追想 -少女と風祝の巫女-【完結】 (鷹崎亜魅夜)
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一話

 まさかの続編登場。
 とはいっても風見幽香さんは出てきません。

 今回は早苗さんを主人公にした物語です。
 この物語を読んで、何かしらを感じていただければ幸いです。

 ではどうぞ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 奇跡は起こすものではなく、起きるものなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんで私、こんな所にいるんでしょう……」

 

 辺りは酔っ払いたちの笑い声が響いている。

 守矢の巫女こと東風谷早苗は頭を抱えながら対面に座る少女へと視線を送った。

 

「ング、ング……ぷはーっ。いやぁ、一仕事終えた後の酒は格別だねえ。ん? どうしたんだい、おまえさん。そんなしけた面をして。せっかくの酒なんだ、もうちょっと美味そうに飲みな」

 

 朱色のツインテールをひょこひょこと揺らしながら死神の少女――小野塚小町は頬をほんのりと染めながら言った。

 

「私はつい先ほどまで布教活動をしていたはずなのに、なぜこの死神の酌の相手をしているのでしょうか……」

「カタイこと言うなよ、おまえさん。一人酒ってのも乙なもんだが、時にはこうやって盃を酌み交わす相手が欲しかったりするんだよ」

「閻魔さまと共にすれば良いじゃないですか」

「いやあ、映姫さまとお供をするとね…………そりゃもう、お小言がすごいんだよ」

 

 ふっ、と小町は冷めた笑いを漏らしていた。

 彼女の上司である四季映姫は、この『幻想郷』の閻魔だ。簡単に言ってしまえば裁判官のような者である。閻魔と言う種族の特徴なのか、彼女自身の性格なのか、『少々』小言が多い。小町はサボり魔としても有名なので、映姫は目の上の瘤なのかもしれない。

 

「せっかく息抜きをしているのに、息が詰まっちまうよ」

「アナタは空気が抜け過ぎてるから入れる必要があると思いますけどね」

「おまえさん中々にトゲのあることを言うね」

 

 殆ど拉致に近い形で連れてこられたのだ。多少は言葉に棘があっても仕方ないだろう。

 

「それはさておき、おまえさんは飲まないのかい?」

 

 小町が御猪口を手渡して来るが、早苗は小さく首を振った。

 

「私はあまりお酒に強くないので」

「そう言えばおまえさん、元々は『外』の人間なんだって?」

 

 いきなり話が飛んだため多少の間が空いてしまったが、早苗は小さく咳払いをして答えた。

 

「ええ、そうですけど」

「なんでまたこんな不便なところに来たんだい?」

「……」

 

 早苗は僅かに口を噤んだ後、努めて冷静に答えた。

 

「そこでは守矢の信仰を得ることが出来なかったので、どこか信仰を得られる場所を探している内にここに辿り着いたんです」

「ウソだね」

 

 ハッキリとそう言われ、早苗は肩をすくませた。早苗は眉を吊り上げ、一人で酒を注いでいる小町に向かって言った。

 

「ウソなんかじゃありません、神奈子さまは守矢の現状を憂いて――」

「あたいは腐っても映姫さまの部下なんだ。多少は人のウソを見抜く目を持っているよ」

 

 小町は一気に酒を煽ると、一回だけしゃっくりをした。

 

「おまえさんが言ったことは事実かもしれない。でも、それが全部であるとは思えない。……少しばかり、思う所があるんじゃないのかい?」

 

 酒が回って眠そうな目をしているのだが、そこに酩酊の色はうかがえなかった。

 早苗は『外』にいた頃のキズを思い出し、僅かに視線を逸らした。それを小町は見逃さず「やっぱりね」と呟いた。

 

「あの軍神が言うことは間違いないだろう。それだったら別に『幻想郷』でなくとも良かったはずだ。『外』は『幻想郷』とは違って広いんだろう? そこのどこかにしなかったということは……『外』には居たくない理由がある……そう考えても、おかしくはないだろう?」

 

 小町は空になった酒瓶を振り、店員に「もう一本追加しておくれ~っ」と叫んでいた。

 この死神、普段は閻魔に殴られたり説教をされているだけの無能かと思ったがとんだ勘違いだった。実はかなりのキレ者なのかもしれない。

 早苗は新しく持って来られた酒瓶を手に取ると、それを一気に飲み干した。

 

「おーおー。良い飲みっぷりだねえ。苦言を呈するとしたら、あたいの分も残しておいてほしかったね」

 

 もう一本追加で、と小町は追加注文を頼んでいた。

 アルコールに弱い早苗の顔はもう真っ赤になっており、目もとろんとしていた。それを見た小町は苦笑いを浮かべていた。

 

「酒に弱いってのは本当だったんだねえ……」

「うるさいですね、別に良いじゃないですか」

 早苗はジト目を向けながら机に突っ伏した。

「……『外』に居た頃は、私は普通の学生だったんです」

 

 ぼそりと早苗は呟いた。小町はそれを聞き逃さず、反応する。

 

「学生っていうと……あの寺子屋みたいな感じなのかい?」

「もうちょっと複雑ですが、似たような物です。私は『外』では特別な人間だったんです」

「特別? おまえさんが?」

「ここでは異能が当たり前みたいな感じで目立つことは無いのですが、『外』ではそう言った人間を超能力者と呼び、特別視するんです」

 

 目の前にいる小町は『距離を操る』能力を持っている。彼女の上司の四季映姫は『白黒はっきりつける』能力を宿している。無論、早苗にだって能力がある。

 

「『奇跡を起こす』能力を持っている私は、まさに神様と同格の扱いを受けていました」

 

 実家が神社だったと言うこともあり、早苗は神聖視されていた。神社に祀っている神様よりも信仰を集めていたかもしれない。

 

「人を越えた能力を持ち、人とは違った存在として崇められる……。そして私は……驕っていたんです」

 

 神である自分は手を取り合うことなど不要だと思い、唯一神として崇められる自分に憧れていた。

 その過信した魂は、己の罪を知ることになった。

 ちらり、と早苗は小町を見つめる。小町の種族は死神。

 西洋では告解という、自己の罪を神の前で打ち明け、罪の許しを求める行為がある。まさか自分がそれをすることになるとは、思いにも因らなかった。神は神でも、死神だが。

 そして早苗は告解する。

 

 

 

「私は『外』で、一人の少女を……殺してしまったんです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 霊が見える。そう自覚したのは小学校に上がるくらいだっただろうか。物心が付いたころから見えていたが、それが霊体であるということには気付いていなかった。

 なんで血まみれの男の人がおじさんの背中にしがみついているんだろう、とか。なんであの人はお兄さんの腕に噛みついているんだろう、とか。そんな事を思って過ごしていた。

 

「流石に壁にめり込んでいる人を見た時は自分の正常さを疑いましたけどね」

「いや、血まみれの男が背中にしがみついてる時点でおかしいと思いなよ」

 

 対面に座っていた帽子を被った幼女――洩矢諏訪子がそう呟いた。

 彼女はここ、守矢神社に祀られている神霊の一柱だ。土着神の頂点に君臨し、祟り神を操ることが出来る。

 

「まあ、アンタは特殊な血を引いてるワケだし、霊が見えるのは頷ける話なんだけどね」

 

 諏訪子は腕組みをしながら何度も頷いた。

 東風谷早苗はこの神霊・洩矢諏訪子の子孫に当たるのだ。それはすなわち、神の一族であると同義だ。ちなみに早苗はこの事を知らない。

 

「隔世遺伝……て言うんじゃないのかい?」

 

 ふと、第三者の声が聞こえた。声のした方を振り向くと、そこには大きな茅の輪を背負った女性がいつの間にか座っている。

 

「ここに来てから随分と経つが……守矢の血筋で殆ど神に近い力を持って産まれたのは早苗が初めてなんじゃないのかい?」

「現人神ってやつだね。てか神奈子、いつの間にこっちに来たの?」

 

 諏訪子は茅の輪を背負った女性――八坂神奈子に質問を投げかけた。

 

「気にすんな」

「……まあ、良いけどね」

 

 諏訪子は少しばかりトゲのある言い方をしていた。

 この八坂神奈子も守矢神社に祀られている神霊の一柱だ。一般的に、祀られる神は一柱なのだが、どうもこの二人は過去に色々あったらしい。詳しいことは二人ともしゃべろうとしないので早苗は諦めている。

 

「それで、何の話をしていたんだい?」

「早苗の神通力についてレクチャーしておこうと思ってね。『奇跡を起こす』なんてぶっ飛んだ能力を持っているんだ。少しばかりは力の扱い方を教えておかないと、何でもかんでも『奇跡』を起こしかねないしね」

 

 ゆとりっ子である早苗としてはバンバン能力を使って楽をしたい。しかし、幼い時から諏訪子に「人前でもそうだけど、能力は私が良いと言うまで使うんじゃないよ」と口酸っぱく言われ続けてきた。ある程度の分別が付いたと判断されたらしく、こうして呼び出されて力の制御について教えを受けている最中なのだ。

 

「なるほど、確かにそんなバカな子に育ってほしくは無い」

「バカな子って……あんまりです、神奈子さま」

「早苗、おまえは人とは違って特別な能力を宿している人間だ。その力を過信して、守矢の看板に泥を塗るような真似はするんじゃないよ」

 

 小さい頃から周りの人間に特別特別と言われて育ってきた早苗。自覚は無いようだが、早苗は少々自身を驕っている節が見られる。それを諌めてきたのが諏訪子であり神奈子でもあるのだ。

 

「勿論そんなつもりはありません。私は由緒正しき守矢神社の正統後継者なのですから」

 

 むんっ、と意気込みを露わにするが、その態度がダメなのだと諏訪子も神奈子も嘆息した。どうしたらこの天狗の鼻を圧し折ることが出来るのだろうか、と語り明かす事もしばしばあったりする。

 

「……情操教育って、物心ついたと同時にやらないとダメなんだね」

「そうかもしれないねえ……」

 

 早苗がこれまでに異能を使って来なかった事の方が奇跡に近いのだ。扱いが分からないと言うこともあったのかもしれない。

 

「それはともかくとして。早苗、滅多なことじゃ異能を使うんじゃないよ」

「分かっています」

「取りあえずは私たちの許可が下りた場合のみ使用を許すことにするか」

「……」

「なんだいその顔は」

 

 早苗が思いっきり不満そうな顔をしていたので諏訪子がそれを指摘した。

 

「いちいち許可を取らないといけないんですか……」

「そうでもしないとおまえ、どうでも良いことに能力使いそうだからね」

 

 神奈子がそう呟くと、早苗は頬を膨らませながら反論する。

 

「そんなことしませんよ」

「おまえ、小学校の時に異能を使えないからって私に『運動会で走るのイヤだから地震を起こして学校を破壊してくれ』って私に願って来たじゃないか」

 

 諏訪子はジト目で早苗を見遣った。

 諏訪子はその身に『坤を創造する』能力を宿している。坤とは大地を示す。よって彼女は大地を操ることが出来るのだ。だから早苗は諏訪子にそう願った。

 

「そんなことありましたっけ?」

「私が無理だって言ったら、今度は神奈子の所に行って『大雨を降らせて運動会の順延を無くしてくれ』って言ってただろ」

「流石の私もそう願われたのは初めてだったよ」

 

 神奈子はその身に『乾を創造する』能力を宿しており、乾とは空、すなわち天空を操ることが出来る。神奈子は風雨の神としての力も持っているので雨を降らせることくらい容易いのだが、まさかそんなどうでも良いことに自身の能力を頼ってこられるとは思ってもみなかった。

 

「と言うより、大雨を降らせるって……おまえは『ノアの箱舟』にでも乗りこむつもりだったのか?」

 

 旧約聖書の出来事を思い出し、神奈子は苦笑いを浮かべた。

 

「神奈子さま、聖書を知っているんですか?」

「あのな、私は曲がりなりにも神なんだぞ? 宗派などは違っても、西洋の神学などは一通り知っている」

「私も一応ね」

 

 どうやら諏訪子も神奈子も一通りの神学には精通しているようだ。

 

「物知りなんですね。流石はお婆ちゃんの知恵袋、亀の甲より年の功」

「「あ?」」

 

 さなえは かみの げきりんに ふれた。

 

 早苗としてはそんなつもりで言ったワケではないのだが、二柱にとっては看過できない問題だったようだ。例え相手が神であろうと、女性に年齢の話題を出すのはタブーだったらしい。

 怒りのオーラを纏い、諏訪子と神奈子が立ち上がった。

 

「少し、灸を据えた方が良いと思うんだけど……どう思う、神奈子?」

「良いねえ、その話、乗ってやる」

 

 じりじりと近づいてくる邪神に挟まれ、早苗は右往左往する。

 

「こ、コマンド! コマンドウィンドウは!? ログアウトウィンドウは!?」

 

 現代っ子の現人神はゲーム脳でもあった。

 即座に【逃げる】を選択したいのだが、現実はとても非常だった。

 

「き、奇跡よ起これ!?」

 咄嗟にそれっぽいことを言ってみるも、何も起こらなかった。

 もう目の前まで迫って来ている二柱に視線を移し、早苗は目尻に涙を浮かべながら顔を左右に小さく振った。

 

「いや、いや……いやぁぁぁああああああああああああああああああっっ!?」

 

 守矢神社に少女の悲鳴が轟く。

 早苗はこの世界がゲームではないことと、現実逃避できないことを改めて思い知った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「まず始めに、早苗の起こせる『奇跡』は程度が決まってる」

 

 ぷしゅー、と煙を出して机に突っ伏している早苗を無視して諏訪子は説明を始める。

 

「数学的に言うと確率に近いかな? 極僅かな可能性……○・○○○○○○一%の起こりうる未来や可能性、奇跡を越せる切っ掛けがある限り、早苗は奇跡を起こせる」

 

 逆を言えば起こる確率や切っ掛けが無い、全くの0の場合は奇跡は起こらないということだ。

 成功率一%の手術を、早苗は成功率一○○%で行えると言うことと同じだ。絶対的に不可能なこと――不治の病の治療や死者を甦らせると言った行為は出来ない。

 

「あとは風にまつわる事なら制限はないよ」

「風は絶えず吹いているからね。だからと言って、乱発するんじゃないよ?」

「は……はい……」

 

 よろよろと起き上がり、早苗は頷いた。

 

「ああ、あと、難病の中でも治療法が確立されていないモノも無理だから。なぜなら、治療法が無いから」

 

 諏訪子はそう補足説明をした。

 

「例えば……どんなのがありますか?」

「そうだねえ……アルツハイマーとか、振顫麻痺とか」

「しんせんまひ?」

「パーキンソン病のことだよ」

 

 厚生労働省に指定されているモノばかりだ。確かに、それらは医療技術が発達した現在でも治療法が確立されていない。アルツハイマーに至っては、治療法を見つければノーベル医学賞モノだとも言われている。

 

「でも、それを治すのが『奇跡』なんじゃないんですか?」

「だから始めに言っただろう? おまえの起こせる『奇跡』は程度があるって。そして治すのは『奇跡』ではなく、純然たる医学だ」

 

 早苗の能力にそう言った制限がなければこの世界からは『病気』は一切合財なくなるだろう。そうなっては医者の働き口がなくなってしまう上に、このアホの娘が余計につけあがる可能性がある。

 人類の叡智の結晶とも誉れ高い『医学』を、そんな事で穢してはいけない。

『人間』を治すのは『人間の力』でなくてはならない。

 

「……神様の血を引いているのに制限があるとか……しょぼいですね」

「おまえ、いつか天罰が下るぞ」

 

 本物の神様が言うので本当に下りそうで怖い。

 

