東方狂界歴 (シルヴィ)
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プロローグ
始まりの異変


 そこは既に現実には存在しない、幻想の存在が住む世界だった。その世界は人をはじめ、妖怪や神までもが存在する場所だった。

 そんな世界のある場所には、立派な屋敷が立っていた。その屋敷の一室に、何かを書いている女性がいた。

 「ふぅ……大体、こんなところかしらね?」

 そう呟いた女性の手の中には、あるゲームの追加ルールが書かれていた。それは『弾幕ごっこに関連した追加ルール』だ。本来ならば追加ルールなど作る理由はない。だが、一つだけ作らなければいけない理由があった。それは単純明快なわけ。このゲームは人間と妖怪が戦うために作られたものなのだが、やはり妖怪の方が有利すぎたのだ。だからこその追加ルール。

 「藍や霊夢にも協力してもらって作ったこのルールが、ほんの少しでもいい方向に向かうといいのだけれど……」

 憂いを秘めた表情で今後を心配する女性。その顔は、途轍もない神秘を宿した、一枚の絵画を見ているようだった。

 そして、その紙をしまった女性は軽く伸びをすると、小さく欠伸をした。――それでも美しく見えるのだから、綺麗な人はずるすぎると言えるだろう。

 そして女性は、窓から見える満月を少しだけ眺めると、布団を敷いた。

 そのまま布団の中に入り眠ろうとする女性は、完全に眠り切る前に、もっとこの世界をより良くするための新たな方法を考え始めていた。

 ――女性は気付くべきだったのかもしれない。この幻想の世界に、異質な存在が来たのを。この時女性が願ったことが叶えられるのは、その異質な存在によって曲げられることになるのを、女性はまだ知らなかった。

 

 

 

 

 朝になると、朝食を食べ終えた女性は、すぐに玄関へと歩いて行った

 「紫様、今日はどちらへ?」

 女性――紫と呼ばれた人は後ろを向くと、自らの式に言った。

 「フフッ。今日はね、昨日考えたスペルカードルールを広めようと思っているのよ。そのために一度、人里に行くの。その内貴女にも協力してもらうつもりだから、よろしくね、藍」

 「わかりました、紫様」

 とても楽しそうに、あるいは嬉しそうに笑う紫の姿を見て、紫の式――藍と呼ばれた女性の頬が綻んだ。

 「しかし、境界を渡って行けば、すぐに着くのでは?」

 「確かにそうよ。でも、それだと風情が無いわ。たまには、自分で歩きたいと思うこともあるのよ?」

 「それもそうですね……。では、お気をつけて行って来てください」

 「ええ、わかっているわ。それじゃあ、またね。藍」

 一礼して紫が出て行くのを見た藍は、屋敷の中へと戻って行った。

 「あんなに楽しそうな紫様を見るのは久しぶりだな。私も今日の仕事を早めに終わらせて、紫様の好きな料理を作るか」

 気合を入れた紫の式は、己が主のために仕事をし始めた。

 

 

 

 

 

 人里へと向かう道中、紫は周りの景色を眺めながら歩いていた。彼女ほどの実力があれば、例え歩きでも里へ行くのはほぼ一瞬で済むが、今は自然の風情を見るのを楽しんでいた。

 これが人であれば、このように余裕を持つのは少し難しかっただろう。この世界には妖怪がいる。例え『彼女の手によって』人を襲う時間や場所を限定されていても、不安に思ってしまうのが人だ。しかし、彼女は人ではなかった。それどころか、そこらの有象無象が束になっても敵わない存在だった。

 そのため、道中に何かが起こる可能性は皆無に近い。――はず、だったのだが。

 「ガアアアアアアアアアァァァァァァァ!!!!」

 「うるさいわねぇ……。少しは空気を読めないのかしら?」

 理性を持たない低級の妖怪。それでもただの人であれば、一瞬で殺されてしまうほどの力を持っている。しかし紫は一向に慌てる様子を見せない。それどころか、少し苛ついた表情をしていた。

 「私、貴方のせいで気分が悪いの。だから――容赦はしないわ」

 一方的にそれだけを告げると、紫は妖怪の足元に穴を開けると、そこに情け容赦なく妖怪を叩き落とした。そして、雲よりも更に上の高度に穴の出口を設定しておく。一応落としても問題無い場所を選んだので、どこにも迷惑はかけないはずだ。

 「空を飛べれば助かるかもしれないけど……無理そうね、理性も無い妖怪じゃ」

 そして、何事も無かったかのように紫は歩き出す。それからは、里につくまで何の邪魔も入ることは無く、紫は上機嫌で人里へ辿り着いた。

 

 

 

 

 「まずは、里の先生に弾幕ごっこの新しく追加したルールの説明をしてから、神社に向かいましょうか」

 彼女は――紫は、妖怪だ。しかし、里に住む人々は彼女を必要以上に恐れることは無い。それは、彼女が無意味に人を襲わないと理解していたからだ。それでも完全に恐れないと言う訳では無いが、里の外にいる妖怪に比べれば格段にマシだった。

 そして、里にある寺小屋へと向かう途中、何度か聞いた覚えのある、しかし決してここで聞くのはありえない声を聞いた。

 「紫、久しぶりね。元気にしてた?」

 「……え?」

 紫が疑問の声と訝しげな顔を出しながら後ろを振り向くと、そこには迷いの竹林にいるはずの、月の賢者がいた。

 「八意……永琳? ……何で、ここにいるのかしら? 確か貴女は、月の刺客に見つからないために、迷いの竹林に隠れていたはずじゃ無かったの?」

 永琳と呼ばれた女性は、紫の言葉に眉を顰めた。そして、何かを心配するかのように紫の額に手を当てた。

 「……紫、貴女大丈夫? 熱でもあるの?」

 「……それ、どういう意味なのか、聞いてもいい?」

 少し頬が引き攣っている紫に、永琳はやはり心配そうに言った。

 「忘れたの? 貴女が強力な結界を作ってくれたおかげで、月の刺客を心配する必要は無くなったから、もう引き籠もっていなくてもいいって言ってたじゃない。まあ、輝夜は相変わらず引き籠もってるけどね。それは仕方ないって諦めてるわ」

 苦笑いしながら言う永琳だが、どこか温かさの感じられる声音だった。けれど、『永琳がここにいる』それ自体がおかしいのに紫は気付いていた。

 「それで、ここに来たのは何故かしら? 私は薬を届けに来たのと、私のところに連れて来られない患者がいるから、診察に来たのだけど」

 「……私は、ただの散歩よ」

 紫は咄嗟に、本来の目的とは違う答えを言った。目の前にいるのが永琳だと言うことは、能力を使って理解している。しかし、自分が知らない物語を相手が知っている、それが紫の目的を言うのを妨げた。

 「そうなの? あら、もう時間ね。私はそろそろ行っちゃうけど、また後で会えたら話しましょうか。それと……」

 永琳はどこか言い難そうに口籠り、視線を彷徨わせながら、言った。

 「ええと……もう年が年なんだから、頭が心配なら、言ってね?」

 「余計なお世話よ! と言うか、年齢なら貴女の方が上じゃない!!」

 「あら、どうだったかしらね?」

 茶目っ気たっぷりに笑う永琳に、先程の言葉が冗談――本当に冗談なのか判断しかねるが――だったと悟る。どうやらそれにも気付かないほど混乱していたらしい。

 「何を悩んでいるのかは知らないけど、少しは相談してね? できる範囲で力になるから」

 真剣な顔で告げる。永琳が本心から言っているとわかる言葉。それを無下にするほど、紫は子供ではない。

 「ええ、そうさせてもらうわ。それじゃ、また」

 けれど、それでも紫は本調子には戻っていなかった。背を向けて歩き始めた紫を、永琳は心配そうに見つめていたのに最後まで気付けていなかったのだから。

 

 

 

 

 

 人里で――いや、幻想郷で異常なことが起きているのに気付いた紫は、人里を出てすぐに神社へと向かう境界を開き、そこから神社の――風情の無い上に罰当たりな言い方だが――玄関とも言うべき、鳥居の上に降り立った。すると、紫の目に信じられない光景が見えた。

 「魔理沙、待ちなさい! 待たないと痛い目見せるわよ!」

 「へっへ~ん、まだまだ行くぜ! 追い付けるなら追い付いてきな! 霊夢!」

 『五歳』程の子供になっている霊夢と魔理沙が、『仲良く』遊んでいるのを見て、紫の――妖怪の賢者とまで呼ばれた頭脳が停止してしまった。しかし、すぐに我を取り戻した紫は、こうなった原因を考え始めた。

 (まず、何が起こってこうなったのか。これに関しては全くの謎ね。なら、どうしてこうなったのか。これもわからない。それ以前に、こんな異変を起こせる存在が全く思いつかないのがおかしい。永琳が表に出て来てると言うだけなら、誰かが私か永琳の記憶を書き換えたとわかるけど……)

 『十六歳』くらいだったはずの霊夢と魔理沙が、『五歳』になっている理由が思い付けない。

 (これができる相手に、一人だけ心当たりがあるけど……彼女では無理だとわかってる)

 紫は、この異変を自分一人で答えを見つけるのは無理だと判断した。そして、藍に協力を仰ごうと、境界を渡って自らの家に戻った。

 

 

 

 

 

 紫は家に戻ると同時に、境界の外を見る間も惜しんで叫んだ。

 「藍! いるなら返事をしなさい!」

 いきなり真後ろから届いた怒声に、藍はびくりと体を震わせた。

 「ゆ、紫様!? 驚かせないでください!」

 藍は振り返って紫に抗議する。が、紫の表情がとても険しいのに気付き、すぐにそれを止めた。自らの顔を見て状況を察した藍を心の中で褒めながら、紫は聞いた。

 「藍、今の幻想郷で、何か変だと思ったことは無いかしら?」

 「変だと思ったこと? ……さあ、特にありませんが……? 少しお待ちください」

 そう言って、藍は幻想郷の結界の構築している術式を見た。そして、その顔を驚愕に歪めることになる。

 「な……! コレ、は……!?」

 「どうしたの!?」

 いきなり呻き声を上げて頭を押さえ始めた藍に、紫は肩を押さえて聞いた。

 「結界が物理的に破られていた形跡があります。しかも、破壊と同時に修復をしてあったため、私たちですら気付けませんでした」

 「……嘘、でしょう……?」

 彼女たちは、幻想郷において最強の一角である上に、この結界は彼女たち――正確には紫が――作りあげ、今まで管理してきたのだ。そんな二人すら気付くことができない程の早さで破壊し、更にバレにくいように修復を行うなど、普通はありえない。

 だからこそ二人は驚愕と困惑を顔に張りつけてしまった。しかし、流石と言うべきか、紫はすぐにこれから何をすべきかの判断をした。

 「……とにかく、今は情報収集が先よ。藍の負担が増すけど、今から結界の状況を最優先に確認。それからは幻想郷中を飛び回って、どうなってるのかを見てちょうだい。ただし、敵と遭遇する可能性もあるのだから、力を使い過ぎるのは厳禁よ。いいわね?」

 「わかりました。今日中に結界の再確認をします。今から部屋に籠りますので、料理は人里で食べておいてください。それでは」

 早足に部屋へと戻る藍を見た紫は、境界を渡って幻想郷中を渡り始めた。

 

 

 

 

 

 それからはとにかく情報を集めに集めた。そしてわかったのは、幻想郷の至るところに異常が起こっていたと言うことだけだった。ほんの一部だけが例外で、何も起こっていない場所もあったが、それでも幻想郷のほぼ全域に異変が起こっている。

 まず妖怪の山は、地底に下りたはずの鬼がいて、今にも人里に下りて行きそうな勢いだった。何とかそうするのは思いとどまるようになだめることはできたが、それでも余り長くは続かないだろう。

 次に三途ノ川だが、ここもおかしくなっていた。一部の霊が自我を持ち、暴れているのだ。今は数も少ないから死神たちでも鎮圧することができているが、もし数が増えればそう言っていられないだろう。

 冥界には何故か何も起こっていなかった。ここは幻想郷とは繋がっていないため何も起こっていないとは思っていたが、紫の親友とも言える幽々子がいるので、一応見ておいたのだ。とは言え、幽々子自身も何かが起こっていた様子は無く、今は他のことに気を取られていたため、一応の注意をしておくことにしただけで終わった。

 それと同時に、一つのこともわかった。この幻想郷では殺し合う戦いが禁止され、弾幕ごっこでしか戦えないはずの妖怪たちが、何故か殺し合いをしていたことだ。

 理由を聞いてみたのだが、そもそも弾幕ごっこが何かすら忘れていた。そのせいで殺し合いなどという真似になってしまっているのだ。

 そして、この異変で何よりも二人を驚かせたのは、紫と藍以外の全員がこれを異常だと思っていなかったことだった。いや、異常だと思う以前に、これが当たり前だと思っている。

 そのせいで、この異変を誰かに知らせるどころか、起こっていると伝えたとしても変人呼ばわりされかねない。協力を要請するのは不可能だった。その上、紫は冬はずっと眠り続けなければらない。それもあって、調査は難航していた。

 二人だけで冬を除いた約一年間、様々な場所を見て回った紫と藍だが、結局誰がこの異変を起こしているのかはわからずじまいだった。

 「ああ、もう……霊たちはともかく、鬼を抑え続けるのは不可能に近いのに……」

 「紫様、落ち着いてください。貴女様の武器はその頭脳。焦っていては解を見つけるのが難しくなってしまいます」

 「それはわかっているわ!けど、鬼を抑えていられるのは後数年。それ以上経ったら……彼らは、暴走してしまうでしょう」

 そのことは藍にもわかっていた。だからこそ紫が焦ってしまうのも知っている。

 仮に鬼たちが暴走して人間たちに勝負を挑めば、幻想郷に住む人間はすぐに消えてしまうだろう。そうなってしまえば、幻想郷に住む妖怪たちは人間から受けられる恐怖心を無くし、すぐに消滅してしまう。それは鬼たちも例外ではないが、それだけで鬼が侵攻するのを止める理由にはならない。彼らは自分たちが消えてしまうことよりも、強者と戦うのを望んでいるからだ。むしろ強者と戦うためなら、自らの命をドブに捨てるような集団が鬼なのだ。

 いくら紫と藍が強いと言っても、死んでもいい覚悟で向かってくる鬼全体と戦うのは流石に不可能だ。もしも鬼の総大将の彼女が出てくるとしたら……被害は想像できないものになるだろう。

 紫の心労は量りしれなかった。

 「……今は一所に落ち着いていられないの。悪いけど少し、出てくるわ」

 「……わかりました。お気をつけて」

 紫の心情が理解できてしまう藍は、彼女を止めることはできない。だからこそ、見送るしかできなかった。

 

 

 

 

 

 紫が空を飛んでいると、いつの間にか赤い屋根が見えてきた。

 「あれは……紅魔館、ね」

 遥か昔に幻想郷に来て、侵攻してきた妖怪たちの大将が住んでいる場所。しかしそんなのは紫にしてみればどうでもよかった。別の場所に跳んで行こうとする紫だが、見たことのない人物が見えてしまい、その場に止まった。

 「彼は一体?」

 黒いコートを着て、全身を覆っている。しかし、身長からして恐らく十歳から十二歳程度の人間の少年――気配で人間かどうか、男か女かはわかる――が、紅魔館に歩いて行っているのが見えた。その黒い少年を眺めていると、一定以上まで紅魔館に近づいたかと思えば、すぐに走り去って行った。

 「……………………………………怪しいわね。どうせ異変の元凶がどこにいるのかはわからないのだし、追ってみるとしようかしら」

 紫はそう小さく呟くと、黒い少年を追い始めた。

 黒い少年は、その小さな体躯に似合わずかなりの速度で走っている。しかも、既に『三時間以上』も走っているのだ。気配からして人間だとわかるが、休憩もせずに走り続けているのがおかしいのはバカでもわかる。

 それから更に時間が経つと、前方から黒い羽を持った少女が悲鳴を上げて突っ込んで来た。

 「イヤァァァァ! どいてください~~~~!!」

 少女が突っ込んでくるのがわかった紫は、反射的に妖力で作った壁を作ってしまった。次の瞬間、飛んできた少女は、その壁に思いっきりぶつかった。

 「ふぎゅ!」

 蛙が潰れたかような声を出しながら、少女は顔を押さえながら怒った顔をして怒鳴った。

 「どいてくださいって言ったじゃないですか!」

 「ご、ごめんなさい……つい、ね?」

 少女の気迫に呑まれた紫は、つい謝ってしまった。

 「つい、で壁を出されてたらこっちの身が持ちません!」

 と、そこで紫は、自身が悪い訳では無いのを思い出した。

 「……そっちが突っ込んで来たのだから、防御するのは当たり前だと思うのだけれど。射命丸文、そこのところはどう思うのかしら? 下手をすると、私が怪我を負ったのかもしれないのよ? 私に怪我を負わせたへっぽこ記者……このネタ、誰かに売ろうかしら?」

 「うっ……! それは勘弁してください! 後生ですから!」

 図星を突かれたことで胸を押さえて呻き、次に言われた脅しに紫を拝み倒す少女――射命丸文に紫は一つ話しを聞くことにした。理由としては拝まれるのが鬱陶しくなったのと、先程のはあくまで遊びで言ったものだったからだ。

 「けど、貴女があんな風に自分の速さを制御できないなんてあったのね。意外だわ」

 これは嘘ではなく本心だ。彼女は幻想郷では最速とも言える速さを持っていて、余程の理由でもなければ今のように暴走することはほぼ無い。

 それが聞こえた文は少しだけ唸ってから、ごにょごにょと言った。

 「ん~……何と言いますか、言い訳がましいんですけど……」

 「理由があるの? なら説明しなさい。本当かどうかは私が判断するわ」

 「で、ですが……」

 「さっきのネタ、どうしようかしらね? どこかに売ってしまおうかしら? どこかの誰かが言ってくれれば、話さないと約束するのだけれど」

 渋る文に、紫は独り言――と言う名の脅し――をした。再びかけられた脅しにしばらく呻いた文は、頭を振った後に溜息を吐いた。

 「ぐぅ……ハァ、仕方ないですね。私の自業自得ですし」

 「そ。なら、早く説明しなさい」

 彼女を困らせるためだけに聞いた、遊びで言った言葉。答えらしい答えは返ってこないと思っていた紫は、文の説明に驚愕することになる。

 「最初は普通に飛んでたんですよ。それからはいつも通りに能力を発動させて、飛んでいました。それでそのまま飛んでいたら、いきなり能力の出力が上がったんです。まるで、能力の力が上がったみたいに。それに喜んだのも束の間、いきなり能力の制御ができなくなったんです。全く持って訳がわかりません」

 そう言った文は紫を見ると、目を丸くしてしまった。胡散臭いと名高い紫が、その顔を驚愕と言うわかりやすい表情をしていたのだから。それに文は驚いてしまったのだ。

 「ど、どうしたんですか? どこか調子が悪いのでは?」

 「……何で私が驚いただけで、そんな反応が返ってくるのかしらね?」

 「あ、あ~……ぇ~と……な、何でもありません!」

 そう言って飛んで行こうとする文に、紫は急いで声をかけた。

 「待ちなさい、文」

 「は、はひ! 何でしょうか!」

 怯えている文に、紫は簡潔に本心を告げた。

 「ありがとう」

 「……え?」

 「だから、ありがとうと言ったのよ」

 そう言って本心から満面の笑みを浮かべる紫を、文はまるで別人を見る目で見てしまった。その視線を感じた紫は、その微笑みをほんの少し変化させた。

 「あら……? 何かおかしなことを言ったかしらね……?」

 「いいえ! どういたしまして! それでは!!!」

 今度こそ文が飛んで行くのを見送った紫は、険しい表情で文が飛んできた方向――あの黒い少年が走って行った方を眺めた。

 (あの少年が行った方向から、文が突っ込んで来た……。恐らくあの少年の能力は――)

 その能力に思い至った紫は、歯を噛みしめた。この異変の元凶と、その理由がわかったからだ。そして紫は、境界を渡って藍の元へと移動した。

 

 

 

 

 

 屋敷に戻った紫は、自らを出迎えた藍に開口一番に、且つ簡潔に言った。

 「藍、この異変を起こした人物と、こんな異変になった理由を理解したわ」

 「な!? それは本当ですか、紫様!」

 いきなり現れた紫には驚かなかったが、その言葉には驚いた。一年かけてわからなかった異変の内容がわかったのだから、それも当然だろう。

 「ええ。ただ、この異変で私たちが赴くのは危険過ぎるのもわかってしまったのだけれど」

 「え……? それは何故ですか!? この異変を解決できる可能性があるのは、私か紫様だけではありませんか! それなのに!」

 怒鳴りながら詰め寄って来る藍に、紫は相手の能力を告げた。それと同時に、怒鳴っていた藍が驚愕し、嘘でしょう?と言ったように呟いた。

 「――そ、れは……本当、なのですか……?」

 それが事実ならば、藍はともかくとして、紫はこの異変に関わるのは不可能に近い。いや、事実上不可能だろう。紫と相性が悪いわけではない。単純に、紫が行けば『二人にとって』最悪な結末が待っている可能性があるのだ。

 かと言って、藍だけで行くのは難しい。もしも藍が一人で行って帰って来なければ、結界を見る存在がいなくなってしまうからだ。

 「本当よ。だから、今は何もできないの」

 どこか疲れたように言う紫に、藍は何も返せなかった。しかし、紫が疲れているのはわかった。

 「なら、今日はもうお休みください。……一年間も、頑張って来たのですから」

 藍のその気遣いに感謝しながら、紫は寝室へと向かった

 

 

 

 

 

 その夜、紫は久しぶりにゆっくりと寝ようと、部屋に布団を敷いていた。その途中で、自我を持たない式から連絡が来た。

 「この式は……気分転換でもしに、見に行きましょうか」

 それはたたの気紛れだった。せっかく見出した答えを役に立たせられない苛立ちを、紛れさせるために見に行っただけだった。

 彼女が境界を渡って行った場所――あくまでも境界の中にいるので、外に出ているわけではない――は、黄昏に包まれた場所だった。

 その世界は、紫が数百年以上も前に偶然見つけた場所だった。能力の練習中に偶然見つけ、それ以来偶に来ていた。ただの黄昏ならばここまで気に入るはずはなかった。だがこの世界の黄昏は、どの場所にある黄昏よりも美しく、どれほど眺めていても飽きないくらいだった。

 そうやって偶にこの世界を眺めていたら、この世界は普通とは違う、違い過ぎる概念でできているのもわかった。

 そんな世界に、恐らく六歳――身長的には四歳――程度の小さな少年が立っていた。紫のいる場所からは後姿しか見えないが、とにかく長過ぎる白い髪が見えた。

 (何なの?あの髪は……腰くらいならまだしも、足元まであるなんて……それに、背中に六本以上も剣を背負ってる上に、更に両手に剣を持ってるのは……あんな恰好じゃ、この世界を『攻略』するのは不可能ね)

 紫は過去に何度もこの世界に挑戦してきた人間を見て来た。その中には数万の軍を連れた人間や、圧倒的な武を持った人間もいた。その他にも、間違えてここに来てしまった人間や、死に場所を求めて来た人間もいた。

 あるいは、異常な力を持って無理矢理ここに来た人間たちもいた。しかし、そうした人間は問答無用で即死した。この世界は、この世界が挑戦してもいいと定めた正規の方法で来なければ、世界そのものに殺されてしまう。実は紫が挑戦しない理由も、そこにあったりする。……その事実を知った時に、悪ふざけで挑戦しなくてよかったと安堵したりしたこともあった。

 だが、正規の方法で来たどの人間も結果は同じだった。全員、無慈悲に、一切の情け容赦なく死んでいった。

 だからこそ、紫は今回も死ぬだろうと判断した。いや、紫でなくともそう思うだろう。六歳の少年がここを『攻略』するなど、『普通は』不可能なのだから。しかし、紫が少年の目を見ていれば別の考えを思い浮かべたかもしれない。少年の目が、常に周囲を見ていることに気付けば。

 (……まあ、どうせ来たのだから、ここの風景を眺めようかしら)

 そう考えた紫は境界の中で座り込み、横目で少年を眺める。そして、周囲の壁に書かれた精巧な絵が動き始めた。

 そして、その絵の一部が少年の目の前に動き、剣を突き出した。その剣は、絵を『飛び越えて』少年の顔を貫こうとする。それが少年を貫こうとした時、少年は真横に跳んで躱した。

 「え……?」

 そのまま少年は走り出す。その少年に合わせて周囲の絵は動き、少年を攻撃しようとする。

剣、槍は左右だけでなく斜めからも迫る。位置的に真正面と真後ろからは来ないが、それでも膨大な数が迫ってくれば避けるのは難しくなる。それに加えて、真上からは矢も降ってくるのだ。

 紫が知っている中で長く生き残れた人間は、約一時間前後。最終的には体力切れで死んだ。

 だから、少年もそうなると思っていた。しかし、少年は止まらなかった。一度も足を止めないで、ただ走り続ける。その行動は間違っていない。否、正解だった。

 (……一瞬で理解した?この迷宮の答えを?)

 この『黄昏の迷宮』は、過去に戦場で死んで、あの世に逝った人々を疑似的に映し、その行い通りに動く効果を持つ。つまり、死ぬ前に武勲を上げ、活躍した存在ほど技術が優れているのだ。

 今はそこらの有象無象しか現れていないが、奥に進めば進むほどに優れた人間が現れて来る。だからこそ、序盤で無駄に動き回り、体力を消耗させるのは悪手になってしまうのだ。

 少年は、まるでそれがわかっているかのように攻撃を避け続ける。躱せる攻撃は躱し、通れない部分には剣を合わせて受け流し、矢は切り裂いて地面に叩き落とす。

 (……今までの人間とは違う。いいえ、比べるのがおかしいわね。この迷宮を『攻略』するには一瞬で的確な判断を下し、それを冷静に体に反映できる頭脳と、それに劣らない身体能力。何よりも、圧倒的とも言える実戦経験が重要になる。何よりも異常な行動をする壁の動きを見切り、異常な現象を受け入れる胆力が重要になる。今までの人間はそれができていなかった。だけど、彼は――)

 紫は、自身が少年に魅入られているのに、気付いていなかった。それを自覚していなくても、少年の体力がいつ切れるかどうかはわからないが、それまでは見続けようと心に決めていた。

 紫はその時気付いていなかった。少年が、走り始めてからずっと百メートルを約九秒で走り続けていると言う事実に。しかし紫は妖怪だ。そもそも人間が百メートルを走る時間な、気にしない。

 それ以前に、妖怪の中にはその距離を一瞬で詰める化け物が多いのだから、それも仕方ないのかもしれないが。

 それから半日以上が経っても、紫は少年を見続けていた。驚いたことに少年は迷路であるはずの道筋を全て覚えているかのように走っている。『奥に進めば進むほど絵の中にいる人間が強くなる』とわかっていたとしてもコレは異常だ。

 どんどん激しくなっていく攻防。いや、攻防にすらなっていない、一方的に嬲られているだけだ。それでも少年はただ走り続けている。

 いつの間にか、少年が持っていた剣も残り三本になり、そしてまた壊れた。残り二本だけになった剣を両手に持つと、相手の攻撃を利用して鞘を全て捨て去る。相手の攻撃を自身に掠らせず、鞘だけを狙わせるその神業に、紫は息を呑んだ。

 (アレが本当に、人間なの?)

 そのまま身軽になった少年は更に速くなった。百メートルを七秒以下で走り出す少年に合わせて、絵の中の人間だった存在たちもかなりの速度で動き出す。

 そして、少年は『黄昏の迷宮』の終わりが見える場所まで辿り着いた。少年は、最後の力を振り絞らんとばかりに今まで以上の速度で、その黒い闇に飛び込んで行った。

 そこまでを眺めきった紫は、あることを思いついた。

 (……彼を使えば、あるいは)

 あの黒い少年も、人間でありながら異常な身体能力を有していた。仮に紫の想像が正しければ、こちらもあの黒い少年と同じくらいの力を持った人間をぶつけるのがいいだろう。

 (――まあ、彼が生き残れば、の話だけど)

 あの闇の中は、紫でさえも見れない。正確には、見てしまえば後悔すると直感で理解していた。

 そして、紫はその場で少年が生き残るかどうかを待ち続けていた。

 その場で数時間待ち続けた紫は、いきなり黄昏が消え、真っ暗な空間になるのを見た。それを見て、紫はこの世界が『攻略』されたのを悟った。

 (フフ、フフフ。彼なら、彼ならできる! 私の幻想郷を正すことが!)

 紫は自身に笑みが張り付いているのを知らず、声も出さずに笑った。

 それから紫は、少年がいるであろう場所に境界を繋げると、そこに向かった。その場には、息も絶え絶えの少年がいた。紫は、その少年を幻想郷に落とそうと、境界を出そうとする。

 (ごめんなさいね。けど、もう一刻の猶予も無いの。だから――)

 そうして能力を発動させようとした瞬間に、驚くべきことが起こった。少年の髪が黒に染まったかと思うと、無作為に『重力の塊』を飛ばし始めたのだ。それに巻き込まれないように妖力の壁を作った紫は、再度能力を発動させようとした。

 少年の居場所はわかっているのだから、確認する必要は無い。だから能力を発動させた。けれど、あと一歩遅かった。既に少年は、この世界から抜け出していたのだ。

 「――クソッ!!!!!」

 彼女らしからぬ悪態。しかし、それも当然の行動だった。一年間も藍と二人――藍は結界の作業もあったから実質は一人――で異変を探り続けた。それを見つけたかと思えば、自分たちはこの異変に対して行動できないのがわかっただけだった。

 そんな状況で見つけた、このどうしようもない状況を打破できるかもしれない存在は、あっさりと掌から滑り落ちた。紫が悪態を吐くのも仕方ないだろう。

 だが、まだ完全に滑り落ちたわけではない。唇を噛みしめ、そこから血を流しながら、紫は決意を秘めた声で呟いた

 「あの子が私から逃げるのなら、彼を見つけて、無理矢理にでも連れて来てあげればいいだけよ」

 そう言って、紫は自らの寝室へと戻って行った。

 

 

 

 

 

 「紫様、どこへ行っていたのですか!?」

 紫が部屋へと戻ると、自身を起こしに来たのであろう藍が怒った顔で待っていた。その顔は、生半可な答えでは許さない、と語っていた。休んでくださいと言った相手が勝手に外に出て行ったのだから、心配するのも当然だった。

 だが、紫の顔に決意が滲んでいるのを見て、表情を改める。そして、紫はあの光景を見た時に自らの出した考えを言った。

 「……私たちが取るべき行動を、見つけただけよ」

 「……は?」

 流石に返ってきた言葉が予想外だったらしく、困惑していた藍だがすぐに姿勢を改めた。

 「私たちが行動できないのなら、私たち以外に行動することができる存在を連れて来ればいいと思ったの。これから私は外に出て、役に立つ人間を連れてくるつもりよ」

 「し、しかし、この異変を解決できるほどの力を持った人間など、ほとんど見つからないに決まっています!」

 確かに、二人ほどの力を持った存在が一年間もかかって、しかも最終的には偶然によって元凶を見つけたのだ。力を持たない、ただの人間が役に立つはずが無い。

 藍からすれば、霊夢クラスの実力でも無ければ話にならない、そう思っているだろう。だが紫は見つけたのだ。霊夢よりも強いと言える力を持った強者を。

 「いいえ。可能性はあるの。この異変を起こした元凶も、そして私がある場所で見て来た人間も、普通じゃなかったわ」

 「ある場所で見て来た……人間?」

 「ええ。その人間は、妖怪としてのスペックがあっても厳し過ぎる場所を攻略した。あのくらいの強さがあれば、あるいは……」

 その言葉に、藍はありえないとばかりに首を振った。

 「そんな人間を見つけるのに、どれだけの時間がかかると思っているのですか?」

 「これ以外に道は無いわ。私は幻想郷の外に出てくるから、結界はお願いね」

 「紫様! お待ちくだ――」

 紫を止めようとする藍を無視して、紫は外に出るために境界を渡った。

 

 

 

 

 

 それから三年が経ったが、二人の――いや、紫の御眼鏡に敵った人間はいなかった。正確には、危な過ぎる人間ばかりだったのだ。ある人間は能力を制御できず、ある人間は能力のせいで精神を病み、ある人間はその能力で好き放題ばかりしていた。能力的には優れていても、そんな人間を連れて来れば幻想郷を破壊されてしまう。それでは本末転倒だ。

 だからこそ、紫はあの少年を探し続けた。自らの能力を使いこなし、自身の力に溺れずに戦っていた、あの少年を。

 その三年間は、時間の流れに対して無頓着な妖怪である彼女たちからしても、濃く感じた。それ故に、彼女たちの心労は加速度的に増していった。だからこそ、藍は紫があの少年が見つからないことに対してムキになってると感じた。藍はムキになっている紫の行動に呆れると同時に困惑していた。 それと同時に、こんな無駄なことを繰り返すぐらいなら、別の行動を取った方がマシだとも思っていた。

 鬼たちの限界も後一年か二年程度。それまでに何らかの対策を取らねば、この幻想郷は終わってしまう。それだけは避けなければならなかった。

 そしてそれから少し経ち、それでも変わらない行動を取り続ける紫に我慢できなくなった藍は、彼女に抗議した。

 「紫様、もう無駄です! その少年とやらを見つけるなど、不可能なんですよ!」

 「それでも見つけなきゃいけないのよ!」

 「何故ですか!? それなら別の対策を――」

 「思いつくと思っているの!? 妖怪たちに事情を説明せず、それでいながらこの状況を打破できるような都合のいい策が! あるわけないでしょう!?」

 「そ、それは――」

 怒鳴り合う二人に、猫の耳と尻尾を持った少女が割って入って来た。

 「二人とも、うるさい! 少しは大人しくしなさいよ! みっともない!」

 そう言って二人の間にある場所を指差す相手を見た。二人の険しい表情に、猫耳をつけた少女はびくりと体を震わせながらも気丈に振る舞う。

 「そ、それに、そんな風に考えても、良いことなんて一個も無いんだから、もう少し、冷静に考えて……」

 「橙……」

 猫耳の少女――橙の言葉は途中で消えてしまった。恐らく、二人の険しさに委縮したのだろう。  二人が橙の性格から考えて彼女の言いたいことを要約すると「そんな風に怒鳴り合わないで、もっと仲良くして」となる。二人の嫌われ役になってでも二人を仲直りさせようとする橙に、二人は顔を見合わせた。

 「あ~……その、大丈夫だ、橙。もう平気だよ」

 「そうね。だから、安心して」

 「ほ、本当に?」

 不安気にこちらを見詰める橙に、二人はバカなことをしたと後悔した。そう思うも一瞬、二人は力強く頷いた。

 「「本当よ(だ)」」

 「そう……なら、これで私の言いたいことは終わり! じゃ、私は遊んで来るね!」

 そう言って元気よく駆け出す橙を見送りながら、二人は頭を下げた。

 「その……すみません、紫様。怒鳴ってしまって」

 「いいえ、それは私もよ。私自身が答えられないものを投げかけたのだから……ごめんなさいね」

 「ですが――」

 「なら、お相子よ。それで終わりにしましょう」

 喧嘩をしてからの後腐れが無いように、紫は話を無理矢理終わらせる。それを察した藍は、その話を持ち出さなかった。

 「しかし、紫様。これからどうすればいいのでしょうか」

 「さあ、ね。彼がもう一つの場所に行ってくれれば、あるいは――!?」

 その瞬間、息を呑んで目を見開く紫に、藍は驚いた。

 「紫様、何かあったのですか?」

 「あの場所にいる式から連絡があった。これから今すぐに行ってくるわ。多分、あの少年かもしれない」

 「……! では、今すぐ向かうので?」

 「ええ。後は任せたわよ、藍!」

 「畏まりました、紫様!」

 頭を下げる藍を横目に、紫は境界に飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 紫が境界から眺めた場所に、あれからほんの少しだけ成長した少年がいた。

 「……あの時から三年も経ってるのに、あれだけしか身長が伸びていない? 一体、何がどうなっているの?」

 その疑問に答えは無い。しかし、それは余り問題にならなかった。あの少年を幻想郷に連れて行ければ、紫にとってはそれでよかったからだ。

 けれど、すぐに少年の異常に気付く。三年前の戦い方は見る影も無かったからだ。

 少年がいる場所は『幻影の世界』と言う場所だ。その名の通りに、そこに実体があるかどうかもわからないままに殺される世界。それでも少年は的確に相手を斬り捨てる。しかし、すぐに相手は攻撃してくる。彼らは実体を持たないが故に死ぬことは無い。そのため、どれだけ殺しても終わりが来ることがないのだ。

 更に、『黄昏の迷宮』と違って、前後左右と上から攻撃が来るのだ。相手から来る攻撃にはそれぞれの獲物によって数は変われど、躱しにくいのには変わりない。

 そんな状況で戦い続けている少年は、自身の体を一切顧みなかった。急所や大怪我は庇っているため重症は負わないが、全身の至る所に細かな裂傷を受けている。それでも少年の動きは鈍るどころかキレがマシていた。

 「……今のあの子は、かなり危ないわね。だけど、強くなっているのに変わりは無い。なら、私がするべき選択は――」

 そして、『黄昏の迷宮』のように終わりが見えて来た場所で、少年は攻撃するのを止め、そのまま攻撃を避けるだけで走り抜けた。

 「何をやって……!?」

 下手をすれば、そのまま殺されかねない行動。結果的には無事だが、危険な賭けであるのは変わり無い。

 それでも賭けに勝った少年は、『黄昏の迷宮』の黒い闇とは反対の、白い光を放つ場所に入って行った。

 紫は目を鋭くさせながらも、少年が戻って来るのを待った。

 少年が戻って来た時、その姿は前回よりも酷かった。前回は息も絶え絶え、と言う物だったが、それでも毅然としていた。しかし、今は剣の重さを支えきれずに倒れてしまっている。それでも無理矢理立ち上がったが、無理をしているのに変わりは無い。

 しかし、紫は待たなかった。いや、待てなかった。今回の状況は、偶然の産物だ。次がある訳が無い。だからこそ、紫は少年に自分たちの危機を伝えず、且つ少年が勝手に動くようにするための振る舞いをしなければならなかった。それがどれだけ自分勝手だとわかっていても。

 そうして紫は能力をその空間全体に発動させ、少年の目の前に降り立った




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紅の光明
飛ばされた場所


 何も無い真っ暗な空間の中に、一人の少年が立っていた。その姿は満身創痍、大怪我は無いが細かな傷痕があり、血が滲んでいた。

 そんな少年の外見は、美少女と言ってもいいくらいに少女寄りだった。地面に着くほどまで伸びている長く白い髪。それに反してまるで目は血の様に紅い瞳をしている。

 目は睨んでいるかの様に鋭いのだが、今は疲れているせいかいつもの鋭さが無かった。顔は目と目の間に前髪をあごの近くまで伸ばしているため少しわかりにくいが、それでも美しいと言えるだろう。

 身長は同年代の人間と比べてかなり低く、百センチメートルにも満たない。その上かなり痩せている。恐らく栄養が足りていないのだろう。

 服装もかなり奇抜だった。白いシャツとズボン、そして腰にローブか何かを巻いていた。

 そんな少年の左手には白銀の剣――白夜が握られていた。一切の装飾も無い、ただ剣と言う形をしているだけのその剣は、少年からすれば、本来扱えないはずのものだった。何せ、少年よりも剣の方がほんの数ミリだけ長いのだ。

 この剣を預かる……というか押し付けられた時には、疲労していたのと、かなりの重さのせいでで地面に押し潰されかけた。

 しかしこの剣には、そんなのはどうでもいいと思えるくらいの能力を有していた。

 そして少年は剣を使って『空間を切り裂き』、その中に剣を放り込んだ。そして、やっとこの空間から出られる、そう思った時に異変が起こった。

 「な!?」

 何の前触れも無く、いきなり地面が揺れた。そして、周囲の暗闇から無数の目が表れる。

 「何だコレ……!? クソッ!」

 普段はしない舌打ちをしながら走り出そうとする少年――シオンだが、ここに来る前から極度に疲弊していた。そしてこの世界に来てから負った細かな傷のせいで少しずつ血も流れ、意識が若干だが朦朧とし、満身創痍の今の状態では全力で走る事が出来ない。だが、結局走り出す事は出来なかった。目の前に女性が現れたからだ。

 その人は、紫色のドレスを着ていた。右手に華麗な装飾のついた傘を持ち、左手には優雅な扇子がある。綺麗な金色の髪を長く伸ばしていて、毛先を幾つかの束にしてリボンで結んでいる。瞳は髪と同じく金色だ。百八十はあるはずなのに、何故か少女のようにも見える妖艶な美女だった。

 しかしシオンの直感がどこか、自分達とは決定的に違う『何か』を感じていた。

 「……………………」

 それでもその現実離れした美しさに、シオンは今の状況を忘れてただ見惚れてしまった。そのままシオンが見惚れていると、女性が左手に持っていた扇子を開き、それを使って少しだけ口元を隠しながら言った。

 『貴方には、してもらいたい事があるの』

 女性が居るのは目の前のはずなのに、声は地面のある真下を除いた全方位から聞こえた。それに驚きながらもシオンは冷静に言葉を返す。

 「……何をしろと?」

 『あら、案外冷静なのね。もう少し慌てると思ったのだけど?』

 本当に意外だ、と思っているようで、かすかに眉を寄せていた。しかし、シオンからすれば逆に気付かれてなかったのかと驚いた。

 「あの『黄昏の迷宮』で誰かに見られているとはわかっていた。それが貴女だとわかったから驚かなかっただけだ。視線に力を籠め過ぎていたから、かなりわかりやすかったが?」

 若干視線を鋭くしながら答えた。シオンの言葉をどこか面白そうに聞いていた女性は、ほんの微かに頷いた。

 『視線に気付かれてしまうなんて、私もまだまだね。まあ私にとっては好都合なのだから、別にいいのかしら? それで肝心の私の用事だけど、貴方にしてもらいたいのは、私の箱庭の狂った部分を元に戻す。それだけよ』

 女性から返ってきた答えは、どこまでも自分本位なものだった。けれど、シオンはそれに動じない。女性の話にはまだ続きがあるとわかっていたからだ。

 シオンが何も答えないことを悟った女性は、口元を隠していた扇子をどかし、面白そうにクスリと雅に笑った。

 『けど、そこまで気にしないでいいわよ。元々これは貴方がやらなくてもいいことだもの。だからこそ、貴方が思うように勝手に行動してくれれば、それでいいわ』

 「それは勝手過ぎるだろう……こっちの都合は無視か? それ以前に、何が狙いなんだ?」

 呆れて物も言えないシオンに、女性は意地の悪い笑みを浮かべた。

 『フフッ、それについては諦めて? 昔も今も、そしてこれからも、ずっと変わることなんてないわ。『私達』は、そういうものなのよ。狙いに関してはどうとも言えないわ。けど、貴方もわかっているのでしょう? 何かを起こさなければ、何も変わることなどありえない、と』

 「……その『私達』と言うのが気になるが、どうせ教えてくれないだろな。まあいい。それで、貴女の言う何かを起こす、そのための起爆剤が俺――いや、俺達、ということか?」

 『あら、言い得て妙ね。起爆剤、そう、その通りよ。ただ、一つだけ言っておくわ。私の箱庭に招待するのが決まっているのは、今現在では貴方だけ。もしも万が一貴方が死んだ場合のみ次の人を呼ぶつもりよ。だから、貴方の同類は来ないと考えていいわ』

 そして女性は、続けてこう言った。起爆剤が多くなり過ぎて、箱庭そのものが無くなったら困るものね? と。そして、女性は嘲るように嗤った。

 『まあ、貴方はしょせん代用品。殺されてしまっても、また別のを連れて来ればいいだけの話だから、精々あがいてみせて頂戴。健闘を祈っているわ』

 一方的に告げると、女性は後ろを向いてどこかに消える。まるで幻のように。けれど、シオンは女性が何かを我慢していように見えた。気のせいかもしれないが、シオンは自身の目には少しだけ自信があった。そのため、一応このことは覚えておくことにした。

 「……幻覚か?」

 そうポツリと呟くが、それがありえないことはバカでもわかる。そしてシオンは気付いた。自分の体が不自然なほどに凝り固まっていたことに。つまり、シオンは無意識の内に相手の強さを悟っていたのだ。しかもそれは、自分にとっては知りたくない情報だった。

 「……あの人は、強い。なるべく戦いたくは無いな」

 相打ち覚悟で腕の一本を持っていけるかどうか。最悪、何もしないで終わる、というより、殺される。もしもシオンが先程の女性と戦った場合、そんな未来が見える気がした。

 そして、女性が消えてから、周囲にあった無数の目が地面まで迫って来た。そしてその目がシオンの足元まで来ると同時に浮遊感がシオンを襲う。そして、シオンは暗闇を落ち始めた。

 地面が消え去る。シオンはあの時の感覚の差異と比べながら、真っ暗な空間を頭から落ち続けていた。

 「アレに比べれば感覚もあるし、まだマシとは言えるけど……この高度から落ちたら潰れて死ぬだろうな。……起爆剤にしたいんだったら、もう少しマシな方法で落としてくれよ。本当に」

 普通なら取り乱す場面で、異常とも言える程に冷静なシオンは、的確に状況を把握していた。

 「とは言っても、こんな体じゃ殆ど何も出来ないし、空中じゃ満足に動くこともできない。もう少し体力があればまだ他に手もあるんだけど……いや、そうか」

 そこで何かを思い出したシオンは背中の黒い剣を抜き放った。そして叫ぶ。

 「能力解放!」

 叫び終えると同時に、外から内へと何かを飲み込もうとする闇が現れる。

 剣をそのまま、体を上体にして、シオンは下、と言うよりも上を見据え続けた。

 そして、遂に光が見えた。それと同時に黒の剣を真上に上げる。

 「重力減少」

 上げた剣の切っ先があった場所でシオンの体がふわりと宙に浮く。その瞬間にシオンは体を回転させて、足を地面に向けるようにした。

 周囲の重力が減少した中で徐々に落下し始める。しかし、先程までのような落下速度ではなかったため、衝撃は少なかった。

 そして周辺を見回したシオンはポツリと呟く。

 「ここは……どこだ?」

 霧に包まれた中で発した声は、すぐに消えていった。

 

 

 

 

 

 

 その後シオンは、黒陽を鞘にしまってから能力を使って大きさを変え、鎖のついた小さな剣の形をしたペンダントに変える。そして、その剣の形をしたペンダントを首にかけると、その場に座って体力を回復させた。もしも大怪我をしていたら、こんなに悠長にしていられなかっただろう。

 まあ、どの道満足に動けないという点には変わらないから、そのまま死ぬしか無かったかもしれないが。

 そのまま休むこと数分、傷が全て癒え――小さな傷とはいえ、人間では絶対にあり得ない異常な回復力だ――て、体力がある程度回復したシオンは立ち上がり、伸びをして凝り固まった体を解した。

 「とりあえず、移動するか。このままここに居ても情報は集まらないし」

 もう一度周囲を見渡すが、やはり殆ど見えない。精々数メートル先が限度だ。木々があることから恐らく森の中なのだろうが、確証は無い。

 仕方ないと諦めて歩き始めたシオンは周囲の気配を読もうとするが、何かが干渉しているのか、三十メートル程度の範囲しか知ることが出来なかった。

 「……面倒だな」

 そんな状態のままで歩き続けて三十分程経った時、いきなり前方から怒鳴り声が聞こえた。

 「そこにいる人間、止まりなさい! ここがどこかわかっているのですか?」

 どこか奇妙なその言い方におかしいと感じたが、とりあえずここがどこか尋ねようと一歩進み、言った。

 「なあ、ここは――」

 「く、やはり忠告は無視と言う訳ですか。わかりました、その挑戦、受けてあげます!」

 「……は?」

 言葉を無視され、更にはいきなり戦わなければならない状況になったシオンは、珍しく呆けた声を出していた。そして、すぐに誤解を解こうと手を前に出して、シオンにしては速い口調で話す。

 「待て、俺は別に何も――」

 「問答無用!」

 が、あっさりと跳ね除けられる。既に走り出している女性――声と気配で判断した――には何を言っても無駄だということを悟ったシオンは、意識を戦闘状態へと切り替え様とする。それと同時に、女性は人間ではありえない速度で走って来た。

 「……!?」

 それに驚いてしまい、反応が遅れる。その隙に女性は更に近付いてきた。

 そして、そのまま左足で跳び膝蹴りをシオンの頭に叩き付けようとしてくる。頭を狙っているのを感じたシオンはその場にしゃがむ。そして、自分の頭上すれすれを通っていく蹴りを空気の揺れで悟りながら、地に手を置いて、宙返りの要領で女性の背中へ蹴りを入れようとする。

 「……!」

 躱されたことと反撃を入れられようとしていることに驚いたのか、女性は息を呑んだ。しかし、女性は自らの蹴りの勢いを利用して空中で半回転し、シオンの蹴りと自らの蹴りをぶつける。

 踏ん張りの利かない空中に居た女性は吹き飛んだ。しかし、蹴りの威力を殆ど相殺されたせいなのか、ダメージは負っていなかった。

 攻撃を躱され、逆に反撃を喰らいかけたからか、女性の気配が変わる。恐らく油断するのをやめたのだろう。

 そしてそれはシオンも同じだった。意識を切り替えている最中に驚くものを見せられたせいで、大きく回避する必要が出たのだ。

 本来のシオンならば、回避と同時に反撃する事が出来るのだから。そのせいで蹴りを入れるのが若干遅くなり、結果防御されてしまった。

 そして、本気になった――本気ではあるが、全力ではない――両者はそれぞれの構えを取った。女性は何らかの――霧で見えにくいが、構えから判断すると、恐らく中国拳法の可能性が高い――構えをするが、シオンはただ突っ立っているだけだ。

 けれど自らを鍛え続けた女性にはわかる。目の前の侵入者が、体の重心を全くブレさせていないことに。

 普通、人は生きている限りは完全に重心を動かさない事は出来ない。なにせ、ただ呼吸しているだけでも、胸や腹が動くからだ。

 だからこそ、女性は疑問に思ってしまう。こんな小さな子供が、何故ここまでの技術を持っているのかと。

 この子供が気配で完全に人間だとわかった今だからこそ、女性は自分が取ってしまった行動を後悔していた。

 シオンが気配を探り難かったように、女性も気配を探ることが難しかったのだ。そんな状況で誰かが近づくのを感じて、つい侵入者だと決めつけてしまった。けれど、今更構えを解くことなどできるはずがない。

 せめて怪我はさせないようにして気絶させてから看病し、改めて事情を聞こうと思った女性は、気合の声を上げ、動く。

 「ハアァァァッ!」

 女性の動きはとても滑らかで、全くと言っていいほどぎこちなさが無い。そのためその動きは速く、何より力強かった。何日も、何年もの間妥協せず、諦めず、ただ自らを鍛え続けてきたものだとわかる。

 身体能力が高いことに胡坐をかかず、技術を上乗せした目の前の女性は、シオンにとってあの場所の人間に比べて、何よりも高潔に映った。いや、比べることすらおこがましいだろう。

 けれどシオンは知らない。目の前にいるこの女性は、この世界では決して強い方だとは言い切れないということを。

 シオンがそんなことを考えている間に女性との距離はほぼ埋められていた。

 そして、女性はほぼ絶対に避けられることがわかっていながら再度蹴りを放つ。

 機動力を削いでしまうのに、何より躱されることがわかっているのに何故同じことを繰り返したのか?

 答えは簡単だった。二人の身長に差があり過ぎるのだ。

 シオンは現在九歳だが、一時期栄養不足のせいで殆ど背が伸びなかった。その為背が低い。逆に女性は、そこらの男性よりも背が高い。

 そのせいで女性がシオンを殴る為には身を屈める必要がある。しかしそんなことをすれば攻撃の幅が狭まる上に動きも遅くなり、シオンの攻撃を回避する事が難しくなる。

 それはこの少年が相手では致命的過ぎることが女性はわかっていた。だからこそ避けられるとわかっていながら、蹴りを使って牽制してから攻撃する方法を選んだ。そして、そのことはシオンにもわかっている。

 シオンの頭を狙った女性の蹴りが飛んで来る。音速を超えて攻撃することが出来ない体術――無理矢理音速を超えた動きをすれば、自らを傷つける自爆技になりかねないからだ――では、銃弾飛び交う戦場で生きてきたシオンにとっては遅過ぎる。

 更に、シオンは今だからこそ使える技があった。それは相手の体の動き、つまり行動の予備動作を見ることだ。人は体を動かす時に他の部分も動く。

 蹴りを放つ時の力の動きでどちらの足を動かすかを読み、視線でどこを攻撃するのか予測した。この二つを同時に使うことで、例えフェイントを使ったとしても、シオンにはそれすらわかってしまう。

 つまり、女性が蹴りだけしか使えない今、シオンに勝つことは殆ど不可能だ。

 とはいえ、かなりの集中力を必要とするせいで、現状では一対一でしか使えない。けれど、もしも使えるなら――シオンはほぼ無敵になれる。それが、()()()()()()()()()()()

 「は!?」

 完璧にタイミングを合わせて受け止めようとした右手が弾かれた。それに驚愕しつつも咄嗟に左手で足を掴む。

 それでも蹴りの勢いは止まらない。無理矢理体に力を込めるのと、能力の補助を追加してやっと受け止められた。

 「な、嘘でしょう!?」

 蹴りの軌道を完全に見切られ、その上足を掴まれたことに女性は驚愕の声を出し、体が硬直してしまう。しかし、蹴りを受け止めたシオンの方も驚愕していた。

 (ありえない、重過ぎる!?)

 先程女性の放った蹴りが、異常に重過ぎるのだ。はっきり言って、人間に出せるような威力では無い。

 (もしも今のがまともに当たっていたら……!)

 体がグチャグチャになるだけではすまない。

 その事実にぞっとしながらも、シオンの体は無意識ながらに動く。その動きに女性がハッと我を取り戻して動こうとするが、それは遅かった。女性が硬直していたのは一瞬だったが、先に動いていたシオンにとっては、ほんの少しの時間があればそれで十分だった。

 「これで、終わり!」

 そう叫びながら体を回し、後方にあった壁へと放り投げる。

 「きゃあ!」

 壁にぶつかり悲鳴をあげる女性に更に追い打ちを入れようと、シオンは走る。そして走る時の勢いを乗せて鳩尾を殴りつけた。

 ある程度加減したが、最低でも気絶させるくらいの威力を乗せた。

 「う…ッ…!!」

 苦悶の声を出しながら、女性は膝をつき地面に倒れる……寸前でシオンは女性の肩を掴んだが、その体勢でしばし固まってしまう。

 先程までははっきりと見えず、そして戦闘中だったため気にもしなかったが、今はマズい。何故マズいのか? 先程この女性は高いとわかった。そして、そういう女性は個人差はあれど、概ね同じ傾向にある。つまり――胸が大きい、ということだ。

 が、シオンが固まったのは別の理由だ。そもそもシオンの精神は()()()方面はそこまで熟成しきってはないし、例えそうなっていたとしてもそんなことはしないだろう。

 今シオンが思っているのは、自らの姉だった人の言葉だった。

 『いい、シオン。気絶している女性を介抱するのは別に構わないわ。けどね、怪我の治療とかそういう事情でも無い限り、胸とかに触るのはダメよ。わかったわね?』

 と、笑顔で言われてしまった。そして、頭では無く感覚で悟った。本当に怒っている人は、笑っている時が一番恐ろしいのだと。

 この言葉を言った理由が単なる嫉妬だったのだと、あの時になってわかったのだが。

 あの時のことを思い出してしまったシオンは、胸を切り裂かれる様な幻痛を抑えながら女性を背負うと、その態勢のまま門の中へと入って行った。

 女性の怪我を見る――手加減したとはいえ、傷が無いとは限らないからだ――には、この霧は邪魔だからだ。

 ……背の低い子供が、背の高い女性を背負っているというシュールな光景のまま歩いていることに気付かないで。他の人がこれを見れば自分の目を疑うだろう。

 そして遂に扉の前に辿り着く。女性を背負いなおし、何とか落とさないで扉を開ける。

 家の中に入った瞬間、シオンは何故この女性が自分を襲ったのかを理解した。

 「確かに襲われても仕方がないな……というか、これで完全に侵入者になっちゃったし」

 この言葉を呟いたのは、ここがどこかの屋敷だとわかったからだ。この深い霧の中を歩き回る人間など、門番からしたら怪しすぎる。

 「とりあえず謝罪は後にして、さっさと手当てするか」

 溜息をしながら女性を下ろし、壁にもたれかけさせた。シオンはその時初めて女性の姿を見る。

 シオンも人のことは言えないのだが、かなり奇抜な格好をしていた。頭に星のマークがついた緑色の帽子。同じく緑色のチャイナと、それに何らかの服を足して割ったかのような服を着ていた。側頭部には編み上げたリボンを付けて垂らしている。

 赤い髪は長く、腰くらいまではあるだろう。瞳の色は閉じているためわからない。顔は見方によっては可愛いようにも、綺麗なようにも見える。体つきは……今更言うまでもないだろう。

 けれど、今の状況では少し問題があった。チャイナ服を着ているせいで、打ち付けた背中や勢いよく殴った腹が直接見れず、その場合は触診するしかない。こんな服は見たことが無いシオンは、脱がし方もよくわからない。まあ、寝ている女性の服を剥ぐつもりなどさらさらないが。

 ほんの数秒悩んだシオンは、再度溜息を吐くとまず腹に触り、その後に肩を掴んで背中を壁から離して触る。両方とも軽い怪我――精々打撲程度――だとわかり、少し安心する。

 けれど、油断はできない。この女性が人間なのか、あるいは化物と呼ばれる類のものなのかがはっきりしない限りは安心できないのだ。

 とりあえず女性の背を壁にもたれかけさせなおすのと同時に、ずっと隠れていた人物に向かって鋭い声を投げる。

 「いつまでもそこに隠れてないで、いい加減出てきたらどうだ?」

 その言葉に今まで隠れていた誰かの気配が少しだけ揺れる。隠れていた誰かもそのことを理解したのか、隠していた気配を戻した。

 「……いつから気付いていたのですか?」

 物陰から出てきて少しずつ自分に近づいてくる女性、いや少女に向けて疑問に答える。

 「最初から」

 「……え?」

 余程驚いたのか、ピタリと足が止まる。それを無視して話を続けた。

 「……自分でも理由がわからなかったのか? 俺がこの人を背負って入って来た時に、ほんの少しだけ動揺しただろう。そのせいで気配が揺らいだんだ。すぐに戻ったから普通の奴なら気付かないだろうけど、俺は普通じゃないからね。後は、その場所をずっと探り続ければ動いたのかどうかそうでないのかは簡単にわかる。もしも最初に動揺しなかったら俺でもわからなかっただろう。誇っていいと思うよ」

 「そう、ですか……」

 シオンの説明を聞いて落ち着きを取り戻したのか、冷静な声で言う少女に、シオンは容赦無く爆弾を落とした。

 「そんなにこの人が心配だったの?」

 「え!?」

 立ち上がったシオンが振り返ると、自分と同じくらいの年齢の少女が、顔を真赤に染めて立っていた。

 髪は銀色で、肩くらいまである。両方のもみあげあたりから、先端に赤色のリボンをつけた三つ編みを結っている。瞳は綺麗な青色だった。

 そして少女は、近い将来、かなりの美人になるだろう顔立ちをしている。今は可愛らしい感じだが、大人になれば、クールとかそういった言葉が似合うと思われる。

 身長はシオンよりも高く――というよりシオンが低過ぎるだけなのだが――百四十センチメートルくらいはある。

 そして何故か青と白を基調としたメイド服を着ていた。頭にはカチューシャをつけていて、裾の長さは膝丈くらいだろうか。どうやらポケットに何かが入っているらしく、少しだけ金色の鎖が見えていた。

 正直に言ってしまうと、若干服に着られている感じがする。余り着慣れていないのだろう。あるいは、子供が着ているせいで背伸びをしていると感じられるからか。

 が、シオンが気になったのはそこではない。服装は自身も変なのだから――これにはきちんとした理由があるのだが――他人をとやかく言える訳が無い。シオンが気になったのは、少女の髪の色だった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 自分の心が荒れそうになるのを、必死になって抑えながら――それを少女には絶対に悟らせないようにして――何とかニヤニヤとした笑みを作る。その顔を見て何を思ったのか、少女は慌てた声で叫ぶ。慌てていたせいか、敬語が抜けていた。

 「別に、私は心配してなんか……!」

 「仲間を心配するのは当たり前のことだと思うけどね?」

 「う……!」

 更に顔を真赤にする少女を見ながら、シオンは真面目な顔をした。

 「とりあえず、謝罪しておく。知らなかったとはいえ、勝手にこの家に入ったのは迂闊だった。ごめん」

 そう言って頭を下げるシオンに毒気を抜かれたのか、少女は溜息を吐いて薄く笑った。

 「散々弄っておいてそれですか……では、貴方様の名前は何と言うのですか?」

 「……俺の名前は二つある。どちらを言えばいい? それとも両方か?」

 自分の質問に素直に答える少年に内心で驚く。そんな律儀な事を言う性格だとは思ってもみなかった――先程のシオンの態度では仕方無いが――し、態々そんな事を言わずに偽名か、あるいはどちらかの名前を言ってしまえばよかったのにと思いながら、少女はしばし悩み、言った。

 「……では、いつも使っている方の名前で」

 少女の言葉に眉をほんの少しだけ動かす。何故、と言った様に。

 「わかった。俺の名前はシオン。姓名は無いよ。それと、様はいらない。敬語もね」

 「畏まりました。シオン、ですね。敬語の方は、私がメイドである以上は必要なことですので、諦めてください。名前は十六夜(いざよい)咲夜(さくや)と申します。そこで気絶しているのは(ホン)(メイ)(リン)と言う名前です」

 咲夜の言葉に、少しだけ意味が分からないと顔に書いてしまっているシオンに咲夜は苦笑する。大人びているかと思えば年相応の反応をするシオンが可笑しかったのだ。

 暫く悩んでいたシオンだが、結局咲夜に聞いた。

 「なあ、咲夜は日本語なのに、何故美鈴は中国語なんだ?」

 名前を聞いただけで中国語だとわかったシオンに微かに驚きつつも、咲夜は説明をした。

 「それは美鈴が中国の妖怪だからですよ」

 「……妖怪?」

 「はい、そうです」

 呆然と呟くシオンに咲夜は頷き返す。そして、シオンはそのままブツブツと呟きながら独り言を言い始める。

 「何で、どうしてこうなったんだ? まさか白夜の能力の暴走……? ……多分違う、恐らくあの人が何かしたのか……。なあ咲夜、一つ聞いてもいいか?」

 シオンは幾つか思い付く中で最も可能性の高い問いの答えを聞こうと咲夜に言った。

 「ええ、いいですよ」

 それに対して簡潔に言いながら頷く咲夜にシオンは聞く。

 「ここは、この場所は、何て言うんだ?」

 「この世界は、幻想郷と言います」

 咲夜の冷静な声で言われた答えは、シオンにとって、予想通りとでも言える可能性だった。




主人公が中々にチートですが全部理由があったりします。
何の理由も無しに大きな力が手に入るとかありえないよ!
ちなみに咲夜がシオンと同年齢なのにも理由があったりします。
それと戦闘描写と人物描写が難しいw
誤字・脱字に関するものと感想批判お待ちしてます。


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状況確認

 「幻想郷……?」

 途中からどこかの世界に飛ばせられた可能性はわかっていた――シオンがいた場所自体が半ば異空間だったせいで、世界が複数ある事に関しては既に思い至っていた――が、ここが一体どんな名前なのかがわかっただけだ。

 この世界がどういった存在を宿しているのかを考えると、頭が痛くなった。

 そのままグルグルと悩んでいる途中、咲夜が聞いてくる。

 「まさか、貴方は外来人……?」

 「外来人?」

 聞きなれない言葉に首を傾げるシオンに、咲夜は頷く。

 「はい。この幻想郷は『どんな存在でも受け入れる』という世界です。そのため、たまに外からこの世界へと来る存在がいるのですよ。それらを総称して外来人と言うのです。シオン、貴方がこの世界に来た時に何か見えた、あるいはわかったことはありませんか?」

 「見えた、あるいはわかったことは――」

 そう呟くと、自らが落とされる前に話した女性を思い出す。自分勝手で、けれどどこかがおかしかった人を。

 「いきなり周囲に目ができたかと思うと、紫色のドレスを着た、妖艶な人が目の前に現れたんだ。それで色々会話――というか、一方的に色々と言われた後に、ここの近くに落とされた。けど、どこかがおかしかったような気がするんだよね。俺とは違って人じゃない感じがしたし。そうだな、まるで妖怪みた――」

 「……え?」

 最後に茶化して終えようとする前に、裏返った声を出しながら驚く咲夜につられて、シオンも驚いてしまう。

 「咲夜、どうかしたのか?」

 「いえ、何でも。それよりも、その女性の外見をもっと詳しく教えてくれませんか?」

 「え? まあ、いいけど」

 腑に落ちない表情をしながら頷く。そして、シオンは自分が見たものをより正確に思い出そうとする。

 「かなり大雑把なんだけど……他に見えたのは片手に傘を持ってることと、もう片方の手に扇子を持ってること。それと髪の色がとても綺麗な金色の髪をしていたってことくらいかな。後は言いたくは無いけど……体つきはかなりよかった。……今の言葉は忘れてくれ」

 流石に最後は恥ずかしかったのか、シオンは先程の言葉を忘れるように頼む。けれど咲夜は、シオン自身に対しては何かを思うことは無かった。

 「……いえ、十分です。その人物が誰なのか、わかりましたから」

 声も表情も冷静そのものの様に涼しいものだったが、内心は愕然としていた。

 (何故……何故彼女が……? 貴女は幻想郷に来る存在には基本的にあまり干渉しようとしないはずなのに……何故今回は干渉するどころか姿をさらし、その上ここに落としたのですか?)

 彼女はたまにふざけてかどうかはわからないが、自分の判断で人や妖怪を落とす時もある。しかし、姿をさらす事は殆ど無いし、そもそも人間なら人里の近くに落とすのが普通なのだ。

 「おい、咲夜? 結局俺が見た人? って誰なんだ?」

 シオンの声に思考の海に溺れそうなところで我を取り戻す。

 「え、あ……すみません。少し考え事をしていたので……」

 「それは見てたからわかるよ。もう一度聞くが、誰なんだ?」

 シオンの再度の質問に、咲夜は歯に物が詰まったように言った。

 「多分、ですが……私の予想では彼女はスキマ妖怪八雲紫かと」

 「何で予想なんだ? それにスキマ妖怪って?」

 「予想と言ったのは、妖怪の中には幻を見せたり、姿を変えたりする事が出来る存在がいるからです。それに彼女は基本的にこの世界に来た、あるいは来る存在には不干渉が基本ですので、私にもよくわからないのです。そしてスキマ妖怪というのは、彼女の『境界を操る程度の能力』にも関係しているのですが、詳細は私にも知りません。私が知っているのはスキマ妖怪というのは種族名ではなく、一人一種族の妖怪、という意味だった、くらいですね」

 咲夜の説明に納得してシオンは頷いた。そして、何か呟きながら考えを纏め始める。

 「そういえばこの世界には妖怪がいるんだっけ。一旦あの世界で知った常識は全部捨てた方がいいのか? いや、そんなことより境界を操る……? この能力に一体何の意味が? 俺を落とした時みたいな使い方しか知らないし……世界の境界も渡れるとかそんなものか? そもそも『何の』境界を操れるんだ? これは直接本人に聞くしかないな。待てよ。それ以前に何で俺はこの世界が違う、別の世界だと思った? 境界? ……そうか、俺の……と同じ要領で結界を作れば……? でも、それにどれだけの力を使って――そもそも維持するだけでも洒落にならないはずなんだが、一体代償とかはどうやって補っているんだ……? だけどそれならあの世界との行き来は簡単とは言い切れないが可能にはなるし、世界を渡るよりも力を使わないで済むはず。それに咲夜の言っていた外来人にも説明がつく。作った本人なんだから簡単に渡れないはずが無いし……ああクソ! 情報が足りない!」

 シオンが顔を顰めながら叫び出す。

 普段のシオンならここまで取り乱すことは無かったし、考えるとしても頭の中だけで声に出すことは無い。しかしいきなり別の場所へと飛ばされた上に、今までの常識の埒外を加えられたことで極めて珍しいことに混乱してしまっていた。

 そのせいで、咲夜に考える時間を与えてしまったし、そもそも咲夜が何かを考えていたことにすら気付いていなかった。そう、咲夜がシオンを異質な目で見ていたことに。そして、ほんの微かな期待を見せていたことにも。

 (貴方は……シオンは『何』なのですか? 人でありながら美鈴に勝ち、そしてほんの少しの情報でここまで思い至る何て……本当に、ただの人間なのでしょうか?)

 一を聞いて十を知るという言葉を体現したかの様なシオンに、咲夜は今目の前にいるものが人間なのかがわからなかった。

 そもそも、美鈴は突出した能力は無いがその代わりに近接戦闘においては――代わりに突出した力が無い上に遠距離からの攻撃に弱い為、強いとは言い切れないが――他の追随を許さない程の強者であり、妖怪に共通している弱点くらいしか弱点と言えるようなものがない。妖怪同士での戦いではあまり強くは無いが、人間相手に負ける事はほぼありえない。

 (まあ、あの博麗神社の巫女とかの一部の例外はありますが……)

 それでも極少数であり、外来人が妖怪に――ハンデの様なものがあったとはいえ――勝ったなどという話は聞いた事が無い。

 基本的に妖怪は人を見下し、ものによっては単なる餌にしか見ていない存在もいる。そして人間は妖怪を恐れ、最悪の場合は博麗の巫女や陰陽師に頼み込んで退治してもらう。だが、それでも人間の方が非力なのに変わりは無い。この幻想郷ではそれが当たり前の世界なのだ。

 (私は美鈴との戦いは見ていません。けれど……)

 シオンには怪我と呼べる様な傷が一切無い。そして、美鈴も気絶しているとはいえ、怪我を負っている様子は無い。自分が怪我をしないで相手を殺さずに無力化するのは、実はかなり難しい。手加減するというのはそれだけ危険な行為であり、余程の実力差が無ければ自分が殺される可能性の方が高いのだ。

 更に付け加えれば、知らなかったとはいえ妖怪との戦闘で自分にも相手にも気を遣うなどというのは、自殺行為に等しい。それなのに、シオンに疲れた様子は無い。

 (つまり、余裕で勝ったということでしょうか。それとも、何らかの能力を……?)

 考えてもわからないと思った咲夜は頭を振って今思ったことを一旦忘れる。けれど、一つのことを思わずにはいられなかった。シオンになら、できるかもしれないと。

 (シオン。貴方になら、あの子の狂気を止める事が出来ますか? 美鈴に勝ち、そしてここまで私を驚かせることが出来る貴方ならば、もしかしたら)

 主に知られたら妄想だと思われるようなことを考えてしまう。それでも咲夜はその妄想を捨てることが出来なかった。

 そして、その妄想を実現させる為の布石を打つことにした。

 「シオンにお願いがあります。ここ紅魔館が主、レミリア・スカーレットお嬢様にお会いして欲しいのです」

 「! あ、ああ。わかった」

 いきなり声をかけられたシオンは、はっと顔を上げる。余りに集中し過ぎていたせいか、迂闊にも殆ど内容を確認せずに頷いてしまった。

 かなり頭を使ったからなのか、シオンの顔は真赤に染まっている。その姿は、まるで恋する少女の様に見えた。

 それに咲夜は少しだけ笑い、一礼した。

 「それでは、お客様をご案内致します」

 その礼は、メイドとして完璧なものだった。

 

 

 

 

 

 「ハァ……暇ねぇ」

 紅魔館のある一室に、十歳よりもやや幼い程度の少女がいた。青みがかった銀髪と血のような真紅の瞳。そしてピンクのナイトキャップを被っている。服装は帽子と同じくピンク色だ。両袖は短くふっくらとしており、袖口には赤いリボンを蝶々結びをしている。スカートは踝まで届いている。

 そしてとても可愛らしい人形の様だ、と言っていい程に整った顔をしている。背中にある少女には不釣り合いな蝙蝠の翼に似た羽が無ければ、だが。

 そんな少女は再度溜息を吐く。

 「咲夜も侵入者とやらの対処に行っちゃったし、ずっと続いているこの霧じゃ外を出歩いても何も見えないし……。せっかく今日はとっても丸い、綺麗な満月が見れると思ったのだけれど」

 そういって外を見る少女は苦笑した。そして、苦笑から一転して辛そうな顔をする。

 「まあ、私はあの子に比べれば何倍もマシね。……それでも退屈は紛れないのだけれど」

 最後の呟きで自分の感情を誤魔化す。そんな少女の口内に生えている歯の中に、鋭い牙があった。

 そしてその少女が翼を背中にしまうと、部屋を見回した。その部屋はこの屋敷に似合わず余り物が無かった。質素な丸いテーブルと、幾つかの椅子があるだけで、他の家具は何も無い。

 レミリアはその内の一つの椅子に座る。それから幾分か経った後に、扉がコン、コンとノックされた。

 「お嬢様、私です」

 「咲夜ね。入ってもいいわよ」

 その言葉から一拍した後、再度声が聞こえる。

 「失礼します」

 そして扉が開く。そこには、自らに仕えている小さな従者と、奇妙な恰好をした見慣れない少年がいた。

 

 

 

 

 

 時は少し遡り、廊下でシオンと咲夜の二人は色々なことを話していた。

 「お嬢様のこと、ですか?」

 「ああ。咲夜はレミリアに仕えているんだろう? なら、話しても大丈夫なものを聞かせてくれないか?」

 「そうですか。わかりました」

 そう言って、咲夜は考えを纏めながら歩く。それを察したシオンも黙り込む。

 暫くの間、廊下には二人分の足音だけが響いた。

 そして考えを纏め終えたのか、咲夜は少しずつ話し始める。

 「お嬢様の種族は有名ですので、シオンも名前は知っていると思いますが、吸血鬼です。人間や妖怪達の間では『紅い悪魔(スカーレット・デビル)』と呼ばれ、恐れられる大妖怪ですね」

 「吸血鬼で、紅い悪魔、ねぇ」

 シオンの声には恐怖の感情が全く籠っておらず、それに咲夜は声に出さず笑ってしまう。

 そして、レミリアが紅い悪魔と呼ばれる様になった訳を話す。

 「ちなみにお嬢様がそう呼ばれているのは、血を吸った人間の血がお嬢様の服について、それが人間達の恐怖を誘い、紅い悪魔と呼ばれる様になったのです」

 「ふーん」

 心底どうでもいい、という声を返すシオンに、咲夜はそちらが聞いてきたのに何故こんな反応をするのかと思ってしまった。それと同時に、これを言ったらどんな反応をするのか気になった咲夜は、つい主にとって不名誉な事を言う。

 「まあ、血が零れて服に付いた理由が、血を飲み切れずに口から零れた、というものなのですけどね。……お嬢様、少食ですから」

 「……は?」

 咲夜の言った事が余程意外なのか、シオンは足を止めてしまう程に驚き、口を開きながら呆けた。だが、シオンの反応はあながち的外れでも無いだろう。吸血鬼と聞いて連想するものは全くいいイメージが出ないのだから、逆にそんな理由で大層な二つ名がついたのに驚いてしまう。

 「……本当にそんな理由、なのか?」

 「ええ、そうです」

 「………………………………」

 咲夜も足を止め、シオンの方へと体を向ける。

 シオンの顔には信じられない、と書いてある様な気がした。

 そしていきなり後ろを向いて体を震わせる。

 「シオン……?」

 何か嫌な事でも言ってしまったのかと少しだけ焦る。けれどそれは杞憂だった。

 「クッ……フッ……ハ……ハハ……」

 そして遂に堪えきれなかったのか、大きな声を出しながら笑い出す。それに咲夜は目を白黒とさせた。

 「シオン、どうかしましたか?」

 「だ、だってさ。そんな、クフッ、アホな理由で、何て……。駄目、無理、堪えられない」

 そして、再度笑い出すシオン。何故笑う事が出来るのか、その理由が咲夜にはわからなかった。

 「何故、そんな風に笑えるのですか? 相手は幻想郷中に名を知られる紅い悪魔……いえ、それを差し引いたとしても、吸血鬼ですよ? 血を吸われるのが怖くないのですか?」

 その質問を聞いたシオンは、何とか息を整える。

 「ケホッケホッ。久しぶりに笑いまくった。腹痛いわ。……それじゃ、真面目に言うかな」

 そう言って真面目な顔で咲夜の顔を見る。

 「俺は、嘘を吐きたくないから。だからこそ面白いと思ったから笑った。血を吸われるのも特に怖いとは思わない。まあ、吸われてる時に間違えて殺されるのだけは嫌だとは思うけど」

 そう、シオンにとってはそんなのはどうでもいい。そもそもそんな()()()()を気にするつもりもなかった。

 だが、シオンは自分で言った言葉が心に刺さっているのを感じた。

 (けど、俺はずっと逃げてる。あの出来事から。あの時守れなかった、結果的に嘘になってしまった約束から。それに今は平気だけど、もしも……)

 そこでシオンの思考は止まる。咲夜がまた聞いてきたからだ。

 「それ以外に、何か理由は無いのですか?」

 「まあ、そう思うのも仕方ないか。何の力も持たないただの人間が妖怪を怖いと思わないのはおかしいだろうしな。……逆に質問するのは失礼だと思うけど聞かせてもらうよ。人が睡眠を取るのは変だと思うか?」

 咲夜にはその質問の意図がわからず首を傾げる。

 「いえ、変どころか当たり前の行動ですね。これはある人から聞いた事ですが、人が眠らなければ脳が休む事が出来ず、集中する事が難しくなります。もしも私が料理をしている時に手元が狂ったらと思うとゾッとしますね。ですが、何故そんな事を聞いたのですか?」

 「それと同じ理由だからだよ」

 「……どういう意味ですか?」

 咲夜にはシオンが何を言いたいのか、全くわからない。

 そして咲夜は、月の賢者と呼ばれる彼女を思い出した。

 (永琳なら、すぐにわかるのでしょうが……)

 そんな事を思っている咲夜を横に、シオンは頭を掻く。

 「んー何て言えばいいのかな。面倒だし単純でいいか。人が睡眠を取るのが普通の様に、吸血鬼が血を吸うのは生きる為にする事だ。当たり前の行動をするのに、怖がる必要があると思うか?俺は殺されるような状況にでもならない限りは怖いとは思わないよ。……まあ、どうしても生理的に受け付けないってときはあるだろうけど。それと、俺が知りたかったのはレミリアに関する逸話じゃなくって、レミリアの性格とかそういった、レミリア自身のことを聞きたかったんだよね」

 シオンはレミリアの噂ではなく、レミリア個人のことを知りたかった。だからこそ吸血鬼であることや、『紅い悪魔』といった物の話に興味が出なかったのだ。

 余りにもあっさりと言うシオンに、今度は咲夜が絶句する。まさか吸血鬼の吸血行動を「生きるためにしている当たり前のことなんだからどうでもいい」などと言うとは思わなかったのだ。

 咲夜は、先程のシオンと同じように笑い始めた。

 「フ、フフフッ。そんな事を普通に言いきる人に初めて会いました。本当に、シオンはおかしな人ですね」

 笑う咲夜に、シオンは冷徹な声と表情で言う。

 「おかしいのは俺じゃなくて、怯える人間の方だよ。……人は、妖怪よりも傲慢で、そして同時にどんな存在よりも化け物だ。ある意味においては、だけど」

 「……それは、どういう意味ですか?」

 シオンの態度につられたのか、咲夜もいつもの佇まいに戻す。そして二人は再度歩き始めながら話し始める。

 「その前に一つ聞かせて。妖怪は、どうやって生まれるんだ?」

 その質問の意図を理解しないまま、咲夜は答える。

 「人の感情を元に生まれます。噂話が形となり、妖怪となる。大抵は『恐怖』から生じますが、時と場合によりますね」

 「……なら、俺の考えはそのまま言えるかな」

 咲夜は首を傾げつつ、シオン自身が考え、思っている言葉を待った。

 「妖怪は人を襲うし、時には喰う。それを唯の悪戯だとふざけたことを言う奴もいるだろう。けれど、人を襲うのが当たり前の妖怪もいる。咲夜の主のレミリアが生きるために人を襲い、その血を吸うように。だからこそ、人は妖怪を恐れる。なにせ自分達の常識が一切通じないんだからな。知ってるか? 人は自分が『わからない』ものに対して恐怖し易いんだ。自分が『わからない』ということは『理解』出来ないから。だからこそ妖怪たちの当たり前を、自分達の当たり前に無理矢理合わせようとする。自分達で勝手に拡大解釈したり、噂で勘違いされたりしながらね」

 「……ですが、それはそういった行動をしている妖怪たちにも問題があるのでは?」

 咲夜の反論に顔を顰めたシオンは、それでも、と続けた。

 「確かにそうだよ。だけどそれは一部の妖怪であって、全ての妖怪がそうと言う訳では無いんだろう? だけど、人間にとっては妖怪かそうでないか、それだけが判断基準だ。それに比べれば妖怪のがマシな部分もある。こっちの言い分を理解しようとする奴もいるだろうから」

 「確かに、お嬢様もそう言った部分があります。ですが、それでも妖怪としての部分の方が強いのですが、そういったものはどうするのですか?」

 「どうにもならない」

 「……え?」

 シオンの回答は咲夜の想像を超えていた。何せシオンが今言った言葉は、どうにもならないのだから諦めろ、と言っているようなものだからだ。一瞬固まってしまった咲夜を見て言葉が足りないと悟ったのか、シオンは続きを言い始めた。

 「人も妖怪も、少しだけ似ている部分はあるよ。それは、自分の欲をどうするのかってところだろうね」

 「自分の欲を……どうするのか?」

 「そう。人は簡単に自分の欲を抑える何て事はできない。それでも人は欲を抑えて、何とか秩序を保っている。逆に妖怪はそれを抑えない。正確には、長い時を生きるせいで欲を抑える事が無意味に近いと悟っているから、かね」

 そしてシオンは、まるで自分の事のように、そうしないと、つまらないじゃないか、と言った。その言葉に咲夜は、よく主が暇だと口癖のように言っているのを思い出した。

 長すぎる時を生きるせいで大抵の事柄には慣れてしまう妖怪にとって、退屈が一番の敵だと咲夜は理解していたのだ。

 けれど、咲夜はこう思わずにはいられなかった。何故人間であるシオンがそんな事を理解できているのか、ということに。何よりシオンはこの世界に来たばかりなのだ。理解している方がおかしい。

 しかしシオンはそれに気付かず、ただ続けるだけだった。

 「秩序を保とうとする人間と、秩序を乱す妖怪は相容れ難い。けど、人は妖怪にもまともな奴がいるのを理解しようともしない。根本的な部分が違うからどうにもならないこともあるだろうとは思うけど、それでも共存するのが不可能と言う訳じゃ無い。咲夜とレミリアだって一緒に生活できているんだからね。それを人間は理解しない……と言うよりできない、の方が正しいのかな? そういう珍しい行動をする奴もいるかもしれないが、本当に極少数だろう」

 「……私とお嬢様を引き合いに出されてしまえば、否定できません。ですがそれは、私にも多少の力があるから言えることであって、普通の人間にはできませんよ」

 「それはない」

 咲夜の言葉に即答で否定する。そんなシオンに咲夜は呆れたように言った。

 「シオンは妖怪と相対できるからこそ言えるのであって、力の無い人間では――」

 「そんなのはありえないんだよ。死にもの狂いで戦えば、力が無かろうが人であろうとも妖怪に勝てる。生きるか死ぬかの殺し合いで、絶対なんて言葉はありえないんだから。例えそれが、何千何万以下の確率であったとしても」

 その言葉は、力が無くても足掻いて一矢報いてみせろ、と言っているようだった。けれど実際にそんなことをするのは不可能に近い。

 人は死に対する恐怖を克服し難いのだ。死に対する恐怖、何かを失う恐怖、大切な人と会えなくなる恐怖。他にも強大な存在に対しての恐れもある。それ故に体が硬直してしまい、何もできずに死ぬことが多い。

 そもそも力の差がありすぎるのだ。始めから勝てないと思っているからこそ、大抵の人間は妖怪に襲われれば逃げるか、あるいは諦めて死を選ぶ。

 それでもシオンは本当に一矢報いようとするだろう。と、ここで咲夜は、シオンに対して違和感を覚えた。

 咲夜の顔が強張っているのに気付いていないシオンは、そのまま続けて言った。

 「まあ、結局は人も妖怪もそこまで変わりないんだけどね。人も欲を抑えられないんだから」

 「……人は、そういった生き物ですからね」

 「そう、確かにそうだ。人も妖怪も欲を抑えられない。それでも人は妖怪を排斥する。弱者である人は、そのちっぽけな自尊心を守るために、強者から見下されるのを嫌がる。人は誰かを見下さなければ生きていけないんだから。例えその見下す対象が話もできない虫であろうと。結局俺が何を言いたいのかっていうと、人は底が見えないほどにどこまでも愚かで、そしてどんな生き物よりも化け物だってことだよ」

 咲夜も誰かを見下してるんじゃないか?意識的にしろ、無意識的にしろ、ね。そう言って嗤うシオンに、咲夜は寒気を感じた。

 自分とは価値観の違いの激し過ぎる存在に、本当に同じ人間なのかと疑いたくなってしまった。

 「そ、それを言うならシオンもそうなのでは?」

 これが咲夜にとっての精一杯の反論だった。けれどシオンはそれを否定するどころか受け入れた。そして、虚ろな目で小さく呟いた。

 「まあ、ね……俺もアイツらと同じさ。否定するつもりはない」

 それを聞いて咲夜はほんの少しだけシオンを理解した。シオンには()()()()と言うことに。咲夜にとってのレミリアが、シオンにはいないのだ。()()()()()()()()()()

 だからこそシオンは死に対する恐怖が殆ど存在していない。自分が死んでも何も残らないとわかってしまっているから。いや、むしろ今すぐに死んでも構わないと思っている節すらあると咲夜は感じた。

 普通ならばそんなのはありえない、と切り捨てられるだろう。けれど咲夜はほんの少し接しただけだが、シオンは嘘を言わないとわかっていた。そうでなくては、他の誰かに聞かれれば狂っていると思われる言葉を言わないだろうから。

 それ以前に、咲夜はシオンにある印象を感じているのだ。最初に見た時から、ずっと。接している今では、その印象がどんどん強くなっていっていた。

 そう、シオンにはどこか寂しげな雰囲気を感じるのだ。まるで親とはぐれてしまい、途方に暮れた幼子のような、そんな感覚が。

 それを理解してしまった咲夜は、少しだけでもシオンに歩み寄ろうとした。どこか自分に近い、この少年に。

 恐らくシオンは同情などいらないと言うかもしれない。だから咲夜は、もしそれを言われても、これは自分のためだから同情では無い、という反論を用意してからシオンへと言った。

 「……私が、いますよ」

 「え?」

 シオンは驚いて目を丸くしながら咲夜の顔を見る。咲夜は、とても優しい笑みを浮かべていた。

 「一人じゃ、ありません。だから、もしシオンが困ったことになったら、私を頼ってください」

 「……そう」

 俯いて顔を隠すシオン。長過ぎる前髪や低過ぎる身長のせいで、その顔は全く見えなくなってしまっていた。その心中は、今どうなっているのだろうか。

 やがて顔を前に戻すと、シオンは小さく呟いた。

 「……ありがと」

 「……! どう、いたしまして」

 シオンから礼を言われたことに感動した咲夜は、とても嬉しそうに笑った。その表情は、先程見たものよりもとても可愛らしく見えた。

 咲夜が笑いをおさめた後、シオンは軽く首を振ると言った。

 「とは言え、これは俺の知っている人と妖怪の関係でしかない。実際にこの世界がどうやって周っているのかを俺は知らないから、単なる妄想とも言える」

 「……大体は合っていますよ。ただ言えるのは、この世界の人たちは普通の人たちよりも妖怪に対して寛容です。実際に人里に妖怪が入る事も間々ありますし、人里に住んでいる妖怪もいますから。それでも人を襲う妖怪も居ますので、全ての人が妖怪を恐れていない訳ではありませんが」

 「そう、か。……自分の考えているのを話すのは久しぶりだから、傲慢だと思われるかと思ったけど、咲夜はそう思わないのか? 表面上は嫌悪感が感じられないけど」

 その言葉に咲夜はドキリとする。これではまるで、顔を見れば大雑把でも感情の動きがわかるかのようだ。

 何故なら、咲夜は本当にシオンの意見に感心してはいても、嫌悪する感情が無かったからだ。

 「わかるのですか?」

 「顔の動きで大体ね。動体視力が良過ぎるせいだけど」

 「……本当に、色々規格外ですね」

 シオンにとってこの程度は初歩の初歩だった。相手の体の動きを先読みして回避する戦い方をするシオンからすれば、人の顔の動きを見るのは余計な集中力を使わなくても済む分だけ楽だった。

 呆れた咲夜を横目に、シオンは脱線した話を戻した。

 「とりあえず、話を戻そうか。俺が何故人を化け物と言ったかと言うと、人は求め続ける生き物だからさ。そのために他者を蹴落とし、犠牲にして、自らの糧にする。歴史が証明していることだ。あるものを知るためだけに、人体実験だって当たり前のようにやっている奴もいる。人が法律を決めようが何をしようが、人は必ずソレを破る。俺はいつも思うよ。何で人間は、同じ種族同士で殺し合うんだろうね? ……今の俺の説明だけを聞くと、人の方が傲慢で、化け物に見えるだろう?」

 実際、シオンはそんな光景ばかりを生きてきた。だからこそこの言葉が言える。

 (まあ、俺がここまで人という種族を貶すのは、あの出来事があったからだけど)

 が、それだけの理由でここまで言えるわけもない。本当の本当のところ、シオンはもっと暗い、それこそ光すら見えない『闇』の中で生きて来たのだから。

 そんなことを知らない咲夜は、本人すら知らずに無責任なことを言った。

 「確かに、それだけ聞くとそう思えるから不思議です。……ですが、同じ種族である人間をよくそこまで貶せますね」

 咲夜はシオンがどんな人生を送って来たのかは知らない。それでもその言葉に顔を顰めると、吐き捨てるかのように言った。

 「俺としては『同じ』だとすら思われたくないね。赤の他人がどうなろうと知った事じゃない」

 どす黒い何かが、その言葉にあった。

 咲夜は自分の背筋がゾクリと泡立つのを感じた。少し前を歩いているシオンの顔は、いまどうなっているのだろうか。

 そこでシオンは深呼吸する。それで落ち着いたのか、何の感情も見せない静かな声で言う。

 「俺は人としての常識が欠けている。壊れたと言ってもいい。正確に言うと壊された、が正しいんだが……まあ、だからこそ人でも妖怪でもない赤の他人、傍観者として見る事ができる。……といっても、人間の評価は辛口だけどね」

 「傍観者……。ですが、必ずしも他人として振る舞える訳では無いですよね? そう言った場合はどうするのですか?」

 「ああ、言い方が悪かった。俺は人と妖怪が戦っている時の第三者、あるいは第三勢力的な立場にいるつもりだよ。俺は、俺が大切だと思う人しか守るつもりはない」

 そして一旦区切り、咲夜の目を見る。咲夜もシオンの目を見返した。シオンが咲夜を見る目は、全てを見透かすようなものだった。

 「そもそも、人でありながら妖怪に仕えているのに、それでもまだ人としての常識を持っているのか?」

 「ッ!? 私が人だと、気付いていたのですか?」

 「……別にそこまで驚く必要は無いと思うけど。まず咲夜は、『美鈴が中国の妖怪』とは言ってはいたけど、自分も妖怪だとは一言も言ってない。それに、さっき俺が『咲夜』とレミリアみたいにって言った時に不思議に思わなかったのか?俺は咲夜を『人』として見てた事に気付くと思うんだが。それ以前に、咲夜の気配は人間と同じだ。ここまでヒントが揃っていて気付かない方がおかしいと思うんだけどね」

 「……そんな細かいことを……それに三つ目はともかくとして、一つ目と二つ目はヒントにするにしてもかなり解り難い、というよりもヒントにならない気がするのですが……まあ、初見で紫様が人とはどこかが違うと看破していたシオンですからね。聞くだけ野暮と言うものでしょう」

 咲夜はそんなことを思いつく思考がおかしいとか、そもそも気配を読むのは妖怪でもかなり難しい事だとか色々思ったが、今更だと切り捨てる。

 「シオンが普通ではない、というのは改めて再認識しました。ですが、言ってもいいのですか?」

 「何が? ……ああ、そういうことか。別に気配を読む程度の技術なんて、学べば誰でも覚えられるだろう」

 「そう、ですか」

 咲夜はこう言ってはいるが、こうもあっさりと言い切ったことに驚いていた。

 (能力の類かと思ったのですが……この反応では違うようですね)

 そして、今通っている所が後少しでレミリアの居る所に着くと気付いた。

 「もう少しでお嬢様のいる場所へ着きます」

 「ああ、わかった。……それにしても、この屋敷ってこんなに広かったか? 外から見た時の大きさと違いすぎる。まあ、霧で殆ど見えなかったんだが――実際に中に入ってから探ってみたけど、その時よりも広さがおかしいような気がする」

 シオンの疑問に咲夜はドキリとする。昔やってしまった事を思い出したからだ。

それを見逃すシオンではない。

 「なるほど、咲夜は知っているのか。ああ、安心して。無理に聞くつもりはないよ。ただこれだけは聞かせて欲しい。俺達に何かしらの悪影響はあるのか?」

 「……ありません。これは屋敷の中を見かけ以上の広さに変えているだけですので」

 「そう、わかった」

 咲夜は顔を伏せた。そして、顔は俯いているせいで見えないが、若干赤い耳が今の心情を物語っている。恐らく気遣われたのが恥ずかしいのだろう。

 だが、シオンはなんとなく、咲夜は別の意味で恥ずかしがっていると感じた。それがなんなのかはよくわからなかったが。

 「その、ありがとうございます」

 「何が?」

 「何も聞かないでいてくれることが、です」

 「……別に気にしないでいいよ。俺にも聞かれたくない話はあるし。人の恥ずかしい過去を詮索するほど下種でもないし」

 そして二人は一つの扉の前に辿り着く。その後、咲夜は扉をノックした。

 「お嬢様、私です」

 「咲夜ね、入っていいわよ」

 それを聞いた咲夜はシオンを見て頷き、シオンもそれに頷き返す。

 「失礼します」

 扉を開けて室内に入った二人が見たのは、椅子に座るとても小さな少女だった。その少女は咲夜に笑いながら言う。

 「お帰りなさい、咲夜。そして――」

 そこで区切って、邪悪な微笑みをシオンへと向けた。

 「――いらっしゃい。小さな侵入者さん」

 言い終えると同時に、少女の背中から蝙蝠の様な翼が生えた。




レミリア様ご登場!
フランは後三話くらい後に?登場します。



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館の主

 「貴女 が咲夜の言っていたレミリアか?」

 シオンは疑問だらけの顔で言う。翼に関しては完全に無視だ。

 「ええ、そうよ」

 レミリアはその事が気になったが、とりあえず無難に返しておく。レミリアは、例え相手が侵入者だとしても、一応最低限の礼儀はするつもりだった。

 けれどそれは、すぐに崩れることになる。

 「……どこからどう見ても小さな女の子にしか見えないんだが。二つ名持ってるし、吸血鬼なんだから、俺の何倍も生きてるんだろうけど……」

 「ぅっ!?」

 顔を真赤に染めながら呻くレミリアには、シオンの後半部分の言葉は聞こえなかった。

 自分が気にしていることを容赦無く言われたレミリアは、お返しとして――と言うよりも、単なる八つ当たりに近いが――シオンを怖がらせようと、少しだけ妖力を出しながら嗤う。

 ……しかし、その姿はどこからどう見ても小さな少女であり、その笑みは余り恐怖を誘わない。それどころか、可憐な笑みにしか見えなかった。

 他人から見ると、どうしても子供が背伸びしているようにしか見えない。

 「外見で判断すると、痛い目を見るわよ?」

 それでもレミリアは大妖怪の吸血鬼だ。ほんの少量であろうとそこらの妖怪よりも妖力が多い。例え大人の男だろうと腰を抜かして恐れ、気の弱い人間ならば失神する。

 だからこそ、シオンの取った行動に驚いた。

 「忠告ありがとう。でもそれに関しては知ってるよ」

 「……!?」

 シオンは部屋に充満している妖力を一身に浴びているはずなのに、平然とレミリアの前にあった椅子に座る。あまつさえ正面、つまりレミリアの顔を直接見ていた。

 レミリアはシオンを見返しながら考える。

 (まさか、妖力を感じないとかそういう体質なのかしら? なら別の方法で――)

 そこで思考は中断される。シオンの声が聞こえたからだ。

 「小さいと言ったのは単純に驚いただけなんだが、レミリアには侮辱、あるいは挑発されたと感じたのかもしれない。だから、すまない」

 そう言って頭を下げるシオンに、溜息を返すのと同時に偶然視界の端に見えた咲夜が目を見開いて驚いているのが見え、眉を顰める。レミリアがそうしたのは、紅魔館のメイドが、誰かが謝罪するだけで驚くなどしてはいけないからだ。

 しかしそれを一旦無視して、妖力による弾を作ろうとして上げかけていた右手を下す。

 「……まあ、非を認めているのだから、構わないわ。今回だけは特別よ」

 「そうか、ならその物騒な気配を出すのを止めてくれないか? 殺気かと勘違いしかけて剣を抜こうかと悩ませられたからな」

 それを聞いてレミリアは目を見開く。驚いたせいか、ほんの少しだけ出していた妖力が消えた。妖力が消えると同時に、シオンの座り方がほんの少しだけ変化する。

 それを見て、レミリアは先程まで気付けなかったことがわかった。今目の前にいる人間の子供は、そこらの人間と同じように判断してはならないと。

 (いつでも戦えるようにしていた? 私でも気付くのが遅れたなんてね。しかもほんの少しだけしか出してないとはいえ、私の妖力に耐えられる胆力。……見かけだけで判断していたのは、私の方かしら?)

