中へ冷たいものが走り抜け、震えを覚えた――。

 

 

 

 

 昨夕、副支部長は引き篭もった彼女の泊まる最高級宿屋に乗り込んでまで、クレマンティーヌへと猛アタックを掛けている。

 それはもう強引と表すのが適切。貴族チックな流行りの服装に女を酔わせる甘い言葉の数々と、金貨もふんだんに浪費したいくつかの贈り物も持参してだ。

 しかしながら当然、如何なる贈り物も誘い文句も彼女の心へは響かなかった。まるでもう誰か伴侶的存在がこの上玉の女剣士の心へしっかりと住み着いている感じすら覚える。

 

(俺はこれまで、狙った女を逃した事は一度も無い。引けるかぁ)

 

 千の夜を楽しむプレイボーイは、危険を孕む準男爵家の令嬢すら食っている。だからこの難しい相手を迎え、無精髭の副支部長は結構意地になっていた。

 それは、難度で自分をこれほど上回る女に初めて近付いた事が起因している。

 彼も武に自信があった男である。現場で多くの難題を越えて来ていた。その漢の満足感を形は違うが再び熱く達成したかったのだ。

 しかし――クレマンティーヌの怒りに大量の油を注いだだけに終わっていた。

 彼女は冷たい瞳と言葉で語る。早くぶっ殺したいという殺気が上乗せされて……。

 

「……あんたなんかねー、私には男として1ミリも興味ないからー」

 

 大切なモモンちゃんと比べようもない。比べたくもない。

 クレマンティーヌから見て身体一つとっても、初日に事務所内で絞めた副支部長の首の柔らかさからして、そもそもカチの低さが漂っていた。

 鎧越しに感じるモモンちゃんの、鋼鉄以上だろう圧倒的固さを誇るカッチカチの肉体とは全てが段違いすぎであると。

 最終的に1時間以上粘るも副支部長は、客であるクレマンティーヌの指示で最高級宿屋からつまみ出される。追い出された彼は夜が進む中、その場へ私的に張り込ませていた2名のうち、青年支部員へと事務所に残した雑務の仕事を押し付けた。

 まだ挫折感も含め、色々興奮気味で納まりの付かない副支部長は、そのまま――別の女のところへと転がり込んでいった……。

 

 

 

 翌日の午後6時を前に、クレマンティーヌは秘密支部の事務所へと現れる。

 彼女は昼食をモモンらと楽しく有意義に過ごした後、大事な調べものを4時間程で終えると最高級宿屋の傍で気配を気分よく開放し一度宿へ戻っていた。急の気配へ、その場に詰めていた支部員の目を白黒させ、どら猫的彼女はそれを僅かに楽しんだ。

 クレマンティーヌはもう、普段の場で面と向かって副支部長と顔を合わせたくなかった。でも、漆黒聖典の部隊へ資料を持って帰る必要があり、やむを得ずという思いで宿をチェックアウトしここへ来ていた。

 それに今晩、事を起こす為に少しヤツの動きを掴んでおく必要もあった。

 今日で最後という事もあり、資料を受け取りがてら額と顔がテカテカの脂っこい支部長や支部員へ「じゃあねー」と挨拶をする。支部員の一人から聞くと、副支部長はまた昼過ぎから『王国軍出陣関連の調査』と号しサボっているらしい。

 

(ふーん。もうさー、あいつ、絶対居なくても問題ないヤツだよねー)

 

 クレマンティーヌ自身でさえ、奴より仕事をしている気分になる。

 幾分だが消す意義が増え、彼女は落ち着きを深めた。

 そうしていると、仕事がまだあったのか副支部長が事務所へと戻って来た。

 彼としては時間をズラしたつもりが結局逃した女とかち合い、一瞬眉間へ皺が寄る。昨日のバツの悪い件もあり「あ……、今日が最後でしたっけぇ。お疲れ様です」と白々しい台詞を語るのが精いっぱいで、自分の席へと座り何やら資料をごそごそ捲り始めた。

 クレマンティーヌもこの場でやるべき事はもう無いと、秘密支部の事務所をあとにした。

 預けていた軍馬へ颯爽と跨ると、日没直前の赤い西の空と支部長らの見送る姿を背に、一度も後ろを振り返ることなくを通りの角を曲がって去っていった。

 それが午後7時前。

 約2時間が過ぎ9時を回った頃、副支部長が片付け終えた書類仕事を支部長へ提出する。「では、お先です」と事務所の扉を閉め、暗めの倉庫内の階段を下りて行く。

 その途中で、熟れた女剣士を逃した想いをまだ引き摺り壁を軽く拳の側面で叩いた。

 

「……ちくしょうめ。百戦錬磨の俺様が、一晩も楽しめなかったなんて」

 

 その事が逆に、強く彼の印象に残ってしまっていた。

 副支部長は倉庫の建屋を出ると、目の前の地面に落ちていたボタン程の小石を思わず強めに蹴り飛ばす。

 常人よりかなりの筋力があるので、それは弾けるように周囲の塀の側面まで伸び当たると僅かに砕いていた。

 嘗て鍛え慣らした軍人の目は、暗い中でもその様子を克明に捉えている。

 

(俺でも届かない女は、まだまだいるんだな……)

 

 

 彼は――単に女遊びをしているわけではなかった。

 

 

 これは、秘密支部員として情報集めの一環でもあったのだっ。

 日々の生活でも、そのテクニックを思考し実践して技術として磨いている。

 勿論、女を抱くことは大好きである。しかしそれに溺れている訳では決してなかった。彼はそれを強力な武器に、王都内で各階層から各種の幅広い情報を集めていた。

 当然懐柔した女達を別の男へと当てがって、ハニートラップも縦横に仕掛けている。

 そうやって、表立っては女好きのだらしない中間職を演じていたのである。

 

 しかしいずれも、クレマンティーヌには関係無い話。

 

 度重なるふざけた行為へ、もう彼女の怒りの限界点は優に突破していた。

 昨夜の件も含め、彼が女剣士の堪忍袋の緒を存分に鍛えるのに貢献したことは間違いない。

 そして緒はここで切れた。

 副支部長は秘密支部の倉庫が建つ敷地を後にし、最初の角を曲がる。その直後、彼は油断をしていた訳で無かったにも拘わらず意識を見事に刈り取られた。

 

 

 

 

 副支部長は、王都内の東地区にあった小さい林の中へ、足首を含め手首と親指を背中側に回された形で特殊な鋼鉄線で括られ転がされていた。

 

「……俺を殺すつもりなのか?」

 

 彼はクレマンティーヌの醸し出す恐るべき殺意の雰囲気から率直に尋ねた。

 彼女が嬉しそうに歪んだ笑顔で答える。

 

「んふっ。そうなんだけどさー。てめー、楽に死ねるとは思うなよ」

 

 冒頭の甘い声から、後半は一気にトーンの落ちた拷問者の声へ代わっていた。

 彼女がこれまで殺して来た数百人の中で、最も残忍で激痛を伴う手を使うつもりである。

 とはいえ正直余り時間も無い。

 今は午後9時半。『隊長』からは今日中の夜という事で、帰還時間を明確に決められていない。なので彼女が自由に設定出来た。これをクレマンティーヌは簡単なアリバイとして利用しようと考えている。

 部隊野営地までは40キロ程あり、軍馬で相当急いでも2時間近くは掛かる距離。

 午後11時には部隊へ合流するつもりで計画を立てている。

 すでに計算的に合わないが、問題ない。

 彼女自身が全力で走れば30分程度だ。

 昼食後から準備時間は十分にあった。問題となる馬は王都外の人気(ひとけ)の無い所から、今商人に運ばせている。

 まず午後7時前に、一度王都の北門をフードを下げローブの前を開いた騎士風のクレマンティーヌが、軍馬に騎乗して通行したという事実だけを作る。

 その後、昼間に王都内で交渉していた商人に王都外で金を払い馬を頼む。ただそのままでは盗まれる可能性もあり、以前のスティレット補充用として持ち歩いていた巻物(スクロール)から〈人間種魅了(チャームパーソン)〉を利用。これを交渉のあと商人に掛けている。

 商人は「大森林北西にある大街道沿いの小さな街の近くで待ってるよ」と親し気に語っていた。それだけ分かれば彼の探知は可能である。

 軍馬への手を打った彼女は、王都北西の門から何食わぬ顔で再潜入する。今日は夕方から冒険者達が大勢門を出ており、フードを被りローブの前を閉じた彼女が「ちょっと忘れ物をねー」と可愛く告げれば全く怪しまれる事はなかった。

 王都からの脱出については門を通れればよし、気配を消して外周壁を越えるもよしだ。

 入る時と違って王都外は広い。見つかっても容易に返り討ちや振り切れる自信があった。

 

 あとは――目の前の獲物へ痛く苦しい拷問を掛けるだけ。

 

 彼女はまず、憎たらしい副支部長の顔の頬を強力な握力で掴み、痛みも混ぜて口を強引に押し開く。そして叫び声を抑え舌を噛まないようにボロ切れを口に詰める。鼻は通っているので窒息の心配はない。彼女は十分に手慣れた動作で手早く行う。

 1時間ぐらいは楽しめるだろうと、クレマンティーヌの脳内は趣味的な喜びに活性化する。

 ポイントとしては出血を最小限にすることだ。

 出血多量となれば獲物の意識が低下して、反応も減り楽しめなくなるからである。

 

「まずはー、一枚ずつ爪でも剥ぐー? それともー、腕や足の激痛箇所を(えぐ)るように突かれるのとどれがいいー?」

 

 狂った女剣士のリクエストへ副支部長は激しく首を横へと振る。

 彼も大隊長までなった軍人である。拷問の基本ぐらいは知っていた。どれも相当痛いのだ。

 その反応に、クレマンティーヌは嬉しそうである。

 

「じゃあまあー、景気付けに足の指の爪からいきますかー」

 

 

 人気のない夜の林の中で、口へのボロ切れの所為で男の低いくぐもる声が上がる中、地獄の宴が始まる。

 足をバタつかせても、人外の動体視力と素早い剣捌きを誇る彼女は、正確に彼の靴の底だけ切り落とす。クレマンティーヌはここで一旦、抜いていたスティレットを鞘へ収めた。

 彼女は副支部長をうつ伏せに組み伏せると、エビぞり風で彼の背に座り左手で右足首を掴んだ。足首を縛られている為にもう逃げようがない。

 そうしていよいよ彼女は、その並みのペンチよりも頑丈で強力な右手の親指と人差し指を、まずは彼の右足親指爪へと近付けていった。

 その時――。

 

「もうその辺で勘弁してもらえませんか?」

 

 それはこの場の二人ではない、第三者からの声。

 クレマンティーヌは突然の後ろからの声に、咄嗟で副支部長からも距離を取る形で離れる。同時に振り向き様でスティレットを両方抜き放ち立った。

 距離がまだあるも、彼女は後ろを取られた形で少し焦る程だ。

 そして、声を掛けて来た者を見てクレマンティーヌは驚く。

 噛ませを口へ食らう副支部長すらも地べたで驚き、目を大きく見開いていた。

 

 

 そこに立っていたのは、なんと支部長であった。

 

 

 僅かな星明かりでさえも、相変わらず脂ギッシュな額と顔をテカテカさせている。

 噴きそうになるが、今も気配は全く感じない――。

 クレマンティーヌは、猛烈に警戒する。

 

(まさかー。……この支部長、相当ヤバそうなんだけどさー)

 

 伊達に法国の一大秘密支部を任されていないと言う事だろう。

 明らかに、眼前のオイリー肌の男が漆黒聖典のメンバー水準に近い使い手だと理解出来た。

 でも、現況に及びそれを全て見られた以上、クレマンティーヌももう引く事は出来ない。

 今は副支部長よりも、支部長へ全力で対するべきと考えを即切り替えた。

 

「へー、支部長って大変だー。こんな面倒事まで見なきゃいけないなんてねー」

 

 殺し合いに歓喜するクレマンティーヌ。

 接近戦闘勝負なら現在身に付ける破格の全力装備で、負ける気はまるでしない。

 だが、ふと音に気が付くと直前まで目が開いていた副支部長が、いびきをかいて眠っているではないかっ。

 

(――え、なに? これは魔法っ!? でも今、全然詠唱してなかったんだけどー)

 

 クレマンティーヌはこのままだとまずいと思った。

 どうやら、衣装装備が魔法に耐久(レジスト)してくれたらしい。

 彼女は武技を直ちに発動する。

 

「〈疾風走破〉〈超回避〉〈能力向上〉〈能力超向上〉――はぁぁっ!」

 

 そして、間髪置かずに支部長へと切り込んだ。渾身で強烈なスティレットの突きを左右の腕から連続で雨の如く見舞う。

 しかし、その攻撃は見事に空振った。支部長の幻影が掻き消える。

 気配を消し〈生命隠し(コンシール・ライフ)〉をも実行しているようで、本体の位置がクレマンティーヌにも掴めない。

 

(糞ったれーっ、位置が分からないと突けやしないっ)

 

 視線を周囲へ巡らせるが、視界には捉えられない。

 恐らく〈屈折(リフレクター)〉により、クレマンティーヌから見えない位置取りをしているのだろう。

 今、剣士のクレマンティーヌは圧倒的に不利であった。

 だがこの状況を支部長は待っていた。

 

「クレマンティーヌさん。提案します。副支部長は、これでも当支部の貴重な戦力なのですよ。何とか目を瞑ってもらませんか? 無論――タダでとは申しませんので」

 

 この状況で支部長の、相変わらず丁寧な言葉遣いがクレマンティーヌの気に障る。

 それだけ向こうへ余裕があるという事なのだ。彼女側だけ戦闘相性がかなり悪い。

 とりあえず、しゃべらせて音源での場所特定に注力しようと、彼女は尋ねた。

 

「いやー、こんな状況で一体何を払ってくれるのかなー」

 

 すると、支部長がこれなら釣り合うのではと、満を持すように彼女へ伝える。

 

「――先日、貴方がエ・ランテル所属の2組の冒険者達と遭遇の件。あれを王都支部の記録から抹消しましょう」

「――(なっ)!?」

 

 当初、全く聞く耳を持たないつもりでいたが、モモンが絡むとなると話は変わる。

 そのクレマンティーヌの様子から興味を強く持ったことを確信し、新たに登場した〈幻影(ミラージュ)〉だろう支部長が告げる。

 

「少し離れたあちらに削除した資料を置いていますよ。それを持ってお帰り下さい。ただし、副支部長はこのまま置いていって頂きたいのですが」

 

 彼女としては『本当に修正されてるのか』等、細かい事は色々あったが、向こうがまだ十分有利の状況での提案にそれは大丈夫なのだろうと考える。ただ一つだけ尋ねる。

 

「でもさー、支部員達の記憶に残っているよねー?」

 

 それについて支部長は淡々と告げた。

 

「一応、支部員へは通達しますし、第一――私が知らないといえば問題ありませんので」

 

 どうやら、クレマンティーヌはまだ支部長を容姿で見くびっていたらしい。

 

「……あっそ。分かったー。じゃあもう私は振り向かないからー」

 

 クレマンティーヌは、支部長が手であちらへどうぞを示した方向に見えた書簡の方へと静かに進んでいった。

 

 王都外周壁の北門を無事に通ると、クレマンティーヌはそこから己の足で大街道脇を風の如く掛け抜ける。その途中で先程の事を振り返る。

 

(まあ、これでよかったよねー)

 

 あのまま、戦いを続けて支部長や副支部長を殺せたとしても、結局支部員全員を殺して資料も全部燃やさないと記録が残ってしまう展開。

 また、そこまでしたら――犯人は王都にいたクレマンティーヌだとバレるはずだとも……。

 そこからの展開は考えたくないと、頭を振った。

 結局、不審な死体は発生せず死亡事件には繋がらないので、商人から無事に馬を受け取った彼女は、彼らをそのまま見逃すと漆黒聖典部隊の宿営地へとのんびり馬脚を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. ズーラーノーンの衝撃

 

 

 威厳を示し頭部を燦然と輝かせ、高笑いをしていたズーラーノーン盟主であるが、ふと足元に視線を落とし固まる。

 

 

 あろうことか―― ヅ ラ を 落 と し て い た 事 に気付いたのだっ。

 

 

 盟主は音速に迫るような動きでしゃがむと大事なソレを掴み、頭へと乗せた。

 しかし、まだ前後が逆だった――。

 茶髪ウィッグの長い後ろ髪の間から顔へ装着したゴーグル風の物を通して、その幽霊のような容姿の中で鋭く目が輝く。

 脇へ並んでいた配下10名の者達は、すでに全員が盟主より視線を逸らせていた。

 でも盟主の()()はシッカリと見ていた。

 左から3番目の配下が最後までこちらをじっと見ていた事を。

 

「……(次の生贄はあいつみたいね。ふう、()でなくてよかった)」

 

 無情である。

 だがこれは、秘密結社ズーラーノーン盟主直属の配下への厳粛な掟でもあった……。

 彼女は(ハゲ)む。この()()()()頭部の有り様を何とかする為にっ。

 

 

 この忌まわしい()()()()()()()()()ために闇の魔力をずっと追い求めている。

 

 

 しかしその事実をまだ誰も知らない――――。

 

 

 




捏造)ズーラーノーン盟主とアジト関連
とりあえず、それっぽい感じで。
鉱山関連は貴族達の利益優先主義で事故や病気で一杯死んでそうかなと。
あと盟主は、とある生まれながらの異能(タレント)により、Lv.40を超えている。とは言え第六位階魔法を連発出来る『逸脱者』という訳では無い……。



捏造)『八本指』のボスは金融部門長の父親
彼が父親とすれば、金融部門長は30代辺り。
40歳未満ぽいのヒルマも居るので無理はない年齢かと。
よく考えれば、全く力がない人物に付くとも思えないので、大金を動かせたということなら辻褄は合うのではと考えました。



裏話)長槍の騎士
エ・ランテルの兵達が、予定より1日早く(6日間で)到着した事を書きたかっただけなのに(笑




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STAGE44. 支配者失望する/それは反攻ノ前夜に(18)

注)モモンの声色と口調については、鈴木悟の素の声口調になっています
注)一部残虐的な表現や衝撃的場面があります
補)後書きに時系列あり

補)登場人物紹介
ティラ…………………………ティア、ティナの三つ子姉妹の一人。『イジャニーヤ』の頭領
リッセンバッハ三姉妹………長女メイベラ、次女マーリン、三女キャロル。王都ゴウン屋敷で働く
ゲイリング評議員……………評議国中央評議会の中立派の有力者
ゼザリオルグ…………………評議国の煉獄の竜王(雌)
ビルデバルド…………………評議国の煉獄の竜王の妹


 竜王の軍団に対し、劣勢ながら逆に威勢を示すべく飾り立てた王ランポッサIII世旗下の兵団。

 ガゼフら王国戦士騎馬隊も伴い王都リ・エスティーゼを出陣したのは、もう昨日午後の事。

 

 翌昼の今、『イジャニーヤ』を率いる頭領ティラとその一行が、雲疎らな夏の高い蒼天を臨む王都へと人知れず到着する。メンバーには、偽名のチャーリー・ウイラントことブレイン・アングラウスの姿も見えた。

 此度、彼等は莫大な賞金も有り、活動基盤のある帝国への竜軍団侵攻を阻止すべく参戦のため動いている。大街道を進む旅路の途中では、馬車に乗る6名の仲間から一人を使い、後続の仲間達と互いに通過した街や都市で得た情報を交換。状況判断しつつ急ぐ形で、8日間に570キロ程を走破していた。

 着いた都市内は、軍主役の上流層達や多くの兵士らを送り出し、随分静かになった雰囲気。

 数年振りに訪れたチャーリー(ブレイン)にすれば、王都にどことなく懐かしい空気も感じる。

 しかしそれ以上に、知り合いへ会いたくないという思いが、都市西部にある多少寂れた区画の砂利道へと降り立った彼に、薄くボロいローブのフードを深く被らせた。

 彼は、まだ心へと空く人生の大穴を埋めれた訳ではない。

 そんな男へとティラが、隣国の王都にも確保されているアジトの建屋前で遠慮なく誘う。

 

「さてと、私はちょっと()()()()()()に会ってくるから――チャーリー付いて来い」

「……なんで俺なんだ?」

「ぞろぞろ連れて歩くわけにもいかないし」

 

 チャーリーなら一人で『イジャニーヤ』の腕利きメンバー4、5人分の戦力とみての発言だ。

 馬車から降りた爺を除く他の若い連中は、新入りへ対し些か表情を顰める。

 だが、この数日の旅路で、食事後の軽い運動と称する手合わせにて、眼前の紺髪男の突出した強さは皆が知るところとなっていた。なにせヤツの間合いに入った瞬間、手にする得物が一瞬で叩き落とされてしまうのだから。

 若い者らの視線は刀を腰へ佩く新入りから、白髪で眼帯をした組織の重鎮の男へと判断を仰ぐように移る。

 

「分かりました。早めにお戻り下さい、()()()

 

 あっさりチャーリーの同行と部外者との接触を認めつつ爺は、ティラが会いにいく相手を指すように、ワザと頭領をそう呼んだ。

 ティラも理解し、若い連中の新入り(チャーリー)への風当たり削減の点も考量し、そこは注意しない。

 

「居なかったら直ぐ戻る」

 

 王国冒険者のトップに居て英雄的な相手側(ティアとティナ)は、既に戦場の前線へと出向いてしまっている可能性もあったが、ダメ元で三姉妹の一人である彼女はそう答える。

 頭領の気持ちを察する仲間達からも「よろしくとお伝えください」他、最後に土産までも片手へ持たされていた。

 

(みんなしょうがないな)

 

 僅かに口許で笑いつつ、ティラはチャーリーを伴って移動を始める。

 姉妹達の滞在場所については、有名人なので事前に調べてあり目星が付いていた。

 紺色髪の彼は、緑系の紐で金髪を箒状に結ぶ少女の後方を付いて歩く。目的地は、王都北西の大通りに面した白い石造りの外観で八階層建ての最高級宿屋と聞き、ブレインの頭へ場所が思い当たる。しかし、今後も面倒事を避ける為に、ここは『王都を余り知らないチャーリー』で通す。

 気持ち急ぎめに歩き、二人は時折たわいない会話の内に20分弱で目的地の最高級宿屋へとやって来た。

 1階受付の者達が来訪した娘をみて、最上階の有名な上客の中の見覚える顔と同じ事に驚く。

 瞼をやけに開き加減で、表情が固まった風の些か滑稽に映るフロントの男へ、ティラはアダマンタイト級冒険者『蒼の薔薇』一行の滞在をまず確認した。

 すると、「間もなくの出立」と聞いているが滞在中との返事を受ける。

 

「私の名はティラ。悪いけど、急ぎティアとティナを呼んでくれ」

 

 どう見ても姉妹だろう者の言葉に、受付の者は取次に同意し頷いた。

 それから10分後、ティラとチャーリーは『蒼の薔薇』一行からボーイ経由で招かれて、最上階の部屋の前へと通されていた。

 チャーリーは初めに1階で待つと伝えたが、彼女から「護衛なんだから一緒に来い」と言われ従った。

 ふと彼は旅の中で聞いていた、三姉妹のうち二人が『蒼の薔薇』リーダーの暗殺に失敗し、そのまま説得され仲間へ加わった話を思い出す。良く考えれば、命じたのは暗殺集団『イジャニーヤ』側だ。確かに万一はあるかと続く。

 更に階段を上るうちに、相手は5人組のアダマンタイト級冒険者『蒼の薔薇』。おまけに待ち伏せるのは狭い室内であり、一カ所しかない扉――。

 人間相手にはまだ、腕に自信の有るブレインでも流石にちょっと厳しい相手かと、対決となった場合を想定し徐々に彼の緊張感は上がっていった。

 実際に剣を交えれば、あのシャルティアとの戦い以来となる『死』との邂逅を迎える場になるだろうと。でも、あの時程の絶望感は到底持てない。思わず内心で笑いがこみ上げてきた。

 

(アダマンタイト級冒険者『蒼の薔薇』が相手でもか……ははは……)

 

 本当の怪物を知る事で、緊張はありつつも思考は冷めて妙にクールであった。

 扉に対し少女の前へ出て、慎重に叩いたのはチャーリー。

 だが中からは「どうぞ」という、緊迫を感じさせない綺麗な声が聞こえた。

 経験から、中が殺し合う場所なら今これだけヌルイ雰囲気の言葉は聞けないと彼は感じ、視線を少女へと向けた。

 ティラも、室内の気配から不穏な空気を感じなかったので、彼女が扉を静かに開けた。

 

 結局――2人は普通に歓迎された。

 

 一見すれば笑い話である。

 しかしながら、常に相手の命を狙い『死』と隣り合わせの暗殺集団である彼等とすれば、当然の警戒反応ではあった。

 

「「ようこそ、ティラ。久しぶり」」

 

 ティラそっくりの姉妹達が迎え同時に呼び掛けた。でもその二人の顔は結構複雑さが混じる。

 暗殺集団を勝手に抜け出して以来なのと、丸2年振りぐらいの再会であったから。一人残された姉妹の気持ちを思えば、笑い掛けるのも微妙というもの。

 でも、その全てを押し付けられた当人が先に笑顔で返す。

 

「ティアもティナも、先に言う事が他にあるんじゃないか? 全く」

「いや、でもほら」

「そう、あの場で負けたのティラだし」

「えーって、まぁそうだけどな」

 

 実は、ラキュース暗殺のメンバーは、三姉妹で親指を立てる数当てで決めていたのだ……。

 なのでティアかティナが残っても、同じになっただろう的なノリであった。

 そういう感じで、久しぶりに笑い合う()()()()()のわだかまりは特になくなった。

 この希少な様子に――本日、王都から出発する『蒼の薔薇』側の動向を知る必要もあり、遠視で覗いていた某同好会員天使が、王都ゴウン屋敷の一角で悶絶気味だった事へ気付く者はいない。

 さてティラだが、わざわざ単なる姉妹とのたわむれに宿屋まで出向いて来たわけでは無い。

 あくまでもついでの話なのだ。その本題である目的は明確にあった。

 『イジャニーヤ』の頭領は、視線を他の『蒼の薔薇』達へと向ける。

 

「遺恨を流し、竜王らを倒すのに共同戦線を組みたい。これが実現したら――〝イジャニーヤ〟は今後、〝蒼の薔薇〟へ二度と手を出さないと頭領ティラの名において約束する」

「「「――っ!」」」

 

 強力な魔法詠唱者ゴウン一行からの支援が見込めず、『蒼の薔薇』単体で竜王へと臨もうとしていたところだ。

 ここまでティラの連れだが蚊帳の外で、一応の警戒から壁を背にして立っていたローブの男(ブレイン)の存在がここで威力を持つ。

 ガガーランやティア達は、入室時からその者の強さに気付いていた。

 自分達にそれ程劣らない戦力は、現状において非常に希少で貴重なのだ。そして向こう側より申し出があった。

 場で初めて、2年前に〝イジャニーヤ〟の討ち漏らした『蒼の薔薇』のトップが口を開く。

 

「私がリーダーのラキュースです。そのお話、喜んで受けさせてもらいます」

 

 彼女は状況を総合的に見て即時判断し決を出した。

 頭領がティアやティナの姉妹であり、強い戦力を望む今、これほどの使い手らの居る集団と手を組くのを拒む理由が見当たらない。イビルアイとガガーランらも同意から異論を示さず。

 アダマンタイト級冒険者として、竜王への対処を引き受けたが『単独で』という面目へのこだわりも捨てている。ラキュースの考えは今回、生き残れれば十分だと考えていた。

 一応、彼女は昨夜に、とあるルートで希少という『秘薬』を入手済。でも、それを使ったとしても随分厳しいと思っていたが、これで幾分気は軽くなった。

 

 彼女は常々、物事の結論に『10割の確定はない』と考えている。

 

 手は多い方がいいに決まっているのである。

 『蒼の薔薇』リーダーのラキュースと『イジャニーヤ』頭領のティラは、合意の握手を交わすとそのあと30分程、簡単な打ち合わせを行う。

 ティラ達の合流は、ゴウン氏一行と入れ替わりの機会に、竜王の意表を突く形をと考える。

 その際、敵の王は索敵が優れる為、完全に気配を消せる連中を『イジャニーヤ』は選りすぐる手筈。

 

「「じゃあ()()、よろしく」」

「ふん。ティアとティナにそう呼ばれるのは、なんか凄くイヤだな」

 

 ティラの言葉が、場にいる面々の笑いを誘った。

 打ち合わせを終えて間もなく、『蒼の薔薇』達は滞在する最高級宿屋の部屋をティラ達と共に後にした。

 宿部屋の料金はまだ半年分程前払いしてあり、室内はそのままにして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 王城ロ・レンテ城内でヴァイセルフ王家の客人として滞在していたゴウン家一行。

 彼等は、昨日夕刻より「国王陛下と第一王子が出陣中ということもあり一時、王都内へ下がらせて頂く」と表向きの言葉を伝え、宮殿から都内のゴウン屋敷へと移って来ていた。

 裏の理由としては、アインズ達が所用と称して宮殿よりコッソリ出陣し居なくなれば、その事実が無用な憶測を交え広がる可能性に加え、ユリとツアレだけが残る部分だ。

 また、ユリもガゼフの守護役のため、ハンゾウの1体を伴って『主の使い』で出る予定。つまり王城内宮殿にツアレだけを残すのは、可愛そうだし噂も含めて不用心と考えたのだ。

 それならゴウン屋敷を起点に動く方が秘匿性も高く、リッセンバッハ三姉妹もおり、ハンゾウの護衛が付く事もあり安心である。

 

 なお、ハンゾウ2体が護衛していたエンリ将軍の率いる小鬼(ゴブリン)大軍団は、昨夕の日没後間もない内にトブの大森林内へ入っていた。

 ヘカテーの作成した集落図や建物の図面もンフィーレアとアルシェに気取られる事も無く、こっそりエントマからエンリへ。そして小鬼(ゴブリン)軍師へと届けられ、まず木材の切り出しから〈乾燥〉と敷地への土台作りや木材を吊り上げる簡易クレーン設置を経て、倉庫の建設までが滞りなく進められた。大倉庫は数日で完成予定だ。

 これは帝国から長蛇の馬車列で森の中へ運ばれ、公約通りにエンリ側へ譲渡されて昨夜の内に野へ山積みとなっている小鬼(ゴブリン)2万7000体分の大量の穀物を先に早く貯蔵する為である。大倉庫を10棟建てる事で、10万体分の年間消費量の穀物備蓄が可能であった。

 ただし今回は、倉庫群に1万9000体分を保存。当初、大部分をナザリック内への一時保管も考慮されていたが約3割である8000体分の穀物に留めた。あくまでも火災などでの全損へ備える分離保管的措置としている。

 それよりエンリが驚いたのは、金貨2万枚の件である。

 アインズは、大森林へ到着の知らせを村娘から〈伝言(メッセ-ジ)〉で受けた折に、何気なく告げている。

 

『エンリよ、それは残す穀物と合わせ、お前の権限において軍団で大事に使うとよい』

「……は……ぃ(えぇぇぇーーーーーーっ!?)」

 

 金貨10枚でも、村では揃ったのを見たことが無い数なのだが、最早そんな水準を遥かに越えてなんと2万枚である。まあ、ンフィーレアの祖母の、エ・ランテル最高の薬師で老舗でもあるリィジー・バレアレが隠し持つ額は、こんなものではないけれど……。

 少女にとって、大量過ぎる金貨の山に心の整理が付かず、一晩考えて結局これはナザリックの、旦那(アインズ)様のものを預かっているのだと思う事にした。

 落ち着いたエンリは、集落建設の現場を小鬼(ゴブリン)軍師へ任せ、朝の内にネムやンフィーレアとジュゲムらに加え、依然捕虜として残るアルシェも共に一旦カルネ村へと無事で戻っている。

 トブの大森林には、縄張りへ帰ったハムスケと共にエンリ達をひっそり見守るキョウがいた。彼女は大森林内調査中という立前であったが、そろそろ村へ戻る予定だ。

 

 さて、出陣を控えるアインズが『蒼の薔薇』からの出陣予定について受け取ったのは、昨日、出陣する国王へ挨拶を終えて宮殿部屋に戻った直後である。

 彼女(ラキュース)らの出立は本日午後3時頃との事だ。出陣は別々だが途中で合流し、一度共に竜王へと接触する計画。

 なので、支配者は間もなく『王都内への所用』と称しゴウン屋敷を数日留守にする。

 屋敷メイド長のユリも、代行のメイベラへ『アインズ様から言いつかった別件の使い』で数日外出すると通達済みだ。メイド長として絶対的支配者達を屋敷より見送ったあと、ユリ自身も戦闘メイドとして戦場へ密かに立つ。

 ただ一点、彼女は王城で出立直前のガゼフ・ストロノーフより告げられた()()()()()()を複雑な思いで受け止めながら。

 一家のこの状況に、メイベラやマーリンにキャロルをはじめ、ツアレも何か主人達が()()()()()として動こうとしている予感があった。

 彼女達は、日々受ける大恩に未だ何も返せていないと考えている。

 この見送りが最後になるとは考えたくも無いし、思いも湧かない。

 何故ならご主人(アインズ)様に一切、不安や暗い影等の見えない事がそう感じさせた。

 

(((私達の主は、英雄なのだから)))

 

 故に、最高の姿勢と敬愛する想いと――メイドの誇りの全てを乗せて送り出す。

 

「「「いってらっしゃいませ、ご主人様、皆様」」」

 

 アインズ達は、眼鏡美人のユリを筆頭としたゴウン屋敷自慢のメイド達に見送られる。

 ただし、場所は最寄りの街角でだ。

 少々わざとらしい御忍びでの出立の為に御方他、シズやルベドらは服装を普段と変え、紳士系の服や街娘調の衣装を纏っていた。衣装については、以前ユリへ提供したアインズの保有データからの貸出だ。

 見慣れぬ姿だが、意外にソリュシャンやシズ、ルベド達の姿が新鮮に見える。可愛い子や美人に美少女は何を着ても似合うと言う事だろう。

 雇い御者が座る使用感の滲む馬車に今、支配者らが何食わぬ顔で乗り込み、そして固めの板バネの車体に揺られながら地味な形で屋敷地区を後にする。

 ゴウン屋敷を張り込んでいた『八本指』警備部門下二名の内、若い方が組織へと知らせに走って行った。『六腕』のゼロ達も別動ではあるが、ゴウン一行らが前線から後方へ一度下がる段階より共に動くため、後日出立する手筈で備えている。

 尚、王国裏社会最大の地下犯罪組織『八本指』では、今日未明まであった臨時の部門長深夜総会において大きな指針改変が断行された模様だ。

 

 

 モモンとマーベロの『漆黒』についても、アインザック達とエ・ペスペルの者らを加えた一行として、既に昨日より馬車が走り出していた。

 経験を買われて一団のリーダーはアインザックが務める。彼等は堂々たるオリハルコン級の冒険者が多数を占める部隊。貴族達も無理に脇へ下がらせ追い越す様な事はないため、王の兵団が出陣する少し前の昨日昼過ぎに王都を離れていた。

 その際のモモン役は、王城内へ挨拶に戻ったアインズの代わりとしてパンドラズ・アクターがそのまま務めている。移動がメインであり、組合長らに大きい動きもなさそうな点で問題ないとされてだ。

 マーベロらの乗る馬車は、王都北側の外観が後方へと小さく消えて、郊外の街も過ぎてゆく。視界には時々こじんまりした村と畑一面で穂の揺れる風景が広がりはじめていた。

 

「モモン君にマーベロ君、この地域は初めてじゃないかね?」

 

 例の如く、変に詮索をされても困るので、御方を真似て替え玉モモン(パンドラズ・アクター)はアインザックからのその問いを肯定する。

 

「ええ。なので、地形的な情報が詳しく欲しいところですね」

「まあ、着いても戦いが始まるまで半日ぐらいは時間がある。心配はないと思うぞ、モモン殿」

 

 エ・ペスペルのオリハルコン級冒険者の一人が不安を気遣うように伝えてくれた。

 

「そうですね」

 

 答えたモモンと彼等一行は王都北門から北東へ延びる大街道を急ぐ形で北上し進んでいた。リ・ボウロロールからは穀倉地の畦道を走る予定。

 結局、意気込むアインザックに率いられ、午後の出立から休憩を挟み8時間以上進んだあと、夜は小さな街へ寄って宿を取った。次からは野宿と聞いている。

 途中、食事以外で兜を取って素顔を見せたり、出身を聞かれたりと難しい場面もあったが、パンドラズ・アクターはマーベロと上手く切り抜けていた。

 出身地については『南方』とだけ大雑把に語る。最近はナザリックにも情報がそれなりに揃ってきており、モモンの容姿に近い黒髪の人種は法国の更に南の方に住んでいる事を得ている。アインズはこれを利用することに決めていて、パンドラズ・アクターにも指示していた。

 マーベロについては昔、『南方』の街で出会ったとだけ伝えるに留める。

 如何にも気弱そうに構え乙女座りする少女の姿から、悲しい事情があるのだろうとそれ以上は誰も突っ込んでこなかった。

 夜の、まだ活気ある宿1階の酒場で晩飯を終え、偽モモンは歓談後に頃合いをみて退席の挨拶をする。

 

「申し訳ないけど、これで休ませてもらいます」

 

 それに続き彼と手を繋ぐマーベロも、「で、では皆さん、おやすみなさい」と述べて上階への階段に消える。

 そんなマーベロだが、宿部屋へ入ると彼女の方が上官である。周辺に盗聴がないのを確認するといつもの調子で口を開いた。

 

「あ、あの、周りは大丈夫みたいです。楽にしてくださいね」

 

 用心して名前は出さないが、部下や仲間に優しいマーレがパンドラズ・アクターを気遣う。

 アインズの居ないときはこんな感じである。

 パンドラズ・アクターが、趣味的欲求もありそれに甘える。

 

「はい。あの、その杖をちょっと触らせてもらえればと」

「あ、はいどうぞ」

 

 幸いな事に、マーベロとして持つ紅い杖も宝物である。それをこういった時間に少し持たせてやると、パンドラズ・アクターは随分落ち着くのだ……。

 また少女は、彼が時折恋しそうに話す宝物達の話を聞いてあげてもいた。

 彼が十分宝物の感触を堪能した頃。不意にマーベロの思考へ電子音が鳴り、〈伝言(メッセージ)〉を通じて凛とした美しい声で一方的に呼び掛けられる。

 

『マーレ、可能なら階層守護者としてナザリックへの一時帰還を命じます――』

 

 不意に来たアルベドからの急ぎの指示であった。用件はアインズ様絡みとの話。

 当然、第六階層守護者でもある闇妖精の少女は統括からの連絡に従いナザリックへ一時帰る。

 用を終えたマーレが宿部屋へ戻ったのは、日付を越えた3時間後の本日未明である。

 

 今、昼下がりを迎えるアインザックの一団は、大都市リ・ボウロロールを夕刻前には抜けれそうな辺りを移動していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 マーレが態々(わざわざ)呼ばれた様に、活発な動きは本拠地のナザリック内でも見られた。

 アインザック達の他、ランポッサIII世と兵団が昼間に出陣した、昨日夜11時過ぎのこと。

 ナザリック地下大墳墓第九階層の会議室に、主立った階層守護者達が集まっていた。

 体の大きい第四、常時大役のある第八に、あと任務のため竜王国へ出向いているプレアデス指揮官で第九、十階層の責任者を除いて。

 

 アインズがいつもの日課に先立ち―――ナザリック戦略会議を招集したのである。

 

 間もなく始まる竜の軍団との戦いに際して、シャルティア他を動員する予定から、ここは階層守護者達へ正式な場での通知が必要だと考えたのだ。

 

「アインズ様。守護者統括、並びに指示のありました階層守護者達全て、御身の前に」

 

 支配者の入室をみて、アルベドの声が響いた戦略会議室内部は、重厚な扉を含め以前より装飾の強化が進み、照明も絶妙の暗さを残し灯され栄光ある組織に相応しく荘厳さを増していた。

 その奥へ用意され、一際背もたれの高く威厳ある椅子がアインズの席である。

 背もたれを支え、微かに広がりながら2メートル程も上へ伸びる5本の材のてっぺんには、加工され黒光り牙もある頭蓋骨が其々に乗る。

 

「おぉっ……(でも、なんの頭蓋骨だよっ)」

 

 絶対的支配者が感嘆し椅子へと向ける視線から、さり気なくデミウルゴスの顔が上機嫌で上向き気味である……。

 頭蓋が人間のものでないのは見れば分かった。(あるじ)は僅かに考えを巡らせる。恐らく、最近在庫が減ってきた中位アンデッド制作用の人間の死体へ続く、300体を超えて横へ置かれている躯からビーストマンのものだろう。

 だが遠方からと思われる輸送に〈転移門(ゲート)〉は使用されていない模様。ナザリック近辺へ直通口を開く可能性が高いあれを使う場合、事後においても絶対的支配者への報告が義務付けられていた。

 報告が上がっていない事から多分、複数の物体も指定出来る〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉を使ったのだろう。水面下でシャルティア辺りの協力があったはずだ。

 配下達はさり気なく、アインズの行う日課へのサポートも進めてくれている模様。

 典型的であるのが4日程前から日課に加えた、冒険者モモンとして身に付けておくべきと第四階層『地底湖』の周回ルートで始めたばかりの騎乗練習。それ用で適当に用意していたゴーレムの裸馬があった。

 しかし日が経つと、いつの間にか造りの凝った鞍や手綱へと交換が進み、先程見ると全身鎧に真紅で金刺繍の入る垂れ布までもが派手に付加され、凄まじくゴージャスになっていた……。 

 全部、階層守護者達が自主的にしているのであろうと心の中で嬉しく感謝しつつも、ナザリックの統治者としては表面上『当然』と受け止めなければならない。

 せめて「うむ」とアインズが一人で重々しく語り、胸を張りつつ満足げに乗ってやることしか出来ないのが難点といえそうだ。

 今も階層守護者達が席から立ち、依然直立にて待つ中で『支配者に相応しい立派な椅子』へと彼はそう(うむと)呟きながら満足感を見せて腰掛けた。

 

 その堂々たる(さま)に――アルベド以下階層守護者達の嬉しそうな顔や雰囲気が広がる。

 

 彼等にとり、仕えるべき御方の健在で偉大な姿を目の前に見れる事こそ最高の幸せなのだ。

 

「全員席へ掛けよ。さあ、会議を始めよう」

「はい」

 

 アルベドが代表し、穏やかな笑顔から返事を行い座ると、漸くシャルティアやコキュートス達は腰掛けた。

 落ち着いたところで、アインズが語り始める。

 

「まず最初に一昨日、バハルス帝国内にて突如、ナザリック旗下であるエンリの小鬼(ゴブリン)部隊を襲った巨大な木の魔物への対応について、この場で改めて褒めておきたい。アウラにコキュートス、良くやってくれた。そして、この場にいないがガルガンチュアもな」

 

 信賞必罰。フールーダを筆頭に帝国側を罰しつつ、貢献した味方を支配者は称えた。

 

「アウラは樹木の魔物を見事調教し封印に成功してくれた。コキュートスもその誇る武でアウラ達を守りながら、敵の攻撃力を有効的に割いてみせた。ガルガンチュアも怪力を存分に示し、巨大な相手を誘導するのに大きく貢献した。其々に褒美を与えたいが、何かあれば申し出てくれ。今、思いつかなければ後でもいいぞ」

 

 すると、コキュートスが口を開く。

 

「アインズ様、私ハ今ノ御言葉ト、コノ腕ヲ見込ンデノ先ノ戦場ヲ与エテ頂イタコトガ、最高ノ褒美ニゴザイマス。モウ十分ニ頂キマシタ。満足デアリマス」

 

 これまで常に防衛のみで言い知れない想いもあったが、己の武でナザリックへ貢献を示せた事で彼の心は十分満たされていた。武人の彼らしい言葉であった。

 アインズも清々しさをみせる配下に、「そうか。だが、気が変われば遠慮はいらないぞ」と伝えておく。

 対してアウラは支配者へと元気よく伝える。

 

「あのアインズ様っ、後でお伝えしていいですか」

「分かった。よく考えて決めればいいぞ」

「はい、ありがとうございますっ」

 

 彼女は満面の笑みをアインズへ向けた。でも、本当はもう『主との森のお散歩』と決まっているのだが。

 支配者は最初の議題を終え、そのまま次に今回の会議の主題へと移る。

 

「さて、では本題に入ろう。――もう知っていると思うが、ナザリックのあるリ・エスティーゼ王国は竜王率いる軍団に侵攻を受けている。それに対し数日後……正確には3日後となるが、王国からの報復戦が始まる予定だ。私は最終的に裏側から王国側で参戦するつもりである。対価として、ナザリック周辺地域を平和的に我々の自治領として手に入れる事で話が纏まっているのもある」

 

 ここまでで、既に関連資料等を読んでいるからか、守護者達の多くが時々頷いていた。

 順調に進めばカルネ村を含む王国辺境が、絶対的支配者の正式な初の領土となる話も含んでおり当然の関心事とも言える。

 アインズは話を進めた。

 

「ただ、この件には私の思惑を多く含んでいる。また、私やユリら戦闘メイド達は今の所、素性が一介の旅人的な立場で行動している。今後も動き易さを考え、当分その立場を続けるつもりだ。なので目立つ動きに制限が付く。まあ、そこで少しお前達の手が必要になりそうでな」

 

 至高の御方の含みのある言葉に、この場の全員の目が光る。

 (あるじ)から必要とされる事こそが、彼等にとっての存在意義であり重要なのである。

 全NPC指揮官であるデミウルゴスがまず絶対的支配者へと伝える。

 

「何なりとお申し付けを」

 

 それに続き、全員が堰を切った感じに続く。

 

「勅命アレバ、如何ナル場所ヘモ即座ニ」

「アインズ様、あたしも」

「あ、あの僕も」

 

 マーベロ役のマーレだが、控えめながらも状況によっては何でもするつもりでいる。

 特に某ミスリル級チームについては、正眼からの打ち込みやフルスイングの準備も万全だ。

 

「私にもなにかございましたら」

 

 アルベドも、物欲しそうにしっとりとした視線を送ってきた。

 そして座り並ぶ階層守護者の最後に、以前「考えておこう」「そのつもり」と聞いていた主の声を促すようにシャルティアが言葉を口にする。

 

「……今こそ私の出番ではありませんか?」

 

 するとアインズが、その思いに応えるべく伝える。

 

「その通りだ、シャルティア。お前には今回、出陣してもらう」

「ああぁっ、我が君。とても嬉しい御言葉……、ありがとうござい……ます」

 

 真祖の少女は勅命を受け、背もたれに身を預けながら、己を抱き締め既に恍惚の表情を浮かべていた……。

 その顔へとアルベドが、支配者に見えない顔の角度から凄い視線で睨む。でも、それは一瞬。統括の彼女には『ビッグな計画』が控えており、「そう、順番よ、順番」とここは気を取り直す。

 支配者は「マーベロ役のマーレと、出陣するシャルティアを除き、ナザリックへ残る守護者達には後で伝える()()()()()()()を任せたいが基本、皆で守りを頼む。アルベドの分は妹のルベドが働いてくれるだろう」と告げておく。

 『以前行なった件』だけで、デミウルゴスには「今朝の時点で5体ですね」と通じた模様。話を聞くと、どうやら一応再度の準備は常にしていたらしい。アインズは機をみて実行を命じる。

 シャルティアへは、替え玉のアインズ(ナーベラル)らと後方にて当面待機し王都へ竜側の到達を阻止する事が中心になると話した。

 これで階層守護者達自身への通達は一応終わる。

 マーレへこの場では特に指示せず。あとで、白金級冒険者チーム『漆黒』として、パンドラズ・アクターと共に()()()伝えるつもりでいるからだ。

 ただ支配者は更なる出陣する者について、()()()()()()()名を出し上司へと通知を命じた。

 出陣の者には大都市リ・ボウロロールへの竜達の到達を阻止させる他、加えて重要な役目を担わせる。

 

「竜軍団の対処を終えた直後に、竜王国への応援が控えている。その布石もこうして同時に打っておかねばな」

 

 御方の軽く右手を上げて悠然と伝える姿に、居並ぶ階層守護者達は理解から頷く。

 アインズとしては、これも営業マンであった経験からの行動。足元も大事であるが、進む道の先を確保することも先決である。上へ立つ者なりに悪くない選択のはずと考えた。

 基本的ゆえに幅広い応用へも繋がる。優秀なアルベドやデミウルゴスも、支配者の手をなるほどと聞きながら、こんなモノではないハズの遥かなる展開を先読みしていった……。

 

 以降の議題は、最初に竜王軍団への関連もあり、アーグランド評議国内の状況が登場する。

 支配者から皆へと、評議国に関し現時点では当面、民間での情報収集や交易ルートの確保を主軸で考え進めている話が伝えられる。

 まあ、元は某天使の我儘への対応であるが、それは一切語らない。結果をみれば、将来的に悪くない一手だったのが不思議と言えよう……。

 アインズはここ数日の日課の傍ら、評議国へ残して来た小鬼(ゴブリン)レッドキャップ3体と連絡を取っていた。そして評議会における竜王撤退推進の件が昨夕刻(第一王子が出陣した日)早くも通過したと聞いている。ゲイリングは、一族の権勢とコネの総力を挙げて4日と掛からず実行してくれたようだ。それ程、脅しが効いていたという事か。まだまだ奴は使えそうである。

 次の議題には、エンリの呼び出した小鬼(ゴブリン)5000体への対応案件が続いた。

 新集落建設へ関する事に続き設計したと聞いたヘカテーを支配者は褒める。またアルベドによる小鬼(ゴブリン)達の活用話からの、彼等も徴用するナザリック地上都市の基礎工事着工の説明へと進んだ。

 続いて、デミウルゴスからトブの大森林への侵攻『ハレルヤ作戦』の進捗も語られた。地形の把握や各種族の戦力及び情報解析が進み、当初よりも容易に攻略可能と伝えられる。ただし、コキュートスの先陣や恐怖公勢出陣についての変更は、特にないとも付け加えられた。

 因みに仮面を被る意味等、全貌についての説明は未だコキュートス達へされておらずだが。

 

 

 概ねが順風満帆である事に、統治者のアインズは―――またも随分と油断していた。

 

 

「では、次は私からでありんす」

 

 ここでシャルティアから、何やら()()()()()が開かれ、そこからの報告が淡々と語られ始める。

 

「まずは、7月中旬の王国内にて――」

 

 そう、数々のイカガワシイ内容が列記され収められていると聞く幻の代物、『某御方女性関係報告目録大全』の朗読。

 その中には、モモンによるクレマンティーヌへの膝枕やお姫様抱っこをはじめ、人間のニニャとのデートの話。エンリとのベッドでの同衾や、異国にて人馬(セントール)四姉妹や素っ裸で売られていた人間奴隷の幼女ミヤを助けた件も漏れず。某国某王女のシースルーのネグリジェ姿を堪能した状況や、ルベドとガッチリ抱擁を交わした件に、マーレと手を繋ぎ過ぎという事象等々。各日時と場所、状況に至るまでが克明に書かれていた。ユリ達や人間のメイド達へとドレスを作っている話までもが、参考事項に上がっている。

 語られたのは、初回の戦略会議以降の記事であった。

 直近2回の会議では後がつかえ時間もなく控えられていたが……今日は容赦なく進んだ。

 

(ぐあぁぁー、ぎゃーーー。うあぁぁ……も、もう勘弁してくださいぃぃぃーーーーっ)

 

 朗々たる赤裸々な語り部と化した吸血鬼の守護者を作ったペロロンチーノさんへ、心の中で叫び続けるモモンガ。

 しかし御方は、この場にて多数の感情抑制を繰り返しつつも、苦行の全てを耐えに耐え忍びに忍び、泰然と無言を貫き通して終始微動だにしなかった。

 ――それが正解。

 配下達は、偉大なる絶対的支配者の女性事情を糾弾しているわけでは決してない。

 至高の御方の意思は絶対。何をしてもこのナザリックでは正当化されるのだから。

 全く発想が逆なのである。

 これは、女性陣階層守護者達側からすれば『表彰』されているようなものであった。

 どうすればこう『なれるのか』、『されるのか』の重要な思考、研究の場であり『実績』を纏めた道しるべが大全なのだっ。

 男性陣階層守護者にしても世継ぎの誕生に直結する内容の為、非常に重要であり聞き逃す事は出来ない。

 コキュートスなどは、世継ぎを上手くあやす練習を今後の予定に入れているぐらいなのだ。

 しかし……しかしである。

 聞かされる御方自身は、晒しモノといっていい状況。

 真剣にもうやめてと告げようと決意を固めた頃、アルベドからの言葉がいやに胸を(えぐ)る。

 

「アインズ様は、どうか心穏やかに思うがまま、(女性関係でも)我が道をお進みくださいませ」

「……あー」

 

 『いや、無理だからっ』と口から伝えようとしたが、この場の守護者一同の揃ったとても温かく穏やかな微笑みで頷く様子に水を差したくなかった……。

 

「…………そうか」

 

 アインズは組んだ指を大机の上で数度モミモミしながら小さく答え、平和なナザリックの絶対的支配者としてこの件を飲み込んだ。

 

 十分議題が出尽くしたように思えた中で、アルベドが脇へ控えていた一般メイドのシクススへ視線を送る。

 すると、シクススが資料を配り始めた。

 絶対的支配者の横で最敬礼のあと、丁寧に置かれた資料の表紙へとアインズは視線を落とす。

 そこには『ナザリック地下大墳墓内における休暇推進計画』と表題が書かれていた――。

 

(……これは何かなぁ)

 

 支配者はそう思いつつ、左横前方へ座るアルベドへと顔を向けた。

 愛しい主からの説明要求のそぶりに、守護者統括はにこやかに満を持して口を開く。

 

「アインズ様、是非ともワタ(シからの)……いえ、皆からの具申を最後までお聞き下さい」

 

 彼女は、個人的『ビッグな計画』の激しい欲望が少し零れるも、必死に抑え切る。

 アインズはデミウルゴスをはじめ、アウラ達の顔を一通り見渡すが、視線を逸らす者はおらず既に皆で話し合っているという雰囲気を感じた。

 これまでに無かったNPC達の統一的な動きに一瞬の不安が(よぎ)るも、表題の『休暇』という文字やマーレにシャルティアの表情からは不穏なものはない印象にホッとする。

 

「……わかった」

 

 今日までの守護者達の厚い忠誠を考えれば、明確な反逆はありえないと思い、己の未熟な考えに辟易する。

 でも再び、巧妙に誘導すれば可能ではとも僅かに浮かんだ。その暗い思考を意識だけで再度追い払う。

 

(馬鹿な。俺が、この子達を最も信じなくてどうするんだっ)

 

 (あるじ)の僅かな葛藤を他所に、アルベドが御方へ向かい話を述べる。

 

「アインズ様には休暇が必要だと感じております。我々から見てもアインズ様は働き過ぎでございます。しかし、それは我等配下に気をお使いだからではないでしょうか。ですので、まず私達が休暇を頂く事にしました。この資料は、ナザリックの者達の休暇取得について表形式で簡潔に纏めております。どうか中をお改め下さいませ」

 

 アインズが、このナザリックでもっとも頼っていると言えるアルベドの言葉を受け、手元の資料を手に取り捲っていく。時折統括からの補足説明が入る形。

 全階層毎に所属の者達を(おも)に担当で分け、ひと月に1日の割合で休暇日が設定されていた。

 六連星(プレアデス)やメイド長のペストーニャや正副料理長達、階層守護者達やアルベド自身にも休暇日が設定されていた。

 勅命などで出撃中の者は、後日に代休を取得する等の補填措置も用意されている。

 無論、アインズへ対しての休暇設定はない。配下が偉大なる至高の41人の休みを勝手に決める事こそ、不敬以外の何物でもなく言語道断だろうと。

 

「おぉ……(俺を気兼ねなく休ませたい想いで、これを守護者達が自主的に纏めたというのか……素晴らしい!)」

 

 仲間達のNPCが成長したように思え、感慨がひとしおだ。

 涙は出ない支配者であるが、ちょっと気持ちが昂り感情抑制が起こっていた。

 御方は手に持った資料から視線を上げる。

 当然だが判断を待ち、ここに集う6名の者達の視線がこちらへと注がれていた。

 アインズは、静かに資料を置くと一同を見回し、側近の美しい純白の悪魔へと告げる。

 

「いいだろう。良くぞここまで纏め上げた。私は嬉しいぞ――勿論、私も休むことにしよう」

 

 その瞬間、階層守護者達の「やったー」「おぉ」「ば、万歳っ」などの歓喜の声が上がる。

 ただそれに混じり、ミシリと微かだが鋭く何かが鳴ったかように思えた。

 アインズは「ん?」と思ったが、にこやかな統括をはじめ、皆や周囲へ特に変化は無く、大したことは無いかと直ぐに流す。

 その音は――大机の下でアルベドが怪力で思い切り拳を握った音である。

 

(よっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーっ!!)

 

 心の中心で彼女は全開で叫んでいた。

 資料にあったアルベドの休暇日の表だが、そこだけ片隅に小さく小さく『※これは暫定です』と書いてあったことに、支配者はこの時点でまだ気付いていなかった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 隣国のリ・エスティーゼ王国へ多数が侵攻した、アーグランド評議国からの竜の軍団。

 それらにつき、東進されれば国境を接するバハルス帝国への到達もあり得ると警戒し、皇帝ジルクニフは王国内の竜の軍団を撤退させるべく旗下の軍団へ勅命を発令した。

 帝国は首都の帝都アーウィンタールをはじめ、全国の都市から帝国八騎士団8万騎より選抜した輜重隊1000騎もすべて騎馬隊という総勢6000騎の精鋭騎士騎馬隊を越境させ派兵。

 その3日後には、魔法省所属の精鋭100名からなる強襲魔法詠唱者(マジック・キャスター)部隊も送り出す。

 騎士達の出陣から11日(王都からランポッサIII世の兵団が出陣して2日)が経過していた。

 精鋭騎士団は全軍、商隊へ偽装の上に分散行軍しているため、その全貌は未だ王国の地へ現していない。王国のブルムラシュー候爵の息の掛かった貴族領を無検閲で通過している面もあるが。

 既に大都市リ・ブルムラシュールを経由しリ・ボウロロールを抜けた辺りまで到達。

 彼等は移動を急ぐ一方で、途中の街へ数名を派遣し王国軍側の情報もまめに収集しながら進んでいた。流石に、王国軍の部隊と遭遇するのは面白くないとの判断がある。

 ロウネの計画では、旧エ・アセナル近辺に居を構える2つの男爵の領地内で集結し、突撃機会を待つ手筈となっている。

 今回の地上精鋭部隊には、帝国八騎士団を率いる8名の将軍の内、第一軍の大将軍を筆頭に、第三、第四、第五、第六、第八軍から6将軍が出陣して来ていた。

 騎士達一人一人についても皇室兵団(ロイヤル・ガード)級の選りすぐりの者達ばかりだ。

 魔法省の派遣部隊も同様に、第4位階の魔法詠唱者達をも含む、全員が経験豊富な第3位階以上の使い手で編成されている。夜間に直線的経路で進んだ彼等は、リ・ボウロロール北方60キロから広く北側へ広がる大森林の西端で待機中である。

 出陣した者達は皆、当初より自国が戦場でない事もあり割と意気揚々としていた。

 しかし今、魔法詠唱者達に限り、どの者の顔を見ても深刻な表情を浮かべている。

 なぜなら今日になって、余りにも衝撃的な情報が本国から飛び込んで来たからである。

 

 帝国の柱石であるフールーダ・パラダイン老が――消息不明であると。

 

 精鋭騎士団側は、将軍のところで止められた事で配下の騎士達までは届いていなかった。

 連絡の伝達自体は、魔法省所属のフールーダの高弟の一人が〈飛行(フライ)〉を使い、騎士団側へも知らせた後で、強襲部隊側へ合流していた。

 将軍達の多くは表情を変えながらも「やるべきことは変わらない」として気丈に耐えた。

 だが、師から「陛下の御用を数日で片付けたら追う」と告げられ、先行していたフールーダの古参の高弟達は動揺が激しかった。

 

「一体、どういう事なんだ? 何処へ行かれたのだっ」

「これから、竜の軍団とやりあうのだぞ。あの方無くして戦えるのか!?」

「ま、まさか、(あの村娘を監禁して)研究に籠られた……とか」

「職務を放られてしまわれたかっ。作戦はどうなる?」

 

 高弟の内、誰一人としてフールーダが死んだとの言葉は出ずにいた。

 200年以上も帝国の繁栄の歴史と共に歩んできた人類の英雄が、あっさり死亡するとは思考へ浮かばなかったのだ。

 だが直後に、村娘は小鬼(ゴブリン)の軍団を呼び寄せたので王国側へ開放された事や魔樹の話も伝える。すると、高弟達は行方をくらませる程の理由がない状況から、老師が巨木に巻き込まれ消えた可能性も高いという結論に至り押し黙る。

 

「師の状況は、私の方でも分からない。所在は依然不明なのだ。ただ――陛下からは作戦を続行せよ、とのことだ」

「「「――っ! ………」」」

 

 師に従っていようと、彼等も帝国の民であり、皇帝の先兵の一員なのだ。

 古株の高弟達は、部隊長代行をこの場で定めると作戦を続行し始めた。

 

 

 

 帝国八騎士団の精鋭と魔法省の部隊の他にもう一つ、帝国が王国内へと送り出した兵団がある。

 帝国四騎士3名が率いる皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)を含む、100名程の部隊だ。5キロ程後方にもう一部隊が控える。

 彼等はこの時、リ・ボウロロールから穀倉地帯内の北西70キロ程先(旧エ・アセナルからは約50キロ)で、人口微少地の林へ潜み夜を待っていた。昼間に斥候を出して、夜間に進む道や次の潜む場所を決めて日々前進を続けている。

 

「王国軍は、どうもこの西側へ大量の兵を分散配置させてんな。思い切った作戦だぞ、こりゃ」

「……そうだな……」

 

 斥候の知らせで前進への難易度が上がり、そこは語らずも眉を顰めるバジウッドの言葉に後方部隊から来ていた〝不動〟のナザミが頷く。

 王国軍が、火炎竜の被害を抑える事へ随分と重点を置いているのが分かる。

 10名程度の一般兵小隊では、竜へ対し全く戦果は期待できない。王国は、敵兵力を広域へ切り離し持久戦も選択しているかに見える。

 そこへレイナースが意見を追加する。

 

「これって、広い意味で陽動よね。打撃部隊が別にいるって事かしら。……それって私達……ってことはないでしょうね?」

「――っ」

 

 王国が帝国の干渉に気付くか、見越しての作戦を打って来たと考えようもある。

 ナザミがつぶらな目を少し大きめに開いた。だが、バジウッドはそれを否定する。

 

「……ねぇな。それ程の深読みが出来るんなら、帝国が毎年王国に完勝出来てないさ」

「ああ、それもそうね。ということは……冒険者辺りも動いてるのかしらね」

 

 王国には、帝国へも名が轟く有名なアダマンタイト級冒険者が2組在籍している。また他にも優秀な冒険者達が多数存在している。その数は軽く帝国内の冒険者数の倍以上居たはずだ。

 モンスター専門の彼等をオフェンス側へ回せば、随分バランスが取れるように思えた。

 人間相手の帝国との戦争へは、参加することが無い大戦力も、今回の相手は竜種。存分にその武力を発揮させることが出来るだろう。

 また、そうあって欲しいとも思うバジウッドである。

 横で倒木へ膝を組んで座るレイナースは、戦況が不利に傾けば戦線を離脱すると明言している女であるからだ。

 王国軍の奮戦に紛れて、帝国軍渾身の痛打を浴びせて竜の軍団を撤退させることが今回の作戦の最大の目標である。

 そのように戦いが上手く運ぶ流れを願っていた。

 

 一方の〝重爆〟レイナース・ロックブルズは、今日も朝起きた瞬間から変わらぬ右半分の爛れた顔を憂う。

 でも、この度の戦場へは期待があった。

 評議国から来た強大な(ドラゴン)達の中に、卓越した魔法の使い手が居ないかという部分に夢を見ている。もし、期待できる個体がいれば彼女は接触してみるつもりだ。

 あとは、王国内に多数いる冒険者達へもだ。

 国境での戦争へ彼等は参加しない為、個々で素晴らしい魔法詠唱者(マジック・キャスター)が居る可能性はまだ残されている。普段は見せないとっておきの魔法を強敵相手に駆使するはずで、最大能力を見せてくれるだろうと。

 しかし、それ程の者が既に居れば、情報のさわりぐらいは掴んでいてもいいはずである。

 彼女はこれまでも経費度外視で給金から少なくない額を投入し、八方へと捜索に手を尽くしている。王国だけでなく、遠方との取引のある商人達へも手を回し、スレイン法国やカルサナス都市国家連合、はては竜王国やローブル聖王国までも調べてもらっていた。

 また有力な噂を聞いて、無理に休みをもぎ取って自ら赴いた事も数回ある。要求されれば、成功報酬に金貨5000枚でも1万枚でも払うつもりであった。

 

 だが――今もこの忌々(いまいま)しい呪いは残り続けている。

 

 この呪いは、低位の解除魔法であれば、感染する(たぐい)の強力なものであり、誰もが顔を調べる段階で尻込みし、解除魔法を実施したものすら未だ存在せずなのだ。

 彼女は絶望したくなかった。

 

(きっと誰か、どこかにまだいるはず。この呪いを解ける程の者が……)

 

 彼女は、重たく冷たいこの呪いが解けたあと、何をするかを色々考える事が楽しみの一つとなっている。

 外見の姿で彼女を嫌ったりしない優しい男性と結婚し、子供は4人。静かな広い屋敷にのんびりと暮らし、もう金輪際モンスターの討伐に縁のない生活をと。

 そしてまず最初にする行動は、もう随分前から決めていた。

 

(バッサリと、この本当に鬱陶しい右の前髪を切り落とすんだからっ)

 

 本当は、デコがよく見えるくらいのサッパリした髪形が好きなのであった。今の髪形は多様な部分で、ものすごくストレスが溜まっていくものの仕方なかった。

 同時に日頃、彼女はこの悲しい外見だけで、自分へ冷酷に接した者達への不満を『復讐日記』に書き留めている。この遠征中も当然に。

 日記の最終ページ付近にも日記とは別に氏名が100を超えて列記され、横4本へ縦1本を通し数を(しる)していた。多く溜まれば報復あるのみ。上の方に並んでいた両親や元恋人等自分を捨てた身近な存在の氏名他、いくつかはもうこの世におらず完了しておりペン線で手荒く消されている。

 氏名は多岐の人物に渡り、帝国四騎士の自分を女性として扱わないバジウッドやニンブル、ナザミ、配下の皇室兵団(ロイヤル・ガード)の騎士達他、秘書官のロウネやフールーダ。挙句に恩のあるはずの皇帝ジルクニフでさえも例外無く2、3本のチェックが入っていた……。

 彼女の傷ついた心の闇は意外に深い。

 その反動もあり、呪いの解除の要求が『5年間の隷属を誓え』程度のハードなものでも快諾する気でいる。

 

(この呪いが解けるなら、何でも、例え誰を殺してでも――)

 

 両親すら死獄へ叩き落とした彼女である。今更、何の気の咎めも無かった。

 レイナースは今、呪いの解けるその時へ繋がる機会を戦場の中も、淡々と待ち侘びている。

 

 

「しょうがねぇ、この先へは王国軍が動いてから進むとするか」

 

 バジウッドは、流石に王国軍将兵が点在し警戒する地域への、隊の前進に待ったを掛けた。

 

「そうね」

「……ああ……」

 

 リーダーの意見にレイナースらも同意する。

 なお、彼ら皇室兵団(ロイヤル・ガード)の部隊に対し、フールーダ不在の戦いになる事は未だ届いていない。

 理由の一つに、飛行隊が同行し見つかる恐れの高いバジウッド達の潜む場所は八騎士団選抜の本隊と異なり、日々アバウトに変わり未定で連絡の付けにくい進軍をしていた点があった。もう一つは、帝国の柱石不在でも命令の変更はないというのも大きい。

 バハルス帝国の脅威へ対し、ジルクニフの取る手は一つなのだ。

 

 ――王国に侵攻せし竜軍団を帝国の選抜精鋭軍にて撃破し、アーグランド評議国へと叩き返せ!

 

 帝国四騎士と皇室兵団(ロイヤル・ガード)の彼等にとっては、直々に聞いた皇帝の勅命が全てなのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 良く晴れた空が赤く染まった頃、夏の日のぬるい強めの風が吹いてきた。

 彼女(ラキュース)は美麗な金の巻髪をはためかせるまま、西北西側の地平線へと近付きゆく夕日を静かに眺めていた。

 もうゆっくりと、見れる機会はないかもしれないとして。

 その気持ちを理解し、ガガーランも無言でリーダーの横に立つ。

 数秒のあと、夕日を見詰めながらラキュースが口を開いた。

 

「よく考えれば、馬鹿みたいよね。普段は気にもしないのに、よ?」

「ははっ。でも、そんなもんだろ。それにこんなのは偶に見るからいいんじゃねーのか?」

「ふふっ、それもそうね。さて、行きましょうか、そろそろでしょ」

「ああ」

 

 二人は、まだ沈むのに20分以上あるだろう夕日に背を向けると、足早に森の木々の奥へ隠れる形でイビルアイ達の所へと戻る。

 彼女達が王都を離れて早1日以上が過ぎていた。

 ここは、旧エ・アセナルの南西門へと繋がる大街道沿いへ点在する小さな森の一つ。

 竜王の軍団の宿営地までは直線で約50キロという辺りである。『蒼の薔薇』が竜王の所へ向かうのは、攻撃開始から最低1日程度の時間を置いての予定だ。なのでまだ幾分距離を取っていた。

 戦いが始まった直後は激しい混戦が予想される事と、初めから動いては体力がとても持たないというのが大きい理由である。

 彼女達は破格の強さと持久力も持つ。ただ、それはあくまでも人類の中での話。

 今回、相手となるのは竜種。全種族中最強である事は語るまでもないこの世界での常識だ。

 また『蒼の薔薇』達は威力偵察の任務で、実際に竜王以下の者達にも遭遇している。少しでも余力を温存しなければ勝つ以前に、対抗すら到底難しい相手だとよく理解していた。

 戻って来たラキュース達をみて、イビルアイは仮面を被り、ティアとティナが同時に尋ねる。

 

「「鬼リーダー/鬼ボス、そろそろか」」

「ええ」

 

 さて、先程から彼女達5人の気にしているものが何かというと、それはゴウン氏一行である。間もなく一時的ながら合流する話になっているのだ。

 此度、最終的に仮面を被った旅の男を中心とする一行の戦い次第で、王国の命運の決する展開が想定されている。噂で聞いた王国戦士長らを救った時のように、大量転移系の魔法を駆使するのかは分からないけれども。

 『蒼の薔薇』達をはじめ、皆の奮闘が実るかは、彼等よそ者の働きで確定されそうなのだ。

 現在、当代のアダマンタイト級の冒険者チームとして、人類圏内で最高とも言われている彼女達であるからこそ、この状況は悔しくもある。

 それでも今は、現実を受け止めなければならない。あの竜王(ドラゴンロード)の軍団に対して、自分達だけでは余りにも非力であったのだから。

 同時に、もしゴウン氏一行が竜王の軍団へ実際に反撃の一撃を与えることが出来、勝利へ導くのならば歴史を見た者として、後世に渡って称えなければいけないだろうとも考えている。

 強者の他種族を相手に、何百万もの民達のいる国家の窮地を一つ救うと言う事は真の英雄の行いであり、それは王にも並ぶ破格の偉業者なのだと――。

 だが、古い伝記から通説まで常識的に考えれば、たった4、5人で成す事はほぼ無理な話。

 

 

 何故なら――人類はそれ程強くない。

 

 

 客観的にここ数百年の歴史から見ての動かない厳しい現実なのだ。

 嘗ては、八欲王や六大神の中で、語られるような神にも通じる人類が存在したという。

 でも、あくまで着色された英雄譚やおとぎ話の世界に聞こえるのである。

 彼等はやはり神であり、人類ではなかったはずだと……。

 神達の子孫等についても同様で、『神人』の呼称すら曖昧で伝わり王国や帝国では建国前から今に至るまで実在を確認できた者はいない。『プレイヤー』についても〝ぷれいやー〟としてイビルアイら十三英雄に連なった一部の者が知識として持つ程度。

 

 故に、()()()()()ゴウン氏一行が大魔法で力を示すとすれば――それはアイテムのはずなのだ。

 

 ラキュースの叔父アズス・アインドラの持つ、『赤賢者の杖』の如く。

 竜王へ大魔法を放つために、何かを事前に仕掛けるという流れを聞いていた話からの判断。

 ならばそれが何かを間もなく見ることが出来るだろうと、英雄譚好きのラキュースを筆頭に彼女達は考えている。

 

 

 

 昨日、王都のゴウン屋敷より少し離れた街角から、雇い馬車へと乗り込んだアインズ一行。

 暫く街中を走ると王都内南東区画の一角に建つ、小さく古めのとある館の門の中へと入る。

 間もなく一行を下ろしたのか、御者のみを乗せた馬車だけが門の外へと現れ街中へと走り去っていった。

 建物は敷地内に木々が茂り外見上、何の変哲もない館だ。ただこの建物――『八本指』系列の物件であった。

 管理人だろうか、無口な老人が馬車の去った門を閉じる頃、もう館の中にアインズ一行の姿は見えなかった。

 御方は、協力関係を強めた一大地下組織の『八本指』側へ対し、「大戦への関与に、魔法で王都外へ密かに移動する際、在都を思わせる理由となる場所が必要」と伝え、王都所在のアリバイ工作を手伝わせている。

 ゴウン屋敷以外の方が、自由に動けると考えてだ。『新しい屋敷を閲覧していた』とでも言えるし、最悪『()()楽しんでいた』と取ってもらっても理由にはなる。

 そこからアインズとルベドにナーベラル、ソリュシャンとシズは、一旦ナザリックへと帰還していた。

 『蒼の薔薇』達でも、合流予定場所への移動には最低半日程度掛かる距離先である上、明日の日没頃が取り決めの時刻。それまで十分な空き時間があった。支配者は、ラキュース達へ手の内を見せない意味でも竜達へ目に付かない利点からも、当初から合流までは別々での行動を選択。また、ショートカットを兼ねて、ナーベラル達に少し自由な時間があってもいいだろうと考えた。

 ソリュシャンとシズらはナザリックの第九階層にて、エントマとのお茶会など暫し楽しむ。言うまでも無くその時間、ルベドもコッソリとプレアデス姉妹達の団欒姿を満喫した。

 まあ、忙しいアインズ自身は当然、僅かな滞在時間でパンドラズ・アクターと交代したが……。

 

 そんな支配者一行が『蒼の薔薇』と合流の為に、先日から通行制限され全く人の通らない大街道の脇の林から〈転移門(ゲート)〉を潜り現れる。

 なお同行のナーベラルは当然不可視化中である。

 彼等は、そこから少しの間、動かない。

 夕日が地平線へ掛かり、周辺は燃えるような赤い景色が広がっていた。

 

「ふむ。どうやら出迎えは無いらしいな」

「――虫共が」

「――無礼ですね」

 

 絶世に美しいソリュシャンとナーベラルの表情の瞳が揃って思い切り殺意で濁る。

 

「……無礼」

 

 無口で無表情のシズにも不満が滲む。左手で腰のガンホルスターから大型ライフルサイズの魔銃を引き抜くと、腕を曲げ銃の上部側を左肩へ乗せ担ぐ。属性が善寄りである故に、悪意への反応は早く激しい。

 

「居ない……」

 

 無論、この時ルベドは――そんな事より先に会長へ知らせるべく周囲へ知覚を向け、実は三つ子だった姉妹二人の姿を探していた……。彼女の表情は真剣さで一杯だ。

 そういったそれぞれの忠実心を見せる彼女達へ、(あるじ)は声を掛ける。

 

「今回、そう(無礼)ではない。実戦を控え、組む相手の技量を少し見たいというのが本音だろうな」

 

 ここまでアインズ達は、王城でも自分達の技量に関し殆ど語っていない。

 周辺の気配をどこまで読めるのかという部分などは、連携を取る意味で重要である。

 アインズ達にその力が少ない場合、『蒼の薔薇』側が面倒をみる必要があるというわけだ。

 支配者は(ルベドが両手の人差し指で可愛く『こっちこっち』と、同志へ盛んに指示を出しているのを横目にしつつ、気付かぬ風に金巻き毛の配下へと向き)告げる。

 

連中(蒼の薔薇)の居場所を探せということだな……。ソリュシャン」

「お任せください。既に居場所は捉えております」

 

 そうして4名は、真っ直ぐ森の中へと消えて行った。

 歩く事5分。日没直前の森は随分薄暗くなっている。まあ闇を見通せる彼等には関係ないが。

 一見簡単にアインズ達はラキュース達の居た場所へと姿を現した。

 しかし『蒼の薔薇』のメンバーらは、弱冠の窪地へ居た。

 つまり、側面からの植物群の透視では見えない。そこで上空へ誰か上がれば〈飛行(フライ)〉を使えるという者について知る事も出来る。

 しかしティアとティナはそんな気配は近くで感じなかった。距離で言えば300メートル程。

 ゴウン一行は迷わず途中で時間を掛けず、真っ直ぐにここまで来ていた。そこから、直接気配や存在を知ることが出来る者がいると分かる。

 

「すみません、ゴウン殿に皆さん。大変失礼なのは分かっているのですが、失敗できない戦いを前にどの程度距離を取って連携が出来るか、実際に知っておく必要がありましたので。でも、流石ですね」

 

 ラキュースが先に非礼を詫びて、ゴウン氏一行を迎える。彼女達は全員並んで立ち待っていた。

 高慢な態度で待っていれば怒りも湧いただろうが、そうで無い事は雰囲気で分かる。ここには緊張があった。そういうものは中々隠せないものだ。

 待つ姿をはじめ、非礼を詫びられ理由も聞いた以上、アインズが見せる態度はひとつ。

 

「いえ。問題が解決したみたいで何よりです。こちらから、特に不満は無いので」

 

 腹いせで、『蒼の薔薇』側へ期待していないと返したようにも取れるが、それは尖り過ぎる考えというもの。もしそうならば、先の無礼に怒りを述べてもいいはずであるから。

 あくまでも御方側の準備が整っているということだ。

 実際、アインズは高名である『蒼の薔薇』の()()()期待している。

 彼女らの奮戦の後の敗北は、アインズの名を高めるはずである。加えて、戦後の竜王国への救援に出てもらう必要もある。

 今のところ欠かせない存在なのだ。

 目の前の冷静なゴウン氏らの様子に安心するラキュース。ソリュシャン達は主の『不満は無い』の言葉に従っていた。ガガーランやイビルアイらも、内心で『ほう』と思う。

 こういった手合いが気にいらない連中もそれなりにいるのだ。特に中途半端な実力で満足している、一流気取りの者達で多い傾向にある。

 ゴウン氏へは悪いと思うが、この情報は作戦をスムーズにする上で必要であった。当然普通に聞けば良い気もするが、情報の少ないよそ者でもある以上色々な情報が欲しかったのである。

 ただラキュースはここで改めてゴウン氏について思い出す。

 

(あぁぁ。あの戦士長殿が信頼する方なのに。……色々あったし、私や皆も焦っているのかも)

 

 それでも、王国戦士長に話す事でも『蒼の薔薇』へ教えるとは限らない。

 こういう才能は、外へ大っぴらに出すものではないのだから。

 なので二転三転したが、彼女はリーダーとしての判断を誤っていないと内心で結論付けていた。

 

(ううん、いいのよこれで)

 

 

 さて、明日の攻撃開始を前にアインズ達と『蒼の薔薇』は無事に合流を果たした。

 因みにこの時、『六腕』達6名は、王国の西側に南北で450キロ連なる海岸沿いの小都市の歓楽街で、戦の景気付けとしてゼロを中心に豪遊を開始。『イジャニーヤ』達総勢21名は、西海岸から1本内陸側の大街道途中の街で宿へ入った所でこれから酒場へ繰り出す模様。

 双方へ協力する側の者達は勝手に楽しんでいる様子。

 対してゴウン氏一行と『蒼の薔薇』メンバーは、一つの照明用水晶が放つ〈永続光(コンティニュアルライト)〉を囲むも、ラキュースが「時間もありますしゆっくりお話でもしませんか?」といいながら、皮肉だったかのようにそれ以後の会話は弾まない……。

 不可視化でそんな様子を森の影から静かに窺うナーベラル。

 場には薄らと居心地の悪い空気が漂う。

 未だ彼女(ラキュース)の衝撃的発言が、なんとなく尾を引いていたのである。

 気が付けば、ここに男性はアインズただ一人。ガゼフでもいれば(わだかま)りも薄まると思うが、御方の両脇へ陣取るソリュシャンやシズは話す気配もなく、ルベドは2組の姉妹達をチラチラ眺めるのに忙しい。

 姐御肌のガガーランは、童貞っぽい若い少年不在に調子が出ない雰囲気。イビルアイも仮面の中で黙り込む。

 ティアはルベドとシズへ視線を時折送り、ティナは『おっさんに興味無し』と手持ち無沙汰だ。

 そして、ラキュース本人。

 

(うーん、処女進呈の案の件で気マズイ感じね。でも、……旅先の戦いの武勇伝とか突然尋ねたら駄目かしら。もしかしたら闇の魔王とか、暗黒の魔竜とか、根源へ(いざな)う魔笛なんて。ふふふ……あ、今回使う大魔法について知っておいた方が良い気もするけれど。――荒ぶる大地の精霊達よ、今こそ我に力を!――なんてのも聞いてみたいわ)

 

 その考えには、さり気なく彼女の妄想と個人的趣味が散々漏れている気もする。

 己の世界が混じり、些か時間だけが過ぎていく。

 最後に、御方アインズだが。

 

(おいおい……。話をしないかと振った者が話題を提供しないのかよ。これが、戦士モモンだったら歴戦風に振る舞うけど、旅人のアインズが同じ様にやるとキャラがダブるし。そもそも先日のアレは俺が言い出した訳じゃないし。下手な話だとまた変に取られるのもなぁ。どうしようかな)

 

 思いを多々馳せるチームを率いる両名。

 だが、流石に3分間の沈黙は重すぎた。

 そして遂に。

 

「「あの」」

 

 両リーダーが同時に、切り出した。

 

「「あ、そちらから、どうぞ」」

 

 二人は返しも見事にシンクロする。

 その気の合う二人の状況に、ソリュシャンやシズはムッとした。一方でガガーランは爆笑する。

 

「ぷっ。はははははっ。よう御両人、随分と気が合うじゃねぇか! この調子なら作戦は結構上手くいきそうだぞ」

 

 ある意味、二人とも真摯なのだ。

 そして、一つの事柄へ真剣に全力で挑むと言う部分では近い性分を持っていると言える。

 ティアとティナもガガーランに続く。

 

「「鬼リーダー/鬼ボスは生真面目が売り」」

 

 そんな仲間の茶化しにラキュースがいつもより淑やかで気弱気味に反論する。

 

「も、もう、みんなっ。すみません、ゴウン殿に皆さん。仲間が適当な事を言って。気を悪くしないでいただければ」

「いや。でも時間は有効に使いたいものです。そうですねぇ、今互いに何か聞きたいことがあるなら、可能なものは交互に話すとかどうです? とりあえず、そちらから何かあればどうぞ」

 

 アインズは、停滞した流れを自然な形で動かした。

 ラキュース達も当然それに乗って来る。

 

「あ、はい。それは良いですね。では、ゴウン殿達は――(ドラゴン)と戦った経験がおありで?」

 

 やはり、冒険者トップチームのリーダーである。

 話の切り替えと共に、否定や隠しにくいバランスのとれた上手いところを尋ねてきた。

 NPC達はユグドラシル時代、ナザリック地下大墳墓内のみの行動範囲もあり、基本的に侵入してきたプレイヤー以外と戦った経験が無い。

 またプレアデス達に限れば第九階層が定位置で、ルベドも第十階層に未起動で眠っていた。

 アインズだけが、モモンガとして(ドラゴン)と戦った経験があるのみだ。

 しかし、その経験とこの世界の大よその傾向から竜王以外なら、装備差もありプレアデス達でもそれなりの勝負になる事は想像できる。

 それら全部を話す必要も無く、支配者はよく考えて伝えた。

 

「勿論。これまでにそれなりのもの達と戦ってきています。そうでなければ、自信は示せません」

「なるほど」

「そりゃすげぇな」

「「……凄い」」

 

 アダマンタイト級冒険者といえども、先日まで殆どの者に竜相手の経験がなかった。

 感心するリーダーとガガーランらの驚きは自然なものだ。少数で遭遇すれば、空を高速で追って来る為に生き残るのも難しいと言われている怪物の筆頭である。

 すぐ横で聞くイビルアイすら、赤宝石の煌めく仮面の中で目を見張った。

 

「……(250年生きる私でさえも、今回を除けば竜とは遭遇すら数える程なのに)」

 

 十三英雄達は各地を転戦したことから、多種の怪物(モンスター)達を相手にしてきている。

 北方の森林の辺境の村を襲った、獰猛な数体の竜の群れを討った事もある。だがグループには当時、20名を超えて豊富なメンバーがいた。

 対して、もっと数の少ないゴウン氏一行で自信が持てる程に戦ったという。

 経験豊富なイビルアイですら今回は味方が少ない上、竜王以下相手の強さが桁違いの部分から不安もあるのにだ。

 そんな驚いた様子の『蒼の薔薇』達へ、今度はアインズの方から尋ねる。

 

「あなた方は、どうして危険な世界の中で冒険者になったのです?」

 

 御方には素朴な疑問であった。

 冒険者という職種への、モモンとして実入りや危険度を考え自分もやってみて感じた残念感。

 

 それが――割に合わない、である。

 

 別に新しい発見や事実を開拓することも無く、既存の地域で地味にただ苦しみ、多くが命を掛けたギリギリのところで戦い、結果的に僅かな収入を手にする。

 支配者には『かなり夢の無い仕事』として、最近少し社畜的要素もあるのではと感じていた。

 それに対して、ラキュースは即答した。

 

「これは今の時代に、誰かが誇りを持ってしなければならない事。少なくとも私達全員、損得だけではありません。ゴウン殿、冒険者ではない身で参戦される()()()()()()分かるのではないでしょうか?」

 

 その返しは、『この戦いで』の問いと違う意味で絶対的支配者の思考へ突き刺さる。

 彼は仮面の中で眼窩(がんか)内の紅の光点を大きくさせた。

 

 

(……ナザリックの支配者は――――俺にしか出来ない……か)

 

 

 確かに忙しかろうと、それは損得ではない。守りたい大きなモノがあるからだ。

 この目の前の彼女達もそうなのかもしれない。

 それは多くの人類の平和を守ることなのか分からない。しかし、人生を掛けて自分の決めた事へまい進することに『割が合わない』と理屈のみで決め付け片付けるのは間違っていると思えた。

 

「よく分かりました。(ちょっと変な質問だったかもなぁ……)次はそちらから何か――」

 

 そこから食事を挟んで相互質問の時間は続いた。

 ただ『蒼の薔薇』から出た色々な質問の内、「どこの国から来たのか」「魔法をどこで習得したのか」「破格の装備はどこで手に入れたか」「シズとルベドは何歳か」「ソリュシャンと知り合った馴れ初めは」「八足馬や馬車の入手場所は」等、ナザリックに触れそうな多くでゴウン側は回答を拒否した。

 一方で、「なぜ王国の地へ来たのか」については「探し物がある」と、また「今後も王国の地へ留まるのか」については「近隣への旅の拠点として当面考えている」と大きめにはぐらかして回答している。

 アインズ側からは、低俗にならないよう努める。

 「王国の歴代のアダマンタイト級の者で最高難度者は?」に対し、ガガーランやティアにティナが傍のイビルアイを人差し指で指した。

 ソリュシャンからは「お弟子のような方はいないのかしら?」という質問にガガーランが「引退廃業したら考えるさ」と答えた。王国内において現役ではまず弟子は取らず、引退後も高名な者達でも、滅多に弟子は作らないらしい。

 そして、食後の落ち着いた時にラキュースからゴウン氏へ「なにか武勇伝を聞かせて欲しい」と「今回の竜王の軍団へ使う大魔法について」が質問された。

 武勇伝については、全く無いのも不自然なため、「では一つだけ」と至高の41人のメンバー数名で偶然に発見し行なった、地下洞窟の探検の話をアレンジして語った。

 遥か東方の地で旅の途中に巻き込まれてという設定。深き地下奥の地底湖に地竜王が居て、そこまでにも4体の中ボスのモンスターを片付けた後で乗り込む。最後、仲間達の援護の下で強力な魔法の壮絶な打ち合いで倒したと語る。

 その時の実際の戦利品が、この両肩に乗る立派な角部分ということも加えてだ。

 神器級(ゴッズ)アイテムに恥じないこの装備のズバ抜けた魔法耐久力はそこから来ている。

 

「うわぁ、凄い。羨ましいっ。私もいつかそんな闘いをしてみたいわ!」

 

 ラキュースは胸元へ両手の指を組み猛烈に話へ食い付いていた。

 彼女の思考の中では、魔界の一角を統べる暗黒竜との激戦に遭いまみえたかの展開が壮大に繰り広げられていた模様である……。ゴウン氏を見詰める視線へと、崇拝の念も混じるに至る。

 そこから幾つか問答を挟んで落ち着いたところで、今回の大魔法の話となった。

 支配者も各所で明言している以上避けては通れない。それ故、アインズは十分考えていた。

 

「竜達に悟られない為に、竜王へ撃つ大魔法側についてはまだ語れないが、前線においてあなた方の協力の下で使用する魔法については説明しておきます。

 その魔法は――〈遠距離標的固定(ロング・ターゲティング)〉。補助魔法であり、事前に設定を施した者は、通常よりも遥かに遠くから放った魔法を当てる事が出来ます」

 

 ここではさも、特性だけをもっともらしく自慢気に支配者は語る。

 なぜなら実は課金する必要が有る事や、事前に設定する面倒さに加え、条件で使用不可や威力が落ちる、連射は不可、使用回数制限、時間が掛かり過ぎる等々あってユグドラシルでは殆ど使われていない。

 今回は、アインズが公で言い放った条件に合う魔法としての使用となる。

 ここでイビルアイが少し興奮気味で尋ねて来た。

 

「知らない……私の知らない魔法だぞっ。随分上の位階に思えるが、その位階を教えて欲しい」

 

 するとアインズは小さく頷くと告げる。

 

 

「確か〈遠距離標的固定(ロング・ターゲティング)〉の魔法位階は―――第7位階のはず」

 

 

「「「――――!」」」

 

 イビルアイだけでなく第5位階水準の魔法を使うラキュースも一瞬固まる。

 しかし、彼女は予想していた事であり、仮面の旅人へと尋ねた。

 

「それは、如何なるアイテムを使われるのですか? 出来れば少し見せて頂けると嬉しいですっ」

「ああ、なるほどな。そうか、アイテムかよ」

 

 かなり驚いていたガガーランもリーダーの言葉で納得し我に返る。よく考えれば第6位階以上を放てれば『逸脱者』なのだ。ラキュースの叔父は、その肩書きではないのだから。

 でもそこでアインズは伝える。――衝撃的言葉を。

 

「いや、アイテムなんて使いませんけど?」

 

「―――えっ?」

「はぁ、うそだろ!?」

「(バカな)……」

「「……」」

 

 イビルアイや、ティアにティナもその意味に無言で震える。

 帝国の雄、フールーダを相手にするという想定を『蒼の薔薇』も考えた事があった。

 しかし、長期戦ではまず殺す事は無理だという結論に至る。

 大きいのが〈転移(テレポーテーション)〉による追跡不能事態だ。まずこれを阻止する手がないのである。

 故に出合い頭の短時間で即死させなくてはならない。一方で第6位階魔法を多重で掛けた、分厚い防御魔法群を突き抜けるのは相当の困難でもあった。

 第5位階を誇るイビルアイの最大魔法とラキュースの最大魔法の一点同時攻撃ですらも厳しい。

 

 それが大陸に僅か数名しかいないと言われる『逸脱者』の水準なのだ。

 

 豊かな金髪の巻き毛を揺らし、凛と立ち上がったソリュシャンが誇らしげで静かに言う。

 

「アインズ様を敵にする者は己の無力さを知る事でしょう。(ドラゴン)共は、愚か者ですわ」

 

 ラキュース達は、その言葉に何故か恐怖すら覚えたのである。

 そこで『蒼の薔薇』からの質問は終わり、静寂さの中で夜が更けていった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――その晩、澄んだ漆黒の夜空へ、無数の星達と共に輝き浮かぶ月がとても綺麗であった。

 

 それは嵐の前の静けさだろうか。

 明日午後に迫った反攻の開戦を控え、リ・エスティーゼ王国軍は各所方面にあらかた展開し終えて、比較的落ち着いた前夜を迎えていた。

 旧エ・アセナル北側近郊の竜王軍団宿営地へ対し、王国軍は西方最前線にバルブロ王子、南方と東方へレエブン侯爵とその旗下が布陣。

 展開する全兵へは、濃い緑と焦げ茶の大布の持参が通達されており、移動や配置位置に合わせ青い草や枯れ草を使いカムフラージュする。

 最前線の後方、南部中央から東部戦線へかけてブルムラシュー候爵とぺスペア侯爵にウロヴァーナ伯爵や王家、その其々にぶら下がる貴族達の兵が展開。南部中央から西部方面へレエブン侯系を除いた、今回王国最大の兵力4万超を動員するボウロロープ侯爵家他、リットン伯爵らの貴族派閥らの兵が集結し配置されている。

 反国王派のレエブン侯が最前線と総指揮を務めるだろう時点で、バランスからボウロロープ侯爵は本拠地リ・ボウロロール方面を自身で守れぬ事を予想した。故に、アインズ一行と『八本指』の戦力へ竜の軍団排除を強く催促していたのである。

 なお、北側の戦場は全て最前線扱いだ。武名を上げたく志願した貴族の他、これまでどこの派閥にも所属しなかった貴族や、各大貴族の抱える勢力内で立場の弱い男爵家がいくつも()()()されていた。そこには当初、国王派に属するあのフューリス家の名も挙がっていた。動きの鈍いゴウン氏へ提供した3名の娘達の質が、随分悪かったのだろうという責任のなすり付けでだ。派閥を超えて上の貴族へ圧力が掛かっていた。

 しかし、当主が右腕を負傷喪失したフューリス家は難を逃れ、代わりに次男が病死し三男にフィリップという息子のいる男爵家の名が入っていた……。

 

 リ・エスティーゼ王国総軍の旗頭であるランポッサIII世の本陣は、王都北方の穀倉地帯中央部へ広がる大森林の北寄りで、森が狭く(くび)れたような地域にあった。

 その森林北方周辺部へ王家と縁戚家の兵ら1万超が小隊群へ別れ持ち場に就いていた。

 王の居る本陣は、古き昔に小さい洞窟を拡張する形で岩盤部を削り出して掘られ残っていた地下施設を利用する総司令所だ。近衛の精鋭騎士300と王国戦士騎馬隊40余騎、並びに王国最強の戦士で戦士長のガゼフ・ストロノーフが警護する。

 地下2層目へ作られていた幅4メートル奥行き12メートル程の空間の奥に、ランポッサIII世は静かに座っていた。王が居て作戦室も兼ねる事から、分かり易く一時的に『王の間』と呼ばれる。

 午後8時を迎えたこの場へは、ガゼフと王国戦士3名と共に近衛騎士らも8名が詰めている。

 そして王の座る手前に置かれた駒の乗る大きい地図の広げられた長机の席へ、王家縁戚の子爵や男爵ら3名の他、従属し近隣に兵を配置する男爵が甲冑姿で腰を下ろしていた。

 先程届いた書簡を手に駒を配置しながら、もみあげから顎まで連なる髭を蓄えた縁戚の男爵が子爵へ伝える。

 

「南部地域はほぼ揃いましたな」

 

 子爵は駒の配置を一通り指差確認すると顔を部屋の奥へと向けた。

 

「陛下。各所からの伝令の報告から、恐らく朝までには攻撃態勢が整いますぞ」

「そうか」

 

 国王が状況報告に頷く。

 相手が帝国なら、もっと時間を掛けてのんびりした配置になっただろう。

 だが、今回の相手は(ドラゴン)達である。そのためにレエブン侯は作戦として軍兵の展開と準備について、可能な限り短期間且つ攻撃開始直前に持ってきていた。

 更に兵は広域分散しており、パッと見では攻撃目的が把握出来ないとの読みも加えている。

 リ・エスティーゼ王国軍は、将官として指揮を執る貴族達や騎士に民兵が20万。

 そして、アダマンタイト級冒険者2チームを筆頭に王国内冒険者ら精鋭3000余名。

 彼等は旧大都市エ・アセナルから40キロ圏へ、間もなく全兵力展開を終えようとしていた。

 炊煙が上がる理由から、火の使用は禁止されており、随分と日持ちのする糧食が各地へ作られた補給所に置かれている。事前に工作兵により整備され500箇所にも及ぶ。

 レエブン侯の指揮は反攻戦の立案時から非常に優れている。準備も順調にここまで来ていた。

 そう言った面で、ランポッサIII世は最前線での彼の手腕にも大いに期待する。

 

 ただ気掛かりなのは――そう、第一王子のバルブロの事だ。

 

 一応、今回が王子の初陣というわけではない。

 18歳の時に血気盛んで怖いもの見たさから、騎士や雇いの冒険者を連れリ・ロベルの東方にある大森林へ小鬼(ゴブリン)退治に赴いている。

 当時から剣についてそれなりの腕前を持っており、戻った王子から小鬼(ゴブリン)数体を討ち取ったと自慢げに報告を受けていた。

 また、現バハルス皇帝による最初の西方進撃においても、最前線から遠いが後方の砦へと出陣している。

 だが最前線は今回が初めてであり、1万もの兵を率いるのも未経験の事である。更に部隊は変則的な小隊の分散配置ときている。一応と副官の一人に子爵を付けては送り出したが。

 兵が固まれば逆に格好の標的となるため、目立たないよう他との差を考えれば傍へは精鋭15名程度までしか集められない。それ以上は自殺行為のようなものだろう。

 

(見事あの者が戦場の恐怖に耐えられるか……これは試練)

 

 先の会議で王子らしく語った言葉が、本当かどうかについてハッキリと答えが出るだろうと。

 そして、そんな息子を信じてやれるかという王自身へのものでもあった。

 ランポッサIII世としては、世継ぎとしてやはり長男のバルブロに期待するところが大きいのである。第二王子のザナックに悪いが、彼には大国を継ぐ者に欠けているものが多すぎた。低水準の容姿へ目を瞑ったとしても内面の理想だけで、人は決して付いて来ない事に気付けていないと。

 仮にバルブロがこの戦いを無事に生きて帰って来た時、困難な戦場へ勇敢に立って帰還した第一王子への国民や貴族達の目は180度変わるだろうとも考える。

 国が纏まるにはいい機会に思えた。

 

(我が息子バルブロよ、帰って来ればきっと王太子決定の儀を行おう。だから頑張るのだ)

 

 王子達の手の及ばぬところで、最終的な次期国王選定への考えが進んでいた。

 

 そのバルブロ当人であるが、旧エ・アセナル西方に迫る山脈の裾野へ茂った森の中に25名程で固まり夜の闇を迎えていた。妹からの言葉を考慮し、対峙最前面から2キロ程後方である。

 

(しんどい上に、王子の俺様がこの歳で野宿とはな。護衛も少ないし心細いが、ここは我慢だ)

 

 今は森の木々に隠れる状況であり、これでも彼なりに随分人数を絞ったつもりである。

 野営は若き日の小鬼(ゴブリン)討伐の折に経験しており、季節も今は夏であり問題は僅か。

 とはいえ、慣れない長時間の行軍と目立つ事を避ける事から粗末な野営により、精神的部分も合わせて結構疲れがみえる。

 しかし、王子の威厳として後々も考えれば、ここで弱みはさらけ出したくなかった。

 なので彼としては口に合わないが将官用の糧食をかじると、状況を副官の貴族に確認したのち任せ、「周辺警戒を怠るな」とだけそれっぽく指示し早めに横になる。

 起きていれば愚痴をいいたくなるのを避けようと、バルブロなりに心掛けてだ。

 彼の生涯で間違いなく最大級の忍耐力をみせていた。

 今回の出陣において闘いは二の次で、『帰還』が目的である。それだけで名声の他、野望も欲望も手繰り寄せることが可能。

 

(ぐふふふ。先に今夜の夢で俺様の未来を堪能するのも悪くない)

 

 そんな事を考えつつ、バルブロは近衛兵に真紅のマントや鎧を外してもらうと、低い野草の生えた地面へ王子用に敷かれた厚めの布へと大きな体を投げ出した。

 

 

 

 

 王城ロ・レンテ城宮殿内は午後9時が近付く。剣士クライムが4階奥のラナー王女の部屋から退出する時刻である。これ以降の異性の滞在は、舞踏会など特別な催し日以外、王国の玉といえる若き乙女への無用のゴシップを生む種になり得るとして認められていない。平時においては、国王や王子など身内以外の面会は夜9時以降基本遠慮願っている。

 なので、他人で異性、おまけに平民であるクライムも、側近であろうと例外にはならず。

 本日の任務終了の退出とお休みの挨拶を伝えるべく、彼はラナーの傍へと参る。

 

「ラナー様。いよいよ明日から、王国の攻撃が始まりますね」

 

 王女の剣である少年は、昨日から努めて精悍な表情で公務を続けていた。

 (あるじ)の姫だけがその事に気付いている。

 朝一や昼食後などに、思春期の少年らしく僅かにみせていたラナーへの胸元や腰、唇への淡い想いの視線が感じられない。

 どうやら戦地へと向かった国王や兵士達、そして戦士長らへ対して、安全な王都で浮ついていては失礼だと、気を引き締めている模様。

 

(ふ、クライム可愛い)

 

 忠義に厚い愛犬の健気さへ改めて愛おしさが湧く。

 この真面目な剣士を、いかにドロドロに腐らせるかが楽しみで仕方がない御姫様であった……。

 

 クライムは、ガゼフが戦場へ向かうその日の朝、彼に練習をつけて貰っていた。

 それはいつも通りの30分程。

 最後のところで、クライムが漸く身に付けつつある武技〈斬撃〉を放ってみせた。

 戦士長は、少年の打ち込んできた武技を笑顔で褒めてやる。

 

「中々いい攻撃だったぞ、クライム。ただ上段からだけでなく、更に色々な体勢からも自在に放てるよう鍛錬するといい」

「はいっ、ありがとうございます」

 

 少年にとって、王国戦士長は正に憧れの武人だ。

 届くはずはまずないだろうが、数年のうちに肩を並べて戦場を駆けるのが目下の目標にしているぐらいである。

 同じ平民の出ながら、国王陛下の信頼厚き側近の一人でもあり、何と言っても王国最強の戦士の肩書きは燦然と輝く。

 そして、その名声にのぼせることなく己への厳しさに生き、また武骨ながら優しさのある人柄が素晴らしいと感じている。

 王城には少年よりずっと腕の立つ近衛の騎士達もいるが、武量も含め人間的にも戦士長程の人物は見当たらない。

 そんな目標の王国戦士長へ自分も負けないよう、主のラナー第三王女への忠義を尽くそうと考えているクライム少年であった。その強く熱い気持ちだけは、かの英雄にも決して負けまいと。

 

「では、本日はこれで失礼します。ラナー様、おやすみなさいませ」

「おやすみなさい、クライム」

 

 白きドレスの美しい(あるじ)へ一礼したクライムは、背を向けると使用人の娘の立つ部屋の扉へと歩き出す。

 その時、背に居るラナーが独り言のように低く小さな声で呟いたように感じた。

 

「ぇ……?」

 

 クライムは思わず振り返る。

 するとラナーは、満面の笑みでにっこりと僅かに首を傾けて問う。

 

「……なに?」

 

 夜にも拘わらず、まるで先の事が気の所為だったと錯覚するほどの眩しい笑顔であった。

 だから勘違いなのだと少年は思い言葉を返す。

 

「あ。いえ、なにも。では、おやすみなさいませ」

 

 そうして彼は部屋を退出して行った。

 

 

「((ドラゴン)達が―――都合よく、攻撃を明日まで待っててくれればいいんだけど)」

 

 

 剣士の少年が、聞いた気がしたのはそんな縁起でもない衝撃的言葉であった。

 だが、ラナーは魔女といえる思考の持ち主。

 先を見通すその慧眼は、やはり神掛かっていた――。

 

 

 

 王国北西部の戦地一帯へ、今宵再び、真夜中から容赦無き炎獄ショーが広がってゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王国軍側にとって明らかに悪い異変が起こっていた。

 今夜までは静かな夏の夜のつもりであったはずが、地平線は赤く灯りだす。

 そして風に乗って遠くから、言い知れぬ叫び声のようにも聞こえるざわめきが届いてくる。

 午前0時半を回った頃、仮眠を取る国王の下、本陣である総指令所もまず北西方向の空の異変に気付く。更に午前1時を過ぎその範囲が左右へ広がった辺りで、遂に最前線後方の部隊から非常事態が伝わった。

 

「竜の軍団側からの総攻撃あり! 数多の竜兵へ対して、最前線をはじめ、各所で激しい戦闘が開始されている模様です」

「な、何という事だ……!?」

 

 伝令の到着に飛び起き、王の間奥の席へ着いてランポッサIII世は衝撃の報告を聞いた。

 思わず一度席から立ち上がるも、力なく背もたれへ寄りかかりながら座り込んだ。

 先制攻撃を許してしまった冒険者達を含む王国軍。

 その王国総軍の動きに期待していた、帝国遠征軍とズーラーノーン。

 満を持すナザリック勢。

 

 そして、その全てのカギを握る、アインズは――。

 

「今、なんだと?」

 

 就寝の時間を取るということから、『蒼の薔薇』達と少し距離が離れて休んでいた一行。

 北東側に臨む地平線のその先から、異様な変化を感じ調査に出たソリュシャンからの報告に、彼は思わず聞き返した。

 彼女は明朗に伝える。

 

「はい。再度申し上げます。少し先行し広域で周辺を探索しましたところ、北東の戦地方向奥に――竜王以外でLv.80以上の(ドラゴン)がもう1体いたのですが」

「……そうか」

 

 悠然とした態度の支配者。

 

(えっ?)

 

 でも、仮面の下でやっぱり驚いていた。

 

 

 

 

 旧エ・アセナル廃虚南方へ広大に拡大していく戦場の中心地。

 竜兵達が飛び交い、火炎の柱が空から何十と入れ替わり立ち代わり地へ伸びていく。

 その度に、絶望し絶叫する人間達の声、声、声……。

 

「う゛わぁぁーーっ」

「熱いっ、体が燃えてるぅぅーー、熱いぃぃーー」

「ぎゃぁぁーーーーー」

「ぐへぁ」

「ひぃーーqあwせdrftgyふじ」

「あぁぁ、私の髪が、顔がががぁぁーーーー」

「俺はまだ、死にたくねぇーーー」

 

 一般兵士らは、まだ殆どが冒険者達からの強化魔法を受けておらずゴミの如くただ燃えゆく。

 

 空を飛び交う火炎と地上からの炎の所為なのか、白っぽかった月の輝きはいつしか朱色に染まって見えたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 和平の使者、王城へ帰還する

 

 

 大臣率いる和平使節団の者達は、奇しくも国王出陣の4時間程前に全員が生きて王城へと帰って来た。

 その中には大臣達から一時先行し『無念の立ち姿』で竜王との交渉決裂を伝えた、あの魔法詠唱(マジック・キャス)(ター)の姿も見える。

 本日国王と共に出立する貴族達の間では、彼等を失敗した連中だという者もいた。流石に、臆病者とまで(そし)る人物は居なかったが。

 冷ややかな貴族達とは対照的に、ランポッサIII世は大臣達の帰還を温かく迎える。竜種へ対し、人類の一つの可能性を示してくれた彼等を、王城奥の謁見の間にて第二王子と第三王女、数名の貴族達や王国戦士長も立ち会う場で労う。

 

「大臣とそれに同行した者達よ、無事に良く戻ってくれた。交渉が纏まらなかったのは本当に残念である。だが、そなたらは大きなものを残してくれた。我ら王国は、(ドラゴン)達と堂々と交渉してみせたのだとな」

 

 確かに竜王と対面して生きている者は、人類史上でみてもそう多く無い。交渉を行なった者達は更に少ないだろう。

 貴族達から、やっと「おおっ」と感嘆の声が上がった。

 この労いの場は国王が、出陣前にどうしてもと自ら望んでのもの。ガゼフは仕える主が見せた、臣下への配慮に胸を打たれる。

 ランポッサIII世は、大臣らへ失敗した経緯は一切問わなかった。当初から相当無理な手なのは分かっていた事である。そして国王は、最後にこう語り伝えた。

 

「お前達は、胸を張って今後の仕事に当たってくれればよい。使者の件、大儀であった」

「は、ははっ」

 

 和平が締結されなかった現況から、特に国へ直接の益は無く、無論報奨など無い。

 強く意気込んでいた分、王城へ戻って来ても使節団の面々には竜王と話を纏める責任を果たせなかった挫折感だけが巨大に残っていた。

 だが彼らは、陛下により救われたような気持ちを貰う事が出来た――。

 

 帰還者への謁見の儀が終り、国王以下、王子に王女や貴族達が謁見の間を出て行く。

 大臣達は立ち上がった。何か心が軽くなっている事に気付く。

 まだこの大戦における王国の命運は不確かだ。

 でも、交渉失敗を悔い続けて懺悔の中で死ぬという思いはしなくてよくなった。彼等の多くが胸に再度拳を当て、もう姿の見えない陛下の退出した方へと感謝する。

 正直なところ大臣自身、代表者として当然責任を取り辞職を考えていた。

 しかし、今の陛下の言葉により、それは到底出来なくなった。

 

「さてと、では胸を張って仕事に励むとするかな」

「ええ」

「そうですね」

「頑張りましょう」

 

 大臣が振り向きながら皆に語った言葉へ、使節で生死を共にした者達も笑顔で返していた。

 その様子に最後まで残っていた王国戦士長も、会釈をしてこの場を後にしようとする。

 

「大臣様に皆も、王都のことをくれぐれもお願いする。では失礼させて頂く」

「分かりました。戦士長殿も、陛下の護衛をしっかり頼みますぞ」

「はっ。この命に代えても必ず」

 

 文官の大臣が見せた、竜王の前に2度立って生きて戻るという気迫の快挙。

 真っ直ぐな武人である戦士長の心を揺らし、強く打っていた。

 

(俺達戦士は一歩も後ろへ引けないな)

 

 そんな気持ちでガゼフは、歩む血の様に赤い絨毯の敷かれた廊下の真っ直ぐ先を睨んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. ラキュース、良薬(ゲキヤク)を得る

 

 

 王都から10キロ程東へ離れた街の一角。夜の更けた頃の、とある地下酒場。

 店の親仁(おやじ)は、闇で希少な薬の売人もやっていた。

 そんな店へ、ふらりとフードを深く被り灰色のローブに身を隠し、布で(くる)んだ剣を背負う一人の客が訪れる。

 ゆっくりとカウンターまでやって来ると、ソイツはエメラルド色に美しく輝く鋭い瞳をフードの奥から親仁へと向けてきた。飲み物を頼みつつ隠し差し出す指先から割符を覗かせ渡す。

 割符を確認し終え一つ頷いた親仁は、注文の飲み物の脇にソレを5つ並べた。

 

「――こちらが、注文分となります。効果は確認済です。持続は20時間程。ただ、切れた後の副作用が厳しいですが……」

「そう。ですが、構いません。これが代金よ。確認して」

 

 親仁は2つに小分けされた銭袋を、カウンターの中で音をさせず手慣れた風に1分足らずで数え終わる。

 払った代金は、最高貨幣の白金貨で実に100枚。

 ラキュースは目の前に置かれた小瓶を見つめた。それは()()()()()()()だという――。

 

 

 その知らせは、出陣前日の昼過ぎに『蒼の薔薇』の宿泊する最高級宿屋の部屋へと飛び込んで来た。

 ガガーランが上手く手を回してくれていた努力もあるのではと、疑いはそれほど持たず事が進んでしまった。

 そういった状況も全て見越し、巧妙に裏で暗躍していた者がいたのだ。

 

 無論――ラナー王女である。

 

 王女が行なったのは『発起人が自分だと知られない様』に他者を必然的に動かす事だ。

 文官として万能の才を見せるラナーは、まず公務の書類で見た商人の筆跡を利用。

 書き上げた匿名の手紙を、ブルムラシュー候爵へと送っていた。

 それも確実に読まれるように、王都内で貴族らの使う書簡便へこっそり混ぜる形でだ。それは王城内でも集荷し通過する定期巡回もあり、作業者の隙をついて行われた。

 そして先日の戦時戦略会議の前に、書簡を読み同封されていたモノを見たブルムラシュー候爵は顔色を変える。

 読んだ書簡の概要は以下。

 『私は嘗て侯爵様に恩を受けた商家の身。本書は候爵様の心中を脅かす者を発見した故、お知らせするものなり。侯爵様のされている()()()()()を〝蒼の薔薇〟が極秘探索中との情報を入手。証拠の一つとして帝国との内通書簡を添付いたす。一方で現在〝蒼の薔薇〟は出陣へ際し、対竜王戦にて強化系の薬剤を方々へ手を回し探査収集中とのこと。リーダーのラキュースを亡き者にすれば探索は十分頓挫せしめると存ず。なお、彼女はクレリックとプリエステスの職業(クラス)持ちなり。強化作用重視で、職業へ対応した致死薬でも服用すること必定。この機を有効に利用されたし』

 即日、裕福な候爵は金を惜しまず動き出す。早期に特殊な劇薬を入手し、内容の詳細を知らない第三者を立て、善意を装い〝蒼の薔薇〟の宿泊宿まで知らせが走ったという寸法だ……。

 

 出陣前にガガーランを連れラナー王女の所を訪れたラキュースが、「何とかなりそう」とこの事を喜ばし気に語ったそうな。

 王女が、本当に裏腹の嬉しさを込めた気持ちで、満面の笑みを浮かべたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. エンリ、カルネ村へ戻る

 

 

 リ・エスティーゼ王国の王家東方辺境領内のカルネ村は現在、僅か人口87名の村である。

 ジュゲム達、小鬼(ゴブリン)19体を入れなければ、頭数が3ケタに届かない小さい村だ。

 小村の次代を担う人物の名は、エンリ・エモット。16歳の若き少女だ。

 ところが先日、彼女は突然行方不明になってしまった。

 2時間程村内を捜索した後に事態は急変。村外へと救出隊も出発した模様。

 残った小鬼(ゴブリン)らやラッチモンから皆で話を聞けば、バハルス帝国の魔法詠唱者に連れ去られたと聞き及ぶ。

 普通だとこの時代や情勢ではもう絶望的な展開だ。

 辺境の娘一人がいなくなったとしても、国や領主は動かないのが常識だ。相手は大国でもある。

 探しに行くほどの覚悟があるのは身内だけだろう。

 だが、そのエンリが1週間ぶりで村へと無事に帰って来のである。奇跡と言っていい。

 救出に向かった小鬼(ゴブリン)やアンデッド達に、エンリの妹や薬師の御曹司の姿も見える。

 

「あーよかったぁ。心配してたんだから。どこか怪我とかしてない、大丈夫?」

 

 村に残って案じていた(アイアン)級冒険者のブリタが声を掛け、村人達が中央の広場で大きく輪を作る様にして集まり、この脅威的な無事の帰還を喜んでいた。

 その様子を村の衆に混ざり見詰める一人の男の影。

 

 特に胸を大きく撫でおろしたのは、紛れもなく彼―――村長であった……。

 

(よかったっ。ひと月前にスレイン法国の騎士連中に襲われ村の仲間が40名以上死に、今度はバハルス帝国の高名な魔法詠唱者による誘拐。正直、到底私の手には負えない相手ばかりだよ。冗談じゃない。早く、村長を譲ってしまいたい)

 

 彼は大人の男として情けないが、もうそんな思いに強く駆り立てられていた。

 それは被害を受けたエンリ本人の表情を見て、更にその気持ちが大きくなっていく。

 驚いたことに彼女は、全くの自然体に見えた。大国の権力層上位で高名な魔法詠唱者の手で攫われたのにである。

 凡人ならその衝撃と恐怖から、動揺と混乱で精神が錯乱していても不思議では無い。

 なのに加えて、村長がチラリと聞いたエンリの言葉に「帝国とはもう話が付きましたので」などと、意味不明な発言も聞こえた。自分達の祖国である大国の王国が毎年秋の戦争で、連戦連敗している国家がバハルス帝国なのである。

 

(エモット家の長女は一体何を言っているんだ……)

 

 常識的に、一平民の身で交渉の出来る相手のはずがないっ。

 どう考えても、この村娘が勝手に拡大解釈し過ぎているようにしか思えなかった。

 村の次代を背負って貰いたいが、かなり不安が増した。

 村長は己が震えているのに気が付く。なぜなら今の状況の中、彼は自分が立て続けに強大な相手からの被害地になっているカルネ村の、現村長である事が怖ろしいのだ。

 王都の優雅な生活に浸ってしまわれたのかアインズ様の長期不在もあって、またあんな殺戮劇がカルネ村でこの先何度も起こるのではないかと考えてしまう。自分ではもう何も抗えないという思いと共に……。

 彼は少女へ一度、事情を確認すべきだと決めた。

 今は午前中の9時過ぎ。村長は早速エンリへと警戒させないように言葉を選んで伝える。

 

「少し落ち着いたら昼前にウチへ来てくれ。少し話をしたいことがあってな」

「分かりました、村長」

 

 それから2時間ほどした11時過ぎにエンリが村長宅を訪れた。

 1階の居間へと通され大きめの机に並ぶ椅子の一つに腰掛ける。嘗て、ここで旦那(アインズ)様が腰掛けていた一つ横の椅子である。

 

「1週間振りの村で色々忙しいだろうに、来てもらって悪いね」

 

 そう言いながら村長がエンリの向かいに腰掛ける。

 

「いえ、最近はみんなが良く手伝ってくれますから」

「そうかね」

 

 依然、カルネ村に関する決め事は、全て村長を中心に村人達が集まって決めている。

 エンリはあくまでも防衛面についての責任者に留まっていた。

 つまり村の砦化についても発案はエンリだが、実行するかの決定までは村長が担っており、それ以後の具体的部分をエンリが纏め実行しているという形である。

 彼女も幼い時からの村長と伝統的流れであり、それが村でずっと続くものだと疑わずにいる。

 村長が一度机へと視線を落とし、何か躊躇いのあるそぶりで語る。

 

「……しかし、大変だったね、本当に無事でよかった」

 

 エンリはその様子に気付きつつも彼の話に答える。

 

「はい。運やみんなに助けられたおかげです」

 

 実際、彼女の自力のみでは到底、脱出など出来るはずがない相手であったと振り返る。

 

「それと村内でも皆さんに探してもらったと聞きました。ありがとうございます。色々とご迷惑をおかけしました」

 

 エンリは申し訳なく頭を下げる。

 村長はその素朴な様子に、まるで驕りや尊大さなどがないことを感じた。

 村内で育った小さいころから良く知るエンリ・エモットだと改めて認識する。

 なので『帝国とはもう話が付きましたので』という大きな言葉は、やはり聞き間違いかとさえ考えてしまうほどだ。

 でも、呼び出してまでおり一応と聞いてみることにした。

 

「――ところで、エンリ。その、今回の件は本当に問題なく終わったのかね?」

 

 帝国の上層部が絡む誘拐の顛末。無事に終わるには『何か(ちから)』が必要のはずだと。

 

「あ、はい。これなんですけれど――」

 

 カルネ村へ迷惑を掛けた事もあり、エンリは説明の為にアノ公約の書簡を持って来ていた。

 非常に立派な細工の入った豪華な筒を開け、みるからに高級な羊皮紙を広げて見せる。

 そこには達筆によって王国の文字で書かれた文章が並んでいた。

 村長は、内容に愕然とした上で署名欄の名に固まった。

 最後への直筆のサインには『バハルス帝国皇帝 ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス』と刻まれ帝国の優美な刻印がしっかりと押されている。

 加筆部分にも、『バハルス帝国皇帝筆頭秘書官 ロウネ・ヴァミリネン』と美しいサインが見えた。特徴のある皇帝代行印なるものも押されて。

 その公約書の格式溢れる迫力が物語り、偽物とは思えない。

 

(おいおいおいおい、エンリよ。将軍って? ……5000体の小鬼(ゴブリン)とか、毎年の帝国から大量の穀物譲渡とか、広大な領土割譲とか、なんだコレは……)

 

 どれ一つを取ってみても、人口87名の小村の村長には縁遠い話。

 祖国リ・エスティーゼ王国は、既に5年を超えてバハルス帝国に毎年負け続けている。

 その超大国が非を認め、破格の公約を敗戦国内の辺境に住む平民のエンリへと贈ったのだ。

 帝国にとって途轍もなく屈辱のはずだが、飲まざるを得なかった『(ちから)』をエンリが見せたに他ならない。

 彼はこの時、見てはいけないモノを見てしまった気がした。

 しかしエンリとしては、この件で旦那(アインズ)様の治めるナザリック関連について、表向き一切入っておらず問題のない事象であった。

 エンリにとって、カルネ村は大好きで両親の眠る大切な故郷。また彼女はその一員でもある。

 此度の迷惑の結末は、村長に開示しておくべきと村娘は考えたのだ。

 だけども、辺境にある小村の長にとって、これはもう受け止めきれる水準を遥かに超越している内容。

 両腕が自然と小刻みに震え始めた彼は、堪らず口を開く。

 

「エンリ。………私はカルネ村の長をしてはいるが、一介の農夫に過ぎない。分かると思うが、この村は小さな街でみてもほんの一区画分程度なんだ。それなのに、こんな大きい話をどう受け止めればいいと言うんだ?」

 

 良い歳の大人として、取り乱した風で情けないとは思いつつも、それが本音である。

 いや、エ・ランテルなどの大都市の市場の大きさ、都市の圧倒的な経済的力を知ればこそ、それ以上の国という存在を相手にする底なしの恐ろしさが分かっていた。

 この時代、『死』は身近にあるのだ。それは暴力に限らない。経済でも人は殺せるのだ。

 辺境の小村など、離れた遠方にあるような男爵家が商人らを動かすなど少し本気になるだけで、干上がらせるのは造作もない。

 吹けば飛ぶようなものである。

 村長は、右拳を左手で包む形で机へ肘を突いていたが、その親指部分へ額を付けつつ目を閉じながら静かに語る。

 

「私は何も見ていない。今の件は、なかった事にしてくれ。私は生涯、墓の中まで誰にも言わないから。頼む」

 

 目の前で萎縮気味の村長が見せる反応に、エンリは慌てる。

 

「あぁっ、村長さん、すみません。脅かすとか、そういうつもりじゃなかったのですが」

 

 確かに自分達平民には政治的水準で高すぎて、刺激が強すぎたかもしれないと。

 慰め風の言葉を述べた村娘へと彼は伝える。

 

「丁度いい機会かもしれない。エンリ、カルネ村の村長を――私はお前に譲りたい。今の状況は大きな勢力に睨まれている感じで、私のような力の無い者ではとても乗り切れない。小鬼(ゴブリン)5000が味方というのなら――」

「――あの、少し待ってください、村長っ」

 

 そこでエンリが(おさ)の話を突然切った。

 村娘は机へ手を突き前方へ突込んだ姿勢で、首を横へ振るとしっかり立場を主張する。

 

「困ります。カルネ村はこれまで通り村長にお願いします。なぜなら―――私は5000体の小鬼(ゴブリン)達の族長をしなくてはいけないんです。今、トブの大森林の中で村を作っていて……なので無理です」

 

 それを聞き、村長は瞼を(しばた)かせて固まった。

 つまり、大きな勢力に睨まれるカルネ村の村長は自分のままなのだと。

 彼女の話から押し付けようもなく。また、村の生え抜きでエンリに変わる適任者はいなかった。

 だからと言って、村の新参者に任せる訳にもいかない。薬師の御曹司や冒険者の娘は、あと10年居たらというところだ。

 結局、村長自身がまだ当分頑張るべき状況なのだと、彼は力なく理解し椅子の背へもたれる。

 

(どうなるんだろうか、カルネ村は……)

 

 周辺状況を心配している彼へと、エンリは自信有り気に伝える。

 

「村長、大丈夫です。この村には、私やカイジャリさん達もいますし、きっと――アインズ様からも手を貸して頂けますよ」

 

 村娘(エンリ)は、帝国をも動かした5000体の小鬼(ゴブリン)軍団の登場も、かの魔法詠唱者(マジック・キャスター)から頂いたもので召喚したのだと伝え、安心させようと心掛けた。

 カルネ村だけでなく、王国戦士長達をも救った王国の英雄的人物のアインズ様が、華やかな王都から戻って来るかは分からない。

 しかし状況を、悪い方ばかりへ考えても仕方がないと村長は考え直す。

 確かに、森の調査に向かったと聞くあの方の一家のキョウという娘がまだ村に残っていた。

 寵愛されていたエンリも居る訳で、カルネ村の長はもう少し頑張ってみようかと伝える。

 

「そう……だな。分かった。私が、気弱過ぎたな。まだ暫く続けてみるとしよう」

「はいっ。お願いします、村長」

 

 やっと少しだけ微笑みを見せた村長へ、ホッとしたエンリが励ます様に笑顔で頷く。

 ここまでカルネ村は、ずっと村長が立派に纏めてきたのだから。

 それも込みで村娘の大好きなカルネ村なのであった。

 

 因みにエンリはまだ金貨2万枚の話はしていない。

 あれは破棄された前の帝国との公約に書かれており、今の公約には書かれていなかった。

 

 

 話した瞬間に多分、村長は卒倒するはずだとして――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 臨時の『八本指』部門長深夜総会

 

 

 クレマンティーヌが、王都から北東の大森林内に在る漆黒聖典の野営地へ戻り、『隊長』への報告を終えて戦車内で仮眠しかけた頃。

 王国裏社会最大の地下犯罪組織『八本指』では、本日未明にかけて部門長深夜総会が開かれようとしていた。

 それは「急遽」という漠然とした臨時招集の形でだ。

 場所は王都の南部地区の一角に建つ立派なボスの屋敷。通例通り、その屋敷地下の豪華な一室ということもあり、特に不満を述べる事も無く『八本指』の八部門長が揃う。

 だが、いつもの大きい円卓を見る時になって、その異変に部門長達は気が付いた。

 

 円卓を囲む椅子の数がボスの分以外に、いつもより一つ多い10席あったのだ。

 

 八部門の一つを仕切る窃盗部門長が思わず口に出す。

 

「ん。席が多いが……聞いてないぞ。どういうことだ?」

「もしかして今日は、驚かせる仕掛けが何かあるようね」

「あらん、やだぁ」

 

 それへムダに色気を放つ麻薬取引部門長のヒルマと、オカマに染まる空気を纏う奴隷売買部門長のコッコドールが訝し気に続いた。

 以前にボスが、息子を金融部門長にした時も同じ演出があったのは、まだ皆の記憶に新しい。

 

「はぁ。相談なく、いきなりなのは困りますがなぁ」

 

 賭博部門長は、その時を思い出し、またかと安易に愚痴をこぼす。

 結果的に()()()()()()()()密輸部門長も含め5名は、呑気に構えていた。

 真実を知っているのは、ボスの息子の金融部門長と暗殺部門長と警備部門長らだ。

 間もなく一度閉められていた会議室の両開きの大扉が、再びゆっくりと開かれていった。

 一応組織のトップを迎える為、部門長達は起立する。

 円卓に立ち並んだ彼等の視線は、自然と入口の扉へと集まってゆく。

 すると、そこには聖印を首から下げる白髪のボスと並んで、一人の見慣れない大柄で仮面を付けた謎の魔法詠唱者っぽい人物の姿があった。

 

 語るまでも無く――アインズである。

 

 彼の豪華な装備に、一瞬「おぉっ」と声が上がるが、それを一声が破る。

 

「だ、誰ですかな、ボス。その人物は!?」

 

 賭博部門長が、初顔の者をこの秘匿性の高い会合へいきなり呼んだことを非難気に告げた。

 これは、暗黙の決め事を破る行為である。

 今の金融部門長の時は、ボスの息子であり、しばしば補佐でこの場へも顔を見せていたので、状況が大きく違うと言えた。

 僅かに場がざわつき掛けた時である。

 

「静かにしろ。死にたいのか?」

 

 ゼロが、部門長達へ口荒げに静粛を求めた。

 各部門長は、難度でいえば警備と暗殺が60以上と突出しており、密輸と賭博と窃盗が40から20というところで後は10程度といったところ。

 組織としては部門長の手腕を重視している部分があった。

 だからこそ、大きくなった組織が破たんも見せず、拡大出来る余力を残して上手く回っているのである。

 そういった部門長達の中でも、ゼロは個の力と部門の力が大きい上にボスへ近い事から、影響力を相当持つ。彼の一喝に、皆が立ち尽くす円卓で口を開く者はいなくなった。

 静かになったところで、ボスが用件を述べる。

 

「集まって貰ったのは、今後の八本指についてを話し合う為だ」

 

 部門長達はボスの言葉に傾注する。今の『八本指』を上手くまとめて来たのは彼なのである。

 ゼロが率いる『六腕』をずっと従わせていただけでも、実績は大きい。

 ボスは仮面の者へ、顔を少し向き加減で告げる。

 

「横にいる方は、名をアインズ・ウール・ゴウン殿と言われる」

 

 その名に聞き覚えのある者が数名おり、「この者か」「彼が?」との声も僅かに出た。

 ボスの顔が左右へ部門長達を見回し、間を一拍取った。次の衝撃的文句を告げる為に。

 

「そして……我々の新しい盟主となる方だ」

 

 その声が場に残っている中、警備部門長と金融部門長と暗殺部門長が揃って一言を放つ。

 

「「「異議なし」」」

 

 場の急展開に残された5部門、奴隷売買、密輸、窃盗、麻薬取引、賭博の部門長らの思考は混乱する。反論していいものなのかも含めてだ。

 警備部門長と暗殺部門長が賛成に回った以上、抗争になれば大きい被害が出ることは必定。

 ここで、密輸部門長が冷静且つ真剣に確認する。

 

「……これは冗談、というわけではないんですな?」

 

 部門長の問いに対し、ボスが答える。

 

「無論。ここは〝八本指〟の部門長会議の場ぞ。まあ少し聞け。我々はここ10年、反国王派側の動きを利用する形で国王派側の経済基盤を上手く食って来た。組織の独立性を保ちながらな。確かに奴隷廃止などで国から締められた部分へ、侯爵や伯爵が抜け穴を作ってくれ助けられた恩はあった。だが最近、勢力を伸ばした我々を都合よく思うように使おうと、侯爵や伯爵が動き始めたのは皆の知っての通りだ」

 

 ボウロロープ侯爵とリットン伯爵は、地下の一大組織へしてやったとばかりに、最近は一方的に『八本指』へだけ泥を被らせ、汚い裏の抜け道を作らせる傾向が増え始めたのだ。その為、『蒼の薔薇』の執拗な攻撃を受ける事にもなっている。

 初めの内は、持ちつ持たれつという部分から納得して協力していたが、要求の規模と頻度が目に見えて増えようとしていた。もはや『八本指』の利益にも影響の出る水準である。

 このままでは、組織の独自性が失われ、侯爵や伯爵の駒に成り下がってしまうと、ボスには先が見えてしまっていた。

 だが対抗も中々難しい。『八本指』の経済力はかなりの額だが、それでも実際はまだ六大貴族の一つと比べてさえ大きく及ばない。今更都合よく、国王派側にというわけにもいかない。

 

「だから、ワシは決断した。組織を脅かす上位を食ってやる、とな」

 

 その時にゼロからの提案があったのだ。

 

 ――ボウロロープ侯爵の暗殺とリ・ボウロロールでの権益拡大をと。

 

 リットン伯爵は小物感があり、ボウロロープ侯爵の子息らも現当主程の器ではない。

 最近の組織を蝕む暗い影へ向けて、ボスは一挙に解決する案だと思えた。

 これらの対価は小さくないが、『〝八本指〟の独立性は守られる』という部分が判断の決め手になった。

 ゼロからの提案には、組織の大方針も含まれていた。

 

『伯爵から来てる例の竜の軍団への件で会談の折、俺は一人の男に完敗しちまった。なあ、ボス。俺の100倍強いそのアインズ・ウール・ゴウンという人物に賭けて欲しい。独立性は保証するから〝八本指〟を傘下に欲しいと言ってきたんだよ。あの人は、大悪党だが約束は守る男だぜ――』

 

 ボスは、あの何気に律儀なゼロが惚れ込む程の強さと、()()()というのが気に入った。

 貴族達は、悪党であっても小物ばかり。どちらかと言えばペテン師の方が近い。所詮は王国内の都合に振り回され踊るクズい人形である。

 奴らに悪の美学はない――とボスは思っている。

 

「我々は駄犬ではない。負けると分かっていても時には食らい付く。そして普段は人差し指を天へ立てるように、各部門が国内で1番を目指し連携して賢く立ち回るのだ。〝八本指〟とはそう言う組織。そんなワシらを、今後はこの人が導く。ゴウン殿、一言語って欲しい」

 

 依然、円卓の周りに立ち尽くす者達へ絶対的支配者は胸を張り伝える。

 

「諸君、私はアインズ・ウール・ゴウン。まあ、このままずっと立ち話もなんだ、全員一度席へ着くとしよう」

 

 アインズとボスは、円卓を回り込み奥の上座側へ座る。

 ボスの分にと開けていた場所へ支配者が座りボスは左の席へ。そこから左側は一席ずつずれて部門長らが着席する。

 

「急ではあるが、先程の諸君の長から聞いた言葉通り、これより〝八本指〟は私の傘下に入ってもらう。ただし、組織内についての細かい所は全て諸君の長に任せる。これまで通り、頑張って欲しい。さて、これでは何も変わらず、納得出来ない者も居よう。だが、間もなく始まる竜王の軍団との戦いで、私の放つ一撃が王国の趨勢を左右する有り様を見るがよい。それと戦時中にボウロロープ侯爵は死ぬ。安心して待っていろ。これからは六大貴族にも対抗しうる〝八本指〟を、我々で築いていこうではないか」

 

 語られた指針は壮大である。

 けれども新しい盟主の言葉に、ゼロを含め全員が沈黙した。

 『王国の趨勢を左右する有り様』――それは本来個人が軽々しく口に出来る言葉では無かった。

 それはもう、王の発言に近い……。

 だからゼロまでもが、驚いていたのである。

 暫くしてボスとゼロから始まった拍手が円卓に広がった。

 

 言うまでもないがアインズが組織についてボスへ任せるのは――勝手が分からず面倒だからだ。

 

(ふう。俺が回せるわけないしなぁ……これがいいよな)

 

 でも、それが実質的に『〝八本指〟の独立性は保証する』ことを強くアピールする事になった。

 結局この場での不満は出ず、無事に終わる。

 

 全て、結果オーライであった。

 

 

 

 

 ボスの屋敷からの去り際に、アインズは在都に関しアリバイ用の屋敷の手配と、あと一つゼロへと指示を出す。

 これまで『八本指』は別の組織であったため、頼むとしても今のゴウン屋敷の見回りぐらいまでがいい所であった。

 それ以上は、少し借りになるのではと支配者は考えていた。

 悪党への借りは、常識外で非常に高くつく事を忘れてはいけない。

 しかし傘下となり、もう状況は変わった。

 そこで、アインズは捜査を依頼する。

 

「ゼロよ、私の屋敷にメイドが居るのは知っているな?」

「ええ」

「分かると思うが、家に仕える者は一応身内のようなものだ」

「まあ、そうですね」

 

 実際、『八本指』の警備員が他の組織に攻撃を受ければ、落とし前を付ける事からアインズの理屈は通る。

 『八本指』の新盟主は話を続ける。

 

「でだ、メイドの三姉妹の両親が、フューリス男爵家に連れ去れれてどこかで借金の形に働かされているらしいのだ。それを調べてもらいたい。ファミリー名はリッセンバッハだ」

「……問題を起こさず、可能なら助け出せばいいんですかね?」

「ああ、出来れば」

「分かりました、ゴウンさん。他には?」

 

 その後、支配者はツアレについても小都市エ・リットルから南へ70キロ程にある、とある領主の領地内の二村で聞き込みをして欲しいと告げた。

 ツアレの妹はニニャだと確信しているが、領主と叔母の情報を集めるためである。

 ゼロはそれについても「じゃあそっちにも、直ぐ手を回しておきますぜ」と請け負う。

 

「よろしく頼む。ではな」

 

 そういって、支配者はゼロが寄越してくれていた馬車へと乗り込み帰路へ就いた。

 

 

 

 因みにこの時間、アインズの傍には終始、護衛として不可視化したルベドが張り付いていた。

 言葉通りにガッチリとローブの端を握られ、時折肩へスリスリされながら……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. ガゼフ、告白(フラグ)との戦いが始まる

 

 

 王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。

 平民からは未だ変わらない身分であったが現在、王国最強戦士という名声と金貨数百枚の年収に加え、中流層区画へ5層戸建ての館を持ち、王城でも並みの騎士以上と言える破格の厚遇を受けている。

 ただ、彼はそれらへ拘る気持ちはない。

 あくまでも、リ・エスティーゼ王国の民と、王家、そして唯一の主と仰ぐ国王ランポッサIII世陛下のため、常に一己の武人として身命を賭す考えで仕えてきた。

 ガゼフが王国戦士長になって、既に10年程が経つ。

 

 その間、国王は王国戦士長へ武人の本懐を多く遂げさせてくれていた。

 数年前に王都で盛大に開かれた御前試合も、ガゼフの何気ない一言「いつか国内の武芸者と渡り合ってみたいものです」を聞き、日ごろ彼の武勇を見て王が企画した一つだ。

 それを噂で聞いたガゼフが『態々の御配慮。絶対に負けられないっ』と奮起したのはいうまでもない。

 また、帝国との戦争の際には、王家に伝わる宝物の装着を許してくれていた。

 貴族達や騎士達すら触る事もままならない極上の装備類であったのにだ。

 他にも6年程前、アベリオン丘陵北限に東西へ300キロに渡り連なる、峻険な山脈の低部から亜人の一軍が侵入し王国南方の村々の民達を脅かした。そのモンスターの討伐へも、ガゼフが集めた王国戦士騎馬隊を差し向け彼等平民出の戦士達の存在と、弱い民達を救うという武人の誉れの場を幾つも与えたのである。(因みにこの闘いが、王女による大規模な冒険者達の組織、組合の発案と必要性へ繋がった)

 

 故にガゼフ・ストロノーフは王に絶対忠義を持ち、そして陛下の為に喜んで死ねるのだ。

 

 それはもう何があっても揺るがない。

 だからこそ、伴侶を得る間も、興味も置き去って忠義一筋に燃えていたのである。

 だが最近、彼は偉大な一人の友を得た折に、一つの運命と出会ってしまった。

 

 ユリ・アルファという―――絶世の眼鏡美人に。

 

 彼の業とでもいうべきものか、眼鏡美人への探求心は尽きない……。

 しかし彼女は、偉大な友の忠実なる臣下であった。

 また大きい壁として、家柄の問題に加え、彼女は偉大な友を想っているように見えた。

 

(彼女を妻に欲しいっ。……しかし、それは彼女の気持ちがあってのものでなければ)

 

 無理強いはガゼフの正義が許さない。

 そこで過去の経験も入れながら戦士長は、コツコツと積み上げてきていた。彼女へ対し、初対面時に馬車の納庫を手伝い、友との面会時にも積極的に会話をし、偶然を装って食事の約束をして、遂に食事会が実現し会話も弾んだ。

 その場では「また食事会を」と、順調に次も約束していたが……。

 結局、王家へ仕え大任を背負っている戦士の彼に私的な時間は十分に無く、次回を実現出来ずに王都から出陣する今日の朝を迎えていた。

 

「……ふぅ。もう朝か」

 

 3時間程の仮眠。時刻は朝の5時半。

 ロ・レンテ城の西側城壁近くに建つ、騎馬隊屯所内宿舎の固いベッドで、眠りから意識が一気に戻り瞼を開く。

 疲れも完全に抜け切れず、体も微妙に痛い気もするが起きあがると、ガゼフは行水場へと向かった。

 その帰りにクライムへ稽古を付け軽く体をほぐすと、身支度し武器の手入れを終え朝食をとる。

 ただ、その間も一つの事が頭を離れない。

 

(ユリ殿……)

 

 戦士長には、しておかなければ、伝えなくてはと、ずっと考えていた熱い想いの言葉があった。

 

『この戦争が終ったら、一緒に―――』

 

 キメ台詞的にも思えるが、彼の素直な気持ち。

 午後の昼下がりが終わる頃に出発する、ランポッサIII世の率いる兵団出陣準備から考えると、午前中にしか伝える機会はないだろう。

 だが今の時間、奇しくもゴウン氏一行は昨日より城下の屋敷に出ていると聞いていた。

 戻りは10時以降という話。

 

(俺は、そこからの2時間に掛けるっ)

 

 他者を挟まない場での、ユリ・アルファ嬢との偶然の出会いを期待する戦士長。

 一方で現実は無情である。

 この段階で、まだ出陣の準備不足点の発覚に、大臣ら和平使節団の帰還などで王城内はおおいに混乱し、戦士長も時間に追われる程の仕事を熟す羽目になったのである。

 気が付けば午後も1時間を優に回っていた。

 だがその時、偶然的機会が訪れる。

 

 城内施設の廊下にて、国王の執務室へ挨拶に来ていたあの人物に会ったのである。

 

「――ゴウン殿」

「これは、戦士長殿」

 

 ガゼフは人生に後悔を残したくなかった。故に――ゴウン氏へと伝える。

 

「大変不躾ながら、中庭へアルファ殿を呼んで頂けないだろうか」

「……ユリを?」

 

 その問いにガゼフは言葉で答えず、一つ頷く。

 真剣な武骨者の表情を見て、支配者は同情感が僅かに湧いた。先の昼前も宮殿へ戻る途中、戦士長が忙しそうに大臣補佐らや近衛へ話や指示し、騎馬隊の戦士達と仕事で奔走する姿を見ていた。

 また彼はここまで、家長のゴウン氏にユリへの想いは見せつつも強引に「欲しい」「くれ」とは一言も語らず、相手を尊重しフェアに振る舞っている点を考慮して考える。

 仮面の友は伝えた。

 

「朝からずっと忙しそうですね。分かりました。では、10分後に」

「おおっ。有り難い」

「では」

 

 そう述べて去っていくゴウン氏の背を、戦士長は一杯の感謝で見送った。

 ゴウン家の者との厳しい婚姻条件は理解しているつもりである。例え彼女の了解が取れたとしても、陽光聖典を無傷で退けたゴウン氏へ、腕試しに一太刀浴びせなければならないという難関が待つのだ。

 この恋の行方は困難を極めるだろう。

 それでも、彼女の為に修羅道を進むと戦士長は決めている。そしてもう一つ。

 

(主が居る私が貴君へ仕える事は叶わないが、命を救って貰った者として、そして友としていつか何かお返しできればな)

 

 竜の舞う戦場に出る以上、生還は不明。確約出来ず伝えなかったが、心の中で仮面の傑物へそう語った。

 ガゼフは、静かにゴウン氏と逆方向へ廊下を抜けると、中庭へ向かい会う前に、城内建屋での仕事を一つ片付けた。

 

 

 

 平時は王城内で『駆け足禁止』という慣例により、足早で宮殿傍の広い中庭へと戦士長が立った時。宮殿の出入り口から、ゴウン家使用人姿のユリが現れこちらへと歩いて来る。

 静寂の中、夜会巻の髪と丸眼鏡を掛けて歩くその姿は凛と咲き誇り美しい。

 見とれていると戦士装備の武骨な男の目の前で、彼女が止まった。

 

「――ノーフ様。あの、ストロノーフ様?」

「あ……。ああっ、失礼した、ユリ・アルファ殿」

 

 戦士長は、ほんの僅かの間で意識が飛びかけた。

 慌ててこの場へ来たことや、想いの言葉を述べるという事態など、色々な状況がごっちゃになった上、女神の登場に思考が一気にホワイトアウトをみせたのだ。暗転(ブラックアウト)するというよりも、明るさで真っ白となる思いであり彼はそう感じていた。

 それでも、まず名を呼びたくて、さり気なくフルネームで言ってみたり……。

 一方、ユリは(あるじ)から「戦士長殿が、宮殿傍の中庭で少し話があるそうだ。次の昼食の約束の件ではないか? 数分でいいと思うので向かってくれ」との指示でこの場へ来ていた。

 察した支配者は、変な先入観を持たせないようにと、そう伝えて送り出す。

 なのでユリは淡々と尋ねる。

 

「あの、お話ということですが、昼食のお約束の件でしょうか」

「あ、いや。その、ですね……」

 

 仮面の友から態々機会を貰い、9日前の昼食会以後、妄想の中で伝える言葉を何百回と反芻し編纂していたはずが――詰まる。

 でもそれは一瞬であった。既に告げる言葉は決まっている。

 ただ、死ぬ可能性も低くないこの度の戦いである。いきなり「妻に」と一方的で無責任な想いだけを彼女へとぶつけたくはなかった。

 この期に及んでの尻込みは逆に、ただ見苦しいのみ。ガゼフは今、静かに漢を見せる。

 

「私は間もなく出陣します。戦場で竜に遭遇しようとも、前へ出て堂々と立ち塞がる所存です。陛下とそして――ユリ殿のいる王国の地を守る為、命ある限り1体も後ろへは行かせませんのでご安心を。ただその前に今、少し言葉を伝えさせてもらいたい。よろしいか?」

 

 戦士長の左手薬指に、とある老婆から譲られた指輪が光る。竜との戦いで『最強の武技』を使う事に躊躇いはない。ガゼフは、目の前に立つ想い人で眼鏡美人の『名だけ』を初めて呼び、優しい目で彼女を見詰め、穏やかに語って尋ねた。

 なんとなく困った事を問われていると感じつつも、属性がカルマ値:150の善というユリが、真剣に思いつめた表情の『主の客人』へと無下に出来るはずもない。

 

「……どうぞ」

 

 彼女は小声でそう促した。

 戦士長は今までの万感を込めて告げる。

 

「ユリ・アルファ殿。私ガゼフ・ストロノーフは美しいあなたに好意の想いを寄せております。その事を覚えていて頂きたい」

「(――っ!)……」

 

 戦士長の言葉を聞いたユリは、「(皆を)愛している」という胸の高鳴る有り難いお言葉は御方よりもう頂いていたが、個人的に言われたことで(しば)しどうしていいか分からず。

 視線を下げ、下ろしていた両手をきゅっと握ってしまう。

 その様子にガゼフは、少し慌てるように、それでいて穏やかに伝える。

 

「ああ、急で申し訳ない。でも……生きている内にお伝え出来てよかった。これでもう、思う存分戦える」

 

 武骨な男の純粋な死地への言葉に、ユリは視線を上げて反応し、思いが籠る口調で語った。

 

「ストロノーフ様、あなたは死にませんよ(命令を受けているボクが……ナザリックが護るんだものっ)、きっと」

 

 制約がある(正体をバラさない)中での、彼女の精一杯の雰囲気帯びる言葉を、ガゼフはハッキリと聞いた。

 

 何の想いも持たない者へ、女性がそんな風に気持ちを態々聞かせるだろうかっ。

 

「それでは、ストロノーフ様、御武運を」

 

 ユリは会釈し、静かに背を向けて宮殿へと去ってゆく。

 それを見詰めているようで、ガゼフの意識はもう、とっくに幸せでホワイトアウトしていた。

 

 

 

 2時間後、赤い旗や布で派手に飾られた装飾類を靡かせ、国王ランポッサIII世の率いる兵団1万や縁戚貴族の連隊が王都の大通りを進む。王国戦士騎馬隊も堂々たる雄姿でその列に加わっていた。

 兵団の列は王都内を1周する形で、最終的に外周壁の北門から外へ勇ましく抜けてゆく。

 しかし、何故か途中まで列へ居たはずの、王国最強戦士の姿が見えない。

 戦士長の乗る軍馬はその時、別の所を進んでいた。

 

 

 彼は、リットン伯爵の隊列に続いて北西門から出て行こうとしていた……。

 

 

 幸せ一杯で(ほの)かな意識のガゼフだけが一人、その隊列へと無事静かに紛れ込んでゆく。

 戦士長が正気に戻ったのは翌日の朝であったという。

 そこから単騎で取って返して国王の兵団へと勇ましく合流する。

 竜との戦い開始まで無事に生き残れるか、そこが最初の関門になりかけた彼であった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 漆黒聖典の撤収

 

 

 漆黒聖典第八席次〝巨盾万壁〟のセドランは、戦車を駆り〝深探見知〟と通った裏道を経て9日間程でエ・ランテル秘密支部までの往復770キロ以上を移動した。

 今回は、先日の破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)の調査とは違い、自分の小隊を率いている。メンバーとしては両手剣の第六席次と忍者系に近い姿の第十二席次を連れていた。

 往路は途中で本国へ情報を送るという重要な寄り道もあり5日を要したが、復路は本隊が結構王都寄りの森林へ移動している事から4日間で済んでいる。

 エ・ランテルで受け取った本国からの指示について、隊長の命を受けているセドランのみがその場で閲覧済みだ。

 それはやはり、途中で指令を消失する事態もゼロではないとの判断があった。今は強敵との実戦出陣中であり、非常時の措置。

 そうしてセドランの小隊は、本隊へ王都からクレマンティーヌの戻った翌朝に合流した。

 早速セドランは人払いをした戦車内で『隊長』へと面会し、本国からの書簡を手渡す。

 

「撤退との判断です、大変悔しいですが」

 

 先に要点を伝えるセドランの声を聞きながら、『隊長』は一通り書簡を読み終えると溜息交じりに答える。

 

「ふぅ。予想してはいたが、第五席次クアイエッセの不明だけでも損失は小さくない上、私の敗戦や秘宝とカイレ様を失った衝撃は本国内で大きかったな。番外席次の国外派遣は国防面で無理と判断されたか」

 

 それにより自動的に、戦力不足となる遠征中の漆黒聖典部隊は撤収指令が下されていた。

 番外席次の長期不在に加え、もしも援護の少ない他国内において単騎で敗北という事態は絶対に避けたいという神官長会議の決定は理解出来る。

 

「今はやむを得ない判断かと……」

 

 セドランは、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)の火炎を実際に二枚の盾で受けた身でもある。無策での突撃は犬死でしかないと大きな拳を強く握り込んだ。彼としては、人類圏の一大国家を見捨てるという状況に、何も出来ない己の無力さを噛みしめる。

 その様子に『隊長』は瞼を閉じる。

 

「長駆の連絡行動、ご苦労。昼過ぎまでは休め。皆の撤収作業はそれからでいい」

「はっ。失礼します」

 

 身を正し会釈すると、セドランは『隊長』の戦車から立ち去った。

 その日の夕方、『隊長』からの「悔しいがここは一旦、本国へ――」の挨拶がされる。

 多くが人類愛で溢れる精鋭達は、小隊長の〝神聖呪歌〟をはじめ、眉間に皺を寄せる者、目を強く閉じる者、「クソッ」と土を蹴り上げる者、涙を浮かべる者さえいた。

 『人類はどうでもいい』クレマンティーヌは、数少ない例外といえる。ただ彼女も、『モモンちゃん大丈夫かなー』との恋乙女の内心から、周囲の雰囲気へ相応の不安な表情ではあったが。

 漆黒聖典部隊はスレイン法国への撤収移動を始める。

 本国からここまでやって来た合計7台の戦車は、王都リ・エスティーゼ東方40キロの夜の暗闇の中で畦道を南へと人知れず抜けて行く。

 この時、第五席次を欠いた漆黒聖典は11名いるはずであったが、その影は10名のみ。

 

 

 既に1名の姿がみえなかったのである――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. ヘッケラン達の誤算/鬼畜の逆襲

 

 

 帝国のワーカーチーム『フォーサイト』が、最初に帝都南東地区のアルシェ宅を訪れて早2日。

 昼食後にヘッケラン達は、再び大切な仲間の自宅へと向かっていた。

 ただし、裏の情報でアルシェが亜人の軍団に囚われている話は既に広域で流れており、『歌う林檎亭』へも元貴族の父親らの手が回るかも知れないことからロバーデイクが残る。ヘッケランとイミーナも途中で馬車などを乗り継ぎ、追手を警戒しつつ慎重に移動する。彼等の行動で足がついては意味がないためだ。

 都市内には、どことなく騎士達の姿が少なく感じていたが注意を怠らない。

 今日はアルシェの雇っていたメイドの件と、脱出までの準備について話し合う予定。

 先日の様子では、動揺気味の少女へそのまま語っても纏まらないと考えて時間を置いた。その効果はあり、呼び鈴へ扉を開け出迎えてくれたメイドは冷静な態度に見える。

 

「あ、いらっしゃいませ」

「落ち着いた様ね」

 

 その言葉にメイドの子は、少しはにかむ。

 ヘッケランは周辺の監視がてら外で見張っており、先日同様イミーナのみで宅内へ入った。

 

「あ、この間のキレイな人」

「お姉さまのお友達」

 

 アルシェの妹達クーデリカとウレイリカが、とてとてと寄って来た。二人の愛らしい姿に若干釣り目風のイミーナの目じりもやや下がる。

 姉のお仕事のご友人とメイドから聞かされており、それぞれ半森妖精(ハーフエルフ)の両足にしがみ付き、5日も姿を見ない恋しい姉アルシェに繋がる温もりを探している様子。

 二人の頭を優しく撫でながらイミーナはメイドへと改めて本日の訪問の用件を伝える。

 

「今日伺ったのは、あなたの今後とこの家と6日後までの準備について話しをするためよ」

「はい」

 

 お昼寝タイムとしてクーデリカとウレイリカを20分程で寝かせる。

 イミーナがアルシェの活躍するお話をして聞かせると、安心したのかスヤスヤと幼い双子は眠りに就いた。

 メイドとイミーナの二人は、少しはなれた隣部屋に置かれた小テーブルに4脚ある椅子の二つへ向かい合い座る。

 流石に、少し少女は視線を下方へ落とし左右へと彷徨わす。

 本人としては付いて行きたいが、それは雇われ下僕の我儘という話。勝手は言えない事は分かっていた。

 メイドにとって不安な空気の中で、イミ―ナは切り出す。彼女の言葉はフォーサイトの中でも話し合った結論である。

 

「悪いんだけど――」

 

 メイド少女の耳へ入って来た内容から、『ああぁ……』とネガティブな思いにぐっ目を瞑ったその瞬間。

 

「――一緒に来てくれる? クーデリカとウレイリカも懐いてるみたいだし。あなたが見ていてくれれば私や他のメンバーも全員動けるしね」

「え……、あ、はいっ!」

 

 ダメだと思っていた。しかし、答えは真逆。娘はハスキーボイスで嬉し気に返事を返す。

 少女としては、ここを追い出された場合、孤児院に戻るしかないが生活は厳しい。年長の口減らしが必要なのだ。しかし再び、全うなメイドの仕事を見つけるのは運次第の部分がある。気弱な所のある彼女は毎度、不安一杯で辛い。その点、この家ではよい主人に恵まれ穏やかに過ごせた。

 住む場所は変わるが、離れずに済みホッとする。

 フォーサイト側としては、少し悩んだがクーデリカとウレイリカを抱えては、何かあった時に一人は自由に動けない事となる。

 それよりも、妹二人を抱えるこのメイドを連携に長けた3人で守る方が、やり易いと判断したのである。

 次にこの家については、そのまま放置する事にした。引き払う手続きや家具の処分等で、動きが制限されるのを減らす狙いだ。

 あとは帝都を去る日までの準備だが、着替え等最小限の荷物だけにする様にと伝える。

 アルシェ自身、元々フルト家から、大したものは持ってきていない模様。

 昔の思い出という物に関しては、父親が鬼畜すぎて持ち出す気にもならなかったのだろう。

 イミ―ナは移動手段や食料雑貨などに関して、全てフォーサイトの方で用意すると告げ娘を安心させた。

 出発は6日後の午前中と告げ、起きて落ち着いた時間には出れるようにとメイドへ頼み、アルシェの自宅を後にする。

 

 

 

 それから帝都では4日が過ぎ去った。

 ヘッケラン達は『歌う林檎亭』で連日警戒していたが、現在まで伯爵家を含むアルシェの父親らからの動きは直接感じない。しかし、裏の情報によるとフルト家が、カルサナス都市国家連合所属の連中を雇い動かしているらしい情報が入って来ていた。金貨を使い、何者か現在調査中だ。

 それとは別に街中の噂で、帝国の西方地域へ巨大な樹木の怪物が現れたのち消えたという話を聞く。穀倉地帯に結構な被害が出たとの内容だ。アルシェを心配するも、亜人達の軍団は王国側へ退去し、陛下の勅命を受けた帝国八騎士団の活躍があったとも伝わり、胸を撫で下ろす。

 また、トブの大森林の東方5キロ圏は、全域で届け出なく立ち入り禁止との御触れも出された。これは先の恐ろしい怪物へ関連した、当面安全の為に厳守すべき措置らしい。今後も見据え一旦放棄するという流れもあるようだ。

 最近というかこのひと月程は、仕事で一挙に大金を獲得し気運上昇かと思えるも、王国への竜の軍団の侵攻が発生。帝都内への亜人軍団の出現や仲間の大問題さえ加え大きい異変が連続している様に思えて、自由奔放なワーカーの『フォーサイト』メンバー達も少し今後への不安が混じり困惑気味だ。

 リーダーをはじめ、彼等は夕刻を迎えた『歌う林檎亭』の1階でテーブルを囲んでいた。

 

「領土放棄なんて勿体無い話よねぇ」

「そうですが、トブの大森林には強力な魔物達が居る事は事実ですからね。それに広いですから警備や防衛にも手間を掛ければ費用は常に膨大に掛かる事にもなりますし」

「まあ、上で色々判断したんだろうな」

 

 イミ―ナとロバーデイクの考えにヘッケランが政府の結論を肯定する発言で締める。

 でもここで、半森妖精(ハーフエルフ)の彼女に予感や虫の知らせというべき感情が浮かぶ。

 

「あのメイドの子、色々起こり過ぎて不安がっていないかしら」

「ん? ああ、あの子か」

「少し気弱そうな雰囲気がありましたね」

 

 一応、ヘッケランと最初一緒に訪れたロバーデイクも、玄関先へ出て来ていたメイドの少女を建物の影から確認していたので知っている。

 あれから4日経ち、明後日には出発となる。

 『フォーサイト』の準備は慎重に水面下で進めていた。

 馬車は当日に御者ごと雇う予定だが、雇い先とはまだ交渉していない。食料や必需品も途中で購入できるかぐらいを調べており、自分達の周辺に出国の準備らしき形を残さないように上手く動いている。

 彼等は命を張る修羅場をいくつも潜って来ているプロであり、抜かりはない。

 それよりも、素人のメイド娘である。

 アルシェの妹達も任せており、イミ―ナの発案は的を射ていた。

 そこでヘッケランが提案する。

 

「イミ―ナ。明後日の準備の確認も兼ねて、ロバーデイクと二人で少し見て来てくれ」

「そうね」

「異論はありません。いきましょう」

 

 日没後20分ほど経った頃、イミーナ達が白壁の可愛いアルシェの家を尋ねる。

 そしてロバーデイクが離れて周辺を見張り、イミーナが玄関脇の呼び鈴を鳴らした。

 しかし、1分近く待っても扉の開く様子が無かった。

 部屋からは一応、蠟燭だろう明かりが漏れて来ており在宅の雰囲気があるのにだ……。

 

 

 すると、控えめながら夕刻より残る周囲の喧騒の中、白い玄関扉の中から僅かに何か聞こえた。

 

 

 それは部屋の何かにぶつかる音と呻くような女の声のようにも思える。

 耳のいいイミ―ナは中の異変に気付く。後ろを向き『来て』と指で司祭(クレリック)の男に素早く無言で合図した。彼は直ぐに彼女の傍へ寄り、緊張気味で顔を見合わせ頷く。

 全身鎧(フル・プレート)で防御力の高いロバーデイクが、玄関戸の取っ手を握って押し開けようと試みる。

 扉は鍵が掛かっておらず全く音も無くそのまま開いた。扉周辺へ〈静寂(サイレンス)〉が発動されている模様。良く見れば鍵穴には新しい傷が見て取れた。

 ロバーデイクは、そのまま腰に下げていたモーニングスターを握り持つと宅内へ入って行く。イミ―ナも短剣を抜き、音も無く続いた。

 踏み込んだ二人が室内で見たものは――。

 

 仲間達が出発して40分と少しあと、『歌う林檎亭』の1階に残っていたヘッケランの下へ、知り合いの情報屋が現れていた。

 その男には、フルト家が雇い動かしているという隣国の者達の情報を調べて貰っており、それを知らせに来たのだ。

 

「ヘッケラン。頼まれてた話だが、どうやら変わった特殊技術(スキル)を持っているワーカーの連中を使っているようだぞ。(都市国家)連合に関してのワシの情報網では〝嗅覚〟に関する能力と〝占い〟に関するものを使うみたいだ」

「……〝嗅覚〟と〝占い〟だと?」

 

 『フォーサイト』の面々は、アルシェより両親宅を出る時に足跡を消したとの話を聞いていた。

 多分その為に、一般的追跡での捜索では行き詰ったはず。

 となれば全方位で闇雲に探すのは労力的にも難しくなる。それなら大きく当たりを付け、絞った上で限定域内の臭いで探そうと言う狙いが見えて来た。

 

「そうか(こりゃ、護衛が居ないのはマズいな)」

 

 そう思った時であった。イミーナが宿屋の入口からこちらへと駆け込んで来た。

 彼女の焦っている表情を見た瞬間、それだけでアルシェの妹達に異変が起こった事を知ってヘッケランは思わず立ち上がる。

 彼の耳元へ急ぎ寄ると半森妖精(ハーフエルフ)は小声で伝える。

 

「(大変よっ、やられたわ連中にっ)」

「―――! チッ(遅かったか)」

 

 『フォーサイト』のリーダーは、思わず舌打ちし机を強めに叩いた。咄嗟に力を抑えたが、僅かに拳側面が机に沈みミシリと音が聞こえる程で。

 

「ロバーデイクは?!」

「大丈夫。今、まだ(あの子を)診てる」

 

 実行者が冒険者なら縛る程度で済んだかもしれない。

 しかしならず者も多いワーカー連中では――と、ヘッケランの顔が強烈な苦虫を噛み潰した感じに変わる。

 また今は夜の始まった時間で、1階の酒場兼食堂には他にもワーカー仲間がおり、神殿からの監視は無いにしろイミーナも、『治療』とは語れなかった。

 

「悪いがそろそろ、ワシは帰らせてもらう」

 

 ここで、それなりに事情を知る初老の情報屋の言葉を聞く。

 ヘッケランは前金に2枚の金貨を調査費用込みで出していたが、成功報酬の金貨1枚へ今の口止めに銀貨も10枚付ける。

 

「あんたは、何も知らないと言う事で頼むよ」

「ああ。ワシは知らんよ」

 

 裏業界にも暗黙のルールはある。それを軽く破り噂が広がれば、ザラに『死』という形で排除される世界だ。また、若くともヘッケランの凄腕は業界に知られるところでもある。

 彼の率いるこのチームを好んで敵に回そうと考える連中はほぼいない。

 だから裏でアルシェの話が知られる中、下っ端の使い走りではなく情報屋自身が来ていた。この情報屋とはもう4年程つるんでいるが謝礼を出せば口の堅い男だ。彼も元は腕の立つワーカーである。並みの脅しには屈しない。

 面の皮の厚い何食わぬ顔で去っていく男をイミーナとリーダーは見送る。

 

 これから次に、アルシェの家へ行くまでの動きは決まっているのだが、二人は焦らずに動く。

 テーブル席で酒を酌み交わしつつ、ヘッケランはイミーナよりアルシェ宅内へ踏み込んだ後の話を、他愛もない言葉の間で断片的に聞く。

 『家の中へ入ったら、あのメイドの子が滅多刺しで床が血の海よ』『殺し慣れた者が、わざと急所を外してた感じね』『暗くなった直後を狙われてる。連中の去った時間は、私達が到着する20分程前みたい』『かなり重傷状態だったから、あと10分遅ければ間違いなく出血多量で死んでたわ』『彼女は後ろからいきなり襲われて以来、気が付くまで意識が無かったそうだから幾分マシだけど』『それでも、気が付いた後に恐怖で震えてたけどね』と。

 死臭の中でも食事の出来る彼等は、平然と酒を飲み干していく。

 また、イミーナは急変が起きながらも『歌う林檎亭』への帰路において、冷静にアルシェ宅の周辺や追手の存在を確認していた。その時に『こちらを探る潜伏者はいなかった様に感じたけど』と語る。敵は、幼い双子の姉妹を攫ったのち、素早く消えた模様。

 確かに今日の訪問は予定外であり、以降の訪問時にはメイドが事切れている姿だけを見せるつもりだったのだろう。

 10分程経った頃、店内へ活気の出て来た雰囲気の中で二人は人知れず退場する。

 

 イミ―ナとヘッケランがアルシェの家を訪れた時、椅子に腰掛けさせていたメイドの少女は、かなり落ち着いていた。来訪に立ち上がろうとする娘へ「そのままでいい」とリーダーが制する。

 彼女は、ロバーデイクの第2位階魔法〈中傷治癒(ミドル・キュアウーンズ)〉で一命を取り留めている。難度で60に近付くと、体力と回復分の比率から1回での効力は薄くなるが、彼女の場合は問題ない。

 目を覚ました当初、自分へと大きい手を翳す大柄の男性に驚くも、イミ―ナの「大丈夫? 私が分かる? こっちは仲間のロバーデイクよ」と紹介を受け、よく見ると大らかな彼の表情と神官風の装備に安堵する。

 イミ―ナが一旦『歌う林檎亭』へ戻る時に、メイドの少女はまだ立てず怖さに震える身体ながら気丈に「早く知らせて……クーデリカ様とウレイリカ様を助けてあげてください」と訴えた。

 ロバーデイク達は気弱に見えたこの子が、死に直面する中でまだ家人を気遣える心を見て、意外に芯は強いようだと感じる。「大丈夫よ」とイミ―ナは決意を持って、この時伝えて安心させていた。

 今、ヘッケランが歩く室内の床には、広がっていたと聞いた血溜まりも〈清潔(クリーン)〉で処理されてたのかもう見えない。これは優しいロバーデイクが、メイド少女のフラッシュバック要素となるだろう最大の痕跡を消してくれていた。

 

「俺はヘッケラン・ターマイト。アルシェの友人だ。君には、随分怖い思いをさせて悪かったよ、すまないな」

 

 リーダーの言葉に続き3人は揃って、メイド少女へと――小さくだが頭を下げる。

 アルシェの下へ連れて行くと決めていた以上、使用人とはいえ仲間の関係者だ。配慮が足らなかった事を悔やむ。あと1時間あれば違ったと思うがそれは結果論に過ぎない。

 一方、主人の友人らに謝られ、メイド少女は慌てた。

 

「あ、あの、私は大丈夫ですので。もう命を救って頂きましたし。それよりも、あの子達を」

「ああ、分かってるよ」

 

 ヘッケランは娘へと頷く。その表情は覚悟のある戦士といえる精悍なものであった。

 彼は視線を仲間達、半森妖精(ハーフエルフ)の女と司祭(クレリック)の男へと向ける。

 

「いいよな?」

「ふっ、もう決まってるんでしょ?」

「アルシェと約束しましたからね」

「ははっ。じゃあ、いくか」

 

 彼等は皆、少女に向くとリーダーが告げる。

 

「と言う事で、俺達は()()()()()()()行って来るけどよ、君はどうする? これからも、怖い事があるかもしれない……昔居た場所の方が安全とは思うがな」

「ここで……私は、ここで待ちます」

 

 彼女はしっかりと言い切った。怖いだろうに。

 ヘッケラン達は皆、口許を緩める。小さいが間違いなく少女から勇気を貰って。

 3名は少し打ち合わせをしたのち、白壁の可愛いアルシェ宅の玄関からメイドの少女に見送られ夜の(とばり)へと静かに歩き進む。

 真っ直ぐ、広大で強大な私兵達が守っているであろう伯爵邸へと向かっていく。

 この期に及んで、街(なか)の家で監禁なんて特権階級の貴族達は考えもしない。下民に対し、安全だと確信している己の屋敷へ連れ込むのが常道である。まずは敷地内へ潜入し所在確認からだ。

 少し無謀ともいうべき彼等の小さな戦争が始まった。

 ただ仲間との約束を果たす為に――。

 

 

 

 

 表立つフルト家の当主が雇った事になっている無頼の連中は、実のところ伯爵子息の伝手で集められている。

 この伯爵の跡継ぎは己の性的悪趣味を謳歌するため、長年裏家業の連中を下民に相応しい汚れ仕事人として良く利用していたのだ。

 狙う双子の父親である元準男爵の話により、妹達を連れ出した長女は帝都内でワーカー風情だと聞く。所属を調べると名の通る『フォーサイト』のチームと知って、当初からアーウィンタール以外の都市の者を使おうとした。

 その際、荒事請負屋の男の勧めで、都内まで来ていたカルサナス都市国家連合からの出稼ぎワーカー共の中に要望の力を持つ者がいるとし、話が纏まって今日に至る。

 なお当の伯爵家とその当主は、かの皇帝による血の粛清へ際し、ジルクニフ側が苦しい早期より恭順したため上手く生き残っていた。60代後半に入ったが当主本人はまずまず有能であった事も皇帝の覚えを良くしている。惜しむらくは家の長い伝統として、子息の年長者が継ぐという流れを守っており、この40歳過ぎの跡継ぎに少々の問題があっても敢えて目を瞑っている事だろう。

 幼稚な精神ながら、領地を治める実務力は悪くないという事も大目に拍車を掛けた。

 犠牲となるのは、潰れた元反皇帝派か落ちぶれた貴族家の娘という部分も、当主の不満を逸らさせている。

 一応ながら、『幼い娘を売り、家は潤う』――ギブアンドテイクという話もあるのだ。

 当主にしても『陛下の覚えめでたい我が家の力に陰りはない』などの驕りや油断も当然としてあった。

 彼等は特権階級の中でも、より上位者であるが故に……。

 そんな伯爵家なれば、帝国の新規定により相当の所有兵力削減がなされたとはいえ、それでも私兵数で400名を数えた。

 騎士については有事の折、帝国八騎士団に編入するという形式ながらも100名以上を擁する。

 ただ今日のこの晩の、更に屋敷という場所に限れば、私兵と騎士を合わせても50名に届かない程まで下がる。帝都内の非常事態は3日前に解除されており、帰宅する前の者と夜番の者達が残る形であるためだ。

 そんな屋敷本館の一角に、割り当てられた跡継ぎの居住域の一室へと、待ち侘びていた朗報が届く。

 

「坊ちゃま、下民の請負屋が()()()()()を届けに来たとのこと」

「お? おおおっ。ボ、ボクちゃんのオモチャが来たのだぞっ。早く、早く」

 

 執事の言葉を聞いた伯爵子息は弛んだ腹を揺らし、気持ち悪い声を上げて喜びながら手を叩いて急かした。

 

「は、はい。それではここへ」

 

 数代に渡り、古くから家に仕える執事の一人である彼は無心で仕事を熟すのみ。

 本来なら苦言の一言も伝えるべきだが、当主の伯爵から「この件は捨て置け」と言われており、それに従う。夜の欲望に目が濁り、盛んに首を縦に振る伯爵子息の姿へ、将来に不安を覚えつつも彼は下がって行った……。

 

 荒事請負屋が、今回の件に投入したのは1チームの4名。報酬は金貨250枚。請負屋のピンハネ額はこの内の50枚。

 なおこの費用の全額は当然――フルト家当主持ちだ。

 チームの構成だが、一人は占いの出来る神官風の男。そして嗅覚の能力が長けた野伏(レンジャー)の女。あとは、共に突入し標的確保を実行する2名。

 難度で力を表すとそれぞれ、27、36、39、48。

 リーダーは最後の大柄の戦士風の男で、難度39の者は魔法詠唱者姿(マジック・キャスター)の女だ。

 カルサナス都市国家連合所属のワーカーだが、裏で殺しも平気で実行する野盗に近い連中と言える。出自は、幼い頃からの同じスラム街の仲間達。

 占い作業は全方位と範囲が広かったため、20回も行ない場所を絞った。1日に2回しか実行できない上に、失敗も多いという理由で最も時間を要する。そのあと、フルト家から提供されたアルシェや双子の姉妹の愛用品等から臭いを覚えると、占いの16回目以降街内を徘徊。遂に昨日、帝都南東地区のアルシェ宅を見つけた。

 アルシェが亜人の軍団に人質となり自宅に居ない事は、荒事請負屋にも情報が入っていた。故に家に残っているのは使用人の若い娘と標的の双子のみ。

 そして、本日の日没後程なく犯行は実行された。

 魔法で玄関口周辺の音を消し、鍵をこじ開けて手際良く侵入。後ろから娘を殴打し意識を奪い、奥にいた双子へ〈睡眠(スリープ)〉を使い眠らせ連れ去った。

 後は、娘の急所を外す形で滅多刺し。これは、標的確保の仕事が楽過ぎた事で、一息に殺さずお遊びになる。

 しかし結果的には色々と残す事になった。

 

 荒事請負屋からの知らせは、フルト家へも届く。

 アルシェ達の父親は、1階居間の一人掛けの椅子から立ち上がり、両腕を上げ掌を広げ震わせつつオーバーアクションに叫ぶ。

 

「くくく、くふしゅー……。やったぞぉっ。クーデリカにぃ、ウレイリカよ。お前達は見事にぃワタシとぉフルト家の礎となるのだぁぁぁ。ひゃはははっーー。そしてみたかっ、親不孝者で売女の我が娘アルシェめぇ。フルト準男爵家は、お前抜きで再興だぁぁぁ!」

 

 あれからわずか数日しか経過していないが、フルト家当主の姿に最早貴族の品格は見えない。

 既に髪はボサボサで抜け毛も増え、目元はクマと窪みも酷く無精髭が伸び、まるで狂人のような風体に変わっていた……。

 人間の親らしい心を捨てた者への、報いか呪いのようにも執事のジャイムスには感じられた。

 そして同時に彼は、無理と思いながらも救いを願わずにいられない。

 

(ああぁ、アルシェお嬢様……クーデリカ様にウレイリカ様が危のうございます)

 

 心を大きく痛めつつも、平民に過ぎない彼には強大な伯爵家へ対して、小さい事での抵抗が精一杯である。しかしそれも空振ってしまっていた。

 『歌う林檎亭』へ男の使用人を走らせるも、アルシェの仲間達はこんな時に『不在』として伝言のみを残し戻って来ただけであった……。

 伯爵家が相手では誰も動くと思えない。それでも、微かな最後の望みとしてジャイムスは祈る。

 

(どうか、どうか、助けの手がありますように)

 

 

 ここでも長くなりそうな夜が静かに過ぎてゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 中央評議会の決議で

 

 

 アーグランド評議国の首都、中央都――。

 広い都市区画の中寄りの場所に、中央評議会の大議事堂は建っていた。

 直径が200メートルを超える円形土台の建物である。巨大な低い円柱に半球を乗せた丁度お椀を被せた独特の形状で、頂上には内部に大鐘の並んだ小尖塔が立つ。議事堂全体の高さは約130メートルにも及ぶ。

 分厚い岩盤から削り出された石柱を組み合わせ外周部から支えて作られた内部は直径170メートル、最高点も90メートル超の大空間が広がる。

 建国時の種族間でも纏まりのあった時期に、国家のシンボルとして総力を挙げて作られていた。

 なので巨体の永久評議員の(ドラゴン)達でも、十分寛げる席が用意されている。

 天井部の一角はガラス張りで開閉式の大窓もあり、昼間は十分に天から光彩が降り注ぎ神秘的な空間を演出していた。

 この大議事堂には、永久評議員7名、一般評議員104名の計111の議席を満たす140程の座席が弧を描く様に並ぶ。会場内の中心は直径40メートル程で円形の広い空間が残されている。

 勿論、そこは中央で激論や熱弁を振るう為の場としてだ。

 本日(隣国では第一王子が午後に出陣した日)の会議は、()()で招集が掛かり開催されている。

 

「ブヒッ。過去300年の格式ある評議会の歴史を見ても、これほど独断で行動を起こした記録はありますまい。我々は、随分とないがしろにされておると存ずる。半日で都市を灰に変えた武勇については認めるが、やはり――煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)殿の隣国侵攻は我々評議会の判断を全く仰がずに進められておる。これはどう見ても良くない、受け入れがたい話かと――」

 

 今回の会議長へ対し、『三ツ星』の評議員バッジを付ける中立派のゲイリング評議員が、議場中央の『演説の場』で大きく声を上げた。

 彼の発言に呼応して「その通りだ」「独断行動には異議ありですな」と発言する議員達あり。勿論、ゲイリングがそう手筈を整えての事だ。

 こうして場の大きい流れを作るのが彼の常道である。

 

 ゲイリングは狡猾に正論で責めていた。

 この評議国は多種族で構成されている。国の組織機構から大きくはみ出す行為については、眉を顰めるのが自然の感情となる。

 評議国民の心理を巧みに利用することで、彼はアインズとの約束をなんとか達成しようと画策した。仮面の男の圧倒的(パワー)を見て、ゲイリング一族の存亡が掛かっていると考えてだ……。

 また、娘のブランソワからの催促も厳しかったのである。

 

「父上、いつもの強引な手腕で何とかしてくださいっ。モタモタしていては、私までアインズ様に嫌われてしまいます。あの方の御不興を買いたいのですか?」

「お、おう。分かっとる、分かっとるっ」

 

 皮肉だが、そんなやり取りにより娘との会話の機会が何気に増えていた。今回の正論でという原案を出してきたのも彼女である。

 ゲイリング評議員には息子達も数人いる。しかし、いずれも思慮の浅い脳筋系だ。それに難度まで4、50程しかなく、将来的に考えても大仕事ではほぼ使えず頼りない存在。

 そんな中で、ブランソワは娘ながら文武で光るものがあると見ていた。

 ただ、どうやら父の傲慢且つ悪徳で議員妻への淫らさも混じる戦略がお気に召さないようで、非協力的であった。

 今も父コザックトへ向けての考えではなく、アインズの部下として熱心に動いているのは分かっている。

 それでも、優秀な我が娘の成長をみるのは悪い気分では無かった。

 今日の彼は大なり小なりの色々な思いの中で『演説の場』へと臨んでいる。

 

 しかし先日までは、交戦派への同調を強く感じさせていた有力者ゲイリングの動きの変化に戸惑う評議員達も多かった。大商人の彼へ関係や借りを持ちながら、事前に相談の無かった者らが顔を見合わせる。

 一方で、中立派の中には先日までのゲイリングと同様で、今後見込まれる奴隷需要に関わって横流しでひと儲けしようと考えている連中が他にもいたりする。

 議会内でそれぞれの思惑が激しく交錯した。

 

「ゲイリング殿、〝時には戦いも必要〟などと、先日申されていた事と主張が違うのでは?」

「旗頭の一人であった貴殿が、そうあっさり意見を変えられてはなぁ」

「そうだ、そうだ」

 

 巨大な利権を巡り、先日と話の流れが違うと異論を並べ述べる評議員も当然現れる。

 ここは、比較的平和な今の時代を過ごしてきた評議国内において一つの戦場だといえる。

 力技のみでの血は流れないが、議会の決定によって淘汰された者達はいた。

 だからこそ必死になるのだ。

 今日の場の評議員席には、モロに該当者である煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)の妹、ビルデバルド=カーマイダリスも居た。

 彼女も数日前に無念さをグッと飲み込んで結んだ援助の密約を、簡単に反故にされる話に無論、激怒しながら食って掛かる。

 

「どういうつもりですか、ゲイリング殿っ。話が全く違うのでは? 我が姉は評議国国民の多くが未だ持つ、憎き人間共への恨みを背負って勇敢なる戦いに臨んでいるのです。それを邪魔する気ですか!」

 

 そんな意見群を受けても、ゲイリング本人は余裕のある態度に軽く目を閉じると述べた。

 

「では、皆さんに問いたい、ブヒッ。だからといって、我らの祖先やここにおられる永久評議員の方々で厳粛に決めた国家の約束事を盛大に破り、勝手な行動が許されるとでも?」

 

 この発言で、場は一旦鎮まる。

 だが、以前もこれに近い意見を語る評議員はいたのだ。その時に交戦派寄りで動いていたゲイリングは「時代に合わせた判断も時には必要でしょう。ブヒッブヒッ――貴殿の種族の多くが(ウチの商会系列からの)借金で首が回っていないのを、見直すようにですよ」と脅しも交えて語り、交戦賛成側へ寝返らせ一蹴している。

 そんな下僕評議員が今、先頭で相槌を打つのである。

 

「ゲイリング評議員殿の申される通りだ!」

「全く同意見。侵攻に賛成であった方々も、今こそ考えを変える時ですぞ」

「妹殿も、無理に正当化したいだけだろう、筋が通らないぞっ」

 

 他のゲイリングの犬達も応援に加わり、その弁舌の勢いを増していく。

 それでも、交戦派やそちら寄りの中立派も黙ってはいなかった。激しく意見で応戦が始まり、「都合よく使い分けるな」「ゲイリング殿は横暴だ」と暫く喧々囂々(けんけんごうごう)の状態になってしまう。

 そんな場を受けゲイリング評議員は、百歩譲ってと提案する。

 

「確かに急な話ということで、納得出来ない方々もおられる事でしょうな。ブヒッ。であれば、一つ条件を付けましょう。今後――一度でも苦戦すれば撤退ということでは?」

 

 以前、「姉は圧倒的」「必ずや我が国へ勝利を」と語った手前、ビルデバルドら交戦派と中立派の一部はその厳しい案で決議を取る事へ応じるしかなかった。

 それから10分後に中央評議会総決議が行われ結果、111票の内、永久評議員7名の全員がゲイリング評議員の意見に賛同し、一般評議員の賛同票も75を超えて終了した。

 中央評議会の議会は、有力議員達にとって、ある意味凄まじい茶番劇の場とも言えた……。

 

 

 結局、この世界では――『(パワー)』を持ち、且つそれを振りかざす者のみが覇権を握るのである。

 

 

 今回は元々拮抗気味だった場で、中立派の3分の1も率いて保守側へ動けば、大勢は決する話であった。

 ただゲイリングは、自身の意見変えの理由であれこれ迷っていたのだ。

 悪徳の道を歩んできた男も、今回に限り背に腹は代えられないと娘の案を採用し、正論での意見でアインズとの約束を達成する。

 これで、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグは、評議国側から竜兵を多く失うだけでも撤退する状況へ追いやられたのである。

 

 無情の決議結果を目の当たりにし、評議員席で竜王の妹は呆然とする。

 

(ああぁぁぁぁ……。お姉ちゃん、またゴメン。どうしよう……)

 

 もはや後の祭りである。

 派手さのある力勝負の喧嘩と違い、こういう政治的駆け引きは本当に苦手な彼女。

 長い首を天井へ向け、高い天窓から夕刻の赤く綺麗に染まる空を見て思わず黄昏ていた。

 

 翌日午後、あれから中央都内にある評議員宿舎で悩んでいたビルデバルドは、一つの結論へ達し決意する。

 

「ならば、こちらにも考えがあるんだからっ」

 

 一度でも苦戦すれば撤退―――つまり、圧倒し蹂躙しつつ進撃し切ればいいのだと。

 

 その為に取る手段は、姉の軍へ強大無比な援軍を送る事。

 また、郷里の者らの協力には一度報告が必要と、ビルデバルドは中央都を飛び立ち東方へ200キロ離れた山脈を目指した。

 

 里では賛同者が続出する。準備を開始し整え終えた援軍は、2日後の午後に国境を越え隣国リ・エスティーゼ王国へと向かう。

 その先頭に立ったのは当然の如く、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)の妹ビルデバルド=カーマイダリス自身であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

* * *

 

 戦場での動きが始まったのは、日付を越える直前、午後11時50分過ぎこと。

 まだ戦闘開始まであと半日はあると信じ、王国軍内で仮眠を取りはじめた者が多かった時刻。

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグ=カーマイダリス率いる竜軍団が突如、王国側への攻撃を再開したのである。

 不遇にも最初の標的になったのは、竜達の宿営地の南西方面であった。

 どうやら、竜王らは人間側の移動や炊煙などで王国軍の動きに気付いての迎撃という訳ではなかった。

 ゼザリオルグらは真っ直ぐ、旧エ・アセナルの南西75キロにある最も近い都市を攻撃対象として進軍を始めた模様。

 侵攻する竜の総数は、約220体。

 本国アーグランド評議国への人間達捕虜の監視、並びに宿営地の管理・警戒へ多数を残しての行動であった。

 先陣を切るのは勿論、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)であるゼザリオルグだ。

 

 

 

 侵攻の引き金を思い切り引かせたのは、昼に本国から漸く届いた補給物資と共に、遅れて中央都から里を経て竜兵150体と共に飛来し現れたビルデバルドからの言葉と報告だ。

 

「お姉ちゃん。この戦い、苦戦したらダメだからね」

 

 そこから始まった話を聞くと、どうやら3日前の中央評議会内にて豚鬼(オーク)族長で大派閥を率いるというゲイリング評議員ら中立派の半数以上が突如、保守派へと傾いたのだと言う。

 奴らは『議会に無許可の進撃を中止し撤退』を考えるべきだと強く述べ、厳しい条件を突き付けて来たと聞いた。

 耳に入って来たその言に、ゼザリオルグは憤慨した。

 

「――一度でも苦戦すれば――だとぉ? なめんなよ、豚野郎が。奴隷での金儲け狙いで我らの足元をうろつく事しか出来ない、小さい腰抜けどもの分際でっ」

 

 今から中央都へ乗り込み、必殺の火炎砲でゲイリングという豚野郎を丸焼きにしてやりたいが、戻る行為すら叩いてきそうに感じて思い留まる。

 500年振りに復活した若輩の姉より、経た年月で一回り大きく貫録を帯びる立派な体から伸びた長い首を傾け、妹が尋ねる。

 

「……お姉ちゃん、どうするの」

 

 竜王陣内は幸い、補給物資の到着を待って再侵攻の準備が整っていた。

 また、姉思いの妹が期待する前である。

 そして誇りある竜種の、いや全種最強の種族にあって頂点の竜王であり姉でもある分厚いプライドが、弱気で引く事を決して許さない。

 それに、人間如きに苦戦などすれば撤退する以前に死んだ方がマシであるとも考えていた。

 先日の如き強者達が現れようとも、竜王らしくただただ前のめりにゴミ共を踏みつぶすのみ。

 

「聞くまでもねぇよ。ここは―――勇猛に進撃あるのみだろ」

 

 本国のくだらない決議を笑い飛ばす意味でも、不安要素はゼロなのだとして告げた。

 

「流石ぁ! だよね、お姉ちゃんっ。じゃあ、私も少し手伝うよ」

 

 だが、可愛い妹からの申し出に対し、姉らしく告げる。

 

「ダメだ。お前達は帰ってろ。そして郷里で見守っていてくれ」

 

 しかし、妹より返って来た次の言葉にゼザリオルグは詰まってしまう。

 

「お姉ちゃん……これだけ派手に出て来たら、豚野郎(ゲイリング)に部分退却したとか思われないかな?」

「あっ……」

 

 こうして、姉に勝るとも劣らないパワーを秘める竜王妹ビルデバルドもここでセンレツ(戦列/鮮烈)に加わった。

 

 竜王以下200体を超える竜達が順次離陸し、宿営地を旋回すると攻撃地のある南西方向へと進む。

 まるで巨大で圧倒的装備の重戦略爆撃機群が飛び立ったかのようだ……。

 ビルデバルドについては要として宿営地に残した。他に、ドルビオラ、そして戦線へ復帰したアーガードも残す。

 同様にアーガードより2日早く復帰したノブナーガを侵攻部隊に組み入れている。

 5体組だったという人間のグループに不覚を取った彼は懇願する。

 

「竜王様、人間の都市攻撃の先頭は私めに」

「病み上がりでまあそう勇み逸るんじゃねぇよ。都市は他にもまだまだいっぱいあるだろ。今回は軽めに流しておけ」

「はぁ」

 

 主命へ残念そうに語るノブナーガ。そうして旧エ・アセナル上空を超えて4キロ程進んだ時であった。

 ゼザリオルグは、地上に間隔の開いた位置で潜む者達をその自身の感知能力で多数発見する。

 ただ、1カ所へ潜む数は少ない。それらは布を利用した隠れ蓑を纏っている様子。これにより、上空から目視で発見されなかったみたいだ。

 風にそよぐ一面の青い穀物の穂軸に紛れていたのだろう。

 

(なんだ、この連中は?)

 

 個体の大きさから恐らく人間だと確信する。

 そして、そこから数キロ進む。途中で3キロ程見掛けなかったが、その先にまた同様の点在を見つける。結局眼下に総計で1000箇所近くは感知することが出来ていた。

 攻め寄せるには戦力がばらけ過ぎていると思える。

 流石に数の多さと目的が見えず竜王も不気味に感じた。

 

(これは……人間どもめ、一体何をする気だ)

 

 飛行しながら竜王は即座に考える。いつもなら、目的地を粉砕してからと考えるところ。

 しかし今は、妹から『一度でも苦戦すれば評議会から正式な撤退指示が来る』との話を聞いていた。

 ゼザリオルグ個人としては、白いジジイの居る評議会の決定など完全に無視したい。だが、この500年のうち300年間をアーグランド評議国の一員として過ごしてきている妹や里に残っている一族連中の立場というものがある。

 先日までは『評議国に関係のない部分で、勝手に暴れている』という事になっていたが、状況が変わったのだ。一族を纏める竜王として最善を尽くさなくてはという思いが、眼下の目障りな連中へと意識を強く向けさせていく。

 

(後顧の憂いを無くすため――目障りは、先に殲滅しておくべきかもな)

 

 そう考えを変えると即座にノブナーガへ指示を出す。

 竜王以外は、眼下に分散して潜む人間達に気が付いていないため、その点から説明しながらだ。

 警備の任についての責任者へと復帰したノブナーガは顔色を変える。

 

「私が至らず、敵の動きを発見出来ずにいたこと申し訳ありません、竜王様」

 

 彼は部下達ではなく長期間動けなかった自分の失態のように告げた。

 だが、ゼザリオルグはそれを酌んで返す。

 

「復帰したばかりで責任なんて言わねぇよ。人間共の浅知恵だろ。焼き尽くせばいいだけの話……あぁ、そうか」

 

 ゼザリオルグは、地面に広がる人間共の間隔を空けて潜む理由に気付く。一気に炎で焼かせないためなのだと。

 

(人間どもめ、こざかしいな)

 

 竜王程の火力があれば、一息の火炎砲で広範囲を殲滅可能だ。

 しかし、多くの竜兵ではかなり範囲が狭くなるのである。

 また竜王ならば火炎砲を100回でも余裕で吐けるが、竜兵では2、30回も続けて全力で吐けば、炎が切れてしまう。

 だが、竜種は馬鹿ではない。

 

(確かに一度で一斉に攻撃すればなぁ。でもな、回復時間と数をずらして攻めれば十分に対応可能だぜ)

 

 竜王は直ぐに対策を考え付いていた。丁度今、約半数が出撃しているところである。

 どれだけの人間共が潜んでいるか不明だ。とはいえ、現在の出撃数で全力攻撃から余力を残し、宿営地の戦力と交代すれば、そしてそれを繰り返す形で2、3日あれば殲滅出来るのではとの考えに至る。

 間髪入れずゼザリオルグが、ノブナーガへと指示を出す。

 

「隊列の進路を反転させるぞ。死にたい人間共は、この地域の地上へ広い範囲に点在しているようだぜ。2体一組で順次広域へ展開っ。上空から威嚇の一発を放ち、動いたところを丸焼きで仕留めろ。あと1時間後毎で宿営地へ半数を戻し交代させる。あー、一応、地上へは降りさせるなよ」

「ははっ」

 

 上空なら竜種の独壇場である。

 何があっても優位は揺るがないと考えて、そこだけは念を押した。

 竜王は仲間へと気遣うが、直後――己は単体で降下し地上へと降り立った。

 そして、巨体から見下ろす眼下の地面に虫の如き10名程の人間(ゴミ)達を発見して冷酷に告げる。

 

「死ね。―――〈全力火炎砲(フルフレイムバスター)〉っ」

 

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)口から吐き出された激烈な火炎砲を受けた兵達は、その威力で周囲の土ごと跡形も無く蒸発した。

 竜王以外の周囲でも同様の光景が広がる。

 圧倒的な竜兵と絶望的強さの竜長らの火炎砲攻撃を受け、阿鼻叫喚の世界が湧いてゆく。地獄絵図は、王国軍の後方兵力の南西側から南方面と東に向けて、広域でますます大きく描かれていった。

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国軍は、一方的な被害が広がり始めていた。

 だが、兵を分散させた効果は予想に沿いかなり出ており、竜の強烈な火炎攻撃1回に対しての死者は平均で10名を切り狙い通りではあった。兵の纏まりから一人でも撃ち漏らせばその分、空撃ちに近い火炎攻撃が増える。

 そして、まだ―――冒険者達は動いていなかった。

 危険で逃げ場の無い北方側の兵達も。

 更に、竜の宿営地の周りへは最前線の兵4万余が丸々残っていた。

 そんな彼らが小さく吠える。

 

「やるぞ」

「「「おおっ」」」

 

 王国軍側の兵力の一部で混乱をみせつつも、各所で立ち上がる。

 最前線をはじめ、銀級以上の3000名を超える冒険者達や伏兵的な者達が今、力強く攻撃へと動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. アインズ、ズーラーノーンの計画を「  」する

 

 

 秘密結社ズーラーノーン。

 その全貌は、人類圏で最大の国力と調査組織をもつスレイン法国でさえも掴み切れていない。

 しかし、闇に蠢く結社の極秘計画をアインズは、見事に事前で入手することに成功する。

 ズーラーノーンは此度の王国軍と竜王軍団の戦争において恐るべき計画を立てていた。

 

 

 その名も―――『混沌の死獄』。

 

 

 (ドラゴン)の死体を活用し強力なアンデッドの竜を先兵にして、盟主が5名の高弟と共同で展開する超大包囲魔法陣内の一帯を死で埋め尽くし、膨大な闇の力を生み出す計画。

 だが、集めた大量の魔力の使い道は結局、御方の得た情報においても不明のままである……。

 

 この大計画の全貌をアインズ扮するモモンへと届けたのは、漆黒聖典第九席次のクレマンティーヌであった。

 彼女は、王都で第一王子出陣の喧噪を利用し紛れるように調査を行なった。

 所用時間は僅かに4時間程。

 それは紛れもなく、彼女の飛び抜けた優秀さを示すものでもある。

 でも、昼食時はモモンと過ごしながら、そこから短時間に一体全体どうやってと思うところだ。

 

 実はクレマンティーヌ自身も、モモンに「カジットから……」と話を聞いた瞬間には、やはりお手上げかもと思った。

 しかし、カジットが詳細を伝えられず、計画から外されていた事を笑った時に閃いたのである。

 

 『高弟達のアジトって、やっぱり〝墓地〟にあるんじゃないのー』……と。

 

 ただ、人類圏で最大級の都市である王都リ・エスティーゼには『集約した巨大墓地が1つ』と言う訳ではなかった。

 中規模の墓地が10箇所程もあり分散して作られている。

 これが王都へ、ズーラーノーンの盟主がアジトを置かなかった最大の理由だ。同様に他の高弟達も敬遠していた。

 そして、クレマンティーヌはもっとも大きく目立つ墓地を外し、2番目の大きさを持つ墓地から調査を始める。王都の詳細な地図については、モモンを探す必要から秘密支部へ来た当日に「独自調査で必要」と正式手順で当然入手済だ。

 彼女の考えは見事に的中する。

 アジト発見までの所要時間はたったの20分であった……。

 ここ数日完全に気配を消すのに慣れていた彼女は、そのまま潜入したのである。

 墓地内の、小さい霊廟の一つの地下に作られていた支部的な規模の広さと設備であった。

 更に王族出陣当日の所為もあるのか情報集めで、多くが出払っていたのだ。

 ドラ猫と化したクレマンティーヌは人知れず部屋から部屋へと侵入し、多くの資料を斜め読む。彼女は、部分的に開示された計画内容と支部が行う作業に加え、過去の『死の螺旋』から全てを組み立てた。

 それが『混沌の死獄』の全貌である。

 

「――そんな感じなんだけど、モモンちゃん?」

 

 夜中に木彫りの『小さな彫刻像』経由で連絡を受け、小隊長も休んでいる戦車から「お花を摘んでくるねー」と出ると、人気のない場所で愛しのモモンへと伝えていた。

 どうやって情報を得たのかも一通り聞き終えたモモンは感心し、改めてクレマンティーヌの存在価値を感じる。

 発想と実行力を備えていないと、この結果はまず得られなかっただろうと。

 だから、モモンとして彼女を言葉で十分褒めてあげる。

 

『流石だね、(小動物としてだけど)愛しいクレマンティーヌ。凄く助かったよ、ありがとう』

「モ、(――モモンちゃんっ………嬉しい、嬉しいよーっ)」

 

 彼女の声は余りの喜びで大きく且つ少しひっくり返り、彼女自身で口を押えたほどだ。

 はしゃぐクレマンティーヌだったが、戦地に赴く彼へやはり不安は隠せない。

 

「モモンちゃん、対応はどうするのー? 戦場に出るからさ、やっぱり心配だよー。手が足りないなら、私も一緒に残ってもいいよー」

 

 傍に頼りないマーベロだけだと、厳しいのではと気遣う。それは漆黒聖典からの離脱を意味するのだが、彼女は全く気にする風もなく告げていた。

 しかしそういった彼女の心配は無用。

 

 今回の計画について、モモンことアインズは――一応手は打つつもりである。

 

 同時に、最強のアンデッドであるモモンへ影響があるはずもない。

 まあ、超大包囲魔法陣が既存のアンデッドへどういった影響を及ぼすかは不明であるが、多くの状況や攻撃へ耐性を持つ絶対的支配者への直接的影響は低いを思える。

 

『大丈夫。可愛いクレマンティーヌは安全なところにいて欲しいかな』

 

 彼氏からの優しい想いだとして、恋乙女の彼女は大きく頷いた。

 

「分かったー」

 

 納得したクレマンティーヌへモモンは「お休み」と告げて有意義な通話を終えた。

 

 そして3日が過ぎ、戦場へと竜達の火炎吹き荒れる激しい戦闘の始まった数時間後の事。

 またしても竜の宿営地から残っていた遺体が全て突如消えたという――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 不穏な密談

 

 

 ここはナザリック地下大墳墓の広大な第九階層の一区画。外とは無縁の地と言えよう。

 一般メイド達も含め、NPC達には概ね自由に解放されている空間だ。バーや美容室等各種の店舗をはじめ、スパリゾート的なものから庭園風のちょっとした公園もある。

 場のざっくばらんさもあり、珍しい組み合わせで居合わせてもそれ程注目されることはない。

 そんな一角の、目立たない路地へと置かれたベンチの一つに、腰掛ける2体のNPCが居た。

 

 片方の個体は随分と小柄な―――鳥人(バードマン)

 

 普段連れている怪人は見当たらない。珍しく単独での行動。

 彼が、ナザリック内で異質な設定を持っている事は、結構有名であった。無論『ナザリックの支配を狙っている』という内容だ。

 冗談と言う見方もあるが、本人は『冗談でも使命は使命』との考えを持っていた。

 当然『(リスク)』の覚悟も出来ている。

 ただ、自身のLv.1という何とも余りに最終目標まで遠い現状から、途方にも暮れているのが本音。

 しかし、そんな彼へと接触して来た者がいたのである。今回で3度目の密会だ。

 一人分程空け右横に座る『同誕の六人衆(セクステット)』の1体であるNPCは、小声で静かに重要事を語る。

 

 『()()()()為に、出来れば()()を手に入れて貰いたい』という趣旨で。

 

 密会の1度目は鳥人の有名な設定の再確認。2度目は本気なのかという鳥人の気持ちと、六人衆の1体である自分も近い使命があると告げた。

 それは『設定』ではなく、過去の記憶にある『口伝』によるものだと。流石に至高の御方も、プライバシー的にNPC達の記憶の中までは見ていなかった……。

 鳥人も『創造主の残した崇高な我が使命』を達成するには、他者を引き込んだ上での連携が必要だと常々思っている。

 

「ほう」

 

 相手からの同志的言葉に鳥人NPCの目が細まり、ナザリックに対する悪巧みの要求へ、つぶらな瞳を鈍く光らせた。

 なお、横に腰掛けるNPCは、要望話の一つ前に鳥人(バードマン)()()()()について尋ねている。それは手柄を上げ、御方へとネダれば貰える可能性があるアイテムかと。

 小柄な彼は肯定した。

 そこで、新入りである六人衆の自分では早期に貰える可能性がかなり低いと見て、鳥人(バードマン)への相談であった。

 新入りの己だけで、既に急ぎあれこれ手を打っているけれど難しい面が多い。やはり、協力者が必要との考えであり、両者の利害と思惑は一致していた。

 鳥人はLv.1ではあるが、随分と前から階層守護者の助手という位置に立つ。

 現在、統合管制室の責任者でもあり、六人衆の者よりも先に機会を得る可能性は随分高い。

 鳥人の彼もそれを理解し、眼前の相手のレベルなど思案した後に返事をする。

 

「いいですよ」

 

 怪し気な話はここに大きく前進する。

 ただ、赤身のある嘴から放たれた彼の言葉にはまだ続きがあった。

 

「でも―――そこ、美々しい床を汚さないでくれよっ!」

 

 足元が少し汚れていた六人衆(セクステット)の1体は、掃除好きの鳥人(ペンギン)にナザリック本階層の潔癖さにつき厳しく注意されていた……。

 

 

 

 

 アインズが王国の北西方面へと戻ってゆき、第九階層のアインズの執務室ではいつも通りアルベドが書類の確認や訂正など日常の事務処理を行なっていた。

 そこへ、今日は扉の中ではなく、外で待機している一般メイドから伺いが入る。

 

「アルベド様、デミウルゴス様がいらっしゃいましたけれど」

「そう、通して」

 

 間もなく大扉が開き、漆黒の大机の前の空間へ置かれたソファーに座り、テーブルへ書類を積んで作業をしている統括の近くへとデミウルゴスが歩いて来た。

 そして、アルベドの右横傍へと立つと、『ハレルヤ作戦』関連の書類を手渡す。

 

「アルベド、これが本日の分です」

「分かりました」

 

 そう言って、書類を受け取り何枚か捲って斜め読む。

 統括に相応しい彼女の仕事振りを少し見て、デミウルゴスが「では失礼」と背を向け立ち去ろうとしたところで、アルベドが静かに問うた。

 

「――デミウルゴス、()()()はいつお知らせするのです?」

 

 最上位悪魔は体を半身で振り向かせ、尻尾は垂らし首をアルベドへ向けると小声で告げた。

 

「責任は、全NPC指揮官の私にありますので。アルベド、これはナザリックによる〝世界征服〟へも影響の出るだろう事象です。くれぐれも勝手な行動は自重願いますよ」

「……分かってますけど」

 

 アルベドは複雑な気持ちでいた。

 デミウルゴスの考えも理解出来る。それは、ナザリック地下大墳墓の者達にとっても非常に重要な問題であった。

 すると丸眼鏡の彼は伝えて来る。

 

「貴方で責任を取れると言うのなら構いませんが?」

 

 その言葉に黒い翼をピクリとさせ、白き美しい悪魔は顔と視線を左へ外した。

 彼女の様子を見たデミウルゴスが語る。

 

「まあアルベドにはやはり、少し酷かもしれませんからね」

 

 そうして、背を向けると扉を開き静かに退出していった。

 一人残されたアルベドは、胸元で手の指を組むとじっと数分間考え込んでいた。

 

 

 




時系列)移転後の日数/内容(左程時間が早い)
38 クレマン王都2日目-再会ト誤算 和平の使者再び ゲイリング撤退密約 アインズ評議国退去 ミヤ,ナザへ 蒼の薔薇と連携に関し会談 アルシェ宅へ(セドラン達エランテルで撤退指示受) アインズ→クレ絡
39 和平決裂一報 エ・ランテル兵が王都へ 午後戦時戦略会議で王国軍出陣 帝国に雨 アインズ→クレ絡
40 巨樹と激突予定 再退去交渉 モモン、王都冒険者組合へ移動 冒険者会合 リッセン長姉ピンチ 帝国荷駄隊出発 冒険者宴
41 六腕会議の知らせ エンリ荷駄隊と共に移動 午後第一王子出陣 クレマンズラノン調査 ゲイリング案議会通過 クレマン部隊ヘ帰還(ビースト参謀帰国)六腕深夜会議(竜王国2週間経過)
42 セドラン達部隊ヘ合流 昼前、和平の使者王城へ帰還 午後アインザック&モモン達が出立 ガゼフ告 国王の軍団出陣 ゴウン屋敷へ エンリ日没後トブの大森林圏へ到達 ラキュース薬GRT 聖典撤収 ナザ戦略会議
43 未明八本指総会 午前中エンリカルネ村へ 8日間で王都へティラ&ブレイン イジャニーヤ揃いルベド狂喜 蒼の薔薇移動 アインズ達にユリも出立(帝国軍遠征10日経過)
44 アインズ蒼薔薇と合流 アルシェ妹拉致 竜軍団再侵攻 ズラノンの計画は…
45 王国、竜軍団と開戦予定日

例えば、本話冒頭の国王が出陣したのは 42日目午後



捏造・考察)フィリップは国王派男爵家の三男
書籍版10-175で、上級の貴族の服装をうらやみ、己のみすぼらしい服装を嘲笑と書かれている。
しかし、準男爵ではさすがにパーティーを開いても集まらないと考えて、(落ちぶれ気味の)『男爵』としました。家名は『ゴーダウン』とかよさそう(笑)



捏造・考察)バルブロの初陣
武に自信があるという部分からこういう感じではと。
ザナックはあの体形もあり、まだ戦場に出た事はないと推測。


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STAGE45. 支配者失望する/竜軍団ヲ迎エ撃ツ王国(じんるい)(19)

最強種の(ドラゴン)共よ思い知れ。ついに、俺達(じんるい)の戦いは始まったっ!(笑

補足)旧エ・アセナル周辺戦力の大まかな位置(前話の後書きへと思うも、結局ここで)

                          【東北東】帝国軍騎士団+魔法省+近衛
             【北側最前線「死地」】弱小貴族
 【西側最前線】バルブロ   竜王軍宿営地(旧エ・アセナル北)  【南+東側最前線】レエブン侯爵
  【西部~南部戦線】反国王派貴族       【南部~東部戦線】国王派貴族
  【大街道傍の森】アインズ一行&蒼薔薇  【南東】漆黒の剣 【東南】漆黒+組合長ら
【海岸傍】六腕 イジャニーヤ  【穀倉地帯の大森林】国王+ガゼフ ユリ
      【全戦域】冒険者達 デミ+アウラ  【不明】ズーラーノーン
            【待機】シャルティア ???