「何でもかんでも『奇跡』でほいほい解決しちゃいけないんだよ。絶対に越えられない一線はどんな物事にも存在している。ただの『人間』は神の領域に踏み込めないんだ」

 

 それがどう言う意味なのかイマイチ分からない早苗は取りあえず「へー」と流しておくことにした。

 

「自分の力の制御に慣れてくれば自分の意思で発動することもできるだろうね。まあ、何かの切っ掛けで思わず発動する場合もあるかもしれないけど」

「なんだか不安定な力ですね」

「『奇跡』を人の手で制御しようってのがおこがましいんだよ。起こせるだけありがたいと思いな」

 

 神奈子は早苗の頭を軽く小突いた。早苗は頭を軽くさすりながら神奈子を見上げた。

 

「ひとまずの説明はこんなもんかな。分からないことや気付いたことがあったら私たちに聞きに来な」

「分かりました」

 

 早苗は頷いて立ち上がった。

 

「どこに行くんだい?」

「境内の掃き掃除をしてこようかと」

「風の力でゴミ集めて~なんて楽するんじゃないよ」

「もう、分かってますよ」

 

 諏訪子に茶化され、早苗は少しぷりぷりしながら部屋を出て倉庫へと向かった。箒をそこから取り出し、境内へ向かう。すると、そこには二人の参拝客が訪れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一人は三〇代半ばの綺麗な女性。もう一人は車椅子に座る一〇代前半の少女だった。

 珍しいな、と早苗は内心で思った。

 守矢神社は諏訪子にちなんで蛙に掛けた縁起担ぎ(無事に『帰る』=安全祈願、すぐに物が『買える』=金運上昇、見ち『がえる』=変貌願望など)や、神奈子の特性で風関連や五穀豊穣、武運などがある。

 

(あの車椅子の少女を見る限りでは病気回復なのは間違いないはず……。なんでここに訪れたんでしょう、場違いにも程がありますね)

 

 早苗は少女の境遇に同情するどころか、どこか見下した考えを持っていた。神社に参拝に来るだけでもありがたいのだが、病院に行けよと思わなくもない。まあ、そんなことが積み重なって神を信仰する者は極端に減り、オカルトなどと蔑称されているのだが。

 

(とはいえ、大事なお客様です。失礼の無いようにしなくては)

 

 こほん、と小さく咳払いをして早苗は二人に近づいた。

 

「こんにちは、お参りですか?」

 

 にこりと笑みを浮かべながら近づく。すると大人の女性は人の良さそうな笑みを浮かべて受け答えてくれた。

 

「ええ。と言っても、近辺にある神社仏閣に手当たり次第のお参りで、罰当たりにも程があると思いますけどね」

 

 本当ですね、と思わず口にしそうになった。早苗は内心で「ふーっ、あぶねいぜ」と汗を拭っていた。

 

「差し支えなければ、どんなお願いをしたのか聞いてもよろしいですか?」

「……」

 

 母親は僅かに翳のある表情を見せ、車椅子に腰をおろしている少女の頭に手を置いた。

 

「この子のことで」

 

 まあそうだよな、と早苗は思った。車椅子に座った少女とその母親。それだけで何を願ったか大凡の見当はつく。

 

「ご病気……ですか」

「はい」

 

 母親は小さく頷く。

 

「現代医療でも未だに治療法が確立していないので……。だからもう藁にも縋る思いで、辺りの神社仏閣に乞うているんです。もう……残された時間は無いので」

「水を差すようですが、この神社は五穀豊穣や蛙に関する縁起担ぎなのですが……」

「この神社は武運も担っているとお聞きしました」

「びょーきと、たたかうの」

 

 今まで黙っていた少女が暗く答えた。

 なるほど、そう言う意味でやってきたのか。

 少女は鬱屈した、この世界を恨んでいる様な沈んだ瞳をしている。座っているので背丈は解らないが、早苗よりは頭二つ分小さいだろう。だぼだぼのパジャマに、足にはデフォルメされた蛙がプリントされた膝掛けをしていた。

 

「なるほど、病気と戦うからお願いに来たんですね?」

「……うん」

 

 少女は静かに答える。見た感じでは自分より四つか五つは年下だ。

 

「それと……ここには『神通力を持った少女』が居ると聞いたのですが……もしかして」

 

 ぴくん、と早苗の肩が僅かに動く。

 そして「むふーっ」と言いながら胸を張った。

 

「いかにも、この私が件の少女ですっ」

 

 自信満々に早苗は答えた。

 

「まあ、そうなんですか?」

「ええ。例えば」

 

 口の中でごにょごにょと言うと、早苗を中心に風が吹いた。諏訪子には「あまり奇跡を使うな」と口酸っぱく言われているが、箔を付けるためには多少の奇跡は仕方ないだろうと自分の行動を正当化させる。

 目の前で起きた『奇跡』を見て、少女と母親は目を丸くしていた。

 

「信じてもらえましたか?」

 

 問いかけると母親は何度も頷いた。

 

「お姉さん、まほーが使えるの……?」

 

 少女の目に僅かな光が宿る。魔法と奇跡をごっちゃにされても困るのだが、似たような物なので早苗は「そうですよ」と言った。

 

「でも、この事は秘密ですよ?」

「なんで?」

「周りにバレてしまったら魔法が使えなくなってしまうんです」

 

 魔法少女のモノのアニメでもお決まりの設定だ。早苗の場合は設定ではないし、別にバレたところで奇跡が使えなくなるワケではない。

 

「だから、この事は私のアナタの秘密です」

「……うんっ。わかったっ」

 

 少女は笑みを浮かべながら「お口チャック」と言って口を閉ざした。母親はどこか驚きの表情を浮かべていた。

 

「どうかなさいましたか?」

「いえ……ただ、ビックリして……」

「くれぐれも、口外しないようお願いします」

 

 分かりました、と母親は頷いた。

 

「でも、これで決心がつきました」

 

 母親の謎の決心に早苗は疑問符を浮かべる。

 

「どこの神社仏閣に乞うてもあまり実感が湧かなかったのですが……。この守矢神社なら、きっと娘も……。私はこれからお百度参りをここですると決めました」

 

 お百度参りとは願いが叶うよう神社や寺などで決まった距離を一○○回往復して拝むことだ。と言うことはつまり

 

(最低でも残り九九回はここに訪れる……面倒ですね。恐らく、この娘も連れて来るはず……。その度に私は『奇跡』を披露しなくてはいけないんですか? まったく『奇跡』は見世物じゃないんですよ?)

 

 自分で見せておいて、勝手に面倒がっていた。とは言え、お賽銭が貰えるなら多少は我慢しようと思う。

 そんな事を考えていると、母親は賽銭箱に近づき一枚のお札を落とした。

 

(い、一万……ッ!?)

 

 入れられた額に驚愕していた。一般的にお賽銭は投げ入れた人間の気持ちが尊重されるので、金額が大きければ大きいほど願いが叶うとかそういうワケではない。大抵は五円とか五○円なのだが、もしかするとこの親子はかなりの裕福層なのだろうか。

 

「今日はこの後、私は用事があるので失礼させてもらいます」

「あ、は、はい……」

 

 呆然とする早苗に一礼し、母親は車椅子を転がした。

 

「ばいばーい」

 

 少女は手を振りながら姿を消した。

 

「……」

 

 早苗は境内の掃除を忘れ、その場に立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ゴヅンッ、と鈍い音が響いた。早苗は声にならない叫びを上げながら畳の上を転がる。

 

「あまり人前で奇跡を使うなって言ったでしょ!? おまえの頭は黴饅頭なの!?」

 

 拳骨を振り落とした諏訪子は眉尻を上げながら転がる早苗を叱責していた。神奈子はその様子をどっしりを構えながら、内心でおろおろしながら見守っている。

 止めろよ、と思わなくもないが、早苗は諏訪子の子孫、いわば子どもだ。神奈子は守矢神社に祀られている神ではあるが、早苗とは縁もゆかりもない赤の他人に等しい。その赤の他人が家庭の事情に口を出すのは如何なものか、と言うことで躾に関しては基本的にノータッチと言うことになっている。

 

「い、いたい……」

「痛くしないと躾にならないからね……。このぐらいで勘弁してやるけど、調子に乗ったりおイタが過ぎるようだったら容赦しないからね」

 

 諏訪子は盛大なため息を吐きながら早苗を許した。

 

「にしても……病気回復の祈願で一万とは……だいぶ羽振りが良いわね」

 

 今まで置物のように黙っていた神奈子がそう呟いた。

 

「今の御時世、賽銭なんて一円とか五円とか、財布の中の小銭を出すだけなのに……。よっぽど切羽詰まってるか、ただの成金かのどちらかだけど、早苗の話を聞く限りではどうも前者っぽいわね」

 

 早苗の見解でも神奈子と同じだ。あの母親は近辺の神社仏閣に手当たり次第に祈願していると言っていたし、かなり追い込まれているのだろう。

 それにあの少女。だぼだぼのパジャマや膝掛けで身体の線を隠している。と言うことはつまり、身体に関係ある病気だと言うことが推察できるだろう。あの年代の子どもならもう少しふくよかでも良いような気がするのだが、少女からは真逆の印象を受けた。

 

「現代医療でも未だ治療法が確立していない病……。諏訪子さまが言っていた難病と言うヤツでしょうか?」

「十中八九そうだと思う……。早苗、これだけは言っておくよ」

 

 妙に真剣なトーンで諏訪子がこちらを見ながら言った。

 

「おまえの『奇跡』は『本物の奇跡』には程遠いものだ。くれぐれも、バカな考えはするんじゃないよ」

 

 何を言っているんだろう、と言うのが正直な感想だった。自分は『奇跡』を起こせる神通力を持った少女だ。自分が起こした超常現象はすべて『奇跡』に他ならない。『本物の奇跡』と言われると自分のは『偽物の奇跡』のように言われているような感じがした。

 

「大丈夫ですよ、諏訪子さま。この東風谷早苗、自分の領分は弁えているつもりです」

 

 話を半分も聞いていない早苗は妙な自信を持って答えていた。

 諏訪子も神奈子も、そんな早苗の態度に頭を悩ませた。

 

 

 

 

 

 

 

 学校から帰ってきた早苗は境内にいる二人組に気が付いた。

 

「あれは……」

 

 昨日の親子だろう。お百度参りをすると言っていたし、時間から見ても仕事が終わった頃なのだろう。

 参拝が終わったのか、車椅子を反転させてこちらに近づいていた。

 

「あら、こんにちは」

「こんにちわー」

 

 親子に挨拶をされ、早苗も「こんにちは」と頭を下げた。

 

「今が学校からの帰りなんですか?」

「ええ。そちらはお仕事が終わったのですか?」

「いえ、まだ終わっていないのですが……」

 

 ちらり、と少女へ視線を移した。

 

「この子がアナタに会いたいと言ってきかなくて……」

「え?」

 

 早苗は車椅子に座っている少女を見下ろした。

 

「どうやらアナタの事を心底気に入ってしまったようで……」

 

 にぱーっ、と少女は笑みを浮かべていた。対して早苗は引き攣った笑みを浮かべていた。

 それもそうだろう。会って一日しか経っていないのに気に入られてしまうとか、どんだけこの子は気が多いのだろうか。ある意味では奇跡に近い。

 

「そ、そうですか……。でも、学校のお友達とかが居るでしょう?」

 

 早苗が問いかけると、母親は苦しそうな表情を浮かべていた。どうやら地雷を踏んでしまったようだ。この変な空気を打破するためにアレコレ考えていたが、母親は観念するかのように呟いた。

 

 

 

 

 

「この子は一度も学校に行ったことがありません」

 

 

 

 

 

 衝撃の一言に早苗は言葉を失った。早苗の見立てでは少女は小学校高学年くらいだ。その年になって未だに学校に行っていないとはどういうことなのだろうか。まさか、『存在しない子』なのだろうか、などと変な考えが脳裏をよぎる。

 

「この子は先天性の遺伝子疾患を抱えているんです」

「先天性の、遺伝子……疾患?」

 

 遺伝子が変容を起こし、生まれながらにして疾患を持っているということだ。先天性の疾患として例を挙げれば喘息などがあるが、それは薬などで抑えることが出来る。しかし、遺伝子疾患となれば話が別だ。

 人は遺伝子の中にあるゲノムまで解析することに成功した種族であるが、『遺伝子』そのモノを解明したワケではない。遺伝子には様々な謎が遺されており、遺伝子一つの欠損で重大な害を被る。

 それが、この少女にあると言うのだろうか。

 

「生まれて間もなくして、様子がおかしいことに気が付いた私たち親は病院に精密検査を依頼して調べてもらいました。そして……お医者さまに、そう言われました」

 

 母親は少女の頭を撫でながら、悲しそうな表情を浮かべていた。

 それも仕方ないことだろう。胎を痛めて産んだ我が子がまさかの遺伝子疾患を抱えていようとは想像だにしていなかったはずだ。きっとその時は取り乱したに違いない。そしてこの世の理不尽を責めただろう。なぜ我が子がこんな目に。なぜ我が子なのか。この世界にいるかもしれない『カミサマ』を酷く糾弾しただろう。

 そう考えると、早苗の出生は真逆の反応だった。『奇跡を起こす』能力を宿した少女が神社の子として生まれたのだ。本来であれば、異能を宿した子どもは悪魔憑きや鬼の子として扱われても仕方ない。しかし、早苗は祝福された。なぜなら『奇跡』を起こせるからだ。早苗は生まれながらにして現人神と讃えられ、丁重に扱われて育ってきた。『カミサマ』に愛された子として、今の今まで育ってきた。

 早苗と少女は、いわば『神に愛された側』と『神に見捨てられた側』なのだ。

 そう思うと、流石の早苗でも心苦しいものがあった。

 

「それは……心中お察しします」

 

 早苗はまぶたを下ろしてそう言った。

 

「それでもアナタは、神に祈るのですか?」

 

 早苗はそう問いかける。

 自分の子に病を与えた神を。自分の子に試練を与えた神を。

 母親は口を閉ざしていたが、それは僅かな間だけだった。

 

「日本には八百万の神がいます。捨てる神あれば拾う神あり、とも言います。我が子の命が助かるのであれば、相手が神であろうと仏であろうと、悪魔であろうと構いません」

 

 母親は力強く答える。しかし、すぐに悲しそうな声色となる。

 

「でも……もう、時間切れなんです。もっと早くこの神社に来ていればよかったと……思わずには居られません」

 それは一体、どう言う意味なのだろう。怪訝に思った早苗の表情を見た母親は、娘の病気を答えた。

 

 

 

 

 

 

「娘が患っているのは筋ジストロフィーなんです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 筋ジストロフィーの正式名称は『進行性筋ジストロフィー』と言う。筋ジストロフィーとは、筋肉が徐々に委縮して筋力が低下し、運動障害が進行する遺伝性の疾患である。幼年期から若年期に発病することが多く、慢性で経過が長い病だ。

 そしてこの病は治療法が確立されていない。ゆえに、発症者は必ず命を落としている。

 それはつまり、近い将来、少女の死が確約されていると言うことを示している。

 

「……」

 

 早苗は畳の上に大の字になりながら天井を眺めていた。

 なぜあの少女は笑ったのだろうか。

 人はいずれ死ぬ。それは早苗にも言えることだが、死はだいぶ先のことだ。予想外の事故に巻き込まれたりしない限りは天寿を全うできる。だが、あの少女は別だ。

 明日とも知れぬ命なのに、なぜ少女は暗くならないのだろうか。

 産まれて間もなくして発症したのだ。だとしたら、今ではかなり進行していると考えて良いかもしれない。

 車椅子に座っていると言うことはつまり、もう足の筋力が無いと言うことかもしれない。筋力が衰え、痩せ細った身体を隠すためにわざとだぼだぼの衣服を着ているのだ。膝掛けはパジャマ越しでも分かるであろう細い脚を隠すためにやっているのだ。