 そんなことを考えていたからか、知らない内にレミリア自身もいつでも戦えるように体の体勢を変えていた。シオンはそのことに気付いてはいたが、それは自分のせいだろうと考えていた。殺し合いをするのが日常的になっている者なら、それくらいは当たり前だろうと。むしろ、攻撃してこないだけレミリアは自制していると感じた。

 だからこそシオンは、笑いながら言った。

 「とりあえず、自己紹介でもしようか」

 「え……?」

 シオンの態度に毒気を抜かれたのか、レミリアはポカンと呆けてしまった。

 それを見ながら、シオンは自分の表面上の事だけを話し始めた。

 「じゃ、俺から言わせてもらう。俺の名前はシオン。わかりにくいだろうけど性別は一応男。外見の殆どは母親似だから女っぽいけどね。年は九だ。……貴女は?」

 「……え? その身長で九歳?」

 シオンの答えにレミリアは疑問の声を上げる。咲夜は「……同い年、だったのですか」と呟いていた。かなり酷い言い草だが、彼女たちがそう思うのも仕方が無い。何せシオンの身長は一〇〇センチを超えていないのだから、九歳と思えという方が無理な相談だ。

 二人が驚いているのに気付いたシオンは自らの身長が低い理由を話した。

 「ああ、これは栄養不足と、能力の弊害だよ。他にもいくつか理由はあるけどね」

 「……貴方、一体どんな人生を歩んできたの?」

 余りにもあっさりと答えるシオンを心配してか、レミリアは珍しく気を遣うように訊ねた。

しかしシオンは「気にするな」とだけ言い、手振りで次はそっちだと示すだけだった。

 「……私の名前はレミリア・スカーレット。年は、確か五〇〇は超えていたはずよ」

 シオンの軽い態度に先程までの空気は霧散したため、レミリアは適当に言った。ちなみに年齢が大雑把なのは、長い時を生きる妖怪にとって、自分の年齢など基本どうでもいいことだからだ。

 「周りからは『紅い悪魔』なんて呼ばれているわ」

 心なしか若干誇らしげに言うレミリアに、シオンは爆弾を叩き落とす。

 「ああ、知ってるよ。飲み切れなかった血が零れて服に付いたから、そう呼ばれるようになったんだろう?」

 その言葉を聞いた瞬間、レミリアは何故貴方が知っているのか? といった感じに固まってしまった。だがそれもほんの一瞬のことで、すぐに我を取り戻した。

 「な、なんで知って!?」

 「ああ、それは――」

 余程知られたくないことなのか、泡を食ったかのように叫ぶ。それにシオンは答えようとするが、流石と言うべきか、レミリアは何故シオンがそれを知ることができたのか、その理由を悟り、咲夜を睨みつけた。

 「咲夜、貴方ね! 何故侵入者に、いえ、部外者に教えたの!?」

 その目には妖力どころか殺気まで籠っているようだった。だが、実際にそれを浴びさせられた咲夜は涼しい表情で受け流す。

 「シオンは信頼できると思いましたので、教えました」

 「信頼……? 初対面の人間を?」

 レミリアの顔からは、信じられない、といった思いが滲んでいた。

 しかも咲夜は『信用』できると言ったのではない。『信頼』できると言ったのだ。過去に相応の実績があるのならばレミリアでも信用くらいはできる。しかし、初対面の相手に対して『信頼』し、ここまで入れ込むのは普通ではない。ならば何故、こんなことを。

 「私は無理よ」

 「ええ、そう思われるのも無理はありません。いえ、それが普通の反応でしょう。私も最初はそう思っていました」

 即答で否定するレミリアに、咲夜も即答で返す。余りにも咲夜らしくないと感じたレミリアは、訝しげな表情で訊ねた。

 「最初は……?」

 訊ねると同時に頭の冷静な部分で思考する。何故咲夜がここまで変わっているのかと。

 (何らかの能力を使われた? いえ、それなら私にわからないはずがない。それなら言葉で誘導された、あるいは言い込まれた? 咲夜はうっかり者ではないし、言い込まされるような人間じゃない。なら、他には――)

 レミリアの思考の間隙を突くように咲夜は言った。

 「不思議に思うのは当たり前だと思われます。今までの私が今の私を見れば、自分の見ているものを疑うでしょう。ですが、私はシオンをお嬢様に会わせようとしている最中に色々と話をしていたのです。その中に、お嬢様が吸血鬼であることと二つ名を言いました。どうなったと思いますか?」

 「恐れたんじゃないの?」

 答えがわからなかったレミリアは少しだけ投げやり気味に言う。咲夜はレミリアの素の部分が出てきたことに少しだけ笑い、首を横に振った。

 「いいえ。全くと言っていいほどに興味が無かったようです」

 「……興味が、無い?」

 流石に咲夜の回答が予想外過ぎたのか、レミリアは呆然と呟いた。別に彼女の反応が可笑しい訳では無い。大妖怪の吸血鬼であるレミリアは、例え彼女と同じ妖怪であっても恐怖し、畏怖する存在なのだから。ただの人間など言うまでもない。

 事実、レミリアが今まで出会った人間は極一部を除いて皆体を震わせ、涙を流しながら命乞いをする者ばかりだった。まれに無関心などといった反応をする人間はいたが、それだけだ。……現実を受け入れられず、結果的に無関心になった者はいるのだが、それは数に入れないでいいだろう。

 驚愕と呆然を半々にした顔をしているレミリアに、咲夜は続きを話す。

 「その後にお嬢様の二つ名の由来を話したのですが、やはりどうでもよさそうでしたので、つい本当の理由を説明したらどうなるのだろうかと思いまして。それで試しに話してみた後、しばらくは呆然としていたのですが――」

 咲夜はそこで一旦話を止め、シオンを見る。見つめられたシオンはそれに頷き返した。

 「――大きな声で笑い始めました」

 「……………………………」

 レミリアはありえない出来事に、声すら出ないほど驚愕し、ショックを受けた。

 (呆れや憐みならまだ許せる。いえ、やっぱり許せない。けど、笑われるよりはマシよ。それなのに笑われた? 高貴な吸血鬼である、この私が?)

 そこまで考えた瞬間、屈辱と羞恥で反射的に体が動いてしまう。目の前にいるモノを壊してしまおうと。

 そしてレミリアは、自身の右腕に膨大な妖力を纏わせながら、叫んだ。

 「来なさい、『スピア・ザ・グングニル』!!」

 グングニルを出すのと同時に腕を振るい、槍の先を突き出す。そして、それが目の前の人間を殺す、それが確定している。それが目の前の人間の『運命』なのだから!

 そこまでを一瞬でやり終えたレミリアは、まさに嵐が吹き荒れるかのような速度でグングニルで人間の頭を貫いた。――貫く、はずだった。

 「――え!?」

 「いきなり人の頭を吹き飛ばそうとするなよ……。まあ、咲夜に話してもいいって許可したのは俺だし、笑ったのも事実だから、自業自得なんだけどさ……」

 レミリアは攻撃を躱され、その上で右腕を掴まれ、テーブルに押さえ付けられた事に驚愕し、シオンはそのままの体勢で呆れたように言う。

 あの時、シオンはレミリアが右腕に何かを集めていることを悟り、いつでも避けられるようにしていた。そして実際に攻撃が来た時――まさか槍が現れるとは思ってもみなかったが――にどこを狙っているのかを瞬時に判断、ぎりぎりで躱した。

 そして回避し終える前に追撃されないように身を乗り出して右腕を掴み、テーブルの上に押し付けたのだ。けれど、妖怪であるレミリアをそれだけで押さえるのは不可能と判断したシオンは、能力を発動させて無理矢理レミリアの腕を押さえつけた。

 ちなみに押さえつけた理由はもう一つあるのだが、それを知っているのはシオンだけだった。

 けれどレミリアにわかるのは、シオンが確定した『運命』を覆して攻撃を回避し、妖怪の力すら無視して自らの腕を押さえている、という事だけだ。

 訳がわからない。理解ができない。間抜け面を晒しながらも、つい言ってしまった。

 「何故、躱せたの……? グングニルが貴方の頭を潰すのは、定められた『運命』のはずなのに……」

 「定められた? それはどういう……まさか貴女は、人の運命が見えるのか? いや違うな。もしそうなら、そこまで驚く必要は無い。まるで頭を潰すのが決まっていたかのような反応……。なるほど、そういうことか。……俺もそうだけど、この幻想郷はこんな特異な能力を持っている奴が多いのか?」

 レミリアの能力を大雑把に推測したシオンは、最後に誰にも聞こえないように、小さく呟いた。

 その時、レミリアはおかしなことに気付いた。主である自分が押さえ付けられているのに、咲夜が何も言ってこないのだ。

 そして、レミリアとシオンの後ろから、呻き声が聞こえた。

 「……うっ……ぁ。シオン、貴方は……お嬢様の能力が、わかったのですか?」

 「咲夜!?」

 床にうつぶせに倒れ、顔を押さえて小さく呻く咲夜にようやく気付いたのか、レミリアは叫んだ。そしてシオンの顔を振り向くと、殺気を籠めて睨みつけた。

 その殺気にシオンは溜息を吐いた。

 「ああ……やっぱり気付いていなかったのか? 言っておくけど、あれをやったのは俺じゃない。それに咲夜は頭を押さえてはいるが、脳震盪を起こしてるだけだ。……多分」

 「馬鹿を言わないで。貴方以外に誰が――まさか!?」

 シオンの言葉に反論しようとしたレミリアだが、途中で何かに気付いたのか、目を見開いて硬直した。それに気付いた咲夜は、ふらついた状態で何とか言葉を発した。

 「お、お嬢様……お気に、なさらないでください。避けられなかった私の責任です、ので」

 「その言葉で事実だと認めていると言っているようなものなんだけど……咲夜って、案外天然なのか?」

 呆れた声でシオンは呟くが、レミリアにその言葉は聞こえなかった。自らのしでかしたことに気付き、呆けていたのだ。

 「何で、咲夜が……? それに、避けられなかった、って……」

 本当に気付けていないレミリアに、シオンは何故咲夜が倒れているのかの種を説明した。

 「確か妖力、だったか? それの籠めすぎただけだよ」

 「妖力の、籠めすぎ?」

 「そう。そのせいで、槍から漏れ出た妖力が槍の先から放出された。本来なら俺の頭に当たるはずだったからそのままでもよかったんだろうけど、俺が避けたせいでそのまま弾丸として放たれたんだよ。それが咲夜いる方に飛んでったってこと」

 「つまり、考えなしで行動した、私のせいって訳ね……」

 「待って、ください……お嬢様の責任では、ありません……」

 少しだけマシになってきたのか、咲夜は顔を押さえていた手をどかした。その顔は真っ赤になってはいたが、傷はできていないようだった。

 それを見たレミリアは安堵するが、その顔はすぐに強張り、それと同時に異常に気付く。

 (おかしい。何で怪我だけ()()してないの? そもそも槍から放出されるほどの妖力の塊を顔に喰らって、人間である咲夜が生き残れるはずが無いのに……なぜ咲夜は、死んでいないの?)

 そう、おかしいのだ。グングニルはそこらの鈍な武器とは違い、かなりの業物だ。そんな槍が受け止めきれないほどの妖力を籠めた弾丸を人が喰らって、原型を留めているなどありえない。

 つまり、何らかの外的要因があったからこそ、咲夜は無事でいられたのだ。そして、この場でそんな行動ができるのは一人しかいなかった。

 レミリアがおとなしくなった――本当は考え事をしていただけなのだが――と判断したシオンはレミリアの腕を離し、椅子に座り直す。レミリアはかなりの力で締め付けられていた腕の調子を確かめる。

 そして、横目で立ち上がった咲夜を見てから、シオンの左腕――いや、左手を見た。先程から一度も動かさず、また隠すようにしているその手を。

 「シオン……その、左手を見せてくれないかしら」

 「………………………………………………ハァ」

 言わなければ無理矢理にでも吐かせるという視線に、シオンは溜息を吐くと、誰にも見えないようにしていた左手の掌を見せた。

 その掌は、酷く焼け爛れていた。

 「―――――――――――――――ッ!?」

 それを見た咲夜は息を呑んだ。レミリアも咲夜ほどではないが、目を見開いていた。

 「な……シオン、それは……」

 「あ~……レミリアの攻撃を回避した時に何かが出るのを感じたから、咄嗟に、ね。それに、威力の殆どを減衰させたとはいえ、完全には受け止めきれなかった。まだまだ弱いな、俺は」

 歯切れ悪く言うシオンに、二人は何故シオンがこんな事をしたのかを理解した。咲夜が後ろにいたとわかっていたからこそ、シオンはこんな暴挙に出たのだと。

 もしも咲夜が後ろにいなかったら、シオンはこんな事はしなかっただろう。それがわかった咲夜は、今にも泣きそうなほどに顔を歪めた。

 対照的にレミリアは余り動じていないようだった。正確には、もう一つの異常に気付いたせいで、シオンの怪我を気にする余裕が無かったからだ。

 (咲夜は気付いていないけれど、さっきの話が本当なら、この結果はありえない。それなのに、何故掌が焼け爛れているだけで済んでいるの? 本来なら腕が消し飛ぶだけじゃすまないはず。多少威力が落ちた弾丸でも、十分咲夜を殺しきれるくらいはあるはずなのに。……考えられる要因としては何らかの能力を使ったから、か。まあいいわ。咲夜を守ってくれたのだから、余り気にしないことにしましょう)

 それでも説明できない部分は残る。それをレミリアは聞いた。

 「ねえ、シオン。何故貴方はそんな大怪我を負いながら、全く表情を変化させないの?」

 そう、シオンの顔は平静そのものだった。まるで始めから怪我など負っていないかのように。掌が焼け爛れていれば、転げまわっていてもおかしくないほどの激痛が、今もシオンを襲っているはずなのだ。それなのに、何も変わらない。

 そして、シオンの回答は歪なものだった。

 「慣れているだけだよ」

 「慣れて、いる?」

 「ああ。この程度の痛みだったら普通くらいだね。俺が痛みで倒れるには、全身大怪我くらいにならないと無理だからな」

 予想を裏切るどころではない答え。一瞬空気が固まり、しかしすぐに元に戻る。

 「な……何よそれ! ありえないわ、そんなの! 痛覚に慣れるなんて、ありえない!」

 「そうです、シオン! 私も苦痛に耐える訓練はしていますが、そんなのは……!」

 焼け爛れた掌をひらひらと動かしながら答えるシオンに、レミリアと咲夜は叫び返す。どれだけ苦痛に慣れようと、『痛み』という感覚があることには変わりない。訓練したとしても、痛みに耐えて動けるだけで、無表情でいられるわけではないのだ。実際、例え妖怪であろうと痛覚はあり、苦痛にのた打ち回ることもある。

 シオンは二人の叫びを無視して、掌を見つめながら呟いた。

 「慣れているものは、慣れているんだ、としか言いようがないな」

 「今は……言うつもりは無いのですか?」

 「無い。そもそも話せるような内容じゃないよ」

 聞く余地も無く断るシオンに、レミリアは妖怪らしい行動を取った。

 「なら、無理矢理にでも話させるのはどうかしら?」

 右手に持っていたグングニルをシオンへと向けながらレミリアは脅しつける。しかしシオンは、あえて焼け爛れている左手で槍を掴むと、そのまま言った。

 「それでも話すつもりは無い」

 「そう……なら仕方ないわね。諦めるわ」

 「お嬢様、一体何を! シオンは何故わざわざ怪我している方の手で槍を掴んでいるの!? ああもう、シオン、薬を持ってくるのでここで待ってて! お嬢様、失礼します!!」

 冷静に話し合う二人に叫びながら咲夜は部屋を飛び出した。

 シオンはいきなり敬語の崩れた咲夜に驚き、レミリアは昔のように素の部分を出したことに驚いた。

 そして二人は顔を見合わせると、クスクスと笑い始めた。

 「フフッ、あんなに慌てる咲夜は久しぶりね。珍しくいい物が見れたわ」

 「俺としては最初のイメージが崩れたな……まあ、あっちの方が子供らしいと思うから、さっきの方がいいんだろうけど」

 「それ、貴方が言う言葉じゃないわよ。……咲夜よりも子供っぽくないじゃない」

 レミリアが呆れたように呟いた言葉をシオンは気付いていたが、聞こえない振りをして無視した。

 

 

 

 

 

 紅魔館の広い廊下を、一人のメイドがズカズカと歩いていた。

 (ああもう! お嬢様もシオンも、悪ふざけが過ぎます! それに加えて、シオンは何故左手で槍を掴むのですか……! 少しは自分の体を労わってください!)

 自分だったら槍を掴んだ瞬間に痛みに耐えられなくなるだろう。それなのに、彼はその痛みを気力でねじ伏せられる。その精神力は相手側にとっては驚異的となるだろう。

 どれだけ攻撃を与えても、死ぬまでかかってくる敵ほど恐ろしい物は無い。

 そこまで考えて、あの時、あんなふうに咄嗟に腕を出せるのなら、避けるくらいは簡単にできるはずだという結論に辿り着く。

 と、そこで咲夜の足は止まる。その顔は、不安で揺れていた。

 (……私のせい、なのでしょうね。彼が怪我を負ったのは、私が後ろにいたせいですし。いくら鍛えていても、あんな風に咄嗟に動くなんて私にはできません。……お嬢様もシオンも、今の私の何倍も強い。シオンが、羨ましいです。彼なら、もしかして……)

 そこまで考えて咲夜は頭を振る。自らの邪な考えを振り落とすように。だから結局最後まで気付かなかった。咲夜は『今の』と思ったことに。これは、まだ自分は強くなれるだろうと思っているからか――あるいは、まだ強くなれるはずだと思い込もうとしているようだった。

 そして、再度歩き出す咲夜だが、自らの恥ずかしい考えを忘れようとしたせいか、その足取りは先程よりも早かった。

 (何で、何で、何で……命の恩人であるシオンを……妬ましいと思ってしまうなんて!)

 歯を噛みしめ、手を握り込んで忘れようとするが、シオンをレミリアの場所へ案内した時に交わした言葉を思い出していた。

 (人も妖怪も、欲を持っている……確かにそうですね。私のこの思いは、ある意味では欲なのでしょうから。それでも私は、この思いを……いえ、願いを捨てることだけはできません。例えそれが、絶対に叶わない夢だとしても)

 咲夜には絶対に叶えたいと思う夢があった。ある人間から見れば無謀だと、そんなのは不可能だと言うであろうモノ。それでも絶対に諦めることだけはできなかった。

 咲夜は溜息を吐いて、少しだけ歩く速度を落とした。それからは心を無にして、薬を置いてある部屋へと歩いて行った。

 

 

 

 

 

 咲夜が薬を取りに行っている頃、レミリアはシオンに質問していた。

 「それで、何故わかったのかしら?」

 「ん? 何がだ?」

 レミリアはシオンが先程解った部分を聞こうと、もう一度聞き直した。

 「だから、私の能力の話よ。大体はわかってるんでしょう?」

 「合ってるかどうかはわからないけどね。まあ多分、運命を操れるとかそんなところだとは思うけど」

 「……普通に合ってるじゃない。どんな思考回路を持ってれば、そんなすぐにわかるのよ……。本当に、人間ってよくわからないわ」

 何度も驚かされたせいか、レミリアは驚愕している時間が短くなっていた。そしてそのことに気付いてしまい、彼は退屈を紛らわせてくれるいい相手だと思うようにもなっていた。……まあ、目の前にいるのが本当に人間なのかどうかを若干疑いたくなってきてはいたが。

 「ん~……そう言われても、俺は普通とは違うからなぁ……。とりあえず俺が言えるのは、気にしない方がいいってことくらいかね」

 「いえ、気にしないって事ができないわよ? 貴方、色々とありえなさすぎるから」

 「それに関してはどうでもいい。それよりレミリア、貴女は貴女自身の能力をきちんと理解できているのか?」

 「いえ、どうでもいいとは思えないのだけど……。まあいいわ。能力の理解って、どういう意味かしら?」

 シオンの言葉が理解できなかったのか、首を傾げながら問い返す。

 「簡潔に言うと、能力の制限、代償、あるいは弊害……そんなとこ」

 少しだけ考えるレミリアだが、すぐに頭を振る。

 「……わからないわ。そもそも私は、この能力を余り使わないの。正確には、使う必要が無い、の間違いなんだけど……やっぱり、わからないわね」

 それもそうかとシオンは思う。これほどまでに強大な力を持った人物が、そう何度も能力を使う理由も機会もあまり訪れないだろう。

 「まず、レミリアの運命を操って変えられるのは、自分と同じ程度か格下にしか使えない。どこかで聞いた話をそのまま利用するが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そういうことだと思うよ」

 その言葉に何か思うことがあったのか、顎に手を当てて考え込んでいたレミリアは、少しだけ遠い目で呟いた。

 「……そういえば、そんな光景を見たことがあったわね」

 「じゃあ、このことには気付いているか? 恐らくだが、レミリアが無理矢理変えた運命をねじまげられると、その後に起こる現象もねじまげられることに」

 「それは、つまり――」

 「誰かを殺す運命を確定してそれを回避された場合、無差別に他の対象を殺す」

 恐るべき事実。しかも運命を曲げた代償が、本人ではなくその周囲にいる存在に降りかかるというのだから、なおさら性質が悪い。

 「……じゃあ、咲夜があの時死にかけたのは、貴方が死を回避したから?」

 「多分、そう。そもそも妖力を放とうと思っていた訳でもないのに、それが武器から溢れるってのがおかしいんだ。余程力の制御が下手なのか、あるいはただの馬鹿か、そんな奴でも無い限りはあんなことを起こすはずが無い。つまり、『偶然妖力が武器から放たれてしまう』というかなり低い……それこそ、何万以下の確率が引き起こされたってわけだ」

 「……………………………………………」

 レミリアは黙り込んで思考していた。シオンは邪魔をするのは悪いと思い、ただそれを眺め続けていた。

 それからしばらくして、レミリアは小さく呟いた。

 「多分、貴方の推測は合ってる」

 「そう、か」

 「ええ……。今思えば、あの時無理に運命を変えたから、今こんなことになってしまっているのかも、ね」

 「……?」

 意味深なレミリアの言葉に、シオンは眉を寄せる。しかし、レミリアはただ目を閉じて、何も言わなかった。

 (咲夜、貴方が彼をここに連れてきた理由がわかったような気がするわ。彼女と同じ思考力と、それ以上に大妖怪の一撃を止められるほどの戦闘能力。そして何より、それらを扱いこなすことができる強靭な精神力。これなら、私たちの願いが叶うかもしれない。うまくいくかはわからない。けど、それでも頼むしかない……!)

 藁にも縋る思いで、レミリアはシオンに提案した。無論、紅魔館の主として余裕を持って、優雅に振る舞うことは忘れない。

 そして、シオンの方へと体を向ける。

 「ねえ、シオン。私とゲームをしない?」

 見る者を虜にさせるような笑顔で、レミリアは言った。



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二人のゲーム

 「いきなりなんだ、と言いたいところだけど……ゲームって?」

 当たり前とも言える疑問だ。戦闘になりかけたところから心配されたり、推測を話したりした後に、今度はゲームをしようと誘われる。シオンでなくとも訳がわからない。

レミリアもそのことは理解していた。

 「ゲームの内容は簡単よ。私の妹、フランドール・スカーレットと友達になってほしいの」

 「友達になる?」

 「そうよ」

 シオンは更に訳がわからないといった感じの顔をする。それを見て、レミリアはつい笑ってしまった。

 「私の妹はね、狂っているのよ。……四九五年もの間、幽閉されているくらいに」

 「狂っていて、幽閉されている、か。どうせ他にも何か理由があるんだろう? 吸血鬼が狂っている、という理由だけで閉じ込められるのはありえない。家族ならなおさらだ」

 「……流石ね。察しが良くて助かるわ。そう、実はもう一つ理由があるの。フランドール――フランはね、ある能力を持っているの。私の能力よりも遥かに強力で危険な、ね」

 「レミリアの『運命を操る程度の能力』よりもか?」

 レミリアは小さく頷く。それを見て、シオンはゲンナリとした表情で呟いた。

 「ありえないだろ……」

 「私やフランの能力よりも遥かに強力な能力はあるし、私の力は絶対じゃないとわかってしまったのよ? それに、シオンが気付かせてくれた能力の代償も大きすぎるのがわかったのだから、仕方ないわよ」

 「決められた運命は壊すためにあるんだよ。とは言え、基本的にレミリアの能力は自分より弱い相手には有効だけどな」

 溜め息を吐くレミリアにシオンは笑いながら言う。レミリアは苦笑を返した。

 「貴方にとっては、そうなんでしょうね。とりあえずフランの能力を説明するわ。フランは『ありとあらゆる物を破壊する程度の能力』を持っているの。力の内容は、文字通りの意味。この能力を持っているせいで、フランを閉じ込めるしか力を封じる方法が無かったの」

 「……なるほどね。確かに規格外過ぎる。吸血鬼の枠内を超えている。けど、幽閉されている理由はまだありそうだけど」

 「……何故、そう思うのかしら?」

 流石にこの程度では驚かなくなったレミリアだが、こんなことを思っていた。

 (目の前にいる人間が『彼女』だと思えば、ある程度までは驚かないわ)

 ……ある意味、一種の自己暗示に似たようなことはしていたらしい。

 レミリアがそんなことを思っているとは知らないシオンは、自分の考えていることを言い始めた。

 「……本当に邪魔なら、閉じ込めるのではなく殺した方がいい。手っ取り早いし、何よりフランが暴走して全てを破壊する危険性も無くなる」

 「フランの力を封じ込める方法があるって可能性もあるわよ?」

 「それはありえない」

 「……何故断言できるのかしら?」

 絶対にありえないと態度で示しているシオンに、レミリアはまるで期待しているかのように――いや、実際期待しているのだろう。やっと妹を救うことができる存在(バケモノ)に出会えたのかもしれない、と。

 レミリアはそれを表情に出すような不用意な真似はしない。あくまでも可能性なのだと逸る心に言い聞かせる。

 そしてシオンはレミリアの顔を――いや、()()()を観察しながら話始めた。

 「まずはレミリアの疑問から答えようか。貴女はフランの力は『ありとあらゆる物を破壊する程度の能力』と言った。なら、その封じ込める何かなんて簡単に壊せるはずだ。ああ、代償が大きいとか言わなくていいぞ。伝承通りなら妖怪は俺たち人間とは比べ物にならないスペックを持っているはずだ。そんな存在すら躊躇するような代償なら、始めから閉じ込める必要なんてない」

 「伝承なんてあやふやなものを信じられるの?」

 レミリアは自信たっぷりな顔で――俗に言うドヤ顔――シオンの痛い部分を突く。だが本当のところ、そこしか反論できる部分がなかったのだ。

 これが普通の人間なら、能力事態封印してしまえばいい、と言うだろう。だが、シオンは言い方は違うが、既にそんな簡単に封じ込められるなら閉じ込める必要はない、と言ってしまっている。つまり、この反論は使えない。

 そして、反論を言っている途中で、レミリアは気付いたのだ。シオンの瞳から、これくらいの腹の探りあいはできるだろう? と言っていたことに。シオンはレミリアを試しているのだ。せめて最低限の理解力は持っているのかを知るために。

 それを理解したレミリアは、自然と自分の頭に血が上るのを感じていた。

 レミリアは相手を弄ぶことはできても、逆に弄ばれるのをされたことは少ない。まぁ、大妖怪を弄ぼうとする存在など殆どいないのも原因なのだが。強いて言えば、どこぞの妖怪の賢者がたまにするくらいだろうか。とはいえ、レミリアが彼女とあったのは随分と前の話だ。

 それともう一つ、レミリアの場合は吸血鬼としての誇りがシオンの態度を許容するのを許せない。許すことを許さない。その上、五〇〇年以上も生きているレミリアだが、未だに精神年齢は子供に近い。精神は肉体に引っ張られると言われているが、それは妖怪にも当てはまるのだろうか。

 と、ちょうどその時に、咲夜が部屋の扉を開けて戻ってきた。

 「すいません。遅れました」

 咲夜が来たことでレミリアは多少冷静さを取り戻したのか、まともな返答をした。

 「薬の入った箱は見つかったの?」

 「あ、はい。先程は走って退出するなどと言う見苦しい真似をしてしまい、申し訳ありません」

 「別にそれくらい構わないわ。急いでやらなければいけないのはわかっていたのだしね。それに関しては何の罰も与えるつもりは無いから、安心してちょうだい」

 「ありがとうございます、お嬢様。シオン、左手を出してください」

 「……手間かけさせてごめん」

 シオンは左手を出しながらそう言った。何より、薬《・》()()()()()()()()()()()()と言えないのがもどかしかった。

 (そもそも、どんな薬を使っても効果が出ないんだけど……)

 咲夜は差し出された左手に薬を塗り始める。それがある程度まで終わった時に、躊躇いながら言った。

 「……シオンは、あまりイメージが安定しませんよね。人をからかったかと思えば確固とした意志を持っていたて、更には異様な推測をしたり、かと思えば当たり前のように頭を下げたり……」

 「何かをしてくれる相手に感謝するのは、当然の事だと思うけど」

 「そうなのですが……何と言いますか、初めて話した時の印象が強すぎるせいで、似合わないと思ってしまってしまうのですよ」

 確かに、最初に会った時は咲夜をからかって怒らせた。そのことを思い出したシオンは、まあ、色々とやり過ぎたなぁ……と思ってしまった。余り後悔はしていないのだが。

 それからは何も言わなくなった咲夜が黙々と包帯を巻いていたため、誰も話すことはなかった。

 そして、包帯を巻き終えた咲夜は薬や余った包帯を箱にしまうと、立ち上がって礼をした。

 「それでは、私はこれを戻して来ますね」

 「別に、わざわざ戻して来なくてもいいのよ?」

 「そうですか? なら、部屋の隅へ置いておきますね」

 咲夜が部屋の隅に部屋を置きに行くのを見ながら、レミリアは先程の話の続きを話し始めた。

 「それで、何故そんな風に確信できるのかしら?」

 「大妖怪の中でも更に上位に位置され、『紅い悪魔』と呼ばれる吸血鬼の妹なら、その才能もかなりのもののはずだ。姉の才能がそっくりそのままあるなんて思ってないが、それでも十分にあるとは考えられるだろう? 逆に一切の才能が受け継がれていないなんてケースもあるけど……」

 「……その答えは、つまらないわ。もっと面白い回答を期待してたのに」

 「俺は面白い回答をするためにここに居る訳じゃ無いんだけど?」

 レミリアの愚痴に、シオンは頭を抱えたくなるのを感じた。

 紫と会った時も思ったが、身勝手過ぎる。妖怪がこんなのばかりだとしたら、様々な部分で色々な矛盾ばかりを抱えてしまい、幻想郷と言う世界が壊れるんじゃないか? なんて考えがつい頭をよぎったが、シオンはどうでもいいと判断した。来たばかりで何も知らないこの世界がどうなろうと、はっきり言ってどうでもいいと思ったのだ。

 「まあ、いいや。それで、封印の線が無くなって、それでもフランが殺されていない理由は、この館の主である貴女がそれを命じていないから。そして、殺さない理由はフランという化け物のような力を利用して交渉を有利にするためか、あるいは――」

 普段であればフランを化け物呼ばわりしたシオンを八つ裂きにしているはずのレミリアだが、何故か化け物と言った時にシオンの顔の端に何かが浮かんでいたことに気をとられてしまい、何の反論もすることができなかった。

 結局何も言うことができず、レミリアは先程消えたはずの怒りが心の片隅に溜まっていくのを感じていた。そして、それをなんとか押さえようとしていた。

 が、それは無駄な努力に終わる。次のシオンの言葉ですぐに顔全体を真赤に染めてしまうことになるからだ。――勿論、怒りによる感情ではない。

 「――危険だとわかっていながら、それでもなお守りたいから、か。俺の直感だと、多分後者だと思うんだけど……まさか、レミリアってシスコンなのか?」

 「な――!?」

 レミリアは図星を突かれたことと、はっきりとシスコンと言われたことによる恥ずかしさに、怒りの感情が吹き飛んでしまう。口をパクパクしているレミリアに、シオンは追撃を――シオンは追撃をしていることにすら全く気付いていないのだが――入れた。

 「鳩の真似でもしているのか?」

 その言葉で我を取り戻したレミリアは、体を震わせながら手を握り締めて、必死に怒りを押さえ込もうとする。

 ……余談だが、咲夜は顔を真赤にしながら、今にも笑ってしまいそうになるのを抑えるために、顔を俯かせて体を震わせていた。更にどうでもいい事だが、シオンはそのことに気付いていて、あえて無視していた。

 その後何とか落ち着きを取り戻したらしいレミリアを見て、シオンは話を締めくくった。

 「とりあえず、部外者である俺にわかるのはこれくらいだな」

 シオンのその言葉に、レミリアは今までの感情を全て吐き出すように溜息を吐いた。咲夜も少々呆れているらしく、しようがない、といった風に首を横に振っている。

 「ハァ……それでも十分過ぎるくらい理解していると思うのだけど? 私達じゃそんなすぐに理解することなんてできないのだから」

 これに関しては事実だ。幻想郷には頭のいい天才や秀才が多いが、それでもここまで突出している存在はほんの一握りだけしかいない。

 そんなことを考えながらレミリアは聞いた。

 「それで、どうするの? このゲーム、受ける? 受けない?」

 早く答えが聞きたいのか、テーブルに肘を乗せて身を乗り出すレミリアに、今度はシオンは溜息を吐いた。そして腕を組んでしばらく考えてから、右手の人差し指を立てた。

 「ゲームって言い方が気に入らないんだが……まあ、いい。一つ条件がある」

 「……どんな条件?」

 「俺が勝ったら、何でも一つだけどんなことでも聞いてもらう。こっちが賭けているのは命なんだから、これぐらいは当然だろ? 勿論、レミリアたちができることしか言うつもりは無いから、そこは安心してくれ」

 「…………………………」

 その言葉にレミリアは悩んでしまう。だが、それも仕方ないだろう。なにせ、どんなことをされるのかわからないからだ。その内容によっては、死ぬよりも辛い目にあう可能性すらある。

 (これがただの人間なら悩まないで済むのだけど。どうせフランに殺されてしまうのだから。けれど……)

 シオンなら、できるかもしれない。奇しくも咲夜と同じことをレミリアは思っていた。だが、この条件では頷くことができない。

 (もしもこの件で嫌な思いをするのが私だけならそれは仕方がないと諦められる。自業自得なのだから。けれど、もしもシオンが咲夜達に何かをして、それで取り返しのつかないことになったら、私は……!)

 そんな風に思いつめるレミリアに、シオンはどこか優しい声で言った。

 「……何を懸念しているのかはわかる。だから、願い事の内容は言えないけど、制限を付け加えるのと、その内容による影響で起こる可能性。そしてその影響による俺の対応は言っておくよ」

 「え……」

 その言葉に顔をあげるレミリア。シオンは、レミリアが何故悩んでいるのかがわかっていた。

 (自分よりもまず家族や従者のことを考える……か。紅魔館の主としては感情を表に出し過ぎているし、俺個人の感想としては半人前。主としては失格だ。だけど、俺にとってはそんなのはどうでもいい。大事なのは、好感が持てるかどうかだからな)

 呆けているその顔の前に、シオンは右手を開いた状態で見せた。

 「まず、紅魔館にいる者達に害を及ぼすようなことは言わない。例えば、死ね、あるいは奴隷になれ、とか、そういうこと」

 そこで親指を閉じる

 「二つ目。この願い事で恐らく紅魔館にいる貴女達にある程度の影響が出る。まあそこまで酷くはならないと思うけど」

 人差し指を閉じる。

 「三つ目。その影響は紅魔館の外にも及ぶ可能性があるが、時と場合による。だけどこの点に関しては、実際になってみないとわからない。俺はこの世界の事情なんて全然知らないから、全く予測できないしね」

 中指を閉じる。

 「四つ目。俺の出した条件のせいで紅魔館に悪影響が出た場合、その時は俺を巻き込んで構わない。そしてその場合、俺は余程のことが無い限りは拒否することは出来ない」

 薬指を閉じる。これで残りは一つになった。

 「そして最後。もしも俺が先の四つの条件に反した場合は――」

 最後の小指を閉じながら、レミリアの目を見て言う。

 「――俺を殺しても構わない」

 『な……!?』

 シオンの言葉が予想外だったのか目を見開き体を強張らせるレミリアと咲夜。それとは対照的にシオンは全て言い切ったとばかりに姿勢を崩しリラックスしている。まるで、自分が死ぬことに興味が無いかのように。そんなシオンの態度を見て、レミリアは怒鳴った。

 「貴方、それ正気――」

 「シオン! そんなことを言う必要はありません!」

 「ちょ、咲夜!?」

 怒鳴ろうとして言った言葉をそれ以上の大きさで怒鳴る咲夜に驚くレミリア。不意を突かれたのと先程までの冷静さから一変した咲夜に驚いたシオンの二人を無視して、咲夜はシオンに詰め寄る。冷静さを完全に失っていたのか、敬語が全て抜けていた。

 「いい! そもそもシオンはこのゲームを受ける理由は無いのよ!?」

 「いや、そもそも咲夜はこの為に俺を連れて来たんじゃないのか……?」

 冷静に反論するシオンに、咲夜は言葉に詰まる。自分がここに連れてきたことを思い出したのだ。レミリアは二人の様子を眺めながら、懐かしいと思っていた。

 (今は、もうあんな風に話す機会なんて無いから、懐かしいわね……)

 レミリアが懐かしがっていると、咲夜が俯きながら言葉を発した。

 「なら……せめて、そんな簡単に殺されてもいいなんて言わないで」

 悲しそうに言う咲夜に、何故ここまで感情的になっているのかをレミリアは理解した。

 (咲夜は『人間』の友達がいないんだったっけ……)

 レミリアのこの考えは半分正解で半分間違っていた。確かに咲夜には人間の友達がいない。咲夜は吸血鬼に仕えている。しかも、幻想郷中に名を知られているほどに有名な吸血鬼が住んでいる館のメイドをやっている咲夜は、レミリアの庇護下にあると言っていい。

 つまり、咲夜自身が妖怪であろうとなかろうと、力の無い存在にとっては恐怖の対象となってしまうのだ。

 何か嫌な事をして、主に報告されたら? その主が自分たちを殺しに来るのでは? 大体そんな考えを持ってしまう。咲夜にわざと嫌がらせをしたとして、例え咲夜がそれを笑って許しても、陰でレミリアに報告するような、そんな器の小さい人じゃないというのを信じ切るのは不可能だった。

 しかし、シオンは咲夜どころかレミリアすら怖いと思っていない。それ以前に、本当に人間かどうかを疑いたくなってくるような感性の持ち主だった。

 が、咲夜が心配しているのはそこではなかった。咲夜は、シオンをこの部屋に連れて来る時に感じた、今にもどこかに消えて無くってしまいそうな儚い少年の姿に、あの時の危うさが現実になるのを恐れたのだ。

 (咲夜はそんな狭量な人間ではないし、私もそんな理由で殺しに行くつもりは無いのだけれど……言ってもわかる訳ない、か。やっぱり人間というものは、一部を除いて理解しにくい生き物ね)

 だからこそ、シオンを心配するのだろう。レミリアを恐れるどころか、大笑いしたシオンなら、自身と友達になれるかもしれない、と。そこまで考えてから、レミリアは顔を赤くした。

 (まあ、笑われたのは恥ずかしいし屈辱だけど……けど、新しい友人になる可能性があるシオンにこれ以上無様な姿はさらせないわ。……とは言え、フランの狂気を何とかできればの話なんだけどね)

 ちなみに、レミリアには、私に新しい友人ができるかもしれないから、無様な姿を晒すのは嫌だ、と言う部分もあったりする。フランを助けられるかもしれない以上、いつかはそうなる可能性があるからだ。が、敢えてレミリアはその感情を無視した。それを表に出していたとしたら、まるで恥ずかしがってる子供のよう――現代風に言えばツンデレになるのだろうか?――だ。とはいっても、今更な感じが否めないのだが

 それかrレミリアが思考の海に没頭するのを止めて、二人の方を見てみると、未だに二人は――と言うよりも、咲夜が色々と言っていた。

 「――とにかく! 確かに貴方には力がありますが、人間なのです! 気を抜いて油断してしまえば、いつか、死ん……」

 途中まで威勢よく叫んでいた咲夜だが、声はどんどん小さくなり、最後は口を閉じてしまった。その理由は、今までただ黙って聞いていたシオンが、テーブルを叩いたからだ。

 咲夜とレミリアの二人は驚いてしまい、その表情のまま俯いたシオンを見た。二人に見つめられているシオンは、小さく軋んだ声で呟いた。

 「俺は、あの時からずっと、油断なんて、したことは、ない! 気を抜いた、ことだって……!」

 途轍もなく小さな声。ともすれば聞こえないほどの音量にも関わらず、何故か二人の耳に届いてきた。シオンは、今にも怒り狂いそうになるのを抑えるように、手を思いっきり握り締め、歯を噛みしめていた。

 シオンのその様子に咲夜は失言したのを悟り、焦ったような口調で更に墓穴を掘った。

 「で、ですが、先程も姿勢を崩していましたし――」

 「それは咲夜から見た話だろう。もしも本気でそう思ってるなら、さっきの攻撃で俺は消し飛んでるね」

 見つけた反論をあっさり切り捨てられ、何も言えなくなった咲夜は俯いた。そんな咲夜を見て、シオンは溜息を吐くと、冷静さを取り戻した声で言った。

 「……ごめん。だけど、俺に気を配る必要は無いよ」

 それだけを言って、ただ悲しそうに笑う。それを見た咲夜は、そんなのは無理です、と言って首を横に振った。その後無理をして笑うと、咲夜はシオンに謝罪した。

 「私も不用意な事を言いました。すみません」

 頭を下げる咲夜に、シオンも首を横に振った。

 「別にいいよ。気にしてないから」

 無理に作った笑顔を見るのが辛かったシオンは、レミリアの方を向き、少し申し訳なさそうな顔をした。

 「ごめん、待たせた。それでレミリア、返答は?」

 「……言わなくてもわかってるくせに、無理矢理言わせたいのかしら。だとしたら、貴方は結構鬼畜なのね。そこまで譲歩されたのに、嫌と言えるわけがないでしょう?」

 シオンの雰囲気が戻ったのを察したレミリアは、濁った空気を戻そうとワザと不貞腐れたような態度で返す。そのことを理解したシオンは苦笑すると、声を発さずにありがとう、と言った。

 それに対してレミリアは、やはり声を発さずに、どういたしまして、と返すと、右手を前に差し出した。それを見たシオンは小さく笑い、右手を前に出して、レミリアと握手した。

 「これで、契約は成立よ。……フランのこと、頼むわね」

 「ああ、わかった。……俺にできることは、全力でやってやるよ」

 前半は事務的に、後半はレミリアの本音を告げた言葉に、シオンは大胆不敵な笑みを浮かべながら、勢いよく頷いた。

 そして、申し訳なさそうに立っていた咲夜に、レミリアは笑いながら告げた。

 「それじゃあ、咲夜。私たちの前に立って、シオンを案内してあげなさい」

 「畏まりました。お嬢様」

 何とかいつも通り完璧な一礼をする咲夜に頷き、シオンを見る。

 「シオン、咲夜と私に着いてきなさい。これから、フランのいる地下牢に行くから」

 シオンが了解、と言うと同時に二人は立ち上がった。そして、先導する咲夜に着いて二人は部屋を出て行った。

 三人が部屋を出てからしばらく経ち、長い長い、長すぎる廊下を歩いて、三人は地下へと続く扉の前に立っていた。

 「……シオン、これから私たちは貴方を試すわ」

 「試す? 何を?」

 「それに関しては、ここを降りている途中でわかってくるはずよ。……一応、心の準備をしておいてちょうだい」

 シオンの疑問には答えずに、ただ一方的に告げるレミリアに対して訝しむが、どうにもならないと判断したらしいシオンは溜息を一つしてから了承した。

 それを見たレミリアは咲夜に一つ頷きを見せる。合図を受け取った咲夜は、目の前の扉を開けた。耳障りな音を立てながら開いたその扉の先は何も見えず、ただ暗闇だけが続いていた。

 咲夜はその闇を見ても一切の躊躇を見せずに扉を潜る。咲夜が潜るのを確認すると、次はレミリアが、最後にシオンがその扉を潜った。三人がその先に行くと、扉は勝手に閉まっていった。

 三人が扉の中に入ってからしばしの時間が経つ。そして階段を下りている途中にシオンは何かに気付き、何か匂いを嗅ぐような仕草をした。

 「おい、レミリア。この匂いって、まさかとは思うんだが……」

 「気付いたのね。そうよ、コレは――」

 「嫌だ! 死にたくない! だ、誰か、た、助け……ギャアアアァァァーーッ!!」

 シオンの確認するような問いに答えようとしたレミリアの言葉は、下から響いて来た男の声によって掻き消された。

 そのことにレミリアは不快に感じたのか、眉を寄せると苛立った口調で呟いた。

 「どの道、答えはすぐにわかるわ。このまま咲夜に着いて行きましょう」

 「わかった。……多分、俺の考えは十中八九合ってるんだろうけどな」

 このやり取りの間にも男の悲鳴は届いていた。しかし、三人はそれを一切気にせずに階段を下り続ける。レミリアは、咲夜はともかくシオンまでもが全く表情を変えないのに気付いていたが、やはり今更か、と思いながらも、ほんの少し嬉しく思っていた。

 (これなら、大丈夫かしらね。まあ、駄目だったら駄目だったで諦めるしかないのだけど……そんなことにならないでよかったわ。シオン、頼むわよ。貴方しか、フランを助けられる存在はいないと思うから)

 それからどんどん大きくなっていく叫びに、ついに耐えられなくなってきたシオンは、顔を顰めた。まあ、顔を顰めた理由はもう二つあるのだが。

 一つは異常に鋭すぎる五感をそのままにしていたことだ。

 (『制限(リミッター)』を付け忘れてた。まあ、これは耐えられるから別にいいんだけど、()()()()()()を思い出しそうになるから、こんな叫び声を出さないで欲しいんだけどな……)

 その考えを頭を振ることで無かったことにする。そして、いきなり変な行動をしたことで不思議がっているレミリアの注意を逸らすために、制限をかけるためのカモフラージュとして耳を押さえながら言った。

 「うるさいな……」

 「それに関しては同意するわ。けど、いいの? 貴方もこうなるかもしれないのよ?」

 「それはそれ、これはこれだ。必ずこうなると決まった訳でも無いしね。とりあえず始めにするのは話が通じるかどうかの確認かな。……繰り返し言うけど、やっぱうるさい」

 「多分話は通じると思うわよ? あくまで多分だけれど。まあ、今までの人たちみたいにならないことを祈ってるわ。それと、この声は多分、そろそろ……」

 レミリアがそう言うと、タイミングよく悲鳴が止み、それと同時に何かが潰れるような音が聞こえてきた。

 「ああ、やっぱりね」

 「……ピタリと止まったな。というか、グシャって何だ? まさか体を握り潰したのか?」

 自身の直感が当たったのにご満悦なレミリア。シオンは本来ならありえない音に驚いた様子だったが、余りショックを受けた様子は無かった。だが、二人ともに咲夜の言葉で顔を引き締めた。

 「お嬢様、着きました」

 「わかったわ。咲夜、扉を開けなさい。……さて、今までの反応でどうなるのかの予測は着くけれど、実際のシオンはどんな反応をするのかしらね?」

 咲夜に命じ終えたレミリアは、最後に呟きながら地下牢に入っていき、シオンもそれに続いた。レミリアの最後の呟きは、不安と期待の入り混じったような声音だった。



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事前準備

 シオンが地下室に入って感じたことは、血と肉と、それらが腐ってできる臭いだった。しかも、予想よりもかなり酷い臭いだ。息を吸うごとに肺にこびりついて離れないと錯覚するくらいに、酷い。

 「ここ、臭過ぎるぞ……確か、四九五年、だったっけ? 一体どれだけの人数をここで殺してきたんだ?」

 顔を顰めてぼやくシオンだが、レミリア自身も顔が歪みそうになるのを必死に抑えていたため、責めることはできなかった。しかし、少しの不安はあった。

 「……私たちのこと、幻滅したかしら?」

 「臭いがきつ過ぎると思っただけだ。血と肉が混ざり合って腐り、それが酷い臭いを出しているのは何度か見たけど、ここまでのは無かったからね。大雑把に計算して、二万人前後ってところか。ならこの臭いは、ずっと扉を閉じているせいかな」

 「何が……ああ、そう言う意味。そうね、大体それくらいかしら。……何か思わないの?」

 二人の言う二万人前後とは、ここで殺された人の数だ。シオンのした予想だと、吸血のために一ヶ月に三人から四人程度をこの部屋に連れて来て殺したとして、一年で大体四十人前後。それが約五百年だから、二万人前後と思ったのだ。

 「別に、たったの二万人程度だろ? 特に何も思わないよ」

 「たったのって……人間の価値観だと、大量虐殺者扱いされるのが普通じゃないかしら?」

 「そうですね。外だと十人前後でもそんな扱いを受けるのではないでしょうか」

 レミリアは今までの経験から、咲夜は八雲紫などから聞いた話を思い出しながら言った。まあ、普通ならそうなんだろうなと思いながら、シオンはしみじみと言った。

 「だったら、俺はどうなるんだろうな。屍の山を何度も築いてきた俺は。ちなみに屍の山の単位は数千から数万だ。まあ数人程度しか殺さなかった時も結構あるが」

 洒落にならない言葉に、レミリアは頬が引き攣りそうになるのを感じたが、それを必死に抑えて言った。

 「……冗談、よね?」

 「事実だが?」

 今度こそ頬を引き攣らせてしまったレミリアに、あっさりと即答する。咲夜は何とか表情を取り繕うことができていたが、若干表情が固まっていた。

 「幻想郷の外で見たことがある、と言うのは、そういう意味ですか?」

 「いや、別にそれだけじゃないよ」

 「え……シオンは外来人なの?」

 二人が話しているのを聞いていたレミリアは、初めて知った情報に、つい横やりを入れてしまった。その問いに、二人は頷いた。

 「そう言えば、言い忘れてましたね」

 「そうだな。二時間くらい前にここに落とされたってのも言ってなかったし」

 「……二時間、前ですか……」

 「適応し過ぎじゃないかしら……?」

 これには本気で呆れてしまう。今までここに来た人間や妖怪は、余程のバカか、理性の無い低級妖怪でも無い限り、大なり小なり混乱するからだ。

 そしてつい、と言った風に咲夜の口から本音が漏れる。

 「私と会った時には、既にここにいても違和感が無かったのですが……」

 「それに関しては、今まで生きていた環境がやばかったから、そのせいじゃないか?」

 「モノには限度があるわよ……」

 「気にするな。それよりもさっさと行こう。フランに会わせたいんだろう」

 気にするし、そもそもシオンが話し始めたんだと色々言いたいことがあったが、話しが更に脱線すると感じたのか、二人は黙ったまま一つの扉の前に案内した。

 「着いたわね。シオン、扉を開けて。けれど、決して中には入らないで」

 「何かあるのか?」

 「いいから。もう一度繰り返すけど、決して中には入らないで」

 「……わかった」

 何度も忠告するレミリアに、自分の身を案じているからだと察し、神妙に頷いた。そして、シオンは扉を開けた。

 「あら、今回は原型を留めているのね。たまに粉々になって形も残らない時があるから、今回はマシな方ね。……フランの機嫌がいいのかしら?」

 小さく呟いたレミリアだが、何の心の準備もできなかった人間が見れば、嘔吐どころか失禁しても可笑しくは無い。

 扉を開けたことで更に臭いがきつくなったが、そんな些細なことはどうでもいいと思える程に酷い部屋だった。

 部屋の中は人の血が飛び散っている。恐らく大量の人間を殺したせいで、部屋が真赤になって――元々紅魔館は赤色だからだから、余り関係は無いだろうが――いるのだろう。

 そして床の端には、人の骨と、人だった何かと、腐った肉の塊が散乱していた。

 それらに隠れるように、魔法によって作られた複雑な術式があった。レミリアの親友が作った、フランの能力の暴走を可能な限り封じ込め、中から外を見ることができないという効果を持った特殊な魔法。この魔法があるからこそ、フランは未だにレミリア達に気付いていないのだ。

 そんな部屋の中に、レミリアにとてもよく似ている顔立ちをした一人の少女がいた。濃い黄色の髪をサイドテールにしてまとめ、その頭の上にレミリアとは少しだけ違う色のナイトキャップをつけている。瞳の色はレミリアと同じ真紅だった。座っているせいでよくわからないが、身長はレミリアとそう変わらないだろう。若干低いくらいだろうか。服装も真紅を基調としていて、半袖とミニスカートを着ている。夏はともかくとして、冬は寒そうな印象がある。

 そして少女の背中に一対の枝のような物に七色の宝石のような結晶がぶら下がった翼があるが、それを抜いても可愛いと言い切れるだろう。全身が、血で彩られていなければの話だが。そのせいで、整っているはずの容姿が台無しになっていた。薄い黄色の髪も真紅に染まっている。

 しかし、シオンは少女の瞳にある感情だけを見ていた。その奥底にある、途轍もない渇望を。

 恐らくあの少女がフランドール・スカーレットだろう。そのフランの目の前には、かろうじて人だとわかる物体が転がっていた。形からして恐らく男性。だが、とにかく状態が酷い。

 顔はグチャグチャになっているが、先程まで絶叫していたせいだろう、大きく口が開いていた。

 二つの目は片方が潰れていて、既に無くなっている。もう片方は目の中から飛び出ていて、今にもポロリと落ちてしまいそうだ。しかし肉と血管と神経によって、ギリギリ繋がっている。だがフラフラと揺れていて、今にも何処かに転がって行きそうだ。

 体の方はもっと酷い。胴体の中央近くに大きな穴があり、上半身と下半身が千切れていないのが不思議な程だった。

 一部の骨は皮膚を突き破っており、臓器の一部は外に転がっていて、ところどころ欠けている物があった。

 殺した方法としては顔をある程度の力――フランが本気で殴っていたら、形を保っている訳が無い――で殴り、その後は弾幕か何かで胴体に穴を開けたのだろう。

 そこまで確認したレミリアは、シオンが何を言うのだろうと思い、一言も聞き漏らさないように意識を耳に集中させた。それと同時に、シオンが呟いた。

 「うん、グロイな」

 「……それだけ?」

 グロイ、と言っておきながら涼しい表情をしているシオンに、些か間の抜けた声を出してしまう。ちなみに咲夜はフランの世話をする時にこう言った死体を見ていてので、もう何も思わなくなってしまっていた。

 「まあ、これよりも酷い死体を、何度も見たことがあるしな。これくらいじゃ何も思わないよ。……何なら、今まで見て来た死体の形でも説明しようか?」

 「そう、そうなの。フフ、合格よ」

 レミリアは、その言葉につい笑ってしまった。もしもやっぱり止めると言われたり、あるいは蔑んだ目で見られると思っていたところに、この反応。つい笑ってしまった。

 シオンがフランを助けられる可能性があるとしても、シオン自身にその意思が無ければなんの意味も無い。だからこそ、シオンが何も動じていないのが嬉しくなってしまい、声が弾んでしまった。

 「それで、すぐに始める? それとも明日にする?」

 「今すぐ始める……と言いたいんだが、流石に何の対策も無しに行きたいとは思わないな」

 顎に手を置いて考える。しばらくして、何かを思いついたのか、顔を上げた。

 「レミリア、あの死体にフランの能力を使わせてくれないか?」

 「別にいいけれど、何故?」

 「ちょっとね。上手くいくかはわからないけど、試しておきたい」

 「わかったわ。咲夜」

 「はい、お嬢様。コレを」

 左手を差し出すレミリアの手の中に、紙と万年筆を置く。そして、その紙に何かを書いた。

 「何を書いたんだ?」

 「え? ああ、あの死体を消滅させて欲しいから、能力を使って消して、と書いたのよ」

 シオンの質問に答えると同時に、折った紙を投げる。その紙は、フランが座り込んでいる場所のすぐ傍に落ちた。

 「……?」

 首を傾げながら手紙を読んでいる。いきなり手紙が来た事も、能力を使って欲しい理由も書いていないのに、気にしていないようだった。全て読み終えると顔を上げ、右手を前に出す。そして、何かを握りつぶす動作をした。その瞬間、目の前の死体が『破壊』され、消滅した。

 「一瞬、か……確かにコレは強力過ぎる。と言うか、下手に近づこうとすれば、それで終わりなんじゃ……」

 あまりにも予想外過ぎたのか、頬を引き攣らせてしまう。シオンがそんな顔をするのを意外に思いながら、レミリアは聞いた。

 「それで、これからどうするの?」

 「ちょっと待ってくれ。今から()()()()()

 『は?』

 作り変える、と言う言葉が理解できなかったらしい――普通は理解できる方がどうかしているのだが――二人を無視して目を閉じ、集中する。

 シオンに説明する気が無いと悟ったのか、二人はその行動を邪魔しなかった。そんな二人にありがたいと思いつつも、フランが能力を使った時の様子を思い出す。自身の能力の補正を使って、それを理解しようとする。

 何度も何度もその場面を繰り返すが、やはり能力は発動しなかった。

 「やっぱり、あの程度じゃ足りない、か……」

 「何が足りないのかしら?」

 シオンの能力が何なのかを聞くいい機会だと感じたのか、レミリアは聞いた。そう簡単には言わないだろうと思ってはいたが、ヒントくらいは得られるかもとは思っていた。が、その考えはあっさり消える。

 「俺の能力は、幻想郷風に例えれば、『あらゆる体に作り変える程度の能力』だよ」

 「体を……作り変える?」

 「ああ」

 余りにあっさり言われたことに驚いているレミリアを見るが、シオンは能力を言ったことを後悔していなかった。

 (さっき言ったのは嘘ではないけど、本当のことを言った訳でも無いしな)

 とりあえず、言っても問題無い範囲で説明をした。

 「俺の能力は、その存在の構成物質をある程度理解すれば、その体になれる。見た目を鉄にしたり、外見をレミリアそっくりにしたりできるってわけ。まあ、その『ある程度』が洒落になってないんだけどね」

 「それって、何かいいことでもあるの?」

 レミリアの疑問も当然だろう。今の説明だけでは、ただ外見だけを変えられるだけとしか思えない。しかし、それは間違いだ。

 「作り変えられるのは外見だけじゃない。その物質の特徴とでも呼べる部分は効果が出る。鉄になれば硬くなるし、レミリアの外見になれば犬歯が生える。……ここまではいいか?」

 シオンの問いに頷く。それを見て続きを話した。

 「少し話が変わるけど、毒や病気に薬があるように、炎に水を使うように、この世界の物には、何かをぶつければ、限度はあるけどそれを消すことができる。つまり――」

 そこまで言われて、レミリアは理解した。

 「――フランの能力を、何らかの対抗策を使って無効化、あるいは軽減する」

 「――そう言うこと。この能力は簡単に言えば、中身の無いハリボテだ。けど、外見が『絶対に壊れない』概念を持っていれば、ほぼ無敵になれたりする。……まあ、そんな物、あるはずがないんだけどな」

 シオンは、自分で言ったことの馬鹿さ加減に笑ってしまった。何せ、そんな物があったとしても、余り意味が無いからだ。

 (外が無敵でも、中身にダメージが通らない訳じゃないんだよね。さっき言った通り、ただのハリボテに過ぎない。どの道、()()()能力を使わないとフランの能力と対抗するなんて不可能に近いと思うから、結局は時間稼ぎが重要になるな)

 「とにかく、その対抗策を考えるためには、フランの能力を理解する必要があるんだけど……今までとは違いがありすぎて、参考にならない。そもそも、妖怪の構成物質なんて見たのは初めてだから当たり前なんだが、能力の補正があっても殆ど理解できなかった。髪とか血液とか、何でもいいからサンプルになる物があればいいんだが……」

 そこで言葉を止め、苦々しい表情をする。シオンが言わなかった続きを、代わりにレミリアが言った。

 「不用意に近付けば、最悪死ぬ。とは言え、近づかなければ何もできない」

 更に苦々しい表情をするシオンは溜息を吐くと、レミリアに右手を向けた。

 「ハァ……仕方がない。レミリア、髪と血を少しくれないか?」

 「何故……ああ、そう言う事ね。いいわよ、今回は事情が事情だから、特別に許してあげるわ。ただし、悪用したら許さないわよ?」

 「わかってる」

 「それならいいわ。咲夜、ナイフを」

 「畏まりました」

 ナイフを借りたレミリアは、まず一本だけ髪を抜き取って、それをシオンに渡す。それを受け取ったシオンは、髪の毛を異常な集中力で見始めた。

 その光景を見てあることが気になったレミリアは、咲夜の耳に口を寄せ、ある命令をした。咲夜は嫌々と首を横に振るが、主の命令に逆らうことはできず、結局はやらされることとなった。

 そして、途轍もなく嫌そうな顔をしながら、咲夜は新たに一本ナイフを取り出すと、それをシオンの首に当たる寸前で止める。しかし、シオンはそれに全く気付かずに、ただ髪の毛を見続けていた。

 「やっぱり……」

 「お嬢様、こんな心臓が悪くなるようなことをさせないで下さい!」

 何かに得心が言ったように頷くレミリアに、小声で抗議する。が、レミリアは軽く謝るだけだった。

 「ごめんなさい。どうしても気になることがあったから、確かめたかったの」

 レミリアが咲夜に命令した内容は単純だ。普通に、シオンが反応するかどうか確かめたいから、ナイフを押し当てて、と言ったのだ。リスクの高い賭けだったが、レミリアはそれに勝った。

 「咲夜、何故私がこんなバカな真似をしでかしたのかわかるかしら?」

 「……いいえ、わかりません」

 どことなく拗ねている感じのする咲夜の反応につい笑ってしまいそうになるが、それをすると本格的に拗ねかねないので自重した。

 「少しだけ気になったのよ。私の能力に代償があるように、シオンにも代償か何かがあるんじゃないかって。結果は正解ね。シオンの場合は、代償と言うよりも制限。構成物質って言うのが何なのかはイマイチわからないけれど、彼が周りの物に反応できないのだから、かなり辛い制限だと思うわ」

 「それは、どういう……?」

 「あら、気付いてなかったの? シオンは、常に全方向に注意を向けている。つまり、何かが起きても絶対に反応ができるようにしているってこと。実際に、咲夜に攻撃が行きかねたあの瞬間、シオンは後ろに咲夜がいると気付いていたからこそ反応できた。後ろに目が付いていなければ、あんな動きは不可能よ」

 「それでは、つまり……私はバカだった、ということですね。シオンは油断なんて一切していなかった。無用の心配でしたね……」

 咲夜は自らの言動を悔いているのか、項垂れていた。しかし、それは間違いだ。

 「一概にそうとも言えないわよ? 確かにあの時シオンは怒った。けれど、それが理由で心配しなくてもいいって言うのは間違っているわ。もし心配しないように思えるとしたら、余程信頼しているのか、あるいはその相手がどうでもいいかのどちらかなのだから」

 貴女は、どちらなの? そう言って咲夜を見るレミリアに、咲夜は大きく頷いた。

 「私は、例え無駄な気遣いだとしても、シオンを心配しようと思います」

 「そう……それで咲夜が後悔しないのだったら、そうしなさい」

 「はい。……お嬢様、ありがとうございます。それと、わざわざお手間をかけさせてしまって、すみませんでした」

 「別に構わないわ。可愛い従者のためだもの。……それに、シオンを心配するのは正しい選択だと思うのよ」

 「それは、何故でしょうか?」

 「……彼は強い。けれど、シオンはあくまで人間よ。今の状態で狙われれば即死しかねない。さっきも、もし咲夜がそのままナイフで貫けば、それで終わりだった。それが、心配」

 「……レミリア、お前は咲夜を殺す気なのか?」

 突如横から聞こえてきた声に、二人は身を竦ませた。恐る恐るシオンがいる方を見てみると、呆れているような、あるいはバカを見るような目で二人を見ていた。

 「えっと……咲夜を殺す気って、どういうこと?」

 「少し考えればわかるだろ? いいか、他の何にも注意が行かないって言うのは、言い換えれば自分の力を抑えている部分も注意を向けられないってことだ。つまり、普段は抑えてる力を抑えられない。さっき試したことは、下手をすれば咲夜の命を問答無用で奪いかねなかったんだぞ?」

 事実、そうなのだ。シオンは普段は普通の人間並みに力を落としてはいるが、本来ならあっさりと岩を砕けるくらいの筋力はある。そんな力で咲夜を殴れば、体が壊れて死ぬだろう。

 二人はそれを知らないが、レミリアの弾幕を受け止めたシオンであればできると言うのは悟ったのか、顔が強張っていた。

 「次からは、勝手な真似をしない方がいいよ」

 溜息をしながら忠告すると、レミリアは自らのバカな行動に反省し、咲夜は死にそうになったと言う事実に顔を青くしながらコクコクと頷いた。

 「理解できたんなら、それでいい。レミリア、髪の毛はもう理解したから、血をくれ」

 「わかったわ」

 そう言って咲夜から借りたナイフを左手の一刺し指に押し当て、そのまま切る。そこから零れてきた血を数滴をシオンの右手に落とした。

 「ありがとう」

 「別に構わないわ。髪の毛はまた生えてくるし、そもそも一本程度ならそこまで関係ないのだから。傷なら……ほら、塞がった」

 レミリアの左手を見ると、その言葉通りもう傷口は治っていた。自然回復と言うよりも、ほぼ近い。それを確認したシオンは、レミリアの血を見る。しばらくすると何を思ったのか、いきなり()()()()()。そして口に含んだ後に、そのまま飲み込んでしまった。

 それを見ていたレミリアは一瞬固まると、裏返った声で叫んだ。

 「シオン、何をしているの!? 速く吐き出しなさい! 人間が吸血鬼の血を飲んだらどうなるのか、わかっているの!?」

 「それに関しては心配いらないよ」

 「私の血を飲んで、平気なはずないでしょう!!」

 のほほんとしているシオンを怒鳴りつけるが、全く動じていない。レミリアは再度怒鳴ろうとしたが、シオンに何の変化も起こっていないのに気が付いた。

 「何で、何も起こらないの……?」

 「俺って、毒とか薬とか、そう言った類の物が一切効かないんだよね」

 能力の説明の時のようにあっさり言うシオンに、レミリアは思考が追い付かなくなりそうになった。そして、一つのことを思ってしまう。それは、

 「シオンって、本当に人間なの? 妖怪じゃなくて?」

 と言うものだった。言外に化け物呼ばわりされたことに、シオンは溜息を吐いた。

 「……そう思うのも無理ないけど、一応人間だよ。自分でも、人間の枠内から思いっきり外れているのはわかっている。化け物、人外、そう言われるのが当然のような生活だったし、戦場とかだと『死神』って呼ばれていたからね。まあ、これに関しては、俺の服装と使っていた武器のせいだから、自業自得なんだけど……」

 シオンの表情は変わっていない。けれど、それは単に表情を動かしていないだけで、とても傷ついているのが咲夜にはわかった。それがわかってしまった咲夜は、シオンを傷つけたレミリア――自らの主に対して、睨みつけると言う暴挙をしてしまった。何故こうしたのか理解しないままに。自分がしたことを後悔しても、既に手遅れだった。

 しかし、咲夜の視線を感じたレミリアは、少し顔を俯かせるだけで、咲夜を叱らなかった。それどころか、誇り高い吸血鬼らしからぬ行動を取った。

「……ごめんなさい」

 咲夜の視線で、自分が何を思ったのか理解したレミリアは、流石に悪いと思ったのか、珍しく頭を下げて素直に謝る。レミリアが素直に謝罪するとは思わなかった咲夜は、別の生き物を見るような目で見てしまった。

 (まさか、お嬢様が頭を下げるなんて……)

 本当に従者なのか、と疑いたくなるような考えをしている咲夜に気付かないレミリアに対し、シオンは別にいい、と言った。

 レミリアがこうも素直に謝ったのは、フランの事を思い出したからだ。フランも、その力のせいで化け物だと呼ばれた。その時の妹の表情を、レミリアは忘れていない。忘れられない。

 ゆっくりと頭を上げたレミリアに、今現在の能力が発動できるかどうかを言った。

 「とりあえず、吸血鬼の構成物質は大体わかった。けど、これはあくまでも『フランとよく似ている』だけだから、直接見ないといけないことには変わりない。参考になる物があると無いじゃ全然違うから、やった事が無意味という訳ではないけど」

 「それもそうね。けど、一ついい? 髪の毛と血だけで構成物質の全部がわかるものなの?」

 レミリアのもっともな指摘に、シオンは頭を掻いた。

 「流石に大丈夫、とまでは言い切れないね。確かにその人物の肌とか臓器とかを見た方がいいんだけど……まあ、矛盾してるけど、大丈夫」

 (言える訳が無いな……実は初めて会った時から、ここに来るまでに、バレないように注意して観察してたなんて……)

 この方法は無駄に神経を使う。もし勘のいい相手をジロジロと眺めていたら、すぐにバレるからだ。

 そのため、相手には悟られないように、且つ相手の細胞を把握できる最低量だけ集中しなければいけない。

 この技術を覚えるのにシオンでさえ時間がかかったのだから、その難易度は察せるだろう。しかも、使っている間は無駄に神経が削られていく。その疲労度は無視できないほどだ。長い時間観察できること。そしてある程度の距離が離れていても平気なシオンの視力の良さと、観察眼の高さが無ければ、実現できなかった程なのだから。

 (バレたらどうなるか……。これに関しては、言わなくてもいいか。と言うより、言いたくないだけだが)

 そこで思考を止める。変な事を言った自分に疑惑の目を向け始めているレミリアに、嘘ではない範囲で言い訳した。

 「まあ髪の毛で外を、血で内側をほぼ完璧に把握できた。そこから今まで知った構成物質と照らし合わせてみて、総当たりで確認したからな。だから、大丈夫なんだよ」

 嘘でない。嘘ではないが、真実でも無い。けれどレミリアは一応納得できたのか、小さく頷くだけだった。

 「そう……。一応理解できたわ。わざわざ説明させてごめんなさいね」

 「別に気にする必要は無い。妹を助けたいんだろ? ならそれは当然だ」

 その言葉にレミリアは苦笑する。良い人間なのか、ふざけた人間なのか、それがわからなくなってきたからだ。

 「それで、そろそろ行くの?」

 「ああ。もう前準備で必要な物は無いからね」

 そう言って扉の前に行こうとするシオンに、咲夜は言い忘れていたことを聞いた。

 「シオン、念のために武器を持っていかなくてもいいのですか?」

 「え? ……ああ、いらないよ。そもそも話しをしに行くのに、なんで武器を持っていくんだ。戦いに行くわけでもあるまいし」

 「ですが……!」

 「くどい。どの道武器ごと『破壊』されれば終わりなんだ。だったら持っていかない方がいい。剣を持ってる相手と持っていない相手なら、持ってない方を信用するだろう? それと同じだ。リスクの方が大きすぎる」

 それでも食い下がろうとする咲夜に、レミリアは頭を振って止める。

 「お嬢様、何故止めるのですか!?」

 「言っても無駄だってことは、既に理解しているでしょう? だから止めたのよ」

 「そ、れは……」

 図星だった。咲夜とて、シオンに何を言っても無駄なのは理解していた。それでも言わずにはいられなかったのだ。そんな従者の心情を理解できるレミリアは、どうしようか悩んでしまった。

 (心配するかしないかを決めさせたのは私だけど……ここまでとはね)

 レミリアはあの時のシオンの姿を知らなかったからこう思えるのだろう。

 そもそも、レミリアはこの時点で――いや、最初にこの話を持ちかけた時に、気付くべきだったのだ。死ぬのを恐れている人間が、こんなゲームを受けるはずがないことに。

 しかし、この時点ではレミリアはそれに気付くことはできなかったため、内心で頭を抱えることになった。

 「とにかく、何を言っても無駄よ。それ以前に、シオンの言葉が正しいのだから。諦めなさい」

 諭すように言うレミリアに、咲夜は何も言えない。そんな時に、シオンの声が届いた。

 「別に平気だよ。武器を持って行くつもりは無いけど、対抗手段が無い訳じゃないし」

 「え……? ですが、他に何が……」

 シオンを頭から爪先まで見るが、殆ど何も持っていない。それ以前に、あんな恰好では暗器すら隠し持つのは厳しいだろう。能力も使ったところで無意味に近い。

 しかし、シオンは咲夜たちにも言っていない武器があった。

 「さて、行かせてもらうかな。……鬼が出るか蛇が出るか。とりあえず、即死だけは勘弁して欲しいところだね」

 少しだけ冷や汗を流すシオンに、咲夜は申し訳なさそうに言った。

 「……力になれず、申し訳ありません。お気をつけて」

 「頼んだ私が言うのもおかしいけれど……死なないで」

 二人の気遣いに頷き、濃密な死の気配が漂う部屋の中へと歩いていく。そして、部屋の中に入る寸前で一瞬だけ止まる。

 (俺は、まだ死ねない。アイツを、奴を殺すまでは!)

 それを胸に誓って、シオンは部屋の中へと進んだ。それと同時に、勝手に扉が音を立てて閉まった。

 

 

 

 

 

 「♪……♪♪……♪♪♪……♪♪……♪♪」

 真っ暗な部屋の中で形がある物は、少女と人だった何かだけ。そんな場所で、フランは歌を口ずさむ。遠い遠い昔に教わった歌を。

 「♪♪♪……♪……♪…………♪♪」

 そして、少女――フランは歌うのを止める。フランと同じか年下の男の子が部屋に入って来たからだ。

 「ねぇ、私と遊ばない?」

 その言葉に、男の子は固まってしまった。



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狂気の発露

 いきなり固まってしまった男の子に訝しみながら、フランは思った。

 (どうしたんだろう? 何か変なことをしたのかな?)

 しかし、今までの反応とは全く違った。先程来た男はただ泣きながら叫ぶだけで、フランの話を一切聞いてくれなかった。余りにもうるさくてつい殺してしまったフランは、これまでのことを思い出した。今までこの部屋に来た人間は、いつも喚くか、こちらの言うことを無視して何も答えなかったから殺してしまった。

 (この人も、そうなるのかな? 私は、一緒に遊びたいと思ってるだけなのに)

 けれど、今回は違うような気がした。何となく、今までの人間と目の色が違う。今までは、光の灯っていない、死んだような目の色だったが、この男の子は、何かを秘めた目をしていた。

 だから、無意識にもう一度聞いてしまった。

 「私と一緒に、遊んでくれない?」

 そこで、何故か驚いていた男の子は動き出した。

 「あ、ああ、遊ぶのはいいよ。でもその前に自己紹介をしようか」

 「うん、それもそうだね。私はフランドール・スカーレット! フランって呼んで!」

 「わかった。俺の名前はシオンだ。よろしく」

 嬉しそうに言うフランに、シオンは些か拍子抜けしていた。目の前の少女は狂っているように見えないからだ。どういうことか気になったが、今はどうでもよかった。それよりも先にしなければやらないことがあった。

 男の子――シオンと遊べることについはしゃぎそうになるフランだが、男の子が周りを見ているのに気づいて、首を傾げた。

 「どうしたの?」

 「ああ、うん。一緒に遊ぶ前に一つ――いや、二つしたいことがあるんだ」

 「何をするの?」

 「まず、フランの体に付いてる血を拭う。そうしないと俺にも血が付くからな」

 そう言って辺りを見回すが、フランの体を拭けそうな物は無い。と言うよりも、こんな部屋にあるにある方がおかしいのだが。そうやってシオンが悩んでいると、フランが話しかけて来た。

 「ねえ、シオン。私の体が綺麗になればいいの?」

 「え、ああ、そうだが。何か方法があるのか?」

 「うん!こうやればいいんだよ」

 フランが自分の服に視線を向けると、何かを握り潰すような仕草をした。その瞬間に、フランに付着していた血糊が全て綺麗に消え去った。余りにあっさりと消えたのに驚くシオンだが、フランはニコニコと笑っていただけだった。

 「ね! うまくいったでしょ!」

 「あ、ああ。そうだな」

 余りに理不尽過ぎる能力に、シオンは頬が引き攣りそうになった。しかし、すぐにそれは収まった。ある事実を思い出したのだ。

 (フランがこの能力を持っている代償は、ひどすぎる)

 四百九十五年と言う、長過ぎる年月をここで生きる。それがどれだけ辛いことなのかは計り知れない。

 けれどそのことは、今は関係が無い。とりあえず、シオンは今やらなければいけないのをすることにした。

 「もう一つしなければならないものは、この部屋をきれいに掃除したい。……正直言ってこの部屋、臭過ぎるぞ」

 「……それもそうだね」

 五百年近くこの部屋に閉じ込められているフランであっても、この臭いは好きじゃ――そもそも好きと言える人がいるのか気になるが――なかった。最初の頃は余りの臭さに泣いてしまったこともあったフランは、今入って来たばかりなのに平然としているシオンは凄いと思ってしまう。

 「けど、どうするの? この残骸を片付けるのは、かなり面倒だと思うよ?」

 「そうなんだけど……一応考えはあるから、とりあえずこっちに来て」

 「うん!」

 そう言って立ち上がると、フランは笑みを浮かべながらこちらへ向かって走り出した。

 (第一関門は突破か……それにしても、中から外が見えない理由が気になる。一体どうなってるんだ?)

 ここまで何とか冷静に対処していたシオンだが、顔が歪みそうになるのを必死に抑えていた。それほどに混乱していたのだ。

 (まさか、いきなり遊ぼうとか言われるとは思わなかったけど。……いやそれ以前にこの臭いは何なんだ?部屋に入った瞬間に、いきなり臭いが何倍にも増えたぞ?)

 最初にシオンの反応が無かったのは、この二つが理由だった。部屋に入った瞬間に、いきなり臭いが数倍になったかのように感じた。その上、殺されるかもしれないと思ったところにかけられた軽い言葉。この二つで固まってしまったのだ。

 (ここが戦場なら死んでいたな。……死神(バケモノ)としてただ我武者羅に戦っていた方が楽だと思ってしまうってことは、俺も大分狂ってるな)

 シオンは人の体の動きを予測できる程に、観察眼が優れている。けれど、人の顔を見て、その人物の考えを読むというものだけは苦手としていた。その理由は、人と接していられた時間が極端に少ないからだ。何せ、もう殆ど覚えていない三歳の時と、七歳から八歳にまでの、大体一年程度くらいしか、まともに人と話したことは無いと言えるくらいなのだから。

 他にも無い訳では無いが、人の負の感情渦巻く戦場と、もう思い出したくもないあの場所くらいだ。そのせいでシオンは、人の負の感情はすぐにわかるが、それ以外の感情はわからなくなってしまっている。そして、とある人が死んだことによって、人から向けられる好意の感情もわからなくなってしまった。正確に言えば、恐れるようになった。

 けれど今回は、それ以前の問題だ。

 (フランが殺意を持っていないのに、それに気付かないなんてな)

 そんな自分に呆れていると、フランが話しかけてきた。

 「ねぇ、結局これ、どうやって片付けるの?」

 「へ?……ああ、こうするだけだ」

 思考に耽っていたところに話しかけられたせいで、素っ頓狂な声を出してしまう。ほんの少し恥ずかしさを覚えたシオンは、少しぶっきらぼうに言った。

 そして、首に掛けていた剣の形をしたアクセサリーを取ると、その大きさを変えて、一メートルの長剣に変えた。

 その剣を見たフランは、それに魅入られるように小さく声を出した。

 「綺麗……その剣の銘は、何て言うの?」

 「この剣の名前は黒陽。光すら飲み込む黒の太陽……そう言う意味、らしい」

 「らしい? その剣の銘って、シオンがつけたんじゃないの?」

 「いや、この剣は借り物――と言うより、一方的に押し付けられただけだ。俺の物じゃないよ」

 苦笑しながら――どことなく顔が引き攣っているようにも見えるが――首を横に振る。

 (この剣のせいで何回死にかけたことやら……それに、こんな物騒なもの、貰いたいとは思えないな。この剣のお蔭で助かった時もあったけど、それはそれだな)

 シオンが持つ剣は、人間が作った物ではない。とは言え、誰が作ったのかはシオン自身知らないのだが、ある程度の予想はしていた。

 けれど、この剣をただ無作為に使い続ければ、国の一つや二つ簡単に滅ぼせるくらいの力を宿っている。その分洒落にならないくらいに高いリスクがあるが、その点を除けば、使える武器だ。だからこそ、あんな試練があったのだろう。

 アレは、常人なら廃人コース確定の拷問のような――と言うより、拷問よりも遥かに惨いのだが――地獄だった。正直、シオンでももう一度やれと言われたら即効で拒否するだろう。

 嫌な記憶を思い出してしまったシオンはそれを無理矢理頭の奥底に封じ込めると、呟いた。

 「能力解放」

 言い終えると同時に、剣から濃密な闇が表れる。それを確認したシオンは剣を前に突き出した。

 「フラン、ちょっと危ないから、俺の背中に捕まっててくれ」

 「う、うん……わかった」

 頷いたフランはシオンの背中に回ると、そのまま抱きついた。そして、フランは無意識に呟いた。

 「あったかい……」

 「――!」

 「ど、どうしたの?」

 一瞬体を震わせてしまったシオンに、フランは驚いてしまう。けれど、シオンはただ首を横に振るだけだった。

 「……何でもない。とりあえず、始めるぞ。――重力球設置」

 突き出した剣から闇が溢れ出す。そこから丸い、全てを飲み込んでしまいそうな、黒色しか存在しない塊が現れた。シオンはそれを、部屋の中央よりやや奥に設置する。

 シオンたちのいる場所は扉を背にしていて、重力球は部屋のやや奥にある。こうした理由は、そうしなければシオンたちすら巻き込まれないからだ。制御を誤れば、恐らく死ぬ可能性すらある。

 しかし、シオンはそうなる可能性をフランには言わなかった。無駄に怖がらせる必要は無いからだ。

 とにもかくにもそれを設置し終えると、フランはシオンの背中から顔を出し、そして部屋の奥にある黒い塊について聞いてきた。

 「シオン、アレ、何なの?」

 「気にしないでいい。俺が合図したら、しっかり捕まって」

 シオンはその質問をはぐらかして、一方的に要件を告げる。

 「う、うん!」

 その雰囲気に呑まれたフランは急いで頷くと、再度シオンの背中に抱きついた。

 (フランがいなければ、こんな手順を踏まなくてもいいんだけど……仕方ない、か)

 この重力球を設置している今も、シオンはそれなりの集中力を使わされている。これから更に集中力を必要とする作業があるのに、とぼやかずにはいられなかった。

 「行くぞ。解放、方向変化、収束!」

 合図でフランが捕まり、解放で重力球の大きさが増加する。それと同時に、部屋にあった骨や肉の塊が、少しずつ動き始めていた。そして、方向変化でガタガタと――あるいはズルズルと――動いていた物が、重力球の元へと動き出した。最後に収束と告げると、いきなり吸い込む勢いが増した。

 それから数十秒にも満たない時間で、部屋の中に在ったすべての物――勿論、シオンとフランの二人は除いて――が重力球の中に消えると、ゴキ、バキ、と何かが潰れる嫌な音が響いた。そんな中で、シオンの口から声が漏れた。

 「グ……ゥ……ッ!」

 まるで何かに耐えるように歯を噛みしめ、顔をほんの少しだけ歪ませる。そのままほんの少しの時間が経ってから、シオンは右手に持っていた剣を下ろし、重力球を消した。

 重力球が消えた後には、もう何も残っていなかった。

 「ほぇ~……凄い……」

 「……………………………」

 綺麗になった部屋――壁にこびり付いた血はそのままだが――に、フランの口から感嘆の息を漏れた。しかしシオンはそれに一切反応を返さず、その場に座り込んだ。

 フランはそれを見て、焦った口調で聞く。

 「ど、どうしたの?」

 「……ちょっと、待って……」

 自分を心配してくれているフランに、無理矢理絞り出した言葉を返す。フランは、その言葉通りに待った。そのまま座り込んだ姿勢で休み続けて、何とか体力を回復させたシオンは立ち上がった後に、黒陽を元のアクセサリーの形に戻した。

 「少し、マシになったか……」

 「シオン、大丈夫なの?」

 「え? あ、ああ。大丈夫だ」

 「……本当に?」

 何度も心配そうに聞いてくることに、シオンは疑問を覚える。レミリアの話と違い過ぎる、と。

 (狂っているんじゃないのか? どうしてこんなに悲しそうな顔を……)

 考え事に集中しているせいで黙り込んだシオンに、フランは三度聞いてきた。

 「やっぱり、どこか辛いんじゃ……」

 「いや、ちょっと考えてただけだ。だから、そんな顔をするな」

 最早泣き出す寸前のフランの頭に手を置いて撫でる。現状ではシオンの方が背が低いため、年下に撫でられる年上と言う変な構図になっていた。

 (今のフランの泣き顔って、その手のロリコンが見たら鼻血もんじゃ……って、何を考えているんだ、俺は!?)

 いつもなら思わないような、アホそのもののような考えを頭に浮かべてしまったシオンは、頭を振って気持ちを切り替える。頭をなでられているフランは、くすぐったそうに身を捩らせながら、恥ずかしがっていた。

 そろそろ止めようかと思ったが、再度無意識に呟かれた言葉を聞いて、その想いは消えた。

 「やっぱり、頭を撫でられるのは気持ちいいね。前にお母様に撫でてもらったのって、いつくらい前なんだろう。もう、思い出せないや……」

 それは、寂しさの滲んだ声だった。とてもよく聞き覚えのある声。だからシオンは、らしくない言葉を言ってしまった。

 「なら、もう少し続けるか?」

 「うん!」

 嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑うフランに、シオンはつい考えてしまった。

 (本当に狂っているのか? と思ってしまうくらいに純粋だな。だけど……)

 顔には出さず、内心で怒りを表す.自分とよく似た境遇だからこそ、わかってしまう。

 (四百九十五年もこんな何も無い真暗な空間にいて、まともでいられるはずがない)

 そう、こんな風に笑っていられる方がおかしいのだ。絶対に、どこかが壊れているはずなのだ。

 せめてフランの細胞の解析が終わるまでは、その地雷を踏まないように決意した。

 そしてシオンはフランの頭を撫でるのを止めた。

 「とりあえず、これで終わりだ」

 「えぇ、もっとやってよ!」

 ごねるフランに、シオンはやれやれと頭を振りながら言った。

 「遊ぶんだろ? なら、どっちにしろ終わりだ」

 「ぶ~~!」

 頬を膨らませて怒るフランを何とかなだめる。そしてシオンは、どこからか取り出した五十三枚の紙の束を出す。

 「これ、何?」

 「トランプって言う遊びだよ。ルールは――」

 目を輝かせるフランに苦笑しながら、トランプのルールを教えた。ルールを聞き終えてからからはしゃぎ始めたフランを相手にするのは、かなり骨が折れた。

 「ねぇ、次はこのルールで――」

 「む~! シオン! もう一回――」

 「やった、勝った――」

 「ここで、ここでジョーカーが来なければ――」

 かなりの負けず嫌いだったフランを相手にするのは、別の意味で大変だった。何せ、わかりやすいのだ。特にババ抜きなどでそれは致命的過ぎる。

 シオンは相手の顔の動きで大体の感情が読める。迷ってるフリでカードを選べば、フランの微かな表情の変化でその場所に何があるのかわかってしまう。それでもフランが勝てるときがあるのは、シオンが解り難いように、わざと負けているからだ。

 普通ならばつまらないと思うだろう。けれど、シオン自身気付いていなかったが、シオンの顔は緩んでいて、ほんの少しだけ笑っていた。

 そうして二人が遊んでいるときに、チャンスが訪れた。

 「――いたっ!」

 「どうした?」

 「ちょっと指を切っちゃっただけ。気にしないで」

 その言葉通りに、フランの人差し指からは血が流れている。どうやらトランプの角で切ったらしい。こうなるかもしれないと思い、シオンはわざと一部のトランプの角を鋭くしていたのだ。確率が低く、余り成功するとは思っていなかったとはいえ、それを狙っていたシオンからして、このチャンスを逃せるはずがなかった。

 「指、見せて」

 「え……!?」

 いきなり腕を引っ張られて体勢を崩されてしまったフランは、シオンの体に倒れ込み、その体に包まれる。シオンはそれを一切気にせずに指の怪我を見続けた。

 もしもこの時、少しでもフランに注意を向けていれば、気付けただろう。フランの顔が真赤に染まっていたことに。命の危険があるから仕方がないとはいえ、シオンはまだまだ未熟だった。

 フランの様子にも気付かないこともそうだが、下心の無い――シオンが血を見ているのは自分が生き残るためでもあるので、無いとは言い切れないが、元々はフランを助けたいと思っているからしている行動なので、下心にはならないだろう――優しさがもたらす影響に。

 (うぅぅぅ~~~~! 恥ずかしい! 絶対顔赤くなってる!! 怪我を見てくれるのは嬉しいけど、少しは私も見て欲しいのに――って、何考えてるの、私は!? けど、シオンの体はあったかいし、それにそれに~~!?)

 この想いが友情からか、あるいは純粋な好意来るのかわからず、頭の中がグルグル回って訳が分からなくなるフランだが、シオンのこの行動に下心が無いのはわかっていた。

 フランは今まで様々な人間の醜い姿を見てきた。死を恐れてただ震えていたり、その瞳に憎悪を宿していたり、あるいは自分に媚びへつらってでも生き延びようとした人間もいた。その経験のおかげなのか、元々聡い方だったフランは、相手の目を見ればその人間が下心を持っているのかどうかが大体わかるようになっていた。そしてその経験が、シオンに下心が無いのを告げていた。が、それ以上に、異性にこんな事をされたのがはじめてだった。そういった要因が重なったせいで、フランは顔を赤く染めたのだ。しかしそんなことなど知らないシオンは、吸血鬼の再生能力で傷が塞がる前に指を口にくわえた。

 「ひゃぅ!? シ、シ、シオン、何やって……!?」

 その感触に我を取り戻したフランは、その理由を急いで確認しようとその方向をみた。そしてその目に映ったのは、自分の指をくわえているシオンの姿だった。

 「む? ひゃにって、ひょうひょうくひてるひゃけひゃけど?(ん? 何って、消毒してるだけだけど?)」

 「何言ってるかわからないし、それよりくすぐったいからやめ――ひゃ!」

 再度変な声を出してしまったフランは、恥ずかしそうに顔を赤くしながらシオンを睨みつける。どうやら吸血鬼の血を飲ませたらどうなるのかということすら忘れているらしい、そんなことを考えながら、シオンは細胞のデータを解析する。

 (レミリアの血と比べて……やっぱ構成しているデータにそこまでの差異は無いな。姉妹だからか? まあいい。都合がいいのに変わりは無いんだし。……うん、これでよし)

 くわえていた指を離すと、フランは物凄い速さで距離を取る。そしてシオンから十分に離れた――とは言え狭い部屋の中なので、そこまでではないが――後に、背を向けた。そして、そこでやっと気付いた。この行為を客観的的に見ると、かなり恥ずかしいということに。

 (……なるほど、恥ずかしかったのか。でも、姉さんとかは当たり前のようにやってたし……いや、そんなことはどうでもいいか。それよりも、背を向けている今しかない)

 が、フランが恥ずかしがっている本当の理由も、姉がシオンの近くにいたくてやってたことも一瞬で片付けるシオンは、相当な鈍感だろう。

 しかし、今この場にいるのはシオンとフランの二人のみで、突っ込める人はいなかった。

 そんなこんなで、シオンは床に落ちていたフランの髪の毛を見る。そして急いで解析を終えると、何をしていたのかを悟られないように髪の毛を捨てる。それとほぼ同時に、フランがこちらに振り向いて来た。

 「ね、ねぇ! 次は何して遊ぶの!?」

 どうやら先程のことは無かったことにするらしく、フランは笑顔で聞いてきた。

 しかし、シオンはそろそろレミリアに状況報告をしようと思っていたため、それに対して気前のいい返答はできなかった。

 「いや、俺はそろそろ帰るよ」

 「……え?」

 ピシリと岩のように固まるフランを置いて、シオンは続ける。

 「ちょっと行かなきゃいけないところがあるからね。いつまでもここにいる訳にはいかないんだ。……それじゃ、また」

 それだけ言って背を向けるシオンを、呆然と見続ける。まるで足元が崩れていくような錯覚を感じていたフランの心の中で、いつも心が崩れてしまいそうになる寸前に聞こえてくる『ナニカ』の声が響いた。

 (行かせたくないのなら、いっそここで殺してしまいましょう? そうすれば、シオンは私と、私達とずっと一緒にいられるわよ)

 (ずっと、一緒にいられるの?)

 その思いに、もう一人はニタリと笑ったような気がした。

 (ええ、そうよ。ただし、『()()』してはダメよ? そうしたら、一緒にはいられないから)

 (うん……わかった。私は何をすればいいの?)

 異常な思考をするフランと『ナニカ』だが、それを指摘できる存在はいなかったし、フラン自身それを異常とは思わなかった。今のフランの頭の中には、一つの想いしか無かったし、何よりこの声を出している存在は間違ったことを言ったことはただの一度も無かったからだ。

 (行かせたくない。シオンはずっと、ずーっと私と一緒にいるの。いなきゃいけないの)

 シオンは気付くべきだった。いくら人と接している期間が短いとはいえ、フランの狂ってしまっている部分は、わかったはずだからだ。

 (ねぇ、どうすればシオンを殺せるの?)