 王国軍兵力 最前線4万 主戦線16万 冒険者3千余
 帝国軍兵力 騎士団5千+千 魔法省100 近衛200 冒険者他数百?
 竜王軍団竜兵力 約440体

注)モモンの声色と口調については、鈴木悟の素の声口調になっています



 リ・エスティーゼ王国の王国記には、この年の夏に起こった戦争についてこう記されている。

 

 『北西部穀倉地帯の戦い』あり。王国の精鋭軍は竜王率いる空一面の竜軍団と戦えり――と。

 

 一方で、後世の人々はこの戦いを現実と皮肉を込めて『大火葬の戦い』とも語っている。

 地上の兵達は連日、空から伸び降り注いだ数百数千数万を数える火柱に、ただ焼かれ続けたと口伝により伝えられて……。

 

 

 リ・エスティーゼ王国の北西へと壮大に広がる穀倉地帯の北端領域。

 その一帯へ夏の深夜の(ぬる)い風が流れる中、それへ焦げ臭くまたイヤな肉の焼ける様な臭いが徐々に深く混ざっていく。

 領域北方には、まだ繁栄時の姿が記憶に新しい王家直轄の旧大都市エ・アセナルが灰色の巨大な廃墟として静かに朽ちていた。

 ついに煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)の軍団をアーグランド評議国へと撃退すべく、王国の総力と国家存亡を掛けた一大決戦が暗闇の中、予定より半日以上早く始まった。

 王国側にとっては、夜襲的な不意の強襲を受ける形になり予想外の開幕となったが戦いは想定内へ納まり気味で進んでいく。

 また現状不利な中も意図せず、この戦場の周辺には人類圏の戦力が密かに集まって来ていた。

 遠方の帝国からは少なくない軍の精鋭騎士団に魔法省部隊、冒険者やワーカー達、更に広域で見ればズーラーノーンや先日まではスレイン法国の漆黒聖典までもがだ。

 とは言え、現段階でまだそういった外部戦力は動いておらず、残念ながら広き戦場内は華々しいおとぎ話や英雄譚に程遠いものだ。ただただ竜王軍団からの火炎砲で、脆弱な王国軍側の一方的に焼かれる酷い地獄的情景が地表へ広がるだけであった。

 おまけに竜王軍との戦力差はより過酷に。

 竜軍団の宿営地を監視していたアズス達3名は、リーダーのルイセンベルグから指示された仲間が若干早く迎えに来た事で、監視位置から撤収しチームへ合流。偶然なので責めることは出来ないが、それにより王国総軍は竜王の妹ビルデバルドが率いてきた新たな150頭もの竜兵の援軍合流について、情報を丸ごと見落としてしまっていた。

 現在、アーグランド評議国から侵攻して24日目の竜王らは、(ドラゴン)440頭近くを有する人類圏全域に対してすら余りにも強大な軍団となっている。

 こんな状況で果たして、王国は……いや人類圏側は本当に勝利を掴めるのだろうか――。

 

 

 戦闘開始時から両軍序盤の動きについてはギクシャク気味である。

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグ=カーマイダリスは、旧エ・アセナルの北1キロに置く宿営地へ本日の昼に本国より補給と里からの援軍を受け、人間側へ再侵攻する準備が完全に整ったと夜半に半数の220頭を率いて南西最寄りの小都市を破壊する為に出撃していった。

 そこで、眼下の広大な地表部へ王国軍の大規模展開を感覚で捉える。

 ゼザリオルグは里の援軍を率いて来た竜王妹ビルデバルドから聞かされた『一度でも苦戦すれば本国へ撤退』という憂いを重視し都市攻撃から方針を転換。まず、上空へ密集体型で纏まっていた軍団を周辺掃討の為に広域へ散開させつつ、王国軍の展開する南西後方陣地帯を攻撃し始める。

 王国側の狙い通りで、厄介な竜軍団を2匹一組という薄い状況にすることへ成功しつつあった。

 竜王陣営側としては、人間達が少数の隊で広い範囲にばらけている為、統率立った反撃は低いと判断してだ。

 それを見た前線のレエブン侯は、敵の竜軍団の厚みを更に希薄化させるためにバルブロの陣をはじめ、最前線各所へ作戦指示の馬を走らせる。

 

「竜王軍側を動揺や混乱させるのは今しかない! 小隊群、突撃せよっ!」

 

 侯爵自身の前線部隊が挟み撃ちにされる危険も高いが、竜王へ『王国軍が既に軍団の宿営地近くへ兵を寄せている』事を実際の攻撃により知らしめるのはこの時だとして動く。

 レエブン侯が囮的に放った竜王宿営地への進撃部隊数は一隊10名の約80小隊。本来は翌日午後で、日の明るい間の攻撃を想定していたが、その手段を侯爵はそのまま使った。彼は好機と見るや直ちに、火矢や弩級などでの挑発中心の装備で部隊を出したのである。

 その動きへ、宿営地に留まっていた竜王妹のビルデバルドが反応。すでに、近郊の広範囲で姉の軍団が戦闘に入っていた知らせや光景を受け、これは憎らしく脆弱で愚かな人間達の総攻撃だと判断して宿営地に残っていた内の竜兵数100を周辺への攻撃に動かした。

 レエブン侯からの伝令に、寝起きのバルブロも動き出す。

 王子は予想外の夜間戦闘でもあり、帝国との戦争経験豊富なレエブン候の作戦へ素直に従った。それは勿論、妹ルトラーからの「自ら前線に赴かないよう」との金言を踏まえている。

 彼も完全な馬鹿ではない。間もなく訪れるだろう次代の国王という輝かしい将来を掴む為に、この戦いは「生還」する事が第一だと理解していた。

 伝令の要望通りに西の最前線近くからおよそ30小隊を竜軍団宿営地へと西方から突撃する振りをさせ攻撃に出した。暫くのちに小隊は撤収する様にして。

 敵の竜兵達を少数に拡散させて広範囲に誘き出すのが目的であるからだ。

 数時間差を置いて竜軍団宿営地の北側『死地』である前線領域からも少なくない陽動の小隊が動き出す予定。

 

 ここで、竜王も旧都市周辺に味方の火炎砲が見えて、この動きに気が付く。

 

「おのれぇぇ人間共、ふざけやがって! 宿営地との間にも入り込んでいた人間(ゴミ)の連中が攻撃に動きやがったかっ。クソッ、これなら先にビルデーへ今後の指示を出すべきだったな」

 

 ゼザリオルグの作戦では、宿営地の部隊は休んでいてもらわないと竜兵のローテーションが出来ず、火炎息が切れてしまう期間が出来てしまうのだ。

 竜王妹の指揮する本陣をみて、竜兵の一部を早期に宿営地へ下げるという予定変更を余儀なくされそうで、軍団長は苦い顔をしていた。

 

 一方この時、王国の冒険者達は想定通り、自軍の酷い被害から焦りと恐怖を覚えつつも、純粋に竜兵達がバラけて広がっていく状態を攻撃準備しつつじっと待っていた。

 王国軍の一般兵士達を犠牲にする形で。

 予定では彼らに身体強化や耐火系の防御魔法を施すはずであったが、この状況に至っては機を逸していた。故に断腸の思いで次の段階へ進むしかない。共に居る前衛の冒険者達の強化へと振り替えてだ。

 彼等冒険者達はモンスター達との戦いに生死を掛けた中で実戦経験を積んだ者達である。機を見計るのは長けていた。

 

「……今だぁっ、竜共をぶっ殺して全員進めぇーー!」

「「「うおぉぉーーっ!!」」」

 

 既に、各所へ配置についていた冒険者達が上手く少数へばらけた始めた最強種族へと徐々に挑んでいく。

 相手は(ドラゴン)――誰もが一度は夢見た闘いだといえよう。

 しかし断じて甘くはない。

 竜兵らの最低難度は66を誇る精鋭連中であった。

 これでも、竜王側の援軍で数を優先し、以前の難度75よりも最低水準が少し下がっていてだ。

 つまり冒険者で言えばミスリル級以上の難度。おまけに低魔法を跳ね返す超硬質の鱗に、剛筋肉の巨体から素早い暴力も振るうのだ。

 最低でもオリハルコン級超の冒険者を相手にする気構えが必要であった。

 だからその怪物に対して、多くが複数チームで挑みかかるのである。

 

 相手に――上空を飛ばれ、強力な火炎砲を吐かれながらだが……。

 

 戦士系の者であれば、剛弓や投げ槍を使うしか手が無い。

 魔法詠唱者はそこそこ射程のある呪文での攻撃となる。

 どうしても白金級以下の冒険者達のはっきりとした苦戦は免れなかった。戦闘を開始した冒険者達で落命する者が、各地域であっという間に二ケタに乗り増え続ける。

 ミスリル級の冒険者チームさえも竜兵へ丈夫な鎖の付いた強烈な剛槍を打ち込むなど、地上へ引き摺り下ろし集団で襲い掛かるぐらいしか手が無い風に見える。

 オリハルコン級のチーム達も上位の竜長級と戦う為、劣勢感は否めなかった。

 流石にアズスらも合流したアダマンタイト級の『朱の雫』だけは、出合い頭に十竜長を早くも1匹戦闘不能にしていたが。

 あと、想定するも難題として、既に戦場の最前線へ竜王が出て来ている事である。

 引き付け役の『蒼の薔薇』は丸1日程は登場しない為、開戦初日の遭遇時は全員上手く逃げおおせる他ない。でも逆に好都合な面も見えた。フレンドリーファイアーを恐れてか竜王は絶望的な破壊力を誇る全力攻撃をしてこない点である。

 両軍混乱気味のまま1時間など、あっという間に過ぎていく。

 そして次の1時間で、竜王軍団側は竜王の指令で宿営地から出ていた攻撃部隊を陣へ引き上げさせた。

 対して王国軍側も国王の下へレエブン侯からの「最前線全域も攻撃中。このまま前倒しで戦闘継続希望」の伝令が届き国王も冷静に戦局をみることにする。

 主戦場は南西から南部、そして最前線南西部へ広がりつつあっても国王を守るガゼフ達が動く様子はない。

 国王の戦場近くへの出陣は、言うまでもなく全軍の士気のみを考えての事である。

 相手は竜種であり、誰もが逃げ出したい状況なのだ。その中で国王さえも落命を恐れず戦場に出ているのだからという王国民の心理は決して小さくない。

 もし、こういった民を率いる王様の勇気を見せる行動が無ければ、この時代の日頃ただ傲慢な多数の貴族達の為に民兵らの大部分は戦おうと思わない恐れもあっただろう。

 年齢もあり体力の優れないランポッサIII世自身が戦場で闘う事はない。代わりに王の剣は今、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフが務めている。

 そうして戦闘開始より3時間近くが経過し、竜王軍団からの蹂躙劇に対して、冒険者達からの反撃が少しずつ戦場に広がりつつあった。

 

 

 

 人間らの大量死が蔓延し始めた過酷な戦場から南西へ50キロ程離れた大街道傍の森の中で、明日からの大役を控える『蒼の薔薇』チームと僅かに離れて野営するゴウン一行が居た。

 メンバーはLv.100のアインズとルベドにLv.57のソリュシャン、そしてLv.46のシズ。あと不可視化で離れて控えるLv.63のナーベラルがいた。

 王国軍の前線がある北東側の動きを察知し探索へ出て戻って来たソリュシャンから、アインズは戦闘の開始ともう1匹Lv.80超えの竜の存在を知らされる。

 「そうか」と答えながら驚きは内心に留めていた。

 

(うーん……これって援軍だよな?)

 

 デミウルゴス達に調査してもらってから少し日が経っている事もある。

 でも確かアダマンタイト級チームの一部が残り、監視していたように思っていたのでアインズは少し首を傾げた。

 ここで、アインズは先日のナザリック戦略会議の一コマも思い出す。

 ナザリックとしては遠方の話であり、緊急度や脅威としての認識度で高くない事情もあったが、デミウルゴスはその後も竜の死骸数は追っていたみたいである。なので、援軍は昨日今日の話かもしれないと行きついた。

 

(ふむ、多分そうだな)

 

 あのアルベドや最上位悪魔に抜かりはないだろう。

 絶対的支配者は、そこから続き評議国にはまだ高レベルの怪物(モンスター)が居ることに思考が向かった。

 

(でも流石にLv.80という水準をいくつも無視するのは色々と危険だよなぁ)

 

 同レベル帯ならソリュシャンらも上位装備で負けないはず。

 しかしどう考えても、プレアデス達では対処が難しいどころか容易に撃破されてしまう相手だ。

 みすみす可愛い配下達を失うなど、非常に不快な事項になりかねない。

 今度、評議国で先日支配者が立ち上げた『モニョッペス商会』で副支配人を任せているブランソワ辺りから、難度で200以上の有名な者達のリストをもらう事を考える。

 一方でLv.80超えの個体が1匹増えた程度では、アインズ達の優位は変わらないとも思っている。

 無論油断は出来ないのだけれど、先日の巨大魔樹もLv.80超えの個体であったが結局、階層守護者3名では完全にオーバーキルであった。

 此度、相手の数と規模は大きいが、ナザリックの投入する戦力は自身も含めずとも先日を上回っている。時間を与えれば今回全力装備で出すルベド1体だけでも確実に十分だろう。

 勝敗については必要ならマーレ達もおり、大きな不安を持ちようがなかった。

 ただ、今は死なせたくない弱者達や近隣都市の防衛を考えると、人手が必要なのである。その部分では不安が少し増した形になる。

 言葉の止まっていたアインズへ、状況の変化にソリュシャンが小声で尋ねてきた。

 

「アインズ様、王国軍と竜王の率いる軍団との戦端が急に切られていましたが、我々は予定通りこのままで宜しいでしょうか?」

「今のところはな。だが念の為、少し確認してみるか? ……」

 

 視線を向けるとソリュシャンが頷き、周辺について確認済で『蒼の薔薇』から聞かれる事はなさそうだ。

 アインズはまず冒険者『漆黒』チームの状況を知ろうと考える。

 パンドラズ・アクター達は昨日となるが午前中には最終配置位置に着いていた。

 彼等の行動方針については、アインズ達が『蒼の薔薇』と合流する前のナザリック内から、「同行する連中に上手く合わせよ。竜を倒しまくるな。最終的に1、2匹倒し名を上げれば十分」と、かなり()()()なものを伝えている。

 安心して任せているマーレへと繋いでみる。

 

「……〈伝言(メッセージ)〉。アインズだが、聞こえるかマーレ?」

『あ…………うーん』

 

 「アインズ様」という言葉はなく、受け答えが窮屈そうであった。傍に冒険者組合長らがいるのだろう。

 今、マーレは健気に頑張っているのが伝わる。察した御方は状況に合う指示を送る。

 

「話せそうなら、可能な範囲で周りに見える状況を何か知らせてくれ」

『モ、モモンさん、炎はずっと西に遠いですし、敵はまだしばらくここまで来そうになさそうですね? ………………。あ、はい。とりあえずここに待機ですか、分かりました』

「状況は大体分かった。マーレ、ありがとう」

『……(はい)』

 

 アインズは可愛い配下の小声を聞き終えると〈伝言(メッセージ)〉を終了した。

 続いてユリへと繋いでいく。彼女はハンゾウと共に国王を守る戦士長ガゼフが籠る地下指令所の近くへと潜んでいた。どうやら今のところは伝令だけが出入りしているようで、まだ戦闘域からは遠いとの報告を受ける。

 そして支配者は、次にニニャに渡した木彫りの『小さな彫刻像』経由で音だけを拾う。

 彼女のチーム『漆黒の剣』の近くには可能なら4人をカバーするために、ハンゾウよりも強力な八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)が1体いるので大丈夫だとは思っている。

 そんなアインズの思考へ届く音は、心拍数が上がり恐怖や緊張する気持ちからすでに少し荒い呼吸音が幾つも聞こえて来る。ペテルらの配置は、マーレとパンドラズ・アクターらの居る東南部の戦線よりも少し西側へ位置するため、戦闘域が近付いて来ていると予想できる。すでに3分程経つが呼吸音の他は「くっ」や「はぁぁ」とかのみで話しをする者が誰一人としていない……。

 

(あー、ニニャ達、大丈夫かなぁ)

 

 (シルバー)級冒険者といえばレベルで10辺りの者達である。竜兵らに遭遇すれば、ほぼ確実に命は無いだろう。この状況をアインズの過去の経験的に示すと、ユクドラシルにおいてギルドメンバー少数でワールドエネミーにバッタリ出会うようなもの。

 それにこれはゲームではなく――己自身の命が掛かっているのだ。

 

(一応大丈夫とは思うけど、ちゃんと生き残ってくれよニニャ。……出来ればペテル達も)

 

 ツアレやルベド(姉妹保護)の件も大きいとはいえ、仲良く過ごした知っている者が居なくなるのはやはり寂しいものがあるのだ。アインズにとって、それも戦場を共にした連中であればなおのこと。

 しかし、これをずっと聞いている訳にもいかず、今は祈って接続を切る。

 ただまあ八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)の八連撃はかなりの攻撃力である。第一、レベル差から百竜長級でも圧倒するはずで護衛を信じる事にする。

 なお、シャルティアの参戦はアインズ達が表向き後方へ下がるタイミングで、もう1体のNPCは東部方面戦域の状況を見てであり、まだナザリックにて出陣を今か今かと待っている状態だ。

 アインズはここでふとこの新世界の戦争に関する疑問が浮かぶ。

 

(……人類の勢力間の戦争で普段、冒険者……組合での決まりがあるといいつつも、特に魔法を余り使わない感じなのは気の所為か?)

 

 今回の様に怪物(モンスター)の軍団が相手になれば、魔法詠唱者を多数含む冒険者達も率先して参戦する。

 何か大きな理由が存在するのではと思える。

 魔法の使用を抑える事で武技の発達へ繋がる部分があるのかもしれない、とさえ。

 御方が違和感を強い感じたのは、王国の軍自体に魔法詠唱者(マジック・キャスター)が殆どいない点だ。

 冒険者と住み分けられているといっていいだろう。少数での小競り合いは別にして、貴族間や民衆の争いでもほぼ武器を使う武力により決着する。魔法の威力を知り、魔法詠唱者は存在するのにだ。

 『戦争文化の歪』といえばそれまでだが、それにしても効率が悪すぎる。

 魔法詠唱者はやはり絶対数が少ない、と聞けば一理はあるだろうけど。

 クレマンティーヌの話を聞くとスレイン法国でも、何となく『過剰な戦力』は秘匿部隊扱いという流れがある。

 ただ一方で帝国には公な魔法省があり、魔法詠唱者部隊を組織、運用してはいる。とはいえ王国との戦争では、これまでに毎年帝国八騎士団しか投入していないようなのだ。

 そうかと思うと、武人の王国戦士長一人に全員が第3位階魔法詠唱者で固めたスレイン法国の秘密部隊45名をぶつけて来るというのもあったわけで。一応騎馬隊はいたが。

 

(……費用対効果かもしれないし、少し俺の考えすぎかな)

 

 そしてアインズはそこから、戦争や軍における己の組織に関しての弱点に辿り着いていた。

 

(ナザリック旗下には万夫不当や一騎当千は多いんだけど、大兵団を指揮する者が意外に少ないんだよな。今後を見越すと士官不足の現状放置は、以外にまずいかもしれない気もする)

 

 現在日課としているアンデッドの軍団についても、指揮を誰に任せるかは考えていなかったことにも気が付く。

 

(うーん。アンデッドでもあるユリとか、新入りのカイレ辺りの指揮官特性を調べておきたいな)

 

 現在、エントマには配下に蟲達をはじめ、旧陽光聖典の隊や死者の魔法使い(エルダーリッチ)の部隊など、幾つか部隊をぶら下げてみている。

 蟲愛でる少女は、張り切って部下の教育と訓練に励んでいると報告を受けていた。

 とは言え、エントマの指揮する各部隊の個体数は多くても数十と少数。

 配下の兵隊規模が1000体程と大きくなると、指揮官の数は実際にかなり心許ない。

 デミウルゴスにアルベドは理論的有能さで何とかするだろうが、残りの階層守護者達は現状でアウラとマーレが2~300を率いれる程度に思える。

 ナザリックの旗下にて階層守護者級以外で挙げれば、万単位を率いれるのは恐怖公だろう。

 

「あとは……ふむ――エンリぐらいか」

 

 アイテムの効果が絶大だったとはいえ、いきなりにもかかわらず5000体の兵団を難なく完璧に率いて見せた彼女は、聞いていた某職業(クラス)からも相当貴重な存在と再認識する。

 

(一応、精強の護衛を付けるべきかな。でもまあ、今はキョウが傍にいるから問題ないか)

 

 帝国の老人(フールーダ)に不意を突かれたが、改めてよく考えれば優秀な部下を失う所であった。

 やっぱり地上については今後手に入る領内でも、安全面で気を引き締める必要があると考えさせられる。

 

 エンリやネムは人間であるが、地上で一番初期に支配者直属の配下となり、既にナザリックの立派な一員である。

 対して、同じ人間の某陽光聖典の隊長については、日々頑張るエントマから健気に「()()()()部隊長としては使えそうです」との回答を直接聞いた事を支配者は思い出す。

 その時、変わらない笑顔の表情ながら僅かに彼女の答えへ何か負の含みを感じるも、「相手は人間だしやりにくいのかも」と単にアインズが考えても無理はない。

 主もまさか、徐々に調子に乗り始めた元陽光聖典の隊長が、ハレンチ行為をこっそり繰り返ししているとは思っていなかった……。

 勿論、その都度エントマは強烈な形で返り討ちにしてはいる。だが予想外に頑丈な男であった。いくつもの瀕死を乗り越えた事と部隊への殺人的猛特訓もあり、いつの間にかレベルが一つ上がっている様にも感じられた。

 そんなヤツとは知らないが、アインズとしてはニグンという者へ、信用と共に士官としては一部隊程度が限界でまだまだ微妙という考え。素養を試したいところではあるけれども。

 クレマンティーヌは……性格的に全く指揮官へ向かない気がする。隊が毎回全滅しそう(彼女の手によって……)だ。

 

(トブの侵攻に際して、いっそ各自の指揮官適正の訓練的な要素を組み込むべきかもなぁ)

 

 攻勢を受ける相手はたまったものではないだろうが、提案し実現すれば中々面白そうでもある。

 根が真面目なアインズは、近くに『蒼の薔薇』の居る野営地で、ナザリックの将来に対して更なる布石を夜通しで考えはじめた。

 

 

 

 王国軍と竜王の軍団の戦いは開始6時間を過ぎた辺りで、戦闘は最初の小康状態となった。

 人類にとって(ドラゴン)と言えども疲労はする種族なのが救いである。だが、戦闘は散発的には続いている。上空にはまだ20頭を上回る姿が確認出来た。大幅に減ったとはいえ本来、十分に脅威の数である。高度を上げて人間側の対応を確認している模様。

 朝日が昇って1時間半近く過ぎていた。

 王国軍の被害の全貌は不明だが、死傷者が万を下回るとは考えにくい惨状が旧エ・アセナルの南西部から南部戦域の地上へと見渡す光景に延々広がってみえる。

 先月に襲われた旧エ・アセナル周辺の受けた被害面積を大幅に越えているはずである。

 ただそれからすれば、随分死者数は抑えられていた。

 レエブン侯の時間稼ぎ作戦は、今のところ計画通りと言えよう。でもその中で、大地へと転がる竜の死骸は片手の指数に納まる程に留まる。

 全てが上手くいっていると喜ぶことは出来ない。

 凄い乱戦で余裕もなく誰も気が付かなかったが――それでも違和感を覚える者らがいた。

 アダマンタイト級冒険者『朱の雫』チームのメンバー達である。

 

「……おい、あそこの付近で竜長を倒したと思ったんだがな」

「えっ、あの場所だったか?」

「いや……違ったのかな」

 

 そう。戦場に残っているベき(ドラゴン)の死骸は、気が付けば少しずつ減っていた。

 勿論、デミウルゴス達が最低コストに納まる形で、せっせと回収しているのだ。

 ナザリックにとっても大変貴重な素材群である。無駄にするわけにはいかない。

 でも流石に〈転移門(ゲート)〉や〈時間停止(タイム・ストップ)〉を連発出来ない。その為、竜王から距離をとった上で戦場の外に拠点を作ってそこへ〈上位不可視化〉や〈上位転移〉を使って運び込み、15匹程集めてからナザリックへ移動させる予定である。

 アウラが丸眼鏡の悪魔へ確認する。

 

「デミウルゴス、間違いなくアインズ様は褒めてくれるんでしょうね?」

 

 それへデミウルゴスは自信を持って言葉を返す。

 

「勿論です。アインズ様の深きお考えは当然理解していますから」

 

 一体どんな『お考え』なのだろう。アインズ自身がこの場へ居ればそう思うはず。

 彼等は、竜王らの宿営地から〈転移門(ゲート)〉と〈時間停止(タイム・ストップ)〉を使って既に5匹の竜の死骸を回収した上でこの作業を行なっていた。至高の御方からの指示とは少し異なるためのアウラの質問だ。

 しかし、より一層褒めて欲しいという願望には逆らえないのも事実。

 アルベドさえ反対しなかった事も大きい。これにはNPC達が自主的に動いた『休暇推進計画』の成功も背景にある。

 竜の躯の山と同時にもたらされる利益を考えれば、決して小さくない働きという事である。

 なればあとは皆、最大の成果をナザリックの主へと示すのみなのだ。

 

 

 

 竜王軍団の宿営地では攻撃部隊主力の帰還後、すぐに軍団上位の者達が全員集められた。

 その場において開口一番、竜王ゼザリオルグが嘆く。

 

「バカにしやがって。いくら何でも人間共の潜む範囲が広すぎんぞ」

「やはり、地上へ降りて一気に蹴散らすべきでは?」

 

 王の言葉へとドルビオラが具申した。

 提案内容に一理あるがゼザリオルグは、やはり一抹の不安も拭えない。

 

「……いや、それも連中の狙いなんだろう」

 

 Lv.25の竜が吐く火炎砲は本来強力なものである。しかし、広範囲となると1回での被害は限定的であったのだ。

 それなら地上へ降りて腕力に訴えれば、と思うところ。

 実際、戦端が開かれ間もなくという事もあり、少なくない竜兵が単独で降りている。すると冒険者達が何処かより湧いて来て、結構な被害が出ていた。

 点呼を取ったが、6時間程度の戦闘で7頭程も姿がみえない。

 そして開戦時に2頭一組ということを通達したが、結局は1頭ごとの戦いになったようだ。

 

「どうしますか、姉さん」

 

 公の場で重臣達がいるとき、ビルデバルドは大人の喋り方をする。

 当然だが、種族の長代行としてTPOは弁えていた。

 ちなみにこの場に揃っている竜長達の中で、もっとも体格が立派で大きいのは彼女。

 

「仕方ねぇ。下手を打てない以上、ここは時間を掛けてでも確実に潰していくしかねぇよ」

 

 軍団長の言葉へ、ビルデバルドだけでなくアーガードやドルビオラらも頷く。

 意気込みは盛んでも、盲目では無いのが竜王である。

 ここで、百竜長筆頭のアーガードが竜王へと報告する。

 

「実は……配下より報告があり、3時間ほど前に陣近郊で安置していた仲間の遺体が5頭すべてなくなっているとの事です。それぞれの場所を離していたのですが……」

「またかっ!? おのれぇぇ、一体何奴だっ」

 

 勇敢な仲間の死を侮辱する行為に思えてゼザリオルグは憤慨する。

 偉大な竜王の怒りに、アーガードが長い首の頭を大きく下げる。

 

「2度目となり申し訳ありません。部下達は警戒をしっかりとしていたのですが、そんな警戒網すら突破する者のようです」

 

 参謀的な彼は隙を突かれる可能性をちゃんとみていた。

 しかし、某地下大墳墓の集団から第10位階魔法を繰り出されては防ぎようもなく……。

 不快感がMAXの中で湧き上がる剛力に手を何度もニギニギしつつ、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)はあの謎で特異な人間の襲来を思い出す。

 

「クソッ、またヤツがくるんじゃねぇか」

「ヤツって……なんですか、姉さん?」

「そういや、まだお前には話してねぇか。俺よりも弱かったが人間の中にも少し強い奴はいてな。そんなアホが単独でここに乗り込んで来やがったんだよ。仲間の大事な亡骸を持って行きやがったのは連中の仲間のはずだ。そいつみたいなのがもし複数来れば油断ならねぇぞ」

「そんな事が……(私が来てよかった)」

 

 評議会で報告されていれば、その場で撤退指令が出ていそうな案件であった。

 

「だが、次こそはぶっ殺すっ!」

 

 ゼザリオルグは竜王らしく力強く咆哮しながらそう吠えた。

 

「とはいえ皆疲れてる。ひとまず、これから1時間程休憩だ。宿営地はビルデーに任せるぜ」

「分かりました、姉さん」

 

 そうして程なく1時間は過ぎ、竜王は準備を整えると200頭を率いて再び出陣する。

 

「おいっ、そろそろカス共を蹴散らしに出るぞ。2頭一組みを厳守しろ!」

「「「オオーーーーッ!」」」

 

 1時間半程で再び、一方的な戦いが再開された。

 

 だが、この竜王軍団の休憩の間に王国軍は、朝食を各所で取り仮眠もし、更に――レエブン候の用意していた秘策が炸裂する。一つの伝令が軍内を縦横に浸透していく。

 王国軍は南西部戦線を中心に結構広い範囲の戦域で死傷者が出ているが、傷や欠員の少ない小隊を2つに分けて、掃討された戦域の一部へ再び間隔を取って2000を超える分隊を再配備させたのだ。

 そして、持参させた焦げ茶の大布の片面へ、地表の黒い灰や焼け残った麦の幹部分を付けてカムフラージュするように事前に指示している。兜や鎧、金属武器は太陽光でキラキラと反射し、気付かずに居場所を空を飛ぶ者へと知らせてしまうのだ。これは見た目だけでなく、それを防ぐための一手であった。

 そう簡単には貴重な兵達を殲滅されないようにと、レエブンは狭い部屋の机上であったが十分に工夫を重ねてきていた。

 概ね単に時間を稼ぐためだけではあるが、しかし意外に竜側としての手間は大きい。「またか」という心理的な面へも訴える良策でもあった。

 

 この王国軍の一連の動きは、上空に残って監視し続けていた十竜長から上空へと再出撃した竜王へと伝えられた。

 

「人間ドもは、兵を分散し掃討地域に再び多くの兵を各所へと配置してオります」

「なっ……(おのれぇぇ、完全に時間稼ぎかよっ。連中は一体何を狙ってやがるっ?!)」

 

 時間稼ぎだけでは必敗であるが故に、逆転の手を用意しているという予想が濃厚になる。

 それは冒険者達のようにも思えるが本能的に危険度で少し弱く感じた。

 『一度でも苦戦すれば本国へ撤退』は、竜王の心理面で非常に重い足かせに変わり始めていた。

 攻撃を緩めることは出来ず、見えない反撃へ徐々に怯える事となったからだ。

 敵は、連中の逆転の手は?――それに己は対処しきれるのかと。

 

「……攻撃だっ。空から徹底的に地面を這い回るこざかしい連中を殲滅しろっ!」

「ははっ。おい、者共っかかれ!」

 

 百竜長で副官のノブナーガが竜兵らへと指示を出すと約100組の竜兵達が広範囲の戦場へ別れていく。

 竜王はその集団の薄まる光景に不安を覚えつつも、早期の敵掃討にはやむを得ない戦術であると理解だけはしていた。

 ただ、現状はゼザリオルグの軍の一方的な掃討戦であることは事実。

 

(何を以て苦戦となるかだな……)

 

 竜王は戦場を見渡す上空で真剣に考えていた。

 6時間毎に食事と1時間半程の休息に部隊の入れ替えをする事で、初日はこのままの流れが続いて過ぎていった。

 なお過ぎただけで、戦闘は終わってはいない。

 竜王軍団はローテーションを組んで連続して延々と攻めて来ていたのである。

 僅かな休憩で戦場へと出続けられる竜王の体力は無尽蔵の如きであった。だが余り驚くほどでもない。元々この世界において、それほどケタ違いの怪物なのだから。

 そうして再戦開始より丸1日を過ぎたころ――。

 彼女、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグ=カーマイダリスは、一つの真理たる結論にだとりつく。

 

「フフフ……どうやら考えすぎてただけってこった(多くの冒険者も混じっている。これはこの国のほぼ全主戦力のはず。つまりここの連中を全滅させて勝てば、後はなんとでもなるはずだ)」

 

 また、隠し玉に強い者が居れば逆に好都合。それを幾体も討ち果たせば、結果的に被害へ対して数倍する戦果となり『苦戦』とは言われない。『大勝利』というのだ。

 単に勝って〝(パワー)〟を、強者も全部倒して更に〝(パワー)〟を示せばいいだけ。

 竜王の進むに相応しい明解な道だ。

 

 『力こそ正義(Power is justice)』のこの世において――強者はガタガタ文句を言われるはずがないのであるっ。

 

 この戦いへの確信と自信を取り戻し竜王は、大空を気分よく羽ばたき飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 とうに日は沈み、雲多き夜が深まり、4度目の竜王率いる大部隊の空襲といえる攻撃中に開戦から早くも丸1日が過ぎる。

 やはり王国軍の被害は甚大になっていた。

 0時に近いこの時間、戦域は遂にニニャ達のいる南東側へも広がりつつあった。また最前線のうち、竜軍団宿営地北側の『死地』も百竜長率いる60頭の猛攻を受け始める。

 王国軍は〝受け〟の状況が続く。

 旧エ・アセナルから南南東へ50キロ程離れた国王のいる指令所へ届いた報告を纏めると、全戦域の死傷者数は3万人を優に超えつつある。

 国王ランポッサIII世は、子爵からの経過報告に難しい顔をして終始聴き入っていた。傍へずっと控えているガゼフも無言のまま視線を落とす。各戦線で救護も一応行ってはいるが、この戦いに限り二の次になっている。負傷者が死者になる数も更に増えると(うれ)いて。

 また冒険者の被害については――詳細不明である。

 とにかく戦場の全域が常に混乱気味であり、ドンブリ勘定になるのも無理はない。

 なので討ち取った竜の数においても、良く分からない状況となっている。なぜかずっと2匹から4匹の間を行き来していた……。本当は十竜長3匹を含む11匹程転がっているはずなのだが。

 成竜の体は全長で18メートル以上にもなる。その死んで残っているはずの巨体が、いつの間にか見当たらなくなったと幾つか報告が上がって来ていた。

 『王の間』にずっと詰めている髭の男爵が小さく愚痴る。

 

「いい加減な……。未確認の情報を送って来るものではないわ。この非常時だというのに」

 

 彼は、民兵の雑兵達が混戦で、正確に確認せず重大な報告をしてきていると感じていた。

 確かに毎年繰り返えされている帝国との戦争とは、戦場の状況や緊迫感がまるで違い冷静な判断は難しいと考える。しかし、国家存亡にも繋がる今回の戦果報告は正確でなければならないのだ。

 また、時折地上へ竜が降りている事も確認されており、もしかすると仲間達の死体を持ち帰っている可能性も十分にあった。

 竜討伐の賞金を得る為には、死体から明確な部位を切り取り、後で提示する必要がある。

 当然、殺す事が出来ても『証拠』がなければ賞金は出にくい。賞金を払う国王や大貴族の面々が、討伐現場を複数で目撃し事実が認められれば認定されるだろうが。

 切り取る部位も、鱗や爪は1匹から複数取れるので注意すべき。鱗には個体毎に鱗紋があり、調べれば同一個体と分かってしまうのだ。その時は賞金や名誉が均等割りになる可能性も残る。

 故に鱗等と共に、換えがなくて比較的取り出しやすい眼球の水晶体などがベスト。

 だがそんな余裕など、今の戦況では例えアダマンタイト級冒険者達にもなさそうに思えた。

 

 

 冒険者達は苦戦していた。

 (ドラゴン)との戦いの中に有った現実は『栄光』などでなく、ひとえに厳しさのみ。

 白金(プラチナ)級冒険者達でさえ、空飛ぶ竜1頭へ団体で挑もうと、殆ど何をやっても傷付けた手ごたえが返って来ないのだ。

 余りに強く、異様に固い。

 竜と対峙した冒険者達が、一度は必ず思うのが『絶対に〈不落要塞〉が掛かっている』だ。

 〈不落要塞〉は武技〈要塞〉の上位版。持続が難しいので短時間だが、上位の武人が使用すると剣や槍、矢が殆ど通じなくなる。

 無論、(ドラゴン)達はそんなものを使っていない。単に強靭なだけである。

 加えてついでに魔法さえも弾いてくる。正にお手上げ状態へ近い。

 その世界最強種が相手であるから、やはり金級以下の冒険者には多くの死傷者が出始めていた。

 彼らの多くが、竜の強力な火炎砲に一撃も耐えられないのは苦しい部分である。難度75程の竜兵の砲撃は第3位階魔法の〈火球(ファイヤーボール)〉よりも強力だ。

 流石に白金級冒険者水準になると、体力面や資金を高価な装備へ回す者もいるため(金貨で数百枚級もユグドラシル的に言えば中級に届くかの水準だが)、一撃二撃には普通に耐えられる者が少なからずいる。

 ただ今回、3000名以上いる冒険者で金級以下が占める率は60%を超える。複数のチームで立ち向かおうと、多くの戦域で状況は苦しいばかりだ。

 なら上位と混ぜれば良かったでは?との考えも浮かんでくる。確かに、今回の戦争における冒険者の同級編成に異論もあった。

 でも、余分な時間もなく膨大な数へ細かい編成を考えられないのが現実だった。更に加えて、初めて組み『足を引っ張る連中』がいるのといないのではどうだろうかと。

 大混乱の中で、更に足を引っ張られる方はたまったものではないだろう。

 それよりも速やかに同級で組み、初めから『足を引っ張る連中』がいない方が動いやすいと王都冒険者組合長は判断した。

 実際、窮状に際し同階級という共通の仲間意識が働き、チームをばらしての期間限定で特別編成になった混合チームすら幾つも出来ていた。

 出陣前の王都では、『火炎へ耐えられないなら、チーム連合で直接受けないようにする他ない』と下位の当事者らで研究も起こり、多くの混合・連合チーム間にて知恵を持ち寄った。

 

 そして、いくつも考えられたうちの数案が――今、戦場で地味に輝く。

 

 多くが魔法詠唱者(マジック・キャスター)達の発案である。

 例えば真空を利用して火炎の先端を消したり曲げる(長時間は無理)。水魔法の幕で火炎熱を遮断する。大きいローブを纏い両脇へ2名を隠して〈屈折(リフレクター)〉で正面から一時姿を消す。面白いのは竜兵の眼前を直接、劇薬や刺激水で霧状に一時塞ぎ、暫く目測を誤らせる、等々。

 竜兵本体へ低位の武器攻撃や魔法が殆ど通じない事から、小細工に近いものが並んだのは否めない。

 それでも救われた者達からすれば、眩しい手段に違いなかった。

 戦争では多くの無名の者達が見せた煌めきが起こり、そして静かに消えても行くのだ……。

 

 

 

 

 アインズ一行と『蒼の薔薇』は潜んでいた森を既に離れ、夜闇(やあん)の眼下に北東側へ一直線で続く大街道沿いを終点の戦場まで目指していた。

 

 ゴウン氏と『蒼の薔薇』の竜王へ接触する重要なタイミングが刻々と迫って来ている。

 

 『蒼の薔薇』メンバーはイビルアイの〈全体飛行(マス・フライ)〉で移動する中、緊迫感が非常に高まって表情が硬くなりつつあった。

 至極当然だろう。彼女達は旧エ・アセナルで実際に竜王と遭遇しており、絶大な恐ろしさを良く知っている。

 一方で少し後ろに続いて飛ぶ支配者達はというと――。

 

 アインズはソリュシャンとシズと()()()()()()()飛行(フライ)〉で移動していた……。

 

 ルベドもその横を〈飛行(フライ)〉風に進んでいたが、実は不可視化した美しいもふもふの羽をゆっくりゆっくりパタパタしながら飛んでいた。

 パタッパタッパタパタッパタパタッパタッパタッ――。

 まあ〈無音〉も実行中で音はしないが、少々ほのぼのとした雰囲気が漂う。緊迫感ゼロである。

 但しソリュシャンとシズの『魔力を温存したい』という話にすれば、この状況もごく自然な流れだろう。全く問題にはなり得ない。

 ナーベラルは不可視化のまま〈飛行(フライ)〉で御方らの後方から続く。

 一応だが、アインズが戦闘メイドらと手を繋ぎ飛ぶのに大きな意味はない。

 いたって単純である。

 

「…………アインズ様……手を繋いで飛びたい……です」

 

 『蒼の薔薇』らが出発した直後、単にシズからそう言われたためだ。

 確かにどういった形で飛ぼうとアインズ達のスタイルであり構わない気もした。

 ついでに何故かソリュシャンも「いいですわね、あの(わたくし)もお願いできませんか?」と上目使いに便乗した。だが、無情で残念な事に(あるじ)の腕は一対二本しかなく……出遅れたルベドは単独でとなったのである。役目上、ナーベラルは枠すらないという惨状に無音で咽ぶ。

 最近の彼女達にとって、至高の御方と馬車も転移系も使わない移動は珍しく、彼の手を握る絶好の機会というわけだ。

 状況判断にめざといシズは結構な『したたか娘サン』なのである。

 

 さて、そんなのんびりした旅の出だし――森を出発直後に絶対的支配者は、ソリュシャンより報告を聞く。

 

「アインズ様、後方からLv.20付近中心で20名程の集団が地上を追ってくるように進んできます」

「……20名? ふむ……」

 

 それは数的にも、『六腕』のゼロ達ではないことから支配者は移動しながら考える。

 

(一体、何の連中かな? 考えられるのは王国軍の援軍だけど、それにしてはちょっと数が少ないよな)

 

 水準と人数を聞いてスレイン法国の六色聖典のような部隊も連想していた。ところがリ・エスティーゼ王国には、その水準の組織も部隊も存在しない。

 近いのはガゼフ率いる王国戦士騎馬隊ぐらいだ。でも今は国王と王子に付いているはず。

 アインズは『蒼の薔薇』と帝国の『イジャニーヤ』の共闘について知らなった。

 ラキュースとしてはゴウン氏に問われた時に答えればいいという判断である。

 ルベドは三つ子姉妹について先日知ったが、残念ながらそこで止まっていた……。最強天使はソコ以外に興味が無く概ねスルーである。

 しかし、その三つ子姉妹の一人が、今追って来てるという点には()()気が付いていた。『保護対象』にしっかりノミネートされているからだ。

 ルベドの考えを知らない絶対的支配者の思考は対応へも及んだ。

 

(どうしようかな。もしスレイン法国関係でも、今は竜の連中を何とか倒したいようだから、放っておいてもいい気はするけど)

 

 アインズは法国に対して、陽光聖典の部隊を討って敵対している立場であるし、かの国はワールドアイテムかもしれない秘宝やレアだろう至宝アイテムをまだ持つ相手だ。

 勿論、油断は出来ない。

 クレマンティーヌとの会話において、今まで『アインズ・ウール・ゴウン』に関して殆ど会話に出てきておらず、まさか法国の考えが彼を許し人類圏に貢献させるように融和政策へ転換しているとは思いもよらずである。

 なので、本日もナザリック地下大墳墓の周辺警戒は情報魔法系への対処も含め怠らずしっかりしている。

 この時、アインズの思考にはバハルス帝国という存在はまるで浮かんでいない。

 王国の隣国とはいえ、毎年戦争までして反目する国でこの戦場とは距離がある上、捕らえたフールーダ・パラダインより強い奴はいなさそうで正直『弱い国』と認識していたから。

 実際、つい先日もエンリの率いたゴブリン軍団に怯え、エンリへと領土割譲までしていた程なので、竜の軍団相手に何かしてくるとは考えつかなかったのだ。

 アインズの描く『夢舞台』では、現時点で帝国関連への穴がたくさん空いている。大きさにすれば穴は小さいのだけれど。

 

 

(でもなぁ―――ズーラーノーンの連中だと何をしてくるか分からないよな)

 

 

 やつらの切り札的な(ドラゴン)の死体をナザリックが回収していく反動については予測不能だ。

 クレマンティーヌの話から、盟主他、十ニ高弟達はかなりコダワリの有るイカれた連中という話を聞いている。追い詰められた狂信者達が一体何をしでかすかという不安はあった。

 だが、ここでアインズには引っかかる点がある。

 カジットやクレマンティーヌはマーレの計測において、素の難度で100へ届く水準。

 にもかかわらず、現在追って来る連中の中で、一番高くても難度90にも届いていないのだ。表現するなら連中は粒ぞろいというところ。一方で、クレマンティーヌが十ニ高弟達で勝てないという者は3名だけとの話もあり、難度の低い者を一概に除外も出来ない。

 支配者に迷いが生じた。

 

(ルベドとナーベラルならすぐに()()()()()()はず。……排除すべきか、それとも放置か)

 

 アインズは非常に、究極に世界平和への危機的な選択を、()()()()()()考える。

 『イジャニーヤ』の集団へはティラが居るのに、殺害を命じようとしている状況。

 そんな暴言を『偉大なる会長同志』から聞くようなら、最強天使ルベドは――――メッ。

 

(ここはやはり――不穏分子(ズーラーノーン)の連中なら綺麗に消しておくべきだよなぁ……)

 

 絶対的支配者はそう考え、指示を言葉へ出そうとした。

 でも――この瞬間、彼の脳裏へ()()()()()()()連続で一つの思考がしつこく浮かぶ。

 

(ん? ……『墓場大好き』な連中が、夜中とは言え表立って派手に追跡するのかな?)

 

 カジットのような陰鬱な連中を想像すれば、大きく違和感が膨らんだ。

 アインズは、先の「ふむ……」からここまで2分程あれこれ考えて出した〝謎の追手〟対処の結論をソリュシャンらへ語る。

 

「……しばらく連中の様子を見よう」

「畏まりました」

 

 そのやり取りを聞き、ルベドは『流石は会長同志、当然っ』という風で口許を緩めていた。

 ブ厚い信頼はそのままに……。

 こうして誰もが気付くことなく全く関係の無いところで、ナザリック及び世界の平和は今日も無事に守られたのである。

 

 

 さて、御方は〈飛行〉しつつ、次に『六腕』の6名との行動について少し考えが向かう。

 彼等はアインズ達が潜んでいた森近くの大街道より、もう一本北西側を通る大街道脇で合流を静かに待っている。

 事前にした打ち合わせ通りである。

 アインズと共に大都市リ・ボウロロールの領主で反国王派盟主のボウロロープ侯爵の暗殺に動くのはそれからである。

 『八本指』との共闘の会談が始まった当初、大貴族達を弱らせるのは出来るだけ時間を掛けて兵を大量に失わせるのが良策と語っていたアインズ。

 しかし、ボウロロープ侯爵家に関しては当主を亡き者にすれば、それは十分達成できるために重要なのはタイミングとなる。

 そしてその機会を掴む為には早めに周辺へ潜むのがベストである。

 故に『蒼の薔薇』と分かれた直後から、後方へ下がる幻影(ナーベラル)という形の替え玉アインズを立てて『六腕』と合流する計画を『八本指』へ提示していた。

 手順でみれば、竜王への反撃前に侯爵の暗殺は実行と完了されるべきにも思える。

 だが焦ってはいけない。

 万一、失敗しアインズや『八本指』主導と分かればただではすまないのだ。

 相手は六大貴族である。敵に回せばアインズの安全はともかく『八本指』側は大きな損失を受けるだろう。支配者も王国での全信用を失いかねずかなり大きな痛手だ。

 その辺りは、アインズも当然考えている。

 

 ここは戦場――自然な形なら直接的恨みはこちらへ向かってこないと。

 

 六大貴族の当主としても誇らしく悪くない最後なら疑う者も少なくなる。

 大まかの筋書きは絶対的支配者の思考へ描いている。ただ、その通りにいくかはこれからの展開次第。

 そもそも、アインズは他にやるべき項目が色々ある身。

 中でも最大の目的はこの大戦で、人類国家の危機をエサに『プレイヤーを見つけ出す』ことだ。

 

(邪魔する奴は何者も絶対に許さないぞ。―――そろそろ〝大舞台〟が見えて来たなぁ)

 

 アインズは仮面内の髑髏の眼窩(がんか)に赤き瞳を燃やし前方を睨んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『蒼の薔薇』とゴウン氏一行が戦場外縁付近へ到着した時も、深夜の闇の中、赤い紅蓮の炎が南西部から東南部まで広大な戦場の大地を各所で染めていた。

 余りの場景(じょうけい)に、ガガーランをはじめ『蒼の薔薇』のメンバーはあふれ出す感情から唸る。

 

「うっ……こりゃひでえな」

「「……地獄」」

「くっ。これが現実か(カウラウ婆さん達はどこに行ってるんだ!)」

 

「ええ。でも皆で何とかしないと」

 

 リーダーの声にイビルアイらは頷いた。

 派手に動いてるのは、巨体で飛行する多数の竜兵達しか目にはいってこない。距離からまだ小さくしか見えていないが。

 そして、地表で炎に巻かれ薪の様に燃え上がるのが王国軍であった。

 

 これは一方的な殺戮戦争。

 

 しかし、弱くて反撃もままならないのならば仕方のない自然の優勝劣敗的光景とも言える。

 弱者でないという怒りがあるのなら、それを力で示し返すしかなのだ。

 今、王国側の一矢を担うアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』が、反撃への布石を打つべく動きだそうとしてた。

 『蒼の薔薇』の隊は段階的に高度を落とし、戦場の外周から煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)を慎重に探し始める。王国軍の敷いた戦域は延べ200平方キロ以上もあり、その外から竜兵に発見されず探すのも一苦労となる。

 勿論、ラキュースはイビルアイへと旧大都市の北西側を迂回するように伝え、当初から敵の宿営地寄りで近付いてゆく。『蒼の薔薇』とゴウン氏一行は、竜王軍団と王国軍の戦闘開始に至る経緯を知らないため、竜王は宿営地に居る可能性を取っていた。

 彼女(ラキュース)らの動きへゴウン氏一行は()()()続いてゆく。彼らが同行しているのは王国側の反撃の狼煙となる大魔法への布石――補助魔法〈遠距離標的固定(ロング・ターゲティング)〉を竜王へ撃つためで、『蒼の薔薇』はそれをまず主導し助勢する役目で動いているからだ。

 アインズはソリュシャンより先程「竜王は廃墟都市の南側で反応があります。宿営地にはもう1匹のLv.80超えの竜が残っています」との報告を聞いていた。だがその事をラキュース達へ知らそうとはしない。なぜ分かったのかを問われると色々面倒であるし、もう1匹のLv.80超えの竜を見ておく良い機会とも考えた。

 ルベドはナゼかソリュシャンの言に少し首を傾げていたが、竜王への単なる関心だろうと(あるじ)はひとまず無視する。

 それより絶対的支配者は状況の変化を考える。

 

(大きな標的が一つと二つでは戦いの流れが結構変わるよな。どういう展開にすればいいのかな。ああそうだ。変に考え込むと面倒な事になりかねないし、とりあえず()()へ補助魔法を撃っときゃいいか)

 

 裏で課金というひと手間はあるが、大分(だいぶん)適当な考えにしておく。

 こういう時は細かく決めても、ずれた場合に修正が面倒になるだけなのだ。

 支配者はここで、ギリギリ(ごと)は避けたいと考えた。

 『蒼の薔薇』が低空から地上へと着陸する。どうしても、飛翔しながらでは竜の眼から目立ち過ぎるためだ。雲も多い夜中なので暗さは濃いが、連中にとって関係ない。

 宿営地から北西寄り2キロという場所で草の背の高い地へと降りた。

 遅れて来る『イジャニーヤ』達からは、1名が魔法の〈認識低減〉と武技〈肉体強化〉〈走破改〉を使い斥候として先行して付いて来ていた。

 ただ、もう仲間の元へ折り返したようで、その姿は見えない。

 ここで『蒼の薔薇』からティアとティナが、夜間で最大の有利な術となる闇渡りを使って陣内へ潜入していった。

 彼女達は20分程で戻って来る。

 そして、ティアが開口一番に告げた。

 

「もう出撃してるのか、竜王がいなかった。――でも、1匹相当強いのが増えてる」

 

 『蒼の薔薇』はエ・アセナル近郊で潜伏調査していた時に軍団構成や3頭の百竜長も確認している。それとは違う1体を見たと言うのだ。ティナも情報を続いて語る。

 

「あれは百竜長らより強そう。あと、竜兵の数も以前より数十頭規模で多いように見えた」

「おいおい、本当かよ。冗談じゃねぇぞ」

「……援軍……かしら。うーん」

「恐らくな。これは厄介になったな(私達だけじゃ厳しいぞ)」

 

 ガガーランやラキュース、イビルアイらの驚く傍で、ゴウン氏もひとまず冷静に発言する。

 

「……敵が増えたか。まあ、今慌てても仕方ないですね」

 

 整列気味で(あるじ)の傍へ控えるソリュシャン達もコクコクと僅かに頷く。

 アインズは立場的に驚くわけにもいかない。かと言って雑魚が結構増したとはいえ尊大に語るのもどうかの微妙な空気と場を読んでの行動。

 この辺りの読みは営業職で修羅場的現場の空気も見て来た強みだ。

 でも、この状況で冷静というのはそれだけで凄いということ。

 直前に炎で覆われた戦場の一方的な竜共による惨殺風景を見てきて、王国(じんるい)側はかなり土壇場的と痛感させられたはずなのに――である。

 

「へぇ(ゴウンのやつ、この状況でか。流石だな)」

「ほう(こんなにキツい状況は、嘗ての十三英雄(あのひと)らでも冷静には振る舞えないんじゃないのか)」

「「……(おっさんには興味ないけど、できるな)」」

「ゴ、ゴウン殿……(これが本物。英雄って存在はこういう人なのね)」

 

 度胸のあるガガーランと長い戦歴を持つイビルアイは感心し、特殊な趣味のティア達に続きラキュースも目を見開いていた。

 場数が違うというゴウン氏達の肝の座り方に、『蒼の薔薇』のメンバー達は彼等の大物さを改めて感じる。

 今の状況で動揺が見えないというのは、人間の枠では測れない精神性にも思える。

 本来対処できない水準の物事や相手に対し、冷静さを保てる者はそういない。

 いや――つまり十分対処出来る自信があるからこそだと。

 底知れないゴウン氏の存在にラキュース達は口許が上がった。我々の反撃は本当にすぐそこなのだと。

 対してアインズが仮面の中で一瞬戸惑う。

 

(なんか彼女等の反応が予想とズレてるんだけど。俺、大したことは言ってないよな)

 

 しかし流れを切るのも余計であるし、そのまま確認の言葉を伝える。

 

「……念のために、そのもう1体にも網を仕掛けておきたいですが」

(――っ! そうよね。私達が対処しなくちゃってもう判断してるのね。本当に流石だわっ)

 

 ゴウン氏の言葉に、ラキュースが感心しつつ頷く。そしてティアとティナへ視線だけを送り情報提供を促した。

 忍者系姉妹は、アインズへ新たな標的の竜について伝え始める。

 

「風格もだし、体が一番大きいので見た目は分かり易いはず。ここから南東へ1・5キロ程の位置に居た」

「私達は影の中から600メートルの距離で確認したけれど――探知能力があるかもしれない。こちら側を向かれたから」

「……そうですか。それだけ分かれば、後はなんとか」

 

 ゴウン氏からの自前で対処できそうなニュアンスの言葉を聞くも、ガガーランが作業を補助する行動について尋ねる。

 

「でも、そいつを(おびき)き出すような手はどうする。難題だろ?」

 

 今回事前に撃つゴウン氏の魔法がどんな形で標的へぶつかり効果を見せるのか不明な為、普通に考えれば傍へ近付く必要や魔法を受ければダメージがあり反撃される事を想像する。

 現状、集団化していた竜軍団の分散に成功気味の戦場内でなら、護衛は少なさそうで目標の竜を挑発する手も選べるが、この場所は宿営地。

 下手にハチの巣をつつけばどうなるのか結果は言うまでも無いだろう。

 上手い手を考えないと、選択を間違えば総攻撃を受けるハイリスクな一手になる。

 不安も含むガガーランの問いへ、泰然とアインズは伝える。

 

「補助魔法〈遠距離標的固定(ロング・ターゲティング)〉は、遮蔽物のない状況下で300メートル内まで接近出来れば使用可能です。放つ際も受けた側も衝撃や光はありません。自身の状態を詳しく見た時に、敵性支援が増えていると気付く程度。付加状態は長時間経過で自動解除されますが、強引に外そうとする場合は相当難しいはず。なので、あとは私がそこまで対象の()()()()()()()という点になりますね」

「ああ、そういう魔法なら……まあそうだけど」

 

 ゴウン氏の言葉は、数200の竜兵らが籠る中へどうにかして彼が入って行くという話だ。ティアとティナ達でも相当厳しいのに、大柄の魔法詠唱者の彼には荷が重すぎというもの。

 ガガーランの表情に『でも、それは余りに無茶だろ』という考えがはっきりと浮かぶ。

 それへ支配者は仮面の中でニヤけつつ告げる。

 

「では今ここで少し試してみましょう。〝蒼の薔薇〟の方々では特にティア殿とティナ殿は気配の察知に長けているとお見受けします」

 

 アインズの試すという発言に半信半疑も、ガガーランとラキュースは試しにと頷く。

 

「私はこの場から()()()()()()()()ので。じゃあ、いきますよ――」

 

 次に起こった目の前の変化に、ティア達を含め『蒼の薔薇』は驚きで言葉がしばしなかった。

 

 

 それから15分が過ぎた頃。

 アインズはルベドだけを伴い、竜王軍団の宿営地内の広い通路の中央を堂々と歩き進む。当然だが、200匹以上宿営地内に居る竜兵達に気付かれること無くだ。

 絶対的支配者が使っているのは〈上位(グレーター・イン)認識阻害(フィビット・レコグニッション)〉。

 因みにルベドは途中から〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉を実行中。彼女は主人護衛の片手間で、残すソリュシャン達を見守ってもいる。

 アインズも〈完全不可知化〉を使えるが、丁度良い実験中という感じである。勿論、油断している訳では無い。移動途中で〈無限障壁(インフィニティーウォール)〉や〈光輝緑の体(ボディ・オブ・イファルジエントベリル)〉等、五重の最上位魔法防御群を体へ付加済みだ。

 

 先程、ラキュース達の前で〈上位(グレーター・イン)認識阻害(フィビット・レコグニッション)〉を披露した折、彼女達は驚愕した。

 視界にゴウン氏を捉えられないのだ。ティアとティナですら完全に消えたと認識した。

 しかし、アインズは姿を消したわけでは無く、目の前に居るのに魔法で〝見えない〟状態へ変えていただけ。

 普段、視界には沢山の物が入るも細かく小さなものは見えていないのに等しい。〈認識阻害〉の下位の〈認識低減〉はそういう状況を魔法で強引に作り出している。〈認識阻害〉や上位版は更に強力で、派手に動いても大声で話しても存在が強く除外されるのだ。

 上位版ならアサシン系の職業(クラス)を持つソリュシャンやシズ水準でも、見落とすほど。

 唯一この中で信仰系上位の為、まやかしが効きにくい天使のルベドだけが、アインズを終始ジッと見ていた。

 ソリュシャンとシズは、ルベドの視線の先を見て主の存在を認識していた形だ。不可視化のナーベラルは魔法で二重に視覚強化することで、阻害を低減した。

 程なくアインズは魔法を解除し『蒼の薔薇』メンバーへ尋ねている。

 

「どうでしょうか?」

 

 彼の言葉は丁寧ながら最早、雰囲気へと有無を言わなさい大きな圧力さえラキュースらは感じていた。

 

「凄い……この距離で」

「完全に知覚から消えていた。……これなら近くまで行ける」

 

 ティナとティアがありのままの感想を伝えた。

 

「まあ逆の発想ですよ。竜達もわざわざ正面から来るとは思わないでしょうしね」

 

 アインズは仮面の中でほくそ笑みながらそう言った。

 なおルベドの指名はすんなりと通った。「護衛を彼女(ルベド)に」というゴウン氏の説明を聞き、『蒼の薔薇』メンバーらが〝まさかゴウン氏並みの強さ?〟と言う思考に辿り着くのは自然である。

 不可視化中のナーベラルにソリュシャンとシズは御留守番ということで、まさに盾となり至高様の御ために散る名誉な機会を外され、反論は無いが相当残念そうに見えたが。

 (あるじ)は微妙な空気を読み切り、ちゃんとここで即、「も、もちろん次の竜王の傍へ連れて行く護衛はお前達だぞっ」とフォローしていた……彼女らを護衛するのが自分になったとしてもだ。シズ達の機嫌が戻ったのはいうまでもない。

 

 ルベドとアインズが歩を進める竜達の宿営地であるこの場所は元々草原で、小さな丘が少しある程度。今は周囲を土塁が囲む。そうした中の小高い所へ竜兵達が数頭固まって陣取り休んでいる光景が続く。

 

「ふむ。(ドラゴン)達がこれだけ居ると中々壮観な光景だな……配下に多く置くのもそう悪くないな」

 

 マーレの配下にも居るものの、質は圧倒的ながら数はそう多くない。竜種系はアウラのところにもいるがナザリックでは合わせても十数匹というところ。

 主人の言葉に、ルベドは大望の竜王姉妹加入に想いを馳せてコクコクと同意し頷くが、まあその様子はアインズに見えていない。

 そうして、ルベドの探知力へは頼らず適当に道なりで進む。程なく二人はカラフルで綺麗な布を集めた山が幾つか見える開けた場所に出ると、ひときわ大きめの竜が一つの山に腰掛けている姿を見つける。

 確かに一目見て他の竜達とは違った。溢れ出ている力の波導的迫力が凄い。オーラと言うべきものか。支配者からの距離は直線で250メートルぐらいだ。

 アインズ達は奴側から見ると正面の、かなり右斜め方向の位置に立っている。少し近寄り過ぎていたが、初めて来た場所というわけで適当に歩いていたのだから仕方がない。

 幸い気が付かれていない様子にアインズが小さく呟く。

 

「あれだな」

 

 でも、巨竜は数回こちらを向きつつ小首を傾げる仕草を見せた。それは、今、布の山で視線が通らず見えにくかった通路を進んで来たはずの仲間ではと感知していた存在が居なかった事に。

 

(ふーん。探知能力は高そうだな)

 

 潜む者には敏感でも、なまじ見えている状態のため認識阻害は逆に気が付きにくい魔法なのである。

 それでも、目の前の竜は何か違和感を感じている様子。集中して凝視されると結構見えてしまう可能性を感じたアインズ。

 軽く右手を標的へ翳すと魔法をさっさと放つ。

 

「〈遠距離標的固定(ロング・ターゲティング)〉」

 

 竜王への分は即放てるように事前で課金し準備してきたが、この新規個体分への課金魔法分を5分ほど前に歩きながら準備してきていた。

 作業途中『課金が発生しますが、続行しますか? OK キャンセル』という過程もあったが、思考内でOKを選択し結構少なくなってきた金貨をデジタル数値保持している分から投入し準備完了していた。

 そうして課金済の補助魔法は、無事にLv.80超えという個体――竜王の妹ビルデバルドへと命中し付加に成功した。

 用は済んだので、アインズとルベドは『蒼の薔薇』とナーベラル達の待つ場所まで戻るべくこの場で背を向けた。

 ――次の瞬間、ルベドだけが高速で振り返る。

 翼を広げ羽ばたき巨体を浮かせた先の竜の素早い動きに気付いたのだ。奴は視界に映っているアインズへ真っ直ぐ急速で突っ込んで来た。

 巨竜が叫ぶ。

 

 

「―――こらっ、貴様はなんだぁぁ!?」

 

 

 〈上位(グレーター・イン)認識阻害(フィビット・レコグニッション)〉中も姿を捉えたられたアインズはその掛けられた大声に振り向かず、天使へ静かに呟く。

 

「私を掴め。〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉」

 

 至高の御方は油断していなかった。

 漆黒のローブ姿と気配が忽然と完全に消える。そのためビルデバルドは不審者への接近を急停止して周囲へ目を向かわせた。でも気配ごと完全に見失い、この先見つかるはずは無く。

 アインズ達は敵の動きを少しみるため転移系は使わずに、様子を暫く見つつゆっくりと来た道を戻って行く。

 そして、先程からパタパタ飛んでいて今、右肩を掴んでいるルベドへと繋いでいた〈伝言(メッセージ)〉越しに会話をする。これならお互いに体を認識出来ず、声が体外へ届かなくても会話は可能である。

 

「奴の不審な動きから私の存在看破の可能性はみていたが、動きを良く知らせてくれた」

天使(ルベド)あれば憂いなし」

「はははっ、そうだな。その通りだ」

 

 絶対的支配者達は、20分後にはソリュシャン達の居る場所へと戻り着いた。

 

 

 

 竜軍団宿営地内では、ビルデバルドの怒声と行動へ、周囲で歩哨任務に付いていた竜兵達が5頭程すぐに集まって来た。

 

「ドうされましたか、ビルデバルド様っ!?」

「……」

 

 いかに告げるべきか、そもそも伝えるべきか宿営地を姉王から預かるビルデバルドは悩む。

 何か質の飛び切り高く黒い生地を纏う者が居た。それは間違いない。

 大きさは人間程。だが、それが一瞬で消えた。

 先日この宿営地傍へ現れ、相当強いと聞いた人間共側の上位戦士……にはみえず。

 

(あの容姿は魔法詠唱者に見えたけど)

 

 一方で、ここ何度か被害を受けている、仲間達の遺体を持ち去っている神出鬼没で不届きな連中との関係は多分にあり得た。

 

(でも今、周りの竜兵達に不確定な事象を伝えて動かしても、単に混乱させる要素しかないわね)

 

 彼女は己の政治力の無さを理解しており、自分だけでの判断は危険と取る。

 竜王の妹も、これまで500年以上も種族の長代行をしており、状況判断はそれなりだ。

 一度、陣内の百竜長達や姉に報告してから総合的に対処すべきと結論付けた。

 

「ビルデバルド様?」

 

 再度の竜兵の問いへ、彼女は口を開いた。

 

「――周辺の警戒はどうか? 今の私の声や動きに反応がまだ少し遅いぞ。我々は竜王の絶大な力で圧倒的優位に闘いを進めている。だが気を緩めるなっ、分かったか!」

「「ははーっ!」」

 

 ビルデバルドは、すぐさま5頭1組の隊2つを宿営地外縁域の周回警戒部隊に追加すると、陣内に残る百竜長2頭を呼び寄せる。

 百竜長のドルビオラと筆頭のアーガードがやって来た。

 

「ビルデー様、警戒部隊を増やされましたが、何か?」

 

 アーガードの言葉に、竜王妹が先程の不審な侵入者の話を伝えた。

 

「なんと……それは油断なりませんな」

「……警戒網がまだ甘く申し訳ありません。陣内はこちらで何か手を考え早急に対処いたします」

 

 ドルビオラに続き、アーガードが案を思いついたのか責任者として長い首の頭を下げた。

 ビルデバルドは、頷きまだ残る懸念部分に付いて語る。

 

「人間の強かったという戦士は、竜王が殺した可能性もあるほど重傷を負わせていると聞く。ただそれから10日も経っている。傷を癒し終えている可能性もあるはずだ。そして、先の魔法詠唱者は無傷のままだ。つまり人間共の戦力にまだ2人以上強敵がいる可能性が残る」

 

 3人目の強敵が現れ同時に攻撃を受けた場合、今の優位はどうなるのか不明だ。

 百竜長のうちドルビオラ以外は人間勢に重傷を負わされており、鼻で笑える内容ではない。

 

「ですな」

「はい」

 

 両名とも事の重要性を理解していた。軍団には『一度でも苦戦すれば撤退』という足枷もある。

 それにつき、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグからは、竜軍団の上位で王国軍側の脅威勢を返り討ちにすれば『問題ない』という言葉を、この3名も聞いてはいる。

 しかし、戦いに――絶対はない。

 ただ言えるのは勝ち残った存在が、『力ある強者』というだけである。

 

 

「いざとなれば―――私も持てる()()を出す」

 

 

「「ははーっ」」

 

 意を秘め静かに語ったビルデバルドの言葉に、里で長年従いその意味をよく理解するアーガードとドルビオラ両名は深々と長い首を彼女へと下げた。

 

 

 

 

「そうか。〝蒼の薔薇〟とゴウンとかいう魔法詠唱者の連中が、再度空に上がって竜共の宿営地を離れるのか。分かった」

 

 再び赴いた斥候が、ティナから伝えられたというその報告に『イジャニーヤ』の頭領ティラは頷いた。

 この状況は、まだ『蒼の薔薇』との合流を意味しない。

 報告を終え、再び斥候の者は草陰へと後ろ向きに下がっていくと姿を消した。

 黒眼帯の隻眼の顔を横のティラへ向け、副官の爺が確認する。

 

「では、頭領。我々も追い掛けますか?」

「そうだな」

 

 『蒼の薔薇』が竜王への挑発行為に挑む際、不利な空中戦ではなく地上戦だという話を、王都での打ち合わせにて聞いていた。

 また挑発行為開始時前には、魔法詠唱者の一行が戦場の後方へと下がるらしい。

 ティラにすれば、当初は『ゴウンのチームってのは臆病者の連中か』とも思ったが、「竜王への反撃には膨大な魔力が必要で、それを戦場外にて精神を集中し集めるため」と聞いてはしょうがない。

 とにかく再び斥候を先行させて、彼女達は追跡に戻る。

 彼女達一団はここの数キロ手前まで、足早の軍馬が引く馬車を使っていた。だが、そろそろ熾烈(しれつ)な戦場へと入る為、小川の傍で軍馬達を馬車から解放・放棄し、今は全員荷物を担ぎ自慢の足での追跡である。

 頭領ティラの傍には本隊として爺と、『イジャニーヤ』でも上位の腕を誇る3名が付く。そこにあと、紺髪下へ「何故新参の俺が」という表情を浮かべるチャーリーことブレイン・アングラウスが入っている。

 もちろん、彼の腰へと帯びる刀から繰り出される帝国内随一ではという剣撃の凄さだけは、一団の皆が認めているからである。

 これ以外に、斥候で一人抜けているが精鋭5名組が3つ続いた。

 

 

 イビルアイの〈全体飛行(マス・フライ)〉で移動を再開した『蒼の薔薇』は()()()()()()()を目指す。

 彼女達は今、ゴウン一行を護衛してなるべく安全に目標まで導くのが役目である。

 どうして竜王の正確な現在位置がラキュース達に伝わったかと言うと――ゴウン氏より知らされたからである。

 そして勿論、ゴウン氏は『竜王についてのとても詳しい位置情報を竜軍団の宿営地内で聞いた』という事にして、ソリュシャンによる最新の探査結果に関し抜かりなく辻褄を合わせていた……。

 ただ、やはり竜王や竜兵達の得意とする戦域内の空中をこのまま進むのは、『蒼の薔薇』にとってかなりのリスクがある。

 そこでどう進むかということであるが――ゴウン氏からの新提案に、ラキュースは彼へと一点確認していた。

 

 『例の魔法は()()()()当てられますか?』と。

 

 アインズは「大丈夫です。問題ありません」と答えている。それを聞き作戦は確定した。

 加えて、ゴウン氏が敵宿営地内で掴んだという、ソリュシャンの探査による竜軍団の配置分布から『竜達は都市廃虚東方面へまだ余り攻撃していない』の話に従い、都市廃虚東側を迂回する形で空から南側を目指した。

 『蒼の薔薇』とゴウン氏らの両一行は上空100メートル程を進んでいく。

 そして王国軍の東南部戦線辺りまで来た時、前方の遠くで、飛翔する竜兵達による王国軍への一方的な地上攻撃が目に入った。

 アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』は今、局所での戦闘へ参加する訳にはいかず、火炎に追い詰められる兵達を見捨てつつフライパスするしかない。ラキュース達は、「ごめんなさい」「すまねぇ」「悪いな」と其々眉間へ皺を寄せ目を閉じた。

 イビルアイはその交戦域の手前辺りからグングンと急角度で高度を上げていく。上空で1キロ以上の高度的距離を取れば竜王の探知には掛からないというわけだ。また竜軍団側は、空中戦で人間側より優位に立っていると安心しきっている面もあり、自分達のいる高度よりずっと上空への注意度は随分低く、移動はスムーズに進む。

 仮面の魔法師側は知らない事だが、ラキュース達は『イジャニーヤ』側の斥候による追跡を王都にて聞いている。なので高度を上げる代わりに水平方向への移動速度を落としたが、残念ながらあとは斥候に頑張ってもらうしかない。

 とりあえず上空1500メートルから全長20メートルある目標の飛翔物体を探す。

 論理的には、高級宿の高層階の窓から見通しのいい庭にいる大きめの鳥を見つける程度の話で、決して難題ではない。

 ただ今夜の空は雲が多い。低層の雲というのは意外に低く、多くは300メートルから2000メートルの高さに発生している。こちらにとっては見つかり(にく)いが、標的を見つけ辛くもしてくれていた。

 高度を上げたままで一行は戦線の南東部上空、そして南部上空へと慎重に進入する。

 いつの間にか、東の地平線が紺から明るい青へ徐々に移りつつあった。

 戦場へ新たな朝が近付く。

 そしてラキュースらは遂に情報通り南部戦域の空で、地表を焦がす炎の明かりの中へ竜王隊の影姿を見つける。5頭編成の組だ。

 夜が明けるギリギリのタイミングに、王国軍兵士達の魂の光が下方より仇を照らし挙げている風にも思えた。

 ここから『蒼の薔薇』とゴウン氏一行は()()()()()()()()()()()という手段に出る。

 空中にて、両隊は決めていた簡単な手のサインで確認と了解、やがて実行へ進んでいく。

 まず竜王らへ気付かれないように高度をゆっくりと落としてゆく。

 上空1200メートル程度から急降下し仕掛けると、反撃されない場合、実質約15秒後に補助魔法はあてられるとの試算である。

 

 

 恐ろしい事にこの降下作戦は――即時開始された。

 

 

 更に先発で急降下し頭から突っ込むのは〈上位(グレーター・イン)認識阻害(フィビット・レコグニッション)〉を実行したゴウン氏一行である。

 阻害効果は発動時に手を繋ぐ者へも作用拡大を選択でき、それを利用した。

 今回も手を繋ぐのはソリュシャンとシズ。出発前に低レベル順で決めさせて貰った。

 因みに不可視化中のナーベラルも先程の約束通り当然、至高の御方と共に降下する。〈上位不可視化〉ではない為、どうなるのかという不安はあったが。

 ルベドは〈上位(グレーター・イン)認識阻害(フィビット・レコグニッション)〉でも『蒼の薔薇』に認識されない事から、初めから〈完全不可知化〉を使用していた……。なおナーベラルとルベドは(あるじ)の肩の装備を其々掴む形だ。

 こうしてドンドンと降下する……落下とも言えるアインズ達。

 さて結局、ナーベラルは〈不可視化〉の効果で姿がよく見えないというのが大きかった。

 竜王ゼザリオルグは上空から落ちて来る連中を当然感知する。

 

「……ん。こりゃなんだ!?」

「竜王様、何か?」

 

 急に上空を高く見上げるゼザリオルグへ、百竜長のノブナーガが同様に上を向きつつ尋ねた。

 

「空から二つ落ちて来るのを感じるぜ。遠い方は人間の小隊のようだ。だが――()()()()()()()()()()んだよ」

 

 竜王は迎撃せず、そう答えるに留まった。

 何故かと言えば、竜王への直撃コースで落ちて来ていなかったのである。

 至高の御方は100メートル程離れた場所を目掛けて進んだことで、攻撃とは取られず警戒より疑問や不安の度合の方を高くさせていたのだ。

 早朝を迎え、周りが明るくなり始めた上方の空を向きつつも、何も見えないという現象へ戸惑う間に10秒以上は経ってしまう。

 

「〈遠距離標的固定(ロング・ターゲティング)〉」

 

 竜王が射程内に入ったところでアインズは魔法を見事当てて、無事に仕事を終えた。

 当然、そのまま即時〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉で離脱する。

 

「――!? なんなんだ、こいつわよぉ」

 

 『見えない何か』は地上へ到達する辺りで消滅する形になり、ゼザリオルグは困惑した。

 彼女も妹同様に自身の体へ付加された異常へはまだ気付けないでいた。

 

 

 

 『蒼の薔薇』は遅れて降下したが、先着したのは彼女達の方。ゴウン氏達が攻撃された時に側面から乱入する役割で東方向に650メートル程離れた位置へ降下したのち全力前進し、距離600メートルで待機していた。しかし、竜王の隊にゴウン氏らとの戦闘行動は見られなかったため、戦場外縁側へ後退する。

 

「彼等は無事みたい。戦闘にもなってないし、流石だわ。ふう……。私達の最初の目的は果たせたようね」

「ああ。あの大人物がヘマするとは思えねぇしな」

 

 ラキュースの色々の意を含み安心したような声に、ガガーランのゴウン氏を持ち上げて相槌する言葉が続いた。

 イビルアイやティア姉妹も仮面の魔術師一行を賞賛する。

 

「ゴウン殿達でなければ、流石に今の手は成立しなかったな」

「作戦面でも高い質で色々勉強になった」

「実力の中にトリッキーな部分もあって面白い」

 

 『蒼の薔薇』としては『イジャニーヤ』との連携や竜種の空中優位面をみて、当初はなんとか地上から接近してという考えでいた。

 だが絶対的支配者としては、間違いなく面倒でしんどいという思いもあり、高い上空から急襲する『力技』を提案したのだ。

 結果も最良のものを出しており、ゴウン氏一行の見せた高度且つ勇敢極まる行動への評価は揺るぎない。

 とはいえ、難度150のイビルアイを擁する『蒼の薔薇』でなければ〈全体飛行(マス・フライ)〉が使えず、他の冒険者チームではゴウン氏一行のサポートすら出来なかったのも事実なのである。

 当代最強とも言われる冒険者チーム『蒼の薔薇』が決して伊達で無いことを彼女達は示した。

 そして、ここからが今次大戦における彼女達の本来の仕事である。

 

 ――戦場内で竜王を引き付ける役目だ。

 

 王国軍との戦闘開始から1日以上経過し朝を迎えた戦場では、これまでに煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグ1頭だけで、3000名以上の戦死者が出ていた。

 竜王の吐く火炎砲は、全力攻撃でないにもかかわらず格が違う威力を誇っており、一撃で何度も王国軍側の複数の小隊を全滅させている。

 この怪物的竜王へ『蒼の薔薇』メンバーは向かう準備に入った。

 土壇場で手に入れた希少アイテムである()()()()()()をラキュースとガガーランは身に纏う。

 一方『イジャニーヤ』の斥候は途中で、目印と共に「棘の高い昼食待つ」とメモを残していた。蒼薔薇達が高度を上げて遠めの南へ向かったと言う意味。〝朝食求む〟だと〝東の近場〟になる感じだ。

 斥候はその後も高度を上げた『蒼の薔薇』らの隊を追跡し続けた。かの者の特技は片目で上空の姿を追いながら、もう片方の目で前方を見れるという追跡のプロフェッショナルでも持ち合わせない左右非同期に視線を向けられるものだ。

 少しして斥候の彼女は、南部戦域内で外縁へと後退する途中のティア達を見つける。目印を辿って、『イジャニーヤ』の一団はラキュース達が対竜王の準備を終える頃に合流した。

 ティラが『蒼の薔薇』メンバーの明るい様子を見て声を掛ける。

 

「例の魔法使いの件は首尾良くいったようだな」

「ええ、おかげさまで。でも――ここからは相当厳しいわよ」

 

 『イジャニーヤ』の首領の言葉から温めの雰囲気を察し、ラキュースはここまで上手く事を運んでも、竜王達を絶対甘く見ないようにと釘を刺す。この後は、ゴウン氏達抜きなのだからと己へも言い聞かす様に。

 意を感じたティラが問う。

 

「……そんなに、仮面の魔法詠唱者は凄かったのか?」

 

 それにガガーランが笑いながら答える。

 

「200頭の竜達がいる竜軍団の宿営地内を歩き回って、敵さんの情報を集めて平然と帰って来る程の御仁だせ? ちょっと真似出来ねぇだろ?」

「本当か!? うーん。それは確かに……」

「それは凄いですな……」

 

 ティラに続き、横に付いていた歴戦の爺も思わぬ規格外さに驚く水準である。

 初代首領でも無理ではないかと思う潜伏行動力だ。

 また、爺が若い頃に1匹の成竜の霜の竜(フロスト・ドラゴン)に襲われ、敗走しながら片目を失ったと聞いた話を思い出し、頭領として油断した事に恥ずかしくなった。

 一団を率いる者として、ティラは厳に気を引き締め直す。

 

「確かに竜王ら上位へは楽観出来る訳がないな。覚悟して行こう――で、竜王が動いてから仕掛けるか? それとも、こちらから仕掛けるか」

「そうね。最初は用心して竜王が動いた時に隙を突いて仕掛けましょう」

「よしっ」

 

 頭領が『蒼の薔薇』リーダーへ小気味よく返事する。

 王都であらかじめ話は詰めており、もう動くだけになった。

 確認は終わった感じも、ここでティラが改めて妙な事を尋ね始める。

 

「ところで……仮面の魔法師の顔は見たことがあるのか?」

「ええ。王城で少しと、あと一昨日の晩と昨日、皆で焚火を囲んだ食事の際に。それが?」

 

 ラキュースが疑問気に返した。

 ティラは適度な理由を考え出し本題を所望する。

 

「あー、高名でもないというのなら、仮面の魔法師は若い人物とも思えるし、一方でそれだけの人物なら()()()()()年齢(おっさん)なのかと考えたりな、うん」

 

 ブレインを除き、爺達『イジャニーヤ』の面々はナゼかそっぽを向き始める。

 ティラの個人的特殊な男性趣味を知らないし、何が「うん」なのか分からないがラキュースは、いささかゴウン氏を持ち上げるように伝える。

 

「私が拝見しましたところ、ゴウン殿は金髪の立派な青年という顔立ちですわ。年齢的には……そう、そちらの()()()()()()()()()()かしら」

 

 枠外――ハズレだった。

 

「あ、そう。じゃ、そろそろ準備しないと」

 

 一気に興味の無くなったティラは、サバサバと新たなオッサンに夢と希望を膨らませつつ竜王隊へと挑む準備に入った……。

 

 

 

 

 『蒼の薔薇』達の狙う煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)は現在、王国軍の南部戦線地域内で戦闘中である。

 20分程前に竜王らは不可思議な状況に出くわしたが、10分程様子をみて特に危機もなく再び動き始めている。先程の変な状況の際、距離を置き降りて来た人間の小隊が気になり、700メートル弱東進してきていた。

 

(見えない落下物は1つの塊に感じられたが、小隊側は5体に分かれてた……見えない、だと? ……これはもしかすると消えた仲間達の死体の運び方に何か通じてないか――?)

 

 謎というものは知能の高い者が考え始めると、思わぬ方向にいってしまう場合もある。

 しかし彼女の頭には他の思考も浮かんできた。

 

(先の状況は例えば、人程の大きさの岩石を〈召喚〉し〈屈折(リフレクター)〉の魔法で表からは隠し、上空から落下させて我々にぶつけるという戦法とも考えられる)

 

 〈召喚〉を解除するか制限時間がくれば召喚物は消滅するのだ。

 5体いたのは、〈飛行〉使いを含め、それぞれの魔法を担当者別で担っていたと考えられる。

 『見えない質量攻撃』は無理なく再現できると思えた。でも肝心の命中率が悪い様子に竜王はほくそ笑む。

 

(ふっ。人間どもめ、下らん浅知恵を。そんなもので我々は倒せないぜ)

 

 竜王のゼザリオルグは、百竜長ノブナーガと竜兵3頭の計5頭により強力な竜王隊を形成していたが、腹いせもあってかゴミの様に地上へ散らばる無意味な人間共をドンドン焼き払う。

 地上からの反撃は殆ど皆無に近い。矢や槍が時折飛んでくる程度。

 竜達にしてみれば、風が当たるのと何も変わらない。鱗は傷付く様子を僅かもみせず。

 それが人類共の弱者たる水準なのだと。

 

 ノブナーガも体格といい十分強大であるが、この組の中でやはり竜王の存在は際立つ。

 ゼザリオルグの放つ通常の火炎砲は体内の造りが違う為、竜兵の数倍の威力がある。

 炎の長さや太さ、温度に持続時間の全てで脅威の水準だ。

 一つ上の火炎砲は〈全力火炎砲(フルフレイムバスター)〉。全力とあるが、百竜長級にとっての全力という水準で竜王にとっての強化火炎といえる。

 それでも人類にとっては間違いなく戦慄の一撃だろう。村や街が消え去る程なのだから……。

 その上の火炎砲には〈獄炎砲(ヘルフレイムバスター)〉がある。すでに戦略級の攻撃力といえる。

 そして竜王究極の一撃〈獄陽紅炎砲(ヘル・プロミネンス・バスター)〉も。

 エネルギーの大半は貫通してどこかへ去っているが、余波だけで大都市の大半が壊滅する程の攻撃力である……。

 更にゼザリオルグは、竜王鱗と超剛筋肉により魔法耐性が異様に高い。中位の攻撃魔法の多くで威力が大幅に減衰する。

 ついでに半径1キロに及ぶ探知能力や〈最上位魔法(シールド・オブ・リフレクツ・)反射盾(グレーテスト・マジック)〉を使いこなす存在だ。

 

 これ程の相手に、『蒼の薔薇』と『イジャニーヤ』達は今より挑む事になる。

 合流後、準備を進めつつの僅かな時間だが、ティアとティナは『イジャニーヤ』の懐かしい者達と会話を交わし懐かしんだ。爺がちょっと背を向けて隻眼をコッソリ拭っていた事に、皆気付かない振りをしてあげたりと。

 そして現在、午前5時を少し回った時刻。

 

「……(はじめます)」

「……(よし、皆、いくぞ)」

「「「「「「―――」」」」」」

 

 勇ましい掛け声は一切なく。

 両隊のリーダーであるラキュースとティラの小声のあと、無言で皆が頷く静かな出陣となった。

 総勢26名が気配を落とし消し、姿も周辺の死体すら利用して極力隠しながら一斉に進む。

 彼の者等が最初にやることは当然決まっている。

 

 竜王隊をばらすことだ。

 

 どう考えても、圧倒的な竜王の傍に他の(ドラゴン)が居ては話にならない。

 是が非でも単独にしなければ隙も見い出せず終わる。

 逆に言えば、そのための『イジャニーヤ』の連中といえる。

 丁度良い事に、ティラ達は4組であった。竜兵の数が多ければ、更に組内の人数を減らして組数を増やしてもらうところだが、慣れた現状でいけるのは助かる。

 『蒼の薔薇』のみで臨むと思っていた当初とはかなりの差だ。

 以前は、イビルアイに竜王を挑発してもらい、ラキュースら4名で他の竜兵を引き離す――そんな無謀極まるところから始める覚悟であった。

 ゴウン氏に支援魔法を求めてラキュースが必死になるのも十分理解出来るだろう。

 ただ、ラキュースはこのまま気付かれずに竜王隊の間近まで近付くのは、絶対に無理だと作戦前に全員へ説明している。

 

「――竜王はほぼ間違いなく我々の感知します。ですが、他の竜兵達はそうでもありません。ですから最初、間近へ進んでの攻撃までが一つの山でしょう。そこで――」

 

 ティアとティナ、そしてティラも手を挙げ加わった3つ子姉妹揃い踏みで偵察へ出て得た竜王隊の最新配置状態を元にして途中より組ごとに別れて、全方位より接近し接敵する。

 

 ――5匹を同時攻撃するために。

 

 手の空く竜が他を援護するのを防ぐためだ。格下とはいえ自分へ向かって来る者がいる場合、そちらへ注力してしまうものなのだ。

 『蒼の薔薇』が竜王に向かうのなら、当然、百竜長へはティラの本陣隊が対処に向かう。他の竜兵3匹へ『イジャニーヤ』の5人組3隊が向かった。

 因みに一歩早く魁で仕掛けるのは、5人組3隊である。彼等は果敢に攻撃を仕掛ける。

 一瞬でも、竜王や百竜長ら上位者の気を逸らせたところに、最大攻撃をぶつけるのが最上手。

 『竜兵達3匹は竜王より敵の接近を聞いている』という流れでの行動で『イジャニーヤ』の精鋭らは動いており、火炎砲がいつ来るのかというタイミングも計っていた。

 難度60程の『イジャニーヤ』の精鋭達は、火炎砲対策として当然集団で固まってなどいない。

 竜兵に対して正面の地上に立つのは一人だけだ。

 火炎砲にも弱点がある。それは――自分に近い感じで素早く動くものへ当てるのが難しいという点である。

 狙いを定めて首を振っても距離から火炎の先がその位置へ届く頃には、別の位置へ移られているのだ。ただまあ、上位の火炎砲はレーザー砲みたいな出力になるので時間差もなくなるが……。

 そして避けれれば地面が所々で燃えていても、難度60の者なら装備的にも火炎砲そのものを受けるよりかは全然耐えられる。

 自然とイラつく竜兵が次は降下して距離を詰めてくるのも想定済。

 こういった状況を作り、更に巻物(スクロール)の第一位階魔法〈浮遊板(フローティング・ボード)〉を利用して2人組で互いに足場とし、剣や魔法攻撃を空中側面より浴びせ竜兵を怒らせ竜王からジワリと引き離していくのである。

 ただ『イジャニーヤ』の面々も、必殺のダメージを与えるつもりで放った一撃が、頑強な竜兵の体へ余り通じないのはかなりの衝撃ではあったが……。

 竜兵達へ対する、仲間達の見事な戦闘が始まってすぐ、ティラの隊も百竜長へ挑む。

 精鋭の一人が地上正面を引き受ける間に、豪槍を構える爺はそれを百竜長へと死角から当てる。次の瞬間、空に舞う百竜長の朝日で翼から西側へ伸びた影から突如現れた爺とティラ二人の渾身の一撃。槍には紐が結ばれており、その紐の影を渡って乗り移ったのだ。

 攻撃自体は傷を付けた程度で、頑強な鱗にはじき返されてしまったが。

 人間の思わぬ攻撃に百竜長が気を取られたところへ、チャーリー(ブレイン)らは側面から切り込む。彼も今、技を出し惜しみをしている場合ではない。

 地上からジャンプしチャーリーの空中で振り抜いた神刀から放たれし〈四光連斬〉が、ノブナーガの右前足の腕の鱗を切り裂き、爪の先を2本見事に斬り飛ばしていた――。

 

「くっ。また人間共がぁ」

 

 百竜長の前足から早くも竜血が流れる。彼自身、以前5体組に重傷を負わされており、一気に表情が真剣に変わった。

 

「「おおーーっ!」」

 

 この偉業には『イジャニーヤ』の仲間達は歓声を上げた。

 

「なんだと?!」

 

 竜王も百竜長の負傷に思わず声が出た。

 総勢26体の人間共の接近には気付いていたが、ゼザリオルグは個々でみると特に高い水準でないと考え甘く見ていた。連中の連携の卓越さに加え、切断力の高い武器による武技や特殊技術(スキル)のある面々と気付き、ノブナーガの方へ目を見開く。

 彼女(イビルアイ)達は――その一瞬を逃さない。

 

「はぁぁーっ、貫けっ! ――〈魔法抵抗突破最強化(ペネトレートマキシマイズマジック)龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉ーーっ!」

「切り砕けっ、超絶剣技っ! 暗 黒 刃 超 弩 級 衝 撃 波(ダークブレードメガインパクト)ォォーーーーーーッ!!」

 

 空中の右側面からイビルアイが、地上後方からガガーランの巨大な刺突戦鎚『鉄砕き(フェルアイアン)』により打ち上げられたラキュースが魔剣『キリネイラム』を振り下ろし、第五位階級の魔法をいきなり連発する。

 見事にどちらも竜王の巨体へと直撃した。

 〈龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉は鱗上で一瞬プラズマ化した様子で閃光を上げ焦げ目を作り、竜王の左足後方では剣撃の直後に大きな漆黒の爆発が起こる。その衝撃波に煽られ一瞬竜王の巨体が前方へ少し(かし)ぎ前のめりで空中バランスを崩しそうになった。

 ティアは全力最大魔法直後で一瞬動きの落ちたラキュースを空中で抱えて全力で走り去る。

 ゼザリオルグは、体の二カ所へピリリと少し痛みが走ったのを感じた。

 

「……先日の()()以外に下等な人間如きが、俺へ痛みを感じさせるとは……テメエら、何者だぁ?」

 

 問い掛けてきた竜王へ、ガガーランが刺突戦鎚『鉄砕き(フェルアイアン)』を右手で軽々と振り回しながら挑発する。

 

「教えて欲しけりゃついてきなっ」

 

 彼女は焼け野原のような麦畑跡の中を戦鎚を肩に掛け、手招きしつつ素早く走り出す。

 竜王が、ゆっくりと空から追いかけ始める。

 計画通りに『蒼の薔薇』は他の竜兵から引き剥がしていく。状況は上手く進んでいた。

 己の強さからそんな状況にはそれほど関心がないゼザリオルグはふと気付く。目の前の者らは5体組だ。百竜長へ挑むのは6体組である。

 竜兵等へは各5体組。その中で、長時間空を飛んでいるのは目の前の連中の1体のみ。

 人間共にとって空を飛べる〈飛行(フライ)〉は高等魔法で、魔法量消費についても個人差があるらしい。低燃費で長時間飛べる者もいれば数倍の燃費を食う者もいるようだ。

 目の前の連中が先の上空から降下して来た人間達の小隊にダブる。

 

(……さっきのはこいつら……か?)

 

 彼女が半信半疑という気持ちでいた時、前方の地上を駆ける人間が顔を向けて来た。

 ローブをはためかせガガーランは200メートル程走った辺りで、後方の竜王へと更に激しく挑発する。

 

「おい、人間様を舐めるんじゃねぇぞ、竜王っ! そんな頑丈でデカい図体(ずうたい)の癖に、俺達に1頭で挑んで来る勇気もないんだろ!」

「……なん……だと?」

 

 竜王にも、心の逆鱗というものはあるものだ。

 場の空気が、一気に変わったのが分かった。竜王の身体から怒りの波導が漏れて来た。

 ゼザリオルグはゆっくりと降下してくる。ガガーランの傍へと近付く。

 仲間の死の危険を直感し、気配を抑えて距離を取り並走するティアとティナにラキュースもガガーランとの距離を詰める。何とか助けに入れるようにと。

 周りは朝日が昇り明るい状態で、竜兵等に掃討されたのか周囲には王国軍兵の死体しか転がっていなかった。見渡す限り森どころか林すらなく逃げ場はない。

 この地には死の匂いが広く重く漂っていた。

 そのヤバ過ぎる状況にイビルアイが最初に動く。

 

「――〈水晶騎士槍(クリスタルランス)〉!」

 

 空中の右側面から竜王の頭部目掛けて今度は近距離で第四位階魔法を放った。だがゼザリオルグはそちらを見る事も無く、なんと怒気を込めた翼を大きくひと羽ばたきし頑強な翼面へ鋭角に当て、あっさり斜め方向へと跳弾させてしまった。

 イビルアイもその余りの光景へ愕然し声を上げた。

 

「くっ、全く効かないのか!?」

 

 『国堕とし』と言われ自身上位になる第四位階魔法が「ぺしっ」と弾かれたのだ……。

 竜王は正に規格外のバケモノである。

 ゼザリオルグは戦鎚を握って走る人間の前に回り込むと、どっしり堂々と地上へ降り立った。

 全長20メートルを誇る竜王は前足で腕を組み巨体の高い首上から、恐ろしく強面の眼光で見下ろしつつ静かに告げる。

 

「矮小な人間め。そこまで言ったのなら掛かってこい。俺を殺せるのならな」

 

 ガガーランの、人間の女性として余りにゴツゴツした超筋肉質の体格も竜種にとっては全く気にならない。単に小さくて脆弱な存在なのだ。

 各人距離を取って潜む中、ラキュースは魔剣の柄を握りしめて悩む。

 

(大事な仲間を見捨てられるわけないわ。……でも、ここで全滅するわけにもいかない。一体どうすれば……)

 

 今、身に付けているガガーランと()()()()()の裾を気付かぬうちに思わず握っていた。

 あの怪物に通用する手段となると非常に限られる。

 イビルアイの放った先の強烈な第四位階魔法〈水晶騎士槍(クリスタルランス)〉すら全く気にしないような素振りにも驚く。

 考えられる手は、やはり『超技』を竜王の眼前に叩き込んでその隙に逃げるぐらいだ。

 無属性エネルギーの漆黒の爆発と衝撃波によって視界が5秒か10秒かぐらいは乱れるはずである。それだけあれば全力なら数百メートルは逃げられる。

 もう一回撃てる魔力量もまだ残っている。

 だが……全力でアレを撃った直後は、身体がフルでは動かないのだ。

 雑魚ならいざしらず、目の前の竜王から逃げるとなると大きな懸念部分である。

 

(ふっ。でも、やるしかないわね。いえ――キッチリやってみせるわ、私もなりたいものっ)

 

 ――英雄に。

 

 病的部分も多々垣間見えるが、彼女へ迷いはない。

 ゴウン氏にその部下達という本物の英雄を知っているのだから。

 

 仁王立ちする竜王の殺気を多分に含む迫力ある声に、ガガーランも息を飲む。

 あの絶大な戦闘力を持つ煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)を本気で怒らせてしまったのである。

 歴戦の戦士の男も失禁してしまう程の圧力に、戦鎚を肩に担ぐ彼女は晒されていた。

 

(こ、怖え……こんな圧力は流石に初めてだ……な)

 

 身体が勝手に震えていた。普段は全く感じない死の予感がある。

 ここが『死地』である。

 

 しかし彼女は――超人ガガーラン。挑まれた戦いで()()()()の『後退』の二文字は無い。

 

 刺突戦鎚『鉄砕き(フェルアイアン)』の柄を強く握り込むと、彼女は一歩を踏み出す。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて行かせてもらうぜっ、ウラァァァァーーーっ!!」

 

 正に勇猛果敢。

 彼女は戦鎚を〈剛撃〉でこれでもかと叩き込む15連の『超級連続攻撃』を眼前で仁王立ちする竜王ゼザリオルグへと見舞う。

 それも、一番痛みがありそうな、大地へ立つ()()()()目掛けてだっ。

 ガガーランは決して無謀な猪突猛進型ではない。

 既に、リーダー達が何か手を考えていると信じての、竜王の目を自分へと引き付ける派手な行動に出ていたのである。

 そんな渾身の連撃であったが、竜王は呆れていた……。

 

(なんだ、このゴミクズにお似合いの無意味な攻撃は?)

 

 自分よりも柔らかな物体で叩かれても、余り痛くないという状況である。

 その一瞬緩んだ瞬間を、ティアとティナは見逃さない。

 

「「――大瀑布(だいばくふ)の術っーーーー!!」」

 

 水が大量に竜王の両脇から噴き上がった。

 大量の水により視界が通らなくなる。ただの水なのだが、一瞬なんの液体かという不安を持つのが心理。

 この隙に、既にガガーランはローブ機能の〈屈折(リフレクター)〉を背中側へと発動展開しつつ戦鎚を体で隠し全力で逃走していく。

 更に、イビルアイとラキュースも動いていた。

 

 

「〈結 晶 散 弾(シャドー・バックショット)〉!」

「超絶剣技っ! 暗 黒 刃 超 弩 級 衝 撃 波(ダークブレードメガインパクト)ォォ!!」

 

 

 共に同時に放つ竜王の眼前へのクロスファイア攻撃であった。

 顔面への礫の雨と漆黒の爆発により、ゼザリオルグの視界が僅かにチカチカする。

 

「お、おのれ、人間共め、調子に乗りやがって!」

 

 攻撃直後、イビルアイがラキュースを空中で抱えて〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉で退避する。

 5体の人間は4方向へと去って行く事を竜王は探知した。

 勿論、『蒼の薔薇』のメンバーはこのあとの合流点は決まっている。それは、事前で状況に合わせたルールを決めてあったものだ。

 有事の際に混乱するのはありえることで、手を考えてあるのは当たり前である。

 だが――。

 

「――クズが。俺から本気で逃げ切れると思っているのか? 連中は皆殺しだ」

 

 ゼザリオルグは静かに本気を出す。

 バッと、翼を一つ羽ばたかせて浮き上がった巨体が、次の羽ばたきでその場より消える。

 ズドンという勢いで、衝撃波を残し竜王が空中を滑るように弾丸の如くかっ飛んでいく。

 

(――(えっ)!?)

 

 闇渡りも織り交ぜ走っていたティアは気配を感じた瞬間、もう上空に竜王の姿があった。

 彼女は今、己の死期を悟る。視界内に逃げ場はなかった。

 竜王ゼザリオルグは低空で見下ろしていた。

 そして。

 

「消えろ。〈全力火炎砲(フルフレイムバスター)〉」

 

 声に抑揚なく、単に弱者へと死を告げた。

 ティアは全力加速でまだ地を俊足の足で後方へと蹴り上げ必死で駆けていた。

 しかし、豪炎は無情にティアへと後方から迫っていった――――――そして、当たらない。

 突如、竜王と人間の間に透明な分厚い魔法壁が立ちはだかったかの感覚。

 

「な?」

 

 思わず呟いたのは、何故か強烈な悪寒を感じたゼザリオルグであった。

 次の瞬間、竜王は幻の中のように人間の姿を見失っていた。

 

 

 

 ティアは意識を保ったまま、周りに何の気配も掴まれた感覚もなく風景が一瞬で変わったのを理解し立ち止まる。追手の竜王の姿もここにはない。

 夢ではないが、完全にミステリーである。

 イビルアイが使う〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉に近いが、移動距離はずっとある様に思えた。

 状況が全く分からない。でも、命が助かったことだけは確かだ。

 ここは竜王の追って来たほぼ反対側約1・5キロのところであったが、ティア自身は知らない。

 でも、近くにラキュースとイビルアイの気配を感じた。彼女はそちらへと向かう。

 

「……お疲れ、鬼リーダー」

「あ、ティア。無事でよかったわ。でも――態々こっちに来たの?」

 

 集合場所はここではなかったので、当然の疑問である。

 忍者娘は上手く説明できないのでとりあえずの言葉を返す。

 

「まあね。それより早く動こう」

「そうしましょう。他のみんなの方も気になるし……(でもどうしよう、次……)」

 

 毎戦、一か八かで運も続くと考える方がおかしい。歴戦の彼女らは一番良く知っている事だ。

 陰鬱な思いはラキュースだけではなかった。ティアやイビルアイ、この場にいないガガーランとティナも同じこと思っていた。アレは空飛ぶ不落要塞であり、何度も時間稼ぎ出来るような相手ではないと。

 『蒼の薔薇』メンバーは、なんとか旧エ・アセナル以来のセカンドインパクトには生き残った。

 だが、彼女達にとってやはり竜王は強すぎる相手だと再認識する。

 無謀と勇気は全く違うものだ。ここからは後先考えず死ぬだけの方がずっと楽に思えた。

 それでもラキュースだけは諦めずに考えている。

 死ぬかもしれない状況に負けず自分を信じ、生きて戦い抜けるのが本物の英雄なのだ。

 

 そして、彼女達の任されたこの仕事はまだ開始されたばかりである――。

 

 

 

 この時、アインズ一行はまだイビルアイ達の周辺にいた。

 絶対的支配者らは先の〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉で『蒼の薔薇』と分かれたあと再度1500メートルの上空へと移動している。

 現在、防御対策した〈千里眼(クレアボヤンス)〉と〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉を数枚使って先程から状況を見ていたが、結果は支配者の予想範囲内だ。

 

「どうやら、連中は何とか生き残ったか。それに……(あ、俺は忍者娘の姉妹を殺……)後方から追って来ていたのは、()()()忍者娘の姉妹の関係していた組織のようだな」

 

 支配者は非常に危険な選択を回避していた運を感謝しつつ、知ったかぶりの言葉を混ぜておく。

 アインズも、王国内全ての組織を把握しているとは思っていない。ナザリックの集めた最新の情報によれば、王国の総面積は10万平方キロを超えており、穴はある。

 

(ルベドめ、教えてくれてもいいだろ……)

 

 彼女は意図して動いてる訳ではなく、天然で緊張感ある良き関係が好みらしい。刹那感や破滅的な判断を楽しむの精神は一体どこから来たのやら。強すぎるという事は退屈ということにも繋がっている影響かもしれない。今も主人へニッコリと信頼感のある笑顔を浮かべてくれているけれど。

 

 それを示すが如く先程、忍術使いの娘が竜王に急襲され上空を取られた絶望的場面で支配者は、鋭い――いや殺気にも近い視線を近接前方より感じた。

 当然天使からだ。『見殺しはメッ、助けるべき』と。

 彼は狂気へ全く気付かない風に「仕方ない」という感情も見せず仮面越しで平然と告げている。

 

「ふむ。ここまで折角のお膳立てが無駄にもなるな。時間の無い仕事だぞ、ルベド」

 

 『蒼の薔薇』はいずれ負傷脱落してもらう見積もりとはいえ、今はまだ早い。王国側全軍への影響も考えれば後にすべきだろう。また絶対的支配者が時間を割き、森の中の訓練にも付き合い2日程行動を共にした連中でもある。不可視化解除中ながら、僅かに『人間(ムシ)ごときは』という目を細めたナーベラルや一度瞼を閉じたソリュシャンにシズ達も軽々しく文句は口に出来ない。

 会員天使としては「姉妹達が貴重で愛おしいから」と敢えて口にしない主人(アインズ様)は素敵と、ニヤリとして一瞬だけ消えて仕事を熟し――速攻で帰って来た。

 悪魔のような天使と言うべきか……。

 

 さて、そんな余興的一コマ風景は過ぎ、『蒼の薔薇』達の現状と周辺の話である。

 竜王はあの忍術使いの娘を見失った辺りでしばらく呆然としていた。その様子は、色々な事を考えている様に見える。

 一方、『蒼の薔薇』へ協力する組織の4組は善戦していた。傷を付けることは出来ている。

 しかしそれでも竜兵の1匹も倒せず。攪乱(かくらん)が手一杯の模様。

 百竜長を受け持っているチームが竜兵へ当たれば違うだろうが、逆にその替わり百竜長へ当たる組で死者が出る可能性もあるのだ。

 そう上手くは回らないのが世の中というもの。

 『協力組織』は無理な対決にはせず、竜側の攻撃を何とかいなして戦い続けていた。百竜長へは忍術使いと刀使いが上手く、常に挟み撃ちの形で機能しており、時間稼ぎなら十分に可能の様子。

 竜王からの引き剥がしは結構上手く機能してみえる。

 残る問題は、竜王へ対しての『蒼の薔薇』の今後の対処だろう。

 毎回ルベドを張り付かせて使う訳にもいかない。

 

「〝蒼の薔薇〟の戦力が全然足らないか。ふむ(どうしようかなぁ)」

 

 それは、映像を見ていたここに居る全員が思った感想だ。

 実は同じ問題を緩和する為、東部方面には2時間余り前から()()()()()()を既に投入している。竜宿営地からの飛行移動途中にGOを出してだ。でも、それをこちらへ配置する訳にもいかない。

 ここで手を挙げる者がいた。ソリュシャンである。彼女の思考視野は広いと分かる。

 

「あの、アインズ様。お気付きとは思いますが、一つ具申してもよろしいでしょうか?」

「なんだ? 申してみよ」

「はい、では。現在配備中ながら、戦闘域にまだ遠いところの戦力を動かせないでしょうか?」

「ふむ(いい案じゃないか)、それも一応()()()()()()()

 

 ソリュシャンが意見で示したのは、王都内のゴウン屋敷へ配備中の奴か、戦士長の護衛のユリに付けたハンゾウの事に思える。

 『六腕』達が王都内にいないので、ハンゾウを外すとツアレ達の残るゴウン屋敷関連の護衛は随分手薄になる気もする。

 一応、王都側への竜軍団接近時の守りも兼ねて、偽アインズ達が下がる後方とは王都北部側だ。

 そこに、〈幻影〉でルベドを模したシャルティアも配置するので、防衛戦自体は強固だろう。

 でもゴウン屋敷関連に限れば守りは手薄。また変な貴族が他にも現れるかもしれない。

 

(……一度あったことは、2度あってもおかしくはないしなぁ)

 

 そう考えて、支配者は結論を述べる。

 

「では、ユリに付けているハンゾウを一時、弱い連中の援護に回そう」

「――畏まりました」

 

 しっかり返事をしてくれたが、刹那の間とソリュシャンの微かに泳いだ目の動きは事実。

 どうやら、ゴウン屋敷へ配備中の方を動かして欲しかった模様だ……。

 よく考えれば姉への防御の手を弱めて欲しいはずがない。

 だが、主から結論が明確に告げられており、戦闘メイド達は従うのみである。

 ソリュシャンは些かユリへと申し訳なさそうに、〈伝言〉で絶対的支配者の指令を伝え始めた。

 

 朝6時を前に6時間サイクルの攻撃を終え、竜王の声を受けて百竜長達も後退していった。

 『蒼の薔薇』と『イジャニーヤ』達は、疲労や魔力の回復で休憩を長めにとり午前9時を過ぎた頃、また竜王隊探しから始める事になったが――()()()()()が連発する。

 一つ目は、竜王の目撃情報。

 ラキュース達は情報を、広域にカバーする王国軍から一応提供されている。だが、混乱を極める戦場内では中々難しいのが実情のはず。ところが、彼女達が訪れると情報が届いていた。顔の表情がハッキリと見えない、伝令だという一般兵から……。

 そして、遭遇した竜王隊から『イジャニーヤ』達が百竜長らを引き付け、『蒼の薔薇』が竜王との挑発的戦いに再び臨んだ時も。

 ただこの時、ラキュースは竜王への戦法を上手く考えて変えている。

 正直、脚力では竜王の動きからは逃げ切れないという問題から手を付けたのだ。

 逃げ切れる方法はただ一つである。

 イビルアイの〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉を使うしかない。

 流石に、竜王でも転移系よりも早くは飛べない模様。

 イビルアイは上位魔法を封印し、移動面を重点的に引き受ける。そしてラキュース達が交互に同行して攻撃するという戦法へと切り替えた。

 それでも、稀に危機的な場面も存在したが、その都度ミステリー的な攻撃が起こり、竜王は決定的瞬間を逃し続けたのである。

 故に竜王ゼザリオルグのストレスは、凄まじいものになりつつあったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 低い空の場で、1頭の()()と連続して激しく剣を打ち合い続ける、人の小さな姿があった。

 時折着地しつつ、炎を時には避け剣で凌ぎ、上空へとジャンプして果敢に挑む。そこから両手二刀で闘う凄まじい様子を、周りの人間達が固唾を飲んで見守り続ける。

 もし彼が殺されれば、次は自分達が死ぬ番なのだと多くの者は知っていたから……。

 (ドラゴン)が強い事など分かり切っていた事。

 それでも伝説に誇張があるものと、愚かな弱者らは考え挑む。

 程なく、オリハルコン級冒険者達の武器と腕力ですら、空を舞う奴らが(まと)う頑強な鱗と剛筋肉の身を切り裂き倒すのがかなり厳しい現実に、やはり伝説的生物だと人は痛感し落胆した。

 だが――。

 皆の暗い空気を裂いて抗うように目の前で今、人の振るう二本の大剣と竜の両腕の爪が火花を雨の如く激しく散らせていく。

 鎧姿の彼は冒険者であるが、驚く事にアダマンタイト級でもオリハルコン級でもそして、ミスリル級ですらないそれ以下のプレートが首から下がっていた。

 間もなくその決定的(とき)が来る。竜の腕が弾かれ肩から胸元までのラインが見えた。

 

「――むんっ」

 

 

 ()()()()()は、グレートソードをへし折りつつも十竜長の剛体を真っ二つにしていた――。

 

 

「おぉーーっ、モモン君っ、流石だっ!!」

「やりおったな、すごいぞモモン殿っ!」

 

 分単位で数多(あまた)の命散る激しい戦場の中、モモンの偉業を見た瞬間に、彼の後方で剣を構えていたアインザックと攻撃魔法を撃つ準備をしていたラケシルの両名は思わず興奮し拳を握り我鳴(がな)った。

 漆黒の戦士は、折れた剣を着地の前に放ると手にするもう一本のグレートソードを天へと掲げ、眩しい日の光を赤いマントの背に浴びて、討ち取った竜の横へと立つ。

 周辺にいた王国軍兵達やオリハルコン級冒険者らも、おとぎ話で読んだままの冒険者の雄姿へ大歓声を上げていく。

 

「「「ウオォォォォーーーーーッ!」」」

「凄いっ、モモン殿!」

 

 ただ、()()()()()()を上空に舞いつつ見詰めていたマーベロは顔色が宜しく無かった……。

 

「あぁぁ、モモンさん――(パンドラさん、マズイです。目立ち過ぎです……)」

 

 (ドラゴン)相手に無双してみせた、漆黒の戦士モモンとは一体何者なのか。

 その名が戦場に轟いた出来事は、戦闘が始まって2日目の朝のことであるっ。

 

 

 リ・エスティーゼ王国ヴァイセルフ王家の直轄城塞都市エ・ランテル冒険者組合所属、白金(プラチナ)級冒険者チーム『漆黒』。

 チームリーダーは、巨躯に巨大なグレートソードの二刀流を使う〝漆黒の戦士〟モモン。

 他のメンバーは純白のローブを纏う小柄な褐色の美少女で第3位階の魔法詠唱者(マジック・キャスター)マーベロのみ。

 まだ2人組というのは、組合加盟からひと月と少しということもあると見られている。

 噂だと、南方出身で歴戦の戦士の彼がそこでマーベロと出会い、王国東部へやって来たとの話。

 彼等の名声については『銅級からの4階級飛び級』の実績、『竜王国救援話』という大仕事の伝達者、『王都冒険者大宴会での余興』のネタ話により、王都で上位冒険者を中心に知られる。

 しかし戦場へ移ると結局、多くの冒険者達にとっては戦局を左右するという反撃にからむ魔法詠唱者『アインズ・ウール・ゴウン』の噂の広まり方が自然とかなり大きくなっていた。

 原因として、組合の記録上でのモモンの実戦闘における力量について目にしたのは、カルネ村の帰路のンフィーレアと、エ・ランテル西方で夜中に盗賊団に襲われた際の『漆黒の剣』とブリタだけというのも大きいだろう。

 エ・ランテルの冒険者組合長と魔術師組合長が見たのはあくまでも模擬戦でしかない。

 

 つまり――『漆黒』が、多くの者達へと実戦闘を示すのは今回の戦場が初めてという事になる。

 

 それでも、アインザックとラケシルは模擬戦の様子から彼等の実力を確信していたが。

 

 

 『漆黒』のモモン達の担当地、東南部戦線は主に旧エ・アセナルと大都市リ・ボウロロールを結ぶ大街道の北側域を指す。この辺りは竜王軍との戦闘が始まって1日目は平和な戦域であった。

 しかし、王国軍側の時間稼ぎ戦術でも戦闘域は東へジワジワ広がっており、開戦から丸1日が過ぎて午前3時半を少し回った頃、激戦地の南部戦線から東南部側へと竜の兵が現れ始める。

 直ぐに王国軍兵士らと戦闘が散発的に起こり徐々に拡大。そこから2時間弱過ぎていた。

 既に午前5時前から朝日が昇って明るい。

 マーベロは支配者から昨日、2回〈伝言(メッセージ)〉による状況確認の連絡を貰っていた。

 1回目の連絡は昨日の午前3時辺り、2回目は今から6時間半前の午後11時頃だ。1回目は開戦の少し後の混乱時。2回目はアインズ一行がラキュース達と森を離れ出撃する前のタイミング。

 最初の連絡時、まだ竜軍団の攻撃の明かりから距離があると支配者はマーレに聞いた。しかし、2回目では間近での戦闘に変わっている。

 その時も冒険者組合長らが周辺へ居たことで満足に話せない状況であった。

 

『アインズだ。マーレ、聞こえるか。1日経ったがどうか?』

「…………モ、モモンさん、大きい炎が近いあちらの北方向にも竜が1匹見えます。距離は500メートル程でしょうか。この10分で3匹目です。この様子だと、あと数時間でここまで竜が来そうに思いますが?」

「はは、マーベロ君も、流石に少し緊張してきたかな。まあ大丈夫だぞ。普段通りでいいんだ」

「あ、はい……」

 

 アインズに対し「モモンへの確認」風で状況を伝えていたが、普段無口なマーベロが話すそれをアインザックは戦場での緊張と取った様子で話し掛けた。

 ラケシルと共に二人からすれば、自分の娘達と被る姿もあり何かと気を使ってくれる。

 それはモモンがマーベロを何となく保護している感じに見えていたこともある。

 モモンの〝女〟となれば、そういった事は出来ないが。何か少し違う純粋さが見えていた。

 絶対的支配者の方もアインザック達の会話までは聞こえてないが、王都での食事風景などの様子から小柄なマーベロを見守る空気を窺う事は出来た。

 

「大体の様子は分かった。予定通り、様子を見て()()()()()()()()()頼むぞ。大きな動きがありそうなら知らせてくれ」

『(は、はい)』

 

 支配者はその時もマーレの普段の可愛い声を聞き終えて〈伝言(メッセージ)〉を終えた。

 しかしアインズもまさかこの(あと)、マーレ側から変異の通信を貰うとは殆ど予想しておらず。

 

 そして――午前5時34分を迎える時分。

 

『あ、あの(アインズ様)、マーベロです。聞こえていますか、今、大丈夫でしょうか?』

「私だ。問題ないぞ」

 

 何やらマーレの声がいつもと少し違ったのだ。本当の緊張を僅かに感じさせたが、とりあえず応答する支配者。

 現在、『蒼の薔薇』のいる場所に近い南部戦線の上空で佇む至高の御方の傍には、ルベドやナーベラル達しかおらず盗聴の危険は一切ない。

 (あるじ)の了解の声に、東の地平線近くに朝日が輝く東南部戦域現地の低空から、偽モモンを見下ろす形のマーレが率直に伝える。

 

 

「大変です。――パンドラズ・アクター(モモン)さんが加減を間違えたのか、戦場で目立つ中、いきなり竜を真っ二つに切ってしまって……周囲の大歓声の中で唖然と立ち尽くしてしまってます」

 

 

「……(おぉぅ)……そうか」

 

 ナザリック地下大墳墓を率い『世界征服』や『新国家建設』を目指す絶対的支配者として、とりあえず泰然と返したアインズだが、続きの言葉を待つマーレに何か返さなければならないと必死に考える。

 また、偽モモン(パンドラズ・アクター)がなぜ今の状況になったのか。

 もしかすると(ドラゴン)側が()()()()という気もする。

 モモン達は、以前から持ち場で百竜長を相手にするという話をパンドラズ・アクターも聞いており、事前にLv.45程度の戦士辺りの力で立ち会った可能性は十分ある。相手が格下の竜だったとすれば、結果は順当と言える。

 

(でもまずい、マズいぞー。他の都市のオリハルコン級冒険者達と適当に流して最後辺りに1、2匹を苦戦してやっとぐらいで……と言っていたのに、いきなりか。まあ、戦闘部分でアイツと交代したのは初めてだからなぁ。ええっと、まずこれ以上別の竜は極力斬り殺さないように伝えて、その場での言葉としては、うーん――)

 

 だが同時に、今色々山ほどマーレに伝えてアレ(パンドラズ・アクター)を指導させるのは状況的に難しくかなり酷に思えて来た。更に一方で。

 

(いや、待てよ……アイツ(パンドラズ・アクター)は優秀と周りから聞くんだけど。もしかすると、アイツなりの考えがあるのかな。でもなぁ……任せて大丈夫か、それとも()()()()()に行くべきか……)

 

 最近自主的なNPC達の動きから、配下達の行動をどうも一概には否定出来ない。

 湧き上がった迷いと息詰まり感を胸に、仮面のアインズが言った。

 

「マーレ、私が不可視化で今からパンドラズ・アクターの傍へ行く。そこで〈時間停止(タイム・ストップ)〉だ」

『は、はい』

 

 通話を切ったあと、空中で周りへ浮く形の皆へと告げる。

 

「お前達は、この場で待機だ。私はマーレの所へ少し用がある。何かあれば知らせよ」

「「はい、畏まりました」」

「分かった」

「……了解」

 

 支配者と手を繋いでいたソリュシャンとシズは、ナーベラルと手を繋ぐことで空中へ留まる。

 各自で〈飛行(フライ)〉の巻物(スクロール)を使えばいい気もするのだけれども。

 プレアデス姉妹の仲良く手を繋ぐ光景に、無論ルベドの口許がニヤニヤしていた……。

 一瞬、闇妖精(ダークエルフ)姉妹の位置なら詳しいルベドに送って貰う方が早いと思いつつも、絶対的支配者は天使の様子を見て自前で移動する。

 

「ではな。〈不可視化〉〈転移(テレポーテーション)〉」

 

 余裕はないはずながら、同好会員へと貫録ある行動を示すアインズであった。

 『蒼の薔薇』と飛行した際に近くを飛んでいたので〈転移〉は可能である。他者の居る中で偽モモンの傍へ寄るための配慮も忘れない。マーレなら不可視化も感知することが可能だ。

 アインズは東南部戦域の上空へ現れていた。そこから地上へ1つ有るはずの目立つ()()()()を見つける。その際、目的地付近の光景に少し驚きつつ再度〈転移〉した。

 周囲に竜兵は遠く、偽モモンを中心に冒険者の部隊が竜との激戦を制した様子を見に、竜の死骸の傍まで近付いて30人程集まり始めていた。事後2、3分というところだ。

 近場に陣取る王国軍で持ち場を一時外れた兵達や小隊であろう。男爵という全身甲冑の貴族士官もいてラケシルへ走り寄り話し掛けていた。

 その最中、絶対的支配者が偽モモンの傍へ現れた瞬間、先程から傍へと降り立っていたマーレが第10位階魔法を掛けてくれる。

 

「〈時間停止(タイム・ストップ)〉。――ア、アインズ様、申し――」

「待て、マーレ」

 

 時間が完全に止まった空間。

 不可視化を解除し現れた(あるじ)への第一声に、現場責任者としてマーレは言い訳せず、頭を大きく下げようとしたが――絶対的支配者にそれを大きなガントレットの手で止められて、撫でられる。

 マーレは素直にじっと待つ。頬を赤らめ頭の撫でを受けつつ。

 パンドラズ・アクターはアインズ直属の配下。責任があるとすればアインズは自分のはずと考える。でもマーレはそれを見通しての行動とみた。怒れるはずもなく可愛いすぎである。

 撫でを続けつつ、アインズは偽モモンのパンドラズ・アクターへと本題を尋ねる。

 ただし、言葉には深い読みの支配者のイメージを添えてだ。

 

「お前、これは当然――考えがあってのものだな?」

「勿論であります、()()()創造主様。本作戦上官のマーレ様には戦闘の中で相談する機会と間がなく、大変申し訳なく思っております。ですがこの機を逃したくなかったものですから」

 

 単純なミスとかではなく、支配者の予想していた意図的な行動だった模様。

 

(創造主様、いえ父上っ、私は嬉しいです!)

 

 我が行動への意味があると読み取ってくれた事に埴輪調の表情ながら内心嬉しい軍服NPC。

 対して支配者はパンドラズ・アクターの言葉の中から、何が狙いかを推測する。軍服のアイツへ気を使う必要は余りないが、マーレには知者、遠謀の支配者として振る舞う必要が有るのだ。

 

(この機を、とか聞いたけど竜を倒せる機会は何時でもあると思うし……情報が足りないなぁ。 ん? ここに揃うのは竜の死体に一般兵士や貴族士官……組合長や上位冒険者達……なんだろう)

 

 〈記憶共有(シェア・メモリー)〉すれば、全て埋まるがそれでは威厳を示せない。 

 その前に一言、見せておかねばならない。

 一つハッキリしているのは『名声を上げる行動だった』という点だろう。

 

(今、名声を上げる。この機に名声を上げる……うーん)

 

 アインズとしては、この苦戦の酷い戦況の中で名声を上げたら、面倒事が増える事しか思い浮かばない。

 最も有名な冒険者チームの一つの『蒼の薔薇』でさえ苦戦している状況。

 

(って、あれ……。そう言えば組合長達はなんでもう戦っているんだ?)

 

 確か、モモン達のいるこの部隊は、オリハルコン級冒険者主力のために百竜長担当と告げられている。

 アインズには百竜長の居場所も配置分布で概ね分かっており、東部側には居ないはずである。

 仮に竜兵らと戦えば、オリハルコン級冒険者ならいい勝負は出来そうで……と死体をみるが激しく戦った正面の傷に対して後方部はかすり傷がチラホラだけに見えた。

 アインズは、撫でていたマーレから漸く手を離すと、一点だけ尋ねる。

 

「マーレ、この竜のレベルはいくつだった?」

「え、えっと、Lv.47でした」

「――そうか、(なるほど)やはりな」

 

 どういう経緯でアインザックが戦いを始めたかは知らないが、オリハルコン級冒険者達では

Lv.20台の(ドラゴン)ならともかく、本来次元が違う相手だろう。

 たとえ、先程より投入したナザリックのNPCの効果が出ているとしてもだ。

 竜長級の上位に対し体力を下げて精彩を欠かせた状態とは言え、パンドラズ・アクターが動かないと、苦戦状況から抜け出せず間違いなく死者が出ていたと想像出来た。

 まあ、マーレなら殿(しんがり)で一人残っても第三位階魔法の10連射が可能で、逃げ切れたような気もする。流石にLv.40台の竜でも〈雷撃(ライトニング)〉や上位の〈雷撃の矢(ライトニング・アロー)〉の大連射はイヤだろう。

 絶対的支配者がパンドラズ・アクターへと告げる。

 

「私の予想通り、膠着した戦局を打破する機と名声を上げる機が揃っていたという訳だな。確かに、状況をみれば私も同じ手を打ったかもしれないな」

 

 細かい事を言う必要はない――ボロが出るから。

 

「そうなんです。その通りでございます、創造主様っ」

「あぁ、そういう事だったのですかっ!」

 

 二人はナザリック地下大墳墓の絶対的支配者らしい言葉を聞いて喜んでくれた。

 特にマーレの目は乙女にキラキラと輝いて。

 そのあと、直ぐに「一応合わせておくか」と告げてパンドラズ・アクターと此度の件の部分を先行して〈記憶共有(シェア・メモリー)〉する。今回は軍服のNPC側からモモンの情報を貰うだけであり、アインズの記憶は奴へ流れない。

 なお共有時に、パンドラズ・アクターが名を上げた偽モモンの今大戦内での乱用を防ぐ手すら考えている事に関心したのは秘密である。

 共有が終ると〈時間停止(タイム・ストップ)〉の制限時間が近付き支配者は告げた。

 

「ふむ、では私は向こうへ戻るとする」

「えっ? パンドラズ・アクターさんと入れ替わられないのですか?」

「ああ。同じ考えでも実行したのはコイツだ。こんなイイ場面だけ奪ってはよくあるまい」

 

 正にこれから漆黒の戦士モモンが皆に賞賛される場面なのだ。

 主の言葉へ軍服のNPCも少し驚き気味に見えた。

 

「――私は次の機会でいい。上手く頼むぞ。〈魔法遅延化(ディレイマジック)〉〈転移(テレポーテーション)〉。ではな、時間停止を解除しろ」

 

 支配者が消える前に、偽モモンとマーベロは時間停止の補助魔法〈姿勢復元(ポーズ)〉で位置と仕草を直前へ戻して停止を解除した。

 アインズは去り、モモンとマーベロは時間の中へと動き出す。

 戦士モモンとチーム『漆黒』は周辺の戦場にいた皆に賞賛と祝福された。

 部隊リーダーのアインザックに勧められ、モモンは鱗と共に竜眼の水晶体を切り出し掲げる。

 

「「「「オオォォーーーーッ!」」」」

 

 戦場で僅かな今の時間、王国軍兵の勝鬨がこの周辺にだけ響いていたという。

 東部方面で戦う王国軍兵や各階級の冒険者達の間で、少しずつチーム『漆黒』と『漆黒の戦士』の名声は温められていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. アインズの出陣前の御挨拶

 

 

 アインズは出陣に際し、当然王都にて()()()()()()()者達への挨拶を行っている。それなりに。

 

 反国王派のボウロロープ侯爵とリットン伯爵へは、例の散々催促された『六腕』らとの深夜会談報告文書に『本来ならば足を運び挨拶したきところも、相互関係の秘匿を優先し出入りは最小にすべきと心得る。失礼ながら、この八本指の戦力との協力合意を以て出陣のご挨拶とさせて頂く』と書き記していた。

 相手を思えば、元々面倒なのでこういうもっともらしい扱いにしている。

 対して王城では、出陣する国王の顔を立て、本人と彼の長男である第一王子への挨拶へと(じか)に赴いている。宮殿での待遇には十分満足していたので、この辺りは表の律儀者の立場を守る意味でも元営業マンとしても筋は通しておきたいとの鈴木悟の持つ性格から来ているのだろう。

 後、非公式ながら国王出陣後の王城の(あるじ)代行になった第二王子へも一応と言う形で会いにいったが、僅か1分程の滞在と例の如く「客人の来訪は覚えておこう」で終わっている。

 レエブン候へは一度挨拶をしておきたいところであったが、()の御仁は表面上反国王派。王都屋敷へ乗り込んでもいい顔はされない気がし、支配者は敢えて動かなかった。

 

 

 

 そしてアインズは、もちろん情報面で世話になった王女達へも直接出発の挨拶をしている。

 ただし必然と言おうか、非公式すらも通り越して秘匿的にでだ。

 第二王女ルトラーへの挨拶は、国王執務室での挨拶時にランポッサIII世へ申し出て「手短にの」と釘を刺されつつ、宮殿へ戻ってユリへガゼフの願いを伝えたのち特別にさせてもらっている。

 支配者は、5分程の時間差で宮殿へと現れた復帰直後の大臣に連れられ3階から5階へ。そして大臣から呼ばれた()()に先導されて、アインズは国王の居室奥に隠されている第二王女の部屋へ入室する。

 この時、室内には()()の他に表向き笑顔を浮かべている若い使用人の娘が2名いた。帯剣していないが、無手による格闘戦の嗜みはありそうな者達だ。貴族の令嬢なのだが、視線の動きが一般人よりも少し素早く映る。

 カンストプレイヤーがその差を分かるという事は、一般的人間とはかなり差のあるということ。

 姫に対し国王が機密性も含めた上で相当配慮しているのが窺える。下級の貴族程度ならこの部屋の事実を知れば命がないと思わせる程。アインズは約定があり特別である。

 この世界で、弱者が大国の王を敵に回すということは、間違いなく三族までの死を意味する。

 残酷さと血にまみれた執拗な根絶やし的処刑のはず……恐ろしい。

 まあ、強大な絶対的支配者(アインズ)には関係のない事象であろう。いや、施す側か。

 それら周りへ控える怖い傍仕えの者に、気を使わない笑顔が一つ室内に咲く。

 長く伸びる金髪が揺れて、第三王女の目の青よりもっと緑に輝く瞳が見詰め、形良い鼻の下にある可愛い唇が動き、優しい声が部屋に流れた。

 

「いらっしゃいませ。ゴウンさま」

 

 心にラナー級の黒さがない為か、ルトラーの純粋な美しさはアインズにも危険な水準である。

 そんな彼女の部屋は、真っ白な壁と天井以外が本当に真っ黒い室内である。窓枠すらも黒だ。

 黒き絨毯の上を王女と同様に黒系の好きなアインズが、部屋の左右へ目を向けて感嘆しながら進む。

 

「どうも、ルトラー王女殿下――素敵なお部屋ですね。黒が見事で美しい」

 

 自然と支配者からはそんな感想が湧いてきた。

 近い未来に(つがい)の約定を交わしている間柄とはいえ、あくまで仮であるし二人きりでもなくこの場はまだ〝殿下〟付けにしている。

 

「(キャッ、くぅーーーー)まぁ。嬉しい……」

 

 黒の車椅子に腰掛ける漆黒のドレスのルトラーは、真っ黒いレースの長手袋の手をラナーよりも豊かな胸の前で合わせた。

 この様な趣味の合う言葉を語る(おのこ)を彼女は純真に待ち焦れていたのだ。

 王女は本当に満面の笑みと美しい瞳をキラキラとさせ、()()()()()()()へと向け大いに喜ぶ。

 全ての色を完璧に塗りつぶせるのは黒のみだ。最強であるっ。決して暗愚な色ではない。

 

 紛れもなく絶対的支配者に相応しい色合いなのである。

 

 ルトラーは「こちらへ」とゴウンさまを自ら招く。

 奥の黒革のソファーへと(いざな)う。アインズが腰掛けると向かいへ王女自身の手慣れた手付きで車椅子が止まる。

 支配者は評議国での礼を先に述べた。

 

「先日聞かせて頂いたお話により上手く行きそうです。感謝します」

「いえ、私でお役に立てて嬉しい限りですわ」

 

 二人が挟む眼前の大きめのローテーブルすらも黒檀系の木材でブラック。そしてお茶セットの陶磁器も金の装飾はあるが、カップもベースは漆黒焼きだ。

 使用人が入れてくれる注がれたお茶も『黒茶』と呼ばれる茶墨のような色である……。

 凄まじく『黒系』が徹底されていた。

 仮面からゴウンさまの驚く表情は見えないが、全身からは感情が伝わって来る。

 そんな彼をルトラーは楽し気に眺める。

 1年先とはいえ、彼女の目の前の人物は高尚で貴重な趣味を共通する伴侶となる者。

 今も見せてくれる、自分のこの不自由な身体を気にする風のない彼の様子も大きく好感度を上げている理由の一つだ。

 また、間接的にはなるが彼のお陰で、我が身が王家に貢献できる事も内心で凄く感謝していた。

 時代的にみれば、彼女のような身では家の恥にもなり大半が屋敷の奥で、無駄に生かされ老いさらばえさせられて静かに世を去るべきところである。

 概ね無価値な自分(ルトラー)へ、彼は大きな意味を与えた上で妻に貰ってもくれるというのだ。

 何を返せるか分からないが、末永く献身的に努めたいと彼女は考えていた。

 その熱い気持ちの全てが、純粋に目の前の仮面の紳士へと向けられる。先月の上火月(かみひつき)(7月)の日に双子の妹ラナーと16歳へなったばかりの、王女の本来透き通るが如き瑞々しい白き頬は、先程からずっと赤くなりっぱなしである。

 そんな王女へアインズは本題を伝える。

 

「数日のうちに私も出陣します。本日、国王陛下も出陣されるので明日より一時、王城から王都内へ下がる事もあり挨拶に参りました」

「(え?)……そう(なの)ですか」

 

 ゴウン氏は、仮にも第二王女の伴侶となる者である。

 しかし、彼女は表立っては幽閉の身なのだ。彼の立場も必然と低い扱いになってしまう事に、辛さを感じていた。

 彼女の表情の変化に、多くの気持ちが混じる負の空気がアインズへも伝播する。

 なので、彼は希望を灯す。

 

「あ、でも10日もすればこちらへ戻れるかと」

 

 王女は彼の心遣いを感じ嬉しさと、もう一つの哀れな己の現実に足元へ一瞬だけ視線を落とす。

 今の状況へいざ個人では何の力もなく、何も出来ない身の情けない思いが心へと募る。

 故にルトラーは心底想う。

 

 

(悲しいこの状況を打破するには――ゴウンさまに、(パワー)で竜の軍団を打ち破ってもらう他ない)

 

 

 二人の輝ける将来はこの仮面の紳士の働きが切り開いてくれるはずと、ルトラーの神掛かり的思念は強く訴えて来ていた。

 驚異的戦功の実現により王国東部辺境地へ広大なゴウン家自治領が得られるのだ。

 その時にルトラーもかの地の主君の妃の一人(――(ラナー)もいるので)として、自由も得られるのである。

 正に王道のおとぎ話的で夢の如き幸せな始まりの展開(プロローグ)

 しかし、ルトラーはそれを疑わない。彼女には理解と大きな確信があった。

 評議国から無事戻って来た彼が人類圏を超えて、より多くの物を手に入れて来た事すらも――。

 

(私のゴウンさまは、勝ちます)

 

 国王より『手短に』と言われた事もあり、室内や黒についての僅かな歓談のあと、アインズはお暇するべく立ち上がる。

 大きな大きな考えを胸に、第二王女は目の前の伴侶へと言葉を掛ける。

 

「ゴウンさま、大いなる御武運を願っております」

「ありがとう。それでは少し出掛けて来ます」

 

 笑顔で二人は別れる。

 背を向けたアインズは巨躯に漆黒のローブを(なび)かせ、黒き部屋を後にした。

 

 

 

 その晩、アインズは真っ白で統一されたラナーの部屋をも訪れている。

 午後10時5分――予定だとここから5分間はほぼ毎日、ヴァランシア宮殿4階奥のラナーの自室内には使用人不在となる。それは本来ラナーへ解放感を与える時間であるが、今夜は密会の時間となった……。

 アインズは、公務中のラナーへと昼の間に〈伝言(メッセージ)〉を通し、戦場へ向かう前の挨拶に行く旨と「訪問は、夜に突然の形となるかもしれない」とだけ、(あるじ)らしく一方的な形で告げていた。

 時間が迫り、アインズはソリュシャンから第三者の不在を確認すると、〈転移〉にてラナーの私室内に現れる。王女は白い不透明のネグリジェ姿で、部屋の中央付近にある2人掛けの椅子から立ち上がり仮面姿の主人を慎ましく迎えた。

 9日ぶりとなる夜の逢瀬にもとれる来訪である。

 ただ今日は5分間弱しかない。ロ・レンテ城内も戦時下の警戒態勢ということで、今夜はこの後もほぼ夜通しで使用人の娘が一人、部屋に付くらしい。

 なので今回は短時間で使用人が出入りする為、ラナーもシースルーものを着てアインズを歓待する訳にはいかなかったとみえる……。

 制限時間につられ、絶対的支配者の言葉も自然と手短になってしまう。

 

「準備は整った。数日後に私も前線へ出陣する。今夜はそれをラナーへ伝えに来た」

 

 部下扱いに近いのでこの内容で問題はないはずと考えた、女心の分からない御方。

 

「……つれないのですね、アインズ様は」

 

 『幼い恋』のクライムとは毎日昼間の多くの時間を同室で過ごせ、一歩一歩篭絡への布石は打てて満足しているラナーであった。

 反面、主人であるアインズとの熱い『大人の恋』は中々進まない。

 主人と約定のある姉ルトラーより先行し交わり、御子も授かり出し抜きたいという怪しく激しい願望も今は状況が許さない。

 支配者が竜軍団に勝利し権力を得ないと――第三王女は『王家から他家への婚姻道具』という牢獄から抜け出せず、あのイカレタ計画も頓挫し絶望の闇へと沈んでしまうのだ。

 それらジレンマ的不満が先の彼女の言葉へ遠回しに出ていた。表情も頬を僅かに赤くして、かなり残念に見える。

 

「今は王国にとっては厳しい戦争中だからな。優先すべき事は分かっていると思うが」

 

 夜の王女を前に、アインズの聖人的無欲の精神は全く折れない。いや童貞のなせる業か。

 淡々と答えるも絶対的支配者としてはニンジンを残した。

 

「10日もすれば、状況は大きく変わるだろう。全てそれまでの辛抱だ」

「……はい、そうですね」

 

 ラナーはスッと静かに支配者の大きな胸へと色っぽく身を寄せ一瞬視線を落としたが、直ぐに満面の笑顔で見上げてきた。

 

(これがきっと――〝焦らし〟という大人の恋の醍醐味なのねっ)

 

 偶にはこうして、思考を読まないのも楽しいのかもしれないと考えて。

 一方、アインズは聖人的無欲の精神に甚大な支障が出掛けていた……。

 

(お、おぅっ……。胸が、柔らかい胸が……良い香りも……こ、これはダメだぁ)

 

 黒い思念の姫とはいえ、主人へ対しては純粋であるが故に結構くるモノがあった。

 固まった体と仮面のお陰で動揺を気付かれる事はなかったが、頭蓋の眼窩(がんか)内に輝く紅い光点が壊れたピンボールのように一瞬弾け回る光景があった。

 でも即、感情抑制により興奮した恥ずかしい気持ちは沈静化したが。

 

「もう時間ですわね」

 

 壁に並ぶ白い戸棚に置かれた時計の針がもう10時10分に近い。短いような長いような数分間が過ぎた。

 美しい王女は一歩下がると、淑女らしく礼をして主人を送り出す。絶対的支配者は偶然なのかラナーにも姉と同じ台詞で見送られた。

 

「アインズ様、大いなる御武運を願っておりますわ」

「うむ、では行って来るぞ、ラナー」

 

 アインズは、こうして()()()出陣していった。

 

 

 

 

 あと――某所へも挨拶。

 

 王都内にあるフューリス男爵家の所有する小ぢんまりした屋敷が、アインズ一行の出陣した日の夕方に発生した火事で半焼したという……。

 屋敷の者らに死者はいなかったが、夜を迎えるころに焼け出され、物的損失額は金貨で500枚は下らないとか。

 普段は火の気のない場所から炎が上がっていたのを、使用人達が目撃していた。

 先日より右腕をはじめ、今回の戦争出陣関連の臨時費用や子飼いの騎士を失った上に、いたぶるべき市井(しせい)の女すら手に入らず、王都の屋敷までもが火事に遭う。

 

「ナゼだ、ナゼだ、ナゼだ、ナゼだ、ナゼだ、ナゼ高貴な私だけが酷い目に遭うのだぁぁぁ」

 

 半焼の屋敷を出て借りた高級宿屋の一室のベッドで一人、男爵は視線を錯乱気味で自問した。

 先日、街娘を漁った折に出会った王都裏社会の大組織絡みか。

 あの行軍中の雨の日に、道に居た頭のオカシイ冒険者崩れに遭遇してからなのか。

 それとも国王派の自分が欲を出し、危ない反国王派の上位へ足掛かりを作ろうとしてしまったからなのか。

 彼には理由がどれか分からない。

 無論、過去に領民の多くを惨く酷く殺している事などは、忘れたように棚に上げて――。

 彼の思考は下賤な家畜程度の者達へと割く事を拒絶している。

 

「……何か、高貴な生まれの私に相応しい好運を掴む方法はないものか。おのれぇ」

 

 なお、この火事の件に八本指は関与せず。

 男爵屋敷の位置情報は、ゴウン屋敷の2階居間の本棚に残っていた『王都内屋敷名鑑』から入手していた。リッセンバッハの三女キャロルが見つけたのである。

 実行したのは至高の御方(アインズ)配下で、忍術に長けた者であろう。

 こうして男爵への直接的御礼もまた始まったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. フォーサイト?の逆襲

 

 

 夜が更けるバハルス帝国帝都アーウィンタール内、某伯爵邸付近。

 

「では、行くか」

「ええ、そうね」

「さあ早く助けましょう」

                                            (コクコク)

 今よりヘッケラン達3人が視線の先にある大きな貴族屋敷へと乗り込む。

 この数時間後、西方の遠方地で王国軍対竜軍団での戦闘勃発に対し、帝都中はいつもと変わらぬ夜が流れる。

 でもワーカーチーム『フォーサイト』にとって、今夜は特別な夜になりそうであった。

 チームのメンバーであるアルシェ。その鬼畜な父、元準男爵が御家再興を某伯爵の子息へと掛け合い、その代償に攫われてしまった妹達、可愛い双子のクーデリカとウレイリカ。

 アルシェに妹達の帝国脱出を約束していたヘッケラン達は失態を感じ、ここで二人を取り戻すべく動いた。

 だが何と言っても救出する目標は、伯爵邸内へ大事に仕舞われた者達――これは特権層への攻撃でもあった。

 この行動が意味する重さは計り知れない。

 同業者が……いや、ロバーデイクでも別件で聞けば、間違いなく「命知らずだ」と言うはずである。

 平民風情が上位貴族を相手取るというのは、明確に自殺行為と考えて良い……。

 

 

 

 さて、救出するクーデリカとウレイリカだが、イミ―ナしか双子の顔を知らない。

 なのでチームは彼女を中心に救出作戦を考えている。

 脱出時にイミ―ナの両手は双子で塞がっているという想定から、イミ―ナを守りながらの逃走劇との展開でだ。

 一応大まかな屋敷図面は用意出来ているが、まず広い屋敷内で双子の囚われている場所の特定と屋敷外への脱出経路確保である。

 『フォーサイト』は名のあるプロ。相手も考え勢いだけで物事は進まないとよく理解している。

 現状況を判断すると、ヘッケラン達が強大な権力者である伯爵の手から生き残る方法は一つ。

 『誰も殺さず密かに双子を盗み出し国外に消える』――これしかない。

 ワーカーチーム一つに、屋敷へ侵入され重要物を奪われたという失態は、権威ある伯爵家にとっては恥であり隠ぺいされる事象。

 あとは数年の間、ほとぼりが冷めるまで帝国外で過ごせば解決するとみている。

 伯爵家として、いつまでも下賤相手の小事へ関わっていると裏で広まるのは宜しくないからだ。

 上位貴族には高貴な立場が存在し、『フォーサイト』が生き残るには逆にそこを利用するのが最上策といえる。

 

 しかし簡単ではない。

 

 広い豪華な屋敷には、多くの使用人や衛兵の配下に加え、室内にからくりや仕掛けもありえる。

 ワーカーチーム『フォーサイト』がミスリル級水準という自負を持っていても、無傷で達成するというのは虫が良すぎる考えだろう。

 それに今は優秀なメンバーである魔法詠唱者(マジック・キャスター)のアルシェを欠く。

 彼女が居れば手段が増え、相当状況は変わる。

 しかし無いものねだりをしている時ではない。彼等は3人だけで達成するつもりでいる。

 ただ、近接戦闘においては軽快なロバーデイクも、移動しつつの広域戦だと彼の壁的重装備が足枷となる。

 その点を考慮しての役割配置で救出作戦を開始する。

 総敷地が3万平方メートル程ある某伯爵の帝都滞在屋敷の西外壁へ回る。北面が外へ一番近くも、安易な選択は予想され易いと先の策を考えて外していた。

 野伏(レンジャー)でもあるイミ―ナは周辺気配の薄さを読むとロバーデイクの肩を利用し、高い外壁を軽く越えて中へと侵入する。それにヘッケランが続き壁上へ乗り、金具で壁に引っ掛けた登り綱を落とすとロバーデイクが上がってきた。次に登り綱を屋敷内側へ垂らし3名は侵入する。その脱出点をロバーデイクに頼む。

 敷地外壁から離れ木々を含んだ緑地の茂みに潜み、ヘッケランとイミ―ナが視界内の周辺を確認する。

 直線で斜め左約30メートル先に4階建ての立派でデカい御屋敷が横たわる。夜も少し深まり消灯されていて多くの窓に明かりは見えない。だが、私兵の姿は出入り口の要所には見えていた。

 そこから闇に紛れて双子捜索を開始しようと、イミ―ナが動き出そうとしたその時。

 

 

 静かだった伯爵屋敷内に轟音が響き渡り、建屋南面の一部が突如――崩壊した。

 

 

 そこから屋敷内は大混乱である。崩壊には悲鳴も混ざり、右往左往する使用人や衛兵が崩壊現場近くへと当然徐々に集まってくる。

 その光景にヘッケラン達も小声で呟く。

 

「……(おいおい、何が起こったんだ?)」

「……(分からないわよ)」

 

 異変が奥まで聞こえたのか、後ろからロバーデイクも様子確認で傍にくる。

 

「……(……これは好機にも思えますが)」

「「――っ」」

 

 判断の難しい局面だが、これなら多少の雑音や気配が紛れるのは確かだ。

 存在を知られないように潜入し奪取するなら有利な機会といえる。

 

「よし、俺とイミーナ―で行って来る」

 

 イミ―ナもリーダーの判断に頷く。本当なら一度捜索してからといきたいが、その時間は勿体なさそうである。

 ヘッケランとイミーナは、屋敷西側のこの場から建物の北面へと繁みの中を回り込むように移動していく。

 二人は夜の茂み内を進みつつ時折止まり周囲を窺い、再び慎重に進む。

 その止まった時にイミ―ナがヘッケランへ提案する。

 

「屋敷の建物が突如崩れたみたいだけど、私達もさっきの騒動の理由を知ってた方がいいかもね」

「……確かにな。状況判断や、何かに利用出来るかもしれないか」

 

 例えば、使用人や衛兵にバッタリ会った時など、会話で誤魔化し状況が変えられる場合もあるだろう。

 イミ―ナが先導し、ヘッケランが後方を警戒しながら人気の近い場へ向かう。

 すると衛兵2名が、建物傍の持ち場で話しているところに遭遇する。

 

「おい大変だぞ。なんでも――3階にある伯爵御世継ぎ様の()()()()付近で、外壁と床が崩壊したということだ」

「な、なんだと。それで伯爵御世継ぎ様は?」

「わからん。御寝所とは別のはずだが、あの一角は常時立ち入り禁止となっているからな」

「あ……、夜中や朝方に娘の喘ぐようで奇怪な声が聞こえてくるって話の?」

「……おい、めったな事は口にするな。旧知の俺だったから見逃すが、家族の首も閉まるぞっ」

「お、おぅ。すまねぇ」

 

 そんな会話をシッカリハッキリと耳にしたヘッケランとイミ―ナは顔を見合わせる。

 少し場を離れると今の内容を検討する。

 

「今のはかなり有力な情報みたいね」

「間違いない。ああいった外に漏れない内部の者の噂話は、真実が多いからな」

 

 経験的にこの手の話は、仲間内では口が軽くなるけれど、外の者にはまず漏れない。

 それが強大な権力を持つ伯爵家に仕えるものなら尚更である。下級貴族の配下と比べての豊かな今の生活と、伯爵家の恐ろしさを良く知っている連中なら。

 貴重な情報から、ヘッケランとイミ―ナは崩壊現場から離れた屋敷建屋3階のテラスを中継し屋根へと上がった。屋根裏部屋の窓の一つをこじ開け、建屋内へと侵入する。

 二人は時折通路へ現れる使用人をやり過ごし、屋根裏への正階段を降り、直近の4階倉庫部屋から3階天井裏へ移動した。

 3階へは崩壊場所へと向かう人が多すぎて、とても降りられる状態ではなかったためだ。

 そこで、天井裏を屋敷の南側へ向かい進んだが例の立ち入り禁止区画は、天井裏も分厚く頑丈に仕切られていた。フルト家の執事の話からここは監禁場所のはずで機密性を考えての工事がされている様子。

 破壊は可能だが、破壊音を考慮すると壊して進むのは現状難しいと判断する。

 ここまで建屋内潜入から10分程。

 ヘッケラン達は、その間も屋敷使用人らの錯綜した声を聞いている。中にはかなり気になる情報もあり、無人部屋の屋根裏で二人は小声で意見を交わす。

 

「……(聞いたよな)」

「……(ええ。でも本当かしら。伯爵世継ぎの子息が――死んでるんじゃないかって)」

 

 どうやら先の崩落現場で、情けない半裸姿で発見され救護を受けているらしいが、既に心肺停止状態の模様だ。

 しかし、崩落は監禁場所で起こったということから、アルシェの幼い妹達の安否も同様の状況があり得え、心配が膨らむ。

 可能ならこの隙に、監禁区画へそっと窓などからでも突入したいところである。

 ところが恐ろしい事に、監禁区画は何と大きな窓が1つも無く、ガラスブロックの壁や10センチ角ほどの小さな小窓しか存在せず、中の者を決して外部へと逃がさない構造になっていた。

 監禁構造の弊害により、侵入も崩壊した区画か、正規の出入り口である重厚な3箇所の扉を突破しなければならないようだ。

 その頑丈な扉は現在、中から全て鍵が掛かっており、崩壊箇所からしか出入りできないという話も、困った使用人らより漏れ聞こえてくる。

 崩落現場には篝火が幾つも置かれ、私兵や使用人達50名近くで溢れていた。他に怪我人がいないかと救助作業的に重い瓦礫を協力して移動させており、ヘッケラン達は近付くことも難しく、身動きが取れない感じで見守る。

 なおヘッケランらの作戦タイムリミットは日の出前までとしている。残りはあと6時間半程。

 流石にもし朝を迎え明るくなった場合、昼間働く使用人や騎士、衛兵達が集まり始める前に一度撤収する他ない。

 最悪、夜にまたという考えでいた。アルシェとの約束の手前、可能な限り継続あるのみと。

 

 しかし結局、屋敷の者達による崩落現場の作業は朝まで掛かってしまっていた……。

 

 途中イミ―ナは一度だけロバーデイクの所へ戻り、作戦継続中を伝え往復して来ていた。

 ヘッケランとイミ―ナは状況をより確認しやすくするため、救助作業の様子と声が聞こえやすい建屋南側2階の空き部屋天井裏へ移動している。時折室内へ降り、窓から状況も確認しつつだ。

 

「……(仕方ねぇ、また今夜だな)」

「……(ええ、しょうがないわ)」

 

 幼い双子姉妹達の安否が気になるが、今焦っては全てが台無しになる。

 幸い、崩落現場も瓦礫の多くが移動されたが、伯爵の子息の他には巻き込まれた者は居ない様である。

 クーデリカとウレイリカ達の救出への望みは十分ある。

 今夜までには、例の監禁部屋への扉も開かれているように思えた。普通の人間はそういう状況を看過出来るはずがない。

 元凶である伯爵の子息が居なくなれば風向きは変わるだろうと。

 東の空が僅かに明度を上げ始める頃、ロバーデイクの所へ戻ったヘッケランとイミ―ナらは、また今夜にと伯爵邸の地を後にした。

 

 

 

 早朝の朝日を横に、ヘッケランらは追手が無い事を遠回りしながら確認し、アルシェ宅で待っているだろうメイド少女のところへと戻って来る。

 ただ、昨夜『ちょっと迎えに行って来る』と言った手前、『フォーサイト』のリーダーは憂鬱な表情である。

 可愛らしい小さな白い家の扉の前で、彼女へ何と言おうかと少し考える。

 

「……(あー、手ぶらの俺達を見て、きっと凄くガッカリするだろうな。今夜必ず、と言うほかないか)」

 

 荒くれの男達を眼光で黙らせるヘッケランだが、こういう部分が可愛いと思っているイミーナである。

 しょうがないでしょ、という表情で彼女はリーダーの胸を指先の甲で軽く叩きつつ呼び鈴を鳴らした。

 中から、パタパタと少女の足音が玄関扉へ近付き戸が開く。

 メイド娘はヘッケラン達3人を見て一声を放つ。――満面の笑顔で。

 

 

「―――()()()()()()()()()()()、どうして私を起こしてくれなかったんですかーーっ?!」

 

 

 何のことか分からず、ヘッケラン達の表情はポカンとしてしまう。

 それぐらい、メイド少女はとても嬉しそう。

 だが、直ぐにその理由が少女からの言葉により分かった。

 

「本当によくご無事で―――クーデリカ様とウレイリカ様を救う事ができましたね、凄いです!」

「「「えっ!?」」」

 

 ヘッケランとイミーナとロバーデイクは余りの話に絶句した。3人とも目をしばたたかせて。

 ――意味が分からない。

 それが正直な今の想いである。

 3名はメイド少女から招かれて扉を入り、奥の部屋を覗かせてもらう。すると、可愛らしい双子のクーデリカとウレイリカがぐっすりスヤスヤと眠っていた。

 一体何か起こったのかは全く不明だ。

 しかし、アルシェの可愛い妹達が無事に帰ってきたことだけは確かであった。

 ヘッケランとイミーナとロバーデイクは顔を見合わせる。

 リーダーは頭をかいてメイド少女へと伝えた。

 

「……実は、俺達は救出出来てはいないんだ。伯爵邸へ侵入し、監禁されているだろう区画傍までは行ったんだがな。結局、機会がなくてな」

「えっ!?」

 

 今度はメイド少女の驚く番であった。彼女の表情が固まる。

 じゃあ、この状況は一体全体何か、と。

 ヘッケランら3名も同じ様に、このミステリーへ首を捻る。

 昨夜あれから、少女は4人掛けの小テーブルの席の一つへ座り、ずっとご主人(アルシェ)様の友人達の帰りを待ち続けていたが、いつしかウトウトしてしまった。

 そして肩をポンポンと叩かれ慌てて目を覚ますと、奥の部屋から感じ慣れた雰囲気があった。見にゆくと双子姉妹用の可愛い小さめのベッドへ、二人が布団を掛けられ仲良くスヤスヤと眠っていたのだ。

 これほどの親切をしてくれる知人は、ご主人様の友人達しか知らず、てっきり彼らが見事に助け出したとばかり思っていたのである。

 正直、伯爵邸からの救出は相当分の悪い命がけのお願いだった。

 なぜなら貴族様の元には何百もの私兵がいるのだ。平民達が束になっても勝てる訳がない。

 最悪の場合、それを頼んだ少女自身もその(とが)で伯爵の屋敷へ引き出され、散々の恥辱のあとに公開での打ち首や絞首刑もありえると覚悟していた……。

 少女は、瀕死の自分を全快に出来る程の腕をもつロバーデイクの存在から、目の前の3名が常人ではあり得ない水準の者達だと理解している。またヘッケラン達も、ミスリル級冒険者チームには負けないと自負している。

 そんな自分達が達成困難であった事を、()()()が誰にも気付かれずに完了している訳なのだ。

 

 感謝すれども―――正直恐ろしい。

 

 メイドの少女は少し震えが来ていた。

 これが、余りにも常識では有り得ない事だから。

 場はすっかり静まり返っていた。

 すると、スヤスヤと眠っていたクーデリカの小さな愛らしい純真な寝言が聞こえて来る。

 

 

「……天使さま……モフモフの……白いはね……やわらか……」

 

 

 何やらとてもとても気に入った(ふう)に聞こえる声であった……。

 

「「「………」」」

 

 実に神秘的で幸せな子供の寝言である。

 特に意味はないだろうと考え、一同は『最高の結果だし、まあこれで良いのかな』と思った。

 

 

 

 クーデリカとウレイリカが、カルサナス都市国家連合所属のワーカーチームに攫われて伯爵邸へ連れて来られた折の話。

 日没から2時間が過ぎる頃、幼い二人は〈睡眠(スリープ)〉の魔法でまだ眠らされていた。

 時間がやけに経過しているのは、成功手当をフルト家から荒事請負屋経由で貰う際に1時間以上手間取ったからである。

 伯爵子息より、手に入れた()()を部屋へ早く連れて来るよう言われ、子息担当の執事は戦士風の男と幼女2名を抱えた魔法詠唱者(マジック・キャスター)の女を伴い、子息の待つ部屋へと入って来る。

 すると、視界に下賤な者の姿を認め、伯爵の子息は不機嫌な顔で告げる。

 

「……見慣れぬ女と男、その上に娘子を寝かせたら、早く下がれ、下がれぇぇーー」

 

 癇癪を起したような声を聞き、執事がワーカーの男女へ指示した。

 部屋の中央へは車の付いた台車風のベッドが置かれており、そこに魔法詠唱者が幼い娘達を寝かせると、一礼のあと二人は退室していく。

 この部屋の奥の壁に、か弱き娘らに動かすのは難しい重厚な扉が開いていた。禁断の遊戯区画への扉である。扉の奥は非常に薄暗かった……。

 伯爵の子息は扉の予備の鍵を他者の誰にも渡す事はなかった。

 彼は台車のベッドへ寝かされたまだ小さい娘達に目を向けると、くつくつと笑う。

 

「ボ、ボクちゃん、今晩は寝る暇はないかも。げへへへ」

 

 伯爵の子息は、緩み切った腹を揺らしながら血走った目で二人の幼い小さな体を隅々まで舐め回す様に凝視していく。

 子息担当の執事は何度も見て来た光景ではあるが、人しては一生慣れないものと確信している。

 しかし、代々恩義を受けてきた伯爵家の為に耐えるのみと決めている。

 救いなのは、未だ子息の非道で(ただ)れた行為そのものを直接見ていない事だ。

 禁断の遊戯区画は三重の扉の奥へ400平方メートルに及び全3区画あり、ローテーションで定期的に清掃されているため、衛生面はある程度維持されていた。

 区画内での行為など考えたくない執事は、思考を投げ捨てる様にいつもの言葉を伝える。

 

「坊ちゃん、どうぞごゆっくりお楽しみください」

「お? おおおぅっ!」

 

 最早――執事の彼も同罪である。

 

 執事がさっさと去ったあと、伯爵の子息は軽く台車のベッドを押して進める。

 彼はこれでも難度12の体力があった。常人よりもずっと腕力が強いのである。それも特殊な快楽思考を助長させていた。

 第一の分厚い扉を閉め、第二の扉を開ける。その手順で第三扉を閉め終わる。

 そこは通路である。いつも薄暗い奥の幾つかの部屋にはしっかり木枠に鎖と錘に繋がれ飼われた若い()()が残っている。異常な精神の彼が、放し飼いになどするはずもなかった……。

 全員逃げれるチャンスはずっとゼロのままだ。

 飼い主の彼は、今週使っている中央の区画へ移動し、天井の高い一室へ台車ごと入った。

 続いてガチンと重たく鍵が掛けられる。幼女達に開けることは絶対に不可能な扉であった。

 ただ、ここはガラスブロックを壁面に並べた、昼間はとても明るい部屋である。

 双子の可愛い幼女達へと彼は、恥辱の限りを尽くし自分の欲望の好みに仕上げる為にと空けておいた部屋だ。

 今は夜だが幾つも灯る照明用水晶からの〈永続光(コンティニュアルライト)〉の明かりを強くしており十分明るい。色々と丸見えになるように……。

 

「……げへ、ぐへへ。ボ、ボクちゃんにお顔をよく見せて~~」

 

 明かりの下で、彼は改めて台車のベッドに眠る双子の顔を見下ろし見てみる。すると、これまでに20年以上飼ってきた玩具の中でも最も可愛らしいと思えた。

 それが双子でという物凄い当たりである。

 

「か、かわゆす。調教しがいがある、あるなっ」

 

 彼は手に入れた新しい玩具がとても気に入った。

 そして――。

 

「ぐへへ、そ、そろそろ~~、ボ、ボクちゃん専用にぃ~してあげなくちゃ、ちゃ」

 

 台車から少し離れた戸棚の傍で彼は服を脱ぎ始める。それも下半身からだ……。

 サッと慣れた感じで太いベルトを外しズボンを脱ぎ捨てる。

 でも豪華な上着に金襟のシャツと下着姿のところで、ふと先に可愛い双子姉妹を部屋の窓際にあるキングサイズより一回り大きめのベッドへ寝かせようと考えついた。

 彼は窓際のベッドへ向けていた視線を扉近くの台車ベッドへと向ける。

 そして台車ベッドへと近付き、可愛い双子の片方、ウレイリカへ手を伸ばそうとした。

 すると――突如声がした。上から。

 

 

「――――お前、キモくてばっちい手で触るな」

 

 

 彼は思わず見上げる。

 そこには白い翼の生えた天使が浮かぶ。彼はハッキリと姿を見た。

 伯爵の子息は、年頃の若い娘にずっと全く興味などなかった。

 

 でも、その天使は――とても素晴らしく美しいと思った。興奮もした。

 

 次の瞬間、天使の姿は掻き消え、部屋の床と壁が一気に崩壊していく――――。

 

 

 

 

 某伯爵邸で原因不明の屋敷崩壊事故から半日ほど過ぎた午前9時頃。

 屋敷裏側の裏正門脇の小門が開くと、カルサナス都市国家連合所属のワーカーチームの4名が出て来る。事故直前に伯爵子息と面会していたため、取り調べを受けての開放だ。

 当初の雇い主の御世継ぎ様は事故で亡くなったようだが、契約はほぼ完遂していた。

 目的の幼女姉妹を探し出し、伯爵の子息へと渡したのである。

 既に仕事は終わって、昨夜この邸内で請負屋から金貨200枚を受け取っている身。

 もう十分である。

 道で馬車を拾い、行き先の宿屋を告げ仲間で乗り込むと、戦士風のリーダーの男が皆へ問う。

 

「どうする? 今回で結構稼いだし、一度国に戻るか?」

「いやよ。いい思い出なんてないでしょ」

「俺は構わないぜ。金持ちになったし自慢したいし」

「私はんー、そうさね。自慢するのはいい気分かもー」

 

 彼等はスラムの出であり、本来金貨の袋など夢のまた夢という感じである。しかし4人には他者より身体的に優れた力があった。

 そう、この世界は力があれば、誰でも上を目指せるのであるっ。

 彼等4人もそんな夢を追って祖国を出て来ていた。そして今回はまんまと金貨200枚を得たのである。

 

 

 だが――世の中は意外に因果応報。

 

 

 不意に馬車が止まった。

 気が付けば、帝都内でも少し人気の無い道に入って来ていた。

 戦士風リーダーの男が馬車の窓から顔を出し御者へと怒鳴る。

 

「おい、宿屋はもっと先だろ、何止めてんだ、てめえ」

 

 するとカウボーイ風の帽子を深く被った御者はこう返した。

 

「文句があるなら、ちょっと降りて話をしようじゃないですか?」

「……なんだとてめえ……分かってんのか? 俺達はワーカーチームなんだぜ」

 

 そう肩で風を切りつつ、戦士風の男が馬車から勢いよく降りて来た。

 続いて他の3名も降りて来る。

 

「なにー? この御者、頭大丈夫ー?」

 

 野伏(レンジャー)の女が頭を指で叩きながら笑った。

 当然だろう、ワーカーチーム4人に御者が難癖を付けようとしているのだから。

 でも、御者は言い放つ。

 

「大丈夫に決まってんだろ。俺達は――ワーカーチーム〝フォーサイト〟なんだからな」

 

 御者席からカウボーイ風の帽子を投げつつ、ヘッケランは華麗に飛び降りる。

 気が付けば、戦士風の男のチーム4人は、御者の下へ新たに現れた2人を加えた3名に囲まれていた。

 だがこの状況、1対4で攻撃出来そうな構図である。

 まず体格の細い女へと攻撃するのがセオリー。

 そちらへと4人がおのおの武器を握り向きを変えかけた瞬間、モーニングスターを構えたロバーデイクと双剣を握ったヘッケランが側面と後方から襲い掛かる。

 ヘッケラン達の身体速度と練度は4人らよりずっと上であった。

 

「むうんっ」

「〈双剣斬撃〉」

「「「ぐぁぁっ」」」

 

 本気ではない攻撃であったが、カルサナス都市国家連合所属のワーカーチーム4人は薙ぎ払われていた。

 暗黙の了解で、他国のワーカーを表立って殺すのは互いに避けている。

 大きな抗争になるからだ。

 飛ばされた4人にヘッケラン達は次に横へ3人並び仕掛ける。

 それに対し、あわてて戦士風の男が両手持ち剣を握り、野伏(レンジャー)の女は短剣を翳し前へ、神官風の男と魔法詠唱者の女が下がりながら魔法を唱える。

 

「〈軽傷治癒(ライト・ヒーリング)〉」

「〈鎧強化(リーインフォース・アーマー)〉」

 

 仲間への治療と防御魔法を放つ。

 そんな相手に、ヘッケラン達は間合いを詰め構わず連続攻撃する。

 ロバーデイクのモーニングスターが野伏(レンジャー)の女の短剣を一振りで軽く弾き飛ばし、ヘッケランは戦士風の男と剣を交える。

 相手も武技〈斬撃〉を発動するも僅か3合で、ヘッケランが戦士風の男の剣を跳ね上げて奪い、喉元へ剣を突き付ける。

 イミ―ナも後衛の二人へと襲い掛かる。神官風の男を蹴り飛ばし、魔法詠唱者の女の眼前へ短剣を突き付けた。

 

「ま、参った。た、助けてくれ」

「私も降参です」

「降参します」

「俺も」

 

 そうして、カルサナス都市国家連合所属のワーカーチーム4人はヘッケラン達の前に膝を付く。

 彼等の内で一番強い戦士風の男で難度48では、ヘッケラン一人でも楽勝の相手であった。

 降伏したわけであり、命は取らない。

 だが、落とし前を付けることは別だ。『フォーサイト』へ反目するとどうなるかという警告にもなる。

 ヘッケランが彼等へ問う。

 

「お前達、なぜ俺達に襲われたか分かるか?」

 

 4人は顔を見合わせたが答えは出ず、リーダ―の戦士風の男が答える。

 

「……いいえ」

「では、教えてやる。お前達、双子の幼い姉妹を攫ったな?」

 

 ヘッケランは殺気の籠った凄い視線を向け、連中自身に行動から連想させる風で尋ねていく。

 

「は……い」

 

 言い逃れは出来ないと、リーダ―の戦士風の男は震えながら頷いた。

 返事を聞き、とどめの理由の言葉にも殺気を上乗せし告げる。

 

「その姉妹はな、チームメンバーの妹達だ。身内へ手を出された以上、只では済まさないのは……分かるよな?」

 

 双剣の戦士の余りの迫力に4人は震えながら下を向く。

 鬼気迫るヘッケランはまだ続けた。

 

「それで――メイドの少女をめった刺しにしたのは誰だ?」

 

 野伏(レンジャー)の女の身体がビクンと震えた。

 誰がやったのかをこれ以上聞くまでもなさそうだ。しかし、そこでリーダ―の戦士風の男が告げる。

 

「お、俺だ。俺が調子に乗ってやってしまった……」

 

 明らかに嘘だと分かる。

 しかし、ヘッケランはそれを認めた。

 

「そうか」

 

 男のリーダーならそれぐらいの根性がないと話しにならない。

 『フォーサイト』のリーダーは制裁について伝える。

 

「さて、過ぎた昔は一切戻らない。だが、今それに見合う償いは受けてもらう――まず当然だが今回の件で得た分も含め有り金を全てもらい受ける」

 

 これを聞き4人はガックリする。馬車内での話も聞かれ、またそれをされるだけの事を彼等はしてしまっていた……。

 彼等は所持金の殆ど全てをロバーデイクへと渡した。

 更にヘッケランは彼等の近くへ少し寄ると冷酷に語っていく。

 

「俺達〝フォーサイト〟を怒らせると甘くないぜ、覚えておけ。最後のけじめとして――」

 

 言葉を続けつつ腰の剣を一閃した。

 

「――リーダーの利き腕を貰っていくぞ。じゃあな」

「ぐぉぉぉー、腕がぁぁーーっ」

 

 戦いの最中の僅かな動きで、ヘッケラン・ターマイトは戦士風の男の利き腕が左だを見切っていた。

 戦士風の男が痛みに上げる声が響く中、上へと斬り飛ばした空中を舞う肘先の左腕を掴むと、振り返ることなく金髪碧眼の男は去っていく。

 これも仲間を守るためにはリーダーとして必要な事である。ワーカーは舐められては敵が増えてしまう職業でもあった。

 イミ―ナとロバーデイクは無言でリーダーに続いた。

 

 3人の馬車で向かう先は、メイド少女とクーデリカとウレイリカが長旅の準備を整え待っているアルシェの家だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 会員のお仕事+某伯爵家後日談

 

 

 アインズ一行が『蒼の薔薇』と合流した晩の事だ。

 両チームの閑談が終り、別々の場所で休む事になったが、無論アインズ達に睡眠は必要ない。

 時間はまだ午後8時程。つまり朝まで暇な時間と言う訳である。

 なので天使ルベドは貴重の時間だとして、黙々といつもの日課である姉妹鑑賞にふける。

 最初は勿論、目の前にいるプレアデス姉妹を堪能。ルベドには見えている――シズとソリュシャンの傍にナーベラルも仲良く揃っている姿がハッキリと。

 三人の姉妹とは自分とも重なり、特に趣があるのだっ。

 さて次は、カルネ村へと〈非実体(ノン・エンティティ)〉を飛ばす。

 すると村内のゴウン邸の一階で、エンリとネムとアルシェが楽しそうに話をしていた。

 会員天使はその雰囲気にピンと来る。

 

 今、姉妹の話をして盛り上がっている――と。

 

 これを彼女がムザムザ見逃す事など出来ようはずもない。

 そこで、ルベドはアインズへと確認する。

 

「アインズ様、今、非常に重要な(会員の)お仕事に行ってもいい?」

 

 そう問われた絶対的支配者は何のことかよく分からない。

 しかし、断ればどう見ても音速超えでタックルからのサバ折りされそうな、彼女の両手を軽く上げて揺らすポーズに首を縦へ振らざるを得なかった。

 

「(姉妹関連か……詳細によらず、反対するのはヤバイ)まあ、いいぞ。手短にな」

「わかってる」

 

 そういって右手でガッツポーズに、サービスなのか可愛く左目ウインクをして颯爽と〈転移〉していった……。

 カルネ村のゴウン邸内1階の居間に現れた〈不可視化〉のルベドは、エンリ達の会話を聞きながらニヤニヤしつつ窓辺で翼を繕い始める。ずっと変わらぬ彼女の特等席である。

 結局アルシェは、まだ森内のゴブリン村も作業中であり、やはり人間達の傍の方が落ち着くだろうとの配慮から現在、村長に了解を貰いカルネ村内に仮の居を置いていた。

 そして彼女は約1週間後に一度エ・ランテルへ赴き()()()()()するという重要事を交え、()()()()()の話をしているところであった。

 当然ルベドの両眼はキラキラと期待に輝く。

 話に因ればアルシェは三姉妹であり、下の妹達は双子――新規パターンであるっ。

 最早、完全に彼女(ルベド)の保護対象にノミネートされてしまっていた……。

 更に話を聞けば、妹達はまだ帝都南東地区のアルシェ宅に居るという。そして、とても可愛いとのことだ。

 

(是非、すぐに見たい。可愛い可愛い下の双子姉妹っ)

 

 そこまで聞いて最強姉妹好き天使がジッとしている訳もなく。

 アルシェは自宅位置の簡単な地図について、エンリへと魔法省制服に標準で付いている携帯ペンと紙に書き出して見せてくれる。

 ルベドはそれをフムフムと上から浮遊しつつ覗き込み記憶する。

 覚え終った瞬間に、彼女はウキウキしながら帝都内へと〈不可視化〉のまま〈転移(テレポーテーション)〉で移動する。

 アルシェの小さな白い自宅は、上空から直ぐに見つけられた。

 そして、ルベドはいよいよお楽しみと家の中へ〈転移〉していった。

 

 

 ところが――居やしない。可愛い双子のクーデリカとウレイリカは攫われたというではないか!

 

 

 メイド少女及びそこへ居たアルシェの仲間という3人の会話を聞き、最上位天使が絶望から気絶しそうになってしまう程の衝撃を心へと受ける。

 

(一体誰だっ……慈悲深い会長(アインズ様)なら許すけど、それ以外は誰も許さないっ!)

 

 一瞬、会長(アインズ様)が先行して攫ったのかと疑ってしまっていた……。

 会長なら有り得ると、それは流石だと。

 しかしどうやら、バハルス帝国の上流貴族らしい。

 これからアルシェの仲間3人が奪還へ乗り込むとの事なので、最強天使も参戦することにした。

 

 そうして伯爵邸に着いたところで、ルベドは屋敷内へと単独潜入する。

 調べてみると、建屋の室内の一角で数名の若い娘が、鎖に家畜の如く繋がれ可哀想な状況。

 そんな中で太り気味の気持ち悪いヤツが、車付きの台に乗せて可愛らしい双子の姉妹を連れて来た。

 ヤツの目的が、別室で確認した他の若い娘にしたような、姉妹同好会規則から余りにも逸脱・違反し過ぎている内容なのは明白だ。

 

 

(むぅ。コイツには厳罰――――成敗が必要っ!)

 

 

 属性が善の天使はそう強く直感する。

 彼女に眼下へ立つ愚物への、一切の慈悲や躊躇いはなかった。

 しかし、大きな威力手段を使うのはマズイように思えた。達人級同志の主人様は姉妹を大事に愛でる慎ましい支配者なのだ。

 ここは王国から出た隣国であり、会長には何も話していない状況。

 なので、不本意ながら地味目に屋敷を倒壊させて圧迫の刑に処した。

 

「柱……重ぃ……ボ、ボクちゃん……い、息が……くるし、天使……助け…………ろ」

 

 轟音と共に崩れた建材下でギシギシとジワジワ潰され苦しげな声も微かに流れた気もしたが、クーデリカとウレイリカを優しく抱えるのに大変忙しい某天使には丸で耳に届かず、彼女は程なく消え去った。

 

 

 

 

 某伯爵家の御世継ぎが事故で急逝したが、5日後にはもう新たな御世継ぎが立った。

 その2日後、前御世継ぎの担当執事も急逝した。

 公式には病死である。

 だが、彼は前御世継ぎの裏の悪行を知り過ぎていた事に加え、過去一度も諫言(かんげん)を聞いた覚えがなかったのが大きい。某伯爵にとって、良き執事とは主人に上手く小言を申し、助ける者なのだと。

 そのため、あっさり口封じされたのである。

 

 また屋敷に居た若い娘達は、後日に其々の家へと帰された。

 勿論、各家へはそれなりの見舞金と共にキツい緘口令も添えて。

 

 某伯爵家の権勢は、まだまだ安泰のようであった。

 

 

 

 そして、あぁ……フルト家。

 昨夜届いた『お家再興条件の()()()()()()』の知らせに、フルト家当主は歓喜し、乱れていた精神が数時間で随分安定した様子を見せた。下賤の荒事請負屋と揉めつつもこれまで買い集めた家財や残り少ない宝石類の多くを担保に金貨250枚をなんとか工面したことや、不浄な長女をはじめ双子の幼い娘達の事は記憶から消す様に考えるのを止めてだ。

 

(我が家は今からよ。娘など――もう誰一人おらぬ。また毎夜励み()()つくればよい。うんうん)

 

 一度腐ってしまった鬼畜さはもはや変わりようがなかった……。

 彼は朝まで自室で久々の安眠を取ると起床後に髭や髪を整える。無精髭面や髪の乱れは無くなり、目のクマもかなり改善されていた。

 貴族たる者、貴族位復帰の知らせを届けに来る新たな主家となる某伯爵家からの使者へ粗相があってはいけないと。

 アルシェの父親は粛々と待っている。夜は妻と閨で励みつつ、次の日も、またその次の日も。

 

「……ジャイムスよ、貴族称号付与状はまだ届かぬか?」

「はっ。まだでございます。旦那様」

 

 だが、某伯爵家より元準男爵のフルト家へと貴族称号付与状は届かない――何時までも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 英雄(モモン)との出会いは、やはり人を育てるのか?

 

 

 無名の者が放つ功にも色々とある。

 モモンの様に一躍括目される形と――静かに語られるものとである。

 静かに語られる場合、本人の事は余り語られず結果が少しずつ共感を得て後世に伝わって行く。

 

 南東部戦線の戦場の一角でも王国軍の小隊の多くが、竜兵の体力削りと時間稼ぎへただ徹しており火炎砲を受けて燃え上がっていた。

 一方で竜兵達側も2匹一組だが、戦線の広さによって2匹の距離が結構離れたりと、単体への攻撃に近い状況が自然と生み出される。

 そう言った中で『漆黒の剣』の担当域周辺も最早、最前線に(さま)変わりし、潜む(シルバー)級冒険者チーム6組集団も矢面に立たされていた。当然、(ゴールド)級より下位の彼等の方が状況は厳しい。

 おまけに銀級6集団は、直前に見てしまっていた。

 白金(プラチナ)級冒険者3チームの合同隊が火炎砲に加えて、地上まで急速降下して来た竜兵に容易く蹴散らされる光景に遭遇したのだ。

 巨体からの水平に振り回された翼での圧倒的な暴力攻撃を受け小石の様にふっ飛ばされ、何名か死人が出ていても不思議では無い様子に映った。

 竜の体は、大きな翼も含めて剛筋肉の塊である。特に最後に見せた全身を大きく振って放たれた長い尻尾の一撃の破壊力は強烈で、竜王でない竜兵でさえ途轍もない水準だ。

 見たところ正面受けだとアダマンタイト級冒険者ですら、ぺしゃんこになる気がして見える。

 尾っぽが地面を薙ぎ払った後には、もう誰も残っていなかった事だけは確かである。白金級の3チーム合同隊を簡単に蹴散らしたのだ。

 竜兵は周りを確認することもなく悠々と飛び去って行った。

 その時からまだ3、4分しか経っていない。

 『漆黒の剣』のリーダーであるペテルは唖然としていたが、ハッと気付いた様子でまた空の竜達の様子を徐々に眉間へ皺を増やしつつ確認する。彼は、いや周りの全員が一歩も動けず唾を飲むのも忘れ、細かく震える体で上空を舞う巨体の怪物へ視線を向けていた。

 

「……(どの竜も負傷もなく、まだ疲労している風にも見えないですね。飛ぶ高度も高めとは。槍なら何人か届きそうですが、それが刺さるのかは別ですし……手が無い感じですか)」

 

 ペテル達が戦いを始めるのは非常に簡単。しかし、生きて勝利し終わる結末を迎える手は超難問である。

 判断を誤れば、すぐに死が訪れる選択だ。

 ペテルの判断は「ノー」を選ぶ。彼としては合間を見て、負傷し弱り気味の個体を熱望する。

 現在総勢30名ほどで組む彼等は、この戦場へ臨むまでに竜への色々な対策方法を考えてきていた。通用するのではという期待もそれなりに持ってもいた。

 しかしながら、現実の壁は想像を絶している事をこの戦場で思い知る。

 仲間から15メートル程離れて話し合いに来ていて、動けず一緒に見ていた別チームの男性リーダーが独り言のように呟く。

 

「……あの白金(プラチナ)級の彼等が、何も出来ないなんてな……最悪の冗談だよ」

「ええ」

 

 モノは違うとはいえ、白金(プラチナ)級といえば、希望の『漆黒』チームと同級。ペテルも同感であった。

 開戦前に、近所でもあり先の白金級3チームのところへペテルらリーダー3名が一応の挨拶に行っている。

 装備も、腕前も、自信も、意気込みもペテル達とは全然違ったのだ。

 

『まあ、1匹ぐらいは流石に倒さねぇとな、がははは』

『『『ははは……』』』

 

 そんな、お付き合いの笑いを返していたペテル達。

 でももう自信気に映った白金(プラチナ)級の彼等の姿は先程から見えない。

 (シルバー)級冒険者に比べれば何倍も生命力や体力のある連中なので、死んでいないかもしれないが回復中などですぐに動けないのは確かなようだ。

 結論として「ここは様子を見よう」という話をして、ペテル達『漆黒の剣』のところから別チームのリーダーが左右の上空を確認しながら、夜中の戦場で15メートル程の距離を戻っていく。

 近い様に思えるが、戦場に安全な距離など無く慎重であった。

 しかしなんと……彼の動きが、目のいい竜兵に捕捉されてしまったのだ。

 高度を下げつつ竜兵が狙いを定めて砲撃軌道で高度を下げて来る。

 そして遂に、上空から先のリーダーの動きが止まった辺りへと、竜兵から容赦なく火炎砲が放たれた――。

 

「「「――――っ!!」」」

 

 第3位階魔法の〈火球(ファイヤーボール)〉を上回る物凄い火力である。

 その放射は10秒間にも及んだ。

 伝播分だけでも周囲の気温が一気に上がり、皆は目を背ける。

 ああぁ、あの顔見知りのチームが目の前で全滅してしまった………そう思われた。

 

 だが彼をはじめ、彼のチームのメンバーは全員無事であった――。

 

 なぜか。一体どうやって。

 それは王都における下位チーム間での火炎砲対策の相互研究が、この場で実証された事を意味する。

 

 いくつか考え出されたうちの一案に――『根隆起(こんりゅうき)土塁防壁』がある。

 

 森司祭(ドルイド)も少数しかいないし、土そのものを直接動かすのは難しい。だが、植物の根っこを拡張すること(〈植物の根の成長(プラントルーツ・グロウ)〉を応用)で、土を伴った形で植物の根を極端に隆起させ土塁化する事で火炎砲を防ごうとした。

 これはエ・ランテル銀級チーム『漆黒の剣』のメンバー、ダイン・ウッドワンダーの発案だ。

 マーベロとの空中模擬戦で、凶悪な火炎を一方的に受ける状況で長時間凌げないかというところからの発想であった。植物は多少焼けても形状を維持し、土は簡単に溶けないと。

 また、モモンの言葉『俺は全力を出し切って戦うだけ。苦しくても、前を向くしかない。結局はまず自分がやるしかないんだ。しかし、その中で俺は――絶対に仲間を見捨てないつもりだ』が、ダインを大きく奮起させていたのである。

 

(これなら――大事な仲間達を火炎から守ってあげられるのである!)

 

 ダイン渾身の一案である。勿論、発案から直ぐに成功したわけでは無い。行軍中も連日各所で何度も何度も試して実用レベルにまで高めてきていた。本物の〈火球(ファイヤーボール)〉も途中にいた金級冒険者の魔法詠唱者に撃ってもらったが、余裕で土塁は耐え自信も深めた。

 彼は仲間達と担当する南東戦域へ着くと、地面には幾らでも見える丈夫な植物を利用し、土塁を事前に魔法量の多くを使って整え備える。

 実行すると、植物の根を内包し厚みのある盛り上がった土塁は幅数メートルの壁のような高さから、上部がどんどん手前へ曲がって垂れて来るようなJやUの逆形状に仕上がる。高さを抑え向きを変えつつ計8箇所出現させた。

 炎や熱風は基本下から上へ広がる。土塁前面部は地面との間に隙間が無いのも強みだ。

 最後に庇側となる地面を少し掘り下げて完成させれば、簡易防空壕のような感じである。

 炎の直撃さえしのげば、サウナのような感じなのであとは何とかなる。

 この土塁の備えにより、今、真夜中の空襲を受けた冒険者チーム『漆黒の剣』を含む(シルバー)級冒険者6組だけの面々しかいない彼らは、竜兵の火炎砲に何度でも耐え凌ぐというちょっとした戦場のミラクルを起こしていた……。

 加えて、ニニャ達『漆黒の剣』らの壕へと直接接近して襲って来ようと動いた難度で70程はありそうな上空の竜兵へ、どこにあったのか『大きな岩』が突如、凄い速さで下方より現れ当たったのだ。

 受けた(ドラゴン)が空中でよろめくほどのダメージを受けていたので見間違いや錯覚ではありえない。

 だが、周囲の地上に援軍などは見当たらず、混乱した戦場のミステリーであった。

 これには全空の覇者も言い知れぬ恐怖を感じ、慌てて飛び去って行く。

 ニニャやルクルット達も、壕の外へ首を出しつつミステリーへの疑問が思わず口から出る。

 

「な、何かな、今のは……ふぅぅ」

「さ、さあ。わかんねーけど、助かったー。幸運だよな、俺達っ」

「戦場で何があっても不思議ではないということでしょうか」

「戦果を上げつつも、生き残る事が最重要である!」

 

 ダインの努力は静かに実る。

 そして彼等は強力な何かに、そっと派手に護られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 兆候 親切(情け)は(あるじ)の為ならず?

 

 

 王国軍側の惨状が広がる戦地から南西へ離れた大街道沿いの森の中。

 ゴウン氏一行と『蒼の薔薇』の面々の出発時刻が近付き、一カ所に集い準備を進めていた。

 彼等は昨晩、閑談(かんだん)後解散し別々の場所で過ごしたが、明け方前になり森の外へ出たティアとティナが遥か北東の空の異変に気付いた。

 そこで漸く『蒼の薔薇』側は王国軍と竜軍団が夜中に戦闘を開始していたと知ったのである。

 それにより、ラキュースは自分達のここからの移動開始時間を今晩の日付が変わった後と決め、ゴウン氏へと通知した。

 初めからこの決定権は『蒼の薔薇』のリーダーと決まっていたのでアインズに異存はない。

 双方のメンバーは朝食時に挨拶を交わし、その後に合同の移動訓練を森の中で行った。

 障害物の多い森の中を戦場に見立て、連携を確かめるのが目的だ。

 ラキュース側のこの要望に、ゴウン氏一行は賛同し協力。訓練も十二分に応えてみせる。

 アインズらにしてみれば『蒼の薔薇』の彼女達の動きはやはり遅い。容易なことであった。

 夕方前まで続け、そのあと夜中までは其々のチームで休憩という事となり、そうして出発前に集まって今を迎えていた。

 ぼちぼち離陸し、戦場へと向かおうかとゴウン氏へ声を掛けようとラキュースが近寄る。

 その時に、何やらずっと考え事をしていたのか支配者が小さめで呟いている。

 

「(んー。足り)ないなぁ……(蒼の薔薇達の自力で生き残る手立てがまだ……あ、アレを)」

「はい?」

 

 僅かにゴウン氏の口から漏れた言葉にラキュースが反応した。

 いつもの仮面の中で一瞬目が泳ぐも、丁度良いかと伝える。

 

「ん、いや……。少しいいかな、ラキュース殿。支援魔法はないが、これを貸しましょうか?」

 

 アインズはローブの中から程度の良い服飾系で寒色のアイテムを取り出す。

 

「常時屈折化のローブです。一部方向以外からは姿を見られません。丈夫だし存在も僅かに希薄となるはず。でも2枚しかないですが」

「えっ?」

「「……(いいモノ)」」

「……(あれは)」

「おいおい、本当にいいのかよ?」

 

 提示された目の前の装備品へ、ティアとティナにイビルアイも驚き、ガガーランが確認する。

 あの絶対的な竜王へ接近する以上、各自最大限で身を護る必要があるはずだからだ。

 しかし落ち着きが戻ったアインズは平然と言葉を返す。

 

「問題なく。これは先日の会談時も馬車にずっと仕舞い忘れていたもの。私達より、最前線の貴君達で持つ方が役に立つでしょう」

 

 仲間が生き残る手を、身の貞操や命を犠牲にする事もいとわず必死で模索し続けていたリーダの彼女は、申し出を即受けする。

 

「では、今は遠慮なく。ゴウン殿、ありがとうございます」

 

 ラキュースは自然に笑顔を浮かべた。

 それは先とは違う意味でも。

 英雄級の者が使っていたアイテムの一つと思うだけでワクワクするというもの!

 もしかして、例の地下魔界討伐の英雄譚で使われたのかも知れないっ、と。

 手に受け取りつつ、ブツを見下ろしながら口許が僅かにニヤけていた……。

 リーダーだけでなくガガーランも礼を告げる。

 

「いやあ、こいつぁ正直凄く助かるぜ。ティアらとイビルアイは竜王へ何とか接近出来そうだが、俺とラキュースは困っていたところでよ。……でもこれ、今の戦時下じゃ1枚だけでさえ金貨2千枚はするシロモノだろ」

 

 こんな便利で貴重なアイテムは中々残っていないし見当たらないのである。ナザリックの支配者にすれば、この程度はハズレアイテムの域でしかないが。

 アインズがジョーク感覚で伝える。

 

「だから、戦いが終ったら、無事に5人で利子も付けてちゃんと2枚とも返しに来て欲しいものです」

「はははっ、あんたわかってるな。嫌いじゃないぜ」

「ふふふっ。もちろん感謝の利子はきちんと付けてお返ししますね」

 

 シズとルベド、不可視化中のナーベラルは、静かに主の行動を見守っていた。

 そしてソリュシャンは、ラキュースらの反応から、某大全への新たなる報告書を頭の中で纏めながら……。

 

 アインズは特に期待していない。

 本当に何も期待してないのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. ズーラーノーンの誤算と理解不能な行動

 

 

 秘密結社『ズーラーノーン』――世間一般において、その存在と共に彼等の目的は大きな謎だ。

 各国大都市の住人にとっては20年が経過し、過去に都市丸ごとで住民殺害という大悲劇を起こした『昔の組織の噂』へ変わろうともしてた。

 

 今回の竜種の群れとの大戦を受けて、『ズーラーノーン』の盟主をはじめ、十二高弟の者達は特に人類圏存続への執着はなかった。

 国が滅んでも特に困らないからだ。人間種そのものは奴隷としてなら今でも大陸中央でさえ生き残っている。必要なら入手はいつでも可能という訳である。

 国家として残っているか残っていないかについて、彼等は無関心でいた。

 最高幹部各々が持っている『狂った願望』からの、究極の到達点や結末を目指す連中なのだ。

 

 その彼等は戦場で、嘗て得た事のない大量の負の魔力を求めて大計画を起こしつつあったが、盟主は今の状況に少し困惑していた。

 

「ええい、竜の遺体が見当たらんだと!?」

 

 竜の遺体をアンデッド化させ、更に死を連鎖増幅で大量に起こそうと動いたのだ。

 王国北西の地上で戦闘が始まった事を確認した盟主は、準備を整えていた儀式『混沌の死獄』を5名の高弟らの各所と連携して地下での発動に成功。

 薄いながらも超広域フィールドを形成し、数時間で『(うつわ)』を起動し終えた。

 ところが、器内を満たす道具の竜の死骸を再確認したところ、全てで存在不明となる。

 竜達の部隊の後方から不意を突く予定から、即時投入ではなかったが把握・確保数ゼロは予想外の事態だ。

 計画がはなから頓挫してしまう形。

 それでも盟主は今一度冷静に考える。

 

(戦争が進めば、竜が戦死し新たな死骸も登場しよう。様子を見るべきだろう)

 

 確かに開始後に戦場へ傷つき倒れた竜の死体が1つ、2つと確認出来た。

 ところが、時間が経過するうちに、1つ、2つと消えていくのだ……。

 

「一体どうなっているのだっ」

 

 特殊な魔法陣上に立ち戦場を遠視で確認していた盟主が、顔へ装着した大きめのゴーグル風の物を震わしつつ愚痴る。頭の()()()()()()を激しく揺らしながら。

 脇へ控える者達は、妹も含めてまた落下しないかと内心ハラハラだ。先日見てしまった配下は今回の贄に使われ、ここに姿はもうなく。

 その時、盟主の動きがピタリと止まる。

 

「うっ、まさか……何者かが妨害している……のか?」

 

 何者かと語るが、頭に浮かぶのはスレイン法国である。

 これまでも何度か邪魔されていた事から、盟主は濃厚に疑う。連中は竜王軍団へ攻撃する為に漆黒聖典を動かしているという話は入って来ていた。スレイン法国の擁する特殊部隊のメンバーの占いによってこちらの行動が推測出来る事も、所属しているクレマンティーヌの知らせで分かっている。移動中に新たな占いで気付き、今ついでに妨害という線は多分に考えられた。

 

(おのれぇ、法国の奴らめ。この計画が万が一失敗した場合、タダでは済まさんぞぉぉーーっ!)

 

 盟主は『まだ婚期へギリギリ間に合うんだ』という長年の切実な『願いの先』への妨害に(いか)る。

 気持ちの乱れは思考へも影響したようで、戦場からあれだけ巨大なモノを持ち出せるのかという大きな疑問点を見落とす形で現れてしまう。

 しかし、彼女は戦場をみてまだ竜に代わる()()()()()()()()()を見出していた。

 憤怒の炎は、全く違う方向へと飛び火する可能性も湧いてきて不透明感が増加中である……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 戦地初出撃のNPCとその効果は?

 

 

 そのNPCは、既に平時の仕事において結構ナザリックから外出している。

 しかし今回、特殊な攻撃技が支配者の要望に合致し、初めて戦場へと赴くことになった。

 とはいえ、この世界においてレベル数で引けを取る者はそういないはずである……。

 

 

 竜の宿営地から、シズ達や『蒼の薔薇』の待機場所へと戻ったアインズは、ソリュシャンから最新の竜王軍側の配置分布を貰った段階で、冒険者チーム『漆黒』の担当である東南部戦線近辺へ竜兵の進撃は近いと判断する。

 マーレ達と同行する面々には、エ・ランテル冒険者組合長達やこの戦争直後に竜王国へ赴くエ・ペスペルのオリハルコン級チームを含んでいた。

 冒険者達が竜達には敵わないからといって、簡単に死んでもらっては今後の展開へ影響が大きくなると考え、絶対的支配者はこっそりとした手を打つ。

 

 

「〈伝言(メッセージ)〉。聞こえているか――ヘカテー・オルゴットよ」

 

 

『はい、アインズ様。問題ございません』

 

 随分固い感じでの最上位悪魔っ子からの返事である。

 しかし、至高の御方として彼は気にしない風に接し、威厳を以て命令を出す。

 

「デミウルゴスから、詳しい指示を聞いていると思う。 直ちに出撃せよ。 お前の持つ特殊技術(スキル)、〈減退の呪い(カース・オブ・ディクライン)〉を以て担当区域の竜共を弱らせよ」

『畏まりました、私にとり造作も無き事。この後直ちに出撃いたします』

「うむ。よろしく頼んだぞ。ではな」

 

 アインズは(あるじ)らしく通話を無事終了した。

 

(……特におかしくないよな。うん)

 

 宴会の闘技場で見た、彼女のローブ下へ見えたボンテージチックでちょいエロな漆黒の装甲衣装姿を思い出す。

 同時に「ハレンチなのはいけないと思います」の言葉が、割と胸へグサリにきている絶対的支配者であった。戦略会議での某大全朗読によるそれなりの精神影響も否定できない。

 力ある権力者故に、誘惑も多くなるのは仕方のない部分もあるのだ。

 決していい訳ではないっ。

 

 さて、先の〈減退の呪い(カース・オブ・ディクライン)〉は、呪いにより体を弱らせる。毒のポイズン系に近い。

 受けた者は下位中位上位のレベル差によって受ける影響が異なる。

 今回の竜達中位モンスターの場合、最大3割5分までの体力が徐々に減り、奪った体力の5%が発動者へ還元される。上位モンスターの場合、最大2割2分。下位の場合は、最大5割である。

 標的が弱いほど呪いの効果があるという代物。

 なお以前は12体同時が上限であったヘカテーだが、今はそれ以上でも可能な模様だ。

 ただ、この呪いにより死亡する訳ではない。既に大幅に体力が減っていた場合は、呪いの効果はほぼ発揮されない。あくまでも一定域まで弱らせ、対戦しやすくする補助魔法である。

 

 ヘカテーは第七階層赤熱神殿の自室で受け持ちの仕事をしていたが中断し、席を立ち部屋を出ると上司の階層守護者の執務室へと赴き、濃い赤髪の左サイドポニーの頭を小さくさげて自身の出陣を伝える。

 

「デミウルゴス様、アインズ様より例の件での出陣指示を受けましたので、仕事を中断しこれより参ります」

「大変よろしい。まずはアインズ様の期待へ応える事が何よりも大切です。あと、戻って来るまでが任務です。くれぐれも油断無きように」

「はい」

 

 先日のナザリック戦略会議の席でアインズよりデミウルゴスには話が通っていた。

 プレアデス達に関しては、アインズの護衛という部分もあり直接やり取りされているが、本来は上司の階層守護者に命令して動かすのがルールである。

 それでも緊急時などの例外は存在するが。

 ヘカテーの護衛には、デミウルゴスにより三魔将から女性体である『嫉妬』の魔将が2体付けられる。Lv.80超えの2体にLv.92のヘカテーが居る事から、竜軍団自体とも十分戦える戦力である。

 

「それでは」

 

 ヘカテーは魔将2体を連れて執務室より退出した。

 第七階層から6つの階層転移門を抜け、第一階層から階段を上り地上に建つ中央霊廟正面出入り口から出ると〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉で出撃した。

 最上位悪魔っ子への此度の指令は、第一に王国軍東南部と東部戦線へ侵攻する竜王戦力への呪いによる減退化。第二に大都市リ・ボウロロールの防衛である。

 リ・ボウロロールの防衛に関しては、侵攻する竜兵の直接排除も含まれる。

 『八本指』へ勢力拡大の話を提示した手前、口だけという事態は『アインズ・ウール・ゴウン』の名を落とす悪例になってしまう。

 また純粋に大型経済圏としても置いておくべきとの判断だ。

 ヘカテーは、当然事前に担当現地の確認を済ませている。概ねの周辺地理は把握済だ。旧エ・アセナルから伸びる大街道上空へコウモリ風の翼を羽ばたかせ陣取ると早速、至高の御方からの要望である大街道を北へと越えている竜王戦力への攻撃を降下移動しながら開始した。

 左手を前へと翳し魔眼で中距離の目標へ狙いを合わせると告げる。

 

特殊技術(スキル)発動、〈減退の呪い(カース・オブ・ディクライン)〉、〈減退の呪い〉、〈減退の呪い〉――」

 

 最大200メートルと射程の結構長い呪い攻撃を連発していった。

 その高速の攻撃は、くすんだ紫の弾丸風に空を流れて飛んでゆき、幾分の追尾補正も有って全弾命中する。

 

「とりあえず現時点での攻撃は完了です。様子をみましょう」

「「はっ」」

 

 『嫉妬』の魔将達が凛々しく従う。

 最上位悪魔の少女はテキパキと効率よく作業を肩付けると、眼下の人間達の価値について僅かに考える。

 

(……この程度の竜達の群れに焼かれるだけなんて……脆弱です。弱さは罪)

 

 悪魔であるが彼女の属性は中立。ゴミなどと極端な感情には向かわないが、やはり評価は厳しい様子だ。

 

 

 

 

 ゲーム『ユグドラシル』において、群れを成す敵の一斉体力大幅低下は大きな支援といえる。

 王国軍東側における敵には大きな足枷が付いたのは確かな事だ。

 

 ただ……呪いを受け体力の落ちた竜達であったが、鱗の強度や火炎砲が弱くなるわけではない。

 落ちたのは動きの鋭さや力が入らない事で、打撃系の攻撃については効果がみられる程度。

 地を這う弱者が戦うための〝大きな追い風〟には向かわず残念でもある。

 結果、竜兵から火炎砲の火柱が起こり、地上の兵達が燃えていく光景は余り変わらない。

 東の空が明るくなり、朝の近付くここ東南部戦線は飛び飛びに散発的な戦闘が多かった。

 散発的という状況をみて、白金級の複数組や金級銀級の冒険者達の集団が竜兵に戦いを仕掛けていく。ところが、いずれも足止めが精一杯で逆に苦しくみえた。

 そんな周辺での戦闘と被害の様子に、モモンらと行動を同じくするエ・ペスペルのオリハルコン級冒険者から「我々も動くべきでは?」との考えが出て来た。

 当初より仕事の担当として『漆黒』とオリハルコン級冒険者達は、百竜長を討伐するために組まれている。

 しかし、百竜長級がこの近辺へと一向に姿を見せない事も意見を考えさせるのを後押しする。

 今居るのは戦場であり、現場に合った戦い方が必要なのだ。

 リーダーはアインザックであり判断が行われて、結果的に周辺で強い竜兵から狩って行くことで仕事の担当を補完出来ると考えを示し、全員が合意する。いきなり百竜長へ当たる前に、竜兵で自分達がどれほど戦えるのかを見ておきたいという気持ちもあった。

 かくして偽モモンら『漆黒』とオリハルコン級冒険者達は動き出し、潜んでいた陣地からモモンとマーベロを含む14名が走り出した。

 彼等の最初の目標は、金級冒険者達の部隊と戦う()()()()()()()竜兵。

 ところが新たに上空から飛翔して1頭の竜が現れる。

 その竜は、先に疲弊気味の竜兵と戦っていた金級冒険者達の集団へと襲い掛かり、あっという間に蹴散らしてしまったのである。強かった。

 アインザックは即刻全員へと告げる。

 

「あの竜兵――いや恐らく竜長だろう。まずはアイツを倒すぞ! 続けぇぇーーー!」

 

 彼はオリハルコン級冒険者としての戦闘加速で駆けて行く。魔法詠唱者のラケシルも〈加速(ヘイスト)〉や〈下級筋力(レッサー・スト)増大(レングス)〉で遅れず続く。〈飛行(フライ)〉は戦闘加速よりも遅いのが理由だ。

 白金級とはいえモモンとマーベロならば、これぐらいは問題ないとみての速度アップである。

 十竜長は、地面から10から20メートル程の低空で飛びながら仲間の竜兵を援護し終えると、少し先の地上に見つけた王国軍の兵達へ攻撃を始めた。

 アインザックを先頭にそちらへ急行する。

 当然、彼や他のオリハルコン級戦士らは、王国軍を攻撃する十竜長の後方から囲う形で飛び上がり渾身の一撃で強襲する。

 だが、竜種の視覚は長い首を少し振れば意外に広い。殆どの者が躱された。

 2名だけが翼へ斬りつける事が出来たが、羽ばたく力と鱗の硬さに大きく弾き飛ばされる。

 

「おわぁーーー」

「うおぉーっ」

 

 彼等は数十メートル飛ばされながらもなんとか着地する。2人は手に握り持つ剣の刃をみて目を見開く。

 

「あぁ! は、刃が」

「バカな、刃こぼれだと」

 

 竜長側は鱗が数枚割れたようだが、かすり傷に過ぎない。

 その結果を見て、アインザックは驚愕する。

 

「――なんだと。鱗が恐ろしく固いのか……先の2人が持つ剣は、其々かなりの名剣だぞ」

 

 名剣といっても、下級か金貨1000枚以上の中級水準に届くかというの剣だが。

 アインザックの持つ剣は彼等よりも良い物であるが、この分ではどうなるのか分からない。

 普段より幾分、身体が重い竜長がアインザック達冒険者を見下ろす。

 

「ふう、……人間ノ冒険者共か。群れねば何モ出来ないゴミどもめ。ワシの炎でくタばれ」

 

 口を開くと同時に火炎のブレスが噴き出された。

 堪らず、アインザック達全員がその場から少し散る。

 こういった場合の話は決めてあるのだ。竜兵達の火炎砲の有効範囲はある程度分かっている。加えてオリハルコン級冒険者達は体力や装備面で、大きく避ける必要はない。

 とは言え、直撃はかなり危険で避けるのが最良。

 低空にて竜長は小さく旋回したりホバーリングで、アインザック達へ火炎攻撃をし続けた。

 ラケシルとマーベロに、エ・ペスペルのオリハルコン級2チームにいる魔法詠唱者2名は空へと〈飛行〉で上がり、〈魔法の矢(マジック・アロー)〉や〈電撃球(エレクトロ・スフィア)〉など魔法で牽制する。エ・ランテルでは有数の魔法師組合長も愚痴る。

 

「くっ。これほど躱される上に、当たっても1、2発では手応え不足だな」

 

 地上の戦士や野伏らは、隙や機会を窺ってジャンプし攻撃するが、こちらも多くが躱され鱗や爪を削ってかすり傷を付けるのがやっとの状態で決定打に欠けた。

 それもそのはずである。

 この竜は、十竜長ながら難度で141もある個体であった。

 呪いを受けて体がだるく動きも鈍いはずだが、他の竜兵らより基本水準が高いので人が見たところで分かりにくい。

 アインザック達が今戦っていることで、この周辺に配置の王国軍兵士達は竜からの攻撃をまだ受けずに済んでおり、両者の戦いを静かに見守っていた。

 冒険者達の動きは一般兵にすれば圧倒的で人外の動きであった。並みの冒険者では3階の屋根に相当する10メートルを優に超えての飛び上がりなど無理な身体能力である。つまり相当上位の冒険者達の部隊が戦っていると理解出来た。

 でも目の前の戦いは、そんな彼等すらも竜への攻撃がほぼ通らず、逆に敵から反撃の火炎砲で蹴散らされているとしか映らない。

 兵達にはこの戦争の先にある希望が全く見えなかった……。

 

 この時に偽モモンのパンドラズ・アクターは、アインザックや他のオリハルコン級戦士達に合わせる形の動きで戦っていた。二刀流でもなくただの一刀で。なぜならこれは集団戦であるからだ。一人だけ、勝手な行動をする訳にはいかないと。漆黒の戦士モモンの名を守るために。

 リーダーのアインザックはこの出口見えずの状況に苦悶する。

 

(竜長の水準で、ここまで凄いのか……。私の剣は刃こぼれまではしていないが、竜の分厚い筋肉の体へ深々と致命傷を負わせるには、人間の筋力では無理ではないか? 持久戦になれば厳しいのはこちらだ。ただ、引くにしても2、3名が残らねば――全滅もある。何か、突破案が必要だ)

 

 現実的な事を彼は考えていた。

 ただ、彼はもう一つ考えていることがある。

 

(……モモン君達は、我々オリハルコン級の者達と合わせ全く遜色ない動きをしている。でも――彼達ならもっと高い水準の動きが出来るはずだ……戦場では心理面で調子が上がらないのか?)