 

「……」

 

 早苗だったら耐えられないだろう。

 いつ死ぬか分からない恐怖に怯えながら暮らすのはかなりのストレスになる。未来に絶望し、自ら命を絶つかもしれない。

 

「……病気と戦うって言っても」

 

 負けが見えている戦いの為にお参りなんてするだろうか。意味の無いことをするより、今を精いっぱい生きるべきではないだろうか。

 

「アンタらしくもなく、今日は無気力だね」

 

 ふと神奈子の声が聞こえた。視線をそちらにやると、いつの間にか神奈子が座っている。

 

「どうしたんだい、早苗。学校でいじめられてるのか?」

 

 神奈子が冗談交じりで問いかけて来る。早苗はボケーッとし、ごろりと寝返りを打った。その反応をどう受け取ったのか分からないが、神奈子は「お、おい、早苗?」と妙に焦っている。

 

「本当にいじめられてるのか?」

「……(ごろーん)」

「答えてくれ早苗、本当にいじめられてるのか!?」

「ちっ」

 

 あまりにうるさいので舌打ちをしてしまった。神奈子はわなわな震えながら

 

「早苗が……早苗が……早苗がグレた!?」

「ケロちゃんチョップ!」

「ごぶぅっ!?」

 

 不意に現れた諏訪子が無防備な早苗の鳩尾に強烈なブローを叩きこんだ。

 

「アンタその態度は何様!? 神様にはちゃんと礼を尽くせって教えただろう!?」

「ごふっ、ごふっ……げはぁ……」

 

 諏訪子はぷんすこ怒りながら悶え苦しむ早苗を叱る。

 

「何がどうあったか知らないけど、その態度はいただけないよ。おまえの両親ならまだしも、私たちに対してはやっちゃいけない行為だ」

「か、神様が……信徒を…………殴って、良いとも……思え、ないのですが……」

「躾だ」

 

 そう言えば許されると思っているのだろうか。仕返しをしようと言う気持ちも無くはないが、所詮、自分は人間だ。神に勝てるワケが無い。早苗は怒りをグッとこらえて身体を起き上がらせた。

 

「私だって物思いに耽る時だってあります」

「ふぅーん。物思い……ねえ」

 

 諏訪子はイマイチ納得いかなさそうな表情をしているが、特に深く追求はしてこなかった。

 

「話は変わるが、あの車椅子の少女……妙なお願いをして行ったぞ」

 

 ふと思い出したかのように神奈子が口を開く。諏訪子や神奈子は神霊なので、余程の霊力を持った人間ではない限り見ることは出来ない。きっとそこら辺を漂っていた時に願いを聞いたのだろう。漂っていなかったとしても、お参りをした際に人の願いは神の下へと届く(らしい)ので、その時に知ったのかもしれない。

 

「妙なお願いですか?」

「ああ。友達が欲しい……だっけな?」

 

 またこの神社にそぐわないことを、と早苗は思った。しかし、そこで思い出す。

 あの少女は学校に行っていない。と言うことはつまり、同年代の友達が一人も居ないと言うことだ。

 病院にだって同じ年頃の少年少女はいるに違いない。だが、それは僅かな期間だけだ。少女のように長期の入院をしている患者は老体か大きな手術をした人間くらいだろう。触れ合っているとしても二、三日の短い期間のはずだ。

 

「その境遇を思えば頷ける話だね。あの人間の娘は連れ添いが居なければ外出の許可が下りないそうだ。母親が仕事の合間を縫って外へ連れ出しているらしい。……最後に思い出を作ってやろうと言う親心だろう。だから羽振りが良いのかもしれないね」

 

 もし『あと一週間で死ぬとしたら何をする?』という質問をされれば、大抵は好きなことをして過ごすと答えるだろう。捻くれた者がいれば犯罪をするなど、呆れを通り越して憐れに思う答えをするような輩がいるかもしれないが。

 明日とも知れぬ命だ。その生涯を『楽しい』で過ごせれば、過ごさせたいと思うのであれば金に糸目はつけないのは頷ける。

 

 

 

 

 

「友達……ですか」

 

 

 

 

 

 早苗は小さく呟く。

 ぱたり、とそのまま倒れ天井を見上げる。そして天に向け手を伸ばした。

 何かを掴むように、拳をぎゅっと握りしめた。

 




 早苗さんは何を思ったのでしょうか。
 神に近い人間の少女は、その力をどのように扱うのでしょうか。

 ではまた。


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二話

 早苗は何を握りしめたのでしょうか。
 ではどうぞ。


 翌日、学校から帰って来るとやはり親子がお参りに来ていた。

 

「おかえりなさい」

「おかえりー」

「ただいま、と言うのも、何か変ですね」

 

 人の家に他人がいて、その他人から「おかえりなさい」と言われるのは初めてだった。

 

「小耳に挟んだのですが、お仕事の合間にお子さんを外に連れ出しているとか」

「はい、実は……」

 

 母親ははにかみながら答える。

 

「その……大丈夫なんですか? お仕事を途中で抜け出してきてしまって……」

「ええ、まあ。二時間後の会議……みたいなモノに間に合えば問題はありません」

「差し支えが無ければでよろしいんですが……お仕事は一体、なにを?」

 

 会議、ということはどこかの会社のエリート社員なのだろうか。よくよく見れば身なりはちゃんとしているし、どこか理知的な雰囲気を纏っている。育児に仕事に大忙しな母親は少し困ったように口を開いた。

 

「講師をしていまして……」

「先生なんですか。では、高校の?」

「いえ」

「では進学塾ですか?」

「いえ」

 

 母親は首を横に振る。残るは小学校中学校の教員だ。

 

「その……大学の方で、生化学を……」

 

 まさかの大学講師だとは思わなかった。確かに、講師と言う言い回しに多少の違和感があったが、確かに、小中高で教鞭をとっているのであれば『教師』と言うだろう。まあ、大きなくくりで見れば大学の先生も『教師』なのだが。

 

「そうなんですか。私はイマイチ分からないのですが……生化学と言うと、生物と化学が混ざったような物なんですか?」

「生物を主流に化学もやる、と言ったところでしょうか」

 

 なんだかよく分からないが大変そうな学問だ。

 早苗は今通っている学校を卒業したら神学に重きを置いている大学に通おうと思っている。神社を継ぐと言っても資格が必要なので、そのための勉強をしなければならない。

 そこで早苗は首を傾げる。大学で会議なんて必要なのだろうか。曲がりなりにも教育機関だから職員会議のような物があるのかもしれない。大学のシステムについてあまり知らない早苗はその辺のところを聞いてみることにした。

 

「会議……と言うと、職員会議のようなモノなんですか?」

「うーん……生徒と外国の論文を読んだり、和訳してみたり、実験の説明や監督をしたり……と言ったところですかね」

「ママはね、きょーじゅなんだよ」

「は?」

 

 少女の突然のセリフに早苗は素っ頓狂な声を挙げた。少女はにこにこしながら早苗を見上げていた。

 

「教授?」

「うん」

 

 早苗は視線を母親の方へ移す。すると母親は困ったような笑みを浮かべていた。

 教授と言えば学問に関する権威でもある。その道を極めたプロフェッショナルと言っても良いだろう。だが、早苗の想像する教授とは全く異なっていた。教授と言うともっとこう、ハゲ散らかしてよぼよぼだったり、意地の悪いおじさんだったり、なんかとても偉そうだったりとマイナスのイメージしかなかったのだが、目の前の女性はどうだろう。

 一時の母とは思えないほど綺麗で若々しい。肌もきめ細かく瑞々しく張りがある。もしかすると早苗と同年代の女子よりも肌艶が良いかもしれない。スタイルもばっちりで、かっちりとしたスーツを着こなしている。早苗の想像する教授とは大きくかけ離れている。

 見るからに『デキる女性像』である。

 

「……Jesus」

 

 思わず発音良くそう呟いてしまうほど、その母親は早苗にとって眩しく見えた。早苗の呟きを聞いて母親は「神社の子なのに西洋の方を言って良いのだろうか」と疑問に思っていた。

 

「教授と言っても、大したことないですよ」

 

 母親は謙遜しているが、教授は教育に関する者の最高地位である。謙遜のし過ぎじゃないだろうか。

 

「すみません、そろそろ戻らないといけないので」

 

 母親は申し訳なさそうに言った。

 

「あれ、でも……二時間は大丈夫なんじゃ……」

「移動の時間もありますからね。渋滞とかに巻き込まれない内に早めに戻らなくては」

 

 なるほど、と納得する。やはり『デキる女性』は先のことも考えているのだ。

 ふと少女に視線をやると、どこか寂しそうな顔をしていた。母親が戻らなければいけないと言うことは、少女は病院へ戻ると言うことだ。それはつまり、独りぼっちになると言うことを示している。

 まだまだ甘えたい盛りだろう。しかし、少女はワガママを言わずじっと悲しみを堪えている。

 そんないじらしい姿を見て、早苗はふっと微笑んだ。

 

「私が相手をしますよ」

「え?」

 

 母親はワケが分からないと言った表情を浮かべる。

 

「お子さんの外出時間のギリギリまで私が相手になりますよ」

「そんな……悪いですよ……」

「いいのっ?」

 

 母親は遠慮しているが、少女がすっかり乗り気である。母親はも、娘の願いを叶えてやりたい気持ちが強いのか断りにくそうだ。

 

「…………お願い、できますか?」

 

 母親は心苦しそうに尋ねてきた。早苗は「勿論です」と頷く。

 

「病院の場所さえ教えて頂ければ、学校帰りにお見舞いに向かいますよ?」

「そんな、そこまでしてもらうワケには……っ」

 

 気が咎めるのか、母親は流石にその申し出だけは断ろうとしていた。

 

「アナタはささやかな願いの代わりに多くのお賽銭を入れてくださってます。……流石に願いだけを聞き入れて多くを貰うのは、良心が痛むので……」

 

 お百度参りが始まってまだ三日目だが、母親は昨日も一万を入れていた。今日も一万を入れいていることだろう。この親は願いの為だけに一○○万も払うつもりなのだ。最初は嬉しかったが、それが続くとなるとなんだか申し訳ない気がしてやまない。早苗は母親に近寄り、そっと耳打ちする。

 

「変則型のハウスキーパーのバイトだと思って下さい」

「バイト?」

 

 はい、と早苗は頷く。

 

「神社側としては信仰して頂いてるだけでも嬉しいことなので。私個人としては、あまり多くの額を貰うと気遅れをするというか、対価が必要と言うか……。そんなワケで、バイトを申し出ているワケです」

 

 それは早苗の本心だった。信仰さえしてくれていれば、神社はそれだけでもありがたい。お布施やお賽銭なんかはついでで構わない。もらえればありがたいが、やはり信仰が第一だ。きっと母親はそう言うことを言ってもお賽銭を入れることを止めないだろう。早苗の起こした『奇跡』を見てしまったので、もしかしたら、という希望に縋っている可能性が高い。そこで「お賽銭は少ない額でも大丈夫です」といっても、母親は納得しないだろう。

 

「アナタ方が多くの代償を払うのは忍びないので……。私も肉体労働をしようと思っただけです」

 

 それに、と早苗は少女を見下ろした。

 

「この子だって、一人くらい仲の良い人が欲しいでしょうし」

「――」

 

 母親は口を噤んでしまった。早苗の言わんとしていることが分かったのだろう。もしくは、願いを言い当てたからか。願いに関しては神奈子から聞いたから言えたのだが、向こうはその事を知らない。普通に考えれば自分の願いを言い当てられれば驚くのは当たり前だ。

 

「……。……分かりました」

 

 何か言いたそうにしていたが、母親はそう言った。母親は懐から手帳を取り出すと何かを書き、ページを破って早苗に手渡した。

 

「この子が入院している病院の住所と行き方、そしてこの子の居る病室の番号です」

 

 メモを受け取り、早苗は少女の視線に合わせるために膝を折った。

 

「これからは私がお話しする相手になります」

「……本当?」

 

 少女は首を傾げる。早苗はにこりと微笑み、少女の頭を撫でた。

 

「私は学校があるので病院に着くのが夕方頃になりますけど……その時まで、待っていてくださいね?」

 

 早苗が諭すように言う。少女は嬉しいのか、満面の笑みを浮かべていた。

 

「うんっ。待ってるねっ」

 

 早苗は少女に手を振って別れた。

 胸が温かくなる感覚を覚え、早苗は僅かに微笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えーっと……この道を真っ直ぐ行って……」

 

 放課後、早苗はメモを頼りに病院へと向かっていた。学校からだいたい四キロほどのところにその病院はあった。メモに記されている病院の名前と看板のようなものに書かれている病院の名前が一致したところで早苗はため息を吐いた。

 

「……」

 

 でかい、と言うのが早苗の正直な感想だった。

 少女が入院している病院はかなり大きく、駐車場には多くの車があった。

 

「……まあ、筋ジストロフィーだし、大きな病院で検査する必要がありますし」

 

 難病なのだから大きな病院で精密検査を受ける必要があるだろう。この辺に大きな病院はここしかないので仕方ないと言えば仕方ないが。

 

「っと、病室に行かないと」

 

 早苗は再びメモに目を通し、病院の中へ入った。エレベーターを使って上に向かい、少女の居る病室を目指す。

 

「…………ここか」

 

 病室の番号とそこに書かれている名前を確認し、早苗は扉を開いた。

 

「お邪魔しま――」

「来たっ」

 

 早苗が全てを言い終わる前に少女が声をあげる。

 病室には少女一人しかいない。どうやら個室のようだ。多くの機械が置いており、少女の身体に繋がれていた。きっと脳波などのデータを取っているのだろう。医学に明るくない早苗にはそれがどう言う意味なのかよく分からなかったが。

 

「お待たせしましたか?」

「ううん。さっき起きたばっかりだから、全然待ってないよ」

 

 薬の副作用か何かだろうか。病気の進行を少しでも遅らせるための薬が投与されているのかもしれない。早苗は「そうですか」と言ってベッドに近づく。

 

「お外に出かけますか?」

「お話が出来ればどこでも良い」

 

 お百度参りをしているのは母親なので、少女は気分転換の意味を兼ねて外に出ているのかもしれない。早苗は「じゃあここで」と言ってイスを手繰り寄せて腰を下ろした。

 

「なんのお話をしましょうか」

「んーっとねえ」

 

 少女の質問に早苗が出来る範囲で答える。早苗の学校生活や神社での生活、そのほか他愛の無い話で二人は盛り上がっていた。

 気付くと面会時間も終わりになっている。早苗は名残惜しいが立ち上がり帰り支度を整えた。

 

「お姉さん、帰っちゃうの?」

 

 少女は悲しそうな顔をしていた。早苗はゆっくりと少女に近寄り、頭に手を置いた。

 

「すみません、私にも帰る家があるので」

「もうちょっとお話ししよう?」

「これ以上ここにいると、病院の先生に怒られちゃいますから」

 

 しゅん、と少女は肩を落としていた。そんな少女を見て早苗は微笑ましく思った。

 

「また明日、来ますから」

 

 早苗がそう言うと少女は顔を上げて目をキラキラさせながら早苗のことを見つめた。

 

「本当っ?」

「ええ、本当ですよ。だから待っていてください」

 

 早苗がそう言うと少女は「うんっ」と頷いた。

 

「また明日、ここに来てね、お姉さん!」

「ええ。では」

 

 早苗は小さく手を振って病室を後にした。

 胸がなんだか温かい。神社にいる時よりも遥かに心地よい充実感がある。

 

「また明日……か」

 

 薄っすらと微笑みを浮かべながら早苗は帰路へと着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早苗は根気よく病院へ通っていた。母親からのお賽銭がある手前、早苗は休むことなく病院へ足を向けていた。クラスメイトに遊びを誘われてもそれを断り、一目散に去っていく姿を見てクラスメイト達は「男が出来た」とウワサを流していたのだが、早苗は気にも留めなかった。所詮はクラスメイト止まりでしかない他人だ。何を言われようと気にしなければいい。

 少女と過ごしている時間は早苗にとって有意義であり、何より愛おしいものだった。たった一人の少女と話をしているだけなのだが、それがどんな金銭よりも輝いているように感じられた。気が付けば明日はどんな話をしようとか、お見舞いの品は何が良いのだろうかと考えているくらいだ。

 少女に情が移ったのかと問われれば、早苗はイエスと答えるだろう。しかし、考えてみても欲しい。

 日々弱っていき、残りの時間があまり無い健気で可愛らしい少女に求められて嫌な気が起るだろうか?