 フランには破壊する以外の殺し方が殆どわからない。常に力任せだったせいで、力加減がわからないのだ。だからこそ、『ナニカ』に聞いた。

 (そうね……なら、右手を前に出して、妖力の塊を出しましょう。後は、貴女自身でできるはずよ)

 それだけ言って沈黙する『ナニカ』を気にせず、フランは右手を前に出して、自身の体に宿る妖力を集める。そして、それをシオンに向けて放った。

 それとほぼ同時に、嫌な気配を感じたシオンが振り返ると、目の前には何かの塊があった。

 「な、フラン!?」

 それに驚きながらも、体に染み付いた動作を元に、半ば無意識で飛んで来た何かを避ける。けれど、何故フランがいきなりこんなことをしたのかがわからなかった。

 「フラン、どうして……」

 口から漏れた疑問に、フランは答えになってない答えを返す。

 「シオンは私と、ずっと一緒にいなきゃダメだから」

 「は!? ……そうか、そういうことか! 前の俺なら気付けたはずなのに……俺自身気付いていなかったけど、どうやらかなり焦ってるみたいだ」

 ようやく気付けたシオンは自らに対して自嘲した。何故わからなかったのだろう、と。

 そんなことを思っている間に、フランは様々な色をした宝石のようなものが付いた翼を大きく広げた。

 それを見たシオンは、逃げられないと理解した。

 (逃げるのも、戦闘を避けるのもほぼ不可能。なら、後は――)

 そこまで考えてからから、シオンは能力を発動させる。そして、シオンの髪の色が変化し始めた。白色の髪がフランと同じ金色に変わったのだ。瞳の色は元々同じ血のような真紅だったため、変化しなかった。

 「戦うしかないか!」

 右手でアクセサリーの形にしていた黒陽を剣の形に戻し、左手で異空間に放り込んでいた白夜を掴み、勢いよく引きずり出す。

 それを見たフランは、悲しそうな顔をした。

 「やっぱり、シオンも……シオンも、いなくなっちゃうの? お姉さま達みたいに……!」

 手を握り締めて、震える声で言う。そしていきなり顔を上げたかと思うと、怒りの表情で――先程の笑顔は面影は微塵も残っていなかった――シオンを睨みつけながら、悲痛な声で叫び出した。

 「嫌、嫌、絶対に嫌! 楽しかった、嬉しかった、そんなこと思えたのは、この部屋に来てから初めてだったのに!! この一回で終わりなんて! もっと、もっと、私と一緒にいてよ! 一緒に遊んでよ! 一緒にいてくれないなら、遊んでくれないなら――」

 フランは妖力を高め始める。シオンにはフランが集めているそれが何なのかわからないが、今のこの状況が途轍もなくヤバイのはわかる。そして、それと同時に後悔もしていた。

 (せめて、フランが遊び疲れて眠るまでは一緒にいればよかったのか? いや、そんなのは問題を先延ばしにしているだけだ。意味なんてない。だったら、やっぱり関係ないよな。俺は、フランを――)

 二人は同時に叫ぶ。それぞれの思いを込めて。

 「――死んじゃえ!」

 「――助ける!」



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晒された感情

 フランは叫び終えると同時に、高めた妖力を使って数十の塊を作り出す。恐らく先の攻撃で大振りな一撃は意味が無いと判断した結果だろう。そして、フランはそれを一気に放った。

 「これでも喰らっちゃえ!」

 飛んで来た弾幕を見つめながら、シオンは白夜を握り締める。

 「能力解放!」

 叫ぶと同時に剣を振り、()()を切り裂いた。そして、そこに躊躇無く跳び込む。その瞬間に弾幕がシオンのいた場所にぶち当たり、爆発する。

 それを見たフランは一切油断せずに、その場所を睨み続けた。

 けれど、それは悪手だった。嫌な予感がしたフランは一歩右にずれる。そして、フランが先程いた場所に、突きが入れられた。完全に避けきれなかったのか、フランは左腕にほんの少しだけ傷を負っていた。しかし、フランはそれを意識する余裕が無かった。

 「いつの間に、後ろに……!?」

 「戦っている最中に、余計なことを考えている余裕があると思っているのか?」

 訝しんでいると、シオンの声がすぐ目の前から聞こえてきた。フランは意識を目の前に集中させるが、既にシオンは剣を振り下ろしている。

 フランはそれを受け止めるために、自らの炎を召喚した。

 「来て、『レーヴァテイン』!」

 現れた炎はすぐに歪な形をした枝のような剣の形になる。それを真横に倒して、十字のような形で黒陽を受け止めた。

 だが、シオンの攻撃はもう一つ残っている。シオンは黒陽が受け止められる寸前に、白夜を横なぎに振っていた。フランは右手を剣から放して妖力で強固な壁を作ると、後ろへ軽く飛んだ。

 羽を持つフランだからこそ、不安定な体勢から無理矢理後ろに移動出来た。しかし、羽を使った移動は、壁にぶつかりかけたところで止まる。

 そこでフランは、シオンへと一方的に言った。

 「この部屋は狭すぎるから、もっと広い場所に行こうよ!」

 右手を真上に向けたフランは、妖力を最大まで高め始める。そして、それが集まると、妖力の塊を解放した。

 その塊は激しい轟音を立てながら天井を貫き、大穴を開ける。それを見届けたフランは羽を大きく広げ、一度だけ羽ばたかせると、そのまま外へと飛び出した。

 「面倒なことを!」

 叫びながらシオンは走り出す。そして、ジャンプする瞬間に重力を減少させる。シオンの脚力と合わさり、かなりの速度で紅魔館の屋根へと辿り着く。足を屋根へ着けると、上から声が振って来た。

 「ここなら。私の全力が出せる!さっきみたいにはいかないよ!!」

 そして、フランは先程とは比べ物にならない量の弾幕を作り出す。

 「………………多すぎ、じゃないか?」

 シオンは呆れと驚愕をにじませた声を出す。フランが作り出した弾幕の量は、大雑把に見ても軽く千は超えている。

 (……なるほど、人間が妖怪を恐れる理由がよくわかる)

 ここに来た時に言った言葉を若干訂正したくなったシオンだが、そんなことは知らないフランは笑っていた。

 「フフッ、さあ、シオン。これで死んで!」

 「残念だけど、俺はまだ死ぬわけにはいかないんだ!」

 シオンは再度白夜を使って空間を切り裂き、そのまま飛び込んだ。

 再びフランの真後ろへと移動したシオンは、黒陽を袈裟懸けに振るう。けれど、フランはその場でクルリと半回転すると、真上に飛んでシオンの攻撃を躱す。

 「同じ攻撃何てしても無駄だよ!」

 そう叫びながら後ろに振りかぶり、力の許す限りの威力でレーヴァテインをシオンへと叩き付ける。咄嗟に使った白夜を盾にすることで直撃は免れたが、空中にいたシオンはそのまま中庭へと吹き飛ばされた。

 「グッッ!!」

 途轍もない速度で吹き飛んだせいで風圧が凄まじく、シオンの体にかなりの負担をかける。それを見越してか、フランは先程使わなかった残りの弾幕を飛ばし始めた。

 弾幕が近付いてくるのを見たのと同時に、窓から自分たちを見るレミリアと咲夜の二人と、目が合ったような気がした。

 

 

 

 

 

 時は戻って地下の牢獄の扉の前に二人は立っていた。シオンが部屋に入ってから、既に三十分以上が経っている。

 「お嬢様、そろそろ……」

 「……ええ、わかったわ。入った瞬間には何の音も聞こえなかったし、今も何も起こってないのは気配でわかる。それでも、ね」

 そこで言葉を濁すレミリアの続きを、咲夜が引き継ぐ

 「心配、ですよね。私も同じ気持ちです。ですが、だからこそ私は戻ろうと思っています」

 「それは、何故かしら?」

 「信じているから、です。いつまでもここにいては、シオンを信じていないと言っているような気がしてしまうので」

 そう言って小さく微笑む咲夜は、今までで一番可愛らしかった。その顔を見てしまったレミリアは、こんな表情をさせたシオンに微かに嫉妬しながらも、面白そうに微笑んだ。

 「そう、そうね。それじゃあ、戻りましょうか」

 「お嬢様?」

 いきなり素直になったことに、つい疑問の声を出してしまう。レミリアは真赤になっている顔を明後日の方向へ向けながら、ぶっきらぼうな口調で言った。

 「別に、私がシオンを信じてるから戻る訳じゃ無いのよ? ただ、まだ気絶してるかもしれない美鈴の看病をしに行くだけだから、勘違いしないこと! いいわね!!」

 「クスッ……畏まりました」

 「何を笑っているの!」

 「申し訳ありません、お嬢様」

 今まで見たことが無かった主の一面におかしくなってしまい、つい笑ってしまった。レミリアは更に顔を赤くして怒鳴るが、少しすると自分の反応が可笑しくなったのか、笑い始めた。

 暗い雰囲気を醸し出す地下室にそぐわない笑い声が、少しの時間二人の間に響きわたった。

 

 

 

 

 

 「こんなところかしら?」

 「はい。後はこの布団をかければ、それで終わりです」

 地下室から一階へと戻った二人は、玄関へと行くと未だに気絶していた美鈴を二階にある彼女の部屋へと運び込んだ。そして腹と背中に簡単な治療を施して、今布団に寝かせた。

 「それにしても、どうやって無傷で勝ったのかしら?」

 レミリアの言葉には主語が抜けていたが、何を言いたいのか咲夜にはわかった。

 「私も実際には見た訳ではありませんので、何も言えません。ですが、一瞬だけ動揺したとはいえ、本気で気配を消して隠れていた私を見つけまた彼は、正直底が知れません」

 その点に関しては、レミリアは咲夜を認めている。彼女が本気で隠れていると、余程注意していない限りレミリアでさえ気付ことは難しい。

 咲夜はそれに気付いてはいないが、気配を消すことに関してはかなりの自信を持っていた。

 しかし、それをあっさりと破ってしまったシオンは、そのことを誇ることすらしなかったのだ。

 「そう、ね。それに、運命を操ってまで定めたグングニルの攻撃を、それ以上の力を持って躱した。あの動きだけでも、かなりの手練れだと察することはできるのよね」

 動きが異常に洗練されている、いや、され過ぎていることと、戦いなれていること。それだけならまだしも――あんな動きを九歳児がやると言う時点で既におかしいのだが――あの人としての常識すら捨てているかのような態度が、レミリアは気になっていた。

 「ねぇ、咲夜。どうしてシオンはあんなにも人間らしくないの?」

 「え?」

 目の前の従者も、人としての常識が崩れている部分はある。だが、あくまでも一部のみだ。咲夜は、人が大妖怪には勝つ可能性はほぼありえ無いと理解している。レミリアが本気になれば、恐らく自分は戦う意志そのものが消されるだろう。

 だが、シオンにはその感じがしない。冷静に戦うか、あるいは勝てないと判断して逃げ出すか。どちらかはわからないが、何も行動しない、というのはありえないと思ってしまった。

 (そもそも、人としての常識を持っているのかどうかすら疑わしいわね)

 そんな事を思っていると、咲夜は何かを迷うような顔をしていた。それに気付いたレミリアは、咲夜の心理的負担を減らすために、わざと高圧的に言った。

 「咲夜、これは命令よ。貴女が知っていることを全て、一切隠さずに話しなさい。……シオンに何か言われたら、私のせいだと言っても構わないから」

 「……ありがとうございます、お嬢様。まず私が知っているのは、シオンは全くと言っていい程に人を信用していません。むしろ、嫌っている節があります。そして人間らしくないのは、シオン自身が言っていたのですが『人としての常識を壊された』からだそうです。あの時のシオンの態度は普通でしたが、どことなく怒っているような、悲しんでいるような……あるいは、憎んでいるようにも見えました。私にわかるのは、これくらいです」

 「そう、なの……ありがとう、話してくれて」

 「これくらいなら話しても、シオンは許してくれると思いますよ。……お嬢様、紅茶の用意ができました」

 話している間に用意していた紅茶をカップに注ぎ、レミリアに渡す。それを手に取り、匂いを嗅いででき具合を確認した。匂いを十分に堪能してから、紅茶を口に含んで、飲み込んだ。

 「いつも通り、とても美味しいわ」

 「ありがとうございます」

 そしてまた紅茶を飲みながら、霧に包まれた外を見る。深い霧に包まれた外は、普段ならよく見える中庭の花を覆い隠していた。

 その時、いきなり紅魔館全体が大きく揺れた。

 「な、一体何が!?」

 突然の揺れで皿がやカップが床に落ちて割れ、中身が零れた。それを気にする間もなく、レミリアは立ち上がった。すると、咲夜がいきなり叫んだ。

 「お嬢様、外を!」

 咲夜の言う通りに外を見ると、先程の揺れか、あるいはそれ以外の何かが原因なのか、霧が吹き飛んでいた。

 霧の晴れた夜空に、キラキラと光り輝く宝石に似た翼を持った人影が現れる。その姿は、レミリアにとっては馴染み深いものだった。

 「フラン……どうして、外に……?」

 四百九十五年もの間、ただの一度も外に出なかったフランが外にいる。一瞬幻覚かと思ったが、フランに続いてシオンまでもが現れたことで、その思いは消えた。

 それからフランが何かを叫ぶと、いきなり弾幕を作り上げ、それをシオンへと放った。

 「何故二人が戦っているの!?」

 「どちらかと言うと、フラン様が暴走していて、シオンがそれを止めているように見えますが」

 その言葉を聞いたレミリアは、フランだけを見つめる。なんとなく、普段のフランと何かが違うのを感じられた。

 その間に、シオンは何かに飛び込んだかと思うと、フランの真後ろへと移動していた。またもありえない現象を見たレミリアは、少しだけ動きを止めてしまった。

 「!? シオンの能力は『あらゆる体に作り変える程度の能力』じゃないの……?」

 「転移した、という感じではありませんし、移動する前に剣を振っていたので、恐らくあの剣の力かと」

 だが、疑問は残る。シオンがここに来た時、彼は剣を持っていなかった。どこからか取り出したのかもしれないが、そこがどこかわからない。

 二人が疑問点を言い合っている間に、シオンはかなりの速度で吹き飛ばされた。シオンが吹き飛んでいる途中で、二人は彼と目が合ったような気がした。

 そこにフランが残しておいた弾幕が殺到し、爆発した。

 『シオン!!」

 奇しくも二人は同時に叫んだ。と、そんな時に、今の状況に相応しくない、のんきな声が響いた。

 「いたた……さっきからうるさいですよ……お腹に響きます……」

 声のした方を見ると、体を起こして腹に手を押さえている美鈴がいた。二人は咄嗟にアイコンタクトをする。

 ――咲夜

 ――はい、お嬢様

 そして二人は美鈴の手を掴むと、無理矢理引っ張って歩き出す。流石のコンビネーションと言うべきか、二人の歩く速度と歩幅はほぼ同じだった。

 「え、ちょ、咲夜にお嬢様!? 軽傷とは言え、私は一応怪我人……あ、ああ! 自分で歩きます!歩きますから!! だから、引っ張らないでください――!!」

 美鈴の心からの叫び声が、紅魔館に響き渡った。

 

 

 

 

 

 「……これで、終わったかな?」

 中庭へと着地したフランは、周囲を見回す。中庭はフランの攻撃によって惨憺たる状況になっていた。石や岩は粉々になり、地面はえぐれ、木や花は吹き飛んでいる。咲夜達が綺麗にしていたころの面影は微塵も残っていない。

 「ん~……シオンの死体が残ってないのは嫌なんだけど……」

 どこまでも自分勝手で、そして狂っている言葉を呟きながら歩き始める。ボロボロになっている中庭の中央へと辿り着いた瞬間、足元から手が伸びてきた。

 「ひっ……!?」

 先程までの笑みは消え、怯えながら飛び退ろうとするが、その前に手はフランの足を掴んでしまい、離れることを許さない。そのせいで上半身のみが移動するはめになり、フランは受け身すら取れずに背中を強打する。しかし、それを意識する間もなく暴れ出す。

 「放して! クッ、この! 放してよ!」

 レーヴァテインを使って手を切り落とすか、妖力を高めて身体能力を強化するなど、脱出する手段はあるはずなのに、パニックを起こして何もすることができずにいた。

 生まれてからただの一度も戦闘をしたことがないのだから、奇襲に近い攻撃には弱いのだろう。フランは一方的な虐殺をしたことがあっても、命を懸けた本気の殺し合いをしたことが無いのだ。

 その隙を見逃さず、地面から漆黒の剣が生えてきた。それは、寸分違わずにフランの右翼を容赦なく貫いた。

 「イヤアアアアアァァァァァァッッッ!!!」

 余りの激痛に、訳が分からなくなる。そこで火事場の馬鹿力が出たのか、無事なままの左翼を強引に動かして、無理矢理空を飛んだ。

 「痛い……痛いよぉ……」

 流石は吸血鬼、と言うべきか、徐々に徐々にだが傷が塞がり始めている。それでもしばらくの間、かなりの激痛がフランを襲い続けるだろう。手のあった地面を睨みつける。

 再度手が生えてきたかと思うと、その手は地面を掴んで、その手の持ち主が姿を現した。その人物は、土で汚れてはいるが、無傷のシオンだった。

 「ど、どうして……?」

 目を見開いて驚くフランは、嫌々と首を横に振っていた。まるで、自分に傷を負わせた人物が、シオンだと信じたくないかのように。

 ――あの時、シオンは弾幕が自らに殺到する寸前に、自らの周囲にある重力に干渉し、その重さを増した。

 そのお蔭でほんの数秒の時間ができたシオンは、落ちた時とは逆に重力の影響を和らげ、中庭の噴水近く――この時は気付かなかったが、その場所は中庭のほぼ中央だった――に白夜の空間制御能力で一部を『くりぬいて』穴を作り、その場所に入った。

 そしてその穴に入ると、今度は空間を『断絶』させて小規模な結界を作った。

 空間と空間は持続しているからこそ、その場所に行ける。ならば、そこをズレさせればどうだろうか。崖と崖の間が数十メートル離れていれば渡れないように、断絶させた結界の中に影響を与えられなくなるのだ。

 そうやってフランの弾幕を防御したシオンは、フランが来るのを待ち続けた。それからフランが自らのいる場所を音の反響で把握し、結界を解除してから手を出して、翼を貫いたのだ。

 ――そうしなければ、シオンはフランに勝てないのだから。

 狼狽しているフランに、シオンは眉を寄せて吐き捨てるように言う。

 「どうして、だと? そもそもお前がこんな阿呆な真似をしなければ、俺がお前を攻撃する必要何て無かった。お前が俺を殺そうとしなければ、戦う必要何て無かった!」

 この時シオンは言わなかったがことがある。それは『シオンが本当にフランを殺す気だったなら、先程の攻撃で既に殺していた』ということだ。

 けれど、痛みと驚きの二つの要因のせいで、フランはそれに気付けなかった。

 「だって、だって! 嫌なんだもん! 一人はもう、嫌なんだもん! だから、だからシオンを殺して、ずっと一緒にいようと思ったんだもん!」

 そう叫びながら弾幕をシオンへと打つ。それに対し、シオンは重力球を放った。

 「ハァ!」

 妖力の塊と重力の塊はぶつかり合い、大きく爆発する。それと同時に、突風が吹いた。

 「ク!」

 「キャァァ!」

 シオンは能力を使って体重を増やすと、地面を踏みしめて耐える。しかし、突風のせいで傷ついた右翼を刺激されたフランは、耐えられずに体勢を崩してしまった。その隙を逃さずにシオンはフランの真上へ転移し、黒陽を振り下ろしながら叫ぶ。

 「俺を殺して、どうなるって言うんだ!?」

 振り下ろされた黒陽をレーヴァテインで受け止める。だが、黒陽の力で重さを数十倍に跳ね上げていたその一撃に、フランは膝をつきかけるが、それを何とか耐えた。

 そのまま剣をぶつけ合いながら、シオンは地面へと降り立つ。その態勢のまま、フランは叫んだ。

 「だって、そうすれば一緒にいられるんでしょ!? だから、だから私は……!」

 「死んだら俺はもう二度と動かない! 話もしないし、遊びもできない! そんなのと一緒にいるのは――」

 鍔迫り合いのまま二人は叫び合う。そこからシオンは重力を操作して、フランを突き飛ばした。

 「――たった一人で人形と遊んでいるのと、似たようなものだろう!!」

 「!!?」

 吹き飛ばされたフランは顔を歪めながらも左翼を震わせて勢いを弱め、地に足を着けた。慣性が止まると、フランはシオンの元へと走る。そして、剣を横に振るい、逆袈裟で斬る。シオンはそれを後ろに飛び、体を斜めに倒して避けた。

 「あの部屋に来る人で遊んでくれたのは、シオンだけだった! あの部屋に始めて来た人は、私を殺そうとした! だから、私はあの人を『壊した』の!! それからお姉さまは殆どあの部屋に来なくなった。美鈴もお話しに来ない。最近来るようになった、私と同じくらいの身長の女の子も、ご飯を用意したらすぐにいなくなる。……ずっとずっと思ってた!! 一緒にお話しして、一緒に遊んで、楽しく笑ったらしたかった! そうしようって言いたかった!!!」

 フランの猛攻をシオンは避ける。しかし、遂にその一撃を受け流すしかできない状況にされてしまった。

 逆手に持ち替えた白夜を握り締め、体に力を込める。最悪剣を手放してカウンターを入れようと思っていたシオンは、次の一撃に驚愕した。

 (お……も……!?)

 美鈴の蹴りよりも遥かに重く圧し掛かってくる。ほんの少しでも力を緩めれば、その瞬間無理矢理押し通ってくると分かってしまう程の重さだった。

 剣と剣がぶつかりあっている場所に火花が散り、火を――元々フランのレーヴァテインは燃えているのだが――撒き散らす。

 けれどシオンにそれを意識している暇は無い。受け流している剣の方に問題は無いが、それを扱っているシオンの手が擦り切れ、腕はギシギシと嫌な音を立てる。それを支える足は今にも地面に膝を着きそうだった。

 それでも地面に膝を着くことはできない。もしもそうしてしまえば、そのまま押し潰されかねないからだ。『現在扱える』シオンの武器の一つは回避能力。それを封じられてしまえば、シオンはほぼ確実に負けてしまう。

 しかし、そんなシオンの意地を嘲笑うかのように、意識しているのかしていないのかどうかはわからないが、フランは妖力を使って身体能力を強化し始めていた。受け流そうとしているだけでも限界なのだ。これで受け止めようとすれば、その瞬間に負けが決まってしまう。

 技術が全くなくとも、圧倒的な破壊力を秘めた筋力と、それに伴って剣を振るう速度が増加するという、シオンにとっては最悪な悪循環。

 (なるほど、ね……! 人間が妖怪を恐怖する理由が、わかったような気がするよ……!)

 どんどん振るう速度が速くなっていくレーヴァテインを避けるのは、シオンでさえきつかった。相手の体勢から次の攻撃を読んでも、限界はある。それに加えて、レーヴァテインは燃え盛っているのだ。大きく避けなければ、炎で焼かれてしまう。たった数ミリで避けるという回避技術を封じられてしまっている現状、シオンは途轍もなく不利だった。

 しかし、話す余裕など無いとわかっていても、シオンは叫ばずにはいられなかった。

 「なら、なんでそれを速く言わなかった! 一言でもそれを言っていれば――」

 「怖かったんだもん!」

 シオンの声を遮るように、フランは叫ぶ。剣を振るう速度を更に上げて、駄々っ子のように叫び続ける。

 「もし、もしも断られたら、嫌だって言われたら、私は絶対に耐えられない! 私があの部屋にずっといたのは、お姉様たちに嫌われたくなかったからなの! いつか向かいみたいに一緒に遊べるようになるのを、ただ祈ってた!!」

 フランが叫ぶたびに剣の速度と威力が増していく。それにシオンは対処し切れなくなってきてしまう。遂に剣が左の脇腹を掠め、その場所を焼いた。

 「グゥ……ッ……!」

 悲鳴を押し込み、後ろへと飛び退る。その一瞬で、シオンは悩んでいた。

 (どうする、どうする、どうする! 後先考えずに行けば、まだ戦える。けど――!!

 後ろに下がったシオンを追いかけようと、フランは足を前に踏み出す。シオンはその顔を見て、覚悟を決めた。

 (あんな顔されて、やらないわけにはいかないだろう! 良くて瀕死、運が悪ければ死ぬ。それでも俺は、フランを助けると決めたんだ!!!)

 シオンが彼女を見た時、その顔は今にも目の縁から涙が零れてしまいそうだった。だからこそ、シオンは今出せる全力を出した。

 そしてシオンに追い付いてきたフランは、身を捻りながら、今までで一番重い一撃を振るった。もしも先程までのシオンなら、それを避けることも受け流すこともできなかっただろう。しかし、

 (減少、加重!)

 フランの攻撃を重力の影響を少なくすることで、今まで以上の攻撃で躱し始める。逆に果汁で剣の重さを増加させて、剣を振り下ろした時の威力を増やす。

 普通、細かく重力を増減させれば、細かい動きをするのは難しい。しかしシオンは、そんな異常な状態でありながら、先程までと全く変わらない動きをしていた。

 それによって、シオンはフランと何とか互角に戦えるようになった。そう、これを使っても『まだ』互角なのだ。

 そもそもシオンは人間で、フランは妖怪だ。元々の地力に差があり過ぎる。それでも戦うことができるのは、偏にシオンの強さがおかしいからだろう。

 しかし、一つだけ問題があった。それは速過ぎるフランの攻撃に、スナイパーライフルから放たれる銃弾でも見えるシオンの動体視力でも、霞んで見える程の速度。そのせいで、シオンはまず攻撃を予測することすら厳しい。

 それでも、シオンからすれば戦えるだけで十分だった。戦えなければ、思いを伝えることすらできないのだから。

 「なら、何でそれをレミリアたちに言わなかった!」

 「……ッ! それ、は! けど、だって!」

 「だってじゃない! お前は、嫌われたくないと言ったな!? けどな、言わなきゃ何も変わりはしないんだよ!! それに! フランにとって、レミリア達はそこまで信頼できない人たちなのか!?」

 「――!?」

 大切な人だからこそ言えないこともあるのはシオンも知っている。けれど、こうでもしなければフランは変わることができない。

 (俺だって、あの時ああ言っていれば……。あの時の俺みたいな経験を、フランにはして欲しくないんだ!)

 自分の心の痛みを無視して、シオンは叫ぶ。

 「どうなんだ、フラン!!」

 その心からの叫びに、フランは悲痛な表情で叫び返す。

 「そんなの、そんなの決まってるよ! 私にとってお姉さまたちは、大事な、本当に大切な『家族』なんだから!!」

 その言葉に、シオンは内心で微笑んだ。そう思える相手がいるのは、本当に羨ましいと。

 「なら、手を伸ばせ! 助けを求めるんだ! そうすれば――」

 「それでも駄目なの!」

 「どうしてだ!?」

 剣と剣をぶつけ、舞うように斬り合う二人。更に、その舞いにフランが妖力で作り上げた弾幕をシオンに放つことで、花火が加わった。

 剣と弾幕がまじりあった演武。それらの猛攻に、シオンは顔を歪めた。

 「クッ!」

 「私もそうしようと思ったことがあるよ !けど、私の力は壊しちゃうの! 体も、心も、大切な感情(おもい)も、全部! 私が本当に怖いと思ってるのは、私が全てを壊して、何もかもを失うことなの!!」

 フランの感情が、思いが引き出されるたびに妖力が増し、それに伴って弾幕が増える上に身体能力が強化される。

 それによって、再びシオンは押され始める。反撃することを止めて、全てを防御するのに集中することで、何とか耐えられていた。

 「私だって、もう、一人は嫌だよ……一人は悲しい、一人は苦しい、一人は辛い、一人は……寂しいの」

 「!?  ……グッ!」

 その言葉を聞いて、ほんの少しだけ動きを止めてしまったシオンは、弾幕の一つを喰らってしまい、吹き飛んだ。吹き飛んだシオンに、フランは追撃を入れようと走る

 シオンが動揺してしまったのは、かつて自分も似たような言葉を言ったことがあるからだ。

 (一人は苦しい、悲し、辛い……寂しい、会いたい。父さんに、母さんに、沙羅に……会いたいよ)

 「――!」

 ギリッと言う音を立てながら奥歯を噛みしめる。そして、空中で猫のようにクルリと回転して着地する。

 そして、追撃を入れていたフランの攻撃を黒陽で受けると、ほんの少しだけ距離を取る。そこに、シオンが予想した通りに突きを入れてきた。

 今までシオンはただ防御をしていたのではなく、感情が暴走して滅茶苦茶な攻撃をしてくるフランの攻撃を予想するための演算をしていたのだ。

 突きを入れてきたフランのレーヴァテインを今までのような大振りな回避ではなく、刀身があたるギリギリで避ける。それによってまたも左の脇腹が大きく焼かれるが、それを気にすることなくシオンは左足の膝をフランの手首に当てる。そのせいで太腿の部分が焼かれるが、それを無視してフランの手首に打ち込んだ膝をそのまま上へと押し上げる。そうすることで、手首の痛みと上へと押しやられた時の慣性によって、レーヴァテインを手放してしまった。

 「あ……!」

 素人によくある、手放した武器を見てしまう、と言う動作。この時のフランも、妖力の汲々が途絶えたことで消え始めているレーヴァテインを見てしまう、という動作をしてしまった。そして、その隙を逃すシオンでは無い。

 焼かれた部分のある左足を地に下ろし、前へ一歩踏み出す。更に身を捻り、いつの間にか百夜を手放していた左手を掌底の形にする。それを、フランの鳩尾へと放った。

 「しまっ、レ、『レーヴァ――』」

 再度レーヴァテインを召喚しようとするが、言い切る寸前に掌底はフランの鳩尾へと当たる。かなりの距離を吹き飛んだフランだが、吹き飛んだ距離に反して、何故かそこまで痛みは無かった。

 そのことに疑問を覚えている間に、シオンが叫んだ。

 「俺に使えよ、フラン! お前の力を!」

 「な、なんで……?」

 シオンの叫びに、鳩尾を殴られた衝撃を忘れてしまう。これでは駄目だ、と判断したシオンは、賭けをすることにした。

 「なら、賭けをしないか?」

 「賭け……?何の?」

 「俺が勝ったら何でも一つ俺の言うことを聞いてもらう。俺が負けたら、俺が死ぬまでずっと傍にいる」

 「え……それ、本当!?」

 途中までは呆然としていたが、賭ける物の内容を聞いて、目を輝かせる。シオンが頷くと、フランは凶悪な笑みを浮かべた。けれど、シオンから見ればその笑みは、虚勢を張っているようにしか見えなかった。

 「ゲームの内容は?」

 「簡単だよ。お前が俺に破壊の能力を使って、どこかが壊れたら俺の負け。逆に、俺がどこも破壊されなかったら、俺の勝ちだ。……わかったか?」

 「……うん、わかった」

 何らかの覚悟を決めた顔をしているシオンに何を思ったのか、フランは力を使うのを決意した。

 そして、右手を前に出して、シオンの左腕を破壊する『目』を見る。目ができあがると、フランは躊躇なく握り潰した。それを確かめた後にシオンのいる方を見て、目を見開いた。

 「――賭けは、俺の勝ちだな」

 「ど、どうして……目を潰して、破壊したはずなのに……」

 唖然とするフランを無視して、シオンは毅然とした目で言った。

 「俺の言うことを何でも一つ聞いてもらう。忘れてないよな?」

 「え、あ……?」

 呆けているフランに、シオンは確認するような言い方で呟き、フランの元へと歩き出す。すると、フランは怯えたように――いや、本当に怯えていた。

 そして、一歩後ろに下がった嫌々と首を横に振る。

 「嫌、嫌だよ……また、一人になるの? もう、あんな思いはしたくないの――!?」

 「大丈夫だから」

 フランは目を見開いて硬直する。いきなりシオンが抱きしめてきたからだ。そのままの体勢で、シオンは誤解を解くために優しい声で言った。

 「フランは、俺に貴女の力は聞かない。それに、俺には君の力を抑える方法を知っている。だから――」

 「で、でも、私は!」

 暴れようとするフランを無理矢理抑える。本来なら引き剥がされるのだが、うまく力の方向を逃がすことで凌いでいた。

 それでも力はフランの方が強い。余り時間は無いが、それでもシオンはゆっくりと囁いた。

 「――もう、何かを壊してしまうかもしれないことに、怯えなくてもいいんだ。自分の想いを、願いを抑え付けないで、誤魔化さないでいい。貴女はもう、一人で泣く必要何て無い。俺やレミリア達と一緒に遊んで、話をして、馬鹿みたいに笑って……そうやって、自分のしたいように生きていいんだ。……もちろん、限度はあるぞ?」

 抱きしめていたフランの体を少しだけ離して、フランの目を見ながら最後に冗談を付け加えて、シオンは安心させるように笑う。その顔には疲労が滲んでいたが、それでもその笑顔は美しかった。……男に美しいという言葉は似合わないかもしれないが。

 それでもフランには、シオンの言葉とその意味、そして彼の真意がわかった。

 「……本、当に……しても、いいの……? 私がしたいことを、してもいいの……?」

 「本当だよ。フランがしたいことをすればいい。俺も一緒にいるからさ。……ま、俺もずっと一緒にいるのは無理だけど、必ず会いに来るから」

 「――! う、うぅ……」

 再度微笑むシオンを見て、フランは遂に堪えきれなくなったのか、大声で泣き出した。

 「うああああぁぁぁっぁぁぁん! あああああああぁぁっぁぁぁ! 辛かった、寂しかったよ!私、私は……」

 そしてまた泣き出すフランの頭を、彼女が泣き止むまでシオンは撫で続けた。



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惨劇の後

 シオンとフランの二人の喧嘩――と言うには生易しいほどの戦いだが――を見ていた三人は、それぞれの想いを零した。

 「……まさか、ここまで上手くいくとは思わなかったわ」

 「フフッ、私はシオンを信じていましたよ?」

 「あの、すみません。あの二人って、多分侵入者さんとフラン様ですよね?何で二人は抱き合って……? というか、この状況は……?」

 一人混乱している美鈴を横に、レミリアは難しい顔で呟いた。

 「けれど、ただの人間がフランとほぼ互角――終始フランに押されていたとはいえ――に戦えているなんてありえない。博麗神社の巫女みたいに、強大な力を使った様子も無かったのだし。……美鈴は何かわかったのかしら?」

 実を言うと、レミリアが美鈴をここに連れて来たのは、先程の戦闘の解説を頼むためだった。

 問われた美鈴は、さっきまでのオロオロとしていた表情から一変し、戦士の顔になる。そして、そのまま真剣な顔で言った。

 「まず身体能力ですが、彼は人間の枠内で言えば驚異的です。しかし、大妖怪であるフラン様には到底及ばないでしょう。私見ですが、彼の力は精々中級妖怪、よくて大妖怪の一歩手前程度かと。それに、フラン様がその妖力の大きさに物を言わせた力技で、無理矢理身体強化を使っていました。通常よりも出力が下がっていましたが、それでも彼の筋力の数倍以上はあると思います」

 「フランにそんなことを教えた覚えは無いのだけれど……」

 「恐らくは感情の爆発による無意識の発動かと思われます。それよりも驚くべきところは――」

 「身体能力の差を埋める、シオンの技術?」

 「いえ、それも十分に凄いと思っています。しかし私が驚いたのは、彼――シオンと言いましたか? シオンはその気になれば、いつでもフラン様を殺せたのに、それをしなかった、ということです。フラン様は殆ど怪我をしていませんし……彼は本気を出していても、全力ではなかったでしょうね」

 静かに言っている美鈴だが、その言葉には自信が溢れていた。しかし、内心では別の想いもあった。

 (何よりも凄いのは、卓越した――いえ、卓越し過ぎている戦闘経験と、それを支える精神力。差異魚に羽を貫いたのは、空から一方的に嬲り殺しにされないため。そして能力を使わせたのは、フラン様の不安を消すため。しかしそれをなすための過程であれ程の怪我を負いながら、それを一切表に出さない……本当に、彼は何なんでしょうか? それに――)

 あの事実に美鈴が気付けたのは本当に偶然だった。シオンのあの剣の振り方。あれは、まさしく異常過ぎる。

 (――あの剣は、ただ殺すための剣だった。まるで暗殺者のような戦い方。ただただ人を殺すための、それだけしかない剣。殺すことに特化し過ぎている剣。九歳という子供が振るうにはおかしすぎる。もしも彼が少しでもまともな戦い方を知っていれば、あそこまでの怪我は負っていなかったでしょうに……)

 美鈴が気付いたのは、それだった。シオンは常にフランの首や心臓の反対、右胸――おそらく間違って心臓を貫かないようにしたのだろう――や鳩尾といった、人体の急所ばかりを狙っていた。正確には、そこしか狙えていなかった。実際に当ててはいなかったが、もしも当たっていれば即死している可能性すらある。

 更に、彼にはもう一つ驚くべきところがあった。

 「更に付け加えれば、見たところシオンは()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()

 「つまり、シオンはあれ以上に強くなれる、と?」

 「はい。もしもシオンが一定以上の魔力及び霊力があって、それを身体強化に使えるのであれば……彼は博麗神社の巫女を超えるとかと思われます」

 「……そう。説明ありがとう」

 「いえ、これくらいは」

 美鈴は謙遜しているが、他の妖怪が先程の戦闘を見てもここまでの考察はできないだろう。精々、あの攻撃はどうやったんだ?と疑問に思うくらいだ。

 何せ、妖怪たちはその力の大きさ故に技術を磨く必要が無く、殆ど力技でしか戦わないからだ。

 技術は弱者が強者と渡り合うために作れらたもの。妖怪でありながら()()の技術を学んだ美鈴だからこそ、今の戦闘でのシオンの戦い方がどれだけ異常なのかわかった。 レミリアが美鈴を信用しているのは、彼女が幼き頃に美鈴と戦ったことがあり、そして()()()()()()()()()()()。今現在は負けることは無いが、それは遠距離からの攻撃が可能であるからであって、もしも近接戦闘になってしまえば下手をすると負けてしまう。それ程までに美鈴の近接格闘のレベルは高い。

 だからこそ、レミリアは美鈴の説明を素直に受け入れる。なにせ、先程の戦闘のどこが評価できるのか、レミリアにはわからないからだ。

 とはいえ、

 (まさかあの巫女を超えるかもしれないなんて……)

 ここまでとは思っていなかったのだが。そこでレミリアは首を振り、小さく笑った。

 「とりあえず、二人のところへ行きましょう」

 『かしこまりました』

 そして三人は、シオン達にいる場所へと歩き出した。

 

 

 

 

 

 一方、未だにシオンに抱き着いていたフランは、ようやく泣き終えてシオンから離れた。

 「その……ありがとう」

 「どういたしまして」

 顔を赤くして恥ずかしがっているフランに、シオンは苦笑を返す。そこで、シオンの聴覚が三人分の足音を捉えた。

 「これは……レミリアと咲夜。後は誰だ?」

 「え? ……あ、美鈴だ」

 シオンが向いている方向を見ると、三人がこちらに向かって歩いていた。しかし、その三人がいる場所と二人がいる場所は、かなりの距離がある。

 「どうして聞こえたの?」

 「俺は聴覚が……と言うより、五感がちょっとおかしいからね」

 少しだけ悲しそうに笑ったシオンは、レミリアたちへと歩き出す。フランは先程の言葉に疑問を覚えながらも、彼の背中について行こうと歩き出した。それと同時に、あの声が聞こえてきた。

 (うまくいったようね)

 (……どうして、私をシオンと戦わせたの?)

 フランは『ナニカ』に対してあまりいい感情を抱いていない。が、嫌いと言う訳でも無い。それは、何百年か前にいきなり聞こえてきたこの声がいたからこそ、フランは狂ってしまう一歩手前で止まっていられたからだ。だからこそ、フランの内心は複雑だった。自分を殺したいのか、助けたいのかがわからないのだ。

 (彼なら、貴女を止められると思ったから、よ)

 (止められる?)

 (そうよ。両者の意見が対立したら、喧嘩をするのが普通でしょう?それで、彼なら貴女を説得できると思ったの)

 (……喧嘩ってレベルの話じゃないと思うんだけど、コレ)

 フランが周囲を見渡すと、そこにはボロボロになった中庭があった。

 (……お姉さまたちに怒られるかなぁ)

 今更ながらやり過ぎたと後悔するが、後の祭りだ。どうにもならない。内心で頭を抱えてしまったが、また声が聞こえてきた。その感じからして、どうやら苦笑しているらしい。

 (まあ、彼女たちなら許してくれるわよ)

 (そうだと、いいんだけど)

 (なら、シオンに頼りなさい。……それと、私から一つ()()しておくわ)

 (忠、告?)

 今までにないほどの真剣な声を帯びている『ナニカ』の言葉に、フランは動揺する。『ナニカ』はふざけていることはあっても、ここまで真剣な声を出したことは無かったからだ。

 その動揺を無視して、『ナニカ』は言った。

 (私が言いたいのは一言だけ。それだけ言ったらすぐに消えるわ)

 (消えるって、どういうこと!?)

 (言葉通りの意味よ。……話が逸れたわね。よく聞いて、覚えておいて。彼は、()()()()()()()()()()()()()()()()()わ。それを忘れないで)

 その一言に、フランの心はとてつもなく揺れる。――危ういと言う言葉は、フランにとってそれほどまでに危険なものなのだ。先程までの自分がそうだったように。そして『ナニカ』は、シオンも似たようなものだと言ったのだ。その言葉が意味するものはわからないが、それでもフランの心に不安をもたらそうとする。

 (それってどういう意味なの?危ういって何!?そもそも何で貴女はそれを知っているの?貴女は一体『何』なの!!?)

 けれど『ナニカ』は一切答えない。そもそも聞いている反応すら無い。先程言った通りに、もう消えてしまったのだろう。

 結局答えを教えてもらえなかったフランは、レミリアたちと合流するまで、悶々と頭を抱える羽目になった。

 

 

 

 

 

 五人が集まると、いきなりレミリアが頭を下げてきた。

 「フランを救ってくれて、ありがとう」

 「別にいいよ。気にするな」

 嬉しそうに言ったレミリアに、シオンはどこか居心地悪そうに返した。その間に、咲夜と美鈴も頭を下げたせいで、シオンはますます困ってしまった。

 「もう一度言うが、感謝する必要なんてない」

 ぶっきらぼうに返すシオンの反応がおかしく感じたレミリアは、小さく笑いながら頭を上げた。

 「クスッ、そう……とりあえず、フランを助けられたのだから、賭けは貴方の勝ち。貴女は私たち――いえ、私に何を願うの?」

 「――バッ――!?」

 シオンはレミリアの不用意な発言を止めようと声を出そうとしたが、手遅れだった。

 「え……? お姉さま、賭けって、どういう意味なの……?」

 『ッ!』

 フランの言葉に、美鈴を除いた三人は一瞬硬直する。レミリアはしまった、という顔をし、シオンは、もう俺は戦えないぞ、と身振りで表現し、咲夜はお嬢様はバカですか!? という顔をしていた。

 ちなみに美鈴は三人が何を考えているのかを理解できていない。そもそも無理矢理連れて来られただけなのだから、当然なのだが。

 そんな美鈴を置いて、三人は咄嗟のアイコンタクトをした。……レミリアと咲夜はともかくとして、シオンまでもができたのは、三人の想いがほとんど同じだったからだろうか。

 ――レミリア、お前はバカなのか!? いやバカなんだろう!? 賭けの対象にされたと聞いて、フランが良い感情を抱くわけないだろう!!

 ――ご、ごめんなさい! 嬉しくて、つい言葉が漏れてしまって――!

 ――今回は一〇〇%お嬢様が悪いと思われます。言い訳をしてはいけません。それ以前に、ついでこんなことをされてしまっては、こちらの身が持ちません。

 シオンが罵倒し、咲夜は一切のフォローをしないどころか更に追い打ちをかけてくるが、レミリアには否定できない。自分でもそう思ったからだ。

 レミリアがあてにならないと判断したシオンは、アイコンタクトで叫ぶ。

 ――~~クソッ! こうなったら俺が何とかする!! レミリア、貸し一だからな!!

 ――本っ当にごめんなさい! この借りはいつか必ず返すから!

 二人が言い合っている間に、フランがポツリと呟いた。

 「ねぇ、シオン。もしかして私を助けてくれたのは、お姉さまに言われたからなの……?」

 レミリアが何も言わなかったからか、フランはシオンに聞いてきた。どうやらフランは閉じ込められていた割に相当頭の回転がいいらしい。姉の言葉から、どんな賭けをしていたのかを察したようだ。レミリアは心に痛みがはしって来たのを感じた。しかし、今はシオンが何とかするのを信じるしかない。

 (どうする……? その場凌ぎの嘘は思い付いてはいるが……)

 嘘を吐けば、その場凌ぎをすることはできるだろう。しかし嘘は吐かないと決めていたシオンには、それを否定することができなかった。

 「……ああ、そうだよ」

 「! やっぱり、そうなんだ」

 悲しそうに俯くフランを見て、レミリアは焦る。何をする気なのかとシオンを見たが、シオンはただ俯くフランを見ていた。

 「確かに最初は、レミリアに言われたからフランに会っただけだった。けどフランに会ってからは、レミリアに頼まれたからじゃない。俺の意思でフランを助けたいと思った。例えそれが、独り善がりの感情であっても」

 シオンの本音だとわかるその言葉に、フランはどこか呆けているように言った。

 「それって、つまり――」

 「賭けなんてなくても、俺はお前を助けた。それだけ理解してくれればいい」

 「嘘じゃないよね?」

 確認するように言う彼女の姿に、レミリアは己がどれほど愚かな行動をしていたのかを理解した。

 四百九十五年という膨大な月日は、フランの思考を後ろ向きにするには十分過ぎた。だから何度も確認するような行動をするのだろう。

 そしてそれを理解していたシオンは、強く頷いた。

 「本当だ。大体、そうでも思わなければ、こんな大怪我をしてまで戦うはずないだろう」

 茶化すように言われてフランはシオンの体を見た。細かな裂傷と軽い火傷があり、弾があたった場所は大きな痣になっている。髪も一部焼け焦げている。それに何より、左の脇腹と左足の腿に大きな火傷があった。一目見てわかるほどの重症だ。

 自身が巻き込まれるのを恐れて、弾幕が爆発しないようにしていたのを考えれば、まだましだったと言えるだろう。それでも普通に立っていられるのがおかしいほどの大怪我であるのに変わりはない。

 フランは少しでもシオンを疑った自分を恨み、恥じた。

 「……ごめんなさい、私のせいで」

 「気にするな。()()()()()()()()。そんなことよりも、誤解が解けてよかった」

 本当に、心の底から自分の傷がどうでもいいと言っているような気がするシオンに訝しみながらも、フランは肩の力を抜いた。

 二人の様子を眺めていた三人も安心したのか、緊張を解いた。

 そして、レミリアはフランに謝った。

 「その、私はともかくとして、シオンは何も悪くないの。紛らわしい言い方をしてごめんなさい、フラン」

 「気にしてないよ。私も勘違いしちゃったし……」

 レミリアの謝罪に対して、フランはすまなそうに言う。二人の間に何とも言えない雰囲気が流れる。そこでシオンがその雰囲気を払拭しようと割り込んだ。

 「とりあえず、フランの能力を抑えようか。折角ここまで上手くいっているのに、暴走したら笑えないし――」

 と、そこまで言った瞬間、フランの足元からピシッ!っと何かが割れる音がした。

 『……………………』

 その音に、全員が顔を見合わせた。

 「……そういえば、シオンの能力は『あらゆる体に作り変える程度の能力』じゃなかったかしら? それなのに空間転移をしたり、重力を操ったりできたのは、どういうわけ? まさか、嘘を吐いた……とかじゃないわよね?」

 どうやら、今のを無かったことにするつもりらしい。レミリアの言葉に、フランもついでとばかりに聞いてきた。

 「それに私の能力も効かなかったし。結局シオンの能力って何なの?」

 あからさまな話題変換。それがシオンの琴線に触れたのか、二人に対して怒鳴った。

 「そういった話は後にしろ! 説明は後でするからとにかく今は俺の言うことを聞け。咲夜、ナイフを貸してくれ」

 それだけ言ってから、咲夜の方を振り向く。微かに頷いた咲夜は、スカートのどこからかナイフを取り出すと、それをシオンに渡した。

 「それを何に使うのですか?」

 「こうする」

 端的に答えてから髪を掴むと、焼け焦げた部分を中心にある程度の量を切り落とす。それに四人は驚いた。

 髪を伸ばしているのなら、それ相応の理由があるのだろうと思っていたのだ。それなのにあっさりと切り落とした。なのに簡単に切り落としてしまった理由がわからない。

 そして、代表としてレミリアが聞いた。

 「シオン、何故髪を?」

 「見てればわかる」

 答えになっていない答えを返して、シオンはどうしようかと考える。

 (う~ん……ペンダントにするか? いや、それだと失くしそうだからなぁ。手を使った能力なんだから、指輪……だと変な勘違いをされる可能性があるかもしれないし――自意識過剰過ぎるか? まあいい。一応念には念を入れておく――腕輪にするか)

 何の形にするかを決めたシオンは、切り落とした髪に自身のイメージを反映させ、変化を起こす。

 すると、髪が一瞬だけ光り輝いた。その輝きに四人は反射的に目を閉じた。

 次に四人が目を開けた時には、シオンの手の中に白銀色に輝くブレスレットがあった。

 どこから取り出したのかもわからない。考えられる理由としては、()()()()()()()()()()()()()のかという可能性だが、本当の理由はわからなかった。

 シオンはフランの左手をとって、それを着けさせた。

 「これでよし」

 ブレスレットを着けると、フランから微かに漏れ出ていた破壊の能力が止まる。

 「シオン、このブレスレットは……?」

 「いいから、能力を使ってみて。多分発動しないはずだから」

 フランの疑問を一蹴して能力を使わせようとする。フランは半信半疑の表情をするが、やがて能力を発動させようと集中し始めた。

 しかしどれだけ集中しても、能力を使うことができなかった。

 「使えない……」

 「少し不安があったけど、成功してよかった」

 どこかほっとしているシオンは、呆然としていたフランに気付いて微かに笑った。

 「俺を信じてよかっただろ?」

 「うん!」

 シオンの言葉に嬉しそうに、心の底から嬉しそうにフランは笑う。何百年もの間ずっと纏わりついていた不安と恐怖が消えたからだろうか。フランの目の端には涙が滲んでいた。

 四人は気付かなかったが、フランが涙を流していた理由はもう一つあった。

 (これで何かを壊すこともない! 壊すことに怯える必要もなくお姉さまたちと一緒にくらせる、けど――)

 と、そこでフランの思考が脇に逸れた。

 (――なんでシオンは、指輪じゃなくてブレスレットを渡したんだろう? 私としては指輪の方がよかったんだけどな……持ちやすいし、かさばらないから。でも初めて貰ったアクセサリーだから、やっぱり嬉しい)

 フランがそんなことを考えているとは知らないシオンは、ブレスレットの効果の説明を始めた。

 「そのブレスレットの主な効果は、フランの『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』の発動を阻害する、いわゆる能力制限を宿したモノだ。どうやってやってるのかは後で説明するから、今は聞かないでくれ」

 効果は理解できても、意味を理解できなかったフランたちが聞いてくる前に牽制する。慌てて口を噤んだフランを見ながら、続きを説明した。

 「他の効果は、フランの身に危険が迫った時に、その敵の強さに応じて能力の制限が解放されていく。それに加えて敵がフランよりも強い場合は、ブレスレットが微かに振動する。振動にしたのは、相手にバレないようにするためだ。後はそのブレスレットの大きさが変えられるってくらいだな。この効果は、アクセサリーをつけてはいけない場所でも持てるようにするためにつけた。変化させる方法は、念じれば変えられる。……一応言っておくが、小さくし過ぎて失くすなよ?」

 シオンの説明を聞いてさっそく大きさを変えようとするフランに釘を刺す。

 「う……わかった」

 注意されたフランは、苦虫を噛潰したように顔を歪めると、外したブレスレットを着け直した。

 「シオン、このブレスレットを綺麗にするには、どうすればいいのですか?」

 咲夜がシオンにブレスレットの清掃方法を聞く。どうやら咲夜がブレスレットの管理をするつもりらしい。

 けれど、それは無用な気遣いだった。

 「それに関しては大丈夫。それ、絶対に壊れないしし、錆びないし、傷もつかなければ埃もかからないから。()()()()()()()()()し《・》()あ《・》()()()

 「え……?」

 そんな異常な物質など聞いたことがない。そもそも、この世界に劣化しない物質など存在しない。それなのに、シオンはあっさりと言い切った。

 「そういう物だと考えてくれ」

 「はあ……わかりました」

 やはり答えないシオンに呆れたのか、咲夜はすぐに引き下がった。

 ちなみにレミリアたちは何の話をしているのかすらわかっていないらしい。自分たちで掃除をしたことがないのだろうか。

 そう思ったシオンだが、今は時間が無い。疑問に対する説明も、自分が聞きたいと思ったことも後回しにして、今すぐ終わらせようと思ったことを片付ける。

 「えっと、確か美鈴、だったよね?」

 「え? あ、はい。そうですけど」

 いきなり話しかけられ、動揺する美鈴に、シオンは頭を下げる。

 「壁に叩き付けたり、腹を殴ったりしてごめん」

 「……いえ、元々は私がよく確認しなかったのが悪かったのです。それに、もっと修練しなければならないと感じましたので、こちらの方こそ感謝したいと思っています」

 「そう、か。ありがと」

 軽い言葉で気にしていないと返してくれた美鈴に、シオンは安堵する。

 その姿を見てしまった美鈴は、シオンの人物評を修正する。

 (あんな剣を振るっているのだから、どこか狂っていると思っていたのですが……いえ、殺人剣を使っている以前に、あれだけの力を有していながら、その力に溺れている様子が見えない。むしろ、探ってみて感じたのは純粋な海のように穏やかな気配。けれどこの年齢の子供なら、大抵の場合は増長して調子に乗っていてもおかしくない。そしてそれが油断を誘ってしまうのが普通なのに……しかし、この子は――)

 まるで、歴戦の猛者だと思ってしまう。何故そう思うのかはわからない。けれど、自身の本能が、何故かはわからないが油断をするなと叫んでいる。

 門で戦った時は全力では無かった。次は一切の手加減をせずに戦い、勝ってみせると決めてはいるが、下手をすれば負けてしまう。そう思ってしまうのだ。

 美鈴がそんな考察をしているとは知らないシオンは、次に咲夜に話しかけた。

 「咲夜に関しては、特に言うことは無いね。だけど、主が言われたくない事を言ったのは減点だよ。従者がそんなことをしたらダメだろう。……そのせいで殺されかけたし」

 「ぅ……すみません、お嬢様、シオン」

 シオンの言葉を聞いて慌てて謝罪する。そうなったのはシオンのせいなのは完全に棚上げされている。けれど、二人は肩を竦めるだけだった。

 「で、レミリアの場合だけど」

 「え゛っ、私もあるの?」

 「当たり前だ。レミリアはもう少し我慢することを覚えた方がいい。まさか、笑われたという理由だけで頭を潰されるとは思わなかったぞ」

 「あ、あれは……!」

 バカらしいと言わんばかりに頭を振っているシオン。対するレミリアは、顔を赤くしてあたふたしていた。

 しかし、すぐにおかしなことに気付いた。それは、他の三人も薄々感じていたことだ。

 先程から急いでいるかのような早口。時間が無いという言葉。この対応の仕方は、まるで人が死ぬ時に言う――

 「遺言……」

 その呟きが聞こえたのか、シオンは少しだけ体を揺らした。

 「……やっぱり、バレるか」

 あっさりと言ったシオンに、レミリアは詰問した。

 「シオン、それはどう――」

 「どういう意味なの、シオン!」

 だが、レミリアの声はフランの叫びによって掻き消された。驚いたレミリアがフランを見ると、その瞳は不安で揺れていた。

 その姿を見たシオンは、二歩下がりながら、どこか悲しそうに言った。

 「……すぐにわかるよ。()()()()()()()()()()()()

 「時間?それって――」

 詰め寄ろうとしたフランの前に手をかざして、シオンは更に後ろに下がる。と、いきなりシオンが膝を着いた。そして膝をついたシオンは、押し殺した呻き声を上げた。

 「うっ……ぐ、っ……!あ、がっ」

 シオンの体から、バキ、ベキ、ベチャ、と何か潰されているかのような嫌な音が響いてくる。しかし外見には何の変化も起こっていない。

 それでもシオンの顔は苦痛にゆがんでいてる。そして、いきなり大量の血を吐き出した。

 「ガハ! グ、ゲホッ、ガハッ、ッ――!」

 何度か咳をしたあと、再度血を吐き出したシオンは、自らが吐いた血の中に倒れた。



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少女の手助け

 シオンが倒れ伏した瞬間、レミリア、フラン、美鈴の三人が叫んだ。

 「シオン! シオン!」

 「いきなり何が起こったの!? さっきまでは普通に話してたのに!!」

 「と、とにかく治療を――!」

 「全員、落ち着いてください!」

 慌てていた三人は、咲夜の怒鳴り声で動きを止める。そのまま咲夜は、シオンに触ろうとしていたフランに鋭い声で言った。

 「フラン様、シオンに触らないでください。容態が悪化する可能性があります。美鈴は清潔な水とタオル、それと治療のための薬と包帯の用意を」

 「わかりました」

 咲夜の言った内容を理解したフランはすぐに出していた手を引っ込める。そして美鈴は、紅魔館の中へと走って戻って行った。

 それらを確認した咲夜は、自身の服が汚れるのを厭わずにシオンに近づくと、その場に座ってシオンの体を診始めた。

 レミリア達は何をすればいいのかわからない、といったように途方に暮れていたが、余り時間が無い上にシオンのどこが悪いのか把握できていない現状では、何も言えない。

 もしもシオンが妖怪ならば妖力を受け渡して自然回復力を高めさせることができる。けれど純粋な人間であるシオンにはその方法は無意味だ。対して、人間である咲夜やシオンは脆い。寿命も短く、怪我や病気で死ぬ可能性が高い。だからこそ咲夜は、怪我や病気の治療法を知っている必要があった。

 妖怪は強過ぎる故にその類の知識を持たず、人間は弱いからこそ知恵を持った。しかし、知恵を持っている咲夜でさえ、シオンの体に起こっていることがわからなかった。

 (外傷に変化無し。なら、中身を見ないと……しかし、ここにはそれらを見るための道具がない。一体どうすれば……)

 途方に暮れる咲夜だが、うつ伏せに倒れているシオンを仰向けにしようと、右肩に手をかけた。その時、少しだけ変な感触がした。

 (……? 硬い物を掴んでいる感触が殆どない? まるで肉その物を掴んでいるかのような――まさか!?)

 何かに気付いた咲夜は急いでシオンの体を仰向けにする。その途中で、咲夜はシオンの体がどうなっているのかを大雑把ながらも理解した。

 (やはり、特定の箇所のみ()()()()()()()()()()……)

 そして、同時に理解した。自分では何もできないと。

 自身は助けてもらっておきながら、彼を助けることができない。その苛立ちを、握り締めた拳を地面に叩き付けることで無理矢理抑え込む。地面を叩いた時に血が飛び跳ねたが、咲夜にはそれを気にする余裕が無かった。

 そんな咲夜の様子を見ていたフランは、知りたくない、けれど知りたい、といった矛盾した顔で聞いた。

 「ねぇ。……シオンは助かる、んだよね?」

 途中でつっかえてしまったのは、それがありえないと理解しているからだろうか。咲夜は胸の痛みを抑えながら、なるべく感情を乗せないように言った。

 「………………無理、です」

 「……え?」

 機械のような声での返答に、フランは呆けた声が出てしまった。しばらくそのまま呆然としていたフランは、その言葉の意味を理解すると、嫌々と首を振った。

 「嘘……嘘だよ! 何で、どうして! また、また私のせいなの!? シオン、目を開けて! 謝るから!! シオンの言うこと何でも聞くから! だから、だから死なないでよ!!!」

 泣き叫ぶフランに、何も言えないのが咲夜には歯痒かった。と、その場に四人以外の少女の声が響いて来た。

 「紅魔館が揺れている上に、爆発音が響くから、何が起こったのかと来てみたのだけれど……これは、一体どうなっているの?」

 レミリアがその声のした方向を見ると、自身のよく知る人物が立っていた。

 「パチェ!?」

 パチェと呼ばれた少女の雰囲気は、少し暗い。長い紫髪の先をリボンでまとめ、目は眠たそうに緩んでいる。服装は、まるで寝間着のようだった。薄紫の服を着ていて、その下に紫と薄紫の縦じまが入った服を着ている。頭にはドアキャップに似た帽子を被っていた。また服の各所に青と赤のリボンがあり、帽子には三日月の飾りが付いていた。全体的にゆったりとした服だ。正直に言って、外に出る時に着るような服では無い。

 そんな少女は周囲を見渡しながら、不機嫌そうに言った。

 「レミィ、こっちは図書館の本が崩れて大変だったのよ? それにこの中庭の惨状。何があったのかの説明くらいはしてちょうだい」

 仏頂面で答える少女は、ここに来る前の出来事を思い出した。

 

 

 

 

 

 「パチュリー様、今は何を読んでいるのですか?」

 赤く長い髪を背中に一束にた少女は、自らの主に聞いた。その少女には、頭と背中に悪魔の羽に似たような物が生えていた。服装は白いシャツと、黒色のベストに真赤なリボン着けている。そして、ベストと同色のロングスカートを履いていた。

 「ああ、これ? これは、術式に関連した物よ」

 「魔法の術式ですか? そんな物を読んで何かためにになるのでしょうか。殆どの魔法は詠唱のみで発動させるもので、術式を使う物は極限られたもののみしかないはずですよね?」

 この世界の魔法はほぼ全ての物はを詠唱をすることによって発動する。術式を使わなければならない魔法は、結界などの魔法を維持するためか、発動させるのすらかなり面倒な代物か、あるいは特殊な効果を持ったものかといったものだ。あるいは詠唱だけでは発動できない魔法の補助にのみ使われている。要するに、余程難解な魔法を使うか、あるいは魔法の才が無い人間くらいしか使う必要が無い。

 だからこそ、少女は主がしようとしていることがわからなかった。

 「小悪魔、私が喘息持ちなのは知っているわよね?」

 「もちろんですが……」

 小悪魔と呼ばれた少女は、困惑しながらもそう答える。パチュリーが持病の喘息を持っていることなど、紅魔館に住んでいる者には当たり前の情報だ。それなのに、今更ながらそれを確認してきた理由がわからなかった。

 「私はこの持病のせいで、魔法の詠唱を完全に終えるのが難しい。特に、強い魔法になればなるほど詠唱は長くなるから、体調が良い時にしか使えない。それは勿体ないと思ったのよ。膨大な魔力を持っていながら、それを扱えないなんて」

 「確かに、宝の持ち腐れですね」

 普段は無口な主が饒舌なことに訝しみながらも、小悪魔は遠慮ない相槌を打つ。そして、頷いた小悪魔の目の前に、パチュリーが先程まで読んでいたページが広げられていた。

 「ここを見て」

 「……?」

 パチュリーが言った通りに見てみると、そのページには何らかの術式が書かれていた。しかし、これは――

 「この術式って、退魔師の使う護符か何か、ですよね?」

 そう、パチュリーが見ていたものは、魔法に使う術式ではなく、退魔師、あるいは陰陽師たちが使う護符などに関連した術式だったのだ。

 「この技術を応用しようと思ったのよ」

 「はぁ……ってええ!? む、無理ですよ、そんなの! そもそも魔法の術式と退魔師、陰陽師の使う符に描かれた術式は全くの別物です。なのにこれを使うなんて!」

 実際、こう言った技術を全く別のものに応用しようとするのは、それ相応の時間がかかる。それに加えて、パチュリーは魔法使いの才能はあっても、退魔師、陰陽師の才能があるわけではない。

 その点に関してはわかっているのか、パチュリーは鷹揚に頷き返した。

 「別にこの技術を丸ごと使おうなんて思ってないわよ。単純に、この技術を使ってそれぞれの魔法を使うための術式を作って、それをこの紙に書いて使おうと思っただけ」

 自らが座っている机の中から髪の束を取り出し、机の上に乗せる。その紙には、魔法に関しての複雑な術式が描かれていた。その紙の端には、この術式の基礎理論が書いてある。

 「これは……」

 感嘆の息を漏らしながら、興味深そうにその術式を眺める小悪魔に、パチュリーが言った。

 「この術式は、魔法において基礎の基礎の魔法の術式が描かれているの。基礎の魔法でさえこの難しさ。けれどもしもこれがうまくいくならば、私の弱点が何とかなるわ」

 「まさか、これを作った理由は!?」

 小悪魔は何故パチュリーがこんな時間も手間もかかることをしたのか理解した。

 「そう。この術式を使えば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。私が喘息を持っているという弱点を、これで覆せる。いえ、それ以前に、詠唱しなければ強大な魔法を使えないという、魔法使い全体の弱点すら無くせるわ」

 そう言い切るパチェリーの顔には、何時もは無い覇気が宿っているような気がした。

 「凄い、凄いですよパチュリー様! こんな物を作れるなんて!」

 「まだ試作段階だから、そこまで当てにはならないわ。けど、近日中に完成させてみせる。このことを貴方に話したのは、貴方にも手伝って欲しいから。手伝ってくれる? 小悪魔」

 「もちろんです!」

 大きく頷いた小悪魔は、パチュリーの指示通りにいくつかの本を持って移動を開始する。そんな時に、いきなり轟音がし、紅魔館全体が揺れるほどの地震が起こった。

 「うわわわ!!」

 「ッッ!」

 小悪魔は慌てて地面に座り、パチュリーは机にしがみついた。すぐに地震は止んだが、先程の地震の影響で、本や魔法の術式が書かれた紙の束がそこら中に散らばってしまった。

 すぐに紙の束は回収できたが、いくつかの紙はところどころ破れていて、術式がわかりにくくなってしまっていた。

 「……………………………………」

 それにしばらく呆然としていると、今度は何かが爆発するような音が聞こえてきた。

 「い、一体何が起こってるんですか!??」

 小悪魔は状況を理解できずに頭を抱えて座り込んでいるが、パチュリーはこの音で外に何が起こっているのかを悟った。

 「戦闘、ね」

 「え? ですが、ここ最近戦闘なんて殆ど起こってませんよね? 精々バカな妖怪が美鈴に懲らしめられるくらいで」

 「けど、実際に戦闘は起こっているわ。……私は外の様子を見に行ってくる。最悪加勢してくるつもりだけど、貴方はここで待っていて」

 紙の束を戻しながらそう言い、小悪魔の返事が来る前に魔法を使って飛ぶ。

 それから空を飛んで一階を目指している途中、またも爆発音が聞こえてきた。

 「飛んでいくのは危ないかもしれないわね……」

 飛ぶのを一旦止めると、念のため防御の魔法を張る。その状態を維持して、再び一階を目指した。

 体力が全くと言っていいほどに無いパチュリーが一階に着いた時には、ほんの少しだけ息が乱れていた。途中まで飛んで行けたからまだマシだったが、もしも全部歩きだったら、しばらく休む必要があっただろう。

 「ふぅ……爆発音も止まったみたいね。場所は……中庭かしら?」

 先程から響いて来た音によって、どこで戦闘があったのかは大体わかっていた。体を中庭のある方向へと向けると、すぐに歩きを再開した。

 そして、パチュリーが中庭に着いた時、その惨状に普段は緩んでいる目が見開かれた。

 「な、どうなっているのよ、コレは……!?」

 綺麗な花を植え、様々な蝶が飛び回っていたころの面影は残っていない。むしろ、廃墟寸前のような状態だった。

 ここにあった花のいくつかは、パチュリーがメイドに指示をして作らせたものだ。自らの手間をかけて――実際に花を植えるための行動したのはメイドと門番だが、新しい品種を配合し、作り上げたのはパチュリーだ――作ったものだけあって、それなりの愛着があったのだが、それら全てが吹き飛んでいた。

 こんな惨状を作った相手を恨みつつ、パチュリーは中庭を突き進む。最悪戦闘になったとしても、その相手を自身の最強の魔法で消してしまえばいい、などという物騒なことを考えながら。

 そして中庭のほぼ中央へと辿り着き、何故か俯いている自らの親友であり、誇り高き吸血鬼の少女――レミィに言った。

 「紅魔館が揺れている上に、爆発音が響くから、何が起こったのかと来てみたのだけれど……これは、一体どうなっているの?」

 そう。パチュリーが表に出てきたのは、あの戦闘が起こったからだったのだ。

 

 

 

 

 

 パチュリーが外に出ていて、目の前にいる。その事実に驚愕する前に、レミリアは叫んでいた。

 「パチェ、説明は後でするから、今は何も聞かずにシオンの傷を治してほしいの!」

 自らの要求を無視されたパチェリーは少しムッとした顔をするが、視線を逸らした時に見た地面に座り込んで泣いている金髪の少女を見て驚いてしまう。

 「貴方は……。フラン? フランドール・スカーレット?」

 その声に俯いていた顔を上げると、よく知らない少女がいた。

 しかし、自身の姉がこの人物に頼んでいたのが聞こえていたフランは、目の前の少女に懇願した。

 「私のこと知ってるの? ううん。今はそんなことはどうでもいいから、シオンを治して! お願いだから!」

 自分に懇願してくるフランの姿に戸惑うパチュリーは、レミリアの方を向く。すると、驚いたことにレミリアが頭を下げてきた。

 「私からももう一度お願いするわ。シオンを治して、パチェ」

 「ハァ……後で、きちんと説明してよね?」

 溜息を吐きながらも、パチュリーはレミリアの取った行動に内心で驚いていた。

 (まさかレミィが頭を下げるなんて……フランもいるし、二人の恩人か何かかしら?)

 そんなことを考えながら、パチュリーはシオンとやらがいる方を見た。そこにいたのは、大量の血に沈んだ小さな少女のような少年がいた。

 「凄い怪我、ね」

 暢気に呟いているパチュリーは、何故あの程度の怪我で二人が大袈裟に騒いでいるのかが理解できなかった。

 そう、パチェリーは誤解していた。フランを救えたシオンは、人間ではなく妖怪だと思ってしまったのだ。

 聞き覚えのある声が横から聞こえた咲夜は、無力感に苛まされて俯かせていた顔を上げる。そこにはいたのは、何時も図書館で黙々と本を読んでいるはずの、パチュリーの姿があった。

 「パチェリー様!!」

 驚愕した咲夜だが、何故ここにパチュリーがいるのかという疑問を思う前に、叫んでいた。

 「お願い致します! 今すぐ、今すぐにシオンを診てください! もう何時死んでもおかしくないのです!」

 悲鳴のような声を身に浴びたパチュリーは咲夜が怒鳴っているという事実に驚く前に、シオンが何時死んでもおかしくないという言葉に疑問を覚えた。

 (どういうこと? 彼は妖怪じゃないの?)

 そのことを咲夜に伝えると、ようやく二人は双方の理解にズレがあるのがわかった。

 シオンが人間であるのを知っている咲夜と、彼が妖怪だと思って行動しているパチュリーとでは、思うことが違うのは当たり前だ。

 やっとシオンが人間だということがわかったパチュリーは、今までの呑気な動きから即座に動き始めた。

 そしてパチュリーは歩いてシオンに近づいき、そのボロボロの体に触れようとしながら、咲夜に聞いた。

 「シオンの体の容態はどうなっているの? 大雑把でも構わないから、教えてちょうだい」

 「私にわかるのは、外よりも中の方が酷い、ということだけでした」

 「そう。ならまずは中身を見るわ」

 自らの責務を思い出したのか、少しだけ冷静になったらしい咲夜の答えに頷きながら、魔法を発動させるために詠唱する。それから発動させた魔法をシオンにかけた。そして、その結果に愕然とさせられた。

 「何なのよ、コレは!!?」

 いきなり叫び出したパチュリーに三人は驚いて体を震わせた。特にレミリアは、パチュリーがこんな大声を出したことに目を見開いていた。

 しかし肝心のパチュリーは、訳の分からない結果に頭を悩ませていた。

 (ありえない、ありえない、ありえない! 何で、どうしてこんな怪我を負いながら、生きていられるの!?))

 そう、彼女が見たシオンの体は、惨いという言葉を通り越していた。こんな大怪我を負いながら生き長らえているシオンは、正直に言って化け物だった。

 「ど、どうしたのですか?」

 パチュリーが見た結果を知ろうと、咲夜は聞いた。それで我に返ったパチュリーは、大声を出したことに若干の恥ずかしさを感じながら、少しだけ震えた声で言った。

 「……とにかく、魔法を使うわ。回復と自然治癒力を上げる二つの魔法をかけるから、少しだけ待ってちょうだい」

 それだけ言ってシオンを回復させようと詠唱するパチュリーを、三人は黙ったまま見つめていた。

 詠唱し、魔法をかけるその姿はまさしく魔法使い。幻想的な光景でありながら、既に見慣れてしまっているレミリアと美鈴には何の感慨もわかない。唯一フランだけが興味深そうに瞳を輝かせていたが、やはりシオンが心配なのか、その瞳は不安気に揺れていた。

 そして二つの魔法をかけ終え、一息ついているパチュリーに対し、我慢できなくなったフランが叫んだ。

 「ねぇ、シオンは助かるの!?」

 少しだけ汗を掻いているパチュリーは、その質問にすぐには答えられなかった。

 そして少し経ってから話せるようになると、フランにとっては絶望的な診断を告げた。

 「……現時点で、助かる見込みは皆無に近いわ」

 「そんな!」

 その残酷なまでに現実的な言葉に、呆然となったフランは地面に膝を着き、そのまま座り込んだ。しかし、パチュリーの言葉はまだ終わっていない。

 「でも……」

 「何か他のことがわかったの?」

 言いよどむパチュリーに、レミリアは続きを促すために話しかける。やがて言う決心が着いたのか、かなり言い難そうに言った。

 「私の予想では、多分助かると思う」

 「それは、何故かしら?」

 普段のパチュリーならば、そんな観測的希望は口はしない。パチュリーは良くも悪くも現実主義者(リアリスト)な魔法使いだからだ。

 だからこそ、パチュリーがこんなことを言うならば、何かしらの理由があるはずなのだ。

 「遠まわしに言うのはあまり好きじゃないから、単刀直入に言わせてもらうわ。本来なら、シオンはもうとっくに死んでいてもおかしくない。いいえ、死んでいないとおかしいのよ」

 またもあっさりと真実を告げるパチュリーに、三人は息を呑む。

 「け、けど、それでもシオンは生きているよ?」

 「それが不思議でしかないのよ」

 フランの必死な反論に、パチュリーは額をコンコンと叩いて複雑な表情をする。

 「シオンの体は、どう表現すればいいのか、よくわからない状態なの。惨いという言葉すら通り越してて、もう本当になんて言えばいいのか……。まず全身の筋肉が断裂してる。それと殆どの骨が欠け、折れ、捻じ曲がり、一部が粉々になっているか、あるいは()()してる。皮膚……と言うより肉も潰れてるし、内臓も大きく損傷してる。他にも怪我をしている部位があるけれど、今は言っても仕方がないわ」

 パチュリーが言った怪我をしている部位を聞いてしまった三人は、開いた口が塞がっていない状態だった。

 先程パチュリーが告げた『彼は死んでいなければおかしい』という言葉は、確かに正鵠を射ていたのだ。しかも、まだ怪我をしている部位があるのだから、例え生き長らえたとしても、その先は地獄だけが待っているだろう。

 しかし何よりもパチュリーを不思議に思わせたのが、その怪我の仕方だった。

 「不思議なのは、何故外見に全く変化が起こっていないのにここまで内側が壊れているのかが想像できないの。筋肉の断裂に関しては、体に無理をかけ過ぎたってことで納得できるのだけれど、粉々になっている理由がわからない。考えられる要因としては、外側をそのままに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……っていうくらいなのだけれど、現実的に考えて、まず不可能ね」

 パチュリーの推察を聞いたフランは、シオンの首にかかってある黒陽を見た。()()()()()()を持っている、漆黒の剣を。

 考えられる要因としては、それ以外に無かった。

 四人がそのまま固まっていると、紅魔館から声が聞こえてきた。

 「咲夜ー! 用意できましたよー!!」

 その声に三人は顔を見合わせ、パチュリーの方を見る。その視線に対して、パチュリーはどこか億劫そうに言った。

 「……なるべくゆっくり、丁寧に運んでちょうだい。今シオンに負担を与えたら、多分死ぬから。それと、薬を塗ってもほとんど意味は無いと思うから、汗を拭うだけでいいわ」

 パチュリーの言葉に、三人は今までに見たことが無いくらいに真剣に頷いた。

 咲夜は、シオンとしては不本意だろうと思われるお姫様抱っこで運び始める。

 フランはシオンの顔を心配そうに眺めていた。

 レミリアは毅然としながら咲夜を見ていた。念のため咲夜が落としかけた時には妖力を使って補助をするためにそうしていたのだが、内心には不安が残っていた。パチュリーの魔法が失敗したとは思っていない。親友の魔法の腕に関しては十分知っているからだ。しかし、万が一シオンが死んでしまった場合、残されたフランがどうなってしまうのか。レミリアは姉として心配だった。

 そんな三人――特に親友であるレミリアの背中を見ながら、パチュリーはポツリと呟いた。

 「まさかあの二人が、あんな顔をして頭を下げてくるなんて思ってもみなかったわ。何故かフランも外に出ていたし……」

 恐らくあのシオンと呼ばれていた少年が、フランを助けたのだろうというのは想像できる。けれどシオンが人間ならば話は別だ。人間は利己的で、しかも初対面の相手にあそこまで必死になれるようなお人好しはほとんどいない。

 そもそもフランを相手にすれば、あんな怪我を負うとわかっていたはずだ。自身の筋肉が断裂しながらでも戦っていたのだから、その予想ができないほどバカじゃないはず。この想像はまず間違っていないだろう。だがそれでもなお助けられるような生易しい相手では無い。

 それなのに、彼はフランを助けた。ただ無鉄砲なバカではないということだが、後の事を考えていないという点ではバカであるのに変わりは無い。

 そこまで考えて、パチュリーは咳き込んだ。また持病の喘息が起こったのだ。

 実のところ、今日のパチュリーは余り体調が良いとは言えない。先程の魔法も、かなり無理をしていたのだ。

 「けど、あのまま放っておいて、シオンとやらを見捨てるのは、無理だったのよね」

 無関係な人間を助けるほど、パチュリーは優しくない。けれど、大切な親友とその妹と従者に頭を下げられてお願いされたのだ。それを断れるほど、パチュリーは冷たくは無かった。

 「私の全力を持って治療をしてあげたのだから、死ぬのだけは許さないわよ」

 貴方が死んだら、あの三人が悲しむのだから。そうつぶやいた言葉は、誰の耳にも入ることなく廃墟と化しているボロボロの中庭に消えていった。

 

 

 

 

 

 紅魔館の一階、中庭に繋がっている扉のすぐ傍にある空き部屋にシオンを連れて行った三人は、シオンをベッドに横にしてから、美鈴が包帯などを持ってくるのを待っていた。

 「咲夜、言われた通りの物を持ってきましたが、これでいいのですか?」

 開いていた扉から、咲夜が言った通りの物を持った美鈴が入って来た。

 「はい。ありがとうございます」

 咲夜は感謝しながら水とタオルを受け取った。

 そしてそれを使ってシオンの体を綺麗にしようとしたが、服を脱がそうとするだけでもシオンの体に負担をかけると思った咲夜は、美鈴に手伝ってもらいながら服を脱がせた。そして水をつけた濡れタオルでシオンの体を拭い――もちろん細心の注意を払って――包帯を巻いた。しかし一部の骨が無いため、何処に巻けばいいのかわからず、結局は火傷をしてある脇腹を始めとしたいくつかの部分に巻いただけだった。

 それからは余りやることも無いまま、その場にいるしかなかった。

 全てをやり終えてからの時間は、とてつもなく長く感じられた。たまに汗を掻いたシオンの額を拭うくらいしかすることが無く、ただ見ているだけしかできないレミリアとフランは、何もできない自分に憤るしかなかった。

 そして数時間が経った頃、咲夜が口を開いた。

 「お嬢様とフラン様は、もう休んでください。そろそろ朝日が出る時間です」

 「わ、私はまだ大丈――」

 「フラン」

 強がるフランの肩に手を置きながら、レミリアは首を横に振る。

 「私たちがここに居ても意味が無いわ。知識が無い私たちがここにいれば、咲夜と美鈴の邪魔になるだけ」

 「で、でも!」

 フランは反論しようとするが、自分の肩に置かれた手が震えているのに気付いた。レミリアも、シオンのことが心配なのだろう。

 本当のところ、レミリアはシオンが死んでしまった後のフランを心配していだだけだ。レミリアにとって、シオンはフランを正気に戻してくれた相手ではあっても、家族、友人、従者のどれにも当てはまらないのだから。

 もしもシオンが目覚めた場合は認めてもいいが、死んでしまったら恨むくらいの気概でいたのだ。

 だがそれを知らないフランは、姉もシオンを心配しているのだと勘違いした。それはある観点から見れば間違ってはいないが、正しいとも言い切れない。

 そしてフランは、悔しそうにしながらも咲夜に頼んだ。

 「咲夜……シオンのこと、お願いするね」

 「お任せください。フラン様」

 咲夜の顔には隠しきれない疲労の色があった。それでも咲夜の佇まいからは、必ず助けるという決意があった。

 小さく頷いたフランは、レミリアと同時に言った。

 「「お休みなさい」」

 「「お休みなさいませ。お嬢様、フラン様」」

 従者と門番は、頭を下げて二人を見送った。

 その日からは、似たようなことを繰り返すだけだった。

 朝から夜になるまでは咲夜と美鈴がシオンの看病をし、夜は咲夜が眠る前に作ったご飯を食べながらレミリアとフランがシオンを看る。

 二人は、シオンに何らかの変化が起こった場合に咲夜を起こす、という役割だった。

 パチュリーは一日一回だけ、シオンの体に魔法をかけに来た。パチュリーがかけているのは回復の効果を持った魔法ではなく、体の中身を診る魔法だった。

 もしもシオンの体に異物が入り込んだとしたら、それを取り除く必要があったからだ。

 そして三日経ち、三回目――中庭でも一度使っているから、正確には四回目なのだが――の魔法をかけた時に、パチュリーはおかしなところを見つけた。

 (ん……? 何か変ね。シオンに、何かが――)

 そこでパチュリーの思考と魔法が途切れる。シオンが身動ぎをしたからだ。

 「ぅ……づ……」

 「「「「「!!!!!」」」」」

 シオンが呻き声を発した瞬間、フランはベッドの端に手を置いて身を乗り出した。

 何度か呻き声を発したシオンは、瞼を震わせながら目を開けた。そして、しわがれた声で呟いた。

 「……ここ、は」

 「シオン!!」

 「え? うわっ!?」

 フランに抱き着かれて完全に目を覚ますことができたが、代わりに凄まじい激痛が襲ってきた。

 「が、ぁ……ぐ!」

 抑えきれずに漏れてしまった微かな悲鳴。

 「ご、ごめんなさい!」

 慌てて離れようとするフランに、シオンは大丈夫だと伝えるために苦笑する。しかし、大丈夫なはずがなかった。フランが離れても痛みは消えない。それに右肩と左手から左腕、そして両足から骨のある感触がしない。その上血も足りず、少し頭がクラクラする。それを気合で我慢しながら、何とか咲夜へと声をかけることができた。

 「咲夜、水、くれ」

 「は、はい」

 喋るのも億劫といった様子のシオンに冷たい水を渡そうとするが、すぐにシオンは体を動かせないことを思い出す。そして、シオンの左肩から背中に手を回して、少しだけ体を起こさせると、少しずつ水を飲ませた。

 顔が歪みそうになるのを抑えながら何とか水を飲み込むと、シオンは自分の()()()能力を発動させた。

 それと同時に足元まであった長い髪が腰まで縮む。外見的な変化はそれだけだった。しかしシオンはいきなり()()を回し、床に足をつけて立ち上がる。

 誰もが驚いて固まっている中、パチェリーが呆然としたまま呟いた。

 「何で、動いているの……? 右肩も、両足の骨も殆ど粉々になっていたから、動かせるはずがないのに……」

 その疑問に、シオンは簡潔に答えた。

 「これが、俺の『本当の』能力だから」

 「貴方の、能力?」

 未だに信じられない、といった風に呟いたパチェリーの言葉に、小さく頷き返す。

 「そう。……レミリアには、後で話すって言ったよね。全部、話すよ。黒陽と白夜。そして俺に宿った、この忌々しい力。その全てを」

 そうしてシオンは、自分が知っている能力の説明を始めた。




今シオンとフランのプロフィール作成していますw
10話と同時に投稿するつもりなので、そこそこ時間かかるかも……


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シオンの能力

2万文字超えた!キャラクター設定とかとあわせると3万5000文字……
……頑張って読んでください。途中で若干ふざけたところを載せて息抜き?
的な箇所はあるので……


 「多分気付いているだろうけど、俺が使ってる能力は『重力制御』と『空間制御』と後一つある」

 「やはり、そうですか」

 そう呟いたのは、咲夜だった。

 彼女は、自身に宿る能力によって、シオンが扱っている力が何なのか予測できていた。しかし、種族が持っている能力と他の能力を持っている、という場合で無い限りは、能力は一つしか持っていないのが普通なのだ。だが、シオンは当たり前のように三つの能力を使っていた。だからこそ、咲夜はそれが正解なのかどうか半信半疑だった。

 が、それでもわからないこともある。

 「しかし、シオンの能力は別のものだと言っていましたよね。まさか、お嬢様の言う通り、嘘だったということですか?」

 「いや、嘘は言ってないよ。重力制御と空間制御は、()()()()()()()()()()

 「シオンの能力では無い?」

 混乱に拍車をかけそうになった咲夜の横から、フランが身を乗り出してきた。

 「その剣の能力だから、シオンの能力じゃない。……そうなんでしょ?」

 「……よくわかったね」

 シオンの胸に煌めいている漆黒の剣を指差しながら言い切るフランに、シオンは誤魔化さずに肯定した。

 それに慌てたのは、咲夜でもフランでも無く、パチェリーだった。

 「ま、待ってちょうだい。能力を持った武器なんて、聞いたことがないわ」

 パチェリーは人生の殆どを魔法と本を読むことに費やしてきた。その知識から、そんな武器は無いとわかっている。けれど、パチェリーは自身が学んだ知識だけが全てでは無いともわかっていた。

 「……とにかく、教えてくれない?貴方の――いえ、その剣の能力を」

 右手の人差し指を額に当て、冷静さを取り戻したパチェリーがシオンに願う。その瞳には、知りたいという知的好奇心のようなものがあった。

 それに釣られてか、他の四人もシオンを凝視してきた。だが、シオンが言ったのは見当違いの言葉だった。

 「……貴女は誰?」

 五人は自分がズルッとこけるような錯覚を覚えた。しかし自己紹介をしていなかったと思ったパチェリーは、それで無理矢理自分を納得させた。

 「そういえば、貴方を見つけた時はもう意識を失っていたわね。私はパチェリー・ノーレッジ。この紅魔館に居候させてもらってる魔法使いよ。……一応、美鈴もしておいたらどう?」

 主語は抜けているが、自己紹介をしろと言われた美鈴は頷く。

 「わかりました。私は紅美鈴です。趣味は鍛錬ですね。最近は花を育てることも楽しいと思っていますよ。……まあ、全部吹き飛んでしまいましたが」

 美鈴はどこか遠い目をして言う。その原因を作った張本人のフランは、気まずそうに顔を背けた。

 「ご、ごめんなさい」

 「いえ、花はまた植え直せばいいですから」

 沈鬱して項垂れるフランに、美鈴はフォローを入れた。その顔には少しだけ冷や汗が滲んでいた。……美鈴にかなりきつい睨みを入れているレミリアのせいだろうが。

 今まで閉じ込め続けていたという負い目があるせいか、レミリアはフランに対してどこか過保護過ぎると思ったパチェリーは、とりあえずシオンに水を向ける。

 「私たちは貴方の名前を知っているけど、貴方は自己紹介をしないのかしら?」

 「え?まあ、それもそうか。俺はシオン。姓名は無い。意外だと思うけど年齢は九だ。趣味は美鈴と同じく鍛錬。といっても、俺の場合は何でもやるけどね。特技――というより、得意なものは()()だよ」

 「戦争?戦闘ではなくて?」

 一部おかしい部分があったため、パチェリーはそれが誤りではないかどうかを聞いた。けれど、これは間違いではない。

 「いや、あってるよ。俺は一対()()()()の大多数が入り混じった戦闘は得意だからね。そこまでいけば戦争と言っても過言じゃないだろ?」

 「確かにそうね。そんな戦いができる貴方は色々とおかしいことがわかったわ」

 余りにも常識の埒外過ぎるシオンに、パチェリーは「おかしい」の一言で片づけて次に進ませることにした。

 「もう一度聞くけど、その剣の能力を教えてもらえないかしら?

 「まぁ、どのみち教えるつもりだったからいいけどさ」

 「御託はいいから、速く教えなさい」

 「……それじゃ、黒陽の説明からさせてもらうよ」

 もう待てないと言わんばかりのパチェリーに無理矢理急かされたからか、シオンはどこかぶっきらぼうに言い放つ。

 「黒陽と白夜は、両方とも普段から封印されている状態になっている。これは常に完全解放状態だと俺の体がもたないからこうなっていて、本来の力の五~一〇%しか引き出せないんだよ。だから、普段封印している時は攻撃や防御の補助(ブースト)程度にしか使えない」

 「なるほど、そういうことでしたか。結構気になっていたんですよね」

 「美鈴、いきなりどうしたの?」

 いきなり納得できたと言わんばかりに笑顔を浮かべている美鈴に、そちらの方へと体を向けたレミリアが問う。

 美鈴は恥ずかしそうに頭の後ろを掻きながら答えた。

 「私が最初に侵入者と間違えて襲いかかった時のことなのですが、シオンが私の蹴りを素手で受け止めたんですよ。その時、何でシオンは吹き飛ばされないのか悩んでいたので、その理由がわかったから納得できた、というわけです」

 軽く言ってはいるが、実はかなり気にしていた。人間の子供を吹き飛ばせないほど弱くなってしまったのかと。しかし、今やっとその理由を理解できた。

 そこで美鈴が、自分が話を逸らしてしまったことに気付いた。

 「あ、すいません。話を逸らしてしまって。シオン、続きをどうぞ」

 「わかった。……それじゃ、続きを言わせてもらうけど、黒陽の能力でいまのところ理解できているのは、白夜と共通している『能力解放』。それと『重力操作』と『形態変化』の三つだ」

 「ねぇ、後の二つはともかくとして、能力解放は技の内に入るの?」

 レミリアがもっともだといえる疑問を言う。それに対して、シオンは能力解放を技と言っている理由を説明した。

 「元々黒陽と白夜は、ゼロである封印状態か、一〇〇である完全解放状態かしか選べないんだ。だからこそ、能力を半分まで解放するこのトリガーを作ったってわけ」

 「あの力で半分、ね。けどそんな物を作る必要があるのかしら?」

 「まあ、普通はそう思うだろうね。けど一つ間違いがあるよ、レミリア」

 「間違い?」

 「そう。俺は黒陽の力を完全に扱えてるわけじゃないってことを忘れてる」

 シオンはこの力を完全には扱えない。というよりも、扱えるわけがない。半分の力を扱うのですら、手を焼いているのだから。

 「それに能力解放を作った最大の理由は、黒陽を使った時の反動を抑えるためなんだ。もちろん弱点もある。半分()()解放できるだけであって、必ずしも半分の力を使えるわけじゃない」

 「リスクが高いけれど、それでも使わなければ使いこなせないってことね」

 「そういうこと」

 シオンとレミリアの話を聞いて、フランは自分の推測が当たってるのではないかと思った。

 「シオン、能力の反動って、使ってる最中に体が押し潰されることなの?」

 フランの推察に、シオンは少し驚いてしまった。それと同時に、やはりフランは頭の回転がいい、とも思った。

 「半分正解。正確には、『使った重力の何十分の一から何分の一までの間で、体の()()に重力の負荷がかかる』ってところかな」

 「あの不可解な怪我の仕方は、そういう理由だったのね」

 「それに、体の内側にかかるってことは、ほぼガード不可能って意味でもあります」

 「美鈴、それはどういうことかしら」

 またもレミリアに質問された美鈴は、しばし考えてから言った。

 「えっと、例えばお嬢様が殴られかけたとしますよね?その時、お嬢様ならどうしますか?回避や武器で受け止める、という選択は無いと考えてください」

 そう言われて、レミリアは実際にそうなった時のシュミレーションをする。そしてシュミレーションを終え、美鈴に正解かどうかを尋ねた。

 「妖力を使って防御をあげるのと、痛みに堪えるために体を固めるってところかしら?」

 「そうです。しかし、体の内側に直接負荷がかかった場合では、それはできません」

 実際に殴られた場合にわかる。身構えて受けるのと、不意打ちでいきなり食らわされた場合では、後者の方が痛みが強い。

 更に付け加えると、黒陽の反動はそんな生易しいものでは無い。

 「――しかも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()からね」

 「え……!?」

 流石にそれは予想していなかったのか、美鈴の頬が引き攣った。他の三人も似たり寄ったりの顔をしていた。唯一フランだけが理解できていないらしく、首を傾げていた。

 しかし彼女たちの反応は大げさなわけではない。それはそうだろう。人が殴られた時に仰け反るのは、そうした方が衝撃が少ないからだ。衝撃を分散させ、威力を減衰させる。だが全方向から衝撃が来るとしたら、それすらできない。いや、むしろ通常よりも遥かに高い激痛が襲ってくるはずだ。

 シオンは、そんな痛みに耐えながら重力制御を使っている。それに思い至った美鈴は、失礼だとは思いながらもシオンが正気かどうかを疑いたくなった。

 「シオン、貴方は、死ぬ気なのですか?」

 「別に死ぬ気はないんだけど……。美鈴だってわかってるだろう?痛みをこらえてでも使わなきゃ、生き残れないことくらい」

 それは事実だった。シオンはこの力を使わなければ、もうとっくの昔に死んでいる。

 「そもそも、体重が大体二十キロ以下しかない俺が、美鈴やフランの攻撃を受け止めるなんて常識的に考えれば不可能だなんてことはバカでもわかる。普通は耐え切れずに吹き飛ばされるんだから。膂力だってそっちの方が上だしね」

 「それもそうね。そしてそれを補助(アシスト)しているのが、その黒陽の力ってわけ」

 「そうしなきゃ、受け止めるなんてできないだろう?」

 例え大人の重さであろうと、妖怪の筋力から判断すればそこらの石ころと変わらない。まして四歳児と変わらない身長と体重であるシオンなど言わずもがなであろう。

 それでもシオンが美鈴やフランの攻撃を受け止められたのは、黒陽のおかげだった。

 「『重力操作』は重力を『生み出す』のではなく、元からある重力を『操る』力だ。だから受け止める時は重力を『収束』させ、本来の重力の影響の数十倍まで増やす。そうやって初めて美鈴たちの攻撃を受け止めることができる。それ相応の反動はあるけどね」

 しかし、この重力の影響を増やすのは本来自滅技に近い。自分の体重の数十倍の負担をかけて、当たり前のように行動できるはずがないからだ。赤ん坊にテーブルを持たせようとするのと似たようなものである。

 「逆に重力を『拡散』させて動きを速めたりもできる。戦闘中に加減を間違えると、逆に動きを阻害されて殺される確率が段違いに跳ね上がるけどね」

 「当たり前ですよ。というか、普通は体勢を崩してそれで終わりなんですけど……」

 「そこは慣れでできる」

 「慣れでできるのなら、誰も苦労しませんよ!」

 美鈴の当然ともいえる反論をシオンはスルーした。

 「それと重力を『消失』させて相手の攻撃のタイミングをずらして空ぶらせたりもできる。後は重力を収束させて重力球を作って攻撃したりってとこかな」

 「無視ですか」

 シオンにあっさりと無視された美鈴はガックリと項垂れた。

 「それと、この能力は周囲の重力を使うから下手に重力を変動させると、少し動いただけで重力が数十倍になったり、逆に消失したりする歪な空間ができあがる。だから使いすぎにも注意しないといけないんだ。一見便利に思えるけど、黒陽の能力って結構繊細何だよ」

 やってられないとばかりに首を振る。と、そこでフランが、シオンが()()()()()()()()()()()()を聞いてきた。

 「ねぇシオン、一つ疑問に思ったんだけど」

 「ん、何かあるのか?」

 「戦ってる時にその反動を喰らったら、どの道動きが阻害されると思うんだけど、そこはどうしてるの?」

 「――ッ!!」

 純粋に聞いたのであろうフランのその言葉に、シオンは体を強張らせる。そんなわかりやすい行動をすれば、この五人にバレないはずがなかった。

 「……シオン、隠さずに話しなさい」

 「……わかっているさ」

 苦虫を噛潰したかのように渋い表情をしながら、シオンは言った。

 「黒陽と白夜もそこらへんは考えてくれてるらしくてね……。もう一つの選択肢を用意してはいたよ」

 はっきりと明言するのを避けたからか、抽象的になってしまった。しかし、それだけで五人はその内容を理解した。

 それを聞くために、フランが恐る恐るといった風に言った。

 「まさか、後で一気に、とかじゃないよね……?」

 更に渋い顔をするシオンの反応から、それが正解だとわかってしまった。

 「そんな……!」

 もう隠しきれないと悟ったのか、シオンはかなり嫌そうに言った。

 「……もう一つのリスクは、一定時間反動を全て失くし、効果が切れるのと同時にタイムラグ無しに一瞬で来る。一回一回が少なくても、総量が大きければ大きいほどに反動が酷くなっていく。そういう狂気のような選択肢が、黒陽と白夜が提示したものだ」

 先程の『重力操作』の説明と組み合わせると、シオンが何故あんな大怪我をしたのかが完全に理解できる。そして、シオンは戦闘が長引けば長引くほどに不利になってしまうということも。

 「……本当に、狂気そのもののような選択肢ね。反吐がでそうになるわ」

 実際にシオンの体の中身を調べたパチェリーは、やっていられないといわんばかりに暴言を吐いた。マナーが悪いとしか言いようがなかったが、誰もそれを注意しなかった。

 程度の差はあれど、皆大なり小なりそう思っているからだ。

 「まあでも、ただの人間である俺が小細工無しでフランの攻撃を受け止めることなんてできないから、これはこれでありがたいとしか言えないんだけどね。技術で差を埋めるのにも限度があるし」

 気か何かがあれば話は別だが、シオンはそんなものは知らないし、使い方もわからない。どっちにしろ、シオンはそんな使えもしない物に縋るつもりもない。それ故に、今使えるもの全てを使って生き残るしかない。だからこその小細工。

 だがそれを除いても、シオンの言い方には疑問が残る。『ただの人間』という部分をやけに強調していたからだ。――まるで、自分は人間だと信じ込もうとしているみたいに。

 けれどシオンはその場の空気を感じ取ろうとすらせずに、言った。

 「また話が逸れた。最後に『形状変化』だけど……これは実際に見せた方が早いな」

 首に掛けた黒陽に触れると、小さく「能力解放」と呟いた。そして半分だけ枷が外れた黒陽は、何かを集めているかのようにうごめき始める。

 それを気にせず、シオンは右手に持った黒陽の形を剣に変え、更に()()()()()()()()()()()

 「これ、は……」

 「キレイ……」

 「それは一体?」

 「凄いですね……」

 「興味深いわね。後でもっとよく観察させてちょうだい」

 レミリア、フラン、咲夜、美鈴、パチェリーの順で()()を見た。

 黒陽を持っていたはずのシオンの右手の掌には、何の不純物も混ざっていない黒い塊があった。その塊の先は一切見えず、まるで終わりの見えない闇そのもののようだった。その危うさに反して、大きさは小さい。シオンの掌で覆い隠せると思えるほどだ。

 「これが『形状変化』と言ったわけ。本来の形が小さな重力の塊である黒陽は、決まった形が無いんだよ。だから、俺がその気になればどんな形にでも変えられる。こんな風にね」

 重力の塊をレミリアの『グングニル』と似たような形状に変える。

 「私のグングニルと同じ形……?」

 「本物よりも創りが荒いよ。一瞬しか見えなかったし、全体を見た訳じゃ無いから」

 それでも異常なまでに似通っている。そう思ったレミリアを余所に、シオンは枝のような形をしている剣に変えた。

 「今度は『レーヴァテイン』……」

 燃えているわけではないが、グングニルよりも正確で精巧な形をしたレーヴァテインがあった。

 全員がそれを見終えたと確認したシオンは、再度グングニルの形に戻すと、バトンのように片手でクルクルと回し始めた。

 「まあ、こんなとこかな。ああ、それと黒陽を変えられる大きさに限度は無いから、その気になれば大陸を真っ二つにするような巨大な剣の形にもできるよ。重さはその物体の大きさに比例するし、重さ自体は変えられないから、押し潰されるのがオチだけど。理由は不明」

 「けど、かなり便利な能力に変わりないわ。持ち運びは簡単で、得物は自由自在。正直羨ましいわね」

 「……妖力で武器を出現させられるくせに、欲張りだな」

 「何か言ったかしら?」

 「いや、特に何も」

 ニッコリと満面の笑みを浮かべるレミリアを見て、シオンは触らぬ神に祟りなしとばかりに肩を竦めて恍ける。そして黒陽をアクセサリーに戻して首に掛ける。

 「弱点は重力が存在しない場所だと剣の形すら保てない……んだけど、無重力空間なんて殆ど無いから、弱点は無いに等しいね」

 「リスクにさえ目を瞑れば、かなり強力なのにね……」

 「俺も本気でそう思うよ。……じゃ、次は白夜の能力の説明に入るかな」

 「シオン、その前に教えてください。白夜のリスクとは?」

 白夜を取り出そうとしたシオンに、咲夜は手を出して遮る。シオンは手を下ろしてから言った。

 「黒陽の反動の内容を『捩じ切られる』に置き換えればそれがリスクになるよ」

 「……そう、ですか」

 予想できていたのか、咲夜の反応は小さかった。

 「もういいか?」

 「はい。ありがとうございました」

 「別にいいよ。それじゃ――」

 空間に左手を入れて白夜を引き摺り出す。

 「白夜の能力は、『能力解放』と『空間操作』。そして『空間固定化』と『空間断絶』の四つだ。能力解放は黒陽と同じだから、飛ばさせてもらうよ」

 そして黒陽と同じように「能力解放」と言う。そして、白夜を上へと投げた。しかし、天井に当たる前に白夜の姿を見失う。

 「……消えた?」

 「消えたんじゃない。目の前にあるよ」

 シオンは投げた白夜をレミリアの真下から出現させる。元々上へと投げられていた白夜は、その勢いに従ってレミリアの目の前を通過し、また消えた。そして、シオンは自身の傍に移動させた白夜を左手で掴みとる。

 「これが空間操作による空間転移。本当は空間切断とかもあるんだけど、一番わかりやすいのはこっちだからね」

 「ちょっと待ってください。確か、シオンは空間転移をする時は切る動作をしていませんでしたか?」

 咲夜の言う通り、シオンは空間転移をする場合は空間を切らなければいけない。が、今回は少し勝手が違った。

 「それは俺自身が移動する場合であって、空間その物を凝縮させてできてる白夜を転移させるだけなら、わざわざ切る必要はないんだよね」

 「空間そのものを凝縮させた……?」

 「うん、そう。白夜は黒陽と違って形すら存在しない。だからこんな風にもできる」

 そしてシオンは白夜を『ほどいた』。すると、白夜はリボンがほどけるようにスルリと消え去った。しかしすぐに先程の光景を逆再生するかのように元の剣に戻る。

 「これが空間を凝縮させたって言った理由。元々の形が存在しない白夜は、こうやらないと剣の形にもならない。そのくせ、何故か剣以外の形にならない」

 「理由は?」

 「謎」

 「……は?」

 レミリアは簡潔に一言でわからないと言い切るシオンに対して、しばし呆然とする。すぐに我を取り戻すと、すぐにシオンに詰め寄った。

 「わからないって、これ、貴方の能力なんでしょ?」

 「違う」

 「……違う?」

 再度簡潔に答えたシオンは、この場にいる全員に衝撃的な言葉を言った。

 「この能力は――いや、黒陽と白夜は()()()()()()()

 『は……?』

 余りにも予想外過ぎる発言に空気が凍りつき、全員が一瞬だけ固まる。しかしすぐに元に戻ると、レミリアがシオンに向かって言った。

 「シオン、貴方はその剣をどこで手に入れたの?」

 「……場所はわからない。そもそもあの場所が何のためにあったのかもわからないんだ」

 「どういうこと?」

 「この二つの剣は、多分どこかの異空間にあったものだと思う。俺はそこで、これを貸してもらった――というより、無理矢理渡せられたという方が正しいのか?」

 その内容を咀嚼したパチェリーは、信じられないものを見るような目で言った。

 「それじゃ貴方は、どこで手に入れたのかも、何で渡されたのかも知らず、そしてどんな力を持っていてどんなリスクがあるのかもわからずにソレを使っていた……ということ?」

 それを聞いたシオンは、罰が悪そうに後頭を掻きながら目を逸らした。

 「……一応、どんな力があるかは知ってたよ」

 「……つまりそれ以外は知らなかった、と」

 腰に手を当てて呆れたとジト目を向けてくるパチェリーに苦笑いする。

 「使わないと生き残れないような状況にいたしね」

 「本当に、貴方はどんな人生を送って来たのだか……。一度頭の中身を覗いてみたいわ」

 「流石にそれは嫌だ」

 即答するシオンに、パチェリーは「冗談よ」と告げると、自らを落ち着かせるように壁によりかかった。

 それを何となく眺めていたシオンに、横から声が聞こえた。

 「あの、空間固定化と空間断絶の二つの説明をお願いできませんか?」

 そう言ったのは意外にも咲夜だった。厚かましいと思いながらも片手を挙げてお願いしているのは、何か理由があるのだろうか。

 「それはいいけど、意外だね。まさか咲夜が言うとは思わなかった」

 「少し、気になりますので……」

 「まあいいけど。とりあえず空間固定化に関しては見せた方が早いかな……。美鈴、合図したら手加減無しに殴ってくれないか?」

 「はい?」

 素っ頓狂な声を出す美鈴を無視して、シオンは白夜の能力を使う。そして自身の目の前に右手を置くと、合図をした。

 「んじゃ、お願い」

 「はぁ……」

 何をするのかと訝しみながらも、美鈴はシオンの前に出ると、腰を落として態勢整える。そして――一切の手加減無しに、思いっきり殴った。

 「ふっ!」

 それがシオンの手に衝突する寸前、途轍もなく硬い物を殴りつけたような音がした。

 「え?」

 しかし、何も起こらなかったわけではなかった。シオンの目の前の空間に、大きなヒビが入っていたのだ。それに美鈴が驚いたのだが、シオン自身も驚いていた。

 「結構本気で固定させたんだけどな。まさか、ここまでヒビが入るとはね」

 手を下ろしながらボヤく。それと同時にヒビの入った空間が元に戻り始める。薄気味の悪い光景に、美鈴は冷や汗を掻いた。

 「これは?」

 「これが空間固定化。空間そのものを壁あるいは盾などを参考にして作ったある意味最強の盾」

 「ある意味とは何でしょうか」

 「持ち運ぶ必要が無いから余計な体力を使わない。咄嗟の判断でも作れるし、長い時間をかければ白夜よりも一段劣るけれどそれでも十分に堅い盾にもできる。空中にいる時は足場にもできたりする。それと――」

