病みつき物語 (勠b)
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がっこうぐらし!
病みつき由紀


早速の一作目ですが、ヤンデレ成分は少な目です。
空想で伝える言葉は現実か


あの日、世界が終わった。

何も変わらない、退屈すぎるぐらいな日常が今ではとても恋しく思う。

眠い中怠い身体を起こして、親に挨拶して、支度をして、学校に行って、クラスの友人達と話ながら楽しく過ごして。

そんな、そんな退屈でも楽しい日常。

そんな、日常。

 

何時からだろうか、覚えていない。

化け物が襲ってきたのは。

世界が終わったのは。

覚えているのは、壊れた初日のこと。

話し声で溢れていた楽しい教室に響いた叫び声。

皆で様子を見に行ってそこで見えたのは日常とはかけ離れたもの。

整った制服に身を包んだ、ぼろぼろの肌。

いや、ぼろぼろなんてものじゃない。

崩壊している、そう見て取れる。

兎に角、そこにいたのは人じゃない。

人の形をした何か。

ゲームや映画の世界にしか存在しないと思っていた。

ゾンビ。

そこには、それがいた。

それを見た反応は人それぞれだった。

驚きから体を動かせないもの。

叫び、逃げるもの。

中には立ち向かおうとして人々の前に立つもの。

俺は、動けなかった。

目の前の異様なモノに対してどんなリアクションを起こすのが正しいのかわからなくて、動けなかった。

 

あの日、世界が変わった。

ゾンビは確実に人を喰らい仲間を増やす。

なんとか逃げれた俺は、俺と同様に逃げ切った人達と一緒に動いている。

学園生活部

そこに俺はいる。

俺と彼女はそこにいる。

ここいるから、誰か、助けて。

 

 

 

 

━━━━━━

ガラスをなくし、役目をなくした窓越しに外の景色を見る。

無数の人影がゆっくりとしたペースで歩き回ってる。

そろそろ外に行かないと、食糧が無くなってくるな。

軽い頭痛と共に想いため息をつく。

また、地獄巡りか。

そう思ってると、部屋のトビラが開く。

 

「おはよー」

視線を移すと片手を元気に振りニコニコとした笑顔を見せてくれる彼女がいた。

「おはよう由紀」

俺とは違いニコニコとした笑顔の由紀を見ると自然と笑顔になってしまう。

何というか、分からない人だけど少なくとも今の俺からしたら必要な人だ。

由紀のお陰で俺は今日まで潰れずにやってきた。

きっと、由紀がいなかったら今頃━━━

もう一度視線を外へと移し、ゾンビ達を見る。

……死んでもあぁはなりたくないな。

 

「皆もおはよう」

誰もいないテーブルに向かって挨拶をすると、由紀は挨拶をする。

「今日の数学ってテストだよね?私、勉強してきたんだよー」

誰もいない席に向かって視線を移しながら話し始める由紀。

それを見ると、呼吸が荒くなる。

胸が苦しくなる。

「由紀、朝ご飯ね」

「ハーイ、今日はカンパン?」

「そうだよ、近いうちに遠足にいって買い物しようか」

「遠足かー、いいね」

嬉しそうに答えると「皆も行こうね」と何もない空間に語り初めると、それをきっかけに話し始める。

俺からしたら独り言だけど、由紀からしたら違う。

れっきとした会話なんだ。

 

ふと、由紀の視線の先を追う。

何もない空間に。

学園生活部

そこは、2人しかいない部活。

でも、初めは違った。

俺達を含めて4人いた。

それに、顧問の先生立っていた。

でも、違う。

今は違う。

あの日、俺達が遠足というなの地獄巡り……食糧確保に行ったとき。

正直、余裕だと思ってた。

胡桃と俺はゾンビ達の相手を何度もやってきた。

だから、多少の数なら問題ないと本気で思ってた。

 

車を使って、ショッピングモールまで行って……

中にいるゾンビ達の相手をしながら食糧を集めて……

途中までは上手く入ったのに……

油断だった。

俺も、胡桃も、リーさんも。

初めはリーさんが噛まれた。

大量の数を相手してたせいで、集中力が無くなっていた。

言い訳だ。

言い訳だけど、聞いて欲しい。

リーさんが噛まれて動揺した。

ゾンビに襲われかけた時に、胡桃が助けてくれた。

逃げようとした時に、りーさんが、いや、リーさんだったものが胡桃の足を掴んで━━━

リーさんの首を切ろうととっさの判断で動こうとする。

胡桃もだ。

相棒のシャベルを空高く振り上げていた。

だからこそ、手を出さなかった。

言い訳だ。

本当は、知ってる人に手を殺めたくなかった。

相手はゾンビ。

知っている。

でも、リーさんだ。

死んでいるのは、知っている。

それでも、できなかった。

だからこそ、胡桃に任せようとした。

でも、間違いだった。

シャベルは崩壊した天井を指しながら動かない。

やばい。

そう思って動こうとした時には遅かった。

胡桃は足を噛まれ、力なくその場を倒れて━━━

胡桃の瞳が、俺を映す。

両目に涙を溜めた彼女の瞳に映っているのは、涙のせいか歪んだ俺の顔。

何かを言いたげな彼女の瞳から、俺は逃げた。

由紀と一緒に。

 

……胡桃、りーさん。

それからのことは、正直余り覚えていない。

ただ、由紀に聞くと俺はずっと教室で泣いていたらしい。

ごめん

そう言いながら、泣いていたらしい。

あの日から、俺達は2人っきりだ。

でも、由紀からしたら違うらしい。

……それでいいや、そう思う。

由紀はこの現実に目を向けなくていい。

世界を見なくても良い。

現実から眼をさらした彼女を、守る。

2人を守れなかった俺だから。

だから、由紀だけは守ってみせる。

……それが、少しでも言い訳になればいいけど。

 

「あっ、ダーリンがりーさんのこと見てる!!」

ダーリン。

それは、俺のことだ。

別に付き合ってる訳じゃない……と思う。

告白だなんて素敵なイベント、この地獄の中でした覚えなんてないし、由紀とはクラスも違ったからここで会うまで知らなかった。

でも、由紀からしたら俺と付き合ってるらしい。

曰わく「ダーリンから私に告白してきたじゃん。変なダーリン」とのことだ。

あの日、俺達2人だけになったこの部屋で急に言われたときは驚いたけど、今に思えばきっと由紀は俺のことを心配してくれたんだと思う。

……まぁ、わからないけど。

 

「ダーリン、浮気は許さないよ」

「浮気なんてしないよ」

「本当に?」

「……俺には由紀しかいないから」

由紀しかいない、いないんだ。

由紀がいなくなったら俺は……

「えへへ、じゃ何時ものやってー」

物欲しそうに顔を近づける由紀。

俺は、何も言わずにキスをする。

守るよ。

それが、俺の言い訳だ。

そう思いながら、顔を少し離す。

赤く染まった顔に、嬉しそうな笑顔。

その瞳に映る俺は、どことなく歪んで見えた。

 

 

 

 

 

━━━━━━

由紀と共に授業を受けるために静かな教室で日中を過ごす。

この物音一つしない教室で寝るのが俺の習慣だったりする。

夜はゾンビ達を警戒して寝てる由紀の傍で、可愛らしい寝顔を見ながら恐怖に怯えながら過ごす。

夜は嫌いだ。

なんだが夜はゾンビ達が活性化してるような気がするから。

でも、昼は違う。

ゾンビ達が来ても由紀が何かしらの反応がするからそれで目が覚める。

だから、昼は好きだ。

使い慣れた机に顔を伏せると、すぐに意識を手放す。

ごめん、こめん……

そう、思いながら。

 

夢の中ではいつも、ショッピングモールのことを思い出す。

胡桃が、りーさんがゾンビになって━━━

でも、最後はいつも違う。

由紀を連れて逃げようとすると、由紀が消える。

部屋から出ようにも、扉がない。

大量にいたゾンビは姿を消して、物陰が2つ。

俺のよく知ってる制服を身にまとって━━━

ぼろぼろの制服にお似合いな、ぼろぼろの肌。

血生臭さを感じながら、力なくその場で倒れる。

ごめん

そう、思いながら。

ゾンビ達は、俺に近づいて━━━

 

「……ダ……ン」

倒れた俺の体を起こす。

「……り……」

ゾンビの瞳に俺が移る。

それは、人の姿をしてない。

着慣れた制服を着てる、ゾンビ。

「ダーリン!!」

 

急な大声に目を覚ます。

余りにも大きい声だ、ゾンビに気づかれたらどうしよう。

そう思いつつ、ゆっくりと教室を見渡す。

皆が笑いながら、楽しそうに過ごす教室。

でも、次の瞬間には殺伐とした空っぽの教室へと姿を変えた。

もう、退屈な日常には戻れないのかな。

そう思うと、泣きたくなる。

ごめん

彼女達の事を思うと泣きたくなる。

もしも、俺に勇希があったら。

きっと、今頃、皆で4人で過ごせてたのに。

俺は…… 

何も言えない、誰にも聞かれない言い訳を見る。

心配そうな顔で俺を見つめる由紀を。

由紀を守るから、だから……

だから、ごめん。

今度は、俺の身を挺しても……

 

席から立ち上がり由紀を抱きしめる。

由紀の肩が大きく震えるのを感じながら、それでも離さないように。

力強く、抱きしめる。

「痛いよ、ダーリン」

「……ごめん」

「えへへ、もう少しこのまま抱きしめてくれるなら許してあげる」

悪戯っぽく笑う由紀。

由紀、お前だけは俺が守る。

自分でもわかる。

見苦しい言い訳だし、空っぽの言い訳。

誰にも伝えられない、無駄な言い訳。

それでも、いい。

「……ダーリン」

「どうしたの?」

「私、最近学校が楽しい」

「……そっか」

「ダーリンがいれば、私はそれだけでいいよ」

「……そっか」

「ダーリンが私の傍にいたら、それだけで私は幸せだよ。

 他の物はいらないの。

 何時までも、この幸せが続けばいいのにね。

 ずっとずっっっと、私達が傍にいられる世界にいれればいいのにね」

「……そっか」

 

由紀は、どういう意味で言っているのだろうか。

本当の世界を見ながら言っているのか。

それとも、見えてる世界での事を入っているのか。

……なんでもいいや。

由紀が傍にいたら、それでいいや。

 

「幸せだよ、ダーリンさえ傍にいたら」

 

そう何度も呟く由紀の顔を見る。

幸せそうな笑みを浮かべる由紀の顔。

俺は、守らなきゃ。

そう、強く思いながら。

 

 

 

 

 

━━━━━━

放課後、俺達は部室で過ごす。

いつも道理、外の人達に伝わるようSOSが伝わりそうなことをする。

今日は、風船に手紙をつけて飛ばす作業だ。 

もう、何日も何回もやっている作業。

適当な紙を使って住所と今の状況がわかるように書いていく。

由紀には風船を膨らまして貰っている。

「楽しいねー」

「そうだね」

「ダーリンも風船膨らまそうよ」

「俺はこっちの担当だから」

「そっかー」

 

放課後の部室は俺達2人だけだ。

当たり前だけど、当たり前じゃない。

由紀の世界でもそうなっている。

夕食の時間までの間は正真正銘の2人っきり。

余りない貴重な時間だ。

 

「ねぇ、ダーリン」

「どうかした?」

「これさ、意味あるのかな?」

「……楽しいでしょ?」

「……そうだね、変なこといってごみん」

 

鋭い問いかけ。

由紀は最近、たまにこういう事を言う。

はぐらかすとそれ以上の追求が来ないのが不幸中の幸いだけど。

もしかしたら、由紀も少しずつわかってるのかもしれない。

今の、世界に。

 

「うーん、でもあきちゃうよ」

「少し休憩する?」

「する!!」

 

由紀は膨らませた風船の紐を一カ所に縛り、俺の隣に座る。

おやつ用にカンパンを用意していたため、それを由紀の前に置く。

 

「カンパンだー」

「いや?」

「ダーリンと一緒ならなんでも美味しいよ」

 

俺の腕に抱きつくとカンパンを美味しそうにほうばる。

本当に、幸せそうだ。

そんなことを思っていると、口に堅い物が当たる。

 

「あーん」

 

口を開けさせようとするのか、押し付けられるように差し出されたカンパン。

本当にカップルだったら、幸せなんだろうな。

そう思わず思ってしまう。

でも、演じてあげないと。

口を開けて、カンパンを食べる。

お世辞にも美味しいとは言えないけど、それでも今となってはごちそうだ。

 

「えへへ、私も、あーん」

「はい」

 

開かれた口にカンパンを優しく入れる。

それを嬉しそうに食べる由紀を見てると、なんだか俺まで嬉しくなってしまう。

もしも、もしもこのまま……

このまま、最後まで2人っきりだったら。

ふと思った想像だが、とても恐怖を感じてしまう。

でも━━━

隣で幸せそうに微笑む由紀を見ると、何となく思ってしまう。

最後までこうやって過ごすのも良いかもしれない。

俺と、由紀の2人が━━━

 

そこまで考えて大きく首を横に振る。

だめだ。

変なことを考えるな。

俺達は生きるんだ。

生きて、助かる。

そう、思うようにする。

 

「ダーリン」

甘い声と共に、片腕に柔らかい感触があたる。

「難しい顔してるよ?」

「……ごめん」

「いいよー」

片腕に抱きつきながらは話す由紀はどこか幸せそうだ。

「ダーリン、私の事好き?」

「どうしたの急に?」

「こたえて」

真摯な瞳で尋ねる由紀に動揺してしまう。

何時になく強気な彼女にたいして。

だから、俺も真摯に応える。

「好きだよ、俺には由紀しかいないから」

もう、由紀しかいないから。

「そっか、ならいいよ」

普段道理の優しい笑顔に戻る。

さっきのはなんだったんだろう。

そう、思ってしまう。

「ダーリン、私ね最近幸せだよ」

由紀は語る。

自分の思いを、自分の世界を。

「学校の皆とお話しして、終わったらここに来て、皆と遊んで最後は皆と過ごす。

 それに、ここにはダーリンがいる。

 ダーリンがいるから幸せになれる。

 ダーリンがいたら、私は幸せ。

 ダーリンさえいてくれれば、それでいい。

 皆も大好きだけど、ダーリンが一番好き。

 だーいっすきだよ、ダーリン」

 

幸せそうに微笑む由紀を見ると、俺まで嬉しくなる。

この世界には2人しかいない。

思わず、そう思ってしまう時がある。

あの日から、俺達は2人だけ。

 

「ダーリン私達ずっと一緒だよ、最後までね」

 

最後まで由紀と一緒。

そうなるんじゃないかって思ってしまうときもある。

 

「死が2人を分かつまでね」

 

どちらかが死ぬ時、その時は俺達は死ぬ時。

俺が死んだら由紀は生きていけない。

由紀が死んだら、俺はきっと生きていけない。

だから、俺達の死。

抱きついてくる彼女を見ながら、俺は願う。

もしも、もしも助かるならば早く助けて。

俺達はここにいる。

助けがないなら、それでいい。

俺達はここでいきる。

この、世界で。

 

 

 

 

 

━━━━━━

後日談、その後の話。

俺達は助かった。

救助されたんだ。

でも、由紀の様子がおかしい。

救助にきたへりを見ながら、叫ぶ俺の隣にいた静かな彼女。

そんな彼女の呟き。

 

「私はダーリンと2人だけの世界でいいのに」

 

気のせいだろう。

気のせいなんだろう。

そう、思うことにする。

だって、これで俺達はもとの世界に戻るんだから。

 

 

━━━そう、思ってたのに。




次は後日談になります。
キャラのリクエストうけつけています。
詳しくは活動報告を見ていただけると幸いです


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病みつき由紀~後日談~

目に見える 世界は誰も 違ってる


あの日、俺達の世界は終わった。

 

大量の化け物共に囲まれた生活は辛く、死と隣り合わせの毎日だった。

でも、それも終わった。

俺達は助かったんだ。

救助に来たヘリに乗り俺達は平和な世界に帰ってきた。

でも、戻ってきたのはそれだけ。

何も返ってきてない。

そう、何も返らない。

友達も仲間も何も、返ってこない。

胡桃も、りーさんも、めぐねぇも━━━

何も返ってこない。

もう、返ってこない。

 

 

 

 

 

━━━━━━

ヘリから降りると、俺達はすぐに保護の名目でマンションの一室に隔離された。

その時に由紀とは離れ、バラバラになった。

俺は、毎日来るスーツを着た来客に地獄での話をする。

でも、それが怖い。

ゾンビ達の話をするだけで思い出し、泣きそうになる。

俺が話すことが辛くなったら休憩を挟み、また話す。

これを何日も繰り返した。

正直、上手く話せた自信はないけど。

だって……。

 

来客者はよくは知らないが、警察関連の人らしい。

そのあたりの話は余り覚えていない。

気が気でない中での話だったからか、記憶できなかった。

来客者も「仕方がない」と話してくれたけど。

来客者からは何時も由紀の話をしてくれる。

由紀は俺の近くの部屋に隔離されているらしい。

由紀は人が来て話すことを面接ととらえているらしい。

そういえば、もう卒業とかの時期か。

面接としての話にゾンビ達の事を聞くが、動揺し全く応えようとしない由紀に対しては直接的話すことを止めて今では単なる話し相手になってしまったとのこと。

近いうちに精神科の先生に本格的に見ていただくとのことだ。

 

それと、どうやら生存者は俺以外にも複数入るらしい。

中には俺と由紀みたく2人っきりで生きてきた人達もいると聞いて、少し驚いた。

その人達と会ってみたいな、なんて思いながら。

暫くはこんな毎日を過ごしていた。

でも、ある日変わったことがあった。

 

普段来る来客者とは違う白衣の人が俺の前に現れた。

話を聞くと、どうやら精神科の世界らしい。

初めはなんで俺に来たのかわからなくて、少し暴れてしまったが落ち着いた頃には優しい口調で声をかけられる。

なんというか、プロの人だななんて思ってしまう。

どうやら、由紀を見るついでに俺達他の生存者の様子を見に来たとか。

たしかに、あんな環境で過ごしてきてまともな精神で過ごせている奴なんていないだろう。

俺は、白衣の来客者から投げかけられた言葉を返していく。

淡々と、思うように。

でも、それも終わった。

最後に投げかけられたら疑問が俺の言葉を壊した。

 

「あなたは、ここにいる?」

 

何を言っているのか、何を言いたいのか本当に分からない。

思考しても考えても言葉を探しても、無駄。

質問の意図が読めない。

困惑している俺を見て数秒、白衣の来客者は「なんでもないわ」と言い残して部屋を去った。

部屋には1人残されている。

ひとりぼっちだ。

そうだ、俺は

俺は、ここにいる。

この━━━世界に。

そう思うと思わず口元に笑みを浮かべてしまう。

何でこんな簡単なことすらわからなかったんだろう。

そう、思う。

 

 

 

 

 

━━━━━━

白衣の来客者が来てから数日後、何時もの来客者がやってきた。

とうやら、もう俺の役目は果たしたらしい。

来客者は俺に言う。

「君が条件を守ってくれるなら、私達が君に新しい環境をあげよう」

淡々と述べられた条件は以下の通りだ。

・ゾンビ達の事は誰にも言わない

・巡ヶ丘市にいたことは誰にも言わない。

以上。

俺は巡ヶ丘市にいた事を隠すため、全く違う経歴を書かれた履歴書を渡される。

なぜ履歴書?

と尋ねると、どうやら由紀との面接に使ったらしい。

来客者は苦笑している、こんなのを書くのは久しぶりだ、楽しかったよ。と皮肉めいた口調で言われてしまう。

すいません。

内心謝っておく。

 

俺は、この話を了承した。

代わりに得られたのは、仮の経歴と新たな住所そして、多額のお金。

迷惑料、というなの口止め料だろう。

どうやら、俺達一人一人に多額の金額を支払うらしい。

さらには、今回だけではなく毎月とのことだ。

働かなくても生きていけるだけのことはしていけるらしい。

そこまでしてくれるのか、と軽く驚くがそれだけのことかもしれない。

と、思うことにしよう。

最近、深く考えるのに疲れてきている。

だから、この話もこれで終わりだ。

そんな自己完結をして早数日。

俺達は、新しい生活で過ごすことになった。

そう、化け物も恐怖もない、明日がある生活に……

変わった。

 

 

 

 

 

━━━━━━

俺が一人暮らし、というか監禁生活を終えてから1ヶ月が過ぎた。

俺は近くの学校に通ってそこで授業を受けている。

静かな部屋だ。

窓ガラス一つ割れていない部屋。

目の前にいる先生は黒板に文字を書いていくと分かりやすく解説を入れる。

解説中何回か俺と視線が合うのは、仕方がないことなんだろうか。

そんなことを思いながら、黒板の文字をノートに写していく。

平和な時間だ。

そんなことを思いながら黒板を写し終えると、教室から一瞬音が消え、それを見計らったように黒板に新たな文字が刻まれていく。

早く終わらないかな。

そんなことを思いながら、窓から空を見る。

退屈な日常を噛みしめながら。

 

 

 

 

 

━━━━━━

学校を終えると俺はすぐに行くところがある。

歩いて数分の所にある精神患者向けの病院。

そこには彼女がいる。

受付の人に面接の許可を得て、俺は彼女のいる部屋へと向かう。

軽い、けどどことなく重く感じるトビラを開けるとそこには真っ白の部屋が広がる。

必要最低限な物すらない真っ白な部屋。

そこに寂しく置かれているベッドの主は楽しそうに壁に話している。

「めぐねぇ、私ね卒業してらダーリンのお嫁さんになるんだ。え?ち、違うよ!!働きたくないんじゃなくて、お嫁さんになりたいの!!」

楽しそうに独語を弾ませる由紀は、まだこの世界には帰ってきていない。

未だに由紀の中には学園生活部があるらしい。

でも、由紀は自分が病室にいることを理解していたりする。

 

「だってね、この子とダーリンの傍に少しでも長くいたいんだもん」

そう話すと平べったいお腹をさする由紀。

想像妊娠。

先生はそう判断していた。

由紀は精神に異常をきたし、日常生活を支障なく過ごすことは不可能だと判断されていた。

少し過剰すぎないか?

とも思ったが、専門的な知識なんて持ってない俺からしたら何も言えない。

だから、こうしてここで暮らす由紀の様子を見に行くことが俺の日課だ。

 

「えっ?ダーリン来たの?……あっ、ダーリンだ!!」

 

めぐねぇに教えてもらったのか、俺の方を急に振り向き手を振る。

俺はそんな彼女に近付き付近の椅子に座る。

 

「調子は?」

「元気だよ」

「体は?」

「えへへ、元気元気」

「その、子供は?」

「元気に私の中で過ごしてるよ」

 

由紀は笑顔で言うと、俺の手をとり自分のお腹にあてる。

 

「ほら、ダーリンも感じるでしょ?」

「……そうだね」

 

俺は、合わせることしかできない。

嬉しそうな彼女に。

 

「私ね、今度この子に必要な物を買ってこようと思うんだ」

「……先生は何って言ってたの?」

「ダーリンと一緒に行きなさいって!!こういうのは、夫婦で考えながら買うものだって」

「そっか、じゃあ今度の日曜日に行こうか」

「うん、デートね」

「そうだね」

 

そんな雑談をしながら由紀と過ごす。

由紀と俺はこれまでリハビリという名目で近所を出たことがある。

条件は、1人にならないこと。

2人でいないと必ずよからぬ事が起きるから。

だから、基本は手をつないで2人一緒だ。

由紀も分かってるのか分かってないのか俺の手を離そうとしない。

先生も初めは傍で見守る人を置いていたが、最近は傍にそういう人を置かなくなった。

信頼なのか、それとも……

まぁ、いいや。

そう終わらせよう。

由紀と談笑していると、そんな細かいことはどうでもよくなる。

 

「じゃ、2人で先生に許可もらいに行こうよ」

「そうだね」

 

由紀は立ち上がると俺の手を引っ張る。

それにつられるようにして歩いていく。

この、幸せを噛みしめながら。

 

 

 

 

 

━━━━━━

先生から外出の許可を頂き、今日は約束の外出日。

俺は由紀と一緒に病院を出て近くのショッピングモールへと向かう。

道中、由紀から難しい話を振られた。

 

「ダーリンは卒業したらどうするの?」

 

思わず悩んでしまう。

「私と子供のために就職?」

就職か、それも悪くないな。

「そうだね、由紀達のためにも働くよ」

「えへへ、それでこそ私のダーリン」

「由紀も家事頑張ってよ」

「うん、頑張るね」

 

そんな雑談をしていると、ショッピングモールが目にはいる。

ショッピングモールを見ると、思わずあの日を思い出してしまう。

胡桃、りーさん。 

2人の顔を思い出しながら、歩いていく。

 

「痛いよダーリン」

その言葉で我に返る。

慌てて手を離すと、由紀の手が少し赤いことに気づく。

相当強く握ってたんだな。

「ごめん」

軽く謝罪を入れから、由紀の手を握る。

「えへへ、いいよ。迷子にならないようにちゃんと手を握っててね」

嬉しそうな笑みを浮かべる由紀を見ると、目を背けてしまう。

早く買い物を終わらせて、早く帰ろう。

そんなことを思いながら。

 

 

 

 

 

 

━━━━━━

ショッピングモールの買い物は順調に進んでいった。

子供のために買うとか言っていたが、結局自分の物を買う由紀を見ると苦笑いしか出来なくなる。

気がついたときには俺の手には大量のおやつが入った袋を持っていた。

やれやれ、困った奥さんだ。

 

「あっ、そうだ」

奥さんの事で悩んでいると、由紀はわざとらしく声を出し上目使いに俺を見つめる。

「少し買いたい物があるから、ここで一旦お別れね」

「一緒に行けばいいだろう」

「もう、ダーリンは女心をわかってないんだから」

「何買う気だよ」

「えへへ、楽しみにしててね」

由紀は優しく微笑むと俺の手を両手で握る。

「私達が幸せになるための物だの」

「俺達が……幸せ?」

由紀の謎の発言にしわを寄せる。

なんだろうか?

「それじゃ、行ってくるね。30分後にここで集合ね」

俺の手を勢いよく離すと来た道を返る由紀。

「遅れちゃだめだよー」

手を振りながら逃げるように話す。

「おい、由紀!!……由紀?」

 

俺は自分の手を見る。

誰にも捕まれていない手を。

ふと、周りを見渡すと、沢山の影がいているのがみえる。

由紀……由紀……。

俺は、考えるのを止めて歩き始める。

力なく、無気力に。

一つの影を目印にして。

 

 

だめだだめだだめだだめだ。

ふと、気がつくと俺は由紀と離れた場所にいた。

時間は早いもので待ち合わせの少し前だ。

由紀、由紀、由紀。

俺は周りを見渡す。

そこには、彼女の姿はない。

時間なんだ、来るはずだ。

そう思いながら、必死にこの場に居座る。

動こうとする足を必死に止める。

大丈夫、由紀ならすぐに来る。

これだけを頼りにして。

 

「ダーリン!!」

嬉しそうな呼びかけに気づくと、お腹に軽い衝撃とともに柔らかい感触が来る。

「えへへ、お待たせ」

「由紀、急にいなくなるなよ驚くだろ」

「ごみん」

由紀を離すと俺は彼女の手をつかむ。

「ほら、荷物持つから頂戴」

由紀が持つ小さな紙袋をとろうとすると、由紀はそれを守るように自分の体に押しつける。

「これはね、大事なものだから私が持ってるの」

……珍しいな、何時もなら進んで持ってって言うのに。

「それとね、ダーリンにこれをあげたいから少し雰囲気あるところに行こうよ」

由紀は俺の手を引っ張ると走り始める。

その横顔は慌てているのか、真剣そのものだ。 

まるで、誰かから逃げるように。

まるで、化け物から……逃げるように。

そんな彼女の横顔を見てしまうと、何も言えなくて、何も出来ない。

俺は導かれるままに共に走る。

行く宛があるのかは知らない。

何処に行くのかわからない由紀に、身を任せて。

 

 

 

由紀に連れてこられたのは空き地だった。

そこまで広くない空っぽな空き地にたどり着くとゆっくりと中心へと向かった。

 

「私ね、最近つまらないの」

何もない空間に向けて真剣な眼差しで語り始める。

「何時もね、胡桃ちゃんやりーさん、ゆきねぇがお見舞いに来てくれるけど、ダーリンはいつも最後に来るんだ」

俺は昼間は授業を受けている、何時でもいる皆に比べたら遅くなるだろう。

「なんでだろうってずっと考えてたの」

真ん中にたどり着くと足を止め、俺を見る。

「そしたらね、わかったんだ」

真剣な眼差しは正直に俺の目を捉える。

「ダーリンは、私の傍にいない」

笑み一つ浮かべない普段とは違う由紀。

「ダーリンは私とは違うんだね」

何を伝えたいのか分からないけど、分かる。

不思議な感覚だ。

「ダーリンと私は違うんだね」

きっと、分かってしまったんだろう。

「私ね、気づいたんだ」

自分達が見ている世界は違って

「私の本当にほしいもの」

狂っていることに。

「ダーリン」

甘い口調で呼ぶとゆっくりと俺に抱きつき、その体を預けてくる。

「ダーリンには今、何が見えてるの?」

俺が、見えているもの。

ふと周りを見渡す。

近くの道から視線を感じる。

沢山の視線。

こんな空き地で抱き合っているんだ、見せ物としては十分なのかもしれない。

「ダーリン私と何時までも一緒にいてくれる?」

切実な望みを耳にすると、俺は重い口を開く。

「一緒だよ、いつまでも」

「そっか」

満足したのか安心したのか、抱きつく力がより強くなる。

「それじゃ、私達はずっと一緒だね」

「そうだね」

「ずっと私の傍にいてくれる?」

「いるよ」

「そっか」

「由紀も忘れないでね」

「忘れないよダーリンのこと」

震えた手で由紀の頭を撫でる。

撫でているうちに少しずつ震えが収まっていく。

「ダーリン、最近楽しい?」

「……楽しくない」

「そうだよね、だってダーリンはおかしいもん」

 

おかしい。

その言葉が重く胸にのし掛かる。

そして、ふと笑みがこぼれてしまう。

やっぱり、おかしいのは俺なんだ。

ずっと、望んでいた。

由紀からその言葉を言われるのを。

 

「ダーリン」

 

優しい口調で呼ぶ由紀は、俺達の学校で見慣れた笑顔。

 

「大好きだよ」

 

甘い声は、ずっと聞きたくなるような甘味の音色。

 

「だから、ね」

 

ごそごそと物音が聞こえる。

すぐに終わると、片手が離れるのを感じた。

 

「おやすみなさい、今までありがとう」

 

その言葉を最後に、胸に鋭い痛みを感じる。

直ぐに力が入らなくなりその場で膝から倒れてしまう。

そんな俺を由紀は抱きしめてくれる。

力強く、笑顔で。

 

小さな背中越しにふと視界には入った。

さっきまで俺達を見ていたゾンビ達が一斉にこっちに来るのを。

でも、あれはゾンビじゃない。

分かってる、でも認識してしまう。

あの地獄が終わっても、俺は何も救われない。

でも、これでいいんだよね。

楽になれるんだから。

 

慌てふためくゾンビ達の中で、真っ直ぐにゆっくりと近づいてくるゾンビがいた。

それも、2つもだ。

でも不思議と慌てない。

それだけの力がないというのもあるし、何よりもわかってるからだ。

見慣れた制服を着ている2つの物影は俺の傍に来る。

傍に来て、何もしない。

いっそこの場で噛みついてきてくれたほうが気持ち的には楽なのにな。

なんて事を思いながら。

 

ゾンビ達は俺に目線を合わせると、ゆっくりと俺の頬に手を添える。

あぁ、そっか許してくれるの?

嬉しくて、涙が出てしまう。

歪む視界の中で見る物影は、2人の笑顔に見えた。

りーさん、、胡桃。

俺を元気つかせるように微笑む2人に先ずは何を言ようか考えてしまう。

でも、そうだ。

先ずは、今まで考えてきた言い訳から聞いてもらおうかな。

 

そんなことを思いながら、久しぶりに見た由紀以外の人に話し始める。

俺の楽しい言い訳を。

 

 

 

 

 

━━━━━━

巡ヶ丘市での事件から生存者を何名か確認。

その中から救助した中で最も狂っていた2人の人物について記録する。

 

少年

彼は一見正常に見えたが、話をしているうちに彼が精神を著しく害しているのに気づく。

どうやら、あの事件以降少女以外の人と触れることがなかったためか、少女以外の人を全て化け物と認識してしまうようだ。

それ以外は至って正常。

健康面に関しても異常は見られない。

他救助者同様に一度1人で隔離し、様子を見る。

 

少女

彼女は少年とは逆に見て分かるほどに異常だ。

何度説明しても我々のことを面接官として捉えている。

健康面等に関しての異常はない。

恐らくだが、少年同様精神面に異常があるだろう。

彼女もまた、隔離して様子観察。

 

 

救助2日目

監視カメラで初日は様子を見ていたが、今のところこの2人は化け物となる様子が見られない。

少年はほぼ寝て過ごし、少女は独語を絶え間なくしている。

2日目では直接話すことにする。

先ずは少年だ。

彼は私を見ると同時に部屋の隅に逃げるようにし、震えながら此方を見てくる。

私達のこと、君達の今後に関して話すも、全く理解した様子は見られないがどうやら受け答えは出来るらしい。

何日かにかけて説明をすることとする。

少女に関しては会話困難。

少年同様の説明をするも、全く理解を示さない。

それどころか、自己紹介をされた後履歴書を出さなきゃと言い、鞄の中を必死に探していた。

どうやら、現状の理解を全く出来ていないらしい。

この2人には化け物となる可能性が極めて低いと判断した後精神科に見てもらうとする。

 

4日目

少年の方は大分落ち着いたのか、大分会話を進めることが出来るようになってきている。

だが、まだ私のことをゾンビと思っているらしい。

それでも落ち着いているあたり、自分なりに理解を出来ているのだろうか?

もう化け物共は自分の前に現れないという事を。

少女に関しては何も進展がない。

相変わらず部屋で1人で入るときは会話をしている。

私のことも面接官として捉えているようだ。

 

7日目

少年に話せるだけの事を話し、理解を得た。

恐らくだが、全ては理解してないだろう。

だが、それで納得している以上私から話すことはない。

少女に関しては変わらないため割合する。

この2人は化け物になる可能性は低いと判断、後日精神科に来てもらうことにする。

 

10日目

2人に精神科の専門医に見てもらう。

どうやら、2人ともかなり危険な状態らしい。

少女の方はゆっくりと接していけば治癒する可能性があるとのこと。

少年に関しては時間がかかるとのこと。

恐らく、化け物にとって特別な怖さを抱いてしまいそれがトラウマとなっているのではないかとの事だ。

治療自体は出来るが、完全に治るのはかなりの時間をようするとのこと。

私はその結果見て2人の今後について検討していく利

 

14日目

会議で決まった結果、2人は精神病棟へと行くことになる。

少年は敷地内にある別室で過ごすこととする。

人が多い中に入れてしまうと、何をするかがわからないからだ。

 

15日目

少年に事情を説明、理解を得る。

少女に関しては理解を得られないため、此方の独断となるが少年はそうして欲しいと少女の事を決めたため、実行する。

 

18日目

2人を新たな住居へと移す。

2人への監視はこれにて終了とし、以降は向こうへの連絡から対応する。

 

20日目

2人が移ってから最初の連絡が来た。

どうやら、少年少女共に落ち着いて適用しているとのこと。

2人とも離れ離れになっていたからか、2人揃って楽しそうに何時間も会話していたらしい。

どうやら、あの少女も少年には心を開いているとのことだ。

少年は始めに見てもらった先生に学業を教わるようになった。

どうやら、落ち着いて適用しているらしい。

先生からは、少年は予想よりも早く治るかもしれないとのことだ。

今は2人っきりでの対応だが、これからは買い物等に連れて行き少しずつ適用範囲を広げていく。

 

25日目

どうやら、予想外の事が起きたらしい。

少年が何処までなら環境に適応出来るか確認をするため、職員何人かと共に外へと買い物に入ったところ、発狂。

場所は病棟近くのスーパー。

何十人もの人に囲まれると発狂するのか、狭いところで人に囲まれるのが原因か……

どうやら、発狂すると少女の名前を何度も読んでいたとのこと。

後日、少女と共に外へと行くこと。

 

30日目

どうやら、少年は少女と共にいると冷静らしい。

少年は何事もなくスーパーで買い物を終えたとのことだ。

だが、今度は少女の方が芳しくないらしく、この一件の後、自分が妊娠していると話すようになったらしい。

このまま様子観察を続けるとのこと。

 

40日目

あれから、2人は見守りの元買い物へと行っているらしい。

特に変わったこともなく、このまま行けば見守りも必要名くなるかも知れないとのこと。

 

60日目

遠くから見守りしている中、2人は問題なく買い物を終えているとのこと。

暫くは遠くからの見守りで対応していき、少しずつ適用範囲を広げるとのことだ。

2人には特に変わったこともなく穏やかな生活が進んでいるらしい。

これからは、特別変わったことがない限り連絡を止めるように伝えた。

2人がこのまま何もなく生活していけばいいのだが。

 

85日目

久しぶりの連絡は、私の願い叶わぬものであった。

どうやら、少女があの少年を刺し殺したとのこと。

見守りがいたものの、ショッピングモールから走られ、人混みに紛れて逃げられたらしい。

それ以外にも、少女が少年から離れそれを慌てて少年が追いかけ、遠くから見守っていたとのことだ。

この時、見守りは少年の発狂に注意が行き過ぎ少女が何を買っていた把握できていなかったのが原因だ。

少女が買っていたのは包丁。

それで、少年を……

少女は直ぐに身柄を拘束された。

だが、精神を犯されている少女は恐らく重い罪にはならないだろう。

だが、私はそれが故意的な犯行と思っている。

私が聞き慣れた少女の独語に聞き慣れた少年の名前が増えたからだ。

私は一度も少女の独語で少年の名を聞かなかったがそれを機にだ。

少女は1人楽しく会話をする。

その中に、ダーリンではなくしっかりと少年の名を愛しそうに呟きながら。




甘々な話は好きですが、ちょっと狂った感じのヤンデレもやっぱり大好きな勠bです。
一人称だと、相手の内面を上手く書けれない技量不足が悩ましい……
また今度三人称で書いてみようかな?なんて思っています。

次回はがっこうぐらしで書くか、他の作品で書くか少し悩み中です。
型月シリーズや遊戯王等結構書きたいシリーズのものが多かったので……
私なんかが沢山の方から様々なリクエストを頂いたので嬉しい悩みです。
それと、リクエストにキャラの設定(幼なじみでお願いします)などを書いて下さる方が多数いらっしゃいましたので、念のために言っておきますと、キャラの設定も全然していただいて大丈夫です。
ですが、必ずその設定通りに書くのは難しいのでせっかく考えて頂いた設定を無視して書くこともあるかもしれませんのでそのあたりはご了承頂けると幸いです。


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病みつき美紀

狂いゆく、世界で響く笑い声


大学生になって早数ヶ月。

その日は学校も何もなかったから、暇つぶしにショッピングモールへと買い物に行っていた。

今思うと、正しかった。

本当にただの気まぐれを今となっては感謝している。

 

ショッピングモールで過ごしていると、場の空気が変わった。

唐突に、なんの脈絡もなく。

周りが騒ぐ中心を見て、目を丸くする。

人が人を襲っている。

いや、喰らっている。

いや、人じゃない。

ドロドロの肌に、不安定さを感じる立位。

集点が定まっていない瞳には人としての理性を感じない。

そう、化け物。

人が人の形を下化け物に喰われている。

そう、狂っている。

そんな様を見せつけられ、それから直ぐに気づかされる。

 

この日、平和で退屈な世界は終わった。

 

 

 

 

━━━━━━

あれから直ぐに俺のような生き残りは集まることに成功した。

その中では子供、学生、社会人、男、女。

大きく分けても社会の縮図のような集まりだ。

そんな集まりが、ショッピングモール内裏側にある大きめの部屋で集まる。

唯一の出入り口をバリケードで囲い、外から聞こえる扉を叩く音に恐怖しながら。

だが、そんな中で1人元気な奴もいた。

 

「よーし、それじゃ先ずは情報交換だ」

 

真っ先に声を上げたその人は、俺達のリーダーになる人。

どんな時でも前に立ち、俺達を引っ張ってくれる人。

その人の第一声が、俺達に活力をくれた。

 

その後、俺達は皆で協力してショッピングモールで生き抜いてきた。

女性陣に部屋をコーディネートしてもらいそれぞれ小さいながらも家が出来た。

男性陣は食糧確保のために働き、この集まりでも数ヶ月は持つぐらいの食糧を得た。

上手くいっている。

そう、思ってた。

でも、違った。

 

現実は非常で、上手く行かない。

だから、現在なんだ。

 

俺達が集団で行動してから数日後の夜、叫び声が聞こえたから慌てて起きて音がした場所に向かうとそこには現在があった。

 

リーダーが

いや、リーダーだったものが仲間を喰らっていた。

仲間に覆い被さって犬のように。

 

化け物は人を喰らい仲間を増やす。

これは、初日の情報交換てえたこと。

そっか……

 

俺は尻ポケットに入れてあるサバイバルナイフを持つ。

 

喰われてたんだ。

喰うことに集中してる化け物へと近づく。

今なら、簡単に殺れる。

そう確信したのもつかの間。

「キャァァァァァ!!」

 

甲高い声での叫びに思わず注意が向いてしまう。

そこには、2人の女の子がいた。

静かにして!!

そう言いたかったが、そんな余裕はない。

目の前の化け物は新しい獲物へと視線を向けていたから。

俺は化け物との数メートルの距離を一気に積めて、首を切る。

大量の血飛沫を浴び、視界が一瞬赤く染まる。

 

「た……け……て」

 

視界が赤が消えると、仲間が俺に力なく手を伸ばす。

助けたい、でも、ごめん。

俺は何も言わずに、仲間だった者の首を切る。

 

一段落かな。

軽くため息をつくと同時に、他の人の部屋から足音が聞こえる。

不規則な、力ない足音。

それが、沢山。

……そっか、もうかなりの人が。

サバイバルナイフを強く握りなおして、俺は2人の女の子に近づく。

「2人は自分の達の部屋に隠れてて、たしか一緒の部屋だよね?」

 

俺の問い掛けに、首を縦に振ったのを確認して、部屋へと帰す。

俺は皆が使っていたリビングへと移動して、そこらへんの物を壊して、大きな音を出していく。

化け物は音を頼りに動くことがある。

それも、知ってた話だ。

 

近くの物を壊していると、見覚えがある化け物達が集まってくる。

……やらなきゃ、やられる。

一度深呼吸して、俺は仲間だった人達を殺めていった。

これが、地獄の始まりだったかもしれない。

 

彼女の、美紀の地獄の始まりだ。

 

 

 

━━━━━━

助かったのは俺と、美紀ちゃんと圭ちゃんの3人だけだった。

広い部屋で静かに過ごす3人。

この生活が、続いていた。

でも、この生活だって長くは続かなかった。

俺が食糧確保を終えて帰ってきた時、出迎えてくれたのは1人大きな部屋で泣いている美紀ちゃんだけだった。

直ぐに、察した。

 

「先輩……圭が、圭が……」

 

1人で泣いている美紀ちゃんに視線を合わせると、彼女は俺に抱きつく。

「私、私、止められなくて……それで……っ!!」

言葉を繋ぎ合わせながら、必死に状況を説明しようとする彼女の頭を撫でながら俺なりに落ち着かせる。

それが、これからの始まりだった。

 

 

━━━━━━

圭ちゃんが部屋を出てから早数日。

美紀ちゃんはまだ落ち込んでる所もあるけど、それでも前向きに捉えてくれた。

圭は圭で必死に生きようとしていますから、私も。

そう言ってからの美紀ちゃんは、俺と一緒に食糧確保のために部屋から出て、化け物の相手をしてくれる。

初めは恐る恐るだったけど、最近は恐怖感も薄れてきて頼りになる味方になった。

でも、たまに考える。

このままで、いいのかな?

俺達も圭ちゃんみたいに……

そんな事を考えてると、隣の部屋から携帯のアラームが聞こえる。

もう、そんな時間か。 

微睡みの中、起きなきゃいけないと思いつつも身体は動こうとせずにため息しかでない。

まぁ、いいや今日も。

そんな事を思いながら、ゆっくりと重い瞼をくっつける。

また、日を改めて美紀ちゃんと相談しよう。

そんな事を思いながら。

思考を手放して、意識を深く沈ませる。

 

「いつまでも寝てるんですか、先輩!!」

 

部屋を仕切るカーテンが勢いよく開かれると同時に呆れた声が聞こえる。

 

「いいでしょ、今日水曜日だし」

「なんで水曜日ならいいんですか?」

「俺、水曜日は学校ないし」

「先輩は私の先生でもあるんですから、しっかり起きて授業してください!!」

 

眠いんだから寝かせてよ。

なんて思ってると身体を横に揺さぶられる。

 

「ほら、先輩」

 

……何時も何時もあきないな。

そんな事を思いながら、ゆっくりと起きあがる。

「やっと起きましたね」

「やっと起きましたよ」

あくび混じりに応えると美紀ちゃんはニコニコと笑顔を向けて。

「おはようございます」

そんな当たり前の挨拶を嬉しそうにしてくれた。

「おはよう」

だから、俺もなるべく笑顔で返事をする。

さぁ、今日も新しい朝の始まりだ。

そんな事を思いながら。

 

「それじゃあ、私は朝御飯の用意をしてきますね」

嬉しそうな笑みのまま部屋をでる美紀ちゃんを見送って、俺は着替えをする。

美紀ちゃんは、今のままが幸せなんだろうか。

最近はこのことばかり考えてしまう。

美紀ちゃんは脆い。

そして、弱い。

しっかりしているからこそ、1人で大丈夫だと思っしまうがそれは間違いだ。

悪く言えば強がり、よく言えば我慢強い。

そんなところだろう。

純粋な彼女はきっと、1人で何日間もここにいたら……

いや、それは俺もそうか。

こんな所に1人になったら、壊れる。

当たり前だ。

だからこそ、俺だけでも傍にいないと。

改めて決意を固めてリビングへと向かう。

 

リビングではガスコンロと小鍋を使って何かを温めながら鼻歌を歌っている美紀ちゃんがいた。

「ちょうどよかったです。今出来た所なんですよ」

そういうとテキパキと皿を並べ盛り付けをしてくれた。

今日の朝はミートソースのパスタだ。

「何時もありがとう」

「朝御飯は私がやりますけど、昼と夜は手伝ってくださいね」

「わかったよ」

俺の反応が可笑しいのかクスクスと笑われた。

そんな彼女の笑みが、今の俺の楽しみでもある。

「それじゃ、ご飯にしましょうか」

「はい」

 

「「いただきます」」

礼儀正しく2人で当たり前をする。

そんな当たり前が、大切な今の日常だ。

 

 

 

━━━━━━

基本的に俺達の行動スケジュールは美紀ちゃんが考えてくれる。

しっかり者の彼女はこういうのが得意なんだ

今日は学校の日。

俺が美紀ちゃんの先生として授業をする日だ。

といっても、ショッピングモールから取ってきた教本を使ってのお手軽授業だけど。

しっかりと時間割通りにそれを終えたら、2人でのんびりと談笑して、笑あいながらその日を終える。

はずだった。

今日は、違った。

 

ショッピングモールから、聞き慣れない異音が響く。

「なんですか、これ!?」

聞き慣れない音にあからさまに動揺する美紀ちゃん。

怖いのか、慌てて俺の手を取る。

「やだ、やだ、やだ……」

呟きと共に手にこめられる力が強くなっていく。

俺は美紀ちゃんの手を掴み返す。

「大丈夫」

一回じゃ、収まらない不安と恐怖を何度も言って少しでも落ち着いてくれるよう努力する。

「大丈夫だから」

美紀ちゃんと同時に自分を落ち着かせる。

大丈夫。

そういい聞かせて。

今にも鳴り響く異音について少しずつ考えをまとめる。

どこかで聞き覚えがあるその甲高い異音はたぶん……。

「防犯ブザー?」

自信がない俺の言葉に美紀ちゃんは勢いよく食いついてくれた。

「そうです、これ防犯ブザー!!」

「……あれが防犯ブザーを使えるかな?」

「いえ、難しいと思います。ということは……!?」

「圭ちゃん?」

 

圭ちゃんが助けに来てくれた。

そう思ってしまう。

でも、一番圭ちゃんに会いたいであろう本人の顔色は難しい。

 

「もしも圭だとしたら、私達がここにいることを知ってるはずです。防犯ブザーを使って化け物達を呼ぶなんてこと……」

確かにそうだ。

まるで、この防犯ブザーは化け物達を呼び寄せるための……もしくは、化け物達の注意を逸らすための。

もしかしたら俺達みたいな生存者かもしれない。

他の所からショッピングモールに来たのか?

 

美紀ちゃんの顔を見ると、落ち着いたのかその瞳は何時もの力強い彼女のものだ。

「行ってみますか」

 

俺は、彼女の言葉に首を縦に振った。

 

 

 

━━━━━━

防犯ブザーの音は俺達の拠点から少し離れた部屋でなっていた。

物陰に隠れながら部屋の様子を見ると、そこには大量の化け物と共に3人の少女と1人の少年がいた。

少女達の制服は美紀ちゃんと同じ物だ。

 

「助けに行く?」

俺の提案に美紀ちゃんは応えず、ぎゅっと俺の手を握りしめる。

「……もう少し、様子を見ようか」

 

目の前の生存者。

確かに助け合いたいし、協力したい。

でも、この化け物の数相手にして無事に終わるのは簡単じゃない。

目の前の人達が噛まれていない確証だってない。

だから、様子見。

 

俺達が見守ること数秒後、1人の少女が化け物に噛まれてしまった。

そして、また1人……。

まるで、俺達のかつての仲間達のような。

違ったのは、残った2人は逃げるようにこの場を去ったこと。

俺は2人の後を追おうとするが、握られた手が、それを許してくれない。

「……帰りましょう」

顔を伏せて表情を隠して強がるその手は震えている。

やっばり、美紀ちゃんは怖いんだ。

今の部屋に帰れば未来はなくても明日はある。

美紀ちゃんは不確定な未来よりも、ちゃんとした明日がほしいんだ。

……俺は

俺は、

 

俺は、どっちが欲しいんだろうか。

 

どっちを選択するべきか、正しい答えがない選択肢を考える。

その間に、生存者達の背中は遠くなる。

どうするのか、どうするべきか。

考えに、思考に夢中になっていたからか、美紀ちゃんが何をしようとしていたのか分からなかった。

気がついたら彼女の顔が近づいて、俺の唇に柔らかい感触が一瞬触れた。

 

「邪魔な人達は帰ったんですから、私達も帰りましょう」

 

邪魔な……‥人?

「先輩、私気づいたことがあるんです」

俺の視野一杯に広がる素敵な笑みは、俺の予想を越えていて━━━

「私、死ぬまで先輩と生きていられたらそれでいい」

それは、俺の理解を越えていて━━━

「先輩が先に死んだら、後を追います」

普段の落ち着いた彼女の思考とは思えない

「私の世界には先輩と圭がいればいい。それ以外はもういいです」

諦めました。っと付け加える。

当たり前のように突きつけられる異常に思考が追いつかないまま、俺は目の前の彼女を見る。

「さぁ、早く私達の部屋に帰りましょう」

そう急かす彼女に何も言えないまま、引っ張られるように歩いていく。

「そうだ、今日の夕食は━━━」

ふとみた彼女の後ろ姿が、とても怖く思えた。

まるで、化け物のような。

あいつ等とは違う、化け物に。

 

 

 

━━━━━━

部屋に帰ると、美紀ちゃんは楽しそうに鼻歌を歌いながら夕食の準備を始める。

俺は軽い手伝いをしながら傍にいるけど、彼女とは違い気分が悪い。

さっきの生存者達には申し訳ないとは思うけど、俺達だって生きていかないといけないから……危険な橋を渡ってまで助けるわけにはいけない。

だから、逃げた2人にはせめて生きていてほしい、そう思うことしかできない。

問題は、美紀ちゃんだ。

 

邪魔者。

 

せっかくの生存者をそんな言葉で表現した彼女はおかしい。

やっぱり、話そう。

美紀ちゃんとここにいても、何も変わらない。

生存者はまだいる。

ここ以外にも誰かいる。

そう思うから。

 

「先輩、今日はカレーですよ」

 

楽しそうに食事を並べる美紀ちゃんの顔を見て、決意する。

「ねぇ、美紀ちゃん」

俺が呼ぶと美紀ちゃんの肩は大きく震える。

それも一瞬。

直ぐに慌てて頭を下げた。

「すいません、あの時は取り乱しちゃって」

あの時。

どの時を指すのだろうか。

生存者を邪魔者扱いした時か

それとも、キスの時なのか

「私、圭が帰ってきたのかもってどうしても思っちゃいまして……そしたら、他の人と間違えちゃいました」

ばつの悪そうな笑みを浮かべる。

どうやら、あの場に行ったことを謝罪しているらしい。

それ以外は、悪いと思ってないのかな。

「圭も早く帰ってくるといいんですけどね」

話は終わりと言いたいのか、俺の隣に座って合掌する。

……早いうちに話して、終わらせよう。

俺は彼女の横顔を見る。

普段通りの、整った少し強気な顔。

 

「ここから出よう」

 

その顔は、一気に崩れて恐怖を醸し出す。

「何でそんなこと言うんですか!!」

美紀ちゃんの急変に動揺していたからか、彼女に押し倒されてしまう。

「先輩まで、私を1人にするんですか!?

 しませんよね、しないですよね!!

 先輩は私とずっと居てくれますよね!!?」

「いっ、いるよ、一緒に出よう」

「ここを出て何処に行くんですか!?」

「俺達以外にも生存者はいる」

「いましたね、でも生存者が集まったって私達の時みたいにどうせ壊滅ですよ!!」

「それは……分からないでしょ」

「食料や水分だって多人数で分け合うよりも少人数で分け合った方が長く持ちます。現に今確保した食料で私達2人なら数ヶ月は持ちます」

「でも、2人じゃ出来ることも限られる!!多人数で動けば救助を呼べるように動くことも……」

「いいじゃないですか、救助なんて来なくても」

 

……えっ?

美紀ちゃんの予想外の言葉にどうようしてしまう。

彼女は俺に馬乗りになり、その手を俺の首に回す。

 

「先輩、私思うんですよ」

首が少しずつ痛みを感じる。

「私、このままここで生きててもいいのかなって」

少し息苦しさを感じる頃には力はゆっくりと抜ける。

「私、先輩といるだけで幸せなんです。だから、もうこのままでいいって思うようになってきたんです」

首から手が放れると、彼女は俺の胸に顔を埋める。

何処となく甘くて、少し汗臭い匂いが鼻を擽る。

「先輩、先輩は」

甘い声が耳を擽る。

「先輩は、私とずっとここにいてくれないんですか?」

「……俺は」

 

考えてしまう。

美紀ちゃんとここで最後まで過ごすのか。

美紀ちゃんと共にここを出て誰かを探して、救助を求めるのか。

前者は、何も変わらない。

最後までここで暮らすだけ。

変わらない日常を最後まで……

後者は分からない。

何があるのか本当に救助されるのか、誰かに出会うのか。

……分からない。

 

━━━分からないけど。

 

 

 

「出よう。一緒に」

 

 

 

 

「そうですか」

 

 

 

俺の決断に彼女は残念そうな顔をする。

「残念です、最後まで一緒にいたかったのに」

ゆっくりと上半身を起こすと、見下すような視線に思わず恐怖を抱く。

見たことのない冷たい視線に思わず息をのんでしまう。

「先輩、これお借りします」

そこで初めて、彼女の手に俺がポケットに締まっているサバイバルナイフを持っていることを気づく。

ナイフを愛おしそうに持つ彼女。

彼女は今、俺に馬乗りだ。

そのナイフで、何をするのか。

目に見える恐怖から逃れようと彼女を押し飛ばそうとする。

でも━━━

 

「大好きです、先輩」

 

ゆっくりと俺にキスをする。

愛おしそうに、愛を確かめ合うように。

 

「だから、先輩だけでも私の傍にいてくださいね」

 

視界一杯に広がる、美紀ちゃんの恍惚に染まった笑みがとても綺麗で━━━

とても狂おしく思えて━━━

とても狂気に感じて━━━

 

「私の傍にずっと居てくれるだけでいいんですからね」

 

次の瞬間、俺を襲った鋭い痛みに耐えきれず意識を手放した。

 

 

 

 

 

━━━━━━

後日談、先輩と私の話。

 

今日は食糧確保のためにショッピングモールを探索してきました。

大分食品も集まりましたし、これだけあれば私と先輩だけなら数年は持つかもしれません。

 

「ただいま帰りました」

 

お部屋に帰って、先輩に挨拶をする。

リビングで静かに座ってる先輩は、私の顔を見ると手を伸ばしています。

でも、その手は届くことなく、空を切ります。

私はそんな可愛らしい先輩に近づいて抱きつきます。

これだけで今日の疲れも消えました。

 

「……おかえり、美紀ちゃん」

「ただいま、先輩」

 

お風呂にも入れないから、匂いとか気になるけど……それでも、何も言わない先輩が私は大好きですよ。

ふと、先輩の脚を見ると出血したのか、ズボンヶ赤く染まっていた。

 

「もう、無理して動くから痛いんですよ」

 

私は医療キットを持ってきて先輩の脚を見る。

真っ赤なガーゼを外すと両足にナイフで深く切られた傷口が見える。

 

「今日もすごい出血ですね」

 

小言を言いながら傷口を舐める。

鉄の味。

でも、それが先輩のだと思うととても美味しく感じる。

ずっと舐めていたいけど、痛みから苦痛の表情を浮かべる先輩を見て止める。

先輩に余り嫌な思いはさせたくありませんから。

 

私は傷口周りに薬を塗布して、ガーゼを巻いていく。

 

さぁ、これが終わったらご飯の用意をして、先輩のお着替えして、それから……

 

楽しい時間割を組み立てながら、残り少ない今日についてを考えます。

明日は、食糧確保じゃなくて先輩と過ごそうかな。

明後日も先輩と一緒にいよう。

……暫くは、先輩と2人っきりで過ごそう。

 

「先輩、私は幸せです」

圭、生きてるだけでも幸せだよ。




次回はがっこうぐらし以外のキャラの予定です。


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アイドルマスターシンデレラガールズ
病みつきクール~アーニャ編~


伝わらない、言葉で伝える愛言葉


ロシア語が出てきますが、後書きで日本語訳を書いてます。


小綺麗な広めのオフィスを窓から明るい光が注ぐ。

光は真新しい壁と共に俺のデスクを明るくしてくれる。

その光を浴びながら軽く欠伸をしつつ一冊の本をゆっくりと読み、その中から気になったものを手帳に記入していく。

これが俺の日課だ。

別に家でやってもいいのだが、家だと雑念が多すぎて作業に捗らない。

だから、早めに出勤して少しの時間を使いこうやって勉強するのだ。

そんな日課をこなして早数十分すると、扉が開く音と共に聞き慣れた声が静かな部屋に響く。

 

「おはようございます、プロデューサーさん」

「おはようございます」

 

優しい笑顔で真っ先に俺の顔を見るちひろさんはやれやれと言った表情をすると近づいてくる。

 

「もぅ、何時も何時もこんなに早くに来て。仕事熱心なのは良いことですけど、身体を壊すのは止めて下さいよ」

 

聞き慣れた台詞を慣れた口調で言いながら小さめのバックから小さめの瓶を取り出すと、俺の前に置く。

 

「はい、これでも飲んで頑張って下さいね」

「何時もありがとうございます」

 

ちひろさんは俺のことを思ってなのか何時も毎朝スタミナドリンクと言うエナジードリンクをくれる。

本当に優しい良い人だ。

 

「もう、あの子のプロデュースを始めてからずっと朝早くに来てますけど本当に身体は大丈夫なんですか?」

「大丈夫ですよ。それに、皆頑張ってるんですから俺も頑張らないと」

「頑張り過ぎもいけませんからね」

「ちひろさんだって、何時も早く出勤するじゃないですか」

「私は皆さんが円滑に仕事できるようにスケジュールとか纏めなきゃいけないですから」

 

ちひろさんは所謂出来る女だ。

この人のおかげで今日も安心してプロデューサーとして仕事が出来る。

隣のディスクに座りパソコンを触り始める彼女の横顔は楽しそうな笑顔だ。

 

「何時もありがとうございます」

「感謝してるなら、今度一緒に飲みに行きましょうよ」

「いいですね、楽しみにしてます」

 

互いに互いの業務をしながら、そんな雑談をしつつ今日も1日が始まることを実感する。

これが、俺の朝だ。

仲の良い事務員と話しながらするお仕事は、楽しい。

 

 

 

━━━━━━

出勤してから数時間後、今日のスケジュールを再確認していると聞き慣れた声が聞こえる。

 

「プロデューサーさん、そろそろお迎えの時間ですよ?」

「あっ、はい。ありがとうございます」

「はい、車の鍵ですよ」

 

柔らかい手が俺の手を包むと、鍵を手渡ししてくれた。

「今日は帰ってきますか?」

「はい、一度戻ってくる予定です」

「分かりました、遅くなりそうなら連絡下さいね」

まるで夫婦のような仲睦まじい会話だな。

そんな事を思うと、少し想像してしまう。

ちひろさんがお嫁さんか……。

良い奥さんになりそうだ。

そんな事を想像していたからだろうか、目の前の彼女は視線を少し厳しくし、目を細める。

 

「もぅ、私の顔を見てどうしたんですか?」

「いえ、何でもないです」

「……ならいいですけど」

 

ジト目でまじまじと顔を見れると、思わず目線を反らしてしまう。

そんな目で見ないで欲しい。

まぁ、変なことを考えたのは俺だけど。

 

「ほら、邪なこと考えてるからネクタイが曲がってますよ」

手を首もとまで伸ばすとテキパキとネクタイを直してくれた。

本当に、いい奥さんになりそうだ。

 

「それじゃ、行ってらっしゃい」

「はい、行ってきます」

 

笑顔で軽く手を振る彼女に挨拶を交わして俺はオフィスを出る。

右手につけた腕時計を確認しつつ、今日のスケジュールが頭に入っているか確認しつつ今日の予定をもう一度組み立てる。

よし、今日も頑張ろう。

今から会う彼女の顔を思い浮かべながら早足で車へと向かう。

 

「プロデューサー、今日の」

 

━━━━━━

車を飛ばすこと早数分。

事務所から直ぐの所にある寮に彼女は住んでいる。

寮の前に車を止めると嬉しそうに微笑みながらゆっくりと待ち人が近づいてくる。

俺は車の窓を開けるとそんな彼女に挨拶をする。

 

「おはよう、アーニャ」

アーニャは近くに来ると目線をあわせて顔を近づける。

直ぐにその整った顔立ちが視界で埋まると、はにかむような笑みを見せてくれた。

 

「Доброе утро。おはよう、ございます。プロデューサー」

 

アーニャはゆっくりとたどたどしく挨拶をしてくれる。 

それを終えると、助手席へと座った。

 

「今日も、よろしくお願いします、プロデューサー」

 

嬉しそうな彼女の笑みを見ながら、俺は車を進める。

彼女、アナスタシアは俺が今担当しているアイドルだ。

ここ最近売れてきたアイドルで、我がプロダクションで活躍している若手のアイドル。

俺は、そんな彼女のプロデューサーだ。

今まで色んなアイドルをプロデュースしてきたけど、彼女は今までとは少し違う。

整った顔立ちに日本人離れした色白の肌。

可愛くもあり、綺麗でもある彼女。

アーニャはハーフの女の子だ。

 

「今日の仕事、覚えてる?」

「グラビアとCMと、あとは……」

指を折りながら一つ一つ言っていくと、最後の仕事で止まる。

アーニャはハーフの女の子。

ハーフだからこそ、少し問題がある。

特有の問題なんだろう。

「プロデューサー、あの……私、今日のラジオ出来る、でしょうか?」

おどおどとした様子で語りかける彼女から不安が見て取れる。

ハーフだからこそ、日本語が少し難しく感じるのか上手く話すことが出来ない。

といっても、最近は流暢……とは言わないが、それなりには話せれるようになってきた。

たまにロシア語を口走る事があるけど、ファンからは嬉しく捉えられてるから問題ない。

聞き取ることは全然出来てるし問題はないかな。

 

「大丈夫、アーニャなら上手くできるよ」

「беспокойство……不安です。ですが……」

 

ふと顔を上げて、俺の目を見ると不安気な表情から満面の笑みへと変わる。

「доверие。信頼してるアナタの言葉、ありがとう。頑張ります」

ふふふっと笑っているアーニャを見ると、嬉しくなる。

アイドルの不安を取り除くのもプロデューサーの仕事。

彼女の不安を取り除いて、思うところなく仕事に全力で挑んでもらえるようにサポート出来た。

アーニャの綺麗な笑顔をファンの皆にも届けれる。

 

赤信号のため車を止める。

ちょうどよかったかな。

空いた片手で彼女の頭を軽く撫でると、猫のように細い目をして受け入れる。

「もう少し強く」

「はいはい」

要望を聞き入れると、満足そうな笑みを浮かべてくれた。

これでいいです。というサインなんだろう。

エンジン音が響き渡る空間に、甘い声が小さく響く。

 

「Я тебя люблю」

 

流暢に、普段よりも少し早口に伝えられたその言葉は上手く聞き取れることなく消える。

ヤー……リュブ……?