 

 

 

 

 

 答えは否だ。

 

 

 

 

 

 少女の病は緩慢的に進んで行く。二、三日前までは僅かだが足が動いていたのに、今では全く動かなくなっていたりする。こうして少女の筋肉は徐々に委縮していき、筋肉でできている心臓もやがて止まってしまう。今こうして過ごして居られるのもどれだけなのか分からない。明後日までなのか、明日までなのか。もしかしたら今日この一瞬の後に事切れてしまうかもしれない。

 早苗にとって少女は一種の救いでもあった。少女がありのままの自分を必要としてくれている。それは『神通力を持った少女』が求められることよりも、遥かに嬉しいことだった。神社にお参りに来ては作法も知らない今時の腐った若者や、未練がましく長生きをしたいと願う老害の相手をするよりも、少女と過ごしている方が精神衛生にも良いし、目の保養にもなる。

 早苗にとって少女は妹のような存在であり、愛すべき存在だった。一度、薄い本(百合)を見てからどうも少女を性的に見てしまうことが多く、自分を抑えるのに必死になっている時がある。

 少女の要望になるべく応えようと、早苗はアニメにも目を通すようになった。所詮はアニメや特撮、と軽く見ていた自分を殴りたい。今のアニメーション技術や特撮の技術は凄まじい。日曜の朝にやっているロボットモノの特撮は思いの外ストーリーもしっかりしていて見ていて飽きない。いつの間にか早苗は過去のロボットアニメもインターネットで見ていたくらいだ。

 

「見てください、変形ロボを手に入れましたっ」

「おおーっ」

 

 少女は目をキラキラさせながら早苗が掲げる特撮ロボットの玩具を見ていた。

 

「手に入れるのに多大な代償を支払いました……」

 

 自分よりも一○は下の男の子に混じって列に並んだ時はものすごく恥ずかしかった。まあ、並んでいる男の子の付き添いとしてその母親がいたのでそこまで恥ずかしくは無かったのだが、年頃の女子高生がロボットとは、あまりに色気がないのではないだろうか。おばさま方の中には「オタクよ」「女子高生のロボオタクよ」とヒソヒソと聞こえる声(矛盾)でしゃべっているのが聞こえた。

 早苗は少女にロボットを与え、それで遊ぶ少女を見て頬を綻ばせる。

 

「……おっと、そうでしたそうでした」

 

 がさごそ、と早苗はカバンからプリントを取り出した。それは数学の課題だった。本当なら家でやるつもりだったのだが、きっと家に帰ったらそのまま寝てしまうと思ったのでしょうがなくここでやることにしたのだ。

 少女がロボットで遊んでいる間にやってしまおうとプリントに視線を落とす。

 

「………………………?」

 

 意味が分からなかった。

 ここのところ、少女のことばっかり考えていたので授業を全く聞いていなかった。授業中に良く注意されていたことを思い出し、早苗は頬を引き攣らせる。

 やべえ、マジ分からねえ。

 冷や汗をダラダラ流しながら早苗はプリントを凝視していた。

 

「ここはね、こうするんだよ」

 

 ふと顔を上げると、少女が早苗の筆箱から勝手にシャーペンを取ってやり方を書き始めた。

 

「え?」

 

 早苗は間抜けな声を上げて少女を見遣った。少女はにこりと笑い

 

「私ね、前までやることがなかったからパパやママにお勉強を教えてもらったの」

 

 すごいでしょー、と少女は得意げな顔をする。この少女の母親は大学の教授だ。確かに勉強を教えるくらいは出来るはずだ。しかし、この子の父親に関しては何も知らない。その辺のことを聞いてみることにした。

 

「あの、お父さんは何をしている人なんですか?」

「いんちょーさん」

 

 ん? と首を捻る。早苗がイマイチ理解していないことが分かったのか、少女は「んーっとね」と病院の床を指し示しながら

 

「私のパパはね、このびょーいんの一番偉い人なの」

「…………ああ、院長――え!?」

 

 早苗はギョッとして少女を見た。

 父親は病院の院長で母親は大学の教授。とんでもなく高学歴なご夫妻の間に生まれたらしい。

 

「……お姉さん、コレ、なんて読むの?」

 

 放心している早苗は少女の声でハッとする。少女が示していたのは自分の氏名だった。

 

「ひがしかぜたに……はやなえ?」

 

 疑問符を浮かべ、少女は首を傾げる。自分の名字は結構珍しいので一発で読める人は早々にいない。それは少女も同じだったらしい。

 

「これは『こちや』と読むんです。私の名前は『さなえ』です」

「こちや……さなえ……」

 

 少女は確認するように呟いた。そして視線をこちらに向けて来る。

 

「お姉さん……」

「はい、なんでしょう?」

「さなえちゃんって呼んでも……良い?」

「……」

 

 初めて呼ばれる呼び名に、早苗は言いようもない感動を味わっていた。

 諏訪子や神奈子には『早苗』と呼び捨てにされ、親戚などからは『現人神様』や『早苗さま』と呼ばれる。同年代に関しては名字でしか呼ばれない。記憶を遡れば確かにそう呼ぶ者はいた。しかし、それは僅かな間だけで長くは呼ばれなかった。

 そう言えば、と早苗は思い出す。あの日以降、少女は一度たりとして「『奇跡』を見せて」と言ってきていない。大概の人間は『奇跡』を目の当たりにするとせがむと言うのに、この少女は一貫して、『奇跡』ではなく『東風谷早苗』を求めて来ていた。

 それを知った瞬間、早苗の胸に温かさが広がった。

 

「……いや?」

 

 いつまでも反応がなかったので嫌がってると思ったのだろう。少女はこちらを覗きこんで来た。早苗は首を横に振り、微笑みを浮かべた。

 

「構いませんよ」

 

 了承の旨を伝えると、少女を口元を綻ばせ、早苗に抱きついてきた。少女を抱き返し、その頭を優しく撫でる。

 

 しかし、どうしてだろう。こんなにも胸が嬉しさで溢れているのに。

 

 

 

 

 

 

 

 少女の抱きしめる力が弱い、そう感じてしまうのは。

 

 

 

 

 

 

 

 早苗は頭を振り雑念を追い出す。今のは自分の勘違い。そう思うことで早苗は脳裏をよぎった『最悪』を無視することにした。

 

 思ったことを口にしやすい早苗がその事を口にしなかったのは、ある意味では『奇跡』と言えるだろう。

 

 

 

 

 

 




 早苗……。

 ではまた。


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三話

 早苗の求めるモノとは?

 ではどうぞ。


「最近、足繁く病院に行ってるみたいだね」

 

 自室でゴロゴロしていたら諏訪子と神奈子がやってきた。いつも思うのだが、この神様たちにプライバシーを守るとかそういう気持ちは無いのだろうか。おちおち気が抜けない。

 

「何か用ですか、諏訪子さま、神奈子さま」

「少しアンタに話をしておこうと思ってね」

 

 こちらの了解を得ず諏訪子は座布団に腰を下ろした。

 

「あの母親は今日もえっちらおっちらとやって来てはお賽銭を投げ込んで行ったよ」

「それはいつものことじゃないですか。変わったお願いでもされたんですか?」

 

 最近は賽銭箱の中身を確認していない。しかし、いつものように一万円が入れられているに違いない。

 

「なあ早苗……おまえ最近、あの人間の小娘で思う所があるんじゃないか?」

 

 神奈子に問いかけられ、早苗は内心ギョッとする。しかし早苗は努めて冷静に答えた。

 

「いえ、特には。いつものようにおしゃべりな子ですよ」

 

 早苗は病院から帰って来て諏訪子や神奈子に少女のコトを事細かく伝えている。半分くらいはカップルかよと思うくらいのノロケだが。

 諏訪子と神奈子はどちらからともなく顔を見合わせ、小さなため息をついていた。

 

「……早苗、おまえに言わなくちゃいけないことがある」

 

 口火を切ったのは諏訪子だった。

 

「なんですか?」

 

 

 

 

 

 

 

「もうあの小娘に会うな」

 

 

 

 

 

 

 

 諏訪子に言っている意味が分からず、早苗はポカンとしていた。諏訪子はそのまま説明を続ける。

 

「おまえは守矢神社の正統後継者だ。神社の主たるものの、一人の人間に執着してはいけない。救いを求めて来る人間に平等に接しなくちゃいけない」

 

 神に仕える者の責務として、博愛主義を押し付けられている。早苗はそう思った。

 

「おまえはまだ子どもだからと思って見逃して来たけど、そうもいかなくなってきたんだよ。信者の中の数人が『最近、早苗さまは一人の子どもに傾倒している。儂らのことは放っておきが多くなってきた』と思ってきている」

「私たち『神』は信仰の下に存在している。信仰が少なくなれば存在を保てなくなる。それは分かるな?」

 

 諏訪子や神奈子と言った、祀られている神は人々の信仰の下に存在を保っている。信仰が無くなると言うことは二柱の消滅を意味している。

 

「そうならないためにも、おまえはしばらく神社に居ろ」

「お言葉ですが諏訪子さま、神奈子さま」

 

 早苗は姿勢を正し、ハッキリと告げる。

 

「お飾りでしかない今の私に救いを求められても困ります」

 

 ぴくり、と諏訪子と神奈子の眉が動いた。

 

「……理由を聞こう」

「……私は以前まではその他の人間を見下ろし、自分の性を隠していました」

「性?」

「異能しか取り柄の無い半端者の意地です」

 

 早苗は『奇跡を起こす』異能を宿している。しかし、それ以外についてはどれもパッとしないモノばかりだ。

 

「信仰とは、何なのでしょうか?」

 

 早苗は二柱に問いかけた。

 

「読んで字のごとく、信じ仰ぐモノだよ」

 

 諏訪子はそう解釈する。

 

「信じる者は救われる。信じる者が救いを求める。おまえはその期待に応えなくちゃいけないんだ」

「それを押し付けと言うんです」

 

 諏訪子の表情が険しくなる。早苗は怖気づくことなく諏訪子を見据えた。

 

「私も最初はそう思っていました。守矢を信仰する者に『奇跡』を見せ、救いの道を示す。それを示せるだけのチカラを私は持っている。そのチカラを誇りに、そのチカラを魅せつけ導く……。それが正しいと思っていました」

 

 自分を求める少女を思い出し、それが間違いだと気付かされた。

 

 

 

 

 

 

 

「あの子は『奇跡』ではなく『東風谷早苗』を求めているんです」

 

 

 

 

 

 

 

 早苗が『奇跡』を見せると、大概の者は「もう一度私たちに『奇跡』を」と言って『奇跡』を見たがる。それは『東風谷早苗』の一部でしかない。表面しか見ていない。

 それをどれだけ空しいと思ったことか。

 自分を通して『奇跡』を見る人間が、どれだけ浅ましく滑稽に見えたことか。

 幼くしてそう思った早苗は他人を見下ろすことにした。

 所詮貴様らは『私』に用は無いのだろう?

 そう言う侮蔑の視線を向けながら得意げに『奇跡』を披露してきた。

 

「自分は特別だと嘯き、現人神だと祀られることで良い気になっていました。でも、あの子と触れ合って、そんな自分が……己がどれだけ小さいかを、知らされました」

 

 早苗は両手を天に掲げた。無責任な喝采を浴び、褒め称えられ、驕りに驕っていた。

 本当はこんなにも小さな自分だと言うことも気づかずに。

 ふと、早苗はある答えに辿り着いた。

 

「ああ……そうか……そう言うことなんですか……」

 

 じわり、と早苗の目尻に涙が浮かんだ。突然泣き出したので諏訪子も神奈子も慌てた。

 

「なんて私は愚かなんでしょう……今の今まで……気がつかなかっただなんて……」

 

 少女の声。少女の体温。少女の『ココロ』。少女の全て。

 それらをなぜ愛おしいと思ったか。なぜここまで少女に関わろうと思ったか。

 そしてなぜ、名を呼ばれてあんなにも嬉しかったのか。

 

「私は……」

 

 つぅー、と早苗の頬を涙が伝った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「認めて、欲しかったんだ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 偶像的な『奇跡』や『現人神』としての自分ではなく。

 ただの『東風谷早苗』を認めて欲しかったのだ。

 少女は自分を認めてくれたから、あんなにも嬉しかったのだ。

 自覚した思いに早苗は涙を流す。おろおろする諏訪子と神奈子だが、早苗が「大丈夫です」と言って安心させる。

 

「すみません、お見苦しい姿を……」

「いや、それは構わないんだが……そうか、おまえはそう思っていたのか。いや、だからこそだね。早苗……もうあの子に関わるな。これ以上かかわればおまえの為にならない」

 

 諏訪子は頑なに少女と関わるなと強要する。流石に黙って居られないので早苗は食ってかかる。

 

「なぜそんな事を言われなければならないんですか? 納得のいく理由を説明してください」

 

 意地になって早苗は理由を求める。諏訪子も神奈子も渋い表情を浮かべていたが、諏訪子は意を決して言った。

 

 

 

 

 

 

 

「あの子の病が予想より早く進行しているらしい」

 

 

 

 

 

 

 

 早苗の時間が、

 止まった。

 

 

 

 

 

 

 

「……なぜ?」

「……昨日、小娘の母親がやって来て一心不乱に、それこそ切羽詰まった様子で願って来たんだ。『娘の病が予想よりも早く進行している。どうかあの子を助けて欲しい』って」

「な、ん……で」

 

 ブツ切れの言葉を聞いて、諏訪子は一瞬だけ何かを躊躇う様子を見せた。しかし、小さく頭を振ると毅然とした態度を取った。

 

「早苗……おまえの異能は何もプラスに働くわけではない。マイナスの奇跡だってこの世界にはあるんだ」

「まい、なす……?」

 

 頭の中がごちゃごちゃになる。確かに、早苗が面会した翌日、少女に会うと、少女は僅かだが力が弱くなっている時があった。しかしそれは病の所為であって、早苗は一切関係の無いはずだ。

 

「人間は予想外の良い出来事に遇うとそれを『奇跡』と呼称する。奇跡的な生還とか、奇跡的な運命だとかな……。でも、その反対は? 人間は予想外の悪い出来事に遭うとそれを『衝撃的』や『ハプニング』と呼称する。でもな、それは総じてマイナス方向の奇跡なんだ」

 

 いきなりガス管が爆発する映像。飼育員が動物に襲われる。世の中には衝撃的という表現で片付けてしまっているが、それはマイナスの奇跡だと、神奈子は言う。

 

「そして今回……予想外のスピードで病が進行している。これをマイナスの奇跡と呼ばず、何と呼べばいい?」

「そ、ん……な……」

 

 早苗は頭を抱えた。

 

「じゃあ……あの子は……私の所為で……?」

 