 そこで一旦区切ると、右手で白夜とよく似た剣を作る。だがそれは、白夜よりも数段劣りる光を放っているが、どことなく透明な剣だった。

 「――こんな感じで、剣にもできる。まぁ白夜よりは数段劣るけど、それでもそこらの剣よりは鋭さも何もかも上だよ」

 それだけ言って贋物の白夜を放り捨てる。地面に落ちる前にほどけて消えた。

 「で、次は空間断絶なんだけど……。これは、何て言えばいいのかな」

 「何か表現しにくいところでもあるの?」

 「そういうわけじゃ無いんだけど――」

 シオンは困ったように眉を寄せる。しかしすぐに白夜を逆手に持って、切っ先を地面に向けた。

 「やっぱ実演した方が早いか」

 そして切っ先を地面に突き刺す。先程の固定化と違い、目に見える壁が見えた。無色透明、それなのに見えるという矛盾でありながら、その壁は当たり前のようにそこにあった。

 「レミリア、弾幕使ってもいいから攻撃してみて。()()()()()()()()

 「……それだと、その壁が壊れちゃうんじゃないかしら?」

 念のために確認するレミリアに、シオンは自信たっぷりに言った。

 「平気だよ。絶対に壊れないから」

 「そう。なら遠慮はしないで行かせてもらうわ――」

 レミリアはグングニルを召喚すると、自身の妖力の四分の一を集める。膨大な妖力が槍の先に集まる途中で突風が吹き荒れ、フランたちは慌てて距離をとった。

 「ハァ!」

 槍を突く前に身体強化を使って更に速度を速めておく。音速を当たり前のように越えたその突きは、当たれば全てを消し去りそうな威力が秘められていた。しかし実際は――あまりにもあっさりと受け止められていた。

 何の音も立てず、美鈴のようにヒビすら入らないという事実にレミリアは硬直し、動きが止まる。もしもこれが戦闘ならばこれで終わりだが、あくまでもわかりやすく説明するために見せただけである今は余り問題は無かった。

 が、どうしてこんなにも軽々と受け止められたのかがわからないレミリアは、軽く落ち込んでしまっていた。

 「……少し、自信を無くしそう」

 「いや、これがこの結界の効果だから、余り気にしない方がいいと思うよ」

 今にも溜息を吐きそうなレミリアにフォローを入れてから白夜を抜き、断絶を解除したシオンは、この結界の効果を説明し始める。

 「この結界は、空間と空間を断絶させている。原理的な説明は面倒だから省くけど、白夜とほぼ同じか、それ以上の強度を持っていると思うよ。この結界の中にいる時は、相手の攻撃を全て弾く最強の盾になる。空間断絶は簡易的な異世界の作成って感じかな」

 「何よソレ……。もうズルいとかそんな領域じゃないわよ」

 実際にその堅固さを見せつけられたレミリアは、笑えないとばかりに首を横に振る。だが、この能力はそこまで扱いやすいわけではない。というより、黒陽と白夜の能力は意外と弱点が多いのだ。

 「いや、結構弱点は多いよ?空間転移は距離ゼロにするんじゃなくて、移動にかかる時間をゼロにするだけだから、転移した距離に応じて疲労する。俺は常人よりも体力が多いけど、一回の転移は二十――いや、三十キロが限界だ。何より一度言った場所に対しての移動でしか使えない。それに固定化を使う状況になるのは瞬間的な防御が多い。こうなると強度に不安がでる。歩きながら使えばいいと思うだろうけど、固定化は止まった状態でしか使えないから、移動しながら固定化はできないんだよ。断絶は相手の攻撃を必ず弾くけど、逆に自分も攻撃できないし移動できなくなる。更には同じ空間制御を持ってる相手や、『世界そのものを渡れる』相手にはほぼ無意味。しかも白夜が地面から抜けたら結界が止まるっていうわかりやすい弱点もある」

 「確かに、かなり弱点が多いわね」

 「ですが、それを差し引いても強大な能力には変わりありません」

 「そうだよ。というより、こんな便利な能力持っててそれでも不満があるの?」

 レミリア、咲夜、フランが口々に言うが、シオンは沈黙を返すだけだった。そこで、あの戦闘を見ていた美鈴が口をはさむ。

 「そういえば、シオンはほとんどの能力を、剣を始点にして発動してますよね。その理由、は……」

 そこで声が尻すぼみになる。シオンがわかりやすく驚いて、目を丸くしていたからだ。

 「あの、私は何か変なことを言ったのでしょうか……?」

 「ああいや、違う。まさか一回見られただけで悟られるとは思わなかったから、驚いただけだよ」

 「そうでしょうか?私の他にも気付いている人は――」

 美鈴は周囲を見渡すが、フラン以外の全員がさっと素早く目を逸らす。どうやらわかっていなかったらしい。

 とりあえずそれを見なかったことにした美鈴は、唯一目を逸らさなかったフランに聞いた。

 「フラン様は気付いておられたのですか?」

 「え、何で?シオンの話を聞いてればわかるでしょ?」

 フランは何をおかしなことを聞いてくるんだ、と目で語っていた。それを聞いてしまった三人は、心にグサリと棘が刺さった。

 レミリアは余りに不条理なシオンの能力に目を奪われ、咲夜は()()()()()()()()()()()()()()()()、パチェリーは自身の知的好奇心を優先させた結果だが、純粋なフランの言葉故に心にかかるダメージは甚大だった。

 しかしフランはそれに気付かずに言った。

 「それに私は暴走してたとはいえ実際にシオンと戦ってたんだから、気付かない方がおかしいよ。その経験と今の話を組み合わせれば、答えには辿り着けるからね」

 「やはりフラン様は頭の回転が速いですね」

 美鈴は感嘆の息を吐く。だが、フランは頭を振ってそれを否定した。

 「確かに頭の回転が速いとは思うけど、美鈴の方が凄いよ。私みたいに戦ったわけじゃないのに、気付けたんだから」

 「私の場合は実戦経験が豊富なだけですよ」

 笑って否定する美鈴だが、実戦経験が皆無に等しいフランはそれだけでも十分だった。

 「やっぱり美鈴の方が凄いよ」

 「……なら、私は実戦に対して、フラン様はこういった頭を使う方が凄いということにしておきましょう」

 終わりが無いと思いはじめた美鈴は、そう言って纏める。フランも素直に頷いてそれを受け入れた。

 未だ心に甚大なダメージを負っている三人を無視して、美鈴はシオンに言った。

 「それで、何故剣を始点にしているのですか?」

 「それは――」

 「シオンの重力制御と空間制御能力は、あくまでも剣の能力であって、シオン自身の能力じゃないから。そういうことでしょ?」

 答えようとしたシオンの言葉を遮って、フランが言う。またも正解に辿り着かれたシオンは驚きながらも頷いた。

 「……やっぱりフランは頭の回転が速いな。レミリアよりも才能あるんじゃないか?」

 「グッッ!!」

 「さっきも言ったけど、シオンの説明と美鈴の考察を聞けばわかることだよ?」

 シオンに遠まわしとはいえ「妹よりも劣っている」と言われ、更にフランにその事実を認識させられたレミリアは、少しだけこの世の全てに絶望したかのような顔をする。

 しかし誰もフォローを入れずに無視して、シオンは話を進めた。

 「とりあえず、フランの答えで正解だ。これで黒陽と白夜の能力で俺が扱えるものは全部説明したよ」

 「他にはないの?」

 「俺が黒陽を預けさせられたのは三年前で、白夜は眠っていた時も含めると()()()だからなあ。流石にこれ以上は――」

 「ちょっと待ちなさい」

 絶望していたはずのレミリアが復活し、シオンの言葉を遮った。

 「……何だ?」

 若干不機嫌そうに言葉を返すシオンに怯みながらも、レミリアは言った。

 「さっき、白夜を手に入れたのが『四日前』と聞こえたのだけど……それは本当?」

 「嘘を言ってどうなるんだ?俺はここに来てから――いや、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 「は……?それ本当なの――って、そんなことを聞いても仕方がないわね」

 レミリアは更なる衝撃の事実に固まりかけるが、あっさりとスルーした。余りにもあっさりしすぎているレミリアに訝しみながらも、シオンは続きを聞いた。

 「おそらく、四日前にその剣を手に入れたのも嘘ではないのでしょう。そもそもたった九歳の人間が大妖怪と対等に渡り合える時点でおかしいのだから。……まあ、()()()()という例外はいるけれど、例外は一人とは限らないのだし」

 「あの巫女?」

 「気にしないでいいわ。貴方がこの世界を旅するというのなら、その内会えるでしょう」

 レミリアは手をヒラヒラと振ってはぐらかす。シオンはまあいいかといったふうに頷いた。そこでフランが割って入って来た。

 「ねえ、そろそろ剣の能力じゃなくて、シオンの能力を教えてよ!」

 そこでやっとシオンが自分の能力を説明していないことを思い出したレミリアたちは、シオンに言い寄った。

 「ここまで話したのだから、早く説明してちょうだい」

 「そうですね。今更止められても困りますし。それに――」

 「――シオンの能力が何なのか気になって、何も手につかなくなりそうです。というわけでシオン」

 「気絶する前に『全部話す』と言ったのだから、一切誤魔化さずに、きちんと教えなさい」

 フランが偶然とはいえ本来の目的を思い出させ、パチェリーが催促し、美鈴と咲夜が追い打ちをかけ、レミリアが止めを刺す。見事なコンビネーションだった。

 けれどシオンは無言で窓へと歩み寄ると、夜空に浮かぶ少しだけ欠けた満月を眺めるだけだった。その背中には、どこか悲しさと憎しみが滲んでいるのが見えた。

 やがて体の左半身だけをレミリアたちの方に向ける。レミリアやフランと同じ赤色の瞳は、まるで無機物のような錯覚を五人に肌で感じさせた。

 そして、唐突にシオンは話し始める。

 「俺の能力は『体細胞変質能力』。幻想郷風に言うなら『自身の体の細胞をあらゆる物質に作り変える程度の能力』かな」

 「体に……ではなく細胞を別の物質に作り変える?それに差なんてあるのかしら?」

 レミリアの疑問に、シオンは自嘲するような笑みを浮かべた。それからこの化け物としか呼べないような力を言った。

 「この力は、その存在の記憶や体に染み付いた癖、何らかの経験といった絶対にコピーできない物以外の全てをコピーできる。ちなみに変えられる物質に限度は無い」

 それを聞いたパチェリーは息を呑んだ。だが、パチェリーほどの知識を持ち合わせていないレミリアにはそれが理解できなかった。

 「だから、それがわからないの」

 苛立ち始めたレミリアに、シオンは何の感情も見えない声をぶつける。

 「この能力は、体の外見じゃなく中身を作り変えるものだ。端折って言うと、例えばフランの細胞をコピーした場合は、フランの力や五感、吸血鬼の特徴と能力、そして()()()()()までほぼ全てを自身に反映できる」

 「「「「――ッ!」」」」

 「……その能力に、制限はあるのかしら?そこまで強大な能力なら、何かありそうなのだけれど」

 ある意味では黒陽や白夜よりも強力な能力に四人は絶句したが、唯一先に理解できていたパチェリーは冷静に訊ねた。

 シオンの持っている能力はどれもリスクが高い。それに思い至ったパチェリーは、この兄弟過ぎる能力にも何らかの制限があると思ったのだ。というより、そう思わなきゃやっていられないと思っていた。

 「制限というよりは弱点がある。これは実際になってみてわかったんだが――植物とか鉱石なら問題ないんだけど――大妖怪レベルの細胞になると俺の細胞が耐え切れない。比率にすると俺の細胞が三、妖怪の細胞が七ってところかな。これ以上やると俺の体が自壊する。それにその物質の特徴を映すってことは、その物質の弱点すら映し取ってしまう。何故か特徴とかそういったものは完全に映してしまうから、フランの細胞をコピーした状態で日の当たるところに出れば焼けるよ」

 「弱点と呼べるような物とは言い難いわね。他には?」

 更に急かすパチェリーに訝しみながらも、シオンは続きを言う。人と接したことが無いというシオンの経験不足が如実に表れていた。もしもまともな人生を歩んでいたなら、パチェリーが焦っていた理由もわかっただろう。

 しかし今のシオンにはそれがわからない。だから急かされるままに答えた。

 「他には妖怪の細胞に変える時、人間の細胞が残ってしまっているから、あくまでも『劣化コピー』程度にしかならない。それと俺の()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だからわかる奴にはコピーした相手が誰かわかっちゃうんだよね。まあ、大雑把な予測くらいしかできないだろうけどね。これの超簡易版のようなものがレミリアと咲夜に説明した『あらゆる体に作り変える程度の能力』ってわけ。それぞれをかけあわせると――こんな感じになる」

 そう言ってシオンは能力を発動させる。そして――服装以外の外見がフランとよく似た少女が目の前に現れた。

 「……私にそっくり」

 フランはその余りのクオリティに感嘆の息を漏らした。

 「まあ、こんなところかな」

 「流石に声は変えられないのね」

 レミリアの言う通り、声だけは変わっていなかった。だが驚異的な能力であるのには変わりがない。服装さえ整えれば、騙し討ちがし放題だからだ。

 「ああ、ちょっと待ってて」

 レミリアの言葉に少し考えたシオンは、それだけ言って顔を上げると、喉に手を当てて調子を整える。

 「あ、あーあー。……うん、できるかな」

 「……?何ができるの?」

 シオンはその説明には答えず、()()()()()()()()()()()()()()()

 「――一緒に遊ぼうよ、お姉さま!」

 「……は?」

 フランそっくりの笑顔で、フランと同じ声で自身に寄って来る()()()に、レミリアは呆けた声を出す。他の四人――特にフラン――も驚いていた。

 「何で遊ぶ?トランプ、チェス、何でもいいよ!」

 「ちょ、ちょっと待って。貴方はシオン……よね?」

 「ほぇ?何の話しをしてるの?私は私だよ?」

 首を傾げて演技をするシオンに、わかっているのに騙されそうになるレミリアは手を前に出して言った。

 「もういいわ。よくわかったから」

 「終わらせていいのか?なら終わりで」

 シオンは浮かべていた笑みをあっさりと消した。その態度はいつものシオンと全く同じであり、フランの外見をしている今は凄まじい違和感があった。

 シオンもそう思ったのだろう。フランの外見から自身の外見へと元に戻した。

 「今のは一体何だったのよ……」

 「声帯模写とフランと接してた時に見た一部をここで演じただけだよ」

 「声帯模写?それも能力なのかしら」

 「いや、声を真似したのは能力(アビリティ)じゃなくて技術(スキル)だよ」

 元々シオンの声はそこらの女性よりも高い。というより、変声期前の子供――特に六歳になっていない子供の声は男女の声に差はあまりない。それを自身の器用さを利用してあらゆる人の声に変えている。話し方やその人物特有の癖などは真似できないが、それでも驚異的だ。

 変声期が来たら使えなくなる可能性もあるのだが、シオンの場合は変声期が来ても中性的な声になる可能性が高い。まあシオンは変装や演技程度にしか使えないのだから、別に使えなくなっても構わないと思っているのだが。

 「技術……人間って、案外凄いのかしら?」

 「良い部分もあれば悪い部分もある、とだけ言っておくよ。けどまあ、この技術は結構役に立つんだよね。外見と中身を能力で入れ替えれば『完全な劣化コピー』ができあがるから」

 レミリアは先程のシオンの演技を思い出す。

 「確かにそっくりだったのは否定しないけれど……嘘は言わないんじゃなかったの?」

 「嘘は言ってないだろう?演技は能力と声帯模写を使っただけ。話した内容は遊ばないかどうかと、シオンと聞かれた時に主語が抜けていたから何の話?と返して俺は俺と言っただけ。だから()()()()()()()()

 「……嘘ではないけど、そんなのは詭弁でしかないでしょう」

 「まあね。けど嘘を言わないで生きていけるなんて温い言葉は吐けないからね。嘘を言わずに相手を騙すにはこうするしかないんだよ。嘘は言わず、けれど本当のことは言わない。これが一番ちょうどいいんだ」

 「……まあ、嘘ではないならそれでいいわ」

 とりあえずそれで納得したレミリアは素直に引き下がる。

 「続きを説明してちょうだい」

 「この能力で他にできることは『体外の細胞変質』かな。俺の能力はあくまでも自分自身の細胞を作り変えるもの。だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。フランのブレスレットもこの応用」

 そこまで聞いたフランは、左手に輝いているブレスレットを掲げた。

 「そういえば、このブレスレットって結局何でできてるの?」

 「壊れない理由が白夜と同じ強度の空間固定化。大きさを変えられるのは黒陽の形状変化。この二つは普通なら細胞変質でも無理なんだけど、実際に剣という『物質』があるから何故か使える。相手のステータス察知については言っても理解できないだろうから言わないでおくよ。能力の発動を阻害しているのはフランの破壊の能力の応用ってところかな」

 「便利ねぇ……。そういえば、私のあの暴発を防いだのは、どうやったのかしら?」

 レミリアはあの時の光景を思い出す。シオンの左手は焼け爛れてはいたが、それだけだった。シオンもその時のことを思い出し、そして説明した。

 「ああ、あれか。あれは黒陽の重力操作で威力の減衰をさせ固定化で衝撃の緩和。最後に用心として手をロンズデーライトに変えて防いだ。結局威力の全てを相殺できたわけじゃなかったけどね」

 「なら、また別の細胞を銜えればよかったんじゃないの?」

 レミリアは何故そうしなかったのか聞いたが、シオンはしなかったのではなくできなかったのだ。

 「こんなふうに色々と後付できるのは体から切り離された物だけなんだよ。俺の体で実際にやろうとしたら、複数の細胞が拒絶反応を起こして体が自壊する。それに、その物質を構成しているものを『完全に』理解していないと、全く別の物になって二度と戻れない可能性があるよ。例えば、もう言葉では言い表せないような形容しがたいモノになったりとか?」

 茶化すように言ってはいるが、本当にそうなってしまったら笑えないことになる。おいそれとは使えない能力だ――そこまで思ったレミリアは、ふと気づいたことがあった。

 「シオン、貴方の能力は『完全な』理解をしていないと使えないのよね?」

 「え?ああ、まあそうだけど、それがどうかしたのか?」

 「……私は知らないけど、物質を構成しているのはかなり複雑なのよね?それなのに、それらをどうやって覚えているのかしら?」

 「――!へぇ……」

 レミリアの推測を聞いたシオンは、面白そうに笑った。

 「それに関しては秘密だ。手札を晒し過ぎるのは得策じゃないからね」

 「そう。まあ、無理強いはできないのだから諦めるしかないわね。それで、他の制限は?貴方の口ぶりから判断すると、まだあるのでしょう?」

 レミリアは確認するように言う。シオンは素直に頷き返した。

 「もちろんあるよ。かなり話が戻るけど、劣化コピーした相手の能力を使う場合、本人が能力を使う時の代償ともう一つが追加される。フランの破壊を使った時は、体の一部が消失するらしいね」

 「ああ、だから左腕の骨がところどころ無くなってたのね」

 「そういうこと。動かすだけなら支障は無いんだけど、腕そのものが無くなるとしたら困るかな」

 「困るとかそういった問題じゃないと思うんですけど……」

 近接戦闘を最も得意とする美鈴が腕を無くしたら、困るというレベルを超えるだろう。しかしシオンは別だ。

 「俺は体細胞変質能力を使って髪を代替品に使えば平気だからね。一部が無くなっても余り困らないんだよ。自分の細胞は何もしてなくても普通に理解できるしね」

 「やっぱり貴方の能力ってズルすぎないかしら?私たちは妖力で再生できるけど、それでもかなりの量を使うのよ?」

 「問題もあるよ?副作用として癌細胞ができるし」

 「……癌?」

 そう呟いたのはパチェリーだった。この場で最も知識を蓄えているパチェリーが知らないのだ。他の四人が知っているわけが――フランは絶対に知るはずが無いのだが――ない。

 「ああ、そういえばこの世界って中途半端に技術が進んでるんだっけ。簡潔にわかりやすく言うと、度合いによっては簡単に人を殺してしまう病のようなもの――とでも考えてくれればいいかな。俺は苦痛はあるが平気だけどな。限度はあるけど」

 「ぇっと……よくわからないけど、それぞれの能力の反動は黒陽と白夜は即座に回復可能な傷で、体細胞変質能力は長期の間残る病、ってことでいいの?」

 逸早く正解に辿り着いたフランが問う。

 「そんなところ。俺の能力はこんなところかな」

 シオンは長い説明を締めくくる。全てを聞き終えたレミリアは、ボソリと呟いた。

 「そんな強い能力があるのなら、もう少し楽にフランに勝てたんじゃないのかしら?」

 「……お嬢様、それは本気で言っているのですか?」

 レミリアの呟きに答えたのは、シオンではなく美鈴だった。何故美鈴が答えたのか疑問に思いながらも、レミリアは躊躇いながら頷いた。

 「え、ええ。そうだけど」

 「……質問を変えます。お嬢様は、本当の意味での命を懸けた殺し合いをしたことがありますか?」

 「……そんなの、あるに決まって――」

 「いいえ、ありません」

 言葉の途中で遮った美鈴は、断定した声音で言い切る。その鬼気迫るような美鈴に気圧されてしまい、誰も口を挿めなかった。唯一シオンだけが、美鈴とレミリアを見つめていた。

 「フラン様は一生の殆どを地下で過ごし、パチェリー様は持病の喘息をお持ちで、戦いをするのも苦労するでしょう。咲夜も戦闘訓練は行っていますが、実戦での命の奪い合いはしたことがありません。この三人はしかたがないですが、お嬢様は別です。お嬢様のアレは――」

 美鈴は何かを思い出すように言葉を区切る。そして美鈴は、自信の想いを吐き出し始めた。

 「――一方的な虐殺でした。お嬢様はなまじ力が強大過ぎるせいで、自らの命を懸けるような戦いが無かったのです。しかし私たちは弱者です、だから戦いの場にある物全てを利用して、目潰しなどの卑怯と呼ばれるような使わなければならないんですよ。……大事なものを守るためには、そうするしかないのですから」

 歯を噛みしめて絞り出すように言い終える。

 美鈴は自分の弱さを受け入れている。それくらいの強さはある。それでも胸の内に燻っていた思いがあった。それは従者である自分よりも主の方が強いというものだった。自身が弱いのは理解出来ていても、本来守るべき主に守られる。それが美鈴の従者としての誇りに微かな棘となって突き刺さっていたのだ。

 しかし今、その棘が抜けてしまった。人間だと油断してシオンに負けたのもその原因なのかもしれないが、それは美鈴だけが知ることだった。そしてその棘から溢れ出す感情の赴くままに、美鈴の口から苛烈な言葉という形になった。

 「お嬢様には、命を賭してでも守りたいと思うものはありますか?そしてそれがあったとして、フラン様を助けたシオンのようにボロボロになってでも、命を懸けられますか?」

 「美、鈴?」

 いつもこちらを笑顔にさせてくれるような陽気な笑顔を浮かべていた美鈴が、何かに耐えるように体を震わせていた。それでレミリアは悟ってしまった。美鈴はずっと心の奥底で激怒していたのかもしれない。レミリアと――弱い自分自身に。

 だからこそレミリアは、ただ黙ったまま美鈴の話を聞こうとした。それが美鈴の心に火に油を注いでいるとも知らずに。

 「私は紅魔館の門番として、様々な敵と戦ってきました。追い返したことも、負けて侵入を許してしまったこともあります。それでもお嬢様は私が負けた相手をあっさりと殺してしまいます。それを聞いて、私は何度もこう思いました。『私がこの御方を御守りする必要があるのだろうか?』と。私がどれだけ体を鍛え、経験を積んでもお嬢様の足元にも及ばない。お嬢様には決してわからないでしょう。弱者である私の気持ちは、()()()()()()()()()()()理解できるはずがありません!」

 「「――ッ!!」」

 何でもできる、という言葉に、レミリアは怒りの感情が湧き出てくるのを感じた。それを必死に抑え込もうとするが、元来気の長い方では無いレミリアがそれをするのは困難どころか不可能に近かった。体の震えを抑えながら、少しずつ美鈴に近づいていく。

 この時、フラン、咲夜、パチェリーは美鈴とレミリアの言い合いに注目していたせいで気付かなかった。何でもできる、という言葉に反応したのはもう一人いたことに。

 だが彼女たちがそれを知るのは、もっと後になってからだった。

 「……し…だ…て………い…と……い……わ」

 「え?」

 レミリアの異変を感じ取った美鈴は、自分が何を言ったのかを理解した。してしまった。そして同時に、自分がレミリアの地雷を踏んでしまったことも悟った。

 「私にだって!できないことくらいあるわ!」

 怒声とほぼ同時に濃密な妖力と殺気がレミリアから溢れ出す。

 それは、先程シオンの空間断絶によって作られた結界を攻撃した時よりも、遥かに大きな力だった。

 それを不意打ちに近い形で至近距離から浴びた美鈴は、恐怖によって後ずさってしまう。

 しかし美鈴も然る者。すぐに冷静さを取り戻した。だがそうなっても、この状況が改善するわけではなかった。

 「私が本当に何でもできるのなら、あの時あの瞬間、フランを閉じ込められるのをただ黙って見ている必要など無かったわよ!フランが狂ってしまったと思って、彼女の力が暴走してしまうのを恐れて、四百九十五年もの間閉じ込めなくてもよかった!それなのに、勝手なことを言わないで!――来なさい『グング――」

 「そこまでだ、レミリア」

 今にも美鈴を殺してしまいかねないレミリアを止めるために、落ち着けという意味を込めてシオンは声をかける。だが、この話しは彼女にとってかなりデリケートな問題だった。簡単に落ちつけられるほど生易しいものではない。

 その結果、美鈴にぶつけられていた妖力と殺気がシオンに向けられた。

 「……邪魔をするというのなら、貴方から先に殺すわよ?」

 「貴女は俺に貸しが一つあっただろう。あの貸しを返してもらう、ということで矛を収めてくれないか?」

 あれほどの妖力と殺気をぶつけられながらも平然としているシオンに、パチェリーはシオンの評価を上げる。その理由は、あそこまでキレているレミリアのアレをもしも自分が浴びたとしたら平然としていられるかどうかパチェリーにはわからないからだ。

 パチェリーからさり気なく評価が上がっているのに気付かないまま――というより、気付けるわけがない――レミリアと目を合わせる。レミリアはその瞳から「もし抑えないなら、フランにあることないこと教えるぞ」と読み取れた。実際にそうされた場合はシオンにはメリットだけが、レミリアにはデメリットしかないこともわかった。

 今のフランは正気に戻っているが――元々狂っていないのだが、レミリアたちはそれを知らない――情緒不安定であるのに変わりは無い。そんな状況でそんなことをされたなら、フランはレミリアを一切信用しなくなる可能性が高い。

 そしてその信用は全てシオンにいってしまうだろう。自身を閉じ込めたのを黙ったまま見ていた――結果的にそうなってしまったのだから、否定はできない――家族と、『命を懸けてでもフランを助けたかった』と言ったシオン。どちらを選ぶかなどバカでもわかる。事実、あの言葉でフランはシオンを全面的に信頼し始めている。

 この脅しは、フランがレミリアから離れたくないと思うようになるまで続くだろう。もし仮にフランがレミリアを信頼したとしても、結局最後に頼るのはシオンであるのには変わりないだろうが――そこまでをほぼ一瞬で考え終えたレミリアは妖力と殺気を抑え始める。

 レミリアは自身が目の前の少年の掌の上にあるのがわかったが、何故かそれを不安に感じることがなかった。

 そして、それは当たっていた。

 (貸し一つを返せ、と取り繕ってはいるが、実質脅しているのに代わりは無い。やりたくもないのに、やる時は一切躊躇しないというのがまた何とも言えないし。……最低だな、俺は)

 態度にこそ表していなかったが、シオンは内心で自らを貶しきっていた。だが別の展開にならなかったことに安堵もしていた。その別の展開とは、『逆上したレミリアがシオンを殺そうとする』というものだ。

 シオンは冷静そうに見えて、実のところかなり焦っていた。もしも今の体でレミリアと戦った場合、十中八九負ける。能力を出し惜しみせずに全開まで使ってギリギリ逃げ切れるかどうかといったところだろうか。

 その理由は、シオンの体が完全に治ったわけではないというものだった。いくら細胞を変質させられるといっても、余りに違い過ぎる物質変換は時間がかかる。一瞬ならば問題無いが、今のように長く定着させるものは時間がかかる。それ故に、今のシオンは万全とは言い難かった。

 だからこそ、レミリアが力を抑えたのを見た時は、内心で安堵の溜息を吐いた。フランたちも緊迫した空気を霧散させたところを見るに、どうやら三人は目の前で戦い始めるのでは、と心配していたらしい。

 シオンはレミリアが元に戻ったのを確認してから、美鈴へと話しかけようとした。しかし、その途中で、()()()()が湧き出てくるのを感じた。

 ――………………え!

 それを無理矢理抑えて、今度こそ美鈴へと話しかける。

 「美鈴、貴女は本当にレミリアは何でもできると思っているのなら、今すぐ従者を辞めた方がいい。いや、辞めろ」

 「……え?」

 ざっくりと容赦なく言われた美鈴は、一瞬だけ固まってしまった。しかしすぐに我を取り戻すと、それを身振りと叫びで拒否した。

 「い、嫌です!私はこの仕事に誇りを持っています。それなのに辞めるなんて――!」

 「なら一つだけ言っておく。わかりきっているとは思うけど、何でも完璧のこなせる存在なんて絶対にいないんだ」

 それを聞いた美鈴は、私は何てバカなことをしたのだろうと再認識する。レミリアがフランのために何度も心を砕いて来たのを知っていたはずなのに、それを忘れてしまった。

 そして、やっと美鈴はまだレミリアに謝っていないのを思い出した。

 「その……お嬢様、すみませんでした。私は、お嬢様がフラン様の件で心を痛めていたのを知っていたのに……」

 「……私も、貴女がどんな思いをしていたのか知らなかった。それに加えて攻撃しようとしたのだから、それでお相子。気にしないでいいわ」

 ギクシャクしながらも、何とか仲直りした二人を見て、シオンを除いて苦笑してしまった。 フランは横目でシオンを眺め、そして気付いた。シオンの様子がおかしいことに。

 「あの、シオン。どうかしたの?」

 「え?」

 「何か様子がおかしいような……。どこか悪いの?」

 フランはかなり躊躇いがちに尋ねる。けれどシオンは自身の感情を抑えるのに必死でそれに答える余裕が無かった。

(やっぱり、俺は普通の人生を歩むことなんてできないのかな)

何も答えないシオンにどんどん不安そうになっていくフランを見て、シオンは最終手段をとることにした。それは、後少しの間だけでもまともでいられるように感情を極限まで排除するというものだった。

 「特に何も問題は無いよ」

 何時もと同じ口調、同じ声。それなのにその声には感情と呼べるものが宿っていなかった。流石にここまでくるとフラン以外の四人も異変に気付いてのか、シオンの様子を見た。

 そして、絶句した。

 例え感情が無かったとしても、その顔は無機物のような印象を与えるだけのはず。それなのにシオンの顔は、どんな人間よりも人間らしかった。その瞳の中に、闇よりも暗い絶望が宿っていなければだが。もしも別の正の感情が浮かんでいたなら、フランたちも素直に喜べたのだろう。しかし、現実は無情だった。

 本来ならシオンは、こんなふうに悠長に話していられるほどの余裕は無かったのだ。しかしこの世界に来て、シオンは自分と同じ化け物の類と出会い、久しぶりに、本当に久しぶりに喜んでしまった。

 シオンが自分の能力の詳細を説明したのも、これが理由かもしれない。力の詳細な情報を放してしまえば、対策をたてられるうえに、それが無くとも警戒はできる。

 いくら命を懸けて助けた相手がいるとはいえ、あっさりと自分を殺せる相手がいるような状態で話すものではない。ここで殺されても文句は言えないだろう。つまり、シオンは言外にこう告げているのだ。――もう、死んでしまってもいい、と。

 唯一フランだけはそのメッセージに気付かなかったが、シオンの瞳を見て、何故初めて会った時にシオンがあれほどまでの意思を持っていたのかを理解した。

 (私と、同じ眼をしてる……)

 深い悲しみと絶望を宿した光。シオンの『意志』が抜け落ちたその瞳は、まるで死人のように生気が感じられなかった。

 そう思ってしまったフランは、自らの決意と願いを見つけた。

 (今度は私がシオンを助ける。ううん、助けてみせる!それで……それからは、ずっと一緒に……)

 今までのフランは、自分を助けてくれたシオンの傍にただいたいだけだった。シオンに依存して、埋まらなかった寂しさを埋めようとしたのかもしれない。けれど、シオンのフランとよく似た色を湛えた光を宿した目を見て、フランの心の『何か』が変わり始めた。

 それがフランの心にどのような変化を与えるのかは、フラン自身にもわからなかった。

 フランにほんの少しの変化が起こっている途中で、シオンが言った。

 「とりあえず、俺は外で剣でも振ってるよ。三日も寝てると、体が鈍るし」

 返事も聞かずに外へと歩き始めるシオンに、誰も声をかけられなかった。シオンが扉の外へ出ると、今度はパチェリーが言った。

 「……私も、図書館に戻って魔法の研究を続けるわ」

 そしてパチェリーも地下へと戻って行った。

 「私は紅魔館の見回りを」

 今度は美鈴が扉を出て見回りをしに行く。

 「私も行くわ。フラン、紅魔館の案内をしてあげる。ずっとシオンの看病をしていたから、まだここの構図を知らないでしょう?迷うといけないから、ついてきて」

 「うん、わかった!」

 仲良く手を繋いで、姉妹も扉から出て行った。

 残された咲夜は、シオンが結界を作る時にできた床の傷を見て、ボソリと呟いた。

 「……これを直すのは、私なんでしょうね」

 どこか疲れたように溜息を吐いて、咲夜は修理道具を取りに部屋を出て




途中に載せたレミリアと美鈴の言い合いは、美鈴は自身の仕事に自信を無くしかけ、レミリアはフランの件を最終的にシオンに任せるしかなかった自分に苛立ったため起こったことです。まあ遅かれ早かれ起こったことということにしておいてくださいw
で、咲夜さんは少し……というよりもかなり苦労人ですが、まあ彼女も不満をかかえています。
そして最後にシオンとフランの心の移り変わり……ここをどうやって表現するかが試されますね!シオンの心の闇の部分を速く書きたいんですが、中々大変です!


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歪さの露見

今回はレミリアたちのオリジナル設定が出てきます。
一応調べたりはしていますが、間違っている可能性は高いです。
間違っていると気付いた方がいらっしゃったら教えてください、直しますので。


 全員がそれぞれのやるべきことをするために部屋を出て行った後、パチェリーだけは図書館に戻ってからも本を読まずに、ただ考えごとをしていた。

 (……いくら考えても答えが出ない。どうしてシオンはあの大怪我を負いながら、たったの三日で意識が覚めたの?生き長らえたとしても、一ヶ月は眠ったままだと思ったのだけど)

 パチェリーが疑問に思ったのはそれだった。彼女は医療に関しては疎いが、それでも本から得ていた知識からおかしいのだということくらいはわかっている。

 いや、そんなことを考えるのなら、あの大怪我で生きていた時点でおかしいと思うのだが。

 (彼から聞いた能力の説明ではそんな話は出てこなかった……。思いつく理由としては、体細胞変質能力の恩恵なのだろうけれど、どこをどうやればそんなふうになるのか)

 そこでパチェリーは溜息を吐いた。いくら彼女でも、専門外過ぎることを理解するのは不可能に近い。

 (一旦考えるのはやめにしましょう。どうせ答えは出ないのだから)

 机の上に置いてあった紙の束を手に取って、そこから一部の破れてしまっている紙を抜き取る。

 「小悪魔、私の指示する本を持ってきて」

 「え?あ、わかりました」

 崩れてしまっていた本を元に戻していた小悪魔は、持っていた本を床に下ろし、パチェリーの指示した本を取りに行く。

 「今は、これの修復を先にやりましょう」

 わからない問題は先送りにし、小悪魔が持って来た本を読みながら、パチェリーは修復作業を始めた。

 

 

 

 

 

 シオンが自身の能力の説明をしてから数時間が経った。

 あれから部屋の修理をした咲夜は、朝食の下拵えをしていた。今よりももっと幼いころから料理の研究をしてきた咲夜は、料理に関しては些かのプライドがある。実際、咲夜のソレはプロの料理人顔負けのような動きをしていた。数人で食べるとは思えないような量を作っているが、これはついでに昼飯の分も作っているためだ。

 もう一つの理由としては、三日ぶりに目覚めたシオンと、まともとは言えないような食事ばかりしてきたフランのために、いつもより豪勢な食事を用意したのだ。

 この料理で、あの全てに絶望したかのような無表情をしていたシオンが少しはマシになってくれればと思いながら、咲夜は料理の準備をする。

 そして下拵えを終えると、使っていた調理器具を洗っておいて、食堂のテーブルに座っている主の元へと訊ねに行った。

 「お嬢様、準備が終わりましたので、シオンを呼んできますね」

 「そう?わかったわ、行ってらっしゃい。それと悪いのだけど、なるべく早く戻ってきてくれないかしら。看病で無理をし過ぎたせいか、フランが眠そうなのよ」

 コクコクと船を漕いでしまっているフランの様子を楽しそうに眺めながら言う。久しぶりの家族の団欒が嬉しいのだろうか。

 それに微笑ましいような気分になりながら、咲夜は頷いた。

 「わかりました。すぐに戻ってきますね」

 「なるべく早くシオンを呼んできてね」

 「はい。それでは」

 フランの要望に答えながら、咲夜はシオンがいるであろう中庭へと向けて歩き出した。

 中庭へ辿り着いた咲夜は、シオンが剣を振っているのを見た。シオンがあの部屋から既に数時間が経っている。おそらく一時も休んでいないだろうが、動きに鈍っているところはない。しかし、その剣の振り方はどこかがおかしい。

 しばらく様子を見ていたが、ふとした拍子に何がおかしいのかに気付いた。

 「ただ、振っているだけ……?」

 そう、シオンはただ只管に剣を振っているだけなのだ。型も無く、動きすら滅茶苦茶。それでいながら何故か重心がほとんど動いていないというおかしな矛盾。フランと戦っていた時とはまるで違う。あの攻防では、もっとマシな動きをしていたはずなのに。

 そこで咲夜は更なる事実に気付いた。動きが無茶苦茶なのは当たり前だった。シオンは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。何を忘れたいのかはわからない。それでもシオンは何かに対して泣いているのだと思ってしまう。そんな動きだった。

 (シオン、一体貴方は()に囚われているのですか……?)

 あそこまで深い絶望に囚われるには、それ相応の理由があるはずだ。だがシオンがそれを話すのはありえないだろう。そんな簡単に、自分の弱さを吐き出すような人物にはどうしても見えないからだ。出会ったばかりで、まだ信用できるとは言い難い他人相手には特に。少なくとも咲夜にはそう見えた。

 その悲しい演武を、咲夜は少しだけ眺め続けた。

 シオンの演武が一段落したのを確認した咲夜は、シオンの元へと歩き出す。

 その足音に気付いたのか、シオンは動きをピタリと止めた。

 「何か用?」

 やはり何の感情も乗っていない声だった。この言葉も、訊ねたのではなくどちらかというと近付いて来たから言っただけという感じだ。

 「はい。朝食の用意ができましたので、ついてきてください」

 「わかった」

 簡潔に告げると、シオンは黒陽をアクセサリーに、白夜を空間に放り込む。それが終わってから咲夜へと向き直った。

 「案内を頼む」

 「……はい」

 何故か一言しか言わない――あるいは言えない理由があるのだろうか――のに訝しみながらも、咲夜はシオンを案内するために背を向けて歩き出す。

 紅魔館の中に入り、廊下を歩き続ける。二人とも一切話さないため、一種不気味な程の沈黙が二人の間に覆いかぶさるが、それでも咲夜は無言で歩き続けた。そこで、前回レミリアの元へ案内した時とは違う部分に気付いた。

 (――足音が……全くしていない?)

 咲夜自身も足音を立てないように気を配る訓練はしている。それでもここまで完璧にはできない。しかし疑問は残る。あれほどの戦闘技術を持っている人物が、何故暗殺者の技術を学んでいるのか――それがわからなかった。

 咲夜は美鈴とは違い、気付いていないのだ。シオンの剣は暗殺剣――影に隠れはしないが、ある種の暗殺技術の紛い物であることに。

 どの道、たった九歳の子供が使う剣技では無いのだが、それはシオンの経歴が人よりも数倍悲惨なだけだった。

 そして、足音がするかどうかの違いに気付くと、また別の部分にも気付いてしまった。

 (初めて会った時は敵かどうかがわからなかったせいで、案内していた時も明かりをつけてなかったのにも関わらず、それが当たり前のようについてこれていた。まさか、夜目も利くのですか?)

 これが事実だとすると、シオンは本当に何かしらの理由で暗殺者の――例えそれが真似事であったとしても――経験を積んでいることになる。

 (まさか、それが理由で感情を消しているのでは……。いえ、それは理由になっていませんね。では何故、シオンはここまで感情を排しているのでしょうか?)

 しかし、どれだけ考えても思いつかない。あの時咲夜はシオンを『空っぽ』だと感じたが、今のシオンは本当の意味で『空っぽ』だと思えた。

 パチェリーと同じく、答えの無い迷路に陥ってしまった咲夜は、とりあえずこの考えを放置することにした。

 (今は、美味しいと思ってもらえる料理を出すこと……。これだけです)

 当初の目的を思い出した咲夜は、心の中で気合を入れ直しておいた。そう思っていたからだろうか。そんな咲夜の後姿を、シオンがどこか申し訳なさそうに見ていたのについぞ気付けなかった。

 

 

 

 

 

 一方咲夜がシオンの元へと向かっていた時間、レミリアたちがいる食堂に美鈴が来ていた。

 「咲夜、何か料理はできて――」

 そこで、物音が聞こえて振り向いたレミリアと目が合った。

 「「あ……」」

 昨夜のことを思い出し、二人はほぼ同時に目を逸らしてしまう。フランは眠そうに目をショボショボとさせていたため、その様子には気付かなかった。

 気まずい雰囲気になりかけたのを感じた美鈴は、やはり私が悪いと頭を下げて謝った。

 「「すいませんでした(ごめんなさい)」」

 美鈴が頭を下げるのに合わせてレミリアも頭を下げていた。

 「「……え?」」

 またも同時に頭を上げると、二人は驚きで丸くしてしまった目を見合わせる。そして、それに耐え切れなくなった二人は、一緒に笑い出した。

 「あれ?二人とも、どうしたの?」

 二人の笑い声に眠気が少し飛んだのか、フランが言った。しかし二人は、その質問をはぐらかした。

 「何でもないわ。ね、美鈴」

 「フフッ、そうですね」

 「ぶー、二人とも、教えてよ」

 駄々をこねるフランを、二人は笑いながら見つめていた。

 

 

 

 

 

 シオンと咲夜の二人が食堂へ辿り着くと、そこにはレミリアと美鈴が昨夜の怒鳴り合いのことなど何も無かったかのように朗らかに笑っている姿があった。フランは拗ねているような気がするが、それでもどこか楽しそうだ。

 三人は数人が座れる丸い形のテーブルに座っている。左から順にフラン、レミリア、美鈴が座っていた。

 端の方に長方形のテーブルがあるのを見るに、恐らくフランがこのテーブルがいいと言ったのだろう。

 頭上にはかなり巨大なシャンデリアがある。あの時はよく見ていなかったが、確か玄関にはこれ以上に大きな物があったはずだ。

 周囲には何らかの絵が飾られているが、そういった物を見たことが無いシオンにはそれの価値がよくわからなかった。

 と、そこでシオンに気付いたフランの嬉しそうな声が聞こえた。

 「シオン、おはよう!私からしたらこんばんわなんだけどね!」

 「フラン、はしたないからもう少し静かになさい。……おはよう、シオン」

 パタパタと足を揺らしながら満面の笑顔を浮かべるフランと、苦笑しながら注意してはいるが、妹が喜んでいるのを見て嬉しさを隠しきれていないレミリアが挨拶をしてくる。美鈴は微笑みながら二人を見ていた。

 それに反して、シオンの声にはやはりというべきか、抑揚が無かった。

 「おはよう」

 言われたから返しただけといわんばかりの態度によって、若干空気が悪くなってしまった。

 しばらく誰も動かなかった――あるいは動けなくなった――がその空気の中にいずらくなった咲夜が、早口で言った。

 「わ、私は料理の用意をしてきます」

 そそくさとキッチンに移動する咲夜を横目に、シオンはフランの左側に座る。そのまま全員が沈黙してから数分が経つ。

 それに耐え切れなくなった美鈴が、口を開いた。

 「そういえば、シオンの傷はもう大丈夫なのでしょうか?」

 「特に問題は無い。ほぼ完治した」

 「そう、ですか……」

 シオンの素気なさ過ぎる返答に、美鈴は乾いた声を出す。更に悪くなっていく空気の中で、美鈴は聞かなければよかったかもしれないと後悔した。

 それからは咲夜の料理が来るまで、誰も口を開かなかった。戻って来た咲夜が持って来た料理がテーブルの上に並べなれると、咲夜自身も美鈴の右側の椅子に座った。そのことを確認し終えたレミリアたちは、料理を食べ始める。シオンは手を合わせると、決して大きいとは言えない、けれど何故かよく聞こえる声で言った。

 「いただきます」

 無感動な声を出し続けていたシオンだが、この言葉だけは、どこか暖かいものを感じた。

 「シオン、それは一体?」

 レミリアの質問に、シオンは動きを止める。

 「……日本語を知っているのに、食前の挨拶、あるいは祈りを知らないの?」

 もしもこの声に感情が乗っていれば、おそらくかなりの呆れを滲ませていただろう。だが、レミリアたちが日本語を話せるのには理由がある。

 「私たちはパチェリーに日本語を教えてもらったから、話しだけはできるのよ」

 「ああ、そういうことか。……そういえば、何でフランは日本語を話せるんだ?閉じ込められた時は使えなかったはずだろう?」

 「え?……言われてみればそうね。フラン、何で日本語を使えるの?」

 今まで気にもしなかったことにやっと気付いたレミリア。が、フランはその内容が内容だったため、お茶を濁して答えた。

 「え~と……秘密……じゃダメ?」

 「つまり、答える気が無いってことね」

 「あるいは言っても信じてもらえないかとでも思ってるんじゃないのか」

 レミリアとシオンがフランの思っていることを的確に突くが、実際これは言ってもしようが無いモノだった。

 (言えるわけ無いよ……私の中に潜んでる『ナニカ』が日本語を使ってて、それを教えてもらったり、その他にも色々教えてくれてたなんて……)

 その間に二人の注意はフランから逸れていて、既に元の話に戻っていた。

 「――そんなわけだから、日本の文化とかはわからないの。それまではルーマニア語、フランス五、ドイツ語を使っていたわ。これだけ覚えてれば、余り困らなかったし。実は後もう一つあったのだけれど、そっちは余り使ってなかったからもう忘れちゃったの」

 「レミリアたちがいたのはルーマニアなのか?」

 「ええ、そうよ。正確には、ツェペシュがいた土地だから行った、ってだけなのだけれど」

 「ツェペシュ?ああ、串刺し公ヴラドのことか。けど、それが理由になるのか?」

 確かに吸血鬼と呼ばれながらもあそこまで有名な存在はあまりいないだろう。だが、それがレミリアと何の関係があるのかはわからなかった。

 シオンがヴラドのことを知っていたのに驚きながらも、レミリアは言った。

 「ああ、それは私がツェペシュの末裔だからよ」

 「ありえないな」

 レミリアの答えをばっさりと切り捨てる。全く感情が乗っていないからこそ、その声は逆に恐ろしかった。

 「な、なんでそう言い切れるのよ」

 「ヴラド・ツェペシュは十五世紀の中盤少し前生まれ。子を産むとしたら大体中盤辺りだろうな。だからレミリアが末裔だと言うのは確かに否定しきれない。けど、それが人間ではなく妖怪なら話が別だ。ヴラドが死んだ正確な年は知らないが、それでも十六世紀には行かないだろう。そして()()()()()()()()()レミリアは十六世紀前後に生まれたはず。今更言われるまでも無いだろうが、妖怪は長寿だ。ヴラドの息子あるいは娘が、たった百年で出会い、子を産むのはありえない。例えもしレミリアが娘でも、娘なら末裔とは言わないだろう?……これが理由だ。まあ、ヴラドじゃない親類のツェペシュの末裔であり可能性はあるから、俺の否定論は本に書かれていたのが正しければ、の話だけどね」

 「う……」

 シオンの理路整然とした正論に、レミリアはぐぅの音も出ない。周りから白い眼で見られるのに耐え切れなくなり、顔を伏せてしまう。

 「ねぇ、話しがズレてるよ?」

 「……確かに。どこまで話してんだっけ?」

 フランから突っ込まれ、ズレすぎていたのを元に戻すために聞く。それに答えたのは、口を挿まず静かに聞いていた咲夜だった。

 「日本の文化を知らないお嬢様がルーマニアにいたのを知った、という部分です」

 「そうだった。……ああ、そういえばあそこが信仰しているのは正教会……というか、キリスト関連だっけ?カトリックとかプロテスタントとかの宗教内の違いが全くわからないけど――って、そういう意味か」

 いきなり納得したシオンに、美鈴が問いかけた。

 「何がそういう意味なのですか?」

 「ん?それはキリスト教がやる食前の祈りの内容が問題だったんだよ」

 「祈り、ですか?」

 「そう。俺もよく覚えてないんだけど、天にまします我らが父よ――とか、人によっては言い方が変わるけど、確かそんな感じだったはずだ。ここで言う父は神って意味だから、やるはずは無いって思ったんだよ」

 シオンの言う通り、妖怪が神に感謝するはずがない。絶対とは言い切れないが、それでもありえないだろう。

 特に、伝承では死者を冒涜していると言われている吸血鬼がするのだけはありえない。

 「まあ、そんなところかしら。それで、シオンのやってたアレはかなり簡素だったけど、どんな意味があるの?」

 いつの間にか再起動していたレミリアが聞いてきた。

 「いただきますの意味は人によって解釈があるけど、俺の場合は食材と食材を育てた人、そして料理を作った人に感謝するものであって、神に感謝するものではないね」

 「食材と料理人に感謝……ね。それは誰から教わったの?」

 「母さんから教わった。もうほとんど覚えてないけど、これは何故か覚えてた」

 「え?」

 「……何でもない」

 シオンの呟きは小さい上に速かったため、レミリアには聞き取れなかった。しかし、隣にいたフランだけは聞こえていた。と、そこで咲夜が呟いた。

 「食材に感謝……ですか」

 昨夜は目の前の料理を見る。そしてクスリと笑い、手を合わせて言った。

 「いただきます」

 その様子を見ていたレミリア、フラン、美鈴は顔を見合わせて、ほんの少しだけ笑いながら言った。

 「まあ、神に感謝するわけじゃないのだし」

 「私も、咲夜になら感謝できるよ!」

 「それでは――」

 「「「いただきます」」」

 そして再度料理を食べ始める。長く話していたせいで少し冷めていたが、それでも先程より美味しく感じた。

 少しして咲夜が視線を少しだけシオンの方へと向けると、シオンが食器だけ持って一切料理に手を付けていないのが見えた。

 「シオン、食べないのですか?」

 咲夜に聞かれたシオンは、どこか困ったように言った。

 「……コレ、何?どうやって食べるんだ?」

 「……は?」

 訳のわからない答えに、一瞬耳がおかしくなったと思った咲夜だが、シオンの様子から嘘では無いと悟った。それはレミリアたちも同じらしく、ボソボソと話し始めていた。

 「何でキリスト教の食前の祈りや、大雑把とは言えヴラドの生きていた年齢を知っていたのに、この料理の名前がわからないの?普通逆じゃないかしら?」

 「確かにそうですよね。一体何故でしょうか」

 「まさか、教えてもらえなかったのかしら?」

 「それは無いと思います。流石にそんな環境にいられるはずがありませんし」

 「……けど、私も知らないよ?」

 「え?……ああ、フランは当たり前よ。だって初めて見る、物、じゃ……」

 そこで声が途切れる。普通、料理の名前を知らないのはありえない。それらの分別がきちんとしていなければ、もし料理を頼む時に何て言えばいいのかわからないからだ。

 しかし、それがありえる理由がある。それはフランと同じように、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のどちらかだ。シオンの偏った知識から、どちらかというと後者の確率の方が高いとは思うが、絶対とは言い切れない。

 それに思い至ったレミリアと美鈴は、咲夜に料理の名前を教えてもらいながら食べているシオンを、心配そうに見つめた。

 咲夜はシオンに料理名とそれの食べ方を教えると、椅子に座り直した。

 それからは、再度沈黙が続いた。シオンと昨夜、そしてフランは息苦しさを感じていなかったが、レミリアと美鈴はどこか居心地悪そうにしていた。おそらく、先程思い至った考えが原因だろう。それでも料理は食べ続けていた。

 五人が殆どの料理を食べ終えた時、レミリアは昨夜聞き忘れたことを聞くために、シオンへと顔を向けた。

 「ねぇシオン。結局貴方の願いは何なの?」

 レミリアから問われたシオンは料理を食べるのを止め、口に入れていた食べ物を飲み込んでから言った。

 「俺の願いは、この紅魔館で、俺が寿命で死ぬまで最上級の客人として扱われること。これだけだ」

 「最上級の客人として?」

 疑問の声を出したのはレミリアだけだが、他の三人も頭の中は疑問だらけだった。

 何せ、レミリアたちは客人を招く、あるいは迎え入れるということをしたことがほとんど無い。人が全く来ない訳では無いが、招かれざる妖怪やどうでもいい人間――という名の餌なのだが――が来るだけだ。しかし客人ではない。

 だからこそレミリアたちは少し混乱しているのだ。そんな事情など知らないシオンは、自らの考えを話し始めた。

 「この願いで、この紅魔館にいるメンバーは俺を敬う必要がある。見たところパチェリーは従者じゃなさそうだから、彼女は例外になりそうだけど」

 「……そう、そういうこと」

 レミリアはその言葉で、契約する前にシオンが言っていた『紅魔館に及ぶ影響』という内容を理解した。だが他の三人は理解できていなかったらしく、痺れを切らしたフランが割って入って来た。

 「お姉さま、一体どういう意味?」

 その質問に、レミリアは長考してから言った。

 「……大妖怪である私が人間(シオン)を敬うということは、私がシオンに負けたことを意味するの。理性がある妖怪ならそれ以外の理由を探るか、あるいはシオンがそれだけ強いということはわかると思う。けれど、一つだけ問題があるの」

 「……なるほど、そういうことでしたか」

 美鈴は理解できたのか、神妙に頷いていた。その小さな呟きが聞こえたのか、咲夜は美鈴へと聞いた。

 「美鈴は理解できたのですか?」

 「え!?あ~えっと、そのぅ……」

 何か困ったことを聞かれたかのように美鈴は目を泳がせる。わかりやすく「しまった!」という反応をしている美鈴を、ジト目で咲夜は睨み続ける。

 それに困った美鈴は「どうしましょう?」とレミリアに目で伝えた。しかしレミリアは別に構わない、と言った風に肩を竦めるだけで、その他の反応は返さなかった。

 その様子を見た美鈴は溜息を吐くと、億劫そうにしながらも口を開いた。

 「以前にも、似たようなことが一度だけあったんです」

 「似たようなこと、ですか?」

 「はい。……人間の子供を迎え入れたことで、お嬢様が甘くなったと勘違いした頭が可哀想な妖怪と、それに釣られた理性の無い雑魚妖怪が大挙して押し寄せて来たんです」

 どこか棘のある美鈴の言い方だが、咲夜はそれを聞いていなかった。咲夜が聞けたのは、前半の()()()()()、という部分だけだ。

 「それって……」

 フランは昨夜の方を見る。咲夜は目を見開いて硬直していた。その様を見て、美鈴は心の中で頭を抱えた。

 (やはりこうなってしまいましたか……お嬢様に恩返しをしたいと常々言っていた咲夜ですから、こうなるのは予想できたいたのですけど……)

 内心で溜息を吐いた美鈴は、話しの続きを言った。

 「まあ、結局はお嬢様がその大量の雑魚妖怪を血祭りにしたことで勘違いだったとわかりやすく示され、沈静化しましたが……今回は話が別です。何せ今回は――」

 「――あの『紅い悪魔(スカーレット・デビル)』が妖怪からしたらただの雑魚にすぎない人間に負けた。そう見るだろうな」

 「ただの人間、ねぇ……」

 シオンはニヤニヤと笑いながら呟くレミリアに気付いてはいたが、シオンの鉄の仮面を崩すことはなかった。

 逆にレミリアの声が聞こえていた美鈴はかなり微妙な、形容し難い複雑な顔をしていた。ちなみに咲夜は未だに硬直している。

 そんな状況で、いきなりフランが叫び出した。

 「そんなのおかしいよ!負けたのは私で、お姉さまじゃない!ううん、それ以前に、シオンは弱くないもん!!それなのに――」

 「落ち着け」

 今にも能力を使って暴れ狂いそうなフランを、握った手の甲でかなり軽く叩く。どちらかというと叩くというよりも乗せる、といった表現が正しかったが、それで我を取り戻したのか、フランは罰の悪そうな顔をしていた。

 シオンはそれを無視して言った。

 「事実がどうあれ、大概はそう取られる可能性があるんだよ。他の人間や妖怪からしたら、俺はこの世界に来たばかりの弱い人間と同じにしか見えないんだからな」

 「それに、デメリットしか無い訳じゃ無いのよ?」

 それまで傍観していたレミリアが言う。

 「え?それって、どういうこと?」

 「簡単に言ってしまえば、シオンがこの世界で有名になればいいのよ。シオンが私たちと同程度の強さを持った妖怪に勝つのが一番手っ取り早いわね」

 「あっさりと言ってくれるね……」

 少し疲れたような物言いに反して、シオンの表情はやはりピクリとも動かない。それに慣れたのか、レミリアは挑発するように返した。

 「フランを相手に手加減して勝てた貴方ならできるでしょう?」

 「……さあな。殺し合いに絶対なんて言葉は無い。特に、俺の場合はね」

 「シオンの場合って?」

 「ああ。それは――」

 「人間であるが故の脆弱さ、ですよね?」

 フランの疑問に答えたのは、シオンではなく美鈴だった。何故彼女が答えられたのかと言うと、美鈴は門番として人間を追い払っているが、門番となったばかりのころは初めてやる仕事に若干緊張したせいか、力加減を間違えて相手を粉砕してしまったことがあるのだ。

 その時の嫌な経験があるからこそ、シオンの致命的過ぎる弱点に気付いたのだ。

 「それに、体の耐久度も低いです。だから多分ですけど、シオンは全力は出せないと思っているのですが――違いますか?」

 「いや、あってるよ。俺は妖怪に本気で……いや、恐らく軽く叩かれただけでも死ぬ。俺の戦い方が全ての攻撃を避けるのを基本にしていなければ、フランとの戦いで即死してただろうね。まあ、簡単に負けるつもりはないけど……」

 皆まで言わずに頭を振って最後の言葉を濁す。そして、話しを元々していたものに戻した。

 「とにかく、客人として扱ってもらう。だから、俺が昨夜説明していたことは他言無用だ。まあ、紅魔館の主は客が言われたくないようなことを他人にバラしてしまう、マナーのなっていない奴だと思われたいのなら、話しは別だが……」

 「んな……ッ!?よくもまあ、そんなにあっさりと私のプライドを刺激するような言葉を吐けるわね……貴方が能力の説明をしたのは、これを予期していたからなの?」

 レミリアは引き攣った顔で聞き返す。

 「いや、これは後付の理由。それ以外の理由は、この世界の情報を知りたかったから」

 「情報を?」

 「俺はこの世界のことを何も知らない。そんな状態で周囲を歩けば、最悪何も知らないまま殺されるか、あるいは犯罪者扱いを受ける可能性すらある。()()()()()()。だから、この世界のことを知りたかった」

 「なるほど、そういう意味だったの。……咲夜、食後の紅茶を淹れて来てちょうだい。ここにいる人数分を、ね」

 その命令によってやっと我を取り戻したのか、昨夜は慌てて立ち上がりながら頷いた。

 「ひゃ、はい。畏まりました」

 慌て過ぎて噛んでしまった咲夜は顔を真赤に染めて駆け出して行った。その光景を見ていたフランは両手で、美鈴は右手で口元を押さえて笑いそうになるのを堪えていた。何時もクールな人が失敗する時ほど可愛らしいということだろうか。

 もしも咲夜がこの二人のリアクションを知っていたのなら、もっと厄介な目になっていただろう。

 咲夜の珍しく失態していたのを意外に思いながらも、レミリアは美鈴へと言った。

 「美鈴は食器を片づけてちょうだい」

 「はい。畏まりました」

 美鈴はそこそこ俊敏な動きで食器を片付け、キッチンの流し台へと持って行く。それを見てから、レミリアはシオンに向き直った。

 「それで、その二つ以外にも何か理由はあるの?」

 「一応ある。元々能力の説明は『体細胞変質能力』以外は話しても余り問題は無かった。黒陽と白夜は汎用性が――使用時のリスクを除けばだけど――高い。だから別にバラされてもいいとは思っている。不利になるから、なるべく言わないでほしいけどね。まあこれは、第三者が聞いてきたら言う建前のようなものだ。俺がこの願いを言った理由は後二つあるよ。まあ、一つは絶対にわからないだろうけど、もう一つはわかると思う」

 「何か引っ掛かる物言いだけど……。まあいいわ。私の予想だと、シオンの能力を話してもメリットが無いってこと。そしてもし貴方が有名になった場合、その貴方と繋がりのある私たちの名声が上がる可能性が高いということ。けれど私が裏切れば、そのメリットは全て無くなってしまう。私たち妖怪は長い時を生きるから、即物的な利益や楽しさより、将来長く続くメリットを選ぶはず……そういうことでしょう?」

 レミリアは首を傾げながら確認してくるのに対し、シオンは頷きを返した。そこで、何故かフランが話に加わって来た。

 「私、シオンが考えてる最後の理由がわかったよ」

 「「え?」」

 レミリアだけでなく、シオンまでもが驚きながら――やはり表情は変わっていない。この時点で、レミリアはシオンが感情を出さないのではなく、出せないのではないか?と疑い始めていた――声をあげる。

 フランは、無邪気に笑いながら、まるで当たり前のことを言うように言った。

 「シオンは損得関係なしに、私たちを信じているんだと思う。だから、自分の力を話してくれたんでしょう?」

 「フラン、流石にそれは――」

 ない、と言おうとしたところでレミリアの動きは止まる。今まで無表情を保っていたシオンの顔が、少しだけ赤くなっていて、少しずつ顔が歪んでいくのを見たからだ。

 シオンのこの反応。これでは、まるで――

 「――まさか、フランの言っていることが図星……なの?」

 「…………………………」

 ほんの少しの間沈黙していたシオンだが、やがてコクリと小さく頷いた。

 「何で、そう思ったの?」

 「話していた時の人柄、性格。それと雰囲気、その他で判断した。それとレミリアたちには、人から感じられる害意が余り無いから、信用はできると思った」

 ボソボソと答えるシオンに、レミリアは生暖かい視線と、小さな微笑みを、フランは満面の笑みを向けた。

 純粋すぎる笑顔を向けるフランに、シオンは「何で」、と呟いた。

 「何で……俺がそう思ってるとわかったんだ?」

 「ふぇ?ん~……」

 フランは手の甲を顎に当てて考える。そのポーズは『考える人』ばりに様になっていたが、それに反して気の抜ける声を出していた。

 しばらくして答えに思い至ったのか、グーの形にした右手を左手の掌にポンと置き、頭の上に豆電球を出すと錯覚しかける程に『わかった!』という顔をし、シオンを絶句させる言葉を口にした。

 「シオンから、私と似たような何かがある気がするから……かな?」

 フランはシオンと初めて出会った時、そう思ったのだ。何かを成し遂げたい固い『意志』が感じられるのに、それに反して深い絶望を纏っていた。その絶望は、どこか自分と似たようなものだと思ったのだ。

 それはシオンも同じだった。()()()自分は助かった。しかしフランだけは未だ助けが無く、たった独りであの場所に居続けていた。だからこそ、フラッシュバックしたのだろう。もう思い出したくも無い、あの地獄を。あの寂しさを。

 「――ッ!」

 シオンが表情を変えずに済んだのは奇跡に近かった。もしも表情を変えてしまい、それを診られてしまったら、シオンが奥底に静めている『願い』を悟られる可能性があったからだ。

 だからこそシオンは、小さく呟くことで、レミリアの注意を逸らした。

 「なるほど、似た者同士ということか」

 「うん。そーいうことだよ♪」

 何とか流せたことに安堵したシオンは、一つのことを見逃していた。フランは精神的には未成熟で子供だが、決してバカなわけではないことに。シオンが気を緩め、注意が逸れた瞬間をフランは見逃していなかったのだ。

 (やっぱり、シオンは……)

 そして話が途切れたのと同時に、ちょうどよく咲夜と美鈴が戻ってきた。

 咲夜は食堂の雰囲気がどこかおかしいことに気付いたが、自分が抜けている間に起こったことはわからないからと無視して、紅茶の用意をした。美鈴は少しだけ戸惑いつつも、流石の胆力で食器をかだす前に座っていた位置に戻った。

 その間、シオンは先程言った願いの内容を詰めていた。

 「客人として扱ってくれとは言ったが、俺としては紅魔館に置いてくれるだけでも構わないと思ってる。だから普段通りに接して欲しい」

 「……最初会った時にも思ったけど、変な人間よねぇ……。普通の人間なら、もっと色々要求してくると思うのだけれど」

 「俺は他の人間と違って殆ど欲が無い。人間の三大欲求と言われている食欲、睡眠欲、性欲がゼロに近いくらいだからな。まあ、俺の年齢で性欲があるのは少しおかしいような気はするが……」

 「性欲については置いておくとして……他二つは流石に異常過ぎるないかしら?」

 「事実だ」

 体を震わせながら言うレミリアの言葉を即答で返す。二人の話を聞いていた三人も似たり寄ったりの反応をしていた。

 シオンはその反応を無視して紅茶の入ったカップを手に取った。そして紅茶を飲み始める。

 「とりあえず、シオンの要求は理解したわ。どの道、私は断れないのだし――ッ!?」

 シオンと同じく紅茶を飲んだレミリアは、目の前の光景に息を呑んだ。レミリアがいきなり驚いたのに訝しんだフランたちは、彼女が見ている方向を見て、同じく息を呑む。

 シオンの顔は、まるで何かの感情を抑えるかのように――しかし抑えきれず、両目からポロポロと涙を流していた。それでもシオンは何も言わず、ただ黙って歯を噛みしめているだけだった。

 その様子を見るのに耐えかねたのか、咲夜が恐る恐るシオンに話しかけた。

 「シ、シオン、マズかったのなら言ってください。別の物を用意しますのね」

 「……違う……マズいかったわけじゃない……ただ……」

 喉の奥から絞り出すかのように弱弱しい声を出す。そんなシオンに、では何故、と言おうとした咲夜だが、それはできなかった。

 今にも崩れて壊れてしまいそうな外見が四歳程度の小さな子供に質問するなど、できるはずがなかった。

 しかしその場にいるのに耐えかねたのか、再びカップを手に取ってから無理矢理全てを飲み干し、カップと皿に傷がつかないギリギリの強さで置くと、そのまま駆け出して食堂を出て行った。

 咲夜と美鈴が慌てて追いかけようとしたが、後ろからが届いて来た鋭い声に動きを止めた。

 「待って!」

 「「え!?」」

 二人が後ろを振り返ると、必死な表情をしているフランがいた。

 「今は……今だけは、シオンを一人にしてあげて……」

 その必死な表情にたじろぎながらも、咲夜はモゴモゴとしながら言った。

 「フラン様……ですが……」

 「咲夜、お願いだから……」

 懇願するフランの声だけが、嫌な空気の立ち込める食堂に響いた。




ぶっちゃけレミリアたちが普通に日本語を話してる二次創作(原作もそうなのですが)が多いので、個人的な理由を突っ込んでみました。余り不自然にはならないようにしたのですが、どうしょう?


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従者の悩み

今回はシオンの心と咲夜の悩みがメインとなります
ぶっちゃけ今のシオンって暗すぎて主人公っぽくない……


 シオンが食堂を飛び出した後、フランに呼び止められた咲夜だが、それでもチラチラとシオンが出て行った方向を見ていた。

 美鈴は何も言わないが、困惑しているのはわかる。

 それでもフランは叫ぶ。自分を救ってくれたシオンのために。

 「私は全部を理解したわけじゃない。それでも、シオンが何かを恐れているのはわかるの。……さっきシオンが泣いたのは、多分懐かしさからだと思う。だから、今は……今だけでも、シオンを一人にして、心の整理をしてあげたいの」

 「「「……………………」」」

 先程まで無邪気に笑っていたフランと同一人物とは思えないような深い推察と思考に、黙っていたレミリアでさえも呆然としていた。

 何よりも驚いたのは、ずっと閉じ込められていたフランが心の機微に対してここまで詳しい考えを言えたことだ。

 「……何で、フランはそこまでわかるのかしら?」

 「……他の人はわからないよ。私がわかるのは、シオンだけ。()()()()、シオンだけだから」

 フランはシオンの全てを知っているわけではない。それ以前に、こう思っていた。彼と接していた時間がたった一日にも満たない自分が、シオンの抱えている闇を理解できるなんてありえない、と。

 しかし、それでもわかることはあるのだ。フランがわかったのは、シオンは一回も嘘を吐いていないことと、約束を破らないということだ。その様は、まるで鬼のような馬鹿正直さだと思ってしまうほどに。

 そしてもう一つ、彼は何かを憎んでいるのと同時に、恐れている。多分だが、自分を助けたのもそれが理由だろう。それでも、一つだけわからないことがある。それがわかれば……と、ここまで考えたところで、フランは自身に視線が集まっているのに気付いた。

 「え~と……どうしたの?」

 「あ~……何て言えばいいのかしら」

 「…………?」

 「バカっぽい――じゃなくて、間の抜けたような顔をしたフランしか見たことが無かったから、真剣な顔をしていたのに驚いただけよ」

 「バカっぽいって……」

 余りの言い草に怒りよりも先に呆れが来る。レミリアは自身の失言に気付いたのか、少し顔を赤くして視線や顔どころか体全体を逸らした。

 二人はレミリアの嘘偽りの無い毒舌に、らしくないと思った。その後の態度も予想外だ。余りにらしくない行動に、ふと美鈴は言ってしまった。正確には、零してしまった、と言う方が正しいかもしれない。……それが地獄への片道切符であるとも知らずに。

 「もしかしてお嬢様……嫉妬してたり、とか?」

 「――――――ッ!!?」

 その言葉に、レミリアはほんの微かに体を揺らしてしまう。その微かな反応を見逃すはずがなく、図星だと判断した美鈴は更に言葉を重ねる。

 「あら、図星ですか?いや~意外ですねぇ。昔はあんなに素直でかわいらしかったのに、今じゃそんな素振りを見せないので、少々残念に思っていたのですよ?まさかフラン様のことでこんな可愛らしい子供らしい反応をする、なん、て……」

 そこまで言ってようやく気付いたらしい。自分が虎の尻尾……いや、鬼の角を思いっきり踏んでいることに。

 どんどん高まっていくレミリアの妖力と比例して、美鈴の顔が青くなっていく。そして増加した妖力に気圧されたのか、自分自身でも気付かぬうちに一歩後ろに下がっていた。

 レミリアはそんなことはどうでもいいと言わんばかりに、箍の外れた鬼の如く不気味に笑いながら立ち上がった。

 「フ、フフフ……ねぇ、美鈴。いつから貴方は、私をからかえるくらいに偉くなったと思っているの?ねぇ、教えてもらえないかしら?」

 「こ、答えたら……そ、そその、許してもらえたり……とか、は?」

 せめてもの悪あがきにと発せられた言葉に、レミリアは笑顔を返す。――そう、()()()()()()

 それを見た美鈴は心の中で

 ――あ、死にましたね、コレ

 と現実逃避したが、それでどうにかなるわけがなかった。

 「さて、お痛した下僕(ペット)には、しっかりとしたお仕置きが必要よね?さ、いらっしゃい。存分に可愛がってあげるから」

 「あ、ああ……」

 最後の頼みの綱として二人に助けを求めようと目を向けるが、肝心の二人の姿は影も形もなかった。それに気付いた美鈴の顔は絶望で染まった。

 その数秒後、イヤァァァァッ!!?いう甲高い悲鳴が紅魔館に響いた。

 ……余談だが、フランと咲夜の二人は美鈴が地雷を思いっきり踏み抜いたことをすぐに見抜き、あっさりと美鈴を捨てることを決断。さっさと部屋を出ていた。

 この幻想郷で生き残るには、こういった危機管理意識が重要なのだ。

 ――美鈴、合掌。

 

 

 

 

 

 時は遡り、シオンが食堂を走り去っていく。右に左にとただ我武者羅に走って行く中で、シオンの異常な聴覚はフランが咲夜と美鈴を引き止めたのを知った。

 自身の異常な五感に制限(リミッター)をかけていなかったのを忘れていたシオンは、すぐに視覚のみをある程度までにし、それ以外を常人とほぼ同じにした。

 そして、食堂から十分に離れたところで、手近な部屋の中へと入りこむ。その時シオンは気付かなかったが、そこはシオンの怪我の治療に使われた部屋だった。

 この部屋に無意識に来たことにすら気付かないまま扉を閉める。そうしてから、背を扉にもたれ掛けさせてズルズルと座り込み、息切れを直すために何度も浅く呼吸を繰り返す。疲れているわけではない。シオンの体はそんな普通の人間のレベルに収まってはいないのだから。

 シオンが息切れをしていたのは、精神的な負担のせいで、動悸が収まらないのだ。

 「……違う。違う、違う、違うッ!そうじゃない。ただ似た味なだけだ。それだけ何だ!」

 壊れた機械のように何かを否定する。違うと、そうじゃないと、ただそれだけを繰り返す。

 歯を噛みしめて、拳を血が滲みそうになるほど握り締めて。それでも耐えられなかった。シオンの目から、また小さなしずくが溢れ出す。そこで、普通ではありえないおかしな部分があった。右目はただの涙。それなのに左目からは、赤く紅い水が溢れている。

 けれど、シオンはただぶつぶつと呟くだけだ、それに気付くことは無い。その様子は、まるで自己暗示をかけているようだった。

 「()()()()()()()()()()!ただ紅茶の味が似てるだけで姉さんの代わりにしようとするのは、姉さんと咲夜を侮辱してる。だから違う。違うんだ。……なのに、何で……ッ!」

 突如左目に激痛が走る。反射的に手で左目を抑えるが、口から漏れ出る言葉を抑えるのは不可能だった。

 「何で、何でこんなに辛いんだ……!」

 そして再び涙を流し始める。それを少しでも抑えようと、額を膝に押し付ける。()()()と戦った人外(シオン)の姿は見る影もなく、膝を抱えてガタガタと震えるその様子は、まるで悪いことをして落ち込んでいる、あるいは家族の愛情を求める小さな子供のようだった。

 しばらくして泣き止んだシオンは、あの時心に決めたことを明確に思い出し、再び心に無理矢理刻み込む。

 (俺はもう二度と必要以上に人と関わるような真似はしない。家族もいらない。友達も作らない。ずっと、ずっと独りで生きて行く。そうすれば……もう、失うなんてことは無いから)

 そんなのはただ逃げているだけと、そう言う人もいるだろう。そんなのはシオンもわかっている。しかし、シオンはもう耐えられなかった。

 自分の命を懸けてでも守りたいと、一緒にいたいと思った大切な人が、目の前で死んでしまうのに。あの時シオンは知ってしまった。

 ――化け物()は何かを壊すだけで、守るなんて無理なのだと。

 シオンの能力も、黒陽の能力も、攻撃寄り過ぎるのだ。周囲全てを殺し尽くすのは簡単だとしても、守るのは不可能に近い。

 幻想郷に来る直前に預かった百夜の断絶を利用した結界を使えば守るのは可能だが、敵を殺す前に自分が死ぬ可能性が高い。あの結界は燃費が悪すぎるのだ。

 「もう、独りは嫌なんだ……」

 シオン自身すら気付かぬ内に、無意識に漏れた言葉。それこそが、シオンの心の内に宿している願いの()()だった。

 ――独りは嫌だ。でも失うのは怖い。それなら守ればいい。あの時も守れなかった俺には無理だ。

 そんな矛盾した思いばかりがグルグルと心の中を駆け巡る。

 そして、最終的にシオンは――諦めた。今の自分では、守るどころか自らの手で殺しかねない、と。

 傍から見れば、シオンの言動や行動には一貫性が無く、おかしな部分ばかりだろう。だが、シオンは()()()()が無くならなければ――と、そこで扉からコン、コンと音が鳴り、シオンの思考は中断される。

 周囲の気配すら読めなくなるほど動揺していたのに呆れ、同時にこんなだからああなってしまったんだと自分を嘲る。まだまだ弱い。心も体も。シオンはそんな風に思っていたが、他人がその話を聞いたらこう思うだろう。

 ――誰かのために命を懸けることができ、大妖怪をすら助けることができたお前が弱いのなら、幻想郷に住む人間の大部分はそこらの虫と同レベルになるだろう、と。

 しかし今はそんな突っ込みをいれられる人間はいない。

 ノックを聞いてゆっくりと立ち上がったシオンは、返事をしなかったために何もせずその場で待っているであろうメイドを待たせるのも悪いと思い、扉を開けた。

 「待たせて、ごめん」

 相手の顔を見ずに、若干目を逸らしながら言う。その目が何時もより少しだけ赤くなっていたのに気付いた咲夜は、気にしてないという風に首を横に振る。

 「いえ、お気になさらず。……そろそろ昼食になりますので、呼びに来ました」

 「え……」

 「……?どうかしましたか?」

 つい呆然とした声を出すシオンに、首を傾げながら咲夜は問い返す。しかし、シオンは何でも無いと頭を振った。

 (どれだけの時間をグルグルと悩んでいたんだ……?体感時間じゃあ数分しか経ってないような気がするし、逆に何日も経ったような気もする。色々と異常過ぎるこの体に少しは慣れてきたのかと思ったんだけどな……)

 実を言うと、シオンは黒陽と白夜の力を理解できているものは全て話してはいるが、体細胞変質能力の全てを話したわけではない。嘘は吐いていない。レミリアとの約束は『能力の全てを話す』ことであって、『()()()()()()()()()()』を話す必要は無いからだ。それでも話したのは、重力と空間を操る能力ではフランの能力を防ぐ手段は断絶結界くらいしかなかったからだ。

 そんな理由で、シオンは自分しか知らない特異体質がいくつか存在する。だが、シオン自身がその特異体質を全て理解できているわけでもない。

 忘れているかもしれないが、()()()()()()()()()()()()。自らの力を把握するどころか、力に溺れるか、あるいは扱いきれずに自滅していてもおかしくない。

 それなのにシオンは、今この一瞬にも力を完全に掌握しようと努力し続けている。

 異質で歪で、どこかが壊れ狂ってしまっている。そんな少年がシオンという存在なのだ。

 そしてシオンは、咲夜にいくつかの疑問を聞いた。

 「そういえば、俺が食堂から飛び出した後はどうなったんだ?」

 「ああ……。まず、美鈴がお嬢様の地雷を思い切り踏んでしまい、現在お仕置き……と言う名の調教をしている真最中です。もう終わっている可能性が高いですが」

 「おい、調教って何だ調教って。動物じゃないんだぞ……?」

 「……そこは気にしないでください。この世界には、知らない方が幸せなこともあるのですから」

 「……わかった、聞かないよ。気にしないことにする。……別の件だけど身に覚えがあったりするし」

 どこか遠い目をしている咲夜に、地雷を踏みかけていると察したシオンは、続きを聞くのを止めた。後半ボソリと口の中で呟いた言葉を聞かれないようにして。……多分、咲夜もその調教とやらを受けたことがあるのかもしれない。

 そこまで考えながらも、とりあえず話を変えようと思ったシオンは、フランがどこにいるのかを聞いた。

 「フランはどこにいるんだ?もう先に着いてて、待ってるとか?」

 「フラン様はもうご就寝していますね」

 「え?……ああ、レミリアとフランは吸血鬼だったっけ」

 「演技ではなく、本気で忘れていたのですか」

 どことなく呆れている咲夜に、シオンは常識をぶち壊すような発言をする。

 「二人が吸血鬼らしくないってところもあるんだけど……それ以前に、どうでもいいことだろう?」

 「は?」

 「俺と咲夜は人間で、レミリアとフランは吸血鬼。美鈴はよく知らないけど何かの妖怪で、パチェリーは魔法使いだっけ?それでも俺たちは普通に生活していられる。確かに人間と吸血鬼は――いや、妖怪と比べれば、何もかもが違う。だけど、共に生きるくらいはできる。だったら、俺にとって種族の差なんて気にもならないし、()()()()()()()()

 それは、咲夜にとって青天の霹靂とも言えるほどに強烈な言葉だった。

 咲夜はレミリアに拾われる前のことを殆ど覚えていない。そのことを知ったレミリアがパチェリーに便宜を図り、それから様々なことを学んだ。――いや、学ばせてくれた。

 だからこそ咲夜は、恩人であるレミリアの手伝いをしたいと思っていたのだ。しかし、ここで一つの問題があった。()()吸血鬼(レミリア)の訳に立てるのか?という問題が。

 確かに役に立つ部分もある。料理、洗濯、掃除といった家事は咲夜が全てやれる。だが、それだけなのだ。戦闘において、人間は使えない。それが咲夜にとって当たり前のことだった。

 あの博麗神社の巫女のような例外中の例外でもなければ――そう、思っていた。

 けれどシオンが違った。この世界に来たばかりでありながら、既に順応しきっている。更に言えば、レミリアと咲夜はシオンが直接フランを救うのではなく、何らかの方法を提示してくるのだと思っていた。それなのに、シオンはフランと互角以上に戦い、そして勝った。

 シオンは卑怯な小細工をしたと言っていたが、レミリアたちはそう思わなかった。卑怯な手段や小細工を使っているなどと喚くのは負け犬の遠吠えにすぎない。それは単なる言い訳だ。

 いくつもの能力を使った?

 ――その力は、自分で努力して得た物だ。使って何の問題がある?

 初めて戦った相手に本気を出した?

 ――お互いに命を懸けた戦いで手加減をするのは愚の骨頂だ。そもそも殺さなかっただけシオンは手加減している。

 そう、実のところレミリアたちのシオンに対する評価はかなり高い。知識も、技術も、それに培われた経験も……全てが異常なまでに高い。知識はパチェリーが、技術と経験は――技術に関しては恐らく格闘のみだろうが――美鈴の方が上回っているが、そもそも百年以上を生きているパチェリー、そして数百年以上の時を修行に費やしてきた美鈴と、たったの九年しか生きていないシオンを比べるのが間違っている。いや、比べられる時点でおかしいのだ。

 そして咲夜はそれを聞いて、嫉妬してしまった。『人間は妖怪と共に戦えない』、そう思い続けていた咲夜にとって、フランと戦えていたシオンを不謹慎ながらも憧れ、同時に羨ましいと思ってしまった。妬ましかった。

 自分と同い年。そうでありながらも三つの能力を使いこなし、加えて身長が低いなどといったハンディキャップがあるのにも関わらず、それらを物ともしない不屈の闘志。レミリアの隣に立つことがきるシオンが、本当に羨ましかった。

 自分がその位置に立ちたいと願い続けていた咲夜にとって、それができるシオンは憧憬の対象だった。

 あの力を手に入れるために、シオンが血反吐を吐くような日々を送っていたであろうことは想像に難くない。

 それでも咲夜は、自分を止めることができなかった。

 「………………………」

 本来メイドでしかない咲夜が、客人であるシオンに対してこんなことを頼むのは、間違っているどころか、レミリアにバレてしまえばどんな目に合うのかわかったものではない。最悪の場合は――

 咲夜はその恐怖を押し隠し、紅魔館の玄関へと案内した。その時、黙って咲夜の後ろに着いてきていたシオンが声をかけた。

 「咲夜、何故こんな場所に連れてきたんだ?」

 「……わかりませんか?」

 咲夜の返答に、「やっぱりか」というように頭を掻く。

 「……わかる、わかるさ。わかりたくないくらいにわかりやすい。そんなに殺気立っていれば、この後何をするのか予想は簡単にできる。……できれば、間違っていて欲しいと思うよ」

 どこか疲れたかのように言うシオン。だが、その願いは叶わなかった。

 「私がシオンにして欲しいと思っているのはただ一つだけ。お願いします。私と戦ってもらえないでしょうか?」

 どこからかナイフを取り出しながら咲夜は言った。

 傲岸不遜に見える態度だが、『目』が良過ぎるシオンには見えていた。咲夜の体が殆どわからないくらい微かに震えているのに。恐らく震えている本人すら気付いていないだろう。

 そしてシオンは、いつもの癖で考えてしまった。わからないことを理解するために。

 そうしなければ生き残れなかったシオンは、『わからないことは即座に理解しなければならない』のを必須としていたのだ。

 (まずわかっているのは、咲夜が無意識レベルで恐れている物がある、ということ。そしてそれは、朝食の時に美鈴が言った数年前の話に対する咲夜の反応で大体わかる。それは――)

 ――レミリアの枷になる、あるいは嫌な行動をしない、というものだ。だが、何故今回の行動で、ほぼ確実にレミリアが『嫌がる』であろう行動をするのか?

 そこまで思ったところで、シオンは自分自身忘れかけていた事実を思い出した。

 (――ああ、そういえば今の俺の立場は、『一応』客人って扱いだったっけ。つまり、咲夜は……)

 そこらの一般的な店でも、似たようなことは起こる。最も大事な客に対して粗相をした人間は、大抵の場合クビにさせられるからだ。

 恐らく咲夜は、ここ紅魔館をクビに――退職させられ、追い出されるのを恐れているのだろう。

 そこまでの事情を把握し終えたシオンは、高速回転していた思考を終わらせる。

 そして未だ数秒しか経っていないせいでシオンの方を見ていない咲夜に言った。

 「――断る」

 「…………え?」

 断られると思っていなかったのか、ナイフを持つ手が揺れる。その背中に、シオンは追撃を入れる。

 「そもそも、紅魔館を追い出される可能性に思い至っているくせに、何故戦って欲しいなんて言ったんだ?」

 「な、何故それを……?」

 図星を突かれ、咲夜は振り返る。シオンはどこか不愉快だと思わせる声音で言う。

 「そんなの、今まで知った情報から推察できる。俺が聞きたいのは、何故こんな真似をしたのか、だ」

 「例え追い出されるという可能性を思いついていなかったとして、それでもレミリアから何らかの罰を受けるのはほぼ確定しているのはわかるはずだ。最悪信用すら失う。それがわかっていながら、何故?」

 「…………………………ッ!」

 わかっていた、そんなことは。わかっていても、感情を制御しきれなかったのだ。

 顔を歪めている咲夜は、今にも泣いてしまいそうにも、あるいは怒ってしまいそうにも見えた。あるいは――妬むと同時に、羨んでいるようにも。

 事実はわからない。けれど、それでも咲夜がこんなバカな真似をしたのはそういった感情があるからだろう。

 「……妬み、か」

 「!?……やはり、わかってしまいますか」

 鎌をかけたシオンの推察を否定せず、悲しそうに言った。

 それを見て、シオンは不謹慎にもこう思ってしまった。

 ――誰かに失望されるのを恐れることができるのは、羨ましいと。

 失望されるのを恐れるということは、今は誰かに必要とされていることと同義だ。それすらないシオンには、『持っている』咲夜は羨ましかった。

 二人はお互いに羨ましいと思いながらも妬んでいる。ある意味、今この場の二人は最も『人間らしい』と言えるだろう。

 だが、シオンにとってはそれは関係が無い。『身勝手な人間に巻き込まれる』のに疲れていたシオンは、きつい言い方をしてしまった。

 「自分勝手だね。普通こういった行動をするのなら、まずレミリアから許可をもらって、その後に俺のところに来るのが筋じゃないのか?」

 咲夜は何も言い返さない。シオンの言っていることが正しいと理解できているからだろう。

 けれど、次の言葉だけは許せなかった。

 「身体も精神(こころ)も未熟な子供を側近にするなんてな。レミリアって、案外抜けてるのか?……今更か」

 未熟な子供。それはレミリアたちによく言われていたものだった。

 ――まだ子供なんだから、メイドの仕事なんてやる必要は無いわよ。

 何時もそう言われていた。それでも咲夜は無理を言ってメイドにさせてもらった。

 だからこそ咲夜は、紅魔館の、ひいては主であるレミリアのために完璧で瀟洒なメイドになろうとしていた。やり始めたばかりのころは失敗もしたが、ある程度経ってからは上手くいっていた。全てが完璧にできていたわけではないが、一部の事柄以外――例えば戦闘面など――は完璧にやれていた。

 そんな時に咲夜以上に完璧と言えるシオンが現れた。最初に話した時は友人になれると思った。しかし、シオンは咲夜にできなかったことをやり遂げた。

 そして、それをやり遂げる前に少ない情報で未来予知の如く自らの『願い』で出る影響を予測に入れていたりもした。

 自身が優秀だと自覚していた咲夜でも、シオンと比べれば未熟過ぎた。

 そして、そのシオンに図星を刺されたことによって心が揺れたことと、レミリアの評価を下げてしまったと勘違いしたと思った咲夜は、完璧なメイドの仮面を捨て去り、完全なる暴挙に出た。

 自らの能力を発動させる。全ての色が抜け落ち、モノクロの世界となる。

 それを確認した咲夜はシオンに近づき、右手に持ったナイフをその首へと押し当てた。咲夜は『何時でも貴方を殺せる』と脅して、無理矢理にでも戦ってもらおうと考えたのだ。

 この方法は妖怪には余り使えない。体が頑丈過ぎる妖怪では、ナイフ一本を押し当てたところで脅しにもならないからだ。

 しかし、幸か不幸かシオンは人間だった。ならばこの方法は使えるはず。そう思いながら、咲夜は能力の発動を止める。そして、徐々に色が戻ってきた。

 それを確認した咲夜は、シオンに話しかけようとして――絶句した。

 「えっ、あ……何、で……?」

 「………………………………」

 咲夜の呆然とした声にシオンは何も答えない。いや、正確には答えることができない。

 何故ならば、首に押し当てていたはずのナイフが、シオンの()によって止められていたからだ。

 (――何で、何で反応できたのですか?能力はきちんと発動したはず。お嬢様だってこの力を防ぐのは不可能でした。それなのに、何でシオンは、こんな!)

 咲夜の能力は、例え大妖怪であろうと抗えない。戦闘時においてこの力は圧倒的なアドバンテージを得られるほどに強力な能力。

 それほどまでに強力な能力だったからこそ、咲夜は混乱を起こしてしまった。『誰にも破られたことが無い』が故に、『能力が効かない』相手がいるとは思っておらず、その対処法も考えていなかったのだ。

 (私にはこれしか無いのです。それでもシオンには意味が無いのですか!?)

 咲夜が硬直しながらもそんなことを思っている間、それまでずっと動きを止めていたシオンがナイフから口を放した。

 「――仕方ない、か。いいよ、戦っても」

 「え?」

 先程まで戦うのに消極的だったシオンが、戦ってもいいと言ったことに、咲夜は嬉しさよりも先に驚きと疑いの気持ちが先に出てしまった。しかし――

 「でも、私は――」

 「――自身が無い、か?」

 「…………」

 図星だった。能力を除いてしまえば、咲夜は魔力を使った身体強化と、ある程度の弾幕くらいしか作れない小娘にすぎない。

 既に能力の中でも最強の手札を破られてしまっている現状、咲夜の心は折れかかっていた。

 弱弱しい姿の咲夜を見たシオンは、内心で溜息を吐いた。

 (やれやれ……本当に、咲夜が羨ましい。俺と違って――いや、これは関係ない。とりあえず今俺に出来るのは、挫折しかけている咲夜にどんなアドバイスをするか、だな。他人に進むべき道を示すなんてしたことは無いけど……。行動するくらいはできる)

 本来のシオンなら、何かを思いはしても関わろうとはしなかっただろう。しかし、今回だけはそうしなかった。

 ――私が、いますよ。

 その言葉が、ただ嬉しかった。例えそれがその場限りの嘘偽りだったとしても、少しだけ救われた気がした。

 そんな理由があったからこそ、シオンは咲夜の勘違いを直すために行動をした。

 「咲夜に教えてあげるよ。人と妖怪の違いを」

 食堂で話していた時とは違い、明確な感情が宿っていたシオンの言葉に、咲夜は俯かせていた顔を上げる。

 その目の前には、既に剣の形にさせていた黒陽を右手に持ち、覚悟を決めた顔をしたシオンがいた。

 「人と妖怪の……違いですか?」

 「そうだ。人と人が戦う場合にも……いや、戦闘において必ず役に立つ……というより、奇策に近い。俺が今から示すものはね」

 「それでも、その違いがわかれば、私は強くなれるのでしょうか?」 

 シオンの言葉に、咲夜の声には希望が滲み始めていた。しかし、シオンが首を横に振ったことで消え去ってしまう。

 「そんな、それじゃ――」

 「早合点するな。俺が言いたいのは、わかるだけじゃ意味が無いってこと。血を吐くような真似をしなければ、結果は出ないどころか中途半端に終わる。更に言えば、例え成功しても必ず勝てるわけじゃない。むしろ失敗する確率の方が高い」

 「……それでも、やらないよりは強くなれるのでしょう?」

  遠まわしにやめるなら今の内だと告げるシオンに、咲夜は決意を込めた言葉を言った。それを感じたシオンは、即答で返す。

 「なれる。ほぼ確実に」

 「なら、私の言うことは一つだけです。――私と戦ってください」

 「ああ、わかった」

 二人は頷きあうと、玄関の中央へと歩き出した。




次回戦闘
まぁ、戦闘シーンはそこまで長くならないと思いますが……


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訓練という名の実戦

何かサブタイトルが思いつかなくなってきたw
1話目の美鈴との軽い戦闘を除けば二回目の戦闘です。
変なところあったらご指摘お願いします。


 とある世界のとある館の玄関ホール中央に、二人の幼き子供が向き合っていた。

 片方は白いシャツとズボン、そして腰に黒いローブを腰に巻いている。この黒色が無ければ、白すぎる髪と白磁のような肌によってどこか危うさと、今にも消えていなくなってしまいそうな儚さを感じさせる外見を持っている、年齢に反比例して小さすぎる少年。

 もう片方は銀色の髪をしていた少女だ。本来子供が着るものでは無い、青色を基調としたメイド服を着ていた。クールな印象を与える外見だが、いつもよりも若干ピリピリとした雰囲気を纏っていた。それでも大人から見れば可愛らしい印象を与えてしまうのは、その少女が美しいからだろうか。白すぎる少年よりも身長はあるが、やはり幼き少女であるのには変わりがない。

 その二人の内白黒の少年が、自身が決めた訓練の内容の確認をするために口を開いた。

 「――戦いの方式は実戦を基準にした、本当の意味での殺し合い。制限時間は無し。場所はこの玄関ホールだけ」

 そこで区切って玄関ホールを見回す少年。ここはかなり広い。二人が戦うための広さは十分にあるので、何かを壊す心配は無い。

 玄関ホールの真上にある巨大なシャンデリアを壊さないかどうかの懸念はあるが、それでもコレを除けば余り問題は無いだろう。

 第三者が見れば中庭で戦えばいいとは思うだろうが、あの場所はシオンとフランの戦いの影響で、地面がかなりデボコボになってしまっている。アレでは戦うもクソも無かった。

 「次に、勝敗の決め方は気絶、降参、そして命を奪われる攻撃を寸止めで受けるかの三つになる。まあ、最悪の場合は死ぬのもありえるが……コレは言わなくてもよかったか?」

 「ええ、そうですね。ただ一つ訂正をお願いします。制限時間を設けてくれませんか?」

 少年が言った決闘のルールに、少女は改善を願う。少女の願いに少年は首を傾げるが、すぐに納得した。

 「ああ、そういう意味か。けど、逃げ場のない戦闘で何時間もかかると思うか?」

 少年が納得したのは、少女の役職故にだった。いくら二人が戦闘を行うと言っても、コレはあくまで非公式。少女が仕事を放りだす理由にはなりえない。

 だからこその制限時間。昼食を削って作った時間を過ぎる可能性がある今、少女が制限を付けたいと願うのも当然のことだった。

 が、少年の言うこともまた事実。元々人間は全力で行動できる時間は本人が思うよりも意外と少ない。しかし、それでも少女はそれを願う。

 「単純に、念のため、という理由で追加するだけですよ。例え今日で最後だとしても、私はまだ、この紅魔館のメイドですから」

 少女にはメイドとしての譲れない矜持がある。だからどんな理由があろうとも、メイドとしての仕事を放り出すわけにはいかないのだ。

 「人のこと言えた義理じゃないけど、咲夜は難儀な性格をしているね。……とりあえず、制限時間は三十分くらいでいいか?」

 「嘘を言ったことが無いと言い切ったシオンに言われたくはないのですが……。まあ、それぐらいですか。昼食を食べる時間は大体それぐらいですので、三十分でお願いします」

 「わかった。それじゃ、始めようか」

 言い終えると同時に、二人はバックステップで後退する。

 少年ことシオンは右手に持った漆黒の剣をダラリと下げたままで構えようとせず、白夜を使おうとはしない。

 少女こと咲夜はまたもどこからか取り出したナイフを両手の指と指の間、計八本を持って構える。

 両者はしばし睨み合う。そのままの体勢でいること数十秒、シオンが動く気が無いのを悟った咲夜は、少しずつ移動を始める。それでもシオンは動く様子を見せなかった。

 痺れを切らした咲夜は、能力を使い自らを『加速』させながら後ろへ一歩分だけ跳んで、その勢いを利用して空中へと跳び上がる。

 天井までかなりの高さがある玄関ホールの半ばあたりまで跳び上がった咲夜は、跳んだ時の勢いをつけて宙返りし、更に捻りを加えて魔力で作ったナイフとともに両手のナイフをシオンへと投げつける。

 「ハァッ!?」

 元々加速していた咲夜の速度と、回転などの勢いを利用して更に速度を増すナイフ。挙句の果てには魔力で量を増やして追い打ちをかけるというプレゼントを見て、流石のシオンも驚いてしまった。

 が、それも一瞬のこと、シオンはフランと本格的に戦う前にやったのと同じ要領で黒陽で重力を減少させると、一気に真上へと跳ぶ。次の瞬間、シオンが消えた場所に二十本近いナイフが突き刺さる。

 気配探知でそれを理解しながら、シオンは天井へと足を向けて()()する。

 躱されたのがすぐにわかった咲夜は追撃を入れようとするが、シオンが着地したのはシャンデリアのすぐ横。つまり、巨大すぎるシャンデリアの陰に隠れてしまっている状態が仇となっていて、追撃が入れられない。

 もしも咲夜がナイフにナイフをぶつけて投げる方向を変えられるなら話は別だが、生憎とそんな技術は覚えていなかった。

 しかしそれを狙っていたシオンからすれば、今の咲夜は格好の的だった。

 シオンはすぐ横にあるシャンデリアを掴むと、腕を支点にして自分を()()()。位置関係の理由で微かに湾曲しながらも咲夜のいる場所へと正確に向かっていく。

 咲夜へと向かう前にも手を加えるのは忘れない。黒陽を使って自身の重力を加重させ、落ちる速度とぶつかった場合に備えての威力を底上げしておく。

 そして二人は交差する寸前、別々の行動をした。

 シオンは速度と威力を上げた重い一撃を与えようと内側に腕を振りかぶっての横なぎ。突きのような点の攻撃では無く、線の攻撃をすることで回避される可能性を少しでも減らす。本来なら突きで攻撃し回避させてからの袈裟懸けが一番いいのだが、咲夜には『加速』がある。アレを使われてしまえば避けられてしまうのだから、無駄なことはしないようにした。

 咲夜は何もせずにいればこのまま斬られると判断し、遺憾ながらも再度加速する。再びスローモーションとなっていく世界の中、ほんの少しだけ稼げた時間を使って体を反らす。

 そして加速が解けると、元の速度に戻った黒陽は咲夜のすぐ目の前を通って、数本の前髪を斬る。自らが取り込まれそうになるような黒すぎる刀身を目の前に冷や汗が出た。完全に避けれたことに安堵しそうになるが、すぐにその身が悪寒に晒される。

 咲夜は自身のその直感を信じて、顔の前に腕を交差させてガードの姿勢をとる。それよりもやや遅れてきた何かが腕に途轍もない衝撃を走らせた。

 反射的に目を閉じかける前に、シオンの左手が掌底の形をしていたのが見えた。恐らく、回避されるとわかったシオンはすぐさま体勢を立て直し、振り切った右腕はもう動かせないと割り切って左手を使ったのだろう。避けられたことに動じず、すぐさま別の手段を使って次に繋げようとするその判断力は驚異であり脅威に値するものだ。

 もし後ほんの少しでも判断が遅れてしまい、ガードができなければ、今の衝撃を顔面に叩きつけられて気絶していただろう。

 咲夜は戦闘中に気を抜きかけた自身を恥じた。

 床に落ちる前に、せめて一回は反撃しようと右手で――直接掌底を喰らった左腕は痺れてしまい、しばらくは使い物にならない――ナイフを投げる。

 しかし当たり前のように左手で受け止められ、逆に投げ返されるハメになった。

 「人差し指と中指での真剣白羽取り(エッジ・キャッチング・ピーク)を普通に使わないで欲しいですね!」

 叫びながらも床に降り立った咲夜はすぐに横にずれると、そのまま走って逃げる。けれど、すぐ()()の床にナイフが突き刺さったのに動揺し、一瞬動きが止まりかけてしまう。

 (先読みされたのですか!?)

