俺たちは仮想の世界で本物を見つける (暁英琉)
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ソルテールの花

 いろいろな人間の思惑があった。どれかにとって最善の結末は別のどれかにとって最悪の結末だった。一つの依頼を解決すれば他の依頼が失敗する。ならばこの依頼は全て解消されるべきだった。俺達の中でそれを実行に移せるのは俺だけだったし、俺なら完璧にこなせる自信があった。しかし、それは彼女たちにとっては一度拒絶した行動で、しかし彼女たちのプライドは、本質は、依頼の不履行を認められなかった。

 だから、俺を止める人間はいなかった。

 多少のイレギュラーはあったが、依頼は解消された。そのイレギュラーのせいで一週間の停学を食らったが、大した痛手でもない。

 けれど、解消に成功した俺を待っていたのは、絶望と落胆を孕んだ二人の目だった。

 周りのことなんてどうでもいい。分かってほしい人たちがちゃんと分かってくれるなら。けれど、分かってほしい人たちはなにも分かってくれていなかった。

 そんな目をするならなぜ依頼を拒否しなかったのか。なぜ俺に対して反論をしなかったのか、説得しなかったのか。自分が犯したことのくせに胸くそ悪い疑問が頭の中をぐるぐる巡る。

 結局俺が彼女達から受けていたと思っていた“期待”や“信頼”はただの“利用”だったのだと理解した。

 

 理解したからこそ、停学明けから、奉仕部には行っていない。

 

 

*   *   *

 

 

 お兄ちゃんがやろうとしていたことはすぐに分かった。壊して、歪ませて、無理やり繋ぎ合わす。依頼を不履行にしないのならお兄ちゃんにはそれしか方法がなかったし、奉仕部そのものにもお兄ちゃんの方法しか残されていなかった。それでも依頼を拒否しなかったのだから、今度はあの二人はお兄ちゃんを拒絶しないのだと思っていた。多少ドジは踏んだみたいだけど、お兄ちゃんは目的を達成した。戻ってきたお兄ちゃんを見て、少し悲しい気持ちになりながらも、また馬鹿なことをこなしちゃったんだな、と笑おうとした。

 けど、お兄ちゃんを待っていた二人の目に見えた感情に小町の表情は変な形で固まった。

 悲しみの感情はいい。小町だって感じているのだから。けれど、その絶望と落胆の感情はなに? それは明確な拒絶だ。信じられないものを見る目だ。どうしてそんなものをお兄ちゃんに向けるんだろうか。信じて、受け入れると決めたからお兄ちゃんを止めなかったのではないのか。

 お兄ちゃんが依頼を解消した次の日、小町は二人を問いただした。二人の答えは曖昧で、要領を得ず、そして逃げていた。逃げだからこそ、二人がただお兄ちゃんを利用していただけなのだと分かった。

 人はそうそう簡単には変われない。お兄ちゃんが言っていたし、だからお兄ちゃんもそうそう変われない。だからきっと二人は今のお兄ちゃんを受け入れてくれると思ったのに。

 分かっている、勝手に期待して勝手に失望しているだけだと言うことくらい。

 けど、失望してしまったからこそ。

 

 もう小町は、奉仕部には行っていない。

 

 

*   *   *

 

 

 せんぱいの噂は一気に学校中に広がった。せんぱいが停学になったことがその噂が事実だと証明していた。けれど、きっとせんぱいは誰かを助けるために、自分の信念を貫くために行動をしたんだと思った。せんぱいはそういう人だから。短い付き合いだけど、私はせんぱいを見てきたから。だから私はせんぱいに変わらず接することができると信じていたし、あの空間も壊れることはないと信じていた。

 

 けれど、それはいとも簡単に壊れていた。

 

 奉仕部の扉に手をかけながら、中から聞こえる小町ちゃんの声を聞いていた。普段は明るくてかわいらしい小町ちゃんが出す怒声に私は戸惑い、けれど納得していた。扉は開かれていないから、中の様子は見えない。見えないけれど、感じる。小町ちゃんの怒りを受けている二人の纏う雰囲気は、私が初めて奉仕部に来た時のそれに似ていた。いや、似ているだけで全然違う。曖昧な反論の中に覗く感情は、どす黒い自己弁護。形の上ではあの人たちはせんぱいを信頼していたかもしれない。分かっていたかもしれない。

 けど、心の奥底では何一つ理解していなかったんだ。

 先輩が愛していたこの空間の温かい雰囲気は幻想で、それはきっと強くて弱いせんぱいを締め付ける。私が憧れていた幻想は醜い夢想で、せんぱいを必要としない幻想は私にとって何の価値もなかった。

 私が好きだったのは“せんぱいのいる”奉仕部だから、“せんぱいを欲しない”奉仕部なんて全くの、無価値。

 扉にかけた手を離して、踵を返す。もう振り返ることはない。その必要はない。

 あの空間がせんぱいを見捨てるのなら、私がせんぱいを包もう。あの二人がせんぱいを拒絶するのなら、私はせんぱいを受けとめよう。私は変わらずせんぱいを愛そう。

 

 決別したから、私はもう奉仕部には行かない。

 

 

*   *   *

 

 

 一週間の停学が明けて久々に学校に登校する。まあ、今回は正当防衛に当たるので、あくまで形だけのもので内申には影響はないらしい。そう考えると一週間の休暇という報償をもらったのだと考えると悪い気分じゃない。

 ……まあ、周りはそうは思っていないのだろうけど。

 方々から突き刺さる視線。そこには明らかな恐怖が混ざっていた。そりゃあ、男子四名を病院送りにしたらそういう視線も向けたくなるだろう。肌に突き刺さる視線を遮断し、無視する。ぼっちというのは視線に敏感な代わりに、視線を無視することも得意なのだ。

 教室の扉を開けると、さっきまでだいぶ騒がしかった教室がしんと静まり返る。もう三年で受験生なのだから、むしろ俺のおかげで勉強に適した環境になったまである。そんな彼らを無視して自分の席に着き、イヤホンを耳にはめて突っ伏す。他人のことなどどうでもよかった。

 

 

*   *   *

 

 

 真っ黒だ。どろどろの黒が俺の輪郭すら奪う。思考はずぶずぶと音を立てて腐り落ち、なにも考えられなくなる。俺の中にあったどす黒い感情すら黒と溶け合って本質を失う。禍々しいほどの黒のはずなのに、どこか心地よかった。

 このままこの黒に全てを溶け込ませれば、きっとすごく幸せなのだろう。幸せなら、このまま溶けてしまえばいい。目を閉じた闇はとても怖いから、目を開けた黒を見たまま溶けよう。

 

 ――――ぃ。

 

 なにかが聞こえた。孤独なはずの空間に聞こえた声は、なぜか幻聴ではないように感じた。

 

 ――んぱい。

 

 やはり幻聴ではない。その声には聞きおぼえがあったが、思いだせない。この声は誰のものであったか。

 ふと黒が割れるのが見えた。いや、どろどろの黒を分かつように、白い光が伸びてきていた。それは仏がカンダタを助けるために垂らした蜘蛛の糸のようで、無意識のうちに俺は手を伸ばしていた。

 

 ――せ~んぱい。

 

 黒と同化しかけていた俺の手は、温かくまぶしい光の手に取られ、引き上げられた。

 

 

*   *   *

 

 

「あ、せんぱいやっと起きましたね~。熟睡しすぎですよ~」

「い……っしき……?」

 浮上した意識が目の前にいる一色を認識するまでにだいぶ時間がかかった。一色はいつものようにニコニコして俺を見てくる。

「なんで、お前がここに……」

「なんでって、せんぱいと一緒にご飯食べようと思ってきたんですよ~」

 時計を見ると昼休み。どうやら午前中の授業を全て寝てしまっていたようだ。しかし、一色と昼食と一緒に摂る約束などした記憶はない。

「断る」

「だ~めです! もう決めちゃいましたから~」

 ストレートに拒否したのに断ることを断られてしまった。どうやら引く気はないようだ。このままここで押し問答をしていても余計な視線を集めるだけだし、俺にとって得がない。

「はあ、わかったよ……」

 このままだと逆に昼飯食いっぱぐれることになりそうだし、と弁当を持って立ち上がると一色が口みたいな栗をしていた。

「なんだよ」

「ぁ……いえ、なんでもないです! 早く行きましょ!」

「あ、おい!」

 一色に手を引かれ、無理やり外に引っ張られる。彼女が一瞬見せた表情は、一瞬だけ俺に向けられた悲痛の表情は、俺の見間違いだったのだろうか。いつものようなあざとさと強引さで俺を振りまわしてくる。

 それが少し嬉しくて、けれど、心のうずきによってその感情は即座にかき消された。

 

 

*   *   *

 

 

 ――わかったよ……。

 

 いつもならその言葉に深い意味なんてなかった。後輩の押しに弱いせんぱいが強引な私に抵抗を諦めただけ。けれど、せんぱいは気づいていないのだ。そう言った彼の表情は、今まで見たことのないくらい優しい笑みだったことに。優しい笑み、けれど瞳にまったく感情を感じさせないその顔を私は知っている。たぶん私だから気付けたのだ。それはせんぱいが外面と称する私が使っているものだから。

 同じものだから、せんぱいが無意識に外面を使う理由も分かってしまう。警戒と無関心。警戒するから本心を隠すし、無関心だから余計な敵を作らないように無意識に愛想をよくする。それを私に使われたことが、たまらなく悲しかった。

 この人は壊れてしまった。本質の一部が変わってしまうほどに歪に。けれど私には関係ない。私はただ先輩を受け入れて、愛するだけだから。

 

 

 せんぱいのいつものお昼スポットについてから、二人で並んでご飯を食べる。私が話しかけなければせんぱいと話すことなんて極々まれだし、その沈黙も私は嫌いじゃなかった。

「せんぱ~い」

 けれど、私は正しくせんぱいのことを理解したかったのだ。そのためには彼の口から話を聞かなければならなかった。

「結局、一週間前になにがあったんですか?」

 これを聞いてしまえば、嫌われるかもしれない。私の想いが変質してしまうかもしれない。けれど、それでも、私は知りたかった。

「あー……」

 頭をガシガシ掻きながら思案するせんぱいの表情は、色がない。まるで他人事みたいな表情で、いや表情そのものがそこにはなかった。まるで“記憶”ではなく“記録”を掘り起こすみたいに、どうでもいいものを見つけたみたいに。

 どうでもいいことだから、せんぱいはつらつらと語りだした。

 

 

 始まりは三つの依頼だったらしい。同じ男の子が好きな二人の女の子。その二人からそれぞれ、その男の子に振り向いて欲しいからアプローチを手伝ってほしいと依頼がきた。恋愛事を知らない人間に相談するなんて馬鹿げているけれど、奉仕部は一度そういう依頼を受けてしまっていた。まあ、結果は散々だったらしいけれど、負けず嫌いの雪ノ下先輩はそれを受けてしまう。告白ならともかく、気を引くだけならダブルブッキングでも気にしなくていいだろうと考えたのだ。

 しかし、その後まさにその男の子が他の子のことが好きだから二人と距離を置きたいと依頼してきた。その依頼を受けようが受けなかろうが、先の二つの依頼の達成が困難になってしまった。依頼の成功率はほぼ零に近い。だからせんぱいは、自分を使うことを決めた。多少渋るところはあったようだが、誰も明確に反論しなかったということはあの日の小町ちゃんの怒りの声で予想がついた。

 せんぱいはその男子を徹底的に罵倒することで、女子二人がせんぱいを共通の敵として男子を守らせようと考えた。男子が二人から離れたいと願うなら、守ろうとした女子を拒絶すればいい。拒絶された人間は恐怖で二度と近づけないから、後は自然と関係消滅。彼女たちのアプローチを行い、かつ彼に距離を置かせることもできる。そういうものだった。

 けれど、一週間前の作戦決行当日、渦中の二人が喧嘩を始めた。互いが奉仕部に同じ依頼を出したことを知ってしまったのだ。どうやらその二人はせんぱい曰く「劣化一色いろは」で私のように男受けが良くてクラス内で派閥を作っていたらしい。なんか私が男を侍らせているみたいで納得できないけど、なんか反論もしづらかったので黙って聞くことにする。それで、二人の喧嘩は予想外にヒートアップしてしまい、気がつけば派閥の代理戦争にまで発展してしまっていた。派閥の中には数名素行の悪い生徒がいたようで、物理的な喧嘩が始まってしまったのだ。

 お互いが明確な“敵”になってしまった。せんぱいの作戦ではせんぱいを敵として、敵の敵は味方理論で二人に同じ土俵で共同戦線を組んでもらうものだったため、せんぱいの作戦は使えない。というよりも、すでに依頼とか作戦とか関係なくなっていたのだ。

 せんぱいは仲裁に入った。そして、襲いかかってきた彼らを止めるために男子四人を病院送りにしたのだ。

 その結果二人のアプローチはうやむや、男の子は極めて普通に二人と距離を置くことができた。まあ、男子生徒四人はそれ相応の処分を受けるみたいだけど。

 

 

「ていうか、男子四人病院送りって、せんぱい喧嘩強かったんですね」

 私の素朴な疑問にせんぱいは「え、そこ?」みたいな顔をしてくる。いやまあ、だいたい予想通りせんぱいが自分の信念を貫くために動こうとした結果だったから、大体の内容はあくまで確認だっただけで、至極どうでもよかった。

「まああれだ、ぼっちでいじめられっ子だったからな。自分の身は自分で守る必要があったから」

 そう呟くせんぱいの表情はやっぱりない。なにも見ていないその目には少しだけ悲しみがちらついていた。

 それは信じていた人に裏切られた絶望、期待していたからことの反動による失望を孕んでいた。きっとせんぱいはあの場所に希望を寄せていたはずだ。理解したい理解されたい受け入れたい受け入れられたい、せんぱいはあの場所に本物を夢想していたから。

 けれど、夢想は夢想、夢幻。儚く消えた幻のオアシスの先にあるのはなにもない砂漠。きっとせんぱいはなにも求めないのだろう、なにも受け入れないのだろう。それでも、それでも私は……。

「せんぱい……」

「一色……?」

 先輩の肩に頭を乗せる。拒絶も何もしてこない、いつもなら慌てたり赤くなるせんぱいはそこにはない。

「せんぱいは私に期待しなくていいです……」

 ぴくっと、肩がふるえる。

「信頼もしなくていいです。けど、私はせんぱいを受け入れます、離れません。だから……」

 せんぱいの手に自分の手を重ねる。

「私をそばにいさせてください……」

 せんぱいの期待も、信頼もいらない。それはきっと、せんぱいを苦しませるだけだから。私はそばにいられるだけで、受け入れる存在になれるだけでいい。それがどれだけ私を苦しませようと、それでせんぱいが救われるなら、私はそれだけでいい。

「……わかった」

 大きく取られた間の末に了承してくれたせんぱいはやはり外面の笑みで。それがきっと、せんぱいがこれから望む関係で。

 私の目はせんぱいを見ている。せんぱいの目は私を見ていない。一方通行な想いは、彼に届く前に霧散して消える。

 壊れて歪んで治ったおもちゃを彼女たちが捨てると言う。なら、私はそれで大事に遊び続けよう。大事に、大事に……いつまでも、いつまでも……。

 

 

*   *   *

 

 

「およ?」

 放課後、お兄ちゃんと一緒に帰るためにお兄ちゃんの教室に行くと、ちょうどお兄ちゃんがいろはさんと一緒に出てきた。

「あ、小町ちゃん!」

「いろはさんどもです!」

 小町に気付いたいろはさんがお兄ちゃんを引っ張りながら駆け寄ってくる。女の子に振り回されるお兄ちゃん、小町的にポイント……いや、いつも通りだね。いつも通りということに違和感を覚える。この学校で、いろはさんだけが変わらずお兄ちゃんと接していた。それがうれしくて、けどなにも感じていないようなお兄ちゃんを見るとやっぱり悲しくなる。

 停学になってからもお兄ちゃんは優しかった。いや逆だな、優しくしようとして、失敗していた。お兄ちゃんはどこか割れモノでも触るように小町に接していた。いままでみたいに頭を撫でてはくれないし、笑いかけてくる表情は薄ら寒い。小町の一挙手一投足に最初は敏感に反応して、次第になにも反応しなくなった。小町すらも信用できなくなってしまったお兄ちゃんに悲しくなって、ベッドで声を押し殺して泣いた。

 小町はお兄ちゃんに前みたいに笑ってほしかった。よくわからない持論をドヤ顔で展開してほしかった。お兄ちゃんが前みたいに戻れるのなら、小町はなんだってする覚悟があった。

 一度壊れたものは決して元通りにはならないのに。

「小町ちゃん。この後おうち寄ってもいい?」

 いろはさんはいつ通り笑って話しかけてくる。けど、それはどこか無理していて、拒絶すると消えてしまいそうで。

「もっちろん、いいですよ!」

 小町が答えると、お兄ちゃんが嫌そうな顔を“作って”いた。それから諦めた表情を“作り”、歩き出す。いろはさんはお兄ちゃんに変わらずついていく。

 きっといろはさんと小町がお兄ちゃんに求めているものは違うものだと、その時感じられた。お兄ちゃんを大事に想う気持ちは一緒だろうけど、小町とあの人の底にある想いは相容れない。

 だから、協力はできても協調はできない。

 けれど、協力者がいるにこしたことはない。思惑は違えど、無理に敵になる必要はないのだ。場合によっては利用だってする。小町にとって、お兄ちゃんはなによりも大事だから。

 

 

 並んで帰る三人の影は、決して交わることなく、進んでいく。




とりあえず1話目
SAOのSの字もないですねすみません


本当はこの話はクロスオーバーなしでシリーズものにしようと思って書いたのですが、暗い雰囲気に書いてて鬱になったので短編で終わらせてpixivにのっけたやつなんですよね

最近になって、「この下地で続き書きたいよなー」と思うようになり、ちょうどSAOとのクロスオーバーSSを読んで今回のシリーズ方針になりました

まあ、SAOとのクロスオーバーっていっぱいあるからチラ裏程度に眺めて(´・ω・`)


ところで、SAOは一応原作全部持っているのですが、設定がいろいろ多いので正直覚えきれていません
しかも、SS作者さんとかはオリジナル設定を作っている人も多いので、書いているうちに原作と二次設定がごっちゃになって他作者さんのネタをうっかり使ってしまうかも
その時は指摘してもらえると嬉しいです


日付が変わったら即次話を上げるのでそれも見てね☆
明日から旅行だから次の投稿分からないけど!


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偽物の世界へ俺は逃げた

 ――あぁ、またこれだ。

 最近寝ると必ず見る夢。どろどろの黒い空間にただ佇むだけ。夢だと理解できるけど、何もする気になれない。この夢の空間は今の俺にとってあまりにも心地よくて、ただ溶けていくのを待つことが至福なのだ。

 けれど、所詮それが叶わないことも知っている。所詮夢なんて睡眠中の記憶整理の産物なのだ。数時間で醒める儚い空間だ。記憶整理の産物がいつもこの夢なら、きっとこれが俺の見ている世界なのだ。これが俺の本質なのだ。なんて腐った人間だろうか。

 きっと俺は一生変わらない。これからも勝手に人に期待して、勝手に人を傷つけて、勝手に自分が傷つくのだ。

 そうなるなら俺は……。

 

 

 そこで、意識はゆっくりと浮上した。

 

 

     ***

 

 

 ゆっくりと目を開けると、見慣れた天井。少し遅れて部屋のベッドで目覚めたことを認識した。身体を起こすと軽い眩暈を覚える。最近いつもこうだ。休学が明けて二週間程経ったが、寝た気はしない。実際はしっかりと規則正しい生活を送っているのだが、いつも寝起きはどこか気だるいのだ。

 まあ、それも慣れの問題だろう。慣れてしまえば大抵のことはやっていける。無理だと思うから無理なのだ。やり抜けば無理ではないってどっかの社長も言っていたしな。……俺はいつの間にブラックの思考を!

 ガシガシ頭を掻きながらどうでもいい思考を中断し、のっそりと部屋を出る。階段を下りるといい香りが鼻腔をつく。さっと顔を洗ってリビングに向かうと味噌汁と目玉焼き、ベーコンの香りをより強く感じて思考が完全にクリアになる。

「お兄ちゃんおはよ」

 台所にはエプロン姿の小町と――

「あ、せんぱいおはようございま~す」

 同じくエプロン姿の一色がいた。

「おはよう」

 まあ、もう見慣れた光景なので新聞を広げながら席に着いた。

 え、なぜ一色が朝から俺の家にいるかって? ……まあ、俺のせいなんだろうな。

 自分では今まで通り過ごしているつもりだが、どうやらだいぶ無理をしているらしい。平塚先生から呼び出されたと思ったらいきなり心配されたほどだから相当なのだろう。

 

 

 ――比企谷、人間は脆い。確かに一人でやることは悪ではない。しかしな、一人でやれる、と一人で無理をする、は別物なんだよ。

 

 

 あれを言われたのは停学明けの翌日、つまり奉仕部に行かなかった翌日だ。相変わらず生徒のことをよく見ている。本当にどうしていい相手が見つからないのか。

 言われた意味は理解している。きっと俺は今無理をしているのだろう。しかし、それを俺はどうすることもできない。どうすればいいのかわからないのだ。そもそも今の俺は他人に信用も期待もできない。それは小町にもだ。だから一人で何とかするしかない。だから何もしない。

「せんぱい! 今日せんぱいの家に泊まりに行ってもいいですか?」

 一色の提案があったのはそんな時だった。

 正直言葉を失った。恋愛関係にない同年代の男の家に泊まろうなど普通じゃない。ここは拒否をするのが普通だ。しかし、考えてみる。これは小町のためになるかもしれないと。

 あれから、小町に対する接し方が分からなくなってしまった。だからきっと、あいつには多大なストレスを与えているに違いない。一色を連れていけば、その発散になるかもしれないと思い、了承した。自分で提案しておいて、一色はよく分からん微妙な顔をしていたが、なんてことはないのだ。一色は自分に信頼も期待もしなくていいと言った。信頼も期待もしないのなら、俺が勝手に失望することはない。信頼しないことが分かっているからこそ、一番受け入れやすいのが一色いろはだった。

 それに、ここで拒否をしてしまうと、それこそ一色に余計な心労を煩わせてしまいそうだったのだ。

 それから一色は週の半分ほどを我が家で過ごしている。

『……次の話題はもうすぐ正式サービスされる“ソードアート・オンライン”の情報です!』

 適当に一面記事と四コマを見て新聞を閉じるとちょうど朝のニュースが新しい話題に切り替わったところだった。

 ソードアート・オンライン。過去のゲームハードとは一線を画すヴァーチャルリアリティゲームを楽しめる『ナーヴギア』待望のVRMMORPGらしい。ナーヴギアとはテレビの前で一人称だったり三人称だったりの画面と睨めっこしながら遊ぶ従来ゲームハードとは違い、ゲームの中にまさしく『フルダイブ』して遊ぶゲームハードなのだそうだ。口で言ってもよく分からんけど。

 確かこの間まで行われていた二ヶ月間のβテスト千人の倍率が鬼のようにやばかったらしいとネットで見た気がする。初回ロット国内限定一万本。買えるやつは相当運がいいのだろう。

 しかし、仮想の世界に自分自身が入ることができる……か。

「お兄ちゃん、ご飯出来たよー。早く食べよ!」

「ん? おお」

 テレビから目を離すとテーブルには和食然とした朝食が広げられていた。朝食をしっかり食べることは一日を生きる上で非常に大事である。朝食を抜くと逆に太りやすくなるしな。

「じゃあ、いただきま~す」

「「いただきます」」

 三人で他愛のない話をしながら朝食を食べる。二人の女子高生らしい話を聞き流しながら、ふと俺は仮想世界というものを夢想していた。

 本物なんてきっと存在しない。存在しても、俺なんかが手に入るものじゃない。ならいっそ、仮想の世界なら、偽物の世界なら、少しは楽に生きることができるのだろうか。

 

 

     ***

 

 

 あれから、特に大きな変化をせんぱいは見せていなかった。今までのように人との接触を極力嫌い、自分の周りに壁を作る。せんぱいのやったことを断片的に皆知っているから、その壁に触れようともしない。その壁に触れて、中に入ることが許されるのは極々一部だろう。私がその中に入っていることが、少しうれしい。

 けれど、せんぱいの目は私を見ていない。いや、誰も何も見ていない。あの仮面のような笑みを、小町ちゃんにすら向けていた。誰も信頼しなくなったせんぱいに私は、物理的には近付けているが、精神的にはむしろ離されていた。

 停学前と少し変わったことと言えばせんぱいが私の提案やわがままをあまり拒否しなくなったことだろうか。けれど、それは決して受け入れではない。むしろ無視に近いものだ。そばにいてもいいと許諾はされるが、そこに関与されることはない。

 それでも拒絶される位ならマシだと、せめて少し長く物理的にそばにいたいという衝動を抑えきれず、気がつくとせんぱいの家に入り浸るようになっていた。

 ちなみに、おうちには小町ちゃんの家に行くって口実にしている。まあ、同性だし、実際小町ちゃんの部屋で寝てるし問題ないよね。お父さんからは「寂しい」とか「いろはが不良に……」とか言われたけど、子煩悩なお父さんのことなんて私は知りま~せん!

 まあ、お父さんなんてどうでもいい。今一番大事なのはせんぱいなんだから。

 私はどんなせんぱいでも受け入れる覚悟をした。けど、それはせんぱいが無理をしないことが前提なのだ。納得していなくても、満足してなくてもいい。けれど、せんぱいが変わってしまった結果、倒れてしまうなんてことは論外だ。

 きっとせんぱいは自分を責め続けている。せんぱいは優しいから、おそらくずっと自分を責め続けるのだ。自責の念は重く、重くのしかかる。メンタルの強いせんぱいでもこのままでは潰れてしまう。それは……嫌だった。

「じゃあ、また後でな」

 せんぱいの声に意識を戻される。いつの間にか学校に着いていたらしい。三年生の靴箱は一、二年の靴箱と少し離れているので、せんぱいとは早く別れることになる。のそのそと歩いていく背中は……弱々しい。

 なんとかしなければならない。もしせんぱいが潰れてしまって、もしも何も言わずに私の前からいなくなってしまったら……そう思うと焦りが湧いてくる。

 今のせんぱいには逃げる場所が必要なのだ。ただ物理的に逃げるのではなく、精神的に逃げられるような。今の悩みを考えなくても済むような何か別の世界を見せるべき……別の世界?

「ねえ、小町ちゃん」

「? なんですか?」

 立ち止って、二人してずっとせんぱいを見送っていたのだと思うと苦笑しそうになってしまう。けれど、今はそれが好都合だ。

「ちょっと一時間目サボらない?」

 私一人だと心許無いから。この子にも協力してもらおう。

 

 

「失礼しまーす……」

 常備している生徒会室の鍵で生徒会室に入る。時々来るとは言え、部外者の小町ちゃんは恐る恐る入ってくるのがちょっとかわいい。最近、小町ちゃんが妹ならシスコンになるもの仕方ないなと思ってしまう自分がいる。

「それで、一時間目サボってまで話ってなんですか?」

 適当な席で居住いを正すと小町ちゃんは真面目な顔で聞いてくる。さすがにあのタイミングでこんな提案をすれば、せんぱいのことだってわかるよね。

「小町ちゃんは、今のせんぱいをどう思う?」

「それは……正直、見てられないです」

 小町ちゃんの表情が暗く沈む。小町ちゃんにしても、今のせんぱいには何もできない。せんぱいは小町ちゃんとの接し方すら分からなくなっているようだった。今まで通り接しようとしているけれど、どこか無理をしている。

 小町ちゃんと私がせんぱいに求めていることは違う。小町ちゃんはせんぱいに前のように戻ってほしいと考えている。前のようにシスコンで、ゴミいちゃんで、けど優しい。そんなせんぱいに戻ってほしいと。私はどんなせんぱいでもいいからそばにいたいと願っている。……どんなせんぱいっていうのは嘘だ。無理をしていないせんぱいのそばにいたい。

「私も、さすがに今のせんぱいはどうにかした方がいいと思ってるんだ」

 二人ともせんぱいのことを心配していて、けれどその方向性は全然違う。方向性の違う二人が無条件に協力できるはずがない。音楽性の違いで解散が目に見えている。

 では、そういう二人が協力するにはどうするか。片方がもう片方に合わせるか、お互いの妥協点を探り合うか……お互いにメリットのある案を提示するかだ。

「実は、ちょっと案があるんだけど……」

「……なんですか?」

 疑問を向ける小町ちゃんの目はどこか疑わしげ。当り前だろう。考えの違う私からの提案なのだから、自分とは相いれない案の可能性が高い。まずは、この舞台の外で私を見ている少女を同じ舞台の上に上げなければならない。そのための話し方や考え方は生徒会と、なによりもせんぱいから学んでいた。だから大丈夫。

「あのね……」

 だから、私の提案に乗ってもらうよ? せんぱいのためにね。

 

 

「なるほど……」

 私の提案を話し終えると、小町ちゃんは顎に手を当てて、ふむ……と小さく唸る。こう言う何気ないしぐさが先輩にそっくり。似てないようでやっぱり兄妹なんだなって思う。

 この案を決行した結果、どうなるかは正直未知数だ。私としては多少の息抜きになってせんぱいが無理をしなくなれば大成功で、小町ちゃんは現状策の思い浮かばないせんぱいが元のせんぱいに戻るきっかけになるかもしれない。特にデメリットもないだろう。

「確かに小町も藁にもすがりたい思いですから、その案はなかなか魅力的です」

 小町ちゃんの好意的な反応に少し肩の力が抜ける。しかし、「ただ……」と険しい顔で続ける声にまた少し力が入ってしまった。

「そう都合よく手に入りますかね。ハードも結構高いみたいですし、そもそもソフトも手に入るか……ゴールデンウィークまで時間もないですからね……」

「確かに……」

 この案の欠点と言えば、必要な道具が高価な上に入手確率は1%以下というところだ。1%以下とか四捨五入したらゼロじゃないですか。これは完全に廃案でしょうか……。なにか打開策というか入手率を上げる方法があれば……。

「あ……」

 あの人なら……あの家ならひょっとしたらなんとか出来るかもしれない。

 私は携帯を取り出すと、あの人に出すメールを打ちこんだ。

 

 

     ***

 

 

 五月五日、ゴールデンウィークである。

 なぜか今日は絶対に家にいるように小町と一色に念を押された。そんなことしなくても俺は基本家から出ないんだが……。ていうか、小町はともかく一色からも言われるってことは一色のやつ今日もうちに来るのか? そんなしょっちゅう年頃の男の家に来てご両親は心配しないんですかね。先輩は心配です。

 そして、俺に家にいるように念押ししてきた小町は今出かけている。監視の目がないからと言って俺も出かけようなんて思いもしない。小町との約束を破るなどあり得ないからだ。……決してニートだからではない。リアルヒッキーではないのだ。

 まあ、最近は一色の生徒会がない日は放課後は即帰るし、休日は家から一歩も出ないけどさ。

 時計を見ると十二時。何も起こらんし、昼飯時だし飯食おうかな。けど、小町が腹空かせて帰ってきたら怒りそうだなー。

「ただいまー」

「おじゃましま~す!」

 そんなことを考えているとちょうど小町が帰ってきた。やはり一色も一緒のようだ。この時間に来たという事は一色もうちで飯を食うのだろうか。とりあえず下の階に下りることにする。

「おかえり。今日はなんかあるの……か……?」

 玄関まで向かうと小町と一色が立っていた。……なんか大きなダンボールを抱えて。そして走り去るタクシー。うちの妹はいつの間にタクシーで出かけるブルジョワになったんだ!?

「ていうか、それなに?」

二人の持っているダンボールを指差すと、二人してふっふーんと得意げにダンボールを開く。中から取り出されたのは……。

「中身はこれだよ!」

 ナーヴギアとSAOのパッケージだった。開いた箱を覗くと合計三セット。そういえば、SAOの正式サービスは今日からだったか。子供の日に新作ゲームを発売するとかアーガスマジエンターテイナー……じゃなくて。

「それどうしたんだよ。ナーヴギア三セットとか結構バカにならない値段だったと思うんだが……」

 それにSAOのパッケージもβテストユーザーの優先権千ロットを覗く九千ロットしかなかったと思うのだが、それを三本って……。

「ああ、これは買ったんじゃないんだよー」

「なに?」

「これはですね。はるさん先輩に譲ってもらったんです」

「……雪ノ下さんに?」

 一瞬魔王がまたなにかたくらんでいるのかと身構えたが理由を聞くとなんてことはなかった。フルダイブ技術は医療や建築など様々な事業への応用が期待されている。なのでSAOを通してそれぞれの分野の専門的観点からの意見を聞きたいらしく、大手企業の一部には優先的にパッケージが提供されたらしい。雪ノ下建設にも提供されたらしいのだが、年齢層や趣味の相違で何本か余ってしまったらしい。まあ、“ゲーム”ってだけで偏見持ちだす年配者とかリア充とかいるからな。

 そこに一色がちょうどSAOが欲しいと雪ノ下さんに連絡したらしい。一色としては雪ノ下さんのコネで一本くらいは確保できたり、多少安くならないかという程度の気持ちで連絡をしたようだが、まさかハード含めて三セットも無償でくれるとは思っていなかったようでだいぶ興奮していた。

「しかし、雪ノ下さんに借り作ってまでSAOやりたかったのか」

 こいつら怖いもの知らずだな。

「あー、なんか陽乃さん的には在庫処分出来てむしろラッキーだったみたいだよ。これ結構大きいからかさばるし」

「それに、これはせんぱいのために手に入れたものですから」

「……俺のため?」

 少し考えて、この間ふと考えていたことを思い出す。仮想の、全く別の世界なら少しは楽に生きられるのだろうかと。きっと二人は、俺を心配して、多少の息抜きにならないかと考えてくれたのだろう。平塚先生をして無理をしていると言われた俺は、ばっちり妹達にも無理をしていると思われていたらしい。

 そんな心配をさせてしまっている自分が、ひどく醜くて、二人に申し訳なかった。

「そっか……。俺にためにわざわざありがとうな」

 二人に例を言うと、二人はなぜか少し悲しそうな顔をした後、いつものように笑った。

「じゃあ、十三時から正式サービス開始らしいんで、ご飯食べたらダイブしましょう!」

 

 

 簡単な昼食を食べた後、ナーヴギアの接続や設定をして、俺は時間までSAOの取説を熟読することにした。最近のゲームソフトはそのほとんどの取説が紙一枚とかになっているのに対して、SAOの取説はなかなかの厚さだった。厚すぎて小町と一色は読むのに飽きている。

 あんまりネットゲームはやっていないが、ソーシャルゲームやMMOなどでは情報が命だということは理解している。特に初めて体験するフルダイブでのゲームなので誰か一人は取説レベルの理解はしていないと「入ってみたけどなにもできないぴえええぇぇ」とかなったりするだろう。ダイブ中は生身の身体は動かないみたいだし、最低でもログアウトの仕方くらいは覚えてないと。

「けど、ゲームの中に入り込めるなんて映画の世界みたいだねー」

「そうだな。こういうのはもう数十年後の技術だと思ってたよ」

「私あんまりゲームやったことないから楽しみです!」

 え、一色ちゃんライトユーザーがこんなガチ勢しかいなさそうなゲームして大丈夫? まあ、大丈夫だろ。こいつ世渡り上手だし。

 そうこうしていると時計が十三時を指す。ダイブ中は横になるので、小町と一色は小町の部屋で、俺は自分の部屋からダイブすることにしていた。

「じゃあSAOの中でな」

 部屋を出ていく二人を見送って、ナーヴギアを装着する。今から行くであろう偽物の世界に、俺は年甲斐もなくわくわくを隠せない。せっかく二人が用意してくれた機会だ。現実の事を忘れて楽しまなくては二人に失礼というものだろう。

 電源を入れて、ベッドに横になる。えーっと、確かゲームを始めるにはこう言えばいいんだっけか。

「リンクスタート!」

 そして俺は、偽物だが偽物じゃない世界に飛び込んだ。

 




なんか二話目にしてちょっとごっちゃごちゃしてる感(´・ω・`)
しかもようやくゲームスタートだし(´・ω・`)

あ、一応年代はSAOに合わせていますが、正式サービス開始日をもろもろの事情で五月五日にしました
高三の十一月にネトゲ始める文系学年三位とかおらんやろうし(ぼそっ

pixivの方にざっとした設定はのっけていますが、SAOとナーヴギアの提供は安心と信頼のはるのんになってしまいました
両親に頼む形だと、一色の分用意できなさそうだし、そもそもSAOを三本揃えられそうになかったんです! 
一万本しかないSAOが悪い
つまり茅場が悪い

そう考えると昔のネトゲ仲間でSAO買えたクラインって運良すぎですね
むしろそこで運使っちゃって彼女出来ないんじゃn(ゲフンゲフン

事前の設定をのっけちゃうといろいろネタバレになっちゃうんで、気になる人がもしいたら自分で身に言ってね(´・ω・`)
よかったら疑問点とか質問とかしてくれるとえる君うれしい(`・ω・´)


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仮想世界

プレイヤーネームやアバターを決めると視界が暗転する。それも一瞬で、すぐに色鮮やかな色彩が眼前に広がった。

「うわ…...」

思わず声が漏れる。これが......ゲームの世界?緑鮮やかな草原は本物にしか見えず、青い匂いが漂ってきそうだ。肌を撫ぜる風は心地いいし、太陽光が照らす空気はどこか暖かい。実は異世界に顕現されたんだと言われたら思わず信じてしまうレベル。

しかし、この風景や感覚はプログラムにすぎない。ナーヴギアが電磁波に乗せて流してくる電気信号を直接脳が受け取ることで、あたかも現実のように見て、聞いて、感じることができるのだ。逆に、例えば俺がジャンプをしたいと考えて脳が命令すると、その命令は延髄部でナーヴギアに回収されて仮想世界のアバターがアクションを行うのだ。

まさに『仮想現実』。ヴァーチャルリアリティたる所以を理解した。

「せんぱいですか〜?」

「お兄ちゃん......で合ってるかな?」

感動のあまり惚けていると、声をかけられた。振り向くと自分より頭一つ分低い女性アバターが二人。一人は活発そうなライトピンクのショートヘアにアホ毛がピンと自己主張しており、もう一人は腰までの栗色のサラサラストレートヘアだ。

「小町と......一色か?」

どうやらアホ毛のある方が小町、サラサラロングが一色のようだ。アホ毛を採用するとはさすが小町。比企谷の人間としてアホ毛は必須事項だからな。しかし、一色はアバターは大人しめなのにいつものあざといノリだから......似合ってねえな。

「なんか今失礼なこと考えてませんか?」

「......そんなことはない」

「むぅ......それにしても、せんぱい男にしたんですね。先輩のことだから女の子にすると思ってました」

「いや、するわけないじゃん」

確かにモンハンとかでは女性にしたりするが、別にネカマではない。しかも、チャットで女性っぽく振る舞う従来のネカマと違って、SAOでネカマをやるなら自分で喋らなくてはいけない。なにそれもはやただのオカマじゃん。SAOでネカマなんておらんやろ。

というわけで、俺は男アバターにした。見た目はどこにでもいそうな黒髪凡人男子。ちなみにアホ毛は生えている。別に下手にかっこよくしたら逆に二人にキモがられそうとか思ったわけじゃないんだからね!

「とりあえず、まずは武器とか情報収集だな。あっちにある『はじまりの街』に行こうぜ、こま......すまん、二人のプレイヤーネーム教えてくれ。危うく本名呼んじまうわ」

ちなみに俺はHachi(ハチ)である。

「小町はMachi(マチ)だよ!」

「私はIroha(イロハ)です」

「............」

............うん。

小町は......まあいい。一人称はすぐ変えるだろう。一色よ......なんで本名にしてるんだよ。ネットリテラシー大丈夫?

それとなく一色、いやイロハに注意をしながら俺たちは『はじまりの街』に向かった。

 

 

思いのほか広い街中を地図を頼りに進む。時々NPCに話しかけて情報を得たところによると、武器を扱うにはそれに対応した武器スキルが必要らしい。例えば、短剣を扱うなら短剣スキルを、曲刀を使うなら曲刀スキルを見たいな感じだ。一応武器スキルを持っていなくても、装備や攻撃はできるようだが、威力が低くなる上にソードスキルと呼ばれる必殺技も使えないとのこと。熟練度が上がればダメージや剣速も上がるので、基本的には同じ系統の武器を使うのが効率が良さそうである。

というわけで、俺たちはNPCの経営する武器屋に来ていた。片手用直剣に曲刀、斧に槍など、各系統の基本武器が置いてある。さて、どの武器を使おうかな。無難な片手用直剣もいいし、手数の短剣も一撃必殺の両手用直剣や両手斧も面白そうだ。槍はモンハンみたいにゴツくないし、趙雲みたいな無双の動きとかできるのかな?