 早苗はまだ、自分の異能を完璧にコントロールしていない。多少は扱えてはいるのだが、それは風を操る程度の小さな『奇跡』だ。完璧ではないから、諏訪子や神奈子が扱い方を教えようとしていた。しかし、早苗は少女への見舞いを理由にそれをサボっていた。悪意があってサボっていたワケではない。睡眠時間を削るなりすれば修練の為の時間は取れたはずだ。だが、早苗はそれをしてこなかった。過程がどうであれ、サボった事には変わりはない。

 その結果、早苗の未成熟な異能が発動し、『マイナスの奇跡』という形となって悪い方向へと流れている。

 

 

 

 

 

 

 

「私の所為で、死ぬ?」

 

 

 

 

 

 

 

 ドクン、ドクン、と心臓の音がやけにうるさい。

 

 

 

 

 

 

 

 だってそんなことありえないあのこはさっきまでげんきにわらっていたじゃないかそうだそれはきっとまちがいにちがいないげんだいいりょうでもちりょうほうがかくりつ死ていないなんびょうなんだからけいきのはかりまちがいかも死れないかくたる死ょうこはないのにわた死はいったいなぜこんなにもあわてているんだそうだこれはなにかのまちがいだあ死たになればそれはあやまりだったとははおやがいってくるかも死れないそうだそうにきまっているあのこはまだ死なないだってあのこはわた死にとってゆいいつの――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハッ、ハッ、と短い呼吸を繰り返しているうちに視界がぼやけてきた。ぐらり、と身体が傾き早苗はその場に倒れる。諏訪子と神奈子が慌てて早苗に近づく。

 

「早苗! どうしたんだ早苗!?」

「過呼吸だ! 早苗、落ち着け、ゆっくり息を吸うんだ!」

 

 諏訪子と神奈子が何か言っているが、早苗には聞き取れなかった。

 

「わ、たし…………の………………」

 

 尋常ではない汗を掻きながら早苗の意識は仄暗い闇の中へと埋もれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……」

 

 早苗が目を覚ますと辺りは夕焼け色に染まっていた。

 

「あれ……私……」

 

 ムクリと起き上がり、カレンダーへ視線を送る。どうやら殆ど丸一日眠っていたらしい。頭がガンガンと痛むので薬を飲もうと居間へと向かう。

 頭痛薬を飲み、しばらくした後、早苗はハッと思い出す。

 

「……いかなくちゃ」

 

 あの子が待ってる。そう思った瞬間、昨日の出来事を思い出し早苗は口に手を当てた。

 

「ぅぐ……っ」

 

 急いでトイレに駆け込み、胃の中のモノを吐きだした。当然、何も入っていないので吐きだすのは酸っぱい胃酸なのだが。

 

「はぁー……はぁー……はぁー……」

 

 洗面台へ向かい、口の中に僅かに残った胃酸を洗い流す。

 胸がモヤモヤする。出来る事ならこのまま誰にも会いたくない。諏訪子や神奈子は現れるかもしれないが、空気を読んでそっとしておいてくれるかもしれない。

 

「……風に、当たってこよう……」

 

 早苗は気分転換をしようと表に出ることにした。

 

「「あ……」」

 

 何と運の悪いことだろう。いや、『マイナスの奇跡』と言うべきか。

 あの少女の母親がお参りに来ていた。

 ズキン、と早苗の胸に痛みが走る。母親は恭しく頭を下げた。

 

「……どこか気分でも悪いんですか? 少しやつれている様な……」

 

 早苗は視線を逸らした。

 

「娘が『さなえちゃん、今日は来てない』と言っていたので……。体調不良であれば仕方ありませんね」

 

 母親は小さく微笑んだ。早苗は彼女を正視することが出来ず、視線を背けっぱなしだった。礼儀に欠けた行為だが、こうでもしていないと発狂しそうなのだ。

 

「……娘さんの、ご容体は?」

 

 喉に強い渇きを覚え、掠れながらもやっとのことで質問するとが出来た。母親は僅かに肩をすくませたが、小さく息を吐くと細々と答えた。

 

「お医者さまの診断よりも若干ですが早く病が進行しているようで……あの子はもう、身体を起き上がらせることが出来なくなり、自分で呼吸すらも出来なくなり……生命維持装置で、何とか命を繋いでいる状況です」

 

 ズキン、と先ほどとは比べ物にならないくらい胸が痛んだ。

 

「それでも娘は笑っています。まだ辛うじて声が出せるくらいで……ですが、それも時間の問題でしょう……。あの子はいずれ声を発することも出来なくなり、静かに息を引き取ることでしょう」

 

 母親は静かにまぶたを下ろす。

 

「……娘さんは」

 

 震えた声で早苗は問いかける。

 

「私なんかと会えて……良かったと、思えるでしょうか……?」

 

 会わなければもう少し生き延びることが出来たかもしれない。会わなければ父と母から愛された時間が延びたかもしれない。こんな半端者と出会わなければ、もっと……。

 

「私があの子にしてあげられたのはほんの些細なことで、他の誰でもできるような取るに足らないことばかりです……。ただ話して、遊んで……。時々お菓子を食べるくらいで、特別なことは何も……。あの子にとって、私は害悪だったのではないでしょうか?」

「そんなこと――」

「だって!」

 

 母親のセリフを遮って早苗は叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「私と出会ってからなんでしょう!? あの子の容体が悪くなっていったのは!?」

 

 

 

 

 

 

 

 そのセリフに母親は目を見開いた。早苗は両手で頭を掻きむしりながらその場に膝を着いた。

 

「私の所為だ私の所為だ私の所為だ私の所為だ私の所為だ私の所為だ私の所為だ! 私が関わった所為で、あの子に害をもたらしてしまった! 何が『神通力を持った少女』ですか! 何が『現人神』ですか! 私はただ害をもたらす『疫病神』でしかないじゃないですか!」

 

 己の未熟を呪う。己の失態を嘆く。己の傲慢さを、責める。

 

「あの子はもっと生きる時間を得るはずだった! でも、私なんかが側に居た所為でそれを削り取ってしまったッ。まるで死神じゃないですか! 疫病神じゃないですか!」

 

 少女の怨嗟の声が聞こえてきそうだった。

 さなえちゃんのせいだ。さなえちゃんが私から『生』を奪った。さなえちゃんが私から『命』を奪っているんだ。

 

「私の存在が『悪』なんだ……。私は存在してはいけなかったんだ……。私の存在が他人を不幸に陥れ――」

 

 ぎゅっ、と。

 抱きしめられた。

 抱きしめてきたのは言うまでもなく少女の母親だった。

 

「そんなこと……言わないで……?」

 

 母親の声は震えていた。

 

「娘はアナタのことを、本当に気に入っています……。病室に行く度にあの子はアナタの話をするんですよ? 今日はアニメの話をした、一緒にお勉強をした、あやとりをした……。本当に些細なことを、あの子は嬉しそうに語るんです」

 

 母親は早苗の頬を伝う涙を優しく拭いとった。

 

「アナタに会うまで、あの子は全く笑わない子でした。私たちがどれだけおもちゃを与えても、漫画やアニメを見せても……全然表情を変えないんです。でも、あの日あの時……アナタが『奇跡』を見せた時から……あの子に、笑顔が戻ったんです」

 

 私たちがそれをどれだけ待ち望んだか。母親は涙ながらに語った。

 

「生きることに絶望し、ただの人形のように扱われることに、あの子は嫌気がさしていたんでしょう……。しかし、アナタと話すようになってから、あの子に精気が戻った。アナタが、居てくれたから……ッ」

 

 母親は早苗の肩を強く握りしめる。女性の、しかもデスクワークを主にしている人間の握力など多寡が知れている。だが、その『母親』の力は凄まじかった。

 

「アナタがいてくれたから、あの子は生きようと……生きたいと、願ったんです! あの子はもう先が長くない、それは自分でも分かっているハズ……でも、でも! アナタと居る時こそが、あの子にとっての絶頂期、あの子の黄金期……あの子の、最も輝いている時なんです! 娘にとって、アナタは救世主なんです! そんなアナタが、弱気なことを言わないで!」

 

 呆然としながら、早苗は涙を流しながら叫ぶ母親を見つめていた。

 

「お願いだからそんな事を言わないでッ! アナタは娘の……最愛の娘の、たった一人の、友達なんですから……」

 

 母親はもう一度、強く早苗を抱きしめた。トクントクン、と優しい鼓動を感じる。

 

「『奇跡』なんてどうでも良い……。あの子が笑って逝けるなら……それだけで、良い……」

 

 幸せの渦中で息を引き取る。この母親はそれを願っているのだ。

 母親は涙を拭い、カバンから一つの髪飾りを取り出した。

 それは蛙の髪飾りだった。

 

「これは……」

「娘の手がまだ動いている時に作った髪飾りです……。あの子、蛙が好きなんですよ」

 

 変わってるでしょう? と母親は困った笑顔を浮かべる。

 

「娘はこれをアナタにあげるつもりだったんです。なんで蛙なのって聞いたら『あの神社には蛙みたいな小さな女の子がいたから』と言っていたんですけど……」

 

 早苗の知っている人物の中でただ一人、見当のつく人物がいた。

 

 

 

 

 

 洩矢諏訪子。この神社に祀られていた元の神。もしかするとあの少女、諏訪子のことが見えていたのだろうか。

 

 

 

 

 

「それと『私はあの神社をずっと信仰してるから』と言っていました」

「それ、は……若い信者は、大歓迎ですよ」

 

 やっと、早苗の顔に笑顔が戻った。

 早苗は髪飾りを受け取り、自分の頭に付けた。

 

「似合ってます?」

「とっても」

 

 早苗と母親は互いに笑みをこぼす。

 

「……そろそろ、お暇させてもらいます」

 

 母親は小さく頭を下げた。

 

「また明日……娘に会いに来て下さい」

「ええ、必ず」

「では」

 

 母親はもう一度頭を下げ、こちらに背を向けて去って行った。

 早苗の顔に影は無かった。諏訪子や神奈子が止めるだろうが、早苗は見舞いに行く。あの娘を、笑顔にする。

 

「笑顔で逝けるよう……か」

 

 早苗は小さく呟く。自分の頭にある蛙の髪飾りを一度だけ撫で、小さく笑みをこぼす。

 

「明日は、必ず」

 

 そう意気込み、早苗は諏訪子と神奈子の下へ向かう。少しでも自分の力をコントロールできるようにならなくてはいけない。

 

「諏訪子さまー、神奈子さまー」

 

 この力をコントロールし、『奇跡』を起こしてあの少女を元気にしてみせる。

 そう誓った。

 

 

 

 

 

 




 そのチカラが向かう先は?

 ではまた。


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四話

 そしてカミサマは……。

 ではどうぞ。


 翌日、早苗は学校が終わるとすぐに病院へと向かった。曇天の空を見上げ、早苗は駆け足になる。

 

「一雨きそうですね……。早く行きましょう」

 

 昨日一日会えなかっただけなのに、とても寂しい気持ちになっていた。一日千秋の思いとはまさにこう言うことを言うらしい。

 いつものように病院につくとエレベーターに乗り込み、少女に居る病室を目指す。病室の前に立つと手鏡を取り出し、蛙の髪飾りが付いていることを確認する。

 

「よし」

 

 身だしなみも整っていることを確認し、勢いよく扉を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 しかしそこには誰も居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

「……あれ?」

 

 病室を間違えたのかと思って番号を確認する。何度見てもその番号は今まで自分が入ってきた病室と同じ番号だ。

 

「……」

 

 嫌な予感がする。早苗はそばを通りかかった看護師に問いかけることにした。

 

「あの、すみません」

「はい、なんですか?」

「この病室に居た女の子はどちらに?」

 

 すると、看護師は悲しそうな顔をして「そう、アナタが」と言った。

 

「?」

「……落ち着いて聞いて下さい。実は――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん? 今日は早いね、早苗」

 

 諏訪子と神奈子は神社の境内にいた。帰ってきた早苗を見ていつものように「おかえり」というが、いつまで経っても返事がない。

 

「早苗、どうかしたのかい?」

 

 神奈子が近づいて早苗を覗きこむ。

 ゾクリ、と神奈子は戦慄した。

 なぜなら、早苗の顔に表情らしきものはなく――死んだ目をしていた。

 一切の光を失い、生きる希望すら感じられない胡乱気な瞳に、神奈子は言いようもない恐怖を感じた。

 

「早苗、おまえ……どうした!?」

 

 神奈子は早苗の肩を掴み前後に揺さぶる。早苗はうんともすんとも言わず、されるがままだった。

 

「何があったんだ早苗、なんでそんな虚ろな目をしてるんだ!?」

 

 幾度目かの呼びかけの後、早苗がゆっくりと顔を上げた。そして、小さな声で言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの子が昨日、亡くなったそうです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 それが原因。

 早苗から表情が消えた最たる要因。

 

「死因は筋委縮による心不全……。昨夜の二○時三七分に……息を引き取ったそうです。享年は……一一歳……」

 

 ねえ、神奈子さま。と早苗は虚ろな目で神奈子を見上げた。

 

「あの子はなぜ……死んだのですか?」

「……早苗……」

「死ぬ理由なんてないじゃないですか。一体何が原因なんですか? あの子は……何も悪いコトなんてしてないじゃないですか……」

 

 つぅー、と早苗の片目から一滴の涙がこぼれた。

 

「生まれて間もなくして病を発症……あの子は自分の足で大地を踏みしめたことがないんですよ? その後も病院でずっと治療を受け続けて……。苦しいも辛いも誰とも共有できず……。楽しい思い出なんてあるワケがない……。話し相手は看護師か両親だけ……。学校にも一度も通えず、同年代の友も出来ず……。ねえ、神奈子さま……どうして神様は不公平なんですか?」

 

 神である神奈子にとって、それは問われたくない問題だった。しかし神奈子は風雨や農業、争い事の神だ。お門違いにもほどのある質問だ。

 早苗もその事は理解しているのだろう。それ以上は言及してこなかった。

 

「おかしな話ですよね……今こうしているうちにも、人は絶えず死んでいる……。赤の他人に涙することは無いのに、知り合いが亡くなるだけでこうも揺さぶられるんですから……。こんなにも……胸が……痛むなんて」

 

 両手で胸を押さえる。早苗は顔を俯かせながらただ口を動かす。

 

「あの子は私と関わったばかりに『死』を早めてしまった。私の責任です、私がいけないんです……」

「そんなことはない、滅多なことを言うんじゃない早苗。おまえは出来る限りのことをしたじゃないか。私はここに縛られているから動くことは出来ない。でも、おまえから聞かされた話だけでも十分に娘の気持ちは推察できる。……おまえの所為なんかじゃない。全てはそういう運命だっただけなんだ」

 

 神奈子のその言葉に、早苗の中から感情が溢れだす。

 

「運命……? ふざけないでください……ッ。そんな取って付けたような言葉で、私が納得できると思ってるんですか!?」

 

 神奈子の手を振り払い、早苗は叫んだ。

 

「ならばあの子が病に罹るのは必然だったというんですか!? 偶然でも、偶々でもなくて、そう言う運命だから仕方ないと! あの子はそう言う運命を背負って生まれてきたと! 神奈子さまはそう言うんですか!?」

「違う、そうじゃない。私が言いたいのはそんな事じゃない!」

「じゃあどう言うことなんですか!?」

 

 ゴウッ、と早苗を中心に風が吹き荒れる。早苗に宿っている『奇跡』が暴走しているのだろう。感情が揺さぶられ、知らず知らずのうちに異能が発動しているのだ。

 

「割り切れるワケ無いじゃないですか! なんですか『運命』って、そんな下らない理由であの子の命が失われたんですか!? 理不尽じゃないですか! 不条理じゃないですか!」

 