 

 考えている合間も、仲間達と竜長を囲むように隙を付いて飛び上がり襲い掛かって行く。

 対する竜側はこういった戦法にも殆ど逃げようとはしない。なぜなら人間は弱いのだ。その必要が殆どなかった。

 開戦から丸一日と4時間半程過ぎ、これまで戦場内で計13匹の竜(内、十竜長3匹)が討ち取られている。

 だがその殆どは『朱の雫』の手によるものである。

 

 ルイセンベルグは、両断が無理なら首の細い部分での血管の切断という方法に切り替えた。更にアズスがその傷口へと第四位階魔法〈雷撃の矢(ライトニング・アロー)〉を連続で叩き込んでいる。後はオリハルコン級の複数組部隊2つが竜兵を各1匹ずつと、ミスリル級の複数組部隊が、大仕掛けの魔法剛弩槍を竜兵へ打ち込んで上空から引きずり下ろしとどめも魔法剛弩槍で刺している。運悪く魔法剛弩槍は、次に遭遇した屈強な十竜長には通じず破壊され、運用していたミスリル級の複数組部隊は多くの負傷者と死者を出して崩壊した。

 今のところ、殆どの冒険者部隊が竜を殺せていないのが現場での現実。

 『朱の雫』もアズスの魔法量が底をついて、現在竜長を倒すのが難しい状態である。

 旧エ・アセナルでは1000名程の冒険者達で15匹を倒しているが、やはり10匹以上は『朱の雫』が足掛かりを作っている。あの地は更なる生き地獄であったため、冒険者達が竜の傷口や腹の中へ飛び込んでまで魔法を炸裂させ倒していた……。

 

 竜長と何合が襲撃を交える中、冒険者組合長がモモンの近くへ着地した。

 戦いの中で会話の機会は多く無く、アインザックが漆黒の戦士へと問う。

 

「モモン君、今日はいつもと動きが少し違うようだね?」

(えっ、何が? どこでしょうか。それは困りますー↑。一体ぃー↑どうすればー↑)

 

 父アインズの演じるモモンに準拠し行動しているつもりが、組合長の指摘に優秀なNPCの彼は内心で動揺し、心理内の言葉の語尾抑揚が高くアレ(シャウト)した。それでも機とみて、今の行動を修正するための情報収集を開始した。

 

「……そんなことはないんですが。いつもなら例えばどんな?」

「君なら、この出口のない局面で何か凄いものを見せてくれると、私は期待してしまうんだよ」

「――っ(ここは、名声を高める好機。やるべきなのかもしれない)!?」

 

 パンドラズ・アクターも周りのオリハルコン級冒険者達も、責める手の無い非常に不利な膠着状態になっていると考えていた。今、動きが必要で、目撃者も揃っている。

 優れた思考のNPCである彼は瞬く間に思考を巡らせる。

 創造主様は後日に名を上げるというご意思のようだが、御方自身が反撃に出た後だと印象が薄くなる……それも狙っているとは十分考えられる。

 ただ、最後の方で『好機が上手く発生するのか』は未定だ。無理に用意は出来ると思うも、粗が出ないとは断言できず。それであれば現機会を取り、あるのか不明な後日の機会は見送ればいいのではと考案した。

 活躍の所為で以後の乱用を防ぐ意味でも、二刀の内の1本を折って戦力ダウンを見せる手も混ぜてだ。

 そして――アインザックにいつもと違うことを悟らせないよう、期待通りに現状を打破する働きをするべきではとも。

 

「やってみましょう。皆さんにはもしかの時の後方援護をお願い出来ますか?」

「おお、やってみてくれるかね」

 

 頷きつつ、両手持ちしていたグレートソードを片手で持つと、背負うもう一本も抜き放った。

 そして戦士モモンは竜長の前へと颯爽と一人躍り出ていく。

 他の者は唖然とその豪胆な歩みへと魅入った。

 マーベロ役のマーレも多くの者達の前で、いきなり行動されては止めようがなかった……。

 漆黒の戦士は右手に握るグレートソードを竜長へと高く指し向けるとこう告げる。

 

「竜よ、俺が相手をしてやるからさっさと掛かってこい」

 

 竜長は、脆弱な人如きからの驕っり切った言葉を受け、プチンと切れた。

 

「このゴミがぁぁぁーーー!」

 

 こうして両者の熱い戦闘が始まったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 放浪一人旅中の魔法使い現る

 

 

 

「全く、おちおち旅も出来ないなんてね」

 

 馴染みの街道を歩き、南西から王都リ・エスティーゼの近辺まで戻って来てそう独り言つ紺藍(こんあい)色のローブの人物。

 浅いフードからは顔も見え、長い白髪を三つ編みし前へ垂らした皺顔の女と分かる。

 ただ老婆というには無邪気さのある表情に鋭い眼光。背筋もピンと伸びており、颯爽とした力強い足取り。

 彼女は下水月(しもみずつき)(六月)の中頃、王国西岸沿いに住む年老いた旧友に会い、ついでで海岸伝いにそのままずっと南下しローブル聖王国を訪れていた。隣接するアベリオン丘陵の、長きにわたり多数の勢力がひしめき混沌とした亜人らの動きが少し気になったのもある。

 聖王国南部の都市を幾つか回った頃、アーグランド評議国から竜王の軍団がリ・エスティーゼ王国北西部へ大侵攻との噂話が街中へ流れてきた。リ・エスティーゼ王国内の物価急上昇中という裏も聖王国内の商人らからとった上で、こうして祖国と言える地へ戻って来たのであった。

 

「チっ、竜王ってどいつなの。ツアーのやつは何をやってるんだい」

 

 古い仲間へ腹を立てる彼女の腰には、実に立派な長剣も下げられていた。以前、ブレイン・アングラウスの神刀を受け止めた事がある名剣を……。

 

 年季と風格を感じさせるこの女の名は、リグリット・ベルスー・カウラウ。

 

 イビルアイと入れ替わりで抜けたが前『蒼の薔薇』メンバーであり、嘗てはヴェスチャーらと元アダマンタイト級冒険者チーム『白き剣風』を組んでいた。また高名な十三英雄の一人、『死者使い』でもある。

 年齢は260程を重ねそろそろ体力面を考慮し、常時戦闘生活の第一線から引き気味の位置へ立つが、まだまだ最近のひよっ子らに負ける事はない。250年の戦闘経験が他者を軽くひねる。

 そんな彼女は逆に十三英雄の多くが世を去った今、王国における当代の戦力は心許ないと思いつつ、王国周辺を回る一人旅を続けていた。

 そろそろ時期が来る――『百年の揺り返し』に備えてだ。

 これでも王都冒険者組合へは顔が利く。彼女は早期に揺り返し関連の脅威事案を掴み、組織的対応へ持って行く手助けは出来ると考えていた。

 イビルアイは健在で残っているし、王国戦士長にもあの指輪と最強の武技があるとして。

 『百年の揺り返し』は不確定要素が大きい。過去の情報と2回の経験からみて、出現者の水準は性格も含めてマチマチだ。周囲への噂も含め存在把握まで最大で数年の差が出る。

 それがもし人類側の戦力であれば最高の機会だったとなる。

 一方で、世界滅亡級の未曾有の災厄の元凶になりえるものが現れる可能性も等しくあるのだ。

 魔神や魔樹だけではない。それ以上の存在――六大神や八欲王級の「ぷれいやー」達が現れた場合でも、生涯大人しくしているという保証はない。

 六大神や八欲王らは辛うじて人類側であったが、終始王達の上にすら立ち尊大な態度であり続け多くの欲望を求めた。故に……次も人類側で終わると言い切れるだろうか、の疑問が常に残る。

 だから、王国建国前の古くこの地に生まれ守る者として、常に考えて先を見た行動を取らねばならないのだ。

 高難度水準の存在については、これまでその多くを白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)ツァインドルクスが半径数百キロの広範囲で捉えており随分助かっている。

 活気のあった十三英雄時代には、奴のお陰で魔神からの不意打ちをほぼ受けなかった程だ。

 だがそれも遠い昔である。十三英雄のリーダーが世を去った後は活動が徐々に縮小傾向へ。15年後には数名まで減り、遂に『これからは各自の地元を守ろう』と言う大儀で解散。

 それから180年以上経ち、こうして世界の(ゆがみ)へと動いているのは彼女とツアーのみだ。

 壮健ならまだ十分生きていただろう森妖精(エルフ)の戦友は、法国の南の祖国に戻ったあと、風の噂で異常行動の目立つ甥の青年を止めようとして殺されたという悲しい話を聞いている。もう100年以上昔の話であるが。

 十三英雄ではあと、亜人で年老いた数名の友が静かに森奥へと残るだけとなった。

 自分も含め栄枯盛衰であり、いずれ枯れ落ちるのはいいとリグリットは思う。

 だが、世界の(ゆがみ)といえる『百年の揺り返し』は今後も続く。

 

(せめて、わしの息の有るあと数十年内に誰かへ引き継げればと思うが)

 

 イビルアイは実力もあり良い子だが、昔から少し精神面でもろい部分も見える。

 

(あの子を支えてくれるよい男が誰かいれば、申し分ないんじゃけどな……インベルンの嬢ちゃんはウブだからのう)

 

 若い頃のリグリットは漢勝りのサッパリした性格で男にも恋愛事にも困ったことは特にない。だが、イビルアイは元がアレなので、そういった男女の事象や素直に男へ頼るという部分では拒否感の強いところがあり時折からかったものである。

 故にその部分の精神面は弱点に近い。

 

(まあ、昔から悪い奴に引っかからないように、その面を切り捨ててる間は大丈夫なのかね)

 

 王国にとって不安なのは『百年の揺り返し』だけではない。最近、周辺地域も不穏である。

 彼女は正直、王国にとりスレイン法国は信用できない勢力だとみている。嘗ての十三英雄予備軍級水準とみる特殊部隊を擁し、ツアーによれば神人をも隠匿している様子。

 かの国が帝国内の神殿勢力と裏側で接触している事実を旅の中、自身で掴んでいた。

 更に近年の毎年に及ぶ帝国からの戦争である。

 皇帝ジルクニフはまだ若く、粛清により混乱した帝国は本来、国内統治に力を入れるべき時期のはずで、他国への侵攻はいささか不自然な点が多い。

 

(スレイン法国め……人類の守護者を気取るが、極端な政策へ急転換する恐れのある危険度の高い国家だね。あれは、ちょっとした危機で多くを切り捨てる臆病者のゲスな思想に思えるんだよ。断然気に食わないね)

 

 組織的に国民を管理・選別・監視し統治しており、旅の中で立ち寄った法国内の都市に住む者達の表情は、王国や帝国に比べると真の明るさや輝きが無く、何か窮屈さ不自由さ国家計画に沿わされた生活感、そういった不満を出す場も無く強い闇を含んでいる風に感じられたのだ。

 多くが『人類を守護する』という名目に縛られた檻で暮らすような連中で、哀れにも思える。

 

 さてそんな多くの不安もあるが、今は竜王の軍団侵攻への対処が先かとリグリットは、見え始めた巨大で高い外周壁の連なる王都の城門を目指し歩みを進める。

 彼女が王都南西側の門まで1キロ程に迫った時だ。周辺に僅かな異変を感じ取る。

 

「おやおや。王国北西の有事だと聞いて王都まで戻って来たが、こんな近くになんか変なのがいるね」

 

 彼女は、街道を脇道へ進み少し離れた林まで来ると、正午前だというこの時間に死霊的強い空気を感じた。

 そして林へ分け入ると、薄暗い木々の奥に2体のアンデッドを見つける。

 地面に仰向けで倒れていた2体は、軽快ながら気持ち悪く起き上がってきた。

 

「ほう、珍しい。場末のアンデッドにしては中々難度は高いようだ。でもこれは……危険だね」

 

 本来郊外の村の墓場へ稀に現れるアンデッドの難度は高くても精々9までだ。主に骸骨(スケルトン)や低位動死体(ゾンビ)である。

 しかし、目の前に現れた全身鎧と冒険者風金属鎧を着た2体のアンデッドは難度で40以上もありそうだ。特に冒険者風装備の男の動死体は難度60を超えているかもと感じられた。

 アンデッド側も、昼間の突如の来訪者に驚く。

 まず全身鎧で騎士風のアンデッドが剣を抜き放ち、生者を憎む気持ちを込めた声を上げる。

 

「人間来タ、殺ス!」

「待テ」

 

 それを、冒険者風装備の動死体(ゾンビ)が止めた。

 ゾンビ親であるこの男の指示に、全身鎧の動死体が従う。

 冒険者風の彼にはしっかりとした目的がある。恨みある某男爵を殺さなければならない。

 ヤツのおかげで自分が死んだのだから。故に、そのための戦いへ注力すべきなのだと。

 冒険者風装備のアンデッドが止めた様子にリグリットは注目する。

 

(おや、生者への殺戮に関して判断する知能があるんだね……)

 

 冒険者風の動死体(ゾンビ)が彼女へと問うてくる。

 

「何故、隠レテタコノ場所ガ……オ前、ナンダ?」

「わしはご覧のとおり、魔法剣士さ」

 

 言葉を聞き、冒険者風の動死体(ゾンビ)が腐りかけの濁った眼球の視線を下方へ向ける。確かに人間の腰には上等な剣がぶら下がっていた。そして自分達を見ても全く怖がっていない。

 低知能ながら総合的に思考して――〝なんか強そうだ〟と判断する。

 だから彼は告げた。

 

「闘イタクナイ。殺サナイカラ去レ。俺達ハ、ヤル事……アル」

 

 そんな事を言われたが、リグリットは彼等の足元に見えるモノに気付いている。それは大人だけでなく、どう見ても子供の腕や足の喰い残しが幾つか散乱していたのだ……。

 この2体は喰屍鬼(グール)中位喰屍鬼(ガスト)化しかけている。

 何もせずここへこのまま放置は出来ない。リグリットは奴の言葉を拒否する。

 

「そうはいかないね」

 

 だが、彼女は近日、(ドラゴン)を相手にする可能性を考えると――目の前の2体は戦力として中々である。

 なので『死者使い』の魔法を使う事にした。リグリットは素早く2体のアンデッドへ手を翳すと告げる。

 

「〈死者恭順(サブミッション・アンデッド)〉〈死者操作(コントロール・アンデッド)〉、我に従え喰屍鬼(グール)騎士と中位喰屍鬼(ガスト)冒険者よっ!」

「ウッ、オァォォォォォーーーッ」

「ガァァァーーォァーーッ」

 

 リグリットからの強い魔法を受け、2体は立った状態で思考を襲う頭痛を抑える風に、両手で頭を抱え膝まで突き30秒程苦しむとやがて静かになった。表情や目の焦点が怪しい。

 まあ死体なので不気味さは仕方なく、いつもの事と2体へ『死者使い』は語り掛ける。

 

「お前達、名はあるのかい?」

「……忘レタ」

「俺ハ……ダリード・ゴドウ」

 

 騎士の方は知力が元々低そうだったので気にしない。冒険者風の中位喰屍鬼(ガスト)は会話が成立するので結構まともである。暇潰しの会話相手にはなるかとリグリットは考えた。

 名前が無いのは適当に付ける。

 

「ふむ、じゃあ、騎士の方はザラードだ。ダリードと兄弟みたいでいいだろう?」

「オ、オウ。兄者!」

「俺ノ弟、ザラード!」

 

 肩を叩き合い2体は互いに喜ぶ。死体の為か両名の顔は引きつった感じで。

 さて『死者使い』として、まずは躾である。

 

「お前達、わしの許し無しに人間を襲うんじゃないよ。勝手したら即、土に返すからねっ。安心しな。ちゃんと喰う死体はわしが用意してやるから」

「「ヘイ、ご主人(マイロード)!」」

 

 こうして、リグリットは思わぬところで臨時の新たな手下を手に入れる。

 配下の2体には足元の惨状を処理させつつ、夜までこの林の中に待機させた。

 王都内で戦争の状況や食料を仕入れたリグリットは、日が沈んだ後にゴドウ達を連れて王都北部側の闇へ紛れて消えていった。

 

 アンデッドになった際、ゴドウに主はいなかったが彼はこうして主人を得た。

 だが、彼の中に某男爵への殺意が無くなったわけではない――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国軍とアーグランド評議国の竜王軍団との戦争『北西部穀倉地帯の戦い』は

 細かい戦局にて王国側が勝利や拮抗するも、依然ほぼ一方的に竜王軍団側の攻勢で進む。

 そのまま数日が過ぎ去っていった。

 

 2日目まで完全沈黙の帝国遠征軍に、ズーラーノーンらも暗躍する中――。

 

 

 ついに、王国(じんるい)軍反撃の時、迫る。

 

 

 




時系列)移転後の日数/内容(左程時間が早い)
42 セドラン達部隊ヘ合流 (不穏な密談) 昼前、和平の使者王城へ帰還 午後アインザック&モモン達が出立 ガゼフ告 国王の軍団出陣 ゴウン屋敷へ エンリ日没後トブの大森林圏へ到達 モモン達宿泊 ラキュース薬GRT 聖典撤収 ナザ戦略会議
43 未明八本指総会 午前中エンリカルネ村へ 8日間で王都へティラ&ブレイン イジャニーヤ揃いルベド狂喜 蒼の薔薇移動 アインズ達にユリも出立(帝国軍遠征10日経過) モモン達野宿
44 モモン達担当地へ アインズ蒼薔薇と合流 アルシェ妹拉致 アルシェ妹救出劇 竜軍団再侵攻で戦再開
45 マーレヘ連絡-1 ズラノンの計画は「 」 蒼薔薇開戦知る 漆黒の剣生き残る アインズ+蒼薔薇出撃準備 マーレヘ連絡-2
46 戦闘1日で王国軍死者多数 竜宿営地潜入 ズラノン盟主計画残有 竜王姉妹へ補助魔法 蒼薔薇+イジャ竜王へ 偽モモン無双 リグリット王都へ



捏造・補足・考察)今更ながら本作での暦月について(キャラ前の数字は誕生日)
書籍版13巻+特典までの巻末キャラ紹介の誕生日を参考に以下としてます。
四元素として土、水、火、風の順と捏造。
上土月(かみつちつき 一月)
中土月(なかつちつき 二月)21ガゼフ
下土月(しもつちつき 三月)01ラキュース 02ガガーラン
上水月(かみみずつき 四月)11ケラルト 19バジウッド
中水月(なかみずつき 五月)13ロバーデイク
下水月(しもみずつき 六月)14ツアレ
上火月(かみひつき 七月)07ラナー 29イミーナ
中火月(なかひつき 八月)08ニンブル 24レメディ 26カルカ
下火月(しもひつき 九月)27カスポンド 30レエブン
上風月(かみかぜつき 十月)01ジル 01ネイア 03ヘッケラン
中風月(なかかぜつき 十一月)10ブレイン 10エンリ 18ンフィー 26アルシェ
下風月(しもかぜつき 十二月)27グスターボ

ただ、ジルが1月1日生まれは有りそう(笑)

なお人類圏では歴が同一ですが、亜人達は異なる模様。
ゴ・ギン 剣星星二つ
バザー 黄金の角十つ



捏造)元アダマンタイト級冒険者チーム『白き剣風』
ガゼフに絶技を教えた剣豪ヴェスチャーがリーダー。
30年前に魔樹の薬草を取りに行ったチームである。
ここでは前衛だったリグリットをはじめ、後衛すら剣豪揃いの特攻チーム(笑)



補足)会員のお仕事 について
上の方の「さあ早く助けましょう」の付近をドラッグ
→コクコク(半角)
お仕事中(笑



捏造・補足)第3位階魔法〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉について
本来〈次元の移動〉は術者のみが転移する(書籍7-236)が、本作では補助アイテムを持つ事で同時に移動が可能とします。
『蒼の薔薇』のメンバーは非常用で高価な次元の指輪(ディメンジョナル・リング)次元の腕輪(ディメンジョナル・ブレスレット)を装備しているということで。
〈飛行〉に〈浮遊板(フローティング・ボード)〉を連結して人を運べるのに近い形です。
STAGE.22のルイセンブルグも装備していたということで。
移動距離については個人差ありで、イビルアイは平均よりはずっと遠くまで移動できる感じ。




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STAGE46. 支配者失望する/変ワラナイ日常ト戦場ト(20)

注)モモンの声色と口調については、鈴木悟の素の声口調になっています
注)一部残虐的な表現や衝撃的場面があります
補)後書きに時系列あり


 ――攻め来る竜王軍団側へ対する(しん)王国(じんるい)側の反撃。

 王国側の待ち侘びるその攻撃の実行には幾つかの条件が立ち塞がっていた。

 (いず)れも絶対的支配者(アインズ)の望みし、人間達にとっては知る(よし)もない厳しい内容だ。

 それは戦いの日を重ねるごとに見えない形で少しずつ埋まって収束し、やがて完成する――。

 

 

 

 

 

 

 

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグの軍団とリ・エスティーゼ王国総軍が王国北西部の穀倉地帯で派手な戦闘を繰り広げていた。

 竜軍団の宿営地を広大に包囲する形で布陣した王国側だが、大差での劣勢は2日目、3日目、4日目と日を追って、より顕著になっている。

 酷い戦況にも、未だ周辺へと潜むバハルス帝国やズーラーノーンなどの外部戦力は表に現れず。

 

 現状の結果として、王国軍側の死傷者総数は既に9万人を超えていた……。

 

 それでも王国軍は撤退しない。殆どの上位戦力を投入している事もあり、『次』は存在せずだ。

 開戦時20万の兵の後にも、2万5千強の援軍が各大都市から到着しており、戦場へ順次投入されている。

 対して戦闘開始前、竜王側も「一度でも苦戦すれば撤退」の知らせと共に、竜王妹ビルデバルド率いる竜兵150頭の援軍が参陣済み。

 両者とも引く事の出来ない、これは正に総力戦である。

 とは言え、竜王側の戦力は圧倒的。一部の冒険者達が竜兵を2,3匹倒したところで、連日で兵達数万の死傷者を出す悲惨な王国側の現状にとって焼け石に水なのは明らかと言える。

 戦場全域は今日も(ドラゴン)達の吐く業火が広がり、時間稼ぎに徹する人間達を一方的に未来展望の見えない地獄へと導く。

 

 

 そんな中でも、絶対的支配者であるアインズはナザリック地下大墳墓での日課を欠かさない。

 先日はラキュース達『蒼の薔薇』、今はボウロロープ侯爵暗殺の件でゼロ達『六腕』と合流していようともだ。

 至高の御方は淡々とマイペースを貫く。

 死の支配者(オーバーロード)である彼にとり、竜軍団と王国の戦争そのものは大きい目的の一舞台装置に過ぎず、大量の王国側の犠牲者へと向ける思いも殆どない。

 戦地で気を使っていると言えば、ガゼフとニニャ達『漆黒の剣』や『八本指』関連、あとは後日に竜王国へ向かってくれる予定の冒険者達ぐらい。国王であるランポッサIII世の生死すらも眼中に存在せずだ。

 元々はアインズの責任外の場で発生した戦争であり、相乗りさせてもらっている感覚。

 過程はともかく、最終的にガゼフの望むだろう結末として王国側を勝たせれば、王家にも王都での礼を十分返せるとみている。

 それよりも。

 

(プレイヤー達はまだ出てこないなぁ、う~ん。まあ、それほど目立つのが面倒なんだろうな)

 

 己の今置かれた王国での多少面倒な状況を考え、そんな想いがアインズの胸中に浮かぶ。

 ガゼフ程度の低位といえる水準の強さでさえ、日々国家の柱として大変な責任を持つのだから。

 ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』でも好きな事はとことんこだわる仲間達も、面倒なギルド運営面での協力について大体が割り振られた担当分を熟すに留まっていた。

 結局最後は、残ったアインズ自身が健気に丸ごと維持管理し続けた訳で……。

 体験があるので現状、プレイヤー達が姿を見せないこの状況も彼には何となく納得出来た。

 

 今朝方も含め、支配者(アインズ)は殆ど毎夜2時間程ナザリックへと戻っており、アンデッド作成や執務室で仕事を行っている。これも悲哀のサラリーマンやギルドマスターの勤勉さというべきなのか。

 そういう最後の(あるじ)だからこそ、階層守護者達も張り切るのである。

 今も第九階層に置かれる荘厳な『アインズ様執務室』を訪れたアウラが、御方の座る漆黒の大机前のフカフカ絨毯に片膝を突いていた。彼女はナザリック第五層『氷河』へと運び込んだ(ドラゴン)の遺体移送の報告を元気に伝える。

 

「――先程昨日分の(ドラゴン)2匹の死体を運び終わりました。アインズ様、報告は以上です」

「うむ。ご苦労、アウラ」

 

 絶対的支配者として精一杯の威厳を持たせるように、アインズは黒革の大椅子へと深くもたれながら重々しく臣下を労う。

 本来ナザリック内にいつもあるべき至高の御方の姿を見れて、(ひざまず)いて控えるアウラはとても嬉しそうに微笑む。

 当初、命じられていたのは竜軍団の宿営地に点在していた5体の死骸回収のみのところを、NPC達により作業が拡大延長されている。現在出撃中のシャルティアに出撃直前、〈転移門(ゲード)〉を一度使わせて15体をナザリックの地上出入り口前まで運んでいる。

 シャルティア出撃後は、責任者のデミウルゴスか補佐のアウラの指示で魔将らによって〈転移〉で1体か2体ずつ運び込んでいた。以前回収済みの15体を合わせると総数で35頭にもなる。

 素材の宝庫といえる(ドラゴン)の死体在庫数としてはもう十分だろう。

 ただ此度、ズーラーノーンの計画する『混沌の死獄』と過去の『死の螺旋』に鑑みて、彼奴(きゃつ)らの作戦領域から排除という意味でも作業を継続していた。

 闇妖精(ダークエルフ)の少女が報告し終わるとアインズは静かに黒の大椅子から立ち上がり声を掛ける。

 

「さあ立つがいい。もう楽にしていいぞ、アウラ」

 

 報告まではけじめとして重々しくしていたアインズ。

 しかしそれが終わり、支配者は懸命な配下のアウラを、大机の前の空間にあるソファーへと頭を撫でてやりつつ誘う。

 

「ソファーに掛けて少し話そうか」

「はいっ」

 

 ナデのご褒美をもらい上機嫌のアウラは、快活に返事を返す。支配者に促され、白ベストにズボンの少女は向かいの席へ足を揃えてお行儀よく座った。

 漆黒のローブが邪魔にならない形で、向かい側へのんびりゆったりと座ったアインズは『アインズ様当番』のメイド、デクリメントへ指示し冷えた炭酸入りの果実水をアウラへと出してやる。

 

「どうだ、外での仕事もあって疲れていないか?」

「全然大丈夫です、アインズ様」

 

 出された果実水をコクコクと飲み、元気一杯のいつもの雰囲気や可愛く揺らす艶の美しい金髪姿から、少女に疲れは感じない。

 

「そうか、ならば良いが」

 

 普段通りの活発な様子に安心したアインズは続けて、先日のアウラの報告書に少し気になる内容があった事を思い出し、それを尋ねる。

 

「そういえば、デミウルゴスが聴取したトブの大森林在住の各種族の者らを、第六階層の一角に集めて置いているそうだな?」

「はい。村を用意して今10体程預かってます。ペストーニャの願いもあったりしてデミウルゴスも処分するのは見送ったみたいで、あたし達の階層内での世話を頼まれました。まあ食べ物も自生してますし、第七階層『溶岩』は熱すぎてみんな死んじゃいますから」

「ふむ」

 

 第七階層は、耐炎特性や耐熱のアイテムでもないと、弱者は火傷し体力がどんどん下がりやがて死に至る階層なのだ。

 支配者は腕を組むと、この件で頭の中に色々と考えを巡らせる。

 

(へぇ。デミウルゴスは、ナザリック以外の者達へ余り慈悲を見せない気がしたんだけどな。ペストーニャ辺りのお願いだと考慮するのかな。それとも、今後の作戦で有効利用出来る者達なのか)

 

 この辺りの最終目的について、ヤツの報告書には明確な記載がなく、急でこちらへ話を振られれば返答に困る事態も考えられた。故にそれっぽい事をいくつか考えておく必要があるのだ。

 直接デミウルゴスに聞いたりアルベドに確認したりしないのは、無論ボロが出て彼等をガッカリさせないための予防線。

 因みに今、アルベドはこの部屋に不在だ。()()()地上の中央霊廟前で待ち構えられたかの如きドンピシャでの彼女の出迎えを受けた際、「書類確認の終わる1時間後に、基礎工事開始が近い小都市の件で打ち合わせだ」と告げていた。一応時間を決めると、統括の彼女は御方の都合に従ってくれるのである。それがないとアルベドは最近在所中に、『アインズ様、わたくしに何かご用はありませんか?』と艶っぽく傍でずっと控えている事も多いのだ……。

 支配者がアウラへ『ジャングル村』にいる連中の話を幾つか聞いたのち、「さて、今日はこれぐらいか」と口にした時のこと。

 一般メイドは居るものの、ここはマーレやシャルティアにアルベドもいない絶好の空間として、アウラが尋ねる。

 

「あの、先日のご褒美の件について、今お話ししてもいいですか?」

「おお。なにか決まったか、アウラ?」

 

 先の魔樹捕縛のご褒美を保留していた彼女。

 アウラの言葉と様子から、今すぐ実行という感じではないことからアインズは尋ねた。

 少年ぽい衣装の少女は、頷きつつ少し変わったお願いを伝えてくる。

 

「はい。今度、トブの大森林へ散歩がてらアインズ様と一緒に―――攻め込んでみたいです!」

 

 どうやら金髪闇妖精(ダークエルフ)の姉はトブの大森林への侵攻『ハレルヤ作戦』において、至高の御方と共に少々行動したい模様。それを褒美にと彼女はドキドキしつつ所望(しょもう)した。

 

(アインズ様に、戦場は遊び場じゃないって怒られない……よね?)

 

 妹のマーレは冒険者チーム『漆黒』で(あるじ)と一緒に戦闘を行っているが、アウラはまだそういう機会が無かったためだ。ハムスケの時とエンリ誘拐の際は随伴しつつも傍観し、クアイエッセ殺害の折は位置を知らせたのみで終わり、いずれも今一つだった事もある。

 また自身で丹念にトブの大森林を調査した彼女にしてみれば、弱い森の連中との戦いは散歩しているのと変わらない認識を持つ。

 大森林の中を二人で歩くが如く楽しめそうなイベントとしての提案だ。

 

「ふむ……(褒美だし、出来るなら叶えてやりたいなぁ)」

 

 虐殺や弱い者いじめ的な()()()()()での考慮は必要と思いつつ、アインズはアウラからの要望を少し整理して考える。

 アウラ自身が配下を連れて詳細に調査した地域資料内容を思い出し、大森林内勢力の脅威は小さいと判断出来る。同時に先日のナザリック戦略会議で、『ハレルヤ作戦』の序盤における指揮官にアウラは入っていなかったと記憶している。その段階でならアインズとアウラが半日程度、戦場の隅っこへ入ったところで影響はないだろうとも思えた。

 ナザリックの支配者は、目の前へ座る小柄で可愛い配下の者へと伝える。

 

「――よかろう、アウラ。ただし、森への侵攻戦の時で、主戦場からは多少離れるぞ」

「はい! それで十分です」

 

 アウラは結構我儘(わがまま)かなというお願いが敬愛する御方に受理されて、満面の笑みを浮かべた。

 

「ありがとうございます、アインズ様! それでは失礼しますっ」

 

 報告を終え要望も通り、白ベスト下に見事な赤き竜王鱗の鎧を纏う小柄の闇妖精(ダークエルフ)は元気よく執務室を退室していった。

 

 

 それからアインズは、書類確認の業務を20分程のんびりと(こな)していた。

 すると、部屋の出入り口であるシックに金装飾された黒の重厚な両開きの扉がノックされる。

 扉はデクリメントによる来訪者の確認で静かに開かれ、資料を右手に持つアルベドがにこやかに入ってきた。

 勿論、指示時間丁度だ。

 アインズは奥の大机の席で、ナザリックの絶対的支配者らしく肘当てへ片肘を突き堂々と待つ。

 御方らしい姿が視界に入り彼女(アルベド)の心の喜びが漏れているのか、美麗な黒翼が(いささ)かパタパタしている。

 小悪魔の美女は資料をソファー前のローテーブルへ置くと、漆黒の大机の手前まで進み畏まる。

 そして、(あるじ)へ当然の如く低く頭を下げると、涼やかな美声が流れた。

 

「アインズ様。お呼びにより守護者統括アルベド、御身の前に」

 

 彼女がここまで頭を下げるのは至高の41人のみ――今はナザリックに残ったアインズただ一人へだけだ。

 

「うむ、ご苦労。我らの造る新小都市について、今日は城門周りの話を少し聞きたくてな」

 

 小都市といっても、要塞のようでもある壮大な規模の建造物集合体。

 一度の説明でアインズが全てを把握出来るはずも無い。なので打ち合わせと言いつつ、要点箇所を絞っての説明会みたいなもので多くの回を設けていた。何度も呼び出して時間を取らせてしまうが、地下大墳墓を六層造りから十層へ増やし大拡張した際もメンバー達で相当話し合っており『アインズ・ウール・ゴウン』として妥協はしたくないとの考えをギルドマスターとして持っていた。

 それに、統括を落ち着かせるのにもかなり効果的であったことが大きい。

 一方のアルベドも――。

 

「はい、十分にその深きお考え届いております。小都市建設は偉大なる計画の第一歩として非常に重要な案件ですので(くふふ。今日もアインズ様と二人での共同作業ね)」

 

 ――その内容は何でもいいみたいである……。

 アインズ達はソファーへと場所を移して座る。当然のようにアルベドは御方の左隣へと静かに腰を下ろした。

 まあ、デクリメントの目や天井に()()()()のされた八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)が8体も(ひし)めいているので、時折肩や膝が僅かに触れ合う程度で済んでいるが。

 本日の焦点は門についてだ。

 まず防御面で堀を設けるが、そこを石橋で地続きにするのか跳ね上げ橋にするのかの部分。

 小都市への出入口門の計画は3箇所。図面ではその内のもっとも小さい出入り口に石橋を採用する予定。正門を含む他の2箇所を跳ね上げ橋とするものだ。

 これは勿論、攻撃を受けた際に常設の侵入口を小さくし、攻められにくくするためである。

 小都市の外周壁は50メートル超と非常に高く、内壁面側へは居住部分さえ備え分厚いので地盤の強度を考え外周の殆どを堀化しない。防御面を考慮し、出入り口の門周辺部のみを水路や空堀化するにとどめる形。

 あと跳ね上げ橋にする場合、その仕掛けも分厚い壁の内部に整える必要がある。動力としては主にシモベらの力作業になるが、一部に水力や錘を使い梃子の力も利用することで作業力をかなり低減する予定だ。また外部からの侵入を考え、魔法や鍵でのロック機構も導入する。

 ナザリックの周辺地理把握の折に南方地域の探索を担当したアルベドは、城塞都市のエ・ランテルを参考に小都市の基本設計案へと色々取り込み発展させていた。

 そんな彼女からの、物理式を含む建築学の理論も交えた難しめの説明の大半を、アインズは静かに聞いている。

 もっとも、完璧と思える配下の言の細かい部分を理解するのは二の次でいい。

 ナザリックの支配者として重要なのは、良く聞いてやり――褒めてあげることである。

 支配者は切りの良い所で声を掛ける。

 

「おお、そろそろ時間か。今日はここまでだな。なるほど。仕掛けをはじめ、門の装飾部分も中々のものだ。アルベド、とても良く出来ていると思うぞ」

「くふふふ、(よしよしっ。アインズ様は満足されてるわ、イイ感じね!)はぃー。お褒め頂きありがとうございます」

 

 覚えが良ければ、近い未来の『ご休憩』時の状況もきっと変わってくるというもの。

 その時に備え、まめに第五階層の姉ニグレドの館『氷結牢獄』を訪れており、少女()()との接触を重ねている。彼女の『ビッグな計画』は水面下で進行中であった……。

 アルベドは満面の微笑みを浮かべ、(あるじ)へと礼をした。

 その様子を見てアインズは次回に言及する。

 

「ふむ。次は上下水道辺りの話を聞きたいな」

「畏まりましたわ、アインズ様」

「さてと、私はそろそろ〝地底湖〟へ行かなくてはな」

 

 小一時間が過ぎ、アインズはアルベドと共に執務室を後にする。日課の最後に乗馬の訓練で第四階層へと向かうために。

 

 

 乗馬練習は歴戦の戦士モモンに必要だとして始めた事。

 しかしNPC達の気遣いから、まず裸馬であったゴーレム馬が非常に豪華な飾り付けへと変わった。そしてここ数日は『地底湖』の周回路がジワリと整備され始めたのである。元は荒い岩地なのだが土が入り、更に今日は部分的に芝生(ターフ)化され始めている。そして上達するうちに、気が付けば指導担当として蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)が加わっていた……エスカレートしていく状況に、ぼちぼち練習の辞め時かもしれないなと支配者は思っている。

 30分程の練習を終えるとアインズは指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)で第五階層『氷河』へと向かう。同階層に建つ『氷結牢獄』の館へとルベドを迎えに立ち寄るためである。

 今、館内に評議国で保護した()()が居る為、ニグレドからのあの狂った出迎えはない。どうやら腐肉赤子(キャリオンベイビー)とは違い、子供らしいミヤの振る舞いに『子は居る』と認識しているようで、館内には暫しの平穏が訪れていた。

 なので、割と気軽にカルネ村から時々キョウや、今もルベドが来ている。

 カルネ村の探知防衛だが、先日のエンリ誘拐騒動以降、『同誕の六人衆(セクステット)』のフランチェスカが王城潜伏で外れるもエントマは継続させて残し、連絡しあえば互いに少しの時間なら場を空けても問題ない体制へとアインズが変更済みだ。

 ルベドは、アインズと共にナザリックに帰ってきていた。『六腕』との合流は普段と違う()()()()アインズと彼女だけであり、偽アインズのナーベラルやソリュシャン達は出陣したシャルティアと王都の北50キロ程の場所で現在待機している。

 『氷結牢獄』の領域守護者であるニグレドは、黒服を纏い廊下に立ち長い前髪に隠れたむき出しの眼球を光らせるも、普通にアインズを館の中に迎えた。

 

「これはアインズ様。よく出来た下の妹(ルベド)のお迎えでしょうか」

「うむ、そうだ。それでルベドは――」

 

 窓から、吹雪の凪いだ館の庭でいつもと違う赤い衣装のルベドがモフモフの翼をはばたかせ、上質で可愛い衣装を着るミヤを乗せ飛び回っているのが見えた。

 まだ子供のミヤはキャッキャと喜んでいる。

 

「フッ」

 

 満足気に支配者は微笑む。実に穏やかで平和な光景について、アインズはニグレドと廊下を並び歩きながら途中で現れる窓越しに目で追っていた。

 地上の遠方では、今現在も劣勢極まる王国側の血が大量に流れる凄惨な戦地の空気も状況も、栄光ある偉大なここナザリックには一切関係ない。

 

「ハハ、両名とも楽しそうだな」

「ええ。ミヤのお陰でわたくしも随分寂しさが紛れております。アインズ様、あの子をここに置いて頂き本当にありがとうございます」

 

 アルベドとルベドの長姉は、至高の御方へと心から頭を下げた。

 表皮のない顔面に満面の笑みを浮かべているだろう強面の彼女は話を続ける。

 

「ここ最近、よく出来た妹達、ルベドや――アルベドもミヤへ会いに()()()()()()()()し、誠に嬉しいことです」

「――(えっ。ルベドはともかく、アルベドもなの?)」

 

 一瞬の動揺も含む疑問を心に浮かべた支配者。

 しかし、アルベドはネムも可愛がっているように見え、もしかすると子供好きという可能性は十分にあった。同時に彼女が周辺調査のご褒美として、アインズとの分身的無垢なるイキモノを欲している雰囲気を感じ、釘を刺した過去も思い出す。

 

「……それは良かったな」

 

 結局アインズは、諸事を前向きな考えで飲み込んだ。

 中庭へ続くテラスのある部屋で「アインズ様っ!」と元気に近寄って来たミヤを、支配者は抱っこしてやる。

 この子の順応性は特に高い様子で、腐肉赤子(キャリオンベイビー)で溢れるニグレドの部屋や彼女の顔面にもすっかり慣れた上、片言だった言葉も随分改善されていた。

 

「アインズ様、今日もすぐにルベド様と行ってしまわれるのですか?」

「うむ。来週ぐらいまでは色々と忙しくてな」

 

 絶対的支配者は、キョウの義妹とはいえまだ子供に生々しい話をする気はない。

 

「ミヤはここで我々ナザリックの事を学びながら今暫く過ごすとよい」

「はい」

 

 そうしてミヤへ未練がましく後ろを振り返るルベドを従えるアインズは、ニグレドと手を繋ぎ空いた右手を振る少女に見送られて『氷結牢獄』を後にする。

 ナザリック地表部の中央霊廟を出たところで『同誕の六人衆(セクステット)』の1体である蛮妖精(ワイルドエルフ)のジルダへ指輪を預けると、支配者は〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉で外形を変える。

 その姿は戦士ではなく、赤いマントに全身鎧(フルプレート)ながら長身細身で真黒の騎士という出で立ちだ。腰に洋剣も差す。

 ルベドもいつもの白き鎧ではなく、深緑で白淵の兜や鎧を身に付け灰紺のローブを羽織る。

 姿へ偽装を施す両者は、程なくナザリックの地をアインズの〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉で離れた。

 

 

 

 

 アインズとルベドは『六腕』との共同野営地へ戻って来た。今の時刻は午前3時16分。

 まだ周辺は闇夜の中。

 ここは、暗殺標的のボウロロープ侯爵の陣から南へ500メートル程離れた場所である。

 侯爵陣営としては、この戦争が例年のバハルス帝国との戦と比べ危険度が高すぎる為、名より実を取り影武者まで立てて本陣は当初からひっそりと最後方へ下げて置かれている。竜王軍団の宿営地からほぼ真南へ30キロ程は離れた場所だ。周辺は戦闘前、王国の工作兵達により作られた簡易の物資貯蔵庫群が点在している地域。侯爵の陣近くへ、時々戦地まで物資を運ぶ兵達がやって来ても、「この先は六大貴族様の特別な物資が保管されている」という名目で人払いされていた。

 此度も侯爵は、4万超の国内で最大兵力を領地から投入し反国王派貴族達と南側から西側方面軍までを率いており、総指揮官となっているレエブン侯や場合によっては国王からも伝令を受ける立場。総指揮官と将の場所が遠ければ連絡は遅れそうなところも、リットン伯爵やボウロロープ侯爵の所有する高価で非常に希少な便利アイテム類の効果から遅延は少ない。

 最も活躍しているのがトランシーバー的な通話アイテムで、(つい)の腕輪や指輪などだ。

 〈伝言(メッセージ)〉とは違いアイテムが反応して毎度直通の為、割り込みを許さず信用度も高い。

 勿論、アウラとマーレ姉妹の持つ『どんぐりの金銀ネックレス』程のずば抜けた性能ではない。彼女達のネックレスは長距離や殆どの情報系妨害を突破し通話出来る稀なアイテムである。

 侯爵らの持つアイテム類は通話距離も短く、低位妨害や防御されても不通となる程度の性能だ。それでもこの世界では非常に高評価され希少で高価。どれも普通に金貨で数万枚を数える値が付くだろう。

 番外としては、小さめの手鏡を動かすと遠隔地の壁の額縁に納まる絵画に描かれた女性の目を通して遠い場の様子が見える――という御貴族様のノゾキアイテムもある。本来は数キロ離れた本拠地屋敷内の仕事や様子を確認する為の物。まあ日常的には猥褻目的でフル活用されているが……。

 侯爵の敷くこの陣は、王を真似て精鋭200名程で周囲を固める一部が地下化された陣地。地下化とはいっても突貫で人力掘削した広めの坑道的なものだが。

 こうしてボウロロープ侯爵は、腕輪を渡しているレエブン侯からの指示を結構安全な地の陣内にて(つい)の腕輪で受け、指輪を使い激戦区にいる配下の筆頭騎士団長へ命令を出している。

 アインズは王城内において国王とレエブン侯の会話を盗聴していたソリュシャンからの報告で、この陣地の大体の位置を掴んでいた。統合管制室のエクレアへ命じ、戦闘前より俯瞰位置から動きを追跡。随時監視中である。

 ただ『八本指』側でも諜報に動いていたようで、『六腕』との共同野営地はゼロ達が誘導した地点に置いている。

 

* * *

 

 『六腕』はラキュース達とは違い、『八本指』の組織ごと仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の傘下に入った者達だ。今回、ゴウン氏達と初めて作戦を共にする場へ立ち、ゼロ達が自らの存在価値を示すのは当然の事と言える。特にやり手で『警備部門』を仕切る男はこの機を見逃すはずがなかった。

 ゼロ自身も地下犯罪組織『八本指』の未来を見据えつつも、強大な大悪党のゴウン氏に『警備部門』と組織の力をまず高く認めてもらう為、他の5名のメンバーを上司達との合流・移動前に鼓舞していた。

 

「今日中には、ゴウンさんと側近のルベドさんがここに来るはずだ。お前達分かっているな? 何事も初めの印象が大きく残るって事を。今回の作戦で俺達〝六腕〟と組織が抜群に役立つところをお二人にしっかりと認識してもらうんだ。信頼を得てこそ〝八本指〟の発展にも繋がる。忘れるなよ!」

「「「はい、ボス!」」」

 

 メンバーは、ゼロが裏世界で一人一人ひとかどの人物として見付け、声掛けし集めてきている。

 その中でサキュロントは戦闘力だけでみれば相当微妙である。しかしこれまで多少無理な指示を告げても、逃げずそれなりの成果を出してきていた。悪党らしい弟分として認め置いている。最近もゴウン氏の家人の危機を運もあるが駆け引きしつつ救い褒められており、小さくない成果を上げていた。

 ゼロは強く怖い悪党だが、仲間を簡単に切り捨てたりせず面倒見のいい懐の広い男であった。それだけに『警備部門』の結束はかなりのもので、ゼロが命じれば死を覚悟で動く者が相当数いる。

 デイバーノックも、アンデッドの死者の大魔法使い(エルダーリッチ)であり、本来は正に恐怖の存在だ。だが奴の知性は増悪を抑え、裏社会内であったが人との生活に近い中で『魔法という力をより使いこなす』目的に生きようと努力する。一方で、世知辛い彼の周辺はアンデッドをやはり拒絶していた。そんなデイバーノックの噂を聞いたゼロが、魔法を勉強できる環境を提供する見返りに『六腕』へ引き込んだ。

 アンデッドながら彼の高い知性と強力な魔法技は、困難な戦いを経るごとに仲間から信頼を勝ち得ていく。初めは怖がっていた『警備部門』の警備員も、彼に救われた者やその班員から仲間として接してくれるようになっていった。『六腕』へ加わって数年が経ち、『警備部門』内でデイバーノックはほぼ人の如く普通に過ごせている。

 無くしていたはずの人の心的な熱い思いが、(デイバーノック)の中に湧く。

 ――将来、力を付けてもゼロをはじめ、仲間である『警備部門』の連中は絶対に殺さない――と。

 そんな彼が魔法技の次に皆から頼られているのは、不眠部分を生かした夜番だ……。

 

 以上の二名についてはゼロ自身、ゴウン氏の不満の種にならないかと一抹の不安が存在する。

 サキュロントは他と二段程も低い実力を指摘されないか。デイバーノックについては、やはりアンデッドの部分で不興を買い、放逐や解雇しろと言われないか等々。

 他の3名、優男のマルムヴィスト、全身鎧のペシュリアン、薄絹姿のエドストレームは実力面で難度90にも届き、余計な事は仕出かさないのでそれほど不安視していない。

 一点気になるとすれば、密かに『警備部門』の男連中に人気のあるエドストレームの美貌へゴウン氏が興味を持つ事だろうか。

 これまでに知る仮面の魔法詠唱者の側近や家人には、()()()()()()()。ゼロから見て、彼は間違いなく面食いの好色と考えられた。

 ゼロ自身も勿論、女は嫌いでは無いが、これは扱いの極めて難しい問題といえる。

 エドストレームは『六腕』へ加わる条件として、莫大な金の前借りに加え『体を売らない』という条件を出していた。戦力調達を優先し『六腕』のリーダーはそれを飲んだ。

 ゼロを前に淡々と言い放った彼女である。ゴウン氏を前にしても態度は変わらない様に思えた。

 ただエドストレームについては『警備部門』内でも浮いた話を聞かない。色気漂う衣装姿に対して、意外に操が堅い女のようなのだ。

 

「――なんか急に難しい顔してどうしたの、ボス?」

 

 不意に当のエドストレームから声が掛かり、いつの間にか眉間に皺を寄せ視線を下方へ落としていたゼロはハッと我に返る。

 

(今は、ゴウンさん達と合流してボウロロープ侯爵の暗殺成功へ注力すべきだ)

 

 詮無きことを少々あれこれ考えてしまった部門長は、思考をさっと切り替えた。

 ゼロ達は『八本指』の代表としての認識で若干の緊張と共に合流の場へと臨む。

 

 そんな『六腕』の6名とゴウン氏とルベドの合流は、支配者が『蒼の薔薇』へハンゾウ投入のテコ入れを行い偽モモンの件を片付け、シャルティアと合流し王都北部の後方駐留地へ移動した後。竜王軍団の戦闘再開から2日目のお昼前の話になる。

 場所は旧エ・アセナルの南西方向へ40キロ程の地で、大街道が海岸付近から真東に向かう長い直線の、内陸の大街道との合流点近くだ。

 晴れた空よりゴウン氏達が〈飛行(フライ)〉で現れた姿に気付いたのはゼロ本人。夏の陽射しを避け、街道から少し離れた見通しの良い木陰にいた彼らはぞろぞろと出てきた。

 夏場の熱い空気の街道脇へいつもと異なる姿の二人が降り立つと、ゼロが声を掛ける。

 

「どうも、ゴウンさんにルベドさん、お待ちしてました。これは、お二方とも変装が似合ってますな。野営関連の準備も整ってますんで、いつでも動けますぜ」

「そうか」

 

 当初からゼロ達の方で荷物支度をすると聞いており、実際ゴウン氏とルベドはほぼ手ぶらだ。

 ゴウン氏はここで、準備とは別の点が気になり『六腕』のリーダーへ伝える。

 

「あと私達へ――そのいつもの呼び方は少し困るな」

「なるほど、それもそうですね」

 

 ゼロが同意しつつ頷いた。

 ルベドの方は兎も角、ゴウン氏の方は魔法詠唱者と全く別物の()()姿()である。

 見るからに高価そうな二人の装備類も、元々が破格の装備をしていたので今更驚かれず。事前に変装して向かう話はしており、ゼロ達に混乱はない。

 ゴウン氏は相変わらず面頬付き兜(クローズド・ヘルム)で顔は見えないが背丈や声は同じで、護衛の兜の面を上げたルベドの顔は『六腕』の全員が覚えていた。深夜会合での恐怖の戦闘体験が、彼等の記憶に強く刻み込んでいたから。

 しかし、変装してもいつもの名前で呼ぶと意味がないのは道理。

 ただ、呼び名までは指示しておらず当然の状況と言える。

 

「じゃあこのあと、どうお呼びしたらいいんで?」

 

 『六腕』のリーダーの問いに、長身細身の騎士姿のアインズはふと()()()()()自分の仮名(かりな)を考える。

 

(まあ――ダークャヤェーとかグッニピョッコでいいかな。……んー)

 

 しかし、だ。

 正確な発音すら困難に感じて、自分で付けるのはイマイチかもという考えが同時に(よぎ)る。気付けば丁度目の前に今、ゼロ達がいるではないかと。

 なので連中に付けてもらう事にする。

 

「あー、悪いがゼロやそこのレイピアの得意な、確かマルビュ……(あれ?マルベ?)」

「(――マルムヴィスト)」

 

 すかさずルベドが極小声でフォローしてくれた。前に彼女自身が剣先で軽く喉元を突き刺した相手でもあり、某戦闘メイドのような名前へ関する失態はこの天使に無縁みたいだ。

 

「そうそう、マルムヴィストといったか。他の者も、私の仮の姿の武量を少しみて、似合う名を付けてくれ」

「了解です」

「是非に拝見しましょう」

「御意」

「わかりました」

「……心得た」

「イイのを考えますよっ!」

 

 ゴウン氏は張り切るサキュロントら『六腕』から数メートル離れると、とりあえず腰の洋剣を抜き放つ。一応強度は細身の分、以前のグレートソードよりも頑丈にしている。

 両手で剣を握り込むと騎士は一瞬で数歩分を移動し、エックス字に斬り込み即周囲を横一文字に切り裂く動きへと繋げていく。これまで冒険者の戦士としての経験へ騎士風味を加える形で2分程披露する。斬撃総数は余裕で3ケタに乗っていた。

 難度で言えば、モモン並みで100に迫るぐらいだろうか。

 ゴウン氏は、最後に鞘へ静かに剣を納め『六腕』達へと向き直る。

 

「……?」

 

 ルベド以外の者達の様子がオカシイ。皆、目を見開いて固まっているように感じられた。

 その中で、視線が合ったマルムヴィストが、ビクリと反応する。彼が驚いたのは、魔法詠唱者(マジック・キャスター)の者なら有り得ないはずの動きを、目前のニセ騎士が難無くしてみせた事であった。

 

「お……お見事です。剣先を捉えるのが難しいほどとは」

 

 彼の動体視力はゼロを凌ぐほどであるが、その優男の目を以ても相当な水準であった。

 同様に剣では自信を持つペシュリアンとエドストレームも世辞ではない言葉が続く。

 

「驚きです。まさか剣でもこれほどの力量とは」

「素晴らしい腕前ですわ」

 

 アンデッドの〝王国の不死王〟デイバーノックも乾いてしわがれ気味の声を震わせる。

 

「……貴殿は本当に魔法詠唱者(マジック・キャスター)か? いや……人間か?」

「……(俺には動きが殆ど見えなかったんですけど)」

 

 その横で、武力の低いサキュロントは特に呆然としていた……。

 最後にゼロがゆっくりと手を叩き始める。他の5人も順に大悪党の上司へと拍手する。いつの間にかルベドも加わって。

 その中で、『六腕』のリーダーが伝える。

 

「やっぱりゴウンさん、あんたは凄いな。俺は本当にあんたを尊敬する。その気なら()()()()最高の騎士にも成れるだろう。今、そうだと紹介されても――俺は本気で納得するぜ。知る限り王国をはじめ、帝国にも騎士としてゴウンさんほどの使い手を俺は知らないからな」

 

 ゼロは勿論、戦士長のガゼフや刀使いのブレイン・アングラウス、『朱の雫』の剣士アルベリオンに『蒼の薔薇』のラキュースとガガーラン、法国の謎の女剣士やローブルの聖騎士レメディオスなどの強さも伝え聞く。

 同時に配下のマルムヴィストも相当の使い手だと認識している。優男の方が剣技や実力はゴウン氏よりも上かも知れない。しかし、奴の得物は随分細身のレイピアである以上、力強さが少し欠ける印象。

 戦士のペシュリアンにしても、変則的な柔らかい鉄で出来た「ウルミ」という鞭のような剣であり、異端の感想を持つ。

 強さで甲乙付け難いが、ゴウン氏の腕は最高水準の武量と語っても過言にはならないと感じた。

 それほどの腕前に似合う騎士の名となると、と――ゼロは思考する。

 横からマルムヴィストがリーダーへと耳打ちした。それに〝闘鬼〟は頷く。他の者も耳打ちしたがリーダーは首を横に振ったり(かし)げた。

 結局マルムヴィストの意見をゼロは伝える。

 

「ゴウンさん。それで名前なんですが――黒騎士〝ゼヴィエス〟とか、どうでしょう? 何百年も昔、南方に〝ぜう゛ぃおす〟という有名な黒髪の騎士がいたらしいんで」

「ほう……(まあ、なんでもいいよな)そうだな。では出発以後、作戦中はその名で呼ぶといい」

 

 二つ名までいきなり付いているがゴウン氏はOKした。

 

「あと、口調も少し無口へ変えようと思うので、上手く察してくれ。不明な事は質問を増やせ」

「分かりました」

 

 なお、ゼロの案は「カンデト」、ペシュリアンは「サヴァイオン」、エドストレームは「アーイン」、デイバーノックは「キッチョーム」、サキュロントは「マラーマクス」であった。

 一方もう一人、面を下ろした兜で顔を隠し灰紺のローブを纏うルベド――少し小柄ながら、大きめの胸を強調する深緑で白淵の鎧を身に付ける彼女については、エドストレームの意見『ルーベ』に決定した。

 デイバーノックの「イッキュー」とサキュロントの「パイーン」は共に不採用で終わった……。

 ゴウン氏達の仮の名も決まり、一息ついてから出発ということで木陰へ移動。今のうちにと40分程の昼食休憩を取り、一同は早々と荷を纏め終わる。

 移動については、ゼロから馬を使うと説明された。デイバーノックは一応〈飛行(フライ)〉も使えるが、他のメンバー5人についてはそう上手く運ばない。ここは移動手段を揃えた形だ。

 話を聞いたゴウン氏ことゼヴィエスは反論なく、ただ頷いて受け入れる。

 

(ここは信頼だな。それにゼロへ任せた方が楽そうかな)

 

 〈全体飛行(マス・フライ)〉という手もあるが、『六腕』達は移動部分で既にやる気を見せていた。なのに何でもかんでも上司が片付けては、支配者の自己負担も増大し組織の成長もなく、いずれ成り立たなくなる部分を考慮する。

 主人(アインズ)が納得して決めた様子に、ルベドも黙して従う。

 ……今でこそ純朴で簡単に従っている様に見える最上位天使(ルベド)だがこれは奇跡と言えよう。

 彼女は現状のナザリック内の個で最も強い。

 ユグドラシル最終日だったからなのだろう―――製作者である至高の41人のタブラさんに起動されていた彼女。恐ろしい事に彼女の起動時の『指揮権』は『AI(自己)』設定になっている。

 多分タブラさんの個人的な戯れだ。

 このため、至高の面々に縛られず概ねアルベドら姉達の関係重視という『キャラ設定』が個性へ強く残っていた形。

 新世界への転移前にたまたま、辛うじてギルド武器の杖『スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』で設定を改竄していたが、それでもルベドは至高の存在を多少意識した程度。

 

 そう、一歩間違えば(モモンガはア●ベドからの愛に監禁されて)全てが転移後1週間で終っていたかもしれなかったのである……。

 

 しかし転移後、アインズはエンリらエモット姉妹を助けるところから、姉妹大好きな奴の興味を引くことに()()成功。まあ助けたのだからと()()()()()が姉妹を大事にする態度に、ルベドは感嘆しナザリックの怪物天使は徐々に心を開いたのだっ。そしてルベドがいくつか役目を熟した頃……最大の難関で居たニグレドへ、御方は「ルベドは随分役立った」と告げて末妹を見直させ、三姉妹の仲を見事に取り持つことを成し遂げる。

 その時、運命や歴史が一気に動いた。

 ルベドは敬愛を込めてアインズを主人として認め、ナザリックに真の平和が訪れたのである。

 これは、あのデミウルゴスでさえも容易ではない偉業―――メデタシメデタシ。

 ルベドより支配者へと贈る姉妹同好の称号も『同志』から始まったが、最近『会長』『上級者』『達人』という高水準へ到達している。まだ上があるらしいが。

 ただ、未だ時々究極の選択が訪れるのは……気にしない方向で。

 

 いよいよ『六腕』の者等と暗殺作戦への出発に際し、支配者は確認としてゼロへ問うた。

 

「それで、侯爵の陣の場所は……行先は決まっているのか?」

「はい、勿論です。我々〝警備部門〟と〝暗殺部門〟が共同で諜報活動に当たりましたんで」

 

 ゼロは用意した下準備に自信を持ってゴウン氏へ答えた。

 

* *

 

 先日以来『八本指』の各部門の(おさ)達も、これまでとは状況が変わったと感じている。

 今までは自分達が、『八本指』のボスとも殆ど対等に肩を並べるトップの位置であった。

 ところが組織の上に突如、圧倒的な力を持つ仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)ゴウン氏が立ったのである。以前の様にボスへ融通を利かすという裏技が、場合によっては命取りになり得る新体制へと変わったのだ。

 リアル社会で分かり易く言えば、いきなり会社が見ず知らずで個性の強い外国人に買収されたようなものであろう。

 新たな盟主の流儀が分からず、無能だけでなく相性の合わない者も一瞬で淘汰されるかもしれない恐怖。

 『八本指』の組織内でも、見えない部分で手探り的な競争と動きがもう始まっている……。

 君臨した仮面の男は何を最も求めているのか――と。

 『奴隷売買部門』長のコッコドールは、王国内の物価急上昇により生活へ窮する民衆が続出する中で家々を配下に訪問させ、社会の闇に隠れて娘の身売り勧誘をやんわりと上手く積極的に推進。奴隷禁止令がある中で斜陽だが、グレー部分の娼館業を拡大させようと動いている。また最近、帝国内から金貨千枚で手に入れた元子爵家の()()()()()()若く美しい身売り令嬢を、ゴウン氏へ上納予定。

 『暗殺部門』の長は、既に大都市リ・ボウロロール内で暗殺隊を編成し、敵対しそうな地下組織の有力人物の間引きを開始している。

 『密輸部門』の長は既存の帝国方面の拡大に加え、隣国ローブル聖王国のとある南部西方貴族との結託を模索中。現地特産品を関税無しで大量に密輸する経路を新たに増やそうとしていた。『麻薬取引部門』とも連携強化予定。

 『窃盗部門』の長は、侯爵暗殺により動揺・混乱するだろう反国王派貴族達の館から、大量のお宝強奪を計画している。

 『金融部門』の長は、既に今回の大戦の不足戦費において、多くの騎士らも含め弱小貴族達へ高利で多額の金貨を貸し付けている。ギリギリで苦しい貴族連中も、簡単には破産させずに物的人的に骨の髄までしゃぶり尽くす計画である。当然『奴隷売買部門』とも連携必至だ。

 『麻薬取引部門』長のヒルマ・シュグネウスは、『黒粉』を改良中の麻薬と更に新媚薬を売り出し『密輸部門』と結んで既存のバハルス帝国への侵食に続き、ローブル聖王国への販路開拓も準備を始めていて年間総売り上げを3割押し上げるつもりだ。新媚薬については、最近身体(からだ)へ再び磨きを掛けているヒルマ自身と共に深夜のゴウン氏閨への上納を構想中……。

 悪党である『八本指』のボスは――これらの内容の多くを直接指示していた。そして屋敷の一室へと呼んだ『警備部門』長にも。

 

「新盟主のゴウン殿と共に侯爵暗殺を成功させろ。いいな絶対にだ」

「分かってるよ、ボス。でもな、あの人がくれば心配は微塵もないさ」

 

 そう告げたゼロ。当然だろう、竜の大軍団すら全く恐れない男なのだから。

 最初に軍門へ下り、多額の資金譲渡や王都内ゴウン屋敷を警備するなど、色々な面でゴウン氏へ近い所で動くゼロは、新体制下でも圧倒的優位な位置にいた。

 正に『初めが肝心』という揺るぎない一つの結果がここに有ると言えよう。

 

 それでも――慢心はしない。

 

 〝闘鬼〟ゼロは、大悪党の魔法使いともっと先の未来の『八本指』の姿を見てみたいのだ。

 

* *

 

「では――()()()()()さん、そろそろ出発しますか」

「ああ」

 

 短く答え、黒き騎士は小さく頷く。

 ゼヴィエスの話し方については、第三者との遭遇時を考慮し宣言通りに言葉少なめで。あとアインズの声音は、モモンとの関連を考えれば変えるべきではなく同じにしている。

 ルーベの口調は、元々公の場で余り口を開いておらずそのままでいく。

 

「では、ゼヴィエスさんはこちらの馬に、ルーベさんはそちらの馬へお乗りください」

 

 馬は8頭。光の輪と翼を隠した女剣士の方が先に、エドストレームから手綱を手渡された。

 続いて細身の黒騎士もサキュロントが連れて来た馬の手綱を受け取った。

 支配者の、ナザリック第四階層『地底湖』での乗馬練習の成果が、ついに今ここで試されるっ。

 

 まあ――当然、普通に乗れたが。

 

 天使の方は、馬具無しの天馬(ペガサス)に乗れるぐらいなので、普通の馬なら手綱を握らなくても全速駆けで乗れるぐらい達者だ。仰向けに寝たままでも乗れるらしい……。

 馬が訓練されていれば乗馬の初歩はそれほど難しくない。

 馬の左側から騎乗する場合、(あぶみ)に左足を掛けて(また)ぐ様に乗る形になる。慣れるまでは台か他者の補助があった方が乗り易い。(あぶみ)は浅く、足先を掛けるぐらいの感じだ。馬は基本的に臆病なので驚かさないように扱わないとパニック状態へなり易い。乗る時から優しく扱う事を心掛ける。

 手綱は、まず両手の間を30センチ程空けて上から掴むが、この時小指の上に掛けて握り、両手の間を詰めて手前に垂れている手綱をくるんと上側から回し前に垂らす。そして手綱を親指で上から押さえる感じ。握りはこれでOK。

 進み出すには、馬の腹を軽く両足踵側面でちょんと当てる感じで合図すると常歩(なみあし)で歩き出す。続けて何度か合図すれば速度は上がり速歩(はやあし)へ、更に合図し続けると駈歩(かけあし)になる。

 最終的には全速疾走の襲歩(しゅうほ)へ変わる。襲歩は全速なので5分間持つかという水準。この世界の軍馬でも15分は保てないだろう。

 止めるには自分の体を起こす感じで手綱を引けばいい。この時力いっぱい思い切り引く必要はない。馬は敏感なので気持ち引く程度でも認識してくれるから。

 方向転換については、右へ行きたい場合は右手側を軽く引く感じで馬に知らせる。左へは左手側を引いて伝える形だ。

 後退については、止まった状態で足の太腿から踵側面を馬のお腹へぴったり付ける様にすれば、ゆっくり後ろへ下がり出す感じである。

 そして指示通り動いてくれたら、馬の首元をポンポンポンと軽く叩いて褒めてやるのを忘れないことだ。

 ただ少々注意したいのが速歩(はやあし)駈歩(かけあし)へ移り速くなると騎乗者への上下振動や前後運動が出てくる。その為に馬と連動した動きをしてあげる必要があり、この辺りを長期の鞍への座り具合や障害物回避等も含めて訓練し慣れておくわけだ。

 

 全員が騎乗すると、ゼロとゼヴィエス達は大街道を東へ一列になって進み始めた。

 騎乗に慣れた一行は、軽快にパカパカ――いや、そんな蹄の音は満足に舗装されていない王国の大街道の路面事情では鳴らない。残念ながら砂や砂利を踏みしめる鈍い「ドドド」感的振動音があとへ続いていた。 

 ゼヴィエスとルーべの乗る馬には荷が積まれず、サキュロントと体重の軽めなデイバーノックやエドストレームの馬へ荷物が多めに載せられている。

 隊列は速歩(はやあし)から駈歩(かけあし)へと移動速度をあげつつマルムヴィストが先導し、数分後に大街道から穀倉地帯の南東方面へ延びる広めの畦道へと入って行く。

 一行は3時間程でボウロロープ侯爵が陣を敷く近辺へと無事に到着した。

 

* * *

 

 ルベドとアインズはナザリック地下大墳墓の第五階層でミヤやニグレドと別れ、女剣士ルーべや黒騎士ゼヴィエスとして戻って来た。

 午前3時16分のこの時間帯は、『六腕』との共同野営地で過ごす2回目の未明にあたる。

 勤勉な配下であるゼロ達には一昨日の晩、秘密結社ズーラーノーン暗躍の話を大まかに伝えていた。

 まあ、この秘密結社の話と対応については、アインズ達が共同野営地からナザリックへと一時離れる正当な急ぎの口実とするためである。

 『蒼の薔薇』だと理由付けが不自然(深夜会談では勝手に竜王(ドラゴンロード)に負けてろとしていた)であり、また竜軍団対処でも理由付けが苦しく(今は竜より侯爵暗殺の予定期間で、また元々竜兵を暴れさせ貴族の兵を消耗させる日数を稼ぎたかったはず)、かと言ってソリュシャン達の様子確認というのも無理(2時間程で往復200キロ超移動は速すぎて超長距離での〈転移〉使用がバレる)であった。

 そうして伝えたズーラーノーンの――『混沌の死獄』計画。

 なぜ知っているのかという点については、『合流直前の移動時に広域へ張られた大きな魔法の仕掛けへ気が付いた』とした。超越した魔法詠唱者(マジック・キャスター)であるアインズにしか語れない言い訳。ズーラーノーンとの関係は戦士モモンとしてであり、『八本指』側へ現時点では伝えられない内容だ。

 『八本指』の指導者としては、この組織と秘密結社ズーラーノーンの間にこれまで大きな闘争が無いと踏んでいる。クレマンティーヌや旧陽光聖典の連中から得た情報から、あのスレイン法国の諜報部隊さえもズーラーノーンの動きは掴めないほど闇に埋もれていた。裏の地下組織達さえ接触も難しく、活動方針で差もあり関わり合いは小さかったはずだと。

 対して、急に侯爵と竜軍団以外の勢力の話を聞かされたゼロ達は、驚きの声と表情を見せた。

 当然だろう。彼等もひと昔前に『死の螺旋』で小都市が滅んだ話は知っている。そんな相当危ない連中もこの戦争へ絡んでるとは想定してなかったのだ。今回、戦域全体を標的とするらしく、この野営地も影響範囲内だと聞いては……。

 それでもゼロ達は目の前に立ち、竜軍団との戦いを間近に怯まない『八本指』の盟主が短く語った言葉「手は打つ。大丈夫」をアッサリ信用した。

 ゼロ達は、何かあればゴウン氏自らが竜の軍団と共に叩き潰すのではと解釈した様子。

 ただ秘密結社の話はしつつも……絶対的支配者は『旅の魔法使い』の設定をずっと通しており、彼の真相となる強大なナザリックについては依然秘匿したままである。

 結局、昨晩に続き今晩もゼロ達へ「少し結社側を調べてくる。ここは頼む」と告げて堂々とこの場から離れていた。

 その二人が戻り、野営地近く70メートルの距離に姿を現す。

 この共同野営地も王国軍の簡易物資貯蔵庫群内にあった。物資を取りに来る兵に見つかりそうだが、当然対応済みだ。麦畑の脇にあった数メートル四方の狭い窪地を利用しており、デイバーノックの〈屈折(リフレクター)〉や〈幻影(ミラージュ)〉で他者の接近を上手く阻んでいる。周りには燃料を使わず即食べられる食料が大量にあるので非常にオイシイ場所ともいえた。

 なお、騎乗した馬達は到着当初放つ予定であったが麦畑の中、周囲に森林や草原もなく目立つ事で憶測を呼ぶ恐れから殺処分する事に。だが馬達に「姉妹がいる」という話を聞いてしまった某天使が「私がヤる」と言い、馬を連れて広大な麦畑の中を数度往復した。姉妹に種族差はない、と。昼間のカルネ村近くの草原に馬8頭が突如現れたと言う……。

 夜番で起きていた妖艶さ漂う美女エドストレーム。移動時や野営地内では、いつもの煽情的な薄絹の衣装の上へ灰黒のフード付きローブを纏っている。

 灰も降り普段の彼女の肌露出は少ない。装備衣装はあくまでも戦闘時の効果を狙ったものだ。

 

「――あら?」

 

 空間的気配で騎士と女剣士の姿を掴み、僅かに顔を上げた。でも、ルーべの高度に不可知化されている輪っかと翼についてを捉えることはできなかったが。

 戦場に慣れてきた事もあるのか軽くイビキをかき寝ていたゼロへ彼女は知らせる。

 

「ちょっとボス、起きてよ。ゼヴィエスさん達、帰って来たけどー?」

「んっ、ゼヴィエスさん? ――そうか、出迎えないとな」

 

 エドストレームに揺すられたゼロは、目を覚ますと思い出したように素早く起き上がった。

 

「帰ってきたようだね、ゼヴィエス殿達」

 

 仮眠していたはずの優男のマルムヴィストも、横になったままだが近付く存在に目を覚ましたのかゼロへ小声を掛けて来た。

 見回すと横になって動かないが全身鎧のペシュリアンも仲間の動きで起きた様子。アンデッドのデイバーノックは寝る事がないので言うに及ばず。

 『六腕』メンバーでは唯一サキュロントだけが気付かずに寝続けていた……。

 マルムヴィストらは横になったままで、その横をゼロと今夜番のエドストレームのみが歩を進めて、野営地内へ姿を見せた上司達を出迎える。

 

「お帰りなさい、ゼヴィエスさん、ルーベさん」

 

 黒騎士がゼロへと尋ねる。

 

「変わらずか?」

「ええ。今のところ特には」

 

 そう答えた太い腕を組む配下へ、ゼヴィエスも一応建前の行動への結果を伝える。

 

「結社側も動きはない」

 

 ただ、これは適当に言っている訳では無い。ナザリックの統合管制室やルーベは広域での異常を捉えていないからだ。

 

「……どうしましょう?」

 

 ゼロが静かに盟主へと、色々な意味を含めて(うかが)った。

 事前にゴウン氏が「侯爵暗殺」を掲げたわけで、『六腕』は現段階まで十分に有用な情報を示し行動も見せている。

 そういった流れから、ゼロ達は寝ているサキュロント以外、黒騎士の示すだろう次の一手への言葉に注目していた。

 一方、当のゼヴィエス(ゴウン氏)本人は。

 

(うわー、みんな見てるよ……どうしようかなぁ)

 

 方法として大まかの筋書きは幾つかある。

 まず一つ目の手は、安易で不用意となるが『六腕』に親衛隊と侯爵を討ち果たさせる事。

 合流した初日の日没直後、エドストレームとデイバーノック、マルムヴィストが気配を消し、監視の騎士らを出し抜いて陣内まで潜入している。エドストレームが地面に開く洞穴(ほらあな)傍から空間を認識し、地下8メートルに高さ2メートル半程で12メートル程北へ伸びる半円状の坑道を捉えてきた。

 (ちな)みに地下に降りるまで竪穴1本ではなく3階層になっており、騎士団が運んで来た2メートル程の角材を上手く繋げて作成した長めの梯子を使用。掘り出した大量の土は、山ではなく数軒の作業小屋に見える形で偽装し巻物(スクロール)の魔法で固められている。

 地下に居る常駐騎士の数は竪穴部も合わせて8名であとは侯爵のみ。通気口は存在するものの坑道内が人数により暑くなる為、最精鋭騎士のみに絞っている模様。あと、坑道内に仕切りは有るが布製の衝立で、十分隙間が存在する事も分かった。

 侯爵の親衛精鋭騎士200名余の実力は、流石に金級冒険者に近い猛者も少なからずいるだろうが、武技使用で平均難度90を超えるメンバーの『六腕』にすれば問題なく突破可能だ。

 王国軍兵士でゼロの進撃を止められる実力を持つ者は王国戦士長のガゼフだけである。そのガゼフはリ・エスティーゼ王国国王の傍にあり、この侯爵の宿営地にはいない。

 なので時間は少し掛かるが侯爵と親衛精鋭騎士隊の殲滅すら出来るだろう。

 だが、侯爵がこの位置に陣を置いて居る意味は『八本指』も無論調べ、知っていた。

 そして連絡アイテムの存在も――。

 

 つまり通報の危険を考えると、正体を明かす形で不用意に攻めることは難しい。

 

 エドストレームの剣を舞わす魔法〈舞踊(ダンス)〉を駆使すれば、ボウロロープ侯の殺害自体は地上からでも一応可能と聞く。

 ただし、〈舞踊〉での殺害はエドストレームの犯行と――『暗殺』だとバレる模様。

 ここまで入り組んで離れた距離だと、普通の魔法の使い手は剣を操作しきれないのだという。

 また、ゼロにしても多くの特徴ある特殊技術(スキル)を使う闘う修行僧(モンク)であり、ペシュリアンやデイバーノック達も明確な特徴を持つ。

 ポイントとして、連絡アイテムは侯爵以外でも使う事が可能なのだ。地下坑道の全員を殺しても不安が最後まで続く。

 ゆえになるべく別の手を考えなければいけない。

 次の手としては『勇ましい侯爵は竜兵からの攻撃を受け、()えない御最期』という戦死演出。

 可能なら是非、犯人役は後腐れの無い竜兵に負わせたいところ。しかし激戦区の戦場傍ならば容易であるが、困った事にこの場では演出しにくい状況であった。戦場の中心部からは20キロも離れている上に標的が地下へ籠っている嬉しくないオマケ付きだ。これはかなり困難に思えた。

 なら第3の手としては今のゴウン氏の変装を生かし、『六腕』の6名に『()()()()()()()()()程度のヌルい援護をさせ、黒騎士ゼヴィエスと女剣士ルーベで勇敢に斬り込むこと。ルーベがクレマンティーヌ程度の力を発揮すれば、騎士100名ぐらいは十分引き受けられるだろうし、ゼヴィエス自身で地下の親衛隊騎士達程度なら侯爵も含めてわけなく討てるはず。

 そして更に他の手だと、単純に殺すなら威力を持つ上位の魔法や特殊技術(スキル)を使えば楽に可能だ。

 『六腕』達を遠ざけ、単に〈絶望のオーラV〉だけでも事が足りる。心臓を潰してもいい。

 でも魔法の類は跡というか余韻が残る。調べれば分かってしまう。

 理由不明の突発的な死であればあるほど『一体誰が、何故殺したか?』という謎が大きく残る形になる。『王国六大貴族殺し』の盛大な悪名が付き、周辺国へも手配や様々な噂が流れるだろう。

 今回、魔法と関連付く手段の使用は上手くない。

 

 なぜなら――大魔法だとアインズ・ウ-ル・ゴウンが真っ先に疑われる可能性が高い。

 

 いや、戦争後英雄になった場合、まず確実に事態は発生するだろう。国内の最有力者を殺し権力中枢へ踏み込む為の布石であったのでは、と難癖を付けられるはずだ。

 対して変装の姿で斬り込んだ場合は恐らく、正体不明の殺し屋8人組に暗殺されたという話程度で済みそうにも思えた。まあ謎は残るのだけれども。

 それでも安全で現実的な方法は、やはり直接的に魔法系を使わない手だと予想する。

 内心であれこれ悩んだゼヴィエスは、ふと考える。

 

(ふう。デミウルゴスやアルベドや王女達なら、この窮状にどんな凄い方法で対処するんだろう)

 

 口に出せない色々の思いと孤独感が支配者に湧く。

 デミウルゴスとアルベドなら竜の死骸を上手く偽装して操り襲わせる手をまずは進言したと思うし、王女達ならやはり竜の組を彼等の自信のある空中で上手く挑発し誘導する手を告げたはずだ。竜兵が侯爵の陣地までくれば、強力な火炎や爆裂魔法の使用も不自然ではなくなる訳で。一方で、侯爵の筆頭騎士団長側からも情報誘導し、連絡の指輪で「地上へ出て別の場所へ逃げるよう」に進言させたりも有効。

 勿論そのまま竜兵を大暴れさせても構わないのだ。自らの手を汚さず、他者の力を上手に利用するのはデミウルゴスやラナー達の最も得意とするところである。

 しかし今このまま考え込んでいても、黒騎士の思考へ直ぐに良い考えは出て来そうになかった。

 それと現在、支配者は暗殺計画と今日の行動についてゼロからの問いを受けており、ここで皆へ何かを語る必要があった。僅かの沈黙が続く。

 黒騎士は、胸を張りつつゆっくり悠然と意味ありげに周囲を一度見渡す。そして最後に北北東となる戦場側の夜空を振り返り見上げると呟く。

 

「……結社の沈黙が少し気になる」

 

 連中の手を潰しており、余り心にもない事をそれらしく語って濁す。

 ゼヴィエスの言葉に、ゼロは逆にそれならばと尋ねる。

 

「でしたら間もなく早朝ですし、面倒が起こる前にこれからおっ始めますか?」

 

 『混沌の死獄』に巻き込まれる前に仕事を片付けようと考えるのは自然なものだ。

 それを黒騎士は、さも作戦有り気に言い聞かせる。

 

「ふっ、まだ早い。今日一杯は様子見する。より混乱している時こそ好都合。侯爵の下にも戦場の中心部から色々な状況は届くだろう。時期到来は、近い」

「おお、戦場も含めズーラーノーンの動きにさえ我らは紛れるんですな。分かりました」

 

 ゼロとその仲間達は納得して頷く様子に、支配者は安堵する。

 

(よし。とりあえず、今ここで焦って動かずに、手を考える時間を取り先送りしておこう……)

 

 最悪、ルーベと共に斬り込むことで場を凌げると、ゼヴィエスはこの時考えていた。

 

 

 

 ボウロロープ侯爵――バルブロ第一王子の妻の父であり、王国六大貴族の中でも傷顔に大柄で強い体躯と武勇を持つ男。また国内の貴族で最も広い領土を持ち、最大兵力を保有する。

 若かりし時から万を超える軍団を率いて、長年に渡りその領内の北方にある大森林に巣くっていた小鬼(ゴブリン)の大集団との戦いを繰り広げてきた戦歴を持ち、見事にその幾つかの討伐を果たしている。

 中には難度で80超えの小鬼(ゴブリン)族長達や猛将もいたが、お抱えの元冒険者隊や筆頭騎士団長らと前線にも立ち、精鋭兵団を前面に置き雨のような弓矢や槍の集団戦で討ち取っていた。

 昨今でも、彼にはバハルス帝国との戦いでの武勇がある。

 王国の威信もあって国内へ『帝国とはここまで痛み分け』と伝え流しているが、毎年の戦いで帝国に対し数倍する戦費と死傷者を出しており、甚大な労力を損失している王国側の負けといっても差し支えないだろう。兵や庶民達は良く知っている話だ。

 その中で、ボウロロープ侯爵の率いる軍団はかなり善戦し、度重なる帝国騎士団の突撃にも潰走したことは未だなし。彼の率いる大軍団の存在で、王国は厳しい戦いを持ちこたえてきた局面も少なくない。本来、声を大にし誇りたいところ。

 だが王国軍としては戦争全体でみると無様な状況。なので侯爵も大きくは武勇を喧伝出来ずだ。

 ただ侯爵の率いる軍団の力は相当なもので、レエブン侯の軍団やガゼフと王国戦士騎馬隊よりも年々帝国に警戒される形へ変わってきた。

 しかし侯爵も50代に入り、日頃の不摂生もあって僅かずつ老いが目立ちはじめてきた様子。

 彼は今、照明用水晶の〈永続光(コンティニュアルライト)〉に照らされる地下坑道の奥、赤い絨毯が敷かれ簡易の椅子やテーブルの置かれた空間で腰掛けていた。

 その表情は不機嫌な思いが滲んで憮然としている。

 今回の大戦において当初、布陣割りを聞いた彼は第一王子の出陣もあって軍団を率いて戦場に立つつもりでいたのだ。

 意気揚々と屋敷に戻り、早速侯爵家の側近達との軍議に臨む。だがその席で、配下からの最後方へ本陣を置く提案に吠えた。

 

「なにぃ、前線に替え玉だと!? 私のこれまでの武勇を愚弄する気かっ!」

 

 侯爵は武について特に強い誇りを持っている。数々の戦歴もあり、激怒した。

 しかし、多くの家臣達によって押し止められる。

 

「お待ちください、旦那様! 貴方様は我ら栄えあるボウロロープ侯爵家の御当主でございます。この度の戦いは熾烈を極めましょう。軽々しく戦場の中へ立たれては……」

「だまれっ。これまでの慎重な私の行動を見て、軽々しいとそう言うのか!」

 

 当主や将としてこれまで、良策をとって来たからこそ今があるのだ。第一王子へも娘を嫁がせ、貴族達の力を増すべく侯爵家の未来にも苦心している身。裏社会の地下組織へも目を向けた。また先月には、王国戦士騎馬隊や『蒼の薔薇』に対抗出来るべく貴族派の表側の戦力として、()()()()()()()を手懐けたりもしている。今回もボウロロープ侯爵家の勢いある立場を示すべく、戦場へ立つ行為を軽々しいと言われては立つ瀬がない。

 だがここで、戦場で苦楽を共にしてきた配下の筆頭騎士団長の言葉が響く。

 

「我が(あるじ)よ、この度の相手は竜王(ドラゴンロード)なのですぞ。人間や小鬼(ゴブリン)とは格が違いましょう。本当に無事で済むとお思いなら、それは旦那様の〝驕り〟でございますまいか? また、若様も成人して間もなくございます。ここは何卒ご自重を」

 

 長年互いに生死もよく預け信頼する配下の男にそう言われては、侯爵の勢いが大きく削がれた。

 

「お前がそこまで言うのか……」

「はっ、申し訳ございません。ですが意見は変わりません」

 

 歴戦の騎士は、会議の席を立つと片膝を突いて強い発言の非礼を主君へ詫びた。

 

「いや、かまわん」

 

 武人の侯爵へ戦いに関して面と向かって言えるのは、筆頭騎士団長の彼ぐらいである。

 多くの諫言無くして真の信頼は得られない。

 

「戦場でのお前の意見にいつも感謝している。私の出陣場所については今少し考えたい」

「はっ」

 

 会議へ出席していた他の側近達もホッとした表情を浮かべた。

 出陣させる兵力規模や徴兵関連に行軍経路、資材とその運搬などの戦略面で先に討議が進む。同時に一応として安全な最後方の本陣場所も検討されていった。

 後日、最後に残った事項としてボウロロープ侯爵は自ら、最前線を筆頭騎士団長へ任せ、影武者を立てて最後方へ出陣するとの行動決定を示した。

 

 そして出陣し戦闘が始まり丸4日目の今、ボウロロープ侯爵家がこの戦争へと動員した兵力は4万5千人。そのうち……死傷者は既に約3万7千人へ達しており戦線はほぼズタズタであった。

 最初に戦いの主戦場となった南西の広域に布陣展開していたのが、ボウロロープ侯爵家の主力兵団なのだ……。

 早朝を迎え、先程も筆頭騎士団長から連絡をもらったが、アイテムの指輪の性能もあり短い。

 

『昨晩も当家の兵達は頑強に奮戦。ですが戦いは大きく変わらず――一方的に猛攻を受け続けております。死傷者は3千余の増加であります。(ドラゴン)の攻撃は火炎を中心に依然圧倒的。以上となります。では次の通信で』

「分かった、ご苦労であった。気を付けよ」

 

 距離があるので、その分通話時間に影響を受けていた。

 戦闘開始の混乱当初は『これが今生の別れとなりそうです』とも語ったが、筆頭騎士団長の鎧は侯爵家の魔法アイテムの上位物で装備者の耐火、耐熱の補強を行う様に強化されており生き残っていた。

 装備アイテムの効力を実感し、今は筆頭騎士団長も落ち着いて侯爵に代わり指揮を執っている。

 直臣の生存は嬉しい事だが、領地の総人口の数パーセントが死亡している現状に、表情が曇るのは当然である。

 兵力はボウロロープ侯爵家の威信を最も示す形の一つ。その大兵団が消えていこうとしているのだ。側近達によって、徴兵する兵の年齢を上げさせたり、過去に武功のあった兵達や精鋭兵の半数は外していたりと全滅も考えての配慮はしている。

 それでも、領内の総戦力と総生産へ目に見える形での影響は必至だ。

 

「おのれ、(ドラゴン)どもめっ」

 

 侯爵に民兵一人一人への気遣いは全く無いが、侯爵家総力への損失面では残念に思っていた。

 だが、被害甚大の戦況は戦場全域で同様という話も伝わっている。そうであればボウロロープ家だけが損失を(こうむ)るのではなく、王家を筆頭に貴族階層が皆苦しい訳で、なんとかグチを口にせず憮然と我慢出来ている状態であった。

 

 侯爵をはじめ、王国貴族達はこの戦いへ自領の民を徴兵し兵隊として送り込んでいる。

 そして領主自ら、もしくは代理の子息がその兵隊を率いて戦場へと出陣していた。なので、多くの貴族が兵達と共に竜兵達の吐く強烈な火炎を受けてしまっていた。

 

 ところが、そんな貴族達の多くは負傷しつつも――無事に生き残った。

 

 最大の理由は勿論、一般兵達と比べて明瞭な装備類の差と言える。

 代々の家宝の鎧を装着したご立派な貴族達の鎧は、ハデな見掛けだけではなかったのだ。一応、(それ)(ぞれ)それなりの性能を持っており貴族達の命を救ったのである。

 また生還要因には、竜兵達が余り地上へ降りて来て暴れなかった事も大きい。

 流石に殴られたり踏みつぶされていれば、鎧も耐え切れずペチャンコになっていたはずだ。

 貴族生存率はこの時点でも8割を超えているようにみえたが、最終的な数値は戦後の報告を待つことになる……。

 

 

「ふふふふっ」

 

 ボウロロープ侯爵は不機嫌な顔から少し口許を緩め、潜む地下坑道内へと僅かに笑いの声を響かすと呟く。

 

「今に見ていろ竜共――私の差し向ける刺客達(『八本指』の戦力とゴウンら)によって目に物を見せてくれるわ! フハハハッ」

 

 その声は不思議な事に、護衛の騎士達にどこか虚しく響いて聞こえていた。

 

 

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国軍と竜王軍団の戦いが開始されて(はや)丸3日。

 戦場から直線で東南方向へ400キロ以上離れ、『激戦4日目という現実』を知るはずもない早朝を迎えたカルネ村。

 ナザリックの『友好保護対象地域』でもあるここは今、同じ王国内でも視界内へ納まる緑の麦畑と森や草原の自然に囲まれた(のどか)な片田舎の風景から、ナザリック地下大墳墓内と同様にのんびりした空気が流れている。

 この村はひと月と少し前の痛ましい襲撃騒動の件を受け、此度の竜王軍団との戦争に際し、徴兵や臨時徴税が全て免除されていた。襲撃主犯格の敵部隊と交戦の折、怪我をした王国戦士騎馬隊隊員への村民から温かい食事や介護もあり、感謝したガゼフ・ストロノーフ隊長からの言葉を領主の国王が()んでいる事も大きい。加えて、アインズがこの村へ滞在拠点を置いて居る点も、実は考慮されていたのである。

 村娘のエンリ・エモットは村内に建つ()()()()1階居間横の部屋で、今朝も窓からの眩しい日差しの中、早起きをする。

 ここゴウン邸は村を救った英雄的主人を迎えて呼び名が程なく変わり、それが馴染んできた旧エモット家である。村民がそう呼ぶ意味は、エンリが偉大なアインズ様の元に形はどうあれ()()()()()といえよう。エンリとしては新しい家名が出る度に、未だ頬を染めつつも立派で優しい旦那様で嬉しい。

 ただ旦那(アインズ)様一行の地上初の拠点ながら、少々部屋数とベッド数が少なく、現在もエンリと妹のネムは仲良く一緒に寝起きしている。

 それはまだ、10歳のネムがあの襲撃の恐怖から良く寝付けるようにとの面もあった……。

 まあ某天使にとっても姉妹一緒という部分は、とても喜ばしい状況だ。

 元気な村娘は家事室で木のたらいに水を張り顔を洗う。部屋へ戻り寝間着から普段着へ着替え鼻歌交じりに髪を梳き一部三つ編みへ整えると、妹を揺すり起こす。

 

「ネム、朝よ。ほら、もう起きて」

「……むにゃむにゃ、金ピカ……。え……あさ?」

 

 襲撃時、ネムの精神は本来、かなり危ういものであった。前触れなく突如、無慈悲で恐ろしい鎧の騎士団から襲われたのだ。両親の他、馴染みの村人達が残酷にも次々殺害される場面を目撃し、更に追い詰められる中で剣を振り回され、遂に目の前で姉も斬られて絶体絶命。心に大きく深いダメージを受けていた。しかし――その時にもっと度肝を抜く髑髏(どくろ)で骨姿のスゴイ人外救世主が現れて颯爽と姉を助け両親や村の仇をも取ってくれた事で、心のダメージが強烈なインパクトで完全に上書きされていたのである。当初は心の中で半信半疑であったネムだが、記憶改竄もなく偉大な御方の傍で数回眠ったことで心が無事強固な安定をみていた。その後にナザリックを訪れ経験した事(25話参照)も、新たに強力なインスピレーションを目覚めさせる結果となっている。現実離れした第九階層内装の金ピカ群も少女の心を七色に変えた要素の一つだ。

 

 ベッドで目を開け目尻を擦るネムを残し、姉はもう部屋を出て軽く居間の掃除から始めた。

 時折、旦那(アインズ)様はこの場所に現れ滞在するため、まずここから掃除を始める。嘗て両親と暮らしたこの家で、敬愛する夫の帰りを待つ時間は彼女を落ち着かせる。旦那様の姿を思い出しつつ、笑顔でせっせと励む。

 今エンリは小鬼(ゴブリン)新軍団5000体の将軍であるが、一方で生活面は以前のままを通していた。故にゴウン邸の家事も概ねエモット姉妹の手で行われる。小鬼軍師は一団の代表たる彼女の身分から渋い顔で熱心に説得をしていたが、少女は一切首を縦には振らなかった。

 

『軍師さんや皆さんの気持ちは最もだと思いますけど、これだけは譲れません』

 

 彼女は、帰ってくる旦那様達をこの家で純粋に慎ましく待ち、家族として出迎えたいのである。

 

『私もお姉ちゃんをしっかり手伝うから大丈夫』

 

 その時、妹のネムも姉の言葉を熱心に擁護した。

 エンリにすれば、贅沢が大好きそうなネムが姉の行動に賛同したのは意外に思えたが……。

 

『はぁ、仕方ありませんな。では、せめて護衛だけはお連れ頂きますよう』

 

 近衛隊のレッドキャップ3体と聖騎士団より3体、騎獣兵団から2体と暗殺隊所属の雌2体の計10体が駐留する内容で落ち着く。

 先輩軍団のジュゲム達がエンリのディフェンスで、新軍団の強力な面々がオフェンスである。

 軍師は先輩方の立場や、新軍団の実力を見てこれが最良とエンリへ進言し、快諾されている。

 とは言え今、ジュゲム達の館の隣にもう一棟建てており、普段は新軍団の護衛面々もそこで寝泊まりする事になる。ゴウン邸内ではない。

 ゴウン邸にはエンリ達が誘拐騒動で帝国から帰還した翌日に、ナザリック地下大墳墓の支配者直属のキョウが森の調査から戻って詰めている為だ。

 難度200(Lv.80)超えの彼女の存在は小鬼軍師にとって些か難しい問題であった。

 小鬼新軍団5000体はナザリックとは本来独立している組織。しかし、エンリがナザリック所属であり、自動的に組み込まれた形なのだ。小鬼軍師らもエンリからの知識があり、状況は理解しているがあくまでも行動は将軍次第である。

 現在はエンリ将軍の『キョウは頼りになる親しい方ですし、アインズ様は私の旦那様です。くれぐれも失礼の無いようにお願いします』の言葉に従い、一歩引いている状況にある。

 なお、新軍団の主な面々はまだアインズとの面会の場を貰っていない。

 アルシェがエ・ランテルへ出かけている間にという話で、ナザリック統括のアルベドと現在調整中。直属のエンリやネムならともかく、その下僕達への目通りとなればNo.2に一度は通さなければ大変面倒な事になるのである。

 因みに現在カルネ村へ滞在中のアルシェ・フルトは、20メートル程離れた一つ違う通りの空き家を借り、独り住まいをしている。食事は小鬼(ゴブリン)館の前で、エンリをはじめ、ンフィーレアやブリタ達と一緒に楽しく取っている形だ。

 起こされて一旦顔を洗いに家事室へ行っていたネムが、部屋から服を着替え護衛の白きG(オードリー)も連れ元気に出て来た。

 寝ていたベッドを綺麗に整え直し、服も自分で洗った物を身に付けている。このひと月で彼女は精神面で成長してみえる。

 

「おはよう、お姉ちゃん」

「おはよう、ネム、オードリーも」

 

 白きGの恩恵はネムの護衛に留まらない。ゴウン邸の周囲の家ぐらいまでGの被害が無いという利点は決して小さくないのだっ。

 ネムの肩に控えるオードリーは綺麗な触覚を前後へ揺らし、エンリの挨拶に答えた。

 その様子を見ながらエンリは妹へいつもの指示を伝える。

 

「畑への今日の手入れ分の道具を準備してて」

「はーい。あっ、そういえばキョウから聞いた話だけど……アルベド様がみんなの為に巨木の事をアインズ様へ知らせて下さったそうだよ。軍師さん達と正式にアインズ様がお話するなら、アルベド様に連絡した方がいいんじゃないかな?」

「大丈夫よ。キョウ経由でそういうお願いをもう伝えてるから」

「なら、大丈夫だね」

 

 旦那(アインズ)様なら気にされないとは思いつつも、5000体の大きな団体でお世話になる状況。ジュゲム達の少数への助力なら旦那(アインズ)様個人でどうとでもなるだろうが、以前と違い新軍団の規模だとナザリック全体を始め周辺国やトブの大森林への影響も考えられる。

 既に帝国での巨樹騒動への対応に始まり、穀物類保管や村の建設地選定に建物図面の下準備等の大きな協力を受けている自分達――帝国から戻り6日程経った森林内の小鬼(ゴブリン)達の村は、先に大倉庫3棟を建てて穀物の運び込みを終わらせると上下水道の工事も済み、今は建物の基礎工事の4割が終ったところ。格段に平均体力の高い軍団により、工事はすこぶる捗りを見せていた――である。それなのにこちらの要望だけ統括のアルベド様へ判断を仰がないのは、今後へ全く筋が通らないと軍団の将軍として当初から判断していた。

 自ら新たに呼び出した彼等も、エンリにすればもう切り離せない共同体的一団といえる。

 5000の皆の扱いにも影響する重要事の為、早い方がいいとキョウの帰宅の折にまずお願いしたのだ。

 掃除でゴウン邸2階へエンリが上がると一室からそのキョウが出て来る。村内では、ネコマタではなく人の容姿で暮らしている彼女。

 

「おはよう、エンリ。掃除の時間かしら(ニャ)」

「おはよう、キョウ」

「私も何か手伝った方がいい(ニャ)?」

「大丈夫。キョウは周辺警戒だけじゃなく、砦化でも随分手伝ってもらってるし、ここではゆっくりしてて」

「じゃあそうさせてもらうね(ニャ)」

 

 二人は仲良く朝の挨拶を交わす。

 エンリの総レベルは2桁に乗ったところ。キョウはレベルで80を超える。実力差は大きいが、幸いナザリックで階級を決める最大の重視点ではない。彼女達は加入日と起動日の近さから、ナザリックにおける同期のような関係になっている。

 共に暮らすキョウからは、ナザリック経由で旦那(アインズ)様の近況も入って来ていた。当然、王国軍と竜王軍団の戦端が開かれた事もだ。

 エンリとしては旦那様から色々と直接聞かせてもらいたいと思う反面、カルネ村近辺にずっと居る身では確かに多くが知る必要のない事項にも思えた。また彼は戦場に立つ事でネムも含め心配させたくないという気遣いも感じる。

 もし援軍などで応援が欲しいなら連絡が必ずあるはずと、そう確信するエンリに不満はない。

 

「エンリ、お願いされていた新しい小鬼(ゴブリン)の面々とアインズ様の顔見せの件だけど、先程アルベド様が予定に組み終えたと聞いたわ。近くお声が掛かるはず(ニャ)」

「わぁ、ありがとう。アルベド様に感謝を伝えてくださいね」

「ええ」

 

 エンリは2階の掃除をテキパキと済ませて下へ降りると、水を汲みに共同井戸へ向かう。

 そこでは村の女性達と笑顔で挨拶を交わし水汲みを熟す。

 日によっては、若い妻達の間で夫婦の夜のノロケ話なども披露される。

 今日は偶々そんな日であった……。

 当然、エンリも色々と聞いたり尋ねられちゃう訳なのが、旦那(アインズ)様の男の威厳を損なわない形へ収めるのに頬を染めつつ苦労してその場を後にする。

 片方で大体15キロはあるはずの水桶。それを以前から両手に一つずつ持つので結構きつい。しかし最近、自身のレベルが上がった事は分からないエンリながらも、日常生活における力仕事系が格段で楽になっていた。最近は満水の水桶を小指の先の()()でも軽く持てる程だ。無論、人が見てる前であからさまに超人的な行為は見せられない。旦那様に仕える()()()少女として振る舞っていた。

 ゴウン邸に戻り、エンリはネムと共に両親が残した畑の世話に出かける。

 途中、中央広場に寄り、助っ人へと声を掛けた。

 彼等は帝国の騎士団さえ恐れさせるモンスター、死の戦士(デス・ナイト)のルイス君と()()()()ジェイソン君である。他の2体はこの時間、村の中央広場に残って警備に当たる。なお、3体の蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)達はキョウの配下に戻っている。

 畑では既に、小鬼(ゴブリン)軍団からウンライとシューリンガンが手伝う為に待っていた。

 そして新軍団からも聖騎士団から1体とレッドキャップ1体も来ている。

 この時期の畑作業は細かい作業が多いので死の戦士(デス・ナイト)達の作業は少なめだ。

 元々両親とエンリが手伝う形で面倒を見ていた畑。毎日少しずつの作業という部分もあり、ネムも入れて6名でやればあっという間に終わる。

 結局、死の戦士(デス・ナイト)達は移動手段みたいになり、朝食の準備でジュゲム達の館まで送ってくれるだけになった。しかし、皆に手を振られ見送られて去っていく彼等の背中に不満は感じない。エンリとネムにはそれが理解出来た。

 砦化の作業については、例のエンリ誘拐騒動の影響で完全に止まり数日分遅れ気味である。ただ元々、厳密な期日や納期がある契約と違い、突貫作業のような無理をする必要はない。

 朝食が済んで落ち着く午前8時から晩の7時頃までで、村人達も交代で参加するこれまでのペースで村全体の日課のようになっている感じだ。

 しかし、今はまだ午前6時前。

 ブリタとアルシェが起き出す頃で、ンフィーレアはまだ調薬の作業小屋に籠っていた。朝食の下準備が始まる。新軍団の10体にアルシェが増えて実に34人分の調理である。小鬼(ゴブリン)達はブツ切りまでは出来るが、細かい皮むき以降は出来ない。

 包丁作業はかなり膨大に思えた。

 

 ただエンリとネムはレベルUPにより――動体視力や動作スピードも格段に上がっていたっ。

 

 皆での食事を始めた頃に比べれば確実に5倍以上の作業速度が出ており、誘拐以前よりも随分早く終了してしまう。この速度はエンリの豪華軍服装備にある剣捌きにも十分反映されそうな感じ。

 そんな雄姿に小鬼(ゴブリン)達は感嘆する。

 

「エンリの姐さんすげぇ。ネムさんも」

「やっぱり嫁に欲しいぜ」

「「将軍閣下、万歳!」」

「もう。そんなに褒めてもらっても、皆の料理の量と味はかわりませんからね」

 

 小鬼(ゴブリン)達の褒め言葉に将軍少女は照れていた。

 この日の午後、騎獣兵団の1名が大森林内の軍師の下へ近況報告に戻った折、『将軍閣下の手料理』を食べられる事が遂に知れ渡り、新小鬼(ゴブリン)軍団5000の野営地内は騒然となった。そして混乱収拾のため即刻、軍師の判断によりカルネ村駐在員についてはくじ引きの交代制に変更されたという……。

 

 そしてほぼ同時刻、村娘へと一つの〈伝言(メッセージ)〉が届いた。

 

『聞こえますかエンリ、アルベドです』

「――はい! 聞こえています、アルベド様」

 

 エンリは昼食の片付けを終えてゴウン邸に寄っていた時で、思わず背筋がピンと伸びた。

 

『そう。たまには、ナザリックへネムも連れていらっしゃい。では、早速だけど先日要望のあった件について伝えます』

「はい、お願いします」

 

 新軍団の小鬼(ゴブリン)達と旦那(アインズ)様との顔合わせの件だ。

 エンリはアルベドへ終始緊張気味である。

 でも当然の事なのだ。

 少女はナザリック地下大墳墓の大宴会の際に、多くのものと真実を直接見て会って『世界征服』を実現できるだろう総戦力について大まかだが知っている。

 栄光ある強大なナザリックでも、領域守護者以上は最重要の位置を占める。そしてその最高位の階層守護者らをも統括するのがアルベドなのだ。

 女淫魔(アルベド)の人外の美貌だけでなくその全てが旦那様と同じく圧倒的な存在――。

 至高の御方の配下で黒羽の彼女と対等に会話が出来るのは、恐らく彼女の姉と階層守護者のみである。エンリにはそう見えていた。

 また、普段アルベドが直接自ら会話する者もかなり限られている様子。至高の御方以外だと、基本は組織構成に従いトップダウンであり各守護者達までに留まるのかもしれない。

 ただ例外も多く、御方や各守護者達に近い者達とはエンリ自身も含めて割と会話をしている。一方で、離れる程眼中に入らなくなる感じだ。

 そんな高位の者から言葉を伝え聞く村娘のエンリ。

 

『あなたも知っている様にアインズ様は日々大変ご多忙です。新しく紹介したい小鬼(ゴブリン)達についてですが、アインズ様へのお目通りは4日程先になりそうだわ。カルネ村に居る魔法詠唱者(マジック・キャスター)の娘の不在中にという件も考慮すると数日流動的になりそうね。大森林内の村へは周辺警備中のエントマを使いに向かわせますからそのつもりで』

 

 アルシェについては、村の傍へのアインズの登場を掴まれる可能性がゼロではない点を考慮。

 そして旦那様の優しい性格だと、村のゴウン邸に寄ってもらってエンリらと大森林へ移動してもらえるだろう。しかし、敬愛する方に初めからそう動いてもらう訳にもいかない。

 アルベドとしては、キョウかエンリに連絡をとって、死の戦士(デス・ナイト)らで事前に森の村側へ皆が集合するように指示を出すつもりだ。

 将軍少女も、そう告げられずとも多忙なナザリックの主人の御都合時に直ぐ対応できるようにという意図を理解する。

 

「は、はい。畏まりました、アルベド様」

『くれぐれも粗相のないようにしなさい。じゃあね』

 

 アルベドにすれば、この支配者直属の村娘は大宴会の時に『アインズのお妃』と言ってくれた可愛いネムの姉で、なお且ついくつも有能な働きをしている者であり、人間ながら随分と優しく目を掛けているつもりだ。まあ、御方とのスキンシップは非常に気になる部分ではあるが……。

 一方のエンリは〈伝言(メッセージ)〉が切れても緊張が解けるまでに数分を擁した。

 少女はそれを意識することはなかったが、己の(まれ)なる職業由来の勘が訴えるのか本能が黒翼の美悪魔を恐れていたのである。

 

 女の部分ではない――もっと深いアルベドの自己中心的な闇の部分を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場は再び夜を迎えていた。

 

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグ=カーマイダリス率いる竜軍団は、依然420頭を超える戦力規模を維持し戦場にて王国軍兵を炎で飲み込み続けている。

 戦域は初日に、竜王軍団宿営地の南西10キロ過ぎ辺りから始まり、南、南東、東、北、そして4日程を経て最後に西側へと到達。反時計回りに広がる形で攻撃が行われ、最前線側も含めて取り巻く全ての戦場で点在する王国側の展開軍勢を圧倒していた。

 一方で鏖殺(おうさつ)し全域を制圧するには手間取っていた。優勢ながらも竜兵達の交代と小休憩の間に、人間側は度重なる兵員の分割再配置行動を実行し戦線を維持。制圧は今暫く掛かると竜軍団上層部は想定する。

 人間共の敷いた戦域の余りの広さと、王国軍総数の意外な多さも手こずる原因となっていた。

 加えて竜王軍団側でも再戦から既に20頭程の竜兵を失ったのは驚きである。その中には難度で140を超える十竜長までいたのだ。

 これらは先日、廃墟上空へ単体で殴り込んで来た非常に高い戦闘力を持ったヤツ程の仕業ではなく、今のところ全て人間の上位冒険者達の隊に因るものと判断した。特に首筋を狙う人間6体組の悪魔のような一小隊が、実に十数頭を倒している。他にも竜王軍団の上層部は、竜兵達や竜長へ深手の手傷を負わす部隊を幾つか確認、把握していた。

 人間如きと侮っていた事もあるが、王国側の上位冒険者達は神出鬼没の動きと想定外な戦闘力をみせて中々討ち取らせなかった。

 今の段階では竜王側の完勝とは言いきれない、嫌な空気が僅かに残る印象。

 また同時に、竜軍団側の殆どの死体が行方不明になるなど、幾つか不気味で腹立たしい謎の事態も続いている。

 竜王はその遺体不明の謎の答えの手掛かりを、戦局を見ながらもずっと探していた。

 まず一つ目の手掛かりを得たのは、2日半程前の朝の事。

 人間らが組む5つの小隊との不快な戦闘から初めて戻った竜王ゼザリオルグは、妹のビルデバルドから『夜中に宿営地内へ数名潜入された模様で、更に突如、魔法詠唱者と思われる()()()()()()()()人間を見た』との報告を受ける。それは『戦うこともなく忽然と姿を消した』という。

 これまで人間共の無断潜入を許した事の無い宿営地内へ現れたのだ。只者では無いだろう。(ようや)く謎に迫る者らが出て来たように思える。

 加えて竜王自身も人間との興味深い戦いに遭遇していた。

 ゼザリオルグ自身が、ここ3日程対戦する人間5体組の小隊に振り回されていた状況の中で異変を感じたのだ。初回接敵時に挑発され追跡する際、ゴツゴツした小さき一匹に「竜王なら1頭で来い」と言われて以来、竜王は連中へ律儀に竜王隊から扇動された風に単独で相手をしている。

 

 その時、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)は連中以外で確かに『なにか』が居たと感じた。

 

 百竜長のノブナーガと他3頭の竜兵もそれぞれ人間の隊を相手にしているが、そちら側だと特に『なにか』からの横やり的な行為はこの3日間でないらしい。人間を1体殺していたが竜兵1頭も片目を抉られており、微妙な均衡はまだ保たれている状況が続く。

 竜王隊は現在、この25名から成る人間の部隊との戦いに――些か固執していた。

 評議国内で、竜達は『奴隷階層の人間でも、羽虫が周りを飛んでいれば鬱陶しく目障りらしい』と聞いていており、今同じ心情を持つ形だ。

 どうしても竜達自身で、この不愉快な人間達をぶっ殺したい気持ちとなっていた。

 強者が弱者に対した時の、「弱い分際で」という一種の変な意地である。

 これには戦局全域が連日、竜軍団にとり概ね圧倒的有利な推移をみせていた事と、突出した強敵がここまで殆ど現れていない状況もあり、ノブナーガらも含め各対戦は継続された。

 竜王と対決する人間共は最初の遭遇時と違い、力量の差を理解し次から数を絞り魔法での()()()()を多用して消えたと思えば突如現れてみせる戦法へ変わっていた。更に時折視界を遮る攻撃魔法を放って来て、ゼザリオルグの苛立ちを増幅したのである。

 2日程は苛立つ勢いのまま対峙した為に隙が生まれ、人間への決定的な攻撃瞬間があった際、自然現象ではない不意打ち妨害を何回か食らってしまう。

 だから明確に気付けたとも言える。

 竜王は一族を率いる者として辛抱強さも持っていた。

 今日は終始、人間5体組小隊との戦いの中に感じた『なにか』を慎重に探る。

 結論的にどうやらあと1体、使い魔かもしれないが気配の非常に薄く、姿を隠した『なにか』が居ると竜王は確信した。

 これには2日半程前の、上空からの見えない落下物を感じたあの場面の状況も加味されている。

 あの不可思議な場面を経験していたからこそ、人間の5体組が『なにか』を召喚出来る連中ではとゼザリオルグは当たりを付けていた。

 

(……ふざけんな。ちょこまかと動く人間どもめ、7度は確実に殺せる機会があった。そこへ姿を見せない『なにか』がいつも邪魔を。ふん、全く忌々しいぜ。だが分かった――間違いなく、常に姿を見せている()()()()()()()()小柄なヤツが術を行使しているとみた)

 

 これは割と的を射ている。

 確かに仮面の少女自身の能力ではなかったが、Lv.80を超えるハンゾウはイビルアイの影に紛れ込む形で追随しており、影分身体によりの不意の攻撃を竜王へ浴びせ、流石の竜王も機会を逃していたのだ。

 だが、相手は実力でハンゾウをも優に凌ぐ煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)である。やられっぱなしではない。

 

 

 ラキュース達は竜種の威信を大いに逆なでして、竜王らの注意を引くことに十分成功していた。

 圧倒的と思われた竜王ゼザリオルグも、転移系の第3階魔法の〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉程は高速で移動出来なかったためだ。〈次元の移動〉は転移系だが、距離をとる退避要素が強く遮蔽物を通過できないという特性を持つ。補助アイテムを持つ事でもう一人同時移動が可能だ。

 無論、王国内最高の難度150と豊富な魔力量を誇り、〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉を多用出来たイビルアイがいたからこそ成し得た偉業だ。

 同じアダマンタイト級冒険者チーム『朱の雫』のアズスでさえも()()()()()多用は無理である。

 偉業の成果は、竜王の攻撃により死亡する兵数の減少で顕著に表れている。流石に1日中引き付けるのは難しいが、集中力を削ぐ事に成功しており犠牲者は開戦初日の半分以下まで抑えていた。

 『蒼の薔薇』の戦力は僅か5人である。

 己達の命を盾に、1日で1500名以上の王国軍兵の死を減じた事になるのだ。同様に『イジャニーヤ』側の働きも相当な成果である。既にそれを3日近く続けている。

 これは英雄と語るに相応しい功績だろう。

 しかしここに来て、そんな彼女達へと更なる試練が立て続けに訪れようとしていた……。

 

 『蒼の薔薇』達は今、非常に大きな問題を抱えるに至る。

 両軍激突から4日目の日没を迎えた中で、ラキュース達は予定よりもう2時間以上も出撃時間を遅らせていた。当然、連動して動いている『イジャニーヤ』の者達も含めてだ。

 最大の原因はイビルアイ。

 彼女は、かなり魔力面で疲弊している自分へ焦りが増す。

 

(くっ。流石に魔力回復が追い付かないか……)

 

 今次大戦は、余裕のあるいつもの格下相手の仕事とは全く勝手が違う状況。

 彼女は吸血鬼であるため、僅かな仮眠しかない作戦行動程度は問題なく凌げる。だが、前例のない別格相手で自身の極限に迫る過酷な連続魔法を続けた為か身体(しんたい)への負荷が重なっており、いつもほどの早さで魔力が回復しなくなってきているのを痛感する。

 王国内で魔法詠唱者として最高の能力を誇るが、ここ3日間近くの戦闘行動でその魔力量は殆ど底を突くような状態まできていた。

 負傷などと違い、イビルアイに限らず『蒼の薔薇』の面々に魔力量を一気に回復する手段は残念ながら無い。一般と同じで自然回復に頼っている。

 特にイビルアイが多用した〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉は第3位階魔法の上に転移系である為、魔力量の消費が大きいのである。

 しかし現状では、全てに圧倒的な竜王へ対抗出来る手段がこれしかないのでやむを得なかった。

 なにせ、切り札的なラキュースとイビルアイの放つ第5位階魔法同時多重攻撃が殆ど通らない。また物理面でもガガーラン自慢の巨大な刺突戦鎚(ウォーピック)さえビクともせず、ラキュースの魔剣でもって鱗へ僅かに傷が付く程度なのだ……。

 ここまで3日程攻めてみたが、攻撃についてはほぼお手上げという事実を改めて思い知った形。

 とはいえ、彼女達にはまだ希望が残されている。

 それはゴウン氏の示す反撃が始まるまでの時間を稼ぐという点であった。

 この一手がもし予定に無ければ、『蒼の薔薇』達でさえも竜王並びにその大軍団との絶望的な力量と戦力差に心が折れていたかもしれない。なにせ竜王軍団には他にもう1体、強力な竜がいるのを自分達で確認している。ただ、今のところ竜王軍団の宿営地を殆ど動いていない様子。多分、守備側の要としての存在なのだろう。その点はかなり助かっている。

 人類圏最強とうたわれるアダマンタイト級冒険者チームを率いるラキュースは、急造の野営地で仲間の魔力回復を静かに待ちながら目を細めて思う。

 

(うーん。時間を稼ぐのさえ厳しくなって来たわね。でもまだ数日は必要だわ、竜王隊が1日中王国軍への攻撃に加わったら戦線がとても持たない……アイテムや()()を使う事も考えないと)

 

 イビルアイだけでなく、皆が疲弊していた。

 タフなガガーランだがここまでに戦鎚の角が全部欠ける程の攻撃も、戦力としては何も貢献出来ていないと疲れた顔でうな垂れた。ティアとティナも殆どの攻撃系忍術が通じない事への無念さで沈黙する。

 そして『イジャニーヤ』の者達も。

 頭領のティラをはじめ、白髪の老忍者や紺髪の刀使いに他の面々も静かに蹲ったり、疲れ切った体を地に転がせ休んでいる。加えて作戦開始当初より頭数が一つ少ない。

 部隊の雰囲気は少々重苦しい。

 昨日の昼間、竜兵と戦っていた青年が一人戦死した。膠着して苦しい状況を打破しようと無理をした形だ。

 竜兵が1匹減れば、戦況が有利に変わりそうであったのは事実。

 2日程拮抗した状態は死への我慢比べにも思えたのだろう。そして分が悪かったのは体力の無いこちら側。

 突撃し青年の命が作った好機へ、隊のリーダーの槍攻撃が入り竜兵の右眼球を破壊することに成功したがそこまで。

 死者を出し残り4人の隊になったが、眼球を抉られた竜兵は右側が死角のはずも戦い続け、幸い意地からか次戦以降も残り均衡は辛うじて保たれる状況が続いている。

 青年の躯は戦闘の終わった半時間後に回収されるも、竜の爪で引き裂かれ損傷が酷く、余裕のないラキュースの現状からも蘇生を断念。安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)は使われずそのまま埋葬された。

 ラキュースは『イジャニーヤ』の者達への視線を足元に転がした魔剣に戻す。

 

(竜種の王は、恐ろしく強いだろうと予想していたけれど、それでも今回の竜王は別格すぎる。最強硬度だと思っていた伝説の私の魔剣でさえも鱗にかすり傷が付く程度でしかないなんて……人類国家が相手に出来る水準さえ遥かに越えているわ。とても少数の冒険者達の手に負えるものじゃない。おそらくスレイン法国でさえも苦戦は免れないはず)

 

 もしかすると、大陸中央や東方も含めた中でも有数の強さを持つ大戦略級の怪物(モンスター)ではと思わせる存在。

 討ち果たせば、正に冒険者として『人類圏の大英雄』となれるだろう。

 ラキュースの思考はそんな英雄物語の甘美に一瞬ハァハァするが、自分も含め仲間達の現実は完全に袋小路であることを思い出し意識が戻される。

 一方でふと、あの化け物である竜王へ攻撃魔法を通すと語ったゴウン氏を考えてしまう。

 

(彼の竜王へ向かう時の余裕と自信には改めて驚かされる。使おうとしている魔法は、一体どれほどの破壊力なのかしら)

 

 先日の上空から仕掛けた彼の戦いぶりは、今の『蒼の薔薇』達のような切羽詰まった感がなかった様子を思い出していた。あの圧倒的な竜王相手に正面から戦いを仕掛け、出し抜いて見せる胆力と実力は正直、冒険者として憧れるものである。

 その力は間違いなく、大陸中央部の混沌とした怪物(モンスター)達の列強国内を旅して生き抜いてきた者だけが身に付けられるモノなのだろうと――。

 

 『イジャニーヤ』の頭領ティラの本陣隊をはじめ、組織内の精鋭から選り抜きのはずの彼等も、仲間を一人失った事も加えて正直参っていた。白髪に眼帯の重鎮で組織No.2の老兵から(ドラゴン)の恐ろしさを聞いていたはずであったが、竜種の防御力や筋力、対魔法防御力を侮っていたと痛感している。

 兎に角、斬っても叩いても忍術をぶつけても、余りに『頑丈すぎる』という結論に達していた。

 その愚痴が仲間内でも連日語られるほど、ストレスが溜まっている感じである。

 

「竜達にはもう絶対、〈不落要塞〉が掛かっているに違いない」

「俺もそう思うぜ」

「同意するね、実に腹立たしい」

 

 何故なら――多くの者の剣や武器の方が損傷するからだ。

 金貨で言えばどれも1000枚以上の得物のはずであった。まあユグドラシルでは良くて中級アイテムに届くかという水準になるのだが。

 『イジャニーヤ』の者達は20名いるが、主要武器が万全なのは、頭領と眼帯の爺とチャーリー(ブレイン)の3名だけである。

 他の者の武器は剣に刃こぼれが出たり、槍の穂先が欠けたり折れたりの被害が出ていた。

 今のところ手持ちの巻物(スクロール)で〈復旧(リカバリー)〉により直しているが、巻物の数には限りがある。

 仲間達の荷物は当然、竜兵達との戦闘時は置いて行く。正確には、『蒼の薔薇』達と共に次の合流地点へ一旦先に行き、隠しておくのだ。だから食料などもまだ残っている。

 現在、部隊は『蒼の薔薇』のメンバーで、赤い宝石の付いた仮面を被り続ける魔法詠唱者(マジック・キャスター)の魔力量回復を待っていると聞いていた。

 あの怪物である竜兵の王へ挑む前準備である。「遅い」などと言い出す不心得者は誰もいない。

 なぜなら3日もの間、桁違いの存在である竜王を相手に未だ全員生き残っている『蒼の薔薇』のメンバーへ英雄的尊敬の念を抱く方が自然である。

 それは、まだ見せていないが武技〈神閃〉を発動できる紺髪の刀使い、ブレイン・アングラウスでさえ例外では無い。

 

(噂以上だ。アダマンタイト級冒険者チームとは言え〝蒼の薔薇〟は本当に凄い。あの竜王は、人間が太刀打ち出来る相手じゃない。きっとシャルティア・ブラッドフォールンとも強さを比較できる水準のはず。俺では、大した時間稼ぎは無理だろうな……)

 

 人類を果てしなく超越した真祖の吸血鬼に出会った彼だから、『蒼の薔薇』達の高い実力が良く理解出来た。

 しかし、逆に言えば、『蒼の薔薇』の戦いが機能しなくなれば終わる事を意味する。

 百竜長級と竜兵3匹を抑えるので手一杯の『イジャニーヤ』一行にあの竜王を止める術はない。

 

(俊敏で探知が可能な竜王から、転移系以外で逃れる事は無理だと、〝蒼の薔薇〟のリーダーは言っていたな……)

 

 老副官から密かに『最悪時には我ら全員が盾になるゆえ、お嬢様方の事を頼む』と言われている結構お人良しのチャーリーであるが、爺らを見捨てて逃げないだろう娘達の事を考えて、どう転んでもかなりの無茶だなと思い口許を歪ませた。

 ラキュース達が出撃したのはそれから1時間半後の事である。

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 王都リ・エスティーゼの北方約50キロ。満天の星空の下、穀倉地帯が広がる中に点在する林の一つ。

 その(きわ)へ一人、幻術の姿と右手へ剣に見える幻術武器を握る者が居た。

 探知系を使えない彼女は周辺空気の流れる気配を感じつつ、北のみならず周囲の空を真剣に窺い(せわ)しく視線を巡らせ続けじっと立つ。

 ルベド姿の〈実体幻影(マテリアリゼイション・オブ・ミラージュ)〉を纏い、身長より長い神器級(ゴッズ)アイテムのスポイトランスを握り込んだ、赤き鎧の完全全力装備姿のシャルティア・ブラッドフォールンである。

 既に丸2日間不休でこの警戒姿勢を続けていた。今の彼女は、『実に退屈な仕事でありんすね』などとは微塵も思っていない。

 思った瞬間に死すら受け入れる考えを彼女は持つ。

 場を与えてくれたのは、愛する『我が君』のアインズ様なのだ。

 これは以前、武技を使う紺髪で刀使いの脆弱な人間を取り逃がした己の無様な不手際へ対し、慈悲深く許して頂いた事への貴重な恩返しの機会なのである。

 故に今の彼女は微塵も気を緩める事はない。

 後方の都市へ近付くナザリックに所属しない(ドラゴン)や敵が現れれば全力で瞬時に排除するのみ。

 合流した当初からの『彼女の本気度』は、傍で共に行動する六連星(プレアデス)姉妹の3名、偽アインズ役のナーベラルや一行メンバーのシズとソリュシャンへも大きな緊張感をもたらし続いていた。

 

「……シャルティア様、あの――」

「――今はルベドだ」

「――はい。ルベド、少し休んでも良いのでは? ここは私が一時(いちじ)、代わりますわ」

 

 声を掛けたのはソリュシャンであった。

 シャルティアはルベド風に返事を返す。

 

「……私はいい」

 

 シャルティアは、我が君から直々に「よろしく」と頼まれている。

 また、プレアデス達では厳しい(ドラゴン)が5匹以上居る事を、以前に彼女自身も加わって竜軍団の調査をしたので良く知っている。ゆえに、戦闘メイド達の前へ立って迎撃出来なければ、ここに居る意味が大きく薄れると考えていた。

 

* * *

 

 2日半程前の朝――ナザリックの地上施設、中央霊廟正面出入り口前。

 全力装備で目を閉じ静かに待っていたシャルティアを迎えに来たのは、至高の御方であった。

 タイミングは、『蒼の薔薇』周辺にユリの傍で待機中だったハンゾウを投入し、竜を討った直後の偽モモンの下を訪れ離れた後、戦場後方の待機予定位置へ移動する為、上空に留まっているナーベラル達の所へと戻る直前である。

 

「シャルティア? (ここへ呼ぶつもりだったのに)……ずっと待っていたのか」

 

 真祖の姫は(あるじ)の登場の瞬間に驚き混じりで目を開いた。

 彼女はナザリックの護衛も兼ね、出撃へと逸る気持ちを抑えながら6時間以上待っていた。ナザリック第一から第三階層までの管理について、配下の吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達からの報告をこの場で受け対応指示しながらだ。

 事前に言われていた通り、体力や総レベルについてアイテムで情報偽装も終了済である。

 迎えはルベドかナーベラル辺りだと思っていたところに、御方本人の登場。

 

「これは我が君~。いえ丁度少し前より、そろそろと思いこの場でお待ちしておりました」

「そうか」

 

 配下ごときが偉大なる至高の御方へ気を使わせてはならない。

 シャルティアは(ひざまず)き内心心躍るも、廓言葉でなく冷静に答えた。

 アインズは、ルベド達を待たせているという思いもあって、急ぐ形で移動を伝える。

 

「では、行こうか」

「はい」

 

 そうしてアインズの魔法〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉でルベド達の待っている上空まで移動した。

 シャルティアは眼下の様子にウットリする。

 

(あああ、まぁまぁ。なんて激しい戦場の空気)

 

 彼女の人外の視力は、死が蔓延した地表の様子を克明に捉える。

 もう夜の開けた朝の段階ながら、残る煙や炎の猛け狂る景色は人間達にとって正に生き地獄。それが見渡す限りに広がっていた。

 これはナザリックの『世界征服』にも相応しい情景といえるだろう。

 

 圧倒的な力と破壊と恐怖と蹂躙と殺戮―――全てが揃っている。

 

 思わず全力で少し加わってみたいという本能が、真祖の心の中には湧きおこる。

 ただこの時、シャルティアは僅かに地表を一瞥(いちべつ)したのみ。

 何故なら、この劣勢で脆弱な人間共を最終的に救う事が、此度の絶対的支配者の指示に含まれており、今「素晴らしい光景でありんす」とも口にしない。

 我が君の現在の心情に合わないかも知れない言動と行動は、毛程も行ってはならないのだ。

 さて、1500メートル程の上空だが雲が晴れつつあり、いつ竜兵達に見つかるとも限らないので、アインズは空中に留まっている5名の配下へ行動を手早く伝える。

 

「今より王国の王都から北方50キロ程の位置へ移動する。その地でシャルティアと我が代わりのナーベラル達は王都を防衛しながら、私とルベドが戻るまで待機することになる」

「はい、お任せください。心得ております」

 

 偽アインズ役のナーベラル・ガンマが決意も込めて力強く答えた。

 シャルティアにもその重みが良く分かっている。御方の代わりを務めるというのは、非常に大役なのである。

 ルベド役を予定しているシャルティアは少し気が楽なぐらいだ。

 もし、偽アインズ役で見苦しい失敗をすれば、アルベドやアウラ他の階層守護者達から何をされても文句は言えない。

 ナーベラルの返事に、支配者は頷くと直後に魔法を発動する。

 

「では移動するぞ。〈転移門(ゲート)〉」

 

 門を抜け再び穀倉地帯の上空800メートル程に現れたアインズ達。

 無論、彼はこの位置についてナザリック第九階層の統合管制室で確認済である。後方の南側には王都が地平線の近くに見えている。

 ただし、実際に来たのは今回が初めてだ。今、午前8時前と時間の余裕は十分あるため、支配者自身で駐留場所を決めるつもりで来た。

 眼下に視認出来た適当な林のうちの一つを見繕い、その上空へ移動。

 

「……ソリュシャン、周辺に人や敵対しそうな者の反応はあるか?」

「周囲3キロ程には確認出来ません。その外側には村が確認出来ますけど」

「よし、ではこの辺りで良いだろう」

「はっ」

 

 一団は、アインズの見繕った林の傍に順次下降し地上へと降り立つ。

 

(40メートル四方程度の林だけど、潜むならここでも十分かな)

 

 アインズとしては、吹きさらしの場所は流石に目立つので、少し隠れる場所がある程度でいい考え。夏場なので、林の周りにも草が鬱蒼と茂っているため、問題はなさそうであった。

 駐留地も無事に決まったので林の中へ移動する。草や虫が鬱陶しいので空間魔法で適度な居場所を確保。

 そして、落ち着いたところでこの場の責任者について、改めてアインズが指名する。

 

「シャルティア、以後は暫くルベド役を担当してもらうが、この場の指揮はお前に任せる。よろしく頼むぞ」

「はい、お任せを。我が君の為に最善を尽くします」

「うむ。補佐にソリュシャンを付けるのでよく相談するようにな」

 

 シャルティアは探知が出来ないことや、優位になった時に敵を甘く見てしまう部分がありそうなので、冷静なソリュシャンと一応組ます事にした。流石にここでナーベラルは指名されない……。

 支配者の指示に、真祖の姫は金髪の戦闘メイドへと顔を向けて微笑む。

 

「ソリュシャン、よろしくでありんす」

「はい、シャルティア様」

 

 我が君からこの場を任されたのである。彼女としてはそれで十分。趣味の合う者同士であり不満は無い。

 ここでナーベラルとアインズ役を交代する。偽役の様子を暫く見たいためだ。

 次に御方はシャルティアへルベドの〈実体幻影(マテリアリゼイション・オブ・ミラージュ)〉を施した。但し、魔法効果は半日程で消えてしまう。まあ、これはナーベラルにも可能な魔法なので大きな問題はない。

 アインズ自身とルベドは不可視化し、替え玉作戦はここに動き出す。

 引き継ぎの指示も無難に終わり、アインズは1時間近くルベド姿のシャルティアとナザリック第一から第三階層での近況を中心に、彼女の視点での話を聞いた。周辺警戒は、不可視化したルベドが見てくれている。

 こうして広くマメにナザリック内の情報を集めるのは、アインズがデミウルゴスやアルベドの話に付いていけない部分を少しでも補う為である。何気なく意外な部分についてアルベドやデミウルゴスと話をしているのが序列1位のシャルティアなのだ。

 彼女はあれこれ思案した事を(たま)にアルベドらと語って、高度に論破される過程をいくつも経ており、デミウルゴス達の構想の欠片を掴むことが出来るのである。実に貴重な情報源。

 

(あぁぁ、不可視化していてもなお伝わる、その美しい白きお体~)

 

 シャルティアとしても、愛しの『我が君』と話せるので幸せに目が眩んでおり、気付くはずがない。これぞWINWINの関係だ。

 その後、ナーベラル達ともナザリック内やエントマと竜王国へ出撃中のルプスレギナの話を30分程聞かせた支配者は、ルベドを連れてこの地を離れた。

 至高の君が去ってすぐ、シャルティアはナーベラル達の前で伝える。

 

「今回、北側の警戒と迎撃の先陣は私に任しんす。あなた達は、全域探知と南側の監視警戒と討ち漏らした者への時間稼ぎを願うでありんすよ」

 

 死せる勇者の魂(エインヘリヤル)はとっておきだが、清浄投擲槍など他の特殊技術(スキル)を使用すれば、同時に十竜長の10頭程度は十分相手に出来る筈である。

 彼女が竜軍団の上位陣を叩けば、下位の竜にはシズ達でも十分対抗は可能だと判断している。

 

「承知しました。先陣はシャルティア様にお任せいたします」

 

 年長のナーベラルがアインズの姿で姉妹を代表して答えた。

 その返事に満足すると、シャルティアが告げる。

 

「今より私はルベドとして行動し、北側の警戒に着く。アインズ様をソリュシャンが守り、南側の歩哨にはシズが立て。では、行動開始」

 

 シャルティア達は林の中で散開した。

 なお、アインズとルベドが『六腕』の連中と合流するのは、移動途中で偽装にアレコレ悩んだ2時間程あとの話となる。アインズは〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉で、ルベドは主人が自室からアイテムボックス内へ押し込んだ、個人持ちの女性NPC向け装備の中からチョイスしていた……。

 

* * *

 

 現場指揮官である階層守護者(シャルティア)から「私はいい」との言葉を受け、金色巻き髪の戦闘メイド(ソリュシャン)は見張りを任せ立ち去ろうとし、東から昇り始めた月へと体を向け掛けた。

 しかし彼女の体は急に、西へと向いた。

 彼女の広域探知が異変を捉えたからだ。暫し地平の先を見詰めるようにしていた彼女は、白き鎧を着るルベド姿のシャルティアへ伝える。

 

「西北西から後方の王都へ向け4体の飛行体がやって来ます。距離は40キロ。各レベルは50以上が1、他3体。距離があるのでまだ詳細が掴めません。北方にはあの天使がいますわ。恐らくこれは北側から大きく西方に抜けて戦場を迂回した竜軍団の別動小隊かと。ただ、その目的が不明の隊ですけど」

 

 ソリュシャンは王城内の盗聴でボウロロープ侯の陣の位置を知っている。ここから北へ100キロ弱の位置なので、傍の通過を見送っても気付いたルベドが先に知らせてくると思われた。

 ソリュシャンの振り向き警戒する気配から、異変へ注意を払っていたシャルティアは告げる。

 

「心配ない。連中の後ろが10キロ空いたら知らせて。()()()()()で出る。一応だけど周りへも油断するな」

 

 探知が使えないため後続が無いかを先に確認してから一気に出る手筈。

 

「分かりましたわ。あの、一つ提案が」

「……なに?」

 

 シャルティアは、我が君が補佐に押した事でソリュシャンからの言葉に耳を傾けた。

 

「我々プレアデスだと実行が難しいのだけど、貴方なら――捕縛も一瞬で可能では?」

「あら……良い案」

 

 ルベド姿の彼女は軽く握った手を可愛く顎先へ当てて自問し答える。

 

「でも多数の後続も有り得えるし、状況次第ね」

「はい、勿論判断はお任せしますわ」

 

 戦闘メイドの言葉に階層守護者最強の彼女は頷いた。

 ナザリックにとって、竜種は素材の宝庫でもあるので無闇に破壊は厳禁。

 同時に、絶対的支配者からの勅命は後方へと1匹も通さず都市部の完全防衛である。捕縛とも殲滅とも告げられていない。

 そこを間違えない様に動かなければと、真祖の姫は目を静かに細める。

 

 今回の恩返しの機会で、彼女は絶対に評価される形で任務を完遂したかった。

 

 シャルティアは、本来の朱く鋭い瞳で西方の空を睨み付け、出撃の合図を待った。

 そして10分と掛からず、ソリュシャンから声が掛かる。

 

「後方からの援軍的追尾数ゼロ、周辺にも探知されず。各個体のレベルは53、44、35、30ですわ」

「了解。出撃する」

 

 そう告げた、シャルティアは〈転移(テレポーテーション)〉で姿を消した。視界一杯を繋ぎ、連続の〈転移〉で移動すればすべては一瞬。さらに、装着するこの真っ赤な伝説級(レジェンド)アイテムである鎧の持つ機能、〈加速飛行(アクセルフライ)〉も即時発動させる。まあ外からの見た目は、紺の艶やかである髪に白い鎧のルベドにしか見えないが。

 さて、本来のシャルティアなら少しの問題もないが、今回はルベド役として戦う上で、槍ではなく剣術風の動きで対応するべきか思案の必要なところ。出来れば初手から独自性の高い特殊技術(スキル)使用は避けたいと考えている。

 それと、今現れたのは後続のいない4体だが本当にそれだけなのか、敵の今後の動きは不明なのも少し気になる。竜王側からこの地が集中的に注目されるのはシャルティア達替え玉一行の望むところではない。

 つまり王都に向かっているこの4体は、竜軍団の宿営地へ帰さず消えてもらうに限る、と彼女が考えるのは自然である。

 竜王へ報告が上がらなければ、どこで何があったのかは全て闇の中だと――。

 

 竜の小隊は、竜王軍団宿営地の北部での戦いに加わっていた2匹1組が2つの計4頭であった。

 彼等4頭は主命を受けて、戦闘の途中に紛れて行動を開始している。

 竜王からの勅命は、『人間の王国の王都を強襲し破壊せよ』だ。

 それは、戦死した仲間達の死骸を奪い続けるナメた行為と、広範囲に布陣し愚かで姑息な持久戦を展開し、更に冒険者達を使って不愉快で苛立つ戦いを仕掛けて来た下等極まりない人間共へ、強烈な報復を食らわせ500年分の恨みと新たな恐怖と絶望を思い知らせてやる為である。

 王城で第二王女のルトラーがアーグランド評議国に関する本を読んでいたと言う事は、逆も当然あるという話。交流が殆ど無い中でも評議国側にも人間の国家リ・エスティーゼ王国に関する書籍が少数ながら存在していた。

 王都リ・エスティーゼの場所は建国以来200年の間変わっていないのだ。

 博学の百竜長であるドルビオラが、王国西側に連なる海岸線の特徴から王都の西側に出るルートを伝えていた。

 十竜長2頭を含む4頭は、まず指示された北西ルートを通って一路、大回りして人間共の王都を極秘に目指す。

 山を越え、間もなく西方の海上へ出ると南下を開始。海岸線に沿って進む。王国西海岸沿いの上空を南進した小隊は目印の岬を過ぎた辺りで、王国の内陸南東側へと左旋回し45キロ程直進。眼下に横たわる全長数キロの湖の上を横切りつつ、視界前方の地表部全方向には地平線までの平野が広がって見えた。

 

「そろそろ人間共の大きな巣が地平線に見えテきますぜ」

「ふん、そうか。臭そうダな」

 

 十竜長ながら難度159の竜が鼻を鳴らして睥睨(へいげい)気味で答えた。彼は此度の竜軍団の中でも10傑に入る強さを誇る個体である。そのために重要な小隊の指揮官に選ばれている。

 そんな彼へ難度132の十竜長が相槌を打つ。

 

「違いない。ダが竜王様の御命令だ」

「わははは、全員踏ミつぶしてやりましょうぞ」

 

 陽気な難度105の個体も強気に、当然という意見を語った。

 竜達にしてみると、評議国で人間と言えば非常に一般的な脆弱で下等な奴隷種族に過ぎない。

 多くが食肉にもされており、多数の伝統料理も存在する。完全に家畜と同様といえる。

 用途的に短命な人間の平均難度は10に満たない。成体化すれば最低でも難度60を超える(ドラゴン)達にすれば小さく小汚い姿で足元に蠢く存在なのだ。巨体の竜達が単に歩いて回るだけで、気が付けば死んでいる連中、それが人間である。

 虫と何が違うのだろうかという連中が現在、竜王様の率いる軍団へ愚かにも戦いを試みている。

 身の程を知らぬ下等な人間共は、完膚なきまでに報復して滅ぼしてやるのが当然という考えで、この4頭は王都に乗り込んで暴れるべく意気揚々と翼を羽ばたかせて星の瞬く夜の大空を進んだ。

 彼等4頭もこれが別動の重要任務であることは心得ており、言葉ほど軽く任務をみて油断はしていない。

 その証拠に、途中の都市への軽はずみな一切の攻撃が見送られている。

 夜間に高い上空を素早く飛行し、完全に不意を突く電撃作戦として進行させていたのである。

 本来なら今晩、リ・エスティーゼ王国は100万の民の多くと第二王子と共に王都を失っていたと思われる……。(王城にはフランチェスカも潜伏中であり、王女姉妹とゴウン屋敷の三姉妹とツアレは無論死なないが)

 しかし今――。

 

 Lv.100の上位存在と、中位怪物(モンスター)との何も痕跡を残さない戦いが始まる。

 

 決め手は、4頭の竜が菱形の密集隊形で湖の上空を飛んでいた事につきる。

 その様子を確認した真祖の姫は、補佐するメイドからの言葉を思い出し実行する。

 

集団全種族捕縛(マス・ホールド・スピーシーズ)っ」

 

 シャルティアの視線が捉えた一定範囲内に居るLv.45以下の者へと、一気に体へ硬直と拘束が掛かった。

 捕縛から1匹の竜が自力で逃れるも、残りの3匹は高度が下がり纏まって湖に落ちていく。

 残った1匹の竜は、風へ長い髪を靡かせ上空に静止する小さな襲撃者を見つけ対峙する。

 

「なっ、き、貴様、何者ダ!?」

 

 奴の声はもう震えていた。だが、十竜長を含む仲間3頭を一瞬で無力化してしまった存在の衝撃に、思わず問い掛けずにはいられなかった。

 目の前の小さい姿は人間にも見えるが、ヤツから受けるプレッシャーは信じられない事に竜王様以上に思えたのだ。有り得ない存在――。

 その小さき者であるシャルティアが口を開く。

 

「私は今、この国へ力を貸す者。これ以上先へは進ませない。――くたばれ」

 

 前回、紺髪の人間を逃がした件もあり、あえてルベドとも名乗らず。

 空中を蹴る様に竜の懐へと一瞬で飛び込むと、幻術の剣の刃ではない剣身部分で竜の肩口を手加減しつつ殴りつけた。

 難度159の十竜長は、その余りの素早さに対応出来ずまともに武器の衝撃を受けると、その巨体が夜の暗い湖面へと弾丸の様に落ちて行き、水柱を上げて湖へと沈んだ。

 頑強な神器級(ゴッズ)アイテムのスポイトランスで真祖の吸血鬼のシャルティアに叩かれたのである。手加減したつもりなのだが、十竜長の左肩と翼の根元の巨大な骨は見事に砕けて失神していた……。

 彼女は湖の中から捕らえた4匹の竜を空中へ軽々と引き上げる。炎竜だが、水中で窒息して死ぬほど弱くはない。

 

(でもコレ、どうしんしょうね)

 

 ソリュシャンの意見が良策だと思って実行したが、階層支配者としてこの後、何かこの捕縛した連中を素材以外で有効に使える案を示したいところである。

 

(あ、そうだわ)

 

 彼女はまず、マーレの配下に竜の部隊があるので、それに加えるのはどうだろうかと思い付く。

 更に1匹はLv.50を超えているので、ナザリックが新造する小都市の門番にも使えそうだとも。

 その辺りまで2分程考えて、シャルティアはソリュシャンへとルベド口調で意気揚々と〈伝言〉を繋いだ。

 

「とりあえず、4匹とも生かして拘束した。今、空中にぶら下げてるけど」

『パワフルさは、流石ですわね』

 

 巨体の(ドラゴン)4頭は決して軽くはない。

 それはいいとして、シャルティアはソリュシャンにコレらの有意義な利用手段について伝えようと動く。

 

「ところで、この竜達だけど――」

『――是非早く、この件をアインズ様に報告すべきですわ』

 

 我が君の名を出されてはシャルティアも否定する事など出来ない。

 ソリュシャンとしては、敵の攻撃が広域展開したので、更なる竜軍団の動きも考えると報連相は大事だと言う自然な流れ。また、報告は戦闘の結果が出てからでないと、御方側も判断や動きにくいと考慮されていたのは思慮深い彼女らしい。

 

「分かった。直ぐ報告する」

 

 シャルティアは一旦ソリュシャンとの通話を切ると、直ぐに至高の君へと繋いだ。

 

「〈伝言(メッセージ)〉。あの、()()()ですが」

『ん? ああ、お前(シャルティア)か』

 

 アインズは、マーベロやユリなど王城駐在の面々との窮屈な通話があるので、結構慣れている感じである。

 今は、午後10時半を過ぎ掛けの時刻。

 支配者は『六腕』との共同野営地に居るはずで、真祖の姫も自分の名が口にされないのは理解している。

 

「その、今、よろしいのですか? 外への散歩中ですか?」

『いや。ちょっと今な、ここであいつ(ルベド)が急に――消えてな』

「えっ?」

『ぁ、まあ、こちらは大丈夫だ。で、どうした』

 

 至高の御方の方も何かが発生したようだが、「大丈夫」と言われた以上は、敢えてスルーするのが下の者の礼儀であろう。

 

「それではこちらの話を。先程ですが――」

 

 そうしてシャルティアは、王都へと進撃中の竜軍団の別動隊と思われる竜4頭編成の小隊発見しそれを生きて拘束した事を一通り伝え、その活用法についても「宜しければ」として2つの案を上申した。

 2分程に纏められた報告を受ける支配者はその間、内容へ静かに聞き入っている様に思えた。

 「――以上です」という配下の言葉を聞き終えると同時に彼は口を開く。

 その声は少し興奮気味にも思える。

 

『おお――素晴らしいぞ! 流石だ』

「ああぁ、我が君~」

 

 至高の御方の指令に従い、そして成果を出して役立ち、大いに褒められたのだ。ナザリックのNPC達にとってこれ以上に嬉しい事があるだろうか。

 そんな愉悦気味の配下へ、絶対的支配者は直ちに指令する。内容を結構ボカして。

 

それら(4匹の竜)は直ちに拠点(ナザリック)へ搬送し、(アウラへ命じて)急ぎテイムさせよ。今日明日中にも早速少し使いたい。お前の案も含めて有効利用しよう』

「はぃ~、仰せのままに」

 

 勿論、アインズがまず考えているのは、攻略に少し不十分さがみえていたボウロロープ侯爵暗殺の駒としての利用である。これで竜軍団の所業にし殺害の罪を擦り付けられるというもの。

 正直、残ると結構面倒な要素が一つ減る訳で、かなり助かるのである。

 

『では、よろしく頼んだぞ』

 

 そこで支配者との〈伝言(メッセージ)〉は終了した。

 

 

 

 

 

 

 

 2時間半程遅れて動き出した『蒼の薔薇』と『イジャニーヤ』の部隊は、王国軍の陣にて今回も()()()()()()()()()兵士から都合よく竜王隊の位置を教えてもらうと出撃。標的である竜王以下5匹の竜を発見して接敵する。

 一応、王国軍内でも竜王の部隊の動向は最優先で調査し、所定の旗を掲げた数十を数える各地の部隊で『蒼の薔薇』が情報を確認出来るようにと手配している。しかし、戦場の現場は常時大混乱しており、これまでラキュース達は1日に4、5回の計12回出撃しているが実際に王国軍側から最新の情報を通達出来たのは3回に留まる。それでも頑張った方と言えるだろう。

 それ以外の9回は、問われた部隊が答えられない場合に、ハンゾウが忍術〈影羽織〉で別の兵士を操り、遅れて現れ「あの、只今判明しました。場所ですが――」と伝えていた……。

 

 竜王の部隊へ接敵し、いざラキュース達が挑む場合は概ね、竜王達が王国軍部隊に襲い掛かっている状況へ割り込む形になる。

 チャーリー(ブレイン)の〈四光連斬〉を竜王へ見舞ったりやティア三姉妹による、不意の三重での〈不動金縛りの術〉により竜兵1頭の動きを縛るという風にこちらへと意識を向けさせるのだ。

 此度も、『蒼の薔薇』の誘動に乗った振りをして煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグは自身のみで闘いに付き合う。

 百竜長のノブナーガと竜兵3頭が、『イジャニーヤ』の4組計20名の部隊と向き合った。

 3日間も立ち会えば、双方の顔触れも見慣れたものになって来ており、自然といつもの組み合わせにそれぞれが数百メートル程離れて別れていく。

 でもこれは、慣れ合いとかではない。

 逆に死者と負傷者も出ており双方が真剣で、武に覚えのある連中のため、決着が付かない内に他の者と手を合わせるのは気が乗らないのだ。

 勝っても負けても最後まで行く――そういった闘いの空気でもある。

 移動する中で、竜王が厳つい顔でほくそ笑む。

 

(ふっ……。俺をいつまでも出し抜いて逃げ切れると思うんじゃねぇぞ?)

 

 竜王は、この夜の戦いの場へ鬱陶しい冒険者連中と一つの区切りを付ける考えで臨んでいた。

 

 ――冒険者共の隠す『なにか』を破った上に、決着までも付けようとだ。

 

 確かに転移系の移動魔法には竜王も追い付けない弱みがある。

 しかし、ゼザリオルグはここまで()()()姿()を見せておらず、実はまだ幾つか対抗する手が残されていた。王国の人間達がそれに気付かないだけである。

 また、人間の魔法詠唱者が使う移動魔法(〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉)の特徴にも気が付いたのだ。余りにも多用し過ぎたための露見と言えるだろう。

 竜王とは、人類にとってやはり底知れない存在なのである。

 ラキュースら『蒼の薔薇』のメンバーは、そんな恐ろしい竜王の自信が込められた戦いへ乗り込んでしまっていた……。

 

 王国軍は旧エ・アセナル廃墟北の竜軍団宿営地を中心に、Uの字風の半円状に内を前線、外を主力戦線という2重の形で広大に包囲している。あと、竜軍宿営地北部の死地へも弱小貴族部隊を送り込んでいた。

 『蒼の薔薇』ら彼女達が今戦っている戦場は旧大都市の廃墟から南西に14キロの付近。

 この一帯は貴族派のボウロロープ侯爵やリットン伯爵の兵力が広く展開する地域の外縁寄りである。また、既に負傷兵が大量に出ており、分割再配置をしていても目に入る陣地はかなり疎らだ。

 侯爵は最後方の地下陣地に籠っているが、意外なことにリットン伯は開戦当初より1万程の兵と共に戦線へ出陣していた。

 死にたくはないが、どうしても大貴族としての立場的なものが許さない。正直なところはボウロロープ侯程の権力が彼に無かった為だが。当然、屈強な10名で構成した12組の護衛小隊群に近辺を守らせてはいた。

 貴族達の祖先は元々、王国建国時に貢献した人材で身体的には優れた者達である。

 騎士水準以上の実力者も多かった。ただ、200年間で世代を重ねていくうちに衰える場合も散見される。リットン伯はその部類で、難度で言えば18程になる。それでも体力的にはやはり一般市民よりもかなり優れる。それも、貴族達の増長へと繋がっていた。

 また、家宝の鎧装備などは一級品の物が代々伝わっており、リットン伯の身に着けていた防具もそういった貴重なもの。兜へ南方の大鳥の羽を派手に飾った、肩や胸部にも金銀の装飾が眩しい全身鎧だ。

 そのおかげで、初日冒頭の大乱戦の際中に軍団は5000名以上の死傷者を出し自らも負傷したが、一命は取り留めた。現在は軍団指揮を騎士団長に任せ、後方の野戦医療所で静養している。

 くしくも侯爵と同じような形になっていた。

 一方、ボウロロープ侯の筆頭騎士団長は、侯爵の影武者の男を守る形で、本拠地の大都市リ・ボウロロールからの新増援3000と負傷からの復帰兵の再組込みにより、今もなお1万2000人程の兵力を維持し指揮していた。

 そんなボウロロープ軍団とリットン軍団の戦場外縁寄りの一角が、『蒼の薔薇』達と竜王の隊の戦いを見守る。

 彼等としては、一時的でも竜王隊の矢面に立たなくて済むのは非常に助かるという事。

 

 さて、ラキュース達とティラ達は各所へと散らばった訳であるが、『蒼の薔薇』と竜王の戦いにおいて、5人からどうやってイビルアイを含めて2人になるのかだが、それは難しくない。

 巨体の竜王に対して5人がまずそれぞれ距離を取って移動する。

 竜王は毎回捕らえられないイビルアイ以外に狙いを付けて動く。なので、狙いを付けられた者の所へイビルアイは〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉で移動し合流。

 残りの3人は散開する。

 恒星の光によりこの惑星の影側となる夜は言うに及ばず、昼間もティアとティナなら途中に長い土手や水路などがあれば〈闇渡り〉で一気に離脱できる。ガガーランとラキュースでも竜王と逆方向へ走るなら探知可能外1キロへ離れるのにそれほど時間は掛からない。

 あとはイビルアイと居る2人で竜王を連携して翻弄しつつ戦い、時間を稼いで最後に離脱する。

 この3日間程はこれが機能していた。

 それでも危ない場面は何回かあったが、ミステリー的に毎度、竜王が体勢を崩したり別の事へ注意を向けた隙に退避に成功している。

 今夜の戦いも、冒頭は同じ流れで竜王ゼザリオルグに対し、イビルアイと――ガガーランが残った。

 残りの3名のうちラキュースだけが、先に大きく離脱し合流地点を目指す。これは決め事。

 今は夜間なのでティアとティナは自力でなんとか離脱出来る。そのため戦力として残ったが、ラキュースは、単独では無理なためだ。

 

(あとは頼んだわよ)

 

 5人チームのボスとして、心配だが仲間を信用してラキュースは灰を蹴り元麦畑を走る。

 王国最強のイビルアイもあの恐るべき竜王を前にしては余裕が全くない。無理に残っても選択や手段を迷わすだけとなる。

 竜王攻撃から離脱したラキュースが『イジャニーヤ』の4組へ加勢しないのは、竜王隊が加勢を増やさずずっと5頭から変わっていない為だ。

 そもそも竜王軍団側の方が総戦力は圧倒的に有利。加勢を増やさないのは『油断』なのである。

 人間側から、わざわざそれを崩す必要は皆無。

 『蒼の薔薇』は竜兵を1頭倒すよりも――煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)を引き付けるのが大戦での役目なのを忘れてはならない。

 

 竜軍団の最高司令官の『油断』がゴウン氏の、王国軍の反撃までの時間を稼ぐ助けになる。

 

 そういった状況をラキュースは俯瞰した立場から冷静に見ていた。

 最重要は何であるか、それを見極める目が修羅場では大局や生死を分けるのである。

 それでも、竜王の全てを見極められる訳ではなかったが……。

 

 ラキュースを除いたガガーラン達の戦いは50分程が経過する。

 上空10から20メートル程に留まる竜王へは当然、基本的にヒットアンドアウェイ戦術だ。

 無論、漢らしいアニキ流を見せるガガーランの猛攻撃での単身突破は不可能。しかし、イビルアイとティアやティナも加わり、チクチクと刺すかの変則的な攻撃が絶妙の間を空けながら続く。

 例えるなら夏の夜中の睡眠中に蚊が現れて長時間格闘する雰囲気に近い。待ちの時には現れず、気を抜いた時に羽音や視界にかすめる嫌な感覚。

 相変わらず竜王へ手傷を負わす事が殆ど無いけれど、引き付けて闘争心をMAXにする効果は抜群である。

 早く片付けるつもりでいたゼザリオルグは、予想外に今回も逆襲の機会がまだ訪れない。日が沈んでいたので、昼間は居なかった影を利用する者達が2体増えていた為だ。

 竜王は相手を探知出来る。ただ本来死角からの攻撃は効果が薄いはずも、転移系や〈闇渡り〉は少し勝手の違う接近方法なのが大きい。

 また、竜王の探知は常時自動探知ではなく意識してもパルス的な為、標的が高速なら一瞬後にズレが発生する。

 そして、ガガーランの纏うゴウン氏から借り物の、視覚をだます常時屈折化のローブは近接時に転移系や〈闇渡り〉からの攻撃が横へ混ざると意外に面倒だ。

 4方向からの変則同時攻撃は非常に鬱陶しいものである。

 とはいえ、時間が経てば攻撃パターンにも類似が増え、慣れてもくる。

 それに、蚊のような虫を捕らえる手段としては――あえて取り付かせてから引っ(ぱた)く、というのも有効なのである。

 スッと竜王は一旦両目を閉じる。視覚へ頼らず、体に接触された瞬間で動くために。

 無論、今までも数回試している手段。ただ、毎回邪魔され失敗していた。

 竜王が目を閉じているので尚更ティアやティナ側は動き易く、またこれは物理打撃なので、七色に輝く眩い六角形盾である忍術〈不動金剛盾〉により受ける事も出来た。ただし攻撃は文句無く強烈。盾は攻撃に耐える程頑丈ではあったが、威力の殆どを受け流すティアやティナでさえも飛ばされるし打撲もした。それでも今まで、ある程度は竜王の攻撃に何とか反応してみせていた。

 ところが今回は、対応する暇が微塵もなかった。

 

 

「がはっ」

 

 

 地面に激突後、100メートル以上もの線を引いて()()()が転がって行った……。

 

「ガガーラン!?」

「――くっ」

「………嘘」

 

 イビルアイとティナらが竜王から反射的に距離を取りつつ唸る。ティアは〈闇渡り〉で負傷し倒れた仲間の下へ移る。

 

「――へぇ、人間如きの癖にまだ生きているとはなぁ」

 

 武器を握り倒れている人間を眺め、死んでいない事に竜王が驚いた風の台詞を口にした。

 続いて意味深な言葉も漏れる。

 

「……人間の方はあくまで衝撃の余波だけで、〝(なにか)〟がまともに受けやがったはずなんだが」

「「……奴?」」

 

 イビルアイ達には、ゼザリオルグの攻撃が竜王自身の胴体に当たり、その衝撃でガガーランが飛ばされた様に見えたので、良く分からないという表情を浮かべる。

 とにかく今回の竜王の攻撃は速く強烈だった。

 なぜなら、これまでは引っ(ぱた)く動作をしていたのは常に『前足』であったが、此度(こたび)は『尻尾』での一撃なのだから。その速度と正確さは正に鞭以上である。

 その上、並の竜兵の尻尾による打撃でさえ恐るべき威力が備わっているのに、これがゼザリオルグのものとなると最上位物理攻撃級といえる水準に届く。

 

 Lv.80を超える者でさえ只では済まない強力な破壊力――。

 

 ガガーランが攻撃を受けていればミンチになっていたのは間違いない。余波だけとは言え、怪我の状態は……全身骨折で、戦える状態には程遠い。

 そんな危機の大半を『なにか』が代わりに受けたのだ。その早業と存在に『蒼の薔薇』はずっと気付けていないが。

 ティアが動かない女戦士へ下級治癒薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)を与えるも回復へ時間が掛かる。彼女は手の形による無言の合図でイビルアイを呼んだ。

 ここで、イビルアイとティアとティナの頭へ真っ先に浮かぶのは、同じもの。

 

(((どうする?)))

 

 正直、竜王を相手に失神した者を連れながら戦うなんて不可能な行為。最低一人はガガーランと撤退を選択すべき。そうでなければ、ガガーランをこの場へ放置することになるのだから。

 一瞬の視線だけで三人は僅かに頷く。

 ティアは〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉の使えるイビルアイと入れ替わる様に夜の闇に溶ける。ティナと共にイビルアイらの脱出の時間を作る為に。

 今は撤退自体も難題事と言え、空気が自然と重さを増す。

 一方で竜王は対照的に厳つい竜顔へ笑みを浮かべ、内心で喜びの声を上げる。

 

(はははっ、今回は〝なにか〟へ確かな手応えがあったぜ)

 

 僅かの時間だが愉悦に浸る。

 長いような短いような連中との3日間に思える。

 これまでは、全て空気を掴まされるようなハズレ感があった。

 でも、今回は違う。モロに当たって砕いた感触が尻尾に残っている。

 

 

 つまり――『なにか』は今、満足に動けないはずである。

 

 

 実際、ハンゾウはHP(体力)の実に4割に迫るダメージを受けてしまっていた。攻撃の尻尾はガガーランを追尾していたために力ずくで止めるしかない状況。そして影分身では受けきれないと判断し、とっさに〈影代わり〉で位置を分身と入れ替えて攻撃を受けた。今は影に逃れている身で、右腕と右足を破壊され治癒を掛けているが、竜王への即対応は難しくなった。

 ゼザリオルグの視線が、意識無く倒れた仲間からこちらへ視線を戻した人間達と交錯する。

 竜王の瞳に浮かんだ新たな闘気へ、歴戦のイビルアイとティア達も本能で命の危険を直感した。

 

(……何かが決定的に変わっている。まずいかも。……今すぐに全員退却すべきか)

 

 仲間を掴み、僅かに身体(からだ)が後ろへ下がり掛けた人間の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の動きに、竜王が告げる。

 

「へっ、逃げても構わねぇが、ここに誰も残らねぇなら――今夜はあっちに居る人間共20体は俺が全員ぶち殺すぜ」

「「「――――っ!」」」

 

 『イジャニーヤ』を次の目標に取られた形になった。これは戦争であり人質とも違うため、卑怯でもなんでもない。

 これまでの戦いで『イジャニーヤ』は1名が死んで戦力が下がっている。

 頭領のティラと紺髪の刀使いぐらいは逃げ(おお)せる可能性はあるが、不意に竜王が加わった場合、全滅も十分に有り得た。

 ティアとティナは、姉妹の危機へ互いに離れた所で頷くと、もう腹をくくった様子で一歩を踏み出す。正直、彼女達も忍術を多用し、MPを消費していて苦しいが関係ない。

 姉妹達の決死の表情に、仮面の吸血鬼は状況の不利を思い(あえ)ぐ。

 

(うぅー、もっと私に魔力量があれば……くやしい)

 

 イビルアイは仮面の中で綺麗な顔をゆがめ、竜王に対する己の力の無さを痛感する。

 既に今回の戦闘も1時間近くが経過し、出撃前に2割近くまであった魔力量は1割5分を切ろうとしている。次の出撃は今回以上に遅れるだろう。でもそれはまあ、次が有ればの話。

 気絶したガガーランは重傷で、一旦どこか近場の圏外へ置いて戻ってくるしかない。安全マージン込みで往復4キロ程を考えると、魔力消費はかなり大きくなる。そのあと一体どこまで戦えるのか、自信の無い綱渡りが始まろうとしていた。

 そんな時だ。

 かすれ気味の声が掛かる。

 

「……おいおい。仮面の下で、湿気た顔をしてるんじゃねぇだろうな、全く」

 

 イビルアイが驚きで絶句したまま視線を下げると、女戦士の目が開いていた。

 

「――くっ、ヘマをこいちまったか」

 

 ガガーランは、正に鬼の形相でゆっくりと立ち上がる。

 治療薬は作用し始めてるが、普通の人間ならまだとても動ける状態では無い。それどころが痛みで気を失うほどの負傷なのだ。まだ、額から流れ落ちた血の痕も半乾きだ。

 それでも、立って見せる並外れた精神力である。

 首をゴキリと鳴らしつつ、倒れても手放さなかった重く巨大な刺突戦鎚(ウォーピック)を肩に片手で担ぐ。

 

「「「ガガーラン!」」」

「どうやらここで、ちんたらと寝てるわけにはいかないようだな」

 

 状況は待ったなしとはいえ、冗談交じりの台詞を皆へ語った。

 重症の仲間の心が折れていない様子と言葉は、他の面子の気持ちを奮い立たせる。

 離れた場所のティアが「さっき、血が少し紫っぽかったし」という発言に「やっぱり? 遂に進化形態?」などとティナも答え、互いに頷き合っている。

 ガガーランの「おい、聞こえてるぞっ、そんなわけあるか」といつものやり取りが入った。

 こういう会話の間も、彼女達の強気の視線と警戒が竜王から外れることは無い。

 

 そんな様子が竜王には不思議であった。

 

 評議国ではまず、脆弱な奴隷階層の人間が(ドラゴン)へ武器を持ち、向かって来るなどないらしい。

 最近に復活したゼザリオルグは配下からそう聞くも、その辺りについて八欲王らと闘った当時の知識を持つので人間達が歯向かって来るのはまだ十分理解出来た。

 とは言え、当時から竜種が圧倒的な怪物として恐れられていたのは変わらない。

 まして最強種族の頂点にいる竜王との戦いになれば、自殺行為のようなもの。

 

(……なぜ逃げず、ここまで戦えるんだよ)

 

 向こうで離れて戦っている20体の人間も含め、今戦っている連中の中で竜王自身に勝てる者は見当たらない。例えゼザリオルグが無抵抗であっても、人間達のへばる方が早いと。

 重傷から立ち上がって来た人間を考えれば今後、優秀で強力なアイテム類の使用は考えられる。

 

 それでも、アイテムを使う人間自体が弱い。

 

 どれほど強力で性能の良い武器を使っても、普通の人間の能力では100%引き出せないのだ。

 それは体力であったり魔法量であったりするが、人間共には絶対量が大よそ不足している。

 今は姿がないけれど、連中の中で魔剣を使っている者を見たが正にそれで、持て余している状態であろう。評議国の最上位水準の闘士が使えば、竜王鱗を切り裂けたかもしれない。先程の魔剣はそれ程の武器に見えた。

 まあ、武器については身に過ぎると言う事は結構あるが、目の前の連中はその性能を過信してる様子でもなく戦いを挑んで来るのだ。

 死にたがってもおらず、諦める風でもなく、手を抜いた戦いでさえもない。

 要するに、竜王には連中の前ノメリな戦いへ対する『ちぐはぐさ』の違和感があった。

 人間側の現状をみると遅滞戦に努めているだけに見える。確かに、冒険者達が攻勢戦力の主力にも思えたが、竜兵10体以上を撃破した一組を除くと、竜王としては余りに拍子抜けの内容。

 

(まあ、それが人間共の限界なんだろうが……いや、まだ何かあるんじゃ――)

 

 この戦争、一度も苦戦せずに敵を全て粉砕すれば良く、それで人類抹殺の悲願も成就する。

 その考えを煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)らしく実行しているわけだが、油断は出来ない。

 再侵攻前に、自分程ではないが百竜長を数撃で倒す強者が現れている。

 3日程前も、宿営地内へと魔法使いの人間らしき何者かに潜入されていた。

 ゼザリオルグの背には、自身が昔に死んだ時の悪寒が走る。

 嘗て人類側へ立ち、己や母を含む竜王達率いる万を超える竜の大軍団を全滅させつつ、見る間に大陸全土をほぼ制圧してのけたのが、八欲王達である。

 

 

 奴等は自分達の事を―――人間だと語っていた。

 

 

 竜王すら超える強さの人間達が500年前に居たのは、経験させられた揺るがない事実。

 だからこそ、全てを完全に侮る事は出来ない。

 ならばまずすべき行動は、ジャマをしていた(なにか)を退けている今、重症から立ち上がって来た目の前の人間とその仲間へ確実にトドメを刺す事。

 空中へ留まっていたゼザリオルグは、標的までの100メートル程の距離を詰めようと動き始める。

 立ち上がったガガーランだが、やはり完治にはまだ遠い。それでも。

 

(流石は王都で集めた上質の治療薬ってとこだな。並みの薬なら、まだ骨も筋肉もボロボロのはずだが、もう動けるなんてな)

 

 彼女は、手足に力を入れて状態を素早く確認する。

 相当のダメージに全身へ激痛は走るが、まあ我慢すればいい。動けないのとは雲泥の差である。

 バレアレ家の治療薬は王都でも高値で売られており、ラキュース達は何本か手に入れていた。

 それは以前に使用したことがあり、他と比べての即効性と効果の高さを知っていた為だ。

 

「おいっ、仕掛けるぞ」

「分かった」

 

 イビルアイはガガーランの、信用する仲間の言葉へと頷くしかない。駆け出す2人。

 ティアとティナも連動して動き出す。

 ただ、イビルアイと姉妹達は竜王を警戒しつつも、ガガーランの状態が気になっていた。実際、やはり精彩を欠く動作だ。

 なので仲間達は、自然と女戦士の負荷を僅かでも下げようと、積極的に少し前へ出て力を発揮しようと考えた。

 4人の攻撃が近寄って来ていた竜王へと襲い掛かる。

 

 すると竜王は、これまで殆ど使っていなかった火炎を突如吐いた。それは攻撃用では無く、大きく明るい光を生み出す為に長く長く。周囲への牽制に近い。

 その行動の意味は直ぐに出た。竜王の前面寄りの広い空間で夜の闇が突如消失する。

 結果、(いささ)か突出していたティアとティナは影から瞬間的に切り離される事になった。

 影にまだ近かったティナはなんとか影に戻りきれた。

 

 だが――青の髪紐が揺れるティアは空中に取り残されてしまっていた……。

 

 そんな彼女を、アダマンタイト級冒険者達の動体視力を遥かに超える速度を帯びた、竜王の尻尾が再び襲い掛かる。

 圧倒的な竜王の放つ凶器を、人間如きが避けたり受けたり出来るはずもない。

 

 

 それは―――しかし、ハジカレテしまう。当たる直前で()()()と軽く。

 

 

「……ハァッ?!」

 

 思い切り困惑の声を上げたのは、竜王のゼザリオルグである。

 意味が分からなかった。完璧なタイミングでの一撃だったから。

 邪魔をする『なにか』は今動けないはずで、脆弱な人間共も負傷した仲間に注意がいっていた隙を、見事に突いた攻撃だと自負する。確かに威力は渾身の一撃というほどではなかったが、それでも連中に弾かれようもない水準だと言えた。

 竜王が「何なんだよ、今のは?! あぁ?」と呆気に取られている間に、ティアは速攻で逃げ果せることが出来た。

 

 大ミステリー発生である。全く謎であった。

 

 いや。

 竜王にとって、同様の現象がこの人間共と最初に出合った時にも発生している。

 火炎砲を見えない『ナニカ』に遮断され、直後に人間は消え去った衝撃の光景が思い出された。

 その時も不安要素のない、確実に殺せるという状況で起こった現象だ。

 

(おのれぇぇ……)

 

 まだ『ナニカ』がいるらしい。

 冷静なはずの竜王だが、激しい怒りが一瞬で湧いて来ていた。

 一つの達成感を味わえる機を邪魔された時の苛立ちは、相当強烈な負の気持ちを生み出すのだ。

 攻撃が跳ね返されるのは、ゼザリオルグ自身がまだ本気を出していないから。そうに決まっていると竜王は考える。

 

(ははは……いいぜ、見せてやるよ)

 

 心の中に乾いた笑いが浮かんだ。

 ゼザリオルグの恐ろしく殺気の籠る視線が、少し離れた空中へまだ居た魔法詠唱者を捉える。

 イビルアイは先の竜王の火炎を吐く変則的な動作を警戒し、本調子では無いガガーランの所へ移動していた。

 今また、竜王の翼がひとつ強く羽ばたこうとする動作に、イビルアイは竜王が高速でこちらへ突撃して来ると判断。迷わずに魔法を発動する。

 

「〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉っ」

 

 一瞬で、イビルアイ達はほぼ南へ向かい250メートル程離れた低空地点へ距離を取った。

 しかし――これは見当違いであり、紆余曲折な結果へ繋がっていく。

 なぜなら、竜王の羽ばたきの動きは移動のものではなかったのだ。これは反動への備え。

 竜王の次の行動は、完全に想定外のものであった。

 

 

「消し飛んじまえ、愚か者共っ。〈獄 陽 紅 炎 砲(ヘル・プロミネンス・バスター)〉っ!!」

 

 

 竜王にとって最大技といえる究極の一撃。

 凄まじいエネルギーが、ゼザリオルグの口内から放出されようとしていた。

 これまでのモヤモヤした全ての苛立ちも叩き込んでだ。

 当然となるが、仲間の巻き添えを考えれば無闇には撃てないシロモノ。

 戦場で人間共の敷く南西戦線の外縁部に当たるのが、今のこの場所。

 その西側の竜軍団の展開していない場で、ノブナーガらが4組の人間達と戦っている。またこの場から見て、北から東へぐるりと南東方向まで竜軍団が広い範囲へ攻撃中であり、火炎砲を撃てる向きは限られていた。

 しかし幸い竜軍団側にとって、南側なら問題なく開けている方向である。

 ――今、圧倒的な火柱の暴力が解放された。

 

「なっ」

「おい……なんだ、あの光は?!」

 

 イビルアイとガガーランは、竜王の追って来るだろう方向へ振り向き、当然その輝きを知る。

 

「(マズい――)〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉!」

 

 ガガーランの頑丈な鎧装備であろうと吸血鬼の不死身の肉体であっても、旧大都市エ・アセナルの中央の城塞を土台ごと一撃で薙ぎ払ったという、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)の撃つ最大火炎砲に耐えられるわけがない。

 直撃なら完全消滅する威力と思われる。

 しかし、イビルアイが「マズい」と思ったのはそれだけではなかった。

 魔法の()()()において、優遇があったり制限の掛かる場合がある。

 例えば、〈雷撃(ライトニング)〉などの射撃系の連射の場合、前回と同一方向ならリキャストタイムが短く優遇される。

 実行できる者にとってこれは良い点が多いのだが、今のイビルアイの状況において音速以上の竜王の火炎砲を相手に〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉を使うとなると、再発動短縮は助かるが同一方向の延長上へ退避移動する事しか出来ない。即ち、火炎砲の有効軸線上に乗りっぱなしが続く。仮に方向変更する場合、数秒増のリキャストタイムをフルで待つなら火炎砲の直撃を受けるだろう。

 また竜王の超火炎砲は絶大な威力からみて、火柱の周囲200メートル以上でも十分焼死する可能性が高く、途中〈飛行(フライ)〉で横へ少し躱すとかの手も使えないのだ。離脱時間が不足していた。

 竜王は多用されて見ている内に〈次元の移動〉のこの点へ気が付いたのである。

 これは最早、イビルアイの魔法力と、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)の最大火炎砲との長射程距離勝負という話に変わっていた……。

 

 

 

 さて、ほんの数分前の話。

 最後方に置かれたボウロロープ侯爵の陣地近くにある『六腕』達との共同宿営地内。

 今早朝前に「今日一杯は様子見する」と語ったアインズことゼヴィエスは、割と暇であった。

 周辺警戒や偵察は『六腕』の者達が率先して動いていたからだ。

 まあ、配下がしっかりしていると楽なのは、ナザリックでも経験済みではある。

 だから彼は内心で「落ち着かないな」と手持ち無沙汰を感じつつも、慣れたようにのんびりして過ごす。時折、アルベドとマーベロとユリやソリュシャンにヘカテー、そして竜王国へ派遣中のセバスと評議国に残したレッドキャップなどへ〈伝言(メッセージ)〉を繋ぎ、優雅に状況報告を聞くなどしていた。

 

 一方、『六腕』達は忠実勤勉であった。

 これまでのところ、ゼロが心配していた様な盟主のゴウン氏からサキュロントの戦闘力の低さを指摘されたり、死者であるデイバーノックを毛嫌いされたり、エドストレームへ夜伽を所望されたりすることは無かった。

 戦場とは、生死が交錯する一つの極限地帯である。その者の人間性が出易い場所なのだ。

 ゼロ達は終始ゼヴィエスとルーベを見ている。

 王国軍が劣勢のはずである混沌とした戦場の傍で、盟主は大人物らしく泰然として見えた。

 ゼロ自身も含め配下達を最前線で有効に使っている彼の姿は、仕えるに相応しい存在だと改めて認識を強めた。

 世に口だけの者達は実に多い。特に王国の貴族連中には。

 

(ゴウンさんは、やはり違うな。本物だ。本物の――大悪党だな)

 

 王国最大の地下犯罪組織『八本指』の警備部門長のゼロの口許は満足に緩んでいた。

 聖職者の正義が色々ある様に、悪党にも様々な美学は有る。

 煌びやかな表の六大貴族を殺して、地下組織の拡大を精力的に図ろうなどと、小さい悪党には到底できない発想と行動力と戦闘力。

 改めてそういう畏敬の考えを持ったのはゼロだけではない。優男のマルムヴィストも全身鎧のペシュリアンも、妖艶なエドストレームもアンデッドのデイバーノックも黒装備のサキュロントも同様であった。

 マルムヴィスト達は、圧倒的な実力と(ただ)の悪党ではない魅力を持つゼロに従ってきた感じであるが、そこに規格外のゴウン氏が現れた。

 初めは、『どこの馬の骨だ?』と考えていたが、会談ではボスのゼロを戦闘で圧倒。

 ヤツは強いだけかと思うと奇策を披露し、それが口だけかと思えば最前線にて陣頭で共に行動してくれる。

 ボスのゼロが、彼を大悪党として慕うのも完全に納得出来た。

 一番驚いたのは、『八本指』のボスや各部門の長に実権の主体性を全て持たせている点だ。

 ボウロロープ侯爵らの様に、頭ごしで主導権を掴みたがり汚く散々に利用するのではなく、「私の提案にお前達はどう応える? 私はこうするがさあ色々みせてくれ」という発展型のスタンス。

 これで、奮起しない部門長は『八本指』にはいないだろう。

 マルムヴィスト達は、ゼロが率いる警備部門だから『六腕』として働いているのだが、ゴウン氏が率いる『八本指』ならば、仕えるのも悪くないと真剣に考え始めている。

 

 夜も深まって、女剣士ルーベことルベドはお楽しみの時間が増えていた。

 彼女に『暇な時間』など存在せず。

 手が空けば、可愛い保護対象の姉妹達の様子を〈千里眼(クレアボヤンス)〉で眺めるのに()()()()()()()のだ。

 先程までは眠りに就く評議国のカロ四姉妹を手始めに、アルシェの下の双子姉妹からのカルネ村のエモット姉妹(攻勢防御があるので〈非実体(ノン・エンティティ)〉で潜入)、続いて王城ロ・レンテ城の王女姉妹へ向かい、そしてリッセンバッハ三姉妹の様子を堪能してした。

 今は『蒼の薔薇』の姉妹二人を含む三つ子姉妹が竜王を相手に戦場へ出て危険があるため、重点的にチェックしている最中。

 信頼する同志の会長がハンゾウを付けてくれていたが、あの竜種の長が相手だと少し厳しい部分がありそうで一応気を配っている。2週程前にエモット姉妹の姉が帝国に攫われたり、先日もアルシェの双子姉妹が酷い目に遭遇しており、天使さまは些か神経質気味。

 とりあえず、今夜も1時間近く危なげのない感じには見えていた。

 しかし、唐突に竜王が目を閉じて何やら策を仕掛けようと動く。少々雲行きが怪しくなった。

 

 すなわち――三つ子姉妹が危ない。

 

 最優先事項の発生に、彼女は横へ座っている主人(アインズ)へ一言告げてからと口を開いたが、言葉を口にした時点でもう余裕がなかった。

 

「用事が――」

 

 天使の遠目の視覚には、ハンゾウが竜王の尻尾によって傷を負わされた光景が映っており、ハンゾウによる三つ子姉妹へのフォロー(正確には『蒼の薔薇』への、なのだが……)が十分ではなくなってしまった。

 そのまま、眼前でルーベは消えた。 

 

「(えっ)……?」

 

 無詠唱での〈転移(テレポーテーション)〉に支配者は、「幼児?」と一瞬()()()()でも指すのかと浮かんだが、『用事』の発音と気付き結局「ああ、同好会がらみか」と納得する。

 

 女剣士の消えるシーンを見たゼロ達は、ルーベことルベドへついて考える機会を持つ。

 彼女の恐るべき実力は、消えたかの如き剣の攻撃で喉を刺されたマルムヴィストを筆頭に良く知る事実であり、今更驚きはない。

 彼等にとって女剣士の感想はまず、余りにも美しいというもの。次に――謎の塊という思い。

 丸2日以上同行しているが、彼女は掴みどころがない。

 女性の相手が得意なマルムヴィストの巧みな話術も通じず、女同士のエドストレームも会話が成立しない感じで話が進まない。姉妹の話ばかりをされては続かないのである。デイバーノックへは最早無視に近い……。ただ、意外にサキュロントへ関して口調が優しい。彼本人は良く分かっていないが、リッセンバッハの長女の危機を救ったのは大きかったようだ。

 一方でルーベの、ゼヴィエスへの忠誠心が高い事は『六腕』にも一目瞭然に映った。

 基本、片時も彼の傍を離れない姿は献身さを超越している様にも思える。

 今、姿が突然消えたのはギリギリまで我慢した上で、花を摘みに行ったのだろうとの考えでゼロ達の認識は一致していた……。

 

 ゼヴィエス(アインズ)がルーベの行動に唖然となって程なく、偶然にシャルティアから〈伝言〉が届く。

 内容は王都へ向かっていた竜の強襲小隊を捕縛した旨の報告であった。秘策への要望を伝え3分弱で通話を終えたが、終わるや否やルベドから若干慌ただしい声で〈伝言〉が届いた。攻勢防御外から望遠の〈千里眼(クレアボヤンス)〉でこちらを見つつ、連続で〈伝言〉して空き待ちしていた模様。

 

『アインズ様っ、竜王の火炎攻撃が20秒程でその付近を通る。余波で人間は死ぬから対処を』

「なっ!?」

 

 通話はそれで切れた。いきなりである。

 でももう、視界良好な広い麦畑の北の地平線上に眩しい輝きが遠く見えていた。

 

「くっ――〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉解除、〈自己時間加速(タイム・アクセラレーター)〉!」

 

 アインズは漆黒の装備に突如戻ると自身を急加速する事によって、思考も加速し1秒が1分ぐらいの体感へ伸ばした。

 つまり体感3分内に対処を決定すれば詠唱込みでなんとかなる。最悪、魔法詠唱も〈魔法遅延(ディレイマジック)〉を使えば問題ない。

 

(むう、ルベドめ。あいつは〝蒼の薔薇〟のところへ行ったのかよ、全く)

 

 余計な事をしてこの事態になったのでは、と考えに(ふけ)りそうになるが今そんな時間はない。

 

(……しかしさて、単に避けてもゼロ達が死ぬと言うんじゃ連れて逃げるか、手前で無効化するとかしないよな……って、ああっ!)

 

 アインズは咄嗟に思考へと閃くものがあった。

 私蔵するアイテムを確認し、静かに妙案の実行を開始する。躊躇は無い。

 

「〈魔法遅延(ディレイマジック)転移(テレポーテーション)〉、〈自己時間加速(タイム・アクセラレーター)〉解除」

 

 絶対的支配者は、視界内に見える北側へ200メートル程、高さ約20メートルという低空へ転移すると、そこで〈飛行(フライ)〉を発動。火炎砲の通過軸線上へ移動しつつ直ちに防御魔法を奏でだす。

 

「〈光輝緑の体(ボディ・オブ・イファルジエントベリル)〉、〈上位抵抗力強化(グレーター・レジスタンス)〉〈上位全能力強化(グレーターフルポテンシャル)〉、〈魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)上位魔法盾(グレーター・マジックシールド)〉〈無限障壁(インフィニティーウォール)〉――」

 

 そして、確認していた巻物(スクロール)を取り出し開きつつ唱える。

 

 

「――〈魔法三重位階上昇化(トリプレットブーステッドマジック)上位魔法(シールド・オブ・リフレクツ・)反射盾(グレーター・マジック)〉!」

 

 

 距離を経て威力が落ちるも、依然強烈なエネルギーを持ち地平から伸びてきた輝く火炎は、あっという間にアインズの所まで到達した。

 煉獄の竜王の放った圧倒的な〈獄陽紅炎砲(ヘル・プロミネンス・バスター)〉を、アインズの三重で展開し最上位階まで引き上げられた魔法盾が力強く受け止めると同時に反射した。

 

 ――角度を前方の下方へと向けて。

 

 その砲撃は、ボウロロープ侯爵の宿営地部隊が北からの攻撃に備え、南側へ向けて地下坑道の入口として掘っていた洞穴目掛けて炸裂する。

 全てを薙ぎ払う一撃は、周辺地下の土壌すらも溶解させつつ大爆発を起こした。

 周辺の夜を一瞬昼に変え、大きな地揺れと数千メートルまで巨大なきのこ雲が立ち上がるほどの規模を見せて……。

 この砲撃で発生した凄まじい爆炎と熱線と衝撃波も含めて〈上位魔法(シールド・オブ・リフレクツ・)反射盾(グレーター・マジック)〉と範囲拡大された〈上位魔法盾(グレーター・マジックシールド)〉が後方への被害の全てを反射し防いでいた。

 

 近い距離での巨大爆発に遭遇したゼロ達は、「何だコレは?!」と叫ぶ時間さえなく咄嗟に伏せる事しか出来なかった。だが、被害の影響が自分達まで及んでこない事へ直ぐに気付く。

 そしてゼロは悟る。

 

「何の爆発かは不明だが……、ゴウンさんが変装を急に解いて消えたのは、これを防ぐためだったのか。この爆発は、方向と位置的に侯爵の陣の辺りだな?」

 

 体を起こしたマルムヴィスト達も標的の死を直感し、ボスの言葉に頷きながらゴウン氏の桁外れさに唸る。

 

「全く、本当に凄い方です」

「命を助けられたのよね私達……。普通は対応なんて絶対無理な規模だもの」

「もはや神業だ」

「……人間にできるとは到底思えない」

「すげぇ………」

 

 壮大なスケールの行動を戦場にて目の辺りにし、彼等の忠誠心は一段と劇的に高まった。

 

 

 

 ボウロロープ侯の筆頭騎士団長は苛烈な戦場の中で、西の低い上空に輝き南方へと鮮烈に一筋走った凄まじい大炎の軌跡に戦慄する。

 しばらくのあと、南の地平線に弱く赤い明かりが十数秒広がって見えた。

 それはやがて暗く沈んでゆき、夏の夜の闇が戻った。

 

「今のは……(だ、旦那様)」

 

 彼は初めて感じる程の言い知れない不安に襲われた。

 筆頭騎士団長は直ぐに、通話アイテムの指輪を起動する。指輪に魔力が十分溜まっていないので通話時間は数秒かもしれないが、一声聞ければいいという思い。

 ところが。

 ピキリという小さな音を立てて指輪が真っ二つに裂け、指から地面へとスローモーションの感覚で落ちて行く。

 それは、もう片方の対の指輪が壊れた事を意味していた……。

 

「――――(うおおぉぉぉぉ、旦那様ぁーー)っ」

 

 筆頭騎士団長は、戦闘中の軍団の士気を(おもんばか)り、心の中で声にならない悲嘆と絶望を叫んだ。

 リ・エスティーゼ王国六大貴族の一角にして、反国王派の盟主である男が精鋭200と共に一瞬にしてこの世を去った。

 

 

 ―――ボウロロープ侯爵、『北西部穀倉地帯の戦い』の戦場にてあえなく散る。

 

 

 これにより、絶対的支配者は『八本指』との公約の一つを力技(新世界の正義)でアッサリと無事クリアした。

 

 

 

 

「「……」」

 

 イビルアイとガガーランは事態が良くつかめていない。

 急に放り出されたような感覚で、空中から50センチ程下の地上に飛び降りる形で着地する。

 二人とも着地状態で固まったまま、盛んに瞬きをしつつ周囲へ視線を巡らせる。

 数秒前、〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉で移動完了直後の事。

 空中にて直線距離12キロ付近で遂に追い付かれ、超火炎砲のマグマのような炎で背中を焼かれる状況に直面し、もうダメだと思った瞬間。

 

 ――二人の視界は今の場所に移っていた。

 

 ここで突如、後方から熱風を受け、彼女らは振り向く。

 そこには夜の広大な麦畑が、南へ向けて順に火の海となって行く光景が広がていた。500メートルは離れているが、頬に強く熱を感じている。

 呆然とその光景を眺めつつガガーランがポツリと呟く。

 

「おい……俺達は何で生きてるんだ?」

「知らない」

 

 イビルアイもよく分からない。

 あるのは二人が生き残ったと言う事実のみ。しかしその過程は全くのミステリーである。

 しかし、2分程が経つと現実が戻って来る。

 イビルアイとガガーランは助かったが、ティアとティナに『イジャニーヤ』の面々はどうなったのかという思いが湧いた。

 ただ、仮面の少女の魔力量は先程の逃走劇でかなり減ってしまっていた。

 そして、〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉も通用しないケースがある事が分かり、竜王への新たな恐ろしさが心に広がりつつある。火炎砲へ対し、上手く退避角度を変えれば問題はないのだが、此度の攻撃がトラウマ化し掛けていた。

 それでも、あの姉妹を置き去りには出来ない。

 

「悪いが、ガガーランは先にリーダーの待つ合流場所へ向かってくれ」

「ああ。二人を頼むぞ」

 

 女戦士は仲間の言葉へ潔く頷く。

 満足に動けない上に、戦力とならなければイビルアイの貴重な魔力量を消費する元になるだけである。

 仮面の魔法使いが、手を振って見送る女戦士の頭上を〈飛行(フライ)〉で飛び去って行く。

 肩に巨大な刺突戦鎚(ウォーピック)を担いだガガーランは、北の方角を睨むと痛みをこらえつつ駆け始めた。

 だが……彼女がリーダー(ラキュース)の待つ集合場所に現れることはなかった。

 

 

 

 火炎砲を放った煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)は、残った人間へと直ぐに視線を向けていた。

 

(ははっ。〝ナニカ〟も転移系で移動してる途中で助けるなんて無理だろうし、あの魔法詠唱者達は〈獄陽紅炎砲(ヘル・プロミネンス・バスター)〉が命中して灰も残さず消えるはずだぜ。残りはとりあえず2体か)

 

 評議国には難度200へ近い最上位の闘士達が居ると聞いている。そんな彼等でも転移系で移動している者を捕まえるのはほぼ不可能である。転移魔法の発動を事前に阻害するぐらいであろう。

 ゼザリオルグには、人間の魔法詠唱者達の末路が追わずとも見えていた。

 故に、影へ潜み依然残っている人間達を睨みつける。

 対してティアとティナも竜王へ警戒するが、イビルアイ達の陥った状況に焦りを覚えていた。

 

「流石にアレはまずいんじゃ」

「そうね……でも、ガガーランとイビルアイなら、きっと……」

 

 ティナの言葉に、ティアは視線を落とし眉間に皺を浮かべて、姉妹へ根拠のない希望を伝えるしかなかった。帰らない現実は見たくないという逃避的な思いも混じらせて。

 

「うん。じゃあ今は、私達が頑張らないと」

 

 ティナは辛目なティアの気持ちを汲んで「一矢報わねば」という思いで闘志を燃やし伝えた。

 

「うん、頑張ろう」

 

 ティアも前向きに気持ちを切り替える。

 仲間や姉妹の為だけではない。王国を代表するアダマンタイト級冒険者チームの一員としての矜持も含まれている。戦いが続く限り、彼女達の命がある限り、竜王を引き付けなければならない。

 

 それが多くの者から期待され託された役割なのである。

 

 竜王が先程のように火炎を使えば、照らされて闇は減り結構制限を受ける形になるが、吐かれる火炎の側面から後方寄りへ回れば対応可能である。

 同じ手を二度食らう訳にはいかない。

 二人は、油断して前掛かりとならない形で竜王を引き付け、慎重に戦い始めた。

 

 イビルアイは10分程を費やし、竜王と闘っていた場所の近くまで戻って来た。

 ティア姉妹へと気は逸ったが魔力も過剰に消費出来ず、〈飛行(フライ)〉を使っての移動である。

 遠目にも竜王の巨体はまだそこにあるのが確認出来た。

 つまり、ティア達はまだ厳然とあの場で奮闘しているということ。

 

(ふっ。〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉の助けは無いという中でなのに……本当に誇らしく頼もしい仲間だな)

 

 仮面の少女の思考へ、自分がティア達なら仲間は死んだかもしれず、その上で改めてあの圧倒的な竜王と冷静にここまで闘えるだろうかとの考えが浮かんだ。

 250年以上生きている吸血鬼の彼女をして凄いの一言である。

 一瞬の判断を誤れば間違いなくミンチか消し炭となって死ぬ。それが煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)との戦いなのだ。

 

「二人とも待たせたなっ! ガガーランは無事だぞ」

 

 イビルアイは〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉で戦場内へ突如現れて見せ、そう叫んだ。

 

「「「―――っ!?」」」

 

 戦いの中で、全員の動きが固まる。

 

「「イビルアイっ!!」」

 

 普段、感情の薄い淡々とした表情のティアとティナだが、驚きと共に笑顔が浮かんでいた。

 対照的に、竜王の見せたまさかという大きな驚きは、その厳つい表情からも明確に伝わる程であった。

 

(バ、バカなっ。ふざけんなよ。人間風情が〈獄陽紅炎砲(ヘル・プロミネンス・バスター)〉を一体どうやって凌げるって言いやがるんだ?!)

 

 これは正に青天の霹靂であろう。

 あれは一撃で大都市を壊滅して余りあるエネルギーを持つ超大で暴力的な火炎砲である。

 竜王自身が受けても、強靭な胴体すら溶かし貫通するかもしれない威力を秘めている程のもの。

 虫の如き存在の人類にどうこう出来るわけがないのだ。

 

(ま、まさか……な)

 

 ゼザリオルグの脳裏へと、それを可能にした存在が思い浮かぶ。

 思わず大きく唾をのみ込んでいた……。

 

(……〝ナニカ〟とは、そこまでの力を持った存在なの……か)

 

 転移途中での退避は難しいとすれば、火炎砲自体を無効化するか、方向を逸らせるしかない。

 ゼザリオルグの心に有った、揺るがないはずの竜王としての強固な自信へヒビが入っていた。

 

(本当に人間の軍は、脆弱な連中だけなのか? いや、この事実はそれを大きく否定する材料になり掛けてやがる)

 

 実際に事の全てを見たわけではないので、確定には至らず。

 人間の魔法詠唱者(マジック・キャスター)辺りが特殊な使い捨ての高位アイテムを使った可能性は残っている。

 その場合は、一時的な事象となるだろう。

 しかし、今の状況でこのまま戦いをゴリ押すのは、いい流れではないと竜王自身の直感が告げていた。

 戦いは全体的にまだまだ優位であり、この場は一度冷静になる必要があると判断する。

 

(クソッ。仕方ねぇな……)

 

 ゼザリオルグは、夜の闇に潜む2体の人間と、空中に現れた魔法詠唱者へ向かい口を開く。

 

「フン、驚いたぜ。良くアレから生き残りやがったな、人間の魔法詠唱者よ。我がゼザリオルグ=カーマイダリスの名において褒めてやる。その奮戦に免じて、今日はこの辺りで見逃してやろう。勿論、向こうで戦っている連中へも俺は手を出さないでおいてやる。まあ、まだ俺と戦うも良し、引き上げるも良し好きにしろ」

 

 それは竜王による威厳を守りつつの言葉による探りとでも言おうか。

 この返答によっても、何か掴める可能性があるとゼザリオルグは考えている。

 拒否するように強気なら、人間達側の強い反撃戦力が臨戦態勢にあるとも取れる。そうでなければ思い過ごしや、まだ反撃戦力を察知されたくないという流れなども残る。

 竜王からの言葉に――イビルアイとティアとティナの3人は動揺していた。

 

(マズい……。褒められても、どうやって助かったのか分からないのに。ソコを突っ込まれたらどうしようか。それと引き上げるのはいいとして、ヤツの隊が王国軍側へ攻め込まれては困る)

(褒めるだと? 竜王め、この後は何を考えている)

(油断は出来ないけど、今日はガガーランの様子も気になる。でもこの後、竜王はどうする気?)

 

 イビルアイは仮面の下でツッコミを恐れつつ視線をあちこちへ彷徨わせるが結局、丁寧気味で端的に返事を返す。

 

「そちらが真っ直ぐ宿営地へ戻ると言われるなら、こちらも下がらせて頂こう」

 

 ゼザリオルグは、その内容を即時に判断。

 酷い目に合っている人間共の返事としてなのか強気では無いと取る。また、冷静に遅滞戦の状態は継続したい意向が感じられる発言に思えた。

 つまり反撃戦力は依然整っていない可能性が高い印象で残った形だ。

 竜王として、宿営地ですべきことが出来たゼザリオルグは、魔法詠唱者の要望とも言える内容へ乗る。

 

「今回は、そのつもりでだぜ。まあ、日付が変ればまたそのうちに戦いへ出るがな」

「ならば、こちらも引き上げる。また別の戦場で」

 

 イビルアイは、無言で手による合図をティア達に送り、撤退を周知させる。

 先にティア達は影へと潜り退却する。

 その動きを察し、竜王が問う。

 

「ところで、魔法詠唱者――お前は、どうやって生きて逃れた?」

 

 少女は仮面の下で表情を変えたが、動揺を抑えるように直ぐ告げる。

 

「それは戦術的秘密です。では」

 

 煙に巻く様に〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉で離脱する。当然、竜王からの追い打ちを受けにくい位置でだ。

 その具体的な案としては竜軍団の展開地域方向、もしくは地上からの転移だと巨体の竜王としては同一軸線上へは撃ちにくい角度となる。今回は会話中に地上付近まで降りてから移動した。

 ゼザリオルグは、人間の消えた位置をただじっと睨んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 戦場には日が上り、戦いは5日目の朝へと移ってきた。

 時間だけは何ものにも平等に課せられる流れと言えよう。

 リ・エスティーゼ王国軍と竜王軍団は互いに有利と思う部分と、同時にかなり苦しく思っている状況が存在し始める。

 両軍首脳部は「このままでいいのか?」と何とも言えない不安を抱える形になりつつあった。

 それは生死を掛けている戦場内の兵へも、自然と伝わって混沌としたものへと変えてゆく……。

 

 まず王国軍側において、ランポッサIII世を始めにレエブン候など上層部へ激震が走っていた。

 

 ――ボウロロープ侯爵の戦死が伝わったからだ。

 

 竜王が攻撃時に南方へと放った超大火力の火炎砲が、()()()()にも侯爵の陣地を直撃したのである。この超火炎砲の軌跡は戦場内で多くの者によって南西戦線の低い空で目撃されていた。

 ボウロロープ侯より通信の腕輪を預かっていた総指揮を執るレエブン候が、最初に腕輪の破損で異変へ気付き、使者を国王の下へ向かわせた。

 早朝になって急報を知った国王は信用できる近衛騎士3名を現場へと向わせる。侯爵の陣地に大穴が開いており周辺に全滅した破損の酷い多数の衛兵の亡骸が点在していたのを確認済である。

 

 侯爵の、竜王の攻撃による壮絶な戦死は、全く疑いようがなかった。

 

 ただ、後方の地ではなく、『戦場内において討ち死に』と多くの兵達には伝わっている。

 戦場に出ていた侯爵の影武者は、既に死を知った筆頭騎士団長の指示で、兜と鎧を変え戦場から後方へと姿を消していた。侯爵家の鎧だけが棺に入れられ、本拠地へと戻って行った。

 六大貴族で勇ましい人物だったという体面は、国王や大貴族達によって守られた形だ。

 ボウロロープ侯は反国王勢という貴族派をまとめ、王国最大の領土と兵力を持ち、水面下では裏社会の組織へも繋がり大きな影響力をもっており、周辺国へも彼の名は広く知られている存在。

 王国にとっては大きな柱であった。

 その人物が国家にとり非常に難しいこの局面の中で世を去ってしまった。

 国王のランポッサIII世は、大きなショックを受けて地下陣地内の椅子へ座り込んだまま朝を迎えている。

 同時に彼が、西の最前線に配置した我が子の第一王子について心配になったのは当然だろう。

 

(ああ。お前は無事で帰って来てくれ、バルブロよ……)

 

 王はただただ無力感を漂わせ、眼前の机に広げられ多くの駒の置かれた王国北西地図の一点を見詰め続ける。第一王子を示す駒は、まだそこに倒されず残っていた。

 傍に控えていたガゼフでさえも「これは王国にとって大変な事になってしまったな」と戦後を見据えて思わずにはいられなかった。

 

 

 

 一方、昨夜の竜王軍団側宿営地内でも激震が走っていた。

 

 ――人間が煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)の誇る最大攻撃から生還したという報告に。

 

 ゼザリオルグは超火炎砲の攻撃に生き残った魔法詠唱者と話をつけ、即座に竜王隊を連れ都市廃虚の北側の宿営地へ帰還すると、妹ビルデバルドと百竜長達を招集し緊急会議を始めた。

 こういった会議は、竜王軍団の上層部を集めて時々不定期で行われている。

 そこで竜王自身の口から竜王妹らへ、尻尾攻撃を弾いた『ナニカ』の存在と一連の火炎砲の攻撃の話が伝えられる。

 一通り聞き終わったビルデバルドが初めに意見する。

 

「まさか……。尻尾攻撃の方はともかく、姉さんの〈獄陽紅炎砲(ヘル・プロミネンス・バスター)〉に耐えられる者はいないと思いますが」

 

 頑丈さに自信を持つ竜王妹も〈獄陽紅炎砲(ヘル・プロミネンス・バスター)〉の直撃に無事では済まないと考えていた。

 難度180程のアーガードら百竜長達なら尚更である。

 

「左様。先日、私を倒した上位装備の人間でさえ、一撃で半殺しにする威力ですからな」

「そうでしたなぁ」

 

 ()使()()()()()に敗れている百竜長筆頭のアーガードの言葉に、ノブナーガが同意した。

 続いて深い見識のドルビオラが予想を語る。

 

「あの威力ですからな、どうにかして躱したとしか」

 

 現実的な考えはやはり「攻撃を受けなかった」だろうと。

 その場合、注目点はどうやって避けたかになる。

 

「第一、それが可能なのか? 軸線から少し離れたぐらいでは、人間など炭になるぞ」

「「……」」

 

 ノブナーガの問いかけに場は沈黙した。

 ただ、人間の魔法詠唱者が再登場したのは15分近く経ってからという部分もあり、アイテムによっては攻撃に耐えた上で完全回復した可能性もゼロではない。

 とにかく、『途中を見ていない』という部分が問題と言えた。

 故に、ゼザリオルグは告げる。

 

「それでだ、今後、監視部隊を周辺に置くぞ。砲撃の先をちゃんと追って見てたらタネは分かったに決まってるぜ。俺達は情報が足らねぇ気がしてるんだよ」

「確かに」

 

 百竜長筆頭のアーガードが長い首で頷いた。

 ここで、以前から考えのあったビルデバルドが姉へと尋ねる。

 

「……姉さん、私がもっと戦場へ出た方が良くありませんか?」

 

 軍団にまだ大きな被害は無い。だが、今発生している謎の状況は軍団の優勢面へ相当の危険を孕むと考えての問い。もっと攻勢を強めるべきではと。

 竜王もビルデバルドが強い事は漏れ出るエネルギーで分かっている。だからこそ、妹が宿営地に居てくれれば後ろを気にせず戦えるのである。

 不安要素が増えている中で、味方陣地への安心感を減らす事に竜王は難色を示す。

 

「いや、ビルデーには引き続き宿営地の守りを頼む。ここが強敵に攻撃されない保証はねえ。この場の奴隷や物資を失えば、評議会決議による撤退への格好の理由になっちまうからな」

「……分かりました、姉さん」

 

 確かに敵の狙いが宿営地の可能性も十分にあり、目先の判断だったかと竜王妹は納得した。

 ゼザリオルグは、強者を疑心暗鬼にさせるのも人間ら弱者の手の一つと考えていた。

 なのでまず、やはり5体組の人間チームの周りに居る『なにか』と『ナニカ』についてを調べようと動く。

 主命を受けてノブナーガは直ちに会議脇へ配下を呼ぶと、目が良く難度の高い9頭の竜兵を選抜させ監視部隊を編成させ始めた。今後、監視部隊は戦闘には参加せず、5体組の人間チームの周辺を遠方から付いて回る事になる。

 最終的に『ナニカ』達を倒すため、強敵を知る為の一応の対策を打った。

 それでも竜王らの会議は、見えない相手へ後手に回っている雰囲気が漂い続ける。

 竜王の誇る最大攻撃を凌がれたという事は、それほどの特異なのである……。

 

 なんとか一つ目の問題にケリをつけた形で次の議題へと移っていく。

 それは、東部方面へ出撃した竜兵達が何故か倦怠感や疲労感に(さいな)まれるという話である。

 ゼザリオルグが渋い顔で問う。

 

「これも原因が分からんだと?」

「はい。出撃時には元気だった者が、東方の戦地へ到着する辺りから異様な体調になるとのこと。ただ、宿営地へ戻り休息をとれば、ほとんどの者は回復するようです」

 

 アーガードが状況説明と現在の対応を回答した。

 本当の原因はナザリックから派遣された、デミウルゴス配下のヘカテーの特殊技術(スキル)攻撃である。

 しかし、東部戦線から竜兵が離脱した段階で、ヘカテーは〈減退の呪い(カース・オブ・ディクライン)〉をリリース。同時数に上限がある為なのだが、連中の宿営地で調べると原因は不明のままとなる謎を竜王軍団へ残していた。

 

「んー。慣れない土地というのもあるのか……?」

 

 竜王の考えでは、体力のあるはずの配下達なので首を傾げるが、現実に起こっている事だと受け止める。

 確かに連戦させている者らもおり、竜王は色々と百竜長達と相談した結果、対策として現4交代を5交代にし内2つを休ませるというルーチンで回す事でしばらく様子を見ることにした。

 実施により攻撃個体数が相対的に減る事になるが、総戦力維持と回復重視の措置である。

 

 そして、午前2時を回った辺りで、次の大きな議題へと移る――。

 竜王はここで口許を僅かに緩める。

 前2つの大きな案件は、良い気のしない話であったが、本件は非常に楽しみにしていた。

 ゼザリオルグが嬉しそうに話し始める。

 

「さぁ、お前達。人間共の王都が火の海になったら、連中はどう動きやがる?」

 

 竜王ゼザリオルグは、昨日午後の宿営地北側への攻撃に紛れ込ませた竜兵2頭1組を2つの計4頭の精鋭に、『人間の王国の王都を強襲し破壊せよ』との勅命を与え送り出していた。

 人間共の、広範囲への展開や冒険者などを使い遅滞戦を行うこざかしさへ思い知らせるために。

 計画通りに電撃進行していれば、今頃連中の本拠地は蹂躙しつくされている頃で、日が昇り数時間後に人間の軍へ大きな動揺が走るはずである。

 

「ふふふ、これは大いに楽しみですな」

「奴らが慌てたところを総攻撃するのが宜しいでしょう。魁は是非このノブナーガにお任せを」

「連中は撤退の動きもあるかもですぞ」

「流石、姉さん。完全に人間共の意表を突いた一手ですねっ」

 

 皆の様子に機嫌の戻った竜王は、前足の指を握り込んで大いに笑う。

 

「くははははっ。ああ、連中の弱っちいどてっぱらにデカい風穴を開けてやったぜ」

 

 この後、気分の乗った竜軍団上層部の面々で、動揺した王国軍の動きを幾つか想定し、それに対して苛烈に死へ追い込む動きを会議内で決定し終えてお開きとなった。もう東の空は明るくなり始めている時分。

 ゼザリオルグと竜王隊はそのあと上機嫌で再び出撃した。

 電撃作戦の結果が待ち遠しく、例の5体組の連中とさえも2時間程適当に闘って朝を迎えると、急ぎ切り上げるように帰還した。

 ところが……。

 3時間たっても6時間過ぎ昼を迎えても、再度竜王隊として出撃し帰還したあとさえも「人間の王都の襲撃に成功!」の報は舞い込まず。

 結局夕刻になっても、王都へ向かわせた竜兵4頭は遂に返って来なかった。

 高度を上げて上空から遠く南の王都側を眺めるが、朝見た時と変わらず遠方へ煙らしきものは僅かも見えない……。

 

 

「まさか……失敗しちまったのかよ、畜生っ。くそったれがぁ!」

 

 

 怒りとともに人間共へ対し、連中の後方防備が整っていた事へ『侮れない』と気を引き締める。

 精鋭の攻撃部隊へ何があったのかまるで分らない事態に、竜王ゼザリオルグは人間側の見えていない戦力への不気味さをより一層大きく感じつつ、更に戦いの1日が過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜王軍団が王国総軍と開戦して6日目と聞き、そうかと頷く帝国の将軍達。

 傍の無残極まる戦場と同じ夕焼けが彩る空を彼等6名も今眺めている。

 じっと待つ側には、随分遅いようにも感じる時間が過ぎていく。

 旧エ・アセナル廃墟の北東約50キロの位置にある2つの男爵家は、帝国内通者ブルムラシュー侯の息の掛かった者達だ。

 その領内の森へ隠れる様に帝国遠征軍は集結し布陣していた。

 遠征中の軍主力となる精鋭騎士騎馬隊5000と輜重騎馬隊1000を率いる将軍達は、此度の大戦の戦地情報を現地にて集める中で色々と経験と知識から王国軍司令部の狙いを掴もうと努めている。

 竜軍団宿営地の周りへと、異様に広範囲へ敷かれた王国軍の戦線で竜軍団側を分散させ、冒険者達を投入する事で竜を個別に討ち取る目的までは読めた。

 だが、どう見ても完全に王国軍は竜軍団に圧倒されている状況で戦いの時間は流れていた。

 もの凄い犠牲が出ており、その損失対効果に疑問が大きい。

 

(王国の連中はどこまで耐える気なのだ? ()()()()はそれほどなのか)

 

 竜軍撃退の指揮を任された八騎士団第一軍の大将軍は、王国側の動きの真意を掴みかねていた。

 このままでは戦線が持たないことは明白と言える。帝国にとってもそれは防ぎたい。

 あくまでも王国には、評議国への帝国の盾として残ってもらう必要があった。

 しかし帝国遠征軍は未だ動いていない。

 実は当初、早期参戦のつもりであった。

 では、なぜまだ動いていないのか。それには勿論大きな理由が存在する。

 原因は『王国軍が竜王軍団へ決定的な大反撃を行う』という情報を得た為だ。

 

 

 そして――その実行者が、旅の魔法詠唱者アインズ・ウール・ゴウンであるとも。

 

 

 これは、王国内に紛れた斥候の騎士達が、大都市リ・ボウロロール近郊や戦地内の兵及び冒険者達の少なくない数から聞き集めた事実。

 また帝国側は情報部を中心に人物『アインズ・ウール・ゴウン』に関する物を集め始めていた。

 なぜなら、あの主席宮廷魔術師のパラダイン老が一目置く人物。

 現在、彼の老師が行方不明となっている所為で、注目度が大きく跳ね上がったのだ。

 (かなめ)が無くなれば、有る物で代用したいのは、ごく普通の流れと言えよう。

 それと帝都で暴れたという噂のゴブリン大軍団を率いた片田舎の村娘の住む村もアインズ・ウール・ゴウンに深く関わるとこちらへ伝わっている。

 フールーダ・パラダインへ依存していた帝国軍は、今、その老師が一目置いて居た人物の動きに乗ろうと考えていた。

 ただ、一応それだけでもない。

 

「本日も各所にて、上空より竜の軍団からの地上への攻撃は凄まじく戦局は一方的」

「局地戦において冒険者の部隊が反撃に出ていますが、空中戦を強いられ概ね苦戦しております」

「地上からの武器や魔法攻撃に対しても、竜は時に上手く上空へ距離を取って威力減衰や射程外への退避等、戦闘を優位に進めております」

 

 連日、こういった各地に放った斥候の騎士からのナマの報告内容も将軍達は考慮していた。

 

「むう、やはり流石に飛行する竜種相手となると一筋縄では行かんのう」

「こちらも空中攻撃用に、魔法省の秘密兵器という手はあるが」

「我らも100名いますが、300頭以上という竜の軍団全てを相手にするのは難しい」

 

 今、この場には帝国魔法省選抜の強襲魔法詠唱者部隊からフールーダの高弟2名も滞在する。

 魔法省は、稀代の大魔法詠唱者の知恵を元に大型飛行体の敵へ対する秘匿兵器を有していた。今回はそれを戦車に積み、騎士団が持ち込んでいる。効果は十分に見込める代物である。

 しかし、数と射程には限りがある上、竜の攻撃に耐えられる程頑丈でもない。投入する時期は慎重を期したいという考えだ。

 王国軍の今の作戦により、竜軍団側も休憩を取りつつ交代で出撃を繰り返していると思われ、疲れはある様子。

 来たるべき王国側の反撃作戦により、竜軍団側が崩れた時に帝国遠征軍は総掛かりで攻めるのが好機と見ている。

 ところが、その反撃らしい動きの兆しが全く感じられない。

 反抗手段は魔法と言う情報があるのみで、当のアインズ・ウール・ゴウンがどこに居て何をどのように仕掛けるのかも不明だ。

 王国軍の甚大な被害の広がりから、そろそろ戦線が完全消滅間近の状況が見えている。

 場に居る全員、帝国八騎士団第一軍、第三から第六軍までと第八軍の将軍達とフールーダの高弟らが眉間に皺を寄せていた。

 

「本当に、例の魔法詠唱者の反撃はあるのでしょうなぁ」

「無い場合、取り返しが付かない状況になりかねん……」

「それはマズい。皇帝陛下の御意向である竜軍団撃退が遠のく」

「王国には評議国への防波堤として残ってもらわねば困りますぞ」

 

 動揺気味の将軍らへ、不安な心を秘し第一軍の大将軍が願望を込めて皆へ呟く。

 

「一刻も早く、反撃が始まることを祈るしかないな」

「「ですなぁ」」

「まことに」

 

 将軍達とフールーダの高弟らは機会到来を待ちわび強く頷いた。

 

 その頃、大将軍と同じ観点の台詞を10キロ程離れた林へ潜むバジウッドが呟く。

 

「――大きな反撃か何か混乱があればなぁ。本隊はそれを待ってるんだろうな」

 

 斜め左後方の位置になる遠征軍主力の精鋭騎士騎馬隊が動いている様子はまだ見られず。

 バジウッドらは独立部隊。彼等の狙いは竜軍団宿営地内への攻撃とそこに待機する上位の竜長への攻撃である。

 戦場の混乱に際し更に上層部が乱れれば、竜軍団全体の統率へ大きな妨害になるはずとして、斥候の戦況情報からここ数日の間で自分達の行動指針を組み立てていた。

 部隊に皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)鷲馬(ヒポグリフ)も所属し、戦況の全体状況は掴んでいる。

 5キロ程北にナザミの一部隊も待機するが、バジウッド等はレイナースも居るとは言え皇室兵団(ロイヤル・ガード)200名程の部隊である。戦局をどうこう出来る数ではない。

 その為、部隊単独での攻撃は効果が薄く、戦場が大きく動くのを我慢強く待っていた。

 現在、戦地で被害を受けているのは帝国の将兵では無いが、報告を受ける内に竜達の容赦のない王国軍への攻撃に同じ人類として戦慄する。

 同時に、何としてもこの地で竜軍団へ大きな打撃を与えなければならないと決意を強くする。

 

(冗談じゃねぇ。王国だけでなく、とっとと追い返さねぇと、帝国も法国も灰になっちまうぜ)

 

 改めて気を引き締め、彼は厳しい表情で夕刻の空を睨んでいた。

 隣接する悲惨な戦地の空気を受けて、皇室兵団(ロイヤル・ガード)達が緊張に顔を強張らせる中で只一人、レイナース・ロックブルズだけは冷ややかな目をしている。

 

「……(今のところ、やっぱり戦場には大した使い手はいないようね……)」

 

 予想してはいた。王国軍の被害の大きさも。

 それでも彼女は、この過酷な中なら台頭して来る強力な魔法詠唱者が、一人ぐらい居るのではと淡くも期待していたのだ。

 窮地になれば実力を発揮するしかなく、存在感や勇名がきっと聞こえて来るだろうと。

 だが、戦場で躍動し期待の星として流れてくる幾つかの噂は、どれも突出した剣士や戦士のいる冒険者のチームの事ばかりである。

 並行して彼女は、敵対する竜軍団側へも期待していた。でも結局、火炎を主にし偶に暴力攻撃が混ざる程度の戦術を使う個体が殆どの様子。

 レイナースの待ち望む者は依然として現れていない。

 

(これが私の宿命的な現実だとでも言うのかしら。なら、ふふふっ……みんな死ねばいいのに)

 

 美しい肢体の彼女の心には、呪いに近いドス黒い不満が溜まって来ていた……。

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国軍の死傷者数は遂に15万の間近へと迫って来た。

 負傷者の中でも最早戦場へ復帰出来ない重傷患者は5万以上に膨らみ、総軍の損耗率は既に6割を優に上回る状況へ至る。

 しかし小隊を最低の1名となる4度の分割までし、戦場への展開率はまだ7割を維持していた。

 ただ彼等の多くは各貴族達が領地より招集した民兵である。一つの小都市の人口にもなる数の国民を失う状況が、国家の最高責任者の王へ間近の現実として突き付けられていた。

 同時に、西方の最前線も相当の被害が出ていると伝わる。第一王子の安否は昨日から届いておらず、本日もまだない。

 夏の時期だがひんやり涼しい地下の指令所にいながら、手にずっと緊張の汗を湿らせるランポッサIII世は目を細めながら、直ぐ後ろに直立で控えた屈強の戦士へと僅かに顔を向け小さく呟く。

 

「――まだ……なのか、ゴウン殿は?」

「……はい」

 

 忠臣として常に周囲を警戒していたガゼフ・ストロノーフは、声を受け王へ視線を下げると一度短く答えた。

 外の苦しい光景全てが今、藁をもつかみたい状況で、陛下が疑心暗鬼になるのも無理はない。

 戦士長は直ぐに地下室内の壁の遥か遠い先にある過酷な戦場へ思いを馳せ、未だ王国の為に魔力を溜め続ける友人の事を考えつつ主君へと伝える。

 

「ですが、〝蒼の薔薇〟達と共に初動の作戦は無事に成功と陛下自身から聞いております。あの人物は必ずや間もなく陛下のご期待に沿う働きを見せましょう」

 

 ゴウン氏は客将並みの扱いといえども、王として100%の信用は当然まだ出来ない。

 ランポッサIII世は、見返りに多くの領地と財に第二王女までを用意している訳で、仮面の者もこれ以上不足のあろうはず無く、雰囲気からも虚勢感は今までなかったとしても。

 レエブン侯と相談し裏方的役割を与え、極力目立たない配置にしているのもその現れである。

 国王派の信頼できる貴族達の幾つかへ密かに命じ、戦場内でのゴウン氏の動向は元より万が一の逃亡等へ当然目を光らせていた。

 

「うむ。そうか。……そうだな」

 

 『竜王を倒す』という大魔法である。確かに、どれほど魔力が必要であっても不思議ではない。

 だがそれ以上に、傍で大きな信を置く王国戦士長の揺るぎのない言葉を聞き、王は頷いた。

 

 

 

 

 

 

 『蒼の薔薇』の女戦士ガガーランが行方不明となって2日近くが過ぎた。

 当初は「途中で休んでるんじゃ」などの話も出ていたが、半日経っても丸1日過ぎても彼女は現れなかった。残念ながら今、探索に回す時間も魔力も体力もない。

 この間に戦場へ、六大貴族の筆頭とも言えるボウロロープ侯の戦死が伝わり、自然とイヤな彼女の結末がラキュースの脳裏へ(よぎ)る。

 仲間達によれば戦闘中に大怪我をしていたとも聞く。その体で竜兵の(ひし)めく戦場を、一人抜けている間に難題が起こっても不思議ではない。

 

(何があったのよ、貴方に)

 

 ラキュースは移動途中にどうしても考えてしまっていた。

 ティアとティナも、普段、偶に冗談でからかっている様子だったが、女戦士の安否不明にショックが大きい。大柄だった彼女が居る事で気付かない安心感があったのだろう。

 イビルアイは仮面の所為で表情は読めないが、日ごろは先読みの意見を戦わせガガーランを副官と頼りにみて、時折女戦士に代わり前衛の位置も熟していた。

 勿論リーダーも『蒼の薔薇』最古参のガガーランをずっと信頼して来た。

 その彼女が今いない――。

 竜王との戦いでは他のメンバーに比べ、特殊面や武器の差で敵に先んじる働きは少なくなるも、ゴウン氏から借りた常時屈折化のローブで他の者達と組めば効果を上げていた。

 無くてはならない仲間の一人である。

 

(私には結局、仲間を守りきれる力も知恵もなかったのかしら……)

 

 戦場に出て戦う以上、生死は付きまとう。運もあるが、やはり努力で回避できる事は多い。

 それが足りなかったのではとの思いが広がる。

 アイテムの購入でも、アネキ、アニキ肌のガガーランはコネを使って希少な物を一番多く取り寄せてくれていた。

 ラキュースは自身の今の力不足を呪った。

 他のメンバー達も、ガガーランについては考えずにいられない。

 特にイビルアイは状況が許さなかったとは言え、重傷の仲間を一人で残してしまった事に後悔の念が強い。

 

(くっ、あそこは遠回りしてでも、合流地点の傍まで〈飛行(フライ)〉で運ぶべきだった。くそっ、私の考えが甘かった)

 

 ティアとティナは、ガガーランが重傷を負った戦闘状況を悔やんでいた。

 

((影をもっと上手く使って、竜王をこちらに強く引き付けてれば))

 

 だが全て――後悔先に立たず。

 

 一方で『イジャニーヤ』と共同での、竜王隊との戦いは相変わらずであった。

 いや、何か……竜王を筆頭に竜王隊側5頭の動きが変わった風に取れる。どこか〝探りもの〟でもあるかのように少し中途半端な攻撃が増えているように思えた。

 しかしそれは、竜王の放った最大攻撃からイビルアイが生還した想定外の事態に、連中が困惑し様子を見ているとの予想は付く。

 『蒼の薔薇』の使命は竜王達を引き付ける事であり、望むところである。

 ラキュースにイビルアイ、ティアとティナは同じことを考えていた。

 

(((これはきっとガガーランの存在と働きがあったから)))

 

 そうして戦いの中、何とか仲間の事を胸に整理しつつ竜王達が下がるまで戦った。

 4人は疲れた体を引き摺る風に、『イジャニーヤ』と共に合流場所を動くと、休む為に戦場から少し外れた急造の野営地へ移動した。

 『蒼の薔薇』チームは4人でまとまり腰を下ろすと、漸く少し気を緩めて寛ぎ始める。

 すると間もなく、ティア達は周辺に()()の気配へ捉えて身構えた。

 

(……かなり出来る相手!)