多種多様な武器に目移りしていると、一際異彩を放つ武器に目が止まった。

シンプルな柄の先に結晶塊のついた武器。

詳細を見てみると、『スモールメイス』、片手棍カテゴリーのようだった。

もうなんかパッと見で面白い。もう潔いくらい鈍器なんだもん。他の武器のような刃が一切付いていない芯の通ったデザインに好感が持てるね。

「俺これにするわ」

amazonでポチるくらいの気軽さで『スモールメイス』を購入し、装備するとずっしりとした重量感につい顔がほころぶ。そんな俺を見た二人はしらーっとした目で俺を見てきた。......なんだよ。

「"ソード"アート・オンラインなのに槍ですらないなんて......」

「せんぱいらしいといえばらしいですけど......」

別にいいじゃん! メイン武器の扱いなんだから! ハチとメイスは......ズッ友だょ! 泣きそう。

一人打ちひしがれていると二人も武器選びを終えたようだ。マチは短剣、イロハは片手用直剣を装備していた。

「さて、武器も選んだことだしそろそろ戦ってみたいけど......」

一応取説は読んだが、頭が理解していても身体が動くかわからん。いや、この場合身体も頭の中で動かしているようなもんなんだけどさ。ややこしいなこの世界。

文章で理解するよりも目で見て覚えたほうがよさそうなんだが......ん?

思考を展開していると横を駆けていく男性プレイヤーが一人。その動きにはまるで迷いがない。まるでこの街を熟知しているような......。

「あ......今のがβテスターって奴か」

テスト段階で2ヶ月プレイしている彼らβテスターは文字通り格が違う。SAOに対する知識も、慣れもだ。彼らに教われば上達も早いかもしれない。

しかし、こっちはニュービー三人、三人同時に教えてくれというのは気が引ける。それにぼっちだからお願いとか難しい。

やっぱり自分たちで実践経験積むしかないかと考えていると、もう一人俺の横を横切るプレイヤーがいた。赤髪のプレイヤーはさっき駆けていった黒髪の(おそらく)βテスターに声をかけたようだ。視線を二人に集中すると、視界が少しズームされる。

あの赤髪もβテスターかと思ったが、何やら黒髪にお願いをしているようだ。ひょっとしたら、俺と同じようにβテスターからご享受願おうというニュービーだろうか。黒髪は了承したようで、連れ立ってフィールドに歩いていく。

ふむ......。

ネットゲーマーは自己顕示欲が強くて自分主義なところがあるという偏見を持っているが、少なくともあのβテスターはそういうところが薄そうだ。きっと懇切丁寧に教えるのだろう。しかし、追加で三人教えてくれ、はやっぱり気が引けるなー。

それなら......。

「二人とも、フィールド行ってみようぜ」

俺たちは現実では一生持たないであろう武器を手に、さっきの二人の後を追った。

 

 

***

 

 

「ぬおっ......とりゃっ......うひええっ!」

フィールドに向かうとさっきの赤髪が青い猪と戯れていた。ブンブンと曲刀を振り回しているが、全然当たっていない。戦闘って結構難しいのか?

とりあえず俺は、少し遠めで二人を観察することにした。見て技術を盗むのは学習の基本だ。見てるだけで実践しなかったらなんの役にも立たないがな。

そういえば、この世界は意識を集中すると、意識を向けている物の情報がより強調されるらしい。さっき話している二人に意識を集中させた時に視界がズームしたようにだ。

つまりこれを応用すれば......。

二人に意識を集中させたまま耳に軽く手を添えて角度をつける。土曜の夕方にどっかの教授がバーで盗み聞きをするラジオでこんな風にやるとよく聞こえると言っていた。

「......だぞ。でも、ちゃんとモーションを起こしてソードスキルを発動させれば、あとは

システムが技を命中させてくれるよ」

さっきまでかすかにしか聞こえなかった二人の声が少し聞き取りやすくなる。ぼっち生活で培った盗み聞き技術がこんな形で役立つとは思っていなかったよ。

しかし、あの黒髪説明雑すぎるだろ。なんだよズパーンって、ミスター・ジャイアンツか何か?

黒髪の説明に多少不満を持ちつつ赤髪が右肩に曲刀を持ち上がる。少し間を空けて刀身がオレンジ色の光を帯びた。

「りゃあっ!」

かけ声と共にスムーズな動きで曲刀は猪を貫いた。猪の動きが止まり、ポリゴン片となって四散した。今のがソードスキルという奴か。片手用曲刀基本技『リーバー』を放った赤髪は、一瞬立ち止まると、高らかに歓喜を上げた。

どうやら初動のポーズを取るとソードスキルが発動できるようだ。

試しに俺もやってみるか。

周囲を見回すと先ほどの青猪、『フレイジーボア』がノソノソと歩いている。ドラクエでいうスライムとかオオガラスみたいな立ち位置なのだろう。

青猪に焦点を当てながら、スッとメイスを構える。初動モーションに反応して未知の感覚が体を駆け巡るのを感じるのと同時に自分の獲物が朱の光を放った。

「フッ......!」

自分の身体なのに勝手に動く。ソードスキルのシステムアシストによって補正された俺の動きは寸分のブレもなく滑らかで、一気に間合いを詰めると青猪の眉間にいかにも硬そうな結晶塊を叩きつけた。超エグい。

片手棍基本技『サイレント・ブロウ』を叩き込まれたフレイジーボアは、ぷぎーっというなんとも情けない断末魔を残しポリゴン片に変わって砕け散る。

「よしっ! ......っ?」

倒したことを確認するために動こうとすると一瞬違和感が身体を襲った。ソードスキルは強力な分、発動後に硬直があるようだ。青猪なら気にしなくていいかもしれないが、相手の攻撃を避けたり防御して、隙ができたタイミングで後出しするのがいいのかもしれない。

「せんぱい! 今のどうやったんですか!?」

「お兄ちゃんばっかりずるいよ! こま......マチにもやらせて!」

まあ、そこらへんの技術は追い追い身につけるとして、まずは二人にもやり方を教えるか。

「こう......チャッと構えてソードスキルが発動したらアシストに身を任せてズガーンって感じだな」

「「......は?」」

どうやら俺にも長嶋さんの生霊が乗り移ったらしい。

 

 

***

 

 

「ふう......こんなもんか」

あれから二人にソードスキルの使い方を教えて何度も猪を倒した。動物保護団体から苦情がくるくらい倒した。いや来ないけど。

ちなみに、ソードスキルを使わなくてもダメージを与えたり倒したりすることは可能なようだ。しかし、これは慣れというか、リアルな技術が必要になりそうだ。俺はそこそこ戦えるが、小町たちはソードスキル無しでは苦戦を強いられていた。

視界の右上に表示されている時計を見ると十七時前を示している。そろそろ夕飯の用意を始めた方がいいだろう。時間も忘れて四時間ぶっ通しで遊んでいたとは、用意してくれた二人に感謝だな。

「そろそろ一旦止めてご飯にしようか」

「そうですね〜」

小町達もちょうどいい時間と判断したのか右手を操作してログアウトしようとして......止まった。

「「ログアウトってどうするんだっけ......?」」

「......だからちゃんと取説を読んどけとあれほど......」

二人に呆れながら事前に覚えておいたログアウトまでの操作をして......俺の動きも止まった。

「......ない」

「「え?」」

「ログアウトボタンが......ない」

確かに記憶した操作ではここにログアウトボタンがあるはずなのだが......。周辺のアイコンを見てもログアウトボタンが見つからない。

これはバグか? やめられないバグなんて聞いたことがないのだが......。SAOはログアウトボタン以外に自発的ログアウト手段がない。他の人間にナーヴギアを外してもらえばログアウトできるだろうが、今家にはナーヴギアを被った俺たちしかいないし、両親はいつものごとく帰りが遅いはず。

「どうしたんでしょうね?」

「これじゃあ夕ご飯食べれないよ......」

二人も少し不安そうだ。自由にできるはずのことができないことは人を不安にさせるから当然だろう。

近くで練習を続けていた黒髪と赤髪もログアウトボタンがない事態に気づいたようだ。運営のアーガスがこんなバグに対してなんの対応も示さないのはおかしいと言っている。

では、この状況はなんだ? なぜ運営は何もアクションを示さない? まるで.....。

 

まるで想定された事態であるかのように......。

 

十七時半を過ぎる頃、どこからか聞こえてくる鐘の音に思考を遮られる。仮想世界とは思えない夕焼けに思わず心奪われた瞬間。

「っ!?」

「せんぱいっ!?」

「お兄ちゃんっ!?」

世界がーーブレた。




旅行中にスマホで書く奴ーwww


スマホで書いたからいつもと書式違うかも


ようやくSAO要素が出てきました
片手棍のソードスキルはホロウフラグメントのwikiで確認したけど、モーションがわからないぞ?
どうしよう...

とりあえず誤魔化しつつ書いていこうかな(滝汗


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デスゲーム1

 謎の光とともにブレた世界が落ち着くと、風景が一変していた。

「ここは……『はじまりの街』の中央広場……?」

 見覚えのある広場には同じように光に包まれながら何人ものプレイヤーが移動してくる。たぶん強制的にワープさせられているのだろう。

 さっきまで一緒にいたマチとイロハも近くにワープしてきた。

 事態についていけなかった数秒間を過ぎるとちらほらと他プレイヤーの声が漏れ出す。ポツリポツリとした声は次々に伝播し、そのボリュームを上げていく。不安のざわめきは次第に苛立ちに変わり、抗議の喚き声も散見し始める。

 そして苛立ちの声が最高潮に高まった時――。

「あれを見ろ!」

 有象無象の声を押しのけて飛び込んできた声に思わず空を見上げた。

 上空高くを埋め尽くす赤い市松模様。そこにはさらに真紅のフォントで【Warning】、【System Announcement】の文字が浮かんでいる。ようやく運営から何かしらの連絡あるのかと周囲が安堵の色を浮かべるが……俺は余計に不安にかられた。

 不安を助長する赤。それになぜ【Warning】なんだ?

 その不安を体現するかのように市松模様の隙間から赤い液体が、まるで血液のように溢れ出した。どろりと垂れた雫は空中でまるで粘土をこねくり回すかのように形を変えた。

 現れたのは真紅のフードを被った巨大な人型。しかし、フードの中に見えるはずの顔はなく、純白の手袋と袖を繋ぐはずの腕も存在しない。いよいよ俺の中で危険に対する警鐘が強く発せられた。

 おそらく、これで終わるのではない。むしろここから――

 

「プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ。私の名前は茅場晶彦。今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ」

 

 ――始まる。

 

 

     ***

 

 

 突如現れた巨人、ナーヴギアやSAOを開発した天才ゲームデザイナー兼量子物理学者の茅場晶彦が告げた事実はあまりにも荒唐無稽で、しかし不思議な現実味を帯びていた。

 ログアウトができない現状はバグではなくSAO本来の仕様であり、自発的ログアウトはできない。外部から無理やりナーヴギアの機能を停止しようと試みた場合、ナーヴギアの高出力マイクロウェーブによって脳が破壊され――死ぬ。その証拠に、すでに二百十三人のプレイヤーがSAO内、ひいては現実で死んだらしい。

 仮想世界から脱出する方法は全百階層のこの浮遊城アインクラッドを完全攻略するしかなく、ゲーム上のアバターの死は現実のそれに繋がる。つまり、HPの全損による死が許されないゲーム……デスゲームだ。あらゆる蘇生手段は存在せず、命は一つきりという、ひどく現実的な非現実に俺は震えを抑え込むのがやっとだった。

 こいつが言っていることは嘘でもなんでもない事実なのだ。ぼっちが鍛えた観察力は、あっさりとそれを認めていた。目どころか顔も存在しない茅場は声と身振りだけで俺にそう認識させていた。

 周りからは悲痛な叫び声や怒声、逃避しようとする笑い声などが上がる。

「お兄ちゃん……」

「せんぱい……」

 近くにいた二人が不安そうに腕を掴んでくるが、俺にはかける言葉が見つからない。俺自身が奴の言葉を認めてしまっているのだから……。

「それでは、最後に、諸君にとってこの世界が唯一の現実であるという証拠を見せよう。諸君のアイテムストレージに、私からのプレゼントが用意してある。確認してくれ給え」

 茅場の声に恐る恐る右手を操作する。アイテムストレージを開くとさっきまで倒していたモンスターからのドロップ品の一番上にそれはあった。

「『手鏡』……?」

 オブジェクト化してみるとシンプルなデザインの普通の手鏡で鏡面には俺のアバターが映っていた。

 なぜ茅場はこんなものを……と思っていると――

「うおっ!?」

 突然鏡が光り出して思わず目を瞑る。すぐに光が収まり、目を開けると、視覚情報が大幅に変化していた。

 周りに存在するアバター、つまり他プレイヤーの姿がガラリと変わっていたのだ。さっきまでは眉目秀麗なアバターが男女半々ぐらいで存在していたのに、少なくともイケメン度と女性率がガタ落ちした。さっきまで近くで「やだ怖いー」「俺が付いてるから落ちついて」とかやっていた美男美女アバターが双方小太りのおっさんに変わって呆然としている。

「「ひょっとして……」」

「ん? ……!?」

 近くから聞こえた声に首を動かすと、さっきまでアバターだったマチとイロハが現実そのままの容姿になっていた。二人は俺の顔を見てその瞳を限界まで見開き……。

「「……誰?」」

「え!?」

 驚愕の言葉でハモってきた。思わず鏡を見直すとちゃんと現実世界の俺の顔がそこにはあった。びっくりした。全く違う顔になったかと思った。多少違和感を感じるが、アホ毛もあるし間違いなく比企谷八幡だ。

「いや、誰? って酷すぎるだろ」

「いや、本当にお兄ちゃんなの? 確信が持てないんだけど……」

 兄の顔に自信が持てない妹とか八幡的にポイント低すぎる……。

「なんかいつものせんぱいと違うような……」

 二人はジロジロと俺の顔を見つめて、やがて二人して「あ!」と声を上げた。

「「目が腐ってない!」」

「…………」

 もう一度鏡を見てみると、ナーヴギアでは再現できなかったのか、確かに目が普通だった。しかし、それだけで誰かわからないとかおかしいだろ……。

「まさか目だけでこんなに……」

「確かに目以外は整ってるって言ってたけど、まさかここまでなんて……」

二人して何やらぶつぶつ呟いているが、下手に関わるとシリアスムードが台無しになるのでここは無視しておこう。

 ダイブ中は目を閉じているので、ナーヴギアのスキャンで眼球の大きさは把握できても色などは反映できなかったらしい。その証拠に二人の目の色も実物とは違い、自作アバター時のカラコンのような色をしていた。体格に関しては初回セットアップ時に行ったキャリブレーションとかいうので数値化した身体データを3Dポリゴン化したのだろう。

 つまり、今ここにあるアバターは限りなく現物に近いということだ。これによって、一万人弱の全プレイヤーがこのアバターを、数値化されたヒットポイントを、本物の命だと強制的に認識させられることになったのだ。

 しかし、しかしなぜこんな大規模なことを……。さっき赤髪(今となっては別の姿だろうから見分けはつかないだろうが)が言っていたように、運営のアーガスはプレイヤー目線で真摯な対応を行うことでユーザーの信頼を勝ち取ってきた会社のはずだ。それがなぜいきなりこんなテロまがい、いやテロそのものの行為を……。

 いや、今しがた茅場は『今やこの世界をコントロールできる唯一の人間』と言った。つまり、アーガスはもはや関与しておらず、茅場ただ一人の犯行ということになる。目的は……金? しかし、正攻法で巨万の富を築けるであろうこの天才がそんなリスキーな事をはたしてするだろうか?

 思考の迷路に迷い込みそうになった時、まるで思考を先回りするかのように茅場は言葉を紡いだ。

「諸君は今、なぜ、と思っているであろう。私――茅場晶彦はなぜこのようなことをしたのか? これは大規模なテロなのか? あるいは身代金目的の誘拐事件なのか?

 

 ――私の目的は、そのどちらでもない。むしろ、今の私は一切の目的も、理由すら持たない。なぜなら……この状況こそが私にとって最終的な目的だからだ。この世界を作り、観賞するためにのみ、私はナーヴギアを、SAOを造った。そして今、全ては達成せしめられた」

 …………。

 ……あぁ……そういうことか。

 俺は分かった。理解してしまった。それは今まで無感情だった彼の声とは明らかに違った熱を帯びた言葉によるものか、それとも俺だからこそ理解できたことなのか。あるいはその両方か。

 茅場は、本物を求めて今まで生きてきたのだ。もちろんそれは、俺が求めたものとは違うのだろう。しかし、俺も彼もひたすらに本物を求め続けた。だから理解できてしまうのだ。彼が、一つの本物に辿り着いたという事実に。

 羨ましい。そう思ってしまった。俺がまだ見つけられないものを茅場は見ている。俺が諦めてしまったものを掴んでいる。それはあまりにも眩しく、美しかった。

「お兄ちゃん……?」

 ふいにぎゅっと袖をひっぱられ、茅場へのある種心酔に似た感情の沼に落ちそうだった意識が浮上する。そして、小町と一色の不安げな表情と震える小さな手を見て、はっとする。

 そうだ、そもそもこれは一万人の精神を拉致した上、他人の命を掌握するという立派な犯罪行為だ。それは、決して許されるものではない。こんな本物の得方は間違っている。

「……以上で『ソードアート・オンライン』正式サービスのチュートリアルを終了する」

 最後の言葉を無感情に発し、フードの巨人がその姿を消す。

 上空を覆い尽くしていた赤い市松模様は消滅し、まるで何事もなかったかのようにBGMが鼓膜を震わせる。

 しかし、その場にいる一万人弱のプレイヤー、いや虜囚達は何事もなかったかのように振る舞うことなどできるはずもなく。その感情を爆発させた。

 悲鳴や怒声を上げるもの。懇願し、あるいは絶叫するもの。現実を受け入れられず笑いだすもの。ただただ呆然と立ち尽くすもの。混乱が混乱を呼び、一瞬で中央広場内はパニックに包まれた。

 そのパニックの中、俺はひたすら冷静さを保つために心を落ち着かせる。

 落ちつけ、今重要なのは冷静な分析、思考、そして行動だ。まずこの事件の解決方法は『ゲームクリア』と『外部からの解決』。しかし、はたして後者が可能だろうか。天才と称される茅場晶彦の作ったナーヴギア。それを安全に取り除く技術を持つ人間がいるとは思えない。そもそも、安全に取り外せるか調べることができないだろう。なにせ、失敗したらその脳が焼き切れるのだ。警察も政府もそのような危険な方法は取らない。仮に茅場が捕まったとしても俺らの状況自体に変化はないだろう。

 つまり、解決方法は実質『ゲームクリア』のみ。その間、現実の俺たちの身体は病院や公的施設で保護されるはず。βテストでは二ヶ月で第六層までしか進めなかったと誰かが言っていた。つまり、単純計算でクリアするのに二年から三年。しかも、普通のMMORPGだったβテストに対してデスゲームの正式版は余計に攻略ペースは落ちるはず。つまり、俺たちの身体は三年以上……意識不明の寝たきり状態になる。内臓を含めた筋力の低下が起これば、ゲーム内で死ななくても現実で死ぬ可能性も……。

 なら、俺がやるべきことは……。

「二人とも、ちょっとついて来てくれ」

「えっ?」

「ちょっ、せんぱい!?」

 困惑する二人を引き連れて広場を出る。このままここにいたらどんな混乱に巻き込まれるか分かったものではない。さっきまでは街中は安全だったが、デスゲームが始まった今でもそうだとは限らない。

 『はじまりの街』の地図を確認しながら、一番でかい宿屋に向かった。まだ動いている人間は少ないのか、周辺にはNPCしかいない。まだ状況を飲みこめていないであろう二人の目線にまで腰を落として、努めて真面目な声を出す。

「いいか。二人はとりあえずこの宿屋を拠点にしろ。最低限生活できるだけの金を稼いで、余裕ができたら少しずつ拠点を進めていくんだ。二人ならここら辺のモンスターに後れを取ることもないだろう」

 俺の話を聞いた二人は一瞬納得したように頷こうとして、途中で固まった。

「せんぱいは……どうするんですか……?」

「俺は……」

 思わず嘘をつこうとも考えたが、それは危険だと踏みとどまる。二人とはフレンド登録をしているので互いの今いる階層などは分かってしまう。フレンドを切れば、それだけで嘘がばれてしまうだろう。そうなれば、二人がどんな行動を取るか分かったものではない。

 それならば、最初から本当のことを話そう。

「俺は、最前線で戦って、このゲームをクリアしてくる」

「「っ!」」

 少しネットゲームをしたことがあるが、一つのエリアに同時にポップするモンスターには上限があるはずだ。そしてリポップまでに時間も要するはず。となると、最速でクリアをしようとするなら出来る限り人の少ない最前線で経験値やアイテムリソースを効率よく手に入れて強くなるべきなのだ。

「それなら小町も行くよ!」

「私も、せんぱいと一緒に行きます! 行って戦います!」

「駄目だ!」

「「っ……」」

 確かに、三人で最前線に行けばレベリング効率は多少下がるだろうが、戦力は単純に三倍だ。だが、それは二人と危険に晒すことになる。この街周辺のモンスターはなんという事はないが、階層を進めば進むほど危険度は増す。

「お前らは、お前らだけは俺が絶対に現実に帰してやる。だから、二人は無理に攻略を急く必要はないんだ」

 俺の説得に一色はいやいやと首を横に振る。小町は俯いていてその表情は見えないが、肩が小刻みに震えていた。

「でも! ……こんなことになったのは私のせいです。私がSAOをせんぱいにやらせようなんて言わなかったらこんなことにはならなかったのに……」

「一色……」

 一色は見た目の割に、というのは失礼だが、責任感の強い人間だ。きっと茅場の話を聞いている間も自分のせいだという思いに頭の中が埋めつくされていたんだろう。

「…………」

 そして、それに賛同した小町も同じように後悔している。俺のためにやってくれた行為で二人が悔やむことは、許されない。

 それに、俺は今この瞬間まで、二人を恨んだりしていないのだ。

「ふえっ!?」

「せん、ぱい……?」

 比較的自然に、自分でも驚いてしまうほど抵抗なく二人の頭に手を乗せることができた。仮想世界のポリゴンのアバターなのに、頭を撫でる感触は現実のそれと変わらなかった。あれ以来、小町の頭すら満足に撫でることができなかったというのにそれができるのはこれが仮想の現実だからだろうか。

「二人は俺のために雪ノ下さんに頼んでまでSAOを用意してくれたんだろ? だったら、俺は感謝こそすれ、一色や小町のせいだなんて思うわけがない」

 むしろ、この現状は俺のせいなのだ。俺のせいで二人に心配をさせてしまった。その結果がSAOであるなら、やはりこの現状に二人を巻き込んでしまったのは俺の責任だ。だから俺には二人と無事に現実に帰す義務がある。

「だから、二人が責任を感じたりする必要はない。俺がこのゲームを終わらせてやるから、お前たちは自分の身を守ることだけを考えればいい」

 安全地帯がβ時代やさっきまでと一緒だとして、永遠に安全地帯のままである確証はない。全員が全員『はじまりの街』に閉じこもる可能性もあり、それは茅場の望むところではないからだ。予想以上にゲーム攻略者が少ない場合、街中にモンスターが侵入するように変更されたり、ダメージが入るように変更する可能性は十分にある。というか、俺がGMならそうする。むしろ今この瞬間に変更するまである。

 だから、二人は少しずつ自衛ができる程度に強くなってくれればそれでいい。

「でも、でも……」

「嫌だよ……。小町、お兄ちゃんと離れたくない……」

 しかし、二人は引かない。いつか平塚先生が言っていた。俺は心理を読むのに長けているが感情を理解していない、と。今もそうだ。二人の感情をまるで理解できていない。まるで、成長していない。

 成長していない俺に、二人を説得することはできそうにない。なら、どうすればいいんだろうか。答えの出ない問いを自分の中で巡らせていると――

「じゃあ、三人とも死なないくらい強くなればいいじゃないカ」

 聞きなれない声が思考をさえぎる。微妙に違和感のあるイントネーションにもやもやしながら周囲を探すと、細い路地の陰に誰かがいた。黄色く輝く二つの大きな瞳はまるで不思議の国のアリスのチェシャ猫のようなふてぶてしさを宿しているが、小さな身体はどこか臆病そうですらある。

「お前は……」

「オイラは“アルゴ”。鼠のアルゴダ」

 ニイッと“鼠”は笑う。あまりにも無邪気で、むしろかわいいとすら思えてしまうその表情に、俺はいつのまにか警戒を解いていた。

 




ようやくデスゲーム開始です

アルゴはそこそこ活躍させたいなと思っていますが、どうなるかなーと

そういえば、アルゴの容姿とかを再確認しようとしてググったらロスト・ソングでケットシーになるんですね!
ケットシーアルゴかわいすぎて吐血しかけました


ネタバレになってしまいますが、ゆきのんとガハマさんはデスゲーム不参加です
ただ、とある俺ガイルキャラを参入させようか悩んでいます

まあ、誰なのかは出た時次第でw

そういえば、SAOクロスのために調べ直したら75層でクリアしてなかったら100層までクリアしている間に生き残りは二桁くらいになっていたんですね
シリカちゃんが離脱とかちょっとお兄さん的にあり得ないです

予定では第一層攻略までの話を少し多めに書こうかなと思っています
そのためにオリジナルのクエストとかも考えると思いますが、MMORPGはあまりやったことがないからMMOプレヤーの人には違和感を感じてしまうところがあるかもしれません
ご了承をば


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デスゲーム2

「アルゴ……強くなれってどういうことだ?」

 

「簡単なことダ。お前はこのゲームを攻略するんだロ? そしてその二人はお前から離れたくなイ。なら、三人とも強くなって、このゲームを攻略すればいイ」

 

 ね、簡単でしょ? みたいに鼠は言ってくるが、話はそんな簡単なものではない。

 

「このゲームで死ねば、現実でも死ぬんだぞ? その真偽はともかく理論上は可能だ。そんなリスクのある行動を見知った人間にさせるわけにはいかない」

 

 外部との連絡が取れない今、本当にSAOでの死が現実の死に繋がるのかは分からない。ひょっとしたらそんなのは嘘っぱちで、HPがゼロになったらベッドの上でなんでもないように目が覚めるかもしれない。しかし、理論上はナーヴギアには人間の脳を焼き切るだけの高周波マイクロウェーブを流すだけの出力もあるし、電源を抜いてもナーヴギア重量の三割を占める大容量バッテリーが存在する。ナーヴギアの設計者が茅場本人であることを考えれば、このためにわざわざそんな大容量のバッテリーセルを用意したと考えるべきなのだ。

 

「お前がそのリスクを負うのはいいのカ?」

 

「三人でSAOをやることになったのは元をたどれば俺の責任なんだ。だから、俺がリスクを負うのは当然のことだ」

 

 俺が勝手に期待して勝手に失望して、そのせいでこいつらを巻き込んだ。それならば俺はその責任を果たす。この責任は俺のものであって、誰かに肩代わりさせる気などない。

 

「ふーン。けど、一人で攻略するよりも三人で攻略した方が難易度もリスクも低イ。それに、各フロアのボスは基本的に大規模レイドを組んで攻略するものダ。攻略メンバーは多ければ多い方がいイ」

 

「それは……」

 

 確かに鼠の言うとおりなのは分かる。リスク管理を適切にしておけば、ソロよりパーティを組んだ時の方がはるかに危険は少ない。それに大規模レイドを組む必要があるのなら、攻略人数が多ければ多いほどメンバーの精神的安定にも繋がる。それは分かっているんだ。けど……だけど……。

 論理的思考の自分と二人を危険にさらしたくないという自分がせめぎ合う。グルグルと頭の中で思考がループしてしまう。そんな俺を見かねたのか、鼠は「それに……」と続ける。

 

「三人より四人の方が更にリスクは低イ」

 

「は……?」

 

「オイラは元βテスターダ。それにβ時代は情報屋をしていたんダ。序盤の危険地帯や効率のいい狩り場、モンスターの行動パターンもだいたい頭に入っていル。その知識を利用すれば……」

 

「ちょ、ちょっと待て!」

 

 思わず言葉の続きをさえぎる。鼠の提案はつまり、元βテスターであるところの自分もパーティに入るという事だ。それは俺達にとってかなりのプラスになる。現状、元テスターのみが持っている旧アインクラッドの知識に加えて二ヶ月の戦闘経験というアドバンテージはでかい。今まで全くなかった自分自身が動くMMORPGというのは、かなり慣れが必要だ。そんなプレイヤーが一緒にプレイしてくれるというのはかなり魅力的だ。しかし……。

 

「そんなの、お前にメリットがないじゃないか」

 

 うまい話には裏がある。そうでなくても俺はつい言葉の裏を読む人間だ。だからこそ、こんな慈善精神にあふれた誘いは疑ってしまう。

 

「そりゃあ、いたいけな坊や嬢ちゃん達を放っておくのはお姉さん的に寝覚めが悪いから……と言っても信じてくれなそうだナ」

 

 おどけた口調だった鼠だが、俺が警戒をとかないことを見ると苦笑しながら居住いを正す。

 

「オイラにもメリットはちゃんとあル。まずは多少なりともニュービーを助けたという実績が得られル」

 

「…………」

 

「実績……ですか?」

 

 俺はなんとなく理解できたが、一色と小町はよく分からなかったようだ。そんな二人に目を向けて鼠は続ける。

 

「今、こうしている間も元βテスターの数割はソロ、もしくは元テスター同士パーティを組んで次の街へ向かっていル。さっきこの坊やが言ったように、より高効率のリソースを手に入れるためにナ」

 

 MMORPGはリソースの奪い合い。高効率のリソースを手に入れられたプレイヤーが強くなれる。デスゲームと言ってもプレイヤーの大半が生粋のゲーマーであるはずだし、まだ現実を受け入れられずトッププレイヤーになろうとしている人間も一定数いるかもしれない。それに……。

 

「ニュービーの相手なんてリスクばかりでリターンがない。そんなことをするくらいならソロの方が幾分マシ……」

 

「「…………っ」」

 

「まあ、そういう事ダ」

 

「けど、それは決して悪じゃない」

 

 そう、その行動は悪じゃない。自分の命がかかっているのに、人の命まで背負おうなんて正気の沙汰じゃない。それこそ現実が見えていない。心のどこかでこれがただのゲーム、夢物語だと思っている証拠だ。

 

「けど、経験者が皆そんなことをしたら……」

 

「ただでさえあるはずの初心者との差が決定的になるよね」

 

 二人の言うとおりだ。しかも、ただでさえ操作慣れしていないVRMMORPGというジャンル、本物の死が付きまとうという状況ではプレイが確実に鈍る。一瞬の迷いが生まれる。そこでニュービーが死んだら? たぶん彼らはこう思うだろう。

 

 

 元βテスターがニュービーを見捨てたから人が死んだ。

 

 

 そうなれば決定的に元テスターとニュービーの溝は深まる。同じ目標に向かうはずなのに敵対してしまう。

 

「だから、少なくともオイラはニュービーを見捨てなかったっていう言い訳ができるのサ。いわゆる自己保身ってやつダ」

 

「なるほど……」

 

「そういうことですか……」

 

「…………」

 

 二人は納得したようだ。一応筋は通っているが、どこか引っかかる。しかし、環境の違いのせいか何が引っかかるのかが分からなかった。しかたなく、ここは納得しておく。

 

「それに、オイラもパーティを組んでいた方が何かとやりやすイ。こんなことになったから、オイラは情報屋業に集中したいんダ」

 

「つまり……俺達をボディーガードに使うってことか?」

 

「そういうことダ。オイラが情報を提供すル。お前達が強くなル。そうすれば、お前らは最前線で活躍できる力を手に入れられるし、オイラは戦闘をお前達に任せて、情報収集用のステータス振りやスキル構成にして情報屋に専念できル。元々今から前線のβ時代との変更点を確認しようと思ってたしナ」

 

「……ふむ」

 

 おそらく、情報屋として動くのも鼠自身の保身のためなのだろう。自分が提供元だと皆に知れ渡れば、ニュービーに疎まれることも少なくなる。そのために俺達を利用しようということだ。

 そういう、感情ではなく論理に基づく行動は――嫌いじゃない。

 

「お前と一緒に行動すれば、二人の安全性は高まるんだな?」

 

「当然、絶対安全って訳じゃないが、確実に安全性は上がル。それに、このままお前が一人で行動していたら、多分二人とももっと危険なことをしていたゾ?」

 

「……っ」

 

 完全に失念していた。俺のせいだというのに、二人は自分たちのせいでSAOに閉じ込められたと思っている。そんな二人を置いて行ったらどうなるか。おそらく、自分たちもゲームを攻略しようとしたに違いない。ろくに取説も読まずにソードスキルの使い方くらいしか分からない状態でそれは危険すぎる。

 どうやら最初から、俺は一人で行動することも、鼠の提案を断ることもできなかったようだ。

 

「分かった。その提案を受けよう。俺はハチだ」

 

「こ……マチです!」

 

「イロハです~」

 

「改めてアルゴダ。よろしク」

 

 こうして、当初はソロで行動する予定だった俺の計画は大きく変更され、四人パーティというなかなかの大所帯になってしまったのだ。

 

「まあ、ここから次の街までは安全なルートを通るから、危なくなってもスイッチを使えば問題ないだロ」

 

「ていうか、こんな序盤でもやばいルートとかあんのか……ん?」

 

 直近の計画を話し合っていると、後ろで一色と小町……いや、イロハとマチがほけーとした顔をしていた。なんだその表情、緊張感の欠片もねえな。

 二人は顔を見合わせた後、意を決して声を上げた。

 

「「スイッチって……なんですか?」」

 

「…………いやまあ、確かにお前らMMORPGとか未経験だもんな」

 

「これは予想以上に面倒な奴らを捕まえた気がするナ」

 

 アルゴ、たぶんそのとおりだ。このパーティはめんどくさいぞ。

 

 

     ***

 

 

 あの後、スイッチを始めとした基礎技術を教わると俺たちは道中のモンスターを倒しつつ次の街、いや次の村である『ホルンカの村』に来ていた。元βテスターなら道中の敵には目もくれず村に向かっていたと思うが、MMORPGの基礎技術の習得や、俺たちの安全面を優先していた。草原エリアの敵はノンアクティブモンスターだが、村直前の森に出るモンスターはアクティブモンスターであるため、そこまでに全員レベル2にはなっておいた方がいいという考えだ。

 ほとんど知識のない俺達に、当初アルゴは不安気味だったようだが、思いのほか飲み込みが早かったらしく、今は上機嫌に鼻歌なんぞ歌っている。

 村に着いたのは午後九時頃。本来なら夕飯を食べ終えてテレビなり勉強なりをしている時間だ。うちの親はともかく、イロハの親は帰宅していることだろう。現実の身体に関しては、雪ノ下さんがなんとかしてくれるだろうが、マチやイロハをこんなことに巻き込んで、謝る人間が増えたなーと思いながら、土下座でもなんでもするためには生きて帰還しなければならないと生への渇望がまた少し強くなった。

 

「とりあえず、ドロップアイテムを売って防具を買おウ。軽く飯を食ったら、さっそくクエストをやろうカ」

 

 武器・防具屋でレベル上げの副産物であるドロップアイテムを売却。武器は耐久値やこれからやるクエストとの相性の関係で買う必要はないらしく、それぞれそこそこの防御力の装備を買うわけだが……。

 

「うーん……」

 

 悩む。超悩む。どうやらこの村では皮防具と鎧防具が買えるらしい。防御力だけを見れば鎧一択なのだが。

 

「絶対似合わねえよな」

 

「いいんじゃない? お兄ちゃんがあえて鎧着て敵モンスターの笑い取れば」

 

 マチちゃん? SAOにそういう機能ないんだよ? ……ないよね?

 こんなところにまで来てファッションを気にするなんて、案外余裕あるな、と思いつつ、皮防具を選択。特に染色はされていないらしい薄茶色の長そでの上着が即時出現し、装備される。これがSAOでの着替えか。これなら寝ながらでも着替えられるな。こんなのに慣れちゃったら現実で着替えができなくなっちゃう!

 

「せんぱい、どうですか?」

 

 イロハもマチも装備を購入したようで、軽そうな鉄製の胸当てを装着していた。あ、鎧防具ってそういうのなのね。てっきりフルアーマーなのかと思っちゃったよ。まあ、この二人ならそこそこの鎧は似合いそうだよなー。かわいい補正とあざとい補正でだいたい許される。

 俺は絶対似合わない。そもそも日本男児に西洋鎧が似合うわけないだろ! というわけで絶対皮装備以外着ない。絶対にだ!

 

「お兄ちゃん! マチも似合ってる?」

 

「あぁ……二人ともSAO一かわいいよ」

 

「「うっわ適当」」

 

 少し前から思ってたけど、この二人よくハモるよね。なんなん? あざといは血の繋がりと同義なん?

 

「全員買ったみたいだナ」

 

 アルゴを見ると、一見特に変わっていない……と思ったが、よく見るとフード付きコートの下にマチ達と同じプレートが見えていた。

 

「そういえば、そのフードはなんなんだ?」

 

 そのフードのせいでアルゴの顔ってほとんど見えないんだよな。黄色い目と髪がようやく少し見えるくらい。

 

「あー、これは『はじまりの街』で手に入る装備でナ。隠ぺい率をほんの少し上げてくれるんダ。それに……これならしゃべるまで女だって分からないだロ」

 

「なるほど。あの手鏡の影響で“女性プレイヤー”は希少だからな」

 

 茅場からの手鏡爆撃でサービス開始当初は1:1くらいだった男女比率は10:1、いや20:1くらいにまで変化している。現状の危機性をよく理解していない男性プレイヤーは女性プレイヤーに寄っていくだろう。オタサーの姫状態だな。

 

「そうなると、二人にも買っておいた方がよさそうだな」

 

「まあ、いずれはそうなるだろうが、最前線にそんなふざけた輩はそうそういないだろウ。二つ先の村で色の選べるフードが買えるから、そこで買えばいいんじゃないカ?」

 

 おお、色のことまで考えるとは、アルゴは女心が分かっているんだな。女だから当然か。

 その後、道具屋で有り金のほとんどをポーションに変えた。その後露店のようなパン屋に向かうとアルゴはそこで小さなスライス食パンを購入。値段は一つ一コル。

 

「やっす!」

 

「まあ、この階層じゃ、ほとんど稼げないからナ。ボスのいる迷宮区のある街ではでかい黒パンが主食なんだけど、それも一コルダ。味を気にしなければ飢えることはそうそうないゾ」

 

 俺も食パンを買って口に運んでみる。味覚エンジンが作用した途端、思わず眉をひそめてしまった。

 

「なあ、これ味覚エンジンちゃんと作用してる? なんか食パンの味と少し違うんだけど……」

 

 いや、まずいわけではないのだけど、リンゴだと思ったら梨だったみたいな違和感がある。

 

「ファンタジー色を出したかったんじゃないカ? β時代も『不思議味』って言われてたからナ。けど、まずくはないだロ?」

 

「まあ、どっちかっていうとうまい」

 

 しかし、ゲームの世界で食べたものの味が分かるってすごいな。本当にもう一つの現実って感じだ。

 

「けど、毎日パンっていうのも味気ないですね……」

 

「そうだね。ここだと食事が数少ない楽しみだろうし」

 

 二人の不満は最もだろう。ゲームも読書も化粧も出来なければショッピングだって生きるため。そんな中で食事というものはほぼ唯一の楽しみであり、そこに不満が出てくればモチベーションの低下にも繋がる。

 

「まあ、少し値は張るがこのパン以外にも種類はあるし、NPCレストランでも食事はできるゾ。それに、料理スキルを取れば自分で料理も……」

 

「「料理スキル!?」」

 

 食い気味!?

 突然二人に詰め寄られてさすがのアルゴも困惑している。料理という言葉に二人とも触発されたのか興奮気味だ。まあ、現実だと二人とも料理好きだもんな。

 

「いやけど、今はそんなスキル取っている余裕は……」

 

「お兄ちゃんは黙ってて!」

 

「せんぱいは黙ってて下さい!」

 

 ひぃっ、この子たち怖いよぉ……。やめてアルゴ、そんな「こいつ使えねえな」みたいな目でこっちを見ないで!