 早苗がこんなにも激情型の人間だと言うことを神奈子は初めて知った。普段はお馬鹿なことを言ったり少しズレた発言をするので気にも留めていなかった。

 しかしそれは何も早苗に限った話ではない。

 どんな人間も、自分の『大切な何か』を傷付けられれば怒るのだ。

 早苗にとって『大切な何か』は『少女』だった。少女の『死』を運命などと軽い言葉で言われたことが、早苗にとって我慢のならないことなのだ。

 そしてそれは情が深ければ深いほど、ぞんざいに扱われた時に激しくなる。

 

「あの子はそんな下らない理由で死ななければいけなかったんですか!? 全ては運命だから仕方ないと!? だから諦めろと!? そんなのクソ喰らえですよ! 私はそんな現実を認めない! そんな常識を認めないッッ!! 大切な人間は、死んで欲しくないに決まってるじゃないですかッッ!!」

 

 はーっ、はーっ、と肩で息をする早苗。神奈子はその血走った目を見て言葉を紡げないでいた。

 

「死んで欲しくないに……決まって……」

 

 はた、と。

 早苗は閃いた。

 

「……くくく……なんだあ……簡単なことじゃないですかあ」

「早苗、おまえ何を……」

 

 神奈子は恐る恐る手を伸ばす。しかし早苗はその手を振り払った。

 

「そうですよなぜこんな簡単なことに気がつかなかったんでしょう……。あははははははははっ」

 

 早苗は両手を天に掲げて叫んだ。

 

「私は『神通力を持った少女』! その身に『奇跡を起こす』能力を宿した存在! 故に私は……神ッ!!」

 

 哄笑と共に早苗は言った。

 

 

 

 

 

 

 

「あの子を生き返らせる! 私の『奇跡』のチカラで!」

 

 

 

 

 

 

 

 それは悪魔の考え。

 それは世界の理を捻じ曲げる御業。

 それは倫理を無視した人外の思想。

 

 

 

 

 

 

 人が聞けば「そんなことできるワケ無い」と一笑に伏すところだろう。しかし、早苗は違う。早苗は『特別』だ。

 

「私にはそれを可能とするチカラがある!」

 

 光を失った瞳に、漆黒の闇が蔓延る。

 

「生き返らせるには完璧な仕様にしなければ……。あの子の病は完治させましょう、そして一緒に遊ぶんです。一緒にお出かけをして、お泊りなどをして……。男になんか渡しません、あの子は永遠に……私のモノに」

「早苗……おまえ……」

 

 歪んだ愛情が早苗を支配する。少女と触れ合っているうちに、早苗は妹のように思っていた。あんな可愛い妹を野郎なんかの手には触れさせない。穢れた目でも見させない。

 

「私はあの子にとっての救世主……。なにもおかしいコトなんて有りません……。大丈夫です何も心配はいりません……。だって私は神なんですから!」

 

 

 

 

 

 

 

「いい加減に目を醒ましな、クソガキ」

 

 

 

 

 

 

 

 ゴッ、と早苗の頬に諏訪子の鉄拳が叩きこまれ、早苗は無様に境内を転がった。

 

「人間風情が何調子に乗ってんの? これは躾をし直す必要があるね」

 

 諏訪子は早苗を見下す。口の中を切ってしまったのか、早苗の口角からは血が流れ出ていた。

 

「……諏訪子、さま……?」

「良いかい早苗……。その願いはどうしても叶わない。それは『絶対』なんだ」

 

 悲痛な面持ちで諏訪子は言う。

 

「なんでですか、諏訪子さま……? この『奇跡を起こす』能力を使えば、人間の一人くらい……ッ!」

「理由が必要かい? だったら言ってあげるよ……。そのガラスの心ごと、アンタの願いも打ち砕いてあげる」

 

 諏訪子は帽子を目深にかぶり、顔を見せないようにした。

 

「先にも言ったが、おまえの『奇跡』には程度がある。言っただろう? それに到達しうる可能性がないとおまえの『奇跡』は発動できない。ただの『人間』による『完全なる死』を克服した逸話は存在しない」

 

 つまり、と諏訪子は続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おまえの『奇跡』では死者は生き返らない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 早苗はぽかんと、口を開けていた。たたみかけるように諏訪子は説明を続ける。

 

「この世界は漫画やアニメ、ゲームといったフィクションじゃない。宿屋に戻ったら、教会に戻ったら、大きな代償を払うとか……そんなクソみたいな方法で人は生き返らない。いいか、早苗、もう一度言うぞ。死者は絶対に生き返らない」

 

 諏訪子の言葉による暴力。それは刃となって傷心の早苗を斬り付けていく。

 

「これだからゆとり世代は……。だから人を簡単に殺すんだ。どうせ生き返る、死んでもセーブポイントからやり直せる……命をなんだと思ってんだ!!」

 

 怒号が早苗の鼓膜を揺らす。早苗のガラスの心に亀裂が入る。

 

「ならばまずおまえが先に死ね! そして生き返ってみろ! できるか、できないだろう!? 命ってのはな、たったの一度きりなんだよ! だから尊いんだ! だから神聖なんだ! だから精一杯生きようとするんだよ! なんで未だにおまえらはそれが理解できないんだ!? なんでそんな簡単なことに気付けないんだ、おまえらは!? 命を軽々しく扱うな!!」

 

 諏訪子の激情が溢れ出る。諏訪子も神だ。きっと今までに多くの願いを聞いて来たのだろう。その中に、『命』を奪うモノや死者を生き返らせてくれという願いがあったに違いない。

 それが一体、どれだけの期間続いたことだろう。

 早苗の言葉が切っ掛けで、諏訪子の中で何かが弾けてしまったのかもしれない。

 

「命を……軽く、扱うな……早苗。…………それに、もし仮にそれが許され、扱える存在が居るとしたらただ一人。正真正銘の神の子、イエス=キリストだけが出来る業なんだ」

 

 おまえは絶対に出来ない。諏訪子はそう断言した。

 

「……………………………………………………………………………ウソだ」

 

 長い時間を掛けて、吐息のように早苗は言った。

 

「……え、だって……私だって『奇跡』を起こせ……。だったら私にだって……」

「おまえは確かに『奇跡』を起こせるし、現人神と言われているが、厳密に言えば違う。おまえは少々特殊な『人間』でしかないんだ。そして、死者は絶対に生き返らない。それは不変の真理であり、覆る事の無い絶対不可侵のルールだ。この世界の法則を捻じ曲げるコトなんて、『人間』の誰一人にもできやしない。おまえは神の子じゃない。『人間』だ」

 

 長い時間が流れた。早苗の両目に大粒の涙が溜まる。

 

「わた、し…………は……『奇跡』を、起こせる……ハズ、じゃ……?」

「驕るな、『人間』。おまえは確かに『奇跡』を起こせる。でもそれは振ったサイコロの出目が全部一になる程度のようなものでしかない。……おまえは、六面しかないサイコロで『八』の目を出せるか?」

 

 そんなもの不可能以外の何物でもない。早苗がしようとしていたのはつまりそう言うことなのだ。

 

「おまえの『奇跡』は僅かな可能性を確実なものに引き上げる程度だ。ゼロから一は創れない。……諦めろ、早苗」

 

 故に死者は生き返らない。ゼロになったものは、一にならない。『本当の奇跡』を起こせる神の子以外は。

 

「……はは、ははははは、ははははははははははははははは」

 

 掠れた笑い声が境内に響いた。

 諏訪子は早苗に背を向ける。そしてそのまま歩を進めた。

 

「おい、諏訪子……」

 

 何もそこまで言う必要はないんじゃないか。躾と言っていたが、これはそれとは少し違う。諏訪子のセリフは早苗のアイデンティティを崩す可能性を孕んだ、非常に危険性の高い『現実の認識』だ。多感な時期にそれを突き付けるのは、今後の一生を左右しかねない。

 その事を言おうと手を伸ばした神奈子だったが、帽子のツバを掴み、目を隠した諏訪子が小さく言う。

 

「赦せ……早苗……」

 

 震えた声に気付いた神奈子は伸ばしかけた手を下ろした。

 本当は言いたくなかったに違いない。ああだこうだ言っているが、諏訪子にとって早苗は愛しの子なのだ。しかし、あのまま放っておけば早苗は間違いなく堕ちる。それが分かっていたから、諏訪子は敢えて厳しい現実を突き付けた。

 将来を歪めてしまうかもしれないのであれば、今の内に根元を絶つ。

 

 

 

 

 

 愛しているからこそ、間違った道に進ませたくない。

 愛しているからこそ、厳しい事を言う。

 愛しているからこそ、時には憎まれ役を買って出る。

 

 

 

 

 

 

 

 全ては、早苗のコトを深く深く愛しているから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 親よりも親らしい『愛』に、神奈子は何も言うコトは出来なった。

 すぅ、と消えていく諏訪子の背を見送った神奈子は空を見上げる。

 

「……早苗……」

 

 早苗の胸中を慮り、神奈子は指を鳴らした。

 ぽつぽつ、と雨粒が落ちてきた。神奈子は天候を操れる。天気を操作して雨を降らしたのだ。

 降りしきる雨の中、早苗は壊れたように笑っていた。いや、事実壊れてしまったのだろう。あんな早苗は見るに堪えない。

 

「……」

 

 神奈子は一人笑う早苗を置いて本殿に戻ることにした。

 

「……すまない、早苗……。今の私にはこうすることしか出来ない……」

 

 せめてこの雨と共に悲しみを流してくれたら。

 その日、その地域だけ局所的な大雨が降った。

 雨は一晩中、降り続いたらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女が亡くなりしばらくが経った。あの日から早苗は学校へ行っていない。

 自分の部屋で布団にくるまり、一歩も部屋から出なかった。

 

「……」

 

 辛い。

 形見である蛙の髪飾りを見つめながら早苗はそう思った。

 少女の葬儀には参列できなかった。行ったらきっと、感情が爆発してしまう。

 

「……もう、この世界に居たくない……」

 

 いたら思い出してしまう。

 

「私の所為で……」

 

 少女は死んでしまった。それは自分が殺したようなものだ。万人は早苗に「罪は無い」というだろう。そんな気休めの言葉を貰ったところで早苗の自責の念は消えない。唯一消えるとしたら、少女本人が許した時だろう。しかし、それはもう叶わない。

 この罪は一生、早苗に付きまとう。消えない罪を背負いながら生きていくしかない。

 

「早苗、少しいいかい?」

 

 気が付くと諏訪子と神奈子が部屋に入って来ていた。そう言えば、この二柱に壁とかそう言うのは意味の無いものだった。これまでにも入って来れる機会はあったはずだ。それをしなかったということは、他にやることがあったかせめてもの情けだったのだろう。

 

「……なんですか」

 

 精気の無い平坦な声。機械音とも思わなくもないそのトーンに、諏訪子も神奈子も悲しげな表情を浮かべた。

 

「……正統後継者であるおまえを抜きに、この話は進められないと思ってね」

 

 何の話だろう、と早苗は視線だけを二柱におくった。

 

「ここから引っ越そうと思ってるんだ」

 

 そう口火を切ったのは神奈子だった。

 

「……引っ越す?」

 

 どこに越すというのだろうか。しかしまあ、どこに行ったところでここで起きてしまった、背負ってしまった早苗の罪は消えはしないのだが。

 

「……どこに引っ越すと言うんですか? こんな世界……居たくないですよ……」

「……もう一度、やり直せる場所だ」

「?」

 

 早苗は首を傾げる。何を血迷ったことを言っているのだろうか。世界なんて一つしかない。それが常識だ。

 

「……この世界はゲームじゃないんです。セーブポイントもないしリセットも出来ない。もう一度やり直せるなんて……できっこない……。そう言ったのは……諏訪子さまです。私はこの世界で……業を背負って、生き地獄を歩んで行くしか――」

「『幻想郷』」

 

 神奈子はそう言った。

 

「おまえはこの世界に居たくないと言った。……その心の内は、察している。だから、逃げよう……早苗」

 

 膝を折り、早苗の前で神奈子はかがんだ。

 

「あまりにも辛い現実からは逃げて良いんだ。無理に押し潰されそうな悲しみと向かい合う必要はない……。だから新しい世界でやり直そう。ゆっくり時間を掛けて……早苗の心を癒そう。この世界では、それは出来ない」

 

 少女との思い出が色濃いこの世界では早苗の心は癒せない。傷付き、ボロボロになった心はちょっとした衝撃で壊れてしまうだろう。

 神奈子はそれを癒す術を探っていた。そして行きついた答えが『幻想郷』だった。そこにはこの世界のような便利なモノは無い。山奥の田舎のような世界だ。しかし、だからこそだと神奈子は思った。

 心に傷を負った者が都会から離れ、自然豊かな場所で療養するのと同じだ。

 そこで全てのしがらみを忘れ、新しい自分として生きていけばいい。

 生まれ変われば良い。

 神奈子はそう思って、あれこれ手段を模索し、やっとのことで辿り着いた。

 

「準備はもう整った。おまえさえ良ければいつでもこの神社ごと引っ越せる」

「早苗……どうしたい?」

 

 諏訪子と神奈子が問いかけて来る。早苗は全てを反芻する。そして全てを天秤にかけ、決断した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早苗は境内から神社を見上げていた。この景色を見るのはこれで最後となる。

 

「……お別れ、です」

 

 頭に付けた蛙の髪飾り。それを一撫でして呟いた。

 これは彼女を象徴する遺品。

 これは早苗の罪を象徴する形見。

 早苗が背負っている十字架。

 早苗はこれを身に付けることで戒める。

 自らのチカラをコントロールし、もう二度と、あんな悲惨な思いをしないために。

 

「さて……行きましょう」

 

 歩き始めたところで後ろから「お久しぶりです」と声を掛けられた。

 振り返るとそこには少女の母親が立っていた。当然のように、車椅子はもうない。胸に突き刺すような鋭い痛みを覚えながらも、早苗は「お久しぶりです」と頭を下げた。

 

「娘さんの事は、看護師から聞きました。お悔やみ、申し上げます」

「いいえ」

 

 母親は小さく首を振った。

 

「何か、ご用ですか?」

「……お百度参り、と言いたいところですが……。申し訳ないのですが、肝心の人が亡くなった今……する意味が、無くなって。だから、せめて……アナタに、感謝をと」

 

 ズキン、と胸が痛んだ。早苗は小さく深呼吸をした。

 

「私は……」

「……アナタが何と言おうと、アナタは娘の救世主……最後だけでも、そう思わせてください」

 

 もう二度と触れられない彼女を思い出す。

 もう二度と笑い合えない彼女を思い出す。

 もう、二度と。

 こみ上げる涙を堪え、早苗は小さく頷いた。

 

「娘は最後の最後まで笑顔でした。それはきっと……アナタに出逢えたから」

 

 止めてくれ。そんな事を言わないでくれ。

 だって私は、あの子を殺したんだから。

 早苗がそう言っても母親はそれを否定するだろう。

 

「あの子に『奇跡(えがお)』を……『幸せな終わり』を与えてくれて……ありがとう、ございました」

 

 母親は深々と、長い間頭を下げていた。早苗は天を仰ぎ、涙を流さないように努めた。

 頭を上げた母親は「さようなら」と言って去っていく。早苗はその姿が見えなくなるまで見つめ続ける。

 

「早苗」

 

 振り返るとそこには諏訪子と神奈子が居た。

 

「……行きましょう。諏訪子さま、神奈子さま」

「……ええ」

「おう」

 

 諏訪子と神奈子が術を発動する。

 光の粒子が舞い、辺りを淡く輝かせる。

 

「さようなら……――――」

 

 

 

 

 

 