(何者っ?!)

 

 緊張が広がる中、その気配のうちの一つが野営地へふらりと近付いて声を掛けてきた。

 

 

「よお、リーダーにみんな。やっと見つけたぜ。連絡出来ずに悪かったなっ」

 

 

 現れたのは巨大な刺突戦鎚(ウォーピック)を肩に担いだガガーランであった。

 ラキュース達は目を見開き驚く。

 夕暮れ時ながら到底幽霊とは思えない。傷も癒えた風で覇気が漂ういつものガガーランの姿だ。

 更に彼女の後ろには――。

 

「ふっ、2年振り程の顔ぶれじゃな。竜王を相手にまだ元気そうとは、命知らずではないか?」

 

 そこには嘗て『蒼の薔薇』の仲間であったリグリットが、少々呆れ顔で立っていた。

 

「「「ガガーランっ、それにカウラウ婆さん!?」」」

 

 仲間が無事だった事と、修羅場の戦場で古い仲間に会えた喜びは大きいが、このタイミングなのかと困惑しているのがラキュース達の正直なところ。

 リグリット・ベルスー・カウラウの名は伝説の十三英雄として一般的にも非常に有名である。勿論、元『蒼の薔薇』のメンバーというのも周知の話。

 その上で暗殺者集団『イジャニーヤ』の面々にはなおの事。全員が此度初めて会うが、彼等は元十三英雄の一人、初代頭領の暗殺者イジャニーヤに連なる者達の末裔であるのだから。

 組織の全員が起立し、頭領以外の者達は後方へ下がり会釈する姿が見られた。

 ガガーランがまず合流が遅れた経緯を説明し始める。

 

「いや、イビルアイと別れて直ぐに北上したんだが実際、運悪く竜兵に出くわしちまってな。怪我の具合に苦戦して厳しい時に、婆さんに助けられたって訳だよ。ただ、直ぐに合流しなかったのには大きい訳があってな――」

「――ガガーラン、その先はわしが喋った方がいいじゃろう」

 

 女戦士は頷き、そこでリグリットと代わった。

 

「実はな、今この広い戦場には――巨大で強力な魔法陣が掛かっておる。それも死の連鎖に関わる呪いの如き忌まわしいものがじゃ」

 

 死者使いで魔法に長けた彼女なればこそ、戦場の傍まで近付いた時に澱んだ領域に気が付いた。

 彼女の衝撃発言に、野営地内は静かめながらもどよめく。

 

「「ええっ!?」」

「一体何の為に……何者が」

「それが確かなら危なくないか? 恐ろしいな」

「まさか俺達にも影響が?!」

 

 騒めき出すそんな声達を、元十三英雄の彼女が一括する。

 

「うろたえるな。今はまだ器が出来ているにすぎん。危険なのはアンデッドが唐突に大量登場し始めた時じゃろう。あとな――」

 

 リグリットは周辺を覆う極薄い邪気を見回しながら語りを続ける。

 

「――この巨大魔法陣を敷いたのは恐らく、秘密結社ズーラーノーンの連中だろうさ」

「「「「ズーラーノーンっ!?」」」」

 

 20年程前の出来事なので少し昔の話になってしまい、若い者達の記憶にはない惨劇であるが、その恐怖の話を親や年配者から伝え聞く者はまだまだ多い。

 小都市を滅したという前代未聞の、余りに強大で無慈悲な破壊活動へ、人々は憎しみよりも強い恐怖の念を持っていた。

 『秘密結社ズーラーノーン』は隔絶した恐怖の力を持つ異常集団として認識されているのだ。

 そんな狂った連中が、この戦場へ何を求めているのか。

 多くの者が自然と気付く。

 

 

 無論――大量の死である。

 

 

 最も恐ろしいのは戦争に因るものだけではなく、更にアンデッドを大量発生させ、竜王軍団と王国軍の全てを贄にしようとしている点だろう。

 正常な者はまず思い付かない着眼点と言える。

 それだけに背筋が凍るような衝撃をこの場の者達は受けた。

 同時に、それほどの大量の死を使い、一体ナニをするつもりなのだろうと――。

 

 多くの者の考えが到達する予想は、『世界の崩壊』。

 

 まさか、ズーラーノーン盟主個人の凡庸な淡い(呪いのハゲを改善したい)要望であろうなどとは思わず。

 これは全く斜め上すぎて何人(なんぴと)も正解出来ない難題と化していた。

 いずれにしても、連中の撒き散らす身勝手な欲望は――断固として防がねばならない。

 野営地へ居た者達は一斉にそう強く思った。

 決意の広がる空気の中、リグリットは皆の思いを受け止め対策を伝える。

 

「この大仕掛けを阻止するには、やはりこの魔法陣の一角を壊す必要があるじゃろ。その為に急ぎ調査しておる。連中とも戦う事になろうな。面倒じゃが、まあ何とかするわい」

 

 彼女自身、本当は戦争を終わらせるために評議国の白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)ツァインドルクス=ヴァイシオンへ直接怒鳴り込むつもりも、見つけたこのクソ仕掛けを先に壊してからと動いていた。

 十三英雄の言葉にラキュース達が頷く様子にガガーランが伝える。

 

「だからよ、俺は昨日からリグリットの婆さんの手伝いをしてたのさ。それでな――この件が終るまで俺は婆さんを手伝おうと思うんだが」

「「「――っ!」」」

 

 ラキュースやティアとティナにイビルアイは、難しい表情に変わる。

 ガガーランは落ち着いた口調で語り聞かせる。

 

「この件も、誰かがやる必要があるだろ? 婆さんは強い(つえー)が、連中の戦力は分からねぇ。それに……今リーダー達は4人で回せてるしな」

 

 最後の言葉は少し寂しそうに聞こえた。ガガーラン自身、竜王相手に他のメンバーへ余り力になれていないと感じていた。今回、深手を負い、足まで引っ張ってしまった形。

 その事が大きく決断させた。

 しかし実際、ズーラーノーン相手に大きな戦力が要るのも事実であり、前向きな判断と言えるだろう。

 イビルアイやティア達は、静かに横へ並ぶラキュースを見詰める。

 この判断はリーダーが行うべきことである。彼女は仲間の視線を受けると、その美しい瞳を閉じて改めて考える。

 

(………)

 

 今、リグリットを手伝う者としてガガーランの他に代わりは居るのか――否。

 竜王を相手にするのに、仲間4人では不可能か――否。

 そして、ラキュース自身の力で仲間のガガーランを竜王から守れりきれるのか――否。

 

(選択の余地は無いわね……)

 

 『蒼の薔薇』のリーダーは目を開き、ガガーランを見詰めると告げる。

 

「分かったわ、そっちは頼んだわよ」

「ああ、任せとけ。()しものズーラーノーンも、あの竜王よりかは弱いだろ?」

「あははっ、確かにそうよね」

 

 一同からも一斉に笑いが起こった。

 そうしてガガーランはリグリットと共に別行動と決まる。

 元十三英雄の老女は、(しば)し『イジャニーヤ』の頭領ティラらと会話を交わしたのち、時間が少ないという事から足早で逞しい女戦士と共に共同野営地を後にしていった。

 

 

 その約20分後の出来事。

 竜王の命を受け5体組の人間達の行動を終始見張っていた監視部隊の竜兵1頭が、竜軍団宿営地へ先に帰還していたゼザリオルグを追い、慌てた様子で急ぎ戻って来た。

 竜兵は直ぐに通されると伏して、綺麗な布を積み上げた山に座って寛いでいた竜王へ報告する。

 

「ご報告イたしマす。竜王様と戦イ不明だった人間と――もう1体、見慣れぬ歳を経た風貌の人間が連中の野営地へ現れマした。暫くするとその2体は仲間4体を残し再び出撃した様子でござイマす」

「なんだとっ!?」

 

 竜王の両目が殺気を帯びて鋭く光った。

 ゴツゴツした感じの人間は大したヤツではなくどうでもいいが、見慣れない老いた人間は初めて聞く。

 

(―――〝ナニカ〟はソイツかっ!)

 

 ゼザリオルグは、強い関心を示す形で上体と首を前へと伸ばし問う。

 

「ソイツはどんな格好だ? 魔法詠唱者(マジック・キャスター)風か?」

 

 先日、竜軍団の宿営地へ現れた者との関係も、幾分気になった。

 竜王からの質問に監視の竜兵は首を横へ振る。

 

「イえ、その者は全身を覆うような生地を纏イつつも、腰に剣を帯びてイマした。体は細身でしたので剣士辺りではなイかと」

「ほう、そうか……よし。引き続き監視しろ。下がっていいぞ」

「はっ」

 

 監視の竜兵は長い首を下げると、恭しく下がって行った。

 ゼザリオルグの視線は、その竜兵の姿を追いつつもその先の、剣を帯びる年老いた人間を射抜くようであった。

 

「ゴツゴツしたヤツと一緒にいる人間か、ふふふふっ。〝ナニカ〟め、今度は()がさねぇぞ!」

 

 ゼザリオルグの怒りは見当違いの方向へ向かおうとしていた……。

 

 

 




備考)STAGE46.は当初6200行 14万3千字あった為、STAGE47.と分割しております。
そのためP.S.は全てSTAGE47.側へ。
時系列で開戦後5日目に隠れているエピソード他があります(笑)
STAGE47.は1週間後に公開予定。
結構、どエライ事になっておりますのでお楽しみに。





補足)46話内の開戦後時系列
◆1日目(ナザリック新世界登場から44日目)
午後11:5? 後方の南西戦線より偶然に勃発

◆2日目
朝    ナザリック入り口前、シャルティア出陣
午前8時前 アインズ、シャルティアら王都北部へ移動開始
昼前   アインズとルベド、『六腕』と合流
40分程+ アインズ達、昼食休憩
3時間程 アインズ達、ボウロロープ侯爵の陣へ移動
日没後  エドストレームら、侯爵の陣調査
夜中   アインズとルベド、ナザリックへ

◆3日目
夜中   アインズとルベド、ナザリックへ

◆4日目
未明?  王国軍死傷者9万超
     アインズとルベド、ナザリック滞在
午前3:16 アインズとルベド、『六腕』共同野営地へ
??   ボウロロープ侯爵、動員兵力は4万5千人、死傷者は既に約3万7千人
午後   『エンリ将軍閣下の手料理』発覚騒動
日没   ラキュース達、2時間以上出撃時間遅れ中
日没+1.5+ ラキュース達出撃
夜    竜軍団420体超、取り巻く全ての戦場で圧倒
午後10:?? ガガーラン負傷 シャルティア、竜兵4体捕縛
午後10:3? 超火炎砲でボウロロープ侯爵戦死
夜中   ガガーラン、リグリットに会う ガガーラン野営地へ戻らず
     竜王上層部会議、東部戦線で異常疲労

◆5日目
午前2時 続く竜王上層部会議にて、王都強襲の話題
朝    ボウロロープ侯爵戦死伝わる
夕刻   竜軍団、王都強襲失敗を悟る

◆6日目
夕刻   帝国軍動かず、アインズの反撃を待つ
     王国軍死傷者数15万間近
夕刻   ガガーラン、リグリットを連れ仲間の前へ現れる




捏造)南方に〝ぜう゛ぃおす〟という有名な黒髪の騎士がいたらしい
南方に登場した剣聖騎士。
300年前に某常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)と戦い散った模様。


補足・捏造)キッチョームとイッキュー
ジュゲム同様、英雄譚の中の人物である。


補足)馬達に「姉妹がいる」
「実は、購入時に『この内の3頭は生まれた時からずっと一緒の姉妹なんですよ――』と店の者が言ってたな」と、移動し始めた時にサキュロントが喋っていた。
移動が終わり、善の心を持っている天使が殺処分の話を聞いた瞬間――この時も主人へ鋭い視線を送っている。
当然、彼は黙って即頷いた……。ナザリックは本日も平和である。


捏造・考察)ボウロロープ侯爵の戦歴
書籍版9-127で「顔に多数の傷。指揮官としてはこの王国においても比類なき人物といえた」とあります。
ここ数年の帝国との戦争での指揮から見たのかも知れませんが、本作では顔への傷は青年時代の血気盛んな昔、戦場に居て付き、そう言わしめた前歴があると考えました。
一方で、近年の30年間ほどジルクニフの代まで、バハルス帝国や周辺国との大きな戦争の記録は無い感じですし。
大軍勢を動かす相手は別に必要ということで、大都市リ・ボウロロールの北方60キロから広がる大森林に大敵を求めてみました。
昔、森内の凶作で小鬼の族が複数連合し、大規模で王国の畑を荒らしに出てきたとかの感じです。


捏造・補足)〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)
本作では、転移系だが距離をとる退避要素が強く遮蔽物を通過できないという特性を持つ。
第6位階魔法〈転移(テレポーテーション)〉の劣化版という位置付けで。


捏造)魔法の連発時において、優遇があったり制限の掛かる場合がある。
本作における独自の魔法設定になります。
ギリギリで連発する機会は余りないはずなので、普段は殆ど意識しないし影響もなく、知ってて慣れてれば便利と言う感じのものかと。
この新世界にそれだけの実力を持っている者が、殆どいないというのもありますね。



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STAGE47. 支配者失望する/一方的ナ戦いノ果てニ(21)

注)一部残虐的な表現や衝撃的場面があります
補)後書きに時系列あり
備)当初6200行 14万3千字あった為、前話のSTAGE46.と分割し1週後に7千字拡大版での公開
  元々このSTAGE47.のサブタイトルを予定していました

補)登場人物紹介
ゼザリオルグ…………………評議国の竜王。500年ぶりに復活の若き竜王少女(STAGE36.参)
『ナニカ』……………………竜王は色々と勘違いしてるが完全に姉妹同好会会員天使(ルベド)
『なにか』……………………元々ユリに付けていたハンゾウ。御方の命令で影から蒼薔薇支援中


 

 王国史名『北西部穀倉地帯の戦い』は更に一夜明け、7日目の早朝を迎える。

 

 昨夜、竜軍団宿営地へ本国のアーグランド評議国からサテュロス――ヤギの脚を持つが、バフォルクと異なり顔と上半身は人に近い体毛の少なめな角の生えた種族――の雄が先触れで現れた。

 突如2日後に監察的使者が来るという話を受け、竜王らは急遽長い臨時の対策会議を開いた。現在、この軍団は本国の中央評議会より『一度でも苦戦すれば撤退』という厳しい条件で戦争を継続しており、人間側の遅滞戦が続き膠着感のあるのこの戦場から出ての新戦果が必要との結論とその早期対応が決定される。

 こんな本国関連の嫌なシガラミも加わった後のこと。

 一つの残念な報告が、朝の竜王出撃前の休息中に飛び込んで来た。

 宿営地内で恐ろしく厳つい表情の煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)であるゼザリオルグ=カーマイダリスが、内容を聞き怒りから思わず吠える。

 

「なにぃ、例の老いた人間ともう一匹を途中で見失って逃げられただとぉーっ?!」

 

 昨日夕方前、竜王の行動時に度々邪魔をした脅威『ナニカ』と(おぼ)しき存在を監視部隊が見つけたのだ。竜王はそれを直ちに追跡させていた。

 だが、そんな『謎の強敵』への大きな糸口を一夜の間にいきなり失った形。

 

「しっかり2頭付けてただろうがっ?(評議会のクソ議員の使いが来るって、新たな難題が湧きやがったのに)」

「はっ、申し訳ございません。本日未明頃、東の戦域内で突然姿が消えたとの事」

 

 監視情報の伝令役であった竜兵が恐縮しつつ、長い首と頭を地へ擦り付けていた。

 監視部隊の2頭を先の人間へと貼り付けていたが、戦域内で唐突な体のダルさも発症し、半日持たず早々に撒かれてしまったという。

 加えて、リグリットは十三英雄らしく意外に用心深い。高度を随分と上げていた竜兵だが、彼女は付けてきている視線に途中で気が付き、ガガーランも常時屈折化のローブを持っているという話からリグリット自身も〈屈折(リフレクター)〉の魔法を発動。混乱した戦闘戦域内を抜けながら追跡を見事に振り切って見せた。尚、彼女の配下の動死体(ゾンビ)達2体は某所で暗躍中である。

 竜王も『ナニカ』が只者では無い事は良く分かっている。故にそれ以上、配下へ当たる事はしなかった。

 

「もうよいっ。……おのれぇ、〝ナニカ〟め。次に見つけた時は絶対に俺がぶっ殺すっ」

 

 平地に露天となってる竜王の『寛ぎの間』へと、ゼザリオルグが放つ無念の咆哮が轟いていた。

 カウラウ婆さんの危機回避能力は半端ではない。波乱の英雄譚も数多(あまた)持つ十三英雄の中で、今まで伊達に生き残っていない事を示すものであった。

 

 一方で、リグリットの祖国である王国軍側の死傷者数は連日、数を増やしてゆき、前日の15万の大台も容易く上回り、一気に16万人超えで異常事態を更新していた。

 開戦以降、全国各地からの増援兵3万8千を加え総兵力は延べ23万8千人まで達したが、まだ元気に戦える者は遂に3分の1程度へまで減少している。

 負傷兵も戦場の遠く外まで運び出される者は極一部で、動けない者の殆どが戦場の中へ放置に近い状態で蠢いていた……正に地獄である。

 

 

 南東の戦線で戦い続けていたニニャ達『漆黒の剣』の周辺も死が蔓延中だ。

 土塁防壁による奇跡の(シルバー)級冒険者チーム6組編成の部隊であったが、実質的に反撃の手が僅かな彼等は竜兵達から削られるばかりでいた。

 日々一人、また一人と殺されていき、今まだチーム全員が残っているは『漆黒の剣』の4人だけで、他は残った者で臨時の2チームを作っている状態。人数的には半分以下である。

 ニニャの傍に八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)が付くものの、ついでに『漆黒の剣』を守っているだけで、それ以外は対象外。

 実際、他の(シルバー)級冒険者チームが土塁防壁ごと竜に踏みつぶされた場面が何回も見られた。ミステリーはシビアに限定事象なのである。

 それでも『漆黒の剣』と組むチームは幸運だ。『漆黒の剣』への攻撃時には守られるのだから。

 ルクルットが土塁から顔を出し、雲が広がっている東の空を見上げる。

 

「あぁ、曇ってるけどもう朝なんだな。昨夜もヒデぇ晩だったなぁ」

「……皆さん大丈夫ですか?」

「眠いです。水浴びしたい」

「頑張るしかないのである」

 

 ペテルのくたびれた問いへ、ニニャは睡眠不足の思考により思わず本音の欲求を述べ、疲労からかダインの鼓舞の声に力がない。

 流石に連続では身体(からだ)が持たないので4日目に1度後方へ下がり、半日程休息を取ってはいた。

 しかし、戦場の中にもうそんな余裕は見られない。まるで袋小路に追い詰められた感覚が近い。

 うち捨てられた死体の山にその死臭と、怪我人の苦しみ呻く声が戦場全域を覆い尽くす。

 王国軍の将兵の数が大きく減って、冒険者達も残り少なくなっており、動く人間は竜兵からの標的として絞られ易くなっていた。

 だが、不思議な事に『漆黒の剣』の周辺は押しなべて竜兵達の周回が少なかった。

 

「……あっれー? 竜が遠くに離れていくな。時々あるけどなんでだ?」

 

 その正解を彼等が知る機会はないのだが。

 ここ数日、攻撃して来た竜兵が突如吹き飛ばされる等の直接的ミステリーはニニャらの周辺で余り起きなくなっていた。

 竜兵達が近付く前に少し離れた場所で、地上にある全身鎧の死体を不可視化中の8本ある足先に4体程突き刺し、歩く風に動かして気を引くなどミステリー側には工夫がみられる……正に支配者的な何者に知恵を与えられたが如く。

 こういった大きな力による保護でもなければ、到底(ゴールド)(シルバー)級の冒険者が無事では済まない状況が戦地に広がっていた。

 

 

 冒険者達の中位層に対して、中上位に当たるミスリル級と白金(プラチナ)級の冒険者チームにしても、厳しい現実を思い知らされる今次大戦である。

 難度75以上の竜兵と対峙した場合、結果的に殆ど攪乱や時間稼ぎしか出来ない展開をみた。

 最強種族である(ドラゴン)を相手にするには、どうやら装備や実力が不十分だったのだ。攻撃が通っても耐性と異常な体力を持つ竜兵を弱らすまで追い込めず、怪我人と犠牲者が増えていく始末。

 犠牲者の中には、大都市エ・ランテルで上位冒険者チームの三つに入り結構有名なイグヴァルジ率いる『クラルグラ』の4人もあっけなく入っていた。竜兵に突如襲われたという噂が流れたのみで、混沌とした戦場内の為なのか真相と彼等の亡骸は……永遠に見つからない。

 そして、反撃戦力の実質最上位に近いオリハルコン級冒険者達も危機的窮地を迎える。

  一応、オリハルコン級複数組での部隊は王都+小都市で2部隊と、リボウロロール+小都市、リ・ロベル+エ・レエブル、リ・ウロヴァール+リ・ブルムラシュールとモモンらの配属部隊の計6部隊がある。1部隊約十数名で、難度90程度の竜兵1頭となら渡り合え、どうにか戦闘不能には出来る水準。でも竜兵はこちらの都合で動くわけではない。

 オリハルコン級冒険者でほぼ占めるモモン達の部隊も大変過酷な戦況の中で戦い抜く。

 偽モモン(パンドラズ・アクター)は開戦2日目に、グレートソード二刀のうち一振りを十竜長斬りで強引に折った事にし、部隊リーダーのアインザックへ自身の乱用防止策について伝えている。

 

「今回、かなり無理をした感じです。残念だけどグレートソード1本では、今後、同じような水準の闘いは厳しいかな」

「そうか、モモン君……。仕方ない、今後の相手はよくよく見て考えねばな」

 

 十竜長を見事に討った()()モモンは実質、部隊最強と言え、彼の発言力は大きくなっていた。

 そのためアインザックは、それ以降の竜への攻撃判断に漆黒の戦士の言葉も重視する。

 おかげで、そこから丸5日程、概ね部隊の身の丈にあった竜兵との対戦が続き、難度87の竜兵1頭をエ・ペスペルの魔法詠唱者と剣士がトドメを刺し討ち取った他、10頭を超える竜兵と十竜長へ重傷を負わし退却させることに成功した。

 でも何度か、王国軍小隊の窮地を救うために難度120を超える竜兵へ突撃する場面があった。

 結局部隊が押され厳しくなった時には、手柄を立てすぎない様に偽モモンが急所を外す一撃を浴びせたり、マーベロが第4位階魔法の〈雷撃の矢(ライトニング・アロー)〉を撃ち込んで窮地を凌いだ。

 正直、ナザリック勢にすれば上手く誤魔化して手加減する方が難しい。

 そんなマーベロにエ・ペスペルの魔法詠唱者達が驚いて礼を伝えて来た。

 

「凄いな、〈雷撃の矢(ライトニング・アロー)〉か! 今回は、マーベロ殿の攻撃で助かったな、ありがとう」

「いや本当に。この若さで彼女は大した才能ですよ。第4位階魔法を使える私でも、かなり難しい魔法でまだ撃てないんだ。感謝する」

 

 もちろん、魔法狂のラケシルも興奮気味に思わず叫ぶ。

 

「マーベロ殿っ、まさか第4位階魔法まで使えるとは! それも強力な〈雷撃の矢(ライトニング・アロー)〉だとっ、すげぇ!」

「は、はい。お役に立てて良かったです」

 

 控えめなマーベロが少し積極的に動いていた。最近何か嬉しい事があったのかもしれない。

 モモンとマーベロが活躍する彼らの部隊は、竜兵達が何故か動きの悪くなる東部の戦域で何とか全員がまだ生き残っていた。

 しかし、他の各地で難度150に近い竜兵と遭遇したオリハルコン級部隊が既に3つあり、それぞれ何人かを犠牲にする事で、逃げ延びている。

 オリハルコン級冒険者部隊でも、対峙する竜兵が難度120を超えると傷を負わし弱らせる事はかなり難しく連日苦戦を強いられた。

 今日までで、貴重なオリハルコン級冒険者の犠牲者は10名に届く。

 開戦時に3000人以上を数えた冒険者達も、既に多くが負傷や死亡し戦力は半減している。

 

 

 そんな火中の様な戦場で、栗を奪うが如き息荒く大暴れを期する者らがいた。

 ただ彼等は、リ・エスティーゼ王国の人間にあらず。バハルス帝国の冒険者とアウトローなワーカー達である。当初、その数は数百名に上った。

 皇帝ジルクニフの名で帝国内へ布告された、竜討伐の恩賞に目が眩んでやって来たのである。

 でもやはり殆どの者は、踏み込んだ各所で地獄を見る。

 目の前で味わった竜達の余りの強さに絶望し、多くの犠牲を出して引き返して行った。元から王国の地で死ぬ義理は無いと。

 残ったのは、一握りの実力者達だけである。

 

「〈縮地改〉、〈空連斬〉っ!」

 

 〈能力超向上〉なども発動させ、上空を舞う竜兵へ単身で挑む男――エルヤー・ウズルス。

 卓越した剣術は帝国でも最高水準の冴えを持ち天才と言われる腕前で、ワーカーチーム『天武』のリーダーである。チームと言いつつも実質メンバーは彼只一人のみ。

 連れて回る3人の森妖精(エルフ)達は、全員奴の奴隷である。

 その森妖精(エルフ)達のうち1名に、竜兵をおびき寄せる危険な囮をさせる。

 過酷なこの地へ来た理由の半分はこのためのもの。既に閨で抱き飽きた奴隷は数名、こうして使い潰してきた。

 彼は、決して彼女らを売り払おうとは思わない。

 最初に死んだ奴隷は、売り払おうとした時にハッキリ「ホッ」と安心しやがったからだ。

 

(人間より劣る生き物が、人間である私の手を離れて〝楽〟になれると思うとは。許しません。命を使って死ぬまで働かせてあげましょうっ)

 

 帝国では脱走防止も兼ねて、生地と共に仕立てもみすぼらしい服に最低限の装備であったが、王国内は奴隷が禁止されている為、入国に際し人並みの服と装備に変えて切り落とした耳を隠す帽子も被らせていた。無論、脱走防止に離れると首が締まる首輪を帝国内から付けさせている。特殊な魔石を5つへ砕き、それが離れたり欠損すると効果を発動する仕掛けの首輪4つと主人用腕輪セットをわざわざ購入。差別主義者(レイシスト)は金では無いのである。つまり、エルヤーや仲間の森妖精(エルフ)が消し炭になって魔石が破損しても、奴隷達は死んでしまう。鍵は帝国に置いて来ており、必死で主人を支え仲間で助け合うという訳だ。

 改めて遠いこの地へやって来たもう半分の理由は、周辺諸国最強と言われる王国戦士長(ガゼフ・ストロノーフ)に自分の強さを知らしめる為である。

 近年、王国で御前試合は開催されておらず、エルヤーはストロノーフと強さ比較の絶好の機会とみて足を運んだのだ。竜を2匹も倒せば、奴に先んじて『竜殺し』と『最強剣士』の二つ名の両方を得られるだろうと。

 

(くははっ、()の王国戦士長の記憶に私の名を深く刻みつけて差し上げましょう)

 

 とはいっても……実現は並大抵でないと彼も身をもって知ることになる。

 流石にエルヤーは愛剣や装備に金を掛けてきた。愛剣は金貨1500枚程で手に入れた掘り出し物の名品。彼の剣技を認めた大商人が、腕を見込んで南方からの業物を安く売ってくれたのだ。

 次にまず対戦する相手を選ぶ事を忘れない。竜達は2匹一組で行動する連中と、単体に近い動きをしている個体に分かれる。狙うのは当然、単独行動している竜である。

 こうして少し(すべ)と自信を持って戦地に臨んだエルヤーであった。

 ところが、開戦から6日間で20匹以上と相まみえる状況ながら、まだ1匹も倒せていない。

 難度が75前後の個体を2匹戦闘不能手前にした所までだ。十竜長らしい救援が現れて2匹で攻撃を受けては一時撤退しか手はない。

 竜鱗は斬れても、彼の剣力ですら剛筋肉の両断までは難しかった。どうしても腕力が足りない形になる。それは剣技で補うしかない。彼は鍛錬を重ねるように対戦を積む。

 その中で今、高い剣技も乗せて空を舞う難度80を超える竜兵に武技〈空連斬〉を叩きつけた。〈空斬〉を連撃し、時間差で目標へほぼ同時に重ね斬りさせる事で一点への威力を上げている。

 三光連斬よりも高度かもしれない武技である。

 

「グぉぉーっ、おのレ人間めぇぇ!」

 

 結果、竜兵の鱗と肉は切り裂かれ悲鳴を上げてるが、すぐ怒りに変わり火炎砲が返って来る。

 エルヤーは、己の強さが依然として十分通じない悔しさに苛立つ。

 

「くっ、これでもまだ威力が軽いのですかっ、化け物め」

 

 地表へ届いた火炎は、灰塗れの地面を焦がすのみ。剣士は〈縮地改〉により、軽快に火炎砲の連射を躱していく。

 エルヤー個人の強さで言えばオリハルコン級冒険者以上と思える水準。ただチームとしてはミスリル級冒険者チーム程へ下がってしまうだけ。

 1対1に持ち込めば、相当素早い彼は不覚を取りにくい。

 戦いの間、奴隷の森妖精(エルフ)達は、呼ばれれば駆け付けられる距離を保ち、戦場を移動しなければならない。そうしなければ手酷く()たれ足蹴にされるのも有り必死だ。

 彼女達は、主人への肉体能力上昇や剣の一時的な強度上昇、皮膚の硬質化に五感の鋭敏化などの強化魔法や負傷時の治癒魔法が主な役目である。

 エルヤーは数度剣技を放ち敵わないと見ると、王国軍の小隊へ(なす)り付けて離脱した。非情な手であると言える。

 彼は参戦当初、剣士らしく堂々と振舞おうとした。

 しかし、初めて倒せない(ドラゴン)という本当の怪物に当たり、綺麗事では死に掛けて箍が外れてしまった。彼の精神部分が随分幼かったのが大きい。

 

(何でもいい。最後に生き残った方が強いんですよ)

 

 一つの真理かもしれない。でも最早、ストロノーフの英雄精神には更に程遠い剣士となった。

 それでも、エルヤーは『竜殺し』と『最強剣士』の二つ名を諦めてはいない。

 ある意味逞しく、彼は戦地をまだ這いずり回り続ける。

 

 

 帝国のワーカーチームは、他にも幾つか残って参戦していた。

 甲虫風の全身鎧を付けたグリンガムが率いる『ヘビーマッシャー』もその一つ。

 彼等は、手傷を負うなるべく重傷の竜のみを相手に絞り込んで戦った。ただ、ミスリル級水準のチームであり戦果は未だゼロ。

 チーム『竜狩り』は異色の参戦方法を取っていた。

 彼等は、(ドラゴン)を警戒しつつ中々攻撃を仕掛けなかった。老リーダーのパルパトラ・オグリオンは80歳ながらも非常に優秀で慎重な男であった。

 彼の裏目的は何と火事場泥棒的な物資回収。戦場において膨大な戦死者を見越し、その残した金貨銀貨に武器や鎧の他、希少アイテム集めだ。

 死ぬ確率が高い竜を相手にするより、合間に足元を少々漁る方がずっと安全と言う理由に因る。そして地獄の戦場内を行動するので当然、危険が同居し皆が出来る訳でもない。パルパトラ達は襲われてもエルヤーではないが、周囲の王国軍へ擦り付ける実力を持っていた。

 

「ひゃひゃひゃ。笑いか止まらんな。そろそろ引き上けるかの」

 

 前歯の無い老人は、()()拾った剣や金貨の数に仲間達と笑みを浮かべた。

 金貨で2000枚分以上のお宝を持って彼等は頃合いの良い今、全員無事で帝国へと退場して行く……。

 

 一方、帝国の冒険者達では、アダマンタイト級冒険者チームの『銀糸鳥』と『漣八連』は遠征せず。彼等は、〝帝国のアダマンタイト級〟として、もしもの帝国戦時に備えている為だ。

 それは、オリハルコン級以下でもほぼ同じ流れだが、隣の王国内で決着が付いた場合に旨味が無いとして、王国へ出向いて来ているオリハルコン級冒険者チームもあった。

 ただ、1チーム単位ではどうにも出来ない可能性を持つのが最強種族(ドラゴン)と言える。

 この6日間で、帝国の冒険者達全体でやっと1頭を倒した形である。

 それも結局、オリハルコン級2チームとミスリル級冒険者3チームの合同で延べ10体程と渡り合うも、難度78の竜兵を討ち取ったのみに留まる。互いの連携も上手く運ばず、4名死亡に7名負傷と払った犠牲も小さくなかった。

 帝国の冒険者水準が王国よりも僅かに低い部分もある。2頭目を倒す戦力は、事実上残っていない。

 彼等は現在、やむなく後方へ下がるも帝国へは撤収せず、何か転機はないかと探っている。

 このように帝国からの民間遠征戦力は僅かな効果しかなく、大戦の裏側で完全に埋もれていた。

 

 

 さて、日々のこうした王国側の苦しい現場の戦力状況と被害進行をみれば、現実的に長期戦が無理なのは明白だ。もし敵が、同じ人類国家のバハルス帝国などであれば、完全撤退や条件降伏も十分有り得た損害と言える。

 しかし此度の敵対者は竜王(ドラゴンロード)(ドラゴン)の軍団。

 加えて竜王は、和平会談において『人類国家連中の全ての都市と地と国民を踏みにじって前進する』と公言し交渉を決裂させている。

 この戦争は当初から竜王軍団による人類殲滅掃討戦と表現した方が的確だろう。

 出陣した者達は故郷へ大事な家族や友人らを残してきた者達である。それは貴族も騎士も民兵も傭兵も冒険者達も変わらない。

 国王さえ出陣するこの戦地を捨てて逃げ出せば、後方へ残る愛しい者達が死ぬことになるのだ。

 飛行する竜の進撃速度を考えれば、バハルス帝国やスレイン法国まで避難する猶予はなく、もう逃げ場はない。竜達の無慈悲な戦いを経験し、全員がこれを現実なのだと強く受け止めた。

 

 故に――展開された陣が一歩も下がることはなかった。皆、全滅するまで戦う気である。

 

 それを証明するように戦死者数は実に7万へあと200に迫る数が積み上がって来ていた。

 戦場では、麦も人も装備も物資も地面までもが焼き尽くされ、その光景が朝にもかかわらず黄昏て見えている。

 視界に惨憺たる自国の情景を捉える王国軍総司令官であるレエブン候も、覚悟はしていながら余りの被害の大きさに内心のショックは相当酷い。

 

(私は地獄行きでも構わない。兵達を犠牲にし、鬼にでも悪魔にでもなる。息子、リーたんが守れて、あの子の幸せな未来が残るならそれでよい……)

 

 初日に王国軍の被害報告を聞いて以降、腹は括っており、兵を最大限有効に使いながら損害を割り切って凄まじい指揮を執り続ける。配下の元オリハルコン級冒険者達のチームと精鋭に守られ、移動しつつ戦地を駆けていた。

 既にボウロロープ侯爵亡き今、もはや権限を持ち王国全軍を十全に動かせる()()()は彼ぐらいである。

 

 未だ総数410を数える竜兵達は、その後も地上で粘り強く抵抗する人間共を容赦なく火炎砲によって焼き尽くし暴れまくった。

 王国軍兵達は命令にその命を賭け、竜軍団の攻撃の合間を縫って傷を癒し仮眠や食事を取り、隊を分け再展開して遅滞戦を演じる事を止めない。

 冒険者達も王国総軍の攻撃担当として、貴族達の兵の合間を縫って果敢に竜兵達へと攻撃を仕掛け続けた。

 でも、そんな皆が勇ましく臨む戦況は、7日目午前の時間が過ぎる中で()()()()。竜王軍団側有利の一方的流れがより加速してゆく。

 理由として、南部戦線から竜と戦う全ての者達にとって衝撃的な訃報が届いたのだ。

 

 

 ――剣豪ルイセンベルグ・アルベリオン討ち死にの報である。

 

 

 彼はアダマンタイト級冒険者チーム『朱の雫』のリーダー。チームの6名は、本日未明に南部戦線の激戦区で難度150に迫る十竜長2匹一組の敵に遭遇。

 実は、王都強襲に失敗した竜軍団の上層部が腹いせがてら急遽、対『朱の雫』撃破用に編成した2組の一つであった。

 アルベリオンは得意の二刀流で奮戦するも、十竜長の首への攻撃が頑強な鱗により深く通らず、十竜長の放った前足の強烈な爪の攻撃を受け袈裟懸けに斬られてしまう。即死であった――。

 残った仲間達は秘蔵巻物(スクロール)の最大魔法攻撃〈龍雷(ドラゴン・ライトニング)〉を浴びせ脱出を図ったが、火炎砲で更に一人も重傷を負った。

 アズスの〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉で重傷メンバーは何とか運び出されている。

 だが、王国の冒険者達は最大の戦力の一人を失ってしまった。

 竜軍団と王国総軍の開戦後6日で『朱の雫』だけが、20頭もの竜兵を始末していたのだから。

 ただこれは、討ち取った竜兵の部位を満足に集められず未確定の虚しい記録となるのだが……。

 その偉大なアダマンタイト級冒険者チームが敗れたのである。衝撃は、冒険者だけでなく一般兵達の士気面へもかなり広がっており、影響は歴然で想像以上に甚大となる。

 

 アルベリオンの死を機に、リ・エスティーゼ王国軍側の攻撃戦力は大きく縮小した。

 

 ラキュース達『蒼の薔薇』が竜王の抑え役である以上、仕方のない事態と言える。

 一度敗れた『朱の雫』は一旦後方へ引きアズスが率いて5人で再参戦するも、魔力量不足と剣豪の不在で攻撃力を欠き、これまでの様に竜兵を狩る事は出来なかった。

 広域展開中のオリハルコン級部隊を始めとする冒険者達と、レエブン侯指揮の王国軍全戦線は士気低下と満身創痍で疲弊の極限状態へ押し込まれつつあった。

 そして――。

 嫌な流れは、南部戦線の南方にある国王とその縁戚貴族の軍勢や、ずっと拮抗が続くかに見えた竜王隊と戦う者達の場にも広がり始める。

 王都北方の穀倉地帯中央部へ広がる大森林北側周辺部へ、国王の兵1万が小隊群へ別れて配置に付いている。その部隊の少し北側へ国王縁戚貴族達が計2500程の兵を展開させていたが、竜軍団はこの地域へも侵攻して来た。

 竜王は西側への海上迂回で王都強襲に失敗した事を踏まえ、()()()()()()()()()正攻法で南を目指すよう指示し、大規模な竜兵の選抜精鋭部隊を動かしたのだ。

 多数の竜兵が、布陣する国王の兵達1万余へ襲い掛かってゆく。開戦7日目の昼前の事である。

 竜来襲の知らせは、15分程で国王ランポッサIII世の籠る地下司令所内へも伝令により届けられた。この司令所は故ボウロロープ侯爵の陣地から東へ20キロ、南へ約25キロ離れた場所にあたる。

 王国総軍の末期的死傷者数と全戦域の惨状に加え、英雄的なアダマンタイト級冒険者の戦死他、第一王子の安否不明と既に今朝の報告で、国王の内心へはかなりの寒風が吹き荒れていた。

 そこへ現れた伝令騎士が、王と貴族らの座る長机の横で跪き知らせる。

 

「陛下、ご報告いたします! 北方の陛下の師団とお身内様の軍へ竜の編隊が約40頭襲来。先程より、激しい戦闘状態に突入しました」

「なんと……遂に近くへまで来たか」

 

 恐怖の知らせに子爵が唸った。伝令騎士は現場の様子を伝える。

 

「現在、騎士団長を中心に戦線維持に努めております。ご安心を!」

 

 髭の男爵が伝令の騎士を(ねぎら)う。

 

「そうか、良く知らせた。報告大儀」

「はっ、では」

 

 沈痛に無言のランポッサIII世は、立ち去る伝令騎士の背を厳しい表情のまま静かに見送る。

 

(ご安心を……か)

 

 今日(こんにち)までの竜王軍団と王国軍主力の戦況を考えれば、1日2日持てばという状況だろう。いよいよ後がないと言えた。勿論、彼はこの国の国王としてこの場から一歩も動くつもりはない。

 国民達は伝説の竜の大軍を恐れず、守る者の為、数多の命を捨てて勇敢に戦っているのだ。

 それは国王自身も同じ気持ちである。

 

(最後となれば、この宝剣でせめて一太刀は浴びせてくれようぞ)

 

 ここで、国王の傍に居た子爵と男爵が兜を手に取りつつ、席を立つ。

 

「陛下、それでは急ぎ我らも出撃いたします」

「うむ。そち達と騎士団長らに武運を」

「ありがとうございます。では」

 

 彼等は連れて来ていた地上の小隊と共に、指揮する北側の自軍へと戻っていった。

 王国戦士長ガゼフ・ストロノーフも、今朝からアルベリオン戦死など、急変した事態に思わず目を細める。

 

(あれ程の男まで敗れるとは。我が軍の悪い流れが連鎖している。ゴウン殿、まだなのか……?)

 

 主君ランポッサIII世陛下の座すこの総指令所へ、恐るべき竜兵達が迫り来るまで残されている時間は短いとの思いと、その時守り切れるのかと言う不安が戦士長の心へ広がってゆく。

 後がない王国の状況からガゼフは、自身の出撃が間もなくだと悟る。

 

 一方、厳しい変化は竜王隊と対峙する『蒼の薔薇』達の戦闘でも始まる。

 『イジャニーヤ』達にしてみれば無理もない話であった。

 竜王隊との、拮抗していた天秤が振れた最大の起因は単純なもの――それは疲労である。

 短い仮眠に過酷なまでの連続戦闘に加え敵からのプレッシャーが異常ときては、よく丸6日間も持ちこたえたと言えるだろう。

 それだけ『イジャニーヤ』の面子は精鋭揃いであった証明。

 1人目の犠牲以降、頭領より突撃的な行動は避ける様に指示されていた。そんな彼等に2人目の犠牲者が出たのは、疲労蓄積で極限の戦闘状態にも棚上げにしていた体の怠さと重さから。

 竜兵の1匹を相手にしていた〈浮遊板(フローティング・ボード)〉を利用して攻撃していた中年のメンバーが、動きの鈍くなった隙を竜兵の翼に叩き落とされる。それをフォローしようとした若手の相棒が、火炎砲の直撃を受けて――死亡した。

 これにより一気に拮抗は崩れ去ってしまう。

 残り3名と負傷した中年のメンバーだけでは、竜兵の動きを抑えきれなくなったのだ。

 竜兵を実際に倒せる力があるのは、剣豪のチャーリー(ブレイン)ぐらいしかいないので、こうなると竜に対する人間側の(もろ)さが浮き彫りとなる。

 『イジャニーヤ』の面々が狩られ始めていった……。

 非情だが、負傷した中年のメンバーをまず見捨てるべきだったのだ。

 竜兵はそれを攻撃する形で実は上手く囮に使う事で、残り3人が空中へ無理にジャンプするしかない状況へ追い込んでみせた。

 そして、圧倒的な腕力と鋭利な前足の爪で一人を両断し、一人を強烈な尻尾の一振りで薙ぎ払いミンチにし、もう一人は火炎で焼死させた。

 だが負傷し最早地上で立ち上がれない中年メンバーは、そのまま見逃された。

 竜兵には火炎回数に余裕が無かった事情もあり、地上へは降りない様に竜王から指示を受けていたためだ。

 そのまま竜兵は、隣の隻眼の竜兵へと合流に向かう。

 これは戦争であり、味方を援護するのは当たり前の事なのだ。

 竜兵2匹が相手となり、新たに4名の『イジャニーヤ』の面々が襲われた。一斉に散開し逃げれば助かるとは想像出来る。

 しかしその後、どうなるのかは目に見えている。

 

 ――頭領達へしわ寄せが行く。

 

 それを考えると、『イジャニーヤ』の者達は最後まで勇敢に戦い続けるしかない。その間に色煙の付いた信号矢弾を上げるのが精いっぱいであった。

 この段階で、他の場の異変に老副官が気付いた。目を見開く。

 

(煙矢か! なっ、東の方で戦っていた竜が、隣に合流しているだと?! ……これはいかん)

 

 爺の額へ汗が噴き出してきた。

 既に、5名以上はやられたことになる。それが10名程になるのも時間の問題であろう。

 

(ここで我々の取る一手は――)

 

 『蒼の薔薇』とは当然、こういった緊急事態へ対し話し合っていた。

 老副官はラキュースが頭領のティラへこう告げていたのを聞いている。

 

『その時は一旦逃げてください。こちらは大丈夫です。その為の転移魔法ですから』

 

 流石はアダマンタイト級冒険者達で、気にするなとの言葉を残していた。

 故に、後はこちら側内だけの判断。

 

(やはり、ここは老い先短い私が――)

 

 チャーリーへは、『万一の時は』と事前に告げてある。憂いは無い。

 すると頭領のティラが〈闇渡り〉で爺の背後へ現れ告げる。彼の重荷を取り去る言葉を。

 

「一人で考えるな、爺よ。顔に出てる。チャーリー達には私がココで派手に〈大瀑布の術〉で仕掛けたら、竜兵2匹と戦ってるところへ不意に仕掛けて全員で散って逃げろと伝えた。爺は1匹側の連中を頼む。時間がない。〝しかし〟は無しだぞ」

 

 頭領らしい立派な即決さを見せるティラお嬢様に、老副官は感激しつつも答える。

 今は即時に動かなければならない。

 

「はい、頭領っ。了解です」

 

 爺の頷きに、ティラは瞬時に姿を消した。

 間を置かず突然に、対決し飛行する百竜長ノブナーガの真下から大量の水が吹き上がった。

 忍術〈大瀑布の術〉である。ここまで彼女が使ってこなかった術でもある。

 それは、この非常時の為にだ。

 最も広範囲に視認的インパクトがある為、目くらましとして温存していた。

 百竜長も一瞬全神経を自身へと向けざるを得ない。

 

「な、これは何だ?! 水か? まさか劇薬か?!」

 

 首と視線を吹き上がった液体に驚き右往左往させた。

 その混乱した状況に老副官とチャーリー達はこの場から速やか且つ鮮やかに散っていく。

 ただしティラだけは残る。

 

(私があと1分は稼がないと)

 

 難度60程度の者なら全力で1分走れば、1キロ以上は優に離れられるだろう。

 昼下がりを迎える時間。ティラはこの場で一人になり、呑気に腹も減ったなと僅かに視界を巡らすと、近くへ用水路が長く走っているのを確認した。脱出路は問題なさそうである。

 突発での大量の水しぶきが納まり、百竜長が気付くと目の前の人間が1体に減っていた。

 

(……何のつもりだ? あぁ、そういうことか)

 

 ノブナーガも周辺の変化へ気が付いた。

 1頭ずつ分かれていた竜兵が2頭で居る様子が見えたので、均衡が崩れ人間共が慌てたと言う事実に。

 かと言って、こちらまで慌てる必要はない。自分達竜王隊側の優位は初めから不変である。

 人間達は大した攻撃力を持っておらず、こざかしいだけの存在なのだ。

 そう思っていた。

 ところが、ノブナーガが横目で眺めていた2頭舞う竜兵の内、1頭が――地上へと落ちていく。

 

「なっ、なんだと?!」

 

 格上の百竜長の強さと動きに慣れたチャーリー(ブレイン)にすれば、竜兵は倒せない相手ではなかった。難敵との長時間の生死も含める極限的試練が彼自身のレベルをも引き上げていた。そして対峙したのは弱点を抱える隻眼の個体の方だ。

 

「―――〈神閃〉!」

 

 空中ながら、死角へのすれ違いざまに自身の奥義とも言える武技を渾身の二連続で発動する。

 襲って来た前足の指を斬り飛ばしつつ躱し、長い首元を一閃して彼は後方へ抜け出していた。

 深々と首を斬られた竜兵はそのまま羽ばたく動きも見せず、一直線で地面に激突してくたばる。

 周囲の竜達はその状況に固まった。

 その隙に、爺も全力の〈不動金縛りの術〉を竜兵へと仕掛け、5名の仲間を逃がすことに成功する。本人は〈影潜み〉でのち程撤退。

 チャーリー(ブレイン)と同行した3名が、負傷した2名を救出しながら他の2名と脱出。チャーリー自身はそのまま、最初に竜兵が勝利した場所を確認しに行き、1名の重傷の中年メンバーを救出したのち離れた。

 

「おのれぇ! ちょこまかと」

 

 ティラは動揺の続く百竜長を、仲間の居ない戦場の広さに自慢の俊足で1分超翻弄し、用水路沿いを一気に〈闇渡り〉で離脱する。地表へと盛大に吐かれた火炎砲で、僅かに火傷を負ってしまったが上出来だろう。

 結局、『イジャニーヤ』はなんとか4名死亡で最大の窮地を切り抜ける。

 しかし累計で5人を失い16人まで数を減らしてしまっていた。

 

 『イジャニーヤ』の退却を受け、『蒼の薔薇』のティアとイビルアイも、仲間の反応が消えた事へ気を取られた竜王との戦いを即止め、魔法で脱出し此度の集合地点まで移動した。

 一度に多くの犠牲を出し更に共同野営地まで戻って来た面々は、悲しみの中もラキュースとティナも交え今後の方針を話し合う。

 と、その前に頭領のティラが改めて伝える。

 

「チャーリー、ありがとう。あなたの腕がなければ、まだ何人か()られていた」

 

 竜兵を1匹減らし、あの場の強力な4頭の竜達の動揺を誘ったのだ。

 彼の働きは仲間の窮地にあってかなり大きかった。

 もう『イジャニーヤ』のメンバーで誰も、チャーリーを新参だと思う者は居ない。

 一方で先程だけで4人の仲間が死んだ。彼は今、少しも喜べる状況ではない。

 

「ただ、必死だっただけだ」

 

 チャーリー(ブレイン)は、そう小さく謙虚に答えるに留めた。

 あの時、竜兵2匹のいる場へ飛び込み、凄く冷静でいられたのは間違いなく超越した人外の吸血鬼、シャルティア・ブラッドフォールンとの対戦があったからだ。

 彼女との勝負に、生死の狭間よりも高い精神の有り方を学んだ気がしていた。

 今、酷く落ち着いてる自分に彼は驚いている。

 場の話題は暫く、チャーリーの素晴らしい戦果面で進んだ。

 彼の戦いぶりもさる事ながら、彼が竜兵を一撃で倒したからである。

 

 ――まだ、他の竜も倒せる可能性があるのではと。

 

 ついでに、竜兵が1匹減った事で21人対4頭になり、状況も戻ったのである。

 希望が残っており、少しだけ宿営地内の面々へまだ明るさが見られた。

 しかし既にラキュースはそう甘く考えていなかった。

 

「次に竜王は、自分の隊をどうするつもりかしら」

「「「―――っ!」」」

「……連中は戦力を変えて来ると?」

「ええ」

 

 凍り付く一同の中、ティラの言葉にラキュースが頷いた。

 竜王隊の内の1体が殺されたのである。我々は決闘ではなくあくまでも戦争をやっている。

 こちらを皆殺しにするために、次は竜21頭で編成して来ても全く不思議ではない。

 それだけ、竜王軍団側には圧倒的余力があるのだ。

 竜王のお遊びはもう終わったと考える方が良いだろうと場へ促した。

 「ん゛ー」と唸るティラに、ラキュースが提案する。

 

「次回は、私達のチームだけで様子を見た方が良いかもしれないわ」

「それは……」

 

 『イジャニーヤ』の頭領は反論しようとしたが、状況次第で自分も含めて仲間も逃げる事すら難しい可能性がある。

 今はまだ昼間であり、忍術は制限されてかなりのリスクが考えられた。負傷した怪我人もいる。

 それも見越しての『蒼の薔薇』リーダーの提案である。

 ティラは、信頼に値する戦友を頼る。

 

「……そうだな。次回だけは、そちらへお願いするのがいいのかもな」

「ええ、任せて」

 

 ラキュースとしても依然『イジャニーヤ』の戦力は代替えの利かない貴重な存在である。

 不用意で友軍を失う訳にはいかない。

 彼女達も、アルベリオンの戦死を伝え聞いており、今の王国内には戦力が残っていないのだ。

 開戦前に催された、王都での上位冒険者達の宴の際に見た400名で、まだ健在なのはどれほど残っているのだろうかと思う。

 

 竜王隊確認の提案から3時間後、『蒼の薔薇』のリーダーは食事と休憩のあとイビルアイと共に出撃する。

 3時間程休んだが、相変わらずイビルアイの魔力量は十分とは言えない中での行動。

 昼間と言う事で、忍者系姉妹のティアとティナには留守番を頼んだ。

 

「「鬼リーダー/鬼ボス、イビルアイも十分気を付けろ」」

「ええ」

「大丈夫だ」

 

 イビルアイとラキュースは、宿営地から結構離れた所へ移動後、手を繋ぐ形で低空を〈飛行(フライ)〉にて移動し始める。〈全体飛行(マス・フライ)〉の場合、急遽切り離せないので戦場内ではこちらが有用だ。

 先程は竜王軍団側の攻撃サイクルの途中で撤退したため、竜王隊はその後に引き上げたのか、戦場を変えたのか不明である。

 まず、最寄りの情報提供の場として旗の上がる王国軍部隊を探す。

 今の彼女達の野営地は西部戦線の後方(外側)になるが、王国軍の展開が随分疎らになった事を改めて上空からの眺めで気付かされる。

 ラキュースは自国の悲しすぎる状況へ対し思わずにはいられない。

 

(ゴウン殿は、まだ動けないの?)

 

 事を()いても上手くいかないのは理解出来る。準備とは重要な段階だから。

 しかしそれでも、全てが終ってしまってからでは遅い事も当然存在する。

 

(時間よ、間に合って)

 

 仮面の彼を考えると()()()()()()()気持ちが自然に強くなる。

 彼女は、冒険者の階級として頂点を極めたが、それは英雄とは別なモノだと気が付いている。

 嘗ての同僚であるカウラウ女史の歩んだ英雄譚は羨ましくもある。旅や冒険を楽しみ、未知の怪物や魔神を下して送る生活は元より、高みへと引き上げてくれた頼りになる英雄的者達が仲間にいた事へだ。

 今、年老いたリグリットにそれを求めるのは酷だろう。なので、新たに目指す日々をイビルアイや自身の中で妄想し歩んでいたが、やはり思い通りには運ばない。

 でも最近、出会ったのである。まだ若くして既に遥か高き英雄の力を持つ人物に。(ゴウン殿)に。

 

(私は彼の大魔法が切り開く王国の未来や、世界中へあの人が今後も魅せるだろう英雄の歩みを近くで見ることは出来るのかしら……)

 

 初めて出会ったタイプの彼に感じる淡い想いもある。

 一方で、多くの弱き民を守り、盾となり剣となって神官戦士として戦場に散る覚悟はある。

 それも彼女の選んだ自分らしい生き方の一つなのだ。崇高で強い精神の持ち主は前を向いた。

 

 林の傍で木々に隠れた情報提供の旗の上がる王国軍部隊を見つけ、2人は降り立つ。

 塹壕のような溝の途中に、地下へ少し掘り込まれた感じの地下坑道が幾つかある陣地で、5人小隊が5つ展開していた。火炎は上に熱が昇るので、塹壕はこの戦の陣地にも多少有効なのである。

 

「じゃあ、少し聞いてくるから」

「分かった」

 

 イビルアイを待たせ、常時屈折化が可能なローブ姿のラキュースは衛兵に軽く手を挙げて塹壕の中へと入ってゆく。彼女はゴウン氏から預かるこのローブを随分気に入っている。薄い『ネズミの速さの外套』の上へ重ね着してる形である。彼の英雄譚で使われたかもしれない上、彼にずっと傍で少し守ってもらっている気がするためだ。

 衛兵は小陣地への英雄級の人物の来訪に恐縮し、緊張しつつ敬礼を返した。

 アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』のリーダーであるラキュースは王国軍にも広く知られた有名人。若く美しい上に貴族の令嬢で更に竜王(ドラゴンロード)と戦って尚、何度も生還するほど途轍もなく強いのだ。

 戦場の兵士達の憧れの存在でもある。正に手の届かない宝石の水準としてだ。

 ここまでは兵士達にとり、束の間の午後の癒しタイムで終わりそうな場の雰囲気。

 流れが変わったは丁度、ラキュースが降りた塹壕から地下道の階段を下ろうとした時である。

 歩哨に立っていた兵士の一人が急に大声をあげた。

 

「竜王だっ、竜王が来るぞ! 『蒼の薔薇』の方々早く備えてくださいっ」

 

 ()()()()()()()()兵が突然騒ぎ出したが、周囲の兵士らは空を見回しても、少し離れた位置の随分高い高度で竜が1匹飛び続けているのが見えるぐらいで、他には見えない。飛び続けている竜もずっと降下して来る様子はない。

 なので、仲間達から馬鹿にされ始めた。

 

「おい、お前。突然、何驚かす事を言い出すんだ。恐怖でオカシクなったんじゃないだろうな」

「竜王なんて見えないぞ?」

 

 そう、ハンゾウは広域探知出来るのだ。

 でも、忍術〈影羽織〉中の彼はそれが言えないので若干工夫する。

 

「あっちだ、あっちから来るぞ」

 

 そう指差して叫ぶのが精一杯であった。林の木々が無く、この場が開けて見晴らしが良ければ遠く見えただろう。

 突然の発言であり、木々に隠れて敵が見えないと言う事は、簡単には信じて貰えないのである。

 やがて、強い風が吹いた。

 地上に立つイビルアイ達は、大きな影の下に入りその存在が何かを見上げ、無言で震える。

 本物の煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)であるゼザリオルグ=カーマイダリスの巨大な姿に。

 

「よう、人間の魔法詠唱者。俺を探してるんじゃねぇのかよ?」

 

 嬉しく嘲笑うように伝えた竜王が、この場を知ったのは勿論、汚名返上に燃えた監視部隊からの連絡である。

 監視部隊は5体組の人間達の行動監察から、連中が出撃後にこういった陣地系の場所へ数度寄り、竜王隊の場所を得ている事を突き止めたのだ。

 今回はそれを逆手に取った急襲である。

 王国軍を襲う竜兵達よりもずっと高い高度1000メートルに、連絡した竜兵とは別で1頭の追跡監視担当の竜兵が張り付き留まっており、それを目印に竜王はカッ飛んで来ていた。

 

 ――油断大敵である。

 

(くそっ、移動が直線的に? 迂回すべきだったか。兎に角、一旦ここを離れないと)

 

 窮地のイビルアイが下す決断は、当然ラキュースを連れての即時離脱だ。竜王隊側の戦力が不明の今を考えるとそれしかない。

 遮蔽物があるので、塹壕上へ転移し、ラキュースを掴んだら〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉で、竜王からの最大攻撃封じに戦域中央側へ飛ぶ流れを描く。

 そんな考えの透ける人間の魔法詠唱者へ、ゼザリオルグが厳つい顔の目を細めて告げる。

 

「手抜きは終わりだ。俺だけで十分。今回は転移しようが逃がさねぇから、覚悟しろ」

「「――っ!!」」

 

 単身で乗り込んで来た竜王の言葉に、ラキュース達は恐怖する。どうやって追い掛けるのかは想像が付かない。しかし間違いなく、仲間を殺した者への報復の念を感じた。

 そして巨体が動き出す。竜王の最初の狙いは塹壕内に居たラキュースへ向いていた。

 

「まず、そっちから死んどけ」

 

 逃げ場の狭い彼女に超高速で強烈な尻尾の打撃が襲い掛かる。

 だがそれは、ラキュースには当たらなかった。

 

 吹っ飛んだのは〈上位不可視化〉で護衛中のハンゾウ―――と、イビルアイ。

 

 当然、竜王の狙いは()()()()仲間の傍へ転移系で現れるはずの、魔法詠唱者(イビルアイ)であった。同時に居るだろう『なにか』も纏めてだ。

 既に竜王は、『なにか』の登場タイミングをほぼ掴みかけていた。その上で、人間の魔法詠唱者が〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉で現れる刹那を完璧に狙ったのだ。

 竜王の尻尾がラキュースに当たると思い、不可視化中のハンゾウは忍術〈不動金剛盾〉で受けようと移動。しかし攻撃は、現れたイビルアイへ急転換したため咄嗟でフォローに入ったハンゾウは受け身をほぼ取れずモロに受けてしまう。

 ハンゾウは前回負傷時、数百メートル飛ばされるも何とか空中で留まったが、今回は砲弾のように林の木々を30本以上折り、林を抜けて約300メートルも灰の積もった大地を転がった所で倒れた。だが周囲の焼け跡の影に溶け、姿を消す。惨状は『衝撃波の跡』という光景で見えていた。

 一方、同時にイビルアイも衝撃は流し切れず、巻き添えを受けた状態となってしまった。

 仮面の少女は、まるでホームランをかっ飛ばした時のボールのように飛ばされたあと、林外傍のひらけた地面へ転がった。地上へぶつかった衝撃で仮面が外れて今、彼女はうつ伏せのまま素の横顔を晒していた。手足が変な方向を向いている風にも見える。

 宙に舞う竜王は上空から余裕を見せ近付く。

 

「ははっ、少しは頑丈じゃねぇか、魔法詠唱者。普通の人間は(かす)っただけでもグチャグチャだぞ」

 

 竜王は、先の衝撃でバラバラに飛び散らなかったこの人間の丈夫さに賛辞を贈った。

 面倒な『なにか』と転移系魔法使いを一緒に封じた形となり、竜王様はご機嫌だ。

 ゼザリオルグにとって魔剣使いの方は、所詮魔剣を最大限に使い熟せない小物と考えている。

 また、先の竜王の「転移しようが逃がさねぇ」という言葉は別にブラフでもない。あの謎の『ナニカ』への対抗策にやむなく、絶対に嫌ではあるが()()()()を出す場合、不可能ではない。

 〈転移(テレポーテーション)〉は無理だが、距離の短い第3位階魔法の〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉程度なら〈超翼〉で追撃は可能なのだ。

 上空で高(わら)う竜王に痛々しく地面に転がった仲間を見下ろされ、追い込まれたラキュースは唇を噛みしめる。

 

「(イビルアイっ!)くっ……(今、あの人を失えば昼間の竜王への対抗手段が厳しくなる)」

 

 ティアとティナは夜間なら竜王に対抗出来る。イビルアイも魔力量が満タン時なら一味違う。

 ガガーランはそんなみんなを上手く率いてくれるはず。リグリットも(いま)だ健在だ。

 それに。

 

(私はみんなのリーダー。やっぱり仲間は守らないとね――何としても)

 

 ラキュースは懐から急ぎ、小瓶を取り出す。

 それは裏で仕入れた()()()()()()()。持続時間は20時間程という代物。

 しかし、副作用が厳しい――恐らく酷い後遺症が伴う――という。身体不全で冒険者を引退する事になるかもしれない。

 でもこのままでは竜王に2人とも殺される未来しかない。

 

(そんなことは、私の冒険者生命を賭けてでもさせはしないわっ! イビルアイは絶対に助けてみせるから)

 

 彼女は栓を開けると躊躇うことなく小瓶の中身を全部飲み干した。

 

 竜王は、まだ()()()()()()()人間の魔法詠唱者へ止めを差しに上空より近付いてゆく。

 

(コイツ、人間の分際で俺様を散々おちょくってくれたよなぁ。俺の隊の配下も死んだ。単に火炎で灰にするのでは手ぬるすぎだぜ。握り潰してミンチにして宿営地の奴隷共の晩飯に食わせてアゲル)

 

 元々人類への怒りに満ちるゼザリオルグだから尚、この6日間の怒りは並々ならない。

 竜王は人間の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が無様に転がる地上へゆっくりと降り立った。

 そして近付き今、右前足を伸ばして死に掛けの奴を掴もうとしたその瞬間――。

 

 

「―――〈  龍    雷  (ドラゴン・ライトニング)〉ーーっ!」

 

 

 イビルアイの左手から彼女の誇る最大最強の攻撃魔法が、竜王の伸ばして来た前足の指先の間を抜けるように、竜王の目を狙って5メートル程の超近距離で放たれた。

 

「なにぃ!? うおぉぉ」

 

 それは完全に不意を突いており、僅かな距離から確実に竜王の顔面へと直撃した。

 竜王は慌てて顔を抑えつつ、後ろへ数歩下がるも(つまづ)き転ぶ。竜王の20メートルは優にあろうかという巨体が大地をズシンと振動させて倒れた。

 

「うっ、ガハッ。どう……だ、この()()っ」

 

 血を吐きながらも、膝に手を当ててズタボロの身体(からだ)を起こし立ち上がった、素顔に紅い瞳を光らせるイビルアイ。

 折れていたはずの手足は、残った魔力量を消費しながら再生治癒し始めていた。

 

 そう、彼女はアンデッドの吸血姫(ヴァンパイア・プリンセス)

 

 首や腰や四肢と内臓が潰されたぐらいでは死なない、不死身の体である。痛いけれど。

 そして、ヤラレたらヤリ返す。それが、たとえ最後は勝てないと彼女自身が知っていてもっ。

 嘗て十三英雄らと肩を並べ共に戦った一員として、竜王へ一太刀浴びせてみせた。

 しかし最大魔法まで使ってしまい、魔力量はほぼ底を突く。

 

(ふっ、流石に限界か)

 

 ぐらつきつつ歩き近くの仮面を拾い上げた彼女は、早くも立ち上がってきた竜王を見上げた。

 厳つい竜顔へ僅かに焦げ跡が見えるも、竜王の瞬きの方が早く、目にダメージは与えられなかった模様。

 勿論、更にヤツの怒りの炎へ油を注いだのは語るまでもない。

 

「テメェ、よくもやってくれたな。それに、その紅い瞳と回復力――人間じゃねぇんだな。

吸血鬼(ヴァンパイア)か。どおりで頑丈なわけだ。脆弱で罪深い人間共に手ぇ貸すなんて愚かな選択しやがって」

 

 ゼザリオルグには理解出来ない。多くの種族を殺戮した八欲王側の人類になど味方する考えが。

 対して、人類側としてやり切った感が、再び今()えて仮面を付けるイビルアイに竜王へ堂々と言い返させる。

 

「竜王には関係ない。こっちの事情だ。さあ掛かって来れば?」

 

 彼女は元人間である。やむなく吸血鬼の身体に変わってしまったが、人間達を恨む要素は特にない。無論、素のままだと差別的な扱いはされるので、常時指輪や仮面を付けているけれど。

 幸い、竜王の攻撃で派手にふっ飛ばされ陣地から離れた事で、周囲に王国軍兵はおらずイビルアイの秘密はここでバレず助かった。人間の一人としてまだ戦える。

 そんな彼女だが、既に仕掛ける程の余裕はない状態だ。

 まだフラついて歩ける程度しか回復出来ていなかった。最期の意地として仁王立ちして睨み付けているのである。

 ゼザリオルグとしては最早、吸血鬼だろうが許す気などない。宿営地の奴隷人間らに、共食いをさせる楽しみも消え、消し炭にするのに躊躇いもない。

 

「じゃあ、吸血鬼らしく灰と化して死ね。全力火炎(フルフレイム)――」

「――受けよ、魔竜っ!」

 

 その時、竜王の後方から〈全力火炎砲(フルフレイムバスター)〉の声を遮って、高らかに英雄願望者の正義の声が轟く。

 

 

「超技! 超 暗 黒 刃 破 壊 斬(メガダークブレードブレイク) ゥーーっ!!」

 

 

 異質な活力にあふれた()()()超攻撃が炸裂したっ。

 技名に関し例のノートに書き溜めていた単語を即興で組み上げたのはナイショ。本人のラキュースも一応、ノリノリである。

 だが、ソレだけでもない。

 魔剣キリネイラムに帯びた無属性エネルギーの()()()が、高周波ブレードのように竜王の超絶強固な体すら削り斬る。

 竜王の背中に長く、竜王鱗と超剛筋肉を切り裂き一閃の筋が煌めいた。裂けた痛みがゼザリオルグを襲う。

 

「グオァぁぁーーーっ。な、何だ!?」

 

 長い首で振り返ったゼザリオルグの目には、魔剣を両手で握った先のドウデモイイはずの人間が居た。

 竜王がダメージを受けている。それも、脆弱と考えていた人間剣士風情にである。

 

(馬鹿な……今の威力の感覚、コイツ、難度が()()()()()上がってねぇか?!)

 

 これまでの6日間、この人間の一撃で竜王鱗が両断された事は皆無。それなのに今、明らかに竜王鱗を断ち超剛筋肉を数十センチの深さまで斬り込んで、尊い竜王の血を流させていた。

 

「(一体、どうなってやがる)いてぇんだよ、クソがぁぁ!」

 

 竜王は、強烈な尻尾の一撃で人間を薙ぎ払いにいく。

 それをラキュースは、なんと剣で一瞬受けると横へと威力ごと尻尾を流してみせたのである。

 

「っ?!」

 

 有り得ない光景に、竜王だけでなくイビルアイも驚愕する。

 

「ラキュースっ!? えっ、ウソぉ(一瞬受けるとか……って、まさか)」

 

 イビルアイはここでラキュースの見せる異常さの秘密に思い当った。

 

(裏で仕入れたっていう特別強化薬(アレ)か。にしても、どれだけ効いてるのか)

 

 普通の強化薬では有り得ない変化。個人差を考えても異常に思える水準だ。

 剣士の脅威度が上がったことで、竜王は吸血鬼から魔剣を持つ人間の方へと素早く体を向けると羽ばたき、空中へ舞い上がる。

 巻き起こった強い風に負けることなく、ラキュースは竜王を睨みつけていた――。

 

* * *

 

 彼女は小瓶の薬を飲んで、10秒ほどで倒れる。突然、力が抜けたのだ。

 そして激痛が襲って来た。更に喉から全身へ焼ける様な痛みも。

 

(くっ。こ、これは毒じゃ……………一体……って、あら?)

 

 急に痛みが引いてゆく。そしてラキュースは、自分の全身へ起こりつつある変化に気が付く。

 

(えっ……まさか、この感じって)

 

 それは、神官にはあるまじき――()()()な力の波導であった……。

 5本の小瓶の内、1本だけ『神聖者向け』などと書かれたレーベルが張られていたのだが。

 どうやら禍々しい魔物的な要素を利用した(いにしえ)の複合強化薬の模様。

 

(騙された……?)

 

 まずそう考えたのだが……以外に体の感覚が軽かった。力も増している様な感覚。

 本来、神聖者に悪魔的波導は劇物以外の何物でもない。ところが、どうも相反作用が力へと全転換されている風に感じるのだ。

 まだ握りしめていた小瓶のレーベルをもう一度よく見てみる。

 

(……効果には個人差があります、か)

 

 モノは言い様。もう全部飲み干してしまったものは仕方がない。そして時間もない。

 イビルアイが危ないのだ。ラキュースは塹壕から飛び出すと駆け出した――。

 

* * *

 

 そうして現在、『蒼の薔薇』のリーダーは会心の新必殺技を一太刀浴びせ竜王と対峙する。

 仲間の危機に、無我夢中で攻撃しただけのラキュースは、自分自身の(パワー)が信じられない。

 

(竜王の鱗を切り裂いて、怪我を負わせただなんて……)

 

 『蒼の薔薇』5人で何をどうやっても鱗を突破出来なかったのに、一撃である。

 彼女自身、一体どうなっているのか良く分かっていない状態だ。

 それでも使う魔剣の切れ味が上がっている事だけは確実だ。今はそれで十分と言える。

 一瞬、『もしかすると竜王を倒せないか』とも考えたが、兎に角、今すべき最優先はイビルアイを逃がす事だと冷静に決める。

 怪しい薬を使っている最中であり、都合よく欲張るのは危険すぎるとも思えた。

 竜王討伐は、イビルアイを逃がしたあとでも試す事は出来るのだからと……。

 一方、空中に上がったゼザリオルグは唐突な現状を考える。

 

(くそっ。あの人間の剣士め、魔剣が突然使えるようになってんじゃねぇかっ。鱗や爪では流して受けねぇとまともに受けりゃ斬られるな。接近戦がやり辛くなりやがった)

 

 折角、『なにか』と魔法詠唱者の吸血鬼を無力化出来て上機嫌だったというのに、随分と台無しである。

 しかし怒りつつも竜王は冷静だ。

 

(今回、俺だけで来て正解だったぜ。ノブナーガでもあの魔剣の切れ味だと、翼を切り落とされたかもしれねぇところだ)

 

 確かに傷を負ったのは驚きだが、竜王ゼザリオルグにすれば所詮まだかすり傷に過ぎない。

 あの一撃は剣士のほぼ全力と見ている。

 

(フン……やっぱ、やられっぱなしってのも面白くねぇよなぁ)

 

 竜王も意外に負けず嫌いであった……。

 人間の剣士を睨むと、厳つい顔の口許を緩めた。そして告げる。

 

「俺を傷付けるとは中々の魔剣だな人間。いいだろう――地上に降りて接近戦で勝負してやるぜ。その仲間の魔力が溜まるのが先か、お前が死ぬのが先か勝負といこうじゃねぇか」

 

 『ナニカ』がまだ出て来ていない事も竜王の頭にはあった。

 昨日現れし老いた人間が一番の危険度とはいえ、この剣士も忍術使いの人間を尻尾攻撃から逃がした時には居なかった。あの時は完璧に弾かれた点からすれば、(パワー)不足と思えるが可能性はゼロじゃない。

 ちなみに当の『ナニカ』は現在、主人の周辺警戒をしつつも優先事項の同好会活動に忙しい。三つ子姉妹の鑑賞に夢中でニヤニヤしている最中……。

 ゼザリオルグは、とりあえず勝負を少し楽しむように再び高度をゆっくりと下げ始めた。

 ラキュースとしては「勝負を受ける」なんて返していないのだが、断われるものでもなく受けて立つしかない状況だ。

 イビルアイは、リーダーへ「逃げろ」と言いたいが自分が回復するまで、今のラキュースでも竜王から逃げ果せるのは難しく思えた。

 そもそも、覚悟を決めて薬を飲んだラキュースは逃げないだろうし、竜王にはまだ火炎砲という武器もある。

 竜王は降り立つと、全く待たずに後ろ足で二足歩行し軽快に距離を詰め、ラキュースへと前足の爪で猛然と襲い掛かる。身長差から遠目で見ると、完全に地面を擦るような攻撃だ。

 

「おら、おらっ! どうした、人間?」

 

 先程は不意を突かれ面食らっただけで、巨体の割に竜王の素早い動きは相当なものである。

 ハッキリ言ってアダマンタイト級冒険者達よりも断然早い。

 それを強化薬服用のラキュースがより低い体勢で()い潜り魔剣で応戦する。そして前に出ている鳥脚タイプの竜王の後ろ足を狙い、踏み込んで斬り込んだ。

 斬撃が当たりそうなところも、竜王は尻尾での下からの軽い跳ね上げで剣を浮かすと、前足での強烈で鋭いフックのような爪攻撃を飛ばしていく。

 竜王の攻撃は、巨体とその超剛筋力から繰り出さるもので、速いだけでなくどれも桁外れに重たい。

 真面に受けたら強化していようとラキュースは終わる。

 

「くっ、はぁっ、せぃっ!」

 

 右からの爪フックを剣を寝かせて受け流し、左からの前足攻撃も反り返るようなスウェーイングで躱し、再度斬り込んでいく。

 竜王は、上体が泳ぐも尻尾で魔剣を上手く弾く。

 お互いに下がらず、攻撃の当たる間合いの距離で3分程斬り合うと、一旦互いに下がり距離を置いた。

 様子を窺う段階の竜王は、圧倒的な体力を背景に全く疲れが見えない。

 対して、軽快すぎる自分の体の動きと体調に慣れないラキュースは、ペース配分が掴めず上手く力を抜けないことから息が上がり掛けていた。

 

(うぅ、マズいわ。早く自分のペースを知らないと)

 

 イビルアイの体調と魔力量の回復を考えれば1時間は必要だろう。

 逃げ果せるのを考えれば〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉だけでも10回分ぐらいは溜めなければ意味がないのだ。

 必要な残り時間を考えると絶望しそうになる。

 しかし――英雄を目指す彼女に『諦め』の二文字は対極の言葉。

 彼女はここまでずっと使いどころを考え、常時屈折化のローブ下に6枚重ねて纏め隠す様にしていた『浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)』をローブ外に展開すると再び果敢に踏み込んでいく。

 

「はぁぁぁーーーっ! 一 斉 全 力 射 出(オールソーズ・フルファイアー) っ!」

 

 6本全発射し、彼女は初見の手数を増やして、竜王を翻弄するのが狙い。

 脅威度不明の素早い刺突攻撃に、両前足と尻尾に両翼も使い弾かざるを得ない竜王の間合いへ深く一歩を踏む混んだラキュースは、構わず全力攻撃に出る。

 

超 暗 黒 刃 破 壊 斬(メガ・ダークブレードブレイク) ゥーーっ!!」

 

 左袈裟懸けに振り下ろしていく。

 狙うのは当然、地上での機動力を生み出している後ろ足だ。若干前に出ている右では無く、今体重が掛かっている奥の左足を狙う。

 しかし、竜王は下がれないその左足一本で「おっと」と上へ飛んで足を延ばし斬撃軌道を躱す。その動きも読んでいたラキュースは、両手首を急速に返し素早く右下からの切り上げで攻撃力を持たせたまま斬り返す。長い魔剣の剣先部分が前に出ていた、踵にも見える右足つま先裏部分を斬り込んでいた。

 

「「チィッ」」

 

 両者からの同時の舌打ちが響く。

 斬られた竜王は兎も角、ラキュースは大した傷を付けられなかった為だ。

 剣士を飛び越えて機敏に着地したゼザリオルグは、振り返ったラキュースへ向かって突進する。

 短い距離で長い首を槍のように真っ直ぐ下げ、あっという間にその固い竜頭をぶつけて来た。

 

「ウラァァーーッ!」

 

 ラキュースは振りかぶる動作がほぼ出来ず、剣を盾にする形で受け止めるぐらしか出来ない。傍へと戻ってきている『浮遊する剣群』も盾にはならない。

 恐るべき竜王の瞬発力と激突の衝撃で、人間剣士が跳ね飛ばされる。

 

(くぅぅぅ、(ドラゴン)って地上でもこんなに素早くて攻撃が多彩なの?!)

 

 単に巨体から力任せで、両手や尻尾を適当に振り回してくる程度か、なんてとんでもない。

 困惑しつつラキュースは、勢いよく転がされる途中に手を突き反動で起きあがると、依然後ろへ流されるところを両足で踏ん張り地面へ線を引きながら制動を掛けて止まる。

 ゼザリオルグの指示もあり、竜王軍団側はこの戦争の基本戦術を空中戦に絞っていた。空中ではホバーリングからの、急上昇や急降下後の急旋回を交えた形での接近が主流。

 そういった一連の動きの見た目を踏まえラキュースは、竜達が地上戦が不慣れと思いきや、陸でも強い蜥蜴人(リザードマン)的動き以上と考えるべきかと敵を睨む。

 まあ竜王ゼザリオルグは、人の動きを熟知していて少し特殊なのだが。

 

(フン。やっぱコイツなんて、頑張ってもこの程度の弱さしかねぇんだよな)

 

 再度傷を付けたのを評価しつつも竜王としては、数日見ているこの剣士はやはり例のヤツとは違うと考えた。この人間を『ナニカ』かもと思い観察しているが、自分の今のぶちかましにも完全に吹っ飛んでおり、ゼザリオルグとしては、先の尻尾攻撃を完璧に壁の如くはじき返したヤツの力量とは程遠いとしか思えない。

 最強種の眼光の先に剣士が立ち上がってみせるも、攻撃はかなり効いている様子。

 竜王の右足のつま先裏は少しチカチカ痛みもして気になるが、腱を斬られたわけでもなく足先でもないので動きにはまださほど影響せず。

 

「(ケッ、この勝負も先が見えてんな……つまらん)どうした人間、もう来ないのかよ。調子に乗って斬り込んで来たにしては、全くだらしないぜ?」

「……ハァハァ……くっ」

 

 ラキュースは打撲の負傷と全身の疲労で息が相当上がって来ていた。

 

(息を整えて、まずはあの足を止めないと)

 

 竜王からの言いたい放題の言葉にも反論せず、その時間さえも反撃への備えに充当する。

 しかし、今の戦闘の感じで首まで伸ばされると、敵の足元までの距離は果てしなく開く。

 そもそも竜王は巨体で間合いが人間などより何倍も遠いのだ。

 

(どうする)

 

 何か、竜王の気を大きく逸らす技を見せる必要があるのだが、先の『浮遊する剣群』は見せてしまった。二度目だと、竜王鱗を突破出来ないことは考慮されるに違いなく、こちらの魔剣による接近攻撃への対処が最優先されるだろう。

 一瞬の迷いを見せる人間へ、竜王の方が先に動いたのは余裕と勢いのある者からの流れだ。

 

「ふっ、無駄だ。オメエ程度が何しても結果は変わらねぇぜ。もう―――死んどけや」

 

 ゼザリオルグは勝利を確信したように、言葉を叩きつけて迫り来る。最早前掛かりに、矮小な剣士の肩口へ狙いを定め、素早い前足の爪攻撃がうなりを上げ襲い掛かった。

 その俊速の動きへ僅かに初動が出遅れたラキュース。

 

(―――っ、間に合わない)

 

 ダメ元で、魔剣を全力で振り、爪攻撃への撃ち落としに出ようとした。

 すると同時に、既に宙を駆けるイビルアイの声が上がる。

 

「ラキュース! 隙は私が作るっ」

 

 仮面の吸血鬼は魔力回復よりもこの一瞬、攻撃を優先し協力しての攻めに出た。彼女もラキュースの窮地と切望に気付いたのである。

 竜王の尻尾を警戒して距離を測りつつ、背中側の左から右方向へ〈飛行(フライ)〉で素早く蛇行しすり抜けながらぶっ放す。

 

「〈魔 法 抵 抗 突 破(ペネトレートマジック)部  位  石  化(リージョン・ペトリフィケーション)〉っ!」

 

 普通に考えれば、石化魔法も竜王鱗に覆われた竜王に通じるとは思えない、しかし。

 

「ぐぁあ、な、なんだコリァっ?」

 

 ゼザリオルグは()()()強烈な違和感を感じ一瞬仰け反り、動きが大きく鈍った。

 何かが、背中に長く走っていた傷口を僅かに押し開いたのだ。

 そう、石化されたのは竜王が流して固まり掛けていた中途半端な血の半凝固物である。流したての血は、素材としても特殊で容器に入れれば強い耐性もあり固まる事はない。

 けれども、竜体の傷を癒す段階において鱗の変わりの瘡蓋(人間では血小板血栓)として、少し弱い物質へと変化を起こす。それが完了する前は更に弱い不安定な物質なのである。

 これはイビルアイが250年以上生き、十三英雄達との共闘という立場での冒険譚の中で得た大切な知識の一つだ――。

 『蒼の薔薇』のリーダーはこの千歳一隅の好機を逃さない。今持てる全てのエネルギーをこの攻撃に込め、竜王の懐へ深く飛び込みながら渾身の一刀を放つ。

 

 

「おおおっ、爆ぜろ私の英雄魂っ! ()()()() 究極全開(ギガ) () 暗 黒 刃 雷 破 斬(ダークブレードライトニングブレイク) ゥーーっ!!」

 

 

 魔剣の放つ漆黒の真の無属性の刃へ、魔界の紫光の雷撃威力をも纏う強力な破壊斬撃。

 ネーミングについてはこれでも、彼女が刹那の時間で懸命に考え付けられたものだっ。

 英雄を目指す彼女の斬り込んだ自身渾身の一撃は勇気に満ちて、竜王の右足膝横の腱へ向かい振り下ろされた。

 

「――!」

 

 だが次の瞬間―――ラキュースは強烈な衝撃を受けて魔剣ごと天高く吹っ飛ばされていた……。

 

 竜王の途轍もない()()()()()が魔剣の一撃の威力ごと蹴り上げていたのである。

 ラキュースの体は圧倒的な衝撃により致命的なダメージを受け、彼女の精神も――すでに燃え尽きていた。

 

(とても(かな)わない……ごめんなさい、イビルアイ……みんな………………ゴウン殿……)

 

 1キロ程も飛ばされ、灰にうずまる地面に落ちたラキュースが竜王へ向かい立つことは二度となかった。

 対する煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)は膝の鱗が割れ僅かに出血していたがその程度の傷。

 

「ラキュース……」

 

 唖然とする愚かな吸血鬼の魔法詠唱者へ、ゼザリオルグが高い首の上から見下(みくだ)(あざわら) う。

 

「愚か者め、図に乗り過ぎだ。あの魔剣でもテメエら弱者程度じゃ、戦いの結果はまあこんなもんだろ?」

 

 ゼザリオルグは、間に合わないと見るや狙われた脚部を咄嗟に動かし、竜気を僅かに漲らせ膝で蹴り上げ攻撃ごと粉砕してみせたのだ。

 正に圧倒的な(パワー)の存在である。

 

「さて吸血鬼、次はお前の死ぬ番だな」

「……」

 

 魔力量の尽きた(ふう)の仮面姿のイビルアイは、無言でうな垂れるしかない。

 竜王は空へと舞い上がり地上に立つ吸血鬼を見下ろすと、今度こそ灰にすべく満を持して撃つ。

 

「――〈全 力 火 炎 砲(フルフレイムバスター)〉」

 

 最大の火炎砲ではないが、漆黒聖典の『隊長』ですら避ける必要があった攻撃。灰にするならこれの直撃だけでも相応の威力であった。一応『ナニカ』への手として最大攻撃は残している形だ。

 竜王に油断は無かった。

 

 ラキュース達の戦いは、先の陣地の王国軍兵士達が遠方から固唾を飲んで見ていた。

 だが、リーダーのラキュースらしき剣士が大きく空へと、ローブ類が遠心力で捲れ上がり大の字でゴミの様に回転しながら舞ったあと、視界から点の様に小さく霞み遥か遠方地に落ちていった。間もなく巨体の竜王が上空へと舞い上がり火炎砲を地上へぶっ放すと遠く飛び去って行く姿を目撃する。

 

「あぁぁ………。……負けた?」

「ラキュース様……、くっ。もう……俺達は終わり、だ」

 

 兵士達は、今見たその事実に驚愕し、希望の星堕ちて涙し、王国の未来にも挫折し掛けていた。

 陣地からは、ここで起こった一大事を知らせる火急の伝令兵が悲壮な表情で駆け出して行く。

 

 

 今、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)の前に、アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』は事実上敗れ去ったのである――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 王の傍へ立つ王国戦士長ガゼフ・ストロノーフは、真上からではなく比較的近場へ響いたかの振動を微かに感じた。幸い、王国総軍の最重要拠点であるこの地下指令所は一部、巨岩をもくり抜いており地上からの圧力で潰される心配はまずない。

 地下なので本来、時間の流れを掴みにくいが、彼は室内の棚へ置かれた時計で午後5時を回った辺りと確認した。変事への報告には何時頃かは重要であり、反射的に記憶したに過ぎない。

 だが間もなく、ランポッサIII世陛下の座す『王の間』に強張った表情の近衛騎士が駆け込む。

 入室時に一礼し、陛下に無用な用向きへの配慮か、まず百騎士長の下へ近寄り何事かを語る。

 すると騎士長の顔も大きく変化を見せた。非常に一大事という顔である。その彼の視線は気が付けば()()()()()()()()王国戦士長へと向けられていた。

 そこでガゼフは尋ねる。

 

「騎士長殿、何か?」

 

 これ以上、伏せていても近衛騎士達だけで状況は変えられないと考えたのか、騎士長が長机の一席に座るランポッサIII世へ向かい跪き告げる。

 

「陛下、緊急事にて恐れながら申し上げます」

「何事か?」

 

 朝から戦況悪化の報告が続いている所為もあるのだろう。今更という一応落ち着いた雰囲気の顔を向けて、国王は続きを催促した。

 騎士長は視線を下げたまま伝える。

 

「竜兵2頭がここから間近へ降下し、近衛部隊と交戦に入ったとのこと」

「「――!」」

 

 もしやと予見していたガゼフは眉間に小さく皺を寄せ厳しい表情へ変わり、ランポッサIII世は息を飲む表情で固まった。

 そして続報は、というその機へ合わせたかのように今、一報を携え近衛騎士が現れる。

 

「申し上げますっ。地上の近衛部隊は現在、2匹の竜兵とここより北約400メートルの距離で全力交戦中。ですが竜達の強さは圧倒的であり防ぎ切れておりません。恐らく十竜長水準ではとの判断も出ております。陣地経由でこちらへも到達の可能性があります。近衛騎士団長より急ぎご対応を、との事でございます」

 

 既に脱出の検討を願う進言であるが、国王はこの場から動かない事を王国戦士長のガゼフは理解していた。それにこのまま放っておけば、指令所周辺を守る300名しかいない近衛隊が早期に全滅しかねない。

 そうなると先に取る手は一つ――。

 決意のガゼフは己の主君へと申し出る。

 

「陛下、ここは私の隊が地上へ出撃し対処いたしたく思います」

 

 正直、この狭い地下空間で全力を出せば、国王をも巻き込みかねない為、ガゼフは初めから迎え撃つなら当然地上だという考えでいた。

 国王は信頼を置く己の剣の如き忠臣へ問う。

 

「戦士長よ、相手は竜長水準と聞くが」

 

 不安ながらも、「勝てるのか」とまでは口にせず。戦士長を強く信じている意味でも。

 実際、何事もやってみなければ分からない。あの大臣が和平交渉で生きて帰ってきたように。

 

「陛下、ご安心ください。このように王家の宝物をお借りしております。私は負けません。必ずや陛下をお守りいたします」

「……頼んだぞ、戦士長」

「はっ」

 

 今回の大戦の出陣に際し、国王は国家に伝わる五宝物の4つを持参している。

 王都出陣の直後、ガゼフがユリの件で幸せボケを咬ましリットン伯爵の隊列に紛れ翌朝、正気に返って一騎駆けで戻った折、行方不明を心配した国王が早めに装備させていた。本当は地下総指令所に着いてからということだったが……。

 故にガゼフへは今、王家の4宝物が貸し出されており全て身に着けている。

 赤茶の、致命攻撃を避ける守護の鎧(ガーディアン)と疲労無効化の活力の籠手(ガントレット・オブ・ヴァイタリティ)に、体力を常時微回復する不滅の護符(アミュレット・オブ・イモータル)、そして特殊効果を無効化し斬る剃刀の刃(レイザーエッジ)

 

 程なく、常時臨戦待機に入っていた王国戦士騎馬隊の隊員達40名程と地上へと出撃したガゼフは、出口を出て早くも夏の空気へ混ざる異常な熱風を感じた。

 幸い、まだ300メートル以上は距離があり、この場が見つかった訳ではない状況。

 隊員達は馬には乗らず己の足で隊長のガゼフに続き駆け出していく。軍馬達も竜の恐ろしさは知っており、余り言う事を聞いてくれないためだ。

 大貴族の指揮官馬や伝令等では気の強い馬も使われるが、そんな馬は稀である。

 戦闘域に入ると強烈な炎を帯びた風が吹き荒れていた。2匹の竜兵は上空から火炎砲を何度も撃ちまくっている。

 ガゼフは早くも、〈能力向上〉などの武技で肉体強化などを行い剃刀の刃(レイザーエッジ)を右手に構え、隊員達へ伝える。

 

「そちらの隊は向こうの竜を頼むっ。我々はこちらの竜を引き離す様に動く。固まるなよ、的になる。さあ、1匹ずつ倒すぞっ」

「「「おおーーっ!」」」

 

 王国戦士隊は2つに分かれて、ガゼフを主力に各個撃破の動きを始めた。

 

 

 王国総軍と竜軍団の開戦以来、ユリ・アルファはフル装備の戦闘メイド服に身を包み、国王の陣地の傍でずっと保護対象であるガゼフ・ストロノーフの護衛に就いている。

 開戦初日はハンゾウも居たのだが、彼は『蒼の薔薇』の援護役に移っており、今はユリ一人だ。

 国王の陣は戦域の激戦区から離れていたが、この場所へも広い戦場の各地で燃えた細かい灰が降り注いでいた。

 彼女の装備とその美しい夜会巻の髪へも薄く残る。幾度か落とす為に(はた)いたのだが、きりがない状況。魔法が使えれば楽なのだが、ユリは殆ど使えないので静かに耐えている。

 

(アインズ様直々に任された大切なボクの任務だもの)

 

 まずその責任的思いが強い。この身がどうなろうと御方からの任務を優先する事が正しい。

 彼女達NPCはそのための存在なのだから。

 それに時折連絡を頂くが、あの方自身も同じ戦場へ出ておられる。本当は戦闘メイドとして御側(おそば)を守り、ローブなどに降る灰を完璧に落として差し上げたいところ。

 だが今の任務は努力すれば早く終わる(たぐい)のものでは無い。粛々と熟すのみだ。今はソリュシャンが御側に付いているはずなので、心配は少し過剰だと思い直す。

 

(……ふぅ。さあボクも頑張らないと)

 

 そうしていると、周囲が少し騒がしい感じである。腰に剣を帯びる兵達が慌ただしくなり駆けている姿もちらほら見えた。

 続いて微振動に続き、割と近くで火炎が見え僅かな熱気が周囲に広がった。

 冷静なメイド姉状態へ思考は変わる。

 

(どうやら、竜の軍団の先兵がここまで来ましたか)

 

 ただ、この場でユリが守るべきは王国戦士長のみである。

 それ以外の例え、リ・エスティーゼ王国の国王ランポッサIII世であろうと助ける必要はない。

 この場を守る事も戦士長の部下達さえ守る義理もない。状況によっては彼を攫い離脱すれば、竜兵との交戦すら不要だ。

 でも彼女は属性が善でカルマ値が150の持ち主。非情行動には中々の辛さが伴う。

 

(……広い意味で考えれば、ストロノーフ様が戦わなくて済めば……。この場へ近寄る竜を全部倒してもいいような気もしますね)

 

 しかし、アインズからの指示では『戦士長をさり気なく守ってやってくれ』というもの。

 当初にハンゾウが居た事からも、派手に表で暴れる訳にはいかないと思い留まった。

 またソリュシャンが居ないので、相手の強さは自身で判断する必要もある。Lv.51の彼女単独では、最強装備での差分を考えてもLv.50以上の十竜長が相手だと互角に近くなり、うかつに出るのは結構厳しいと冷静に判断する。一応、暗黒魔力の回復アイテムは持っており、相手が疲弊すればこちらは体力を戻して有利にする手も有効のはずであるが。

 流石にLv.30以下の竜であれば、あっさりと倒せるとは思う。

 

(この先は状況次第で考えるべきでしょうね)

 

 ユリとしても最優先すべきは、ナザリック支配者の言葉である。此度の敵は数も多く、戦士長護衛以外で力を先に使ってしまうのは避けねばならない。

 遠くに人間達の悲鳴が聞こえる中で、場に留まりガゼフの動向だけをユリは追っていると、彼が隊員をつれて地上へと現れた。

 

「ストロノーフ様? 少し早いのでは」

 

 距離がまだある中での登場に、ユリは彼の人物を思う。

 

(知らせが2人程駆け込んでいたから、多分味方を想っての行動ですか。それに国王の傍で暴れる訳にもいかないのでしょう)

 

 ユリも護衛対象の彼を追い、静かに移動を始めた。

 

 ストロノーフの指示で二手に別れた戦士隊は、竜兵2頭を引き離す様に少数で別々に挑発して竜の周りを進む。

 だが、竜達は竜長水準で難度120を超えていた。早くも数名の王国戦士隊員が落命する。

 その犠牲に戦士長は自身が、より前へ出て立ち向かう。

 

「――くっ、流石は伝説になる(ドラゴン)、恐るべし。ならばっ、はぁぁっ―――〈六光連斬〉っ!」

 

 低空で暴れまわる巨大な敵の強さを読み、迷わず全力攻撃を振るい宙の竜兵に挑んでいった。

 並みの鎧など紙の如く切り裂く業物である剃刀の刃(レイザーエッジ)での6撃同時攻撃。

 それは強固な竜鱗を切り裂いて、竜の巨体へと6つの筋を付けてみせる。

 

「ギャァァァァーーーッ、やったな人間め」

 

 竜兵は肩から胸部へと突然の大きな痛みを覚えて咆哮すると、斬りつけた者を睨みつけて来た。

 その様子に周囲の近衛騎士部隊と戦士隊の面々からの歓声も混じり、戦場は一気に熱くなった。 しかし、ガゼフ本人の顔は冴えない。

 

「ぬぅっ(あれでも浅いというのか、途轍もない竜種の身体強度っ)」

 

 本気で斬りつけた懐への攻撃に、竜兵の傷は致命傷へ程遠かったのだ。

 初めての竜との対戦の際、剣豪のアルベリオンが感じた恐れと同じものである。

 更に、この剃刀の刃(レイザーエッジ)は嘗て、アベリオン丘陵から王国の南に現れた怪物(モンスター)達を討伐した折に、〈不落要塞〉の使い手を切り捨てた事もある剣。

 だが、天然の分厚い肉体が生み出す頑強さを突破するには、やはり剣の使い手側の(パワー)が必要なのだ。

 竜兵の口が空中の戦士長へと向きそうになるも、戦士隊員らが弓で竜兵の目の部分へと集中攻撃しその隙にガゼフは地上へ降りる。彼は直ぐに地を駆け左後方へ回ると、続けて高く舞い竜翼へと〈流水加速〉での斬撃を浴びせる。

 

(まずは地上に落とさないと着地を狙われるっ)

 

 だが、薄い様に見えて翼も細かい鱗質の皮で守られており、破り取るには程遠いかすり傷を負わして終わる。

 

「……何と言う頑丈さか。正に御伽話だな」

 

 眼前の個体も竜長水準ということで相当の難度が予想される一方で、こんな竜種が北側の主戦場には数百匹居るという現実。王国の全軍が壊滅的戦況になるのも無理はないと彼も納得がいく。

 

(これでは一般の兵達だと、確かに時間稼ぎが精一杯になるだろう)

 

 今回の大戦、余りに常識外で広域に兵力を分散していたが、レエブン候の取った戦術は現状で取れる最大限の作戦だったと改めて気付く。

 しかし、総軍の戦況も予想通りにすり潰されていく形が進んでいる。攻撃担当の冒険者達にしてもアルベリオンの死と、オリハルコン級冒険者部隊さえ半壊気味だ。上位以下の冒険者達も多くが死亡や負傷で前線から脱落していた。

 

 それでもまだ、王国戦士長は残された一筋の眩しい光に期待している。

 

(――ゴウン殿。俺は、貴殿を信じているっ)

 

 大きく追い詰められた現状でも、ストロノーフの心は折れずに渾身の刃を振るった。

 

 王国戦士隊が参加し20分程が経過するも、ガゼフ達は未だ竜兵を倒せずにいた。

 彼は〈急所感知〉を使用し、眼球、口内、頭部下の首筋や細めの前足の脇下内側付近も弱点として見えたが、簡単に攻撃できる訳もない。傷を負わせ引き付ける事で足止めは出来ていたが。

 ユリとしては、ストロノーフと王国戦士隊員が各所にいるため中々手が出しにくい。

 なので戦士長の負荷を下げるべく、さり気なく彼の居ない方の竜兵の腹へ〈発勁〉を2発叩き込んでかなり弱らせていた。全員の死角を縫う僅かな隙に、Lv.40台の竜が「ウゥッ」と一撃で唸る程の威力で……。

 

(今はこれぐらいしか出来ませんね)

 

 勤勉なメイドの彼女は控えめに動いていた。

 するとそこへ、新たに1頭の(ドラゴン)が現れる――。

 登場した竜の強さは、先の竜兵2頭を優に超えていた。人間達はその存在を知るよしは無かったが、百竜長3頭に次ぐ強さを誇る難度165の十竜長筆頭の個体であった……。

 奴が挨拶代わりで放った火炎砲により、僅か一発で3つの近衛騎士の小隊が消滅した。

 王国戦士長も、その破壊力を目の当たりにし、奥歯を強く噛みしめ驚愕する。

 

「うっ……(先の2匹よりも上だ。見た事の無い圧倒的な攻撃力っ。糞!)」

 

 ガゼフとは距離で100メートル以上あったが、奴の火炎により、周辺は一瞬で焼けつくような戦場へと変わった。

 戦士長は怯まず即断し、単身でその脅威すぎる個体へと先制すべく果敢に斬り込んていく。

 

「はぁぁぁーーーーーっ、〈六光連斬〉!」

 

 ストロノーフ渾身の武技による全力攻撃はその怪物にも見事届いた。竜鱗が斬り裂けてゆく。

 ――しかし、十竜長筆頭には浅すぎた。

 奴の殺気滾る視線が矮小なニンゲンの戦士を捉えると、機敏な羽ばたきの空中姿勢転換と移動を見せて一瞬で標的への接近を図り、ゴミを前足の爪で思い切り斬り捨てた。

 ガゼフは、恐るべき威力の爪の斬撃を咄嗟に剃刀の刃(レイザーエッジ)で受けたが、支えの無い空中である。

 全威力を叩きつけられ、王国戦士長はピンポン玉の様に地面へぶつかり跳ねた――。

 

「ゴハっ」

「「「隊長ーーーーーーーーーーーーっ!!」」」

 

 再度地に落ち転がったガゼフに、王国戦士達の悲痛な声が響く。だが、それで事は終わらない。

 無論、ガゼフは立ち上がっていた。痛々しく剃刀の刃(レイザーエッジ)を杖代わりにして。

 彼の口許からは鮮血が流れていく。

 

「くっ(マズい……左肋骨全部と右足が折れ、腰にヒビと(むね)をやられたか……)」

 

 腰の小袋から小瓶を取り出し青い液体の下級治療薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)を一気に煽る。身に着ける王家の宝物類でも、重傷の回復には時間が掛かるのだ。

 この薬は造られて間もない治療薬である。ただし〈保存(プリザベイション)〉は掛かっていない。元々希少な上に大貴族達がこぞって買いあさり、即効性のある治療薬は当然、平民には回ってこなかった。一応これを飲むと即座に効果は表れるが、瞬時の回復はされない……薬は緩やかに劣化していく為だ。傷は数分から10分程で治る可能性が高い。だが、強敵との戦闘中は1分でさえ余りにも長い。

 

(なんとか動いてくれ、俺の体よっ)

 

 歪む視界に、十竜長筆頭の巨大な姿が迫っていた。奴は己の圧倒的強さへ自信を見せるように、火炎ではなくその手で殺しに地表へと降り立った。

 

「このワシに怪我を負わせるとは、人間にしてはやるな。どれ、直々に殺してやろう」

 

 全く有り難くない褒め台詞を吐く奴は、完全に手負いの人間のトドメを刺しに来ていた。回りからは戦士隊の矢や槍の攻撃もあるが余裕で受け払っていく。

 一方のストロノーフは、折れた右足で踏ん張ろうとするが依然体を支えられない。

 

(まだ断固死ぬ訳にはいかないっ。陛下を守り、せめてゴウン殿の攻撃が始まるまではっ)

 

 それは――王都に残した一人の最愛で眼鏡美人の女性――ユリ・アルファも守ることになる。

 ガゼフは歯を食いしばる。ここで、こんな所でやられている場合ではないのだっ、と。

 

「愚かな人間が、これで死ねぇーっ」

 

 彼の眼前に、十竜長筆頭の上から叩きつぶす形での力任せな右前足による爪剛撃が迫る。

 戦士長は、左足と右手の剃刀の刃(レイザーエッジ)だけで竜の攻撃を躱す事に注力し、機をはかった。

 そして、今と言う時に左足と右腕の剃刀の刃(レイザーエッジ)で地を蹴る。

 だが十竜長筆頭の鋭い視線から逃れるには、動きが甘すぎた。奴は容易にその爪攻撃の方向を修正して振り下ろす。

 

「ハッハー。下等生物がワシから逃げれると思ったか? 終わりだぁーーっ!」

 

 ガゼフ・ストロノーフの顔面へ、鋭く凶暴な死が残り20センチと迫った。

 

「――(陛下っ……みんな……ゴウン殿…………アングラウス……クライム……)ユリ――」

 

 思わず浮かんだ、王城宮殿部屋の扉の外でいつも見送ってくれた愛しい眼鏡美人の笑顔へ、彼の心にあった最期の言葉が、()れた。

 チンケな人間の始末を確信し口許を緩めていた十竜長筆頭。

 

 

 だが奴は突如、頭部の側面を思い切り強烈に殴られていた――――。

 

 

 王国戦士長はその光景を見ていた。いや、もっと視界の局所的一部と言えよう。

 その見覚えのある夜会巻のうなじに、とてもとても良く似合った黒縁の眼鏡顔の女性の顔を。

 思わぬ妨害により、グラついた巨竜の狙い外れた右前足の爪が地面に突き刺さった。

 今、彼女――ユリ・アルファは参戦する。

 さり気なくには程遠いが、それでは至高の御方の命令である彼を守れないから。

 攻撃退避に地へ体を投げ出していたガゼフを敵から庇う様に、前腕部へ幾つも棘の突き出た凶悪なガントレットを付けた、勇ましい戦闘メイド服の彼女が堂々と地に降り立った。

 

 

「ストロノーフ様、あなたは死にません。私が、このユリ・アルファが(命令で)守りますから」

 

 

「ユ、ユリ殿……」

 

 武装した彼女の突然の登場に加え、巨竜をぶっ倒した力等々混乱した状況もあるが、愛以外の何物でもないだろう行動への感動と彼女の熱い言葉に、王国戦士長の死へ立ち向かい鋭かったはずの瞳には――ハートマークが浮かんで見えた。

 もう()()()()()()()()戦士長と、勇ましいユリ達の危機はまだ続くのである……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインズの焦りは日々少しずつ静かに膨らんでいった。

 

 彼が描いたのは、人類圏の大国が見舞われた天災級の大戦を利用して大仕掛けの舞台とし、その人類国家の窮地を餌にこの新世界へ潜むユグドラシルプレーヤーの参戦と、共闘による友好関係の樹立。

 同時に――モモンガは、『アインズ・ウール・ゴウン』の名で人類側へ盛大に味方することで異色の異形種ギルドだったユグドラシルの色々な過去の悪名を、表面上払拭する狙いも持つ。更に、元ナザリックのギルドメンバーとの奇跡の再会をも夢見たこの計画は順調に進んでいた。

 王国総軍の予定した開戦時間より、竜軍団は突如半日早く動き出したが大勢に影響もなかった。

 その後も王国軍は全戦線で竜王軍団に苦戦し、膨大な被害と死体の山が積み上がっていく。再開戦4日目が終わる頃には、戦場へ投入された王国軍総兵力の約半数近くが死傷者と化した……。

 六大貴族の一人、ボウロロープ侯爵戦死も起こし、予定していたこの惨憺たる戦争劇の進行状況を受け、ビッグプレイヤー的立ち位置の絶対的支配者も少し疑問が湧く。

 

(もう結構、酷い状況だよなぁ。うーん、でもプレイヤーの参戦はまだ早いのかな)

 

 彼等もちょっとした事象で出て来てしまうと、これ以降の面倒事をずっと引き受けるハメを思えば簡単には出れないのかと、その時にアインズはいつもの同意の理解を示した。

 だが、更に3日の時が過ぎる。

 本日7日目の早朝には王国総軍23万8000人の内、健在である戦力が残り3分の1近くにまで減っていた。

 支配者は王都北方の駐留地にて、戻って来たルベドからの戦場全域探査の報告を受けて唸る。

 

(おいおい、まだかよ? もう、登場してもいいんじゃないのかなぁ……)

 

 竜軍団の袋叩き的な攻撃から、各所で全滅に近いこの惨劇の大舞台に、誰一人としてプレイヤーが現れない事態にアインズは困惑し始めていた。

 彼はナザリックでの日課もあってほぼ毎晩、第九階層『アインズ様執務室』奥の黒き大机の席に座り、情報の纏められた書類を確認している。

 その書類の中で、開戦した晩にカルネ村滞在のアルシェがエンリ達との会話の中で、『帝都アーウィンタールをはじめ、帝国内にも竜軍団襲来の情報は届いている』の言葉があったとの内容を読んでいる。それはゴウン邸のキョウからの報告であった。

 その流れであれば、商人達を通じて帝国北方のカルサナス都市国家連合や王国西方のローブル聖王国、スレイン法国の民衆にも王国で起こっている窮状についてもう結構伝わっている可能性が高い。

 プレイヤーの彼等なら、遠方への移動も難しくないはずであり、3日もあれば王国まで来て現状の把握まで十分に可能と思える。

 しかし、実際にはまだ誰一人として戦場へ姿を現していない。

 

(……一体どういうことなんだよ。ここまで全く動きがないなんて。王国が滅んでもいいのかよ)

 

 貧乏ゆすりをしながら、イライラ気味に少し手に汗をかく心理内イメージのアインズ。

 未明に剣豪のルイセンベルグ・アルベリオンが戦死し、アダマンタイト級冒険者チームの一つである『朱の雫』が敗れ去ってもいる。

 彼等の敗北は、戦場全域の士気にかなりの影響が出ていた。

 プレイヤーが華々しく目立つ参戦のタイミングとしては、正に今が頃合いだろう。

 それをナザリックの支配者は、完全に(ゆず)っているのである。

 アインズとしては『アインズ・ウール・ゴウン』の名を上げることは重要である。でも、それを使ってユグドラシルプレーヤーに存在を気付かせ彼等と接触するのが最終目的なのだ。

 彼等が出てくれば、勇名を持つアダマンタイト級冒険者チームや王国軍が各地で敗れ去る事は、それほど重要で無くなる。

 この状況で、ユグドラシルプレーヤーが人類国家の大苦戦に参戦しない理由が他にあるというのだろうか。絶対的支配者は、マーレやヘカテー達の状況を確認する合間で、時間を置きつつ何度かよくよく考えてみた。

 そうして午後の良い時間を迎えた頃。

 

(まさか、見殺しにするつもりなのか……いや、そんな。でもなぁ)

 

 最近はナザリックの情報調査が進み、改めてプレイヤーの可能性が高いと思える六大神や八欲王達は500年以上前と昔過ぎた。彼等については伝説の中の誇張もあり、全員滅んでいるという記載が殆どで、今後も会える期待は小さい。

 でも十三英雄達についての話は、第6位階より上位とおぼしき魔法を使用しプレイヤー色の強い内容の上、200年程前と近い点でこの戦場へ姿を見せる可能性は十分とみている。

 またアインズがこの新世界へ来たのなら、同時に現れた者達が少なからずいるはずだとも。

 確かにこの世界には貴族や秘密結社の如き狂った連中が沢山いるし、強いというだけであれこれ面倒事を押し付けられる風潮に、表へ出たくないという気持ちも当然に思う。

 しかし絶対的支配者は仲間を探し、地下の本拠地から地上へと出る事を選んだ。せめて思い出深いユグドラシルを知る者らと出会いたいと考えて。

 彼は他にも同じ想いのプレイヤーが必ず居ると信じる。

 そして――その中に、もしかすればナザリックには来なかったが、新規アカウントで最後の日にだけ遊びで来ていた嘗ての仲間であった者もいるかもしれないと……。

 『アインズ・ウール・ゴウン』は閉鎖気味だったギルドである。身内しか知らないネタには困らない。昔の仲間達なら話を忘れるはずもない、と強く確信するモモンガ。

 

「フッ、ふふふっ」

 

 ふと今、幾つか仲間達の中であったエピソードを思い出し噴き出す。

 第九階層のスパリゾートでは、メンバー達で遊んだ時に気付かぬ間に耐性無効の水質猛毒化が発生し、結果的に時間差で多数を巻き込むフレンドリファイアが起こってしまった件、等々。

 一方で、万が一にメンバーのフリをするプレイヤーが現れて、その野郎のウソに気付いてしまった時に冷静さを保てそうにない。

 今も、僅かに考えただけで、思い切り両拳を強く握り込む支配者がいた。

 

(――ふぅ。まぁそんな奴は殆ど居ないだろうし、精神的に良くない事を考えるのはやめよう)

 

 精神抑制には至らなかったが、不快な一瞬であった思考を彼は切り替える。

 

(仕方ない。とにかくもう数日待つべきかな?)

 

 他が計画通りに順調なアインズは、そう余裕を持って決めかけた。

 するとハッと、彼は一つの大きな問題点に気が付く。

 

(ああっ! もしかすると、レベルが随分低いプレイヤーなのかもしれないよなぁ)

 

 アインズ自身がLv.100だからといって、新世界へ来るプレーヤーが全てそうとは限らない事を失念していた。そもそも、十三英雄がそれに近そうだというのに。新規アカウントの場合は、ちょっとした課金も交えレベルを30程上げた段階かもしれない。

 盲点と言う感じで足元が見えていなかった感じだ。

 

(あー。それにまだ見えていない条件があるかもしれないなぁ。なら、竜王軍団と十分戦える戦力のある俺が火ぶたを切って目立ち、参加のハードルを下げるのはアリだよな)

 

 ここで大きく流れが変わった。『完全な待ち』から『反撃を窺う』体勢へと。

 既に竜王軍団による王国軍への虐殺的といえる悲惨な戦況は、スレイン法国やバハルス帝国などの人類圏全域へ十分に見せれたと思える状況。

 『六腕』や『八本指』と交わした約束、『貴族達への打撃』の件もボウロロープ侯は戦死し他の貴族の力も十分に落とせた。大都市リ・ボウロロールも被害無く健在。

 竜王国救援への要員も確保しつつ、モモンの名声も上がった。

 世話になった王家と友人的ガゼフへは、竜王軍団を撃破することで色々返せるだろう。

 アダマンタイト級冒険者チーム『朱の雫』も一度は惨敗し名を落としている。

 竜の死骸も集め、ズーラーノーン対応も並行して実行中。

 

(えーと。じゃああとは――『蒼の薔薇』が負ければとりあえず、様子見はもういいかもなぁ)

 

 絶対的支配者は、竜王隊とアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』の戦いをルベドではないが見守る事にした。連中の場所は傍付けのハンゾウに聞くまでもなく、天使が知っていた……。

 アインズ達が駐留地を置く王都北方の林内で、対策万全の〈千里眼(クレアボヤンス)〉と〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉で彼女等の今の状況を、シズと不可視化中のナーベラルも横で一緒に見始める。これらの魔法は支配者指導によりナーベラルが実行していた。魔法使いの知識としてカウンター対策の勉強には丁度良いとしてだ。

 尚、シャルティアは不可視化して林の外で北側を警戒中。ソリュシャンは南側で警戒しつつ歩哨をしている。

 支配者は直ぐ〈水晶の画面〉に映る『忍者娘の姉妹関連の組織』の人数が結構減ってることに気付く。5人ほど少ないだろうか。竜王と連中の初戦は上空から見ていたので、以前は20名程と覚えていた。それだけでなく『蒼の薔薇』の逞しい女戦士の姿もない。

 変化について、アインズは三つ子姉妹を継続的に観察しているルベドへ確認する。

 この天使様は残念ながら、天然で緊張感ある良き関係を狙っている風で、自主的に細かい事を報告してくれないのだ。

 

「ルベドよ。両集団で人数が減っているみたいだが、連中に何かあったのか?」

 

 ルベドは小さく頷く。隠している訳ではないので、問えば答えてくれる。

 

「〝蒼の薔薇〟のアニキ風の女戦士ガガーランが今、居ない。3日前、アインズ様が竜王の火炎を処理した時に私が助けたけど、その直後から姿を消してた。でも昨日の夕方に知り合いらしい老女と野営地へ現れてる。別行動してるみたい」

 

 人の名前を記憶出来ないナーベラルの為に、見た目と普段の行動から『アニキ風の女戦士』という呼び方をしたのだろう。卵顔の彼女は今、偽アインズを担当するため人間(ムシケラ)についても容姿と役職名は覚えようと努力しているのだっ。

 そこはスルーし、支配者はもう一人の全く知らない登場者について尋ねる。

 

「知り合いらしい老女?」

「足腰はシッカリしてて腰に剣を差してたけど、詳細は知らない」

 

 ルべドの答えにアインズは「そうか」と、とりあえず納得を返す。天使は次にもう一方の集団の話を伝える。

 

「三つ子姉妹を見ていたから部下側は見てないけど、1人は4日程前に減ってた。そして今から2時間ぐらい前の昼すぎの戦いで竜兵の1匹が〝イジャニーヤ〟の1組を潰したみたい。でも、頭領をやってる子の組の刀使いが1匹竜兵を倒して、上手く撤退してた」

「ほう(〝蒼の薔薇〟と組む組織名は〝イジャニーヤ〟というのか……)」

 

 確か十三英雄の一人と同じ名と共に、『イジャニーヤ』側の人間は、ずっと竜兵を翻弄するばかりかと思っていたアインズは少し感心する。

 モモン達の居るオリハルコン級の冒険者部隊にさえ、一人で竜兵を倒せる程の戦闘力を持つ者はいなかった。『朱の雫』の剣豪ルイセンベルグ・アルベリオンに近い腕の持ち主かもしれない。

 

(アダマンタイト級冒険者水準だな。確か、以前見た時は百竜長の爪を斬り飛ばしていたよな)

 

 武技が使えるレアという事で少々興味を引いた支配者だが、『六腕』の面々にマルムヴィストもいるので直ぐに欲しいと言う訳でもなかった。それより今は『蒼の薔薇』の方である。

 ブレインにすれば、この場にシャルティアが居ない等、幸運だったと言うべきか……。

 どうやら今『イジャニーヤ』達は休憩をしている様子に見えた。そこから1時間以上動きの無い時間が過ぎたのち、遂にイビルアイとラキュースが出撃していった。

 一応ハンゾウが居るので、まだまだのんびり見ている感じのアインズ一行であった。

 しかし、ラキュースら2人が王国軍陣地へ寄ってから事態が急変。

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)が単身で突如飛来したのだ。竜王側がどの様にこの場所を知り、登場出来たかの経緯はアインズにも分からない。

 

(……どういうことだ?)

 

 まさか竜軍が独自で『蒼の薔薇』達の行動に関する情報網を組織していたとは思いもよらずだ。

 支配者が考えている間に、〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉内の状況は劇的に変わっていく。イビルアイの影に追随していたハンゾウが負傷したのだ。

 栄光あるナザリックの一員の怪我に、ナーベラルとシズの雰囲気と表情は一気に固くなる。

 至高の御方が御不快になられるのではと……。

 ハンゾウの負傷は、少し前にも竜王の変則的攻撃を受けてあったと聞いている。

 怪我の点ではなくアインズはここで機を考える。

 

(あー。〝蒼の薔薇〟が自然な形で負けるのには、丁度いい状況なのかもしれないなぁ)

 

 大局的にそれなりの望む結果が見えており、彼はアッサリと現状へ冷徹に非情さをみせた。

 ――絶対的支配者は黙してそのまま見続けていた。

 ナーベラルとシズはそれを『ハンゾウは任務に失敗したから……罰? いえ、ハンゾウの力はまだ生きていて、自分で何とかすべきという事なのかも』と捉えていた。

 〈水晶の画面〉には、そこからのイビルアイとラキュースの激闘が流れ続ける。

 しかし、遂にラキュースが竜王の膝に蹴り上げられ力尽きた。

 続いてイビルアイも、竜王の火炎砲の炎に包まれる形で死闘の幕は閉じる。

 不可視化中のナーベラルと魔銃を右手に持ったシズは、無言のまま画面を見詰めていた。

 

 その時点で、〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉の前に支配者と天使の姿は()()()()()()が――。

 

 

 

 

 

 闘いに完敗し放心気味のラキュースは、全身の激痛で意識が遠のきつつも不思議であった。

 竜王から蹴り飛ばされ、空中で派手に大の字で回転したことで天地が最早分からない状態なのだが、いつまで経っても地面に激突した大きな衝撃がこないのだ。

 全身の筋組織と骨が裂け砕け、すでに体がグニャグニャしているので反射的に受け身を取るのも不可能。

 

(……………高く飛ばされて……地面が遠い……から?)

 

 しかし意識し、腫れぼったい瞼を僅かに開けると狭い視界に、もう灰が盛大に舞っているように見えた。

 既に痛覚の感覚がおかしくなっていて、地面に転がっているのかもしれないと思った時。

 

「ラキュース殿。まだ意識があるようだな?」

 

 ハッキリと聞き覚えのある威厳を漂わせた声が、機能の残る耳から入って来た。

 

「――ェッ……?」

 

 咄嗟に視線を声のする左上方へ大きく動かすと彼の――独特の仮面が見上げる形で見えていた。

 彼の仮面の下の素顔はもう知っている。

 金髪の凛々しい青年の横顔が思い出された。

 彼の横に護衛で純白の鎧姿の余りにも美しいルベドも居る様子。お似合いの二人に思えた。

 でも、これは走馬燈では無い。

 

「……ゴ……(ウン……殿)?」

 

 彼女は弱りきっているので、驚きの声も(かす)れていく形でしか出せなかった。

 おまけにこれ以上ない酷い姿で顔だと思う。それは正に百年の恋すらも一遍に冷めるだろう状態のはずだ。

 だが、彼女は英雄にも引け目なく戦士として限界まで戦い抜き悔いはない。最期の刻に、神様がちょっとした嫌がらせとご褒美をくれたのだろうと思う事にする。

 劇薬の副作用が起こり出せば、この体と体力では絶命するはずだと考えていた。

 そんな傷だらけで醜く変わった彼女へ平然と、仮面の彼は小瓶に入った()()()を勧めてきた。

 

「液体が飲めるか?」

 

 アインズが提示した薬が血色の下級治療薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)でないのは、〈状態の精髄(ステータス・エッセンス)〉の見立てで負傷だけではなく魔素系の障害的な毒にも酷く侵されていたからだ。

 

「……それ……(は)?」

「(あー、えっと、そうだっ)これは、万一に残していた()()()の回復薬だ」

 

 以前に、魔法的に有用な協力を断っているので、それっぽい言い訳を適当に語っておく。

 

「……ぇ……でも……(いいの……ですか)?」

「ああ、勿論」

 

 アインズ自身では使えない薬であり、それも山ほどあるので問題はない。

 初めてこの新世界で使うので少し実験的な部分も入っているが、ラキュース達には竜王国の件が控えているので弱くなったり死んでもらっては困るのである。

 実験も兼ねて蘇生魔法を施したアルベリオンも、目をそのうち覚ますだろう。

 剣豪は死んだ事で、()()()()アズスの〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉により負傷した仲間と共に戦場から運び出せていた。蘇生直後の彼に竜王国への遠征は直ぐに難しいかもしれないが、大きく減った王国冒険者の当面の穴を埋めてもらう必要もあるのだ。

 メリットがそれなりにあればこそ、絶対的支配者も使用に踏み切っている。

 ラキュースは、ゴウン氏の変わらない考えの様子に小さく頷いた。

 了解を得て、彼は栓を抜いた小瓶の口をラキュースの傷が酷い口許に傾け飲ませてあげた。

 その驚きの奇跡的効果は一瞬で発揮される。

 

「―――ぇ、えっ……えええっ!!?」

 

 ラキュースは全身の激痛と折れたグニャグニャ感が、一気に消えた事へ驚きの声を上げた。硬直して握りっぱなしだった魔剣を思わず落とすほどだ。

 そして自分が、地へ膝を突いたゴウン氏の大きな胸に抱かれ、介抱を受けていた事に気付いて彼女の美しく戻った顔が赤く染まった。落下の衝撃が無かったのは、優しく受け止められていた所為だろう。

 

「立てるか?」

「は、はい」

 

 全身の疲労さえも完全に消え去り、感覚が戻った足で彼女は灰の積もる地面へと立ち上がった。彼からの手が、どこぞのお姫様へ差し出された風に互いの右手の先を握り合う姿で。

 ラキュースは頬と瞳を自然と僅かに熱く潤ませつつ述べる。

 

「ありがとうございます、ゴウン殿っ。この御恩は――」

「――悪いな。イビルアイも危ないのだろう? 話は後にしよう。君はここに居てくれ」

 

 彼女の想いを仲間の惨状で区切る風にそう告げると、「あっ、はい! イビルアイをっ」という我に返ったラキュースの声が聞こえたのか分からぬ間に、ルベドと共にゴウン氏達の姿は消えた。

 

「あ……(ゴウン……様)」

 

 仲間(イビルアイ)を心配しつつも、己の治療薬を失ったままの彼なのにと、不安で一杯になるラキュース。

 地面の灰へと落とした大事な魔剣はまだ拾われず、しばしの間そこへ埋もれていた……。

 

 

 

 その時、イビルアイの魔力量はまだ完全に尽きてはいなかった。

 でも難度150を超える彼女の動体視力は、はっきり見てしまっていた。

 あの猛攻撃を見せたラキュースの強さは、自分にも決して劣らない凄まじいものであったと。

 そして、竜王の圧倒的な(パワー)に敗れ、空へと蹴り上げられたラキュースの――首や手足の折れてぐにゃりと変な方向へ曲がったまま飛んでいくその姿を……。

 隔絶した強者に屈したわけではなく、大事な仲間の姿に不死の彼女は戦慄してしまった。

 

「(―――!)ラキュース……」

 

 己より240歳以上も若いが、頼りになる若く美しく、何より心の折れない強いリーダーであった。

 始めはカウラウ婆さんが自分もいる癖に、「全員女でぴちぴちの若造のチームじゃ」と紹介して来た時、ローブ姿のガガーランへ「大男がいるじゃないか」と()ず食って掛かったのが懐かしい。

 気になったのは、あのリグリット・ベルスー・カウラウが『蒼の薔薇』のリーダーではなかった事。

 本人は「もう歳だからね」と言っていたが、あの女が中途半端な奴に付くとは思えなかった。

 チーム入りの賭けもヒドイ騙しで「よくも放り込みやがって」と、居なくなったリグリットへ当初は拗ね気味であったが、吸血鬼である自分に「元々同じ人間だし」と、事情を知って接してくれた正義感溢れる淑女のリーダー、それがラキュースだ。

 イビルアイは暫くチームの様子を見ることにした。

 リーダーの神官戦士は貴族の娘であったが、それを理由に決め事を押し切る姿は一度もなく、厳しくもあったが公平に理知的且つ仲間を凄く大事にしていた。

 そして他の仲間達も個性は強いがイイ奴らでチームとして纏まっていく。

 だから200年振りぐらいで()()()()、イビルアイも他者とチームが組めたのだ。

 

 なのに――またも大事な仲間の死に()くんでしまった自分が情けない。

 

 昔、一度あったのだ。それもまた別の意味で酷い状況での仲間の死。十三英雄のリーダーの自殺であった。

 基本的な精神に一部、ウブや幼い部分のあるイビルアイはそれに耐えられなかった。

 共闘という形であったが、人外の自分を受け入れられ仲間意識を持ったのは彼等が初めてであった。それ以前と以降は殆ど孤独に生きていた。共闘後もたまにリグリットが会いに来るぐらいだ。

 ガガーラン達の死であれば怒りを糧にし、まだ普通で戦えたかもしれない。何故ならラキュースには〈死者復活(レイズデッド)〉の魔法があったから。望みが見えるならば冷静にもなれる。

 だがリーダーの死は希望が完全に失われ、死が確定してしまう。他に第5位階魔法〈死者復活(レイズデッド)〉を使える者が王国内には見当たらず、他国を見ても個人でその名を聞かない。

 あのバハルス帝国の三重魔法詠唱者(トライアッド)フールーダ・パラダインでさえ習得していない魔法なのだ。また、期待のゴウン氏も支援系魔法は得意で無いと語っていた……望みはもうない。

 自分の敵わないような強敵にもイビルアイの心が折れることは決してない。

 

 だが、信頼を最大に寄せる親しい者の死に、この吸血姫の心は寂しさに耐える事(あた)わず――。

 

 彼女の走馬灯的思考の間に、竜王の吐く言葉「愚か者め、図に――」「さて吸血鬼、次はお前の死――」が耳を通りずぎていた。

 気が付けば、体が硬直している己にイビルアイもただ呆れてしまう。

 

「……」

 

 最早、無言でじっと、うな垂れ続けるほかなく。本当に不甲斐ない。

 

「――〈全 力 火 炎 砲(フルフレイムバスター)〉」

 

 上空から竜王の止めの一撃を宣言するかの高らかな声が聞こえた。

 王国軍の広く展開する陣へと苛烈な火炎を吐く姿を何度か見ているが、百メートル四方を優に炎が覆い尽くす威力。

 直撃地点の兵士達は骨も残らない。

 嘗て『国堕とし』と呼ばれた頑丈な吸血鬼(バンパイア)のイビルアイでさえ、灰燼に帰すかもしれない火力。

 リーダーを守れず、仲間達に会わす顔がない彼女は、その攻撃の膨大な熱気の接近を感じてそっと仮面下で両目を閉じた。

 突如、体がふわりと浮き上がる感覚。同時に聞いたことのある声が聞こえた。

 

 

「諦めるのか? ――ラキュースは無事で生きているのに」

 

 

「なっ!?」

 

 直前の態度から心理を突かれた後で予想外の事も言われ、イビルアイは慌てて目を開いた。

 仮面越しに外の景色を臨む。そこは先程とやや異なる場所で、一面麦畑の焼けた跡が広がっていたのだが……日が傾くもまだ青空の下、確かに見える。

 

 そこにはラキュースが元気な姿で生きて立っていた。

 

 彼女の足元へ目を向けても、しっかりとその彼女の長く綺麗な四肢の両足が地面を踏みしめる。

 

「イビルアイっ! 良かったぁ、あなたも()()()()達に助けて貰ったのね」

 

 (ようや)く吸血鬼は自分の有様(ありさま)に、ハッと気付く。

 背中と膝裏の下から身体(からだ)を持たれている感触で、視線がいつもよりも高い位置なのだ。

 もうおわかりだろう。イビルアイはゴウン氏に御姫様抱っこされていた――。

 

「あっ、その。ゴウン殿、助けて頂いて……た、大変感謝します。リーダーについてもその、ありがたく……ですっ!」

 

 仮面の吸血鬼は、完全に慌てて声も上ずり気味で、しどろもどろとなっていた。250年以上生きて来て、男に抱っこされるなど記憶にない。

 一方の仮面の魔法詠唱者は、落ち着いた深みと威風に満ちる声を返して来た。

 

「いえ。こちらこそ準備が遅くなってしまって、申し訳ない。助け出せてよかった」

 

 自分の言葉との差に、イビルアイは仮面の下の顔を更に赤くしていく……。

 そんな仮面の二人をラキュースが、羨ましそうに見ていた後ろに、ルベドが返って来た。

 アインズ達は、竜王へ対して完全に気付かれないよう手間を掛けた形だ。まだ仕事が一つ残っているが。

 先程は、両者とも〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉でイビルアイの両脇へ立ち、ルベドがイビルアイの代わりに、火炎を流して受けつつ〈完全不可知化〉を解除。〈虚偽情報・生命(フォールスデータ・ライフ)〉で体力反応を燃えたように下げ存在を消す役で、最後に〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉した。ゴウン氏は先にそのままイビルアイを攫って離脱したのだ。

 他の者達では中々真似出来ないのでバレ様がない豪快な手だ。

 

「も、もう、下ろして頂いて大丈夫です、ゴウン殿」

 

 やっとの事で、イビルアイがそう口にするとゴウン氏はゆっくりと彼女を下ろして立たせた。

 彼女はアンデッドだが正直、身体(からだ)はガタガタのはずも、ラキュースも助かっており、心が何故かドキドキしテンションだけで持ち直していた。

 ここで、魔剣を背に下げたラキュースは歩を進め、ゴウン氏の前まで進むと述べる。

 

()()()()、ルベド殿、改めてお礼を。イビルアイだけでなく私まで助けて頂き、本当にありがとうございます。この御恩は必ずお返しいたします」

 

 イビルアイもリーダーに倣って続く。

 

「改めて私からもお礼申します。リーダー共々苦境を救って頂き感謝します」

 

 これに、ゴウン氏は右手を軽く上げ自然に返礼する。

 

「いや、本当に遅くなってしまった。反撃に際し竜王の様子をまず接近して確認しに来てみて、この状況に驚きました。本当に間に合った良かった」

 

 謙遜気味の、迫真の演技というのだろうか。営業ノウハウとは恐ろしいもの。

 このゴウン氏の言葉の中に、ラキュース達は聞き逃せない言葉を耳にし、顔を見合わせる。

 ラキュースがその言葉を熱く確認する。

 

「――反撃なのですね。遂にっ!」

 

 

「そうです」

 

 

 ゴウン氏ははっきりと明言した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグは上機嫌でその後、編成し直した新竜王隊と空中で合流した。

 数は以前より1頭増え計6頭の部隊だ。百竜長のノブナーガと2匹1組となり、他に竜兵の組が2つ付く形である。

 そのまま1時間程、脆弱な人間共相手に暴れると今回の攻撃サイクルの時間が終りへ近付いた。

 竜王自身は全然元気であるが、それなりに疲労する配下への配慮は必要である。

 なので、彼等は宿営地を目指し一旦引き上げの途に就く。

 6頭なので前から丁度1頭、2頭、3頭と順に並ぶ楔形での隊列で飛行する。先頭を進むのは当然竜王自身である。

 そんな彼等が旧大都市廃虚上空に差し掛かった時のこと。

 

「――とこしえに眠れ、〈魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)深き眠りへの誘い(ディープスリープ)〉」

 

 2キロ以上離れた遠距離から撃たれるこの声は、敵まで届かない――。

 

 

 竜王隊は攻撃を受けた。

 

 

 ――突然の酷い眠気の上、〈竜を討つ槍(ランス・オブ・ドラゴンスレイヤー)〉、〈極地光線(ポーラー・レイ)〉、〈爆裂する槍(ランス・オブ・エクスプロージョン)〉が続け様に集団へ命中。新竜王隊は絶大な威力で吹っ飛ぶ。

 それは圧倒的に強力な魔法攻撃であった――更にただ1匹残った竜王へと。

 

「――〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)万 雷 の 撃 滅(コール・グレーター・サンダー)〉!」

 

 この猛攻撃に堪らず、竜王ゼザリオルグは旧大都市の廃墟へと落下し片膝を付いた。

 直後、上空へ急に大きな(パワー)の存在を捉え、()()は長い首を上げて睨む。

 

「ぐぅぅ……テ、テメェっ、一体何者だぁぁ!」

 

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)を容易く撃墜した存在は、(いか)る竜王からの問いかけに威厳のある声で告げる。

 

「私は――アインズ・ウール・ゴウン。

 この戦いでリ・エスティーゼ王国へ味方する旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。アインズと呼ぶが良い」

「ア、アインズ?」

 

 ゼザリオルグは唖然とし、その漆黒のローブ姿の者の最後の言葉へ困惑の色を深めていた。

 

 

 

 話を付けたはずの天使からの視線が痛い中、容赦なく遂に今――王国(じんるい)側の反撃(ターン)が始まった!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. エ・ランテル冒険者組合所属 ミスリル級冒険者チーム『クラルグラ』の最後 Part1

 

 

 彼等『クラルグラ』の退場は、絶対的支配者による決定事項である。

 リーダーのイグヴァルジは喧嘩を売る相手を間違えたのだ―――自業自得の流れの如く。

 

 

 彼は、エ・ランテルの冒険者組合において密かに覇権を狙っていた。

 村にいた悪ガキ少年の頃には英雄にとの思いもあったが、都市で暮らし歳を重ねると現実が見えて来る。結局、冒険者として好き勝手に生き、将来的に冒険者組合長に納まって財を成し名を知らしめイイ女達を侍らせたいと。その計画は30歳を超えた今、結構順調であった。

 そこに湧いて現れたのが、漆黒の戦士モモンである。

 新参者の癖に、高価で立派な全身鎧と大剣が似合うという、ド派手で気に障る出で立ち。

 相棒の美しい魔法使いの小娘と共に組合へ加入するや、たったの半月程で(カッパー)級から白金(プラチナ)級まで上って来た。昇級内容が、眉唾モノの盗賊団退治だけという有り得ない優遇。

 どういうわけなのか冒険者組合長のアインザックと魔術師組合長のラケシルに気に入られているらしい。

 これら全てがイグヴァルジには面白くない。

 

(目立ちやがって気に入らねぇ。次の冒険者組合長はオレだっ。誰にも渡すもんかよ)

 

 その執念にも近い欲が、モモンを敵視させた。

 臆病そうな相棒の小娘はモモンの()()()()っぽいが、美人になりそうなので目を付けている。

 今回の王国北西部への竜軍団討伐の遠征で、目障りなモモンは都合よくアインザックと組んで十竜長以上の上位の竜討伐担当になり、返り討ちに遭って纏めて死んでくれそうで(イグヴァルジ)は喜んだ。

 王都内広場におけるエ・ランテル遠征一行の到着点呼の場で、わざわざ居合わせた様に()()()()し、仲間達とモモンへ強烈なイヤミを伝えて上機嫌であった。

 

―――敬愛する(モモンガ様)への侮辱に闇妖精(マーレ)の怒りは、この段階で完全にオーバーヒート状態に……。

 

 マーベロという娘の方へも、『クラルグラ』の連中はモモンが戦死したらメンバー4人で将来の夜の慰み者に使ってやるとモモン本人の前で暗に伝え、イヤラシさを際立たせ去っていった。

 

―――仲間の子供(NPC)への暴言に、絶対的支配者の怒りもこの段階で飽和状態に到達している……。

 

 イグヴァルジ自身は「組合長になれるのは只一人」としてメンバー達もいざとなれば使い捨てるつもりだが、まだ当面都合良く動いてもらう為にはと甘い汁も吸わせている。そのためかメンバー連中のリーダーへの印象は「そんなに悪いヤツじゃない」という気持ちで付き従っていた。

 

 

 数日流れて、出陣前の王都滞在時のある日。

 王都冒険者組合の幹部が宿屋へ通知に現れ、ミスリル級冒険者イグヴァルジら4人は、今大戦において東部戦線が主戦場と知らされた。

 彼等の役目は、先日から宿屋で合流している他の都市のミスリル級冒険者チーム2組と共に担当域の戦場を駆け回り、王国軍を攻撃中の竜兵達を狩っていくことである。

 強く危険な上位の竜長は、アダマンタイト級冒険者チーム『朱の雫』やオリハルコン級冒険者部隊が担当となっている。

 つまり、対竜兵担当ではイグヴァルジ達ミスリル級は、(シルバー)級、(ゴールド)級、白金(プラチナ)級らの上に立ち最高階級。彼はニヤリとする。

 

(下の奴らを上手く働かせそうだし、俺様達は美味いところを頂かねぇとな)

 

 当然、手の出せそうな女冒険者達も込みでだ。

 都合のいい事を考えている中、幹部からは「状況次第では十竜長も頼む」という話も当然出た。

 無論、イグヴァルジとしてはそんな割の合わない事を出来る限りするつもりはない。

 しかし体面を保つために、彼は本心と真逆の事を並べてやった。

 

「……了解です。私達に任せておいて下さいよ(バーカ、やるわけねぇだろ)」

 

 そうして出陣までの数日、王都内で他2チームと合同訓練を適当に熟して過ごす。

 イグヴァルジはこのミスリル級冒険者部隊でも得意の話術と態度で主導権を握ろうとした。

 他チームのリーダーに一人、やけに強気の野郎がいたので、裏路地に呼び仲間の4人で半殺しにシメて大人しく言うことを聞かせた。シメた噂をもうひとチームに軽く流し、イグヴァルジは上手く誘導して丸め込み部隊代表となった。

 シメた野郎の同チームの女冒険者がヤツの女だというので、出陣まで詫びの代わりと強く脅してチームの3人で3周ほど夜となく昼となく廻すなど裏での非道振りをより濃く示した。仲間で野伏(レンジャー)のヤツが「スタイルと顔がタイプじゃない」と言い断っていたが……。

 それ以外で『クラルグラ』は、出陣までの間に1日だけ、エ・ランテル冒険者組合長のチームとの手合わせの機会があった。近く、次期エ・ランテル冒険者組合の責任者になるかもしれない点から、前任の引退者(ロートル)達の実力は少し見ておきたいと話を受ける。

 

(どうせ、アインザックも百竜長と戦ってサックリ死んじまうんだろ? まあ一応、最後に花を持たせてやるか)

 

 とりあえずは当初、適当に相手をするつもりでいた。だが最後は結構本気になってしまう。

 汚い手を使えばもう少しいい勝負になったと思えたが、使うと色々マズイので抑えて終わる。

 結局2戦して2つとも負けた形となった。正直、完敗気味となり面白くない。

 それにイグヴァルジは、一人のミスリル級冒険者として改めて驚く。

 

(ラケシルと二人、引退してたんじゃないのかよ。なのに強すぎだろ。オリハルコン級やべぇな)

 

 チーム『クラルグラ』の目指す次の階級で、指ぐらいはもう掛けているはずなのだが、ピンキリがあるとでも言いたいのかと思うほどの差があった。

 その晩の酒席の最後にイグヴァルジは、「組合長らは、ちょっとアダマンタイト級に近いのかもな」と言い出す始末であった……。

 

 

 そして『クラルグラ』達の冒険者部隊は、運命の戦場へと出陣する。

 流石のイグヴァルジも緊張気味だ。彼自身、(ドラゴン)と戦ったことはないのだから。

 王都では、伝説の怪物(モンスター)とはどれ程の強さなのかと考え、空を舞う鷲獅子(グリフォン)や地上戦は体形の近い蜥蜴人(リザードマン)の動きを踏まえて思い描き鍛錬してきた。

 やがて、予定よりも半日早く両軍が激突し開戦する。

 イグヴァルジの率いる部隊一行は、担当の東部戦線各地を移動する。しかし、開戦初日に彼等の直接戦闘はなかった。

 どうやら竜王軍団は南西の戦線から南、南東戦線へと回って順次攻撃しているという情報が入った。同時に、「竜達は途轍もなく強く、戦闘全域で苦戦中」とも伝わる。

 イグヴァルジは内心で焦る。

 

(おいおい、こりゃ正面から戦うのは得策じゃねぇな。よし……)

 

 そうして竜兵との戦いが始まると、『クラルグラ』達のミスリル級部隊は、白金(プラチナ)級冒険者部隊のあとになるべく現れる感じで戦場を回った。おまけに、周りへ目撃する味方の生存者が少なくなると、生き残った王国軍兵達に竜兵を押し付けて逃げた。

 恥も外聞も無い様な動きには一応理由がある。

 

 イグヴァルジ達は実際に(ドラゴン)と戦ってみて――話通り竜兵達が想像以上に強かった為だ。

 

 彼の一番の衝撃は、竜を斬りつけた際に剣が刃こぼれを起こしてしまった事である。

 イグヴァルジの愛剣も含め、メンバー達の剣も金貨数百枚はする代物で、まさかそういった剣の刃が簡単に欠けるとは想定していなかった。なので巻物(スクロール)の〈中修復(ミドル・リペア )〉のストックもチーム内で数本と僅かであり、多戦は厳しすぎた。

 白金級冒険者の中でも剣が折れて倒される姿を何人も目撃し、完全に他人事ではない。

 

(武器だけじゃなく、俺達の使えるどんな攻撃魔法も2、3発じゃ大して効いてないし、伝説通りすぎだろ? 冗談じゃねぇぞ。こうなりゃなるべく戦いを避けるしかねぇ。死んでたまるかっ)

 

 とりあえず、『クラルグラ』らの冒険者部隊は戦闘に、斬撃や刺突ではなく打撃系の武器を全面に出し()()()()で切り抜けていた。

 更に『クラルグラ』は部隊内でも貧乏くじ的前衛は他のチームに押し付けてなるべく矢面に立つことなく切り抜けていく。

 正に卑怯の限りを尽くして、彼は生き残りに掛けていた……。

 イグヴァルジは、竜達へミスリル級冒険者水準でさえ傷を付ける事すら難しい現実を呪った。

 

(あんな〈不落要塞〉じみた頑丈な化け物、どうやって倒すんだよ。オリハルコン級以上でなきゃ無理に決まってる。やってられるかっ)

 

 しかし2日目の晩、イグヴァルジ達は戦場内に流れて来たトンデモナイ英雄譚を耳にする。

 『朱の雫』が既に竜を5匹以上倒したという無双振りは響いていた。でも彼等はアダマンタイト級冒険者達でありトンデモナイ驚きは湧かない。話はそれとは全然違った。

 

『南東戦線にて、エ・ランテルの白金(プラチナ)級冒険者で漆黒の鎧を纏う戦士モモンが十竜長を倒した』

 

「――っ(な、なんだとぉ!?)」

 

 エ・ランテルの次期冒険者組合長を目指す男は、その内容に激しく動揺し絶句した。

 もし竜を倒した証拠の部位を持っていた場合、次は一気にオリハルコン級になる可能性がある。そうなれば、次期冒険者組合長はどうなるか。大小の都市の冒険者組合長は殆どオリハルコン級の経験者という事実。

 

(モモンのクソがぁ、俺様の邪魔を。余計な噂を流しやがってぇぇっ)

 

 イグヴァルジの瞳は一瞬激しい殺気を帯びた。

 だが、各都市の冒険者組合長は別に『最強の冒険者』である必要はない。王都の冒険者組合長が元ミスリル級冒険者であり、それを証明している。

 信頼や判断力、人望などが重視され、当代の冒険者組合長が次期組合長を指名するか残留意思を表明し、現役冒険者上位陣の同意があって初めて次期の数年間職に就けるのだ。

 

(いや、まだだぁ。俺が奴を認めはしない。俺が認めないって事は、過半数は得られないぜっ)

 

 白金級冒険者の快挙に、イグヴァルジ達の近くへ陣取り戦闘を終え夜戦食中の王国軍兵士達が、「凄いなー」「新たな英雄の誕生だ」「モモンーっ!」「モモン様万歳!」などとフザけたことを(ほざ)いて盛り上がっているのが聞こえて来た。

 イグヴァルジの表情は、正に苦虫を噛み潰したかのよう。

 

「……どうせイカサマだろ」

 

 暗闇の戦場に潜みつつ、『クラルグラ』のメンバー達へ呟いた彼の理論では、圧倒的な竜兵相手に己より格下のモモンがイカサマを出来るらしい。凄まじい理論破たんの言い掛かりであった。

 それもあり『クラルグラ』の他のメンバーには、『噂自体がウソだ』と解釈された。

 だが、この戦場で名前まではっきり挙がる嘘の噂が流れるとは思えなかった。今回の戦争が帝国など人類相手なら何か意味もあるだろう。しかし相手は竜軍団であり、この噂は本物以外考えられなかった。

 今朝早くの出来事だと言う話で、否定する話も聞かれなかった事からも間違いないだろう。

 なので他のメンバー達は、噂に対して内心で『うわ、()()()()()が生き残ったらやべぇ』と大きく心配する空気へ変わりつつあった……時、既に遅しだが。

 エ・ランテルという名に、『クラルグラ』達と同じ都市だと気付き、部隊仲間のミスリル級冒険者がイグヴァルジへ笑顔で御機嫌を取るように声を掛けて来る。

 

「エ・ランテルにも英雄が誕生ですね。イグヴァルジさんも鼻が高いんでは?」

「英雄? 冗談じゃねぇ! 単なる狡いペテン野郎さ。奴は人間性が最低のいけすかねぇ男だぞ」

 

 苛立つ言葉を伝えて来た男の奴を射殺す様に睥睨し、部隊長は言葉を吐き捨てた。

 

「えっ、そうなのか……へ、へぇ、酷い冒険者だ」

 

 声を掛けた冒険者は、同郷の大活躍を激しくこきおろす部隊長の様子に、変な尾を踏んでしまった感を悟り、竜兵との戦いで前面に出されるのを恐れて無理やり話を合わせていた……。

 勿論、イグヴァルジはソイツを直ぐ次の戦いで最前面へ配置してやった。不快にした当然の罰としてだ。

 ただその後、モモンの活躍の続報が届かなかったのは幾分ホッとさせる。同時に疑念を持つ。

 

(やはり実力以外の偶然だろ。オリハルコン級冒険者達が殆ど手を下した最後でちょこっと刺したとかしたんだぜ。全く余計な事しかしねぇムカつく野郎だ)

 

 一方で、『クラルグラ』らの部隊の方も、当然だが全く戦果は上がらなかった。

 

 功無く戦ってるフリのみを続けていたイグヴァルジ達は、開戦4日目になると戦場内に白金(プラチナ)級以下の冒険者の姿が随分と減っている状況に直面する。

 つまり竜兵達と戦う周辺には、代わりで闘わせる連中が居なくなってきたのである。

 そうなればイグヴァルジは切り捨てに入る。部隊長として次は『クラルグラ』以外の2チームを容赦なく矢面に立たせた。

 だが、そんな無理の有る他人への押しつけだけで最後まで上手くいくはずもない。

 

 5日目の早朝前、彼等の部隊は遂に戦場で1頭の十竜長と遭遇してしまったのである。

 イグヴァルジ達のミスリル級冒険者部隊は、部隊長も含めて必死で応戦した。あのペテン師モモンが倒したというのだから、必ずあっけなく倒せる弱点があるはずだと。

 しかし十竜長は難度147で純粋に強かった。全ての攻撃がほぼ通じず、犠牲が出る中で途方に暮れる。結局、王都でシメた野郎のチームのまだ元気な3人を騙して囮に置くと――反対方向へ全力で逃げた……。

 最後にイグヴァルジが振り返って見た光景から、囮の連中は火炎砲の餌食になったはずだ。

 朝を迎えた頃にミスリル級冒険者部隊は、『クラルグラ』の4人と他チームの2人だけになっていた。ずっと『クラルグラ』以外の2チームで前衛をやらされたため、残ったチームも直前の十竜長戦で1名、それ以前に2名死亡している。基本的に部隊構成は人員が減っても補充されない。

 イグヴァルジらも含め、彼等は敗残逃亡状態に陥り、彷徨って全員が疲れていた。

 ここは、東部戦線でもかなり北寄りの地。

 北が山脈で死地と言われる北部戦線から10キロ程東南東の位置。空を舞う竜兵も随分遠く離れて見えている。

 実質、戦場から外れていると言える場所だ。

 なので他チームの2名は一応1時間程一息付いた頃、部隊長のイグヴァルジへと進言する。

 

「そろそろ、移動して担当地域へ戻らないと。臆病者や逃亡扱いにされるし行きましょう」

 

 それに対して、イグヴァルジは視線を左へと大きく逸らせつつ述べる。

 

「そ、そうだよな(正論だが、死にに行くようなもんだろ。何とか引き延ばさねぇと)」

 

 あくまでも姑息にこの場へ留まる現状維持に(すが)ろうとしていた。

 だけど、そんな虚しい抵抗にも、遂に終止符の時間帯が訪れる。

 クダラナイ言い訳を真剣に必死で考えているイグヴァルジの傍にいた『クラルグラ』の仲間が、少し離れた空を見て叫ぶ。

 

「お、おい。あの竜達、こっちに進んでくるぞっ」

「え゛っ?」

「なにっ!」

 

 戦地復帰への進言に来た部隊員とイグヴァルジが、慌ててその方向へ振り向いた。

 すると、遠目にも屈強だと分かる竜兵を先頭に、数頭で組む編隊の姿は次第に部隊員達の視界内へ大きく映っていくのであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. その楽しげな契機(ケーキ)はアインズの誤算から始まった

 

 竜王の放った超火炎砲〈獄陽紅炎砲(ヘル・プロミネンス・バスター)〉が、遠方から突然の流れ弾として飛来し、それを上手く利用してボウロロープ侯爵を屠った仮面姿のアインズ。

 空中に佇んでいると、〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉を解いて帰還して来た鎧姿のルーべ(ルベド)が現れた。

 

「三つ子姉妹の二人のついでで、他の〝蒼の薔薇〟のメンバーも助けた」

「そうか……よくやった」

 

 同好会活動を優先しつつも、恐らく彼女なりに今後の竜王国への展開を気に掛けてくれたのだろう。ここは、褒めつつ撫でておく。――このナデが意外に大きかったと後で知る事になる。

 彼女だけが『失敗する事もある主人』と気付いているのを知らない彼は、有能な支配者らしく振る舞いルーべへと尋ねる。

 

「周辺に我々と〝六腕〟以外に生存者はいるか?」

 

 目撃者がいるとマズイので、可能性は全て消しておくべきと合理的に進める。

 

「……9人いるけど」

「方角と距離はどれぐらいだ?」

 

 広域探知によりルーベがそれぞれを遠く可愛く指さし、距離とさり気なく標的の状態も同時に教えてくれた。弱っていなければ逃げられる可能性があるのだ。ただ、どうやら全員が保存食を取りに来た民兵らしい。

 聞き終えると、アインズは『六腕』達の所へ戻りゼヴィエスの姿になると、サキュロント以外へと先程の標的の始末を指示した。獲物に近い者が2つ担当する形。

 善寄りのルーベへ気軽に殺しをさせるのは気が引けたのだ。何かの間違いで、堕天使になられても非常に困る。

 『六腕』達の態度は先程までと更に違って見えた。それもそのはず。先の巨大爆発の規模を考えるとアインズが守ってくれなければ大怪我か最悪死んでいたかもしれないのだ。

 

「ゼヴィエスさん、了解しました。雑用は任せて下さい」

 

 恩義も加わりゼロをはじめ、当然と言う形で皆が指示に従って散って行った。

 また、残したサキュロントにも大きな仕事を与える。

 彼を使うのは、幻術を戦闘で使わなければ割と平凡な強さなので、『〝六腕〟だと一番気付かれ(にく)い』ためだ。表面的な姿も変えられるし、弱い者にも利点は存在するのである。

 そして何を指示するのかと言うと――。

 

「サキュロント。お前には〝ズーラーノーン〟の妨害工作を命じる」

「えっ? 私が……ですか……?」

 

 結構な大役である。何故なら、極悪な仕事を日常的に熟す『八本指』でさえも、狂った秘密結社『ズーラーノーン』とは事を構えたくないからだ。仮に破壊工作なりが成功し『八本指』の関与がバレると一大事となる可能性を抱える。

 

(俺の力じゃ、そんな大役無理。絶対無理です、ゴウンさんっ)

 

 額に汗を浮かべたサキュロントは、目を見開き視線を左右へ彷徨わせ、何となく普段優しいルーベに視線を向けた。しかし、小首を「ん?」と可愛い気に(かし)げられて終わった……助け舟は出ず。

 仕方なく自身で、なんとかこの件に相応しくない理由を考え言葉を捻り出す。

 

「恐れながら、流石に私一人……という事では時間が掛かってしまうのではと」

 

 これに対し、ゼヴィエスは雰囲気を穏やかにして語る。

 

「問題ない。()()()()()()付けてやろう」

「えっ、手下ですか?」

「そうだ」

 

 

 それから、40分程でゼロやエドストレーム達が容易く一仕事を終えて戻って来た。

 躯は放置すると謎を残すので、発見されないように移動なり埋めるなりでキッチリ隠させた。

 

「ゼヴィエスさん、無事に始末は終わりましたぜ」

「苦労」

「……あの、サキュロントのやつは?」

 

 ゼロは舎弟的な仲間の居ない状況に一応尋ねてきた。

 

「ん、実はな――」

 

 『〝六腕〟だと一番気付かれ難い』という理由と共に、サキュロントへ重要な『〝ズーラーノーン〟の妨害工作』の仕事を与えたとゼヴィエスは語った。

 ゼロをはじめ『六腕』メンバーは、奴一人でどうするのかと内心で驚く。

 しかし盟主から、()()()()()の話を聞いて全員が絶句した。

 

 サキュロントは戦場の外縁を疾走し移動していた。

 

(ひぃぃ。こ、これは夢じゃないのかよぉぉぉーーーっ)

 

 彼は先頭を進む。二列縦隊を組む10体の地を滑る死の騎士(デス・ナイト)の肩に乗せられ共に――。

 故ボウロロープ侯爵の陣地跡周辺に、騎士達の死体が一杯転がっていたので有効利用したのだ。

 アインズが命じればサキュロントへある程度の範囲で従わせるのも特に問題はなかった。

 問題がありそうなのは、サキュロントの精神状態かもしれない……。

 

 

 

 ゼヴィエス達が故ボウロロープ侯の陣地跡の傍から撤退を始めたのは、侯爵死亡の約80分後となる開戦5日目に入る直前頃であった。

 ゼロ達には穀倉地帯中央の大森林内を迂回通過して大都市リ・ボウロロールへの大街道傍沿いでの最終的な王都帰還を命じた。リ・ボウロロール防衛はボウロロープ伯爵の要望でもあったため、その辺りへ終戦まで『六腕』が徘徊潜伏しておけば『八本指』としてリットン伯爵ら反国王派貴族達へ色々言い訳も立つと考えての指示。

 今後、竜王と対決する盟主には足手まといでしかない事が、『六腕』達も先の大爆発で理解出来ている。

 

「では、ゼヴィエスさん。討伐後の王都凱旋を我ら〝八本指〟の一同は楽しみにしてますので」

「任せておけ」

 

 盟主の自信溢れる言葉を聞き、ゼロ達は素直に指示へ従いこの場を去って行く。

 一応、仲間の行動に関してサキュロントへも、アインズが周辺を回って10体もの死の騎士(デス・ナイト)を連れて共同野営地へ戻って来た折に、盟主の口から直接伝えてある。

 任務とは言え、恐るべきアンデッド達と戦地に残される彼は不安そうな表情をしていたが……。でも仲間にデイバーノックが居たことは大きい。サキュロントはパニックに成らず済んだ。

 『六腕』を見送ったゼヴィエスとルーベはこの後、王都の北方で警戒する偽アインズ達に合流しようと動き始めるが、その時。

 ゼヴィエスの思考へ聞きなれた着信電子音が鳴り、可愛く元気な声が聞こえて来る。

 

『あのっ、アインズ様、アウラですが。今、よろしいですか?』

「うむ、大丈夫だ(あっ)」

 

 支配者はシャルティア経由でアウラへと、確か1時間半程前に竜兵4匹の調教(テイム)を頼んだところだと思い出す。それを生かす用件はもう終わったのだが、問題でも起こったのかと急がない支配者は続けて気軽に尋ねる。

 

「何かあったのか?」

 

 難題事があれば、「ゆっくりでいいぞ」とも言えるとして。

 するとアウラは可愛く告げて来る。

 

『――テイム完了ですっ! 御命令のあった竜達4匹はどうしましょう。お持ちしましょうか?』

「(えっ、もう?! ちょ、ちょっと早くないか? あ、〝今日明日中〟と言った気が。うわぁ、どうする)……」

 

 命じられた仕事が終わって明るい声のアウラ。間違いなく急いで頑張ってくれたのだろうと、アインズは――しまったと気付く。

 努力した可愛いNPCに、とても「もういらない」とは言えない。

 それはつまり、闇妖精()()の姉を悲しませる悲劇に――隣で仁王立ちしているルーべ(ルベド)がナザリックの平和崩壊の手ぐすねを引いて待っているようにも思え俄然恐怖するっ。

 〈伝言(メッセージ)〉なので会話に注意すればこの場に限り大丈夫ではあろう。しかし危険だ――これは理屈では無い。ナザリックに戻れば、いつかルベドの耳に入る可能性は残り続ける。

 何故、(絶対的支配者)はジワリと追い詰められているのだろうか。

 でも易々とこの場で屈する訳にもいかない。

 声が出るので〈自己時間加速(タイム・アクセラレーター)〉も使えず、只一瞬の閃きにアインズは賭けた。

 

(竜兵達を使って、使って……ええっと何か、殺すヤツ、この戦場で………あっ!)

 

 

 ――――いた。 

 

 

 無論、エ・ランテルのミスリル級冒険者チームの連中(イグヴァルジら)である。

 平和は守り継続されてこそ意味を持つのだ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. エ・ランテル冒険者組合所属 ミスリル級冒険者チーム『クラルグラ』の最後 完結編

 

 

 程なくイグヴァルジ達6名を囲むように、()()()()が上空で旋回包囲した。

 『クラルグラ』らのミスリル級部隊は、開戦から今日までの戦いで複数の竜兵を同時で相手にした事は一度もない。

 

(ぁぁあ……、なんてことだよぉ……)

 

 イグヴァルジは完全に絶望感で追い詰められ、表情だけでなく体と心さえも固まった。

 ――彼の耳には、何故か耳障りな()()()()()()までが聞こえてきた。

 しかし、慌てる仲間達の激しい大声が掛かり我に返る。

 

「おいリーダー、どうするよ!」

「部隊長っ! 戦うしかねぇぞ。もう逃げ場はないし」

「(えっ、逃げずに戦う気か? マジかよ)ぁ、ああ……」

 

 思わず返事を返したものの、イグヴァルジはまた――『クラルグラ』のメンバーさえも犠牲にして逃げ出す手はないかと考え始めていた。

 戦うなど、先の十竜長の戦いで十分懲りている。

 

(腰の剣にはヒビが入っちまってるんだ。もう直す手はねぇし折れたら、本当に自身を守る手段を失っちまう)

 

 僅かに散開しつつも依然まごまごしている冒険者共の前へと、1頭の貫禄ある巨体の竜兵が降り立つ。難度159の個体だ。東部戦線の竜兵達は、負荷が掛けられた様に些か動作面で鈍くなっているという話も、この4頭は随分元気そうに映る。

 見るからに筋骨隆々とした怪物は、地上を這うように馳せる他チームの1名をあっさりと前足の爪で真っ二つに惨殺。もう一人へは鋭い踏み込みのあと、巨大な足先でただ蹴り上げた。冒険者の上半身が鎧ごと粉砕されて下半身が後方へと転がった。

 

「「「――っ!?」」」

 

 正に竜長級のその動きは先の十竜長よりも圧倒的に早く、とうに疲弊しきっていたイグヴァルジ達は遂にその場へとへたり込む者も出て固まった。

 周辺には『クラルグラ』の4人しかおらず冒険者部隊の援軍は見込めず。王国軍陣地もずっと離れている場所だ。

 イグヴァルジがわざわざ選んだ逃避の場所が――ここぞと言うタイミングで裏目に出ていた。

 

(うぅっ、俺はこんな所で見すぼらしく終わるのかよ……)

 

 彼はガックリと頭を下げ、地面へ視線を落とした。

 英雄を夢見て都市へ出てきた当時からの記憶が、走馬燈のように脳裏を駆けていく。

 それなりに楽しかったなと――だが、彼の往生際は悪かった。

 

(やっぱ、い、いやだ。死にたくない。俺はエ・ランテルの冒険者組合長になるんだよ。イイ女をもっとコマすんだよっ。……こうなれば、仲間の3人をあの降り立ってる竜へ突撃させて、その隙に逃げ出そう)

 

 無茶苦茶な願望を纏めて顔を上げた時、イグヴァルジは自分の視線の先に立つ()()に驚く。

 他の仲間3人も硬直していた。まるで、忽然とこの場へと()()が現れた驚きの表情のままで。

 だがソイツはどう見ても、『クラルグラ』のメンバー全員が知っている顔であった。

 

 

 凄く小柄の綺麗な金髪で褐色の肌の美少女で、純白のローブを纏う――――モモンの相棒。

 

 

 イグヴァルジは声にならない音を上げた。

 

「――ぁはっぁ?!」

 

 意味が分からない。一体全体どういう事なのか。なぜコノ少女がココにいるのか。竜兵が彼女を襲わないのさえ、全てが謎であった。

 ただ先程から近場で、鋭い風切り音が聞こえると思っていたが、その原因を知る事は出来た。

 フードを被り前髪で両目の暗い暗い闇の瞳が見えない少女は、立派な紅い木の杖の細い部分を両手でしっかりと握っている。

 

 そして――高速スイングの練習を熟すかの素振りを何度も何度も何度も繰り返していた……。

 

 振りきる時間と、振るまでのおどおどした動作の時間差がありすぎて不気味さを倍増した。

 イグヴァルジは余りに理解不能な全ての状況から、悲鳴に近い声を喉から飛び出させる。

 

「……きひぃぃぃ、なに、なんだよっ、オマエ!?」

 

 漸くここで、少女は静かな口調ながら、怒気を乗せてハッキリと意志を伝える。

 

「ゆ、許さない。ぼくの大切なあの方を侮辱する人間は、ぼ、ぼくがちゃんと懲らしめます」

 

 マーレは、その一途な想いでこの場へとわざわざ来ていた。

 竜達には優しく「あ、あの。ぼ、ぼくの目撃者を出さないようにお願いします」と告げ『殺せ』とは伝えていなかったが、結果的に他チームの冒険者は死亡する事になってしまった。マーレとしてはこの結果を、特に気にしていないが。

 さて闇妖精(ダークエルフ)の妹がここにいると言う事は――。

 

* * *

 

 この一件は、連中への処罰実行を待ち望むマーレに頼む方がいいのかもしれない、と絶対的支配者は天使危機を回避しつつ刹那で同時に判断した。

 でもその前に彼は、短時間で指令を終了し「テイム完了」と報告した配下へ対し、言葉を贈るのを忘れない。

 

「――そうかアウラ、流石だな」

『ありがとうございます、アインズ様っ』

 

 敬愛する支配者からのお褒めの言葉にアウラは純粋に喜ぶ。後日、トブの大森林でのお散歩もあり随分と張り切ったのだ。それが報われたと上機嫌。

 そこに至高の御方の声が続く。

 

「実は以前から考えていた不快な人間のチームの処分事があってな。竜兵の駒を探していたのだ。それをアウラへ調教して貰ったわけだ」

『……不快な人間共ですかっ?』

 

 元気で高い声のトーンが、一オクターブ急に下がっていた。

 ナザリックの支配者を不快にするものは、地下大墳墓全体の敵である。即時、殲滅するのは当然の処置と言える。アウラは御方の行動になるほどと思いつつ、出来れば自分がという思いが湧く。

 だがそれは、主の話す内容を聞き、考えを変えた。

 

「この件には、アウラの(しつけ)た竜達と共にマーレを当てようと思う。あの子は私への不快な状況を目の当たりにしつつも私が何度か我慢させた上に、自分への変な言葉にも耐えていたからな」

『――っ!』

 

 アインズ様への無礼が最も許せないが、その上に妹までも被害に遭っているというのであれば譲るほかない。アウラ自身もその人間共を懲らしめたいが、この場は可愛い妹へ花を持たせるのが姉というものだろうと彼女は聞き分けた。

 

『分かりました。是非、その役はマーレにお願いしますっ』

「うむ。それで一点頼みたいことがある」

『はいっ、何でしょうか?』

「実は――」

 

 支配者の説明を聞いたアウラは納得し、処刑は標的の行動状況で調整される事になった。

 流石に目撃者の大勢いる戦場のど真ん中では後処理が大変になる恐れも発生するからだ。

 標的の行動監視を第九階層の統合管制室に依頼し機会を待った。それは依頼のあと数時間後の朝に訪れた。

 連絡を受けたアウラが、偽モモンであるパンドラズ・アクターへ事の次第を〈伝言〉し、〈時間(タイム・)停止(ストップ)〉を掛けて貰い入れ替わる。暫くの間、フードを深く被った姉がマーベロ役を「す、少し喉がヘンですが、今日もぼく頑張ります」と熱演中である。

 

* * *

 

 追い詰められたイグヴァルジは今、目に映っている事だけを考える。

 目前でおどおどする小娘の魔法詠唱者の名前は、確かマーベロとかいったはず。

 この場へ娘が現れて以来、凶暴で恐ろしい存在だった地上の竜長はナゼか動かず、長い首を伸ばしてこちらの様子を大人しく見ているだけ。

 (イグヴァルジ)の思考は、ある想像を都合良く閃く。

 

(もしかして、この娘がいれば竜達は襲ってこねぇんじゃねぇか……? つまりコイツに俺様の言う事を聞かせれば脱出出来るっ)

 

 それは確かに正解である。ただし実行出来ればであるが。

 イグヴァルジは迷うことなく、その自分の妄想へとしがみ付きマーベロへと語り掛ける。

 

「な、なぁ。お前、確か名前はマーベロっていったよな?」

「……は、はい」

 

 未だナザリック関連の存在は公に明かせない以上、彼女はマーベロの名をひとまず肯定する。

 それは、偉大な支配者の治める栄光あるナザリックでの呼び名で創造主の付けてくれた名前を、この人間に知らせる必要もないと考えたからでもある。

 対して、自分の言葉へそのビクリとしてみせた態度に、イグヴァルジへ少し余裕が戻る。

 

(へへっ、コイツ、男である俺に怯えてやがるぜ。何とかしてみせるぜ、俺様はっ)

 

 己の妄想に自信を深めると、この男は調子に乗り始めた。上から目線といい、よせばいいのに。

 

「マーベロちゃんよぉ、お前も日々、色々大変なんだろ? あんなデカイ男の夜の相手とか、な」

「……」

 

 全身鎧姿のモモンはイグヴァルジより一回り以上大きかった。

 そんな大男の相手を、小さい身体でとなれば大変かもしれない。イロイロと。

 姉より幾分マセるマーレは、まだ無いが支配者との本格的な夜を想い僅かに頬が赤くなる。両の瞳が薄い灰色まで戻ってきた。

 意外にここまでは、イグヴァルジが善戦しているかに見えた。

 しかし。

 

「な、あんな図体だけのカス男、ひでえ事しかしねぇだろ? 夜も力任せのゲスで、性格も最低のはずだぜ。だがな俺は違う。安心しろよ。俺ならお前を救ってやれる。金も持ってるぜ。おっと、俺は嘘は言わねぇよっ」

「…………………――ゥッ!」

 

 果てしない怒りの我慢の限界に、烈火の吐息がLv.100の闇妖精(ダークエルフ)の口から漏れた。

 後方に立っていた十竜長は、野性的に死の危険を感じ20歩ほども後退していく。

 

 この愚かなる(イグヴァルジ)は――既に地獄が広がる底さえも、一気に踏み抜いてしまったのだ……。

 

 忠誠心溢れる子の怒る大火に油を注ぎ過ぎていた。マーレは、もはや素振りさえやめていた。

 両手に握っていた頑丈な紅い杖が少女の跳ね上がった握力に軋みを上げる。暗い暗い底の見えない瞳に戻った俯き気味のマーレは、振り上げていた杖を静かに下ろしていく。

 単なる撲殺は、ナザリック地下大墳墓の罰において、慈悲深き救いの領域。

 少女はこの目の前の人間に対して「それは明らかに間違っている」と感じていた。

 でもご都合主義のイグヴァルジ達は、素振りが止まりきっと娘の気が変わったのだと笑顔を浮かべる。

 だから彼は近くに居た仲間と、ゆっくりと顔を上げたマーレの表情を正面から見てしまう。

 その果てしなく暗く、全ての幸運を闇へと飲み込んでいく漆黒の瞳を。

 イグヴァルジ達は、笑顔から見てはイケナイものをみた恐怖に顔を引きつらせ震えがきていた。

 地獄の使者と化したマーレは首を壊れた人形の様にコトリと傾けて、愚かな連中に告げる。

 

「た、叩いて終わりにしようかと思ったけど、も、もう――生ぬるいよね?」

「え゛っ?」

 

 同意を求められたイグヴァルジは疑問の声を上げたが、光射す外の記憶があったのはここまで。

 

 

 ()()()()()()冒険者だった彼は、静かに意識が戻り気付く。そこは、漆黒の不気味な空間。

 

(あぁぁ、まだ生きてるのか俺は………)

 

 完全に真っ暗である。ここには一切の光がなかった。

 あれから一体何日経ったのだろう。薄い顎髭の肌への感触で時間の流れを知る。

 ただただ、背筋が凍るような不快感がまたも全身を一気に包み込んでいく。

 それが多数の虫だと初めから分かった。それも()まわしい油っぽい茶色い虫の記憶がある。独特の臭いで分かるのだ。なんせ、鼻からも入ってくるのだ、体内へと。口からも勿論だ。

 ただ、恐れていた耳からの侵入はナゼか無い。

 そんな(おぞ)ましい状況ながら、両手は背中側で両足も足首と膝を縛られ足の立つ位置で吊るされており、ボロ切れを纏い何も抵抗は出来ない体勢。

 口には閉じる事の出来ない大きい穴の開くかませが付けられ、虫を噛み潰すことも出来ない。

 

 

 彼は、この虫達によってのみ水分と糧を得て生かされている……。

 

 

 ここは永久の監獄、ナザリック地下大墳墓第二階層の一角。

 あれから仲間だった3人の姿を見る機会は未だ無い――。

 

 

 

 結局マーレは、イグヴァルジ達の意識を奪うと、生かしてナザリックまで連れて来る。

 それは彼女が現場からの〈伝言(メッセージ)〉で、シャルティアらと合流していたアインズへ経緯を話し相談した結果の指示によるものであったから。

 

『あ、あの、どうしても許せないんですけど、ほくでは酷い処罰を思いつけなくて……』

 

 マーレには打撃とその痛みによる処刑しか思いつかなかった。しかしそれは慈悲深すぎると。

 配下の思いを聞いた支配者はそこからすぐ引き継ぐ。ふと情操面を考えてだ。

 

「マーレは十分働き、ヤツラを強く追い込んだと思うぞ、よくやった。その連中はナザリックへ連れて帰ってこい。私も向かう。お前の怒りの分も込めて十分相応しい罰を私が与えよう。最終的にまたマーレへ頼むかもしれない」

『は、はい。お願いします、モ――アインズ様』

 

 マーレとしては、とりあえず不届き者らに失神するほどの打撃を与え、御方から労いとお褒めの言葉を貰えた事で随分溜飲は下がった。

 長い(みそぎ)のあとで、悔い改まったのちにスイング打撃を与えるとの事で少女は満足した。

 こうして、ニューロニスト監修での5つの段階の第一弾として恐怖公の協力と、エントマへ密かなおやつタイムに合わせたかの新たな日課が加わった。

 

(あのハレンチな人間(ニグン)さえぇ、とてもお優しいアインズ様から大罪を許されたというのにぃ。コイツらは余程の愚か者ですぅ。厳しくしますぅ)

 

 第二階層の通路を歩きながら、配下のニグン以上に御方から怒りを買うとはと、随分な酷さに呆れ強い対処を決意した蟲愛でるメイド。

 やはり『クラルグラ』の4人は、もはや運が尽きているのかもしれない……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 残っていたお仕事も天使(ルベド)あれば憂いなし

 

 

 絶体絶命であったラキュースとイビルアイを無事救出したアインズ。

 いよいよとなった『反撃』について少し語り合った彼等は間もなく解散する。

 先に去っていくのは匍匐飛行の〈飛行(フライ)〉によるラキュース達であった。竜王の飛び去った逆方向から迂回する形での移動。

 さて、残るアインズ達だが、実はまだ『とても重要な仕事』が一つ残っていた。

 それを気付かせたのは――ルベドである。

 

 竜王ゼザリオルグはこの(あと)、殺したはずの人間2体が助けられて生き残っているとは知らないままで、1時間程を新竜王隊と上機嫌で過ごしている。救出の場面では、先の人間共よりもずっと重要な謎の魔法詠唱(マジック・キャス)(ター)達の姿もあったはずなのにだ。

 それはオカシイのである。なぜなら――竜王と人間2体が戦っているのを監視していた竜兵が居て、竜王の憤慨する内容の報告を赤裸々に聞くはずなのだから……。

 因みにゼザリオルグがあの(あと)直ぐ、監視で位置を知っていた『イジャニーヤ』達の野営地を襲わなかったのは依然不明な『ナニカ』の存在に加え、吸血鬼の魔法詠唱者と『なにか』を失った人間共の部隊がどう出て来るか見モノと思った次第である。

 

 天使(ルベド)は先程、『反撃』についてラキュース達と語らう絶対的支配者へと、合間に〈伝言(メッセージ)〉の小声で連絡していた。

 

『今、戦場内で、三つ子姉妹の傍の高い空を飛び続ける竜達が5匹程いる。そしてあれも――その内の1匹だと思う』

 

 ルベドの視線が、この場の近い場所で高い宙を舞う竜兵へと注がれていた。

 

「――っ(そうか、なるほどな)!」

 

 絶対的支配者は、何故ラキュース達が強襲を受けたのかをこの時に理解する。次に当然、その対応に動くのである。

 

 この時、上空に髙く舞う難度117の竜兵は、やはりその高き場所より克明に地表での出来事の一部始終を見ていた。

 

「……(竜王様が倒しタはずの人間達が――何者カに助けられ生き残っテいるっ。陣内に現れたと聞く()()魔法詠唱(マジック・キャス)(ター)と、仲間の剣士……カ?)」

 

 そう、先程王国軍の小陣地の兵達が高き空に見た竜兵は監視任務につく部隊の1頭であった。

 彼は5体組側の人間2体が低空を飛行し去る光景を見送り、残った2体の動向を連絡係の竜兵が来るまで張り付いているつもりであった。

 だが、その地上にいた人間2体が――()()突如消えた。

 監視の竜兵は、先程も連中が姿をくらました場面を思い出す。

 

(消えタ。……恐らく〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉カ?)

 

 敵の行動から想定し、その自慢の視力で周辺の広い地表を探索する。〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉の場合は百メートル前後から数百メートル程の移動が多いという事を、彼は物知りな百竜長のドルビオラから聞いていた事で冷静に対処し始めた。

 今は夕刻前のまだ明るい時間。しかしふと、彼は自慢の長い首の竜頭の鼻先に何やら伸びる僅かな影を感じた。

 竜眼の視線を僅かに上に振ると――頭上に2対の足底が見えた。そして人間程度の細い脚が4本天に伸びる。

 

「なっ!?」

 

 戦慄した竜兵の巨体へ、強烈な悪寒が走っていく。

 ゆっくりと見上げると……漆黒のローブが風にはためくも〈静寂(サイレンス)〉により何も聞こえない魔法(マジック)詠唱者(・キャスター)と白い鎧の剣士が居た。

 

「――――(ぁわわわ)」

「〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉っ!」

 

 監視担当の竜兵の記憶は、『竜王様に蹴り飛ばされた哀れで無残な人間の死体を1体だけ見た』というものへと無事すり替えられた。

 記憶の改竄と平行して死体も用意させる。記憶操作中は手が離せないので、そちらはルベド側へ振っている。

 まず、負傷していたハンゾウをルベドに巻物(スクロール)で治療させた。次はハンゾウに兵士の死体を急ぎ探させ、金髪の女剣士へと幻術で擬装し定位置へ配置で準備完了。ハンゾウは、そのままイビルアイらを追わせた。

 姉妹大好き天使のお陰で、支配者は反撃のその瞬間まで竜王にその存在を知られずに済んだ。

 これは先日、姉妹関連でイビルアイとガガーランをついでで助けた折に支配者から褒められた事で、些か勤労へ目覚め掛けているのであるっ。

 無論、魔法終了直後の転移先でルベドが主人からお褒めの言葉と、ご褒美のナデを貰ったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 竜王国VS『ビーストマンの国』の近況は?

 

 

 闇夜の中、竜王国の東方三都市の一つ、『東方第二都市』を囲う高い外周壁上の一角。

 血まみれた石床の狭き戦場の中、鋭い斬撃が倒すべき互いの敵へと容赦なく振り下ろされる。

 

「ギャァァァーーーーーーーっ!」

 

 また竜王国軍兵が一人、精強なビーストマン兵に切り捨てられ城壁上の混戦の中に崩れ落ちた。

 

「衛生班は? 衛生兵っ!」

「もうだめだぁぁ」

 

 弱音を吐く兵達を部隊長が叱咤する。

 

「諦めるなっ! 応援も来る。ここを抜かれたらあとが無いぞ」

 

 続いて奮闘する冒険者達も周囲を激しく鼓舞した。

 

「絶対死守しろっ。押し返せぇ。お前達、家族を殺されたいのかぁぁ!」

「「「うおぉぉぉーーーーっ!」」」

 

 前線部は、毎日毎日毎日毎日――退くも地獄、進むも地獄である。そしてまた夜が一つ明ける。

 人間を餌か奴隷だと考える屈強なビーストマン達の大軍勢を相手に、かれこれ2カ月近く奮戦中だ。

 町中全てが死と隣り合わせの光景が広がり、連日数百名を数える死者が出続けている。最早その総数は、死体を埋める作業や場所で困る程に達していた。

 一応先日、女王陛下の指示でこの東部にある3つの各都市へ1万ずつの増援と食料が到着し、城塞都市の兵力は回復。敵との拮抗状態が今のところは守られている。だが再び兵力は目減りしており、三都市合計で14万に近付きつつある。

 また、東方三都市へは周辺の住民の多くが避難で雪崩れ込んでおり、食料に関して逼迫しかねない問題は継続して残る。

 ただ、首都の軍司令部はそれよりも、このままでは先に敵増援の攻撃で突破される方が早いと見ているが……。

 

 

 竜王国には中央から結構北西寄りの地域に首都『竜王都』が置かれている。その高い外周壁が囲む都市内から、南から西へと海の如き巨大湖が臨める高台に立つ王城内の宮殿一室。

 夏の快晴の空の下、その開け放たれた高く広い窓近くのテーブル席へ、一人の長い薄緑色髪で美しい姫君が腰掛けて北西の方向を愛おしそうに待ち侘びて眺めている。

 

「ああ、モモン様……(早く、1日も早くのお越しを、(わたくし)はお待ちしております)」

 

 竜王国女王の若き妹、ザクソラディオネ・オーリウクルスがリ・エスティーゼ王国東端の城塞都市エ・ランテルにて、冒険者組合所属の白金(プラチナ)級冒険者チーム『漆黒』のリーダーと約束を交わしてから今日で24日目。既に3週間以上が経つ。

 当初、持ちこたえられないのではと思われていた東の3つの小都市を結ぶ絶対防衛線は、首都からの増援が功を奏したようで、本日まで辛くも耐え凌いでいる。

 風の噂では、スレイン法国からの援軍が潜入しているとの話も流れ、首都と周辺の士気は依然まずまずであった。

 ザクソラディオネの姉である女王ドラウディロンと宰相や側近達は、連日前線から届く戦況報告と作戦会議等でほぼ城内に軟禁状態といえる有り様。

 まあ女王は、幼女的天真爛漫さを作る部分で疲れているだけなのだが。

 しかし、多忙も国を預かり動かす者の使命であろうと、妹は豊かな胸元へ祈るように手を組み合わせ目を閉じる。

 

(いつも国民と共に。姉上や皆の心血を注ぐ戦いが報われますように)

 

 そう静かに祈るのみであった。今の彼女に出来ることは限られている。

 万が一、王城へ憎き怨敵のビーストマン達が大挙して攻め込んでくれば、穢される前に決死の戦いを見せるつもりである。しかし、出来れば漆黒の戦士様との先の未来も見てみたい。

 身分差から禁断の恋なのかもしれないが。

 ただ、幸いなことにザクソラディオネは女王の妹。この『最終戦争』とも言える国家存亡の大戦において彼の武功により、我が国で爵位を得られれば絶対無理な話とまではいかないはずである。

 彼女はそれに大きく淡い期待を寄せていた……。

 

(難度30以上とも聞く強いビーストマン兵を10体倒せば名誉騎士にはなれるはず。あ、でも流石にその身分では厳しいかしら……。せめてモモン様には一部隊を率いて頂き、敵の大隊を蹴散らしてもらえれば、準男爵辺りを封爵していただけるように姉上へお願いして差し上げましょう)

 

 少しグレーな手段での未来予想図を、ザクソラディオネは熱く妄想して過ごしている。

 

 

 姉の竜王国女王ドラウディロンは、ずっとギリギリの東部絶対防衛戦線の戦況に胃が痛い。

 すでに首都とその周辺地域に予備戦力は一兵も存在せず。

 つまり、防衛で手一杯であり、3つの城塞都市から打って出る戦力が存在しない。

 このままでは、『ビーストマンの国』から増援軍の来襲により、東部の絶対防衛線は容易く崩壊し突破されよう。

 その最大の対策として――スレイン法国への救援派遣要請は当然続けていた。

 宰相は、連日続く重苦しい会議の中で大臣へと確認する。

 

「……本日もまだ、スレイン法国からの使者は来ていないのだな?」

「はい。誠に残念ながら未だに」

「そうか」

 

 宰相は、ニコニコ微笑み続ける女王に代わり、残念そうに難しい顔で視線を落とした。

 席に着いた臣下達の居並ぶ会議室の大机の最奥。

 そこに置かれた玉座で、愛らしく幼い姿の女王は静かに座っている。

 

「……(むぅぅ)」

 

 彼女は、顔で笑って内心で唸っていた……。

 東部の都市では噂が流れているのに、どういうことなのかと。

 

(ずっと訳が分からんな……情報封鎖という流れとみるべきかの)

 

 スレイン法国は近年、竜王国への『ビーストマンの国』の侵攻を、派遣した精強な特殊部隊の援軍で何度か撃退している。

 此度は、大規模な敵の侵攻軍である為、法国は特殊部隊の精鋭で特別強力な斥候などを寄越している可能性があり、まだ使者が来ていないのはその所為かもと、女王は考えを巡らす。

 

 表には出せないが、一説には白髪の老紳士的戦士と黒衣の美少女で『聖者』とも聞く――。

 

 とりあえず、スレイン法国は動いてくれている様子なので、この場では次の議題へと移った。

 進行役の文官が説明し始める。

 

「では次ですが、妹殿下がお持ち帰り頂いたリ・エスティーゼ王国の都市、エ・ランテルの冒険者の件ですな。先日より約束の時期に入って来ており、そろそろ到着近しと思いますが」

 

 それはカッツェ平野を挟んだ国、王国からの援軍の話である。

 冒険者等は軍隊と異なる為、スレイン法国の街道沿いで来ると思われる。

 

「うむ、そうだな。現状で予備戦力はないが、彼等の到着次第で話は大きく変わって来る」

 

 女王の傍へ座る宰相が、頷きながら要点に触れた。

 あくまでも到着した場合の話とはいえ、実際に下準備を進めなければ急には動けない。それに、『ビーストマンの国』にとっては想定外の動きであり、与えるインパクトも強く期待出来る。

 援軍がスレイン法国だけではないとなれば、未来の戦争が抑止出来る展望さえ生まれる。決して小さな動きではないのだ。

 そして優秀な冒険者達を首都内へ置く事で、兵力を動かせる可能性も発生する。それをビーストマンの軍への攻撃戦力に使おうという考えだ。そのためには到着までにある程度、冒険者達の戦力規模に対してどれぐらい動かすかと同時に、兵糧の手配を検討しておくべきだろう。

 到着戦力の分析から派遣兵力を決定し、準備した兵糧を持って速やかに行軍し侵略軍を撃破・撤退させるのが最終目的となる。

 また行軍の際、誤認で問題が起こらぬように途中の街や村の駐留部隊へ知らせたり、水の補給などの援助準備や野営地手配の指示も必要だ。

 援軍到着に対する段階的な項目が、宰相を中心にして割とスムーズに決まってゆく。

 だが、作り笑顔の女王の心の中に一つ引っ掛かっている事がある。

 

 妹が王国で会ったと聞いた冒険者の――モモンという男の戦士の事だ。

 

 最近、日頃のザクソラディオネの様子から、只ならぬ恋慕の雰囲気を感じている。

 別に恋へ縁のない自分より先取っているからと(ひが)む訳では決してないが、些か問題が大きい。

 

(恋心か……一体どんなものか。女の幸せとは……)

 

 モモンなる彼は、他国者で更にどこの馬の骨とも知れぬ平民の男である。

 話を聞けば、確かに『竜に怯えない勇敢さ』と『妹へ不埒な要求をしなかった誠実さ』は認める所。オマケに援軍が来て国の危機が救われた場合、彼の貢献は目立つものに育つ。

 しかし婚姻となると別問題である。

 

(きっと優しく真面(まとも)な男なのだろうな……)

 

 不意に女王は幼女姿での、変態アダマンタイト級冒険者への夜の餌食になる未来が脳裏へ過る。

 国事に比し、貞操の方が軽い扱いとも言えた。傷つこうとも一時的な状況であると……。

 対して婚姻は竜王国の王家、オーリウクルス家の格へ影響してしまう。

 ()()()(ひが)()()()()()が、ジャマをするべきかもしれないと姉は考える。

 

(……ザクソリーよ、残念だが今のままでは決して縁談は認められぬぞ)

 

 会議が進む中で、姉は妹への心配に(しば)し思考を占有されていた。

 

 さて、国内の諸案件も幾つか片付けた頃、時刻は正午へと近付く。

 昼食になる為、一旦区切りの良い所で宰相が女王へと振る。

 

「陛下、ここまでの案件、いかがでしょうか?」

 

 宰相とは事前に散々事案の内容を詰めており、それにほぼ沿って会議の決定は成されていた。

 なので、女王は場の者達へと明るく元気な声を掛ける。

 

「よし! ここまでの件、皆に任せたぞ!」

 

 守りたくなるような女王の幼げな言葉に、彼女を除く全員が一斉に起立する。

 続いて、宰相を除く大臣や臣下の貴族達のやる気に満ちた声が会議室内へと響いた。

 

「「「はっ! 女王陛下、お任せください!」」」

 

 

 

 

 『ビーストマンの国』の首都は、現在冷酷無比に侵攻し主戦場となっている竜王国の東方三都市から、間に小都市を一つ挟んだ120キロ程東で栄えている。

 首都都市部と郊外に住む亜人個体総数は約57万体。

 都市の中心近くには、国を治める白獅子顔の()()()閣下の住まう広い宮殿や中央議会堂など、政府機関の建物が置かれている。

 ただ、都市や各建物についてアーグランド評議国程のものではない。それは評議国が元は人間の都市を元にして発展したのに対し、ビーストマン達は隣国の人間達の建物文化を幾分取り入れたという程度だからだ。それでも(さら)って奴隷にした人間に、設計から作らせた建物も幾つか存在する。

 その一つに荘厳な石造りの外観を誇る軍総司令部がある。

 本日昼過ぎより、2階奥の大会議室にて大首領閣下以下国家の錚々(そうそう)たる顔ぶれが参加し『竜王国植民地化戦争』の進捗状況報告会が開かれていた。

 会議冒頭から、改めてこの戦争について一通りの経過が場に伝えられてゆく。

 

 此度の竜王国への侵攻は、国内において不足が心配される『人間』という重要消費資源の確保を求める主婦層からの強い要望に応えたものであった。

 長年続けて来た竜王国への人間狩りの攻撃情報から、スレイン法国側の介入度合や、竜王国自体の地理と軍備を調査把握した上での正に満を持しての出兵である。

 戦力は、銀色鎧の獅子顔将軍を総指令官に他三将軍と、兵力にビーストマン兵5万。更にスレイン法国への対抗戦力として、難度162の7メートル級ギラロン型ゴーレム1体を増派していた。

 万全の対処といえよう。

 侵攻開始からひと月半は、予定通り辺境地帯の街や村を襲いつつ、侵攻戦力を段階的に増やす形で順調に戦いを進めていく。計画の中では、竜王国側の兵らが東方地域に築いていた3つの城塞都市群へ立て籠って持久戦に持ち込み多少拮抗状態になる事も想定されていた。

 東方都市群の守備隊には多少手こずっていたが、それはゴーレムを温存しての状況でまだ十分余裕があった。

 だが、この勢いの良い流れに突如、異変か起こる。半月程前の夜中の事だ。

 竜王国内の前線野営司令所に温存駐機していた、虎の子であるギラロン型ゴーレムが何者かに完全破壊されたのであるっ。

 同夜、南の第三都市の市内侵入戦において、猛者で知られた虎顔の老副将親子が戦死。また、都市の北側でも圧倒的な力で潰された兵達の死体までも見つかった。

 加えてその4日後の第三都市の夜戦にて、都市外平地の味方陣内への敵潜入者により1300体以上の兵が惨殺され、後日、数百の死体が不明になるという異常事態までも発生――。

 その後も竜王国内侵攻軍は、敵の援軍3万の各都市への合流阻止にまで大きな被害を出し失敗しており、最早、本国の司令部も静観出来ない事態である。

 

 最前線で何かが起こっていた。

 

 敵城塞都市への攻撃は恐らく本日も続いているが、切り札も無く完全に膠着状態に陥っている。

 昨日までに届いた前線司令所からの報告で、侵攻からの死者数は予想を大幅に上回る5000体に達した。

 にわかに重い空気の中、手元に配られた戦況経過資料を眺めて、猫耳の可愛い黒豹顔の女将軍の一人が率直に場へと言葉を投げる。

 

「全く面白くない状況ですわね」

 

 それには先日、前線司令所から戻った豹顔の()()()()()()()の報告にあった『魔神』のような怪しげな存在への不快感も含まれる。

 7メートル級のギラロン型ゴーレムは『ビーストマンの国』にとって他国へ誇る重要な戦力の一つで、その恐るべき戦闘力を知らない者はこの場にいない。

 それが只の金属の砂山へ変えられてしまったという……。

 完全破壊により修復は不可能であり、強力な兵器の1体をこの国は永遠に失ったのだ。

 長年、この国を戦火から護っていた存在の損失は、周辺国との均衡へ影響が出かねない問題にも繋がっている。

 早急に、竜王国を攻略し植民地化することで他国に対し、国家の威信を取り戻さなければならなくなった。

 とはいえ大首領第二参謀が帰都して、早10日。

 当然であるが、既に『ビーストマンの国』は竜王国への報復も含めて強力に動き出していた。

 女将軍の言へ、魔法詠唱者風の灰色基調の衣装を纏う猫顔の()()()()()()()が口を開く。

 

 

「それはまあここまでの話です。さて皆さん、それでは我々側の猛撃と侵攻を始めましょうか」

 

 

 彼の言葉で、会議室の大机に座る将軍達や大臣に参謀らは、本日の本題である手元の資料の後半へと視線を進めた。

 そこには、先日集結を完了して小都市を出立し本日、竜王国の前線に到着する予定の猎豹(チーター)顔将軍らが率いる2万の兵力の他に、新たに3万の兵力が招集中と記されている。

 

 『ビーストマンの国』が此度の戦争へ投入する兵力は実に10万へ到達しようとしていた……。

 

 内容に目を通した会議の面々の雰囲気が好転する変化を見逃さず、大首領第一参謀は薄ら笑いにも見える余裕のある猫顔の表情で、長く立派な己の上唇髭を指で撫でつつ悠然と語る。

 

「暗躍するのは状況から判断すると、スレイン法国の手の者達でしょう。規模は10体程度の小隊規模かと。恐らくこれまで以上の精鋭と思われます。確かに連中は強い。しかしご安心ください。連中が一部の局地戦で勝利を続けたとしても、戦いの大局そのものを変える事は難しい。また先日こちらへ1300体もの損害を与えながら、やはり向こうも戦力を随分消耗したのか以後、大きな動きもありませんし。まあ依然として強者が残っている可能性はあります。しかしいずれ、他国の事で手に負えないとして、スゴスゴと撤退するはずですよ」

 

 会議の席へ座る多くの者が、彼の的を射た言葉に頷いた。

 そして更に――。

 会議には1体の亜人が賓客参加していた。

 赤黒い皮膚に長い髭が目立つ鎧姿の亜人は、4メートル程の巨体だが――人間にかなり近い姿をしている。

 ()は大陸中央部の六大国で、西方の大国の一つジャイアント達の国『統合同盟』からこの国に駐在している武官の一人である。

 『ビーストマンの国』は『統合同盟』と友好関係を持つ国家の一つ。

 人類圏でも国家や勢力が分かれている様に、ビーストマンも一枚岩ではなく、各陣営に散っている。

 それはある意味、種族の完全滅亡を防ぐ自然の知恵なのかもしれない。

 戦好きである巨人の武官が口許を緩ませて楽しそうに語る。

 

「ほう。中々面白そうなのが居そうであるな。閣下、吾輩もそこで少々遊ばせてもらってよろしいか?」

 

 狩りに行くかのような感覚といえば伝わるだろうか。

 

「ははは、お好きになされよ」

 

 大国の武官の申し出であり、大首領はこれを快諾した。

 どうやら、大陸中央にくすぶる火種が一つやってくるようである。

 

 

 

 『ビーストマンの国』が戦線の膠着状況を一気に崩すべく大きく動き出そうとする中、東方都市群の一つ『東方第三都市』には、栄光あるナザリック地下大墳墓の絶対的支配者から勅命を受け、静かに潜伏(自称)する2人の姿があった。

 雨が落ちる昼下がりの今、セバス・チャンとルプスレギナ・ベータは賃貸部屋を中心に過ごしている。

 先日、竜王国の首都から東方の三都市へ其々兵糧と援軍1万近くが加わり、ビーストマン側の兵力も程よく削って戦力が落ちてきており、攻撃頻度の低い昼間はここ数日少し余裕が出来ていた。

 勿論、セバスに限り油断は見られず。

 昼間も1時間おきの各都市偵察は欠かさない。20分程でこの南から、中央、北の都市までを往復して来るのだから。夜は夜で敵指令所の後方へも足を伸ばし援軍や別動隊の存在にも目を光らせている。

 今も昼の偵察から戻って来たところ。扉を閉めて立つ姿をルプスレギナが出迎える。

 

「セバス様、お疲れさまっです」

「外は、特にまだ変わった動きはありませんね」

 

 わざわざセバス自身が動くのは、本人の意思であり彼が今回の任務の主力であるからだ。ルプスレギナはその補佐という立場。

 2人とも非常に張り切っている。

 

 何故ならここ連日の昼間に、ご多忙なはずのアインズ様から連絡を頂いているからだっ。

 

 ルプスレギナも先日懲りており、暇な時でも女子供が襲われている場合には救助活動を実行してビーストマン狩りをしているぐらい一生懸命である。

 弱者の生死はどうでもいいが、別の戦場にてご主人様が働く中で自分も「気乗りしない事でも、今は何かすべき」と考えていた。時間があると、装備や武器の聖杖の手入れをして過ごしている。

 お腹が空くのは我慢し辛いが、暇を無駄に過ごすのは改善された感じである。

 これも進歩に含まれるかは微妙だが。

 現在、セバス達が最も警戒しているのは、東の平野奥からビーストマン側の援軍とおぼしき2万の兵団が進軍して来ており、今日の日没までには後方の司令所へ到着することだ。

 これで、負傷する者を除いても、各城塞都市へ2万近くが揃う事になり、拮抗状態が再び崩れる状況へ向かう公算が強い。

 

「……今夜から、再び我々が動く機会もありそうですね」

「それは素晴らしい事です。私も精一杯、頑張って――殺しまくるっすよ」

 

 セバスの言葉に、前半は丁寧に語るも、最後は本音が漏れたルプスレギナである。

 

 

 しかし――この晩、意外にもビーストマン側は大攻勢に出なかった。

 銀の鎧を纏う竜王国方面総司令官の獅子顔将軍は、此度だらだらとした消耗戦を避けようとしていた。彼は医療中隊の隊長へ問う。

 

「おい。今、この後方に下がってる負傷兵6000の内の4000は数日後には使えるようになるのだな?」

「はっ。重傷ノ者も多イですが手当後ノ経過は順調ですノで、なんトか」

「ふふふ、よし。治療を十分に頼むぞ」

「ははっ」

 

 つまり獅子顔将軍は負傷兵の回復を待って、援軍2万と共に一気に戦局を変えるつもりである。

 こうして竜王国東方の地も大きな戦いの動きが起ころうとしていた。

 

 

 




補足)46、47話内の開戦後時系列
◆1日目(ナザリック新世界登場から44日目)
午後11:5? 後方の南西戦線より偶然に勃発

◆2日目
朝    ナザリック入り口前、シャルティア出陣
午前8時前 アインズ、シャルティアら王都北部へ移動開始
昼前   アインズとルベド、『六腕』と合流
40分程+ アインズ達、昼食休憩
3時間程 アインズ達、ボウロロープ侯爵の陣へ移動
日没後  エドストレームら、侯爵の陣調査
夜中   アインズとルベド、ナザリックへ

◆3日目
夜中   アインズとルベド、ナザリックへ

◆4日目
未明?  王国軍死傷者9万超
     アインズとルベド、ナザリック滞在
午前3:16 アインズとルベド、『六腕』共同野営地へ
??   ボウロロープ侯爵、動員兵力は4万5千人、死傷者は既に約3万7千人
午後   『エンリ将軍閣下の手料理』発覚騒動
日没   ラキュース達、2時間以上出撃時間遅れ中
日没+1.5+ ラキュース達出撃
夜    竜軍団420体超、取り巻く全ての戦場で圧倒
午後10:?? ガガーラン負傷 シャルティア、竜兵4体捕縛
午後10:3? 超火炎砲でボウロロープ侯爵戦死
夜中   ガガーラン、リグリットに会う ガガーラン野営地へ戻らず
     竜王上層部会議、東部戦線で異常疲労
午後10:5? サキュロント、ズラノン妨害工作へ出発
午後11:2? 六腕、生存者始末し野営地帰還
午後11:4? 六腕とアインズ達、侯爵陣傍より撤収
??   王国軍死傷者、総兵力の約半数へ

◆5日目
?    アウラ「テイム完了」
午前2時 続く竜王上層部会議にて、王都強襲の話題
朝    ボウロロープ侯爵戦死伝わる
朝    『クラルグラ』4人処罰
夕刻   竜軍団、王都強襲失敗を悟る

◆6日目
夕刻   帝国軍動かず、アインズの反撃を待つ
     王国軍死傷者数15万間近
夕刻   ガガーラン、リグリットを連れ仲間の前へ現れる
     竜軍団へ評議国から使者来訪の先触れ

◆7日目
未明頃  竜軍団監視部隊リグリットらを見失う
未明   アルベリオン討ち死
早朝   竜軍団会議終わる。新規攻撃指示
早朝   王国軍死傷者数16万 死者7万
午前   戦況悪化
??   女王ドラウディロン、ヒガむ
昼前   王家、国王縁戚貴族部隊接敵
正午前  『ビーストマンの国』で報告会
昼下がり 『イジャニーヤ』配下4名死亡
良い時間 アインズ、『反撃を窺う』体勢へ方針転換
3時間後+ ラキュースとイビルアイ出撃
午後5時前?『蒼の薔薇』敗れる
??   ガゼフ出撃
午後6時頃 アインズ竜王軍団へ反撃する

◆?日目
??   『クラルグラ』、ナザリック内で収監中




考察・捏造・補足)民間遠征戦力は僅かな効果しかなく、大戦の裏側で完全に埋もれていた
因みに帝国のワーカーだけでなく王国のワーカー達もこの大戦へ極少数が参加したという噂が残っている。
彼等は帝国のワーカーよりも随分水準が低かった。なので戦果無く殆どが死傷した。
なぜなら王国では多くの出来るアウトローな連中は、『六腕』の様に幾つもある大きな裏の地下組織へと流れていく……竜とは戦わないし、大多数は戦えない。
逆に言うとしっかりした帝国や法国には小さい裏の地下組織は割とあるが、大組織は少ない。


捏造・補足)アダマンタイト級冒険者チーム『朱の雫』のリーダー
2018/4/28発売の漫画9巻Chapter-26にてアズスがリーダーの模様。
しかし本作では、2015年11月27日公開のSTAGE.22からルイセンベルグ・アルベリオンが務めておりました。ですが、此度の戦死により現在暫定的ながらアズスがリーダーへ。


考察・捏造・補足)人間の一人としてまだ戦える。
人に恐れられていない点からイビルアイは冒険者登録時の種族を『人間』と推定してます。
また彼女は知らないが、当時隠遁の身元不明者をいきなりアダマンタイト級への加入であるから、登録時に流石の王都冒険者組合も難色を示したと思われる。しかしリグリットが「あやつはわしと互角に戦える。実力に文句があるなら全部わしにいいなっ」と全て一蹴している。


考察・捏造・補足)十三英雄のリーダーの自殺
書籍7-280「あの死は早すぎた」「仲間(ぷれいやー)を殺してショック」「蘇生を拒否」の辺りからの発想です。


補足)他国を見ても個人でその名を聞かない。
ローブル聖王国のケラルト・カストディオは、書籍12-092「死者の蘇生だっておこなえる」とあり〈死者復活(レイズデッド)〉を使える模様。
でも、国内外への公表では信仰系の第4位階魔法までの行使となっているそう。


考察・捏造・補足)西方の大国の一つジャイアント達の国『統合同盟』
大陸中央部の六大国の一つにはあるんじゃないかと。
国名は適当です。統合体とか国家連合っぽいのがいいかなーと。
巨人(ジャイアント)のみじゃなくて、代表がジャイアント。
あと、協力関係がある感じで『ビーストマンの国』は、属国とは異なります。


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STAGE48. 支配者失望ス/御至高VS竜王/混沌ノ地 (22)

補足)旧エ・アセナル周辺戦力と大まかな位置(STAGE47.終了時点)

                          【東北東】帝国軍騎士団+魔法省+近衛
             【北側最前線「死地」】弱小貴族
【西側最前線】子爵(王子不明) 竜王軍宿営地(旧エ・アセナル北) 【南+東側最前線】レエブン侯
【西部~南部戦線】反国王派貴族   旧エ・アセナル  【南部~東部戦線】国王派貴族
         【旧エ・アセナル上空】アインズ+ルベド&竜王 【東部外】六腕 ヘカテー
                       【南東】漆黒の剣 【東南】漆黒+組合長ら
                 【南進竜部隊】十竜長筆頭
             【穀倉地帯の大森林】国王 ガゼフ+ユリ
【全戦域】蒼薔薇+イジャニーヤ 冒険者達 デミ+アウラ サキュロント 【不明】ズーラーノーン
         【王都北方】シャルティア、ナーベラル、ソリュシャンら

 王国軍兵力 最前線1.5万 主戦線6.5万 冒険者1400余 負傷者約9万 死者7万超
 帝国軍兵力 騎士団5千+千 魔法省100 近衛200 冒険者他100?
 竜王軍団竜兵力 約410頭 死者40余頭

注)6000行超で物凄く長いです
  スマホでフリーズする場合は、自動で分割表示される携帯版表示もご利用ください
  華達 で検索
注)一部残虐的な表現や衝撃的場面があります
注)15万字超えにつきP.S.の最後5000字程が後書きへはみ出しています
補)後書きに46-48話の時系列あり


『皆が伝説の竜達との闘いに傷つき倒れ絶望し暗い表情で俯く中、王国軍側(われわれ)による真の反撃の先陣を切ったのは、不思議な仮面を付けし旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)であった』

 リ・エスティーゼ王国の王国記にはそう記されている――。

 

 

 

「……(ふう。とりあえず出だしは上手くいったかな……)」

 

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグ=カーマイダリスを速攻で地上へと落としたアインズ。

 実は竜王を襲撃する際にも、注意を払う必要のある項目が幾つか存在した。

 一つ、味方の被害を抑える。

 一つ、大魔法は見られないに限る。

 一つ、しかるべき者達へ行動の直前に申告をする。

 一つ、竜王へ余り単身で対するべきではない。

 一つ、竜王は魔法反射の技を持つ。

 一つ、竜王の殺害厳禁。

 箇条書きで挙げると大きくはこの6つだ。

 竜軍団についてはもう一体、Lv.80超えの竜が居る点も支配者は忘れていない。

 

 まず、味方の王国軍を巻き込まず進める事については、戦後を考えると御方の行動で王国軍に多くの戦死者を出せば『他国から来た魔法詠唱者(マジック・キャスター)』という点も含め、裏側で政治的な風当たりが強くなるだろう。不可抗力的なものは目を瞑るとしても出来る限り犠牲者を減らす配慮が必要と考えられた。

 次に、多くの目がある戦域のど真ん中で上位魔法を使用するのも、今後を見据えればなるべく控えたいところだ。持てる手の内は何事も秘匿するに限る訳で。

 用意したこの大舞台だが、絶対的支配者の実戦を見せ付ける為の場ではなく、結果で名を上げると共にプレイヤーとの接触を目的としている。

 

(過ぎた力は面倒事しか生まないからなぁ)

 

 この新世界に来てまだふた月弱も、既に王家や反国王派の貴族達からの面倒事に巻き込まれて痛感するアインズである。

 やはり支配者は、ここで戦う姿をなるべく見られずに済ますのが最良に思う。

 

(まぁ、この戦域内にはうってつけの場所も在るしな)

 

 彼の頭に浮かんだのは、広大な旧大都市エ・アセナルの黒く燃え尽きた廃墟だ。

 高く分厚い外周壁が半分ほど残った、4キロ四方以上見渡す限りの瓦礫で埋め尽くされている廃虚地は現在、王国軍から戦域として除外されていた。

 それは、瓦礫により兵が展開し(にく)い上、ひと月程前の竜王軍団侵攻戦の犠牲者約30万人の死骸が放置される場所だからだ。夏場の腐敗により劣悪な環境と化しており、斥候によれば最近は少数のアンデッドの存在も確認されている。王国の上層部として、戦域除外は当然の判断であろう。実力を持つ冒険者達が時折、近道や退避場として利用するに留まった。

 元々、大魔法使用による王国軍への影響を考慮すれば、最終的に竜王を襲う場所はかなり限られていた。旧大都市跡を除くと、畑の広がる都市跡北西か北東側及び竜軍団の宿営地近辺と、あとはずっと南方のボウロロープ侯爵の地下陣地があった周辺ぐらい。

 なお国王らは、ゴウン氏の決戦場について事前に指摘も指定もしてこなかった。それは大魔法に関連する戦死者の発生から、戦後に『旅の魔法詠唱者』の力を少しでも弱めようとした王国陣営の気持ちの表れであった。

 でも意外に用心深い絶対的支配者は、小さな落とし穴を自然に回避していく。

 こうして注意項目を2つ消し、竜王を迎え撃つ場所は御方の頭の中で決まった。

 一応気掛かりはそこを標的が通るのかという点だ。しかし開戦から王国軍が展開されず冒険者達も殆ど見ない。加えて各戦線への最短ルートであり心配は杞憂。実際、澱んだ嫌な湿った空気は重く地上に有り、上空は快適で竜王隊や他の竜兵らも廃墟上空を良く利用していた。

 

 アインズが竜王を襲撃する際に注意を払う次の項目は、行動の直前での申告である。

 余り多くの者へ姿を見せずに竜王との闘いを進めるとなれば、今、仮面の彼の力を認識し強い権限を持ち判断出来る者に「今から始める」と告げておけばいいのだ。

 事が済めば告げられた者は『旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)』の力を確実に思い知り、以後は彼が保有する力を考え無下に扱えなくなる。

 その一つ目の申告先が、アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』のラキュースとイビルアイであった。窮地を救った直後の二人へ「これより機を見て、旧大都市の上空にて竜王へと反撃戦を開始します。近付かないように」「竜王の次に宿営地へ残る強力な1体とも対戦します」「冒険者の方々は王国軍と共に戦線を評議国側へ押し上げて欲しい」旨を伝えている。

 彼女達は野営地へ急ぎ戻り、『イジャニーヤ』らと共に散開すると僅か小1時間で西から南、東へと戦域各地へ移動。地域担当のオリハルコン級冒険者部隊と、幾つかの上位冒険者部隊や一部王国軍大貴族への通達にも成功していた。

 そこから更に接触した冒険者らへジワジワと周知が広がってゆく。

 そして、アインズ自身は――。

 

「お待たせしました。この(あと)、廃虚地にて竜王率いる隊への攻撃を始めます――レエブン候閣下」

 

 支配者がラキュース達へ話した同様の内容を伝えた相手は国王ランポッサIII世でなく、王国軍の総司令官を任されている侯爵であった。金銀の煌びやかな軽鎧で身を包むこの貴族が、元オリハルコン級冒険者達や精鋭騎士の護衛らと共に最前線の戦場を転々としていた事で要探査も、ルベドの探知能力でレベルの高い護衛達の居場所で特定。竜兵の記憶を改竄してから20分程で面会までこぎつける。

 全軍の最高権限を持つのは国王である。だが本大戦で総軍を実質的に動かすのはレエブン候であり、アーグランド評議国方面へ全戦線を押し上げる為に、アインズはまず彼の手腕が不可欠と判断した。

 仮面の魔法詠唱者から聞く言葉に、侯爵の反応は戦後よりもまず今だという雰囲気で溢れる。

 

「おおぉ、ゴウン殿! 本当に待っていましたっ」

 

 彼は絶望的な戦局へ本当に救いを求めていた。この時点ではまだ、竜部隊の南進による国王師団への攻撃報告は届いていなかった為、希望だけが広がる。

 総司令官の上機嫌な表情と、絶対的支配者は両手のガントレットを強く握られた様子に、仮面の中で小さくニヤリとほくそ笑みつつ語る。

 

「竜王隊への私の魔法攻撃を見て、王国全軍は直ちに反撃行動を開始して頂ければと」

「万事、心得ました。宜しく頼みます、ゴウン殿」

 

 ()えある王国の六大貴族で、此度24万人近くの兵を統べる総司令官の彼だが、握るゴウン氏の重厚なガントレットを大きく上下させて強く懇願するように伝えた。

 簡易の陣幕内にいる周囲の者達はその光景に驚く。

 怪しい仮面に漆黒のローブ姿の者は王家の客人だと聞いてはいたが、この戦場では末端の小隊よりも小さい一分隊長程度でしかないのだから。

 レエブン候はここ数日、荒れ気味であった。声には出さないが、大事な息子のリーたんを守り切れるのか不安が大きくなり彼の精神が極限に達していたためだ。言葉もきつく刺々しくなっていたが、仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の来訪で随分と落ち着いた風に見える。

 元々沈着冷静の侯爵は、陣幕内から足早に去っていく大きなゴウン氏と華奢な白鎧の女剣士(ルベド)の背を静かに見送ると、場の者へと右手を翳し告げた。

 

「全戦線へ最優先の伝令を出せ! これより――総軍による竜軍団への大反撃戦を開始するっ」

「「「ははっ」」」

 

 程なく10名を超える伝令が、次々とレエブン候の簡易陣地から勢いよく各戦線の方面指令官の所へ向けて走り出して行った。なるべく魔法攻撃を見た以降、すぐに全軍が動けるようにと。この内の3名は、西部最前線で行方知れずの第一王子と王子の旗下宛ての者達だ。

 

 アインズはここで一旦、ルベドと〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉で王都北方の駐留地へ戻った。

 シャルティア達へ幾つか指示を出すと、そこから漸く機を窺い竜王へ向かう事になる訳だが、襲撃する際の注意点がまだ3つ残る。

 支配者の相手は、Lv.89の竜王であり火炎を扱う怪物。装備類で大幅軽減しているが、アンデッド種族として炎ダメージ倍加のペナルティが存在する。また未知のアイテムや能力の保持も考慮すると油断は出来ない水準の敵だ。単身で臨むのはリスクが大きくなる。

 但し、これは正々堂々の試合などと違い戦争である。多対多の闘いもごく普通の事。そもそも竜王隊自体が6頭で構成されているのだ。アインズが単身で挑む方が変というもの。

 なので対応策として一応、最強天使が〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉で主人の護衛に付いていく。それにPVPの豊富な対戦経験を持つ至高の御方は、当然過去にLv.100の竜種プレイヤーすら倒している。凡ミスがなければ単身でも対処は十分可能と考えていた。

 そして次の注意事項は、竜王が最上位の魔法反射技を使うという点である。

 絶対的支配者はこの点について推測している。

 

(えっと、普段の竜王は魔法を殆ど使わない様子から、アイテムか特殊技術(スキル)の可能性が高いかな。大きい効果面から使用回数制限が存在するだろうな。ユグドラシルで全方向へ自動発動する反射の魔法や特殊技術(スキル)の存在は聞かなかった。無いとは断言できないけど竜王は多分、攻撃に気が付いてから反射能力を展開するはず。つまり、視界外から気が緩んで入る時の攻撃は――当たる可能性が十分有る)

 

 ユグドラシルには全方向からの攻撃に耐える〈結界(バリア)〉系の類は存在する。一方で、攻撃反射系は一面、一方向にしか張れないものだという認識であった。

 加えて竜王とイビルアイの闘いを見ていたアインズは、奴に結構な隙が有ると感じている。

 

(慢心はマズいけど、油断を突けば先制攻撃するのはそう難しい話じゃないかな)

 

 彼の予想は竜王隊が悠々と宿営地へ引き上げる折、接敵の出合い頭において的中した――。

 

 仮面の御方は、まず先日仕掛けた〈遠距離標的固定(ロング・ターゲティング)〉の1度きりの効果を使う。竜王の後方2キロの遠距離から、長期睡眠も取る竜種の体質を考え第8位階魔法〈深き眠りへの誘い(ディープスリープ)〉を放つ。それも〈魔法抵抗突破化(ペネトレートマジック)〉ではなく〈魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)〉を効果付加へ選択しぶつける。これで竜王隊全員が〈深き眠りへの誘い(ディープスリープ)〉の影響を受けた。

 攻撃魔法耐性の高い竜種も万能ではない。逆に慣れない有効打を不意で食らうと、大きな効果があった。

 4匹の竜兵達は一瞬で仮死状態のような深い眠りに落ちて落下していく。

 百竜長のノブナーガでさえも、寝起き状態の様に朦朧としてしまう。

 そして竜王自身も、急激な意識の混濁と眠気に抗う方へ意識を完全に持っていかれた。

 対するアインズはすぐ〈転移(テレポーテーション)〉で竜王(そば)の上方に移動していた。未だ発動展開されていないが、後方から攻撃を受けたとして使われる可能性のある竜王の反射技を無にする為だ。

 しかしその反射技を、わざわざ待つ必要は全く無い。支配者は攻撃する。

 竜種に効果的な第10位階魔法の〈竜を討つ槍(ランス・オブ・ドラゴンスレイヤー)〉に続き、超冷気光線である第10位階魔法〈極地光線(ポーラー・レイ)〉、第9位階魔法〈爆裂する槍(ランス・オブ・エクスプロージョン)〉を続けざまに〈上位転移〉で位置を真上から右側面、左側面斜め上へと次々移動しながら魔法を発動。

 竜王は〈竜を討つ槍(ランス・オブ・ドラゴンスレイヤー)〉等でダメージを受けたが火炎と共に冷気耐性も幾分持っていた為、〈極地光線(ポーラー・レイ)〉の効果は今一つであった。それでもこの段階で、当初は何とか飛行していた百竜長のノブナーガが、強烈な〈極地光線(ポーラー・レイ)〉と〈爆裂する槍(ランス・オブ・エクスプロージョン)〉の効果を浴びて撃墜された。

 

「ああぁっ、ノブナーガまでもが。グォッ」

 

 この時、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグは混乱していた。そして僅かに思考を掠める。不意打ちとは言え、もはや――苦戦と言う状況なのでは、と。

 反射魔法を使おうにも、断続的に探知した敵の位置が次の一瞬で大きく変わって感じられた。

 

(ちっ。おのれぇ、また転移系の使い手かっ)

 

 だが、1時間程前に屠った吸血鬼の魔法詠唱者とは比べ物にならない。精鋭の百竜長を含めて、たちどころに5匹の竜が落とされた。圧倒的な攻撃力と言える。

 竜王の使う〈最上位魔法(シールド・オブ・リフレクツ・)反射盾(グレーテスト・マジック)〉は、1日に2度のみ使える特殊技術(スキル)であった。無駄な乱発は控えるべき手。また盾は一度張ると位置は変えられても、向きまで大きく変えられないのだ。それに加え、来た攻撃をそのまま返すには盾に対し垂直に受ける事が必要。反射盾は、遠距離の者が多少上下左右に位置を振っても微調整は可能なのだが、〈転移〉で全く違う場所に移られると対処が難しいという弱点が存在した。

 それに受ける角度が変われば、思わぬ方向へ魔法攻撃が向く。廃虚地の外側周辺には、戦闘中の竜兵達が多数居る。敵の聞き慣れない魔法攻撃が強大であればある程、ヘタに反射すれば大きな被害になりえる。

 更に〈爆裂する槍(ランス・オブ・エクスプロージョン)〉には信管のような感知起爆モードが付いていた……。

 

(クッソォ、避けても至近距離で爆発しやがるとは)

 

 これを見ると、反射する前に発動する広範囲魔法であれば、飽和攻撃の多くを反射困難な事態も考えられる。竜王は目の前の強敵との闘いで、魔法反射盾に拘り頼るのが愚かしく思えた。

 一方アインズは、ただ1頭残った竜王へと容赦なく右後方から三重化した雷撃最強水準の魔法攻撃を叩き込む。

 

「――〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)万 雷 の 撃 滅(コール・グレーター・サンダー)〉!」

 

 多数の雷を束ねた感じの恐ろしく巨大な豪雷が、竜王ゼザリオルグの巨体を3本も射抜いた。

 冒頭からの攻撃に加えこの圧倒的な雷撃も含め体力(HP)が一気に3割程も削られつつ、万雷の威力に起因する爆発も起こり、竜王は空から地上へと叩き落とされた。

 連続する巨大爆発は、空気層内で変化を起こし巨大なキノコ雲となって廃墟上空へわき立つ。

 ゼザリオルグは何とか、ひと羽ばたきして片膝を突く形で汚れた廃墟跡へ着地するが、上空に大きな(パワー)の存在を探知する。

 長い首を伸ばす形で視界にとらえたその謎めく敵の姿は、小さい。

 そして漆黒の布を纏っており、魔法詠唱者に見えた――。

 

(――っ!? ビルデーが宿営地内で見たというヤツか)

 

 竜王の背中へと猛烈に悪寒が走った。

 急襲されたとは言え、ここまで煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)である己が一方的にやられているという展開。間違いなく上空の者は、半月程前に闘って倒した槍使いの人間以上の存在といえた。

 この状況は500年前にあの八欲王達と戦い敗れて以来だろう。

 しかしゼザリオルグは世界最強種族の竜種に連なる者であり、此度も軍団を率いる竜王として断じて逡巡(しゅんじゅん)する事は出来ない。

 

「ぐぅぅ……テ、テメエっ、一体何者だぁぁ!」

 

 乱暴で強気な言葉を叩きつける事で精一杯、竜王の威勢を示そうとした。

 (いか)って見えたその問いへと、絶対的支配者はいつもの調子で堂々と名乗る形で答える。

 竜王は、自称『旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)』から「アインズと呼ぶが良い」と言われ唖然としてその名「アインズ」を思わず呟く。名乗りを上げる者は今までにもいたのだが、呼び名を指定してきた敵は初めてであった(ゆえ)の戸惑いだ。

 一方、眼下の竜王から取り敢えず名を呼ばれた彼は。

 

(ふむふむ。名前を返して来たじゃないか。もしかして結構、話が通じるやつかもなぁ)

 

 新世界へ来て以来、この過程でのふるい落としが何気に有効なのだ。

 竜王を襲撃する際の最後の注意事項である、竜王を殺さずこの戦いを治めるのは苦も無くかと、彼はそんな気の早い事を強く考える。

 なぜなら――今も、護衛で完全不可知化し背後に居るはずの某天使様(ルベド)から送られてくる突き刺さるような厳しく鋭い視線がグサグサと痛く、長引かせるのは良くない。

 以前、王城内宮殿の滞在部屋で彼女からの「仲良し姉妹は揃ってるのが一番、ねっ」と竜王姉妹の助命を懇願されて「ダメだな」と断った折の、恐ろしく凍り付いた場のアノ空気を思い出させるものがある。平和とは実にあっけなく(はかな)いものなのだ……。

 現状を例えると、まるで囮が竜王でルベドから完全に挟み撃ちされている感覚――オソロシイ。

 彼の背後に世界級の(エネミー)がいると言っても過言では無い。

 でも……絶対的支配者はこの件につき、彼女と移動の合間を縫ってきちんと直前の話し合いをしていた。

 

『誇り高い竜王となれば手加減せず全力の先制によって力を見せつけ、屈服させるのが最良。ルベド、お前にも分かるな?』

『………………(コクリ)』

 

 支配者の目は確かに捉えた。姉妹同好会の会員は間違いなくそこで一つ頷いていた事をっ。

 目の錯覚とは思えず。同意は取ったはずなのだ。

 しかし、この理不尽な仕打ちである。ああ、自らの欲望に正直すぎる某天使様(ルベド)よ……。

 全く見えないが小柄のルベドは、軽く握った両拳の甲を腰に当てる感じで宙へ仁王立ちし、両頬をぷくりと膨らませてプンプンしている感じだ。

 ……姿が見えれば、きっと可愛く見えたかも。

 アインズはとっとと目の前の先制攻撃でダメージの大きいはずの竜王に負けを認めさせ、この悪夢の状況を打破し、ナザリックの平和を早急に取り戻そうと安易に考えていた。

 ここまでは――。

 

 

 人間と(おぼ)しき魔法詠唱者からの圧倒される攻撃魔法を受け、地に片膝を突いた竜王ゼザリオルグは強敵の出現に追い詰められていた。

 明後日には本国アーグランド評議国から、戦況の確認で忌々しい監察官が来ると言うのにだ。

 人類殲滅を掲げた戦いはまだまだこれからという時に、躓いてなどいられるかとの思いで心が満ちる。同時に里から多くの仲間を率いて来た責任というものもあった。そんな自分が早々に脱落して良いはずがないと。

 間もなく竜王の心の奥底から大きな怒りが湧いて来た。

 

(……ふざけんなよ、人間どもめっ!)