頭の中で思い出しながら反復していると、信号の色が切り変わる。

それを合図に名残惜しいが彼女の頭から手を離してハンドルへと戻す。

 

「もう、終わりですか?」

「撫でるのに気を取られて事故になったら大変でしょ?」

「交通事故……ですね」

「そうそう、最近多いしね」

「Это рады, если вы и」

「アーニャ?」

 

顔を伏せて小さく呟かれたロシア語は、やはり聞き取れることは出来なかった。

気になるし、聞いてみようかな?

「えっと、それってどういう意味?」

「ふふふっ、秘密です」

「そっか」

 

彼女の秘密にそこまで反応しない。

最近、こうやって呟く事が多いのが俺の悩みだ。

意味を聞いても教えてくれないし。

だから俺なりにロシア語を勉強してるけど、正直余り効果はない。

まぁ、勉強しはじめて間もないしね。

それに、こうやって呟くのも俺の前ぐらいだし大丈夫かな?

仕事でも呟くようになったら止めないとな。

そう思っていると、見慣れたスタジオが見えてくる。

 

「アーニャ、今日一番の仕事だ。頑張ろうね」

「Да……わかりました。一緒に、頑張りましょう」

 

やる気に満ち溢れた彼女の顔を見ながら、俺もやる気を入れる。

よし、頑張ろう。

そう思っていると、アーニャは俺の膝に手を乗せる。

「その、2人っきりでいるうちに、何時もの言って欲しいです」

顔を赤らめながら呟くアーニャに俺はゆっくりと言う。

言い慣れた言葉を。

「Люблю тебя」

俺が喋れる唯一のロシア語を言うと、嬉しそうに微笑むアーニャ。

そんな顔を見て、少し顔を反らしてしまう。

顔が赤くなってるのを感じてしまう。

 

 

 

━━━━━━

グラビア撮影、CM撮影を共に手慣れた風に終わらせてくれたお陰で大分時間が空いた。

腕時計を確認すると、ラジオ放送まではまだかなりの時間があった。

俺は手帳を取り出して近辺の予定を確認していく。

レッスンは昨日遅くまでやったし、明日も午後からレッスンだ。

ふと助手席を見ると外の景色を眺めながら静かにしているアーニャの顔が疲れているように見えた。

ちひろさんも言ってたな、身体は大切って。

よし、今日は少し休んでもらおう。

 

そんな事を考えていると、肩が軽く揺すられた。

運転中なので気を使ってくれたのか、少し気になる程度の力加減にしてくれたが気を使ってくれるなら肩を揺すらないでほしい。

 

「プロデューサー!!あそこ、あそこ」

 

珍しく慌てて声を荒げるアーニャ。

見たことがない一面に戸惑いつつ指差された方をみると、そこには見覚えのあるお店があった。

「懐かしいね、あの喫茶店」

そこは、アーニャがまだデビュー前の頃。

トレーニング後や休みの時に2人でよく行っていた喫茶店だ。

そこで俺はアーニャの要望に応えるため日本語を教えていた。

喫茶店もアーニャが入ってみたいといったため付き合い、そこを気に入ったから愛用していた。

そういえば、もう随分と行ってないな。

 

「まだ、ラジオまで時間ありますし……一緒に、行きませんか?」

突然の誘いに少し悩んでしまう。

俺としては行きたいけど、それでも……。

黙っているのも失礼だから、それとなく応える。

「俺も行きたいけど、もし俺と2人で喫茶店に居るところをマスコミに見られたら大変だしな……」

「プロデューサーと打ち合わせしてるだけ、大丈夫です」

「でも、前に言われてさ。火のないところに煙は立たないけど、この業界は火がなくても煙を立たせる所だって」

「誰が、言ってたんですか?」

素早く鋭い言葉を投げかけると正反対に俺の顔をゆっくりとのぞき込む。

「誰に言われたんですか?」

普段とは違う雰囲気に少し戸惑ってしまう。

少しの間重い空気が場を支配すると、俺は慌ててしまう。

何戸惑ってるんだよ、素直に言えば良いだけだ。

……いいよね?

少しでも場を楽観してするために言い訳をしつつ、顔には出さないように気を配る。

「ちひろさんだよ、ほら、最近マスコミがアイドルの恋愛とかをスクープしてるからさ」

「……ちひろさん、ですか。そうですね、私も気をつけます」

納得したのか笑顔に戻ると、また喫茶店へと視線を移す。

 

 

 

「Не беспокоить」

ゆっくりと重々しく言われた異国の言葉は、俺でも聞こえた。

俺はもう一度手帳を取り出して、びっしりとメモされたページに目を移す。

毎朝俺が書いているロシア語の意味だ。

えっと、あれは……

数ページ捲ると、その言葉が書かれていた。

邪魔しないで

隣に書かれた意味を見て思わずぞっとしてしまう。

 

「プロデューサー?」

 

そんな俺に目がいったのか、アーニャは心配そうに尋ねてきてくれた。

……邪魔しないでってどういう意味?

アーニャは良い子だ、でも……。

考えていると、益々アーニャの顔は暗くなる。

「プロデューサー?どうしたの?大丈夫?」

「……大丈夫……じゃないかな」 

ふと、喫茶店の事を思い出す。

一緒に行きたかったのかな?

だから、あんな事言った?

そうだ、アーニャは純粋な良い子だ、たまにはやさぐれてしまうのも仕方がないよね。

それに、頑張ってるアーニャのお願いを無碍にするのも可哀想だ。

だから……。

 

「喫茶店、行こうか」

「……はいっ!!」

 

先程とは打って変わって嬉しそうなアーニャの何時もの笑顔。

そうだ、アーニャはこの顔が一番だよ。

重々しい雰囲気の頃を忘れようと必死になりながら、俺は喫茶店へと進路を変えた。

 

 

 

━━━━━━

俺達が愛用していた喫茶店は、少し狭めのお店だ。

そんな店内を隙間なく埋めるようにテーブルや花が置かれている。

だが、不思議と圧迫感を感じないのは店内の落ち着いた雰囲気のお陰なのかな。

目立たないよう窓際の隅の急きに座ると、目の前にアーニャは座る。

「久し振りですね、数ヶ月ぶり」

嬉しそうに店内を見渡すアーニャを見ると、先程との違いが気持ち悪く感じてしまう。

「プロデューサー、気分悪いですか?」

「大丈夫だよ、ラジオまで時間もあるし休もう」

忘れろ、忘れろ。

違和感をなくすように頭の中を埋め尽くす。

「……プロデューサー、何かあったら、相談してね」

そうだ、アーニャは優しいんだ。

目の前の、優しくて、心配そうに見つめるアーニャが本物だ。

「беспокоиться……心配です。プロデューサー」

対面になって、顔を見ると益々恐怖感を感じてしまう。

「なぁ、アーニャ」

……良いんだろうか。

もしも、聞いたら。

怖い。でも、ちひろさんとは仕事仲間。

アーニャからしてもだ。

だから、嫌な印象を持って欲しくない

だから。

 

「アーニャ、Не беспокоитьってさ」

「Не беспокоить……邪魔しないで」

 

秘密っと言って隠すと思った。

だから、素直に驚いてしまった。

彼女の正直な言葉に。

 

「プロデューサー、私ね嬉しいよ」

嬉しい?

喫茶店にこれて?

それとも……

「プロデューサーのお陰で、私はこうやって、アイドルでいられる」

アーニャは俺がスカウトして、プロデュースしている。

それの、感謝?

なんで、今?

「プロデューサーのお陰で私は、アナタの隣にいられるから。

 私は今も、昔も幸せです。

 此処で一緒に、勉強してたときも

 一緒にアイドルとして活躍してる今も

 幸せ、です。

 だから、私達の思い出を━━━」 

Люблю тебя

重々しく呟いたその表情は、何時もの綺麗な笑顔。

見るものを魅了する微笑み。

「私との思い出を、邪魔しないで」

 

アーニャの思いが真っ直ぐに届く。

邪魔しないで

この中に入れられた思いも。

少しだけ、伝わった。

だから、どうする。

俺は、どうする?

……いや、ちひろさんは正しいことを言っていた。

だから、アーニャには注意しないと。

 

「アーニャ……」

「Я виноват……私が悪いです」

深々と頭を下げられる。

だが、その言葉には強い思いが込められていた。

「ちひろさんは正しい事を、言ってました。なのに、私は悪いことを言いました」

もう一度謝罪の言葉を言われる。

……反省は、してるみたいだ。

「何であんな事言ったの?」

「……эгоистичный。私の我が儘です」

深く頭を下げたまま強く言うアーニャに、何も言えない。

いや、言う必要はないだろう。

「分かったよ」

それを合図にゆっくりと頭を上げ、悲しげな瞳で俺をみる。

「……すいません」

「いいよ、アーニャだって疲れてだだろうし。ここ最近不自由な思いばかりさせてたしね。だから、気の迷いだったってことにしとくよ」

そうだ、気の迷いだ。

きっと、疲れてたから。

そうに決まってる。

「優しいですね、プロデューサー。

 Люблю тебя……頑張ってくれる、そんなアナタが大好きです」

「……ありがとう」

Люблю тебя

この言葉を言われると緊張してしまう。

彼女の顔も白い肌がうっすらと赤く染まっていた。

……これもいつか辞めさせないとな。

そう思う。

「Я не могу без тебя……」

早口で言われた異国の言葉は、初めて耳にしたもの。

手帳を見て確認しようとしたが、対面にいるから辞めておく。

俺がロシア語を勉強してるのは秘密にしている。

というか、止められている。

私がアナタに、教えます。

そう言われたからだ。

でも、今となってはそんな時間もないため独学中だがそんな事がバレたら怒られそうだ。

昔のことを思い出してると、アーニャはクスクスと楽しそうに笑始めた。

不思議そうに見ていると、そっとテーブルをなぞっていた。

「私達が勉強してたのも、ここでしたね」

「そうだね、この喫茶店で勉強してた」

「私ばかり教えてもらいました」

「俺もロシア語を教えてもらったよ」

先程までの重い空気はどこへやら。

思い出話をする今は軽くて楽しい雰囲気だ。

やっぱり、アーニャは笑顔が一番だな。

昔話を楽しそうにする姿を見ると、そう思う。

何十分か話していると、時間が迫ってきていた。

昔話もそろそろ切り上げないとな。

 

「Люблю тебя……この意味覚えてますか?」

唐突に投げられたら質問に少し頬がゆるんでしまう。

それは、俺が初めてアーニャに教えてもらった言葉。

でも、違う。」

「頑張ろう、でしょ」

「はい、正解です」

頑張ろう。

俺はそうアーニャに教えられた。

初めは疑いもしなかったけど……。

だからこそ、辞書で見て驚いてしまった言葉だ。

今思えば知らなかったとはいえ何回使ったんだろうか。

思い出すと少し照れてしまう。

アーニャも思うところがあるのか、顔を赤らめている。

甘い雰囲気が場を流れていると、片手を胸に当てて深呼吸をするアーニャ。

数秒間ゆっくりと繰り返すと意を決したのか真剣な眼差しで俺を見つめる。

 

「プロデューサー、私お願いがあります」

ゆっくりと発せられたその言葉に少し動揺してしまう。

甘い雰囲気の直ぐ後というのもあり、何か間違った事を言うんじゃないかという心配。

アーニャを信頼してないかと言われれば、違う。

信頼してるし、信じてる。

だからこそ疑ってしまう。

彼女が思う俺のことを。

彼女が抱く俺への思いを。

「今日のラジオ、頑張ります。だから、上手くいったら星を見に行きましょう」

「星って……」

少し肩透かしをくらう。

心配しすぎなのか、それぐらいが丁度良いのか、本当にわからない。

心を上手く掴めないのも彼女の魅力かな。

 

「はい、前良く行ってた場所で」

「……あそこでいいの?」

「はい、私の思いでの場所です」

 

意味あり気な発言に苦笑してしまう。

何というか、今日のアーニャは……。

「今日はよく甘えるね」

「Да……今日の私は甘えん坊さんです」

年相応の笑顔を見せてくれる。

最近、こういう素直な笑顔を見れてなかったな。

……よし、たまにはいいか。

「分かった、行こうか」

「Да!!大好きですプロデューサー!!」

「ちょっ、頼むから店内ではそういうの言わないで!!あと、離れて!!」

勢いよく席を立ち、そのままテーブル越しに俺に抱きつく彼女を咎めつつ、周りの視線を気にする。

他のお客や店員からの突き刺さる視線から逃れるように彼女の手を取り離す。

疑問に感じたのか不思議そうな顔をし、首を傾げる様子が視野一杯に広がる。

「プロデューサー?」

「……アーニャ」

こういう所は少しずつ減らしていかないと。

今後の事を考えてアーニャに教えていかないと。

俺の見ももたないし、何時かスキャンダルになる。

……俺関係で。

「時間だし、行くよ」

「Да……頑張る」

嬉しそうに微笑む彼女の頭には星を見ることで一杯なんだろうか。

ラジオ上手くやってくれよ?

まぁ、余り心配してないけど。

それよりも、過度のスキンシップを止めてもらうように何って言おうか。

それとなく言うべきか、遠回しに言うべきか……。

重くなる肩を感じつつ俺はアーニャと共に店内を出て行った。

 

 

 

 

━━━━━━

ラジオは俺の思ってた以上に上手く行った。

NGも何度かあったが、それは相手側のミスが多くアーニャは円滑に仕事をしてくれた。

これは、星を見に行かないと怒られるな。

そんな事を思いながら雑談しつつ事務所へと戻る。

 

「ただいま戻りました」

「戻りました」

「お帰りなさいプロデューサーさん、アーニャさん」

 

扉を開けると真っ先に聞き慣れた優しい声が出迎えてくれた。

声の主は俺達にゆっくりと近付いてきたため、車の鍵を渡す。

「今日は早かったですね」

「アーニャが頑張ってくれましたから」

「プロデューサーのおかげ」

「ふふふっ、コーヒー入れてきますから少し休んでて下さい」

「ありがとうございます、ちひろさん」

「ありがとございます」

軽く礼を言って俺はソファーに腰掛ける。

それに会わせてアーニャもソファーへと腰掛けたけど……。

 

「アーニャ、隣じゃなくて対面に座ったら?」

「私はアナタの隣が良い」

「……事務所内だけだよ」

「……」

何も言わずに俺の手に抱きつくと、猫のように目を細める。

何か言って欲しいんだけど。

そう思いつつも、頑張ってるアーニャのことを考えると何もいえない。

今ぐらいはゆっくりと好きなようにさせてあげよう。

頭を軽く撫でると「もう少し強く」と要望されたから、従う。

ふわふわとした触り心地のよい整った髪を撫でると、朝には感じれなかったことに気づく。

「あれ?シャンプー変えた?」

「ん、新しいのにしてみた」

「そっか」

「……朝気づいて、欲しかった」

「運転に集中してたから……ごめん」

「……ん」

 

注意しないとな、っとは思うけどここ最近の頑張りを傍で見守ってる者としては言葉が上手く出ない。

アーニャは毎日のようにトレーニングと仕事をこなしてくれている。

今日みたいな日はここ最近では全くなかった。

だからこそ、今日ぐらいは……。

甘えさせても良いかな。

そう思ってしまう。

そんな俺の甘さが作った甘い雰囲気は直ぐに壊された。

テーブルに置かれた2つのコーヒーカップ。

そして、それを置いてくれた方は普段以上に整った笑顔で俺達を咎める。

 

「プロデューサーさん、何をされてるんですか?」

地を這うような冷たい声に思わず言葉が詰まる。

「えっと、その」

「自分の担当のアイドルを侍らせてるんですか?」

「そんなことは」

「私、伝えてますよね?アイドルとの過度のスキンシップは駄目ですよって」

「……はい」

「それに、アーニャさんがセクハラで訴えたらどうするんですか?嫌がってる人に無理やり侍らせたら駄目ですよ?」

「отличаться……嫌じゃないよ、プロデューサー」

 

組まれた手に込められた力が強くなる。

まるで、俺を安心させるかのような。

「私が好きでやってます、彼を責めないで」

俺越しに強く睨みつけるように見上げるアーニャを見ると、昼間の事を思い出してしまう。

でも、アーニャは反省してたし……。

大丈夫……だよね?

駄目だったら、止めよう。

「アーニャさんにも伝えときますけど、今後は過度なスキンシップは止めて下さい」

「事務所内なら、スキャンダルとかにならない」

「ここでしてると外でもしてしまう可能性が出てきます」

「気をつければいい」

「本当に気をつけてますか?」

確かに、昼間抱きつけられた。

気をつけれてはいない。

「頑張る」

「気持ちだけは伝わりましたけど、そもそもあなた達はプロデューサーとアイドルなんですから、その関係を間違わないでください」

「……はい」

言葉こそ少し沈むアーニャだが、その顔は決して自分を謝るような雰囲気ではない。

それをちひろさんも理解したのか、呆れたような溜め息をつくとアーニャの頭の上に置かれたままだった俺の手を取り、隣に座る。

「プロデューサーさんも、甘やかしすぎはだめですからね」

「はっ、はい」

予想外の動きに思わず気の抜けた返事をすると、更に動揺してしまった。

「ちっ、ちひろさん!?」

アーニャ同様、俺の手に巻き付くように手を絡め力強く抱き締められた。

「ふふふっ、反省して下さいよ」

緩んだ笑みを浮かべつつ、手の力はゆるまない。

反対の手も更につよくなる。

 

「ちひろさん、何してるんです?」

「アーニャさんの真似です」

「過度なスキンシップは駄目って言ってた」

「あら?プロデューサーさんは嫌がりませんから、大丈夫ですよ。ね、プロデューサー?」

「えっあっ、はい」

凄まれた目を見ると、拒否できない。

というか……

「プロデューサー、駄目」

「プロデューサーさん、駄目じゃないですよね?」

両手に巻かれた強い手に、柔らかい感触を感じる。

……だ、駄目だ、これ以上!!

「お、俺は仕事に戻りたいんだけど」

「ふふふっ、もう少し休んでて下さいよ」

「もう少し一緒に、いよ?」

いや、一緒にいたいけど、これ以上は色々ときつい。

「あっ、そうだ!!今朝に話してた飲みの件なんですけどいい日が見つかったんですよ」

「……プロデューサー、ちひろさんとどこか行くの?

 私とは余り遊んでくれないのに?」

「いや、それは」

「アーニャさんはアイドル業で忙しいから仕方がないですよ。

 それでですね、この日なんですけど……」

「あっ、わ、わかりました」

「……プロデューサー」

 

美女2人に囲まれながら、幸せそうに見える休憩を過ごす。

誰かに助けて欲しいと視線を送るも、残念ながら俺達以外の人達はいなく、視線を空を切る。

あぁ、助けてくれ。

そう思いつつうなだれ、美女達のお相手をする事となった。

 

 

 

 

━━━━━━

地獄が終わってから数時間。

数分間の地獄から何もなく生き延びれた今を噛みしめつつ、俺とアーニャは街灯で照らされた夜道を歩いていく。

目標まで、後少しだ。

アーニャは不機嫌で、俺の隣を静かに歩いていた。

帽子を深くかぶり、サングラスを欠ける軽い変装をして貰うも、知ってるものからしたら見た目と雰囲気で直ぐにわかってしまう。

アーニャ用の変装用具も揃えといた方がいいかな。

なんて現実逃避紛いの事をしていると、少し広めの公園が目にはいる。

そこが、俺達の目的地だ。

 

「アーニャ、ついたよ」

「……はい」

「まぁ、ちひろさんだって悪気があったわけじゃないし……アーニャの事を心配してくれてたんだから」

「心配……だけですか?」

「そうだよ」

「……」

逃れられない重い沈黙が続く。

でも、それも直ぐに終わった。

 

公園につくと、アーニャはサングラスを外して夜空を眺める。

「やっぱり、ここの景色はいいですね」

アーニャはここの夜空が好きらしい。

この公園も昔はよく2人で行った馴染み深い場所だ。

俺も釣られて夜空を眺める。

夜空を照らす星々は、お世辞にも綺麗に映るとは言いづらい。

それでも、数少なく照らする星達は大きく明るくその存在を現にしている。

 

「やっぱり、ここの景色はいいです」

感傷深く繰り返すと、俺の腕に手を組む。

事務所でのちひろさんからの注意は何処に行ったんだろうか。

それとなく注意しようとするも、俺は黙ってしまった。

「アナタの隣で見る星は、とても綺麗」

夜空を見ていたその瞳は、俺の顔を真っ直ぐに捉えていた。

軽く微笑む彼女は、お世辞抜きで綺麗に見えた。

「プロデューサー、アナタの隣は誰がいます?」

「アーニャだろ?」

「今じゃない、これから」

 

抱きついた腕に体重を預けるアーニャの問い掛けに、答えれない。

「プロデューサー、私の隣はアナタ。

 今も、これからも。

 だから、隣にいて」

巻き付かれた手は、蛇のように絡みつく。

まるで、獲物を逃さないような。

「私の隣、ずっといて。

 それだけで、幸せ。

 Это рады, если вы и

 それだけで、私は幸せです」

アーニャはゆっくりとたどたどしく話す。

そんなアーニャの頭を軽く撫でる。

俺は、彼女のプロデューサーだから。

「俺は、プロデューサーとして傍にいることしか出来ないよ」

「неважно……かまいません。今は。

 ですが、私がトップアイドルになったら……

 ふふふっ、その時にまた、言います」

 

柔らかい笑みで微笑むアーニャは、年相応の笑みだ。

アーニャらしい、アーニャの笑顔。

俺はそう感じる。

そんな彼女の笑みに夢中だから、俺は傍にいる。

「その時を楽しみにしてるよ」

「Да……楽しみにしてて」

俺は彼女の傍にいる。

「だから、その時まで隣にいて、私の事見ててね。

 私がトップアイドルになるのが、2人の夢。

 夢を叶えて、それからも一緒だよ。

 プロデューサーと私の2人で。

 ずっっっっと、傍にいてね。

 プロデューサー。

 プロデューサー。

 Я люблю тебя до смерти!!

 Я тебя люблю безумно!!

 Я тебя люблю больше всех!!

 ……今は、私の言葉だけど、何時かはアナタにも言って欲しいです。

 プロデューサー」

ロシア語で、何を言ったのだろうか。

聞きたいけど、意味は教えてくれなさそうだ。

でも、彼女の態度をみると何となくわかる。

巻かれた手を離して、俺の頬に手を当てる。

恍惚とした笑みで頬を撫でると、片方の頬に軽くキスされた。

 

「……久しぶりです」

「アイドルとして売れたら駄目っていったよ?」

「今日だけ……」

 

アーニャは少し離れると、照れくさそうな笑みを浮かべる。

 

「今日の私、甘えん坊です」

 

そういえば、そんなことを言ってたな。

そんな事を思いながら、夜空を眺める。

直ぐに片手にきた慣れた重みを感じながら。

あの日、2人で見てたのと何も変わらない夜空をあの日から成長した俺達が。

……次は、トップアイドルになったら見に行こう。

そう、思いながら。

 

 

 

 

 

 

━━━━━━

後日談、というかあれから直ぐの話。

俺はアーニャを寮まで送って家に帰った。

家に帰り、就寝準備を終えてふと、公園での言葉に気になり調べてしまう。

 

意味を見て、驚くことなく辞書をしまう。

やっぱり、告白か。

ロシア語だからわからないって思ってるのかな。

でも、それを俺に言って欲しいか━━━

アーニャはまた子供だ。

考えだって直ぐに変わる。

そう思いながら、テーブルに置いた手帳をとる。

そこの白紙だったページの始まり……。

俺が最初に覚えたロシア語を眺める。

 

 

 

 

Люблю тебя

頑張ろう

それの隣に書かれた正しい意訳を

 

あなたを愛しています




リクエストが多かったモバマスからアーニャです。

リクエストはまだまだ募集してますので、気軽にコメント下さい。

※今回使ったロシア語は翻訳サイトのもののため、間違ってるかもしれません

Доброе утро:おはようございます
беспокойство:不安
доверие:信頼
Я тебя люблю:私はあなたを愛しています
Это рады, если вы и:あなたとなら幸せです
Да:はい
беспокоиться:心配
Я виноват:私が悪い。
эгоистичный:我が儘
Я не могу без тебя:あなたがいなければ私は生きていられない
отличаться:違う
неважно:大丈夫
Я люблю тебя до смерти:死ぬほど愛してる
 Я тебя люблю безумно:狂ってしまうぐらい愛してる
Я тебя люблю больше всех:誰よりも愛してる


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病みつきクール~ちひろ編~

話を思いついたので、少しの間この話をを続けていきたいと思います。

捨てきれない、思いも積もれば崩れゆく


私の朝は少し早いです。

正しく言えば、早くなりました。

本当ならまだ少し寝れますが、それを許さないように目覚まし時計が鳴り響きます。

時計を止めて、ベッドから起き上がり身体を伸ばしながら欠伸をします。

さぁ、今日も頑張りましょう。

私は今から会う彼の顔を思い浮かべながら起床の支度をしていきます。

 

 

 

━━━━━━

通い慣れた道を進み、明かりがついてない事務所の扉を前にして、手鏡で自分の顔を見ます。

化粧は変じゃないか。

髪は整っているのか。

身だしなみは大丈夫か……

この好きな人に会うための準備は何時まで経っても慣れなくて、楽しいです。

何回も確認をしてから、深呼吸をして扉を開けます。

 

「おはようございます」

「おはようございます」

 

静かな事務所に1人で佇む彼が、私だけのために挨拶をしてくれます。

この時が私の楽しみで、私の幸せで。

私の1日の始まりです。

 

彼の隣のデスクに座って、様子を眺めます。

また飽きずにロシア語の勉強をしているらしいです。

そんなに大変なら、担当アイドルを変えればいいのに。

というか、変えて欲しい。

彼の担当アイドル……アーニャさんの顔を思い出すと、胸の内が不穏になります。

あぁ、早く変えられないかな。

 

「もぅ、ちゃんと休んでますか?」

「休んでますよ」

 

苦笑いを浮かべる彼の顔つきは、確かに以前に比べれば元気だ。

でも、その元気も何時なくなるか分からない。

だから、私がしっかりと見守らないと。

 

「ならいいですけど……これ、どうぞ」

「いつもすいません」

 

スタミナドリンクを彼のデスクに置くと、ゆっくりの飲んでくれた。

あぁもう、栄養ドリンクに頼らないといけないなら勉強なんてしないで規則正しい生活をしてくれた方が見ている方も安心なのに。

 

「ちひろさんは今日も早いですね」

「私よりも早く来る人が言っても嫌みにしか聞こえません」

「嫌みじゃなくて、本心ですってば」

 

これが私の楽しみだ。

彼とのたわいもない雑談。

これが出来ることに関してはアーニャさんにも感謝しないと。

でも、今日の楽しみはまだあります。

 

「約束、覚えてますか?」

「飲みですよね、楽しみにしてますよ」

「そうですか、あっ、お店は何時もの所ですからね」

「了解です」

 

そう、今日は約束の飲みの日だ。

月に1回あるかないかの彼との休息。

ふふふっ、今日は楽しみです。

 

「あっ、そうだ。今日の仕事なんですけど……」

 

彼の勉強をやんわりと邪魔しつつ私のことで夢中にさせます。

私の事と言っても仕事のことですけど……。

でも、彼と話せればそれで良い。

今を楽しみつつ、これをどう継続させるかで頭の中を一杯にさせながら幸せな笑みをこぼしてしまいます。

上手く行くといいなー。

なんて思いながら、彼との今後を考えていきます。

 

 

 

━━━━━━

お仕事が始まってから早くも数時間。

隣の席の主が離れてから酷く退屈です。

それでも仕事は仕事。

しっかりとこなしていきます。

寂しさを感じながら仕事をこなしていると、事務所の扉が開きます。

 

「帰ってきたよ」

「おかえりなさい、社長」

 

私達の上司でありまとめ役でもある社長が営業から戻ってきました。

ハンカチで汗を拭きながらクタクタのスーツでソファーに座るとネクタイを緩める。

私はそんな社長に冷たい麦茶をお出しすると「気が利くね」と喜んでいただけました。

「いやー、久々に営業なんてやったから疲れたよ」

「最近彼もアーニャさんに付きっきりで営業いけてませんでしたもんね」

「そろそろ新しい人を雇わないといけないね」

「そうですね」

彼とアーニャさんの名前を出したからか、社長の目の色が変わる。

麦茶を一口口に含むと、真剣な眼差しで私を見つめています。

 

「それで、先日の話なんだが……彼とアーニャ君が親しくなりつつあるというのは本当かい?」

「はい」

嘘であることを期待していたのか、悲しそうな眼差しで麦茶に写る自分を見る。

残念ですけど、事実ですからしょうがないですよね。

「ですから、彼の担当アイドルを変えた方がいいと思うんですけど」

「だが、アーニャ君はまだデビューしてまもない。彼のような優秀な人物のサポートがいる」

「私もそう思いますが、スキャンダルになってからでは……」

「そうだね、考えておくとしよう」

 

軽くため息を吐くとふと周りの様子を見られます。

真新しい壁に囲まれた部屋に置かれたのは、どれも最近仕入れた新品当然の物々だ。

 

「まだ新しい事務所だが、問題は山積みだね」

「そうですね」

「彼も実力は申し分ないんだが……」

「以前の職場でも様々なアイドルをプロデュースされてましたもんね」

「……全く、彼はどうしてこう人に愛されるんだ」

「そこがいいところじゃないですか」

そこが良いところで、駄目なところ。

彼が人に好かれるせいで、私は何時も安心できない。

今だって、何か問題が起きてないか不安で胸がはちきれそうだ。

出来ることなら、彼の傍に駆け寄りたいけど、出来ないことが歯がゆい。

今は今のことよりも、今後の事だ。

 

「わかった、その件に関しては考えておこう」

数秒間じっくりと考えて出てきた答えは私の望むものだった。

 

よかった、これで悩みの種がまた消えました。

私は嬉しくて、満面の笑みを浮かべてしまいました。

 

「話は変えるが、彼女達に会ってきたよ」

「彼女達……?」

誰だったかしら?

頭に浮かぶのは、彼のことばかりで特に思い来つきません。

 

「彼が担当してたアイドルユニット達だよ」

「……あぁ、何か言われてました?」

「散々だったよ」

苦笑を浮かべると麦茶を軽く口に含められる。

空になったコップに新しい麦茶を淹れると、「すまないね」と一声置きテーブルに戻す。

 

「どうやら、まだ私のことを恨んでるようだよ泥棒と言われてしまった」

「それはまた……」

まだそんな事を言う人がいるなんて、驚きです。

どうやら、悩みの種はまだまだ尽きそうにありません。

「彼が来てくれたのは彼の意志だというのに、困ったものだ」

「彼女達が勝手に思ってるだけなんですから、気にしなくても良いですよ」

「ちひろ君もそう思うだろ?いやー、だが、嫌な思いをしたかわりにいい仕事を貰ってきたんだ」

「本当ですか!?」

社長と仕事の話をしながら、私はアイドル達にどう振り分けるかメモしていきます。

プロデューサーさんも頑張ってるんだから、私も頑張りましょう。

 

 

 

 

━━━━━━

仕事を終えると、パソコンから離れて体を軽く伸ばす。

さぁ、楽しみの時間です。

携帯から先程来たメールを見ると、どうやら彼はアーニャさんを送ってから行くから遅れるかもしれないとのことです。

わかりました、事故がないように気をつけて下さいねっとメールを送ってから身支度を整えます。

 

「お疲れさまでした」

事務所内にいる人たちに挨拶をしてから、私は出て行きます。

今日はどんなお話をしましょうか。

そうだ、面白い話を聞きましたし、それについて言ったら困った顔をしてくれますかね?

楽しみです。

楽しみを前にして高まる気分を抑えきれず、鼻歌を歌いながらゆっくりと道中を歩いていきます。

といっても、待ち合わせ場所は歩いて数分の小さな居酒屋です。

お店の前で鼻歌を続けながらゆっくりと携帯を取り出すと、彼からのメールが来ていました。

もうすぐ着きます。

どうやら、楽しみは目前のようです。

押し殺せない笑みを感じながら、鼻歌は絶好調です。

あぁ、早く来ないかな。

そう思っていると、愛しい声が耳に入ります。

 

「ごめんなさい、遅れました」

 

駆け足で来ると、少し汗をかきながら私に頭を下げてくれる誠実な彼が来てくれました。

もう、ゆっくり来てくれてもよかったのに。

ハンカチを取り出して、彼の汗を拭いていくと慌てて距離をとられてしまいます。

「もぅ、女性を待たせるのはいけませんよ」

「はははっ、すいません」

苦笑いを浮かべでポケットからハンカチを取り出したのでその手を掴んで、顔を近づけます。

困った顔で目線を泳がす顔も、大好きですよ。

「罰です」

「罰って……」

「身嗜みはしっかりとして下さいね」

ゆっくりと優しく彼の顔を拭いていくと、諦めたのかため息を吐いてなすがままにされています。

あぁ、そんな困った顔をしないで下さい。

それでも、そんな顔も大好きです。

愛しい顔を拭き終えると、彼から一本調子離れます。

 

「そ、それじゃ、行きましょうか」

頬を少し赤く染めている顔を見ると、私もこうなのかな?って思って恥ずかしくなる。

でも、私の顔ももっと見て欲しいからいいかな。

店内に逃げるように入った彼の後をゆっくりと付いていきます。

この幸せを長続きさせないとな。 

 

 

 

 

━━━━━━

居酒屋でビールを飲みながら、たわいもない雑談をします。

会話中所々アイドルの話をされましたが、仕事熱心ということで許して上げます。

ですが、アーニャさんの話は許しません。

……そう思ってましたが、彼は頑なにアーニャさんの話をしませんでした。

この間の事を気にされてるのか、気を使っているのか……。

それとも、話す事なんてないのか。

私としては後者の方がいいですが、多分無いですね。

彼はアイドルと親身になって接しますから、きっとアーニャさんにも何かしらの思いがあります。

恋愛ではないですけど、その思いが何なのか……。

これも確かめないと。

そう思ってると、店員さんからラストオーダーと伝えられました。

時計を見ると、もうすぐ針が真上を刺しそうです。

 

「お開きにしましょうか」

酔っているのか顔を赤くする彼は席を立ってしまいます。

まだまだですよ、プロデューサーさん。

「プロデューサーさん、私まだ飲み足りないです」

「そうは言っても……」

「ふふふっ、たまには宅飲みしましょうよ」

「宅飲みって……」

「私もプロデューサーさんも明日はお休みなんですから堅いこと無し」

「……本当に、身勝手なんですから」

諦めたのかため息を吐くと困った顔を浮かべます。

「まぁ、たまにはいいですけど」

「プロデューサーさんは本当に優しいですね」

その優しさが大好きです。

私も名残惜しい席を立って、彼の隣で歩いていきます。

相当酔っているのか、少し足取りが心許ないです。

ですから、私は彼の腕に抱きつきます。

 

「ちっ、ちひろさん!?」

「いいじゃないですが、たまには」

「……そんなに酔ってるなら、帰りましょうよ」

「プロデューサーさんの家で休んだら帰りますよ?」

「……本当に、何処にいても変わりませんね」

「プロデューサーさんだって、変わらないじゃないですか」

 

やばい。

体が熱い。

彼の傍に私だけ。

しかも、こんなにも近くにいる。

これだけで幸せでどうにかなりそうなのに。

心臓から荒い鼓動を感じる。

でも、平然としていましょう。

今はまだ、慌てなくても良いから。

 

二人仲良く店内を出ていき、道中をこのまま歩いていきます。

熱い体に冷たい夜風を受けると何ともいえない心地よさを感じるけど、熱さは一向に消えません。

それどころか、一歩一歩目的地に近づく度に熱さが増すようにすら思える。

彼も同じなのか、無口のまま私の顔を見ずに真っ直ぐ先を見つめています。

このまま私に無関心なのもつまらないし、軽くお話でもしましょう。

 

「プロデューサーさんの家に行くの久し振りですね」

「そういえばそうですね」

 

プロデューサーさんの家に行くのは何時ぶりかしら?

最近は全く行ってなかったし……。

そうだ。

 

「プロデューサーさんのお引っ越しを手伝ったのが最後でしたっけ?」

「あぁ、そういえばそうでしたね」

「ってことは、一年ぶり?」

「前は結構来てましたね」

「そうですねー」

クスクスと笑ってしまう。

そっか、一年間は何もなかったっけ。

思わず安堵感が胸に押し寄せる。

でも、それももう終わりかな。

軽くため息を吐いてしまう。

 

私が彼の家に行くようになったなのは大分前からだ。

それから飲みの度にお邪魔してたけど、最近はご無沙汰だ。

思えば、きっかけは何でしたっけ?

当たり前だと思ってたから忘れていました。

……そうだ。

彼が好きになってから大分後……。

あの子達がプロデューサーさんに近づいてからだ。

思わず手に力を入れてしまう。

抱きついている腕の強い存在感に安堵する。

なのにもう、なーんで邪魔するのかな。

アーニャさんには困ったものです。

 

「……ちひろさん」

「どうかしました?」

 

頭の中で一杯になった悩みが一声で吹き飛んでクリアになります。

「その、腕が痛いんですけど」

「ふふふっ、酔ってるからわかりません」

「……」

照れてるのか目線を私に合わそうとしてくれません。

寂しいなー。

寂しいです、プロデューサーさん。

 

「プロデューサーさんは、今は幸せですか?」

 

何も考えずに口から言葉が出てしまう。

いや、考えてた。

ずっと。

でも、分かってたから聞かなかっただけ。

「……幸せですよ」

「転職して、前のアイドル達にあえなくても?」

私は歩みを止めます。

理由は簡単です。

隣の彼が止まったから。

後悔からか伏せた顔は、見上げる私にはよく見えました。

今にでも泣きそうな、辛い顔。

そんな顔も大好きですよ。

 

「……ちひろさんは、何で俺は今の事務所に誘ってくれたんですか?」

「ふふふっ、前も言ったじゃないですか」

泣き出しそうな瞳に写る私の顔。

「プロデューサーさん、あなたを助けたいからですよ」

あなたの瞳にずっと写っていたいからですよ。

 

 

 

 

━━━━━━

彼との歩みを再会してから、辛い話は避けて雑談をしていきます。

雑談しつつ、私の頭の中では彼との思い出を確認していきます。

 

彼と出会ったのは、職場だった。

新しいプロデューサーとして入った彼を初めは何とも思ってませんでした。

大手プロダクションでもあった当時の職場にプロデューサーとして入ってくる人は珍しくなかったですから。

でも、少しずつ仲良くなっていきました。

初めはたわいもない雑談しかしなかった。

次第に独り立ちして、アイドルと過ごす時間が多くなっていきました。

少しだけ、寂しかったけど嬉しかった。

この頃から、2人で飲む事がありました。

主に私が誘ってましたけど。

それから、数年が経つと、自ずと目線が彼の方にいっていました。

毎日を頑張ってる彼を応援したかった。

━━━でも、今思えばこの頃には好きだったのかもしれない。

 

この思いに気づいたのは、彼がアイドルユニットをプロデュースし始めてから少ししてからのこと。

アイドル達が彼に過度なスキンシップをしてるのを見て。

嫌だった。

だから、飲みに誘って……。

そうだ、その時プロデューサーさんが泣き始めて━━━

だから、彼の家まで一緒に行ったんだ。

その時に、守ってあげたいって思って……。

彼の家で、アイドル達の話を聞いてそう思うようになった。

それから、よく飲みに行くようになったんだ。

彼の家に行くようになったんだ。

そういえば、何時も家で泣いてたっけなー。

子供っぽくて大好きです。

 

そんな日が長く続いてから、今の社長に引き抜きにあって━━━

そこで、彼も誘ったんだ。

渋る彼を安心させて。

……あぁ、やっぱり最初から最後まで私がいないと駄目なんだから。

もぅ、プロデューサーさん。

 

 

 

 

━━━━━━

歩いてから数十分。

私達は大きめのマンションに着いた。

そのマンションの一室が彼の家。

「ちらかってますけど」

なーんて事を言う割には部屋は綺麗に掃除されていた。

私が来ると思って掃除してたのかな?

なんて思うと笑顔がこぼれる。

 

案内されたテーブルに座って、対面に座ると彼と共に水を飲む。

「相変わらず何もないですね」

「そうですか?」

リビングには必要最低限の物しか置いていない。

ソファーにテレビ、テーブル、パソコン…。

生活に必要ないものぐらいしか置いてない部屋の隅にある物が気になってしまった。

「なんですか?あのダンボール」

置き場に困ったのか部屋の隅に追いやられていた小さなダンボールに目がいってしまう。

彼は少し困った顔をすると、言いづらそうに話す。

「その、前の事務所の時にアイドル達に関わるもので……」

「へー、そうですか」

棄てればいいのに。

何て言いたいけど、我慢我慢。

思い出の品だからって残しといたんだろう。

そうだ。

「折角だから見ましょうよ」

「……えっ?」

「ほら、ね?」

私はダンボールをテーブルへと運ぶ。

開けようとする寸前に彼の顔を見ると、困った顔のまま私の事を見ている。

こういう子供っぽいところが大好きだ。

 

「思い出を見ましょうよ」

「……えっ?」

「思い出は分かち合って楽しむものですよ。

 だから、一番付き合いがある私と見ましょう」

 

納得いかなさそうな彼を無視してダンボールを開けてしまう。

邪魔な物を区別しとかないと。

ダンボールの中身は色んな本が詰まっていた。

これは、プロデューサーさんが担当してきたアイドル達の趣味に合わせた本だ。

プロデューサーさんは相手のことを理解するために相手の趣味を知ることから始めるから。

……んっ?

でも、直ぐに違和感を覚える。

プロデューサーさんが担当してきたアイドル達の趣味に関する本なら、もっとあるはずだ。

私は一冊の本を取る。

それは、アロマに関する本だ。

これで、少しだけ納得した。

次の本はサックス。

それ以外は、教本ではなく小説の類だ。

有名なのもあるけど、大半は恋愛ものだ。

これだけ見れば十分だ。

 

「その、彼女達の思い出の品でして」

「……ですね」

この本に関わる人達のことは良く覚えている。

彼女達が以前の事務所で最後に彼がプロデュースしてきた人達だ。

だから━━━

 

「捨てましょう」

 

私は冷たく言う。

これが彼のためだ。

思いでは分かち合うもの。

思いでは分別するもの。

だから、こんなものは捨てるに限る。

 

「ですけど、貰い物ですし」

「貰ったものかもしれませんけど、こんな物持ってても邪魔でしかありません」

「……そうですかね」

 

邪魔だ。

いらない、こんなもの。

 

「プロデューサーさんは優しいから置いてますけど、普通はこんな傷つく物は捨てます。

 あなたが捨てれないなら私が捨ててきます。

 こんな物があってもあなたのためになりません。

 プロデューサーさんは、もう彼女達と関係ないんですから」

自分でも少し驚くぐらい強い口調だ。

でも、抑えれない。

彼が優しくて甘いから。

そのぶん私が厳しくしないと。

「こうやって前のことを引きずってるから駄目なんです。

 だから、アーニャさんにも彼女達を意識して優しくしすぎるんですよ。

 それは彼女達のためにならない。

 プロデューサーさんが彼女達の事を思ってるなら捨てるべきです」

 

プロデューサーさんは黙ってしまう。

困った顔でダンボールを見る彼の顔は、嫌い。

その顔は私のことを考えてないから。

 

「プロデューサーさん?」

 

静かに問いかけるも、彼は口を閉じてしまっている。

重い沈黙から数分がたつ。

やっと、彼は口を開いた。

 

「考えさせて下さい。もう少し考えて、捨てるかどうかを決めます」

立ち上がりテーブルの縁に立つとゆっくりとダンボールの側面を撫でる。

嫌な思い出をどうしてそこまで好きになれるんですか?

「そうですか、捨てるときは呼んで下さい。全部捨てます。

 これ以外にもありますよね?

 それも捨てます」

「他のアイドル達のは関係が……」

「あります。

 全部捨てて下さい。

 ロシア語の本もです」

「ロシア語も!?でも、アーニャは今担当してるアイドルです」

「いえ、もう過去のアイドルですよ」

思わぬ形で言ってしまった。

でも、始めから伝える気でいたから構わない。

見る見るうちに青くなる顔を見ると、少しだけ心が揺れる。

「もしかして、アーニャは……?」

「はい、担当を変えます」

「なんで!?上手くいってるじゃないですか!?」

「はい、これからはプロデューサーさん以外の人が担当しても問題ないですよね」

「アーニャは支えになる人がいる。急に変わったら、彼女だって全力を出し切れないかもしれない」

「心の支えになる人は必要ですね。ですが、彼女はプロデューサーさんを恋人のように見てます」

「それは、寂しいから……だから、そう思うことで自分を守ってるんです」

「それでは、今後は事務所内だけで寂しさを埋めて上げて下さい」

「……ですが」

「このまま付きっ切りだと、外で何かされてスキャンダルになるかもしれない。

 いいんですか?

 それが、一番嫌なのはプロデューサーさんですよね?」

 

青白くなった顔で歯を食いしばる彼を、私は優しく抱きしめます。

子供をあやすように。

優しく。

「プロデューサーさんもそろそろ身を固めたらどうですか?

 そうすれば、アイドル達との距離感を意識できますよ?」

「……誰かと付き合えってことですか?」

「誰かじゃないですよ」

目の前の大きな体をした子供に優しく口付けをする。

視野一杯に広がる驚いた顔を愛しく見つめる。

あぁ、やっと出来た。

嬉しくなってしまう。

彼とキスするのを、どれだけ待ち望んでいたんだろうか。

本当なら、もっとゆっくりと付き合って、彼からして欲しかったけど……我が儘は言えない。

正確な未来を作るには、理想を捨ててでも掴み取らなければならない。

多少強引でも。

 

キスをしかてから数秒、ゆっくりと彼は顔を離した。

名残惜しい唇のせいか、彼の口元に視線が釘付けだ。

「誰かじゃなくて、私です」

会話の続きを始めると、彼は目線を反らしてしまった。

別にいい、まだ分かる反応だ。

 

「……それは」

「これは告白ですよ」

 

彼には何も言わせない。

強引に行けば、彼ならきっと言うとおりにしてくれるから。

「ふふふっ、答えは待ってますので早めにお願いしますね」

 

彼の耳元で優しく伝えて、部屋を出る。

最後に、挨拶しないとな。

 

「プロデューサーさん、また職場で」

 

それだけ伝えて、扉をゆっくりと閉めた。

 

冷たい夜風が、心にしみる。

気が付くと体は冷え切ってしまった。

でも、胸だけは熱い。

さぁてと、プロデューサーさんはいつ応えてくれるかしら?

ゆっくりと視線を上げて、夜空を見上げる。

綺麗な星空は私を照らしてくれる。

大きな星達は、まるでアイドル達のようだ。

大きく輝いて、光る綺麗な星達は。

 

プロデューサーさんは、星なんかよりも近くの人の方がお似合いですよ。

プロデューサーさんは、独りでいるよりも誰かに引っ張ってもらうほうが幸せですよ。

 

 

━━━大丈夫

━━━私が全部守って上げます

━━━嫌なモノから苦しいモノから

━━━私が助けてあげますからね

 

愛しのプロデューサーさん

 

 

 

 

 

━━━━━━

後日談、というかあれから数日後の話。

俺はまだアーニャと仕事をしている。

プロデューサーが変わるかもって話は何もしてない。

アーニャには今を全力で仕事をしてほしいから。

それに、社長からそんな話も聞いてないし……

でも、ちひろさんが下らない嘘をつくとは思えない。

 

ちひろさん……

俺はちひろさんの告白に何もいえていない。

それでも、あの人は何も言ってこない。

ただ、メールで返事は何時でも待ってますからね

とは言われたけど。

 

今俺はアーニャをステージへと送り出して、手が空いていた。

何か飲みたいなって思って、自販機でお茶を買っていた時だ。

アーニャの分を買い終わって、取り出す時のこと。

 

「プロデューサーじゃないか、久しぶりだ」

 

凛々しく頼もしい聞き慣れた……いや、聞き慣れていた声で。

今はもう聞きたくない声で俺は呼ばれた。

 

━━━あぁ、なんで

━━━なんで、お前がここにいるのかな

━━━もぅ、許してくれよ

 

後悔の海に溺れながら、俺はゆっくりと声の主に振り向いた。



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病みつきクール~あい編~

重すぎる、思いを隠し想い合う


ちひろの告白から早数日。

当事者である青年は担当のアイドルであるアーニャと共にステージの舞台裏にいた。

広い舞台を隙間なく埋めたファン達が彼女の登場を期待する歓声をあげている。

嬉しいが、怖い。

目の前の彼女は彼の服の袖を強く掴んで離さない。

緊張してるのだろう。

アーニャはこれだけの人達を相手にするのは初めてのことだからだ。

不安と緊張から見慣れた青年の袖を掴むことでなんとか安心できているが、舞台に立てば1人。

そう思うだけで不安で膝から崩れそうなる。

 

「アーニャ、Люблю тебя」

耳元で優しく伝えられた愛の言葉を聞き、彼女は満面の笑みを浮かべる。

自分が騙して教えた言葉。

違った意味で言われてると知ってはいるものの、愛しの人から言われる愛の言葉は勇気をくれる。

「はい!私、頑張ります!!」

素敵な笑みを浮かべ、袖から手を離しステージへと駆けていくアーニャ。

彼女の背中が遠くなっていく。

……アーニャなら、俺以外の人がいても大丈夫……だよね。

心に来る寂しさを紛らわすように青年は舞台裏から離れていく。

彼女を取り巻く歓声を耳にし、安心感を覚えながら。

最後まで傍に入れなかった自分の未熟さを悔やみながら。

 

 

 

━━━━━━

先程とは違い静かな休憩室で青年は目の前の自販機を眺めていた。

何時も通りお茶で良いかな。

お金を入れていき、ペットボトルのお茶を二本購入する。

青年は自分が担当するアイドルがステージを終えた後に自分が買ってきた飲み物を渡す。

労いの言葉と共に。

初めて担当したアイドルにしていたことが何時の間にか癖になっていただけだ。

二つのお茶を取り出すと、入り口から聞き慣れた……いや、聞き慣れていた声が響く。

「プロデューサーじゃないか、久しぶりだ」

凛々しく真の通った声に彼は驚きを隠せなかった。

慌てて入り口へと視線を移すと、見覚えのあるアイドルがゆっくりと自分へと向けて歩んでいた。

 

「あぁ、早速で悪いんだが頼みごとがあるんだ。

 なに、簡単だよ。

 その懐かしさを覚えていた顔を近くで見せてくれないかい?」

「あ、あい!?なんでここに!?」

予想していない人物の登場に動揺する。

東郷あい。

彼女はこのステージに参加していないはずだ。

そもそも、青年があいを含む思い入れのあるアイドル達と接触を避けるように仕事を選んでくれており、同じステージに立つ時は事前に教えてくれていたからだ。

だからこそ、会うはずがないと思っていたアイドルとの唐突な再会に対応が出来なかった。

逃げるのは愛想が悪い。

だが、とてもじゃないが話せるような気分じゃない。

軽い頭痛と共に来た悩みからどうするか思考をするも、纏まる時間は与えられない。

頬に添えられた手は、時間切れを意味するものだ。

 

「あぁ、写真でしか最近見れていなかったから寂しかったんだよ。

 こうして君の事を触れて話せれる日が来る事を一日千秋の思いで待ちこがれていたよ。

 君が私の傍から離れてもう一年が過ぎたね。

 ……寂しかった」

 

潤みを帯びた瞳は真っ直ぐに青年を捉えていた。

その視線から逃れるように顔を逸らすも、直ぐに両頬に回った手はそれを許すことはなかった。

「ここで会ったのは吉日だ。

 私の楽屋に行こう。

 今は人が居ないとはいえ、誰かに見られたら大変だからね。

 せっかく君と共に築いた地位を万が一にも崩すわけにはいかない」

 

さぁ、行こう。と付け加えると共に青年の手を取り楽屋へと歩き始める。

青年は冷たいお茶を抱えながらあいの後ろ姿を見る。

最後に見た時よりも少し延びた髪を見て、それに気づく自分に何とも言えない気持ちになる。

自分の担当がの変化よりも、前の担当の変化に気づくのか。 

現実逃避のような思考をしつつ身動きが取れない腕を見る。

力強く握られた手は、トレーニングを必死にこなしているからなのか頼もしさを感じてしまった。

何とも言えない気持ちになりながらも、振り払うことも出来ずに共に歩む自分を優しすぎると攻めながら、かつての相棒の背を見て導かれるがままに歩く。

 

 

 

━━━━━━

あいに案内された楽屋は自分達の割り当てられた部屋よりも広かった。

だが、それに驚くことはしない。

青年からしてら、この部屋は見慣れていた。

目の前のアイドルを含め、様々なアイドル達とこの楽屋で過ごしたことがあったからだ。

あいは隅に置かれたソファーに腰掛けると手招きをする。

青年は何も言わずに対面になるように座ると、ため息を吐かれた。

 

「おいおい、そこに座ったらテーブルが邪魔で近くで顔を見れないじゃないか」

「……今はもう無関係なんだ。これぐらいが丁度良い」

「寂しいことを言わないでくれ。無関係なんて言葉、私達に最も相応しくない言葉だ」

無関係と発せられた言葉にあいはムキになってしまう。

自分との関係を分からせるために、自ら青年の隣へと席を移る。

その対応を観察するも、眉一つ動かさずに俯く姿を見て安堵感を感じる。

やっぱり、嫌われてはないんだね。

万が一にも嫌われていたら、私はもう━━━

胸の底から湧き出ていた不安が消えていく。

本当に嫌われていたならば、自分の行動を否定する。

だが、それをしない青年はやはり自分の知ってる青年なんだと。

安堵感から来た思いに押されるまま、あいは行動へと移してく。

 

「ここからだと、俯いた君の顔がよく見えるよ」

 

少し猫背になり覗き込むように瞳を見る。

目線が合うと青年は何ともいえない気持ちになり顔を逸らす。

照れ隠しかな?

ふふふっ、可愛いね。

その行動を肯定的に捉えるも、あいからしたらつまらない。

 

「君との時間を大切にしたいが、私ももう直ぐステージに上がらなければならなくてね……

 だから、この短い時間を有効に活用したい。

 協力してくれないか?」

「……あいはなんでこのステージにいるの?たしか、出演者じゃなかったよね」

 

質問を質問で返されてしまい、少し気分を悪くするも直ぐに収まる。

私のことを知りたいからくる質問かな?

そう解釈をすると、スケジュール帳をバックから取り出し今日の予定を見せる。

そこには、何も書かれていなかった。

 

「……どういうこと?」

「本当は私は今日オフの日でね。

 ただ、事務所のアイドルが急な熱で欠席する事になったから変わりに私が来たんだよ」

「あいだけ?」

「あぁ、他の二人は今日は別の仕事が入ってるからね」

「……そっか」

 

あい1人しかこの場にいない。

それだけが青年からしたら救いでもあった。

もしも、他の2人もいたら━━━

考えるだけで背筋が凍ってしまう。

 

「まぁ、本当なら私じゃなくてもよかったんだが……先日面白い話を耳にしてね」

クスクスっと笑みを浮かべるあいは小悪魔のように目を細め妖艶な指使いで青年の顎を触る。

その手を振り払うことなくあいの瞳を青年は見つめた。

 

「君を奪った社長に先日お会いしてね。

 そこで、君が今日ここにくる話を偶然耳にしたんだよ。

 だから、君に会うためだけにここに来たってわけ」

 

君だけのためだよ?っと念を押す言葉に青年は再び目線をそらした。

その仕草が愛くるしいあいからしたら変わらぬ微笑みを浮かべる。

だが、時間がない。

本題へと話を移す。

 

「早速だ、連絡先を教えてくれないか?」

「……なんで?」

「なんでって、君が変えたからじゃないか。

 電話もメールもあの日以来繋がらない。

 寂しかったよ、あのアナウンスを聞く度に胸が痛くて泣いてしまってたよ」

 

冗談なのか本当なのか分からない言葉をぶつけられ、青年は焦る。

確かに、電話番号もメールアドレスも全て変えた。

彼女達からの連絡を無くすためだ。

それを教えてしまっては意味がない。

断ろう。

そう思うが、言葉が出てこない。

そんなと時、青年の頭にちひろの顔が浮かぶ。

……優しさだけじゃだめ。

ちひろの顔を浮かべられ勇気を貰う。

 

「駄目だよ、教えれない」

「……なんでだい?」

「俺はもう、あい達とは関係ない」

「プロデューサーがアイドルと関係ないなんていって良いのかい?」

「俺はもう、プロデューサーじゃない!!」

「私のプロデューサーは君だけだ」

 

青年は頭痛を少しでも和らげようと片手で頭を押さえる。

それに合わせてあいはテーブルに置かれていたペットボトルを差し出す。

 

「ほら、これでも飲んで落ち着くといい」

「……ありがとう」

 

自分で買ったお茶をゆっくりと飲んでいく。

半分程飲み終えると、テーブルへと戻す。

冷たいものを飲んだおかげか頭の中が少しだけ落ち着いた気がした。

 

「あい達にはもう新しいプロデューサーがいるだろ?」

「あぁ、私達の名前を使うことしか出来ないプロデューサーがね」

「そんな言い方するなよ」

「仕方がないさ。無名時代の私達のために必死に頭を下げていた君を傍から見ていた身としては、相手に頭を下げさせる彼をプロデューサーとしては認めれない。

 心配しなくても、業務を円滑に進めれる程度の仲ではいるさ」

「……それでも、プロデューサーだろ?」

「私とトップアイドルを目指したプロデューサーは君だけだ」

「……もう、なれただろ」

 

突き放すような冷たい言葉は、あいの逆鱗に触れる。

「あぁ、なれたさ!!

 何で君は傍にいなかった!!」

テーブルを強く叩き勢いよく立ち上がるあいの変わり様に目をそらすことしか出来ない自分に虚しさを感じる。

そんな対応があいは気に食わない。

問い詰めるように顔を近づけ逃げられないように頭を固定する。

 

「何で最後に離れていった!?

 私のことを最後まで見てくれるんじゃなかったのか!?

 君はそんないい加減な奴じゃないだろう!?

 私の知ってる君はそんなことしなかった!!

 誰だ、誰に唆された!!

 私から君を奪ったのは誰だ!!」

怒濤の言葉に青年は目をそらし続ける。

直視できない。

初めから隣に立ち、プロデュースしてきた彼女達の目的であったトップアイドルになれる瞬間を立ち会わなかったことに負い目を感じるからだ。

トップアイドルになる直前に逃げ出したからだ。

だかこそ、何も言わずに思いの丈をその身に受ける。

自分を咎めるように。

 

「……約束、覚えてる?」

 

何も言わず傾聴のみを行う青年に優しく問いかける。

「……ああ」

「だから、逃げたのかい?」

「…………ああ」

「そうか、ふふふっ、罪作りな男だ」

あいは変わらず目を反らすことしかしない青年に口付けを交わす。

子供にするような甘い口付けを。

交わして数秒で離す。

互いの顔が赤く染まる、

 

「これで、先ずは一歩約束に近づいたかな?」

悪戯な笑みを浮かべるあいの瞳を見つめる。

深く沈んだ色をした瞳。

そこには、青年と共に過ごしてきた色は無かった。

 

「君は優しい。

 だから、嘘を付く。

 誰かを庇ってるんだろ?