 自分がどこに動くかを予め予想していなければ、今の位置にナイフは刺さらない。やはり歴戦の猛者と言う訳か、シオンはこういった嗅覚が優れていた。

 (ですが、今なら!)

 シオンはレミリアやフラン、咲夜、美鈴、パチェリーのように飛ぶ術は持っていない。つまり、今現在空中にいるシオンはこのまま床に下りるしかないのだ。

 それを狙って、咲夜は魔力で作成したナイフを投げ、少しでも時間を稼いだ。

 咲夜は前を見据えながら走っていたため見えなかったが、シオンは床に降り立つ前に飛んで来たナイフを黒陽で数本弾き、残りは体勢を変えて避けた。

 どれだけ咲夜が速く投げようと、加速していない上に何の勢いも加えず、変な体勢で投げたナイフは銃弾よりも数段遅い。その程度の速さでは、周囲を囲われ逃げ場の無い場所で銃弾の弾幕を避け続けていたこともあるシオンからすれば欠伸が出るほどに遅い。

 だからこそ、地面に下り立ったばかりという状況でどうしても避けられそうにない位置にあったものだけを弾いたのだ。

 だが、例えほんの数秒であろうと時間稼ぎは成功していた。後ろを見ずとも避けられたのを察した咲夜は、もう体勢を整え終えたシオンに愕然としつつも、時を止めるために集中する。

 元々咲夜は自身の能力を完全に制御できるわけではない。そのため、加速はともかく停止はそれなりの集中力を要した。それ故の時間稼ぎだったのだ。

 三十メートルはあったはずの距離を、気や魔力で身体強化をせずにたったの一歩で埋めるという常識外れな真似をするシオンだが、咲夜の能力の発動は止められなかった。

 モノクロになっていく世界。時間停止を発動させた咲夜は、すぐに天井近くまで跳んで、魔力を使って中へ浮き上がる。

 残った二秒にも満たない刹那の時間で、天井を埋め尽くすほどに大量のナイフを作る。フランの弾幕は千ほどだったが、こちらは数千。やはり魔力や妖力を扱う練習の差が出ていた。

 時が戻ると、咲夜はシオンに向かってナイフの雨を降らせる。

 シオンは右に左にと巧みに動き、身を屈め、ギリギリ通れるかどうかの隙間を通って避け続ける。

 フランの時とは違い、多すぎるナイフのせいで白夜を使った空間転移は使えず、仮にできたとしても転移できる範囲が限定されている今は使っても意味が無い。咲夜の近くに転移しようにも、フランとの戦闘を見ていたためだろうか、それを懸念してわざわざ咲夜の上下左右を通ってからナイフを落としていた。無理に転移しても串刺しにされて終わりだろう。

 形勢は完全に咲夜へと傾いていた。

 しかし、実のところ咲夜にはそこまでの余裕は無かった。

 大量の魔力の消費という疲労に、数千本というナイフの維持し、それらを操る制御能力。この三つが原因となって、咲夜の集中力は凄まじい勢いで削れていく。

 今も神経がガリガリと削れていくような錯覚を感じながら、ただナイフを操り続ける。

 そもそも無理があるのだ。今までの訓練では、これほどの量のナイフを作り出して維持しているだけでも限界を超えかけてしまい、操って動かすのは夢のまた夢だったのだから。

 シオンが避け続けられるのも、一本一本を細かく操作できないせいで複雑な軌道を描くことができないという点にある。それと複数の方向からしか攻撃できないのと、制御が甘くなって弾幕が緩んだ部分を見たシオンが、その場所に躊躇無く跳び込んでいるためだ。それくらいは咲夜も理解していた。こんなことをし続けても無駄なのだということは。

 それなのに咲夜がナイフの制御ができているのは、シオンの『強くなれる』という言葉を信じてのことだった。

 (私の何が間違っていて、何が足りないのか。そして、何を理解すればいいのか。それを私に示してくれると言い切った貴方なら、これくらいは何とかできるはずです。だから、私は本気で行かせてもらいます!)

 咲夜は今まで待機させていたナイフすらも操作して、全方向から攻撃をする。今までとは違い隙間が存在しない、絶対に避けられない圧倒的な密度の弾幕。

 このままいけばシオンは串刺しにされ、物言わぬ死体となるだろう。――そう、普通なら。

 「それを待っていたよ、咲夜!」

 「え!?」

 シオンは動かし続けていた足を止めると、黒陽の切先を咲夜へ向ける。その剣の周辺に濃密な重力の闇が蠢き始め、収束し、それらが黒陽の切先に集まり小さな重力球となる。その凝縮された球体を解放し、あの密集したナイフの元へと放つ。徐々に小さな球体が巨大化していくのを見ながらも、咲夜はナイフを呼び戻して自身の前へと束ね、何重にも重ねた壁にする。

 重ねられたナイフをまるでガラスが破砕していくかのような音を立てながら砕き続けた重力球は、咲夜にギリギリ届くかどうかという位置で止まる。

 かなりの量を破壊した重力球であっても、限界は存在するというわけだろう。

 だが、咲夜は自らが悪手をとってしまったのを悟った。

 とにかく急いで三度加速を使うと、後先考えずに全力でその場から移動して回避行動を取った。それが功を奏したのだろう。加速している状態にもかかわらず、咲夜自身とほぼ同じ速度で飛んで来た血のように赤い紅の短剣が咲夜の頬を掠めた。

 もしも先程の攻防のように気を抜いてしまっていれば、容赦なく喉を貫いていただろう。

 それに気付き、背筋が凍るような感覚の中でナイフを全て消し去る。どれだけ数を多くしたところで全く効果が無いとわかった今、無駄に維持し続けても意味が無い。それどころか、魔力と精神力を削るだけであって、全くメリットが無い。

 無理な加速をしたことで全身がボロボロになり、内出血を起こしている。何とか内臓は身体強化でカバーできはしたが、それでも殆どの場所は加速の負担がかかっていた。

 咲夜は自身の能力で他人の一秒を咲夜にとっての数秒まで加速する程度なら問題は無い。だがそれが積み重なっていくと、音速を超えた速度になってしまう。けれど生身で音速に突っ込むなど自殺に等しい愚かな行動。それをカバーするために身体強化を使っているのだ。

 しかし今回はできなかった。余りにも速すぎるシオンの攻撃に反応が微かに遅れ、大怪我を負うか死ぬかの二択しかなかったのだ。実戦が初めてである咲夜の、咄嗟の判断としては良い方だっただろう。ここで少しでも躊躇すれば、そこには死しか残っていないのだから。

 咲夜は体に走っている痛みを無視し、回避行動をした後に残った数秒でシオンがいる場所を見て、その姿を観察する。

 シオンは重力球を飛ばしてきた場所からは離れた場所で、咲夜が出現させたナイフの上に乗っていたらしく、そこで何かを投げ切ったかのように左腕が大きく振るわれていた。

 そんなシオンの服装を眺める。白いシャツとズボンに隠せる場所存在せず、ローブの中は見えないが、それでも隠せる場所は無いだろう。

 (やはり、どこかに短剣を隠し持っている様子はありませんね。ならば、どうやってあの短剣を使ったのでしょうか……?)

 それが何よりも不思議だった。しかしそこで加速が途切れ、同時に咲夜の思考も中断されてしまった。

 元から宙に浮いていた咲夜は関係無いのだが、シオンはナイフが消えたことで床に落とされてしまう。不安定な足場に乗って走っていたのに加え、短剣を投げ切った姿勢であったのと、不意打ちに近い形での落下。本来ならば受け身すら取れないのが当然なのだが、シオンは足から着地していた。もしもそこで墜落していたのなら追撃を入れたのだが、無駄な試みだった。

 つくづく常識外れな人間だ。あんなのは自身の重心と体の動かし方を完全に理解し、制御できなければできないことだろうに。

 咲夜は床に下りると――残りの魔力量が心もとないせいで、余り多く使うことができないのだ――手元に残っていた、魔力で作った幻影ではなく、実体のある本物のナイフを取り出して右手に持つ。

 そこで右半身を前に出し、左半身を隠しているシオンの方を見た。

 「……まさか、あんな奇抜な方法で破られるとは思いませんでした」

 「不意打ちをしたのは悪いと思っているよ」

 シオンは真顔でのたまっているため、咲夜は誠意が足りませんよと思ってしまった。

 「それに関しては別に構いません。引っ掛かったのは私ですし、コレが実戦と同じだと同意したのも私ですので。しかし、あの短剣は一体?どこにも持っていませんでしたよね?」

 「それに関しては、後ろを見ればわかると思うよ。多分だけど」

 「………………?」

 訝しんではいるが後ろを見ようとしない咲夜。恐らく不意打ちをされるのを警戒しているのだろう。戦闘をしている人間としては当たり前の判断だ。身振りと交えて一時休戦、攻撃はしないと言ったところでようやく後ろを向いた。

 シオンの言葉をあっさりと信じてしまう咲夜は、自身を除外してまだ若いと思わせるものだった。攻撃はしないと言っても、別の方向に攻撃した二次災害はしないとは言っていない。二次災害はあくまで『偶然』起こった結果であり、攻撃しようと言う意志は無いからだ。

 単なる詭弁ではあるが、事実でもある。

 (こんなことを思ってしまう俺は、汚れきっているな……)

 人の善意よりも悪意ばかりを多く見て来たシオンは、正直に言って他人が信用できない。だからこそ、相手の言った言葉を鵜呑みにせず、どこかに嘘が無いかを探してしまう。

 咲夜のように、相手の言葉を純粋に受け取れるのは、やはりどこか羨ましいと思ってしまった。まあ、純粋すぎるのも問題なのだろうが。

 シオンがそんなことを思っている内に、後ろを振り向いた咲夜が見たそこには、何の変哲もない紅の短剣が落ちている。しかし他に変なところは特に存在しない。だが、その光景を見ていて不意に気付いた。短剣の一部が欠けていて、そこから赤い液体が零れていることに。

 ()()()()()。それも恐らく、()()()()()()()()()()()()()()()()()血だった。

 「シオン、アレは――ッ!?」

 振り返りながら訊ねた咲夜はそこで理解した。何故シオンが半身となっていて、左腕を隠しているのかを。

 「まさか……!」

 「多分、今思っているので合ってるよ。……何で紅魔館のメンバーは、こうも頭の回転が速いんだ……?正直、不公平だろう」

 その紅魔館にいるメンバーよりも遥かに不公平で理不尽の塊な存在であるシオンが言うべきことではないが、今の咲夜には気にならなかった。いや、正確には気にする余裕が無かった、と言うべきだろうか。

 「その隠している左腕……見せてくださいませんか?」

 「わかった」

 わりかしあっさり頷いたシオンは、これまたあっさりと左腕を晒す。その腕には鋭い物で斜めに切られた後があり、そこから決して少なくは無い血が流れていた。

 それを見た咲夜は、シオンがどうやってあの短剣を取り出したのかを理解した。

 「体外の細胞変質を使用し、血を材料にして短剣を作ったのですね?」

 問うと言うよりも確認するような口調だった。それに対して、シオンは剣を腋の間に挿んでから流石、と言う意味を込めて拍手をした。

 「そうだよ。体外の細胞変質は俺の細胞を元にして別の物質に変える物。だけど、やっぱりというべきなのか、変える物質は元の物質と近い方が速いんだ。というか、体外の細胞変質はかなりの集中力が必要だから、余り無茶な変化は俺にも負担がかかるんだよ。少しだけだけどね。まぁ、フランのブレスレットを作った時は、それなりに疲れたけど」

 肩を竦めておどけながら言うが、シオンが言っていることは確かに理に適っている。血液には鉄分が含まれている。その物質を元にすれば、通常よりも速く短剣を作れるはずだ。

 そしてシオンは、こんな風にね、と言ってから、左腕から流れる血液に触れる。すると、流れて行く血がピタリと止まり、シオンの手の中に集まり出す。その手の中から、再び紅の短剣が現れた。

 「しかし、何故あんなにも脆いのですか?」

 「作り変える速度と、相手を貫くための鋭さを追求したせいで、その他の部分が疎かになってるんだよ。まあ、その代わりに殆ど何でも貫くことができる武器にはなっているんだけどね。たださっきも言ったけど作るのにかなりの集中力がいるし、運が良くて二回、最悪投げてる途中に自壊する。一本作るのに使う血液量も少ないわけじゃない。一回の戦闘で作れるのは精々一本か二本あたりが限界だ。それに、不意打ちには使えるけど一回しか効果が無い」

 シオンの言う通り、確かに様々な制限が存在する。それもかなり高いリスクが。シオンの身長は低い。そして身長が――というよりも、幼児や体格が小さい人間は、同時に体の血液の量が少ないと言うことでもある。戦闘中にも血を流すことを考えれば、多用しすぎれば自身を死に追い込みかねない。戦闘時以外に作っても意味は無いし、何より相手に『シオンが暗器を持っていない』と思わせるためには作るわけにはいかず、それ以前に耐久度の問題や持ちすぎればかさ張ってしまうのも考えなければならない。

 それでも有効なのには変わりなかった。暗器を持っていないと思い込んでいる相手に不意の一撃。それがどれだけ恐ろしいことなのか、咲夜にはよくわかる。実際、咲夜もそれで殺されかけたのだから。

 先程は加速が間に合ったからよかったが、そうでなければ負けていた。

 それに加えて、不意打ちをする方法は時と場合で変化する。つまり、必ずしも一度しか使えない訳では無い。戦慄してしまうのを隠せない咲夜に、シオンは言った。

 「まあそれを差し引いても使えることには変わりない。元々は怪我して流れる血を利用しないのはもったいない思ったから、この方法を考え付いただけだし。やっぱり耐久度が無いに等しいのがネックだけど……相手に武器が渡るよりはいいからね」

 短剣を仕舞いながら言うシオンに、どうしてもどこかおかしいと思ってしまう。どうしてここまで自分の力を理解し、それらを完全に扱おうと努力できるのか。どうしてこんなに必死に努力できるのか。咲夜にはわからなかった。

 しかし、自分が不利になるとわかっているのに、わざわざ能力の解説をしてくれているのだろうかと疑問には思う。

 だが、シオンが「一時休戦は終わりだ」と言ったことで我を取り戻した。

 そして咲夜は自身が持っている時計を見る。

 「そろそろ時間です。……次で最後になります」

 「ああ、わかってる。……本気で来い」

 二人はこう言ってはいるが、どの道次で終わりだ。

 咲夜は三度目に無理な加速をしたせいで体がガタガタになり、その上魔力が枯渇しかかっているせいで意識は朦朧としている。後一回能力が使えるかどうかといったところだ。

 対するシオンは、大量のナイフを避ける時にできた、ところどころにある細かな裂傷を除けば左腕にしか傷は無いが、流れ落ちて行く血の量が尋常では無いせいで、貧血に近い。本来シオンは悠長に話している暇などなかったのだ。

 咲夜が地面に下りた瞬間に問答無用で攻撃して、さっさと勝負を終わらせて治療してから、能力の説明をすればよかったのだから。あえて不利になる理由は無いし、それに気付かないほどシオンはバカではない。

 咲夜が思い付く理由としては、一つしかなかった。

 (……自惚れで無ければ、私のため、なのでしょうか)

 それ以外の理由は思い付かないし、わからない。けれど、そこまで間違ってはいないだろうと思った。

 シオンは、咲夜を教え導くように手加減しているのだから。

 そこまで考えて、咲夜は頭を振って気持ちをリセットする。今はそんなことをどうでもいいと。

 (加速は無意味。恐らく見切られて終わります。フラン様の攻撃に反応できるような相手に通用するはずがありません。そう思うのは都合が良過ぎます)

 今更だが、能力の補正があったとはいえ、何の戦闘訓練をしていないというハンデを負った大妖怪相手であっても、まともに戦えるシオンは人外過ぎる。

 そこで咲夜は覚悟を決めた。相手の実力は自分より上。ならば、まだ効果があるとわかっている時間停止を全力で発動させるしかない。

 そして時を停め、色彩を失った世界を咲夜は駆ける。

 シオンに近づいて攻撃する寸前で気が付いた。シオンが色彩を失っていないことに。

 何故!?と驚愕しつつも、もう止まることができない咲夜はナイフで首を狙う。

 けれど、逆に一歩踏み込まれ、懐に入られた。これでは目測がズレてしまい首を狙えない。苦し紛れに咲夜は何とか体勢を変えてシオンの首を狙おうと右腕を伸ばすが、やはりというべきか回避される。逆に伸ばしきっていた右腕を右手で掴まれ、そこで半回転して背負い投げをされた。

 本来こんな方法では背負い投げなどできるはずが無いのだが、咲夜が走っていた勢いとシオンの異常な筋力が合わさったからこそできたことだった。他の人間が見様見真似で同じことをしようとすれば、咲夜とぶつかって不発に終わるだろう。

 投げられ受け身すら取れなかった咲夜は背中から地面に激突し、小さく悲鳴を上げる。

 「キャッ!!」

 その衝撃に、元々意識が朦朧としていた咲夜は、気絶しかけてしまう。クラクラとしているその隙をついて、いつの間に持ち替えていたのか、左手に持った漆黒の剣を喉元に突き付けられる。

 朦朧としていた意識を気力で取り戻した咲夜はそれを見て、自身が負けたのだと理解した。

 「私の、負けです」

 こうして二人の勝負は、シオンの勝利で幕を閉じた。




ぶっちゃけ咲夜の加速と減速はFateに出てくる衛宮切嗣さんの『固有時制御(タイムアルター)』と少し似ています、はい。
あちらは能力の発動を終えた時に世界の修正を受けて急激な血流の変化による毛細血管などにダメージを負いますが、こちらの場合は時間を加速させて増えた速度に体が耐え切れないだけです(簡単に言えば、生身で音速を出しているようなもの)。
だからこそ、身体強化でそれらをカバーしています(シオンが音速を出しても平気なのは例外。フランの細胞をコピーすることで耐えられただけであって、通常では普通に大怪我を負います)。
ちなみにシオンが最初「紫には捨て身で戦って腕一本をとれるかどうか」と思ったのは、シオンが人間としての細胞のみで戦った場合であって、フランの細胞込みならまともに戦えます(もちろん今現在でも紫に分配はあがりますが。シオンは妖怪との戦闘経験は少ないので)。


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アドバイス

今回は本当にアドバイスしかありません。作者が言うのもなんですが、ぶっちゃけ読まなくてもよかったり……?
まあ、最後だけ伏線入れてますが。


 二人は実戦方式の訓練を終えると、薬や包帯が入っている箱がある部屋へと移動し、それぞれが怪我をしている場所に治療を行っていた。何故かシオンが移動していた途中で細かな傷が治っていたので、咲夜にはたいそう驚かれたが、とりあえずそれを無視しておいた。……移動中にチクチクとした視線が背中に突き刺さってはいたが。

 「それで、理解はできたのか?」

 左腕に包帯を巻き終えたシオンが、同じく体に包帯を巻いていた咲夜に聞いた。

 二人はかなり対照的だった。シオンは左腕と、服の下に隠れて見えないが胸から腹までを昨夜巻かれた包帯に覆われている。本当は胸から腹までの包帯はもう治っているのでとってしまってもいいのだが、女性である咲夜がいるので一応の遠慮をしたのだ。

 まあ、包帯をとったところで外見年齢四歳のシオンの体を見ても照れるはずがないのだが。

 咲夜は三度目の加速で無茶をしたせいで、体の外側も内側も酷い有様だった。特に服は襤褸切れと化していて、治療を終えてからすぐに着替えたほどだった。服の着替えをして来る時は時間停止でも使ったのか、わずか三分程度で戻ってきた。

 しかし、全身の至る所に包帯があるせいで、その姿はかなり痛々しい。

 ちなみに包帯を巻いている時は背を向けていたため、お互いの怪我を見てはいない。とはいえ気配で動きがわかってしまうシオンは、包帯を巻き辛そうにしていた咲夜を手伝おうとしたのだが、やはり羞恥心があるのか断られた。……当たり前といえば当たり前である。

 本来ならこの問いは勝負が終わったらすぐにしようとしていたものだが、咲夜に「治療と着替えが先です!」と有無を言わさずに半ば強制的に連れて来られたせいでできなかったのだ。それと同時に、姉にされた()育《脳》のせいで女性に逆らいにくくなったとも思ってしまった。

 この時、余りにも自身の怪我に大雑把なシオンを見た咲夜は、自らが気絶しかけていたことも、疲労していることすらも忘れてシオンに詰め寄っていたりする。

 それはともかくとして、考えるための時間は十分にあったはずなので、答えられない理由は無い。

 シオンが聞いてから少し経って、それから躊躇いがちに言った。

 「……圧倒的とも言える手数の多さ……でしょうか?」

 「そう。それであってる」

 咲夜は答えが正解だったのにホッと一息しつつも、先程の戦闘を思い返していた。そして本当に今更だが、シオンがかなり手加減してくれていたのがわかった。

 同時に、もっとマシな攻撃をしていれば勝てたことにも気付いく。暗殺者のような動きをしていたのを知っていたのに、シオンの真直ぐな生き方から暗器を使わないと思い込んだことで無理な加速をするのを強いられて負けかけ、無駄に体をボロボロにしてしまった。最後は体術を使った背負い投げをされ、そして敗北した。

 それ以前の問題として、あの時のシオンは能力を使っている時間は殆ど無かった。それどころか、重力制御と言う強大な能力すらも(フェイク)にして、本命の短剣を投げてきた。

 そしてこの瞬間に、ほんの少しだけ理解した。コレが自分とシオンの違いだと。

 能力のみに頼り、それだけで終わらせようとした咲夜と、能力を当てようとはしつつも同時に次の攻撃の布石にしようとしていたシオン。天と地ほどの差がある。

 それに漠然と思い至っていながらも、結局は能力に頼り、そして敗北した。だが、能力を使わなかったとしても負けていただろう。

 何せ、シオンはワザと手数を限定していたのだから。

 咲夜はナイフ、魔力で構成されたナイフ、身体強化、そして時を操る能力。シオンは剣と体術、そして重力制御、体外の細胞変質で作成した短剣。二人とも使っている手数は四つだ。

 付け加えると、二人が能力を使った回数も四回――シオンが使った回数は五回なのだが、一時休戦していたのと、実際に使った訳では無いので、実質四回だろう――だった。

 更に、シオンはワザと傷をつけて血を流すことで体力を消耗させて、ボロボロの咲夜と同じくらいの負担を自身にかけた。

 徹頭徹尾咲夜と同じ条件下で戦い続けてくれたシオンに感謝するのと同時に、自分勝手な自身を自己嫌悪した。勝手に嫉妬して、迷惑をかけて。

 そこまでしてわかったのは、強い能力に依存していた愚かな自分だった。

 「私は、自分の能力を過信し、頼り過ぎていたのですね……」

 ただの独り言。自らを自嘲するために呟いた言葉。だからこそ、シオンから声が返って来たのに驚いた。

 「別に能力に頼るなとは言ってないよ?能力を理解してないんじゃないか、とは思ったけどね」

 「え?」

 腕を組んで壁に背を預けていたシオンを見ると、やれやれと言った風に頭を振っていた。年下にしか見えない少女――鋭すぎる目を閉じていると、もう少年には全く見えないのだ――にそれをやられると少しだけカチンと来るが、とりあえずそれを抑えた。

 「私が能力を理解していないとは、どういう意味でしょうか?」

 「咲夜が時を操るのに使っているのが、『加速』と『停止』だけだったからそう思っただけだけど。時を操るのなら、他にも使い道はあるだろう?」

 「……その使い道が思いつきません。今までは停止だけがあれば十分でしたので」

 その返答は予想外だったのか、シオンは目を丸くしていた。

 目を丸くしている姿も、やはり少女にしか見えない。本人にとっては甚だ不本意だろうが。

 ……シオンが目を鋭くしているのは、少女だと勘違いされないためなのかも、と思ってしまった咲夜は悪くないだろう。

 自分がどんな反応をしたのか理解したシオンは、乱暴に頭を掻くと顔を顰めた。

 「まさか使い道が思いつかないとは……。まあいい。とりあえずおさらいだ。さっきの戦闘でわかったことを言わせてもらうよ」

 「はい、お願いします」

 「まず最初に、咲夜が加速する時は『咲夜が触れている物』も加速している。それで、コレは直感になるんだけど、加速しているのは『咲夜の存在』じゃなくて、『咲夜の体』が加速していると思う。もしも存在――あるいは概念か?――が加速しているなら、俺たちの一秒が咲夜の二秒になるから、身体強化を使う必要は無いし」

 「ちょ、ちょっと待って下さい。私が身体強化を使ったと何故わかるのですか?」

 「え?フランとの戦闘の時に妖力が集まってるのを見てたからだけど?」

 つまり、シオンは細かな魔力の流れが読めるらしい。自身に宿る魔力などを体外に排出して弾幕に形成する時の魔力や妖力ならともかくとして、体の中で自己完結する身体強化に使う魔力の流れを読めるのは流石におかしいのだが、

 ――シオンですし、もういいです。

 と、諦めてしまった。

 「で、加速していられる時間は、大体三秒から七秒前後。速さは音速の二倍から三倍ってところかな。何か間違っているところはあるか?」

 「いえ、殆ど間違っていません。今の説明に加速していられる時間に限度が無いのと、速さの上限が無いのを付け加えれば完全です。加速を使っていられる時間と速度が低いのは、単純に私が未熟なだけですので」

 「……ハ?上限が無い?」

 「はい、そうです。……ああ、言い忘れていました。私の能力は一度に一つしか効果を現せません。なので、加速と停止を同時に使用するといったことは無理ですね」

 咲夜はそう言えば、という風にあっさりと言うが、シオンは未だに固まっていた。異常に精神力が強いシオンが固まっているのを見て、どうしたのだろうと咲夜は思う。

 が、傍から見れば固まっているように見えるその実、シオンの頭の中は高速回転していた。

 (加速していられる時間と速度に上限が無い?なんだそれは!そんなの、ナイフ一本を極限まで加速させて投擲すればどれほど強力な武器になるのかわからないのか?加速させすぎれば自壊するけど、そんなのはとにかく頑丈な物を使えば関係無いだろうし。……ある意味、俺の天敵になりかねない能力だな)

 シオンは妖怪ではない。だから、頭や喉、心臓を貫かれれば即死してしまう。

 遠距離からただ攻撃されるだけならば問題は無い。シオンの空間認識能力は、彼自身の五感と白夜の空間制御能力の補正のような物でかなりの広さを誇る。本気でやっていれば、常に数百から数千キロ先は見通せるほどだ。

 とはいえ、常時そんな無茶なことをやるのは不可能なので、通常は数キロ先までしか把握しようとは思わないが。

 それでも限界は存在する。シオンの弱点の二つは『彼の空間認識能力の遥か先からの遠距離狙撃』あるいは『認識はしていても躱せないほどの超速での攻撃』だ。

 元いた世界では余り警戒する必要は無かった。

 狙撃手(スナイパー)が狙える距離は、余程の天才でも二キロ、シオンでも三キロが限界だ。シオンの場合は目視でその途中にある様々な要因を即座に計算することで命中させることができるのだが、ライフルで狙える距離の限界があるため、三キロが限界になっている。

 試したことは無いが、目視で把握できる距離ならば恐らくどこまでも狙えるだろう。

 しかし、()()()()()()()()()()()

 この世界は自分が居た世界の常識などドブに捨てなければ生きて行けないような場所だ。つまり、たった数キロなどという距離を無視して攻撃してくる相手など腐るほどいると言っていいだろう。

 いや、シオン自身その気になれば数キロ先からの攻撃はできるのだ。他者ができない道理はない。

 (何で今の今まで思いつかなかった?俺はバカか!)

 しかし、ここでシオンは我に返った。そして、最初に考えたことを思い出して、自己嫌悪した。

 (何で咲夜が敵になった場合のことを考えてるんだ?本当に、俺は……!)

 そう、シオンは咲夜が敵になり、狙われた時のことを考えた。それはつまり、シオンは未だに()()()()()()()()()()()()()()、ということだ。

 (……ダメだね、コレは。もう、他人を信用する、ということができなくなってきてる)

 姉と一緒に居た時を除き、殆ど独りで生きてきた弊害だろうか。それとも、他者からの悪意を受け過ぎた結果だろうか。それはシオンにもわからなかった。

 「あの、シオン?もう一つ言い忘れていました。加速はなっている時間の長さと速度の上限が高ければ高いほど、停止は止める範囲が広いほどに魔力と集中力を使います。なので、今シオンが考えていることは恐らく不可能かと」

 「そうなのか?……というより、何で俺の考えが分かったんだ?」

 「はい、そうです。……わかった理由は、昔お嬢様にも似たような反応をされたことがあるから、でしょうか」

 苦笑しながら言う咲夜。その時の光景でも思い出しているのだろうか。しかし納得できることでもある。

 「まあ、普通に考えればズルすぎるからな」

 「お嬢様にもそう言われました。私が人間で助かった、と」

 確かに咲夜が妖怪だったら、わざわざ身体能力を強化する必要もなく加速を使え、その分を他のことにまわせるだろう。

 いや、そもそも人間と妖怪では素のスペックが違い過ぎるのだから、もっと凶悪なことになっていたに違いない。

 「俺もそう思うんだから、レミリアは相当焦っただろうね……」

 「シオンも思うのですか?私としてはそこそこ使い勝手が悪いと思っているのですが」

 「重力制御とか空間制御に比べれば楽だよ。俺の場合は比べること自体が間違っていると思うけどね」

 両者揃って苦笑しながら答える。二人はひとしきり笑った後――あくまで苦笑いなのだが――元の話に戻した。

 「とりあえず、俺の思いつく範囲で適当に言うから、できるかどうかはそっちで判断してくれ」

 「わかりました」

 「まず、時を操ってできると思えるのは大まかにわけて四つ。それは『加速』、『減速』、『停止』、『逆行』かな。多分逆行だけは無理だと思うけど。逆行は言い換えれば過去をやり直すって意味だし……。概念の低い物、そうだね、ナイフとかを手元に戻したりとかならできるんじゃないか?やってみてよ」

 そう言われた咲夜は、とりあえず自室に置いてあるナイフの一本を『逆行』させた。すると咲夜の手の中にナイフが現れた。

 「確かにできますね。ですが、これ以上は無理だと感覚でわかります」

 言いながらもナイフを懐にしまう。

 「ところで、逆行は今役に立つとわかりましたが、減速は役に立つのでしょうか?」

 訝しみながら言う咲夜に頷き返す。

 「そう思うのも無理は無い、か。けど、速さだけが凄かったとしても余り意味は無いよ」

 「速さだけが凄かったとしても意味は無い?」

 「ああ、そうだ。まぁ言ってもわかりにくいし、俺としては習うより慣れろが当たり前だったから、玄関ホールに戻ろうか。実際に見ればわかるだろうし」

 「えっ、あ、はい」

 強引に咲夜を連れて行ったシオンは、玄関ホールへと戻った。

 「ナイフ借りるよ」

 「わかりました」

 許可をとったシオンは、床に突き刺さったまま放置されていたナイフを回収すると、咲夜から離れる。ある程度の距離を作ると、その場所の足元に持てなかったナイフを落とし、持てるナイフを指と指の間に持つ。合計八本のナイフを持ったシオンは、何の構えもせずに立つ。

 「シオン、前も思ったのですが、その構えは?」

 「え、気付いていないのか?……ああ、そうか。咲夜は戦闘経験が少ないし、何かの戦闘技術を修めている訳でも無かったっけ」

 咲夜はその言葉に、いあっまで訓練ばかりで実戦をしたのは初めてだと言えなくなってしまった。

 幸いというべきか、シオンはそれに気付かなかった。

 「俺が勝手にそう呼んでるだけだけど、コレは千変万化の意味を持った構え、とでも言えばいいのかな。どんな攻撃にも対応できる構えを追求していったら、最終的にこうなった」

 シオンは気付いていないが、この領域に至ることができる人間はとてつもない鬼才でなければならない。それこそ、その才能以外の全てを捨て去るようなものでなければ。

 確かにこの構えはどんな攻撃にも対応できるかもしれない。だが同時に、その攻撃に対応できなかった場合は無防備な体に重い一撃をもらってしまう。

 超一流と呼ばれるようになるための才能以上を持つのは最低条件として、膨大な戦闘経験を持っていなければまず扱えない構えだ。

 元々構えというものは、自身が習い覚えた技を効率よく繰り出すために存在する。構えをすれば相手次第ではどんな攻撃をしてくるのか悟られる可能性が高いが、それでも構えをするしないでは大きな差がでる。

 それすら知らないシオンは、自身がどれだけの鬼才を持ち、どれだけの実力を持っているのかを理解していない。いや、そもそもシオンは、自身を化け物という括りに縛り付けて、見ようともしていない。

 「とは言え、構えをしようとしなかろうとすることは変わらない。繰り出される攻撃を回避し、反撃する。俺の戦い方は、技術を持たない人間の喧嘩と似たようなものだ」

 「そう言われてみると……確かにそうですね」

 技術を持たない人間の、戦いとすら呼べない喧嘩は、大抵のケースは相手の攻撃をできるだけ躱して、自身の攻撃を入れる。必ずしもそれだけというわけではないが、大体はそうなってしまうだろう。

 シオンの場合は、それら全てを昇華させたものだ。全ての攻撃を回避し、致命的な一撃を与える。確かに似ていた。

 「今はそんなのどうでもいいか。そろそろ見せるぞ。そこから一歩も動くなよ、いいか?」

 「よろしくお願いします」

 それを合図に、シオンは一斉にナイフを投げだした。両手に持ったナイフを全て投げ終えると、すぐに足元に置いたナイフを足で蹴飛ばしてそれを投げる。まるで手品のように投げて投げて投げ続ける。が、一つおかしな点があった。

 「……?シオン、コレはどうたしたいのですか?」

 咲夜が疑問に思うのは当然だった。シオンが投げるとしたら最低でも音速は超えると思っていたのに、何故か普通の人間が投げるのと大差ない。いや、それよりも若干遅いくらいだったのだ。

 「見てればわかるよ」

 「はぁ……そう、ですか」

 疑問に思いながらもシオンは無意味なことはしないかと納得し、そのまま見続けた。そしてその速さに慣れてきたころ、いきなり咲夜の頬を何かが掠めていった。

 「……え?」

 弛緩していた体が強張る。しかし、シオンは先程と何ら変わりない速度で投げていた。一体何が起こったのかと、今度はきちんと投げているナイフの軌道を見詰める。

 そうして投げ続けること数十秒、最後の一本を手に取って投げる瞬間、コレまでとは比べ物にならない速度でナイフが飛んで来た。

 またも首スレスレに飛んで来たナイフだが、やはり咲夜は反応できなかった。

 「……コレでわかったか?」

 「……はい。身に染みてよくわかりました」

 シオンは何も不思議なことをしているわけではない。一度目はワザと遅く投げてその速度に目を慣らさせたせいで唐突に速めたナイフに反応できなくさせ、二度目は一度目よりも更に速く投げただけ。ただそれだけなのだ。

 緩急に異常な差があるからこそできることだが、ここまでの差はつける必要は無い。単に、これ以上の速度は出せないと相手に誤認させればいいだけの話だからだ。

 それでも有効な手段ではある。いや、咲夜にとってはかなり使える手段だ。

 「なるほど、コレなら私でもできますね。かなりの練習が必要とは思いますが」

 「当たり前だ。そんなあっさりできるのなら誰も苦労はしないよ」

 「……確かに、圧倒的な手数を用意するにはそれ相応の時間がかかります。それに、その方面での才能があるかどうかもわからない。だから今以上に強くはなれるが、必ずしも強くなれるとは限らない、ですか」

 「そういうこと。本当なら今のをやってから速くしたり遅くしたりを繰り返して相手のテンポをズラすっていうことをやるんだけどね。まあ、咲夜なら加速と減速を使って更に緩急が激しい投げ方ができるはずだよ。虚実入り混じった攻撃はかなり有効なのは、今のでわかっただろうし」

 「……本当に、シオンの言うことはためになりますね。私にはいないのでわかりませんが、まるで御婆ちゃんの知恵袋のようです」

 年齢に反して知識の多いシオンに、もうわけがわからなくなる。というより、どちらかというと戦闘面の知識に特化しているせいで、その他の部分が置いてけぼりになっている感じがする。……まあ、他にもわけのわからない知識を持っていそうだが。

 「とりあえず、減速を試してみますね」

 「了解。最初は自分の体で試してみて」

 シオンの言葉通り、咲夜は自身の体に減速をかける。しばらくの間シオンは何も言わず見ていたが、やがて何かに気付いて声をかけた。

 「咲夜、もっと遅くしてくれないか?」

 減速しているせいなのか、どこか間延びしたように聞こえる声に頷き返しつつ、更に時間を減速させる。そのままでいること数分、シオンがもういいと手振りで示してきた。

 咲夜は減速していたため数分に感じていたが、シオンの場合はまだ数十秒も経っていない。 例え美鈴でも気付くのはもう少し遅れてしまうだろう。が、異常な五感を持っているシオンは、数十秒もあれば十分だった。

 「……やっぱり、その減速はかなり特殊だね」

 「特殊、ですか?」

 かなり微妙な――そしてどこか面白そうな顔をしているシオンに、何が特殊なのかさっぱりわからない咲夜。とはいえ、本人は何も特別なことをしていたわけではないのだから、当然と言えば当然だった。

 「ああ。どうやら減速している最中は気配とかそういったものが限りなく薄まってるらしくてね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そんな状態だった」

 「目の前にいるのに……感じられない。ですが、それは通常のように気配を消すのと何か変わりがあるのでしょうか?」

 「ん~。というより、咲夜の場合気配を消すというより、()()()()()()()()()()()、って言う方が正しいのかな?何て言えばいいのか今一わからないな」

 自身なさげに答えるシオン。が、そこまで言われて何となくわかった。生きている気配がしない、ということは、そこらにある物体や死んだ人間と似たような反応がするということだろう。つまり、咲夜はうまくやれれば誰に対しても奇襲をすることができるということだ。

 咲夜もそうだが、幻想郷の住人たちは大抵魔力や妖力の反応を探して気配を探索する。生きていないものには宿っていないそれらがないということは、人の形をした何かか、あるいは死んでいるかのどちらかだ。そんなものには警戒しないだろう。

 逆にシオンのように物や死んだ何かだろうと、とにかく周辺にあるものを探るような人間では気付けてしまう。とはいえ、そんなのは常に動き続ける景色を眺めているようなものだ。これでは常に集中力を持って行かれてしまう。

 そんなことをし続けていられるのはそうしているのが当たり前になった人物か、余程高い警戒心を持っているか、あるいはかなりの人間不信くらいだろう。だからこそ、大抵の場合奇襲ができる。

 二人は互いに気付いたこをを話しあった。が、やはりというべきか、かなり看過しにくい問題はある。

 「……いくら奇襲し放題とは言っても、減速しているせいで動きが遅いですし、目視は可能ですからね」

 「そこがネックなんだよね。……どうにもならない、か」

 いくら気配を消せようと、普通に見られればその時点でアウトだ。咲夜自身も減速しているせいで周囲の気配を探り難いし、それを何とかしようするのは難しい。かといって減速を解こうとしても、解いた瞬間にバレてしまうのだから意味が無い。

 時と場合で使い分けなければ、全く役に立たない能力だ。

 「まあ、コレで理解できただろう?」

 「え?」

 「妖怪相手には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だってことだよ。元々人間と妖怪じゃやり方が違うんだ。さっきまでの咲夜みたいな力押しじゃなくて、一撃必殺の不意打ちこそが人間の持ち味。あるいは人間らしく数の暴力とかか?」

 どこかふざけたように言ってはいるが、その眼は真剣だった。

 「……ええ、わかっています。私はシオンと違って、技術も、そして経験も何もかもが不足しています。ならば、それを補うだけの知識を覚えてみせます。それこそが、今の私にできる何よりの戦闘技術であり、将来の糧になります」

  それが今回咲夜が学べたことだった。シオンのように、もっと自らのことを学び、自らができることを知り、そしてレミリアの役に立つ。()()としてできないことは割り捨てて、()()として勝つ。

 咲夜のその言葉を聞いて、シオンはお節介だとは思いながらも、一つの助言をすることにした。

 「……まあ、それでもいいんだけど、知識を学ぶだけじゃ意味が無い。こういったのに必要なのは『発想力』と『想像力』、それと『応用力』だから」

 「発想力と想像力、それに応用力……ですか?」

 「そう。その言葉から何が思い浮かぶか。またはその思い浮かんだものから何が連想できるか。そしてその連想したものからどんな効果が及ぶのか。そういった方面を鍛えなきゃ、戦闘に関しては余り役に立たない。いくら知識があろうと、それを使える頭が無いと意味が無いよ」

 「……それも、そうですね。わかりました。しかし、今の私にはそれらが余りありません。ですので、パチェリー様に頼んでためになることを学んでみようかと思います。それからその三つを鍛えても、遅くは無いと思いますので」

 『人間として強くなってみせる』という覚悟の滲んだ咲夜の瞳と姿を見て、シオンは少しだけ微笑んだ。

 「…………そう、か。ならいい」

 かけた言葉は少ない。しかし、咲夜にはそれが何よりの応援の言葉だった。

 「はい」

 シオンに感謝の言葉は言わなかった。彼ならば、この一言で自身がどれだけ感謝しているかを理解してくれるとわかっていたから。

 ただ、この一言だけでは少し寂しいので、微笑みだけは返しておいたが。

 「――ところで、シオンは何故停止の効果が無かったのでしょうか?」

 「……え?」

 どうやらそこは突かれたくなかった箇所らしく、かなり顔を歪めていた。

 「……企業秘密、だ」

 「今更教えてくれないんですか?体細胞変質能力の詳細な説明もしてくれてませんでしたのに」

 「詳細な説明をするとは言っていないよ」

 「ですが――」

 「……それと今思ったんだが、時間は大丈夫か?メイドとしての仕事を忘れて――」

 「――え」

 もう一度問い詰めようとする前に、 シオンは話を逸らすため、全く別のことを咲夜に言った。しかしそれは効果覿面だったらしく、咲夜の表情が一瞬固まった。今の今まで忘れていた事実を呟かれ、急いで時計を見て時間を確認した咲夜は顔を真青にすると、かなり焦ったように言った。

 「すいません、私はこれで失礼します!」

 一礼した後、脇目も振らずに走り出す。その様子を見ていたシオンは、とても可笑しそうに笑っていながら、一つのことを思っていた。

 (ごめん、咲夜。どうして停止が効かなかったのか、それは答えられない。だって()()()()()()()()()()()()()()

 そう、シオンにもどうして効かないのかが全くわからない。一応一つの仮説は思い付いているが、確証は無いし説明しろと言われても難しいのだ。

 ひとしきり笑ったシオンは、聞こえないとはわかっていても咲夜を応援する言葉を言った。

 「ハハッ、頑張れ咲、夜――ッ!?」

 その言葉を呟いてる途中で、シオンは頭を抑えてうずくまる。そして、あの声が、あの想いが頭に響き始める。

  ――…ろ……し…え!

 もう抑えきれなくなってきている。今にも暴走してしまいそうなほどに。

 「……うる、さい。うるさい、うるさい、うるさい!まだ、まだダメだ。()()()()()!!」

 昨夜にも感じた()()()()。何故かはわからないが、自分自身にも抑えきれないモノ。それが暴走するのを、とにかく声を出すことで抑え込む。

 「……何、で。どうして、こんな、モノが、俺の中、に……あ、ぐ、ぅ。……ッ!!?」

 無意識に振り上げた拳を叩き付ける寸前でそれを抑え込む。そんな愚かな行動をして床にクレーターか何かを作ってしまえは、恐らくここの修理に来るであろう咲夜の目に入るのは明らかだ。

 そうなったら咲夜は必ず何があったのかを聞いてくる。それでは今まで我慢してきた意味が無い。

 余り長い距離を移動できないとわかっていたため、咲夜に見つからない場所に移動する。その時シオンは一つのことを決めた。夜になったらすぐにレミリアに言おうと思いながらも、今はコレを抑え込むことだけに集中し始める。

 頭の中で響く声を抑えるために、シオンは頭を抱えてうずくまり、再度感情を雁字搦めに封じ込んでいるしかなかった。




咲夜に言った『圧倒的な手数』はどこぞの正義の味方(赤い外套)と似たようなもんです。あの人は殆どの武術が二流止まりですが、膨大な戦闘経験や様々な武器、罠などを扱って(様々な武器はともかく罠を使ってるかどうかは知りませんが)超一流の相手と競っています。いくら固有結界のお蔭であらゆる宝具が使えると言っても元々の魔力が少ないので完璧に扱えるとは言い切れない赤い外套が戦えるのは、まぁそれらに支えられているからでしょうね。
 とこんな感じに、弱い人間でも手数を増やせば自分より強い相手に勝てる、というのはここをヒントにしました。実際、手数の多さで勝つというのは結構多いですからね。

あと少しである程度の伏線一気に消化できるんですけどねー……後五話くらいで……。


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彼の者の決意

今回は戦闘一歩手前のお話です。
シオンの更なる歪さがお話の途中にありますので、見てくださいなw


 「それでは、よろしくお願いします、シオン」

 「よろしく」

 食堂から玄関ホールへと移動し、会話する美鈴とシオン。ニコニコと笑っている美鈴に対して、シオンはどこか悲しそうに言う。

 が、何故かすぐにシオンは柔軟を始めていた。しかもかなり体が柔らかいらしく、足を百八十度真横に広げて上体のほぼ全てを倒し、更にはそのまま腕を伸ばすなど、原理的に曲げられない部分以外は普通に曲げられるんじゃないか、といった具合だ。武術家の観点から見ると、あの柔らかさはかなり羨ましいと美鈴は思った。

 それからしばらくして柔軟を終えたシオンは、腕や足を色々と伸ばし、手足が攣らないようにしておいてから元の体勢に戻った。

 その姿を確認したレミリアは、同じく準備運動をしていた美鈴を見る。本来なら準備運動などする時間は設けないのだが、今回だけは特別だった。

 ちなみに審判役であるレミリアは玄関の扉の前に立ち、フランはその後ろで持って来た椅子に座っている。咲夜は何かのイレギュラーが起きた時のために外の方に意識を向けて警戒をしていた。

 頷いた美鈴を確認したレミリアは、片手をあげて両者の準備が完了したことを告げる。

 「二人とも、構えなさい」

 レミリアの静かな合図を聞き、二人は構える。が、やはりシオンは何の構えもせず、ただ美鈴の構えを見ているだけだった。

 フランはそれがシオンの構えだと知っている。手を下ろしてから自身の方を見たレミリアに頷き返して、フランは叫んだ。最初の合図だけは、どうしてもとフランに頼まれた譲ったのだ。

 「――それじゃ、始めて!」

 その叫びと同時に、全ての無駄な感情を排斥したシオンは飛び出す。美鈴相手に余計なことを考えれば即座にやられる。そう思ったが故の行動だ。そして、何故こんなことをしなければならないんだ、と思った。

 しかし、それでもこれはやらなければならないことだった。

 (本当に……どうしてこうなった……)

 自身のせいで戦うことになったのはわかっている。単なる自業自得だ。

 上体を殆ど倒し、蛇のように地面を駆けて美鈴の元へと突き進みながらも、シオンはこうなった原因を思い出していた。

 

 

 

 

 

 咲夜と戦ったその日の夕方。シオンは玄関ホールで人目につかない場所に隠れ、とにかく気配を抑え込んでいた。本来なら抑え込むのではなく別の方法を使うのだが、今回は無理そうだったため断念した。

 途中で咲夜が穴の開いた場所を修復しに来た時はバレないかと思いもした。常態ならばともかくとして、今の状況では事と次第によっては咲夜にさえ悟られる可能性があったからだ。

 結局バレはしなかったが、かなり冷や冷やしたのには変わりない。

 もうこんなコンディションで同じことはしたくないと思いながらシオンは立ち上がる。そして、早朝に案内された道を思い出しながら、シオンは食堂へと歩き出した。

 シオン以外ならすぐにでも迷ってしまいそうなほどに広い紅魔館の廊下。いや、それ以前にたった一度案内されただけでその道を覚えてしまうシオンの方がおかしいのだが。

 まあ、コレには理由があるんだけど、と思いながらも食堂まで歩き続ける。

 (本当に、この特異体質ってズルいよな)

 平和な場所でこの力を持ち、そしてそれを扱えるだけの人間ならば、かなり有名になれる――あるいは排斥されてしまう――であろうモノ。

 それをシオンは、全く別のことに使っているのに些かの疑問を覚えながらも、食堂の扉の前へと辿り着いた。

 扉の前に立ったシオンは部屋の中の探索をする。結果わかったのは、この部屋にはレミリアとフランがいるということと、咲夜が料理の準備をしていることだった。

 ついでに周辺の探索をすると、美鈴が此方に向かっているのもわかった。

 昼前に決めたことを言うのにはちょうどいいと思ったシオンは、そのまま扉を開けて部屋の中に入って行った。

 「あ、シオン。おはよう!」

 「おはよう、シオン。……朝と夜、両方おはようというのは、何か変な感じがするわね」

 シオンの早朝はレミリアたちの夜、レミリアたちの朝はシオンの夜。どちらかが昼夜逆転でもしない限りはどうやっても挨拶が重なる事は無いので、仕方ないと言えば仕方ない。

 「……おはよう」

 「「…………ハァッ」」

 今朝と同じく言われたから返しただけという態度に、二人は溜息を吐くしかなかった。

 特にフランは、今朝涙を流したシオンを見たので、恐らくは感情が戻っているだろうと思っていただけに、かなり残念だった。

 だが、少し注目すればわかっただろう。シオンがわざわざレミリアとフランに合わせて「おはよう」と言ったことに。

 そこで、シオンの後ろからチャイナ服姿の門番が現れた。

 「お嬢様、今日も誰も来ませんでしたよ。……あ、今日もお疲れ様です」

 前半はレミリアに、後半はシオンに言う。シオンは客人であるためお疲れ様という必要は無いのだが、美鈴はそれを言う理由があった。だからこそ、この言葉を言ったのだ。

 「……お疲れ」

 が、やはりシオンはこんな言葉を返すだけだ。

 しかし流石は大人というべきか、微かに苦笑してはいても美鈴は特に気分を害した様子も無くレミリアの横の横についた。恐らく空いた場所は咲夜のためにあるのだろう。

 シオンはフランの横に座ると、そのまま黙って料理が来るのを待つ。フランはシオンと話そうとしたが、何故かはわからないが嫌な予感がしたため、黙っていることにした。

 レミリアと美鈴は二人が放つ雰囲気に押され、何も言うことは無かった。

 今朝の時と似たような雰囲気に陥ってしまったのを、レミリアは誰にも悟られないまま頭を抱えそうになったが、そんな真似はできない。内心では頭を抱えていたが。

 咲夜が朝食改め夕食を持ってくると、今朝と似たような空気に気付き、何故こうなっているのだろうかと訝しむ。

 感情を消したシオンしか知らないレミリアたちと、唯一感情を出したシオンを見ている咲夜では、認識に差が出てしまうのは当然だった。

 だが今現在ではそんなことはわからない。とりあえずメイドとしての仕事をやろうと、咲夜は料理をテーブルの上に置き始めた。

 どんな原理なのかよくわからないが、何故か咲夜の顔の怪我は表面上治っているように見える。他の部分はメイド服の下に隠れているためよく見えない。しかし、服が擦れるせいでかなりの激痛が走っているのは想像に難くなかった。

 それを決して表に出さない辺り、咲夜のメイドとしての誇りは相当なものだろう。

 料理を置くと、咲夜がレミリアの横に座る。そして五人は同時に言った。

 「「「「「いただきます」」」」」

 五人はすぐに皿を手に取り、料理を食べ始める。元々レミリアは食事中に喋る方では無く、咲夜と美鈴はお互いの仕事の予定があるため、お互いにそれぞれ食事をとっている。

 フランはまともな食事をするのは余り多くは無かったのと、そもそもが一人で生きてきたせいで話すことをしようとは余り思っていない。

 シオンの場合はこの場にいる中でもっともまともな食生活をしていないため、料理の味に集中し、ただ食べ続けた。

 結果、今朝とは違い誰も口を開くことなく食べ続けることになった。

 そして五人が食事を終え、咲夜と美鈴が食器などを片付け始める。二人が片付けをしている途中で、フランは先程自身が感じた嫌な予感がどんどん増していくのがわかった。けれど、それが何なのかがわからない。

 何もできない自分に憤りながらも、座して待つしかなかった。

 咲夜と美鈴が戻って来ると、やはりというべきか食後の紅茶を用意していた。今朝と同じくいい匂いを漂わせる紅茶をそれぞれに用意したカップの中に淹れた。

 レミリアは目の前にある紅茶の匂いを目を細めながら満足そうに頷きながら手に取り、飲み始める。フランも笑顔を浮かべながら両手でカップを持って飲んでいた。

 しかしシオンは紅茶を飲まずに、レミリアが飲み終えるのを待っていた。

 感じていた視線がどこか急いでいるのがわかっていたレミリアは、なるべく速く、それでいて優雅に飲み終え、その方向を見る。

 「……それで、咲夜が用意してくれた紅茶を飲まないで、何を急いでいるのかしら?」

 「……言いたいことがある」

 かなり言い難そうにしながらも、シオンはレミリアから目を逸らさない。どうやらかなり真面目な話らしいと悟ったレミリアは、姿勢を少しだけ正した。

 「言いたいこと、ね。その件は、何か重要なことなの?」

 「ああ、かなり重要な物だ。自分で言った手前、コレを撤回するのは悪いとは思うが――」

 フランはずっと感じていた嫌な予感がほぼ最大限まで高まるのを理解した。それと同時に、シオンが何を言うつもりなのかもわかってしまった。

 「――俺がここから出て行くのを、黙認してくれないか?」

 「「「「――ッ!!??」」」」

 シオンの訳のわからない要求に、座っていたレミリアがずりおちかけ、座ろうとしていた咲夜と美鈴は足を挫きかける。それほどに予想外な要求だったのだ。

 「シ、シオン、それはどういう意味なの!?」

 「言葉通りの意味だ」

 泡を食ったように叫んだのは唯一崩れなかったフランだった。だが、そんなフランを一刀両断し、全く取り合うつもりがないかのようにそちらを見ようともしない。

 けれど、それだけでフランが納得できるはずがない。何より、フランはシオンと離れたくなど無かった。自身を命がけで助け、そして生涯背負い続けることになるであろう十字架を下ろしてくれたシオンと。

 もしもシオンと一緒にいられないなら、フランは自分がどうにかなってしまいそうなほどだと思っていたほどに、感謝していたのだから。

 「何で、どうしていきなり、そんなこと言うの!!?」

 だからこそ、フランは踏み止まって欲しかった。せめて、せめて後少しだけでもいいから、と。

 「()()()()()()()()()()()()()()()()

 「――!だからって、そんなのないよ!」

 今朝のような凄まじい頭の回転の速さはもうない。それはしかたないだろう。本来なら精神年齢が未熟過ぎて、その頭脳など扱えるはずがなかったのだ。

 それ故に、シオンの言葉の意味を受け取る余裕が無かった。少し考えれば、何か理由があるとわかったはずなのに。

 フランが喚き散らし、今にも泣いてしまいそうなのを見ながらも、意外にもレミリアは冷静に状況を見ていた。

 (確かに不自然ね。いくらなんでもいきなりすぎるし、そもそも理由が見当たらない)

 そこで、今日はどこか不自然だった咲夜が、ここにきて更にその不自然さが増してきているのがわかった。それが何なのかはよくわからないが、とりあえず咲夜の袖を引っ張って無理矢理アイコンタクトをとらせる。

 ――咲夜、貴方は何か知っているのかしら?今日はいつもおかしかったのだけど

 ――それ、は……

 やはり何かを知っている。しかも主の命令を無視している。レミリアは知っているのかと問うたのに、咲夜が何も言おうとしないからだ。

 あの時でさえ直ぐに答えたのに、今は答えられない。その差がよくわからなかった。

 ――命令よ。教えなさい。拒否権は無いわ

 横暴ともとれる態度。だが、こうでもしなければ咲夜は答えないだろうとわかっていた。

 ――……実は――

 咲夜がかなり言い難そうにしながらも、起きた出来事をわかりやすく纏めてからに伝える。レミリアはところどころ驚きながらも、とにかく状況把握をするために黙って――まあ、二人ともずっと目で会話しているため、元々黙っていたのだが――聞いていた。

 それらを飲み込んだ結果……何もわからなかった。

 (あの後会いに行ったら感情が戻っていて、今会った時はまた感情が無くなってた?訳が分からないわよ……。共通してるとしたらどちらも夜というところだけど、こんなのが理由になるはずがないし)

 もう理解できない。どうすればいいのかも考えられない。そんな時、横から袖が引っ張られるのを感じた。

 「誰?」

 レミリアがそちらを見ると、何故か美鈴が何かを言いたそうにしていた。

 「……何か用かしら?コレでも考えごとをしているから、忙しいのだけど」

 「す、すいません、お嬢様。ですが、一つお願いがありまして」

 「お願い?まあ一つくらいなら構わないけど、内容によるわよ?」

 「ありがとうございます。私のお願いは――」

 そこで区切って、未だにフランに詰め寄られるのをのらりくらりと躱しているシオンを見ながら言った。

 「――一度だけ、シオンと戦わせてもらえないでしょうか?」

 「……え?」

 そこで固まった主を見た美鈴は、不謹慎ながらもやっぱり可愛いと思ってしまった。

 実のところ、美鈴がレミリアにこんなお願いをしたのには理由があった。

 (咲夜だけがシオンと戦えるのは、ズルいですからね)

 そう、美鈴は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そもそも美鈴の仕事は紅魔館の門番である。レミリアのお仕置きを受けた後に門へと向かって行っていたので、その途中で二人が戦ったのに気付いたのだ。

 とはいっても美鈴が行ったころには戦闘が終わっていたので、人の姿は影も形も無かったのだが、それでも咲夜を()()()()と思ってしまった。

 (あの年齢であれだけの技術……戦えれば、何かしらの経験を得られるはずです)

 美鈴が戦いと思ったのは、これが理由だった。美鈴とて一戦士。強者と戦い、自らの足りない部分を知りたい、補いたいと思うのは当然だった。

 しかし紅魔館の門番の仕事をしていると、それをするのは難しい。門番はほぼ一日中そこにいなければならず、強者と戦うための時間はとれないせいで自ら行くのは難しい。

 かといって待っていても強者よりも弱者の方が来る確率が高い。というより、そもそもの問題としてここに人が来る方が珍しいのも理由の一旦だろう。

 とにもかくにも、美鈴は強者と戦うのに飢えていた。耐えられない訳では無いが、それでもどうしてもシオンと戦いたいとは思ってしまう。

 (私は戦闘狂(バトルジャンキー)ではないのですけどね……)

 こんなことを考える自分を自分で笑ってしまいそうになる。だが、一つだけ懸念があった。

 (……あの時感じた()()。アレは、恐らく――)

 下手をすると、もっとヤバい何かを出してしまうかもしれない。不安定過ぎるシオンは、内に何かを飼っている可能性があるからだ。

 そんなことを思っていた美鈴が我を取り戻すと、いつの間にか顔をテーブルに向けながらも深く考え込んでいるレミリアがいた。

 「…………………………………………」

 「あの、お嬢様?」

 「……え?ああ、さっきのお願いね。別にいいわよ、今からシオンに頼むから」

 「本当ですか!?」

 余りの嬉しさについガッツポーズを取ってしまっていた美鈴は気付かなかった。レミリアが少しだけ意地悪そうな笑みを浮かべていたことに。

 (悪いわね、美鈴。でも、これを試すしかないの。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そう思いながらも、どうしようかと考える。恐らくシオンの意思は固い。生半可な頼み方ではあっさりと断られて終わりだろう。

 けれど、ここで一つ忘れていたことを思い出す。コレをネタに使えばまぁ大丈夫だろうと考えながら、レミリアはシオンに言った。

 「シオン、一つ頼みがあるのだけど」

 「――何?」

 フランとの言い合い――と言うよりはフランが一方的に叫んでいるだけだが――を中断したシオンがレミリアの方を見る。

 「美鈴と戦ってもらえないかしら?」

 「断る」

 やはりというべきか、取りつく島も無い。そこで、レミリアは笑いながら言った。

 「あら、一度言った願いを取り下げて別の願いを言うのだから、こちらの願いを言うのもいいでしょう?確か前にパチェリーが言ってた等価交換、よ」

 「ぐ……」

 それを言われると弱かった。無茶を言っているのがシオンの方なだけに、レミリアの方が筋が通っている。

 しかし、手が無い訳でも無かった。

 「なら、無理にでもここを出て行こうか?」

 「そうする気なんて無いのに?それくらいはわかるわよ」

 「………………」

 図星を突かれたシオンは黙り込む。事実、それをする気などさらさらなかった。

 シオンの返事を待つ気などないのか、レミリアは急かしてきた。

 「それで、返事は?」

 「………………………………………………………………わかった」

 かなりの間を空けながらも、シオンは小さく呟き返した。それを聞いたレミリアは、()()()()満面の笑顔で頷いた。

 「そう、それはよかったわ。もしも断るつもりなら、()()()()()()()()()貴方を取り押さえなきゃいけなかったもの」

 「おい、それは――」

 「だからよかった、と言ったのよ」

 感情を抑え込んでいるのにもかかわらず、シオンの頬が引き攣っていた。最初にレミリアと話していた時とはあべこべの光景に、咲夜は感嘆の息を漏らした。

 「流石はお嬢様……」

 「……お嬢様の方が悪役に見えるのは、気のせいでしょうか?」

 「妖怪って元々悪に属している方じゃないの?」

 美鈴は冷静に状況を観察し、フランは的確に突っ込む。しかし、レミリアとシオンはそれどころではなかったため、特に気にしなかった。

 「それじゃ、それをすれば出て行くのを黙認――いや、()()()()()()()()()()()と約束してくれるか?」

 「あら、そんな細かいところまでやるの?用心深いわねぇ」

 「黙認の意味は黙っているということだ。なら、一切話さなければ手を出してもいいということになる」

 「……まぁ、いいわよ。けど貴方がそう言うのなら、美鈴との勝負に、勝った方がもう一つ願いごとを相手に言えるというのを付け加えたいのだけれど、どうかしら?」

 「それだと美鈴が勝った場合に『俺がここに止まっていなければならないような願いごと』をされる可能性があるのだが?」

 腹の探り合いのようにお互いの妥協点を見つけようとする。けれど、フランのためにシオンを紅魔館から出したくないレミリアと、今すぐにでもここから離れたいシオンでは、話しが平行線を辿りそうになるのはしかたがなかった。

 「――それじゃ、最終的な結論として、まず『シオンがここから出る時、私たちは追手を出さない』、こちらは『美鈴と戦ってもらうこと』。次に美鈴との戦闘は『シオンが提示する戦闘方式をするのを認める』代わりに、『こちらが勝った場合はもう一つ願いごとを聞いてもらう』というものでいいのかしら?」

 「ああ、それでいい。これ以上言い合っても不毛だし、何よりこうした方が早く決着が着くだろうから」

 けれどもシオンとレミリアが納得できていない部分はある。前者は二人とも問題は無い。問題は後者だ。シオンが提示する戦闘方式は、物によっては美鈴が極端に不利になるようになってしまう。逆にレミリアが言ったのはレミリアだけに利があり、デメリットが一つもない上にシオンにとって嫌な願いごとをされる確率が高い。

 最初はシオンが「勝負する内容はこちらが決める」というのを「ならこっちは戦ったら何か一つ言うことを聞いてもらう」と言った、両者ともかなり理不尽な要求を突き付けたりもしていたので、妥当な線と言えば妥当なものだが。ちなみに言い合っている途中でシオンが苛立ちという感情を出していたので、レミリアの()()は正しかったといえるだろう。

 ちなみにシオンの言った物は勝負する内容と言っただけで、戦闘をするとは一言も言っていない。それを察知したレミリアが敢えて理不尽な要求をすることでそれを潰したのだが、傍目から聞いていた三人とも気付けていなかった。だからこそ最終的に()()方式となったのだ。

 二人とも未だに不満タラタラだというような表情をしているが、それは仕方ない。どの道、こんな条件でも無ければ納得はできないし、これなら恨みっこなしとなる。だからこそ、内心ではどう思っていてもこれで無理矢理自身を納得させるしかなかった。

 「それじゃ、これで決定ね?」

 「ああ、わかった。……どっちが勝っても文句は無しだ。いいな?」

 「それくらい理解しているわ。用心深いわね」

 再三確認してくるシオンに、どこか投げ槍気味に返す。それでもシオンは安心してはいなかった。

 レミリアがその気になれば、今すぐにでもシオンを監禁するのが不可能なことではないのだから。

 そのことはレミリアにもわかっているのだろう。だからこそ、相手だけでなく自身にも言い聞かせるように言った。

 「なら、この言葉を言えば多少は信用できるかしら?もしも美鈴が負けたのなら、私は何もしない。()()()()()()()()()()、誓うわ」

 「「「「――なッ!?」」」」

 レミリアの誓いに、シオンどころか傍目から聞いていた三人――フランは今一よくわかっていないらしいのだがが、それでもその誓いが大事なことなのはわかった――までもが驚いた。だが四人が驚いたのも無理は無い。『吸血鬼の誇り』、それはレミリアにとって何よりも大事なものだ。

 フランと天秤にかければどちらに傾くかはわからないが、それでも()()()()()()()()()()()()()時点でかなりのものだとわかる。

 事実、レミリアがこの誓いを立ててそれを破ったことは一度も無い。いや、そもそもこの誓いを立てた回数が少ないのもあるが、例えそうだとしても一定以上の信用は得られる。

 シオンはその事実は知らないが、レミリアのプライドの高さ、そして吸血鬼であることの誇りを持つ気高さから余程大事なことなのは理解できる。

 だからこそ、とりあえず今はこれ以上のことは言わないでおいた。余計なことを言って相手の逆鱗に触れるのは御免だからだ。

 「……わかった。それじゃ、移動しようか」

 「ええ、そうしましょう」

 静かに立ち上がるシオンに続いて、レミリアも立ち上がり、二人は揃って歩きだした。それを見た三人も急いで立ち上がって二人に着いていく。

 どうやらシオンとレミリアの二人は行くべき場所はもう決まっているらしく、一切の淀みなく、そして決めてもいないのに同じ方向を歩いていた。

 「どこに行くか、わかっているの?」

 「あの場所しかないだろう。他に候補があるのか?」

 「……無いわね」

 気になったレミリアは問うが、逆に納得させられた。

 ここ紅魔館は広い。だが、それでも戦闘ができる場所はやはり限られている。中庭が破壊され尽くしている現状、あの場所しか思いつく場所は無い。

 正確にはもう一か所だけあるにはあるが、友人に迷惑をかけることはできなかった。

 そのまま二人――いや、五人は一切喋らずに歩き続け、今朝シオンと咲夜が戦った場所に辿り着いた。そう、玄関ホールに。

 「ここで、戦うのですか?」

 今まで黙って着いてきていた美鈴が尋ねる。

 「そうよ。それでシオン、貴方はどんなルールを求めるのかしら」

 美鈴の質問に答えながらも、レミリアはこの勝負で最も大事なことを求める。コレの内容次第ではこちらが不利になるのだから、気になるのは当然だった。

 もう内容は決まっていたらしく、シオンは一切熟考せずに口を開いた。

 「ルールは遠距離攻撃及び近接武器無しの()()()()()()で行う。能力は身体強化や攻撃する時の補助(アシスト)程度に使う時だけは許可」

 それに驚いたのはレミリアや美鈴だけではない。しかし、この内容ではシオンではなく美鈴の方が有利になってしまう。

 「……こちらとしてはありがたいけど、いいのかしら?貴方の方が不利になることくらいわかるでしょう」

 「それくらいはわかる。けど、こっちとしても理由があるんだ」

 シオンは不敵に笑いながら美鈴の目を見る。全てを見透かされるようなその眼に見つめられながらも、美鈴も視線を返す。

 「()()()()は嫌だからね」

 「ッ!!――なるほど、それならこちらも遠慮はしたくありませんね」

 「むしろしないでもらいたいところだよ。そのためだけにわざわざこんなルールにしたんだから。代わりに準備運動はさせてもらうけどね?」

 シオンの言葉に納得し、好戦的な笑みを浮かべる美鈴。その様変わりように他の三人の方が呆然としてしまう。いつも呑気に微笑んでいる美鈴らしからぬ笑み。

 だが、本来はこちらの方が美鈴の『素』なのだ。ただただひたすらに自身を鍛え、強くなるために強者と戦う。勝ち負けは関係ない。ただ戦うことのみが望みだったころの。

 単純に美鈴の性格が穏やかになっているのは、紅魔館の門番を数百年もしているせいで、鈍ってしまったのだ。要するに、剣でいうところの長い時間研磨されなかったせいで鈍になってしまったという意味だ。

 それがこの言葉が引き金となって一気に研ぎ澄まされた。だからこその豹変。とはいえ、シオンにとってはこれが望みだったのだから、好都合だった。

 シオンからしても、美鈴と戦いたいとは思っていたのだ。少ししか見れなかったが、美鈴の格闘技術には目を見張るものがある。それを間近でもっと見たいと思ったが故に、こんなルールにしたのだ。

 美鈴は、何故準備運動をしたいのかが気になるが……とは感じたのだが、それはそれだと納得した。

 「勝敗の決め方は気絶、降参、後は――死にかけるかどうか、だな」

 「つまり、コレは訓練ではなく実戦、だということですか?」

 「そうなるね」

 ますます好戦的な笑みを深めていく美鈴を見て不安になったレミリアが、泡を食ったように割って入って来た。

 「ま、待ちなさい!それだと当たり所が悪ければ死んでしまうじゃない!!」

 「それがどうかしたのか?」

 「それがって――」

 「どの道俺は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 「生きるか死ぬか、ですって――?」

 予想外も予想外、想像の外を行く回答に、目を見開き体を震わせてしまう。この言葉が嘘かどうかはすぐにわかる。嘘では無く、本当だと。

 本当に、体を鍛え、技術を頭では無く体と感覚で覚えて生きるか、それができずに死ぬかの選択肢を突き付けられながら自らを鍛えて来たのだろう。文字通り命を賭け(ベット)にしていたのだろう。

 いや、そもそも最初からおかしいのだ。九歳の人間がここまでの技術を覚えるには、元々の才能に加えて物心ついてからすぐに、それこそシオンが言ったように命を懸けてこなければできないに決まっている。

 だからこそ、それしか知らない。咲夜の訓練の仕方も、実戦しか知らないからこそああするしかなかったということが予測できる。

 だが、彼女たちは知らない。実戦という名の訓練すら、まだ生温いということに。シオンはもっと酷い地獄で生きてきたのだから。

 それでもシオンの言葉から読み取った中で理解できないことを尋ねようとするが――その前に声をかけられ、封殺されてしまった。

 「それじゃ、殺りあおうか」

 「……そうですね。今気にするべきはそれじゃありません。今するべきは――」

 戸惑っていた表情を一変させ、戦士としての己を表面に出す。

 「――貴方と戦い、勝つことです」

 これが理由で、二人は戦うことになったのだった。




一応次話はできてます。が、近接格闘って何だよ!状態なので余り期待してないでくれると本気で嬉しいです……。いや、前振りじゃなくてマジで。


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武術家との演武

やっぱきついですね、体術だけって。
というかシオンの体格だと近接戦闘とか鬼門すぎます。


 全ての原因を思い出し、やはり悪いのは自分であると若干憂鬱になったシオンだが、すぐにそれらを頭から削ぎ落して美鈴の元へと駆ける。

 そして上体を倒したまま右手を少しだけ動かし、掌底の形にする。すぐに反応しようとした美鈴だが、()()()()()()()()()()()()()()()に驚愕してしまう。

 「な――ッ!?」

 しかし美鈴も然る者、すぐに左足を上げてガードし、即座に反撃として腕を突き出す。シオンは先程フェイクとして掌底の形をさせていた右腕を使って威力を殺す。しかし、威力は殺せても勢いは殺せず、そのまま後ろに飛ばされる。

 その攻防を見ていたレミリアは、その小さな隙を狙ってすぐに美鈴が飛び出すと思っていたのだが、予想に反して美鈴は体勢を立て直している最中だった。

 眉を顰めながら見ていたが、どうやら美鈴の方が驚嘆していたらしく、目を見開いていた。

 「……まさか、足を引っ掛けられるとは思いませんでしたよ」

 「まぁ、そうしないと追撃を入れるからね」

 どうやら事情を理解できているのは両者だけらしく、見ていた三人にはさっぱり訳がわからなかった。

 あの攻防の瞬間、シオンは腕で防御をした時に黒陽の重力制御を使って蹴りを受け止められて止まった体を半強制的に動かし、蹴りを出した方の足をほんの少しだけ前に出した。後はその勢いを利用して美鈴の軸足となっていた足の太腿の裏に足の甲を置き、吹き飛ばされた刹那の時間でその足を刈り取ったのだ。

 だからこそ美鈴は崩された体勢を戻すために時間を要し、追撃が入れられなかった。他の三人が気付けなかったのは、ガードしていた時にあげていた美鈴の足が影となっていて見えなかったのだろう。

 「先程の柔軟は、このためなのでしょうか?」

 「正解。俺は体格が低いからね。こういったトリッキーな体術を使うしかないんだよ。本当はさっきので足を砕くつもりだったんだけど」

 やっぱりガードされちゃったか、と言って頭を振り、余裕ぶった仕草をする。しかし、その眼は一切の油断なく美鈴を貫いていた。だがそれも当然だ。シオンはその身長故に美鈴の上半身から上の箇所は狙い難い。だからこそ鳩尾や足しか狙えないのだ。

 「ならば、今度は私が行かせてもらいます」

 言うや否や、美鈴は駆けだす。だが、やはり百八十センチを超える美鈴と、わずか一メートルすら無いシオンでは、拳を届かせるのは難しい。しかし、それはただの人間が、ただ武術を学んだ場合の話だ。

 「――は?」

 いきなり目の前から消えた美鈴。それに驚きながらも、シオンは自身の直感に従って左腕を額の上にに回す。

 それと同時に、まるで車によって跳ね飛ばされたかのような衝撃が襲いかかってくる。瞬時に後ろに飛ぶことで衝撃を緩和して着地、咄嗟に足を振り上げる。

 追撃を入れようと駆け出していた美鈴は、その蹴りをほんの少しだけ上体を逸らし、紙一重で回避する。そのまま体を後方に倒して一回転させ、代わりに上へと上がる足でシオンの体に蹴りを入れようとする。シオンはすぐに体を半身にさせることで避け、美鈴の元へと一歩踏み込む。

 そして未だに一回転をしている途中、片手を地につけているそれを刈り取ろうと回し蹴りをした。美鈴は手を緩めて力を溜めると、宙に浮きあがる。蹴りを回避されたシオンはそのまま一回転をすると、蹴りに使った足を地につけ、その反動でもう片方の足を振り上げる。美鈴はすぐに体勢を変えると、シオンの蹴りに自身の足を軽く乗せてフラリと空中では無く後方に飛んだ。

 こうした理由は、体術を扱う存在は、地に足をつけていなければ満足に戦えないと知っているからだ。体を動かして相手に拳を叩きこむにも、まずは足を地面につけ、踏み込む動作が無ければならない。空中でもできないことはないが、無理な動作では拳に威力が乗らず、最悪の場合は無防備な姿を晒すことになる。

 何故美鈴がここまで注意しているのかというと、かつて無理矢理空中に吹き飛ばされ、満足に拳を振れなかったことからの経験で、すぐに足を地につけるようになったのだ。とはいえ、氣を使っていれば飛べないこともないため、余り不必要に注意すべきわけではない。

 しかし、今回だけは話が別だ。この勝負は純粋な近接格闘のみ。身体強化以外の用途で氣を使うつもりはなかった。シオンとて黒陽で勢いを操り、トリッキーな戦法で戦ってはいるのだが、空中に浮く、あるいは空中を踏みつけるような動作はしていない。つまりは、シオンもそうする気が無いのだろう。

 だからこそ美鈴も、あくまでも格闘家として、地に足を踏みしめて戦う武闘家として、自らの力のみで戦う。それだけだ。

 空中から地に下り立った美鈴を見ながら、シオンはボソリと呟いた。

 「……縮地、か」

 「――わかりますか?」

 「まあ、一応書物でそういった物があるとは知ってたからね」

 縮地とは近づいている事を気付かせない移動法等のある意味で「瞬時に接近する」技術や、長い距離を少ない歩数で接近する技術のことだ。

 美鈴の場合は妖怪の身体能力を使って、本当の意味で一瞬で詰められる。何せある程度の距離までならば、一歩で、そして瞬時に移動できるのだから。

 そのまま二人は睨みあい……すぐさまシオンは拳を握りしめて殴りかかる――が、逆にカウンターを入れられ、吹き飛ばされてしまった。

 「っぐ!?」

 確かに拳は入ったはずだ。だが、逆に吹き飛ばされた。しかし、シオンは混乱せずにその理由を探る。バカのように混乱し、無用な隙を晒せば更に追撃を入れられるからだ。

 そのまま探りを入れる。けれど美鈴はそれを待ってくれるはずが無い。しようがないとばかりに拳と蹴りの応酬を受け入れるが、やはり殆どがカウンターとして返ってくる。

 殴れば蹴りが、蹴りを入れれば拳が、あるいは拳には拳を、蹴りには蹴りを返される。

 バカの一つ覚えのようにカウンターを入れられ続けるシオンだが、何もただそれを受け入れていた訳では無い。当たる瞬間に体の重心と打点をズラして弱点を突かれないようにし、衝撃を逃して威力を殺す。だが、美鈴の戦闘技術を前に、そんな小細工はすぐに無駄になる。美鈴の場合では、ズラした箇所を先読みして更にズラした打撃を入れてくるのだ。

 それでもシオンは、先読みされた箇所に重力制御を使って更に重心をズラして無理矢理回避していた。さしもの美鈴も、全く先読みできないことをされてしまえば、もう打点を戻すのは不可能だった。

 だがズラした重心による影響の隙を狙われかねないため、無理矢理重心を元に戻すという動作をしなければならず、結果としてシオンの体にはそれなりの負荷がかかり始めていた。

 そこまでの小細工をし続けて、何とか美鈴の攻撃を受け続けていた。

 この現象を解明するための探りを入れてから十五回ほど殴られ蹴られたころだろうか、シオンは再度美鈴に殴りかかり、腹に一撃を入れて逆に腹に膝を入れられ――逆にシオンが蹴り返した。

 「かッ――ふ!」

 その蹴りは美鈴を吹き飛ばすことはなく、全ての衝撃を叩きこむものだった。それによってシオンの足は未だに美鈴の腹に乗っている。その足に力を込め、まるで地に足をつけているかのように軸にして体を回転させると、もう片方の足を踵落としの如く振り下ろす。

 美鈴は腹の痛みを堪え、片手でそれをガードし、頭に攻撃されるのを防ぐ。しかしその衝撃の勢いによって膝を着きそうになってしまった。けれど、その一瞬の間にもう片方の手をシオンの無防備な体に叩きもうとするが――逆に腕を掴まれ、投げ飛ばされた。

 「きゃあ!」

 可愛らしい悲鳴をあげながらも体勢を整え、何とか着地する。隙を作るまいと急いでシオンの方を見るが、流石に攻撃を受け過ぎたせいだろうか、少しフラついていた。

 「……そろそろ、限界なのではないですか?」

 「妖怪の腕力で殴られて形があるだけマシだと言ってほしいけどね」

 美鈴の言葉に嫌味を返す。けれど、確かに限界に近いと言えば近かった。だがそれだけだ。疲れて立つのも辛い、ただそれだけならばまだ戦える。

 「けど心配はいらない。俺は体調が万全の状態で戦えたことなんて余り無いからな。ここからが本当の勝負だと言えるよ」

 「本当に、色々厄介な人間ですね! まあ、こちらとしてもここで終わり何て嫌ですけど。しかし、まさか()()()()()()とは思いませんでしたが」

 そう、美鈴のカウンターにシオンのカウンターが返されたのは、それが理由だ。完璧に真似をされた訳ではない。だが、限りなく美鈴の使っている技と似ていた。

 (見稽古、というものでしょうか? それはないですね。たった一度、しかも聞いただけでしかありませんが、あれは完全に真似をするというもの。シオンのはそこまでの完成度ではありませんでしたし、どちらかというと見様見真似で私の技を極限まで模倣したモノ、と言うべきでしょうか)

 シオンの使ったカウンターは美鈴と似ている。円運動を利用したカウンター。しかし、全てを受け流せずに多少のダメージを喰らっていたところを見るに、見稽古とは言えない単なる真似技だ。とはいえ、かなりの練度であるのには変わりないが。しかし美鈴の技はカウンターだけでは無い。一部を真似された程度なら余り問題は無かった。

 「まあ、それでもすぐに破られるとは考えられませんでしたよ」

 「そのために観察してたんだからね。まさか最初からカウンター狙いでワザと攻撃を受けて衝撃の殆どを殺してから反撃してるとは思わなかったけど……」

 「しかたがありませんよ。身長差がありすぎて、こちらとしては当て辛いのですから」

 シオンは動体視力がいい。逆を言えば、相手が何をやっているのかをそのままトレースできるのだ。けれど、いくら真似ができるとは言っても限界がある。そのために何度も何度も攻撃を受けてそれを身に沁み渡らせた。いわゆる、習うより慣れろ、である。

 とはいえ、ただそれだけのために十五回も打撃を受けるなど、正気とは思えないが……。コレがただの人間相手ならば納得はできる。しかし、大妖怪ではないとはいえ、美鈴も妖怪のはしくれ。その中身は人間のソレとは全く構造が違う。そんな相手の一撃を受け続けるなど、正気の沙汰ではないのだ。いや、それ以前に体細胞変質能力でフランの劣化コピー状態にすらならずに受けられるはずがないのだが。

 美鈴とて本気で殴っていても全力では無い。気を使って拳や蹴りの威力を底上げしていないとはいって、それでも形を保っていられるシオンは異常だった。

 「まぁ、こうやってただ受け流すだけなら得意だったからね」

 悩んでいた美鈴の耳に届いたのは、そんな自嘲気味な言葉だった。

 「それは、どういう……?」

 「別に何でもないよ? それに、受け流しに関しては太極拳を使ってる美鈴の方が得意なんじゃないか?」

 「何故それを!?」

 縮地同様、またもあっさりとバレてしまったのに驚く美鈴。

 「……一回だけ、美鈴と似たような動きをしている相手と戦ったから、かな」

 「……?」

 どこか歯切れ悪く言うシオン。それに対して美鈴は訝しむが、シオンは頭を振って言った。

 「気にすることでもないよ。ただ忘れたい過去の話をしただけだから」

 たったそれだけの訳のわからないことを一方的に告げると、シオンは再び駆け出す。若干不意打ちに近いが、そもそも戦っている間に余計な事を考えるのが間違っているのだ。

 そしてまた上体を倒したまま駆け出してくるシオンを見る。近付いてきたシオンは、手と足に力を込めていた。どちらが来るか――それを判断しようとした美鈴は、もっと異常な真似をしてきたシオンにまたも驚愕させられる。

 「頭――突き!?」

 そう、美鈴の叫び通り、シオンは全く勢いを緩めることなく跳び込んできた。すぐに両手で受け止めようとするが、それを回避され鳩尾の辺りに頭を叩きこまれる。

 すぐに腹と足に力を入れて耐えようとするが、シオンは両手を腰に回して投げ飛ばした。下半身に力を込めていたせいで即座に反応ができなかった美鈴は、体をゴロゴロと回転させながら地面に着くことで衝撃を逃がした。

 しかし、いつの間にか傍に来ていたのか、美鈴の足を掴んだシオンに体を持ち上げられ、床に叩きつけられる。その衝撃で、()()()()()

 まるで子供のような無茶苦茶なやり方に、人間では出せない異常な腕力。だが美鈴にはわかってしまう。シオンは無駄に効率よく、最大限威力が出せるようにして攻撃していたことくらいは。まさしく学んだ技術の無駄遣いだと言えるだろう。

 周囲にもわかりやすく示すような技術を持っているかと思えば、こんな我武者羅としか言えない理解不能な技を使う。シオンの言うトリッキーな戦法は、正直他の人間が使うものとは比べ物にならなかった。

 けれどそんなことを喚いてはいられない。すぐにここから脱出しなければどんどん追い込まれてしまう、それを頭で理解する前に肌で、感覚でわかっている美鈴は足を動かそうとする。だが足を掴まれている現状、それはできなかった。更に最悪なことに、美鈴の体は割れた床に埋め込まれている。これでは腕を動かすのにも時間がかかる。おそらくシオンはわざと衝撃を逃さずに地面を割り、美鈴が逃れられないようにしたのだろう。

 足を掴まれたままの美鈴は、頭上に影がよぎったのが見えた。次の瞬間、美鈴の腹にハンマーで殴られたかのような衝撃が走る。衝撃は地面に走ることなく腹に叩きこまれ、吐血してしまった。

 「カフッ! ぅ、ぁ……」

 もう一度振り上げられた拳が頂点に達すると同時に、先程の衝撃で地面に埋め込まれていた片腕が外れたため、その腕を地面に殴りつけ、その反動で体をねじる。そして振り下ろされた拳が地面に叩きつけられ、床を割るのではなく巨大なクレーターを作った。

 コレには傍目で見ていた三人も絶句してしまった。レミリアやフランならば、コレと同じことはできるだろう。だが、咲夜は無理だ。身体強化をすれば恐らくは可能だろうが、ここまで大きなものにはならない。人間離れした異常な腕力。それでも精々が中級妖怪程度だった。

 美鈴はもう一度体をねじってシオンの手を振り解く。そして急いで距離を取ると、すぐさま構えを作る。しかし、予想していた追撃は来なかった。

 訝しんだ美鈴はシオンの方を見ると、その腕の有様に両目を見開いた。

 「な、その腕は……」

 シオンの左腕は、先程の無茶な使い方のせいで無残な姿になっていた。最悪壊死しているかもしれない、そう思わせるくらいの惨さだった。

 おそらく、人間が本来出せる力の許容量を遥かに超えた腕力を出したせいだろう。正直、内側と外側が全く釣り合っていないと思ってしまう。しかし当の本人はそれを一切気にしていない様子で美鈴の方を見ていた。とはいえ全く影響が無い訳ではないらしく、少しだけ動きづらそうにしていたが。

 「シオン、貴方は一体何故そんな無茶をして……?」

 流石の美鈴も、シオンの行動は理解できなかった。あのような力技を使えば、あんな腕になるとわからないはずがない。それなのにあんな暴挙に出た理由がわからない、理解できない、そう思ってしまったから、つい呟いてしまった。

 「勝つためだ。現状不利な今、多少動きにくくした方がいいだろうからね」

 「勝つ……ため? それだけのために……こんなバカな真似を?」

 「バカな真似……か。そっちからすればそう見えるんだろうね。けど、()()()()()()()()()()()()()()()()

 その言葉は、どこか焦燥感に溢れていた。現状追い詰められていると言えるのは、どちらかと言うと美鈴だ。だが、この声音からは、とにかく早く終わらせたいという思いが滲んでいるようだった。

 しかし、美鈴にとっては()()()()()()()()()()()()()だ。

 (……つまり、シオンは勝ち負けにしか興味が無く、私との勝負の内容はどうでもいい、ということですか?)

 そんなはずがないのはわかっている。シオンは嘘は吐かない。ならば、消化不良が嫌だからこそこのルールにした、というのは本当だろう。

 つまりシオンは、それ以外の理由で追い詰められている。それが頭では理解できても、感情は別だ。

 (……なら、もう多少の遠慮は無用ですよね? 今から、全力で行かせてもらいます)

 結局のところ、美鈴は未だに手加減をしていたのだ。だがそれはしかたがないのかもしれない。数百年もの間、人間相手には殆ど本気を出さずにいたうえ、その時までは若干戦闘狂だった性格が温厚になってしまっていたのだ。

 それに加えてシオンの外見は完璧に幼い子供の姿そのもの。コレを相手にしてあっさりと全力を出すのは、美鈴には無理だったのだ。

 「行きます」

 今まで以上の集中力を見せる美鈴は、腹から来る痛みを無視して『氣』を纏い始める。そしてそのまま、シオンに視認できない速度で後ろに回る。

 美鈴からすれば歩く速度。だがシオンからすればフラン以上の速度で動いているように見えた。本来なら美鈴はフラン以上の速度で移動するなどできはしない。だが、そこに技術を上乗せすれば、それが可能になる。

 「ハッ!!」

 敢えて踏み込みの動作で力を溜めてから攻撃するという手段をとる美鈴。そのお蔭だろう、シオンは何とか体の間に腕をねじ込めた。だが、できたのはそれだけだった。

 腕がゴキゴキと鳴る嫌な音が響く。しかしその腕は壊死しかけているかのような方の腕だったらしい。おそらくはまだ動かせる右腕よりも、使えない左腕を盾にしようと考えたのだろう。

 (甘いですよ!)

 シオンが美鈴の体に全ての衝撃を叩きこめたように、美鈴もまた衝撃を全て叩き込むことくらいはできる。

 いや、美鈴の技はシオンのそれよりも上手だ。シオンの場合は殆ど直感でやっているのに対し、美鈴はきちんとした技術としてやっているのだから。

 要するに、美鈴は左腕に全衝撃を叩きこませ、シオンをその場から吹き飛ばさずに体勢を崩したのだ。これならば身を屈めても問題は無い。

 美鈴は体を回転させてシオンの懐に潜ると、その勢いを乗せて肘を入れる。そこに膝を入れた後、両手を握って頭に叩き込む。膝を腹に入れられているため、地面に叩きつけられることなくその場に止まらせられる。

 そのまま美鈴は止めを入れようとした――が、その前にシオンが無事な方である右手で美鈴の膝を掴み、そのまま投げ飛ばす。

 しかし、不意打ちでもなんでもない、ただ投げただけのソレでは美鈴に効果は無い。あっさりと着地する美鈴を、シオンは冷静に眺めていた。

 「……コレで、もう私の勝ちは決まりました。降参してください」

 美鈴のこの言葉は、決して間違ってはいない。氣を使った美鈴の攻撃によってシオンの体は先程よりもボロボロ。黒陽の反動でなったあの時よりはマシだが、あの小さな体では内臓の幾つかを傷づけて、骨が折れていてもおかしくはない。しかも左腕はもう使えないのだ。シオンが体細胞変質能力でも使えば別だが、おそらくそれを使うつもりはないだろう。

 だからこそ美鈴は降伏をしてほしいと言ったのだ。だが、シオンは首を横に振ってそれを拒否した。

 「この程度の怪我で降参する気は無いよ」

 「ですが――!」

 「それに、()()()()()からね」

 憤る美鈴を無視して、シオンは右腕をあげる。そしてそこに、美鈴と()()()を宿した。

 「な……!それは、()……!?」

 シオンが使っているのは、美鈴と同じ氣だった。だが、それが使えるのなら何故今の今まで使わなかったのかがわからない。しかし、そこで先程シオンが言った言葉を思い出した。

 「()()()……つまり、たった今氣の使い方を学んだと言うのですか、貴方は!」

 「そういうことになるかな。体の動きを真似るよりは楽だったよ」

 美鈴は知らないが、咲夜だけは知っている。シオンは体の中にある魔力の流れすら読めていたことを。それを応用して、美鈴の体内にある氣の流れを読んだのだろう。

 (ですが、それだけで氣を扱えるはずが……)

 氣を習得するには、膨大な修行が必要になる。だが、そこで咲夜は思い出した。

 「そう、でした。シオンは、死と隣り合わせの中で生きてきた――!」

 氣の伝承、あるいは考察は諸説あるが、原型と言われている物では雲は大気の凝縮であり、風は大気の流動。その同じ大気が生き物が呼吸をすることで体内を充満し循環して、身体の生命力として働かせる。つまりは大気の流動性と連続性との対応を見出し、そこに存在する霊的で生命的な原理を見る、というモノ。

 その他にも様々な考えは存在するが、大抵の物では氣は息やその連続性として大気にある変化を捉えた物が多い。何よりも氣は最終的に生きている物の生命力として捉えられている。

 この考えからすると、氣と生命力はイコールである。生命力を燃やすことをすることで結果氣が生まれる、とも考えられるが、それは各々の捉え方次第だろう。

 美鈴はそれを利用して気流の流れを操作できたりもするが、コレをするには大量の氣を消費するため、ただの人間が使えばすぐに生命力を枯渇させて死に至る。しかし美鈴は妖怪であるため、死ぬ可能性はほぼ無い。

 一方で一部が人間――腕力その他がもはや人間とは言えないだろう――であるシオンは、常に死を意識して生きてきた。いや、実際に死にかけたことなど腐るほどあるかもしれない。そして死を感じたことがあるということは、逆に生命力を感じることができる可能性がある、ということでもある。

 とはいえたった一度死を意識し、感じるだけでは無理だろうが、シオンは複数回どころかほぼ常時死を感じているのに加えて、血反吐を吐くような修行もしてきた。

 美鈴でさえ膨大な修行をして覚えられたのだ。ある意味での極限状態になれば氣を感じ取れると言うならば、美鈴より幼いとはいえ、それよりも遥かに濃密な人生を送って来たシオンができない道理は無い。

 あるいは、死の淵から蘇った人間が何らかの才能を得ることが多いように、何度も死にかけたシオンも何らかの才能を得たのかもしれない。とにもかくにも、今まで氣を使わなかったのは――いや、使えなかった理由はわかる。

 (今まで使わなかったのは、単純に使い方を知らなかったから――!)

 いくら優れた技術であろうと、使い方を知らなければ使えるはずが無い。

 過去の人間を現代に連れて来ても殆ど何もできない、と考えればわかりやすいだろうか。仮に何かを見せられてもコレは何だとしか思えないだろう。シオンもそれと同じだ。

 (シオンはあえて、美鈴に氣を使わせるように仕向けたのでしょうか?)

 いや、それはない。あの時のシオンの声には本当に焦燥感が溢れていた。だが、美鈴に氣を使わせようと思っていたのは本当だろう。それぐらいは当たり前のようにやる人間だ。

 (ですが、この幻想郷に氣を使える存在がいるなど、一言も言っていないのですが……それでも予想は可能でしょうね。魔力やら妖力やらが当たり前のようにある世界ですし)

 シオンが言っていた言葉から、咲夜はその世界の常識はその世界にしか当て嵌まらないと思い始めていた。

 咲夜にとっての『当たり前』は、シオンにとっての『非常識』になるのなら、その逆もある、と。実際、シオンのいた世界を見れば、咲夜はほぼ間違いなく「ありえない」と言うだろう。

 とにもかくにも、コレで勝負はわからなくなった。が、未だに勝機は美鈴に傾いている。

 「いくら氣を覚えたとは言っても、覚えるのと使うのはまた別の話です!」

 そう、いくら氣を使えたとしても、それを美鈴と同じレベルで使うの不可能だ。更に氣は生命力を使う。最初は体力を奪っていくが、使い過ぎれば自身の生命力――寿命とも呼べる物を枯渇させていき、最悪死に至るような力でもある。

 しかしここにいる二人は少々例外だ。片や妖怪、片や人外。体力が尽きて終わるというのはほぼありえない。

 だからこその短期決着。シオンが氣の使い方を覚える前に倒そうと、美鈴は走り出した。

 しかし、美鈴は忘れている。シオンは()()()()()()()()生きてきたことに。

 「一撃で終わらせてもらいます」

 宣言した美鈴は、先程と同じように一瞬でシオンの後ろに回る。そしてそのまま意識を落とそうと右手を振るうが、逆に右腕を掴まれて足を払われる。

 微かに驚きながらも左の手を掌底の形に変えて突き出す。シオンなら避ける、そう思っていたが、予想に反して避けずに喰らった。

 「な、なぜ!」

 攻撃を当てた美鈴の方が逆に驚いてしまう。だが、それが狙いだった。敢えて避けずに力を溜めたシオンは、体勢が崩れていた美鈴の腹に膝を入れる。先程全力で殴られた時の痛みが引いていなかった美鈴は、とてつもない激痛に歯を食いしばって耐える。

 (こんなにも早く氣を使えるようになるなんて! 本当に、シオンの才能は戦闘方面に特化し過ぎているような気がします!)