 

「ま、まあ、今はスキルスロットが二つしかないから、料理スキルのことは後で考えよウ」

 

「そうですね……」

 

「わかりました……」

 

 アルゴの必死の宥めにようやく納得したらしい二人は、食パンもどきに再びかぶりついた。

 

 

 

食事を終えるとアルゴに引き連れられて村の端にある民家にやってきた。どうやらここで序盤に使える片手用直剣の入手クエストが受注できるらしい。中に入るとかっぷくのいい女性が鍋をかきまぜている。注視するとそのアイコンにはNPCのタグがついていた。

 

「こんばんは、旅の剣士さん。お疲れでしょう? ……」

 

 女性NPCの声かけに、アルゴは自然な受け答えで応答している。いや、「それでいいゾ」とか「なにかあったのカ」とかそんな似非片言な返答が自然かは疑問だが。いわゆるロールプレイというやつだ。NPCと会話しないとクエスト受注できないとかぼっちには辛すぎる。しかし、ここは頑張るしかあるまい。

 アルゴ曰く、機械的な返答でも問題はないらしいが、自分でプレイするのに作業ゲーはちょっとあれだロ。とか言われた。なんだよ、作業ゲー楽しいだろ? マイクラでマップ五枚分位露天掘りしたりとか。え、楽しくない?

 アルゴの真似をしてクエストを受注する。どうやら病気の娘のために森のモンスターの落とす薬を取ってきてほしいというクエストらしい。会話が終わると小さなウインドウが開き、「『森の秘薬』を受注しました」と表示された。マチとイロハも続けて受注する。

 

「ていうか、これイロハだけ受ければいいんじゃないのか?」

 

 クエスト報酬は片手用直剣『アニールブレード』。序盤で手に入る片手用直剣の中ではかなり優秀で、三層序盤くらいまで使える武器らしいが、パーティで装備できるのはイロハだけである。

 

「優秀な武器だからナ。売却すると結構なお金になるし、プレイヤー間トレードをすれば前線の引き上げもできるだろウ?」

 

「ふむ……」

 

 そういうことなら受けておいてもいいか。情報と同じだけ資金は重要だし、まだ前線メンバーの少ない今やっておけば、狩り場独占などと睨まれる心配もあるまい。

 今回のクエストの対象モンスターは『リトルネペント』という植物モンスター。武器の耐久値を下げる腐食液攻撃をしてくるモンスターで、その頭に花をつけている個体がクエストアイテムである『リトルネペントの胚珠』をドロップするらしい。その出現率は約1%……1%!?

 

「1%を四回引かなきゃいけないのか……」

 

「まあ、確率なんて運だからナ。ネトゲ用語でいう『リアルラック依存』って奴ダ」

 

 まあ、その間経験値も貯まるから、なかなか出なくても全くの無駄というわけではないだろう。そんなことを話していると、件の森に到着した。先行しているプレイヤーもだいぶ遅い時間ということで森に入っている者は見当たらない。少し緊張しつつ森の中を進むと、鈍い光と共にモンスターが三体出現する。でかい口から緑色の粘液を垂らしているグロテスクな植物がリトルぺネントのようだ。二本の葉付きの蔦をしならせ、その頭部には……頭部には……。

 

「…………」

 

「あの、アルゴさん……」

 

「マチ、なんダ?」

 

「“花付き”の出現率って1%くらいなんですよね?」

 

「ああ、そうだナ」

 

「でもあれって……」

 

「ひょっとしなくても、そうですよね……?」

 

 二人とも、それ以上言うな……アルゴも俺も困惑しているんだ……。グロテスクなデザインのリトルぺネント。その頭部には……鮮やかな花がついていた。それも三体中二体。

 

「リアルラック持ちは誰ダーーーー!!!」

 

「お、落ちつけアルゴ!」

 

 あまりの事態にアルゴが発狂してしまった。その声に反応して件のぺネント一団がこっちをターゲットしてくる。

 

「と、とりあえず倒すぞ!」

 

「は、はい!」

 

「分かったよお兄ちゃん!」

 

 リトルぺネントは道中のフレイジーボアなどに比べれば攻撃モーションは多彩だが、腐食攻撃に気をつけて物理攻撃をソードスキルで跳ねあげてスイッチすれば――。

 

「イロハ、スイッチ!」

 

「はい!」

 

 『サイレント・ブロウ』を蔦攻撃に合わせて発動し、相手の攻撃をキャンセル。硬直したぺネントにイロハが片手用直剣基礎技『ソニック・リープ』で斬りつけた。硬直中に状況を確認する。リトルぺネントのレベルは3と俺達より高い。そんな中で三体を同時に相手するのは愚策だろう。

 

「俺が残り二体を引きつける! 二人でそいつを倒してくれ!」

 

「「了解!」」

 

 一体を二人に任せて残り二体に通常攻撃を当ててヘイトを稼ぐ。二体は俺にターゲットを移して接近してくる。硬直の無い通常攻撃を適度に当てながら、ヒットアンドアウェイで逃げる。

 

「お兄ちゃん! 倒したよ!」

 

 パリィンというモンスターの撃破音と共にマチの声が聞こえて、右にステップをかける。空いたスペースにマチが飛び込んで短剣基本技『アーマー・ピアス』で俺に振りかかろうとしていた蔦を跳ねあげた。

 

「イロハさん、スイッチです!」

 

「オッケー!」

 

 スイッチを引きうけたイロハが再び『スラント』で斬りつける。クリティカルだったのか、さっきよりも大幅にHPバーが削れた。

 二人に片方を任せてもう一体、“花付き”を引きつける。蔦を回避、武器で弾いて凌いでいると、花付きは身体をのけ反らせて口の奥からゴポゴポと不快な音を立て始めた。

 これは……腐食攻撃! 念のためメイスを身体の陰に隠しながら、回避行動を取ろうとして――

 

「ハッチ! スイッチダ!」

 

「っ!」

 

 反射的に今の構えから近いソードスキル『パワー・ストライク』を放つ。『サイレント・ブロウ』よりも少し硬直が長いが、範囲技でスタン性能もあるソードスキルだ。硬直した花付きの眼前に飛び込んできたアルゴが短剣ソードスキル『サイド・バイト』を叩きこんだ。

 

「ハッチ、とどめだ!」

 

「おうっ」

 

 残り少ないHPになった花付きに硬直が解けた瞬間に『サイレント・ブロウ』を叩きこむと、キィッとか細い悲鳴と共にポリゴンとなり四散した。周囲を見渡して追加の敵がいないことを確認すると、ふっと息をつく。目の前に出たリザルト画面には『リトルペネントの胚珠』ドロップが表示されていた。

 

「おつかれ、ハッチ」

 

「おつかれ。参加するなら最初から参加してくれ」

 

 初めての格上戦闘でニュービーだけにやらせるとかマジ鬼畜とか思ったじゃん。

 

「だってしょうがないだロ。β時代にやって時は花を見るまで五時間かかったんだゾ」

 

「後二体狩らなきゃいけないんだし。逆によかっただろ」

 

「それとこれとは話が別ダ!」

 

 なんだその駄々っ子みたいな言い方。さっき自分のこと「お姉さん」とか言っていたけど、実は年下なんじゃねえの?

 

「ていうか、ハッチってなんだよ。俺ミツバチじゃねえんだけど」

 

「ハチ公の方がよかったカ?」

 

「……ハッチの方がいいです」

 

 なんだよハチ公って。俺忠犬じゃねえし。

 うなだれていると、背中に鋭い視線が。恐る恐る振り返ると黒いオーラでも出しそうなイロハとマチが佇んでいた。

 

「せんぱい?」

 

「お兄ちゃん?」

 

「よし、後二体“花付き”を狩らなきゃいけないし、さっさと次の群れ探そうぜ!」

 

 ここは撤退だ。決して敗走ではない。戦略的撤退なのだ。

 

「ハッチは人気者なんだな」

 

 勘違いも甚だしいからその認識は改めて。

 その後、またすぐ残り二体が出る……なんてことはなく、全員分の胚珠が手に入るまで二時間ほどかかった。それでも早すぎだとアルゴは嘆いていたけどな。

 

 

     ***

 

 

 村に戻ると早速さっきの民家に直行してクエストを完了。私は今後お供になるであろう『アニールブレード』をオブジェクト化して手に取ってみた。ステータスを見てみると、確かに初期武器である『スモールソード』よりも高性能みたい。ちょっとデザインがかっこ悪い気がするけど、文句も言っていられないかな。アルゴさんは片手用直剣使いの必須武器って言ってたし。

 もうすぐ日付が変わろうという時間帯で、私達は宿を取ろうという事になった。アルゴさんオススメの宿に向かう途中、せんぱいはアルゴさんとよく話している。

 

「イロハさん……」

 

「うん……」

 

 アルゴさんは結構楽しそうだ。せんぱいってSAOでは目が腐ってなくてイケメンだし、それに戦闘の飲み込みも私達の中で一番早い。リトルペネントも最終的には一人でバシバシ倒していた。それに、どう見ても三人の中でせんぱいがリーダーだ。

 アルゴさんもそういう先輩の姿を見て、今後背中を預けられる相手として認めたのだろう。だから、だからこそ、私とマチちゃんはその違和感に気付いたのだ。

 

 

 せんぱいが初対面の相手にあんなに話すのはおかしい。

 

 

 せんぱいはアルゴさんのことを一切信用していない。全面的に警戒はしていないけど、いつ裏切られても大丈夫なように備えている。その証拠が、あの表情だ。あの外面だ。裏切られても、明確な敵にならないように対立しようとしない。

 それならなぜ一緒に行動することにしたのか。きっと原因は私達だ。せんぱいは私達の生存率を上げることを優先している。それはきっと自分のせいで私達まで巻き込んでしまったという自責の念のせいだろうけれど。それでも私達を優先してくれるというのは、せんぱいの中で特別に扱われているようでうれしかった。そんなことを考えてしまう自分がひどく惨めでもあったけど、うれしいという気持ちは抑えられなかった。

 やがて、街のはずれにある少し大きめの民家についた。驚くべきことに、アインクラッド下層では『INN』と書かれた宿屋は最低限の寝泊まりをする場所であり、民家などの部屋を借りることもできるらしい。ただ、ここだと二人で使える部屋が二部屋しかないので、せんぱいとマチちゃん、私とアルゴさんで使うことになった。

 同性とは言え今日初めて会った人と同じ部屋で寝るという事に緊張したけれど、アルゴさんはすぐにどこかへ行ってしまった。どこへ行ったのだろうと疑問に思わなくもないけれど、変に緊張しなくていいのはありがたい。プレートアーマーを装備から外すと、ベッドに横になった。柔らかなクッションに身体がゆっくりと沈み込む。

 

 せんぱい。せんぱいにとって私は重荷ですか? せんぱいの隣に立って、せんぱいを支えることはできませんか? せんぱいのためなら私は……。

 

 

      ***

 

 

 ベッドに横になると疲れが一気に出たのか、マチはすぐに眠りについた。窓を開けた室内には穏やかな風の音とマチの寝息が聞こえるのみだ。それがとても心地いい。

 デスゲームという地獄に身を置いているはずなのに、俺の心はひどく穏やかだった。この世界は最初から偽物だからかもしれない。ここで育まれる関係も全てが偽物で、だから変に期待することもない。

 偽物の風を感じながら、偽物の風景を眺めていると、窓の外に見覚えのある人影があることに気付いた。それを見とがめると、自然と足はそちらに向かっていた。

 

 

 

「よう、こんなところでなにやってるんだ?」

 

「ハッチカ」

 

 民家前の大岩に座っていたアルゴは、俺を一瞥すると再び目線を戻す。何をやっているのかと手元を覗きこむと、コンソールを操作して何かを書きこんでいた。

 

「それ……操作マニュアルか?」

 

「あぁ、これを各拠点の道具屋で無料配布されるようにすル。そうすれば、ニュービーも動くことができるだろウ」

 

 たしかにその通りだが、どうして……。

 

「どうしてお前がそこまでするんだ?」

 

 自分の命を優先するべきときにこいつの行動のほとんどは他人を助けるためのように見える。怪訝にする俺にアルゴはククッと喉を鳴らした。そしてどこか寂しそうな目をする。

 

「情報が入ってナ。この数時間で、少なくとも百人近くが死んだらしイ。それも、最初の死亡者はアインクラッド外周からの飛び降リ。自殺ダ」

 

 自殺。この世界に絶望して、宿に閉じこもることすら放棄して、生きることをやめた。何も知らないニュービーが突然死ぬ世界に放り出されたら、そういう行動も起こすかもしれない。

 

「でもそれは、お前のせいじゃないだろう?」

 

「オイラは情報屋だからナ。SAOに関する細かい情報があれば、自殺者も減るかも知れなイ。まあ、ただの自己満足だが、人が死ぬのは気分のいいものじゃなイ」

 

「…………」

 

 知らない人間のために行動する。俺には、今の俺には理解できない。他人が死んでも、それは他所の出来事だ。外国で戦争が起こっているニュースが流れても「ふーん」としか思わない、思えない。

 

「それに、生存者が多い方が情報も買いやすいし、売りやすイ。商売のためだヨ」

 

「……そうか」

 

 『ホルンカ』に向かう途中、アルゴは「金を積まれれば大抵の情報は売る」と言っていた。つまり、生存者を増やそうとするのは情報屋という商売のため。慈善事業ではないと言っているのだ。そっちの方が俺は理解できる。けど、それなら、そんな顔はしないでくれ。無理をして笑おうとするものじゃない。

 

「だから、そのためにハッチ達は利用させてもらうし、ハッチ達も大いにオイラを利用するといイ。利害関係の一致って奴ダ」

 

「……っ」

 

 思わず目をそらしてしまう。アルゴは俺が自身を信用していないことに気付いているのかも知れない。だから、利害関係という論理的な言葉で俺たちの関係を括った。論理的に自分は俺たちを裏切らないと言ったのだ。

 

「なら、俺も存分に利用させてもらうよ。護衛が必要な時は言ってくれ」

 

 踵を返す。この妙に察しのいい情報屋と今これ以上話すのは危険だ。下手をしたら思わず現実の自分のことを漏らしてしまうかもしれない。やはり年上という存在は油断がならないな。

 

「けどな、ハッチ。オイラがお前達が心配で声をかけたって言うのも、本当なんだゾ……」

 

 ぼそりと呟かれた彼女の言葉を、俺は聞かなかったふりをした。

 




アルゴのセリフいちいちカタカナにするの超めんどくさい

もうちょっと心情表現とかしっかりかければいいなーとか思いつつ、なかなかうまく書けないジレンマ
戦闘よりもそういう心情表現をもっと濃厚にしたい

そういえば、なんかセリフのところ改行いれるといいかもかもとか言われたんで入れてみました
どうですかね?

他にも書きたいシリーズとかネタとかがあるんで亀進行ですがのんびりご覧になってください


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デスゲーム3

「おやすみ、お兄ちゃん」

 

「おう、おやすみ」

 

 ヴァーチャルゲーム、SAOの中に閉じ込められて一週間。マチ達は活動の拠点を『ホルンカ』から二つ先の村に移していた。階層ボスのいる“迷宮区”のある街はまだ先らしい。卵のような形をした浮遊城アインクラッドは、第一階層が一番広い。『はじまりの街』から迷宮区のある『トールバーナ』の間には十の小さな村があるらしいし、そこで受注できるクエストの多くが序盤の攻略に役立つから必然的に攻略速度は遅くなる……とアルゴさんは言っていた。

 実際の命が関わるのだから、攻略速度はさらに下がる。β時代はもう第一層の迷宮区を攻略しているころのようだ。皆が早く帰りたいと思う反面、安全マージンをきっちりととっている。そうせずに焦った元βテスターの人達が何人も死んでしまったらしい。「死んだ」と聞いた時は少し怖くなるけれど、マチ達は比較的安全に攻略しているからか、あまり実感が湧かない。対岸の火事というものだろうか。

 宿は大体お兄ちゃんと一緒に泊っている。二人部屋の方が一人あたりの宿代は安いし、相対的に部屋も広くなるから明日の予定を立てるときに全員が集まっても狭くないからだ。そうなると、唯一の男子であるお兄ちゃんと一緒に泊るのはマチの役割になるわけだ。ベッドは別だし、兄妹だから何の問題もない。

 マチがベッドに入るのを確認すると、お兄ちゃんも自分のベッドにもぐりこんだ。布団に包まるお兄ちゃんを見ると、ようやく今日も一日生き延びたのだと実感できて、マチの瞼もゆっくりと落ちていった。

 

 

     ***

 

 

 マチ達の攻略方法は他の前線メンバーのそれとは少し異なる。情報屋のアルゴさんに協力するために本来なら無視しても構わないフィールドやクエストもくまなく調べるのだ。多少手間ではあるけれど、経験値やスキル熟練度は手に入るので全くの無駄ではない。スキルは熟練度を上げていくにつれて技術が上がる。武器スキルなら新しいソードスキルの習得や攻撃力、攻撃速度の上昇などだ。

 というわけで、今日は村を外れた先にある林に来ている。マップ上を見ると綺麗な真円を描いているその林には狼型のモンスターと猪型のモンスターが出現する。猪は『はじまりの街』周辺にもいる『フレイジー・ボア』だし、狼型モンスターも『ホルンカ』とひとつ前の村の間で出てくるモンスターだ。そんなに強くないし、ここまで来ているなら別の狩り場の方が効率がいいので、ここに来ている前線組はいないのだけど。

 

「どうやら村で引きこもっているNPCが、ここでしか出てこないモンスターがいるという情報を持っていたらしいんダ」

 

 探索中にアルゴさんが説明してくれた。普段はβの時もずっと閉まっている扉があったのだが、そこに入る影があったのだそうだ。慌てて滑り込んでみると、奥の部屋にずっと本を読み続ける青年がいたらしい。二時間もの間、何を話しかけてもひたすら黙って本を読み続けるNPCにキレそうになりつつ出ていこうとすると、ぼそりと一度だけその情報を話したらしい。

 

「よくもまあ二時間も粘ったな……」

 

 お兄ちゃんの言うとおりだ。二時間もあればお金を稼いだりクエストをこなしたりいろいろ出来るのに、最前線の人がそこまで時間を浪費するなんてちょっと信じられない。

 

「まあ、真偽はちょっと微妙だけどナ。格安で買った情報だし、本当なら万々歳だろウ」

 

 へらっと笑いながら何でないようにアルゴさんは言ってのける。情報屋は信用が命。情報の真偽をしっかりさせるのもその信用のためだそうだ。一人でやろうとすれば途方もない作業だけど、こういうレアモンスター系なら四人でポップモンスターをどんどん倒していれば相対的に出現率も上がる。確認のためにマチ達が得る情報はタダだし、いいアイテムが手に入れば当然このパーティのもの。だから、マチ達にとってもメリットは大きい。

 

「しかし、こんな序盤でβ時代からの変更点があるとはな」

 

「確かにナ。プレイしている側としては心臓に悪いヨ。いい意味でも、悪い意味でもナ」

 

 この一週間確認しただけでも、エリアによる出現モンスターの違いや、討伐クエストや採集クエストの目標数の違いなど細かい違いだけどβテストの時とは違う点がいくつか見つかっているらしい。しかし、情報が確かなら新種のモンスターが出てくるという事になる。そんな違いは初めてで、もし何も知らずにここに来て、そのモンスターと遭遇してしまったらと思うとゾッとする。

 林を歩いている間にチラホラとモンスターが姿を現したけれど、出てくるのはやっぱり既存のモンスター達。経験値は美味しくないけれど、レアモンスターのポップ率を上げるためには倒してしまった方がいいのでサクッと倒していく。そこそこ熟練度の上がった今なら威力の低い短剣のソードスキルでも一撃、二撃程度で倒せる程度の敵だ。小さく表示されるリザルト画面をちらりと見ると……やっぱり経験値は低い。

 SAOの経験値は自分と相手とのレベル差によって変わるらしい。今の小町のレベルが5で『フレイジー・ボア』のレベルが1。だからほとんど経験値はもらえない。せめて狼の方だったらレベル3だからまだマシなんだけどな。

 

 

 

「ふう……」

 

 モンスターを狩りだして三時間近く経った。けれど、全然目当てのレアモンスターは出てくれない。初日の時のあの強運は本当にたまたまだったみたい。いや、やっぱり情報が嘘だったのかな。

 

「マチちゃん! そっちに二体いったよ!」

 

「! 了解です!」

 

 いけないいけない。いくら格下モンスターが相手とは言っても、油断してたらどんなミスが起こるか分からない。マチの方に飛びかかってきた二体の狼を正面に捉えて、短剣を構える。光を帯びた短剣に呼応して、システムアシストが鋭い軌跡を描いた。短剣範囲技『ラウンド・アクセル』が狼たちの身体に命中すると同時にポリゴンになって砕ける。短剣はこれしか範囲攻撃のソードスキルはないみたいなので、これからもずっと重宝するだろう。

 

 

 ――~~~~♪

 

 

 リザルト画面の出現と同時に軽快なサウンドが響く。塵も積もれば本当に山になるようで、三時間の狩りの結果、経験値がレベルアップラインに届いたらしい。

 

「おお、レベルアップしたカ。おめでとう、マチ」

 

 近くにいたアルゴさんからねぎらいの言葉をかけられて、ちょっと恥ずかしい。照れを隠しながら感謝の言葉を返していると、近くでもう一度軽快なサウンドが鳴った。

 

「やりましたよ、せんぱい! 私もレベルアップです!」

 

 どうやらイロハさんもレベルアップしたみたい。まあ、ほとんど一緒に行動しているから当然かな。メニューウインドウを操作してステータスにポイントを割り振る。

 レベルアップするとHPの上限が上がって、自由に割り振れるステータスポイントがもらえる。この割り振れるステータスというのは筋力(STR)、敏捷(AGI)、耐久(VIT)の三種類だ。もらったステータスポイント3を、全て敏捷に振る。別に毎回そうしているわけではないけれど、基本的に敏捷に多めに振るようにしている。次に耐久に振っていて、筋力にはいままでで1しか振っていない。

 こういう振り方にしているのは格闘ゲームとかでスピード系のキャラが好みだったという理由もあるけれど、初日にマチ達よりも先にレベルアップしたお兄ちゃんのステータス振りを聞いたからだ。

 

「とりあえず筋力を優先して敏捷、耐久はバランス振りにする。アタッカーになるなら筋力は必須だからな」

 

 筋力値は単純な攻撃力に繋がる以外にも、相手の攻撃の受け流し時に余波で受けるダメージを減らす効果もあり、武器防具の装備上限にも関わる。だから、前衛のアタッカーを担うなら自然と筋力を優先して振るものらしい。

 マチは、お兄ちゃんを支えるために『はじまりの街』に残らずに前に進むことにした。最初に選んだ短剣だと同じ階層の他武器に比べて攻撃力は期待できないし、ならばいっそのことサポートに特化することにしたのだ。敏捷値を上げれば単純な移動速度、剣速が上がるだけでなく、クリティカル率と回避率にも補正がかかる。そのスピードを生かして相手を撹乱すれば戦闘の難易度はかなり変わるはずだとアルゴさんから言われた。ちなみに彼女は敏捷に文字通り極振り。情報屋として速さが何よりも重要だかららしい。

 イロハさんもマチと同じような事を考えたようで、彼女は耐久に優先的に振っている。耐久値はHPに補正がかかり、ガード時のダメージを減らしたり、少しだけど状態異常への耐性もあるみたい。今の村で行った防具の新調でも一番耐久値の高い鎧――と言っても、まだ胸当て程度のものだけど――を購入していて、前衛の壁役、タンク職になろうとしているようだ。

 お兄ちゃんを支えようとするマチとお兄ちゃんを守ろうとするイロハさん。いつでもお兄ちゃんの隣にいようとする彼女が羨ましくて――少し悔しい。

 けれど、これはマチの選んだ道だから。マチがお兄ちゃんを支えようと考えた結果だから、今はこの選択を信じて進もうと思う。

 

「あ、せんぱい! レベル6になったからスキルスロット増えましたよ!」

 

「え?」

 

 思考の海からイロハさんの声で引き戻されて、反射的にスキル欄を開く。短剣スキルと事前に取っていた軽業スキルの下に空欄のスロットができていた。そういえば、アルゴさんがレベル6になるとスキルスロットが一つ増えるって言ってたっけ。

 ということは、ということはですよ? ついにあのスキルが取れるわけですね?

 

「「さっそく料理スキルを取らないと!」」

 

「待て待て待て待テ」

 

 なんですかアルゴさん! ついに念願の料理スキルですよ? 一週間パンをそのまま齧ったり、さして美味しくもないNPCの料理を我慢して食べていたんです。もう我慢の限界なんですよ。戦闘スキルも大事ですけれど、日常生活系スキルも大事だと思います! モチベーション的に!

 しかし、どうやらアルゴさんが言いたいことはそういう事ではないらしい。

 

「別に料理スキルは取ってもかまわないんだが、二人もスキルスロットを料理で埋めてもあまりメリットないゾ? 交互に料理をすれば、その分熟練度の伸びも半分だし、SAOのシステム上二人で仲良く料理とかはできないからナ」

 

「「ぐぬ……」」

 

 確かにそれは一理ある。一緒に行動するのだからどちらか片方が料理をすれば美味しいご飯にありつけるだろう。そうなると、問題はどちらが料理スキルを取るかだ。そうなると……。

 

「イロハさん!」

 

「マチちゃん!」

 

「「勝負!!」」

 

 

 

「ぐぬぬぬぬぬ……」

 

 負けました。完膚なきまでに負けました。三本先取のじゃんけんでストレート負けとか、イロハさん強すぎる。マチも結構じゃんけん強い方なのに!

 

「ふふ~ん。料理料理~」

 

 そしてイロハさんはにっこにっこにーしながら意気揚々とスキルをセットしている。何この人、超大人気ない。けど正々堂々やって負けたから仕方ない。

 

「まあマチ、生産系スキルは他にもあるかラ……」

 

 アルゴさんが優しい。これが大人の女性と言うやつか。どこかの平塚先生を彷彿とさせるね。いや、あの人よりも絶対年下だと思うけど。

 アルゴさんに言われて生産系スキルのリストを見てみたけど、今すぐ欲しいと思えるものはなかった。裁縫とか皮細工は少し興味があるけれど、今はまだいいかな? 仕方がないのでアバターの速度を上げる疾走を取っておくことにした。これでもっとお兄ちゃんをサポートしちゃうんだから!

 

 

 ――~~~~♪

 

 

 成長を感じて意気込んでいたマチ達の耳にまたしても軽快なサウンドが届く。音の方に顔を向けるとお兄ちゃんもレベルが上がったらしい。

 

「おめでと、お兄ちゃん!」

 

「……さんきゅ」

 

 短く返してきたお兄ちゃんはステータスウインドウを操作して、さっと振り終えて、メニューウインドウを速攻で閉じた。

 お兄ちゃんは後でスキルを選ぶのかなと思ったけど。

 

「あれ……?」

 

 そこでふと疑問が浮かんだ。ずっと一緒に戦っているはずなのに、マチはお兄ちゃんのレベルアップサウンドを今回を含めて四回しか聞いていない。ということは、お兄ちゃんのレベルは5? いや、取得経験値も同じくらいのはずだからそんなはずはないと思うんだけど……。

 

「おい、あれって……」

 

 お兄ちゃんの声にはっと意識を戻すとマチ達から少し離れた位置に一頭の猪がポップしていた。見た目も色も『フレイジー・ボア』と変わらない。しかし、その額には……アニメの怒りマークがでかでかとくっついていた。

 

「どう見ても『フレイジー・ボア』……ですよね」

 

「けど、あのマーク……」

 

「なにかの状態異常エフェクトなんじゃ」

 

「いや、あんなエフェクトはオイラも知らないゾ」

 

 いやなんか、手抜きというかコミカルすぎて現実逃避しそうになったけど、もっと怒りマーク猪を注視する。オートフォーカスによってより鮮明に猪が表示されて、ターゲッティングによってパーソナル情報が猪の頭上に表示される。

 『アングリー・ボア』。やっぱり今まで見てきた猪君とは違うみたい。そしてレベルは……6!?

 

「先に情報確認に来て正解だったナ」

 

「ええ、ソロプレイでレベル6は事故が起こりそうですね」

 

 ここ周辺のメインプレイヤーレベルは5、6。スイッチとかでフォローし合えるパーティプレイならともかく、ソロプレイだったらこの不測の事態に思わぬ事故が起こっていたかもしれない。

 

「ま、とりあえず倒してレアドロップをおがむとするか」

 

 動揺している私達をよそにお兄ちゃんは猪に突っ込んでいく。マチ達も慌てて後を追う事にした。

 

 

 

 結果から言うと、『アングリー・ボア』はそこまで強いモンスターではなかった。レベルの割に、だけど。

 攻撃力は高いけど、攻撃モーションは『フレイジー・ボア』と変わらない。けど、HPが高く、攻撃モーションの間隔が短いからソロプレイではむやみなソードスキルの使用は控えた方がいいと思う。

 

「マチ、これやるよ」

 

 お兄ちゃんがトレードをマチに持ちかけてきた。トレード画面を見ると、見たことのない短剣『ラピッドナイフ』が表示されていた。今使っている短剣よりも攻撃力が少し高い上に敏捷に3ポイントの補正がつく。

 

「お兄ちゃん、これって……?」

 

「どうやらこれがあいつのドロップアイテムみたいだな」

 

 そういえば、『アングリー・ボア』にとどめを刺したのはお兄ちゃんだったっけ。攻撃力もさることながら、この敏捷補正はスピード重視が多いであろう短剣使いにはだいぶ嬉しいと思う。

 

「ほウ。これは短剣使いには必須武器になるかもしれないナ」

 

 手早く情報をメモしているアルゴさんも同意見のようだ。さっそく装備してみると相変わらずの無骨で地味な見た目。女の子らしくはないけれど、やっぱり新しい武器は少し嬉しかった。

 

「よかったね、マチちゃん!」

 

「はい! えへへ」

 

 これで少しは強くなれたかな。お兄ちゃんの手助けができるようになれているかな。マチは、現実では感じたことのないような高揚感を感じていた。

 

「ほら、アルゴの分の武器も確保したいから狩り続けようぜ」

 

「「えっ」」

 

 お兄ちゃんが……アルゴさんにデレてる……だと!?

 

 

 

「おまたせしました~!」

 

 イロハさんの声がしたので宿の部屋から出ると、いい香りが鼻をついた。民家の台所を勝手に使っても怒られないみたいで、宿にしている民家の台所でアインクラッド初料理に挑戦していた。

 SAOの料理はスキル熟練度と食材のレアリティ――SからEまであるらしい――によって料理の完成度が決まるらしくて、現実の料理スキルはあまり関係がないみたい。ある程度、自己流でアレンジも出来るらしいけれど、今回はアルゴさんから料理のレシピを教えてもらっていた。ちなみに情報料は“本来なら”レシピ一つで100コル。今回は序盤の食材でも作れるレシピを十種類タダで教えてもらっていた。攻略に直接関係するものではないから、アルゴさんはお金を取るつもりだったみたいだけど、お兄ちゃんに『ラピッドナイフ』の事を引き合いに出されて泣く泣く無償手供してくれた。アルゴさんの短剣を確保したのはこのためだったのね。デレたわけではなかったよ……。

 

「わあ……!」

 

 テーブルにはこの村での主食であるパンと、『フレイジー・ボア』の落とす『青猪の肉』を使った猪肉のスープが並べられていた。ボリュームのありそうな香りに思わず喉が鳴る。

 

「さ、早速食べてみましょう!」

 

 皆、席に着くのもそこそこにスープに口をつける。動物性のうまみが染み込んだスープが口の中に広がった。

 

「うまいな」

 

 お兄ちゃんが素直にそう言うのも分かる。一週間もアインクラッドの味に触れていると、だいぶ慣れてくるもので、あまり謎味とは感じなくなってきていた。それでもパンだけとか、NPCレストランの味気ない野菜スープとかはもうこりごりだったから、この味は本当に美味しく感じた。

 

「これからもっと料理も練習しますからね!」

 

「楽しみにしてますよ、イロハさん!」

 

 自然と、その食事の席ではいつもよりも会話が弾んだ。

 

 

     ***

 

 

 明日は次の村に進もうということになり、部屋に戻ってベッドにもぐりこむ。お兄ちゃんにおやすみ、と言うとお兄ちゃんも返してきて、ベッドに横になる。その姿を確認して瞼を閉じた。けれど、新しい武器を手に入れて少し興奮してしまっているのか、いつもみたいに寝付けない。それでも、明日も攻略があるのだからと瞼を閉じて寝るように努めていると、なにやら物音が聞こえてきた。出来る限り音を抑えるように動いているようだったけれど、そろりそろりと室内を動く音の後に、バタンと扉が閉じた。

 

「……お兄ちゃん?」

 

 目を開けると、ベッドに横になったはずのお兄ちゃんの姿はなかった。やっぱり、今部屋を出ていったみたいだ。どうしたんだろうと思って部屋の扉を開けて……。

 

「おっと……!」

 

「マチ、ちょうどよかっタ」

 

「マチちゃん……」

 

 ちょうど部屋の前にいたイロハさんたちにぶつかりそうになってしまった。二人ともマチを呼びに来たらしい。いや、イロハさんも少し困惑しているところを見ると、正確にはアルゴさんが、だろうね。

 

「……ちょっとついて来てくレ」

 

 少し逡巡した後、ついてくるように促された。一体なんなのかな。お兄ちゃんのことも気になるんだけど。

 村を出て、次の村へと続く道を進む。まさかお兄ちゃんを置いて次の村に行こうなんて事ではないと思うから、この先にある丘が目当てだろうか。村近くの小さな丘は村周辺で一番効率のいい狩り場だ。メインモンスターである『アーマーハウンド』はレベル4で、スピードもある犬型モンスターだけど、鎧や胸当てなんかの金属防具の部分を狙ってくるので攻撃の軌道は読みやすいのだ。

 

「……お前達に何かあったかは聞かなイ。リアルの事を聞くのはマナー違反だからナ」

 

 アルゴさんの声はいつもよりも少し低い。そのせいか、いつもよりもその背中は大人びて見える。思わず居住いを正すマチ達の方は見ずに「それなラ。いやそうだからこソ」と続ける。

 

「あいつの事は、お前たちが目を離さないでいてやれヨ」

 

 

 ――――ッ!!

 

 

 どういうこと。とは聞けなかった。一瞬漏れた声は鋭い音にかき消されてしまったのだ。

 音のする方、丘の頂に目を向ける。マチ達が行う斬撃の音とは違う重い音。それが何の音なのかマチ達は知っていた。目線の先には、予想通りお兄ちゃんが戦っていた。予想通りだったけれど、マチは声をかけることができなかった。

 普段のお兄ちゃんはかなりスイッチとかの連携を多用するプレイをする。複数体を相手する時も自分が引きつけ役になって必ずマチ達に二体一、三体一の状況を作って安全性を高めている。けれど今のお兄ちゃんの戦い方は、安全性なんて気にしていない。ただ目の前の敵を倒しているだけで、まるで戦術なんて必要ないみたいで……。

 

 

 ……まさか。

 

 

 ひょっとして、お兄ちゃんはマチが寝てから、毎日一人で戦っていたんじゃないだろうか。マチがお兄ちゃんのレベルアップサウンドを四回しか聞いたことがなかったのも、毎日こうして一人で経験値を積んでいてからなんじゃ……。

 

「お兄ちゃん……」

 

 知らず知らずに拳に力がこもる。

 強くなったと思っていた。力になれると喜んでいた。

 けれど、まだ……まだ全然足りない。もっと、もっと強くならないと、お兄ちゃんは守れない。あの背中に追いつけない。

 




久しぶりの更新になりました


ちょっと色々考えて当初の予定を組み換え中
クロスオーバーは二作品読みこまないとなので結構難しいですw


礫先生のSAOの設定集が身近にあるといいんですが、虎とかに置いてあったりするかな?
ソードスキルはともかく、その他の戦闘スキルとかの情報が少なくてどうしようどうしようとなってしまっています


オリジナル設定とかぶっこんでも許してもらえるかな?



最近短編で書いていたSSを俺ガイル短編集としてこっちでものっけ始めました
よかったらそっちも見てもらえると嬉しいです
シリーズでは書けない組み合わせとかも挑戦していますw


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この人を守りたい

 マチが寝静まったのを確認してそっと身体を起こす。レベル6に上がった時に取った【隠蔽】スキルを使って気付かれないように宿を抜け出した。毎晩使っているせいなのか、ひょっとしたら現実世界での要素もこのゲームでは影響するのか、やけにこのスキルの伸びがいい。ステルスヒッキーがまさかゲームで再現できるなんて……いや、普通は逆な気がするけれど。

 デスゲームが始まってから、俺はあまり眠れていない。いや、眠ることが怖かった。これはきっと死の恐怖だ。小町と一色、二人を絶対に現実に返すと誓った。けれど、人の命を預かるなんてことが俺に、俺なんかにできるだろうか。瞼を閉じると二人がポリゴンとなって砕け散る姿が映ってしまいそうで、毎晩疲れ果てるまで一人で狩りを続けていた。

 拠点にしている村を駆け抜けて、高効率の狩り場に向かう。『アーマーハウンド』は非常に戦いやすい。どんなに速くても、律儀に皮防具の繋ぎ目に使われた金属部分を狙ってくるのだから、そこを迎え撃てばいい。

 ポップした三体の内、一体が地を強く蹴って即座に距離を詰めてこようとする。避ける必要は――ない。飛びかかってくる奴の軌道に合わせるように持っていたメイスを力任せに振りきった。

 

 

 ――ガッ!

 

 

 インパクトの瞬間押し返されそうになったが、俺の攻撃を脳天に食らったハウンドは「キャインッ」といかにも犬っころのような情けない声を上げて吹き飛んだ。レベル9まで上がっている俺なら、ソードスキルを使わなくてもかなりのダメージを与えられるようになっていて、起きあがったハウンドのHPゲージはイエローゾーンに差し掛かろうとしていた。

 本当に戦いやすい。とりあえず顔面を殴ってくる脳筋の不良みたいなものだ。獲物もあるし、四人の不良を病院送りにしたあの時に比べれば――

 

「うぐっ!?」

 

 キィンッと突如訪れた耳鳴りに視界が眩む。歪んだ視界が結ぶのはあの二人の、あの表情。落胆したような、拒絶するような……そんな顔。

 やめろよ、雪ノ下。そんな目で俺を見るなよ、由比ヶ浜。そんな表情にさせたかったわけじゃないんだ……俺は、俺は……。

 

「ガウッ!」

 

「っ……チッ!」

 

 鋭い吠声に意識を引き戻された。目の焦点が合うと大口を開けたハウンドがすぐ目の前まで迫っていて、咄嗟にメイスを盾にしてガードする。武器と生き物が衝突エフェクトを散らして、受けきれなかった衝撃が肌を引きつらせた。衝撃の余波で微量ではあるが、HPゲージが削れた。

 

「シッ!」

 

 ガードに使ったメイスを素早く持ちかえて、攻撃モーションを終えて地に足をつけようとしていたハウンドの腹に叩きこんだ。現実と違って利き腕でなくても同程度の威力が出るので、さっきと同じくらいHPゲージが削れた。勢いで吹き飛ぶ敵を追いかけるように前方へ飛び出す。

 

「おらっ!」

 

 群れのど真ん中に入ったタイミングで範囲技である『パワー・ストライク』を叩きこんだ。通常攻撃の数倍の威力を持つソードスキルによりアーマーハウンドは三体同時にHPを削りきられ、ポリゴンとなって砕け散った。

 リザルト画面を一瞥して全体を見渡すと、少し先にまたモンスターがポップした。メイスを構え直して神経を研ぎ澄ませ、AGI全開で駆けだす。ステータス補正で現実の何倍も速く動く身体が仮想の風を切るのを感じながら、余計な思考が削がれて何も考えずに眠れるようになるまで、俺は今日も戦い続けた。

 

 

     ***

 

 

 震える指を慎重に操作して、出ているウインドウをタッチする。確認のYES・NOウインドウを三回ほど確認してからそっとYESを押すと、チャリンという軽快なサウンドと共に購入が完了した。インベントリを開くと、ちゃんと目当てのものが表示されていてほっと息をつく。

 

「買っちゃった……」

 

 ああぁぁぁああ、もう口元が緩んじゃって仕方がないです。ついに、ついに買っちゃいました。

 インベントリには『アイアンシールド』が表示されている。今付けている胸当ての実に二倍の値段。コツコツお金を貯めてようやく目標金額に達して購入に踏み切ったのだ。本当はもっと早くに貯まるはずだったし、たぶんせんぱい達に頼めばアニールブレードの売却代とかを出してくれたと思うけれど、あんまり頼るのも申し訳ないし、インナーや普段着の購入とかで出費がかさんでしまった。SAOでは汗もかかないからこういう着替えが必要ないのも理解はしているけれど……うん、やっぱりゲームでも何日も着替えないなんて精神的にムリ。

 というか、お風呂にも一週間以上入ってないんだよな~。考えるんじゃなかった……身体中ぞわぞわしてきちゃう。

 コホン……その話は忘れるとして、私はタンク? として必須である“盾”を買いに来たのだ。ちなみに今は早朝で、私は一人。SAOの目覚ましって自分にしか聞こえないし、聞こえたら確実に意識が覚醒するからすごい。そこから二度寝もできるけれど、基本的に寝過ごしがないのだ。この目覚ましが現実にあったら遅刻なくなりそう。

 

「ふふ……ふふふ……」

 

 それにしても、まさかこんないかにも男の子なアイテムを手に入れてニヤニヤしてしまう日が来てしまうとは……。昨日買ったピンクのフードのおかげで周りからは女の子って分からないと思うけれど……いや、それだと逆に不審者度上がっているかもしれないですね。なにそれ超辛くないですか!?