 わかるさ、長年付き添った君のことだ。

 ……知ってるかい?

 君は嘘を付くとき必ず目を反らすんだ」

 

それを聞き、慌てて目を合わせるも自分の思った通りになったあいは楽しそうに笑う。

「悪いけど、嘘だよ。

 君は嘘なんてつかないから、嘘をつく癖なんて知らないさ」

 

だからこそ、その仕草に確信を覚える。

庇っている。

誰かを……。

そいつさえ、消えれば。

そんな事を内心に抑え、外面では甘い笑みを浮かべる。

まるで恋人に向けるような微笑みを。

 

「まぁ、言いたくないならいいさ。

 携帯の番号だけで今日のところは引き下がるとしよう」

「……言っただろう、教えない」

これだけは譲れない。

その思いで強く反発するも、あいからしたら苛立ちすら感じない。

先程のキスのお陰があいの瞳に移る青年の反発的な仕草は愛しく感じてしまっている。

意外と安い女だな、私も。

 

「いいのかい?」

 

不適な笑みを浮かべての問いには青年も動揺を隠し切れない。

何かあるのだろうか。

その先入観から視線で理由を問いただす。

それを理解したのだろう。

あいは青年の耳元で囁く。

愛しく、魔法の呪文を。

 

「私がアイドルを辞めても?」

 

その言葉に頭が真っ白になる。

 

「それとも、君の事務所に移籍しようかな?

 どっちがいい?

 専業主婦か、共に働くか?」

 

楽しそうに人生設計を語るあいの肩を勢いよく掴み、真っ直ぐにその瞳を見る。

 

「冗談でも、辞めるだなんて言うな」

「冗談じゃないさ、私だって冗談で言えることの区別はついてる」

「なら、なおさらだ」

「それだけ君に対して本気なんだよ」

「お前はアイドルで、俺はプロデューサーなんだぞ!?」

「今の君は私のプロデューサーじゃないだろ?」

「他事務所のプロデューサーなんて論外だ!!」

「それじゃ、同じ事務所ならいいのかい?」

「駄目に決まってるだろ!!」

「プロデューサー……」

 

青年を落ち着かせるように彼の頭をゆっくりと撫でていく。

それなりに整えている髪は触り心地も悪くなく、病みつきになりそうだ。

 

「私だって女だ。

 恋ぐらいするさ。

 君のような素敵な男性が傍にいたら尚更ね」

「……だから、だから離れたんだ、俺は」

「ふふふっ、そうか、私のために離れたのか。

 やっと疑問が晴れたよ。

 それじゃ、怒るに怒れないな」

 

肩に込められた力は抜けると、ぶらりと真下へと降りる

あいはゆっくりとそんな青年に抱きつき、背中をゆすっていく。

子供をあやすような仕草に、青年は不思議と落ち着かされた。

 

「もう怒ってないから、やり直そう」

 

耳元で囁かれる言葉に青年は反応してしまう。

「大丈夫、私達なら何度だってやり直せれる。

 なんなら、初めからやり直すかい?

 君の事務所に移籍して、1から……いや、マイナスからだとしてもね。

 君と2人なら、やれる。

 私達なら、上手くいく。

 駄目なら駄目で、君の嫁として嫁げばいいだけだしな」

 

甘く囁かれる言葉に青年は反応する気力すら失う。

もう、駄目なんだよ……。

この思いだけで、青年の胸は苦しめられる。

 

あい、お前は俺を愛しすぎてる。

 

だから、駄目なんだよ。

 

「あい、止めてくれ」

「そうだね、再会して間もない人にする話ではなかったな」

「……ああ、そうだな」

「だが、電話番号を教えてくれないと、本当に私が何をするかわからない。

 自分の事だが、私でもわからないんだ。

 もしかしたら、自暴自棄になるかもな……」

「……わかったよ」

 

俺は手帳に電話番号を記入して、テーブルに叩きつける。

悔しいけど、本当に何をするかわからない。

それに━━━

それに、あいだって俺のプロデュースしてきたアイドルだ。

……もぅ、間違いなんて起こしたくない。

 

ふと、頭の中に1人の女性が浮かぶ。

 

━━━さようなら、プロデューサー

 

その言葉を最後に、俺の元を去ったアイドルを。

 

…………。

青年はだらりと下がった手に力が籠もっているのを感じる。

半ば無意識で込められた拳は、爪が掌に当たり、痛みを感じる。

だが、辞めることはなかった。

 

「さて、今回の目的は達した」

 

テーブルに置かれた紙を手に取り、バックに閉まっていた携帯から電話をかける。

直ぐに2人の聞き覚えのある曲が流れると、あいは嬉しそうに登録をする。

 

「暇な時はかけてくれ。

 でれるときは直ぐに出る。

 私も暇な時に電話をかけるよ」

 

あいはふと時計を見ると自分の出番が回ってくることを自覚する。

そそくさと手荷物をバックに仕舞っていく。

荷物を仕舞い終えると、明るい声とともに扉が開かれた。

 

「東郷さん、そろそろ出番でーす」

 

訪れたスタッフは室内の何ともいえない雰囲気に驚き、その場を退室する。

「さぁ、行こうかプロデューサー」

「……俺はもうプロデューサーじゃない」

「君が何と言おうと、私のプロデューサーは君だけだ」

「……やめてくれ」

 

うなだれながらソファーから立ち上がりテーブルに置かれた2つのペットボトルをとろうとする。

だが、その手は直ぐに止まる。

 

「おや、それは私への差し入れじゃなかったのか?」

 

誰もそんなことを言ってない。

青年は反発の言葉をあげようとするが、何も言えない。

言う気力がなくなった。

目の前のアイドルから立ち去りたい。

この一心で青年は部屋を出て行く。

そんな彼に導かれるようにあいも後ろを着いていった。

2人の行く場所は同じだ。

2人が目指していた物も同じだ。

 

━━━何処で間違えたんだろうか

 

この疑問を胸に、青年は舞台裏へと向かった。

 

 

 

 

 

━━━━━━

舞台裏に着くとアーニャは観客達に深々と頭を下げていた。

横目で青年が戻ってきたことを確認すると、ファン達に手を振りながらゆっくりと舞台裏へと、愛しの青年の元へと帰る。

 

「お疲れ様、アーニャ」

「プロデューサー、今日は私のステージ、見てくれないの?」

「……ごめん、色々やってて」

「……頑張った」

「あぁ、ファンの顔を見ればわかるよ。お疲れ様アーニャ」

 

その言葉を聞き、抱きつくなる思いを抑えて彼の前に頭を差し出す。

青年はゆっくりと頭を撫でるが、アーニャは直ぐに違和感に気づいた。

プロデューサー、何時もは嬉しそうに撫でてくれる……なんか雑だよ?

問いただそうとすると、青年の影に隠れていた彼女が姿を現した。

 

「彼女が今の君のパートナーかい?」

「……あぁ」

 

聞き慣れない重々しい返答にアーニャは警戒する。

目の前のアイドルは自分でも知ってる有名人であり、トップアイドルだ。

挨拶まわりの時にはいなかったけど、なんで?

疑問を覚えるも、聞くことはしない。

プロデューサーを困らせるなら、嫌な人。

 

「よろしくね。私は彼にプロデュースしてもらってたんだよ」

「えっ?プロデューサーが?」

「あぁ」

 

目の前のトップアイドルのプロデューサーが愛しの青年。

そう思うと、不思議と嬉しくなってきた。

私も、彼の隣に立てるぐらいな、トップアイドルにならないと。

そう改めて決意を固めつつ目の前の先輩に頭を下げる。

 

「さぁ、行くとしよう。このステージに最高の幕引きを勤める物としてね」

 

ゆっくりとステージへと向かっていくと、観客達の歓声が大きくなる。

今日の代理として東郷あいが急遽出演と聞いた観客達はトップアイドルを目の当たりにできるとしり声を荒げているのだ。

その歓声にアーニャは驚いてしまう。

さっきまで自分が受けていた歓声が一瞬にして切り替わったのだから。

これが、トップアイドルですか。

思わず生唾を飲んでしまう。

 

だが、アーニャは次の瞬間に聞きたくない現実が現れる。

 

「そうだ、最近ロシア語を勉強しててね。ほら、君もよく知る彼女から頂いた本に興味深い内容のが合ってね」

 

あいはプロデューサーを見ると、アーニャに聞こえるような態とらしい声量で伝える。

 

「Люблю тебя」

 

その言葉を残り、ステージへと向かうあい。

アーニャはただ、その後ろ姿を睨む事しかできない。

愛しのプロデューサーの腕に抱きつつ睨む事だけが、彼女の最後の抵抗だった。

 

 

 

 

━━━━━━

後日談……その直ぐ後の、話です。

 

私はプロデューサーに東郷さんとの話を、聞きました。

軽いことしか教えてくれなかったけど、今は何もないらしいです。

……本当ですか?

 

プロデューサーの助手席に座って、隣の彼をみます。

視線に気づいたのか、優しく頭撫でてくれた。

……あの時とは違って、優しく。

その後、何時も通り雑談しました。

最後に、お疲れ様って言って、別れました。

 

……プロデューサー

あなたは最後まで、私の傍にいてくれますよね?

そんな事をふと、思います。

最近の悩みです。

…………。

寝床につき体をベッドに預けながら目を瞑ります。

思い浮かぶのは、プロデューサーの見たことがないぐらい困った顔。

……私は、プロデューサーを困らせないよ?

プロデューサーに、嫌われないよ?

だから、傍にいても、いい?

 

プロデューサー

プロデューサーから離れても、私は離れないよ

絶対に、離れないよ。

何があっても

 

その日の夢はプロデューサーが傍にいないステージに立つ私の夢。

見て欲しい人に、傍にいて欲しい人がいないステージで踊る夢。

その日の夢は、最悪の悪夢でした。



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病みつきクール~閑話~

ちょっとしたぼのぼのかいです

恋愛は、休む間もなく進んでく


小綺麗に整った事務所の一室。

そこはアイドル達の休憩室だ。

広い部屋の真ん中に置かれたソファーに1人の少女が佇んでいる。

傍に置かれたテレビは明かりをなくし、静かな空間にただ本を捲る音が響く。

空白を埋めるように刻まれた文字達を一字一句読み終えると、ページをめくる。

ページをめくり、隣を見る。

視線は空を切り、物静かな部屋を写す。

それを確認し、本へと視線を戻すもページをめくる度に隣を気にする。

少女は自分しかいない空間に寂しさを覚えながら、本に詩織を挟みテーブルへと置く。

 

「……プロデューサー、何処ですか?」

 

愛しの青年に伝えたい独り言は誰かに伝わることもなく消えていく。

彼女、鷺沢文香は顔を伏せ頬を伝う涙に身を任せる。

……プロデューサー、貴方が居ないのは嫌ですよ。

誰もいない隣を見て泣くことしか出来ない自分を惨めに感じつつポケットに締まっていたハンカチで自分の涙をふいていく。

今日の仕事、上手くいきました。見てくれてますよね?傍にいなくても、見てくれてますよね?

彼の顔を思い出すと不思議と涙が収まっていく。

思い描くのは彼に優しく頭を撫でられること。

昔は当たり前のように感じていた事が、今ではとても恋しく思える。

早く、会いたい。

その思いだけを胸にして、収まっていく涙を感じていた。

 

 

 

 

━━━━━━

涙が収まる頃、静かな部屋に扉が開く音が響きわたる。

「ただいま」

「ただいま帰りました」

「お帰りなさい」

 

聞き慣れた声達は文香が所属するアイドルユニットのメンバー達だ。

東郷あい

三船美優

この2人と彼を含めた4人でトップアイドルになるため努力してきた。

今はもう、1人いない。

それを思い文香は悲しさに身を打つが、それを隠し精一杯の笑顔で2人を迎える。

対面のソファーに2人が座ると、あいはテーブルに置かれたテレビのやリモコンを手に取る。

 

「相変わらず静かだね。静かすぎるのも落ち着かないんだ、何か見ないかい?」

「私はいいですよ、文香ちゃんは?」

「私も大丈夫です」

 

2人の確認をとり、テレビをつける。

淡々とした口調で話す女性アナウンサーが写る。

3人は横目でニュース番組を見つめると、美優は軽く手を叩き注目を集める。

 

「今日のお仕事はどうでした?」

「私は、上手く出来た……と思います」

「文香がそう言うなら、上手くできたんだろうね」

 

ふふふっ、とあいは微笑みを浮かべる。

偉く上機嫌な彼女に2人は疑問を持つ。

「あいさん、今日はオフなのにわざわざライブに参加されたんですよね?」

「あぁ、無事観客達も喜んでくれたよ」

「なのに……偉く上機嫌ですね?」

「アイドルとして、ファンに応援され、喜ばれるのは最高の褒美だろ?」

「……そうですね」

 

湧いた疑問に後ろ髪を引かれるような思いを持つも、美優は一旦口を閉じる。

何かあったのかしら?

でも、教えてくれなさそう。

見つめるあいの顔は普段よりも幾分楽しそうな笑顔。

最近は見ることの出来なかった笑顔。

 

「プロデューサーさんと、お会いした……とかですか?」

 

その笑顔を見ると、文香の口は動いていた。

あいの笑顔はかつて4人で努力してきた時に見てきたもの。

1人抜け、抜け落ちた笑顔。

 

「おや、どうしてそう思うんだい?」

「……あいさんが今日参加したライブ、プロデューサーさんがいる事務所のアイドルが参加してたんですよね?

 ……だから、お会いしたのかと思いました」

 

相変わらず、彼の事になるとよく喋る。

笑顔を作りつつもあいは内心文香に毒をはく。

普段は仲が良い彼女達も、彼のこととなると例外。

結ばれるのは1人だけなのだから、周りは皆邪魔者でしかない。

今隣にいるアイドルも、邪魔でしかない。

 

「残念だったが、会えなかったよ」

「本当に?」

 

隣から来た鋭い疑問に目を向けると、美優は真っ直ぐな瞳を向けていた。

お世辞に友好的とは言えない視線に苦笑を浮かべる。

やれやれ、少しわざとしかったかな?

まぁ、嬉しさの余りボロが出てしまったのかもしれないね。

今現在置かれている自らの状態を楽しむように内心笑みを浮かべる。

それは、自分が今優位に立っていることを自負してるからだ。

今このメンバーで唯一彼と再会し、連絡先を知っているのは自分なのだから。

 

「下らない嘘はつかないさ」

 

この一言で2人は黙って顔を伏せる。

プロデューサーさん……今どこにいるの?

私は、ここですよ?

 

……プロデューサー、迎えに来てくれないんですか?

会いたいだけなのに、声を聞きたいだけなのに……駄目なんですか?

 

2人には悪いけど、私にも譲れない思いはあるさ。

女として、負けられないしね。

 

3人が黙り込む重い空気の部屋に、淡々とした声が響く。

ふとあいはテレビに視線を向けるとそこには興味深いニュースが流れていた。

 

「彼女引退するんだ」

その一声で2人もテレビを見る。

そこには、自分達とよく共演していたアイドルの引退に関する内容が流れていた。

「知ってる人が辞めていくのは、寂しいですね」

感傷深く受け取る美優は、テレビから視線を逸らす。

あいは何も言わずに彼女の最後の言葉を聞く。

彼女はどうやら、結婚のためにアイドルを引退するらしい。

嬉しそうに記者達の質問を応える様子を眺め、自分もこんな日が来るのかと思うと口元に笑みがこぼれてしまう。

だが、笑みはすぐに収まる。

何も言わずに静かに画面を見る彼女を見て。

真顔で真っ直ぐにテレビを淡々と見届ける文香を見て。

可笑しい、普段なら美優さん同様に顔を伏せるなりして悲しそうな態度をとるのに。

 

「文香、大丈夫かい?」

「えっ!?は、はい」

 

急な呼びかけに動揺し声を荒げる。

その様子に、あい同様に美優も気づく。

「文香ちゃんどうしたの?」

「あっ、いえ」

一呼吸置き、軽い笑みを作る。

目の前の彼女達を安心させるために。

「驚いてしまって……それだけです」

 

何時までも待ってるだけのシンデレラじゃ、駄目ですよね。

私から、探さないと。

そうすれば、応えてくれますよね?

目の前の彼女達に不信感を与えないよう笑みを浮かべる。

━━━プロデューサー、待ってて下さい

愛しの彼を使える姿を想像しながら。

 

 

 

 

━━━━━━

目覚まし時計が鳴り響く部屋で、青年はゆっくりと目を覚ます。

気だるいからだに鞭を打ち、傍に置いていた時計のアラームを止める。

……仕事、行きたくないな。

真面目な青年らしからぬ思いを抱く。

だが、沸々と湧き上がる先日の思い出から肩に重くのし掛かる。

そのせいか、中々ペットから起きあがれない。

枕元に置いてある携帯を取り出し電話帳を開く。

そこには、昔はよく連絡した人物の番号が登録されていた。

東郷あい

駄目、だよな。

名前を見て重いため息を吐く。

……どうしよう。

交換したその日からずっと悩み続ける。

だが、答えは出ない。

思い浮かぶのは、彼女の顔だけ。

……ちひろさんに相談してみようかな。

青年の頭に思い浮かぶのはちひろの顔。

迷惑にならないか、嫌な思いをされないかっと不安を覚えてしまうが、自分ではどうしようもない。

そんな自分が嫌いだった。

何も出来ない自分に乾いた笑みを浮かべてしまう。

 

ちひろさんなら、助けてくれるのかな。

思い出すのは先日のちひろとの掛け合い。

彼女なら、助けてくれるかもしれない。

青年はそれだけで頭が一杯になる。

……前も、こうだったっけ。

自分が以前の会社を辞める前……同じように悩み、苦しんだ青年を助けたのはちひろだ。

だから助けをこうのは間違ってる。

それは分かっているが、縋ろうとする自分もいる。

……もう少し、考えよう。

せめて、また飲みにでも行った時に話そう。

今は、自分でとうにかしよう。

……どうにかしたら、告白の返答もしよう。

再度重いため息を吐き、ベッドから起きあがる。

 

立ち上がり直ぐにベッド傍にある本棚へと向かう。

大量の本が本棚に隙間なく詰められている。

辞書や写真集、絵本等統一性なく詰められた本達に青年は軽い笑みを浮かべる。

 

「おはよう」

 

返ってこない挨拶をすると、青年の顔は先ほどよりも少し明るくなる。

この本達は青年がプロデュースしてきたアイドル達のことを知ろうとしてか買ってきて物だ。

相手を知り、より近くでプロデュース出来るように。

初めてプロデュースしたアイドルと接するうちにそう感じ、続けてきたもの。

青年の積み上げてきた物だ。

挨拶をすませると、傍にある小さなテーブルに置かれた二冊の本を見る。

星に関する本と、ロシア語の本。

それは今、青年がプロデュースしてる相棒に関するものだ。

表紙を軽く撫で、彼女の顔を思い浮かべる。

それだけで不思議とやる気が出てきた。

悩んでも仕方がないし、頑張ろう。

青年はゆっくりと起床の支度を始めた。

 

 

 

 

━━━━━━

今日の青年の仕事は事務仕事だ。

使い慣れたデスクでたまった書類の確認をする。 

ここ最近書類整理をしていなかったことを後悔しつつ青年は一枚一し書類を確認していく。

青年に回ってくる書類はどれもアーニャに関わるものだ。

ステージやライブ、テレビ番組の出演依頼が主になる。

内容と時間を確認しつつどの仕事がアーニャに合うかを念頭に書類仕事をこなしていった。

今の青年にはアーニャの事しか頭になく、あいのことはすっかり忘れていた。

仕事をしている時だけは何も考えられなくてすむ。

それが青年の救いでもある。

 

「プロデュースさん」

 

書類と格闘していると急に声を掛けられ少し動揺してしまう。

そんな青年を優しく見守りながら、隣に座るちひろはクスクスと小刻みな笑みを浮かべる。

「仕事に熱中するのもいいですけど、休憩はとらなきゃだめですよ」

その言葉でふと腕時計を確認する。

時間はもうすぐ二つの針が真上を指すところだ。

「慣れない仕事を無理してやってもミスが増えるだけですよ」

ちひろは自分のデスクに置かれた書類を幾つか青年に見せる。

そこには見覚えがある書類に見覚えがない赤ペンが文字か記入されていた。

 

「はい、後でやり直しです」

「あーっ、すいません」

 

デスクに戻された書類を受け取り、書かれた内容を確認する。

自分でも呆れるぐらい下らないミスをしていた事に気づき溜め息を吐いてしまう。

「ほら、今日は頑張ってるプロデュースさんにご褒美があるんですから」

早く早くとせがむように腕を取り、青年を無理矢理立たせるとソファーに座らせた。

 

「何時もお仕事お疲れさまです」

 

その言葉と共に渡されたのは少し大きめの弁当箱だ。

「最近は営業中とか付き添いで受け取ってくれなかったから、寂しかったんです?」

「あーっ、何時もすいません」

申し訳なさから軽く頭を下げて弁当箱を受け取る。

 

青年は自炊は余りしない。

そのため、食事は外食や総菜ですませることが多い。

そんな青年を見かねてちひろは昼だけでも弁当を作り、渡すようになった。

それは、以前の職場から続けている。

ただ、事務所外の所だと恥ずかしいと言う青年の思いから週に数回しかない事務所で昼を過ごす時のみ渡している。

ちひろからしたら、残念で仕方がない。

本当なら毎日毎食作ってあげたいと思っているが、それは未来のお楽しみとして我慢している。

 

「事務所に入るときぐらいは外食じゃなくて、愛情たっぷりのお弁当食べて下さいね」

「……あはははっ」

大胆なちひろの発言に乾いた笑みを浮かべてしまう。

告白を既にしたちひろからしたらこの思いを隠す必要は無くなった。

少し告白は早かったですが、まぁいいですよね。

そう思いつつ青年の隣に座り、2人の前にお茶を置く。

事務所でいる時は2人の時間ですから。

そう思いつつ、真横の青年を見る。

少し顔を赤くして頬を掻く様子はちひろからしたら可愛らしい仕草だ。

 

2人で昼食をとろうとした時、入り口から透き通るような声が聞こえた。

「プロデューサー、来ちゃった」

扉から頭だけ出して中の様子を見るのは、今の青年に馴染み深い人物だった。

「アーニャ?今日はオフだろ?」

「会いに来たよ、プロデューサー」

ソファーに座って呆けた顔をするプロデューサーを見つけると、アーニャは嬉しく微笑む。

だが、それは直ぐに終わった。

「アーニャさん、休みの日は余り事務所に来ないで下さい」

青年の隣にいたちひろが、呼んでいない来客を冷たく追い返す。

なんで来るんですかね、休みなら休んでくれればいいのに。

折角の楽しみを奪われまいと意気込むちひろを見ると、アーニャはあからさまに不機嫌になる。

なんでプロデューサーと、ちひろさんが近くにいるの?

予想もしていない2人の組み合わせにあからさまにおいて不機嫌になるも、直ぐに笑みを浮かべる。

プロデューサーに、嫌われそうなことはしないようにしなきゃ。

青年が困ることをしない。

青年に嫌われるようなことをしない。

そう決めたばかりだ。

アーニャはちひろの反対に座ると、バックから小さめの弁当箱を取り出す。

 

「お昼作ってきました、食べてほしいです」

 

テーブルに置かれたちひろの弁当の上にわざとらしく置かれると、それを見てあからさまに不機嫌になる人がいた。

「アーニャさん、申し訳ないけどプロデューサーさんは私が作ったお弁当があるから」

「プロデューサーはよく男の人だから、沢山食べるよね?」

「食べ過ぎは駄目ですよね?」

「プロデューサー、食べてくれないの?」

2人の美女の視線にぶつかると青年は、困った笑みを浮かべる。

 

プロデューサーさんなら、両方食べると思いますけど……。

私に嫌な思いをさせる罰です。

存分に困って下さい。

 

プロデューサー、困った顔してる……。

けど、お弁当食べて欲しい。

……ちょっとぐらいなら、嫌われないよね?

プロデューサー、こんな事で嫌うぐらい、私のこと嫌いじゃないもんね。

 

それぞれの思惑を持ちつつ、青年を見つめる。

思惑ぶりな笑みを浮かべながら。

必死な顔で真っ直ぐに見つめながら。

2人の顔を交互に見ると青年は困惑する。

 

こんなには食べられない……いや、頑張れば食べれるよね。

……食べれるよね?

……何というか、幸せな悩みなのかな。

 

アイドルと事務員から渡された弁当箱の蓋を開けつつ青年はため息を吐く。

「両方いただきます」

その返答に満足したのか、2人は笑みを浮かべた。

 

こんなに食べるの何時ぶりだろうな。

可愛らしい弁当箱の中身を見つめながら食べきれるか困惑していると、男性の慌てた声が事務所内を響かせた。

 

「諸君、大ニュースだ!!」

 

社長室から慌てて飛び出してきた男性に3人は仲良く首を傾げる。

だが、次の言葉に3人は更なる困惑に陥ることとなる。

 

「アイドルの鷺沢文香が引退発言をしたぞ!!」

 

その言葉にちひろは驚きを

その言葉にアーニャは更に首を傾げ

 

 

その言葉に青年は顔を青くした。

 

 

 

 

 

━━━━━━

後日談、というわけではなく、それから直ぐの話。

 

俺は人があふれる街並みを走っていた。

そんな俺に気を向けないもの

邪魔そうに見つめるもの

面白そうに見つめるもの

様々な視線が俺を見つめる。

 

だが、そんなものに構ってられない。

赤信号に捕まり、足並みを止める。

汗で濡れたシャツに気持ち悪さを感じながら、呼吸を整える。

ふと見上げると、街頭ビジョンに写るのは見知った彼女の嬉しそうな笑みだ。

 

「……はい、私はもう……アイドルを辞めようかと思ってます」

 

……なんで

なんでそんなこと言うんだよ

……文香

 

信号が青になると同時に俺は再び走り始めた。

 



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病みつきクール~文香編~

サブタイトルを病みつきアーニャから病みつきクールに変更しました。

届くなら、言葉だけでも伝えたい


青年は呼吸を荒げ、走っていた。

シャツが汗で濡れ、肌にベタつく感触に気持ち悪さを感じながら。

どうしてこうなったんだろう。

赤信号に捕まり足並みを止める。

膝に手を当て、肩で呼吸していると普段の運動不足を後悔してしまう。

だが、そんなことを気にしてる暇はない。

 

「……はい、私は」

 

周りの雑音をかき消すような大声量で聞き慣れた静かな声が耳にはいる。

ふと見上げると、街頭ビジョンには彼女の嬉しそうな顔が映っていた。

「……アイドルを、辞めようかと思ってます」

何でそんなことを言うんだよ、文香!!

青年は目の前の信号が切り替わったのを確認して再度走り始めた。

 

 

 

━━━━━━

社長から突きつけられたら言葉を、青年は理解できなかった。

文香が……辞める?……アイドルを……?

その言葉に青年は文香との思い出が走馬灯のように思い返す。

物静かだった彼女と共に歩んできた道筋を。

全てを振り返ると、青年は軽いパニックに陥る。

なんで、なんで!?

文香、どうして辞めるんだよ!!

やっと慣れたのに……?

なんで?

……もしかして

いや

……もしかしなくても━━━

ふと、青年は現実に戻る。

隣にいたアーニャが青年の手を掴んだからだ。

 

「プロデューサー、すごい汗だよ?」

 

アーニャはポケットからハンカチを取り出すと青年の顔を拭いていく。

鷺沢さんって、東郷さんと同じユニット。

プロデューサーの知り合い?

分からないから後で聞こう。

……もしかして、プロデューサーの大切な、人?

自分で思いついた事に苛立ちを覚える。

プロデューサーの隣、私の場所だよ。

青ざめた顔から溢れる汗を優しく吹きながら、アーニャは内心プロデューサーに問いかける。

 

そんな2人を横目にちひろは手を下唇に当てて思考する。

このタイミングで、文香さんが引退発言?

……嫌な予感がします。

隣で青ざめた青年を見つめると、軽く深呼吸をする。

何があっても守れるように、私は堂々としておきましょう。

 

「どういった経緯で引退発言なんですか?」

「あぁ、今ニュースでやってると思うよ」

社長はテレビをつけると丁度話題のニュースが始まっていた。

ライブ後の発表だったのか、見覚えのあるステージをバックに文香は困惑した表情で記者達に捕まっていた。

 

「今回、急な宣言でしたが、引退は前々から考えていたんでしょうか?」

「はい……考えてました」

「事務所側は引退を認めてるんでしょうか?」

「いえ、事務所には……その、まだ言ってません」

 

何時もとは違う記者達の対応に慌てているのか、文香はおどおどとした様子でいる。

「事務所にすら伝えてないってことは━━━」

記者達は警備員達に押され、少しずつ距離を離されている。

それは、質問を受け付けないという事務所側の対応だろう。

だが、文香は記者達に一歩近づく。

「最後に、伝えたいことが……あります」

深呼吸を何度もして落ち着かせると、嬉しそうな笑みを浮かべる。

まるで、好きな人に向けるような自然な笑みを。

「もしも、私のことを応援してくれているなら……声だけでもいいてす。

 一声だけでも、いいですから。

 私に教えて下さい。

 ……離れてても、傍にいるって」

 

その言葉を残し文香はその場を離れた。

記者達の怒涛の質問から逃れるように。

場面が変わると、アナウンサーは淡々とした口調で今回の一件を纏め上げる。

それ最後まで聞くことなくテレビは明かりを消した。

 

「と、言うわけだ」

静かな沈黙を切り払うように社長は言うと、軽い咳払いをする。

「彼女達はいまやトップアイドルであり、アーニャくんのよき敵でもある。だが、そんな彼女が表舞台を去るというのは、関係者として悲しいものだよ」

淡々と語りつつ、視線を青年へと向ける。

自分が見られていることすら理解できず、顔を更に青白くし役目を終えたテレビへと向けられた視線は動かない。

そんな青年を見守る2人は、会話を続ける。

「私も、同じです。одинокий……寂しいです」

「文香さんが引退だなんて……急ですね」

「あぁ、踏みとどまってくれるといいんだが……」

言葉を言い終わる前に青年はゆっくりと立ち上がる。

集点の定まらない瞳でテレビを見つめながら。

「行かなきゃ」

行かなきゃいけない。

俺のせいだ。

止めなきゃ、いけない。

俺がやらなきゃ。

まともに回らない思考でただ、自分の思うプロデューサーとしての仕事を決める。

社長は青年の後ろ姿を見つめ、何も言わない。

値踏みするような視線を送りつつ事の行く末を見守る。

 

「プロデューサー、何で、行くんですか?」

青年の腕を掴み、アーニャは止める。

「なんで?今のプロデューサーは、私のだよ?」

だから、止めて。

アーニャは雪のような白い肌を更に白くする。

ここで止めないと、プロデューサーは居なくなる。

何故か、そんな思いがよぎってしまう。

「だから、止めて」

「……アーニャ」

青年はアーニャへと視線を向ける。

一瞬、アーニャの姿が文香へと変わる。

白い肌を更に白くし、恐怖のような何かに襲われているのか、それとも事の理解に追いつけないのか困惑した顔を浮かべる彼女を。

同じような表情をした文香に。

 

━━━プロデューサーは、私の傍にいてくれる……いてくれるんですよね?

━━━プロデューサー……お願い……私、何でもするから

━━━だから……置いていかないで

━━━お願い、プロデューサー

━━━プロ……デュー……サー

 

「……ッ!!」

2人の少女が重なると、青年はその手を払う。

「━━━えっ?」

「……」

辞めてくれ、もう、辞めてくれ……。

そんな思いに刈られると、胸が苦しくなる。

呼吸が荒くなる。

動機が激しくなるのを感じる。

青年は文香を見る。

だが、そこにいたのは驚きから目を見開き自分を見つめるアーニャ。

青年は、そこで気づく。

自分が払った手は誰の手なのかを。

 

「ご、ごめん!!アーニャ!!」

慌ててアーニャの手を取り、落ち着かせる。

いや、落ち着こうとする。

「その……ごめん」

何も言えない。

文香に見えたから手を払った。

そんなこと、言えるはずがない。

「……プロデューサー」

力なく呼ばれ、自分の行いを恥じる。

目の前の彼女を身勝手で傷つけた。

それは、人として最低だ。

自傷のような笑みを口元に浮かべるとアーニャの手を離す。

ゆっくりと、傷つけないように。

そんな青年の背にアーニャは優しく手を回す。

━━━なんで?

その疑惑で頭を埋める。

 

「大丈夫だよ、プロデューサー。

 プロデューサーなら、大丈夫。

 私は怒らないよ。

 プロデューサーには、怒らない。

 だから、落ち着いて。

 プロデューサーの傍にいるのは、アーニャ、だよ」

 

落ち着かせるように耳元で優しく伝えるていく。

プロデューサー、焦ってる。

だから、私が優しくする。

それが、プロデューサーのため、だよね?

愛しの彼を思うからこそ、優しくする。

耳元で、周りに聞こえないように小声で━━━

「Без тебя моя жизнь не имела бы смысла……私は傍にいるから。

 だから……

 だから、傍にいてね」

青年は、不思議と落ち着く。

甘い口調での囁きに、落ち着いていく。

だからこそ、青年はアーニャを離す。

 

「ありがとう。俺も傍にいるからね」

 

優しく伝え、彼女の頭を軽く撫でる。

目を細め嬉しそうに微笑む。

よかった、プロデューサー落ち着いた。

何時も通りだ。

普段と同じ愛しの青年に安心する。

アーニャの不安も消えていた。

 

手を離し、青年は立ち上がる。

「少し、電話してきます」

青年はその言葉だけ残してその場を離れていく。

 

……アーニャ

傍にいるよ、いれるだけ、傍にいる。

だから、ごめんね。

━━━ごめん 

手を振って見送ってくれる彼女の顔を、青年は直視できなかった。

 

 

 

 

 

━━━━━━

事務所前に立ち、青年は携帯を取り出す。

ゆっくりと番号を押していくと、それを止める声が挙がった。

 

「止めて下さい」

 

安心感を感じる声は、ちひろだ。

読めない表情で青年を見つめると、ゆっくりと距離を詰めていく。

 

「今、話してどうにかなるんですか?」

「文香は俺がプロデュースしてきたアイドルです。だから、落ち着かせます」

「文香さんが呼びかけたのは、プロデューサーじゃいかもしれませんよ?」

「それでも、落ち着いたら考えを改めるかもしれない」

「辞めるのは彼女の意志です。他プロダクションが関われる問題じゃありません」

「それでも、俺は責任があります」

「……そんなこと言ってたら、何時までも苦しいですよ」

「……」

 

青年と密着しそうになるほど距離を詰めると、彼の腕時計をなぞる。

 

「苦しい思いをしたいんですか?」

 

その問いかけに、青年は黙ることしかできない。

 

「私を信じて、止めて下さい」

 

ちひろの呼びかけに、青年は応える。

 

「すいません」

 

それが、青年の答えだ。

 

「俺が彼女をアイドルにしたから……だから、俺は文香の本当の考えを聞きたいんです」

「…………」

 

ちひろは黙って聞き届ける。

「だから、俺はあいつと話をしたい」

「もういいです」

顔を伏せると、冷たく言い放つ。

青年に背を向けると、ちひろは何も言わずに事務所へと戻っていった。

 

ちひろさん。

青年は彼女の後ろ姿を見つめる。

ごめんなさい。

内心で謝罪をし、携帯から電話帳を開く。

そこにあるかつて共に歩んだアイドルの名前を見る。

 

「プロデューサーさん」

 

電話をかける瞬間に、ちひろは背中越しに呼ぶ。

普段のような優しい声で。

「アナタの今の電話番号は、絶対に教えないで下さい。

 それだけは、守って下さい」

「……なんでですか?」

「あなたが一番、わかってるでしょ?」

 

その言葉を最後に、ちひろは事務所へと入っていった。

わかってる……そうだ。

わかってる。

彼は一度深呼吸をし、電話をかける。

数回のコールが鳴ると、凛々しい声がスピーカーから聞こえた。

 

「やぁ、まさか初めのコールがきみからとはね、嬉しい誤算だ」

彼女、東郷あいはくくくっっと喉を鳴らして言った。

「あい、文香の話を聞きたいんだ」

「あぁ、大丈夫だよ。

 そろそろ君から連絡が来ると思っててね、ステージから少しはなれたところにいるんだ。

 私が君の連絡先を知ってるなんて知られたら、後が怖いからね」

あいの憎しみを込めた言葉で彼女達を攻める様子に青年は悲しさを覚える。

昔は、違ったのにな。

青年の思いに気づいたのか、普段通りの口調であいは本題へと乗り出した。

「さぁ、君は何を聞きたいんだい?」

「文香が引退発言することは知っていたのか?」

「いや、知らなかったよ。

 私達も驚いた」

本当に事務所にすら伝えてなかったのか。

「文香は今どうしてる?」

「携帯電話を愛しそうに持ちながら楽屋にいるよ」

「楽屋?ライブは終わったんだろ?」

「今を輝くトップアイドルの急な引退発言のせいで、来てくれたファン達が混乱している。何をするかわからないから、暫くはここで待機と事務所からの命令さ」

「……そうか」

「それで、彼女に連絡をするのかい?」

「……そのつもりだよ」

「悪いことは言わない、止めた方がいい」

 

冷たい一言は、さっきも聞いた。

青年は自分が何をしようとしてるかぐらい理解をしているつもりだ。

だから、止めないで欲しい。

それが、彼の思いだ。

 

「彼女は……いや、彼女達は今精神的にかなり不安定だ。

 私も少し前までそうだったがね。

 誰かさんが急に消えるせいで、私達は精神的に追い込まれているんだよ。

 そんな彼女に連絡なんてしたら、どうなるかなんて言わなくても分かるだろ?

 落ち着いててもあれだけのことをしてたんだから」

 

青年を諭すように優しく包む言葉をあいは言う。

あいからしたら、これは半分は本音。

半分は、せっかく出し抜き得たチャンスを誰かに譲りたくないからだ。

 

「分かってる、この携帯番号は教えないつもりだ」

「んっ?じゃあ、どうやって連絡するんだい?」

「あい、お前の携帯から文香に話をしたいんだけど」

「おいおい、それじゃあ私から君の番号を知られちゃうよ?

 それとも、私なら誰にも言わないっていう信頼でもあるのかい?」

「……そうだね、あるよ。信頼してる」

「……そうか」

 

あいは青年からの信頼という言葉に思わず頬を緩めてしまう。

昔は聞いていたが、最近は聞けなかったその言葉に。

だが、残念なことにその信頼は叶わない。

 

「無理だ」

 

無情な一言に青年は歯を食いしばる。

「私としては、君の信頼に叶いたいが、こればかりは駄目だ。

 さっきも言ったとおり彼女達は何をするかわからない。

 傍にいる私だからこそ、分かるんだよ」

そう、あいは彼女達の気持ちをよく理解していた。

もしも、青年の電話番号が自分ではなく他の2人の内どちらかが知っていたら。

それを自分が知ったら。

きっと、どんな手を使ってでも連絡先をはじめとする手に入れる。

彼女達も同じ気持ちだと知っているからこそ、あいは断る。

彼の身も大事だが、今後は彼と生活を共にする身。

自分のことも大切に考えなければいけない。

 

「……文香が引退していいのか?」

 

青年が捻り出したその言葉に、あいは深く考える。

あの2人は今後間違いなく邪魔になる。

だからこそ、自分の目の入るところに置いておきたい。

だが、ここで連絡先を知られるとなると……

それはそれで面倒なことになりかねない。

トップアイドルになったんだ、最後は彼と共に稼いだ資金でゆっくりとした生活を過ごしたい。

……そのためには、そうだな……

文香をどうするか、ここは大事な選択だ。

 

スピーカー越しに無音が始まり数十秒。

青年は熱さからか、冷や汗からかわからない大量の汗をかく。

思考はアーニャのお陰で大分落ち着いては来ている。

だからこそ、怖い。

あいの返答が。

長い数十秒を待つと、あいは返答をした。

 

「大切なユニットの仲間だ、引退は防ぎたい」

 

青年は安堵すると重い息を吐く。

もし、引退しても良いなんて言われたら間違いなく取り乱していた。

そんな青年に、あいは言葉を続ける。

 

「だが、私は君にそこまで協力は出来ない。

 非力な私を許してくれ。

 だが、私にも出来ることがあるなら、何時でも言ってくれ」

「わかった、ありがとう」

「なに、構わないさ。

 それと、今日のところは電話ではなくメールにしてくれないか?

 万が一、私が君と連絡してることを知られたら困るのはプロデューサーだ。

 私は、もう君にあんな顔をさせたくないんだ」

 

最後は後悔の念を感じる言葉だ。

青年はそれを聞き、深く目を閉じる。

瞼に、3人の別れ際の顔が浮かぶ。

……俺も、あんな顔をさせたくない。

 

「わかった、ありがとう」

 

その言葉を最後に一方的に電話を切る。

どうしようか。

あいに頼み話をしようと試みた物の、失敗に終わる。

青年はどうすればいいかを考える。

 

公衆電話……?

でも、このあたりにそんなのなかったはずだ。

誰かに借りる?

いや、何かあったら迷惑だ。

青年は使えない携帯を睨みつける。

もしも、これが使えたら楽なのに。

あいとちひろに止められる。

この2人は青年が知ってる人達でもって頼りになる人達。

その2人が止めたのだから、使えない。

何よりも、使いたくない。

相手が相手だから。

携帯を睨むこと数秒、青年は一つの案を考える。

馬鹿げだけ案だが、それしかない。

目的地を思い出しつつ、青年は走り出した。

 

 

 

 

━━━━━━

広々した楽屋に3人のアイドルは思い思いに過ごしていた。

1人は、大きいソファーの隅に佇み自分の携帯を眺める。

1人は、楽屋の隅で壁にもたれる。

1人は、顔を伏せ離れたテーブルに座る。

重い空気に身を任せるように静かに過ごしていた。

 

「……プロデューサー」

携帯を持つ手に力を込め、待ち人の名前を文香は呼ぶ。

そんな彼女に2人は何も反応しない。

あいはふと、自分の携帯を確認する。

青年からの連絡は電話以降何も来ていない。

見捨てるのかい?

君らしくない。

まぁ、それが君の選択だというなら尊重しよう。

口元に笑みを浮かべつると、扉が開かれる。

 

「後少ししたら、事務所に戻るから」

 

現れたのは彼女達の現在のプロデューサーだ。

「事務所に戻ったら、今後の話し合いをすらからな」

怒りを通り越して呆れたのか、彼はため息混じりに話し始める。

「こんな事を知ったら、先輩だって悲しむ。そこのところを理解しといてくれよ文香」

嫌みを込めた視線を文香にぶつけ、呆れた言葉を残してプロデューサーは楽屋から消えた。

 

彼の言う先輩、自分達の元プロデューサーだ。

それを分かっている彼女達は、誰もいない扉に憎しみを込めた視線をぶつける。

何も知らないくせに語るな。

それが、3人の思いだ。

 

「……プロデューサー、待ってますよ」

思いを口にして、携帯を撫でていく。

光が灯らない携帯に自分の顔が映る。

プロデューサー……今でも私のこと、可愛いって言ってくれますか?

画面に映る少しやつれた自分の顔を見つめる。

沈んだ瞳を見つめ返していると、急に画面に光がともる。

そこには、持ち主の知らない数字が書かれていた。

少し遅れて鳴り響く音楽に他の2人も反応する。

慌てて文香に近づき、画面を見る。

「プロデューサー?プロデューサー!!?」

文香は無我夢中に彼を呼び、電話にでる。

そんな彼女を後ろからあいは疑念を込めて見つめた。

 

「プロデューサー!!プロデューサーですか!?」

普段の落ち着いた様子からは想像できない荒げた声で電話越しの誰か分からない人物に確認を求める。

スピーカーは少しの沈黙を置き、ゆっくりと声を通した。

「今はもう、文香のプロデューサーじゃないよ」

その声は、夢にまで見た文香の思い人の声だ。

荒い呼吸をしつつ、疲れた声を聞かせてくれた青年に文香は感情が高ぶり、涙を浮かべる。

「プロデューサー……やっと、やっと貴方の声を聞けました」

「……そうか」

「もっと、もっと聞かせて下さい」

「今だけだよ?」

「分かってます。だから、私の名前を呼んで下さい」

「……文香」

ゆっくりと呼ばれた自分の名前を聞き、文香の頬に涙が流れた。

どれだけの間、自分の名前を呼ばれることを願っていたのだろうか。

そんな些細な思いが頭をよぎる。

「プロデューサー……今、どこにいらっしゃるんですか?」

「……声だけでいいんだろ?」

「会って……くれないんですか?」

「ごめん」

「……そう、ですか」

言葉だけで十分。

そう思っていた。

だが、思いは止まらない。

青年の声を聞き、文香の閉まっていた我が儘が口から零れ落ちていく。

「……会いたい。

 逢いたいよ、プロデューサー。

 声だけで……満足できると……思ってました。

 でも……もぅ、無理です。

 貴方の声を聞いたら……駄目。

 思いが、溢れてきます。

 貴方の顔を見たいです。

 貴方の声を間近で聞きたい。

 貴方の肌を感じたい。

 貴方の瞳に映りたい。

 ……プロデューサー」

 

溢れ出る大粒の涙が、ゆっくりた落ちていき、膝に当たる。

一粒、また一粒と。

零れ行く涙と共に、思いが零れていく。

会いたい

その思いが胸を締め付ける。

 

「……文香」

 

そんな文香をあやすように優しい口調が耳を撫でる。

それが、愛しい。

 

「文香がアイドルとして頑張ってくれてたら、会いに行くから」

 

それは、文香の願いを叶える言葉。

 

「俺が、会いに行くから」

 

あぁ、来てくれる。

涙が止まらない。

嬉しさの余り、更に涙が零れていく。

 

「だから、頑張ろう」

 

頑張ろう

その言葉が遠く、近く感じる。

近くにいなくても、近くにいる

傍に、居てくれるんですね

その思いを文香は感じる。

胸に手を当て、大切な思いを仕舞うように。

 

「これは、プロデューサーの携帯ですか?」

「……いや、違うよ。これに電話をしてももう繋がらない」

「そうですか」

 

静かな沈黙が2人の間に流れる。

もう、時間がない。

次が最後の質問になる。

文香は必死に考える。

何を伝えるか。

会う約束をするべきか。

本当の番号を聞くべきか。

何故、自分達を置いていったのかを聞くべきか。

必死に考えるが、口は何も考えずに動いていた。

 

「愛してます……貴方を貴方だけを」

 

その言葉を最後に、ブツリと冷たい音が遮った。

……言えた。

言えましたよ、プロデューサー。

胸に当てた手が強くなる。

大切な思いを閉ざすように。

次は、お会いしてから伝えます。

そう願うと、文香の頬から涙が消えた。

 

 

 

 

━━━━━━

愛してます……か。

青年は使い慣れない携帯を見ると、目の前の携帯ショップへと足を進める。

そういえば、直ぐに解約ってできるのかな?

何も考えてなかったことに疑問を覚えるが、出来なければ電源切って置いておけばいいか。

そう思うと、足を止める。

大通りの真ん中で足を止めた青年を他の通行人達は邪魔そうに睨む。

 

会いに行く、か。

とっさにでた言葉に苦笑してしまう。

嘘、なのかな。

もしも、嘘を彼女についたら。

青年は、悩む。

文香の顔を浮かべて。

……もう、傷つけたくない。

青年は思いを固めて携帯ショップへと脚を進めた。

 

 

 

 

 

━━━━━━

「すいません、戻りました」

事務所を出てから早数十分。

青年は少し怯えた様子で事務所へと帰ってきた。

急に出て行ったし、何か言われるよな。

きっと、耀司だってばれてるだろうし。

この後何を言われるか、恐怖を感じながら扉をくぐると、胸に勢いよく衝撃がはなたれた。

 

「プロデューサー、いいニュースがあります!!」

 

その声の主は、自分の胸に顔を埋めるようにし、嬉しそうに口を開いた。

「アーニャ、過度なスキンシップは?」

「今日はオフの日ですよ、それに、ここは事務所です!!」

離れそうに無い彼女の様子に少し呆れながら、軽く頭をなでていく。

「それで、いいニュースって?」

「はい!!私がトップアイドルになるまで、ずっとプロデューサーは、私の担当です!!」

「……んっ?」

青年はアーニャの発言を上手く理解できなかった。

アーニャの担当をはずれる。

それは、青年がちひろに言われていたからだ。

困惑している青年を見かねて社長は軽く咳払いをすると説明を初めた。

「なに、君とアーニャ君は良き仲だ、だからこそ最後まで傍で見守ってあげてくれ」

「……ですが?」

「ただし、外では過度なスキンシップはだめだ。事務所内だけだぞ?」

「い、いいんですか?」

「信頼関係は大切だ」

それにっと付け加えると一呼吸おき、2人の様子を眺めていく。

「傍にいる。んだろう?女性に嘘を吐いてはいけない男としてね」

「はっ、はい!!」

「プロデューサー、傍にいてね」

「あぁ、傍にいるから」

幸せそうな雰囲気で繋がる2人を、ちひろは隅で睨みつける。

誰にも見られていないからか、自分の思いに歯止めがきかないからか。

ちひろは話を終えた社長に一声かけ、部屋を移した。

 

 

 

 

━━━━━━

「あの2人が傍にいても、スキャンダルになる可能性は高いですよ?」

少し広めの応接間でソファーに座る2人。

テーブル越しに社長に対して作り笑いを浮かべながらちひろは問いただしていく。

「なに、アーニャ君は彼を必要としている。それに、彼だって親しい者を必要としている」

「親しい……者?」

「彼は脆い。優しさからか、甘さからか……。だからこそ、アーニャ君には彼の支えにもなってもらう」

「それなら、アイドルじゃなくてもいいじゃないですか?」

「まぁ、それが一番だが、彼は今付き合ってる人が居ないんだろう?プライベートでいないなら、それまでは仕事仲間で支えてもらうさ」

「……彼が誰かと付き合ったら、離れ離れにさせるんですか?」

「いや、アーニャ君だって支えを必要としている。あの2人は互いに互いを支え合って成長する。私はそう感じているんだ。」

「……そうです」

 

予想外の事態にちひろは歯ぎしりをおこす。

あぁ、また面倒になってきました。

 

「わかりました、でも、スキャンダルがあったら……」

「その時はその時、正しい審判を下すさ」

「そうですね、気をつけるように言っておきます」

 

ちひろは社長に一礼し、部屋を出て行く。

あぁもう、どんだけ私に悩みをくれるんですかもう。

誰もいない廊下で1人ため息を吐きを吐くと、軽く頭をおさえる。

本当に、困った子ですねプロデューサーさん。

口元に軽く笑みを浮かべ、愛しの青年を思い浮かべる。

まぁ、最後に頼られるのは私ですから良しとしましょう。

その思いと共に、青年の元へと歩みを進める。

 

あぁ、早く安心したいです。

 

 

 

 

 

 

━━━━━━

後日談……あのライブから、数日後です。

私は、叔父の本屋の手伝いをしています。

謹慎処分を受けてしまい、する事がなくなったからです。

引退をどうするかは、まだ話してません。

謹慎処分が終わってから、またゆっくりと話すことになりました。

私は、悩んでいます。

 

会いたい

会って、話して、触れられて、あわよくば━━━

プロデューサーに対してあらぬ妄想をしながら……私は一冊の本を手に取ります。

王子様は、まだ迎えに来てくれません

 

そう、思ってました。

 

入り口から、愛しい声が聞こえました。

私は、自分の正気を疑います。

妄想でしょうか?

現実でしょうか?

霞んで見える景色に、1人だけしっかりと捉えた人がいます。

困ったような顔をして、彼は私の傍に来てくれました。

 

私は、彼に抱きつきます。

抱きしめ返してくれませんでしたが、それでいいです。

━━━プロデューサー

━━━いえ、王子様は

━━━私を、迎えに来てくれました



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病みつきクール~文香編2~

夢見てた、世界は何時も過ぎたモノ


気が付くと、見慣れたステージの舞台袖に居ました。

私のことを応援してくれるファン達が、今か今かと呼んでくれています。

嬉しい……けど、私が本当に欲しい声は━━━

泣きそうになる思いをこらえます。

……今泣いたら……駄目。

必死に思いを殺して……ステージを見ます。

嘆くとこは何時でもできる。

けど、このステージは何時でも出来ない。

そう、言い聞かせます。

 

そんな私に、声をかけて下さる方がいました。

 

「文香、緊張してる?」

 

声の主を見るまでもありません……その声は、私が望んでいた声ですから、間違いようがありません。

 

「プロデューサー!!」

 

私は思わず彼の胸に抱きつきます。

「よしよし」

優しく頭を撫でてくれると、彼の匂いと合間って落ち着きます。

あぁ、ずっと……ずっとこのままだったらいいのに。

 

「文香、初めての1人でのステージだから、緊張するのも分かるよ」

 

初めての1人でのステージ?

そんなことはありません。

私は、1人でのステージも何度も経験しています。

可笑しなプロデューサー。

「初めては皆緊張するんだからさ」

その言葉を聞くと、私は自分の衣装に気が付きます。

綺麗な青いドレス。

長いスカートや袖からは肌の露出が余りありません。

この衣装は、プロデューサーが私のために選んでくれた衣装。

少し緩めで、動きやすくて……私の私服を見て選んでくれたと話してくれていました。

そっか、そうだ。

私、今から1人でステージに立つんだ。

……緊張するな。

 

「ステージに立ったら、お前は1人になるけど、俺はここで見てるからね」

優しい言葉に顔が熱くなってきます。

あぁ、緊張する。

「だから、安心して」

安心……出来ます。

貴方が傍にいてくれる。

見守ってくれる。

それだけで、安心できます。

「文香、一緒に頑張ろう」

はい、頑張りましょう。

「私と……一緒に頑張ってくれますか?」

「当たり前だろ、約束したから」

「……嬉しい」

彼の裏表を感じない笑みを見ると、どんな言葉も信じてしまいそう。

いえ、信じてます。

「見てて下さいね」

「ああ」

「ずっと……ですよ?」

「わかってる」

「トップアイドルに……なってからも」

「傍にいるよ」

「……うん」

ゆっくりと彼から離れます。

名残惜しいけど、仕方が無いてす。

甘えるのは何時でもできますから。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

仲良くやり取りをして、彼が手を振って見送ってくれました。

それを見ると、彼の元に戻りなくなる。

……でも、私はアイドルだから。

彼の、プロデューサーの、アイドルだから。

役目を……果たさないと。

ステージに立ち、ファン達を見ます。

広いステージに建つのは、私1人。

広大な席を埋めるファン達が、私1人を見てくれる。

暗い舞台袖で、彼は真剣な眼差しで見てくれる。

見ていて下さい……プロデューサー。

 

聞き慣れた音楽が流れてきます。

この歌も、一生懸命に練習しました。

プロデューサーとの思い出の歌。

歌に会わせ、踊っていきます。

苦手なダンスも、プロデューサーに励まされながら練習してきました。

緊張で震える手足も、身に染みたダンスとなれば間違いなく動いてくれます。

私は、悪い子です。

一生懸命やってても、貴方の事で頭が一杯。

それだけしか、考えられない。

何かをする度に、彼をみます。

見守ってくれている。

傍にいてくれる。

それだけで……いい。

幸せ。

 

曲が終盤に入る。

さっきまでいたプロデューサーが、いない。

なんで、なんでですか……!?

傍に……居てくれるって……!!

見守って……くれるって……

一緒に……頑張って……

……言って、くれたのに……!?

やだ

今すぐ彼の元に帰りたい。

いやです

身体が思う通りに動いてくれません。

なんで、なんで、なんで

涙が頬を伝うのを感じる。

いやです、いやです、いやです、いやだ、いやだ、いやだ

でも、綺麗に笑えてるのを感じます

なんで、いやなのに

身体は、私の知ってるステップを踏んでいきます。

おねがい、いま、いかないと……もう━━━

叫びたい、彼の名前を……でも、口から放たれるのは練習してきた思い出の曲。

いま、おわないと……もうあえなくなるの。

だから、お願い。

プロデューサーの元に行かせて!!

 

声にでない叫びをする。

同時に、音楽は止まる。

始まるのは、ファン達の歓声。

嬉しい。

けど、違う。

今、一番私が聞きたい声は、この中にない。

ファン達が、少しずつ消える。

私はそこで、やっと体の自由を取り戻す。

「プロデューサー……どこです?」

舞台袖には、いない。

「プロデューサー……私、頑張りましたよ?」

ファン達が消える。

気が付いたら、誰もいないステージで、私は1人。

1人ぼっち。

やです……寂しいです。

膝から崩れ落ちてしまう。

身体に力が入らない。

涙を止める力も、入らない。

大粒の涙が、衣装にかかる。

駄目……これは、プロデューサーが……私のために選んでくれた……衣装なのに……汚しちゃ駄目。

溢れる涙が止まらない。

俯いた顔があがらない。

何で、どうして?

プロデューサー……助けて。

 

目の前に、手が現れます。

少し安そうならスーツに身をこなした腕は、大好きな彼の腕。

私は、精一杯の力で彼の腕をつかむ。

「プロデューサー……なんで?

 ずっと……ずっと傍にいてくれるって……

 そう、言って……くれたのに……

 なんで……なんで……なんで……?

 なんで……苦しいときに……いてくれないんですか?」

声が上手くでません。

喉が痛い。

一文字一言を話す度に、激痛が走る。

「プロデューサー……?」

私は縋るように彼の顔を見る。

困惑したような、でも、どこか決意を固めたような……。

私の見たくない……嫌いな顔。

「……文香」

やめて……下さい。

そんな……辛そうな声で

私の名前……呼ばないで……

「……じゃあね」

その言葉と共に、私の腕は払われます。

なんで……そんなひどいことするんですか?

私の知ってるプロデューサーは……そんなことしないのに

そんなこと……言いませんよ

「プロデューサー……」

彼に払われた腕が、力無く背中を追う。

その力に抗えず、私は前のめりに倒れてしまいます。

ゆっくりと倒れたから、痛くはないです。

だけど、痛い。

心が、痛い。

胸が、痛い。

なんで、こんなに苦しいの?

締め付けられるような痛さ。

…………なんで?

伸ばした手は、何も掴めずに空を握ります。

 

━━━プロデューサー

━━━この痛さも、プロデューサーからくれたもの?

━━━プロデューサー

 

 

 

 

 

━━━━━━

「ッ!?」

慌てて身体を起こします。

寝ていただけなのに、身体が重い。

呼吸が荒い。

息が荒い。

……また、悪夢。

時間を見ると、また日が昇って間もないような時間。

今日も早起きです。

そんな嫌みを自分にぶつけて、身体を起こします。

今日も嫌な汗をかきました……プロデューサーのせいですよ?

私は何時も通り寝起きのシャワーを浴びることにしました。

 

心地よく暖かいシャワーを浴びながら、私は悪夢のことを思い返します。

プロデューサーがそばを離れてから……毎日見ています。

あの悪夢は、心地よくもありますが嫌いです

でも、あの夢でしかプロデューサーに会えません。

私とプロデューサーを繋ぐ……唯一の出会いの場。

ですが、せっかくの夢なのですからもっと綺麗にしてほしいとも思います。

最後はプロデューサーが私を迎えに来てくれる……そんな夢にして欲しい。

ですが、それは夢にしたくない。

現実にしたいから。

せっかくの繋がりも出来たんですから。

今直ぐにでも電話をしましょう。

そう思うが吉日。

私はシャワーから上がりました。

 

 

部屋に帰ってすることは、決まっています。

携帯を手にとってプロデューサーへと電話をします。

電源を切られているのか、直ぐに機会音声が流れてきます。

もう、昨日から何千回とやっていました。 

ですが、繋がりません。

……プロデューサー?

首を傾げながら、また電話をするも結果は変わりません。

……やっぱり、駄目なんですか?

私は諦めようとしましたが、次ならばその次なら……という思いからまた電話をかけます。

もちろん、結果は変わりません。

時間を見ると電話を初めてから3時間がたっていました。

次ならでてくれますよね?

そう思いながら電話をしようとすると、突然携帯が鳴り始めます。

そこには、見知った人の名前がかかれていました。

……プロデューサーじゃない。

嘆きたい気持ちを抑えて電話にでると、凛々しい声が聞こえてきました。

 

「文香、おはよう」

モーニングコールをしてくれたのは、同じユニットのあいさんです。

「おはようございます」

「謹慎初日だが……少しは落ち着いたかい?」

謹慎初日。

それは私が昨日やったことによる処置です。

「私は……落ち着いてますよ」

「そうか」

くくくっと喉を鳴らしながらの返答に少し疑問を覚えます。

あいさんは最近元気です。

……まるで、プロデューサーといたころみたいな。

「まぁ、引退をどうするかは謹慎が終わったら話すとしよう」

「……はい」

私はまだアイドルを辞めれていません。

社長は有無を言わさずに謹慎処分を言い渡され、それが終わってから話し合うとの命令でした。

「それだけだ、じゃあね」

一方的に電話を切られてしまいます。

私を心配してくれたんでしょうか?

……それとも、私は元気ですとでも言いたいんでしょうか?

思わず携帯を睨んでしまいます。

……止めましょう。

携帯をテーブルにおいて、深呼吸をします。

プロデューサー、私は……アイドルを続けてたら会いに来てくれるんですか?

それとも、アイドルを辞めて……私から会いに行きましょうか?

疑問を抱きながら私は悩みに明け暮れます。

 

 

 

 

━━━━━━

昼間は叔父の手伝いです。

今日は本の整理をしています。

本に囲まれる生活は好きでした。

……今は、あんまりです。

最近は本を読んでいても中身が頭にはいません。

プロデューサーの隣で読まないと、全て身にはいりません。

どれだけ読んでも、読んでいるような感じがいないからです。

ふと、目に入った一冊の本を取り出します。

誰でも知っているような絵本です。

お姫様を探す白馬の王子の物語。

表紙を軽くなぞると、視界が霞み始めました。

恋愛ものの本は、最近ずっと読んでいます。

読んでは読んでは、私と彼に人物を置き換えます。

そんな妄想をして、隣を見ても誰もいない。

それが、寂しくて……辛くて。

私の王子様、貴方は何時私を迎えに来てくれるんですか?