 すぐに身を離そうとするが、腕を掴まれている今、離れることができない。振り払おうにも氣で身体強化をしているシオンと今の美鈴の腕力に余り差は無い。痛みによる耐性の差もあり、美鈴は離れることができなかった。

 「インファイト……ですか。いいですよ、付き合います!」

 そこでシオンの狙いが、一切離れずに殴り合うという――シオンの場合だと蹴りしか使えないのだが――ことだと悟った美鈴は、もう離れるなどという考えは思い浮かばなかった。

 そこからの二人の戦いは異様な光景だった。美鈴は殴り、蹴る。だがシオンはそれを一切気にしていないかのように避けないで受け入れ続け、逆に蹴りを入れる。

 シオンが一回蹴るのに対し、美鈴は四回、五回と攻撃できる。しかも避けようと思えば避けられるのだ。今はシオンが攻撃を喰らうのを受け入れているため、その分を蹴りに集中できるおかげで必ず蹴りが当たっているが、そうでなければ当たらなかっただろう。

 それでもシオンが不利すぎるのには変わりない。けれどシオンはどこを殴られようが蹴られようが全く気にしていないかのような能面のままだ。いくら痛みに耐性があるとは言っても、誰もがここまでとは思っていなかっただろう。

 自身の方が押しているはずなのに、その姿に圧倒されてしまっている美鈴の顔は、嫌な冷や汗だらけだった。

 美鈴が冷や汗を掻いているのは、蹴られ続けているのが腹だけ、というのもあるのだが、どちらかというとシオンの姿に気圧されているのだ。

 「……ッ!これで、終わりです!!」

 どんどん怪我を負い、痛ましい姿になっていくシオンを見るのに耐えられなくなってしまった美鈴は全身を覆わせていた氣を左手に集める。本来美鈴の利き手は右手なのだが、現状シオンに捕まれてしまっているため使えない。

 そのまま力を込め、そして一気に解放する。氣を集めている間にもシオンに蹴られてはいたが、もう終わらせられるとわかっていた美鈴はそれを気にしなかった。

 「ッハ!」

 力を込めすぎて体の外にも氣が出ていた。大きな光を纏った左手は寸分狂わずにシオンの腹にぶち当たり、何かが爆発しかのような轟音を立てる。

 その音が止む寸前にシオンは吐血した。そして、掴んでいた右手がスルリと解ける。

 (右手ならば、もっと早く終わっていたのでしょうに……)

 勝ったと思った美鈴は、俯いているシオンの体に流れている氣を見ると、制御が利かなくなった氣が体の外に漏れ始めていた。

 (何となく、後味が悪いですね……)

 やはり外見が子供の相手をするのは心が痛む。若干だが戦闘狂だった昔でも相手をするのが苦手だったのだから、今の温和な美鈴の心中は押して図るべしだろう。

 身体強化を解除した美鈴は、膝をついて今にも倒れそうになっているシオンを見た。その瞬間、何故か本来ならば助言をしてはいけないはずの咲夜が叫んできた。

 「まだです、美鈴!」

 「え!?」

 反射的にシオンを見るが、その判断は遅かった。体に衝撃が走った美鈴は、目を見開いた。

 「ぁ、ぐ……何、が!」

 美鈴の腹を、(おぞ)ましい色をした何かが貫いていた。その色は見たことがある。この色は()()()()()()()()()()()

 「ま、さか……」

 あの時、確かに氣が漏れるのは見ていた。だが、()()()()()()()()()()()()()()

 元々氣は体内の生命力を燃焼するもの。ならば、美鈴にさえバレないように新たな氣を纏うことくらい難しいことではない。それが通常時なら、という条件が付くのだが、シオンの痛みの耐性は最早異常。わざと氣を漏らすというカムフラージュをしながら、新たな氣を練るくらいはやってのけるはずだ。

 (シオンの狙いは、始めから……!)

 全身の気を抜いた瞬間に美鈴の腹に一撃を入れること。もしもコレがただの一撃ならば問題は無かった。しかしシオンは何度も何度も腹のみを殴り、蹴ってきた。それによって蓄積したダメージが、今の氣を爆発させた掌底によって一気に爆発したのだ。

 如何に美鈴といえど、身体強化もしていないまま、しかも緊張が緩んでいた一瞬を狙われた状態で耐えるのは難しい。

 シオンのこの行動は人によっては卑怯者と蔑むだろうが、美鈴はシオンに一本取られたとしか思えなかった。

 (しかし、左腕はもう動かないはず! なのに何故!?)

 シオンの左腕はもう動かせないのは見ればわかる。何より同じく近接格闘のみをしてきた美鈴にとって、体の怪我はそれがどれだけの重症なのかは見れば――シオンの怪我は見るまでも無いとは思うが――わかる。と、その瞬間、美鈴の目にシオンの胸元からキラリと光る何かがとび込んできた。

 (黒陽……! まさか、重力制御で無理矢理腕を動かしたのですか!!?)

 確かに重力制御の力を使えば可能だろう。黒陽は封印状態でも十%以下なら扱うことができる。とはいえそれは余程黒陽の力を扱えなければ無理だ。

 今のシオンでは七%以下しか引き出せない。怪我を負っている現状、引き出せるのは一~三%程度だろう。しかし、今回だけは少し特別だった。

 シオン以外は知らないが、実のところ黒陽は剣の近くで、更に範囲が狭ければ狭いほどに必要とする力は低くなる。それを使って左腕周辺の重力を、普段は下にかかっている重力を上にして無理矢理振り上げさせ、そして掌が美鈴のいる方を向いたらその方向に体が動くよう重力を圧縮、解放すればいいだけだ。

 しかしそれだけで美鈴に当てられるはずが無い。というより、普通は外れて終わる。「シオンだからできた」と言えばそれだけなのだが、実を言うと後一つだけ理由がある。本来ならばその切り札のような物を使う必要は無いと言えば無いのだが、念のために使ったのだ。

 シオンは美鈴を過少評価はしない。『美鈴ならば避けるかもしれない』、そんな可能性を考えて念のために使ったのだ。

 逆に言えば範囲が狭ければ使う必要が低い、と言うのは、周囲に多大な影響を与える重力の消失をさせるにはかなりの力を必要とするのだが……余り使う必要が無いため、現状問題は無い。

 美鈴はそれらを知らないし、知るはずも無い。だが、それでも譲れない意地くらいはある。

 「まだ……まだです!」

 後一撃。後一回だけでいいからと、足を踏み出す。そして今度は利き手である右手でシオンの顔に殴りかかる。

 実のところ、美鈴は今の今まで余り顔を狙っていなかった。何度か当たってはいたが、それでも結果的に当たったというだけであって、全力では無い。

 コレはシオンも美鈴の顔を狙っていなかったからだ。そうしているのは、多分美鈴が女性だからだろう。しかし舐められているとは思わなかった。元々の身長差で手足が届かないのもあったし、どちらかというと、何か強迫観念のような物を植え付けられているせいで無意識の内に顔を狙うのを避けてしまっている、そんな感じがするからだ。

 とにもかくにも、もう避ける体力が残っていなかったシオンは、それを受け入れるしかなかった。顔を思いっきり殴られ、体を仰け反らせてたたらを踏むが、まだ膝を着いてはいない。

 鼻血が出ていながらもシオンはキッと顔をあげる。その眼は、未だ死んではいなかった。

 (……負けですね。今回は、ですけど)

 そんな眼を向けられては、もう意地を張る必要は無くなってしまった。とはいえ、コレもいい訳なのかもしれない。今の美鈴には、例え一歩だとしても動けるだけの体力が残っていなかったのだから。

 シオンは歯を噛みしめて一歩を前に踏み出し、何の身体強化もしていない体で美鈴の腹を殴りつけた。

 身体強化をしていないとは言っても、シオンの全てを懸けた()()()一撃はそれこそ大妖怪が軽く殴ったのと同等の威力くらいは持っている。流石の美鈴も、もう立つことは維持できずに床に倒れ伏すしかなかった。

 今回の勝負はシオンの勝ちなのだろう。しかし、その姿は勝者とは言い切れなかった。醜く変色した左手はもう動かないためダラリと下がり、体は殴られ蹴られまくったせいで痣どころかいくつか骨が外れ、折れているだろう。

 それでも黒陽の反動の時とは違い、気絶できずに受け続けた鈍痛はいかほどのものか。それは見ている三人にはわからなかった。

 だが三人は肝心なことを忘れている。例え徒手空拳であろうと美鈴は骨や関節を砕いたり、手刀でシオンの体を切り裂き、貫いたり――それはシオンもできることなのだが――できるということを。

 それを考えれば、()()()()()怪我はまだマシだったりする。

 まあ、それでも酷過ぎる怪我には変わりないのだが。常人ならば気絶するどころか泣き叫ぶほどの激痛なのだから、まともに立てるだけでも十分におかしい。

 それでもそんな死に掛けの状態でシオンは立っていた。もう勝ったのだから倒れてしまってもいいのにも関わらず、何かを待っているかのように立ち続けている。

 それに気付いたレミリアは、苦虫を噛み潰したかのような表情で渋々と言った。

 「……勝者、シオン!」

 その声は、とてもよく響いた。どこか悔しそうに。そして、何かを諦めたかのように。




シオンが能力の補助がほぼ無しの場合は通常時の美鈴と同じ程度。氣アリだとやや美鈴に分配があがります。シオンの強さはあくまでも体細胞変質能力を始めとした白夜と黒陽によるものだと皆様に思わせたかったのでこうしましたが、もう近接格闘だけとか嫌よ……!(正確には身長の低すぎるシオンと逆に高すぎる美鈴のような戦闘を書きたくない……!)

氣に関してはかなりこじつけっぽい。
この説明よりももっとらしい説明あったら聞かせてください。


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感情の暴走

やっとここまでこれたw
今回の話しで、何故シオンが感情を抑え込んだのか
そういったところがわかります。


 レミリアの審判であるその言葉を聞いた咲夜とフランの顔はある意味で似ていた。咲夜はどこか嬉しそうに、あるいは寂しそうに笑っている。しかしフランは咲夜とは全く違い、今にも泣きそうだ。いや、実際に泣いていた。

 「シオンは……出て行っちゃうんだね」

 そう、本来この戦いはそれを賭けていたのだ。シオンが勝ったと言うことは、もうシオンとは会えないということを意味する。それがフランには悲しかった。

 フランの呟きが聞こえた咲夜も、寂しさと悲しさを濃くした。口には出していないが、レミリアもどこか拗ねたような雰囲気がある。

 「身勝手ね……本当に」

 謎だけを残して去っていく。理由すら離さずに。それがレミリアには悔しかった。理由さえ話してくれれば、納得はできなくとも受け入れはした。

 それが聞こえたのだろうか、シオンはフラフラとしながらも三人に近づいて、辛そうに笑いながら言った。

 「別にもう会えない訳じゃ無いだろ?一年くらいしたら戻って来るよ。……こっちの世界なら、対処法があるかもしれないし」

 シオンの最後の呟きが聞こえた咲夜は、彼が何かを探しているのを理解した。しかし、それだけしかわからない。だからこそ、それを何とかできる相手を紹介した。

 「なら、永琳を訪ねるのはどうでしょうか?」

 「永、琳……? 誰なんだ、その人は?」

 「そうですね……。彼女を一言で表すなら、『天才』、でしょうか」

 「天才、ね」

 シオンはどこか信じていないように口の中でモゴモゴと呟いたが、実際彼女はそれ以外の言葉では絶対に表現できない。まさしく『天才』なのだから。

 「会ってみればわかりますよ。シオンの言う『対処法』というのが何なのかはわかりませんが、彼女ならばきっと何かを授けてくれるはずです。……無茶な注文をされる可能性が無きにしも非ず、ですが」

 「……わかった。情報ありがとう。ついでにどこにいるのかを教えてくれるとありがたいんだけどね?」

 どこか茶化すように言う。おそらく、咲夜ばかりと話しているシオンに頬を膨らませて「不満です!」と表現しているフランを意識させるためだろう。

 咲夜は苦笑しながらも答えた。

 「彼女は迷いの竹林にいるはずですよ。あるいは人里に。一度人里に行って、そこで正確な場所を聞くことをお勧めします。シオンの足ならば、すぐに辿り着けるはずですので」

 飛べるのならばもっと早いのだが、シオンはその方法を知らない。美鈴ならば気での飛び方を教えてくれるだろうとは思うが、今すぐに出て行くという雰囲気を出しているシオンは、そうする気など無いとわかる。

 コクリと頷いたシオンはレミリアを見る。しかしレミリアは首を横に振って、フランの方を指差した。そして、目でシオンを睨んだ。

 ――私はいいから、フランを慰めてあげなさい。

 そう言っているようなレミリアに目で返事をすると、彼女は視線を逸らした。もう話すことなど無い、ということだろうか。

 一つ頷いてから、シオンは俯いているフランに近づいた。

 「フラン」

 「……………………」

 シオンが話しかけても、フランは横を向いたまま俯いていた。一目見て拗ねているとわかる姿だが、精神が子供である相手が拗ねる時ほど面倒なことは無い。

 それでもシオンは気分を害すことなく一方的にとわかっていても言いたかった。

 「俺が理不尽なことを願っているのはわかってる。だけど、コレはどうしてもしなきゃならないんだ。まあ、最終的には自分のためにやってることだから、責められても文句を言うつもりは無いよ」

 「…………もん」

 「え?」

 「わかってるもん! シオンが自分勝手な理由で出て行こうと思ってる訳じゃ無いことくらいは!」

 それぐらいはフランにも理解できた。シオンの実直過ぎる性格からして、いきなり出て行きたいと言うのならばそれ相応の訳があるのは。

 しかし、心の中で荒れ狂う感情がそれを受け入れるのを拒否してしまっていた。どうしようもないくらいにおさまらない怒り。何よりももう離れ離れになってしまう悲しさと、もう会えないかもしれない寂しさ。それらがごちゃ混ぜになっていて、フランでさえ制御できなくなっているのだ。

 もしもシオンが人間では無かったのなら耐えられたかもしれない。妖怪ならば死ににくい。しかし人間は脆く、儚い。フランが全力で殴れば、それに妖力が宿っていなかろうと体全てを粉砕してしまうのはすぐにわかる。それ以前に、人間は百年と経たずに寿命で死ぬ。それを考えれば、少しでも長く一緒にいたいと思う気持ちはフランにもわかる。

 「それでも……寂しさは抑えられないよ」

 その気持ちは、シオンにも痛いほどよくわかる。ある意味では、フランとシオンはよく似ている。独りになった理由は違うが、境遇は似ているのだから。『寂しい』と言う気持ちが、時に何よりの病になることも。だからだろうか、シオンは特に考える間もなく答えた。

 「……なら、約束しよう」

 「約束? ……どんな?」

 「俺は必ず戻って来る。……そうだな、五年以内にココに来ると約束するよ」

 ボロ雑巾のようにズタズタになっている体で、快活に笑う。フランが安心できるようにと、ただそれだけのために。

 シオンの笑みに感化されたからだろうか、フランも少しだけ笑みを浮かべてくれた。

 「なら……指切りしよう」

 「え、指切り? ……何で知ってるんだ?」

 「閉じ込められてる時に、ちょっと、ね」

 言葉を濁すフランにシオンは肩を竦めると、右手の小指を差し出す。フランも小指を差し出すと、シオンの小指と絡めて言った。

 「指切りげんまん嘘吐いたら針千本飲~ます、指切った!」

 それと同時に指を解くと、無理矢理浮かべた笑みを見せる。そして、何となく少し前に見た()()()()をした。

 「もしもシオンが帰ってこなかったら、地獄の果てまで追いかけて行ってパンッて撃っちゃうからね!」

 「え……」

 銃を撃つ真似を動作をするフランに、レミリアと咲夜は何をしているのかがよくわからなかった。だが、わからないのも無理は無かった。

 この幻想郷に銃器は存在しない。一部の場所にガスや水道管、電気が通ってはいるが、それでも一部だけだ。全ての場所に存在する訳では無い。

 だからこそ銃を撃つ動作を知るはずがないのだが、レミリアは紅魔館に侵入しようとした人間の一部を、フランのために血を得るための餌としていた。それには、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その中には、自身が生き残るために持っていた銃を使ってフランを撃ち殺そうとした人間がいた。

 それ故にフランは、それが何の動作かもよく知らずに使ったのだ。その動作が、シオンのある意味での『精神的外傷(トラウマ)』になっていることすら知らずに。

 シオンの脳裏に、思い出したくないあの時のことがフラッシュバックする。

 『―――――――――――――――――――――』

 とても、とても大切な、大好きだった姉が地に伏し、そこから大量の血が流れている。その横には、姉を撃ったとわかる男と、その付添であるボディーガードのような人間がいた。

 何故シオンがその男が姉を撃ったのかわかったのは、そいつが持っている銃から煙が出ていたからだ。

 その男の容貌はよく覚えている。あの地獄みたいな場所でなければ大層な人気者になれるとわかる整った顔立ち。太陽みたいに輝く金髪と、それに反した血のような赤の瞳。身長もかなり高く、服装の上からだがガッシリとした体つきもしていた。

 そう、そいつが男であることと、身長や体格が違うという点を除けば、金髪、赤い瞳、整った顔立ち、それらは全て()()()()()()()()()()()()()

 だが本来ならそれだけでトラウマが蘇るはずが無い。しかしタイミングが悪かった。とてつもないほどに悪すぎた。姉が死んだことによって死滅しかけていた感情を紅魔館で無理矢理引き出して更に摩耗させてしまったことと、何度も過去を思い出すような出来事を経験したことによって、シオンの感情の箍が外れかけてしまっていたのだ。

 そこに来て、フランのこの動作。

 ――コろ…てし…え!

 「あ、ああ……」

 もう、抑えられなかった。

 ――コろ…てしマえ!

 「あああ……」

 「シオン?」

 ここにきてようやくフランたちが異変に気付いた。だが遅い。ずっと抑えていた物が解放されそうになる。欲が殆ど無いシオンが唯一持っていると言える、あの男に対する()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ――コろシてしマえ!!!!!!!

 「アアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!」

 叫びながらもシオンは目の前にいるアイツの首を右手で握り締める。そのまま斜め後方に投げて壁に叩き付けた。

 「ぅ……ッ!!」

 いくら吸血鬼といえど、油断していたところに首を絞められれば息が詰まる。しかも、ただの人間ならばともかく、氣を纏った人外の腕力で絞められたのだ。まともな対応はできなくなると考えていい。骨が折れなかっただけマシだと言えるだろう。

 それを意識する間もなく――いや、考える意識すら殆ど残っていないのだが――シオンは投げ飛ばしたフランの方向に走り出した。そして右手でペンダントを握ると、剣の形に変える。

 「ッ! させないわ!」

 そこでようやく我を取り戻したレミリアと咲夜が咄嗟に駆け出すが、先に走り出していたシオンの方が速いのは道理だ。そして、邪魔をすることができるのもシオンの方が先だった。

 剣を細長くすると、その場所に黒い何かを纏わせる。そのまま一気にレミリアたちが通るであろう頭上に振り向かずに斬った。

 「黒の斬撃!」

 斬った後に残ったのは黒い何か。それがどんな作用を起こすのかを考える時間すら無くその下を通ろうとして、一気に床に叩きつけられた。

 「グ!? 一体、何、が!!?」

 自身が重くなったと言うより、周囲一帯が何らかの重石をつけられたかのようにその場に押し止められる。その威力は人間ならば骨や内臓がどころか体全体が破壊されるであろう威力だった。咲夜は咄嗟に身体強化で体の耐久度をあげたからこそ耐えられたが、後一瞬でも遅れていれば肉塊になっていたかもしれない。

 レミリアたちが動けなくなったことすら確認せず、シオンは壁に手をついて咳をしているアイツの元へと走る。シオンが近付いているのに気付いたアイツだが、無理矢理酸欠にさせられたせいで意識が朦朧としている。足元がフラついている内にと近づき、そのまま剣を振り下ろした。

 フランが斬り殺されるのを黙って見ているしかないの、と歯噛みするレミリア。そしてシオンが剣を叩き付ける瞬間、その横に黒い影がよぎった。

 「ハァ!」

 シオンの腕に掌底を当てて跳ね返す。それをしたのは、先程まで気絶していた美鈴だった。

 「一体何なのですか、この状況は!?」

 意識が戻ったらすぐ目の前でシオンが暴走していれば混乱するのも当然だった。それでもフランが危ないと感じ、すぐさま行動したのは流石と言える。

 だがそれでも動かなければならなかった。シオンの目に隠しきれない憎悪が宿っているのが見えているのに、ポカンとしていられる訳が無いのだから。

 シオンは跳ね返された腕の勢いを殺さずに受け入れ、左足の膝を美鈴の足に叩きこむ。躱すのではなくガードした美鈴だが、それは悪手だった。

 「ぇ、キャア!」

 ガードしたはずなのに、重過ぎる蹴りにそのまま吹き飛ばされる。しかも最悪なことに足が壊されていた。武術家にとって足を壊されるのは自分が殺されることと等しい。これでは戦えない。

 (何で、こんなに簡単に……!)

 何も不思議なことをしていたわけではない。シオンは美鈴との戦闘時は五%以下の出力で重力制御を扱っていた。能力を解放し、怒りと憎悪でそれらが吹き飛んでいる今の状況ならば、それを遥かに超える力を引き出せる。

 だからこそ蹴りの威力が異様に跳ね上がっているのだ。美鈴と戦っていた時の数十倍、あるいは数百倍の威力を持つ。更にその数倍の可能性もあるが、正確にはわからない。

 しかしそれだけの威力があれば、当然足にかかる負担も半端ではない。美鈴の足が壊れるのと同時に、シオンの足もイカレてしまった。いかに氣を纏って身体強化をしていようと限界はあるのだから、それもしようがなかった。

 それでもシオンは左足の不具合を無視して通常と変わらない動きで動かし続ける。それが後々に響くとわかっていてもだ。

 だが美鈴は妖怪だ。人とは違い妖力で足を再生させることもできる。ただし、()()()()()()()()()()()()

 (この足ではフラン様を守れない!)

 時間が足りない。圧倒的なまでに。

 (ですが、時間稼ぎはできました)

 美鈴が横やりを入れている間に、フランは何とか体勢を立て直せた。コレならばまともに戦える。誰もがそう思っていた。

 しかし、現実は違った。

 「ぁ……ク! 来て、『レーヴァテイン』!」

 フランは終始押され続けた。全力で戦っても、体細胞変質能力を使っていない上に左手と左足を使うことができないシオンにすら届かない。白夜すら使わず、黒陽の重力制御のみであるのにもかかわらず、だ。

 攻撃しても躱そうとしても重力を変動させられまともに戦えない。その上元々の戦闘経験の差が激し過ぎた。そう、シオンは暴走していても、その戦い方は変わらなかったのだ。

 (こんなに……差があったなんて……!)

 どこかで慢心していたのかもしれない。シオンと自分にはそこまでの差は無いのだろうと。 フランは今の今まで忘れていたのだ。シオンはフランを助けるために全力で戦っていたわけではないのだということを。始めから殺す気で戦えば、これ程までに広すぎる差があることを忘れていた。それが決定的なものを生んでしまった。

 慢心は油断を生み、油断は隙を生む。フランがシオンよりも強者ならば多少の隙は何とかなっただろう。だが自身よりも遥かに強い相手に、その隙は致命的過ぎた。

 最早レーヴァテインの炎すら意味が無い。何せ、炎で皮膚を炙られようと、それを無視して突っ込んでくるのだから。本来ならば火によって与えられる痛みは想像を絶するほどの激痛をもたらす。にも関わらず、シオンは憎悪のみを宿して特攻してくるのだ。それがどれほどの恐怖を生むか、フランには肌でわかってしまった。

 (とにかく逃げないと……!)

 逃げようと翼をはためかせた瞬間、シオンは再度剣を伸ばし、その先端部分に黒い物を宿し始めた。

 「逃がすかアアアアアアアァァァァァァァァ!!!!!! 黒の斬撃!!!」

 憎悪の叫び声をあげながらもシオンはジャンプして空中に停滞、一回転しながら玄関ホールの壁すれすれの箇所に黒い物を設置する。先程のレミリアたちの時を見てそれが何かわかっていたフランは、その上を通るように逃げ出そうとした。

 しかし、その上を通ろうとした瞬間に、内側に跳ね返された。

 「え……?」

 それが何かわからずとも、コレが決定的な隙を生みかねないのは頭では無くとも肌で感じ取れる。とにかく翼をはためかせてその場所から逃げ出したその時、数十の黒い弾丸がフランの翼の一部を破壊した。

 「い……た……」

 翼を破壊されたせいで体勢を崩されたフランは、後ろから迫りくる殺意に反応して体を捻って無理矢理レーヴァテインを間に挟む。

 重力操作をして空中に浮かんでいるシオンはそのままフランと鍔迫り合いをする。しかし片翼を破壊されかけているフランはまともな体勢を保てず、じりじりと後ろに下がっていく。

 やがてシオンが作った黒い何かのところへと押し付けられたフランは、跳ね返されるように前へと出されるのを感じた。

 「一体、何を、したの!?」

 答えるはずが無いとわかっていながらも、フランは叫んだ。だが以外にもシオンは口を開いて言った。

 「簡単なことだよ! 黒の斬撃は一方向に重力を作用させられる! それを使って外に出ようとした相手を強制的に内側に跳ね返して戻す、リングのような役目をしたものを作っただけだ!俺か()()()が死ぬまでは、絶対にここから出られないようにね!!!」

 「!?」

 フランはそこでわかってしまった。シオンはフランを見ているのではなく、()()()()姿()()()()()誰かを見ているのだろう。

 そしてシオンは、その()()()とやらを殺したくて殺したくて仕方が無いのだ。抑えきれないほどの憎悪をその身に宿すほどに。

 (それじゃあ……シオンが感情を封じ込んでいたのは……!)

 暴走してフランたちを殺しかねないとわかっていたからこそ、ここから出て行こうとしたのだ。また独りになるとわかっていても、殺すよりはマシだからと。

 (本当に……シオンは、バカだよ!)

 バカにもほどがある。フランはシオンに対して怒っている訳では無い。ただ、そんな真似をするのなら、してほしいことがあったと思っただけだ。

 「何で、私たちに()()()()()()()!?」

 フランはそれが嫌だった。シオンは此方の意を汲んでやって欲しいことをそれ以上のレベルでやってくれる。それなのに自分たちは何も返せない。

 (どうすれば、シオンを正気に戻せるの?)

 考える。自分に何ができるかを考える。しかしどれだけ考えても答えは出ない。憎悪が理由で暴走したのならばその対象を殺せば戻るだろうが、今回の対象はフランだ。その手は使えない。

 (なら、他に理由は?)

 シオンは強い。体だけでは無く心も。そんな人間が簡単に憎悪に身を任せるとは思えない。何らかの外的要因があるはず。だがシオンの体には何かおかしな物があるわけではない。

 「本当に、何も思いつかないよ。……ク!!」

 前からは押し付けられ、後ろからは跳ね返される。そんな状況で考えていたからか、体にかかる負担が無視できないレベルになってきた。このままでは押し潰される、そう判断したフランはシオンに攻撃することを決めた。

 「ごめんなさい!」

 レーヴァテインの炎を増大させてシオンの腕を燃やす。一瞬で融ける程の高温ではないが、それでも看過できない程度の熱量だ。シオンは咄嗟に腕を振り回して炎を消す。

 そのタイミングでフランはその場から飛び出して地面に下りる。どの道このリングがある間は逃げても意味が無い。ならばこのまま戦うしかない。

 素人の構えを見せるフランの前に、炎を消したシオンが下り立つ。その口からは、ブツブツとただ一つの言葉が漏れていた。

 「殺す、殺す、殺す。絶対に殺す――!」

 瞳孔は開き、眼は正気を持っているとは思えないほどに揺れている。その眼はフランでは無い誰かを見据えるように睨みつけていた。例えその殺気が自身に向けられている訳では無かったとしても、尋常では無い質に気圧される。

 (自分の命を懸けてでも殺したい相手……)

 フランにはわからない。そもそもフランは誰かを憎いと、殺したいと思ったことは()()()()()()()()()()

 フランが今まで殺してきたのは、単純に相手が自分に害をなそうとしていたから。それ以外の理由では殺していない。要するにフランは、自分が生き残るためにしかたなく殺していただけなのだ。

 だからこそシオンが向ける殺気の根源が理解できない。殺気を向けられたことがあっても、それが何なのかがわからない。

 そしてフランはミスをした。自分よりも圧倒的な強者を相手に余計なことを考える暇などあるはずがないのに。

 飛び出してきたシオンが今まで使わなかった壊れている左手を使ってきた。フランは、もう左手を使えないと勘違いしたせいで、その不意打ちに全く対応できなかった。

 おそらくシオンは敢えて左手を使わないことで、もう左手は使えないのだという印象を与えたかったのだろう。もしフランが左手と同じく壊れている左足を使っているのだから、左手が使えないはずがないと少しでも思っていればまた別の選択肢が取れたはずだ。だが、結局は余計な事を考えていたせいで反応できなかった。

 そして、シオンは()()()フランの片翼を切り裂いた。

 「い……っだ……!」

 悲鳴を噛み殺すが、全身に走る激痛は体を強張らせ、隙を生んでしまう。シオンはその隙を逃さない。剣の切先をフランに向け、そのまま突き出した。どうにか反応しようとするが、どうにもならない。

 黒陽がフランの心臓に突き刺さる――その直前、大きな声が響いた。

 「震脚!」

 それと同時に紅魔館全体が揺れたかと錯覚するような大きな揺れが走る。レミリアが声をした方向を見ると、そこには壁に手を突きながらも壊れた足を支えに無理矢理力を込めて技を繰り出した美鈴の姿があった。フランが殺されると悟った美鈴が、せめてもの悪あがきにと使ったのだろう。

 体勢を崩されたシオンの剣の切先がブレる。だがそこでシオンの重心のコントロールの良さが仇となる。足をもう一歩前に出して無理に剣の軌道を切り替える。更に体勢が崩れ、同時に重心も崩れるが、それでもその突きはフランの心臓に当たる軌道を描いていた。

 だが、そこでフランの黒の斬撃によってできた隙で壊されながらも一部が残っていた片翼がはためいた。それによってほんの少しだけフランの体が傾き、結果として心臓には当たらなかった。

 だがそれは、即死であるはずの攻撃が回避されただけだった。

 「――!?」

 心臓には当たらなかったが、胸の中心には突き刺さっていた。胸を突き抜けてフランに致命傷を与えた漆黒の刀身がフランの背中から現れる。

 「う、ガハッ!」

 吐血し、フランの口から血が溢れる。その目からは悲しみの涙が溢れ、フランの頬を伝ってシオンの顔に当たった。

 「シ……オ、ン。正気に……戻、って?」

 翼を切り落とされた時以上の激痛が走る。何故か普通の剣で斬られた時よりも痛みが酷かった。まるで銀の剣で斬られたかのようだ。だがその理由を考えず、本来なら痛みで動かせない体を動かし、腕をあげてシオンの頬に手を当てる。

 「お、願い……何時も、の……シオン、に……ゴホッ、戻って……?」

 無理に喋るせいで口から血が零れる。それでもシオンの目を合わせた。そして最後に、シオンを労わるような笑みを浮かべた。

 「シオンの、せいじゃない、から……コレ、は……私、が、我儘を、言っ、た、せい、だから……だか、ら……自分、を、責めないで……ね?」

 そう言いながらシオンの目を通して自分がちゃんと笑えたと確認したフランは、繋げていた意識を手放した。

 

 

 

 

 

 混濁し、朦朧とした意識の中で、シオンは自身に向けられていたその笑みをどこかで見たことがあるような気がしていた。

 (どこで……どこかで、この笑みを……。一体、どこで……?)

 その時の光景を思い出そうと必死になる。もう取り返しのつかない状況になっているかもしれない。あるいはこれからなるのかもしれない。だが、今すぐにでも思い出さなければきっと後悔する、それだけはわかった。

 (思い出せ。思い出せ、思い出せ、思い出せ……!)

 念じれば念じる程に頭がこんがらがる。だが、ふいに思い出した。あの笑みと同じ笑みを。

 (あ……ああ、あ……)

 そうだ。この笑みは、あの時のものを同じだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。自分を労わるような、大丈夫だと安心させてくれるような、愛情の籠った微笑みだ。

 姉の顔と、目の前にいるアイツの顔が被る。いや、目の前にいるのはアイツじゃなかった。

 (じゃあ……この人は、誰……?)

 そこで混濁していた意識が戻りかける。そして、目の前にいる相手の顔を認識した。認識、してしまった。

 「フラ、ン……?え、あ……え……?何、で……どうして……」

 まるで夢の中にいるように呆然とした顔をする。その時微かに腕を動かしたシオンは、よく知っている感触を感じた。肉を、骨を断ち、貫いている感触。嘘だ、違うと思いながらも、それが現実だとわかってしまう。

 決して認めたくないと思いながらも、シオンは少しずつ視線を下に動かす。そして、現実を見た。

 「…………あ………あ……」

 シオンの右腕は真赤な血に染まりきり、その先は漆黒の刀身に血が垂れていた。更にその先には、フランの体があった。その刀身はフランの体を突き抜け、奥には切っ先が見えていた。

 「違う…………」

 これを見ても現実逃避をしていられるほどシオンの心は弱くは無く、耐えられるほど強くは無かった。

 「こんなの…………」

 ――また守れなかった。違う、()()()()()()()

 その事実が、シオンの心を締め付ける。

 「嘘だ…………」

 口では「違う、嘘だ」と言っていてもわかってしまう。これをやったのは自分だと受け入れるしかないのだと。

 それを悟ったシオンの心は、元々罅が入っていた部分が拡大し、砕け散った。

 「ウアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァッッッ!!!!!」

 悲痛の叫び声をあげながら、シオンは決して抜いてはいけないとわかっていても、剣を抜いてしまった。フランの体を貫くと同時に、血が漏れないように蓋の役目を担っていた黒陽が抜かれたことで、大量の血が溢れ出してくる。

 それでもシオンは、それが現実だと認めたくなかった。涙を浮かべ、その場にペタリと座り込む。

 シオンの集中力が途切れたことで黒の斬撃が消滅し、レミリアと咲夜は自由の身になる。強制的に体を押し止められたせいで嫌な圧迫感が残っているが、すぐに行動を開始した。

 一瞬で倒れているフランの傍に座り込んだレミリアは、その体を診る。そしてほんの少しずつフランの体が治っているのを見て、この程度の怪我なら消滅はしないのを理解した。

 キッと視線を鋭くし、レミリアは後ろに座り込んでいるシオンを見て、怒鳴りつけようと口を開いた。

 「シオン、貴方は何て愚かな――!?」

 しかしレミリアは口を噤んだ。レミリアよりも遅れてきた咲夜は、途中で口を閉ざしたことに訝しみながらも、主と同じ方向を向いた。

 そこには、頭を抱えて涙を流して何かを呟いているシオンがいた。

 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――」

 ありえないほどに取り乱し、ただ謝罪し続ける。そのままの謝罪し続けていたシオンは、やがて自身を責める言葉を繰り返した。

 「やっぱり俺は化物だ。誰も守れない、傷つけるだけの人外だ。どうして、何でいつも期待する。期待しなければフランを刺さなくてすんだのに。すぐにここから出て行けばそれでよかったのに。何で、何で何で何で俺はいつもこんな――」

 黒陽を握り締めて、今にも自殺しそうな雰囲気を纏いながら自身のことを「化物だ」と言い続ける。まるで何かのトラウマを思い出しているかのようなシオンに、さしものレミリアも責める言葉は言えなかった。

 いや、わかっていたのだ。シオンがわざとフランを傷つけたのではないことくらい。理解したのだ。何か傷つけるような言葉を言ってしまえば、シオンは完全に壊れてしまうことを。

 いや、もう壊れてしまっていたのかもしれない。単純に、壊れていないように外側を取り繕っていただけなのかもしれない。それを知っているのは、もう誰もいない。今のシオンは話を聞けるような状況ではないのだから。

 「……咲夜、フランを運んで。美鈴、貴方は昨夜を手伝って」

 「は、い……お嬢様。しかし……シオンは……どうするのでしょうか……?」

 「どうもこうもしないわ。どの道これじゃあ何かしても無駄よ。それは貴方もわかっているでしょう?」

 それは咲夜にもわかっている。今のシオンを刺激すれば、もっと最悪な結末を迎えてしまうことになるかもしれないのは。

 「わかり、ました……」

 咲夜はフランを背負う。メイド服が血に染まり汚れるが、それを意識することなく足を再生させた美鈴に手伝ってもらい、共に運び始める。

 それを見ながら、レミリアは未だに自身を責めているシオンに歩み寄りながら言った。

 「そうやって自分を責めるのは構わないわ。けど、私は貴方を責めない。フランが意識を失う寸前、自分を――シオンを責めないで、と貴方に言っていたのだから。私は妹の意志を汲んで、貴方を責めない。……さっきは感情が抑えきれずに爆発して、責めかけたけど」

 最後に言い訳をするように言うと、レミリアはシオンの横に立つ。

 「……美鈴との勝負は貴方の勝ち。だから貴方がここから出て行ったとしても追手は出さないし、責めもしないわ。……シオン、これから先は貴方自身が選ぶ事よ」

 それだけ言ってレミリアは去って行った。

 しかし、シオンはそれだけで満足できるはずが無かった。

 「どう、して……何で、そんなことを言うんだよ……!何で俺を庇うんだよ、フラン……!どうして責めてくれないんだよ、レミリア……!」

 わざと左手を振りかぶって床に叩き付ける。とてつもない痛みが走る。だが、心の痛みはそれ以上にあったせいで、体に走る激痛を意識しにくかった。

 「フランを傷つけた俺を、()()()()()()……!」

 ついに死にたいと言ってしまったシオン。誰もいない、中庭のように荒れ果てた玄関ホールで、人目を憚ることなくただ泣き続けた。




というわけで、シオンが暴走しました。
コレを見てシオンが弱いと思う方がいらっしゃるかもしれませんが
()()()()()()()()()()
もう一度いいます。()()()()()()()()()()
大事な事なので二回言いました。
むしろ、九歳でこんな経験してるシオンがおかしいのです(まあ、こんな設定にしたのは私なのですが……)。
次回、少しシオンの過去をかなりかるーく載せます。その時に暴走した理由の一旦がわかります(シオンが暴走した理由については、まあ、後二話か三話後にわかるかと)。


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失った道標

今回シオンの過去をある程度載せます。
ではどうぞー


 あの後シオンに発破をかけたレミリアは地下にある図書館に向けて歩いていた。

 (完全に壊れるか、それとも立ち直るか……。それは貴方次第ね)

 そう思いながらも図書館に辿り着いたレミリアは中に入る。そして、本の山に囲まれている親友の元へと行った。

 「パチェ、少しお願いしたいことがあるのだけれど」

 「お願い? 貴女が? 随分と珍しいこともあるものね。内容次第だけれど、まずそれを教えてもらえないかしら?」

 「フランが負傷したの。何故か治りにくい傷だったから、少し診て欲しいのよ」

 「再生能力が高い吸血鬼が? 銀のナイフで指でも切ったりしたの?」

 「いえ、シオンに黒陽で斬られたの」

 流石にこれは意外だったのか、パチェリーは小さく息を呑んだ。

 「……冗談、じゃないの?」

 「逆に聞くけど、冗談でこんなことを言うとでも?」

 レミリアの言葉は予想していたのか、小さく頭を振る。そして立ち上がると、傍にいた小悪魔にいくつかの指示を出した。

 「小悪魔、そことそこ、それとそこにある本の山を片付けておいて」

 「は、はい! わかりました」

 元気よく返事をした小悪魔は、指示された通りに本の山にあるいくつかを持って元々あった場所に移動し始める。

 そしてパチェリーはレミリアに頷くと、そのまま二人は図書館を出て行った。

 

 

 

 

 

 二人が図書館を出て数分、咲夜と美鈴がいる部屋に入った。

 「咲夜、フランの様子はどう?」

 「お嬢様……と、パチェリー様? 何故ここに?」

 振り返ったところで、レミリアの後ろにパチェリーがいることに気付いた咲夜が疑問の声を出す。

 「ちょっと疑問を覚えたところがあったから、パチェリーの知恵を借りようと思ったの。それでもう一度聞くけど、フランの様子は?」

 「そう、ですね。少しずつ傷が塞がってはいます。ただ……」

 「どうしたの?」

 「……傷が、完治しません」

 「「!?」」

 咲夜の言葉に二人はショックを受ける。傷が治りにくいのならばまだ理解できる。だが、完治できないというのは意味がわからなかった。

 「……パチェ、すぐにフランを診てちょうだい。私は妖力をフランに渡して回復力を増大させてみるから」

 「わかったわ」

 レミリアが冷静に状況を判断できていることに内心で驚きながらも、パチェリーは言われた通りにフランを診る。

 フランの胸には包帯が巻かれていた。もう治療はしてあるらしいが、巻かれている包帯から血が滲んでいるのを見るに、咲夜の言う通り完全に傷が塞がっているわけではないらしい。本来ならば吸血鬼には薬も包帯も必要ないのだが、治らないという言葉は本当のようだ。

 (……今までのレミィなら、これを見たらかなり取り乱してる状況なのだけど……ここまで冷静になれてるのは、シオンのお蔭、なのかしら? まあ、それはそれでいいわね。別に不都合があるわけでもないし)

 そう思いながらもフランの体に魔法をかける。無言のままフランを診察したパチェリーは、これ以上することはないと顔をあげた。

 そこで一番初めに目にしたのは、難しい顔をしたレミリアだった。

 「どうしたの?」

 「……治らないのよ。どれだけ妖力を籠めても、全く治らないの!」

 声を荒げて憤慨するレミリア。実際に傷のついている部分を見ると、確かに全く治っていなかった。

 「どれくらいの量を籠めたの?」

 「もう殆どの妖力をフランに渡したわ。私に妖力が残らないくらいに」

 「……異常とかそう言う話じゃないわね。それじゃ、今度は私から報告するわ」

 レミリアの言葉を予想していたのか、若干の間は空いたがすぐに口を開く。レミリアはその様子を見て一旦の落ち着きを取り戻した。

 「よくはわからないのだけど、フランの傷口の周辺に『何か』が漂ってる」

 「『何か』って……?」

 「最初にわからないと言ったでしょう? 本当に、全然わからないの。何か参考になる物があれば別だけど……」

 最後まで言わずに頭を振る。どうにもならないと言いたいのだろう。

 「どうすればいいのよ……。このままじゃいくら妖怪でも消えてしまうわよ?」

 如何に妖怪と言えど、限界は存在する。吸血鬼の再生力はかなりのものだが、それでも傷が治らずに血が流れ続けていれば消滅してしまうのだ。

 この程度の傷ならば恐らく年単位で生き残れるだろうが、その間は胸の痛みが常にフランを襲い続けるだろう。

 コレでは死ぬより先に痛みで発狂する可能性が高い。常に胸を貫かれている激痛があるのだから、あながちこの考えは間違っていなかった。

 「治す方法としては、この傷を覆っている『何か』を吹き飛ばせば……あるいは……」

 「何かあるの!?」

 何かを呟いているパチェリーに、レミリアは身を乗り出す勢いで尋ねる。それに少しだけ気圧されたのか、パチェリーは手を前に出して落ち着いてと言ってから説明を始めた。

 「簡単に言えば、コレを妖力で吹き飛ばすの。ただ、かなりの妖力を使うことになるだろうから、妖力が最大まで回復してから一切の手加減をせずにした方がいいわ。ただし、それを攻撃に費やしたらフランの体が吹き飛ぶ。純粋な妖力を叩き付けなきゃダメよ」

 「純粋な……けど、それはかなりの難易度よ?」

 ただ妖力を高めるだけならば問題は無い。それを放出するのも問題は無い。だが、それを攻撃に使うのではなく、妖力そのものとして使うのは難しいのだ。

 妖力は気や魔力のようにその妖怪でそれぞれ違う。つまり、その妖怪に宿っている時点で何らかの『色』に染まってしまっているのだ。その『色』を無理矢理取り除いて使えと言われているようなものなのだから、レミリアが戸惑うのも無理は無かった。

 そもそもがその色を取り除くメリットは殆ど存在しない。他の妖怪の回復力を高めるだけなら少量の妖力を少しずつ渡せばそれで済む話な上に、その他の用途が存在しない。そのせいでレミリアは――いや、ほぼ全ての妖怪が――純粋な妖力を扱えない。

 例外として人間とよく接する妖怪は扱える可能性が高い。純粋な力は呪いなどの力を跳ね除ける力もあるからだ。単純に妖力をぶつけると、逆にその呪いを増大させかねないため、純粋な妖力はそこそこ重要になってくる。

 「……そこが問題なのよね。私がやってもいいのだけど、レミィに比べれば最大魔力量は劣るから失敗する可能性が高いわ」

 「ぶっつけ本番しかない、ってことね。……いいわ、やってみせる」

 「それでいいの?」

 「私の妹を助けるためよ。そのためなら、私は全てを賭けても構わない」

 大切な(かぞく)のためにあっさりと覚悟を決めるレミリア。現実主義者であるパチェリーも、この覚悟を見てしまっては何も言えなかった。

 そこでおずおずと手をあげた影が見えた。

 「あの……お嬢様、少しよろしいでしょうか?」

 「どうしたの? 美鈴」

 手をあげた人影は美鈴だった。

 「お嬢様としては、遺憾かと思われますが……シオンに協力を仰ぐ、というのはどうでしょうか?」

 とても言い難そうに、途切れ途切れに答える。これがかなりの無理を言っていると理解しているからだろう。

 「何故シオンに?」

 「……彼の能力制御が強力だから、でしょうか」

 「能力制御? それがどうしてシオンに協力してもらう理由になるのかしら?」

 「それは彼が殆ど一瞬で氣を一瞬で扱える点からも言えるのですが……私よりも、咲夜の方が理解できていると思います」

 「咲夜が?」

 美鈴に言われ、咲夜のいる方を見るレミリア。だが肝心の咲夜は少し焦った様子で美鈴に詰め寄っていた。

 「美鈴、何故私が!?」

 「いえ、シオンの空間制御は咲夜が使う『空間歪曲』によく似ていますので、何かわかっているのではないかと思ったのですが……」

 「ぅ……」

 それを言われると弱かった。美鈴の言っていることは事実だからだ。

 「はぁ……まあそうですね。シオンが持っている白夜の空間制御能力は、お嬢様が考えているものよりも遥かに扱いにくく、そして危険なものです」

 「え? それはどういう意味かしら?」

 「例えば、の話ですが……私が空間歪曲を起こす時、その周囲に悪影響が出ないかどうかを緻密に演算しています」

 咲夜は手をあげると、見えない何かに触れて、それを押し出した。

 「こうして少しずつ周囲の空間を動かし、ほんの微かでもズレが生じたらそこで止め、演算をし直します。こうやって私は紅魔館の空間を広げていったのですよ」

 「もしもそれをしなかったらどうなるの?」

 「既にシオンが黒陽の説明をする時に話していますよ。周囲の重力が無茶苦茶になる、というのを空間に当てはめると、無差別に空間を操れば、真直ぐに歩いているはずなのに全く別の方向に向かう、というものになります」

 そう言って咲夜は閉まっている部屋の扉に立つ。そして何らかの動作をした。

 「こうしますと……こうなります」

 「「「図書館!?」」」

 扉を開けた四人の目に映ったのは、パチェリーが住んでいる図書館だった。

 三人が驚いたのは、咲夜の空間歪曲を完全に把握していなかったからだ。ここまで空間を歪曲させられると知っていれば、ここまで驚きはしなかっただろう。

 そして咲夜は扉を閉じると、先程とはまた違う動作をする。再度開けると、そこは何時もの廊下だった。

 「こうして全く別の場所に繋げることで、疑似的な迷路を生み出せます。しかも私の空間歪曲は永続的なので、基本的に破壊不可能な上に、目に映るのは通常のものなのですぐに混乱させられます」

 咲夜が初めて空間歪曲を使ったのは七歳の時。それから二年もの時間をかけて紅魔館の広さを増やしていったのだ。その地味さは想像を絶するものだった。

 「しかし、シオンの場合は違います。白夜による空間転移はその間にあるものを全て無視しています。もしも演算を少しでも間違えれば……体が引き千切られ、肉の塊のような無残な物体が転移した先に残るでしょう」

 「引き千切……られる」

 それを想像したレミリアの顔が青くなる。手足が千切れる程度なら吸血鬼の再生能力で何とかなるが、首や胴体がそうなったら、如何にレミリアと言えど死ぬ。

 咲夜は更に、と続けた。

 「私は時間をかけて少しずつ演算を行える上にやり直しが可能ですが、シオンはそうはいきません。一瞬で膨大な演算をし、ただ一つのミスも無く行う。それがどれだけの難易度となるのか……想像に難くありません」

 それを聞いて、シオンはそんな多大なリスクを負って常に空間転移をしていたのか、と思ったが、咲夜の様子を見ていると少しおかしなことに気付いた。

 「咲夜、どこか貴方らしくないわね。何時もの貴方なら、無理矢理にでもシオンを止めると思ったのだけれど」

 「そうなのですが……シオンは白夜の説明をしている時に、演算をしているなどとは一言も言っていないのですよ。そこから考えたのですが、恐らくシオンは自身が演算をしているなどとは全く思っていないでしょう」

 「? それじゃあ貴方の言っていることと矛盾しているじゃない?」

 「考えられる要因としては、シオン自身の演算能力が凄まじいため無意識で全ての計算を終えている。あるいは白夜の空間制御はそもそも演算を必要としない。このどちらかですね」

 咲夜の考察に、レミリアはやっと違和感を覚えた。

 (……何となく、だけれど……咲夜らしくない?)

 レミリアの知る咲夜はここまで大人びてはいない。というより、子供らしく視野狭窄状態になっているせいで行き詰っている気がしていた。

 「ねぇ、咲夜。もしかして、シオンに何か言われたの?」

 原因としてはそれしかない。あの時の戦闘で何かを教えられたのなら、この冷静さも納得できる。

 「ええ、いくつかのアドバイスをもらいました。……そんなに違いますか?」

 咲夜は誤魔化すこと無く頷いた。だがやはり不満はあるらしく、少し拗ねたように言った。

 「違うわね」

 「違いますね」

 「違い過ぎるわ」

 レミリア、美鈴、パチェリーにオブラートに包まれず直接言われ、流石の咲夜も少し凹んでしまった。しかしすぐに頭を振ると、聞かなかったことにして言った。

 「私はシオンに考えるのに必要なことを教えてもらっただけです」

 「考えるのに必要? それは何なの?」

 「発想力と想像力。そして応用力。これが重要だそうです」

 この言葉で理解できたのはパチェリーだけだった。本を読んで知識を蓄えているパチェリーだからこそわかったのだろう。

 「なるほどね……。自身の能力とシオンの似通った部分を発想し、想像する。そしてそこから応用してレミィの質問に答えたのね」

  納得したように頷くパチェリー。自身の疑問が解消したからか、どこか機嫌がよさそうだった。

 「そうなります。まあそれは置いておきまして、美鈴、後は任せます」

 「わかりました。ではお嬢様、先程咲夜が言ったように空間制御を行うだけでも多大な集中力を要します。そこにシオンは空間制御と同じくらいの難易度を持つと思われる重力制御、それよりも遥かに難しい体細胞変質能力。これら三つを同時に行いながら戦う……それがどれほどのものかはわかりますか?」

 ここまで言われればレミリアにでもわかる。常識的に考えれば不可能だと言うことは。だがそれが行えるシオンだからこそ、美鈴は協力を仰ぎたいと言っているのだろう。

 「制御能力が卓越し過ぎているシオンならば、純粋な氣を扱える可能性が高い……よしんば扱えなかったとしてもすぐに覚えられると考えられる。そう言いたいのでしょう?」

 「はい。最悪私が教えようと思います。少量ならば私にもできるので」

 美鈴は手を差し出すと、そこに氣を纏わせる。本来ならば色があるはずのソレは、無色透明になっていた。

 「……わかったわ。シオンに協力を仰いで何とかしてもらいましょう。いいえ、違うわね。責任を取らせる、と言った方が正しいかしら」

 「それがいいかと。彼も何の責任も負わせられないのは逆に辛いでしょうから」

 あの時のシオンの様子は全員の頭にこびりついていて離れない。それ程までにショックだったのだ。あそこまで自信に溢れていて、才能があり、何よりも誠実だった相手があんなに弱々しい姿になるなど。

 「最悪の場合は私がやるしかないわね。まあ、そうなったら妖力が回復するまではどうにもできないわ。一旦解散しましょう。咲夜と美鈴も仕事に戻っていいわよ」

 「「はい、畏まりました」」

 レミリアの言う通り、二人は各々の仕事に戻るため部屋を退出する。今の今まで傍観していたパチェリーも立ち上がった。

 「私も帰るわね。……ああ、そうだ。もし彼がまともになったら、私のところに来るように言ってくれない?」

 「別に構わないけれど……何かするつもりなの?」

 「ちょっと、ね。手伝ってもらいたいことがあるのよ」

 歯切れ悪く答えるパチェリーにレミリアは訝しむ。この親友は、いつでもどこでも単刀直入に言いたいことを言っていたのだ。なのに今はここまで歯切れが悪いのがわからなかった。

 まあ、パチェリーが余計なことを言わないのは、喘息があるせいだとは思うが。余計なことを喋っている間に咳が出て本題が話せないなど、本末転倒にもほどがあるからだ。

 「……咲夜もそうだけど、パチェもらしくないわね。早く言ったらどう?」

 「……それもそうね。なら、彼にこう伝えておいてくれないかしら。貴方の言う三つの力を借りたいから、私がいる場所に来てほしい、と」

 「やっぱり何をしたいのかはよくわからないけど、要件はわかったわ。きちんと伝えておくから」

 結局何がしたいのかを話してはくれなかったが、自身の親友を信じているレミリアは頷き返した。レミリアがそう言うのは予想していたのか、パチェリーは小さく「ありがとう」と言うとすぐに扉から出て行った。

 それからはレミリアだけが部屋に残った。自身を除けば少しだけ苦しそうに眠っているフラン以外に誰もいない静かな部屋。そこでレミリアはフランの傍に歩み寄ると、子供をあやすように髪を梳いた。

 「……貴方が信じるシオンのことを、私も信じる。だから、負けないで」

 レミリアがあっさりと承諾したのは、それが理由だった。もしもフランがシオンを信じられなければ、レミリアが美鈴の提案に乗ることは無かっただろう。

 まるで聖母のように微笑むレミリアのその表情は、とても慈愛に溢れていた。

 

 

 

 

 

 時は戻り、レミリアがここから去ってすぐのことだった。

 「……ここから出て行くなんて、できるわけがない……!」

 壊れかけた体を動かして立ち上がり、動かない足を庇うために壁に肩を預けながらもフラフラとしながらも歩き出す。

 「……フランを殺しかけたくせに、ここから逃げるなんて……!」

 シオンはレミリアの言う通りにするつもりはなかった。まだここでやるべきことがあるはずなのだから。

 「けど、何をすればいいんだろう……」

 もうシオンにはわからなかった。逃げるなんてできるはずがない。しかし何かができるわけでもない。レミリアが責めてくれればまだマシだっただろうが、そうしてはくれなかった。

 だからこそシオンの心が軋んでいく。もう目的が見つからなかった。生きて行くために必要な目的が。

 「……何で俺は、生きているんだろう……?」

 シオンにはやるべきことがあった。自身の命を懸けてでも殺してみせると誓ったものが。けれどここにはその相手がいない。憎悪を向けるべき対象が存在しない。行き場のない感情が暴走し、その結果フランを傷つけてしまった。

 「……無理だよ、姉さん……生きるのには……もう、疲れた……」

 だがシオンは自殺できない。約束をしたのだから。大切な姉と、大好きな姉さんと誓った最後の約束。これだけは守りたかった。いや、違う。守らなければならない。

 「姉さんを守るって約束も果たせず……自身が助けたフランを殺しかけて……結局俺は、何がしたいんだろう……」

 どこを歩いているのかもわからず、前を全く見ずに歩く。片足が殆ど動かないせいでノロノロとしながらも確かに歩き続ける。その意味すら見出せないままに。

 「……わからない。もう何もわからない。死にたい。死ねば楽になれる。生きるのは……苦痛しかない」

 全部奪われた。当たり前の日常(幸せ)も。大好きだった家族と引き離されてどこかも知れない場所に連れて行かれて。引き離されてからも残った家族との唯一の繋がりだった髪と目の色も変えられて。やっとできた大切な居場所、大切な存在だった姉さんも殺されて。もうシオンには何も残っていなかった。

 「……紫という妖怪を恨めばいいのかな? ……ダメだな、俺は。憎悪にでも縋らなきゃ、心が保てないくらいになってるなんて」

 シオンが暴走するほどの憎悪を持っているのは、それが理由だった。シオンはフランやレミリア、咲夜に美鈴、パチェリーが思うほど心が強いわけではない。正直に言ってしまえば、もう限界だった。

 姉さんと過ごした日々は楽しかった。毎日が幸せだった。食べ物も娯楽も何もない。それでも大切な人と触れ合える、ただそれだけのことが嬉しかった。それだけがあれば……十分に幸せだった。

 他者から見れば不幸にしか見えないだろう。だがシオンにとっては、人とまともに接することができないような地獄を生きてきたシオンからすれば、心から信頼できる相手と話せるだけでよかった。

 「……なのに、そんなちっぽけな幸せすらすぐに消えた」

 絶望しか見てこなかったシオンは、姉という希望があった。その光は強烈だった。いや、強烈すぎた。その後に叩き落とされた絶望は、最初に見た絶望よりも遥かに深かったのだから。生きることすら投げ出したいと思ったほどに。

 コレは何も不思議なことではない。人は何かを期待して、それが外れると普段よりも大きな落胆を得る。それと同じことだ。だがシオンの場合は、それの強弱が激し過ぎた。

 生きるよりも死ぬ方が楽な場所で生き残り、必死にあがいてきた。家族とまた会ってみせるという、半ば意地のようなもので。だがそれは、髪と目の変色によってその繋がりが断たれたような気がした。

 そこから何とか逃げ出して、独りで生き残り続けた。それでも限界はあった。シオンは自身を殺しに来る相手は殺してきたが、食べ物を盗んだことは一度も無かったのだ。もしも一回でも物を盗んでしまえば、家族と顔を合わせられないという子供の考えで。今思えばそれは甘かったのだろう。それでもシオンは人を殺すという悪事しかしなかった。

 そして遂に限界が来た。いくら心が耐えられても、まともな食事ができなかったせいで体の限界が来てしまったのだ。

 そんな時、姉と出会った。最初は信じることなど全くできなかった。どうせこいつも他の人間と同じだと、そう思い込んでいたから。しかし姉はそんな自身を見限らず、しつこいとも言えるほどに執念深く関わって来た。

 気が付いたら話していた。どんな人生を送って来たのか、どうして信用しないのかを。全てを話して、それでもなお受け入れてくれた姉を、シオンは少しだけ信じ始めた。

 それから様々なことを教わった。シオンのあの偏った知識は、姉が教えてくれたことや、あの場所にあった数少ない本を読んで知ったことだ。代わりに料理の名称や常識といったものは殆ど養われなかったが。

 実のところ、シオンのあの女性に対する優しさを叩きこんだのも姉だった。あのころのシオンは他者などどうでもいいと考え、全て見捨てていたのだ。それを心配した姉が、せめて自分の身を守れない非力な女性は助けろと、洗脳に近いレベルで言い付けた。言い聞かされ始めたころは特に変化は無かったが、大体一時間毎に聞かされたせいで無意識の内に女性を助けるようになってしまった。

 無意識で女性を助けるようになってしまったのは、しょうがないと諦めた。特に不都合も無いのだから、と。

 それからは幸せな時間が続いた。しかし、一年も続かない幸せだった。

 「……何で、関係のない女性は助けられたのに、姉さんは助けられなかったんだろう」

 ある時嫌な予感を覚えたシオンが急いで家に帰ると、もう全てが手遅れだった。見覚えの無い男が十人近く。そして姉のすぐ目の前にいる男が、手に持っている銃で姉を撃っていた。

 その時のことはよく覚えていない。気が付けばあの男以外の人間が床に倒れ伏していた。微かに息をしているところから察するに、死にかけという体ではあったが、一応は生き残っていようだ。だが、あの男だけはいなかった。

 しかしシオンはそんな余計なことを意識せず、倒れていた姉に駆け寄っていた。だが一目見た瞬間にわかってしまった。この傷では助からないと。

 血塗れになった姉と会話をした。一言でも話すのを辛そうにしていたが、それでも伝えたいことがあると無理に話していた。ほんの少しでも生きるための時間を削ってまで。

 交わした言葉は多くない。それでも姉の言葉を聞いて、自身の想いを話した。そして、全てを話し終える前に、姉は息絶えた。最後の、息絶える寸前に「笑って欲しい」と言われ、無理矢理に浮かべた笑みのまま、シオンは自分の心が狂いかけているのを悟った。しかしそれは受け入れられなかった。心が死ぬと言うのは死と同義だ。コレでは姉との約束を違えることになってしまう。

 シオンは他人を恨んだことが殆ど無かった。自分が連れ去られたのも、姉が死んでしまったのも――そしてフランを傷つけてしまったのも、全て自分が弱かったからだと。

 そんな性格であったせいか、当時のシオンは、自身の心が壊れそうになるのを跳ね除ける強さなど持ち合わせていなかった。それ故に見つけたのだ。愚かな目的、復讐するという道を。姉を殺した相手を殺してみせる、という目的を掲げることを心に誓い、刻み込んだ。

 こんなことを姉が望んでいないのはわかっている。自分が死んだ時、死んだ姉に殴られ、侮蔑の視線を浴びるかもしれない。

 だがそれしかなかった。それだけしか見つけられなかった。

 殆どの人は孤独に耐え切れない。それ故に人の温もりを求めるのだ、例えそれが偽りだったとしても。

 シオンはずっと独りだった。孤独という言葉の意味を知らなかった。だからこそ耐えていられたのだ。しかし知ってしまった。人と触れ合う温もりの大切さを。嬉しさを。愛しさを。

 グルグルと思い悩みながらも、結局シオンは――全てを憎悪に委ね、自身を一本の剣のように見立てた。この日、この瞬間、この場所で、心を凍らせ、人々に死を告げ、無慈悲に命を刈り取っていく『()()()()()()

 戦場を渡り歩き、それまでは大きく回避するのを前提にした戦いを、紙一重で避けるのに変えた。殺して殺して殺し続けた。いくつかの想いを持ちながら。

 「俺が、代わりに死ねばよかったのに……」

 そんな想いもあった。姉のように信じられる人と出会えるのではとも思った。あるいは復讐を果たす前に死ぬかもしれないとも思っていた。

 最初咲夜がシオンを『空っぽ』だと言ったのは、半分正解で半分間違っている。本当はやるべきことがあったのだ。アイツを憎悪することで心を無理矢理燃やして、憎悪を杖にして無理矢理体を動かして。やっていることは愚かなことだが、それでも目標と呼べる物はあった。

 しかしこの世界に落とされたせいで、それら全てを取り上げられてしまった。杖を支えにして何とか歩けていたのに、それが無くなったせいで地面に這い蹲らされた。それでも何とか這いずっていた。心をすり減らして、感情を摩耗させ、死にかけてまで。

 咲夜がシオンに対して何も無いと感じたのは、おそらくそのせいだろう。

 咲夜が自分に対して何かを思っているのをシオンは知っていたが、それを気にすることもできないほどに焦っていた。このままでは生きていくために作り上げた道標が無くなった憎悪が暴走し、周囲にあるもの全てを破壊しかねないと。

 だからこそシオンはレミリアの提案を受けたのだ。常のシオン――いや、ここ一年のシオンならばあの提案を受け入れるはずがなかった。それでも受けたのは、新たな目的を見つけるためだった。

 何か目的を見つければ、この憎悪を抑え切れるかもしれないと、そう思って。そうしてシオンはフランドール・スカーレットという少女を助けた。

 その時にシオンは少しだけ希望を持ってしまったのかもしれない。自分と似たような境遇をしているフランなら、自分と友達になれるかもしれないと。

 だが、それは全て無意味になった。自身の手でフランを傷つけるという、考えるまでもなく最悪な結末に。それがシオンの心をバラバラにさせる、最後の一押しとなってしまった。

 結局、自分のやってきたことは――

 「……ッ!?」

 移動している最中に寄りかかっていた壁が途中でいきなり無くなってしまったシオンは、床に倒れた。どうやら開いたままになっていた扉があったらしい。

 シオンは立ち上がろうとして――やめた。

 「……もう、どうしようもないよ」

 這いずりながら床を移動し、部屋の奥の壁に移動する。移動し終えたシオンは壁に背中を預けると、姿勢を崩して天井を向いた。

 常のシオンならば、こんなリラックスした姿勢をすることなど無いだろう。四六時中生きるか死ぬかのやり取りをして生きてきたせいか、最早常在戦場を意識せずに心がけるような領域に入っていたのだから。

 例え座っていようと、あるいは寝ていようとすぐさま動けるようにし、不意を突かれないように周囲を警戒し続ける。それが当たり前になっていた。

 けれど今だけはそれをしていなかった。姿勢を崩している現状すぐに反応はできず、周囲の警戒をしていないためナイフか何かを投げつけられればそれを悟れずに終わる。今まで生きてきた中で、最も無防備な瞬間だった。

 「……誰か……俺を、殺してくれよ……」

 そのままの姿勢を固定したシオンの目には、透明な雫と真赤な雫が溢れ、雪のような白い肌を伝って流れ落ちていた。それを意識せず、シオンは光を失った目で虚空を見つめ続けた。

 

 

 

 

 

 しばらくの間フランの様子を見ていたレミリアは、やがて立ち上がると部屋を出た。

 「とりあえず、シオンを探さないとね」

 とはいえ、見つけるのは簡単だ。如何に紅魔館が広いといっても、気配を探ればすぐにわかるのだから。

 そして探知して――驚愕した。

 「見つからない?」

 気配を探っても何の反応も感じない。咲夜と美鈴の気配を紅魔館内に、パチェリーは地下にいるのを感じるに探れないというわけではないのだが。

 「……まさか、ここから出て行ったのかしら?」

 その可能性は万が一にも無いとは思うが、確証も無い。そうなったらどうしようかと悩みながら、レミリアはとりあえず玄関ホールに向かった。

 「いないわね」

 向かったのはいいが、やはりいない。それからのレミリアはとにかく歩き回った。食堂、各々の部屋。地下図書館にかつてフランがいた地下牢。中庭も見て回った。

 「……ここまで見つからないとなると、何らかの作為を感じるわね」

 敢えてシオンがここから出て行ったとは考えないあたり、レミリアも一応の信頼はしているらしい。

 だがここまで探しても見つからないというのも苛立つものだ。しかも探している間に妖力が回復しきったのが苛立ちを助長させる。段々とストレスが溜まっていくのを感じながら、レミリアは探索を再開した。

 それから少しして、扉が開いている部屋を見つけた。一応ここの廊下にある部屋は全て見たはずなのだが、確かここだけは「開いている部屋にいるはずがないわね」と思って無視していた場所だ。

 「……まさかとは思うけど、ここにいる……なんてことはないわよね?」

 何かの前振りかと思うような言葉を呟きながら、レミリアはそこを覗いた。そして部屋の中には、虚空を見つめているシオンの姿があった。

 「……今まで一生懸命に探してたのは、何だったのかしらね……」

 一気に脱力し、溜息を吐きながらも部屋に入る。そして驚愕した。

 「……何よ、コレは……!?」

 部屋に入った瞬間、訳の分からない感覚が襲ってきた。しばらくして自身の体が震えているのに気付いたレミリアは、一旦深呼吸をして自らを落ち着かせた。

 「コレは……負の感情ね」

 レミリアが感じたモノは、それだった。レミリアの能力は運命を操れるもの。だからこそ、使い方によっては過去にどんな運命を送って来たのか、その良し悪し程度はわかるのだ。

 流石に記憶そのものを覗きこむことはできないのだが、きちんと扱えればその良し悪しの内容もわかる。

 例えばその人間がどんな悪事をしてきたのかを知りたい時、それを念頭に置いておけばそれがわかる。シオンの場合は人を殺してきた数を見れば、それがどれだけの数かは経験則で大体わかる。

 (数十万人を超えてるのには驚いたけど……)

 間接的に殺したのも含めれば軽く百万は超える。だが驚いたことに、シオンはそれ以外の悪事を一切していなかった。それ故にレミリアはシオンの嘘を吐かないという言葉をあっさりとスルーできたのだ。それが真実だと知っていたがために。

 ついそんなことを『視て』しまったレミリアは頭を振る。

 (今はそんなのはどうでもいいことね。そんなことより、体の震えが治まらないのはどうにかならないかしら……)

 レミリアが震えているのは、今まで感じたことが無いほどの負の感情を、シオンが現在進行で放っているからだ。

 怒り、嘆き、憎悪、絶望……それ以外にも様々な負の感情を放っている。正直、たった一人の人間がここまでのモノを放てるとは思ってもみなかった。

 (一体どうやったら、こんなものを隠していられるの……。まあいいわ。とにかく、話しかけてみなければ何も変わらない)

 一歩前に踏み出し、シオンの前に歩み寄る。そしてすぐ手前まで来て足を止めた。

 近づいたことで更に勢いを増した負の感情に怯みそうになるのを、レミリアは必死に抑え込んだ。

 「……シオン」

 「……? レミリア、か?」

 今の今まで気付いていなかったらしく、シオンは微かに首を傾げた。その眼には光が宿っておらず、訳のわからないモノを宿していた。

 「貴方に、お願いがあるのだけど」

 「……今なら大抵のことは聞くよ。今はとにかく気を紛らわしたいから」

 それが本心なのはレミリアにもすぐにわかった。それほどまでにこの部屋に渦巻いている感情が酷過ぎるのだ。

 「それなら話が早いわ。フランの傷……貴方が黒陽で貫いたところが完治しないの。だから貴方が完治させてちょうだい」

 フラン、という言葉にピクリと肩を震わせる。レミリアは、やはり気にしているか、と思ったが、シオンは意外とすぐに答えた。

 「……別にいいけど、俺に体の傷を癒す能力なんて無いぞ?」

 今までのように感情を抑え込んでいるのではなく、抜け落ちたような表情。そんな中でも微かな体の動きとその言葉で、どんなことを思っているのかは予測できる。

 「方法に関しては美鈴に聞いてちょうだい。その方が手っ取り早いから。さ、着いてきて」

 「……わかった」

 フラフラとしながら立ち上がるシオン。そこでレミリアはやっと気付いた。その事実に。

 「シオン、貴方、腕と足が、もう()()()……!?」

 シオンの手足とところどころにある火傷はもう殆どが治っていた。あれからまだ数時間も経っていないのに加え、更には治療もしてない。それなのに完治寸前。訳がわからなかった。

 だが元々シオンの体は色々とおかしい。妖怪と身体強化もせずにまともに戦える身体能力を持っていたことと、黒陽の反動によって眠っていた時に、わずか三日で目覚めていたことだ。

 本来なら妖怪と戦える時点で疑問に思うべきなのだろうが、妖怪と戦える例外というのは常に存在する。今回はシオンがそれに当て嵌まるとレミリアは思ったのだ。

 しかし違う。シオンは普通の人間とは違い、この強さを得るための何らかの原因があるはずだ。そうでもなければ説明がつかない。

 「……ああ、俺って他の人間よりも自然治癒が早いんだよね」

 「そんな言葉で納得できるとでも? 要するに、答える気は無いのね?」

 はぐらかすように遠まわしに言うシオンに、レミリアは建前はいいと叩き捨てる。シオンは微かに頷いた。

 しかたないかと諦めたレミリアだが、どうせこんな状態で話してくれるわけがないと思っていた。

 「……それならそれでいいわ。今度こそ行くわよ」

 シオンが着いてくるのを確認してから歩き出すレミリア。だが、今やっと気付いたことがあった。

 (……気配が全く感じられない。まるで幽霊そのものね)

 そう、未だにシオンの気配が感じられないのだ。目の前にいるはずなのに、そこにいないと錯覚するレベルで。

 今思えば、シオンを見つけられなかったのもこのせいだろう。無意識に周囲の気配と自身の気配を同化させ、見つけられないようにしている。

 不意に後ろを見ると、まるで幽鬼のようにシオンが着いてくる姿があった。

 (――不気味すぎる。こんな姿をフランが見たら、どう思うのかしら……)

 歯に物着せぬことを考えながらも、レミリアはシオンをフランの元へと案内した。

 

 

 

 

 

 シオンを案内している道中、レミリアは手に灯した自身の妖力を数回増減させた。

 「……何をやってるんだ?」

 「え? ああ、コレは合図のようなものね」

 「合図? 集合とかそういったものか?」

 「相変わらず察しがよくて助かるわ。今のは時間が来たから集まってという合図よ」

 妖力を落ち着かせたレミリアは、後ろから早歩きで来た咲夜に言った。

 「早いわね。まだ合図してから数分も経っていないのだけど」

 「フラン様の一大事ですから。ところで、シオンはどこに……?」

 「何を言っているの? そこにいるじゃない」

 シオンのいる方を指差すレミリア。そこでやっとシオンに気付いたのか、咲夜は顔を驚愕に染めた。

 「シオン、いつからそこに!?」

 「……ずっとここにいたけど」

 やはり全く気配を感じないせいで影が薄くなっているらしい。

 だがそんな理由を知らない咲夜は、流石に今の反応は失礼だと感じたのか、すぐに頭を下げてきた。

 「その、すみません! すぐ目の前にいるのに気付かないなんて……!」

 「……別にいい。気にしてないから」

 実際どうでもいいと感じているらしく、シオンは咲夜の方を見ていない。逆にそれが辛いらしく、咲夜は表情を暗くした。

 常のシオンならばそこで何かを言うのだろうが、今のシオンにはそんな余裕は無かった。

 「……レミリア、早く行った方がいいんじゃないか? 美鈴はもうそろそろ着きそうだぞ」

 「本当に? なら早く行きましょう」

 再び歩き出す二人と咲夜。そして三人がフランが眠っている部屋に入る。それと同時に、既に部屋の中にいた美鈴とパチェリーと遭遇した。

 「あ、レミリア様。シオンの協力を仰げたのです、ね……?」

 美鈴の言葉が途中で止まって行く。シオンの幽鬼のような姿を見たせいだろう。此方を見ているのに、見られているような気がしない。そう錯覚してしまうほどに今のシオンの眼には光が宿っていないのだ。パチェリーも余りの事に目を見開いていた。

 「……一体、何が?」

 声を抑えてレミリアに聞く。だが、レミリア自身にもよくわかってはいないのだ。

 「よくわからないわ。私にわかるのは、今のシオンには生きたいという意志すら無くなってしまっていることくらいよ」

 「それはマズいのでは? いくらシオンの制御能力が強力だとしても、こんな状態で純粋な氣を扱うなんて不可能ですよ!?」」

 「そんなのやってみなければわからないわ。とにかく試してみましょう」

 「無理だと思いますけど……」

 そんなのはレミリアとてわかっている。いや、わからないはずがないのだ。それでもあのシオンならば、と思ってここに連れてきた。

 レミリアは未だに何も話そうとしないシオンに向き直って言った。

 「シオン、頼んだわよ」

 「……わかってる。美鈴、俺は何をすればいいんだ?」

 美鈴の手前に移動し、その顔を見上げる。だが美鈴は顔を仰け反らせてしまった。

 「……どうした?」

 「……いえ、何でもありません。失礼な真似をしました」

 そうは言っているが、美鈴は内心かなり焦っていた。

 (シオンの眼が、酷過ぎる……)

 濁り切っている。これ以上ないと言えるくらいに。

 (この眼を何度か見たことがありますが、やはり慣れませんね)

 生きることを諦め、全てに絶望しきった瞳。そう言った人間は、すぐに死んでいった。シオンがそうなるとは限らないが、楽観的な考えはできないだろう。

 「えっと、シオン、コレを使えますか?」

 とりあえず気を紛らわせるように純粋な氣を手に灯す。シオンはそれを見て首を傾げると、通常の氣を出す。

 「あ、それではなくて――」

 「……こう、か」

 「――え?」

 違うと言おうとした美鈴だが、シオンが気の色を変えたことで言葉が途切れる。そう、シオンが()()()()()使()()()()()()()()()

 余りにもあっさりと純粋な氣を会得したせいで、もう嫉妬をする気すら起きなかった。

 「……それで、コレをどうすればいいんだ?」

 「え、ああ、そうですね。それをフラン様の傷に当ててくれませんか?」

 「……わかった」

 小さく頷くと、シオンはベッドに眠っているフランに歩み寄る。そしてベッドのすぐ横に移動し終えると、小さく手を握り締めた。

 「……ごめん、傷つけて」

 悔恨の言葉を呟くシオン。それは四人の耳に聞こえてきた。やはりシオンは気にしているのかと思ったが、それを口に出すことは無かった。

 シオンは膨大な純粋な氣を手に宿すと、それをフランの胸の中心に触る寸前で止める。そして少しずつ、パチェリーにしか見えなかった『何か』を包み、消し去った。

 『何か』が消え去るのと同時に、フランの傷が消えて無くなる。それにホッとしたレミリアたちだが、たった一人だけ驚愕の表情をしていた。

 「……何をやったの?」

 他の三人にはわからなかったが、パチェリーだけは見えていた。本来なら吹き飛ばすしかないはずの『何か』を、ほんの少量の力だけで包み込み、消し去ったのを。

 それがどれだけのことなのか、魔法使いとしてかなりの実力を持つパチェリーだからこそわかってしまう。

 (アレをしたことで、本来ならかなりの生命力を削るはずだったのを極少量にまで抑えた。一体、何をやったの……?)

 シオンがやったのは何も不思議なことではない。あの纏わりついているものに最も適した属性を与え、包み込み、外に影響が出ないように掻き消した。

 パチェリーとてできないわけではない。だが、それはフランの胸の傷に纏わりついているモノが何なのかがわかればの話だ。

 だからこそ、シオンの取った行動が許せなかった。

 (もしも失敗したら、アレが暴走して、フランを殺してたかもしれないのに……!)

 パチェリーはシオンに近づくと、その手を取って部屋の外に歩き出す。

 「ちょ、パチェ!? 何をやっているの?」

 「少し話があるの。止めないでちょうだい」

 一度レミリアの方に振り返り、いつにも増して迫力のある声音で告げる。それに少しだけ怯んだのか、コクリと頷き返してきた。

 パチェリーはそれを確認すると、一度も振り返らずに部屋を出て行く。シオンは一切の文句も言わず、ただ手を引かれながら着いて行った。

 そしてある程度の距離が出ると、パチェリーは険しい顔でシオンに詰め寄った。

 「シオン、貴方は自分が一体何をしたのかわかっているの? もしもアレが失敗していたとしたら、フランを殺していたかもしれないのよ?」

 「……大丈夫」

 「何がよ!?」

 全く焦りの見えないシオンに、少しずつ苛立ちが溜まって行く。だが、シオンからすれば何故パチェリーが焦っているのかがわからなかった。

 「アレは俺の知ってるものだから。わかっているものを対処してたのに、どうして責められなきゃならないんだ?」

 「貴方はアレが何なのか知ってたの!?」

 パチェリーからすれば、そのことを知っているだけで驚嘆ものだった。それほどまでに、アレが何なのか、さっぱりわからなかったのだから。

 「……知っているのか、と言われるとかなり微妙だけどね」

 「なら、知っている範囲でいいから教えてちょうだい」

 「……言えるのは一つだけ。アレは妖怪にとって最悪に近いものだ。……今言えるのは、コレくらいだ」

 「答えになってないわよ」

 かなり遠まわしになっている上に、結局は何も教えてくれないことに憤ったパチェリーは詰め寄る。しかしシオンは、もう話すことは無いと言わんばかりに部屋に戻って行った。

 「待ちなさい!」

 慌てて追いかけるが、もう遅い。既に部屋に入ったシオンは、レミリアに話しかけていた。

 「……レミリア、俺はちょっと風に当たってくる。外にいるから、用があるならそっちから来てほしい」

 「わかったわ。何をする気かは知らないけど、フランのことは気にしないでね」

 「…………ああ。ありがとう」

 レミリアの気遣いに、少し間を空けて返す。そのままシオンは部屋を出て行った。

 「私の質問に、ちゃんと答えてもらっていないのだけど」

 しかしパチェリーはシオンの腕を掴んで引き止める。

 「……アレ以外に話せりことは無い、と言ったはずだが?」

 「あの程度の情報で納得できるとでも?」

 逆に返されたシオンは、少し悩んでから言った。

 「……俺は、あの情報だけでも、調べようと思えば調べられるはずだと思うんだけどな」

 去り際に、「レミリアかフランなら、気付く可能性があると思うけど」と言って、シオンは部屋から出て行った。

 「……レミィかフランなら? 何故この二人なの?」

 パチェリーの疑問に、レミリアたちは何も答えられなかった。




実を言うと、シオンの過去の話の構成は全部できちゃってるんですよね、ただたんに載せる機会が無いだけで。
シオンの嘆き、怒り、憎しみ、絶望……そういったのを早く書きたいんですがねー


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少女の決意

……今回は、ちょっと載せるのに躊躇しました。


 シオンがフランの傷を癒してから半刻すら経たぬ時間。しかしそれだけでフランは目覚めていた。

 「う、んぅ……あれ……お姉様、ココは……?」

 ベッドに横になり、微かにボンヤリとしながらも、目の前にいる大切な姉の顔を見上げる。レミリアはホッと息を吐きながら答えた。

 「ここは空き部屋の一つよ。……何があったのか、覚えてないの?」

 その言葉に、フランは今の今まで思い出せなかったことを思い出した。シオンが暴走して、自分が切られて、そして――

 「――そうだ、お姉さま! シオンは、シオンは大丈夫なの!?」

 自分の心配よりも先にシオンの心配をするフラン。今にも布団を跳ね除けてシオンを探しに行きそうなフランの額をポンッと軽く叩く。

 「大丈夫、とは言い難いけれど、まあ大丈夫よ。フランの治らなかった傷を癒したのも、シオンなのだし」

 「え……シオンが……?」

 あそこまで憎悪に染まり切っていたシオンが自身の傷を癒している姿を想像できないのか、フランは目を丸くしていた。

 「……貴方のお蔭よ。フランがシオンを正気に戻したの」

 優しそうな微笑みを浮かべるレミリアを見て、それが真実なのだと悟る。

 「……そう……なら、よかった……」

 微かに笑みを浮かべる。そこで周囲を見回すと、この場にシオンがいないのに気付いた。

 「あれ、それならシオンは何でここにいないの?」

 「風に当たりたいから外に出る、と言ってたわね」

 どこか言い難そうにレミリアは答える。それを見逃すほどフランは耄碌してはいない。

 「……何があったの?」

 フランの鋭い眼差しにレミリアは折れ、一切誤魔化すことなく全てを伝えた。

 「そんな……そんなのって……!」

 手を握り締め、シーツを引き千切らんばかりの力を込める。しかしすぐに力を抜くと、自身の体にかかっていた布団を跳ね除けて立ち上がった。

 「フラン、何を!?」

 「シオンのところに行く!」

 簡潔に答えて歩き出す。そのまま部屋を出て行った。

 「待ちなさい、フラン!」

 「――着いて来ないで!!」

 「「「!?」」」

 フランの激しい剣幕に、レミリアだけでなく咲夜と美鈴も驚く。パチェリーも目を見開いていた。

 四人が一瞬体を硬直させた隙を突いて、フランはそのまま駆け出して行った。

 「――しまった! フラン、待ちなさい!!」

 レミリアもすぐに部屋を飛び出すが、もう遅い。フランの背中はもうなかった。

 「……お願いだから、シオンを刺激しないで。もしまた暴走すれば……今度こそ……」

 その呟きの最後の部分は、誰にも聞こえなかった。

 

 

 

 

 

 フランは走っていた。シオンの元へと辿り着くために。だがフランはシオンがどこにいるのかという、肝心なところを知らなかった。

 (失敗しちゃった……お姉様にどこにいるのか、聞いてなかった……)

 しかし過ぎたことを悩んでもしかたがない。とりあえず虱潰しに探そうとして、いきなりガクリと足の力が抜けた。その場に転がりかけるが何とか手をついて受け身をとる。けれど足がガクガクとして力が入らない。

 「え……何で……?」

 だがフランの足の力が抜けたのは何も不思議なことではない。フランは先程まで大怪我を負っていた怪我人だ。しかも怪我が癒えなかったせいでダラダラと血を流していた。そのせいで、体の血液が足りないのだ。

 妖怪といえど血液がある以上、人間と似たような症状が起こることがある。今のフランの状態もそれと同じだ。血液には様々な役割があるのだが、その一つに吸った息を、血液を通じて全身に行き渡らせるという役割がある。しかし今のフランはその血液が減っているせいで、若干だが脳に酸素が行き渡っていない。

 そんな状態で走れば意識が朦朧とする上に集中力も切れやすい。それ以前に大怪我が治ってすぐに走り出すのが間違っているのだ。

 「それ、でも……」

 もちろんフランはそういった事情など知らない。しかし壁に手をついて無理矢理立ち上がると、フラフラとしながらも歩き出した。

 「私は、シオンのところに行かなきゃ……いけないの……!」

 意志の力だけで再び歩き出す。その後ろ姿を見ている人影があった。

 「……フラン」

 その人影はレミリアだった。しかしそれも当然のこと。病み上がりであるフランを放っておくほど無責任ではない。

 歯を噛みしめ、冷や汗を掻きながらも誰かのために行動しているフランの姿は、レミリアにとってとても誇らしく、同時に痛ましく見えた。

 

 

 

 

 

 シオンは紅魔館の玄関から外に出て、風にあたりながら夜空に浮かぶ月を見ていた。時間帯にすれば夜中の二時から三時の間、といったところだろうか。風は穏やかに吹きながらシオンの体を優しく撫でていて、夜空に浮かぶ月と星々が煌々と輝いている。月並みな感想だが、とても綺麗だとシオンは思った。

 しかしシオンは涼みに来たわけでも、ましてや美しい月を見にきたというものでもなく、単純にあのままあの場所にいれば、また暴走するかもしれないという恐怖からだ。

 (……レミリアたちは俺のことを凄いと思ってるけど、本当は違う……)

 ただそういった様子を見せてないだけだ。本来のシオンは他人と接することが苦手で、他人の悪意に敏感なだけの子供だ。

 シオンが自身の強さや博識なところを見せたのも、そういった部分を見せないためのカムフラージュであって、それ以上でもそれ以下でもない。

 それからしばらくの間何も考えずボーッとしていると、後ろから扉を開く音が聞こえた。

 ザクザクと土を踏む音が響く。その足音から、誰が近づいているのかを悟った。

 「……フラン」

 「……!」

 「……足音を聞けば、それが誰のものなのかは大体わかるよ」

 足音から自分だと察せられて驚いているフランに説明をしながら振り返る。そこにはシオンの予想通り、驚いているフランの姿があった。

 それと同時に、フランからもシオンの顔が見えた。

 そこにはレミリアたちに見せた感情の抜け落ちた無表情ではなく、とても哀しそうな眼をした顔があった。フランはショックを受けた。こんな、こんな弱々しい表情をしている人間は、シオンではないと。

 だが現実は残酷だ。先程の言葉から、これがシオンの偽者などではないということはバカでもわかる。

 「……何で、そんな表情を……?」

 まるで怖ろしい物を見るような眼でシオンを見詰める。それに耐え切れなくなったのか、シオンは視線を外しながら言った。

 「……もう、どうでもいいからさ」

 「どうでも、いい?」

 聞き直してきたフランに、微かに頷き返す。

 「……なあ、フラン。一つだけ、お願いがあるんだ」

 「な、何? 私に何かできることがあるの?」

 「…………………………………………」

 そのままフランの方に歩み寄ったシオンは、信じがたいことを言った。

 「――俺を、殺してくれないか?」

 「…………………………え?」

 少しの間だけ、フランにはその言葉の意味がまるで理解できなかった。いや、理解したくなかったのだ。

 だがすぐに言葉の意味が脳に染み渡る。今までのフランならば即座に激昂していただろう。それでもフランはなるべく冷静に言った。

 「え、と……冗談、だよ、ね? 嘘、何だよ……ね?」

 「……本当、だ」

 冷静になろうとしてもなりきれていないフランに、少しだけ顔を俯かせるシオン。ここで遂にフランは激昂した。

 「何で、何でそんなことを言うの!? 私を傷つけたことを気にしてるの? なら、そんな理由で死にたいなんて言わないで! 私は全然気にしてない! シオンが暴走したのにも何かの理由があるのも知ってる! だから――」

 「――何も知らないくせに、知ったような口を聞くな!」

 フランとの戦闘を除けば、今までただの一度も怒っている様子を見せなかったシオンが激昂している。どうしても抑えきれずに顔を怒りに歪ませながら、今にも爆発しそうな感情を制御しようとする。しかし、できなかった。もう抑え込むための気力すら残っていなかった。

 「もう、生きていたって意味がないんだ! 俺が生きてたって、何の意味もない! 生きているための目的もない。何も無い、空っぽな人形みたいなくせに、周りにいる誰かを傷つける憎悪を持った存在なんて、いない方がいい!」

 シオンは誰がとは言っていないが、わかってしまう。いや、わからないほうがおかしい。

 それと同時に、フランは過去の自分を殴りたくなった。自分は、本当に何もわかっていなかったのだと。自分が助かったことに浮かれきって、本当に助けを求めている人に気付くことができなかった。もっと、もっと早く知っていれば、こんなことにもならなかったのに、と。

 だが後悔するのは早い。シオンはまだ生きているのだ。本当に後悔するのは、シオンが死んでしまった後だ。

 「シオンは、本当にそう思ってるの?」

 「思っているさ。そもそも俺は、一年前のあの日からずっと、死にたかったんだからな! 姉さんは、あの地獄みたいな場所で始めてできた大切な人だった。泥沼のような闇の中で見つけた、たった一つだけの宝物だった」

 あの時の記憶は今でも鮮明に思い出せる。全てを遠ざけ、まるで水の中でもがいているような錯覚。闇の中にドロドロと沈んでいって、あがいてもなお引きずり込まれるような感覚。

 しかし、心はともかくとして体はもたなかった。それに屈しかけて、そんな中で見つけた光輝く人。それがシオンに幸せをくれた。だけど、それすら持つことは許されなかった。

 「――それなのに、姉さんが死んだ。本気で絶望したよ。俺にとっての太陽()は、もう二度と見ることができないんだって! あの笑顔を、もう二度と見れないんだって思ったら、心がバラバラになるほどに!」

 「なら、もう一度新しい光を見つければいいことでしょ!? なのに何で、何でそんなにあっさりと死を選ぶの!?」

 「黙れ!!」

 フランの言葉は、シオンの中にある琴線に触れてしまった。先程まで抑えていた憎悪というなの殺意が、フランだけに襲い掛かる。

 これだけの殺意ならば、ほんの少しでも周囲に漏れているのが当たり前だ。しかしシオンはその類稀なる制御能力で、全ての殺気をフランに叩きつけている。

 自分の中で最も大切な相手にそんなことをされたせいか、フランは何歩か後ずさった。それでもそれ以上は下がらないと足に力を込める。

 「姉さんのこと、何も知らないくせに。他人なんて信じようともしない俺が、どうして姉さんだけは信頼してたのかも理解できないくせに。それなのにごちゃごちゃと――」

 「――知らないのは、当たり前だよ!」

 フランがシオンの琴線に触れてしまったように、シオンもまたフランの中にある琴線に触れてしまった。

 「私がシオンと出会ったのは、たったの三日……ううん、四日前だよ!? シオンが寝ている時の時間を覗いたら、たったの一日にも満たない……それなのに、シオンの全てを知っているわけない! それに、私はシオンの姉さんのことを忘れて何て言ってないし、思ってもない。ただ、過去に囚われ続けずに、前を向いて歩いて欲しいだけなの!!」

 ずっと過去に囚われているようなシオン。その姿は何よりも痛ましく、それ以上にシオンは今目の前にいる人を見ていないようにフランは感じていた。

 「私だって自分の能力に怯えてた。壊して、全部消してしまうんじゃないかって。だけどシオンはそれを何とかしてくれて、私の光になってくれた。その時に私の世界は変わったの。今までは苦しくて、悲しくて、辛くて、寂しいだけだった世界が、もっとずっと楽しくて、嬉しいモノになってくれたの。だから、だからシオンも――」

 シオンにとっての光が姉のように、フランにとっての光がシオンだった。強く、強烈なまでに輝いているシオンに、フランは憧れた。

 全ての不安がなくなって、ずっと、無意識の内に感じていた重圧からも解放された。そのおかげか、見る物全てが何もかも変わって見えたのだ。光り輝く物に。

 それをシオンにも見て欲しかった。一緒に自分と同じ物を見て欲しいと、想いを共感してほしいと。

 フランの必死の想いに心打たれたのか、シオンの感情は平静に戻った。けれどシオンは頷けない。シオンが前を向けないのは、それだけではないのだから。だからだろうか、少し悲しそうに言った。

 「……その願いは嬉しい。だけど、俺はもう()()()()()()()()

 「え……? ッ、まさか!?」

 フランは気付いた。シオンが正気に戻っているのは一時的なものであり、未だに元に戻っている訳では無いのだと。

 事実、段々とシオンの眼には狂気が宿り始めていた。それも先程暴走していた時よりも比べ物にならないレベルで。

 フランはどうにかしようとするが、やはり解決策など思い浮かばない。そうする間に、シオンはすぐ目の前に立っていた。

 「……ごめん、な、さい……! 何も、できなくて……!」

 自身の無力さに嘆き、震えながらも謝る。何もできない自分に苛立ち、拳を握りしめた。

 そんなフランに、シオンは別にいいという意味をこめて頭を振った。

 「しかたがないよ。これは俺の問題で、本当だったら俺がなんとかしなきゃならないことなんだから。でも、どうしても何かしたいのなら――」

 シオンは、咲夜との訓練で結局使わずじまいになっていた紅の短剣を懐から取り出す。刃の部分を持ち、それの握りの部分をフランに向けた。

 「――これで、俺を殺して欲しい」

 「――ッッ!!!」

 フランの顔が大きく歪む。それを隠すように顔を俯かせると、小さく言った。

 「どう、して……どうして、自分でそれを刺さないの……?」

 本気で言っているわけではない。せめてもの抵抗にと言っただけだ。

 シオンは、かつて姉と交わした約束の一部を言った。

 「……姉さんと、約束したから。『シオンだけでも、生きて』って。だから俺は、自分の意志で自殺できない。それは姉さんとの約束を破ることになるから」

 今の今まで惨めに生き残っているのは、それだけが理由だった。

 自分が死んだあとどうなるのかを姉は予測していたのだろう。シオンを生かすためだけにこの約束をしたのだとしたら、姉は相当の策士だ。なにせ、この約束のせいでシオンは自分の意志では絶対に死ねないのだから。

 「俺は、死ねない。死にそうになっても、全力で抗って、抗って、抗って生き続けていかなきゃならない……そんなことをしてたからか、結局今この瞬間まで生き残ってる。死のうと思って、かなりの無茶をしてたのに、ね……」

 「そん、な……」

 残酷な真実。シオンがあんなにボロボロになって、それでもなお生き残ろうとしたのは、生きていたかったからではなかった。本当は死にたいのに、約束があるから生き残り続けてしまっているだけ。その事実が、フランには辛かった。

 「でも、それなら私がコレで殺そうとしても、シオンは避けるんじゃ……」

 恐る恐るといったように確認してくる。そろそろ話すのも辛くなってきているのを感じながら、シオンはその不安の解決方法を答えた。

 「もう少ししたら、俺に一瞬だけ隙ができる。この至近距離でなら必ず殺せるくらいの、致命的な隙が。その瞬間に、俺の心臓を刺して。心臓は、ここにあるから」

 フランが心臓という臓器の名前を知らない可能性は高い。念のために、シオンは自身の心臓のある場所を手で覆った。

 「ここを刺せば、一瞬で死ねる。それで、全部終わる。やっと、終わってくれる」

 嬉しそうに、心底安堵したように頬を緩ませながらも、生きることに疲れ切った老人のような言葉を紡ぐ。

 それでフランにはわかってしまった。シオンがここまで他人に心をひた隠しにするのは、そうしなければならなかったからだと。

 初見ではわかりにくいが、シオンは純粋だ。本心を隠し、誤魔化して相手に悟らせないようにしてはいるが、コレと一度決めたら絶対に曲げない。

 けれど周囲の環境が純粋でいるのを許さず、自分自身を変えなくてはならなくなった。純粋さを消し、相手を疑い、信用せずにいるようにと。

 たった一人の姉を除けば誰も信用できない。しかしその姉も死に、また独りになったシオンが心の均衡を保てなくなるのは必然だ。フランとて、似たような経験をしているのだから。

 「……ねぇ、フラン。もしも俺がこんな憎悪を持ってなくて、ただの人として出会えていたとしたら……友達になれていたのかな」

 「――ッ、シオン……」

 「いや、それは無理、か……俺がただの人だったら能力なんて持ってないし、フランを助けることもできない。結局、こんなクソみたいな人生を歩んでこなきゃ、ここにはいられない」

 どうにもならないというように投げ槍に言う。目を閉じていたシオンの顔を見ていたフランは、その眼から一粒の雫が流れるのを見た。その姿に、フランの心が軋んだ。

 (さっき、こんなのはシオンじゃないなんて思ってしまったなんて……私のバカ!)

 シオンとて心が弱い人間なのだ。非の打ちどころが全く無い存在など、絶対にありえないというのに。

 「本当に……どうしようもないよ」

 そう言って瞼を開けたシオンの眼には、どうにもならない狂気が宿っていた。シオンは()()()胸にある黒陽に近付けた。

 「……能力解放」

 ポツリと言い、右手ではなく左手に持った黒陽を剣ではなく黒い泥に変えた。

 「……制御放棄」

 制御の外れた黒い泥が、シオンの左手の中で歪に脈動し、動き始める。

 「……黒陽との同一を開始」

 その動きが一際大きくなった瞬間、シオンの左手から左腕、左肩を通って左半身を覆い始める。シオンの白磁のような肌が、黒く、闇よりも暗い色に染まっていくのを、フランはただ見つめていた。

 「……一時浸食停止。浸食範囲を左半身のみに固定。再度浸食開始」

 その言葉通り、シオンの右半身には一切影響が出ないまま、左半身のみが歪に作り変えられていく。

 「……手足及びその他の一部にイレギュラー発生。……形式の変更。左腕及び左足を常態ではなく()()を参考にして変化。左目を焔に変化。その他を前回と同じものに変化」

 左腕と左足が肥大し、全く別のものに変わっていく。左手と左足の指先が爪に変わっていくそのさまは、まるで獣のようだ。

 しばらくして左目が()()()炎に包まれ、大きく燃える。そして燃えた左目から、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 「――――――――――!!???」

 余りの出来事に息を呑む。体の変化までならまだ冷静でいられたが、左目が落ちるのまでは聞いていない。だが思い出す。シオンが自身の能力を説明していた時に向けられた左目から感じた無機質な感覚。それがこの義眼のせいだというのならば、納得できてしまう。

 フランが目を見開いていると、またシオンの姿に変化があった。

 側頭にあった髪の一部が黒色に染まり、まるで刃のようにピンと伸びる。腰にも変化が起きた。黒い棘のついた尻尾が三本生えてきたのだ。

 そこで異変が起こった。シオンが四つん這いになると、いきなり呻き始めたのだ。

 「ぅ、ぁ、ぐ……ぅぅぅぅ!!」

 獣のような鳴き声に近い声を出し、両手に力を込める。地面の土が少しだけ抉れた。その時に、フランはシオンの言う隙がこれなのだと知った。

 「で、でも……」

 できるはずがない。命の恩人の願いとはいえ、殺して欲しいなどという願いを叶えさせられるはずがなかった。

 しかしシオンの、全てがもう終わったと言わんばかりの安堵の表情が頭を過る。

 もうフランにはどうすればいいのかがわからなかった。殺したくない、でも殺さなければならない。どうにもならない二律背反に悩まされ、思考を停止したくなった。

 だが時間は無情にも過ぎ去っていく。今この一瞬の間にもシオンが暴走してしまえば、目の前にいるフランが最も危険なのは目に見えている。すぐにでも行動しなければならないはずなのに、体は動いてはくれない。

 (どうすれば……どうすればいいの……!?)