 

 彼女は、こんな見すぼらしい廃虚の地でこのまま人間如きに敗れ去る訳にはいかないのである。

 

「クソ、やっぱり――()られて終われるかよ。仕方がねぇな、本気を出してやらぁ!」

 

 竜王にとって人間は大嫌いな存在。当然、その矮小でか細い体形も含まれる。全く歯がゆい。

 だが今、姿を気にしている場合ではなくなった。

 ゼザリオルグは厳つい竜顔の眉間へその不快な想いから皺を寄せつつ呟く。

 

特殊技術(スキル)発動、――〈竜    の    闘    気(ドラゴニック・オーラ)〉」

 

 竜王を中心に風が渦巻き、竜王の体が白い輝きへ飲み込まれた。

 絶対的支配者は、急に眼下の地上で起こった変化へ内心で戸惑いを見せる。

 

「(なにっ、これは?!)……」

 

 嫌な予感がした。ユグドラシルのクエストでラスボスが見せた事のある、強化変化に酷似する演出効果に見えたのだ。

 間もなく竜王からの輝きは収縮してゆき、やがて人に近い小さめの翼の有る姿へと変わる。ゼザリオルグの厳つい竜王の巨体は、身長が小柄な少女サイズの竜人体となって顕現した。

 竜王少女は拳を握りしめ大地へ立つ。

 更に。

 

「まだまだっ! ――〈竜     の     進     化(ドラゴニック・エヴォリューション)〉っ!!」

 

 周囲の腐敗した空気を竜気で払うが如く、空間と他を圧するように変化を始める。

 白い人肌であった体皮は以前の黒紅の鱗色へ変化し鱗模様へと変わっていく。

 身長が少し伸び、14、5歳の姿。バッサリ切り落とされた感じの黒紅色のワイルドな髪型頭から先程は見えなかった二本の可愛い角が覗く。人並みだった両腕と両足の爪が鋭く伸び、背部の小翼が少し大きくなり、見えなかった尻尾が伸びてくる。先までは残念だった胸が十分に膨らんで、口からは可愛く炎がチロチロと見えた。巨体の時には体形に合わせて伸びて殆ど隠れていた、少しハレンチっぽい黒緑色のビキニ系の衣装装備を纏う。

 彼女は生まれながらの異能(タレント)で自身の最終形態への進化を終えた。

 予想外の変化に支配者は驚く。

 

(――姉妹だから雌とは思ってたけど、少女の姿に変わっただと?! 古老(エインシャント)じゃなく若い竜王だったのかよ)

 

 竜人は断定まで出来ないが、大よその年齢に比例した体形となることが多い。

 ここでアインズは不可知化中のルベドへと〈伝言(メッセージ)〉を繋いで確認する。

 

「ルベドよ、竜王の強さはどれぐらいだ?」

『この子の実力は今――Lv.95相当まで上がってる。あと、竜人化の時点で、ダメージが全回復してる』

「(――っ)そうか。分かった」

 

 シャルティアの使う特殊技術(スキル)、肉体の時間を巻き戻して致命傷も一瞬で修復する〈時間逆行〉とは違うが、身体強化と共に完全回復する様子。竜王だけに、中々能力が高い個体のようだ。

 通話を切る中、仮面の下の支配者の表情が引き締まる。

 どうやら竜王はまだこの闘いを諦めていないということらしい。

 竜種のLv.95といえば、他種族のLv.100とそれほど違いは無い水準といえた。

 変身前から奴の攻撃力は、至高の御方の使う攻撃無効化の常時発動型特殊技術(パッシブスキル)を大きく超えており確実にダメージが届く。無抵抗で受け続ければ、こちらも死ぬということだ。

 これは互いに命を掛けた戦争という場での真剣勝負――。

 

(先日の遭遇時とは状況が違うよな。これが、この世界へ来て初めて本当に死へ繋がる可能性を持った闘いかもしれないな)

 

 アインズの頭蓋骨の眼窩(がんか)に灯る紅き光が、覚悟を帯びて強く輝く。

 嘗てニグンの召喚した威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)が上位魔法無効化の常時発動型特殊技術(パッシブスキル)を突破する魔法攻撃力を有するも、ルベドが一撃で片付けてしまっていた。それ以上の危険度があったのは、スレイン法国の至宝使いのカイレとトブの大森林の巨大魔樹ぐらいだが、それも階層守護者達が一方的に()ちのめしてしまっている。

 そういえばと支配者は一瞬思い出す。アーグランド評議国首都のゲイリング評議員屋敷でLv.70超えの上級闘士を見た気もし、あとはこの竜王と戦って生き残った法国の漆黒聖典の『隊長』も居たなと。

 残念ながら、王国最強の使い手のイビルアイやバハルス帝国の大魔法使いであるフールーダについて、御方の思考へ浮かぶ事はなかった……。

 対して眼下の廃墟に立つ竜王少女は水準から実質、先の者達以上の強敵と言えるだろう。

 その彼女が地を蹴ると砲弾の如く、真っ直ぐに上空の魔法詠唱者(マジック・キャスター)へと襲い掛かって来た。

 

「――〈超翼〉。 オラァァァーーーーっ!」

 

 それは〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉並みの移動を見せる竜人翼による超加速移動。更に強烈な(パワー)の乗った(こぶし)による一撃が、体当たりの様にアインズの腹部(レバー)を襲った。

 竜王の巨体を支える超剛筋肉が凝縮された小柄な身体から放たれる圧倒的な右の拳打。

 だが既に、絶対的支配者は多重の防御魔法を張っており、その攻撃を防ぐ。

 第10位階魔法〈光輝緑の体(ボディ・オブ・イファルジエントベリル)〉により、殴打属性であった竜王の初撃目は完全無効化された。

 ただ竜王もそこで止まらない。猛然と左右の両拳を振るいノーガードで連撃(ラッシュ)する。

 人間の魔法詠唱者など、力ずくのゴリ押し攻撃で速攻叩き潰すと言わんばかりであった。

 また彼女は当然知らないが、アインズには正攻撃脆弱Ⅳや殴打武器脆弱Ⅴという大きめの弱点もあるのだ。竜王の攻撃は武器使用と異なるので通常のダメージ効果だが、アウラにも匹敵する彼女の筋力から放たれる拳打だけでも危険極まる一撃。支配者も装備等で弱点対策しているが、もしメリケンサック系の武器でも手に嵌められれば、ダメージは跳ね上がった事だろう。

 2撃目以降は殴打ダメージを軽減させる効果を持つものの〈光輝緑の体(ボディ・オブ・イファルジエントベリル)〉だけでは抑えられない。重ね掛けする〈無限障壁(インフィニティーウォール)〉も経て軽減し、〈上位抵抗力強化(グレーター・レジスタンス)〉〈上位全能力強化(グレーター・フルポテンシャル)〉〈上位硬化(グレーター・ハードニング)〉で防御力と回復力アップと両肩の装備及び両腕のガードで耐える。

 でもこの闘いに限り、それだけではダメと言えた。御方は奴を(パワー)で屈服させねばならない。

 空中で位置を変え竜王の攻撃を極力躱しつつ、先の爆発で大きく湧いた爆雲の周囲を移動しながら10分以上相対(あいたい)する。途中、アインズもノーガードの竜王少女へとガントレットの打撃で反撃に出た。

 そして、旧エ・アセナルの北側廃墟上空付近での事。

 絶対的支配者は発動済の〈竜の力(ドラゴニック・パワー)〉〈天界の気(ヘブンリィ・オーラ)〉〈抵抗突破力上昇(ペネトレート・アップ)〉〈超常直感(パラノーマル・イントゥイション)〉〈上位幸運(グレーター・ラック)〉を総動員すると共に長いリーチを活かし、インファイターの竜王へと強烈なカウンターを左右の側頭部(テンプル)へ見舞う。アインズはここで戦士モモンとしての前衛的戦いの経験を十分に生かしていた。

 それに此度は鉄製のガントレット『イルアン・グライベル』ではなく、強化された漆黒の伝説級(レジェンド)アイテムのガントレットを装備しており、竜王鱗や超剛筋肉をも浸透する発勁を打つことが可能である。

 この強烈な威力の反撃を受け、少し大きく飛ばされフラついた竜王は動揺する。

 

「うっ……馬鹿な。魔法攻撃力は兎も角、魔法詠唱者は身体的に脆弱なはずだろうがっ」

「竜王よ、余りこの私――アインズ・ウール・ゴウンをなめるなよ」

「―――っ!」

 

 目の前の空中で依然、強固なファイティングポーズを取る相手が、竜王少女には衝撃であった。

 彼女の復活した今の世界では、八欲王達は400年以上も昔に死に絶え、それ以降は人類勢力も大きく衰えたと聞いている。大陸中央以東に人類国家は存在せず、彼女の本国となったアーグランド評議国も300年程前に人類国家を討ち滅ぼして建国されており、脆弱な存在となった人間共はほぼ全て食用や奴隷と化して、実に小気味の良い流れであった。

 だからこそ今が、大陸西部に依然蠢く憎き人類とその国家殲滅の好機だと思ったのだ。

 それなのに。

 

 ――また仲間の竜兵達を大量殺戮する、自分以上の強者かもしれない人間が居るという事実。

 

(おのれ、死の魔神の如きクズの人間めがっ)

 

 嘗て、大陸中の亜人種族全てを敵にして圧倒した、あの八欲王達との闘いの恐怖が蘇る。

 連中は1体1体が最高の装備衣装で圧倒的な武器攻撃と魔法を振るい、竜の大隊ごと相手に数撃で粉砕する怪物揃いであったのだ。当初は竜王達の間で軍団の連携が取れず、散発的な攻撃で万を優に超える軍団や部隊が各個撃破されてしまった。

 ゼザリオルグの母や彼女の率いた軍団もその敗れ去った一軍であった。

 そして今再び、竜王隊が易々と粉砕され、自身も得意な接近戦闘において強い打撃を受け押し返されている。

 それが、たかが一人の人間の魔法詠唱者相手にだ。

 何と言う屈辱であろう。

 

(……ここは一歩も引かねぇぞ。人間の殺戮者だけは、俺が()()()()倒すぜっ)

 

 壮絶な表情を受かべて決意を固める煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)の少女であった。

 

 

 一方で、絶対的支配者のアインズも心に結構大きな衝撃を受けていた。

 

(うーん。()()()()での差し勝負かよ。流石に肉弾戦でこの竜王の相手はきついよなぁ)

 

 ここまで某天使様(ルベド)が――少しも助けてくれないのだ……。

 (ただ)し彼女が悪いとは言えず。事前に支配者自身が彼女へ、『誇り高い竜王へ手加減せず全力で先制し屈服させる』と言い聞かせていたからである。

 その思惑が外れたのはアインズ自身の判断ミス。ここは少し踏ん張るしかない。

 竜王の放つレアな攻撃はまだ無く、現在まで身体強化でのパワーアップぐらいで許容範囲内。当初より、自分だけで何とか出来ると計算していたのだから。

 ルベドにしても、複数で追い詰めたとして誇り高い竜王が屈するとは思えなかった。ここはやはり多対一を主人であるアインズが見事に制し、竜王へ姉妹同好会会長としての絶大な()()()()()を是非示して欲しいとの願望も強い。

 それに(アインズ)からはまだ助けを求められたり、攻撃指示も出していないのだ。

 最強天使はあくまで『護衛に』付いて来ただけ。

 ただ、当の絶対的支配者は竜王へ「なめるな」と大言を吐くも、正直なところ、既に結構な物理ダメージを受けていた……。

 そもそも、なぜ真っ向勝負の肉弾戦に乗っているのかという話。

 実は〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉で竜兵の記憶の改竄をした際に魔力量(MP)を大量に消費していたのもあったりするからなのだが。

 ラキュース達に反撃開始を告げた直後の状況で、アインズはそんな弱みを誰に言える訳も無い。至高としての見栄も立場もあり表面上、泰然とそのまま竜王退治へと臨んでいた……。

 魔力量(MP)については一応残量はあり、宿営地に居るもう一体の竜との対戦分も考えての事で、竜王との戦闘でもあと幾つか第10位階魔法の使用は可能だ。それに魔力量(MP)消費の無い超位魔法がまだ残っている。

 

(超位魔法は最高の防御装備が無い状態で食らえば、威力があり過ぎるからなぁ……殺すのが前提なら初めから使うんだけど)

 

 恐らくこの竜王へ最も有効な超位魔法を放てば体力(HP)を一気に半分以下まで削れると考えられた。しかし、万が一に殺してしまってはその後の事を考えたくない……生き返らせても到底「メッ」では済まないだろう。

 ならば焦らずコツコツと行くのみというのが現況なのである。

 それに支配者も、この空中戦については計算も一応働かせての行動。

 

(まずは先制の魔法で力の差を十分見せれたと思う。この近接戦闘で魔法詠唱者の俺を相手に痛い目をみれば、アインズ・ウール・ゴウンの存在を強く認識するんじゃないか。弱者に屈するのでなく格上相手となれば、屈服にも竜王としてのプライドは保ちやすいはずだし。そろそろ一度呼び掛ける頃合いかな)

 

 堂々、竜王と正面から(こぶし)で打ち合い存在を示した者からの言葉なら、届くのではとの目論見。

 ここでアインズは最初の勧告に出る。一応奴の名前は王国の大臣が和平会談の中で正式に聞いて持ち帰って来ており、知っていたので呼び掛けた。

 

竜王(ドラゴンロード)のゼザリオルグよ、まだ私と戦うつもりか? 分かったと思うが、魔法抜きでも私は強い。ここで素直に負けを認め戦闘を停止し、軍団と共に評議国へ引き下がるのなら命は助けよう。だがもし、これ以上戦うつもりなら――本気の魔法攻撃を仕掛けるぞ。どうする?」

「――っ。(何ぃ、あの強烈だった魔法攻撃が、まだ本気じゃねぇとでも言いやがる気か。まさか八欲王共も使った(まぼろし)の究極魔法か!)……」

 

 竜王は既に死闘への決意を固めていたが、魔法詠唱者の言葉に一瞬の動揺を見せた。

 当たり前だ。自分が仮に容易く敗れ去れるような究極魔法であれば、妹と軍団だけでなく里や評議国自体すら危うい話となる。

 対峙する相手の強さと言葉振りから、嘘と断言するのは難しい響きがあった。

 それでも竜王は、今は昔となったが八欲王達の行った容赦ない残虐な振る舞いを思い出すと、決然と言い放つ。

 

「はぁ、助ける? お前、アインズとか言ったな? 俺や母を殺した八欲王共と同じ人間(クズ)のぬかす言葉なんて、信用出来る訳ねぇだろ? 第一、俺はまだまだピンピンしてるぜ。そんな勝者の吐く事ぁ、俺を動けなくしてから言ってろよ!」

 

 竜王少女の怒りに満ちた、聞く耳など持つかという答え。現状、問い掛けは支配者の思惑と全くの逆効果であった……。

 返事を聞いたアインズだが、拒絶された事より相手の言葉の中に聞き逃せない内容を得た。

 

「……(えっ。今コイツ、八欲王に殺された、と言ったよな? この竜王は若いけど、あれ? 復活したという話だったっけ)」

 

 支配者がナザリックの情報調査で配下達の集めた資料で読んだ内容だと、八欲王達は500年前に大陸を制覇しその後、死に絶えたと言う事だったはず。また、クレマンティーヌから漆黒聖典のメンバーが別の竜王復活を確認しに行って、この煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)に襲われたという話を聞いたのみに留まる。

 竜王の過去と復活まで知らない支配者は、少し混乱気味で意味が完全には分からなかった。

 そこで、質問しようとする。

 

「おい――」

「もう話す事はねぇよ、いくぜっ! 〈超翼〉っ、オラオラァァーーーーっ!」

 

 竜王は絶対的支配者からの言葉を遮ると、再び仮面の者の懐に飛び込む形で殴り掛かって来た。

 その強烈な拳の連打攻撃で、御方の仮面――略称『嫉妬マスク』の右上部分が砕け散り、実体幻術の金髪の眉と目が少し覗いた。大体、無料配布のイベントアイテムなので強度は貧弱である。

 

「オラオラッ、どうした? このこのこのっ」

 

 魔法を使われる前にと、一気にブチ殺す勢いで猛烈にアインズへ拳を撃ち込む竜王少女。

 

「くっ――〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉っ」

 

 一瞬で10発以上の拳を浴び、堪らず支配者は〈転移〉で竜王の視界外へ一時脱出した。

 竜王は舌打ちしつつ、アインズの口走った魔法を反芻する。

 

「チッ……(グ、〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉だと!? なんだそりゃ)」

 

 ゼザリオルグは、そんな魔法を使う者を聞いた事が無い。だが〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉の上位となる、〈転移(テレポーテーション)〉ですらなく更に上位版だという事は予想が付いた。

 

(やべぇ。追い付ける気がしねぇ。恐らく瞬時に1000キロ単位で飛べるんじゃねぇのか)

 

 そう思った、瞬間――。

 

「ガッ。な、にっ」

 

 竜王少女は、正面の右肩から袈裟懸けに竜王鱗と超剛筋肉が見事に斬られて鮮血が流れていく。

 自身に何が起こったのか、その瞬間、彼女には状況が分からず。

 すると後ろから、(アインズ)の声が聞こえた。

 

「対処が悪いな。油断しすぎだぞ、竜王。だが、真っ二つにならないとは流石に頑丈だな。

 ――〈 現   断 (リアリティ・スラッシュ)〉」

「グぁッ」

 

 更に、彼女は背中の左肩から翼の一部ごと袈裟懸けにバッサリ斬られた。

 〈現断(リアリティ・スラッシュ)〉は第10位階魔法でもトップクラスの破壊力を持つ攻撃魔法である。この攻撃には頑強な体を持った煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)もたまらない。

 アインズは「真っ二つ」とか言っているが、それは脅し文句だ。支配者は、竜王の高いレベルから直撃でも数撃はもつ事を分かった上で放っていた。

 闘いの流れは完全に変わったかに思えるが、竜王は胸と背から鮮血を流しつつも魔法詠唱者へと振り向き翼の全速で殴り掛かって来た。

 

「痛てぇな、この野郎がっ!」

 

 彼女は屈しない、退かない。

 しかし御方はまた〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉で竜王に拳を空振らせ躱し移動する。魔法の目玉を飛ばした遠隔視(リモート・ビューイング)とのコンボによる闘いが続く中で、クリティカル的当たりは1回のみも突如の出現からの〈現断〉が4撃続く。

 防具装備が万全なら、10撃以上は耐えれるだろうが、竜王は今、真面な鎧を着ていない状態。それでも生きていること自体が頑丈さを物語っている。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……、くそぉ」

 

 既に6撃もの〈現断(リアリティ・スラッシュ)〉を受け、彼女は多くの血を流し肩で息をしていた。体力(HP)も半分を大きく下回り、限界は近かった。

 アインズも流石にこれ以上の〈現断〉はマズイかと思い、もう一発別の魔法を撃ち込もうかと、〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉で竜王の近くへと現れた一瞬であった。

 後方から何かが超高速で彼の所へと飛び込んで来た。それは――巨体の竜であった。

 

「お姉ちゃんを傷付けたのはお前かぁぁぁーーーーーーっ!!」

「ぐむッ」

 

 絶対的支配者は、竜王妹が首を伸ばした渾身の特攻的頭突きの体当たりをモロに受けた。

 またしても某天使様は助けてくれなかったのである……。

 但し、彼のダメージはゼロだ。アインズは用心深く、一応ながらと竜王からの突発的反撃に備えて、最初の〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉での離脱時に〈光輝緑の体(ボディ・オブ・イファルジエントベリル)〉を一旦解除して張りなおしていた。

 巨体の威力で少し飛ばされたアインズは、竜軍団宿営地で邂逅した竜王以上の体格の竜と対峙する形になった。巨竜が傷ついた竜王を護る様に前へ出ていたためだ。その巨体の背へ竜王の声が響く。

 

「ビルデー!? お前……はぁはぁ……何故ここにっ」

「大丈夫、お姉ちゃんっ? だって、お姉ちゃんの気配がそろそろ休憩の時間で戻って来ると思ってたら、いきなり大爆発と大雲が出来た上に、気配がどんどん小さくなっていくんだもの。心配になって当然でしょ」

 

 矮小で下等な生き物へ気を使う奴はいない。妹は姉と普段の調子で会話を交わした。

 

「むっ。……心配掛けちまって悪ぃな」

 

 何やら場へと仲良し姉妹の空気が少し漂う。アインズと共にルベドも、巨竜が竜王の妹とは知らなかったので、彼女的には(ドラゴン)姉妹が揃って大変ご満悦である。

 しかし、相対する支配者はそう気楽ではない。

 

(この2頭を手加減しながらってのは、ちょっと厳しいんだけど)

 

 武闘派の竜王と巨竜の2体を同時に相手しつつ、どちらも殺さず屈服させる必要があるのだ。

 不可知化したルベドの前なので、一旦片方を殺して――と、ごまかす事も難しい。

 

(時間魔法がどちらかに通れば、〈時間保持(タイム・ホールド)〉で数分、拘束出来るかも……)

 

 だがここで、意外な事が起こる。

 なんと某天使が〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉を解くと、割り込んで来た巨竜の前へ出て告げた。

 

「この闘いの邪魔をするのは良くない。介入するなら、お前の相手は私がする」

「――! 何よ、人間風情……が……?」

 

 巨竜は、突然登場した小さな、でも()()()()()の相手に目を奪われた。

 それは純白に輝く鎧を着た完全武装の姿――特殊白金鋼の羽根で両耳部を飾る兜に加え、翼部分にも鎧の付く天使の姿であった。

 また、右手に握る神器級(ゴッズ)アイテムの聖剣シュトレト・ペインの刀身へ縦に5つの穴があったが、全て伝説級(レジェンド)アーティファクトで埋まっている。

 頭頂に輝くべき輪っかだけは不可視化していたので、翼はあくまでも人が身に付けた鎧の装飾に見えていた。

 

「私はルベド。主人の護衛をしている者。で、姉の竜王はお前の援護を求めたか?」

 

 確かに助けを求められておらず、中々厳しい質問へビルデバルドは強引に返す。

 

「人間如きが我ら竜種の行動に口を挟むな。下がれ下郎め、〈全力火炎砲(フルフレイムバスター)〉っ!」

 

 竜王の妹は、問答無用で猛烈な火炎砲を吐く。それはこざかしい矮小な者へと直撃したかに見えた。

 白き翼の有る鎧の剣士は、そこで手に握っていた剣で眼前に迫った火炎を受けると呟く。

 

「〈火炎流用(フレイムディヴァージョン)〉」

 

 すると剣に()めている紅い伝説級(レジェンド)アーティファクトが輝き、聖剣は火炎砲の炎を全て巻き上げる様に奪うと炎を帯びた。

 見た目からの想像通り、その受けた炎の威力を一時的に剣へ併呑していた。

 その光景に、竜王妹は驚愕せずにはいられない。

 

「なっ!?」

 

 威力を持つはずの火炎攻撃を、耐えず、斬らず、流さず、跳ね返さずに丸ごと利用されてしまったのである。明らかに普通の武器では無い。そしてそれを握り使う者も……。

 改めて気配を見れば、先に感じた漆黒の布を纏う者に勝るとも劣らない威圧を受けていた。

 アインズ達はアイテムで常時、体力(HP)魔力量(MP)について外からの探知数値を低く抑えているが、打撃や魔法等の使用中には体外へエネルギーが出る為、その間だけ大まかな力量はバレる。

 

(何てこと。これほどの存在が今の時代に……いえ、ずっと人類主権域に居たと言うの!? だから永久評議員達は保守的で動かなかったのね)

 

 実際は全然違うのだが、評議国内でも飛び抜けて圧倒的な力が有ると知る白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)ツァインドルクス=ヴァイシオンが一切動かない理由としては納得出来るものが浮かぶ。そういえばと、数百キロ離れていても探知出来る彼の能力を思い出した。

 先日現れたと聞いた槍を持った人間に加えこの2体と、他にも居る事を知っていたら、人類圏側へ攻め込むのに躊躇するのは無理無き話である。

 ただ――現在、姉が殺されそうになってる事情とは比べようもなく。

 

(相手が何であれ、関係ないっ。お姉ちゃんの敵は、私の敵だ!)

 

 ビルデバルドは先程、上手く言い訳出来ずにいた言葉を言い直す様に、改めてアインズ達へと告げる。

 

「勘違いしている。お前達如きは、竜王が相手をするまでもないわ。――私だけで十分よ」

 

 彼女は、姉に気を使ってこれまで秘していた己の究極的な力を今、ここに開放する。

 

特殊技術(スキル)発動、――〈全  能  力  倍  加  算(プラス・ダブルフルポテンシャル)〉!」

 

 一気に力を増し高速化した竜王の妹は、霞む程に一瞬で、翼を持つ剣士の前へ移動した。

 その速さに絶対的支配者も思わず唸る。

 

「なんだとっ(階層守護者並み、いや、それ以上の空中移動速度か)」

 

 通常、能力値には上限が存在する。上昇させても最大値で止まってしまうが、この特殊技術(スキル)は、能力値の枠が上に積み上がる形で加算されるため上限が遥かに高くなる。

 一方でリスクも大きい。通常上限以上の力で行動し続ければ、身体への過剰負荷に劣化と寿命が削られてゆく代物。全力を出す場合、なるべく瞬間的な発揮にとどめる事が最良である。

 

「――はぁぁっ!」

 

 そんな彼女の一瞬に込めた、右前足拳による強烈な全力打撃が小さな存在へと炸裂する――。

 王国勢で某天使だけは、常時発動型特殊技術(パッシブスキル)で隠された竜王の妹(ビルデバルド)の元々のレベルが96もある事を知っていた。

 故に、より力の増した竜の拳が襲い来る。

 

 

 だがそれを――「〈能力向上〉〈剛力〉」と発し、左手1本で受け止めるルベド。

 

 

 両者の余りに超越したパワーの激突に、周囲の空気が衝撃で震えた。周囲数キロの低空の雲が払われ掻き消え、キノコ雲さえ大きく形を崩すほどに。

 ビルデバルドの発動した特殊技術(スキル)は『全能力倍加算』という景気のいい名だったが、難度自体が2倍分加算され3倍になる訳ではない。まあレベルで言えば15相当程も能力が上がって、Lv.100水準すら優に超えたトンデモナイ存在ではあるが。

 でも武技を覚え使えるルベドには、十分対応出来た。

 竜王妹が戦慄し震えるように呟く。

 

「そん……な……」

 

 〈全能力倍加算(プラス・ダブルフルポテンシャル)〉は、姉の復活とその窮地が無ければ、生涯使うつもりの無かった封印した特殊技術(スキル)

 ただ秘していつつも、自身の力を強く自負していた彼女には、人間如きに渾身の一撃を受け止められたこの光景が信じられない。評議国最強の白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)さえも膝を折るだろう威力の一撃であったのだから。

 その動揺を突いて、ルベドは受け止めた巨竜の右前足拳の指一本を一応掴むと唱える。

 

「〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉」

 

 竜王の妹と共に、空へまだ崩れ残る爆雲の反対側、旧エ・アセナル廃墟南側の上空へと移動し、主人(アインズ)や竜王から3キロ程引き離した。

 

「このっ、手を離せ人間」

 

 対してビルデバルドは、剣士の掴んだ手を振り解こうと右前足を大きく振ろうとする。

 キノコ雲に加えて地表や周辺の情景から、旧都市廃虚の上空にまだ居る事に気付いたのだ。一刻も早く目の前の強敵を倒して、重傷の姉ゼザリオルグを助けに行かなければと逸り気味。

 空中で力相撲する場合、体が重く翼等で定位置を確保出来た方が有利。軽くて体格の小さい方は振り回される形になるはずである。

 

 ところが掴まれたビルデバルドの右前足を掴む相手は、力を掛けてもビクとも動かない。

 

 依然として、(パワー)で抑え込まれているのが直ぐに分かった。

 ビルデバルドが翼の有る鎧の剣士へ強面の竜顔で睨みながら問う。

 

「どういうつもり?」

 

 先程から、火炎砲を剣へ巻き上げたり、殴りにいった前足を掴まれたりしているのだが――この人間からの攻撃が無い。攻撃が中和されている感じに見える。

 有利な能力を持っているなら攻撃し倒せば良いはずで、竜王妹からすれば理解に苦しむ行動。

 それに対するルベドの答えは。

 

「秘密」

 

 ピクリと苛立ちを顔へ見せたビルデバルドに対し、兜の中で涼し気な顔のままのルベド。

 某天使の狙い目は当然、同好上級者の会長による保護手腕を見たいからであるが。 

 それを言ってしまっては「馬鹿にするな」と暴れられた上、わざと姉妹で一緒に居ない意地悪をされて、後日に自然な普段の微笑ましい竜王姉妹の様子をニヤニヤしながら見れなくなる恐れも考えられた。決して、あってはならない事態だ。

 ルベドは己の欲望のまま突き進む――両者のにらみ合いは(しば)し続いた。

 

 

 巨竜(ビルデバルド)翼ある白き鎧の剣士(ルベド)が消え、残されたアインズと竜王少女(ゼザリオルグ)は再びにらみ合う形に戻る。

 

「〈復元(レストア)〉」

「……くっ(ビルデー……引き離されたか)」

 

 支配者はここで余裕を見せるが如く、先程の猛攻で一部が砕かれた仮面を修復する。

 負傷状態のゼザリオルグはその様子を眺めつつ、目前で先程見た事に色々と衝撃を受けていた。

 

「はぁ、はぁ……(でもビルデーめ、圧倒的じゃねぇかっ。成長してとっくに俺を超えてやがるのに、気を使いやがって全くしょうがねぇ可愛い妹だぜ。それにしても、何だ先の突然現れた白い鎧のニンゲンは。あのビルデーのもの凄い(こぶし)の一発を平然と受け止めやがったぞ、どうなってやがるっ)」

 

 『魔法詠唱者の護衛』と名乗った事で、流石にまだ、『ナニカ』とは関連付かない模様……。

 言うまでもなく攻防に関し、攻撃側より完封する側の方が技量はいるのだ。

 それも有象無象の撃った攻撃などとまるで違い、先の一撃には地に撃てば大地震を起こす程の膨大なエネルギーがあったはずなのだ。受け止めるのさえ、最低でも同等のエネルギーが必要。

 正直なところ、全力全開の竜王でさえも超剛筋肉だけで瞬間的に出すのは厳しい。

 対抗出来るとすれば、渾身で撃つ〈獄陽紅炎砲(ヘル・プロミネンス・バスター)〉の総エネルギー量ぐらいだろう。

 彼女の視線はずっと、目の前の小さき魔法詠唱者の動きを見ていたが、ここで意識も向く。

 

(こいつも、俺やビルデーの渾身の攻撃をまともに受けていながら、倒せてねぇ)

 

 恐らく高位の防御魔法に因るものと予想出来た。

 とはいえガードされても、あれだけ連打を受ければ吐血や血を流しても不思議ではないが、今のところ全くその様子は見せず。

 まあ骸骨体の支配者には血が流れていないので、当たり前ではあるけれど……。

 

「はぁ、はぁ……(くっ、骨の様に頑丈なヤツめ。大して効いていねぇのかもな)」

 

 現状、敵から切断系の魔法攻撃を連続で受ける苦しい状況から、竜王は悲観的に思えてしまう。

 垣間見える大きな魔法量しか探知出来ておらず、彼女には魔法詠唱者のダメージ度合が不明なままであった。それだけに、焦り始めた彼女へ残された対抗手段は限られてきている。

 一方のアインズは、魔法をもう一発という状況で竜王の妹に割り込まれたが、ルベドがその巨竜を引き受けてくれたお陰で、竜王に注力出来る形になり仮面の中でほくそ笑む。

 

(ルベドが武技を使ったぐらいだからな、あの巨竜は竜王以上の力があったんだな。しかし、ルベドも随分気が回る様になったよなぁ。いい傾向かな。後で褒めてやらないと。さて――)

 

 支配者はこのまま竜王少女へ追加の攻撃魔法を叩き込むよりも、目の前でルベドが見せたこちら側の実力を材料に、再度の撤退勧告をした方が効果面も含め状況的に最善と感じられた。

 それと先程聞きそびれた重要事も残っているので、すぐさま実行する。

 

「竜王よ、八欲王を見たことがあるのか?」

「はぁ、はぁ……あ? だったらどうした? 闘いの際中に……はぁ……くだらねぇ事、聞いてんじゃねぇぜ」

「そうか、悪かったな」

 

 絶対的支配者の一つ目の質問への答えは十分。これで、上手くいけばプレイヤーかもしれない八欲王の情報が手に入りそうである。ますます殺す訳にはいかなくなった。

 なので即、懐柔を図る。

 

「――では改めて。私だけに留まらず、先程見た通り私の配下も実力者揃いだ。そろそろ、戦いを止めて評議国への引き上げを検討してはどうか?」

 

 内容においてアインズは、『負けを認めろ』という直接的な表現を外してみた。

 引き分けすら臭わせるかなりの善処をみせる。だがそれでも。

 

「ふざけるなっ。誰が……はぁ……っ、敵のテメェの話など聞くか」

 

 青息吐息ながらゼザリオルグにすれば、以前に八欲王と人間の軍団は、母と自分と仲間を含めた竜種他、全非人類種の投降や捕虜を一切許さず殲滅している。それによって多くの国々が滅んだ。そんな狂った人間連中の側に立つ者の語る言葉など、信用出来るはずがない。

 それに弱者の言であれば、竜種族の力を恐れての言葉で恐怖から実行の可能性も有り得よう。だが目の前に居る人間の魔法詠唱者と奴配下の剣士だけでも、大陸を制する可能性の高い(パワー)を持っている。

 ゼザリオルグの思考には、虐殺に明け暮れた八欲王と同様で、目の前の魔法詠唱者が絶大な力を背景に、油断させた背後から竜の軍団を踏みつぶし蹂躙する非情の未来しか浮かばなかった……。

 故に彼女は言い放つ。

 

「俺は……はぁ、はぁ……、無慈悲な八欲王と同類へなど……死んでも屈しねぇぜ。最後まで闘って……その細い喉とド頭を食いちぎって……はぁ……テメェだけでも道連れにしてやんよ!」

 

 リーダーが居なくなれば組織の揺らぐ事は多く、八欲王達も結局は上に立つ者が出ずに潰し合った歴史が残っている。竜王少女は敵わずともと意外に冷静であった。

 

「……(うわ、マズイな。折れそうにないし、誤って殺したら蘇生を確実に拒否されそうかな)」

 

 アインズは正直、凝り固まった竜王少女を相手にこの先どうすべきかという考えに詰まる。

 強引に従わせることは〈支配(ドミネート)〉を〈魔法最強化(マキシマイズマジック)〉で強め〈魔法抵抗突破化(ペネトレートマジック)〉も付加し何度も実行すれば可能かもしれない。

 しかし代償として、竜王の妹への優しさを含めた個性的感情は殆ど失われるだろう。

 それは、姉妹同好会規定に思い切り違反する邪悪な行為である。優秀な狂気的会員から成敗される危険性が非常に高い……。

 状況は深刻に思えた。場合によっては、先日法国から入手した一定期間精神支配を与える世界級(ワールド)アイテムの使用など、強制的な形も含めて他の手を考えるべきだが、既に今、決死の覚悟をした竜王と対峙している最中。

 

(初顔合わせのやつの考えを変えるとか容易じゃない。状況が厳しいんだけどぉ)

 

 土壇場の支配者は改めて思う。平和とは、何と持続の難しく壊れ易いものなのかと。

 

 

 絶対的支配者の彼へと―――単に(パワー)だけでは屈しない者達への対応を試される時がきていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王国総軍は竜王軍団の宿営地へ対し、広大な地へ円弧形に取り囲む戦線を敷いている。

 故に、良く晴れた夏の空へ未だ夕方前の白光が照る中、ゴウン氏の放った真の反撃の号砲とも思える大魔法〈爆裂する槍(ランス・オブ・エクスプロージョン)〉及び〈万雷の撃滅(コール・グレーター・サンダー)〉の閃光と轟音は戦域の外縁傍まで届き、旧大都市廃虚の中央付近から天へと高く立ち(のぼ)った爆雲は全戦場から見えた。

 総司令官のレエブン候から指令が届いていない戦域で奮戦する貴族や兵達及び、ラキュースやオリハルコン級部隊経由での連絡が難しい冒険者達と、そして宙を舞う竜達も突如高く湧き立った異様な巨大雲へ注目が集まる。

 この時、アダマンタイト級冒険者チーム『朱の雫』の面々は、遅くなり夕食と言える昼食を東部戦線の外にある野戦診療所の傍で取っていた。秘されているが彼らのチームの主戦場は元より南部域の戦線であった。それは当然、南方に国王の陣地が在るためだ。

 ここに今居るのは、アルベリオンの遺体が保管されてあったから。

 そして――彼が奇跡的に生き返ったとの報を受け、一時的に駆け付けて来ていた。

 完全にミステリーである……(ドラゴン)の爪で、心臓を深く切り裂かれ胸に幾筋も入っていた酷い傷痕さえ、いつの間にか綺麗に消えている奇跡。結局、治療で居た神官達も、人間離れした剣豪アルベリオンの生命力の凄さや、竜の返り血を幾度も浴びた事などが要因ではという話で落ち着いた。

 無論、生き返ったが彼の意識と難度は下がっており、当面は野戦診療所の幕舎内で回復に専念する予定。

 そんな大幸運に恵まれた『朱の雫』の面々が食事する中、巨大雲の異変へ最初に気付いたのはアズスであった。

 

「ん!? あの方角は、エ・アセナルの廃墟辺りか……尋常ではない爆発があったな」

 

 西方の空へ自然では無い、太く大きく立ち(のぼ)りつつある雲を不信に思ったのだ。

 戦友のルイセンベルグの復活は歓喜したが、王国軍自体がもろ手を挙げれる戦況に程遠い。この(あと)も、チームを預かり直ぐに激戦地の南部戦線へ戻るつもりのアズスは注意深かった。

 仲間達も神妙な表情で西の雲を見詰める。

 

「ほんとだ……凄い雲だな。煙か? モクモクと空へと上がって行くぞっ」

「大火災かっ。まさか、あの竜王が全力で動いたのか!?」

「……いや違うな」

 

 アズスは大雲から視線を右下方の地面へ外しながら思案気に否定した。

 雲についてだが開戦当初は麦畑が広く燃え、太い煙も上がっていた。しかし多くが燃えた今、細い煙ばかりなのだ。それに、通常の火災の火力だと、高い上空まで太い煙が届く事は中々難しい。

 世界には火薬も存在するが、これほど大きな変化をもたらすのは大魔法や、先日に竜王が撃った様な超火炎砲ぐらいと考えるのが自然。

 また現在、優勢な竜軍団の竜兵が多く展開する戦域内でこれ程の火力が必要とも思えない。

 アズスはルイセンベルグから聞いていた、王家の客人と言う魔法詠唱者の『反撃』の話を思い出す。

 

「これは……(とき)が来たか」

 

 その言葉を裏付けるように〈千里眼(クレアボヤンス)〉の特殊能力(スキル)を持つメンバーが決定的な言葉を口にする。

 

「うおっ、これは凄いぞっ! 雲直下の地上の廃墟に、竜王(ドラゴンロード)が墜ちているのが見えた」

 

 彼と『朱の雫』の好運は続く。

 雲が余りに大きかったので結構引いた位置から覗いた事だ。巨体の竜王は1キロ強の距離からでも十分確認出来た。近ければ支配者(ゴウン氏)の対情報系魔法の攻性防御に遭い、この野戦診療所ごと吹っ飛んでいたところである……。

 

「いよいよ始まるな」

 

 アズスの声で『朱の雫』のメンバー5名は顔を見合わせると、直ちに急ぎ昼食を口へ押し込むように頬張ると席から立ち上がった。

 そして彼等は出立前に、野戦診療所中央の陣幕の前の広場で気勢をあげる。

 

「私は、アダマンタイト級冒険者チーム〝朱の雫〟のアインドラだ。皆、聞いてくれ! あの西の空に太く立ち上る雲を見て欲しい」

「「おおぉ……」」

 

 野戦診療所のオープンな周辺越しに臨む西方の光景。そこへ、見た目で10センチ程に成長して見える雲がハッキリとこの場の者達の視線の先に見えており、少し不安めいたどよめきが起こる。

 だが、アズスは構わず言葉を続ける。空気を一気に変える内容で。

 

「噂を聞いた者もいるだろう。あれはゴウンなる人物が竜王へ見事に一撃し、地へ落とした大魔法だ。仲間が〈千里眼(クレアボヤンス)〉で地に這う竜王の姿を実際に見ている。――遂に我々王国側の大反撃が始まったぞっ。動ける者は今一度立ち上がって戦ってくれっ。俺達も今から戦地へ向かう!」

「「「うおおおおぉーーーーっ!!」」」

 

 こんな戦場から(こぼ)れた、場末の野戦診療所にも限らずの盛り上がり方を見せた。

 希望とは、傷つき倒れた人間でさえ、再び前へと踏み出させるものなのだ。

 激戦が続くと変化を敏感に知る連中は以外に多く、ほぼ同時に広い戦域の各地で爆雲の異変に気付き呼応する者達が続々と出て来ていた。今、王国総軍の全力の一大反攻戦が始まりを迎える。

 その筆頭は総司令官のレエブン候であり、連絡が早く届いた東部から南東戦線に陣取る国王派貴族の軍団も足並みを揃えこぞって動き出す。

 だがしかし、日没の迫る頃。

 この反撃へ向かう大きな流れの中で、大変な情報がレエブン候の下へと舞い込む。

 南部戦線の外の南方から、一人の傷ついた王家の近衛騎士装備の伝令が現れたのだ。

 

「非常事態です。竜の大部隊約40頭が南進し、王家の軍団と交戦を開始。……更に陛下の陣へも迫っています! 全力で応戦も、敵は十竜長水準を主力に揃える強力な部隊構成で、状況は完全に一方的っ。既に接敵から1時間半程経過して……おります。侯爵閣下、早急に……対処をお願いいたします」

「なんだとっ(ええい、これからと言う時に)」

 

 総司令官のレエブン候は苛立つも、ここで大きな決断を迫られた。

 彼は厳しい顔で額に手を当て瞼を閉じると、僅かに考え始める。

 現状の王国軍から王家の兵団を救援出来る戦力を割き向かわせば、今でさえ厳しい反攻への力と機を大きく減らす事になる。

 恐ろしく非情だが総司令官としては、南方の1万余の兵を囮的に使うのはアリな策であった。

 1万余が例え国王と王家の兵団で全滅したとしても、国を守る貴重な時間を稼げるだろうと。

 それに――反貴族派筆頭のボウロロープ侯爵は戦死し、第一王子は現在行方不明。更にここで国王が居なくなれば、一応密かに手を結ぶ王都に残る第二王子ザナックの擁立は非常に容易となる。

 数年前、国王派と貴族派の間で揺れた蝙蝠の心が悪魔的に囁く。

 

(もし当家が次期国王の後ろ盾になれれば、リーたんの将来も明るい。此度の大戦で、王国の人的損失は甚大だが、戦力として今後もあの魔法詠唱者をしっかり味方に付けれれば、帝国や法国へ対しても問題ないはずだ。ただ、戦士長も戦死した場合、友人を見殺しにしたのではと、ゴウン殿に恨まれる可能性が残るか……まあそれは、領地か金貨を積み上げれば解決しよう)

 

 一方で、リーたんの安定的な未来を望み、国王の(がわ)へと決心して着いた経緯も思い出す。

 

(くっ。可愛く愛しいリーたんの父親として、もう非情な裏切りはやめだと決めたはずだ。第一、バッサリ切ったはいいが万一にも陛下と戦士長や第一王子が生き残って終戦を迎えた場合はどうなる? そんな危険性の高い賭けを再びするために、私は国王側に組みしたのか? 違うだろう……将来、リーたんに厳しい境遇を絶対に残さない為だっ)

 

 レエブン候は目を見開くと伝令に告げる。

 

「伝令ご苦労。――相分かった。直ちに、()()()()の部隊を送り出そう。貴様のその傷では、帰還は厳しかろう。まず治療を受けよ」

「……はっ。申し訳ありません。侯爵閣下、あとは……宜しくお願いいたします」

 

 衛兵に支えられ近衛騎士は簡易幕内から下がって行く。

 結局、侯爵は南方へ応援を向かわせることにした。しかし、王家の軍団ごと助け出す余裕は王国総軍にはない。

 急ぎ、レエブン侯爵が呼んだのは彼を護衛する元オリハルコン級冒険者達5名であった。彼は状況を端的に説明する。

 

「竜軍団から選抜されたと思われる精強な40頭程の竜部隊が南進し、王家の部隊へ襲い掛かっているとの知らせが届いた。だが先程、魔法詠唱者のゴウン殿が反撃となる竜王への攻撃を開始したばかりで、ここで多くの軍戦力は割けない」

「――なるほど。我らは国王陛下を救出すればよいのですね」

 

 元オリハルコン級冒険者チームのリーダー、火神の聖騎士であるボリス・アクセルソンが勘よく用件を確認した。さらりとだが、相当困難な指令内容と言える。

 王の陣地への経路に詳しい伝令の近衛騎士を陣に残すのは足手まといでもあり、同行時に本音と規模を知って騒がれないようにだ。

 レエブン侯爵は頷き、ボリスの言を肯定すると同時に予想される難題の解決策も伝える。

 

「そうだ。ただ恐らく陛下は、陣地を離れる事を拒まれるだろう。その時は、ゴウン殿の大魔法による反撃が始まったとお伝えし、その場で〝大戦で疲弊した王国と戦後の陛下存命の重要性〟を説きご理解頂くのだ。きっと陛下は避難される事を選ばれるはずだ」

 

 此度の大戦で、王家直轄領の大都市エ・アセナルは破壊され、捕虜も含め市民40万人以上を失い、現状で10万人からの民兵も戦死している。更に得る物は無い戦争への莫大な戦費に加え、穀倉地帯の一部焼失により確実に5%は穀物収穫が落ちるだろう。その状況で国王を失えば、王国は一体どうなるのかと。

 

「委細承知しました」

「現地には王家の宝物を装備した、王国戦士長が踏ん張っているはずだ。彼の協力を得て共に脱出せよ。大よその位置はこの地図に記してある。貴様らなら4、50分で到着出来るだろう。出来る限り急いでくれ」

「はっ、ではこれにて」

 

 歴戦の5人は「しかし侯爵の護衛は?」という点をあえて聞かなかった。

 レエブン侯の表情には、既に『選択の余地は無い』という決意がハッキリと見えていたから。

 侯爵はリーたんの為、一度乗った船に賭ける。

 元オリハルコン級冒険者達5名を送り出すと、追加でレエブン侯の軍団から1000名と、東部から南東部戦線に展開する王国派の大貴族の軍団へも伝令を出し兵3000を南方へと向かわせるように指示した。元々南進したと聞く竜軍団の大戦力から、王国戦士長も助かれば儲けものというほど厳しい状況にある。兵4000は確実に全滅すると予想する……。

 だが、六大貴族で王国軍の総指令官としてのレエブン侯の立場を踏まえると、何もしない訳にはいかない。王家の軍団を救出するべく動いたという建前だが、これが現状で精一杯の判断。

 兎に角、国王さえ助け出せれば大義名分は手に入るのだ。

 それに今、彼の最大の役目は、総司令官として『王国をこの戦争に生き残らせること』である。

 

 ――『アーグランド評議国側へ戦線を維持しつつ、少しずつ押し上げよ』。

 

 レエブン侯が王国全軍へ指示したのは、主にそれだけであった。

 竜種相手に貧弱な一般兵の残存戦力で突撃的な戦闘を強いても、戦列が容易に崩壊するだけと冷静に判断する。局所戦は、冒険者達の意地を見せる形の奮闘に期待すべきところだ。

 それより貴族達の軍団には、戦線自体を現状から匍匐前進のようにゆっくりと動かしてもらい、ジワジワと広く大きく()()()()()敵を威圧させるのが目的である。

 総司令官は、ゴウン氏の大魔法に竜王ら竜軍団の上層部が屈し、人間側の広大な陣に押し寄せられれば連中も戦局の大勢が見え、評議国への撤退に傾き易いのではと考えた。

 

(ゴウン殿、何卒頼みますよ)

 

 最早、完全に旅の異邦人任せと言えるが、近い西方の空に高く立ち(のぼ)った巨大な爆雲を見上げて、仮面の男の圧倒的な力に今は縋るしかなかった。

 

 総指令官からの指示を受けた各戦線の大貴族らは、少しずつ配下の小隊の陣を北北西へを移動させ始める。それは1時間に100メートル程でだ。なので、包囲陣形の戦線はほぼ維持されたままで、竜軍団の宿営地方向へゆっくりと前進が起こり始めた。

 形としての華々しさは全くなく、大いに地味である。

 だが、この1週間程で、全ての貴族達とその兵団の民兵らは過酷なまでの闘いで疲弊しきっていた。対効果を考えればレエブン候の策は良策で、精一杯の反撃戦と言えよう。

 正に皆の損得抜きにした、純粋な『大切な者達を竜から守りたい』という強い想いだけで、闘志を燃やして這うが如き最後の進撃を見せる。その行動に貴族も平民もない。

 負傷して戦域外へ下がっていた冒険者を始め、兵達や騎士に男爵さえも動ける者らは皆、続々と担当の戦線や元の小隊まで戻って行き再参戦していった……。

 

 その中には王都で、リッセンバッハ三姉妹の仇敵と言えるフューリス男爵へ一時的に仕えるも男爵が『八本指』のサキュロントと揉めた際、戦闘を拒否して首となり後日、ポアレ男爵家に雇われたあの騎士も居た。

 大反撃の此度は到底、他人任せに出来ない闘いだとして。

 

「王都に残る愛しい妻よ、可愛い娘達よ、私がお前達を守る! そして、生きて帰るぞっ」

 

 新たな決意で銀の面頬付き兜(クローズド・ヘルム)を被り長槍を握る彼は、大戦開始時にポアレ男爵の率いる民兵185名の歩兵隊と22名の騎士団の兵団へ、騎士の一人として参戦。

 そして、2度目の竜兵との闘いで彼は、火炎砲により左腕を肩から大きく負傷する。

 ポアレ男爵兵団内では民兵の多くも負傷し戦死する中、騎士の称号を持つ彼は、男爵の計らいで同様に負傷した他の騎士達8名と共に、戦域外の野戦診療所で手当てを受けさせてもらえた。

 少し残る傷の痛みを堪え、家族と名誉と収入を守る為に彼は再び戦場へ立つ。

 

 また冒険者達も……。

 アズス率いる『朱の雫』は野戦診療所から南部戦線へと戻ったのだが、そのメンバーにはなんと聖遺物(レリック)級アイテムの『疾風の双剣』を両手に握る剣豪のあの男がいた。

 

「俺はヤれたら()り返す――〈三影連・倍斬〉っ!」

 

 ルイセンベルグは難度と共に筋力も落ちていたが、「大反撃が始まったのに、大人しく寝て居られるか。剣技はそれほど落ちていない。俺も出るぞ、連れていけ!」と闘志を燃やしての再参戦。

 死んだはずの有名なアダマンタイト級剣豪冒険者の『不死身の復活』に、戦場は冒険者達の他、民兵達も大きく気勢と士気を上げる。

 南東部の戦線において『漆黒の剣』達の銀級冒険者部隊は、攻撃の(すべ)なく土塁に籠り殆ど動けずにいたが、怪我のまま彷徨う冒険者数名を収容し手当する働きを見せる。反撃が始まると、運よく通り掛かった歴戦のミスリル級部隊と白金(プラチナ)級部隊と連携合流する形となった。この冒険者達は――旧エ・アセナルの冒険者組合の生き残りだと語った。最悪の地獄を経験した中で、勇気ある者達が再び武器を握っていた。そこでダインの土塁防壁が、上位の冒険者達にも褒められ重宝がられる。

 東南部戦線では、モモンとマーベロを擁したアインザック率いるオリハルコン級冒険者部隊を軸に動いた。怪我を押して戦場へ戻って来た冒険者達を含む多くの部隊が、アインザックの指示に従い、竜兵達の殺害に拘らずダメージ重視の攻撃に切り替え、多くの竜兵を戦線から退却させる攻勢を見せた。

 その指示の発案は、何気ない偽モモン(パンドラズ・アクター)の言葉であったが……。

 

 (のち)に反撃戦参加兵力は2万以上回復し、南方の1万余を含むが約10万1000人で開戦時の陣の8割近くをカバーした。冒険者達も1700人以上が参加し、部隊間の連携を強め竜兵らへと意地の戦いを見せ始める。

 竜達の攻撃が続く中、疲弊などの逆境にも怯まず冒険者と王国軍が互いに声を掛け協力し合う事で、全軍が連鎖し着実に前進を続けていった――。

 

 これと並行して、王国軍内では『〝蒼の薔薇〟のリーダーらが竜王との戦いに敗れ死亡した』と言う話が西部戦線方面より流れる。一時的に西側中心の戦場へ動揺が走るも、生きて各地に現れたガガーランを除くラキュースら『蒼の薔薇』のメンバーはその敗北についての情報を肯定。それと同時にゴウン氏により助けられたとも伝え広がり、彼の実力により大反撃が起こったという話へ更なる現実味を持たせた。

 『蒼の薔薇』や『イジャニーヤ』達も竜王担当を外れ、ここで一般戦線へと加わり反撃に勢いが付いてゆく。

 共に戦場へ立つ六大貴族のブルムラシュー侯は、先の『蒼の薔薇』リーダーらの敗北死と言う話で一時、大いに内心で安堵し掛けたが、間もなく連中の存命が事実と知るや眉間に皺を作り不機嫌な表情となった。

 

(……チッ、運の良い連中め。劇薬は購入し渡ったはず。まだ使っていないのか? ……次の手も用意すべきか。全員が平民であれば、例の内通の件など出自の怪しい者の戯言だと一蹴出来るが、アインドラ家の娘の存在は少々厄介だ。消えてもらうに限る)

 

 ラナーの放った罠も、主人(アインズ)の見せる世界の深淵を覗く様な奇跡の力の前では予想外に未達の場合もある。しかし簡単に一度では終わらない手堅くシツコイ一手でもあった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日の竜王軍団の宿営地は、いつもと少し違う感じで始まっていた。

 未明から早朝まで続いた上層部の臨時会議において、『本国からの監察へ対し攻撃戦果を作る』という竜王の強い要望で急遽決まった南進攻撃部隊の編成が朝から行われた。

 竜王の妹ビルデバルドとしても、やむを得ないと考えている。

 

(現状でも一応、人間共の戦力を大規模で確実に減らしているとはいえ、捕虜移送や長期補給待ちの件も加えれば攻め足が20日以上もこの地で止まっているのも事実。でも連中の首都への攻撃が始まれば、停滞面の悪印象は十分払拭出来るもの)

 

 南進へ投入する戦力として、現在全軍410余頭を約80頭毎で5交代に分けてあるが、総員から臨時で十竜長筆頭など精鋭42頭を集めての編成と決め、午前11時をもって送り出していた。

 普段、竜王のゼザリオルグは出撃する為、陣内の諸事を配下に任せている。今日も臨時会議が済むと約1時間とかなり短くなった早朝出撃のあと、攻撃担当として竜王隊を率いて通常サイクルで午前の出撃に加わる。そしてその竜王不在と陣内の諸事を、ビルデバルドが中心で百竜長筆頭のアーガードと百竜長ドルビオラの補佐を受け、共に仕切るのがいつもの形である。

 軍団5交代の1つ、竜兵約80頭の大部隊がこの宿営地を守り、2つの大部隊が出撃している体勢。また2つの大部隊が休息しているので、宿営地内には常時240頭程が居る事になる。今は臨時で出た南進部隊の参加者分少ないが。

 宿営地内は、午後に南進部隊が接敵したとの情報が来たぐらいで、監視部隊が追跡中の『人間5体組内で2体が出撃』などの情報は竜王へ直接伝えられたので、常時落ち着き静かであった。

 そんな竜軍団宿営地の事態が急変したのは、夕暮れも近い午後6時頃の事。

 

 南へ出来ていた広い廃虚地上空において、短い間隔で数度の大爆発が起こったのだ。

 

 帰投する姉の巨大な気配を捉えていたビルデバルドは、移動が止まった上に姉の気配も一回り以上小さくなっている事に気付く。

 

「――(お姉ちゃんっ!?)」

 

 何者かによって、竜王が攻撃されダメージを受けた可能性に驚く。

 間もなく廃墟中央付近の上空へ威力を物語る巨大な雲が立ち(のぼ)っていく。

 多くの竜兵も、急激な巨雲の発生という大きな視覚的異変には気付いたが、3キロ以上離れる竜王の状態を捉えたのはビルデバルドのみ。姉ゼザリオルグの気配が、他と比べ規格外の水準で圧倒的に大きいからこそ分かる。恐らく大陸北西域では3本の指に入っているはずだと。

 ビルデバルドでも気配を感じる取るのは、姉以外の一般的難度の連中だと1キロ半前後の距離が限界だ。

 今感じ取った竜王の状態は、重めながら中程度の怪我と言う状況。まだ瀕死には程遠い。

 姉の様子は心配だが、ビルデバルドはこの宿営地を姉から任されており、今勝手に離れるのは時期尚早に思えた。半月程前に現れたと言う槍使いの人間との闘いでも、中盤でゼザリオルグは負傷しており、そこから見事に巻き返している。

 加えて下手にビルデバルドが力を出して助けると、姉の竜王としての尊厳を傷付ける恐れもあった。

 

(お姉ちゃんが、今の人間勢力に負けるはずないっ)

 

 強大で無慈悲な八欲王達は彼女(ビルデバルド)が子供の頃に、欲深く互いに殺し合って死んだのだ。もういない。この大陸の他、西方の海を渡った先の大陸にも、あれら程の存在は御伽話にさえ聞かずだ。

 先日の王都強襲小隊への対策はされたようだが、それでも人類など恐るるに足らずである。

 さればこそ、この段階での自身による竜王救援は一旦ガマンする。

 彼女は、姉の代行として座る綺麗な布の積み上げられた席から立ち上がりアーガードを呼ぶ。

 南方側の空の異変もあって、直ぐにアーガードが露天する『執務の間』へ現れた。

 ビルデバルドは既に見上げる程の高さのキノコ雲へ視線を向けつつ、彼へ竜王の気配の変化と戻って来ない竜王隊の面々から、状況予測を伝えた。

 それを聞いたアーガードは厳つい顔を驚きで引きつらせる。

 

「竜王様が攻撃され、手傷をっ! 兵達他、ノブナーガの奴もやられたと? くっ……では私を含め、直ちに救援の精鋭部隊を向かわせますか?」

「いや。もしもの場合は私が出る。あれほどの雲となる巨大な爆発は、きっと大魔法だ。お前達では――ん!? 姉さんの気配が随分大きくなった。これは……変身したのかもしれない」

「おお。では?」

「ああ。本気になった我々の竜王は、確実に敵を叩きのめす事だろう」

「ですな、はははっ」

 

 アーガードは竜王から、この前聞かされた槍使いの人間を半殺しにした話を思い出し笑う。

 だがビルデバルドは巨大な雲への視線を暫く外さなかった。

 一応、闘いの状況を知るべく、アーガードは斥候だけを出すことにした。

 

 それから10分程が過ぎる。

 にもかかわらず、ビルデバルドの姉は竜軍団の宿営地へ帰って来ること無く、依然として廃墟北方の上空に気配があった。位置は目まぐるしく動くが、気配の大きさは余り変わらないため、闘いは拮抗している風に取れる。

 

(本気になったお姉ちゃんが、倒すのに時間の掛かる程の敵なの?)

 

 今のところ視覚的な敵情報は無く、何者か全くの不明。

 竜王と対する敵の存在を示す気配は断片的にしか探知出来ないが、姉ら両者の活発な動きからみて敵に負傷はあっても軽微のはず。

 (なお)、以前現れた槍使いの可能性は低いと見ている。奴は窮地に際し、大魔法の類は使わなかったからだ。それに今、仮に再度登場しても、奴の受け技は凄かったが、変身からの進化状態となった竜王を攻めるのは(パワー)的に困難と聞いている。

 廃虚北側上空でも宿営地から2キロ以上の距離があるため、ビルデバルドも難度で200未満の者を捉えるのは困難。

 変身進化状態の姉と互角に渡り合う力とこの点から、敵は――瞬間的に難度を強烈に上げられる人間なのではという予想が立つ。彼女(ビルデバルド)の隠す特殊技術(スキル)に近い能力。

 

「……(槍を使う人間も特殊技術(スキル)で総力を増したと聞いたけど。そんな特異な連中を集めた秘密部隊でも敵軍にあるのかしら)」

 

 隣国の人類国家、リ・エスティーゼ王国は建国より200年程。その間に脅威としての話を聞いたことが無い。近年、突発的覚醒でもあったというのだろうか。

 

(ううん……王国の戦力に、遠方のスレイン法国も居ると見た方が自然よね)

 

 アーグランド評議国内でも、人間側の強国といえば法国が知られている。ただ、半月程前にあった和平交渉の使者は王国のみからの代表だったと聞いており、法国が絡むとすれば最強水準の戦力を投入しながら竜軍団と交渉しない部分について納得しづらい。

 確かに(あと)で王国から多額の協力金などを受けるという話も考えられるが、竜種や評議国と直接交渉するという面を考えた方が人類国家として得る物は大きいはずなのだ。

 個人ならともかく、国家として利益の小さい与力が成立するのだろうかと。

 それ故に、やはり王国のみの戦力という筋も消えなかった。

 政治の駆け引きが得意で無いビルデバルドに、力の無い王国と強気で攻撃的な法国が別々に動いていたとの考えは浮かばずにいた。

 

(その事より今は、お姉ちゃんと闘ってる敵の強さが気になる)

 

 スレイン法国勢がいてもいなくても、姉がこの敵に勝てればどうでもよい話に変わる。

 彼女は人間側の戦力の疲弊振りから、連中が最後の切り札を出して来たものと確信する。

 

(大怪我をしたという槍使いが回復していれば、これまでにどこかの戦場へ投入されていたはず。それが無かったと言うことは、死んだか完全回復せずか今も動けない理由があるんだと思う。だから、この敵を退ければ――)

 

 その時、アーガードの声が掛かる。

 

「ビルデバルド様、闘いの場近くへと向かわせた斥候の者が戻って参りました」

「そのまま入って」

 

 アーガードと共に『執務の間』へ通された竜兵は、長い首を垂れると直ちに伝える。

 

「申シ上ゲます。竜王様と対峙する者は小さイ姿をシており、人間の様子。また、そ奴は立派な装備を身に付けておリ――黒キ布を纏った魔法詠唱者風に見えまシた」

「まさかっ」

「なにぃ」

 

 ビルデバルドとアーガードは大いに驚く。

 彼女は不審な魔法詠唱者が宿営地へ現れた時にその姿を目撃しており、百竜長筆頭も直後に報告を受けていたので忘れるはずもない。

 その驚きの最中、ビルデバルドの強面(こわもて)の顔が更なる驚愕の表情に変わった。

 

 姉の気配が弱まりゆくのを捉えたのだ――それも断続的ながら短期で急激に危険な水準まで。

 

 竜王ゼザリオルグは、竜人化等により人類勢に比べ圧倒的な強さとなっていたはずなのだ。

 その姉を追い詰められるとすれば、自身を除くと白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)ぐらいのものであろう。

 報告だとそれを、人間の魔法詠唱者が只一人で行っていると言う事実。

 

「――っ。アーガード!」

「はっ」

「悪いけど、今から私が出ます。気配から現場の事態(たたかい)が急変したみたい」

「なっ!?」

 

 明確には語らずも、彼女の様子は竜王の苦戦を予感させる雰囲気が漂う。

 

「宿営地は貴方に任せます。それと応援は寄越さないで。間違いなく巻き添えを食うから」

「分かりました。ビルデバルド様、勝利を」

 

 そう伝えるアーガードは、眼前の巨竜(ビルデバルド)に隠された真の実力を知る数少ない者の内の一頭。

 彼女は百竜長筆頭へ頷くと、その場で大きく羽ばたき、上空へとカッ飛んで行った。

 竜王でないがビルデバルドは、現時点で姉の煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)をも凌ぐ逸材だ。

 現在まで700年以上に渡り群れの統率が取れている彼等の山里だが、現竜王が隠れ少し経った頃、竜王の復活を待たず己の強さに溺れて、里を実力で乗っ取ろうと決起した反乱騒動もあった。

 ビルデバルドがまだ子竜の頃の話だ。しかし彼女はその成竜の反逆者達を単身、火炎砲無しの打撃のみにて圧倒的な力で()ちのめし平定してのけた。

 何を隠そう、アーガードとノブナーガは嘗ての反乱首謀者達である……故に身に染みている。

 

 百竜長のアーガードやドルビオラと共に竜兵約220体が居る宿営地は、己達の力足らずを歯がゆく思いながらも血気に逸らず各自が役目を果たし、竜王達の帰還を我慢強く待つ。

 半時間程が過ぎた辺りで日没になり、周囲へと夜の帳が降りる。

 その時、流石に状況へ焦れたアーガードは1組の斥候隊を送り出した。

 斥候隊は無事に10分程で戻って来る。しかし、斥候の報告する竜兵だけでなく内容を聞いたアーガード達も取り乱してしまう。

 

 なんと――敵の魔法使いの姿も含めて竜王()の姿が、()()()()()()()()という――。

 

 

「これは……どうなっているっ」

「一体何が……」

 

 百竜長達は、竜軍団の柱である2頭の姿を見失うこの突飛な状況に、呆然となった。

 

 

 

 

 

 旧大都市エ・アセナル廃墟の北東約50キロの位置。

 夜の森へ隠れる様に布陣していた6000余のバハルス帝国遠征軍は――臨戦待機していた。

 戻って来た斥候の騎士が、八騎士団第一軍の大将軍の幕舎へ通されると、急ぎ状況を伝える。

 

「閣下、報告いたします。本日まで殆ど動きのなかったリ・エスティーゼ王国の陣が、総勢で順次北側へと僅かずつ移動を始めております」

「そうか。ご苦労」

 

 大将軍は予想したように大きく頷いて答えた。斥候はあくまでも事実確認といった様子で。

 先程、日没前の旧大都市方向へ立ち上った巨大キノコ雲を見てから、既に全部隊へ戦闘準備を指示していた。

 流石に爆発音はこの地まで届かないが、夏場とは言え(いささ)か巨雲の湧き立つには不自然な場所と状況から、戦場での変異を鋭く感じての行動であった。

 巨大な雷雲の自然発生には下に湿気た空気層が供給源に必要となるが、ここ数日に大量の雨は降らず、周辺は竜兵達の火炎砲で燃え尽くされ乾燥気味のはずなのだ。同様に燃える物無く、地表からの煙でもないと。

 

 更に――例の旅の魔法詠唱者(アインズ・ウール・ゴウン)による決定的な大反撃があると聞いていた。

 

 帝国八騎士団は精強だが騎士達だけでなく、第一軍の大将軍を始め、まず指揮官の将軍達に優秀な者が多かった。彼等は機を逃さない。

 大将軍は幕舎を出ると各将軍への伝令に告げる。

 

「これより我らは帝国の敵を討つため、出陣する! 将軍達へ伝えよっ」

「「はっ」」

 

 各将軍とはこれまでに色々な状況での作戦を想定し会議を重ねてきており、王国が取れる反撃作戦の一つに陣の前進による状況も検討してある。

 この場合は、王国軍の手薄な竜の宿営地の北西と北東方向からの侵攻が最良と決定されていた。

 遠征軍本隊の行動に、こちらの陣へ詰めていたフールーダの高弟2名も作戦開始の頃合いと読んで大将軍へ伝える。

 

「では、大将軍閣下、我々魔法省部隊も動きますので」

「よろしくお願いする」

 

 高弟達は速やかに〈飛行(フライ)〉で去っていく。

 国家の柱石フールーダは不在なれど、それでも第3位階魔法の使い手100名の揃う帝国魔法省強襲魔法詠唱者(マジック・キャスター)部隊の攻撃力は十分に期待出来る。

 帝国遠征軍は前衛となる5000騎が、威風堂々と順次出撃を始めた。

 

 この動きに夜の闇で暗い中、本隊から西へ10キロ程離れた山際の林へ潜む帝国皇室兵団(ロイヤル・ガード)の精鋭200騎を率いる鎧姿のバジウッドらの所へも『本隊動く』との一報が届く。

 部隊にいる皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)所属の鷲馬(ヒポグリフ)乗りの騎士が、帝国遠征軍の行動を上空より〈能力向上〉の夜目にて捉えた知らせである。

 

「いよいよ俺達も闘いを始めるぞっ」

「……危なくなったら姿を消しますので」

 

 やる気を見せる帝国四騎士筆頭のリーダーとは対照的に、露骨に嫌そうな顔のレイナース。

 今のところ、彼女の最大の目的が果たせず、相変わらずで(くすぶ)って見えた。

 

 だが――本当は、遂に望む僅かな期待が見つかっての行動判断。

 

 本日も彼女(レイナース)はバジウッドと共に居たが、日没時に戻って来た戦場内を探る斥候からの報告『旧エ・アセナル廃墟上空への王国軍の反撃らしき巨大な爆雲の発生』を聞いたのである。

 呪いに苦しむ女騎士は(ようや)く『これだ!』と強く思った。

 『巨大な爆雲』を起こしたのは、きっと魔法だとレイナースは確信する。

 それ程の大魔法が使える者ならば――と、正に思考と全身へ稲妻が走る如き想い。

 日没ギリギリであったが、確かにその時の南西方向の晴れた空へ茜色に染まって立つ巨大な雲が見えていた。これまでの様な、虚言や幻では無いのだっ。

 ただ不運にも、レイナースを含めバジウッドやナザミ率いる部隊は、人目や人家を避け戦場でも外側に居た為に、旅の魔法詠唱者のゴウン氏による反撃の話は入手していなかった。

 だから残念ながらこの時点で、大魔法の使い手が誰なのかは不明だ。

 故に今、彼女が最も心配しているのは『その魔法詠唱者がこの戦争で死ぬこと』である。

 戦後、直ぐに人物は分かるはずだが、それでは何もならないと。

 なればこそ早く会える可能性も含めて『姿を消したい』とレイナースは思う……。

 しかし雇用主である皇帝ジルクニフとの契約で、彼女の離脱が許されているのは『身に危険が迫る』場合のみ。それ以外の場合では逃亡罪での投獄の上で最悪、処刑の可能性も十分あった。

 私欲のままに下手を打つと、大国の帝国から追われるという話もありえる。

 流石の彼女もそこまで愚かでは無い。

 バジウッド・ペシュメルの皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)隊100名が支度を整え出撃する時、彼の次に続いたのはレイナース・ロックブルズであった。ナザミ・エネックの隊もバジウッドの隊に続いてゆく。

 彼等は、帝国遠征軍本体とは少し異なる地を目指した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 南進――竜王の強い要望で即日決行された、憎き人間共の首都攻撃を最終目的とする人類国家内地奥への中規模電撃作戦。

 部隊長には、竜軍団でも有数の強さを誇る難度165の十竜長筆頭が選ばれ、ゼザリオルグの本気度が窺えた。臨時編成された42頭の南進部隊精鋭は進撃を開始すると途中、正午を少し過ぎた頃、南方の大森林北側の広範囲に人間共の陣地を見つける。

 地上に展開していた王家の軍団は、今日まで一度も攻撃を受けていなかったのが仇となる。麦の青い茎色の布を夏の暑さの為に被っていない騎士が居た事で、輝く鎧や武器の日光反射が空中から多数見えたのだ……。

 ゼザリオルグからの指示は、「全て踏みつぶせ」であり、当然素通りなど有り得なかった。景気付けもあり激しく襲い掛かっていく。

 彼等は気持ち良く、脆弱な分際で逆らう人間共を焼き、踏みつぶしていったが、敵陣最南側を攻撃していた十竜長水準の竜兵2頭の進撃が止まって見えた。

 部隊長の十竜長筆頭が支援にその場へ移動し、炎を吐くと直後、1体の矮小なニンゲンが愚かにも斬り掛かってきた。

 

(うおっ、痛ぇ)

 

 意外にも、その赤茶装備の者の剣は、中々の切れ味で部隊長の鱗を切り裂いていた。今朝まで居た主戦場では無かった事だ。驚きである。

 十竜長筆頭の、評議国内に見る人間へ対する認識は『神聖な里には居ない、足元に小さく這う下等でひ弱な食用家畜』といったもの。此度の戦いが始まり、隣国で闘い歯向かう人間を見ても考えは変わらずにいる。

 そんな人間(ゴミ)に、里でも高い地位に就き、近年でも力勝負の首相撲で百竜長のノブナーガに1勝を残す自慢の強固な体の鱗を割られたのだ。彼は(いきどお)った。

 

(このぉ、家畜如きがぁーっ)

 

 空中へまだ居た奴を、渾身の力の前爪で切り裂こうとしたが、小癪にも剣で受けたのを見た。

 ならばと、十竜長筆頭はそのまま地面へ向け前足を強く振ってやる。

 予想通り、空すら飛べない脆弱なニンゲンは地面に叩きつけられ無様に負傷した。

 近くで竜兵2頭が見ている中、只の人間に手こずるのは恥というもの。

 部隊長は、誇り高く強い竜戦士として振る舞う必要もあり、傷を一応負わされたこのニンゲンを特別に評価する言葉を少しだけ語ってみせる。そして――奴の怪我を見越しつつ、さっさと殺しに掛かった。

 ところが、邪魔がもう一匹いた。

 突如、十竜長筆頭は頭部へ強烈な一撃を食らう。

 彼は大きくグラつき、狙いを外した上に地響きを立てて地へ片膝を突く。

 

「くっ。(ワシの巨体を、何者だ? 剣使いと違い、こやつの(パワー)は侮れん)……今のは随分効いたぞ。他種族で、ワシをグラつかせる者に会うのは久しいな」

 

 230年程昔の小竜の頃に里を抜け出して街へ行き、空から商店の店先に並ぶ食料を幾つか拝借して〈飛行(フライ)〉を使う衛士に捕まり、主要門護衛長のミノタウロスのおっさんに殴り倒されて以来である……。

 部隊長の巨竜は、中程度のダメージで間もなく再び立ち上がった。

 

 1時間程前、国王ランポッサIII世の陣地近くに竜兵が2頭現れ、その撃破と地表で苦戦する近衛部隊の救援に出撃した王国戦士長ガゼフ・ストロノーフであったが、3頭目に現れた巨体の竜の強烈な攻撃に遭い負傷し絶体絶命となった。

 そこへ突然のユリ・アルファの参戦により、戦士長は辛うじて命を救われた今の状況。

 闘いは続いており、二人はホッと息を吐く暇すらない。

 眼前へ立ち上がった巨竜に外見上、傷はあるものの致命傷には見えず、まだまだ闘争心十分と言える。

 そしてこの巨竜以外にも、先の十竜長水準の竜兵2匹だけでなく、すぐ北に約40頭もの強大な竜兵部隊が暴れ、展開した王家師団の小隊群を蹂躙し南下中であった……。

 剣使いを殺す絶好の機会を阻止された十竜長筆頭は、長い首と頭を不機嫌そうにゆっくり振る形で、改めて邪魔をした者へと殺気の強く籠った目を向ける。

 巨竜の目に映ったのは倒れた剣使いの前に立つ、やはり小さき人間であった。

 

(こんな細腕で先程の(パワー)か。それにしても……)

 

 一目で上質と分かる立派な装備と、足元を隠すが如く下半身へ長く高級な黒い布を纏う。

 後ろの剣使いの装備に比べ、はっきりと強度や価値の差が分かる代物。

 剣使いの持つ見どころのありそうな剣も、性能的に竜王様の鱗を削る程の切れ味は無さそうだ。

 対して黒い装備衣装の打撃格闘系の者は、ガントレットの棘だけでも、竜王様の鱗に傷を付けるだろう事は感じられた。

 竜種は皆が概ね高価な宝石や宝物、装備などへの識別力と欲望が高い。

 起きあがってきた竜からの強い眼差しを受けて、ユリも背に庇う戦士長へ向けていた横顔の視線を、顔ごと正面の巨竜へと向けた。

 睨み合いながら、彼女は状況を冷静に考える。

 

(流石に、視界内に見える3匹全ての(ドラゴン)を同時で相手にするのは厳しい。後方には他にも竜部隊が居るようですし、ここは早めで個別に対しつつストロノーフ様を連れて逃げるのが最良だけど)

 

 問題は、彼が王国戦士騎馬隊の隊員達や国王を置いて動いてくれるかと言う点となる。

 戦士長の普段の言動と人物を考えると、容易ではなさそうに思えた。

 一方、恋の盲目で()()()()()()()()()()ガゼフであるが――なんと意識が復活していたっ。

 それは最愛の眼鏡美人ユリの前に、彼女を殺そうと迫る巨大な竜の影とその怪物の声が聞こえたからだ。

 

 今、幸せ一杯の個人的未来妄想にふけっている場合ではない。

 

 夢を夢で終わらせるものかと、戦士長は普段の鋭い状況判断力を見せる。

 

(いかん! 正面から攻撃を受けては竜達が余りに有利。移動し場所を変えて、個別に不意を突く形の態勢で迎え撃つべきだ)

 

 先の攻撃の一見ではあるが、これは彼女の力量を見ての判断。

 無理な闘いで、ユリが目の前で殺されてしまうなど、断固あってはならない。

 情けなくも、事実としてガゼフ自身よりもユリは高い攻撃力を持っていると認める。その戦力を活かすには、この竜へ正面からの攻撃では少し分が悪いと思えた。

 

(――この竜にも弱点は存在する)

 

 〈急所感知〉で、それは見えていた。

 とはいえ、ガゼフはまずユリと共にこの強大な巨竜との、正面での対峙を回避したかった。

 彼女の鮮烈な攻撃で時間を2分近く稼げたお陰で、戦士長の潰れた肺や折れた右足がかなり回復してきていた。万全ではないが、なんとか走る事も可能。

 目の前の巨竜を出し抜くべく依然、地へ体を投げ出したままの戦士長は、眼鏡の最愛の君へ声を掛けようとした。

 

「ユリ――」

 

 ここに居る彼女には改めて確認したい謎の部分が多い。

 でも今は一旦置くことにする。

 要は――あの英雄的なゴウン殿の配下――という一点で大抵の項目は納得出来るものだからだ。

 

「――・アルファ殿、感謝する。これより、一旦この場を離脱しますっ」

 

 彼女に劣ると知るガゼフは、事前に自身へ武技〈肉体向上〉と〈流水加速〉により肉体強化と反射神経加速を通していた。

 彼は瞬間的に起き上がると剃刀の刃(レイザーエッジ)を両手で強く握り込み、ユリの右横から前へ踏み出し全力で正面の巨竜へと放つ。

 

「〈六 光 連 斬〉っ!」

 

 これは倒す為ではなく、目くらましと敵を前に出させない為の一手だ。

 

 

 次の一瞬で引いた戦士長は、ユリの()()()()()と全力で右後方へ駆け出した――逃避行の如く。

 

 

 国王の地下指令所は大森林の幅の狭く(くび)れた辺りに在り、周囲に森が茂る。それらへと紛れるように二人は進む。

 ユリもストロノーフの行動の狙いを理解し、歩調を合わせる形で同行する。

 周囲に居た王国戦士隊は、隊長の行動を一時離脱と判断した。連絡員を2名程向かわせ、他は竜兵から距離を取って牽制気味での待機に入る。

 ガゼフは駆けつつも握った彼女の手が、以前の昼食会で握った時と同じく冷ややかに感じた。

 戦場で巨竜を前にすれば、体温がおかしくなって当然であるっ。彼は気にしなかった。いや、もう殆ど気付かなかったと言った方が正確だろう。どこをどう走ったのかも覚えていない。幸せ過ぎて、またホワイトアウトしかけていたから……。

 一方、打撃格闘系の人間(ユリ)と対峙していた十竜長筆頭は、突然の剣の連撃と逃走に激怒し2度ほど火炎砲を吐いた。でも剣使いの神掛かった動きで、森と草木の中に見失う。

 

「あの剣使いめ。往生際の悪いやつよ」

 

 口でそう語った部隊長だが、注意すべきは先の拳使いの人間であり、見失った方向を強い視線で睨みつけていた。

 

 

 ガゼフ達は、10分程で大森林の(くび)れた幅の狭い地域の、東側へと抜けそうなところまで移動していた。

 

「―――ノーフ様。ストロノーフ様っ」

「ハッ。……ユリ殿っ、こ、これは!?」

 

 最愛の人の声で正気に戻ると――王国戦士長は、なんとユリにお姫様抱っこされていた……。

 余りの動揺に、とっさで彼女を名で呼んだ事にも気付かず。

 森の中にも起伏は有る。意識の飛んだ戦士長は、足場のない小さな崖の先に出て空中を進もうとしたのだ。足が空回りする中、自然法則により3メートル程の落下が起こり、ユリにキャッチされた模様。

 

「も、もう下ろして頂いて大丈夫です。申し訳ない」

「い、いえ」

 

 彼女も僅かに頬が赤い中、その抱える左手をゆっくり下げられ地に立たせてもらったガゼフは、流石にバツが悪い。

 恥ずかしさで視線を下げ、僅かにプルプルと身体が震えていた。

 一方のユリも、ここまでの一連の流れ『手を握られ、共に駆ける』という行為と、出陣前に彼からの『美しい女性として慕う想い』を伝えられているのを思い出していた。顔の鼻先で可愛く両手を合わせる形で森の中に佇む。

 眼鏡越しの視線は、赤恥に地面を見詰め両手を握りしめて立つ彼を見ている。

 ただ、彼女は単に彼へ従って手を引かれるままにここまで来たわけでは無い。

 状況が好都合だったという部分が大きい。何故なら今――。

 

 ストロノーフ氏に関し、竜達を始め、国王や王国戦士隊の隊員達から十分引き離せていた。

 

 あとはこのまま、戦争が終わるまで二人でどこかへ逃げれば良いだけの話。それで至高の御方からの命令の本題は概ね完遂出来るのだ。

 しかし恥に震えていたと思いきや、彼の口からは別の言葉が飛び出す。

 

「ユリ・アルファ殿、恥の上塗りながら今少し、非力な私に力を貸して頂けまいか」

「……」

 

 それだけで直ぐに、戦士長が竜達との再戦へ赴く考えだと分かった。しかも、最愛の女性の力を利用してでも、国王や周りの者達を助けようとするつもりなのだと直感する。

 当然そう伝えた本人、王国戦士長の顔は苦渋に満ちていた。

 

(ユリ殿、本当に申し訳ないっ)

 

 だが今、他に選べる手が無く、彼女の強さを見てしまったからには最早やむを得ずの一手。

 ユリは――それを予想していた。

 

(やはり、この方の厚い忠義心は、私達ナザリックの者がアインズ様へ向ける意志と、通じるものがありますね)

 

 己の事よりも尊い存在が居る者による、手段を択ばない行動と言える。その考えがユリにはとてもよく理解出来た。

 属性がカルマ値:150の『善』である彼女は、純粋な願いを受けて苦悶する。

 ユリの戦闘力を以てしても、先程の竜長達だけでさえ分の悪い相手に感じている。押し寄せる竜の部隊全てを相手にするのは無理な話。なので、このまま戦士長を連れてここを離れる事こそが、至高の御方の命令に対してベストだろう。

 一方で日頃、支配者が彼へ待遇良く接する様を見ている。また戦士長の普段の真摯な姿から本当に困っている気持ちも伝わり、多少手を貸してあげたいとも感じた。

 なのでユリはこう伝える。

 

「敵が多いのでお手伝いするには、条件がございます」

「……確かに。是非、それをお聞かせ頂きたい」

 

 ガゼフも敵の強大さには、切りが無いように感じ、それでは余りにも無茶な願いだろうと気付き彼女へ確認する。

 戦闘メイドの彼女は頷くと静かに語る。

 

「協力は、少数の救出にのみ注力させて頂きます。はっきりと申しますが、現状で全員を救う事は無理と存じます」

 

 彼女の言葉は暗に『国王救出に絞れ』と言っていた。

 戦士長の表情は一層難しくなるが、出来る事を考えれば異論はない。彼女の参加で、彼の最後の選択肢はまだ残されているのだから。

 

「有り難い……少数の救出について了解しました。是非、お願いする」

 

 任務を帯びるユリも、これ以上の譲歩は無理であり、ストロノーフが納得し撤退してくれそうでホッとする。

 こうして二人はこの場より大森林の西側へと折り返し始めた。ここは、流石に手を繋がず。

 すると間もなく、連絡員として追って来た王国戦士隊員らと出会う。

 

「隊長!」

「ゴウン様の召使いのお嬢さんもよくご無事でっ」

「おお、お前達っ。追って来てくれたのか?」

 

 隊員2人は、『召使いのお嬢さん』ことユリの事を勿論知っている。なにせ、彼女は馬車に轢かれた戦士長を、騎馬隊の屯所まで一人で軽々と担ぎこんで来た女史その人であるからだ。

 今や王国戦士騎馬隊の中では超有名人と言ってもいい。

 近年、浮いた話が全く無かった隊長に若き眼鏡美人現る――二人きりの食事会に加えて、馬車の件で知れ渡っていた。普通なら、ガタイの良い戦士長の搬送など他の者に任せるはずと。

 第一普段、彼女の話を振ると隊長の機嫌とテンションが凄く上がるので、使わないはずがなかった……隊内で知らない者は損というモノ。

 そして此度の彼女の救援登場は決定的だ。

 人の命など吹けば飛ぶ様な竜王軍団との戦争の真っただ中である。遊びで来るはずもなく。

 またあれほど熱烈で高らかに「私が守りますから」とまで宣言したのだ――愛ゆえに、だろう。

 王国戦士長の周りでも、既成事実的に大きく誤解が広がりつつあった……。

 ただ現状、隊長の恋路の件は少し脇へ置いて、4人の話は竜達の迎撃と国王の脱出説得に終始した。

 先程のユリの協力する『国王救出』では大きな問題が一つ残っている。ランポッサIII世が地下指令所から動かない件である。

 この戦争では、ただただ時間稼ぎの為だけに、竜兵達の火炎砲で焼かれて死んでいった兵達が既に何万人もいる。なのに、死守を命じずっと後方に居る国王自身が多少の窮地でスゴスゴと逃げ出すのでは、亡くなった者達が納得出来ようかとの考えを持っていた。

 

 だから、王は死ぬと分かった時でも地下指令所に居座ると決めている。

 

 『動くつもりはない』との言葉を出陣する前から、主君よりガゼフは聞いていた。

 しかし、一般兵と国王の立場では果たす責任に大きな差がある。

 ランポッサIII世は貴族派の貴族達も一応認めている王であり、リ・エスティーゼ王国の非常に大きな要。此度の戦役で王国は今後、より疲弊の深刻化が進むはずで、彼が居なくなる状況は国情を一層不安定化させるのは目に見えている。

 それにランポッサIII世は、ヴァイセルフ王家でも大きな良心と言える存在。

 表に立つ2人の王子達はまだ若い上に、どちらも権力欲が強い性格。ラナー王女は、多数の改革立案や奴隷売買の禁止など聡明で立派だが、いかんせん姫君であり他家へと嫁ぐ存在でしかない。最悪、婚姻により王家の敵対勢力側に移る可能性も考えられた。

 父の国王が今居なくなれば、第一王子の後ろ盾であった義父の六大貴族のボウロロープ侯も亡くなった事で、王家も衰退するだろう。

 だがガゼフとしてはそれ以上に、大恩と温かみのある王には生き残って欲しいとの思いが強い。

 戦士長の語る問題点へ、ユリは冷静に『立場を軽視した思い込みによる王の個人的な我儘』だと考える。

 ただ、王国戦士騎馬隊の者達は君主ランポッサIII世の考えを尊重する立場である。容易な問題ではない。

 そこでユリが一計を考え披露する。

 

「では、あの場に居る事よりも〝過酷〟な位置と思われる、レエブン候の居る最前線へ向かうと進言してはどうでしょうか? これならば現状の窮地は一旦回避出来ますし、〝兵達を見捨てて逃げる〟という負い目も無いはずです」

「おお」

「逆転の発想ですな」

「……確かに。しかし、実際に最前線へ移り潜むとなると――」

「――ストロノーフ様、今は思い切った行動が必要です」

 

 眼鏡越しのユリの言葉に、王国戦士長も『まず現状を乗り切ってから』との意志に賛同する。

 

「……了解した。それで説得してみよう。……ただ、一つだけ確認したき事が」

「何でしょうか?」

 

 眼鏡美人へと一層強い視線を向けつつガゼフが尋ねる。

 

「貴方が此処へ居る事は、ゴウン殿の反撃開始と関係が?」

「いえ、残念ながら(あるじ)の今の状況は分かりません」

「そうですか……」

 

 眉間に皺を深く刻み、戦士長の視線は低い角度で木々の隙間に覗く遠い空を漂う雲へと移る。

 この時、ユリは聞かれなかったのもあり口にしなかった。敵の竜部隊の目的が南進である可能性を。国王達が踏みとどまる理由の一つに成り得るからだ。

 また、後でそうだったとしても大した()()()()()()()、として。

 脱出作戦について10分程で手短に要点を決め、王国戦士隊側への指示もこの場で与えると4人は西側へと夕刻が近付く森の中を急ぎ進んだ。

 

 王国軍の最重要施設である地下指令所近くで、王国戦士隊員の2人は「こちらは任せて下さい」と笑顔で伝えると隊長のガゼフ達と分かれ、他の場にて牽制待機中の隊員達の下へと向かった。前方に炎を上げる森林の光景が見え、今生の別れとなる事を感じながら。

 ガゼフとユリは真っ直ぐに最短ルートで地下指令所の出入口へと立つ。そこは森の木々がやや薄い、少し開け気味の場所になっている。幸いまだ、先程の巨体の竜長達は来ていない様子に安堵する。流石にこの場で暴れられると、国王を連れ出す事は難しいからだ。

 守衛の近衛騎士に物々しい装備のユリが止められ掛けるも、戦士長の「彼女はゴウン殿の配下です。緊急により通らせて頂く」との、とりなしにより通されて地下への階段を駆け降りる。

 

「陛下、急ぎの進言をお許しいただきたい」

 

 声高に『王の間』へと(せわ)しく入って来たのが王国戦士長だけでなく、武装した初見の女性の登場にランポッサIII世は面食らう。

 

「いきなり騒がしいですぞ」

 

 控えていた近衛百騎士長が先に声を掛け、続けて問う。横の人物にも視線を移しながら。

 

「何事ですかな、戦士長殿。貴殿は戦闘中のはず……それに、そちらの棘々しいガントレットを付けた御婦人は?」

「彼女はユリ・アルファ殿。()の客人ゴウン殿の配下の者です」

「ゴウン殿の……」

 

 近衛騎士長もその存在を知っており、王家の客人で王の前では無下に出来ない事と、よく見れば余りの美しさで言葉に詰まる。

 空間奥ヘ置かれた長机の席に座るランポッサIII世は、ユリという名に聞き覚えがあった。以前に戦士長が絶叫した女性の名と記憶していた為だ。その国王と、宮殿へ居つつも裏方であるユリに面識がないのは仕方なきところ。

 

「お初にお目に掛かります、陛下。ユリ・アルファでございます」

 

 ユリは、礼儀を弁える王都滞在のゴウン氏配下として、僅かに漆黒の長いスカート部の裾を持ち上げ優美に礼をする。

 

「おおっ(彼女がユリと申す者か……いや、なんとも美しいの。ふむふむ、なるほどのう)」

 

 純粋に彼女の凛とした立ち姿が美しく、横で護る様に立つ赤茶の鎧姿で凛々しいストロノーフと似合いに見えた。

 王国最強戦士の鼻息の荒い様に、婚姻宣言でもしにきたと想像し、少し国王の頬が緩む。

 現状、地上では竜兵達が暴れて迫り、とても和んでいる場合ではない。しかしそんな状況も、ランポッサIII世は全てを覚悟してこの場におり、達観した精神の域に達し掛けていた。

 なので、気持ちよく進言を許す。

 

「戦士長よ、何かな?」

 

 ところが、全く違う内容がガゼフの口から飛び出す。

 

「陛下におかれましては、急ぎレエブン候の陣までの移動の御支度をお願いしたく」

「「――!」」

 

 近衛騎士長と国王の顔が驚きに変わる。

 近衛騎士長にすれば、『その手があったか』という思いも混じる。

 ランポッサIII世にすれば、己の剣という者からの思いもよらない言葉である。事前に『この場を動かず』という強い意志を伝えていたはずなのにと。一種の裏切りを受けたような思いだ。

 だが、それは一瞬でもあった。

 王は今、『ゴウン氏の配下』が王国戦士長の横に居るという意味を考えた。

 

(もしかして遂に――あの者の反撃が始まった、いや始まるのかっ?!)

 

 当然、ガゼフとしても、国王にその勘違いの効果を期待している。問われれば「もう間近に」とぐらいは伝えるつもりだ。

 王自身、全く希望が無い状況では、死んでいった者達を前に動くわけにはいかないという強固な意地とも取れる思いであった。だが絶望的現実が変わり、輝く未来の光景を王国民へ再び見せられる機が与えられるというのなら、死んでいった者達に報いる意味で自らが必ずや導かねばとの高尚な強い気持ちも持っている。

 そのためには、断固生き延びねばならない。

 ランポッサIII世の表情へ険しさと共に生気が漲る。同時に、ここでストロノーフが『退却』ではなく、『レエブン候の陣へ』と伝えて来た気遣いにも気付いた。

 

(優しくも律儀な男よの。嬉しく思うぞ)

 

 そんな忠臣の男へと、国王ランポッサIII世ははっきりと告げる。

 

「よし! レエブン候の陣まで移動する、即支度せよ。我が剣、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフよ、我の進む道を切り開け!」

「御意っ!」

 

 礼を取る戦士長は『これでいい』という表情を一瞬見せ、直ぐ近衛騎士長へと伝える。

 

「移動の準備と、陛下が離れる際の援護をお願いする」

「心得た。任せられよ」

 

 騎士長の彼も、覚悟をしてこの場を守っている。息子はまだ若い騎士見習いでも、父が竜と闘い国王を護っての戦死であれば、どこへ行っても悪い扱いは受けまいと。

 近衛騎士長は、騎士達に王の荷物を纏めさせる。元々ランポッサIII世は、戦場へ不要な物を持ち込んでいなかった事と寝具など嵩張(かさば)るものは残す為、数分で一抱え程度のものが集められた。主に執務を取る際に必要な筆記具や参考文献書物など、一応替えが利きそうな道具であった。それを行動するのになるべく邪魔にならない大きさへと3つに分けて3名の若い騎士へ持たせる。

 あと一つの問題は60歳を超える国王自身の移動だ。輿などを使っている場合ではなく、巻物(スクロール)で精神魔法を掛けた愛馬の白馬に乗ってもらい、万一に備えて難度高く体格の良い騎士が背負う準備も進める。更に指令所内から地上への階段を上ると、戦場から指示で護衛にと戻って来た4名の王国戦士隊の隊員が待っていた。

 国王とガゼフやユリ達も含め一行は11名プラス馬1頭の小隊である。

 

「隊長、先程の3頭の竜兵達が間近へ迫って来ています。急ぎましょう」

「そうだな……」

 

 竜達は依然200から500メートル程離れた所の上空で暴れていた。どうやら似たような装備の王国戦士隊の連中からの牽制で、戦士長とユリを探し周辺をウロウロしている模様だ。流石に巨竜らさえも、先程の剣使いが東の端近くまで狂ったように真っ直ぐ進み続けるとは思っていなかった……。

 隊員達が森の木々を隠れ蓑に距離を取って時間を稼いでくれていた。

 でも火炎によりその稼げる時間には制限があり、もう余り残されていないのが業火に包まれていた広い範囲から歴然であった。

 国王を護る以上、戦士長がこの地の王国戦士隊や近衛部隊を助けることはもう出来ない。

 地上は炎と同じ夕焼け空色に染められていた。雲の増えていた空には、紫も少し混ざるピンク系に満ちた光景が幻想的に広がる。

 正に黄昏の時を迎え、この場へ残る近衛騎士長達からの送り出す言葉が胸に刺さる。彼等は、第一王子と違い、気遣いのある国王には日頃の恩を感じ忠義を示していた。

 

「陛下、この地はお任せを。何卒ご無事で。――我らがリ・エスティーゼ王国に栄光あれ!」

「「「栄光あれ!」」」

「皆の忠誠、生涯忘れぬ……よろしく頼む」

 

 敵の竜部隊の総力を考え、宝物装備の王国戦士長も欠く戦力となれば、厳しい戦いが想像される中、王の返す言葉はそれしかなかった。

 この地下指令所は、国王の座する王国総軍の最重要拠点として急に放棄・喪失する事は、連絡不備等で全軍に動揺と混乱を生む事にも繋がりかねない。

 少なくとも、ランポッサIII世がレエブン候と合流し、『王は移動し健在』ということが周知されるまで維持する必要がある。

 誰かが命を懸けてやらなければならない事なのだ。

 その光景を、ユリは沈黙して見守っていた。いつの日か、自分達がこんな状況を()()()()()()がアインズ様へと己の存在意義を高く伝えるだろうと考えながら……。

 

 ガゼフ達は速やかに移動を開始した。

 ユリに助けられ、巨竜から逃げて40分程は過ぎていただろうか。

 もう暗い大森林内の草木の僅かに薄い間を抜け前方へと進む一行。

 

「後方上空及び、地上側100メートル後ろまで敵影無し」

「了解だ」

「この獣道は大きな植物の根元を上手く避けていて、かなり進み易いですね」

「そうだな」

「では」

 

 戦士長への定時報告を終え、斥候の王国戦士隊員が後方の持ち場へと駆け戻って行く。

 間もなく夜を迎えるが移動ルートとしては、大森林の西端に近い地下指令所から東へ森の中を進む道程を経ての方が、西側から直ぐ森を抜けて開けた麦畑内を北上するよりも安全だとみる。

 実際、先程戦士長とユリは、何とか追手の巨竜を森の深い草木で撒く事が出来ていた。まああれは、誰かが恋の盲目で超常の動きを見せた結果でもあるが……。

 指令所から小隊に選んだ者達も無論、夜目の利く者ばかりなので行軍に問題はない。

 体格の大きい騎士が国王の乗る愛馬を引き、それを中心に戦士長達が周りを固めつつ進んだ。王国戦士隊の4名が、斥候として前後からの竜兵の接近と前方の進みやすい道を探ってくれていた。

 ただ、この大森林は南北へと70キロ程あるため、モンスターでも小鬼(ゴブリン)人食い大鬼(オーガ)悪霊犬(バーゲスト)魔狼(ヴァルグ)ぐらいは普通に居るので油断出来ない。これまでにも多くが討伐されたが、森の奥には小鬼(ゴブリン)で難度の高い者が率いる群れも依然幾つか残るとの事。巨木のウロなどから地下に居住区を広げ、別れて潜んでいる為、近年はこの大森林で大きな群れの発見は難しくなっているらしい。

 用心しながらすっかり闇の広がる森の中を、周辺に視線を回しつつ小隊は足早で進んでゆく。国王陛下を少数で竜兵達から守り移動するという大きな緊張の中、確認や斥候報告以外での会話は必然的に少なくなる。ユリという貴婦人も同行し、騎士や王として女性へ関する軽口も語れず、一行には重苦しい雰囲気があった。

 となると一瞬の合間の気分転換は限られる。

 

「「……(ふう)」」

 

 美しい容姿のユリ嬢について、『ゴウン氏の配下(絶世の美人揃い)の一人』としか聞いていない若い騎士達男子陣は当然、時折チラチラと彼女へ視線を伸ばし溜息を漏らす。王城の近衛騎士達は普段、時間ごとでの持ち場があり、メイドとしてソリュシャン達より比較的宮殿の室外に出る機会の多かったユリですら殆ど見掛ける機会はなかった。

 世に不満を持つ者は稀だろう顔立ちや瑞々しい肌の表情と唇、夜会巻によって髪が上げられて見える(うなじ)や大きめの胸元は鑑賞しなければ逆に失礼というもの。

 若い近衛達は騎士の家柄で、これまでに数々の名家の女性を見て来たにしても、ラナー王女と王城へも出入りするラキュースを除けば思い浮かばぬ程の美人。

 己が身分と剣の実力を弁えれば王女や最上位冒険者は無理だが、王家の客人とはいえその配下の女となれば、望みは持てる。

 ところが、若い騎士達は少々気に掛かる事があった。眼鏡貴婦人の傍をゆく王国戦士長だ。

 彼女を眺めると、猛獣の如き「ガルル」と聞こえてくるかの彼の険しい視線とよくぶつかった。

 加えて、普段殆ど女性と会話をしないという堅物の戦士長が表情を緩め、この貴婦人へ何度か話かけている姿を見る。一応、彼女の仕えるゴウン氏が戦士長ストロノーフと友人との話も聞くが。しかし。

 

(戦士長はもう30代半ばも超えつつのはずだっ。対してあの婦人はまだ10代か20歳程………()せない。 ロリ……いや)

 

 国王の乗る白馬を引きつつ、体格の良い20代前半の若い騎士が首をひねっていた。

 一般的には貴族でもなければ、やはり男女間で年齢の近い者同士が魅かれあう傾向だ。ただし、実力が有る者にはやはり世代を超えて人気があっても不思議ではない。

 

 この新世界において―――(パワー)に魅かれるのは、ごくごく自然な事なのだから。

 

 ここ数年だけで、帝国の大魔法使いフールーダや元十三英雄のリグリットさえも、商家や地位の有る家の10代、20代の異性の若者達から何度か求婚されたと伝わっている……。

 ガゼフ・ストロノーフも王国最強戦士の二つ名を持つ男。平民でありながら武骨を通す生きざまは若い町娘達にも人気があった。ただ、ここ10年程の彼は、民や忠義一筋という雰囲気で全く町娘へ手を出していない。

 それだけに、彼とこの貴婦人との様子は特筆すべき状況と言えた。

 戦士長としては正直、非番時の城外における近衛騎士達の女癖の酷いゴシップを聞き飽きている為、当然とも言うべき態度を示しているだけ。彼女との会話も、若い騎士達の露骨な視線に気分を害さない様、説明をしていたぐらい。なにせ、彼女やその主のゴウン氏と一行には、無理を言って戦争に加わってもらい、王国に大貢献しようとしてくれているというのに申し訳ないとして。

 ユリは、全く意識しておらずどうでもいい弱き者達からの視線であり「大丈夫です。気にしていませんので」と返している。その言葉にホッとする戦士長。

 

(全く。若い野郎連中の考える事はどこも変わらんな)

 

 イイ女へ色目を向けるのは、王国戦士騎馬隊でも若い隊員には結構見かける風景だ。

 さて、緊迫の行軍と一時(いっとき)のたわいない思考の時間も含めて国王一行は、森の中を進み50分程が過ぎる頃、大森林を東側へ抜け麦畑の広がる平地へと出る。

 途中で小鬼(ゴブリン)などは現れずここまでは無事に来れた。どうやら竜の部隊の気勢を感じて南へ移動したか森の奥へ引き篭もっている模様。確かに、連中も好き好んで竜種の集団と遭遇したいとは思わないだろう。

 この一行で最も体力が低い国王ランポッサIII世は今、馬上だ。その次は難度21の若い騎士。なので、当面の行軍は平気と思われる一行は休憩を挟まず、そのまま移動することにした。

 但し、このまま北上すれば、北側に展開する王家の軍団と縁戚の連隊を襲う竜部隊本隊の戦域へ入ることになる。故にここは北東へ進み、大街道を超えた辺りで街道沿いに旧エ・アセナル方面へ移動するルートを予定している。

 間もなく午後8時を越えたが、大森林の反対側の西から北側の王家と縁戚の軍団付近の空は、赤く炎の色を映している。

 

「「「………」」」

 

 少し大森林から離れたところで、夕刻から夕食も取らずの為、休憩がてら炊事の要らない携帯食での夜食を取る。この地域は幸いまだ緑一面の麦畑が燃えておらず、麦穂までの高さは1メートル以上あるので、しゃがむ形で各々が距離を取れば目立つことはない。馬の頭が1つ出ている程度。人とは違うので、休憩中は鞍を外せば野生にも見えるだろう。

 国王を始め『善』属性のユリも含め一行の誰もが、炎の光景の惨状を無念に感じながら食事の合間に見詰める。大森林を出た事で、緊張感もより高まっており、最早多くの者が携帯食の味を殆ど感じていなかった……。

 午後9時が迫る頃、再びガゼフ率いる国王一行は白馬に馬具を乗せ準備が整うと、再び北東方向への移動を始める。麦畑の中を固まらず、麦の青穂と同じ色の布を纏った各自が5メートル程ずつ離れて進む。

 ガゼフは今、慌てず動こうと考えている。竜兵達の目は侮れず注意すべきだと。

 

(……距離的にまだ、こちらには気付けないはずだ)

 

 広い領域を探す場合、動きが無ければ連中も捉え辛いはずなのだ。休憩で停止中も、王国戦士隊員は交代で監視を続けていたが、遠く北北西側の空に竜兵の飛ぶ姿が見えていた。国王一行は北東寄りへ移動したので、竜部隊本隊の戦域は少し北西側へと移ってみえる形。

 極力、竜兵達と距離がある時を狙っての移動を慎重に心掛ける。

 開戦以来、40頭という数の竜達がこれ程狭い戦域に集まった報告は初めてだけに、北の主戦場側はだいぶ竜兵の密度が薄いと思われた。

 この戦域を無事に北へ抜け切れれば、楽になるはずなのだ。逆に、ここで引っかかれば集結した竜兵達から集中攻撃を受けると言う事であり、絶対に避けなければならない。

 

 ところが――儚い無常な急の変化に見舞われた。

 

 42頭もの十竜長水準の精鋭南進部隊の集中攻撃により、広く展開していたにもかかわらず王家の軍団と縁戚の連隊、計12500余は、僅か4時間少々でほぼ全滅に至る。近衛騎士団長以下あの地下に居た近衛騎士長も含め300名の近衛部隊と王国戦士騎馬隊員30名以上が引き受けた地下指令所周辺部も炎上していた……。

 ここから、人間共の脆弱な軍団を圧倒的(パワー)で踏みつぶした精鋭竜部隊の更なる南進が始まる。

 王国戦士長達の静寂だった周辺が激変する。何故なら、大森林()()()()()するの方が王都リ・エスティーゼに近い為、竜軍団精鋭南進部隊の進路上に当たったからである――。

 

「隊長、大変です! 竜兵達が急にこちらへと多数飛来してきますっ、指示を」

「戦士長殿、ど、どうしますか?」

 

 四方から駆け寄って来た王国戦士隊員と白馬を引く近衛騎士から詰め寄られながら、一気に窮地へ立ったガゼフの顔色は蒼白に変わる。

 

「くっ(見つかったというのか、この距離で。竜種の視力はケタが違い過ぎるっ)」

 

 本当の竜部隊側の行動面の実情が不明の為、そうとしか思えない展開に彼は唸った。

 ひと月半前に、カルネ村近くで法国と思われる特殊部隊の40名程と対峙したが、竜部隊と比べればあの連中でさえもチビっ子集団に思える程の実力差がある。

 当時と違い、相当の戦闘力を持つユリが居てくれる状況すら、ストロノーフも多勢に無勢なのは目に見えて分かっていた。

 しかし、国王を護っている以上、諦める訳にはいかない。

 

「騎士殿らは陛下を連れて、()けっ。私達王国戦士隊の面々が前へ出て目立ち引き付ける。今はそれぐらいしか策は無いっ。陛下と全力で北東の果てまで走りきれ!」

 

 その言葉にランポッサIII世が、思わず続かない声を掛けた。

 

「戦士長……」

 

 王は、傍に居れば巻き添えの為、足手纏いとして全力を出す戦士長の足を引っ張ると理解する。

 主君と視線を合わせ、ガゼフは一つだけ力強く頷いた。

 

「この場は是非もありません。陛下にはこれからも出来る事を全力でお励み頂きたい」

「うむ。武運を」

 

 近衛騎士4名と国王を乗せた白馬が北東へと全力で遠ざかっていく。彼等も助かると言う保証は全くない状況。しかし戦力的に考えて、先に矢面に立つストロノーフ達に賭けるしか手は無い。

 王国戦士長と隊員達、そしてユリも国王一行を20秒程だけ見送る。彼女は当然、この死地に残っていた。御方の使命を果たさんとする表情に恐怖は微塵も浮かばず。

 国王を見送りつつ彼女の横へ立つガゼフが囁く。

 

「ユリ・アルファ殿、このような所へ付き合わせてしまい誠に申し訳ない」

 

 顔をユリへ向けると瞼を閉じ頭を僅かに下げた。言い訳など浮かばず、ただ詫びるしか返せるものがない現状だ。

 ユリは無言でただ首を横に小さく振る。

 こうなっては絶対的支配者からの任務完遂へ彼女も手段は選べず、戦士長へ後ろめたい気持ちは同じであった。

 竜兵との戦いによる負傷で彼が動けなくなった時を見計らい攫う計画へと切り替える。その頃には、王国戦士隊員や国王一行は全て世を去り、戦士長がこの場で闘う理由は無くなっていると考えて……。

 

「皆、いいか? 派手に打って出るぞ」

 

 ガゼフ・ストロノーフは周囲の仲間達へ告げ、頷く隊員の顔を確認する。

 4人の隊員達は、全員笑っていた。

 どいつも地方で片田舎の一平民の三男以降に生まれながら、栄えある王国戦士騎馬隊の一員に加わり、(ドラゴン)の部隊を相手に最期の時まで王国最強の男と肩を並べて戦える事へ満足している戦士の表情であった。

 部下の様子にガゼフも口許が笑う。

 

「いくぞ!」

「「おおう!!」」

 

 右手の剃刀の刃(レイザーエッジ)の柄を握り込みつつ、戦士長は前方の遠い上空へ舞う竜達を睨みつけると瞬動する如く駆け出した。

 ユリが続き、王国戦士隊員4名も地を駆けて続く。

 ガゼフを左端で先頭に斜め横列で各自数メートル空けて疾走する。

 揃い纏まった動きは上空の竜達からも人間の小隊的動きとして存在が見て取れただろう。

 竜兵達はまず10頭以上、更に後続も順次こちらへ向かって飛来接近しつつあった。

 連中の反応を待つまでもない。王国戦士長は、武技により肉体強化と反射神経加速を通した身体から、距離が詰まった所で空中へ飛び上がると出し惜しみなく最大攻撃を放つ。

 

「〈六 光 連 斬〉っ!」

 

 先頭を勢いよく飛んで来た眼前の竜兵の顔面部分へ向け集中的に浴びせる。

 

「グォァァー、顔がァー」

 

 難度110台だったその個体はかなりの威力攻撃として受けた。視界の左片方が失われ、上空へと体を捻りつつ昇り退避する。

 突然、地上からの敵の出現に、横にも少し広がり始めていた既に20体程も確認出来る竜達が、この地へと一斉に殺到し始めた。

 一応ガゼフの目論見通りであるが、これは余りにも無茶が過ぎる状況と言えた……。

 竜達はすぐさま、敵の数を地上に這う6体程の人間だと把握する。1対1以上の数を揃える竜部隊側の者達は、最早嵩に懸かって我先にと地上へ降下し直接的肉弾攻撃へも転じていく。

 

「ぐあっ」

 

 王国戦士隊員の一人が竜兵の前足の爪攻撃により、受けた剣ごと引き裂かれ、その横では巨体の後ろ足で踏みつぶされ鎧ごとひしゃげた隊員のミンチ的残骸が夜の麦畑の地に沈んで見えた。

 後方では、竜兵の打った前足の拳打を受け、隊員の上半身が砕け散る。そのまま下半身だけが地上の麦畑を150メートル以上も転がっていった。

 最後の隊員は、数本の火炎砲を至近距離から集中的に撃たれ炎上する。

 

「う゛ぁぁぁー! 熱いっ、痛ぃ……し……ぬ…………」

 

 彼の革装備は数秒で燃え落ち、20秒ほどで剣や金属防具までが雪の様に溶け去ってしまう。骨の完全焼却には2000度も必要で意外に難しいながら、気が付けばそこに人間の居た形跡はなくなっていた。

 竜兵達にすれば、虫を払った程度の事だ。

 難度30程の王国戦士隊員4人にはガゼフやユリ程の俊敏さもなく、十竜長水準の竜兵達にあっという間で捕まり、剣撃を浴びせることなく一方的な最期を迎えた……。

 

「くっ。お前達、すまん」

 

 戦いはやって見なければ分からないとはいえ、当初の戦力差から結果の見えている勝負も多い。明らかに隊員等をフォローする余力はガゼフやユリに無かった。

 二人は時間稼ぎも有り空中戦を避け、竜種に対して小さい体と地上を素早く駆ける事で機動性を使っての地上戦に終始した。戦闘メイド衣装は当然だが、王家宝物の装備も火炎砲が掠ったぐらいなら周辺加熱で軽傷も体力を常時微回復する不滅の護符(アミュレット・オブ・イモータル)により何とか凌げた。

 幸いまだ、あの格の違う強い巨体の竜長は見ない。

 戦士長や少し離れた場所のユリへ、難度で十竜長水準の110辺りから140台までの竜兵達が交互(かわるがわる)襲ってくる。しかし状況としては好都合であった。竜兵達が我先にと地上で混みあい重なる事で、互いに邪魔をする死角が出来たのだ。そこを抜け道に躱す形で戦いへ誘いつつ引き付け対峙する。

 だがしかし――やはり上空の竜兵達からは随分広い範囲が見渡せた。

 一帯は麦畑の平地が広大に続く。視線を北東に少し向けられれば馬に乗る者と数体の人間が移動している姿を捉えるのは難しくなかった。先程以上に上空へ集まった60を超える竜眼なら……。

 国王らの移動距離は、北東へ20分程移動も軍馬と言えど麦穂をかき分け、下は麦畑に足場も悪く6キロ程に留まる。

 上空から数頭の竜兵が『なんだアレ?』とそちらへ興味を示し向かう姿を、王国戦士長は竜兵からの絶え間ない攻撃の中で、苦々しく(うな)りつつその場で見送るのみ。

 

「ううぅっ(陛下ぁっ)」

 

 ユリとしては全て、非情な最終案のストロノーフ保護計画で予想された展開だ。

 この時、戦士長が僅かに気を逸らせた隙を難度140台の竜兵は逃さなかった。素早い着地からの後ろ回し蹴りは躱されたが、同時の翼によるリーチの長い素早い当身が炸裂。

 

「そロそロ死ンどけよ、人間(ゴミ)めッ」

「ぐぁっ」

 

 相手より断然軽いガゼフは右上腕に痛打を受けて地を転ぶ。

 

「――(ストロノーフ様)!」

 

 ユリが安否を心配する中、戦士長へ他の竜兵達の放つ火炎砲が集中するところで、届く前に彼は直ぐに地を蹴って駆け出した。

 

(……良かった)

 

 ホッとする戦闘メイドも、数体の竜兵から力強い拳打をガントレットで受け流すのに忙しく、ストロノーフの傍へと簡単には近寄れない状況を()()()いる。

 ユリとしては最後、彼を抱えての脱出へ体力温存もあって、抑え気味な部分で戦士長と同程度の動きを見せており、竜部隊の攻撃は二人へほぼ均等という感じに思えた。どうやら先の巨竜から竜達へ『打撃格闘系の人間』の話は伝わってなかった模様。

 元々彼女の素早さはかなりのもの。Lv.40台の頑丈な竜達を全部倒し切る事は中々大変とは言え、偶に〈発勁〉以外の打撃を打ち込み闘うフリをして時間を稼ぐのなら難事とは思わず。また自身は〈気探知〉で近接の者達の位置について、視界外の真後ろや不可視化の者でも捉えられるので、不意打ちを受けない自信も持つ。

 裾の長い漆黒のスカートが足元を隠すも、ユリはその華麗なフットワークを披露。また、群がる10頭近い竜兵達と棘のガントレットで、鱗を削る火花を夜闇へ派手に飛ばしつつ翻弄した。

 ただ、難を脱したがガゼフは、地を駆けながらどうしても考えてしまう。

 

(俺は一体何をしているのだ。陛下の傍が俺の戦場のはずっ)

 

 でも今、この地の竜兵を引き連れて駆け付けるのは、馬鹿のする事である。

 ままならない事が多いとは言え、今程虚しい気分も無い。

 

「うおおおーーーーっ!」

 

 その怒りの思いを剃刀の刃(レイザーエッジ)に乗せて、寄せ来る竜共へ踏み込むと斬って斬って、そして斬る。しかし、竜兵数体の鱗を切り裂いても状況は何一つ変わらない。悔しさも彼の表情へ滲んだ……。

 

 一方その頃、国王ら一行の注意は否応なしに残り戦う王国戦士長達の方向を向きつつも、2名の近衛騎士へそれ以外の方向を警戒させて進んでいた。

 そんな中、ガゼフ達の居る南西方向から確実にこちらへ向かって来る数匹の竜に、国王を含め全員が気付く。足を速めるも進む速さの差は歴然で、死の使いと言える竜達の、空から徐々に迫り来る姿は正に恐怖だ。

 

「……う(あぁぁ)」

「……(く、来るなぁ)」

「……(ひぃぃ)」

「(ど、どうすれば)陛下……」

 

 成す術もなく、皆まだ若い事もあり、言葉は我慢しつつも近衛騎士達の動揺は大きかった。

 国王ランポッサIII世も、夏の熱帯夜的なものとは違う背筋の寒い冷や汗を流しつつ呟く。

 

「……遂に来るか」

 

 地下指令所に居た時は、竜達の圧倒的迫力を持つ姿を見る機会が無かった為、達観出来ていた。だがやはり初めて間近で見るその世界最強種族の威圧は、飲み込めるものではない。

 翼を羽ばたかせ空を飛ぶ4匹の竜達が50メートル程逸れた夜空を一度通過した。先程は初っ端に、仲間が人間側の攻撃で傷を受けた事から警戒行動へ出た形だ。

 竜達に追い付かれて上空まで取られた事で、一応の纏め役である体格の大きい近衛騎士が叫ぶ。

 

「全員停止っ。き、騎士隊抜剣っ!」

 

 円陣の指示も忘れ、恐怖に引き吊る彼は移動をやめると剣を抜き放つ。彼の役目は本来、陛下を背負って走り去る事であった。でも足が震え、依然地平線まで続く大地に逃げ切れる望みはゼロと判断し武器での抵抗を選ぶ。

 彼の大声で他の近衛達も、思わず反射的に抜いた剣を構える。

 馬上の国王ランポッサIII世は、目許に皺の寄る目をただ大きく開いて伝説の怪物(モンスター)を見ていた。空を舞う姿は、余りにも大きく雄大な存在だと感じつつ。

 一国の王である彼だが、己の矮小さと無力さを思い知らされた瞬間と言える。

 

「これ程の存在と我々人間は戦っているのか……」

 

 戦場でアダマンタイト級冒険者チームの『朱の雫』により、10頭以上倒されたという噂も聞いていたが、この大空の雄を一体全体どうやって倒すのかという疑問で満ちる。

 今、国王自身も含めて、この場に居るのは5名のみ。その中に頼りの王国戦士長ストロノーフは姿無く。王家の宝物を装備し武技を発動した戦士長は、難度で100をも優に超え、『王の剣』に相応しい存在。対してこの場の彼等は近衛騎士と言えど、良くて難度で30辺りの者達だ。

 もはや国王の運命は決したと思える。

 

(それでも……断じて降伏は出来ん)

 

 これは恐らくリ・エスティーゼ王国だけではなく人類圏の戦い。自分が死のうとも、竜軍団の侵攻は止まらないと分かっている。

 残念ながら第一王子のバルブロは西方最前線の戦場にて行方不明であるが、少なくとも王都を守る第二王子のザナックは健在だ。ゴウン氏の反撃等でまだ王国は闘える、と国王は信じたい。

 

 上空を舞う竜兵4頭は、地上の連中を確認して笑う。

 

「ハハっ。少し用心が過ギましたね」

「ああ、やハリ馬に乗る年老いタ人間を含メ5体だけでスか」

「くくくっ、アノなまくらな剣で空の俺達に何ヲするツモりだよ? 所詮、貧相な家畜だなッ」

 

 ランポッサIII世が腰に差す王家の宝剣を抜いていれば、価値のある品として捉えたかもしれない。しかし強行軍と分かっている移動に際し、目立ち重量の有る金細工や(かさ)張る物は外していた。その為、国王の愛馬や彼自身も、軽装飾な耐火耐熱の優れた実機能を持つ銀鎧の上へ、青麦穂色の布を纏っていただけである。

 なので、竜達には先程の人間の軍団との戦い同様、単なる一般兵の小隊に見えていた。

 

「……ハン。目障りだ。さっさともう、殺しトクぞ」

 

 小隊長と思われる老竜の野太い言葉に、他の3匹は長い首で頷いた。手早く済ませるには、やはり火炎砲に限る。4頭の竜は低空で四方から包囲し、一斉に地上へと火炎を盛大に吐く。

 ところが――火炎を受けたはずの馬や5体の人間共が燃え上がらないのだっ。

 

「「あ?」」

「なにっ!?」

「……」

 

 小隊の4匹の竜達は、再度火炎砲をぶつけた。それも威力を最大に近付けて。それでも、家畜風情の人間共は何ともない様子。

 完全におかしいのだ。その場周辺の植物は実際に燃え上がっていたが、よく視ると視界に見えている馬や人間共と足元の植物へ変化がなかった。防御魔法なら、視界の中で誰かが使わなければ焼け死んでいるはず。老竜はそれで気付く。

 

「これは〝幻術〟だ。魔法が使われているぞ、一旦場を離れろっ」

 

 4体の竜は直ちに上空へと散開する。

 移動しつつ老竜は考える。

 

(なんだ、この幻術は……普通の魔法と違い、拡張……されている?)

 

 普通の幻術はもっと範囲が狭く、自身か1体の動きを再現する程度。これは、風景の一部と馬に加え5体の人間の幻体を同時か順次操作している様に見えた。

 更に実体の人間共をも隠している。〈幻影(ミラージュ)〉や一部の方向以外からは見えない〈屈折(リフレクター)〉等を並行して使っている模様。只者ではない――。

 ――そう、遂に国王一行への援軍が現れたのだ。

 

 レエブン候配下の元オリハルコン級冒険者チーム5人の面々である。

 

 地下指令所へは午後7時半前後に到着していた。予定より10分以上は遅れてだ。どうしても竜兵部隊を躱すために、西から大回りし南へ一旦迂回するしかない状況であった。残念にも、肝心の国王の姿は指令所内に見つからない。ただ、周囲は大火に包まれている中で幸い、地下指令所内は健在であった。

 指令所の直接破壊を防ぐため籠らず、一度防衛側は全員で打って出ていたのだ。その為、多くが討ち死にし負傷者が大半となる。その中で火傷を負いながら、あの近衛騎士長や王国戦士隊員10名程を含む30余名がしぶとく生き残っていた。ボリス達はその者達より、国王が日没前にレエブン侯の下へ脱出した事を聞く。

 但し、脱出ルートは状況次第と聞いていて、最有力は東方面としつつも、幾つかのルートの何処を通ったのかは分からないという。おまけにその時には既に指令所の東方向の森も数百メートルに渡って燃えていたのだ……。仕方なく、彼等は大きく大森林内や周辺を手探りで探す事になり、時間を結構使った次第である。結局、ガゼフや見知らぬ女拳闘士との戦闘に因る竜部隊の火炎が大森林東側に見え、位置を知るきっかけになった。

 そこから国王一行はレエブン候の下を目指している事から、北東寄りルートではと推測。盗賊能力に長けたロックマイアーが真新しい馬や人の足跡を見つけ、〈屈折(リフレクター)〉を展開しつつそれを追った。

 幻術の魔法を使ったのは、独自魔法を幾つか開発した才を持つ、第3位階魔法の使い手ルンドクヴィスト。

 まず、竜兵達がかなり接近して来ていた段階ではあったが、国王達が知らない時点で、起点として馬に〈屈折(リフレクター)〉が広く展開され、ほぼ同時に幻術の国王一行が動き出す。

 そして間もなく、幻術の一行からも数十メートル程離れた上空を竜兵達が通過した形。

 幻術達の行動は、ルンドクヴィストが実際の近衛騎士達の動きをトレース。幻術側が火炎を受けていた頃、実体側では手短な挨拶と共に状況説明的なネタ晴らしが行われていた……。

 

「陛下、良くぞ御無事で。私めは、主のレエブン侯爵様より陛下救出を命じられた家臣でボリス・アクセルソンと申します」

「おおっ、そち達はレエブン侯の手の者か。大儀である」

「「ははっ」」

「以下こちらからディクスゴード、ロックマイアー、フランセーン、そして向こうに見える幻術達を魔法で操作するのがルンドクヴィストです。今我々は〈屈折(リフレクター)〉が馬に広めで展開された中におり、竜兵達からは見えない状況です。しかし――火炎の余熱を強く感じられる事でお分かりと思いますが、余り安全とは言えません」

「「「――!」」」

 

 単に、姿を誤魔化してるだけの状況と気付き、国王だけでなく近衛騎士達の顔も強張る。

 幻術から約150メートルしか離れていない為、火災自体が迫っていた。多彩な魔法の才の有る ルンドクヴィストも距離に限界があるのだ。

 竜兵も間抜けではない。直ぐに周辺部も火炎砲で焼き払う手を試すだろう。

 ボリスが残された時間と手段から行動を伝える。

 

「ですので、この場を直ぐに離れます。間もなく幻術の一行を数分後に自動消滅へ移行させます。陛下はあのルンドクヴィストとこのロックマイアーを御供に移動を。あと……残念ですが戦士長殿らや馬に関してはこの場で一旦お別れとなります。どのみち集まって動けば、竜達に上空より痕跡で移動が知られます。散開での行動はやむを得ないと心得ください」

「……任せる。よろしく頼むぞ」

「はっ」

 

 『戦士長らや馬を見捨てるな』と我儘をいうのは容易いが、それは現状を見ない愚か者の台詞。

 死と隣り合う戦場を良く知る者達が判断する最良の手を取らねば、連鎖的被害で全滅も十分有り得るのだ。国王はその事を心得ていた。

 ランポッサIII世へ畏まり返事をしたボリスは、内心で敬意を払いつつ安堵する。

 

(陛下が冷静な方で助かった。あの王子達ではこうはいかないだろうな……)

 

 二人の王子達の様子は、国内行事で何度か見掛け、気難しい風に感じていた。

 あと、王国戦士長達も助けたかったところだが、先程ここへの途中で次元の違う戦場を見た。腕に自信があったフランセーンら戦士達も、圧倒的な武力水準の竜兵達多数と近接で乱戦して1分持つとは思えず、国王救出優先を考えれば無理と判断し素通りした。

 

「他の者達は、私も含め〈屈折(リフレクター)〉を10分程付加されるので上手く散って欲しい。ここまで見ると敵は視覚に頼る連中だ。炎からゆっくり距離を取って潜み、落ち着いて目立たなければ躱せるはずだ」

 

 近衛騎士4名も終始冷静な救援隊リーダー(ボリス)の言葉に頷く。

 隙を見てもう少し北方へ移動出来れば、点在する簡易食料庫もあり、生き残れる可能性は大きく広がる。今こそ落ち着いて慎重に行動する事が重要と冷静になっていた。

 既に一回死んでいたはずで拾った命という部分も、精神安定にかなり寄与する。

 国王達の脱出行動は即実行された。

 ルンドクヴィストにより幻術の解除時間設定後、まず〈屈折(リフレクター)〉の付与が行われる。愛馬の白馬の〈屈折(リフレクター)〉は元々強めに掛けておりまだもつとの事で、国王は大柄の騎士へ預けると戦士長が気になりつつも、納得してロックマイアー達と離れてゆく。

 若い近衛騎士達も順次バラバラで移動していく。残ったボリス、ヨーラン・ディクスゴードとフランセーンも「後で会おう」と別れた。

 ボリスが最後に移動を始める。その前後で幻術の国王一行が消滅し、やはり竜兵達が周辺の麦畑へ向かって総焼き討ちとばかりに火を吐いて回っていた。直撃だけを避けて進む。

 元オリハルコン級冒険者達の装備は、普通の野火程度では問題ない。それに炎や煙は目眩まし的に逃走を助ける部分もある。

 ボリス達の〈屈折(リフレクター)〉は持続が短い。国王救出優先で魔力量温存の為だ。

 国王にはルンドクヴィストが付いており、例え気配で追われても、その場合はロックマイアーが上手く撒くだろうし、合流まで見つかる恐れは小さいと見ての人選。

 実際、ランポッサIII世達は先の竜兵4頭を躱したように、リーダー達も加わった北方の戦場でも敵に見つかる事はなかった。また、近衛騎士達もボリスの言葉を守って行動した結果、この場を生き延びる。

 老竜率いる4匹は、最終的に800メートル四方を炎上させ、上空から周辺も観察したが動く者を見付けられず計30分程で『焼却完了』として部隊側へと転進する。

 こうしてボリス達は国王の窮地を見事救ってみせた。流石はレエブン候が信頼し、大金で召し抱えた者達である。

 

 

 現時点で、王を逃がすべく竜兵部隊の矢面に立ち死地へ残った王国戦士長ガゼフ・ストロノーフも、『王の剣』として半分護衛を成功させたと言える。

 でもこの時、喜ばしいその事実を彼は知る由もない。

 ボリス達は国王一行を探す過程でガゼフ達を見つけたが、竜兵達との戦闘を見て知らせる術が無く去っている。

 そうして陛下らを追って竜数匹が北東へ向かって行くのを戦士長は苦渋で見送り、しばらく(のち)

 ガゼフは炎自体見えないものの、国王達の居るだろう辺りの北東上空が僅かに赤くなりゆくのを認識し、より果てしない絶望的思いを(いだ)く……。

 

「くうぅっ」

 

 今も剃刀の刃(レイザーエッジ)で竜の爪攻撃を流す。竜達の攻撃を多く躱してきた事を物語るように、流石の赤茶の守護の鎧(ガーディアン)も肩部や胸部への傷が目立つ。

 

(陛下ぁぁーーーー。糞、糞、糞ーーーっ!)

 

 確実な生死が分からないとはいえ、竜兵数頭に対して陛下と若輩の騎士が4人である。見つかった場合は、贔屓目に見てさえ、生き残れる可能性は相当低い。

 仮に全員隠れたとしても、見つけるまで火炎砲が地上を蹂躙するはずで危険は大きい。

 なので近衛3名が目立つ馬と共に囮で離れ、陛下と近衛1名は周辺へ潜み、火災に限れば影響が軽微な装備でやりすごす展開に賭けるほかない。

 

(なんとかこの絶体絶命の窮地を凌ぎ、ゴウン氏の反撃の始まった暁には、その後の人類の勝利を味わわれ、疲弊した王国の再建に努めて頂きたいっ)

 

 対して、彼自身の状況も相当にシビア。

 護衛は生き残ってこそ任務完了と言える。ガゼフもその事は重々承知していた。

 でも、広い平地の夜空に十竜長水準の竜達が40頭程もいる状況から、完全に撒いて逃げ切るのはまず無理と思える。現状から見逃すほど竜種族は甘くないだろう。

 

 だから、あと彼に出来る残された事は、この全ての敵を己で引き受け――ユリを逃がす事のみ。

 

 その機会は、国王一行へと向かった数頭の竜達がこちらへ戻って来た時とみる。奴らが帰って来れば、国王達への追撃はもうないと言う段階に移る。直近の後顧の憂いは無くなるのだ。

 戦士長は竜達との混戦の中で、いかに彼女へ伝えるか少し考えると、思い付いた機会を探る。そして戦闘の途中で、意図的にユリの背側へ背中合わせに立ったガゼフは、その意志を伝えた。

 

「ユリ・アルファ殿。時間は余り稼げないが、私が()()()()を使って全ての竜を引き付けます。合図したらその隙に脱出して欲しい。貴方を無事に大恩ある(ゴウン殿)の下へ帰す事が、最後の務めだ」

 

 敵の多い現状を考えれば、逃げるにはどちらかがこの場へ足止めで残る必要があった。そうしなければ両方が死ぬのだ。

 これは自己犠牲により、相手への強き愛を示す行動とも言える。巻き込んだ詫びも込めて。

 彼の決死の提案に対しユリは即答した。

 

「お気遣いへはとても感謝します―――が、謹んでお断りします」

「えっ。なぜ?!」

 

 そう驚き返しつつ、戦士長の胸の心臓はこの期に及んですら激しく高鳴る。

 ガゼフ・ストロノーフは、ユリ・アルファからの決定的な愛の言葉を期待して。

 眼鏡の似合うユリの美声が改めて伝える。

 

「私を嘘吐きになさるおつもりですか? 〝あなたは私が守る〟とお伝えしたはずです」

「しかし――」

「――否はありません。私も残ります(予定任務通り、あなたを連れて脱出する為に)」

 

 ユリは装備機能で不可視化が可能な上、力づくでフル装備の戦士長保護も可能である。しかし、支配者が友好的に接する相手の為、今彼女は一歩引いている形だ。でもここで、ユリを含め自分達は時間を稼ぐ役目だったはずでの、彼の脱出容認的発言。どうやら状況を考察すれば、国王一行へ向かった竜達の戻って来た時点が撤退の頃合いと読む。

 戦士長は、もっと単純な答え(大好きだから/愛してますので)を期待したが、この死地へ『共に残る』と言う事以上の愛の表現を求める方が、最早浅ましいというものっ。

 ガゼフは、激しく強く納得する。

 

「分かりましたっ。(ユリ殿、好きだぁぁぁーーーー)うおおおおおおーーーーーーっ!」

 

 心の絶叫と共に興奮から思わず咆哮し、斬り込んで来た竜兵の前足の爪1本を剃刀の刃(レイザーエッジ)で切り飛ばしていた。

 だが、この有頂天で調子に乗った行為が天の怒りに触れたのだろうか……この時になってヤツが遠くの空へ現れる。そう、難度165を誇るあの十竜長筆頭の巨竜が、である。その巨体は上空でもよく目立ち、直ぐ識別出来た。

 

「「――!」」

 

 幸せに(あふ)れたガゼフの表情は、一気に絶望感漂うものへと変わる。

 ユリの表情も流石に険しくなった。数時間前、奴1体に一旦逃げるほかなかったのだから。

 巨体の奴が降り立つ頃までに、この場の戦いは何故か自然と収まっていた。竜兵の多くが共に地上へと降りる。巨竜が部隊長というのも理由だろう。戦士長達は遠巻きに竜達から囲まれ、ほぼ逃げ場の無い状況。

 十竜長筆頭は地響きと共に地を進む。そしてユリ達を前に立ち止まると、巨体で一層高い頭から見下ろしつつ口を開く。

 

「こんなところに居たか。探したぞ、先程ワシを殴り倒した(こぶし)使いの人間め」

 

 その言葉に周りの竜兵達が僅かにどよめく。十竜長筆頭は百竜長のノブナーガにかなり近い存在なのだ。十竜長の中でも頭ひとつ程出ている実力を持つ。

 直前まで拳闘士が見せた、攻撃手数の少ない受け流し主体の戦いぶりから、所詮は剣使いの人間と同程度で難度100超え辺りかと見ていた。竜兵達は一斉に冷や汗を浮かべる程。

 十竜長筆頭は近年において、難度140以下の者に力で押し負けた事すら無い程の剛力持ちでもあった。その奴が一度だろうけど、体勢を崩されたというので場に衝撃が広がっていく……。

 今は開戦から七日目の夜の10時に近い時刻。

 

 因みに、十竜長筆頭が南進部隊の再進撃へ少し遅れて来たのには理由がある。

 奴は先の竜兵2頭を従え、剣使い(ガゼフ)の格好に似た者達が居た一帯の人間(ザコ)達を30分程で掃討した。結局、拳使いと剣使いは発見出来ず。その後、北側で人間の軍団を攻撃中の竜部隊本隊へと戻ろうとした折、周囲を警戒していた者から北方より人間側の援軍と思われる集団が南下し接近して来るとの情報を受けた。

 直ちにその殲滅に向かったのだが、意外に手間取ってしまう。

 何故なら人間の援軍が異例な状態であった所為だ。

 これはレエブン候と国王派の貴族達が南方へ送った援軍計4000なのだが、確実に迎撃されほぼ撃破されると考えて、侯爵は当初から5人以上へ纏まらず大きく間隔を取る事を指示。隊列を全く組まない『竜に対する遅滞戦』移動を命令していた。

 大きく4つへ別れつつ更に広範囲へ約1000分隊もあった為、流石の十竜長筆頭も少数で迎撃に向かった事で、単に時間が掛かり手こずったのだ。

 十竜長筆頭は2時間程真面目に頑張ったが、火炎砲の効率面と時間の無駄にも思え、直近の30分程は降下し肉弾戦に切り替えて適当になってきていた。

 

「ふう、全く。やってられん」

 

 ドカンと明快に全力勝負が個人的好みでもあり、細々した作業にイライラが募っていく。

 現状で7割焼却程度だが、あと30分でここはもう切り上げ、南進を急ぐべきと決める。

 そこへ、様子を見に来た伝令の竜兵が現れた。

 

「部隊長、こチらの進捗はイかがでしョうか?」

「見ての通りだ。ちまちまゴミクズの様に散らばっていて、時間だけが掛かっておるわ。そっちは地べたの連中を片付け終わって、南への先発隊を出したのか?」

「はイ。人間の軍団は殆ど焼き尽クしたかと。ただ、先発隊を出したのデすが……そこデ人間の剣使いと(こぶし)使いが現れ、我ラの部隊を相手に30分以上逃げ回ッてオります」

「何っ……よし! お前に半時間この場を任せる。それでここは切り上げろ」

「えっ。アの小生は伝令デすが?!」

「部隊長命令だ。ワシに文句あるか?」

「イ、イえ。了解デす」

 

 拳使い達が現れたと聞くや飛び付き、無理やり伝令の竜へと仕事を押し付けダッシュで飛行し、ここに来たところだ。

 

 ゆっくりと長い首や前足の指を鳴らし戦闘態勢に入る十竜長筆頭は、己の強さに自信があった。

 

(フハハ、丁度良いわ)

 

 直前のクダラナイ作業的戦いに少しイライラしていた事で、再進撃前の気分転換にはもってこいという気持ち。それに、数時間前の戦いで不意を突かれた借りの分を、この拳使いへシッカリ返しておきたいと考えた。巨竜の鋭い視線と身体は、早くも拳闘士へと向いている。

 

(マズい。1対1でさえ、不利な点が多過ぎる)

 

 ここまで全力で戦闘してきたガゼフは焦る。彼自身は疲労無効化の活力の籠手(ガントレット・オブ・ヴァイタリティ)と体力を常時微回復する不滅の護符(アミュレット・オブ・イモータル)がここまで武技連発の驚異的な動きを終始支えてくれていた。

 しかし、ユリにはそれがない。彼女は本来の高い実力から抑えて闘っていた風に見えたが、既に竜兵達相手に50分程は休みなく動いていたはずである。

 戦いにおいて、人間の誰もが体力を使い疲労のたまる事は当然であり、戦士長は心配する。難度の高い彼女のスタミナが単に凄いだけという勘違いをしていた。

 

(それにしても、彼女は……)

 

 ここまでユリと共に戦ったガゼフは不思議に思う。彼女の美しく精悍な眼鏡顔の表情や姿に動きは、当初から全く変わっていないようにみえた。

 ストロノーフは知らない。真実は想像外で心配は余計なのだと。疑問の答えはシンプル。

 ユリ・アルファは元々全く疲弊しない――それは動死体(ゾンビ)だから。身体さえ破損しなければ、不眠不休で何日でも闘える。

 竜兵の数が少なければ、闘い続けているだけで相手が勝手にヘバっていくだろう。流石に40頭もいると交代休憩されそうだが……。

 ただ残念ながら此度、その異常な光景を見ることはなさそうである。

 

「では、闘いを始めるか、人間の拳使いよ?」

 

 そう口にした十竜長筆頭に、拳闘士は無言で漆黒の裾の長いスカート内で右足を僅かに半歩前へ進め構えで応える。

 この世界の異種間の戦争においても、一騎討ちは当然存在する。

 十竜長筆頭は竜軍団南進部隊の隊長で、前後の口調からそれを望んでいる節もあった。また、奴を殴り倒した程の者と聞いて、周りで多くの竜兵達の足が数歩後ろに下がっていた……。

 上位の竜達も、しばし静観の雰囲気。

 だがそこに剣使い(ガゼフ)の者の声が割って入る。

 

「待て! まずは、私と勝負を――」

「――だまれ! 剣使いめ、邪魔をするな。お前の出る幕などないわ」

「――!」

 

 ガゼフは十竜長筆頭から一喝され、威に押された。

厳つい竜顔の口許を緩ませ、巨竜が剣使いの図星を突く。

 

「貴様、この雌の拳使いを庇うつもりであろう? はっ。そんな必要など皆無。こやつ、筋力だけでお前より何倍も強いぞ」

「くっ!」

 

 この部隊長らしき巨竜は、確かにガゼフとユリ双方の全力攻撃を直接受けていた。二人の力量差を掴まれている可能性の高い存在の言葉に、漢ガゼフは悔しさに唸った。

 そんな彼を立てるように、戦闘メイドが告げる。

 

「どうでしょう? 戦いは実際にやってみなければ分からないものです」

 

 雑魚の言葉には耳を貸さないが、拳使いの言に楽しみを見出す十竜長筆頭。

 

「ほう。それは面白いな。では(余興も込みで)――試してみるか?」

「「――!」」

 

 巨竜の一癖ありそうな内容の言葉に、ガゼフの顔は強張りユリは目を細めた。

 十竜長筆頭が遊び(ゲーム)を提案する。

 

「2分間だ。そこの剣使いが、ワシに殺されず居られるか試してみようではないか? もし、生き残っていれば、お前達はこのまま生かして見逃してやろう」

「2分……」

 

 奴としては、ウルサイ剣使いを速攻でぶっ殺せば、怒る拳使いと対戦出来そうで二度美味しそうな展開に思えたのだ。

 ガゼフ自身には、短いようで途方もなく長い時間に思える。

 圧倒的な体力差に加え、数時間前の対戦は大森林の中であった。周辺に高い木々があり、障害物や足場としても利用出来た。だが、この場にはそれが無い。苦しい状況だ。とは言え、達成出来れば2人とも生還出来る可能性は大きい。

 奴の言葉が本当ならばの話であるが――。

 その時、ユリが逆に提案し返す。多数の竜を前にするも彼女は終始怯えを見せずに。

 

「――10分。10分間、私も加わり彼を護りきれたなら、の方がまどろっこしくないのでは?」

「ん?」

 

 十竜長筆頭としては本気の拳使いと存分に闘いたいというのが本心。

 1対2なれど、確かに庇う者が居れば本気で抗い向かってきそうに思える。南進も残すが、5分では楽しむのに短いかと考える。

 足元で拳使いへ剣使いが何やら問答する様を見下ろしながら、10分という時間は丁度良いように思えた。

 40秒程思案し、十竜長筆頭は拳使いの提案を認める。

 

「……まあ、いいだろう」

 

 逃げ回られるのは面白くない。正面対決で勝敗を付けたいのだ。

 当初2分と言ったのは、大森林までは駆けこもうとしても5分は掛かる為。10分間だと逃げ込まれるが、それはあくまでも『何もしなければ』の話。第一に十竜長筆頭の猛攻撃が有り、万が一にも竜兵を事前に並べておけばよいだけ。

 広い平原にこの人間共の逃げ場はもう無いという事。

 十竜長筆頭は「おい、そこの13頭は大森林手前の上空へ向かえ。こっちの10頭は、時間係な――」と簡単に指示し、力強く地を蹴り空へ舞うと告げる。

 

「では、改めて始めようぞ」

「………(――ん?!)」

 

 この時、空に舞う奴の姿の後方となる北東向きの夜空に小さく竜達の姿が見えた。

 国王一行襲撃へ向かったと思われる竜の小隊だ。それをユリの瞳は(いち)早く捉え、一瞬変化する。しかし巨竜が現れ戦闘となっている今、先程とは状況が異なる。

 並みの十竜長水準の竜達相手ならば、ストロノーフ氏を抱えても全力の瞬動的動きで逃げ切れただろう。だが、眼前に対峙する部隊長の竜は段違い。ユリを実力で明らかに上回っている感触。

 ここで装備機能の不可視化を使えば脱出も大分違うはずなのだが――問題はソレ。

 現在、戦士長の前での〈不可視化〉は少々使用し辛い理由がある。

 発端は王都へ招待された道中。某天使様がツアレを助けに〈転移〉をいきなり使った……。

 水準(レベル)の低い王国内において、〈転移〉や〈不可視化〉等、相手を大いに不安や犯罪への関与をも連想する過剰な特殊技術(スキル)や魔法は、使えないとしていた方が実力を隠す意味で圧倒的に都合良いと支配者(アインズ)は気付く。ツアレ以外の面々は宮殿の宿泊部屋で一度だけ話を聞かされており、ソリュシャン達も今日まで地味に行動へ気を配っている。

 流石に戦場に出た後なのでユリは知らないが、至高の御方も『蒼の薔薇』メンバーの前で、常時屈折化のコートを出したり〈上位(グレーター・イン)認識阻害(フィビット・レコグニッション)〉や高速移動という事で留めている。イビルアイ救出時も種明かしはしていない。

 その言い付けを戦闘メイド六連星(プレアデス)の長姉として自分が、安易に破るのは躊躇われた。

 

(仕方ありませんね……脱出に不可視化は使えません)

 

 だが、ユリが優れているのは物事の組み立てや発想の転換である。

 

(でしたら――速さ主体の戦術に混ぜて使い、部隊長の竜を倒してしまえば良いという事)

 

 そうすれば、ストロノーフ氏を抱えて脚力だけで逃げ切れる状態になると。

 一旦空中へ飛んだ十竜長筆頭であるが、火炎砲攻撃では興醒めというもの。望み通り、拳使いの言を意地悪く試してやろうと、剣使いへと向かって地上へダイブする。

 突風と重量体の大きな振動に、戦士長は後方へ飛ばされた上で一瞬足も取られそうになる。何とか堪え剃刀の刃(レイザーエッジ)を両手に構えると、詰められた間合いを広げようと右手側へ駆ける。

 逃げる剣使いを追おうとした巨竜の前へ、ユリは奴の左側から回り込み立ち塞がる形で入って来ると、拳を連打して前進を止めた。

 

「はぁっ! んっ。やぁっ」

 

 拳使いの行動と重い拳打を受けて、巨竜は喜ぶ。

 

「いいぞ、いいぞ。やはり戦いとは(パワー)を正面からぶつけ合い、こうでなくてはな。ゴミ掃除には飽きたわ、ハハハハッ」

「やっ。ふっ。えい。はぁぁーっ」

 

 ユリは、奴の語る言葉など聞いていなかった。

 時間も無く、この巨竜の対応力をまず正確に掴む事から始めていく。少し危険とも思うが、正面から8割以上の力で襲い掛かっていた。

 しかし、戦闘メイドの放つ威力有る各一撃は、奴の前足側面や握った拳で見事に受けきられる。

 

「……(これは、力づくでの突破は無理。では――)」

 

 浸透系の〈発勁〉を打てるユリにすれば鱗等の硬さよりも、防御反応の方が脅威なのである。

 ユリの姿が霞み急加速する。鋭い動きからの拳が十竜長筆頭の胸部左右へと炸裂した。

 

「むぅ。うおぉ。これは、ふん、中々動きが速いな」

 

 巨体が半歩下がり、周囲の竜兵達がどよめく。地上に這う矮小な人間が『部隊長を殴り倒した』というのが嘘ではなかったと。依然ユリの攻撃は続いている。

 でも奴もやられっ放しではない。

 

「おらっ、でやぁっ。はぁ!」

 

 拳使いの素早い攻撃に、巨竜は面積のある翼で防御と絡めての当身(あてみ)を見せて来た。そのまま強烈な前足拳も放つ。

 

「――くっ」

 

 ユリは右手のガントレットで翼の当身は辛うじて流したが、前足での打撃を左側から受けて少し飛ばされる。

 

(こちらの動きが見えている――)

 

 ユリの顔色は冴えない。

 この時、彼女の攻撃に紛れて隙を見て後方へ回っていたガゼフは、強烈な風圧を伴う尻尾の牽制に身体を数メートル押された。

 

「くっ(甘くないか……。奴の急所は一応伝えてある。邪魔にならず生き残り、ユリ殿の攻撃へ繋げる機会を作るのが俺の出来る役目か)」

 

 ヴァイセルフ王家の宝物と武技全開で難度110以上にもなっている王国戦士長をして、巨竜とユリ・アルファの戦闘は次元が違って見えている。

 竜に比べ小さい体格と素早さを生かし、攻撃を凌ぎつつ地上を駆けまわって時間を稼ぐことは彼にも出来た。だが戦士長とて、真っ向勝負的な打撃戦は筋力面で不可能。

 

 この勝負は、余りにも人間の限界を超えている風にさえ思えた。

 

 伝説の竜種族に人間の筋力(パワー)は基本、届かないのだ。そもそも、体格差をみれば常識的に分かる話。武技〈怪力〉を誇るアダマンタイト級冒険者のガガーランでも1対1は厳しいだろう。ガゼフのように、ある程度の筋力から高度な剣技により切り裂く戦法が、一番攻撃力を持つはずである。

 

「ユリ殿……」

 

 不甲斐ない中で、()()彼女の超人的打撃戦闘力に期待するのみの状況だ。

 実は先程、弱点を伝えた30秒ほどの会話の中で、ガゼフはユリへ「この剃刀の刃(レイザーエッジ)を」と言う話も出していた。彼女の剛力であれば、分厚い筋肉ごと巨竜の剛体の切断が可能ではないかとして。

 でも彼女は「それに――残念ですが第一、私に剣は上手く使えません」と断ってきた。まあ本当は『指し棒使い』なのでそれなりの腕前は持っていたりするが……。

 確かに、相手側の竜の高い水準を考えれば、不慣れな武器は命取りと言うもの。

 その中でガゼフが嬉しかったのは先に、「いけません。ストロノーフ様自身を守る術が無くなります」と愛を感じる心配をされた点だ。妻にと望む愛しい人を死地へ引き込む己に最早、伴侶を娶る資格は無いと思いつつも強く感じてしまう。

 

(大好きだぁぁぁぁ―――――っ!)

 

 王国戦士長は、この苦難にも奥歯を噛みしめ内心で幸せに咆哮していた……。

 依然ユリは相手を把握するべく、積極的に接近戦を続けていく。巨竜へと戦闘を続ける事で、戦士長への直接攻撃をさせずに守り5分を迎える。

 尚、時間は上空に横一列で並び留まる10匹の竜が、吐き続ける小さな火炎を1分毎に1つ減らす形で知らせるしくみ。全部消えるのを見られれば拳使い達の勝ちと言う訳だ。数分吐く担当に当たった十竜長水準の竜らは結構真剣である。火炎が続かず早く消えてしまうと『(たる)んでいる』として、後で部隊長に怒りの鉄拳を食らいかねない。十竜長筆頭の余興は味方にも撒かれていた。多勢に無勢と勝負は見えているが一応、人間側へのお遊び的ハンデという感じもみせる。この世界の軍隊では、随所に上司の気分次第という緩い部分も多いと言えた。

 

「ふっ。はっ。えいっ」

 

 近接位置で激しく戦うユリに『時間一杯まで使う』という考えは全く無い。

 それは戦士長が狙われる時間が確実に出てくる為だ。なので、短期決戦こそが狙い。

 

 ――『早く部隊長の巨竜を討ち、機動で振り切ってストロノーフ様とこの場を脱出する』

 

 当初の考えの完遂のみ目指す。その為に、戦士長から聞かされた弱点への攻撃が重要となる。

 故にやはり狙うべきは、弱点が一番固まっていた頭部。

 また短時間だが、胸部や腹部へと攻撃した結果、前足が届く範囲は防御され易い上に内蔵系も相当耐久面で高い反応が返ってきた。特殊技術(スキル)の〈発勁〉を心臓へ命中させれば分からないが、まだ温存している。多用すれば順応される可能性も考慮して。世界最強種族である竜種の対応力は未知数だ。

 ただ、最初の頭部への〈発勁〉の一撃は間違いなく『脳震盪』を起こしてのグラつきであった。なので、より骨や筋肉の薄い部分へ連打し撃ち抜ければ倒せるはず。

 人間への打撃でこめかみ(テンプル)部分が狙われるのは、脳に近く頭蓋骨でも薄い為だ。顎は脆さと梃子の原理で脳を揺らすという点でも候補になる。では竜の頭蓋骨はというと、表面部で人間ほど極端に薄い場所は存在せず。顎も人間の様に縦長とは違い梃子の原理も使えない。強いて言えば、目の後方に納まる脳に一番近い位置からの攻撃が有効となるだろう。

 それも――視覚外となる死角からの一撃だ。

 ユリが数時間前に放った不意を突いた渾身の一発は、見事にクリーンヒットしている。

 勝機はそこにあると見た。

 一方、王国戦士長としては、相当難しい立ち位置となっていた。下手に攻撃をして巨竜の注意を引くべきかの判断は極めて難しい。こちらへ完全に攻撃が向く事は、ユリの動きから見て良くない状況と考えられた。なので彼は、敢えて『隙を狙う攻撃を探っている』振りだけに徹する。並みの戦士には決断出来ないだろう。

 ユリはこの1分程、巨竜の視線の中を霞むような高速の攻撃と動きで完全に前方へと引き付けていた。

 残る時間と作れる機会は僅かだ。迷うことなく戦闘メイドは仕掛ける。

 

「(今ですね)発動っ」

 

 集中攻撃で巨竜の意識を前へ引き付け、それを囮にここで装備機能の〈不可視化〉を使う。

 すると、巨竜だけでなく、距離をおいて尻尾の後方側で見ているガゼフの視界からも突然彼女の姿は消失した。

 一瞬だけ消え失せると同時に、ユリは温存していた100%の最速の動きで巨竜の右後方の死角へと一気に回り込む。続けてジャンプした。

 この辺一帯は燃え残った麦畑であり、上空の各所に舞う竜達の羽ばきの強風に煽られて終始方向を変え揺れているが、移動に因る風圧は地を僅かに遅れて走る。

 巨竜もその変化から当然、視線で位置を追うだろうが――後の祭りだ。

 

 死角へ回った事や攻撃を気付かれるよりも、頭頂部を〈発勁〉の一撃で殴る方が早い。

 

 さっさと〈不可視化〉を解除して竜の頭上に飛ぶユリは、既に握り込んだガントレットの拳を大きく振り被り、撃ち抜く体勢に入っていた。

 ところが。

 

「――残念だったな?」

 

 もう首を僅かに左上へと傾けた巨竜と視線が合っている。

 

「(なっ)――?!」

 

 戦闘メイドの声にならない驚き。一杯食わされたのはこちらだと気付く。

 ユリが、数時間前に放った不意を突いた渾身の一発。十竜長筆頭は拳使いの死角から迫る気配が分かっていて、強さを測る為に敢えて受けていたのだ……。

 ただ奴は敵の作戦を全て見越していた動きとは異なる。偶々だ。〈不可視化〉は今も感付いていないわけで、先程は『一般的に人間の攻撃力は高が知れている』という事で受けたが、図らずも同じ状況となりこんな結果を見せただけ。

 ユリの一撃は無論躱される。

 不意に十竜長筆頭は両後ろ足で地を強く蹴って飛び上がった。前足で拳使いを捕まえる為に。

 彼女は、奴の左前足に漆黒の長いスカートごと右足をガッチリと掴まれてしまう。

 

「ユリ殿ーーーーーっ!」

 

 ガゼフは地を駆け無我夢中で上空へ飛び上がる形で追随し、巨竜へと斬り掛かろうとしたが、圧倒的な尻尾の風圧だけで30メートル以上飛ばされた。

 

「離しなさいっ!」

 

 掴かむ敵の左前足へと〈発勁〉の拳打を振るうユリ。一番手前の太い第二指の根元に打ち込み、神経系を破壊して掴む力が少し弱まる。だが、そのまま地面に降下した十竜長筆頭は痛さを堪えて構わず、拳使いの片足を掴んだ左前足を振り被るとソレを地面へ全力で叩きつけた。

 

「ぅっ!」

 

 ユリの身体が叩きつけられた強烈な衝撃で、地面がクレーター状に陥没する。更にもう1回すぐ横の地面へとぶつける。

 音速以上が生む強い遠心力にユリは打撃を出せないが、地面の方が柔らかいのでまだ致命傷にはならず。

 

「ほう。流石に頑丈だな。では、これではどうか、なっ!」

 

 すると地べたでは効果が薄いと見た十竜長筆頭は、そのまま続いて躊躇なく信じられない攻撃へ出た。ユリも気付き身構える。

 

「――くっ!」

 

 なんと、竜の剛体の中でも特に強固な己の左ひざへと叩きつけたのだっ。

 これにはユリも両手のガントレットで防御するしかない……そして。

 

「うぉぉぉ、痛ぇ!」

 

 意外にも悲鳴を上げたのは十竜長筆頭の方であった。ユリの纏う最高水準の装備衣装であるガントレットのスパイクが鱗を割りめり込んでいた。

 自業自得とはいえ突如、思い通りにいかなかった結果と激しい痛みへ行き場のない余計な怒りの炎が湧くのはよくある事。

 

「おのれぇぇぇーーーーっ!」

 

 また竜種族も経験を活かす連中であり、原因が分かれば二度同じ失敗はしない。そして、失敗した事を成功させようとする努力も惜しまない。

 大きく咆哮した巨竜は、再び渾身の力で左前足を大きく振り被ると、両手の装備で防御する拳使いの人間を今度は右膝へと叩きつける――ぶつける直前で手首を突然に返して。

 手首を回す事で、人間の身体の表裏を入れ替えたのだ。残念にも、ユリが両手のガントレットで防御出来るのは顔の前面と側面だけ。

 結果、彼女の後頭部を、恐ろしい振り下ろしの(パワー)と巨竜の蹴り上げの強固な右膝が襲い、痛打されてしまう。

 

「がっ!」

 

 彼女の首を飾る青色のチョーカーもミシリと音を立てた……。一気にユリの意識が混濁する。

 

「す、とろ(ノーフ様、にげ……)」

 

 巨竜は続けて容赦なく左前足を振るった。そのまま、2撃目、3撃目を受けて、無情にも拳使いの両手は力なくぶらりと垂れ下がる。

 3撃目を終えてその様子に気付き、人間の小さい体を持ち上げて()()()()()と確認した。十竜長筆頭は勝鬨的な声を上げる。

 

「ハハハッ、思い知ったか人間共めーーっ!」

 

 先程チマチマした作業をさせられた恨みを返してやったと言わんばかりに吠えた。

 そうして、今頃走り寄って来た剣使いへと嬉し気に、ぐったりとしもう動かない拳使いを見せ付ける。恐るべき衝撃にも、彼女の眼鏡は中々外れなかったようで依然残っていた。

 

「ぁぁ……ユ、ユリ殿………」

 

 現実の余りの惨さと心理的ダメージに、戦士長の足は止まり、そのまま力なく膝を突く。時間を知らせる竜達の小さい火炎はまだ3つを残していた。拳使いを屠った今、剣使いの死は時間の問題に過ぎない。

 竜種族において本来、優れた戦士には他種族でも敬意を払うのが通例。この拳使いの人間は竜軍団の上位個体へ対し大いに善戦したと言える。

 しかし今なお激しく痛む左前足の指や左膝に加え、人間風情が逆らった『罰』の余興として十竜長筆頭は悪乗りする。よせばいいのに。

 巨竜は、左前足に握る拳使いを持ち上げると、大きなその口で頭から噛み付いた。

 

「――――!」

 

 ガゼフの眼前10メートル程前の上空には、ユリ・アルファの体がブラリと言う様でぶら下げられていた。

 

 その彼女の首部分が――部隊長の竜の口へ数十本並ぶ鋭い牙に挟まれた姿で。

 

 憧れたユリの凛々しく美しい眼鏡顔は、巨竜の口の中へ埋もれ戦士長からはもう見えない。

 間もなく、首飾りが軋み始めた。この(ドラゴン)が何をしようとしているのかは語るまでもない。公開ギロチンである。

 

「やめろぉぉぉぉーーーーーーーーー!」

 

 彼女へと伸ばした左手はただ(くう)を掴む。剣使いの人間の絶叫が、夜の風舞う平原へ響き終る頃、首の無い人間の身体が地面に落ちて鳴る鈍い音が伝わった。

 十竜長筆頭のゴクリと飲み下す音の後、奴は口の中に残っていた遺物をプイと吐き出す。

 遺物は宙へ弧を描くと剣使いの前へと転がった。

 それは思い出深い最愛の人のしていた黒縁の眼鏡。彼は震える手でそっと取り上げると、鎧装備内の小袋へ大事にしまった――直後。

 

 ブチン。

 

 周囲一帯へと、そんな何かの派手に切れる音がどこからか聞こえたような気がした。

 王国戦士長ガゼフ・ストロノーフは、左手の籠手を外すと薬指を見詰め小声で囁く。

 

「……((いにしえ)の指輪よ、我に力を)」

 

 絶望に塗れ膝を突いていた一人の人間の漢が立ち上がっていく。

 彼の目からは不思議な事に血が流れ出て見えたという……。

 

「手前ら、やっぱり人間とは全然違うのだな……。俺の怒りの魂が全員叩き斬る!!」

 

 師匠のヴェスチャー・クロフ・ディ・ローファンからは、怒りで剣を振るうものではないと言われていた。秘宝の指輪を譲ってくれたリグリット・ベルスー・カウラウからは、無闇に使っては駄目だと告げられている。ガゼフ自身も、人間の戦士として生まれ持った力で最後まで闘いたい、と考えここまで来た。しかし、それを曲げても『譲れないもの』がある。

 憤る剣使いの言葉に、十竜長筆頭は余興の続きを楽しむつもりで無言のまま、その場で不用心に両前足を手前へ誘う手振りで動かし『遊んでやるから、とっとと掛かって来い』との意を示した。

 仇敵の舐めた様子に、ガゼフも右手に剃刀の刃(レイザーエッジ)を握り、間合いを漠然と詰めるべく数歩近付く。二者の距離が、5メートル程になった時であった。

 王国戦士長は刹那に大きくあと一歩踏み込んだ。ヴェスチャー発案の究極武技を発動して。

 

 

「受けよ――――〈七  光  一  閃〉!!」

 

 

 ()だしは7つの斬撃を示した光の軌跡が途中で一つに収束し、それは吸い込まれるように眼前へ立つ十竜長筆頭の巨体の右側を通過した。

 

「ん?」

 

 十竜長筆頭も剣使いへのトドメを刺すべく左足を素早く踏み出そうとしたが、激痛のしていた左膝と左前足の指からの痛みが()()と気付く。

 不思議な感覚と同時に十竜長筆頭は、視線が自然と下がる。いや、奴の身体が傾いて行く。

 なんと十竜長筆頭の左太腿と左前足が見事に切断されていた。加えて左翼も根元近くから切り落とされている切れ味。

 

「なっ?! ぎゃぁぁぁーーーーっ」

 

 遅れて来た痛みに声を上げながら、支えを失い左側へと竜の巨体が倒れ込んだ。

 そのブザマにもがく奴の姿へ、血の涙の男は続けて冷たく告げ、追い討つ。

 

「死ね、外道めっ。〈七光一閃〉!」

「うおぁぁぇfsぁ;skまkmks、――――」

 

 巨竜は、真横へ倒れた体から首を起こし火炎を吐こうとまでしていたが、ガゼフの秘技に眼球中央より上の頭部が脳ごと水平に切断され、致命傷となる。息は続いていた為、言葉が途中から意味不明なモノに変わって終わる。

 

「「「――?!」」」

 

 周囲の竜達は、闘いの激変と結末への驚愕に固まっていた。圧倒的なはずの部隊長の死と、剣使いは素早く捕まえ難いが攻撃は致命傷にならない水準と高を括っていたのに、安全神話が完全崩壊したからだ。

 現在、指輪の効果により、彼の難度は大きく上昇。一撃でもかなり強力となった剃刀の刃(レイザーエッジ)の斬撃が7本同時に同一軌道で打たれた事になり、武技〈七光一閃〉は最上位斬撃級の近くまで到達していた。

 四光連斬は若き日のガゼフのオリジナル技で、元の六光連斬は以前より存在する。ヴェスチャーはその使い手でもあり、若いガゼフなら六光連斬を一撃へ収束させた強力な威力の武技を極められると考えて強引に指導した。収束させる難易度が四斬撃でも異様に高く()()()()()為、普段見せることは出来ない。

 

「………」

「「「………」」」

 

 剣使いと残る竜部隊の竜兵達は暫し睨み合う。

 だが、余興の約束の10分を超えた辺りで、竜兵の1頭が気付く。人間の剣使いが、立ったまま瞬きせず動かない事に。

 

「……おい。剣使イの人間、気絶シてなイか?」

「ナに?」

 

 確かに、究極の武技〈七光一閃〉――〈連光一閃〉は、人間が放つには気力を使い過ぎて多用出来ない代物。

 指輪を使い、王家の宝物のフル装備であったから二撃放てたが、そこまで。

 無論、ガゼフ自身もこうなると分かっていた。でも、それでも、巨竜の野郎だけは(フェチ)として絶対に許せなかったのだ。

 

 ガゼフ・ストロノーフ、王国北西の穀倉地帯中央の大森林東側の麦畑で倒れる。

 

 意識の無いまま剣を握る仁王立ちの人間へ向かって、今度は竜兵達が『部隊長の仇』と殺到していく。まるで一瞬だけ傾いたシーソーゲームのような展開。

 所詮は一方的な力勝負(パワーゲーム)の中における一時的な逆流であったのだろうか……。

 でも――この場の力勝負(パワーゲーム)にはまだ続きが残されていた。

 棒立ちの剣使いへと急降下で近付く竜達の、先頭を飛んでいた者から順に――空中で突如、桁の違う強烈な打撃を上から受ける。

 

「ギャぁ」

「ガッ!」

「ぐァッ、――――」

 

 滑空飛行からの垂直落下という勢いで地上へめり込み、後続も次々叩きつけられていった。

 この(ざま)で5頭も地上へ堕とされれば、竜達も状況の異様さに仰天し一斉に空中で羽ばたきし止まる。

 地上へ転がる者達は、誰も立ち上がって来なかった。いや、見れば直ぐに分かる。既に死んでいると。我先にと素早く動いた難度140程の頑丈な竜達が、何者かに全て一撃で瞬殺されたのだ。

 これまで遭遇した経験の無い化け物以外に有り得ない。

 

「なッ?」

「どウなっている?!」

「周りにもう敵は居ないハズではっ」

 

 焦りと困惑と恐怖の混じる声が上がる中、各自が周囲へ視線を向けるも敵影は見えず。自然と棒立ちのままの剣使いへと視線が集まった。しかし、周辺での一方的な殺戮攻撃は止まらず未だ続いている。

 見る間に地上へ転がる死者の頭数がダースを超える頃、竜兵達は最早パニックとなりこの場から全力で逃げようとした。すると、その時。

 

「仲間を派手に痛めつけてくれた愚かな連中は、1匹も生かして逃がさないでありんすよ」

 

 竜達を悪夢の様に圧倒する見えない敵の、可愛く美しくも怒りの籠る声だけが、周囲に響いた。

 その声を聞き、先程ランポッサIII世一行への攻撃小隊を率いた老竜が、大地に転がる首の無い拳使いの身体の位置が動いているのに気付き、思わず叫ぶ。彼は拳使いの雌の声と勘違いして。

 

「おおぅ、こ、これは――魔人じゃ! 怨念で呪われ狂い生まれた魔人の仕業じゃぁーーーっ」

「「「う゛わぁぁぁぁぁ」」」

 

 現実が叫声を強く後押しし、パニックに一段と拍車が掛かる場へ、(とど)めの魔法が放たれた。

 

「――〈魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)集団全種族捕縛(マス・ホールド・スピーシーズ)〉」

 

 軍団宿営地の在る北方寄りへ、バラバラで散ろうとした竜達の内、一気に15頭程が動きを拘束され一カ所へ集まる。それらと別に、南方向へ逃げた奴や捕縛を逃れたLv.45以上の十竜長水準の竜達が〈転移(テレポーテーション)〉で位置移動して来た見えない謎の敵にブチ殺されていった。そして最後に捕縛した連中も……。

 斬殺された巨竜以外の、この場に居た十竜長水準の31頭は僅か1分程で全滅した。

 勿論、易々と実行したのは〈不可知化〉のまま左手を腰に当て、スポイトランスを右手へ握り真紅の完全武装姿で空中に立つ、ナザリック地下大墳墓階層守護者序列1位のシャルティア・ブラッドフォールン。

 

「……ここはもうお終いでありんすね。本来はもっと惨たらしい死が似合いでありんしょうが。ソリュシャン、ユリは大丈夫?」

「はい。上半身骨折と意識不明でHP(体力)が2割を切っていたので、危ない状態でしたがなんとか」

 

 ユリが転がる地点の直上からの声に、姉の手当てを始めていた〈不可視化〉中のソリュシャンが答えた。巨竜の右膝へもう一回叩きつけられていたら、HPはゼロになっていたかもしれない。元から心臓が止まっている戦闘メイドは命拾いをしていた……。

 なぜソリュシャン達がこの場所に居るのかというと、アインズが反撃戦に臨む直前に王都北方の駐留地で「後方の守りは任せる。あー、一応単独行動中のユリのフォローを頼む」と指示されていたのだ。ただ、シャルティア達は王都北方で防衛線を張って守っている部分もあり、ユリのいる場所とはかなり離れている為、工夫して対応する必要があった。支配者がルベドを連れて去った後、ソリュシャンの提案で、取り敢えず彼女同様にアサシンの職業を持つシズを駐留地へナーベラルと一緒に常駐とし時折、広域探知の出来るソリュシャンと共にシャルティアが〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉で北寄りへ出張する形でHP反応を確認しカバーしていた。

 ところが先程、出張場所で広域探知すると、ユリの反応が2つになっているではないか!

 一応ソリュシャンはその状態をよく知っていた。身体が千切れたのではなく、ユリは種族が首無(デュ)し騎士(ハン)で、頭と胴体が離れている状況だと。

 とは言え、ナザリックの外での分離状態に、やはり非常事態だと現場指揮官へ進言し、最終的にシャルティアが突撃を選択したという訳である。

 ソリュシャンは現場指揮官へ姉の容体を報告する。

 

「頭を反応のあったこの竜の胃袋から(変形した私が)回収しましたし、巻物(スクロール)を使って〈死体復(レストア・デッ)(ドボディ)〉や〈大致死(グレーター・リーサル)〉などを掛けました。首の部分は、チョーカーが大きな外圧で外れただけのようです。ただ――愛用の眼鏡が見当たらないですが……」

 

 破損は直せるが喪失した場合、作るか探し出すしかない。残念ながらアイテム探知は意外に面倒なのだ。アイテム探知魔法の巻物(スクロール)にしても在庫はナザリックにさえ無かった。可能なのはニグレドぐらいだ。

 

「そう」

 

 シャルティアにも創造主の選んでくれたアイテムへの愛着と残念さは分かるが、激戦で失ったのなら後日この辺りを探すしかない。後方の防衛線を任されており、仲間の救出は上位実行事項であるが、アイテムをここで探す時間までは取れなかった。

 

「今は、ユリの無事を喜ぶでありんす」

 

 身体の損傷は修復され、HP(体力)も完全回復したが、依然ユリはまだ意識が戻らず妹の膝枕で静かに眠っていた。某天使様がニヤニヤと喜びそうな光景だが、残念にも見逃す。

 ソリュシャンは姉の無事への礼を伝える。

 

「はい。シャルティア様ありがとうございます。しかし――流石は我らのアインズ様。この成り行きをも完全に予想されていたとは」

「あああぁ、ぬし、分かっているわね! そうでありんすっ。我が君の深き読みは正に天才だと思いんすよ」

「ええ、本当にっ」

 

 のちにユリも、自身への支配者直々の大いなる気配りに『真に慧眼。それにボクの身をそれほどまでに心配していただけるなんて嬉しいっ』と敬愛度を盛大に強める。

 これだが――(アインズ)としてはユリが戦場から離れているので、シャルティア達に片手間で気に掛けられれば大丈夫と思っていた。また単に、某天使様(ルベド)の監視が()()()()()()で単身の者は結構手薄となる為でもあった。二人切りの移動の度に、姉妹報告を聞かされ続けている支配者が気付くのは当然。アルシェにしても下の双子姉妹より現在の関心は低い。エンリについても、夜間にネムと一緒の時間帯であれば誘拐されなかったであろう……隠された読みの真実に誰も気付く事は無い。

 こうして趣味的にも気の合うシャルティアら二人で至高の御方への感嘆に一瞬ふけるが、先に冷静なソリュシャンが残件を挙げた。

 

「シャルティア様、北西7キロ程の出発拠点と思われる地と北14キロ程離れた場所にまだあと数匹程居ますので、処理をお願い出来ますか」

「了解よ。ナーベラルとシズの応援でありんすね。と、その前に、〈転移門(ゲート)〉」

 

 ユリ救出と敵掃討には時間短縮の為、別動隊にナーベラルの〈転移〉でシズ達も動いていた。

 鮮血の戦乙女はソリュシャンから少し離れた地上へ〈転移門〉を開くと、配下の吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達が10体程そこから登場する。

 

「お前達、私が戻って来るまでにさっさと死体を〈転移門(ゲート)〉へ運び込んでおきなさいね」

「「はい、シャルティア様っ」」

 

 吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達は声の揃った返事を上司へ返すと、3体一組で最寄りの竜の死骸を早速せっせと運び込み始める。尚、竜連中の死体は再利用する予定の為、全て首がへし折られた形で綺麗に死んでおり、麦畑へ殺戮の後は残っていない。今次大戦参加において油断はしていない真祖の姫(シャルティア)であったが、『死体愛好癖(ネクロフィリア)』の彼女はユリの危機を告げられ強い怒りが湧く。しかしソリュシャンの「竜の死体をどうされるかの判断はアインズ様にお任せすべきかと」との冷静な進言にハッと気付かされていた。アドバイス無しでは怒りで最初の竜の血を大量に浴び、血の狂乱から残り全部もグチャグチャにしダメにするところ。同時に以前暴走し、刀を振るう武技使い(ブレイン・アングラウス)に逃げられたのを思い出した。此度は、その失態を挽回する為の出陣という訳で、正に本末転倒になりかねないと。

 キレイな屍がサクサクと〈転移門〉先であるナザリック地下大墳墓の地上中央霊廟正面出入口前へ運び込まれる様子を満足気に見ながら、シャルティアは北西の大森林北端地域へと〈転移〉で掃討に向かった。

 

 だが、シャルティアと先着していたナーベラルは面倒な状況に直面した。

 

「……少し困ったでありんすね」

「はい。全く、下等生物など一緒に殺せばいいのですが、アインズ様の指示では殺すなとのことですので」

 

 穀倉地帯中央の大森林北端部には生き延びた王国軍王家軍団の残党数百名が残っており、そこから10キロ程北側に居たナーベラル側でも、北方からの王国軍援軍の残存250分隊程が点在していた。気絶したガゼフしか居なかった先の場所とは少し勝手が違う状況。

 Lv.63を誇るナーベラルだけでも竜達を殺しまくるのは簡単だ。でも〈不可視化〉のシャルティアとナーベラルは終始暗躍する様命じられている。(ゆえ)に、竜兵らが突如『勝手に死んでいく』のは不自然過ぎるのだ。

 そのため()()()、10分程掛かって掃討すると、シャルティアだけがソリュシャンの所へ戻って来る。

 その折、死体回収に王国軍が居る前で〈転移門(ゲート)〉を開く訳にもいかず。

 苦慮した結果、とりあえずシズに周囲探知で誰も見ていない場所を調べて貰い、そこへ転がっていた5匹だけを〈不可視化〉し尻尾を掴んで吊り下げて持って帰って来ると〈転移門〉へ放り込んだ。

 

「あとの残り5匹は、デミウルゴスとアウラに任せるでありんす」

「……そうですわね」

 

 ソリュシャンの周辺に転がっていた30頭程の躯は、短時間で回収作業が終わらないと見たシャルティア配下の謎スライムのエヴァが気を利かした。ナザリック第二階層からの応援で数を倍程へ増やした吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達やカイレを含むシモベらにより余裕をもって運び終える。配下達は既に〈転移門(ゲート)〉内へと下がった後だ。

 (ドラゴン)の死骸が残っていないのを確認し〈転移門〉を消したシャルティアと、姉の手当を終えたソリュシャンは一仕事終えた感に浸るも、まだ問題点が幾つかあった。

 

「ところでコレ……。コホン。この者は、どうするのかえ?」

 

 真祖の姫が横目に視線を向けたのは、立ったまま気絶した王国戦士長だ。

 

「一応、我が君が友好的に接する者というし。それにまあ、ユリの仇は取った様子でありんすが」

「はい。それですがユリ姉様にお任せしようかと考えておりますわ」

「あ、そうね」

 

 数分後、ユリが無事に目を覚ます。

 

「……ソリュシャン? それにシャルティア様……」

 

 直ぐ正気に戻り状況を把握すると、仲間の救援に「ありがとうございます、シャルティア様、ソリュシャン。後で改めて私から述べますが、ナーベラルとシズにも先に伝えておいてください」と礼を言い、戦士長側の経緯のあらましを語る。

 ユリの元気な様子にシャルティア等も安堵。アインズ様の行動や、この場での討伐内容を伝えて本件の後処理に関し戦闘メイドの長姉へ任せると、真祖の姫達はナーベラルと連絡を取り100キロ程南に置く王都北の駐留地へ戻っていった。

 竜部隊は南進を続けても、結局同じ末路を辿ったはずである……。

 

 さて、王国戦士長が意識を回復したのはそれから約5分後のこと。

 つまり、気絶してから25分程が経過していた。彼は王家宝物の、疲労無効化の活力の籠手(ガントレット・オブ・ヴァイタリティ)と体力を常時微回復する不滅の護符(アミュレット・オブ・イモータル)を装備しており、時間が経過すればある程度、気力体力等は戻るのだ。

 

「……? ――――っ!!」

 

 ガゼフ・ストロノーフは余りの驚愕に飛び起きた。意味不明と言った方が良いのかも知れない。

 夜空が見えたのは分かる。究極の武技に気力を使い果たして失神し、仰向けに倒れたのだろう。 しかし、なぜ――()()が、それも『膝枕』をしてくれているのか――と。

 

 ユリ・アルファは勇敢ながらも、無残に戦死したはずであるっ。巨竜に頭を食われて……。

 

 それなのに、彼女は傍らで座り僅かに笑顔を浮かべていた。

 ガゼフには不可思議しすぎて、夢かあの世かと、そう考えてしまったほどだ。でも、起き上がった傍にユリは膝を曲げて確かに座っていて。

 更に眼鏡を掛けていないにも関わらず――闇の星明りに映る白き肌の彼女は美しい。

 

「ユ、ユリ・アルファ殿……、ご無事で?」

 

 彼としては滑稽でも、そう聞くほかない。

 それへとユリが頷き答える。

 

「はい、運よく。竜達は――撤退したようです」

「撤退……ですか?」

 

 半信半疑のストロノーフが立ち上がると、確かに周辺には30頭以上居た精強な竜達が1頭も見えない情景が広がっていた。

 でも究極の武技で切り伏せたはずの部隊長の竜の死体さえ無いのは、どういう事だろうか?

 

「実は――」

 

 そうして、ユリが戦士長へと語ったのは、まず夕刻前頃『大反撃』に出たゴウン氏の話。続いて竜達が撤収する前後に、主人と別行動のソリュシャンとシズがこの場を()()通った事を告げた。

 戦士長は拳を強く握り目を瞑りながら、友人へと真に強く感謝する。

 

「おお遂に、遂にっ! ゴウン殿、本当に有り難い……」

 

 余りに大きなその喜びへと意識が向き、彼の多くの不信は思考の片隅へとかなり流れた。

 そして、彼女の生首だけが残った状況については、竜兵達が部隊長の死骸を持ち去ろうとした際に、口から落としていくのを見て拾ったと。

 確かに開戦以来、竜兵達の死骸が見当たらないという話は、国王の居た地下指令所でも話題に上がっていたがそれが裏付けられた形で納得出来る点はある。

 また、この地で圧倒的優位だったはずの竜達が、どうして撤退したのかは――。

 

(むっ。ゴウン殿の強烈な攻撃へ対応する為に後退したか。もしくは近付くゴウン殿の連れの者達を見て、鋭く察し恐れたか……確かに有り得るか)

 

 仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の放つ第6位階を超える大魔法が主戦場で炸裂したならば、竜軍団側もそちらの戦線を立て直す必要が出てこよう。

 また、厳密な装備類は異なるが、黒と白の色合いと『メイド調』には共通点があり、竜達が接近者に恐れる要素は十分。

 控えの召使いの位置にいるユリがこれ程強いのだ。ゴウン氏と共に行動する事の多いソリュシャンとルベドとシズ達は、実際それ以上強いと考えても辻褄は合うとガゼフは思う。

 何れも不自然は話では無い。

 最後に、ユリの首をソリュシャンにより秘蔵の特別な巻物(スクロール)の魔法で胴体へ繋ぎ、回復を掛けたところ生き返ったという。

 

(えっ……流石に、そんな事が有り得るのか?! いや、でも現に目の前に彼女は生き返っている。……東方を広く旅して来たゴウン殿達ならば……)

 

 第5位階魔法に復活魔法は存在する為、不可能事とは違い、最早嘘であったとしても構わないのではと、ストロノーフは王国を今まさに救おうとせん男を強く信じ完全に割り切る。

 自分の責任で死地へ巻き込み死なせてしまった彼女が、今生きているだけで十分なのだと。

 

「……とにかく良かった。それと、ソリュシャン殿達にも感謝する」

 

 王国戦士長は、ゆっくりと元気に立ち上がって来たユリにそれだけを伝えた。

 ここで、彼は鎧装備内の小袋から例のブツを取り出しユリへと手渡す。

 

「ユリ・アルファ殿。これを」

「まあ、これは私の眼鏡」

「はい、部隊長の竜が破棄した時に取っておきました。………………」

 

 ガゼフは、眼鏡を大事そうに受け取ったユリが、両手で耳へ掛け鼻へ載せる様を至近距離で一貫して見れて、その興奮に内心で震えつつ吠える。

 

(うおぉぉぉーーーーーーっ、やっぱり眼鏡を付ける姿と眼鏡顔のユリ殿がイイっ)

 

 対するユリは、申し訳ない様子で礼を伝える。

 

「ありがとうございます、ストロノーフ様。これは私に取ってとても大切なモノなのです。大事にお持ち下さり感謝いたします。それと――私があなたをお護りすると言っていたのに、申し訳なく思っています」

「いえ。貴方は言葉通り、最後まで私を護りました。謝る必要はどこにもありません。本当に感謝している」

 

 戦士長は漢として、既に取っていけない選択をした事で、恋への気持ちに整理が付いていた。

 元々ゴウン殿に魅かれて見える彼女に横恋慕している感じではあったのだ。

 だから逆に彼女がゴウン氏と上手くいく風に何か力添え出来ればと思う。勿体ないけれど……。

 そう考え一瞬夜空を見上げかけた戦士長へ、今後の行動をユリが問うてきた。

 

「ストロノーフ様、これからどう動きますか?」

 

 再びユリへと視線を向けて、現実に帰って来た戦士長は既に決まっている行動を伝える。

 

「まず、陛下一行が襲われた場所へ向かいます。安否を調べなければなりません。それが今、私のすべき事です」

 

 後の事はまだ考えられないと言う重い雰囲気が漂う。

 その中でユリは眼鏡の礼という事で先に伝えておく。彼の燦然と輝く希望になるとは知らずに。

 

「あの、この戦争が終ったら――またきっと、約束のお食事へ連れて行ってくださいね」

「―――!」

 

 男の(さが)として、心の奥底ではやはり眼鏡美人を諦め切れていないのだろう。

 王国戦士長ガゼフ・ストロノーフはまたホワイトアウトし、数分間記憶を失ってしまった……。

 ゆっくりランラと幸せボケでスキップする彼を、ユリは優しく手を引き共に北東を目指す。

 途中で正気に戻った彼は、再び赤恥にプルプルと震えるが、やがて二人は焼け荒れた広い麦畑だった大地を目にし愕然とする。

 

「……くっ(陛下っ)」

「……」

 

 そこから1時間以上慎重にその広い地で国王の行方を探すも、予想外に1名の亡骸も見付けられず。戦士長の口から良い意味で困惑の言葉が出る。

 

「これは……もしや」

「ストロノーフ様」

「はい。陛下は、ご無事なのかもしれない」

 

 今後、二度は無い奇跡だとガゼフは思った。先までの絶望的な気持ちが縮み、大きく明るい希望が心に広がる思い。

 ガゼフとユリの二人はまた足早に進み出す。北にあるレエブン候の陣を目指して――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次期国王となる王太子確定の名声と実績を得るべく、王城での戦略会議で最前線の指揮官へ名乗りを上げ、王らから最終的に西側最前線を任された、リ・エスティーゼ王国第一王子のバルブロ。

 彼は開戦時より、最前線内でも後方の、山脈の裾野の先にあたる地の森へ護衛達と潜んでいた。

 潜む森の大きさは直径で100メートル程。周りには草原が広がる。

 だが、その地も前線の一角であり、開戦5日目までに周辺へと何度も竜兵達の襲撃を受ける。

 間近で見る(ドラゴン)達の大きさと強さと怖さは王子の想像のずっと上にあった。正に圧倒的な最強種族という存在。

 王子は18歳の時に、王国西海岸の大都市リ・ロベル東南に広がる大森林へ赴き、数体の小鬼(ゴブリン)退治を果たした経験から少々剣に自信を持っていた。しかし、英雄伝説級の怪物を前にして、そんなものは子供のお遊び程度だったと思い知る。

 周りの小隊が、竜の放つ一撃の火炎砲で溶ける情景を何度も見せつけられ愕然とする。

 

(こんな化け物達に、並みの人間が勝てるはずなかろう……)

 

 バルブロは自分が低い水準とは思っていない。あくまでも竜が強すぎるという考え。

 腰の剣を抜きつつも、結局一度も自ら斬り込む事はしなかった。それは妹のルトラーからの金言だけではなく、巨体で空を自在に舞う敵へ無力ささえ感じ、本能的に恐れ動けずにいたからだ。

 そして終始、 窮地的な闘いが続く中で開戦5日目の夕刻の事――。

 

 

 殿下の小隊に同行する王国戦士隊員の内の数名が、潜む森の周辺警戒をしていた。その一人が、バルブロへと本日8度目となる近隣への敵来襲を、近衛騎士達に比し端的正確に知らせる。

 

「東方300(メートル)で、竜2匹と味方3小隊が接敵中です」

「……」

 

 簡易椅子へ腰掛け黙し、鞘に収まる剣を少し開く足の間に立て、両手で押さえる姿の王子。

 彼の、左脇に副官の男爵一人と、両側に近衛騎士2名ずつが並んで立つ。

 王国戦士隊の副長と隊員達6名は、座る王子の前から数メートル離れた位置で控える。

 他に近衛騎士2名と王国戦士隊員8名が周辺を警戒する歩哨に就く。

 25名居たこの小隊も、5日程で近衛騎士2名と王国戦士隊員1名が竜兵の犠牲になっていた。

 開戦2日目の昼頃までは、展開する自軍からの伝令がここへ頻繁に来ていた事で少し竜達の目を引いたのだ。それもジリ貧の報告ばかりで、今は大局の変化以外の指揮を700メートル程東南東の前方で精鋭小隊と共に居る副官の子爵に殆ど任せている。

 

「報告ご苦労」

 

 伝えた王国戦士隊員へ、近衛騎士の一人が偉そうにそう告げた。

 バルブロ達貴族が王国戦士隊員と直で会話をする事は殆ど無い。王国戦士隊の副長と稀に会話を交わす程度。この場でも平民などと親し気にしない風習が当たり前に見られた。

 隊員が持ち場へ戻る姿を見つつ、副官の男爵が口を開く。

 

「今日はやけに竜が多いですな」

 

 午後の初めに、軍団を任せた副官の子爵からも「敵からの襲撃数がいつもの倍以上」との知らせが来ており、バルブロは適当に「敵の動きを見て応戦せよ」とだけ返している。

 

「そうだな」

 

 王子が答え終えた瞬間、今度は近衛騎士が取り乱し駆け込んできた。

 

「殿下大変です、北から竜が攻撃を! お逃げくださいっ」

「なにっ!」

「なんと」

 

 一気に場は騒然と変わった。

 バルブロは立ち上がると反射的に剣を抜き敵へ備える。近衛騎士4名と男爵も剣の腕は立つが、数日の戦いを経て圧倒的な竜へ怯える度合が強くなっており、同様にただ剣を抜いていた。

 ここ、後方の森では潜んでいれば大体が助かり、最前線の様な逃げ場の無い火炎地獄の中で「死にたくなければ決死で抗え」の修羅場まで行かなかった為、中途半端な状況に精神が食われた形。

 対する王国戦士隊員達は、王子の周囲を固める者と、退路を確認し確保する者、周囲の歩哨へ連絡する者に別れて素早く動く。

 隊員の一人が木へ登り、竜兵の位置を確認して距離を取れる方角を指し、王子を守りながら森の反対側への退路を進む。途中で歩哨の者達が合流し、隊員から「竜は戦闘態勢にあらず。周囲を探りつつも、位置は森から北200以上離れてますが」と報告される。一行は森の茂みを抜ける前に再度、状況確認する。

 すると、竜兵は森の北西70メートル程で空を高く通過し、徐々に南へと離れて行った……。

 誤報による空振り的退避となる。

 皆が胸を撫で下ろすも、いい加減な近衛騎士の報告に「またか、おいっ」という感じだ。

 近衛騎士達は、空飛ぶ火炎の怪物への恐怖が先に立つ事で、焦った判断から信頼性の薄い報告が多く、脱出に森の(きわ)まで来る無駄な行動が増えていた。

 

「「殿下、男爵様、再び申し訳ありません」」

 

 バツが悪く、近衛騎士達は殿下達に謝罪するも、王国戦士隊の者らへ向ける言葉はない。

 そうして、再度歩哨を立て警戒態勢へ戻ろうとした直前。少し油断した時間でもあった。

 先の竜により、去った南方向へ皆の意識が向いていたのも大きい。

 北東から素早く現れた竜兵部隊の急襲を、この周辺は一斉に受けたのである。

 竜兵達の攻撃前滑空飛翔速度は〈飛行(フライ)〉よりもずっと速い。竜兵2頭組が複数で、空に10頭は舞って居ただろう。連中は、間もなく地上へと一斉に火炎砲を連発で撃ち込んで来た。

 そのため周辺の土地と、この余り大きくない森へも数発の火炎砲が命中。森の木々は一気に燃え上がり、近くへ複数あった近衛騎士小隊群と共になすすべなく霧散した。

 

 

 皮肉にも、竜の前では改めて()()()()()()()高貴な王家や貴族、騎士の者さえも無力と示した。

 

 この日、西の最前線全域が集中的に攻撃を受けており、戦域は混乱して司令官である第一王子の行方はそこで途切れてしまう。

 1万を超えていた第一王子の軍団は、開戦5日目までに日々数を減らしていたが、6日目を迎えた時点で死傷者は7000人程に達しており、王子の安否も分からず士気は大きく低下した。

 ただ、国王の付けていた副官の子爵が懸命に指示を出し、今日まで戦線を支え続けている。

 

 当の第一王子バルブロであるが――彼は大反撃の始まった7日目の日没時にもまだ生存中だ。

 

 先日受けた竜兵勢の急襲時に、王子は火炎砲の至近攻撃に遭い、右半身へ火傷を負う重傷も命からがら脱出していた。

 体力において王家では突出していたことが、彼を生き延びさせた一つの要因であろう。

 でも一番は、やはり小隊内でも後方に居た事だ。前に出ている程、死ぬ確率は上がっていた。

 あと王子の纏う高価な鎧も割と貢献。その他に挙げると王国戦士隊のお陰と言える。

 近衛騎士達は多くが竜兵の攻撃で死傷。動ける者らは殿下を見失うと、まずそのまま方々へ離脱した。対して、王国戦士隊の者は火炎の威力で()()りの混乱極まる中でも王子を探し出し生存第一で動いていた。隊員5名が火炎攻撃の犠牲や囮となって戦死するも、火炎地獄から抜けた安全な場所まで殿下を連れて移動。副長達9名は依然として王子の傍にあった。

 小隊内や、森の周辺にも数十名が小隊展開していたはずの近衛騎士達で残ったのは、たったの2名のみ。副官の男爵も生死は不明だ。

 この事実をバルブロは口へ出さないが、奴らの実力面だけとは異なる大きな現実差を感じた。

 昔、妹のルトラーに聞いた通り、日頃の温い環境からか近衛騎士達は此度の過酷な戦場に精神を病む者が多かった。対して、平時も怪物(モンスター)討伐など命がけの雑務で出撃の機会も多かった王国戦士隊員は死をも恐れずに王子を誘導した。2名の近衛騎士達は、怪我もあって只付いてきただけ。

 戦場離脱後間もなく、火傷で満足に動けなくなったバルブロ王子が居た為、小隊は()()()()()()戦域外で安全域の、西方に連なる山脈(ふもと)の森を目指す。

 既に壊滅していた最前線後方の、西部戦線側北端を更にずっと西へ抜けて辿り付いた。

 王子は携帯する〈保存(プリザベイション)〉使用の高級な下級治療薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)の存在を、近衛騎士ではなく王国戦士隊員へ伝えて飲ませてもらい、数秒で重傷の火傷を回復していた。

 

「(チッ)――」

 

 その折、視線を宙へ向けた近衛騎士から(かす)かに舌打ちの音が聞こえた。

 騎士を差し置き平民を頼った事に加え、もし治療薬があれば自身の怪我用に小瓶の底へ少し残し失敬しようと考えていたので、随分面白くない顔を見せた……。

 バルブロが直ぐに薬を服用しなかったのには、4つの理由が挙げられる。

 そのうち3つは、手持ちが乏しい事、更に酷い怪我を負う状況であった事と、混乱した場所では()()()()に小瓶ごと薬を奪われる可能性も考えてである。

 

(ふん。騎士とは違いを見せる王国戦士……か。戦場で信用出来るのはどちらなのか、ルトラーの言葉通りであったな)

 

 ガゼフ・ストロノーフを始め、絶対の忠誠心と勲功を認められ、名声を持ちながらも出自の怪しい平民ゆえに、騎士へは叙されない者達。

 一方、近衛騎士として代々王家に仕えるはずの連中の、忠誠心や騎士的行動はどうなのか。友や愛する家族の為には戦えるが、王家に対しての気持ちは薄れているのではと。

 強気のバルブロも『竜を倒せ』とまでは言わない。でもせめて、王国戦士隊の隊員程度の働きは期待していた……。

 王国の第一王子は、戦地での極限において、少し大事なものを知った気がする。

 同様に、治療薬を遅れて服用した最大となる4つ目の理由は、彼にとってかなり重要な事だ。

 

 それは当然――怪我を理由に地獄のような戦場を離れる為である。

 

 戦闘中に彼が動けなくなるほどの重傷火傷を負った事は事実であり、戦場傷病者には療養する事が公で許されているのだ。

 

(ふはははっ。これで王国が戦いの後に残った場合、俺は生きて堂々と王都へ凱旋する事が出来るぞ。ザナックめ、残念だったな。ふむ、まあ今後立場を弁えるなら外交担当の要職ぐらいには付けてやるか。態度を改めないなら牢獄行きだ。父上亡き後に死が似合いだろう。後はラナーか。早めにどこか適当な貴族に嫁がせて――)

 

 王位継承権を争う長兄は、早くも内心で生意気で知恵者の愚弟への勝利宣言と、面倒な妹の厄介払いについて考え始める。

 こうして彼は、薬で回復したはずも「まだ調子が十分ではない」などと主張し早2日、ゴウン氏の大反撃の夕刻時まで生きながらえていた。

 現在、この小隊には王国戦士隊の面々とバルブロを合わせた10名が残る。

 目障りな近衛騎士の2人には、王国戦士隊員が持つ治療薬を1本から半分ずつ与えると、1日休ませて開戦7日目の今朝、王子の命令で彼の生存と療養中を知らせるべく伝令に送り出していた。

 だがその後、彼等を見た者は居ない。どうやら移動途中で運悪く、鎧の光反射を竜兵に見つけられ襲われた模様。

 故に、西方最前線指揮官のバルブロは5日目の夜以降、総司令官のレエブン候と国王側からは行方不明のままだ。

 

 さて、西の戦域外で、当面の日和見を決めていたはずの王国第一王子であったが、しかし――ゴウン氏の大反撃の数時間後に再び迷う事になる。

 草色の布を身に纏うレエブン候からの伝令が、日没後の夜に王子達を見付けやって来たのだ。

 

「バルブロ様、レエブン候閣下より緊急の伝令をお持ちしました」

 

 見張りを除き、既に王子と隊員の多くは仮眠に入っていたが、戦場の緊急時にマナー違反という事もなく、起こされた殿下は鎧を纏うと面会した。

 総司令官の読みは中々鋭く、西方最前線内で戦死の可能性を考えつつも、生存する場合にバルブロ王子が取りそうな行動を予測。西方最前線へ騎士3人の伝令を当てていたが、当初から伝令の一人へ西方の山麓沿いで探させ、他の二人も王子旗下への伝令が済み次第、西方の安全そうな地域へ向かわせていた。

 今は午後10時前という時間。夜の伝令に選ばれる者達は無論、かなり夜目が利くので昼間と変わらない行動力を持つ。初めから山麓沿いで探した騎士が、殿下の前へ立った。

 逃避先の森の中には簡易椅子も無く、表向き負傷中の第一王子は落ち葉へ薄い布の敷かれた上へあぐらをかく形で座る。

 殿下の無事を「何より」と喜びつつ、伝令の騎士が伝えて来たレエブン候の指示は、バルブロにとってかなりの衝撃があった。

 

「間もなく、竜王を打ち破る大魔法での反撃を実行予定。実行は明確に分かる形でとの事」

「なっ(そんな作戦の話など聞いていないぞっ。誰がやるんだ? 王はご存じなのか……)」

 

 レエブン候は、実行者の名を予定通り通達せず。仮面の魔法詠唱者(ゴウン氏)は、あくまでも王国軍内の一つの手駒という扱いだ……。最大限に実行者の戦果を削ぐ流れがあった。

 

「全軍はその機に合わせアーグランド評議国側へ戦線を維持しつつ、1時間に100メートルを目安で押し上げる攻勢を予定。バルブロ様も準備と実行をお願いします。――尚、大魔法での反撃は午後6時頃に成功し、既に全軍で攻勢を開始しております」

「むぅ(もう動いているか)………」

 

 騎士には殿下の様子が、単にいつ実行か不明であった点と王国軍の反撃成功を知った驚きに見えた。しかし実際には違い、もっと深い。

 伝令を出したレエブン候は無論、作戦自体を知っていたという話。

 今次大戦は間違いなくリ・エスティーゼ王国の存亡に拘わる重大事であった。それなのに、次期国王へ最も近いはずの第一王子の自分へ、何も知らせが無かった事実に愕然とする。

 

(レエブン候は貴族派のはず……父上の王も存知ない一手だった可能性もあるな。あと、義父の侯爵殿が、知っていたのかは重要になるかもな)

 

 大きな後ろ盾であった義父のボウロロープ侯が亡くなり小事も重要事に思え、少し冷静になるバルブロ。取り敢えず、レエブン候からの伝令の騎士へ返答しておく。

 

「……総司令官殿の指示、相分かった。私は竜の火炎砲で重傷を負ったが、今も健在だと皆に仕えてくれ」

「はっ、必ず。ではこれにて」

 

 伝令が去っていく姿を見つつも王国戦士隊員らは副長以下、殿下がどう動くか注目する。

 侯爵からの指示を聞く前までの様子だと、元々王子にここを動く気配はなかった。

 隊員達は武人の心情として戦いたいが、世継ぎの王子をまた死の危険に晒す事を天秤に掛ければ考えるまでもない。

 しかし、総司令官の指示を了承した事から、今は戦場復帰も含めどちらの行動選択も有り得た。

 当のバルブロはまず落ち着いて、反撃戦にこのまま出ず、ここへ留まった場合を想像する。

 

(反撃戦が上手く進み、王国が残った時は確実に生きて王都へ凱旋出来よう。これは相当大きい。ただし――その時に名声はどうなるのかだ……)

 

 恐らく王国民達へ『大戦に参加はした……が、戦場で負傷し反撃戦には出なかった王子』と記憶されるだろう。貴族達へも(しか)り。『王子』の前に『残念な』さえ付きかねない。

 そうなれば今後「剣に自信がある」という話も舞踏会で語り辛くなる事必定。愛人として狙いを付ける女性、冒険者で名を馳せる若く美しいラキュースからの印象も悪くなるだろう。

 諸々の想いへ、強気で自尊心の高い彼の心が囁く。

 

(王国第一王子バルブロよ――――お前は、それでいいのか?)