……やっぱり、王子様を探さないと……

そう思っていた時でした。

 

「文香、会いに来たよ」

 

聞きたかった声が、傍で聞こえた。

幻想だと思った。

声のした方を見ると、入り口で彼が立っていた。

優しい笑顔で、頬を掻きながら。

「プロ……デューサー……?」

霞んだ瞳では周りの景色がよく捉えれません。

それでも、彼の━━━

━━━王子様の顔だけは、はっきりと見えます。

 

「プロデューサー!!」

思わずプロデューサーに抱きついてしまう。

彼の肌を体温を感じれる。

この日をどれだけ待ち望んでいたんだろうか。

 

「……文香」

 

優しく撫でてくれる愛しの彼を離さないように、全力で抱き締めます。

━━━何時までも、傍にいて下さい。

その思いを胸にしながら。

今は、その言葉を伝えるよりも止まらない涙を彼の胸にぶつけることが先決です。

……寂しくさせた、罰ですよ?

 

 

 

 

 

 

 

━━━━━━

入り口だと目立つから、という彼の言葉を聞き入れて私の部屋へと招きました。

少し恥ずかしいです。

彼を部屋まで招いたのは初めてですから。

お部屋の掃除は昨日やりました。

女の子らしい部屋……ではないです。

ベッドに勉強机、小さなテーブルとソファー。

そして、部屋を包み込むように本棚を幾つか置いて隙間なく本を入れてある。

これが私の部屋。

プロデューサーは女の子らしい部屋の方が好きですかね?

……でも、プロデューサーならきっとこの部屋も気に入ってくれますよね?

そう思うものの、そわそわとしてしまう。

落ち着かないです。

 

彼はソファーに座ってもらって、私はその隣に小さくなって座ります。

今日は幸せすぎて怖いです。

まさか、プロデューサーがきてくれるだなんて……。

1人で慌てているとそんな私を面白そうなものを見るように見てきました。

……恥ずかしい。

ですが、時間はないと思います。

彼はスーツを着ています。

それは、今日は仕事と言うことの現れ。

貴重な時間を無駄にはできません。

 

「プロデューサー……今日は来てもらって……ありがとうございます」

「俺こそ、連絡せずに来てごめんね」

 

軽く頭を下げられたので、止めてもらいます。

むしろ、頭を下げたいのは私の方です。

「でも、お仕事……なんですよね、今日?」

「いや、今日は有給をとったんだ。ただ、やりたいことがあるから事務所に行くからスーツを始めとする着てるの」

間際らしかったねっと一声付け加えてる。

「その、文香に話したいことがあったから」

「……話したい……ことですか?」

「うん」

顔を伏せると少し困った顔をされる。

話したくないことなのか、それとも……。

なら、先ずは本題よりも他の話をしましょう。

本題を話されて帰られるのは嫌ですから。

 

「その、プロデューサー……今は他の……アイドル事務所にいるんですよね?」

「うん、いるよ」

「やっぱり、プロデューサーなんですか?」

「……この仕事好きだからね」

「そうですか」

少し安心しました。

やっぱり、プロデューサーはプロデューサーなんだって。

「文香は……アイドル続けるの?」

「……」

思わず考えてしまいます。

王子様にはあえました。

でも、今日だけかもしれません。

出来れば、ずっと傍にいたいです。

……だから、意地悪をしてみます。

「プロデューサーの傍にいられるなら、続けます」

「……声を聞けたら、会えたら、続けるんじゃなかったの?」

私のことを少し睨むような強い視線を向けます。

そんな目で見られると、傷つきますが……我が儘を言っているのは私ですから、仕方がないですね。

「そう思ってましたが、プロデューサー……貴方の事では……妥協できません」

妥協……できませんよ。

愛しい貴方の事で、したくない。

「……そっか」

「はい」

少しため息を漏らすと、静かな時間が場を流れます。

それを破ったのは、プロデューサーでした。

私の顔を真剣な眼差しで見る。

その眼差しを受けるのは二回目。

初めは、私をスカウトしてくれた時。

「文香……俺の事務所に来ないか?」

「━━━えっ?」

 

それは、驚きの言葉。

引き抜きに会うなんてなかったから。

だから、返事が出来ない。

 

「その、事務所の社長と話してたんだ。

 お前が謹慎処分を受けて、それが終わったら引退の有無を決めるって聞いたときにさ。

 社長がお前を俺がいる事務所に迎え入れて……1から、いや、マイナスになるかもしらないけど、始めからアイドルとして育てたいって」

「……プロデューサーが……プロデュースしてくれるんですか?」

口から出たのは彼のこと。

それだけしか、口からでない。

「……いや、俺は今他のアイドルを担当してるから」

「その人とユニットを組んだら……プロデューサーがプロデュースして……くれるんですか?」

「その予定はないよ」

「……どうやっても、プロデューサーは……傍にいてくれ……ないんですか?」

「いや、俺は文香の事をよく知ってるからさ、担当にはなれないけどサブみたいな感じで傍にいるようにするよ」

「……本当?」

「ああ」

「嘘は……もう……嫌ですよ?」

「一番傍にはいない、けど、必ず傍にいるから」

「……はい」

一番傍には居てくれない……。

それは、嫌。

でも、傍にはいてくれる……。

だったら……

 

「プロデューサー」

 

私は自分でも驚くような甘い声を出して彼を呼ぶ。

そんな声に驚いたのか、少し目を見開いていた。

私はゆっくりと体を彼に預ける。

昔はよくこうやってくれた。

ずっと夢見てた。

彼の匂いに包み込まれながら、本を読むことに。

それが、またできるかもしれない。

 

「でも、今の事務所は……反対するんじゃ……?」

「たぶんね、だから文香からもお願いしてもらうかもしれない」

「……私は、いいですよ」

 

そう、彼の傍でまた仕事ができるなら。

でも、気にくわないこともある。

目にはいるのは、スーツについた銀色の毛。

それに、スーツからは他の女の臭いがします。

……いやだな。

そう思うと、両手に力が入る。

やり場のない手を、彼に回す。

 

「……条件とか……あるんですか?」

「あるよ」

 

彼は鞄から書類を取り出す。

彼の肩越しにその書類を見ていく。

契約書には、少し難しいことが書かれていたが、最後の方に気になるものがあった。

 

「この、過度なスキンシップ禁止と……プロデューサーに迷惑行為禁止って……?」

「ああ、本当の契約書にはないんだけど、これを守って欲しいんだ」

両方とも、身に覚えがありません。

「過度なスキンシップは、こうやって抱きつくこと。迷惑行為は……電話は1日3回まで、とか?」

「……」

思わずむっとしてしまいます。

両方とも、正直守れる気がしません。

「まぁ、事務所内なら抱きついても……いいかな?電話とメールはこれでやるから」

彼はそういうと、鞄から身に覚えのない携帯を取り出しました。

「これ、昨日文香に電話した携帯だよ。俺が急がしい時とかは電源を切ってるからね。繋がるときは何時でも連絡してもいい……ってことに初めはしとくよ」

……考えます。

事務所内でしか抱きつけない。

……で、でも抱きつくのも恥ずかしいです。

正直、今だって余り会えないと思ってるから出来てます。

電話は……。

繋がるときは出てくれるなら、いい。

……今は、いい。

 

「わかりました」

 

私は、彼に返事をする。

それを聞いて、少し落胆した顔を見せたのは正直嫌です。

ですが……今はいいですよ。

……今だけですからね。

今は、離れてた時間を取り戻しましょう。

 

「プロデューサー、その……スーツに髪の毛ついてます」

「えっ?ああ、ごめん」

銀色の髪の毛を取って彼に見せる。

それを見て少し目をさらされたを私はしっかりとみました。

「これ、誰の……ですか?」

「今担当してるアイドルの子かな?アーニャって言うんだ」

「……そう……ですか」

この臭いもアーニャって人のでしょうか?

……私から、奪った人。

 

「プロデューサー」

 

愛しく彼を呼んで、身体を押しつけていきます。

私が好きなのは、私のことを見てくれる貴方です。

他の女に目がいく貴方は嫌いですよ。

本当なら、これからもずっと私の傍にいて欲しい。

 

「プロデューサーは、私の傍に……いてくれますか?」

 

私の望み。

貴方さえ傍にいてくれたら、それでいい。

だから、だから。

もう、離れないで……。

お願いですから。

 

「……俺は、文香の一番のファンだから」

 

優しく頭を撫でられると恥ずかしさと幸福感で頭が一杯になります。

私の位置のファン。

そうですね、貴方は私のファンでしたよね。

……私だけのファンで、いてくれますよね?

なら、この匂いはなんですか?

なんで、私以外の人の匂いがするんですか?

……わかりません。

 

「スーツは一着しかないんですか?」

「……一着はもう使えないからさ」

「……そうですね」

悲しそうな顔をしないで下さい。

もう、彼女はいないんですから。

「プロデューサー、まだ……時間ありますか?」

「……?あるよ」

「それでしたら」

私はゆっくりと立ち上がって彼の手を掴みます。

「スーツ、買いに行きましょう」

「えっ?でも……」

「お金なら……出しますよ?」

「いや、文香だってトップアイドルなんだからさ、誰かに見られたら嫌でしょ?」

「変装します……それで、ばれません」

私は机に置いてあったサングラスと帽子をつける。

「ふふふっ、プロデューサーが教えてくれた……変装のしかた」

「……大丈夫?」

「はい、バレたこと……ないですから」

髪型も変えますから、大丈夫。

そう付け加えると、彼はため息をついて立ち上がる。

「行こうか」

その言葉に、私は喜んで返事をした。

 

そんな汚れたスーツなんてプロデューサーにはにあいません。

プロデューサーには、他の女の匂いがするような……私を不安にさせるようなもの、いりませんもんね。

プロデューサーに贈り物……。

そう思うと、机の引き出しに目がいってしまいます。

そういえば、私から贈り物をするの二回目だ。

……また、喜んでくれますよね。

 

彼を先に外に出させて、引き出しから小物入れを取り出します。

中に入ってるのは私の宝物。

小物入れに入っているのは、バラバラになった手紙。

ファンレター……です。

私が最初に貰ったファンレター。

最初の……ファン。

大切な……ファン。

乱暴に破られた紙は、所々文字が滲んでいます。

悔しくて、寂しくて、辛くて……。

様々な思いが身を裂いたあの日。

今も私は悲しいです。

……プロデューサー。

私を悲しくさせたぶん……償いをしてください。

……約束、ですよ。

 

 

 

 

━━━━━━

後日談、と言うわけではなくその日の話です。

 

私は彼女に会いに行っています。

ふふふっ、プロデューサーさんもうすぐですよ。

もう直ぐ会える顔を思い浮かべると……恥ずかしいけど、笑顔がとまりません。

プロデューサーさん……私はここにいますよ。

そう思いながら、彼女の楽屋を空けます。

綺麗な白い肌。

可愛らしい銀色の髪。

プロデューサーさん……こういうの好き……なんですか?

少しあなたの趣味に疑問を覚えますよ?

 

彼女が可愛らしく挨拶をしてくれたから、お返しします。

なるべく良い印象を……。

そう胸にして。

 

「その……良かったらだけど、お話し……しません?」

 

私が聞くと、少し悩んだけど了承してくれました。

「それじゃ、後でね。アーニャさん」

「はい、三船さん、よろしくお願い、します」

 

彼女に手を振って楽屋を出ます。

元気にしてますか?

私は元気です。

ふと、左手に付けた腕時計を見ます。

なるべく外したくないけど、ライブとなると外さないといけません。

寂しいです。

腕時計にキスをして、微笑みます。

まるで、あなたとキスをしてる……みたいですね。

 

ねぇ、プロデューサーさん。



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病みつきクール~美優編~

捨て切れぬ、思いは君を駄目にする


私は今、不機嫌です。

プロデューサーが急な有給でいません。

いないのに、ライブに参加します。

それが、嫌で、緊張します。

普段ならプロデューサーが緊張を解してくれます。

でも、今いるのは……

 

「あ、アーニャさん、頑張りましょう!!」

「は、はい」

 

彼の後輩でもあるプロデューサーが、今日だけのプロデューサー。

……いやです。

って我が儘言ったら、嫌われますか?

……今日は我慢します。

そう思っていると、楽屋の扉が開きました。

?誰?

「あの……失礼します」

楽屋に来たのは、三船さんだ。

東郷さんと同じ……プロデューサーが前プロデュースしてたアイドルユニットの1人。

嫌な思いを抑えて、笑顔で頭を下げます。

 

「今日は、よろしくお願い、します」

「私こそ、よろしくお願いします」

 

深々と頭を下げてくれた。

……良い人?

そう思うと、女の私からも思う、綺麗な笑顔で手を伸ばしてくれた。

 

「あなたがアーニャちゃんね。……話がしたかったの」

警戒しつつ、彼女の手、とります。

「この後時間……ありますか?」

素敵な笑顔です。

本当に親しみを感じます。

 

……断りたいです。

でも、プロデューサーの昔話、聞けるかな。

私は三船さんと、お昼ご飯を食べることにしました。

 

 

 

━━━━━━

ライブも無事、終わりました。

私は今のプロデューサーに一声かけて、三船さんと外食です。

三船さんにあんないされたのは、ファミレスです。

今思うと、家族とプロデューサーさん以外の人と2人で外食は初めてです。

相手はトップアイドルの、三船さん。

……緊張、するな。

プロデューサーさんの顔を思い出して、緊張を少しだけ和らげます。

 

「ここね、昔良く……プロデューサーさんと来てたんです」

少し憂いを帯びた顔で、三船さんは言います。

「プロデューサー?」

「うん、あっ……えっと、アーニャちゃんのプロデューサーさんとね」

「えっ?私の、プロデューサー?」

 

少しとぼけたふりをします。

だって、少し怪しいです。

私の今いるプロデューサーは見習いさんです。

その人と、外食なんてしない、思うから。

だから、たぶん。

私のプロデューサーの話。

でも、私はプロデューサーの話してない。

なのに、話すのはおかしい。

私から言おうと思ってたけど、今ので言えなくなる。

私からプロデューサーをとる人、嫌い。

 

「だって、その格好」

私は自分の格好を見ます。

着慣れた私服に、帽子とサングラス。

おかしくないです。

三船さんも同じです。

「その格好で変装ですなんていうの……あの人ぐらいしかいないから」

ふふふっ、と優しい微笑みを浮かべられます。

それだけで、分かるの?

「それにね」

テーブル越しに顔を少し近づけられます。

「なんだか……昔の私の似た目をしてたから」

……目?

よくわかりません。

首を傾げてると、少し顔を赤くして両手を振ります。

「ごっ、ごめんね、変なこと言っちゃった!!」

恥ずかしいっと付け加えると、気を逸らすようにメニューを取ります。

「何食べよっか?」

彼女の優しい笑顔を見ると、少し前の疑問も消えました。

たぶん、良い人……かな?

私もメニューをとって何食べようか悩みます。

プロデューサーと、よくファミレスに行ってました。

最近は行きません……

今度、お願いしよう。

プロデューサーの事を考えながら、メニューを開きます。

パスタです。

プロデューサーも、パスタが好きでよく頼んでました。

でも、何時もミートパスタばかりです。

理由は、美味しいかららしいです。

どれに、しようかな。

ふと、三船さんを見ると、もうメニューを閉じて私をニコニコと見つめてます。

……私も、早く決めよう。

プロデューサーさんがよく食べるミートパスタに決めました。

 

「決まった?」

「はい」

優しく聞かれて、少し緊張する。

なんだろう、良い人って思ったら先輩との食事に緊張しはじめました。

三船さんは店員さんを呼ぶと、注文をしました。

「私はミートパスタ」

「えっ」

少し、驚きます。

……やっぱり、プロデューサーさんと仲良かった?

そう思うと、胸が痛いです。

プロデューサーさん、私以外の女の人と仲良いの?

……いやですよ。

 

「アーニャちゃん……大丈夫?」

「えっ、あっ、私も、同じのです」

慌てて注文をすると、三船さんは頭を下げます。

な、なんででしょうか?

「ご免なさい……その、アーニャちゃんみたいな若くて元気な子と余り仕事しないから……それで、嬉しくて食事に誘ったんだけど……迷惑でしたね」

「い、いえ。そんなことないです。嬉しかった、です!!」

思わず動揺しました。

悲しそうな顔をされると、自分が少しいけない子に思います。

こんないい人を疑ってたなんて……。

でも、三船さん、良い人。

だって、優しそう。

それに、プロデューサーがプロデュースしてたのは、しってます。

昔なんですから……やきもちしても、意味ない、よね?

 

「ミートパスタ、プロデューサーが好き、なの」

「プロデューサー……?」

「はい、私の……三船さんの、プロデューサー」

「あっ、よかった……やっぱりアーニャちゃんのプロデューサーって彼だったんだ」

安堵したような大きい息を吐くと、嬉しそうに笑ってくれました。

「彼、元気ですか?」

「はい、元気です」

「そっか……よかった。元気なら」

 

そのまま、私は三船さんとプロデューサーの話をしました。

プロデューサーの昔話……ちょっとした失敗話なんかを、聞かせてくれた。

私も、プロデューサーの今を話します。

昔はよく星を見に行ったこと。

よく、喫茶店で勉強してたこと。

三船さんは優しい笑みを浮かべて、私の話、聞いてくれた。

良い人。

私は気が付いたら、三船さんをそう思って、信じてた。

 

━━━この後のことも知らずに、信じちゃった

もしも、もしもこの時に、三船さんが……

三船さんの眼が、笑ってないことに気づいてたら、良かったのに

━━━ごめんね、プロデューサー

 

 

 

━━━━━━

三船さんと話してると、プロデューサーがきました。

「あの、アーニャさん。そろそろ」

申し訳無さそうに言うと、三船さんに深く頭を下げてる。

私も、下げる。

そんな私達に慌てて手を振って。

「ごめんね、アーニャちゃん。でも……楽しかった」

「私も、です」

「あっ、そうだ」

思いついたみたいに手を叩くと、三船さんは恐る恐る聞いてきました。

「今度、事務所に遊びに行っても……いいかしら?」

少し、困ってしまいます。

こんな話されたことないからです。

プロデューサーも困ってる。

何時ものプロデューサーなら、直ぐに応えてくれるのに。

「別にね、変な意味じゃなくて……アーニャちゃんとお話ししたいなって……思ってね」

申し訳無さそうに言われると、少し嬉しい。

三船さんのような良い人に、好かれたから。

 

「その、来られるのは流石に……」

「そ、そうですよね……すいません、常識……知らずで」

今にも泣き出しそうな雰囲気をだすと、プロデューサーは困って慌てる。

だから、かな。

「そ、その事務所はここにありますので……来るのは自己責任ということでしたら……」

「い、いいんですか!?」

「は、はい!!ですので、アーニャを今後ともよろしくお願いします!!」

名刺を渡すと、また頭を深く下げた。

三船さんは嬉しそうに受け取ると、ありがとうっと言って頭を下げた。

 

結局そのまま、プロデューサーに急かされるように、私達は三船さんと分別れました。

今日のお仕事、上手く出来たらプロデューサー、喜んでくれるかな。

喜ぶプロデューサーの顔を思い浮かべると、笑顔がこぼれてきます。

これで、残りのお仕事も頑張れます。

プロデューサー、頑張ります。

 

 

 

 

 

━━━━━━

文香との買い物が終わったのは日が沈みかけてあたりがな薄暗くなってきた頃。

2人でスーツを見て新しいのを買った。

仕上げもあるから、手元に来るのはもう少し先の話になるけど。

料金は文香が払ってくれた。

俺が払うっていったけど……

 

「プロデューサー……私からのプレゼント……嫌、なんですか?」

 

涙目で上目使いに言われてしまうと断ることも出来なかった。

出会った頃に比べると積極的になったな……って喜べばいいんだろうか。

スーツを買って、2人で喫茶店に行き近状報告をした。

俺が思っていたよりも、彼女は大人しいらしい。

……それは、喜ぶべきことなんだろうか。

ふと、彼女の顔を思い出す。

優しくて、慈悲に溢れた笑顔。

見てる者を落ち着かせるような笑顔。

その笑みが、好きだった。

でも、今は嫌いだ。

もう少し……もう少しお互いに落ち着いたら、会いたいな。

そう思っている。

 

事務所の駐車場に車を止めると、携帯が震え出す。

俺が使い慣れている方のだ。

相手を見ると、アーニャの名前が書かれていた。

思わず笑みをこぼれてしまう。

たぶん、仕事の報告だろう。

休みの日に仕事の連絡が来るのは何とも言えない気持ちになるが、アーニャからの電話なら嬉しさがある。

やっぱり、担当アイドルから信頼されているのは嬉しいことだ。

電話にでると、あっっと驚きから溢れた小声が聞こえた。

 

「プロデューサー、その、休みの日に、ごめんなさい」

 

普段以上にたどたどしい口調で申し訳無さそうに言われる。

もしかしたら、休日の日に電話したことを後悔しているのだろうか。

 

「その、プロデューサーに、今日の事を話したくて電話、しました」

 

ごめんなさいっと小さな声が数回も聞こえる。

アーニャはまだ15歳。

そんな子にここまで気を使わせるのはダメな大人だな。

思わず苦笑してしまう。

 

「別にいいよ、お仕事どうだった?」

「プロデューサー、怒って、ない?」

「怒ってないよ」

「本当、です?」

「アーニャに嘘は吐かないよ」

「プロデューサー…… Да、はい。プロデューサーは、私に嘘を吐きません 」

 

始まりとは一転して嬉々とした声になってくれた。

この声を聞くと不思議と元気になる。

女の子は元気な方が魅力的だと思うしね。

アーニャから今日の仕事の話を聞きながら相槌を打ちつつ、車から降りる。

アーニャからしたら、今日の仕事はどれも手応えを感じたらしい。

良いことだ。

このまま、出来る仕事をゆっくりと増やしながらアーニャと一緒にトップアイドルに……。

そう、思っていた時だ。

事務所の前にいる人影に、思わず息を飲んでしまう。

彼女は俺を見ると手を振って迎えてくれた。

それは、おかしな光景。

なんで、いるんですか?

この言葉が喉から出掛ける。

 

「……プロデューサー?」

 

耳に当てた携帯から、か細い声が聞こえてくる。

今は、その声に上手く反応できない。

目の前の彼女の事で頭が一杯になる。

 

「ごめん、今から要事があるから切るよ。また、明日」

「はい、また明日……?」

 

少し納得しかねたのか、疑問を感じれる声を最後に電話を切り、深く深呼吸をする。

ゆっくりと自分を落ち着かせて、彼女を見る。

電話が終わったことに気が付いたのか、彼女の方から俺に近づいてきた。

 

「あの……お久しぶりです、プロデューサーさん」

 

深々と頭を下げた彼女は、サングラスと帽子で顔を軽く隠しているが、そんなことをされても直ぐにわかる。

長い間、傍にいたから。

 

「何してるんですか、三船さん」

 

緊張感からか、冷たい声が出てしまう。

その声に嫌な印象を与えたのか、三船さんの肩が大きく震える。

 

「……もう、呼んでくれないんですね」

「なにがですか?」

 

少し時間を置くと、ゆっくりと頭を上げていく。

頭を上げ、見えた顔は一見してわかるような悲しみに満ち溢れた顔。

その顔を見ると、胸が苦しくなる。

なんでだろうか。

もう、関係ない人だ。

 

「プロデューサー、前みたいに……美優って呼んでくれないんですね」

 

泣き崩れそうな声が俺の胸を更に苦しめる。

止めて下さい。

もう、貴方のそんな顔を見たくないのに。

 

「もう、他人ですよ」

「……ッ!?」

 

辛い思いから、彼女から目を反らしてしまう。

他人

この言葉を聞いた三船さんは、目を大きく見開いて……。

ゆっくりと膝から崩れ落ちた。

 

「ひ、酷いです……!!」

 

肩を小刻みに震わして、小さな声で攻め立ててくる。

しかたがない。

しかたが……ない。

不思議と両手に力が込められてくる。

意識してなかったが、手のひらに爪が食い込んでくる。

まるで、自分自身を攻め立てるように。

まるで、彼女の気持ちを代弁するように。

 

「私のこと……応援してくれるって、一緒にいるって……」

 

彼女の思いは止まらない。

その言葉が俺を苦しめる。

一字一句が俺を苦しめてくる。

でも、それを止めることなんでできない。

俺が、悪いから。

 

短い間だった。

周りから声が聞こえたから見渡すと、通行人達が俺たちを見て足を止めているのに気が付く。

三船さんはトップアイドル。

それが、他アイドル事務所の前で……男の前で泣いてるなんてこと知れ渡ったら……!!

 

「三船さん、行きましょう」

「えっ?」

 

何も気づいている様子がない三船さんの腕を取って無理やり連れ出す。

取りあえず、車に乗せよう。

そして、落ち着ける場所で話でもしよう。

今日は事務所に戻れそうない。

今日な来客者に頭を抱えながら、駐車場に向かって走っていく。

 

「……プロデューサー」

 

直ぐ後ろから声がする。

なんで、そんな顔をするんですか?

その思いから、目を反らしてしまう。

嬉しそうに微笑み、されるがままになる彼女から。

何を考えてるんだろう。

わからない。

わからないからこそ、怖い。

逃げ出したから怒ってるのだろうか。

居なくなったことに寂しさを感じているのか……。

わからないから怖い。

 

 

 

 

 

━━━━━━

何とか無事に駐車場までたどり着き、今は彼女を家まで送る最中だ。

少し離れた所まで行かなきゃならない。

つまりは、その分この狭き空間で2人きり。

当然のように助手席に座り俯いている彼女と何を話していいのかわからない。

そのためか、重い空気が場を支配する。

耐えられなかったのは俺の方だ。

だから、口を開いた。

 

「事務所の場所知ってたんですね」

 

わかるのは時間の問題だとは思っていた。

でも、まさか他のアイドルが事務所に来るなんて…。

思ってもなかった事態に動揺していた。

そのためか、言葉は少し震えていた。

 

「はい……これを頂いたので」

 

そういって取り出したのは名刺だ。

名前を見ると、そこには俺のよく知っている後輩の名前が書かれていた。

 

「今日、アーニャちゃんとお会いして……お話ししてたら、プロデューサーさんがここにいるって教えてくれました」

 

そういえば、アーニャが他事務所のアイドルと食事をしたって話してたな。

……名前、聞いておけば、いや、聞いたところで後の祭り。

アーニャは悪くない。

 

「それで、プロデューサーさんの話を聞いてたら私……私」

 

俯いた顔から小さな涙がこぼれていく。

その涙を直視出来ず、視線を逃がすように前へと向ける。

暗くなってきた景色を照らしていくライトの光が不思議と眩しく見える。

 

「私、プロデューサーさんに……謝らないと」

「あや…まる?」

 

震える声を押し殺すような低い声に思わず驚く。

謝る。

………。

違う、謝るのは、過ったのは俺なのに。

 

「私があんな…あんなことしたから…プロデューサー…さんが……」

 

感情を殺しきれなかったのか、最後は震えた声で自分の手を見る。

大きく震えた手を咎めるように。

 

「私が…私が…我が儘だった…から…だか…ら……」

 

咎めた手を顔に当て、すすり泣く声が場を埋める。

……俺は、何を言えるんだろう。

わからない。

黙ることしか出来ない自分の無力さに俺も泣けてくる。

でも、三船さんの前では泣かない。

弱みは見せない。

見せたら……もう。

 

「プロ…デュー…サー…ごめん…なさ…い……」

 

何度も何度も唱えられた言葉がまるで呪文のように鳴り響く。

その言葉を聞く度に、思い出す。

昔は違った。

違ったんだ。

 

『プロデューサーさん、アナタのお陰で私…変われました』

『プロデューサーさん、見てて下さいね、私を…うんうん、私達を』

『そ、その……好き…ですよ、プロデューサーさん。あっあの、男としてじゃなくて、仕事仲間としてですからね!!』

 

昔は、仲良く話して…仲睦まじく過ごせれていた。

なのに…なのに…。

 

「プロデューサーさん」

 

優しい声が隣からする。

横目で見ると、目の前には綺麗な白い布が見えた。

三船さんはハンカチを使って俺の目尻を軽く押すように拭いていく。

初めは、何をしたいのかわからなかった。

理解できたのは、ハンカチが離れた時に当たっていた部位が少し濡れていたのに気づいてから。

そうか……。

ミラーを使って自分の顔を見る。

そこには、両目から溢れ出る涙を拭き取ってもらっていた俺がいた。

 

「プロデューサーも…悲しいんですね」

 

優しく言われると、自分の気持ちが分からなくなる。

悲しいんだろうか。

それとも……罪悪感だろうか。

わからない。

わらないから、泣いてるんだ。

やり場のない思いを吐き出したくて、泣いてるんだ。

本当に、何もできない。

自分の無力さに泣くことしかできない。

 

「プロデューサー…私のために泣いてくれてるんですね。嬉しい」

 

目を少し赤くして、優しく微笑むその顔はとても綺麗で……。

俺が好きだった笑顔。

 

「プロデューサー、また会ってくれますか?」

「それは……」

 

考えるまでもない。

でも、それを言っていいのだろうか。

もしも……言ったら。

ふと、自分が付けてる時計を見る。

スーツのお陰で隠れている。

時計を見ると、何時も思い出す。

……嫌な悪夢を。

 

「駄目です」

 

もう、間違いたくないから。

だから、冷たくする。

それが、身を守るためにもなるから。

 

「……そう、ですか」

 

露骨に悲しそうな顔をされると、罪悪感が胸を締め付ける。

でも、それがお互いのためだから。

 

「プロデューサー……なら、食事だけでも…駄目ですか?」

 

力を振り絞って放たれたのか、声は震えている。

本当に、俺のためだけに一喜一憂してくれる優しい人。

それが、三船さんだ。

……優しい人、なんだ。

 

「それだけ…それだけで…満足ですから」

 

そういうと、彼女は自分の髪をかきあげていく。

先程まで見えなかった左腕がよく見える。

気づかなかった。

彼女の左手首に腕時計がされていたことを。

見知った時計がされていたことを。

 

「美優!!」

 

頭が真っ白になった。

運転中だから、危ない。

そんな事も考えれずに片手をハンドルから離して、彼女の手を取る。

 

「お前……もしかして……!!」

 

掴んだ手が震える。

罪悪感からじゃない。

背中から来る悪寒から。

何とも言えない恐怖心から。

 

「プロデューサー…心配して…くれるんですね?」

 

俺の思いなど知らずに、恍惚とでも思える笑みを浮かべて真っ直ぐ瞳を見つめられる。

 

「今度会えたら…教えます」

 

震えた手から力が抜ける。

やり場のない力が、ハンドルに向けられる。

強く、強く握る。

 

「明日…お暇ですか?」

「……」

 

何も言えない。

上手く舌が回らない。

 

「無視されると……傷つきます」

 

膝に置かれた手を見ると、ゆっくりと片手で腕時計を撫でている。

それだけ。

それだけの動作で、頭がおかしくなりそうになる。

 

「それとも…プロデューサーさんは他人がどうなろうと……関係ない。そんな事を言う冷たいお方になったんですか?」

 

他人……。

そうだ、他人なんだ。

だから……。

どうなっても……いい?

…………。

 

「プロデューサーさん、明日は空いてますか?」

 

綺麗な微笑みと言われたその言葉に、俺は頷くことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

━━━━━━

重い沈黙の中、三船さんを送り届ける頃にはすっかり周囲を暗闇が包んでいた。

重い足取りで自分の家へと戻ると、家の前に1人寂しく佇む彼女がいた。

 

「プロデューサーさん、遊びに来ました」

 

寒さを感じる夜の中、長い間いたのだろう。

両手を少し赤く染めながら俺の帰りを綺麗な微笑みで出迎えてくれたちひろさんに、言葉がでない。

 

「どうしたんですか?あっ、女の子を待たせたことに罪悪感でも感じたんです?」

 

冗談めいた口調で語りかけてくる。

普段なら、余り言わない冗談はきっと俺を慰めてくれるため。

落ち込んでる俺を慰めるため。

自意識過剰なのか、そう感じてしまう。

今日何かあったのか、誰にも話していないのに。

 

「もぅ、子供みたいに泣いて……何があったんですか?」

 

霞んだ瞳のためか、ちひろさんの顔が上手く見えない。

そんな俺を気遣ってくれたのか、ゆっくりと近づくと、抱きしめてくれた。

顔を見下げると、優しい微笑みで見つめ返してくれる。

 

「ほら、プロデューサーさん。何かあったかは後で聞きますからね。今は私の胸で幾らでも泣いて下さい」

「ち…ひろ……さん」

 

彼女の顔を見ると、力が抜ける。

まるで今日の悪夢から解放されたための安心感からか、身体に上手く力が入らない。

ゆっくりと膝から倒れていく。

まるで、今日の三船さんみたいだ。

そう思うと、自傷的な笑みを浮かべてしまう。

でも、違うのは。

 

「あぁもう、本当に私の胸で泣きたいんですか?……もぅ、私の前だと甘えん坊さんなんですから」

 

抱きしめてくれる人がいるかいないか。

これがきっと、彼女との違いだ。

そっと頭に置かれた手が、優しく俺を撫でていく。

何とも言えない安心感から、涙が更に溢れてしまった。

……ちひろさん。

……アーニャ。

そうだ、この2人だけは傍にいてくれる。

味方でいてくれる。

……だから。

 

 

 

 

━━━━━━

どれだけの間泣いていたのだろうか。

そう長くはないとは思うが、それでも長い長い時間幸せな気持ちになれた気がする。

ちひろさんを招き入れてリビングへと案内し、今日の出来事を全て話した。

文香の件はちひろさんも聞いていなかったのか、驚いた顔をしていた。

だが、今は難しい顔をしている。

三船さんの話をしてからだ。

全てを話し終えて数分。

考えを纏め終わったのか、ちひろさんは真剣な眼差しで俺を見た。

 

「明日、お会いするんですか?」

「……夕食だけ済まして分かれようと思ってます」

「そうですか」

「…会わない方がいいんですかね」

「それは、私が決めてもいいんですか?」

 

それもそうだ。

こんな選択を他人に決め手もらうなんて……。

でも、ちひろさんなら何か教えてくれるかもしれない。

そんな甘い考えが頭をよぎって離れない。

駄目だな、俺。

 

「私は、会うべきだと思いますよ」

 

……えっ?

その言葉に思わず驚いてしまった。

慈悲深さを感じる微笑みで見つめる瞳には、底知れぬ何かを感じる。

会うべき……なんだろうか。

 

「私はそう思います」

 

畳みかけるような言葉に何も言えない。

もしも、会って…会って何を話せばいいのか。

わからない。

でも、会わなかったらきっと…後々後悔する。

 

「プロデューサーさん、私の言うことが間違ってると思いますか?」

「ちひろさんは、間違ってない」

 

優しい問いかけに何も考えれない。

反射的に声がでていた。

自分でも驚いてしまった。

でも、それが本心なんだろう。

俺はちひろさんを信用してる。

だから、この人の言葉を疑えない。

信じ切っている。

自分でもおかしいと思うけど、それでも疑えない。

 

「ちひろさんは、俺を助けてくれるから」

 

そうだ、この人は何時でも俺を助けてくれた。

仕事でミスをしたときも、

アイドル達の事で悩んでるときも。

三船や文香、あい達との事も。

何時でも、助けてくれた。

 

「だから、会いに行く」

 

そうだ、会わなかったら後悔する。

なら、会ってもうこの関係を終わらせよう。

 

「ふふふっ、決心はできましまか?」

「はい、ちひろさんはのお陰で」

「そうですか…三船さんには特に念入りに冷たくしないといけませんよ?」

「……そうですね、三船さんには悪いですけど」

「もう、悪いなんて思ってるから事務所まで来られるんですよ?もっと冷たくしないと」

「……ですが」

「それで何が起きても、プロデューサーさんのせいじゃありませんよ」

 

俺の悩みを全て解決してくれる。

やっぱり、この人は優しい人だ。

 

「それじゃ、プロデューサーさんの優しい所を無くしていきましょう」

 

そういうと、ちひろさんはゆっくりととある部屋へと向かう。

俺はそんな彼女に何も言わずに着いていく。

わかってるから、かもしれない。

不思議と落ち着いているのは。

ちひろさんが何をしたいのか、何をしにきたのか。

 

「プロデューサーさん」

 

寝室にある本棚。

その本棚を前にしてビニール紐とハサミを取り出す。

 

「いらないものは捨てましょうか」

 

優しい笑みに従うように、俺は本棚の前に立つ。

皆との思い出の品々。

本当は、捨てたくない。

大切にしたい。

でも、捨てなければならない。

ちひろさんがそう言うんだから。

 

何も考えずに左上の一冊を手に取り、表紙をさわる。

花にかんする辞典。

これは、俺が初めてプロデュースしたアイドルとの思いで。

……本当に捨てなきゃいけない。

なんで?

ちひろさんが言うから。

ちひろさんが言うなら正しい?

あの人は俺を何時も助けてくれる。

助けてくれるなら、何でも言うことを聞くのか?

でも、聞かなきゃ助けてくれない。

自分のことも守れないのか?

……守れてたら、悲しい思いをしない。

自問自答を繰り返しながら、軽くページをめくる。

もう結構前に読んでたのに、意外と中身は覚えていた。

アイドルとの思いでも。

 

数秒間堪能して、ちひろさんに渡す。

静かにそれを取ると、何もいわずに片付けてくれる。

次に取った本は、人間関係に関する本。

この本はちひろさんにお勧めされた本だ。

……そうだ。

 

「懐かしいですね」

 

俺の肩越しにちひろさんが本を眺める。

「初めてのプロデュース上手く言ってたと思ってたんですけどね」

思わず苦笑いを浮かべてしまう。

苦い思い出と共に。

「上手くいってましたよ、あれはあの子が問題でした」

もう話すことはない。

そう云いたいのか、俺から本を取り上げる。

俺も、語ることはない。

語れないから。

 

初めてのアイドル。

…本当に、上手くいっていた。

なのに…。

 

嫌な思いから逃げるように、次の本を手に取る。

中身を軽く見て、本の内容とアイドルとの思い出を思い出す。

これを、繰り返す。

何度も何度も。

最後まで。

 

「お疲れ様でした」

 

本棚にあった最後の一冊を手渡すと、静かだったちひろさんが労いの言葉をくれた。

 

「アイドルとプロデューサーの関係は親身すぎては駄目です。プロデューサーさんは優しいから親身になりすぎます…。思い当たる節はありませんか?」

 

何も言えない。

どのアイドル達とも仲良くなりすぎた。

……きっと、初めてが駄目だったから。

 

「仲を悪くしても、良くしずきても駄目……忘れないで下さいね」

 

俺は彼女の言葉に頷く。

それを見て満足そうな笑みを浮かべる。

不思議とその言葉が頭の中に入っていく。

次は、もっとちひろさんと相談しながら仕事をしてみよう。

そう思いながら、テーブルに置かれた二冊の本を横目で見る。

広くなった本棚に本を仕舞う。

この本も、いつか捨てる日が来るのか。

寂しくなるけど、仕方がない。

……そうですよね、ちひろさん。

 

1人で黄昏でいると、リビングから声が聞こえる。

どうやら、ちひろさんはもう帰るらしい。

纏めた本と共にリビングに置かれていたダンボールを手に、頭を下げる彼女に俺も合わせる。

そのまま、今日のお礼として家まで送ることにした。

助手席に座って饒舌に話す彼女との会話を楽しみながら、短いドライブを堪能した。




先程知ったのですが、日刊ランキングというのに本作品が乗っていました。
21位だなんてそんな……半分よりも上だなんて。
嬉しい限りです。
だから昨日のアクセス数あんなに高かったんだっと1人納得してました。
感想や評価も沢山頂いて本当に嬉しい限りです。
嬉しさの余り予定よりも早く更新してしまいました。
次回の更新は少し遅くなる予定です。
それと、病みつきクールが終わった後はモバマスを続けるかFateシリーズに行くか最近やり始めたゴットイーターをやるかで悩んでいます。
三つとも沢山のリクエストを貰った作品てすので悩んでしまいますね、いやー嬉しい悩みです。
まだまだ書きたいことも沢山ありますが、活動報告に書こうと思います。
それては、改めてこの作品を読んで下さってる皆さんに感謝しています。今後とも応援よろしくお願いします。

Psリクエストまだまだ受け付けています。
どんな作品だろうとどんなキャラだろうと気軽にリクエストしてくれたら幸いです。


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病みつきクール~美優編2~

眼中に広がる君を諦める


三船美優との再会。

それは、青年からしたら最悪の事態だ。

だが、それを断るわけにはいかない。

ちひろからは、一度会いしっかりと断るべきだと言われたからだ。

もう、何をすればいいんだろうか。

無責任な自分に思わず歯ぎしりをたてる。

自分でまいた種にちひろを巻き込み、彼女の判断を扇ぐことでしか何もできない無力な自分に。

……これが終わったら、今度飲みにでも誘おう。

そしたら、この間の告白も答えよう。

ちひろの笑顔を思い浮かべる。

優しく、慈悲深い彼女の笑顔が青年の今の希望だ。

まるで信仰してるかのような盲目的な自分の思考をおかいしと思えない青年。

彼は着慣れたスーツを身にまとい、夜道を歩いていく。

見慣れた景色を見渡しながら。

 

 

 

━━━━━━

青年がたどり着いたのは高層マンションだ。

ここに、彼を待ちわびる人がいる。

彼女の顔を思い出すと青年の手が震える。

必死に笑顔を作りゆっくりとエントランスに入ると、そこには笑顔で手を振る彼女がいた。

「プロデューサーさん、待ってましたよ」

早速の出迎えに青年は驚かない。

これが彼女と青年の会い方だ。

彼女、美優の部屋に行くのは青年も初めてのことではない。

かつてはプロデューサーとして送迎をし、食事に招かれたため訪ねたこともあったからだ。

そこには毎回のようにエントランスで出迎える美優の姿がいた。

だからこそ、青年からしたらこれは驚くことではない。

 

「…三船さん、話があるんだけど」

「ここだと目立ちますし、私の部屋でしましょう」

「アイドルの部屋に男が行くのは問題ですよ」

「そう言っても、結局最後は来てくれますから」

 

クスクスと軽い笑みを浮かべられると青年は何も言えなくなり、黙ってしまう。

結局いつも誘われたまま部屋に行ってしまうのが青年の悪いところだ。

アイドルと親しみすぎるのも問題か。

ちひろから言われた言葉を反復し、自分を咎める。

もう、間違いはおこさない。

そう決意を固めながら。

 

「それに……プロデューサーさんがここに来るのは最後になるかもしれませんから」

 

悲しげな顔で言われると青年は俯く。

そうだ、最後なんだ。

だから、今回だけだ。

ゆっくりと大きく深呼吸をし、しっかりと目の前の人物を見据える。

左手に巻かれた時計が視野にはいる。

そうだ、これで終わりにするんだ。

 

「分かりました、最後ぐらいはアナタの要望を聞きます」

 

その言葉を聞くと美優は嬉しそうに笑い、彼の手を取る。

その手を振り払うこともせず、青年は身を任せ歩いていく。

目の前の過去から別れるために。

 

 

 

━━━━━━

美優の部屋に案内されて早々に彼女からの手料理を2人で食べていく。

今の青年にはとてもじゃないが出された料理を楽しむ余裕はない。

だが、それはきっと美味しいのだろう。

それを青年は知っていた。

昔食べた美優の手料理は青年が嬉々として食べていたモノであり、それはどれも美味しかったからだ。

これを食べるのも最後か。

感傷に浸るまもなく少しずつ恐怖が青年を襲う。

美優の左手に巻かれた時計。

正確には、その内側。

それが気になり仕方がない。

そして、その後の話。

美優との関係を終わらせることが出きるかどうか。

もしも、もしもどれも最悪の事態になったら━━━

それは、青年からしたら最も避けなければいけないもの。

たとえ、今は無関係なアイドルだとしても。

それでも、自分が撒いた種なのだから。

 

会話なく淡々と食事を終える。

それは、青年と美優の会話を始める合図となった。

「三船さん、美味しい食事をありがとうございました」

「お粗末様でした」

嬉しそうな笑みを崩すことなくテーブルに置かれた皿を片付けていく。

そんな彼女の姿を見ながらどんな言葉から始めるか思考を張り巡らせていると美優が行動を起こす。

皿を片付け終えると美優は迷うことなく青年の隣に座る。

 

「今だけは、美優って呼んで下さい」

「…だめです」

「…そうですか…寂しいです」

 

一瞬顔を俯けるも、直ぐに笑顔を浮かべる美優。

それは、一見したら分かるような強がるようなものだ。

「…プロデューサーさん、私謝らないといけませんね」

震える声を押し殺すように放たれたのは、彼女からの要件。

それを聞くと青年は自分の左手を前に出す。

巻かれた時計を外そうとすると、美優はその手を止める。

「私が…外してもいいですか」

視線を青年の時計に向ける。

横顔しか見れない青年は、彼女が何を思っているのか分からなかったが、すぐに触れられたら手から感じ取る。

小刻みに震える彼女の手から、青年はその思いを感じた。

「……お願いします」

その言葉を聞き入れるとゆっくりと時計に手を出す。

大切に、ゆっくりと宝石を扱うかのような優しい手付きで時計を外していく。

時計がはずれる。

隠された手首からは痛々しい大きい傷跡が姿を表した。

 

「……っ!?」

 

その傷跡から美優は目を反らす。

震える手が更に大きくなっていく。

「私……わたし」

時計をテーブルに置くと、美優は青年の左手を優しく掴む。

「だめ……わたしの……せいだから」

自分に言い聞かせるように小声で言うと美優は視線を傷跡へと戻していく。

「プロ……デューサーさん」

震えた声で青年を呼ぶと、傷跡に自分の顔を近づける。

「ごめん……なさい……ごめん……な……さい」

目の前に広がる傷跡に涙がこぼれていく。

小さな粒が何度も何度も傷跡に当たっていく。

痛々しい傷跡とそれに対して何度も謝罪する美優を見る。

その光景が、青年からしたら拷問のように感じた。

優しい言葉をかけたい。

だが、それをかけてはならない。

それが、三船さんの為であり、自分のためだ。

優しい思いを殺しつつ青年は美優を静かに見つめる。

何度も何度も謝罪の言葉を口にする彼女を。

 

どれだけの時間が過ぎたのだろうか。

涙を抑えた真っ赤な瞳のまま、美優は青年の手を離した。

「ありがとうございました」

俯いたまま重々しく言われると、青年は何も言わずに時計をとる。

時計をつけようかどうか一瞬悩んだが、止める。

いざとなったら傷跡を見せて俺から離れさせよう。

脅すようでいい気はしないけど。

時計をポケットにしまうと、美優は何も言わずに自分の腕時計を青年に見せつけてきた。

 

「……まさかとは思うけど、傷つけてないよね」

 

心臓の鼓動が早くなる。

もしも、もしも自分と同じように傷跡があったら。

それを考えるだけで青年は精一杯だった。

「確かめてみて下さい」

その言葉を聞くと同時に青年は時計に手を回す。

美優とは違い、荒々しく時計をはずしていく。

もしも、もしも傷跡があったら。

その時は、俺は━━━

 

何もない手首には、綺麗な肌が待っていた。

それを見ると同時に、青年は思わず安堵のため息を吐く。

よかった、本当によかった。

背もたれに体を預けると、身体から力が抜けていく。

これで、1つ不安が減った。

その思いだけで青年は思わず笑みが零れる。

 

「私のために、笑ってくれるんですね」

 

その言葉を聞くと、青年は慌てて笑みを止めて無表情になる。

だが、もう遅い。

青年の顔をみてクスクスと笑う美優はかつて見慣れていた優しい微笑みだ。

その顔を見ると、少しだけ気がゆるむのを感じた。

 

「でも、最後かもしれないんですよね」

 

笑顔を止め、悲しげに俯く美優。

「分かってるんです、プロデューサーさんが私と会うのを止めようって言いたいって」

その言葉は、青年を驚かせるのに十分だった。

青年の知る美優ならば、そんなことお構いなしに会おうしたりもしくは━━━

「プロデューサーさん 」

青年の手をとると、美優は立ち上がる。

「お散歩、しませんか?」

唐突な提案に、青年は思わず傾いてしまった。

 

 

 

━━━━━━

気が付けば日付が変わりそうな時間になっていた。

青年と美優は人気がない夜道をゆっくりと歩いていく。

街灯が照らしていく道を目的なくただゆっくりと。

 

「私、プロデューサーさんに甘えすぎてました」

美優は淡々と話し始める。

真剣な眼差しで前を見る彼女の横顔を眺めながら、青年は傾聴していく。

 

「私の世界に色を塗ってくれたあなたに、私は甘えすぎてました。

 本当は、大人としてあいさんみたいに自分らしく動いてあなたの傍にいるべきだったのに。

 私はそれが出来なかった。

 あなたが消えて、私の世界から色が消えて……

 何をするべきか、何をしたいのかわからなくなって。

 ただ、アイドルとして、あなたとして目指したトップアイドルとして過ごすことしか出来なかった。

 毎日後悔してました。

 毎日泣いてました。

 毎日懺悔してました。

 プロデューサーさんが、傍にいなくなってから、毎日。

 つまらない退屈な日々を過ごしてました。

 私、気づいたんです。

 あの日、あなたを傷つけたあの場所で……

 あの家で過ごす内に。

 あぁ、私はあなたの恋人になりたいんじゃないんだって。

 私は、ただあなたの傍にいられればそれでいいんだって。

 そう思うようになりました」

 

ふと、思い出す。

大きく痛々しい傷跡を見つめると。

 

『プロデューサーさん、なんで私達は付けあえないんですか?

 アイドルだから?

 プロデューサーだから?

 それとも、両方?

 嫌だ……

 嫌ですよ、プロデューサーさん

 あなたと付き合えないなら、私は

 私は━━━

 生きてる意味が、ないですから』

 

「私、間違ってたんですよね」

『こんなの、間違ってますよ』

「だから、もう諦めました」

『だったら、もう諦めます』

「だって、プロデューサーさんはアイドルとしての私が好きだから

 だから、アイドルは続けます」

『私がアイドルじゃなくなったら離れるんですよね?

 あなたがプロデューサーじゃなかったら、私から離れるんですよね?』

「だから、傍にいてください」

『だから、諦めます』

「アイドルとしての私の傍に……ファンとして」

『もう、私は生きるのは嫌です』

「傍に、いてください」

『傍にいますよ、あなたの傍にずっと。

 形がなくても、気持ちだけでも』

『「プロデューサーさん」』

 

青年は今の美優とかつての美優を重ねる。

寂しげな笑みを浮かべながら、自分を見つめる2人を。

 

『「ありがとうございました」』

 

力なく笑う2人の笑顔。

その笑顔を見ると、青年は身体中から力が抜けるのを感じた。

変わったんだ、美優。

それは、かつての自分に依存していた彼女とは違う今に対しての思い。

それは、自分が離れて成長した彼女の思い。

 

「その……それでも、よかったら…友達として…接してほしいな…って」

「直接は会えませんよ?」

「遠くからでも、見守ってくれたらそれでいいです。

 でも、メールとか電話だげでも…」

「メル友なら、いいですよ」

「本当ですか!?」

 

嬉しそうに喜ぶ彼女を見ると、青年も思わず笑みを浮かべた。

やり直せないけど、新しく始めることは出来るのかも。

その思いが、青年を励ましていく。

そんな青年の笑顔を見ると、美優はわざとらしく手を叩く。

 

「そうだ、せっかくなんで私の初めてのデビュ曲のダンス見てもらってもいいですか?」

「なんでいきなり?」

「やり直し記念ですよ、人もいないし少しぐらい…駄目ですか?」

「……まぁ、少しだけなら」

 

唐突な提案に思わず苦笑しながら、青年は立ち止まり美優のダンスを見守る。

それは、青年からしたら見慣れた動きだ。

だが、青年が見ていた時とは切れがちがう。

やっぱり、成長してるんだな。

そんな思いが青年を満たす。

初めの恐怖感はどこへやら、今となってはその思いは消え去っていた。

今はただ、かつてのプロデューサーとして。

かつて傍にいた者として、目の前のアイドルを見守る。

ただのアイドルとプロデューサーとしての関係。

これから先、こんな近くで彼女のダンスを見ることはないだろう。

これからはタダのファンとして…遠くから見守ることしかできないから。

そう思いながら見守る彼女は、とても綺麗だった。

夜道を照らす街灯が、トップアイドル三船美優を輝かせるスポットライトとして。

何もない通路が美優のためだけのステージとして成り立つ。

青年はそれをどこか微笑ましく眺めていた。

視線が彼女を中心に捉えていたからこそ、気づくのに遅れた。

ゆっくりと青年から距離を離していく美優は、道路へとその身を運ぼうとしていた。

 

「三船さん、危ないからもう止めよう」

 

さすがに危険と判断し声をかけるも美優にはその声が届かない。

止まることない足並みは、道路から離れようとしない。

無理矢理でも止めよう。

青年は顔を少し険しくする。

終わったら、少し怒らないとな。

そんな思いで美優に早足で近づく。

青年が道路へと足を運んですぐのこと。

美優の体をスポットライトがうっすらと横から照らす。

やばい。

青年は頭を真っ白にする。

あれ、車のライトだよな。

気が付くと無我夢中で走り出す。

短い距離を、全力で。

「美優!!」

全力で叫ぶもその声は届かない。

曲がり角から注ぐライトが急激に強くなる。

それと同時に美優が道路の真ん中へと立ってしまった。

やばい!!

青年が走り出して数秒、すぐに美優の傍へとたどり着く。

ふと横を見ると、車が高速で向かってきていた。

相手も気づいたのか、急な異音が耳を覆う。

でも、間に合わない。

直感した青年は美優を全力で道路から押し出す。

勢いよく歩道へとたたき落とされた美優の顔が青年の視界にはいる。

口元にうっすらとした笑みを浮かべた彼女の顔を。

美優……なん━━━

 

青年の思考を遮るように身体中に激痛が走る。

思考が完全に止まると、気が付いたら仰向けに倒れていた。

何があったか何てわかる。

身体中に走りつづける激痛と共に、力が抜けていく。

視界一杯に広がる星空が、1人の顔で覆い被される。

「やっぱり、守ってくれました」

嬉しそうに笑いながら、美優は青年の顔を持ち上げると、自分の膝に乗せる。

何があったのか。何をしたいのか。

青年は何もわからない。

 

「プロデューサーさん、私気づいたんです」

淡々と笑顔で語る美優に何も言えない。

口が動かない。

「私が死んだら、プロデューサーさんが悲しみますよね……

 だから、私は死にません。

 プロデューサーさんが死んだら、プロデューサーさんは私の中でずっと見守ってくれますよね?

 死人と恋人だったら、アイドルとかプロデューサーとか関係ありませんし。

 それに、プロデューサーさんが生きてても私がずっと養ってあげますよ。

 そうすれば、プロデューサーさんは私のことしか見ませんもんね。

 プロデューサーさん」

ゆっくりと青年の手を取る。

左手首に露わになってきる傷跡に口付けを交わす。

嬉しそうな微笑みのまま。

逆さに映る美優の顔が、かつての記憶を呼び起こす。

それは、青年の痛い思い出。

 

『プロデューサーさん……?

 なんで、なんで私を庇って……?

 いや、いや、いや、いや、いや

 私の傍から離れないで……!!

 お願いですから……お願い』

 

そうだ、あの時もこうして……膝枕されてたんだ。

青年は霞んでいく視界から美優の顔を見る。

それは、かつての涙で歪めた顔ではなく、喜びに満ち溢れた顔。

 

「私、気づいたんですよ。

 あきらめました。

 幸せなカップルが無理なら、不幸なカップルで構いません

 私1人を愛さなくてもいいです。

 諦めました。

 ですから、傍にいてください。

 プロデューサーさん

 私と……ずっと

 約束……ですよ?」

 

暗くなっていく視界から見える美優の顔を見て、青年は口元に笑みを浮かべる。

そっか、成長してなかったんだ。

それは、自傷的な笑み。

そっか……下手なことを夢見た俺が馬鹿だったんだな。

青年は、ゆっくりと重々しく目を閉ざした。

 

 

 

 

━━━━━━

彼女、アーニャは誰もいない事務所で1人佇んでいた。

今日はトレーニングの日だ。

少し早めに来て愛しの青年と雑談をして、それから送ってもらう。

それがアーニャの日課だった。

そう、だった。

今はもうそれが叶わない。

整った顔を歪ませる。

両手に力が籠もると、自身の爪が食い込んでいく。

 

プロデューサー、どこ、どこ、どこ

 

事務所を見渡しても誰もいない。

物音一つしない部屋にアーニャはただ一つの感情に身を打つ。

 

誰、私から彼を奪ったの、誰?

許さない

 

ただその感情に思いを任せる。

彼は、私の星……私を見守ってくれて、私が見つめる星なのに。

なんで、なんで奪ったの?

 

誰かもわからない相手に対して憎しみの炎を燃やしていると、事務所の扉が開かれる。

「プロデューサー!?」

期待を籠めて呼び、扉を見るもそこには期待外れの人物がいた。

それに落胆すると同時に、敵意を向ける。

この人が私から奪った?

目の前の敵かもしれない人物を睨むと、相手は微笑みで返す。

 

「私と一緒に、妥協しませんか?」

 

余裕を見せつけるようや笑みを浮かべつつ、アーニャに唐突な提案を投げかけた。

 

 

 

 

 

 



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病みつきクール~後日談~

輝きを失う星は汚れてる


「ん……っん……?」

 

重々しい瞼を青年はゆっくりと開けていく。

瞼を開けて直ぐ、青年は違和感に気づく。

見知らぬ部屋に横になっている自分と、今の状況に。

たが、それも直ぐに理解が追いついた。

そっか、事故したんだ。

美優の代わりに交通事故に合った。

そこで青年の記憶は途切れていた。

そうだ、三船さんあの時不気味なこと言ってたけど……。

ゆっくりと記憶を辿っていくと、思わず身が震えた。

ちひろさんの言うとおり、最後まで気をつけてたら……。

自分の甘さに腹を立てていると、扉が開かれる音が青年の耳にはいる。

思わず身構えてしまう。

だが、それも直ぐに終わる。

 

「ぷ、プロデューサーさん!!」

 

聞き慣れた優しい声。

それは、青年の癒しともなる声だった。

「ち、ちひろさん……?」

彼女、千川ちひろの声を聞き、青年は思わず笑みを浮かべてしまった。

 

 

 

━━━━━━

「もぅ、笑ってる場合じゃないですからね」

「すいません」

青年の近くに腰掛け、ちひろはお見舞い品として買ってきたりんごを器用に剥いていく。

「プロデューサーさんが事故したって聞いて慌てて来たんですからね」

「あーっ、すいません」

「私は仕事がありますから直ぐに帰りますけど……終わったらまた来ます。

 あと、芸能関係だからって言って私以外の面会は断るようにお願いしておきました。

 検査の結果にもよりますが、とりあえず一週間は休みになりますのでゆっくりしてくださいね」

「……すいません」

頭が上がらないな。

そう思うと青年は苦笑する。

「それと……また来たら、美優さんと何があったか教えて下さいね」

美優。

その名を聞くと青年の身体は強ばる。

その反応を見てちひろは何かを察し口元にうっすらとした笑みを浮かべる。

「プロデューサーさん、もう美優さんのことは無視していいんですよ」

落ち着かせるように優しく頭を撫でる。

青年は子供扱いに少し不満を持つが、その心地よさから直ぐに不満は消え落ち着く。

やっぱり、この人は優しい。

その思いが胸を満たした。

「それじゃ、りんごはここに置いておきますね。

 ナースも呼んでおきましたから時期来ると思いますよ。

 それと、今回の事故は他事務所のアイドルが関わってますからね、私と社長以外の人は家庭の都合での休みということになしておきましたから。

 下手に本当のことを話しても面倒になるだけですし」

要件を手早く話すと席を立ち部屋から出て行くちひろ。

そんな彼女に手を振り見送った後、青年は辺りを見回す。

程なくして部屋にナースが尋ねてきた。

 

「あっすいません」

 

扉が開かれると同時に青年は窓を見ながら口を開く。

少し大きめの声で。

 

「切ったりんごが置いてあると思うんですけど、何処にあるか教えてもらってもいいですか?」

 

直ぐ隣のテーブルに置かれたりんごの場所が青年にはわからない。

違和感は、直ぐに分かった。

青年は、目の前に広がる霞む視界からすぐに察したから。

目、殆ど見えなくなっちゃったな。

平穏を装いつつ、静かに自分の現状を評価した。

 

 

 

 

━━━━━━

交通事故からの後遺症として、青年は視力を失った。

左目は完全に光を失い、右目は辛うじて機能している。

身体に関しては両脚の筋力が大分下がったらしく、歩行器がなければ歩けない程になった。

その報告を、ちひろは静かに聞く。

それは、自分が思っていた以上の話だ。

仕事を早退し、早めに向かった彼の話は自分が思った以上に━━━

 

思っていた以上に最高の結果だった。

プロデューサーさんはとてもじゃないけど1人で生きていくのは難しい……これは、傍で支える人が必要ですね。

私がその役目を果たせば問題ないですね。

 

「それでは、今私がどんな顔をしてるか見えますか?」

力無く横たわる青年の手を取り、自分の顔まで持って行く。

そこに自分がいると知らせるように。

「……えっと」

困った顔をすると青年は黙る。

何も言えないまま数秒がたつと、申しわけなさそうな顔をしてちひろから顔を逸らす。

そんな青年の姿を見てちひろは笑みを浮かべる。

これだけ傍にいても見えないんですか…

これはますます、支える人が必要ですね。

 

「輪郭は分かります。ですが表情とかは上手くは……」

「……そうですか」

青年に悟られないよう悲しげな声で反応していくちひろ。

「まぁ、視力は眼鏡とかコンタクトとかで補えるんで大丈夫です。

 問題は……」

2人の視線が青年の足に向かう。

「大きい動きでしてら、ゆっくりとでしたら出来ます。

 ですが、リハビリしてもまともに歩くのは困難かもしれないって言われて」

「……」

「車の運転は無理そうです。

 手運転出来るような補助用品があるらしいですが、それに慣れるまではアイドル達を送迎なんて出来ません」

「そうですね」

「歩行器だと、歩くのも時間がかかりますから他の関係者達に迷惑がかかりますし」

「そうですね」

「スタジオだって、どこもかしこもがバリタフリーってわけではないですしね」

「そうですね」

 

沈黙が場を流れていく。

青年は俯くと涙が小さな粒となり少しずつシーツに当たっていく。

そんな青年を落ち着かせるようにちひろは彼の手を強く握る。

「ちひろさん……俺……俺」

震える声を振り絞り、青年はちひろを見つめる。

目慣れた顔がそこにはない。

霞む視界に映るちひろだろう人物に。

 

「何を間違ったんですかね?」

 

精一杯の力を振り絞り放つその言葉を耳にして、ちひろは目の前の青年を抱きしめることしかしなかった。

子供のように泣く青年を力一杯自分の胸に押しつけ、母親のような微笑みを浮かべながら。

 

 

 

━━━━━━

青年はちひろに抱きしめられながら、美優との一件を語る。

語りが終わる頃には面会時間も終わり、名残惜しい思いを胸にちひろはその場を後にした。

それから翌日、ちひろは再び青年に面会に来た。

だが、それは前日のような個人的な面会ではない。

鞄に締まっていた書類を取り出し、青年に手渡す。

それを目の前に持って行くも何が書かれているかわからない青年はちひろに読んでもらえるよう頼み、それを聞き入れる。 

 

それは、青年の解雇処分をつげるものだ。

 

書類に書かれた内容を一字一字聞き漏らすことなく確認していく青年は、不思議と落ち着いていた。

これは、青年が望んでいたことでもある。

まともに歩くことすら出来ない自分が事務所にいても足手まといだ。

それに、リハビリに専念したい。

だからこそ、青年からしたらこの処分は望んだものだ。

そう、望んだ。

青年は解雇を望み、自主退社として事務所を去ることをちひろに話、それは社長に伝えられた。

それを聞いた2人は、何もいわずに青年の思いを聞き入れた。

ありがたい。

青年は感謝の気持ちを胸にちひろの言葉を最後まで聞き入れていった。

 

「以上が、プロデューサーさんの退職についてです」

「はい、それでかまいません」

 

淡々と事務的な会話を終えると、ちひろは書類をテーブルに置き、青年の手にペンを渡す。

「プロデューサーさんからのサインがほしいんですが、書けれそうですか?」

「自分の名前ぐらいなら多分……それと、書く場所さえ教えてくれれば」

「わかりました」

 

ちひろは青年の手を取ると優しく誘導し、幾つかの書類に名前を書いてもらう。

見慣れた綺麗な字ではなく、所々歪んだ文字を見つめながら、次々にサインを貰っていく。

「それと、印鑑は事務所にあったのを持ってきました。

 私が押してもいいですか?」

「すいません、お願いします」

青年の許可を受けると、書類に淡々と印を押していく。

全てを押し終えると書類を整え、鞄に戻していく。  

 

「はい、これでプロデューサーてしての仕事は終わりです」

「……ありがとうございます」

 

プロデューサーとしての最後。

青年はその言葉を頭の中で反復していく。

アーニャに別れの挨拶も出来なかったな。

彼女の顔を思い出すと何とも言えない気持ちが青年を襲った。

 

「そういえば、事故の時に持っていた物が返ってきたんですよ。

 とりあえず私が受け取っていたんですが、お返ししますね」

ちひろは鞄から青年の荷物を取り出すと、一つ一つ説明していく。

 

「先ずは、手帳ですね。

 所々破れてて、もう使えそうにありません」

「そうですか」

「……捨てておきましょうか?」

 

ちひろの言葉に青年は黙る。

その手帳にはアーニャとの今後の仕事が書かれている。

だが、今はもう……

 

「そうですね、アイドルの個人情報も書かれてますから破棄しておいてください」

 

淡々とした口調で話し続ける青年の言葉を確認し、手帳を鞄に戻す。

変わりに出したのは青年の携帯二台だ。

 

「いつの間に携帯2つ持ってたんですか?