 デスゲームが始まって一週間以上経った今、プレイヤーの中に少し余裕が出てきたのか、ナンパみたいなことをする人もチラホラ出てきた。今のアインクラッドはほとんどが男の人だし、癒しとか紅一点とかそういうのが欲しいんだろうけれど、現実が見れていないなって思っちゃう。一昨日いやらしい目つきで私とマチちゃんをクエストに誘ってきた二人組とか、そんな覚悟で前線に来て大丈夫なのだろうか。

 私はせんぱいの傍にいるために前線に来ているのだ。せんぱい以外の男の人とパーティを組むつもりなんて微塵もない。今まで私がりよ……仲良くしてきた男の子達と似たような眼をした人とパーティを組むところを想像しただけで、酷い吐き気が沸き上がってきてしまい、二人して次の日に道具屋に駆けこんだ。マチちゃんはオレンジのフードを被っている。

 早速盾を装備して戦ってみたいけれど、もうちょっとこの独占的な気分に浸っていたい。しばらくは一人でこっそり練習しようかな? レベル12に上がって【盾装備】スキルを取らないと本領発揮はできないってアルゴさんも言っていたし……ぐぬぬ、ここにきて【料理】スキルの圧迫が……。

 

「あ、いっけない!」

 

 時間を確認すると、宿を抜け出してからだいぶ時間が経っていた。そろそろ皆起き出してくるだろうから、早く戻って朝食の準備をしないと!

 

 

 

「この村で受注できるクエストはこれが最後だナ。まア、もう先行組が何度もやっているけれド、報酬の回復ポーションはあるに越したことないからナ。確認がてら行くとしよウ」

 

 アルゴさんの指示に従って私たちもクエストを受注する。最初はプログラムで動くキャラクターに話しかけるのに違和感というか照れくささがあったけれど、最近では手慣れたものだ。慣れって怖い。

 今回のクエストは特定モンスターを目標数倒すというシンプルなもので、出現ポイントもここ数日何度も行ったところだ。特に出現モンスターの変更点も、レアモンスター出現情報もないみたいだから、あくまでクエスト報酬と確認のためみたい。

 

「さっ、行きましょ! ……せんぱい?」

 

 せんぱいの手でも引っ張ってみようかなと思って振る返って見たその表情は、どこか上の空だった。目の前で手を振っても実際に手を繋いでみても無反応。むむぅ、むむむむぅ……。

 

「んぉっ? ……何やってんの?」

 

「いや、せんぱいが全然反応しないのが悪いんじゃないですか……」

 

 背伸びをしてせんぱいの頬をぐにぃと引っ張ると、ようやく反応してくれた。ぷくっと頬を膨らませて抗議すると、せんぱいは微妙な顔をしながら「ちょっと考え事してたんだよ」と先に行ってしまった。

 マチちゃんやアルゴさんと話をしながら歩くせんぱいの後姿はやっぱりいつもと違う気がする。どこか足元がおぼついていないし……。

 

「どうしたイロハ? 早く行くぞ」

 

「あっ、待ってくださいよ~!」

 

 考えることを中断して、私はせんぱい達を追いかけた。

 

 

     ***

 

 

「フッ!」

 

 せんぱいの一振りでモンスターが光の粒になって砕け散る。それを確認すると飛びかかってきた別のモンスターのお腹にメイスの先をめり込ませる。体勢を立て直した敵が行ってきた突進攻撃をかわして、その背中に向かってソードスキルを叩きこんだ。HPがゼロになったモンスターはあっけなくポリゴン片になってしまった。

「すごいナ……とてもVRゲームを始めて一週間と少しとは思えない動きダ」

 私の隣に来ていたアルゴさんもフードの奥から驚愕の瞳を向けていた。おそらく私たちの中で飛び抜けてレベルが高いと思うせんぱいは、けれどもあくまでVRゲーム初心者。それなのに、せんぱいは元βテスターで情報屋のアルゴさんすら唸らせる適応能力を発揮しているのだ。

 

「そういえば、せんぱいってリアルだと結構喧嘩強いみたいですよ? そのせいですかね?」

 

「いヤ、SAOのアクションはどうしてもステータスに流されるかラ、現実の能力はあまり関係ないと言われているガ……。もしハチの強さになにか要因があるとすれバ……環境への適応能力の高さカ?」

 

 たしかにSAOのアバターは、ステータスのせいもあって現実よりも動かないこともあれば、現実以上に動いて驚くことも多い。大抵のことはそつなくこなすせんぱいのことだ、そういった現実とのギャップにも即座に対応したのかもしれない。

 それに、皮肉なことに今のせんぱいは周りのことに執着がない。最優先はあくまで私と小町ちゃんで、自分のことですら客観的に見ている節があった。そんなせんぱいだから、デスゲームを認識したことからくるはずの恐怖に足がすくまなかったのかも知れないし、そのせんぱいについてきた私たちもパニックにならずに済んだのかもしれない。

 

「二人ともー! こっち手伝ってくださいー!」

 

 どうやら話しているうちにマチちゃんの方にモンスターが集まっていたようだ。「今行くゾー」とアルゴさんが地を蹴ったのを見て、そっちは彼女に任せてせんぱいの様子を再度確認する。三体の敵を相手していたせんぱいはその一体を危なげなくポリゴンに変えて――

 

「……ぇ?」

 

 ガクンと膝をついた。

 ぞわっとした寒気が身体全体を駆け廻って、気がつくと彼の元に走り出していた。だって、特にダメージを受けている様子もない。パーティメンバーのHP表示でもHachiのHPはほとんど減っていない。それが逆に、私の不安を何倍にも膨れ上がらせた。

 相手をしていた二体のモンスターは膝をついたせんぱいも、駆けよる私のことも待ってくれない。プログラムに従って機械的にせんぱいに襲いかかる。私の敏捷値の速度では……追いつけない。

 

「せんぱい!」

 

 私はただ声を上げることしかできなかった。

 

「っ……!」

 

 けれど、まるで私の声に応えるようにせんぱいはメイスを構える。ソードスキルの眩い光が武器から放たれて、システムアシストで振るわれた範囲攻撃によって二体の敵は四散した。

 

「せんぱいっ、大丈夫……ですか?」

 

「ああ、すまん。ちょっと足を取られてな」

 

 嘘だ、すぐに分かった。足を取られた倒れ方じゃなかったし、当然ダメージを受けたわけでも状態異常を受けたわけでもない。そんな事は分かっていた。分かっていたけれど……。

 

「……そうですか、気をつけてくださいよ~」

 

 私は、何も言うことができなかった。

 

 

 

 部屋の窓辺に腰掛けてオブジェクト化した盾を眺めながら、声を発することもなくひたすら考えを巡らせる。考えるのは、もちろんせんぱいのことだ。

 今のせんぱいは明らかにオーバーワークをしている。SAOでは事実上睡眠は必要ないらしいけれど、あまりに睡眠を取らないと頭痛や眩暈、酷い時には意識が途切れたりするらしい。きっと今のせんぱいがまさにそれだ。リアルだろうがデスゲームだろうが、せんぱいに無理はしてほしくない。

 けれど、せんぱいのその無理は私たちのためにやってくれているもので、その姿にどう声をかければいいのかわからなかった。

 

「どうすれば……いいのかな……」

 

 思わず漏れた声は、システムに従って部屋の外には漏れない。アルゴさんが出かけていてよかった。ここまで私たちにいろいろ教えてくれたあの人に、いらぬ心配をさせるべきじゃない。

 一人でじっと考えても、答えは出ない。せんぱい達と手に入れたアニールブレードも、まだ一度も実践に使っていないアイアンシールドも教えてはくれない。当然だよね、武器がしゃべるわけないもん。

 

「だめだ、わかんないよ」

 

 大きくため息をついて窓の外を眺める。アインクラッドの夜空は星が多い。千葉ではこんな夜空はなかなか見れないなと眺めても、やっぱりそこにせんぱいの影がちらついて……。

 

「ん……?」

 

 だからだろうか、宿にしている民家の入口がゆっくり開いたことに気がついたのは。開いた扉から出ていく人は……いない? アルゴさんが帰って来たのかと思ったけれど、部屋に入ってくる様子もなかった。

 

「風で開くなんて現実的なことないはずだし……」

 

 そこまで口に出して思い至る。そういえば、スキルに【隠密】っていうのがあったはずだ。プレイヤーやモンスターから発見されないようにするスキル。もしせんぱいがそれを取っていたとしたら……昼間ですら今にも倒れそうだったのに……。

 

「……バカ!」

 

 片手剣を腰の鞘に納めて盾をインベントリに戻しながら、私は部屋を飛び出した。

 あまり振っていない敏捷補正でまっすぐに村を抜ける。この時間にせんぱいが一人で宿を抜け出す理由なんて一つだ。向かうのはこの周辺で一番経験値効率のいい、あの丘。

 やっぱり……。

 丘の上で、あの日と同じようにせんぱいは戦っていた。飛びかかってくる敵を筋力補正の限り殴り飛ばして、同時に襲いかかられたら範囲攻撃のソードスキルで粉砕。倒しきれなくてもスタン効果で固まった敵に追撃をしかける。戦略も何もない、たぶんせんぱいだからできるごり押し。圧倒的力量差だからこその作業だ。

 

「チッ……!」

 

 けれど、せんぱいの表情に余裕は全くない。常に歯を強く食いしばっていて、目つきは鋭く険しい。戦うことだけ考えているのか、すぐに動き出す。せんぱいの駆けだした先、まるで見計らったかのように数体の敵がポップした。その群れに向かって一分の動揺もなく距離を詰めようと足に力を込めたせんぱいは――まるで糸が切れたように倒れ込んだ。

 倒れたせんぱいは……動かない。正確には動こうともがいているけれど、全然身体が言うことを聞いてくれないようだ。けれど、モンスターは、プログラムはそんなことじゃ待ってくれはしない。せんぱいに気付いた『アーマーハウンド』達は今にも飛びかかろうと距離を詰めてきていた。

 このままじゃ……このままじゃ、せんぱいが……せんぱいが――!

 

「っ……!」

 

 気がつくと、私は思いっきり地を蹴っていた。低い敏捷値の限り速度を上げながら、ウインドウを見ずに操作する。

 どうすればいいか分からないなんて嘘だ。デスゲームが始まってからずっと、本当は怖くて怖くて仕方がなかった私は自分に嘘をついて、誤魔化そうとしていた。答えなんて最初から出ていたのに。

 左手に装備状態でオブジェクト化された盾を一瞥して、先輩とモンスター達の間に割って入る。飛びかかってくるハウンドの軌道上に盾を合わせ、足を開いて衝撃に備える。

 ――ッッ!

 

「くっ……」

 

 重たい……。盾に敵がぶつかってきた衝撃がビリビリと全身を伝わって、HPゲージが少し削れてしまう。やっぱり【盾装備】スキルがないと辛いな。早くレベル12にならないと……。

 

「ハアッ!」

 

 敵の攻撃を受けきって片手剣範囲技『ホリゾンタル』を放つ。せんぱいほどの筋力値を持たない私では一撃で倒すことはできず、モンスター達が再び襲いかかってくるけれど、その攻撃の全てを盾で防ぎきった。

 

「ここはっ、通さない!」

 

 再び放った『ホリゾンタル』によって、今度こそアーマーハウンド達はポリゴンになって消えた。そこでようやく息をつく。今回はなんとかなったけれど、こんな相手をソロで何時間もなんて私には無理だ。

 

「いっ……しき……?」

 

 それをこの人は、毎晩やっているのだと思うと、ばかだなぁと苦笑しそうになるし、少し悲しくもなる。私を見上げてくるその目は酷く弱々しくて、何かから必死に逃げようとしているようだった。

 私はこの強くて弱い人を守りたい、支えたい。この人のしがらみにはなりたくない。せんぱいと対等でありたい。

 

「全く、せんぱいはいっつも無茶ばっかりするんですから。これは私がちゃんと守ってあげないといけませんね!」

 

 私がここにいる意味は最初から変わらない。

 私は、せんぱいを守るためにここに立っているんだ。

 

 

     ***

 

 

 今いるのは宿に使っている民家の一階。この時間はおばちゃんNPCも自室に引っ込んでいて暖炉の火がゆらゆらと燃えているだけだ。本当は狩りを続けようとしたのだが、イロハが鬼のような剣幕で止めてきたので渋々帰ってきた。

 

「…………」

 

 暖炉の前で並んで座っているが、イロハは終始無言だ。その瞳は不規則に揺れる炎をじいっと見つめていて、どう声をかければいいのか分からない。

 

「あのなイロ……」

 

「私、怒ってるんですから」

 

 無言に耐えきれず発した声は、彼女の強い声色に掻き消されてしまい、思わず口をつぐむ。

 

「せんぱいが誰に対しても信頼も期待もしないのは分かっています。それはせんぱいの決めた道だから、私にそれを止める権利はないし、否定するつもりもありません」

 

 けど、と彼女は顔を向ける。その表情は酷く悲しげで、今にも泣きだしそうだった。

 

「それはせんぱいに無理してほしいわけじゃないんです! 私や小町ちゃんのために無理されたって……そんなの、全然嬉しくない。先輩が倒れた時、心臓が張り裂けそうだったんですから……」

 

「…………」

 

 何が正解なんて分からない。現実の選択肢なんてどれが最適解かなんて誰も知らないのだから。

 それでも、きっと俺はまた間違えたのだろう。守ろうとした彼女にこんな顔をさせてしまっているのだから。間違いも間違い、大間違いだ。

 けれど……。

 

「俺には……まだ俺には二人を守るだけの力が、自信がないんだ……」

 

 ぽつり、ぽつりと口から言葉が漏れだす。夢のこと、そのせいで眠れないこと、だから少しでも紛らわすために、自信をつけるために一人で戦っていたこと。堰を切ったように止まらない言葉を、彼女は静かに聞いてくれていた。

 

「だから、だから俺は少しでも強くならないと……っ!?」

 

 突然腕を引っ張られて体勢を崩してしまう。後頭部が柔らかいものの上に不時着するが、同時に目を手らしきものに覆われてしまった。前後から感じる仮想の温かさが、乱れていた心をゆっくりと落ち着かせてくる。

 

「さっきも言ったじゃないですか、『せんぱいは、私が守りますよ』」

 

 守る、守られる。相互守護とはなんて無責任で、確証がなくて、温かい言葉だろうか。今の俺は彼女の言葉に答える返事は用意できない。けれどいつか用意できれば、その言葉を受け止められれば、そう……少しだけ思えた気がした。

 

「くぁ……」

 

「ふふ、眠くなっちゃいました? いいですよ、ゆっくり休んでください」

 

 不意に訪れた眠気とイロハの声に身をゆだねる。今は彼女に何も返せない。ならばせめて、少しでも彼女の不安をなくすように努めよう。すぐには無理だけれど、少しずつ、少しずつでいいから、無理をなくしていこう。

 

「おやすみなさい、せんぱい」

 

 その日は不思議と、あの夢を見ることはなかった。

 




このシリーズではお久しぶりです。

他シリーズとか短編とかを書いていたら3ヶ月が経過していました。ヒエェ……。
というわけで久々の俺ガイル×SAOクロスの更新だったのですが、今回は一色メインのお話でした。

クエスト名とか考えるのめんどかったからちょっと手抜きしちゃったり……まあ、今回はそんなにクエストとか重要じゃないし問題ないよね!

クロスオーバーはなかなか精神力使います。毎回毎回俺ガイルとSAOの原作とにらめっこです。だからペース遅いのは許してくださいお願いしますなんでも(ry

というわけで、おそらくこれが今年最後の投稿です。来年ものんびりマイペースに頑張っていこうと思うのでよろしければ読んでいってください。ではでは~。


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この人のそばにいたい

「ふぁ……」

 

 目覚ましアラームを聞いた意識が自然と眠りの底から浮上してくる。現実の自分のベッドよりもちょっと簡素で、けれど大きいベッドから上半身を起こすと、両手を天井に届かせようとするように大きく振り上げて、背筋を伸ばした。こういう行動は現実とあまり変わらない。無意識のうちに変えないようにしているだけかもしれないけれど。

 

「おう、おはよう」

 

「あ……お兄ちゃん。おはよー」

 

 先に起きていたらしいお兄ちゃんが眺めていたウインドウから顔を上げてくる。さらっと欠伸を見られてしまった。マチ的にポイント低い。

 現実では朝は弱い方のお兄ちゃんは、この世界に来てからいつもマチより早く起きる。単純に早い時間にアラームを設定しているだけなんだろうけど、おかげで毎朝覚醒前の寝惚け顔を見られてしまうんだけど、もう二週間近くも見られていればさすがに慣れちゃうんだよね。いや、乙女として慣れちゃいけない気がするけど、相手はお兄ちゃんだから、まあいいかな?

 

「そろそろイロハの朝食ができるだろうから、さっさと準備しろよ」

 

「分かってるよー」

 

 再びウインドウに視線を落としたお兄ちゃんにいつも通り軽く返事をしながらベッドから降りる。そのまま装備ウインドウを操作して下着と服を着替えようとして――ふと最近の疑問を投げかけてみた。

 

「そういえばさ」

 

「ん?」

 

「お兄ちゃん、こっちに来てからナチュラルにいろはさんのこと名前で呼んでるよね」

 

 マチの記憶が正しければ、お兄ちゃんが下の名前で呼ぶ女の子なんて小町と留美ちゃん、あと沙希さんの妹の京華ちゃん――正確にはけーちゃん呼びだけど――くらいだったと記憶している。やばい、改めて列挙してみると全員年下じゃん。大丈夫かな、うちのお兄ちゃん本当にロリコンだったりしないかな。

 まあ、お兄ちゃんの性癖は置いておいて。つまるところそんなお兄ちゃんがこの世界に来てからいろはさんのことを「一色」ではなく「いろは」って呼んでいるのは……ちょっと妹としては気になるわけですよ。アインクラッド中で理由を聞いて回りたいくらい。全然ちょっとじゃないですね。

 

「……はあ?」

 

 そんな妹の好奇心満々な質問に対して、お兄ちゃんはもう露骨なほど顔を歪めて、「アホか」とでも言いたげな声を出した。ゲームマスターである茅場さんがもう一つの現実と言っていたこのアインクラッド、というかSAOだけど、現実と明らかに違うのが感情表現だ。ちょっと怖くなっただけで顔は真っ青になるし、恥ずかしくなると逆に林檎よりも赤くなって、漫画のような顔になってしまう。

 まあ、そのおかげで現実ではずっと仮面のように表情を作っていたお兄ちゃんが少しは素を出してくれているんだけどね。いや、さっきの表情はポイント低いけど。

 

「別にあいつの本名を呼んでるわけじゃねえよ。アバターネームを呼んでるだけ」

 

「今マチしかいないのに?」

 

 この部屋にはお兄ちゃんとマチしかいないし、SAOの部屋は【聞き耳】スキルをかなり高いレベルにしないと室外から会話を聞くことはできない。わざわざこんなときまでアバターネームを使う必要はないはずだけど。

 

「いや、お前に関してもだけど、いちいち呼び方変えてたらうっかり人前で本名呼んじまいそうだからな」

 

「なるほど?」

 

 相変わらずこの人は、こういうところ無駄に律儀というか、真面目というか。

 

「つうか、着替えるなら早く着替えろよ。お兄ちゃん善意で視線を外してるんだけど?」

 

「別に全裸になるわけじゃないから、そんなことする必要ないでしょ。……それとも、お兄ちゃんは妹の下着姿に欲情しちゃうのかにゃ~?」

 

「うぜぇ……先行ってるぞ」

 

 ありゃ、出てっちゃった。ちょっと遊びすぎたかな。なんか今日のお兄ちゃんはいつもより元気そうだったから、ついマチもテンション上がっちゃったよ。最近ずっと険しい顔してたし、現実とは違うこの環境がお兄ちゃんに何かいい影響を与えたのかな? それがデスゲームっていうのはちょっと複雑だけど。

 

「よしっ、今日もがんばりますか!」

 

 装備画面で今日の服を選んで鏡を確認すると、マチも部屋を後にした。

 

 

     ***

 

 昨日の段階で村で受けることのできるクエストは全部こなしたということで、今日は次の拠点に移動しつつ、道中のフィールド確認。時間に余裕があれば一つくらいは新しい拠点でクエストを受ける予定になっている。

 アルゴさんの情報だと、早い人はそろそろボスのいる迷宮区がある街【トールバーナ】に到着しそうだということだ。マチたちは後一週間はかかるんじゃないかな。まあ、マチたちの場合速さよりも正確性が大事だから。なんか仕事の話してるみたい。実際情報屋って仕事っぽいけど。

 

「マチ、スイッチダ!」

 

「了解です!」

 

 アルゴさんがソードスキルでハウンドを弾き飛ばしたのを確認して、かなり多く振っている敏捷値の限り駆け出す。自分で言うのもなんだけど、マチのトップスピードはかなり速い。弾き飛ばされたハウンドが地面に身体を叩きつけられる頃には肉薄するくらい距離を詰めることができる。

 

「ハアッ!」

 

 この間習得した『クロス・エッジ』を叩き込む。短剣のソードスキルは攻撃力こそ低いけど、その分そのほとんどに追加効果が付与されている。『クロス・エッジ』の追加効果は敏捷値低下。

 ハウンドのアイコンに敏捷値低下のデバフアイコンが現れて、少しだけだけど動きが鈍くなった。

 まあ、その“少し”が命取りなんだけどね。

 

「よっト」

 

 アルゴさんの叩き込んだ『ラピッド・バイト』がハウンドをポリゴン片に変える。リザルト画面が表示されたのを見て、ふっと身体の力を抜いた。

 

「スイッチの回数は多くなるガ、マチと一緒に戦うのが一番楽しいナ」

 

「アルゴさんのスピードについていけるのは、今のところマチくらいですからねぇ」

 

 いかにレベルが一番高いと言っても、筋力重視のバランス型プレイヤーであるお兄ちゃんは敏捷極振りのアルゴさんよりも遅い。互いの速度が違うと遅い方に合わせなくちゃいけないのが兵法の基本――ってお兄ちゃんが言ってた――から、自然とアルゴさんとマチがペアになることが多くなっている。

 

「ただ、もうちょっと筋力に振ったほうがいいですかね……」

 

 さっきのソードスキルでのダメージを思い出してむむむ、と考え込む。短剣のソードスキルは後半になると敏捷値で補正がかかるものも増えてくるらしいけど、序盤のものは補正がかからない分ダメージもかなり低い。さっきのハウンドだって、ダメージによってはもう一回スイッチする必要があっただろう。

 

「まア、あれを見ると確かにナ」

 

「オラアッ!」

 

「しねえ!」

 

 アルゴさんの視線の先ではお兄ちゃんとイロハさんがそれぞれ一人でハウンドの相手をしている。ここの敵はお兄ちゃんが狩場にしていた『アーマーハウンド』より弱いから、そこそこ筋力に振っているイロハさんでもあっさり倒せるようだ。それにしてもイロハさん、「しねえ!」はさすがに……。

 自分で選んだプレイスタイルだけど、今のままだとなんか……うーん、なんか……。

 

「ほえ?」

 

 形容しがたい不満に頭を悩ませていると、ポスッと肩を叩かれた。

 

「まだゲームは始まったばかりダ。確かに今は実感できないだろうけド、マチの戦術は階層が進めば進むほどハチたちの役に立つはずだゾ」

 

「……そうですね。まだ第一階層ですからね」

 

 ケラケラと笑うアルゴさんを見ていると、どこか心が落ち着く。あれだ、なんだかんだ相談に乗ってくれるお兄ちゃんと似た雰囲気なんだ。年上特有の抱擁みたいな、そんな感じ。

 

「まったク、お前たちは全員焦りすぎてて目が離せないヨ」

 

「そうですか?」

 

「そうダ」

 

 首を傾げると大げさなため息を返された。解せぬぅ……。

 

「マチちゃーん、アルゴさーん! 次行きましょー!」

 

「ほラ、急がないと置いて行かれそうダ」

 

「えっ、ちょ……ちょっと待ってくださいよぉ!」

 

 焦っているのはあの二人の方なんじゃないだろうか。そんなことを考えながら、集まっているところに駆け出した。

 

 

 あぜ道のような最低限舗装された道沿いにしばらく歩いていると、道が二手に分かれていた。最前線のプレイヤーの情報で作られた地図によると、右が次の村へと続く道。

 そして左の方は――

 

「正式版で追加された新しいダンジョン、か」

 

 お兄ちゃんの表情はさっきよりも心なしか固い。

 βテストでは未実装だったダンジョン。つまり“もう一つの現実”のために追加された可能性のあるダンジョンだ。マチもイロハさんもどうしても緊張してしまう。

 

「『トールバーナ』へのルートからは少し外れるかラ、前線組もまだ本格的に探索をした奴はいないみたいダ。クエスト発生ポイントでもないようだしナ」

 

 アルゴさんが見せてきたスクリーンショットには森に囲まれた石造りの寺院が映っている。所々苔が生えたりひび割れていたりする外観は、木々の陰になっているせいもあってやけにおどろおどろしかった。

 

「……とりあえず行くしかねえだろ。レアアイテムが残ってるかもしれないし、高効率の狩場なら後続の役に立つ」

 

「そうですね、頑張らないと!」

 

 明らかに面倒くさそうに顔を歪めてぼやくお兄ちゃんにイロハさんは拳を握ってフンスと気合を入れる。なんだろ、マチは高校入ってからしかイロハさんを知らないけど、生徒会長をやってたせいかやけに社畜度が高い気がする。将来お母さんたちみたいにならないか心配です。

 

「まア、宝箱全部荒らされた辺境のダンジョンなんテ、そうとう効率よくなくちゃ行かないけどナ」

 

 SAOのダンジョン宝箱は、イベントアイテムが保管されているもの以外中身が補充されることはない。実際に、今までマチたちが情報収集のために確認したダンジョンは前線組によって全ての宝箱が空になっていた。

 宝箱の中に関する情報収集は、特にしていない。もう他の人が手に取ることのない中身の情報なんて無価値だからだ。

 ただ、開けっ広げられた宝箱を見るたびに……またβテスターと新人さんの溝が深くなりそうだなと思っちゃう。

 

「しょうがねえだろ。前線組だって大半が自分のことに必死なんだし、強いやつがより強くなるのがMMORPGってやつなんだから」

 

「それは……分かってる」

 

 βテスターは全体の一割以下。その人数で新人さんを手助けしようとすれば、単純に一人当たり九人を守る必要がある。あまりにも非現実的だし、逆に危険は増すだろう。そんなことをするくらいなら、今のβテスター中心での少数攻略はきっと正しい。

 けれど……。

 

「往々にして正しいことをしても、世界は優しくなくて正しくないからな。正しい奴はどうしても生きづらい」

 

「……それ、誰の言葉?」

 

「平塚先生」

 

 渋い顔をしたお兄ちゃんの答えに、妙に納得してしまう。確かにあの人そんなこと言いそう。足組んでタバコを吸いながら言ってるところを想像したら……すごい様になるね。かっこいいんだけどなぁ。なんで結婚できないんだろ。むしろかっこよすぎるのが原因?

 

「あ、見えてきましたよ!」

 

 イロハさんの声に視線を向けると、道の行きつく先に森が見えてきた。よくよく注視してみると、ぼんやりとだけど石造りの建物も見える。

 その建物の前には……人?

 

「誰かいるナ」

 

 遠目からはよく見えないけど、ここにいるということは前線攻略中のプレイヤーなのだろう。情報取引のためにか、まだ誰も漁っていないであろう宝箱を独占するためか、はたまたその両方か。一人は右手に武器、左手に暗闇での視界強化バフのつく松明を持ち、もう一人も得物である槍を携えて寺院に足を踏み込もうとしているところだった。

 

「あちゃー、先越されちゃいましたね」

 

「ま、俺らにとって宝箱アイテムは二の次だ。探索の手間が省けるんだし、協力仰ごうぜ」

 

 興味なさそうに“協力”という単語を使ったお兄ちゃんにちょっとだけ心がきゅっとなるけど、それに気づかなかったふりをして「そうだね」と頷いた。

 プロぼっちで大抵のことは一人でやってしまおうとするお兄ちゃんの口から“協力”という単語を聞くことは今までほとんどなかった。使うことがあったとしても、それは悩んで悩んで悩み抜いた結果出てくるもので……それがこんなにもあっさり出てくることは傍から見ればいいことのように見えるかもしれないけれど……。

 思考の海にズブズブと身体を沈めている時だった。

 

「うわああああああああ!?」

 

「な、なんだこれっ! た、助け――ッ!!」

 

「「「「っ!?」」」」

 

 つんざくような二つの悲鳴。本来ならSAOのシステムに処理されてマチたちの耳には届かないのではないかと思われるその声は――それゆえに危機的状況であることを否が応でも教えてくれた。

 反射的に、腰に収めていた短剣を引き抜いて飛び出す。それを見たお兄ちゃんも走り出したのが一瞬見えたけど、マチとお兄ちゃんでは敏捷値の振り方が違う。どんどん距離が開いていって、マチが独走する形になった。

 

「どいて!」

 

 道端にポップしたアクティブモンスターをトップスピードでかわし、スピードを緩めることなく寺院にたどり着くと、飛び込むように入口から中に入った。

 何も考えずに飛び込んだけど、屋内はかなり暗い。入り口近くとかそういうことは関係なしに視界へのデバフが発動するらしく、まっすぐと通路が続いていることがなんとか確認できるだけだ。

 どうしよう。ダンジョン内が迷路だったら下手に動くとマチが出られなくなる。お兄ちゃんが着くのを待つ? でも、今何もしなかったら……。

 

「たす……けて……」

 

「っ!」

 

 かすかに聞こえてきた声にどうすればいいか、なんて考えは消し飛んでいた。声のした方向に走り出す。

 しばらくするとT字路が見えてきた。右と左、どっちに曲がるか決めるよりも先に、左の通路がぼんやりと明るくなり、同時に少しだけ視界がよくなる。

 たぶん、あれはさっきの人たちが持っていた松明の明かりだ。効果範囲内にマチが入ったことで、視界強化バフが付与されたのだろう。持っていた松明は一つ。こんな暗いダンジョンで、別々に探索はしないはずだ。

 T字路を左に曲がってすぐのところに、件の松明が転がっていた。そしてその少し先の床はなくて、ぽっかりと穴が開いているのが見える。

 正方形の穴の縁を必死に掴む手が見えて、マチは慌てて駆け寄り、腕を掴んだ。

 

「大丈夫ですか!」

 

「ぁ……ひ、人……助けてくれ……」

 

 掴んだ腕の持ち主は恐怖に固まった表情で苦しそうに助けを求めている。見たところダメージを受けていなかったけれど、片腕と足にはロープが巻き付いていて、自力で動かせそうにない。

 それに穴のそこで鈍く光っているのは、無数の大きくて鋭い棘。穴の縁から目視しただけでも、マチの身長の二倍はある。

 

「これ、トラップ――!」

 

 マチだってRPGはたまにやる。宝箱に敵が潜んでいたり、落とし穴みたいなトラップがあるのも知っている。

 けれど、目の前にあるその穴の恐怖は――知らない。暗い暗い穴の前にいるとクラクラしてくるし、底に並んだ棘との距離もだんだん分からなくなってくる。

 

「助けて……仲間も、死んで……。このままだと、落ちる……」

 

「死ん――――」

 

 いや、落ち着け比企谷小町。ここでパニックになったらどうしようもない。“あの頃のお兄ちゃん”だって、きっとこういう時は落ち着こうとしたはずだ。

 

「今引き上げますから、頑張ってください!」

 

 一度大きく深呼吸して荒くなりそうな心を落ち着かせ、男の人の腕を掴み直す。両足で石造りの地面を踏みしめて、思いっきり引き上げた。

 

「く――――っ!」

 

 筋力値にほとんどステータスを振っていないマチでは持ち上げることが精一杯だ。逆に一瞬でも気を抜けばマチの方が引きずり込まれてしまいそう。

 大丈夫。今すぐ引き上げられなくても、マチがこうして時間を稼いでいる間にお兄ちゃんたちが来てくれる。四人で力を合わせればこの人を拘束しているロープも引きちぎれるはずだ。さっきまで落ちないようにぶら下がることに使っていた筋力値をマチが肩代わりしていれば、この人自身でロープを壊せる可能性だってある。

 汗なんて感情エフェクトとしてしかかかないはずなのに、じっとりと背中が嫌な濡れ方をしているような感触。いや、これは錯覚だ。マチ自身の焦りが余計なことを考えてしまっているだけ。落ち着いて……落ち着いて――!

 余計なことを考えないように心の中で叫んでいるマチの耳に、ブチッという音が聞こえてきた。見るとさっきまで垂れ下がっていた腕がポリゴン片をまとわりつかせていて、引きちぎられたロープが消滅したことをマチに教えてくれる。

 ほら、マチの想定通り。さすがお兄ちゃんの妹なだけある。あ、今のマチ的にポイント高い!

 相手の顔にも安堵が見えてきた。まだ足のロープがあるけど、両手が自由になった分余裕がある。胸くらいまで引き上げることができれば、皆が来るまで二人とも休めるだろう。

 男の人もそう思ったのか自由になった手で穴の縁を掴んで――

 ――ガコンッ。

 

「「え……?」」

 

 二人の声が重なった。男の人の掴んだ縁のブロックが一段階沈んでいるのが見える。

 それを認識した瞬間、マチの目の前に何かが落ちてきた。

 

「…………え」

 

 気が付くと、目の前に穴はなくて――いや、落とし穴の開いていたところには大きな岩が収まっていた。

 岩の隙間からはまるでなにかが呻くようにポリゴンの光が漏れ出していて、それを見た瞬間、心の奥で何かが軋む音が聞こえた気がした。

 

「…………」

 

 キラキラと淡く漏れ出す光に、視線をもう少し下に落とす。さっきまで掴んでいた男の人の腕はなくて――それ以前にマチの両腕は肘から先がなくなっていて、マチの意識を引き付けた光は傷口から血のようにあふれ出すポリゴンの光だった。

 

「…………ぁ」

 

 視界の左上に表示されているマチのHPバーはジリジリと削られている。部位欠損によるスリップダメージ。SAOの世界に痛覚は存在しないけれど、痛みはなくともHPバーはどんどん減っていく。

 マチの命がなくなっていく。マチの、比企谷小町の命が、どんどん……どんどん……。

 

「ぁぁ……ぁあ…………」

 

 嫌だ死にたくない。死にたくない、死にたくない死にたくない死にたくない怖い怖い怖いやだやだやだやだやだやだやだやだ――ッ!

 

「あああああああああああああああッ!!」

 

「小町!!」

 

 ――助けて、お兄、ちゃん……。

 視界デバフを受けたように真っ暗になる視界の中最後に見えたのは、転がっていた松明を掴んでマチに駆け寄ってくるお兄ちゃんの姿だった。

 

 

     ***

 

 

 目が覚めてみると、知らない天井だった。

 

「あ、目が覚めた?」

 

「イロハ……さん、ここは……?」

 

 隣のベッドに腰かけていたイロハさんはマチのベッド脇に近づいてくると、「次の村だよ」って教えてくれた。欠損のスリップダメージをポーションで相殺しながら運んでくれたらしい。

 自分の両腕に視線を落とすと、欠損効果が切れて元通り爪先まで生えていた。いや、ゲームだからあれだけど、腕が生えるって字面がすごい。

 

「お兄ちゃんは……?」

 

「ハッチは今村の探索をしてもらってル。……気分転換させないト、やばそうだったからナ」

 

 やばそう。それがどういう意味なのか。それを考える余裕が、今は――ない。

 あの時、あのままだとマチは死んでいた。気絶したのは自己防御のようなものだったのだろう。お兄ちゃんたちが間に合ってなかったら……そう思うとゾッとする。

 デスゲームだって理解しているつもりだった。ゲームで死んだら現実でも死ぬ、もう一つの現実だって。

 けれど、本当はなにも分かっていなかった。どこか他人事だって、自分には関係ないことだって考えて目を背けていたんだ。

 

「っ…………!」

 

 フラッシュバックのように、明滅するようにあの光景を思い出す。大穴を埋めるように落ちてきた大岩。その隙間から漏れ出すポリゴンの輝き。この世界に来るまでは見てもなんとも思わなかったであろうその光は、確かに“命の潰える光”で……。

 左上に機械的に表示されているHPバーがすべて削り切られればゲームオーバー。ゲームから、現実からのログアウト。あの人の言葉が本当か嘘かなんて、もはや考えるまでもなかった。

 死ぬのだ。この世界で死んだら、マチも、イロハさんも、アルゴさんも。

 そして――お兄ちゃんも。

 

「マチちゃん!」

 

 ふわりと、疑似的な温かさと柔らかさに包まれる。イロハさんに抱きしめられたのだと気づいたのは、自分よりも一つだけ年上の先輩が黒の短髪を梳くように撫でてきた頃だった。

 

「大丈夫、マチちゃんは死なない。せんぱいも死なない。二人とも、わたしが、守るからっ」

 

 システムに処理された温かさが触れ合った部分から流れ込んでくる。きっと“ぬくもり”と呼ばれるそれは、キャリブレーションによって形成されたマチの中に染み込んで広がって――

 

「……なんで」

 

 けれど、唇から溢れだしたのは乾いた声だった。

 なんでマチに優しくするんだろう。マチがお兄ちゃんに求めることは、イロハさんとは違う。あの時、一色いろはが比企谷小町を利用しようと取り引きしてきたように、比企谷小町も一色いろはを利用しようとした。

 それなのに、味方にも敵にもなれはしない相手なのに、どうしてマチを守るなんて言うのだろうか。

 ポタリ、ポタリの水の粒が頬に落ちてきて、伝い落ちる前に消えてなくなる。SAOの感情表現システムはシンプルで過敏だ。現実じゃ泣かないような時でも、システムによって涙が流れてしまう。

 なんでマチよりも先にこの人が泣いてるのだろうか。なんでそんなに感情を揺さぶらせているのだろうか。

 

「知ってるやつが死んだら悲しイ。だから守るシ、助けル。それじゃあ不服カ?」

 

 そう言ってアルゴさんがマチの背中に手を添えてきた。システムによって一律同じ温度のはずの二人のぬくもりは互いとも、お兄ちゃんとも違っているように感じて、ちょっとだけ身体の力が抜ける。

 

「マチちゃん、マチちゃんはどうしたいの?」

 

 どうしたい。マチはいったいどうしたいんだろうか。マチのアバターにはお兄ちゃんのような高い筋力値は存在しない。イロハさんのような耐久値も、お兄ちゃんを守る盾もない。アルゴさんのようなアインクラッドの知識も存在しない。

 マチには、何もない。これじゃあ足手まといだ。このままじゃ、マチのせいでお兄ちゃんたちが危なくなっちゃう。そんなのは嫌だ。絶対に嫌だ。

 そんなことになるくらいなら……。

 

「はア、だからお前たちは焦りすぎダって言ったんだヨ」

 

 アルゴさんの声に、あと一歩踏み込みそうになった思考が止まる。顔を上げると、心配そうにマチたちを見比べるイロハさんと、しょうがないものを見るように苦笑するアルゴさんが目に入った。

 

「確かに楽観するのはダメダ。けド、ゲームはまだ始まったばかリ。今はマチの“最終目標”じゃなくテ、もっと身近な“どうしたい”を言ってみろヨ」

 

 もっと身近な、今マチが“どうしたい”か……。

 比企谷小町の最終目標。それはお兄ちゃんに前みたいなお兄ちゃんに戻ってもらうことだ。前みたいなちょっと捻くれててシスコンなお兄ちゃんに少し呆れながら、楽しく過ごしたい。

 SAOでの最終目標。もちろんゲームクリアだ。お兄ちゃんをサポートして、マチもイロハさんもお兄ちゃんも、アルゴさんだって皆揃って元の世界に帰りたい。

 じゃあ、今のマチのやりたいことは……? まだサポートもままならない。今回みたいに足を引っ張るマチはどうしたい?