 頭の中がこんがらがる。もう全てを投げ出してしまいたいような気分に陥ってしまう。そんな時、シオンの左目に埋め込まれていた義眼が目に入った。

 「…………………………」

 何故かはわからないが、地面に膝をついてそれを手に取ってしまった。そしてほんの一瞬だけ、それもかなり軽く力を込め、義眼の外側を壊した。壊れた義眼から、キリッと何かがこすれる音が聞こえ、キラリと光る何かが見えた。

 「これ、指輪……?」

 特に何の装飾も無い白銀色の指輪。しかし、今のフランにはそれを見なければならないという強迫観念の様なモノが植え付けられていた。

 そのままその指輪を観察していると、輪の内側に名前が彫られていた。

 「『マリ、ア』……作った人は――『シオン』!?」

 そこらへんにでもあるような、特に何の変哲もない指輪を作ったのがシオンだというのが信じられなかった。今フランがつけている腕輪にはかなり凝った装飾が彫られ、一目見ただけでわかる芸術品であるせいだろう。

 だが、フランの内心は複雑だった。確かにコレは何の変哲もないただの指輪だ。しかし、例え価値が全くないとしても、()()()()()()()()

 フランは外に出てからシオンの治療をしている間に、知識を得るためにと、何冊かの本をパチェリーから借りていた。その中に、婚約指輪(エンゲージリング)の話があったのだ。

 自身にとってとても大切で、最も愛している人に贈るモノ。ずっと一緒にいたい、だから夫婦になろうという意味が籠められているモノ。

 つまり、シオンはコレを渡したいと思うほどにその人を愛していたのだろう。幼いとはいってもフランとて女。場違いだとわかってはいるが、少し嫉妬してしまった。

 そんな時だった、いきなり声が聞こえたのだ。

 (――誰か、彼を助けてください!)

 「!!? 誰!?」

 慌てて周囲を見回すが、誰もいない。この声は一体何だと思い悩んでいると、また声が聞こえてきた。

 (――お願いです、彼を助けてあげてください!』

 「……まさか」

 思い当たる理由としては一つしかない。指輪を拾ってからこの声が聞こえてきたのだ。ならば、この声を発しているのはおそらく、この指輪だろう。

 「けど、誰が……?」

 指輪に意志が宿ることを疑問には思わない。日本にはなんでもない物に付喪神といった神、あるいは妖怪が宿る話があるように、西洋にもそういった話はある。しかし、それが何故今になって叫び出しているのかが分からない。

 (――彼を――シオンを、助けてください! 私の――シオンの姉であるマリアの、一生のお願いです!!)

 「――ッ!!!」

 再度響いて来た声に驚愕する。何故ここでシオンの姉の声が聞こえるのかと。そこで一つのことを思い出した。

 (大切にしたものには、自分の想いが宿る。想いが宿った物には意志が宿り、本人ではないけれど、ほんの一欠片の魂が……)

 この指輪には、マリアという人物の意思が宿っている。それほどまでにこの指輪を大切に思いながら使っていたのだろう。

 (――ねえ、貴方は何がしたいの?)

 (!? あ、貴方は一体……?)

 (今聞きたいのは、そんなどうでもいいこと? 今はシオンの方が先じゃないの?)

 フランの言い分を聞いて、ハッとしたような気配を感じた。

 (そう、です。私は、彼を、シオンを助けたい。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 (そのためだけ……それじゃ、本当なら貴方は生まれなかったはずなの?)

 (……はい。今の私は、本体である『マリア』という少女の、後悔の念から生まれた存在なのです)

 その言葉の端々から悔恨が滲んでいるような気がした。それほどまでに辛い出来事があったのだろうか。

 (何を後悔したの?)

 (……意志が伝わりにくい言葉で教えるよりは、見せる方が早いかと思われます。ただ、私はあくまでも後悔の念を宿しただけの存在。見せられるのは、ほんの少しだけです)

 (それでもいい! シオンの過去がほんの少しだけでも知れるなら、それを見せて!)

 (……わかりました。……貴方なら、もしかしたら――)

 (え?)

 途中で声が途切れる。しかし、そこで何かの映像が頭に叩き込まれた。

 (ぅ、ああ!? 何、コレ。頭が割れる!!??)

 (すいませんが、こうした方が手っ取り早いのです! もう、もう時間が――)

 謝罪しているのが聞こえてはいるが、そんなのが気にならないほどの激痛。片膝をつき、両手で頭を抱えてぶんぶんと振り回した。やがて激痛が途切れた瞬間、頭に映像が流れ込んだ。

 『何で、どうして! 何で姉さんが! 俺には姉さんしかいないのに! 些細な日常も! 少しの幸せすらも奪われる! こんな、こんなのってないよ!!』

 薄ぼんやりとした視界の片隅に、小さな少年が泣き叫んでいるのが見えた。

 世界の理不尽を、不条理を恨み、運命を呪っているかのように悲しい慟哭をあげている。その哀れな姿には見覚えがあった。――シオンだ。

 その姿は凄惨だった。全身の至るところが血に塗れている。特に両手が酷い。血は本来ならば赤色のはずなのに、どす黒く変色していた。その両手で顔に、髪に触れている。その触れた箇所までもがどす黒く染まり、その端整な顔立ちを汚した。

 やがて叫び終えると、シオンはガクリと顔を俯かせた。

 『……殺してやる』

 俯かせた顔が徐々に歪み始める。嘆き、憤怒、そして――憎悪へと。

 『殺してやる、殺してやる、殺してやる。生まれてきたことすら後悔するほどの痛みを与えてやる。精神が壊れても無理矢理元に戻して。それすら耐えられなくなったのなら生きたまま別のモノに変えてやる。泣き叫んでも許さない。絶対に――!』

 けれど、すぐにまた別の感情を宿した顔が歪む。

 『……姉さんがこんなのを望んでいなくても、俺にはもうこれしか残ってないんだ』

 シオンは他者の望みをよく理解している。自身に宿ったその力のせいなのだろうが、それでもそれを扱えるのはシオンくらいだろう。

 『俺をなじってもいい。だから――こんな愚かなことを選ぶ俺を、許して』

 もう姉の意識が無いとわかっていても、シオンは懺悔の言葉を言う。しかし、未だに――本当に微かに、マリアの意識はあったのだ。

 だが言葉を話せるだけの力は無かった。だから、心の中で思うしかなかった。

 (ごめ、ん、な、さ……――)

 薄れゆく意識の中で、それだけを思いながら――そこで映像が途切れた。

 (これって……)

 (……はい。私が生まれたわけ。本体であるマリアの唯一の心残り……それが、自身にとってとても大切なシオンなのです)

 (自分のことなのに……随分他人事なんだね)

 (私はしょせん、偽者ですから……私の記憶はここだけしか存在しません。どこまでいったとしても、私は『マリア』という人間の代わりにはなれない……そういうことでしょう)

 自嘲するように溜息を吐くのがわかった。マリアという人物が死んでから何年が経っているのかはわからない。しかしその間、殆どの記憶が存在せず、想いだけが先行する。そんな状況で、決して少なくない年月をシオンの間近で見つめ続けていたのは、どれほど辛かったのだろうか。フランには想像もできなかった。

 しかし、この少女の想いと記憶の残滓を見たことでで、フランの覚悟が完全に固まった。

 「本当はシオンの望み通りに、今ここでシオンを殺した方がいいのかもしれない。だけど、私はそんなことをしたくない! だから私の、私がやりたいと思うことをやる。コレは私の、私だけのエゴ! 貴方を助けたいと思ったからやるだけ! 責められても仕方ないこと。それでも私は後悔しない、したくない! だから――」

 例えシオンに恨まれることになろうと、シオンを殺す、コレだけは認められない。ならばどうすればいいのか。答えは一つだけだった。

 (――私は、シオンを救ってみせる。絶対に!!)

 その決意に息を呑んだ少女の息遣いが聞こえる。そして、すぐに声が飛んで来た。

 (お願いします。私の大切なシオンを――貴方の力で、救ってください!)

 二人のやり取りはほぼ一瞬だったらしく、未だにシオンの変化は終わりきっていない。

 一瞬シオンの左半身が一際輝くと、最後の変化を終えた。その変化は、シオンの黒に覆われた部分に白い線や、()()()()()()()()がついていた。その様々な紋様のようなものは、黒に反して白く輝いている。

 「……?」

 フランは訝しむが、コレを美鈴が見たら一部を除いて理解できただろう。シオンの体にある白い線が表すものは――剣で斬られた後に残る古傷だと。

 貫通したあとは、おそらく弾痕。だが驚くべきはそこではない。本当に驚くべきところは、シオンの()()()()()()()()()古傷があることだ。

 フランにはそれが理解できない。どのみち関係無かった。今のフランが思っていることは、たった一つのことだけなのだから。

 「前にシオンが言っていたことを、今度は私が言うよ。……私は、シオンを――」

 羽を大きく広げ、レーヴァテインを手元に呼ぶ。そして、叫んだ。

 「――助ける!」

 レーヴァテインを持ちながら後ろに飛び退り、構える。

 フランが睨みつけた先には、変化を終えた一匹の『獣』が、フランを睨み返していた。




…………ハイ、シオンの姿が中二的な考えですね。一応コレには理由があるのですが、その理由については次々回です。
だから中二病だとか思わないで!


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狂える獣

まさかの二話構成 一話で戦闘終わらせつもりだったのにww



 「お嬢様、どうなさいますか?」

 念のためにと紅魔館の屋根の上からシオンとフランの姿を眺めていると、レミリアの斜め後ろにいた咲夜が尋ねてきた。

 「決まっているわ。私はフランの意思を尊重する。だから、()()()()()()()()はするつもりよ」

 「そう、ですか」

 確かにレミリアはシオンを助けようとはするだろう。だがそれが不可能だと判断すれば、おそらくは殺すはず。

 レミリアにとってシオンは恩人ではあるが、それでもフランたちに比べればやはり下になってしまうのだ。

 それくらいは咲夜にもわかるが、やはり気分は悪くなってしまう。

 「レミィ、対価はもらうつもりだから、それを忘れないでね?」

 ジト目で睨んでくるパチェリー。元々戦闘が余り得意ではないパチェリーをわざわざ連れてきたのは、この中で最も遠距離攻撃を得意としているからだ。

 ただし、一定以上の無茶をお願いすれば、いくらレミリアが親友と言えども容赦無く対価を要求してくるのだが、魔法使いであるパチェリーが等価交換を要求してくるのは当然だ。

 「……今回は、シオンに対価を要求してちょうだい」

 「そうするわ」

 とはいえ、余り対価を渡したいとは思わない。パチェリーは、やると言ったら容赦なくやるのだ。今までにもかなり高価な物を対価として渡した苦い思い出がある。だが、そのおかげで助かったことが何度もあるのだからやりきれない。

 しかし、出来る限りはやると言ったのだ。パチェリーに協力を頼んだのもその一環だ。

 「まあ、やれることは全部やってやるわよ。……もしもシオンを殺したら、私はフランに嫌われるでしょうね」

 自嘲するように呟きながら、スピア・ザ・グングニルを手元に出現させる。そのまま顔だけを後ろに向かせ、三人に告げた。

 「さ、行くわよ。シオンを正気に戻して、フランを助けるために!」

 そして、四人は屋根の上から飛び降りた。

 

 

 

 

 

 紅魔館玄関前で、未だに二人は睨みあっていた。

 (わからない……どこをどう攻めればいいのかが)

 フランは戦うことはできても戦う術を知らない。そのせいでシオンを攻撃した後のことが想像できないのだ。

 下手をすれば一撃で殺される。こちらが殺す事ができなかったとしても、あちらは問答無用で殺しに来るのだ。最初に戦った時とはまるで真逆。だがその時と違うのは、フランはシオンよりも弱いという点だ。その一点が、フランを攻めあぐねさせる理由となっていた。

 しかし状況は一転する。息を吸い込む動作をしたシオンは、咆哮した。

 「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァッッッッ!!!!!!」

 叫び終えたシオンの左足が一瞬沈んだ後、そのまま突っ込んで来たのだ。

 唐突に変化した状況にフランはついていけない。咄嗟にレーヴァテインを構えるが、左手を水平にし、全身を引き絞らせて一本の槍のように突っ込んでくるシオンの攻撃には耐えられないだろう。

 そこで更に状況が一転した。空から本物の槍――グングニルが振って来て、フランの目の前に突き刺さったのだ。

 瞬時に反応したシオンは、足の鉤爪で地面を抉りながらも停止する。そして槍が振って来た方向を睨んだ。

 だがフランはそんな反応をしない。この槍の持ち主が誰なのかわかっているのだから。

 「お姉様!!」

 「一人でなんとかしようとするなんて、無茶な真似をするわね、フラン」

 羽をはばたかせて地面に下り立つレミリア。それに続いて咲夜、美鈴、パチェリーも次々に下りてきた。

 「それで、どういたしますか? お嬢様」

 美鈴の言葉に、レミリアはこの場で最もやり易いだろうフォーメーションを言う。

 「フランは力が強いからシオンの攻撃を受け止めて。美鈴はフランのサポートを。咲夜は時間を停止させて遊撃の役割をしてほしいのだけど……」

 「私の停止能力はシオンには効果がありません」

 「なら加速を使ってちょうだい。それだけでも十分役に立つわ。パチェリーは遠距離からの攻撃をして。私はパチェリーの護衛とシオンの弱点の考察をするから、皆、お願いね」

 四人はそれぞれの言葉で了解と示すと、フランと美鈴は飛び出し、咲夜は周囲の風景に気配を紛れ込ませて消え去る。

 「とりあえず、最初はこんなところかしら」

 パチェリーは魔法を詠唱すると、シオンの足元の地面に亀裂を作って体勢を崩させる。その間に近づいていたフランがレーヴァテインを叩き込み、その後から美鈴が追撃を入れる。

 シオンは左手でレーヴァテインを掴み、美鈴の打撃を強固な鱗で受け止めた。左手は燃えること無くレーヴァテインを掴み続け、拳を受け止めたシオンではなく、殴った方の美鈴の手が傷ついた。

 「どうして燃えないの!?」

 「硬すぎます!!」

 フランはレーヴァテインを消して後ろに移動し、美鈴は足払いをかける。しかし右足はともかく左足はびくともしなかった。どうやら体重そのものが増加しているらしく、足を払うのは殆ど不可能そうだった。

 左手で地面を掴み、亀裂から無理矢理左足を引き摺り出す。本来の人間の足ならばズタズタになるであろう行動でも、鱗に覆われた足には傷一つもつかない。

 「一体どうなってるの、あの体は!?」

 「おそらく、アレは重力をそのまま身に纏っているのかと。だから私たちの攻撃が一切効かないのでしょう」

 驚愕するフランと冷静に状況を観察する美鈴。その間にも目まぐるしく変化する攻防をパチェリーのサポートがあるとはいえそんな中でやれているのだから凄まじい。

 「あーもう! きりがないよ!」

 「愚痴を言う暇があるのなら手を動かしてください!」

 後ろに回ろうとした瞬間に突如一本の尻尾が反応し、鞭のようにフランに襲い掛かる。すぐに躱したが、尻尾があるせいで後ろに回り込みながら前後での迎撃ができないことがわかってしまい、憂鬱になる。

 前からの攻撃にも体の大きさのせいで限界がある。これでは数の利が活かせない。それにパチェリーのサポートも余り頼ることができない。これ以上サポートをし続けてもらえば、喘息が再発する可能性があるからだ。

 同じくレミリアも動けない。パチェリーがいるからこそ満身創痍のフランを庇いながらでも美鈴がシオンとまともに戦えるのだから。もし仮にレミリアが前に出ればそこを狙われるのは必然だ。つまり、レミリアは動けない。精々が軽い弾幕を作って攻撃するくらいだ。それもフランと美鈴に当てないように注意しなければならないため、やはりきつかった。

 だが二人は驚きによって顔を歪めることとなった。シオンの腕が、いきなり()()()のだ。

 「「えぇ!?」」

 真横から薙ぎ払われる腕を美鈴は片膝をついてしゃがみながら、フランは羽をはばたかせて上空へと飛んで逃げる。しかし、そこで更なる変化が起きる。シオンの腕が直角に曲がり、上空を飛んでいたフランの元へと突っ込んで来たのだ。

 「ちょ、それありなの!?」

 流石に反則だと思いながらも、空を飛んで迫りくる腕から逃れる。その間に美鈴が突進し、シオンの鱗に覆われていない右半身に打撃を捻じ込む。そこで腕を捻ってフランに追撃を入れるのと同時に体を捻じ曲げて美鈴の攻撃を鱗で受け止める。

 無茶な真似をしたせいか、腕の制御が外れてしまった。見当違いの方向へ向かった腕を見送り、そのまま余裕を持って回避したフランは地上へと降り立つ。そこで見たのは、片腕を長くしたせいで不利になっているシオンが、今まさに顔面を殴られるところだった。

 しかし、シオンが足を投げ出してその場に倒れこんだことで、その拳は回避された。だが体勢を崩したことで無防備になったシオンに追撃を入れようとする。そこで異変が起こった。シオンの体が前触れもなく大きく動きだしたのだ。

 何が起こったのかと視線をずらした美鈴の視線に、()()()()が映った。

 「尻尾を!?」

 そう、シオンは尻尾を地面に突き刺して体勢を整え直したのだ。そこに追撃を入れようとした美鈴にカウンターを入れる。体を捩じると、一気に左足を振りぬいた。

 「ぐ、ぁ、ふ!!?」

 斜めに振りぬかれた左足の鉤爪によって腹を切り裂かれ、そのまま蹴り飛ばされたことによる鈍痛が走る。鋭い痛みと鈍い痛み、両方の痛みに耐えなければならなくなった美鈴は膝をついて片手で傷口を抑えた。

 いくら理性を無くし、獣となっているシオンでも、弱った相手を見逃すはずがない。そのまま美鈴の元へと突っ込もうとしたシオンだが――突如後ろから飛来してきたナイフを直感で悟り、尻尾の一つで受け止めた。

 地面に突き刺してある尻尾を動かして体を後ろへ向けると、そこには銀色の髪をした可憐なるメイド――咲夜が、苦い表情で立っていた。おそらく、完璧な不意打ちを防がれたのを悔しく思っているのだろう。

 「咲夜、何時の間にそこに!?」

 レミリアでさえ気が付かないほどの隠行。咲夜がいつの間にそんなものを体得していたのかと驚いたが、すぐにマズいことに気付いた。

 「今すぐそこから逃げなさい。シオンが――」

 言い切る前にシオンは尻尾にかけていた力を緩めて地面に下り立ち、そのまま咲夜に向かって跳びだした。

 コレはこの場にいる存在の力の強さに関係している。フランと美鈴は手負いだが、フランは純粋な強さが、美鈴は怪我を負っていても、その膨大な戦闘経験で傷をカバーできる可能性が高く、倒せない訳では無いと思うが、相手にするとなると倒すのに時間がかかる。

 パチェリーは近接格闘は弱いが、それを補う前衛がいれば後衛としての火力を存分に活かせられる。そしてその前衛をやっているは、フランよりも純粋な強さが上であり、尚且つ戦闘経験も何もかもが上であるレミリアだ。適当に突っ込んで行けば、下手をすると殺される。

 だからこそ咲夜の元へ行くのだ。咲夜は人間であり、この場にいる誰よりも弱い。それ故に何の策を弄さずとも勝てる。

 そしてそれは――咲夜にもわかっていることだ。

 「ですが、それがわかっていれば、対策も立てられるのですよ」

 そのままただ突っ立ってシオンが攻撃して来るのを待つ。余りにも落ち着き払っている咲夜に苛立つレミリアだが、何か策があるのだろうと、一旦の落ち着きを取り戻した。

 「そのまま死んだら許さないわよ、咲夜……」

 ポツリと呟いたレミリア。

 遂にシオンが咲夜の目の前へと辿り着き、爪を振りかぶった。それを目の前に突き出し、咲夜の顔を貫く――その寸前、強固な壁を貫いたかのような轟音を立てて、その場所に突き刺さった。

 「グゥ!!?」

 どちらかというと獣のような声を出すシオン。とにかくこれを抜こうと壁に刺さった爪に力を込めるが、全く抜ける気配が無い。

 その様子をレミリアたちが見ていた。

 「アレは、一体……?」

 呆然とした顔で言うレミリアの横で、顎に手を当てて考えていたパチェリーが、あぁ、と呟いた。

 「なるほど……よく考えたわね」

 「何か気付いたの?」

 「それは……。まあ、見てればわかるわよ。ほら、あっちを見て」

 そう言ってパチェリーが指差した方向――シオンのいる場所の斜め上、空を見る。

 そこには、空気を踏みしめて立っているかのような恰好をした咲夜がいた。

 「どういうこと……? 咲夜は確かにあの場所にいるのに……」

 「私がその説明をする必要は無いから、言わないわ。多分、咲夜が言うでしょうから。妖怪であるレミィなら、この程度の距離なら聞こえるでしょう?」

 パチェリーが言いきったその瞬間、今まで静止していた咲夜がナイフを投げ始める。

 「シオン、貴方に理性が残っていたのなら、そこにいる私が私では無いことに気付いていたでしょう」

 速く、遅く、遅く、速くと、何度も何度も投げる速度を変える。

 片腕が突き刺さって抜けないシオンは、弱点である右半身を晒している。そのため、本来ならば全く役に立たないナイフでも攻撃できるのだ。

 「シオンは私が時間減速を使えることを知っているはず! そして、それを使えば()()()()()()()()()()()()! それ以前に、暴走している相手を騙すことなど造作もありません」

 何も咲夜は特別なことをしたわけではない。まず時間減速を使って、その場にいる誰にも気付かれないように移動した。そしてフランと美鈴が戦っている場所よりもある程度離れたところに小細工をし始めたのだ。

 「そしてその場所で、時を操る程度の能力の応用、『空間歪曲』を使って空間の連続を操作して連なりを断ち、透明な壁を作って風景だけが見えるようにした!」

 そこでやったのは、まず風景のみをそのままに、そして透明な壁――いわゆるマジックミラーのようなモノ――を作り上げる。大量の時間をかけて捻じ曲げた空間は、シオンの『空間固定化』よりも更に堅固なものとなる。

 「そして歪曲させた空間から空に移動し、そこでサポートできる時が来るのを待った」

 そして咲夜はそこから再度移動をし、空に空間歪曲を使って足場を作る。こうしたのは、不安定な空に浮き続けるよりも、足場を使った方がナイフを投げやすいからだ。

 だが移動した咲夜は空にいるせいで、壁を作ったその奥には咲夜の姿は存在しない。だからこそ、咲夜は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()

 「そこにいる私は空間歪曲を使って姿の身を映したモノ。例えその透明な壁が無かったとして、それを攻撃しても無意味なのですよ!」

 簡単に言うと、咲夜はある場所に――A地点にマジックミラーを置き、自身はB地点、空に移動する。そしてC地点に鏡――あくまでも比喩的な考え方――に自分の姿を映したのだ。

 それに気付かなかったシオンはB地点に突っ込んで腕を振るってしまった。しかしそれで貫いたのは、極限にまで凝縮された空間。

 本来ならば弾かれるのが普通なのだが、シオンの攻撃力が高すぎたせいで貫通したのだ。更に最悪なことに、凝固な壁を貫いたせいで抜けなくなり、隙を晒すことになった。何時ものシオンならしない失態である。

 「――貴方らしくもない失敗です! 貴方はもっと理知的で、合理的な考えをしていたはずなのに!」

 叫びながらも咲夜は投げ続ける。高速で飛来する大量のナイフ。最早数えることすら億劫になる量だ。それでもシオンはそれぞれの尻尾を異様に伸ばしながらも巧みに操り、壁の代わりにしてナイフを弾いていく。

 しかしそのやり方はシオン本来の、ナイフとナイフをぶつけて隙間を作り、その間に反撃するという手法を取っておらず、ただ強固な鱗に覆われた尻尾を頼りに、力任せで叩き落としているだけだった。

 「正気に戻ってください、シオン!」

 そして咲夜は、今の今まで使わなかった能力を発動する。

 「コレで――!!」

 投げたナイフを、それが壊れないギリギリの速度まで『加速』させる。

 フランの高速移動よりも、美鈴の縮地よりも更に上の速度となったナイフがシオンの元へと向かっていく。誰も――投げた本人でさえ視認できない速度で放たれたナイフは、一瞬でシオンのいる場所へと飛んで行った。

 しかし――それでもシオンには届かない。

 「な……!」

 高速で飛んで行ったナイフは、シオンの尻尾の一つにあっさりと掴まれていた。途中に何があったのか、それすら理解できない咲夜は硬直してしまう。

 ナイフの弾幕が途切れたことを瞬時に悟り――あるいは本能的に――理解したシオンは、未だに突き刺さったままの腕をミシミシという何かが軋むような音を立てながらも無理矢理引き抜く。

 その途中で、尻尾で持っていたナイフを砕いた。

 腕を引き抜いたシオンは、野生の獣として当然の反応をした。――即ち、自身に攻撃してきた相手を叩きのめす、という当たり前の事を。

 「! 咲夜、逃げてください!!」

 それを即座に理解したのは美鈴だった。咲夜は美鈴の叫びにハッとした表情を見せた後、すぐに『加速』を開始して――いつの間にか近づいていたシオンの爪が、右腕を引き裂いた。

 「――!!」

 腕を切り裂かれる痛みに耐えながらもその場から離れる。何とかレミリアの元へと辿り着いた咲夜は、左手で右腕を押さえて血が流れないようにした。

 「大丈夫、咲夜?」

 「平気です、お嬢様。何とかかすり傷に収まる範囲内ですので」

 どう見ても強がりだが、確かに傷は浅い。ただし、流れる血は尋常ではないのだが。

 「……そのままだと、どの道出血死するわよ。パチェリー、咲夜を治してちょうだい」

 「いいの? 私が抜けると、あの()を相手にするのは辛いと思うのだけど」

 敢えてシオンを獣と呼ぶパチェリー。ムッとした顔をするフランだが、実際今のシオンはそれ以外の言葉で表現することはできない。無理矢理自分を納得させ、シオンが四つん這いで佇んでいる空を見据えた。

 「しかたがないわ。私は今回の戦いで、誰一人欠けること無くきりぬけたいの」

 その言葉にパチェリーは、それはシオンも含まれているのかどうかを反射的に聞こうとしたが、すぐにやめた。恐らくレミリアは頷かないとわかったからだろう。

 「……わかったわ」

 個人的な理由を含めてもシオンを殺したくは無いのだが、命を懸けるほどの事でも無いと思ったパチェリーは頷き返す。

 そして咲夜に近づくと言った。

 「手を放して。患部が見れないから」

 「わかりました」

 「……触るわよ」

 言うと同時に、容赦なく傷口に触れる。咲夜の口から小さく呻き声が漏れたが、それを無視して詠唱をし、魔法を唱える。

 その間にもシオンは空間歪曲を使ってできた足場から跳び降りていた。すぐに移動をし始める三人。

 フランは思いっきり体を捻り、左半身に当てることを考えることすらせずにレーヴァテインを叩き込む。元々レーヴァテインは物を斬ることを想定していない。コレは、炎を使って全てを跡形も無く燃やし尽くすモノなのだから。

 左手で握り締めて受け止めたシオンだが、炎が蛇のように腕を這っているのを見てレーヴァテインを振り上げ振り下ろす。それに引きずられるように地面に叩きつけられたフランに向けて爪を振り下ろそうとするが、左側から閃光が煌めいたことで振り下ろしていた腕を強引に向きを変える。

 人の腕ならばかなりの負担がかかる技であろうと、重力の鎧を身に纏っているシオンには関係が無い。そして腕を槍にぶつけて穂先を逸らすのと平行して尻尾の一つをフランに、もう一本を槍が跳ね除けられたことで体が泳いでいるレミリアに向けて突き出す。

 そして二人の体に突き刺さる――寸前で、シオンから少し離れた場所に立っていた美鈴がいきなり跳び出し、まずフランの方に向かっていた尻尾を蹴り飛ばし、そのまま蹴った勢いを利用してレミリアの方に向かった尻尾を蹴り飛ばす。しかしその結果若干だが隙ができてしまった美鈴の横合いから最後の尻尾を飛ばす。

 美鈴は腕を真上に伸ばして、先程の攻防で逸らされたグングニルを掴み、腕の力だけで体をグルリと回転させて避ける。

 そして体を捻りながら回転の勢いを加えて蹴りを入れるが、やはり不安定過ぎたのか、後ろに下がられてあっさりと避けられる。

 「美鈴、ありがとう」

 「いえ、大丈夫ですよ、フラン様」

 戦闘中にも関わらず感謝の言葉を言うフランに、油断はせずにシオンを睨んだままの美鈴が返す。

 そこでレミリアが割って入って来た。

 「美鈴、何故貴方はあの尻尾を蹴り飛ばせたの?」

 「え?」

 「シオンの体は今、とてつもなく重いでしょう? 下手をすれば、紅魔館の重さよりも上かもしれないのだし。そんなシオンの尻尾を吹き飛ばせたのがどうしてなのか、少し気になったのよ」

 「ああ……そういうことですか」

 理由を知り、納得する美鈴。

 「言われてみると簡単な話、尻尾はシオンの体ほど重くは無いのですよ?」

 「――そんなわけないでしょう? 殴られても斬りかかってもビクともしないのよ? そんな体についてるモノが、軽いわけが……」

 そこで何かを思い出したのか、レミリアは苦虫を噛潰したかのような顔をする。

 「……体と同じくらい重いモノを持ちながら速く動かせるわけがない……」

 「そういうことです」

 コレを他の動物に当て嵌まれば分かり易いだろう。猫や犬といった動物がもしも自分と同じ体重の尻尾をつけていたとしたら、その重さのせいで満足に動けないだろう。船でいうところの錨を外すこと無く、常につけて歩いているようなものだ。まあ、シオンの尻尾は猫や犬のような生易しいものではなく、猛毒を持つサソリのように危険なものだが。

 「それにシオンの体があそこまで重いのは、地面に両足をつけているからこそ踏ん張ることができるのです。しかし尻尾は常に空中を漂っているため、()()()()()力を込めればある程度は動かせます」

 それなりの、という部分を少しだけ強調する。大妖怪であり吸血鬼でもある二人ならば大丈夫だが、咲夜とパチェリーにはできない、と言いたいのだろう。

 「ようは、やりかた次第、ということね」

 「まあ、三本もあるので、一対一では絶対とは言えませんが、やりにくいでしょう」

 そこで美鈴が手で腹から胸にかけて軽く撫でるような動作をする。苦渋に染まった顔から判断するに、痛みを堪えているのだろう。そう、レミリアとフランはともかくとして、美鈴の傷はまだ完全に癒えていないのだ。

 「コレからの私は、余り攻撃に参加はできないと思われます」

 その言葉に頷くと同時に、シオンの危険性を把握しなおす。

 何故かシオンに攻撃――というよりは、黒陽で斬られると、回復速度が格段に下がってしまうのだ。美鈴の場合、妖力と氣の併用での回復を使ったおかげで傷は塞がったが、無理に動けばまた開いてしまうに違いない。

 必然、美鈴はサポートに回ることになる。レミリアのグングニルでの攻撃やフランのレーヴァテインは、技術が伴っていない分どうしても大振りになる。その隙を埋めるのが美鈴の仕事になるだろう。

 だがそのサポートのお蔭で二人は躊躇うこと無く攻撃に踏み込める。レミリアは、シオンに攻撃されたフランの傷が全く癒えなかったことと、本来ならば吸血鬼よりは数段劣るが、それでも傷が治るのが速いはずの美鈴の回復速度が下がっているのが目に見えてわかることから、シオンに攻撃されて傷を負えば、看過しえない隙が生まれるのを理解していた。

 フランはそこまで思い至らない。というより、病み上がりの身で戦っていたツケが今更やって来たのか、ところどころで集中力が切れてきていた。それを無理矢理繋げているせいで、他の部分に意識が回りにくいのだ。

 結果として余計なことに意識が向かなくなった分、戦闘に集中できることとなっているのだが、フランすら気付かない内に刻々と限界は訪れ始めていた。

 レミリアとフランが再度シオンの元へ飛び出し、今度は上空から攻撃する。シオンが飛べないからこそ高度からの攻撃は有効な手段となる。ただし、鞭のようにしなる尻尾が超速で迫ってくるため、刹那の油断もできないのだが。

 弾幕を形成し、それを放ちながら近づいて攻撃、即座に離脱。空を飛んでいられる二人だからこそ取れる、一番安全なヒットアンドアウェイ。

 しばらくはそれでやれていた。しかし、今まで一本ずつ、あるいは二本ずつしか動かしていなかった尻尾を、シオンは同時に操り始める。

 今までシオンは、一本ならともかくとして、複数の尻尾を上手く操れていなかったのだ。精々がその場所に予め置いたり、二本の尻尾に一つの動きだけを命令させたりといったものだ。しかしここにきて慣れ始めてきたのか、段々と三本の尻尾を同時に、そして巧みに繰り始める。

 一本の尻尾でレミリアのグングニルを、もう一本でレーヴァテインを掴みとり、最後の一本でレミリアの顔を貫こうとして、またも美鈴に邪魔をされる。鱗を使ってガードしているので怪我に関しては余り気にしなくてもいいのだが、美鈴の拳法はかなりのレベルだ。気を抜けば弱点である左半身を狙われ、一瞬で命を刈り取られる。

 しかし二人の武器を掴んでいた尻尾を放さなければ回避が難しい。そのため二人の武器にグルグルに巻いていた尻尾を解かなければならず、それがシオンを苛立たせる。

 「グゥァアアアアアアアァァァァァッッッ!!!!」

 シオンは苛立っているように吼える。遂にシオンの逆鱗に触れてしまった美鈴の元へと跳び出していく。その途中でレミリアとフランが邪魔をするが、無制限に伸び続ける三本の尾を上手く使って近寄らせない。余りにも長くし過ぎれば逆に危険だが、そこは勘で補う。

 そして左足を斜めに蹴り上げて回転、そのまま連続で蹴り続ける。回転した体に吊られてグニャグニャと不規則に動き始める尻尾。レミリアとフランは必死に回避するが、一番被害にあったのはシオンの最も近くにいる美鈴だった。

 「回避が、難しい上に、掴んだら手が傷つくなんて、なんて酷いルールなんですか!」

 暴風雨のように荒れ狂うシオンの猛攻を紙一重で躱しながらも愚痴を言う。レミリアとフランの方が攻撃は軽いのにも関わらず、愚痴を言う余裕すらないのに、だ。戦闘経験の差が如実に表れている。

 そこでシオンが拳も交えて攻撃してくるようになった。右手は弾けるが、鱗に覆われた左手はビクともしない。

 だが、攻撃を必死に避けている美鈴は、シオンの攻撃に違和感を覚えた。

 (……? まさか、シオンは……)

 そこで余計な事を考えてしまった美鈴は動きが鈍る。それをついたシオンは尻尾の一つを前に突き出す。美鈴は顔を背けて尻尾の突きを回避した。しかし完全には回避しきれず、その綺麗な頬を深く抉った。

 仕方がないと美鈴は足でシオンの胴体を蹴る。シオンの体を吹き飛ばすのではなく、その体の重さを利用して自身を後ろに飛ばしたのだ。いわゆる、作用反作用の利用である。

 そのまま体を捻って追撃にきた尻尾を蹴り飛ばし、足場にし、そこから離脱する。

 「パチェリー様、シオンを地面に()()()()()()()()()!」

 「は!?」

 咲夜の治療を終えて立ち上がったパチェリーは、いきなりの無茶なお願いに目を白黒させてしまった。

 しかしすぐにその意味を理解した。

 「……時間がかかるわ。少し稼いでちょうだい」

 「了解です!」

 即座に詠唱を開始する。今まで使っていた小規模な物とは違い、長い詠唱と大量の魔力を使うため、それなりの時間がかかる。

 それでもパチェリーの実力ならば一分あればできる。他の未熟な魔法使いなら、魔法陣などの援助があって始めてできることを。一般的な魔法使いでも、一分では不可能だ。

 美鈴はパチェリーの言う通りに時間を稼ぎ始める。付かせず離れずの距離を保ち、シオンの攻撃を回避する。はなから攻撃することなど考えない。理性を失っているシオン相手に時間稼ぎをするのなら、無意味に攻撃するよりも回避した方が有効的だからだ。下手に攻撃をして大怪我を負ってしまうのを考えれば、美鈴の判断は賢明だろう。

 それはレミリア、フラン、咲夜にもわかることだ。美鈴がシオンの攻撃を全て引き受けているのは、体力を回復させる意味合いが強い。レミリアは余り疲れていないが、病み上がりのフランと、この場で多量の血を流した咲夜は少々辛いからだ。

 そのまま一定の距離を保っていた二人だが、パチェリーが準備ができたのを伝えるために一瞬魔力を増大させたのを感知した美鈴が、シオンにわざと大振りな攻撃をするように誘導して離れたことでその攻防は終わる。

 「全員、離れてちょうだい!」

 いつでもフォローできるように、美鈴とシオンを中心に三角形の形でそれぞれの居場所にいた三人が跳ぶ。

 美鈴だけはまだ完全に離れてはいないが、あいにくと時間が無い。どうせ大丈夫だからと思いながらも、パチェリーはシオンを標準として、半径五〇メートルの地面を変化させる。だがいくら魔法といえども、一瞬で変化するわけではない。

 その場を離れようとしたシオン。しかし上から振って来た長大な槍と巨大な炎、そして大量のナイフを周囲に放たれ、それをガードするために全身を丸めて防ぐしかなかった。

 それでもその攻撃が終わった瞬間、()()()()()()()()跳ぼうとした、その瞬間、()()()()()()()()()()()()()()()何かが突っ込んで来た。

 シオンの体を足で蹴り飛ばす『何か』。シオンが落ちるのを確認したパチェリーは、地面を操作して穴を埋める。まるで逆再生をしているかのような光景。

 落とされたシオンが最後に見たのは、銀色に光る輝きだった。




咲夜が仕掛けた罠の図解?のようなもの 正直書いた作者自身でもわかりにくいと思っちゃったんですよね。
      B地点
      咲夜(本)
       ̄ ̄                   シ|A |咲 C
レミ                         オ|地 |夜 地
リア                         ン 点 (偽)点
たち

簡単にやると、こんな感じですかね?
Aがマジックミラー、Bが空間歪曲で作った足場、Cが咲夜の姿を映す鏡。
……うん、どのみちわかり辛いですね。
まあ余り気にしないでください。(面倒なので)

何時もは二話分ストックためてるんですけど、いつの間にか無くなった。
マズい、速く書き溜めないと……


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獣の謎

何故だろう、この話で戦闘終わらせるはずが、全部説明になってしまった……。
作品が勝手に走り出すって、こういうことを言うんですかね。


 シオンを地の底に叩き落としたのは咲夜だった。

 咲夜はシオンは諦めが悪いことを知っている。言い方は悪いが、台所によく出現する()()並みだとも思っているほどに。

 だからこそ、レミリアとフランが攻撃を終えた瞬間に自身が出せる限界ギリギリの速度まで加速して蹴りを叩きこんだのだ。まあ実際のところ、美鈴が攻撃を引き付けておいてパチェリーに罠をしかけさせ、レミリアとフランが逃げられないようにしていたのに、自分だけが何もできなかったことに憤っていた咲夜が勝手行動してやったことなのだが。しかしそれが結果的には正解だったのだから、何がいい方向に向かうのかわからない。

 しかし、その無茶は昨夜にもそれ相応の負担をかけていた。元々咲夜の加速は自分だけを加速させているものなので、空気中に存在する大気はそのままの状態になっている。それ故に咲夜が加速をすれば音速を超えたせいでソニックブームになった大気が自分自身に攻撃してきてしまう。そこから更に、それこそ限界まで加速すれば、大気は強固な『壁』となる。

 コレは何も不思議なことではない。人間がかなりの上空から落下したとして、時速二〇〇キロメートルを超えはしないが、それに近い速度が出る。こんな速度で落ちれば、例え水の中に落ちたとしても、その水はコンクリートと余り変わらない硬さになるのだ。

 つまり先程の咲夜は、強固な壁を体全体で殴って無理矢理突き破りながら移動していたことになる。もし集中力が一瞬でも途切れてしまい制御が狂えば、一瞬で大気の壁に激突することになり、自身の肉体が無残なスプラッタとなって哀れなオブジェができあがる。それほどまでの無茶をしていたのだ、咲夜は。

 かなりの無茶をしたと思いながら、咲夜は一息吐いた。

 シオンが地の底に叩き落とされたのを確認した美鈴は、横目に咲夜を診ながらも即座にパチェリーの元へと移動をする。焦りながら走っていたせいなのか、一息吐いていたレミリアたちも釣られて走り出していた。

 「美鈴、どうしたの!?」

 怪我をしているのにも関わらず無茶をしている美鈴を咎めるレミリア。しかし当の美鈴はパチェリーのところへ着くまで何も話さなかった。

 そのまま結局全員がパチェリーのいる場所に辿り着いてから、美鈴が話し始めた。

 「申し訳ありません。時間に余裕があるわけではないので、急ぎました」

 「それは何故? シオンが戻って来るのには、それなりの時間がかかると思うけれど」

 レミリアはパチェリーの顔を見る。それで何が言いたいのかを察したパチェリー。

 「……一応、()()()()()()()()()()()()()()叩き落としてあるわ」

 「「「「……?」」」」

 聞き覚えの無い言葉を耳にしたせいか、四人の首が傾く。

 「簡単に言えば、地表……私たちが立っている今ここから測ると、大体二六〇〇キロメートルから二八〇〇キロメートルの間よ。流石に外核辺りまで落とすと、シオンでも死ぬかもしれないからやめておいたわ」

 四人は地球についての知識を知らないから仕方がないが、地球の構成物質をよく知っている人物がこの言葉を聞けば驚愕するだろう。

 確かにパチェリーは嘘は言っていない。しかし、シオンが生きている可能性より、死んでいる可能性の方が遥かに高いのだ。

 地球にはいくつかの層が存在する。人や動物が生きている地表。それらを支える地殻。そして上部マントル、下部マントル、外核、内核だ。外核と内核を合わせた距離が約三五〇〇キロメートルであることを考えると、それにも満たない二八〇〇キロメートルは少ないと思うだろう。しかし違う。そんな甘い話ではないのだ。マントルにもいくつかの層があり、上部マントルの下層に位置するスピネル相の上にかんらん石というものがある。このかんらん石は地表から約六〇キロメートルから四四〇キロメートルまでの不連続面であり、地殻とともに圧力や温度、水分含有量などの条件が合わさると部分融解を起こし、()()()()()()()()

 場所が限られているとはいえ、わずか四四〇キロメートルの間にもマグマなどという、ほんの少しでも触れようとすれば――いや、触れる前から火傷させられ、触れれば融ける高温度の場所があるのだ。下部マントルがどうなっているのかなど想像するまでもない。叩きとされただけでも即死する。というより、上部マントルの条件によっては落ちる途中で死ぬ。

 それ以前に、下部マントルに落ちた人間自体存在しない。しかしその中は上部マントルよりも更に酷い環境だ。下部マントルの最下層の下には外核が存在する。内核と外核は、それこそどんな生き物でも生き残れない超高温度であり、それに近い下部マントルは()()()()を引き起こしてしまっている。

 マグマでさえ地面を完全には融かすことはできないのだ。それを融解させている内核、外核の温度は押して図るべし、だろう。

 けれど、落とした当の本人は余り気にしていなかった。薄情だと思われるだろうが、本当のところでは、パチェリーはシオンを()()()()()()

 もうわかっているのだ。シオンを助ける方法は、おそらく無いことに。だからこそ、フランに恨まれるとわかっていても、下部マントルに落としたのだ。内核の中心まで落とせればよかったのだが、流石にそこまでは操作できない。それ以前の問題として、まず魔力がもたないのだが。

 (どのみち、コレで死ぬとは思えないけど)

 あの頑丈な鎧を身に纏っているのだから、死ぬ可能性は低い。剥き出しになったままの右半身がそのままなら死ぬだろうが、どうせ何かをしているはずだと思いながらも、パチェリーは話を戻した。

 「それで、美鈴は何を話したいの?」

 「話し、というよりは、情報を再確認したい、という方が正しいですね」

 「情報の再確認。そういうということは、美鈴は何かがわかったの?」

 「はい」

 パチェリーの疑問に美鈴は即答した。

 「時間がもったいないので詳細は省きますが、シオンは足技はともかく、手を使った技は()()()()()()()()()()()()

 美鈴はそう断言する。だがコレには理由がある。というより、何故思い至らなかったのかと不思議に思うほどに当然のことだった。

 「今思えば不思議だったのですよ。わずか九歳の子供が、超一流と呼んでも過言ではない技術を持っていたのか。しかし、この理由なら納得できます」

 そして美鈴は言った。誰もが思い至らなかった、至極当然のことを。

 「シオンは、()()()()()()()()()()()()()()()

 

()()()()()()()()()()()()

 そう、それが美鈴の気付いたことだった。

 「剣を使った正中線――人体の急所を狙った攻撃は鋭いのにも関わらず、手足などの急所以外の部分は全く狙っていない。というよりも、狙えていません。足技は重いのに、手技は全く速くない。これらは、おそらくシオンが習得していない……あるいは習得するための時間が無く、結果諦めたことによるものです」

 美鈴が気付けたのは、全くの偶然だった。理性を失い獣となったシオンでも、足技は理性あったころとほとんど変わらない技術を持っていた。おそらく本能でやれていたのだろう。

 にもかかわらず、手を使った格闘術は殴り、突き、爪による切り払いといった単純すぎるものばかり。

 それを見てフランとの戦いを思い出したのだ。シオンの剣はまともな戦い方を知らない暗殺剣だということに。

 「つまり、シオンは一部の技術のみが突出していることを隠していたのです。まあ、戦士としては当然の行動なのですが。私でも騙されてしまいました」

 美鈴が戦った時、シオンはその身長差故に足技ばかり使ってきた。届きにくい、あるいは届かない手を使っても意味が無いと、そう思い込ませるように。実際当ててはいたが、それでも余り効果が無いと意味づけるように殴って来た時もあった。

 そのせいで、シオンは殴って来るよりも蹴りの回数が多かった。しかも途中で自分の体の損傷を度外視した自滅技を使って美鈴を負傷させるなどもしていた。その後はすぐに片手を掴み掴まれた状態でのインファイトとなったせいで、手技が苦手だと悟らせなかったのだ。

 「本当に、愚かでしたよ。子供だからかと油断していたのでしょうか……」

 珍しく苦悩の表情を見せる美鈴。子供であるシオンに騙されたのが悔しいのか、あるいは膨大な戦闘を繰り返しているのにも関わらず全く気付けなかった自分を罵っているのか……。その心の動きは、レミリアにはわからなかった。

 「その他にも、何かわかったことはありますか? 私は、シオンの苦手なモノが徒手格闘だということだけです」

 美鈴はレミリア、フラン、咲夜、パチェリーの顔を順繰りに見つめる。しかし見つめられた側からすれば少々困る。なにせ、何もわからないのだから。

 各々はとにかく考えるが、やはり情報が少なかった。

 (私が知っているシオンのこと。人間離れした強さ。年齢にそぐわない精神力と技術、膨大な戦闘経験。知ってるものは知っているけど知らないことは知らない歪な知識。他者を思いやれる心。他には。シオンの強さはどちらかという能力に依存してる。……能力?)

 能力という言葉に何かが引っ掛かったレミリアは、そこを重点的に思い出す。

 (シオン自身の能力。自身の細胞を別の物質に作り変えられる能力。剣の能力。重力制御と空間制御。けどおかしい。能力を取り込んだからと言ってあそこまで強くはなれない。黒陽という武器の由来。謎。ヒント。私かフランになら理解できる。シオンと私とフランの共通点。化け物、あるいは人外としての並み外れた強さ。それは今関係ない。他の共通点。武器が通常のものではないこと。――ッ!!!)

 そこでレミリアは思い出した。あの時シオンは『レミリアとフランなら、気付く可能性があると思うけど』と言ったのだ。何故この二人なのか。戦闘経験の多さゆえに様々な武器を知っている美鈴でも、本から知識を得たパチェリーでも無く、レミリアと、ほとんど無知に近いフラン。これの共通点は、一つしかなかった。

 「『神器』……」

 「お嬢様?」

 唐突にポツリと呟いたレミリアに、訝しげに美鈴が応じる。しかしレミリアはそれを聞いていなかった。

 「そう、そうよ……。何故気付かなかったの? これしかありえないのに。わかりやすい見本のようなものが手元にあったのに。私も美鈴のことを笑えな――」

 「お嬢様!!」

 集中していた時に真横から叫ばれたせいで、レミリアの体がビクリと震える。

 「め、美鈴? いきなり何……?」

 耳元で叫ばれたレミリアは、少しキーンとする耳を抑える。

 「お嬢様が何かを呟いた後、ブツブツと独り言を言うからです。……それで、何か気付いたのですか?」

 「……まあ、一応ね。全部が全部正しいとは思っていないけれど」

 「それならそれでも構いません。今はほんの些細なことでも重要なのです」

 自信たっぷりに断言する美鈴。だがそれは正しい。所詮人や妖怪の思考は、無理に一人で考えていれば、重要な、あるいは自分にとって大事な物を考えていればいるほどに、ほとんど一つのことしか見えなくなってしまう。ほんの些細な、他の部分に注意を向ければ気付けるはずの簡単なことにも気付けないほどに。

 だからこそ皆で考えた方が効率がいいのだ。自分では気付けない事を、他の人が気付いてくれるかもしれないのだから。

 「それじゃ、言うわ。私が気付いたのは、シオンの持つ『武器』についてよ」

 「武器、ですか? アレに何かあるのですか?」

 「まずは聞いてて。……アレは武器というカテゴリーに入るのかも謎な代物よ。おそらくアレは、『神器』と呼ばれる物だから」

 「「「「――神器!?」」」」

 四人が息を呑む。それも当然の反応だった。『神器』とは、文字通りの意味で『神が扱う武器』なのだ。人や妖怪が扱えるような、そんな生易しいモノでは決してない。

 モノによっては適性が無ければ触っただけで即死するようなモノすらある。あるいは一回使っただけでも終わるような代物も。とにかく適性が無ければ、例えあったとしても相当に高くなければ全く扱いこなせないような、そんな理不尽なモノが『神器』なのだ。

 「ですが、お嬢様の『スピア・ザ・グングニル』やフラン様の『レーヴァテイン』も神器にカテゴリーされるものでは……」

 神器にまつわる話を聞いた咲夜の疑問。確かに二人の扱う武器も神器だ。しかし、それでも二人の扱う武器は『本物』には遠く及ばない。

 「私とフランが扱う武器は、もうレプリカ、贋作と呼んでしまってもいいくらいに弱体化してあるわ」

 レミリアはグングニル本来の、投げれば必ず命中し、その後は手元に戻る、槍を向けた軍勢は必ず勝利する、といった能力の大部分を封印してある。精々が、ある程度命中に補正が出たり、勝利をするという運命を手繰り寄せやすくなると言う程度だ。それも微々たるものである。

 一方フランのレーヴァテインはかなり複雑なモノだ。どんな武器であったのか、その形すら神話の中にも存在せず、剣、槍、矢、細枝などといった様々な解釈が存在する。

 その中でもフランは、『害なす魔の杖(レーヴァテイン)』という意味であの枝を扱っている。剣、槍、矢といった部分を排除し、あくまで炎のみで戦うことに重点を置いている。元々フランには炎の適性が高かったのか、それで上手くいった。

 しかし伝承にある『世界をまるごと焼き尽くすという究極の武器」としての威力は無い。というより、本来ならば出せるのだが、そんな出力を出せば自分の方が燃え尽きてしまう。

 だからこそ、二人はコレを扱いこなすために武器の大部分を封印した。けれど、封印といってもあまり頑丈なものではない。レミリアがパチェリーに頼んで――レーヴァテインに関しては、フランの機嫌がいい時にやってある――封印を頼んだのだが、パチェリーは封印に関しては専門外すぎたのだ。そのせいで、ところどころが甘くなってしまっている部分があった。

 それを埋めるために、レミリアは武器の名称を変えた。『名前』とは、本来ならば変えてはいけないものである。つけた名前には意味があり、その意味があるからこそそこに存在できるという概念さえあるほどだ。呪術の中には、相手の『真名』を使って呪い殺す術法もあるほどに、名前とは大切なものなのである。

 それ故に、その存在の名前を変えるのは、その存在を歪めることになりかねない。それがただのモノならば問題は無い。しかしレミリアとフランが持っているモノは『神器』なのだ。名前を変えれば、それは最早神器とは呼べない。

 だが敢えてそれをしたレミリアは、グングニルという武器を『コレ』と呼ぶモノにしてしまったのである。レミリアが使っているのは『グングニル』そのものではないが、限りなく近いはずだったものを変質させた。

 故にレプリカ、贋作だと言ったのだ。

 フランの『害なす魔の杖(レーヴァテイン)』も、ただの『レーヴァテイン』という名前に固定させ、それに加えて炎の最大出力と熱量を限りなく低くしたことで何とかなっている。

 しかし、()()()()()()()()()()

 シオンは名前こそ変えてはいるが、封印も何もしていない。それ故に個人の能力だとも思えるほどの大きな力を使える。が、だからこそシオンが能力を扱うと、使用した強大な力に準じた反動が出るのだ。即死しないだけマシだとは言えるが、死んだ方がマシな大怪我を負ったのは、コレが理由だろう。

 「それでも、武器の本質は変えられない」

 そう、いかに神器であろうと――いや、神器だからこそ、本質を歪めることはできない。

 レミリアのグングニルが『槍』であるように、フランのレーヴァテインが『炎』であるように、シオンの黒陽と白夜も、その本質は変えられない。

 「黒陽と白夜……黒と白、太陽と夜……二つの武器と属性は相反するモノ……それらが意味するものは……?」

 「――おそらく、元は二つで一つの武器なのかもしれないわね」

 「え?」

 レミリアの呟きに答えたのは、今の今まで傍観していたパチェリーだった。

 「そういった伝承もそこそこ多いでしょう。それに、咲夜の時を操る程度の能力も、一応は空間と相反する……あるいは、同じようなモノよ。そうなのでしょう、咲夜?」

 「そうですね……必ずしもそうだとは言い切れませんが、似たようなものです。実際、時を操るのも空間を操るのも、私からすれば大差ありません。空間を操るのは少々疲れは多いのですが」

 「まあ、それに関しては仕方がないわ。似通っているとはいっても、咲夜の能力の本質はあくまで時間操作。空間操作はその応用にすぎないのだから。……こういったふうに、余り関係が無い言葉だと思っていても、実は重なっている部分が多いわ。火と水だって相反するモノだけど、うまく使えば凶悪なモノになるのだし」

 「……それもそうね」

 実際に火と水の合わせ技を見たことがあるレミリアは納得した。あれは凶悪なモノだったと思いながらも言う。

 「それで、結局はアレの正体なんだけど」

 やはり、誰の意見もでない。剣の正体が神器だと仮定できても、それが何を引き起こしてるのかがわかるわけでもないからだ。

 「やっぱり、わかる、わけ、が……」

 レミリアが目を見開いて、唇を戦慄かせる。いきなりの豹変に、四人は驚いてしまった。

 「そう、ね……そういうことなのね……シオンがあんな姿になったのは……! これだから、神は嫌いなのよ……!」

 空を憎々しげに睨みつけるレミリア。いつも優雅に振る舞うレミリアらしからぬ反応に、流石の四人も固まってしまった。

 「レミィ、落ち着いて。一体何があったの?」

 「簡単な話よ! シオンのあの姿は、()()()()()()姿()()()()!!」

 「「「「な――ッ!!???」」」」

 『神獣』。それは文字通り、神の獣である。あるいは神の僕でもある。それ故に神獣の強さは桁外れであり、大妖怪であるレミリアたちの強さを遥かに上回る。

 「だけど……なんで、あの姿になったの……?」

 震えた声で言うフラン。神獣とは聖なる生き物だ。種族にもよるが、魔に属する妖怪――その中でも特に魔そのものとでも呼べる吸血鬼にとっては天敵だ。

 一般的に吸血鬼は一度死んだ人間が不死者として蘇ったモノ、生きているモノ、幽霊のように実体のないモノ、その他にも色々あるが、最終的には死の超越者だと考えられている。元々妖怪に寿命など存在していないようなものだが、それでも死が存在しないと思われている吸血鬼は、妖怪という括りの中でもかなりの位置にある。

 そもそも妖怪は人々の恐怖心から生まれるものであり、結局のところは噂によって生まれるのである。

 つまり、噂によってその存在すら歪められる妖怪の中でも最悪な部類に入る吸血鬼は、聖なる獣である神獣とはすこぶる相性が悪い。

 フランや美鈴の再生能力に異常が出たのも、それが理由なのだろう。シオンの黒陽が持つ神気によって、妖怪の再生能力が封じられていたのだ。

 そんな神獣にシオンがなっているのだから、フランが恐れるのも無理は無い。

 大切な人と殺し殺され合う関係など、誰が望むと言うのか。

 「……おそらくシオンは自分自身を贄として、あの姿になっているのよ。別に不思議なことでもなんでもないわ。そういった話は多いのだから」

 古来、贄とは様々な方法で行われてきた。神に祈る時には木の実や魚、肉や踊りといったモノを供物とした。あるいは自然の災害を神の怒り、祟りなどと解釈した人間が、同じ人間をほぼ無理矢理生贄にしたりもした。

 割合としては女性の――特に美しく、なおかつ処女である十六歳ほどの少女がよく生贄にされていた。男子も生贄に選ばれはするが、絶対数としては少ないだろう。

 「シオンは、あの剣の力を完全に、あるいはほとんどの力を引き出すために、自分の体の半分を犠牲にしているのよ。それがどれだけのことなのか、私にはわからないけれど」

 どのみち碌なものではないだろう。それほどまでに酷いモノなのだ。贄というものは。

 「……確かに、聞いていて愉快な話では無いわね。それで、結局あの姿は何を元にしているのかしら? ああいった召喚のような類のものは、何か具体的なイメージが無ければならないわ」

 フランたちが絶句している中、それでも当たり前のように聞いてくるパチェリー。だが本人の眉が知らず曲がっているのを見るに、愉快な話では無いと思っているのは、本当のことなのだろう。

 「……よ」

 「え、何? 聞こえないわよ」

 「……龍、よ」

 「……は?」

 「だから、龍だと言ったのよ!」

 パチェリーらしからぬ呆けた声に、これまたレミリアらしからぬ怒鳴り声で応じる。

 「え、と……龍って、あの、龍、よね? 神獣の中でもかなり上位に位置する、あの」

 「それしかないでしょう。……私だって突拍子もないとは思ってるけど」

 シオンのあの姿は、とにかく龍に似通っている部分が多い。側頭部にある、斜め下に向かって生えている角のようなものに凶悪な眼と、鋭く尖った爪。硬く強固な鱗に尻尾。翼は無いが、あの姿はまさしく黒い龍だった。

 「けど、それだけで黒龍だと判断するのは早計じゃないの?」

 「そうね……でも、あることを考えると、何故かそう思えてしまうのよ」

 レミリアは何度か躊躇い、それから言った。

 「翼を捥がれて地に這いずらされ、全ての希望を失い、前を向けなくなってしまった、傷ついた元龍が獣となった姿。そう思ってしまうと、どうしても……」

 それから先の言葉は無かった。けれど、何が言いたいのかはわかる。

 今のイメージは、まさしくシオンと同じ状況だ。シオンにとって希望そのものだった姉を失い、傷つき疲れ果て、全てを諦めたシオンと。

 知らずして、その場にいた全員の雰囲気が暗くなっていった。

 「……お姉様、結局シオンを助ける方法って」

 「無いわ」

 「……え?」

 即答で返したレミリアの言葉が脳に届いていないのか、どこか焦点の合っていない瞳を向ける。レミリアは、顔を背けるしかなかった。

 「え、何、で? ここまでわかってるのに、どうしてなの? 嘘、だよね? 助ける方法はあるんだよね? ねぇ、そうなんでしょう? 答えてよ、お姉様!」

 フランの悲痛な叫びに、しかしレミリアは答えない。答えられない。わからないからだ。その答えが。

 「……贄として捧げられた存在の末路は、一つだけよ」

 「――!!!」

 その言葉が意味するものは、たった一つだけだ。即ち、死。

 フランが反論しようとした――瞬間、地面が揺れた。

 「な、何、何なの!?」

 その場に立っていた五人全員が片膝を着いて倒れるのを堪える。その間にも揺れは大きくなり、そして遂に、シオンが落ちた場所から黒い閃光が迸った。

 「あれ、は……」

 地面から一〇〇メートルほど上空に、左半身は人間の、右半身が黒い獣がいた。その髪は風に吹かれてユラユラと揺れており、それが白と黒の翼を幻視させる。

 「黒い……龍……」

 黒い獣は()()()()()()地面にゆっくりと下りてくる。

 地面に下り立った獣は、その瞳に静かな色を湛えながら、レミリアたちを見た。その眼の中には先程までの狂った感情はなりを潜めている。

 そしてスッと右腕をあげ、掌を上に向ける。そこに、超高密度の重力の塊を作り、何もせずに消し去った。

 「……まさか、シオンが戻って来るのが遅かったのは」

 黒陽、改め黒龍本来の力である重力制御、その使用方法を獲得するためだとしたら。

 「洒落になってないわよ……。あの身体能力に重力制御能力が加わるなんて……!」

 愕然としてしまうレミリア。情報収集という時間を稼げた代わりに、最も凶悪な力を宿して戻ってきたシオン。

 「グゥゥル……」

 あくまでシオンは静かに唸る。先程のような、ただ怒りに任せた攻撃ならばどうにかなっただろうが、現状ではそれに期待できなさそうだった。

 「どうしろっていうの……こんな状況……!」

 レミリアは愚痴を言いながらもスピア・ザ・グングニルを取り出す。ふと横を見ると、レーヴァテインを構えたフランと、太極拳の構えをした美鈴。そして両手のそれぞれの指の間に、計八本のナイフを持った咲夜、杖と魔法書を持ったパチェリーがいた。

 「フラン、始めに言っておくわ。助けるなんていう生易しい考えは一旦捨てなさい。そうしなければ勝つ負けるどころの話しじゃなくなるわ。最悪――死ぬわよ」

 フランが頷くはずがないとわかっていながら、それでもレミリアは忠告する。予想通り、フランは頷かなかった。

 「それでも……無理だとわかっていても、私は……シオンを助けたい」

 「なら、それを貫いてみせなさい」

 「え?」

 「貴方が死にそうになったら、私が助ける。だから、貴方がシオンを助けなさい」

 「――! うん、わかった!」

 そう言って前を向くフラン。しかし一瞬でも横を見ればわかっただろう、レミリアが、とても痛ましい、憐れむような顔をしていたことに。




次回、次回こそ本当に終わらせます!

5/3追記
感想を返すのがかなり遅れました(というか、執筆が忙し過ぎて来ていたのに全く気付いていませんでした。私のど阿呆!)。

まあそれはさておき、

フレイン様、感想ありがとうございます!


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暴走を止める為に

さて、今回でやっと戦闘が終わります。何故か一話どころか三話分の量と同じくらいに(28000文字超えました)なりましたが、分割せずにお送りさせていただきます。
理由としては二つ。単純に分割できないのと、次回で終わらせると言ったからです。
代わりにと言っては何ですが、真に勝手ながら、次回のお話は5/17日に投稿しますので、ご了承ください。


 地底の底から戻ってきたシオンは、レミリアたちが構えたのを見ると、ほんの少しだけ足に力を込める。

 それに全員が警戒を強めたと同時に――重力の力を操り、縮地を利用して、最も遠く、そして全員に守られる存在であるパチェリーの目の前に移動した。

 「え……?」

 先程とは違う静かな攻撃に、誰も反応できなかった。

 ゆっくりと、それほど急ぐまでもないと言わんばかりに、爪がある右手の掌の部分をパチェリーの顔に向けた。

 そして、パァン!! という、何かが破裂するかのような音を立てて、パチェリーの体が吹き飛んだ。

 「パチェ!!!」

 後ろに振り向いたレミリアの目に映ったのは、顔面が破裂したようになっているパチェリーの姿だった。

 「……ッ!」

 息を呑みながらもレミリアは自身を恥じた。油断しすぎていた、と。

 シオンが掌を向けた時。あの瞬間、シオンは掌の重力をかなりの割合で操作したのだ。突如変化した重力によって急激に気圧が変化し、その結果として生まれた圧力による爆発によって頭が破裂したのだ。

 本来ならば急激に圧力を増減させるには一定の条件が必要なのだが、シオンはそれを重力操作で無理矢理な代替行為として行っていた。

 だがやはり理性が無い状態での力技――演算による制御が全くできていないせいか、極小規模だった一撃ではパチェリーの命を刈り取ることができなかった。

 しかしそんなことはレミリアには理解できない。レミリアにわかったのは、シオンの今の攻撃の威力が、あと少しでも高ければ、パチェリーがどうなっていたのか、それだけだ。

 「シオン!!!」

 自らの親友を殺されかけ、激情に心を支配されたレミリアは後先考えずに特攻する。それがどれほど危険で、隙を生む行為なのかを理解していながら、それでもなお。

 「あああああああああああああああああああ!!!!」

 サポートぐらいの妖力ぐらいしか使わずに長時間の戦闘をしていたとはいえ、それでもレミリアの力はあがっていた。

 『怒り』という単純故に強大な感情は、時に自身が出せる全力を遥かに上回る力が出る。しかしそのせいで攻撃は単調になりやすく、そして目の前にいる獣は、それを嗅ぎ取りって隙を見つけるのが、何よりも上手かった。

 レミリアの大振りすぎる連撃を易々と避けながら、バレないようにしながらもシオンは重力の球体を周囲に配置していく。

 「お嬢様、後ろです!」

 美鈴が叫ぶも、それは遅すぎた。

 「ッグ……!?」

 超高密度の重力の塊をぶつけられたレミリア。その威力は、まるで腹を抉られるような痛みだった。いや、違う。実際に()()()()()()

 「こん、なの……!」

 戦慄く唇から血が零れ落ちる。それを拭う前にまたも重力球が飛んで来た。

 翼をはばたかせて避け、それ以上の追撃を受けるのを避けるも、思いっきり抉られている脇腹の痛みが酷すぎる。しかも余り回復してくれない。おそらく神気にやられている。

 「フランに忠告した、私がこんなんじゃ、世話無いわね」

 大きく息切れしながらもフランたちのいるところに戻ったレミリア。同時にグングニルを力の限りに放り投げ、グングニルに宿るほんの微かな加護と運命を操る能力を使って、シオンに無理矢理ぶちあてる。

 避けられないと悟ったシオンは爪で受け止めるが、グングニルに込められた膨大な妖力に気付いた。即座にグングニルを地面に向かって逸らし、そのまま後方に跳んだ。

 瞬間、ドガァァ!! という轟音が周囲に響く。グングニルが爆発したのだ。

 シオンはグングニルが爆発する前に空中に逃れることで熱や爆風を喰らわないようにしたのだ。しかしその結果、踏ん張りの利かない空中にいたせいで、かなりの距離を吹き飛ばされてしまった。

 「お姉様!」

 「ごめんなさい、神気を飛ばすために、少し時間をちょうだい」

 そう言ってすぐさま体の内部に侵入した神気を消し飛ばす準備をする。フランの心配そうな声すら無視しているのを見るに、余程看過しえないほどのものなのだろう。

 それはフランにもわかる。しかし、それ以上に嫌な思いがあった。

 (嫌だよ……シオンとお姉様が殺し合うなんて……)

 大切な人間(シオン)と、ただ一人しかいない大好きな(レミリア)。その二人が殺し合う姿を、フランは見たくなかった。

 (でも、でもどうすればいいの!?)

 パチェリーはやられ、レミリアも動けない。フランと美鈴と咲夜は病み上がりか怪我を負ったせいで戦うのがきつい。

 対して、シオンの方はほぼ万全の状態だと言ってもいい。激情に駆られて戦っているわけでもなく――憎悪という激情に駆られてはいるが、そもそも獣には理性が無いため、あまり関係が無い――能力を無作為に使っている訳でもない。妖怪すら超える強大な身体能力と、汎用性が高く、一撃一撃の威力も重い重力制御本来の力を取り戻している今、シオンとまともに戦うのは不可能に近い。というより、瞬殺されるのが目に見えている。

 最悪だった。何もできずに、全員殺される。そんな光景が目に見えるようだった。

 「どうしよう……どうしよう、美鈴、咲夜」

 子供のようにオロオロとするフラン。違う、実際に子供なのだ。五〇〇歳に近いとは言っても、フランの精神年齢は一〇歳程度の子供となんら変わらない。

 レミリアのように外に出ず、外部からの刺激を与えられなかったフランの心は、強制的に閉じ込められたあの時から一切成長していないのだ。

 それゆえに、一度でもそのメッキを剥がしてしまえば、小さく震える幼子の姿に戻ってしまう。最初にシオンと戦えたのは激情に駆られていたためで、今回は『シオンを助けたい』という思いがあったからこそ戦えたのだ。もう無理だとフランが思ってしまえば、戦うための意思が燃え尽きてしまう。

 美鈴にはそれがよくわかる。如何に強大な力を持っていたとしても、それを扱う方の心が折れていれば意味が無いと。

 例えば強盗か何かに襲われたある人間が拳銃を持っていたとして。それが撃てば必ず当たるような状況で、そして自分たちが助かるとしても。撃った相手が死ぬとわかっていてなお、それを撃つことができるのだろうか? 

 答えは無理だ。大抵の人間は相手を死なせるのに恐怖を感じ、躊躇い、そのまま折れてしまう。

 今のフランも同じだ。フランの能力である、『ありとあらゆる物を破壊する程度の能力』を腕輪を外して使えば、今すぐにでもシオンを殺せる。

 しょせんシオンも生きている『物質』であるのに変わりはない。その命を散らすのは、フランにとって赤子の手を捻るよりも楽だった。

 だができない。なまじ一度『助ける』と決めてしまったせいで、『殺す』という選択肢を選ぶことができないのだ。

 それ以前に、自分にとってとても大切な相手を殺すことなどできないだろう。もしできるとするならば、そいつは余程無感情な人間か、あるいはもうどうしようもなくなった時か。あるいは元からそういう人間なのか。とにかくまともな状況で、まともな者がやるのは無理だ。例え極限状態であっても、できないことが多いのだから。

 「……フラン様は、下がっていてください」

 「そうですね。その方が安全です」

 「え? 二人とも、何をするの!? まさか……ダメ、私も戦う!」

 二人の思惑が読める。おそらく、もう二人は決めてしまったのだ。フランたちの手を借りずに、自分たちだけで終わらせようと。

 「それではフラン様は戦えるのですか? 今のシオンと。殺すかもしれないのに」

 「――――それ、は……」

 フランは答えられなかった。ただ顔を俯かせて、手を握り締めながら自分を責めることだけしか。どうしてこんなに弱いのか、どうしてこんなに情けないのか。そんな風に自身を責め立てて、それでも怒りは収まらない。

 怒りに震えているフランを、美鈴は自身の子供を見るような、そんな慈愛の籠った優しい目で見ていた。

 「しかたがありませんよ。まだフラン様は戦い方を知らないが故に満足に戦えないのですから。だから、私が代わりにやります」

 「代わり? !? 美鈴、シオンを!!」

 「はい。私は、シオンを()()()()

 「まあ、かなり不本意ではありますが」

 美鈴は、戻ってきているシオンに、敵を見るような――いや、本当に敵を見ている眼でシオンを睨む。咲夜は渋面を作りながらもシオンを見ていた。

 「私が殺します。咲夜はサポートを」

 「……美鈴だけには背負わせません。隙があれば私も殺しにかかります」

 「……無理をしないでくださいね。咲夜はまだ人を殺したことがないのですから」

 咲夜の決意を貶さないように、しかしその意思を尊重する言葉を慎重に選んで言う。けれど内心では、こんな小さな子供たちばかりが不幸な目にあっているのを憤っていた。

 (子供は……無邪気に笑って、楽しく過ごすモノですのに)

 美鈴は旅をしている間に、そういった子供をよく見ていた。その嬉しそうな、楽しそうな笑顔が、美鈴は好きだった。

 ここにはそれがない。しかも、これからさらに自分がフランやシオンの笑顔を奪うことになるのを考えると、美鈴の心はどんどん沈んでいった。

 だがそれを押し殺す。心を殺して、ただ相手を殺す殺戮兵器のように。

 「行きますよ、咲夜」

 「は、ハイ!?」

 余りにも凍りつきすぎている美鈴の声音に、咲夜は裏返った声を返してしまう。それほどまでに凍てついていたのだ、その声は。

 美鈴は先程の爆心地に跳び下りてきたシオンの元へと走る。途中で美鈴の接近に気付いたシオンが重力球で応戦するが、それらを全て回避しながらそのまま突き進む。

 点の攻撃では当てられないと悟ったシオンは、左手に黒色を宿し始める。

 それが臨界点に達すると、左手の腕を鞭のようにしならせて放つ。その左手から黒い線状のようなモノが現れた。おそらく、点の攻撃では無く線の攻撃をするつもりなのだろう。

 「甘いですよ!」

 鞭やそれに似たようなモノを使う相手を幾度も相手にしてきた美鈴にとって、この程度の攻撃は簡単に避けられる。さらに言えば、シオンは鞭は得意では無いらしい。そんな相手が適当に振り回している攻撃など当たるはずも無かった。

 腕の動きに注視し、鞭が動く方向を見切る。ある程度まで接近すると、シオンがいきなり鞭を爆散させる。四方八方に飛び散った小さな黒い塊。

 「本当の狙いは、まさか!?」

 ある程度まで接近させて、弾丸のように塊を放つこと。

 流石の美鈴も、これほどの膨大な数を捌くのは不可能だ。

 「私一人なら、ですが。咲夜!」

 「わかっています」

 そう言うと同時に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()前に出て、時間加速を使う。ほんの少しだけできた時間で魔力で作った大量のナイフを前方に設置した。

 それと同時に加速を解く。もうかなりの魔力を消費したからこそ、これ以上の消費を避けるためにやめたのだ。

 元の速度に戻った時間。動きが遅くなっていた球体はその速さを取り戻し、美鈴たちを襲い始める。しかし、その間に挟まっていた大量のナイフが盾となる。

 球体はナイフを穿ち、抉る。それでもナイフの盾は全てを防ぎ切った。

 「美鈴!」

 「防御、ありがとうございます!」

 咲夜の背中から跳び出した美鈴がシオンの元へと迫る。ここまで完全に防がれるとは思っていなかったのか、シオンの顔がピクリとするが、防ぐところまでは想像できていたらしく、すぐさま走り出す。

 人間の時と同じく、上体をほとんど倒した動きだ。しかし極たまに爪で地面を触っているのを見るに、重過ぎる左半身の制御が面倒らしい。傍から見ると、ほぼ完全に四つん這いで走る獣のような姿だ。

 「ですが、その走り方は不安定すぎます」

 氣を込めた足を振り上げ、振り下ろす。地面が爆発し、轟音を立てた。唐突に起きた大きな揺れに、シオンは手足の爪を地面に突き刺して堪える。

 通常の震脚とは違い、この震脚は足に込めた氣を地中で爆発させることで、二重の揺れを引き起こす。シオンならば慣れればその類稀なバランス感覚で当たり前のように移動できるだろうが、現状ではそれはできない。

 つまり、今のシオンは今までにないくらい無防備だ。そして、その隙を逃すようなバカはこの場にいない。

 「……ごめんなさい」

 縮地で四つん這いになっているシオンの目の前に移動する。人影に反応したシオンが顔を上げた瞬間、美鈴の膝が顎にぶち当たり、体がふわりと浮かび上がる。

 「!?」

 目を剥いて驚くシオン。それも当然、現在シオンの体重は測定不可能なほどに重い。それを顎を蹴り上げて浮かすなど、どれほどの難行か。

 「別に不思議なことでもありませんよ? どれだけ重かろうと、要はやり方次第です」

 丁寧にも解説をした美鈴は、未だに浮かんでいるシオンの()()()()()()()()。そのまま腕に力を込め、ほんの少し突き出した。

 「寸勁」

 小さく呟く。動作を限りなく小さくし、それでいて高い威力を出す技。そこに、もう一つの技を付け加える。

 「ガ……!?」

 ()()()()()()。鱗に覆われた部分を突き抜け、生身の部分を貫通してきたのだ。

 「わかりやすい言葉で言うのなら、『鎧通し』とでも言えばいいのでしょうか? 如何に強靭な鱗と言っても、しょせんはそれを着ているだけ。鎧のようなモノです。中身も龍そのものになっていないのであれば、これくらいはできますよ」

 コレが美鈴の技術。震脚も鎧通しも、学べば程度の差はあれいつかは使えるようになれる基本的な技。だが、それを極限までに追求した結果、美鈴はそれらをとてつもない練度で扱えるようになっていた。

 「基本に忠実。……私の好きな言葉です」

 基礎だからこそ疎かにするのではなく、基礎を極めてこそ他の技が輝く。それが美鈴の考えだ。

 美鈴は鎧通しで瞬間的に肺を圧迫されたせいで嘔吐いているシオンを鎧通しで殴る。

 「貴方にはそれが抜け落ちています。そうしなければ生き残れなかった状況にあったとしても、やはり限界はある」

 無意味だとわかっていても、やはり言いたかった。おそらくは誰にも教わらずに身に着けたであろう技術を、あそこまでの練度に昇華させたシオンの才能は凄まじい。戦闘を生業にしている存在からすれば、喉から手が出るほどに欲しいモノなのだから。

 「もしもシオンがしかるべき場所で、しかるべき師に出会えていれば……歴史に名を残すほどの達人になれたのかもしれません」

 もう、その可能性はありませんが、そう思いながらも美鈴は殴る。

 殴られつつもシオンも行動する。体をズラして打点と衝撃を逃すように移動していく。それでも美鈴の攻撃は重過ぎた。

 「ガアアアアァァァッッ!!」

 足の爪を上げ、下ろす。地面に抉り込ませた足に力を込めて、またも鎧通しを使ってきた美鈴の攻撃をあえて受け止める。

 「!?」

 いきなり避けるのを止めたのに驚きはした美鈴だが、それでも攻撃は止めない。だが、すぐにそれを後悔することになる。

 シオンは美鈴が殴って来る前に口を開ける。口腔の奥から、何かチロリと暗く光る『何か』が見えた。それを見て、シオンが何をしたいのかを悟った。

 むしろ使わない方がおかしいのだ。龍が使う代表的とも言える技を。

 「まさか――」

 わかってももう遅い。この至近距離、しかも攻撃している途中では避けられない。

 「――ブレス!?」

 避けられないならばせめてガードをしようと、左手で頭を、右手で心臓や腹の前に置く。そしてほんの少しの小細工をした瞬間、黒い閃光が見えた。

 「美鈴!!」

 ブレスによって吹き飛ばされた咲夜に近寄る。しかし、すぐに息を呑んだ。

 「そん、な……」

 顔や心臓、腹といった急所は手でガードしていたからか、ほぼ無傷だった。おそらくは氣による強化でなんとかなったのだろう。実際、美鈴が氣のオーラを手足に集中させてブレスの一部を受け流さなければ、全身が吹き飛んでいた。それでも酷い有様だ。

 肉が吹き飛び、骨が剥き出しになっている。しかも神気によって再生能力がほとんど封じられてしまっているのだ。

 美鈴が少しだけとはいえ回復できていたのは、妖怪としての位があまり高くないのと、氣と妖力の併用によって回復速度を増加していたからだ。それに加えて、受けた神気の量が少ないのも理由の一端だろう。

 だが今回はそれができない。気絶してしまっている美鈴は、妖怪として自動的に発動する再生能力しか頼るものが無い。しかも受けた神気の量は莫大だ。このままでは、死ぬ。

 「どう、すれば……」

 もう、本当に全滅寸前だ。今ならまだ咲夜が全力を出せば逃げられるだろう。シオンには停止の影響が無いため停止は使えないが、加速があればそれくらいは可能だ。

 しかも今のシオンは鎧通しを喰らった影響か、手で胸を抑え付けている。鎧通しとは体の外でなく内に響く技だ。それに加えてあのブレス。シオンの体内が人間であるのに変わりが無いのを考えると、おそらく内臓がやられているのだろう。

 それでもあと数分――あるいは十分程度くらいだ。

 「ですが、無理です」

 全員を連れて何とか逃げたところで、傷を癒したシオンに追いかけられれば、やはりどこかで終わってしまう。終わりのない追いかけっこ……それも生きるか死ぬかを賭けてやるものなど、誰もやりたいとは思わない。

 ならばどうするか。

 答えは――出なかった。

 「もう……何も……」

 顔を俯かせて諦めかけた咲夜に、あの声が聞こえた。

 「諦めるの? まだやれることはあるでしょう?」

 「――! お、お嬢様!?」

 顔を上げた咲夜の眼に映ったのは、いつも通り優雅に振る舞うレミリアと、その横でどこか面倒くさそうにしているパチェリーだった。

 「さて、この状況、どうしたらいいと思うかしら? ねえ、パチェ?」

 「さぁ? とりあえず今言えるのは、さっさと終わらせないと美鈴が死ぬかもしれないってことだけね」

 やはりいつも通りの現実主義者(リアリスト)の言葉。

 「お嬢様はともかくとして、何故パチェリー様が……?」

 あの時確かにパチェリーの顔は破裂していた。あの傷では、ここまで早く動けるようになるはずがない。

 「私の研究の成果が一つ役立った……そんなところかしら」

 「え?」

 実は、パチェリーの手の中には、燃え尽きかけた紙が一枚入っている。

 顔が破裂させられたあの瞬間、パチェリーはそのまま気絶しかけた。しかし気絶するその寸前、一応念のためにと持ってきていた紙に書かれた術式――回復魔法の類のモノを発動させたのだ。

 (ぶっつけ本番だったけれど、意外と上手く行くものね)

 何の実験もせずにやった術式。下手をすれば回復するどころか即死していたが、それでも使うしかなかった。

 何もせずに死ぬか、何かして死ぬか。どこまで行っても現実主義なパチェリーは、まだ可能性のある後者を選択したのだ。結果、賭けに勝った。

 もう一度やりたいとは思わないけれど、と思ってはいたが。

 「パチェ、何かこの状況を打開できるものはある?」

 「無理ね。どの道私にできることは少ないわ。魔法を使うには時間がかかりすぎるし」

 「……なら、最後の手段を使うしかないわね」

 「切り札でもあるの?」

 訝しげに問うパチェリー。実際、レミリアがそんな切り札を聞いたことが無かった。だからこその疑問。

 「ええ、あるわよ。本当に本当の最後の手段……『()()()()()()()()()()()()()()、ということを」

 「は……? ま、待ちなさいレミィ! 貴方、死にたいの!? 本物を降ろすなんてことをすれば、どうなるのかなんてわかっているでしょう!!?」

 パチェリーの言葉は大げさなモノではない。本当に、死ぬのだ。人間ではなく吸血鬼であるレミリアでも、一瞬で。いや、吸血鬼だからこそ、相性が悪いのかもしれない。

 レミリアやフランが聖なる武器を扱えるのは、自前の妖力で形成しているからだ。その過程が無ければ、使っている途中に聖なる力に当てられて死ぬ。

 それが本体。洒落になっていなかった。

 「問題は無いわ。降ろしたとしても使うのは一瞬。ただ投げるだけよ。グングニルは()()()()()()。それを使って、シオンの命を刈り取るの」

 「本物を、どうやって召喚するというの? 何の前準備も無しに降ろすことなんて、いくらなんでも不可能よ」

 どんな物でも、前準備は必要だ。氣は膨大な体力を、魔法は魔力と詠唱を必要とするように、神器を召喚するには特殊な術式と、供物とも呼ぶべき媒体が必要となる。

 だが、今回に関してだけは例外だった。

 「『スピア・ザ・グングニル』があれば召喚するための媒体としては十分だわ」

 そう、レミリアには贋作ではあっても、グングニルの力の一端を持つ槍がある。コレを足掛かりにすれば、本体を降ろせるはずだ。

 「……仮に召喚できたとして、投げるまでの時間はどうするつもり? 降ろすのにもかなりの妖力を使うはずよ。投げている途中に……いえ、それ以前の問題として、投げる前から死んでは笑い話にもならないわ」

 「……ねえ、パチェ」

 「何かしら?」

 パチェリーの質問にはあえて答えない。少し苛立った様子のパチェリーに、レミリアは苦笑いを返した。

 「力の無い人間がよく使うものって、何だと思う?」

 「話しを逸らさないで。それが何だと……。!? レミィ、つまり貴方は……!!」

 「そう。寿()()()使()()()

 人間ならば命そのものを捧げるだろうが、幸か不幸かレミリアは吸血鬼だ。不老に近い寿命の大部分を投げ捨てれば、グングニルそのものを降ろすのには十分だ。

 「そんなことをすればどうなるのか……。神器を降ろすためには、レミィの寿命が残り()()()()()()()()

 パチェリーの知っている中で妖怪の最大年齢は約一七〇万年ほど。現在レミリアの年齢は大体五〇〇だ。文字通り桁が違う。それが残り数百年。最大でも一〇〇〇年しか生きられない計算になってしまう。

 おそらくレミリアは寿命の大部分を降ろすのに使い、聖なる力を残った妖力全てを使って防ぐつもりなのだろう。確かにコレならば誰も死なずにシオンを殺せる。

 レミリアの命を代償とした攻撃。確かに人間らしい戦い方だ。どうにもならない状況に陥った人間は、自らの命を懸けるしかないのだから。

 「……神獣を殺すには、神器が一番効果的だとは思うけど」

 神器も神獣も、どちらも神の力を宿したモノ。だが力の配分で言えばやはり神器の方が上回る。当たり前と言えば当たり前だ。神自らが使う武器を、何故僕よりも弱くしなければならないのか。

 「でも、私は認められないわ。親友の命を削ってまで生き延びるほど、私は腐っていないから」

 「パチェ……」

  珍しく親友と言い切ったパチェリーに驚く。けれど、今の言葉で決まってしまった。レミリアがどういう選択を取るのかが。

 「なら、私も言わせてもらうわ。自分の親友が目の前で死ぬかもしれないとわかっているのに、何もしないはずがないでしょう?」

 右手を空に上げる。その手に、妖怪にとって嫌悪すべき気配が集まってきていた。

 「レミィ、やめなさい! ……お願いだから、やめて!」

 パチェリーらしからぬ懇願の声。それでもレミリアはやめない。その時、集まっていた嫌な気配が消し飛んだ。

 「!?」

 レミリアが咄嗟に周囲を見渡すと、こちらに手を向けていたフランの姿があった。

 「まさか……破壊したの? 能力で?」

 フランの手首を見ると、白銀のブレスレットが外されていた。『ありとあらゆる物を破壊する程度の能力』を使って、レミリアが集めていたグングニルを降ろすための力を根こそぎ破壊しつくしたのだろう。

 「……何故……?」

 まさかフランに邪魔をされるとは思ってもいなかったのか、レミリアの声は震えていた。

 「グングニルを降ろさなければ、私たちは全員死ぬのよ? それなのに?」

 「それでも……私は、シオンを助けたい」

 「だから、それが無理だと言っているのよ! 私たちが殺されるか、私たちがシオンを殺すか、その二つしかないの!」

 「でも、でも……! まだ全部の情報を出しきったわけじゃない! だから、もう少しだけでいいから、だから……!」

 「ダメよ、そんな時間は無いわ。シオンが傷ついている今がチャンスなの。これ以上の時間が経てばまたシオンが私たちを殺しに来る。そうなったら、今度こそ全滅よ」

 「どうしてなの!? お姉様は、自分が助かりたいからシオンを殺すの!?」

 涙を流して叫ぶフラン。それでもレミリアは受け入れるわけにはいかなかった。

 「――貴方たちを殺されるわけには、いかないのよ」

 「……え?」

 予想外の言葉。だがパチェリーはそれを予期していた。わからないはずがない。自らの親友なのだから。

 「私は紅魔館の主で、主とは従者を守る責務があるの。それに――家族を守りたいと思うのは、至極当然の感情でしょう? できるのなら、私だってシオンを殺したくないわ。でも、シオンと私の家族、どちらかを選べと言われたなら、私は迷わず家族を選ぶわ。多分シオンも、それを受け入れてくれるはずよ」

 どこか疲れたように、けれど心の奥底で思っていたこと言う。

 「フラン……諦めなさい」

 「パチェリー!?」

 親友であるはずのパチェリーからのお願い。それは、フランにとって予想外もいいところだった。

 パチェリーの言葉は確かに辛辣で、歯に物着せる言い方を知らないようにズケズケと言ってくる。しかし本心では、レミリアたちのことが大切だからそうしているだ。

 本当にどうでもいいのなら、そもそも話しをしてくれるはずがない。それがパチェリー・ノーレッジという少女なのだ。

 「……そもそも、本当に自分が助かりたいのなら、無理矢理にでもフランに力を使わせればいいのよ。それなのに自分の手でケリをつけようとしてる。寿命を減らしてまで、ね。その理由が、貴方にはわかるのかしら?」

 「え……? ……わ、わかんない。わかんないよ」

 「でしょうね。……答えは、貴方のためよ」

 「私? どうして?」

 「少し考えればわかることよ。貴方はシオンを殺したくない。でも殺さなければ私たちが殺される。だけど無理にでも殺させれば心が壊れてしまう。だったら、恨まれるとわかっていても、レミィ自身の手で殺すしかないのよ」

 それが真実。結局のところ、レミリアはどこまでいってもフランたちのためだけに行動しているのだ。その果てに自分の死期を早めることになろうと、フランたちの命や心には変えられないのだから、と。

 (そんな……そんなのって、無いよ……!)

 本当にレミリアが自分のためだけに行動しているのであれば、逆恨みだとわかっていても恨むことができた。だが、できない。フランたちのために命を懸けているレミリアを、恨むことなどできるはずがない。

 (どうして……どうしてシオンは暴走したの……? シオンが暴走しなければ、こんなことにはならなかったのに!)

 行き場のない感情が、遂にシオンの元へと行きそうになる。それは筋違いだ。シオンは自分を殺して欲しいと言っていたのだから。

 しかし、同時に思い出す。あの時シオンが言っていた言葉を。

 (シオンは……『もう抑えられない』、そう言ってた……)

 まるで、本来なら抑えられたはずという言葉。そこから更に、シオンが最初に暴走した時に戦っていた途中で感じたことを思い出す。

 (暴走してしまったのには、何か他の部分に理由があるはず……)

 けれど外見には何かおかしな部分が存在しない。

 (外側なら? じゃあ、()()()()()……?)