 早苗が何か呟いたが、それは誰の耳にも届かなかった。

 光が消えると、誰も居なかった。

 とある神社はもう、そこにはなかった。

 

 

 

 

 

 

 




 あまりにも辛い現実から逃げるのは、果たして弱いのか。
 それとも卑怯なのか。
 『過去』は無かったことにはできないのに。

 次話が最終話となります。
 ではまた。


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最終話

 そして少女は幻想の地に降り立つ。

 ではどうぞ。


 全てを語り終えた早苗は小さなため息を吐いた。

 

「これが私たち守矢がここに訪れた真の理由です」

「……」

 

 小町は唖然としてその話を聞いていた。このお気楽そうな巫女にそんな過去があるとは思ってもみなかった。人に歴史あり、とはまさにこの事だ。

 早苗は赤い顔を机に押し付けながら不貞腐れたように言う。

 

「ここに来てしばらくが経ちますが、その事だけは忘れることが出来ません……。いえ、忘れてはいけないんです。私は赦されていない……」

「そうは言うけどよおまえさん。全てがおまえさんの所為なワケじゃないだろう? その人間の小娘が産まれたのはおまえさんが関係しているのかい? 違うだろう?」

 

 小町の言う通り、彼女の出生に早苗は全く関わっていない。だから一概にも早苗の所為だとは言い切れない。

 

「でも私が関わったからあの子は……」

「それも結果論でしかないよ。おまえさんが関わらずとも、なんだっけー、その……きんじすかんは早まったかもしれない」

「なんですかそのジンギスカンみたいな……。筋ジストロフィーです」

 

 じ、じんぎす? と小町は困惑していた。重箱の隅を突くようなことをしてもしょうがないので話を進めることにする。

 

「今でこそ私は異能をコントロール下に置いていますが、私の意図に反して発動してしまうことはしばしばあります。それは強い想いだったり、失ってはいけないと本能で分かっているモノだったり様々です。諏訪子さまの言う通り、私は振ったサイコロの出目を一に揃える程度の『奇跡』しか起こせないんです」

 

 僅かな可能性を確実なモノに引き上げる程度の『奇跡』しか起こせない。早苗に出来ることは限られている。

 

「私の贖罪は……終わらないんです」

 

 守矢の信仰を集め、救われぬ者に救いの手を差し伸べる。そうすることで早苗は自分の罪を贖おうとしていた。そうすることが彼女への罪滅ぼしになると信じて。

 

 

 

 

 

 

 

「やっと見つけましたよ」

 

 

 

 

 

 

 

 居酒屋に厳かな声が響く。

 ビクッ、と小町が肩をすくませた。小町は油が切れたブリキのようにクビを回し、冷や汗を流しながらその人物の名を言った。

 

「え、映姫……さま……」

 

 小町とそう変わらない身長の少女――『幻想郷』の閻魔こと四季映姫・ヤマザナドゥだ。

 彼女はびくついている小町の上司に当たる。どうせサボっている小町を捜していたのだろう。自分には関係ないと思って早苗はコップの酒をちびちび口にした。

 

「いや~その~何と言いますか~……。そう! これは休憩! いや~参った参った、こんな所を映姫さまに見られちまうだなんてっ」

 

 身ぶり手ぶりでわたわたと釈明をする小町。そのさまを見て映姫はため息を吐いた。

 

「アナタはいつもそう言って……いえ、お説教は後にしましょう」

「お、おおぅ!?」

 

 がみがみと小うるさいことで有名な映姫が説教を取りやめる事なんてこれまでに一度も無かった。小町は「奇跡だ……」と呟いていたが、こんな下らないことを『奇跡』だなんて言われたくない、と早苗は思っていた。

 

「あちらこちらを歩きまわって漸く見つけましたよ……。私は貴女に用があるんです……守矢の巫女、東風谷早苗」

「え!?」

「……ん?」

 

 小町は驚愕し、早苗はワケが分からないと言った表情を浮かべていた。

 

「付いて来てください。小町、運んで」

「え、あ……はい……」

 

 ワケが分からないまま早苗は小町に担がれてしまった。そして小町は映姫の後を付いて行く。

 心地よい揺れに誘われ、早苗はまぶたを下ろした。

 どれくらい揺られていたか分からないが、早苗が目を開けるとそこは大きな建物の前だった。

 

「ここ、は……」

「お、やっと目が覚めたか。ここは映姫さまが務めている……裁判所ってやつさね」

 

 厳かな門をくぐり、中へと連れていかれる。果たして自分は何をされるのだろうか。ふと脳裏をよぎったのはあの少女だった。まさかここで映姫に裁かれるのだろうか。

 それも良い、と早苗は思っていた。どうせなら白黒はっきり付けられた方がマシだ。

 小町に揺られながらある部屋へと辿り着いた。

 

「先方はここで待っています」

 

 映姫の言い方に若干に違和感があった。先方ということは誰かがこの部屋に居ると言うことだ。こんな所で誰が待っていると言うのだろうか。

 

「すぐに戻ってきますが、私は持って来るモノがありますので中で待っていてください」

 

 映姫はそう言ってどこかへ行ってしまった。早苗と小町は映姫を見送る。

 

「……取りあえず、降ろすよ」

「はい……」

 

 多少ふらつきながら廊下に立つ。ほろ酔いと言ったところだろう。

 

「まあ、中に入るとするさね」

「ええ」

 

 ドアノブを捻り、室内へと入って早苗は驚愕した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこにはあの少女がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あまりの驚きに酔いが醒めてしまった。それと同時に、口元を手で押さえる。戻しそうと言うワケではなく、ただ単純に驚きからその行動に出てしまっただけだ。

 

「う、そ……なんで、アナタがここに……!?」

 

 ここは『幻想郷』だ。あの世界の人間は『神隠し』と言う形で連れて来られることがたまにある。しかし、彼女は死んでいる。だとしたらここに居るのはそっくりだと言うのだろうか。

 否。早苗は知っている。

 その愛らしい顔、姿、眼差し……全てが本物だ。

 彼女本人だ。

 

「あり得ない……なんで、こんな所に……っ」

 

 早苗は混乱していた。何が何だか分からず後ずさる。

 

「落ち着きな、守矢の巫女」

 

 後ろから小町が早苗を支えた。

 

「あの人間がおまえさんとどう言う関わりがあるかは追求しない。でも、ハッキリ言ってやるよ。……あれは、魂だ」

「たま、しい……?」

「おまえさんら『人間』で言う所の幽霊ってやつだ」

 

 しかし妙だねえ、と小町はアゴを撫でた。

 

「奴はとっくのとうにくたばってるハズだ……。輪廻の歯車に戻ってる魂のハズだ。罪による穢れがない所を見ると、地獄に落ちたワケでもないだろうし……じゃあなんでこんな辺鄙な場所に……」

 

 小町がブツブツ言っていると、扉が開いた。

 

「その霊は『外』の管轄に居た霊です」

 

 巨大な鏡を台車のようなモノに載せ、映姫が入ってきた。

 

「『外』?」

「そうです。どうもその霊、そこの巫女に会いたかったらしくて『外』の閻魔が情けを掛けたのです。長い時間をかけ、漸くその巫女が『幻想郷』に居ると分かって、特別に許可をして連れてきたんです」

 

 映姫は鏡を床に置いた。

 

「玻璃の鏡……」

 

 小町はその鏡の名を呟いた。

 

「なんですか、その大きな鏡は……」

「玻璃の鏡……正式名称は浄玻璃の鏡ですが、これは死者の生前の善悪の行いを映す鏡です。貴女の感覚で言う所の『ぼうはんかめら』というやつです」

 

 なるほど、と早苗は頷いた。小町はワケが分からなさそうな顔をしていたが放って置こう。

 

「……なぜ、それを?」

「魂……死人に口無しというでしょう? 死者はしゃべることが出来ません。彼女は貴女に何かを伝えたいようなのですが、話すことが出来ないのでこれを用いることにしたのです」

 

 映姫が言うことなのであればそれは絶対なのだろう。彼女は『白黒はっきりつける』能力を宿している。つまるところ、彼女が黒と言えば黒となり、白と言えば白となる。だから彼女は閻魔と言う役割を担っている。誰の意見に左右されず、自ら判決を下す。

 

「そう、ですか……」

 

 彼女と会話が成立するのでは、と淡い期待があったがそれは見事打ち破られてしまった。出来ないのであれば仕方ない、と早苗は割切ることにした。

 

「では、見せます」

 

 ずざざ、と砂嵐のような荒い画像が入ったと思ったらすぐさま映像が流された。

 そこは病室で、少女の身体には電極や管のようなモノが幾本も取り付けられていた。その横にあるのは心電図なのか、ときどき「ピッ、ピッ」と規則正しい電子音が聞こえていた。そのさらに横にある大きな機械は、恐らく生命維持装置だ。

 小町は『外』の光景に興味津々そうだが、ワケの解らない機械などをみると首を捻っていた。まあ、『幻想郷』の住人からすれば未知の装置にしか見えないだろう。しかしそれは映姫も同じだったらしく、同じように首を捻っていた。

 

「アレはなんですか?」

 

 白黒はっきりしたいのだろう。早苗に問いかけてきた。

 

「私もそう医学に明るいワケではないですが、あれは生命維持装置と心電図です。あれで生命を維持しつつ、心拍を図っているんです」

「……『外』ってのはすごいねえ」

「ええ、全くです……」

 

 二人は『外』の科学力に圧倒されていた。

 映像の中の少女は目を開け、呟くように言った。

 

『……ああ、私は……死んじゃうんだね……』

 

 少女は確信したように言う。少女の脇に居るのは母親ともう一人。白衣をまとった男性だった。恐らく、彼女の父親だろう。彼女の父は病院の院長をしていると言っていた。娘の最期を看取るために訪れたのだろう。

 

『……自分の足で……歩きたかったなあ……』

 

 母親か父親か分からないが、洟をすする音が聞こえた。今際の際の娘を見て、思う所はたくさんあるだろう。

 

『いろんな場所に……行きたかった……。学校に……行ってみたかった……』

 

 少女は次々と有り触れた願望を言う。買い食いがしたかった、友達の家で遊びたかった、運動会に出たかった。どれもこれも、本当なら享受するはずだった日常。しかし、少女は筋ジストロフィーによってその日常が奪われた。

 早苗は人知れず拳を握っていた。

 

『……私の人生は……幸せじゃ……ない』

 

 そして少女は言った。

 呪いの言葉を。怨嗟の言葉を。恨みの言葉を。

 次に出るのは恐らく早苗と出会ってからの自分の人生だろう。早苗に会ってから少女は加速的に病を早め、それで命を落としたのだから。

 きっと少女はこれを聞かせたかったのだろう。早苗を糾弾したくて、彼女はずっと探していたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

『そう、思ってた……さなえちゃんに、会うまでは』

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、早苗の耳に届いたのは糾弾ではなく感謝だった。

 早苗は呆然とその場に立ち尽くしていた。

 

『何もかも、諦めて……生きることに絶望して……。こんなにつらい人生を送るくらいなら……死んだ方がマシだって……思ってた……。実際、死にたくても……身体は言うことを聞かないから、思うだけだった……』

 

 いずれは死ぬ運命だった。しかし少女は自らの手で自分の人生に終止符を打ちたいと思っていたようだ。

 少女の本心を聞いた父と母は涙を流していた。

 

『お医者さんは「いつかよくなる」とか「良い子にしていれば『奇跡』が起きるよ」なんて……言って……。でも、その目は……憐れみが、あった』

 

 気休め程度の言葉を投げかけておけば大丈夫だろう。少女はそうとらえられていたのかもしれない。

 

『……「奇跡」なんて……あるワケない……。カミサマは、意地悪なんだもん……』

 

 少女はやはり神を恨んでいた。無理もないだろう。遺伝子疾患を押しつけられ、それを喜ぶ人間なんていない。

 

『でも、でも……さなえちゃんは……違った……。さなえちゃんは、本当に「奇跡」を、起こした……っ』

 

 少女は嬉しそうに、若干興奮気味に語った。

 

『さなえちゃんは……私に、「奇跡」があるって……教えてくれた……。だから、私は、生きようと思った……。さなえちゃんだって、あのまほーを、使えるようになるために……「奇跡」を、信じた、かもしれないから……。だから……、だ、か……ら……わた、しは「奇跡」を……自分の病気が治るって……「奇跡」を、信じた……。さなえちゃんがいたから、私は……』

 

 けほっけほっ、と少女が噎せた。父と母が慌てるが、少女は笑顔を浮かべていた。

 

『さなえちゃんと過ごす時間は……とても、楽しかった』

 

 なぜ、そんな事を思う?

 早苗と出会ったことによって少女は早死にしてしまった、ここは早苗を糾弾すべき場面なのに!

 

『さなえちゃんと、一緒に居ると……胸が、ぽかぽか、した……。さなえちゃんと一緒に居ると…………辛く、なかった……。さなえちゃんと一緒に居れたら……それで、良かった…………。お姉ちゃんって…………こんな感じなのかなあ、って……思った』

 

 少女は涙を浮かべ、早苗との思い出を語っていく。一緒に食べたお菓子は美味しかった。一緒に読んだ漫画は刺激的だった。一緒に出た中庭は違って見えた。

 世界の全てがモノクロだった少女にとって、早苗は色を与えてくれた存在だった。それはもう『奇跡』の出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 

『さなえちゃんのことが……大好きだった……』

 

 

 

 

 

 

 ぽたぽた、と早苗は大粒の涙をこぼす。少女の霊へ視線を送ると、優しく微笑んでいた。

 

『……今日、さなえちゃんに会えなくて……残念だった……。……ねえ、ママ……さなえちゃんは……笑ってくれるかなあ? パパ……さなえちゃんは……私の事、好きだったかなあ?』

 

 勿論よ、と母親は言った。好きに決まってるだろう、と父親は言った。

 

『……そっかあ……良かった……』

 

 心底安心したように、少女は言った。

 

『パパ、ママ……ごめんね……私はもう……先に死んじゃう……』

 

 心電図の様子がおかしい。先ほどまでは規則正しい電子音が鳴っていたのに「ピピピピピッ」と警告音のように鳴り響いた。

 もう、最期が近いのだろう。

 

『蛙さんは……らくさんいぅよ……』

 

 何を言っているのだろうか。ろれつも回らなくなり始めたのか、うわ言のように少女はそう言った。

 

『らから……良いの……。ぁくさんの蛙ぁん……だから……ゎたしは……』

 

 少女のまぶたは殆ど開いていなかった。もう開くだけの力も残されていないのだろう。

 死期が近い少女に、父と母が駆け寄る。両者とも滂沱の涙を流しながら少女の名を叫ぶ。

 それでも、少女は笑っていた。

 

「なんで……アナタは……」

 

 笑顔でいれるのだろう。

 消えゆく命の灯火を、懸命に絶やさないように、少女は力を振り絞る。

 枯れ枝のように細くなってしまった腕を懸命に上げる。しかし、やはり力足りずぺたりと途中で落ちてしまった。それでも、あげようとしているのだろう。少女の腕はプルプルと震えてた。

 

『……さぁえちゃんが、いたかあ……わらひは笑っへ……ぃねる……。だあらね……だからね、パうぁ、マうぁ……』

 

『奇跡』が、起きた。

 上がらないはずの両腕が上がり、少女は両脇に居る両親の腕を掴んだ。

 

 

 

 

 

 

 

『ろんな悲しい顔、ぃらいれ……?』

 

 

 

 

 

 

 

「ぁぁぁああ…………っ」

 

 

 

 

 

 なぜ、少女は笑うのだろう。

 決して幸せではない人生だったはずだ。決して満足のいく人生ではなかったはずだ。

 それでも、少女は笑う。

 私は『幸せ』だったと言うように、笑う。

 ぱたり、と少女の両手がベッドの上に落ちる。

 そして少女は笑顔を浮かべ

 

 

 

 

 

『……ああえゃん、あた、あおおぅぇ』

 

 

 

 

 

 最期の力を振り絞り。

 ろれつの回らない口で。

 末期の言葉を、言った。

 心電図から「ピ―――――――」と言う無機質な音と両親の泣き声が響き渡る中、少女は安らかに息を引き取った。

 

「ぁぁぁぁ…………ああああああああああああああああああああああああ……っ」

 

 早苗はその場にへたり込んだ。

 これが少女の最期だと言うのだろうか……ッ!?