 そんなことは決まっている。

 

「お兄ちゃんの、お兄ちゃんのそばにいたい!」

 

 十五年、マチの誕生日が来れば十六年一緒に生活してきたお兄ちゃん。捻くれ者で、妹大好きすぎて、ものぐさで、ちょっとオタクっぽくて……けれど誰よりも優しくて、大好きなお兄ちゃんのそばを離れたくない。

 死ぬかもしれない。それは怖くて仕方がない。けれど、マチが安全な部屋の隅で膝を抱えて震えている間にもしもお兄ちゃんに何かあったら。そんなの嫌だ。絶対に嫌だ。

 だって――

 

「だって、兄妹だから。家族だから」

 

 論理的な理由なんていらない。そもそもマチはお兄ちゃんみたいに理詰めでなんて考えられない。

 “家族”。そのシンプルで本来戸籍上だけの言葉は、けれどマチにとっては十分な理由だった。

 そうカ、と小さく呟いたアルゴさんは入口の方に視線を向ける。

 

「こ……マチ……」

 

 ベッドと降りて扉を開けると、廊下の壁に寄りかかるようにしてお兄ちゃんが立っていた。マチの顔を、そして両腕を見たお兄ちゃんは、一瞬だけ安心したように息をついたけど、すぐに表情を険しくする。それだけでお兄ちゃんが言おうとしている言葉はすぐに分かった。だって、マチは妹だから。

 

「俺は……――ッ!?」

 

 けど、その言葉は言わせない。我儘だって分かっていても、絶対に、絶対に。

 思いっきり抱き着いたマチには今のお兄ちゃんがどんな顔をしているかなんて分からない。驚いているのか、それとも困っているのか、抱き着いた身体はちょっと固い。

 

「大丈夫だよ、お兄ちゃん」

 

「マチ……」

 

 声をかけながら顔を上げると、お兄ちゃんは怒ってるような、関心のないような、それでいて泣きそうな表情をしていた。表情表現はシンプルなはずのSAOでそんな顔ができるんだなとどこか他人事のように思いながら、笑顔を作る。

 いつもお兄ちゃんがなんだかんだ力になってくれる。妹のマチだけが使える魔法の笑顔。

 

「マチは、絶対にお兄ちゃんのそばにいるから」

 

「……そうか」

 

「絶対だからね」

 

「…………あぁ、分かったよ」

 

 諦めたような表情を“作った”お兄ちゃんは、けれど少しだけ笑ったような気がした。

 まるでこの世界がお兄ちゃんの本当の感情を教えてくれたみたいに。




 お久しぶりです!(全力の土下座

 後で後でと先延ばしにしていたらなんか8ヶ月ほど経ってました。
 まあ、その間暗殺教室クロスを書いていたり、短編(中編?)SSを書いていたりしていました。
 それで思ったんですが、同じクロスオーバーなのにSAOと暗殺教室で書きやすさがまるで違う! いや、SAOはゲームシステムとかの情報も多いから、そこの整合性を確認しているせいで筆が遅いとか色々と言い分(言い訳)もあるわけですが、衝動に駆られて書き始めた暗殺教室が一気に(第一部)完結まで持って行けたことに驚いています。劣等生とかワートリのクロスはもっとやばそう。絶対書かない。

 まあ、これからはちょこちょこ更新していく予定なのですが、さっきも言い訳したように更新ペースはそこまで早くないと思います。他にも色々書きたい話もありますし、冬コミの書き下ろしを書く時間も欲しいので。
 というわけで、非常に遅い作品になると思いますが(すでになってる)、生温かい目で見てもらえると幸いです。

 そうそう、別のシリーズのあとがきで言っていた夏コミの俺ガイルSS合同誌なのですが、現在とらのあな様の方で委託の予約を受け付けています。確かURL載せたりするのは規約的にアウトだったはずなので、私のTwitterの方から飛んでもらうと大丈夫かと。

TwitterID:elu_akatsuki

 マイページの固定ツイートに設定しているので、すぐに見つかると思います。

 それでは今日はこの辺で。
 ではでは。


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黒の剣士

 デスゲームが始まって一ヶ月が経った。浮遊城アインクラッドはまだ第一階層も攻略されていないが、攻略の最前線は第一階層最後の街『トールバーナ』、そしてその先にある迷宮区まで進んでいた。

 情報屋業もこなしながらで遅めのペースだった俺たちも、今は迷宮区攻略に携わっている。最初は一つ一つのクエストやダンジョンをじっくり攻略していた俺たちだったが、情報屋の存在を聞きつけた前線組から情報提供がなされるようになり、攻略スピードはだいぶ早くなった。

 

「……慣れるとパリィやブロックよりステップ回避の方が楽だな、こいつ」

 

「はたから見たら危なっかしいけど……ナッ!」

 

 なんとなくぼやくと後ろから苦笑まじりの声が聞こえてくる。あっちはあっちでスイッチの繰り返しで何もさせずに倒しているのだろう。

 今戦っているのは、迷宮区から出現するようになった亜人型モンスターだ。二足歩行で武器を持ち、場合によってはプレイヤーと同じようにソードスキルを使う種族。その最弱モンスターであるレベル6『ルインコボルト・トルーパー』の剣撃を最低限の動きで回避する。無骨なデザインの片手斧は振りがそこまで速くないので、慣れるとよけることは容易いのだ。

 しかし、油断は禁物。ステップ回避はすぐに反撃に転じることができるし、武器耐久値が減らないというメリットもあるが、失敗すると最悪スタンを食らい、無防備な状態で攻撃を受けることになってしまう。

 だから、決して油断はしない。敵の一挙手一投足に意識を集中する。

 一回、二回、三回とコボルトの剣撃を避ける。そうすると敵が大きく体勢を崩すので、『パワー・ストライク』を頭部めがけて叩き込む。連撃系のソードスキルでもいいのだが、タイミングを間違うとソードスキル後の硬直中に攻撃を喰らいかねないからな。安全策というやつだ。

 攻撃を食らったコボルトは低い呻き声をあげる。もう一ヶ月もメイスで敵を屠っているとはいえ、相変わらずちょっとグロい。

 

「よっと」

 

 ソードスキル後の硬直が解けた直後にバックステップで距離を取り、体勢を整える。距離を詰めてきたコボルトの攻撃をまた三回回避して、再び『パワー・ストライク』を叩き込んだ。HPバーが削られ切った『ルインコボルト・トルーパー』はストップモーションのように硬直すると、ポリゴン片になって砕け散る。

 

「……うーん」

 

 リザルトウィンドウを眺めて、思わず漏れそうになった唸り声を周りに聞こえないように口の中で転がした。最前線だけあって経験値効率は最高。報酬のコルやドロップアイテムを売れば、鍛冶屋で武器防具の修繕をしても十分おつりがくる。この迷宮区の奥が次の階層に続いていることもあって、ここで戦うことは間違いではない。

 しかし、いくら経験値効率が最高とは言っても“今の俺”には渋すぎる。というか、今のパーティ全体としても渋いと言えるだろう。

 一色に“守る”と言われたあの日から、さすがに毎夜狩りに出かけることはなくなったが、どうしても眠れないときはこっそりベッドを抜け出して近くの狩場に居座った結果、今のレベルは14。安全マージンを階層数+10と考えても上がりすぎだ。そりゃあ、半分以下のレベルであるこいつを倒してもレベル差補正で碌に経験値なんてもらえやしない。

 

「お兄ちゃーん。こっちも終わったよー」

 

 それはマチたち他の三人も同じだ。それぞれが既に安全マージン圏であるレベル11に上がっていて、次のレベルに到達するためには数えるのも辟易するほどの『ルインコボルト・トルーパー』を倒さねばならない。

 まあ塵も積もれば山となるというから見つけたら倒すし、スキルレベル以外にも戦う意義はある。

 なぜなら――

 

「ボスってこのコボルト? よりも強いんですよね?」

 

「そうダ。しかも取り巻きもイル」

 

「うわぁ、聞いただけで胸やけしそうですよ~……」

 

 第一階層のボスはコボルトの親玉だからだ。βテストの情報だから正式版では変わっている可能性もあるが、取り巻きに『トルーパー』の手斧よりもリーチの長い槍斧を装備した『ルインコボルト・センチネル』も出てくるらしい。

 弱いとは言ってもトルーパーも亜人型モンスターで、しかも同じコボルトだ。何度も戦って慣れることに損はないだろう。

 

「もうちょっとしたらセーフゾーンがあル。そこでいったん休憩しよウ」

 

「分かった」

 

 前線組がマッピングして提供してくれた地図でセーフゾーンを確認しながら頷く。二十階層の塔になっている迷宮区でも視界右上に時計が表示されているから一応昼なのか夜なのかは分かるのだが、探索や戦闘に夢中になっているとどうしても時間間隔が麻痺してしまう。もう昼の三時を過ぎているし、だいぶ休まず探索を続けていたようだ。

 道筋を覚えてマップウインドウを閉じ、歩き出す。ゲーム攻略を一ヶ月共にしていく中で、俺たち四人には基本陣形のようなものができてきた。最初の頃こそ知識の多いアルゴが先頭になることが多かったが、今では盾もあり一番防御力の高いイロハが先頭。その後ろにマチとアルゴが並び、バックアタックに備えるしんがりを俺が務めるというひし形の陣形だ。まあそれでも後方だけでなく、全体を警戒するのは変わらないが。

 ふと前を歩く三人、正確には二人に目を向ける。

 現実世界ではさしたる警戒心もなくペタペタと靴裏を鳴らしながら歩いていた妹と後輩は、自然と音を殺した歩き方をしている。モンスターには音に反応するタイプもいるため、無用な音を立てるべきではないと一月の経験で学んだのだろう。この二人の順応性の高さがゲームプレイにも及ぶとは、ちょっと意外だ。

 そして、そうせざるをえない状況をどうしようもできない自分に思わず顔が歪んでしまいそうになるのを、必死にこらえた。

 

「あ、人ですよ~」

 

 イロハの声に駆け寄った二人に合わせて俺も近づく。曲がり角からひょっこりと首を覗かせてみると、少し先の広間でプレイヤーがちょうどコボルトを倒したところだった。

 ここ最近前線に合流して、なおかつアルゴの手伝いもあって多少他プレイヤーを見てきたが、今の一太刀を見ただけでただならないレベルのプレイヤーであると直感した。

 迷いのない速く、力強い剣閃。片手用直剣使い御用達の『アニールブレード』をまるで身体の一部であるかのように振り切り、コボルトがポリゴンになって消えると自然な動きで背中の鞘に納める。まるで現実でもその西洋風の両刃剣を振り回していましたと言わんばかりの自然さは、およそ一ヶ月で身に着くものではないだろう。

 とはいえ、現実のものと大差なくなったはずのその姿を見る限り、実は日本に駐在している米軍というわけでもなさそうだ。ダークグレーのレザーコートを身に纏っている体躯は俺よりも小さいし細身だ。なによりも遠目から注視してみた顔立ちは、幼い。ひょっとしたらマチよりも年下なのではないだろうか。

 それでいてあの身のこなし。導き出される答えは一つだろう。

 同じ最前線攻略メンバーとは言っても、ダンジョンで出会って気さくに話しかける奴なんてそうそういない。というか、デスゲームという名の異常が日常化したせいで忘れてしまいそうになるが、この世界にいるプレイヤーの大半は廃人クラスのネットゲーマーたちなのだ。アルゴの手伝いで前線メンバーと会う機会がそこそこあるが、なんというか……同族の匂いがする。いや、俺と同族とかその人たちがかわいそうだけど。

 

「なんダ、キー坊じゃないカ」

 

 まあ、そんな諸々の事情もあって、基本ダンジョンで人を見かけてもスルーするものなのだが、今回はうちの情報担当の興味を引く人物だったらしい。

 

「……なんだ、アルゴか。そのキー坊ってのやめろよ……」

 

 ため息をつきながらやってきた“キー坊”は、やはり幼い。中性的な顔立ちは一瞬戸塚を連想させたが、それ以上の幼さだ。本当に小町よりも年下、中学生の可能性もあるだろう。

 

「いいじゃないカ、キー坊デ。あア、こっちは……」

 

 情報屋と行動を共にしている人間の詳細が気になるという視線を感じたアルゴが俺たちの紹介をしていく。彼女があだ名で呼ぶということはお得意様クラスと考えていいだろう。

 

「で、こっちがキリトダ。キー坊って呼んでやってクレ」

 

「いや、それ呼んでるのお前だけだから……」

 

 アルゴの説明にげんなりと肩を落とすキリト。俺はその名前に聞き覚えがあった。

 

「ああ、あんたが“あの”キリトだったのか」

 

「あのって……おいアルゴ、どんな説明したんだお前」

 

「安くしとくヨ。五百コル」

 

 そこでも金取るのね……。

 情報屋という商売はその名のとおり情報がなくては成り立たない。その情報提供は同じ前線メンバーからなされるのことが多いのだが、提供件数が一番多いのがこのキリトというプレイヤーだ。しかもダンジョンマップや敵情報に至っては無料で提供してくる奇特な奴だとアルゴから聞いていた。俺から言わせればそういう情報をまとめてその大半を無料配布しているあいつも十分に奇特な奴なのだが……その話は今してもしかたがないだろう。

 視線を彼の背中にしまわれた『アニールブレード』に向ける。パッと見は『ホルンカ』で手に入る『アニールブレード』と大差ないが、俺はそれが現段階でほぼ最強の一振りであることを知っていた。

 他のMMORPGがそうであるように、SAOにも武器強化システムが存在する。見るからにドワーフ然とした鍛冶屋NPCや今はまだいないが【鍛冶】スキルを習得したプレイヤーが強化素材を使って鍛えることで、『鋭さ』『速さ』『正確さ』『重さ』『丈夫さ』の五つのパラメータを任意で鍛えることができるのだ。

 そして、キリトの『アニールブレード』は『+6(3S3D)』。つまり『鋭さ』と『丈夫さ』が三段階ずつ強化されているものだ。【鍛冶】スキルの熟練度が低いNPCしかいない第一階層でそこまで強化するには相当な労力と運が必要らしい。俺もだいぶ失敗を繰り返して今のメイスを四段階まで強化したので、なんとなくその苦労は理解できる。

 

「アルゴの補佐ってことはトレード持ちかけられてることも知ってるわけか」

 

「まあな」

 

 情報屋の仕事は情報の売買と全員が知るべき情報をまとめて配布すること――だけではない。本業からは外れるが代行業、メッセンジャーのようなものもやっている。キリトの言うトレードとは情報屋を仲介した覆面売買のこと。トレード内容は『アニールブレード+6』と相応の『コル』。交渉を吹っ掛けられたのはキリトで、こいつは誰がそのトレードを申し出てきたのか知らない。一応先方がアルゴに渡してきた「口止め料」を払う方法があるのだが、それを始めると今度はキリトと取引相手で“口止めに関するオークション”を始めることになってしまう。

 そんなことをして誰が儲かるかと言えば、俺の横で楽しそうに笑っている鼠なわけだ。

 

「ちょうどよかっタ。キー坊、取引相手が二万九千八百コルまで引き上げるそうダ。口止め料の件も含めテ、どうすル?」

 

「ニーキュッパねえ……」

 

 アルゴからの伝言にキリトが呆れたように顎に手を添える。

 現状最強の剣に三万コル。そう聞くと納得できなくもないが、所詮は“第一階層最強”だ。第三階層か第四階層まで行く頃には急速に陳腐化して新しい武器にする必要が出てくるとアルゴが言っていた。百階層もある浮遊城の三階層くらいまでしか持たない剣。それを大金つぎ込んで手に入れる意味はあまりないだろう。長期的に見れば余計にだ。そろそろ最初のフロアボス討伐があるとは言え、三万もあればその金で装備を整えた方が色々と有意義な気もする。

 

「前にも言ったけど、いくら金を積まれても手放す気はないさ」

 

「オイラもそう言ってるんだけどナ……」

 

 そもそも、現状最強の剣を手放したらこいつは未強化の新しい武器を手に入れなくてはいけなくなる。片手用直剣なら装備は間違いなく『アニールブレード』になるだろう。『ホルンカ』まで戻ってあのクエストをもう一回こなすとかだるいことこの上ない。改めて考えると、ボス攻略直前にそんなトレード吹っ掛けてくるとか頭おかしいんじゃないだろうか。いや、一週間前から先方はこの取引要求してきてんだけどさ。

 

「口止め料もいいや。なんでトレードするつもりがないのに金払わなきゃいけないんだよって話だし」

 

「『情報の開示』だけじゃなク、『情報の秘匿』でも商売をスル。それがこの仕事の醍醐味だからナ!」

 

「ほんとえげつねえ仕事だよ……」

 

 自慢のヒゲのペイントを揺らすように楽しそうに笑うアルゴにため息をつきながら、少し納得してしまうのも事実だ。情報の売買ってのはやってみると本当に奥が深い。特にアルゴの数分雑談しただけで情報をぶっこ抜く技術を最初に見たときは感動ものだった。

 ――鼠と五分雑談をすると、百コル分の情報を抜かれるぞ。

 どっかのプレイヤーがそんなことを言っているのを聞いたことがあるが、あながち間違いではないだろう。アルゴは否定していたが、真偽が定かではない情報で商売をしないだけで、金になりうる情報の種は得ているのだから。

 情報屋補佐をやっていて本当によかった。やっていない状態でアルゴと知り合っていたら、対人能力のない俺なんてごっそり情報と金を奪われていたことだろう。

 

「情報を売れば『その情報を誰それが買った』って情報が手に入ル! 案外そういう情報の方が売れるからナ!」

 

「お前、ほんと楽しそうね」

 

 いや、確かに事実だし、新しい情報が思いのほか売れるとちょっとテンション上がるんだけどさ。たぶんある程度ゲームが進行したら人間関係ネタとかが急速に需要を持つと踏んでいる。今のうちに集めておくといい金になりそうだ。あれ、俺アルゴにだいぶ毒されてない?

 

「そういヤ、キリトはこの後どうするんダ? オイラたちこの先のセーフゾーンで休憩する予定なんだケド」

 

「…………そういえばもう昼どきか」

 

 キリトは少し考えるようなポーズを取るが、俺には分かる。今こいつの頭の中ではいかに俺たちと別れるかを考えているはずだ。アルゴという既知の人間がいるとは言え、俺たち三人は初対面。最前線にソロでいるようなプレイヤーが警戒しないはずがない。俺なら「あれがあれであれだから」と考えることすらなく華麗に撤退しているところだ。あれ? 過去にその言い訳で華麗に撤退できたことがない気がするんだが?

 まあ、俺が分かるということは、八幡検定免許皆伝なマチや会長になって以来人間関係スキルがさらに強化されたイロハが分からないわけがないわけで。

 

「他の三人はなんだかんだニュービーだからナ。色々話も聞きたいだろうシ」

 

「キリト君! さっきの『ホリゾンタル』すごい速くなかった!? どうやったの!?」

 

「マチも、色々お話聞いてみたいんだよねー!」

 

 さらに鼠のアシストを交えた女性プレイヤージェットストリームアタックを回避することはかなり難しいわけで。

 

「え、えっと……」

 

「ささっ! セーフゾーンはすぐそこだよ!」

 

「お弁当もあるから、一緒に食べよ!」

 

「あ、あの…………はい……」

 

 なし崩し的に同行することになったようだ。いやまあ、中学生があの二人から逃げるとか無理だろうなぁ。俺も妹と本性知ってる後輩じゃなかったら逃げられないだろうし。いや、今現在でも逃げられないけどさ。

 それにしても……。

 

「ン? どうしタ?」

 

「いや、お前が同行を提案するなんて珍しいと思ってな」

 

 情報屋は信頼が命。そのためもあって、アルゴは取引相手とだいぶ良好な関係を築いている。

 しかし、俺たち以外に曲がりなりにもパーティを組もうと提案するプレイヤーは一人もいなかった。それがあの少年剣士に対してはやけにべったりだと感じたことも含めての“珍しい”。

 俺の質問に対して、アルゴは「大したことじゃないサ」と小さく肩をすくめて見せた。

 

「ああいう子は見ていて危なっかしくてナ。ハッチたちみたいについオネーサンは構いたくなっちゃうんだヨ」

 

「……俺たちと比較されても困るんだが」

 

 だがなるほど。割とパーティを組んでいることが多い前線メンバーの中でソロ。しかも、アルゴが「ニュービー」と口にしたときに一瞬見せた陰り。確かに力強い剣閃とは対比するように、マチたちに押されている背中は心許なく見えた。

 

「不満だったカ?」

 

「……別に」

 

 世話焼きな年長者にため息をつきながら、俺たちも三人の後を追った。




 前回の投稿後、がっつり風邪引いて寝込みました。どうも。

 というわけで今回ようやくキリトくんの登場回でした。主人公なのに全然出せなくてごめんね……。
 もうちょっとマチとイロハのセリフを多くしてもよかったかなーと思うんですが、なかなか難しく……五人同時に動かすの難しいですね。要勉強箇所です。

 それでは今日はこの辺で。
 ではでは。


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迷宮の流れ星

「それにしても、やっぱりキリトくんのソードスキルわたしのより速かったよね。ステータスの違い?」

 

「あ、えっと……その……」

 

 猪肉のサンドイッチを頬張りながらイロハがキリトに尋ねる。元々コミュ力の塊な上に、こと対男子スキルなら右に出るものがいないまである彼女に覗き込まれるように近づかれて、珍しそうに渡されたサンドイッチを眺めていたキリトがそっぽを向いてどもる。まあ、こいつが中学生だとしたらイロハもマチも年上のお姉さんだからな。動揺してしまうのも致し方あるまい。

 ただ、イロハの質問も最もだ。この一月あまり『ホリゾンタル』なんかの片手用直剣ソードスキルを間近で見てきたが、キリトのそれは今まで見てきたものより速い、というか重く見えた。ステータスの敏捷値によって多少剣速は速くなるらしいのだが、第一階層のステータス差であそこまで露骨に変わるだろうか。

 キリトは幾許かどうしたものかと悩んでいたが、やがて諦めたように息を漏らした。

 

「……ソードスキルの軌道に合わせて自分の力でも振ってるんだ」

 

「自分で?」

 

「システムアシストがあるのに?」

 

 コテンと首を傾げるあざとシスターズにまたキリトがたじろぐ。あれかな、現実の頃の俺もあんな感じだったのかな。

 モゴモゴと言葉になっていない声を漏らす少年剣士に変わって、うちの情報担当が説明を引き継ぐ。

 

「システムアシストにさらに自発的運動を追加することデ、スピードや威力を上乗せすることができるンダ。というカ、ハッチも割とやってるダロ」

 

「え、マジで?」

 

 確かにソードスキル自体にもだいぶ慣れてきたせいか、そういうことをしていた気もしなくもない。相変わらずメイス使いに合わないし、ほぼ無意識でやっていたからまったく気づかなかった。

 

「……まあ、そういうことだ。未知のダンジョンであんまり多用するのはお勧めしないけど」

 

「? なんで?」

 

 頭にクエスチョンマークを浮かべているイロハたちに再起動したキリトが説明する。

 ソードスキルを実質的に強化することができるこの技術だが、注意するべき点が存在するようだ。まず第一に自分の力でスイングをして実際のソードスキルの軌道からズレてしまった場合。ソードスキルが続行不可能になると起動していたスキルがキャンセルを受けてしまう上に直後からスキル硬直が発生する。ソロプレイでそんなミスを起こしてしまえば即死しかねない状況に陥ってしまうだろう。

 第二に精神力の問題だ。そもそもソードスキル自体、発動に多少の集中力を使う。そこにさらに自身の手を加えるとなれば余計に集中力をすり減らすことになってしまう。

 集中力、精神力の摩耗は普段しないような判断ミスを引き起こす要因になりうる。さらに無理をすれば最悪アバターのブラックアウト、気絶という状況だってありうるのだ。根本の原因は別とは言え――今更思い返してみると、あの頃からソードスキルに自分の力を上乗せしていた気がしなくもないが――気絶した経験を思い出して、思わず顔をしかめてしまった。

 いずれにしても、キリトの言うように未知のダンジョンで毎回のように力の上乗せをするのは得策ではないだろう。迷宮区にしても全二十階層。十八階層であるここからだと『トールバーナ』に帰るだけでも一時間ほどかかるし、帰りの体力も考えて行動するべきだな。

 

「なるほど。イロハさん、あとで練習してみましょうよ!」

 

「そうだね。もうすぐボス戦もあるから技術は持っておくに越したことないし」

 

「ま、無理しないレベルで頑張って。頭数が減ってもらっても困るしね」

 

 どこか精神的に離れるように話を切ったキリトはずっと手に持っていたサンドイッチを口に運び――

 

「……うまい」

 

 その瞬間、イロハが最高にいい笑顔になったのは言うまでもない。

 

 

     ***

 

 

 お互いまだ探索をするということで一緒に行動――パーティを組んだわけではない――を始めた俺たちは特に敵に遭遇することなく十八階の探索終了。時間を見て、十九階の探索に入ろうということで階段を上った。

 

「…………」

 

 チラリと俺の隣、位置的にはパーティのしんがりを歩く少年剣士を横目で盗み見る。恐らくMMORPG慣れしているのだろう。即席で入っているというのに妙な安定感がある。

 しかし――それはあくまで形だけだ。マチやイロハが話しかければ少々ドモりながらも答える。必要なら連携もする。だが、そこにはどこか距離があるような、明確に一線を引かれているように感じた。

 まあ、ここまでずっとソロで戦っているプレイヤーだ。本来の俺のようにMMORPGというパーティプレイ前提のゲームですらひたすら一人でやりたいと思う人間かもしれない。

 もしも何かソロでやっている原因があるとして、それこそ俺には関係ないし、興味もない。一人で暴走した結果俺たちを危険に巻き込んだり、こいつが死んだりして攻略の戦力を削られるならともかく、悩んでいるだけなら俺の気にするところではない。

 

「「…………」」

 

 キリトも分かっているのだろう。故にこそ、俺たちの間に余計な会話は存在しなかった。

 

「あれ……?」

 

 先頭を歩いていたイロハがぽやっとした声を漏らしながら止まったので、俺も立ち止まりながら腰の武器に手を添える。しかし、いつまで経ってもイロハは武器を構えないし、微妙に緊張感の抜けた顔を曲がり角の先に向けているだけだ。

 さすがに一ヶ月もデスゲームで前線を張っているうちのタンク(見習い)が敵を前にしてそんな気の抜けた表情をするとは思えない。考えられるのは他プレイヤーと遭遇したとかだろう。

 そう結論付けて状況把握のために自分も曲がり角から顔を覗かせて――

 

 

 目に入ったのは、暗いダンジョンの中に輝く流星だった。

 

 

 流れ星なんてそう何度も見たことはない。たぶん、記憶にあるのは中学生活も折り返したくらいの頃に見たやつだけ。自宅で小町とテレビゲームに興じていた時、ふと出窓から外を眺めたタイミングでまるで見計らっていたかのように群青じみた夜空から零れ落ちた一筋の閃光。俺と同じようにその光の流動を見とがめた小町は「お兄ちゃんに友達ができますように」とか怒るを通り越して笑ってしまいそうになるお願いをしていたが、俺は願い事なんて考えることすらなく、ただただいつも通りの空を一瞬にして名画に仕立て上げた光に目を奪われていた。

 あの時と同じ色、同じ速度の流星に、あの時と同じように一瞬心を奪われてしまう。

 けれど、それも一瞬。プログラムによって投影された世界の、それも迷宮の中で流れ星など見れるはずもないと頭が急速に醒める。改めて見れば光の正体は視線の先、広間でコボルトと戦っている細剣使いのソードスキルの光――アルゴ製攻略本の記述によれば『リニアー』という技――だった。

 それにしても、本当に速い。確かに細剣はカテゴリーとして剣速の速い武器だが、一ヶ月この世界で生きてきて、ソードスキル特有のライトエフェクトが描く軌跡しか視認できなかったことは一度だってなかった。キリトのソードスキルだって確かに速かったが、さすがにソードスキルを発動させる『アニールブレード』の刃が見えないことはなかったのだから、目の前で一人でコボルトの相手をする細剣使いは相当の使い手と言っていいだろう。システムアシストに頼るだけでなく、自分自身の自発的運動でブーストをかけていることは明白だった。

 

「…………すごい」

 

 感嘆のように漏らしたマチの声が、その洗練された技の完成度を端的に表している。コボルトの攻撃を最低限の動きで回避するステップも一切の無駄を削り落として最適化したような動きだ。さっき自分でもステップ回避はしていたが、安全のためにももう少し回避行動は大きかった。

 当然、それだけすごい動きを見せられたら「こいつも元βテスターだろうか」と誰もが考えるだろう。今俺たちのいる浮遊城とは少し違う、二ヶ月間だけ存在したアインクラッド。そこで毎日のように己の剣を磨いていた剣士であると。そもそも相当な実力者でなければ、変更も多々存在するこの世界の最前線でソロプレイなどしないだろうと。だから俺も、最初はそいつが元βテスターだとほぼ確信していた。

 

「…………?」

 

 しかし、コボルトの攻撃を三回躱して二回目の『リニアー』を細剣使いが放つ頃、俺の確信は揺らぎ始める。

 確かにシンプルな単発突きの『リニアー』もステップ回避もまるで無駄が存在しない。現SAO内トップクラスの戦闘技術と言って過言ではないだろう。驚愕に値するほどの安定感だ。

 それなのに、フードに覆われて表情の見えないその姿からは一切の余裕が感じ取れない。視認できる細剣使いのHPはほぼフルだというのに、まるであと一撃でポリゴン片となって砕け散りそうな危うさすらあった。

 ちぐはぐなプレイスキルと危うさにモヤモヤしている中、再びレイピアを構えた剣士は手斧の攻撃をギリギリの動きで三回回避して――HPの残りがわずかだったコボルトの胸当ての中心に光の軌跡しか見えない『リニアー』を叩き込んだ。HPゲージの端っこをわずかに染めていた赤がごっそり削り落とされた『ルインコボルト・トルーパー』はポリゴンとなって薄暗いダンジョンに弾ける。

 

「……まさか」

 

 隣でボソリと呟いたキリトはたっぷり五秒ほど思案してから、イロハたちの前に出て広間へと近づいていく。どうやらコンタクトを取るつもりのようだ。

 俺たちはどうするか。アルゴに視線を向けると顎に軽く手を添えた鼠は残りの二人に視線を投げる。それに合わせて視線をパーティメンバーに移し、二人の眼を見て……喉の奥で気づかれないようにため息を押し殺した。

 二人の眼にはかすかな遠慮、そしてそれでは押し隠せないほどの心配が溢れていた。こいつらだってこの一ヶ月デスゲームの最前線を戦ってきて、あのプレイヤーに違和感を覚えているのだろう。このまま放っておく気になれないからこその心配の色。遠慮は……たぶん俺に対してだ。そうさせていると自覚しているのに何もしない自分に吐き気がする。

 

「……行くぞ」

 

 小さい声で返した言葉は彼女たちの耳にちゃんと届いたようで、表情を和らげるとキリトの後を追いかけていく。もう一度口の中でため息のできそこないを漏らしながら、俺も広間に足を進める。

 

「さっきのはオーバーキルすぎるよ」

 

 広間の壁を背もたれにしてへたりこんだそいつの装備がある程度細かく見えるところまで来たとき、キリトが恐らくさっきの戦闘の率直な感想を投げかけた。既に集まっているマチたちとの距離を詰める中で細剣使いを注視すると、わずかにフードを引き上げてキリトを覗くかすかにデジタルチックな双眸が目に入る。

 そしてその目が何を言われたのか全く分からないと訴えかけているのを視認した時、俺は今度こそ確信した。

 このプレイヤーは元βテスターではない。いや、それどころかこのゲームに多数存在するであろう廃人ゲーマーですらない。過剰なダメージを与える“オーバーキル”は確かにゲーム用語ではあるが、昨今漫画やラノベなんかでもよく目にする単語だ。

 それを知らないということは、ゲームはおろか似た系統の娯楽にほとんど触れていない人間ということになる。

 なぜそんなプレイヤーがこんな前線に、しかも一人でいるのか。いや、確かに俺も最初はそうしようと思っていたわけだが、実際にそんなプレイヤーを目にすると驚きを隠せない。

 

「……過剰で、なにが悪いの?」

 

 そしてさらに、その希少な存在が声色からして明らかに一層希少な“女性”であることに、その場の全員が雷に打たれたような衝撃を受けた。

 マチやイロハ、アルゴと行動を共にしているせいでたまに忘れてしまいそうになるが、SAOにおいて女性プレイヤーはただでさえ少ない。『始まりの街』で全員の見た目性別が現実と同期した段階で、ざっと見た男女比は20:1。しかも前線でゲームクリアのために戦っている女性プレイヤーなんて、情報屋補佐をやっていても四人程度しか目にしたことがないのだ。

 ましてニュービーの、いや知識で言えばニュービーとすら呼べない女性ソロプレイヤーなんて……。

 

「……別に過剰に攻撃してもデメリットやペナルティはないけど、効率は良くないよ」

 

 相手が女性だと知ってたじろいだキリトだったが、迷いながらも説明を始めた。帰り道にもかなりの時間がかかる迷宮区最奥ともなれば、その間の戦闘も避けられない。通常攻撃で十分倒せるHPだったコボルトにわざわざ集中力を消耗するソードスキルを使用するのは、長期的に見ればデメリットだ。いや、夜な夜な――今でもたまに――戦闘を繰り返している俺が言えたことではないんだが。

 説明している間、少しずつキリトの表情が固くなる。不安が混じっていると言った方が正しいだろうか。相手は曲がりなりにも最前線で戦っているプレイヤーだ。だいぶ長くレクチャーしていたし、これが普通のプレイヤーだったら「ベラベラ語ってんじゃねえよ。こっちの勝手だろ」くらい言われかねないだろうからこその“不安”だと思うが。まあ、ついそうしてしまうくらいさっきの戦闘が危なっかしく見えたということか。

 

「疲れてくればミスが増える。見たところあんたはソロみたいだし、小さなミスが命取りになっちまうから、なるべく疲れない戦い方をしたほうがいい」

 

 拒絶の言葉に備えているのか額に脂汗――恐らくは感情エフェクト――を滲ませているキリトをフード越しに覗き込んでいた細剣使いは、壁に全体重をかけるように座り直すと首を小さく横に振った。

 

「それなら問題ないわ。わたし、帰らないから」

 

「「……は?」」

 

 その返しに、さっきまでずっと閉ざしていた自分の口からなんとも間抜けな声が漏れ出して、キリトのそれと重なった。フードの陰に光る二つの瞳が俺にも向けられるが、取り繕おうという考えすら存在しない。

 

「か、帰らないって……町に? ポーションの補充とか、装備の修繕とか……睡眠はどうするんだよ……」

 

 さっきまでの――一応上辺は――上級プレイヤー然とした余裕が動揺にだいぶかき消されてしまったキリトの質問に、彼女は何でもないと言わんばかりに首をすくめる。

 

「ダメージを受けなければ薬はいらないし、武器は同じのを五本買ってきた。休憩は、近くの安全地帯で取ってるし」

 

 ……彼女の回答に一切の虚偽がないとすれば、確かに理論上は可能だ。さっきの戦法で一切ダメージを受けないというのなら確かにポーションや防具の修繕は必要ないし、市販の武器を複数買って使い潰すのなら武器の修繕もいらない。安全地帯にはモンスターも入ってこないから、一応睡眠も……。

 ――いや、無理だろ。

 安全地帯と言っても敵が入ってこないだけで足音や呻き声が絶え間なく聞こえてくるし、そもそも寝るための環境が存在しない。できて浅い仮眠がいいところだ。

 

「……何時間、続けてるんだ?」

 

「三日か、四日……?」

 

 そんな生活を続けていればどうなるか、俺は自分の身体で経験している。それも、あの時の俺よりも悪環境、強敵のいる場所で続けていたら――

 

「そんな戦い方してたら……死ぬぞ」

 

 自分でも驚くほど色のない声に全員の視線が俺に集まった。レイピア使いも射貫くように睨みつけてきたが、たぶん睨み返しているであろう俺を見て、そっと顔を伏せる。

 

「……どうせ、みんな死ぬのよ」

 

 まるで全部を諦めたような目に、最悪の結末を決めつけるその言葉に……うなじの毛が総毛だつようなざわめきを覚えた。

 この一月で全体の1/5、二千人ものプレイヤーが死んだ。まだ第一階層にもかかわらずだ。単純にその情報だけを聞けば、ゲームクリアする頃には何十人、いや何人残っているのだろうか。そもそも、クリア自体されるのだろうかと考える人間が多いのは間違いない。

 しかし、それならどうして……。

 

「ならなんで、お前はこんなところでゲーム攻略に参加してんだよ」

 

 デスゲームの最前線、この理不尽な牢獄から抜け出そうと戦っている人間たちの中になぜこの少女は一人で身を投じているのか。

 

「…………どうせゲームクリアなんて不可能だもの。それならどこでどんな風に死のうと、わたしの勝手……」

 

「……っ」

 

 全身の毛という毛が逆立つほどの寒気を、恐らくは精神的な寒気を覚えた。彼女の言葉に一種の恐怖を感じたのか、それとも心の奥でそんなことをのたまう少女を馬鹿にしたからなのかは俺自身分からない。

 ただ分かったことは、この細剣使いが“死に場所”を求めているということだった。死ぬために最前線で満足な休息も取らずにレイピアを振るい続けている。理不尽に打ち勝つためではなく、理不尽を終わらせるために。

 ――ふざけるな。

 氷点下に達するほどシンと凍った心に湧き上がったのは、あまりにもシンプルな感想だった。

 どこでどう死のうがこいつの勝手。確かにそうだ。こいつの生き方を、こいつの死に方を、ついさっき会ったばかりの俺がどうこう言う資格はない。――本来ならば。

 

「ふざけんなよ――!」

 

 さっきまで凍っていた心は、一瞬にして燃え尽きんばかりに熱を持った。前にいたキリトを押しのけ、力任せにフードの襟を掴もうと手を伸ばして――

 

「お兄ちゃん!」

 

「せんぱい!」

 

 その腕を二人に捕まれてハッと我に返った。視界の端でキリトが心底驚いた顔をしていて、熱くなった頭がスッと冷めていく。

 

「ハッチ……この嬢ちゃん、もう気絶してるゾ」

 

 いつの間にかそばに寄っていたアルゴの隣で、壁にもたれた細剣使いは力なく頭を垂れていた。オーバーワークによる仮想世界でのブラックアウト。俺はあの時一瞬の気絶だったが、たぶんしばらくは目を覚まさないだろう。

 

「……くそっ」

 

 行き場を失った憤りは、喉奥を鳴らすような声になって、広間の中に溶け落ちていった。




 アスナ登場回でした。初期のクールビューティアスナも良さありますよね。割と速攻でツンデレにジョブチェンジして、デスゲーム後半にはあまデレにクラスアップしますけど。
 原作通りの八幡だったらまた違う邂逅もありかなーと思ったりしました。この八幡だと攻略理由が理由なので、パッと見敵対みたいな感じになっちゃいましたけど。

 そろそろ第一階層ボス戦ですが、シリーズ的にも割と重要なところなので慎重にお話を練っています。まあ、作戦会議の前にもう一話くらい挟むと思うんですが、そろそろ他のSSにも取り掛かりたい感があるので、ちょっと更新が遅れるかもしれません。

 それでは今日はこの辺で。
 ではでは。


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情報屋の流儀

「……なんでそいつを助けるんだ?」

 

 俺、今からこのプレイヤーを街まで運ぶからここ抜けるけど、アルゴたちはどうする? という少年剣士の言葉に、思わず問いかけてしまった俺の言葉だ。迷宮区で気絶した自殺志願者のプレイヤー。それをわざわざ助ける理由がこいつにあるのか、と。

 周辺のモンスターがこちらに来ていないかと首を回す視界の端で、キリトは少し驚きながらも苦笑を漏らす。

 

「別に人助けとか、そんなんじゃないさ。もっと自分勝手な理由だよ」

 

「…………」

 

 かすかに歪んだその表情に、思わず視線を戻す。デジタルポリゴンに現実体を再構築されたはずの少年の表情からは、正確な情報を読み取ることはできない。嘘をついているようにも見えるし、ついていないようにも見える。その答えから俺自身の結論を導き出すことは難しい。

 だから結局のところ、自分自身の行動は自分自身の考えで決めるしかなかった。

 

「……俺が運ぶ。お前より筋力値は高いだろ」

 

 深く息をついて気を失ったフェンサーに近づく俺に、再度キリトは驚いた顔をして見せた。大方、さっきまでの俺を見て放っておくだろうと思っていたのだろう。

 まあ、それも当然選択肢には入っていたわけだが――

 

「助けるとかそんなんじゃねえよ。お前と同じ、もっと自分勝手な理由だ」

 

「そうか……」

 

 自嘲気味に嗤うとキリトは多少納得したように頷く。

 その奥で、三人が複雑な表情をしていることには――気づかないふりをした。

 

 

 

 まあそんなわけで運搬役を担当することになったのだが、いくら筋力値が最も高いとは言っても、重量制限が厳密に設定されているSAOで人一人を運搬することは難しい。まして相手は三日か四日ろくな休憩も取らずにMobを狩り続けていたプレイヤー、アバター重量だけでなく所持アイテム重量も相当なものだろう。

 実際に試してみたが、かろうじておぶれただけで中腰状態のまま一歩も歩けなかった。運搬用アイテムである『担架』があれば複数人での運搬も可能らしいが、あいにくまだ入手はできない。