 確認したら2つともアナタのだって聞いて驚いたんですよ?」

「まぁ、少し事情があって……携帯は使えそうですか?」

「両方とも画面が割れてますね。

 修理に出さないと使えませんね」

「そうですか、携帯はテーブルにでも置いといて下さい」

「良かったら、変わりに修理出しておきますよ?」

「いいですよ、自分で行きますし……どちみち眼鏡なり買わないと使えませんから」

「わかりました」

 

携帯二台を傍のテーブルに置き、再び鞄から物を取り出す。

 

「これが最後ですよ、何時もつけてた腕時計です」

「使えれそうですか?」

「もう針が止まってますし……買い換えたほうがいいと思いますよ?」

「そうですか、なら買い換えようかな」

「それじゃ、この時計は捨てておきましょうか」

「いや、置いといて下さい」

 

ちひろはその言葉に苛立ちを覚える。

この時計は美優からつけられた傷を隠すために買ったもの。

壊れたとはいえ役目を終えたもの等捨てて、完全に他の女の事など忘れてほしい。

だが、それを言葉にすることなく言うとおりにテーブルに置いていく。

新しいのをプレゼントして、それから捨てよう。

そう思いながら。

 

「とりあえず、これで最後です」

「そうですか、ありがとうございます」

「退院はいつ頃になりそうですか?」

「今週中は入院とリハビリに専念します。

 それから退院して、後は近くでリハビリですね」

「そうですか、暫くは生活に困ると思いますから、遊びに行きますね」

「そんな、悪いですよ」

「……悪くないですよ」

 

ちひろは俯く青年の頬に手を当てる。

ゆっくりと自分の方に顔を向ける。

以前のような優しげな感じは消え、感情を感じ取れない顔をして青年の顔が、とても恋しく感じる。

 

ゆっくりと、顔を近づけ口づけを交わす。

 

 

離れたのは、ちひらからだ。

青年はされるがままに何の反応も示さない。

 

「ねぇ、私からの告白、応えてほしいな」

 

何時ものような敬語を辞め、優しく親しみを込めて語りかける。

顔を赤く染めるのを、青年はうっすらとだが見えた。

「ちひろさん、俺まともに歩けませんよ?」

淡々とした口調が崩れる。

 

「大丈夫」

「迷惑、かけますよ?」

「かまわない」

「ちひろさん……」

淡々とした口調はゆっくりと震え始める。

「私は、あなたが好き。

 どんなあなたも愛してる」

 

その言葉に青年は涙を流す。

あぁ、やっぱりこの人は俺の……

この人だけは俺の傍にいてくれる。

プロデューサーとしてではなくて、俺としての。

俺の隣にいてくれる。

 

青年はゆっくりと首を縦に振った。

 

 

 

 

━━━━━━

プロデューサーが退職をして早数日。

青年は無事に退院した。

使い慣れない杖を使いながら見慣れていたであろう夜道をゆっくりと歩いていた。

最後に挨拶をしたい人がいる。

その思いだけが青年を突き動かした。

歩いて数十分かかる所にある公園。

そこは、青年が昔よく2人で行っていた公園。

やけに疲れる身体を近くのベンチに座り休ませる。

まだ慣れないな。

そんな事を思いながら空を見上げる。

綺麗な星空が青年を見つめ返す。

だが、それを正確には見えない。

青年の瞳が映すのは、霞む夜空。

それは、とてもじゃないが綺麗とは言えなかった。

 

星空を眺めてどれだけの時間がたったのか。

青年は重い溜め息を吐く。

今日も来ないか……いや、来るのかな?

ここで待ってたら、来るのかな?

待ち人が現れる確証なんてない。

それでも、自分の気持ちを伝えたいがために青年は退院してから毎日のように夜を公園で過ごす。

だが、それでも来ない。

 

寂しさが気持ちを覆い尽くす頃に、隣に誰かが座る。

 

「やっぱり、ここの空、綺麗です」

 

たどたどしい口調で独り言のような言葉を話す隣人に、青年は笑みを浮かべる。

 

「今日の星は綺麗に映ってる?」

「はい、目の前にあるような…私を照らす、輝きです」

「そっか、よかった」

 

冷たい風が青年の肌をくすぶる。

隣人は赤くなった青年の手を暖めるように片手を重ねる。

 

「寒い時は、人肌が一番……ですよ、プロデューサー」

 

 

優しい口調で教えられると、青年は苦笑いを浮かべた。

「やっぱり、本場の人は物知りだねアーニャ」

「Да……そうですよ、またプロデューサーと、お勉強できました」

 

嬉しそうな微笑みを浮かべながら、アーニャは青年の指に自身の指を絡めていく。

優しく、けど力強く離さない様に。

 

「もう俺はプロデューサーじゃないよ」

「そうでしたね……じゃあ、何て呼びましょう?」

 

わざとらしく下唇に人差し指を当てながら、考え込むこと数秒、アーニャはわざとらしく口を開く。

 

「━━━さん」

 

それを聞くと、青年は恥ずかしそうな笑みを浮かべ自信の頬を軽く掻いていく。

「名前は止めてよ、恥ずかしいし」

「恥ずかしいし、ですか?」

「少しね」

青年の反応を面白がるように悪戯な笑みを浮かべると、アーニャは次の呼び名を使う。

「мужはどうですか?」

「……意味はわからないけど、それでいいかな」

聞き慣れない言語に少し困惑するものの、青年は妥協した。

「そうですか、なら、これからはそう呼びます」

これから。

青年はそれを聞くと悲しくなる。

もう、会えないかもしれない彼女とのこれからに。

「アーニャ、ごめんね」

青年はアーニャの顔を見る。

今、どんな顔をしているのだろうか。

それすらもわからない。

見えない。

それでも、自分の思いを伝えるために彼女の瞳を見つめる。

 

「俺、もう歩けないんだ」

「そう、なんですか」

「もう、目も見えなくなってきてる」

「そう、ですか」

「俺さ、もうアーニャの顔すらちゃんと見れないんだ」

 

だから

そう続けると、数秒間間を開ける。

何て伝えようか。

必死に考える。

 

「俺、もうアーニャの傍にはいられない」

 

傍にいてほしい。

そう願っていた彼女の言葉を裏切る一言と共に、青年は彼女の手を振り払う。

 

「でも、アーニャの事は見てるから」

 

言い訳を残して、その場から立ち去ろうと杖を取りゆっくりと立ち上がる。

 

「だから、頑張って」

 

もう一緒には頑張れない。

その思いを胸にしながら。

自分より一回り小さい彼女から逃げるようにその場から遠のこうと歩き出す。

情けなさで胸が痛い。

悔しくて胸が痛い。

それでも、俺はもうアーニャの傍にいられない。

プロデューサーとして、いられない。

ファンとして、傍にいるから。

その思いを胸にして、彼女の事を振り返りもせずに公園から出て行こうとする。

 

「いや!!」

 

普段の冷静な彼女からとは思えない感情にまかせた言葉と共にアーニャは青年の背中に抱きつく。

急に来た衝撃に身体が上手く耐えきれず、前のめりに倒れ込んでしまう。

 

「いや、いかないで、私を、1人に……しないで、ください」

 

上手く受け身をとれなかったせいか、身体中を鈍い痛みが襲う。

だが、それを慰めるように身体に回された手が強く回り、それと同時に背後から強く抱きしめられる。

込められたら力は強くなる。

ゆっくりと、逃がさないと伝えるように。

 

「私は……あなたと、いたいのに」

 

震えた声が青年を襲う。

その言葉から逃げたい。

もう止めて、もう、俺を惨めにさせないで。

 

「だから、傍にいてください」

 

悲痛な願いが青年を襲う。

無理矢理離させようとすれば、できる。

でも、それはしたくない。

もう、傷つけたくない。

我が儘な自分の思いに従い、青年は口を開く。

 

「アーニャ、俺はファンとして見てるから」

「でも、傍にはいてくれません」

「……もう、傍にはいられないよ」

「……そう、ですか」

 

アーニャがゆっくりと離れていく。

とりあえず、落ち着かせて…それから、ゆっくりと話そう。

もう、傍にはいられないってことを伝えよう。

何度でも、伝えよう。

目の前に落ちていた杖を取ろうとすると、杖が離れていった。

 

「……アーニャ、返して」

「これがあると、離れますから」

 

手を伸ばすより先にアーニャは青年の杖をとる。

大切そうに抱きしめるように杖を抱えると、アーニャは青年を見下す。

その冷たい目線に思わず青年は息を飲む。

整った顔立ちの少女。

色白な肌と、それに合わせるような綺麗な銀髪から除く視線。

目では捉えれないが、それでも肌にまとわりつくような凍えるような感覚が青年を襲う。

 

「私、妥協しました」

 

大切に抱えた杖を青年から離れた所に置く。

それは、歩けない青年からしたら手に取ることが出来ないということ。

 

「アーニャ、ふざけてないで返して」

 

思わず言葉がきつくなる。

今となってはその杖がなければまともな生活すら送れない青年にとっては、この行為は自分を侮辱されているように漢字で仕方がない。

 

「私、プロデューサー、の隣にいれればいい」

 

その言葉を聞くと、思い返す。

それは、三船美優との思いで。

彼女もまた、似たような事を青年に言っていた。

 

「だから、一緒。

 これからも、ずっと」

 

アーニャはポケットから黒い物体を取り出す。

青年の霞んだ視界にはそれが何なのか理解が出来なかった。

 

「アー……ニャ……ッ!?」

 

名前を言い終える前に激しい衝撃が首筋から走り始める。

見開いた瞳で彼女の顔を見る。

霞んだ瞳では、彼女の表情を見据えれない。

 

その、冷たく笑った表情は。

 

「一回じゃ、ためですか」

 

首筋からの痛みが収まると、バチバチッと激しい音が青年の耳に入ってきた。

スタンガン……?

青年はアーニャが持つ物を予想する。

その予想は的中しており、彼女の手には大きめのスタンガンが握られてきた。

それは、青年の知るアイドルが持つには相応しくない物。

 

「でも、何回もやれば……」

 

再び青年の首から痛みが走る。

何度も何度も、青年を痛みが襲う。

 

「プロデューサー……。

 私、気づきました。

 私は、あなたがいないと駄目、です。

 Там нет способа…しかたがない、ですよね。

 星は、一つじゃ輝けません。

 他の星と輝くから、綺麗。

 私は、あなたと輝く。

 あなたがいないと、汚いから。

 だから、私の傍にいてください。

 プロデューサー。

 もう、何もしなくても、いいですよ。

 働かなくても

 動けなくても

 歩けなくても

 話せなくても

 なにもかもしなくても、いいですよ。

 私が、傍にいるから。

 неважно…大丈夫。

 私と、うんうん。

 私達の傍にいたら、プロデューサーは嬉しい。

 喜んでくれる。

 私達さえいれば、いい。

 プロデューサー。

 ……ですよね?

 プロデューサー。

 言いましたよね。

 Я тебя люблю безумно

 狂ってしまうぐらい、愛してます。

 ……本当に、狂っちゃいました。

 あぁ、プロデューサー。

 その辛い顔、素敵、ですよ。

 その悲しい顔、素敵です。

 プロデューサー。

 早く、一緒になろ」

 

何度も何度も走る激痛から青年は逃げられない。

力が抜けていく。

ゆっくりと、視界が黒くなる。

目の前に広がる白い人物を黒い世界が塗り替えていく。

 

……あぁ、そっか。

 

力なく口元に笑みを浮かべながら、襲い来る無気力感に身を任せていく。

 

……逃げられないのか。

 

自傷的な笑みをうかべる。

 

……無責任な俺にたいする、罰なのかな。

 

そんな思いを胸に、ゆっくりと意識を手放していった。

 



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病みつきクール~終談~

君だけを見つめるだけの物語


彼女、東郷あいはステージ衣装を身にまといながら楽屋でため息を吐く。

彼女の手に持たれていた形態からは、1人の人物にたいして通話をしていた。

コールが鳴り響くこと数回、聞き慣れた機械音がなると同時に通話を切る。

 

やれやれ、ゆっくりと追っていこうと思ったが逃げられてしまったようだな。

 

再度重い溜息を吐くと同時に片手で頭を押さえる。

 

「全く、罪作りな男に恋をしてしまったものだ」

 

嬉しそうな笑みを浮かべながら独り言を嬉々として語る。

 

「私から追ったら逃げるとは……今度は追われる側に回ってみようか?」

 

クククっと喉をならしながら語ると、携帯を手元の鞄に仕舞う。

 

「まぁ、今回は私の負けか……だが、次は勝たせてもらおう」

 

ゆっくりと立ち上がると、目の前にある鏡が自分を映し出す。

鏡に映る分身の頬を優しく触れると、笑みを濃くする。

 

「女として、負けられない勝負があるからね」

 

その言葉と共に自信の瞳を見る。

深く濁ったその瞳をあいは気に入っていた。

たった1人の人間にしか興味を見いださないその瞳に。

 

「さぁ、まずは……」

 

鏡から手を離し、扉へとゆっくりと歩を進める。

 

「先ずは、君を捜すところから始めよう。

 恋する女としてはやはり、待ってるだけでは始まらないからね」

 

誰もいなくなった楽屋に言い残すように呟き、あいは部屋を出ていった。

狂気に溢れた笑みを口元で浮かばせながら。

 

 

 

 

━━━━━━

「……おはよう、ございます」

 

文香はまだ慣れない事務所に尋ねると頭を下げる。

「おはよう、文香ちゃん」

そんな彼女に作り笑いでちひろは返した。

一歩踏み出すと、文香は事務所内を見渡していく。

居ないことは知っていた。

それでも、もしかしたら。

そんな気持ちが文香を襲う。

何度も見渡しても目的の人物の姿はない。

当たり前だ。

その人物はもう事務所にはいないのだから。

……約束、したのに。

その思いが胸を締め付ける。

私のこと、見てくれるって。

傍にいてくれるって……!!

 

文香はこみ上げてくる感情を必死に抑えつつ、ソファーに腰掛けると鞄から一冊の本を取り出す。

 

私も、こんな風になりたいな。

そんな思いを抱きながら現実から目を反らすようにページをめくっていく。

その本は、最近叔父の本屋から見つけた恋愛の本。

それを、何百回も文香は読み返していた。

私も、この本みたいに。

ページをめくる度に思いが強くなる。

その思いと共に、本の世界に入り込んでいく。

 

ヒロインである少女と、少年の恋愛小説。

それは、自分が願うようなずっと、永遠に2人が結ばれる物語。

話の展開も、結末も、全て頭に入っている。

それでも文香は読み返す。

その世界に逃げるために。

物語も終盤。

その頃には、文香は自分の中の青年と共に物語の役者と入れ替わっていた。

 

「プロデューサーさん……もぅ、何処にもいけませんよね

 もう、私以外見なくていいんですよ」

 

誰にも聞き取られないように気を配りながら小声で呟く。

深く目を閉じると、目の前に青年の姿が現れる。

それは、本の役者として。

 

両手両足を拘束され、身動き出来ない状態。

力が入らないのか、唇からはだらしなく涎がたれていく。

虚ろな瞳のまま、ただ地面を見据えるその姿。

そんな姿の青年を思い浮かべ、文香は笑みを浮かべる。

「もう…他の人の事見てるから、そうなるんですよ」

彼の頭を支え、自分へと視線を向けさせる。

力なくなすがままになる青年の姿に思わず満悦してしまう。

そうだ、私が欲しかったのは。

 

「プロデューサーさん、約束ですよ……私だけの傍にいて下さいね」

 

私が欲しいのは、私だけの傍にいてくれるプロデューサー。

それ以外のプロデューサーさんは……。

ふと気が付くと、ページをめくるのを忘れ、ただ強く本を握っていた。

夢の中でしか、あえません。

ですが、今だけですよ。

待ってて下さいね、プロデューサーさん。

 

そんな思いを胸に、自分を呼んだ今のプロデューサーの元へと文香はむ向かう。

アイドルして頑張ってたら、傍に来てくれる。

きっと、遠くからでも見てくれる。

今はまだ、我慢します。

……でも、我慢にも限度がありますからね。

 

 

 

 

━━━━━━

「ただいま」

ちひろは嬉しそうな笑みを浮かべると家に入る。

「ただいまであってます、私達もう結婚してるんだから」

嬉しそうに話しながら鞄から食材を取り出していくと、キッチンへと向かった。

 

「今日はハンバーグだから、楽しみに待っててね」

そういうと鼻歌を歌いながら早速調理に入っていった。

だが、そんな鼻歌も直ぐに止まる。

「何時結婚したかって、こないだ書類にサインしてくれたじゃないですか。

 まぁ、印は私が押したけど」

ちひろは嬉々として語るりながらも、手は止めない。

「騙したかって、酷いですよ。

 たって、私達もいい年なんですからこの年でつき合うなら結婚を前提で、私達には互いの性格や相性なんてもうわかりきってるんだから。

 だったら、付き合わなくてもいいでしょ?

 わざわざ面倒なことしなくても、結婚したって」

優しくも何処か強い口調で話していくと、ふとリビングに視線を向ける。

「だから、婚約届を出しちゃいました」

悪戯っぽく舌を出し、微笑みを浮かべる。

幸せそうな彼女は誰が見ても女としての幸せを噛みしめていると見えるものだ。

 

「だから、結婚指輪は楽しみにしてますからね。

 ちゃんとした形が欲しいですから」

 

だから

そう続けると、冷たい視線を向ける。

誰もいない空間に向けて。

 

「私の夫を返してもらわないとなー」

 

そう呟きながらも微笑みは崩さない。

感情を押し殺しつつ、料理を続ける。

 

本当に、私がいないと何も出来ないんですから。

駄目な人に捕まるだなんて、もっと見守りが必要ですね。

次は失敗しないようにちゃんと考えとかないと。

先ずは、何処にいるか探さないとな。

 

 

 

 

━━━━━━

「はい、今日の夕食ですよ」

美優はそう言うと、数人分はあろあである料理達をテーブルに並べていく。

「もう、プロデューサーさんは男の人なんですから、沢山食べて下さい」

子供を叱るような優しい口調で言うと、腕時計を見る。

「少し早めに出来ちゃいましたね」

そう言うと、携帯を取り出し慣れた手つきで触っていく。

目的の人類の名前を出すと、通話ボタンを押す。

コールが鳴ること数回、相手からの声が聞こえた。

 

「今日の帰りはどうなりそうですか?

 ……そうですか、わかりました。

 いえ、早めに出来たんでどうしようかと思ったんですけど、ならもう、少し待ってますね。

 はい、待ってます」

 

嬉しそうに微笑みなら通話を切る。

その微笑みを前に向けると、嬉しそうに報告を始めた。

 

「もうすぐ帰ってこれるらしいですから、待ちましょうか。

 食事は皆で食べた方が美味しいですからね」

 

そういうと、ゆっくりと歩き出す。

「だから、もう少し待ってて下さいね」

壁際までつくと、目の前に映るモノに視線を合わせる。

壁際に背を預け、糸が切れた人形のように力が抜けているモノに。

虚ろな瞳で目の前のモノを見つめる。

それだけで、美優の笑みは濃くなり、より嬉しそうなモノに変わる。

 

 

「ねぇ、プロデューサーさん」

 

 

嬉々として呼ばれた青年は、力なくうっすらと笑みを浮かべた。

 

 

 

 

━━━━━━

もう、どれだけの間過ごしてきたんだろうか。

与えられた部屋には時間を確認するようなものなんてない。

唯一ヒントになりそうな窓も常にカーテンで隠されており、明かりを隠される。

それ以外には、何があるんだろうか。

わからない。

目の前に映る霞んだ部屋に確認できるのは自分が過ごしている布団のみ。

歩くことはもちろん、立つことすら出来ない。

匍匐前進で進もうにも、小さな部屋を閉ざす扉を開けるためのドアノブは今の俺には高く、遠く感じる。

あぁ、早く帰ってこないかな。

そんなことを思いながら、今日を過ごす。

そして、明日も過ごすのだろう。

明日も明後日も……これからも。

外、でたいな。

そんなことをふと思い、諦めと共にため息をつく。

今の俺には、外に出ることすら許されない。

何も出来ない自分を嫌になりながら、今日も何もせずに過ごす。

 

何もしないで過ごすことかなりの間、扉が開かれた。

「ただいま、プロデューサーさん」

嬉しそうに微笑みながら俺の傍に立つと、ゆっくりと身体を起こして壁際を支えるように座らさせてくれた。

そんな彼女を見ると笑みが浮かぶ。

今日も来てくれた。

その言葉から来る嬉しさが、俺の空っぽの世界を埋めてくれた。

 

「おかえり、美優」

 

少し遅れて挨拶をすると、美優は子供を誉めるように俺の頭を撫でてくれた。

あぁ、懐かしいな。

そういえば、前ちひろさんにやってもらったっけ。

元気かな、ちひろさん。

ふと、彼女の優しい笑みが脳裏にちらつく。

でも、それも一瞬だ。

直ぐに収まる。

少なくとも、今の俺はちひろさんに会えないんだから、意味がない。

 

「やっぱり、好きな人に名前を呼ばれるのは恥ずかしい……」

「三船さんのほうがいい?」

「……意地悪なプロデューサーさんは嫌いですよ」

 

嫌い

その言葉を聞くと、両手が勝手に動く。

力強く、縋るように彼女の肩に手を伸ばしてありったけの力で抱きしめる。

 

「ごめん、ごめん、だから、嫌わないで、お願い、見捨てないで、美優……」

 

だめだ

今、美優達に嫌われたら……!!

そしたら、俺はもう生きていけない。

生きていくだけの力がない。

だから……!!

お願いだから、嫌わないで。

目の前に広がる大きな恐怖感で思考が襲われる。

こうなると、自分でも恐ろしく感じるぐらいまともな思考が出来なくなる。

そんな俺を落ち着かせるように、美優は優しく抱きしめ返してくれた。

 

「嘘ですよ、私がプロデューサーさんのこと嫌いになるなんてないですから……だから、ずっと傍にいてくださいね」

「いる、いるから、だから、ひとりにしないで」

「しませんよ……ずっと傍に居ますからね」

優しい言葉と共に、頭を撫でてくれる。

これだけで、不思議と落ち着いていく。

そうだ、俺の傍に居てくれるんだ。

1人じゃない。

その気持ちだけで恐怖感が一気に消える。

安心した実感を得ると同時に、美優に回した手を離していく。

 

「ふふふっ、夕食を作ってきますから待ってて下さいね」

 

頭から手が離れる。

それは、俺の傍から彼女が離れていくことを指す。

寂しさと孤独感が押し寄せるが、それを口にすることはしない。

初めは嫌がっていたが、彼女だって仕事がある。

寂しいけど、仕方がない。

我慢しなきゃ。

そう思いつつ、開かれた扉から聞こえる音を聞く。

ただの雑音が恋しく感じる。

傍で誰かが何かをしている。

だからこそ生まれる雑音。

それが、今はとてつもなく恋しい。

誰かと共にいる。

その時だけが唯一落ち着く時間だ。

 

どうしてこうなったんだろう。

ふと、思い出していく。

初めは、出してくれと何度も叫んだ。

でも、彼女は優しく俺の頭を撫でたり、抱きしめたりするだけで何も言わない。

ただ、俺の傍に居てくれるだけ。

初めは、それが凄い嫌だった。

彼女達が居なくなって、逃げ出そうにも何もできなくて……

何日も……何回も……。

俺からしたら永遠にも感じるような1人の時間を過ごしていた。

気が付いたら、今の環境を受け入れている自分がいた。

三船さんって呼んでいたのを、止めてと言われたから美優と呼び始めた。

他にも、俺が出来ることは何でもした。

そうだ、俺は生きてるんじゃない。

生かされてるんだ。

そう理解していくと、気が付いたら反抗なんてする気をなくした。

少なくとも、ここにいれば、生きていける。

それだけで、その事実だけで俺は満たされた。

……そっか。

これが、罰なんだよな。

 

 

 

━━━━━━

美優が部屋に入ってくると、俺と視線をあわす。

どうやら、今日の夕食が少し遅れるらしい。

別に、そんなの教えてくれなくてもいいのに。

時間なんて、わからないんだから。

美優は話を終えると俺の隣に座る。

俺と同じように、壁に背を預けて。

静かな沈黙が酷く嫌になる。

無自覚だった。

彼女の手に重ねるように俺の手を置く。

小さくて、柔らかいて。

離したくない。

そう感じてしまう。

美優の顔を見ようと、視線を向けても残念ながら彼女の表情は見えない。

だからこそ、怖い。

どんな顔をしてるのだろうか。

 

「プロデューサーさん」

 

優しい口調で話されると落ち着く。

怒ってはいない。

そう感じるから。

 

「私、今幸せですよ。

 こうして、あなたの傍に居られるから。

 だから、幸せです。

 あなたの温もりを、あなたの存在を直で感じれるから。

 それだけで胸が満たされます。

 ……やっぱり、こうしてよかった。

 あなたの傍に居られるだけで幸せになれるから。

 だから、私は間違ってなかったんですね。

 プロデューサーさん。

 もっと私を見て

 もっと私を触れて

 もっと私を感じて

 もっともっともっと

 私だけ見て何て我が儘は言いません

 もう、言いません。

 変わったんです。

 気づいたんです。

 私があなたに抱いてたのは恋心じゃない。

 もっと、それ以上のモノ。

 あなたと付き合えなくても、恋人になれなくてもいい。

 ただ、傍にさえ居てくれればそれでいい。

 プロデューサーさん。

 私の傍にいて、私を見て、私を感じですくださいね」

 

優しい言葉が俺を被う。

それたけで、幸せな気持ちになれる。

狂ってるのは彼女たちなんだろうか。

それとも、受け入れた俺なんだろうか。

わからない。

それでも、それでいい。

彼女の言葉を静かに聞きながら、強く手を握る。

離さないように、強く。

愛しい彼女の言葉に意識を向けていたからだろう、もう1人の彼女に俺は全く気づかなかった。

 

「2人とも、仲良しですね」

 

空いた扉から声が聞こえる。

呆れたような声で話す彼女に視線を向けると、美優は嬉しそうに挨拶をした。

 

「おかえりかさい、アーニャちゃん」

 

アーニャは俺の隣に座ると、空いた手を握る。

 

「ただいま、2人共」

 

嬉しそうな口調で話すあたり、怒ってはないのだろう。

少しだけ安心した。

「おかえり、アーニャ」

彼女の手を握り返しながら、挨拶をすませる。

2人の手を強く握る。

俺のことを行かしてくれる2人の手を。

 

 

 

 

━━━━━━

2人に食べさせてもらいながら、夕食を済ませると、美優は片付けをするためにキッチンに向かってしまった。

俺はアーニャの手を借りて何とか部屋に帰り、先程同様に座る。

アーニャも俺の隣に座ると、横から抱きついてきていた。

そんな甘えてくる彼女の頭を撫でながら、アーニャから仕事の話を聞く。

全てを聞き終え、頑張ったねと伝えると、巻き付かれた手に更に力が入った。

 

「プロデューサー、私幸せだよ」

突然の言葉に驚きはしない。

もう、気に慣れたから。

「こうやって、傍にいられるだけで、幸せ」

「俺もだよ」

優しくとも頭を撫でていると、必要にされているように感じて満たされていく。

狂う程愛してるっか。

もしかしたら、俺の方もそうなのかもな。

 

「私、美優にプロデューサーを、捕まえる話聞いた時、嫌だったんですよ。

 но…ですが、今は、幸せです。

 同じ目を、してます。

 私と、美優。

 あなたの傍にいたい。

 そう強く思う、目らしいです。

 今なら、わかります。

 私、傍にいられるなら、いい。

 恋人じゃなくても

 寂しいです。

 でも、いいんです。

 傍にさえ、いてくれたら。

 それで、いい。

 プロデューサー。

 愛してますよ。

 だから、いいんです。

 愛した人が、傍にいる。

 自然で、当たり前のこと。

 だから、今は幸せ。

 当たり前の、幸せ。

 ですよね、プロデューサー」

 

猫なで声で甘えてくるアーニャ。

そんな彼女の頭を撫でる。

霞んだ視界で。

 

 

「プロデューサー、なんで泣いてるん、ですか?

 ……あっ、わかりました。

 счастье…幸せだから、ですね。

 私も、泣きそうです。

 幸せ、だから。

 嬉しい、から。

 だから、泣きそうです。

 プロデューサーの傍に、いられること。

 とっても幸せ感じます。

 だから、ですね。

 こういうの、相思相愛って言うんですよね?

 私、この言葉好きです。

 だって、幸せなこと。

 お互いに思いあうこと。

 それは、素敵なこと。

 プロデューサー。

 私達、幸せ、ですよね?」

 

彼女の言葉に力なく頷く。

 

そっか、泣いてるんだ。

 

なんで、泣いてるんだろう。

 

わかんないな。

 

……幸せ、だから?

 

そうだよね、そうに違いない。

 

だって、満たされてるんだから。

 

……そう、だよね?

 

内心で自問自答を繰り返しながら、俺はアーニャの言葉を聞く。

何度も愛を訴えるその言葉を聞く度に、何故か胸が苦しくなる。

そのたびに、この思いがなんなのかわからなくなる。

 

その日、床についた時、不思議な夢を見た。

あいさんが

文香が

ちひろさんが

美優が

アーニャが

同じ事務所にいて、笑いながら話し合ってる夢。

その夢を見てるとき、胸が苦しくなる理由がわかった。

わかったからだろうか。

ただ、周りから離れた所にいた俺は、泣くことしか出来なかった。

なんで、こうなったのだろうか。

簡単だ。

依存してたのは……縋ってたのは俺の方だ。

初めから、自分で考えて、自分で動いていたら、こうはならなかったのかもしらない。

もしかしたら、それはただの妄想。

自分で動いても、変わらないかもしれないのに。

それでも、縋りたくなる。

この、幸せが現実で

何もできない不幸か夢で

━━━もしも

━━━もしも

 

俺は、何もできない縋ることしか出来ない自分に泣くことしかできなかった。

 

 

 

 

━━━━━━

後日談……というか、変わらない話。

 

今日はアーニャがオフの日らしい

だからだろうか、今日は朝からずっとアーニャに抱きしめられている。

さっきから何度も愛を囁いてくれる彼女が、とても恋しく感じる。

あい……?

ふと、頭の片隅に誰かの面影がちらつく。

思い出そうとすると、アーニャが俺を強く抱きしめる。

どうやら、他のことを考えていたことがバレたらしい。

本当に、俺のことなら何でもわかってくれる。

わかってくれる人……?

そういえば、他にもそんな人がいたような気がする。

 

プロデューサーには、私達しか傍にいない。

だから、他のこと考えるのは駄目、ですよ。

寂しいです。

 

そんな事を耳元で言われると、謝罪の言葉しか言えなくなってしまう。

傍……か。

そういえば、昔傍にいるって約束した人がいたな。

 

でも、いいか。

今の俺には美優とアーニャしかいないんだから。

 

そう思いながら、抱きついてくる彼女の頭を撫でる。

霞んだ視界に映る彼女。

そういえば、眼鏡がほしいな。

美優とアーニャの顔をもっと見れるようなりたいし。

お願いしてみようかな。

 

俺はアーニャに眼鏡が欲しいことを伝える。

すると、アーニャは買ってきてくれると言ってくれた。

やっぱり、アーニャは優しい子だ。

 

そんなことをしていたら、すっかり頭の片隅に映った彼女達の姿は消えていた。

 




携帯を変えたり仕事が忙しくなったしとしっぴつが中々進まない状況ですので、次回は以前投稿していた短篇を投稿したいと思います。
リクエストしてくれた方々本当にすいません。


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病みつき楓

色々とあって更新遅れました。すいません。


「プロデューサー、お仕事はまだ終わらないんですか?」

 

キーボードを叩く音が淡々と流れる事務所の空気に耐えきれないのか、ソファーに腰掛けている彼女、楓さんが何度目になるかわからない質問を投げかけてきた。

「すいません、もう少しかかりそうで」

「もぅ、それさっきから聞いてます」

「数分毎に同じ質問されたら、同じ答えしか返ってきませんよ」

俺の返答に不満足なのか、目の前のテーブルに身体を預け、唇を尖らせる彼女。

どうやら、相当鬱憤をため込んでいるらしい。

まぁ、俺が悪いんだけど。

 

「せっかくよお酒が逃げちゃいますよ」

「酒は逃げないから安心して下さい」

「お店は閉まりますよ?」

「そんな時間になる頃にはとっくに仕事は終わってますよ」

「閉店ギリギリにならないようキリキリ働いて下さい」

 

……何時ものダジャレか?

だとしたら切れがないな。

切れ……いや、何時も……。

止めておこう、いつもは切れがある、よね?

そんな雑念に長くは構ってられない。

目の前のモニターに映し出される書類をミスがないよう確認しながら作っていく。

ふたたびキーボードの音が事務所内に鳴り響く。

すると、楓さんは背もたれに体を預けるように座り直すと、ジッと俺を見つめてきた。

どうしたんだろうか。

気になってしまうが、構ってあげれない。

これ以上死語とが長引くと、後々愚痴を聞かされるのは明確なのだから。

 

「キーボードを叩く音がぼーっと鳴る」

 

ぼーっと鳴るってなんだろうか。

それは言葉として成り立ってない気がする。

 

「雑念に駆られて……駆られて……あっ、プロデューサー私唐揚げ食べたいです」

「終わったら食べに行きましょう」

 

頭が柔らかいのか発想が自由なのか本当にわからない。

担当アイドルとして付き合いは長いが、それても彼女の考えは今一上手く掴めれない。

 

「唐揚げを食べるため、その書類を早く仕上げましょう」

 

満足したのかふふふっ、笑みを浮かべる。

そんな、これはどうですかと言わんばかりの顔をされても反応に困ってしまう。

とりあえず、苦笑いをしておく。

 

「駄目ですか?

 面白いのに」

 

俺の反応を見て肩を落とす楓さん。

先程とは打って変わって沈んだ顔をする彼女を見ると、笑って上げられなかったことに少し後悔してしまう。

とりあえず、先ずはご機嫌取りから頑張ろう。

出来た書類を保存して、楓さんの傍に行く。

 

「終わりましたよ、行きましょう」

「もう、待ちわびましたよ」

 

唇を尖らせ、顔を背ける彼女。

そんな彼女の反応を可愛いと思ってしまった。

やっぱり、楓さんは可愛い人だ。

 

 

 

 

━━━━━━

彼女、高垣楓は俺が担当するアイドルだ。

どこか掴めない思考から出されるその表情は、彼女の神秘的な魅力を引き出している。

華奢すぎる身体は強く抱きしめたら壊れてしまいそうで、そんな彼女の歌とダンスは聞くもの、見るものを魅了させる。

傍にいる俺も、彼女のファンの1人だ。

だからこそだろう。

そんな彼女と飲みに行くというのは、何回やっても何処か緊張してしまうものがある。

 

楓さんはお酒が好きだ。

しかも、かなりの酒豪。

彼女に合わせて飲んでいると潰れるのは何時も俺だ。

情けない話かもしれないが、残念なことに彼女にはとてもじゃないが叶わない。

まぁ、とりあえず彼女はお酒が好き。

だからこそ、お互いに時間がある時はよく飲みに行く。

初めは軽いスキンシップのつもりで誘っていたのが始まりだ。

最近では楓さんから俺を誘ってくれる事が多くなってきた。

嬉しい話だ。

ただ、毎日誘うのは止めて下さい。

まぁ、嬉しい悩みかな。

今日は楓さんからの誘いでこうして飲みにいくことになった。

行く店は事務所の近くにある居酒屋だ。

事務所傍ということもあり、何かと融通が効く。

 

居酒屋に着いて、適当に空いていた席に案内される。

対面に座る彼女と共にメニューを眺めながら、熱燗を頼む。

楓さんが好きだから飲んでいたら、俺も好きになっていた。

それだけだ。

 

「こうして飲みに行くの、久し振りですね」

「先週来たじゃないですか」

「毎日でも飲みたいんですよ」

 

どんだけ飲むんだろうか。

思わず苦笑してしまう。

本当に、何もかも予想を裏切る人だ。

 

「それに、飲みたいなら家で飲めるじゃないですか」

「1人で飲んでも寂しいですから、それに」

 

そう続けると俺の瞳を真っ直ぐに見据え、綺麗な笑みを見せてくれた。

「私は、プロデューサーと飲みたいんです」

 

思わず顔が赤くなる。

頼むからからかわないでくれ。

そう思いつつ、逃げるように視線をメニューに向ける。

 

「あっ、無視は寂しいですよ。

 何か反応して下さい。

 でないと、拗ねちゃいますよ?」

 

ムスッとした顔で顔を横に向ける楓さん。

そんな彼女の反応に思わず笑みがこぼれる。

本当に、何を考えてるんだろうか。

 

「すいません、照れちゃって」

「照れてるプロデューサーも可愛いですよ」

「拗ねてる楓さんも可愛いですよ」

 

可愛いという言葉に反応したのか、少しだけ顔を赤くして、目線を反らしながら照れくさそうな顔をする。

「可愛いだなんて、女の人に気軽に言ったらメッ、ですよ」

「気をつけます」

可愛い人だ。

本当にそう思ってしまう。

そんな雑談をしていると、テーブルに熱燗と杯が2つずつ置かれる。

俺は熱燗を1つ持つと、彼女は杯を手にする。

慣れた手つきでお酌をすると、ありがとうございますっと笑顔で応えてくれた。

今度は反対。

彼女が熱燗を持ったから、俺は杯を手にする。

彼女もまた、慣れた手つきでお酌をしてくれた。

俺もまた、楓さん同様に感謝の言葉を伝える。

 

「それじゃ」

「一週間ぶりの」

「「乾杯」」

 

零れないように気をつけながら、2人で杯をぶつけあう。

一週間ぶりか。

もう少し、行けるように頑張ろうかな。

そんな事を思いながら、今はこの飲みを楽しむことにした。

 

 

 

━━━━━━

飲み始めこと数時間。

閉店時間ということで俺と楓さんはお店を出た。

寒い夜風が温まった身体にこたえる。

 

「プロデューサー、今日はありがとうございました」

「俺の方こそ、楽しかったですよ」

 

終始和やかに終わった飲みを振り返る。

下らない雑談しかしてなかったが、飲みの席ではそれぐらいが丁度良い。

 

「ふふふっ、また飲みましょうね」

「そうですね」

 

隣に並んで歩く楓さんは少しだけ肌を赤く染めている。

たぶん、俺は真っ赤なんだろうな。

そう思うと苦笑してしまう。

俺よりも飲んでいた彼女の方が平気な顔をしているというのは、やはりどこか可笑しいと思う。

 

「プロデューサー、送ってくれませんか?

 私、飲みすぎたみたいで……」

 

猫なで声で甘えてこられる。

俺の腕を組み、身体をその腕に預けてくる。

正直に言えば、嬉しい。

でも……。

 

「楓さんならまだ平気じゃないですか。

 それに、プロデューサーにそんな甘えないでください」

「むぅ、プロデューサーにじゃなくて、あなたに甘えてるんですよ?」

 

思わずドキッとしてしまう。

でも、ならなおさら。

 

「楓さん、アイドルなんですからスキャンダルとかありますし、余り男に抱きつかないで下さい」

「じゃ、人目のつかないところならいいですか?」

「……極力止めてほしいですけど、気をつけると約束してくれるなら」

「なら、我慢します」

 

そう言うと俺からゆっくりと離れていく。

少し寂しいが、仕方がない。

彼女はアイドルで、俺はプロデューサー。

恋人ではなく、仕事仲間なんだから。

 

「ですが、送ってほしいです。

 女1人で歩くには、夜道は怖いですから」

「それぐらいなら、大丈夫ですよ」

 

もともとそのつもりだ。

楓さんとの飲みは彼女の家まで送ることも含まれている。

最近は物騒だし、アイドルを1人で帰らせるなんて危険だ。

それに、楓さんと俺の家はそこまで離れていない。

 

「プロデューサー」

 

透き通る声で呼ばれた。

どうかしたのだろうか、気になって彼女を見ると楓さんは上を見て歩いていた。

「危ないですよ、前を向いて下さい」

「星空、綺麗ですよ」

聞いてくれないのか。

そう思いつつ、俺も吊られて夜空を見る。

都会ということもあり、綺麗な星が沢山……とは言えないが、それでも輝く星がポツポツと空を照らしていた。

「私も、星になれますか?」

急な質問に、耳を傾ける。

「あんな輝く星のようなアイドルに」

「……なりましょう、一緒に」

 

俺の言葉に満足してくれたのか、満面の笑みで返してくれた。

楓さん。

頑張りましょう一緒に。

そんな気持ちを抱きながら、ゆっくりと俺達は歩いていった。

 

 

 

 

━━━━━━

楓さんと星を見て、互いの思いを改めてから数ヶ月がすぎた。

今でも週に一回は2人で飲むだけの時間を作っている。

楓さんからは不満の声があがっているけど、妥協してほしい。

でも、そんな我が儘はもう聞くことができない。

そう思うと、悲しくなってくる。

 

「プロデューサー、大切なお話があるってどうしたんですか?」

 

就業時間を過ぎ、1人事務所で佇んでいた所に楓さんが来てくれた。

大切な話をするためにメールで呼んでから数十分。

予想よりも遥かに早く来てくれた彼女は、走ってきたのだろうか肩で呼吸をし額には汗が滲んでいた。

そんな楓さんを見ると、申し訳ないと思う気持ちが湧き出るが仕方がない。

少しでも早く、伝えたかったから。

 

「すいません、こんな時間にお呼びして」

「いえ、プロデューサーの頼みでしたらどんな時でも私は来ますよ。

 プロデューサーは、私の素敵な相棒ですから」

 

クスクスと笑う彼女と話すと胸が痛む。

 

「その……楓さんに伝えなきゃいけないことがありまして」

「伝えなきゃいけないこと、ですか」

 

楓さんは笑みを消し、真剣な眼差しで俺を見つめる。

色が違う綺麗な両目が、俺の顔を映す。

 

「その、急な話なんですが転勤することになりまして」

「転勤……ですか」

 

言葉こそ落ち着いて話しているが、その顔は驚きを隠しきれていない。

そもそうだろう。

ここまで順調に仕事をしてきたと思っていたのに、急な転勤だなんて……。

理由が理由だから、納得はしたけど、それでも腑に落ちない所はある。

俺自身、その話を聞いたときは驚きを隠せれ無かったから。

 

「……とりあえず、コーヒーでも飲みながら落ち着いて今後のことを話しましょう」

 

一瞬の間をおいて、笑顔になる楓さん。

それは、俺の予想よりも遥かにあっさりとした対応だ。

なんというか、もっと悲しんでくれると思ってた。

自惚れ、だったかな。

内心苦笑をしつつ俺は彼女の提案に乗ることにした。

 

 

 

 

━━━━━━

ソファーで腰掛けていると、楓さんがコーヒーを淹れてくれた。

迷うことなく俺の隣に座ると、前のテーブルにコーヒーを置いてくれる。

 

「ちょっと熱いですのでちょっとずつ飲んで下さいね…ふふふっ」

 

何時もの冗談が何だか今日は面白く感じる。

これも、もう聞けなくなるのか。

そう思うと、やっぱり転勤が嫌になる。

 

「それで、転勤先はどちらになるんですか?」

「大阪に新しく出来る事業所ですよ。

 経験ある人が欲しいとの事で、嬉しいことに俺が選ばれたんです」

「それはもう、プロデューサーの手腕は私が保証してますから」

 

クスクスと笑いながら言ってくれと、心強い。

こうやって見送られるのは嬉しいな。

反対されたらどうしようって思ってた自分が情けなく感じてくる。

楓さんだって大人なんだ、仕事仲間が転勤でいなくなるなんて事で取り乱しはしないか。

 

「ですが、大阪ですか……お引越されるんですよね?」

「そうですね、早い内に新しい部屋も探さないといけまさん」

「私、居酒屋が近くにあるところがいいです」

「楓さんは本当にお酒が好きですね」

 

彼女らしい提案に思わず笑いが零れてしまう。

もしも、近くに居酒屋があるところにしたら遊びに来てくれるかな?

いや、アイドルが男の家に遊びに来たら問題か。

 

「ですが、大阪ですか……お仕事以外で行ったことないんですよね」

「俺もですよ。

 転勤して落ち着いたら色々と遊んでみたいなって」

「大阪っていったらお笑いとか食べ物とかで色々遊べる所がありますしね」

「そうですね」

 

微笑ましい談笑を何時ものように続ける。

楓さんと話してるとやっぱり落ち着くな。

転勤って聞いて慌ててた自分が恥ずかしくなってきた。

 

「大阪ですか、今から楽しみですね」

 

楽しみっか。

そうだよな、転勤はもう決まったことなんだし前向きに考えないとな。

 

「ふふふっ、思い切って2人で住むとかどうですか?

 そうすば居酒屋が遠くても宅飲みで楽しめますしね」

 

そうだな、2人で住めば家賃も割り勘で住めるし。

居酒屋で飲むよりも宅飲みの方が安上がりだし……?。

 

「それに、宅飲みでしたら毎日2人で飲めれますしね。

 毎日が楽しくなりますね」

 

……あれ?

なんで楓さんも大阪に行くんだ?

 

「あっ、私お酒のおつまみ作るの得意なんですよ?

 毎日プロデューサーにご馳走してあげますね。

 おつまみを2人でつまみながら毎日宅飲みですよ。

 約束ですからね、プロデューサー」

「まっ、待って!!」

 

今後の事であろう幸せ話を遮るように声を荒げる。

そんな俺の様子がおかしく見えたのか首を傾げてジッと見つめてきた。

 

「あの、楓さんは大阪には行きませんよ?」

 

この言葉がどれだけ重く響いたのだろうか。

すくなくとも、普段冷静で落ち着いている彼女が手にしていたカップを手放し床に叩き落とすぐらいの重さだったんだろう。

 

「ちょっ、か、楓さん!?」

 とりあえず、今布巾を━━━」

「待って」

 

慌てて立ち上がった俺の手を細い手が掴む。

見かけ以上に力が込められたその手には、まるで離さないという意志が強く込められてるように感じた。

普段の神秘的な笑顔をした彼女の顔が呆然とした表情に変わる。

 

「あっ、あの、もう一度、言ってもらってもよろしいですか?」

「えっと……」

 

大きく見開いた瞳が、細かぐらい揺れる。

そんなにも響いていたのだろうか。

目の前の彼女は、俺の知る冷静な彼女ではない。

少なくとも、見たことのない程取り乱した彼女の様子に言葉が出ない。

 

「プロデューサー、もう一度言って下さい」

 

か細い言葉にも関わらず、強い思いが伝わる。

俺は楓さんに目線を合わせて自由ながら手を彼女の肩に乗せる。

少しでも、落ち着いて貰えるように願ながら。

 

「俺は大阪に転勤します。

 俺だけです。

 楓さんは、ここに残ります」

「なんでですか?」

 

小さな声が静かな事務所内に響く。

楓さんはまるで何処か壊れた人形のように口元に薄い笑みを作り、首を傾げる。

綺麗なオッドアイは大きく見開かれたまま、目の前を見つめる。

これから先の未来ではなく、今だけを強く見つめているように感じた。

今、俺が傍にいるという事実だけを。

 

「プロデューサーは私の傍にいて、一緒にお仕事して、一緒にお酒を飲んで、一緒に楽しく過ごすんですよね?

 これからもずっっっっとそうやって過ごしてくれるんですよね?

 だって、プロデューサーは私の素敵な相棒ですもんね?

 なら、転勤だなんてたちの悪い冗談ですよね。

 だって、プロデューサーは私だけのプロデューサーですから。

 私と仕事もプライベートも共にしてくれる人ですもんね。

 でしたら、転勤なんてしないですよね。

 仮にそんな話が来ても断ってくれますから。

 プロデューサーは私の傍にいてくれる人ですからね。

 そう信じて傍にいたんですよ?

 私はそう信じてたから傍にいたんですよ?

 2人で毎日飲みたいのに、プロデューサーが我が儘言うから我慢して週一で妥協しました。

 本当は抱きしめたくて、抱かれたいのにプロデューサーがダメだって言うから我慢してきました。

 なのに

 ━━━なのに

 これが、その仕打ちなんですか?」

 

息つく間もなく淡々と責められる。

思いの丈を言い切ったのだろうか、楓さんの瞳から涙が零れ落ちてくる。

俺は、何も言えず何も出来ずにただ彼女の言葉を受け入れる。

 

「━━━ない」

 

だからこそだろう。

 

「━━━いらない」

 

親の敵を見るかのように、俺を見る彼女。

そんな彼女の顔に息を詰まらせる。

 

「私の傍にいないプロデューサーなんて、いりません」

 

その冷たい宣告を最後に楓さんは事務所から逃げるように走り出す。

足音が遠くなり扉が勢いよく閉まる音を最後に事務所は再び静かな空間とかした。

 

……楓さん、ショック受けてたな。

あんな顔を見るのも、あんな事を言うのも始めてみた。

普段の落ち着いた彼女とは思えない、かけ離れた様子に何も言えなかったな。

 

目の前に広がる割れたカップを見つめる。

 

……後片付けして、帰ろう。

 

目の前から過ぎ去った現実から目を反らすように俺は後片付けを始めた。

 

 

 

━━━━━━

あれからの話をしつつ、今の話をしていこう。

楓さんは、あれ以来口を聞いてくれなくなった。

結局まともな挨拶も出来ないまま、俺は大阪に転勤することになった。

大阪に来てから早くも数ヶ月。

俺は楓さんの次の相棒……今担当しているアイドルと共にトップアイドルを目指している。

何処か寂しさを感じつつも、それでも仕方がないと割り切る。

それに、プロデューサーとして働いていたら何時かはあえると思うし。

その時は、口を開いてくれるといいな。

楓さんが映る番組やcmをみる度に、会ってちゃんと話をしたいって思ってしまう。

最後の彼女の顔が、忘れられないから。

 

そう思っていたからこそだろうか、俺は彼女と会える機会を得た。

 

それは、所謂ファン感謝祭だった。

事務所の売れているアイドル達と新人アイドル達と共に行うこのイベントで、俺達が出ることになった。

そして、売れているアイドルとして楓さんも。

だから、会えたら話をしよう。

そう思っていた。

 

「それじゃ、頑張ってね」

 

舞台袖で緊張してる彼女に優しく言い掛ける。

その言葉に対して静かに頷く彼女。

そんな彼女のステージへと上がっていく後ろ姿を目に焼き付ける。

まだまだ売り始めてから日が浅い彼女。

名も余り知られていない彼女の存在を大きく売り出すこのチャンス。

頑張ろう。

その思いだけで、その言葉だけで胸が埋まる。

だからこそだろう。

俺は、背後に立っていた彼女の存在に全く気づかなかった。

 

「はじめまして」

 

聞き慣れていた声での挨拶は俺の予想を大きく逸らした言葉。

 

「……楓…さん?」

 

間違えるはずがなかった。

聞きたかったその声の主を。

だからこそだろう。

はじめまして

その言葉に驚きを隠せない。

恐る恐る後ろを振り向くと綺麗な営業スマイルを浮かべて俺を見つめる楓さんがそこにはいた。

 

「楓さん、はじめましてって何を━━━」

「以前お会いしたことがありましたか?それは失礼しました」

 

気持ちのこもっていない淡々とした口調のまま頭を下げられる。

 

「いや、だって俺は」

「あの子のプロデューサーですか?」

 

頭の中をかき回な疑問の波を抱く俺に目も向けず、楓さんは俺の横に立つとステージで歌う彼女を見つめる。

何を考えてるか、何を感じているのか読ませないような横顔で。

まるで、始めてあった彼女のような神秘的な雰囲気を醸し出すその横顔で。

 

「素敵ですね」

 

……そっか。

そこで俺は始めて理解する。

この状況に。

彼女の内心に。

 

いらない、か。

 

もしかしたら、楓さんは俺のことを忘れたがってるのかもしれない。

きっと、忘れたがってるんだろう。

なら、俺は。

 

「はい、つい先日デビューしたんですよ」

 

楓さんと共に彼女を見つめる。

必死に歌い、踊る彼女を。

 

「そうですか、なら私も先輩としてお手本を見せるように頑張らないといけませんね」

「勉強させて頂きます」

 

横目で楓さんの顔を見る。

綺麗な微笑みが少し恋しく感じる。

でも、それはもう俺に向けられないのだろう。

そう思うと胸を締め付ける。

 

「そうだ、実は急遽出演順番に変更があったことを伝えに来たんですよ」

 

手を叩きわざとらしく切り出した彼女。

出演の変更?

そんな話は確かに聞いていない。

 

「私の出番が早くなりまして、次は私の番になることになりました」

 

楓さんが次をやる?

俺は手帳を取り出して今回の出演順番を再確認する。

楓さんはもう少し先の出番。

それは、俺の記憶通りだ。

 

「なので、お手本になるように頑張りますから」

 

手帳のメモを修正しつつ彼女の言葉に耳を貸す。

 

「そこで、見ていて下さいねプロデューさん」

 

プロデューサーさん

その言葉に思わず手が止まる。

優しい微笑みが真っ直ぐに俺を見つめる。

それは、以前の彼女が向けてくれていた笑顔。

恋しく思っていた笑顔。

 

「楓さん━━━」

 

か細い声が大きな歓声に飲まれ、消えていく。

静まっていく歓声と共に彼女が俺の元へと戻ってくる。

入れ替わるように楓さんはステージへと向かって歩き始める。

まるで、俺の元から離れるように。

 

「……お疲れ様。次は楓さんの番だから見ていかない?」

 

そんな彼女の後ろ姿に視線を注ぎつつ俺は思ったことを口にする。

楓さんは今の彼女……デビューしたての彼女にとってきっといい勉強になる。

そんな彼女のステージを間近で見れる機会。

共に歩んでいた彼女の姿を改めて見守れる機会。

俺としても、彼女としてもこのステージを近くで見学出来るというのはためになる話だ。

だからこそ、俺達は舞台袖で楓さんのステージを見守っていた。

見学していた。

して、しまった。

 

 

 

━━━━━

結論から話すとしよう。

楓さんのステージは……素晴らしかった。

俺が傍にいたころよりも数段レベルがあがったパフォーマンス。

声だけで聞くものを魅了する歌声は更に透き通った美声となり、ファンを含めた観客達はその声に聞き入り。

真新しいドレスを着こなした姿で、ゆっくりとしたダンスを躍り、その一挙一動に誰もが目を奪われる。

そんな、素晴らしいステージを俺達は傍で見ていた。

さっきまで彼女を包んでいた声援を遥かに越える賛美の言葉の嵐が楓さんを包みこむ。

間違いなくその日一番のファンからの暖かい言葉達。

その日一番の興奮。

そんなステージになった。

 

結果から見たら、感謝祭は成功した。

楓さんのお陰……とまでは言えないが、それでも一番貢献したのは楓さんだろう。

同じプロダクションの人間として嬉しい限りだ。

ここまでは。

 

俺が担当している彼女は、この舞台で……いや、あのステージで何かを感じたんだろう。

それはきっと、トップアイドルとしての壁の高さ。

自分ではあんなステージを作れない、演じきれないという不安。

当然だ。

デビューしたての彼女が間近であんなステージを見たんだから。

こうなるなんて考えてなかった。

先輩の後ろ姿を見て、目的を見つけて少しずつ段差を登っていこうという意識をもってほしかっただけなんだ。

だからこそ、この結果は予想もしてなかった。

あんなに凄いステージを見せつけられるなんて。

それを、彼女に見せてしまうなんて。

今の彼女には早すぎる。

だからこそ

だからこそ、彼女の決断を止めれなかった。

 

退職願い

 

それは、感謝祭が終わって数日後に突きつけられたもの。

それは、彼女の決断。

必死に止めた。

でも、駄目だった。

どれだけレッスンをしても、何回ステージに立ってもあんな風になれる気がしない。

そう伝えると、彼女は俺の元から去っていった。

強く引き留めることはできなかった。

かける言葉が見つからなかった。

 

そんな無力な自分から目を反らすように俺は自宅近くの居酒屋に逃げ込んだ。

ゆっくりと久々の酒を味わいつつ周りの雑音に耳を傾ける。

テレビを見ながらアイドルの話をしているサラリーマン達は自分達の好きな娘の話で盛り上がっていたから。

出される名前はよく聞く名前もあれば、聞き覚えがない名前まで様々だった。

そこに、彼女の名前はなかった。

サラリーマン立ちの後ろ姿を眺めつつ、狭いテーブルを埋めるように置かれた料理を口にする。

頼みすぎたかな。

少し後悔しつつも、寂しさを誤魔化すように淡々と食べ始める。

料理の味がわからない。

落ち着かない。

傍にいた人が唐突に離れるのはこんなにも悲しいことなんだろうか。

寂しいんだろうか。

俺は……

俺は楓さんにこんな気持ちを与えたのだろうか。

 

頭の中が楓さんの顔で埋め尽くされる。

二人で飲んでる時の楽しそうな笑顔。

会える時間が減ったことに落ち込む姿。

失敗して落ち込んだ時の後ろ姿。

急な別れに動揺していた姿。

そして

久々に再開した時の姿。

 

そこまで長い付き合いではない。

それでもたくさんの思い出があった。

そんな、彼女の事を思い出していた時だ。

 

「ご一緒してもいいですか」

 

聞き覚えのある優しい声が舞い降りる。

慌てて顔を上げるとそこには笑顔の楓さんがいた。

 

「え……え?」

事態を飲み込めず頭を真っ白にした俺を置き去るように彼女は対面の席に座り、早々にビールを頼む。

「か、楓さん!?」

「はい、貴方の楓ですよ」

子供をあやすような優しい微笑みはどこか懐かしく感じる。

その冗談めいた口調も、様子を細かく観察しているような眼差しも。

全て、俺が知ってる楓さんのもの。

もう、見られないと思っていた楓さんのもの。

 

「プロデューサーさんがフリーになったと聞いたので、スカウトに来ました」

 

目の前の光景に驚愕している俺を置いて彼女は語る。

 

「どうですか、また私と一緒にお仕事しませんか?」

優しい口調で出された条件は今の俺からしたら喉から手が出るような程魅力的に感じた。

楓さんとまた仕事ができる。

それは、俺が棄てたモノをまた得ることができると言うこと。

「事務所にもお願いはしてきました」

優しい微笑みはまるで女神のように俺を見つめる。

「どうですか、プロデューサーさん」

彼女の言葉に不安を感じない。

もしかしたら、どこかで確信してるのかもしれない。

俺が、肯定することを。

それもそうか。

俺が否定する理由もない。

でも、それは。

 

「俺は、楓さんを棄てたんですよ?」

「プロデューサーさんは自分の仕事を全うしたたけで、私を棄てたんじゃありません」

「俺のこと嫌いになったんじゃないんですか?」

「そんなことありませんよ、今も昔も大好きです」

「俺は……」

「プロデューサーさん」

 

彼女は真っ直ぐに瞳をみる。

綺麗な瞳で。

歪みない瞳で。

 

「私はプロデューサーさんの事を愛してますよ、今も昔も変わりなく。

 永遠に、ずっと。

 愛してますから。

 だから、プロデューサーさんしだいですよ。

 私を嫌うか、私を愛すか、ね」

 

言い終わると満面の笑みを向けられる。

卑怯な人だ。

楓さんを嫌いになるはずがない。

だから━━━

 

「俺でよければ、あなたのプロデューサーにさせて下さい」

 

言い終わると彼女は満足気に頷く。

それと同時に彼女の前にジョッキが置かれた。

お互いに目の前のジョッキを手に取り、静かに乾杯をした。

これからもよろしく

そう思いを込めて。

 

 

 

━━━━━━

後日談、というか1人のアイドルの話し。

彼女、高垣楓のアイドルとしての人生は短いものだったと思う。

トップアイドルとまではいかなかったが、それでも国民的なアイドルとして周りに認知される程度には有名になった彼女の最後は、幸せなものだった。

結婚

その二文字か彼女のアイドルとしての最後。

相手はプロデューサーである俺だ。

もちろん、そんな事を世間に言えるはずがなく……。

相手は伏せてもらっている。

初めは断っていたモノの楓さんは結婚しないと死んでやると本気の目をして言ってきて……なんて言い訳はまた、語るときがきたら語るとしよう。

楓さんはアイドルを止める。

それは、彼女の意志だ。

自分を見つめる人は1人でいいから。

そんなことを言っていた。

 

俺はプロデューサーとしてまだ仕事をしている。

楓には余りいい顔をされないけど……。

玄関に立つと楓はそそくさと俺の元に来る。

笑顔で俺のネクタイをキツく締める。

まるで、逃げられないと言わんばかりに。

困った笑顔をすると、それとは対照的に嬉しそうに微笑む彼女は俺に小さく手を振ってくれた。

薬指にある指輪を見せつけるように。

そんな彼女に思わず笑みがこぼれる。

 

ただ一言、行ってきますと伝えると綺麗な声で返事をくれた。

そんな日常の為に、今日も頑張ろう。

キツく締められたらネクタイに触れながらただただ笑顔を零した。




少しばかし忙しくて更新が大分遅くなりました。すいません。
次は何を書こうか……何かリクエストがあれば活動報告にリクエスト募集してますので記入してくれると幸いです。


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Fate/シリーズ
病みつきセイバー


朝、俺は起きて何時ものように朝食を作る。

俺しかいない家には不釣り合いな量の朝食を――――

朝食を作り終わると同時にチャイムが鳴る。

……何時もと同じ時間だな。

俺は玄関に向かい扉を開けた。

「おはようございます」

そこには、俺が通っている学校の制服を着た彼女――――セイバーがいた。

セイバーはここ最近毎日のように我が家に訪ねてくる。

俺が学校の時も俺の家にいて、夜になると士郎の家に帰る。

最近では帰る時間も長くなり、何もない日は1日のほとんどを我が家で過ごしている。

「おはようセイバー、朝食出来てるよ」

「そうですか、では早速いただくとしましょう」

俺はセイバーを家に入れると食卓に着く。

――――最近は毎日この調子だ

まぁ、誰かが傍にいるのは嫌じゃないけど。

―――――

「おかわりをお願いします」

そう言って茶碗を差しだしてくるセイバー。

「わかったよ」

やれやれと言った感じで応えて俺はセイバーの茶碗を手にする。

「今日は何処かに出掛けないのですか?」

唐突に聞いてくるセイバー。

今日は祝日のため学校は休みだ。

「予定はないし、家にいようかな」

祝日なのに予定がない。

寂しい人間だな、俺。

「それでしたら、デートとやらに行きましょう」

デート?