 

 次に彼は反撃戦へ出た場合の事も思考する。

 

(反撃戦が上手く進んだとしても、戦場に再び出ればあの竜達と遭い闘う事もあり得るか……。とは言え必ずと決まった訳でもない。それに――名声は十分となるはずだ。消極的では何も掴めん)

 

 王国民達には『大戦へ開戦時より参加し戦場で負傷もしたが、竜の軍団への反撃戦にも勇ましく出た王子』と誇らしい内容になって後世まで語られる事だろう。

 貴族達の、そしてラキュース嬢からの視線も変わってくるはずと考える。

 彼の我儘な心が自尊心で満ちた。バルブロは思案に目を細める。

 

「んー(これは、何とかすべきだな)」

 

 ここで最も重要なのは、兎に角『反撃戦には出た』という既成事実。目立つ必要はないっ。

 極端な話、戦場に居さえすれば条件は満たされるのだ。例え最後方でも。

 勿論、それでも死の危険は発生する事になるが。

 

(そもそも、戦域外の場に居ても絶対に生き残れると言う保証はない。どこにでも危険はある)

 

 一瞬、妹の言が頭に過ったが、『隊列の後方を歩けば金言の範囲内だろう』と無理やりな理屈でバルブロは自分を納得させた……。

 王子は決心が鈍らない内にと、夜中にも拘わらず王国戦士隊の副長へ指示を伝える。

 

「戦場へ戻るぞ」

「……ははっ。全力でお守りいたします」

「うむ。よろしく頼む」

 

 こうして第一王子は、間もなく10名の小隊で山脈の麓の森から最前線へと、夜中の移動を開始した。

 目的地は、指揮代行を任せる子爵の簡易陣を目指す。また戦域内の経路として、貴族派の兵団が兵数減で戦線を縮小し、現在兵がほぼ不在の西北寄りの一帯を選択。竜の偵察が少ないと見てだ。

 一行は用心しつつ前進を続け、日付が変わる辺りで西部戦線の外縁部へ到達した。

 しかし――そこで王子達は竜兵の襲撃を受けた。

 広く開けた麦畑の焼け跡の中であり、遮るものは何もない。中腰での移動であったが動くものはやはり目立った。

 夜間であっても(ドラゴン)達の目は上空から遥かに数キロ先の人間サイズも十分視認し逃さない。

 竜兵の数は僅かに1頭。されど1頭である。

 難度は王国戦士隊副長の優に倍はあった。立派で屈強な竜兵が空より舞い寄る。

 そして上空20メートル程より火炎砲を吐かれ、火炎が地へ液体の様に広がり地表を覆ってゆく光景を王子達は再び見た。地面はあっという間で火炎地獄に包まれる……。

 

「ギヤァァァーーー」

「ぐおおぉぉーーーー」

「熱いぃぃぃぃーーーー」

 

 王国戦士隊の隊員達9人は、人間防壁となってバルブロの周りを囲むように円陣となった。その身をジリジリと焼かれる彼らの激痛の声が重なる。

 王子も同様に全身へ火炎を浴びつつ、一度は助かったのに欲をかいた事を後悔した。

 

(うぉぉぉ、俺の傲慢な判断が選択を間違えたのかぁぁーー)

 

 己で撒いた種なのだ。最期ぐらいはと泣き言を叫ばず只ひたすら耐える。

 

「ぐぅぅぅ」

 

 だが、不思議な事に彼等はまだ生きていた。

 全員が難度で30を超えていたからだ。

 

「ムッ!?」

 

 (うな)ったこの竜兵は、難度10程度の一般民兵ばかりを相手にしていた。その為、省エネで結構火力を落としていた事が不運であった。

 とはいえ、一発で燃え尽きず耐えたなら、次でと竜が準備するのは考えるまでもない話。

 人間達に反撃する手が殆ど無かった様子は、第二撃までに余裕感を持たせる。

 連中(ゴミ)が見せたのは2名程、蔓が燃え切れる前にと弓を放ってきたぐらいだ。それも鱗へ当たっただけで刺さらず、剛火に命中音すら掻き消されて終わる。

 竜兵の口許には、最後に思わず笑いが浮かんだ。

 

 バルブロ小隊の終わりの時が、確実に間近へと近付いていた。

 火炎に包まれた10人全員がそう考え、苦しみの中で空の竜兵を見上げたその一瞬。

 翼を広げ口から火炎を吐こうとした竜兵と、西から高速で飛んで来た何かが上空で交差した。

 高速の、長物を持つ騎士風の姿にも見えたそれは、東へとそのまま通り抜けて行く。

 

 程なく、飛んでいた竜兵の――首がバッサリ切れて見えた。

 

 

「「「え゛っ?」」」

 

 唐突すぎる眼前の展開に驚き、その時だけ王子達は火傷の痛みを忘れた。

 先の火炎が弱まって来た地上の30メートル程先へ、重量感のある音を大きく響かせ、竜は落ちた。

 勿論、奴は長い首と胴が離れて間違いなく死んでいた。もう見ることはないだろう物凄い光景。

 バルブロと王国戦士隊員達は全身火傷を負いつつも命拾いする。

 だが、彼等には一体何が起こったのかその後も分からずのままであった。

 こうして結局、第一王子は無事に……ではないが、一応反撃戦へ参加した事となったのである。

 

 

 

 

 

 

 

「――っ、目障りだったのでつい。……斬ってしまったが、まあ余計な事にはならないか」

 

 戦場の夜空上を東方面へと突っ切りつつ、そう語るのは―――漆黒聖典の『隊長』であった。

 

 人類を脅かす存在の姿と攻撃する光景に身体が思わず反応した。

 偶然だが彼は、知らずに王国の第一王子を救った形となった。今後にどんな影響が有るのか無いのか……知る由もない。

 黒き長髪を靡かせ、長槍を右手に握った騎士風装備の青年が、再び王国北西部の空をゆく。

 

 スレイン法国の最高執行機関が下した撤退決定により、本国へと9日前に王都北東の大森林から撤収したはずの漆黒聖典部隊。

 しかし、メンバーの中で彼だけが戦場近くへ残っていた。

 六色聖典でも漆黒聖典の部隊長のみに与えられた非常時の『隊長権限』を使い、独自判断による行動だ。

 それは何故か。

 きっかけは先日、クレマンティーヌが王都に在る法国の秘密支部から持ち帰ってきたもの。

 

 ――あの『アインズ・ウール・ゴウン』に関する資料である。

 

 王都で収集されたゴウン氏の情報を一通り確認した『隊長』は、文面に『彼の魔法による竜軍団への反撃』の文字を見た。

 『隊長』の脳裏に、アーグランド評議国が送り込んで来た、竜の軍団の炎の幻影が浮かぶ。

 強大であった竜王(ドラゴンロード)らと直接戦い、自身は敗れ至宝とカイレ様にクアイエッセも失った。

 いざ再度、竜王率いる大軍団と戦って評議国内へ撃退する場合、スレイン法国も相当の損失を覚悟する必要を感じている。

 なればこそ今、()のゴウン氏の強き力を利用出来るのなら共にと『隊長』は考えたのだ。

 本国が、この大きな好機を逃してはならないと。

 ただし確実に勝てる保証は無く、脱出も考慮して部隊内で自分だけを残した。

 

 『隊長』には謎で、スレイン法国にとっては(いわ)くも有る人物――アインズ・ウール・ゴウン。

 

 彼の資料を目にして以来、移動中の今はしないが漆黒聖典第一席次は時々物思いにふける。

 

 

 風花聖典の調査報告によれば、王国戦士長抹殺にリ・エスティーゼ王国へと差し向けた擬装騎士団50余名を、村に現れた彼は召喚した死の騎士(デス・ナイト)3体を(もっ)て殲滅し、陽光聖典部隊の行方不明にも関与すると聞く人物。

 陽光聖典の隊長ニグン・グリッド・ルーインは第4位階魔法の使い手で、率いる44名の隊員達も全て第3位階魔法の使い手達であった。加えて隊長の彼は当時、準秘宝級の『魔封じの水晶』を()()()()()()()と神官長より申告あり。

 それらを相手に無傷だったのではと考えられ、以上からゴウン氏は、圧倒的な高位の魔法詠唱者だと予想されている。

 また、王都秘密支部の資料からは、彼の人物像がある程度分かった。

 普段から魔法詠唱者然とした見事な衣装装備に妙な仮面姿。ただ、素顔は20歳台後半の金髪で長身の男との事。

 本人は旅の魔法詠唱者だと述べている。王国東部辺境のカルネ村を経た、亜人達の国家が犇めく東方からの来訪が有力だ。カルサナス都市国家連合を経てのトブの大森林縦断か、『ビーストマンの国』と飛龍騎兵部族の住む山岳地帯やカッツェ平野経由のルートが予想される。

 陽光聖典らの攻撃を受けた王国戦士騎馬隊と辺境のカルネ村を救援。その村には戦闘以降、滞在し続ける家が在る模様。

 救援の功と礼により、国王ランポッサIII世から王都へ招待を受け現在も滞在中。

 王都到着直後には王城の『謁見の間』で王へ拝謁。その後、『王家の客人』として主に王城内宮殿で宿泊している。

 王城訪問時には、四頭立ての八足馬(スレイプニール)が引く最高級の漆黒の馬車で現れ、絶世の美女の配下を5名従えていた。その内の3名が辺境の村での戦闘に参加したとの事。名前はルベド、シズ、ソリュシャンと伝わる。ゴウン家の武力面での家臣と思われる。

 他、召使いとしてユリ、ツアレがおり、ツアレは王都で購入した元高級娼婦という噂も聞く。

 当主のゴウン氏は礼儀正しく、宮廷のマナーも概ね身に付けており舞踏会や、礼服での晩餐会への参加も確認された。

 城外への外出時は、召使い達も含め配下全員を連れて最高級馬車で出掛けるのが数度目撃されている。

 王都内には『ゴウン』の表札が掲げられた屋敷の存在を調査済み。美人三姉妹の小間使いが居るとのこと。

 また国王ランポッサIII世より、王城での謁見の場で褒賞金として金貨400枚が贈られている。ただ、元よりゴウン氏の所有する物は配下も含め上物ばかりで、生活は相当裕福と思われる。

 友人となった王国戦士長の要請に応え、近日、竜軍団との戦争への参戦を表明。反撃の契機として、魔法の使用を上位冒険者らの会合にて公言したと伝わる――。

 

(……只者ではないですね)

 

 一通りゴウン氏について思い出した『隊長』は、最も仮面の魔法詠唱者に合う言葉でそう結論付ける。スレイン法国最高執行機関が、ゴウン氏との敵対を早々に見送り、融和策を模索しているのは彼も正解だと考えている。ニグンらの戦力を失ったのは痛手だが、作戦面では強引であったし、逆にその件からゴウン氏との(よし)みを通じ、我が法国へと招聘出来れば数倍する益となろう。

 今迄、何処の勢力にも属さず、それだけの行動と物を維持しているというのは実力がなければ到底出来ない事。

 同時に、そんな何にも縛られない仮面の男の、自由奔放な旅の生き方に漆黒聖典の第一席次は関心が少し向いた。

 生を受けて以来、『隊長』は長い時間を、スレイン法国最高執行機関の者達の下に管理されている。生活自体は何不自由なく上質なものが保証されていたけれど。

 

 しかし本当に彼の意志で自由になる事は実に僅かだ。

 

 配下は居るが友と呼べる者はいない。呼出しや任務以外で、外出してぶらつくという概念も持た無い。生活する場所も、攻撃で出陣する主な戦場も敵も、果ては己の子を産む女でさえも選ぶことは出来ないのだ。予め候補は提示され「好みとは違う」と断れるぐらい。後日、また候補が選ばれて……。悪く言えば、どことなく半奴隷的な飼われた存在。

 此度の独自行動も、基本は『人類の敵を排除する為』という国是の下での行動と言える。

 これが『隊長』だけの環境であれば大きな疑念を持っただろう。

 しかし国民全員が、六色聖典が、最高神官長すらも法国という巨大な管理国家組織の存在によって、使命を思考へ刷り込まれており、『当たり前』と多くの諸事に不満を持たない……。

 

(機会があれば少し、彼と話をしてみたいですが)

 

 そんな事を思ったのは、数日前の長く待機中で時間を持て余した、ほんのつかの間だ。

 国是への自己犠牲精神に厚い彼等とすれば、気の迷いであったのかもしれない。

 

 『隊長』は、漆黒聖典部隊と分かれた後、どこでゴウン氏の魔法に因る反撃が行われるのか分からなかった為に、見晴らしの良い高い場所で監視待機する事に決める。

 ただ、戦場北方の山脈は竜軍団の宿営地から10キロ程と近く、竜王を敬遠。

 30キロ弱と距離の離れた、旧エ・アセナルの西北に連なる山脈の標高800メートル程の山頂付近を選んだ。木々は少なく吹き曝しの岩場で、バルブロ達が居た麓とは少し離れていた。

 潜伏状態での監視待機の為、竜軍団へ対し動けない日が続く。3日程前にも北側の戦場を離れ近くの山脈を越え、王国西海岸へと抜けた4頭の竜小隊も素通りさせている。

 日が経って難点といえば、短く区切っても仮眠中の情報や警戒が抜ける事と、部隊から持って来た食料がそろそろ尽き掛けていた。でも今日でそんな心配は無用になりそうである。

 

 

 漆黒聖典の『隊長』が今、西方向から東へと高速で戦場上空を突っ切り移動しているのは、ゴウン氏と竜王()の闘いを追っての行動。

 だが、彼は竜王達の()()を追尾している訳ではない。

 どう言う事なのかを要約すると、『隊長』はゴウン氏一行が竜王を抑えている間に、竜軍団の宿営地へ乗り込み、上位陣を倒してしまおうと考えたのだ。ゴウン氏が手の回らない部分についての作業分担化とも言える。

 それに、先日は少し強い竜兵を1匹殺し掛けたが、竜王に阻まれている。

 

「同じ奴を見掛ければ、今度は一撃で(とど)めを刺す」

 

 彼はそう意気込み、星々の瞬く夜天を東進する。

 

 『隊長』がゴウン氏達の戦闘に気付いたのは、夕暮れが始まる前の反撃直後の時間帯であった。

 今日も潜む山頂付近の岩場に腰掛け、晴れた東方の戦域を広角に見ていた『隊長』は突如、旧大都市廃虚上空付近に湧いた大雲の異変に気が付いた。

 

『んっ。〈能力向上〉、……これは普通の雲とは異なる。竜王が動いたのか? それとも……』

 

 先日の夜に、竜王の撃った超火炎砲の長い炎線も直後の大爆発のキノコ雲も見ていた。

 しかし『隊長』はいずれにせよ、竜王が健在の段階では潜伏の面もあり安易に動けない。

 何故なら、魔法の強さを期待するゴウン氏だが、彼は魔法詠唱者。竜王に瞬殺される可能性もゼロではない為だ。超火炎砲以外でも、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)の接近速度と戦闘力は相当なものと知っている。

 それに、『隊長』自身も武技と特殊技術(スキル)の〈上限超越(オーバー)全能力強化(フルポテンシャル)〉での戦闘時間には制限が存在する為だ。

 並みの竜兵達が相手であれば武技などを未使用でも十分対抗出来るが、現状で竜王の変身時間の期限は不明であり『隊長』の最大戦闘時間よりも長い事は分かっている。

 下手に表へ出て動くと『神人』の存在を広め、ゴウン氏の足を引っ張った上で、前回の二の前で終わってしまう。いや、前回は運が良かった部分もある。

 もう互いの手の内がほぼ判明しており、次はかなりの比率で自分が死ぬ場合を予想する。その結果は彼自身に留まらず、スレイン法国としてまずいのだ。

 仮面の魔法詠唱者には配下が3名いるという情報も、その3名であの化け物の猛攻を凌ぎきれると思うのは余りにも都合が良すぎる考え。

 元々竜王とは人類の強さを超えし存在。更にアレは別物だろう。

 

『それでも……彼と配下達が何とか竜王さえ倒してくれれば、負傷した彼らを護り治療しつつ離脱させても、他の竜部隊の撃退は私だけで何とか出来るでしょう』

 

 法国の民として、ゴウン氏が神々の奇跡の生み出しし人類の希望である事を願うのみだ。

 ところが大雲発生20分以降、夕方や日没を迎えても、1時間過ぎても3時間経っても、近辺へ特に派手な異変は起こらなかった。冒頭から終始集中して監視し続けつつ『隊長』は時折、周囲の戦場方向へも注意し視線を向けたが特に大きな動きや姿は見つからず。

 状況がまるで中断したか、終わったかの様子。

 何度か経過を訝しく思った彼だが、遂に難しい表情の顔ごと右下方へと視線を向け考え込む。

 

(………おかしい。……どうなったのです?)

 

 冒頭の大雲を作ったのは高エネルギー攻撃のはず。自然では有り得ない。

 また竜王は無闇に大火力を使わない。『隊長』が撃たれた方角も竜兵未配置の北東寄りだ。

 風少なく、大雲は縮小したが依然残っており、何かが起こった事は確か。

 するとやはりこれはゴウン氏の攻撃と思うのだが。

 ただ竜王が、もし負けたらこの戦争は間違いなく大きく動くはずだ。

 それなのに日没から、もう夜中を迎える今も、戦場の竜兵達の動きは大して変わっていない。

 

「もしかして、魔法詠唱者の彼があっさり負けただけ……なのか」

 

 それは有り得る事で……。

 だが、竜達の放つ火炎の赤色が地上へ数十カ所灯る東方の戦場へ、彼は再び視線を向けようと頭を上げ掛けた時。

 ――顔の右側方向となる背中側より一瞬光を受けた様に感じた。

 『隊長』が何気に後ろを振り向く。

 すると、なんと西方の海上遠くの水平線近くへ不自然に連続して小さく輝いた光源を幾つも見た。距離で言えば、陸から50キロは離れている。

 直ぐにそれが大きな闘いの光だと悟った。思わず立ち上がり、視力を今までより一段と上げる。

 

『なに、海の上へ!? いつの間にっ。〈能力超向上〉っ』

 

 闘いは場所を変えて続いていた様子。両者とも、全力の激突で味方を巻き込みたくないという考えの一致とみられた。

 一瞬、『隊長』は山頂から60キロ以上先の視界に竜王の巨体を捉えたかに思えたが、人間大のゴウン氏一行の姿は難しかった。

 

(竜王は、変態せずに闘っているのか……いや時間上限に達したのかもしれない。あ……も、もしかして更に上の形態へ……?)

 

 竜王に見えた巨体――『隊長』は8日前の仮眠中に合流していたビルデバルドと援軍の存在を知らず、距離に因る空気の揺らぎと透明度の問題と考えた。

 直後、それ以上の重要事に『隊長』の顔色が悪くなる。彼は反撃開始時から遠距離で戦場を監視していたので、通常の飛行移動を見逃すとは考え辛かった。高位魔法詠唱者(ゴウン氏)なら分かるが、竜王にも転移系移動されたと判断するのが妥当。

 いずれも近寄れば分かる話。

 でも、竜王の力と転移能力を考えれば『隊長』は結局、10分経っても隠れる場所の無い海上の決戦場へ乗り込む気は起きなかった。

 竜王が本当に転移系の魔法も使えるとすれば、彼では全く勝ち目がない。

 槍の防御の間合いへ一瞬で入られ、拳での一撃を腹へ食らうだけで動きが止まり、次の一撃で沈むだろう。竜王と『隊長』自身とは、筋力と動作速度の面だけでも大人と子供程の差を感じる。

 それでも葛藤は有る。

 

(私はここで見ているだけしか出来ないのですか……)

 

 ゴウン氏達の闘いぶりを幾つか状況想定していたが、3時間を過ぎても決着せず長引くというのはなかった。常識で高位魔法詠唱者とは、肉体面がそれ程丈夫で無いと知っているからだ。

 法国にいる上位の魔法詠唱者達を見ていればそう言う結論に至った。

 でも驚く事に仮面の男は違った。彼の配下が壁になったとしても、間違いなく何発か打撃を食らったはずだから。『隊長』自身が完敗したあの竜王と、それだけ力が拮抗している事になる。

 魔法で竜王を一方的に短時間で倒す、というのが最も期待した展開。

 一方で、拮抗している状況は、それ以上の意味がある。あの驚異的剛力の竜王の攻撃をも凌いでいる訳だから。一気に倒すよりも実行難易度はずっと高いはずなのだ。

 恐るべき魔法詠唱者一行と言える。

 それはつまり今、竜王は正にゴウン氏へ釘付けという事だろう。

 

(ああ、神に感謝します。我ら人類へ大きな力の者達をお遣わし下さった事を。あの番外席次に匹敵する存在と見ていいのかもしれない)

 

 ここで状況は変化する。海上に見えていた小さな光が5分程途絶えたのだ。

 『隊長』は竜王の姿が消えた事を視界で確認した。

 竜王はゴウン氏に倒されたのか、それともまだ生きていて闘いが続くのか不明である。

 しかし、ここまで仮面の魔法使いが竜王を抑えているのであれば、彼に任せていいと思えた。

 

『では私は、私に出来る事をするとしましょう』

 

 ――位置は不明でも、ゴウン氏と竜王との対決の『先の展開』を追った動きを始めた。

 

 そうして『隊長』は、先程の戦場外縁部で竜の首を刈った様な凡戦を避け、竜軍の上位陣を探す意味もあり高度を上げて戦場中央域上空へと侵入する。

 日付が変わり開戦8日目へと突入している戦場は、大反撃開始から6時間程が過ぎ、王国軍の前進で包囲陣全体が北の竜王軍団の宿営地側へと600メートル近く動いている。

 漆黒聖典の『隊長』はそれに気付かないが、戦場全体から上がる人類側の気迫を感じていた。

 流石に元々の竜兵数が多過ぎて、廃墟周囲の主戦場での戦況はまだ殆ど変わっていないけれど。

 

「近年のバハルス帝国との戦争で、リ・エスティーゼ王国軍の民兵部隊は貧弱に崩れると報告がありましたけど……次の(いくさ)では分かりませんね」

 

 今後は、精強な帝国騎士団を前にしても「竜達に比べれば」となる事必定。

 もっとも次の光景を見て、彼はその考えを撤回するのだが。

 竜軍団宿営地周辺で状況が大きく変わろうとしていた。

 

 

 

 

 竜王ゼザリオルグとその妹ビルデバルドを見失った竜軍団上層部の百竜長、アーガードとドルビオラは現状を非常事態と捉え、直ちに休憩中の2つの大部隊を緊急動員していた。

 午後7時過ぎの話だ。

 監視部隊の9頭を始め、竜兵2頭組で50組計100頭を竜王達の捜索に充てつつ、残りを主戦場攻撃と宿営地防衛に振り分け20分程で出撃させ終えた。

 これにより宿営地付きの竜は100頭弱となった。ただこの内の40数頭は、宿営地北側で王国軍の戦力へ対し『人間の盾』としても置かれた捕虜6万程を監視する任務に当たっており、宿営地内担当は実質50頭程まで落ちる。その中で直掩として10頭が飛ぶ。

 また、一時的に10頭を使って廃虚地より、瀕死状態のノブナーガと眠りから覚めない竜兵4頭が収容された……。

 非常時体制のまま時間は進むが、戦域周辺に竜王達発見の報は中々来ずで、アーガード達は焦りと不安からイライラした気持ちで軍団の指揮を執り状況を見守る。

 捜索途中に、宿営地()()()()で新手の騎馬小隊が幾つか発見され、百竜長の指示で竜兵の3組6頭が向かう。

 本来、竜達の宿営地北方へ布陣しているはずの弱小貴族兵団中心の王国軍勢は、総反撃の檄に対して、大半が死傷し1000も残っていなかった。家ごとに分散状態で、まだ準備に手間取ったままであった。なので、焼け野原が広がる北方正面はほぼ空いていた。

 現れた人間達は馬を巧みに蛇行させ炎を避け逃げ惑うも、撤退はせず。見ようによっては注意を引き付けている風にも取れなくはないが、騎馬小隊群は北方正面を動き回るだけでなく稀に宿営地へも迫り目立ったので、まず排除対象と目された。

 騎馬小隊の連中は馬と共に魔法防御や〈獅子のごとき心(ライオンズ・ハート)〉等で精神強化されており、数度の火炎砲にも耐えた。そして、減らされても追加の者達が順次現れ2時間半以上注意を集めていたが、竜側も竜兵1組を増やして8頭で対応。人間からの反撃は主に矢や槍であったが、偶に魔法での反撃も受ける。それでも竜の対応部隊は遂に騎馬部隊を上空から焼き尽くした。その数、延べ500余騎……。

 この頃には百竜長のアーガードとドルビオラも報告から、主戦場の各所で竜兵の負傷急増と、人間側の広大な陣全てが僅かずつ北上している事を把握していた。加えて、殲滅したが宿営地北側で開戦以来初めての纏まった騎兵による攻撃等を聞くと、百竜長達は軍団長である竜王を見失っている現状へ全てが繋がってくると理解する。

 

「……人間共め、舐めおって」

「大規模に仕掛けて来ている、か」

 

 彼等2頭は、竜王達が不在でも圧倒的な戦力差は変わらないと考えている。

 何故なら、人間側もゼザリオルグとビルデバルドを抑える為に、超常の戦力を投入しているはずなのだ。

 竜王様と妹君の強さは異常と言える。

 永久評議員達を除く、本国中の全竜種を集めた戦力よりも上だと確信する。

 つまり人間側の切り札はもう無いはず。

 仮に存在しても――百竜長2頭が其々率いる100頭部隊の一斉十字砲火で焼き滅ぼすのみ。

 筆頭のアーガードが(おもむろ)にドルビオラへ提案する。

 

「そろそろ、集団戦術に戻すべきと思うが?」

「ですな。私もそう考えていました。このままの個別戦術では被害が拡大しそうです。状況打開には仕方ありますまい。明日の早朝より仕掛けるとしましょう」

 

 百竜長達は互いに頷く。

 実行されれば、人間の兵力が100万居ようと、冒険者達が1万居ようが物の数では無い。

 旧エ・アセナルの惨劇の再現が王国軍へと忍び寄り始めた。

 

 

 結局、100頭掛かりでの約3時間の捜索でも、アーガード達が指示した近辺に竜王達を見つけられず、捜索範囲を外へ広げて当然続行される。

 30分程が過ぎて午後11時に近い時刻となった。

 宿営地上空には、直掩を交代した難度90から105くらいの竜兵達10頭が飛ぶ。

 彼等は周辺より近付く敵への即応攻撃を考慮し、高度は100メートル程。

 すると宿営地の東西から人間勢の騎兵が現れ、宿営地へ一瞬近付くと離脱する不審な動きを複数発見。

 先程の北側正面での騎馬部隊の怪しい動きもあり、8頭が追跡しつつ火炎攻撃に移るも、人間共は魔法効果や盾で耐え続け、バラけたまま北方向へ向かう。

 逃がすかと其々を追う8頭の竜兵達だったが。

 

 ――突然、一斉に撃墜される。

 

 宿営地の直ぐ北の空へ、魔法使いの人間共が虫の如く湧いて出た。

 その模様を見て、残る竜兵2頭が援護攻撃と確認へ向かう。

 

「撃て撃て、撃てぇ!」

 

 空だけではなく、地上からの叫声。

 後続の2頭も、宿営地北方へ出た所を、強力な魔法で撃たれ落ちてゆく。

 大将軍の「攻撃開始」のあとに途切れず続く声が、戦場へ大きく響いていた。

 撃ち落としたのは、帝国遠征軍が王国内へ持ち込んで並べた14台の馬車風戦車に載せた魔法省開発の秘密兵器『魔法砲塔』である。但し、製造と運用にはフールーダが第6位階魔法で調整した部品が必要で、今後増強の見通しは厳しい代物。撃ち出したのは第4位階魔法の〈雷撃の矢(ライトニング・アロー)〉だ。

 更に帝国魔法省側は、強襲魔法詠唱者(マジック・キャスター)部隊を10人1組で10組に分け、各隊員が上空で第3位階魔法〈雷撃(ライトニング)〉等を浴びせた。編隊を組んだ上で一瞬、〈飛行(フライ)〉から低位の〈浮遊(フローティング)〉に切り替える為、かなりの熟練がいる。また接近戦法はアインズも使った、高高度からの急降下で仕掛けた。

 つまり、竜1頭に〈雷撃の矢(ライトニング・アロー)〉と〈雷撃(ライトニング)〉や〈冷気弾(フロストバレット)〉10発以上が同時で向かった。勿論、不意とは言え全攻撃が当たった訳ではない。

 それでも砲塔や魔法詠唱者(マジック・キャスター)部隊の更なる連射が続き、これには()しもの伝説の(ドラゴン)も短時間で15発以上を受け痙攣しながら墜ちていく。

 竜軍団の宿営地外に落ちた数頭の竜は、北西と北東側へ伏せる多数の騎馬小隊群に群がられる形で襲われて止めを刺されつつあった。最上級(遺産級(レガシー)の下位)アイテムの剣や槍を持つ千人騎士長も数名居たが、非力な人間達という事もあり手段は選ばず。竜達は両目を潰された上で、鱗や剛筋肉の身体を徐々に削られ血管をズタズタに裂かれて……。

 先の帝国遠征軍配置完了までの引き付け役を買って出た、5軍団の精鋭騎士騎馬隊から各100名程の決死隊500余騎の仇を討つという気迫が、騎士達には(こも)っていた。

 この空中への一斉攻撃に対して、宿営地内の竜兵達も動き出す。20余頭が次々に飛翔。

 副官筆頭のアーガード自身も動こうとする。

 

「私も出る」

「今、前へ出るのは危険ですぞ、アーガード。人間達は捕虜達などお構いなしでの攻撃で、連中がこの時まで温存していた魔法精鋭部隊の様子」

 

 実際、捕虜収容所にも外れた魔法攻撃や負傷した竜兵が落下し、30人以上の死者が出ていた。

 帝国遠征軍にすれば捕虜へ対し、敵国の臣民や非常時であり特段考慮するに値しないが、竜軍団側からすれば『いよいよ割り切った作戦』という見方。

 ドルビオラの制止にアーガードは反論する。

 

「何を言うか。明晩訪れる評議国からの使者を前に、仲間をやられ人間如きに手間取りつつある今こそ、連中の奥の手を早急に片付けるべきだ。本国の者らが最も欲する捕虜達ぐらいは確保しておかねば、使者から余計に足元を見られよう」

 

 人間の捕虜については、王国側が宿営地北側へも軍を配置した事で、開戦後は流石に評議国へ捕虜の輸送を出来なくなっており、足止めされている状態。

 どうも夕暮れ以降、竜軍団側は悪い流れが立て続けに起きている感じだ。

 今しがた落とされた10頭を除外しても大きく負傷した竜兵は25頭に達する。瀕死のノブナーガや南進で上位の十竜長らが多数居ない上に、人間側の冒険者と思われる数組が難度100超え辺りの竜兵を適度に傷付けてどんどん敗走させていた。

 王国軍側は、あくまでも大反撃の圧力的な行動としてであったが、監察を控える竜軍団側は随分痛い話だ。竜兵の負傷数が明らかに増えている中、本陣の宿営地に居る捕虜達も大きく減る様なら苦戦の度合いが明確に色濃くなる。

 だからこそアーガードは早急に敵の魔法精鋭部隊を叩く必要性を感じた。

 彼の逸る言葉に、ドルビオラは冷静な言葉で返す。

 

「多少の捕虜などより、貴方が倒れる方が問題です」

「むっ、貴様は私が負けると申すか?」

「負けるとは申しませんけど、誘い出しが敵の狙いかも知れず、この地を預かる我々が迂闊に乗るべきではないかと。先に敵を把握し兵数を整え、私と西と東から挟み込みましょう」

「くっ、仕方がないな」

 

 アーガードの同意をとったドルビオラは伝令を宿営地の南側から南西へ抜ける様に送り出し、竜王捜索の部隊から5組10頭を呼び戻す。加えて宿営地に残る中から10頭を選びアーガードとドルビオラがそれぞれ10頭ずつ率いる形で出陣の準備が整う。

 ただ、伝令が行き戦域外の捜索位置からの帰還もあり、準備へは40分程を費やした。

 加えてこの間に百竜長達は、北方に巣くう敵へ攻撃を行なっていた竜兵23頭の戦況を聞いたが余りに酷い。

 宿営地外へ落ちて殺された4頭を含め、なんと重傷以上で既に19頭が落とされていた……。

 相手の戦力と手の内は読めて来たが、正直、耳を疑う信じられない戦況だ。

 捕虜収容所の人間達の被害として、魔法の流れ弾等で死傷者100名程増加と伝わるが、痛手は比べるべくもない。

 

「糞っ、甘く見過ぎたか」

 

 ドルビオラの忠告通りの展開にアーガードが唸る。竜軍団側には、完全に想定外である。

 敗因は、明らかに個別での攻撃と初期での優先標的を誤った事だ。

 特に強力な戦車側から潰しておくべきを、まずは空中の魔法詠唱者部隊を排除しようとした。

 すると、人間の魔法詠唱者部隊は一部2体1組を経て、4体1組の25組に再編成。

 そうして空中で1対1以上の闘いへと持っていかれた。

 竜兵はそのまま人間共を追った為、魔法詠唱者隊に上手く低空へと誘導もされる。

 魔法詠唱者部隊の余った内1組はフールーダの高弟4人の隊であった。全員が第4位階魔法の使い手という構成。

 彼等が放つ第4位階の攻撃魔法で動きの鈍った竜兵から、地上の『魔法砲塔』の集中攻撃を浴びた。〈雷撃の矢(ライトニング・アロー)〉の連べ打ちである。

 魔力供給は遠征軍の騎士隊の中にも魔法を使える者が200名以上おり、その者達の魔力が充填に順次使われた。

 流石に竜兵らも、再び短期で10頭も落ちた途中から、真の標的と単独での不利を思い知り4頭程で隊を組んで上空から一斉火炎砲撃を地上の砲台へ仕掛けて来る。ところが戦車は凝っており、外板も木目調加工の金属板が張られ、木造部分へも強化や耐熱と断熱魔法等を付加され、地面へも重く太い鉄の杭と鎖でアンカー固定されていて、一撃二撃の火炎砲だけでは破壊出来なかった。

 フールーダの魔法技術は実に大したものである。

 魔力充填された『魔法砲塔』は火炎砲を受けながらでも反撃出来たのだ。

 そのため、各竜兵小隊は少なくとも内1頭が地上の戦車へと直接突撃せざるを得なかった。

 竜兵の隊が地上へ近付いた際は、数台の戦車の破壊を巡って遂に竜兵部隊と帝国遠征軍との間で死闘の大乱戦となる。至近距離での『魔法砲塔』砲撃や、魔法詠唱者部隊も何組かが突撃。また雨のような弓隊の剛弓攻撃に騎士隊を始め、武力に優れる将軍達や千人騎士長らも馬を降りて竜兵の巨体へと斬り込んていく。

 ある十竜長は火炎を吐きつつ小隊を離れ、第4位階魔法を受けながらも自分の体重を活かして護衛の騎馬ごと戦車を押しつぶした。だが、立ち上がり飛んだ直後、周辺の『魔法砲塔』から〈雷撃(ライトニ)の矢(ング・アロー)〉を4発と魔法詠唱者隊の放った第3位階魔法を15発以上食らい落下。痙攣して動けない中、騎士団の猛攻で両眼と口に剛槍を10本以上受けて壮絶に息絶える。

 こういった闘いが数各所で数分毎に繰り返され、竜兵は負傷して飛べなくなった者から退却。突撃への防御戦で延べ3頭の竜を地上で討ち取った帝国軍側も、6台の戦車が破壊された。魔法詠唱者部隊員も空中戦等を含め26名が戦死。騎士隊も650名以上が死亡、1000名以上が負傷している。

 戦力集中で打って出た帝国遠征軍主力は短時間で3割以上の戦力を失う。

 魔法詠唱者部隊も疲労が濃く、一部を空中で〈浮遊(フローティング)〉待機させている。

 そして闘いは未だ継続中。

 想定はしていても、強力な第4位階魔法をこれだけ撃っての現実に、帝国遠征軍首脳陣の気分は重い。

 

「対人類戦へは門外不出であったパラダイン老の最高技術兵器を使っても、ここまで(ドラゴン)を討ち取る事が容易で無いとは」

「やはり恐るべき伝説の怪物よな」

「貴公ら、ここからが踏ん張りどころだぞ」

 

 最後の大将軍の言へ、第三、第五軍の将軍も頷く。

 彼等は皆、竜の宿営地に先程の竜達よりも強力な個体がまだ居ると知る。

 現在、上空には、残存で纏まった竜兵4頭の小隊一つと4人1組の強襲魔法詠唱者(マジック・キャスター)部隊8つが、『魔法砲塔』の届かない高度でドッグファイト中であった。

 戦う竜兵達は、百竜長達の部隊が間もなく空へ上がって来ると知っており、時間稼ぎに徹している。

 ただ、アーガード達の部隊が出撃すると、宿営地内自体には健在な竜兵が10頭以下の状態となる。直近数時間の戦いで人間側の攻勢が増し、負傷した竜兵の数が増える中、不安はジリジリと上昇気味であった。

 しかし、今は打って出て目障りに向かって来る人間共の排除が必要優先事項と両百竜長も判断。

 そして彼等の率いる2隊が、南方面へ伸びる宿営地中央通路からいよいよ飛び立とうとした、その時。

 ――狙われた瞬間であった。

 上方から剛弓の矢を始め、〈雷撃(ライトニング)〉や〈冷気弾(フロストバレット)〉、〈毒針(ポイズンニードル)〉での攻撃を多方向から竜達其々の顔付近へ一つないし二つ受けた。しかも()()()()()からだ。

 

「こ、攻撃だと?! 北方上空は4頭小隊が依然押さえているはずっ」

 

 ドルビオラが、竜軍団の宿営地上空を見上げ、まさかという声を漏らす。

 人間勢へ竜王(ドラゴンロード)達に匹敵する者らが現れ、また宿営地の竜兵らを払う魔法攻撃の敵を北側間近に感じ、更に新たな謎めいた敵の登場。

 強い警戒心は百竜長達に一旦、離陸を踏み留まらせる。

 

「人間共に、ここの上空侵入を許していたのか!?」

 

 現在、アーガードの視界に敵の姿が見えていない。

 

「攻撃は、一体どコから?」

「敵影は見エませんがっ」

 

 周囲の確認に長い首を(せわ)しく動かす竜兵達。気が付けばドルビオラ達は、宿営地の上空を何者かに取られている屈辱的な形。

 

「これは……不可視化系の魔法を使っているのでは?」

「「――!」」

 

 博識なドルビオラの言葉に、アーガード達は『どれ程の魔法使いか』と渋い顔を浮かべた。

 皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)所属の鷲馬(ヒポグリフ)とジャイアント・イーグル騎乗の騎士達は、着用者と騎獣を不可視にする貴重なマジックアイテムを装備していた。更に遠征組には精鋭中の精鋭として魔法騎士も数名参加している。冒険者にすれば白金級以上の実力者達だ。

 まんまと隙を突き、ジャイアント・イーグル15体と、鷲馬(ヒポグリフ)10体を上空へ待機させていたのは勿論、彼等を率いる帝国四騎士筆頭のバジウッド・ペシュメルである。

 敵情偵察を兼ね飛行獣に一時同乗していた彼は、遠征軍本隊の攻撃に連動し、宿営地直上に竜兵が居なくなったのを見逃さなかった。

 ただバジウッドは一つだけ腑に落ちない。帝国遠征軍の魔法詠唱者部隊が大人しい様に思えた。フールーダの誇る、強力な第6位階の雷系範囲攻撃魔法等が無いのはナゼだと。

 

(……あー、宿営地や他へまだ残る大戦力に対して温存してるって訳か)

 

 パラダイン老が所在不明なのを知らない彼は、慎重策かとそう判断した。

 空中待機に入った皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)は途中、帰還して来た竜兵達を素通りさせている。やはり空中では竜種側に分があり、飛び立つ時の方が狙い易く心理効果も高いと踏んだからだ。

 15分程前に上空への戦力配置と敵情偵察を終えたリーダーの彼は今、担当の部隊に戻り、地上で壊れた木製雨戸の隙間から外を窺う。

 

「初手は、上手くいったな」

「……」

 

 〝雷光〟の言葉へ横で無口に頷くのは、もう一隊を率いていた帝国四騎士〝不動〟のナザミ。彼らは既にグレートソードや両手へ盾を構え臨戦態勢でいる。

 ここは旧エ・アセナルの外周壁北側600メートル程の場所。石造りの半壊した地主の屋敷を見つけており、皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)120騎程が3棟の建屋に分散する。彼等は西から旧エ・アセナルの外壁沿いまで南下して周り込み潜んでいた。

 レイナースに最前線を任せるのは色々と危ういので、輜重の連中と共に崩れた外周壁傍で後詰めを任せている。

 竜軍団の陣内を見ていれば、手負いの竜が増えて来ている事から、後になるほど彼女が活躍できる機会も出てくると睨んでの配置。

 帝国四騎士のリーダーは慎重に大局を見ている。

 とは言え、現実は中々厳しい。

 

(さてと、どうするかな)

 

 予想以上の状況が重なり、竜達は少々逡巡気味に映った。と言ってもバジウッド達には、遠距離用で第4位階魔法程の強力な攻撃力がない。

 実力を考えれば、帝国四騎士達が冒険者水準でオリハルコン級以上でも、3人では難度で120程度までの竜一匹相手に足止めが精々だろう。皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)でさえ、もう数匹の足止めが良い所。先程攻撃した魔法には第3位階魔法も混じっていたが、1発当てたぐらいでは手傷を負わせる程度で討ち取る事は困難。

 出撃しようとしている竜部隊の方が圧倒的な戦力と言える。

 ただし此度、バジウッドをはじめとして彼等帝国四騎士率いる皇室兵団(ロイヤル・ガード)200騎の目的は、あくまでも竜軍団上層部の混乱である。

 

 連中を倒す必要はない――だから寡兵ながら作戦が成立するのだ。

 

 バジウッドは先程、この20頭程の竜部隊を率いる2匹の竜長の姿を上空から宿営地内に見て、他の個体を凌ぐ見事な体格と風格から恐らく竜軍団の上層部の竜だと判断、標的と決定し攻撃を指示していた。

 竜軍団上層部の邪魔をして、注意の引き付けや足止め、果てはイライラさせるだけでも意味は有ると。それも出来るだけ長く。

 何故なら、指揮官が機能していない軍は脆くなると分かっているから。もっとも、個々の力が圧倒的な竜軍団に仕掛けたところで、指揮官不在でも人間側をねじ伏せる可能性は十分ある。

 でもその場合は最早、天祐を期待するのみだろう。バジウッドもそこまで責任は持てない。

 この遠征では、絶対に勝つ必要がある中、最善を尽くしても不可能な事は有るのだ。

 

(遠征軍本隊と魔法省の連中は、間違いなく善戦している。その踏ん張りに期待するしかねぇな)

 

 三重魔法詠唱者(トライアッド)としてフールーダの放つ、人類一個人で最強の攻撃魔法が連続で炸裂すれば、先程の竜長らを地に転がす可能性も残ると見ている。

 されども〝雷光〟と呼ばれる彼は、覚悟を以って目を細める。

 勝敗に関係なく、竜軍団上層部を狙うバジウッド達の隊は高い全滅の危険性を負ってこの戦いへ臨んでいた。

 竜軍団討伐の遠征には、主君の皇帝と共に帝国、そして多くの臣民達の命運も掛かっている。

 指揮官級の竜達の押さえ役は、近衛騎士として後ろへ一歩も引けない闘いなのである。

 

 次の手に関し、(バジウッド)は幾つかの指示を皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)へ事前に済ませている。

 尚、姿の見えない飛行獣の騎士達同士が作戦を遂行するのに決めている事がいくつかあった。

 25体も舞う本作戦では、空中衝突を避ける意味で、戦術毎に兵団内で各人の行動位置や高度を固定。あと、どの戦術を取るか等を周知する方法として、昼間は煙玉だが夜間は〈永続光(コンティニュアルライト)〉を発する色違いの4種の水晶を〈滑空(グライド)〉させる事で知らせる。単色、2色などで組み合わせ、隊長が移動中に放る事で位置も特定され辛い。指示ミスも白でリセットなどだ。

 これにより、バジウッド側も水晶付きの矢を、潜む場から離れた地より上げる事で指示も可能。逆に皇室空護兵団側からも要請等が可能だ。

 あとは、竜の部隊側がどう動くかで攻撃が決まる。

 対する百竜長のアーガードだが、考えたくはないものの現実に内心で唸る。

 

(くぅぅ、ありえん。我々気高き炎竜種が、人間如きに手こずっているなどとっ)

 

 竜軍団宿営地内の南側へ伸びる広い中央通路が、滑走路の様に居並ぶ竜兵達で埋まっている中、(いか)るアーガードは横に並ぶドルビオラへと伝える。

 

「上空の不明な敵の実力と数は気になるが、手を(こまね)いてもおられん。私の隊だけでまず出る。攻撃の的役とこの地は引き受けよう。ドルビオラの隊は続いて空へ上がり、北方へ先行し人間共を遠距離から排除しろ」

「……それしかないですな」

 

 百竜長筆頭は自らの頑丈さを頼みに強硬出撃を主張した。ドルビオラも致し方なしと同意する。

 その行動は即時実行されようとするが、それをあざ笑うかのように上空から先に皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)の攻撃が始まる。

 でも、その対象は――竜達ではなかった。

 宿営地内各所へと上空から40個程の大きい油壺のあと、火矢や〈火球(ファイヤーボール)〉が投下されたのである。

 

「うっ、しまった」

 

 ドルビオラも、まさかの『火攻め』という皮肉な歯がゆい状況を見て思わず声が出た。

 見る間に、竜軍団の物資や綺麗な布の山を炎が包んでゆく。

 

「おおぉぉっ、竜王様の御座所が……。糞、おのれぇ、人間共めらがぁぁ!」

 

 怒り心頭となった副官筆頭のアーガードは、宿営地上空へと向かい、闇雲に火炎砲を数発ぶっ放す。

 しかし、皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)は宿営地の外へ向かう形で作戦を行っており、誰も居ないところを火炎砲が宙へと伸びていくだけ。

 戦争において、相手の物資を焼き払う手は常套手段の一つだ。

 本日までは、所内を守る竜兵は潤沢で、防火対策で土を掛けていたのは一部のみ。殆ど野ざらしの物が多かった。ただ皇室空護兵団の数量的に、焼き討ち出来たのは一部に留まる。

 それでも人間勢が火炎竜達へ火計での手酷い逆襲に、インパクトはあった。

 予想通りの展開に、バジウッドは静かに一度目を閉じる。

 

「人間側として、一矢報いてやったぞ」

 

 王国へ恩に着せるつもりなど無く、単に戦争とは言え都市の何十万もの一般人を殺す事は不要であったとしての想い。歳を経て育った騎士道精神と平民上がりのバジウッドには、竜達の非道が許せずいた。

 この『火計』の状況に堪りかね、アーガードのみが上空へと突撃気味に、カウンターさえ狙って上がった。

 ところが一切攻撃を受けず。

 

「攻撃が無いだと?! くっ、不気味な(これでは宿営地から動けん)」

 

 地上のドルビオラと竜兵達は宿営地各所へ走り、まず全力で消火に当たった。巨体の為、一斉に動くと地響きは凄いが、彼等の地上での移動速度は速い。

 竜王不在中での損失であり、これ以上物資を焼かれては『何をしていたのか』と叱責されてしまうとの判断だ。

 火計によって皇室兵団(ロイヤル・ガード)達は戦闘を全くせずに、更に15分以上も百竜長達の翻弄に成功した。

 ただその間、上空に上がった百竜長は豊富な火力を背景に長い火炎砲を水平に伸ばすと、空中を払うように首を大きく振り広範囲への侵入を防いでいた。

 この火炎で直撃ではないが、飛行獣4体とその騎乗騎士が軽傷を負う。流石に、皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)達も不用意に竜長近くへの上空侵入は難しくなった。

 こうなると、バジウッド達の次の一手は命懸けのものだ。

 窓から離れ振り向くと、彼は問うように伝える。

 

「そろそろ――俺達が出るか」

 

 ナザミやその後ろで待つ騎士長らは、力強く頷く。

 現在、竜軍団宿営地内の竜達の注意は完全に上空へ向いている。地上から宿営地内へ侵入し翻弄するのは、正に頃合いだ。

 ここは、竜の宿営地と廃墟地との中間付近に建つ、潜む半壊屋敷の2階となるが、1階では既に騎馬群が出撃を今や遅しと待っていた。

 帝国四騎士筆頭の彼は、皆の覚悟へ嬉しそうに口許を緩めるとグレートソードを掲げる。

 

「出陣だ! 各隊、予定の経路で侵入し、作戦実行後は散開しろ。1時間半後、またここで会おうぜテメェら」

「「「おぉーーーーっ!」」」

 

 数分後に、潜んでいた屋敷から3人1隊の計40隊が次々に竜軍団宿営地へと向かう。

 一人の伝令騎士が、別の場所から水晶を結んだ矢を打ち上げ、皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)の行動決断を上空へ知らせた。以後しばらく皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)は空中への注意引き付け役となる。それには状況によって、不可視化を解いて姿を現す事も含まれていた。非力な彼等なりの総力戦である。

 地上の各隊は、南方面より東西にも順次広がり最大15分程の時間差も付ける形で、魔法で精神強化した騎馬を走らせ、灰に埋まる麦畑跡の土を後方へと蹴りつつ進んで行った。

 無論、先陣を駆け目的地へと迫るのはバジウッドだ。

 彼は空で火炎を吐き続ける竜長の姿が次第に大きくなると共に冷汗の量も増えていく。

 

「なんて持久力してやがるんだ、アレは。炎を吐きっぱなしじゃねぇか……化け物すぎるだろ」

 

 繰り返し口から250メートルにも届く長さの火炎を出しつつ、振り回しながら空を周回しているのが見えている。

 だが、竜王(ドラゴンロード)はこんなものではないとも聞く。

 斥候で空に居た皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)の騎士が先日、かなり南西の位置でだが何キロも伸びる火炎と大爆発を見ていた。確かにバジウッドも同時刻の地揺れを覚えている。

 最早、自然災害級の人知を超えた存在と言ってよい。

 その真の怪物の姿が無いとは、どういう事かをバジウッドは改めてふと考える。

 

(王国内に竜王と対抗出来る者が居たってか。いつからだ……ずっとか?)

 

 竜王に比類する人物として、まず彼の頭に浮かびかけたのは帝国の柱石パラダイン老。でも、それ以上の戦士ということになるだろう。

 冒険者なら有り得る。彼等は人類間での戦争へは基本的に出ないからだ。

 でもそれなら帝国情報局が既に掴んでいるはず。嘗てのアダマンタイト級冒険者達は、元十三英雄のカウラウ女史も含め、体力の衰えで最前線から引退していると伝わっている。

 

(んー、流石にそれはないか。とすると……例のゴウンとか言う謎の魔法詠唱者か)

 

 出陣直前にベテラン秘書官が(バジウッド)にだけ伝えていた。王国内で遭遇する場合は『力量を見てきて欲しい』と。

 旅の者だとすれば冒険者ではないため、帝国との戦争にも参加出来るということであり、今後に一応備える必要がある。

 帝国は当面、王国を評議国との防波堤とする方針へ転換したので、八騎士団の軍を向け戦場へ出たとしても今後はポーズのみとなる。

 一方、王国が力を持てば、いずれ向こう側から報復もありえると考えられた。

 

(にしても、去年の秋に帝国が戦った王国軍からは想像もつかねぇ話だな)

 

 此度の大戦で、王国軍は竜軍団から逃げない決死の持久戦を1週間以上も続けている。これから『弱腰の王国軍』と語る者は少なくなるだろう。

 近年は帝国側の長期的戦略方策が実り、王国内では収穫期の帝国戦での混乱と多大な戦費に、大貴族以外の貴族達の疲弊が激しい。各所で継戦能力の底が見え始めていて、帝国軍は寡兵でありながら有利に戦いを進め続けている。

 直近の昨年も、帝国八騎士団が四軍団4万を出したが正味3万弱で王国軍20万を事実上敗走させたと聞いていた。

 だが帝国の騎士団員達も、戦場で死を覚悟した兵達程怖いものはないと知っている。

 数年前、王国戦士長達の突撃的決死の逆襲によって『前』帝国四騎士2名が討ち取られて以来、皇帝ジルクニフの護衛である帝国四騎士達は王国軍との戦場へと立っていない。

 その時はあくまでも局所的な敗走であったにしても。

 竜に対しての窮鼠(王国軍)は恐ろしいと改めて認識する。

 そしてそれは、丁度今のバジウッド達自身であろうと。

 バハルス帝国の最高戦力を投入したこの機での竜王軍団撃退を逃せば、本国の一部蹂躙は不可避となるはずで乾坤一擲の戦い。

 ただ相手となる竜軍団宿営地からの威圧は、襲撃地内へ立っている訳でない現態でも、フル装備のガゼフ・ストロノーフを見た時より明らかに高いものを感じていた。

 駆けるバジウッド達3騎は皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)のような姿を消す程のアイテムは無い。それでも、支給された巻物(スクロール)魔法で〈認識希薄〉を掛けて臨む。

 隅を走り目立つ動きをしなければ、1時間弱は行動を誤魔化せるだろう。

 天命も人間の力で切り開けると信じ、彼等は眼前に迫る虎穴ならぬ竜巣へと飛び込んで行く。

 上空へ強く気を向けさせている竜軍団の宿営地でバジウッド達が実行する事は、やはり『再度の火計』だ。

 先程の火計を竜達は現場各所にて後ろ足で地を掘り、土を翼ですくい火元へかぶせて徐々に鎮火させた。

 一方、宿営地内にはまだまだ野ざらしの物資は多い。

 現状の急務重なる中で、防火対策へ割く時間は殆どゼロだ。上空で竜長が見えない敵を払っているという心強い気持ちの部分も考える。今回は先程よりも数倍する箇所へ盛大に火を付ける予定。

 これにより、まさかの人間達が多数、地上から潜入しての再攻撃という意外さと衝撃度で、竜長らを大混乱に叩き落とす計画。

 故に各騎馬には燃料が満載されている。仮に見つかり火炎を吹かれても――物資へ突撃すれば敵軍団への打撃実行が可能と言う……。

 非情な策とも言えるが、飛翔出来て火炎を吐く頑丈な竜相手へ単に剣で挑ます方が無謀というもの。

 いよいよ宿営地へ取り付いたバジウッド達だが、直径で1キロ半以上のこの宿営地は、外周が土塁のように土が積み盛られており現在、実は平らな出入り口が一カ所もない。

 竜達は空から出入りするので門は不用なのだ。

 そのため、垂直では無い盛土の土塁へ沿うように少しずつ坂を上る形で越えての侵入となった。

 視線が4メートル程の土塁を越えた中には、区分け的な2メートル程の低い土塁が幾つも連なっており、遠くに負傷した竜達が所々で手当てや休んでいる姿が見受けられる。先程の火計は概ね消火された様子で、この場まで焦げ臭さは感じない。

 夜中とは言え、竜眼で見れば外周の土塁付近は目立つ。バジウッド達は、速やかに土塁を越え土煙を上げない速度で侵入する。

 竜兵達の動きは巨体から丸見えなので、こちら側で頭を低く土塁へ沿うように進む。

 消火の終わったドルビオラ達は、再び南方面への中央通路に集まりつつあり、外周の土塁周辺へ対する意識は向き辛い。

 だから、上手く潜入出来たと思ったバジウッド等だが、程なく――。

 

 

「――侵入者だーーっ! 外周の土塁上に人間共が6体、外にも馬に乗った奴と中にも居るぞ」

 

 

 大きな怒声が宿営地の空に轟いた。あの巨炎を吐いていた竜長である。

 (いくさ)において見通しの良い上空とはそれだけで有利なのだ。加えてアーガードは、上方への気配誘導や〈認識希薄〉の魔法を突き抜けた凄まじい集中力を見せた。

 伊達に百竜長筆頭に居る訳では無い。

 発見された事で皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)全員潜入、という訳にはいかなくなった模様。

 バジウッドとしては、この事態で窮地になる皇室地護兵団だが、一方で竜軍団の本拠地を掻き回し、帝国遠征軍本隊への攻撃部隊のいくらかを引き受ける事になるとして、本作戦に迷いはない。

 竜兵達は指揮官の言葉を受けて、再び凄い地響きを立て侵入者狩りに各所へ動き出す。数匹が土塁の外へ向け低空飛翔するも、外周に近い上空で(ことごと)く姿の見えない敵から第3位階魔法の集中攻撃を受け、ふらつく程の手傷に驚きながら下がった。

 姿を隠した皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)の攻撃だ。彼等は竜長の吐く火炎を避けて宿営地の外の上空を周回していた。

 並行して皇室空護兵団の内の5体が、地上へ目を向けた竜長の上方へ回り、魔法攻撃を見舞う。

 惜しくも避けられたが、挑発と牽制には成功した。これらも事前に取り決めていた援護行動だ。

 アーガードは位置が分からぬ敵に、空振りの火炎を吐きつつ苛立ちの声を上げる。

 

「くっ、ふざけた虫どもめ。見えさえすれ貴様らなど一瞬で完全焼却してやるのに」

 

 皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)が姿を現すのは最後の手だ。外見が露わになれば、戦力を把握されるリスクも出て来る。依然謎のままの方が都合が良い。

 竜長は再び、宙へ火炎を吐く形で上空側へ釘付けになった。空中での速度は鷲馬(ヒポグリフ)とジャイアント・イーグルもかなりのものだ。射程を把握している火炎からは上手く退避した。

 こうして一応、上空に舞う百竜長側はどうにか抑える。

 でも、地上側の竜長と竜兵達はそう上手くいかない。先に突入したバジウッド達とは侵入難易度が別物に変わる。

 誠に残念ながら、竜軍団側の物資が宿営地の外周寄りに少なかった。そのため、竜兵が潜入直後の騎馬兵達を見つけた状況だと、火炎砲を土塁方向へ撃ち放題となった。

 負傷療養する仲間の竜は、火炎に多少当たっても耐性があるのでお構いなしだ。

 この時点での皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)の援護は、宿営地上空へ中々入れないので望み薄。

 今から潜入する騎士達らの唯一の突破口は、火炎に紛れて地形の凹凸や障害物を利用し〈認識希薄〉を活かせた場合のみ。その状況で何とか10名が負傷しつつも追加で潜入に成功。治療薬を飲み干しながら宿営地奥を目指す。

 結局、潜入戦では半数の60名以上が戦死し、ナザミ達10名近くが引き返す事態となった。

 

「…………すまない」

 

 〝不動〟の彼と数騎が、潜入の頭数を重視し他の騎馬隊を少しでも通すべく囮役的に目立つ形で行動する。その際、土塁上へ留まって『最硬の騎士』自慢の両手の盾と〈不落要塞〉を使って竜兵の火炎砲に10発近く耐え続ける。だが、地上に居た百竜長の〈全力火炎砲(フルフレイムバスター)〉も合わせて受けた為、盾が一部融解し片手も炭化する重傷を負ってしまい、やむなくの後退となる。

 水晶の矢で『ナザミ』『重傷』『一部退却』と遅れて知らせて来た。

 バジウッドは深夜の空にそれを確認する。

 ナザミの双盾はフールーダの第5位階魔法攻撃にも完全に耐える程の強度を持つ。並みの竜兵の火炎砲ではビクともしないはずなのだ。

 

(あちゃぁ、半端ないな指揮官水準の竜長の攻撃は。アイツの盾の防御が破られるとは……)

 

 バジウッドは位置発覚の危険を考え『了解』とは返せぬまま奥へ進む。途中、馬さえも荷を下ろし囮に使って。最終的に50名弱が何とか潜入出来ていた。

 彼等は、移動途中に竜軍の資材を見つけると、焼き討ちしながら命懸けの『かくれんぼ』に突入した。油による黒い煙の混じる炎が所々から上がり始める。潜入側は荷を持ち火を付ければ居場所さえバレるなど常に不利な為、短期の時間勝負であり、出し惜しみなくドンドン仕掛けていく。

 宿営地中央寄りでは竜兵側も物資があるので、おいそれと火炎砲を使えなくなり肉弾戦へと移った。

 当然、長居は無用で、火災に目が行くと〈認識希薄〉が有利に働くので、その隙に工作完了した者から即時トンズラ(脱出)である。

 その中で、バジウッド達3名は最初に潜入出来た事から、最も奥の物資を狙っていた。まだ身体の前後へ大きめの平たい油壷を吊るし移動していく。狙いは予備の綺麗な布の山だ。

 

(中央部に近いし、どうやら竜王が使うらしいからな。精神部分で大きいだろう)

 

 危険は増すけれど、他の物資よりも心理面での打撃は相当と見る。

 既に彼等は45分以上、竜軍団の上層部を振り回すという数字では見えない戦果を続ける。

 その結実の一つとして宿営地北方の空から残っていた竜兵4頭組の姿が消えていた。

 『魔法砲塔』は届かない高度であったが、フールーダの高弟達の多くは威力のある第4位階魔法を使う事が出来る。そして第3位階魔法の使い手達の半分を待機させても、応戦中の30名程が居て、少数の竜兵では相手をするに分が悪すぎた。

 十竜長水準の竜達も雷撃系や冷気系の攻撃で身体が焼け痺れては飛び続けられず、重傷を負い宿営地内へ降下していった。

 バジウッド達はそんな間接的効果を上げながらも、更なる動揺に繋がると期待し布の山を探す。

 そして程なく、奥の一角へ遠目に低い土塁から大きく姿を見せている布の山を発見し近付く。そこは広めの低い土塁で仕切られた空間。潜入して20分近くは経過しており、バジウッドと共にいた騎士が手早く工作を済ませるべく布の山へ近付こうとした。すると。

 

「待て!」

「隊長?」

「チッ、もう先回りされてたかよ。随分足が速いようだな」

 

 足を止め振り向いた配下を見ずに、止めたバジウッドは動き出した()()()を睨みつける。

 

 崩れた布の山にうつ伏せから立ち上がり姿を現したのは百竜長のドルビオラだ。

 頑丈な盾使いの人間への砲撃直後に、後を配下に任せて重要物を襲う者達に備えていた。

 

「ほう、人間にしては感が鋭いようだ。近付けば当方から尻尾の一撃を馳走してやったものを」

「悪いが遠慮させてもらう。先から仲間達が火炎を貰い過ぎてお腹は空いてないんでね」

 

 そう語るバジウッドは、既に油壷を下げる縄を右手に握るグレートソードで切って配下へ任せつつ歩を進め、巨大な竜長と向き合っていた。同時に彼は、背中側で左手により後ろの2人へ合図を送る。『決行。ブツを燃やせ』と。

 そのまま、工作時間を稼ぐべくバジウッドから仕掛ける。

 〝雷光〟の通称に相応しい、あっという間で間合いを詰め斬り込んだ。そう彼はゴツイ体格だが実はスピードスターである。

 ドルビオラは左前足の爪で素早く受けようとしたが、バジウッドは――更に加速した。爪を掻い潜ると、踏み出していた竜長の右後ろ足へ斬り付ける。

 しかし、一撃は金属音を周囲へ響かせて弾かれた。ドルビオラが一瞬後ろ足を浮かし、鱗で滑る様に当てさせて。

 

「うわっ。かてぇなぁ」

 

 速度重視でいささか踏み込みは甘くなったが、斬れるかと思った一撃。驚きつつ、速攻で竜長の返しで来た右前足の爪攻撃を辛うじて躱しつつ下がる。

 にやけつつも、バジウッドのこめかみを冷や汗が伝わる。

 

(こっちは全開速度の動きなのに、この竜長には俺の動きが完全に見えてやがるな……2分稼げるかってとこか)

 

 初見もあり、動きに緩急を付けた事で捕まらなかっただけと言う事だ。

 帝国四騎士ともなれば、相手の武量も有る程度推察出来る。正直、帝国の大闘技場で最強戦士の武王ゴ・ギンより、目の前の敵が圧倒的な存在と分かった。

 当然だろう。難度だけでも、ドルビオラはバジウッドの倍以上ある相手。

 

(竜長とはいえ、空じゃない地上戦の動きだけでもこの強さとは。竜種はヤバすぎだろうが)

 

 ここまで、火炎砲中心の空中戦しか見ていなかっただけで、実際に接近戦の動きまでみると、伝説に伝わる世界最強種の存在の大きさを痛感させられた。

 皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)の騎士達が、竜長の背中側にある布の山へ近付こうと両脇から距離を取り抜けようとしたものの、竜長は翼を大きく羽ばたかせ強烈な瞬間の風圧で土塁の外まで、双方の人間を抱える油壷ごと上空10メートルまで浮くほど遠くへ吹っ飛ばしていた……。

 竜の巨体を浮かせる浮力を生み出す翼からの風である。造作もない。

 残るは、咄嗟にグレートソードを地面へ突き刺して風に耐えたバジウッド一人。

 

(こりゃ、逃げれる気がしねえ。何か火計よりも衝撃的な事でも起こらねぇ限りは――)

 

 羽ばたく間も、竜長はバジウッドへ集中し風圧で揺らごうものならその時、突撃して倒そうという雰囲気を感じさせた。

 しかしここで、事態は意外な方向へ急変する。

 なんと上空の竜長――アーガードの巨体が突如、吹っ飛ばされたのだ。

 まず上空の竜長へと5本の魔法攻撃〈雷撃の矢(ライトニング・アロー)〉と共に60発以上の第3位階魔法が襲い掛かる。

 帝国魔法省の強襲魔法詠唱者(マジック・キャスター)部隊が放つ一斉魔法攻撃だ。

 6人1組の11組が宿営地上空へと遂に侵入して来ていた。

 それに対し、見えない周囲の敵へ注力し側面を取られていたアーガードだが、当然回避運動と反撃に移りかけるも、ここで視界の間近に一瞬入った恐ろしい存在に気付く。

 

 

 背後の空中に舞う、見覚えのある―――槍を右手に持った騎士風の人間へ。

 

 

「な゛っ!?」

 

 (アーガード)は深夜の恐怖体験の如く驚愕する。

 忘れるはずもない。半月程前に百竜長筆頭の自分を僅か3撃で殺し掛けた者の姿を。

 アーガードが応戦に動こうとした刹那、彼の心臓はもう奴の強烈に捻り込んだ槍の一撃で消し飛んでいた。

 槍を握る騎士風装備の奴は言う。殺した竜兵についてではなくて。

 

「これは……帝国もやりますね。やはり王国軍は厳しいかな」

 

 次の瞬間、強襲魔法詠唱者部隊の放っていた、一斉魔法攻撃の束が百竜長筆頭の側面から巨体へ命中し盛大に炸裂する。

 その機に合わせて槍を持った人物は消えた。

 ずっと周囲に居た皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)もその存在に気付かず。

 というより、気に掛ける間がなかった。

 槍の者は既に武技で〈能力超向上〉まで上げており、〈飛行(フライ)〉〈加速(ヘイスト)〉〈足場(フッティング)〉により、移動線が一瞬見えた程度で、何か居たような気がする程度の余韻も、竜長のド派手な地上墜落という大きな戦況変化の前に霞むのは当然。

 

「馬鹿なっ。アーガードが普通の人間達にやられた?!」

 

 空中での魔法炸裂と、直後のアーガード墜落という予想外の変異に、流石の老練なドルビオラも動揺する。

 向き合う竜長へ集中し、詳しく見る間のなかったバジウッドは口許を緩める。

 

「へへっ、人間様もやるもんだろ?(流石はフールーダ・パラダインの魔法だな)」

 

 あの老人の放つ偉大な攻撃魔法なら不思議では無いとの刷り込みがあり、四騎士筆頭の彼は状況を信じ切っていた。

 アーガードが目の前で倒れた今、竜軍団を預かる指揮官はドルビオラしかいない。彼は、目の前で剣を両手で握り構え、薄ら笑う小さき者へ一瞬だけ視線を向けると、一気に突撃した。

 首を伸ばした頭突きの体当たりである。

 

「――っ、ぐはっ」

 

 巨体ながら自分以上の素早い攻撃にバジウッドは躱し切れず、100メートル以上吹っ飛ばされ竜長の視界から小さく消えていく。

 ドルビオラの視線は、もう別の方を向いていた。緊急事態の今、人間一匹に関わっている場合ではないのだ。一瞬で片付け終え、即時に力強く吠える様に号令する。

 

「狼狽えるなっ! 人間共への反撃の態勢を整えよっ!」

「「――!」」

「――そうだっ! 2頭来い。十竜長の俺に続けぇー」

 

 頼りとなる百竜長の声に、十竜長らも冷静さを取り戻し竜兵へ指示する。

 竜軍団副官の一角として、見事に動揺する宿営地内の空気を一気に引き締めた。

 ところが。

 

「貴様も邪魔だな」

「―――?!」

 

 ドルビオラは目を疑う。

 直前に翼風や体当たりで蹴散らしたはずの人間が、再び足元の目の前に――いや、違った。

 そいつの手に握る得物は油壷や剣では無く、槍だ。

 

「お前は――」

 

 そこから続く言葉は、喉へ空気が流れずに発せられなかった。ドルビオラの頭部が竜血とともに宙を舞う。

 

「……(まさか……あ……の……)」

 

 博学の百竜長の意識は、地上に転がった頭の中、そこで暗転した。

 巨体が地響きを立てて地に伏す頃、槍の人物の姿はまたこの場に見当たらない。

 百竜長ドルビオラの、長い首より血を撒き散らして倒れゆく姿を地上の竜達の半数が目撃し、更なる大きな動揺となり広がる。

 

「あ?! あぁーーーー」

「ドルビオラ様までもが。何と言う事だ」

「そ、そンな……」

 

 先程、地上から侵入して来ていた人間共の騎馬戦士の誰かに討たれたと――。

 

「魔法部隊と地上部隊……バハルス帝国の連中だが、丁度いい」

 

 槍使いの騎士は暗躍する。『神人』の存在は、竜軍団のみならず帝国側にも知られ無いに限るわけで。

 今の竜王軍団主力は南進部隊への注力により、難度で120を超える竜の数がかなり限られた。生存する難度150以上の個体については竜王と竜王妹を除くと、瀕死のノブナーガと廃墟周りの主戦場に健在な1頭が残るのみだ。他、アウラによって調教済が1頭居たりするけれど。

 そんな竜軍団の状況下で、槍使いの彼は続いてあっという間に、宿営地内各所へ散らばって高い迎撃行動を見せる7頭の竜兵を次々と切り伏せてのけた。上空で大物を仕留め、一瞬歓声の沸いた強襲魔法詠唱者(マジック・キャスター)部隊の続く地上攻撃の成果へと上手く紛れてだ。

 これにより竜軍団宿営地内での戦局は、制空権を握った帝国遠征軍側へ幾分傾く。健在の残存竜戦力と負傷した竜兵達では、強襲魔法詠唱者(マジック・キャスター)部隊の第4位階と第3位階の魔法攻撃の雨に持ち堪えられない。

 だがこの時、上空の百竜長が討たれるという異常事態を見て、宿営地北側の捕虜収容所内の十竜長達がほぼ半数の21頭を率いて、地上から宿営地内へ移動を開始した。空路を使わないのは、地上からの強力な魔法攻撃を避けての行動だ。

 尚、帝国魔法省の『魔法砲塔』は質量弾と異なり、地形による俯角側への山なり攻撃を不得意とし、捕虜収容所に残る竜への制圧攻撃はされていない。それには、一般人が大半を占めると聞く捕虜虐殺攻撃にも直結するので、騎士道に反するとの考えもあり、大将軍以下の将軍達も竜兵達の出方を待つ形であった。

 

 こうして、宿営地内は竜軍団側の戦闘参加者が増した事で、再び大混戦へと変わる。

 

 大活躍の強襲魔法詠唱者(マジック・キャスター)部隊の他、皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)も戦況と味方支援になる点を見て地上攻撃へと参加し始める。

 一方、竜兵達も地上からの火炎砲を撃ちつつ、半数が強引に飛翔し上空での決戦に臨んだ。

 上空狭しと、人間対(ドラゴン)の激しい空中戦が数か所で同時に起こる。

 また空へと竜側の注意と戦力が向き、その隙を突く形で敷地に未だ残っていた皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)の騎士達が、意地を見せる形で物資へと火を放つと離脱していった。

 地上の竜軍団側は、負傷した竜兵さえ加わるも暗躍する槍使いの騎士が強すぎた。地を這う人間へ応戦しながら、難度で倍以上の相手に闇討ちされては、竜種といえども結果は見えている。

 竜軍団宿営地の戦局は、ジリジリと人類側へ傾き始め、司令部の機能はほぼ停止状態となる。

 ただし、竜王捜索中や主戦域に居る竜軍団主力の竜達を始め、生存総数は依然として300を優に上回り、王国軍に対してはまだ圧倒的な戦力を残してはいた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 負傷し退却したナザミを含む皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)の8名は、出撃場所の壊れた屋敷へ戻っていた。

 ナザミは信仰系魔法を使える騎士から〈中傷治癒(ミドル・キュアウーンズ)〉を数回受け、炭化した腕を回復させつつあった。単純に切断された腕と傷を戻すのではないので少し期間が掛かる。

 それから20分程が経つ頃、ちらほらと死地で火計を実行して来た命知らずな漢達が帰還して来る。星と火炎と魔法の明かりの下で油の黒煙は依然見えており、彼等は互いの雄姿を称え合う。

 

「……諸君、見事だ」

「潜入援護、感謝です」

 

 あの時、目立つ土塁際にて、ナザミ達が百竜長を含む5頭もの竜を引き付けたお陰で潜入出来た者も結構居る。それが無ければもっと潜入者は少なく、犠牲も出ていただろう。

 彼等はまだ撤退しない。状況によっては再度の出撃もありえるのだ。

 

 そのころ、後詰めに残ったレイナース達は旧エ・アセナル北側の、破壊され上部へ3階層も通る内部通路まで露わになった分厚い外周壁の傍で待機していた。

 バジウッド達が潜む屋敷に入り切れなかった分も含め80騎程だ。十騎士長の代表に預けてもよかったが輜重も有るので重要な部隊と言える。帝国四騎士の一人、〝重爆〟の通称を持つレイナースが指揮しても不思議では無い。

 いい加減な様に見える彼女だが、難所の隠密的隊列行軍を始め、この場の布陣にしろ警戒指示にしても実にそつのない指揮振りである。

 そうでなければ、あの皇帝ジルクニフが多岐に便宜を図り帝国四騎士にはしていない。

 先程、水晶の矢でバジウッド達が打って出た事を知り一応臨戦態勢に入っていたが、竜の宿営地方向を眺めつつ、彼女はふと()()を感知していた事を思い出す。

 

 ――日没後の作戦以降、顔の右半分が僅かに疼くのだ。

 

(……何かしら。気持ち悪いわね)

 

 それと関係するのかしないのか間もなく、周囲を警戒していた斥候の騎士が戻り、異様な状況を伝える。

 

「レイナース卿、緊急事案です。廃虚内のここから500メートル程の位置に死者の群れを発見。こちらへ向かって歩行移動中。数はおよそ50体っ」

「死者の群れですって?」

 

 眉間に皺を寄せて思考する。確かに、旧市街は数十万の市民が犠牲になった場所と聞いているので、多少のアンデッドの発生は起こると思われる。ただ50と言う纏まった数に違和感を感じた。

 

「……やけに集まっているわね。分かりました。ご苦労様」

 

 斥候の騎士は、再び陣の外へ戻ってゆく。レイナースは傍に控える副官の十騎士長の代表へ命じる。

 

「直ちに20名を騎乗させて。気になるので私が出ます。早めに一当てしておきましょう」

「そうですな。今、準備を」

 

 死者の連中は弱いうちは群れる者と聞き及ぶ。しかし、彼女はここ数年でそれ程の数の集団を聞いたのは唯一かもしれない。

 あのカッツェ平野でも、20体集まっていれば随分多い方と聞く数なのだ。

 

(何かが起こっているのかしら……それも込みで何か分かれば)

 

 遠征組の面々は夜戦も想定し、夜目の利く者が選ばれている。程なく準備は整う。

 軍馬へ淡々と跨り、レイナースを先頭に20騎が崩落した外周壁の間を抜けて深夜の廃墟地内へと続いた。

 

 レイナースの部隊は(じき)に死者達と遭遇する。

 斥候の報告通り、連中は生者へ誘われるかのように真っ直ぐめでレイナース達皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)の陣方向へと深夜の瓦礫の中を、あと300メートルの位置まで進んで来ていた。

 大火災で丸焼けになっていた者が多く、殆どが骸骨(スケルトン)かと思ったが、皮膚がボロボロながら意外に服を着た者達であった。ひと月程が経ち、水分が抜けたか蟲に食われたのか目許は空洞化し、そこに紅い光点が灯る。

 

「「「オオオォォォーー」」」

 

 生者を憎む連中は、不気味な声を出しつつ騎士団の登場に立ち止まる。

 

「おおぉ、相変わらず不気味な……」

「本当にアンデッドだ」

 

 馬を止めた近衛騎士達は、帝国八騎士団時代に怪物(モンスター)討伐やカッツェ平野へ度々掃討に出陣し経験豊富だ。ただ、精鋭の皇室兵団(ロイヤル・ガード)に選抜されて以来、帝都の皇城でジルクニフを守る部隊であり、ここ数年はほぼ相手にしていない敵を前に、顔を引きつらせていた。

 そんな中で、皇帝から帝国四騎士へ下賜されたオリハルコン製の鎧を纏うレイナースは、長い槍を掲げ淡々と勇ましくも美しい声で告げる。

 

「全員突撃!」

 

 彼女は、勝てる相手に対し怯む事が無い。

 先陣を切って50体程の死者(アンデッド)達へと単騎で突撃した。

 レイナースは細身の美しい肢体をしている。だが、彼女の操る槍はまず正面に居た3体の死者達(アンデッド)を串刺す。そのまま構わず軽く持ち上げると、振り回して刺さる奴らをぶん投げつつ、10数体の死者達を薙ぎ払い敵の集団中央へと大きな風穴を開けて見せた。

 余りにも豪快な武量。

 〝重爆〟とは、呪いを受けた彼女の職業レベル、カースドナイトに由来する人並み外れた剛力による、爆裂魔法のような突撃粉砕の様を指しているのだ。昔とは闘い方が大きく異なる。

 皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)もその勢いにつられて〝重爆〟の彼女に続く。

 敵は難度20から30と、騎士達にとって油断ならない相手であったが、レイナース一人で40体以上を片付けたので、数の優位で間もなく殲滅した。数名がかすり傷を負う程度で済んだ。

 

「大したことありませんでしたな」

 

 十騎士長が、剣を鞘へ納めつつそんな軽い言葉を口走った。

 その軽口を聞いて、直感的にレイナースは嫌な予感を覚える。

 

「……(確かにそうなんだけれど……これで終わりなの?)」

 

 最終的に死者達の51個の首を確認。

 伸ばした金色の前髪で隠す顔の右半分の疼きは治まらないまま。

 余りにも呆気(あっけ)なかった事が、逆に彼女の思考へと不自然さを生んでいた。

 数体程度なら何も感じなかっただろう。しかし、50体超えとは『意図的』なものを感じさせたのだ。

 

(気持ち悪いわね)

 

 彼女には、これは何かの始まりのように思えた。

 それを現実と知ったのは、レイナース達21人が後詰めの陣へと戻った時の事である。

 

 陣内には――残していた十騎士長の代表を始め、皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)60名程の死体が転がっていた。

 

 たった25分程の間での、仲間の変わり果てた光景に近衛騎士達は怒りと共に恐怖する。

 

「こ、これは。一体どこの連中が……」

「おのれっ。なんとも……酷い」

「ひいぃっ」

 

 レイナースは周囲を警戒しつつ馬上から冷静に、横たわる死体の傷を確認する。

 致命傷の中には、魔法強化のかかった兵団鎧の上から斬り込んでいる一撃も見られた。

 

「見事にやられた感じね……(槍や剣に因る傷痕。敵は複数で、かなりの力があるみたい)」

 

 彼女は技量を含めて(パワー)を持つ者と推測した。また、この攻撃は竜では無い。

 太刀筋から、戦い慣れた人間かそれに近い背丈の怪物(モンスター)の可能性が高い。

 そして、彼女の言葉『やられた』を指すのは――陽動に引っかかったと言う事。

 50体の死者(アンデッド)達は後詰めの戦力を分断する囮だったのだ。

 迎撃隊を出さない場合でも、側面を突かれるという状況になっただろう。

 レイナース以外で迎撃隊を送り出すという展開など、彼女が残っていれば、もう少しマシな結果となったかもしれない。

 最も、敵の死体が1体も見当たらず、数名で囲みながらこちら側が倒されている死体の位置状況から、相当出来る連中とは思われた。

 

(これは……いろんな意味で、少し危険な相手かしら)

 

 身に危険を感じると同時に、竜軍団との戦争中の現況から、今襲われる理由が分からないのだ。

 帝国軍が竜軍団と闘っているのは、この地を把握した者なら気付きそうなもの。帝国軍の侵入が不当だと襲撃するなら、竜達を撃退した後でもいいはずに思える。

 少し、常識的な道理の通じない相手という感覚を覚えた。

 

「ぐぁぁーーーー」

 

 レイナースの思考を、騎士の絶叫が破る。

 皆が声の方へ視線を向けると、同じ皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)としてここまで来た戦友の突然の死を悼み、騎馬から降りて祈りを捧げていた騎士の胸を、倒れて死んでいたはずの者の握った剣が貫いていた。

 流石のレイナースもこの展開まで予想していない。

 

「何てことっ……」

 

 剣を握った騎士の死体はそのまま立ち上がってくる。その目は――生者を憎んでいた。

 

(襲撃の犯人は―――死者達(アンデッド)! でも、この変化の早さはどう言う事……)

 

 死んで数分の内にアンデッド化し動き出すなんて、自然では早すぎる。

 生物は脳や心臓が停止しても全ての体組織が即、死に絶える訳では無く通常では考え難い。頭を失っても痙攣して動いている虫などを見ているので知識としては一般的。

 不自然な全身の組織即死という異常変化が起こっていた。

 レイナースは疑問を後回しし、即座に叫ぶ。

 

「この場の者達は、死者達に討たれているっ。やむを得ないが、死体の首を即刻全部断って! 化ける前に、人間として死なせてやりなさい!」

 

 彼女は馬を走らせ、立ち上がっていた騎士の死者へ首を薙ぐ様に槍を振るった。

 その剛槍の威力に押され横滑りしつつもなんと、騎士の死者は左手でも刃を支え剣の根元で受け止める。

 

「(くっ、アンデッド化して力が増しているみたいね)せいっ!」

 

 レイナースの本気は、剣を槍の柄でへし折りつつ、槍先が騎士の死者の首を刎ね飛ばした。

 

「誰か、この者に治療薬か魔法の手当を」

 

 死者に胸を貫かれた騎士は、辛うじて生きていた。直ぐ騎士達に手当をさせようとする。

 しかし、そんな猶予的時間は無さそうであった。

 

「ぐぁぁーーー」

「こいつっ、俺が分からないのか」

「セタビオォーー、くそお」

 

 陣内に散らばる元戦友達の死体から、20程の首は起き上がってくる前に刎ねれたが、あちらこちらで不毛な闘いが勃発していた。早くも数名が倒されていく……。

 アンデッド化し筋力が増した元皇室地護兵団の騎士の武量は、上質の装備もあり侮れない。レイナースの様に一閃でという風には事を運べず、互いに激しい斬り合いとなる。

 そして、数の差も。騎士道など忘れた死体達は、複数で斬り掛かってきた。

 

「皆、怯まないでっ。 ――っ!?」

 

 元部下であった数体の騎士の死者相手に囲まれ、単騎で応戦していたレイナースは手加減無く首を飛ばしながら、陣の外を取り巻く者達の姿に気が付いた。

 ――後詰めの陣を襲った連中がその身を現す。

 連中の姿を見た帝国四騎士の彼女でさえも愕然となった。皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)60余人を皆殺しに出来る程強いはずである。

 

 

(……くっ、なんてことっ。王国の上位冒険者達の動死体(アンデッド)だなんて!)

 

 

 20体程居るだろうか。各個体の雰囲気から漏れる技量以上に生者を深く憎む『殺気』が凄まじい。

 相手の強さをある程度悟れるレイナースは強く身の危険を感じた。

 

(1対1ならともかく、これだけ居たら勝ち目はないわ――――逃げましょう)

 

 多少体を突き刺しても、倒す事の出来ない相手ばかりとなれば分が悪すぎる戦いと言える。

 彼女はこれまでも両親を始め、多くのものを裏切られたり切り捨てて失ってきており、割り切り方が凄い。もう思考の中からは、この場の皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)達の事は消えていた。

 

(アンデッドだと炎は苦手のはず。最悪、竜の宿営地まで逃げ込めば追ってこないでしょう)

 

 主戦場側なら戦場を突っ切れば良かったが、ここからだと廃墟地を抜けていく必要がある。ここまでの展開から、廃墟地内は危ない雰囲気が漂い通過を避けた。

 レイナースは対する3体の死者達の足元を傷付けると、馬の踵を返して無言で逃走を始めた。

 疾走する彼女の騎馬は敵へ向かわず、外周壁沿いで陣の東側の外を目指す姿に、皇室地護(ロイヤル・アース)兵団(・ガード)の10名程残る面々の一人が気付き驚く。

 

「レイナース卿、いずこへ?!」

「なに!? ぐぁぁっ」

「レイナース様ぁぁぁーーーー」

 

 見捨てられた彼等は余所見をしている場合ではなく、30体程の元戦友の死者達だけでなく王国冒険者の死者達にも群がられていった……。

 レイナースも陣を出た所で、2体の冒険者の動死体(アンデッド)が前に立ちはだかる。

 止まることなく突撃する彼女が予想する敵の水準は、ミスリル級冒険者。

 〝重爆〟が放つ全力の捻り込んだ槍の突きで、一体の片足を吹き飛ばす。その返す柄先で、もう一体の頭を天頂から打ち据えたが、体勢が流れたのもあって剣で受けきられた。

 だが更にそこから、槍を高速で180度下から回す様にし槍先で首を刎ねてみせる。

 彼女は振り向くことなくそのままその場を駆け抜けた。

 

「―――!?」

 

 女騎士の恐るべき突撃力に、上位冒険者達の動死体(アンデッド)は驚き追撃を諦めた。

 

 

 

 

 仮面の魔法詠唱者(アインズ)が魔法での大反撃へ出て少し後の時間帯、西日が傾き地平線へ掛かる頃。

 

 ズーラーノーンの一大計画―――『混沌の死獄』が遂に動き始めた。

 

 結社の連中は別にこの時を待っていたわけではない。

 むしろ竜の死骸確保の目処が立たず、予定は数日遅れていたほどだ。

 『混沌の死獄』で面倒なのは、()()()()()()()()()を造り出す最初のアンデッド達について、個別に用意する手間であった。故に少数精鋭として、強力な竜の死体使用にズーラーノーンの盟主は(こだわ)ったのだ。

 しかし何者かの妨害により、それが依然として手に入らなかった。

 

「スレイン法国と漆黒聖典の連中め、よくも我の未来の掛かった渇望する計画を(ことごと)く邪魔してくれたものよ。ならばこちらにも考えがあるというもの。我が力を見るが良いわ」

 

 盟主はこの状況に憤慨し最後の手に出た。

 直系の配下へ命じ、ここ数日間で戦場に放置されていた冒険者達の躯100体程を身形から選別する手で地道に回収し、確保していた。更にそれらへと順次、第6位階魔法〈死者召喚(サモン・アンデッド)〉を強化改良した〈連鎖の不死者創造(クリエイト・チェインニングアンデッド)〉を施し、起点となる冒険者のアンデッド達を既に準備完了していたのである。

 丁寧な形で不死者と化した彼等の身体能力は、以前よりも大きく飛躍したものとなっている。

 アンデッド達の中にはオリハルコン級冒険者の躯も数体含まれていた。

 この他、ズーラーノーンの十二高弟5人が、其々第4位階魔法の〈死者召喚(サモン・アンデッド)〉や戦場から集めた民兵の死体から第3位階魔法〈不死者創造(クリエイト・アンデッド)〉により短期間で1000体に及ぶアンデッドの援軍を用意。先の冒険者の動死体と共に『混沌の死獄』の超広域フィールドである『(うつわ)』の中へと投入された。

 

 それは旧大都市エ・アセナルの地下深くに置かれたアジトから、続々と――。

 

 

 ズーラーノーン十二高弟の一人にエ・アセナルの墓地の地下を根城にしている者がいた。

 細身ながら長身のがっしりした体格で、第4高弟とも呼ばれる彼。

 ところが竜軍団の侵攻の折、竜王の〈獄陽紅炎砲(ヘル・プロミネンス・バスター)〉により直撃は免れたが、衝撃や振動により地下アジトは崩壊し生き埋めに。

 何とか一命を拾ったが、配下の多くと長年に渡る個人的な研究の数々が失われた……。

 

『竜王共め、羽のある蜥蜴畜生の分際が。伝説に有るぐらいで調子に乗りおって。覚えていろ!』

 

 彼は、竜王を始め、竜軍団への並々ならぬ復讐心を募らせる。

 その機会は直ぐ、ズーラーノーンの盟主により与えられた。『竜共の死骸と死を利用し、大量の負の魔力を集める忌まわしい大計画』へと誘われたのだ。第4高弟は感謝しつつ地元の地の利を生かしてみせると全面協力を約束した。

 その頃にはもう、地上の都市廃墟で見つけた死体を元に〈不死者創造(クリエイト・アンデッド)〉で新たな労働力を補いつつ、アジト内の修復に取り掛かっていた。廃虚となったが、エ・アセナルは要所に在るため、将来的に規模の差こそあれ再建されると見越してだ。

 計画参加決定から1週間程で、アジト内へ儀式用の祭壇空間を確保。平行して超広域フィールド形成用に各地の村墓地の小さい霊廟地下へも術式の一部となる魔法アイテムの設置や、墓地内へ5基から10基ほどアンデット工作兵入りの墓を上手く散らして配置する。

 そうして、間もなく竜王軍団と王国総軍が激突し、満を持して『混沌の死獄』の『(うつわ)』も起動された。

 この儀式ではなんと、盟主様自らが第4高弟のアジトへ配下を連れ出向いて行われている。

 盟主が本拠地以外へ姿を現すのは大変異例な事であった。

 ただ第4高弟は、結社結成時の初期メンバーであり、盟主の姿を知る少ない人物の一人。そこも大きく考慮された形だ。

 

 まあ一番の理由として、彼が盟主の(ほの)かに想いを寄せる――イケメンの独身オヤジという話。

 

 他の高弟達4名は、各地の村落墓地の小霊廟地下にて時刻を合わせての実施となった。

 しかし竜の死体の無い事態のまま。それを見かねた第4高弟は捕獲作業を申し出る。

 

「盟主様、駒となる(ドラゴン)でしたら、(わたくし)めが仕留めて参りましょうか?」

 

 これでも第4高弟は、職業クラスのモンク(修行僧)とブオウの達人で且つ第4位階魔法詠唱者であった。闘えば恐らく盟主同様、クレマンティーヌを凌ぐ強さ。

 王国内の人間で、最強水準の使い手の隠れた一人だろう。竜王の攻撃で生き埋め時に、崩落してきた数トンの岩石群に埋もれても死ななかった程だ。

 第4高弟の当面の目的は、負の魔力に満ちた『最強の不死者の木偶(デク)』を作り上げる事。特筆すべきは素体を人間に限っていない点で、魔神的な肉体が欲しいのだ。そして最終的に、その体へ自分の頭部を移植して――と、かなりトチ狂った考えの持ち主。

 ここ20年の研究成果である木偶(デク)達の殆どがアジトと共に潰されてしまっていた……。その怒りもぶつけたいと。

 だが盟主としては、複数の竜との遭遇や狙う竜が強大であった場合など、彼が死亡するもしもの惨劇が起こっては『計画の大部分が無駄になる』と、竜の死骸が欲しいにも拘わらず別の理由を考えて押しとどめる。

 

「貴様の申し出は嬉しいが、それには及ばない。焦らずとも戦争は激化し場が荒れよう。直に、竜の屍の数と共に得る機会は増えるはずよな」

 

 この時はまだ、竜の死骸が不明となる原因に思い当らない中、王国軍勢を上手く有効利用する見通しを示した。

 両肩や胸部にオリハルコン製の防具が付く軽快な装備衣装を纏う第4高弟は、目を瞑り太い腕を組むと難しい表情で仁王立ちのまま答える。

 

「左様ですか」

 

 盟主の意見にはそれなりの理屈も入っており、残念に思いつつも彼は同意した。

 勝気な第4高弟を上手く説得するのは骨が折れるのだ。ホッとした盟主である。

 ところがその後、戦況が進んでも竜の死骸はやはり手に入らなかった。

 苛立つ盟主は犯人として、カジット経由でのクレマンティーヌからの遠征情報を思い出しスレイン法国の漆黒聖典部隊と断定。ただ、どうやって戦場からあれだけの巨体を連中が運び出しているのかは、正にミステリーであった。

 死体とはいえ、竜ほどの質量体を何キロメートルも動かすとなると相当の重労働のはず。近場へ埋めた可能性も考えたが、周辺に小山や竜の体格分の土砂もなく、形跡も見つからずでその案は使われなかった模様。

 消えたとしか思えない手口。

 

(まさかね……私と同じ考えの方法を実行しているというのかしら? でもカジットからの情報だと、漆黒聖典の中に第6位階魔法を使える者はいないはず)

 

 盟主はかなり限定的だが〈転移(テレポーテーション)〉を使えた。

 可否で言えば〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉でも可能ではある。ただ、低位(ゆえ)に魔力効率が悪く〈転移〉で運ぶよりもずっと多い魔力を消費する。なので竜1匹の屍を運ぶだけでも途中で魔力が枯渇し、難易度は相当高くなり余りに非現実的だ。

 

(とすると……〈不可視化〉か〈多重屈折〉等を使ったか)

 

 視覚妨害と〈認識阻害〉や〈飛行〉など他の手を混ぜて実行されたと考える方が良いだろう。

 とは言え、竜達が空を飛び交い、地上も王国軍兵士が至る所に溢れる中を移動させるのは、かなりの手間に思う。そこまでして妨害したいのかと考え、盟主にはふつふつと怒りが湧いてくる。

 

(本当に忌々しい連中だな。必ずや罰を与えてくれるわ)

 

 そう決意しつつもここ数日、想い人の第4高弟のアジトにて過ごし、儀式当日などは配下のせいで二人きりと行かないが間近に居れて、内心僅かに上機嫌であった盟主。

 だが既に、他の高弟達も合流しており、このままじっとしている訳にもいかない。

 漆黒聖典らの妨害を前に、第4高弟がまた竜狩りを言い出す恐れから、次善の策を思案した。

 それが、『上位冒険者達の死体を中心に民兵ら、人間のアンデッドを使う』だ。

 無ければ有るモノを上手く使うのは智者の策。戦場で選別し回収するだけで良いので基本、戦う必要もなく効率的だと。

 第4高弟のアジト内の広い祭壇空間の中、跪く5名の高弟達の前に姿を見せ告げた。

 ズーラーノーントップの勅命の言に高弟らは答える。

 

「万事お任せを」

「御意でございます」

「おほほほ、畏まりましたわ」

「盟主様のお心のままに」

 

 最後、第4高弟も「左様ですか。心得ました」と伝えた。

 即時命に従う彼等。第4高弟以外も、頭のオカシイ奴しか居ないので、嬉々として昼夜問わず死体を集め瞬く間にアンデッドの兵団を量産していった。

 例えば髭面オネエ風の第8高弟の様に『負の魔力による人間の男女融合化』を目指す奴もおり、合間に女兵士の上半身と男兵士の下半身を結合した死体兵士を50体も作り投入している……。

 最早、キモチ悪い水準。彼等が普通の人間達の生活空間に溶け込むのは不可能なのだ。

 と言うものの、連中の造り出した死者の群れは優秀で――難度が高かった事だけは確かである。

 

 

 日没後の旧エ・アセナル廃墟地内へと一気に1100体程のアンデッド達が溢れていく。

 その中で、ズーラーノーンの盟主の生み出した上位冒険者の不死者達は、知性を(もっ)て全体を動かした。

 野伏(レンジャー)クラスを持つ者ら10体程を斥候へ送り出し、獲物を求め探させる。

 その内の1体が素晴らしい獲物として、中心部に程近い瓦礫の上に転がる4体の眠った竜と瀕死の巨竜を発見。直ちにオリハルコン級冒険者だった者を含む50体の精鋭殺戮部隊を向かわせる。

 けれども、到着した時には竜兵達の手で保護搬送された後であった。

 

「残念な。逃した獲物は大きいか……。次こそ、主人(マスター)へ獲物を捧ゲようぞ!」

「「オオーーーーっ!」」

 

 彼等の主人(マスター)である盟主からは、『アジト外の生者の殺戮』を命令されていたが、特に『冒険者と負傷した竜の殺害並びに竜の死骸の通知』についても言い含められていた。

 大きな好機を逃した形だ。

 ただ、『勝てない相手に対して無理をするな』とも伝えられており、負傷した仲間を保護しに来た竜兵達と遭遇していた場合は結局、手を引いた可能性が高い。

 序盤で連鎖元となる戦力を多数失うのは非効率であったからだ。

 彼等は気を取り直すと、次の獲物へと向かう。斥候の多くは、生者の多い外周壁を越えた廃墟の外へと調査に出ており、報告に従って殺戮戦力が送られた。

 冒険者の不死者達は、民兵の量産アンデッド達を囮や陽動に上手く使って、まず王国軍の兵士達へジワジワと襲い掛かる。

 1、2体の動死体(ゾンビ)の徘徊であれば、旧エ・アセナル廃墟地内に発生していると民兵達も聞いており、自然と湧いたモノぐらいに軽く考えてしまった。また高弟達の用意した動死体(ゾンビ)達も、ノロい動作で難度3以下風を装うなど大いに王国軍側を油断させる。少し離れた場所へおびき寄せられ、民兵達はあっという間に冒険者の不死者達の手で屠られた。

 それも、北上する前線部分ではなく、後方の小隊から餌食にしてゆく。殺した兵達は10分もすれば力を増した死者の兵となって、病魔の如く拡散していった。

 

 これにより王国軍内での、不死者部隊の異常増殖について、把握が遅れたのである……。

 

 そうして静かに4時間半近くが過ぎた午後11半頃。

 不死者達は味方の数の増加状況を見て、2時間程前から戦場外縁寄りで徐々に兵の他に冒険者達も襲い始め、順調に仲間と戦力を増やしていた。

 そんな時に、廃墟地北側の外周壁傍へ80名程の騎馬の部隊を見付けたとの報告が、上位冒険者の不死者達の部隊へ入って来る。なんでも、斥候の冒険者はその騎馬部隊の統率者に見覚えがあると言う。

 

「間違いナい。アれハ、バハルス帝国で有名な帝国四騎士ノ一人、レイナース・ロックブルズだ」

「何? すると帝国の部隊なのか。何故帝国がこの地へ……?」

 

 オリハルコン級だった者を筆頭に、冒険者達の多くは生前の記憶が残っている状態であり、王国の窮状や家へ残して来た愛しい者達の想い出さえ持つ。でも既に主人(マスター)の命令は絶対であり最早、家族であろうと殺害に躊躇いはない。逆に死者側へ引き込もうと全力を発揮するだろう。

 レイナースの存在を聞き、オリハルコン級冒険者だった不死者は一瞬難しい顔をする。

 精強な騎士が多い帝国において、最強の騎士の一人で〝重爆〟と言われる騎士。

 なので、正面からの闘いは避ける形で、陽動による各個撃破的一計を講じる。

 

「まあいい。結局は殺すだけだ。まず()()()()()()()を分かりやすい形で接近させろ。恐らく帝国四騎士の奴が蹴散らしに出て来るだろう。その隙に陣内を制圧し、陣に居た戦力も加えてロックブルズを()る」

「アア、いい感じだナ。今の俺達ナら敵ハいナいゼ!」

「「オオーーーっ!」」

 

 冒険者の不死者達は、力が増した事でテンションがやや高めであった。それに、今は相手を殺せば戦力を増強出来るのだ。

 彼等は皆思う。

 

((殺す程味方が増えるなんて、最高じゃねぇかっ! 主人(マスター)最高! ミンナブッ殺セーー!))

 

 いささか狂った宗教集団とも類似性が感じられるかもしれない。

 ただしこの時、冒険者の不死者部隊は各地へ戦力を振り分けており、動かせる戦力はこの場から20体程という制限が気になる点だ。

 オリハルコン級冒険者だった不死者達は(ドラゴン)を倒す戦力なので、ミスリル級冒険者だった不死者がリーダーで動いた。

 

「フフフ、帝国最強の騎士か。どれ程の強サなのか楽しみだな。早く殺してぇぜ」

「倒すに越したことはないが、主人(マスター)の指示もある。無理は控えろよ?」

「了解だ」

 

 そうして計70体程の不死者部隊が、レイナース率いる帝国軍部隊の居る北側の外周壁近くへと向かった。その内のアンデッド達50体程を分離し、廃墟地内側からゆっくり向けさせて、まんまと最大標的(レイナース)が迎撃へ出た隙に陣内へと斬り込んだ。

 陣には60名程の騎士がいたが、難度で48を超える者は10名程しかおらず。

 対して、元白金(プラチナ)級冒険者以上しか居ない不死者部隊側は1体も討たれる事無く、帝国騎士全員だけでなく馬60余頭も斬殺した。

 『混沌の死獄』は()()()()()()()()()()の他、犬サイズ以上の動物の死なら闇の魔力の元になる為、兎に角血の雨が降る事となった。

 15分程で斬り伏せ終わり、そこからぼちぼち10分程が経つ。

 

「――?!」

「おい、もう戻って来たぞ。仕方ない、陣内が()()()()()混戦になるまで散って待機しろ」

 

 アンデッド達にとって、近くの生者を感知出来る感覚は非常に便利なもの。しかし、当初の考えではこの陣の騎士達60体の不死者達も加えた戦力で、先の50体の部隊と挟み撃ちにする予定が狂っていた。

 予想以上にレイナース達の部隊が……いや、この陣の騎士達の水準から、確実にレイナース一人が強いと言う事を証明していた。

 

「「「了解!」」」

 

 リーダーのミスリル級冒険者だった不死者の言葉で、全員が周囲へと潜む。

 アンデッドはそもそも生体反応が無いので、気配を読むのは少々コツが必要でもあり、優秀な敵の場合は潜まれるとかなり厄介な難しい相手となる。

 仕掛けに全く気付かないレイナース達21人が陣内へと戻って来たが、変わり果てた様子に動揺していた。中には戦友の死に涙を流す者さえ居て。

 でも不死者達には全てが滑稽に見える。

 

「……(フフフフ、心配しなクても30分後には、俺達皆、最強の兄弟サっ!)」

 

 全く余りにも嬉しくない兄弟であろう。

 陣内は間もなく、人間では無くなり力を増した元皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)の騎士の不死者達が嘗ての戦友らに、生者への憎しみを込めて猛然と斬り掛かり始めた。

 不意打ちとよく知る戦友の亡骸に皇室地護兵団の騎士達の剣の冴えは鈍かった。

 その中でただ一人、レイナース・ロックブルズは淡々と騎士の不死者達へ相対する。

 彼女の様子に、周囲へ潜む冒険者の不死者達は、血流が無い以上に顔色が悪い。

 

「ムッ……強いナ。何と言ウ剛槍……」

「ああ、あノ腕力、もう俺達以上あるか。かなり危険ダ」

「だガ――殺して、味方に出来レば大きな戦力に化けるゾ」

「「――!」」

 

 やる気を出した冒険者の不死者達は、陣を囲み威圧する形で姿を現した。

 陣内も、アンデッド側に加わった40体程の騎士の不死者達により有利に展開していく。

 その状況に最大標的(レイナース)がとった行動は――なんと単独逃走。

 

「あァ?!」

「逃げル、だと?」

 

 帝国四騎士の余りの行動に、冒険者の不死者達も唖然となる。

 思わず反射的に、東方へ外周壁沿いでの移動を阻止しようと、()()()()()()()()2体が同時に立ち塞がった。

 しかし、〝重爆(重く爆ぜる)〟の通称通りの圧倒的な突撃力の前に1体は足を吹き飛ばされ、そしてもう1体は首を刎ね飛ばされてしまう。

 彼女の通った後には爆裂魔法が炸裂したような、アンデッドの破片が飛び散った光景のみ残る。

 現実を見せられ、ミスリル級冒険者だった不死者のリーダーは即時に追跡を断念した。

 

 

 

 一方、主戦場の外縁域へもズーラーノーンの『混沌の死獄』に関連する異変が静かに広がっていた。王国軍の南東から東部戦線の後方部隊と冒険者の一部に、アンデッドの部隊が登場し始める。

 この事態に竜達との闘いへ注力する、対処の専門家と言える冒険者達や、王国全軍を把握するはずの総司令官のレエブン候でさえも未だ気付けていなかった。

 だが、先程午後11時半を迎える頃。

 

「これは、マズイね」

「くっ。婆さん、どうする? 端から少しでも潰してくか」

 

 元十三英雄のリグリットと同行する『蒼の薔薇』のガガーランは、この動きを現場近くで逸早(いちはや)く察知し把握。

 彼女等は3日前の合流段階で、秘密結社ズーラーノーンの関与を感じたカウラウ婆さんの直感に従い動いていたからである。リグリット曰く「墓場が怪しいね」と二人で日夜、旧大都市跡の廃墟地内を含め郊外の儀式拠点を探し回っていた。

 しかしどちらの地域でも、未だに発見へと至っていない。

 何故なら、特に郊外は広い上に該当箇所が多すぎた。今は大半の者が戦火で死んだか焼け出され難民化し離れるも、以前数十万の農民や民達が点在し住んでいた近隣の街や村といった集落の数は1000箇所を大きく超えているのだ。

 墓地は大体それ毎に置かれ、ダミーのアイテムまで見つけており捜索は決して容易で無かった。

 ズーラーノーンの第4高弟が地元の地の利を十分に生かしていた事に加え、日頃は矢面に立つ前衛的なリグリット達が、捜索の専門家と違う事も関係あるだろう。

 流石は強大なスレイン法国にすら、殆ど全貌を掴ませないズーラーノーンと言える。

 さて先程、リグリットが『マズイ』と言ったのはこの後、儀式アイテムを破壊しても、既に不死者化した者達は基本、自然に死滅しないのだ。連鎖が速いので早く止めなければ倍々ゲームになってしまい、手に負えなくなる事を危惧した。

 儀式を止めれば一応、呪いの連鎖の即時性が失われる等限定的となる事や、負の魔力の集束が破壊されれば強大なアンデッドの出現も抑えられるのは大きい。

 兎に角、何としても早く手を打つ必要ありと、女戦士は握る鉄槌に力を込める。

 

「ガガーラン、慌てるんじゃないよ」

 

 末端を叩いても切りが無いと(たしな)めるリグリットが勿論、何もしていない訳では無かった。今は待っている段階。

 婆さんの作戦が何かというと――。

 覚えているだろうか、彼女が配下にしたゴドウという以前は娼館の黒服だった元ミスリル級冒険者のアンデッドを。中位喰屍鬼(ガスト)となっている彼を、ここでスパイとして利用した。

 ただし、そのままでは呪いが連鎖していないアンデッドであり当然バレる事から、偽装が必要である。普通の魔法詠唱者では、難解過ぎてお手上げというどうしようもない分野だ。

 しかし、リグリットは違う。

 彼女の中には250年以上の死者へ対する確かな圧倒的魔法技術が蓄積されていた。

 その為にまず参考資料として、王国軍を襲っている冒険者の不死者達の最後方に居た元白金級の不死者を倒さずに捕獲する。

 少し前、午後10時の辺り時間帯だが、実行担当を志願したガガーランの手段は豪快であった。

 彼女は剛体を揺らし地を蹴り、速攻で不死者へと接近していく。

 

「な? アンタは、ガガーラン?! 生者の反応が無ぇ」

「……記憶があるのか。すまないな、助けられなくて」

 

 遅れれば何万人もの犠牲に繋がりかねず、目を細めた彼女に手加減は無かった。

 自慢の刺突戦鎚(ウォーピック)で不死者の腹部を強打し、100メートル以上仲間から引き離すと追撃し、転がる奴の頭を残し四肢を巨大な戦鎚で粉砕して確保完了し離脱。

 追跡者が来るも常時屈折化のローブと、事前にリグリットから付与された〈生命隠し(コンシール・ライフ)〉の魔法を使っていて素早く撒いた。

 戦場内の窪地でリグリットと落ち合い、その場で直ちに不死者を眠らせると解析しだし、『混沌の死獄』の特殊な不死者の独自術式を掌握。その根源の一部になる臓器の心臓を左貫手で掴み出しつつ〈保存(プリザベイション)〉〈虚偽臓器情報(フォールスオルガンズデータ)〉など幾つかの魔法を唱えると、不死者の首を右手で放った剣の一撃で落とした。

 リグリットの知識をもってしても、死者の種族へ堕ちた者を人間にかえす技術は無い。

 せめて楽に永眠させてやるぐらいしかしてやれないのだ。

 昔、十三英雄のリーダーから、第10位階を超えた魔法なら種族すら変えられると聞いた記憶がある……。でも正に夢のような話であろう。

 その後、『腐心臓』をゴドウの体内へ埋め込む。元の心臓を変えると、ゴドウが『本物』になるので残し、腐乱が少し進んでいた右肺へ押し込んで縫合後、『混沌の死獄』の偽装術式魔法を付加した。

 これで『混沌の死獄』で生み出された不死者の中へ入っても敵対されないアンデッドとなった。

 高弟達の生み出した普通のアンデッドに紛れたらとも思うが、連中には知性と意志が乏しいので不自然なのだ。

 やはり情報を得るには、知性と意志が必要であった。

 多少ゴドウにも不安があるものの、打てる手は限られる中で最も情報源に無理なく近付ける方法を取っていた。

 程なくリグリットを主人(マスター)に持つダリード・ゴドウは、弟分の少しヤバい騎士ザラードを残し、儀式アイテムの有る場所を聞き出すべく、潜入工作を開始した。

 実はリグリットらが郊外を調査する間、廃墟地内を捜索していたのがゴドウ達である……。

 同族のアンデッドに遭遇しても襲われる事無く、ゴドウが居たので王国軍の冒険者達とも何とか出会わず上手くやり過ごしていた。リグリットの様に感覚で探し当ててくるような達人は殆どいない。

 

 ゴドウが潜伏工作を始めたのは、1時間と少し前。

 

「時間が余りない。急ぐのじゃ、ダリード。お前には一応、敵の不死者達の存在が感じられよう。その呪いの領域を維持する儀式アイテムの位置を、連中のアジト内部で掴むのじゃ」

「了解、マム」

 

 エサをくれるのでいつの間にか、ゴドウ達にとってリグリットはママになっていた……。

 期待を受けて送り出されたと感じた彼は張り切る。

 ゴドウには、確かにこの呪いを受けた者しか分からない感覚があった。それを辿ると、旧エ・アセナル東南の外周壁近くで5体いる冒険者の不死者部隊に出くわした。ただし一難ありで。

 

「ん、オ前は……?」

「見なイ顔だが、ああ新入り……にシては貴殿、ヤたラに傷んでるなぁ」

 

 連中から指摘されたが、そう。ゴドウの身体は結構『傷んでる』のだ……。

 ズーラーノーンの盟主に造られた者同士は知る顔であるし、死にたてならまだ腐敗は進んでいないはずなのだ。

 しかし、ゴドウはリグリットから一計を得ていた。

 

「――アア、俺ハ……竜ニ火炎デヤラレテナ。数日……戦場ニ転ガッタママ生死ヲ彷徨ッテタ」

 

 火炎砲で大火傷を負って暑い夏の最中、不衛生な地面に転がっていれば(ただ)れた皮膚は相当傷んでくるというもの。その段階で殺されれば辻褄は合う。

 僅かに警戒感のあった皆の態度は、温和に変わった。

 元々、()()()()()()()()の同志の感覚は感じられたのだ。部隊のリーダーが近寄って来てゴドウの肩を叩く。

 

「オオ、悪かっタな。さあ、一緒に行こうゼ兄弟!」

「オウ。俺ハ、気ニシテナイ」

 

 こうして上手い具合に冒険者の不死者部隊へと混ざり込め、連中に付いていった。

 ところが、彼等はアジトの中までは帰らず、廃墟地内の崩れた神殿の建物内で出撃を待つ状態。

 ゴドウは、隣に胡坐(あぐら)で座る冒険者の不死者へ尋ねる。

 

主人(マスター)ガ居ルトコロニハ……戻ラナイノカ?」

「ん? そウか新入りだったな。戻らなイぜ。廃墟地内の墓地にあった()()()()()()は封鎖されたしな」

 

 聞けば、アジトは墓地の地下深くに作られているが、本来の出入り口は外周壁の外側に在るらしい。中々見つからない訳である。

 最初期の冒険者の不死者達は祭壇の空間で造りだされており、場所は地下アジト内との事。

 だが情報を待つリグリットとしては、異様な力を持つだろう盟主以下、ズーラーノーンの戦力が集結した地下アジトへの直接攻撃は避けたかった。狙うなら発見が困難ながらも手薄な場所にすべきと考えている。

 聞き出しを託されたゴドウは話を一旦、郊外のド田舎の風景へ逸らし間を計る。次にこの計画を賞賛しながらさり気なく、点在すると予想される儀式アイテムの置かれた場所について、遠回りに「仕掛ケッテ……ドウナッテンダロウナ?」と探ってみる。

 些か知能は下がったゴドウであるが、冒険者の腕だけでなく客商売の娼館で話術も慣れていた事から根本的な誘導に成功していた。

 すると、大きなキーとなる言葉を不死者から聞く事が出来た。

 

「あー、何ダっけ。エ・アセナルを中心にシた五角形の位置に、儀式アイテムを置いているッテ話を聞いた気がスるな」

「ヘェ……ヤハリ主人(マスター)達ハスゲェナ」

 

 濁った眼の奥をゴドウは光らせつつ、速やかに別の笑いと生者への憎しみの話へと誘導した。

 そんな彼等は今忙しい。

 10分も経たない内に出撃していく。元ミスリル級冒険者のゴドウも死んでアンデッド化してから力が上がっている。でも、ママのリグリットの厳しい躾から、与えられた物しか食さなくなっており、王国軍部隊への襲撃時も危なくなった不死者達をフォローする立ち位置で、直接の殺傷は行なわなかった。

 呪いの連鎖が不完全な為に、偽物の不死者だとバレるというのもある。

 彼が直ぐにリグリットの下へ脱出しないのは、まだ情報が十分では無かったから。

 殺戮戦闘が終り、不死者の仲間が増えた事と、確かな実力で戦友を実証したゴドウへは当然、皆の口が軽く滑らかとなった。

 ゴドウはそれから更に2度出撃。通算3度目の出撃作戦中に戦場からフェイドアウトし、リグリットの下へ帰還を果たす。

 既に日付が移り10分程越えていたが、リグリットとガガーランは多くの有益な情報を手にしていた。

 最大の戦果は、『北の儀式アイテムは盟主自らが遠隔で起動していて、その設置場所はデリム村の墓地。アンデッドが10体配置のみでかなり手薄』だ。その他、現時点でのズーラーノーンの戦力の多くが判明する。

 仕事へのご褒美に、リグリットは〈小型空間(ポケットスペース)〉から熊の肉の塊を取り出すと、〈保存(プリザベイション)〉を解除してゴドウに与える。

 

「よくやったね、ダリード」

「ウン、俺……頑張ッタヨ、マム」

 

 知能低下で少々幼児化も入り、ママに褒められた事を嬉しそうに笑ったはずの彼の顔だが、外から見ると死肉に引きつった表情と相当ヤバく映った……。

 アンデッドの様子に、ガガーランは僅かに引き気味である。

 そんなゴドウはご褒美の肉の3分の1を、頭の緩い弟分の騎士ザラードにも分けてやった。

 

「兄者ッ、コノ肉ウメェ!」

「ソウダナァ」

 

 ガツガツと肉を頬張る動死体(ゾンビ)の義兄弟は今日も仲良しだ。

 

 間もなくリグリット一行は北へと向かって消えた。

 

 

 

 開戦8日目に移る時間が迫った、夜中の西部戦線外縁の片隅で。

 

「……自分は今、何をしているんだろうか」

 

 殺伐的でなお唖然となる光景を前に、そんな少し哲学的な言葉を口に出した男が居た。

 幻術に因って顔や衣装の部分で元の姿と異なっているが『六腕』の一人、サキュロントである。

 

 手下として、竜兵達にも比類する10体もの恐るべきアンデッドの怪物(モンスター)死の騎士(デス・ナイト)――『八本指』の盟主様より突如押し付けられて――と共に行動していた。

 目的は、戦場近くの何処(いずこ)かへ潜伏中という、あの秘密結社ズーラーノーンへの妨害活動。

 絶対的支配者(アインズ)にすれば、サキュロントへ告げたこの一手は割と適当なもの。

 

死の騎士(デス・ナイト)達が導いてくれるだろう。戦いが始まったら上手く指示してやってほしい」

 

 竜の死骸はデミウルゴス達が回収しているので『もしかして役に立つ機会があれば』という感じでの命令だ。それと秘密結社の関与を『六腕』へ重要()に伝えていたので、何も対応しないのも変かと考えた。また、戦線に展開する反国王派側へ裏の戦力的立場として一応の借りを作れる可能性も押さえる。

 適当に言われた側のサキュロントだが、偉大な盟主の命令なので何としても実行する必要があると考えていた。戦闘力的に低いながら、これでも『六腕』の一角として難局を前に逃げる事無く、結果を出して来た忠誠心の高い人間だ。

 『六腕』の中で見捨てられていないのは、そう言う部分をいつも見せているから。悪人達でも、勇気と成果有る者には一定の評価を持つものである。

 そんな男が率いる中、託された死の騎士(デス・ナイト)達は標的を見付けられなかった。

 理由としては元々、防御主体の怪物(モンスター)という面も影響有りそう。まあ彼が詳しく死の騎士(デス・ナイト)の力を知るはずもなく……。

 故に――サキュロントは、かなり途方に暮れて数日を過ごす。

 同時に彼は、盟主様へ少し配下の心情を考えて欲しいとも感じていた。

 

(上手く意思疎通(コミュニケーション)の取れない人外の手下達相手に、一体どうすれば……)

 

 戦闘時なら指示を了解しそうなのだが……普段は、生者側の話など一切通じない恐怖の存在。

 連中に囲まれて丸3日以上過ごすという事は、どんな苦行かお分かりですかと。

 死の騎士(デス・ナイト)達は不眠不休の連中なので、24時間監視されていると言ってもいい。彼としては特に、用を足す時に付いて来て周囲を10体で取り囲むのはやめて欲しかった……。

 

 ところが苦行的な丸3日が過ぎ、日付を越えるまで30分程となった先程。

 西部戦線の外側で仮眠を取っていたサキュロントは初めて死の騎士(デス・ナイト)に大きく揺り起こされる。

 

「……んー?」

 

「オァァ……、アア!」

 

 夜中の真っ暗な中で、地獄からの声と思える野太い呼び掛けを受けつつ、目を開いた彼の眼前には、朽ちた顔の眼窩(がんか)に生者への憎しみの籠る赤の光点のみがあった。

 

「――(うおぉぉぉぉあああーーっ!)」

 

 驚きと恐怖に、眠気は一瞬で完全に飛ぶ。

 サキュロントは、思わず口許を両手で必死で塞ぎながら、内心で絶叫して目を全開で仰向けのまま固まる。

 だが、起こしに来た死の騎士(デス・ナイト)は、そんな彼の様子に構うことなく、腕をつまむと肩へと乗せて高速で移動し出す。

 他の死の騎士(デス・ナイト)達も続き、乱暴そうな見かけによらず2列縦隊で整然と移動した。

 精神的に病みそうな展開であったが、意外に直ぐ冷静さは戻った。〝()()()不死王〟のお陰だろうか。あと、風を切っての疾走は予想外に気分がいい事も救いになっている。

 

「お前達、どこに行くんだ?」

「アオオオオァァ……」

 

 何を言っているのか全然分からないが、隊列の真ん中辺りに居る彼の乗っていた死の騎士(デス・ナイト)は巨剣を握るゴツイ右腕を伸ばし方向を指す。

 間もなく、目標らしきモノが見えて来た。サキュロントはその光景に思わず呟く。

 

「おいおい。冒険者達が……王国軍を襲ってる?!」

 

 常識で見れば、あってはならない行為。

 冒険者は組合規則で、人類勢力間の戦争への参加が基本的に厳しく制限されている。上位冒険者チームが一般兵相手に闘えば、未曾有の被害となるのは試さずとも分かる事。

 だから本来、組織的に人類勢の軍隊への攻撃風景は見る事のない場面なのだ。

 それが目の前に広がっていた。いや、違った。

 

 ――良く見ると、冒険者ではなかった……アンデッド化した元冒険者達であった。

 

 両陣営の動きを見れば分かる。人間を辞めた連中は貴族の指揮官を始め、騎士の隊長や民兵達を怪物(モンスター)らしく一方的に荒っぽく殺害して回っていた。

 単純に剣捌きでは、サキュロントを随分と上回っている者達ばかりに見える。

 

「……(うぁぁあ、ヤバイんじゃないのかよこれって)」

 

 不死者と化した者が力を増すのは、一般人のアンデッド化でも結構起こる事なのだ。

 なのに、元より高い難度を持っている冒険者達に加え20体近く居る状況に、サキュロントの表情は青くなった。

 

(俺、死んだかも……)

 

 こちらの数は10体と一人。対して敵に19体居る事を、『六腕』の〝幻術師(イリュージョナリスト)〟は素早く確認していた。

 数とは暴力で最も有効なモノの一つと言える。倍近い差が初めからあった……。

 しかし窮地(きゅうち)気味の中で、サキュロントは思う。

 

(それにしても、余りに酷いな)

 

 魔法召喚により対竜兵用の不死者(アンデッド)が、1体ぐらい軍を襲う程度なら事故的とも取れる。だがこれは逸脱した悪意で明確に作られた惨劇。

 また此度の戦争は、王国だけでなく恐らく人類圏が存亡を賭けて竜王軍団と戦う重大なもの。

 聖戦とも言うべき戦の尖兵を今こうして踏み(にじ)る、普通では考えられない状況と言える。

 

(間違いない。これはズーラーノーンの仕業だ! なんて恐ろしい狂った結社なのか)

 

 悪党でもトップの、大犯罪組織『八本指』で警備部門の頭を張る『六腕』のサキュロントが戦慄する程の所業。

 

 ズーラーノーンの連中の持つ、人類圏存亡に対し何も考えない意志が、余りにも不気味過ぎた。

 

 人類の端くれとして、不利と思われる形勢で彼は果敢に叫ぶ。

 

「やれっ! 盟主(アインズ)様の生みし死の騎士(デス・ナイト)達よ」

「「「オオオオァァァァアアアアアーーーーっ!」」」

 

 アンデッド同士の激突で、この場は凄まじい闘いとなった。

 正に死兵同士の潰し合い。腕がモゲようとも、トドメを刺すまで勢いは止まらない。

 この時、ズーラーノーン側の部隊は、上位冒険者だった不死者達が生み出した部隊に殺された第3世代のアンデッド冒険者達で、元(ゴールド)級や(シルバー)級の者達であった。

 傷ついたりして後方で生き延びていた者達の成れの果てだ……。

 己の身体能力上昇へ酔い、優位とばかりに3体掛かりで先頭に立つ死の騎士(デス・ナイト)へ向かって来る不死者達。それを、難度の差(ゆえ)に巨剣フランベルジェの横()ぎした一閃が鎧ごとブッた斬る。

 

「「「―――っ!!」」」

 

 中下位冒険者だった不死者達の表情が一気に焦りへと変わった。しかし周りも、死の騎士(デス・ナイト)の剛撃に不死者達の剣自体が持ち(こた)えきれず、へし折れそのまま両断される。

 寡兵の死の騎士(デス・ナイト)らは同行の男(サキュロント)支配者(アインズ)の存在を示されて、全員がハッスルした動きを見せた。

 地を滑るような残像を残す俊敏な動きを各所で見せ、5分程で敵の冒険者だった不死者達19体をタダの細切れの肉塊に変え終わる。連中が殺した王国軍兵士達も含めて。

 

「…………」

 

 眼前の凄惨な様子に、サキュロントは絶句し再び激しく戦慄する。

 数の劣勢など微塵も関係なかったという状況。

 

(こ、こいつら、(しん)の化け物だろ。何だよ今の戦いはっ)

 

 正味、6体しか動いていなかったが、死の騎士(デス・ナイト)達は圧倒的な強さを見せつけていた。

 

 生き残った王国軍兵数名は転がる様にして逃げ去っていくものの、死の騎士(デス・ナイト)は反応しなかった。

 アインズ(マイロード)の指示は『人間を襲う不死者部隊の撃滅』であり、今は生者に用無しとして。

 サキュロントは漸く一難去ったとして安堵しかけるも、直ぐにまた20名程で次の不死者部隊が現れる。

 

「これハ、死の騎士(デス・ナイト)ダと!? しかも10体。どうなってんだ」

「私達モ人の事は言えなイですけど」

「ははっ、(ちげ)えネぇワ」

「……無駄口は、後にしろ」

 

 細身のリーダーらしき男の個体が会話を制する。

 奴らの装備を見た『六腕』の〝幻術師(イリュージョナリスト)〟は背筋が寒くなった。明らかに、先の元冒険者の不死者部隊より上質の装備に見えたのだ。

 死の騎士(デス・ナイト)達も相手の様子が先の連中とは違う事に気が付く。

 奴らはリーダーの「いくぞ」という言葉に続き軽快に動き出した。〈火球(ファイヤーボール)〉を打つ魔法詠唱者もいる中、先頭で勢い良く斬り込んで来た大柄の男の不死者が、死の騎士(デス・ナイト)に高速で剣を打ち下ろした。

 驚いたことに、初めて死の騎士(デス・ナイト)が受け側で押される。

 

「なっ(あの死の騎士(デス・ナイト)を動かしただとぉ)」

 

 サキュロントは次元の違う闘いに恐怖する。

 押された死の騎士(デス・ナイト)も足元を踏ん張ると、太い両腕を振るって押し返す。

 

「くっ、流石に恐ろしく強いと伝え聞く怪物(モンスター)だな」

 

 パワー勝負で分が悪いと見た大柄の不死者は、剣で受ける剛剣を右側へ一瞬で流しつつ一度間合いを取った。

 他の場でも初撃の対決で、死の騎士(デス・ナイト)達は不死者を討ち取れず。1対1では勝てそうな死の騎士(デス・ナイト)達も1対2、1対3では、連中と拮抗していた。

 サキュロントも幻術で位置をずらしていなければアッサリやられただろう。

 対峙する相手は3体で、しがみ付くサキュロントと死の騎士(デス・ナイト)へ包囲気味に激しく襲い掛かって来る。

 

「……(ひぃぃぃぃーー)」

 

 幻術の表情は冷静な顔になっているが、実際の顔は恐怖で引き吊りまくっている。その状況で、彼は悲鳴を出さない様に頑張っていた……。

 この異様な戦力の連中だが、実は……元帝国の冒険者達である。

 遠征し参戦するも、各チームで欠員と負傷者を出して中途半端なチーム戦力ばかりが残り、後方で待機していた。彼等は、一時的に戦闘で協力しつつも慣れ合うことなく少し離れた場所ごとに居た為、オリハルコン級チームからほぼ丸ごと順次ズーラーノーンの上位冒険者だった不死者に食われた形。

 そして生まれ変わった今、西部戦線後方を襲うよう指示を受け、皮肉にも互いに協力し合い相乗効果で実力を高く発揮していた。大局的にみれば王国軍にとって『余計な連中』だったと言っていい。彼等は既に100体を超える第3世代の不死者達を生み出していたから……。

 戦いは意外な所から動く。

 連中は不死者でありながら〈火球(ファイヤーボール)〉を撃てる者が2体おり、それを後方に前衛も3体掛かりで1体の死の騎士(デス・ナイト)へ挑んだ。

 防御が堅い死の騎士(デス・ナイト)も火炎ダメージ倍加算に苦戦する中で、元オリハルコン級の剣士1体と元ミスリル級戦士2体の不死者達より、厳しい前衛攻撃を連続で受け続け昇天する。

 奴らの身体能力は『混沌の死獄』でのアンデッド化により大きく向上し、元オリハルコン級の剣士はアダマンタイト級水準に到達していた。

 5体の内の3体から継続してクリティカル攻撃を受け続ければ、防御の固い死の騎士(デス・ナイト)も長時間は持ちこたえられなかった。

 

「――(嘘だろ、盟主様から託された死の騎士(デス・ナイト)が……やられた? うわぁぁ、終わりか)」

 

 サキュロントが早々と悲観する中、死の騎士(デス・ナイト)達も黙ってはいない。敵の奴らが戦力を集め薄くなった対戦において、計3体の元上位冒険者の不死者を倒していた。

 その対戦の戦力差は更に広がり、そこから機動力を生かし剛剣を振り回し突破していく――。

 動いた状況に、元帝国冒険者の不死者達は騒めく。

 

「おい。まタ1人やられたゾっ」

「こっチもキツイゼ」

 

 部隊のリーダーは、仲間達の悲鳴に苦しく唸る。

 

「チッ、マズイな。死の騎士(デス・ナイト)は倒せる相手でも、今こちらの数が足りないか。頃合いを計って一旦下がるぞ」

 

 そんな台詞に、サキュロントが乗っている死の騎士(デス・ナイト)が咆哮する。

 

「ゴオオオオァァァァアアアアアーーーーッ!!」

 

 何を言っているかは分からないはずが、頭部にしがみ付く彼にも『逃がすかよ(兄弟を殺した)クソヤロウドモめーーっ!!』と聞こえた。

 対峙する3体やサキュロントが居るのも構わず、不死者部隊のリーダーへと左手に持つ巨大で頑丈なタワーシールドでの全力全速でのブチかましを掛けた。

 これに、元オリハルコン級のリーダーの剣がなんと豪快に折れて地に落ちる。

 そのまま続く死の騎士(デス・ナイト)の怒りの一撃が、奴の不死者の剛体を脳天から割った。

 

「「リーダー!?」」

 

 動揺した不死者部隊の動きを突く様に他の死の騎士(デス・ナイト)達も、1体また1体と敵の元帝国冒険者の不死者達を倒していく。

 だが、此処で大柄の元オリハルコン級の不死者が叫ぶ。

 

「俺達が、食い止める間に下がれーーーっ!」

 

 奴とミスリル級だった戦士2体に〈火球(ファイヤーボール)〉と〈飛行(フライ)〉を使う魔法詠唱者2体が殿に残り、下がりつつ死の騎士(デス・ナイト)の動きを上手く牽制した。最後は地上の仲間を逃がしたあと、魔法詠唱者2体が〈火球(ファイヤーボール)〉を連打して、空中へ去って行った。

 

 今回、死の騎士達は9体を討ち取ったに留まる。恐ろしいのが、元冒険者の連中は首を刎ねても胴体が近いと再結合して生き返りそうになっていた事だ……。

 また、後で気付いたがサキュロントも頬や腕を浅く斬られていた。すれ違い様に対戦していた3体の不死者の攻撃が当たっていた模様。

 

「ふう、生き残ったのか……」

 

 しがみ付き殆ど何もしていない彼だが一応、幻術で結構な数を空振りさせてはいた。不死者にしても生者への反応だけでは、腕や首の位置を正確に知る事は出来なかった模様。

 サキュロント達は次の不死者部隊を探す。

 ただ、この戦争の期間内で彼等が、再び元帝国冒険者の不死者達に会う事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大反撃と意気込んで間もなく、絶対的支配者(アインズ・ウール・ゴウン)の戦いは、廃墟上空で難局を迎えていた。

 

 古き昔、人類種以外への大量殺戮を行なった八欲王の如き者らが居た連中(じんるい)側など信用出来ず、撤退勧告など死んでも受けないという、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグ=カーマイダリス。

 では、殺さず強引に精神支配しかないのかと御方は一瞬考えるも、それもルベドから『成敗』と言う形での造反に繋がる恐れが高い。

 かと言って王国をいっそ裏切って、手を引き王国以西の人類圏蹂躙を見逃せるのかと言えば、カルネ村等もあるし、登場が待たれるユグドラシルプレイヤー達を考えると、やはり選ぶ事は無理な選択肢。

 至高の御方は正直、この完全に行き詰った袋小路のような状況で途方に暮れる。

 それでも、栄光あるナザリックの統率者としてアインズは、この難題を諦める訳にはいかなかった。取れる手立てを模索しなければならない。

 つまりそれは、竜王姉妹殺害、竜王精神支配、竜王側へ寝返り人類圏を見捨てる、以外の選択肢を用意する必要が出て来たと言う事。

 

(うーん。それは一体何だろう……)

 

 先程までアインズ自身、圧倒的な(パワー)を見せれば、竜王と言えど考えを変えるものと思い込んでいた。ズバリ、結構楽観的に見ていたのである。それも見境なくの力押しだけではなく、『勝敗』をうやむやにする形の上、現残戦力さえほぼ無傷で引き上げられるという十分に竜王軍団側にも利点のある案を提示したつもりでいた。

 これで納得しないと言われると、取引が初めから成立しない相手だったと言う事になる。

 

(どうすればいいのかなぁ。ああ、タブラさんとかヘロヘロさんでもいてくれたら)

 

 思わず、ユグドラシル最終日の最後に来てくれたメンバーを思い出す。

 窮地なのに誰にも頼れない孤独感と寂しさを、アインズは感じる。ギルドメンバーが誰か一人でもいれば、随分気楽で行動や相談を出来るのにという思いが広がり湧いてくる。

 でも現実は彼只一人だ。

 

(……何なんだよ、この状況は! 俺だけ苦しむ必要があるというのかよ?)

 

 何故だという思いに沸々と静かな怒りが湧いて来る。まるでそれは生者への恨みのような感覚。

 竜王少女の回復力はかなり高い。今は体力に関してなら負の回復アイテムも在庫が豊富。なのでアインズ側もまだ持つが、戦いが長引けば体力面で逆転される可能性も出てくる。

 

(よし。本人を脅してもダメだというのなら、身内に圧力を掛けてみるか)

 

 戦争内での逆境に、邪道だろうと可能性の有る手を試すほかない。非情手段とも言えるが、支配者はルベドへ〈伝言(メッセージ)〉を伝える。

 

「――聞こえるか、ルベド」

『問題ない。アインズ様、何か?』

「今から、お前の押さえている巨竜と私と竜王を連れて――西方の離れた海上へ移動しろ。そこで再度の交渉をする。これは竜王の()()()()()()()()の行動だ」

『分かった。すぐ実行する』

 

 姉妹同好会会員の某天使は、会長(アインズ)の言葉に即答し素直に行動する。

 趣向とは馬鹿に出来ないもので、主席会員のルベドは姉妹の監視と保護活動を円滑にするべく、アーグランド評議国全土のみならず竜王国まで、既に大陸北西部のほぼ全ての大まかな地域へ視線を通し網羅していた……。

 気が付けば、アインズ達4者はルベドの〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉でリ・エスティーゼ王国西岸から50キロ以上離れた海上に現れていた。

 

「な、……くっ……海上?!」

「これは……魔法?」

 

 竜王姉妹は、己達の意志に()らぬ位置移動と周りの景色の急変に戸惑う。

 500年以上生きるビルデバルドでさえ、3体超も連れ立っての転移は見るのも初めてである。この世界に使い手が殆ど居なかったのだがら当然と言えるが。姉から「〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉と言う……ふぅ……らしいぞ。はぁ……(さっき)、知ったがな」と聞かされ警戒する。

 勝手に海や大陸の果てへと飛ばされてはたまらない。

 転移系魔法自体に攻撃力は皆無という認識も持つだろうが、距離を空けて連携を阻害し、移動で無駄に時間と体力を使わせる風に攻撃面で使う事も可能なのだ。

 自身や相手の移動を阻害する魔法を使えれば対抗出来るのだが、竜王姉妹はそんな術を持っていない為、脅威を持つ魔法の一つと言えた。

 僅かに困惑気味のゼザリオルグ達へと、アインズが威厳の漂う重く響く声で告げる。

 

「竜王よ、今ここで評議国へ撤退しない場合、そこの妹も酷い目をみることになるぞ。私の本気の攻撃を食らえば、無事ではすまないだろう」

「――チッ(ビルデバルドまで……。しかしどういう事だ? 俺をあれほど追い込みながら、場所を変え、中途半端にここでビルデーへも攻撃する意図ってのが分からねぇ)」

 

 頂上決戦と言えるこの闘いでは、殺すか殺されるかと考える竜王に、敵の動きが()せない。

 いや一案として、統率の取れた形で撤退させたいという事なのだろうとは考えられる。竜王が死ねば、治め処が無くなるという流れも起こる様に思えた。

 だが一方で、敵の仮面の魔法詠唱者と白い剣士程の戦力が有れば、軍団を鏖殺することも十分戦略的に考える事項。アーグランド評議国へ帰せば、後々の大きな報復戦力を残すと危惧するのが自然である。

 それだけに、疑念のみが竜王少女の思考へと深く広がる。

 

(連中の狙いは一体何だ? あ、…………ま、まさか……俺の懐柔か……?)

 

 ゼザリオルグは一度だけ、八欲王の人間の1体に言われた悪夢の言葉を思い出す。

 

『おっ、お嬢ちゃん、カワイイね? 俺様の夜のペロペロ愛玩ペットになるなら助けてやろうか』

 

 正直、異種族からの求愛と捉え、その際に背筋へ強烈な寒気が走ったのだ。今も思い出すだけでゾッとする。

 他種への殺戮を楽しむだけでなく傲慢な性的欲求を起こす人間……断固(おぞ)ましき存在なのだっ。

 彼女は全然別の視点からとなるが、敵の絶対的支配者の思惑に近い部分へ気が付いた。

 至高のアインズ・ウール・ゴウンを会長に、ルベド主席会員を擁する極めて健全で崇高な理念の下に結成された世界屈指の一大機密組織。

 

 その名も―――『姉妹同好会』。

 

 似て非なるものであるが、鑑賞し蝶よ花よと()でる事に変わりなしっ。

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)の視線に、殺気以上の強く激しい侮蔑の思いが加わったのは気の所為に(あら)ず。

 

(この()()()を捕まえて一体何をさせたり、する気()()()……この変態人間めがっ! 絶対に頭を食いちぎってやるぜ)

 

 別の面への身の危険を感じ、乙女的底の地が一瞬覗くが、怒りに自身を振るい立たせた。そうして、仮面の魔法詠唱者へとぶつける。

 

「俺らの覚悟はとうに出来てんだよ。まどろっこしいぜ。やるならやってみろっ、テメエの思い通りには絶対ならねぇからな!」

 

 ゼザリオルグ的には、ザマミロという確固たる思いの内容であった。

 竜王に相応しい姉の強気の言葉にビルデバルドも吠える。

 

「お姉ちゃんの言う通り。だいたい、この白い剣士がさっきから私の手を離さないけど、纏めて片付ける気?」

「……(うわ……ルベド、そういう気か?)」

「………」

 

 アインズは某天使様の小顔サイズの兜と仮面越しで視線がぶつかる。当初の話では、竜王を屈服させると伝えていた訳で、妹まで傷付けるとは聞いていない「話が違う」という事の模様。

 ルベドの首が左右に小さくスイングしつつ、剣を握る右手の人差し指が立ち上がりゼスチャーで『メッ』と言って右腕も剣ごと縦に振る動きを繰り返していた……。

 最早、1対3の劣勢状況と言っても過言では無いっ。勝機が一気に遠退いてゆく。

 

(あぁ無常だ……支配者とは艱難辛苦(かんなんしんく)の上に、何て孤独なんだろう)

 

 絶対的支配者として、正に追い込まれし土壇場というべき有り様。ガチ勢の竜王単体でも厳しいというのにだ。

 ここでふと彼は、ナザリックの諸葛孔明を言われたぷにっと萌えさんの言葉を思い出す。

 

(――〝焦りは失敗の種〟か。時間はないかもだけど、まず落ち着こう。………ふう。ん……そういえば、孔明の策に近い状況があった気がするな)

 

 アインズは『三国志演義』で蜀の丞相となった孔明が、南蛮征伐へ赴いた時にとった七擒七縦(しちきんしちしょう)(七度虜にして七度放つ)を思い出す。

 

(ようし、1度でダメなら、相手が折れるまで何度でも(パワー)を見せようじゃないかっ)

 

 そこからは、アインズとゼザリオルグがガチで殴り合う気の長い戦いとなったのである――。

 PVNの再戦が始まって数時間が過ぎていく。

 接近戦において分が悪い支配者は、転移魔法と防御魔法や回復アイテムによってゼザリオルグの攻撃を凌ぐと、攻撃魔法に加えて打撃でも1対3の低い頻度だがガントレットによるカウンターの打撃を返してみせる。

 アインズもここは必死であった。

 この、()()()()()上級会長が取った根気ある保護計画の初心貫徹行動へ、ルベドも主席会員として大いに理解を示し、時折暴れそうになった竜王の妹をずっと抑え込んでくれていた。

 そうして開戦8日目に入り午前0時も回った頃となる。

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグが気を失って海に落ちた回数は10回にも到達する。その度に撤退同意を確認したが拒否されるも、互いに少しインターバルを取り再戦する。意外にも戦いの中で大きな溜めの要る〈獄陽紅炎砲(ヘル・プロミネンス・バスター)〉を打つ機会はそれ程見つからず。また、敵の魔法詠唱者が使う異常加速(〈自己時間(タイム・アクセラ)加速(レーター)〉)や〈転移〉で避けられる事と一気に消費する体力を考えれば、リスク回避せざるを得なかった。

 対して支配者も、大きく砕けた仮面をアイテムボックスへ仕舞い、魔力温存で手持ちしている巻物(スクロール)の〈大致死(グレーター・リーサル)〉や灰色の治療薬(ポーション)等の回復アイテムをほぼ使い切っていた。ドズ黒い治療薬(ポーション)はまだ残っているが……そろそろ手が尽きる。

 それでも――。

 

「……どうだゼザリオルグ、いい加減もういいだろう? 勧告を受け入れろっ」

「……はぁはぁ……馬鹿にするなよ、アインズ。誰が……はぁ……人間側の要求に屈するかっ(クソッ、勝てねぇ。………コイツ、そこまで俺が欲しいのかよ……)」

 

 相手の強引ながら正面よりぶつけてくる気持ちを考えると、竜王少女に少し複雑な想いが湧く。

 アインズは既に延べ15発以上の〈現断(リアリティ・スラッシュ)〉と、多数の〈内部爆散(インプロージョン)〉や〈千本骨槍(サウザンドボーンランス)〉に〈万雷の撃滅(コール・グレーター・サンダー)〉等を放っていた。総合的実力差は十分に見せつけれたと言ってもいい。

 竜王の妹のビルデバルドも途中からじっと戦況を眺めている。姉を殺せる機会は確実に何度もありながら、奴は止めを刺さずに撤退確認を拒否されても休憩を与えて再度対決し続けた。接近戦では仮面の魔法詠唱者が一方的に殴られる展開も多々あり、八欲王達のように楽しんだ虐殺感の強い一方的な戦いではなく互いの考えを問う勝負として成立して見えた。

 故にビルデバルドも敵を信用する訳ではないが、ここは姉の戦いを見守るべきという心境になっていた。

 同時に彼女は、人間の魔法詠唱者の恐るべき攻撃力に舌を巻いてもいる。

 

(攻撃を総計すれば、私でも凌ぎきれない圧倒的な戦闘力……アインズと言ったか。本当にこの者はニンゲンなの……?)

 

 評議国で見る脆弱で臭い家畜的な人間とは、明らかに別次元の存在であった。

 

「(……そう、例えるなら)……神人か」

 

 アインズがガントレットの拳を構えるところへ、疲弊しながらも竜王が〈超翼〉により踏み込んで来ると左右の拳をボディへ連打する。

 

「ぐっ(マズい、体力を1割近く削られたか。――しかし)うぉーっ、発動〈百裂発勁〉!」

 

 支配者の付ける漆黒の伝説級(レジェンド)ガントレットの装備攻撃であるマシンガンの様な拳打が、竜王少女を襲う。

 カウンター気味で出だしの攻撃が深くヒット。ふらつく彼女は直ぐに両拳で頑強に防御したが、多数のすり抜けた連打に大きなダメージを受け、気が薄れつつ海へと落ち掛ける。

 そんな彼女を、アインズは右手で掴んだ。HP(体力)の残量を考えれば、これはもう最後の勧告機会に思えた。

 それを感じているのだろう、掴まれた竜王も暴れず。ただ俯いてぶら下がっていた。

 

「竜王よ、どうしても……人間側の退去勧告を受け入れられないというのか?」

「……はぁ、はぁ……多くの破壊と殺戮を……繰り返しやがった八欲王達の率いた……ふぅ……人類連中の行為は決して……許せねぇ。そんな者達の……くっ……要求は断固拒否するぜ。さあ……もういいだろ……殺せ……。フッ……殴り合い、悪くなかったぜ」

 

 俯いたままで、覚悟の出来た小柄なゼザリオルグは動かない。

 

「……(うわぁ、どうしよう……普通の事をしてみても、竜王を承知させる事は出来ない……)」

 

 孔明の策でもダメと言う事かと、諦めかけたその刹那。

 

(――あっ)

 

 アインズは全く違う部分に着眼する途方もない事を思いつく。だが、それには多くの問題が発生するのだが、今はそれを考えず無視する事にした。ここを乗り切るのがまず先だとして。

 

「おい、竜王よ」

「…………なんだ?」

「私は諦めない。それと、私を―――()()()()()と同じに思うなよ」

 

 その力強く悠然と語る威厳の満ちる言葉に、ゼザリオルグは顔を上げた。

 

「ぁあ……なんだ、と……?(コイツは何を言ってやがる)」

「悲劇ばかりというお前らに、私が度肝を抜く光景を見せてやろう。私の奇跡の力を」

「……なに?!」

 

 竜王は、訝し気にアインズを強く見詰める。だが、仮面を外したままの人間の視線はブレる事がなかった。

 

「……くっ……そこまで言うのなら……その奇跡とやらを見せて貰おうか?」

 

 なぜ、そんな話に乗ったのかこの時、竜王もよく分からない。ただ『八欲王如き』と言ってのけた目の前の者の事が、十度逆らった自分をまだ殺さないコイツが気になったのだ。

 ゼザリオルグの返事に、絶対的支配者はしっかり頷くと、ルベド達へと告げる。

 

「これより、場所を移動する。そちらの両者も私が連れてゆく。その場で待て」

「……分かった」

「お姉ちゃんが行くのですから、行きましょう」

 

 アインズは、〈転移(テレポーテーション)〉でルベド達へ近付くと〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉で4者にて目的地へと一瞬で向かった。

 そうして、移動地へ付くも意外にその奇跡は直ぐには始まらず……。おまけに数分間アインズは姿を消したりもした。

 夜空の中、1000メートル程眼下には10万以上の者達の住まう大都市の光が見えている。

 

「お姉ちゃん、ここって……評議国の中央都だよね」

「……ああ、一応動くなって話だろ。アインズと白い剣士が暴れれば、俺達が人間の都市を壊滅させた様に、この地も更地に成っちまうって事だ。そうなれば、里の連中もただでは済まなくなるってのは馬鹿でも分からぁ」

 

 竜王達には人間の魔法詠唱者が何をするつもりなのか全く分からなかった。

 気が付けば、この場所へ到着から20分近くが経過している。

 

「おい、アインズ。まだなのかよ……戦争は続いてんだぜ。全く何してるんだ?」

 

 早くも既に体力が少し回復して来ている竜王。回復力は死の支配者(オーバーロード)の御方を確実に上回っているだろう速さだ。

 

「まあ待て。奇跡が簡単に起こる訳ないだろう? 竜種は長寿の割に気が短いのか?」

「はん、うるせぇ。俺はまだピチピチに若けーんだよっ!」

 

 そんな漫才を合間に挟みながら、支配者が何をしているのかと言うと――単にナザリックの自室から持ち出した奇跡の代物とその取説(マニュアル)を見ていたのだ。恐らくユグドラシルで、誰も使った事のない一品のはずである。サービス開始以来のニュースで流れた事は無いのでほぼ間違いない。

 

 それは――ユグドラシルではほぼ用の無いゴミアイテムを使う事であった。

 

 漸く一通り読み終わると、アインズは竜王少女らへと告げる。

 

「よし、始めるぞ」

「はぁ。やっとだぜ」

「あと、もう一度、皆で移動する」

「またかよ。……好きにしろや」

 

 ブツブツいう割にゼザリオルグは、再び直した仮面を被った人間の男から差し出された虜への手を素直に握る。先程両者の勝負は着いたのだ。今はもう死を与えられるまでの余白に過ぎないと。

 そうして4者は約束の地の上空へ移動した。

 支配者はローブの内側のアイテムボックスから、実に約50センチの高さのトロフィー程もある巨大な短杖(ワンド)を取り出していた。

 

(説明文では期待通りなんだけど……上手く動いてくれよ)

 

 そして絶対的支配者は、竜王少女らの前でそれを右手に高く掲げ(おもむろ)に唱える。

 

 

「――〈都  市  復  元(アーバンレストア)〉、エ・アセナルっ!」

 

 

 そう、彼等が最後に移動してきた場所は旧大都市エ・アセナルの廃墟上空である。急に大都市が完全復活すればどうなるのか、アインズにも正味良く分からない。

 短杖が激しく(まぶ)しく輝き出す。それはさながらアインズ自体が輝いている風にも見えた。

 同時に揺れのない不思議な地響きと、廃墟の大地が(きら)めき巨大な光の柱となって次第に空へと立ち始める――。

 

「な……にっ、滅ぼした都市が……蘇ってゆくだと……ありえん」

「ふふっ、どうだ? それに建物だけではないぞ。――お前達が殺した数十万の者達の命もだ」

「――――ぇ……」

 

 竜王は完全に絶句する。そんな数の蘇生など聞いたことがない。この大陸の長い歴史の中で誰も成した者はいないだろう。

 街復元の短杖(ワンド)は、村、街、都市とそこへPOPしていたモブキャラ群ごと復元するアイテム。大は小を兼ね、都市復元の短杖(ワンド)は村でも対象になる。尚、何故ゴミアイテムかと言えば、ユグドラシルにおいて都市が崩壊しても全て運用元のシステム側で復旧されるからである。また、手に入れる機会も殆どなく、完全にゴミコレクションとして持っている奇特な者しか手元に残っていないアイテムなのだ。それを高らかに誇るように語るアインズ。

 

「こんなことは八欲王は言うに及ばず誰にも出来まい。これでもまだ私と戦うつもりか?」

 

 この眼下で起こった巨大な奇跡を見せつけられ恐縮しうつむく竜王。

 

「――――くっ…………それでも俺は煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)。人間共の撤退勧告には従えねぇぜ」

「なに……」

 

 アインズの表情が険しくなった。だが直後、ゼザリオルグは顔を上げ笑顔で告げる。

 

「慌てんな。連中には従わねぇが……アインズ、確かに八欲王らとは違う力を見せたお前さんには従おう。俺達は撤退する」

「そうか(ホッ。やっとルベドとの約束は守れた)」

 

 平然という感じで返す絶対的支配者であるが、先程戻ったナザリックだけでもひと騒動あり、王国側の反応や説明も後回しの状況。相当無理をしたのであとが怖いという思いだけが残る。

 

「お姉ちゃん……」

 

 ビルデバルドもそれ以上語らない。

 彼女にも母と姉や仲間を殺された者として、姉とは違う考えがある。しかし、王として姉のゼザリオルグが決断したのだ、それに従うのは臣下の務め。

 それに、敵が圧倒的に強大過ぎる事もまた事実。勇気と無謀は似て非なるモノで、両者は天と地ほどの差が存在する。大好きな姉が前者で妹は満足していた。

 

「なぜ、直ぐに実行しなかった? 廃虚地は占拠していなかったのに。出し惜しみか」

 

 そんな質問を仮面の人間へ突き付けるゼザリオルグ。

 正直、そんなゴミアイテムに考えが届かなかったのだが、支配者も物は言いよう。

 

「私にも都合と言うものがある。それに、話し合いの前に実行しても、ゼザリオルグがまた壊す恐れもあっただろう?」

「なるほど、そりゃそうだ。ところで……俺らの撤退だけでいいのかよ? (本国に送った)捕虜とか、まだ他に何か(私とか)あんじゃね?」

「ああ。今は撤退で十分だ(面倒だし、王国側に後で文句を付ける戦力はないからなぁ)」

「……そっか」

 

 両者は、大都市の外周壁や城と街並みの復元が続く壮大な光景を眼下に見下ろす。双方の力をぶつけ合って殴り合った事で、穏やかな会話に思えた。

 

「さて、それでは戦闘停止へ向けて互いにひと仕事するか」

「ああ」

 

 両者は、ずっと握って居た手を離し別れる。

 竜王少女とそしてなぜか、ルベドが少し寂しそうにしていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 『北西部穀倉地帯の戦い』に参加し、最後まで戦場へ(つど)っていた者達は皆が確かに見た。

 それは夕方に見たのきのこ雲以上の圧倒的な大きさで、水平面に対し2倍超の高さ10000メートルにまで淡い輝きを放ち、深夜の空高くへと伸びた神秘的な光の摩天楼の如き壮大な柱を。

 

「おおぉ」

 

「世界の終わり……か?」

 

「うお、ゴウン殿の攻撃か。やってくれているな……(リーたんにとって少々危険分子か)」

 

「なんたる光景……神よ」

 

 ――王国の国王と第一王子他、レエブン候や貴族達。

 

「廃墟に柱が……光って……。人間共ノ魔法攻撃……か?」

「……竜王様は行方不明。まタ3頭の百竜長の方々モ……倒れられタ。……我らはどうナル」

 

 ――竜軍団の竜達。

 

「ぁぁぁぁ、あれは一体」

 

「――っ! ………ゴウン殿か……」

 

「わぉ!(間違いない、ゴウン様の最終究極(ファイナルミラクルアブ)絶対全力魔法(ソリュートマキシマムマジック)だわっ)」

 

「……邪悪な光では無い。これは例の魔法詠唱者の大魔法か?」

 

「うわぁ、凄い光景……(モモンさん……)」

 

「ゴウンさん……」

 

 ――王国軍の民兵にガゼフ。ラキュースやアズスにニニャら冒険者達。六腕メンバー。

 

「何が起こっている?」

 

「見た事も無いほど大規模な……これは魔法なのか」

 

「……すげぇ」

 

「何ですか、あれは」

 

 ――帝国軍の大将軍とフールーダの高弟達や、骨折で動けないバジウッドに近衛部隊。エルヤーらワーカー連中。

 

「おい、ばあさん、何だありゃ?」

「……復活魔法系だね、あれは」

 

 ――遠くの輝きに気が付き、振り返ったガガーラン達。

 

「オオオオオオオ」

「……ァァァ」

 

「エ・アセナルの廃墟が輝イてイやがる」

 

 ――光の中で怯えるアンデッド達と周辺の元冒険者の不死者ら。

 そして。

 

「これは……アインズ様ですね」

「わぁ、綺麗い」

 

「(ピンクでは無く白……)ハレンチさは無いですね……」

 

 暗躍する、デミウルゴスにアウラやヘカテー達も……。

 

 広大な廃虚を完全に覆い尽くす、白き神々(こうごう)しき巨大な奇跡の光が輝き続ける――。

 見た目は神聖風だが、対象は無機物や不死者の死も含まれるので実質は中性。

 そして光源の中に、あの圧倒的であった竜王達さえ大人しく傍へと従え、空に浮かぶ者が居た。

 聖者的彼の姿を、密かに竜の宿営地内から槍を握った騎士風の人影が眺める。

 

「あれが、アインズ・ウール・ゴウン。……まるであの伝説のお方の様な力」

 

 人間の男の姿なのに、漆黒聖典の『隊長』の目には不思議と六大神の一人であるスルシャーナとタブる。

 

「ああぁっ。これは正に――――神の降臨だっ!!」

 

 彼は、跪いて槍を右脇へ置き両手を胸元で組むと、目を閉じて信心深い祈りを仮面の人物へと捧げた。途中で一瞬、謎の悪寒が背を走り目を開くが、再び彼は瞼を閉じて懸命に祈る。

 

(どうか、盟主となりて我ら人類を導きたまえ。立ち上がられるならば、私は付いて行きます)

 

 アインズの起こせし全員の度肝を抜いた光景で、今この時、戦争は停止していた。

 

 

 

 

 だがまだ、絶対的支配者のこの地での戦いは終わっていない――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. ナザリックの階層守護者で休暇を最初に取ったのは?

 

 

 『ナザリック地下大墳墓内における休暇推進計画』――。

 

 リ・エスティーゼ王国国王出陣の夜遅くに、ナザリック戦略会議において至高の御方から正式に認可された、NPC達主導(主にアルベドだが……)でナザリック地下大墳墓内に導入された新休暇制度だ。

 本制度は、認可された会議終了時の早朝より即時施行されたが、『休暇』という『勤労によるナザリックへの貢献に反する行為』への抵抗感はナザリックの者達には強かった。

 折しも王国の戦争へ至高の御方が協力参入した事により、支配者の要請に喜んで応える階層守護者達の外出が必然的に増えており、その余波で地下大墳墓に残る階層守護者達にも負荷が掛かり、ここ数日でまだ誰一人として『休暇』を取得していない。

 それは配下の者達が先に休むという訳にいかない流れにも繋がってゆく。もうかなりの者に代休が発生していた……。悪い連鎖と言える。

 そんな皆の常識的考えを少しでも払拭するべく、率先して最初に動いた者がいた。

 

 勿論――守護者統括のアルベドである。

 

「まずは、私がお休みを頂きます」

 

 『休暇』という時間は、彼女の秘める『休憩』を織り交ぜた『ビッグな計画』には必要不可欠。最大のキーとなる子供()()も、偶に『氷結牢獄』へ訪れ「ここだけでは退屈でしょう」と館外へ出れない姉のニグレドを説得。アルベドが時折、ナザリック内の散歩へと連れ出し懐けつつある。下準備は順調で周到に進んでいる。

 故に、制度は早期にナザリック内へ定着させる必要があった。中途半端な運用で留まるなら最悪廃止にもなりかねない。それは、彼女にとっては非常に困るのだ。

 ただ物凄い多忙なアルベドも、丸1日というのは中々難しい。そこで、替えの利かない忙しい守護者達に限り、24時間の休暇を最大4分割して取ることが認められている特別制度を利用する。

 その初日が今日となった。『休暇』は午後6時から午前0時までの6時間。

 

(くふふふふ。さぁ、じっくりと予行演習を楽しみましょう)

 

 統合管制室の仕事を終えて彼女が向かったのは、自室ではなく……アインズ様執務室の奥、寝室へと来ると、イケナイ事とは思いながらも服を脱ぐと大きな支配者のベッドへと潜り込む。

 そして望遠ながらもリアルな映像の〈千里眼(クレアボヤンス)〉と〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉で御方の姿を大画面で楽しむ。

 

「あっ。はぅ、そこ……イイですわ。ぁぁん、くふふふっ。」

 

 だが今日は特別であった。冒頭で見せた旧エ・アセナル上空での、竜王隊へ向けた魔法多重攻撃を見舞うアインズ様の雄姿に彼女は大興奮。

 

「ぁ? あああーーーきゃー。やっべ、アインズ様マジかっけー。あ、あはぁ、イっちゃう。

 ……ぁぁぁ、ああイああクーーーーーーーーっ」

 

 遂に大声で、高き頂へと達していた……。

 まあ、完全対防音対振動を完備したこの寝室のその外は静か。執務室の廊下側扉傍へ控える本日の『アインズ様当番』であるエトワルには聞こえず。

 だがしかしその後、画面(モニター)に映る接近戦で支配者が、なんと竜王に手酷く殴られ――負傷する。

 

(負傷!? アインズ様が? なにそれ)

 

 モモンガ様ラブの彼女は一瞬で激昂する。

 

「ルベドはどうしたのよっ! あの役立たずが! わ、たしの大好きな敬愛すべき主人で、私の超愛してる、アインズ様をよくもぉぉ! フーーーーーッ。あのくそドチビの竜人娘風情かぁぁぁぁあーーー。ぶっ殺すっ! 私自ら赴き、腕も足も引きちぎってバラバラにして、死ぬまでドタマを蹴り飛ばしてやるぞぉぉ! その後で死姦地獄だ。覚悟してろ、あああああぁぁぁーーー憎い、憎い、捻りつぶすぅぅぅぅ、糞売女め!」

 

 アルベドは、ベッドから勢いよく立ち上がると、寝室の扉を大きく開けて飛び出す。

 

「憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い――――――」

 

 指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を使えば転移出来るが、アインズ様執務室への直接入出は無礼であり使わないのが臣下の礼儀である。

 エトワルは、先程磨き上げた権威あるアインズ様専用の漆黒の大机と、立派な黒の大椅子を御方が座る姿を想像してウットリと眺めていた。だが突然、その奥の扉が全開し全裸のアルベドが飛び出して来てたまげる。

 

(ひぃぃぃい)

 

 全裸の上、大口ゴリラ化し掛けた姿で扉まで近付き、外へ出ようとした元清楚な原型を全く留めない守護者統括。

 そこへ怯えつつも慌てて懸命に止める一般メイドの声が掛かる。

 

「あぁぁぁ、アルベド様っ! 何かお召し物を。ここは至高なるアインズ様の執務室でございますよっ」

「―――!」

 

 『アインズ』と言う重要な発音の声にビクリと反応し、両肩が超超硬筋肉で巨大化すらしていたが、動きがピタリと止まる。

 冷静さを取り戻し、発狂的体形と怒髪天な表情が美しい容姿の造形へと戻る。

 このナザリックをアインズより任された者として取り乱し、あろう事か全てを捧げるべき最愛の方の部屋で秩序を乱してしまった自身に恥じる。

 

「……よく言ってくれたはね、エトワル。私の行動が間違っているわ。戻って服を着てくるわね」

 

 他の事はどうでも良いが、モモンガ様に関する部分での無礼は自身でも反省すべきなのだ。

 寝室に戻り扉を閉める。暗い部屋に〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉の映像が明かり代わりに照らす。そこへ御方が苦戦の中で竜王へのカウンターを見事に決めた姿が映る。

 

「あああああーーーっ、きゃー。アインズ様っ、ステキ―――! やっべ、マジやっぱかっけ」

 

 残念ながらまた、エキサイティングした発情状態の雌に戻っていた……。

 

(……ちょっとだけ、ホンの少しだけど、苦しみつつも懸命なアインズ様も、イイんじゃねー?)

 

 更に何か新しい彼を見た気がし、アルベドは変に胸をトキメかせる。ただそれでも。

 

(あの、ドチビの竜人ガキムスメだけは許せないわ。私のちょー大切なアインズ様を散々殴ったり蹴ったり……ぜってーギチョンギチョンにブチ殺す!!)

 

 大事な大事な主君へ怪我を負わせた事だけは、万死に値するとナザリック地下大墳墓の守護者統括は息巻く。

 それから、興奮さめぬままに『休暇』の6時間が過ぎた。ハッキリ言って、精神的には彼女へ相当負荷が掛かった時間と言える。

 部分的ながら『休暇』を終えたアルベドは、一応粗相の目撃者であるエトワルへ厳重に口止するのを忘れず、身形を整えたいつもの美しい姿で『アインズ様執務室』を後にする。

 彼女が最終的にナザリックを飛び出さなかったのは、あくまでもアインズが優位であったから。戦争であり、アイテムを使って一方的に攻撃や体力を回復するのは、別に卑怯でもなんでもないのだ。それに至高の御方から「頼むぞ」と直々に任されたナザリックを勝手に放って出る訳にはいかないのが最大の理由。

 きっちり職務へ復帰した彼女は、直ちにナザリック内へ『休暇』を取得した事を高らかに宣言。

 

「――と、こうして私は6時間ですが〝各地の映像を見る事〟で自身の見分を広める有意義な時間を過ごしたのです。良いですか、『休暇』を取得する行為は、我々のナザリック内の正当なる制度を守る事なのです。分別を弁えて皆取る様に努めなさい。以上です」

 

 美しいアルベドの宣言を、執務室へ自動POPした〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉で見たエトワルは何も語らない――なぜなら、守護者統括様が『アインズ様執務室』奥の御寝室で一体何をご覧になっていたのかは知らないから。

 一般メイドの彼女は以後、アルベドから叱られる事がなかったと聞く……。

 

 この宣言の直後、絶対的支配者がナザリックへ急遽帰還する。

 桜花領域の巫女の一人より緊急通達を受けたアルベドは、直ちに移動位置を把握し、アインズへと会いに行く。

 余りに急であったため、此度アルベドは出迎えが出来なかった。でも、支配者にすれば、『ああ、いつもは偶然なんだな』と思わせる事には成功していたが。

 第三階層で(あるじ)を見つけると、その前へアルベドは跪く。

 

「アインズ様、無事な御帰還、何よりでございます。指輪をここに」

「うむ。少し急ぎの用があってな、いつも助かる」

「いえいえ。……あの、アインズ様」

「なんだ?」

「急ですが――私を護衛に付けて頂けないでしょうか? 心配なのです、ルベドでは不十分なのではと」

「ん?」

 

 急な申し出に支配者は驚く。確かに該当することは結構ある。今日は特にだが……。

 とはいえ、護衛に出れば攻守で鉄壁を誇るルベドに替えが必要とも思えない。

 それに……やはりこの唐突さには理由がありそうに感じた。

 

「急にどうした、アルベド?」

 

 彼女は黒い翼を揺らしつつ、とても心配そうな表情を浮かべ豊かな胸元へ両手を合わせるようにし、清廉な乙女風に可愛く語る。内容も主人の威厳へ失礼のない最小限で。

 

「実は、先程の戦いを〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉で拝見していたのです」

 

 どうやら、長時間に及んだアインズ対竜王のガチ勝負を見ていたのだろう。アインズ自身が傷付き、当然ルベドが離れていた状況も見ている。

 支配者は骸骨顔の眼窩(がんか)の紅い光点が僅かに一瞬小さくなる。

 

「(上手く説明しないと姉妹仲に影響が出るな……)護衛についてはルベドは良く働いている。今日も――あれは私の厳しい指示に因るものだ」

「えっ?」

「竜王を屈服させるには、私自身で力を見せる必要があると考えたのだ。体力の安全マージンは取ってあり、傷を負うのも計算通り。だから、ルベドは私の指示に良く従ってくれたに過ぎない……何か問題があるか?」

 

 ここまで確認しなければ、アルベドは納得しないとアインズは判断して問うた。

 

「いえ……微塵もございません。護衛の件につきましては心配し過ぎていたようです。では――改めて」

「ん、なんだ?」

 

 この時、何となく絶対的支配者は少し嫌な予感がしていた。それは的中する。

 

「――あの竜王の小娘を私に殺させて頂けませんか?」

「(なにぃ?)……」

 

 一難去っていないのに、また一難である。支配者は内心で呪うように叫ぶ。

 

(この俺から、逃げ道を奪ってそんなに楽しいかっ!)

 

 時間も無い上に名案も無く仕方がないので、アインズは破れかぶれの強引な理由を作る。

 

「却下だ、奴は―――()()()()()必要な駒の一つだ。お前にはまだ分からないかも知れないがな」

「えっ」

 

 流石のアルベドも詰まる。

 智謀の主君である絶対的支配者にそう言われてしまうと、反論は現時点では最早不可能。

 最低でも『支配者の考えを否定して』論破する手順が必要なのだ。これは可能でも、アルベドもデミウルゴスも実行をかなり躊躇う一手と言えた。

 でも、アインズは嘘は言っていないと自負する。なぜなら――ルベドが造反する状況に、未来は決して無いはずだから。

 視線を落とし、苦渋の表情で守護者統括は答える。

 

「承知いたしました、アインズ様」

「すまんな。でも、お前の私を心配する気持ちは嬉しく思うぞ」

 

 そう語り、彼女の瑞々しい頬をそっと優しく撫でてあげた。

 

「ではな、用があるので、私は先を急ぐ」

「……は……いぃ……(あぁぁぁあ、アインズ様ぁー)」

 

 絶対的支配者(アインズ)の誇る奇跡の()()が、ここで強烈に炸裂する。

 アインズは難題を治め、自室へ到達し代物を探し出すと、ナザリックから見事に生還した。

 このあと、アルベドの機嫌がやたらに良い事で『休暇』効果とみられ取得も増えたそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 私の戦場に妖精が舞い降りた

 

 その騎士は王国軍の大反撃の動きに、怪我の痛みを押して戦場へと帰って来た。

 しかし即時、死地の地獄行きに加わるとは運が無かったのかもしれない。

 彼は今、3人の民兵を率い4人構成の分隊として過酷な南方の王家師団救援へと向け麦畑の中、歩を進めていた――。

 

「王都に残る愛しい妻よ、可愛い娘達よ、私が皆を守る。生きて帰る事を願っていてくれ……」

 

 銀の面頬付き兜(クローズド・ヘルム)を被り長槍を握るポアレ男爵家の雇われ騎士。勇気あるあの男と言えど、少々気弱になるのも仕方なき事だろう。

 

 レエブン候の命で、北側の主戦場各地から南下して来た侯爵旗下1000名と国王派3000名の援軍は、当初から計1000分隊程に別れて広い範囲に散らばり南下した。迎撃を受ける事を前提での遅滞戦的な進軍となる。それも「夜を徹して行軍せよ」との指示で。

 その国王派部隊の中には、ポアレ男爵の率いる兵団も居たのだ。

 男爵は貴族派のスタンレー伯と内通しているが、表面上はエ・ランテル近郊の男爵として単独で国王派の家柄。

 此度の戦争では、度重なる竜兵の攻撃により大きく疲弊したポアレ男爵の兵団は、ペスペア侯爵派の子爵から民兵の助勢を受けていた。そのために指名を断れず派遣されてしまった。

 男爵が騎士を多く揃えていた事も災いしたと言える。王家への援軍には、見栄や体面的にそれなりの戦力を送る必要があり、目に留まり巻き込まれた部分もあったから。

 誰かが貧乏くじを引くしかない。これも貴族社会のルールのようなものと言える。

 

「問題ない。生き残れば良いのだ」

 

 そう語り、渋い表情でポアレ男爵も古株の騎士3名を供にやむなく南方へ進んだ。

 

 やがて予想通り……と思いたくないが、王家軍団1万余の守る地域へまだ10キロ以上距離を残す北側の地で、上空に3頭の(ドラゴン)が現れた。

 時刻は午後7時をとうに過ぎていただろうか。

 いずれも北の主戦場にて強大と思われた十竜長水準の竜達であった。だが、更にその中でも巨体の竜は圧倒的存在感を放つ。その火炎砲は他の2頭を遥かに凌ぎ、途轍もない威力で150メートル以上離れた分隊が幾つも一撃での全滅をみた。

 そこから巨竜を中心に僅か2時間半足らずで、7割以上の分隊が灰と化す。奴は先程まで空中からの攻撃のみだったが、今は地上で虫を踏みつける如く直接人間達をいたぶる感じで攻撃を見せていた。

 いずれにしても一方通行的な殺戮暴力。

 長槍の騎士が引き連れる民兵3名は弓を持つ者が2名と剣を持つ1名。その腕は弓使い、剣使いと言える水準に程遠かった……。難度はどう見ても5から7という凡人の者達。

 難度21の騎士である彼の持つ武器は、右手に握る親父から継ぎし形見の長槍のみ。

 

「妻よ、娘達よ……もうダメかもしれん……」

 

 前の大怪我を負わされた難度75程の竜兵()より、明らかに手強いと分かる。難度で100を遥かに超えているとみる3頭を相手に、どうしろというのか途方に暮れる。彼に出来る事は、悲しいかな民兵らを庇いつつ逃げ回る事だけ……。

 でもそんな中で、一大転機が来る。巨体の竜が、やって来た竜と交代して去って行ったのだ。

 まあ彼の分隊の戦力では、1頭変わったとして、どのみち出来る事に大差はないが。

 

 それどころか巨竜が交代しために――長槍の騎士等の窮地が逆に早く迫った。

 

 なんと、巨竜から代わった竜は真剣に人間共を虱潰しで狩り始めた為だ。

 先の巨竜は最後の辺りで結構、戦闘が怠慢で雑となり多くが見落とされていたのである。交代が完全に裏目に出たかの様な悲しい展開。

 やがて遂に騎士達の分隊も、真面目な竜に見つかってしまった。

 彼は行軍時、連れていた3人の民兵と気さくに話を交わしていたが、やはり昨今の経済的に厳しい農村生活に皆喘ぐ中で、毎年の戦争に続き此度も妻と子供達を村へ残しての出陣と聞いている。

 せめてそんな連中だけでも、この地獄から生かして前へ進ませようと騎士は勇敢に前へ出た。しかし竜兵は、逃げるように迂回しようとした民兵を先に狙い攻撃を定め火炎を吐こうとする。

 長槍の騎士は思わず、その怪物の背に罵倒的な大声を投げつける。

 

「――待てぇい、(ドラゴン)よっ。貴様ぁ、騎士の私が怖いの、かっ!」

 

 だが裏返る声に身体は震え気味。自殺行為とも言える状況に無理もない。

 すると空中で竜の長い首がゆっくりと振り返った。

 

「……家畜(しょくりょう)の分際で()が高イな人間。ヨかろう、そのお前の背丈程の長さの大層な槍デ掛かって来イ」

 

 部隊長の巨竜にはペコペコしていた奴も、矮小なニンゲン相手には偉そうで強気だ。

 態々(わざわざ)、地上へ降りて長槍の騎士の前へ長い首をのばし強面の顔を近付ける。

 騎士は家族を思い、勇気を振り絞る。

 

「妻よ、娘達よっ! 私に力を。うおおーーーーっ」

 

 彼は強く握った長槍を突き出し、竜の顔面へと突撃した。でもやはり。

 

「フーーーーンっ」

 

 強烈な突風が彼の正面から吹いた。単に竜兵の鼻息であるが、瞬間で風速70メートルを超えれば、騎士の彼も立っていられず後方へ派手に飛ばされた。

 

「ハハハっ、さあどうした人間? この私と闘うのだろう?」

 

 最早騎士は、竜兵から完全に遊ばれている感じだ。

 

「くっ」

 

 長槍の柄を地に突き立ち上がる騎士だが、奴の鼻息でさえ凌げない自分に何が出来るのかと一瞬、心に過る。

 

(いや。私の闘いは、無駄ではないっ)

 

 先の民兵3人は既に離れた場所へ向かいつつあった。彼等だけじゃなくその周りの生活の苦しい彼等の家族をもこの瞬間において、騎士は守ったのだ。

 ただ、彼と王都に残す妻と娘達の未来は……。

 

「くっそぉぉーーっ!」

 

 幸せを壊す眼前の(ドラゴン)への怒りが、彼の足を1歩、また1歩前に出させた。

 駆け出し再び強大な竜へと突撃する騎士。

 またも向かって来る愚かな人間へと目掛けて、容赦なく竜の頑強な左前足の爪が高い位置から振り下ろされる。

 攻撃の威力に、周囲が僅かに揺れて(しず)まる。

 

 騎士は――倒れていた。

 

 ただそれは、急に横から押された為に。その彼へと傍から可愛らしくも淡々とした声が掛かる。

 

「――……お前に娘達……居る?」

「えっ?」

 

 顔を上げた長槍の騎士は、質問へでは無く、状況にまず驚いていた。

 何故なら、竜の放った左前足の爪の一撃は、目の前に立つ小柄で長い赤金(ストロベリーブロンド)の髪先が膝裏まで届く少女の前で止まっていた。受け止めたのは魔法盾にも見える。

 金属製の箱か筒のようなモノを抱える彼女は、驚いた事に後姿から貴賓さえ感じられた。

 問いへ答えなった所為か彼女の首が騎士の方を向く。

 左目に眼帯をしていたが、見た事も無いと断言出来る非常に整った顔立ちの美少女。妻は愛していたが……別の意味で彼が心を奪われるのに時間は無用であった。

 

 そう、まるで夜の夢に現れた『妖精』の如く彼には見えていた――。

 




 騎士は(ようや)く問いへ一つ頷く。すると少女は「……了解」と答えた。彼には何が『了解』なのかよく分からない。
 場を支配している者と信じる竜兵は、存在を無視されたやり取りに困惑しつつ小さき者へ問う。

「な、なんだ、お前は?」

 これまで圧倒的な力で人間共を殺害してきた竜兵は少し緊張気味。初めて己の攻撃が通らない相手でもあるから。同時にコイツはどこから現れ、なぜ人間如きが攻撃を防げたのかという点にも疑問が膨らんだ。
 竜の問いかけに、彼女は前を向くと手にしていた長モノを何やら構えた。
 この世界では、殆ど存在しない兵器、『銃』である。

「……私はシズ。……味方(ユリ姉)を攻撃した……これはその『罰』」
「――?!」
「??」

 銃口を向けられた竜兵は知性から、弩を連想し思わず両前足を翳したが、その様子を見た騎士の思考には疑問符のみが浮かぶ。

「……弾丸換装5番……電力充填(チャージ)……〝電 磁 投 射 砲(レールガン)〟」

 契約者の声に『魔銃』がキュゥゥンと甲高く反応する。次の瞬間、シズの銃が上角45度で火を噴く。彼女の握る銃は、火薬ではない魔法をも推進源にする強力な『魔銃』である。その最大攻撃力は、ナーベラルの魔法攻撃力をも更に一段上回り戦闘メイド中最高を誇る。

 最大出力の『魔銃』のドドドドンという重く激しい連射音を残した6発の弾丸は、難度135の竜兵の両前足の甲を貫通し、左の竜眼と頭部へ多数の風穴を空け見事に撃ち抜いていた。
 少女の踏ん張る両足は圧倒的な威力にも動くことなく、傍に居た騎士も耳がツンとした程度。
 程なく、痙攣しつつ竜兵が仰向けに後方へ地響きを立て倒れ込む。
 呆気ない竜兵の死と、少女の武器の放った恐るべき攻撃力を目にし、彼は完全に固まっていた。

「……じゃ」

 シズと名乗った彼女はそう言って颯爽と立ち去ろうとした。
 彼女からの声にハッと長槍の騎士は、そんな『妖精』的少女へと思わず声を掛ける。

「あのっ! ……」

 しかし、どこにお住まいですかと聞くわけにもいかず。
 声を受けて振り返ったシズも続かない言葉に首を傾ける。

「……ん?」
「――っと、シズ殿……でしたな? 命をお助けいただき感謝します。それと……貴殿の御主君のお名前は?」

 道義的にまずは騎士として礼を述べると共に、手掛かりとなる重要な情報を尋ねた。
 それに、彼女は胸を張りながら自慢の(あるじ)の名を答える。

「……アインズ様。アインズ・ウール・ゴウン様」
「アインズ・ウール・ゴウン様」

 長槍の騎士の復唱に満足し頷くと、前を向いて少女は歩いて行くが、数歩進むとその幻想的な姿は忽然と消えた。

「えっ……」

 呆然とした彼だが、1分程で遠く空を飛んでいた残り2頭居た片方の竜兵が撃ち落とされる光景に理解する。

(シズ様。私の戦場に現れた妖精だ。――戦争に生き残ったら私は、きっとあの方へ仕えるぞ!)

 一人の騎士の心に、何か変なスイッチが入った模様……。

 周辺にいた3頭の竜兵と数キロ南方の7頭は、シズの魔銃によって(ことごと)く討ち取られていった。防御面で少し弱い部分を持つ彼女は、不可視化で補佐するナーベラルに〈中位盾壁(ミドル・シールド・ウォール)〉等の防御魔法で鉄壁に護られた。
 シャルティアは、顔が知られても構わないゴウン氏の配下であるシズを前面に立てる事で、ユリを攻撃したこの方面の敵の討伐を見事に完了した。

 尚、シズが騎士に声を掛けたのは、娘達が居ると叫ぶ声を聞いたから。
 最近、絶対的支配者が姉妹を大切にしていると感じた為である。
 しかし……ルベドがシズとこの騎士の状況に勘づくと、娘が複数居る父親を世界中から大量に急募しかねないという、非常にヤバい危険性も孕んでいた……くわばらくわばら。









――P.S. 『漆黒聖典』の帰還

 偽モモン役をパンドラズ・アクターが順調に熟す中、アインズが竜王少女(ゼザリオルグ)に撤退勧告を飲ませたその頃。
 『六色聖典』本部内。

「くぅ~ん。(モモンちゃん、大丈夫なのかなぁ……)あーーぁ、会いたいよう」

 地下に置かれたその厳重警備区画にある広い自室で、白いシーツの敷かれた大きなベッドへと下着姿で寝転がり、枕を抱き締めながら悶々とした気持ちを声に出すのは、『漆黒聖典』第九席次のクレマンティーヌ。
 彼女は二週間程の遠征を終えて、つかの間の休暇を貰っていた。

 城塞都市エ・ランテルの南方約300キロ。スレイン法国のほぼ中央に位置する首都『神都』。
 人類の守り手として、リ・エスティーゼ王国北西部へ侵攻した竜軍団撃退の為、遠征していた国家最高戦力の『漆黒聖典』部隊が『神都』へ帰還して来たのは、丸2日前の日没後の事である。
 リ・エスティーゼ王国の第一王子が戦場の西部最前線後方で襲われ負傷、失踪した時間帯だ。
 最高執行機関の面々が開き、法国内での最高意思決定会合である神官長会議にて〝本国帰還〟が決定され早半月が経過しようとしていた。
 『漆黒聖典』部隊が帰還するまでに届けられた戦果に、プラス要素は皆目見当たらず。希少な至宝と使い手のカイレを失い『隊長』も敗れ去った事に加え、副隊長格だったクアイエッセや随行した『陽光聖典』の精鋭5名も戦死した。

 更に今、その決定事項の〝本国帰還〟に反し部隊指揮をしていた『隊長』の姿さえない――。

 会議の席に座る最高執行機関の者達は皆、憤懣(ふんまん)やるかたない表情を向けていた。『漆黒聖典』部隊責任者の一時代行を任された『巨盾万壁』のセドランへと。
 彼は帰還直後の、午後8時より緊急開催された神官長会議にて報告の場に立っていた……。
 本来、上司の神官長が報告や調書を纏めてのはずが、一介の部隊員が神官長会議で直接発言するのは極めて異例である。身形も普段の物々しい装備服では無く、白い礼装に青い帽子を被る姿。
 夜の間接的な室内の明かりにも神秘的に輝く、最高級ステンドグラスの窓群で飾られた半地下の中央大神殿内最奥に在るこの荘厳な会議堂は、立ち入りを許されている者が非常に限られた神聖なる場なのだ。

「――となった次第です。故に王都支部の資料より、ゴウンなる高位の魔法詠唱者の参戦と反撃の機会を知った〝隊長〟が〝本国帰還〟の指示に対し再参戦を選択したわけであります。一応、本国の決定に異を唱える行動について小隊長の者達で確認しましたが、〝隊長〟は特務権限を行使され我々には本国帰還を命じました。それに従い、私以下〝漆黒聖典〟隊員10名は、帰路650キロを途中エ・ランテル支部へ寄り大よそ7日間で行軍、本日午後7時10分に帰着いたしました。報告は以上であります」

 開催冒頭から、状況説明を簡潔に20分程で彼は話し終える。一応、会議の席に着く者達の手元には、『隊長』により纏められセドランから提出された、ここまでの経緯等を記した報告書も置かれ大まかには目を通している。
 現場の者からの直接報告に場は、数秒間だけ静かであった。

「……ヤツめ〝隊長権限〟を改悪しておるわ。己の死が、どれほど国家に迷惑を掛けるか分かっとらん」

 保守的な闇の神官長マクシミリアン・オレイオ・ラギエが、鼻先付近へ指を当て丸眼鏡を上げつつ最初に口を開いた。
 一方で、元漆黒聖典のレイモン・ザーグ・ローランサンは、『隊長』の行動を支持する。

「此度の人外種勢が起こした災厄に人類の守り手である我々が後手を引き、主体となって動けぬ事が誠に歯がゆい。だからこそ、〝隊長〟の判断は一理ある。彼も同じような敗北を繰り返す程愚かとは思わぬ。きっと好機を探るだろう。少なくとも、ゴウンなる謎の旅の魔法詠唱者の驚くべき力量を直接知る事が出来よう。魔法詠唱者が勝てば良しで友軍として(よしみ)を通じ、もし運無く負けても実力があれば連れ帰るやもしれん」

 その考えへ、元陽光聖典で風の神官長のドミニク・イーレ・パルトゥーシュも賛同する。

「至宝の〝ケイ・セケ・コゥク〟と使い手を失い最早、竜軍団への確かな優位の一つが失われた状況だ。限られた機会を最大限に生かす努力はするべきだと私も考える。〝番外〟は容易に本国から動かせないのだからな」

 以前の会議で出た彼等の『竜王の鱗や体の一部を得て呪いを掛ける』という手は、『隊長』の敗北や竜王へ簡単に近付く事すら出来なかったとの報告により霧散しており、積極交戦派の彼等には明確に有効な手が欲しかったのだ。
 謎の魔法詠唱者の話は、丁度渡りに船。
 二人の考えに僅かに頷く者もいる中で、別の声が上がる。

「それはどうでしょうな」

 ここで軍事機関トップの男、大元帥が疑問を投げかけた。
 彼は近年大元帥位に就き、現在エルフ王国への攻勢を強め、着実な戦果を上げており発言力が高まっている人物。

「ゴウンなる人物、勝てば喜ばしい事。ただ、45名の〝陽光聖典〟部隊を倒したのではという謎の魔法詠唱者が、格の違う竜王に通用するというのは少々都合の良すぎる考えと存ずるが? 確かに死の騎士(デス・ナイト)などを複数使役と、近年に同程度の実力該当者を見ないと評価するのは分かる。だが()の竜王は〝隊長〟を圧倒して破ったのですぞ?」
「む」
「それは……」

 戦争とは、推測で勝てる程甘いものでは無いと。
 これには経験豊富なレイモンとドミニクも反論出来ない。
 戦の大前提として、味方の戦力と敵の戦力を調査し把握した上で、地形や気象、そして戦略戦術で相手を理論的に淘汰する行為であると知っていた。
 噂の魔法詠唱者がどれほど凄いかは知らないが、単体の戦力で戦況が覆る事など、ここ200年でも僅かに数える程の記録が残るだけ。
 それも此度は、法国でも単独で最高戦力水準の〝隊長〟が全力全開の勝負で敗れた事実のあと。覆すのはそれ以上の奇跡のような戦力でしか不可能。

 例えば『絶死絶命』――番外席次のような、大陸最強水準の者だ。

 大元帥は、場を仕切る様に声を少し高めて語る。

「〝隊長〟はやはりここは一旦、国家の決定に従い帰還すべきであったと考える。まあ確かにあの者も無茶はせんとは思うし帰還の後日、その命令違反について詰問会を招集したいが?」
「んー」
「確かに……」

 周りの新たな声に、レイモンとドミニクの考えへ(なび)きかけた者達も難しい顔になった。
 この戦犯を吊るし挙げるかの状況に、紅一点の火の神官長ベレニス・ナグア・サンティニや老いた水の神官長のジネディーヌ・デラン・グェルフィが、『生還を前提』としながら、重要な遠い戦地の状況を詳しく知る意味で『隊長』の存在は大きい部分があると主張。
 最新情報も戦争には不可欠と良く知る大元帥も「まあ……それは確かに」と多少歩み寄りを見せる。今回の『隊長』の独断行動に対して『問いの場』を作るという事で上手く収めた。
 ここで、責任者代行のセドランは会議から退出となった。
 国家の意思決定に、彼等下位の意見は必要なく、また過程に上がる話も知られる事は好ましいわけもない。
 その後会議の本題は、最終的に最高神官長が述べた『竜軍団の進攻をエ・ランテル近郊で迎え撃つ』事を前提にした作戦会議へと移っていった。

 退出したセドランは、礼をしつつ会議堂の重厚な扉を閉め薄暗めの廊下を進む。最奥の神聖区画を出た直後、彼は明るい声を掛けられる。

「〝隊長〟は負けたのに一人で戦地へ居残ってるんだって?」
「はっ」

 良いガタイに強面の彼が恐縮しながら向き直り答える相手は、戦鎌(いくさがま)の柄を肩に当てて壁に寄り掛かる『絶死絶命』の彼女。

「ズルいなぁ。私も(敗北を知るために)外で遊びたいのに。まぁでも、竜王は雌だって話だし残念」
「……(決して遊びでは無いのですが)」

 思考を悟られない様に、視線を天井へ向けていたセドラン。彼は彼女を恐れている。
 それは、普段殆ど全くと言っていいほど交流は無いのだが、2年に一度ぐらい行われるのだ……乱取りの『組み手』が。

「あーあ、面白くないっ。ムカっとしたからぁ――貴方とメンバー全員をちょっと連れてきなさいよ。少し遊んであげる」
「――――っ!!(うおわぁぁぁ、最悪だぁぁぁ。隊長っ、例の魔法詠唱者の資料が有れば大丈夫とかニッコリ言ってた癖にぃ、効果無ぇじゃないですかぁぁぁ!)」

 これは彼等にとり拒否不可な試練的事案。そもそも番外席次の彼女は、土産を頼んだだけで『組み手』について別に約束していなかった……。
 程なく30分後――。
 『六色聖典』本部の地下にある、高天井の広い闘技空間に繋がる通路から、戦鎌(いくさがま)を肩に担いだ『絶死絶命』が、ただ一人退屈そうに出て来た。

「……集まるのに25分も掛かったのに。全然暇つぶしにもならないか、はぁ」

 闘技空間内で、セドランをはじめとしたスレイン法国神官長直轄特殊工作部隊群『六色聖典』の最強部隊である『漆黒聖典』メンバー10名は、番外席次一人から()()()()ボコボコに倒されていた。
 捉えられない相手には、人数を揃えても打つ手無しと言う結果だ。

 彼等は、翌日より休暇という名の数日の療養を余儀なくされる。
 そう、クレマンティーヌも――。

「……イタタっ。……ボケがぁ、あの糞女。ホント、モモンちゃんがいつかブッ殺してくれないかなぁーー」

 下着姿の彼女の瑞々しい肌にも、治療薬でかなり薄くなるも『組み手』でボコられた青い痣が幾つも浮かんで見えた。
 一方、番外席次は自室でかしゃかしゃと面を回転させ飽きる事なく正方形の小箱的の玩具(ルビクキュー)を弄っていた。突出した強者は、別の面でみれば孤独で退屈なのだ。

「本当にコレ中々揃わないなぁ。ムカつく」

 これまでに一度だけ3面まで揃えられたが、4面は不可能じゃないのかと密かに考えている。

「よし、帰ってきたら〝隊長〟も組み手で遊んで、あーげるっと」

 どうやら、王国北部の竜宿営地の中で祈る『隊長』の背筋へ悪寒が走ったのは、偶然ではなかったらしい……。
 法国内にも小さいながら変化が起こり始めようとしていた。





補足)46、47、48話内の時系列 王国総軍VS竜王軍団開戦後+α

◇竜軍団がエ・アセナルを破壊(ナザリック新世界登場から22日目)
     ズラノン第4高弟、アジトごと埋もれる
◇不明
     ズラノン第4高弟、盟主より『混沌の死獄』計画へ誘われる
     祭壇空間を1週間程で確保


◆開戦1日目(ナザリック新世界登場から44日目)
午後11:5? 後方の南西戦線より偶然に勃発

◆2日目
深夜   ズラノン『混沌の死獄』発動に成功(45話)
朝    ナザリック入り口前、シャルティア出陣
午前8時前 アインズ、シャルティアら王都北部へ移動開始
昼前   アインズとルベド、『六腕』と合流
40分程+ アインズ達、昼食休憩
3時間程 アインズ達、ボウロロープ侯爵の陣へ移動
日没後  エドストレームら、侯爵の陣調査
夜中   アインズとルベド、ナザリックへ

◆3日目
夜中   アインズとルベド、ナザリックへ

◆4日目
未明?  王国軍死傷者9万超
     アインズとルベド、ナザリック滞在
午前3:16 アインズとルベド、『六腕』共同野営地へ
??   ボウロロープ侯爵、動員兵力は4万5千人、死傷者は既に約3万7千人
午後   『エンリ将軍閣下の手料理』発覚騒動
日没   ラキュース達、2時間以上出撃時間遅れ中
日没+1.5+ ラキュース達出撃
夜    竜軍団420体超、取り巻く全ての戦場で圧倒
午後10:?? ガガーラン負傷 シャルティア、竜兵4体捕縛
午後10:3? 超火炎砲でボウロロープ侯爵戦死
夜中   ガガーラン、リグリットに会う ガガーラン野営地へ戻らず
     竜王上層部会議、東部戦線で異常疲労
午後10:5? サキュロント、ズラノン妨害工作へ出発
午後11:2? 六腕、生存者始末し野営地帰還
午後11:4? 六腕とアインズ達、侯爵陣傍より撤収
??   王国軍死傷者、総兵力の約半数へ

◆5日目
?    アウラ「テイム完了」
午前2時 続く竜王上層部会議にて、王都強襲の話題
朝    ボウロロープ侯爵戦死伝わる
朝    『クラルグラ』4人処罰
夕刻   竜軍団、王都強襲失敗を悟る
     バルブロの小隊群壊滅し消息不明に
日没後  漆黒聖典部隊、法国首都帰還

◆6日目
夕刻   帝国軍動かず、アインズの反撃を待つ
     王国軍死傷者数15万間近
夕刻   ガガーラン、リグリットを連れ仲間の前へ現れる
     竜軍団へ評議国から使者来訪の先触れ

◆7日目
未明頃  竜軍団監視部隊リグリットらを見失う
未明   アルベリオン討ち死
早朝   竜軍団会議終わる。新規攻撃指示
早朝   王国軍死傷者数16万 死者7万
午前   戦況悪化
??   女王ドラウディロン、ヒガむ
午前11:00 竜軍団、南進攻撃部隊出陣
昼前   王家、国王縁戚貴族部隊接敵
正午前  『ビーストマンの国』で報告会
昼下がり 『イジャニーヤ』配下4名死亡
良い時間 アインズ、『反撃を窺う』体勢へ方針転換
3時間後+ ラキュースとイビルアイ出撃
午後5時前?『蒼の薔薇』敗れる
??   ガゼフ出撃
午後05:4? アインズ、レエブン候の反撃前報告
午後05:5? 王都北方の駐留地へ戻る
午後6時頃 アインズ、竜王軍団へ反撃する 支配者、竜王と対決
午後06:0? ガゼフとユリ、十竜長筆頭から逃げる
午後06:1? 朱の雫、東部外の野戦診療所から出陣
     竜軍団の宿営地へ斥候戻り、竜王を襲った者判明
     ガゼフとユリ、大森林を東側から西へと折り返す
午後06:2? ビルデバルド乱入
午後06:3? 竜王らと海上へ転移 竜王への孔明策開始
     ガゼフとユリ、国王の居る地下指令所へ
午後06:4? レエブン候の下へ『王家軍団へ別動竜部隊が襲撃』の報
     ガゼフとユリ、国王と脱出
     バルブロ生存
日没後  ズラノン、アンデッド部隊投入
午後07:0? 竜軍団宿営地で、斥候から竜王姉妹不明伝わる
     竜軍団宿営地、非常事態で総員動員
     帝国遠征軍、魔法省、近衛部隊行動開始
午後08:1? ガゼフとユリと国王達、大森林東側で休憩
午後08:5? ガゼフとユリと国王達、北東へ移動開始
午後09:0? ガゼフとユリら竜部隊と戦闘
午後09:?? ズラノンアンデッド部隊、戦場後方で増殖中
午後09:40?ガゼフとユリら戦闘 十竜長筆頭現る
午後09:5? ユリ、ガゼフ 十竜長筆頭との激戦終える
     シャルティア達参戦
     レエブン候の使者がバルブロ達を発見し反撃指示
午後10:0? ガガーラン、サンプル狩り
午後10:1? シャルティア達持ち場へ戻る
午後10:2? ガゼフホワイトアウト
午後10:5? 竜軍団宿営地、竜王捜索で成果なし
午後11:00?リグリットら3日前から儀式拠点探索
午後11:0? 竜軍団宿営地北側で帝国軍、竜兵10頭撃墜し参戦
午後11:?? バルブロ達移動開始
     『隊長』、海上のゴウン氏達に気付く
午後11:2? サキュロントの戦い始まる
午後11:3? 竜軍団宿営地、上空に帝国近衛部隊展開
午後11:4? 上空の帝国近衛部隊、竜攻撃後に火計
午後11:5? 帝国近衛騎馬部隊、竜軍団宿営地へ潜入
午前00:0? バルブロ達西部戦線の外縁部へ到達 戦闘
     サキュロント生き残る
     支配者と竜王ら戦いを中断し転移
     バジウッド、百竜長と対戦
     『隊長』、百竜長と対戦
午前00:10?リグリットら儀式位置特定
午前00:1? 『隊長』、山頂より移動開始
     レイナース出陣し、アンデッドと遭遇。
午前00:20?バルブロ達助かる
午前00:2? 帝国近衛部隊後詰め全滅 レイナース逃走
午前00:30?竜軍団宿営地、大混戦
午前00:3? 支配者、竜王と決着
     『隊長』、新神に祈る

◆?日目
??   『クラルグラ』、ナザリック内で収監中




捏造・補足)上空から数頭の竜兵が『なんだアレ?』
見付いた竜兵達の高度が約60メートルで馬上の国王の頭までは2メートル程。
スケール的に例えるなら人が腹這い状態で15メートル程の距離から、触覚を揺らし平らな地面へ這う蟻が見えるかというもの。一般人の肉眼では殆ど見逃すが、人外の優れる竜眼ならば識別は十分可能である。
プールサイドの端に居る蟻が、やたら良く見えるぐらいの差を竜眼は持ってる感じ。



補足)国王が日没前にレエブン侯の下へ脱出した事を聞いたのである。
結局、国王の居た地下指令所へ、『蒼の薔薇』リーダー死亡の第一報は伝令が戦死して届かなかった。



捏造・考察・補足)究極の武技〈連光一閃〉
斬撃数を変える事で一応威力を調整出来る。
ガゼフは指輪未使用でも1発は撃てる。本作でのカルネ村で、瀕死の彼は道ずれにニグンへ放とうとしていた。奴へなら王より与えられた剣で打つ〈四光一閃〉でも天使ごと斬るに十分だとして。
書籍9巻のアインズとの一騎打ちの展開でも『〈六光一閃〉ならゴウン殿を倒せるか』と考えてもおかしくない威力ではと。
ルベドが習得し全力全開で〈十光一閃〉すれば世界すら真っ二つに斬れるかも……南無南無。



捏造・考察・補足)治療薬を1本から半分ずつ与える
本作において、魔法と異なり効果は使用量に割と比例する形。
少量でも、全く使わない自然回復よりかは確実に効果があるとします。

書籍1-228&230より、完成された赤色の下級治癒薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)は瞬間的にHPを50回復する。
本作の、市販の下級治癒薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)はバレアレ家の製作物も含めて、薬草及び錬金術溶液ベースのものは常時劣化もあり回復量が少なく、回復時間も遅いものとなっています。
書籍2-056から059より〈保存(プリザベイション)〉まで使用した最高級のものも、即効性はあるが赤色ではないので、回復量はユグドラシル製に比べ劣っていると考えてます。



捏造・考察・補足)〈中傷治癒(ミドル・キュアウーンズ)〉を数回受け、炭化した腕を回復させつつあった
本作では切り落とされた場合、近くにある腕なら消滅して再構成されて元の腕として戻る。これは千切れた腕の断面に多少の隙間があっても傍で密着させていればくっ付くのと同じような感じの効果と現象。裂傷は体力回復時に再生力が上がる事で細胞が増えて塞がる。
炭化した腕は細胞の再生力活性化でジワジワ治る感じ。
切り落とされて遠くにある部位は、欠損した事になるので〈中傷治癒(ミドル・キュアウーンズ)〉を何度何度も掛ければ、裂傷を直す様に細胞が増えて少しづつ再生される。指の欠損ぐらいならLv.20の者でも数度実行すれば元に戻る。但し低位魔法の場合、『早期』という条件が付く。
第6位階魔法〈大治癒(ヒール)〉以上では体力の回復度合いが桁違いのため、低位の者は再生力活性化により瞬間に欠損部も込みで完全回復する。老人の場合は10歳以上若返った感覚になるかもしれない。また『早期』じゃなくてもOK。
42話でフューリス男爵の右腕の接合に『第4位階魔法』とあるのは、夏場の上で泥に塗れ4時間程過ぎていて『傷み』始めていただろうから。

疑問に思ったのは、アニメで蜥蜴人(リザードマン)の切り落とされた腕が一瞬で再生したような表現から。
考えようによっては「じゃあ、腕や足を切り落として〈中傷治癒(ミドル・キュアウーンズ)〉を繰り返せば〝肉〟が増やせるんじゃないか。蜥蜴人(リザードマン)達の食糧難は解決出来たはず(笑)」と。
多分、上記の考え方ならそれなりに辻褄は合うかなと。
また『羊の皮の量産』程度なら剥いだ後に、〈中傷治癒(ミドル・キュアウーンズ)〉を使えば細胞が増えて再生され、何度でも収穫出来そう。



捏造)〈連鎖の不死者創造(クリエイト・チェインニングアンデッド)
オリハルコン級冒険者の死体なら一度に3、4人はアンデッド化出来る。
ただ、百竜長の死骸を捕獲出来ても、中位水準のこの改造魔法ではアンデッド化出来なかった可能性が高い。



捏造)ズーラーノーンの十二高弟達
第4、第8など能力は非常に高いのに、一般的な人間社会から逸脱した連中という感じでの設定。
共通点として『人間は実験材料に過ぎない』。



捏造)弾丸換装5番……電力充填(チャージ)……〝電 磁 投 射 砲(レールガン)
本作で魔銃は、契約者以外は使用出来ない設定。
「弾丸交換」だと次番が選ばれる感じ。


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STAGE49. 支配者失望する/一ツノ終戦ト栄達、ソシテ(23)

注)6000行超で物凄く長いです
  スマホでフリーズする場合は、自動で分割表示される携帯版表示もご利用ください
  華達 で検索
注)一部残虐的な表現や衝撃的場面があります
注)15万字超えにつきP.S.の最後が後書きへはみ出しています
注)モモンの声色と口調については、鈴木悟の素の声口調になっています
補)後書きに49話の時系列あり


 中火月(なかひつき)(八月)中旬の今日、リ・エスティーゼ王国内において一つの大戦(たいせん)が終わりを告げた。

 

 ――『北西部穀倉地帯の戦い』は結局、甚大な被害を出しながら勝敗の付かない(いくさ)となった。

 

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)の軍団侵攻開始から31日目の事である。

 最終的に竜450頭超と総勢24万余を擁した王国軍との開戦から8日目。

 丸7日と1時間弱――人類側の大反撃が始まって6時間程――で、互いの最大戦力により雌雄をほぼ決し、王国軍、竜王軍団双方の激闘の幕は閉じられた。

 戦場は、直ぐに全域の戦闘終結へと大きく向かい始める。

 完全壊滅した大都市を、ある意味『屈指のレアアイテム』で全面復活させるという、数時間は続く感じの超ド派手な大魔法が続く状況の中で話は進行する。

 竜王と別れたアインズは、まず東部戦線上空で罠を張っているヘカテー・オルゴットへ伝言を繋ぐ。

 

「〈伝言(メッセージ)〉。ヘカテー、聞こえるか?」

『はい、アインズ様。問題なく届いております。何なりと』

「うむ。竜軍団への妨害工作、ご苦労。竜王達との戦いは終わった。竜兵への呪いを全解除し、お前達には今しばらくの待機を命じる」

『はっ、御命令確かに。アインズ様におかれましては、此度の戦場において、終始ハレンチな行為もなく喜ばしい限り』

「そ、そうか。ではな」

 

 どこからか監視されていたのだろうか。絶対的支配者は少しだけ気になったが。

 続いてルベドを伴い、速やかに東部戦線で前進を続ける王国軍総指令官であるレエブン候の本陣へと報告に向かった。

 最高戦力としての実力を持つゴウン氏達だが、竜軍団との戦争の一方は王国軍が中心の戦争なのだ。アインズは王家の客人ながら精々分隊長格。客将ならば発言力もそれなりにあるが、当然ワザと外されている形。

 彼は軍への明確な指揮権を持つわけでは無いので、鼓舞等はいいとしても、停戦について全域へ声を通しても指示が通らない立場と言える。

 なので、レエブン候の本陣を目指した。

 一方のゼザリオルグは、族長並びに軍団長としての立場から威圧と発言力は絶大である。

 少女の姿を解いた威風堂々の巨体である竜王の姿と良く響き通る大声は、竜軍団に留まらず、王国軍、果ては無断入国中の帝国遠征軍に対しても同時に影響を与えた。

 また竜王の動きは早かった。

 竜軍団に限れば、撤退承諾の5時間半後の朝6時には国境線以北までの撤退を完了する程だ。

 それには無論、竜王自ら戦場を回り戦闘停止と撤退指示に当たった。

 

「聞けっ、煉獄の竜の者共よっ。単なる殺戮者共が相手なら俺達は絶対に下がる事はねぇ。過去の殺戮は、殺戮で返すのが当たりめえだからな。だが、()()()()()俺達で破壊した都市を復活出来る程の相手が現れて、状況が大きく変わりやがった! 俺達は一旦本国まで撤退するぞ、急げ! 怪我してる仲間達を見捨てずに、とっとと下がるぞっ」

 

 まだまだ優勢な主戦場側にいる竜兵らにすれば、寝耳に水の通達である。

 だが、大都市廃虚を覆い尽くす程の光の巨大柱などを見れば、想定外の状況から組織的に人間側に因る広範囲への大打撃も十分に考えられ、十竜長格が周辺を纏め速やかに退却の動きを始めた。

 竜王は大都市北方に置く宿営地にも早い段階で現れており、一度は帝国軍の強襲魔法詠唱者(マジック・キャスター)部隊からの数十発に及ぶ一斉魔法攻撃を受けるも「ふん、気は済んだか?」とほぼ無傷で睨みつけ、その圧倒的存在感を大いに示した後に『撤退』を敵味方の双方へ告げた。

 

 それ以外に、激戦中の人間共と竜軍団の竜兵達を停戦・撤退させる手は無かったと言える。

 

 まず下等で脆弱な人間側からの『停戦』や『撤退』などという言葉に、戦場の竜兵達が耳を貸すわけもないのだ。例え、アインズが語ったところで同様。大した効果は見込めない。

 旅の魔法詠唱者が、別格の存在だと竜兵達の多くは全く知らないのだから。

 それは、アーグランド評議国内での人間に対する序列的なものや権力階級をはじめ、竜種としての自負や尊厳にかかわる為でもある。価値観の差は直ぐには埋まらないものだ。

 だからこそ、王であるゼザリオルグの言葉であれば、竜兵達は不満を持ちながらも軍命令であり従わざるを得ない。

 また対峙する損耗率7割弱と疲弊仕切っていた王国軍、密かに動いていた帝国軍も3割以上の損失と実質的に限界状況を超えて闘っていた。なので、更なる余分な禍根を残すだけと言う点でも、追撃の動きは殆ど起こらなかった。

 無断入国で動く帝国遠征軍と皇室兵団(ロイヤル・ガード)は『竜軍団の撤退』という最大の目的を果たした事と、王国軍に捕捉される前に帝国領へ帰還する必要もあり、急ぎ竜達の宿営地周辺から北東にある2家の王国男爵領へと撤収して行った。

 尚、バジウッドは何とか体力を回復させて、ナザミと生き残りの皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)達が待機していた半壊の屋敷に戻ったがレイナースは未帰還である……。

 因みに漆黒聖典の『隊長』は、光の柱の中に浮かぶアインズと居る竜王の姿を見ており、戦争の決着を悟り、竜王が宿営地へ接近してくる前に北西の数日潜んでいた山頂へと退避済。彼は、もう戦後の状況確認へ入っていた。

 

 竜王軍団側はまず竜兵を宿営地へと順次下げてゆく形だが、あとで王国側の代表と最後の交渉の場を持つ事になる。

 勿論、これはアインズが仲介した形だ。

 彼は竜王少女と別れ、都市復活の光景を背景に、東部戦線の戦地内を真っ直ぐジワジワと北上していたレエブン候の本隊を訪れた。ルベドに侯爵個人をマーカー指定させていたので無駄足なし。

 侯爵軍団の中央部付近。進撃中であり、精鋭小隊は少し高めの密度で隊列が点在する形。なので陣幕等は見えず。

 

「レエブン候閣下に至急目通り願いたい。戦争終結に関する重要な要件です」

 

 空より巨躯の魔法使いの言葉を受け、護衛の騎士や兵達に加え、騎士長までもが狼狽えるような緊張感のある雰囲気で、舞い降りたゴウン氏達二人を前に並んでいた。

 彼等は昨日となるが夕刻の王国軍反撃前に、味方のゴウン氏が陣幕内で客人然として閣下と普通に語らうやり取りを見ていた。それでも大いに警戒する空気が漂う。

 圧倒的と知った者を前にし、無意識で怯えた目や態度になるのは仕方の無い事だろう。

 近年にも一応、一人の人間が『戦争の流れを変えた』という話は噂に流れかけた事がある。

 ガゼフ・ストロノーフが帝国との戦争で反攻作戦時に帝国四騎士の2人を討った時だ。この時、王国の劣勢は一気に五分にまで戻ったと言われ、彼の実力が民兵達だけでなく貴族達にまで広く認められる転機となった。同時にそれは、貴族派から睨まれる最大の契機にもなった訳だが……。

 ただ、此度の相手は総数300を超える竜軍団と竜王。比較する相手との戦力が違い過ぎた。

 

 王国側は帝国戦と比べて今、格段に滅亡の危機感と未来への絶望感が存在していたから――。

 

 ところがゴウン氏達は、レエブン候への宣言通りに竜王のいた隊へと反撃を開始。

 最後に、眼前の闇夜に浮かぶ巨大で圧倒的な光の柱の情景を全両軍に見せつけ、竜王との勝負から再びこの場へ生きて……いや見た目は、無傷で戻ってきていた。

 アダマンタイト級冒険者ですらない者が、である。

 正に信じられない。

 この異様な状況を、平常心で迎えられる人間は限りなく少ないと言える。

 

「「おおお……」」

「この方達は……一体……」

「凄い……(が恐ろしい)」

 

 あと、それだけでもない。視線の幾つかは、魔法詠唱者の横に立つルベドへも集まっていく。

 背や耳へ、なんとも神聖な翼状の飾りの付いた美しくも超常の白き鎧と聖剣を持つ姿。また、目や顔を隠す兜のバイザー部を上げた表情にも注目された。

 

「なんたる美しさ……」

「あぁ……神様の使いか……」

 

 周囲の数十名がザワザワしている感じだけで、1分程もそのまま放置された。

 仕方なく再度ゴウン側が催促する始末。

 

「失礼。状況は急ぎます。レエブン候閣下への目通りの取次を」

「おおぉ、そうでしたな。直ちに」

 

 騎士長が動いて、支配者は数分後に、部隊を停止させたレエブン候との対面に漸く臨む。

 ゴウン氏は先ず、王国軍の待ち望んだ決定的な状況を説明する。

 

「こちらの反撃により、竜王から撤退の意志が取れました。既に向こうは、全軍で停戦と宿営地への帰還へ動いているはずです。こちら側も速やかに――」

 

 すると六大貴族の男は、話しの途中ながら満面で喜びを爆発させてゴウン氏の巨体の両肩を同時に大きく叩いて掴む。

 

「――素晴らしいっ! よくやって下さいましたぞ、ゴウン殿っ」

 

 竜王との戦闘や、今もゴウン氏の後方に見えている光の柱の大魔法等、尋ねたい話はいくつもあるが、まず王国軍の総司令官として感謝を述べた。

 これで大事な息子のリーたんが守れるとして。無論、本音は出さないが。

 それに対し、ゴウン氏は淡々と語る。

 

「約束ですので最善を尽くしました。なのでこちら側も直ぐに、全軍への指示を」

 

 何を指示するかについて、アインズは語らず。

 侯爵は強く頷くと口を開いた。

 

「――伝令の者達よっ。即刻、総指令の最優先命令として、これより告げる」

「「ははっ」」

 

 レエブン候の言葉に、傍の騎士姿の者が数名膝を折る。

 

「急ぎ全軍へ即時停戦と、陣形維持し今の速度での300メートル後退を告げよ。それと、直ちに全軍へ向けた停戦の信号弾の用意を。準備出来次第で撃て! 王都冒険者組合側へは通達してあるはずだが、一応各方面師団の小隊指揮官以上には、見掛けた冒険者達へも通達するように告げよ。停戦により、竜兵を余計に挑発するなとな」

「「はっ、直ちに」」

()けっ!」

 

 レエブン候の言葉で弾かれるように、10名程の伝令がこの場を駆け出してゆく。

 ここで、一息の時間が少し出来るかに思われたが、一人の伝令の騎士が慌てた風で飛び込んで来た。

 

「閣下、お知らせします!」

「どうした?」

「はっ。部隊最後方にて――アンデッドの()()が出現したとの事。現在、既に戦闘中であります」

「なんだと。規模は?」

「――! (うわ。竜の死体は概ね回収しているはずだけど、抜けがあったのかな)」

 

 レエブン候の表情は「どういう事だ?」という疑念に満ちた表情を浮かべて伝令へ問うた。

 傍に立つゴウン氏は、仮面内で『全体が上手くいっていた流れなのに』という不快な感じで左下へ視線を落としていた。

 ただその感情は、決して配下のNPC達に向けたものではない。

 当然だろう。余計な事を始めたのは間違いなく『ズーラーノーン』の連中のはずである。

 総司令官の問いへ伝令の騎士が答える。

 

「我が軍団後方で確認した数は、およそ400でございます」

「400? ……難度の低い動死体(ゾンビ)骸骨(スケルトン)程度なら問題無かろう?」

「いえ、それが――死んだ兵士や冒険者が大量にアンデッド化して強くなり戦力が膨れ上がっている模様。また、死んだ者が10分程度で、アンデッド化し短時間で数が倍増する勢いです」

「なにぃ!?」

 

 レエブン候が驚きと対処に苦悶する形で声を上げる横で、仮面内のゴウン氏も少しだけ同じ気持ちを共有していた。

 

(なにぃ!? ズーラーノーンの計画って竜の死体を使うんじゃなかったのかよ? いや……手に入らなかったから、まず戦場にある人間の死体の利用や大軍の兵達と冒険者へ標的を切り替えたのかっ)

 

 御方は呆れつつも、敵の基本戦略転換には納得出来た。

 そうして思う。

 

(元が竜だと20体ぐらいまでだろうけど、人だと数が多いだろうし対処は面倒臭いなぁ)

 

 纏まって居れば殲滅は難しくないが、恐らく相当数が全域へ分散してるはず。

 折角、竜王との戦いにおいて目撃者の少ない状況へ出来たと言うのに、彼は王国軍の見ている中で上位魔法の使用を避けたかった。

 即ち彼としては、王国軍の敵わない竜軍団との戦いは片付けたから、何とか出来そうなアンデッド勢ぐらいは自力で対処して欲しいという考え。

 ふと、支配者は放置気味だったサキュロント達の事を思い出す。

 連中には元々、秘密結社側の序盤戦における少数だろう竜のアンデッドの間引き的行動しか期待していなかった。

 

(あー、死の騎士(デス・ナイト)達は王国軍師団に捕捉されるとマズイかもしれないな。ズーラーノーン側のアンデッドと纏めて倒す標的に認識されたら面倒か)

 

 なので、レエブン候が小さく唸りつつ対応策を思案する横で、絶対的支配者も王国北西部に居る死の騎士(デス・ナイト)だけを認識し対処する。

 〈中位アンデッド作成〉で生み出したアンデッドはこれまでにもう500体以上あるが、地域を絞れば個体単位でまだ認識は可能だ。

 ここで1体足らないことに初めて気づく。

 

(ん? 既に戦闘になったのかな。単体に倒されたのか複数に倒されたのか、少し気になるな)

 

 そう考えながら思念を飛ばして1体へ命じる。

 

(――死の騎士(デス・ナイト)達よ、東部戦域外で同行のサキュロントと別れ南へ向かい、王都北方50キロ……その辺りを、人目に付かず目指せ。朝までに、シャルティア達で回収させる。目安としては穀倉地帯の中央に大森林があるが、その南東の端から南へ約25キロだ)

(――オオォォァ……)

 

 死の騎士(デス・ナイト)から受諾の意思が伝わって来た。問題なく通じたようだ。

 サキュロントには一応、ゼロら『六腕』のメンバーがリ・ボウロロール傍で終戦まで徘徊潜伏している件を告げている。何とか合流するだろう。一人で放り出されて困惑すると思うが、死の騎士(デス・ナイト)達を撤収させた理由である『王国軍に攻撃される危険性』についてを後で語ればいいはずだ。

 先の疑問も死の騎士(デス・ナイト)へ確認してみる。

 

(――死の騎士(デス・ナイト)よ、1体いないが倒されたのか?)