 そんな状態で、ならばどういう手段を取ったかというと……。

 

「こうして見ると、お兄ちゃんっていうよりも鬼いちゃんだね」

 

「俺はどこぞのロリコン吸血鬼もどきじゃないんだが……」

 

 持ち上げるのではなく、引きずって運ぶという方法だ。キリトが野宿用に所持していた一人用寝袋に細剣使いを放り込み、それをズルズルと引きずっていく。引っ張っている間は過重量を知らせるアラートが鳴ってうるさいのだが、一応運搬はできていると言える。

 

「ま、本人には絶対に言えないな、これ」

 

「そうだな。そもそも目が覚めたら真っ先に恨み言言われそうだ」

 

 面倒なことを任せた負い目があるのか、この運搬方法を提案したソードマンは頬を掻いている。

 

「……だろうな」

 

 ちらりと寝袋からフードに覆われた顔だけを覗かせて浅い寝息を立てているプレイヤーを見て、息を吐き出すように短く答えた。

 意識が途切れた瞬間、たぶんこいつは自分の死を、望んでいた死を自覚したはずだ。それが死んでいない上に迷宮区からも脱出していたとなれば、憤慨すらしかねない。しかもこんなやり方でだと知ったら、PKも辞さないだろう。もしやってきたら全力で逃げるけど。

 それにしても……。

 

「不思議なヤツだよナ。すぐにでも死にそうなのニ、死なナイ。あれだけ熟練した技を持っているのニ、どう見てもネトゲ、いやゲーム初心者ダ」

 

 口ぶりからして、アルゴは前からこいつのことを知っていたのだろう。前からそうではあったが、最近は特に彼女が一人で行動する時間も増えた。その時に情報を手に入れたってところか。

 確かに恐ろしい強さだ。まさに流星と言うべき速度のソードスキルや倒れる直前までほぼノーダメージで最前線を戦い抜く技術はとてもゲーム初心者とは思えない。

 と言っても、さほど不思議な話ではないのだが。

 この世界が第二の現実と化した瞬間、強さのあり方は大きく変わった。いくらプレイヤースキルが高かろうが、人質に取られた命が致死に至る隙を容易に作ってしまう。刹那の恐怖は身体を動かせなくしてしまうには十分すぎる。

 俺だって、普通にこのデスゲームに放り込まれていたら、今頃は『はじまりの街』で一人籠っていたか、βテスト時代は復活地点だったという黒鉄宮に鎮座する『生命の碑』の自分の名前を横線で塗りつぶしていただろう。皮肉なことに、巻き込んでしまった妹と後輩を無事に現実に返すという目的が、俺の精神的支柱になっているわけだ。

 俺が二人を精神的支柱にしているように、アルゴが“情報”をなによりも重視するように、この細剣使いも何かしらの支えを持っている。ただそれだけのことだろう。

 尤も、その何かを知る気はないから至極どうでもいいのだが。

 

「あ、見えてきましたよ!」

 

 イロハの声に顔を上げると、直線の先がうっすらと白んでいて、思わず目を細めた。最低限の光量しか確保されていない迷宮区に慣れると外の光は嫌になるほど明るい。光量差のせいで目が潰れそうになるのを茅場には何とかしてほしい。危うく迷宮区に住むことを考え……はさすがにしないけど。

 それにしても――警告アラートがうるさい。早く外に出よう。

 

 

     ***

 

 

「……余計なことを」

 

 迷宮区の入り口脇で目を覚ました彼女の第一声である。予想通り過ぎて反応する気にもならんわけで、キリトたちが反応する中、本をオブジェクト化してパラパラとめくっていた。もちろん意識だけは向けている。キリトにも言ったように“自分勝手な理由”があるしな。

 迷宮区周辺のフィールドにはアクティブモンスターがいない。これ以上はさすがにだるかったし、警告アラートがうっとうしかったので迷宮区を出てすぐに寝袋からプレイヤーを適当な草地に転がしたわけだが、当然相手からしたら“余計なお世話”ってやつなわけだ。

 彼女の視線がキリトからアルゴ、イロハ、マチと移っていき、自分に向けられたのが分かった。さて、どう話したものかと本を閉じてストレージにしまっていると、近くに生えていた木の幹に背中を預けていたキリトがシニカルな笑いを漏らして視線を集めた。

 

「別に、あんたを助けたわけじゃないさ。数日迷宮区に籠って未踏破エリアを埋めたはずのマップデータがあんたと一緒に消えるのがもったいなくてね」

 

 首をすくめて合理的な理由を挙げる剣士にフェンサーは呆然とする。

 ……へえ、そんな顔も一応できるんだな。

 

「――そんなに欲しいのならあげるわよ」

 

 しかしそれも一瞬で、すぐに表情を引き締めると若干たどたどしい動きでウインドウを操作。しばらくすると十九階層のマップが書き込まれているらしい羊皮紙をオブジェクト化してキリトに投げ渡した。

 合理的で効率的で非人情的。キリトの言い分はそういうものだ。皆で頑張ろうだのというなれあい――葉山に言ったら対立してきそうだが――をここで持ち出さない点は好感が持てないでもない。

 ――それが本心なら、だが。

 

「……これで満足でしょ? じゃあ、私行くから」

 

 居心地悪そうに吐き捨ててフードをさらに目深に下げた細剣使いは立ち上がる。顔を迷宮区の入り口に向けているということは、また戻って戦おうなんて考えているのだろうか。

 

「おい」

 

「……なに?」

 

 気持ち低めの声をかけると、少し間を置いて振り返ってくる。フードを被っていなければ射貫くような目を見ることになっていたかもしれない。顔自体を見たことがないから想像もできないわけだが、今はそんなことどうでもいい。

 

「また戻るのか?」

 

「そうよ」

 

「死ぬために?」

 

「わたしたちはこの世界でいつか死ぬ。私がどこでどうやって死のうが、あなたに関係はないでしょ」

 

 確かにそうだな、と漏らした俺に彼女はキリトに一瞬だけ向けたのと同じように呆けた表情――顔の下半分だけしか見えないので恐らくだが――になる。

 システムの枠を超えそうな剣速もさることながら、あんな危険なプレイをしていれば嫌でも目につく。たぶん今までも声をかけてきたプレイヤーがいたのだろう。女性で、それも死ぬために戦っていると分かれば説得やパーティに誘うのが普通、だろうか。だからキリトのように非情な理由で助けたり、俺のように突き放す反応は拍子抜けなのだろう。

 ただまあ――

 

「そういうことなら、放っておくわけにはいかねえかな」

 

 腰のメイスに手をかけるとマチとイロハの表情が強張る。なにか言おうとその口が開く前に視線で制すと、自然とこの場で口を開くのは一人になった。

 

「……私がどこでどうやって死のうがあなたには関係ない。あなたも同意したはずだけど?」

 

「ああ。確かに同意した。この世界でどう生きようがどう死のうがお前の勝手だ。そういう意味じゃ、お前が倒れる前の俺の言動は言い過ぎだった」

 

 そもそも俺はマチとイロハを現実に帰すことができればそれでいいのだ。たとえこのゲームの虜囚の九十九パーセントが死のうが、最後の生き残りに二人がいればそれでいい。それ以外の他人なんてどうなろうが関係ない。

 だから、今回に関してもこいつが死ぬのが嫌だとか悲しいだとか、そんな理由ではないのだ。

 

「お前が最前線で戦ってきた以上、死ぬことは俺が許さねえ」

 

 何を勝手な。

 きっと相手はそう思っているだろう。実にその通りだ。こいつを運び出す前にキリトに言ったように、純度百パーセントの自分勝手な理由。だが、俺の目的の前では絶対に譲れない理由だ。

 

「お前、ゲーム初心者みたいだけど、倒した敵が復活するまでに時間がかかるってのは体感してるだろ?」

 

「…………」

 

 無言のままコクリと頷いた彼女を見て、アルゴは俺の言いたいことが分かったのか小さくため息を吐いた。それを横目に見つつ、言葉を続ける。

 

「このゲームに限らず、MMORPGってのはリソースの奪い合いだ。だから俺たちも含めて最前線プレイヤーは前へ前へ攻略場所を進めていく。時間に対する経験値リソースは有限。そして現状一番効率のいい狩り場が……」

 

「……迷宮区」

 

 分かってるじゃねえか。いや、俺の言動から推察したのかもしれないが。

 迷宮区の十九階層。そこでろくな休息も取らずに戦い続けるには、プレイヤースキルもさることながらある程度のレベルも必要なはずだ。四日も戦い続けていたのなら、レベルは余裕で二桁に到達しているだろう。第一階層攻略の安全マージンとされるレベル11、それ以上と見てもいいだろう。

 それだけの経験値を、こいつはこの一ヶ月“奪って”きたのだ。

 

「お前が迷宮区で戦わなければ、その分他の奴が強くなった。ボス戦も近い中で、お前はその“他の奴”の邪魔をしてんだよ」

 

 有限のリソースを互いに奪いながら、しかし同じ“クリア”を目標に戦っている。

 その中で一人だけ“死のう”としながら経験値を得ているなんて、荒らし行為にすら等しい。俺からすれば明確に敵だ。

 

「ここで経験値を得た以上、お前にはボス攻略に挑む義務がある。死ぬならここのボスを倒してから、最前線じゃないどっかで勝手に死ね」

 

「…………っ」

 

 ギリッと音が聞こえそうなほど奥歯を噛みしめた少女は、言葉を発することなく立ち尽くす。

 俺が言ったことは本当にただただ自分勝手な理由だ。勝手に自分の考えた義務を押し付けるなと突っぱねることだって容易だし、それで今度こそ迷宮区に戻ろうとしたら、俺はそれを止めないだろう。ボス攻略の戦力は落ちてしまうが、本物の自殺志願者なんていざというとき当てにならない。

 けれど、ここで歩を進めないということは……。

 

「あのぉ……」

 

 そこまで思考を巡らせたところで恐る恐るといった風に声を出したのはマチだった。チリついた空気に耐えられなかったのか、自分と同じ女性プレイヤーの声に気が揺れたのか顔を向ける彼女に、妹はフードを下ろして気恥ずかしそうに頬を掻きながらはにかんだ。

 

「“死ぬために”って言ってますけど、ダメージ覚悟の捨て身な戦い方をしていないってことは、攻略する気がないわけじゃないんですよね?」

 

「それは……まあ」

 

 歯切れ悪く肯定するその声色にはあまり現実味がない。一ヶ月で未だ第一階層もクリアされていない現状を考えると“攻略”という言葉を実感できないのか。その漏れたような肯定が嘘でないのなら、一応攻略するつもりはあるらしい。

 

「それなら、今から迷宮区に行くよりも有意義なことがありますよ!」

 

「有意義……?」

 

「この後、『トールバーナ』で攻略会議があるんダ。ボスはパーティプレイじゃないと倒せないかラ、ボス攻略に参加するつもりなら顔を出しといたほうがいいゾ」

 

 当然というかなんというか、俺たちよりも攻略の早いプレイヤーはいる。今回行われる“第一階層ボス攻略会議”は、そんなプレイヤーの一人から知らされたものだ。情報屋として簡易メッセージで会議の話を知らされ、アルゴと一緒に『トールバーナ』の掲示板と有力プレイヤーへメッセージを送って拡散した。二日前に出た話だから、ずっと迷宮区に籠っていたこいつは知らなかったのだろう。マチとアルゴの話を聞いて「それじゃあ」と参加の意思を示した。

 

「よシ! そうと決まれば善は急げダ!」

 

「レッツゴー!」

 

「えっ、ちょっと!?」

 

 二人に手を引かれて有無を言う暇もなく細剣使いは連行されていく。一瞬マチがこちらをチラリと見てきたがそれには何も言わず、立ち上がって三人の後に続いた。有力プレイヤーの一人たるキリトも目的は同じなので、このまま同行することにしたらしい。

 

「せんぱい、その……」

 

 先行する三人の数歩後ろを歩くキリトよりもさらに後ろをついていっていると、イロハが隣を歩きながらもごもごと小さく口を動かす。隠そうとしていても表情に出てしまうのか心配そうに眉を歪めている。

 

「別に気にすんな。言いたいこと言っただけなんだから」

 

「それはその………わたしは大丈夫、ですけど……」

 

 チラリと視線を向ける先にいるのは楽しそうに細剣使いに話しかけているマチ。いや、正確には自分のペースに巻き込むために話しかけ続けているといったところだろうか。その表情に、一見曇りはない。

 だけど――

 

「……分かってるよ」

 

 あの時一瞬あいつが見せた顔。それに思うところがないわけではない。悲しそうな、けれどまだ何かにすがっているような曖昧なそれは、どこか彼女を思い起こさせてきて、胸の奥にモヤモヤとした何かを重く重く溜めていく。

 一度切り捨てたはずのそれは、何一つ切り捨ててはいなくて……。

 

「ま、それはおいおい何とかするさ。まずはボス戦だ」

 

 いい加減、百個ある牢獄の錠の一つを落としてやらないと気が滅入っちまう。

 暗い感情などおくびにも出さずに、フード越しの頭に手を乗せて軽く撫でる。

 隣を歩く彼女がどんな顔をしているのかから目をそらしながら。

 

 

     ***

 

 

 『トールバーナ』に足を踏み入れると【INNER AREA】という表示が視界に映り、安全圏内に入ったことを知らせてきた。その表示がフェードアウトしたのを確認して、ようやく内心息をつく。

 街や村、一部例外地域に設定された『アンチクリミナルコード有効圏内』、通称『圏内』ではダメージを負うことはなく、貫通武器や部位欠損、毒などのスリップダメージも止まる。いつかこの設定がなくなる可能性は十二分にあるが、とりあえず今はある程度気を抜くことのできる場所だ。

 

「…………」

 

 まだ俺の隣を歩いていたイロハに視線でマチたちのところに行くように促すと、少しためらいながらも駆けていった。

 別にあいつを邪険に扱ったわけではない。ただ、コソコソと隠れている“ある人物”は俺の近くに人がいると出てこないらしい。

 いや、あれは隠れているって言わねえな。街に入った瞬間俺も気がついたし、聞き耳を立てて聞いてくださいみたいな音量で俺のことを呼ぶから無視しようにも鬱陶しくて仕方がない。半ば無意識に聞き耳を立てて音を拾ってしまう俺も俺だが、こちらが折れるまでそれをやめようとしないあの人もあの人だ。リアルでは友達がいないに違いない。俺が言えた義理ではないが。

 

「ハチ君、遅いよ……」

 

「むしろ早かったでしょうが……」

 

 民家の間の小道に入ったタイミングで声をかけてきたのは細身の青年。おかっぱの髪を途中のクエストで手に入れた髪染めアイテムで暗い青に染めた彼は、名前を【A.C】言う。何かのイニシャルなのかもしれないが、周りからは【エーシー】だったり【アンサー】だったりと呼ばれている。ちなみに俺は【エーシー】呼び。

 

「別にあいつらも情報屋に関しては知ってるんですから、普通に来ればいいでしょ」

 

 ため息混じりに漏らすと「無茶言わないでくれ」なんて気持ち震えた声で返してきた。女性恐怖症ってのもここまで来ると重症だ。本職情報屋のアルゴではなく、補佐の俺のところに来るのもそれが理由なんだし、今のは軽口のつもりだったのだが、予想以上にダメージを与えてしまったらしい。なんかもう真っ青だし。

 

「それに、この話を人前でするにはデメリットが大きい」

 

 何もつけていない眉間に人差し指をクイッと押し当てながらA.Cさんは声のトーンを一つ落とした。

 彼が情報を“買う”目的で接触してくる場合、その内容はいつも同じだ。そして、同じ情報を何度も求めるのは、その情報を売ることを俺が拒否し続けているからに他ならない。

 

「A.Cさん、何度も言っていますけど、その情報は……」

 

「十五万コルだ」

 

「………………は?」

 

 早々に交渉決裂を提示しようとした俺の言葉を遮った単語に、思わず耳を疑ってしまった。十五万コルという金額は、この第一階層では決して安い金額ではない。レアドロップを除いた一人分の最強装備を+6まで強化してもまだおつりがくるだろう。明らかに一人で集められる金額じゃない。同じ目的を持った仲間と出し合った、ということだろうか。

 

「……そこまでして知りたいのか」

 

「ああ、知りたい。知る必要がある。βテスターたちのことを」

 

 初めて交渉してきた時からこの人の意思は一貫していた。現状前線、その周辺で戦っているβテスターと製品版からのプレイヤーが表立って協力できるようにしたい。そのために近くにいるβテスターとのコネクションが欲しい。

 

「双方が明確に協力をする体制が取れれば、今発生している溝も少しは埋まるはずなんだ」

 

 この一月で二千人弱が死んだ。自殺もさることながら、当然戦闘中の死亡も多い。俺たちも、目の前でプレイヤーが死ぬのを目にしたことはある。

 そして、プレイヤーの九割を占める新規参入者の一部は声高にこうのたまっているのだ。

 ――βテスターたちが見捨てたからニュービーが大勢死んだ。

 声高にしている人間以外にも内心そう思っているプレイヤーは多いのだろう。双方の間には深い溝ができてしまっている。

 

「この状況で互いの足を引っ張り合うなんて馬鹿げてる。早い段階で協力するようにしないと共倒れだ」

 

「……そうかもしれないな」

 

 彼の言い分には同意できる。別に誰がどうなろうが知ったことではないが、溝が明確な軋轢になって――プレイヤーキルが横行するようにでもなれば、それで攻略戦力が大幅に減ることにでもなれば、俺の目的にも大きな障害となり得る。

 最初は綺麗事を並べるだけで現実の見えていないゲーマーかと思っていたが、三顧の礼どころか十回以上交渉に来ているこの人の意思は固い。なぜそこまで、と一度聞いたことがあったが、職業柄と濁されてそれ以上は詮索しなかった。デスゲームとはいえ、リアルのことを聞くのはルール違反だ。

 だが、それだけの意思をぶつけられても。

 

「悪いが、その情報は教えられない」

 

 こちらも流儀を曲げるわけにはいかない。

 情報屋の補佐をするようになって、同じような交渉をしてくる奴には何度か会った。まあ、そいつらは彼と違って「βテスターを吊し上げるため」に情報を買いに来ていたわけだが。

 その時、アルゴは決まってその交渉をにべもなく断る。売れるものなら自分の情報すら売る彼女が、金額の提示すらなく内容を聞いた瞬間断るのだ。だから、言外に俺は彼女の情報屋としての流儀を理解した。

 

『βテスターに関する情報はその一切を売らない』

 

 それは自己保身のためか、はたまたお節介焼き故に元テスターを守ろうとしているのか。

 

「そもそも、『誰がβテスターか』なんて、本人の自己申告以外じゃ分かんないですよ」

 

 見た目やステータスでは元テスターと新規の区別はつかない。名前だって、βテスト時代と変えているプレイヤーもいるだろう。デスゲームが始まったあの日アルゴが俺たちにそうしたように、自分で申告しない限り、正確な情報は手に入らない。そもそも正確な情報を俺たちは売らない。

 

「そうか……、君たちの意思も固いんだな」

 

 肩を落としてため息をついているが、答えが分かっていたのかそこまで落ち込んだ様子ではない。

 

「すみませんね。これは本当に売るつもりはないんで」

 

 頭を小さく下げて時計を確認するとそろそろいい時間だ。集合場所の広場に向かえば、会議開始の少し前にはつけるだろう。

 前線攻略組のA.Cさんも目的地は同じということで小道から抜け出す。最初の頃は交渉の後に何かと話しかけられたが、俺があまり会話する方ではないと気づいたようで今は無言で歩くだけだ。傍から見ればたまたま同じ方向に歩いているように見えるだろう。

 

「…………」

 

 彼の目指している相互協力は確かに理想だ。一枚岩になればこのデスゲームの攻略もまた変わってくるだろう。

 しかし、それはあくまで理想。確実にそうなるなんて限らない。

 もしかしたら、もう手遅れかもしれないのだから。




 アスナとの話と情報屋の話でした。

 ちょっと一話の進行ペースが遅いなーと思いながら書いているんですが、書きたいこと書いてるから仕方ないですね。

 それでは今日はこの辺で。
 ではでは


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第一層ボス攻略会議

 四十七人。

 集合場所である『トールバーナ』の噴水広場に集まったプレイヤーの人数だ。つまり、第一階層のボス攻略に名乗りを上げた人数、ということになる。

 ざっと全員の装備を眺めた感じ――強化レベルまでは分からないが――とりあえずはそれぞれが現状最強クラスの装備をしていると言えるだろう。さすがに前線攻略までしている人間がろくな装備もしていない訳がない……。

 

「こんなに……たくさん……」

 

 ……ああ、そういえばここにいましたね。ろくな装備もしないで店売りのレイピア複数しょい込んでる人。本当にあんな技術持ってんのに知識はガバガバなんだから呆れを通り越して感嘆してしまいそうだ。いや、実際すごいことなんだけどね。

 広場の隅に腰を下ろしてぽそりと漏らした細剣使いの感想。普段MMORPGをやっても自由気ままなソロプレイに勤しむ俺も、きっと同じ感想を抱いていただろう。

 しかし、情報屋として色々と聞いてきた今となっては、この人数がいかに心許ないか分かる。分かってしまう。

 SAOでの団体プレイは一パーティ六人、それを八つ束ねた四十八人でのレイドパーティが最大人数になる。しかも、フロアボスを死者ゼロでクリアするならそのレイドパーティをもう一つ、計九十六人で挑むのがベストだと言う。誰が言ったかはクライアント保護の名目上秘密だが、一レイドも満たせないこの状況がいかに絶望的かを理解するには十分な情報だ。

 

「まあ、仕方ないよね。死んだら終わりなんだもん」

 

 マチのトーンの下がった声にイロハも無言で頷く。ここの安全マージンであるレベル11に到達しているプレイヤーはもっといるだろう。それでも会議に集まったのがこれだけな理由は、単純にデスゲームへの恐怖に他ならない。初めてのフロアボス、与えてくるダメージも道中の雑魚たちとは比べ物にならないだろう。それだけで足がすくみ、傍観に回る。別にそんな彼らを憎くは思わない。人間として当然の反応だ。

 そんな中でここに来ている四十七人が集まった理由。たとえ犠牲になってもこの階層を突破して後に繋げるなんていう慈善精神に富んだものか、何が何でもクリアしようとする俺のようなタイプか――

 

「『遅れるのが怖い』って理由で今回集まった人も結構いるんじゃないかな。……俺もどっちかって言えばそのタイプだし」

 

 ゲーマーとしての死の恐怖から逃げようとした結果か。

 『これはゲームであっても、遊びではない』とはいつだったか雑誌で見た茅場の言葉で、SAOのキャッチフレーズにもなっていたものだ。デスゲームなんていう理不尽な世界になっても、この世界がゲーム世界であることには変わりはない。それも、虜囚となった一万人の大半はコアなゲーマーのはずだ。最前線から振るい落とされることは、ある意味死に匹敵する恐怖なのかもしれない。

 

「……それって、学年十位から落ちたくないとか。偏差値七十をキープしたいとか、そういうのと同じモチベーション?」

 

「あー……まあ、たぶん……そうなのかも……」

 

 ネットゲームビギナーの彼女が発した例えにキリトは戸惑っているが、あながち間違ってはいないだろう。こいつがリアルでどんな生活をしていたかは分からないが、自分の主戦場で遅れないように努力しているという点では大した差はない。

 

「そういえば、アルゴさん? はいないようだけど……」

 

 キリトへの疑問を消化したらしいレイピア使いが俺らの周りを見ながら聞いてくる。

 

「アルゴさんはボス攻略には参加しませんよ」

 

 簡潔に事実だけをイロハが伝えると、当然ながら「なぜ?」と新しい質問が追従してきた。ただ、それに対してイロハは曖昧な笑みを浮かべてはぐらかすだけ。

 アルゴがフロアボス攻略に参加しないのには明確な理由がある。まず一つにあいつがアインクラッド最大手の情報屋ということだ。“鼠”の提供する情報はもはや『はじまりの街』に引き籠っているプレイヤー以外にとって必須だ。あいつも自分の直接戦闘以外での重要性をよく理解している。あまり危険なマネをするわけにはいかないし、させるわけにもいかない。

 それに、あいつのステータスはあくまで情報屋をするためのものだ。ひたすら敏捷極振りのあいつではいくらレベルと装備でカバーしてもボスの一撃が致命傷になりかねない。情報屋になると決めた時から、あいつは攻略者になることを諦めたと言っていた。「マ、こっちの方が性に合ってるしナ」なんて言ってもいたけどな。

 ただ、そんな話を本人以外が軽々にするべきではない。だからイロハもなんとなくはぐらかすことしかできないのだ。彼女もなんとなくそれを察したのか、それ以上追及はしてこなかった。

 

「はーい! それじゃ、五分遅れだけどそろそろ始めさせてもらいます!」

 

 堂々としたよく通る声が耳に入り、その場に集まった全員の視線が集中する。声と共に手を叩いて視線を集めていたのは長身の片手剣使いだった。身体の半分ほどを金属防具で固めた青年はウェーブのかかった長髪を髪染めアイテムで明るいブルーに染めている上、お世辞にも顔面偏差値が高いとは言えない会議メンバーの中で一際目立つイケメンだ。初めて会ったときはゲーマーの中にもこんな奴いるんだなとちょっと驚いてしまう。

 広場全体を見渡したイケメンは善人の塊のようなさわやかな笑みを浮かべた。

 

「今日は俺の呼びかけに応じてくれてありがとう! 知ってる人もいると思うけど、改めて自己紹介しとくな!オレは『ディアベル』、職業は気持ち的に『ナイト』やってます!」

 

 ディアベルの自己紹介に噴水近くを陣取っていた一団がどっと沸く。「本当は『勇者』って言いたいんだろ!」なんて茶化すようなヤジも飛ぶ。

 ジョブが存在しないSAOで『ナイト』宣言とそれに続く笑いやいじり。ここまで一セットなのだろう。いわゆる内輪ノリって奴だが、今この場では多少の効果はあったようだ。少しピリついていた広場の空気が弛緩したのを感じた。

 

「さて、こうして最前線で活動している、いわゆるトッププレイヤーの皆に集まってもらったのは他でもない。昨日、俺たちのパーティは迷宮区の最上階、二十階層に到達した。今日も探索を進めてきたところだけど、明日か……遅くても明後日にはフロアボスの部屋が見つかるはずだ」

 

 第一層迷宮区の塔を指さしたディアベルの発言に参加者たちがざわめきだす。キリトもその隣の女性剣士も驚いているようだが、正直俺も少し驚いた。二日前にアルゴがディアベルから連絡をもらったときには十九階層に到達したと聞いていたので、もう最終階層の攻略に入っているとは思っていなかったのだ。

 間違いなく攻略プレイヤーの中で最速。ざわめきが落ち着いてきてある種の羨望を向けられ始めたナイトは拳を強く握りしめる。

 

「ここまで来るのに一ヶ月かかった。長い一ヶ月だったけど……俺たちはボスを倒して、第二層に到達して示さなきゃいけない。このデスゲームそのものも、いつかきっとクリアできるってことを。『はじまりの街』で待っている人たちに伝えなくちゃいけない。それが、トッププレイヤーであるオレたちの義務なんだ! そうだろ、みんな!」

 

 ディアベルの呼びかけにまた拍手が起こる。今度はディアベルの身内だけでなく、他のところからも聞こえてきた。

 そんな光景を――俺は何をするでもなく眺めている。俺に合わせているのか、マチやイロハも拍手をする様子はない。

 デスゲームをクリアできるってことを他のプレイヤーに示すのがトッププレイヤーの義務。実に舌触りが良くて崇高に聞こえる耳に心地のいい言葉だ。自尊心の高いプレイヤーを鼓舞するには効果的だし、情報屋から『はじまりの街』の現状を買っていた彼は本気でそう思っている。

 だが、その意見には賛同できない。俺には今も『はじまりの街』の宿に閉じこもって震えている連中のことなんてどうでもいいのだから。二人を返すことが目的である俺は、戦力にもならない連中が覚めない恐怖にさいなまれようがそれから逃げるために自殺しようが関係ない。

 

「それに、ここまでの道中で今も戦っているプレイヤーたちもやる気になるはずだ! 危険な攻略、仲間は多ければ多い方がいい!」

 

 ……まあ、その意見には同意かな。元から戦う気のない連中はともかく最前線ではないがデスゲームに挑んでいるプレイヤー、それに最前線に来てはいるが尻込みしてしまっているプレイヤーも、フロアボスが撃破されたとなれば攻略に名乗りを上げてくるかもしれない。

 現状でたったこれだけの攻略メンバー。クリアを目指す戦力が増えるなら、それは歓迎するべきことだろう。

 その同意を込めて俺も小さく手を叩いておこうかと思っていた時。

 

「ちょお待ってんか、ナイトはん」

 

 耳をざわつかせるようなだみ声が広場に響くと同時に、会議参加メンバーの一団が割れた。そこから出てきたのは大きめの片手剣を背負い、特徴的なトゲトゲの頭をした男。明るい茶髪だからちょっと変な髪形程度にしか感じないが、あれが緑だったらIQ問題を解いてスッキリする番組で投げこんでいたボールみたいだ。いや、某有名RPGに出てくるサボテンボールの方が適切かもしれない。

 

「わいは『キバオウ』ってもんや」

 

 攻撃的な関西弁で広場の人間を見渡した片手剣使いの名前を、俺は知っていた。知っていたというか、つい最近話題に出た話の登場人物だ。

 キリトの『アニールブレード+6』をトレードしようと何度も情報屋に仲介させている人物。

 見たところ同じ片手用直剣使いであるし、そういう意味ではトレードに違和感はない。彼の背負っている片手用直剣も店売りの中では十分強い方ではあるが、さすがに六段階も強化した『アニールブレード』には及ばないだろう。

 大方、ボス攻略が近づいたから強い武器を用意して活躍しようって魂胆だろうか。

 

「キバオウさん、何か意見があるのかい?」

 

 突然前に出てきた剣士に、進行役であるナイトは少し驚いた顔をしただけでさっきと同じ笑みを浮かべて尋ねる。当のキバオウは荒く鼻を鳴らすと、その声に一層のドスを効かせた。

 

「こん中に、五人か十人、ワビ入れなあかん奴らがおるはずや」

 

「詫び? 誰にだい?」

 

 ディアベルが聞き返すが、すでに参加者の一部は何かに気づいたようで所々から小さなざわめきが生まれる。俺も、なんとなく奴の言いたいことが分かった。それはデスゲームが始まったあの日から俺たちの意識の端にあったことであり、ついさっきおかっぱ頭のプレイヤーにそれにまつわる交渉を断ったばかりのものだったから。

 

「はっ、決まってるやろ。今まで死んでいった二千人に、や。奴らが……元βテスターどもがなんもかんも独り占めしたから、一ヶ月で二千人も死んでしもたんや! せやろが!!」

 

 低く唸るような声にざわめきはシン――と収まった。誰も声を発しようとはしない。途端に静かになった広場に響くのは、夕方を知らせるBGMだけ。

 

「…………」

 

 視線を感じて首だけを小さく動かすとA.Cさんと目が合った。悔しそうに揺れる目に、俺は首を横に振ることしかできない。

 茅場晶彦が作り出したもう一つの現実。本来ならその憎悪はこの世界の神である茅場に向くはずだった。しかし、奴はゲームマスター。最初のアナウンスのとき以外誰も遭遇することない存在は概念に近いものになってしまい、怒りの矛先を向けきれない。正確に言うならば、怒りを発散しきれないのだ。

 そんな中で起きる二千人の死。溜まったフラストレーションをぶつけるには、『元テスター』という存在は手頃だったのだろう。

 はなから双方の協力など無理なのだ。新規プレイヤーは何かにつけてβテスターに難癖をつけ、βテスターは糾弾を恐れて九千人のビギナーに紛れ込む。多少なりとも「見捨てた」という自覚があるなら余計に。

 

「ベータ上がりどもはこんクソゲームが始まったその日にダッシュで『はじまりの街』から消えよった。右も左も分からん九千何百人のビギナーを見捨ててな。こん中にもおるはずや。ベータ上がりっちゅうことを隠して、ボス攻略の仲間に入れてもらお考えとる小狡い奴らが」

 

 キバオウの言う通り、βテスターであることを隠してこの会議に参加しているプレイヤーはいるだろう。視線は無意識のうちに自分の隣、ソロプレイヤーである片手剣使いの少年に向いていた。

 

「…………っ」

 

 努めて無表情を装っているのかキュッと唇を引き締めたキリトの顔色は、それでも少し青い。システムによる感情表現を隠すためか少し前かがみになって、前髪で顔を隠してしまった。

 ソロプレイのβテスターの最前線組。こいつがこのゲームに閉じ込められたその日にどういう行動を取ったのか、それだけで大体想像できる。おそらく、傍から見れば広場の中央でにらみを利かせている男の言う通りのことだろう。

 しかし、俺たちは知っている。こいつがアルゴへの情報提供を多く行っていることを。自殺志願のようにハードな戦いを繰り返していた細剣使いを引き留めたことを。

 ただそれを知っていても、今の俺たちは声をかけるどころかその肩に手を乗せることすらできない。いや、してはならなかった。今ここで気遣えばキリトがβテスターであることがばれてしまう。そうなればあのサボテンボール頭がどうするか、火を見るより明らかだ。

 だからここは、俺もゆっくりと息をひそめて冷静に――

 

「そんなベータ上がりどもに土下座さして、貯め込んだ金やアイテムを軒並み吐き出してもらわんと、パーティメンバーとして命は預けられんし、預かれんのや!」

 

「っ――」

 

 危ない。危うく声が漏れるところだった。ここで下手に注目を集めても何のメリットもない。

 確かに、元テスターたちはあの日先行して『はじまりの街』から『ホルンカの村』へと移動した。アルゴのように表立って新規プレイヤーの手助けを行ったのは極々少数だろう。ニュービーが死ぬ原因の一端となったことは否定できない。

 しかし、その謝罪をハンデをものともせず最前線で戦っている俺たちが受けるのだろうか。

 吐き出させた金やアイテムでより確実にフロアボスを倒す。確かに一理あるかもしれない。しかし、その効果は短期的なものであるし、なにより俺たちとそれ以外の差を広げることになる。それは結果的に、ここまでの道中で戦っているプレイヤーのやる気を削ぐことになってしまうのではないだろうか。

 結局、死んだ二千人にではなく、自分に謝罪しろと言っているように、俺には聞こえてしまった。

 まあ発言の真意はどうあれ、あくまで新規プレイヤーである俺にはどうでもいい話ではある。そもそもここで誰かが晒しあげられることはないのだから。

 A.Cさんにも言ったことだが、新規ユーザーと元テスターを見分ける方法は存在しない。ゲームマスターの配慮なのかステータスにも特別な表示はないし、装備やステータスだってここにいる奴らは大した差がないだろう。鬼ごっこで逃げるなと言われて逃げない人間がいないように、晒しあげられるのが分かっていてわざわざバラす人間がいるとすれば、“ニュービーを助けた実績”がある奴くらいだ。

 しかしまあ、仮にその実績のあるアルゴがここに出てきて、俺たちが証人になったところで、目の前のサボテンボールは納得しないだろうが。

 

「発言、いいか」

 

 誰も何も発しない、反βテスター筆頭が睨みを槍のように投げつけ続けているだけの空間に張りのあるバリトンボイスが響いた。

 立ち上がったシルエットは、とにかくでかい。百九十センチはあろうかという筋骨隆々の体躯に日焼けとは明らかに違う黒い肌をしたスキンヘッドの男は、背中に吊った両手用戦斧を揺らしながら参加者に軽く頭を下げ、キバオウに向き直った。身長差もあってか、キバオウは威圧されたように身体をのけぞらせている。

 

「オレの名前はエギルだ。キバオウさん、あんたは『βテスターたちが見捨てたから多くのニュービーが死んだ。そのことを謝罪、賠償しろ』と言いたいわけだな?」

 

 存外普通の話し方――見た目は明らかに日本人ではないが、やけに流暢な日本語を話す――に気押されていたキバオウは立て直すように咳ばらいをすると、再び威嚇するように睨みつけた。

 

「あんアホテスターどもが見捨てんかったら二千人も死なんかった! しかも、その二千人のほとんどが他のMMOじゃトップ張ってたベテランやったんやぞ! あいつらがちゃんと情報やら金やらアイテムやら分けおうとったら、今頃ここにはこの十倍の人数が……ちゃう、今頃は二層やら三層まで突破できとったに違い――」

 

「違う」

 

 今度は、声を抑えることはできなかった。エギルと名乗ったプレイヤーを睨み上げながら語気を荒くしていたキバオウを含めて視線が俺に集まる。一瞬後悔の念のようなものが浮かんだ気がしたが、すぐにかき消えた。どの道、今の俺にとって他人の視線など……どうでもいい。

 エギルに倣って参加者に一礼して名乗ると、トゲトゲした頭がトゲトゲした口調で突っかかってきた。

 

「ハチはん、『違う』っちゅうのは一体どういうことや」

 

「……あんたのβテスターが手助けしていれば今頃三層くらいまで突破していたって発言だよ」

 

 βテスターには一万本しか販売されない製品版ソードアート・オンラインの先行購入権が与えられていた。ただ、その権利を全員が使ったとは考えにくい。単純にゲームが合わなかったり、人によってはナーヴギアそのものと相性が悪い人間もいるらしいから、八百、九百人ほどが実際のβテスター総人口と考えていいだろう。

 一ヶ月だけ行われたクローズドβテスト。今俺たちが囚われている期間と同じ時間稼働した“もう一つのアインクラッド”では第六層まで攻略されたと、茅場が地獄のアナウンスをしたあの時誰かが言っていた。

 製品版の十分の一の人間で一ヶ月で第六層。本物の死の有無、それに伴う安全マージンの上昇を考えても、九百人の“再戦者”たちが一ヶ月、それも睡眠や食事以外は常にレベリングや素材集めのできる環境にいながら第一層も攻略できていない。

 それが意味することは――

 

「βテスターですら、苦戦を強いられているってことだ」

 

 死の恐怖、βテストとは違う細かい、本当に些細な変更点。その猛毒の針のような死神の鎌が潜んだ世界で、たかだか情報を持っているだけの冷静さを失ったゲーマーが、他のプレイヤーを守りながら戦うことができるだろうか。自分たちの十倍以上いる新米剣士をかばい、育てながら? 