俺が理由を聞こうとするとセイバーは口を開く。

「勿論、貴方は付いて来てくれますよね。

 私が誘ってるんですから、貴方が断る理由が無い。

 デートとは彼氏彼女の関係にある者達が行くものなんでしょう?

 でしたら、私達は行くにふさわしい場所ではないですか。

 私達のような好きあってる者達が行くべき場所なんでしょう。

 ですから、貴方も来てくれますよね。

 最も貴方の優先順位は私がトップなんでしょうから、予定があってもそれを断りますよね」

……どうやら、デートは強制らしい。

行くっつっても……

「デートに行くとしてもさ、何処に行くの?」

「何を言ってるのですか、デートに行くに決まってます」

……えっ?

セイバーは真面目な顔つきで俺の目を見ながら言う。

「なぁ、セイバー」

「何ですか?」

首を傾げながらも真っ直ぐ俺の目を見るセイバー。

不覚にも可愛いと思ってしまった。

「デートって何なのか知ってるか?」

「好きあってる者達が行く場所のことでしょう」

「……どんな場所か知ってるか?」

「知りません。

 ですが、私は貴方に全てを委ねてますから不安ではありません。

 私は知りませんが貴方なら知っていると思いました。

 ですので、全て貴方にお任せします」

……なるほど。

まぁ、セイバーの口からデートなんて単語が出たことに軽く驚いたけど、やっぱり知らないか。

「セイバーはデートを何処で知ったの?」

「凛が読んでいる雑誌です」

雑誌を読んでだいたいは理解した……って感じかな?

「いいかいセイバー、デートっていうのは場所じゃないんだ」

「なっ! それではデートに行けないじゃないですか!?」

「デートってのはね、付き合ってる者同士の人達が何処かに出掛けることを言うんだ」

「つまり、私と貴方が何処かに出掛けたらその時点でデートになるんでしょうか」

「……付き合ってる者同士ならね」

「それならば、先ずは何処に行くのか決めましょうか」

セイバーはそれだけ言うと手を差し出す。

「その前にまずはおかわりをください」

「……はいはい」

ため息混じりに返事をしながら、俺はセイバーを見る。

――――今日は穏便には終わりそうにないな

そんな不安を抱きながら。

―――――

その後、セイバーが制服姿ということで俺も制服に着替え、彼女と共にデートを行うことにした。

といっても、俺もデートスポットだなんて余り知らない。

無難に行くしかない。

つまり――――

「ここは遊園地……ですか?」

「まぁ、そうだね」

遊園地

カップルが行くなら無難な場所を選んだつもりだ。

といっても、ここは俺の家から少し離れた場所にあり、遊園地といっても小さめだ。

俺は周りをキョロキョロと見回しているセイバーに聞いてみる。

「セイバーは遊園地に来たのははじめて?」

「はい。 話は士郎や凛から聞いたことはあります」

……まぁ、そりゃそうか。

セイバーは聖杯戦争というのに関わっていたらしい。

らしいと言うのは、それは士郎から聞いたことで、俺がセイバーとこんなふうになる前には終わっていたことだからだ。

……まぁ、ゆっくりする暇もなかったんだろうな。

士郎からセイバーのことは軽く聞いている。

かつての英雄だとか

サーヴァントだとか

どれも信じれないものばかりだ。

「遊園地ってのはね――――」

でも、全てが本当だと言うのなら――――

俺は今ぐらいはセイバーを普通の女性として接してあげたいな。

―――――

「次もあれに乗りたいです!」

そう言ってセイバーが指差したのはジェットコースターだ。

小さい遊園地だからと舐めてかかったら見事にやられてしまった俺とは違いセイバーは再度乗ろうとする。

俺はベンチに腰掛けながらゆっくりと首を横に振る。

「次は、違うのに乗ろう」

「駄目です。

 貴方は私の言うことを聞いてください。

 私の傍で私の言葉だけを聞いてください。

 私はあれに乗りたいですから、貴方もそれに付き合ってもらいますよ」

そう言うと俺の手を取り無理やり立たす。

……英雄は我が儘なのが多いのか?

そんなイメージがある。

俺がどうやって断るか考えていると子供の泣き声が聞こえた。

「どうかしましたか?」

「悪いセイバー、少し待ってて」

「……あっ」

俺はセイバーから離れると子供に近づく。

「どうしたの?」

子供は俺を見るとすぐに俯く。

「お母さんとはぐれた……」

……迷子かな

「それじゃ――――」

俺は周りを見渡すと係員を見つけた。

……探してあげたいけど、セイバーを待たせるわけにもいかないよな。

俺は係員を呼び、子供を任せ、セイバーの元へと戻った。

「ごめん、セイバー」

「私よりもあの子供のほうが大事ですか?」

俺が口を開くと同時にセイバーは言った。

「……ごめん」

謝罪の言葉を聞くと彼女は再度俺の手を取る。

「次は離しませんよ。

 貴方が私の傍から離れると言うなら、私は貴方の四肢を切り落としてでも阻止します」

セイバーは真顔で言うと俺の手を引っ張っていく。

「貴方は私だけを見てればいい」

セイバーの言葉を聞きながら、俺は彼女に付いていった。

―――――

遊園地に来て早数時間、日も落ちかけてきた。

「そろそろ帰る?」

セイバーはそれを聞くと脚を止める。

「まだ帰るには早いのでは?」

「そうなんだけど……さ」

セイバーは見た目に反しよく食べる。

そんなセイバーの晩飯を作るのは俺だ。

今から家に帰り、途中でスーパーに寄ろう。

買い物はセイバーにも手伝ってもらおうかな。

セイバーの晩飯を作り終える時間を考えるとそろそろ帰りたい。

「……1ついいですか」

俺はセイバーの方を見る。

「最後はあれに乗りたいです」

そう言ってセイバーが指差したのは――――

―――――

「これはどういう乗り物なんですか?」

「知らずに乗ろうって言ったんだ」

目の前の席に座るセイバーに苦笑いを浮かべる。

「観覧車は乗ってるだけでいいんだよ。高いところから街を見下ろすんだ」

そう言うとセイバーは窓ガラスから冬木の街を見下ろす。

「セイバーはなんで観覧車に乗りたかったの?」

何でセイバーは知りもしない観覧車に乗りたかったんだ?

「この間、凛が見ていたドラマにこの乗り物に乗っていたので」

ああ、なるほど。

……待てよ、ドラマで見たってことは――――

「何故私から離れるのですか?」

俺がセイバーから少しでも距離を取ろうとしたところを彼女に肩を掴まれた。

「何故私から離れようとしたんですか?

 貴方が私から離れようとする理由がわかりかねますが……」

セイバーは俺の両肩を強く掴むと俺を押し倒す。

やっぱり――――!

頭を床に強く打つ。

倒れた俺にセイバーは馬乗りする。

「これで私から逃げれませんね。

 貴方は私の言うことを聞いて、私の傍にいればいいのです。

 それが、今の私の幸せです。

 愛する人が幸せなら貴方も幸せですよね。

 私は貴方が幸せなら幸せです。

 貴方も私が幸せなら幸せですよね。

 私も貴方も互いに傍にいたら幸せですね。

 違いますか?」

セイバーはそう言うと立ち上がる。

「そろそろ地上に着きます」

そう言うとセイバーは倒れている俺に手を差し出す。

「どうしました?」

優しい笑みを浮かべるとセイバーは俺の手を取ると、引っ張る。

「……ありがとう」

「お礼なんて言わなくてもいいですよ。

 貴方のためになるなら私は何だってするんですから」

セイバーが言い終わると観覧車の扉が開く。

セイバーが俺の手を取ったまま歩きだす。

「今から行きたいところがあります」

此方を見ずに、黙々と彼女は言う。

「着いてきてください」

セイバーは強く言う。

そんな彼女の言葉に俺は拒否することもできずに、ただ着いていった。

……拒んだら、どうなるかわからないから

―――――

セイバーに着いていくと、見覚えのある場所に着いた。

「ここっ……」

「大河の道場です」

そう

ここは、士朗の家にある道場だ。

お互いに制服のまま道場の中心に立つ。

「今日、士朗と大河は出かけていて帰りが遅いとのことです」

そう言うとセイバーは何処からか取り出した竹刀を俺に向ける。

セイバー……?

俺が口を開くよりも早く彼女は手にしていた竹刀で俺の右手を叩く。

――――ッ!

右手に激痛が走ると、俺は両膝を床に着けて彼女を見る。

「セイバー、どうして――――」

「私の手を手放した手はどちらでしょうか。

 どちらにせよ、貴方には少しきつめのお仕置きをせねばなりませんね。

 彼女たる私の手を手放した罪は重いですよ」

そう言うと左手も右手同様竹刀で叩く。

「セイバー!?」

両手に走る激痛に耐えながら俺は彼女の名前を叫ぶ。

そんな俺を恍惚とした表情で見てくるセイバー。

「あぁ、貴方のそんな顔も素晴らしい」

そう言うとセイバーは俺の両頬に手をあて押し倒す。

「貴方の笑みも好きですが、貴方の苦痛に歪む顔も大好きですよ。

 貴方がその顔をしていると貴方が私しか見ていないというのが実感できますから。

 ……貴方が私だけを見てる

 幸福です」

セイバーはそれだけ言うと顔を近付ける。

「貴方が私以外を見ないようにしないといけませんね」

そう言うと彼女は動けない俺に無理矢理――――キスをする。

「貴方は私以外見なくてもいいんですよ」

セイバーは何を考えてるんだ……?

「私が貴方を正しき道へと導いてあげますから。

 何も心配はいりません。

 貴方はただ、黙って私の傍に居ればいいのです。

 私はそれだけしか望みません。

 それ以外のことは何も要求しません」

セイバーの考えてることをよくは理解できない。

――――でも

「お願いです。

 何時までも私の傍にいてください。

 何時までも私の言葉を聞いてください。

 何時までも私の手を取っていてください。

 何時までも――――

 私だけを見ていてください」

セイバーの思いはわかる。

「セイバー」

俺は短く彼女の名前を呼ぶ。

彼女はきっと、どうしようもないぐらい俺のことが好きなんだろう。

――――だったら

「俺はセイバーの傍にいるから」

なるべく優しく言う。

「だから、こんなことやめよう。

 こんなことされなくても、俺はセイバーのことを見てるから」

セイバー見たいな彼女に好かれるのは光栄なことだ。

……そう、思っておこう。

「本当に見ていてくれますか」

セイバーは確認するように言う。

「セイバーが俺の傍にいてくれるなら」

俺が言うと彼女は優しく笑みを浮かべ、顔を近付ける。

「でしたら、間違いないですね――――」

セイバーは俺と2度目のキスをした。

「私から貴方の傍に離れることはありえませんから」

そんな彼女の言葉を聞きながら、俺は彼女を見る――――

――――軽い後悔を胸にしながら

―――――

後日談というか、少し後の話し。

道場での出来事が終わり、自宅に戻るついでにスーパーによったあとおそめの夕食を作り今は彼女と夕食を食べている。

セイバーの行動がエスカレートするのを防ぐためとはいえ、彼女に言った『嘘』

『セイバーの傍にいる』

確かに俺はセイバーの傍にいてもいいと思っている。

でも、あんなことをする彼女の傍に居続けれるのかな――――

そんな悩んでいる俺にセイバーは茶碗を差し出す。

……まぁ、案外傍に居続けれるかもな。

そんなことを思いながら、俺は彼女の茶碗を受け取った



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病みつき赤セイバー


 『このチョコには全て毒を盛った』

 バレンタインの少し前の日にセイバーは少年に要求する。

 それは、バレンタインの趣旨に反することで

 その行動は少年を納得させるに至ることだった。



※病みつきセイバーとは関わりはありません

恋愛に甘美な毒は必要悪


「余はそなたに言いたいことがある!」

 

家に帰ってきて真っ先に聞こえたのは、彼女の不満そうな声だった。

 

「ただいまセイバー」

 

「そなたに命じる」

 

彼女――――セイバーは俺を無視して俺を指差す。

 

「そなたは余のために今すぐにチョコレートを作るのだ!!」

 

……えっ? チョコレート作りを命じる?

 

「チョコレートを作るのだ!!」

 

セイバーにとっては、俺がチョコレートを作るのは2回言うほど重要なことらしい。

 

……とりあえず

 

「詳しい話を聞かせてくれよ」

 

まぁ、話を聞いてからだな。

 

 

 

 

 

―――――

 

俺とセイバーはソファーに腰掛ける。

 

セイバーはテーブル越しに俺の対になる場所に座っている。

 

「そなたはバレンタインという行事を知っているか」

 

バレンタイン

 

日本人なら誰しもが知る行事の1つだろう。

 

そのため説明は省かしてもらうとしよう。

 

「勿論、知ってるよ」

 

「ふむ、そうか」

 

満足気に首を縦に振るセイバー。

 

そんなセイバーを見て思い出した。

 

セイバーはサーヴァント……だっけ?

 

俺は詳しい話は聞いてないから、詳しくは知らないんだけど……確か昔の英雄とかなんとか。

 

そんなセイバーがバレンタインという行事を知らなくても不思議じゃない。

 

知らなかったら不思議じゃない。

 

でも

彼女は知ってる

バレンタインという行事を

1年で数回あるリア充共のテンションが最高潮になる1日を

セイバーは

知っていたんだ。

 

「余はバレンタインというのを奏者から聞いてな」

 

奏者というのは、俺の友人のことだ。

セイバーとはそいつが切っ掛けで知り合うことができた。

 

「そなたには余と共にこのバレンタインというのを行ってもらう」

 

……バレンタインを強いられてるんだ。 とでも言えばいいのか?

 

とにもかくにも、今はセイバーの話を聞こう。

 

「だから余のためにチョコレートを作れ」

 

「待ってくれ」

 

聞く意味がなかった。

 

どうやらセイバーはバレンタインの趣旨を誤解しているらしい。

 

全く教えるならちゃんと教えてやれよな。

 

いや、今は逆チョコというのも流行ってるらしいし、これでも合ってるのかな?

 

「バレンタインってのはね、女が男にチョコレートを上げることを言うんだよセイバー」

 

「それぐらい既に知っておる」

 

知ってるんだ。

 

ならなんで俺にチョコレートを作らせるんだ?

 

「余がそなたにチ、チョコを上げるのは……その……納得がいかないのだ!!」

 

納得って

なんだよそれ。

 

「余は誇り高き英雄でそなたはただの凡人。 どう考えてもそなたが余にチョコを献上すべきだ」

 

いやいやいやいや。

それバレンタインじゃなくなるから。

献上する時点でバレンタインじゃないから。

 

でも断るわけにはいかない。

きっと断ったら彼女はヒステリックに暴れだすのだろう。

 

だから

 

「わかった。 頑張るよ」

 

諦めたように俺が言うとセイバーは満足気な笑みを浮かべる。

 

「そうか、なら」

 

ガシャ

 

何か鍵が締まったような音がすると同時に首元がやけに冷たくなる。

 

「そなたはチョコ作りを終えるまでこの家を出るな」

 

俺の首には金属製の首輪が付けられていた。

 

「余が満足するまでそなたはここから出さぬ。

 いや、満足してもバレンタインが終わるまでは出さん。

 バレンタインになるとそなたに近づこうとする不届き者がチョコを渡しにくるだろうからな。

 余が目を離しているうちにそなたがチョコを受け取る

 そんな事実を未然に防ぐためにもそなたはここから出るな。

 いや

 余が出さぬ

 そなたを手放すような真似を余はしない

 絶対にな。

 そなたが余以外に興味を示さないように

 余がしっかりしないとな。

 先ずは――――

 そなたの視界に余しか写さないようにしなければな。

 今回はその予行練習だ。

 満喫するがよい」

 

セイバーは俺を愛おしそうに見る。

 

恍惚とした顔で

じっくりと見てきたら

彼女は俺に背を向けて、黙って歩きだした。

 

……もしかしなくても

 

これって監禁だよね?

 

こうして、俺の変わったバレンタインに入る準備が整ったわけだ。

 

……整っちゃったわけだ。

 

 

 

 

 

―――――

 

今日はバレンタイン前日……らしい。

 

先ほどセイバーが俺にそう言っていた。

 

セイバーはチョコ作りに必要なモノを買ってきてもらっている。

 

ほら、俺はさ家から出れないから。

 

セイバーが帰ってくるまでの話を軽くしておこうか。

 

ずっと家でセイバーに世話をしてもらいながら生活していた。

 

といっても、セイバーに頼んだのは買い物だけで後は全部俺がやった。

 

家から出れないだけで特に変わったことはなかったな。

 

監禁……と言えば聞こえは悪いが、これは彼女なりの愛情表現なんだろう。

 

何でもやるから自由を寄越せ

 

彼女は俺に何でも与えてくれる。

その代償は俺の自由

 

重い等価交換だな。

 

でも

 

その等価交換には彼女の思いがある。

 

彼女の愛情が

 

「ただいま帰ったぞ」

 

セイバーは俺の前に材料が入ったエコバッグを置く。

 

「さぁ、早速余のためにチョコを作るがよい」

 

……やれやれ

 

彼女の思いに応えれるように頑張らないとな。

 

 

 

 

 

―――――

 

「……そなたは、料理が上手いな」

 

「そう?」

 

キッチンで手際よくチョコを作っている俺の隣にいるセイバーが突然言い出した。

 

「後はどれくらいで完成するのだ?」

 

「冷やすだけだよ」

 

俺は冷蔵庫にチョコを入れる。

 

後は時間の問題だな。

 

「……バレンタインは明日か」

 

セイバーは憂いを帯びた顔つきで言う。

 

「バレンタインというのは、愛し合っている者同士のイベントだったな」

 

「……セイバー?」

 

「そなたは――――

 そなたは、余を……」

 

セイバーは黙ると突然自身の両頬を強く叩いた。

 

「……余は何を弱気になっている」

 

「ど、どうしたのセイバー?」

 

「なに、そなたが余のことしか考えられないようにすればどうすればいいのか考えていたのだ。

そなたは余のことを思うだけで充分だ。

 それ以外のモノはそなたには必要ない。

 余以外を求めようとする腕

 余以外の輩に合おうとする足

 余以外の者に助けを呼び掛けようとする口

 余以外のことを考えようとする頭

 全ていらぬ。

 不必要なのだ。

 そうであろう。

 そなたに必要なのは余のみだ。

 余以外のモノがあるから、余は不安になる。

 余以外の

 余以外に関わろうとするその腕が足が頭が口が体が目が

 ……不必要だ」

 

セイバーは重々しく言う。

 

その手には、既に彼女の剣が握られていた。

 

「余を不安にさせるモノなど、全て不必要だ!!!!」

 

彼女の怒涛の叫びを聞くと共に

 

俺は極度の痛みを感じて直ぐに意識を手放した。

 

 

 

 

 

―――――

 

うっ……ん……ん?

 

ぼやけた意識の中で周りを見渡す。

 

どうやら俺は寝室にいるらしい。

 

セイバーが運んでくれたんだろう。

 

服は斬られたままだ。

 

服の上からでもわかるぐらい彼女は俺の傷口に包帯を巻いてくれていた。

 

右下腹から左肩までの一直線に斬られたのか、包帯は丁寧にだが、不器用さを感じるように巻かれていた。

 

「……不安」

 

不安

セイバーは何度もその言葉を口にした。

 

きっと彼女は不安なんだ。

 

彼女の生い立ちを見たら明らかだ。

 

彼女が

セイバーが人の―を疑うのも明らかだ。

 

だから

だったら

 

わからせよう。

セイバーに俺なりの

―をわからせよう。

 

俺は痛む体に鞭打って、キッチンに向かった。

 

彼女の驚く顔に期待しながら

 

 

 

 

 

―――――

 

「た、ただいま帰ったぞ」

 

セイバーはどこか不自然な態度で俺の部屋に上がり込んだ。

 

「……昨日はすまない」

 

「いいよ、手当てもしてもらったし文句ないよ」

 

俺はセイバーの手を取る。

 

「そんなことより」

 

「そんなこととはなんだ!?」

 

セイバーは俺の手を振り払う。

 

「余はそなたを斬ったのだぞ!?

 無害なそなたを

 味方であるそなたを

 余は愚かにもそんなそなたを斬った。

 斬ってしまった

 そなたに何を言われても、何をされても文句は言えないのだ。

 余は

 余は

 そなたに嫌われるようなことを……

 愚かにもしてしまった」

 

セイバーはセイバーなりに反省しているらしい。

 

……当たり前

とは言いがたいかな。

彼女の性格的に余り深くは考えてないと思ってたけど、どうやら俺の思い違いだったらしい。

 

「セイバー」

 

俺はセイバーの手を再度取る。

 

彼女は俺を黙って見る。

 

無言にただ俺の反応を見るかのように

 

静かに見てくる。

 

「俺は別にセイバーに斬られても文句はないよ」

 

だって

だってねセイバー

 

俺は

俺は

 

「俺はセイバーのことが大好きだから」

 

セイバーをそれを聞いて赤面する。

 

「だからね、大好きなセイバーに何されても文句は言わない。

 大好きなセイバーのためならなんだってする。

 大好きだから。

 愛してるから。

 俺はセイバーのことが好きだから」

 

セイバーは赤面した顔を俺に見られたくないためか俯いて顔を隠す。

 

「ずっと……不安だったのだ。

 そなたが余のことを愛してないんじゃないかと。

 あの時の市民達のようにそなたから感じる愛も嘘偽りなのではないかと

 ずっと不安だった。

 ただ余の我が儘な愛

 愛するモノのためなら全てを差出し

 愛するモノの全てを奪う愛。

 愛し愛される喜び

 余はそれを知ることは出来ていない。

 だから

 この愛もまた

 ただの一方的な愛

 ただそなたを苦しませるだけの愛

 そうなるのではないかと

 そうではないかと

 ずっと思っていた」

 

不安

セイバーの真名

そして、彼女の過去

 

これだけのヒントを貰ったんだ。

答えを出すのは簡単だった。

 

彼女は最後まで愛する市民を信じていた。

でも市民は何もしない

何もしなかった。

 

愛する市民に裏切りに似た行為をされたセイバー。

 

彼女だって思ったのだろう。

 

愛されていたのではないか

 

……とどのつまり、彼女は自分からの愛しか信じれなくなった。

 

他人からの愛を疑うようになった。

 

だから

 

不安

 

自分が愛する人を

愛する人も自分を

 

本当に愛しているのか

 

そう不安になった。

 

だから、考えたのだろう。

 

俺の世界にある人がセイバー1人になったら

 

そしたら

 

俺はセイバーを愛すしかなくなる。

 

「セイバー」

 

俺は優しく彼女を抱き寄せる。

 

「俺は何時だってセイバーのことを愛してるよ。

 心の底から

 誰よりもね」

 

「余も

 余もそなたを愛しておるぞ。

 何よりも

 そなたを」

 

俺とセイバーはどちらかとも言わずに

 

顔を近付けて

 

キスをした。

 

 

 

 

 

―――――

 

「はい、バレンタインのチョコ」

 

俺はセイバーにハート型のチョコを手渡しした。

 

恥ずかしかった。

夜中にハート型のチョコを作るのは中々に恥ずかしい作業だった。

 

セイバーはチョコを受け取るとポケットから何かを取り出した。

 

「バレンタインは女が男にチョコを渡す行事だ」

 

セイバーは俺にチョコを見せつける。

 

「セイバーの手作り!?」

 

「余は料理を余りしない。

 だから市販のチョコに一工夫加えたのだ」

 

セイバーはチョコを箱から取り出す。

 

どうやら箱の中には何個か小さめのチョコが入っているらしい。

 

「このチョコには全て毒を盛った」

 

セイバーは淡々と言う。

 

「死に至るほど強力なものではないが、食べたら――――」

 

俺はセイバーが摘んでいたチョコを食べた。

 

「な!? よ、余の話をきかぬか!?」

 

「死に至らないならいいよ」

 

慌てているセイバーも可愛いな。

 

「毒を盛ったチョコを食べさせて、次は解毒剤を飲ませるんだろ? 幼い頃から母親に逆らえないようにやられていたパターンだ」

 

「むっ!?」

 

「俺がセイバーのことで知らないことがあると思うなよ」

 

……やばい、頭痛が

 

「さぁセイバー、解毒剤を」

 

「やらぬ」

 

……えっ

 

「余の話を聞かぬそなたに解毒剤はやらぬと言っている」

 

「ちょっ! セイバー!?」

 

「今日は頭痛に悩まされているといい」

 

「セイバーさん!?」

 

お願いだから、本当に帰ろうとしないで!!

 

ちょっ

 

セイバー!?

 

……やばい

 

頭が

 

……いたい

 

 

 

 

 

―――――

 

後日談というより近い未来の話。

 

セイバーから解毒剤を貰っては毒を盛られる生活が繰り返されています。

 

逆らう気はなかったけどさ、毒を盛られてからは更に無くしたよ。

 

でも案外俺たちは幸せな生活を過ごしてるよ。

 

セイバーはセイバーなりに

 

俺は俺なりに

 

愛する人へのアプローチを毎日欠かさず行っている。

 

……なんというか

 

幸せすぎる。

 

愛しい彼女の隣にいられて

 

幸せだよ

 

セイバー




今回も以前投稿した作品です。
そろそろ連載も始めたいと思います。
詳しくは活動報告に書きますので、見ていただけたら幸いです。


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病みつきセイバー~紫出会い談~

久しぶりの投稿です。
暫くは病みつきセイバーを短期連載していきたいと思います。



慣れた町並みの中通っていた高校を卒業し、見慣れる町での一人暮らしと大学生としての生活が始まってもう1年が過ぎた冬の日。

俺は、とある彼女と出会った。

先ずはその話をしよう。

幸せな出合談を。

 

 

 

都会な町並みから外れた所に古びた教会を見つけたのはたんなる偶然だった。

自然豊な草原の中にあったその教会はどこか魅力的に見えた。

散歩……といえる距離ではないが、ここまで来たのはちょっとした理由がある。

もっとも、目的は教会ではなかったのだが。

だからと言って特に目的の場所は定まっていない。

だからだろうか、俺の足はその古びた教会に向かっていた。

興味心というか、ちょっとした遊び半分。

別に特別な意味はなかった。

今となってはその行いが悩みの種になるなんて思ってもいなかった。

俺の人生を変える出来事になるなんて。

 

教会の中身は外観とは違い小綺麗に整えられていた。

中には信者なんだろうか、複数の人が手を合わせてお祈りをしていた。

俺は少し離れた席に座り回りの真似をする。

神様の事を思いながら、祈りを捧げる。

たすけてください

ただただ、祈る。

祈りを初めてから少し経つと俺の隣に誰かが座る気配を感じた。

ふと横目で隣の人を見る。

シスター……なんだろつか、真っ黒な修道服を見に纏った彼女はフードを深く被っており、その顔までは除くことができない。

だが、ただ祈りに来たのでないのだろつ。

顔は前ではなく俺に向けられていたのだから。

 

「此方に来られるのは初めてですか?」

 

優しさを感じる綺麗な声でシスターは俺に問いかける。

「すいません、若い男性が来られるのは珍しいですので、つい声をかけてしまいました。」

クスリっと笑いつつそのシスターは俺に話し続ける。

「はい、たまたま散歩をしていたら教会を見付けまして」

「そうですか」

 

俺の返答に頷くと視線を前に向けてシスターも手を組んで祈り始める。

少しだけ心が落ち着いた気がする。

誰かと話したお陰だろうか。

席を立とうとすると、シスターが声をかけて来た。

目線も動かさずに、呟くように。

 

「もしも、貴方が話したいことがあれば懺悔室をご利用ください。きっと、貴方の救いになりますから」

 

懺悔室……か。

名前しかしらないが、何となか興味が湧いた。

「ありがとうございます」

礼を残して俺はその懺悔実に向かった。

 

 

 

 

教会内にある隅の部屋に懺悔室。

テーブルと椅子が二脚しかない小さな部屋に来るとなんとなく不気味な感じがした。

なんか嫌だな、この感じ。

そんな思いに刈られていると、扉が開かれる。

現れたのは、先ほどのシスターだった。

「本当に来られたんですね」

再びクスリっと笑うシスターに笑みを返す。

「たいした話ではないですけど、話せば気が楽になると思いまして」

「そうですね、悩みを共有するのもこの部屋の使い方だと私も思います」

そういうと、シスターは椅子に座る。

俺は空いている対面の席に座り真っ直ぐシスターを眺める。

深く被ったフードからは綺麗な瞳が覗かせていた。

まるで、全てを受け止めてくれそうな優しさを感じる瞳が。

 

「貴方の懺悔を聞き入れましょう」

 

その言葉を皮切りに俺は懺悔を始めた。

 

「俺は、俺の事を好きになってくれていた人がいるんです」

目を閉じて彼女の姿を思い浮かべる。

出会った頃の、笑顔の彼女を。

「俺は、そんな彼女の愛から逃げたんです」

彼女の笑顔が変わる。

「切っ掛けはわかりません、ですが、彼女は変わったんです。

俺の知ってる彼女はもういません。

優しくて凛々しさを感じる彼女は、今は俺から全てを奪うことしか考えていません。

そんな彼女を受け入れようって頑張ってた事もありました。

ですが……」

俺はふと思い出す。

セイバー

彼女との思い出を。

身体の所々が痛む。

思い出すだけで。

痛む。

痛い

痛い

痛い

 

身体中に走る痛みを感じていると、肩に柔らかい感触がする。

ふと気がつくと目の前にいたシスターは俺の後ろにいて、肩に手を乗せていた。

「触るとわかりますが……所々に傷痕がありますね」

シスターは肩を撫でながら子供をあやすように優しく言う。

「お話しください、貴方の懺悔を」

 

その言葉で落ち着きを取り戻す。

「逃げたんです、怖くなって」

ゆっくりと立ち上がると、シスターが俺から少し離れる。

そんなシスターに向かってシャツをめくると、フードから覗かせていた瞳が驚く様が見えた。

 

「逃げたから、罰をうけた」

 

俺のお腹には大きな傷痕がある。

剣で切られた痛々しい傷痕が。

シスターは何も言わずに優しく傷痕に触れる。

ひんやりとした感触が傷痕に染みるが、悪くない気がした。

 

「貴方の罰……ですか」

 

シスターの呟きを最後に狭い室内に思い沈黙が流れる。

長い沈黙が。

それを破ったのはシスターだった。

傷痕から手を離すと俺を優しく抱き締める。

驚きで言葉が出ない俺の頭を優しく撫でながら子供をあやすような優しい口調で耳元に呟く。

 

「大丈夫ですよ、もう恐れなくても」

 

その言葉に俺は……

俺は、泣いてしまった。

子供のように無邪気に。

 

どれくらい泣いたのだろうか。

大分落ち着きを取り戻す。

ふとシスターを見つめると、彼女はゆっくりとそのフードを下ろした。

 

「……セイバー……?」

 

どことなく似た雰囲気を感じる彼女は、ゆっくりと首を降る。

「私はルーラー。またの名をジャンヌ」

ジャンヌ。

そう名乗る彼女は再び俺を抱き締めると優しい笑みを浮かべる。

そんな笑みが視界を埋める。

安らぎが、安心感が、心を埋める。

「貴方を救いに来た者です」

 

その言葉は、俺の心の安らぎを埋めた。

 

 

 

これが、彼女との出会い談。

ジャンヌダルクとの出会い談。

俺の全てを変えた者との出会い談。





今回は出会い編ということでかなり短めですが次回からはもう少し長くしてヤンデレしていきたいですね。


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病みつきセイバー~合流1~

彼女、ジャンヌダルクと出会ってすぐの話し。

俺は懺悔室で彼女の話を聞いた。

 

サーヴァント

 

その名前はセイバーから聞いたことがある。

かつての英雄がどうのこうの……

正直な話し、詳しくは理解していない。

いや、できない。

現実場馴れしすぎているからだ。

それでも、目の前の彼女からも同じ言葉を聞くということは実在する話しになるんだろう。

 

そのサーヴァントが今問題になっているらしい。

ジャンヌダルクはそれを止めるために俺の前に現れたとか……

問題というのは単純明快。

英雄に相応しくない行いを起こす可能性があるから。

セイバーはそれこそ歴史の教科書に名を乗せる程の偉人だ。

 

そんな彼女が一人の男を愛すために、愛されるために、愛されたいがために暴力を振るう行為に問題があるとのこと。

もしも仮にセイバーが俺を……俺を傷つけたとしてもそれを咎めるものはいない。

かといって、その可能性があるのに放置しておくわけにはいかない。

だからこそ、公平なる者としてルーラーであるジャンヌが助けに来てくれた。

 

……らしい。

正直、未だに理解はできていない。

それでも、時は進むんだ。

無知な俺を一人置いて

英雄達は動き出すんだ。

 

 

 

━━━━

「それでは、今後の話をしましょう」

古びた教会を共にでて、共に街へと戻るために散歩を始めて直ぐにジャンヌは俺に声をかける。

「先ずは当面の衣食住に関してです」

「は?」

急な発言に思わず気の抜いた返事をしてしまう。

そんな反応に疑問を持ったのか、ジャンヌは首をかしげる。

「別に俺は住んでる場所はあるよ。狭いアパートだけど……食事と服だって問題はないけど」

「貴方は大丈夫ですが、私が困ります」

「……?」

「これからは二人分の食費に服を買うことになるんですから」

「はぁ!?」

急な問題発言に思わず足を止める。

ジャンヌは俺の顔を覗きつつ共に足どりを止めると。

「これから貴方を守るのですから、朝から晩まで私が傍にいます。そうしないと、守れませんから」

 

守る。

そのために共にいる。

それは分かる……分かるけど。

 

「一緒に住むって言われてもそんな急に……それに、服だって……」

急な話に戸惑っているとジャンヌは微笑む。

「では、買い物にいきましょう」

「買い物って……俺は何もいってない」

「色々とこの世界の物を買ってみたいんです、つきあってください」

「一人で買いにいけばいいだろ」

「その間に貴方の元にセイバーが現れたら誰が貴方を守るんですか?」

「それは……」

 

何も言えない。

ジャンヌがいない間にセイバーに会ったら……それは、もう見に染みている答えだ。

俺が口を開く前に身体中の傷痕に痛みが走る。

顔が苦痛で歪むとジャンヌは優しく頬を撫でてくれた。

 

「そのために、私と買い物に行きましょう」

 

俺は何も言わずに歩くことしかできなかった。

そんな俺の手をジャンヌは優しく握る。

手から伝わる優しい温もりに何とも言えない心よちさを感じながらゆっくりと歩いていった。

 

 

 

━━━━━

二人して何も言わずに歩くこと数時間。

日も落ちかけてきた夕暮れの中、俺達は古びた商店街へと来た。

ここにはよく来る。

人気が少ないからこそ、セイバーに会わないからだ。

そう思っていた。

 

「奇遇じゃないか」

 

商店街に一歩踏み出すと同時に聞きなれた声が後ろから聞こえた。

ジャンヌはその声に反応して振り向くが、対する俺は振り向く事ができない。

身体中が震える。

怯えているのだ。

聞き慣れた声の主に。

彼女に

 

「そなたが中々姿を表さないと思えば、まさか余以外の女を連れて買い物とはな……」

 

地を這うような冷たい言葉と共に背中ならでも感じる冷たくて痛い視線に俺は顔を伏せることしかできない。

逃げなきゃ。

頭の中にその言葉が埋まる。

だが、身体は動かない。

逃げれないことを知ってるから。

 

「どうした?

余が話しかけているのに顔を見せないのか?

そなたはそんなにも不躾な輩とはな

それとも、横にいる余に似た女と居ることに対する言い訳でも考えてるのか?

ならば、問題ない」

「何が問題ないのすか?」

 

俺の変わりにジャンヌが応える。

そんな彼女は俺の手を更に強く握りしめてくれた。

落ち着いて下さい

まるで、そう言われてるように感じると、少しだけだが気持ちは落ち着いた。

俺はゆっくりと振り向く。

目の前にいるセイバーを見るために。

 

「決まっているだろう」

 

得意気そうな顔で話すセイバー。

彼女は赤い服に身を包んだ英雄

ネロ・クラウディウス

 

「余と共に歩くのが恐れ多いから余に似た歩いて練習だろう」

 

彼女は優しく微笑みながら言う。

冷たい口調で

冷たい目線を俺の手を見ながら。

 

「だが、練習にしては見過ごせない。

そなたの手は余と繋ぐためにあるというのに、何故他の女と繋ぐ?

こんなにも余は欲していると言うのに、そなたは余を置いて他の女と買い物か?

何時もは一人で来るのにな

何時もよりも3時間以上遅れて来るのはその女が理由なのか?」

「何時もって……何で知ってるんだよ」

「決まっているだろう、余は何時でもそなたの事を見ているのだから」

 

その言葉を聞くと吐き気が襲う。

そんな俺を心配してか、ジャンヌは優しく俺の頭を撫でてくれた。

 

「何時も見ていたというのに、私が彼と出会ったことは知らないのですか」

「ここ最近この街から出られないのはそなたの仕業か?

おかげでそなたのような気色悪い虫が美しい花に集ることになるとは」

「えぇ、これ以上彼に被害が起こらないようにするための配慮です」

「被害?そなたのような者が余とこやつの邪魔をする方が被害ではないのか?」

「彼は嫌がっています。もう、付きまとうのは止めなさい」

「嫌がっているはずがなかろう。こやつと余は相思相愛の中なのだからな」

「……」

「……」

 

お互いに会話が進まない。

平行線がたどり着いた先は重い沈黙だった。

人気がない商店街に漂う重苦しい沈黙。

それを崩したのは、意外にもジャンヌだった。

 

「これ以上の説得は無理のようですね」

 

その言葉と共に何処からともなく現れた大きな旗を手にするジャンヌ。

それに応じるようにネロも大剣を手に取った。

 

「これ以上そなたを汚すものは許さぬ。

美しい花は美しい花瓶に飾ってこそ映えるもの。

少し早いが、そなたを飾る時が来たようだ。

そのために、そなたの周りを蝕む虫を叩くとしよう。

美しいそなたを汚さないように。

迅速に、確実に、徹底的に

余とそなたのために戦おう。

そなたも応援するといい。

そなたのための戦いを」

 

目前にいる武器を構えたジャンヌを無視して、微笑みながら語るネロに恐怖を覚える。

温もりが消えかけてくる手を必死に握りしめる。

暖かい温もりを忘れる前に。

 

互いに言い残した言葉は無くなったのだろうか。

再び沈黙が周りを包み込む。

そして━━━━

激しい音が俺の世界を包む。

数秒に渡る音が聞こえると同時に二人の互いの武器をぶつけあっていた。

過程なんて見えなかった。

見えたのは結果のみ。

 

どうすればいいのだろうか。

二度三度と続く激音に包まれている中、俺は何も出来ずに立ち尽くす事しかできなかった。

そんな中、気がつくと俺の身体は急な圧を感じる。

俺は一瞬にして何故か宙を浮いていた。

 

「お団子食べに来たらあなたに会えるなんて幸運ですね。

日頃の行いがいいからですかね?」

 

いや、浮かんでいたんじゃない。

宙に運ばれていた。だ。

「 ふふっ、2日振りに会えるなんて幸運ですね。

最近一緒にお団子食べてませんし、せっかくだから積る話でもしながらお団子でも食べませんか?」

 

男一人を軽々と軽々と抱えながら微笑む彼女。

美しいピンクの着物を着こなした彼女の横顔は俺が見知った顔。

 

「いいですよね、沖田さんがたまたま会わなかったらあなたは今頃大怪我する所だったんですから。

そんな命の恩人の頼みを聞いてくれますよね、やさしいあなたなら。

取って食おうなんてしませんよ、取るのも食べるのもお団子だけにしますから。

久しぶりに会ったんですから、それぐらいの我が儘聞いてくださいよ」

 

優しく微笑む横顔に俺は安堵のため息をつく。

 

「ありがとう、沖田」

 

彼女、沖田総司に感謝の言葉を述べながら。

 




暫くは文量短めでなるべく早めの更新を頑張りたいと思います。


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進撃の巨人
病みつきクリスタ1


久々の投稿になりました。
セイバー含む色んな物のプロットはスマホと共に壊れてしまったので、話を思い出したら書いていきたいです。
また、今回は恋愛する過程を書いてほしいという要望が多々頂いていた(気が)したので、徐々に病んでく姿をウマク書けたらなーって

※クリスタの過去に関するネタバレあります


この世界は残酷だ

小さな手を握りしめ、人とは思えない冷たさを感じながら、ただただ思う。

どんだけ欲しても得られないものがある

どんだけ守ろうと守れないものがある

世界の理不尽に、不条理に

全て失われてしまう---

 

それでも

それでも

こんな世界でも

欲しいものが

得られるのなら

 

私は----

 

 

 

 

「クリスタ・レンズです。よろしくお願いします」

ウォール・マリアが陥落して数日。

空っぽだった私は唯一あった名前すらも捨てて、開拓地に送られた。

畑を耕していたであろう子供たちが私の前に集まる。

泥にまみれた彼等は自分と同じか、それ以下に見える。

隣に立っていた大人達は私達の自己紹介を暇そうに眺めていた。

ここにいる人達は皆、理不尽に見舞われた人達。

私も含めて

だからだろうか、皆話こそするがその目は希望の光等感じない。

あるのは、絶望に打ちひしがれた人達の顔のみ。

 

 

怖い

 

その思いで胸が一杯になる。

見知らぬ人達は皆、私に対して理不尽な暴力を振るう。

ずっと、そうだったから。

皆の顔をまともに見れず、逃げるように視線を反らすと1人の少年が映った。

大人達の呼び声で集まらなかった彼に対して、誰も注意する人がいない。

気になった私はとなりの隣の男性に顔を向けて指をさす。

その先にある少年を見て、周りの人達は皆同じ顔をする。

明らかな。隠す気のない様な嫌悪を。

 

「死にたくなければあいつには近づくな」

男性の声に合わせて、周りを続く。

「こんな大変な時に病気持ちが来やがって」

「さっさといなくなればいいのに」

「なんでここに来たんだよ」

 

子供大人合わせて、罵詈雑言の嵐がこだまする。

聞こえているのか、少年は作業の手を止めた。

身の丈以上の鍬を地面に力一杯叩き降ろした音は、空虚に響きわたる。

 

「サボってんじゃねえ!!」

 

傍にいた私はその怒声に思わずびびってしまう。

情けない声をあげた私とは対面に、少年はゆっくりと鍬を持ち上げた。

 

「あいつには近づくな。絶対にだ」

 

その言葉を最後に周りの人達は解散していく。

私の足もそれに合わせて動く。

ただ、視線は少年から離れなかった。

病気持ちというには重労働をしている少年に。

顔色も、悪いとは思えない。

ただ、周りから理不尽にあってるだけ。

あぁ---

私もこんな風に映ったのかな

そう思いつつ逃げるように視線を前に動かし、これ以上考えないよう大人達に付いていった

 

 

 

 

開拓地での初日は気が滅入ってしまった。

彼の事もあるけど…

周りの大人達の言葉もきつい。

 

働かなければ飯はない

 

 

今日だけで数え切れないぐらい色んな人達に聞かされた言葉がまだ頭の中で反復している。

そして、私に与えられた仕事は馬のお世話。

前と変わらないこの仕事にだけ唯一安心感を感じた。

それが終わったら、食事を受け取り皆で食べる。

味気ないスープと固いパン。

美味しいとも不味いとも感じない。

ただただ口に入れるだけの食事。

 

不安が一杯。

でも、ここで頑張るしか

私が生きる術はない

ここでしか……

 

寝室として与えられた古びたマンションの一室。

私以外にも数人いるけど、皆疲れからか眠ってしまったようだ。

誰かと一緒に寝る。

当たり前の事かもしれないけど、この当たり前が私には慣れなくてしょうがない。

横になっても眠れる気配がしないから、散歩と称してマンシ内を散策することにした。

窓から見える見慣れる土地

扉から聞こえる大人達の聞き慣れない声

皆、私の恐怖の対象でしかない。

帰りたい……とは思わない。

帰る場所なんて---

 

 

数分程歩いたあたりだろうか、何かがぶつかる音が甲高く聞こえた。

聞こえた場所はすぐ近くの部屋。ここでの食事の受け渡し場所だ。

部屋を区切る扉が空いていたからか、気になってしまい覗き込んでしまう。

そこには病気持ちと言われた彼が2つ分の食事を持って行く所だった。

周りから蔑まれ、暴言をはかれていた彼

挨拶もさせてくれなかった彼

病気だって、この世界では理不尽な事なのに……

 

「あの」

 

後ろからかけられた声に驚いたのか、彼は大きく肩を揺らしゆっくりと私の方に振り向いた。

黒い髪をした少年は、私と変わらないぐらいの年齢に感じる。

 

「……えーっと」

 

声をかけたはいいものの、次の言葉が出でこない。

そんな姿に見かねたのか、少し間を開けてから

「消灯時間過ぎてるよ?」

彼の方から話を振ってきてくれた。

……恥ずかしいけど、同年齢の子とお話なんて初めてだなら、緊張してしまう。

「ね、寝付けなくて……少しお散歩してたの」

自分でも違和感を感じるぐらいの高いトーンで声が出る。

「慣れないよね。皆そうだったよ。ここに来て直ぐは夜まで起きてた」

次の日の仕事はよく怒られてたけど。なんて事を言いながら、1人でクスクスと笑っていた。

 

「……もう行くよ。余り俺と一緒にいないほうがいい」

先程の笑顔はどこへやら、顔を伏せて早足で通り過ぎようとした彼。

急な言葉に巧く反応できなかったけど、私を過ぎて直ぐに彼の事を思い出す。

こんなに感じの良い人なのに、病院ってだけで理不尽な目に合う。

それは---

嫌だ

嫌な感じだ。

 

「私、クリスタ。あなたは?」

背中越しの問いかけに彼は足を止める。

「自己紹介、まだだったか---」

「うるせぇぞ!!」

 

私が言い切る前に急な怒声が響き渡る。

彼はその声を皮切りに肩が小刻みに震え、慌てて私に近づく。

「隠れて」

「えっ?」

「部屋に入ってて」

いいからっと、わけもわからない私を押し出すように部屋に入れた。そのまま言われるようにドアを閉める。

開閉音とほぼ同時に、怒りに任せたような男性の声が私の耳を押し寄せる。

 

「なにやってんだお前!!」

「……すいません、食事を取りに来ました」

「それぐらいとっととやれ!!」

 

怒声の次に聞こえたのは激しく物かぶつかる音、そして何かが転げ落ちる音と崩れ落ちた音。

落ち着いたと思ったら、 小さなうめき声が聞こえてくる。

小さいはずなのに、その声だけが嫌に耳に残った。

 

 

「せっかくの食事を溢すなよ」

「……ごめんなさい」

 

……なんで、こんな目にあうんだろう。

ただただそう思う。

彼は、何も悪いことをしてないのに。

 

「せっかく綺麗にした床をスープで汚しやかって」

「ごめんなさい」

理不尽に対して謝るしかない彼は何が悪いの

「きちんと働くっていったから受け入れてやってるのに」

「ごめんなさい」

何もしてない、何も悪くない彼はなんで謝るの

「食事もまともに持ってけないのに、貰ってるんじゃねぇ!!」

「ごめんなさい」

彼は---

 

「あ、あのっ!!」

 

自分でも驚いてしまう。

思わず部屋から出てしまった事に、彼を助けようとした自分に。

 

「わ、私が声をかけ---」

「お前、あれほど近づくなって言っただろうが!!」

私の姿を見た男性はその余りある力で拳を創り、暴力として形作る。

倒れていた彼の上に乗り、身動き取れないようにしながら。

自分の半分以上程の背丈しかない彼に、問答無用で。

「や、やめてください」

近づく事すら出来ない。

足が震えるの。

いや、体全体が小刻みに慄えてしまう。

目の前の不条理に。

「お、俺が、クッ……悪いんです」

顔を殴られながら何度も何度も彼は謝る。

男はその姿に満足そうな笑みを浮かべ、ゆっくりと拳を振り上げていった。

 

「だめ!!」

振り上げきるよりも先に私の足が動いてくれた。

一度動けば、後は自分でも驚くほどにスムーズに体はついてきてくれる。

震えを残したまま。

彼の顔を守るように覆いかぶさる。

視界一杯に広がるその驚いた顔に数滴の涙が垂れていく。

私なにやってるんだろう。

怖いのに、泣くほど怖いのに。

「……私が、話しかけたんです」

痛みは襲ってこない。

「私が、言いつけを守らない悪い子だから」

何も返ってこない。

「殴る……なら、私を……」

あるのは純粋な暴力に対する恐怖だけ。

 

「……チッ、もういい」

その言葉を最後に男は立ち上がり、ゆっくりとその場を立ち去っていく。

足音が完全に消えてから、私の体は力が徐々に力が抜けていく。

「あっ!!」

「クッ!!」

気の緩みと共に抜けた手の支えは、散乱したスープに濡れて滑り落ちていく。

バランスを崩した私は、そのまま彼の顔へと身体を押し付けるように転んだ。

 

「ご、ごめんなさい」

転ばないように気をつけて立つ。

服も顔もスープで濡れて気持ちの悪い感触が所々にあった。

「……ありがとう」

倒れこんだまま、私以上に汚れた彼は微笑む。

殴られた跡だろうか、頬には痛々しい跡が残る。

「初めてだよ、ここにきて優しくされたの」

顔を隠すように手で覆う。

薄っすらと見えた口元は微笑んでいた。

 

私が守ったから笑ってくれた

この微笑みを見て私は

私も微笑んで返す。

私は、何を感じたんだろう。

自分の心に問いかけながら。

 

「お兄ちゃん?」

問いかけの最中、急に聞こえた声に二人で振り向く。

お兄ちゃん

その呼びかけに彼は慌てで立ち上がり、彼女の元へ向かった。

一通りの人達に挨拶を交わすしたけど、その時には見なかった小さな女の子だった。

「だめだろ、部屋から出たら」

優しい声で注意しながら目線を合わせるため膝を折る。

私よりも小さな背丈。

年も私よりも少し下だろう。

「ごめんね。でも、大きな声音がしたから……」

「転んだんだよ」

不安そうな顔を取り除くように、優しく頭を撫でる。

「ごめん、今日はパンだけになったんだ。でもね、転んだ事を話したらもう一個貰ったから、今日はパン2つ食べれるよ」

わざとらしい嘘をつきながら、そっと抱き寄せて。

「ごめん、ごめんね」

彼女の頭に頭を乗せて

さっきの恐怖に怯えたような声ではなく、何度も何度も

震えた声で謝罪をする。

 

「あの……」

「誰かいるの?」

「えっ?」

ほんの数メートル離れているだけの私の声に驚いたのか、恐る恐るといった様子で彼に確認をする。

見えてでもおかしくない、というより見えてないとおかしいような所にいる私の声に驚いたんだ。

「クリスタさん、今日から一緒にここでクラスの人だよ」

「……よろしくおねがいします」

私の存在に気づいたからか、彼の背中に隠れるように逃げる。

あぁ、彼女も理不尽に巻き込まれたんだ。

すぐにそう思った。

 

「……クリスタさん」

「なに?」

「妹は病気なんだ」

……何となく察していた。

彼女が彼の理不尽の元凶。

「人に感染る様な病気じゃないんだ。……ここの人達は信じてくれないけど。だから……余り関わらない方がいいよ。クリスタさんまで怒られちゃうから」

妹さんの手を優しく握りながら、私の目を見つめる。

「今日はありがとう、それじゃ俺は掃除をするから戻りなよ」

妹さんの時のような優しさも、大人達の前での怯えた声でもなく冷たく、淡々と言い放つ。

……私は、この二人を見て

羨ましかった。

こんな理不尽に見舞われながら、それでも

それでも、手を取り合って笑いあう姿を見て。

---あぁ、

これが、家族

私が、一番欲しくて

手にはいられないもの

---羨ましい

 

私は、微笑んでいた。

見の前の光景に。

ただ、微笑んで

そっと、握られていたその手を包むように握る。

手に入らなくても

「私、クリスタ・レンズ」

それでも

「よろしくね」

少しぐらい、家族の傍に居たい

「仲良くやろう」

少しぐらい、家族の気分を味わいたい

---この

美しい兄妹達の側で。

 

浅はかな自分の考えに自傷の微笑みを浮かべながら

驚く兄妹に取り入った。

自分の事を卑しい人だと強く感じる。

きっと、あの人も---こんな気持ちだったんだろな

 

「お兄ちゃん」

包んだ手が震えていく。

小さな、小さな手が

「ほら、やっぱり居るんだよ、頑張ってるお兄ちゃんを見てくれる」

 

「優しい、天使みたいな人は」

天使

自分とは似ても似つかない存在が私に重ねられてしまうことに、少しだけ罪悪感を覚えた。

それでも、いい

天使のような優しい人になれば

家族の傍に居られるなら

家族になれなくても、傍に居られるなら。

 

「……そう、だね」

兄妹達に微笑みながら、ただそっとその手を包み続ける。

泣き出しそうな二人を、優しく見つめながら。

 

「私、病気だよ?」

「関係ないよ、そんなの」

「感染るかもしれないよ?」

「感染らないってお医者さんに言われたんでしょ?」

「……お仕事も出来ないし」

「私も来たばかりだから全然出来ないよ」

「……体力もないし」

「女の子だもん、当たり前だよ」

 

私の返答に対して徐々に俯いていた顔を一気に上げると、大きな黒い瞳が私の顔を移した。

そっと伸びた手は、ゆっくりと私のほぼの横をすぎる。

左右に軽く揺れると、頬にあたり、それを確認すると頬を包むように片手で覆った。

徐々に顔が近づいていく。

瞳の中の私が大きくなると、その顔がはっきりと見えてきた。

卑しく微笑み私の顔を

「近くじゃないと上手く見えなくて」

鼻と鼻がもう少しで当たるような距離まで来ると、じっと見つめられる。

恥ずかしい。

こんな綺麗な瞳に映ることが。

「……クリスタさん、もしかして汚れてるの?」

「えっ?」

それを言われて自分の姿を見る。

所々スープで汚れていた自分の姿を。

……恥ずかしい

「あっ、こ……これはね」

「俺が食事を運ぶときにぶつかったんだ。だから、汚しちゃって」

 

さっきまで驚いた顔で黙ってた彼は、慌てて嘘を並べる。

殴られてた事は秘密にしたいのかな。

 

「大変。それじゃ、私が拭いてあげるね」

彼の手を離すと、優しく私の手を握ってくれた。

暖かさが手から、心にまで染み渡る。

……人ってこんなに暖かいんだ。

 

「でも」

「お兄ちゃんは床の掃除。クリスタさんは女の子なんだからお兄ちゃんに任せられないでしょ」

「わ、私自分でやるよ?」

「だめ、お兄ちゃんが迷惑かけたんだから。私がやるの!!」

楽しそうに笑いながら、こっちこっちと言わんばかりに手を引っ張る。

空いた手は壁を伝うように合わせ、ゆっくりと歩き始めた。

有無を言わさないその様子に私もついつい従ってしまう。

後ろから聞こえるため息と

 

ありがとう、クリスタさん

 

その言葉に満足しながら

 

 

 

 

 




次回更新は6月までを目指してます


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病みつきクリスタ2

小説に全く触れてなかったせいか文書が全く思いつきません。
ご指摘等あればどんどん下さい。


ごめん、ごめんね

 

言い慣れた謝罪の言葉を並べる俺を優しく抱き寄せる。

何も言わずに、何も責めず。

母親のように寛容に、姉のように優しく。

 

ごめん

 

壊れたラジオのように同じ事しか言わない俺の頭をそっと撫でてくれる。

静かに微笑みながら。

無力な俺を見て

何も言わない

あぁ

責めてくれたほうがどれだけ楽になったんだろうか。

 

ただ、きっと、俺の事を責める事はない

だって俺は---

俺達は----

 

 

 

 

彼女に案内されたのは小さなお部屋。

聞けば、元々用具室として使われていたらしい。

小さな用具室としては充分だろうけど、人が住むには小さすぎる。

部屋というよりも、独房と言われたホウガすんなりと受け入れられたと思う。

トレー1つ置けば半分は置き場が無くなるであろうテーブルと隣にある同じような大きさのタンス、普通のベッド。

後はもう人一人が通れるようなスペースしかない。

こんなところで、2人で住むなんて、住む場所にすら悪意を感じる。

まさしく初めから歓迎してないというのを感じ取れた。

 

「小さなお部屋だけど、私が住むにはちょうどいいよ」

そう言ってベッドに腰掛け、前のめりになり手を伸ばすと壁に手の平がついた。

それにと続けて古びた壁時計を指す。

「これだけ近いと時計の針も何とか見えるから、お兄ちゃんを起こしてあげられるの」

クスクスと笑いながら壁を伝ってタンスへと手を伸ばした。

そこかれ白いタオルを取り出すとそっと私の顔に触れる。

 

「ここに来てからね、お兄ちゃんと約束したの」

「約束?」

「うん、お兄ちゃんが私の分もお仕事してくれるから、この部屋ではお兄ちゃんの分迄私が頑張るって。お兄ちゃんの身体を拭いてあげるんだぁ」

「そうなんだ、偉いね」

楽しそうに言う彼女は、だからと続けると一呼吸おく。

手は止まり、顔を俯かせながら。

「お兄ちゃんが怪我してるの、知ってるんだ」

その言葉に私は何も言えない。

ちょうど今さっき、あんな場面を見たのだから。

 

「私ね、知らないふりしてるだけ。本当は、知ってるの」

う紡いた顔からはどんな表情なのかわからない。

でも、小刻みに揺れる身体と声で察することは出来た。

「お兄ちゃん、ここにきてから怪我ばかりしてるから」

きっと

「きっと」

彼女もまた、理不尽に巻き込まれた犠牲者なんだ

「イジメられてるんだって」

 

タオルを持つ彼女の手を包、静かに見守る。

声を殺しても、それでも溢れる涙は止まらない。

「私のせい……だよね?」

なにも、言えないよ。

彼は何って言っるんだろう。

「お兄ちゃん……これ聞くとね、困った顔をするの。そして、大丈夫って言うの」

言えないよ、言えるはずないよね。

「……音がね、聞こえたの。何かぶつかる音と生なましい音と何かが転がる音。心配で……見に行こうとしたけど……」

けど、ともう一度呟いてそっも顔をあげる。

ゆがんた顔で私が私を見つめる。

悲痛な、顔で。

あぁ、兄妹なんだなって思っちゃった。

こんな話の最中なのに

悲しみでゆがんた顔が、とてもよく似ていたから。

 

「私、怖くて……部屋を出るのが、怖かった。殴られたらどうしよって……っ!!お兄ちゃん、叩かれてるのに……私だけ……」

「誰だって怖いよ」

そっと頭を撫でながら、なるべく優しく応えていく。

「でも、クリスタさんは助けてくれたよ」

「私だって怖かったよ。でも、助けてあげたいって思ったの」

「なんで……?なんで、そんな風に優しくできるの?」

優しい、のかな。

自分でも正直わからない。

ただ

 

「昔ね」

過去の自分を見つめる。

「知らない子によく石を投げられてたの。イタくて……でも、誰も助けてくれなかったんだ」

今でも、その痛みを思い出せる。

「知らない大人にね、怒鳴られる事もあった。何もしてないのに」

今でも、その怖さを覚えてる。

「助けてほしかったな」

誰も助けてくらなかった。

助けてくれた人の事なんて

助けてくれそうな人の事なんて

今でも覚えてない。

「だからね、助けてあげたいって思ったの」

そう

私を助けてくれなかった人達に

そんな人達になりたくないから

「それだけ、だよ」

 

そうだ

自分で言って自分が納得した。

これだ

この生き方画

私の

いや、クリスタ・レンズの生き方だ。

誰かを助ける、優しい女の子。

それが、今の私の、私に出来る生き方。

理想の、生き方

 

「……クリスタさんはやっぱり天使だよ」

天使

そんな風に言われるような人じゃない。

でも、嬉しい……かな。

誰かに求められるのは。

今までにない感情が私の胸を満たしてく。

気がつけば、彼女の顔から悲痛は消えて楽しそうな笑みが残った。

「私、クリスタさんみたいなお姉ちゃん欲しかったな」

お姉ちゃん……

私も、兄妹がいたらこんな気持ちにもっと早く気づけたのかな。

「ねぇ」

「なに?」

「クリスタお姉ちゃんって呼んでいい?」

 

状態か本気かはわからない。

悪戯っぽい笑みを浮かべながらのその言葉は---

私の頭に強く響いた。

「……お姉ちゃん?」

「だ、だめだよね」

「駄目じゃない!!」

彼女の肩を強く握る。

「駄目じゃない、よ」

急に掴んだから驚いた声を聞いて、自分の行いに気づく。

「いいよ、呼んで。ううん、呼んでほしい」

徐々に力を抜かしながら、彼女に願う。

「いいの?」

「いいよ」

じゃぁー

一呼吸

たった数秒の時間が永遠と思うほど長く感じた。

早く、早く……っ!!