(――オオァオ、オォォァ……)

(――そうかそうか。身形(みなり)は冒険者風だったか。では、相手は単独か複数か?)

(――オァァ……)

(――ふむ。やはり複数に倒されたのだな)

(――オォォ、オオオォォォァ! オオォァァァオ……)

(――そうだったか。残念だ。いつか討てるといいな。ではな)

 

 思念でシモベ側の何を考えているのか完璧には掴めないが、ある程度は伝わって来る。

 最後のは「ムカついたので、相手の半分はぶっ殺しました! でも仇には逃げられました……」そんな感じだ。

 Lv.35の死の騎士(デス・ナイト)を1対1で倒すアンデッドが居れば、王国軍だけでなく冒険者達でさえ相当厳しい相手となるだろう。

 だが、今のところは杞憂のようである。

 これでゴウン氏側での直近の用件は、レエブン候の陣を辞した後でシャルティアへの死の騎士(デス・ナイト)達の回収連絡と、ユリの状況確認。そしてマーレと偽モモンの現状確認ぐらいである。

 反撃前に、王都北方の駐留地でシャルティア達へ「反撃完了を伝えるまでは連絡無用」と告げていた。それもあって、ガゼフを護衛させているユリについてフォローさせていた形。

 なので、『竜兵にユリが殺され掛けた』という話を絶対的支配者はまだ知らない。

 この場では〈伝言(メッセージ)〉を使いにくいので、ゴウン氏はレエブン候の次の指示について少し考えていた。

 

(俺と国王達の公約は〝今回の戦争に手を貸せ〟というものだったはず。戦争が終わったかはまだ微妙だしなぁ……。それに、レエブン候がこのアンデッド勢を〝どこの手の者〟と判断するかな。竜軍団による騙し討ちとか判断しないとは思うけど)

 

 戦争は終わった風に告げた手前、ゴウン氏も侯爵に「まだ終わってないのでは?」と突っ込まれる可能性が残り、スッキリしない時間が1分程、場を流れる。

 両眼を閉じて考えていたレエブン候は、瞼を重そうに持ち上げながら目を開き呟く。

 

「これは……一体全体どこの勢力からの攻撃か?」

 

 戦争が終わった、終わり掛けた王国軍の弱り切っている状況で仕掛けてきた戦いとも取れる。

 しかし、それは残存戦力豊富なまま停戦に移った竜軍団が実行する意味はまずないだろう。

 残っているのは、近年戦争を続けているバハルス帝国か戦士長を討とうと擬装戦力や極秘部隊を送り込んで来たスレイン法国。しかし、人類圏の危機と言える状況で、戦争がまだ終わっていないだろうこの契機に仕掛けて来るとは考えにくい。

 王国が滅びれば、次は帝国か法国も危なくなるのは考えるまでも無い話なのだから。

 それだけに、レエブン候には理解と判断が直ぐつかない。

 大局が見えないので今は戦略を取りづらい状況であった。

 

「アンデッドの部隊だと……」

 

 そう言いつつ、侯爵は一瞬だがゴウン氏の方を見た。なぜなら、ついひと月半程前にゴウン氏はカルネ村で3体の死の騎士(デス・ナイト)を使役して法国からの擬装騎士団を殲滅したと聞いているからだ。

 でもたった今、公約通りに大敵の竜軍団を退けた眼前のかなり信用出来る人物が、実行する意味も全然無いと思える。

 ふと視線を地面へ落としたレエブン候の動きが止まった。

 アンデッドが1名居る『六腕』を擁する大規模地下犯罪組織『八本指』も一瞬浮かんだが、彼等も各地の都市が壊滅すれば大打撃になる。利に聡い者達だからこそ、最後は何も残らないと知るはず。

 現状での人類軍への攻撃は、正に狂った者達の所業。そして国の戦力を相手に、アンデッドを大量動員出来るのは相当の組織力が必要に思えた。

 それに全て当てはまる侯爵の記憶にある勢力は――ただ一つ。

 

「まさか……()の秘密結社か? ……そうなのか。〝ズーラーノーン〟なのか?」

「……(凄いな、気付くんだ。流石は総司令官を務める程の才を持っているなぁ)」

 

 ゴウン氏は内心で感心する。

 大量の死を撒き散らす集団。その理念に、人類圏も国家も富も名誉もない。

 あるのはただ、己達の破滅的な欲望を探求するという狂った心理のみ――。

 敵の姿をそれなりの確信で捉えたレエブン候は、直ちに反撃の指示を飛ばす。

 

「続けて、緊急指令を伝える」

「「はっ」」

 

 『ズーラーノーン』は20年ほど前に大量のアンデッドを増殖発生させ『死の螺旋』で都市を滅ぼしている。故に最大の有効策はアンデッド勢の早期殲滅だろう。

 全軍でまだ10万程と冒険者も1700名は動いている王国総軍。数ではまだかなり優勢と思われる。ただし、戦場内で部隊は分散展開している為、速やかな戦略と戦術の転換が必要であった。

 

「直ちに各方面の大貴族指揮官達へ伝えい! 竜王軍団との停戦は維持しつつ、今から敵を()()()()迫って来るアンデッド共へ絞って戦うように。全軍で各部隊を集結させ、アンデッドの部隊を発見次第即時殲滅せよ。火計を中心で組織的に包囲し圧倒するのだっ。尚、戦死、重傷の兵は躊躇わず首を落とす様に。これは総指令の厳命として伝えよ。近隣の冒険者達への協力も合わせてな。急げ」

「「ははっ」」

 

 先程と同数の伝令騎士が去っていく。

 総司令官として目の前の強力な戦力のゴウン氏に助力を求めれば、という考えも当然ある。

 しかし――これ以上この御仁を目立たせては、戦後の王国内のパワーバランスがどうなるのかという大きい不安を拭えずにいた。

 

(この目の前に広がる、巨大な光の柱は初め何なのだと思っていたが……殆ど崩れ果てていた都市の分厚く高かった外周壁がかなりの規模でもう修復されている……これはまさか……都市復元の超魔法なのか?)

 

 記憶の限り歴史書も含めて、これほどの規模では聞いたことが無い。

 瓦礫で埋め尽くされた数キロ四方の大都市が完全復元される……それは壊すよりも、時間や資材や資金に労働力を考えれば圧倒的に難しいはずの事象。可能にするそれは、正に夢か幻でだけ。

 そう思っていた。

 

 もし完全復元した場合――莫大となる敷地や建物の所有権や利権は一体どうなるのか。

 

 この時点で侯爵は、まだ都市の実に37万を超える人的面の復活には気付かず……。

 利権について、王家が王城会議の場で一旦、竜軍団占領により事実上周辺丸ごと放棄しているというのもある。

 また王国内の実力者の筆頭でもあった、六大貴族のボウロロープ侯爵がこの戦争で去ってしまっている。猛烈に対抗出来る勢力は弱まっていると言える。

 

(……ゴウン氏については、よくよく考える必要がある)

 

 今後を見据えれば、国内のみならず周辺国に対してさえ彼の存在は非常に大きくなるだろう。当然ながら王国として最早、決して彼を無下には扱えない。

 貧相な辺境地の自治領の話は兎も角、既に多くの金貨譲渡と第二王女を娶ると言う話が決定的でもある。

 重ねた異常な功績を考えれば、一介の旅の魔法詠唱者が改めて『侯爵』として、復活した大都市エ・アセナルを治め、いきなり王派の一角に入る可能性をレエブン候は考えてしまっていた……。

 

(親王派に圧倒的な戦力が加われば、王国の未来の安定に繋がる事は間違いない)

 

 愛しい息子のリーたんの安らかな将来を考えれば、ゴウン氏と第二王女との間に生まれた娘を嫁に貰って縁者となるのはどうかとまで考えてもみる。

 そんな未来の思考の中であったが、まだここは戦場であるという現実に引き戻される。

 未だ国王と第一王子の安否すら不明ときている。もっと状況が不安定になる可能性を孕むのだ。

 

(まだ、周辺が余りに流動的過ぎるか。判断をする段階には遠い)

 

 レエブン候は、冷静に今を考えて口を開いた。

 

「……コホン。ゴウン殿」

「はい、なんでしょうか」

「竜王軍団の撤退に当たり、王国側として竜王へ確認したい事が少しあり、一度だけ会見出来ないだろうか? 会見の時間については、竜王側へ合わせますので」

 

 『ズーラーノーン』勢と思われるアンデッド部隊も十分気になるが、王国としては竜軍団の方が十倍以上脅威であり、まずそちらを処理するのが冷静な判断と言えた。

 レエブン候の言葉に正直、ゴウン氏は何を聞きたいのか気になった。しかし、国家の事に関して一介の者が尋ねるのも変に思えた。

 

「……分かりました。向こうが乗るか分かりませんが、上手く提案してみましょう」

「よろしく頼みます、ゴウン殿」

 

 侯爵としては一瞬、ゴウン氏に数名居ると聞き及ぶ美女の配下が、この場に1名なのが気になった。他は別動中なのだろうか。まあ今後、彼の及ぼす影響力を考えれば戦力減も期待するが。

 特に今確認する事をレエブン候はしなかった。

 

「では、早速行ってきます」

 

 ゴウン氏はそう告げると、顔のバイザーをここでは下ろして脇に控えていた天使の如き護衛騎士を連れて、レエブン候の本陣を一旦立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 灰が酷い地上を避け、アインズとルベドは既に〈飛行(フライ)〉で上空にいた。

 某天使はここで臨戦状態を解き、兜や翼の鎧部分と聖剣を装備収納へと仕舞う。

 そんな姿を眺めつつ、御方はてっきりレエブン候から『ズーラーノーン』戦への協力を告げられるかと思っていたが、それがなかった事で逆に考えを巡らす。

 

(あれ……? 本当に大丈夫なのかな。脅威差で竜王達を優先するのは分かるけど。ここで王国軍が各所で打ち破られて、アンデッド勢が周辺に溢れたら折角の停戦と両軍退却の話がグダグダになりそうなんだけど。こっそり手伝うか……まあちょっと様子を見よう)

 

 侯爵からのアポイントメント依頼は、急ぎでは無い。竜王は今頃戦地を飛び回っているはずであるから、それが落ち着いてからで問題ないはずだ。

 

「さて。まず、シャルティアへ連絡してみるか」

 

 ルベドは、コクコクと頷く。ただそれは、主人の言に同意してのものかは不明だ。

 護衛として御方の周辺を警戒しつつも、既に忍者三姉妹の行動へと〈千里眼(クレアボヤンス)〉を飛ばす。彼女は先程のレエブン候の陣でも、周辺警戒をしながら、当然の如く片手間で保護対象の姉妹達の深夜の寝姿を順次堪能していた……。

 

「〈伝言(メッセージ)〉――聞こえるか、シャルティア」

『はい、我が君~』

 

 真祖の姫のとても嬉しそうな声が思考に流れる。

 

『何かお手伝いする事態でありんしょうか? 直ちにそちらへ伺いますが』

「いや、大丈夫だ。竜王達とはもう上手く話が付いた」

『流石はアインズ様っ!』

 

 シャルティアの褒める声は一際嬉しそうである。

 その声を聞き当然、絶対的支配者も悪い気はしない。だから、さり気なく配下達を褒めてやる。

 

「うむ。だがこれも、お前達が各所でしっかりと働いてくれたからだと思っているぞ」

『ああ~~我が君~』

 

 見れば目の前でルベドがコクコクとしてる事に、絶対的支配者は少し納得いかないが……。

 

(竜王へ速攻でダメージを与えて、負けを認めさせるとルベドに宣言したのは確かに俺だけど、竜王や妹の不意打ちだった体当たりの初撃を護衛としてなぜ防がなかったのかは、後で問い質す必要があるなぁ)

 

 とりあえず、それは置いておきシャルティアへと伝える。

 

「実はな、先日私が生み出した死の騎士(デス・ナイト)9体を現在、南へと移動させている。存在すれば無用な憶測を呼ぶだろうから、それを回収せよ。急ぐ要件とは異なるから、今日の朝までで良い。その頃には近くに隠れているはずだ。ソリュシャンかシズに見つけて貰え」

『了解しました。他には何か』

「うむ。ユリの方は変わりないか?」

 

 この何気ない御方の質問に対し、シャルティアの雰囲気は激変した。

 

『アインズ様…………実はそのユリですが、3時間程前――』

 

 ソリュシャンがユリの反応を2つ捉えた状況から、首の離れたユリ救出と40頭程の竜部隊殲滅劇を聞く。後半は、ユリから聞いたという戦士長の護衛任務中に、竜長に敗れて死に掛けた話を6分程で一通り聞いたアインズ。

 二周ほど怒りの精神抑制が掛かっていた。

 

「……ユリを手に掛けた竜と、ソイツの率いていた周辺の竜部隊は全て殺し終わったのだな?」

『はい』

「――分かった。ユリの救出ご苦労である。よくやった」

『はい。ところで、アインズ様。残った竜の軍団の殲滅は宜しいので?』

 

 両者とも淡々としているが、非常に緊張したやり取りとなっている。

 シャルティアは既に臨戦態勢である。「やれ」と一言頂ければと。

 絶対的支配者には竜王らへと以前から少し考えていた事があったけれど、方針はこの時点で転換された。

 

「……竜王に軍団の撤退を約束させたのは私だ。ここで反故には出来ぬ。回収した100体程の竜の躯について今後、竜王と前向きな取引するつもりだった。だが、それをやめる事にする。復活を条件として、定期的に一定量の竜の皮を貰うつもりでいたんだがな。竜の躯については、全てナザリックで有効利用するとしよう。……竜王へは別の提案をするつもりだ」

『はい、アインズ様。連中には相応しい待遇でしょう』

 

 絶対的な支配者の意見にシャルティアも賛同した。

 

「では、死の騎士(デス・ナイト)の回収と、ユリの件は引き続き頼む」

『お任せください、我が君』

 

 通信を切ったアインズは、当初この後直ぐにマーレへ繋ぐつもりでいた。

 しかし彼は、ユリが自分の気付かぬ間に危機を迎えていた事に少なからずショックを受ける。

 

(――クソ、クソっ。なんて事だよ。でも……これは俺の責任だな。それと、この者にも()()()きちんと伝えておかねばならない)

 

 絶対的支配者は空中でルベドの方へと向き直った。先程浮かんだ護衛時の不満は、既に小さい話になってしまっていた。

 シャルティアとの会話の後半で漏れた「おのれぇ」という怒りの言葉と、張り詰めたような「別の提案」と語った厳しい主人の雰囲気に天使も『何かが起こった』と気付く。

 

「ルベドよ」

「はい、アインズ様」

「シャルティアからの報告で、3時間ほど前か、任務中にユリが死に掛けたそうだ」

 

「えっ?」

 

 ルベドにとり、勿論ユリもプレアデスの長女として保護すべき対象である。

 その者が死に掛けたと聞き、流石にビクリとした。そして、当たり前のように怒気を上げる。

 

「――誰が!? 敵は?」

「ユリと闘ったのは部隊長の竜で竜長の中でも相当強かったみたいだ。どうやったのか……孤立した中で王国戦士長が1対1で見事に倒したらしい」

「えっ? あの人間が……」

「ああ。正直、聞いた私も驚いている。武技を発動しても戦士長の水準では、普通に無理だと思うんだがな。一時的なパワーアップアイテムでもあったのか……それはまあいい。重要なのはな、連中の部隊が北から40頭程で進撃して来たらしい。そして、それを命じたのが――間違いなく竜王自身と言う事だ」

「――っ!」

 

 流石のルベドも絶句した。偶然の1対1の遭遇戦ではなかったのだ。

 そうして事の重大さを理解し、彼女は静かにゆっくりと俯いていく。

 

「これは、私が甘かったと言う事だろう。ユリへの配慮も足りなかった。全て私の責任だ。

 以前、王都内の私の屋敷が攻撃された場合の例をあげたが、やはり矛盾が起こる可能性があったのだ。それはいつか、本来守るべき者らを死なせる事に繋がってしまうかもしれない。

 だから――お前もナザリックの敵に成った者には今後、如何なる理由でも容赦するな。私が敵対者には厳しいと知りおけ。いいな、ルベドよ」

「……………………はぃ」

 

 最強のルベドがしょげて小さく言葉を返して来た。

 でも、やはり少し可哀想になったアインズは、ルベドに告げてやる。

 

「……お前との約束や竜王との交渉など幾つかの宣言(アルベドにも言っちゃってるし……)に加え、竜軍団に限れば撤退が決まった後は竜王自身が動いて終戦進行が速やかな部分もあるしな。今回は特例だぞ。私は後でユリを見舞おうと思うが、一緒にくるか?」

「――っ!」

 

 コクコクコクとルベドは反応した。

 素直さを感じた支配者は、一応、戦闘時の疑問もついでに尋ねてみる。

 

「ところで……私と竜王との戦闘中の話だ。竜王と妹の竜からの不意打ち的な攻撃時に、お前が動かなかったのは何故だ?」

 

 アインズとしては、どうも納得がいかない部分である。

 それ以外は、自分の宣言が関係していると思えるが、ルベド本来の護衛の任務から外れるのではと。

 ――一種の不安である。

 それに対し、ルベドは当たり前のように答える。

 

「それは――あの時の、それぞれの攻撃に限っては、アインズ様の魔法防御でダメージゼロだと分かっていたから。でも、初撃以外で妹の竜のビルデバルドまで闘いに入ると、アインズ様でも厳しいと判断した。だからその後、妹の竜は引き離した。竜王との1対1では、アインズ様が勝つと分かっていたから」

「……そうか」

 

 彼女の判断はやはり特殊なようだ。護衛としてはかなりおかしいが、安全面はしっかり考え配慮している様子。適当な対応とは違う感じに思えた。

 まあ確かに、彼女は緊張感がある関係を好むようなので、支配者にも常に油断せず警戒していて欲しいという考えの延長線上的行動なのかもしれない。

 それに――あのたっちさんに勝つには、相当先の動きまで多分岐して読めなければ難しい。

 

(俺や敵の動きと実力を正確に読み切っていたということか)

 

 その彼女の自信ある考えの結果が、怠慢やワザとにも見えた敵攻撃スルーの真実の様だ。

 

 

 つまり、ルべドは主人のアインズを強さの面も含めて信頼している――という事だろう。

 

 

 逆に言えば、信頼に足る行動をいつも求めているとも言える。

 

(……そういう考えの者が多いのは当然かな)

 

 彼自身がそうだから納得出来る。

 ルベドの今の真意が概ね分かり、絶対的支配者はひと安心した。

 竜王の妹は、昨夕の戦いで強大なパワーを垣間見せたがまだ魔法の面で底を見たわけでは無い。全力のシャルティアで、どうにか倒せるかもしれないが、1対1のマーレやコキュートス、セバスでは厳しい相手の可能性が高い。

 こういった圧倒的にイレギュラーな相手が登場した時こそ、ナザリックにとり武技を習得した事で完全に規格外となったルベドの存在は非常に大きい。

 実際に、あのビルデバルドは戦闘への介入を躊躇していたほど。全く底が掴めなかったルベドの全力を恐れたからと考える。

 この天使には、ずっと良い子でいて欲しい。

 

「ルベドよ」

「……?」

「今後とも、護衛は任せるぞ。しっかりな」

 

 ルベドは承諾を口には出さず、静かにアインズへとそっと優しく抱き付く。それは……サバ折りじゃなかった。

 

「さて、マーレに繋いでみるか。戦場内の現状確認やアンデッド勢への対処も気になる」

 

 ルベドはアインズへ抱き付いたまま、顔を上げコクコクと頷く。

 一方で、遠視での姉妹寝姿探訪も再開していた。まあ彼女のマイペース振りは変わらない。

 現在、レエブン候の陣を出て20分近くが経過している、午前1時15分過ぎ。

 支配者はマーレへと〈伝言(メッセージ)〉を繋ぐ。最前線組なので一応、毎日数回は確認をしている。

 

「マーレ、聞こえるか? 私だ」

『……ド、竜王(ドラゴンロード)の停戦と撤退の呼び掛けに、竜達が周囲からあらかた飛び去っちゃいましたね……僕達はどうしましょう』

 

 どうやら、竜王はもう東南方面の戦線へ現れたらしい。

 冒険者組合長達が近くにいるようで、マーベロとして彼女は当たり障りのない内容を呟いてくれていた。

 また、王国軍へ知らせる停戦の信号弾は、この時点でまだ打ち上げられていない。恐らくレエブン候は、今の段階で戦場全体の緊張や即応解除を躊躇ったと思われる。

 

『え? 僕達も一旦、東南方向の外へ移動ですか?』

 

 部隊長のアインザックは竜王軍団側の動きに合わせるのが懸命と判断した様子。

 大局では正解だが、やはりアインズとしては微妙な判断に思えた。なので伝える。

 

「マーレよ。私は30分程前、竜王の全面撤退了承の話を王国軍総司令官のレエブン候へ伝え、侯爵の陣を離れた。その去り際に、侯爵の軍団後方から数百体のアンデッドの部隊が襲って来たとの伝令が来た。敵はクレマンティーヌの話から〝ズーラーノーン〟の連中だろう。どうやら戦場後方から攻撃を始めた感じか。間もなくそちらにも個別で協力要請が来るはずだ。冒険者達には油断させるな」

『……あ、あの、アインザックさん。下がる時も、従来通りの即応体制は維持しましょう』

 

 マーベロは、アインズからの情報を即時解釈し、アンデッド勢と遭遇しても対応できる形をさり気なく提案する。英雄モモン率いるチーム『漆黒』の天才魔法詠唱者からの言葉は、この頃には周辺へかなりの発言力を有していた。

 

『ありがとうございます。あぁ、そ、そんな……』

 

 どうやら、進言が認められた模様だ。更に周囲から「そうだな、ここはまだ戦場だ。皆、気を引き締めよう。しかし、モモン君同様で、もう完全にベテランの域だ」「本当に。この若さで第4位階魔法を幾つか習得して尚、この落ち着きと判断は凄い」と誉め立てられている空気も伝わって来た。

 

(相変わらず、パンドラズ・アクターと共に周りと上手くやっているようだなぁ)

 

 何も心配する感なく御方は伝える。

 

「ふむ。マーレ達は良くやってくれている。いい感じだな。引き続き頼むぞ」

『(は、はい)』

 

 こうして、偽モモン達の所は問題無く確認を終わる。この時は。

 この後、どうするか。

 無論、単独護衛を続けるユリの方も気になったが、横に戦士長が居る話と、シャルティア側も頻度を上げてソリュシャンと共にユリの安否確認をしていると聞いた。今の時点だとアインズ達との再会は唐突であり、辻褄が難しくなる。赴くのは時間を置くべきに思えた。

 なのでここは『蒼の薔薇』に付けていたハンゾウへ連絡。「王国戦士長と居るユリ・アルファの護衛に復帰せよ」と指示しておいた。

 こうなると、単独ではないが遠くの地で戦闘活動をしているセバスとルプスレギナ達の方も、より気を配る必要があるのではと支配者の思考へ僅かに(よぎ)る。

 

(真夜中でビーストマン達の動きも活発な時間か。でもセバスが居るし心配し過ぎかな。過保護なのもいい傾向じゃないし。直接連絡で聞いた話でも直近の問題として、大量の援軍が一度に来るという状況を、裏方としてどう(さば)くかぐらいだからなぁ)

 

 考えた末、セバス達については、現状維持で見送った。

 

 さて、竜王軍団の撤収進行に比べて先のマーベロ達の周辺状況から、王国側は戦域の広さや10万越えの規模もあり、兵や冒険者への連絡が遅いように思われた。

 

(はぁ。アンデッド部隊への対応が遅れれば、どんどん倍々ゲームになる感じだよなぁ……)

 

 元冒険者のアンデッドなら、数体でデス・ナイトを倒せる者も居ると言う話。

 一般の民兵らが、今の『ズーラーノーン』の特殊な儀式下で死んでアンデッド兵に変わった時、どれぐらいパワーアップするのかを知っておいた方が良い気がした。

 実際に早速確認する。

 

「ルベドよ。周辺でアンデッド化する前と後ではどれぐらい変わっている?」

「……Lv.1だった人間なら、Lv.2になる者はまず居ない。小隊長っぽいLv.5から10の者だと、3上がった者もちらほらに居るので良くて上昇幅は3割ぐらい?」

「ふむ、元がLv.40なら50前後になるのか……」

 

 確かに竜の死体に使われ、数が集まればかなりの脅威だったろう。

 冒険者達だとLv.15の者なら3か4UPする。階級が従来よりほぼ1つ分上がりそうだ。

 

(アダマンタイト級で死んだ者はまだ居ないが、オリハルコン級やミスリル級の者達は10人単位で居るんじゃ――)

 

 そう考えると、嫌な予感も浮かぶ。

 腕組みをする主人へ、珍しくルベドが声を掛けて来た。

 

「アインズ様。冒険者で死んだ者が結構いるかも。アンデッドでLv.10を超える者達は現在、広域で250に近い」

「……アンデッド反応の総数は?」

「約5100」

「因みに、一番レベルの高い個体は?」

「Lv.32。だけど、武技を使っているのかLv.40相当の反応の個体も居る」

「ほう……(複数で死の騎士(デス・ナイト)(ほふ)ったのはその辺りかな)」

 

 Lv.30程あれば、死の騎士(デス・ナイト)と結構戦えるはずだ。

 それよりも、天使からはマズイ話が語られる。

 

「復活中の大都市内に、そういったアンデッド達が結構固まってるみたいで」

「なんだと? チッ……アンデッドへ種族が変わってるから生き返らず……か」

「どうする?」

「クソッ(折角復元して、死者も復活させようとしてるのになぁ)……仕方がない。10分程で都市内の邪魔者は全部片付けるぞ」

「分かった」

 

 アインズ達は手早く空中で()()すると、復活しつつある大都市エ・アセナル内へとルベドの〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉で緊急出動する。

 幸いなことに、頑丈な都市周囲の外周壁からほぼ復元されつつあり、内部も建物がまず優先される形で順次進んでいた。大量の死体については最後に修復・蘇生されるようで、まだ都市住民は戻っていない状態。

 なので知能の低いアンデッド達の都市内への再侵入は、かなり制限されそうで好都合。

 支配者達が現れた場所は、エ・アセナル内北東地域に建つ立派な神殿の近く。

 結構な広範囲を遠視でカバーしている某天使だが、ワンクッションぐらいは掛かってしまう。

 

「あの大きな建物の中に、一番レベルの高い個体が居る」

「そうか」

 

 建物は視認出来たので、アインズも移動潜入が直接可能となった。

 この時、地上の激変を捉えた『ズーラーノーン』盟主と幹部達は、都市内墓地直下の地下アジトに居たが、流石に200メートル近い最深部だとLv.40程度の者の小さな反応はルベドも拾えなかった。障害物が分厚い(ゆえ)、対象の気配を阻害された為だ。マーレなら違っただろうけど。

 廃虚だった神殿を根城にしていたアンデッドの元冒険者達は皆、建物が綺麗に変わっていく状況に、落ち着きをなくし狼狽えつつも未だその場へ留まっていた。

 一応、創造主(マスター)である、『ズーラーノーン』盟主からの思念は届いて来ており『何が起こっているのか、周辺から確認する。少しの間、現状待機せよ』との指示による。

 

「ど、どうなってるんだ、リーダー?」

「……慌てても状況は変わらねぇ。まず落ち着け」

「そうは言っても、周りはボロボログチャグチャで、死体がそこかしこに溢れていたから落ち着けたんだ。それが、見る間にこんな綺麗に戻りやがって……生きてる奴らの街に戻っちまったら……俺達にはもう、居るのに相応しい場所は墓場ぐらいしかねぇ」

「うわわ……息苦しいな」

「糞がぁ。おい、目障りだし、またぶっ壊しちまおうぜ!」

 

 そう言って、元ミスリル級の冒険者がまず立ち上がる。それに続き10名以上が立ち上がっていく。

 

「おう、やろうやろう」

「ひゃっハァァァーー破壊だぁぁ」

「派手にやろうぜ」

 

 しかし――。

 

「全く。折角直しているのに、迷惑な話だな」

 

 広い空間だからかタイミングが良かったのか、その反論する重々しい声は聖堂内へやけに大きく響いた。

 

「「「――!?」」」

 

 3階分程の吹き抜けの広い聖堂の中、高い位置に付けられていた星明り越しのステンドグラスを背にした2人の人物が、飛び降り白の大理石張りの床へと静かに着地する。

 2人の姿は、片方が大柄ながら赤いマントに細身の全身黒鎧の騎士。もう一人は小柄な深緑で白淵の兜や鎧に灰紺のローブ姿の女騎士であった。

 

「……何者だ?」

 

 『混沌の死獄』の死の連鎖元となる第一世代のアンデッド50体のリーダーである元オリハルコン級冒険者が侵入者へと尋ねる。

 それに答えるのは黒騎士ゼヴィエス。

 

「これから直ぐに消え去る者達へ語る必要はないな」

「「「――っ!」」」

 

 周囲にいた、35体のアンデッド達を一瞬で完全に敵へ回した2人である。

 リーダーの次の一言と連中の行動は決まっている。

 

「殺せ!」

「「「おおぉーーーーーーーっ!」」」

 

 たった2人の愚かな侵入者に対し、35体もの元冒険者アンデッド達が容赦なく襲い掛かる。徒党を組み連携度の高い彼等は、アダマンタイト級冒険者チームさえも明らかに上回る戦力だった。

 ところが……1分後。

 元冒険者アンデッド達全員の首が飛んでいた。いや、首と言わず連中の全身が小間切れに変わっていた。

 〈完璧なる騎士(パーフェクト・ナイト)〉を実行中の黒騎士と、武技を発動するまでもない超天使騎士の攻撃を前に敵では無かった。

 結果的に腐敗した肉片と液体を撒き散らし、神聖なる堂内を派手に汚してしまったかもしれないが、御方にそこまでの面倒を見る気は無い。

 

「あと8分程だし次に行くか」

「分かった」

 

 2人は、延べ15箇所程を回り、都市内に残っていた400体以上のアンデッドを人知れず手早く掃討した。

 それは両名にとって、うっぷん的モヤモヤがスッキリし、ちょっとした良い気晴らしとなった。

 

 

 

 

 

 復活中の都市に湧いていた邪魔者共を綺麗に排除し、軽く一仕事を終えた絶対的支配者(アインズ)とルベドは、午前1時半頃、エ・アセナル北側の竜軍団宿営地傍の空へとやって来た。

 侯爵から依頼された竜王側との会見のアポイントメントを取る為だ。

 上空で直掩する竜兵に止められるのも面倒なので、探知力の高い竜王や竜王の妹には分かるはずと〈上位(グレーター・イン)認識阻害(フィビット・レコグニッション)〉を実行し堂々と空から接近する。

 すると上空へと、竜王自身が妹を伴って上がって来る。

 ただ、竜王の思考はこの時、大きな厄介事で一杯になっていた。それは――。

 

 軍団長の彼女は、配下の5つに分けた大部隊のうち、既に4つへの指示を終えている状況だ。

 残りの1つは未だ竜王を戦域外で捜索している部隊。広域へと数頭の伝令を送り、まず宿営地まで帰還するよう順次指示中。

 あと、別というか真っ先に――南進させた42頭の部隊へ、高速飛行の得意な2頭の伝令を大至急で向かわせている。南進部隊からは、昨晩午後9時過ぎに「人間共1万程の部隊をほぼ殲滅。間もなく南進を再開する」という連絡が来ていた。

 知らされた進撃再開時間から優に4時間以上経過していた為、『人間国家の都の一つが壊滅』という最悪の事態が想定される。竜王ゼザリオルグとしては、今更慌てても仕方なしという時間経過度合であった……。

 

(かー。……あーあ。これは、あとでアインズに頼むしか……)

 

 そんな居た(たま)れない心境の彼女。

 

(……おっ?)

 

 撤退指示が一段落し一頭で休息していたところ、吸血鬼の魔法詠唱者程度の大きさながら、馴染みのある存在達が()()近付いて来るのに気付いた形。

 

 

 接近者達と竜王達の再会地点は、宿営地から南へ約500メートル、高さ200メートル辺りの位置だ。

 ゼザリオルグは、探知位置へ居るだろう者へと言葉を投げかけた。

 

「姿が見えにくいが存在はハッキリ分かるぜ。この感じアインズだろ? 用はなんなんだ?」

 

 絶対的支配者に続き、護衛の天使も阻害魔法を解除する。

 姿を見せた仮面のアインズは直ぐ依頼を伝える。

 

「ああ。取り敢えず用件だけ伝える。実は竜王軍の撤退に関して確認したいことが王国側にあるらしい。それで、一度会見の場を持ちたいという。どうだ?」

「はぁ?(チッ、そんなことかよ……) アインズは質問内容を聞いてねぇのか?」

「そうだ」

 

 竜王は、厳つくても判別の付くほど、結構怪訝な表情を竜顔へと浮かべた。あれだけ自分を死なせないように何度も何度も説得したのだから、()()()()()()()()があるはず……とも思って。

 それと彼女は以前、『和平の使者』の謁見を許したが、あれは取引的な事情を考慮しただけ。

 せめて代表者が、難度で最上位冒険者ぐらいの者でなければ正直なところ、家畜と話をしろと言われてる感覚なのだ。そういう価値観の差がある。

 だから、ゼザリオルグはアインズと会ってる今この場が丁度いい会合なのにと思う。彼女にすれば、これ程の強者ならば、もうこちら側との交渉主導権と王国側の全権を持っていて当然と考えていた。

 でも、肝心な確認事項をアインズは聞かされていない。彼は役目を伝えた。

 

「単に会見の仲介に来た」

 

 これでは彼ほどの者が、完全に王国側の使い走りである。

 

「……どういうことだ。アインズは王国と完全に無関係の協力者なのかよ? ……例えばスレイン法国所属とか」

 

 竜王の目が嫌なモノを見るかのように少し細まる。彼女の記憶へ復活以前から、既に存在している忌まわしい人類圏の国であった。

 その視線と言葉へ支配者は首を横に振って答える。

 

「言っておくが、私と配下達はこの周辺国とは関係ない所から流れて来た。今は少し世話になってる王国へ協力している。立場として色々ある感じだ」

「……そっか。そりゃ悪かった」

 

 竜王としては、自分達に堂々と勝った強者達を別に悪く思いたくはない。

 また、真の勝利者であるアインズと関係ない殺戮者共の末裔の国に便宜を図るつもりもない。

 だが、王国には少しとはいえ世話になっていると語った事から、ゼザリオルグは返事を返す。

 

「分かったぜ。何時(いつ)がいいんだ、今すぐか?」

 

 彼女の答えに、周辺地域の状況からどのみち伝わるとみた御方は、ある程度の事情を話す。

 

「実は今、被害の大きな王国軍へと後方から突如、()が攻撃を仕掛けて来ている。その対応が済んでからにして欲しいんだが」

「賊? そんなのアインズの魔法や、横の配下なら排除なんて造作もねぇだろ?」

「ふん。私が全てを処理しても良い事は無いだろう? 自力で対応出来ると今、王国軍は総司令官を中心に動いている。まあ、復活中の都市内に居た連中はもう勝手に片付けて来たがな」

「あはははっ。そうだったか。そりゃそうだよなぁ」

 

 竜王は、愉快そうに巨体の右前足で右膝頭をバンバン叩いた。アインズの言葉から、一々弱者の尻拭いをする事は、当然楽しい訳がないという『強者の真理』を共感していた。

 

「広い戦場から全部の仲間共が戻って、撤退の準備とかでまだ結構掛かるからよ。日が昇るまでなら何時(いつ)でも問題ねぇ」

「では、そう伝えさせてもらう。日の出までには使いが来るはずだ」

「(オメェじゃねぇのかよ)ふん……」

 

 ここで、会話のネタが切れた状況に。なので絶好の良い機会だとし、竜王は凄く困っている難題を持ち出す。

 

「アインズ。今な、各地へ撤退について伝令を飛ばしているんだが、一つとても大きな問題が出来たかもしれねぇ」

「……それは、一体なにか?」

 

 相当深刻()に語ったゼザリオルグの様子から、絶対的支配者が重々しく聞き返した。

 

「実は、昨日の昼頃に、人間の国――王国の首都攻撃部隊として42頭の精鋭を南進させてる」

「――っ!」

 

 前方のアインズから怒気の如き難しい雰囲気の空気が流れ始めた事に、竜王と妹のビルデバルドは気付く。横の女騎士も視線を落としたまま、じっと動かない。無言の彼らを見て、竜王は話を続けた。

 

「途中に来た連絡内容と時間経過から、人間の国の首都は既に壊滅してる可能性が――」

「――(問題ない)」

 

 話の途中で、怒気に満ちた小さい声が仮面の魔法詠唱者から聞こえた様に感じた竜王。

 

「――あ?」

「問題ないと言ったんだ。そんな部隊は――もうない」

「「――!!」」

 

 口早で吐き捨てるように呟いた彼の言葉で、ゼザリオルグとビルデバルドは語られた意味を直感した。

 

(――既に……全滅ということか! 軍団の中でも精鋭達の部隊が……一体、いつの間に)

 

 時間的には、アインズと横の騎士と竜王姉妹が顔を合わし戦っていた際中である。

 つまり、目の前の人間2体以外の戦力――間違いなくアインズの他の配下が実行したのだろう。

 仮面の彼は語り始める。

 

「南進してきた部隊に遭遇した私の配下の一人が瀕死の重傷を負った。その部隊長によってだ……でもそれは戦争中の事だ。だから、それについて今更とやかく言うつもりはない」

「「………」」

 

 攻め句を否定する内容だが、それはもう――恐ろしく威圧的な言葉として竜王姉妹の耳に入っていた。

 

(配下1体が瀕死の重傷? 俺達の方は42頭が全滅……? そんな訳が)

 

 先程、宿営地でアーガードとドルビオラの死体を見た。双方とも一撃で倒されていた……。

 

(あの2頭までもか?)

 

 否定しようとしても、アインズ達の現実に存在する高い実力がそれを許さない。

 

(戦争とは、力を誇示し勝った方が正義――とはいえ、これ程の戦力差があっただと? こっちは里でも上位を集めた総勢450頭もの軍団。アインズ達はたった数体……では? まさか、あの槍の騎士風の人間や、〝なにか〟や〝ナニカ〟まで……。あぁぁ――遺体が消えたのもそうなのか)

 

 ゼザリオルグの思考は激しい電流がスパークするように刹那で一つへと繋がった。

 

(なんなの、この目の前の連中は!?)

 

 ――『余り人間を甘く見ない方がいいよ。これ経験だから』

 同時に白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)のジジイの言葉が鮮明に彼女の思考を掠めた。

 

(クソォ、その通りじゃねぇかぁぁ!)

 

 超剛筋肉の巨体に震えがくるほどの衝撃をゼザリオルグは感じていた。

 

「……そうそう、忘れるところだった」

 

 魔法詠唱者からのどことなくトボけたような言葉に、ゼザリオルグは改まって長い首を少しひねる。

 

「ん?」

「王国とは別で、私から後で竜王へ伝える事がある」

「――っ。……ふー。そうかよ」

 

 威風堂々とみせていた竜王ゼザリオルグは、一瞬目を開く形で緊張したが、一息吐いてアインズへ精一杯軽口を返した。

 今、彼が語らないのは、先に王国側との話を優先させたという事だろう。それ以下の小さな事かと彼女は考えもする。甘いかとも思いつつ。

 

「以上だ、ではな」

 

 竜王の返事を受けたアインズ達は、静かに南方向へと離れていく。

 その姿が随分小さくなるまで竜王とビルデバルドは見送った。

 姉の横顔には複雑な表情が浮かぶ。小さき相手の、先程のちょっとした言葉がどれもこれも気になっているのは明らか。

 

「……(お姉ちゃん……)」

 

 その姿をより巨体の妹は不安そうに見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 秘密結社『ズーラーノーン』の盟主は、困惑する。

 

(外では何が起こっているのか)

 

 まずは、昨夕にあった都市廃墟上空での大爆発と竜王らしき個体と謎の人物の戦い。

 運よくその折、秘密結社の盟主は、創造した特殊な1体のアンデッドに実際の視覚を送らせていた事で、アインズの対情報系魔法の攻性防御へも引っかからなかった。

 映像は盟主の顔へ装着している大きめのゴーグル風の物へと投写されている。

 

(漆黒聖典にあれだけの魔法使いは居なかったはず……いや、〝叡者(えいじゃ)額冠(がっかん)〟の新しき活用?)

 

 戦っていた者達は間もなく姿を消す。映像はそれ以後、大して変化を見せないまま。

 気になるが、盟主や5名の十二高弟達自身では経過を深く探る事が困難な状態にあった。なぜなら既に大計画である『混沌の死獄』のメインターンがその直前より始まっていたからだ。

 盟主達は制約の所為で、この地下の祭壇傍から容易に動く事が出来なくなっている。

 仕方なく、盟主は本拠地より連れて来ていた数名の側近達へ「地上での状況を正確に掴むのだ、行け」と指示を出して調べさせた。

 だが、そこから3時間近くは、アンデッド勢が順調に増加している以外、異常は特に捉えられなかった。

 次に変わった動きがあったのは、午後11時に近い時刻。

 都市廃虚の北にあった竜共の拠点付近での事。

 空を舞う100名もの魔法詠唱者部隊や地上からの魔法兵器らしき攻撃状況から、どうやら帝国の部隊が動き始めたと地下アジトへ伝わる。

 これら、王国には無い強力な攻勢が続き、盟主は当然、本格的な帝国ら外国勢による戦争への干渉を推測する。

 

(先程の竜王らしき個体へと挑んだ者は、やはり法国の戦力では……いや帝国勢なのか?)

 

 バハルス帝国軍は質と数を揃えるが、突出した者は割と少ない。まあフールーダについては別格なのだが……『ズーラーノーン』が帝国を敬遠しているのは、特に人類で規格外の彼がいる故。

 でも、竜王らしき個体へと挑んだのは、例の老師とは随分違う風体(ふうてい)の者に見えた。

 ただ近年、『ズーラーノーン』側は、帝国魔法省内でアンデッドについての極秘研究が進められている動きを掴んでいた。視覚的に見えずとも、魔法やアンデッドの気配は漏れるものだ。

 死者を得意分野として扱う秘密結社の高弟ら高位魔法詠唱者ならば、近く寄れば気付くのは難しくない。

 その研究成果を強力な兵器として此度、投入して来た可能性も考えられた。

 帝国は本国への被害を、この地で食い止めるべく精鋭部隊を遠征させている様子で、大きく損失を出しつつも竜共の拠点に猛攻撃を掛け続けていた。竜軍団は余りに強大で、出し惜しみをしている場合ではなく、とっておきのアンデッド兵器の投入があったとしても現実的だ。ここまでは、盟主にも十分納得出来る流れ。

 だが。

 日付を越えて30分程立った頃、途轍もない事が起き始めた。

 まず魔法と(おぼ)しき、その光の巨大さ。

 そして、その光の包んだ地域――都市の廃墟に変化が起こる。

 瓦礫や死体と灰を綺麗に排除するぐらいなら理解の許容範囲であるが、どういう仕掛けか砕け燃え尽き灰になっていた物が嘗ての姿に返ってゆく。

 それは見た目、復元系の魔法であった。

 

(完全破壊物の復元だけでなく、何と言う恐ろしい規模であろう。物品のみで総数は優に億へ届こう……。この間違いなく莫大な魔法に対する、見返りや代償はどうなっている? 竜軍団全部の命でも到底足りぬであろうがぁ! ――ありえぬ)

 

 しかし、現実には今、地上で起こっている事。

 即座に盟主はその希望に満ちた考えが脳裏へ浮かんだ。

 

(これ程の魔量持ちならば――私の〝クソ忌まわしい呪い(ハゲ)〟を瞬時に解決出来るのでは?)

 

 完全に個人の執念的欲望ながら、盟主にはそれが秘された成し遂げるべき重要事であった。

 その実現の為として、ここまでどれ程の犠牲と貴重な青春の時間をつぎ込んで来た事か。

 貴重な『女』としての時間は残り少なく儚い。

 女性の命と言える自毛による実物の髪がチラつく。(さわ)れない幻術や、呪いで摩擦係数の低い頭皮から落下するウィッグはもう嫌なのであるっ。

 それを可能に出来そうな者が、大都市の廃墟を包み込む巨大な光の柱の中にいた。

 竜王らしき巨体の竜2匹と翼のある鎧の女騎士を従えている魔法詠唱者(マジック・キャスター)――。

 何者かは不明。

 しかし、先程まで脳裏にあった攻撃特化型の『アンデッド兵器』などとは根本的に違うと理解出来た。

 

(あの者の協力が欲しいっ。〝混沌の死獄〟なんてやってる場合じゃないわっ)

 

 この時、盟主は地下アジトの祭壇空間から更に下層の個室へ下がって短い休息を取っていた。

 その場で一度、現状放棄を思いつつも、よくよく考え直す。

 

(いや待って……。異常な強さを誇った怪物的な竜王共を従わせる程の者と交渉するには、相応の手土産が必要ではないのか?)

 

 普通に考えれば、接点が無かった者からの急な依頼へニコニコ無償で応える有力者など、この世界には居ないのだ。

 そこで、『混沌の死獄』の負の膨大な魔力が役に立つのではと一考する。

 だが同時に、あの魔法詠唱者は竜軍団を退け、わざわざ廃墟を復元する姿から王国寄りと容易に推測出来る。

 現在、『混沌の死獄』を仕掛け、戦場各地で王国軍へと襲い掛かっているアンデッド部隊の攻撃は、()の人物の心象を悪くする恐れが高い。

 

(……どうすべきか)

 

 優先事項を考えれば、自ずと行動は決まる。

 

(今回は〝発動実験に成功した〟という成果で満足し、負の魔力は他の大地で集めるのが良かろうて。幸い戦争の嵐は現在、各地に激しく吹き荒れている。今、正に国土が派手に燃え上がっている竜王国(しか)り、聖王国も傍に抱える大きな火種で直に燃え上がろう)

 

 『ズーラーノーン』のTOPは、ここで負の力に関し、トンデモナイ事も思い出す。

 

(おお……そう言えば、バダンテールが、膨大な貯蔵量を持つと自慢していた『死の宝珠』を一度の魔力供給で満たしたという強者と手を組むべき旨の話があったな。強き負の力の者と聞き、その者の組織と協力するのも悪くないと取り敢えず返していたが……早急に一度会っておくか。確かその者――()()()なる冒険者の戦士であったな)

 

 彼女は大願が近くに見えた事で、慎重よりも大胆にと実利へ重きを置く戦略側へ振れた。

 『混沌の死獄』へ関し、高弟達へと考えを急ぎ告げる為、盟主は地上の元冒険者のアンデッド達のリーダーへ『適当な理由』や『落ち着いて待機せよ』と思念を一旦伝えて部屋から外へ出る。

 すると、なんと都市復元は地上だけに留まらない事を実感する。

 竜王の超火炎砲の衝撃で地下崩落し、埋まったり押しつぶされたと聞いていた箇所が、応急処置的な部分と融合するように復元されつつあったのだ。

 

「おおお……」

 

 間近で見る奇跡に盟主も震えた。

 

(我が髪もこのように勢いよく伸びて来る日は近いぞっ! くはははははーーー)

 

 彼女は希望に足取りを羽根の様に軽く感じつつ、広い洞窟空間の祭壇傍に居る十二高弟5人の所へと戻る。

 そうして異常事態の中で盟主として、内心では()に満ちた考えを語る。

 

「皆も地下の状況で気付いたと思うが、地上で異変が起きた」

「「「――!」」」

「何者か分からぬが、何と竜王を制した上で、その者が廃墟となったあの大都市を復元している」

 

 その話には、人外漢的精神である十二高弟達でさえ驚いた。

 

「なっ。その様な者が居たとは」

「一体どこの者っ。正体が気になりますな」

「そ、そんなの信じられないわ……」

「盟主様……」

 

 ただ、第4高弟だけは少し反応が違った。

 

「素晴らしい力よ。我が研究物が次々と蘇ってゆきますぞっ」

 

 そう。心血を注いだものが一度は完全に失われた。それは本当に悲しい感情である。

 でもそれが、予想外に戻って来た時の喜びはかなりのものになる。

 第4高弟が珍しく笑顔を浮かべる様子に、盟主も愛しの彼がご機嫌なのは悪くなく、口の滑りは増した。

 

「地上へ強大な者が降り立った事により、我々は状況を急ぎ判断し、今後の行動を的確に決める必要がある。このまま此度の計画を続行すれば、その強大な者と対する事になるのは避けられまい。故に、無念なれど――ここで計画中止について皆の考えを聞きたい」

 

「「「――!」」」

 

 5人の高弟達は総じて難しい顔に変わる。当然だろう。計画はここまで順調に進んでいた。王国軍と竜軍団を全て飲み込んだあとの大量の死による負のエネルギーは絶大。

 それは、盟主の取り分を引いても莫大に残るはずなのだ。あっさり諦めるには未練が大きい。

 とはいえ反論するには打開策が必須である。

 そんな十二高弟達の中で、意見を述べる者がいた。第4高弟だ。

 

「この時点での計画中止は――妥当でしょう」

 

 先程まで彼にあった竜軍団への恨みの大半は大幅に減っていた。また、負の力は欲しいが、多くの研究物を直してくれている者と無理をして戦う必要性は小さいと判断。

 異様な実力者達の揃う『ズーラーノーン』でも屈指の戦闘力を持つ彼が計画中止に言及し、流れは大きく決定付けられた。

 このあと30分程細々(こまごま)したやり取りが盟主と十二高弟らの間で交わされた。その中で、間近に別の紛争地において『混沌の死獄』を再現する提案などの調整話もあり、高弟達も現状へのリスク回避と将来の実益を納得して結論的に計画中止が決まる。

 そうして、盟主をはじめ十二高弟らも動こうとした時、彼等の身体に激痛が走った。

 

「ぐおぉ。盟主様、こ、れはっ!」

「うぐぐ、これほどの痛みが」

 

 他の高弟と同様に苦しみながら片膝を突く盟主は、今の痛みの原因の理由を良く知っていた。

 

「むうぅ。儀式のアイテムが破壊されたか」

 

 『各自でそれぞれの地点を』というのではなく、全員で各地の儀式アイテムへ各人の臓器を一部ずつ供物としてそれぞれ紐づけし、皆で危険を分散していた故の状況。

 儀式拠点の一つが破壊されたことで、高弟各自の臓器も一つが破壊された形。

 幸い、心臓や脳は外してある。しかし、片肺や肝臓などを損傷して苦しいのは当たり前だ。

 無論全員が直ぐ、魔法やアイテムで回復に努める。

 

「くっ、馬鹿な。何故位置が?!」

 

 第4高弟は地元の地の利を生かし、綿密にいずれも関心の薄く目立たない地方の墓地を選び、少数精鋭でそれなりのアンデッドの護衛も付けていた。それが破られたと言う事。

 儀式アイテムの破壊で、『混沌の死獄』の(うつわ)は遂に砕かれた。

 

「……これはデリム村の儀式アイテムか」

 

 盟主が遠隔で(おこな)ったので、紐付けした傷む臓器で覚えがあった。

 失態として、場所の決定と護衛を手配した第4高弟が、盟主と他の高弟へ謝罪する。

 

「スレイン法国の諜報部隊にも知られない自信があったのですが。盟主と皆へ、申し訳ない」

「いや」

 

 第4高弟への批判を抑えるべく盟主が否定し語る。

 

「外の異様な状況から、何が起こっても不思議では無い。最早、儀式の他の〝縛り〟を維持する意味も無くなった。先に急ぎ開放しよう」

 

 現状へ上手く理由付けしつつ提案し『混沌の死獄』の儀式について完全解除へと踏み切った。

 

「――混沌なる呪いの死鎖を今、解かん。〈放怨〉っ!」

 

 場に充満する如く溢れていた、忌まわしい空気は静かに霧散してゆく。

 とは言え、既に生み出した数千のアンデッド達が消える訳では無い。彼らは、現実の死体に宿った個々の存在として既に活動していたから。

 秘密結社側の続く流れとして、残った大量のアンデッドの中から、使えそうな者だけを回収する事になるのは自然であろう。

 ところが、盟主が地上の廃墟に待機させていたはずの元冒険者部隊のリーダーへと、ナゼか思念が届かない。更に映像を送って来ていた特別なアンデッドさえも反応がなかった。

 他の高弟達も都市廃墟内にいたアンデッドの部隊長格と連絡が取れない模様。

 盟主は大戦力が、ただ吹く一陣の風に消え去ったような事態へ恐れるように呟く。

 

「これは……中性感のある復元の光が実は神聖魔法系で、消滅したのか?」

 

 髭面オネエ風の第8高弟が、気に入っていた男女合体アンデッド隊の消失を受けて神妙な表情で語る。

 

「状況から見て、その可能性は高いですわね。あの光に近寄らせないのが良いかと」

 

 これ以後、光に包まれている間に大都市内へアンデッド勢が向かう事は無かった。

 

 そういった動きの中、都市廃虚外に居た『混沌の死獄』第一世代の元王国冒険者アンデッド63体と、第二世代以下として元帝国冒険者達10名に元王国冒険者や王国軍と帝国軍の元騎士、民兵部隊士官など総勢230体程がエ・アセナル校外に点在する第4高弟の地下施設に分散して引き上げた。

 指揮官の多くを失った形のアンデッド勢約4500は各所で散発的に王国軍と激突する。

 対して、統率が取れている王国軍側は順次集結し各地でアンデッドの部隊を包囲する形で確実に殲滅していった。

 また、アダマンタイト級の冒険者達を筆頭に、冒険者達がアンデッド部隊正面に集まる難度の高い個体を撃破して抜いていく事で闘いの勢いが違った。

 闘いの冒頭、『蒼の薔薇』のリーダーであるラキュースによって、このアンデッド部隊の正体について伝わっている。

 

「このアンデッド達は、あの秘密結社〝ズーラーノーン〟の連中が戦場に撒いた傀儡達よ。一匹も逃がさないで!」

「なんだと?」

「一体、どういう事なのだ?」

「そんな情報はどこから?」

 

 冒険者達や民兵、大貴族達からも少々困惑した声が上がる。だが、『蒼の薔薇』のリーダーが納得する理由を告げた。

 

「これは、元〝蒼の薔薇〟で十三英雄だった、あの名高い〝死者使い〟リグリット・ベルスー・カウラウの調査による判断。間違いないわっ」

「「「………」」」

 

 元十三英雄の専門的調査判断に、異論を挟む程の者はいない。

 ラキュースは魔剣を掲げると叫ぶ。

 

「さあ、秘密結社だろうと、アンデッド軍団だろうと、竜軍団の猛攻さえ耐え凌いだ私達みんなが力を合わせれば、打ち倒せないものはないわっ。みんな、最後の戦いよ!」

「「「うおおおおおーーーーーっ!」」」

 

 ハッキリ言って、伝説水準の竜兵達と闘って来た者達にすれば、平均難度で10というアンデッド勢など、民兵達数名が組む事で確実に戦える相手と冷静に対応。連戦に疲れながらも多くの者が最後まで闘志に満ちて戦った。

 10万の王国軍と1700名の冒険者達の活躍により、アンデッド部隊は午前4時前となる時分にはほぼ鎮圧された。

 

 

 

 

 

 

 夏の夜空の東方が深紺色から薄くなり始める時刻――午前4時38分。

 アーグランド評議国加盟勢力、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)の軍団側とリ・エスティーゼ王国総軍側の代表が会見を持つ。

 場所は、数時間前まで竜王軍団に制圧されていた大都市エ・アセナルの北側600メートル程の位置。石造りの半壊した地主の屋敷近くの平地だ。

 巨大な光に包まれて4時間程が過ぎたエ・アセナルは復活が随分進み、中央の城の尖塔さえ嘗ての権力を示す勇壮な姿を取り戻した外観を見せる。加えてこの頃には、城壁上へ死んだはずの民兵達の影さえ多数現れ始めていた……。

 都市を覆う超魔法の中は鮮やかに復元されつつあるが、対照的に瓦礫と化した周辺の街や村にそういう変化は僅かもない。広大に燃えた麦畑にも無残な灰が舞う。

 そのギャップは、この戦争が現実であった事を強く印象付け、両陣営に忘れさせない。

 会見場所がこの地となった理由は、周辺同様に無残な廃墟が点在するも、双方から中間的な立地に加え、竜兵が低空飛行で往来したことで灰が殆どなくなっていた事が大きい。

 この会見の場へ臨む竜軍団側の参加者は、竜王と護衛のみ。王国軍側の参加者は、総司令官のレエブン候の他、国王ランポッサIII世と護衛に王国戦士長ガゼフ・ストロノーフの姿もあった。

 

 

 レエブン候の本隊へ、侯爵旗下の元オリハルコン級冒険者のボリス達が国王を連れて現れたのは午前3時前頃。

 廃虚だったエ・アセナルを囲う形の主戦場は、ボリス達が想定していた以上に隠れる場所が少なかった。また竜兵の密度が事前の想定より高かった所為で、国王の居る一行は慎重に戦場を避ける行動を続けた。百竜長らが非常事態発令で、待機部隊の一つの半数を主戦場へ回した影響だ。

 竜兵撤退後も、国王一行は各地でアンデッド兵団を散見する形で確認し、生体反応を捉え幻術も通用しない連中に囲まれる事を避ける意味で、やはり戦場をかなり迂回したため時間が掛かった。

 ランポッサIII世がレエブン候の陣へ現れた時、国王の隊にはガゼフとユリも加わっていた。

 彼女等は各地で国王の安否を確認しながら北上したが、午前1時半には先に一度レエブン候の本隊へ到着している。

 しかし未だ戦地内をゆく陛下を心配した戦士長は陣で待たず、戦闘メイドも戦士長護衛の為、再度国王を探すべく各地を巡る。そうして遂に国王らと午前2時過ぎに東部戦線の北寄りの場所で再会した。戦士長達は先に国王目撃情報を得たので、再会時は国王の方が興奮して迎えた。ガゼフ達の状況は余りに絶望的過ぎたから。戦士長は、竜の部隊長を自身で討った直後に倒れるも、現れたゴウン氏配下の2騎士の姿に将を失った竜達が総退却したと報告。

 そこからはレエブン候の陣まで、ボリス達の合流劇と逃避行を聞きつつ、到達した次第。

 ボリス達やガゼフとユリを擁した国王一行も、結局戦闘は避けられず。最後、荒れる戦場を通る際に小隊規模のアンデッド勢と2度遭遇し30体程は倒している。そういう皆の苦労の甲斐あって見事、王国の要であるランポッサIII世を護り通す事に成功したと言える。

 また、レエブン候の陣へ到着した時、王には更なる喜びの知らせが届いた。

 

「陛下、本当に良く御無事でっ。それと――先程、王子殿下の御無事も確認出来ましたぞ」

「なんと、バルブロがっ」

 

 ランポッサIII世はその場で夜空を仰ぎ、自分の無事よりも喜んだ。

 尚レエブン候が送り、王子へと直接反撃指令を伝えた伝令の騎士は――残念ながら帰還途中で戦死していた……。

 対して第一王子自身は、竜兵との遭遇(のちに本人はこれを戦闘だと伝え誇る)で負傷しながらも引き返さず、そのまま殿下の軍勢を預かっていた子爵の陣まで何とか辿り着く。そこから、レエブン候の本陣まで、子爵が伝令の兵士を送り無事が伝わった形。

 バルブロは負傷の直後、進退の決断時にやはり迷いがあった。

 

(これで反撃戦へ参加した事になるが……距離のある戦域外まで生き延びられる保証はない。途中でまた襲われ倒れれば、誰も俺様の勇気ある行動を証明出来ない。無駄死にだ! ならば、まだ距離が近い子爵の陣へ行き、部隊の奥で治療する方がマシではないか? 今の少数の状況は、最前線を常に歩いているのと変わらぬ。これはマズイ。子爵は夕刻の時点で俺様の軍勢を未だ率い生存中だ。ヤツの傍なら生き延びる可能性は高いはず)

 

 今の境遇と妹ルトラーの金言を考慮した判断。

 彼は、国王が付けてくれた参謀である子爵の、7日間に及ぶ多くの竜兵からの攻撃を掻い潜り、どうにか指揮を続けている実績を選んだ。

 実際、この決断は正解であった。

 なぜなら――行方不明の竜王姉妹を探す竜兵部隊が、戦域外を70頭程も各地で別れてウロウロしていたのだから。その余波で、戦域外を移動し帰還中の伝令騎士も命を落としたのである。

 

 会見の場へ竜王と護衛の竜長3頭をエスコートしたのは、王国貴族の娘でもあるラキュースが率いる『蒼の薔薇』の5名。

 『リーダーが貴族出身』という身分を出して活動した事など結成以来一度も無いのだが、王国と貴族達のメンツを汲んだ人選となっていた……。

 彼女は思いを声に出して愚痴る。

 

「竜王相手に家柄なんて……全く、くだらないわね」

 

 ただ、彼女は違う意味で立腹していた。

 一応として確認した、王国側の会見者達の中に王都冒険者組合長代理や値千金の働きをしたゴウン氏の名が無かった事で、残念さを超えて最早呆れていたのだ。

 

「まあ、ある意味いつもの事だろ?」

 

 権力至上主義批判はリーダーの手前、やや抑えたガガーランが真意を勘違い気味で宥める。言葉の内容は矛盾しなかったが。

 午前2時半の時点でガガーランは、カウラウ婆さんと共に秘密結社『ズーラーノーン』がデリム村の墓地内霊廟地下に設置していた『混沌の死獄』の儀式アイテムを破壊した後、エ・アセナルの南側まで戻って来て仲間達と合流している。婆さんには戦場内の霊気力(オーラ)の流れで、激戦地の位置がおおよそ分かるらしい。

 ラキュースらもリグリットとはそこで別れた。

 

『どうやらこっちは一段落したみたいじゃし、わしはこれから古い知り合いにチョット文句を言いにゆかんといけなくてねぇ。忙しいんだよ。後は、そっちで上手くおやり』

 

 ニヤリとした顔で語り、5人が止める間もなく立ち去って行った。

 

『もう、リグリットったら』

『はははっ、婆さんらしいじゃねぇか』

 

 大仕事をやり遂げながら、何事も無かったように去る姿。

 元十三英雄達にすれば、『持ち上げられることへはもう完全に飽きてる』という心情らしい。

 全く大した婆さんである。デリム村の墓地でガガーランが2体の精鋭アンデッドを倒し、次の獲物へと振り向いた時、リグリットはもう既に精鋭のアンデッド3体を剣で易々と細切れ状に切り伏せ、霊廟の近くまで歩を進めていた光景が浮かぶ。

 

(ガゼフのオッサンより普通に強ぇかもな……あの調子なら、あと100年は元気じゃねぇか)

 

 筋肉の可憐なる戦士は今回の困難極まった大戦で、姿が見えない強大な敵を相手にした時の恐ろしさも経験した。

 『竜兵らを躱しつつ、潜む闇の敵を討つ』姿に改めて十三英雄水準の応用力の高さを見た気がする。アダマンタイト級冒険者なのに、自分では全く届かなかった。実態不明で大規模な『ズーラーノーン』の計画のみですら大苦戦していただろう。

 7日の間、アノ竜王との近接戦で移動力面を制し、仲間を欠くことなく生き残らせたイビルアイも同様の凄さがある。

 今、イビルアイの〈全体飛行(マス・フライ)〉で竜王らを南の空へと先導する中、半日前を思えば不思議とも言える状況に、ガガーランは『俺も本当に進化とかする必要があるかもな……』と冗談交じりにふと考えていた。

 一方。

 竜王としても、宿営地の目の前に先導者として現れた連中へ対し、思考は十分複雑だ。

 異様な(パワー)を見せたが骨や内臓をグチャグチャにした魔剣使いと、灰に変えたはずの人間に扮する吸血鬼は、両名ともピンピンしていた。

 

「……(何故、どうして生きてやがると言う俺の問いへ、ゴウン様……アインズに助けられたと聞いて思わず納得しちまったが……。手応えで死が確定的だった昨日の状況から助かると思えねぇ。死んで、滅んですぐに復活させてもらったという話か?)」

 

 前後の記憶からそう考えなければ納得出来なかった。

 同時に、都市の復元は終戦工作へ意味を持ったのに対して、目の前の両名の復活はアインズの個人的となる考えに基づくだろう行為。

 

(………気に留めていた……いや世話になった者達だった……のか?)

 

 戦場では何万と人間(ゴミ)共が死んでいる中、彼が2人へ目を掛けたのは間違いない。

 先導者として、コイツらが選ばれた意味はそこに在りそうで、アインズの「後で竜王へ~」の言葉も脳裏を巡って威圧となり、竜王は大人しく静かに従う形で会場まで先導されたのである。

 

 

 会見場所は100メートル四方程の広さで王国側が用意した。

 王国側の者達が立つ南寄りの地面には、幅7メートル程で数十メートルに渡り真っ直ぐ南へ紅い布が敷かれ、それと対照的に竜王軍団宿営地向きへも同じ幅で折り揃えた紫色の布が長々と敷かれてそれぞれ地へ杭止めされていた。

 王国側の会見者であるレエブン候と国王が紫の布まで10メートル程手前へ出迎える風に立ち、5メートル程後ろでガゼフと護衛騎士4名が控える。

 そんな会場へと、全長20メートルを超える竜王が護衛の3頭を連れてズシンと重たい地響きをさせ紫の布の上へと舞い降りる。

 竜王の視線は、紅い布の上の中央へ立つ2名を素通りして、自然とその後方で探知したアインズらの方へ向く。

 

「……(居た……。何故、テメェはそんな端に居るんだ?)」

 

 アインズと女騎士は、代表者の護衛らしき連中どころか少し下がった貴族達の後方、会場の正方形状の枠となる周囲へ立つ100騎の儀礼騎馬隊の更に後ろ。距離を置いて居並ぶ上位冒険者と組合代表達もちらほら見える中へ立っていたのだ。尚この時、御方達は既にユリと合流を果たし、見舞いの言葉も贈っている。

 因みに竜王らの先導役を果たした『蒼の薔薇』達もこの近くへ降下している。栄えある護衛の列に加わらないのは、叔父の居る『朱の雫』と同じ位置に立つとラキュースが断ったからだ。近くにはゴウン氏も居るので、竜王が暴れる心配もないと。

 あと、この地に第一王子の姿は無い。撤退準備へ入った後方にて、荷馬車に幌を付け用意させた荷台内で治療を受けているという建前。竜の傍などもうコリゴリだとして彼は出てこなかった。

 アインズ達と、代表者と思しき者らの位置関係を目にしたゼザリオルグ。彼女も母に一族の頂点へ立つ王として、数年だが政治の何たるかは聞かされて来た。

 常に建前があるものだとも。

 

(……眼前の2名が王国側の軍事と権力者代表ということかよ。難度で言えば20以下……。身に付けてる飾りはそれなりの品で家畜とまでは言わねぇが、面白くないぜ)

 

 国王とレエブン候は、竜王へ対し王国の代表として箔を付ける手段を考えた。分かり易く、価値のある装備を貴族達から借り受けて身に付けたのだ。

 戦場なので装飾はかなり限られるが、鎧に纏う大貴族各家の一品を集めれば、それなりの格好にはなった。

 竜王とすれば、多少装飾を付けた程度の者など大して話す価値は無いが、アインズの「少し世話になっている」との言を思い出し、投げやりにならず2名を見下ろした。

 レエブン候達からの距離は約15メートル。首を立てた頭の高さは12メートルを超える。

 侯爵だけでなく勿論、一番前に並ぶ国王のランポッサIII世もただ高く見上げるしかない相手。代表の二人は歩み寄る事さえ忘れ、間近にみる圧倒的な雰囲気を持つ竜王の姿に……固まる。

 それは、戦場でみた恐怖だった竜兵とも丸で違う大きな自然的威圧であった。

 例えるならば、人間如きは小さいと実感する巨大災害の前へ一人で立たされた感覚、と言えば分かりやすいだろう。絶望的な現実の存在。

 

((これほどまでとは……我らが何も出来ないはずだ……))

 

 同時に侯爵達は、この怪物と戦い、撤退に同意させ会見の場へと立たせた旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の事を考えずにはいられない。

 目の前の存在以上の者――。

 彼等の思考が混乱しようとする前に、竜王から言葉が発せられる。

 

「俺は煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグ=カーマイダリス。俺に問いたい事があると聞いたが、何だ?」

 

 少し不機嫌感も入り横柄で、天然ながら威圧感が半端ない。変な返答をしようものなら直ちに火炎砲が返って来そうな感じにさえ思えた。

 堂々と名乗った竜王へ、名乗り返すのは当然国王である。

 

「私は、リ・エスティーゼ王国国王のランポッサⅢ世である。こちらは王国総軍の総司令官だ」

「総司令官の侯爵エリアス・ブラント・デイル・レエブンです、カーマイダリス王。会見へのお越しを感謝する。早速ながら、3つの確認事項を申し上げる」

 

 レエブン候は両手で持っていた、幅1メートルで長さが80センチ程の横長な掛け軸調の大きい書簡を広げると宣言するかのように語り出した。

 

「一つ、竜王様率いる軍団は国境を超えて完全撤退されるのか?

 一つ、破壊占領していたエ・アセナルとその周辺地の権利についてどうされるのか?」

 一つ、王国の地に残る捕虜についてはどうされるのか?

 以上について、回答を頂きたい」

 

 現実的に力のない王国側としては、返還要求など出来ないのである。

 これは対等な五分五分での交渉とは異なる為だ。

 違う面で述べるとアインズが表に立てば、圧倒的に優位で交渉出来る。しかし、それでは王国としてアインズらに大きく頼ったという事実が鮮明に残り、今後が非常に困る為出来なかった……。

 だからこそあくまでも竜王の判断としての確認のみに留める形を取るのだ。

 でも、竜王も分かっている。アインズ達が王国側に協力している以上、要求が無いのは建前に過ぎないと。

 ただ――彼女としては、嘗て殺戮を繰り広げた人間の末裔らの国家へ、そのまま返すのは非常に癪である。なので竜王は順にこう返していった。

 

「じゃ、ゼザリオルグ=カーマイダリスの名で告げておく。

 一つ、我々煉獄の竜の軍団は、俺を含め全軍アーグランド評議国へと撤退する。但し、この3頭は宿営地で2日程状況を見届ける。

 一つ、破壊占領していた都市跡と周辺の地は再建した者へ全ての権利を譲渡する。

 一つ、王国の地に残った捕虜は、この周辺で早急に面倒をみれる者へ譲渡する。

 以上だ。今後、変更されない事を願うぜ」

 

 3頭の竜長級を残すのは、後日密かに評議国からやって来る監察官対応の為だ。

 この宣言により実質、竜王は王国内からの全面撤退や、得た占領地と残っていた捕虜を全て手放す事となった。

 しかしである。

 

「「「「――っ!!」」」」

 

 確かに、占領されていた全地域に加え、6万にも及ぶ民衆の解放は告げられた。

 だが聞き終えた王国側の者達は予想とかなり異なる内容へ動揺し、慌てるように騒然となる。

 『再建した者へ』『面倒をみれる者へ』という重たい条件が付いた事で、戦後の流れが大きく変わろうとしていた。

 これは畏怖すべき竜王の名で告げられた為、安易に変えられない事項となったのだ。

 都市内に居た者達は殆どが死んでおり、解放される捕虜6万人の多くは周辺の街や村の者達である。つまり周辺小領主によっては捕虜が戻らないと、労働力を根こそぎ失う状況もあり正に死活問題。

 また戦前、周辺領主の街や村の経済と生活は語るまでも無く大都市であるエ・アセナルがその大部分に関連し支えてもいた。

 此度の大戦は至急の面と相当難航すると思われた事で、特に周辺都市から多量な形で物資と人員が徴用されている。また大戦は、家や畑を失った20万以上もの難民まで生み出しており、押し寄せる窮状は日々一層の深刻さを増しつつあった。

 なので今、周辺経済は明らかに完全な余力不足へ陥っている。

 『大商人や大商会なら可能では?』という疑問も出そうだが、この世界の人類圏における商人達は、大商人や大商会といっても大貴族や都市行政庁より経済的には小さく抑え込まれていた。

 権力階層を脅かす存在は経済的であっても許されないのだ。暗黙でその資産を領主から定期的に没収されるか、一部が商売敵などの大商人や商会等へ渡され分配される仕組みがあった……。

 なので勿論、大規模な没収を逃れるために、裏で商人からの賄賂と癒着が横行し、更に腐敗度が増すのは自然の流れと言える。

 それでも多くが連結決算で年商、金貨100万枚を超えると事業規模は頭打ちにされた。

 そう言った人類圏の経済社会の事情もあり、大都市級の経済を肩代わり出来る許容量のある商人は王国だけでなく帝国や法国、聖王国にさえ表社会内で存在しない。

 『八本指』は裏社会の組織で、8つの分野を幅広く展開させている為、経済規模で金貨200万枚以上の年商を例外的に有していたが……。

 当面について、一体誰が面倒を見るのか――それがまず王国内の大きな戦後問題になるのは間違いない。普通に考えれば、再建を含めて以前までエ・アセナル周辺を直轄領としていた王家中心であろう。

 エ・アセナルが廃虚のままで朽ちていれば、将来の話として既定路線となったはず。

 だが――王国側の皆が変化を感じて、思わず後ろを振り返った。そこにある現実は。

 

 

 光の柱が消えゆく中、朝日が昇るのを待つ、完全復活した大都市エ・アセナルの姿があった。

 

 

 以前の威風を取り戻すどころか、老朽部分までもが新築された状態にさえなっている。

 加えて――37万超の失われた住民の生命が戻っていた。

 都市内からそれを互いに喜ぶ、物凄い地響き的に広がって上がる歓声が会見の地までも届いて来たのである。貴族の一人が思わず声高に呟く。

 

「……これは……もやは神の奇跡っ…………」

 

「――馬鹿めっ」

 

 それに反論する者が居た。竜王である。

 

「あれはテメェ達の国に協力した魔法詠唱者の放った都市復活の大魔法だ。この大魔法は存在価値が全然違うぜっ。六大神も八欲王のヤツらも過去の馬鹿げた神共は決まって――亜人種への破壊と殺戮しかしちゃいねぇんだよ!

 言っとくが、俺は有象無象の人間共如きに負けたわけじゃねぇ。ただ今回は侵攻に際して、本国中央評議会での決定で〝一度でも苦戦的状況があった場合、速やかに撤退せよ〟と言われてるから下がるだけだぜ。俺達の軍団でも破壊に半日掛かったってぇのに数時間で再建されてりゃ割が合わねぇっての。運が良かったな。その魔法詠唱者が居なけりゃ、この国に限らず周辺の人類国家を含めて、地平の果てまで全ての都市や集落は灰になってたはずだ」

 

 人類圏全てとまで恐怖を突き付けられ、国王とレエブン候の表情が凍ったのは当然だろう。

 ゼザリオルグは、あくまでも王国側へは屈していないというスタンスと『誰のお陰か』を盛大に述べた。竜王を退けた者が、人間共の勢力圏下で場末の扱いでは最強種族の権威にも関わると。

 これらは別にアインズ達へ特に気遣った訳では無い。

 そもそも、多くの一族の仲間を殺した上で、死体さえ奪った可能性の高い者達なのだから。

 ただ、政治的に小賢しいだけの脆弱な人間共へと、釘を刺しておくのは当然であっただけ。

 

「おい、もう聞きてぇ事は話をしたよな?」

 

 竜王は長い首を伸ばして、ランポッサIII世とレエブン候に数メートルの距離まで竜顔を近づけて問う。

 レエブン候が強張った表情ながら一応、思考を巡らせると頷いた。

 

「なら、もう俺に用はねぇんだろ? あばよ」

 

 竜王は首を返し、威風と優雅さを感じさせつつ巨体の背を人間共へ向けると、歩き距離を取って飛び立つ。そうしないと国王らが吹っ飛ぶからだ。それに倣う形で3頭の竜長達も続いた。

 ゼザリオルグ達は、会見場の上空をわざとゆっくり大きく旋回してから北の宿営地へと去って行く。それは、アインズの「後で竜王へ伝える事がある」と言われた事を心のどこかで気にするかの様に……。

 

 

 

 竜王の放った衝撃度の高い言葉で場が鎮まりかえる中、恐怖の対象は遂に去った。

 ここで王国軍総司令官のレエブン候が宣言する。

 

「我らリ・エスティーゼ王国は、遂に竜の軍団を退けたぞ。皆、本当によく戦ってくれた。全ての者に感謝する!」

「「「おおおおぉぉぉーーー!」」」

 

 大貴族と小貴族達をはじめに、周辺にいた上位冒険者達に精鋭騎士や民兵達5000程へと気持ちが伝播し歓声が広がった。権力階級を問わず皆、九死に一生を得て嬉しいに決まっている。

 勝利などとは到底言えないが王国全土が蹂躙され消滅する絶体絶命の危機は脱したのだから。

 数分後に歓喜が一旦鎮まったところで、レエブン候が王国の(あるじ)に皆へ労う言葉を求める。

 

「陛下からも是非お言葉を頂ければ」

 

 国を背負っているランポッサIII世は、口をゆっくりと開く。

 

「我々王国が今、無事に残った事をまず素直に喜びたい。そして――未曽有の国難にレエブン候をはじめ、身命を掛けて戦場で闘ってくれた者達全てへ感謝を。勇敢だったボウロロープ候を筆頭に亡くなった者達も多いはずだ。今後、大きく傷を負った我らが王国を皆と共に立て直す決意を私は新たにした。臣民の兵達へは、直ぐではないが、いずれ必ず何か報いたいと思っておる。王の名において約束する。皆、本当に此度は苦労であった」

「「「「うおおおおぉぉぉーーー!」」」」

 

 臣民の兵へ施しをするとの宣言は、相当異例であった。

 だが、この万難に塗れた大戦こそが異例尽くしであり、その宣言も合ったものと言えるだろう。

 多数を占める民兵達の顔はほころび希望が広がる。

 対して貴族達の表情は一部で難しい者が連なった。『平民に配る程の金がどこにあるのか』と。毎年の帝国戦に続き、竜達との急な大戦で確実に小貴族達の疲弊は酷さを増した。加えて、前例のない規模での領民と農作物の損失は致命的状況だ。

 

((ボウロロープ侯が生きていれば、今の貴族達の苦境をもっと考える様、王へ即時に反論されたはずだ))

 

 現に今、誰も王の言葉へと反論出来ずにいた。

 貴族派では、国内へ強い影響力を持っていた盟主であるボウロロープ侯爵を失い、今後の政治勢力図を想像しかねている者達が増えていく。

 既に戦後の王国経済の混乱を見据えた、権力政治の駆け引きが始まっている……。

 そして、この場において国王もレエブン候も大問題の一つ、大都市エ・アセナルについて語ると言う愚かな事はしなかった。

 既に侯爵の思考には対応案が浮かんでいる。ゴウン氏の使用したのが一世一代の大魔法とは考えつつも、それは現実感の高いフェイク系の魔法だと考えていた。

 

(見えている物全てが真実という訳ではない。まずはゴウン殿と確認や裏交渉をする必要がある。そもそもあのエ・アセナルの姿や音についても……全て〝幻影〟〝幻響〟の可能性が高い。歴史や常識を知る者ならば、4キロ四方以上の広大な一帯を魔法のみで復元するなど、そもそも聞いた事がないはず。ましてや死んだ何十万もの命を復活など、神でさえ無理な夢物語に過ぎない。

 ……万一、竜王の言葉通りに復活していたとしても、陛下も都市をお渡しになるはずがない。数年、周辺の交通を制限封鎖し、表向きは〝幻覚都市〟で通すのだ。その後、再建されたとしてゴウン殿には実権のないエ・アセナルの最高位名誉職に就いてもらって、恒久的なそれなりの金貨収入を約束すれば十分だろう。問題は30万以上の住民達だが……〝復活〟について死罪を含む緘口令を敷くしかないか)

 

 雑な感じではあるが、要は個人戦力だけで余りに大きいゴウン氏へ、更なる権力的基盤が発生しなければ良しと考えていた。

 それと次期王位継承についても侯爵は考えつつあった。

 

(国王とバルブロ王子は健在。裏でザナック王子と組んでいるが、ボウロロープ候亡き今、貴族派は随分弱まった。今後、私がバルブロ王子を上手く補佐すれば国政を安定させる事は出来そうだ。外交面で強気に出るバルブロ王子であったとしても、ゴウン殿が居る限り最早、帝国戦についても十分に対応出来るだろうからな)

 

 故に、侯爵は割と冷静にこれからの指示を出し始めた。時刻は午前5時前。

 辺りは日の出間近の明るさへ移る。

 

「これより、陛下と私で借り受けていた各家の宝物をお返しする。それ以外の方々は順次陣地へ戻り、食事や休養を正午まで取って頂きたい。正午以降、撤収を前提で今後についての軍議を予定している。尚休養中、我が師団の一部隊と有志勢で、アンデッドなど周辺の最後の残党確認について威力偵察を行なう。場合によっては今一度、戦闘の可能性はある。なので皆には、残念ながらこの戦場をあとにするまでは、深い飲酒はまだ自粛するようお願いする」

 

 貴族らを含め兵達からの反応は若干溜息の混じるものとなったが、彼等も絶望的な死線を超え、油断すれば『次に死ぬのは自分』と分かっており、頷く者が殆どであった。

 そうして、国王と総司令官が預かっていた貴族達の装備品の返却と前後し、貴族と護衛達を始めに冒険者達も続々と離れて行く。

 

 さて、絶対的支配者は王国側と竜王との会見の間に、シャルティアより「死の騎士(デス・ナイト)達をナザリックへ無事に収容」の一報を受けていた。この時アインズの周囲は、間隔で数メートルあるとは言え王国軍の騎士や冒険者らが居る事で〈伝言(メッセージ)〉へそのまま満足に答える事は出来ず。主の返事「よし。…………」と長めの沈黙からシャルティアはそれを察して、『……はい~。目立たず待機を続けます。では我が君』と通話を切った。

 そんな配下の連絡の後、支配者の居た場所にも無論、ゼザリオルグの発した大都市エ・アセナルを()()()()()きた言葉は聞こえてきていた。

 

(えーっ。そんなの急に振られてもなぁ)

 

 アインズが最初に思ったのは、王国を去る竜王から厄介事を置き土産にされたと言う感覚。

 元々エ・アセナルがヴァイセルフ王家の直轄領と言う話は聞いており、ゼザリオルグの告げた事が、王家との難しい問題になる可能性が急浮上する。

 

(竜王に後で〝私が誰に譲っても文句をいうな〟と言っておけばいいか)

 

 まずは『手に余るし、元は王家の物だとして国王へ渡せば問題ない』と、そう単純に考えた支配者の彼。

 しかし――。

 

「……(いや待てよ。世界征服を目指そうと動く主が、都市一つに面倒だからと言う考えで、好機を逃して……NPC達は納得するのか?)」

 

 既に、横へ並ぶルベドやユリには聞かれている。また先程、視線を少し遠くへ巡らせば、上位冒険者の端に偽モモンとマーベロの姿があった。そして恐らくは、遠方上空で待機中のヘカテーさえ聞いていた可能性が大だ。彼女はデミウルゴス配下。

 アルベドとデミウルゴスを正論で上手く納得させる言い訳が、どこにもない気がした。

 敢えて挙げるとすれば『譲られてどうする? 全てを力で奪い取る事こそ、栄光あるナザリック地下大墳墓の支配者に相応しいとは思わないか?』と大きく語るぐらいだが。

 

(実はこれ、世界征服者の判断として、相当デカい話でマズいんじゃないのっ?)

 

 一難去ってまた一難である。今度は、巨大な政治的問題へと直面する絶対的支配者。

 そんな事は知る由もない周りの民兵達や上位冒険者達の多くが、会見場を立ち去る前に一言をと旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)へ次々に声を掛けてくる。

 殆どが「王国を救ってくれて感謝する」という主旨の言葉であった。

 その中で少数ながら、やはり英雄様の武勇を詳しく尋ねて来る者もいる。

 彼等は連日連戦で極限まで疲れながらも、竜王と戦った魔法使いの力に強く興味を持った連中である。

 

「どうやって、あの恐ろしい竜王へ対抗出来たんだ?」

「使用した魔法は一体何? 攻撃魔法も使ったの?」

「〝蒼の薔薇〟が何日掛かってさえ説得出来なかったのに……まさか十三英雄水準の魔法を使ったとか?」

「アンタは酷い怪我をしなくて済んだのか?」

 

 竜王に関する問いも多い中、当然だが600メートル程離れた長く高く続いて見えている外周壁を横目にしつつ、復元された風に見える大都市エ・アセナルについても聞かれる。

 

「ワレも魔法を使うが、あれほど広い領域をどうやって指定できるのか? 単に光らせるだけでも想像出来ん」

「あれは巨大な幻術なんだろう? 歓声まで再現してるのは本当に驚くしかないよ」

「竜王の考えを変えさせた凄い魔法だが、他の形も造り出せるか、某はそこに興味があってな」

「羨ましい事だ。俺達の仲間がこの魔法が使えてれば、王様やお貴族様から恩賞がたんまり貰えたかもしれねぇ。これは幾つかの魔法を組み合わせた複合魔法なんだろう?」

 

 常識的に多くの者が、『竜王も勘違いした魔法に因る高度な幻』だと考えていた。

 矢継ぎ早な数々の問いへ対し、ゴウン氏は多くを語るつもりはない。それでも、皆が納得出来る回答をする必要があった。それも端的に。

 なので、実際に使った魔法について少しだけ述べる。

 

「私が使用したのは――第7位階や第8位階の魔法でした。それらは、竜王へも有効な威力と規模を持っていましたので」

「「「――――!?」」」

 

 周囲の者達は皆、絶句した。以前、上位の魔法を使うとゴウン氏から直接見聞きしていた数名を除いて。

 第6位階魔法でさえも、人類で使える者は『逸脱者』と呼ばれ、称えられる一方で強く恐れられている。そして本当に絶大な威力を誇るのだ。特に広範囲への攻撃魔法に至っては数千人の部隊が一撃でほぼ全滅する規模となる。

 前例はまだないが、フールーダ・パラダイン一人で、集結した王国軍全軍を相手に上空からの魔法攻撃のみで敗走も容易く可能だろう。

 だからこそ、第7位階や第8位階と聞いて、竜王さえ黙らせるその威力を周囲が想像したのだ。

 竜王を退けた実績と他の誰にも使えないからこそ、仮面の男の言葉に強い説得力が付く。

 更に。

 

()()()()のお話は本当の事。この方が率いる一行の戦闘や魔法を幾つか拝見させてもらった上、命さえも救われた私達が証人よ」

 

 そう周囲の者達へ声を高く上げたのは、数日間竜王隊を引き付けるという大業を成し遂げたリ・エスティーゼ王国最高のアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』リーダーのラキュースであった。彼女の頬はナゼか少し赤かったが。

 リーダーを筆頭に並ぶメンバー5名は先日、ゴウン氏の〈上位(グレーター・イン)認識阻害(フィビット・レコグニッション)〉を目の前で実際に体験している。

 それ以上に、ゴウン氏達の竜王を前に余裕すら感じる突撃戦なども同行して目撃しており、何よりあの傲慢で強大な竜王へ撤退を同意させた事は、魔法力以外に考えられないと見ている。

 旅の魔法詠唱者の周りに居た者達も、大戦の英雄である『蒼の薔薇』が絶賛する人物を認めざるを得ない。

 

「……凄い」

「彼こそ真の大英雄だ」

「ゴウン殿……いや、ゴウン様に最大の感謝を」

 

 最後に周辺から「ありがとう」の合唱が起こる有り様。そうして、多くの者が徐々に去りゆく。

 その中には、エ・ランテル冒険者組合長のアインザックや『漆黒』チームの姿もあった。マーベロと偽モモンは、他の者に倣い続く形で会釈をして東南の戦場後方へと離れた。

 ルベドとユリを伴うゴウン氏の傍に留まったのは、『蒼の薔薇』だけと変わる。

 貴族達も多くがこの地を後にし南の自陣へと向かい、残りはレエブン候と有志の大貴族達の護衛を残すのみに見える。

 その様子を一瞥したラキュースが静かに伝える。

 

「エ・アセナルの件は大変な事だと思いますが、大戦の大英雄であるゴウン様の判断をこれから多くの人達が支持すると思いますよ」

 

 大都市の権利について、ここまで誰も口にしなかったのは、王家や貴族達の怒りや反論を恐れたからかもしれない。しかしラキュースは権力階層出身であり、少々英雄に憧れてアレな面も持つが柔軟な思考の持ち主でもある。

 ゴウン氏は腕を組みつつ、対応に迷う気持ちを隠しながら聞き返す。

 

「……そう思いますか?」

「はい。……では、我々もそろそろ行きますね。と、その前に――」

 

 彼女は、ガガーランから渡された2着の畳まれたローブ調の装備を、ゴウン氏へと返却する。ラキュースにすればお気に入りのローブであるが、あくまでも恩人からの借り物である。

 

「コチラをお返ししておきます。竜王相手に紙一重の激戦の最中、お貸し頂いたこのローブには本当に随分助けられました。ありがとうございました」

「確かに受け取りました。5人が約束通り無事で何よりです」

「ふふっ、ですね。勿論、利子は後日に必ず。今日のところは、これで失礼しますね」

 

 ラキュースは穏やかな笑顔を浮かべ会釈の後、背を向けた。仲間達全員が生き残り、竜王に挑む直前に替えのないだろう秘蔵薬を使ってまで助けてくれた彼の無事に、理想の未来を描けると内心でとても喜んで。

 ガガーランは、そんなリーダーの様子に『やっと乙女に春が来たか』と含み笑いで、相手の漢へローブの感謝も込めて軽く右手を上げ離れてゆく。

 忍者風姉妹もリーダーらを救った恩人達へ、息の合った会釈をしそれに続いた。某天使の口許が一時ニヤニヤとしていたのは言うまでもない……。

 最後に、「そ、それでは、()()()()失礼します」と小柄な仮面少女が緊張気味にカクカクと礼をして仲間達の下へ小走りに追い付いて行く。恋愛経験未熟な彼女――強さに加え、乙女の憧れである衝撃の御姫様抱っこの殿方を忘れる事など出来やしないのだ。

 間もなく、イビルアイの〈全体飛行(マス・フライ)〉でラキュース達は、南部戦線の後方へ移している『イジャニーヤ』達の待つ急造の野営地へ向かった。

 

(俺の判断か……)

 

 南方向の空へと消えていく『蒼の薔薇』をぼんやりと見送っていたアインズは、後ろから野太い声を掛けられる。

 

「ゴウン殿」

 

 声で誰か分かった御方が振り返えると、そこには先程まで赤茶の王家宝物の甲冑を纏っていたはずの王国戦士長が、通常の装備姿で立っていた。危機は去ったという事なのか。

 五宝物の話は会見場を目指すレエブン候一行での移動時に聞かされたが、流石に個々の性能へ関してやユリを救った武技は語られず不明だ。

 

「これは戦士長殿」

 

 誇り高い戦士の彼には午前3時過ぎ、レエブン候の陣で合流時に再会した折、国難を救った大きな感謝の思いを、深々と頭を下げる姿で示された。

 ――『本当に、本当に感謝している。王国を救ってくれた事、誠にお礼申し上げる』と。

 ゴウン氏としては、そこまで真剣に王国側へ肩入れしていなかったので少々面食らった気持ちであった。竜王と真剣勝負になったのは、別の約束の所為であったからだ。そのあとで、ユリの件でも丁寧な謝罪を受けていた。

 またゴウン氏は、以降同行する国王からも別途、両手を握られての感謝の言葉を受けている。だから今、戦士長の来訪でそれ以外に用件を思い付くのは、先のエ・アセナルの件ぐらいである。

 だが仮面の魔法詠唱者と向き合ったところで、ガゼフ・ストロノーフは突如両膝を地へ突き、堰を切るように述べる。

 

「先程は戦闘警戒中でもあり、十分に告げられなかった。なので――改めて深く謝らせて欲しい。ユリ・アルファ殿を危険に巻き込んでしまい、本当に申し訳ない。全て私の責任だ。今後、私に出来る如何なる事でもさせてもらうつもりでいる。どうしても許せないなら――死ねと言ってくれれば、今この場でこの命も差し出そう」

 

 道理で彼が、王家の宝物である剣や装備一式を身に付けていない訳である。

 両膝に続き両手までその場へ突いた戦士長に二言はなかった。既に王国の危機回避とランポッサIII世の命の当面の安全は確保されている。

 その手段の一つとして、愛する者を死の戦場へ分かりながらも引き込み、そして一度は死なせてしまった……それを彼自身が一番許せないでいた。

 ならばこそ、ユリが想いを寄せ、絶体絶命の国難を救って見せた尊敬と恩義を感じる事の出来るこの御仁に命を取られるのならば、正に本懐。戦士長として悔いは全くないという思いだ。

 対するゴウン氏としては、予想外の急な申し出にどう答えていいのか悩んでいた。

 

(えっと、別に戦士長の所為じゃないからなぁ……ユリに護衛を頼んだのは俺なんだし。でも、凄く大きな借りに感じてるって事だよなぁ。まあ、王国は救ったわけだし、とりあえず一つ貸しという事にしておこうかな)

 

 考えを纏めた支配者は、両手両膝をついて土下座に近い姿の戦士長へ、自分の手を真っ直ぐに差し伸べながら言葉を伝える。

 

「戦士長殿、お気持ちは分かりました。でも、どうか立ってください。元は、竜軍団の侵攻が原因です。カルネ村では共に戦い、今回も親交のある貴方の頼みに私が応えたもの。それは決して、互いに命を代償にしろというものではなかったはずです。確かに貴方の頼みに、私は応えたと思います。だから――今度はいつか、私の願いへ戦士長殿が可能な時に応えて欲しい。だから、それまでは決して死んではいけない」

「……っ(ゴウン殿……)」

 

 戦士長のガゼフは笑顔を浮かべた。彼はゴウン氏のガントレットを力強く握ると引かれるままに立ち上がる。

 支配者の傍へ立つ眼鏡顔のユリも、笑顔で戦士長へと頷いていた。

 

「英雄的武量だけでなく、気遣いと寛容さに感服する。心にあった大きな棘をゴウン殿の言葉が完全に取り除いてくれた。約束しよう、いつか友である貴殿の役に立つまでは決して死なないと」

 

 両者は、固く約束の握手を交わした。

 ここでストロノーフが伝えて来る。

 

「そうだ、陛下より伝言を頼まれていた。最期の言葉に伝えるつもりでいたので後になったが」

 

 そういう事は早めに伝えて欲しいものだが、きっと急がない用件のはず。

 それに、信頼する忠臣に最期を迎えさせた者と、国王も今後快く接する事なんて不可能だろう。

 

(真っ直ぐな考えの戦士長だから、王へ宝物の装備を返した時にでも〝私に何が起こっても他の者の所為ではありません〟とか言ったんだろうなぁ。……王は、俺がそうさせないと知っての上か、それとも俺という者を試したか、どちらかだな)

 

 国王側とは、裏で竜軍団撃退協力への見返りに、自治領や婚姻に金銭供与など政治的な駆け引きが既にあるわけで。ランポッサIII世から、愚直な戦士長のこの件も上手く頼むと投げられたように感じた。

 ゴウン氏は一件を片付け終わったとして、改めて尋ねる。

 

「いかなる話でしょう?」

「私の用件が済み次第で良いので、来て貰えないかと――陛下自ら、あのエ・アセナルの中を共に確認したいとの仰せだ」

 

 絶対的支配者は、戦士長へ『おいおい上手く利用されたんじゃ?』と思ってしまった。

 当然国王と同様に、ゴウン氏へ関し戦後の影響力を抑えたいレエブン候も同行するはず。こちらへ戦士長個人の悩みを解決させつつ色々考えさせる時間を奪えるとして。

 

(うわぁ。周辺の威力偵察の話は本当だろうけど、本題はエ・アセナル内部の確認に有ったのか。まだエ・アセナルをどうするか考えが纏まってないのにぃーー)

 

 正午までにはまだ6時間半以上ある。この間に国王と侯爵が急ぎ現状を把握したいと考えるのは当然かもしれない。

 

「(今は、行くしかないか)……分かりました。では、王の(もと)へ向かいましょう」

 

 仮面の下に困惑と焦りを上手く隠して、泰然としたいつもの声音で快諾の風を装う支配者。

 王国戦士長と先頭へ並び、ゴウン氏はルベドとユリを連れ、会見場に敷いた布を撤去する者達の居る方へと移動を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国の北西端に在った大都市エ・アセナル。

 竜種を始め、多種の亜人達で満ちるアーグランド評議国の国境に王国内で最も近い位置の為、堅固な城塞都市として置かれた。北と南西と南東の三方に大きな門が設置され重厚な扉が守る。

 嘗ての周辺人口は85万とも言われるが、一度は竜王軍団の総攻撃で完全に壊滅した都市。

 それが一人の魔法詠唱者の大魔法に因って、都市部分に限ってだが以前の姿を再び見せていた。竜王との会見前から皆が少なからず気になっていたのは極自然な事である。

 会見場へ向かう際に、王国側の部隊が近くを通るも3つの門は完全に閉じられている状態で、都市内の様子を直接窺えずにいた。どうやら都市を包む光が完全に消え去るまで、門の開閉機構が凍結されたように全く動かないらしい。

 また光の壁の所為か、城壁上の者達の個別の声は殆ど聞き取れずにいた。

 

 なので、国王やレエブン候らにとって都市内部は謎に包まれている状態といえた。

 

 魔法を使った本人のゴウン氏と、潜入して邪魔者を排除したルベドは、建物の多くが直る途中の状態までを都市内部で直接確認していた。

 しかし、それが出来たのは魔法を使った本人が一緒にいたからだ。

 『蒼の薔薇』を始め、竜兵達を含めて多くの者達は空からの侵入を当然考えた。

 だが、分厚い光の壁がそれを許さなかった。硝子の様に硬質化状とは異なったのでぶつかっても怪我をする者はいなかったが、侵入出来たと思っても次の瞬間、外へはじき出されている形。

 復活中の都市は一種の結界となっていた。

 でも、遂に全ての光を失おうとしている。

 それが都市復活の完了を示すと、会見場所から移動し終え先程から北門の前でじっと見守る国王やレエブン候、部隊を引き連れた有志の貴族達も理解する。総数は約1200名。

 

(視界に映る光景が、幻影などではないと言う事か。実に……非現実的な(パワー)だ)

 

 レエブン候は、その現実を考えると王国の未来の姿が全く見えなくなっていくの感じる。単なる一個人の力が、国家権力を優に上回るという異常事態を迎えるのではと……。

 一大貴族派閥とか、一大商会とかではない。たった一人の者の手が全てを力で変える可能性。

 決して信じたくはない。

 

(ゴウン殿の参入で、我ら貴族達による王国の権力社会が脅かされる事は穏便に避けなければ)

 

 この時点で唯一の救いとなるのは、()魔法詠唱者(マジック・キャスター)が、全力戦闘へ臨む前には数日の充足期間が不可欠という事実だ。

 レエブン候が、難度の高さを近くなら計測出来る者へ確認したところ、平時のゴウン氏と側近の女騎士の水準は、おおよそ難度150前後と報告を受けていた。

 充足期間の機を与えなければ、竜王を屈服させる程の魔法を撃つ難度までゴウン氏が変われず十分勝機はあるとの結論に至る。

 

(どれほどの強者にも弱点はあるのだ。あの大地を揺らし裂く神の如き火炎砲を放つ竜王さえも、例外ではなかったしな。とは言え、彼とは友好を深め、信頼関係を強く築くべきだ。怒らせ敵対する事は厳禁に決まっている)

 

 そう考えている中、都市を覆っていた光は、日の出へ合わせるかのように消え去った。

 すると都市外周壁上から儀礼隊により、ラッパ楽団風の音楽が流れだす。北門前の堀を隔てた跳ね上げ橋がゆっくりと下がり地へ付くと、分厚い木へ鉄板を張り付けた高さ5メートルを超える重たい大扉が外側へと全開され、奥の鉄格子状の柵が上へ引き上げられた。

 門内から、騎士達が通路の両脇へ並ぶと、門の前方中央へ一人の男が立った。

 国王派の子爵で、エ・アセナルの都市長のクロイスベルである。

 

「国王陛下、並びにレエブン候、今再び会えた事、大変喜ばしく」

 

 嘗て信頼を置いて居た子爵の様子と言葉を、慎重に観察するランポッサIII世と侯爵。

 その後ろにいる有志の貴族達も同様だ。この中には国王派ながら帝国へ内通するブルムラシュー侯爵派の隷属的伯爵や、貴族派の一角リットン伯爵も急に「怪我は癒えた」とし戦後を睨んで参加しており、〝都市復活〟への疑念を視線に乗せていた。

 ガゼフを護衛に付ける国王が都市長へと率直に問う。

 

「元気そうで何より……と告げたいが、クロイスベル――お前と民は死んだのではないのか?」

 

 問われた側の、都市長は難しい顔へと変わるが、頷き答える。

 

「……そうなのかも知れません。私は目覚めて2時間程ですが、この都市で最期まで生きていた者達の話や、中央の城の尖塔や、外周壁から見渡す周囲の惨状の報告など聞き、実際の戦場の光景を見るに否定は出来ません。

 しかし今――私達は皆生きております。これは間違いの無い事実として申し上げておきます」

 

 都市長の言葉に、跳ね上げ橋や門の両端へと並ぶ騎士達の見せる顔も多くが頷いていた。

 その自然な様子を見て、国王が言葉を伝える。

 

「……そうか。死と復活を経験するなど想像もつかぬが、再び生きてお前や民達に会えたこと――嬉しく思うぞ。皆、出迎え、大儀である」

「陛下……ははっ」

 

 クロイスベルを始め、都市側の居並ぶ者達全てが、国王へと礼を尽くす。

 ランポッサIII世はここへ来た用件を伝える。

 

「私が足を運んだのは、都市の実際の様子について確認する為だ。都市内の状況はどうだ?」

「はっ、まだ調査中ですが、恐らく破壊される前の状態へほぼ戻っていると思われます。ただ、以前より老朽化の目立った箇所も結構あったのですが、それが全て新築同様になっている事には驚きましたが」

「むう。そんな変化まであるのか」

 

 国王同様にレエブン候も内心で唸る。

 

「……なんたる状況(幻影の場合、嘗ての物の記憶からなどの映像的真似でしかないはず。過去とは違う物が現実に構築されたのは間違いないという訳か。更に死んだ臣民が生き返っているなど……)」

 

 その侯爵の疑問は、呟きの様に口から出る。

 

「因みに確認されている都市内の(復活した)生存者の数はいかほどか?」

「概算ではありますが、直前の人口状況から少なく見ても30万人は下らないかと」

「「さ、30万だと………」」

「本当なのか!?」

 

 侯爵だけでなくランポッサIII世や耳にした貴族達も、驚愕の数字に目を大きく開き上体が少し仰け反る程の驚きを示した。

 3人とかでないのだ。いや本来、1名を復活させる事でさえ大事である。

 非常に貴重な信仰系の第5位階魔法が必要なのだ。魔法毎に、金貨で対価を払うならば数万枚が必要であろう。更に挙げれば、難度の低い者は殆どが灰になってしまうと言われている。

 クロイスベルは分かりやすく状況を伝える。

 

「確認中ながら今のところ、都市内で()()()()()()死者どころか一人分の灰も見つかっていないのです」

「「……」」

「むぅ」

 

 都市長はまくし立てるように伝える。

 

「愛する家族が街の混乱の中で建物の下敷きになり、火炎砲に巻かれて死ぬ様子を確かに見たという夫人も、死んだはずの夫や子供達と自宅で再会し大喜びしたとの報告もあります。外周壁上の兵士達も、竜王の初攻撃の大爆発で、全身炎塗れになり宙へ舞ったところまで覚えているなど、夢物語の如き報告ばかりです」

 

 国王は、実物感しかない頑強な門や高い外周壁に周囲の者達の様子を冷静に見て、都市が完全復活している事を事実として認めようと考える。

 それは他の貴族達が大戦で大きく疲弊する中、直轄領としていた王家にとり大きな権威と力をもたらすのである。

 ランポッサIII世が言葉を都市長へ告げようとする前に、クロイスベルが当然の疑問について尋ねて来た。

 

「陛下。この都市の状況は、一体何が起こったからなのでしょうか? 単に愚考しますと、まず高位ないずれかの魔法詠唱者による魔法なのでは……と。兎に角、都市の民衆の多くが――今の現実に大変感謝しております。私もその一人です」

 

 都市長の言葉の直前、国王は以前のように、直轄領である自領内を散策する気楽な思いでクロイスベルへ「()()()()()都市内を一通り案内せよ」と告げようとした。

 ランポッサIII世は、ハッとそれを飲み込む。

 なぜなら、この都市と周辺は一度、竜王の軍団に蹂躙占領され、王家も『和平の使者』や王城会議で見捨てた地域である。更に、占領した竜王側は、譲渡する者として『再建した者』『直ぐ面倒をみれる者』という周辺経済に重く厳しい条件を示している。

 それらの事実はいずれエ・アセナルや周辺の貴族と民衆へと伝わるのは確実。

 大戦で王家と縁戚も、2万近い兵を失っており、戦力面で大きく疲弊した。ちょっとした反感からの暴動へも、王家単独の武力では対処が難しくなっている。

 軽はずみな言葉で手順を間違えれば、思わぬ事態に発展すると考えた。

 特に、気難しい竜王の意志を蔑ろにすれば、無視されたという怒りから、再侵攻という悲劇を呼び込みかねない。絶対にそれだけは避けなければと思う。

 なので、国王はまず事実的な言動を選んだ。

 

「都市の復活には――()()()()()である旅の魔法詠唱者、アインズ・ウール・ゴウン殿が力を貸してくれた」

「おおおぉ……陛下、その()()()()何処(いずこ)に?」

 

 興奮気味の都市長から尋ねられ、一瞬逡巡しかけ国王は視線を左右へ振ったが、観念したようにゆっくりと左側へ振り返り、腕を伸ばして示す。

 

「あの仮面の者がゴウン殿だ。都市の皆で礼を申すが良い」

 

 ここはまず、王としての度量を示す方が得策だと判断し、利権に関係ないところを許す。

 ゴウン氏は貴族達の後方に立って居たが、大柄な容姿や独特な仮面と装備により、都市長からも認識するのは容易であった。

 

 御方はルベド達や国王を守る戦士長と共に、レエブン候の率いる200の騎馬騎士隊を含む300名程の近衛部隊に同行してこの場へ来ている。竜王の衝撃的宣言を受け、当然であるがランポッサIII世と侯爵の雰囲気が違っていた。大都市一つと広い周辺特上地の話である。王家の総資産でもかなりの比率を占めただろう規模。

 合流直後に御方の「もう出発されるのですか?」へ「そうですな、間もなく」と侯爵の返事ぐらいで、権利に関して直接的なやり取りはせず。

 同行中も国王らは――敢えてエ・アセナルについて語らなかった。

 ゴウン氏から、竜王の発言を背景に強気で不愉快な言葉が有れば、『そんなに欲しいのか?』と突っ込む意味でも……。

 超越者の竜王相手ならあっさり諦めがついて、下賤の人間相手ならば強欲が出る……それが王国貴族の本質なのだ。

 

 クロイスベルがランポッサIII世へ断りを入れて、跳ね上げ橋を渡り終え仮面の魔法詠唱者の方まで歩いて来た。

 貴族達も状況から、仮面の魔法詠唱者の前を空ける。

 

「アインズ・ウール・ゴウン様、ですな?」

「ええ、そうです」

 

 その返事に、都市長は感激深く、一旦目を閉じ丁寧に会釈をして言葉を紡ぐ。

 

「私は、エ・アセナル都市長のクロイスベルと申す者。陛下より聞きました。滅び去った我々エ・アセナルを元の姿へと救って頂き、都市市民や貴族達を代表して、ここに深く深く御礼申し上げます。私達は、これより救世主である貴方の事を、この都市の歴史に刻んで永遠に忘れません。本当に深き感謝を。今後、ゴウン様に苦難ある時は、我らエ・アセナルが総力を挙げて御味方させて頂きます」

「「「――!?」」」

 

 クロイスベルの決意に満ちた雰囲気から彼個人では無く、事前に都市内で貴族や大商会に街長などの意見統合がされていると感じられた。

 この発言に、国王とレエブン候だけでなく10家程の有志貴族達も危機感を抱く。

 

((……この状況、王家の直轄領に戻った場合でも、統制が難しくなるのでは……))

 

 民衆はともかく、都市を統治するはずの貴族達の忠誠や経済面に影響をもつ大商人達が、領主の王家から少々離れている感じは結構問題である。

 過去には大都市統治で不正をした貴族達を入れ替え刷新した歴史も残る。ただ、刷新する場合、王都やエ・ランテル近郊の貴族達との所領替えとなり、大混乱になる危険も伴う。上手く配置変更出来なければ、不満を持つ貴族は隣接する家も巻き込んで倍加する。

 いずれにしても不満や不十分な統制を残せば、エ・アセナルにおける王家への税収面で少なく見て数割減が何年も続くはずだ。

 最悪、その金が王家領地内での内乱の資金元となり、勃発――。

 

 だから思い切った改革として――ゴウン氏を政治的立場で上手く取り込むのも一つの手だ。

 

 しかし、レエブン候には少々納得出来ない部分があった。

 

(どうなっている? ナゼ、ここまで迅速にエ・アセナル内部で結束する動きが起こった?)

 

 一応、侯爵は戦前から王家の領地であるエ・アセナルの経済や統制状態について、自領内との経済交流を持つ面から把握している。

 その報告内容で各支持勢力は、国王派4割5分に貴族派2割、中立は3割、裏5分といったバラついたものであったはず。

 それが、短期間で一気に意思統一がされたかの様子。

 

(ただ、先程の国王への礼を持った態度を見ると、考え過ぎなのかもしれない。確かに立場の小さい一個人の恩人へ力を持つ組織の都市が、ある程度の助勢をするのは考えとして十分有り得る)

 

 実はこれは復活魔法の影響であった。要するに、復活魔法の使い手へと協力する強い絆的感情が芽生えるのだ。例えるなら、窮地を救われたカルネ村状態である。

 これが大都市規模で熱烈に起こっていた。

 もし王家が復活魔法の使い手の敵となるなら、エ・アセナルはどう出るだろうか……。

 ゴウン氏は魔法の効果項目に住民感情があるのを知っている。ただし、効果度合は『ランダム』で稀に変化という説明文も読んでいた。なので、少ない当たりを引いた事に気付いていない模様。

 国王らの手前、支配者はクロイスベルへと無難で控えめに伝える。

 

「国王陛下より招かれ、今は王都で不自由なく王宮住まいなので大丈夫です。まあ、流石に今後もずっとと言う訳にもいかないので、困ったときはお願いさせて頂きます」

「畏まりました、ゴウン様」

 

 都市長は、ゴウン氏へ会釈をし国王の所まで戻って来ると、高貴な客達へ伝える。

 

「では、皆様、エ・アセナルの都市内をご案内いたします。私に続いてください。門内には馬車もご用意しておりますので」

 

 馬でここまで来ていた国王やレエブン候の他、リットン伯爵ら大貴族達と護衛数名は、結構豪華でオープンな四輪馬車数台へ乗り込んだ。ゴウン氏とルベドにユリは箱型の馬車へ、あとは近衛部隊の150騎程の騎馬騎士隊が続く。残りは北門内すぐのところで待機する。

 流石に都市長の話を鵜呑みには出来ないのだ。隊列の前後と側面にも騎馬が付き、厳重な警備での移動となった。

 しかし、復元された都市内は平和であった。基本的には、破壊される前と酷似している風景が広がっているだけ。

 国王達の隊列は民衆から歓迎された。特に都市の救世主だと広まったゴウン氏の乗った馬車が、皆からまるで神へと祈るかのような礼を受け続ける……。

 都市内をぐるりと1周し、都市中央の高台に(そび)え立つ鋭い塔状の城の中へも国王やレエブン候達は訪れたが、新築されたような真新しい立派な城があったと言う話。

 ただ、エ・アセナルの状態を確認するにつれて、国王やレエブン候が特に気になり注目している事項がある。ただそれは、多くの者に聞かせられない内容だ。

 城内の、眺めの良い高い位置にある会議室。此処には護衛他と貴族達20名程しかいない。都市の名門貴族達5家も加わる中、国王がクロイスベルへその重要事を問う。

 

「都市長よ、今、この都市に穀物類はどれほどある?」

「一応、陛下より〝今年もあると見る帝国との戦争に備え、戦地から最も遠いこの地へ()()()()〟との事でしたので――かなり備えております」

「「「おおおぉぉーーっ!」」」

 

 この問いに、王国派、貴族派を超えて貴族達は沸いた。

 他家の貴族も居るため、明言はしなかったが。かなりと言う数字は、例年の王国軍の動員数20万に対しての兵糧量を指していた。少なくとも複数カ月分はあるという事だ。

 今年の収穫期まで、あとひと月半程である。正に1年で最も穀物備蓄量が減る時期に、穀倉地帯が戦場になった上で、備蓄基地のエ・アセナルが壊滅した状態であった。

 国家として相当窮地と言えた状況。だが、備蓄基地のエ・アセナルが奇跡的に復活した。

 秋に帝国との戦いがあるかはまだ不明だが兎に角、捕虜となっていた6万人の食料だけでなく、膨大過ぎて正確な数が把握出来ていない難民への食料も何とかなりそうである。

 故に、国王ランポッサIII世が告げる。

 

「今は、非常事態である。国王のランポッサIII世として命じる。蔵を開けよ! 都市外で窮状に苦しむ民へ配給する準備を整えいっ」

 

 なんて慈悲と慈愛に満ちた国の主らしい宣言だろうか。

 そんな国王の発言へ対して、エ・アセナルの都市長は――難しい表情で答える。

 

「お待ちください、陛下」

「な、なんじゃ?」

「先程、私は知人より、とても重大な事を聞き及びました」

「――何をだ?」

 

 クロイスベルの様子の変化に、ランポッサIII世の目が細まる。

 王も、この会議室へ入る直前に、都市長が廊下で都市内の貴族から耳許で囁かれている姿を見ていたのだ。子爵の、驚きで目を大きく開いた様子はこの状況を予感させた。

 クロイスベルは静かに語る。

 

「撤退する竜王が残した言葉でございます。陛下、我々エ・アセナルの者達は全て一度竜軍団に殺され、都市は完全に破壊されたのですよ? 恐れながら陛下のお言葉と竜王の宣言、我々がどちらを恐れるのかを、都市長の私が改めて述べる必要があるのでしょうか?」

「――っ」

 

 席に座る都市内の名門貴族達の強い視線が全てランポッサIII世へ向かう。

 国王が言い澱む中、都市長は改めて述べる。

 

「陛下、竜王は〝都市跡と周辺の地は再建した者へ全ての権利を譲渡する〟と言い残しており、これに従って頂かねば、エ・アセナルの者達は納得出来ません。この話は、会見場に程近い戦場からエ・アセナルへ帰還した冒険者達から既に都市内へ広まりつつあります。陛下の慈悲に満ちた御言葉さえ、真の恐怖を経験した者達の心には及びません。下手をすれば都市や市民の事を再び見捨てる行為として、大規模な反乱さえ起こる恐れがありますっ」

「くっ……。そうであるか……」

 

 苦しい状況を前にする国王の顔を、レエブン候が見る。

 平時のランポッサIII世は、道理を曲げて民衆を虐げる非道な王ではないと知る。

 

(だが、今は非常時。王城会議でエ・アセナル周辺を見捨てるしかなく、それを告げた漢が取る次の手段で、王家の進む未来が示される気がする)

 

 国王はこの場で、あからさまにレエブン候を頼る訳にはいかない。

 エ・アセナルはあくまでも王家直轄領。判断は当主である自分で考えるしかなかった。

 ただ、王とて多少の駆け引きは知っている。ボールをぶつける相手も。

 

「――ゴウン殿、貴殿もきっと同じ判断をすると私は見ていたのだが?」

 

 ここで、さも代行して告げたように誘導するランポッサIII世。

 狙いは、国王の言葉をそのままゴウン氏が告げる形にすることだ。当面の流れをそう固めたかった。

 王の言葉を受け、ゴウン氏は静かに答える。

 

「……そうとも言えますし、少し違うとも言えます」

 

 ただ、ボールが思い通りやまともに返って来るかは賭けとなる。

 国王達がここまで一切、エ・アセナルの件を話題にしなかった事で、絶対的支配者には考える時間がそれなりにあった。

 竜王の言葉など、彼にとっては「文句あるなら俺に勝て」と言えば済むので実は小さい。

 最初の問題は、大都市であるエ・アセナルの権利を貰ってどうするのかと言う判断。

 先程一度は『手に余る』と言う考えから、国王へ返せばいいだろうと思った段階で、世界征服を目指すナザリックの主人として、NPC達へそれを正当化する論理的な理由が思いつかなかった。

 また単に、征服者の矜持的な言葉で押しのける事も出来るとも思ったが、よく考えれば今回の面倒を回避したとしても、次に征服者として他の都市を支配下に収めれば、結局避けられない道だと分かる。

 ならばと、御方はエ・アセナルの面倒を引き受けた場合について色々考え始めていた。

 

 

 結論から言えば、運用は自分ではなく――味方の出来る者に任せるのが一番、である。

 

 

 なので大事なのはそこまでの筋道となる。

 ゴウン氏は、まず状況を最大限に利用し、主導権を先に握る事が重要と考えた。

 

「国王陛下。戦争が終わった直後で皆、不安が去っておりません。とにかく今はエ・アセナルの者達の混乱を抑えるのが肝要かと」

「う、うむ」

()()()()()、竜王の言葉に従いつつ落ち着いた安全な状況を整えるべきでは?」

「それは確かだが……」

 

 王家の当主は目を閉じて思案を巡らせる。他者は、踏み入れない場面。

 ゴウン氏の言葉には、一時的に王家の持つエ・アセナルに関する全ての権限を与えるという意味合いが含まれる。だが確かに、体験しがたい不遇に接し、終戦直後で不安の充満した人口30万以上の大都市と周辺を、落ち着かせる事が第一だという考えは理解出来た。

 それを整えてくれるのなら、()()()()()の利権による多少の稼ぎがこの仮面の魔法詠唱者の懐へ入ったとしても互いに助かるという話。

 いずれは、この男の元に嫁ぐ第二王女の為にもなるはずだと――。

 また都市内には依然、10家を超えて王国派貴族家も残り、彼等の管理地が点在するので制約も結構ある。

 国王ランポッサIII世は百歩譲る気持ちで、将来の婿殿をここは信用する。

 

「――難しいが、やってくれるか、ゴウン殿?」

「陛下!」

 

 レエブン候からの、今暫く再検討を促す呼びかけに、王は視線を向けながら首を横に振る。

 王都を動かないという彼の話も、今となっては極々小さい懐かしい宣言と言える。

 戦争では戦果や結果がすべてなのだ。

 力を示し功を上げた者が、呼び込んだ状況で新たに大きいモノを掴むのは王国に限らず、亜人圏も含めて全世界共通である。

 侯爵としては、ゴウン氏との裏取引を後に回した事が悔やまれる。同時に、反乱等を避ける為に再建した者(ゴウン氏)へ権限を渡さずとも、民衆や都市側の総意で難民らへの食料援助等を誘導する事は可能と考えていた。まあ工作に時間は掛かるのだが……。

 そんな侯爵の様子を横目に、あくまでも臣下としては従わないという確認も忘れず行う絶対的支配者。

 

「……客人としてですが、構いませんか?」

「うむ。異例であるが竜王の意に沿い、国王ランポッサIII世の名において、エ・アセナルを再建したアインズ・ウール・ゴウン殿へ都市に関する全ての権利を与える」

「「おおおっ」」

「なんと」

「まさか、貴族で無い者が……」

 

 エ・アセナルの混乱を抑える為とはいえ、この場に居た貴族達は国王の決断に多くが驚く。

 貴族以外が都市の全権を持つなど、王国建国以来初で前代未聞の決定であった。

 更に、ゴウン氏は王国国民でさえない旅の異邦人……。

 ランポッサIII世としては、一度権利を渡すことで竜王の言葉を通した事案になる。今後返還されても、竜王の言葉に反した事にはならないと。

 でも返還されるかは、信じた婿次第であるが。

 また王は王家の……息子達の反応も気になる。娘達は兎も角、第一王子と第二王子、二人が納得するかは微妙だと既に感じていた。

 両名とも臣民などへ気遣いを見せる程、繊細ではなかったから。

 バルブロは市街を焼き払ってでも下民の反乱を鎮めて見せると豪語するだろうし、ザナックも郊外などへ誘導して、結果的に抵抗勢力を皆殺しにするはず。

 国王が、ゴウン氏を敢えてそのまま起用したのは、貧しいカルネ村を救ってみせた事と、竜王達を生かして説得した面も大きい。

 

(私が臨む統治者とは、弱き者へも目を向ける事が出来、敵対勢力を殺して回っても恨みしか残らないと理解する寛大さも持つ者だ。甘いかもしれないが……)

 

 ゴウン氏が都市全権者となって、この場で喜んだのは都市長のクロイスベルや都市内の名門貴族達である。

 

「ゴウン様、おめでとうございます!」

「「おめでとうございます!」」

 

 子爵達は場で浮いた形の拍手までしてくれた。熱烈な歓喜である。それへ混ざる様にルベドとユリも無論即時に拍手を始める。続く形で、ゴウン氏を選んだ国王もゆっくりと拍手を始めた事で、ガゼフや他の貴族達もパラパラと拍手を送った。

 領主が貴族でないという特例ながら、ゴウン氏は正式にエ・アセナルの領主として認められた。10家を超える大貴族が参加した会議内で承認され、貴族規定を満たしたのである。

 ただここで、特権階級連中の観点からやはり「平民ではいけない」と言う声が上がった。

 そのため急遽、この場にてゴウン家について王家客人として暫定的に『王家承認都市領主』という地位が設けられ規模から大貴族並の扱いと変わった。

 実質、一気に独立領主だ。『リ・エスティーゼ王国ゴウン家自治領』とも呼ばれるようになる。

 この一連の光景を、王に近い席で見ているリットン伯爵は唖然とするしかない。

 ひと月程前、屋敷での偶然的面会もあり、貴族派の表の戦力にと上手く勧誘してやったが、単に腕の有る下賤の放浪人と思っていた者。ソレが、ただ一度の大戦で余人の及ばぬ力と大功を示し、大貴族さえ口出し出来ない状況の中、途轍もない躍進で出世してしまったのだから。

 

(……平民風情がいきなり大貴族だと、独立自治だとぉ! どうなっている? いやそれより、ボウロロープ侯爵が居なくなった今、私はこれからどうすべきかを考えなくてはっ。奴だ、この仮面男を上手く利用するんだぁっ。……それにしても屋敷でのあの晩、このルベドという美しい女だけでも、モノにしておけば……クソぉ)

 

 最後は下卑たイカガワシイ思考に辿り着くという貧相さが、腐った王国貴族らしいと言えた。

 一方で、力不足の王に強気だけの王子達とリットン伯爵のような足を引っ張る貴族達の犇めく王国を背負う形のレエブン候。彼はゴウン氏への都市権利贈与へ警戒や反対の意志を持ちつつも、当面の評議国側の動きを睨んだエ・アセナルの立地と安定、またゴウン氏との協力と友好は絶対だとし、今は総合面を優先する形で黙認した状況。

 他の貴族達もやむなしの表情。

 ただ言えるのは、以前からゴウン氏が周りへ見せた礼儀作法と教養に加え、並みの大貴族さえ持たぬ、超高級馬車や絶世の美女達などを所有する点。今回もほぼ権力側に立つ者の振る舞いで、平民とは明らかに異なって見えたのも特別な地位を認められた事へ繋がっている。きっと、故郷でゴウン氏は間違いなく元上位階層の出だと。

 でなければ、国王が教養や生活水準の低く卑しい者へ、重要な領地や大事にする王女の一人を輿入れさせようとは絶対に思わない。

 こうしてゴウン家は、リ・エスティーゼ王国において、臣下の貴族ではないが平民でもなくなったのである。家の地位向上により、側近配下のルベド、シズ、ソリュシャン、そしてナゼかユリまでも騎士長並扱いとなった。

 

(ゴウン殿にルベド殿、おめでとう! ユリ殿も、おめでとう。ぅ……)

 

 無常な事に、ガゼフはユリに身分であっさりと抜かれてしまった。

 また、これで公では立場上、友人へ『様』を付けなくてはならない。

 戦士長としては、嬉しくもあり悲しくもあった。

 

 

 

 ともあれ、御方が国王の臣下ではない形で領主となって全権利を得たという事は、実質的にこの領土内において君主相当となる。どこからも何の制約も受けないのだ。都市内貴族達へ命じ、動かす事も可能だろう。

 更に、支配する側の特権力を我欲に甘んじて使う事で、住民達の処刑や略奪的徴収さえ、思うが儘に正当化出来る立場である。

 もっとも、恩には恩で返す事を考える絶対的支配者は、今そんな凶行など考えないが。

 ただ、王国内の貴族領の多くで、反乱無き規模で正に『我欲』が実行されている現状にあった。ここ数年の停滞する王国経済事情と、年々かさむ戦費の調達が最大の原因ではあるけれど……。

 ゴウン氏とすれば、エ・アセナル行政はあくまでも都市支配管理の予行演習に過ぎない。

細かい部分は追々対応するとして、第一に最近の実状を把握ののち都市市民の生活と経済を上手く回したいところ。

 またそれを、国王の客人で旅の魔法使いで『人間の領主』として成し遂げる必要がある。

 

(とりあえず、捕虜になった周辺住民や難民達の面倒を丸投げされた状況だよなぁ。でもまあ、一応――経験豊富な現役の都市長が居る訳だし)

 

 そう、御方は大きく悩んでいなかった。初めての事に不安はあるが。

 全く知らない事なら知っている者からきちんと学べばいい。社会人の基本でもある。

 とは言え、一から十までや何度も同じことを聞くのは、馬鹿に他ならない。

 要点を押さえて理解し覚え、コツを早く掴み応用も考え、同様以上の成果を出せる事が重要である。

 この能力が、その者の価値を大きく左右する目安になるのは間違いない。勉強も然りだ。

 ゴウン氏は国王やレエブン候達の居る前で、領主として口調もそれらしく最初の指示を出す。

 

「都市長。まずは――国王陛下をはじめ、皆の方々へ食事の用意を。護衛の者達へもだ」

「「「――!」」」

 

 直前までは、エ・アセナル自体の現存確認や、全権利の所在など重要事案が並び余裕が無く、忘れていたと皆が気付く。

 長く宝物装備を付けていたガゼフは別として、少し前までランポッサIII世を筆頭にこの場の貴族達は何日も徹夜気味で慢性的な睡眠不足の上に戦場を越えて来ており、食事さえ定時に取れない境遇であった。でももう戦争は終わっている。

 時刻は午前8時に近かった。

 東向きへ並ぶ広く高い窓からの朝日が、徹夜の者達にはやけに眩しく感じる時間でもある。

 加えて一行には、まだこのあと戦場内の威力偵察活動も選択肢には残っており最悪、実戦も再度有り得る。行動するにはまず体力。食事は不可欠な事柄だ。

 

「はっ、直ちに。この城の外や北門の傍に控える者達の分も手配します」

「よろしく頼む」

 

 扉を開け、外の配下へ指示を出す都市長の反応から、既に事前準備はされている感じを受けた。国王派のクロイスベル子爵家であり、領主だった国王達を招いたとなれば当然ではある。

 少しでも目端が利き、気遣いの出来る者が有用なのは確か。

 

(クロイスベルがそうであって欲しいけど)

 

 ゴウン氏は先程から、領主の立場ならば何を要望されるかを順次考えている。

 食事など、ほんの手始めにすぎない。

 最大案件は無論、解放されるという大量の捕虜と家や畑を失い周辺に逃げて溢れた難民達の対応だ。

 絶対的支配者は領主として色々と難民対策について構想しつつある。

 嘗て社会人として営業職であったが、大まかに見積もりを自分で出す部分もあり、担当事案について色々考える機会と経験を持つ。

 此度、捕虜と難民らへ対しては、食料だけではなく居住に関する面と、それを実現する為の労働力と資材等々の調達も要する。ただし都市の全能力を救援活動へ向ける訳にもいかない。都市住民の生活の余力範囲で賄う事が最良だろう。実現にはどういった手を打つべきか。任せられる者がいるのか。

 経験のない広い視野で全体を見る必要があった。

 

「……(はぁ、面倒臭いなぁ……アルベドとデミウルゴスは、こんな事を終始考えてるんだろうけど)」

 

 守護者統括と第七階層守護者には各々(おのおの)ナザリックで重要な役目を与えている。人外の姿を持つ部分もあり、安易に呼ぶのは無理と思えた。

 

(誰に任せるのかは、まあ後だよな。朝食が終われば戦場内の威力偵察行動に移るんだろうけど、1200名程の部隊に対しレエブン候や国王に貴族達は、此処に残るとかあるのかな? 領主としてどう動き、どう対応したらいいんだろ)

 

 ここまで考えた時、支配者は非常に重要な事を連想で思い出す。

 

(ん、任せる……? げっ、アインズ・ウール・ゴウンが領主となったって事は――影武者のナーベラルも対応する場面があるってことかよっ)

 

 王城の『偽ゴウン氏』は暇……いや客人待遇で優雅な生活の中、大半を宮殿内の宿泊部屋に引きこもり、時々中庭を散策しているだけで大方の用は足りた。

 しかし、大都市の領主となればそうはいかない。執務室で数々の判断を正確に要求される場面が必ずあるだろう。

 

(うわぁ、出来るのかなアイツに……………………。んー、……無理……かな)

 

 冷静に判断し、自陣内へ巨大な落とし穴を見付けて焦る絶対的支配者。

 ゴウン氏自身と替え玉に大きな行動差があるようなら、信用に足る者へ要項を伝えていち早く現場を任せ、王城宮殿へ引き上げた方が賢いと判断する。

 御方が悩む中、周りはこの後の行動について小声でのやり取りが交わされる。5分も経たない内に食事の準備が出来た旨の声が都市長より掛かり、別室に移ると領主のゴウン氏が音頭を取る形で国王や貴族達は用意された食事を口にし始めた。ガゼフと護衛騎士らも、主人らとは異なる一室で手早く済ませる。

 支配者は食事の席で直接「この後、侯爵と陛下はどうされますか」とレエブン候へ確認した。

 こういう行為は、王城の晩餐会に出たソリュシャンから聞いた内容を元にマナー面で推測する。

 特に失礼とはならないはずである。ただ全員へガチで聞くのはマナー面で微妙。

 さり気ないのが良いとされる。

 例えば、客側としても「泊まる」と言う話を後でする事は少々マナー違反。準備がいる項目は先に告げておくべきである。客側が家の主へ配慮する部分も存在するのだ。

 レエブン候は食事中の両手を一度置くと、ゆっくりナプキンで口許を整えてから語り始める。戦時中は余裕もなかったが、やや平時に移ったので、六大貴族としての振る舞いを見せた形。

 

「この後は予定通り、各家からの騎馬隊総勢500と兵300が手分けをして、戦場の東西南北についての威力偵察へ向かいます。陛下におかれては西部の王子殿下の部隊へ移動されるとのこと。我々各家の当主らは其々が率いる兵団へ戻り、近隣の負傷者対応や撤収へ向けた準備に入るかと」

「分かりました」

 

 ゴウン氏が都市長へ視線を送ると、全て聞いていた彼が頷く。

 直ぐにクロイスベルは、部屋の扉を開けて外へ控えていた者達へ指示を出していた。

 

(流石、都市長だなぁ。手際がいい。味方だったら凄く助かるんだけどなぁ)

 

 ゴウン氏は復活魔法の効果による住民感情の変化を見落としていた。単純にこの場だけ、クロイスベルが新領主へ面目を立てさせる形で動いている程度と考えた。

 当然だろう。御方も王城や会議などで強欲で自己中心的な王国貴族を数多く見て来ている。無償で手伝う王国貴族など、ほぼ皆無だと。クロイスベルらは新領主へおべっかを使い、金貨という甘い汁を吸い上げる為に、上手く利用したいだけなのだと勘違いするのも自然であった。

 そうではないと分かるのは、もう少し後となる。

 食事が終り、国王らは都市中央の城を出て速やかにエ・アセナルを去る。午前9時頃だ。

 既に騎馬隊500と兵300は、戦場各地への威力偵察に出陣して姿はない。400名程が護衛で中央の城傍へ残っていたが、それぞれ都市三方の最寄りの門を目指し始める。

 ゴウン氏は、城前でレエブン候ら有志貴族達を見送ると、騎乗し南西門までガゼフ以下20名程の護衛が付くランポッサIII世を見送って、エ・アセナル領主としての初の応対を無事終える。

 

「それでは、ゴウン()。スマラグディナ()にアルファ()も、また王城にて」

 

 門で別れる戦士長からの、ゴウン氏達へ向けた敬称が数時間前とは違う。これも現実。

 ひとえに旅の魔法詠唱者が大戦で見せた、隔絶した成果と(パワー)を示していた。

 ただ、王国最強と言われる男が素直な敬意を込めてのものでもある。

 ルベドには騎士長位に相応しく、ファミリーネームとして取り敢えずタブラさんの家名を名乗らせる。

 戦闘は終わっているので、支配者は眼鏡の戦闘メイド(ユリ)をエ・アセナルへ残した。依然、ガゼフには王都までハンゾウを付けるので問題無しとして。

 

 レエブン候を含む此処(ここ)(つど)う大貴族達の殆どは仮眠を取りたい一方で、出来るだけ早く自領へ戻る準備をしたいと考えていた。

 自前の経費を食いつぶし続ける戦場に居るメリットはもう何もないのだから。

 エ・アセナルの領主がランポッサIII世のままなら、あわよくば国王へ少しの協力を申し出て、難民や捕虜達を多く得る事も目論んだと思うが、そう成らず。

 今はエ・アセナルと周辺の面倒事をゴウン氏へ押し付けた現状で我慢している。

 なぜなら多少の経験では、領地の都市運営に失敗する可能性が極めて高いと思われたから。竜王への建前と、個人の強さだけでは、越えられない壁があるのだと。

 リットン伯爵にしても、クロイスベル子爵ら都市内貴族の態度や様子は少し気になる。

 元々クロイスベルらはどれも濃い国王派の家柄。領主が変わる事に抵抗があるはずなのだ。

 竜王の恐ろしさを身に受けた面をどう捉えるかで、見方は結構変わってしまうが。

 

(……都市長として、今は都市の安定に新領主移行が不可欠との判断も、まあ間違いではない)

 

 将来的に権利が国王へ戻るだろう都市の維持は、エ・アセナルの名門貴族達の一時的背信行動を大きく弁護するだろうし。

 彼等が任されているのはあくまでも都市の部分的統制だ。そして、今回の領主変更の判断はランポッサIII世が行ったもの。確かに初めはゴウン氏へ従い、気分よくさせるのも手ではある。

 

(平民出の魔法詠唱者め。離反的動きの領内貴族達と、不満ばかり叫ぶ下民共で上手くいかない都市運営に苦しみ、皆の前で赤恥をかくがよいわ。それと、配下の美女達は奴に過ぎた宝よ。後々、私の所で床の騎士としてジックリ雇ってやろう)

 

 きっと冬が終わる時分には、都市運営に関する大失敗を貴族会議の場で、王国中の貴族達から糾弾される成り上がり者の姿が目に浮かぶ伯爵であった。そんな平民男を見限った奴自慢の美女達がエ・リットルの自宅屋敷の閨で乱れる姿を想像し、平民の出世に対する不満への溜飲を下げる。同時に、ゴウン氏の特権地位剥奪への道筋とそれ以後についても勝手な妄想を描く。

 

(そうだ。これからは金の掛かる施設普請他、皆の難事も押しつけ馬車馬の様に働いてもらい、領地運営から逃げ出させる。下賤の男には戦場働きとして我ら貴族派の表戦力に戻ってもらわんと。まずは何を申し付けようか。ふはははははっ)

 

 正に自分で自分の首を思い切り絞めるような、そんな事とは全く知らずに口許を綻ばせて自陣へ護衛と帰ってゆくリットン伯であった。

 

 

 

 ゴウン氏とルベド達は、エ・アセナル中央の高台に鋭くそびえ建つ城まで、南西門からの大通りを馬で駆け抜け戻って来る。石畳は大通りやお城周辺の一部に限られている様子。

 帰城直後、御方は新領主として都市長へ朝食途中に指示し集めさせていた、都市内の貴族と大商人や大商会、長老や街長ら都市の重鎮達との城内会議へと臨む。

 無論、今の都市の状況と問題点を早く把握し動く目的でだ。

 ただ御方は、会議室へ行く前に()()()()の場所を聞くとそちらへ向かった。

 

 わざわざこんな場へ来たのは、ここで配下に連絡を付ける為だ。

 独り言を語る風の〈伝言(メッセージ)〉を、衛兵の立つ廊下や都市長等の居る場所で気軽に使う訳にもいかない。かと言って「少し休憩する」として時間にすれば10分程だけ、ルベドらと個室へ下がるには短すぎる。『用足し』とすれば不自然はないし、ルベドやユリは外で警戒しているので秘匿性も十分と考えた。

 実は、城への戻り道の駆ける馬上でも既に連絡を取っていた。先に通話した相手は3名。

 最初はソリュシャン。次に――デミウルゴス。最後にマーベロことマーレである。

 ソリュシャンには、領主になった件と至急ナーベラルと共にエ・アセナル中央の城まで不可視化で『替え玉に備えての下準備』として来るように伝えた。

 金髪巻き毛の戦闘メイドは「おめでとうございます! 流石はアインズ様っ。世界征服の大きな一歩かと!」と興奮気味に告げられ「直ちに参ります」の言葉で連絡が終わる。

 デミウルゴスへ連絡したのは、ヘカテーの上司であるからだ。ただちょっとズレた展開に……。

 

「〈伝言(メッセージ)〉。デミウルゴス、聞こえるか?」

『はい、アインズ様。良く聞こえております。ヘカテーの件でございましょうか?』

 

 何気ない眼鏡悪魔からの返事に、絶対的支配者は勝手に深読みし驚く。

 

(うえっ、何で知ってるんだよ? まさか都市運営の手伝いをさせようとしてる俺の考えが、もう全部読まれてるのか? いやデミウルゴスならあり得るなぁ)

 

 でもここは、素晴らしきナザリックの(あるじ)として冷静に言葉を返す。

 

「――その通りだ」

 

 そして続けて、自信に満ちる雰囲気で()()()()()()()()を重々しく述べる。

 

「お前なら、もう全て分かっていると思うが――私はアイテムで廃墟から復活させた王国の大都市エ・アセナルを、()()()()王家より交渉だけで容易く奪う事に成功した。そこで、統治に少しヘカテーの力を借りようと思ってな」

 

 忠臣の大悪魔へと、そう伝えた瞬間。

 

『流石……流石はアインズ様! このデミウルゴス如きの考えが、到底及ぶものではないと新たに悟りました。まさか、もう大都市を手に入れられようなどとは。それに、都市運営にヘカテーの参画と仰るならば、もう私の考えている〝トブの大森林への侵攻(ハレルヤ作戦)〟の最後の秘策の全貌までもとうにご存じなのですね』

「(えぇっ? いや、全然分かんないんだけど。でも言えないよなぁ)……まあ、ある程度はな」

 

 主の、そんな誤魔化す返事すら、当然大いなる謙遜にしか聞こえないデミウルゴス。

 

『私の計画予想では、王国内の都市の一つを交渉だけで得るのに最短で少なくともあと半年は必要と考えておりました』

「いや、お前の手も悪くはない。実現しその都市が私の下に加わるのを楽しみにしているぞ」

『ははっ。アインズ様の素晴らしき鮮やかなお手並みを参考にさせて頂き、更に早くお届けする事をお約束いたします。また、先程のヘカテーの件は了解致しました。ヘカテーの方には、こちらからソリュシャンと共にナーベラルを上手く補佐するよう伝えておきましょう』

「よろしく頼む、ではな」

 

 駆ける馬上の御方は「ふう」と思わず小さく溜息を吐いたが、ヘカテーへの説明が丸々省けたのは重畳だ。

 ヘカテーを飛ばし、直ぐに次の者へと移る。

 支配者はマーベロへと、早くも『竜王国への救援部隊』に関しての話をするべく〈伝言(メッセージ)〉を繋いだ。

 

「マーレ、私だ」

 

 すると、直ぐに声が返る。

 

『も、も……も――』

「ん?」

 

 どうやらマーベロ達の冒険者チーム『漆黒』は、アインザックらと離れている模様で『モモンガ様』と可愛く言い掛けていると思った御方。でも、闇妖精の少女が〈伝言(メッセージ)〉を介して届けて来た言葉は違った。

 

『――申し訳ありません、アインズ様っ』

「(えっ?)どうした?」

 

 支配者は、普段の愛らしいマーレに謝らせている原因が何かと気になった。

 すると、彼女は実に済まなそうに伝えてくる。

 

『じ、実は、エ・ペスペルのオリハルコン級冒険者チームの一人が、死んでしまいました』

「――(うっ。一緒に竜王国の救援に向かうはずの冒険者か)……そうか」

 

 一瞬の間を置いた支配者の様子に、マーレが再び謝罪する。

 

『も、申し訳……ありません。如何なるお叱りも覚悟しています』

 

 忠臣のマーレは、一切言い訳をしなかった。

 同行のパンドラズ・アクターの所為にもしない。ナザリック地下大墳墓の絶対的支配者から『竜王国の救援に向かう戦力の維持』を竜王軍団との戦争中に対し委ねられていたのに、それを失敗した事実が全てである。

 ただし、援護は極力目立たない形でなど、いくつか条件もあった。

 

「マーレ。状況を聞こうか?」

『は、はい。実は――』

 

 マーレの話を纏めると、今、午前9時半前だが。襲われたのはほんの20分程前の話だという。

 アインザック率いるオリハルコン級冒険者部隊。その中にはエ・ペスペルのオリハルコン級チームが2つ入っている。

 アンデッド部隊を掃討し、既に竜王との会見も終わった後で、彼等の部隊は、竜軍団との停戦完遂により先程の会見場から東南部戦線南の外側へとのんびり気分で移動した。

 3時間近く駆けたり歩いて、目的の場所である麦畑傍の草原へ着き、漸く休憩と食事に移ったのが午前8時頃。

 それから1時間程経った時、突如、1体の元冒険者風のアンデッドが現れ、オリハルコン級チームの魔法詠唱者が剣で斬り殺されたという――。

 

「そうか」

 

 だが、ゴウン氏は直ぐに大きな疑問が浮かぶ。

 

「(ん? マーレには、大地や空間を経由して周辺探知が出来る能力を持つはず。なぜ接近を許したんだ?)……その時、お前は敵の接近に気付かなかったのか?」

 

 支配者がその点を確認するとマーレは状況からの予想を伝えて来る。

 

「じ、実は近くの地下に感知はしていたのですが、なぜか位置が200メートル程もズレていて。そのアンデッドは、本当の位置と難度の感知位置をずらせる生まれながらの異能(タレント)の持ち主だったのではないかと……」

「ほう(そんな変な能力もあるのか)」

 

 マーベロとしても、周りのオリハルコン級冒険者達が弱すぎて随分ハラハラした竜兵戦が済み、少し油断していた面も多少あった。

 勿論、彼女は『ズーラーノーン』が戦場周辺の村墓地地下に退避させて温存した精鋭アンデッド戦力の存在を把握していた。ただし、御方からは殲滅指令を受けていない点で傍観となる。

 一方、その状況で墓地地下には、一度『ズーラーノーン』盟主の退避指示へ従いながらも、知性高く独自行動に動いた特殊な個体が、1体潜んでいたのである。

 

 

 ヤツは『混沌の死獄』で生み出された第2世代の元冒険者で、死によって得た自身の難度の増した強さに『酔って』独自に決起した。

 

(……俺様はもっと強く成れル。そうすれば更に盟主様のお役に立てル! それには、もっともっと強いヤツを食らうのミ)

 

 この個体の異質なところは、盟主の命令を都合よく後回しにした部分と、人間だった時の異様な生まれながらの異能(タレント)だ。

 気配的な一連の非実体情報を離れた位置に置ける能力。ただしそれは、本体が視覚的に捉えられると意味のないモノでもある。

 ところがこの異能は意外に、一流の冒険者水準を相手にするほど効果のある能力と言えた。

 また元冒険者の難度は60程でもあった。

 アインザック達が休憩する中、のんびりと気を緩めていたエ・ペスペルのオリハルコン級チームの魔法詠唱者。彼は魔法で防御する間もなく、出合い頭で元冒険者のアンデッドに胸部を深く斬られてあっさり死に、腹をかじられ荒らされようとしていた……。そこで彼の生体反応が消えたわけである。

 

「あっ! うあぁぁーーーーーっ!」

 

 御方の命に反した、あってならない事態を捉え、声を上げてマーベロは猛烈に走り出す。

 アインザックや部隊メンバー達が遅れて駆け付けた時には――。

 

 彼女は、ポクポク(滅多打ち)していた。し続けたのである。

 

 マーベロがその手に持った紅い杖で、草地にうつ伏せで倒れる敵アンデッドの後頭部を何度も何度も殴り、もう完全に砕き切っていた。

 ローブの純白を返り血の様な液で派手に汚し、前で綺麗に切り揃った金色髪を振り乱す褐色肌の小さな少女。口許は真一文字に、前髪下の瞳が深闇の如き影に覆われ、まるで見えない不気味な姿で――。

 組合長以下、皆絶句し、誰も止められず、ただただその光景を見詰めた。

 仲間の死が一番の衝撃も、本気で怒った大人しいはずのマーベロさんの、ナントいう恐ろしさよと。

 

「マーベロ、もうそこまでで。敵は完全に活動を停止しているから」

「――っ」

 

 偽モモンの声に、やっと少女はビクッと動きを止めたのであった。そうしてアンデッドの躯へ背を向けると、余り興味の無くなった目を大きく見開き事切れているオリハルコン級魔法詠唱者の横で立ち止まる。

 彼は、マーベロの〈雷撃の矢(ライトニング・アロー)〉をとても褒めてくれた者であった。

 御方の命令失敗のショックに通り過ぎても良かったが、周囲の雰囲気もあり、少女は膝を折ってしゃがむと右手で仲間だった者の目と閉じてやる。

 そうして、無言のままマーベロは現場を離れた――人間的感情の辻褄はこれで合うとして……。

 

 

 想定外の異能を持つ敵から不意を突かれたマーベロの報告を聞き、未だ馬上の支配者は告げる。

 

「――悪いな。話を聞かれてはマズい者達の居るところへ戻って来た。数分後に再び繋ぐ」

『わ、分かりました』

 

 こうして御方としては、マーレとの早期通話再開の為に『連絡場所』が必要となったのだ。

 貴族専用の()()()()は8平方メートル程と結構広い大理石調の空間。城内では他に、騎士用、平民用と別れているが、これだけ広く綺麗なのはやはり貴族専用だけ。

 支配者は、約10分後という早い段階で再びマーレへと〈伝言(メッセージ)〉を繋ぐ。あまり間を空けると闇妖精(ダークエルフ)の少女が早まった行動をしかねないとも感じて。

 

「マーレ。今は大丈夫か?」

『は、はい、モモンガ様。傍の村の墓地へ皆さんで仲間の方の埋葬準備をしてます。パンドラズ・アクターさんも今はそちらに』

「そうか」

 

 先程のポクポク姿から、()()()()()()の周辺には人が余り近付いて来ない面で助けられる……。

 アインズは先程、少女と連絡を切ってから自分なりに考えた彼女への処遇を告げる。

 

「さて、先程の件だ。冷静に防げたかを判断すると、アインザック以下全員の探知と同時に視覚でも常時見ている必要があり、相当難しいケースと言える。結果は戻らないが、この件でお前を責めるのは酷というものだ。安心しろ、不問とする。あとな、竜王国へ派遣する先遣隊冒険者の穴は発生しない」

『えっ?』

「エ・アセナルが復活したという事は――そこで死んだ冒険者も復活したということだ。もう分かるな?」

『あっ……はいっ』

 

 つまり絶対的支配者は、新たにエ・アセナルのオリハルコン級一つか、ミスリル級冒険者チームを2つ3つなら竜王国へ派遣出来るだろうと考えていた。

 

「それと今伝えるが1時間程前か、私は直轄領としていた国王から、エ・アセナルの新たな領主に任命された」

『お、おめでとうございます、モモンガ様!』

「うむ。私はこれから都市の関係者会議に出る。その場で、来ているはずの冒険者組合長に竜王国への救援参加を強めで打診しておく。なのでマーレは、残った冒険者達の安全を頼む。まあ、あと一人ぐらい減っても問題は無いがな」

『わ、分かりました、お任せください』

「それと――本題だ。竜王国への救援部隊派遣を、アインザックらも巻き込んで積極的に上手く促して急がせよ。こちらで私が積極的に動いては少し不自然だしな。なるべく早くパンドラズ・アクターと入れ替わるつもりだが、それまで任せるぞ」

『は、はいっ』

「ではな」

 

 こうして、御方は新たな指示も与えて、マーレの瞳を元のキラキラへと無事に戻した。

 通話を切った直後、お手洗い内に立つ御方の思考へ馴染みのある電子音が響く。

 

『――アインズ様、ナーベラルです。お呼びにより、部屋の外まで来ておりますが』

「そうか。ソリュシャンから話は聞いているな?」

『はい』

「よし。では二人は不可視化のまま、私の対応を傍でよく見ておけ」

『畏まりました』

 

 そのままゴウン氏は、時間を置くことなくお手洗いの部屋を後にする。会議の部屋へとルベド達を引き連れ、領主の前を緊張気味で歩くアップ髪の小間使いに案内される形で向かった。

 

 その部屋は、先程国王や有志貴族達と会合した会議室ではなく、城の土台に近い位置にあって天井高く舞踏会なども開ける更に広い多目的室であった。

 御方は廊下を進み入口の扉近くへ着く。

 するとその前では、貴族衣装の似合うクロイスベルが態々(わざわざ)領主の到着を待っていた。

 更に少し会釈した都市長の畏まる様子に、仮面の下でゴウン氏は訝し気に思う。

 

(既に、国王やレエブン候達は居ないんだけど……。俺にここまで気を使う必要はないよなぁ)

 

 前領主の国王が居た席では、引き継がせた者へ礼を見せなければ、指名した国王へのあからさまな非礼となる。しかし、今はどうか? 新領主とは言え、右も左も分からない元平民の異邦人。

 対して、聞けばクロイスベルは、ずっとこの大都市を任されてきた国王派子爵家の当主という。

 都市で有力な5家ある名門貴族の中でその筆頭なら権力は大きく、国王から権利を奪い取った形の者へ恨みすらあっても不思議では無い。

 だが、彼の顔は素直に嬉しそうな笑顔なのだ。だからこそ、余計に不気味に感じてしまう。

 

(うーん。成り上がりの平民が相手なら、皆で悪だくみをしている室内で待ち受けるのが王国貴族達の常道だろ? 扉の中に入るのが、かなり怖いような……)

 

 そんな絶対的支配者の気持ちなどお構いなく、都市長が述べる。

 

「皆が、救世主であられる新領主様を待っております」

「……そうか」

 

 御方の心に不安が膨らみ続ける中、泰然とした返事を受けて都市長は手で配下へ指示する。ゆっくりと両開きの扉が衛兵の横へ立っていた使用人の男達により開かれる。

 広い会議室内には50名以上の者達が集まって居た。そして大机の並ぶ席から、皆が立ち上がると――歓声と共に盛大な出迎えの拍手が起こっていた。

 皆からの大歓迎という予想外の有り様に、扉近くで立ち止まったゴウン氏は仮面の下で驚く。

 

(あれ? ……都市長を中心にここまで纏まっていた都市だったのか)

 

 ゴウン氏は、ここはもっと冷ややかか、哀歓混じりでバラバラに迎えられると思っていた。

 確かに都市を復活させたが、その恩恵へ実感を持たせるのは簡単な事では無い。人の心は十人十色で、反応は其々で違って当然だからだ。

 2分近く続いた拍手が鎮まり掛ける頃、都市長が「こちらです」とゴウン氏を席へ案内する。

 豪華な領主席の横に来た時、クロイスベルが皆へと語る。

 

「この方が、滅び去った我々の大切な故郷の都市と家族と親類、友人達を救ってくれた慈悲深き救世主――アインズ・ウール・ゴウン様です」

「「「ゴウン様、万歳ーーーっ、万歳ーーーっ、万歳ーーーっ!」」」

「ああ、ゴウン様っ」

「おおお、何たる神々しい仮面……」

「救世主様ーっ!」

「万歳ーっ!」

 

 気が付けば、ユリやルベド達も一緒に万歳をしている光景が仮面越しで視界の端へ映る。更に、近くで不可視化したナーベラルやソリュシャンからも、同じ動きの感覚が伝わってきた。

 

 

 どう見ても場のノリが、ナザリックのNPC達と同じだった……。

 

 

(こ、これは)

 

 流石に絶対的支配者も、何かがオカシイ、違うという事に気が付いた。

 しかし、御方は楽観視せず冷静に受け止める。これも計画された罠かもしれないとして。

 

(うーん。……凄く喜んでいるように見える。でも、暫くは様子を見て、強引な行動は避けた方がいいよな)

 

 都市長からの挨拶を受けて、ゴウン氏は軽く手を上げて応えると口を開く。

 国王から引き継いだ領主としての威厳を考えれば、言葉は都市長へ向けたように命令調を維持した。

 

「皆のこの歓迎を非常に嬉しく感じている。先の戦いで強敵の竜王を説得するには、歴史面や常識を超えた新たな『結果』が必要であった。私の全力を超える大魔法で、上手くいくかは賭けの部分も大きかったが、最終的に都市を復活できてホッしている」

 

 領主らしさと共に、本来の力を低く誤魔化し、限界を超えた風で謙虚気味に表現した内容。

 更に。

 

「初めに言っておくが、私はこの都市の今の運営体制を基本的に変えるつもりはない。皆の者、今後よろしく頼むぞ」

 

 都市に居る王国貴族達の立場を立て安堵する事も忘れない。当面、彼等に運営してもらいながらノウハウを盗んでいくのみ。急に変わった領主の技量で回すのは無茶と言うものだ。

 

「「「ははーーっ」」」

 

 そんなゴウン氏へ、会議室に(つど)いし者達全てが、深々と頭を下げた。

 一糸乱れずの光景を見せられ、絶対的支配者は思う。

 

(まあ、感謝はしてくれてるのかなぁ)

 

 今は、その程度の態度と捉えたに留まった。

 領主として御方は、まず都市内貴族や街の有力者達の挨拶を個々に一通り受ける。

 これでかなり時間を食った。既に午前10時を大きく回っている時刻。

 漸くゴウン氏は皆を席へと座らせ、さっさと会議を進める。彼は忙しいのである。

 ルベドとユリは御方の席の後方両脇へ立ち、背側で手を組む姿で主を護衛する。尚、魅力的で美し過ぎる両名だが()()()()()()()()()とされ、(よこしま)に狙おうという者は皆無。

 見えない存在のナーベラル達は、少し離れた全体を見渡せる位置の部屋両端へと布陣。

 会議では、ゴウン氏が今後のエ・アセナルの大方針を伝える所から始まった。

 

「竜王の率いる軍団の撤退を受け、王国は戦後復興へ移る訳だが、このエ・アセナルの担う処は大きい。この度、私は国王ランポッサIII世陛下より、臣下では無い形でこの都市と周辺の問題を任されている。それによって今、この都市はリ・エスティーゼ王国とは別の領域とも言える。だが、無関係ではいられない。戦争で周囲の王国貴族領は、人的面や物品と物価面でどこもかなり疲弊している。周辺へ溢れた難民や解放された捕虜達の受け皿になれるのは、完全復活し資材豊富な我々の都市しかないだろう。故に当面は、物資の安価での流出を防ぎつつ、早期にこれらの解決を都市行政の大きな課題としたい。皆には、財政面、作業面、資材等で負担を賭ける事になるだろうが、理解して欲しい(とりあえず、こんなところかなぁ)」

 

 まずはオーソドックスに、大きな現状、大事な事象を挙げて、絞っていくやり方だ。

 功を奏したのか、全員がコクコクと頷いてくれていた。

 しかしここへ貴族の一人が割り込む。彼は貴族派の男爵であった。

 

「ゴウン様、それよりも――御屋敷はどこへお建てになられるのでしょうか? お好きな場所を指示いただければ、数百軒の住民共を即刻立ち退かせ、三月、いえ昼夜問わず働かせ、ふた月の内に作ってご覧にいれましょう」

 

 男爵の話に、国王派の貴族達も続々と賛同する。

 

「おお、それはとても良い考えだな。私財を没収し追い出した者達は、労働力に使えよう」

「某の私兵も立ち退きに協力させましょう」

「ワシは騎士団も出そう」

 

 この明らかな略奪的発言に、民衆側の長老や街長達もナゼか反発しない……。

 

「救世主のゴウン様のお屋敷であれば、仕方ありませんな。街の皆も全員納得し、全ての私財すら投げ打ち働く事でしょう」

「「異議なし」」

 

 室内の異様な反応に、疑問を持ったのは領主の絶対的支配者ただ一人。

 

(いやいや、異議あるだろうっ。強制立ち退きや私財没収なんて一部でもすれば、小さな反発から大暴動にも発展しかねないし。王国貴族の考えが極端なのは分かるが、なぜ民衆側の代表らが納得しているんだよっ。……この都市は少し変じゃないか?)

 

 それに、今は屋敷に尽力なんてする状況でもなく必要もないのだ。故に、これもきっと領主の我欲を試されてると思った御方は、やんわりと話を断る。

 

「ふむ。しかし私はこの城の一角を使えるだけで十分だ。見晴らしもいいしな。それに皆への負担も増えよう」

 

 ゴウン氏の言葉に、並んだ大机の席へ座る50名程の都市の代表者たちは感激する。

 

「なんという、慎みと慈悲深きお方なのか……」

「民を気遣うその御心に、都市の民達は皆が感涙にむせびましょう」

「我々は正に名君を得たりっ」

「ああ、アインズ・ウール・ゴウン様に永遠の忠誠をっ!」

 

 席に座る多くの者が両手を指の間で組む形にし、領主を拝むような仕草を見せた。

 都市の者達の必死ささえ感じる様子に、絶対的支配者の疑念は膨らむ一方。

 

(……まずは盛大に俺を持ち上げて、調子に乗って驕った所を糾弾する手かな。用心して当面、謙虚にいかないとなぁ)

 

 すっかりそう信じたゴウン氏は、都市の現状と問題の確認へ移った。

 行政の体制だが、これまでは都市長以下、都市内の国王派名門貴族5家で最終決定されていた。

 都市運営の議題については名門5家を加えたこの場の貴族23家や、大商人と大商会21組織、それに8名の都市地区代表と3名の長老、他神殿や冒険者組合など数名の代表が会合で提言し、吟味と判定を行なう。

 彼等がエ・アセナルを今日まで動かしてきたと言える。

 都市自体の人口は約42万人だが竜軍団の侵攻を受け、5万人程は直前の数時間に各門から脱出しているとの事。都市へ生還出来れば、住居と資産は戻るという話。

 都市健在時での問題点は、年々の景気下降にソレを原因とした治安悪化とスラム対策。建造物老朽化の補修も大きい問題だったが、それのみ都市復活で解消されている。あと地下組織の暗躍抑制などが主であったという……王国内のどこの都市も基本的には大差ない。

 

(〝八本指〟へエ・アセナルでは、もっと表に溶け込んで動く様に伝えるべきか……)

 

 地下犯罪組織の盟主の立場でもあり、ゴウン氏は色々と頭の痛い話として聞いていた。

 それと前領主の国王は、都市運営へ殆ど口を出さず収益の配当を受け取っていたのみとの話。

 ただしその比率は都市の総利益の約7割――金貨で言えば年間300万枚にも達するという。

 一応、それが『王家承認都市領主』ゴウン家の取り分と説明を受けた。

 

(ほう)

 

 だが、都市長のクロイスベルがここで予想外の提案をしてきた。

 

「ゴウン様。此度の都市復活への感謝、都市の皆は歓喜に震えております。なので今後5年は、都市総利益の9割をお納めになられてはいかがかと? 我々都市貴族や商人達と平民共も皆、不服を申す者など誰一人としておりません」

 

 クロイスベルら都市住民は皆、領主への真の感謝により自らの窮状を覚悟の上、誠意を込めて申し出ていた。

 ただ、そう言われても、である。

 

「……(はぁ? 俺の取り分を大幅に増やすだなんて、何を考えてる? 大体、貴族達の減った取り分のツケを、市民達に被らせるのなんて王国貴族達の常套手段だし。ああなるほど、大量の金貨を隠れ蓑にして、都市住民全ての不満を俺に全部向けさせるつもりかっ)

 ……その必要はない。以前同様王家と同じ比率で十分だ」

 

 ゴウン氏からは、僅かに不快な感情も混ざる声で返された。

 

「しかしそれでは、大恩を受けた我ら都市貴族一同の面目が立ちません」

 

 都市長の反論の言葉に、国王派、貴族派、中立派の関係なく貴族の当主達が頷いた。

 どうやら王国貴族にも家の大事を救われた場合の伝統的面子があるらしい。

 対して支配者は彼等のシツコさへと、辟易し言い放つ。

 

「くどいぞ。単に金貨の手取りが増えたとしても私は嬉しくない。それより、今は難儀をしているだろう難民や解放された捕虜達が、再び家や畑を自分達の力で立て直し、以前の暮らしを早く取り戻して欲しいと考えている。その為には、難民らと都市の労働力が共同で再建していく事が重要だろう。そうすれば、難民側に給金が入り、都市側も労働力を得られるからな。

 だからそれほどまで、私に都市の利益を受け取らせたければ聞くが良い。

 クロイスベル子爵を筆頭としてこの一件、任せようではないか。

 お前達の努力により、難民や捕虜達を都市労働力としていち早く取り込み、都市総生産を増やしてみせろ。そうすれば、正当に増加した私の取り分は喜んで受け取ろう。私は王都の王城宮殿で、皆の存分な働きをしっかりと見ているぞ」

 

 売り言葉に買い言葉風で返した支配者の一連の命令や考えの言葉に、場はどよめく。

 

「「「おおおっ」」」

「実に素晴らしいお考えを示される方よ」

「な、なんという仁君だ……」

「アインズ・ウール・ゴウン様、万歳っ!」

「万歳ーーっ!」

 

 クロイスベルら貴族だけでなく、大商人らまで全員が歓喜の涙を流しこの命を受ける。

 

「畏まりました、ゴウン様。このクロイスベルをはじめ、エ・アセナル貴族23家を中心に身命をとしてこの一大案件を市民達と解決してご覧にいれます」

「(あれ? まあいいか)うむ、頼んだぞ」

 

 てっきり先の、市民を経済的に猛圧迫する利益2割増案に拘るかと思いきや、御方の提案を素直に受け入れた事に肩透かしを覚える。ただこの難民関連の一大案件を失敗しても、ゴウン氏を嵌める事は可能だ。初めからこちらが都市長達の狙いの恐れも十分にあった。

 一見、ゴウン氏自らの陣頭指揮でこの案件が実施されないのはマズく思われがちだが、御方自身はこの都市に張り付いてばかり居られない。

 最終的に領地全体で結果が出れば、領主の手柄になるのは王国貴族社会の伝統だ。

 当初の考えでも誰かに任せる必要があり、今は諸々を便乗させた形と言える。

 先程まではそれを替え玉のナーベラルに担当させ、ソリュシャンとヘカテーを常時補佐に付ければと考えていたが、流石に数カ月単位の連日では確実にボロが出るだろうし、これも難はある。

 また、失敗出来ない案件であるが、逆にクロイスベル達の本性は明瞭に分かると言うもの。

 味方なら懸命に動くだろうし、敵なら適当なはずである。半月もみれば一目瞭然だろう。

 

(でも、これだと1名、判断力のある監視者が必要か……ハンゾウでいけるのか?)

 

 一瞬、王都の宮殿へ置いているフランチェスカに任せるかとも思う。

 なにせ、アーグランド評議国に残した3体のレッドキャップス達とは重要度が違う。彼等は支配者からの指示通りに簡単な行動や情報を集めたり、分からない事は保留してこちらへ確認する程度の働きで良い。

 ハンゾウは、項目的な調査や護衛など単純活動は戦闘力もあり抜群である。しかし、この監視と判断には少々政治的要素を理解している必要がある。

 でもよく考えると、これも課金キャラについて多少実験が出来ると考えられた。

 

(まあ、どこまでハンゾウが使えるか、半月かひと月はそこも見てみるかな……)

 

 今後の潜伏監視において、職業でアサシンを持つNPCばかりナザリックを長期間離れさせるのもどうかと考えての決定であった。

 

 このあと会議では、最大30万人とも言われる難民と捕虜達の一時的食料配給所や、仮設村の建設位置とその資材確保、必要人員などについての見積もりと分担が始まった。

 でも早々に細かく決まるものではない。今は急ぎで、規模や地域等の現状把握部隊の編成指示がされた程度。展開中の軍4万も活用し、午後にも下準備や部隊が各地へ出る予定である。

 大案が一段落したところで、都市内の街中で発見された謎の『()()()()のアンデッドの肉片』も話題に上がった。冒険者達の見立てでは、切断面から相当の腕前の『騎士』に倒されたと言う事が分かったのみ。動死体の死骸は乾燥崩壊進行が早いので、放置後数時間から1日程度でカサカサからボロボロになり塵化し消えてゆく。完全なるミステリーとして事実だけが記録に残った。

 他、お祭り的な新領主パレードなど数件の案件が話されたあと、領主のゴウン氏から例の件が語られる。

 

「思い出したが、冒険者組合長へ知らせがある。実は――」

 

 そうして支配者の口から伝えられたのは、開戦前に王城内で行われた上位冒険者会議の終わりで聞いた『竜王国への救援部隊』の話。内容を聞き、この場の者達も切迫した隣国の窮地を知る。多くの者から「由々しき状況よ」「大変だ」「傍観は出来ぬな」との声が漏れた。

 王国にとって、竜王国が滅びればカッツェ平野を挟んで、人類国家に対して非常に好戦的で大規模な戦力を持つ亜人国家が新たに隣接する事となるからだ。

 組合長のハイダン・クローネルも同様に状況を捉える。

 

「……左様な危機的事態に。確かに我々も急ぎ、協力すべきでしょう」

 

 既に竜軍団との戦いは終わっている。ただ、秘密結社『ズーラーノーン』のアンデッド兵団は殲滅したが、連中からの明瞭な終結宣言がされていない以上、エ・アセナル冒険者組合は警戒を続ける必要があった。

 しかし、領主からの話にあった『先発隊』の規模からすれば、今はまだ一部の精鋭冒険者チームを送るぐらいの段階。それならば対応出来るとクローネルの考えが至る。

 

「では、我々もミスリル級冒険者チームを3組送り出しましょう」

 

 他の都市は先の戦で冒険者を大勢失っている。またエ・アセナル冒険者組合は早期に壊滅したことで、王国総軍と竜王軍団との戦争では不在感が否めない。他の都市より余裕のある今、自分達の存在感を盛り返す良い機会でもあった。

 

「そうか。うむ、任せる」

 

 特に褒める事もない支配者は、想定通りに進み仮面の下ではニンマリとほくそ笑んだ。

 これで、エ・アセナルで今やれる事は一通り終わった様に感じ、絶対的支配者が都市長へ促す。

 

「本日は、これぐらいか?」

「そうですな」

「では、少し部屋で休憩を取らせてもらおう」

 

 気が付けばもう午前11時半に近い。高貴な連中の会議は、内容の有無に左右されず異様に長くなる事は時代や場所が違えども漏れなく共通の常識であった。

 退室の意を示した領主の言葉に都市長が尋ねる。

 

「失礼ながらゴウン様、ここ数日のご予定は?」

 

 問いを受け、御方は都市長らへ行動日程を伝えていなかった事に気付く。

 絶対的支配者も表向きで今日、明日ぐらいはエ・アセナルに滞在する予定だ。

 

「5日後の晩、王都リ・エスティーゼの王城においてランポッサIII世陛下主催での盛大な宴が開かれると聞いている。それに合わせて、エ・アセナルを離れるつもりだ。まあ勿論、また時折帰って来るがな」

 

 戦士長との別れ際の「また王城にて」という部分が、間近と知っての会話と知れる内容。

 戦争が終わっての宴は王国貴族達の通例行事と言える。

 益のない戦争に因って庶民がどれほど疲弊しようと、特権階級は贅を尽くして派手に騒ぐのが財力的面子を示す行為なのである。

 ゴウン氏も、既に男爵達でさえ目の眩む程の莫大な富が約束された、大都市の最高権力者である領主。そのような人物が、懸命に働く方がこの時代の大貴族としては不自然に見られる。

 都市での煩雑な仕事を配下貴族へ押し付けるように任せ、王都での宴に出るというのは『当たり前』であり、誰も疑念など抱かない。

 

「はっ。つきましては、城内の再整備や新たな兵達の配置や使用人などの件に関し、昼のどこかで(わたくし)共に少しお時間を頂ければと」

「(兵と使用人か。……配下で常駐させるとなると、限られるからなぁ)分かった。では」

 

 都市長は子爵であり、執事ではないのだ。

 エ・アセナルの中央城はゴウン家の正式な定住城郭となる事で、王城の宮殿での滞在とは違う。王都内のゴウン屋敷の様に誰かを置く必要があった。しかも一介の個人的な旅人の家とは大違いで、大貴族水準の私兵や使用人の数が求められそうに思う。

 思考内へ新たな事案も浮かびつつ、会議の席をゴウン氏が立ち上がると、他の者達も一斉に席から腰を上げ直立する。

 彼等に向かい、エ・アセナルの新領主は重々しい言葉で改めて伝える。

 

「皆の者、これから私の下で励んでほしい」

「「「ははーーっ」」」

 

 御方は、都市内代表の皆が頭を低く下げる中、ルベドらを連れ会議室を後にした。

 

 

 

 支配者一行は、緊張気味の小間使い2人から「どうぞこちらへ」と先導される形で城内を案内される。御方はその道すがら、前方右側を歩き髪を頭頂部近くでアップに纏めた者へ声を掛けた。

 

「娘よ、一つ聞きたい事がある」

 

 尚、この若い娘は先程も案内してくれた。娘2人は、白に銀色とかなり豪華で洗練されたお揃いの衣装とティアラ調の髪留めを身に付けており特別な小間使いだと分かる。

 

「御領主様、何でございましょうか?」

「お前達の様なこの城で働く者らは、王家の使用人や兵隊なのか?」

「いえ、使用人達の殆どはクロイスベル子爵家の者です。そして城の衛兵は、一部が王家の兵で多くは都市住民の民兵達です」

「そうなのか」

 

 普通に考えれば王家所有の城なら、己の私兵と使用人のみで維持するものに思える。

 まあ兵士については、王家直参の私兵だけでなく、直轄領都市で兵役を課した民兵を使うというのは納得できた。

 使用人達がほぼ子爵の配下というのは、それだけ王から信用され任されていたと同時に、王家の負担削減に使われていた部分もあるだろう。

 ここで質問に答えた小間使いの娘が、優雅に衣装の裾を軽く持ち礼をする。

 

「ゴウン様、改めましてご挨拶を。私は都市長の三女でミローナ・ヂルチア・デイル・クロイスベルと申します。以後ミローナと呼び捨ての上、お見知りおきを」

「……子爵殿の身内の者だったのか」

 

 支配者は、父親に花を持たす意味もあり一応敬称を付けつつ確認する。

 

「はい。こちらが妹の五女リコリーカ・オローネ・デイル・クロイスベルでございます」

 

 姉のミローナと並び、同じ茶髪のセミロングを揺らして、緊張気味に礼を取るリコリーカ。

 姉よりも8センチ程背が低い160センチ強で両名ともスラリとした姿で立つ。

 ただ、支配者の基準だと残念ながら、いずれもツアレには及ばない容姿に感じる。とはいえ、人間の美人偏差値で言えば80(741人に1人)程はあり、大都市エ・アセナルの上流社会でも名華の5姉妹として有名であった。18歳の三女以下は第二王子との縁談も囁かれている。双子だった長女と次女は、第二王子から逃げる様にもう来春にはそれぞれ国王派の他家へ嫁ぐ話が決まっていた。

 一方、新たな姉妹(えもの)を前にし、某天使の瞳が燦然と輝いたのは言うまでない……。

 

「リコリーカでございます、ゴウン様」

「そうか。態々(わざわざ)案内をさせて二人とも、すまないな」

 

 領主の言葉に、クロイスベル姉妹は慌てて否定する。

 

「と、とんでもございません! このお仕事は、私達が喜んで志願したものにございます」

「そうでございます。救世主様のお役に少しでも立ちたいのですっ」

 

 何かスイッチを押してしまったらしい。

 ゴウンはまあまあという両手を使って宥めるジェスチャーをしつつ伝える。

 

「そうかそうか。では、案内を頼む」

 

 そうして、城の中層階にある広く豪華な一室へと到着した。早速、姉のミローナによって凝った木彫りと金属金具や飾りの付いた片開きの扉が開かれた。

 室内は吹き抜け的な5メートル超の高い天井と、幅8メートル奥行12メートル程ある広い洋間空間と、奥に寝室も付く部屋である。

 

(ふむ。ここなら邪魔も入らず、3時間ぐらいはパンドラズ・アクターと入れ替われそうかな)

 

 次にゴウン氏の目論む行動は、『竜王国への応援部隊派遣』である。そのために、自ら漆黒の戦士モモンとして早く動きたかった。

 ところが、不可視化したナーベラル達を含むゴウン氏一行が室内へ入ると、何故かクロイスベル姉妹の2人も(いささ)か頬を染めたような表情で静々と入って来た。

 

「(ん?)……ミローナにリコリーカ、2人とも案内ご苦労だった。用事があれば呼ぼう、もう下がっても良いぞ」

 

 御方は仕事を労いつつ告げて、上手く追い払おうとした。だが、姉のミローナが胸元へ右手を当て強く嘆願する形で伝えて来る。

 

「御領主様には父上や母上をはじめ家族と共に、我ら伝統あるクロイスベル子爵家滅亡の窮地を救って頂きました。これより数日、城内へ留まられ、暫し体をお休めになるとの事。側近の美しい騎士の皆さま程の安らぎをお届けできるか分かりませんが、どうかクロイスベル家の忠誠の魁として私達姉妹を奥の寝室で是非昼夜お好きに可愛がって頂ければと……」

「……(えっ? いきなりピンチ?)」

 

 何のための小間使いかと思えば、クロイスベル家の余計な『ハニートラップ』であった模様。

 御方は、先程から少し変に思っていた。確かに王城ロ・レンテ城のヴァランシア宮殿でも、国王派貴族達の身内の娘達が使用人として働いている。だが、名家の実子の娘は結構少ない。居てもかなり末席の者で、基本は準貴族や親族からの養子であったりしたから。

 子爵家三女のミローナは立派な身分。器量もかなり上で、相当の家柄の長男の下へ嫁げて何不自由なく暮らせるだろう。家の為の政略手段としても大事にされ、小間使いには通常されない。

 対して都市長は、いきなりそんな手を使ってきたわけで。正常な判断とは考え難くさえある。

 都市が復活してからのまだ僅かな時間経過を考えれば、『救世主がどんな人物か』は(はな)から全く考慮なき非道な行動に思えた。

 

(……これが王国貴族のやり方か……自分の娘達をお遣いでもさせるかの様に差し出すなど、可哀想とは思わないのかよっ?)

 

 娘達は先程、「自分達で志願した」と語ったが、親の出世欲からの厳命としかゴウンには思えなかった。

 更に、()()()の後で「会合の時間が欲しい」などと伝えて来ていた都市長の精神……。

 

(己の娘達を好き放題で散々に(けが)した直後の男と、一体何を会談する気なんだよっ!)

 

 信じられなかった。

 仮に、友人の大事な娘同然であるユリやナーベラルをそんな目に合わせた奴などいれば、顔を合わせた瞬間が怒りの殲滅劇開始の合図だと言えよう。

 

(そこまでして、領主となった俺に取り入りたいという事なのか……いや、それより〝子爵の娘達が襲われた〟という部分の方が大きな弱みとして使えると考えたのかもしれないなぁ。長女や次女は、流石に捨て駒には使えないけど、三女ぐらいなら引き換えでもとか)

 

 支配者は、ゲスが多い王国貴族達の行動動機を考察し、すさまじく脱線した考えに至っていた。

 お分かりだろうが、都市長を始め、エ・アセナルの有力者や全市民にクロイスベル姉妹も、全ては都市復活を成した救世主様への深い感謝の表れなのだ。

 そして救世主へ対し、全力で協力したいという強い絆的感情が愛を含めた行動を起こさせるのである。

 兎に角、眼前のとんでもない申し出に、ゴウンはホイホイと乗る訳にいかない。

 また、ナーベラルやソリュシャンにすれば御方からの勅命ではなく、人間(ゴミ)からの申し出に不快感MAXの視線と空気が先程から漂って来ていた。同時に、凄く気になるのかユリさえも、床を睨みながら眼鏡を何度も右手中指で直す仕草を繰り返している……。

 絶対的支配者は、直ちに得意となりつつある、もっともらしい言い訳を展開した。

 

「お前達の私への、魅力的で大きな気持ちは有り難い」

「「あぁぁ」」

 

 御領主様からの甘い囁きに、感激から頬を染めて声が漏れるミローナにリコリーカ。

 ゴウン氏の言葉は続く。

 

「しかし申し訳ないが、私は今―――本当に身体が疲れ切っている。暫く静かに休ませて欲しい。考えてみてくれ。一己の人間がこれだけ広大な大都市を復活させるには限界を超える必要があったのだ。綺麗なお前達に癒されないのは残念だが、どうか分かって欲しい。それと、私は数時間休んだ直後の夕方前に、お前達の父である都市長らを交えた会合の約束がある。だから流石に、な」

 

 若さから美しき初体験を想い、熱くなった娘達を諭す様な領主の言葉に、二人は両手で頬を恥ずかしさで押さえる姿で声を上げた。

 

「きゃっ。すぐ後で、お父様とお会いに?」

「まぁ父上に……存知なかったとは言え、何て恥ずかしい……」

 

 高貴なる若き淑女達には、一線を踏みとどまらせるに効果の高い話であった。

 ただし、こういうハレンチ行為の話を聞かせる殿方を、一生に一人、ゴウン様だけと決めてココへ来た彼女達の事。

 ――くじけない、諦めない。

 姉のミローナは恥ずかしそうながらも、キッチリと伝えてきた。

 

「では、また日を改めて参らせて頂きます。使用人は外におりますので、食事や清掃など御用があれば申し付け下さいませ。あと、次にはきっと――今日はまだ体調が優れず来れなくて、とても残念がっていた可愛い四女のテリシアンナも一緒に参りますので!」

 

 絶望的な展開の上に、なんか数まで増えるそうで……。

 

「(え゛っ? もう来ないんじゃないのかよっ)ほう」

 

 童貞でこの手のボキャブラリーが少ないアインズとしては、今ここで心とは真逆にそう返すのが精一杯であった。

 「それでは失礼します」とクロイスベル姉妹がやっと部屋から引き揚げていく中、ガチンと扉が閉まった音に紛れるかの如く届いた声を支配者は聞き逃さなかった。不可視化のソリュシャンが、小声で「大全」なるあるまじき単語を口から漏らしていたのを。

 

 アインズは果たして、この新たなる絶体絶命な一連の危機を乗り越えられるのか――。

 

 いや、そんな心配よりも先に支配者には新たなる状況が迫る。この部屋に残ったNPC達、ユリやナーベラルにソリュシャンだけでなく、何となくルベドまでソワソワしていた。

 広い部屋には、御方とNPC達5名だけが佇む。彼が明確にこの後の予定をまだ誰にも告げていなかった事で、先の「暫く静かに休ませて欲しい」を「NPC達とだけで戯れたい?」と周囲は好意的に捉えた模様だ……。

 更に、(さか)った人間の娘達が居なくなり「大全」なる単語の不安を誤魔化す為なのか、入口側の壁へ密談漏れを防ぐ〈吸音(サウンド・アブソープション)〉等を施すと、絶対的支配者は余計な事を口走ってしまう。

 

(ようや)く、我々だけになったな」

 

 それはNPC達にとって最早、決定的な一言に聞こえた。

 部屋は落ち着いた雰囲気で悪くない。

 フカフカのベージュ調の絨毯が敷かれる中、東向きの広い窓と一角には暖炉やソファーとテーブル類があり、高い天井には豪華で大きなシャンデリアが下がる。

 寛ぎスペースの傍へと飲み物用のワゴンまで置かれており、氷により水や飲み物が冷やされていた。

 まあここに居る者達は、水分を特に必要としていないが。でも最近は、王城宮殿の部屋でお茶会などを定期的に開いていた事もあり、何となくユリが率先してカップに飲み物を注ぐ。

 東向きの開いた窓辺へ立つ支配者は、つかの間の憩いのひと時と、その様子を静かに見守る。

 但し、予備に多めのカップが用意されているがテーブル上へ置かれたのは3つのみ。

 この辺りはソワソワしつつも油断していない。

 プレアデスの長姉だけでなく、ナーベラル達NPCはこうして平常を装い、御方の次の誘いの甘い言葉と桃色の行動を辛抱強く待っていた。

 しかしその時、ふとアインズが気付く。

 彼の傍へ頬を少し赤く染め可愛く照れたルベドが、上目遣いで静かに近付き、そして止まった。

 当然ながら、御方にすれば天使のこの行動の意図が見えない。

 また、例え分かったとしても、体形が人に近い天使や動死体はなんとかなるとしても、粘体(スライム)二重の影(ドッペルゲンガー)の求める真の性の快楽が一体どのような形なのかは全くの謎であった……。

 

(ルベドめ。盛んに視線を、俺と床の間で行き来させてるなぁ。ああ、分かった。先のクロイスベル家の()()()の事か。俺がイライラしてるから心配しているんだな。敵に容赦しないと言ったところだし。ふむ……)

 

 支配者としては、竜王達に比べれば、都市長らなど今のところ上手く利用すべき者達であり、ルベドを安心させたいところ。なので。

 

 「不安がる事は何もない。全て私に任せておけ、悪い様にはしない」

 

 アインズは穏やかに伝えつつ、天使の頭を優しくナデナデしてやった。

 すると、お茶の用意をしていたはずのユリがルベドの後ろに並んだではないかっ。

 そしてこの大きな流れ(ビッグストリーム)にナーベラル、ソリュシャンも飛び込む様に速攻で姉の後ろへ続いた。

 ナザリック勢の彼女達には暗黙の協定が出来上がっている。それは『伽等のナニにおいて、アインズ様からの要求が全て。配下達からの要求は厳禁』と。

 

 

 なので、あとに残る重要な要素は、運任せの機会と――順番である!

 

 

 並ぶのは早い者勝ちの今なのだっ。

 この時、支配者の思考へと〈伝言(メッセージ)〉の電子音が鳴り響いた。絶対的支配者自身で次に急ぎたい事はあるが、分単位という切迫状況でも無く、直ぐに通話を繋げる。

 

『――ア、アルベドでございます。アインズ様っ』

 

 珍しく慌てた風の階層守護者統括の声に、支配者は自然と緊張感を持って尋ねる。

 

「どうした。何かナザリック内で起こったのか?」

『いえ、あの、そのですね。本日は御日柄もいいと申しましょうか、直前に感じたのですが、今から激しく()()()との話もちらほらと……なので是非、私もそちらへ――』

「んん? アルベド、お前は何を言っているんだ?」

 

 統括の語るあやふやな言葉に真意が見出せず、覚えの無い御方には全く話が分からなかった。

 以前、アルベドは妃問題で先走ったゴタゴタ騒動の折、王城の者達へと訂正連絡を入れ一旦話題の禁止を通達している。

 その際、ナーベラルへと別で要請していた。――「機会(チャンス)があれば知らせろ」と。

 『妃選抜』が話題に出来なくても『デート』や『子作り』や『出産』についての会話や行動は、今のところ一切禁止されていない……。

 アルベドの処へ、直前にナーベラルから「これから奥の寝室でお休みになられるアインズ様は、ルベドを始めに、ユリ姉様や私にソリュシャンと順番に可愛がっていただけるとの事。アインズ様からは〝全て任せておけ〟と()()有り難き御言葉も頂いております……。はぁぁ、私とアインズ様との間で、二重の影(ドッペルゲンガー)の一族が、少し増えるかもしれませんわ」などとさも嬉しそうに書かれた強烈な〈手紙(メール)〉が届いたのだ。

 〈手紙(メール)〉は〈伝言(メッセージ)〉に比べ、即時伝達に劣る事で余り使われておらず、使い手は非常に少数。でも、無音で書ける面に加え、相手の手元には紙や金属などの指定された固定媒体(テキストはこの世界でプレイヤーのみ使用可)で届く事から、時間差のある伝達手段としても使い方次第という魔法だ。今回は『禁止されていない』という一点で使われたが。

 

 この状況を受けて最早、『他の何を放っても』という動きをアルベドは見せていた。

 

 一方のアインズは、不可視化のナーベラルとソリュシャンの姿も薄らと見えており、可愛いNPC達4名が自分の前で寡黙に順番待ちをしているのは理解していた。

 以前もカルネ村のゴウン邸で一度あった光景の為、特に桃色的な怪しい部分を感じていない。

 今回は『御姫様抱っこ』ではなく、おそらく『ご褒美のナデ』を期待したものなのだと。

 その中で、今話している随分慌てたアルベドの存在は貴重であった。

 

「――アルベドよ。慌てたお前と今並んでいるルベド達に関係はあるのか?」

 

 至高の41人の方々からの問いに、ナザリックのNPC達は嘘を語る事が出来ない。

 黒き羽の小悪魔(インプ)はナザリック内で視線を慌ただしく彷徨わせるも、正直に答える。

 

『……はい。実はアインズ様が、今そちらで順番待ちをしている者達と順に、寝室で子作り(ご休憩)をなさると聞きましたので、恥ずかしながら私も5番目に、などと思いまして……』

「(え゛っ!?)……」

 

 思わず支配者は仮面右上部へ、ルベドを撫でていたガントレットの右手をパチリと当て、頭を抱える様にその場で俯く。

 

(何がどうなってるんだよ? 俺の行動や言葉に、皆への直接の性的要求や示唆等はなかったと思うんだけど)

 

 過程を想像し困惑するも、先にこの難局を打開する事が先決である。

 よく見れば確かにルベドだけじゃなく、後ろに並んだユリの眼鏡下部分の頬も少し赤めに染まっているのが見て取れた。

 既に、NPC達はアインズのあられもない望みにさえ応えようと並んでいる現実がある。

 アルベドの言葉に絶句し、ルベドのナデナデを中断している時間の無い中、単なる否定だけで済ますべきか、新たな都合の良い言い訳で乗り切るか、それとも……いっそナニしちゃうか。

 兎に角、威厳ある絶対者として迷いない選択が必要と思われた。それも今すぐに。

 早急な突破口を求めつつも、闇雲では取っ掛かりが無い。支配者は先程まで自分の語っていた言葉を冷静に思い出す。

 

(クロイスベル姉妹へ休憩すると語ったのは、あくまでも建前なんだけど、よく考えればナーベラル達に、〝直ぐに偽モモンと入れ替わる〟事を言って無かったよなぁ)

 

 後悔もあるが、伝える合間が殆どなかったのも事実。全てが難しい状況にあった。

 ユリら配下達の見上げるナザリック地下大墳墓の絶対的支配者アインズ像には、征服者・覇者として酒池肉林も相応しいとの思いがあるのかもしれない。けれどもモモンガとしての想いは複雑である。

 先程、アルベドの衝撃的ながらも、正直な報告を受けてアインズは考える。

 

(ナザリックのTOP、至高の41人の最後の一人として皆の前で体面を守るのは重要だと思う。でも、それに拘り過ぎても駄目だよな。俺自身の考えも入れなくちゃ)

 

 ルベド達の勘違いへ乗ったまま、御方がこの3時間程を奥の寝室で淫らに過ごした場合も、偽モモンのままで『竜王国への救援部隊派遣』は上手く進む可能性は勿論ある。

 しかしそれは、ナザリック地下大墳墓の絶対的支配者が、今望んでいる事ではない。

 彼はこの件で下手に誤魔化して逃げる事をやめた。

 アインズではなく、モモンが交わした約束であるし、竜王国を救ったとしても狙いが達成出来るかも分からない。ただ御方は状況に流される事なく〝一度自分で決めた事はなるべく守りたい〟という考えが強かった。

 まずは色々気付かせる連絡をくれたアルベドへと、内心で感謝しながら穏やかに返す。

 

「アルベドよ、勇み逸るな。大方、頼んでいたこの場の者から連絡を受けたのだろう?」

『は、はい……正にその通りでございます。申し訳ございません』

 

 指摘を聞いた通話先のアルベドだけでなく、御方から仮面越しの視線が向けられたナーベラルも不可視化の中、この場で恐縮する。

 

「別に、私は誰かに怒っている訳では無い。謝るな」

『は、はい』

 

 愛に突っ走るアルベドについては、アインズ自身が「テキストの書き換え責任」を感じている部分が大きいので、今回の件程度ではいずれも不問である。

 アインズの言葉とナーベラルの様子などから、鋭いソリュシャンやユリはハッとし、ご休憩じゃない可能性に気が付いた模様。ルベドは、姉が順番でゴネているとまだ真剣に思っていたが……。

 絶対的支配者は〈伝言(メッセージ)〉を繋いだまま悠然と伝える。

 

「そうだな……今日に入ってから色々あって、日課でナザリックへ戻る時間も無く、私の動きが流動的で皆へ予定を告げる暇が無かったようだ。私はこの(あと)――替え玉役のナーベラルと入れ替わりこの場を任せ、3時間程別行動する。途中、ナザリックへ戻ったりもするが、多くは冒険者として動く予定だ。主に竜王国への布石の為にな」

「「え?」」

 

 声を上げたのはルベドとナーベラル。

 ルベドは閨で可愛がってもらった後に、()()()クロイスベル姉妹の話を会長とゆっくり山ほど出来ると考えていた事もあり、ショックが相当甚大だ。

 ナーベラルも心身で御方へ尽くせる上に、卵型の頭を愛でて貰え一族も増やせると思っていたので落胆していた。

 だが、主より『竜王国への布石』と聞いては、NPC達個人の願望は我儘の域へまで落ちる。

 アインズの言葉は続く。

 

「どうやら、私の会話の中で部屋へ引き篭もる理由の中に(とぎ)を連想させる言葉があったようで、勘違いさせてしまったか。だがそれに精一杯応えようとしてくれたお前達を私は――愛しているぞ」

「「「――――!!!」」」

 

 NPC達の想いと努力をアインズはそう語り、愛しく包んだ。

 その反響はかなりの激震。

 己の子作り発言への返事として受けたアルベドは、通信が切れた後も「愛してる愛してる愛してる……」と呟きつつ、ナザリック内で立ったまま失神仕掛けていた。

 ルベドは翼をパタパタさせつつ大きなシャンデリアを周回するように部屋を舞い、ユリはバレエ調に片足立ちで両手を伸ばす華麗な姿を見せるも、高く掲げた右手先には夜会巻の頭部が高速回転で回り続ける。

 ソリュシャンは、体内に染み湧く溶解液を減らす為、身体を粘体化させると部屋の端にあった一人掛けのソファーを体内へ飲み込んでいた。

 ナーベラルについては、遠目だと美しい姿へ変わりが無いように思われた。でも、美顔が時々埴輪のように見えたのは気の所為と思いたい……。

 

 こうして彼女達の勘違いは一瞬にして――愛の囁きを受けて逆に肯定されてしまったのである。

 

 NPC達を一人も落胆に追い込まないという難事ながら、御方は平穏に落着させる。

 皆がフワフワした想いのまま、アインズはナーベラルの替え玉アインズと入れ替わる形でエ・アセナルを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 『竜王国への救援部隊派遣』へ動き出したアインズは、最初に偽モモンのパンドラズ・アクターと入れ替わるべく〈転移〉のあと、不可知化で北側から野営地に接近する。

 エ・アセナルから南東へおよそ30キロ。南を通る大街道からも10キロはある位置。

 アインザック率いるオリハルコン級冒険者部隊は、仲間の埋葬を終えた後も待機を続けていた。

 周辺に点在する冒険者部隊も同様に待機行動を取っている。後方からのアンデッド兵団の大規模襲撃を受け、既に野戦診療所以外で負傷者の生き残りは殆ど存在しないと判断されていた。

 広い戦場には、もう亡骸しかないのだ。

 今、有志貴族達の部隊が戦域内各所を威力偵察中であり、その結果『安全』が確認され、王国軍主力が本格的撤退を開始するまで現状が維持される。

 アインザック達の野営地では、先程の()()()()()()()()()のお陰で、やはりまだ『漆黒』の二人は自然と少し距離を置かれ視線を向けられる機会も少ない。偽モモン達は緩い窪地へ腰掛けていたので、御方の入れ替わりは〈記憶共有(シェア・メモリー)〉も含め大変スムーズであった……。

 もうすぐ午前が終りそうな時間帯を迎える。

 漆黒の戦士として『救援部隊派遣』へ自分で動けるようになったモモンことアインズが呟く。

 

「さてと……」

 

 しかし、この件の難題は結構多い。

 モモンは『3、4週間程凌いでもらえれば』と竜王国からの使者、女王妹のザクソラディオネ・オーリウクルスへ伝えていた。

 彼等が城塞都市エ・ランテルの北西門外にて冒険者の応援派遣を約束して、今日は25日目。

 一応、竜軍団との開戦前に王城で開かれた上位冒険者会議の場で、彼は冒険者の代表らから上手く応援隊編成の言質を取っている。でも、会議でチラリと出た輸送方法だと、王都とエ・ランテル間約300キロの移動で半日強は掛かるという。エ・アセナル周辺から竜王国の首都までの距離でさえその倍以上あり、もう猶予は殆ど無い。

 

(明日の日没までには出発したいなぁ)

 

 また冒険者会議において『先発隊』として両アダマンタイト級冒険者チームと、エ・ペスペルのオリハルコン級1チームとミスリル級2チームに、エ・ランテルのミスリル級2チームとモモン達『漆黒』を派遣する話が一応纏まっている。

 とは言え、竜軍団との戦争で『蒼の薔薇』は健在だが、『朱の雫』は主力の剣豪アルベリオンが戦死からの蘇生でレベルダウンしておりチームも疲弊した中で動くかは不明である。また、エ・ペスペルからのオリハルコン級1チームも、都市所属2チームの内の片方に戦死者が出ており、もう一つを派遣するかは微妙な状況。

 ただし、モモンの思考内では復活したエ・アセナルからミスリル級の3チームが派遣予定で、何とか体裁は整いそうである。

 派遣要員と同時に、実は先に出た輸送面にも問題が存在する。

 総勢最大で50名強を非常に遠い現地まで送る者達も必要なのだ。故に白金(プラチナ)級を中心とした魔法詠唱者達の協力が不可欠。

 会議で食料等の遠征資材は戦時中に、王都の石造り6階建ての冒険者組合事務所建屋屋上で補給出来る体制を整えておくと決定済み。モモンとしては、分かりやすい面でそこを最終的な集合出発地点とする予定だ。

 いずれも開戦前の話である以上、現状が優先され調整する事になる。

 間もなく昼食という時間で、本格的に動くのは午後からだろう。

 それを見越して午前9時半過ぎの通話で、マーベロへは事前に初動を頼んでおり、パンドラズ・アクターの記憶から経過状況は理解した。

 

「そうか今、〝蒼の薔薇〟〝朱の雫〟をはじめ、エ・ペスペルとエ・ランテルのミスリル級の安否と意志確認中か。白金級冒険者達へも順次協力要請を進めているみたいだね」

「は、はい。アインザックさんとラケシルさんが積極的に動いてくれています」

 

 竜王国へ最も近いエ・ランテルは他人事では無い。アインザック率いるこの部隊にはエ・ペスペルのオリハルコン級チームが揃っているので、他の者達について周辺の冒険者達に頼んで調べてもらっている状況だ。また、魔術師組合長として名の知れるラケシルの呼び掛けに、白金(プラチナ)級魔法詠唱者達も耳を貸すだろう。

 

「いいねぇ」

 

 組合長等2人は、かなり使えると思っていたので目論見通りの働きにニンマリな支配者。

 ナザリックに直接関係がないとはいえ、恩として見れる働きに今後は何か少し優遇してやるのも悪くないと考える。

 昼食の知らせを待たず漆黒の全身鎧(フルプレート)の戦士は立ち上がると、ちょこんとその横に寄り添っていたマーベロも続いた。

 そのマーベロの頭を御方は撫でる。ついでに不可視化しているパンドラズ・アクターの被る軍帽もポンポンポンと軽く撫で叩く。

 

「よくやったな」

 

 実際にアインザック達へ話をしたのは偽モモンであったので、褒めない訳にはいかない。

 マーベロの瞳は役立った事への喜びにキラキラと輝く。一方のパンドラズ・アクターは、●が三つ並ぶ不変の表情。しかし見えない姿のまま、周囲で歓喜のポーズを幾つもキメていた……。

 モモン達が向かったのは、アインザックの所だ。組合長はラケシルと昼食の準備を大体終えて、草原に転がっていた大きめの平たい石を椅子代わりに座っていた。

 

「やあ、モモン君にマーベロ君、少しは休めたかね?」

「ええ、おかげさまで」

「は、はい」

 

 この部隊では連携を高める意味でも、結成以来食事は皆で共に取るのが決まりだ。

 準備は当番制だったが、今は竜王国への応援に行く者らは優先的に仮眠や休憩を取らすため免除されている。なので部隊長ら自らが当番で、先発隊に入っている『漆黒』の二人も休んでいた。

 でも漆黒の戦士がここへ来たのは、食事以外の理由もあってだ。

 

「実は竜王国へ向かう前に、折れて失った剣の調達へ向かいたいのですが。勿論、王国軍の撤退が始まってからですけど」

 

 剣先や穂先が折れた程度なら武器は修復出来るのだが、根元から折れた場合は武器が完全破壊された事になり、完全復元か復活が必要となる。死んだ者と同じ理屈だ。

 なのでこの場合、新たに別の剣を手に入れると考えるのが自然。

 

「……そうだな。だが、あれほどの剣、宛てはあるのかね?」

 

 単純に「そうかね」と返って来るかと思いきや、組合長から抉り込む追求を受けた形。

 

(そうきたか。流石に鋭い視点をしているなぁ。うーん)

 

 アインザックの心配ももっとも。十竜長を真っ二つにした程の名剣である。

 モモン達を気遣っての言葉で、怒るというのは筋違いであり誠に困る展開。

 組合長はモモン達が組合加入当時に、随分安い宿屋へ泊まっていた事も聞き及んでいる。状況を考えれば、高価な装備を買った事と長旅で資金に余裕が無かったと理解する。

 そして最近は盗賊団討伐の臨時報酬や、通常の仕事を熟しており生活に困る事はないだろうと。

 とはいえ、あれほどの名剣を再び入手するなら、金貨で数千枚を要し無理な様に思われた。

 そうなると別の考えも連想される。戦場内での卑しい剣あさりや、本当に剣の入手か?という疑惑さえ。

 意外に厳しい部分へ目を付けられた形の支配者。ここは逃げず率直に述べる。

 

「正直な所、難しいかなとは思ってます。今、手元にある目ぼしい物は多くないですし」

 

 金貨200枚程や十竜長の鱗と竜眼の水晶体ぐらいで、総額金貨1500枚という辺り。

 一般民からみれば十分にひと財産であるが、名剣1本を得るには心許ない。漆黒の戦士の肩を持つアインザックも、融資出来るのは個人資産からのみで金貨1000枚以上は厳しい。

 冒険者組合自体も、会議を経なければ融資出来ない仕組みで上限も金貨1000枚だ。

 普通に考えて、全て合わせても以前程の剣は手に入らないだろう。

 脇からラケシルが呟く。

 

「……大商人や大貴族からの支援を思い付きそうだが、やめた方が良いぞ。相棒の為にな」

 

 楽そうな一案として口にしたが、正に警告の通りでリスクは相当大きい。

 間違いなく、マーベロ女史が味見された上で抵当に入るだろう……。

 すると、モモンが驚きの一案を述べた。

 

「実は、()の―――アインズ・ウール・ゴウン殿に頼もうかと」

 

 マーベロが抱える荷物に巻かれた布を解き、剣の残骸をアインザックらへ見せる。

 疑問を持たれずに剣を直せる点と、『漆黒』のモモンの名声も上がりつつある中、ゴウン氏に借りを作るという事で、ゴウン氏の名声にプラスとなるだろうとの見方が働いた。

 

「むぅ。彼か……」

「おお、あの魔法詠唱者か」

 

 アインザックとラケシルが、共に腕を組んで考え込む。

 (こん)早朝の竜王と王国代表との会見を(じか)に見ている2人は、国王と有志貴族部隊と行動を共にした旅の魔法詠唱者のその後について何も知らない。

 ただ、彼の豪華絢爛な装備を王城の冒険者会議で目にし、噂で超高級馬車を持ち王宮に宿泊している話などを聞いている。貧乏人や愚民への恩賞は少ないが、彼は違い王家の客人。

 なので、此度の大戦で最大の英雄であろう旅人の得る物は、非常に大きいはずである。

 少し考えたのは、そんな人物が冒険者の相手をしてくれるか、の一点。

 組合長達でさえ、富と権力を持つ王国貴族達の実際の腹黒さや非情さを未だ体験している。

 開戦に向け、幾つか持たれた貴族達との面会と会合において、上位冒険者達に一目を置きつつも彼等は、平民を見下す様な視線と馬鹿にしたような態度が散見されたのだ。

 色々な場や駆け引きの経験を持つアインザックらも此度は中々判断しかねる。

 

「うむ……(どうなるか)」

 

 確かに面識もあるとはいえ、モモンはまだ地方都市の白金級冒険者。

 だが、この戦争で十竜長を討ち取り、功績物も持つ数少ない英雄的戦士でもある。

 正直なところ、ゴウン氏がどう動くかは読めない。対価要求額も気になる。でもあの魔法使いは冒険者会議での行動や雰囲気から、王国貴族達とは違うと組合長らは感じていた。

 であれば、冒険者として前に打って出るべきだと思う。

 エ・ランテルの両組合長は明確に助言する。

 

「モモン君。私なら正面から助力を頼むだろうな。断られても、そこからまた考えればいい」

「そうだな。あの王国戦士長に信頼された会議での様子と態度から、そう悪い人物ではあるまい」

 

 2人の話にモモンは力強く頷く。

 

「はい。俺は思い切ってあの方に会ってきますよ」

 

 モモンはゴウン氏(じぶん)に会うと言う茶番的結論をもっともらしく答えた。エ・アセナルにゴウン氏が居る事を当然知っている中、徐々に辻褄を合わせる形。

 そして、部隊の皆での昼食が始まり時間が過ぎた。

 

 

 午後2時を回るまで、アインザック達の野営地内で特に大きい動きは無かった。外から経過を知らせるエ・ランテル中心の中位冒険者チームが時折現れる程度。単独移動は皆まだ避けていた。

 この間にモモンは、パンドラズ・アクターに代役を任せ、一旦ナザリックへと帰還している。昼食が終って間もなくの午後0時20分頃だ。

 尚、別所で待機中のヘカテーの隊とシャルティア達は依然待機中である。またこの時間だともう里まで撤退した竜王への接触は、シャルティア以上の戦力の同行が必要であり保留されている。御方としては今晩の接触を予定中だ。

 〈転移門(ゲート)〉を抜けた、ナザリック地下大墳墓の地表部、中央霊廟前。

 本来の仮面無き髑髏の表情と骸骨の姿を見せるアインズが、荘厳で美しい石敷きの場に立つ。

 絶対的支配者の足元には、形式化されたかの如く階層守護者統括が跪き出迎えていた。

 端には吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)が数体控える。娘達はアルベドの一時的要請を受けてだ。

 統括の彼女には直属の配下が置かれていない。これは、ギルドメンバー内での調整の結果であった。タブラさんのNPCであるが、階層守護者統括という役職は地位が高すぎた。なのでバランスを取る為、配下と共に専用領域さえも持たない存在となっている。

 アインズとアルベドは、直接的に1日半ぶりぐらいでの再会である。

 

「戻ったぞ」

「お帰りなさいませ、アインズ様。人間の都市の新領主就任の件、おめでとうございます! 無事な御帰還に私は、私は……」

 

 瞳を潤ますアルベドは黒きモフモフの翼と共に、御方へと可愛くスリスリして来た。

 

「分かった、分かった」

 

 それを一瞬、目を閉じるように紅き光点を落としてあしらいつつも支配者は、ナザリックを堅持する忠臣の髪を撫でてやる。

 先の通話では、とても恥ずかしい思いをしたはずの彼女。しかし、微塵の引けも感じさせない積極的行動を見せた。

 モモンガ様との子作りさえも承諾された形の「愛している」の言葉――それを貰った事が原因。御方としては、自分で放ったブーメランが即返って来た様なモノ。

 直後、異常性も伴って指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)が支配者へと渡される事態に……。

 アルベドはうっとりとした声で主へと促す。

 

「アインズ様ぁ、御手を」

「う、うむ」

 

 常識的にはこの会話で、指輪を嵌めてくれるのかと考える。

 確かに結果はその通りなのだが、アルベドが取った行動は愕然とする光景であった。

 

 

 指輪を優しく『唇』で挟むと、支配者の右手薬指を口に咥えるように通しハメたのだ……。

 

 

 余りの状況にアインズは固まって見入ってしまう。

 直ぐに御方の右手は離され、小悪魔は己の口許を左手で可愛く隠しつつ、上目使いに囁く。

 

「終わりましたわ、アインズ様」

 

 絶対的支配者には――感情抑制が発動していた。

 彼は、複雑な感情が核爆発した後のような何もない心情で一言返す。

 

「――何のつもりだアルベド?」

「えっ?」

 

 モモンガ様への熱い愛情を表現したつもりの彼女であった。

 しかし、絶対的支配者の頭蓋の眼窩(がんか)に納まる紅き光点が厳しい光を放っていた。

 

「この場は、至高の41人が築いたナザリックの神聖なる入口で、お前は私の代わりにナザリックを預かる統括として、私を出迎えたのではないのか?」

「(ハッ……私は何と言う事を)――ま、誠に申し訳ございません、ア……インズ様。浮かれ……過ぎておりました……」

 

 彼女は、自分の仕出かした行動で支配者を不快にさせた現実に恐怖し、ブルブルと震えていた。

 気が付けばアルベドは、強く目を閉じ御方の足元へ両膝を突き、両手はお腹の辺りでギュッと包むように握ったままガタガタと震わせ、頭を石畳へ近付く程に下げていた。

 他の至高へさえ、気高い彼女がここまでする事は絶対にない。それよりも先に死を選ぶから。

 今、不快にさせた相手がモモンガ様だから恐れた。死など簡単に過ぎず、この方には何とか許して欲しいという女の強い想いからであった。

 一方、縮み上がっているアルベドを見下ろす支配者は。

 

(うわぁ、やばいよ。思わず誤魔化しがてらカッとなってしまったけど、どうしよう)

 

 実は、アルベドのエロい表情と行為に興奮してしまったのも半分あり、支配者として最もらしい繕いの言い訳を勢いで語った部分も否定出来ない。

 結果的状況をみれば、目の前で黒いモフモフの翼までも怯えてピクピクと震わせる彼女の姿が可哀想すぎた。

 なので彼女のガタガタ震える両手を、白骨の両手で其々握ると伝える。

 

「立て、アルベドよ」

「はい……」

 

 依然として震える身体で、アルベドは命に従いゆっくりと弱々しく立ち上がる。しかし、彼女は恐れ多くまだ視線を合わせる事が出来ず御方の足元付近を見ていた。

 そっと彼女の手をまだ握るアインズは怖がらせてしまった罪滅ぼしもあり、身長差の有る頭蓋骨のおでこ部分を――彼女の側頭部から生える白い角へ優しく『ごっつんこ』させる。

 

「えっ?」

 

 支配者との近さと弱くも硬い衝撃を受けて、御方の頭蓋骨と自身の角が接触した事を瞬時に悟ったアルベドの視線が思わず上がる。

 これほど寄ったことのない程、主の顔の位置は間近であった。

 それはまるで、キスの直前のような優しい空気の距離感。良い香りも漂う中でアインズが囁く。

 

「少し、怖がらせてしまったか。私は特に怒っている訳ではない。お前を嫌った訳でもない」

 

 聡明なアルベドは『では?』という疑問を持つも、それは後で良いと言う想いの方が圧倒する。

 

(ああっ。モモンガ様が今、私のすぐ傍に居て下さるわ)

 

 彼女としてはそれだけで十分であった。気が付けば全身の震えはもう止まっていた。

 それでも支配者として、訓示のような言葉を述べなければ、格好が付かないので伝えておく。

 

「アルベド」

「はい」

「お前からの私への忠節と愛は、ちゃんと届いている。ただな、時と場所を選べと言う事だ。今後は地上へ出て人間共を始め、森の者共にも我々ナザリックの存在を一部見せる事もあるだろう。その時に舐められるような姿を見せるべきではない」

「――はいっ。階層守護者統括アルベド、真に心得ましてございます」

 

 彼女の事なので、どこまで行動が是正されるか分からないが、今はここまでで十分。

 アインズはスッキリと切り替える。

 

「よし。アルベドよ、第三階層での日課への伴をせよ」

「はい」

 

 中央霊廟から地下へと伸びる大階段途中で既に、腕を絡ませ胸までさり気なく押し付けて来るアルベドの可愛い様子に、早少し諦め気味のアインズであったが……。

 ナザリックの主は、中位アンデッド作成を30分程で終えたところで、涙をハンカチで拭うアルベドと別れ、次に執務室作業へ移り20分程書類確認と署名(サイン)。そこから20分弱、竜兵の回収にここ数日間尽力したアウラとデミウルゴスを始め、コキュートスやペストーニャらを各所で労うと、計1時間15分程の滞在を終えマーベロ達の所へ戻った。

 

 

 アインズが再びモモンとしてアインザック率いる部隊の野営地で待機する事、更に半時間弱。

 午後2時の少し前、野営地へ現れたのは『蒼の薔薇』の5名であった。

 無論、『竜王国への救援部隊派遣』の件で寄ったわけであるが、ついででエ・アセナルの領主の座へ新たに就きし旅の魔法詠唱者の事を皆へと伝えた。

 

 

 彼女達は竜王と王国側の会見後も、王国軍の各陣へ寄りながらアンデッドの残敵確認に努めている。その中で、平行してゴウン氏に関して熱心なリーダーと、この時まだ「ま、まぁ恩人だし」という若干ツンデレ気味の仮面少女1名が彼の情報も集めていた。

 

 『蒼の薔薇』と共に居た『イジャニーヤ』遠征隊は、アンデッド討伐戦まで義理固く参加。そしてティア達から、次は竜王国の救援へ向かう話を聞き、頭領のティラは「そうか。ではここまでだな。私達は帝国へ戻る」と告げてアッサリと別れている。

 ティラ達にすれば、仲間を失い竜討伐での一攫千金もならなかったが、強大過ぎた敵軍団から帝国の本拠地等を守れた事で、目的は十分達成出来たと言える。また、竜王国の救援について「過去に、帝国から援軍が出た際、報酬が安く損をした話を聞いたから気を付けろよ」と気遣う言葉も残した。

 本国帰還後、チャリ―(ブレイン)が討った際の竜の鱗が1枚だけ残っており、金貨400枚は手に入れる事となる。

 

 アインズ・ウール・ゴウン氏の栄達について、『蒼の薔薇』としては彼の残した大きな戦果から多少予想していた部分もあった。それでもラキュースを筆頭にメンバーは、行動途中で遭遇した有志貴族家の兵団から、尊敬する彼の者(ゴウン氏)が実際に大都市領主となった結末を聞き改めて驚く。

 

「あぁ、ゴウン様……。大英雄らしい前人未踏の快挙ね。流石、あのお方だわ」

 

 ラキュースは微笑みの中、自分の身体を優しく包むようなポーズでしんみりと語った。

 そんな乙女モードのリーダーを横で見守りつつ、ゴウンという異国人へ国王の示した規格外の評価に満更でもないアニキ、ガガーラン。

 

「ゴウンのダンナ、都市丸ごとかよ。うーん、大人物は違うって事か。俺にはデッカ過ぎて想像付かねぇな。屋敷一つ貰うだけでも、界隈じゃスゲェ噂になるのにな」

「アノ人、今度は一気に自治領主様か」

「初代のヴァイセルフ王以来だと思う」

 

 竜王への反撃や都市復活とヤル事が一々凄いと感心するティア、ティナ姉妹。こういったド派手な目立ち方を嫌いではない性格。

 2人は仲間を救われてからゴウン氏の事を『おっさん』とは言わなくなった。

 王国最強の冒険者である魔法詠唱者イビルアイも、仮面越しの聞き取り辛い声ではしゃぐ。彼女は、滅多に他人の才能を褒めないのだが。

 

「都市復活魔法……ゴウン様の魔法は本当に素晴らしい。あのお方こそ、最強だ。魔法の才能は私の1000倍ぐらいあるんじゃないか。はぁ、もうお城持ちの領主様か……(そんな私はあのお方にシッカリ抱っこされたって事は……私もお姫様に~)」

 

 淡い乙女の夢を追い掛けてみたいとの想いも湧く吸血姫(ヴァンパイア・プリンセス)少女。

 流石に、王国最強の者が語った今の言葉へ、ガガーランとティナが食い付く。

 

「おいおい、そんなに都市復活の魔法は凄いのかよ?」

「1000倍って、それ人間?」

「常識的に考えれば、竜王だろうが魔神だろうが、魔力量が絶対的に足らないはず。魔法の通常理論では有り得ない。壊すのと直すのは全然別の話だからな」

 

 イビルアイは力説する。

 

「聞けば、完全破壊された億を超える物体の復元と市民30万人以上が生き返ったなんて……正直理解不能だ。まず灰から直すんだぞ? 形を復元する段階で困難だ。他言無用だが、恐らく世界屈指の秘宝アイテムが使われたはず。充填されていただろうその総魔力量は破壊に回せば、王国全土を大陸上から一瞬で消滅させる程だったと思う」

「「「――っ!」」」

 

 ラキュース達も言われて初めて気付き愕然とする。

 第5位階魔法の〈死者復活(レイズデッド)〉でさえ大量の魔力を食うのに、死体も残っている必要があるのだ。

 今回の完全破壊された都市復活が、途方もない魔力量を対価にしている事に恐怖さえ覚える。

 そして改めて『蒼の薔薇』の皆が思う。

 

「それを使ったのがゴウン様で本当によかった」

「……全くだな。ゴウンのダンナには感謝しとかねぇとな」

「「救世主って呼び名、アノ人に似合う」」

「欲深い王国貴族らや、スレイン法国に帝国、〝八本指〟や〝ズーラーノーン〟によってその魔力量を悪用された日には、色々と終わっていただろうな」

 

 多くの者から一目置かれ、目標とされるアダマンタイト級冒険者として、遥か上を見上げてばかりはいられない。リーダーのラキュースは手を叩きながら仲間を鼓舞する。

 

「さぁみんなっ、ゴウン様に呆れられない様に、窮地の竜王国救援は絶対に私達、冒険者の手だけで達成するわよ」

「おうっ!」

「「了解。鬼ボス/鬼リーダー」」

「その通りだな(ゴウン様に褒められたいっ)」

 

 そう。ラキュース達は、かなりの闘志を燃やして次の大遠征に臨もうとしていた。

 そんな時、移動途中の『蒼の薔薇』は、アインザック率いるオリハルコン級冒険者部隊の所から又聞きで頼まれたという冒険者チームと遭遇する。

 

「なるほど、もう派遣する各チームの状況と意志確認が始まってるのね」

「はい。私達の都市エ・ランテルが竜王国へ一番近いので、両組合長が確認と協力調整役を務めています」

「分かったわ。知らせてくれてありがとう。戦場周辺の安全が確認出来たら直ぐに彼等の野営地へ向かうわ。怪我、お大事にね」

「は、はい。失礼しますっ!」

 

 最も高名な冒険者の一人であるラキュースから感謝のウィンクを受けて、まだ包帯を一部に巻くエ・ランテルの銀級冒険者チームリーダーのペテル・モークは緊張の中、照れながら離れてゆく。

 負傷しているのは、敵味方混戦だったアンデッド討伐戦で受けた傷である。

 王都を中心に活動する『蒼の薔薇』と邂逅する事は殆ど無く、一生の思い出と言う感じであり、戻ったペテルは近くで見ていた『漆黒の剣』のメンバーから手荒い祝福を受けていた……特にルクルットから。

 王国軍の有志貴族達の威力偵察部隊は午前11時頃に全域の安全確認を終えると、有志貴族と大貴族代表を幾つか集め、軍議を開き『即時撤収』を決定。そこから各地へと伝令を走らせた。当然軍部隊優先で知らせが伝わる上、冒険者達は戦域外まで後退して待機しており、伝達は午後1時半以降となった。

 王国軍寄りに居て早めに知った『蒼の薔薇』達は少し早く動き出した形。その為、貴族達が撤収を開始するより少し早い時期に、アインザックの所へと辿り着いていた。

 

 

 旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の大都市新領主就任が伝えられると、アインザック以下オリハルコン部隊の全員がやはり騒然となった。これは無理もない話。

 竜王の残した言葉とはいえ、王国臣民でさえない人物が大都市の領土と全権利を贈られた話なのだ。一部で、国王ランポッサIII世は太っ腹だと言う話も出ていた。王国だけでなく、人類圏を救った者へ対する褒美としては、確かに庶民目線で不足なしだろう。

 旅人ゴウンの出世は、国を越えた多くの民達に広く大きな夢を与えるものにもなった。

 少し遅れて午後2時を回った頃に、別の冒険者チームが現れて『戦場内での安全確認が取れて王国軍主力の順次撤退が開始された』との知らせが届く。

 これを受けて程なく、白金(プラチナ)級冒険者チーム『漆黒』のモモンとマーベロはこの地を離れた。

 ラキュース達だが『漆黒』チームがゴウン氏の居るエ・アセナルへ向かう話を聞いても「共に行く」とは言わなかった。

 モモンの用件を理解したラキュースは「そうですか」と返したに留まる。

 その理由の一つは、都市領主となった当日のゴウン氏が忙しく容易に会えないはずと想像していたから。もう一つは〝利子〟の準備がまだまだ十分でなかったからだ。

 

 この、領主からの『門前払い予想』は意外な落とし穴である。

 

 アインザックとラケシルもゴウン氏の新領主就任を後で聞き、やはり多忙から面会は困難ではと思ったが、既に決意を固めたと思えるモモンへは言い出せず……。

 当のモモン自身は『会えて当たり前』と考え、『門前払い』の可能性に気付いていない。

 先程も、モモンは偽モモンと入れ替わる時に、〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉を実行する中で態々グレートソードを1本減らしていたり、偽モモンも折れた剣の他に折れてない予備のグレートソードを何本か隠し持ってたりする。剣の復活準備はもう万全なのだ。

 『あとは会えばいい』という部分に注視し、支配者に少し甘さが出ていたのもしれない。

 『漆黒』チームが出発したあとも野営地では、「ゴウン氏に絶対会う!」というモモンの固い意気込みと見られ、この時に矛盾点はまだ何も存在しなかった。

 でももし。

 戦士モモンが就任当日の領主ゴウン氏とアッサリと会えた時に、小さな違和感が生まれる。

 支配者は(つまづ)かずに先へ進めるのか――。

 

 

 モモンとマーベロ達は荒れた地上をエ・アセナルへと一路向かう。

 支配者により、シャルティアとヘカテー達の待機が解かれたのは、野営地を離れて直ぐ。其々労いの言葉と帰還等の指示が送られた。

 NPC達へ連絡の終わった御方達は『漆黒』チームとしての行動を重視。辻褄を考えればショートカットも面倒なことから、態々(わざわざ)地を駆けて移動していく。

 

 先の『一介の冒険者モモンが多忙な新領主ゴウン様と面会出来た場合』へ〝何故会える?〟と疑問を生む部分は、ラナーやデミウルゴス達でなくても、多くの者が気付きそうな事項であった。

 これには当然、有能なNPCのパンドラズ・アクターも実は気付いている。

 でも進言するかは判断が難しい。創造主も気付いているはずと思うのが自然なためだ。

 並みの者ならギリギリまで待つ事になるが、賢い彼はそれを早く出来た。

 更に、御方が見落としの場合も考え、通達に工夫と気遣いも追加して。

 

 疾走するモモンの思考へ〈伝言(メッセージ)〉のコール音が鳴る。接続すると、不可視化し〈飛行(フライ)〉で追随する配下からの声が流れた。

 

『――創造主様、パンドラズ・アクターです』

「なんだ?」

『先程、ナザリックから戻られた折、〈記憶共有(シェア・メモリー)〉がされておりませんので一応合わせておかれては?』

「ん? お前、あの間に大きな動きはないと言ってただろ? エ・ペスペルのミスリル級チームと連絡が幾つかついて、数チームで被害の少ない組へ人を回して2チームを急造するという話だったよな?」

『はい。ですが細かい差異があるかもですし一応です、一応』

「はぁ。分かったよ」

 

 親思いのパンドラズ・アクターからの提案を面倒そうに受けた御方。移動を緩め立ち止まると、傍のパンドラズ・アクターへ向けて魔法を放つ。

 

「〈記憶共有(シェア・メモリー)〉」

 

 今回やり取りした情報は極僅か。しかし。

 

「(――!)……特に問題はないかな」

 

 自作NPCとマーベロの前もあり、そう語ったモモンであるが、内心は異なる。

 

(うわぁ、これはマズい。利点が多いと思ってたけど、リスクの方が大きいじゃないかっ!)