 

「場合によっては新規プレイヤーだけじゃなく、元テスターからも……」

 

「っ――!」

 

 俺の言葉にキリトが息を飲むのが視界の端に見えた。そういえば、その情報を買ったのはお前だったか。

 場合によってはと言ったが、事実としてβテスターからも死者は出ている。一週間ほど前、少年剣士――その時は顔も知らなかったが――から死んだプレイヤーにどれだけβテスターがいたか調べてくれ、という依頼を受けた。さっきも言ったようにβテスターと新規を見分ける方法はない。アルゴから聞いた時はどんな無茶な依頼だと思ったものだが、さすがは最大手の情報屋と言ったところか。デスした時の状況やそれまでの行動、交友関係、そしてプレイヤーネーム。様々な情報からまるで探偵のように答えを導き出していった。情報収集に駆り出された俺たちはその手際の良さにあんぐりだったわけだが。

 その結果、出てきたのが“三百”という数字。九百人よりもっと少ないであろうことを想定すれば死亡率は四割にも届くかもしれない。割合でどうにかなる話ではないが、現状のこの結果から、見捨てなかったらもっと攻略できていたとは思えなかった。

 そのまま続けてたたみかけるように言葉を並べようとして――

 

『――――――――ッ』

 

「? …………」

 

 耳をかすめた違和感。誰かに呼ばれたような気がしたそれに、思わず口をつぐんで視線を周囲に巡らせるが、広場の視線は全て俺の集中している。誰かが声をあげたのなら、少なからずその人物に視線が集まるはずだが。

 今の一瞬の間で少し頭が冷え、喉から発せられるはずだった言葉は自重に従うように下がっていき、霧散してしまった。

 そもそも、俺が持っているそんな情報を話すわけにはいかない。裏付けが難しいものだし、それを調べたアルゴに火の粉が飛んでしまうだろう。“俺たち”に情報を提供し続けている彼女がそんなことになれば、俺のみならず全員の不利益になる。

 

「ハチさんの意見、オレも一理あると思う。そもそも、金やアイテムはともかく“情報”はあったと思うぞ」

 

 そう、オレたちアインクラッドで生きている八千人余りのプレイヤーたちに情報を提供し続けている彼女に、そんな不名誉な火の粉をつけるわけにはいかない。

 エギルが取り出したのは一冊の冊子。羊皮紙を閉じた簡易なその表紙には丸い耳と左右三本ずつのヒゲを図案化した鼠マークが表示されている。アルゴが過去の記憶、買ったり実際に確認した情報を元に作り上げた攻略情報誌だ。【大丈夫。アルゴの攻略本だよ。】なんていう、一瞬不安になりそうなキャッチフレーズも実際に利用してみれば逆に安心感のあるものだと分かる。

 

「このガイドブック、あんただってもらっただろう。新しい村や町につけば、道具屋で必ず無料配布されているんだから」

 

「おう、もろたで。それがどうしたんや」

 

 “無料”と聞いた瞬間、なぜかキリトに緊張が走ったが、今は斧使いの発言に耳を傾ける。

 プレイガイド、フィールドマップに武器防具やモンスターの情報、果てはクエストの詳細まで様々な情報を提供しているアルゴ製のガイドブックはほぼ最前線が開拓されると同時に最前線の拠点で配布してきた。地道に確認してきたにしてはあまりにも早すぎる。なのにそれが可能だったのはなぜか。

 

「このガイドブックは元βテスターたちの情報提供によって作られているということだ」

 

 エギルの言葉にプレイヤーたちが一気にざわめきだした。キバオウはぐっと口をつぐみ、後ろで状況を眺めていたディアベルは得心したとばかりに頷く。……A.Cさんは嬉しそうにこっちを見るのやめてもらえませんかね。

 

「いいか、情報はあったんだ。なのに、たくさんのプレイヤーが死んだ。その理由は、彼らがベテランのMMOプレイヤーだったからだとオレは考えている。デスゲームと言っても自分たちが慣れ親しんできた、自分たちがトップを張ってきたゲームジャンル。その油断と慢心が引き際を誤らせたんだってな。それはきっと、βテスターたちも同じだろう」

 

 アルゴの攻略本は時折アップデートがなされる。モンスターレベルの修正などの細かいものから、レアモンスター情報の変更のような大きなものまで。

 目の前の大男が言っているように、初期情報の多くがβテスターから提供されたものだからだ。そんな違い――βテストからの変更点の更新版を店に並べ直し、購入者には通知している。

 “以前存在していた浮遊城”を熟知していればいるほど、その小さな違いが命取りになってしまうから。

 

「だが、今はその責任やたらればの話をしている場合じゃないだろ。ここは“フロアボス攻略会議”の場だと、オレは聞いて来たんだがな」

 

「βテスターが信用できないってのも一つの意見だ。だがここで謝罪と賠償をさせられたとして、新規プレイヤーはスッキリできても、βテスターは納得しないだろうさ。そんな状態じゃ、どの道レイドプレイなんてできやしない」

 

 キバオウが初めに言っていた目論見のとおり、今この場にβテスター(と俺がほぼ断定しているプレイヤー)は九人いる。断定しているだけでレイドメンバーの二割、それも一ヶ月多く経験を積んでいる二割が戦力にならなくなれば……考えただけでゾッとする。

 「みんななかよく」いつだったかテニスコートで否定した考えだが、フロアボスはそれをしなくては死ぬ。一枚岩と言わないまでも、最低限一塊であることは維持するべきだろう。

 

「そうだね。キバオウさんの気持ちも分かるけど、ここで彼らを排除して、結果攻略失敗なんてなったら何の意味もない。ここは新規やテスターは考えず、攻略を考えていこうじゃないか」

 

 さすがの影響力と言ったところか、ディアベルの一言を機に会議の雰囲気が変わった。数人彼に同意するように頷く人間もいるし、「元テスター断罪すべし」から「絶対にボスを倒そう」という流れになったことを確認して、俺も腰を下ろす。 

 

「…………」

 

 まあ、一枚岩になるわけがない。断罪できなかったキバオウとその一団は「βテスターとはどうしても組めないというなら、残念だけど抜けてもらう」というナイトの言葉に引き下がったが、明らかに納得できていないようにディアベルやエギル、俺を睨みつけていた。それでも戦力が削れることの危険性を理解はしたのか、攻略メンバーに入れないことを恐れてか参加はするようだが。

 

「よし、じゃあパーティプレイを想定して、残りの迷宮区攻略は六人パーティを組んで行うことにしよう」

 

 レイドリーダーの告げた言葉に、喉の奥が変な音を立てそうになったのは俺だけの秘密だ。

 

 

     ***

 

 

「夕飯できましたよ~!」

 

 イロハの声にソファでくつろいでいた面々が俺の座っているダイニングテーブルに集まってくる。

 面々というのはマチにアルゴ、そして――

 

「いいのか? 俺たちも一緒に食べちゃって」

 

「…………」

 

 キリトとあの細剣使い、アスナの四人だ。

 

「いいんですよー。ボス戦までとは言っても、パーティメンバーなんですから!」

 

 六人パーティ。ディアベルがパーティを分けることを決めたとき、当然のように俺たちはあぶれた。そもそもレイドパーティに関しての知識を知っていたのに、自分たち三人が他の誰かとパーティを組むことを一切考えていなかったのだ。

 そうでなくとも四十八人という人数、必ず一つは不完全なパーティが出来上がる。結局、初速で出遅れたらしいキリトと明らかに進んでパーティを組む気がなかったアスナを入れたあまりものチームが完成したわけだ。

 モンスターの素材や購入できる野菜などを使ってイロハが作った料理はなかなか豪華だ。人が多いのではりきったのか、いつもより二品ほど多い。

 

「これって、リトルネペントか?」

 

 キリトが指差しているのは緑々した根菜スープ。カブもどきとリトルネペントの根が入っているそれは、存外美味かったりする。見た目グロテスクで、イロハも最初は調理するの渋ってたんだけどね。

 

「早く食おうゼー……って、そこの嬢ちゃんはどうしたんダ?」

 

「…………」

 

 大げさによだれを拭いながら席についたアルゴは終始しゃべらないアスナにコテンと首を傾げる。未だにフードを被ったままの細剣使いが無口なのは今に始まったことはないが、さっきまでの拒絶的な雰囲気とは違い今は……なにやら唖然としていた。

 

「あー……たぶん現実を受け止められてないんだと思う」

 

 頬を掻きながら苦笑する少年剣士の返答は抽象的で、やはりアルゴは分からないようだ。

 

「まあ、無理もないと思いますよ。マチも教えてもらえなかったら、民家に宿泊できるなんて思いもしませんでしたもん」

 

 RPGというとおなじみなのが【INN】と書かれた宿泊施設だ。アインクラッドにも各拠点に存在するのだが、何を隠そうその宿泊施設、下層においては最低限泊まれるだけの場所を意味する。現実で言うなら粗悪なビジネスホテル、いやカプセルホテルくらいのイメージか。

 一回だけ中を見てみたが、裕福な日本の生活に慣れていたらとてもじゃないがくつろげない。野宿よりはましとかそういうレベルだ。

 そこで出てくるのが“NPCの民家を借りる”という方法。多少値は張るが普通に戦っていれば余裕で稼げる金額だし、今俺たちが宿泊している民家は一人一部屋ずつ使っても余裕があるし、ベッドはでかいし風呂もある。ミルク飲み放題がある民家もあるようだが、それはキリトが独占しているようだった。いや、イロハの飯があるからそこまでミルクに執着はないんだけど。

 で、そんな格差社会のような宿泊環境と目の前のNPCレストランより豪華な飯にアスナはだいぶショックを受けてしまったようだ。

 放心状態のフェンサーを放っておいて食事に口をつけると現実では微妙に味わえない味が舌の上で踊り、嚥下した喉に満足感を与えてくる。

 

「……おいしい」

 

 ぽしょりと聞こえてきた声に視線を向けると、根菜スープを口にしたらしいアスナは小さく嘆息するようにまた「おいしい」と呟いて……食事を再開しだした。

 うん、もうびっくりするくらいの速度で食べている。結構な量が置かれていたはずだが、四分の一はこいつの胃袋に収まりそうな勢いだ。料理提供者であるイロハは満足そうに胸を反らし、マチとキリトはどう反応したものかと食事を口に運びながら苦笑している。アルゴに至っては腹を抱えて大爆笑だ。

 食欲に忠実になっていたアスナはそんな各々の反応にハッと正気を取り戻すと、恥ずかしそうに顔を赤くしながら――けれど食事を口に運ぶことはやめなくて。

 自分たち以外とパーティを組むことに不安、というか警戒をしていたわけだが、とりあえず最低限のチームプレイはできそうだとホッと息を漏らす代わりにスープを流し込んだ。

 

 

     ***

 

 

 食事を終えるとリビングの人口は半分になる。ここに風呂があることにアスナが食いつき、イロハとマチが連れ立って大浴場へと向かったのだ。食事と違ってVRMMOで風呂なんて極論入らなくてもいいのだが、そこらへんを女子って奴は細かく気にするようだ。まあ、なんだかんだ俺もほぼ毎日入ってるんだけどね。

 つまり今リビングにいるのは俺とアルゴ、そしてキリトの三人。話題は夕方行われたボス会議になった。

 

「会議ではずいぶん首をツッコんでたナ、ハッチ」

 

「どこから見てたんだお前」

 

 まあ、別にどこかの一室を貸切っていたわけでもないし、あの会議に参加していなくても適当な路地裏とかからでも聞くことはできるか。

 

「別に、くだらないことだから無視するつもりだったけど、どっちが自分勝手なんだよって思ったらつい、な」

 

 キバオウの言い分だって分からないことはない。俺はβテスターと組むことができた人間だからβテスター寄りの考えになっている部分もあるが、取り残されたニュービーからしたらなぜβテスターは助けてくれなかったのか、と思ってしまうものだろう。一ヶ月多くプレイしているβテスターは彼らにとってそれこそ警察や自衛隊のような、“守ってくれる存在”だと認識していただろうから。

 

「新規もβテスターも関係ねえ。全員“デスゲーム”は初めてだ」

 

 ここが“遊び”のままのアインクラッドだったら、その考えに俺も賛同していたかもしれない。しかし“遊び”でなくなった今、大半がただのゲーマーに過ぎない彼らにそこまで求めるのは酷というものだ。

 

「それに……エギルやディアベルも言っていたが、そんなことしたって意味はないだろ。自分たちで問題を視覚化したところでデメリットしかない」

 

 だからキバオウの主張は俺からすればあまりにも意味がなく、本当ならもっと言ってやるつもりでいた。それができなかったのは、あの声……のような違和感。あれがなんなのかは分からないが、あそこで発言をやめていなかったら場合によってはあの会議が完全に分裂していた可能性もある。

 結局のところ、俺も人のことは言えないということなのだろう。

 

「マ、ボス攻略だからって無茶はするなヨ。なっ、キー坊」

 

「え? あ、ああ……そうだな」

 

 アルゴに声をかけられて、ずっと黙っていたキリトはビクッと肩を跳ねさせるとなんでもないように頷いた。あまりもの組だから取り巻き処理担当だろうけど、と肩をすくめる仕草は飄々としたものだが……。

 まあいい。どうせ今回のフロアボス、それ以降あるとしてもボス戦くらいでしか関わらない奴だ。俺には関係あるまい。

 そのままガイドブックの話――なんかキリトには一冊五百コルで売っていたらしい。なぜ?――や例のトレード交渉の話を始めた二人の声を聞き流しながら、一冊の本をオブジェクト化して読み始める。まあこの本、アルゴの攻略本は現実なら擦り切れるレベルで読んできたし、今は確認程度に読んでいるわけだが。

 

「……なにしてるの?」

 

「ん…………ん?」

 

 ペラペラとページをめくっていると後ろから声をかけられた。首を少しだけ捻って視線を向け――見覚えのない顔に首を捻る。

 俺の後ろに立っていたのはかすかに濡れた栗色の髪を腰まで伸ばした女の子。顔立ちは十分以上に整っていて、美人という表現が正しいだろう。現実世界にいた頃の俺なら一色にからかわれた時のようにドキッとしていたかもしれない。

 で、こいつ誰だ? と口にしようとして、見覚えのある髪と同じ栗色の双眸に言葉を飲み込んだ。

 

「別に、知識の復習をしてるだけだ」

 

 どうやら風呂上りでフードを外していたらしいアスナにそれだけ言って視線を戻す。ただでさえ女性率の低いこの環境、これだけ美人でソロならフードは必須だろうな。パーティを組んでいるマチやイロハですら定期的にナンパを食らうわけだし。

 一人納得した俺の心中など知る由もない彼女は、俺の手元のガイドブックに視線を落として――小さく眉をひそめた。

 

「カタナ? カギヅメ? こんなガイドブックあったかしら……」

 

 ああ、そういえば――

 

「それはまだ配布してないやつダヨ。ハッチには推敲を兼ねて先に読んでもらってるんだ」

 

「もう五回目だけどな」

 

 今確認しているのはボス部屋が発見された際、“βテスト時のボス攻略情報”と一緒に配布する資料だ。βテスト時代に攻略された第六層までに出現した敵専用も含めた武器系統、敵の種類まで記載されたそれは――つまりはβテスターからの情報であることを公言するということ。

 その出版者であるアルゴが危険になる可能性もある。キバオウのような、いやそれよりももっとやばい過激派がその場の感情のままにプレイヤーキルが可能なフィールドで襲い掛かってくることだって。

 

「……ずいぶん踏み込むんだな」

 

「まあナ。これがオイラの戦い方サ」

 

 まあ、この鼠はそんなこと承知でやろうとしているんだが。

 

「実際この情報はありがたい。ボスが変わってないことさえ確かめれば偵察戦の手間は省けるからな。それに、ボスだってまるっきり同じとは限らないし」

 

 今までだってβテストと違う点は多く存在したのだ。今更ボスに変更点がないとは思わない。

 警戒するに越したことはない。情報は多ければ多いだけありがたい。

 第一層フロアボス戦は、もう間近。




 フロアボス攻略会議の話でした。三人参加させると微妙に一人足りないという事態。一瞬アルゴを第一層くらい参加させようかとも思いましたが、あくまであまりものの方が(ディアベルとかにとって)都合がいいかなーと。

 他人の目とかどうでもいいって思考になっているこの八幡ならもうちょっと暴れてもよかったかなとも思ったんですが、結局やりすぎるとボス攻略どころじゃなくなるということで細かい予定変更を繰り返しました。

 それでは今日はこの辺で。
 ではでは。


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だからただ、否定したくて仕方がなかった。

「どうする?」

 

「とりあえずまっすぐ、かなぁ」

 

「ア、ディアベルから周辺のマップが送られてきたゾ。まっすぐは行き止まりダ」

 

 端的に現状を説明しよう。

 迷宮区二十階層の攻略――出遅れました。

 即席パーティが結成された翌日、俺たちは攻略のために午前七時に集まった。おそらく今回の攻略メンバーの中でも早い方のはずで、すぐさま迷宮区に足を運ぶつもりだったのだが……ここで一つ問題が発生してしまう。いや、少し考えれば分かったことなのだが。

 

『そういえば、スイッチとかPOTローテとかはどうする?』

 

『マチたち四人だけならだいたい決まってはいますけど……』

 

『……それ、なに?』

 

『『『『えっ』』』』

 

 ゲーム初心者、かつ今まで一人で黙々と攻略をしていたアスナがパーティプレイの基礎テクニックを全く知らなかったのだ。

 ソロ戦闘能力は十分なこともあり普段の俺だったら実質ソロプレイをさせておくところなのだが、何が起こるか分からないフロアボス攻略のためのパーティ。不測の事態に即対応ができない奴に背中を預けるつもりは毛頭ない。

 というわけで、急遽パーティプレイ講習が開催された。主に教えたのはキリトとイロハだが。他に教えてくれる人間がいるなら俺が出る必要はないだろう。その間に知識を詰め込んだほうが幾分有意義だ。

 さすがはここまで自力で這い上がってきたトッププレイヤーだけあってアスナの飲み込みは非常に早かったのだが、それでも二十階層に到着した、つまり今の時刻は午後一時半。耳を澄ませてみればキン、と刃をぶつける音がかなり遠くから聞こえてくる。まあ、ついでに細剣使いの装備を更新したりしていたからなのだが。

 キリトが第一層攻略中にドロップしていたレイピア――強化はアスナの自前で行った――を譲渡したり、イロハがこれまたドロップ品でダブっていた敏捷アップのアクセサリーをあげたりと至れり尽くせり改造された結果、アスナの装備はかなりマシになった。メイン防具が三つ前の村の店売り品だと気づいた時には思わず呻いてしまったものだ。確かに当たらなければ関係ないのだが、なんて恐ろしいことをしているんだ……。

 

「まあ、少しでもレベルやスキル熟練度を上げたほうがいいですし、攻略頑張りましょう!」

 

「おー!」

 

「オー!」

 

「お、おぉ?」

 

 イロハの号令にマチとアルゴが乗り、雰囲気に気圧されたのかキリトも微妙に参加している。傍から見るとシュールな光景だ。キリト自身中性的な顔立ちだからまだマシだが、これがあのエギルっていう大男とかなら周囲から人がいなくなる可能性がある。ちなみに俺なら通報されて『はじまりの街』の牢獄に送られるだろう。そもそも参加しないけど。

 

「……楽しそうね、イロハさん。まるでピクニックみたい」

 

 パーティ構成で殿を任された俺の横で、ぼそりと呟いたのは同じく殿担当となったアスナだ。目深に被ったフードのせいで表情は良く見えないが、栗色の瞳はどこか呆れているようにも見える。

 

「まあ、今日は所詮雑魚狩りながらの探索だしな。ただ……ありゃあ空元気も混じってる」

 

「ぇっ?」

 

 まさか俺から返答があるとは思っていなかったのか細剣使いがこちらに顔を向けてくるが、こちらは逆にその視線を無視して先頭を歩くイロハを見つめる。

 近づいてくる強敵との戦闘、それに伴ういつもと違うメンバーでのパーティプレイによる緊張と不安。それを払拭するためにわざとテンションを上げている。マチもそれを理解しているから、自分も同じ不安があるから、それに乗っかっているのだ。

 

「……それって、危ないんじゃないの?」

 

「ボス戦までには程よく力が抜けるだろ」

 

 さっきも言ったが今日は階層の攻略だけだ。出遅れているおかげで道中の中ボスと当たることもないだろうし、ボス攻略なんて早くても二、三日は後。二人とも適応力は高いし、その頃にはいつもどおりになっているだろう。

 

「それに、何かあったら助けるだけだ。言っとくが、お前は危なくなっても助けねえぞ。そんな余裕は俺にはない」

 

 今の俺には力であいつらを守ることしかできない。そしてその力を一時的な協力者であるこいつのために使うことは――ない。この力は、そのためのものではないから。

 

「別に……助けてもらう必要なんてないから」

 

 最後の念押しは、元より死に場所を求めているこの少女には不要なものだったようだ。半歩前を歩き始めたアスナに小さく息を漏らして、腰に装備していた得物を握りしめる。

 目の前に現れる敵を、残らず屠るために。

 

 

 

「アスナさん、スイッチ!」

 

「ッ――!」

 

 相変わらずソードスキルのライトエフェクトが軌跡だけを残す高速の刃が『ルインコボルト・トルーパー』の頭部に突き刺さり、HPが底を尽きたコボルトは短いうめき声をあげてポリゴンとなって消えた。

 技術的にハイレベルとはいえパーティプレイ初心者のアスナを入れての戦闘に一抹の不安を抱いていたが、予想に反して探索はスムーズに進んでいた。ビギナープレイヤーの学習能力の高さに最初こそ皆息を巻いていたが、それが逆に緊張をほぐす要因にもなったようだ。攻略当初懸念していたマチとイロハの不安そうな感じも、今やどこにも見受けられない。

 

「キリト、スイッチ!」

 

「シッ――」

 

 そんな二人の様子に多少安堵しつつ、自分の担当しているコボルトに三連撃ソードスキル【ストライク・ハート】を叩き込む。のけぞったコボルトのステータスにスタンが付与されたことを俺が確認すると同時に、入れ替わったキリトが【スラント】で横薙ぎ。四分の一ほど残っていたHPを消し飛ばした。

 

「やっぱりメイスのスタンえぐいな」

 

「確定じゃないから結局パリィの保険みたいな感じだけどな」

 

 それでもスタン系ソードスキルが多いのが片手棍の魅力だ。片手武器の中では剣速――これを剣と呼ぶのはいささか抵抗があるが――が遅い方なこともあり、こいつを活かさない手はないだろう。

 

「おらっ!」

 

 脇道から顔を覗かせたコボルトに二連撃ソードスキル【アッパー・スウィング】を叩き込む。命中重視スキル故に幾分か速い攻撃の二撃目がちょうど振り下ろされようとしていた斧を跳ね上げた。さっき同様スイッチをすれば、余裕で攻撃を続けられる状況だ。

 

「先に攻撃するゼ。キー坊、スイッチダ」

 

 キリトが構える前にもはや違和感を覚えなくなるほど聞いてきた独特な口調が耳に吸い込まれる。声の主は俺とコボルトの間に割り込むと、短剣ソードスキル【クロス・エッジ】で亜人型モンスターを斬りつけた。付与効果により、敵のステータスに防御低下のデバフが表示される。

 

「トドメだ!」

 

 デバフ付きソードスキルを繰り出した鼠の乱入にも少年剣士はすぐに対応してみせ、無駄のない動きでスイッチを行うと【スラント】の単発攻撃でコボルトの首に紅い被ダメエフェクトを表示させた。先ほどより多めに残っていたHPはデバフの影響か残ることはなく、ストップモーションのように不自然に動きが止まった敵はポリゴン片となって砕け散る。

 今相手をしたのが最後のコボルトだったようで、それぞれの眼前にリザルト画面が表示された。自分のそれを確認して、少しだけ息をつく。

 最低でも六パーティが一斉に攻略していることもあり、敵のポップは比較的少ない。そうでなくてもこのメンバーなら、万が一にもピンチなんて訪れることはないだろう。

 まあ、一瞬の油断が命取りになるから、どの道気は抜けないのだが。

 

「二人ともいい連携してるじゃないカ」

 

 先ほどスイッチに割り込んできたアルゴがククッと喉を鳴らしたので、俺とキリトはそれぞれ横目に互いを見る。

 確かに過去の遺産なのか、ソロプレイヤーとは思えないほどこの少年剣士との連携はやりやすい。

 ただまあ――

 

「数日中にボス攻略するのに連携できなきゃパーティの意味ないだろ」

 

「そうだな。もしそうだったら実質ソロの方がマシだし」

 

 所詮は今回だけのパーティメンバーだ。連携がうまくいくからと言っても……次はない。キリトも同様に思っているのか、抑揚のない声を漏らしていた。

 

「そっか……まあ、そうだナ」

 

 アルゴがフードの奥で悲しそうに瞳が揺れるのを見た。デジタルグラフィックの作り物の瞳が本物以上に色濃い変化を見せたことに驚いたのか隣からキュッと小さな音が漏れる。

 

「……そろそろ先に進もうぜ。サボってたらキバオウあたりからどやされそうだ」

 

「あ、ああ。そうだな」

 

 そんな音にも、彼女の瞳にも気づかなかった振りをして、ただただ事務的に探索を再開した。

 

 

     ***

 

 

 三日後。今日も今日とてあぶれ組は迷宮区の攻略……をするわけではなく、集団の最後尾を細々と歩いている。

 その数四十七人、メンバーはあの日噴水広場にいた顔ぶれ。そう、俺たちは今からついに第一層フロアボスの攻略を行うのだ。

 ボス部屋の扉が見つかった――迷宮区に響いた声から察するに見つけたのはディアベルたち――のが昨日の昼頃。本来ならここからボスの情報を収集する偵察戦が行われるところだが、『トールバーナ』に戻ってきた俺たちを見計らってか、アルゴが【第一層ボス攻略本】を無料配布したのだ。

 ディアベルたちが姿と名前だけは確認したフロアボスの攻撃力や主力武器であるタルワールのリーチ、推定HP、行動パターン。それに取り巻きのステータス。それらが詳しく記載された攻略本に当然攻略メンバーはざわついた。冊子の最後のページにはご丁寧に「情報はSAOベータテスト時のものです。現行版では変更されている可能性があります。」なんて赤文字の注意書きがあれば余計にだ。

 鼠が元テスターである可能性を仄めかすボス攻略本。正直会議が荒れる可能性も考えられたが、一番のネックと見ていたキバオウ一団が思いのほか静かだったこともあり、事はスムーズに進んだ。おそらく彼らもMMORPG慣れしているネットゲーマー。偵察戦を行う手間が省けるこの情報がどれだけ重要なものか理解しているのだろう。

 そもそも相手はデスゲーム開始直後から情報で自分たちを助けてきた鼠だ。前回の会議でアルゴの攻略本のことを指摘されたキバオウがそこで騒ぎ出す理由もない、か。

 

『皆! とにかく今はこの情報に感謝しよう!』

 

 偵察戦が一番デスする可能性が高い、とは前にアルゴが言っていたこと。指揮を担うディアベルもそこを理解しているようで、あくまでβ時代の情報であることに留意しながらも攻略本を中心に編成を進めていった。

 

「なんか、こうして大人数で迷宮区を歩くのって不思議な感じ」

 

「マチたちは多くても六人パーティでしたからね」

 

 俺の両隣を歩く二人が感嘆の声を漏らす。確かに各々剣や鎧を携えた大所帯でファンタジー感満載なダンジョンを練り歩くというのはなかなか新鮮と言っていい。さながら魔王討伐軍といったところだろうか。

 

「なんか、遠足みたいね」

 

「遠足?」

 

 少し離れたところを歩くフェンサーの感想に思わず聞き返してしまい、改めて自分たちの前を歩く集団に目を向けて「ああ」と納得した。

 SAOのMOBポップは集団の人数が増えれば増えるほど激しくなるというわけではない。偶発的に遭遇する雑魚の相当は前衛を担当しているディアベルたちがやってくれているので、後衛組はそのあとをズラズラついていくだけだ。一応脇道や後方からの奇襲も考えられるが、それだって稀と言っていい。

 そうなると存外暇なもので、おそらくボス戦への緊張を紛らわす目的もあるのだろうが、後ろの連中はぽつぽつと雑談をし始める。戦闘についてだとかおすすめのクエストだとか内容は様々だが、確かに言われてみれば遠足っぽい。

 

「本物は、どんな感じなのかしら」

 

「っ――」

 

 何気なく呟かれたであろう“本物”という単語に、我知らず心臓が跳ねてしまった。一瞬の動揺を悟られないように表情筋を引き締めるが、隣から視線を感じて、取り繕いきれていないことを悟る。

 そんなイロハの視線を気づかなかったふりでやり過ごしながら少年剣士と細剣使いに意識を向けてみると、なんてことはない。本物のファンタジー世界の兵士集団だったら強敵討伐の道中こんなふうに雑談をするのだろうか、という話だった。

 

「死か栄光への道行き、か」

 

 アスナのそんな問いかけに顎に手を当ててたっぷり考え込んだキリトは静かに呟き、背中の『アニールブレード』に手を添えた。

 

「それを日常として生きている人たちなら……たぶん、晩飯を食べにレストランに行く時と一緒なんじゃないかな。喋りたいことがあれば喋るし、なければ黙る。このボス攻略レイドも、いずれそうなっていくと思うよ。ボスへの挑戦を日常にできればね」

 

 片手剣使いの回答は予想外のものだったようで出題者は一拍反応が遅れる。

 

「……ふ、ふふ」

 

 次に漏れ聞こえてきたのは忍ぶような笑い声で、今後はキリトが間の抜けた顔をする番だった。おそらく自分の回答に笑いが返ってきたことに対する表情ではなく、彼女が笑みを浮かべたことそのものへの驚きだろう。初邂逅は大変アレだったが、一緒にパーティを組んでから彼女の存外年相応――実際の歳は知らないが。俺と同じくらいだろうか――な反応を見てきたとはいえ、こんなふうに笑うことは一度もなかったのだから。

 

「笑ってごめんなさい。でも、変なことを言うんだもの。この世界は究極の非日常なのに、その中で日常なんて……」

 

 笑ったことを謝罪しながら弁明するアスナにキリトも視線を流しながら笑みを漏らし、しかしすぐに表情を引き締めた。

 

「でも、今日第一層を突破しても攻略まで丸四週間だ。その上でまだ九十九層残っている。俺は……たぶんクリアするまでに二年、もしくは三年かかるだろうって覚悟してる。非日常も、それだけ続けば日常になるさ」

 

 非日常も続けば日常になる。その言葉は真理であろう。日常とは今の自分の状況を意味するものだ。得物を振り回してモンスターを狩る生活を三年も繰り返せば、きっとそれが日常になり得る。

 

「…………」

 

 ただ――俺はその真理を否定したくて仕方がなかった。

 茅場昌彦が作り出した、きっと彼にとっての“本物”であろう世界。けれど、俺にとっては偽物でしかないのだ。本物の、元いた世界に絶対二人を帰す、そう決めている俺にとっては。だからたとえ何年かかろうとこの世界での生活が日常になることはない。日常にしたくない。

 この生活が日常だと認識してしまったら、決心が揺らぐかもしれない。そんな俺の弱さが抱かせるわがままなのかもしれない。

 でも、だからこそ俺は、否定したくて仕方がなかった。




 本当は第一層攻略を終わらせる予定だったのですが、存外探索パートに時間を食ったので分けます。さすがに次の話は数ヶ月後とかにはならないです。たぶん。

 それでは今日はこの辺で。
 ではでは。


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第一層攻略戦

 昼の十二時を三十分ほど過ぎた頃、迷宮区二十階層にある一際大きな扉の前に陣取っていた。第一層フロアボス。そいつが奥で陣取る扉だ。

 どこか不気味さを感じる、人間を拒絶するような雰囲気に、我知らず息を飲む。感情エフェクトの過剰表現で、一滴の汗がつ、と頬を伝った。

 迷宮区に入ったのが十一時頃。多少肝が冷える場面はあったが、初めてのレイド行軍を犠牲者なし、それもこのスピードでこなすことができたのは幸いだろう。ここで一人でも減るようなことがあれば、死ぬようなことがあれば、今回のボス攻略が成功する可能性は限りなくゼロに近づいたと思うから。戦力的な意味ではなく、精神的な意味で。

 

「それじゃあ、各班最終確認をしてくれ」

 

 ディアベルの号令と共に各々、班ごとに分かれて小さな塊を作り始める。装備やアイテム、戦闘でのフォーメーションなどの最終確認というわけだ。アルゴの攻略本でβ時代のデータは手に入れているが、それでも油断はできない。慎重なプレイヤーの中には、フロアボス用に防具を着替える奴もいる。

 

「ま、こんなところか」

 

 さっと装備の状態を確認して、ウィンドウを閉じる。顔を上げると同じ班のメンバーたちも準備を整え終わったようだ。

 そもそも、あまりものである俺たちH班の仕事はキバオウ率いるE班のサポートをして、ボスの取り巻き、『ルインコボルト・センチネル』を倒すことである。センチネルの持つ斧槍が『ルインコボルト・トルーパー』の手斧よりも高威力後射程であることを考えても、ボス担当の班に比べれば、幾分か気が楽だ。武器を跳ね上げ、鎧で覆われていない喉元を中心にソードスキルを叩き込むだけ。

 となると、他の班が準備を終えるまで手持無沙汰になるのである。扉に続く道は、今俺たちがいる見晴らしのいい一本だけなので、特別見張りの必要もない。

 どうしようか、と思案して、ウィンドウを再び開く。オブジェクト化したのはアルゴ印の攻略本。

 

「センチネルの確認ですか? 戦闘AI自体は、トルーパーと変わらないって書いてあったはずですけど……ん?」

 

 壁に背を預けて読書の態勢に入った俺に、イロハが近づいてきて――コテンと首を傾げた。

 まあ、無理もないだろう。俺が読んでいたのはボス情報のページではなく、同封された武器系統のページだったのだから。

 これは一種の現実逃避に近い。今フロアボスに関する情報を見たら、押し殺している震えが湧き出てきてしまうかもしれない。足に力が入らなくなって、立つことができなくなってしまうかもしれない。そんな恐怖が、件のページを開かせなかったのだ。

 まあ、現実ならページが手垢で汚れてしまうほど読み込んだのも事実なのだが。

 

「それにしても、この武器ページよくできてるよな。数値データ細かすぎるぞ」

 

 同じように攻略本を開いたらしいキリトが苦笑する。実際に期間限定の浮遊城、その最前線を戦い抜いたであろう剣士すら驚くほどの出来というわけだ。いやほんと、一体頭のどこにこれだけの情報を記憶していたのやら。

 当然ながらボス攻略に娯楽品なんて持ち込んではいない。俺やキリト以外の三人も自然と攻略本をオブジェクト化し始めて、H班は途端に静かになる。たまにイロハとマチが話す声が聞こえてくる程度だ。

 

「おい」

 

 そんな空間を邪魔するものが現れたのは、もうだいたいの班が最終確認を終えた頃だったか。刺々しい声に顔をあげると、特徴的な茶色いもやっとボールが目に入る。

 この世界においてまず人違いを受けることはないであろう片手用直剣使い、キバオウは、とても友好的とは言えない剣呑な目つきで、座り込んでいるキリトを睨みつけていた。

 そんなキバオウに気づいたキリトは、信じられないものを目にしたように双眸を見開く。

 それもそうだろう。キリトからすれば、今この組み合わせが発生すること自体があり得ないことだろうから。

 ボス攻略戦の日程が決まった会議の後、アルゴを通してこいつはとある情報を買っている。端的に言えば、自分のアニールブレードをトレードしようとしているプレイヤーの正体だ。そしてそのことはキバオウも知っている。どんなに神経が図太い人間でも、トレード相手に隠していた正体がバレたとなれば話かけづらいもの……なはずだ。

 

「ええか、今日はずっと後ろに引っ込んどれよ。H班はワイのパーティのサポ役なんやからな」

 

 少なくとも、こんな堂々と喧嘩を売るような態度は取れないはず。マチやイロハは眉をひそめ、事情を全く知らないアスナに至っては不愉快そうに睨みつけていた。

 

「大人しく、ワイらが狩り漏らした雑魚コボルトの相手だけしときや」

 

 だのに、当の本人は俺たちH班の困惑など気にした様子もなく、言葉を吐き捨てる。仮想の唾を地面に吐き捨てるおまけつきだ。

 そんな彼にキリトが一度も言葉を発することができなかったのは、致し方ないことだろう。

 あれが所謂ネット弁慶という奴か? と一瞬思ったが、どうも納得できない。そもそもなぜキリトなのか。鼠を挟んだトレード以外で二人がコミュニケーションを取っていた様子はないし、トレードを断られた程度で剣呑になるのもおかしな話だ。

 と、そこまで考えて、それ以上推測することをやめた。思考の放棄ではない。必要性を感じないからストップをかけたのだ。

 トゲトゲ頭の性格だとか、少年剣士との関係なんてどうでもいい。それが分かろうが分からなかろうが、俺たちの仕事は変わらないからだ。

 まあ、その仕事相手と険悪な関係なのは問題かもしれない、とパーティメンバーのところに戻るキバオウに目をやって――

 

「…………?」

 

 口は開かずに眉をひそめた。

 鼠を挟んだキリトとキバオウのトレードは不成立で終わった。段々と引き上げられていった『アニールブレード+6』の希望取引価格は、最終的に三九八〇〇コルにまでなる。

 現状三五〇〇〇コルあればほぼ安全に+6にできる剣にその値段、というだけでも訳が分からない――実際アルゴはしきりにぼやいていた――のだが、まあそこは別にどうでもいい。

 問題なのは、その提案をしていたキバオウの今の装備だ。

 背中に携えた片手用直剣も、その身を守る防具も、最初の攻略会議で見たときと同じもの。そう、彼の装備はその一切が更新されていなかったのだ。

 さっきも言ったように、取引に使おうとした金を使えばお目当ての『アニールブレード+6』を作ることができる。あれほど何度も取引を持ち掛けるほど欲しかったのなら、昨日のうちに作っていそうなものだが……。

 まるで意味が分からない。意図が見えてこない。

 

「皆、準備はできたか? それじゃあ……勝とうぜ!」

 

 ディアベルの掛け声とそれに続く怒号のような鯨波を耳に、俺は言い知れぬ気持ち悪さを感じていた。

 

 

 

「グルルラアァァァァァッ!!」

 

 横幅二十メートル、奥行百メートルのボス部屋の奥にある巨大な玉座に鎮座していた影は、なだれ込んできた四十七人が近づくと猛然と飛び上がった。二メートルは余裕で超える体躯を空中で一回転させると、地響きを起こしながら着地する。二つの眼光が陣形の最前列で構えたA班、B班、C班――ちなみにB班にエギル、C班にディアベルがいる――を捉えると、肉食獣を思わせる巨大なアギトを限界まで開き、咆哮した。仮想の空気が恐怖に震え、最後尾にいる俺の頬をチリチリとひりつかせる。

 バックラーと骨斧を筋肉が浮き出る両腕に携えたコボルトの王『インファルグ・ザ・コボルトロード』は、青灰色の毛皮を羽織り、腰の後ろには一メートル半はあろうかという巨大な湾刀、タルワールを装備している。四本あるHPゲージが最後の一本になると、骨斧と盾を捨てて湾刀を抜くらしい。

 

「さて、俺たちは俺たちの仕事をしようか」

 

 凶悪さをもって振り下ろされた骨斧とA班の盾がぶつかり合う甲高い音を合図に、部屋の側面に空いた穴から複数の影が飛び出してくる。鈍い光を反射する鎧をまとった重武装の兵士、『ルインコボルト・センチネル』だ。

 取り巻き担当であるE班、G班が取り巻きのタゲ取りを始めたのを確認して、俺たちも一番近いセンチネルに突撃した。

 敏捷値の関係上、距離を詰めるのがわずかに早かったのがマチとアスナだ。いきなり本格的な戦闘に入らず、通常攻撃で敵を翻弄している。攻略メンバーの中でもトップクラスの敏捷値を誇るであろう二人にかく乱されれば、単純なAIはすぐに混乱してしまう。

 

「防御します! 下がって!」

 

 ようやく目標を定めて長柄斧、ポールアックスを振り上げた頃には時すでに遅く、到着したイロハがその盾で二人を守る。パーティメンバーが出揃い、いよいよ本格的な戦闘が始まった。

 

「それじゃあ……行くぞ!」

 

 仕切り直しとばかりに半歩下がったセンチネルに、キリトが飛び込む。モンスターの顔に表情が浮かぶことはないが、歯がきしみそうなほど顎を食い締めたコボルトは、得物を振りかざして迎撃の構えを取った。

 まあ、それを狙って飛び込んだわけだが。

 

「アスナ、スイッチ!」

 

 金属同士がぶつかり合う無機質な音が爆ぜ、長柄斧を跳ね上げたセンチネルが紅い体毛に覆われた身体をのけぞらせる。キリトがソードスキルで振り下ろされる長柄斧を狙い撃ちしたのだ。

 

「はア――ッ」

 

 そしてそこに飛び込む閃光。『リニアー』の光が数少ない鎧に覆われていない部分、喉元に突き刺さり、HPバーがガクッと削れた。

 AIというのは、所詮システム通りに動くことしかできない存在だ。跳ね上げられた武器を胸前で構えなおしたセンチネルは、大ダメージを受けたことで再びバックステップで距離を取り、一番近くにいるキリトに斬りかかる。

 悲しいほどにさっきと同じ動き。

 

「ハチ、スイッチだ!」

 

 そんな攻撃が熟練の少年剣士にそうそう通るはずもなく――再び粗削りなポールアックスが腕ごと跳ね上がった。連撃ソードスキルで迎撃したため、追加攻撃のおまけつきだ。

 打ち合わせ通りの順番が回ってきたため、キリトの掛け声とほぼ同時に荒い石造りの地を蹴る。筋力優先なステータスのためアスナほどの速度は出ないが、それでも瞬きするうちに硬直した番兵と肉薄した。『アッパー・スウィング』の二撃目が、獣らしく突き出た顎にめり込み、俺たちに無防備なおとがいを晒す。

 

「スタンだ! ラッキーだね!」

 

 敵のHPバーの上にスタンの表示が表示された途端、視界に二つの影が入ってきた。一人は迎撃に備えていたキリト、もう一人は次のスイッチ担当だったマチだ。

 これも想定通りの動き。放心したようにフロアの天井を見上げているコボルトを左右から挟み込むと、片手剣ソードスキル『スラント』と短剣ソードスキル『クロス・エッジ』のライトエフェクトが交錯する。

 リーチの長い片手用直剣がマチのアバターを掠めるが、HPバーは一ドットも削れることはない。これは乱戦時、フレンドリーファイアを防ぐための仕様だ。二つ分のソードスキルを受け、センチネルのHPバーは一気に黄色、半分以下にまで落ち込んだ。

 

「あっ! それっ」

 

 二人の攻撃が終わるのと、スタンの表示が消失するのはほぼ同時だった。スキル使用後の硬直で動けない左右のプレイヤー。その片方、キリトに狙いを定めたポールアックスは……すんでのところでカバーに入ったイロハの盾に防がれた。マチのフォローに入っていた俺が通常攻撃でタゲを分散し、その間に全員一度距離を取る。

 

「……スタン後はバックステップモーションがカットされる感じか。深追いは厳禁だな」

 

 キリトがひとりごちるように漏らした声に、全員小さく頷く。今のは“事前に警戒していなければ”危なかっただろう。さすがにこのメンバーの装備で即体力全損、とはならないだろうが、それでもプレイヤーのHPがごっそり削れる光景は、自分も周りも心臓に悪い……はずだ。

 このタイミングの警戒を提案したのは他ならないキリトだった。詳細に情報が記載されたアルゴの攻略本だが、どうやらβテスト時は今同様メイス人口が少なく――実際、今回のメンバーでも棍使いは俺だけだ――、スタンによるAI行動の変化については記載されていなかったからだ。

 まあ、そんな初見殺しも一度分かってしまえばどうということはないのだが。

 決して油断しているつもりはない。それでもどこか、メンバー全員に余裕のようなものが生まれていた。

 

「さって、ボス組も好調みたいだし、さっさとこいつを倒しますか!」

 

 釣られて横目で一際存在感を放つコボルトロードのHPを見ると、既に一本目のバーが黄色ゲージに達していた。取り巻きであるセンチネルはバーが減るごとに追加ポップするので、こちらも早く潰しておくべきだろう。

 視線でキリトに合図を送ると、敏捷値全開の動きでセンチネルに向かって疾走する。

 攻略は至極順調。視界に小さく表示されているレイドメンバーのHPも安定している。

 なのになぜだろうか。頭の片隅に靄のように留まっている違和感が消えないのは。




 なんか長くなったので分割しました(天丼)
 戦闘シーンとか楽しくて色々つけ足しちゃうんですよねぇ。うまく伝わっているか不安で仕方ないんですけどね!