 

「クリスタお姉ちゃん」

 

……あれっ?

「どうしたの?」

「ふふふっ、お顔奇麗にしてあげる」

「うん、よろしく」

お互いに微笑みながら、私の顔は優しくタオルで顔を包まれていく。

あれ?

おかしいよ

何も

何も、感じない。

表情に出ないように気をつけながら、困惑している頭の中を整理する。

お姉ちゃんって呼んでくれる妹が出来た。

家族……が、出来た。

でも、何も感じない

感じないのは---

---あぁ、そうだ

当たり前だよね。

だって私は

家族じゃないもん。

私は、お姉ちゃん役なんだ。

ただの他人のお姉ちゃん役なんだから。

家族なんかじゃ、ない。

 

何を話していたのだろうか、全く覚えていない。

優しく包まれながら、孤独に包まれながら過ぎていく時間もまた、永遠のように感じる。

酷い、酷いよ。

家族が手に入るなんて思ってなかった。

なのに、期待させて……

なにも感じさせてくれないなんて。

 

 

 

 

「ようやく掃除終わったよ」

そんな一言でようやく私の頭は覚める。

気がつけばタオルは済に寄せられ、ベッドに腰掛けて談笑していたようだ。

いけないな、ちゃんとしないと。

変な事言ってないといいけど。

「お兄ちゃん遅いよ」

「ごめんごめん」

頬を膨らませながら、彼女は身体を寄せてくる。

私は軽く押されながら隅に隅にと動いていくと、彼女を挟んだ反対に彼も腰掛けた。

3人で座るには、少し窮屈だけどこの窮屈さは嫌じゃなかった。

 

 

「あのね、クリスタさんがお姉ちゃんになってくれたの」

「……何の話?」

急なお姉ちゃん発言に苦笑しながら、テーブルにパンを2つおく。

「お願いしたらね、お姉ちゃんになってくれたの、ねっ!」

「私でよければお姉ちゃんになるよ」

年相応の笑顔を向けられると、思わず調子のいい事を言ってしまう。

でも、一度受け入れたんだから、最後までやらないとね。

少し考えたそぶりを見せると、察しがついたのか彼も微笑む。

「そっか、クリスタお姉ちゃん」

「お兄ちゃんのお姉ちゃんなの?」

「えっ、どうしよ」

そんなの、考えてないよ。

「どっちがいいの?」

妹と同じような悪戯な笑みを向けてこられると、私は考え込んでしまう。

彼の妹か、姉か。

……でも

どうせならお姉ちゃんがいいな。

妹は、もう居るから

 

「じゃ、クリスタさんは俺の妹かな」

「えっ、選ばせてくれないの!?」

「時間切れ」

……この兄妹は私の期待を裏切るのが好きみたい。

というより、妹はいるのに、なんで妹を欲しがるんだ。

欲張りにしか見えない。

「よろしくね、クリスタさん」

優しく語りかけてくれて、軽く頭に手を置かれる。

そして、優しくそっと頭を撫でてくれた。

 

……暖かい。

心が満たされて行くのを感じる。

なんでだろう。

彼女のときとは違う。

彼に優しくされるのは、とても気持ちが良く、乾いた心が潤っていく。

あぁ、いい。とても、いい。

なんでだろう、彼に優しくされるという事に私は幸せを感じてしまう。

出来ればもう少し、もっと長くこのままで。

そう願っていても口に合わない出すことは出来ない。

恥ずかしさもあるけど、彼にそんな迷惑をかけられないから。

 

「お兄ちゃん、私も」

彼の胸にもたれ掛かるように甘えた声で私の幸せは終わる。

甘えん坊だななんて迷惑そうに軽口を叩きながらも、優しい微笑んでゆっくりと頭を撫でていく。

さっきまで私を撫でてくれたその手で。

……そうだよ、本当の妹はすぐ横にいるんだから私ばかり優しくはしてくれない。

その事実だけが重く重く頭にくる響く。

どれ程撫でていたのだろうか。

少なくとも、私よりも長くこの光景を微笑んでいたらノックの音と共にドアが開かれた。

 

「あぁ、ここにいましたか」

黒い服装に身を包んだ初老の男性が私の顔を見てため息と共に安堵の表情を浮かべた。

「心配しました。部屋を見たらいないのですから」

「オーナー、遊びにきてくれたの?」

オーナーと言われた男性は、期待の眼差しを向ける彼女の傍まで行くと、優しく手を取る。

ここの管理人として勤めている事から、皆からオーナーとして親しまれている男性は、私を家からここに連れてきた男性でもある。

最も、それはこの人が悪いんじゃないんだけど。

 

「今日はもう遅いですから、また明日にしましょう」

「えー」

不服そうな彼女を彼は窘める。

そんな兄妹を横目にオーナーは私の顔を見て微笑んだ。

なんだろう、兄妹の時とは少し違う感じがする。

機械のような感情を感じない微笑みを。

出会って吸う時間もたってないが、この微笑みは少し苦手だ。

「彼等と仲良くしてくれてありがとうございます」

「……えっ?」

少し驚いた。

ここの人達は皆侮蔑な態度で接していた彼等との仲を公認する事に。

いや、明日も会うと言ってたばかりだし。

 

「今日はもう遅いですが、少しクリスタさんと話したい事がありまして……部屋に戻るまで老人の話し相手になって頂けないでしょうか?」

「オーナー、私もお話したい」

「クリスタさんと話がしたいって言ってるだろ」

聞き分けのない妹の頭を軽く叩きながら注意される。

不服そうな顔をしながらも、その対応に満足したのか直ぐに笑みを浮かべて機嫌を直す。

より深く、彼の胸に飛びこびながら。

 

「わかりました」

時計を見ると私が部屋を出てから二時間が経とうとしていたのを見て驚く。

実感が全くわかない。

こんなに早く時間が過ぎて行くように感じたのは、大好きな馬達のお世話をしている時ぐらいだった。

もう戻らないと彼等にも迷惑だ。

彼にも私にも、明日も仕事があるから寝ておかないと。

 

扉に手をかけたオーナーについて行くように立ち上がる。

横から眺めても上から眺めても彼女の顔は満足そうな笑み。

大好きであろう兄に甘やかされているその姿を見ると、ふと考えてしまった。

あんな風に彼に甘やかされる自分の姿を

---あぁ

眺めているだけじゃ満足出来なかった。

「おやすみ」

その言葉に2人も返答をくれる。

私は、これだけで満足できる。

そう、ついさっきまで思ってたのに。

 

「お兄……ちゃん」

 

言いたい事を言い残してドアを勢いよく締める。

顔が熱い。

きっと、真っ赤なんだろうな。

こんな顔、あまり見せたくない。

でも、顔を見て言ってみたい。

彼は、どんな顔をしてどんな反応をしたんだろう。

……優しく頭を撫でてくれたら、嬉しいな。

 

「随分と仲良くなられましたね」

「えっ!?あっ、はい」

羞恥心に染まる顔を俯かせていた私を面白そうに見られていた。

恥ずかしい。

「彼等の母親や妹ちゃんとは縁がありましてね、だからここに招いたのですが余り周りと馴染めていない。貴方を切っ掛けに周りとも馴染むといいのですが」

「そう……ですね」

彼等と周りとの関係は一目瞭然。

同じ建物に住み、同じ仕事をしてるのに明らかに不当な扱いを受けている。

妹が病気だから

そんな、理由で。

「今日もヒト悶着あったのでしょう。マルコスが話しているのを聞きました」

マルコスという名前を聞いて記憶を探る。

今日一日出色んな人と出会い、自己紹介をした。

マルコスという人の顔が直ぐには出なかったけど……。

「あっ」

顔と名前が結びつき思わず声が出てしまう。

マルコス、あの人は彼に暴力を振るった大人の男性。

私からしたら理不尽の象徴のような人。

「仲良くするように伝えているんですがね、病気というのは難しい。感染らないと伝えても皆疑心暗鬼に刈られてしまう」

悲しげな顔で語るオーナーを見て、少しだけ安心する。

私だけじゃない。

この人も、彼等を心配してくれているんだ。

 

ゆっくりと歩いた先にある階段にオーナーが足を乗せる。

私は、段差に乗せようとした足をそっと床に戻し立ち止まる。

着いてきていない事に気づいたのか、踊り場で止まるとそっと振り向き私の様子を伺うよな沈黙が場を包む。

彼の顔を思い出す。

今にも泣きそうな、彼の顔を。

あんなに幸せそうに笑うのに、部屋から出たら笑うことすらしない。

不思議と両手に力が入る。

意を決してオーナーの顔を見た。

「オーナー、彼は今日殴られていました。マルコスさんに……彼は、悪くないのに」

「みたいですね、他の人達に話してるのをたまたま聞いて事情を聞きました。彼は何も悪いことをしていない」

「なのになんで……殴られたり、イジメられたりすんですか?」

「皆不安なんでしょう。壁を壊して巨人が現れ、今まであったモノが全て崩れたのですから」

「……彼もそうなのに」

「そうですね」

 

皆、自分の都合を押し付ける。

自分の不満を、彼に

彼だって被害者の一人なのに。

「では、マルコスさんをここから退去させましょう」

「……えっ?」

急な提案に驚いてしまう。

震えていた私の肩はすっかり収まる。

力は抜け、思わず変な声が出てしまった。

「マルコスさんが出ていけば彼は暴力を受けずに済むかもしれません」

「そ、そんなのいいんですか?」

「私はここのオーナーですから、可能です」

無機質な微笑みのまま、淡々と言う。

マルコスさんを退去させる。

そうすれば、彼は暴力を受けなくなるのだろうか。

でも、それでいいんだろうか。

何も言えない。

いや、返事なんてできない。

私が知らないだけで、マルコスさんもまた事情があるかもしれないんだから。

困り困った私を襲うように、オーナーほ深々と頭を下げた。

何故、こんな事をするのだろうか。

踊り場に佇む彼の姿がまるで、私を惑わす悪魔の様に見えた。

その姿に怯え、階段にぶつけていた足は一歩、また一歩と遠ざかる。

 

「私はここのオーナー」

そして、と続けてその悪魔は囁いた。

「私は、貴方様の忠実な犬でございます」

買おだけ上げた微笑みは、さっきとは違う。

明らかに、何かしらの感情を感じる。

それをなんと表現するのかわからない。

だけど、ただただ不気味。

 

「理由はわかってらっしゃるでしょう」

……理由。

それは、オーナーが私を引き取った理由でもある。

「私がレイス家の血を引いてるから……ですか」

その回答しかない。

答えなんて、それしかない。

不気味な笑みは消え、また無機質な微笑みに戻ろと満足気に傾く。

「でも、私に良くしても何もありませんよ」

 

レイス家の血を引いてる。

それでも、それだけだ。

気族の血を引いていようが、私にはそれだけしかない。

本当の娘では、ないのだから。

 

「いえいえ、貴方様には価値があります。私が尽くす程の大きな価値が」

価値

私にも、価値はあるのだろうか。

誰かに愛される、誰かを愛すような人としての価値が……。

「ですから、どうか覚えていてください」

そう言うとオーナーほポケットから何かを取り出した。

首飾り、だろうか。

金属で出来てるであろうそれを見せつけるようにしながら続けた。

「私の名前とウォール教の存在を。我々に助けられたという恩を」

……ウォール教

聞いたことがない名前に反応する。

でも、宗教の一種なのだろ。

本で見たことがある。

余り家の外のことを知らない私は、彼のいう団体の事を何も理解できない。

彼の言う事の殆が理解できない。

 

「貴方様はまだ若い。単刀直入に伝えたほうが分かりやすいと思ったのですが……」

苦笑しながら頬を掻き、私の様子を見て過ごし困っていた。

「難しく考えないでください。私はただ、貴方様の欲しい物を出来るだけ提供し、貴方様の嫌うものを排除するたげです」

「排除って……そんなのいいです!!」

自分のために他人を犠牲するだなんて、そんなの駄目。

それじゃ、私も理不尽な人になる。

それだけは、嫌だ。

「では、欲しい物を仰有って下さい。出来るものは揃えますよ例えば---」

続く言葉を溜めながら、私の反応をジッと見てくる。

聞きたくないっと思いながらも、彼の言葉が気になってしまう。

でも、私の欲しい物なんて---あるとしたら、それは手に入らない物だから。

それは----

 

「家族、とか」

『家族が欲しい』

 

私の思いと同時に言われた同じ言葉。

家族

もしも、もしも私がそれを願ったら叶えてくれる?

家族を---

でも、だけど---

 

 

「いえ、もういいです」

大丈夫ですから、と続けて話を終わらせるように促す。

これ以上は、もう聞きたくない。

聞かせないでほしい。

 

気持ちは伝わったのだろう。

最後に、と続けて謎の首飾りをポケットに仕舞いながら。

「この首飾りを持つものはウォール教の教えを知るもの。ここでは貴方様の味方でございます。貴方様の忠実な犬。妹ちゃんも、貴方様の味方でございます」

「彼女も……?」

あんな小さな子まで宗教に入っているの?

本では余りいい印象をうけなかったけど。

だったら、彼も--

「何かありましたら、我々犬共にお伝え下さい」

話は終わったと言いたいのだろう。

踊り場から離れていくオーナーに彼の事を聞こうとしても終わらせようとしたのは私。

それに

聞きたければ、本人に直接聞いてみればいい。

 

だから、明日も行っていいよね。

いいよね?

自問自答をしながら、私も階段に足を乗せる。

明日は晩ごはん一緒に食べよう。

そして

そして、お兄ちゃんって目の前で言ってみよう。

どんの反応するかな?

……あぁ、駄目な子だな私。

オーナーの話を頭の片隅に無理やり追いやって、彼等の事を考える。

部屋に戻って横になると襲ってきた睡魔に誘われながらも考えてしまう。

昔読んだ本にあったこと。

忘れていたけど、宗教の事を思い出すときにふと思い出した。

 

禁断の果実

 

決して手にすることを禁じられたモノまつわる物語。

欲しいと思っても、それを口にすることは禁じられている。

名は体を表すとはまさしくこのことだろう。

あぁ

私の禁断の果実は、きっと---

でも、それを得るわけにはいかない。

だって、それは

禁じられているのだから。



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病みつきクリスタ3

ヤンデレ要素が薄いと言われそうでビクビクしながら執筆、更新しています。
……これから、これからだから(目を逸らしながら)


家族とは何だろう。

子供の頃、本で読んでいたその関係は私からしたら夢物語でしかない。

それこそ、母親や父親が甘やかしてくれるなんてファンタジーだ。

母の優しい顔を見たことがない。

父の顔なんて、満足に見たことすらない。

優しかった祖父母は今思えば最低限にしか接してくれなかった。

家族って何だろう。

 

あの兄妹を見て、私の世界は大きく変わった。

良くも、悪くも。

ファンタジーだと思っていた世界は現実にあるモノだと知ったときの衝撃は忘れられないだろう。

私の世界を変えた兄妹。

あぁ

私もこんな風に愛してくれる家族がいたら

 

私を-天使と称する妹がいる。

その言葉は私に生きる指針をくれた。

家族じゃなくても、誰かに愛される様な人。

そんな人になりたいと強く思った。

この気持ちは、本当だ。

 

私を優しく撫でてくれた兄がいる。

その優しさがとても嬉しく歓喜に満ち溢れる。

その優しさが私に生きる意味をくれた。

私に人の愛を教えてくれた。

大袈裟かもしれない。

でも、だけど

私に与えられた初めての愛情は、とても甘美な蜜の味。

一度味わったら辞められないような

 

 

願っても叶わない世界。

願ってはいけない世界。

だから、私はいけないんだ。

 

私は---

悪い子だから。

 

 

 

 

あの兄妹との出会いから次の日。

私は、ため息をつきながらこの日を振り返る。

はっきり言って、最悪だ。

仕事は出来た……と思う。

少なくとも誰がに怒られることもなく、むしろ褒められた。

馬達のお世話は昔からやってきてたから、それを褒められるのは嬉しい。

でも、私の悩ましい種は仕事じゃない。

ただ、お兄ちゃん達と今日もお話したいだけ。

それを、お兄ちゃんに伝えるだけ。

それだけの簡単な事だ。

口にすれば数秒で終わるような事が、中々に難しい。

 

先ず、私は同世代の人達と関わりがなかった。

あっても、私を見て悪口を言い石を投げてくるような人。

そんな一方的なコミュニケーションとはかけな離れたような関係しかなかった私には、彼に声をかけるというのが一大事。

次に、私から誘うというのも問題。

同年代の人達とはもちろん、家族ですら満足に何かに誘えたことがない私はどう伝えれば上手くいくかなんて全く見えない。

もしも、拒否をされたらどうしよう。

そんな疑惑が直前になって降り注ぐ。

誘ってくれたら喜んでいくのにな。

なーんて甘い考えが脳裏を過る。

でも、そんな事はない。

なかった。

……誘って欲しかったっていうのは内緒の話。

 

さて、こんな風に悩んでいるのだが実は誘うこと事態は終わっている。

しかも、お兄ちゃんも承諾してくれたのだからこの上なく満足行く結果で。

結果だけを見れば、満足だった。

昨日の悩んでいた私にこの事を伝えたらきっと、狭いベットでぴょんぴょんと飛び跳ねて喜びを表現していただろう。

それなのに何故落ち込んでいるかというと。

お兄ちゃん達と会うことが憂鬱?

それはない、絶対ない、間違いなくない。

お兄ちゃん達とまたお話できる。

これは、私にとって今の最高の楽しみになりつつある。

たった一日でこんなにも価値観を変えてくれた人達と接する機会にため息なんて相応しくない。

 

問題は過程にある。

 

私が誘う事に勇気を持てたのは、水汲みに行く時。

少し寄り道をしてお兄ちゃん達の仕事場に寄った時。

周りの子供達とは離れたところで桑を振り上げる姿を見てだ。

そう、その時だ

 

「お、お兄ひゃん!!」

 

離れたお兄ちゃんに聞こえるように、大声を出す事は意識していた。

緊張と興奮。

期待と不安。

そんな気持ちがぐるぐると頭の中を回り回っていた時に出した声は情けなく噛んでしまった。

恥ずかしい。

とても、恥ずかしかった。

周りの子供らが驚いた顔で私を見つめる中、お兄ちゃんは呆けた顔で桑を振り上げて止まっていた。

羞恥心で顔が赤くなる。

でも、言いたかった。

彼を蔑む皆の前で、私が彼と親しくなったと言う事を。

彼にだって誰かと仲良くなる権利があるということを。

私にだってあるはずだから。

 

沈黙が空気を包む中、私に向いていた視線は徐々に私と同じ方向に変わる。

次に視線に囲まれるた彼は、一人離れて呆けた顔で視線を会わせていた。

周りに人がいないから、皆直ぐにわかったんだろう。

一人、また一人と私に近づいてお兄ちゃんと関わることを咎める様な事を言い散らかす。

そんな事に構っていられない。

私には、言うべきことがある。

周りの言葉に悩まされる時間はなく、そんな余裕も余力もなかったから。

周りから離れていくようにゆっくりと近づいていく。

呆けた顔から溜息をつき、苦笑と共に桑を下ろす。

距離が近づき今にでも触れ合えそうな程に近づくとその顔が笑顔に変わる。

 

「どうかした?」

 

優しく、優しく言われたその声に応える前に彼の手を握っていた。

周りのざわめきが聞こえる。

「お、お兄……ちゃん」

やっぱり、恥ずかしい。

頭の中ではスムーズに言えた言葉。

たった数回口を動かすだけなのになんでこんなにも上手く言えないのだろう。

「あっあのね」

私よりも一回り大きい男の子の手。

暖かいこの手が私の頭を撫でてくれた。

この手がいつも、彼女を撫でているんだ。

いいな。

私もこの手で優しくされたい。

いつも、何時でも

羨ましいな。

よくわからない感情がこみ上げる。

顔に出さないように気をつけるけど、手には力が入る。

どうしてなのかはわからないけど。

 

そんな私を前に困った顔をしながら周囲を見渡すお兄ちゃん。

何度も何度も見回した後、申し訳無さそうな顔を一瞬して

「どうかしたの?」

そう言って、昨夜のようにやさしく頭を撫でてくれた。

あっ、と口から声が漏れると不自然な力は抜けていく。

気にしていた表情も和らぎ、自然な笑みが浮かび上がる。

これ、好きだな。

なんって思いながら私は彼に身を任せていく。

「クリスタさん?」

もっともっとと口に出すのは恥ずかしいから、頭を徐々に近づけていく。

綻ぶ顔も恥ずかしい。見せないように俯かせながら。

「あ、あの?」

もう少し、もう少しだけ。

そんな宛もない免罪符を内心かがけながら。

でも、我儘ばかりは言えない。

「今日ね、一緒にご飯食べてもいい?」

言えなかった言葉。

言おうとしても上手く言えなかった思いが不思議と出てくる。

きっと、お兄ちゃんが言う勇気をくれたから。

「聞いてみるよ」

要件は終わった。

そう言うように私の頭から手が離される。

物寂し気にお兄ちゃんの目を見つめると、顔を真っ赤にしながら頬を掻きながらそっと目をされされた。

私は見てほしいという気持ちを抑えきれずにジッと彼の横顔を見つめる。

「その、さ。仕事中だし恥ずかしいんだけど」

 

 

……お仕事?

慌てて周りを見渡すと、急な出来事に口を開けて各々驚いた顔をする子供達。

わ、忘れてた。皆に見られていた。

急にこみ上げてきた羞恥心に耳まで赤くなるのを感じる。

「ご、ごめんなさい!!」

数歩後ずさりながら誰に対してわからない謝罪を言う。

あぁ、やっちゃった。

仲良くなったと、仲良くなれると皆にみせたかっただけなのに。

「や、約束だからね、忘れないでね!!」

そう言い残して逃げるようにその場から走り出す。

わかったと言う声に安心感を抱きながら。

 

「はぁっ」

何度目になるかわからない溜息をつきながら、自室のベッドに横たわり時計を見つめる。

昨日と同じ時間に行けば、多分会える。

約束の時間すら決めてないなんて自分が情けない。

腕に抱いた枕を強く抱きしめながら顔を埋める。

……お兄ちゃん、怒ってるかな。

でも、頭を撫でてくれたのはお兄ちゃんなわけで。

私から撫でて欲しいとは言ってない。

言ってないから。

でも、私が傍に行かなければあんな風にならなかったわけで。

でも、どうしても一緒に食べたかった。

うんうん。

一緒に居たかった。

あの二人と、少しでも一緒に。

 

息が苦しくなるぐらい埋めていると、不気味な言葉が頭を過る。

次に浮かぶのは、お兄ちゃんの顔。

恥ずかしそうに顔を赤く染めながら頬を掻く彼の顔が。

彼の顔だけが、頭に浮かぶ。

なんでだろう。

きっと、今日は彼女に会ってないからだ。

そう自分を納得させながら。

時計を見る。

決めている時間にはまだ早い。

だけど、落ち着かない。

早く、早く時間にならないかな。

そんな風に思っていると、胸の中が楽しみで満たされていく。

あぁ、早く会いたいな。

 

 

 

 

結局昨日よりも30分早く食堂に着いていた。

自分の事だけど情けない。まるで待ての出来ない犬みたい。

自分で思って笑みが浮かぶのは、それだけお兄ちゃんと会うのが楽しみだからだろう。

気持ちが高揚する。

さっきまで恥ずかしさに悶てたなんて嘘みたいだ。

単純なんだな、私って。

こんな事にも気づかなかった。

でも、思い返すといつもそうだ。

私はいつも、どんなに嫌な思いをしてもお母様が傍にいれば直ぐに笑顔になれた。

……たとえ酷いことを言われても、されてもあの頃の私はそれが全てだった。

それでも私は嬉しかったのだから。

お母様。

目を閉じるとお母様の顔が浮かび上がる。

その顔は決して笑顔なんかじゃない。

それと対局的な、とても----

 

「クリスタさん?」

急な声に驚きつつ顔を上げる。

心配そうに見つめるお兄ちゃんがそこにはいた。

横目で時計を見ると、何だか見づらい。

何故だろう、少し歪んで見えた。

「……ごめん、待たせたね」

そう言いながらポケットから白いハンカチをとるとそっと、私の目尻に触れる。

あぁ、そっか。

泣いてたんだ。

そこで自分の事に気づいた。

「ごめんね、早く来すぎると昨日みたいに誰かにあって……その……」

「ううん、私が時間の約束してなかったから悪いの」

「ごめんね」と2人の言葉が重なる。

……なんだか、謝ってばかりだ。

こんな言葉が重なるなんて。

互いに呆けた顔をして、すぐに小さく笑い出す。

やっぱり私は単純だ。

お兄ちゃんと言いたい事が重なる、思いが重なるだけでこんなにも嬉しくなるなんて。

両目の涙をふいてもらうと時間がよく見えるようになった。

勝手に決めてた約束の時間よりも10分早い。

お兄ちゃんも楽しみにしてくれてたのかな。

そう思うと、口元な緩くなる。

 

「行こうか」

その声で私は彼の横に着く。

食堂に置かれたトレーが3つ。

昨日と同じでスープとパンが乗ったそれを、お兄ちゃんが2つ、私は1つ持って行く。

今から始まる楽しみを思うと浮足立っていく。

小さな声で、ささやかな雑談を楽しみながらただ願う。

ずっとこんな楽しみが続けばいいのに、っと。

 

 

 

 

 

小さな部屋に招かれた私を待ち受けていたのは小さな悪魔の笑みだった。

悪戯な笑みを浮かべた小悪魔は、隣に座る私に今日の出来事をからかってくる。

お兄ちゃんが一部始終を話したらしい。

恨むよ……。

っと思って睨むと片手を立てて謝罪のポーズをとる。

一言二言文句を言いたかったけど、同じく顔を赤くするお兄ちゃんを見て控える。

彼女には私達がどう映るのだろう。

少なくとも、真っ赤な顔には気づいたみたいでますますその口先が走り出す。

その都度思い出し、恥ずかしくなる私を見かねるとお兄ちゃんが頭を軽く叩いて嗜めていた。

不機嫌そうな顔をして私の肩にもたれ掛かるたびに、膝上にあるトレーを落とさないように強く掴む。

 

「でも、クリスタさんみたいな可愛い女の子に甘えられて嬉しいんでしょう?」

「か、可愛くないよ」

「そんなことないよ、私もクリスタさんみたいに可愛くなりたい」

「妹ちゃんも可愛いよ」

[本当に!?]

彼女はとても可愛らしい。

私よりも小さな背丈で、痩せ細った身体。

あまり、健康的とは言えないけど儚げな少女とはこう言うのだろう。

私の言葉に自信も持ったのか、今度はお兄ちゃんの腕により掛かり「可愛いい妹だよ」と笑みを浮かべる。

「はいはい、可愛いい妹は静かに食べような」

そう言いながら手にしていたパンを一口にちぎって彼女の口に運ぶ。

彼女もまた、それを狙っていたかのように大きく口を開けて運ばれたパンを含めた。

その姿に言葉を失う。

いいな

って、口を開けば出てしまいそう。

私もやって

って、言う気持ちを抑えきれないだろうから。

「えへへ、お兄ちゃん大好き」

お兄ちゃんの腕により力を加えて寄りかかる。

そっと両手でその大きい腕を絡めながら。

「恥ずかしいんだけど」

「クリスタお姉ちゃんは家族だから恥ずかしくないもん」

「……恥ずかしいんだけど」

手に余る妹から目をそらしていると、私の視線とぶつかった。

やっぱり頬を赤く染めながら「辞めなさい」と咎めると意外とすんなりと外れてくれた。

「えへへ、クリスタお姉ちゃんばかり優しくした罰だよ」

満足気にそう言うと自分のパンを掴んで小さな口に運んでいく。

兄妹なんだな。

真っ赤になった顔は、とてもお兄ちゃんと似た雰囲気だった。

 

「クリスタさん」

妹ちゃんが食べ始めたのを見て、お兄ちゃんは私を見る。

「その、人前で俺と関わるのは辞めたほうがいいよ」

「……イジメられるから?」

その答えに静かに頷く。

「もう遅いかもしれないけど」

「大丈夫だよ、慣れてるもん」

やっぱり兄妹だ。

驚いて大きく目と口を開けるその顔は、とてもよく似ていた。

 

「お姉ちゃんイジメられてるの?」

おどおどとしながら尋ねられる。それに首を頷く。

少し俯いて考えると、直ぐに顔を上げる。

「なんで、イジメ----むぐっ!?」

「駄目だろ、そんな事聞いたら」

その小さな口を塞いだのはお兄ちゃんの大きな手だった。

申し訳無さそうに顔を伏せるとやっぱり「ごめん」って謝った。

「人に話したくない事なんてあるから、変な詮索は辞めなさい」

「……うぅ〜」

唸るように手から声を出す妹ちゃん。

でも、数秒程唸るとお兄ちゃんの言い分が正しいと思ったのだろう。

唸るのを辞めたら直ぐに口から手が外されて「ごめんなさい」とやっば謝った。

「別にいいよ、大した話じゃないし」

私からしたら、それが日常だった。

だから、理不尽な痛みに怖いとは感じても嫌だとは何処か思えなかった。

ずっと、そんな日々が続くと思ってたから。

だから、余計に今が楽しい。

こんな風に優しくしてくれる人に出会えた事に。

 

「ねぇ、今日は皆の思い出話しよ」

変な空気に敏感に反応した妹ちゃんは手を叩いて小さな音を鳴らしながら話し始める。

「お姉ちゃんの昔話聞きたいな」

「私の?つまらないよ?」

「聞きたいもん」

肩にそっと頭を置かれる。

「クリスタさんもお兄ちゃんの事聞きたいでしょ?」

お兄ちゃんに聞こえないようになのか、小さな声で言われた囁きに全力で首を縦に振る。

「言いたくないことは言わなくてもいいから」

お兄ちゃんも妹ちゃんの意見に賛同したのか、補足をしてくれた。

これは私の事を知りたいなら乗ったのか、それともただの話題作りだからか。

……私のことを知ってほしい。

そう思う。思っていて欲しい。

 

「じゃあ、お兄ちゃんの話から」

「俺とお前は一緒だろ?」

「私は私であるもん」

プイッと可愛らしく顔を背けながらまた彼の腕にもたれ掛かるように倒れる。

「わかった」

溜息交じりに彼女の頭をそっと撫でる。

私も撫でて欲しいな、なんて思いながら彼の話に集中する。

 

「妹は昔から病気で身体が弱かった。

だから、お母さんに言われてずっと傍にいたんだ。

お兄ちゃんだから、面倒を見てあげなさいって言われて」

それは今の二人を見てわかる。

とても、大切な存在だと言う事を。

「友達も特にいなかったしね」

妹ちゃんの鋭い指摘に「わるかったな」とバツの悪そうな顔をする。

「普通の家族、普通だったんだ」

ウォールマリアの陥落

それはそこに住む人達を、いや、この世界の人達を狂わせるには十分すぎる出来事だった。

てっきりその話をすると身構えていた私は、次の言葉に驚くことになった。

「ウォール教って知ってる?」

ウォール教

名前だけは知っている。

いや、知ったばかり。

昨日オーナーが話していた事だ。

「俺が4歳の頃お母さんがウォール教に入信したんだ」

「お母さんが?」

「私もだよ」

アピールするように手を伸ばす彼女は、お兄ちゃんが口を開く前に話し出す。

「ウォール教はね、凄いんだよ。司祭様のおかげで私の病気も少し良くなったの」

「薬のおかげだろ?」

「お医者さんを紹介してくれたのは司祭様だもん」

まだ語りたいことが一杯あるのだろう。

お兄ちゃんの目の前にばってんを指で作って黙らせた。

「お父さんもお兄ちゃんも教えを聞いてくれないんだよ?お父さんは遠くにお仕事に行っちゃったし、お兄ちゃんなんて私がウォール教に居たからここにこれたのに」

「……感謝してるよ」

渋々といった様子でお兄ちゃんは言う。

私を見る彼女には見えないだろうけど、お兄ちゃんの目は何か、何だか怖かった。

「でね、ウォール教はね周りを囲う壁を信仰してて----」

「話が逸れてるぞ」

仕返しと言わんばかりに彼女の口元にばってんを作って静かにさせた。

むぅっと口籠るが、確かに話しは逸れていた。

わざとらしく咳払いを彼女はする。

小さな容姿と相まって、大人ぶる態度に思わず頬が緩んだ。

「それに俺の話だ。おまえの話はまた今度な」

「次!!次私が話す!!」

勢いよく手を伸ばす彼女の頭を優しく叩きながら「はいはい」と宥める。

気がつけば怖い瞳は鳴りを潜め、いつ物優しさを宿していた。

 

そこからの話は家族---というか、妹ちゃんとの事ばかり。

3歳の時におねしょをして怒られたくないと泣きつかれたから変わったこと。

お母さんの大切にしていたコップを割ってしまったから、代わりに怒られた事。

彼女が元気な時に買い物等の外に行くお手伝いをしていたこと。

そして

「たまたまだったんだ」

楽しい話は徐々に暗くなっていく。

結末は、わかっていた。

「たまたま、妹と買い物に行っていた時に巨人が来たって言われて……」

今度こそ本当にウォールマリア陥落の話。

「近くにいた駐屯兵団の人達に助けられて、俺達はここに来れた。母さんも父さんも……会えなかった」

「そっか」

それしか言えなかった。

なんて言葉を掛ければいいのかわからない。

二人は悲痛な表情をしながら互いに体を寄せ合っていく。

「だから、今の俺達は二人家族。二人で頑張るって決めたんだ」

その言葉は誰に言っているのだろうか。

呟くように言うそれは、まるで言い聞かせてるように聞こえた。

頑張ると言い聞かせてるように。

「……違うよお兄ちゃん」

そっと彼の頬に手を当てながら彼女は伝える。

「今は、お姉ちゃんもいるもん」

「……そうだね、そうだった」

視線を私に移す。

だけど、眼と眼が合うとすぐに避けられた。

なんで?

別に私のことを見てくれてもいいのに。

そんな気もちが一杯になると、お兄ちゃんは立ち上がる。

「もう遅いし、食器を片付けてクリスタさんを送ってくよ」

「えーっ、まだ早いよ」

「明日また会えるから」

明日

また明日

「私、明日も来ていいの?」

急な誘いに思わず聞き返す。

二人を顔を見合わせてすぐに私の顔を観て

「もちろん」

と満面の笑みで答えてくれた。

嬉しい。

こんな風に、暖かく受け入れてくれることが

こんなにも嬉しいなんて。

「ありがとう」

そう自分の気持ちを精一杯に伝えた。

自分が出来る、最高の笑顔で。

 

 

 

 

お兄ちゃんの隣でトレーを自分の分の運ぶ。

行きとは違って、帰りは何も話さない。

私から声をかけようとしたけど、横顔からでもわかる程難しい顔をしていた。

私なにかしたのかな?

やっぱり来るなって言われたらどうしよう。

怖くて何も言えない。

食堂に来てすぐの事。

トレーを返却口に置いてお兄ちゃんはようやく其の口を開いた。

「もう少しだけ、話したいんだ」

「うん、分かった」

昨日今日とお兄ちゃんの顔を色々と見てきた。

人付き合いが全くない私からしたら、もしかしたら今まで一番接してきたのがお兄ちゃんと言っても過言ではないだろう。

そんな彼が見せる表情は、見たことない程苦しそうな、助けて欲しそうな顔。

卑怯だな。

そんな顔されたら、何を言われても断れないよ。

そう思いながら、即答した私に笑みを浮かべる。

でも、やっぱりどこか苦しそう。

 

どうすれば彼を少しでも楽にさせてあげられるのだろう。

今まで、こんな風に思ったことも、考えたこともなかった。

いや、そんな風に思える程人と関われなかった。

だから、お兄ちゃんは特別。

私と人との関わりを教えてくれた、特別な人。

そう、思った。

「大丈夫」

優しく、優しく言うように心掛ける。

「大丈夫だよ」

隣で苦しむ彼をそっと抱き寄せながら。

「私がそばにいるからね」

徐々に力を入れながら。

「私だけは、あなたの傍にずっといるからね」

……なんで、こんな事を言うんだろう。

自分の言葉を疑問に思いながら何度も伝える。

あぁ、そうだ。

私が、こう言ってほしいんだ。

言ってほしかったんだ。

お母さん

私が苦しい時、そう言ってほしかったんだ。

悲しい時に苦しい時に優しく、ただただ優しく言って欲しかった。抱きしめて欲しかったんだ。

それを望んでも叶わないのを知っていた。

だから、傍に居てくれるだけで満足してたんだ。

 

……おかしいな、ほんの少し前の自分の気持ちも事もわからなかったなんて。

やっぱり、お兄ちゃんは特別だ。

そう思う。

私に何かを教えてくれる。

たいせつな、何かを。

肩を震わせる彼の頭を抱き寄せて、私の肩に押し当てる。

頭一つ分高い彼は、少し屈みながら私の気持ちを受け入れてくれた。

嬉しい。

私を受け入れてくれることが、こんなにも嬉しいなんて。

彼は呟く。

小さく、か細い声で。

聞き慣れてきたその言葉を

 

ありがとう

 

お礼を言いたいのは私の方。

私を受け入れてくれてありがとう

私の話を聞いてくれてありがとう

私と話をしてくれてありがとう

私と出逢ってくれてありがとう

私を-----

 

様々な意味をなさない込めて、そっと彼の頭を撫でながら伝える。

 

 

ありがとうっと。

 

 



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病みつきクリスタ4

令和になりましたね。
気持ちを改めて、最低月一で更新できるように頑張ろうって思います。
アンケート機能というのを見つけました。試しにやってみたいと思っています。(よくわかってないのですが)
上手くできてたら、協力して頂けるとありがたいです


クリスタ・レンズ

出会って間もない彼女。

急に変な事をする時があって、見ていても面白い。

ここに来て出来た初めての友人。

俺の事を兄と呼び親しんでくれる少女。

 

何故だろう

彼女の傍にいると、安心してしまう。

雰囲気……なんだろうか。

可愛らしい彼女の微笑みは妙や安らぎを感じる。

ここに来て、こんな風に人と触れ合えるなんて思ってなかった。

皆俺を、俺達を除け者にするのだろうと思っていた。

でも、そうじゃない。

彼女は、違った。

優しく、俺達を人として接してくれた。

 

ありがとう

 

何度目になるかわからないから礼の言葉を内心呟く。

震える俺を抱きしめて優しく微笑み少女にむけて。

……天使っか。

あながち間違っていないのかもしれない。

もしも、天使がいるとするならば彼女の事を指すのだろう。

 

少なくとも俺は、そう思う。

思っていた。

今になって思う。

この時に、いや、もっと前から感じていた違和感に目を向けていればこうはならなかった。

彼女が俺達にいや、俺に何を求めてるのか。

その回答を見つけれていれば、ああはならなかったと思う。

 

クリスタ・レンズ

可憐な少女

天使のような優しさを持つ彼女

人との繋がりに飢える少女

家族の愛を知らない子供

 

俺は甘えていたんだ。

彼女に?

いや、違う。

都合のいい現実に。

でも、すぐに知ることになるんだ。

真っ赤な部屋に横たわる彼女を見て。

 

この世界は不条理だ。

弱い人からモノを奪う。

かけがえのない、タイセツなモノを。

容赦なく、力づくに、一方的に。

あぁ、俺は____

俺達は、これ以上に何を奪われなければいけないのだろうか。

教えてよ

教えてくれ

 

クリスタ

 

 

 

 

私はベッドの上に横たわり、止まらないニヤケ顔を鏡で見る。

お兄ちゃんが教えてくれた。

お兄ちゃんと私だけの秘密。

お母さんは巨人が来てから行方不明。

お父さんはお母さんが宗教に嵌っていく姿を見て離婚をした。

小さかった彼女には言えなかった秘密。

そして

 

彼もまた、母親から愛されなかったという事実。

いや、実際は愛されていた。

でも、ウォール教に入ってから変わったという。

何も知らない彼女は素直に入信して褒められていた。

でも、お兄ちゃんは違う。

ウォール教のせいで喧嘩する両親を見て、怖くて入らなかったという。

そんな彼は、事あるごとに母親に虐げられていた。

妹ちゃんにバレないように、バレない所で。

私もそう。

お母さんからの愛を知らない。

私も彼も、愛情に飢えている。

そんな、気がする。

こんな惨めな事だけど、お兄ちゃんとの共通点というのだけで嬉しくなるのはなんでだろう。

……でも、お兄ちゃんは違う。

母親から愛されなくても、妹に愛される。

そんな彼女を溺愛している。

二人は仲が良い。

関わってすぐの私でも嫌と思うほどわかるぐらいに。

彼女はお兄ちゃんの事を何と思っているのだろう。

気がつくと自分の顔が暗くなっていた。

……だめだよ、家族なんだから。

二人は仲の良い兄妹。

仲の良い家族。

それだけなんだ。

……いいなぁ

 

瞼を閉じると二人の顔がちらついていく。

妹に抱きつかれて優しく頭を撫でる姿を。

私もいつか、あぁなりたい。

家族に?

お母さんに?

お兄ちゃんに?

……誰に抱きつけばいいんだろう。

誰なら私の事を受け止めてくれるんだろう。

少ない人間関係の中から、色んな人の顔を思い出す。

一人一人に抱きつくイメージをしていると、最後に思い出したのは彼の顔。

抱きつくのではなく、抱きつかれた彼の顔。

いつも何処か澄ました顔でいるお兄ちゃん。

妹の前では優しく微笑む兄の顔。

でも今日は、さっきは違った。

今にも泣きそうな彼の顔。

私だけが知っている。

また自分の顔がニヤけてきたのがわかる。

また、彼が苦しい時は抱きしめてあげよう。

そして私が苦しい時は___

来る日に思いを馳せながら、私は意識を手離していく。

彼に甘える姿をイメージしながら。

 

でも、私が甘えられる日も甘える日も来る事はなかった。

1ヶ月。

私がここに来てから1ヶ月の間は幸せだった。

昼は馬たちのお世話をして、夜はお兄ちゃん達とお話をして。

たまに頭を撫でてくれて、それが凄く嬉しくて幸せで。

嫌なことなんて何もなかった。

毎日が幸せで一杯の日々。

些細な事はあった。

子供達に無視をされるようになった事。

でも、本当に些細な事。

無視されるだけで、小石を投げられることもない。

だから痛くない。

そもそも、私も余り話しかけることはないから。

ここでの私の世界はお兄ちゃんと妹ちゃんだけ。

そんな風に感じる気がして、寧ろ嬉しささえあった。

三人で支え合って頑張ろうって気持ちになれたから。

でも、それは1ヶ月だけだった。

いつものように夕食時に遊びに行くことを伝えに行くと、何時も笑顔で応えてくれるお兄ちゃんは何故だか複雑そうな顔をした。

そのまま、私に言った。

「ごめん、今日は無理なんだ」

急な言葉に理解が追いつかない。

誘っておいおかしいけど、断られるなんて思っていなかった。

だから、呆然とその場で立ちつくしていた。

お兄ちゃんは心配してくれたのだろう、慌てて

「明日は食べれるようにするから、だから、今日だけは」

「ごめん」っと申し訳無さそうに顔を背けて言うお兄ちゃん。

その顔は罪悪感を一杯にしていた。

お兄ちゃんが断ったわけじゃない。

妹ちゃん?

なんで急に?

思い当たる節なんてない。

昨日も一昨日もその前の日も私は何もしていなかった。

いつも通り、普段通りに接していたのだから。

でも、今日だけ。

1日ぐらいあるよね?

1日だけだよね?

自問自答を繰り返しながら精一杯の笑みで「わかった、何時も来ててごめんね」と伝える。

「ごめん」

その言葉が嫌に胸に残る。

「別にいいよ、今日ぐらい。たまには兄妹で過ごしたいんじゃないかな?」

「だといいんだけど……」

副作用顔をしていたのを覚えている。

でも、その後何を話していたのかまでは覚えていない。

其処まで余裕がなかった。

私の心に、そんな余裕はなかったから。

 

1日だけそう言い聞かせる。

夕食は食堂出一人て食べた。

隅の籍で食べているとオーナーが同席してくれた。

何を離していたか覚えていない。

でも、心配そうな顔をしていた。

1日だけ。

ベッドで横になっても寝付けない。

明日も駄目だったらどうしよう。

そんな不安が一杯で、明日を迎えるのが怖かった。

覚えている。

全く眠れないままお兄ちゃんの所へ朝早く行ったことを。

目の周りの隈を心配してくれていた事を。

そして___

 

「ごめん」

 

そう言われて、誘いを断られた事。

泣きそうになるのを抑えながら、早足でその場を去っていった。

そう。

あの日から、お兄ちゃんもまともに接していない。

妹ちゃんなんて顔すら見れていない。

私が何をしたんだろう。

教えてくれれば直すのに。

気をつけるのに。

そんな不満を駆け巡らせながら、灰色の日々を過ごす。

辛い

とても、辛い。

急に私一人だけのけものにされた事に、私だけ世界から弾かれた事に。

ベッドで涙を流す日々が1週間程続いていた。

 

そんな時にも時間は過ぎて世界は回る。

馬たちのブラッシングをしていると、暖かい感触が伝わってくる。

その暖かさが人をより恋しくさせる。

人というより、お兄ちゃんを。

今日も誘おう。

断れるかな。

今日こそ、大丈夫。

大丈夫だよ。

「……さん?」

言い聞かせる言葉に自信がなくなってく。

おかしいな、馬たちのお世話をしてる時は辛い気持ちがなくなってくのに、この気持ちは無くなるどころか大きくなる。

お兄ちゃん

……寂しいよ。

「クリスタさん?」

「ひやっ!?」

急に肩に手を乗せられて思わず変な声がでる。

久々に呼ばれた私の名前。

期待して振り向くと、そのには心配そうに見つめるオーナーがいた。

お兄ちゃんじゃない。

残念な気持ちを顔に出さないように笑顔をつくる。

 

「オーナー、どうかしましたか?」

見ると黒い服に見を包み、足元には大きめのカバンが置いてあった。

出かけるのだろうか。

そんな推測をしてる私に嘆息すると周りを見渡す。

人気のないことを確認すると、一礼し「先日もお伝えしたのですが」と続ける。

「今日から内地に出かけてきます。その間に何かあればマルコスに申し付けて下さい」

「なにかって何をですか?」

思わず素朴な疑問が口に出る。

笑みを深くしながら私の耳元に顔を寄せると囁いた。

「何でもです。欲しいものを強請っても嫌なものを消してほしいでも、何でも」

その囁きに目を見開いて反応してしまった。

欲しいものと言われ、お兄ちゃんの顔が思い浮かぶ。

でも

「……大丈夫です」

強請った所で手に入らない。

そう理性がブレーキをかける。

少しでも距離を摂りたい。

この囁きから離れたい。

今の私には、余りにも魅力的過ぎるから。

一歩二歩と後ろに下がるとオーナーはポケットに手を忍ばす。

「差し当たっては、こちらをお渡ししておこうと思いまして」

そう言うと私の眼前に鍵がぶら下がる。

何処かの一室の鍵だろうか。

「最近食事を食堂でとるようになられた。兄妹と何かあったと思ったのですが、兄の方とは良好な様子」

ぶら下がる鍵に目が食いつく。

話の流れからして検討がついたからか。

 

「妹ちゃんと何をしているか気になりませんか?」

一息おいたその言葉に息を飲み込む。

何をしているのか、気になる。

もしかしたら、ただ普通に食事をしてるだけかもしれない。

だとしたら、私が嫌われたということ。

……胸が痛む。

でも、何かしているのなら。

それが終われば私とまた話してくれる。

お兄ちゃんと、話ができる。

ぶら下がり鍵が左右に揺れる。

その度に私の視界も揺れ動いた。

「どうぞ」

数回揺れた後に、そっと私の手に置かれた鍵を食い入るように見つめる。

これを使えば、何かがわかる。

でも、使えないよ。

だって、勝手に部屋に入るなんて、盗み見るなんていけない。

理性が私の思いの邪魔をする。

欲望に駆られてはいけない。

そう思うと、鍵を返すべきなんだ。

目の前で不敵な笑みを浮かべる人にこの鍵を返すべき。

いらないっと言って返すだけ。

簡単な事。

でも、それが出来ない。

手も口も動かない。

そっと目を閉じる。

前もあった。

言いたいことが言えなくて、やりたいことがやれない時。

お兄ちゃんがそばにいてくれた。

彼の顔を思い出す。

優しく微笑み、頭を名出てくれる彼を

これをいらないという勇気が欲しい。

でも、だめ。

彼の顔を思うと、気持ちとは反対に鍵を強く握り締めてしまった。

 

「私は来週帰ってきますので、その時に返却して下さい」

私の様子を見て満足した顔をしてオーナーは一礼する。

そして、後ろを向いて歩きだしていった。

返さなきゃ

でも、来週には返さなきゃいけないんだ。

……1週間だけ使っても、いいよね?

自分の罪悪感に言い訳を重ねながら、鍵を握りしめる手を胸に当てる。

徐々に小さくなるオーナーを見つめながら。

私が気づいたのはオーナーの姿が見えなくなった後。

不気味な笑みを浮かべていることに気づいてしまった。

 

 

 

 

 

 

簡単な話、借りた鍵を使わないで1週間を過ごせばいいだけ。

そうすれば、私は悪い子じゃない。

そう思う頭はあった。

でと、思うだけでは駄目。

体は自分の気持ちに従ってしまう。

理性なんかじゃ抑えきれないこの気持ちに。

思いが爆発したのは単純。

今日もお兄ちゃんに断られたから。

その時に思ってしまった。

強く、強く。

いけない子だ。

ばれたらお兄ちゃんに怒られるかな。

なんて思いながら、今では懐かしさを覚える時もの時間よりも少し遅く部屋を出た。

出てからは理性のブレーキは無くなる。

頭の中はお兄ちゃんの事でいっぱい。

なんて私を拒むのか、その理由は何なのか。

それだけが頭の中に残っている。

 

先週まで私の世界とも言えた兄妹の扉の前につく。

深く深呼吸をして、頭の中をリセットする。

もう、やめようなんて考えはない。

おかしいけど、そんな選択肢はなかった。

鍵を使ってそっとあける。

物音を立てないよう気をつけながら、徐々に徐々に。

 

「お兄ちゃんはーやーくー」

最初に聞こえたのは猫なで声で甘える彼女。

口を大きく開けながらお兄ちゃんに何かを強請っていた。

お兄ちゃんは神妙な顔つきで手にしてるパンを見つめる。

「なぁ、辞めないか?こんな事に意味なんてないよ」

「お兄ちゃんは教えを知らないからそんな事言うんだよ。」

口を閉じてぷくぅっと頬を膨らませる彼女。

コミカルな対応とは反対にますます顔つきが険しくなっていった。

何をしてるんだろう。

目の前の光景を一つ一つ整理しながら、それでも二人の動向を見守る。

「お兄ちゃん、これは私達が天国に行くための儀式なんだよ?」

天国

儀式

教え

なんの話をしてるのだろう。

少なくとも、これから起きることが、いや、起きていることが私を遠ざけた理由なんだろう。

それだけははっきりとわかった。

 

待ちわびた彼女は彼の胸に頭を当てる。

羨ましい

素直にそう思う。

私はまともに放すことすら出来てないのに、彼女は何時でもそれが出来る。

同じ妹なのに。

でも、違うか。

自傷気味の笑みを浮かべる。

私は家族じゃないから。

じゃあ、なんなんだろう。

私は妹で、家族じゃなくて___

私はお兄ちゃんの何?

頭の中に溢れる疑問符。

それに対する解答を探す。

二人は何かを囁いている。

お互いに、私には聞こえないように。

もちろん、そんな意図はないだろう。

けど、嫌だ。

私だけ除け者なんて嫌だ。

私はお兄ちゃんの秘密を知ってる。

彼女じゃ知り得ない事まで知ってる。

それだけじゃ、駄目なの?

もっと傍にいれば家族になれるの?

わからない

教えてよ……お兄ちゃん

 

泣き崩れそうになった。

なんでだろう。

私だけ部外者と言われている気がしたからだろうか。

でも、必死に堪えて目の前の光景を見る。

彼女の姿を自分に写しながら。

そんな風に見てた時。

ふと、彼女と目があった気がした。

慌ててしまう。

バレてしまった。

肩が大きく震えたのを感じながら、ドアを締めて逃げようとする。

逃げたいという思いはある。

でも、動かない。

手も足も。

なんでだろう。

バレたらお兄ちゃんに嫌われちゃうかもしれないのに。

……行かなきゃいけないのに。

 

そっと彼女が離れる。

初めにみた光景と同じように大きく口を開けた。

お兄ちゃんは深々とため息をつく。

手にしたパンと彼女の顔をで視線が往復する。

数回繰り返すとまたため息をついて、目を細めて何かを決めたような顔つきになる。

何をするんだろう。

私は目の前の世界に釘づけになる。

そこからは普通だ。

手にしたパンを自分の一口サイズよりも小さく千切って口に入れる。

ただの食事。

私がいた頃と変わらない。

嫌われていたのかな。

そう思うと身体中から力が抜けてきた。

音を立てないように気をつけながら、その場で膝から落ちていく。

堪えていた涙が溢れていく。

お兄ちゃん、私のこと嫌ってたのかな。

そう思いながら、彼を見つめる。

言ってくれれば、いい子になる。

だから、嫌わないで

叫びたい願いを内心叫ぶ。

少しして、違和感に気づく。

口にしたパンを永遠と咀嚼していた。

飲み込むことはせず、複雑そうな顔をしながら咀嚼するだけ。

そんなお兄ちゃんを見守りながら、彼女は口を開けたまま真っ直ぐ見つめていた。

更に数秒程続いた後、彼女は不機嫌そうな顔をする。

「遅い」

端的伝えると、お兄ちゃんの首に手を回してお互いの顔を近づけていく。

口と口は直ぐに合わさった。

 

「___ッ!?」

溢れ出る声を押されるように自分の手を口に強く押し当てる。

目の前の光景は、キス、っと言うのだろう。

始めてみたその行為になのか

行ってる相手になのか

それとも、お兄ちゃんが無理矢理されていることになのか

それとも、全てになのか

私は今迄にない衝撃を受けた。

驚きが勝ったのか、溢れ出ていた涙も枯れて両目は大きく見開くことしか出来ない。

何をしてるんだろう

ただキスをしてるだけではない。

目を無理矢理にでも細めてよく観察する。

観察して、すぐにわかる。

本で読んだことがある行為だ。

ただ、人がするとは知らなかった。

口移しというものを。

親鳥が小鳥に餌をあげる時にやるものだとばかり思っていた。

 

でも、なんでお兄ちゃんがそんな事をするの?

なんで?

妹にだから?

妹にだったら、何でもしてあげるの?

だったら

だったら、私も妹だよ?

お兄ちゃん?

私はいいの?

どうでもいいの?

いや、いやだよ

捨てないで

お兄ちゃんだけなのに

私の事を優しくしてくれるの、お兄ちゃんだけなのに……!!

 

さっきまで動きたがらなかった身体が不思議と動く。

その場を立ち上がって、目の前の光景を拒絶するようドアを締めていく。

その時だ。

今度は、確かに目があった。

嬉しそうに微笑む可愛らしい笑みと。

私はそっとドアを閉めた。

 

どうすればいい?

私は、どうすれば彼女みたいに愛してもらえる?

わからない

あんな勝ち誇ったような笑みを浮かべられて、私は逃げることしか出来ないの?

同じ妹なのに?

なんで、どうして

嫉妬なんだろう。

初めての感情は私の全てを支配していく。

本で読んだことがある。

誰かを愛していれば愛しているほど、嫉妬してしまうと。

私の全てを支配するぐらい、私はお兄ちゃんを愛している。

家族として?

兄として?

男性として?

わからない。

でも、そんな事はどうでもいい。

私は、お兄ちゃんを愛しているんだ。

そう、思えた。

この気持ちが大切と思う。

この気持ちを大切にしたい。

けど

ふと人影が見える。

階建の前までいつの間にか来ていたみたいだ。

踊り場では、マルコスさんが私と目が合い一礼をしていた。

 

「クリスタさん、オーナーからきいてると___」

「欲しいものがあるの」

マルコスさんの話を遮って出た声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。

縋るような思いで声に出す。

気持ちと共に身体が階建に向かって歩き出す。

「それは、何を欲しいんですか?」

「家族が欲しい」

階建前までついて、歩みを止める。

手すりに手をかけて、上にいるマルコスさんを見る。

態とらしく驚いた顔をされた。

「家族っというと、父親の役なら俺が」

「あなたじゃない」

私が欲しいのは、あなたじゃない。

私が欲しいのは、決まった。

私が欲しいのは家族は、決まってた。

「お兄ちゃんが欲しい」

目の前の段差を上っていく。

一つ、一つとゆっくりと。

踊り場に着くと、笑いを堪えていたマルコスさんの前に立つ。

何がそんなにおかしいの?

私の願いを笑わないで。

両手に力が入ってく。

握った拳は爪が食い込んできて痛みを感じ始めた。

 

「私は、あのお兄ちゃんが欲しい」

 

もう一度宣言する。

私の願望を。

マルコスさんは笑みを浮かべたまま頭を下げる。

わかりましたっと言いながら。

 

 



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病みつきクリスタ5

「お兄ちゃん」

甘えた声に応えるようにそっと妹の頭を撫でる。

「ふふふっ、明日もよろしくね」

辟易した俺とは対象的に満足そうに微笑む彼女に何も言えず、ため息をつくことしか出来なかった。

 

口移しで食べさせてほしい

唐突に提案されたそれに初めは理解が追いつかなかった。

いや、今でもか。

理由を尋ねるとそれで幸せになるとかどうとか。

その話を聞くと、ウォール教の事を思い出す。

母さんもよく言っていた。

幸せなんて、与えられるものじゃないのに。

それに気づかない人が嵌るのか、入ってしまったから気づかなくなるのか。

気にはなるが、試そうとは思わない。

それよりも

「明日はクリスタさんも来てもらおうよ」

妹からの提案にそっと首を振る。

こんな姿、恥ずかしくて他人様に見せられやしない。

「クリスタさん、もう大丈夫だと思うよ?」

「大丈夫って、何が?」

「ふふふっ、明日聞いてみたら?というより、明日はクリスタさんにもやってあげたら」

「ふざけるな」

叩きやすい位置にある頭に向かって軽く手を置く。

痛くもないのに「いたいっ」と呟く妹。

大体、家族ですら恥ずかしいのにクリスタさんになんて……。

少しだけ想像して、もう一度首を振る。

きっと、彼女も嫌がるだろう。

 

「でも、寂しいよ」

背中を向けたと思うとその小さな体を俺に押し当て、背もたれ代わりにした。

「せっかく知り合ったのに、最近全然お話できてない」

「お話したいなら、こんなことやめよう」

「だーめ」

1週間も続くあの行為に未だに慣れない。

いや、慣れたくないのだろう。

兄妹だからって、あんな事したくない。

……きっと妹もそう思っている。

「もう少し、もう少しだけ」

呟くような言葉を聞きながらそっと彼女の頭を撫でる。

 

2週間

それが、この儀式とやらをやる期間だという。

インチキくさいこの話に俺が付き合うのはやはり、妹からのお願いという側面が強い。

本当はしたくない。

普通の仲の良い兄妹。

そんな関係が一番だ。

でも、思うだけで強く口にできないのは俺の弱さだろう。

断ったらどうなるのか。

そのイメージが出来ないから。

母さんにウォール教に来るように何度も誘われていた。

断る度に、人が変わったように怒鳴りつけ、殴られていた。

普段は怒ることなんて滅多にしなかった人が。

もしも

もしも、妹にまでそんな風にされたら。

彼女のお腹に手を回す。

俺から離れないように抱き寄せる。

そんな俺の気持ちに気づいたのか、より強く身体を預けながら上を向き俺の目を見る。

ずっと一緒だよ

そんな優しい言葉に俺の気持ちは少しだけ救われた。

 

 

 

 

翌日、何時ものように仕事をし、それが一段落したら各々が集まって休憩する中一人交じれずに居る俺は馬小屋へと足を運んだ。

ここが最近の休憩場所だ。

馬小屋の中へと入ると、何か語りかけながら馬達のブラッシングをしているクリスタさんが目に入る。

視線に気づいたのだろうか、彼女はふと俺の方を向くと嬉しそうに笑った。

「お兄ちゃん」

俺の事を兄と呼び親しむ少女。

その可愛らしい笑みに釣られて俺も頬が緩む。

ここでの唯一仲良くしてくれる友人。

嬉しい話だ。

だからこそ、次に来る質問への返答を思うと心が痛くなる。

 

「お兄ちゃん、今日のごは……そっか」

言い終える前に俺の表情を見て察したのか、バツの悪そうな顔をして言葉を止める。

「ごめんね」

言い慣れた謝罪の言葉に対して笑顔で「別にいいよ」と応えてくれた。

優しい人だ。

本当にそう思う。

俺達に関わってるせいで、最近彼女も周りに疎まれている。

俺は平気だ。

妹がいるから。

でも、彼女は?