 

 忙しい領主からの『門前払い』は、直ぐに想像の付くよく遭う状況と言える。

 また、よくよく考えれば、ゴウンとモモンの接触は関連や連想を防ぐ意味で、なるべく避けた方が良かったはずだ。

 しかし、この場でUターンしスゴスゴと帰る訳にもいかない。

 面会の申し入れまでは行わないと『漆黒』チームとしての行動の辻褄が合わなくなるのだ。

 モモンの「行くか」の声にマーベロ達も続くが、御方自身の足は気分的に重たい。

 それと無難に『会えなかった』で終わるなら、〈記憶共有(シェア・メモリー)〉を進言してきたパンドラズ・アクターに気を使われた感じで面白くなく、ここは何とか上手く面会を成立させたいところである。

 とはいえ結構難題に思えた。

 

(うーん。民間警備会社の班長が突然、他県の知事に会いに行くようなものだからなぁ……)

 

 ここは社会人としての記憶も合わせ、これまでの知識をフル活用するしかない。

 最も有用なモノ、それは他人の話も含めた過去の『経験』である。

 

(リアルでは、偉い人物と会った機会は少ないなぁ。んー。この世界に来てからだと、エ・リットルで六大貴族のリットン伯爵に会った時や、国王と会った時か……確かあの時は)

 

 それぞれ会えた前後の状況や理由などを、暫く真剣に考えていたモモン。

 すると彼の、横に細長い兜のスリットから覗く紅き光が、一瞬増した様に輝く。

 問題への突破口が見えたのだ。

 重要なのは周りの考えでは無く、裏付ける『事実』のみだと気付く。

 俊足を飛ばすモモン達は、もう随分エ・アセナルへと近付きつつあった。

 その時、目的地点ではクロイスベル子爵達とゴウン氏の会談時間が迫っていた――。

 

 モモンはパンドラズ・アクターへエ・アセナルでの行動を指示すると代役を任せる。

 次に〈転移(テレポーテーション)〉でエ・アセナルの中央城中階層の滞在部屋へと戻り、替え玉を務めたナーベラルからゴウン氏の立場を引き継いだ。

 

「お帰りなさいませ、アインズ様」

「うむ」

 

 ユリからの報告で、昼食はあれから直ぐにここへと運んでもらい済ませたとの事。

 モモンの件と並行し、都市長を始め都市貴族達の動きも手を抜く事は出来ない。この後、午後3時から会議との事。ゴウン氏一行は早めに部屋を後にし、朝に国王らと会合した上層階の会議室へと向かった。

 時間に先行する形で扉前へ到着し、使用人が開けるとゴウン氏は先陣を切るように中へ堂々と進む。

 今この領地都市の、最高権力者としての振る舞いに慣れようと努力中である。

 室内では既に、その領主の到着を待っていた子爵以下、都市名門貴族5家と他14家の当主らが席を立って恭しく迎える。彼等は恐らく、都市内の王家利権の管理に関わる貴族達と思われた。

 ゴウン氏が席に着き、クロイスベル達も腰掛けた。早速、都市長からの言葉で場は始まる。

 

「ゴウン様にはお疲れのところ、御臨席感謝いたします」

「いや。戦後直ぐにこの都市の果たすべき役割は大きいからな」

 

 聡明さを感じさせる領主の言葉に、貴族の当主らは小さくコクコクと頷く。

 

「まずこの城に関して、だったな?」

「はい。御領主様の権利物として領土利用と地税以外もこの都市には、通行税を管理する各門や全外周壁の他、内外に主な建物だけで4千棟以上ございますが。では、まずこの城から――」

「(はぁっ?! 土地や物件の膨大な管理地獄かよ)……」

 

 ゴウン氏からの問いへ進行役の子爵がトンデモナイ相槌を打って会合は進んだ。

 

(そういえば、王都のゴウン屋敷も、建物は自前でも3年毎で土地代が必要と聞いたなぁ)

 

 納得しつつも、支配者としては「全部任せたっ」と速攻で言いたいところ。

 城の件を要約すると彼等からの話は、王家から来ていた兵達200の王都帰還分の調整と、この中央城で働く子爵家の使用人達の8割に当たる100名程をゴウン家へ譲るという話であった。

 その中で最も揉めたのが、子爵家の娘達を領主専属の()()()()()使()()とする話だ……。

 勿論、絶対的支配者はやんわりと押し返そうとした。

 貴族界隈での淫らでハレンチな行動について口を挟む気は全くないが、友人の娘同然の者達を預かる御方にすれば、家中へ持ち込まれて面白い話ではないからだ。

 

「いや、器量と気立ての良い娘達で実に気遣いは嬉しいが、やはり……」

「我がクロイスベル家自慢の可愛い娘達です。ですが、先程聞きました。直ぐ後の席で会う私へお気を使われたとか?」

「まあ、流石になぁ」

「それは誠に申し訳なく存じます。では――傍仕えに上がった娘達とは絶縁いたします。ならば以後、いつ傍へ置かれても一切お気遣い要りませぬでしょう?」

 

 穏やかにそう語る娘達の父、クロイスベル子爵。

 御方には理解出来ない。それでは可愛い娘達は、完全に領主への貢ぎ物で、子爵家の旨味がまるで無くなるはずだ。

 娘達が余りに不憫であり、ゴウン氏は子爵を思い止まらせる。

 

「いやいやいや、そういう話ではない。家族との関係はずっと大事にされよ」

「は、はぁ。ゴウン様がそう言われるのなら。……我がクロイスベル子爵家の長男と次男は復活によって健在で、既に長男には息子もおり安泰。ゴウン様への傍仕えは娘達のたっての願いでもあります。双子の長女と次女も婚約を解消次第、こちらへ加わりたいと申しております。王国貴族の過去には、配下の11人姉妹を全て愛妾にした話なども普通にございますし、当家をはじめ何処へもお気遣いは無用かと」

 

 絶縁してでも娘達を差し出す気満々の都市長から、王国貴族達の乱れたトンデモナイ正当論まで聞かされ、支配者には反撃の糸口が無い中――。

 名門貴族の一翼、ハクスーレ男爵が議題的に述べる。

 

「話から明らかにクロイスベル殿だけ特別な待遇に思います。ゴウン様、これはいけませんな」

 

 御方は「おぉっ、助けが入った」と思った。

 腹黒いだろう他の名門貴族達からすれば、都市長が此度譲る城の使用人枠へ名華(ハニートラップ)達を混ぜ、領主への縁戚強要は独壇場で卑怯ではと。

 恐らく不公平な『特別な小間使い』の派遣は引っ込めさせたいのだろう。

 だからゴウン氏は、正に同意しつつエ・アセナル領主として力強い納得の言葉を告げた。

 

「そうだな!」

 

 その結果。

 他の貴族家からも城へと『特別な小間使い』が()()()()()()()()事になった……。

 

「……(な、何故だ)」

 

 ここに居た貴族達の多くは、子爵程に娘を可愛がっている風ではなかった。やはり政略結婚の駒と見ている。しかし、3家程の当主は自慢げに娘を語り大事にしている風で、「娘が希望し幸せな婚姻しか認めん!」と豪語する程。にもかかわらず、行動に矛盾が見られた。

 本件を見れば、領主は配下の令嬢達を押し付けられてしまったとの表現が一番近い。

 この惨状に、「11人姉妹……(ゴクリ)」と姉妹天国を期待する某天使は兎も角、領主席の斜め後方に護衛として立つユリや不可視化で壁際に控えるナーベラル達の空気が何となく余所余所しい。今後「大全」に何が報告として記されるのか、ゴウン氏には不安のみが募る。

 絶対的支配者は強く思う。

 

(王国貴族侮り難しだなぁ。見え透いた〝ハニートラップ〟に屈したくないけど、敵は物量で圧倒的すぎる……)

 

 今後、王都リ・エスティーゼからエ・アセナルへ気軽に来れなくなったのでは、と彼が考えるのも無理なき事。

 

 ただ予想に反し()()()()()使()()達については、この会議の後でユリ・アルファの提案が支配者に認められ、本日より指導の下『(ナザリックの)主の傍へ仕える最低限のメイド』としての厳しい教育が始まる。

 その教えには当然、『伽等のナニにおいて、アインズ様からの要求が全て。配下達からの要求は厳禁』も含まれた……。

 これが、地上におけるゴウン氏周辺の小間使いを固める『令嬢メイド隊』の基盤となってゆく。

 

 話は会議に戻るが、聞けば4千棟の物件管理は委託された大商人達が都市貴族達の監視下で収益と維持管理をしてくれているとの事。土地や通行税なども名門貴族家が分担で徴収し総利益の極一部で引き受けているらしく、直接ゴウン家が管理する必要はない模様。

 あとは、領地における市民達の生殺与奪権の話もあった。罪人へ気遣いする必要はないが、極論で言えば無実の民の生命他、全てを没収し利益へ転換出来る領主最大の権利。子爵は言う――「全市民への気遣いはご無用」と。御方は即座にこれを『絶対に罠だ』と判断する。

 当会議は、今回の領主就任で譲られた基本的な全権の話と、ゴウン氏が城に住むという事から、城の使用人や王家直参の兵士達が帰都する件など守備面と諸問題の調整が必要で開かれた。また、個別の屋敷を断ったルベド達騎士長級用にと、幾つか使われていない部屋の改装についての提言もされている。

 しかし其々に掛けた時間を振り返れば、会議の本題はやはり『特別な小間使い』の方であったのかもしれない。

 

 こうして、今晩にも娘達から囲まれる閨で落とし処が無いと頭を抱えているゴウン氏を他所に、大都市エ・アセナルは彼による着実な都市支配の充実が進んでいく。

 

 

 

 大戦で荒野と化した周辺地の中へ不釣り合いに残り建つ、午後5時前の大都市エ・アセナル。

 都市中心部の高台にそびえる中央城の下層、人払いされた一室で偽モモン(パンドラズ・アクター)マーベロ(マーレ)は新都市領主であるゴウン氏との会見を無事に果たす。

 とは言っても、表向きの話だ。

 部屋に入って直ぐ、窓から離れた位置で立ち止まった偽モモンが、魔法を使う事も無く空間から取り出した予備のグレートソードを背負っただけ。

 筋書きとしては、折れた剣を完全復元してもらったという形で通す予定。対価は、金貨1000枚。購入よりも格安ながら、安すぎない辺りを設定した。

 チーム『漆黒』は多くの持ち合わせが無い事から、これがベストの選択である。

 ただ一方の、ゴウン氏は他から同様の要望をホイホイと聞く訳にもいかないが、条件はキチンと存在する。

 完全破壊された武器や防具は、時間を経るとゆっくり破片化し固めておけば後に鉱石化する。

 なので、破壊された時に〈保存〉で状態を維持する事が条件の一つ。これが実は結構厳しい。武器装備が壊れるのはそれ程の敵と戦ってる時で、死亡する者の方が多いと言えた。

 また遺産級(レガシー)以上になると復活出来ない品も少なくない。

 モモンのグレートソードは遺産級に近いが、量産品に過ぎないので一応復活も可能な武器だ。

 偽モモンの様子を見ながら今、ソファーへマーベロと共にのんびり腰掛け終わった支配者の安堵した声が上がる。

 

「はぁ、何とか剣が元に戻ったな」

「はい、創造主様。では、失礼しますっ」

「まあ、待て。確かに魔法でも一瞬だが、対価は事前に決めてたけどこの後の行動の話もあるし。10分はここで時間を潰せよ」

「畏まりました、創造主様っ」

 

 そんな身内の会話が、壁に盗聴防止の掛かる部屋の中で交わされた。

 

 さて、彼等の面会についてだが、『多忙な都市領主と、冒険者風情がすんなり会えてしまうのはどうなのか?』という部分。

 偽モモン一行が、エ・アセナルの南東門から都市街の大通りを抜けて中央城の城門前に現れたのは、午後3時45分頃。

 近付く冒険者風の2人へ、城門を守る衛兵達からお決まりの問い掛けが届く。

 

「お二人とも見なれぬ顔ですが、何用でしょう?」

 

 大恩ある救世主様がお城に居る為、警戒度を上げていた。民兵上がりなれども衛兵らに、実力差のある冒険者達へ怯む様子はない。

 すると大柄な漆黒の戦士が、名乗りと口上を堂々と高らかに丁寧な内容で述べる。

 

「我々はエ・ランテル冒険者組合所属の白金(プラチナ)級冒険者チーム『漆黒』のモモンとマーベロと申す者です。近日我々は〝竜王国への応援部隊〟のメンバーとして竜王国に向かいますが、当地御領主のアインズ・ウール・ゴウン様へ是非ともお願いの儀があって参りました。至急で面会をお願いします」

 

 戦士の横へ立つ純白ローブの少女も、僅かに会釈した。

 そんな2人の前へ、衛兵らの中から恰幅の良い衛士長が怪訝な顔で近付いて来る。彼は王家直参の騎士長であったが、復活に因って新領主様への恩義は強く持っていた。

 面会要望の相手が、城内で中低位の者であれば他の衛兵に任せるところ。しかしあろう事か、大恩人で御領主のゴウン様と聞いては、自分で確かめなければ気が済まない。

 白金(プラチナ)級冒険者如きが一体何用かという思いからだ。

 

「〝竜王国への応援部隊〟……? はて、態々何用での面会ですかな? 不足資金や物資のご要望なら別の者でも良いはず。御領主様はお忙しい身だ」

 

 言葉尻はまだ幾分穏やかであったが、衛士長の眼光は『生半可な理由なら納得出来ん』と門前払いへ満々の雰囲気を持っていた。指摘も鋭く聞こえた。

 これに対し、モモンは語り出す。

 

「実は数日前の大戦中の事だけど、敵の竜長を真っ二つにして討ち取った時に、振るっていた2本の剣の片方を完全に折ってしまって」

「ド、(ドラゴン)を、真っ二つ!? 討ち取った……と?」

 

 流石に、竜殺し(ドラゴンスレイヤー)の冒険者を前にし、騎士長や周りの衛兵は目を見開きざわついて半歩下がり驚く。

 周りの反応を他所に頷きつつ、偽モモンは言葉を続ける。

 

「ええ。その壊れた剣を、新領主様のお力で何とか復元して欲しくて。今回の応援の遠征では敵に5万体ものビーストマンの軍団がいるとの事。やはり厳しい戦いが予想され、少しでも頑丈な武器が必要なんです。新領主様とは以前、王都の王城での会議の際に直接の面識があります。是非、()の方へ〝王城の冒険者会議の場でお会いしたエ・ランテルの冒険者モモン〟が〝竜王国への応援の件〟で来ていると伝えて頂ければと」

「ふぅむ、なるほど……用件は良く分かり申した」

 

 御領主様と面識があるかは、すぐ確認出来る点から今騙る意味は小さい。そして竜王国への応援部隊参加から竜殺し(ドラゴンスレイヤー)の剣を直してもらいたいとの一連の話に矛盾する部分を感じない。

 また、それ程の名剣を直せるのは、確かに御領主様しかいないだろうとも。

 騎士長は偽モモンとマーベロへ神妙に伝える。

 

「モモン殿、マーベロ殿、これより確認させてもらうので暫くお待ち願えるかな」

「大丈夫です。お願いします」

 

 衛士長は衛兵に伝え、2人を門外脇の待合所へ案内させた。

 これで、報告は城門の衛士長から城内に居る上官の守衛総長まで上がったが、今の段階で城の最高管理者はまだ都市長のクロイスベル子爵であった。

 現在、子爵様ら都市内貴族の方々が新領主様と重要会議中の状況を、守衛総長は当然把握済み。

 時を置かず、守衛総長よりの使いが会議室へと入り、一席に座る都市長へ近付き耳元で囁いた。子爵は来訪者の件を聞き小声で返す。

 

「(竜王国へ向かう冒険者が、ゴウン様への面会希望だと?)」

「(はい)」

 

 午前の都市内有力者会議の席で、確かに御領主様から『竜王国への応援部隊』の話が出て、冒険者組合長のクローネルへ部隊を送るよう明確に指示が出されている。

 御領主様の考えへ協力する事は、大恩を受けたエ・アセナルの貴族として重要であった。

 

「(……分かった。この会合が終わり次第、私からゴウン様へお聞きする)」

「(はっ、お願いいたします)」

 

 当会議は、エ・アセナルでのゴウン家の第一歩として必須であり、状況的にクローネル達の進捗から、ここ1、2時間を争う事態ではなさそうとみての判断。

 

(本当にモモンなる者がゴウン様と面識がある者と確認出来れば――合わせない訳にはゆかぬ)

 

 アインズはこの判断を正に狙っていた。

 午前の都市有力者会議の席で『竜王国への応援部隊』の話を組合長へ伝えた事は周知の事実。だからこそ、偽モモンにそれを伝えさせるだけで、強欲な貴族達がゴウン氏へ取り入る為に、十分関心を示すと確信していた。

 まあ、強欲面からとの予想は大分ズレたが……。

 上位貴族の人物と平民が面会する場合を考えた時、その絶対条件は『相応の理由で上位権力者から面会を希望する場合』であるとアインズは結論を出している。

 つまり、今回は領主のゴウン氏へ話が通れば「面会しよう」となり、不自然さは消えるのだ。

 御方に因る午前中の「竜王国への応援部隊」協力指示は成り行きだ。その状況を上手く紐付けて利用した感じである。

 午後4時30分を過ぎ、議題が出尽くし会議がお開き気味になった頃、クロイスベルが領主の彼へと尋ねた。

 

「ゴウン様、東の都市エ・ランテルの白金(プラチナ)級冒険者で『漆黒』のモモンなる者をご存知でしょうか?」

 

 ゴウン氏は、仮面の顔でゆっくりと頷いた。

 

 大都市の偉き御領主様との面会を、無事に終えた偽モモンとマーベロの2人。

 彼等がエ・アセナルの中央城門を去る時、丁度城へとやって来た2人の美しい娘達とすれ違う。

 一人は小柄で左腰に変わった長物の武器を下げる美麗な桃色の髪の少女(シズ・デルタ)。もう一人は綺麗な金髪のクルクル巻き髪に鎧調のブーツを履いた美人(ソリュシャン・イプシロン)

 一旦シャルティアとナザリックへ帰ったシズはつかの間の休息を終えて、御方より頼まれた真祖の姫に〈転移(テレポーテーション)〉でエ・アセナル近郊まで送られ、城から不可視化で迎えに来たソリュシャンと合流し、堂々とゴウン家騎士長級の配下として登城する。

 両組は一瞬だけ視線を合わせるが、只それだけで離れてゆく。

 そしてこのシーンのBGMの如く、中層階の窓からはハツラツとした繰り返しの挨拶が漏れ聞こえて来た。その数を、早くも4名へと増やした弱卒的『令嬢メイド隊』の発する練習の声が。

 

 

 

 

 偽モモン達が、エ・アセナルの中央城を後にした(とき)と同じ頃。

 

「辞退? ……何を言っている。俺の調子(難度)を戻すのに丁度いい相手じゃないか」

 

 『朱の雫』の剣豪アルベリオンは、メンバーにこう告げて最後に参加を促す。

 

「それに――俺達のチームが行かなくてどうする?」

 

 戦死する前までリーダーであったが、「前衛が俺には合っている」とリーダーをアズス・アインドラのまま据え置き、判断は任せた形。

 アルベリオンやアズス以外のメンバーも、初戦のエ・アセナル攻防で絶望の淵に立ち、震える体を引き摺り王国総軍での参戦では、多くの竜兵を倒す勝利とリーダー戦死や重傷の敗北も見た。

 でも彼等はアダマンタイト級冒険者チーム。

 魔力不足、剣豪の難度低下と問題があろうとも、王国冒険者のTOPとして覆し進む姿を見せる責任があった。

 結局、アズスは6人チームの仲間達へと告げる。

 

「それでは皆、覚悟はいいな? 竜王国の応援作戦に参加するぞ」

「おう」

「当たり前だろ?」

「それが、俺ら〝朱の雫〟ってもんさ」

「ああ」

「行こうぜ、どこまででも」

 

 エ・ランテル所属の冒険者チームから『救援部隊』への参加確認を南部戦域の外で受けた『朱の雫』は、アルベリオンの現状態(ステータス)チェックで一旦東部戦線の外へ置かれた野戦診療所に戻っていた。彼等はそこから一番乗りで王都冒険者組合屋上を目指す。

 

 偽モモン達がアインザック達のオリハルコン級部隊野営地へ戻って来たのは、日没が迫る午後6時半過ぎ。

 

「〝漆黒〟チーム、無事にエ・アセナルより戻りました」

「も、戻りました」

「おっ、モモン君、マーベロ君。どうやら、剣は直してもらえたようだな」

「よく面会出来たなぁ」

 

 アインザックとラケシルらが、巨躯の戦士の背に伸びる直った剣の長い柄を見上げた。

 

「はい、後日払いの金貨1000枚で何とか。()()()()は〝竜王国への救援部隊〟について重要視されてたみたいで、多忙な中で俺達にも会議後の合間に会ってくれて。その中で、午前中にエ・アセナルの冒険者組合へミスリル級チームの派遣を指示したと聞きました。マーベロと帰りに都市の組合事務所へ寄って確認したんですが、もう3チームと移送用の魔法詠唱者達を向かわせる準備が大体揃ってましたね」

「おおっ、そうか!」

 

 アインザック達は偽モモンが語るゴウン氏との面会や行動と状況に、違和感なく納得していた。

 『漆黒』の2人はエ・アセナル中央城門でシズ達とすれ違った後、都市北門への大通りの途中にある冒険者組合へ寄り、現状を確認し王都の最終出発点の事も一応伝えてきた。

 人の減った野営地内の様子へ、偽モモンが尋ねる。

 

「皆さん、王都へ向かったのかな?」

「ああ。ほんの、つい先程だがね」

 

 アインザックとラケシルの他に残っていたのは、今朝死者を出したオリハルコン級チームの4名のみ。

 『蒼の薔薇』達とエ・ペスペルのオリハルコン級1チームの姿はここに無く。

 また、この場へ集まった白金級魔法詠唱者達35名程やミスリル級4チームも先に、王都冒険者組合へ向かったという。

 

(モモンガ様の予想より少し早いかな)

 

 マーベロはそう感じつつも、前倒しについては問題ないと見ている。

 あとは、遅れている自分達がエ・ペスペルの動きを早く知らせるべく王都へ向かうだけである。

 同じ考えの偽モモンが、組合長達へ告げる。

 

「では、俺達も急いで向かいますよ」

「うむ。君達の後に順次、全国から後続の冒険者部隊が送られるはずだ。それまで現地で踏ん張ってくれたまえ」

「モモン殿、マーベロ殿、次の敵は数が多い。落ち着いてな」

 

 ラケシルの言葉には、強さから来る油断への忠告も含まれていた。

 『ビーストマンの国』の軍隊最大の強みは、人間側に比べての質の高さと兵数である。

 モモン達が個々でいくら強くても、数で押された場合は全てに手が回らなくなる。またいつか疲労もくるはずで、焦りから判断を損ねる事もあるのではと……。

 組合長達の期待と気遣いへ偽モモンとマーベロは返事をしておく。

 

「はい、十分に心掛けます」

「は、はい」

 

 駆け出した『漆黒』の2人は、アインザック達に見送られ野営地を後にした。

 王都まで〈飛行(フライ)〉でも7時間程掛かるので大半をショートカットしたいところ。

 しかし現在、王国総軍は冒険者達も含めて各地で大規模撤退を開始しており、『〝漆黒〟チームについて目撃者が不明』という余計な疑念を持たれたくない。

 だから、偽モモン達2人は地道に地上を駆け、マーベロの〈飛行(フライ)〉で低空を移動し王都を目指す。

 

 

 

 翌朝午前11時を迎えた頃、王都冒険者組合屋上で『竜王国への救援先発隊』の最終打ち合わせが始まる。

 場に集合した冒険者チームは、アダマンタイト級2つ、オリハルコン級1つ、ミスリル級7つ、白金級1つの計11チーム。総勢50名。他、牽引移送役の白金級魔法詠唱者54名。

 一般兵力で考えれば、モモンの白金級チームを除いても万に近い規模の戦力と言えるだろう。

 現地の厳しい戦局で、雑兵が1万増えても大差はない。だが、上位冒険者の精鋭部隊となれば、『ビーストマンの国』側の敵将や上位士官個体の打倒も視野に入る。

 そうなれば、少数でも難局面を大きく変える事さえ出来るのだ。

 英雄譚的な竜王軍団相手には無茶な策も、相手がビーストマン達であれば、と。

 

 此度、『先発隊』を率いるのは、やはり『蒼の薔薇』のラキュースである。

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグを相手に数日間生き残ったという彼女の指揮振りは、叔父のアズスにさえ「誰が見てもお前が適任者だ」とその役を譲らせた。

 先の大戦で、竜長を討ったモモンでも、この面々の部隊を指揮するのは無理な話。竜王国危機の通報者で、冒険者の宴や実績で名も一応覚えられているとはいえ、まだ新参者感は否めない。

 『先発隊』参加者の多くは王都内で、装備の応急メンテを3時間程で終えていた。

 無垢なる白雪(ヴァージン・スノー)を身に纏うラキュースが皆の前へ立つ。

 

「この〝先発隊〟の指揮を任された〝蒼の薔薇〟のラキュースです。竜軍団との戦いが終わって、まだ2日も経ってないけれど、竜王国では私達冒険者の力を必要としている多くの人達が待っているわ。相手はビーストマン5万の大軍って聞くけど、私達は昨日まで(ドラゴン)達と闘っていたのよ。

 だから〝私達なら出来る〟わ。これより、竜王国の首都までまず〈飛行(フライ)〉使いの詠唱者達の引く〈浮遊板(フローティング・ボード)〉に乗って向かいます。途中、食事や仮眠休憩を6回挟んで、到着時間は明後日の午後7時半を予定してるわ。首都にて現状を把握してのち〝先発隊〟の攻撃作戦は決定します。物資について、各自でこの場から最低1週間分は所持してもらっているはず。ではこれより、移送担当者を割り振った後、順次出発願います。

 尚、〝蒼の薔薇〟は〈浮遊板(フローティング・ボード)〉を使用せず、イビルアイが〈全体飛行(マス・フライ)〉で部隊を先導する予定です」

 

 『蒼の薔薇』達だけ移動形式が違うのは、一部でスレイン法国上空など、初めて通過する場所や距離も長い為、先行確認する場合もあるとみての措置。

 

「また、牽引役の魔法詠唱者の皆さんには予備要員も居ますから、上手く交代して下さい。ただし給金は、巡航速度で引っ張った距離に応じて支払われますので、あしからず。

 最後に、何か質問のある方は?」

 

 凛々しいラキュースが皆へ確認するも特に無い様子。

 

「では、〝朱の雫〟の方々から前に――」

 

 ただラキュースの語った内容によって、牽引移送役の者達から少し溜息が漏れた。

 どうやら、高名なラキュース達〝蒼の薔薇〟を運べると勇んで集まった者達が居た模様……ご愁傷さまである。

 呼ばれた『朱の雫』達が前に出て来ると、名簿を持ったティアが淡々と読み上げる。

 移送を担当する白金級冒険者について、所属都市に続き名前が呼ばれた者が『朱の雫』のメンバー達を順次一人ずつ載せて出発していく。

 それが、10チーム分と予備の魔法詠唱者の分が終わるまで続いた。

 『漆黒』チームは5チーム目に出発。竜長を討った武量と、依頼者の竜王国王女と面識がある点からの位置取り。

 今回の戦いは、ナザリック所属の者にすればこれといって危機感もなく『のんびり行こうか』と言いたい気分。しかし、部隊内で立場的に最も低い階級や『漆黒』チームと初めて組む者達も多い中、支配者は発言に気を使う。

 

「それじゃ皆さん、お先に行かせてもらいます。マーベロ、油断せず気を引き締めてね」

「は、はい」

 

 こうして無事にモモン、マーベロの順で飛び立った。

 最後は、ラキュース達『蒼の薔薇』の5名がイビルアイの発動した〈全体飛行(マス・フライ)〉で締める。ゆっくりと王都冒険者組合建屋上空へ浮かび上がると、速やかに空中隊列の先頭へ出るべく急加速し王都を後にした。

 〈浮遊板(フローティング・ボード)〉に腰掛けるモモンは、ホッとする。

 

(ふー。とりあえず、この件は今のところ順調かな)

 

 竜王国女王の妹ザクソラディオネとの約束から間もなく4週間となるが、どうにか嘘吐きにはならずに済みそうだと。

 絶対的支配者の次の舞台(ステージ)として、竜王国の地に新たなる血まみれの戦場が待つ。

 

 

 

 

 『竜王国への救援先発隊』の出発を見送った王都市民の数は、組合の建屋が面する大通り周辺だけと意外に少なかった。

 そもそも、立ち止まったり歩く足を緩めた者達は、冒険者らが何の目的の行動なのかさえ知らないのだから。

 たまたま目に入って僅かに気になった程度のこと。それよりも。

 

 戦争が終わったのだ!

 

 王都リ・エスティーゼ内では、昨夕の頃にもう竜王軍団撤退の話が伝わっていた。

 王都を始め各貴族領へ向かい帰還し始めた王国軍に先立ち、一部の先着した冒険者ではない者達(情報屋や裏社会の連中)によってだ。

 街中の民達は「これで王国は残り、出征した夫や息子や娘達が帰って来る」と歓喜した。

 しかし、現実には王国総軍の死者数は最終的に8万人をも超え、全体24万の3分の1に及ぶ。更に、王都民を中心とした王家の軍団は国王の率いた軍団が全滅した事で死亡率がひときわ高く、悲しむ家族が随分多いはず。

 復活を果たし都市住民の多くが生き返ったという『エ・アセナルの奇跡』も伝わる中、対照的な状況になりそうだ。

 また開戦前からエ・アセナル周辺の穀倉地帯は竜達の蹂躙攻撃で、多数の農民死亡と多くの難民発生が伝わっている。このため、終戦を迎えたにもかかわらず、穀物類を中心に価格は下がるどころか今後の大混乱を予想して、今朝から早くも幅広く物の価格が僅かに上昇を始めていた。

 今後も王都に限らず、無情にも王国内の物価は総じて全国で高止まりを見せるのである。

 

 リ・エスティーゼ王国の中で変化が徐々に進んでいく……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 評議国からの使者来たリて

 

 

 本国からの使者の名はフィブレクト・ゲイリング。

 ゲイリング評議員の次男である。役職は評議員第八補佐官(自称)。

 巨大なゲイリング家における影響力について、彼の度合は小さい。まあ、長男や三男以下も同様なので、彼はこれまで慌てていなかった。

 だが――。

 まだ然程(さほど)大きくはないものの、妹ブランソワのまさかの台頭が気になり始める。

 先月末辺りから、父の仕事の会話内に妹の名が急に増えたと感じたのだ。

 妹と暗に比較される場合さえあった。弱者の鼻はこういった変化へ敏感に利く。

 次期家督を狙う長男と共に、妹へ警戒心を抱き始めていた……。

 理由に、フィブレクトの難度は48と父や妹に比べても大した事はなく、脳筋的思考で父の覚えも余り芳しくない現状。つい最近、好きに使っていた給料的な小遣いへ父親より大幅な制限が掛かり、己の今の立場へ急激に危機感が増した。

 

(兄や弟共はやられてねぇのに、なんで俺だけ……)

 

 だからこそ、今回の監察官なる大役を引き受けたのである。直談判さえして。

 

「親父っ。人間共の国へ侵攻している竜王の軍団を撤退させる現地ネタが欲しいんだってな? 是非俺に任せてくれよ、ブヒヒッ。きっとデカいのを掴んで来るからさ」

「ブヒッ……お前に出来るのか?」

 

 日々、賭け事や女遊び狂いの次男から、珍しく借金や揉め事解決の要望ではなく、仕事にやる気を見せた申し出に父は一瞬考える。次男の極端な変化で直ぐさま、小遣い制限の件やブランソワに触発された行動と思い当たるが、やらせてみるのも良いだろうと許可を考えた。

 次男ももう良い歳。家へ泥を塗るだけの者は必要なく、切る時期が近付きつつあったから。

 相手は(ドラゴン)共。本人も少しは仕事の厳しさと怖さを思い知るだろうと。

 

「行って来い」

 

 父の命を受けた彼は意気揚々、アーグランド評議国の首都中央都から東南東へ120キロ程の都市サルバレを経て、戦争を避ける為にエ・アセナルの西方に連なる山脈を辿って南へ進んだ。

 護衛にはゲイリング家の護衛団から、難度120超えの猛者3名を含む6名を同行させている。

 竜共も恐れるに足らずと。家畜の人間達などは眼中にさえ無い。

 先触れとしてサテュロス1名の他、書記官や荷駄要員の人馬(セントール)らも入れ計12名の隊で、所用日数はここまで9日間であった。

 荷駄の馬車以外の者はダイア・ウルフ系のウォーグに騎乗具を付け乗っての移動だ。

 それなりに苦労し、ゲイリング家次男は監察官として、遠い目的地へと漸く到着する。

 

 ところが――煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)の軍団の姿はそこに無かった。

 

 竜達の宿営地は夏夜の曇り空の下、虫の音と広い暗闇が広がる。時刻は午後10時半。

 僅かに3頭の竜長が残っていたのみ。次男は大いに「シメた!」と思った。

 父に負けじと彼の衣装は帽子も含め、超ド派手な黄色地のものだ。夜でも結構目立つ。

 ふんぞり返る態度は更に偉そうに見えた。

 

「オッホン! 我は中央評議会所属、栄えある『三ツ星』を持つゲイリング評議員の第八補佐官、フィブレクト・ゲイリングだ。ゲイリング大商会の役員(閑職)でもあるぞ。この度、中央評議会の依頼により監察官として参上させてもらったが?」

「監察官殿。本国よりのお勤め、大変でしたナ。先ずは少し休まれては?」

「いやいや。誤魔化すつもりで? 竜王のカーマイダリス殿が率いる軍団はいずこに。残留責任者殿、これは一体どういうことですかなぁ? 人間共の捕虜さえ、もはや確保してない様に見えますが? はははっ、既に惨敗した……と?」

 

 場の状況と竜共が気落ちした姿に見え、父の地位も効いたと調子を上げた監察官。

 実際、物資は殆どなく、宿営地の跡地という有り様。また北側にあった人間捕虜区域も開放されていた。

 対し、本国中央からの正式な監察官と言う事で、下手に出て対応していた竜長達も、あざわらっての惨敗の言葉にはカチンと来た。3頭の竜長が揃って詰め寄る。

 

「……監察官殿。我々ヲ愚弄しに来たのか?」

「適当な憶測と態度が過ぎよウぞ」

「貴様……竜王様を笑ッたか?」

 

 残っている全長18メートル超えの竜長らは、難度で120を超える歴戦の者達ばかり。

 監察官の護衛小隊が腕利きでも、同時に対戦すれば結果が竜長達へ傾くのは予想出来た。

 

「ひぃっ」

 

 フィブレクトは父の威光を始め、歓楽街の格下のチンピラに有効だった手を繰り出していた。しかし、難度50弱の街中の日常的な暴力的小競り合いと、難度120超えの戦場の竜達では迫力が別物。武者らの怒りに父の偉さも及ばない。それを初めて知る。

 圧倒的な竜達の威圧に、尻もちをついて後ずさる。

 そこに、護衛小隊長が慌てて割って入った。

 

「竜の方々待たれよ! 貴殿らの竜王様と軍団を悪く言うつもりはない。フィブレクト様、訂正くださいっ」

 

 闘士達は竜種の強さを理解している。闘士としては数頭しか見ない上、護衛隊などでも稀に敵側で遭遇するぐらいだが、戦いは必ず厳しいものになると知っていた。

 護衛小隊長の助け船にゲイリング監察官は乗る。

 

「し、失礼した。こちらの勘違いだ。竜王様には相応の事情があると思う。て、訂正する」

「……ならば良い」

 

 監察官の直ぐに訂正し懲りた様子をみて、竜長達も引き下がる。

 愚弄されたままでは竜王様の配下として黙ってはいられないが、竜長3名の独断で中央の監察官と事を構えるのも考えモノ。煉獄の竜の里として強く避けるべきなのは明白。

 それにゲイリング一族と言えば評議国内でも指折りの大商会。長年、里は中央と距離をおいていて、交流も少ないがゼロと言うわけでもない。自尊心の高い竜達であるが、我慢を見せた。

 何とか立ち上がったフィブレクトだが、すっかり及び腰の姿に同行した書記官が仕事にならないと代わりに問い掛ける。

 

「あのぉ、宿営地の今の状況を説明して頂けまいか?」

 

 至極全うな要請に、竜長代表が口を開く。

 

「結論を先に述べれば、我々の軍団は中央評議会の取り決めに従った、という事デす。

 ご存知かと思うが、ひと月前の進撃当初に我々の軍団は華々しく人間の都市を滅ぼした。人間の奴隷3万も本国へお送りシた。

 それを受け、人間国家側は半月程で大規模な軍をこちらの宿営地周囲へ広範囲で展開。その大軍への攻撃が8日前に始まりました。戦いは戦場の全域で終始、我々の軍団が質と数で圧倒しています。ただ、人間共の中に強者も居たのです。それも1体だけではなく、かなりの数で。なので局所的には敗れる事も増えていきました。犠牲も伴ッて。

 そして、昨日夕刻より連中の強者の中でも最強の者達が大反撃に動きました。その者は竜王様とさえ互角に戦った。そして昨夜――我らが攻め滅ぼしたはずの都市が復活されたのです。建物に限らず住んでいた人間共もまとめてデす」

 

 竜長代表の首が動き、視線が南方に横たわる都市外観の影を差して、皆の目も向いた。

 中央に立つ鋭い塔状の城へは、明かりが点在するのも見えている。

 

「はぁ?」

「なっ、復活!?」

「えっ!」

「馬鹿な……」

 

 問うた書記官や聴き入っていた監察官だけでなく、護衛小隊の者からも愕然とした声が漏れた。

 当然だろう。そんな奇跡的な事を出来る者が人間如き連中に居たと言う事実。

 竜長は結論的語りを続ける。

 

「直後、奇跡を実行した人間の魔法詠唱者より、竜王様へと停戦と撤退の提案がありました。この時、我が軍団の総死傷者数は100頭を越えていたのです。竜王様は戦況を冷静に認識し苦戦状況と判断。速やかに本日の早朝、撤退を決められると即時実行されました。以上が説明となりマす」

 

 場は静まり返る。

 ここで、仕事に関係なく気になった疑問をフィブレクト・ゲイリングは尋ねる。

 

「そ、その分かるならで結構だが、人間の魔法詠唱者の名は何と?」

 

 竜長達は恐怖からなのか、その名を緊張しながら口にする。

 

「魔法詠唱者の名は――アインズ・ウール・ゴウンと言ウ者だ」

「「――っ!!」」

「「「……?」」」

 

 監察官一行の中で、表情が完全に二分した。

 書記官と荷駄係や護衛小隊の数名が、『それは誰か?』という表情。

 一方で、護衛団でも上位の者達は、中央都のゲイリング屋敷内での一大事件を完全ではないが聞き及んでいた。

 そして――監察官には出立直前、父コザックト・ゲイリングより、人類圏で厳守すべき一つの警告があった。

 

『フィブレクトよ、人類圏へ行くならアインズ・ウール・ゴウンなるお方の名を忘れるな』

『え、アインズ? アインズ・ウール・ゴウン? 一体何者』

 

 次男には聞き覚えがある名。最近、親父の仕事の話へ「アインズ」と時折出て来ていたから。

 

『アインズ殿を呼び捨てるなっ。死にたいのか! 敬意を持てっ。お前にとって、あの方が何者であるかは重要でない。今より肝に命じよ。隣国で……万一、アインズ・ウール・ゴウンなるお方の名を聞いたなら、その方へ絶対に逆らうな。我が名を出して真摯に従うのだ。これは、ゲイリング家当主の厳命である。違える場合、死を覚悟せよ、良いな?』

 

 常々、他者を圧倒的に見下し決断する余裕のある父が、その時は明らかに違った。

 逡巡していたと評するのが合っていると次男には思える。

 父ゲイリング評議員はアノ騒動の後、やはり少数精鋭で密かに評議国内におけるアインズ・ウール・ゴウンなる人物を資料面で調べてみたが、結局何も出てこなかった。旅の魔法詠唱者どころか出身、住所、年齢や全都市の入出門記録にもない。つまり、()の者は人類圏からの来訪者の可能性が非常に高いと踏んでいる。

 しりごむ父から聞いていた者の名が今、現実に出て来た。しかも、都市を復活させ、竜王を退けた者だというのだから。

 

 フィブレクトは僅かに震え続ける。

 

 警告は事実で、間違えばアノ親父に殺されるのが現実にあると知ってだ。

 次にどうすべきなのか脳筋質の頭が混乱する。

 そんな監察官へ対し、竜長代表が伝える。

 

「監察官殿への報告はこれで終わったと思うが、よろしいデすか?」

「えっ。……た、確かに」

「では、御一行は早めに報告の為、中央都へご帰還される事を勧める。この地への長居は――評議国全体の為にもならぬと存じマすので」

「――っ。ああ、その通りだ」

 

 殆どトンボ返りであるが、長居無用なのは確実。

 ゲイリング評議員の次男は死が交錯する場違いな所に来てしまったと後悔するが、それよりも行動が先である。

 ウォーグに監察官は跨ると、彼の一団は帰路で遠い中央都を目指し、竜軍団宿営地跡を慌ただしく去っていった。

 それを見送った3頭の竜長達も、この地からの速やかな撤収準備に入る。

 これより数時間後の早朝には、竜軍団の竜は1匹残らず王国から撤退を終えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. エンリと愉快な仲間達、旦那様と面会する

 

 

 アインズはチーム『漆黒』の行動について、エ・アセナルでモモンの折れたグレートソードを直して以降、王都到着までの全行動を偽モモン(パンドラズ・アクター)とマーベロに任せる。

 そしてその後、本人はどうしたのかと言えば、トブの大森林の中に居た。

 

「どちらが迎えに来るのかな」

 

 配下のエンリが『ゴブリン将軍の角笛』で呼び出した5000体もの新小鬼(ゴブリン)軍団の上位者――軍師や各団長、隊長との面会に臨む為だ。

 謁見でない点は、建設中の小鬼(ゴブリン)達の()も見てみたいと御方が要望したことが大きい。出来つつある集落はとっくに村の規模を超えており、そこへの訪問に近い形。

 一昨日、御方がナザリックへ帰還の折、アルベドから謁見希望の話を聞いて、近日内の時間未定ではあるが快諾していた。

 日は過ぎて、エ・アセナル中央城内で時間が出来そうな事から、つい今しがた現状を確認。

 するとアルシェが昨日よりエ・ランテルへ向かっており、姉妹と再会するという話で、今後の事についても仲間達と数日考えたいとの事。これらの情報は、エンリからアルベドへ報告があった模様で、今日一杯は確実に留守との事情から急ぎ面会が仕組まれた。

 普段からアインズは、カルネ村のゴウン邸へエンリ姉妹の居る時間帯の早朝か夜に、ナザリックへ寄る途中で時折訪れている。最近では3日前(ボウロロープ侯爵戦死の翌日)の晩だ。

 だが、小鬼(ゴブリン)達との面会についてエンリからは直接何も聞いていなかった。

 

(ふむ、新小鬼(ゴブリン)軍団は規模が大きめだからなぁ)

 

 最初に笛で呼ばれた小鬼(ゴブリン)の数なら、確かにナザリック経由で気に掛ける必要はないだろう。

 でも現在は、エンリ自身も将軍という立場であり、ナザリックの組織をしっかり意識した手順と言える。

 支配者としてはその行動を一応理解したが、少し寂しくもある。

 

(エンリはまだ若いのに、考えた行動だなぁ。でもちょっと一言あると嬉しいんだけどな)

 

 その辺りは単に慣れてない、初々しいという部分に思え悪い気はしていない。

 本日、面会時間の午後6時頃を指定したのは支配者である。多忙と状況が流動的なので、結構直前でアルベドへの時間指示となった。アインズとしては、気軽な立ち話に行くという感覚。

 今の時間は指定時刻まで残り15分の5時45分。多忙な彼にすれば『まだ』余裕十分だ。

 

『森の中でお待ち頂ければ、ハムスケかエントマが案内に参りますので』

 

 アルベドにそう言われていた支配者は、以前ハムスケに会いに行った時を参考に、図面で見た新小鬼(ゴブリン)軍団の()に近そうな位置へ〈転移(テレポーテーション)〉で現れていた。

 すると間もなく。

 

「殿、殿ぉ、殿ぉぉーーーーっ」

 

 ハムスケが地を駆け抜け飛ぶようにやって来た。

 ヤツは見た目、モフモフそうに見えて、実はやたらに硬い剛毛の小部屋程のデカイ図体で主人へとじゃれ付いて来た。

 体格差はあっても、Lv.100の御方は難なくヨシヨシと撫でてやる。

 

「元気そうだな、ハムスケ」

「元気でござるよ、殿っ。会えず寂しかったでござるよ」

 

 ハムスケは、トブの大森林へ攻め込むナザリック軍の動きを察知されずに、橋頭保的な領土を維持する役目もあって、森の南部から長期間離れられない現状である。

 アインズは、落ちないよう〈騎乗(ライディング)〉でハムスケの背に乗り、新小鬼(ゴブリン)軍団の街へと向かった。

 

 

 

 さて、大変なのは支配者をお迎えするエンリ達側である。

 将軍のエンリが、アルベドから〈伝言(メッセージ)〉で面会時間の通達を受けたのは予定時刻の僅か45分前。カルネ村で砦化作業の指示の途中であった。幸い一人で立って居た時で直ぐに出れたが。

 

「えっ。今日、このあとですか?」

『午後6時よ。慌てる必要はないわ、エンリ。森の()の広場へ貴方が居て、会わせたい者達を揃えておけば大丈夫よ』

「はい、分かりました。ありがとうございます」

『しっかりね』

 

 アルベドにしては、随分優しい口調と内容での通達。エクレア相手と比べればかなりの差だ。

 お気に入りのネムと有能な姉エンリへ目を掛けていればこその態度である。

 ただ、将軍少女とすれば逆に大きなプレッシャーにもなる。

 

(アルベド様は、頭数が居れば大丈夫と言われたけど、手配していたナザリックの旗飾りや垂れ幕に、旦那様の玉座などをご用意しておいた方がいいかもしれない)

 

 この日の為に、エンリは小鬼軍師や団長達と事前に会合を開いている。

 旗飾りや垂れ幕は以前、ナザリックの宴で使っていた極一部をキョウ経由で借り受けたもの。

 至高の御方直属のエンリ自身は、多少粗相をしても大丈夫かもしれないが、新小鬼(ゴブリン)軍団の者達は果たしてどうかはまだ不明だ。

 以前、ナザリックの宴へジュゲムが同行した時を振り返れば大丈夫とは思うが。

 兎に角、エンリは急ぎ、近くへ居た親衛小鬼軍団リーダーのジュゲムを呼ぶと、事態を耳打ちして現場監督代行を頼む。村人らからの問いへ「森の方で会合が」と躱させて。

 そして将軍少女は、村内に駐留する騎獣兵団の2体の狼の背へ勇ましく2人乗りすると森の()へと急いで向かった。

 もう1体へは無論――交渉人(ネゴシエーター)ネムが乗る。

 

 

 夕暮れが控えた空に、下がる太陽の角度から大森林の中は少しずつ暗さが増していく。

 しかし、アインズとハムスケが森の中を進んでいると、やがて明るい、広く切り開かれて区画割りされた地へと出た。

 まだ、多くの建物は鉄筋と古代コンクリートで固められた打ちっぱなしの土台だけであったが、10棟もの大倉庫と広場近くへ建つ中央官舎やその周辺はその雄姿を既に見せている。

 ナザリックが近々建設する小都市の基礎土台練習と言う意味もあって、投入されている技術が多い。これらは、ナザリック地下大墳墓第十階層の書庫『最古図書館(アッシュールバニパル)』の書籍にあった知識も利用されていた。

 

「おお、立派なものだな」

 

 更に、広場までの街の通りにはナザリックの旗飾りが所々に(なび)いていた。

 街の工事は一時止められ、ハムスケに乗ったアインズが通る両脇へ小鬼(ゴブリン)達は所々で集まり、整列して支配者に礼を捧げていた。

 周りの進捗状況と、出迎えムードに支配者は素直に感じ入る。

 

「エンリは、良い指揮官だな」

 

 明らかに、アインズの来訪へ配慮された街内の雰囲気がある。流石に5000という数は多い。呼び出した彼女の影響を受けているだろうが、改めてしっかりと統率指示されている事が理解出来た。

 

「エンリ殿は、帝国軍相手にも上手くやったでござるよ」

「……そうだな」

 

 誘拐劇からカルネ村へ戻りゴウン邸で何度か会っているが、初めと変わらず家庭的で笑顔の可愛い村娘として振る舞い接してくれている。

 王国よりも格上と聞く帝国と有利に交渉し続けた彼女の手腕も、非常に得難いと思う。

 絶対的支配者は道沿いの小鬼(ゴブリン)達を横目で眺めつつ、色々とエンリについて再評価していた。

 街中は後日良く見て回ろうと、今は道なりに通り過ぎて広場を目指す。

 

 ハムスケとアインズが、周囲に旗飾りが並ぶ広場へと入って来た。

 小グラウンド程の楕円が一部少し平らな三角形に近い場所で、およそ1000体の小鬼(ゴブリン)達が整列していた。多すぎる総数を絞って、会場へ空間を作りスッキリ広く見せる演出らしい。

 エンリは、赤と黒の軍服に軍帽を被り腰へ洋剣を差し、最高級の紅色コートを羽織っている将軍の正装姿で旦那様を迎えた。

 完成した木造4階建の中央官舎の壁へ張られた大きな横長の垂れ幕には、ギルド紋章を中央に大文字で上下に挟む形で『輝かしい我らが ナザリック地下大墳墓に栄光あれ!』の言葉が記されている。

 エンリ達の知らない文字だが、意味は教えてもらい周知してある。

 広場の奥側、中央官舎前には整列する小鬼(ゴブリン)達との間に広い空間が空けてあった。そこに木製ながらナザリック地下大墳墓の謁見の間にあった玉座を模した幅1メートル半、背もたれが4メートル程もある立派で黒塗りの重厚な椅子が置かれていた。座面には漆黒のクッションも置かれている。

 背もたれ両面や肘掛け側面には幾何学調の模様が精密に彫られており、上手く支配者の格式を表現していた。軍団の総力で椅子は作られている。

 ハムスケから「ご苦労。またな」と降りつつ、アインズの視線が少し離れた大椅子へ向かう。

 

「どう、アインズさま? ……これ、皆で造ったの」

 

 ネムが、普段と違い姉に合わせた赤と黒調の衣装姿で、接待役としてアインズの手を取り、玉座の傍までエスコートする。エンリ側の最強の切り札が投入されたっ。

 説明から、椅子制作にはエンリやネムの手も入っているらしい。

 

「ほう、凝っているな」

 

 傍から上まで見上げ、感心する絶対的支配者の言葉へ別の声が続く。

 

「彫刻が綺麗で、良い物ではと思います」

「お世辞抜きで中々の出来かと」

「まあまあ悪くないでありんすね。エンリかぇ?」

「ふーん、そこそこやるね」

「コノ場ノ至高の御方ニ不足ナイ出来栄エダナ」

 

 驚いたが……広場に現れたのはアインズだけではなかったのだ。

 アルベドにデミウルゴス、シャルティアやアウラとコキュートスが姿を見せていた。地下大墳墓に居た階層守護者と統括が揃い踏みである。エンリ達が用意した玉座傍へ並んで立つ。

 彼等まで来た理由は、小都市基礎工事の要員や技術反映度合の視察。

 

(聞いてないですぅーーっ)

 

 エンリはそう大きく叫びたい気持ちを押さえて、司会的立場で場の進行役を務める。

 将軍少女は、御方の右側へ並ぶアルベドとシャルティアやアウラの少し外へ立っていた。

 

「時間には早いですが、アインズ様がいらっしゃいましたので、面会の式を始めたいと思います」

 

 街中から歓迎の大きな拍手が上がる。ハムスケも脇で見ていくことにした様子で拍手していた。

 それが途切れる頃、エンリから旦那様へ勧める。

 

「アインズ様、是非ご着席ください」

「うむ、せっかくだ。座らせてもらおう」

 

 支配者がどっしりと座ると、エスコート役のネムはキチンとエンリに対称の位置へ立つ。

 程なくエンリは「さてこの度――」と面会を要請した経緯を説明する。

 誘拐された折、どういうわけか小鬼(ゴブリン)達を大軍で呼び出してしまった事。今後の維持に不安が膨らんでいたところを自分同様、ナザリック旗下として受け入れられた救いへ感謝する旨が述べられた。

 合わせて居住地の提供と適切な街建設の住居計画、一部穀物類の管理支援へも礼が伝えられる。

 この森の地も、今はナザリック旗下となったハムスケの管理地域の一部。ナザリックの協力が無い場合、離れた東の森か西の森の一角を陣取るしかなかった。

 

「――小鬼(ゴブリン)さん達は感謝するだけではありません。今後は私同様、ナザリック配下としてアインズ様へのあらゆる協力を惜しみません。そういう軍団である事を改めて知って頂きたく、またその軍団を構成する兵団の長達を一度引き合わせたく正式な場をお願いした次第です」

 

 ここで、アインズが忠臣エンリからの言葉へ答える。

 

「なるほどな、()()自らの軍団臣従意志は有り難く、私へよく伝わった。まずは、小鬼(ゴブリン)達全員へ一言だけ命じておこう。――お前達はエンリ将軍の命令にのみ従えば良い」

「「「おおぉーーーーー」」」

 

 御方の懐深さへの驚きと、望むところという彼らの声がどよめくように上がった。

 絶対的支配者が語る。

 

「〝ゴブリン将軍の角笛〟で呼び出されたお前達が、将軍へ向ける以上の忠誠を他者へ示す事が無理なのは理解している。その上で、小鬼(ゴブリン)達よ。お前達が私の配下である事は今後不変だと考えている。なぜならば、私は直属の配下である将軍の揺るがない忠義を信じて疑わないからだ!」

「「「おおおぉぉぉぉ」」」

「あぁ(旦那様)……」

 

 小鬼達は閣下大好きの集団でもあり、御屋形様の彼女への高い信頼と愛情を感じて、喜びと嫉妬の複雑な感情が渦巻き声が上がる。エンリは旦那様からの熱い信頼が嬉しくて、進行役として立ちつつも口許を両手で押さえていた。

 ネムはそんな幸せ顔の姉の姿に満足する。

 

(お姉ちゃん、よかったね)

 

 僅かの後、周囲のざわめきを支配者の声が掻き消して言葉を結ぶ。

 

「――今後もこれまで同様、お前達への大きな命令は将軍からのみ発せられる。ただ時々、将軍を通さない数名や数十名程度の小さい要望はあるはずだ。それには、友軍として協力して欲しい。以上だ」

 

 御方は小鬼(ゴブリン)達其々に明確な強い感情があると、エンリの最初に呼び出した軍団19体を見て理解していた。

 今5000の個々へ、盟主エンリを信頼し訴えた絶対的支配者の言葉は、多くの小鬼(ゴブリン)達の心に刺さった。連中の下地にエンリの考えや心が入っているとしてもだ。

 自然とそれは起こった。御方は全く狙っていなかったが。

 

 

「「「ナザリック、万歳! アインズ・ウール・ゴウン様、万歳っ! 将軍閣下万歳!」」」

 

 

 街中で繰り返し、偉大なる組織名と支配者と盟主を称える大きい歓声が続いた。

 およそ30秒の連唱。最後に拍手の嵐があって漸く鎮まると、進行役のエンリが進める。少し場へ対応慣れしてきた様子。

 

「アインズ様、感激の御言葉ありがとうございました。続きまして――軍団の各団長、隊長達との面会をお願いします。アインズ様、私がお傍へ付き皆を順に紹介いたします。アルベド様と階層守護者様方もよろしければ。ではこちらへ」

「そうか」

 

 アインズが玉座から立ち上がり、近寄って来た将軍少女と前へと進む。アルベド達も続いた。

 

(あの子、事前に十分準備をしていたのね。短時間でしっかりと形になっているわ)

 

 統括の評価は『可愛いネムの姉』から『トブの大森林のエンリ将軍』へ変わりつつあった。

 デミウルゴスやシャルティア達も、エンリら軍団のナザリック配下でアインズ様の先兵という臣従行動に好意的だ。

 

(配下として当然の姿勢ですが、イイものですね。単に建設作業労動力として見ていましたが、ナザリックのエンリ・エモット将軍と軍勢としても知識に加えておきましょう)

「(連中、強さは全然でありんすけど)この見せ方は嫌いじゃないわね」

「……(アインズ様ヘノコノ者達ノ忠義、疑ウ所ナシ)」

(あたしもこの面会式、少し参考にしとこっ)

 

 整列していた1000体の小鬼(ゴブリン)達はもう部隊毎に並んでいる。各先頭辺りに立つ者達が団長であり隊長達である。閲兵風の面会だ。何一つ隠すことなく、各部隊の人員の顔ぶれと装備が良く見て貰える形を選んでいた。

 御方はまず、新小鬼(ゴブリン)軍団の実質の統率者である羽扇持ちの小鬼(ゴブリン)軍師をエンリより紹介される。

 

「この者が、軍団を率いている軍師の――シバハマさんです」

 

 上位陣の名前は、昔から伝わる色々な物語に登場するゴブリンの勇者にちなんで彼女が付けたものだ。

 

「シバハマでございます、以後お見知りおきを。アインズ様」

「うむ。軍団でエンリをしっかり支えてやってくれ」

「はっ」

 

 将軍少女は次へと案内し、右端の兵団の長達から順番で面会は進む。

 

「こちらが、近衛隊長のトミキュウさんです」

「トミキュウです、アインズ様」

「うむ。エンリの護衛は任せるぞ」

「ははぁっ!」

 

 他、重装甲歩兵団長のコホメ、奇獣兵団長イヌノメ、長弓兵団長ノザラシ、聖騎士隊長のジットク、魔法砲撃隊長トキソバ、魔法支援団長デキゴコロ、輜重部隊長ガマノア・ブーラ、暗殺隊隊長のシニガミ……等々。

 絶対的支配者は、副長達も合わせ延べ30名近くと面会を果たす。

 途中、日没が迫り、魔法砲撃隊や魔法支援団員らによって魔法の明かりが広場内を照らした。

 

 軍団員上位者を含め整列メンバーは硬くなっている者が多かった。

 無理もない。御方の膨大な魔力量に加え、威厳溢れる態度と声。更に彼の後ろへはLv.100(難度200以上)の5名が並ぶ状況。全てが気おされていた。

 エンリ閣下の見せた、旦那である御屋形様へと寄り添った甲斐甲斐しい姿も……嫉妬面で完敗を認める他ないと。

 因みに、各部隊の隊員の名は上長の名に由来する戦士達の名や、改変した風で付けられている。

 重装甲歩兵隊員の場合、カヤツリ、クビツリ、マゴホメなども居たりするのだ。

 支配者は新小鬼(ゴブリン)軍団に対するナザリック内部調査書は見てある程度の構成を知っている。近衛隊として赤帽を被るLv.43の小鬼(ゴブリン)レッドキャップスが13体を始め、隊長級はLv.35以上が並ぶ。5000体平均でLv.20を超えており、王国と帝国とは十分戦える戦力と言えた。

 アインズは既に、地上での都市建設や領地運営に世界征服等の事業を推進する上で、NPC達の仕事の負荷を下げる為にこの世界側の地上戦力は必須と考えている。

 直接、エンリ配下の彼等の信を得られたということは、プラスである。

 

(うん。会いに来てよかったな)

 

 そんな機嫌が良い至高の君へ、デミウルゴスは素敵な一案を奏上する。

 

「アインズ様、本日の記念にこちらの街へ名前を付けられては?」

「おお。私が付けても良いか、エンリ?」

「はい。是非よろしくお願いします。嬉しいです」

 

 御方は先程、どこかで聞いたような小鬼(ゴブリン)等の名前に少しだけリアル世界の懐かしさを感じていた。ふと、昔あったと言う娯楽文化の一つの名が浮かんだ。

 

「そうだな………では、この街の名は〝ラクゴ〟と命名しよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. アインズの楽しい時間

 

 

 猛将炎莉(エンリ)将軍の旗下である新小鬼(ゴブリン)軍団の団長達との面会を終え、公務が一段落した支配者。

 面会の場には、ナザリック地下大墳墓へ居た主な階層守護者達も同行していたが、アインズは帰還用に〈転移門(ゲート)〉を開くと多数の前で何気なく語った。

 

「一番最初に休暇を取ったのはアルベドだそうだな? では――私も今から6時間休むぞ」

「「「――!!」」」

 

 直後より、至高の御方の言葉が伝わったナザリック内は、地上の近隣保護地域内も含め全階層で一時騒然となった。

 

「オレ、まだ休暇を取ってないゾ。不味いよな、直ぐ取るべきか?」

「貴君は通知されてる設定日に取れば良いでござるよ。それよりも昨日、休まずに代休を作ってしまった(それがし)は、どうしたらいいのでござる?」

 

 新入りの元竜長が日没後のトブの大森林へ現れて、まだ新参と聞いたハムスケに相談するが、彼女もそれどころではないっ。

 他、第九階層でも一般メイド達とメイド長のペストーニャ・S・ワンコがメイド食堂へ集まり臨時の協議に入っていた。

 長めの金色髪が似合うシクススの言葉に続き、元気な短髪のフォアイルも駄目出しする。

 

「ダンスの()()()()は今一つ不十分です」

「あー、足の角度と足首やタイミングがねぇ」

「そうね。こんな体たらくでは、まだまだ御前披露なんて無理そうね……わん」

 

 某『同好会』絡みの、40名程の壮大な規模のダンスは、まだ全体練習がたったの1度に留まっていた。尚も課題多し。

 一方、階層守護者勢もナゼか当然浮足立つ。

 

(なんと。アインズ様がご休暇を……。この私も早急に取らねばっ)

(はぁ~我が君~。一緒に棺で寝て頂けないものかしら)

(あぁ、アインズ様ぁ~。ご休憩、ご休憩ですね?) 休暇と休憩は別物だ――アインズ談

「オオォ……本日、部分休暇ヲ取ッテシマッタ私ニ出来ル事ハアルノカ」

(……アインズ様と一緒にハンバーガー食べたいなぁ)

 

 アインズにすれば、あの勤勉なアルベドが率先して休暇を取ったのである。

 自分が続いてあげる事こそ、休暇制度を作った忠臣のNPC達へ報いる最大の気持ちになると考えた。

 しかし皆にすれば、重要なのは御方がドコで何をして過ごすのか、だ。

 絶対的支配者の行動に、皆の注目が集まる。

 

 

 彼の足が向いたは――第九階層のスパリゾートナザリック

 

 

 9種17浴槽を誇る。最大の風呂は、アマゾン河をモチーフにし緑溢れる35メートル四方の広さがあるジャングル風呂である。他にも、青く目に痛い程眩しい光に包まれるチェレンコフ湯は、嘗てないゴージャスな雰囲気に包まれれる場所だ。

 アインズはもっぱら、数人でも十分広い大理石浴槽の古代ローマ風呂が、落ち着くので好み。

 

「やはり、休暇といえばココだよなぁ」

 

 施設の入口前に立って、ガラス張り越しの奥のロビー空間をシミジミと眺める支配者。

 風呂でスケルトン体を洗ってくれる三助の蒼玉の粘体(サファイア・スライム)である三吉君も連れて来ていた。

 多忙な死の支配者(オーバーロード)の彼にとって、休暇といえば精神的寛ぎである。

 風呂はそれを与えてくれる。勿論、休暇を風呂だけで終わらすつもりはないが、外へ出るという選択肢は現時刻(午後7時)とゴウン氏の境遇を考えれば窮屈なのだ。

 人類圏内において現在、領主のアインズ・ウール・ゴウンはエ・アセナルの中央城で晩餐中だ。

 今からだと、もう行ける場所は結構限られていた。新米領主が歓楽街に繰り出すのは、少し考えモノであろう……。

 カルネ村のゴウン邸でもいいが、家の外へ出る事は出来ない。

 かと言って、外で黒騎士ゼヴィエスや人馬(セントール)の戦士モニョッペとして好きに振る舞うのも、寛ぎとは少し違う風に思えた。まあ、ゴウン邸には後で行く予定だが。

 なので、今回の休暇はナザリックでノンビリしようと決めたのである。

 スパリゾートは、半月ぶりぐらいに訪れた気がする。

 ここの領域管理は麦わら帽子を被るLv.8のスケルトン、ダビド爺さんが務める。

 

「これはこれはアインズ様、良くお越しくださいました」

「うむ、今日は少しゆっくりさせてもらうぞ」

 

 今回は、三吉君にはいつも以上に、より丹念に時間を掛けてゆるりヌルリと洗ってもらうつもりだ。

 ところが、ダビド爺さんの視線が、無情にも支配者の後方へと向かう。

 

「あのぉ、後ろの階層守護者の方々もご一緒で――」

「えっ?」

 

 アインズがゆっくり振り向くとそこへ、デミウルゴスにアルベド、アウラとコキュートスにシャルティアら5名が其々風呂桶にシャンプー類の他、黄色いアヒルさんや浮き輪に紛れ、ライフル型の強力なウォーターガンを肩に下げる者まで居た……。

 

(何でココに? そして何をしに来たんだコイツらはっ!)

 

 本日、階層守護者達は休暇計画――『アインズ様と一緒(ペンドラゴン)』を緊急発動。

 男組ではデミウルゴスが、女組ではアルベドが中心となり、彼等休暇時にドコで過ごすかを検討済(38話P.S.参照)であった。それを強引に日をズラし合わせて来た模様。

 ただし本来、休暇は事前設定日に取得が原則となっている。

 そこを、アルベドは規約内に抜け道を用意していた。多忙な階層守護者、領域守護者については休暇日と取得時間をある程度調整出来るようにしていたのだっ。

 忠臣で優秀な部下を信用しているアインズが、分厚かった休暇関連資料について全て目を通していなかったのは痛い。

 

「アインズ様ぁ、御背中を流させて頂きますわ」

 

 アルベドが、両手を胸元前で合わせた姿でクネクネしている。

 どうやら此度は、ゆっくり一人きりで貸し切り風呂を楽しみ寛ぐというのは無理そうである。

 だが、この施設での肝心な決まり事がある。管理者のダビド爺さんがそれを伝える。

 

「あの、アルベド様。この施設では各浴場で、男風呂と女風呂が決まっております」

「……だから、ナニ?」

 

 上気分を害され、スケルトン爺さんを睨みつける階層守護者統括。

 今日は何とかしろ、と彼女の強く(一瞬血走った)鋭い視線が訴えて来た。

 しかし、大浴場の厳格なルールはベルリバーさんを中心にギルドメンバーで決めたもの。

 アインズも完成時に一通り全て見せてもらって以来、女風呂側へは立ち入っていない。男女で分けただけで、レイアウトは構成上の僅差で造られている。同様の構造で、反対側へ入ろうという気を低減する仕掛けだ。

 ダビドは創造主の定めたルールを守るべく、相手が統括だろうと恐れて引くことはない。

 

「至高の御方々が決めた事は守ってもらいませんと――この場から実力で退場頂きますが?」

 

 ダビドは、暗に男女混浴の露天風呂の利用を促しているだけ。少し言葉足らずなのだが。

 この領域には、口から湯を流しているが、ライオン像の特殊なアイアンゴーレムが各所に控えている。

 束になられるとギルドメンバーですら手こずる程だ。そういった補助機能もあっての発言。

 対してアルベドも『至高の御方々が決めた事』と出されては、勢いだけでの反論は難しい。

 

「ふぅーー……」

 

 息を吐いただけで言葉は無かった。

 でも、統括の表情だけは厳しくなり……いや、両肩もゴリラ化しかけ、シャルティアまで拳をポキポキとし始めて助太刀するようなそぶりだ。アウラだけは「やめなさいよ」と呆れた顔を見せているが。

 この状況を受け、ナザリックの絶対的支配者としてアインズが動く。

 

(はぁ……元の原因は俺だしなぁ)

 

 好意から慕ってくれていて、共に過ごしたいとの想いがこうさせるのだ。

 また、せっかくの休暇で、それも階層守護者達が合わせてくれているし、こんな機会はそうないだろうと考える。

 支配者は、穏やかな声を二人へ掛ける。

 

「アルベド、シャルティア。やめよ」

「はい」

「ぁ、はい」

 

 せっかくのアインズとのふれあいが、消えそうに考えて特にアルベドはしょんぼりする。

 アインズは階層守護者の皆へ次善案の声を掛ける。

 

「これより10分後――ウォーターパークなざぶーんの前に集合だ。……行っておくが水着持参必須だぞ」

「「「―――!」」」

 

 『ウォーターパークなざぶーん』は、第九階層に存在する一大アミューズメントプール施設で面積2万平米にも及ぶ。性別関係なく大いに遊べるだろう。

 アルベドとシャルティアだけでなく、アウラやデミウルゴス達も笑顔に変わり返事も揃った。

 

「「「はいっ!」」」

 

 次の瞬間、指輪を使いアルベドが消える。

 語るまでもなく、ベストの水着を選ばなければならない急務のために。

 

「あぁー、ズルいでありんすよっ」

 

 シャルティアも続いて〈転移〉。アウラの姿も速攻で消えていた……。

 

「流石は、アインズ様」

「丸ク収メル差配デ感服イタシマシタ」

「まあ、プールもたまにはいいだろう?」

「はい」

「ハッ」

 

 ダビド爺さんには「騒がせたな。また寄せてもらう」と伝え、アインズらも一度用意へ戻った。

 

 

 プール施設へ皆が再集合した時、浮き輪は巨大化しビーチボールが加わり、黄色いアヒルさんもジャンボなクジラやシャチライダーに変わっていたのは言うまでもない。

 着替えを済ませたアインズ達男性陣が先に広大なプールサイドへと立った。

 アインズは上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)で出した、全身の骸骨を覆い浮きを組み込んだ黒と紫のツートンカラーの専用ダイビングスーツ。これで水へ上手く浮かぶことも出来、泳ぐ事も可能なのだっ。

 筋肉質のデミウルゴスはブルーカラー地にハワイアンな図柄の競泳水着だ。

 一転、コキュートスは腰にパレオ調のグレー系の布を巻いて登場。

 

「水着持参必須トイウ事デシタノデ……」

 

 元々全裸である彼の最大限の努力に、御方は「気遣い苦労」と言ってやる事しかできなかった。

 

 施設は、まず広い敷地内を波と流れのある幅広い水路が大きく変化のある周回ルートで巡っており、中心部の広い島部分には波のある人工砂浜(ビーチ)までも造られている。

 また敷地端の一角には、大小のウォータースライダーの櫓が高く建てられていて水路が各所に伸びているのが見えていた。

 支配者達に遅れること3分。女性陣達が順次現れる。

 アルベドは紫のセパレートビキニで胸の所に上品なリボンがあり、豊かな胸元の谷間が強調された結構キワモノに見えた。無論、その姿を見てアインズは紳士として「アルベドよ、良く似合っているな」と褒めることを忘れず伝えている。

 

「ありがとうございます」

 

 喜びを噛みしめるように、目を瞑ったアルベドは美しかった。

 その次に静々と出て来たのは、白ビキニにハイビスカス柄のパレオ姿のシャルティアだ。

 彼女はアルベドの横へと腰に手を当て胸を張って立つ。

 しかしその胸に関して、支配者の前で見栄を張るのを止めておりパットは入れておらず盛っていない。カップでは大きく及ばないが、ありのままの姿で勝負する。

 でも、これはこれで(おもむき)があるというモノ。

 

「シャルティアも、似合っていて純真可憐に見えるな」

「ああぁ、我が君からの嬉しい御言葉っ」

 

 我が身を抱いて真祖の姫は喜んだ。

 最後にアウラが元気に駆けて登場。体操の伸身での新月面風のアクロバットをかまし、アルベド達の前へピタリと着地する。

 プールサイドを走ってはいけないが……。

 白赤青のボーダーワンピース。胸元は紺色の蝶々結びの紐綴じ仕様である。

 

「うん。アウラらしくて、可愛いな。いいぞ」

「やったー。アインズ様と一杯遊びたいので、動きやすいのを選びましたっ」

 

 まずは全員で、水路調の流れるプールで泳ぎを楽しむ。

 女性陣は自然と支配者の傍でとなるが、必然的にアルベドとシャルティアの言い合いから、アウラも巻き込んでの競争に移るのである。

 結局、彼女らの圧倒的破壊力を有するキック力により、プールの水が外へ吐き出され減って無くなり、勝負が着かないオチ。

 水が再度溜まるまで、人工砂浜(ビーチ)でビーチボールを楽しむ。

 言うまでも無く、威力があるアタックを禁止。トスやレシーブだけで楽しんだ。ただし、彼等の運動性能から終わりはないので20分程で切り上げる。

 続いて、砂彫刻を皆で競ったりもした。

 これはデミウルゴスの勝利で終わる。アウラが次点であった。

 勿論、作った課題モノは『アインズ像』だった事はいうまでもない。

 その頃には、水量が回復したので、アインズから「競争禁止な?」との御言葉に皆が頷きつつ、平和に大小のウォータースライダーを楽しんだり、泳いだりしてノンビリ過ごす。

 アウラは、プールサイドのお店で、アインズ様と並んでハンバーガーを食べることが出来て満面の笑みを浮かべていた。

 アルベドもモモンガ様と手を繋いで水中遊泳を長く楽しめた。

 シャルティアも、アインズ様とクジラライダーやシャチライダーに並んで乗って水路の水上旅を味わえていた。

 最後に――頭に付けた紙を張った標的を撃ち抜かれたら負けのウォーターガン勝負で、正々堂々4丁の銃を乱射していたコキュートスが優勝していたが……。

 

 そんな楽しいこの時間がお開きになったのは、3時間程過ぎた頃。

 終わりは突然訪れた。

 プール内で、いつの間にか同席して休暇を楽しむ()()()()()()()()()が仰向けに寛いで泳いでいるのを、アルベドが目撃した瞬間であった。ゲンゴロウならまだ救われただろうに……。

 女性陣達の絶叫的悲鳴が賑やかしくウォーターパーク内へと響いた。

 

 

 

 プール遊びを十分楽しんだアインズは単身、カルネ村のゴウン邸へと向かう。

 夕刻時の面会の際に、耳打ちしておりエンリ姉妹は午後10時を過ぎても起きて待っていた。

 村の中はもう殆どが寝静まっている時間帯。まあ、少年ンフィーレアは薬の調合に夢中で、未だ起きているだろうけれど。

 アインズはいつも通り、骸骨顔の姿で1階の居間へ現れた。

 旦那様の帰宅に、エンリ達は弾んだ声で迎える。Gのオードリーも触覚を盛んに揺らす。

 

「お帰りなさいませ、アインズ様」

「アインズさま、おかえりなさいませっ」

「アインズ様、お帰りなさいませ(ニャ)」

「うむ」

 

 この団欒の席にはキョウも居た。家族が揃っているような風景である。

 エンリは彼女から、『アインズ様の娘』との事実を聞いていた。

 アインズがいつもの木の椅子へ掛けると、ネムが所定位置と言える膝上へ乗って来る。本来なら無礼事も、ここはゴウン邸。支配者の住まいという至極プライベートな場所である。

 ネムの頭を撫でながら、笑顔のエンリと会話をしていると、ネムが寝てしまうのが定型だ。

 アインズは穏やかに寛いでいた。

 人間相手に不思議であるが、よく考えればナザリックのシステムの影響を受けておらず、組織の全貌と真の骸骨のアインズを知った上で付いて来ているのは、この2名だけなのだ。

 全く気を使わなくていい相手というのは、NPC達も含めて意外にも少ない。

 会話の内容は、もっぱら村内の話で進む。畑作業や村の砦化作業などでの、ゴブリン達とのやり取りや失敗も交えたもので楽しい。

 

「あはは。あれは、私も笑いました(ニャ)」

 

 今日は、キョウも居て共通の話題に相槌が入って賑やか。

 ンフィーレアが仕事熱心を越えた馬鹿で、食事の時間が適当で健康に悪いといつも気遣って愚痴るのもお馴染み。

 ここにはのどかで平和な日常があった。

 ただ今日は、アノ事をエンリへと支配者の口から伝えに来てもいた。

 

「王国と竜王の軍団との戦争が終わったぞ」

「はい。昼過ぎにキョウから聞きました。アインズ様が大活躍と。おめでとうございますっ」

 

 エンリは旦那様の様子から最近、勝利をほぼ疑わなくなっていた。それでもホッとする。

 大事な人が無事で良かったと。

 また戦争が終れば、王国内のカルネ村も危機を考えなくて良く、旦那様も空き時間が出来易いというもの。エンリとしても良い事尽くめである。

 しかし、彼の言葉には伝えたい続きがあった。

 

「……王国北西にエ・アセナルという大都市があるのだが、エンリは知っているか?」

「あ、はい。戦争で完全に破壊された都市ですよね? 痛ましい事です。この辺境地域と同じ様に国王様の直轄地で、エ・ランテルよりも大きくて亜人の隣国へ備える城塞都市と父から聞いた記憶がありますけど」

「実はな、そのぉ……竜王を説得する為に廃墟の都市を復活させた。それで上手く説得出来たんだが今朝、国王のランポッサIII世から、都市エ・アセナルと周辺地域を自治領としてな、私へ譲ってきた。私としては世界征服で今後も、都市支配は増えて避けられない事から、経験を蓄積する意味でも受けた形だ」

「(壊滅した大都市の復活? そして、都市の自治領主様に!? 私の旦那様が?)………」

 

 エンリの目は驚き過ぎて、激しく瞬きが続いた。

 直後、アインズは本日早朝に行われた竜王と国王代表の会談も伝えて、竜王の意向が大きく国王を動かしたようだとの予想を語った。そして、本題である。

 

「つまりな、都市領主の立場上、エ・アセナル滞在が優先され、表立ってカルネ村へ立ち寄る機会が減りそうなのだ」

「そ、そうですか。それは…………仕方の無い事かと」

 

 人口100名への回復でさえ未だ遠い辺境田舎の小村と、世界有数の大都市が同じ天秤に乗るはずがないと十分理解しエンリの口はそう語ったが、表情は凄く寂しそうにしか見えない。

 だが、そんな彼女を放っておけず、支配者は国王との密約の件を伝えてやる。

 

「この件は3年程で何とかする。先の大戦への参戦と功労で私は、国王からカルネ村周辺の帝国国境へ隣接する辺境地も自治領として割譲される事になっている。そして、間もなくナザリックはカルネ村から20キロ以内の地上へ小都市を造る基礎工事に入る。完成すればそこを本拠地とするつもりだ。まだ、この件は他言無用だがな」

「――!! はいっ。そ、それにしても、ありがとうございますっ。私達の御領主様に。嬉しい。とても嬉しいです。村長さんをはじめ村の皆も凄く喜ぶと思います」

 

 エンリの顔には大いに笑顔が戻った。偉大なる英雄アインズ・ウール・ゴウン様の正式な臣民になれるのだ。

 その喜びと間近へ希望があれば、数年ぐらい待てると。

 気が付けば、ゴウン邸での1時間半などは直ぐに過ぎ去る。

 

「もう時間か」

「……金ピカ……フカフカ………美味しそうな、ハムスケ」

 

 ネムはアインズにもたれてグッスリと夢の中。ナザリック内を探検中らしい。ハムスケは食われ掛けている模様。偶によだれが垂れているのはご愛敬。

 支配者は起きないようにそっと抱え立ち上がると、エンリへ預ける。

 その時、エンリがアインズの胸へと身体を寄せ頬擦りをして甘えた。そんな彼女の髪を、骸骨の手が優しく何度も撫でる。1分弱の抱擁。

 

「……では、いってくるぞ」

 

 旦那様の声で僅かに離れて見上げ、じっと熱く見詰めるエンリ。

 

「はい、いってらっしゃいませ」

 

 キョウが居なければ、きっとアインズへキスをねだっていた事だろう。

 アインズは可愛く想う少女の言葉へ頷くと、頼りにする自作NPCへも声を掛けた。

 

「キョウもしっかりな」

「御安心を。お任せください(ニャ)」

 

 支配者は静寂な深夜の中、ゴウン邸を後にした。

 

 

 再びナザリック地下大墳墓へと戻ったアインズ。

 一人でユッタリ楽しむスライム三昧のローマ風呂は、結局部分休暇で最後の1時間強程となる。

 三助の蒼玉の粘体(サファイア・スライム)である三吉君がよく頑張ってくれた。

 時間として充実して過ごせ、此度の休暇はスッキリと心も体もリフレッシュした感じだ。

 

「ふむ。中々楽しめた休暇だったな」

 

 今回は、マーレやルベドにプレアデス達は仕事を任せていたので共に出来なかったが、次回は機会が合えばいいなと思う絶対的支配者。

 公務へ復帰したアインズは、日課と執務を1時間程熟す。

 そうして、ナザリックから王都へ間近なはずのチーム『漆黒』へ合流すべく、マーレへと連絡を繋いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 絶対的支配者の通達

 

 

 冒険者チーム『漆黒』へ合流する前に、支配者には今夜中に片付けておくべき残件があった。

 

 『王国とは別で、私から後で竜王へ伝える事がある』と――竜王少女(ゼザリオルグ)へ告げていた件だ。

 

 今の時刻は、日付を越えた深夜の午前2時過ぎ。

 アインズは護衛要請の〈伝言(メッセージ)〉をエ・アセナルの中央城の個室に居たルベドへと繋いだ。

 

 

 さて、替え玉のアインズ達だが、偽モモンらを送り出した後、入れ替わりで到着したシズとソリュシャンを城へと迎え正式に合流していた。

 城内の者達は、ルベドやユリの美貌だけで溜息が出ていたのに、同水準の騎士長があと二人も増えた事へ驚きあるのみ。

 

「私達両名ともアインズ・ウール・ゴウン様配下の者ですわ」

「――っ!?」

 

 城門でのやり取りも、衛士長や衛兵達は絶世の美女であるソリュシャンからの言葉により以降、城内の皆の多くが平身低頭の態度となった。

 今、この自治領下で『アインズ・ウール・ゴウン様の配下』は最高の殺し文句。

 シズらが城の下層部に入ったところで姉のユリが出迎えた。

 既に影参謀として、ヘカテーも不可知化でナーベラルの傍へ加わっている為、『ゴウン様の騎士長』達はある程度自由に動ける状態へ変わっている。

 ヘカテーは操作系の上位魔法も使えるので、偽アインズ(ナーベラル)の動きや発言を彼女へスイッチすることも可能だ。

 午後6時半からは領主就任を祝っての晩餐会が開かれたけれど、上手く乗り切っている。

 因みに、ゴウン氏が王都の行事に向かうまで明日も晩餐会との事だ。貴族とはそういうもの。

 夜中を迎えたが、ユリの活躍で『令嬢メイド隊』の淫らな動きは封じており、ゴウン氏の側近である4名は交互に1名が主人の部屋へ詰めるというローテーションとなった。

 今晩の当番はユリで、城下の屋敷住まいを断ったルベドやシズ達は、とりあえず城内の客室が与えられている。

 将来的には、浴室等も備え数部屋ある区画的な『部屋』が、城内の一部改装で用意されるとの事である。

 

 そんなゴウン家騎士長級の配下、ルベド。

 彼女は明かりの消えた部屋でベッドへ横にならず、星明りの広い窓際に腰掛け、()()()()モフモフの翼の手入れをしていた。その時、思考内へ通話コールが掛かり出る。

 

『ルベドよ、聞こえるか? 今から竜王の所へ向かうが大丈夫か』

「……それなりに忙しいが、分かったっ」

 

 どうやら、〈千里眼(クレアボヤンス)〉で保護対象姉妹の寝顔鑑賞に忙しい時間帯であった様子。

 相手が竜王らだけに、護衛モードに復帰してくれるらしい。竜王妹のビルデバルドは、相当ヤバイ潜在能力を持っているとルベドも判断している。

 でも本当は――竜王姉妹を見たかった模様。趣味と実益を兼ねるお仕事は天職である。

 返事の最後に気合が入っていたのはその所為だろう。

 最上位天使の了解を受けてアインズは『城の上空で待て』と伝え、直ぐに合流した。

 

「既に、場所は捉えているけど?」

 

 エ・アセナルの上空からでも、ルベドの探知範囲を最大にすれば王都近辺までは探知出来る。

 既に竜王姉妹の反応を捕捉したらしい。

 

「では、行こう。ただし、〈転移(テレポーテーション)〉は(アーグランド評議国第三の都市)サルバレまでだ。いくら何でも、竜の里のど真ん中にいきなり乗り込まれては竜王も立場が無いからな。サルバレから徐々に近付くぞ。向こうの出方も見れるだろう」

「分かった」

「……(止めて良かった)」

 

 雰囲気から既に竜の里へ飛べるらしい。竜王姉妹の様子を早くも鑑賞していた可能性大……。

 まずはエ・アセナルから70キロ程離れたサルバレの傍へ〈上位転移〉した。そこからアインズとルベドは、北東の山岳地帯へ〈飛行(フライ)〉で向かう。

 里への接近に際しては無用な挑発と接触を避ける意味で、支配者達は〈上位認識阻害〉を展開。

 50キロ程進んだ時だ。ルベドが向こうの動きを知らせてくれる。

 

「約2キロ先で竜王が動いた。妹も一緒だ。こちらへ来る。後続はいない」

 

 広域探知していたルベドは、竜王ら以外の竜兵部隊も一応警戒していたが杞憂であった模様。

 アインズ達はこの上空で前進を停止した。

 探知情報から直前に、もう竜王達の住処の外縁へ入った認識で、防御魔法は一通り展開済だ。

 眼下数百メートルには深夜の闇の中、岩肌の崖が続く荘厳な山岳情景が広がっている。

 仮に派手な戦闘になっても、巻き込まれての死者は余り出ないだろうと確認する。

 

「この周辺に竜達以外の種族的集団(コロニー)はあるか」

「15キロ程離れた所に50近く固まった反応がある。最大でLv.35程度だけど?」

「……攻撃してくるようなら知らせろ」

 

 支配者は、頷くルベドから視線を、竜王姉妹が向かって来る方へと向けた。

 

 

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)の軍団は、人類圏のリ・エスティーゼ王国から全面撤退し里へと帰還した。

 煉獄竜の里は数キロ四方の山岳地で、平地などは殆ど無い。皆、切り立った山肌や崖に所々開く洞穴を住処としていた。

 戦いの始まりは、復活した竜王として、嘗て人間勢に殺された母や仲間達の仇を討つべしとの決断と行動であった。

 しかしその結果、里へ戻った竜軍団総数は350頭弱。

 110頭程の者が遺体さえも行方知れずとなっている現状。里内の7分の1が帰らず。

 これら全てが、一族を率いたゼザリオルグの責任である。

 

(……無様だな俺。今は責任の取りようがねぇ)

 

 最強種の竜王として、何があっても、死ぬまで堂々と我を通すのが責務である。

 だから、ゼザリオルグは頭を下げる姿も見せず謝る言葉も無い。

 

「今回の戦い、皆良く頑張ってくれたぜ。しっかり休めよ」

 

 空へ皆を集めて伝えたのは只それだけ。

 でもそれが竜王の務め。弱さを見せる事こそが、不満を生むのである。

 家族が帰らない者達も、今のところ竜王へ文句を述べる者は居ない。

 それは、竜王が内心で考えている程、煉獄竜の里の者達が卑屈ではないからだ。

 人間の都市は復活され撤退したとはいえ、周辺で千箇所にも及ぶ街や村々を焼き払い、20万人近くの民衆と8万人程の軍人ら人間を殺してきたのだ。また、200年以上ぶりに評議国の軍勢が人類圏で大規模に暴れて来た事で、新たな誇りさえ持つ者も多い。

 生き残った百竜長のノブナーガもそう考えている。

 

(我らは撤退こそしたが、人類圏へ盛大に一矢報い、加えて強大な人類戦力が潜んでいる現状を掴む功績をあげたのだ。竜王様も健在。評議国内での立場は躍進間違いない。流石は、我らが竜王様だなっ)

 

 実際、先の一大戦力規模での撤退劇は、評議国内でも色々な物議を醸す事になる。

 

 里の者達の気持ちと竜王の間に立っていたのが、妹のビルデバルドである。

 長年、竜王代行として立ち続けた彼女は、里の者の気概を若い姉よりも良く知っていた。

 故に終始、竜王然と振る舞った姉に対する、皆の求心力の低下は無いと思っている。

 一方で、姉ゼザリオルグの受けた心の傷の方がかなり心配であった。

 

(お姉ちゃんにとっては、2度目の大きな挫折……)

 

 一度目は500年前、殺戮者の八欲王に軍団ごと殺された。

 だから、純粋な激しい怒りが復活さえも促したのだ。

 でも、今回の敵は根本が違った。

 圧倒的な者であった事は同様であるが、こちらの力へ反撃したに過ぎない。

 そして、完全に滅び去ったはずの都市を蘇らせた力は、明らかに異次元といえる。

 殺戮者とは呼べない人類側の新たな存在――アインズ・ウール・ゴウン。

 撤退の際に竜眼で見えた都市には、死んだはずの人間達の姿さえあったから。

 

「……(確かに八欲王らとは別物。都市復活時に一気に費やされた魔力量は桁違いだわ)」

 

 嘗て、世界を圧倒的な(パワー)で征した八欲王達の放った、数年間における戦闘累計総魔力量さえも上回る水準なのだ。

 

 その途方もない力は、正しく神の領域。

 

 それだけでなく、巨竜のビルデバルド自身を拘束したアノ翼の意匠のある鎧を纏った配下の人間も驚異的に思う。小柄な娘の身でありながら、体格差など全く関係のない力強さを見せていた。

 はっきり言って竜人以上の存在だ。

 

(私の全開の力でさえ、あの掴まれた片手を振り解けたかどうか……)

 

 結論的に竜王の選択した撤退は正解で、現時点での人類殲滅はかなり難しいように思える。

 アインズ・ウール・ゴウンと側近らが健在である限り。

 

 だからこそ、姉のゼザリオルグは今回の件を乗り越え、誇りと自信を今のまま持つべきなのだと考えている。

 評議国にとっても、此度の煉獄の竜王の行動は多岐にわたって評価されると予想する。

 

(だからこそ……奴の語った、〝後で竜王へ伝える事がある〟という話は無視できない)

 

 ビルデバルドは警戒していた。

 竜王のゼザリオルグは「俺も休むぜ」と世話係の娘竜達へ告げ、里で最も高い山にある要塞の如き竜王の巣穴の奥へ引っ込むと、高級で模様の美麗な布の積まれた寝床へ長い首や巨体を投げ出していた。

 

「……(またも多くの者が死んで、俺は負けちまった。ちくしょう! ……)」

 

 自分はなぜオメオメ生き残って帰って来てしまったのかと、改めて考える。その訳は明確だ。

 

(アインズめ……クソっ。てめぇ、なんで俺を殺さなかったんだっ。10度も助けやがって………それって、()が欲しいんじゃなかったの?)

 

 ゼザリオルグ自身は竜王として在る限り、我を通さなければならない。これは宿命である。

 それ故に、竜王へトドメと責任を取らす事が出来るのは、唯一の勝者である仮面の魔法詠唱者のみなのだ。

 それ以外の者の前では強くあり、生きて見せねばならぬ身。

 母の死で若くして竜王を任されるも直ぐ戦死し、500年後に再び若いまま復活した彼女には、己の感情をまだ上手く制するだけの時間が与えられていなかった。

 親譲りの政治力も持つが、勢いで生きる若い世代の竜人少女には『竜王』の座は息苦しい立ち位置なのである。

 

「――!?」

「――っ!」

 

 最初に反応したのはビルデバルド。ゼザリオルグも少し遅れて高い難度の接近に気付いた。

 難度で約180程度が2体。馴染みの感覚よりも大きめ。しかし、離れた住まいに居た姉妹は同じ強い予感があった。

 

((来たか――アインズ))

 

 別件として、昨日の朝に撤退した王国内の竜軍団宿営地跡へ今頃、中央評議会からの監察官が来ているはずではある。

 ただ、里への確認にしては些か動きが早いのだ。

 竜王姉妹は、互いに無言のまま里の上空で合流すると、来訪者達の居る方角へ揃って飛翔した。

 

 

 絶対的支配者達が待つ高度1000メートルの空へと、巨体の姉妹竜の2頭は直ぐに現れた。

 視界に十分見えた段階で、アインズ達は阻害魔法を解除。

 両陣営の2名ずつが、距離50メートル程で対峙する。

 先に会話の口火を切ったのは煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)

 彼女は想いからか、一つ大きくつばを飲み込んでこちらへと単刀直入に問う。

 

「……俺に話があるって言ってたよな? なんだよ」

 

 それへアインズも、端的に答える。

 

「ハッキリ言おう。――ゼザリオルグよ、妹と共に私の軍門へ下れ」

「「「――!」」」

 

 驚きの表情を見せたのは3名。

 ルベドは直後にニヤリと嬉しそうなのに対し、竜王妹はふざけるなという怒りの顔へ。

 そして竜王自身はどうかといえば、落ち着いた顔で僅かに口許を緩ませた。

 

「おい、アインズ。……そのな、理由とかも言ってみろよ」

「理由か? 当然、お前達が危険な存在の点は大きいが、それだけでもない」

「他の理由って、俺達の仲間の遺体を多く奪い去った事にも関係あんのかよ?」

 

 竜王は、気付いた謎の答えをここでぶつけてきた。

 支配者は仮面越しにほくそ笑む。

 

「……ふっ。ほう、我々の遺体回収には気付いたか? でもまあ、違うがな。初めはお前達との交渉へ平和的に使うつもりだった。全部生き返らせた捕虜と撤退を天秤にかける感じでな」

「なっ……全部生き返らせるだと? ……だが、その時の俺では決裂してただろうな」

 

 ゼザリオルグは、八欲王との邂逅以来、人間共全てを非道な殺戮者だと考えていたから。

 史上類を見ない圧倒的な大都市復活の奇跡を実際に眼前で見るまでは、如何なる交渉も成り立たなかっただろう。

 例え100頭の同胞が蘇ったとしても、規模的にあの時ほどの心が揺さぶられた衝撃(インパクト)はなかったはずだと。

 アインズが口を開き、静かに深く問い掛ける。

 

「私は、常々恩には恩で返すのが信条だ。それに対して、お前達の側はどうだったかな?」

 

 言葉の最後の頃には、周囲の空気の温度が一気に下がるような、冷ややかな気持ちが込められていた。

 

「くっ」

 

 竜王達は直ぐに思い出した。昨晩対峙していた裏で、アインズの仲間が竜軍団の南進部隊に重傷を負わされたという話の事を。

 南進部隊は恐らく全滅したが、それでつり合う話でもないという事態に。

 アインズが『里の者全員の命』いや……『評議国の滅亡』を望んでも不思議ではないのだ。

 絶対的支配者は最終的選択を告げる。

 

「さっきの話、眼下に居るだろう故郷の者達はどちらでも構わない。が、断れば分かるな?」

 

 有無を言わせない、実に厳しい要求である。

 この重い問いかけに、世界最強種の最高位戦士であるビルデバルドの巨体は震えが来ていた。

 バカなとは思うが、都市復活の超魔法と配下の実力を考えれば、勝敗は見えている――。

 百年単位で時間が有れば、国を挙げて対策出来るかもしれないが、昨日今日ではどうにもならないだろう。

 この緊迫した空気の中で、ゼザリオルグが絶対的支配者へ一言だけ尋ねる。

 

 

 

「強者のアインズよ、問おう。俺……私達が欲しいですか?」

 

 

 

(お、お姉ちゃん?)

 

 ビルデバルドは慌てるように竜王の姿へと目を向けた。

 その時、仮面の魔法詠唱者の顔が一回だけ頷く。

 妹の視線の先にある姉ゼザリオルグの表情には、少しホッとした安堵感が浮かんでいた。

 

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグ=カーマイダリスと、ビルデバルド=カーマイダリスがナザリック地上部隊へ加わった!

 

 決まった瞬間、ルベドが両拳を天に突きあげて喜びを盛大に表していた。

 この戦争の真の勝者は某天使様だったのかもしれない……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 待ち続ける戦い

 

 

 王都リ・エスティーゼの南東部、高級住宅街の一角に建つ洋館、ゴウン屋敷。

 街中でも閑静な地域の50メートル四方程の土地に、小さいが林もあるかなり立派な3階建てのお屋敷には、4人の娘達が残っていた。

 黒紅色のメイド服姿のリッセンバッハ三姉妹と、ナザリック一般メイド姿のツアレだ。

 ここで屋敷を任されたのは三姉妹の長女メイベラ・リッセンバッハ。

 年長はツアレとなるが、彼女は王城側の要員。

 慣れた者に任せるのは自然な流れ。

 無論、これらを指示したのは彼女達のご主人であるアインズ様だ。故にメイド達4人の関係は良好であった。

 『王都内への所用』と称し、メイド長のユリを始め、主人達が屋敷を離れて早4日目。

 3日前には王国総軍と竜王の軍団が開戦したと伝え聞く中、メイド達は変わらず励む。

 ツアレは主に広い庭周りを担当している。王城では機会がないという面も()まれてのこと。

 今は屋敷表側の植栽の手入れをしているところだ。

 

「ふう。ふふ、綺麗に出来たわ。……なんて平和なのかしら」

 

 王都の夏の午前の突き抜ける様な青い空の(もと)、麦わら帽子を被り額の小汗を手布で拭う。

 作業は多いが、自分も共に暮らすご主人様の屋敷の手入れは楽しくさえある。

 先月の今頃はまだ、己の尊厳さえ持てない娼館での酷い下層の境遇であった。それが今は嘘のように幸福な毎日である。

 すると、屋敷裏の使用人口からツインテールを揺らして元気に表までキャロルが駆けて来た。

 使用人達は、基本的に屋敷の正面玄関を利用しないのが常識。点検時とご主人や客人の送迎時に限られた。

 

「調子はどうかなっ……うわぁ、凄く植栽の手入れが上手いですね、ツアレさん。流石ですっ」

 

 末っ子の少女は小言の多い長女より、いつも優しいツアレを慕っていた。

 

「まあ土弄りは、ね」

 

 ツアレは13歳まで叔母夫婦の農家にて、朝から晩まで大いに働かされており慣れていた。

 植栽関連にも天性の才がある様子。

 盛大に褒められ、ツアレの笑顔の表情に少し照れも混じる。こうして年下の3名と居ると、生き別れた妹イリーニャの事を思い出し少し悲しくもなるが癒されてもいた。

 気持ち的にも身体的にも穏やかな日常である。

 ただ、屋敷を離れている方々の事は大いに気になる。特にご主人(アインズ)様については。

 屋敷の手入れは、御帰りの時に粗相があってはと気合も入るが、休憩時になると終始、仮面のお姿や金髪のお顔を思い出し、桃色で染まる両頬に手を当てて考える事が多い。

 

(王都内へのご所用との事だけれど……きっと別の場所。今頃は、王国がこの厳しい戦争を乗り越える為に、戦地のどこかで大役を務めておられるはず。御戻りになるまで、私ももっと頑張らないとっ)

 

 そうして、ツアレは我に返り、手伝ってくれるキャロルと共に庭仕事へと精を出す。

 

 

 腰程まで一本長く伸びる黒赤毛の三つ編み髪と眼鏡顔が印象深い次女のマーリンは、市場(いちば)へと買い出しに向かっている際中。

 王都は戦場から離れているが開戦以降、1日遅れ程度で経過情報が届いていた。

 

 しかし、続々と届けられる戦況は多くが最悪である。

 

 王国総軍の東西南北の各戦線では、竜兵部隊の猛攻に只々耐えているという現状。アダマンタイト級の『蒼の薔薇』が竜王隊を押さえ、『朱の雫』が竜兵を数頭討ち取っている話が市民達を沸かせるぐらい。

 戦死者は早くも2万人を超えていると言う情報も流れ、王都民は誰もが暗く影の落ちたような表情で居た。

 300頭もの竜の軍団を相手に、人類はやはり何も出来ず終わるのではと。

 でも、高級住宅街から続く石畳の道を進むマーリンの表情は、少し違った。

 

(皆、怯えたような暗い顔。私達姉妹も、今のお屋敷に入った初日はきっとこんな顔だったのね)

 

 今の彼女の顔は、どうだろうか。

 

(私達のご主人であるアインズ様は竜軍団の侵攻を聞いても、初めから何一つ怯えておられなかった。大丈夫……私はあの方を信じているもの)

 

 何が強くそう想わせるのか、マーリンは気付いている。

 紳士で英雄的(あるじ)への敬愛からだ。

 隷属的最下層へ落ちたも同然であった自分や姉妹達の生活面だけでなく、さりげなく両親へまでも目を向けてくれている彼の偉大な優しさ。

 リッセンバッハ一家が強く憎みつつも手の届かない貴族、フューリス男爵へも対抗出来るというアインズ様の強い姿勢へ、乙女的憧れの感情が湧くのも無理からぬ事。

 マーリンが市場へ入ると、何人かの視線が彼女へ向かう。

 それは露店の女将(おかみ)さんや一般市民の女性達に、他の家の小間使いであったりと男性だけに留まらない。

 女性達の視線も鋭い。男達の気付かないところを見抜いている。髪の色艶に毛先の乱れや、指先の荒れ具合等から、食料事情までもが見えて来る。

 野菜を売る店の女は、籠を手にした姿で店先を過ぎたマーリンの姿に、思わず自身の服装の擦り切れて当て布をした袖や襟を見てしまう。

 

(確か、ゴウンさんという家で働いてるって娘よね。お姉さんも見た事あるけど、いつも凛として身形がいいのよね。この子もそう……)

 

 マーリンと姉のメイベラは、近場のこの市場で美人姉妹として有名になりつつある。

 どんどん物価が上がる状況でも、いつも顔色を変えずに買い物をしていくという面も含めてだ。

 流石に価格が以前の3倍を超えて来ると、諦めるか安い代替え食材へ目が行くのは一般的な行動である。しかしゴウン家の使いは、安いからという理由では代替え食材を買わなかった。

 物価が上がっても、収入も合わせて上がれば問題は小さく済むが、この御時世の王国で民衆側の急激な経済成長が起こるはずもない。

 だから、本当に多くの者が羨む。

 

(はぁぁ。お金持ちの家は本当に羨ましいわ)

(でも、どこも採用水準が厳しいのよね)

 

 姉のメイベラとマーリンを見た者らは、それが『仕えている家の基準』と当然考える。だからなのか、彼女達にゴウン家への雇用の嘆願は未だに無い。

 まあ、その逆はあるが……。

 

「あの、少しよろしいですか?」

 

 マーリンは一人の紳士に声を掛けられた。ブラウン調で良い身形を固める紳士だ。

 この市場へと貴族達自身はそれ程来ないが、家令補佐や商人達は足を運ぶ。そして、他家の情報も含めての勧誘や引き抜き工作の他、人手不足の穴埋めも行なう。

 中には、掘り出し物を狙っての場合もある。

 この貴族家の家令を補佐する男は、偶々この地へ足を運んでいたが驚いた。

 

(立ち姿や歩き方からまだ日は浅いようだが、美しい。どこの名家だ? 綺麗な顔立ちもあるが、各家のメイド長などの指導力がかなり出るものだ)

 

 対するメイド少女は戸惑いがちで返す。最近、姉がフューリス男爵に捕まり掛けたからだ。

 一応彼女の知らないところで、『八本指』の警備部門からの護衛は付いて来ている。

 

「あのぉ、なにか?」

「失礼。街中で見た随分素晴らしい歩き方に、思わず声を掛けてしまって。率直に申し上げます。貴方は今、お仕えしてる家に不満はありませんか? よろしければ当家、グレビユール子爵家へ仕えてみませんか? 今の待遇面を聞かせて貰えれば、それより多い金額を家令殿へ掛け合いましょう」

 

 余り聞かない、とんでもない話である。子爵家の小間使いへの誘いであった。

 普通は採用に家柄なども調査しての動きとなる。

 だが彼が急ぐ理由は、戦争で一時的に王都へ来ていて、もうじき主人の領地へと戻る為である。千歳一隅とみての行動。

 この時、市場の通りには小間使いの娘達が他にも多く歩いていたが、全員が足を止めた。

 男爵家から用事を言い付けられてやって来た使用人の少女も含めてだ。

 露店や一般市民達も含め、皆が注目した。

 子爵家が男爵よりも地位が高いのは、多くの者達の常識である。なればこそ、採用基準は遥かに厳しい。仕えれれば、より裕福で待遇も当然上がる。

 周囲の小間使いの娘らは一歩、二歩と売り込む様に踏み寄るが、紳士は大して興味を示さない。

 目の前に立つ眼鏡少女と、明らかに(たたず)まいから違うとして。指先の手入れも毎日怠らない彼女の繊細ささえ、彼は全て見ていた。

 そんな紳士へマーリンは伝える。

 

「あの、大変に失礼とは思いますが。この件は御容赦ください」

「「「え゛?」」」

 

 紳士だけでなく、周りの者達からさえ驚きの声が漏れた。家令補佐の彼はまさか断られるとは考えておらず、思わず右手を頭に当てた。だが直ぐに今一度声を掛ける。

 

「落ち着いてくれたまえ。よく考えて欲しい。この話は、決して悪い話ではない。子爵様の御令嬢の小間使いがまだ必要でとの話なのだ」

 

 紳士の誠実そうな雰囲気に、周りの者の方が良い話だわぁとウンウン頷いている。

 でも。

 まず、貴族家と言う時点でマーリンには嫌悪感しかない。更に――今の彼女は終身配属の身であり、給金は貰っていないのだ。そんな待遇面など他者へ伝えられるはずがない。

 

 第一に、そんな今の待遇面で()()()()()()()のだから。

 

 良質の食事は食べ放題で3食の上に、三姉妹で仲良く綺麗な御屋敷への住み込み暮らし。買い出しの時には妹のキャロルも連れて散歩も出来、ご主人様からは観光や洋服さえ頂ける境遇。

 何よりも男爵へ睨まれた父母へまで、手を差し伸べて下さる立派なご主人様は最高なのである。

 だから、ゴウン家のメイド、マーリン・リッセンバッハは堂々と伝える。

 

「申し訳ありません。私はお仕えするご主人様を変えるつもりはございませんので」

 

 少女の、正面から見て来る強い視線を受けた子爵家家令補佐の紳士は悟る。

 

「(仕える主人を決めた者の忠誠を覆すのは、難しい)……そうですか」

 

 本人じゃないところの周囲からは、盛大に溜息が漏れる。一般人にすれば富クジが当たったようなものだったのだ。

 彼は、尋ねる。

 

「差し障りなければ、聞かせて欲しい。貴方の仕える家の(あるじ)様の御名(おんな)を」

 

 マーリンは自信を持って誇らしく語る。

 

「当家の主の名はアインズ・ウール・ゴウン様と申します」

「おぉ、ゴウン様……王家の客人の方か」

 

 紳士は納得したように、小さく数度頷いている。

 

「はい」

 

 答えたマーリンだが内心で驚く。子爵家の配下の者まで知っている名という事実に。

 それは嬉しい驚きであった。

 マーリンと紳士はそこで別れた。彼は手を一度軽く上げて去って行き、マーリンもお辞儀をして場を離れる。

 市場内には新たな『忠義の小間使い』との伝説だけが残った。

 後年、この通りは名をマーリン・リッセンバッハ通りと名を変える。

 『忠義の小間使いは出世する』との格言と共に――。

 

 そんな事など知るはずもないマーリンは、今日も買い出しに勤しむ。

 

 

 

 買い出しから帰ったマーリンを加え、メイベラを中心にツアレとキャロルら4人で仲良く昼食の用意。

 サラダと焼き魚にきのこのソテーを全員分並べ、あとパンも沢山焼き上げた。

 1階の調理室奥にあるテーブルを4人で囲み、そして食事前に皆で願う。

 

「「「アインズ様達が何卒無事で戻りますように」」」

 

 1日3回。皆が真剣に、共に待ち続けている想いを重ねる時間。

 

「………では、感謝して頂きましょう」

 

 メイベラの音頭で昼食が始まる。

 時折合間に交わす会話の中で、三姉妹とツアレに笑いが起こる。

 午前中、庭へ迷い込んだ猫が涼しい木陰でずっと寝ていたが、仕事の合間にキャロルが足下のバケツを蹴っ飛ばし、その音に驚いて落ちそうになった話等々。

 残念ながら、彼女達は人殺しの武器を握って主の為に勇ましく戦場では戦えない。

 この4人のメイド達の武器は、時に麺棒や包丁であり、時に箒やバケツとタワシにデッキブラシなのだ。

 そして待ち受ける戦場は、今日も後方のこのゴウン屋敷。ここを管理し守る事なのである。

 

 

 ご主人様の絶対的支配者(アインズ)はそれを望んでいるし、現状に十分満足していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 逃走騎士の選択

 

 

 帝国四騎士の紅一点、レイナース・ロックブルズは、深夜の戦場で懸命に単騎を走らせる。

 とはいえ周りは真っ暗闇というわけでもない。

 戦場と成っている背中側の北の空や周りの空には、距離があるものの竜達の吐く火炎の明かりが多数灯る。視界は瓦礫が多い都市廃虚内よりもスッキリし良好といえるだろう。

 彼女の馬が駆ける位置から、少し離れた右手側に旧エ・アセナルの半壊した外周壁が続く。前方と左側には灰で覆われた荒野の如き麦畑跡が、その先に見える王国兵へ襲い掛かる(ドラゴン)達の無慈悲さをかき立てる如く漠然と広がる。

 レイナースは、北方面に展開している帝国遠征軍側へ行かず、都市外周を時計回りで別方向へ向かっていた。

 

 彼女は逃げたのだ。

 

 ただ此度、元冒険者アンデッド達の襲撃に因る窮地は、ジルクニフとの『自分の身を優先する』契約に反しないと判断している。

 その証拠に、今回の彼女の逃亡を目撃して生き残り、非難し訴える者は皆無であった。

 〝重爆〟の通称を持つ彼女。戦場で嘘を吐くつもりはない。

 今の彼女は帝国四騎士を辞めた訳でもなく、遠征最大の個人目的へひたすらに邁進(まいしん)していた。

 

(私一人なら、竜やアンデッドから十分逃げ切れる。生き延びて『巨大な爆雲』を起こした魔法使いに絶対会うのよ)

 

 軍馬を全力疾走の襲歩で3分も走らせれば4キロ程は進む。追手は見えない事から、レイナースは馬足を緩め馬上て一息つく。

 

「ふう。さて、どうしようかしら」

 

 アンデッド達を振り切ったが、周辺は平らな戦場で身を潜めておける様な場所は見当たらず。

 気が付けば程なく、崩れ落ちた旧エ・アセナルの南東門周りに差し掛かる。

 

(……今は、この中に潜むしかなのかもね)

 

 結局再度、都市廃虚内へ一時的に潜む事にした。

 崩れ切った外周壁の合間から潜入。〈生命隠し(コンシール・ライフ)〉の巻物(スクロール)を使って、レイナースは南東門にほど近い半壊した石造りの商会建屋へ上手く籠り続けた。

 そうして都市エ・アセナルが復活を始めるのは直ぐのことである。

 

「こ、これは? 何が起こってるのよ?!」

 

 肝の据わった流石の彼女も、周囲の激変には動揺するのみ。

 周囲の輝きは瓦礫や灰にまで広がり、それが嘗ての物の形を取り戻してゆく。そんな、信じられない光景をレイナースは目の当たりにした。

 2時間近く過ぎた頃になると都市内は、埋め尽くされていた廃墟全てが中央城を筆頭に以前の街並みを確実に取り戻したかに見える。

 

「………(夢でないのが不思議なくらいね。本来絶対に有り得ないわ。いえ……だからこそ)」

 

 大都市復活の奇跡に、レイナースは確信する。

 

(ああっ。これ程の大魔法を使える人物っ。必ずや、私の忌々しい呪いは解呪されるわ)

 

 最早、疑う余地は微塵も無かった。

 因みに、廃墟内のアンデッド討伐へ動いていたアインズとルベドに会わなかったのは、ルベドが生者を無視したからである。

 低位の〈生命隠し(コンシール・ライフ)〉程度では、レイナースの抑えた難度70程の反応まで消す事は無理。幸い、近くまで来たアンデッド達で周辺探知出来る者がいなかったのは幸運と言えよう。

 また、いつからかアンデッド達は全く現れなくなる。

 更に時間が過ぎ、籠っていた商会の建物が元に戻ると、次に住人や店の者が蘇り始めた。

 骨が朽ちた灰からも、人間は復活出来るのだと初めて知り、レイナースは驚きを隠せない。

 

(一体、どうなってるのよ、これ……)

 

 彼等が目を覚ます前に、彼女は軍馬を連れてそこを離れた。通りはどこも歓喜に(むせ)ぶ人々で溢れる。無理もないなと彼女も感じた。

 こうしてレイナースは、生まれ変わった大都市エ・アセナルで日の出を迎える。

 

 都市復活が完了したのか、元通りとなった巨大な南東門が開いてゆく。

 再び現世と繋がったような感覚。

 外には少数ながら、開門をじっと持っていた民兵や冒険者がいて、故郷である滅びたはずの都市へ笑顔で帰って来る。

 街の住人達は、嘗ての役割を再び熟し始めた事で、門へも衛兵が守備に就いていた。

 それどころか、壊滅直前の場面で竜王軍団に備えていた為、外周壁を始めとして都市内は4万にも及ぶ多くの民兵で溢れる。

 バハルス帝国からの他所者には、地味に動き辛い状況。

 帝国四騎士の装備が、一般の帝国騎士と全く異なっていたのは都合が良かった。

 

(助かったわ。でも、目立つ行動には注意しないと)

 

 鎧が皇帝から賜った特注品で良かったと感じたのは、この時が初めてだと女騎士は思う。

 〝重爆〟として腕に覚えはあるレイナースも、王国兵達のど真ん中を帝国騎士の姿で歩くほど自信家でもない。

 一応用心と、既に軍馬へ結わえていたローブを纏い、頭にもフードを浅く被っている。

 彼女は午前3時前頃から馬を引き、徒歩で情報を求めて道を巡っていた。この都市を復活させた人物は誰なのかを知るために。

 でも、都市内各所の街を回り、周囲の者達が口にする内容に耳を傾けるも、結局分からず。

 それが判明したのは午前6時前。街の大通りの両脇に人垣が出来て歓迎する中を進む騎馬隊と馬車の一団を、民衆へ紛れるレイナースがそっとフード越しに見た時であった。

 

「国王様や御貴族様達の馬車の後ろ。この大都市の救世主様が、アノ馬車に乗っているらしい。名をゴウン様と聞いたぞ」

「ああ、私達の命の恩人様がいらっしゃった」

「「救世主様、万歳ーーーっ!」」

「「「万歳ーーーっ!」」」」

 

 都市住民だけでなく、通りを警戒する民兵達までもが盛大なノリを見せた。

 

「ゴウン? 全く知らない名だわ……」

 

 レイナースは目を細めつつ首を傾げる。バジウッドがここに居れば、アインズ・ウール・ゴウンと直ぐに気付いただろう。超極秘に調査が進んでいた事もあり、四騎士内でも離脱要素の高い彼女へは知らされていなかった……。

 でも、彼女にすれば何者でも構わない。それより気になるのが。

 

(でも何よ、この熱狂的な人気ぶりは?)

 

 この大通りに限らず、大都市内全域で『救世主様、万歳!』の声が広くこだましている風に感じる。

 帝国の皇帝ジルクニフの人気は一部では高いが、()の人は恐怖と合理性でも他者を縛るのだ。

 それに、人への信望は普通、多くの者が心の底に沈めているもの。

 ここまでの規模で、表面上に出ている様子は彼女も初めてと言っていい。他所者からすればこの光景は異様に見えた。恐怖すら覚える程に。

 でも、都市復活自体が異例で超常なのだ。

 それに比べれば、目の前の光景も小さい出来事に思える不思議――。

 

 レイナースは、遂に『都市復活』と『巨大な爆雲』を起こした魔法使い、ゴウン氏へのアプローチを考える。

 

(前を進む貴族達に比べて、一段落ちる馬車からして上位冒険者あたりかしら)

 

 当然ながら、交渉の基本はまずお金となる。

 これまでは金貨5000枚程度から交渉を始めていた。

 厳しいが皇帝ジルクニフに頼み、旧貴族のロックブルズ家の屋敷など残資産を全て整理すれば、上限として金貨で10万枚近くまでなら出せるだろう。

 一介の冒険者や平民には目も眩むばかりの金額と言える。

 ただし、欲深い下賤な術者達からの金額提示に交渉が思い通り行かない事や、奇異な要望を出して来た者達も過去に多く経験している彼女。

 今回の相手は果たしてどうなのか。

 民衆達の口から、救世主の人物は仮面を付けている大柄の男性と聞く。

 

(女ならば色仕掛けが効きにくそうだったけど、男ならば更に私に有利ね)

 

 レイナースの瞳が怪しく光る。

 此度の重大な目的の達成に手段を選ぶつもりは無い。出来る事なら殺人も含めて何でもするし、使えるものなら全資産や己の身体さえも賭けるつもりである。

 それ程までに顔面の醜い呪いは、日々忌々しく鬱陶しいモノなのだっ。

 だからこそ、既に彼女の精神の一部は悲しいかな、壊れていた……。

 無論、報酬は解呪を実施した度合と、成功した場合のみに限っている。

 そして、今まで解呪を実施した者すらゼロ。

 なぜなら、当初自信と大口を叩いていた解呪者達は、いずれも実際に爛れた右側の顔へ手を近付けようとした途端に見えるらしい。

 

 ――強大な呪い全ての影が。

 

 並みの者では解呪を始めようとした瞬間に即死するらしく、上位者でも解呪まで肉体と精神が耐え切れないという。

 多くの解呪者らが「無理だ」と土下座をし、全員が彼女の前から去って行った。

 散々イヤラシイ要望と視線を向けて来ていたオヤジ臭の漂う者らさえ、恐怖に涙を流して退散する程。

 ある意味、悪い虫避けの効果があったやもしれない。

 

 レイナースは、まずオーソドックスにゴウン氏が中央城から出た後、貴族らと別れこの都市を離れる辺りでの第一接触を考えていた。

 数日かそれ以上要するかもしれないが、今日の内に実現する可能性もあり期待していた。

 ところが、である。

 

「ええっ? 一体全体どういうことなの?」

 

 午前10時頃に、レイナースはゴウン氏が、この大都市エ・アセナルの新領主になった事実を朝食と休憩に立ち寄った飲食店内で聞き及ぶ。

 都市を復活させたからと言っても、ヴァイセルフ王家の直轄領である重要なこの都市を国王のランポッサIII世が手放すとは思えなかったからだ。

 どう考えても、割に合わない話でしかない。

 普通は高額の報奨金か恒久的な配当金、最良でも特例中の特例で男爵への叙爵がいい所だろう。

 更に昼を迎える頃、街中を巡りゴウン氏に関して詳しい内容を知り仰天するレイナース。

 

「一介の旅の魔法詠唱者風情が、いきなり自治都市領主!? ……余りにも破格過ぎるけれど。竜王の撤退時の要望を汲む必要は確かにあるわね……」

 

 元々、エ・アセナルは竜王に一度滅ぼされた都市であり、絶望的な戦争が終わるなら国王も飲まざるを得ない部分は感じる。

 あと、強大な戦力であるゴウン氏がこの地を治める事は、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)軍団だけでなくアーグランド評議国に対してさえ、人類圏全ての大きな防波堤になりえるのだ。

 帝国にとっても無関係ではない話である。

 ただ、レイナースにすれば、割とどうでも良かった。問題なのは、交渉相手が旅の魔法詠唱者のはずが、ナゼか一気に自治都市領主となってしまった事につきる。

 エ・アセナルは以前の周辺人口が85万を有する大都市であり、小国家に十分値する規模。

 レイナースが帝国四騎士の一人の身分を隠して、お手軽に会える人物ではなくなったのだ。

 つまり、現状では彼女の身分を出し辛い上に、交渉金額も金貨10万枚でさえどうかという地位の者へ変わったと見るべき。

 

(はぁ。これは、マズイわね。……どうすればいいのかしら)

 

 聞けば、ゴウン氏は都市中心部の高台へ聳える、高い塔状の見事な中央城を居城にするとの事。

 目と鼻の先に接触すべき解呪者が居るのに、容易には会えないのだ。

 彼女の心の内には、もどかしい気持ちだけが募る。

 バハルス帝国を代表する帝国四騎士の一員として、若いながらもレイナースはまだ立場を弁えていた。

 城内へ乱入するという手は最後の手段として取ってあった。

 現在、帝国軍は王国内に居ないはずの存在。なのに、帝国八騎士団将軍と同格の最強騎士が、王国の北西の端へぶらりと現れるというのも実に変な話となる。

 かと言って、一介の騎士が会いに行っても『門前払い』は目に見えている。

 無理を通すなら『帝国の使者』と偽って会う手も考えるが、可能ならば人払いをした一室で面会する必要がある。

 使者で赴けば、警護や補佐なども居る『謁見の間』にての面会になってしまう。それでは事は上手く運べない上に、領主就任の祝いの口上ぐらいしか述べる話がなく、その場で窮する失態を披露するだけであろう。それが、交渉のきっかけになればまだ浮かばれるが、つまみ出されれば、目も当てられない。

 もういっそ堂々と派手に乗り込んで、洗いざらい直談判の方が気分スッキリとなる気もする。

 困り果てた彼女は、一体何を選ぶのか。

 

 

 レイナースは――――考えを一転し、民間組織を利用する事にした。

 

 

 軍人の自身のみでの解決は困難と、冷静で素直に判断。

 旧帝国貴族のロックブルズ家は、王国の大商人達とも取引をしていた。この大都市エ・アセナルにも幾つか存在する。

 要は、領主のゴウン氏へ書簡を使ってアポイントメントが取れればよいのだ。

 大商人の店を訪れた時、レイナースは意外にも鎧を纏っていなかった。

 その長いストレートの金髪が揺れる姿は実に可憐。

 白いブラウスに青い紐リボンと、ふくらはぎ辺りまである青緑地に裾へ白いフリルも有るミディスカート風の衣装。腕と足には銀調のガントレットや膝当てのある鎧調のブーツ。踵には羽根の装飾も付く。ただし、顔は前髪の他、頭に周りのつばが大きく垂れ気味の麦わら帽子(ストローハット)で右側は良く見えない。

 しかし垣間見える左側の顔は、間違いなく一際端麗であった。

 到底誰も、帝国最強の四騎士の一人とは気付かなかった……。

 ロックブルズでも分家だったという事にし、名もイーネス・ロックブルズと偽名を名乗った。

 レイナースの作戦の概要は以下。

 新領主へ面会したい依頼主は、()()()()()に悩む旧帝国貴族家の若き御令嬢である。

 魔法は非常に難解で、これまで如何なる魔法使いも手に負えなかった難物だとゴウン氏へ書簡で伝える。彼の持つ大きな自信へ挑戦するかの如くだ。

 同時に、だからこそ天下随一の魔法詠唱者であられるご領主様の力をお借りしたいと嘆願。

 お礼は可能な限りさせて頂く旨も添えた内容で、都市内でも有力な商人の口添え書きも付けて中央城へと届けさせた。

 それが、午後4時頃の事である。

 あとは辛抱強く、持つしかない。

 帝国四騎士とはいえ、大きな権力者の独立自治領主を相手に出来る事はかなり限られるのだ。

 それも今日、就任して多忙を極めるだろう相手である。

 レイナースは、面会には早くても優に1週間掛かるとみている。

 でもそれは、帝国遠征軍とは明確に当面離れる事を意味していた。

 ジルクニフとの契約だが、広い意味で『自分の身を優先する』という内容に齟齬は無い。

 

 彼女の下へ返事が届いたのは、驚きの翌朝であった。

 内容は――『空き時間が少なく、可能なら本日午後2時半に中央城までこられたし』――であった。

 

「ああっ、遂にやったわ!」

 

 苦肉の策が当たったレイナースは、高級宿屋の一室で大いに歓喜したっ。

 

 

 午後の昼下がり。

 乙女姿の彼女は、午後2時半より早く着く様に、中央城の城門へと高級宿屋の部屋を出た。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. アルシェ、『双子の妹達のため』に行動する/『フォーサイト』の旅

 

 

 『フォーサイト』達がバハルス帝国の帝都アーウィンタールを出発したのは、竜軍団と王国総軍が開戦した翌朝午前中の事。

 アルシェ宅を襲撃した、カルサナス都市国家連合所属のワーカーチームを成敗した後、直ぐだ。

 アルシェの小さな白い家で、メイド少女とクーデリカとウレイリカを加えた6名で荷を乗せた馬車に乗り込んだ。御者をヘッケラン、イミーナ、ロバーデイク3名のローテーションで努める。

 基本、メイド少女がクーデリカとウレイリカを見るがイミーナが馬車室内に居る時は、双子は交代でイミーナに甘えた。

 懐かれているイミ―ナもアルシェの妹達を良く可愛いがった。

 一応は逃亡旅であり、帝都からエ・ランテルまでの約250キロを急ぎ気味に4日間で走破。

 

 その間、メイド少女の()()は幸せであった。

 主人のアルシェが実家と対立し、資金に余裕の無かった事で、アルシェ宅に居た時も食事で大した物は食べられなかったが、この旅では宿屋や食事処で多少贅沢な生活をする事が出来た。

 今回の旅の費用は全部ヘッケラン達3名が持ったからだ。

 まあそもそも、アルシェ宅を襲撃したワーカーチームから巻き上げた金貨も多くあり、被害者のメイド少女が多少贅沢をしても賠償金の一部の様なもので正当と言える。

 クーデリカとウレイリカの双子は、ヘッケランに対して良く泣いたが、意外にも優し気なロバーデイクには懐いた。

 それは、メイド少女とロバーデイクが少しいい雰囲気だった事も影響したかもしれない。

 馬車が揺れてクーデリカが床へ落ちそうになり、慌てて二人が抱き合う様に救ったり、夜に着いた街で馬車を降りたメイド少女が冒険者風の男に言い寄られた時に、ロバーデイクが間へ入って睨みを効かせてくれたり等々……。

 6名の乗った馬車は、ヘッケラン達が後方へ常に気を配っていたが、幸い追手に付かれる事無く帝国国境を無事に越えた。

 やはり伯爵側は、屋敷の崩れた部分の対応やあの奇怪な一角とそこへ残っていた娘達を優先し、クーデリカとウレイリカが居た事や『フォーサイト』の存在にも気付いていないか手が回らないと思われる。

 国境を越えた事で一行は結構楽になった。

 帝国貴族の私兵部隊は、集団で王国内を気軽に探せない。なにせ両国は戦争をしている間柄なのだから、あっという間に別の形で大事になるからだ。

 そうして一行は、大街道から少し外れ、北の畦道を通って城塞都市エ・ランテルを一度やり過ごし、無事に西側の大街道から()西()()へと正午前に辿り着いた。

 

 さて、帝都からここまでの道程で街の入出門時に検問がある場合、男2名女2名幼子2名の当一行の行動理由として挙げていたのが、『夫人護衛』である。

 イミ―ナには夫人役として一時的に金髪のウィッグと長い耳を帽子で隠し上品な女性服を着て貰い、メイド少女の()()は小間使いとして、娘役にクーデリカとウレイリカの布陣。

 それをヘッケランとロバーデイクが護衛するという感じだ。

 ここまではそれで上手くいった。

 ただ、このエ・ランテルからはイミ―ナも護衛役に転向する。

 それは、現実に近付けておく方が、合流するアルシェと共に動きやすい為である。

 槍を持った門の衛兵が、馬車の扉を開けさせて中の5名と御者席に座るヘッケランを一通り確認する。そして問い掛けて来た。

 

「エ・ランテルへは用向きはなんだ?」

 

 すると、穏やかな声のロバーデイクが答える。

 

「知り合いから頼まれた姉妹達を会せに来たのですが」

「……どこから来た?」

()()()()()()近郊の街クレーグからです」

「滞在日数は?」

「知り合いが遅れて来るかもしれないので1週間前後かと」

「……そうか」

 

 魔法詠唱者が馬車からの魔力反応を確認しているが、首を横に振り大した反応はないと表現。

 それを見て衛兵が告げる。

 

「よし、通っていいぞ」

「ありがとうございます」

 

 ロバーデイクではなく向かいに座る美人のイミ―ナが、普段見せない様な優しい態度で衛兵へ声を掛けつつ扉を閉めると、ヘッケランが馬車を進ませた。

 因みにクレーグは存在する街だ。その程度は、帝国内の酒場で行商人に一杯奢って聞けば手軽に入手可能な情報である。

 都市内の通りへ馬車を進めたヘッケラン達は、まずノンビリと昼食を取るべく動いた。

 

 

 

 ここ最近の2週間、エ・ランテルの治安が悪くなっていた。

 それは、竜の軍団との大戦で、主な冒険者達が3週間程前に出陣した事に加え、その後に出征したエ・ランテルの兵と共に傭兵団も当然全て出払った状態になっているのが原因だ。

 都市内外の治安維持に残っているのは一般兵達だけで、難度18以下の(アイアン)級と(カッパー)級冒険者達は、都市周辺の怪物(モンスター)掃討に追われていた……。

 その治安を乱している連中は、スラム街を中心に蔓延(はびこ)る。

 竜達との闘いを恐れて逃げた連中と、今の手薄な機に荒稼ぎしようと考えたクズ共であった。

 中には、難度で50程と腕の立つ者達も若干残る。

 都市長のパナソレイは、この国家存亡の総力戦争期間に治安を凶悪に乱す連中だけは絶対に許せないと考えており、戦後に戦力が整ったところで一斉捕縛作戦を計画している程だ。

 

「ふむー。れんちゅうはぜったいにゆるさないぞ。ぷひー」

 

 だが現状は、都市防衛に付く1万余も殆どが難度9以下の新米兵の上、千人長や師団長で難度30程の者が3名という戦力差にいかんともしがたい事態であった。

 

 スラム街の一角、薄暗く汚れ切った小屋のような建物が立ち並ぶ中、赤黒く汚れた壁の倉庫に6人の人物が集まり会合を開いていた。

 重装備の男が、紐で巻いた大きめの羊皮紙を武骨なテーブル上へ放る。

 

「これが標的地の内部見取り図だぜ」

 

 背中の腰へ小剣を差した小柄の男が、飛びつく様に素早く羊皮紙を奪い取り、紐を引き抜く様に解いて開く。

 

「おお、すげえぇな。これで情報面の準備はもう完璧じゃん」

「でもホンマに何万枚も金貨があんの?」

 

 胸周りと腕に防具を付けた、短髪で鼻と顎が丸いちょいブサ顔の長剣を担ぐ女が尋ねた。

 それへ、覆面のガッシリしたガテン系の男が答える。

 

「あるはずだぜ。あそこはいつも稼いでいるからな。今回の戦争でもウハウハだろ」

 

 そんなやり取りの横。

 両手を頭の後ろで組み、壁にもたれていた細身で軽鎧を着た髭のバンダナ男が、今回の首謀者へと実行日時を問いつつ、トンデモナイ標的を確認気味で語る。

 

 

「で、いつヤルんだよ? ――()()()()()()()

 

 

 腕組みをした両上腕に入れ墨のある大柄のオッサンが枯れた声でニヤリと答える。

 

「慌てるな、あそこは集金日を幾つかに分けてやがるが、今月上旬分が間もなくのはずだ」

 

 その答えに、長剣の女が立ち上がり武骨なテーブルを叩いて詰め寄る。

 

「ぐずぐずしてんと、はよ襲お? あっこ、ババアは第3位階魔法使いやし財力あるし、バレたら帝国からでも強い助っ人を呼ばれんのとちゃうん?」

「分かった、分かった。見取り図から担当区分と最終配置を決めて予行も考えれば、最短の3日後にしよう。()()()()()()での作戦だ。皆、抜かるなよ」

 

 彼等は各自配下を持つチームのリーダー達だ。当初は、2、3名で小さくバラバラだったが、この2週間で組の統合が進んでいた。

 

「「「おおーーーーっ!」」」

 

 エ・ランテル都市内史上でも、指折りの犯罪劇が始まろうとしていた――。

 

 

 

 雲も気持ちよく浮かぶ夏の東の空へ、すでに朝日が登り眩しく輝く。

 元帝国魔法省のアルシェ・フルトがカルネ村へやって来て、丸8日が過ぎようとしていた。

 彼女は、エンリが帝国へ誘拐された時、帝都脱出で唯一協力。帝国人ながら味方として現在、村内では客人待遇である。

 彼女の身に関しては、元々対外的に捕虜としていた。

 ところが、巨大魔樹対応でバハルス帝国の不義理により小鬼(ゴブリン)軍団へ死者が出た事からエモット将軍へ生殺与奪権が移っており、現在は将軍預かりである。

 あくまで外向きにだが。

 そういった経緯があり、1週間はバハルス帝国や魔法省からの動きを見るという形でカルネ村へ滞在を続けた。だが、特に帝国側の動きはない様子に、アルシェは昨日からエ・ランテル行きの準備を始めている。今も仲間である『フォーサイト』のメンバーが連れて来る、彼女の幼い双子姉妹と再会する為に。

 

(早く会いたい。……ウレイ、クーデは元気かしら)

 

 この8日間は、アルシェにとって初めての事が多かった。

 農業従事に砦化の作業や、一番は小鬼(ゴブリン)達の居る村生活である。もう結構慣れた感じだ。

 ただしそれは、エンリの忠実な配下達であるからとも認識している。森の奥に潜む一般の凶暴な小鬼(ゴブリン)と同じに考えては死を招くだろう。

 

 時刻は朝7時半を回る頃。アインズが大反撃する日であった。

 エ・ランテル行きの準備は昨日整った事で、カルネ村から一台の馬車が出発する。

 

「では、行ってきます。エモットさん」

「いってらっしゃい、フルトさん」

 

 御者席からのアルシェの声へ、見送りのエンリも応えた。

 この幌無しの馬車は、エンリが村長に掛け合って村内で借りたもの。

 ただ、手綱を握るのはブリタである。その隣にアルシェが座る。

 エンリはブリタへも気遣う。

 

「ブリタさんも十分気を付けて」

「分かってるから、任せなさいよ」

 

 魔法少女がエ・ランテルへの道を知らないと言う話へ、ブリタが道案内を買って出た。

 エ・ランテルの街が少し恋しく思っていたところで丁度良いと。当然帰って来るつもりで、家財は村内の自宅へ置いて行く。

 それとついでに、村民から幾つか買い出しも頼まれていく。

 

『大丈夫、お安い御用よ』

 

 そう言って、赤毛の彼女は気持ちよく皆から引受けていた。ここで手間賃は取らない。代わりに不得意な繕い物を頼んだり、物を貰ったりと持ちつ持たれつだから。

 もうすっかり村には馴染んでいた。

 村内の自警団で既に中隊の副長を任されており、信頼も集めつつある存在だ。

 彼女自身もトブの大森林で昨日狩った猪や鹿を売りに行く。

 流石に、村内のお金の流通量だけは寂しく思っており、少し街で稼ぐ気満々であるっ。

 冒険者時代だと月に銀貨で30枚ぐらいの稼ぎはあったと思う。一方、村の中だけだと食事や住居には困らないながら、狩りや農作業での手当てだと銀貨10枚ぐらいだ……。

 

(モモンさんと次に会う時に、同じ(しお)れた格好じゃね……下着も新しいのにしたいし)

 

 若い乙女を磨くには、どうしてもお金が必要なのである。

 こうして、アルシェは妹達や仲間達の事を考え、ブリタは儲けと敬愛する人の事を考えて、細道を進み村を離れていく。夏のこの時季は道の両脇へ結構青々とした背高い草が茂り、視界は悪く油断は出来ない。

 だからこそ、ブリタは年下のアルシェを一人で行かせたくなかった部分もある。

 勿論、少女が第3位階魔法の使い手で凄い事は知っている。

 でも短いとは言え、村内では一緒にいる時間も結構あった仲。

 客人なので加入はしていないが、自警団の訓練にもアルシェは参加。参考披露ながらエリートである元魔法省職員の魔法も皆の前で披露してくれた。

 これほどの魔法詠唱者は3000人規模の街でも1人いるかという水準だ。

 進む馬車の御者席へ、棒状の杖を握ってちょこんと座る小柄の魔法少女は、基本大人しい性格なので余り他者へ積極的に話掛ける娘ではない。

 大して年上のブリタの方は割と賑やかな性格。

 そんな二人が並ぶと、話し役は当然ブリタが中心となる。会話の中で相手の過去へ余り触れないのは、人種問わず一般的な暗黙の決まり事だ。今の共通の話をするのが楽しくもあり確実。

 多くの者は信頼出来るようになって、互いの過去は打ち明け合うのだ。故に相手の過去をどれだけ聞かされたかを考えれば、自然と信頼度もある程度計れる目安になる。

 嫌な思い出事が多いのか、村内で聞いたアルシェの家族の話は双子の姉妹に限られる模様。

 今は、目的地のエ・ランテルへの道程と城塞都市についてを話していた。

 アルシェのホームグランドであった帝都も防御面で固いが、形式がまるで違うエ・ランテルには興味を引かれた様子。

 ブリタは距離的には半日で到着することや、殆どなだらかな平地を通る話を皮切りに門や都市内の通りの様子を語って聞かせる。

 3時間程、会話を楽しみ小道を進んだ時だ。魔法少女がブリタの耳許へ寄り小声で語る。

 

「(――ブリタさん、注意ください。警戒魔法に引っかかった物体があります)」

「――!」

 

 両名へ緊張が走る。

 アルシェが馬車を15メートル程で囲む様に〈警報(アラーム)〉を掛けていた。実に心強い魔法だ。

 ブリタは片手で、もう剣を抜いている。馬車はまだ止めずに進めていた。小動物の場合もあり、まずは様子見だ。今の位置取りでは、両名が道なりにしか展開出来ないのもある。

 

「(確か道は、この先の開けた草原を通るはず)……もうすぐ開けたところに出るわ」

 

 確認はその地でと女戦士は考える。

 

「〈鎧強化(リーンフォース・アーマー)〉」

 

 間髪置かず一応と、アルシェからブリタへ鎧強化が付与される。それに遅れる事数秒、山なりに矢が飛んで来た。数は5本で左右の固定位置からだ。待ち伏せの模様。

 斥候が居て、この場へ走ったのだろう。

 まだ敵が何か分からない。ただ、都市から遠い面をみれば小鬼(ゴブリン)の可能性が濃厚。

 その時、道の30メートル程前方に棍棒を握った1体の人食い大鬼(オーガ)が現れ狭い小道を遮る。

 

「ウォオオーーッ!」

 

「このまま行って!」

「う、了解よっ」

 

 アルシェの鋭い声に、一瞬迷うもブリタは従った。

 人食い大鬼(オーガ)が棍棒を振り上げて待つ位置まで7メートル程手前で、魔法少女が馬車前方の左方向へ舞う。

 

「〈飛行(フライ)〉」

 

 そして、直ぐに〈滑空(グライド)〉しての一撃を叫ぶ。

 

「――――〈風撃(ラファール)〉!」

 

 魔法少女の突き出した左掌から突風的な強風が人食い大鬼(オーガ)の巨体を浮かせるように右側の草地へ押し転がした。

 〈雷撃(ライトニング)〉では貫通し倒せるが、障害物として残ってしまうので魔法の力技で排除して見せた。馬車は見事に敵の妨害を突破する。

 

「フルトさん、凄いっ!」

 

 普通なら苦戦する展開を、覆す機転と高い魔法力。更にトドメ。

 

「〈雷撃(ライトニング)〉ーーっ!」

「グォギァァーーーー」

 

 鋭い一撃が、高い草の生い茂る中で起き上がり、頭一つ出ていた人食い大鬼(オーガ)の胸のど真ん中を撃ち抜いていた。後ろへと重たい音をさせて倒れ込んだ巨体はもう起き上がって来ず。

 その後も〈飛行(フライ)〉で一旦前方を偵察した少女は戻って来ると、〈魔法の矢(マジック・アロー)〉で上空から後方の敵を一人で追い回し撃退していた……。

 

「……強過ぎよ」

 

 ブリタは、先の開けた草原の小道で馬車を止めて剣を握り、周囲警戒しながら待っていた。

 すると数分でアルシェは戻って来る。その手には布袋を握っているのが見えた。

 

「ブリタさん。お土産です、まだ冒険者ですよね?」

 

 アルシェから手渡された布袋を開くと、人食い大鬼(オーガ)2体分と小鬼(ゴブリン)3体分の耳が入っていた。

 

「えっ、これ……いいの?」

「はい」

 

 頷いて微笑むアルシェ。

 道案内のちょっとしたお礼と言う気持ちである。銀貨で10枚程にはなるだろう。

 ただ小鬼達と村で共に生活したので、逃げる者は何となく見逃したという。気持ちはブリタにも分かった。

 

 この後の二人の道程は順調で、昼食も正午過ぎにノンビリ取り、またエ・ランテルの話をしながら進んだ。

 途中で、アルシェの強さを称えるブリタの話は、漆黒の戦士モモンの事へと移っていく。

 

「――って感じで兎に角、頼りになる凄い二刀流の戦士で、アルシェもきっと驚くわよ」

 

 エ・ランテル周辺の怪物(モンスター)退治や盗賊団討伐で見せた彼の闘いの光景を熱心に、先程から20分程も語って聞かせていた……。

 

「それでね、モモンさんったら――」

 

 まだまだ頬を染めながら語る話は続くようだ。

 アルシェも身近にヘッケランという凄腕の二刀流の戦士を知っており、驚きは良く理解出来た。出会って2年程経つが、チームの闘い全体を見て退く事はあるが、未だに一騎打ちでリーダーが負けた姿を見ていない。少女としても彼は天才だと思っている。

 でも、ブリタの言葉の熱いノリが単に強さを認める者へとは違って聞こえた。それは、アルシェも乙女であり当然気付く。敬愛的な好意に因るものだと。

 ただアルシェはこれまでに不思議とそういった憧れ的な気持ちで誰かを想った事は無い。

 その理由には彼女自身で何となく気付いている。

 

(恐らく父の所為でしょうね……物心付いてから部分的に男性不信になっているのかも)

 

 どのみち、妹達を立派に育てる責任があり、あと10年は独り身だろう。

 その頃には結婚適齢期を過ぎた年齢になっているはずで、そこから誰かを愛せるのか誰かに愛してもらえるのかはまだ自信がない。

 

「……(羨ましい)」

「え、なに?」

 

 熱心に好きな人の事を語っていたブリタは、アルシェの真の心の声を聞き逃していた。

 

 

 

 夕暮れで西空に多くの雲が掛かるそれが赤紫へ染まった頃、二人の乗った馬車は無事にエ・ランテルの北東門を通過する。

 ブリタはここで一つの問題に気付く。

 半日程もあった長い道中では気付かずにいて、自分ながら間抜けに思ってしまった事象。

 

 

「……フルトさん、これからどうやって知り合いを探すの?」

 

 

 赤毛の女戦士は、アルシェから初めてのエ・ランテル行きと聞いたので、親切心から通る道や注意点に都市内の紹介の他もモモンの話ばかりで、到着してからの事がまるっきり飛んでいた……。

 そんなブリタへとアルシェは解決編を伝える。

 

「大丈夫です。決めている模様の布がありますので、恐らく宿屋の入口近くに下がっているかと」

「そう、そうよね。よかったー。私の以前いたチームでは人数が多くて誰かが案内してくれたし、拠点の宿屋もそんなに変えなかったから、大変かなぁと」

 

 2年程同じ(アイアン)級冒険者チームでいたブリタ。行動守備範囲が概ね決まっているチームで、街が変わっても大体行った場所であり、泊まるところは毎回同じであった。

 この傾向は仕事の範囲が狭い下位冒険者では多い。

 モモンの居る『漆黒』チームのように早い周期で階級昇格するのは極々稀である。

 上位者程、広い地域を不規則に飛び回るようになる。国外へさえもだ。そうなれば、別行動で合流する場合も増え、色々対策するようになる。

 アルシェは元ワーカーチーム『フォーサイト』所属。ミスリル級冒険者水準という評価が多く、ブリタよりずっと修羅場と遠征経験が多いという話だ。

 普通のチームも1年から数年の間、鉄級以下の階級での経験は必ずといってある。白金(プラチナ)級以上になればもう殆ど上がらなくなるが。

 (ゴールド)級まで上がれば冒険者として成功したと言える水準。

 ブリタがここまで上がって来る程の戦士なら、先のポカはなかっただろう。

 (シルバー)級冒険者で引退しても、組合で主力冒険者だったと故郷の街では語れる域。

 ブリタには難しい階級だが、他の都市への遠征は非常に稀なので、先のポカは有ったはず。

 (アイアン)級冒険者でもそこそこの人口の村で自警団の四天王に入る水準。

 ブリタでもカルネ村規模では次期自警団長も狙える程の存在ではある。

 参考までに、エ・ランテルの冒険者組合へ登録以来、(カッパー)級一筋で20年を超えるチームも数十存在するのだ……。

 『人を守る』という仕事面に誇りが無ければ、決してそこまで長くは続かない厳しい環境の職業である。10年を超えてから夢を見失えば、階級無関係で悪党道へ堕ちてしまう者も少なくない。

 未だ(アイアン)級止まりのブリタからすれば、午前中のアルシェの大活躍に力の差を痛感し愕然としてしまう。基本能力のモノが違うと。

 しかし、アルシェという娘も万能では有り得ない。何せエ・ランテルは初めての上に広い。

 目印があったとしても、どこの宿屋かは探す必要が当然あるのだ。

 この状況は昔、少女が魔法学園を辞めて仕事を探し始めた頃に少しダブる。

 あの時は本当に独りだった。

 でも今、魔法少女はエ・ランテルの地理に明るい年上のブリタが隣に居てくれてとても心強い。

 門からの大通りを馬車で進む2人は第二城壁門も潜り、まず――荷台の猪と鹿を売りに行った。

 獲物は昨夜、村でも涼しい風通しのいい場所へ吊るし、朝からは日除けに(むしろ)で巻いて、馬車を走らせて風を常に通している。

 更に生活魔法の〈涼気(クール)〉を掛けてもらっており終始品質対策は万全。

 幸い、肉屋がまだ幾つか開いており3軒回って、一番高い値を付けた所へ卸した。

 銀貨で11枚になった。

 途中、村人から頼まれた買い出しも、上手く値切りつつ粗方済ませる。

 次に冒険者組合へ向かい、朝の獲物も換金。なんと戦時特例で買取強化期間との事で2倍の換金率に。結局、銀貨18枚銅貨2枚となった。実に金貨1枚に近い。

 

「うわぁ……」

 

 ブリタから思わず声が漏れたほど。

 冒険者組合を出た後、換金分をアルシェへ渡そうとしたがやはり受け取らなかった。

 なのでブリタは宣言する。

 

「もう。じゃあ、村へ戻るまで宿代と食事代は全部私が出すから。これ決まり! 行くよ」

 

 そう言って、二人の泊まる宿を探した。腰を落ち着けて事へ当たるには拠点が大事と。

 ブリタにしては随分奮発し、中流の小奇麗な宿屋へ一泊銀貨1枚の部屋を2つ取った。アルシェだけの来訪者がある事を想定してだ。

 それとエリートのアルシェを、見すぼらしい場所へ泊める訳にもいかない。

 アルシェ自身は野宿も平気なので気にしていないが、ブリタが(アイアン)級と知っているので気遣いは十分伝わっている。

 

「ありがとう、ブリタさん」

 

 少女は素直に従った。馬車を宿屋の裏へ一式預けてから、漸く街中へと繰り出した。

 既に日没から1時間は過ぎており、空には雲間から星が瞬くのが見えている。

 二人は、バハルス帝国からの街道に繋がる()()()側に近い宿屋街から調べ始める。

 アルシェの仲間達は普段から中流以上の宿屋に泊まるとのこと。考慮すれば、ほぼ第二城壁内の宿屋との予想が立った。

 確認行動の途中、午後8時頃に食事を取るため、馴染みのある酒場へと足を運んだが……ブリタは周りに少しガラの悪い連中が多い感じに見えた。

 それは事実らしく、店の主人の「久しぶりだね」の声に「今、冒険者は休業してトブの大森林傍の村に住んでてさ」と交わし、晩飯の注文を聞いた後で主人がブリタへ小声を掛けてくる。

 

「――じゃあ、そちらと2人分いつもので、と。(ところで、すぐ宿屋へ戻るのかい?)」

「(いえ。少し探し物があるからまだだけど?)」

「(……悪い事は言わない。早めに切り上げて宿に入った方がいい。最近は強盗なんかの犯罪が都市内で増えてて物騒でさ)」

「へぇ。ありがとう、気を付けるから」

 

 間もなく店の主人の運んで来た食事を食べ始める両名へ、周囲の男共の視線が絡みつき始める。

 夏の夜、顔立ちが整い少し筋肉質だが健康的な若い赤毛の戦士の女と、魔法詠唱者然としている見慣れない小柄な金髪の可愛く綺麗な小娘との二人連れ。

 片方の戦士の女は(アイアン)級と顔見知りから聞けば、戦時下のこの都市にそれより上の階級冒険者はいない事から、小娘もそれ以下と周りは連想する。

 ブリタ達は店を離れるまでの間、3組の男達に声を掛けられた。

 いずれも「一緒に飲まないか?」だ。

 幸いこの店はまだ一般客向けなので、いずれもワーカーか偶の休みの(アイアン)級冒険者であった。

 

 「悪いわね。このあとまだ知り合いに会う用があって」

 

 ブリタがそう言えば引き返していった。

 女2人へ合流する人数が多ければ、争っても怪我をするのがオチと踏んだのだろう。

 アルシェも横に立たれた男から肘で数度(つつ)かれ、『ねぇ彼女、俺とどう?』みたいな優男からのウインク攻撃に閉口する。

 『フォーサイト』では、ヘッケランのひと睨みか、イミーナの毒舌で誰も近寄って来なかった。

 でもワーカー仲間の噂では、実戦でのアルシェの魔法攻撃が恐ろしくヤバイという事らしい。

 無論、修羅場慣れしたアルシェが、格下の強さと分かる人間連中へ今更ビビる事は無い。

 ブリタのホームなので任せ、ただじっと無言で呆れているだけ。

 

 食事代をブリタが払うと2人は揉め事も無く店を後にする。

 再び宿屋確認を再開したブリタ達。酒場を出て8件目の宿屋を見ての直後、一人の男が声を掛けてきた。

 アルシェは当初から気付いていたが、酒場からずっと後ろを追って来た男である。

 

「そこの、お二人さん。さっきから宿屋をあちこち回ってるが、()()()でも探してるのかい?」

 

 近寄って来る彼の、正面からの見た目は服装も含め、分かりやすく言えば、下劣。

 貴族調で見せたい感じも、ベージュ地シャツや趣味の悪い紺と黄色のジャケットに、薄黄色のズボンと革靴。いずれも酷くヨレヨレだ。

 髪は一応洗っている風ながら、肩近くまで伸び4カ月ぐらい切ってない感じの毛先バラバラでボサボサ。

 声を掛けてから、ドタバタと駆けて来る『間抜けな』行動をみれば〝品性〟と〝貫録〟が全て最低水準なのが一目瞭然という珍しい人間だ。

 

「はぁ?」

 

 振り向いたブリタが真剣に呆れた声を返すと、男は目を瞬きせずにニヤリと女性にとって不快感()()で笑った。

 

「またまたぁ。酒場で言ってた、知り合いに会う用って嘘なんだろ? へへっ。それでよぉ、可愛い顔して、ホントは金持ちそうなスケベ好きの夜の客を探してるとこだろが? 分かってんだからよ」

 

 男の言葉は、『後を付けて女達の嘘を見破った』と勝手に一人で納得した辺りから乱暴さが入って来ていた。

 ブリタは本気で呆れる。

 目の前の男は丸腰で実に弱そうなのに、女戦士と魔法詠唱者へ勝手な解釈で喧嘩を売ってる様なものだから。

 黙る眼前の女達の様子に、核心を突かれて絶句したと考えた間抜けな男は、次にバイヤー的に自分を売り込んで来た。

 

「俺はザック。朝まで楽しめる凄い腰使いの客を紹介してやるよ。まあ、そいつはちょっと最近金が無いようだが、なぁに二人とも十分心と体でとろける思いが味わえるからよ」

 

 相手に構わず売り込もうとする独走(ひとりよがり)力だけは高いようだ。

 ブリタはまだ黙っていた。

 数々の修羅場を経験済のアルシェもこの先の結末に気付きつつあった。

 沈黙を貫いた二人の女へと、ザックが吠える。

 

「では、その相手を紹介してやろう。喜べ―――――この俺、ザック様だ!」

 

 次の瞬間、腰から鞘ごと剣を外したブリタが、この小汚い男を路地のゴミ箱横へとかっ飛ばしていた――。

 

 

 1時間後。スラム街の汚れ切った小屋が並ぶ一角。分厚そうな扉を叩く男がいた。

 先程の小汚い男、ザックだ。肩を押さえて扉の前に立つ。帝国との3度の戦争を生きて切り抜けた彼は、意外に頑丈であった。

 小窓が開き、厳つい顔の男が来訪者を一瞬確認する。

 

「お前か、今日の首尾は?」

「す、すまねぇ」

「チッ。入れ」

 

 廊下を進むが中は、以前にいた傭兵団の時と同じく劣悪な臭いが籠っている。

 今の彼はスラム内の『何でも屋』的小悪党チーム内の下っ端だ。先程は、女達の所持金狙いで近付いたが失敗。

 ザックは、以前所属していた大傭兵団が突如ほぼ壊滅。どうやら強盗団として活動した折、『漆黒』という()()()()()冒険者チームに討伐されたと伝わってきた。

 裏家業では舐められれば終わり。

 傭兵団の残党8名は、スラム街に居て生き残ったが数日で解散。『死を撒く剣団』は完全消滅した。

 今の彼はゴミクズの様な日々の人生を送る中、妹リリアとの再会ぐらいが只一つの夢と言えた。

 事務所内の棚の様な狭い自身の寝床で、ザックは痛い体を庇うように眠りへ就いた。

 

 

 

 アルシェがベッドで気持ちよく目を覚ましたのは、翌朝の6時頃。

 

「ふあぁ……この大都市に宿屋は何軒あるのかしら」

 

 疲れてはいないが、その点で少し気が重たい彼女。

 昨夜は結局、気持ち悪い変な男に出会った後、10軒程宿屋を回るも仲間の目印は見つからず。

 午後11時半頃であったが最後は、移動で抜けようと通った暗い路地で潜んでいた物騒な強盗と出くわす。

 

「金寄越せやぁぁ、死ねぇーーっ」

 

 犯人らは3人組であったが、小柄なアルシェを狙い鋭く刺しにきた。しかも難度15、6程はある連中で、ブリタも反応が遅れた。

 それでも、魔法少女は難度70以上。水準差から敵ではない。

 敵2名の刺突攻撃を動体視力と動きで躱すと纏めて蹴り飛ばし、ブリタを攻撃しようとする残り一人の腕を掴んで大きく放り投げた。

 更に容赦なく畳みかける。

 

「〈魔法の矢(マジック・アロー)〉!」

 

 次の瞬間、蹴り飛ばされた犯人達で早く立ち上がってきた方の肩を魔法の矢が貫通していた。

 

「ぐおあぁぁ」

「そんなの痛くないでしょ。次は、頭? 胸?」

 

 そう少女が淡々と告げる声に力の差を思い知り、3人組は脱兎の如く逃げ去った。

 彼女にすれば、大したことはない遭遇。

 人間なら話が結構通じるので割と楽との認識だ……。流石は帝都のゴツいワーカー達からヤバイと言われる魔法力と思考を垣間見せていた。




 でもブリタはそこですぐに宿屋へと向かった。アルシェはそれに従う。案内を手伝ってくれているブリタが怪我をしたら大変との考えが働いたから。
 少女は寝る前に、部屋でお湯を浴びてスッキリして休んだ。
 一方のブリタは強盗との遭遇直後、行動ミスにショックを受けていた。

(フルトさんが居なかったら危なかったわよね……)

 直ぐにアルシェへ「明日頑張ろう」と提案し、宿屋へ直行し休む。
 装備を外し少し寛いだ彼女も宿泊室内で、木製桶で宿から貰ったお湯を掛けて浴び、今日の汚れを落とした。
 ベッドに横になるも、先の状況が再び思考へ浮かんだ。守ってやれてない己の弱さと、危険と。

「はぁ、油断よね……警戒が足りなかったわ。明日はなるべく夜になる前に早く見つけないと」

 そこで、少し考えたブリタは一案を閃いた。

「あっ! よし、これで探してみたら効率いいかも」

 赤毛の戦士は、明日はきっと上手くいくとの気持ちから、機嫌を直して良く眠れた。


 2人が宿屋から再び目印確認に外出したのは朝食を終えた後の、朝7時過ぎ。
 朝食の時にブリタは昨晩考えた一案を披露した。

「宿屋を探す前に、どの門から入場したのかを先に確認した方が早いと思わない? 馬車で人数構成とか分かるんでしょ? 双子の幼い姉妹だけでも結構な手掛かりのはずよ」

 それを聞いてすぐ、アルシェも重要な事を思い出していた。

「あっ!(……ヘッケラン達の事だから、私が父から逃げているのを助ける感じで、多少行動擬装をしているはず。そうなると東の帝国から素直にこの都市の北東門を通って入ったとは思えない。南門も法国からという難癖が付くのを避けると思う。多分、北西門から入ったはず――)」

 いずれブリタへも話そうと思うが、今は周りの人目もある。
 なのでアルシェは提案だけに留めた。

「あの、今日は北西門を通った想定で宿屋街を先に調べたいのですが」
「……なにか、手掛かりを思いついた感じ?」
「はい、ありがとう。ブリタさんの提案を聞いて、どの門から入ったかが分かったんです。まあ私の予想ではありますが」
「ああ、別にいいのよ。時間はあるし、フルトさんはそれが一番効率いいと思ったんでしょ?」

 頷くアルシェにブリタは「じゃ、まあ宿屋の数は多いけど、頑張ろうね」と言った。
 エ・ランテルの各門について、利便性と普段の利用者を考えれば、王国内向きの北西門が最も利用される。そのため、宿泊街の規模は、北西門経路の方が、北東門、南門の二つの宿泊街を合計したよりも大きい。
 ただ、絞る条件が揃って来た事で、答えが近付いていた。
 2人は第二城壁内の市街地を西へと移動してゆく。2キロ程移動し西側の宿屋街の一つに到着。
 午前8時前から、中流宿屋以上を総当たりで目印の布を確認し始めた。
 そして――正午近く。
 3つ目の宿屋街、43軒目の宿『安らぎの(かぜ)亭』で目印を発見した。
 『安らぎの風亭』は高級宿に入る水準の宿屋である。1泊銀貨10枚程の部屋が多数揃う。

「あっ、あれです。見つけたっ」

 中々笑顔を見せないアルシェが嬉しそうに駆けて近寄る。ブリタも後を追う。
 6階建ての立派な門構えをしており、ブリタには少し敷居の高い建物であるが、アルシェは慣れた様子で両開きの玄関扉へ近付いた。そして横に立つ使用人へ用件を伝える。

「家族と知り合いが宿泊していて会いに来ました」
「左様ですか、どうぞ」

 扉の開かれた中へアルシェは入って行く。場違いと思いつつ赤髪の戦士も続いた。
 中は洒落たロビーと受付になっていて、アルシェが受付の男性(フロントマン)と言葉を交わす。
 意外にもヘッケラン・ターマイトの名で宿泊していた。偽名ではなくだ。でも。

「えっ、外出中?」
「はい。皆様で、昼食も外でとの事で、午後には戻られると思いますが」
「そうですか……」

 残念そうな顔を見せるが、それは数時間の事と割り切ったアルシェは気を取り直す。
 確かにいつ会いに行くか明確には告げていないし、初めての地で観光ぐらいしたいのも理解出来た。
 ずっと室内に留まらせるのは、双子の妹達も居て無茶というものである。

「分かりました。では夕方にまた寄せてもらいます。あの一応、伝言を――」

 受付の者へ一通り伝え、アルシェはブリタと一旦外へ出た。
 留守の状況を聞いたブリタは、時刻的に明るく誘う。

「じゃあ、こっちもゆっくり食事にしましょうか。前祝いに豪華にいくわよ」
「はい。ありがとう」

 アルシェは笑ってブリタと飲食街へと繰り出した。
 1時間半程時間を潰し、銀貨2枚を使って結構良いモノを食べた2人はブリタの用件で、とあるところへ向かう。

「――バレアレ薬品店ですか?」
「ンフィーレアにお婆さん宛ての手紙を頼まれててね」

 バレアレと聞いて、アルシェも用件の正解を何となく予想していた。

「分かりました、行きましょう。良い薬があるかもしれませんし」

 もう危険な仕事は考えていないアルシェも、思わずそう言ってしまう場所なのだ。
 納得の上での魔法少女は、ブリタと共に薬師少年の実家のお店を目指した。



「うわ、相変わらずデカい音」

 扉を開けた時に鳴る鐘が一際鳴り響く。魔法効果と思われた。
 ブリタは、ンフィーレアがカルネ村へ引っ越す時に、この場へ来ており2度目の来訪。
 周囲も店舗の奥に工房というそれっぽい家々が並ぶ地域で、ここは排気用の煙突が20は並び屋根の上までもが工房尽くしの如く建つ異様な建物――それが『バレアレ薬品店』である。
 建物は一際大きいが、周りの店のように店員や作業員の姿を見掛けない。
 なぜなら、工房一体の店は秘匿性重視から身内のみで運営しており、今は一人リイジー・バレアレだけで切り盛りしているからだ。
 よく長年店を回せていると感心する他ない。この一点だけでも、超人の類だろう。
 そんな店名のプレートが掛かった店の入り口扉を潜った二人。
 入ってすぐは応接空間で、向かい合うゆったりした長椅子の間にローテーブルが置かれ、壁沿いには目録なのか書類を束ねた物が本棚へ並ぶ。
 気付いたのは商品の並ぶ広い店舗の奥から、何やら争うような声。

「――ほら、誰か客だろ?」
「あとでいいわい、待たしときな。それよりね、さっきの話じゃよ」
「あー。だから俺達、今は無理だって。連れを見りゃ分かると思うが」
「300でも、少ないってのかい? なら、400出そうじゃないかっ」
「いや、そうじゃなくて――」

 何気なく、取引の話にも聞こえる。
 ブリタ達が、視線を向けると事務所の受付みたいな辺りへ数人の影。
 だが、その言い合う者達の姿にアルシェが反応した。


「――ヘッケラン?! イミ―ナにロバーデイクもっ」


 少女が大きく上げた声に、彼等もこちらを見た。

「おお、アルシェ! なんでここに?」
「まぁ! ほらアルシェよ」

 イミ―ナの声が掛かる前に、メイド少女と両手に繋いだ双子が店舗の奥の角から姿を見せた。

「あっ、お姉さまぁ!」
「お姉さまだぁ!」

 二人の双子が一斉にメイド少女の手を離れて、姉の下へと駆け出す。

「クーデっ! ウレイっ!」

 店舗内を走るのはマナー違反だが、アルシェも駆け寄っていく。
 全力で加速すれば幼い妹達を吹っ飛ばしかねないので、本人の体感的にはスーパースローだが。
 リイジー婆さんも「人の店先でなんだい、なんだい?」と何が始まったのかと困惑気味。
 その中で、三姉妹は互いにしっかりと抱き合った。

「ああーん、お姉ざま゛ぁぁ!」
「うわ゛ーーーん」
「泣かなくても大丈夫、大丈夫だから」

 歓喜に泣き出した双子の姉妹の頭をアルシェは両手で其々撫でてあげる。
 ゆっくりと、何度も何度も優しく。少女の目にも涙が浮かぶ。
 この美しき姉妹愛溢れる再会の情景を――モチロン、某天使はエ・アセナル中央城の客室で遠視にてニタニタ見ていた……。

 3分程が経過した頃。

「もういいかねぇ? こっちも時間が無いんじゃよ」

 リイジー婆さんも人の子。再会の時間ぐらいは待ってやっていた。
 彼女も暇ではない。いやそれどころが、今は必死にならざるを得ない理由があるのだ。
 それでも配慮出来るのは、常人ではない精神力を持つから。
 彼女が、明確に要望を言い放つ。

「割り込みで、話がややこしくなったが、わしのこの店が()()()()()()という話じゃ。
 直ぐに傭兵を雇いたいが、戦時中と動員令で誰もおらん。敵の狙いはそこじゃしな。あんた達は外国から来たかなりの腕前の連中と見とるんじゃ。手伝ってくれんかの?」
「「――っ」」

 ヘッケラン達の表情が一瞬厳しくなった。
 初めての地で警戒する身のこなしは隠せない。分かる者が見れば腕前は分かってしまうのだと改めて思い出す。場が緊張する。
 そこにブリタが入った。
 彼女は村で共に暮らすンフィーレアから手紙を託されて来ていた。この店の危機に黙っている事は出来ないと。

「私は今、カルネ村に住んでてそこから来たんだけど」
「……本当かい?」
「はいコレ。薬師少年からの手紙よ」

 赤毛の戦士から差し出された紙の封書の表には『おばあちゃんへ』との文字。一目見て本物だと分かった。
 時間がないので開かないが「おおぉ、ありがとう」と礼を述べて大事に手に取った。
 他者には鬼のようなリイジー婆さんだが、孫のンフィーレアだけは別である。
 唯一自分の血を引いて残り、彼女から見ても若いのに非常に優秀。そして何よりも慕ってくれており可愛い。今や薬仕事が2番目に落ちた程、大切に考えている。
 自分の命は3番目の彼女が、この店を大事に守ろうとするのは孫の為なのだ。
 ブリタは尋ねる。

「あの、店が狙われてるってどういう事です?」
「そのままの話じゃよ。竜達と王国の戦争で、この都市の傭兵や冒険者の腕利き達が出払っておるじゃろ? それを良い事に小悪党共が群れたみたいなんじゃ。連日少しずつ規模が膨らんでいってな。
 10日程前遂に、大店(おおだな)のバルド大商会の本店が大勢の強盗達に襲われよった。警護組織はあったと聞くが、数名の死者と30名程の負傷者を出して金倉から金貨を1万枚以上奪われたらしい。物騒なので、金貨は支店にも分けて保管してあったらしいがな」

 バルド大商会はこのエ・ランテルで食料取引のかなりの比率を持つ。街で力のある人物の店が襲われたという事は、相当治安が酷い事を証明した。
 婆さんの話は続く。

「先の強盗では、襲った側の死体も現場へ5名程残っておった。腕はピンキリで上下差があるようだね。身形からスラム街のごろつき連中って話だ。
 どうもね最近、強い視線を感じるんじゃよ。わしの店はこの都市に一カ所だしね」

 修羅場を知るリイジーの鋭い感性が訴えてくるのだ。
 次の標的に、大金を稼ぎ金貨の山を置く場所の限られる店が狙われるのは想定内の話。
 都市には銀行もあるが、利用出来る家柄や利用しているかで、襲撃結果に差が付く。でもそれは襲ってみなければ真実を知りようもない。
 それならば……戦争景気で稼いでいる格好の標的があると。

「だから、協力して欲しいのじゃ。只でとは言わん。ンフィーの知り合いで人数も増えたし、金貨で500枚出そうじゃないか」
「ご、500……枚」

 ブリタが絶句する。多数を相手にする場合、危険度が膨らむので金額が跳ね上がるのはよくある事。とは言えこの額は街で余り聞いたことが無い。
 ただし、組合所属のブリタは直接受けられない話。
 ここでヘッケランは、婆さんの話から、相手は人間で数十名、腕は上下差ありで報酬金貨500枚の話を把握した上で確認する。

「アルシェはどうしたい?」

 今はアルシェの件が最優先だ。幾ら積まれても、筋を通す時のヘッケランは首を縦に振らない。この問いも同行する赤毛の戦士と関係を僅かに探ってのものだ。
 『フォーサイト』リーダーの考えは殆ど辞退で固まっている。
 すると、双子姉妹を抱きしめつつ、魔法少女は答える。

「ヘッケラン達には知って欲しい。前に合った時、私は捕虜のようだったけど、それは違うの。あのエモットさんは、私を帝国から出してくれた。私は自分の意志でエ・ランテルに来てる。その彼女と、この店のお孫さんは仲の良い幼馴染。だから私は――お婆さんとこのお店を守りたい」

 あの屈強な小鬼達を率いた女将軍がエモットと名乗ったのを、イミ―ナもロバーデイクも覚えている。そして、アルシェはここに自由な立場の雰囲気で立っていると知った。
 同行する赤毛の女は腰へ剣を差すが、大した使い手でないと見れば分かる。だから、少女の話は本当の気持ちだと理解した。それはヘッケランも同じ。
 頭を僅かにかきつつ、リーダーが伝える。

「――じゃあ、やるか。金貨500で成立だ」

 ヘッケラン達は上位のプロである。話はとんとん拍子で進んだ。
 ただ冒険者組合の事情とメイド少女と双子達の護衛という部分で、ブリタは外れる。
 一旦、高級宿屋へイミーナがアルシェとブリタ、メイド少女に双子らと向かった。宿屋の受付で追加でアルシェとブリタの部屋を申請。この後、ブリタは昨夜の宿屋へ戻って引き払い、別の厩舎へお金を払い馬車と荷だけ預けている。
 護衛代の代わりに、これらブリタの滞在経費は『フォーサイト』が全額持つという話でまとまっている。
 高級宿屋と『バレアレ薬品店』は歩いて30分程は離れていた。
 1時間ぐらい後、ヘッケランとロバーデイクも薬品店をノンビリした様子で去る。
 これは全て計画通りである。
 ワーカーチーム『フォーサイト』4名の契約期間は店が襲撃を受けるか、他の場所が先に大規模攻撃を受ける日まで。
 結局いつ来るか分からないので、成功報酬金貨500枚。それまで空振りでも1日に金貨5枚を経費として受け取る事で締結した。
 なので今晩にも他の場所が襲われた場合は、金貨5枚で終了だ……。
 でもリイジー婆さんは確信している。

「数日だよ。同じ顔は見ないが今週、見張ってる者を10人は見てるからね」

 昼間、『フォーサイト』が動き出す前に語った彼女の予想は――その晩に炸裂した。



 午後11時半を過ぎた頃に『バレアレ薬品店』襲撃が始まる。
 敵凶悪犯の数、実に65名。6名のリーダーに率いられた6チーム合同の大強盗団である。
 先日の襲撃で警備との戦闘により死者と負傷者を出し少し減ったが、今回の標的は建物内に1名のみ。第3位階魔法詠唱者という強者であるが、多勢に無勢と配下へ伝え勢いに乗っていた。

「おらぁぁぁーーーーーー」
「いけぇーーーーっ!」
「うおぉぉーーーーーーー」

 夜中だけに、異様に響き届く。全員が鎧に剣や槍で武装している。
 更に大型ハンマーや梯子なども数本乗せた馬車8台に分かれての一斉突撃である。
 周辺の一般住民は凶悪犯罪急増や、噂も聞き知って事態を強く理解するも、凶悪者が多数で徒党を組む恐ろしさと家族や店舗防衛を優先し加勢に出て来る者は皆無。それは仕方がない。
 逆に一般民でこんな地獄へ1、2人で出て来る者は、強者か、どうかしている。
 見取り図から決めた強盗団の進入路は、店舗正面と裏口。そして建物右側面の大窓に屋根裏の窓と大きく4路よりの侵攻である。
 その時、上空より凛とした声が響く。

「〈魔法の矢(マジック・アロー)〉ーーっ!」

 数回続くと、店舗正面を襲うべく通りを南下して来た速度の出ていた2台の馬車が、フラつき接触し横転する。両御者の両手の甲には容赦なく魔法の矢が刺さっている。
 『フォーサイト』は基本的に人攫いや人殺しの仕事を受けないワーカーチームだ。
 不可抗力や仲間が危機に瀕すれば別であるけれど。
 並行して、シワがれのババア声も店の屋根から轟く。

「〈火球(ファイヤー・ボール)〉! 焼け死になっ」

 店舗目前に迫る北上中の馬車が攻撃で大炎上を始めた。まあ彼女は殺しも厭わずだが。
 でもそれが、『フォーサイト』の弱い縛りを上手く隠していた。
 ここまでで20名程が、派手に怪我を負う事となった。
 この時、店舗の裏通りから10名程が薄暗い建物裏庭へ潜入し裏口へと迫る。
 しかし戸口へ迫る数メートル前でバタバタと倒れていった。
 数は多いが、殆どが難度で10に満たない連中の模様。
 強盗達は肩や足の甲を弓矢で見事に撃ち抜かれていく。イミーナの引いた3本同時の剛弓が、全く避けられなかった。

「ひぃぃぃーーー!」
「待ち伏せだぁ」
「どうなっているっ」
「見張りの連中は寝てたのかっ?」

 危険を知らせるはずの2人居た見張りは、空から直前に多数の馬車の動きを見つけたアルシェの〈雷撃(ライトニング)〉で真っ先に片付けられていた……。
 一度『バレアレ薬品店』を去ったはずの『フォーサイト』のメンバーは、アルシェの〈屈折(リフレクター)〉の魔法で午後3時過ぎには『バレアレ薬品店』内へ再度集結し潜んでいた。
 直前で先制攻撃する為にである。

 薬品店への進撃について、既に結構な数の足止めに成功していた。
 それでも依然、約半数の馬車4台分の戦力が、馬車から降りて薬品店の正面と左右側面から迫ってきた。正面通りを屋根からリイジーが魔法で猛攻。
 店舗左は空からアルシェが、右も大窓前にはロバーデイクが陣取りトゲトゲの鉄球であるモーニングスターを派手に振り回し一蹴していた。
 そんな激戦の中でやはり、正面扉を打ち破って中へ潜入する者が数名いる。
 リーダー格の使い手達3名、首謀者の両上腕入れ墨男と覆面のガテン系男と長剣の女戦士。それと精鋭の部下4名だ。

「いけっ、抜かるなよ」
「突貫っ」
「稼ぎどきやでー」

 応接区画から部下4名が指示通り先に、次々と奥の売り場へと踏み込んだ瞬間。

「いかせねぇよ」

 その言葉が終わる時には、武器ごと斬られた4人の強盗が同時に床へ転がる。

「ギヤァァァーーー」
「うぁぁぁーーー腕がぁぁ」

 全員が両腕先を失っていた……。
 どこに居たのか、ヘッケランが両手にショートソードを握り姿を現す。

「次は、どいつだ? 掛かって来いよ。あー、出来れば一人ずつが楽でいいが」

 鋭い視線に、凄まじい殺気の籠ることを3名のリーダー達は否応なく感じる。この雰囲気は、ミスリル級冒険者『クラルグラ』のイグヴァルジが裏で見せた狂気に近いが、現状からそれ以上。

「なっ(アカン、太刀筋が全く見えてへん。暗闇の所為やない。それが両刀……!?)」

 長剣を担ぐブサ女は慌てた。
 ガテン系の覆面男も戦斧を握るが、相手の動きに接近戦は不利と柄を長めに構え直す。
 強盗首謀者の男は両腕の紋章を発動。シャーマニック・アデプトと呼ばれる大猿能力の憑依能力だ。両手に発生した大きな力をモンク技に乗せて拳を握り構える。
 それと並行して協力するリーダーらへ覚悟を告げる。

「一斉に掛かるぞ」

 他の2名も頷いた。強敵にそれしかないと。
 両上腕入れ墨の男が、勢いよく踏み出すと2歩進んだ先の足元へ転がっていた『腕』を正面の二刀流の男へと思い切り蹴りつける。

「今だぁぁーーーっ!」
「おうっ」
「死なんかい、アホーーー」

 3人は同じ光景を見た。
 蹴り込まれて宙を舞う『腕』を避けるどころか、二刀流の男は前進。『腕』は奴の体をすり抜けた。全ては残像と気付く。それ程の素早さであった。
 そして――3名の視界は間もなく暗転した。

 『バレアレ薬品店』を守る戦いは30分も掛からず終わった。
 難度40から50程の強盗団のリーダーら6人を全員拘束。内4人は重傷。捕縛総数は62人で怪我人は57人。逃走は3人である。殆どが動けないほど傷ついたか気絶していた。
 今後、捕縛者は前科も含めて裁判官や都市長に裁かれる事だろう。
 死者数ゼロについては、5人しか居なかった店側だが、リイジーも含め第3位階魔法詠唱者2名を擁し、全員が難度60以上と実力差が大きくあってこその数字だ。
 周辺住民から衛兵の屯所へ通報だけがされた模様。
 30名程の衛兵達が1時間半後に来た時、とっくに戦いは終わっていた。だから彼らは仕事をする。捕縛者全員が引き渡された。衛兵達はほぼ一般人で、及び腰なのも無理はない。
 尚、この頃には『フォーサイト』の面々の姿は、金貨500枚と共に見えず。
 ヘッケランは一つだけ条件を出していた。

『――ただな、俺達の事は内緒でお願いしたい。目立つのは少し……な』
『そうかい。それはわしが何とかするよ』

 リイジー婆さんはこれでも各所へ広く顔が利く。
 衛兵隊長の「他に協力者が数名いたとも聞いたが?」の質問に彼女は豪快に答える。

「わし一人の魔法で追い返してやったんじゃ。……あんた、わしの言葉に文句あるのかい?」
「ですが、居たという――」
「――あんたや衛兵総長の愛用しておるアノ(痔の)薬が無いと困ると思うがのう? ワシは気分屋じゃぞ?」
「い、いや。分かりました。凶悪者捕縛協力への感謝を。では失礼します」
「うむ」

 イミ―ナの弓矢も立ち去る前に概ね回収されている。庭奥の地面に刺さっているのは「凶悪犯の連中の物か、うちの騒ぎに御近所から飛んで来たんじゃろ」とまで言うつもりでいた。
 強引過ぎる言葉で衛兵隊長の質疑を押し返し、一件は無事に落着した。



 さて、『フォーサイト』の4名は、高級宿屋へ真夜中の帰還となったが、飲食街の一部はまだ開いている時間。
 戦闘の汚れさえも魔法で取り去っており、特に受付で咎められることもなく入館した。
 宿まで歩いた帰路で、ヘッケランは一つの重たい質問をアルシェへと投げている。

「お前はこれからどうするつもりなんだ?」
「……御免」

 アルシェは、これまでの経緯もあり先に謝る。
 ヘッケランは慌てて捕捉する。

「ああ、分かってる。あんな可愛い妹達がいるんじゃな。以前のような、危険な矢面に立ち続ける仕事は難しいって事は理解してる。そうじゃなくて、何か考えてるかって事だぜ?」

 先程の仕事で各自金貨125枚ずつを山分けした。
 これだけ有れば、贅沢をしなければ街中でも数年は普通に暮らせる。
 はじめ他の3名は100枚で、これから大変なアルシェが200枚受け取れと告げたが、少女は均等割りじゃないと受け取らないとなりコレで落ち着いた。
 本当は、エ・ランテルまで妹達を連れて来てくれたから、アルシェは全く受け取らないと言おうとも思った。でも、それは仲間としての有り難い行動へ金銭を絡める事になり大いに怒られると気付いたので、均等割りで妥協していた。
 先の質問について、アルシェは纏まらないながらも伝える。

「明日、皆で話したいと思うけど、決まってる事は妹達と一緒に平和に暮らしたい」
「そうか。――いいんじゃないか、アルシェらしくて」
「確かに、アルシェらしいですね」
「そうよね。また可愛らしい家に住むのかしら?」

 そこからはあの小さな可愛い白い家の話のあと、メイド少女を連れて来た件になる。
 アルシェ的にメイド少女の()()については凄く助かり感謝の思いしかない。
 仕事で家を離れる時に、妹達が懐いている彼女が居ればとても安心であると。少なくともあと4、5年はいてもらって、そのあと望むならばしっかりした男の人と一緒にしてキチン送り出してあげたいと語る。
 すると、イミーナがロバーデイクへ肘でツンツンと攻撃を掛けていた……。

 宿屋の受付から『フォーサイト』の4名は其々の寝室へと向かう。
 部屋の割り振りは、ロネと双子姉妹では不安と言うのでイミーナも同じ一部屋なのだ。それもあって、ヘッケランとロバーデイクが同じ部屋となっている。
 アルシェとブリタはツインが無かったので別々という形であった。

 翌日、アルシェの今後についての話し合いだが、部屋割り的にどこかへ集まるのは難しそうで、午後に宿屋の広めの屋上の一角で一席を設けた。
 それには、早朝からアルシェの部屋へウレイリカとクーデリカが押しかけ、姉を一時も離さないという状況もあったからだ。
 昨日の再開直後に再度引き離されており、無理もないと昼食や午後のお茶会もずっと一緒であった。なので、双子姉妹のお昼寝タイムと夜も早く眠る習慣を利用する事にした。
 午後3時から始まった『フォーサイト』の話し合い。
 場所は6階建ての5階にある部分屋上だ。奥行きのある庇の下にベンチとテーブルが数セット並べてある。その一つへブリタもメイド少女も席を外し4人で陣取って始まる。ただ、アルシェの今後の話だけに留まらない。
 他の3人の今後についても、いきなり話が出た。昨夜、少女が自身の大枠を語ったからだ。

「俺は商人の四男だからな。基本的に商売も嫌いじゃない。将来的には何か店を構えるのも有りかと思ってる。誰かさんも店番は向いてるだろうしな」

 そう言ったのはリーダーのヘッケラン。イミーナの顔をチラ見しながらだ。

「ぼんやりするのは嫌いじゃないけど。でもそれ、今起こっている竜の軍団との大戦争に王国が勝ったらの話でしょ? 現実を見てない話なら妄想とおんなじよ」

 彼女は相変わらず手厳しい事を言う。でも、彼との店での番は悪い気もしていない様子。
 ロバーデイクはイミーナの言葉にあった戦争と、そのあとに起こる事を危惧し憂う。

「私は、元々寄付などもしていましたが、今起こっている戦争が終わった時の大きな残り傷になるだろう孤児達を助ける施設を起こしたいと思ってます。けれど、まずは戦争に勝てるのか、勝つのも何年、何十年先になることかと……心配です」

 竜の軍団は300頭以上、との数字が帝国へも伝わっている。難度が不明なので希望は持ちたいが、普通に考えて絶望的な数字だ。
 古来より伝わる竜の成体難度は75辺りが最低基準。兎に角、飛ぶ上に頑丈さと攻撃力にブレスや知能が総合され、有り得ない強さと伝わっている。魔法剣でなければ傷すら付かないとさえだ。
 帝国から遠征軍が出る噂も帝都に流れたが、大きな隊列や兵站輸送を見ていない。
 フールーダ・パラダインが魔法省の精鋭を連れて出たのは、アルシェによると事実らしいけど。少数精鋭を送り込んだ可能性はありそうだが、フールーダがどこまで善戦出来るかだろう。老師さえも未経験のはずの規模。
 そういう部分は、4人の将来へこれから最初に直面する現実である。これら情勢について1時間近く互いに語られた。
 話し合う中、この戦争は苦戦し長引くのではと悲観的な空気が多く占めていく。リ・エスティーゼ王国はいずれにしてもボロボロになるはずだと。
 少しの沈黙のあと。アルシェが現状を見ての、当面の考えを伝える。

「――今既に、エ・ランテルの様な都市はどこも治安が悪そうに見える。だから、私はこの戦争が終わって落ち着くまでは、ロネや妹達とカルネ村にいるつもり」
「そうですね。都市内でも昨夜の様な事が起こる様では、各領主と騎士団不在の地方は、街や村で今後、組織的に大規模な略奪劇が発生するでしょう。その点、アルシェさんの村は、帝国軍からも一目置かれる将軍と小鬼(ゴブリン)軍団がいますからね。余程安全ですか……」

 ロバーデイクの話に、ヘッケランは考える。

(確かにな。アルシェを開放している点で、ある程度信用も出来る。ただ、俺達3人が歓迎されるかだが……ブリタという彼女も冒険者で最近移住した雰囲気だし、どうするか)

 帝国貴族から逃げているという部分を甘く見る事は出来ない。
 伯爵ともなれば、遠方の小さな街ぐらい経済力だけでも潰せる程なのだ。刺客も、その気になれば延々と複数を差し向ける状況も十分ある。
 その部分でも、エモット将軍と小鬼(ゴブリン)軍団は心強い。何せ、皇帝ジルクニフと交渉した連中なのだ。カルネ村へは帝国貴族達さえ、勝手にちょっかいを出し辛い。

「とりあえず、夜にまたアルシェの部屋へ集まろう」

 2時間近く過ぎており午後5時前。双子姉妹が動き出す時間と見て一度閉会する。
 程なく、やはりアルシェはクーデリカとウレイリカの突撃を受けて占領されていた……。
 夕食を終え、アルシェは姉妹とメイド少女らの部屋で楽しい絵本を読んであげて過ごし、姉妹達が安心して眠るまで共に居た。
 それから、彼女の部屋へヘッケラン達が集まる。冒頭は双子姉妹の話で和やかに進んだ。
 「二人は無敵だな」とヘッケランが笑う。屈強な彼も、二人に泣かれてはお手上げだったと。
 次に、昨夜の大捕物の経過についても少し出る。

「今のところ、私達の話は出て来てないわね。あのお婆さんがツブしてくれたみたい」

 帝国から逃げて来たのに目立っては本末転倒。絶対の条件だったが、普通は結構難しい話。
 それだけ、リイジー・バレアレが凄いのだと改めて皆で納得する。
 ここで唐突気味だが、本題に絡んでブリタの話がヘッケランから挙がる。

「ところで、ブリタさんだったか? 彼女はエ・ランテルの冒険者だよな?」

 イミーナの視線が一瞬鋭さを増す。でもこれは実に重要な問いであった。カルネ村では余所者はどうなるのかという見本としてだ。
 アルシェから、女戦士が冒険者を休業し、カルネ村に来てまだ4週間経ってない事実や、村人達と交流して自警団でも隊を任されてる状況などが伝えられた。

「そうかぁ」

 そこで、少し4人の間で沈黙が流れた。
 ヘッケランの腕を組んで視線を彷徨わせてる様子は、少し大きめの結論が出る前だと知る。
 アルシェも暫定的ながらまだチームの一員である。
 リーダが口を開く。


「よし、一度カルネ村へ行こう」


「そうね。双子の妹達も送って行きたいし」
「異論はありません。行きましょう」
「皆と一緒で嬉しい」

 アルシェの笑顔に、チームの当面の話が纏まった。

 2日後の朝、行きは2人だったカルネ村へ戻る馬車は一気ににぎやかとなっていた。
 ヘッケラン達の馬車は到着当日、高級宿屋へ行く前に、人当たりの良いロバーデイクによって売り払われている。此処からの移動は、全く違う馬車に変更する予定だったから。
 快晴の夏空の下、御者席に行きの成果を見せると麦わら帽子を被ったアルシェが座り、双子姉妹とイミーナも乗る。女性陣は皆、可愛い街娘姿であるっ。
 野郎2人が帰り路の護衛を買って出ていた。
 荷台には、ヘッケランにロバーデイクと少女ロネにブリタが乗り、村民から頼まれたブツもあって、十分狭い。
 昨日、街へ皆で繰り出した折に、ブリタは服と下着を数組イミーナから買ってもらった。
 滞在経費だけでは申し訳ないとしてである。金貨4枚以上支払っており結構良いモノばかり。
 アルシェも妹達やメイド少女へ洋服を購入していた。
 彼等の稼いだ金額を知るので、便乗させてもらったブリタはホクホク顔。狭さも我慢出来る。

「いやー、賑やかなのもいいよねぇ、はははっ」

 エ・ランテルから離れ、北へ向かう小道をゆるりと進む馬車の荷台へ彼女の笑い声が響いた。














 一つの大舞台(戦争)が幕を閉じ、御方の地上での境遇が激変しつつある中。
 アインズ……いや、モモンガには頭の片隅へ、ずっと燻っている考えがある。
 ギルド(アインズ・ウール・ゴウン)の存在の周知と待ち時間は十分に有ったはずなのだ。

(一体、どうなっているんだよ。未だに姿を見せないなんて……)

 そう、(ただ)の一人でさえもプレイヤー達が現れていないのだ。


 ――絶対的支配者の(モモンガ)は言い知れない『失望』を感じていた。


 でも此度の人類苦境の事態のみでの判断は早計。彼のこの目的(戦い)はまだ終わっていない。
 支配者は直近の変化に思う所もある。

「……俺が領主なんかになったから、俺の前に登場すれば顎でコキ使われるとか思ったのかもしれないしなぁ。それに、竜王国の件も(新舞台として)あるし」

 彼はまだ根気強く待っている。待ち続けていた。

 しかし、間もなく――()()()()()()を知る事で、どん底に突き落とされる状況になるとはまだ知る由もないアインズだった……。






補足)49話内の時系列

☆終戦9日前(開戦前日)
午前中  アルシェ、エンリとカルネ村へ

☆終戦7日前(開戦翌日)
午前中  フォーサイト&双子姉妹、帝都出発

☆終戦5日前
午前10:20?ツアレ&キャロル&メイベラ、王都ゴウン屋敷掃除中
     マーリン、王都市場で、子爵家家令補佐からの勧誘を断る

☆終戦3日前
午前11:4? フォーサイト、エ・ランテル到着

☆終戦日前日
午前07:3? アルシェ&ブリタ、カルネ村出発
午前10:3? アルシェ&ブリタ、モンスターと遭遇
午後06:2? アルシェ&ブリタ、エ・ランテル到着
午後07:2? アルシェ&ブリタ、フォーサイト探索開始
午後08:0? アルシェ&ブリタ、酒場へ
午後09:4? ザック、殴られる
午後11:2? ザック、アジトへ戻る
午後11:3? アルシェ&ブリタ、強盗と遭遇
午後11:50?アルシェ&ブリタ、宿屋の部屋へ戻る

★終戦日当日
午前00:2? レイナース、逃走開始。エ・アセナル内に潜伏
午前00:3? 竜王、撤退を決断 戦争が終わる
午前00:40 竜王、各地へ停戦・撤退呼びかけ開始
     アインズ、ヘカテーへ待機指示
     アインズ、レエブン候へ竜王撤退意志を報告、停戦要請
     レエブン候本陣へアンデッド部隊出現報告
午前00:5? 竜王、宿営地で停戦・撤退呼びかけ
     帝国遠征軍、撤退開始
     アインズ、デス・ナイト達へ撤収指示
午前01:00 アインズ、レエブン候本陣出る
     アインズ、ルベドを説教
午前01:15?アインズ、マーレへ〈伝言〉
午前01:2? 竜王、各地へ停戦・撤退呼びかけ完了(伝令指示は継続)
     アインズ、エ・アセナル内のアンデッド排除
午前01:3? アインズ、王国から頼まれた竜王とのアポを取る
     ガゼフ&ユリ、レエブン候の陣へ寄るも再度、王捜索へ
午前01:4? ズーラーノーン『混沌の死獄』の領域消失
午前01:5? 上位アンデッドの退避
午前02:00 ガゼフ、国王と合流
午前02:30?ガガーラン、『蒼の薔薇』復帰。リグリット、ツアー訪問へ
午前03:00?国王&ガゼフ、レエブン候の陣に到着
     アインズ、ガゼフに会う
午前04:00?アンデッド部隊鎮圧
午前04:4? 王国・竜王会談
午前05:00?会談終了、会場撤収
午前05:10?レエブン候&アインズら、エ・アセナルへ向け馬で出発
午前05:20?エ・アセナル北門前 日の出 
午前05:35?エ・アセナル内へ
午前05:?? 蒼の薔薇、帝都へ帰還するイジャニーヤと別れる
午前05:5? レイナース、都市復活がゴウン氏の魔法と知る
午前06:00 竜王軍団、評議国側へ撤退完了
午前06:00?アルシェ起床
午前07:00?エ・アセナル中央城へ
     アルシェ&ブリタ、フォーサイト探索2日目開始
午前07:5? アインズ、エ・アセナル領主を国王より譲渡される
午前08:00?国王&レエブン候ら貴族朝食
午前08:45?有志貴族の威力偵察部隊出撃
午前09:00?国王&レエブン候らエ・アセナル退去
     エ・ペスペルのオリハルコン級魔法詠唱者死亡
午前09:40?エ・アセナル有力者会議
午前10:00 レイナース、ゴウン氏がエ・アセナル領主になった事を知る
午前11:45?エ・アセナル中央城客室で休息
     モモン、アインザックらへ剣の修繕でエ・アセナル訪問希望
午前11:5? アルシェ&ブリタ、フォーサイトの宿屋発見
午後00:20 アインズ、ナザリックへ
午後00:30?王国軍主力の撤退が開始
午後01:35?アインズ、ナザリックを離れる
午後01:4? アルシェ&ブリタ、薬品店でフォーサイト&双子姉妹と再会
午後01:5? 蒼の薔薇、モモンらの宿営地へ
午後02:0? 王国軍主力の撤退がアインザックらへ開始が伝わる
午後02:1? モモンら、アインザックらの宿営地からエ・アセナルへ出発
午後02:5? フォーサイト薬品店で再集結
午後03:00 アインズ、エ・アセナル中央城内で貴族会議
午後03:4? モモンら、エ・アセナルへ到着
午後04:00?レイナース、ゴウン氏へ接触を図るべく商人を利用する
午後04:5? モモンら、アインズと面会
午後05:3? 偽モモンら、エ・アセナル中央城を去る
     シズ、ソリュシャンが正式に登城
午後06:00 アインズ、トブの大森林の街で新ゴブリン軍団と面会
午後06:3? 偽モモンら、アインザックらの宿営地へ帰還
午後07:00 アインズ、6時間の部分休暇に突入
     アインズ、休暇施設へ
午後07:20 アインズ、別の休暇施設へ
午後10:0? アインズ、カルネ村ゴウン邸へ
午後10:3? 竜軍団宿営地へ監察官到着
午後11:45 薬品店襲撃される
午後11:45 アインズ、休暇施設へ

★終戦日翌日
午前00:15?薬品店襲撃犯、全員拘束
午前00:50 フォーサイト、宿屋へ戻る
午前01:00 アインズ、部分休暇終了 日課と執務へ
午前01:1? 薬品店襲撃犯、衛兵へ引き渡される
午前02:0? アインズ、竜王へ会いに行く為、ルベドと合流
午前03:2? アインズ、竜王と接触
午前03:3? 竜王姉妹、アインズの言葉に従う
午前04:00?『漆黒』へ合流
午前中  レイナース、ゴウン氏からの手紙を受け取る
午前11:00 『竜王国への救援先発隊』最終打ち合わせ
午前11:30 『竜王国への救援先発隊』出発
午後02:30 (予定)レイナース、エ・アセナル中央城でゴウン氏と面会
午後03:00?フォーサイト会談その1開始
午後05:00?フォーサイト会談その1終了
午後08:?? フォーサイト会談その2開始
午後09:4? フォーサイト会談その2終了

★終戦日翌々日
??   フォーサイト&双子姉妹&ブリタ、街へ買い物に

★終戦日3日後
朝    フォーサイト&双子姉妹&ブリタ、エ・ランテルを出発
午後07:3? (予定)『竜王国への救援先発隊』竜王国首都到着



考察・捏造・補足)大商人や大商会といっても大貴族や都市行政庁より経済的には小さく抑え込まれていた
本作において、国家へ圧力を掛けられる程の巨大商人はいない感じ。
それを実現するとした時の、独自設定として考えてみました。



考察・捏造・補足)完全破壊された武器や防具
自然のサイクルを作って、再利用も考えてみました。
「時間を経るとゆっくり破片化し固めておけば後に鉱石化する」感じで。
遺産級(レガシー)以上は壊れにくいけど、代わりに復活しにくい設定。



捏造・補足)新小鬼(ゴブリン)軍団の上位陣の名前
御存じの通り皆、落語の演目からですね。
芝浜、子ほめ、犬の目、野ざらし、十徳、ガマの油、時そば、出来心、死神
どれも面白いですよ。



補足)ウォーターパークなざぶーん
コンプエース2018年10月号の表紙、アルベドの団扇に…





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