 そういえば、最近Amazonプライムに入会して見ていなかったアニメとか、久々に見返したくなったアニメとかちょこちょこ見ています。個人的にロクでなし魔術講師と禁忌教典がお気に入り。特に二話は毎日見返してます。
 で、一緒に久しぶりにSAOの今書いてるところを見てみたら、プログレッシブとは結構展開違うなぁと。キバオウが普通にコボルトロードと戦ってましたわ。

【お知らせ】
 夏コミでまた俺ガイルの小説本を出します。スペースは落選しましたが、委託させてもらえることになりました。
 私は自シリーズ「一色いろはは比企谷八幡を虜にしたい」の番外編で、八幡と一色が海水浴に行くお話を書きました。
 詳しい話は活動報告でしようと思います。

 それでは今日はこの辺で。
 ではでは。


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第一層攻略戦2

 攻略も後半になると、レイドパーティの戦い方はその様相を変化させていた。

 そもそもあまりものと言っても、俺たちH班は一人少ないだけ。それも装備やレベル――キリトとアスナの詳しいレベルは知らないが、おそらく俺たちとほとんど変わらないだろう――を鑑みればボス戦のメイン火力であるディアベル班にも劣らないはずだ。

 その結果、三班での取り巻き処理は過剰戦力となっていた。一度のポップで出現するセンチネルは三体。確かに『ルインコボルト・トルーパー』に比べれば何倍も強い敵だが、それでも一対六や一対五で苦戦する相手ではない。

「G班! F班と一緒にボス攻略に加わってくれ!」

 そう判断したディアベルは取り巻き担当は俺たちとキバオウ班に任せ、G班をボス攻略に組み込んだ。既にボスのHPバーは三本目に入っている。タンク役を主に担っているA班、B班を除けば、HPバーが半分を割ったプレイヤーはいない。仮に多少ダメージを受けても、入念に打ち合わせをしていたおかげで回復も迅速だ。

 そしてそんなボス攻略班を横目に、俺たちH班はより柔軟に戦闘を行っていた。

 キバオウ率いるE班と俺たちを比べたときに、センチネル攻略は明らかにこちらの方が早い。理由はいくつかあるが、何よりも目を見張るのがアスナの活躍だ。

 事前に理解していたことだが、センチネルは身体のほとんどを鎧で覆っている。いかに高威力のソードスキルと言えど、その上から大ダメージを与えることは難しい。

 そんな相手と最高の相性を見せたのが、突きを主体とするアスナの細剣だった。元々の正確性も相まって、鎧の隙間を縫うように放たれる得意の『リニアー』は驚異の一言だろう。マチの『アーマー・ピアース』や『ラピット・バイト』、キリトやイロハの『ヴォーパル・ストライク』も突き判定ソードスキルではあるが、あそこまで正確に無防備な部分を狙うことはできていない。

 そんな事情もあり、H班はアスナを主体にコボルトを二体相手にするようになっていた。今はマチ、イロハ、アスナで一体を相手取り、俺とキリトがもう一体を引き付けて時間稼ぎをしている。

 

「時間稼ぎって言いつつ、もう少しで倒せそうだけどな」

 

 キリトが小さく苦笑しているように、既に担当している番兵のHPバーは赤に突入している。

 運よく攻撃が鎧の隙間に当たっているのもあるが、やはり共闘している少年剣士の貢献がでかい。システムアシストの動きに自働で力を上乗せしたソードスキルは心強いことこの上ない。俺も似たようなことをしてはいるが、経験量からして違うのだろう。真似事程度では並び立てそうにない差を感じる。

 

「お、いいの入った」

 

 そうこうしているうちに『パワー・ストライク』のライトエフェクトがうまい具合に鎧の隙間に突き刺さった。防具越しの打撃ならあと一発は耐えられたであろうコボルトのHPバーが一気に削れ落ち、光と共に番兵の身体はポリゴン片となって砕け散った。

 

「GJ」

 

 ネットゲームで使い古された「グッジョブ」の略をかけてきたキリトに、同じ言葉で返す。予定とは違う展開になったが、フリーになったことで全体を見渡せる余裕ができたのはいいことだろう。

 マチたちは……大丈夫そうだ。そもそもAGI寄りステータスのマチはAIとの相性がいい。PvE――対モンスターのパーティプレイにおいて、かく乱役がいるだけで敵の動きはぐっと鈍くなるのだ。そこに的確に急所が突けるアスナの細剣とイロハの防御が組み合わされば、そうそう戦線が崩れることもない。センチネルのHP的に見て、お得意の『リニアー』が後一発決まれば処理できるだろう。

 ボス攻略組も安定している。現在削っている三本目のゲージはもう赤ラインに到達しているし、もうすぐ最後のセンチネル増援が来ることだろう。

 もう一組の取り巻き担当であるE班に関しても問題はない。敵のHPは多少多めに残っているが、彼らもこの一ヶ月第一線で戦い続けてきた猛者たち。増援までには倒して――

 そこまで考えて、六人いるはずのパーティが五人しかいないことに気づいた。思わずレイドパーティの人数を確認して、脱落者がいないことを確認する。

 

「アテが外れたやろ。ええ気味や」

 

 そして改めてE班に視線を向けて……誰がいないのかを把握する前に当の本人、キバオウの声が耳朶を叩いた。

 

「…………なんだって?」

 

 ひそっとした囁きのような声は、俺に向けられたものではない。視線だけを動かすと、特徴的なサボテン頭に身体ごと向き直ったキリトが訳が分からない、と言いたげに首を捻っていた。

 そんな少年剣士を、E班リーダーはさながら喧嘩っ早いチンピラがするように腰を落として睨みつけている。

 

「ヘタな芝居すなや。こっちはちゃーんと聞かされとるんや。――あんたが昔、“汚い立ち回りでボスのLAを取りまくとったこと”をな!」

 

「な…………」

 

 その時のキリトの表情を、どう表現するべきか。

 驚き、困惑、疑念、もしくは怒り恨み。……そして恐怖。

 いくつもの感情が混ざりすぎて、ゲームの感情エフェクトは機能していなかった。それを図星を突かれたと取ったのか、キバオウの睨みがより鋭くなる。

 

「…………」

 

 そんな二人を見て……ああなるほど、と納得した自分がいた。

 なぜキバオウはキリトの『アニールブレード+6』を、相場以上の値段を出してでも欲しかったのか。それだけの価値があったからだ。自身や周りの強化ではなく、“キリトというプレイヤーの戦力を削る”ことが目的なのだから。

 LA、ラストアタック。つまりとどめの一撃。SAOにおいて、その行為にはとあるボーナスが付く。

 ――アイテムドロップの獲得権利。

 『ホルンカの村』で受けた『森の秘薬』クエストなんかがいい例だ。クエストに必要なアイテムである『リトルネペントの胚珠』は確定ドロップアイテムだが、それが手に入るのはとどめを刺した一人だけ。

 そしてその権利制度は、当然確定ドロップアイテムを持つフロアボスにも適用される。

 さっきの反応を見る限り、キバオウの言ったことはあながち間違いでもないのだろう。きっとこの少年剣士は、“もう一つのアインクラッド”でLAを掠めとるプレイをしていたのだろう。

 しかし、それをなぜこいつが、元テスターを恨んですらいるニュービー代表のこいつが知っているのか。俺はおろかアルゴでさえ、個人のプレイスタイルなんて情報は持ち得ていないのに。

 そんな疑問も、ボス戦が始まる前に抱いた別の疑問と一緒に解決する。

 キバオウはさっき「聞かされとる」と言った。つまりは伝聞情報。裏で糸を引いている人間がいるということだ。

 だってそうであろう。キリトが元テスターだと知っていて、そしてキバオウ自身が自分勝手に動けるのなら、このソードマンはあの作戦会議の場で、隠れるように縮こまっていた少年剣士を吊し上げていたに違いないのだから。

 LAを掠めとる存在をどうにかしたい。しかし安易にレイドから外すのは戦力的に考えて愚策も甚だしい。だからこそ、“前線落ちしないレベルで戦力を落とす”作戦に出たのだ。そしてその作戦をキバオウは引き受けた。四万コルもの大金が遊んでいるはずのキバオウが装備更新をしなかった理由はそれだ。自分の金ではなく、黒幕の金だったからだ。

 

「ウグルゥオオオオオオオオ――ッ!」

 

 肌を焼く咆哮に三人そろってボスを見る。ついに三本目のゲージも削り切られたのだ。

 ゲージ移行による無敵時間に入った『インファルグ・ザ・コボルトロード』は両手に携えていた骨斧とバックラーを投げ捨てる。攻略本の情報通り、武器を腰の曲刀、タルワールに持ち替えるのだろう。

 

「ほれ、雑魚コボの相手するで。あんじょうLA取りや」

 

 憎しみ滴る声で告げると、キバオウはE班へと戻っていく。そんなサボテン頭のソードマンを呆然と見つめていたキリトも、雑念を取り払うように頭を振り、ボスの行動変化に先んじて現れたセンチネルへと視線を向けた。まだ混乱からは抜け出せていないようだが、戦う分には問題ないだろう。ポジション的にキリトとペアのまま、近くに湧いたセンチネルのタゲを取った。

 

「………………」

 

 実を言えば、件の黒幕もだいたい見当がついている。そもそもなぜキリトを弱体化させてラストアタックを取れないようにしようとしたか。優秀なドロップ装備を“自分が手に入れるため”と考えるのが自然だ。

 となると、少なくとも最初の段階で取り巻き担当が決まっていたE班G班は除外される。

 ボスドロップ装備を手に入れるとどうなるか。アルゴの情報によれば、ボスドロップ品は頭一つ分飛びぬけた性能と聞く。つまり、最前線である攻略メンバーの中でも戦力的に一歩優位な立場に立てるわけだ。転じてそれは、攻略における発言権を獲得できるという意味でもある。

 コアなネットゲーマーほど我が強いもの。それだけの理由では絞り込むことは難しい。そこで重要になるのが、今回の実行犯――本人からすれば正義の行いだと思うが――がキバオウという点だ。攻略メンバーの中でもトップクラスに我が強いあいつを仲間に引き入れるのは容易ではない。少なくとも、そこら辺のプレイヤーが協力を持ち掛けたところで、あいつは誘いに乗ることはないだろう。逆にラストアタックで旨い思いをしようとしている元テスターではと疑われかねない。

 自分がラストアタックを取ることをキバオウに納得させるには、何らかの実績か実際の行動が必要だ。

 

「俺がタゲを取る!」

 

 そう、例えば……レイドリーダーとして攻略パーティをまとめあげるとか。

 横目でボス周辺に視線を向けると、腰の湾刀に手をかけたコボルトロードのタゲを取るべく接近する影が一つ。それが誰なのかを確認して、俺は呆れとも感嘆とも、納得ともつかない息を漏らした。

 おそらく彼――ディアベルは、“キリトにラストアタックを取らせたくない”というよりも、“自分がラストアタックを取らなくてはいけない”という考えから、キバオウに話を持ち掛けたのだろう。

 ディアベルのリーダー性はアインクラッドでも間違いなくトップクラス。あいつに任せておけば、キバオウのような反βテスター集団もとりあえずは事を荒立てまい。

 だが、MMORPGであるソードアート・オンラインにおいて、リーダーシップだけでは足りない。というよりも危うい。なぜなら、いくら人当たりがよくても、自分より弱いと感じるリーダーには誰も従わないからだ。自分の命を預ける攻略リーダーが自分より弱かったら、作戦に不安を感じてしまうからだ。

 だからディアベルはコボルトロードの報酬を手に入れる必要があった。オンリーワンの装備。同層の装備とは一線を画す性能。そんな装備を身につけている人間がリーダーなら、攻略メンバーの士気も上がる。「こいつについて行けば大丈夫」と思える。

 まあ、キリトには悪いが、確かに客観的に見てもそれが最善の結果だろう。今後の攻略士気が上がるのは、俺にとっても歓迎できるし、さっさと倒して――

 

「………………え?」

 

 漏れ出した声は、なんとも間抜けなものだったと思う。

 『インファルグ・ザ・コボルトロード』が腰から引き抜いた得物。緩やかな曲線を描く刃は、確かに曲刀系だ。

 だが、あれは俺が知っている武器じゃない。曲刀使いが一部愛用しているドロップアイテムのタルワールとは似ても似つかない。

 

「おい、あれは……」

 

「あ、ああ…………!」

 

 思わず少年剣士に確認を取ろうとして、呻くような音に口を噤んだ。噤まざるを得なかった。今にも気を失ってしまいそうなほどの恐怖に苛まれた表情が、答えを雄弁に語っているのだから。

 

「だ……だめだ、下がれ!! 全力で後ろに跳べ――――ッ!」

 

 喉が張り裂けそうなほどの絶叫は、果たして彼に届いただろうか。ボスの刃が発するソードスキルのサウンドエフェクトがフロア中に響き渡る。

 重い地響きを上げながら、コボルトロードの巨体が高く飛び上がった。柱を蹴って重力に速度を乗せながら身体全体を捻ると、武器が深紅のライトエフェクトで輝きだす。

 

「グラアアアアアアアア――ッ」

 

 着地と共に迸ったライトエフェクトの軌道は六つ。範囲は――水平に三六〇度全方位。

 情報だけで知っていたカタナ専用ソードスキル。おそらくその重範囲攻撃である『旋車』だろう。巨体に合わせて巨大に作られた刀のせいでプレイヤーには再現不可能な悪魔的攻撃範囲は、ディアベルどころか周囲を囲っていた他のC班、果ては運悪く範囲内で構えていたG班をも巻き込んだ。二班十二人のほぼ満タンだったHPが軒並み半分を下回り、その色合いを緑から黄色へと変える。

 しかもこのソードスキルの恐ろしいところは、その圧倒的火力にも関わらず高確率でスタンのバッステが付く点だ。最悪なことに誰もリアルラックを持っていなかったようで、十二人全員のステータスにスタンのアイコンが表示されている。

 無防備な彼らに、本来入るべきフォローはない。提供されていた事細かな情報、順調すぎる攻略、それに伴う慢心。それら全ての要素が、突然の事態への対処を阻み、身体を凍結させていた。

 

「すまない、ハチ。任せた」

 

 そんな中、横を通り抜ける風が一つ。『アニールブレード』を構えたキリトが、俺の返事も待たずにボスへと駆けだしたのだ。

 キリトがいなくなったことで、タゲを取ったコボルトは俺だけを狙ってくる。振りかざされたポールアックスを最低限の動きで躱し、その顔面にメイスを叩き込んだ。ソードスキルではなく、ただ手ずからの一撃。兜に阻まれたこともあり、ダメージはほとんどないが、センチネルは小さくよろめいた。

 そこにもう一度、今度は胸部の鎧をへこませる勢いで通常攻撃をぶつける。

 

「さっさと沈んどけ」

 

 犬のような大きな口を開き、威嚇するように吠えてくるその鼻先に、『パワー・ストライク』を叩き込んだ。言葉尻には自分でも自覚できるほどの怒りが滲み出ていた。

 その怒りは何に対してか、誰に対してか。そんなことは決まっている。自分自身に対してだ。

 分かっていたはずだ、βテスト通りにはなり得ないと。分かっていたはずだ、危険な戦いだということは。

 それなのに気を緩めてしまった。この先なにかあるなんて考えすらしていなかった。そんな自分を諫める、まるで意味のない怒り。

 相対するセンチネルにとっては理不尽も甚だしいことだろう。それでいい。これはただの八つ当たりなのだから。

 

「おらァ!」

 

 敵の攻撃を躱して『アッパー・スウィング』を発動する。二連撃技であるこのスキルには、名前のように下から上に振り上げるモーションが存在する。防御が一番疎かになっている首元を狙うにはちょうどいい。

 ソードスキルの硬直が解ける直前に振るわれた長柄斧の一撃を、自身の得物ではじく。結晶塊と金属がぶつかり、火花を散らした直後――

 ――パリン、と何かが割れるような音が耳朶を掠めた。

 

「くっ」

 

 無理やり身体を捻り、腹に蹴りをかまして距離を取る。意識は目の前の敵にしっかりと向けたまま、フロア中央で戦うボス集団に視線を向けると、しゃがみこんだキリトの周りに青いポリゴン結晶の残滓が散っていた。センチネルの攻撃を避けながらようやく起き上がったC班G班のメンツを確認して……青髪の騎士の姿がないことに思わず唇を噛みしめた。

 リーダーが死んだ。それが集団に与える影響は、あまりにも大きい。攻略メンバーは、その大半が恐慌状態に陥っていた。誰も動くことはできず、叫び声とも悲鳴ともつかない音がフロアを包み込む。

 感情の暴風に呑まれそうになるのを必死に耐えながら、センチネルを相手取る。考えるのは今後の立ち回りだ。

 つまり、戦闘の続行か、逃走か。

 正直言って、アインクラッドの現状を考えれば続行以外の選択肢はない。何よりディアベルというリーダーの、精神的主柱の喪失は大きすぎる。ここで運よくこれ以上の被害を出さず撤退できたとして、次の攻略パーティが組まれるのはいつになるか。一週間? 一ヶ月? 一年? ひょっとすれば、もう二度と攻略なんて行われないかもしれない。

 ならば、せめて勝ちをもぎ取らねばならない。そうしなければ、どの道終わりだ。

 『アッパー・スウィング』のモーション中、マチたちに意識を向ける。多少動揺したのだろう。それぞれのHPがわずかに減っているが、うまく体勢の立て直しに成功している。後一発か二発、『リニアー』を直撃させれば倒し切れるだろう。

 しかし、それを安心して見ていろ、なんて無理な話だ。

 

「どいてろ!!」

 

 パリィや回避なんて度外視の『パワー・ストライク』のライトエフェクトが突き刺さり、ポリゴン片へと姿を変える。それが砕け散るのを見ることもなく、スキル後の硬直を振り払うように地を蹴り上げて走り出した。向かう標的は当然、パーティメンバー三人が戦っているコボルト。

 

「イロハ、スイッチ!」

 

「っ!」

 

 ちょうど盾を構えて対峙していたイロハは、俺の声に半ば反射的に反応して『スラント』を打ち出した。パリィによる硬直でのけぞった敵の懐に入り込むと、『アッパー・スウィング』を起動する。狙いは当然、無防備な喉元。

 当然、それだけで倒せないことはここにいる全員が分かっている。

 分かっているから、当然彼女が動くのだ。

 

「はああ――ッ」

 

 頭のすぐ上を流星のようなライトエフェクトが弾けた。俺の攻撃と同じ場所を細剣の先端が貫き、残りわずかだったHPをゼロにする。

 

「……これから、どうすればいいのかな」

 

 センチネルが砕け散る中、耳を掠めたのはマチの不安気な声だった。

 続行以外あり得ない。あり得ないのだが……感情とは難しい。一度縛ってきた呪いのような恐怖には、論理立てた説得は効果が薄い。

 だから――

 

「……決まってるだろ」

 

 理屈も論理立てもいらない。多くの言葉は切り捨てていい。

 口にする言葉は、ただ一つ。

 

「ボスを倒すんだよ」

 

 ――ボスのLA取りに行くんだよ。

 それは奇しくも、キバオウにキリトが向けた言葉と同じものを意味していた。




 第一層攻略戦3に続きます。
 なんだかんだ第一層の頃のキバオウ好きなんですよね。どうしてシンカーさんにあんなことをするようになってしまったのか。惜しい人を亡くしました。

 それでは今日はこの辺で。
 ではでは。


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第一層攻略戦3

 キリトの指示のもと、俺たちは再び戦線を立て直し始めた。と言っても、現状動けているのは俺たちH班を除けばキバオウのE班だけ。故に戦線と言うにはあまりにも心許ない。

 ボスの相手をするのはキリトとアスナの二人。キリトがタンク兼パリィ役としてカタナスキル――あの武器は『野太刀』というらしい――をいなし、アスナがダメージを稼ぐ戦術を繰り返している。一瞬のミスで瓦解する戦法だが、二人とも恐るべき集中力だ。未だにまともなダメージは受けていない。

 そしてE班と俺たち三人はそれぞれセンチネルのタゲ取り。センチネルのポップ条件も変更されているらしく、あの後さらに四匹のセンチネルが壁に空いた穴から湧き出してきた。このままモタモタしていたら時間経過で追加湧きしてくるだろうとキリトは睨んでいる。

 

「だから、さっさと潰さねえとな!」

 

 タイマンで相手をしている番兵の顔面にソードスキルの乗った片手棍をぶち当てる。漏れ出るような呻き声を聞き流しながら、技後硬直が解けた瞬間にもう一度距離を詰める。余裕を持った安全行動などではなく、被弾も厭わないダメージ重視の行動だ。

 ポールアックスの斬撃が左腕を掠める感触に眉をひそめながら、セオリーの喉元にソードスキルを直撃させる。HPの全損を確認して、すぐにその脇を走り抜けた。

 敏捷値限界の速度で向かうのは、二人でセンチネルを相手しているマチとイロハのもと。

 二人ともこの一ヶ月でかなりのプレイスキルを身につけているが、マチは敏捷重視、イロハは耐久重視で火力そのものが低い。未だに相対しているコボルトのHPはギリギリ半分といったところだった。

 

「っ! お兄ちゃん、スイッチ!」

 

 俺の接近に気づいたマチが『クロス・エッジ』の二撃目でポールアックスを弾き飛ばす。肩が外れそうなほどはじかれた腕の方向に敵の意識が向いている――おそらくリアリティを求めたただのモーションなのだろうが――すきに間に割って入り、ソードスキルを起動。ライトエフェクトを帯びた得物の先端は鎧の胸当てに阻まれるが、衝撃の反動で互いに数歩後ずさった。仕切り直しには十分な距離だ。

「せんぱい、HP減ってるじゃないですか! 早く回復してください!」

 よろめいていた両足を地につけなおしてコボルトに対峙していると、視線だけを右上に向けたイロハが焦った声を漏らす。確かに少々無茶な立ち回りを演じたせいでHPは四分の一ほど減っているが……。

 

「別にまだまだ平気――」

 

「ダメです!」

 

「ダメだよ!」

 

 めちゃくちゃ否定された上に、マチからポーションを手渡された。さっさと飲めということだろうか。

 このまま押し問答をしていても仕方あるまい。いつでも動けるように意識だけは二人に向けたまま、渋々ポーションの蓋を開けて傾ける。

 トロリと透き通るような赤い液体が口内に入ってきて……思わず吐き出しそうになった。

 

「マズい……」

 

 ソードアート・オンラインにおけるもっともポピュラーな回復アイテムであるポーションだが、これがなかなか難儀な品物だったりする。まず飲んだら即時回復するのではなく、じわじわと一ドットずつ回復する形式。そして一本飲むと視界内に表示されるクールタイムが切れるまで次が飲めないデメリット。この二つにより、大ダメージを受けると相応の時間、戦線離脱を余儀なくされる。

 そして個人的にそれ以上にきついのが味だ。味気ないのに妙な薬品臭さを感じる粗悪な栄養ドリンクのような味。

 たかが味と侮るなかれ。その飲みにくさにPOTローテがうまく回らない、なんていうのはもはやSAOあるあるの一つとなっている。

 まあ、今回はあくまで保険のための回復。回復しきるまで待つ必要もない。

 飲み干したガラス瓶を放り出し、メイスを握り直して構える。コボルトを挟んで盾を構えていたイロハがそれに気づき、パリィを行うために『アニールブレード』に『スラント』のライトエフェクトをまとわせたのを確認して走り出した。

 

「やあっ!」

 

 キン――、と澄んだ音を奏で、センチネルはもう幾度となく見たのけぞり姿勢になる。位置的に喉元は狙えない。ダメージ的に、脚の付け根が最も効果的かと、とっさに判断を下し、距離を詰める。

 そして後二歩、いや一歩もあれば自分の間合いに入る――というところで。

 

「しまっ……!」

 

「っ――――!?」

 

 その切羽詰まった声は、痛いほどに鼓膜を震わせた。最後の一歩は思わず止まり、声の主、キリトを見やる。

 極限を軽く上回る集中力。そもそもがいつまでも続けられるような芸当ではなかった。ギリギリのところでボスのソードスキルを防いだキリトの動きが、無理な体勢も相まって止まってしまっている。

 そして、そんな少年剣士を正面から切り伏せようと振り上げられた刃が、鈍く冷たい光を放つ。

 脳が揺さぶられそうなほどの警鐘を鳴らしてくる。しかし、フォローに向かおうにも今の俺はセンチネルのタゲを取っている身。下手に動けば余計に戦場を混乱させかねない。どうする。どうする、どうする――。

 

「ちょっと邪魔するで」

 

 ゴツいブーツをジッと地面に擦り合わせて逡巡させたのも一瞬。目の前に飛び出してきた人影に、声には出さず目を見開く。反応が警戒ではなく驚愕になったのは、その声、その独特のしゃべり方のおかげで、確認せずとも正体に気づくことができたからだ。

 その人物、キバオウは俺がタゲを取っていたコボルトを片手用直剣ソードスキル『バーチカル』で牽制してタゲを奪うと、鼻を鳴らしながらボスの方を顎でしゃくる。信頼していたリーダーの死。相当辛いだろうに、その目には凛とした意思が灯っていた。

 

「雑魚コボルトどもはワイらが全部相手したるわ。あんさんたちはあん生意気な奴のフォローしてきいや!」

 

「っ――分かった」

 

 返事もそこそこに身体を翻し、コボルトロードへと距離を詰める。遅れてマチとイロハも動き始めた気配を背中で感じた。

 これ以上犠牲者を出さない。これは絶対条件だ。ディアベルが死んだことで、動けなくなっているメンバーも多い。ここでさらなる犠牲が出れば、集団は完全に抗うことをやめてしまいかねない。

 しかし、いざフォローに入ろうと駆け出したはいいが、さっきまでセンチネルの相手をしていた関係上、ボスとのそもそもの距離が遠い。ステータス限界の速度を出してはいるが、キリトを切り伏せ、彼をかばうようにレイピアを構えたアスナに振るわれようとする野太刀の軌道を妨げることは、マチですらできそうにない。

 せめてアスナが致命傷を受けないように祈ることしかできないのか、と小さく舌打ちをして――遠くにいたが故にその大きな影が目に入った。

 

「ぬ――おぉぉお!!」

 

 血のように真っ赤なライトエフェクトをまとう刀を、深緑の光が受け止める。巨大な両手斧のソードスキル『ワールウィンド』だ。

 巨大な得物同士がぶつかり合った衝撃が、骨の髄まで波紋のように伝わってくる。コボルトロードは衝撃のままに大きく後方へと飛びのいたが、黒色の大男、エギルは二歩ほど後ずさっただけでなんとか踏みとどまった。

 

「つゥ――ッ! なんて重い攻撃しやがる。斧の時の比じゃねえぞ」

 

 笑みとも慄きともつかない表情に頬を引きつらせながら、巨大な斧の柄を握り直す。リーダーのデスという精神的負荷からようやく抜け出したと思ったら、ソードスキルをぶつけ損ねれば自分が死んでいたかもしれないという切迫した状況に遭遇したのだ。恐怖に青ざめる表情エフェクトが出ていないのが奇跡だろう。

 しかし、日本人離れした彼の決死の守りのおかげで、最悪の事態を免れることができたのだ。

 

「ナイスフォロー、エギルさん」

 

 そして彼が作った隙の間に、プレイヤー側の戦線も整い始める。エギルのパーティメンバーであるB班の面々に俺たち三人。全体の四分の一にも満たない九人と心許ないものだが、そもそも今まで二人で戦況を維持していたことを考えれば、十分すぎる増援と言えよう。

 

「むしろ遅すぎたんだがな。ダメージディーラーにいつまでも壁役の真似事されたんじゃ、タンク職の立つ瀬がねえや」

 

「いや……ほんと助かったよ」

 

 エギル達は力ない笑みを浮かべるが、キリトは似たような笑みを浮かべて礼を言うだけだった。

 信用していたリーダーが死んだ。現実の戦いでも大将が落ちれば集団は乱れるのが常であることを考えれば、彼らの反応が普通だろう。

 そんな状況の中で俺が動けたのは、偏に客観的にしかこのレイドを見ていなかったからというなんとも自分勝手な理由であるし、そんな俺に引っ張られる形でイロハやマチも動くことができた。アスナはそもそも死を受け入れてるのだろうし、一番の傷心かもしれないキバオウはキリトに焚きつけられ、自身のパーティがセンチネルを引き受けていたからこそ、ある種の正義感から奮い立った。

 ではキリトは? 今そのHPゲージをギリギリにしている少年剣士はなぜ動くことができたのか。最も近くでゲーム内の死を目の当たりにしたにも関わらず、なぜ。

 答えを探すように、膝をついた彼を盗み見て――一人、誰にも悟られることなく納得した。

 瞳の奥に、別の意思が見えた気がしたから。

 ディアベル。あんたは死んでもなお、リーダーであり続けるんだな。

 クリアが最優先。この世界から二人を脱出させることができるのなら、誰が死のうが、他人がどうなろうが関係ない。

 けど、そうだな。その強い意志には、不思議と力を貸したくなってしまうのも無理はないのではないだろうか。

 

「とにもかくにもキリトが今回の鍵だ。回復が終わるまで持ちこたえなきゃな」

 

 ……それが結果的に、俺の目的にも繋がるはずだしな。

 

 

 

「ボスの後ろには絶対立たないように! 全方位攻撃が飛んでくるぞ!」

 

 離れたところで回復しているキリトから指示が飛んでくる。アルゴの攻略本でカタナスキルについて知ってはいるが、やはり実経験に勝るものはない。なんとか、ではあるが、俺たちはコボルトロードの攻撃を凌いでいた。

 ロードの前方にエギル達タンク職が盾を構え、ボスのソードスキルを受けきっている。パリィや回避と違ってどうしても攻撃の余波によるダメージは発生するが、余裕に余裕を持たせたPOTローテのおかげで、かなりの安定しているように見える。

 

「くっ……!」

 

 H班唯一の盾持ちであるイロハも前方防御の担当だ。ガタイのいい集団の中にいると頭一つ二つ小さいその姿は一瞬心配に思えてしまうのだが、アバターの体格など所詮は現実の投影に過ぎない。タンクビルドのステータス振りをしている彼女は、衝撃に身体を震わせながらもその役目を十分に果たしている。

 

「たあっ!」

 

「それっ!」

 

 そしてボスの周囲を飛び交う二つの影。アスナとマチの高機動ペアが敵を翻弄しながら、硬直のタイミングを狙いソードスキルでHPを削っていく。危険な役目にマチを当てるのは正直気が引けたが、ダメージソースは少しでも多い方がいい。

 そして俺はというと――

 

「ハチ、水平薙ぎが来るぞ!」

 

「りょう、かいっと!」

 

 マチたちにヘイトが集まった結果、正面から逸れて飛んできたボスのソードスキルをいなす任務を請け負っていた。エギルたちの【威嚇】スキルでヘイトの分散は可能だが、クールタイムがある以上スキルの連発はできないからだ。

 巨大な野太刀をパリィなり回避でいなすのはなかなかに骨が折れる。こんなことを十回以上、それも連続で繰り返していたというのだから、恐れ入る。同じことをやれと言われたら、五回も持たないだろう。

 まあ、時たま飛んでくる程度だから、なんとかなっているわけだが。

 

「アスナとマチは深追いするなよ! 一撃ぶつけたらすぐに離れるんだ!」

 

 パリィによって発生する隙は、スキル硬直よりも長い。これが通常の戦闘なら、パリィした俺以外で殴っていたに違いないが、追撃を行うのはマチとアスナだけ。それも一撃離脱を徹底していた。

 ひょっとしたらまだβ時代からの変更点があるかもしれない。もう一人の犠牲者も出さないためにも、指揮役であるキリト自身警戒に警戒を重ねているのだろう。

 先駆者の指示は的確で、今のところタンク職の面々のHPも半分以上をキープしている。マチやアスナに至っては速度を活かしたプレイングで一度もバーゲージを減らしていない。

 ただ……。

 

「おいおい、いい加減倒れてもいいんじゃないのか!?」

 

 先ほどまで行っていた二人での戦闘同様、誰かが少しでもミスをすれば一気に瓦解してしまいかねないギリギリの攻略。しかも、安全重視故のDPSの低下。ボスのHPはなかなか減らず、一向に終わらない戦闘への焦燥感。

 十秒が嫌に長く感じる。ひょっとしたらボスは自動回復スキルを所持しているのではないかとHPを確認するたびに錯覚してしまう。タンクプレイヤーの一人が【威嚇】スキルに乗せて張り上げた文句は、その場の全員の思いを代弁していた。

 ――このままじゃ、やばいな。

 そんなことをつい考えてしまったからだろうか。

 

「あっ……」

 

 標的をアスナに向けて身体を反転させたコボルトロード。その動きについて行こうとした壁役の一人が、足をもつれさせて倒れてしまった。

 倒れ込んだ場所は――ボスの真後ろ。

 

「早く動け!」

 

 キリトが張り上げた声は間に合わない。

 ギラリ、と。コボルトロードの眼が凶悪な光を帯びたように見えた。

 目の前にあった二メートルはゆうに超える巨体が、ありえない跳躍をしてみせる。最高点で止まった身体は大きく捻られ、エネルギーを野太刀を構えた左腕に集中させているのが分かった。

 あの巨体が再び俺たちと同じ場所に降り立つと同時に、またあの技を、今度は射程内で見ることになるのだ。

 全方位カタナスキル『旋車』を。

 完全に反応が遅れた。思いっきり後方へ飛んだところで、射程外に逃げることは不可能。ガードでどれくらいHPを残せるだろうか。残せたところでスタンにかかってしまえば、あまつさえ追撃の標的になってしまえばどの道終わりか。

 ならいっそ。マチかイロハの盾に――

 

「う、おああっ!!」

 

 思考が空回りしそうなほど巡っていた頭に、聴覚を通して咆哮が飛び込んできた。

 その短い叫びを伴って、俺の横を駆け抜ける黒衣の影。

 一層最強の片手用直剣を担いだ少年剣士は、膝を限界まで曲げて身体を沈み込ませる。黄緑色の光を放ち始めた『アニールブレード』を一瞥し、その双眸を空中の敵に向ける。

 それもほんの一瞬。膝をバネにした俺より一回りは小さい身体は――飛翔した。

 ボスめがけて砲弾のように光の軌跡が伸びていく。ソードスキルによる補正でもかかっているのだろうか。明らかに常の動きよりも速い。

 やがて、飛行機雲のように伸びた光がコボルトロードに届き、鈍い斬撃音がフロアを震わせる。血のように紅いライトエフェクトが消え去り、バランスを崩した巨体はそのまま床に激突した。

 

「ハチ以外、全方位から囲んでフルアタックだ! 最大火力を叩き込め!」

 

「ッ――!」

 

 なぜ。ボスが転倒のデバフにかかっていることに気づき、攻勢に踏み出そうとしていた両足を床に縫い付けながら、キリトの指示に内心疑問を抱く。そうしている間にも、他のプレイヤーたちは獣人の王を取り囲み、防戦の鬱憤を晴らすように各々ソードスキルを打ち込む。

 幾種ものライトエフェクトが溶けあい混ざりあい、本来の倍近い色の放流を倒すべき相手へと注ぐ。残り三割を切っていたボスのHPゲージは目を見張る速度でその残量を減らしていた。

 そんな中で一人考える。

 なぜ、俺だけフルアタックから外されたのか。

 HP――安全圏。武器耐久値――まだまだ使えるくらい残っている。集中力――割と限界に近いが、それは他のメンバーも同様のはず。

 フルアタックのメンバーから外される理由は見当たらない。そもそも、全力攻撃ならわざわざ火力を落とす必要もないはずだ。

 

「まだまだあああ!!」

 

 一人黙考する俺をよそに、ライトエフェクトと斬撃音だけが支配する空間で、中空に浮かんだボスのHPが二割を切る。その減少速度はなおも衰えない。

 人型MOB特有のバッドステータス、転倒。この状態の間は反撃を食らうことはなく、技後硬直解除後になんの気兼ねなくもう一度ソードスキルを叩き込める。

 斧、曲刀、直剣、短剣、細剣、十を超える各々の得物が再び光を帯び、ボスの身体にデジタルチックな赤い傷をつける。

 HPはさらに減り、一割を割り込んだ。あと少しでボスの身体は他のMOBと同じようにポリゴン片となって砕け散る。

 しかし――

 

「っ! これ、足りない!」

 

 全損に、届かない。転倒状態から脱したコボルトロードが再び跳躍すべく、膝に力を込め始める。このままでは、無慈悲な全方位攻撃がこの場にいるメンバー全員を喰らうことだろう。

 キリトは――動けない。ソードスキルを放った直後のディレイのせいで、分かっていても対処できない。

 キリトだけではない。全員がこれで終わらせるため、がむしゃらに攻撃していたのだ。

 今この場で、この危機的状況をなんとかできるのは。

 できる……のは……?

 

「ハチ!」

 

「そういうことかよ!」

 

 キリトの声に反応したのか。それとも自分で答えに至ったのか。今となっては自分でも分からない。

 分からないが、気が付いた時には俺の身体は、跳躍しようとする獣人の真上にあった。俺の存在に気づいた敵の瞳が、驚愕するように、あるいは敵意をむき出しにするように歪む。

 

「墜ちろぉ!」

 

 その眼光を跳ね返すように、急速に接近してきた獣面の眉間にソードスキルを直撃させた。棍特有の鈍い打撃音と共に、右腕にしびれるほどの反動が返ってくる。

 短い呻き声を漏らしたコボルトロードは、そのまま真下へと落ちていく。ほぼ確実にまた転倒状態になるだろうし、場合によってはスタンのおまけつき――まあ、転倒とスタンが重複しても意味はないのだが――だ。どの道勝負は決まっただろう。

 

「キリト!」

 

 まあ、そこまで待ってやるつもりはないのだが。

 

「GJ! アスナ、行けるか?」

 

「大丈夫」

 

 直後、墜落したコボルトロードめがけて一筋の流星が奔った。この数日幾度となく見てきた『リニアー』が倒れた巨体の腹部に刺さる。

 

「うお、おおおおおおおお!!」

 

 そしてそれを追うようにキリトが『バーチカル』を放つ。雄たけびと共に振るわれた正真正銘全力の剣は、赤黒い肌をしたモンスターの腹部に大きな真一文字を描いてみせた。

 既に残り五パーセントもなかったボスのHP。それがこの連撃を受けて残るはずもなく――

 

「うご、おおあァッ」

 

 最後に断末魔のような遠吠えをあげ、第一層フロアボス『インファルグ・ザ・コボルトロード』は、その身体をポリゴン片へと変えて散ったのだった。

 ――Congratulations.

 ボスが砕け散った地点の空中にでかでかと現れた攻略完了を示す表示を見て、思わず身体を硬いフロアの床に投げ出した。

 まだ百分の一。道のりは未だ長いことに変わりはないが。

 ようやく、クリアへの確かな一歩を踏み出したのである。




 ようやくコボルトロードが倒れてくれました。予想以上に長かったです。

 戦闘シーンをもっとリアルに描きたいないぁと思いながら、なかなかうまくいかないジレンマ。
 あと、この攻略自体は原作(プログレ)の流れを大きく変えたくないと思っていたので、何度も書いては消してを繰り返してました。

 とりあえず次の話が終われば一区切りかなと。牛歩ペースですが、今後もよろしくお願いします。

 それでは今日はこの辺で。
 ではでは。


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