 こんな報われない終わり方があって良いのだろうか……ッ!?

 なぜ少女がこんな目に遭わなければ……ッ。

 涙を流しながら早苗は拳で床を殴りつける。

 

「おまえさん……」

「……」

 

 小町も映姫もその姿を見てどう慰めて良いのか分からず立ち尽くす。そして映姫はこんな残酷な映像を見せて良かったのだろうか、と僅かに後悔を抱き始めていた。

 

「こんなの……こんなの、あんまりです……ッ。なぜあんな良い子が死ななくちゃいけないんですか……ッ! なぜ、なぜ……ッ!」

 

 拳に痛みなどない。それとは別の『痛み』が早苗を苦しめる。

 

「理不尽です……不条理です……不平等です……ッ。こんなの……こんなのって……」

 

 顔を上げて少女の霊を見る。少女の霊はそっと、こちらに寄ってきた。歩くと言うよりは滑ると言った方が正しいだろう。少女の霊は早苗の前に立つとしゃがんだ。

 早苗の事を見る目はとても優しく、愛に満ち、幸福感に溢れていた。

 少女の霊の口がゆっくりと開き

 

 

 

 

 

 

 

「……あぃ………あおぅ…………ああえ……ゃん……」

 

 

 

 

 

 

 

 早苗も、小町も、映姫も瞠目した。

 しゃべるはずの無い霊体が、しゃべったのだ。

 少女の霊は「もう心残りは無い」といった表情を浮かべた。

 

「ま、待って……ッ!」

 

 早苗が手を伸ばすもそれは少女の身体をすり抜けた。当たり前だ、実体を持つ人間が実体の無い霊体に触れられるわけがない。

 

「待ってください、私はまだ、アナタに言いたいことが……! アナタに伝えなければならないことが……ッ!」

 

 早苗は必死になって言葉を紡ぐも、少女は笑っているだけだった。そして

 

 

 

 

 

 ぱん、と小さな音と共に、少女の霊は消えてしまった。

 

 

 

 

 

「……ぇ?」

 

 突然のことに頭が追いつかず、早苗はポカンとしていた。

 キラキラと舞う光の粒を呆然と見送り、早苗は小町と映姫に振りかえる。

 

「……今の、は……?」

「……」

「アナタ方『人間』の概念で言う所の成仏です」

 

 小町は口を開こうとしたが閉ざしてしまった。しかし、映姫は早苗の事を見ながらハッキリと告げた。

 

「あの少女の霊はアナタにあの言葉を言うことだけが心残りだったのでしょう。その言葉をアナタに言うまで浄土に行けない、輪廻に戻らない……その想いが強かったのです」

 

 つぅー、と映姫の目から涙がこぼれていた。

 

「誇りに思いなさい、『人間』……。あの霊は……アナタに、最愛のアナタに……本当に伝えたかった真の言葉を……伝えたのです」

 

 そして、と映姫は続ける。

 

「全てをなした彼女は、心残りが無くなった彼女は……本当の意味で、逝ったのです」

 

 少女は逝った。成仏。心残りがない。

 

 

 

 

 

 

 

 少女はもう早苗の前に現れない。

 

 

 

 

 

 

 

「う、」

 

 堰き止めていた感情の荒波が早苗に襲いかかる。

 少女との出会いは偶然であり、たまだまだった。自分の気紛れで小さな『奇跡』を見せ、それから少女との交流が始まった。

 一緒に話し、笑い、時を過ごした。記憶の中の少女は快活で、笑みを絶やさない美しい少女だった。悲しげな表情を浮かべた時は抱きしめてあげた。身体の痛みに喘いで居た時は頭を撫で「私がいますから」と語りかけ、少女の不安を拭ってやった。

 そうした日常を、何よりも愛しいと思っていた。

 この時はいつまでも続けばいいと『カミサマ』に願ったこともある。

 それでも、現実は残酷だった。

 幼くして少女は命を落とし、早苗はその現実から逃げ此処までやってきた。

 そして少女は、早苗の目の前で、逝った。

 

 

 

 

 

 

 

 脳裏を過ったのは逝く寸前の少女が浮かべた、幸せそうな満面の笑みだった。

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」

 

 絶叫を上げ、少女の残滓を集めようと手を伸ばす。だが足が絡まり、床に顔から無様に転がる。それでも早苗は起き上がり、手を伸ばす。

 

「逝かないで! お願いだから逝かないで!」

 

 滝のように涙を流しながら早苗は叫んだ。手繰り寄せるように、早苗の両手は宙を掻く。早苗は喚き散らしながら、惨めったらしく宙を掻いていた。

 その様子を見ていた小町は映姫へと視線を移す。

 

「少し、酷じゃないですか?」

「なにがです?」

「最後のやつですよ。まさかしゃべるように仕組んであったとは思いませんでした。あたいはあの巫女から『外』に居た頃の『罪』を聞きました。その『罪』を贖わせるのに、あの仕打ちはあんまりだと、思うんですけど」

 

 映姫は閻魔だ。処罰するためとはいえ、流石にやり過ぎだと思う。しかし映姫は「心外です」と言った。

 

「私が裁くのは基本的に死者です」

「じゃあ、アレはなんだって言うんです?」

「アレに関して、私は関与していません。あの霊が勝手にやりました」

「な!?」

 

 そう言えばあの瞬間、映姫も驚いていた。そして映姫の言うことは絶対だ。

 

「それだけあの巫女に関する想いが強かったのでしょう。そしてその想いは『常識』を打ち破り、成し遂げるほどのチカラを持っていた。……私の口からは極力言いたくはないのですが……これは『奇跡』としか言えません」

 

 死人に口は無し。だから死人は、魂はしゃべれない。映姫も小町もそう思っていた。

 

「全ての物事に例外は付き物です。今回はたまたまそれだった……いえ、果たしてたまたまだったのでしょうか……」

「どういうことですか?」

「あの巫女の異能は『奇跡を起こす』です。ならば、今回のはたまたまではなく……いえ、野暮な詮索はしないでおきましょう。いつまでも此処で泣かれていては迷惑なので、仕方ありませんが、尻拭いをしてあげましょう」

 

 映姫はそう言って頭を振ると、早苗に近づいた。

 

「逝かないで……逝かないで……」

「いつまで悲観に暮れているのですか」

 

 呆然自失気味の早苗に向かって映姫は言った。

 

「死者の『死』をいつまでも嘆くことが贖いになると思っているのですか? 死んだ者は生き返らない。それは遍く世界に通ずる真理です。アナタの罪はアナタしか償えないのですよ?」

 

 早苗は涙と鼻水でグシャグシャの顔で映姫を見上げた。

 

「立ちなさい、東風谷早苗。その足で立って、前へ進みなさい。後ろを振り返っても何もなりません。歩みを止め、過去しか見れない者に生きる価値などありません」

「生きる……価値……? そんなもの……あの子を殺した時から……私にありませんよ……」

「愚か者」

 

 映姫はぴしゃりと言い放つ。

 

「ならばなぜ、あの霊はあんなにも『幸せそう』だったのですか?」

 

 死ぬ寸前でも、成仏する寸前でも。

 少女は幸せそうな笑顔を浮かべていた。

 

「傲慢に過ぎますよ、『人間』。それはアナタの罪業妄想に過ぎません」

「妄想……?」

 

 そうです、と映姫は頷く。

 

「きっとあの霊は心残りだったのでしょう。もしかしたら貴女が苦しむかもしれない。自分が死んだ事を知り、絶望するかもしれない。自分の死を、自らの罪だと言うかもしれない。……あの霊はとても思慮深く、また……貴女の事を、深く深く……愛していた」

 

 映姫は玻璃の鏡に近づくと、鏡の表面を一度だけ撫でる。

 

「あの映像を見せることで安心して欲しかったのでしょう。自分は絶望しなかった、辛い現実から逃げなかった、それだけの『強さ』を貴女から貰っていた。それがどうですか」

 

 じろり、と映姫は早苗を睨みつける。

 

「肝心の貴女はいつまでもめそめそめそめそと……。恥を知りなさい!」

 

 ビクッ、と早苗は肩をすくませる。いきなり映姫が大声を出したため小町も驚いていた。

 

「やれ自分の所為だ、やれ自分は赦されていないだのとのたまい己の傲慢を垂れ流し、あまつさえ惨めったらしく泣き喚いては霊の残滓を掻き集めようと醜態をさらし……。貴女は万能の神ではない、ただ一人の東風谷早苗という『人間』なのです!」

 

 ずんずん、と映姫は早苗の下へと近づく。

 

「それでもなお、無い己の罪を責めると言うのであれば良いでしょう。この私が直々に裁きを下してあげます」

「え、映姫様!?」

 

 映姫は確かに『幻想郷』の閻魔だ。しかし、彼女の基本的な役割は死人の魂への裁きだ。生者への裁きはやらなくて良いはず。

 映姫は早苗の前に立ちふさがる。

 涙を流しながら早苗は思った。

 ああ、それも悪くない。

 いつまでも早苗を苛ませ続けるこの『罪』から解放されるのであれば、どんな罰でも受け入れるつもりだ。

 それが例え、早苗の命を奪うものであったとしても。

 自分を見下ろす映姫の目はとても冷やかで、『温情』からはかけ離れており、きっと厳正な裁きを下してくれるだろう。

 映姫は

 

 

 

 

 

 

 

「生きなさい。あの娘の為に」

 

 

 

 

 

 

 

 そう、下した。

 早苗は彼女が何を言っているか分からない。勿論それは小町も同じことだった。

 あの人間の娘が輪廻に戻ったことは映姫も知っているにもかかわらず、映姫は「あの娘の為に生きろ」と言う。

 

「それが貴女の『罪』に対する『罰』です。貴女はあの娘の為に生き続けなければならない」

「もう、あの娘は居ないんです……。『世界』のどこにも……」

「だからこその『罰』です」

 

 映姫は説明をする。

 

「貴女は本来、己が習得すべき御業の修練を怠り、それが遠因でいたいけな少女の未来を奪い、死地へと追いやった。その業は死して償えるものではありません。貴女は贖罪として生きなければならないのです。そして、貴女は『命の重み』を知らなければならない」

 

 ふっと、映姫の表情が柔らかくなった気がした。

 

「死ぬことが贖罪ではないのです。生きて、己の穢れを雪ぐのもまた、贖罪へと成りえる。そのために『裁判』があるのです」

 

 人を殺して即死刑、なんてのは余程の悪人以外には適用されない。そしてそれは社会復帰してもなお、害を及ぼすと判断された者のみだ。大概はその『罪』に見合った『罰』を科せられる。その時間の中で『命の重み』を知るのだ。

 

「生きなさい、東風谷早苗。ただの『人間』よ。貴女が生きることによって『罪』は償われる。あの娘の為にも生きるのです」

「……」

 

 早苗の目に精気が戻る。

 映姫の言う通り、死んで楽になろうなんて甘すぎる。生きることでその者が生きるはずだった時間を噛み締め、日常を生きる事にただ感謝する。

 享受すべきだった時間を、自分が肩代わりするのだ。

 

「あの娘の為に……生きる……」

 

 早苗は自分の『罪』を忘れたりしない。忘れてはいけない。

 忘れず生き続けなければならない。

 

「少しはマシな顔つきになったじゃないか」

 

 小町は早苗の顔を見て朗らかに笑った。

 

「心は晴れませんが……少しだけ、光が見えた気がします」

「ならばその光を見失わないように、しっかりと目を開けなさい」

「はい」

 

 涙を拭い、早苗は立ち上がる。

 逃げない。

 あの少女は酷く辛い現実から目を逸らさず、その命を全うした。それは早苗のお陰だったと言っていたではないか。

 それだけの『奇跡』を起こしたのに、当の自分がこんなありさまでは少女に顔向けできない。

 

「私はもう……逃げません」

 

 まだ年若い早苗に、これからはあらゆる厄災が降りかかって来るだろう。

 時には挫折し、時には泣き叫ぶかもしれない。

 しかし、それでも朝日は昇る。

 明けない夜などない。

 

 

 

 

 

 

 

「守矢神社の風祝・東風谷早苗。推して参ります」

 

 

 

 

 

 

 

 早苗の表情から陰鬱としたものは消え去り、燦々としたものがさしていた。

 早苗はこの瞬間、過去と向きあい、それを受け入れ、新しく生まれ変わり、甦ったのだ。

 うん、と映姫は頷く。

 

「でしたら、さっさとここから出て里にでも行って来なさい。仕事の邪魔です」

「貴女が私を半ば強制的に連れてきたんじゃないですか……」

「貸し一つ、ですよ」

 

 映姫はそう言ってウインクした。

 閻魔に貸しを作ってしまい、返すのに苦労するかもしれない。この事を諏訪子や神奈子に話せばきっと頭を抱えるだろう。

 それも含めて、早苗が抱えなければいけない贖罪だ。こんな不出来な巫女で申し訳ないとしか言う事が出来ない。

 

「丸く収まったようだね。んじゃ、景気祝いに酒でも――」

「貴女は私と一緒に残業です」

 

 逃げようとした小町の首根っこを掴み、映姫が冷たく言い放つ。

 

「え、映姫さ……ま? 残業だなんて、嘘ですよね?」

「やる事は沢山あります。それに、貴女には先ほど出来なかったお説教もしなければなりませんし」

 

 小町は涙を浮かべながら早苗を見つめる。「助けれおくれっ」と目で訴えかけているが、早苗はにっこりとほほ笑み

 

「それが貴女の『罪』に対する『罰』なのでは?」

「あ、あ、あ……あんまりさねぇぇぇえええええええええええええええええッッ!!」

 

 映姫は小町をズリズリと引き摺りながら廊下を歩いて行った。

 自らの『罪』を告白し、それに対する『罰』を受けた早苗。

 早苗はの心に燻っていた『傲慢』はもうなりを潜めている。

 

「あの娘の為に、生きる……」

 

 早苗は蛙の髪飾りを一撫でし、撫でた手を見つめる。

 この手が取り零した命はもう帰って来ない。しかし、これからの命を守る事が出来るかもしれない。

 あの悲劇を繰り返さない事が、早苗の贖罪なのだ。

 そのためには、多くの人を助けなければならない。

 

「よしっ」

 

 軽く頬を叩き、早苗は歩き出す。

 

「さぁーって、里で守矢の信仰を集めましょーっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 おーっ、と一人で拳を掲げ、意気揚々と自らを鼓舞する。

 陽炎のごとく揺れる光に向けて、間違う事のなく。

 風祝の巫女は、前へ進む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           ―少女と風祝の巫女 了―

 

 

 

 




 己の罪を知り、業を認めた早苗。
 逃げた先で早苗はようやく『己』と向き合い、心に折り合いをつける事ができたでしょう。
 決して逃げることはできない『現実』は必ずあります。
 挫折しそうになっても歯を食いしばって立ち上がるしか『現実』に立ち向かえないことを知った早苗は『人間』として成長できたでしょう。 

 少女の起こした『奇跡』は早苗の心の傷を癒せたのでしょうか。
 それは早苗のみが知っています。

 最後に、ご愛読ありがとうございました。


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