俺達に関わってくれた彼女を、冷たくあしらっている現状に嫌気が差す。

もし俺が、妹の我儘を拒否できていれば。

そんな勇気があれば、クリスタさんに嫌な思いをさせなくてすむのに。

自分の惨めさが悲しくなる。

 

「私も少し休憩するところなの、お兄ちゃんもゆっくりしよ」

場の空気が悪くなってきたのを察してか、そう言って彼女は話題を変えてくれた。

部屋の隅に積まれた藁に座ると、その横をぽんぽんと叩いて座るように催促をする。

それに従うように歩きはじめると、すこし違和感を感じた。

何故だろうか。

彼女の横に腰掛けながら違和感について考える。

嬉しそうに微笑んでいたクリスタさんを見て、すぐに気づいた。

昨日……というか、断り始めてからずっと、クリスタさんは辛そうな、悲しそうな顔をしていた。

それに自分の無力さを痛感させられていた。

でも今日は違う。

楽しそうに馬達のことを語る彼女は、昨日迄とは全く違う顔をしている。

……慣れたのかな。

そう簡単に決めつけた。

思えば、妹もあの儀式とやらにすぐに順応していた。

クリスタさんも断られることに慣れてしまったのかましれない、

本当にごめん。

楽しそうに語る彼女に相槌を打ちながら、せっかく変えてくれた空気を戻してしまうのも気が引けるため、内心で呟くことにする。

妹もクリスタさんも慣れていった。

でも、俺は何も慣れてない。

儀式とやらも、断ることも。

二人共強い人なんだなって思う。

いや、俺が弱いだけか。

自傷気味に笑みを浮かべてしまう。

クリスタさんに見られないように口元を手で隠す。

「お兄ちゃん?」

不思議そうに首を傾げながら見つめる彼女。

やっぱり、そんな彼女を見ると笑みを浮かべてしまう。

隠していた手を退かして何時ものように微笑み返す。

それを見て安心したのかすぐに話が戻っていった。

 

1週間。

約束の日が来たら、きちんと話をして取りやめよう。

そして、前みたいに3人でご飯を食べよう。

その時は、俺からクリスタさんを誘ってみよう。

喜んでくれるかな?

嫌がりはしない、と思う。

だから

楽しそうに語る彼女の横顔を眺めながら、心に誓う。

大切な友人に、我慢をさせることに申し訳なさを感じるが、それでも、それでも我儘を言いたい。

もう少しだけ、俺に勇気をくれる時間をくれと。

自分勝手だな。

微笑みを崩さない様に気をつけながら、自傷の言葉を思う。

 

「そうだ」

馬達の話が一段落すると、思いついたかのようにわざとらしく手を叩くクリスタさん。

彼女の顔に視線を向けると、耳まで赤くなっていた。

「オーナーからね、プレゼントを貰うの」

横目で俺の顔を見る。

視線が合うと、慌てて反らして顔をそむけた。

後ろからでもわかるぐらい、耳は赤くなっていたのが見える。

プレゼントを言うのにそこまで照れるって、子供っぽいのをお願いしたなかな。

何となく馬の小さなぬいぐるみが似合いそうと思い、それを愛でる彼女の姿を想像した。

「プレゼントって何をもらうの?」

自分で想像しといて勝手だけど、俺まで照れくさくなってきた。

彼女から視線を反らし、暇そうにしている馬達を見る。

ぬいぐるみがなくても毎日愛でて入るか。

丁寧にブラッシングされているからだろうか、心無し馬達はご機嫌だ。

 

「演劇のチケット。私行ったことないから」

演劇と言われても今一ピンとこない。

そういった娯楽があるというのは知ってはいた。

といっても、生活に裕福な人達が見るような物が多い。

少なくとも、俺達家族は一度も行ったことなんてなかったし大抵の人達も同じ事を言うだろう。

「お兄ちゃんは行ったことある?」

「ないかな」

「そうなんだ」

俺の返答を受けると顔をゆっくりと、恐る恐ると言ったように俺の方へと向けてくる。

林檎のように真っ赤な顔とは、こんな顔を言うのか。

そう思う程彼女の顔は真っ赤だった。

たぶん、俺の顔も。

「い、一緒に行かない?」

駄目、かな?っと小声で付け加える。

その誘いは嬉しい。

けど、問題だってある。

「いつ行くの?」

「今度の休日の日のがね手に入ったからって。だから、その日しかないの」

「休日かぁ」

考える顔を作るも、答は決まっていた。

すぐに伝えてしまうのは、彼女の好意を無下にする用で申し訳ないから。

自分勝手な態度だ。

 

「妹ちゃんは、オーナーが見てくれるらしいよ」

それを聞いて考える素振りが止まる。

先を読まれていたことに驚かれた。

いや、そこまで難しい話でもないか。

休日は何時も妹と二人で部屋に過ごしていた。

クリスタさんと出会ってからは三人でだけど。

特にすることなくただ話し合うだけで一日過ごしていたのだから。

クリスタさんも特に苦痛な様子はなく、むしろ楽しんでいるように見えた。

俺達と接してくれていることを楽しんでいてくれるように。

俺だって嬉しい。

ここに来る前も、大抵妹と二人っきりだったから。

他の人と接することがこんなにも楽しいというのを教えてくれた彼女。

女神、か。

 

俺の返答を待つ彼女。

赤くしていた顔に加えて、目尻に涙も溜まってきた。

そんな彼女を見ると、妹の冗談を思い出す。

でも、女神とか天使とかそんな風に言える人がいるとしたら彼女の様な人を指すのだろう。

そう思う。

嫌われ者の俺達に、人との繋がりがない俺に優しくしてくれる彼女を見ると、そう思ってしまう。

 

「お兄ちゃんと一緒に行きたいの」

縋るように俺の服の袖を強く掴む。

顔を少し近づけると、身長差もあってか、涙目の上目遣いでの誘いは何とも反応に困ってしまう。

顔をそむけるのも失礼だし、かと言って見つめ返すのも……。

少しだけ目線を動かして誤魔化す。

それに気づいたのか、襟に込められた力はより強くなっていった。

それに反比例するように、小さな声で「お兄ちゃん」と呟く。

何度も、何度も。

こんな風に求めてくれる彼女の誘い。

俺は、断るべきなのか。

振りではなく、本当に考え込む。

決まっていた答は口にすることなく溜まった唾と共に飲み込んだ。

数秒程考える。

考え終わって、彼女を見る。

 

「楽しみだね、演劇」

「一緒に行ってくれるの!?」

「うん、行こう」

喜びを表現したいのか、手を大きく上に上げてバンザイをするクリスタさん。

少し驚いたけど、俺も同じぐらい嬉しい。

妹以外とどこかへ遊びに行く。

他の家族を含めてもそんな事滅多になかった。

病弱な妹を置いて何処かへ行くことを気に病んだ父。

妹と共になら夜な夜な出かけていた母。

俺の事を気遣うも、調子が良い時しか外出出来なかった妹。

そんな少ない交流しか持たない俺に、優しく接してくれるクリスタさん。

まともに接したことない家族以外の人だけど、本当に彼女は優しい。

彼女は周りとは違う。

俺達兄妹を嫌わない。

俺達家族を嫌がらない。

 

演劇か。

始めて行く舞台よりも、クリスタさんと何処かへ行くという方に考えが行き頬が緩む。

喜んでる彼女の頭をそっと撫でてみる。

クリスタさんは、これが好きだ。

何時ものように驚いた顔をするも直ぐに目を細める。

視線でもっとと訴えてくるのに応えるように優しく、傷つけないように撫でていく。

いや、既に傷つけているのか。

こんな風に優しく接してくれる彼女の手を何度も振り払っているんだ。

そう思うと心が軋む。

罪悪感、なんだろうか。

幸せになる儀式とやらはやっぱり効果がない。

少なくとも、その儀式のせいで俺は彼女を傷つけているのだから。

だからこそ、俺なんかでも叶える願いがあるなら叶えたい。

そういう気持ちもある。

妹だって……許してくれる。たぶん。

オーナーと仲が良いし、任せても……。

 

と考えると、変な事を勘ぐる。

オーナーからチケットを貰ったと彼女は言う。

でも、オーナーは昨日内地へ行った。

今日はまだ帰ってきていない。

誘いは昨日じゃなかった。

というより、プレゼントの話だって直ぐに快諾を得られるような物じゃない。そんな安いものじゃない。

少なくとも、簡単に手放せるような物じゃない。

前々からお願いしてた?

だとしたら、昨日話しても……。

目の前に映る幸せそうに微笑む彼女を見ると、嘆息してしまう。

人の好意を疑う自分に。

 

まぁ、昨日は昨日で言えなかっただけだろう。

そう思うことにする。

昨日のクリスタさんよ様子をふと思い出す。

「お、お兄ちゃん。あのね」

彼女はまだ俺を兄と言い慣れてないのか、恥ずかしがってる様子があった。

別に嫌ならそう呼ばなくてもいいのに。

なんて何時も思うけど特に嫌がってる様子はなくて、むしろ嬉しそうな風にも感じた。

……あれ?

ふと思う。

今日は妙に俺の事をお兄ちゃんと言う。

言い慣れた口調て、スムーズに。

……

違和感ならあった。

でも、気にしなくてもいいか。

幸せそうに微笑むクリスタさんを見ていると、細やかな疑問は直ぐに忘れ去られていった、

代わりに現れたのは、妹にどう言い訳するかという新たな種。

まぁ、我儘は聞いているんだ。

少しぐらい、許して貰おう。

そう自分に言い聞かせていく。

 

残り少なくなった休み時間は、彼女との演劇の話をして終わっていった。

 

 

 

 

 

 

 

「演劇?」

不思議そうに言う妹の口をハンカチで拭きながら「そう」と呟くように答える。

スープで汚れた口元を見ていると、俺の口も同じぐらい汚れているのかと思ってしまう。

「よかったね、お兄ちゃん」

「は?」

動きを止めて短く聞き返してしまう。

「なにが?」

「だって、お兄ちゃんが友達と遊びに行くの初めてじゃん」

「初めてではないよ」

「初めてだよ、友達いなかったし」

「……そんなことない」

強かって返すが、確かに俺は友達と呼べるような人はいなかった。

殆ど家にいたから。

誰のせいでも誰かに言われたからでもなく、自分で妹のそばに居ると決めたのだから。

 

「クリスタさん、優しい人だね」

「そうだね」

妹の言葉を聞き、改めて嬉しく思う。

「可愛いし、優しいし、本当に天使みたいな人だよね」

「そうだね」

クスクスと笑いながら冗談っぱく言うが、俺は割と真面目に同意した。

「やっぱり、この儀式のおかげだよ」

「それはない」

冷たい反応に「もう」と口を尖らせて返される。

こんな事しなくても、幸せにはなれる。

そう言いたいけど、言えない。

妹はまだ幼い頃から通っていた。

だからこそ、ウォール教の教えが絶対に正しいと考えている節がある。

それを否定するのは、怖い。

嫌われそうで。

……嫌われたくない。

たった一人の家族に。

 

「お兄ちゃん」

優しい呟きと共にハンカチを掴んでいた手を包むように妹は手を置く。

「幸せになろうね」

その呟きに「あぁ」と返す。

幸せっか。

頭の中でその言葉を反復しながら、妹の顔を見る。

俺と二つ違うだけなのに、そうとは思えない程小さなく、痩せ細った身体。

ずっと傍にいた。

これからも、傍にいる。

たった二人の家族だから。

だから、幸せだよ。

お前に心配されなくても、俺は。

お前と一緒にいるだけで、幸せだから。

 

 

 




アンケートご協力ありがとうございます。
上手くできてたみたいで一安心です
もう少しだけこのまま取ってみたいと思ってます。
一話完結の方が人気なだろうなぁとアンケートしておきながら決めつけていましたが、意外とシリーズ物も人気のようで……


ふらっと気が向いたらクリスタ置いといて一話完結物も書きたいなと思ってます。
その時はまた読んでいただけると幸いです。

ps部屋の掃除をしていたらserial experiments lainが見つかりました。
去年気になって購入し、ハマったゲームです。
そこまで知名度ない作品のような気がしますが、知ってる人いるのかな……?


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病みつきクリスタ6

人間とはどんなことにもすぐ慣れる動物である。

そんな言葉を昔聞いた事があった。

正直、意味がわからなかったけど今ならわかる。

彼女は、俺と口移しでの食事に慣れてそれを楽しむようになった。

彼女は、誘いを断られることに慣れてしまって、断られても笑みを崩さなくなった。

俺は、何にも慣れていない。

食事は普通に食べたいし、誘いだって出来れば断りたくない。

そう思う。

彼女達が慣れるのが早いのか俺が遅いだけなのか……。

わからないけど、嫌なことは嫌だ。

でも、そう思うのも明日まで。

そう思うと少しだけ気が楽にる。

狭いベッドで互いに顔を合わせていると、ため息が出てしまう。

幸せそうな寝顔をしている彼女に、約束通り明日で終わりと言わなければならない。

この寝顔が不満で満ち無いことを今から祈ることしか出来ないのか。

嫌がられても、約束は約束と言わないといけない。

……演劇を見に行く話も、オーナーからチケットを貰ったらきちんと伝えたないとな。

先の事に不安をおぼえながら、ゆっくりと瞼を閉じる。

不安はある。

でも、楽しみもある。

友達と遊ぶだなんて、初めて……いや、久々だな。

何を話そうか、何をしようか。

休日がこんなにも恋しくなるなんて思いもしなかった。

本当に、彼女には感謝しかないな。

その日俺は、クリスタさんの微笑みを思い浮かべながらゆっくりと意識を手放していった。

 

 

 

 

 

 

今日は朝から珍しい事があった。

畑仕事をしていたお兄ちゃんが朝から厩舎に来たのだ。

話を聞くと、マルコスさんがお休みのため指揮を取る人が居らずお兄ちゃんは手持ち無沙汰になったとのこと。

他の子達は他の大人達の話を聞いていたが、お兄ちゃんには何も言わなかったらしい。

マルコスさんはお兄ちゃんを毛嫌いしていたが、マルコスさんとオーナーぐらいしか大人達も関わってくれないと言う。

初めて聞いた話だ。少し驚く。

あんな風に暴力を振るう人に面倒を見られているのは可愛そう。

……私は、そんな人にお願いをしたんだけど。

 

そんなわけで、仕事が無いお兄ちゃんがわざわざ私の元に来てくれた。

求められるという事に心が喜びで波打つ。

それだけで笑みを浮かべてしまう自分の単純さに少し呆れた。

でも、これ以上に嬉しい事が更にあった。

「指示をくれないなら、指示をくれる人の所に行けばいい。だからクリスタさん、仕事を教えてくれないか?」

その言葉に何度も首を縦に振って応える。

大好きなお兄ちゃんと大好きなお仕事をする。

夢で何回か見たことがあった。

それだけで、幸せな気持ちになれた。

それが現実になる。

そう考えただけで身体中が熱くなっていく。

幸せだ。その一言で頭の中が一杯になった。

「じゃ、仕事道具から教えるね」

お兄ちゃんの手を取って引っ張っていく。

まともに顔が見れないぐらい緊張してるし、見せたくないぐらい頬が緩んでいる。

それでも、この幸せを噛み締めたい。

空いた手でお兄ちゃんに見られないように胸の前で拳を握る。

この幸せを離さないように。強く。

 

 

お兄ちゃんと一緒に長く居られる。

今度の休日もそうだけど、そんな機会は滅多にない。

夕食から寝るまでの時間はせいぜい2、3時間ぐらいは妹ちゃんも合わせて3人で居たけど、2人っきりで居られるなんて休憩時間の一時間も満たないぐらいの間ぐらい。

最近は一時間も満たないぐらいしか居られなかった。

少し嫌な感じがしたけど、すぐに機嫌が良くなった。

隣の馬をブラッシングしているお兄ちゃんの顔を見たから。

慣れない仕事だからか、戸惑いを見せつつ恐る恐る馬に触っていく姿は何だか可愛い。

「大丈夫だよ。乱暴にしなかったら暴れないよ」

「クリスタさんの場合だろ?俺は馬に触っかとなんて殆どないんだ」

「暴れるなよ」と呟きながらそっとブラッシングをしていく。

何時もと違う人がやるのが気になるのか、勢いよく馬から顔を向けられるのを見ると慌てて数歩立ち下がったお兄ちゃんの驚いた顔は、やっぱり可愛い。

「お兄ちゃん、驚きすぎだよ」

「本当に暴れないんだよな?」

「大丈夫だよ」

「……本当に?」

「もう」

私は一回ブラシを置いてお兄ちゃんの元ヘ早足で向かう。

またお兄ちゃんの手を取った。

今度は両手で包み込むように。

力を込めて、それでいて優しく。

「こんな風にね、優しくするのがポイントだよ」

2周り程大きい手の平をそっと撫でていく。

暖かい手。触れるたびにそう感じる。

この手で頭を撫でられたい。

触れる度にそう思う。

「お兄ちゃんなら出来るよ」

優しく、それでいて力強く。

「自信ないな」

丁寧に、それでいて程よく。

「大丈夫だよ」

あの子にするみたいに私にも、私にも一杯してほしい。

私にも、もっとしてほしい。

私の事を見ててほしい。

 

「クリスタさん……?」

お兄ちゃんの声が聞こえると、ハッと自分に帰った。

さっきまで撫でていた手のひらは気がつくと私の頭の上にある。

お兄ちゃんが置いてくれたんじゃない。自分で置いたんだ。

包み込んでいた手を私の頭を押し当てる様にしていたのだから。

今日は幸せな日だ。

でも、もっと

「ふふふっ、何時もみたいにやってみてよ、ね?」

もっと、幸せになりたい。

今日が最後の日と思えれるぐらいな幸せがほしい。

なんでだろう。そう願う私がいるし、その言葉に従順な自分がいた。

「……わかった」

照れくさそうに言いながらそっと頭を撫でてくれる。

久しぶりだ。

目を細めてもっとと強請るように上目遣いで彼を見つめる。

彼女の様に振る舞う。

意図に気づいたのか、少し目を見ら引いてすぐにため息をつかれた。

あの子と接するような反応だ。

私、妹みたいかな?

だとしたら、嬉しい。

彼の妹になれることに。

なりきれているならば、嬉しい。

 

なんでだろう。

見てるだけで満足だっのに今ではもうそれでは物足りない。

それどころか、見ているのが嫌になる。

なんでだろう。

始めは本で見ていたような家族愛。

私が欲しくて、飢えているもの。

間近で見たそれは綺麗なモノで。

手を伸ばしたくなるような甘美な果実。

観客として眺めているだけでいいと思っていた。

でも、今は違う。

やっぱり欲しいよ、お兄ちゃん。

私、お兄ちゃんが欲しいよ。

欲しくて欲しくてたまらない。

空っぽの私を満たしてくれるこの愛情が欲しいよ。

私の全部を差し出してもいいぐらいに。

お兄ちゃん。

 

「お兄ちゃん」

「どうかした?」

緩んでいたのは頬だけでなく口もだったみたい。

思っていた事が口に出てしまった。

慌てで両手で口を塞ぐも、不思議そうな目線がより強くなるばかり。

「……あのね」

「うん」

「私、今幸せだよ」

急な言葉に戸惑わせてしまう。

それでも手を止めないでいてくれるのは、お兄ちゃんが優しい証拠。

「……俺も、楽しいよ」

軽率な返しじゃなくてしっかりと考えて応えてくれるお兄ちゃんは本当に素敵な人。

こんな人と巡り会えた事自体が幸せなのかもしれない。

巡り会えただけじゃ満足できない体になりなったのは、お兄ちゃんの優しさのせいだよ?

精一杯の返しだったのか、顔を赤くする姿を愛らしく感じる。

 

もっと、もっと

心の底からそんな声が聞こえる。

もっとお兄ちゃんと触れ合いたい、その大きな手で色んな所に触れられない。

もっとお兄ちゃんと話したい。優しい声でたくさん名前を呼ばれたい。

もっとお兄ちゃんの顔を見たい。色んな表情を見てみたい。

もっと、もっと。

 

でも、今はだめ。

「さぁ、お兄ちゃんお仕事やろ」

名残惜しさを強く感じるけど、自分から彼の手を取って私の頭から離す。

オーナーときちんと話して、どうするか決めよう。

どうすればいいか、教えてもらおう。

「そうだね」

私が家族になってから。

家族になったら、きっともっと甘えられる。甘えてくれる。

お兄ちゃんが私を求めて、私がお兄ちゃんを求める。

そんな関係になれるはず。

だから、今はだめ。

 

ブラシを手渡して今度はお兄ちゃんの横で仕事振りを見させてもらう。

まだかまだかと催促するように尻尾を横に振る馬の横で膝立ちするお兄ちゃん。そんな彼の耳元に自分の顔を当てるように躰を前に倒す。

やっぱり緊張してるのか、少し手が震えていた。

震えが収まるように祈りながら手を覆い被さるように合わせてそっと運ぶ。

「馬達はね、デリケートだから優しくやるんだよ」

震えと共に手から力がなくなる。私に身を委ねてくれている。

「でも、優しくって思って力を入れないのもだめなの」

何時ものようにうまくできるかな?

出来てほしい。

これで上手くいけば、お兄ちゃんが馬達の世話を上手くやれるようになったら。これからも一緒にお仕事できる。

そうお願い出来る。

「優しく、優しく……だよ?」

何度も呟きながら同じ動作を繰り返す。

馬も気持ちが良いのか尻尾の振りが収まってきていた。

お兄ちゃんもコツを掴み始めたのだろう。

気がついたら私が力を入れなくても自分の力で手を動かしていた。

私の顔でも馬の顔でもなく、自分の手に持つブラシを真剣な目で見ていた。

馬の事を考えながら。

 

「ふぅー」

「ひっ!?」

少しつまらなく感じてたら目先にあった耳に息を軽く吹きかけていた。

やっぱり身体をビクッて反応させて直ぐに驚いた顔をして私を見てくれた。

綺麗な瞳に悪戯っ子に笑う私だけが映っていた。

「……クリスタさん」

嘆息交じりに呟くけど言葉に詰まってしまったのだろう、難しい顔をしながら私を見る。

そんな顔も面白くてやっぱり笑えてきてしまう。

「ごめんなさい、お兄ちゃん」

とりあえず謝っておく。

馬に嫉妬したなんて言えない。

妹ちゃんだけじゃなくて、馬にも嫉妬するなんて……。

自分の事ながらあきれてしまう。

でも、それだけお兄ちゃんの事が大切に思ってる。そう認識できて何だかんだ嬉しい。

お兄ちゃんはやっぱり難しい顔をして私を見てて、少しして「もうやめろよ」と言って渡しに釣られて笑った。

幸せだな。

そう思う。

皆、こんな風に誰かとじゃれ合いながら過ごしてたのかな。

私からしたら初めての体験だ。

こんな風にふざけるのも、それで笑い合うのも。

はじめてことばかり。幸せなことばかり。

こんな幸せな体験が、ずっと続いてほしい。

皆が過ごした当たり前の経験を、お兄ちゃんとしていきたい。

そう、強く願った。

 

 

 

 

 

 

 

それからは特に悪戯もせず2人で真面目にお仕事をした。

すこしでも早く馴れて一緒にお仕事したいしね。

お兄ちゃんはさっきの悪戯のせいでコツを忘れたのか、たどたどしくといった様子でブラッシングをしていた。

やっぱり、変な事しないほうがよかった。

始めはそれを見て、しゅんと落ち込んだけど「楽しいね」の一言ですぐにやめる。

やっぱりお兄ちゃんも私と一緒に仕事をするのは楽しいみたい。よかった。

何時も1人でやっていた事を2人でやる。でも、終わる時間は1人の時と余り変わらなかった。

けど、体感時間は全然違う。何時もよりもずっと早い。

楽しい時ってやっぱり早くすぎるんだな。改めてそう思った。

昼食として配給されたパンとスープを受け取って、厩舎の隅に2つを並べる。

馬達も昼食の切り藁をモサモサと食べていた。

何時もはそんな美味しそうに食べる馬達を眺めながらの1人の食事だったけど今日は違う。

今日は何もかも違うんだ。

 

「大変なんだね」

パンを一口加えるとお兄ちゃんはため息をつく。

「大変だと思ってたけど、やってみるとこんなにもとは思わなかったよ」

「馴れるとそうでもないよ?私は昔からやってたから。お兄ちゃんの畑仕事も大変でしょ?」

「俺は体を動かすだけだからね。暴れられたりしないし」

「あははっ」

お兄ちゃんのブラッシングは余り好評ではなかったのか、結局あの後少し馬が興奮する事があった。

幸い怪我もなかったし、そんなに暴れなかったからよかったけど。

というか、暴れるほど嫌なら変わってほしかった。

そんな事を言ったらお兄ちゃんはキョトンとしてた。

……もう少しお兄ちゃんの前で頬と口を硬くしようと決めた瞬間だ。

 

「この後は何をするの?」

「このあとはね……」

私は口に含んだパンを飲み込んで今日の予定を考える。

といっても、大体決まってるけど。

「この後は、馬達とお散歩に行くの。歩いて数十分ぐらいで森につくんだけどね、そこまで行って帰ってくるの。中は危ないから駄目って言われちゃっから」

「散歩って歩くの?」

「乗っていくよ。オーナーが2頭使ってるから数は減ってるけどそれでも3頭いるから歩くと日が暮れちゃうよ」

私の笑顔と反比例するようにお兄ちゃんの顔がくもっていく。

……もしかして。

「乗馬は初めて?」

「初めて」

「大丈夫だよ、今日は一緒に乗ろう」

自分で言ってその姿を想像する。

手綱を掴んだ私に恐る恐る掴まりながら馬に乗るお兄ちゃんの姿。

……あぁ、早く食べてお昼のお仕事をしよう。

少しペースを上げてパンを口に入れる。

「……頑張ろう」

諦めたように呟きながらゆっくりとパンを口に入れるお兄ちゃん。

大丈夫だよ?私が教えれることは全部教えてあげるからね。

そう言いたくても、口に入ったパンが邪魔でいえない。早く飲み込まなきゃ。

 

「ごふっ、ごふっ」

「大丈夫!?」

慌てて飲み込もうとしたからだろう。思わずむせてしまった。

お兄ちゃんは手慣れた様子で背中をさすりながら口元に水を運んでくれた。

心配そうに見つめてくれるその顔は、少し前に倒せば額と額が合いそうになる。

水よりもお兄ちゃんの口に目が行った。

「早く飲んだほうがいい」

私もお願いすれば、口移しで飲ませてくれる?

「クリスタさん……?」

私はお兄ちゃんにお願いされたら頑張るよ?お兄ちゃんは?

……だめ、だよね?

いまは、まだ

 

目線をコップに移して、それを受け取って口に含む。

また軽く咳き込んだけどすぐに落ち着いた。

大きく息を吐く私に合わせるようにお兄ちゃんもため息をついた。

「クリスタさんは食べるの遅いんだから、無理しないほうがいい

「ごめんなさい」

今度はしっかりと反省する。

心配をかけさせちゃった。

反省はしてるけど、嬉しい。

私を思ってくれる事に。

「馬達だってまだ食べてるんだから、早く食べても意味ないよ」

お返しのつもりなのか、悪戯に笑うお兄ちゃんの言葉に確かにそうだと思った。

自分の気持ばかり優先させてしまった。

「馬達の事ばかり思うのも大切だけど、自分も大切にしなよ?」

そう言って私の頭に手を乗せて、そのまま優しく撫でてくれる。

珍しい……いや、初めてだ。

1日に2回も撫でてくれるなんて。

そう滅多に撫でてくれないのに。

嬉しいな。

やっぱり、この手はとても落ちつく。

お兄ちゃんに優しくされると不思議と心が落ちついていく。

まるで、はじめからそれが当たり前だったかのような感覚。

でも、気持は違う。

ドキドキと激しく波打って緊張を強くする。

不思議な感じだ。

ただ、これだはわかる。

もっとと目線で訴える事。

そうすると、お兄ちゃんは長く構ってくれるという事だけは。

そして、私の頬を硬くできるのは時間がかかる……もしくは、出来ないという事だけは。

 

「お邪魔だったかな?」

最近聞いていなかった声が私達の時間を邪魔してきた。

お兄ちゃんは慌てて私の頭から手を話して声の主に視線を向ける。

「……オーナー?」

私も合わせて彼を呼んだ。

オーナーは申し訳無さそうに頬を掻きながら私達に頭を下げた。

「すまないね、クリスタさんにプレゼントを渡そうと思って来たのですが……いはやはまさか、仲良く戯れているとは知りませんでした」

何時もの不自然な笑みではなく、純粋に面白そうなモノを見てるように微笑みながらオーナーは手にしていたバックを広げ始める。

いや、それよりも……。

「オーナー、お帰りは明日と聞いてましたが」

私と同じ疑問をお兄ちゃんが口にした。

オーナーは明日帰ってくる予定のはず。

なのに、何故?

私としては早く相談できるから嬉しいけど。

 

「あぁ、頑張ってるお兄ちゃんへのお土産が予定よりも早く手に入りましてね、それでいて早く帰って来れました。」

そう言ってオーナーは2つの包を取り出した。

1つは長方形のモノ。ソレを私に向かって。

1つは布袋。じゃらしゃらと複数の小物がぶつかる音を出しながらお兄ちゃんにむかって。

互いにそれを受けとる。

私のは分かる。マルコスさんがオーナーがもってきてくれると話していた演劇のチケット。

私がお兄ちゃんの事に関してお願いしたら手紙を出して、それを合図に持ってきてくれる手筈になってたと聞いた。

後のことはオーナーと相談するように言われている。

お兄ちゃんのは何だろう?本人もわかってないのだろう。不思議そうに布袋を眺めていた。

 

「クリスタさんには約束してたチケットですよ。2週間後のものですので、彼と行ってきなさい」

2人でお兄ちゃんを見る。そんな視線に気づかないぐらいに布袋を真剣に見ていた。

「お兄ちゃんには、見覚えのある袋だろ?」

「でも、これ」

少しムスッとしてしまう。

私の知らないお兄ちゃんの事。お兄ちゃんの会話。

「薬ですよ、妹ちゃんが飲んでた」

「……えっ?」

思わず驚いてしまった。

薬を飲んでたのは知っていた。逃げる時に持ってけなかった事も。そして、薬を飲まなくなってから前みたいに運動が出来なくなった事も。

「薬は、今の俺達じゃ貰えないはず」

そう。

ウォールマリアが陥落して何もかも物資が困窮している。そんな中、薬をわざわざこんな所に配給してくれることなんて先ずない。なのに、その薬がここにある。

「内地の知人に医者がいましてね。お願いしてもらってきたんですよ。今度は妹ちゃんも連れて行って観てもらいましょう。きっと、今より良くなる」

「…………」

お兄ちゃんは複雑そうな顔をして俯いた。

オーナーはウォール教の集会に参加しに行った。それは、ここの人達が噂していた事。

仲間外れの私にも聞こえてきた声だ。お兄ちゃんも聞こえているかもしれない。もしかしたら察していたのかもしれない。

ウォール教の集会に妹ちゃんを送り出す。お兄ちゃんの手で。きっとこの決断に悩んでいるんだろう。

家族を狂わした所へ送り出す事に。

「……妹は、良くなるんですか?」

「私達は神に、そして我々を守るこの壁を信じています。貴方もそれを信じればきっと良くなるでしょう」

「俺も行けと?」

「貴方も是非来てほしい。ですが、今回は妹ちゃんだけで大丈夫ですよ」

お兄ちゃんは下を向いたまま思いっきり唇を噛んでいた。

オーナーも気づいているのだろう。気がついたら何時もの作り物のような笑顔に変わっていた。

 

長く、長く考えてお兄ちゃんは頭を下げる。

「よろしくお願いします」

お兄ちゃんは妹ちゃんを優先した。何よりも、彼女を。

家族を壊した人達に頭を下げる。そんなプライドを捨ててまで、妹ちゃんと自分自身を差し出してまで彼女が活きる事を優先したんだ。

……綺麗な家族愛。そう思うのに以前のようなトキメキはない。

複雑な気持ちだ。

お兄ちゃんは顔を上げる。

「薬を妹に持っていってもいいですか?」

「えぇ、就業中は自室に戻ることを禁じてますが今回は特別ですよ」

作り笑いをひと目見てまた顔を布施辰徳お兄ちゃんは、私に「またあとで」と告でこの場から駆け出した。

過程はどうあれ、欲しかったものを手に入れたのだ。内心嬉しかったのかもしれない。

駆け出してすぐ、ほんの一瞬の隙見れた口元は綻んでいた。

妹ちゃんのためにする笑っていたんだ。

つまらない。っと少し感じた。

 

「さて」

お兄ちゃんが厩舎から出るのを見送ってすぐに視線を私に移す。すると、作り笑いが何故だがより強く不快感を強くした。

「マルコスさんから手紙を頂きました。彼から何が聞きましたか?」

「オーナーと相談するように言われたました」

「そうですか、では」

オーナーは以前のように深々と私に頭を下げた。下げた頭は私の耳元に位置した。

さっきのお兄ちゃんはこんな風に気持ち悪いって思ったのかな?だとしたら、少しショック。だけど、私とお兄ちゃんのナカダからそんなことないよね?

現実から目を反らすように彼のことを考える。

「私からのアドバイスはたった1つ」

やっぱり現実からは反らせられない。少なくとも、今は彼の言葉に耳を傾けてしまう。

 

「貴方様もう彼の妹ですよ」

 

「……えっ?」

期待を大きく裏切られた。思わず呆気にとられている。そんな私をまじまじと見たいのか、顔を上げて数歩下がりまた面白そうに笑っていた。

 

「大丈夫ですよ、すぐにわかります。

貴方様は彼の妹。

貴方だけが、彼の妹なんです」

 

わからない。彼にはちゃんと妹がいる。私は偽物。自分では分かってるようで、わかりたくないけど……。

私はどこまでいっても偽物なんだ。本物の家族にはなれない。

いやだ、考えたくない。

耳を塞ごうとしたけど、そんな事できない。オーナーが私の手を掴んだから「そして___」っと塞ごうとした現実とフィクションの一線をより濃くするような事を言いたいのか、口を開いた。

 

「貴方様が賽を投げた。この事実は変えられない」

 

賽を投げた?何を?私が何をしたの?

私はただ、彼の妹になりたい……お兄ちゃんみたいなお兄ちゃんが欲しい。

お兄ちゃんが欲しい。

そう望んでるだけ。それだけ。

彼が私の家族になる、そんな夢を見たいだけ。

それだけだ。

叶えられない望みなのはわかってる。だけど、少しぐらいは幸せな夢を観たかった。

慰めの言葉や、自分の気持ちを考えさせるような言葉を聞きたいわけじゃない。

 

オーナーを睨みつけるとすぐに手を離してくれた。「失礼しました」と軽く頭を下げる。

わざとらしく咳払いをすると、オーナーは入口に向かって歩き始める。

「貴方様の望むものをご用意しました。ご覧にいせましょう」

後ろ姿でもわかるぐらい笑っていた。

私が望むもの。

望んでいるもの。手に入らないモノ。

何を見せるというの?

わからない、けど。何故か私の足はオーナーと共にしていた。

 

厩舎から出てすぐに気づいたのは何時も傍において会った馬車と、短い間とはいえ私が世話をしていた2頭の馬。

そして、見たことのない制服を着た兵士が2人。

あれは、憲兵団のモノだ。ここ辺りじゃまず見ない内地で過ごす人達。なんでこんなところに?馬車の傍で暇そうに話していたが、オーナーを見ると軽く会釈をした。オーナーもそれを返す。

「あの人達は?」

「脇役ですよ。貴方様が気にするような事ではありません」

それ以上語ることはないっとでも言いたいのだろうか、オーナーはなに一つ話さなくなった。私からも尋ねるような事はない。

 

2人して静かなまま、マンションに入ってすぐ。その静けさは終わった。

何かがぶつかる様な、そんな激しい音を耳にする。

オーナーは顔色一つ変えない。でも、私は違う。ここに来てすぐ、私は似たような音を聞いた。

「お待ち下さい」

駆け出そうとした私の肩をオーナーは掴んで邪魔をする。

「私としたことが、忘れていました」

「何を!?それよりも、今は早く!!」

悪寒が走る。全身が早く音のした場所であろう所へ行けと言われている。

焦る私を他所にオーナーは手の平を向けた。

 

「鍵を返して下さい」

「鍵!?そんなの後で」

「今じゃないと困ります」

眉一つ動かさない姿に私が折れる。ポケットに閉まっていた鍵を精一杯の力で手のに叩き込む。それを眺めて「ありがとうございます」と言われた。

手にしてたバックスから何かのケースを取り出す。それを開くと似たようなカギが何個も入っていた。このマンションのキーボックスなんだろう。1つだけ空いていた所に仕舞い、リュックに戻す。

「では、急ぎましょうか」

全く緊張感を感じさせない声を最後に、オーナーは走り出した。

ようやく、お兄ちゃんの元へ行ける。私もそれに少し安堵して、すぐに気を引き締め直す。

お兄ちゃん、何があったの??それとも、他の人?わからないけど、急ごう。

 

徐々に遠くなるオーナーの背中に息を切らせながら着いていった。

目的地はやっぱり兄妹の部屋。あれから物音がしないことが余計に怖くなる。

本当に、誰かが転んだだけなのだろうか。そんな平和な話なら幾らでも笑える。

「開けますよ」

オーナーがドアノブにそって手をおく。その声はさっきとは違って緊張感を感じた。笑みも消えてはいたが、何処が不自然に感じた。

少し観察してわかった。眼が何処が笑っていた。何をしたのか、何をするのか。尋ねようにもそんな時間はない。

ゆっくりとドアを開く音が時間の終わりを告げたのだから。

そして、その中の景色が少し見えていいたいことは全部消えた。

 

見慣れたベは見慣れる赤黒色に変色していた。

横にはマルコスさんが赤黒い手を震わせなながら片方で首を掴んでいた。

お兄ちゃんはマルコスさんに何かされたのか、口から赤い液を垂らしながら片手をブラリと力なく下げ、反対の手では逆に力強く何かを掴もうと必死に手を伸ばしてた。

 

妹ちゃんは伸ばされた手に応える事なく、何かを握って力なく両手をベッドからぶら下げて、胸辺りからナニが出ていて、そこから耐力の赤黒い液が流れ込んでいた。

 

賽は投げられた。

私が投げた。

私が何を望んだの?

隣で驚いだ顔をしながら叫ぶオーナーをぼんやりと見つめる。

あぁ、神様

私が望んたから、彼から大切なモノを取り上げるの?

私が望んでしまったから?

私は、何を

私が、何を_____




本当は次の話で最終回にする予定でした。
ですが。1話の時点で余りにも展開を読まれてしまったため、変更しもう少し(?)だけつづきます。

投稿者で話の流れを皆読んできたのは素直に草
もう少しレパートリーを増やそうと決意した瞬間でした


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病みつきクリスタ7

ベッド周りの床と壁が赤く染まる。所々なのに部屋一面と思ってしまうのはこの部屋の狭さからか?それても、それだけ異様に目立つからか。

吐き気を催すような異様な臭気に鼻と口をまとめて抑えてしまう。

オーナーは口を開けてまさに驚愕と行った様子。

マルコスさんもまた、唐突な来客者達に対して同じ反応を示していた。

「オ、オーナー……?なんで?」

動揺からか、お兄ちゃんの首を締めていた手が緩んだ。

急な重力に押されて勢いよく地面に叩きつけられるとすぐに赤い池に顔を浸す。

「お兄ちゃん!?」

慌てて彼の傍に行く。マルコスさんが邪魔だったけど私が横を通るときに体を反らしてくれた。

片膝をつき、彼の身体を支えると、黒い髪の半分が赤い色に所々染まっていた。

「おい……!!」

「キャッ」

そんなモノにも、私にも気を止め出る余裕はないのか、お兄ちゃんは私を押しのけてベッドへと手をかける。

物音一つなく眠る妹ちゃんに近づいき、肩を大きく揺さぶった。

急な衝撃に尻もちをつきながら、ただ彼の後ろ姿を眺める事しかできない。

痛いよ、お兄ちゃん。酷いよ、お兄ちゃん。

 

「おい、起きろよ!!おい!!」

何を言っても何をしても反応がない。気づいてると思うけど、それをやめる気配はなく徐々に声も、力も大きくっなっていた。

やめてよ、お兄ちゃん。

そう思っても口に出来ない。口にする権利はない。

彼女の胸に刺さったモノ。日の光で鈍く輝いたナイフが目に入る。

彼女の動きに合わせるようにそこから壊れかけの噴水の様に徐々に赤い液を流しだす。

 

赤く染っていく兄妹から目を反らすように俯くと彼女の手にある物が目に入る。

持っている、というよりも指と指の間に挟まった物。

それは、オーナーが持つ首飾りだ。

これはウォール教がやった事と言いたいんだろう。

お兄ちゃんにじゃない、私に。

私のためにやったと言いたいから持たせたのだろう。

 

「オーナー、話と違うじゃないか!!」

マルコスさんはオーナーに詰め寄っていた。

その声に反応したのかお兄ちゃんは妹ちゃんへの手を止めてゆっくりと視線を向けた。

一瞬オーナーは赤い池へと目を向けると、マルコスさんの肩を掴む。

「話とは何だろうか?私が早く帰ってきた事かい?ならば、理由ならあったさ」

オーナーの視線を追っていくと既に赤く染まりきっていて目立たなかったが、お兄ちゃんが持っていった布袋が真ん中に転がっていた。

破れている様で、中にあった薬はもはや人が飲めるような物ではなくなっていた。

 

「彼女へと薬を持ってきたんだ。それが、彼女のお母さんとの約束だった」

「母さんと……?」

「あぁ、そうだ。何時も君たち兄妹を心配していた。

私に何かあれば、2人の面倒を見てほしいと合うたびに言われていたよ。だからこそ、ここに招いたんだ」

「それを……」と続けながらマルコスさんを睨みつける。

睨まれたマルコスさんはまさに蛙の様だ。一歩下がりつつ頭を抱える。

「おい、おい……!!うそだろ、ふざけるなよ」

どうやら、理解したくなかった現実に目を向けたらしい。

自分がオーナーに裏切られたという事に。

本来ならきっと、仕事をしてる間に殺して誰かやったかわからないと有耶無耶にするとでも聞いていたのだろう。

なんせ、組んでいる相手はここのトップ。相手は頼れる大人のいない最下層の子供。

怪しまれたってどうにでもできる。特に、マルコスさんはお兄ちゃんからしたら畏怖すべき大人の象徴なのだから。少しぐらい強気で強引に言えば、きっと黙らせれた。

でも、実際は違った。

切り捨てられたのは自分だ。

自分だけが、捨て駒としての退場を命じられたのだ。

 

何も知らないお兄ちゃんはお母さんの名前を何度も呟きながら力なく伸ばされた手を握っていた。

さっきまで爆発していた感情は少し落ち着いた様だ。

でも、今度は違う人が抑えきれないみたい。

「ふ、ふざけるなよ!!。ウォール教のためって、そう言ってただろ!!」

直接は言えないのか、床に向かって感情をぶつける。狭い部屋に反射されるその声の大きさは、床に座り込んでいた私に向けられているようでとても恐ろしく、肩が一瞬震えた。

また大きく一歩下がろうとするも、その足は床に着くことはない。私の身体にぶつかったから。

マルコスさんはゆっくりと視線を向けて何に当たったのか目視する。

過去にあった希望の言葉、目の前にある非常な現実、余りにも暗い未来の自分。

それらの感情が掻き回され、頭の中を駆け巡っているのだろう。

開ききった瞳孔と顔中にかく汗。そしてまさに、混乱してるといった表情と目があった。

 

数秒静かな時が流れる。

異様な光景にあるまじき異質な時間。

この沈黙がただ怖い。

何をされるか、何かあるのか、何が起きるか。

ごくりと唾を飲み込む。緊張からか乾燥した喉が嫌に気になり不快感を強くさせた。

恐らく、今一番して欲しくないこと。それをマルコスさんがしようとしたのがわかったのは彼が急に歪に微笑んだから。

やめて

心の中で叫ぶ。でも、止まったように感じる時も彼の行動も止まらない。

ゆっくりと大きく口が開きかける。

だめ、それは、だめ。

私が望んた。私がやった。私が関わっている。

そんな言葉を言わないで。

私にならいい。

でも、お兄ちゃんには___

 

 

「おま____」

「なんで彼女を殺したの!?」

だめ、そんなこと知られたら嫌われる。

嫌われるに決まっている。

妹ちゃんはお兄ちゃんの世界そのもの。彼女を中心にお兄ちゃんは生きてきた。

それを奪ったのが私と知られたら____

だめ、そんなの。

私の世界を奪わないで。

思いは声となる。力強い言葉は全てを屈服させるように響き渡った。

私は、続ける。

「あの子の病気は感染らないのに、なんで……!!知ってたでしょ!?殺す事……ないのに……」

お兄ちゃんがいない世界。

そんなの、私からしたら死んだも同然だ。

それを少し想像したら途端に悲しさが溢れ出る。それは、池沼に数滴の雫としてこぼれ落ちていった。

 

「お前、お前まで……!?」

マルコスさんの拳が力強く握られる。

ここに彼の味方はいない。昨日まで味方だと思っていた人は全てお兄ちゃんの味方なのだから。

でも、その強さはすぐに消える。

「ははっ……はははっ!!」

急に笑い始めると天井を向いて自らの瞳を隠すように手を置く。

「流石は悲劇のヒロイン様。自分を可愛そうな人に仕立て上げるのが上手いな!!

でもなぁ、こんなの全部知ってる奴からしたら悲劇じゃない、ただの茶番だ!!

喜劇にもならないゴミのような茶番だ!!」

マルコスさんは私達を一人一人見回す。特に、お兄ちゃんを。

お兄ちゃんだけが知らない。だからだろう。突然笑い出すマルコスさんを真剣に睨むことが出来ていた。

茶番……か。

誰にも見られないように顔を深く俯ける。

波紋が出ているとはいえ、赤く染まった私の顔がよく見える。

見てるものを嘲笑うような歪んだ笑みがよく見える。

 

「……マルコス君、悪いことは言わない。大人しくしてなさい」

「悪いこと!?悪いのは俺じゃないだろ!!」

オーナーの言葉に強く食いかかる。

そんな姿にため息と共に「残念だよ」と呟くとオーナーは塞いでいた玄関から離れた。

「はっ?」

そのまま真っ直ぐに指を指すと、馬車で見かけた憲兵団の2人が部屋に押し入り、ただ1人宣言するように真ん中で立ち上がっていた彼を捉える。

「声がしたと思ったら、こんな事になってるなんてな」

1人が落ち着いた口調で周りを見渡しながら呟く。

「慌てるな、話は後で聞くから」

1人はマルコスさんの口を抑える。これ以上喋らせたくないからだろう。

これも聞いてなかったのだろう。急な事態に何も飲み込めずただされるまま床に屈服させられていた。

勢いよく倒れこんだ音に比例して池沼が飛散する音が虚しく響く。

自分と同等な体格の男性2人に押し付けられているからか、足掻こうとする両手も逃げ出そうとするりょうあしも何もできずに空を切る。

子供のように手足をバタつかせたのを終える。

でも、最後のわるあがきなのだろう。首を大きく横に振り添えられていた手を振り払う。そのまま向いた先にあるお兄ちゃんの顔を見つめた。

「なぁ……」

直接顔は見れない。けど、わかる。それぐらい体も、声も震えていた。

それぐらい、泣いていた。

「悪いのは俺じゃない」

勢いも殺されたか細い声。

「信じてくれよ……!!」

その願いを最後に再び口は閉ざされる。

何も言わない。

困ったような。でも、わかりきったような。そんな何とも言えない顔をする。

それを私に向ける。

希望を願った悲劇のヒロイン。その茶番を作った私に。

それをオーナーに向ける。

この茶番を作った脚本家に。

それをマルコスさんに向ける。

舞台に立ち全てを失った人に。

それを彼女に向ける。

本当の悲劇のヒロインに。

そっと、彼女の顔を自分の胸に抱き寄せて強く、強く押し当てた。

 

「関係ない。お前が殺したんだ」

誰の顔も見ずにその呟いた一言を最後にマルコスさんは抵抗を止めた。

 

 

 

 

 

 

 

「いや、治安が悪化してるため馬車の警護をとの依頼でしたが。まさかこんな役にたてるなんて」

「断ろうと思っていたのですが、お受けしてよかった。後で私が礼を言っていたと伝えてください」

大声とは言えないが、周りに聞こえるような声で握手をし合う2人の姿がわざとらしく見えるのは、私が筋書きを知っているからか。

マルコスさんはまさに無気力といった様子で言われたように馬に跨っている。その顔は上がることはない。

ただ、縄で縛られた両手を泣きながら見ていた。

そんな哀れな人形を囲うようにここに暮らす人達が遠巻きに見ていた。ヒソヒソと何かを話している。

何事も集まれば大きくなるもの。その声たちも人が増えるに連れて大きくなる。遠巻き達よりも更に離れた血まみれの私達にもその声が届いてくる。

殺人?マルコスさんが?

ほら、あの子の事嫌ってたし……

もう病気感染らないの?

今はそんな事言わないの

マルコスさんに向けられる視線。私達に向けられる視線。どれをとっても好奇心のような邪な感情を殺す感じてしまう。でも、その言葉達何れもは妹ちゃんを中心として語られている。

お兄ちゃんにも聞こえているのだろう。厩舎の壁に持たれながら膝を抱えて座り込む姿は、より縮こまろうと身体を丸めた。そんな小さなお兄ちゃんを真似るように私も縮こまる。

 

何も言ってあげられない。

何をしていいかわからない。

何をしてしまったのか理解出来ない。

こんな事になるなんて思ってもいなかった。

私はただ、お兄ちゃんと家族になりたかっただけ。

お兄ちゃんが欲しかっただけ。

奪ってまで欲しくは___

自分の耳を塞ぐ。

好奇心と興味本位で語っている雑音達を聞きたくないわけじゃなく

三文芝居を聞きたくないわけじゃなく

お兄ちゃんのすすり泣く声を聞きたくないわけじゃなく

自分の心の声に耳を傾けたくなかった。

それを聞いたら、知ったら最後……。

本当に、本当の本当に戻れなくなる。

そんな、怖い予感が横切ったから。

自分が怖い。

あの時、マルコスさんを助けてあげれば___

妹ちゃんの瞳に映っていた私ならきっとそうした。

でも、そんな事できなかった。

嫌われる

そう思っただけで頭の中が真っ白になった。

とても、怖かった。私まで全てを奪われるということが。

お兄ちゃんから奪っておいて私は我が身可愛さに振る舞ったんだ。

私もまた人形だ。

愛されたい、愛したいだけの人形。

 

徐々に力を強めていく。頭が割れそうになる程。

いっそ、割れてしまったら___

いっそ、ここで死んでしまったら、少しは償いになるのだろうか。

でも、そんな事は出来ない。

自分を殺す勇気もなければ、それを許してくれる人が隣にいない。

そっと身体全体を包み込む暖かさが、冷え切った思考にそう思わさせた。

彼の少し硬い胸に私の顔が押し付けられる。

それは、私がして欲しかったこと。変わって欲しかったこと。

違うのは、彼の胸にある生暖かい感覚だけ。

 

「ごめんね」

何度も何度も聞いてきた言葉。

聞き慣れた言葉が、私の防壁に語りかける。

その声は、嫌になるぐらいはっきりと聞こえた。

「ごめん」

やめて

「嫌なもの、見せて」

やめてよ

「本当にごめん」

せっかく、せっかく反らしたのに

「ごめん」

なんで、何で私に優しくするの?悪い子なのに。

天使なんかじゃない。

欲しい物のために、人から全てを奪った悪魔の子。

なのに___

 

「クリスタさん」

全部嘘

嘘なんだ

本当は、奪ってでも欲しかった

全部、全部全部全部

欲しい物のためなら壊したっていい。

差し出したっていい。

だって、それぐらい欲していたから。

お兄ちゃんを。

人として、異性として、兄として、家族として……。

全部、欲しかっただけ

これは私が望んたこと。

私が望んてしまったこと。

 

抱えた膝に綺麗な涙が落ちていく。

まるで私から抜け落ちていくように。

「ありがとう、隣りにいてくれて」

頭上から囁かれたその言葉か逃げるうに彼の胸に顔を埋める。自分でもわかるぐらいにその口元は歪んていた。

それを、お兄ちゃんに見られたくなかったから。

私は隠すように顔を埋めた。

 

 

 

せめて、最後ぐらいは人間らしく見送ってあげたい。

全てが終わり、周りの人も各々の配置に戻った後オーナーに向かってお兄ちゃんは呟いた。

オーナーは悲しげな顔で、それでも口元は優しく微笑んで「そうしよう」と応えて頷く。私もそうした。

これが真っ白だったベットシーツと言っても誰も信じてくれないだろう。それぐらい赤く染まったシーツにお兄ちゃんと一緒に包んでいく。

途中彼女が持っていた首飾りに目が行ったのだろう。それをそっと持つと強く、強く睨みつけた。

数秒程して大きく吐いた息と共にそれを妹ちゃんに戻す。両手で挟み込むように持たしたそれは、まるで宝物を持っているようにも感じた。

お兄ちゃんは何も言わない。淡々とシーツに包んでいく。最後顔を隠す時は少し止まったけど、何も言わずにシーツで隠した。

全部終わったら赤いシーツをオーナーに渡して馬車の中へ。馬たちはまた仕事だと察したのか少し不機嫌そうに感じる。でも、もう少しだけ頑張って。そんな思いで少し撫でると落ち着いた。

汚れた服から着替えたら、私達も馬車に入る。オーナーの隣て座る私は、対にいるお兄ちゃんと、その膝の上にいたシーツを数時間眺めていた。

お兄ちゃんと目が合う事はない。彼はシーツを物寂しそうに撫でながら眺めていたから。

 

家族を失う怖さは、わからない。

私には始めからいるようでいなかったから。

仕事の時だけ少し話してくれる祖父母がいた。話した中身はどれをとっても仕事のことだけ。

無愛想な母がいた。私が何を言っても口を開けてくれない母が。

抱きついたら、死を望まれた。

そんな母。

父なんて知らない。何も知らない。

私には家族なんていなかった。

でも、お兄ちゃんは違う。

自分の事も思っていてくれた母は巨人の襲撃と共に行方不明おそらく、亡くなったと話していた。

優しかった父は母を見限ってどこかへ行った。

甘えたがりな妹は私の我儘で死んでしまった。

苦しいよね。辛いよね。

大丈夫だよ。

私が傍に居てあげるから。

ずっとずっと傍にいるから。

だから、そんな辛い顔をしないで。

口に出すのは恥ずかしい。だから、そっとお兄ちゃんの手を掴む。指と指を絡めるようにすると、お兄ちゃんも合わせてくれた。

聞き慣れた謝罪の言葉。

私だけに向けられた言葉。心地よい言葉。

それに満足しながら、私は顔を作る。

表情にだす訳には行かない。俯いて、悲しそうに。悲壮感を出しながら。

重苦しい空気の中馬車は進む。

本当のお別れの場所へ。

 

 

 

広い広場の中心に無数の人達が倒れ込んでいる。カタムキ始めた日の光に照らされているそれは、まじまじと見るに耐えない不気味な小山。

立ち上がることなんて出来ない人達は倒れた身体の上にさはに身体を重ねられて、立派な山を築いていた。

ここにいる人達は皆、今からやる事を知っている。負の感情に支配された広場の済でお兄ちゃんと座り込む。

周りの人達は皆私達みたいに暗い顔をしている。

年老いた老人は目頭を抑え、小さな子供は傍に居たい大人に縋って声を上げて泣け叫ぶ。

私達と同年代ぐらいの子達がグループを組むかのように纏まっている所もあった。呆然とした顔をしたり、泣いていたり、気難しい顔をしたり……

広場を囲う人達に喜びを感じさせる人は誰と一人としていない。

それだけは胸に刻む。

 

そんな周囲に目もくれずお兄ちゃんは山を眺めていた。

何を感じているのだろうか。力を感じない締まりきのない顔でただ眺めていた。

ここに来てからそんな顔をずっとしている。馬車に降りることもしなかった。私が手を引いてようやく歩き始めたけど……

私が奪ったモノがどれだけ大きかったのか身にしみて分かった瞬間。

心配そうに彼の横顔を眺めていると、ふいに顔を反らされる。見ていた先を見て私からじゃない事に気づいた。

この広間で数少ない顔見知りの顔が見知らぬ男性に運ばれていたから。そこから目をそむけたんだ。

それは乱雑に山の上へと放り込まれる。手にしていた首飾りは回収されたのだろうか、ぶらりと山の中にうなだれた手にはそれらしきものは見当たらない。

そっと絡めた指に力が加わった。応えるように私も力を入れる。

また静かな時間が続く。

 

何十人ものモノで築いた山を見ていると、不思議な気持ちになる。

ウォールマリアの陥落以降、ここウォールローゼへと沢山の人が雪崩込んだ。急な人口増加に急に奪われた土地。ここで満足に過ごせる人は少ない。

ウォールマリアに守られていた人達は慣れない土地で過ごすことに戸惑いを。ウォールローゼに守られていた人達は見慣れぬ人々に戸惑いをそれぞれ感じている。

でも、物資は有限であり。人の気持ちも限界がある。

慣れない土地で住む人々は今の生活に不満を覚える。

見慣れぬ人達に囲まれた人は自分達の取り分が減ることに苛立ちを感じる。

過去に思いを馳せた人が山の礎になり、苛立ちを感じる人は山が大きくなる事に喜びを感じるのだろう。

その結果が、この山。

彼女の上に更に数人の人達が乗せされる。

痩せ細った小さな体は全体を隠し始めていた。

 

「あの首飾り」

ようやく呟いたその一声は誰に向かって言っているのか。私しかいないのだが、私に向けられているように感じないのは、その瞳に一片も映っていないからなのかな。

「まだ早いって言われてくれないって、何時も怒ってた」

「お母さんは持ってたの?」

「うん、母さんは持ってた。だから、余計に欲しかったんだと思う」

久々に声を聞いた気がした。それぐらい、待ち望んていた声は初めて聞くような薄っすらとした軽い声。

「だから、最後に持ててよかったのかな」

「誰のだったんだろう」そう続けて呟く。

彼女の身体が見えなくなると絡まれていた指の力がなくなる。離さないように必死に力を入れた。

「母さん、俺の事も心配してくれてた」

「うん」

「妹の事、守ってあげれなかった」

「うん」

「皆奪われた」

「……うん」

お母さんもお父さんも妹も……

大切な家族はそれぞれ奪われていく。

私から、巨人から、ウォール教から

最後に残ったのは何もないのだろう。

 

「あの壁」

ふいに視線を見上げる。私もそれを追っていくと、私達を囲う天高くと伸びている壁がそこにはあった。

「あれがなければ……変わったのかな」

「……うん」

ウォール教は私達を囲む壁を信仰している。そんな話を彼女に聞いた。

あれがないような平和な世界なら、彼の家族は今でも幸せだったのだろうか。

でもそれは、私が不幸な世界。

「巨人達がいなければ」

皮肉だな。

お兄ちゃんの求めてるような世界だったら、私に幸せは絶対にこない。

でも、お兄ちゃんの幸せのために力を貸してあげたい。

もう、手に入らない幸福に。

 

「……家族ってなんだろう」

私は呟く。

それを合図とするように憲兵団の人達が液体を山にかけ始めていた。

「血が繋がってるから家族なのかな?

生まれた時から一緒だから家族なのかな?

守られたいから?

家族じゃない人は永遠に家族になれないの?

私は、そうは思わない」

山が液体で浸り始めると、背中を覆うような機械を担いだ人がやってくる。ホースのような物を向けた。

「血が繋がってたって、家族じゃないよ

生まれた時から一緒でも家族じゃない

守って欲しくても守ってくれない

家族じゃない人の方が気になって、好きになっちゃう」

ホースから溢れ出た火の波はすぐに山を上り山頂まで届く。

「お兄ちゃん、私は家族が欲しいな」

今度は私がお兄ちゃんの身体を包む。

肥なんて上げないはずなのに、あの山から何か聞こえる気がした。

幻聴の絶叫に混じって地を這うように何かが聞こえる。

気にしない。気にしてはいけない。

もう、私にそんな資格はない。

「私、お兄ちゃんの妹になりたい」

 

目を逸らすように閉じてお兄ちゃんの頭を自分の胸に押し付ける。

されるがままのお兄ちゃん。その視線は私を捉えることはない。

今だけ、今だけは。

最後ぐらいは本当の家族を思っていて欲しい。

でも、その後は

その後は、私の時間。

「ねぇ、お兄ちゃん」

 

震えた声は聞き慣れた優しい声。

何度も聞いた謝罪の言葉に連なって、何時聞いても嬉しい感謝の言葉が耳に入る。

そしたら不思議なぐらい突然周りの声が消えた。

不気味な声の主はもう、声を上げれなぐらいに溶けてしまったのだろうか。

最後に私は振り絞る。

自分の中の綺麗な心を

ごめんね

内心呟き、許しを願った。

自分でもわかるぐらいに緩んだ笑みを彼に見られないよう彼を強く押し付ける。

私から離れないよう、私の傍から逃げないよう。

強く、強く。

 

最初は見ているだけで満足だった

我慢ができなくて触れてしまった

欲望が抑えきれなくて口付けをした。

 

観てるだけなら怒られない。食べちゃいけないのがルールだから

触れるだけなら怒られない。食べちゃいけないのがルールだから

口付けするだけなら怒られない。食べちゃいけないのがルールだから

 

一口齧っただけで、それが禁断の果実と言われる所以がわかる。

たった一口。

それだけで全身が震える。心が叫ぶ。もっと、もっとと。

そう感じる程の甘美な味わいが私の全てを巡り回った。




新しい連載を始めました。アズールレーンの二次創作です。
Twitterも始めましたので、お時間ある時に覗いて頂けたら幸いです


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