 そこまで思い至って、パチェリーなら知っているかもしれないと思う。何故なら、シオンが激情に駆られたフランと戦い終えて治療した時、シオンの体の中身を診ているからだ。

 「待って、お姉様!」

 「フラン……もう諦めて」

 駄々っ子を諌めるように言う。しかし、フランは別の考えを持っているのだ。

 「違うの! パチェリーに一つだけでいいからお願いしたいことがあるの! シオンの体の中身を調べて、今すぐに!」

 今までの、ただ感情を発散する叫びとは違い、きちんとした指針がある内容。流石に無視できなかったレミリアは、フランと目線を合わせる。

 「何か、わかったことでもあるのかしら?」

 「うん。シオンは精神力が強い。それはこの場にいる皆がわかってることだと思う。そんなシオンでも抑えきれない感情なら、何か理由があるはずなの。例えば……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、とか」

 「「――!!」」

 レミリアとパチェリーが息を呑む。今の今まで思いも至らなかった可能性。

 「待って。パチェリー、その可能性は?」

 「……確実とは言えないけれど、確かに……。いえ、()()

 断言するパチェリー。額に指を当て、何かを思い出すようにグリグリと押し付ける。

 「確か……そう、シオンが目を覚ます寸前。あの時、私はシオンの体の中に何かがある、そう感じたわ」

 「!! なら、シオンがああなってるのには、理由があるんだよね!?」

 「多分、そうなるわ」

 「なら、そういった特殊な理由があるのであれば、それを破壊すれば元に戻る、と考えるのが妥当よね?」

 「あくまでも可能性よ。私の勘違いかもしれないし」

 逸る二人を諌める。しかし、パチェリーの言葉も少し弾んでいた。知らずして心が高ぶっているのかもしれない。

 「それにそれがわかったとしても、調べる間の時間稼ぎ、発見の仕方と壊す方法、そして壊す段階になってからの戦闘。コレだけの数があるわ。どうやってこなすと言うの?」

 「――方法なら、ありますよ」

 「な、美鈴!?」

 今まで美鈴を看ていた咲夜が驚愕の叫び声をだす。それに反応して、三人もそちらの方を見た。

 「え……」

 「嘘、どうやって……」

 「美鈴、スゴーい……」

 あそこまでズタボロになっていた体が、完璧に復元されている。だが真に驚愕すべきはそこではない。神気を喰らい、気絶していてなお完治させた部分に驚愕すべきだ。

 「私もパチェリー様と同じく、保険をかけておいた、ということですよ」

 「保険?」

 眉を寄せるパチェリーに、立ち上がった美鈴が頷く。

 「氣を使った過剰回復。体の中にある体力、生命力を極限まで振り絞ることで体内の氣を強制的に活性化させ、それら全てを細胞の回復に使うのです。軽傷で使えば逆に体が損傷してしまいますが、先程のような状況では重宝します。まあ、代わりに氣が全く使えなくなりますが」

 そして、美鈴は珍しく……そう、本当に珍しく、妖力をその身に宿す。

 「鍛錬のためにもできる限り妖力は使いたくないのですが、お嬢様たちのためです、目を瞑りましょう」

 クスリと笑いながら手首と足首を曲げる。

 「と、言うわけで、時間稼ぎと壊す段階の戦闘は私がやります。残り少ない氣と有り余っている妖力を併用すれば、もう一度くらいであれば過剰回復は使えますので、あまり心配はいりません」

 「なら、私も戦います」

 咲夜は服に付いた土や埃をはたきながら立ち上がる。しかし、すぐに美鈴に止められた。

 「いえ、咲夜は壊す段階に備えて魔力を蓄えておいてください」

 「それは、どういう……?」

 「体の内部にあるというのであれば、おそらく内臓……私の勘ですが、脳にある可能性が高いのです。そしてそんな場所にあるモノを壊すのであれば、方法はたった一つだけしかありません。そう、フラン様の能力だけ。」

 「確かに、その可能性が高いわ」

 「パチェ? それはあの時診て知ったこと?」

 「ええ、それもあるわ。けど大前提として、心を操るのなら、体を動かす脳に取り付けた方が効率がいい、というのもあるの」

 「そして本当にそれがあるのなら、確かにフランの能力でしか不可能ね」

 「そういうことです。私たちの能力は、その一部分だけに作用させる、といった精密作業は得意ではありません。というか、そういったのはシオンの領分なのですが……」

 暴走している本人にやれるわけがない。逆にやれたら恐ろしいくらいだ。

 「フラン様、やれますか?」

 「うん、多分。違う、やる! 私が壊して、シオンを助ける!」

 「……いい返事です。ああ、それと一つ。咲夜の空間歪曲は、使い方次第で強力な力を発揮します。後は自分で考えてくださいね。それでは、行ってきます!」

 「美鈴、待って下さい! 今の言葉の意味を――!」

 戦闘狂としての本能が若干ながら出てきたのか、武者震いをしながら再度シオンの元へと突っ込んでいく美鈴。

 咲夜は無視されたことすら忘れて、今の言葉の意味を考え始めた。

 その姿を呆れながら見つつも、パチェリーは魔法を発動させるために詠唱を開始する。

 それと並行して言った。

 「触診しながらじゃないから、別の魔法と同時に使うわ。少し時間がかかるから、その間は守ってちょうだい」

 「言われるまでもないわ。フラン、咲夜、パチェリーの前に立って。こちらがやっていることを少しでも知られたら、多分終わりよ」

 コクリと頷いた二人はパチェリーの前に立つ。

 「……美鈴ばかりに苦労をかけるわね」

 三人がいる場所からはレミリアの表情が見えないが、苦渋に塗れているのであろうことは想像できた。

 だが大なり小なりの差はあれど、三人も同じ気持ちだった。この場にいる全員の中で最も年長であることも相まって、知らず知らずの内に美鈴を頼っていた。

 フランは五〇〇年近く前に、それも少しだけしか話したことは無いが、それでも当時の印象は深く残っている。温かく包み込んでくれるような、そんな優しさを。

 だが――

 「まだ甘いです! やるのならもう少し踏み込んでください」

 楽しそうに嬉々としながら戦っている様子を見ると、余り心配する気が無くなってきてしまうのは何故だろうか、そんなことを思ってしまう。美鈴の印象が一八〇度狂ってしまうような気分だった。

 元々戦闘に関してかなりの執着を持っていたのを知っているレミリアとパチェリーは余り動じていないが、逆に知らないフランと咲夜は固まっていた。

 「アレが……美鈴?」

 「私に優しく戦い方を教えてくれた姿は、いずこに……」

 「本当はあの姿が本来の姿なのだけど。ね、パチェ」

 「まあ、そうね。本人も自覚していたようだから、普段は抑えていたのだけれど」

 一度爆発すればご覧の有様だった。笑えない話である。

 「けど、今の状況ではそれがありがたいわ。むしろ恐れて威圧されるよりはマシよ。そう、マシなのよ……マシ、なのよね?」

 自分に言い聞かせるように何度も呟くレミリア。その眼は、少しだけ遠くを見ていた。

 それから数十秒後、パチェリーが()()()()()()()()特殊な術式を発動させる。

 「さて、と……。美鈴、余りシオンを動かさないで! 座標がズレると、またやり直しになってしまうから!」

 「了解です!」

 叫び返しつつ美鈴はシオンの胸元に抱き着く。そして両手を背中に回して押し倒した。

 「グゥル!?」

 鎧通しをほぼ使わずに戦っていたとはいえ、それでもある程度離れて戦っていた状況でのいきなりの急接近。シオンの持つ技術のいくつかを使えない現状、その前動作が見れなかったのは大きかった。

 「ハッ!」

 蛇のように自身の体を巻き付かせる。シオンは何とか体を動かそうとするが、全く動いてくれなかった。

 「仰向けの状態で手足を動かなくして口を閉じさせれば、もう何もできませんよ。頼みの綱の尻尾も、シオンの体に押し潰されていますし」

 そう、なまじ体が重すぎるせいで、尻尾が動かせない。しかも最悪なことに、押したおされる寸前に美鈴が足が傷つくのも厭わずに尻尾を巻き取ったせいで、地面に突き刺すのも不可能になっていた。

 まるで曲芸のような一瞬の早業。

 「流石ね、美鈴!」

 パチェリーは即座に魔法を発動させた。シオンの体――特に今一番怪しいと思われる脳を中心として魔法を発動させる。

 「足、胴体、胸、手、異常無し」

 首から下に関しては大雑把に調べる。そして肝心の頭を調べ始めた。

 「……無い……ここにも……コレ? 違う。シオンの頭は一体どうなっているの? 普通の人間よりも複雑すぎるのだけれど。……! 見つけた!」

 途中で愚痴を零し、汗を流しながらも発見する。

 「美鈴、もういいわ!」

 「そう、ですか! なら、コレでも喰らってくださいな!」

 手足を絡み付かせているせいで美鈴も動けないが、唯一動かせる場所はある。それは頭であり、美鈴がしたのは頭をぶつけること――いわゆる頭突きである。

 「~~~~~~~!!!!」

 が、流石にシオンの頭は固すぎるらしく、美鈴の方が軽く悶絶していた。しかしそれをしただけの価値があったらしく、シオンの頭は地面に埋まっていた。

 「……だ、大丈夫、ですよね?」

 やった当の本人の方が心配してしまうと、本当に締らない。そこでシオンの体がピクリと震えた。そして、その口が開く。

 「……すいません!」

 二度目は喰らいたくなかったのか、シオンの体から離れると同時に蹴り飛ばして、ブレスの射程圏外に離脱する。重過ぎるせいで動かないかと思ったが、逆に()()()()()()()動いた。

 頭突きの影響で脳を揺らされて意識が朦朧としているのか、シオンはそのままのゴロゴロと転がって、やがて止まり――()()()()()()()()()()()()()

 そのままレミリアたちのいるところに移動している途中、背後で黒い塊が吐き出されるのを感じた。

 「え……」

 「あ……」

 「丸ごと吹き飛んだわね」

 「……アレを修復するのは、私でも不可能なのですが」

 フランたちのところに戻ってきた美鈴は、レミリア、フランの呆然とした、パチェリーの冷静な、咲夜のとても疲れた声が聞いた。

 「……どうしたのですか?」

 「……後ろを見れば、わかるわよ……」

 もうどうでもいいと言わんばかりのレミリア。美鈴が後ろを振り向いて――そのまま固まった。

 「紅魔館の……屋根が……」

 そこから先は言葉にならなかった。美鈴の蹴りどころが悪かったのか、シオンの口が紅魔館の屋根の方へ向き、そのままブレスが発射されてしまった。

 シオンのブレスは超高密度の重力の塊。流石に宇宙に存在するアレ並ではないが――それを放つことができるほど、シオンの体内は頑丈では無い――そんなモノを浴びれば、紅魔館の屋根が吹き飛ぶのは必然だった。

 「え、えっと……すいません」

 「まあ、別にいいわ。美鈴の命には代えられないのだし、屋根ならまた直せばそれでいいのだから」

 「……ありがとうございます」

 暗い顔をしている美鈴を見て流石に気が咎めたのか、フォローをするレミリア。

 「今はそんなのどうでもいいことよ。とにかく、発見したわ。予想通り脳内に、ね」

 「……外れて欲しい予想だったのに」

 「しかたがないわよ。……それよりももっと最悪な事だったのだから」

 パチェリーの顔が自分でもわかるほどに醜く歪む。それほどまでに嫌な事実だったのだ。

 「機械の大きさは一センチにも満たないわ。多分六ミリ以下。それが、シオンの脳に()()()()()()()()()

 「「「「……!!」」」」

 四人が息を呑む。言葉すら出てこなかった。脳の付近に埋め込まれていのであればまだ納得はできる。しかし脳に直接埋められている。コレが意味するのは、一つしかない。

 「絶対に外せないようにしたってこと……? けど、そんなものを埋め込まれるなんて、普通は無いんじゃ……」

 「……予想が当たりそうで、本当にイヤな気分。まあ、今は置いておきましょう。効果はわからないけれど、多分アレがシオンの暴走の原因。フラン、行ける?」

 「……正直に言っちゃうと、少し難しい、かな。私の能力は視認するのを前提にしているから、見ない状態でやると、あらかじめめ固定した場所にしておかない限りは、どうしても制御が甘くなっちゃう。元々私の能力は制御なんてできないから、六ミリ以下のモノを破壊するような精密な制御なんて、私には無理だよ」

 片手で手首を押さえるフラン。まるで能力が暴走しないように抑えているようだった。そこで咲夜が思い出す。あの白銀のブレスレットのことを。

 「あの、今回は余り強い力は必要無いのですよね?」

 「? ……まあ、そうね。というより、力が大きすぎると、逆に必要のない部分まで破壊してしまうわ。脳を破壊したら、シオンは即死よ」

 「なら、シオンの作ったブレスレットを使えば、極限まで力の強さを抑え切れるのでは……」

 「「「「あ……」」」」

 今の今まで存在すら忘れていた、制御装置の役を持ったブレスレット。フランは服のどこかにしまっていた――大きさ的にどこに隠し持っていたのか気になるが――白銀のブレスレットを取り出した。そのまま腕に取り付ける。

 「……できる、かも。これならほとんど制御する必要が無いから、座標さえあっていれば……」

 「それなら、私がやれますよ」

 「咲夜?」

 軽く手を上げる咲夜に驚くレミリアとフラン。しかし美鈴とパチェリーはその話の内容を予測できていたのか、余り驚いてはいない。

 「私の空間歪曲を使って、小さく簡易的な檻を作ります。これならシオンの固定はできると思われます。どうでしょうか」

 「確かに咲夜の空間歪曲は十二分に硬いけれど、檻を作るのにはある程度の時間がかかるでしょう? その間はどうするの?」

 レミリアの疑問。そこで横槍を入れたのは美鈴だった。

 「先程も言いましたが、壊す段階での戦闘は私がやります。シオンを引き付けておきますので、咲夜、失敗しないでくださいね?」

 「もちろんです。お嬢様」

 「……拒否できるはずがないでしょう? でも一つ付け加えるわ。パチェリー、私も前に出るから、フランとイメージの共有をお願い」

 「共有? どういうことなの、お姉様?」

 「壊す方法がわかっても、それがある座標を知らなきゃいけないのでしょう? 一言で脳と言っても、その大きさは今はかなり厄介ね。なにせ比較対象が六ミリの機械なのだから。正確な居場所を知らなければ、いざと言うときに困るわよ」

 咲夜の空間歪曲の準備と並行してやれば、十分でしょう、そう付け加えてレミリアたちはシオンの元へと跳び出した。

 「一刻猶予も無いわ。早く始めましょう」

 「うん!」

 「少しキツいと思うけれど……我慢してね」

 パチェリーは返事すら聞かずにフランと額を重ねる。本来ならば額を重ねる必要は無いのだが、今回はより正確なイメージが必要なのだ。多少の手間はかけなければならない。

 「……! 頭が、絞られる感じがする」

 「我慢して。こっちも辛いのだから」

 二人から周囲の気配や音が全て消える。その瞬間、フランの頭の中に人間の脳と思しき物体が見え――その中に、黒い塊が見えた。

 「見え、た!」

 「場所は、わかった、の?」

 フランがほんの少しだけ頭を動かして、わかったと伝える。それを感じたパチェリーは即座に頭を引き離した。

 「ッ……もう一度やりたいと言われてもできないから、忘れないでちょうだい」

 「私、だって……またやりたいなんて思わないよ……」

 重ならないはずの記憶を無理矢理、そして正確に合わせる。それは二人の脳に相応の負担をかける作業だった。

 マリアの微かに残っていた記憶を見る時にも激痛がしたが、それとはまた違う痛みにフランは頭を押さえるしかなかった。

 「でも、ありがとう。これで、シオンを助けられるから」

 「あくまで『かも』の話しよ。ここにいる誰かが一つでも――レミリアと美鈴がやられてしまえば咲夜の空間歪曲が発動できず、発動できても捉えられるかはわからず、捉えられたとしても貴方が少しでも座標を間違えればシオンの脳を破壊し、殺してしまう。最後まで気を抜かないことね」

 辛辣な言葉。しかし、この言葉はフランの気を引き締めるためのものだ。それがよくわかるフランは、忠告通りに気を引き締めた。

 「そう、それでいいの」

 もうパチェリーがすべきことは無い。だからだろうか、まるでフランの姉――レミリアとよく似た、見守るべき存在を微笑ましく見ている、そんな顔をしていた。

 「ここからは、咲夜とフランの出番よ。いい? 二人とも、これから先後悔することがないように、全力でやってきなさい」

 フランと咲夜は大きく返事をする。小さく綻んだパチェリーを見て、二人は珍しいと思ってしまった。それと同時に、やはりパチェリーは優しいのだとも。

 「さ、行ってらっしゃい」

 「はい! 行きましょう、フラン様!」

 「わかってる!」

 咲夜は駆けだし、フランは飛んで移動し始める。

 「さて、念のために魔法を用意しておきましょうか。こういったのは、大抵――ッ! ゴホッ! ゴホッ! ……喘息が始まってしまったわね。急がないと」

 口元を手で押さえながら魔法を発動させる。誰にもバレないように保険を準備しておきながら、シオンを助けるのが成功するのを祈った。神では無く、自分たちに。

 フランたちがレミリアたちが戦っている場所に辿り着いた時、そこはもう戦争をしていると言っても過言では無い有様だった。

 シオンは爪や尻尾に重力の力を宿しているらしく、それを飛ばしていた。爪の先から放たれる五本の線と、尻尾の動きで曲がる光線、その二つだ。さらに爪を地面に叩き付けると同時に重力を増加させる技を使って、辺り一面を陥没させたりもしている。

 そのせいか、周囲の景色は抉れ、沈んでいるものばかりだ。あるいは吹き飛んでいたりしている場所もある。唯一の救いは、体にそれ相応の負担がかかってしまうブレスを使っていないことだろうか。

 対するレミリアと美鈴の戦い方は避けることばかりに注視している。コレは元々が時間稼ぎであるのと、どのみち二人では倒せないこと、何より今回の戦闘は倒すのが最終的な目的ではないことからだ。それ故に避けることに意識が向く。

 それを先読みしてシオンの攻撃が行くのだが、やはり二人のコンビネーションは流石の一言だ。お互いがお互いのフォローをし、補い合っている。長年一緒に生きてきたお蔭でおのずと蓄積されていき、培われていった経験のおかげだろう。

 だがシオンの方が優勢であるのには変わりない。攻撃する側とされる側では、する側の方が圧倒的に有利だからだ。いつこの均衡が崩れてもおかしくはない。

 「お姉様!」

 フランは叫びつつもレーヴァテインの最大火力量をシオンに放つ。もちろん当たるなどとは思っていない。単純に牽制するためだけに使ったのだ。

 例えほんの数十秒程度であろうと、それだけあれば十分なのだから。

 「フラン、もう行けるの!」

 「うん! いつでも準備はオーケーだよ!」

 それだけで意味は伝わる。レミリアは視線を咲夜に移した。

 「なら、私と美鈴で引き付けるわ。咲夜、準備ができたら言ってちょうだい」

 「いえ、準備ならもうできています。後はこの演算が解けないように集中し続けるだけで十分ですので」

 レミリアの言葉をあらかじめ予想していたのか、眉間に皺を寄せながらも返す。その顔を見るだけで、かなりの集中力を使っているのがわかる。

 「じゃあ、私と美鈴が突っ込んで無理矢理にでも隙を作るから、そしたらタイミングを見てやっちゃってちょうだい!」

 「了解致しました」

 ちょうどレーヴァテインの炎が虚空に消える。同時に二人は跳び出して行った。

 それを待っていたかのように待ち構えていたシオンが、大きく息を吸う。

 「!? 全員急いで耳を塞いで――!」

 その場に急停止して耳を抑えた美鈴に習ってか、即座に耳に手を当てる。……刹那、轟音が響いて来た。

 『――――――――――――――――――――――――――――――!!!!!』

 人間が出せる音域を超えた声の高さと音量。どうやら特定の周波数を発しているらしく、何やら変な音までもが混じっていた。

 抑えている耳の隙間から咆哮が届いてくる。あまりの声の大きさに頭が狂うと錯覚するような痛みを覚えた。どうしても動けない。致命的な隙だ。だがシオンも大声を出しているせいで動けないため、そこだけが救いだった。

 やがて咆哮が終わると、ようやく耳から手が放せた。そのまま駆け出すが、何かが足りないのに気が付いた。

 (……? 翼がはばたくような音が、しない?)

 そこで理解する。シオンの狙いは動きを止めることなどでは無く、先程の特殊な周波数を発すること。コレの狙いは、たった一つ。

 「お嬢様、フラン様!?」

 咲夜の慌てたような声。それで確信した。おそらくシオンは、吸血鬼の一部分の特性を狙ったのだろう。

 吸血鬼はコウモリに化ける能力がある。そしてコウモリは、特定の周波数を浴びせられるのが極端に苦手なのだ。それを、あんな大声量で聞かせられれば、死んだと錯覚しかけるほどの生き地獄のようなものを浴びせられたのだろう。

 「マズいです……本当の本当にマズいです」

 距離的にフランは少しすれば回復できるので大丈夫だろう。だがレミリアはそれなりの時間がかかる。そしてその時間、美鈴は一人で戦わなくてはならない。

 確かにただ相手をするのであれば問題は無い。けれど、美鈴の身体能力では躱すことはできても押さえ込むのは不可能だ。美鈴がシオンの攻撃を回避できるのは、身体能力では無く技術によるものなのだから。

 シオンを一時的にでも押さえ込めなければ、咲夜の歪曲空間による固定ができない。それが示すのは、ここで全滅するということ。

 (それだけは……! く、何故シオンは今更先程の咆哮を使ったのですか!?)

 タイミングが悪すぎた。せめて最初の段階から使ってくれていれば、まだ警戒できていたというのに。だが違和感に気付く。シオンが苦しそうにしているのに。

 (……そういう、ことですか。あの大声と特定の周波数を出すのは、シオンでもまだ難しいのですね。だから、最後の最後まで使()()()()()()

 使わなかったのではなく、使えなかった。当然だった。アレは人間の出せるような声ではない。それを無理矢理、腹の底から出したのだから、喉がイカレているのだろう。

 おそらくシオン自身も狙ってやったわけではない。単純に、一対四では勝てないと踏んだからこそ、一時的にでも数を減らすために使ったのだ。

 それこそが、美鈴たちにとって一番効果的な作戦であるというのに。

 だが問題はそこではない。数を減らすのに成功したのであれば、シオンが次にすることは目に見えている。それは――

 「っく!」

 美鈴を、殺す事だ。数を減らさなければ負けるのであれば、数を減らせば負けることはないとうこと。であれば、この場で最も強敵である美鈴を狙うのは道理だ。レミリアはともかくとして、フランは手負いだ。咲夜はしょせん能力を使ったトリッキーな戦法でしか戦えない。その気になればいつでも殺せる。

 美鈴にもすぐにわかった。シオンは自分を殺す気なのは。

 「それでも、私は!」

 足を一歩前に踏み出し、そこから一気に近づこうとする。だが、その一歩が踏み出せなかった。

 「ッッッ!?」

 突如全身に途方もない重圧が襲いかかる。耐え切れずに膝を着く美鈴。顔を前に向けると、シオンが体を捻りながら、右手に重力球を作り出しているのが見えた。

 必死にもがくが動けない。このまま重力球が放たれれば、美鈴は死ぬ。そして美鈴が死ねば、一気にこの作戦が瓦解する。

 考えるまでも無くわかることだ。しかし美鈴は何もできず、ただ重力球が自身に向かって放たれるのを見ているしか――

 その時、風に乗って声が聞こえてきた。

 「本当、保険を用意しておいてよかったわ」

 同時、空から淡く輝く槍のようなものが降ってくる。それはシオンの周囲に降り注ぎ、それぞれが斜めに落ちることでシオンの体を一時的に拘束していた。

 淡く輝く槍は、空に浮かぶ月光を浴びてキラキラと光っている。月の光を宿した特殊な槍。パチェリーが手繰る属性の一つを使ったのだろう。

 一時的に拘束されたシオンは、それを振り解こうと体を捻る。必然、重力制御に集中することなどできるはずもなく、美鈴に襲いかかっていた重圧は解けてしまった。

 「――! 今なら!」

 即座に背後に回ってシオンに背中から抱き着き、手を拘束する。魔法の槍による邪魔と、全開にした妖力で身体能力を底上げした美鈴に押さえられ、満足に動けない。

 だが槍の拘束がやや甘かった。上半身はともかくとして、どうやっても下半身の狙いは甘くなってしまうのだ。距離が遠すぎるのが理由の一端だろう。

 シオンは拘束の緩い足を徐々に動かそうとして、そこでまた邪魔が入った。

 「詰めが甘い、わよ!」

 耳から血を流しながら、気絶したはずのレミリアがグングニルを拘束の緩い下半身にほぼ無理矢理に投げ込み、魔法の槍の位置を変えてシオンの足を完全に拘束する。

 「お、お嬢様!? 大丈夫なのですか!?」

 「大丈夫なわけないでしょう! 今も吐き気が収まらないし、頭もガンガンなっててかなり気持ち悪いわ! でもね――」

 グングニルで足を拘束したレミリアは、シオンの頭を押さえ付ける。いくら体を押さえつけようと、頭が動いてしまえば座標が狂ってしまうからだ。

 「――フランがここまで足掻いてシオンを助けようとしたのよ? 姉である私が、それに応えないわけにはいかないでしょう!」

 姉であるが故の矜持。レミリアは元から妹であるフランにはかなり甘かった。ずっと牢獄に捉え続けていたフランを、いつ暴走するのかもわからない爆弾の元(フラン)を、それでもなお愛していられたほどに。

 本当はフランが自ら決めたことを、心の中では応援したかった。だからこそ、無謀だとわかっていても、シオンを助けるのに協力した。表には出さず、シオンを助けたいが、それでもフランたちの方が大切だとカムフラージュをして。本当は単純なことだったのに。ただ単にフランを助けたかっただけなのに。

 どちらも本心だ。それは嘘では無い。

 「……本当に、お嬢様はフラン様に甘いのですね」

 「言われなくてもわかっているわ」

 「この議論に関しては、後に回しておきます。そんな状況ではありませんしね。ですが、覚悟しておいてくださいね? ――咲夜、今です!」

 「はい!」

 美鈴の叫びに応じて、咲夜が跳び出してくる。そのままシオンに近づき。叫んだ。

 「『拘束』!」

 技名ですらない、単なる叫び。だが、今最も大事なのは空間を固定する場所を決める演算と、それを明確にするイメージ。

 咲夜がイメージしたのは、鎖による拘束、というものではなく、重過ぎる鎧のせいで動けなくなった人、というものだ。

 コレは偏に、鎖の拘束ではシオンを押さえつけられない、と思ったからだ。本当は手足に空間歪曲を纏わりつかせるだけにしようとしたのだが、シオンは歪曲空間の壁を爪で破壊した。だから、それだけでは不十分だと判断したのだ。

 だが拘束できない場所もある。美鈴がいる場所と、美鈴が押さえ付けている腕、レミリアがいる場所に、頭。そういった部分だ。手、足、胴体や胸などはできているが、頭、腕、背中は不可能だったのだ。もしすれば、レミリアと美鈴ごと巻き込むことになる。下手をすれば、体を引きちぎってしまう。だから空間歪曲が使えなかった。

 しかも、拘束されながらもシオンが重力を集め始めている。それに呼応して、少しずつ空間が軋みをあげ、歪み始めていた。

 それで理解する。

 シオンは、超高密度の重力力場を作ることで空間を歪め、拘束を外そうとしているのに。

 「まさか、拘束するのにこんな弱点があったとは……!」

 苦々しいレミリアの声。重力力場に巻き込まれているのはシオンとレミリアと美鈴。シオンは元から重力を身に纏っているので問題は無いが、レミリアと美鈴は別だ。だが、美鈴ならば少しの邪魔ができる。

 美鈴は右足でシオンの右足に打撃を入れ、その集中力を掻き乱す。シオンが全く動けないようのと同じように、美鈴もほとんど動けない。だが例えほんの少しの痛みであろうと、獣と化しているせいで集中力など無いに等しいシオンには効果的だ。

 「であれば、私たちがするのは一つだけですね」

 覚悟を決めた美鈴の声。その間にも地味な攻撃は続けている。

 「「このまま、押さえ続ける……!」」

 二人の声がピタリと重なる。そのまま、重なった声で叫んだ。

 「「フラン(様)! 私たちのことは気にせず、今すぐに、シオンに取り付けられた機械を破壊しなさい(してください)!」」

 「わかってる!」

 その叫びに、やっと起き上がれたフランはすぐさま応じる。右手を前に出して、すぐに能力を発動させようとする。その瞬間――視界が揺れた。

 (え……?)

 体中がガクガクと震える。遂に限界が来てしまったのだ。タイミングが悪い。先程の咆哮よりも悪すぎた。いや、先程の咆哮のせいで限界を超えてしまったのかもしれない。

 (まだ……まだ終わってないのに! あと、あとちょっとなのに……!)

 歯を噛み締めて無理矢理意識を集中させるが、視界はどんどん揺れて行く。ところどころ明滅もし始めていた。

 元々限界を超えていた体だ。血を失ったばかりの貧血状態、そこからの激しい戦闘、そして何回かもらったダメージ。それらが蓄積され、体を動かすのを許さなかった。

 (どう、して……。コレ、だけなのに。能力を発動させる、だけなのに)

 上げていた右手すら徐々に下がってきている。その様子は、レミリアたちの目にも見えていた。

 「まさか……限界が!?」

 「マズいですよ、お嬢様。コレではこの作戦そのものが終わってしまいます!」

 「信じるしかないわ! フランを、あの子を!」

 それでも二人には信じて待つしかない。ここで殺してしまうのは、まだ早いからだ。最悪殺すとしても、フランが気絶してからにしなければならない。

 (……こんな、状態じゃ、座標も固定、できない……!)

 意識が集中できないのに、能力が発動できるわけがない。

 そして焦れば焦るほど、意識が暗闇に落ちて行きそうになる。

 (どうすれば……!)

 (――手伝いましょうか?)

 (!? え、『ナニカ』……!?)

 一瞬混乱するも、すぐに誰かを察するフラン。だが同時に疑問が湧き上がる。

 (もう出てくる気が、無いって、思ってた、んだけど……)

 (……私の忠告が無駄だったのに気付いただけよ。だから起きてきたの)

 確かに『ナニカ』は言っていた。シオンは、フランとはまた別の意味で危険だと。

 (……今更だけど、どうして、シオンが危険だって、気付いていたの?)

 ただ思考するということすら厳しくなってきている。それでもなお聞かずにはいられなかった。こんなことをしている暇すらないと分かっていても。

 (単純に、似ていただけよ)

 (……? 誰、と?)

 (……………………今は、そんなことをしたいの? 貴方が気絶すれば、もう彼を助けられるような存在はいないわ)

 話しを逸らしているとわかっていても、フランはそれを無視できない。

 (結局、『ナニカ』は、何が、したいの……!)

 (()()()()()()()()

 (え……)

 予想外の言葉。意識が一瞬停滞する。それと同時に気絶しかけ、それに気付いたフランは唇を噛むことで抑える。噛み締めすぎて血が流れたが、それを気にする暇は無かった。

 (何で、そんなこと、が、できるの?)

 (今気にするのはそこなの? 私が演算をしておくから、貴方は合図したら手を握り締めるだけでいいわ。……信じられないなら、やらないけれど――)

 (――信じる、よ)

 即答すると、息を呑んだような音が聞こえる。だが、フランにとっては当然だった。

 (『ナニカ』は、なんにも、教えてくれない。貴方の、本当の名前、も、どういった存在、なのかも。だけど、貴方は、いつも聞かせて、くれた。外の世界の、お話を。それが、どれだけ私の助けになった、か……。だから、私は、『ナニカ』を信じる)

 ほとんど真暗になった視界の中で、それでも思う。本当に、『ナニカ』がいなければ、自分はとっくの昔に狂っていただろう、と。

 (フラン、貴方は――)

 「ぐ、きゃああ!」

 「美鈴!?」

 何かを言おうとした『ナニカ』の声は、美鈴とレミリアの悲鳴によって掻き消される。

 美鈴は、押さえつけられていなかった尻尾で体を貫かれたのだ。右足、左脇腹、右胸のすぐ下の三ヶ所を。最悪なことに右足を貫かれたせいで、もう邪魔ができない。

 狙ってやったのであろうシオンは、即座に重力力場を形成し直していた。

 「美鈴、大丈夫なの!?」

 「まだまだ、全然、平気ですよ! これより、酷い、大怪我を負った、ことだってある、くらいなん、ですからね?」

 強がる美鈴。だが、その声は震えていた。むしろ脇腹と胸の近くを貫かれて意識を保っていられるだけでも驚嘆ものなのだ。

 (『ナニカ』! 今すぐ、始めて!)

 (わかってる! 数秒だけもたせて!)

 意識を集中させる『ナニカ』に倣って、フランも意識を途切れさせないようにする。しばらくすると、『ナニカ』の声が聞こえてきた。

 (今よ! すぐに能力を発動させて!)

 思考を『ナニカ』に返す前に、無意識でフランの手は動いていた。なぜか既に手繰り寄せられていた『目』を破壊する。コレで、シオンに埋め込まれていた機械は破壊できたはず。

 やっと、終わった――そう安堵して膝をついてペタリと座り込んだフランの耳に、咲夜の驚愕した叫びが聞こえてくる。

 「な……終わって、ない!?」

 (え……?)

 視界をあげると、未だに獣となったままのシオンがいた。

 (なんで……。確かに、破壊したはずなのに……)

 『ナニカ』が細工したとは思わない。演算したのが『ナニカ』とは言っても、直接破壊したのはフランなのだ。つまり、破壊したモノの感触は、フランの手に伝わる。

 そしてフランはわかっていた。破壊した時の感触は肉のモノではなく、何か硬いモノだったと。

 なのに、止まらない。止まってくれない。暴走し続けているシオンは、重力力場で空間を歪め、遂にその拘束を外してしまった。

 (……まさか……そんな……)

 フランは朦朧とした頭である仮説を組み立てる。

 (あの機械は……あくまでシオンの感情を暴走させるだけ……。だとしたら、シオンの憎悪……元からあった感情が臨界点に達していたとすれば、暴走は止まらない……。理性が戻って来るまでには、ある程度の時間が必要になる……)

 シオンの憎悪は、フランたちの想像していたものを遥かに超えていた。『機械を壊せば元に戻る』のではなく、『機械を壊して一定時間が経てば元に戻る』だったのだ。

 だが不可能だ。暴走しているシオンを相手にするには、現状の戦力では無理なのだ。レミリアと咲夜はまだしも、体を貫かれた美鈴は過剰回復を使わなければならず、そうした場合は身体強化が使えなくなる。パチェリーはもう喘息をし始めているためほとんどの魔法は使えず、フランは即効で殺されるほどに弱っている。

 つまり、一定時間も待っていられない。

 あるいは、何らかの方法でショックを与えれば元に戻る可能性があるかもしれない。しかしそちらはそちらで難易度が高すぎる。暴走している相手を元に戻せるほどの強いショックなど、与えられるはずがないからだ。

 (それじゃあ……今までのは……)

 ただの徒労。もっと効率よく戦っていれば別だったかもしれないが、そんな『もしも』の可能性など来てくれない。

 全滅をしかけている現状、シオンを()()以外に選択肢は無かった。

 (あ、ああ……)

 そんなのって、無い、そう思いながらも現実は非常だ。レミリアたちは何とか応戦しているが、いつ殺されてもおかしくはないほどに追い詰められている。

 「もう……殺すしかないの……?」

 認めたくない事実。認めたくないが故に最後の最後まで足掻いていた。全てが無意味と化してしまったが。

 そんな時、ずっと、もう蜃気楼のように不鮮明とした記憶を思い出す。今の今まで忘れていた、古い古い記憶。

 『ねえ、お母様! 少し前に聞いたあのお話――あの傷ついた獣がどうなったのか、続きを聞かせてよ! ねえ、いいでしょ?』

 『もう、しかたないわね。それじゃ、こっちに来なさい』

 『うん!』

 まだ能力が発動していなかったくらい昔の思い出。その頃のフランは無邪気に笑っていることができて、母親もそれを微笑ましそうに見ていた。

 フランは母親の膝の上に乗り、母が静かに話す物語を聞いていた。

 『――そうして、その獣は、自身の魂を癒すような歌で静かに息を引き取りました。……あら、フラン、どうしたの?』

 『……お母様、どうして獣は死んじゃったの?』

 『さぁ、それは私にもわからないわ。でも、獣は死にたかったのかもしれないわね』

 『死にたい? どうしてなの? 普通は生きていたいと思うものじゃないの?』

 ただ疑問に思ったことを不満気に漏らす。当時のフランは理解していなかったのだ。死ぬことが救いである時があるのを。

 フランの母も、ただ苦笑いを返すだけで、何も答えなかった。代わりに、静かに子守歌を歌い始めた。

 『……それで誤魔化さないでよ。……でも、私はこの歌、大好きだよ』

 不満をこぼしながらも、嬉しそうに笑うフラン。フランの母は、歌うのを止めて、フランの髪を優しく撫でた。

 『フラン、歌と言うのはね、何かを鎮めるためにあるものなのよ』

 『鎮める?』

 『そう。だから、誰かが嘆き悲しんでいる時は、歌うのが効果的よ? 覚えておいて損は無いと思うわ。あるいは――をすれば、助けられるかもね?』

 そう言って歌の続きを歌いだす。フランは母の歌を聞きながら言葉の意味を考ええる、結局その意味はわからなかったが、現状では意味があるのかもしれない。しかし、その言葉はどうしても思い出せなかった。

 「そう……歌……歌を歌えば……シオンを、元に……」

 不可能だとわかっていても、歌を聞かせられれば、と思わずにはいられない。

 (……フラン……もう、諦めた方が……)

 疲労の滲んだ『ナニカ』の声が聞こえてくる。おそらくあの演算のせいだろう。元々『ナニカ』が表に出てくることはほとんど無い。仮説に過ぎないが、過度の干渉をすると何らかのペナルティを科せられるのかもしれない。

 (まだ……何か、あるはず)

 『ナニカ』の声すら届かないほどに、フランの意識は『シオンを助ける』ことだけに向かっている。

 そして、母に聞いた最後の部分を明確に思い出す。

 (コレをすれば……助けられる、かも)

 その考えがどれほどのおかしさをはらんでいるかなど思いもしない。ただ、『助けられるかもしれない』というだけで、フランの朦朧とした思考は埋め尽くされる。

 「今、行動すれば……!」

 動かないはずの体が動く。フランは翼を大きく広げ、飛びだした。

 「な、フラン!?」

 最初に気付いたのはレミリアだった。動かせない体を動かしているフランに、ほんの一瞬だけ動きが止まる。

 その隙を逃さずに動こうとしたシオンだが、自らに向かって来ているフランのせいで動こうにも動けない。

 シオンは重力球、爪による一閃、尻尾での光線を使うが、全てフランに避けられる。シオンの狙いが甘いのではない。フランの速さが異常なのだ。

 元々フランの速さは美鈴の縮地ほどでは無いが、それでも速い。()()()()()()()()()()()()()、だ。激情に駆られた者は大抵の場合、効率的な動き方など一切考えず、ただその激情をぶつけたい相手に突っ込んで行く。そう、パチェリーがやられた時のレミリアのように。

 それに加えて攻撃している最中でも速かった動きが、ただ動く事だけを追求すればどうなるのか――それが、今の光景だった。

 躱される、躱される、躱される――ただ速いだけの相手に全てを躱される。技術もクソも無いのに、全く当たらないという悪夢のような光景だ。

 近づけば近づくほどに弾幕の密度が増すと言うのに、それでもなおフランには当たらない、止まらない。

 そしてシオンの眼前に辿り着いたフラン。シオンは逃れようとするが、加速でいつの間にか後ろにいた咲夜が空間歪曲を使ったせいで、壁に追い詰められた哀れな動物のように逃げられない。

 背筋が凍るような錯覚。理性無き獣だからこそ、本能でわかる。自身の攻撃が当たらないフランは、言い換えれば一切の攻撃が通じない。やがて力尽きた自分が殺されると、理屈ではなく直感で理解する。

 獣は弱者には従わないが、強者には素直に従う。それが普通だ。しかしシオンは普通の獣ではない。本能は諦めて従えと叫んでも、ほんの少しだけ戻っていた理性は最後まで抗えと言っている。どんな状況でも諦めなかった、その理性が。

 だがシオンは、根本から間違っていた。フランは戦いに来たのではない。そもそもそんな体力など残っていない。

 フランはただ、母親に言われたことを実行しに来ただけだ。

 そしてフランが攻撃を躱してできた隙に()()をして、()()を見た全員が驚愕し、時が止まった。そう――シオンですら、例外なく。

 「「「「…………」」」」

 誰も言葉が出ない。かなり遠めに見ているパチェリーでさえ、その光景が見えていた。笑えなかった。笑えるわけが無かった。

 やがてフランは、()()()()()()()()()()()()()()

 そう、フランは――シオンと、()()()()()

 フランが母に言われた最後の言葉。それは――

 『あるいは、キス、をすれば、助けられるかもね? 女の子のキスは、男の子からすれば、かなり衝撃的なモノなのよ?』

 クスクスと笑いながら告げていたフランの母は、悪戯が成功した幼子のように無邪気な顔をしていた。

 だが、それが効果的だったのは、今、わかった。それはすぐに証明される。

 

 

 

 

 

 シオンは、戻りかけていた意識の中で、自らの元へと躊躇なく突っ込んでくる赤い服を着た誰かと戦っていたのを理解していた。だがそれが誰かはわからない。少しずつ意識が戻っているのは感じていたが、それでも意識の大部分が未だに憎悪に呑みこまれていたせいで記憶が混濁していたせいだ。

 しかし直感で理解していた。この人影が誰なのか。それでも収まらない。抑えていられるほどの気力は当の昔に尽きていた。だが、それはすぐに覆されてしまう。その人影が、自分の顔に近づいていって――そのまま、キスをしていた。

 わけがわからなかった。驚愕した。憎悪の中に、驚くという感情が生まれた。そしてそれを足掛かりにして、困惑を始めとした様々な感情が溢れてくる。

 それに追いやられて、憎悪の感情に染まっていた心が、徐々に人らしい心を取り戻す。人影――フランの顔が離れた瞬間、シオンは意識せずに呟いていた。

 「え、な……フラン……?」

 「「「「ええ……!?」」」」

 今度こそフランを除く全員が本気で、全力で驚愕する。シオンの姿は未だに龍によく似た獣のままだ。しかしその顔には、人間らしい動揺が浮かんでいた。

 フランは、シオンにキスをするという方法で、『何らかの強いショックを与える』という手段を果たしたのだ。まあ、それを知っているのはフランだけだが。

 「フラン、何、を……!?」

 正気に戻ったシオンは、キスについて尋ねる前に、暴走し、神獣と化していたその体が悲鳴を上げ始める。それに抗うことができず、シオンはその意識を落とした。

 目の前にいたフランは反射的に受け止めようとするが、元々フランの体も限界だった。そのまま押し倒されてしまい、小さな背中を強打してしまう。

 「~~~~~!!!」

 普段ならばほんの少しの痛みも、今は全身に激痛を走らせてきて、悶絶させられる。それでもフランは笑っていた。今にも泣きだしそうにしながら、笑っていた。

 「よかった……シオン、よかった……」

 フランはその表情を維持したまま、気力で繋げていた意識を手放した。




 全部読み終わった人はわかっていると思いますが……ええ、最後はっちゃけました。
 本当はするつもりは無かったんです。本当ですよ? 当初は単純に気絶させるだけのつもりが……ええ、良い訳ですすいません。マジでどうしてこうなった……。

 そしてようやっと紅魔館メンバーの性格が出ました。
 レミリアは家族や親友>その他であり、その他は基本認めない。シオンの場合は特例で、『フランを助けた』から助けようとしただけ。その上()()()()()友人ですらないため、見捨てようとしています。
 フランの場合は幼い子供。精神が未成熟であるため、戦闘が怖いと思う普通の子供です。ただし頭の回転は速い。
 咲夜は未だ成長途上。原作通りに『完璧で瀟洒なメイド』とは言えません。将来的にはなるとは思いますが。
 美鈴は若干戦闘狂であるのを覗けば穏和です。
 パチェリーは冷たいけれど、それが実は優しさから来ているモノ。わかりにくいですが、大切な人には優しい人。
 コレで全部とは言いませんが、まぁ大体こんな感じです。
 次回は多分また説明会になるかと……(シオンの脳に埋め込まれたアレとかの)。

 それと、今の今まで忘れていた技をここに追記

 『黒の斬撃』ランクB
 剣に重力を纏ませる。その剣を振ることで、重力を纏わせた部分をその場所に置き、その場所周辺の重力の方向を決めることができる。
 効果はいくつかあるが、一つに一瞬で効果を発揮できること。例えば無重力空間を作り出そうとした場合、普通にやればそれなりの時間がかかるが、この技を使えば一瞬で生成できる。
 二つに、重力を上下前後左右どちらにでもできる。例えば17話の『暴走』で使った時のようにグルリと円を描いて、重力を内側に向くように設定すれば、絶対に出られない即席のリングができあがる。外から中に入ろうとした者は、潜ろうとする途中にある重力力場に影響されて入れない。
 三つに、数に制限が無く、一度生成すればシオンの意識が向かなくなるまで解除されない。言い換えれば、少しでも意識が向いているのならば無制限に生成できる。
 四つに、上下に指定して場合、そこに入った者を強制的に巻き込む。例えば重力が下に向いている場合、そうと気付かずに上空を通った者を地面に叩き落とす。
 逆に重力が上になっている場合、入った人間を上空に重力が無い場所――宇宙近くまで放り出すというものだ。
 最後に範囲に限定が無いこと。形態変化を使えばどこまでも形を変えるその特性を利用すれば、それこそ世界中どこでも使える。

 獣の項目は……その内で。近いうちにやっておきます。

ではでは、また次回で~


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状況好転

さて、1話分あけて10日ぶりの投稿です。
今回はシオンの意識が目覚める前と目覚めた後の少しだけのお話です(本でいうところのエピローグのようなもの)。
……そろそろサブタイトルが思いつかなくなってきました。もういっそのこと無くしちゃおうか?


 気絶したシオンと、フランが折り重なっている周りに、レミリアと美鈴、咲夜、パチェリーの四人が集まった。

 「なんとか、全員死なずに済んだわね」

 そう言うレミリアだが、その顔は苦い。実際全員死んでいないだけで、咲夜とパチェリー以外は、外見はともかく中身がズタボロだった。表情には疲れが見える。それでも全員の顔は少しだけ緩んでいた。

 「さて、この二人を運びましょうか。咲夜はフランを、美鈴はシオンを頼むわね」

 「了解しました、お嬢様」

 「畏まりました……と、言いたいのですが、今のシオンの重さでは、持つことすらできないのでは……」

 神獣化したシオンの体重は洒落にならないほど重い。持とうとすればこちらが押し潰されてしまうくらいには重い。

 「ああ、それは無いから安心して。そうじゃないなら、フランは今頃押し潰されて死んでしまってるから」

 「……そういえば」

 シオンを救えたのに安堵していたせいか、フランが潰されていないのを不審には思っていなかったようだ。

 「フランが潰されていないってことは、シオンの今の体重は、氣も妖力も使えない美鈴でも持てるくらいになっているはずよ」

 「使えないの、バレていましたか」

 美鈴は苦笑する。事実、若干だが美鈴の体はフラフラと揺れていて、どことなく顔色も悪く見えた。

 「……とりあえず、持ってみましょうか」

 シオンに近づいた美鈴は、よっと言う掛け声とともに左半身が黒く染まったその小さな体躯を持ち上げる。

 「確かに軽いですね」

 驚いたことに、シオンの体重は普段となんら変わらないくらいだった。フランが潰されなかったのも、コレが理由だろう。

 その時、シオンの体を覆い隠していた黒い鱗が消え失せる。

 「う……!?」

 「……!!!」

 「予想通りと言えば予想通り、なのだけれど……」

 「……アレで生きているって、人間として少しおかしいんじゃないかしら」

 美鈴は驚愕し、咲夜は声にならない悲鳴をあげ、レミリアは予想していたらしく冷静に、パチェリーはシオンの今の状態よりも、何故生きているのかに関して疑問を覚えていた。

 シオンの体――左半身は、惨かった。酷使した左手足は折れ曲がっているとかそんな生易しいレベルではなく、押し潰されひしゃげていた。それ以外の部分も、手足に比べればまだマシだが、それでも凄惨であるのには変わりない。骨どころか内臓まで潰れている可能性さえあった。コレが神獣化の代償ならば、かなり惨い。死んだ方がマシなレベルだ。

 「ッ、今すぐ運んで治療を――」

 「……ちょっと待って、美鈴」

 「パチェリー様、いきなり何を!?」

 美鈴の前に立ち『ここから先は通さない』というよう片手を真横に広げる。

 「目の前に魔法使いがいるのに、頼らないというの? ああ、大丈夫。今回は個人的な理由でやりたいだけだから、対価は要求するつもりはないわ」

 「……パチェリー、様?」

 滅多に個人的な理由などという我儘を言いださないパチェリーが、今回だけはかなりの無茶を言うのに戸惑う美鈴。しかしパチェリーの力を借りるというのは理に適っている。断る理由は何も無かった。

 「……では、頼みます」

 「そう、なら――ッ、ゴホッ! ゴホッ!」

 「だ、大丈夫なのですか!?」

 「……別に、持病の喘息が出ただけよ。症状としては軽い方だから、あまり気にしないでちょうだい」

 「ですが!」

 「今はシオンの方が先よ。このまま放っておいたら、死ぬわよ」

 最悪の結末をあっさりと言ってのけるパチェリー。だが、彼女がこう言う時は、大抵の場合未来に備えるためだ。あらかじめ悲観した状態で物事を見れば、最悪の結末を回避できるかもしれない。それ故に、パチェリーは誰かに嫌われるかもしれないとわかっていても、あえて現実主義者(リアリスト)であり続けているのだ。

 「……頼みます」

 「わかっているわ。私は全力を尽くす」

 パチェリーはシオンの体に手を当てる。触った時の感触が物凄く嫌な感じがしたが、それでも無視した。

 何度か魔法を発動させようとして、その度に喘息をしかけて不発に終わる。しかたがないと諦めたパチェリーは、残り少ない術式による魔法を発動させた。

 「パチェリー、それは?」

 「ッ……私の、研究成果、よ」

 ただでさえ少ない体力を、喘息と残り少ない魔力の不発を連発したせいで、もう息も絶え絶えの状態になっていた。息を荒くしながら、それでもパチェリーは魔力をシオンの体に流し続ける。

 「……コレで、終わ、り」

 パチェリーがかけた魔法は、四日前のと同じ自然治癒力をあげるモノだ。

 「では、早速運んで……」

 「待ち、なさい。本、番は……ここから、よ。少し、だけでいい、から」

 パチェリーは美鈴の手を掴んで止めると、シオンの体に注視し始める。やがて、ポツリと呟いた。

 「……やっぱ、り、そう、なの、ね」

 「何がですか?」

 「シオ、ンの体を、見れば、わかるわ」

 指差したパチェリーの言う通りにシオンの体を見て――美鈴は絶句した。

 「血が……止まって……?」

 そう、シオンの体は妖怪ほどではないが、それでも十分速く治り始めている。

 「コレが、私の気になった、こと」

 少しずつ息を整えながら、パチェリーは説明を始める。

 「いくらなんでも、おかしいにも、ほどがある、のよ。あの大怪我から、たったの三日程度で、目覚めるなんて。だから理由がある、って睨んだのだけれど……」

 結果は、見ての通りだった。

 「シオンの体は、異常すぎる。シオン自身、話していないことも多くあるはずよ。シオンが嘘を吐かないというのを考えるに、コレは能力では無いと思うのだけれど、それも確証は無いわ」

 「「「…………」」」

 パチェリーの慧眼には舌を巻くしかない三人。同時に、シオンのこれまでの人生は一体どんなものなのだろうかと思った。

 「とりあえず、私はフラン様を運んできます」

 フランの体を持ち上げようとした咲夜。だが、フランがピクリと体を震わせたことで、その動きを止める。

 「う……。私は、シオンと、一緒、に……」

 地面を這いずって進んだフランは、自身の手をシオンの右手に絡ませる。それを確認する間もなく、フランは意識を失った。あるいは、今の行動は無意識の内にやっていたことなのかもしれない。

 咲夜と美鈴がすぐに引き離そうとしたが、手はガッチリと繋がっていて離れない。しかたがないと諦めるしかなかった。

 「……今は、どうしようもないわね。運びましょう」

 パチェリーの合図で、咲夜と美鈴は意識の無いシオンとフランの体を運び始めた。

 

 

 

 

 

 シオンが目覚めて一番最初に見たのは、青と赤の入り混じった天井だった。いや、片方は天井であっている。しかしもう片方は、屋根が消し飛んで見える青空だった。ここが二階にあるのは何となく理解したが、それでも紅魔館に屋根が無い場所などあっただろうか。

 シオンはそう疑問に思いながらも、体を起こすために動かそうとして――突如全身に――特に左半身が酷い――かかった激痛に、顔を歪め、悲鳴をあげかける。今更気付いたが、全身の至るところに包帯が巻かれていた。だが、悲鳴をあげることだけはできない。ほとんど無いと言ってもいい右腕の感覚から、ほんの微かにだが、誰かと触れ合う温もりを感じていたのだから。

 だからシオンは、喉元までせり上がって来た悲鳴を飲み込んだ。

 「……目が覚めたのね? かなり早すぎるお目覚めだと思うけれど」

 かなり不機嫌そうな声。それで誰の声なのかわかってしまう。

 「……まあ、一応、ね。教えて欲しいんだが、俺はどうして死んでないんだ? それと、早すぎるって?」

 本来ならばこんな言葉を言わずに、ただ喜べばいいのかもしれない。だが、無理だ。暴走した自分を助けようと思える者はフランぐらいだろう、そう思っていたのだから。

 「……覚えていないの?」

 「何の話だ?」

 自身の質問に答えず、かなり訝しげにしているパチェリーに、しかしシオンは見当がつかない。

 「そもそも俺は、フランに殺して欲しいと頼んでからの記憶が無いんだが……」

 そう、シオンは何も覚えていない。正確にはほんの少しだけ覚えているような気もするのだが、やはり思い出せないのだ。

 「……じゃあ、あの言葉は無意識に? それとも――」

 「……パチェリー?」

 いきなり思考の海に潜り始めたパチェリー。流石のシオンも疑問に思う。

 「何でもないわ。……ああ、あまり体を動かさないでね。目が覚める時は太陽の光を浴びせておいた方がすっきりすると思ってその場所にしたのだけれど……フランがどうしてもって聞かなくて。だからそんな微妙な位置にいるのよ」

 実のところ、シオンよりも先にフランはほんの少しだけ目を覚ましていた。と言っても、シオンを運ぶ時に一緒の場所にして、と言い切った後にすぐに意識を落としたが。しかもシオンの手をぎゅっと握りしめたまま。その上何故か離せない。仕方なく一緒の部屋にした、というわけだ。

 シオンは寝そべっているせいで余り周囲の景色が見えないのだが、パチェリーからはよく見える。

 シオンが寝ているベッドは、何と部屋の中央にあるのだ。左半身は日に当たっているが、右半身は屋根の影になっている。その右手を掴みながら、地面に足をつけ、頭をベッドの上に乗せて寝ているフランがいた。一歩間違えれば日に当たり、すぐさま灰になりかねないような危険な位置だ。

 だがシオンは空間認識能力がずば抜けている。いずれはわかるだろうと思っていたパチェリーの予測すら遥かに超える速度で、この部屋の状況を理解した。

 「……フランが灰になるぞ? 太陽の位置的に今は午前。午後になったら嫌でもフランに日が当たるようになる。……ああ、そういうことか。俺が暴走したのが大体午前二時から三時の間。で、今がその日の午前。確かに早すぎるな」

 途中からぶつぶつと呟き始めるシオン。が、その呟きはすぐ傍にいるパチェリーには丸聞こえだった。

 「理解するのが早すぎよ。まあ、どうせ貴方はすぐに起きると予測していたし、最悪午後になったら無理矢理にでもフランを引き剥がすつもりだったわ」

 「そう、か」

 シオンは。それでもそんなのはどうでもよかった。今のシオンは、生きているだけでも奇跡のようなものなのだから。

 だから、それに甘んじた。

 「なあ、パチェリー」

 「何かしら?」

 「俺の立場って、どうなるんだろうな」

 目覚めたばかりの状況でもわかる。今のシオンは、とてつもなく微妙な立ち位置にいるのだと。実際その考えはあっていた。紅魔館にいる五人を殺しかけたのだ、シオンは報復として殺されてもおかしくはない。

 当の本人も、フランたちに殺されるのならば別にいいと思っていた。

 「……貴方は、どんな考えを持っているのかしら?」

 「殺されるか、奴隷扱いか。どのみち碌な予想じゃないとは言えるよ」

 「……本当、どこをどうやったらそんな思考回路になるの?」

 「俺のいた場所じゃ、たった一つのパンよりも人の命の方が軽かったからな」

 シオンは大人の汚さを知っている。自分が助かるために平気で人を騙し、何かを奪い、殺していく。醜く汚かった。生き残るために仕方なく食べ物を盗む子供の方が遥かにマシだと思えるほどに。

 こういった思考が既に子供らしくないことに、シオンはまだ気付いていない。

 「なら、一つ聞かせてちょうだい」

 「……何?」

 「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 「――ッ!?」

 息を呑むシオン。それは、誰も知らないことだった。本当の本当に一部の例外しか知らない残酷な事実。あの姉でさえ、この事は知らなかった。

 「……何の、話しだ?」

 「誤魔化さないで。感情を増幅させるなんて訳の分からない機械、望んで受け入れるはずがないでしょう?」

 コレで、完全に決まった。パチェリーは――いや、おそらくは紅魔館にいる全員が、その事実を知っている。

 「…………」

 それでもシオンは言いたくなさそうに顔を歪めた。コレを話すということは、シオンの人生の一部を話すことになるからだ。

 「言っておくけど、話さない、なんて選択肢は貴方には無いわ」

 だが、それを予期していたパチェリーが先手を打つ。シオンの顔が更に歪むが、パチェリーは全く気にしなかった。

 やがて諦めたのか、シオンは溜息を吐いた。

 「アレは、元々感情を増幅するものじゃ()()()()

 「は……?」

 口を開けて呆けるパチェリーを無視して、話しを続ける。

 「そもそも、感情を増幅させて良いことなんて何も無い。なら、逆に考えて見てよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()、って」

 「それ、は……まさか……!?」

 「そう、()()()()()()()()()()()()()()()()

 絶句するパチェリー。しかし、すぐに泡を食ったようにしながらも叫んだ。

 「そんなの……そんなのは不可能よ! 感情を増幅させるのならわかる。人の感情は簡単に増幅させられるのだから。だけど、感情を消すなんて……そんなのは!」

 「じゃあ聞くけど」

 シオンは、顔を少しズラしてパチェリーの方へ向ける。

 「感情を増幅させる方法がわかるのなら、そこから逆算して感情を消滅させる術を見つけられるとは思わないのか? まあ、かなり困難であるのには同意するけど」

 「……ッ」

 確かにそうだ。むしろ当然の考え。

 病があるのなら、それを治そうとするのが人間。例えその時は治せない不治の病であろうとも、長い年月をかけて解決法を見つけ出す。そうやって発展してきたのだ。それが、()()()()()()()()()()()()()()

 シオンに植え付けられたのは、それに該当している。だが、感情を消滅させる実験を、そう何度も繰り返せるのだろうか? 一度消せば、もう戻らないのに決まっている、そう思うパチェリーに、シオンは言った。

 「別に完全に消す必要は無いよ。それだと、ただことを聞くだけのロボットとなんら変わりないからね。だから、一時的にでも反抗心を無くせばそれでいい。例えば――」

 そう言ってシオンはいくつかの例を話し始めた。

 例えば怒りを覚えたのなら、感情を消してそれを無くす。だが思考まで完全に消せるわけでは無いから、恨み辛みの言葉は考える。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 例えばもう止めたいと泣き叫んでも、悲しむという感情を消して、無理矢理やらせる。心の中では悲鳴を上げても、止まる事は無い。もし仮にそのまま心が壊れたら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()もあるので、心が壊れていようと問題が無いのだ。

 「――他にも色々ある。ああ、一応伝えておくけど、今言ったのは()()()()()だ」

 「……胸クソ悪くなる話ね」

 笑えない、本当に笑えない話だ。

 「俺もそう思うよ。けど、()()()()の狙いは生きた人形を作り上げることなんかじゃない。あくまで自立させることにある。ここから先は……言いたくない」

 もう話す気は無いと、シオンは頑なに口を閉ざす。

 だが、パチェリーは問いだたせない。聞こえてしまったから。シオンの声が、ほんの微かに震えているのを。流石のパチェリーも、聞いている理由の大半が知的好奇心のみだったため、これ以上聞くのを続けられるはずが無かった。

 余程切羽詰っている状況なら話は別だが、今はその必要も無い。

 「……そう、なら私はもう出て行くわ」

 パチェリーは背を向けて去って行く。シオンはそれを止める気は無かった。シオンは彼女に体を癒してもらったりした借りがあるが、そこまで親しいわけでもない。

 むしろ、この部屋にいる()()()()の方が親しいくらいだ。

 パチェリーが部屋を出て行くのを確認すると、シオンは呟いた。

 「……そこで気配を誤魔化してないで、さっさと出てきたら?」

 その言葉に、ほとんどの者なら気付かないであろう隠行が揺らいだ。

 「やはり、バレていましたか」

 「まあ、隠行は俺もかなり得意だから。逃げるためにも、気配を同化させるのには必須なことだったし」

 美鈴は物陰から出てきた。それは寝ているシオンの頭上からだったので、もしあの隠行がバレていなければ、絶対に気付けない位置だった。

 「で、何か気になる事でもあるのか?」

 「はい。……シオンの左目のことを知り、失礼ながら確認させていただきました」

 シオンの左目には包帯が巻かれている。正直巻かれていてもあまり意味は無いのだが、と思うシオンだが、動けない現状では解くことはできない。

 「その傷は、()()()()()()()()()()()()()ですね?」

 「……ああ、そうだ。()()()()()()()()

 美鈴は小さく息を呑む。抉り取られたことまではわかっても、自分で抉り取るというところまでは予想できなかったのだろう。

 「……そう、ですか」

 それきり、二人の話は途切れてしまう。不自然な沈黙が訪れる前に、シオンが尋ねた。

 「……一つ聞きたいんだけど、さっきの話はレミリアにでも報告するのか?」

 「……はい。不愉快でしょうが、許してください」

 「別にいいよ」

 若干暗い顔をしている美鈴に、しかしシオンは明るい声で言う。

 「そもそも、俺は殺されてもおかしくはないと思ってるくらいだ。そっちを殺しかけたのにこうして助けられて……」

 少し安堵しかけた美鈴に、でも、とシオンは付け加える。微かに身構える美鈴を全く見ようともせずに、シオンは右手にかかる力をほんの少しだけ強くする。たったそれだけの動作でも、シオンの体には例えようも無い激痛が走る。

 それでも、そんな()()()()()()()()は気にせず言った。

 「フランにだけは、言わないでほしい」

 「それだけ、ですか? もっと何かあるのでは……」

 「無いよ。言っただろう? 俺には欲なんてほとんど無いって。でも、たった一つだけ、あると言えばあるんだ」

 そしてシオンは、明るい笑顔で言い切った。

 「――大切な人には、笑っていてほしい、幸せでいてほしいって、欲は。フランには人間の『闇』なんて知って欲しくないんだ。コレはあくまで俺の押し付け。いずれフランも人間の汚さを知ってしまう。でも、今は、今だけは知らないでいてほしいんだ。だからコレは、俺の欲なんだよ」

 人の『闇』を、『悪意』を知って欲しくないと考え、それが欲だと言い切るシオン。だがそれは『欲』などではない。欲などという無粋な言葉で呼んでいいものではない。

 「……それは欲ではありません、人として当たり前の、『願い』です」

 シオンはきょとんとした顔をする。珍しいにもほどがある表情だった。

 やがてシオンは言葉の意味を飲み込めたらしく、とても嬉しそうに言った。

 「ありがとう」

 美鈴はその顔を見ながらもフランの手をシオンの手から外し、シオンの体に響かないようにベッドを動かす。いきなり右目に届いてきた太陽の光にシオンは目を細める。

 美鈴はそのままフランをだっこし、扉から外に出ようとした。

 「……ああ、それと」

 取っ手に手をかけながら、シオンに言った。

 「体が痛むのであれば、痛いと叫んでもいいのですよ?」

 シオンの返事すら聞かず、美鈴は部屋を出て行った。

 「……バレてたのか」

 どうやらパチェリーは天井が無いことに訝しんでいたと思い込んでいたようだが、戦闘のプロである美鈴の目は誤魔化せなかったらしい。しかも、その理由が何故かも理解している。もしも理解していないのであれば、()()()()連れて行く必要は無いからだ。

 シオンは美鈴の忠告通り、両手でベッドのシーツを握り込み、声を押し殺すように小さく悲鳴を上げ始めた。

 

 

 

 

 

 美鈴はフランを別の部屋に運び終えると、その足でレミリアのいる部屋に移動していた。

 「……じゃあ、シオンに植え付けられていたあの機械は、シオンが意図して植え付けたモノではない、と?」

 「そうなります」

 レミリアはあの戦闘から一切寝ていない。戦闘での疲労感もある。が、全くと言っていいほど眠気が無かった。しかたなく、そのまま起き続けたのだ。

 「なるほど、ね。シオンが人間を嫌悪する理由がよくわかったわ」

 美鈴はシオンの言う通り、レミリアの報告に来ていた。が、美鈴はシオンの処断を聞きに来たのではない。もしレミリアがシオンに殺すと言った命令を下せば、諫言を言うつもりで来たのだ。例えそれが理由で、ここをクビになることになろうとも。

 「じゃあ、お咎めなしでいいわよ」

 「……は?」

 しかし、あっさりと返って来た言葉は、あまりにも軽すぎるモノだった。

 「……それで、いいのですか?」

 諫言をしに来たはずなのだが、あまりにも軽すぎてつい口を挿んでしまった。言わなければこのまま通るかもしれなかったのにと、言ってから思ってしまったが、もう遅い。言ってしまった言葉は覆せないのだ。

 美鈴が少し緊張している中、レミリアはフゥと溜息を吐いた。

 「そもそも、最初から殺すつもりなら、助けるつもりなんてなかったわよ。やっとフランは幸せになれるのよ? それを奪うつもりなんてさらさらないわ」

 それを聞いてほっとする。レミリアのフランに対する甘さは筋金入りだ。これならば本気で安心できる。

 「……そこまで安堵している様子を見せられると、少し傷つくのだけれど。そこまで不安に思っていたの?」

 「ええ、まあ。お嬢様は身内には甘いですが、他人には冷酷ですので」

 事実、レミリアはフランのためにここに迷い込んだ、あるいは侵入してきた何万という人間を生贄同然のように捧げていた。しかも、無表情で。アレを見た美鈴からすれば、心配し過ぎることはあっても、心配しないというのはありえないことだった。

 「シオンは例外中の例外。家族とシオンどちらか、という天秤にかけられるだけで、私がどう思っているのかは察しなさい」

 ハッとした顔をする美鈴。

 確かにレミリアはシオンを家族だとは思っていない。だが、それもそうかと思った。たった数日前に出会った人間を家族だと思うなど、レミリアではない。

 むしろ、たった数日でここまでの信頼を得たシオンを褒めるべきだろう。

 「……それでは、シオンの立場はどうするのですか? 完全にお咎めなしだと、それはそれで角が立ちそうですが」

 「そうね……なら、フランの執事、でどうかしら? 一時でも従者として従っているというのがわかれば納得するでしょう。そもそもシオンに対して怒っている者がいるのかどうかすら謎なのだけれど、ね」

 悪戯が成功した子供のように――実際外見は子供だが――クスクスと笑う。だがその真意はわかる。シオンを、フランの我儘にできる限り付き合わせようとする配慮だろう。

 しかし、一つ問題があった。

 「……シオンは、礼儀作法など全く覚えていないのでは」

 「……そこだけが問題なのよね」

 力があり、歪ではあるが知識もある。が、如何せん今までの人生が人生だ。まともな人との接し方など、知っているはずがない。

 「まあ、何とかなるでしょう。シオンなのだから」

 「そうですね、シオンですし」

 それで納得してしまう二人。だが、本当にシオンならば何とかしそうな気がしてしまうのだから恐ろしい。

 「じゃあ、シオンにそう伝えておいてちょうだい。ああ、傷が治ってからでいいということと、服はそのままということ、咲夜に仕事を習ってとも、ね。流石に怪我人を動かすほどではないし、正直足手まといだと思うから」

 「……最後の言葉だけ省いて伝えておきます」

 美鈴は部屋を出て行く。レミリアは頭上を見上げた。そこは、野晒しになった壊れた屋根があった。

 「……本当、どうしましょうかしらね、コレは」

 シオンを助けたのはいいが、この惨状だけは早急に何とかしたいと思うレミリアだった。

 

 

 

 

 

 「は? 執事?」

 出て行ったかと思えば十分もせずに戻ってきた美鈴に開口一番にそう言われ、さしものシオンも困惑する。しかも『執事』だ。わけがわからない。

 「……何がどうなればそうなるんだ?」

 「……フラン様の我儘を見ろ、と」

 「……ああ、そういうこと」

 「……理解が早くて助かります」

 処罰をコレにする、というより、フランが一番頑張ったのだから、フランにご褒美を上げたいと言う姉心なのだろう。それがシオンの『執事化』というのは納得いかないが。姉バカここに極まれりという、レミリアをかなり侮辱していることを思うシオン。

 「それに関しては、レミリア様が主になりますので、その妹君にあたるフラン様の命令を断れない、というのが理由かと」

 「……別に断るつもりも無いんだが。ただ、一つ訂正させてもらう」

 シオンは動かない体で、それでもその精神力の強さで右腕を動かし、人差し指を美鈴の顔に向ける。

 「俺は命令だからイヤイヤやるんじゃない。フランと遊びたいから付き合うだけだ。そこは勘違いしないでほしい」

 美鈴は少し目を見開き、そしてクスクスと笑い始めた。

 「何かおかしいことでも言ったのか?」

 「いえ、どこか変わったな、と思いまして」

 「……だろうね。自分でもそう思うよ。……背中に乗っかってた重圧が取れたから、なのかね」

 腕をベッドの上に落とす。静かに下ろすという作業すら苦痛だった。まあ、結果的に痛みが増したような気がするが、シオンは特に気にしない。

 「でも、悪くない」

 「フフッ。ああ、それともう一つ。執事になるのは怪我が治ってからで、服装はそのままでいいそうです。仕事に関しては咲夜に頼んで教えてもらってください」

 「……わかってる。コレはあくまでも非公式な内容。バレるわけにはいかないってとこなんだろう?」

 「わかっているのであれば構いません。それでは、私はこれで」

 今度こそ部屋から出て行く。ついでに感覚を鋭敏化させて美鈴を追跡すると――鋭敏化させたせいで激痛も増したが――食堂に向かっていくのが分かった。

 「……別に一週間くらいなら飲まず食わずでも平気だけど、食事とかはどうすればいいんだろうか?」

 自分が異常な事を呟いている事実に気付かないまま、シオンは食事の心配をした。

 

 

 

 

 

 その後、シオンはまた眠りについた。起き続けても構わなかったのだが、全くと言っていいほどにやることがなかったのと、どちらかというと寝ている方が回復が早いからだ。

 その間にも、夜に起きたらいつの間にか部屋に戻されていたフランが急いでシオンの元へと戻ったり、それをレミリアが影から眺めたり、咲夜が屋敷をどうにか修復しようと無駄な努力をしたり――と、とにかく慌ただしく動いていた。

 結局シオンは、眠ってからまた三日ほど、意識を戻さなかった。たった七時間ほどで目覚めたのは、単に気が張りつめられていたせいだろう。それが解けたことで、その小さな体に圧し掛かっていたものが一気に戻って来たのだ。

 しかし、その笑顔は安らかだった。下手をすれば、死んでいるとも取れるほどに。それがフランを心配させているとも知らず、シオンはひたすら眠り続ける。

 三日目――紅魔館に来てからちょうど一週間目の夜、シオンはその眼を開いた。

 「ん……また結構眠ってたのかな」

 ボンヤリと――そう、本当に珍しく眠そうにあくびをしながら、シオンは呟いた。その目はショボショボと動いていて、先程まで深く眠っていたのが窺える。

 あの時、前に三日も眠っていた時は、起きた瞬間でさえあくびもせずに――激痛が理由かもしれないが、それでもすぐに周囲の様子を理解していた――ほんの一瞬で周囲を把握していたのだから。

 「ッ……また骨とか潰れてるな」

 微かに戻った感覚から、左半身、特に手足が酷いのを察するシオン。幸運といえるのかどうかはわからないが、内臓はあまり傷ついてないようだ。

 体細胞変質能力を発動し、髪を潰れた肉と骨の代わりにする。今回はかなりの量を怪我していたため、代替物として使用した髪が一気に無くなる。腰を超えるくらいまであったはずの長さが、肩より少し長い程度になってしまった。それでもシオンには特に気にした様子が見られない。

 傷がある程度まで治った――完治までさせてしまうと、髪程度の量では足りなくなってしまうのだ――シオンはベッドから起き上がる。ついでに顔に巻かれていた包帯を解いた。そして三日ぶりにその目を開く。

 ――左目の無い、空洞を。激痛の酷さによってほとんどの感覚が麻痺したせいで、今の今まで全く気付くことができなかった。

 「……え? な、い?」

 気になってはいた。何故美鈴が左目のことを知っているのか。それが、この理由だったとすれば納得がいく。納得はできるが――

 「どこ、どこにいったんだ。アレは、アレだけは絶対に失くせないのに。黒陽も白夜もどうだっていい。アレだけは、絶対に!」

 聞きようによっては神器を手放してもいいと、聞く者が聞けば卒倒するような台詞を言いながら、シオンは義眼を探す。しかしあるはずもなかった。

 そこで一つの可能性を思い出す。自分の左目が無い。無くなった可能性があるとすれば記憶が無いあの時間のみ。そしてもしあそこに落ちたなら、どうなるのか。

 「まさか……壊れ――!」

 そこから先は言いたくなかった。もしも本当に壊れていたなら、シオンはまた立ち上がれなくなるかもしれない。確証が無かった。()()()()()()()()()()()()()

 「もっと、義眼を頑丈に作っておけば」

 ある特性を持たせたせいで、義眼はそこまで頑丈なモノではなくなった。もしも頑丈にできていたのであれば、失くすことはあっても壊れる可能性は無かったのにと思いながら、シオンはどうすればいいかと考える。

 (どうする。理由を説明してもまだ体調が万全じゃないのはすぐに美鈴にバレる。なら紅魔館の誰かに言って探してもらうのは……ダメだ、この惨状から判断して、まだ何かを頼めるような状況じゃない)

 シオンは紅魔館の屋根が吹き飛んでいるのは、自分がやってしまったせいだろうと思っていた。事実、間違っていない。

 シオンが戦闘に巻き込まれて、ではなく、自分がやったと考えたのは、単純に吹き飛んだ跡にしては表面が滑らか過ぎるせいだ。おそらく何かが起こってしまい、重力制御能力でも使ってしまう状況になったのだろう。

 レミリアたちが自分から紅魔館を破壊しようなどとは考えないだろうしと思いながら、シオンはどうするか悩む。

 (……マズい。何も思い浮かばない)

 流石のシオンも、どうにかできる状況ではなかった。シオンは賢い、が、天才というわけではないのだ。咲夜が永琳と呼んでいた人ならば何かできるのかもしれないが、シオンには無理だ。

 やがて、シオンはウロウロと歩いていた足を止める。

 「……姉離れ、する時期になったのかな」

 今までのシオンならば考えることすらしなかったこと。だが、コレはいい機会なのかもしれない。シオンの姉に対するそれは、最早依存というレベルになりかかっている。

 (もう、姉さんはいない。追いかけられもしない幻影を追いかけるなんて、バカがすることだし)

 だが、やはり失くしたい物ではなかった。アレは、シオンが指輪を贈る相手は最愛の人のみだというのが載ってあった本を見て渡したものだ。それを、息絶える瞬間まで、余程の事情でもなければ――あるいはどうしても外さなければいけない状況でなければ――ただの一度も外すことなく指につけ続けてくれた、あの指輪だけは、失くしたくなかった。

 (それに、アレだけが姉さんの唯一の形見なのに)

 他の物は、残さず全部燃やしてしまった。二人で一緒に住んでいた、ボロいけれど温かかった家も、姉が大切に使っていた、櫛などといった、ほんの少しだけしかない外見を整えるための道具も、服も、何もかも全部、一切合財燃え尽きた。

 姉の体だけは、遺髪として髪を切り取ってから別の場所で燃やした。そして、あの地獄のような場所の中でまともと言える場所に撒こうと、遺灰にした。

 そうしたのは、姉の願いを少しでも叶えたかったからだ。姉はよく言っていた。『ずっと心に残り続けるような、そんな景色が見たい、と』。結局今も持ち続けている遺灰を――どこに持っているのかは、シオンだけしか知らない――どこかに撒くために、シオンは綺麗な景色を探し続けているが、やはり見つかりそうになかった。

 コレに関しては半分くらいは諦めてしまっている。景色をどうこうするのは、シオンでも不可能だ。

 遺髪に関してはもう無い。()()()()()()燃え尽きた。だから、形見と呼べる物は、もうあの指輪しかなかったのだ。

 「……それとも、あの指輪、姉さんの加護でもあったのかな。死ぬしかなかったあの状況で助かる理由なんて、それくらいしか思いつかないし」

 聞きようによってはフランたちの努力を否定するものだ。だがこの一点に関しては、フランも否定できない。

 実際、あの記憶を見せられなければ、フランがシオンを助けると決意できたかどうか、果てしなくきわどいほどに窮地の事態だったのだから。

 が、当のシオンはそんなのは知らない。ただ単に言ってみただけだ。

 そんなシオンの耳に、誰かがこの部屋に歩いてくる音が飛び込んできた。パタパタと何かがはばたく音がするのを考えるに、レミリアかフランのどちらかだろう。シオンはベッドの上に投げ出した包帯を取り、急いで左目に巻き付ける。

 包帯を撒き終えると同時、その音は部屋の前で止まり――そのまま、入って来た。

 「……ッ!!」

 「おはよう、フラン」

 上手く言葉が返せただろうか、上手く笑えただろうか、そう思いながらも、シオンはフランの顔を見る。

 フランの顔は百面相と呼べるほどではないが、様々な色を見せた。驚愕、困惑、怒りといったものから――涙を流す顔へと。

 「……シオン」

 「何?」

 フランの目には、穏やかに微笑むシオンの顔があった。厳しい顔でも、無表情でも、まして悲しい顔でもない。嬉しそうに笑いかけてくれる笑顔だけが、そこにあった。

 「……おはよう!」

 フランは泣き笑いの表情をしながら、シオンに飛び付いた。




次回からは穏やか?な日々にしたいと思っている……んですが、どうなるやら。
正直、コメディ系のお話は書けません。シリアス方面しか無理。

追記
プロローグの部分を修正しました。
弾幕ごっこはレミリアが幻想郷に襲撃してきたころからあったのに、この話では何故か現代から作られた設定になっていました。
コレに関しては作者が東方の設定をきちんと確認してなかったミスです(こういった小さな設定のミスの積み重ねが後々問題になるとわかっているのですが、どうしても出ます……)。
代わりに『弾幕ごっこの追加ルール』を作ったという設定に変更しました。このルールに関してはかなり先に出ることになるとは思いますが、皆さんが納得できるルールだと思います。ご了承くださるようお願いします。


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新しい日常

 シオンに飛びついてからひとしきり泣いたフランは、眼をゴシゴシと擦った。

 「そ、そういえば、何も気にせず飛びついちゃったけど……怪我は、大丈夫なの?」

 「もう完治した。俺の回復速度は知ってるだろ?」

 「それは知ってるんだけど……。その回復力、妖怪、とまでは言わないけど、人間離れしすぎだよ」

 赤くなった顔と目でシオンを睨む。顔が赤いのは抱き着いていたのと、シオンの目の前で泣いてしまって恥ずかしかったからであり、眼が赤いのは単純に泣いていたからだ。

 「まあ、それが俺だからね。しかたがない」

 煙に巻くように適当に答えるシオン。理由を話す気が無いのだろう。もちろん、そんな言葉で納得するようなフランではない。

 「むーッ! シオンを助けたのが誰か忘れてない?」

 しかし、それは墓穴だった。

 「忘れてない」

 シオンは今まで適当に答えていたのが嘘のように真剣な顔でフランをみつめる。そしてフランは思い出す。シオンと、キス、したのを。フランの顔が急速に赤くなっていく。しかしそれにシオンが気付く事は無かった。

 「え、ぁ……」

 「本当にうろ覚えだけど、フランに助けられたのは覚えてる」

 ――それは、キスのことも覚えているの?

 そう聞きたかったフランだが、体が竦んで動かない。圧倒的なまでに知識が無いフランでもわかる。キスは、とても大事な物だということくらい。

 だからこそ、胸の動悸が収まらない。顔が赤くなるのも止まらない。

 シオンはフランの様子がおかしくなっているのに気付いていない。気付かないままフランの手を取って――

 「だから、ありがとう」

 ただ真剣な眼で、フランを見るだけだった。

 「~~~~~~~~~~~~!!!!!!」

 シオンの顔は端整だ。ほとんど女性のような顔立ちに、白すぎる印象を持つ外見はもはや少女にしか見えない。だが、鋭く見据えるようなその眼差しは、やはり姿は小さくともシオンは男だと思わせるものとしては十分だ。

 「う、うう……」

 「フラン?」

 「うああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ訳がわからないよおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッッッッッッ!!!!!」

 「おい、フラン! いきなりなんだ!?」

 いきなり奇声を上げて逃げ出すフラン。左手を伸ばしかけるが、微かに残る体の痛みに反射的に身を竦めてしまう。痛みには慣れているといっても、それはあくまで持続的な激痛の方なのだ。やはり唐突な痛みには反応が鈍る。

 そのままフランの背中を見送ったシオンは、ポツリと呟いた。

 「いきなりどうしたんだ……?」

 もしもここにレミリアがいたのなら、容赦なくぶん殴られていただろう。だがシオンもふざけているわけではない。単純に、わからないのだ。

 そう、シオンは他人からの悪意はわかっても、他人からの好意がわからない。顔を赤くするというわかりやすい反応でさえも、体調が変化した程度にしか捉えられない。

 だからこそシオンは、やっぱり嫌われたのかな、と思うしかなかった。それが全くの見当違いな考えだとは一切気付かずに。

 

 

 

 

 

 一方、あの部屋から飛びだしたフランは、シオンの前から逃げ出したことを――特にあんな奇声を出したことを少し後悔していた。

 (うう……どうして私はあんな恥ずかしいことを……)

 フランはどうしてシオンからあんな顔で見られて恥ずかしいのか、()()()()()()()()()()()()()()()、その理由がわからない。それが、()()()()()()()()()だということにも気付けない。

 人と人との触れ合いは、誰であろうととても難しい。まして恋など、人間にとって特に難しい難題だ。なんせ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()すらいるほどなのだから。

 まして、フランはまともに人と触れ合った時間が圧倒的に少ない。()()シオンとどっこいどっこいといったレベルだが、人の悪意に多く触れてきたシオンの方がまだマシだ。いや、マシだと言い切れるのかどうかはかなり微妙なのだが。

 (……シオンに、嫌われちゃったかな)

 お礼を言ってきた相手に、あんな変な叫び声を出しながら逃げる。それがどれほど失礼なことなのか、人間関係に関しての経験が少ないフランでもわからないはずがない。

 胸が切り裂かれるような痛みを微かに感じ、そしてその理由が何なのかわからないまま、フランは小さく溜息を吐く。

 (……次会ったら、謝ろう)

 顔を会せたらまた真赤になりそうだという予測すらできないまま、フランは紅魔館の長い長い廊下を歩き出した。

 

 

 

 

 

 一方その頃、シオンは何かすることが無いかと部屋を抜け出した。それからしばらく歩いて廊下の角を曲がろうとした矢先、いきなり咲夜と遭遇した。

 料理の材料、野菜などを入れた取っ手のついた籠で持っているらしき咲夜も、いきなり目の前に現れたように見えるシオンに驚いてしまい、持っていた籠を手放したせいで果物や野菜を床に落としてしまう。

 ボトボトと床に落ちる食材。咲夜は食材が傷まないようにすぐに床に膝を着かせ、食材を籠の中に入れ直し始めた。

 「ごめん、咲夜」

 言いながらシオンも手伝い始める。二人で黙々と転がった食材を集めた結果、意外と速く集まりきった。

 「ごめん、周囲の気配を探るのを忘れてた」

 もう一度謝罪をするシオン。咲夜はともかくとしてシオンが気付かなかったのは、いつも張りつめていた緊張感を解いていたからだ。常時気配を探り続けていない今、誰かが近づいていても気付けない。理由はただそれだけだった。

 「いえ、それは私も同じです」

 咲夜の方は、単純に人手不足である紅魔館では、人と擦れ違うということがほとんどないからだ。レミリアは書斎に、美鈴は日中門番をしており、パチェリーは図書室から全く動こうとしない。今はフランがいるとはいえ、それでも確率としては低いのだ。

 「なあ咲夜。それは一体どこで? どこかに買いに行ったってわけでもなさそだし」

 「ああ、コレは私と美鈴が育てたモノですよ」

 「二人だけでか?」

 「そうですよ。確かに買ってくるのは楽ですが、やはり品質が良く、瑞々しい野菜を使いたいのであれば、自分で作った方が効率的ですので」

 「凄いな」

 シオンの簡潔な一言。だが本当にそう思っているらしく、籠の中の野菜を一つ手に持って観察し始めた。

 「ところで、シオ――」

 「咲夜、頼みがある」

 野菜から眼を放したシオンが、咲夜の顔を見ながら珍しく頼み事をする。咲夜はつい面食らってしまった。

 「……え?」

 シオンからの頼み。咲夜はその理由がわからなかったが、とりあえず頷いた。

 「まあ、構いませんが」

 「そうか。なら、さ」

 どこか言い難そうに後頭部を少しだけ掻いて、咲夜に言った。その目線は、自分と咲夜の腕の中にある食材に向かっていた。

 「――俺に、料理の仕方を教えてくれないか?」

 「……はい?」

 意外としか思えない頼みに、咲夜は思わずというように間の抜けた声を出してしまった。

 

 

 

 

 

 とりあえずキッチンにまでシオンを連れてきた咲夜は包丁などを取り出す。包丁を始めとした調理器具をシオンに渡して指示を出しておいた。それから数分。

 (……何故、私がシオンに料理を教えているのでしょうか)

 そう疑問に思いながらも、咲夜の手は止まらない。料理をしている人間の姿をあまり見たことが無いシオンからすれば、その動きはかなりのものだった。

 正直、戦闘よりもこちらの方が向いている、と思うほどに。実際咲夜の料理はそこらのプロ顔負けレベルだ。元々料理の才能があったのだろう。

 しかしそれは表に出さない。シオンは咲夜に言われた通り、淡々と野菜などを切り分けるだけだった。今回は包丁の使い方を重点的に教えるらしい。

 「シオン、食材というのはただ切ればいいのではありません。それをどういうふうに切り分けて料理に使い、どう工夫を凝らすのか。それが大事なのです」

 「食べられればそれでいい、というわけではないと?」

 「はい。確かに味は大事ですが、それで外観を損なっては本末転倒です。例えば、見た目が気持ち悪い物を食べたいとは思わないでしょう?」

 「……俺だったら、美味しくて栄養があるんだったら、見た目がどうであろうと食べると思うんだけど。流石に体に悪影響のある『何か』が含まれてるんだったら遠慮するけどね」

 栄養さえあれば、見た目どころか味が最悪だろうと躊躇無く食べてしまいそうな気さえする。シオンの言う『何か』が含まれていなければ。

 「……それはシオンだからだと思いますが。とにかく、料理は味も大事ですが、外観も大事なのです。わかりましたか?」

 「了解。咲夜の指示に従うよ」

 そんなこんなで色々あって、シオンは咲夜に言われた通りに色々な切り方を試した。とはいっても、シオンは咲夜がどんな料理を作るのか知らない。だからある程度適当に切るしかなかった。見本となっている野菜の切り分けられた物を見て、薄切り、輪切り、半月切り、いちょう切り、みじん切りなどなど、とにかく色々やる。

 料理を切っていると、咲夜がいきなり引き攣った声で言った。

 「……シオン、貴方はいつもそんな切り方を?」

 「ん? いや、俺は料理をするのはコレが初めてだけど。姉さんも全然手伝わせてくれなかったし」

 「……では何故、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 そう、シオンは包丁を扱うにしてはかなりおかしい握り方で使っていた。しかも、それで凄まじく正確な切り方をしているのだから何とも言えない。思わず頭をかかえたくなってしまうような、優秀なのだがある意味出来の悪い生徒だった。

 「そもそも、俺は包丁の握り方なんて知らないし。ならコレでいいんじゃないか、と思ってこうしたんだが、間違っているのか?」

 「……そう、でしたね。シオンはそういったのとは無関係な人生でしたのでしょうし。シオンを責めるのはお門違いですね」

 咲夜は少々大きな溜息を吐くと、踏み台を使ってなんとかキッチンの台を使っているシオンの後ろに回る。このキッチンは咲夜の背に合わせて作られている――正確には作り変えられている、の方が正しい――ので、台の高さはかなり低い。が、咲夜よりも遥かに身長が低いシオンは、どうしても踏み台を使わなければならないのだ。

 そして咲夜は、シオンの背中に抱き着くようにしてその腕に自身の腕を沿うような形にすると、シオンの両手を掴む。

 その時、ふと思った。

 (……小さい、ですね)

 シオンは本当に小さい。身長がわずか一〇〇センチメートルにも届いていないのだから当然と言えば当然なのだが、戦闘において強すぎるシオンを見続けていたせいで、そんな印象はいつの間にか消えていた。

 (こんな体で、あんな凄まじい戦闘を)

 シオンの印象がまた変わりそうな気がした。本来ならば守られるべき小さな体躯。しかもあの身体能力に反して体は細く柔らかい。少し強く抱きしめただけで折れてしまいそうだと錯覚するほどだ。

 「……? 咲夜?」

 「! す、すいません。では、正しい包丁の握り方を教えますね」

 「お願いします」

 珍しく敬語のシオン。咲夜は微かに笑みを浮かべると、自身の手を動かして、シオンの手を動かす。

 「では、今回は包丁の握り方として一般的な押さえ型と握り型を。今回は野菜を切っているので、念のために指差し型についても教えます。まず押さえ型は――」

 シオンが怪我をしないように――元々怪我をするような人間ではないだろうが――注意深く手を動かす。シオンはそれを集中して聞いていた。

 まるで幼い子供二人が支え合って料理をしている姿。まあ、どうやったとしても外見的に咲夜が姉で、シオンが弟――というよりは妹――になるのだが。

 それでも二人の姿は、さりげなく氣を使って紅魔館の中を見ている美鈴に見えていた。

 (フフッ。平和ですねぇ)

 互いの技術の粋をぶつけ合う戦闘を除けば、笑顔を浮かべて楽しそうにしている子供を見るのが美鈴が一番好きな時間だ。一日中門の前で番として立つという暇すぎる作業も、今だけはとても楽しかった。

 

 

 

 

 

 「ところで、何故シオンは料理を教わりたいと?」

 とりあえず下拵えを終わらせた、という段階になり、手を洗いながら咲夜が尋ねる。その横で同じく手を洗いながら、シオンが答えた。

 「……多分、コレからの俺の生活に必要になるから、かな。特技を増やした方が、いずれ役に立つ時が来るだろうし」

 「?」

 「最初の『お願い』の時にも言っただろ? 俺はこの世界の事情を知りたいって。理由としては元の世界に戻るため、だったんだが……」

 シオンは言葉を濁す。

 「俺は、まともな生活を何一つ知らない」

 それは、人と人という歯車が合わさってできる『社会』において致命的過ぎた。

 「そんな状態で外に出て行っても、どうなるのかはたかが知れてる。だから、少しでも特技を増やしたかったんだ。咲夜ほどとは言わないけど、それでもある程度料理ができるんだったら、食事処の手伝いとか何かでお金か何かもらえるかもしれないし」

 シオンとて何も考えずにこの世界を回ろうとしていたわけではない。物を得るには対価がいる。だから何かを学ぼうとしているのだ。

 「まあ、咲夜から料理を学びたかった理由は、もう一つあるんだけど……それに関しては、いずれわかると思うよ」

 苦笑しながら、何かを思い出すようにしつつ続きを言う。

 「確か、聞くは一時の恥じ、聞かぬは一生の恥じ、だったかな」

 「それが今の状況と何の関係が?」

 「別に? 単純に、俺は何で学べる時に学ぼうとしないのか、それが不思議なだけだ」

 「はぁ……」

 「何も教われないっていうのは、結構辛いからね。何も知らないから、何もわからない」

 地獄みたいな場所にいたからこそ、わかる。

 「そして同時に――自分が独りだって、思い知らされる」

 そう、何も教われないというのは、教えてくれる人間がいないということだ。

 「それは、とても寂しい」

 シオンには教えてくれる人が一人だけいた。けれど、今はその人もいない。

 「……シオン」

 「だけど、今は寂しくない」

 今はフランがいて、咲夜がいて、レミリアがいて、美鈴がいて、パチェリーがいて。

 「たった一人だけでいい。本気で守りたい、一緒にいたいと思えるような、そんな大切な人ができればいいと思っていた。けど同時に、それは姉さんだけだと諦めてた」

 だからこそ、シオンは本気で絶望した。もうそんな人には出会えないだろうと。

 「でも、フランがいた。俺のことを本気で心配してくれて、自分の命どころか、周りの命すら賭ける状況になっても諦めなかった、フランが。俺だったら、多分自分だけで何とかしたんだろうけど」

 そこがシオンとの差だろう。フランは周りに頼った。だがシオンは今まで一人だった。そのせいで、()()()()()というのを知らなかった。

 「だったら……何かしたいと思うのは、当然だろ? まあ、できることなら喜んで欲しいんだけど」

 少し照れたように笑うシオン。咲夜は、シオンが何をしたいのかを何となく理解した。

 「もしかして、シオンは……」

 「ストップ」

 人差し指を咲夜の口に当てる寸前で止めて言葉を止めさせる。

 「万が一にも聞かれるのは嫌だから、内緒にしててくれないか?」

 それは、咲夜の予想が正しいと認めているようなものだ。だが咲夜は頷いた。

 「なら、サプライズにでもしておきましょう」

 「ありがとう」

 人差し指を咲夜から離す。そこで、咲夜が少し意地の悪い笑みを浮かべた。

 「さて、物を得るには対価がいる、でしたよね? では食事ができるまでの少しの間、私の仕事の手伝いをしてもらいましょうか」

 「わかった」

 予想外にもあっさりと了承され、拍子抜けした顔をする咲夜。

 「どうした?」

 「いえ……あまりにも簡単に了承されたので、少し」

 「最初からタダで教わろうなんて思ってないよ。タダより高い物は無いってね」

 シオンは料理をしている途中でズレた左目の包帯を巻き直す。

 「それじゃ、最初は何をすればいいんだ?」

 「それでは――」

 咲夜は仕事の内容を思い出しながら歩き出す。何となくシオンは咲夜の手に自らの手を伸ばし、そのまま絡めた。

 咲夜は少々面食らった顔をしていたが、手に力を込めて握り返す。そのまま、二人は仲良く仕事をしに行った。

 

 

 

 

 

 夕方、少しの時間の間に二人はかなりの量の仕事を終わらせていた。咲夜はシオンが自分の手伝いができるとは思ってもみなかったのだが、予想に反してシオンの仕事の分量は咲夜とそう変わらないか、下手をするとそれ以上だった。

 最初は咲夜の説明を聞きながら同じ部屋で掃除を行っていたのだが――本来ならば掃除の他に洗濯なども加わるのだが、今はもう夜であるのと、幼いとはいえ『男』であるシオンに女性物しかない洗濯を手伝わせるのは気が引けた――たった一度説明を聞いただけで覚えてしまい、咲夜に掃除してもいい部屋を聞いた後は勝手にやっていた。

 その効率の良さを見た時は、咲夜ですら脱帽するほどのモノだった。とにかくシオンは無駄をしない。掃除のセオリーを教えて、それが効果的だとわかればすぐに次の部屋のための参考にし、そこから更に自分なりのアレンジをして大幅に効率を伸ばす。そんなふうに色々と試してみた結果、いつの間にかかなりの部屋の掃除を終わらせていた、というわけだ。

 「……シオンには、家事の才能もあるのでしょうか」

 戦闘や偉い人間との駆け引きならばまだわかるが、自分の十八番であるはずの家事まで同じ力量になられたとしたら、本当に立つ瀬が無い。

 「別に掃除なんて同じことの繰り返しじゃん。違うのはどこにゴミが溜まっているのか、それだけだよ」

 「それを一瞬で把握して行えているから凄いと言っているのです」

 そこまであっけらかんと言われてしまうと、最早嫉妬する気力すら失せてしまう。正直、苦手な事なんて無いんじゃないか? と思ってしまうくらいだ

 咲夜が脱力していると、シオンが眉を下げて謝って来た。

 「……なんか、ごめん」

 「いえ、シオンが悪いわけではありませんから」

 今日初めて掃除をやったシオンが、長年掃除をやってきた咲夜を追い抜く。しかも咲夜の家事の腕前はプロだ。そのプロといきなり同等の腕を持っているなど、少々どころではなく異常とも言えるほどおかしい。しかしシオンはそれに気付けない。そもそも比較対象が今のところ咲夜しかいないせいで、その異常性に気付く余地が無い。

 咲夜もシオンの異常さを言うつもりは無いらしく、話しを変えた。

 「とりあえず、料理の支度をしましょうか。シオンの家事の腕がいいのは私としても助かりますので」

 この言葉は嘘では無い。事実、紅魔館の人手不足は深刻過ぎると言っていい。しかも元々人手不足の状態で咲夜が空間歪曲を使って広さを増やしたせいで、更に自体が悪化してしまったのだ。

 部屋が増えたのはいいが、それを掃除できないのでは本末転倒もいいところである。それで仕方なく、ほとんど毎日咲夜一人でやっていた、というわけである。

 「では、私の指示通りに用意をお願いします」

 頷き返したシオンは、料理を一つずつ台に乗せる。

 「料理の運び方にも、ちゃんとした手順があるんだな」

 「それはそうですよ。出す順番の他にも、皿の向きや置き場所、色合い……その他にもカトラリーなどの配置にも気を配らなければなりません。まあ、出す順番以前に、出し方が適当すぎるのは問題外ですが」

 言いながら、カトラリーを台の端に乗せる咲夜。

 「私たち料理を作る者は、ただ美味しい料理を作ればいいのではありません。食べてもらえる人の健康を考えておかなければ、その人が偏った食事ばかりをすることになってしまうのです。ですが、毎日の料理が単調すぎてもダメですけど」

 「……ただ作って後は勝手にしろ、というわけではないと?」

 「それは極端な意見ですが、まあそういうことになります。私たちが料理を作るのは自分のためではなく、誰かのためなのです。だからこそ、些細な事だと思われるところまで十二分に留意し、最善を尽くすのです」

 シオンが咲夜の顔を見ると、戦闘を行っていた時よりも生き生きとした笑顔をしていた。

 「やっぱり、咲夜に戦いは似合わないよ」

 「え……」

 「あ、ごめん。悪い意味じゃないんだ。ただ、咲夜は戦ってる時よりも、料理を……家事をしている時の方が、楽しそうに見えたから」

 どうしてもそう見える。咲夜がレミリアの役に――特に戦闘方面においてかなりの執着を持っているのは知っているが、それでもそう思うのだ。

 「……私も、そう思っています」

 「否定、しないのか?」

 「正直に言いますと、何かと戦って傷つけるより、何かを作り、それで誰かを喜ばせる方が楽しいと思っているのです。……だから、私は弱いのかもしれませんね」

 「弱い? ……咲夜が?」

 どこか信じられないものを見ているような眼で見ているシオン。

 「咲夜のどこが弱いんだ? 俺なんて壊して、奪って、殺すしかできないのに。何かを作ったり、創ったりなんてやったことすらないのに」

 シオンからすれば、咲夜の感性が理解できない。

 「俺は誰かの涙しか流せないのに、咲夜は誰かの笑顔を引き出せる。どちらが『強い』のかなんて、決まりきってることだよ」

 そう笑って言いきる。これは嘘偽りの無い本心だ。『力』はその状況に応じて問われる物が極端に変動する。今の状況では、『戦うための力』は必要が無い。

 「咲夜みたいに『誰かのための力』が俺にはない。まあ、俺と咲夜では強さのベクトルが全く違うんだから、そもそも比べるようとする事自体が間違ってるんだけどね」

 咲夜はシオンの言葉を聞き、()()()()()()()()()()を読み取る。

 「……私を、励ましてくれてるのですか?」

 「!!!」

 シオンの顔がほんのりと赤くなる。どうやら図星らしい。

 「……慣れないことはするもんじゃないな」

 自分の顔が赤くなっているのは自覚しているらしく、少しだけ顔を歪める。咲夜はつい笑ってしまった。

 「何。俺の無様さを笑ってるの」

 そうではないとわかっているが、どこか拗ねているように言ってしまう。咲夜はますます笑みを深めるだけだった。

 「いいえ。……シオン、ありがとうございます」

 「別に、お礼を言われるようなことはしてないよ」

 ぶっきらぼうに言うと、料理を台に乗せる作業を再開する。咲夜も時々シオンに指示を出しつつ、料理を乗せ始めた。

 

 

 

 

 

 やはり、というべきか、咲夜の料理は絶賛された。それも当たり前だ。プロが出した料理が不味いと言う人間は、味覚が余程おかしいのか、あるいは味そのものが好きでは無いかのどちらかだ。

 そんな中、レミリアがポツリと呟いた。

 「でも、少し気になるのよね」

 「どうしました、お嬢様?」

 「いえ、ね。何と言うか……野菜の形が、あまりにも綺麗過ぎて」

 そこが気になっている部分だった。確かに咲夜が包丁で切った物は綺麗にやれている。それでも、野菜の形のせいで、という例外的な部分を除けば、ほぼ全ての野菜が均一の形となっているのだ。

 例え咲夜でも、同じ作業を繰り返しやり続ければミスを犯す。なのに今回はそれが一切ないのだ。いくらなんでも、コレはおかしすぎる。

 「まあ、ミスしたところを捨てたといわれればそれまでなのだけれど」

 それも無いだろう。基本的に咲夜は材料を無駄遣いしない。仮に失敗したとしても、その材料はまた別の料理に再利用するくらいなのだから。

 レミリアの疑問は、しかしあっさりと解決する。

 「その野菜を切ったのは、シオンですよ」

 「シオンが?」

 「はい。何やら料理を学びたいとのことらしく、私に頼んで来たのです。本人曰く、「特技を増やしたいから」だそうですが。切り方が凄まじく正確なのは、本人の腕前と……何らかの理由でもあるのでしょう」

 「私の勘は、それだけじゃなさそうだ、と言っているけれど」

 レミリアはチラリとシオンの方を見る。そこにはシオンとフランの二人がある程度話しながら食事をしていた。余程注視しなければ、何も無いと思うだけだろう。

 だがレミリアにはわかる。シオンは、さり気なくフランの表情を見ているのに。

 「好き嫌いの判別でもしているのかしら?」

 「……何故そうだと?」

 「食事に顔色を窺うのなんて限られているわ。しかも今の平和な状況ならなおさらね。だとすれば、自然と選択肢なんて絞られるものよ」

 「流石はお嬢様です。……申し訳ありません、シオン。どうやら、このサプライズが期待できるのは、フラン様だけになりそうです」

 周りを見渡した咲夜がポツリと声を漏らす。

 レミリアも、美鈴も、挙句の果てにはパチェリーまでもが――パチェリーは珍しく、本当に珍しく図書館では無くここで食事をしに来ていた――気付いていた。気付いていないのはフランだけである。

 「ハァ」

 咲夜が溜息をする。しかし、その呆れはすぐに苦笑いに変わった。

 「まあ、サプライズはフラン様のみに対応しているので、他の誰かにバレてもあまり問題はありませんね」

 とにかく、フランだけにはバレないようにしなければならない。

 「この状況なら大丈夫だとは思いますが」

 フランは全く気付いている様子が無い。だが、油断はしない。

 「さて、どうしましょうか」

 食事をしながら考える咲夜。後でレミリアたちにでも相談しようと思いながら、楽しそうに話している二人の会話に加わった。




今回は戦闘もシリアスもありません。

少しはシオンにもまともな生活を送らせたかったんですよ!

次回、戦闘は……アレで戦闘がある、と言えるのかなぁ?

5/29日追記
カトラリーとは箸やフォーク、スプーンなどといった物の総称です。
わかりにくい表現すいません。


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戸惑いの中の日常

 咲夜から料理を学び始めて六日目の午後六時ごろ。シオンと咲夜の二人は料理の下拵えを終え、完成まであと間近のところで話をしていた。

 六日間シオンと接していると、驚くべきこともわかった。なんとシオンは、風呂という概念を知らないらしかったのだ。

 「風呂? 何だソレ?」

 こう言われた時、その場にいた全員がドン引きしてすぐに離れた。そしてシオンに風呂という概念を教えると、ちょっと怒ったように言われた。

 「いくらなんでも体を拭かないとかありえないだろ。臭いもつくし、汚くもなる。不衛生だから健康にも悪い」

 「なら、どうしていたのですか?」

 「汚い泥水とかをろ過して使ってた。とはいっても限度はあるけどね」

 やはりシオンの知識は歪だ。というか、何故サバイバルで役に立つ知識などを覚えているのだろうか。

 そう聞くと、

 「姉さんが持ってた本に書いてあった」

 だそうだ。

 とはいえ、一つ忘れていたことも思い出した。

 「そういえば、私の知る限りでは、シオンはここに来てから一度も体を拭いていませんよね。つまり、今のシオンは、まさか……」

 一週間もの間風呂にも入らず、体を拭ってもいない。毎日体を清潔にしている咲夜からは想像もできないことだった。

 が、当の本人は全く気にしていない。その理由も驚愕するものだった。

 「姉さんが持ってたあの本でその知識を知る前は、三歳の時から五年間ずっと水で濡らした布で拭いもしなかったからね。一週間程度なら気にならないよ」

 五年。言葉にするのであれば簡単だが、実際にやれと言われたら絶対に拒否するだろう。

 「……今すぐ風呂に入ってきてください」

 「何で?」

 「いいから、今すぐ風呂に入ってきてください!」

 ……その時の咲夜の剣幕は、主であるレミリアですら思わず引いてしまうほどだったと後になってから聞いた。

 とにもかくにも、咲夜はシオンの才能には脱帽していた。

 「……シオンの腕前も、ずいぶんと上達しましたね」

 「そうか? まだまだだよ」

 たった六日。たったそれだけで、シオンの料理の腕は咲夜とほぼ同等になっていた。いくらシオンに才能があるとしても、ここまで行くともはや異常だ。今更の話かもしれないが。

 「ですが、食材の味の引き出し方などといった難しい技術もほぼ完璧になっています。それでもまだまだだと?」

 「だって、いくら味が引き出せたとしても、俺は料理のレパートリーが全然無いんだよ。こんなんじゃ朝昼夜の料理がワンパターンになっちゃうからね。だからもっと知りたい。もっと学びたいんだ」

 楽しそうに笑うシオン。今まで戦う事しか知らなかったシオンが、初めて何かを作る楽しさを知った。だからこそ、ここまで嬉しそうにしているのだろう。

 「……他人に嫉妬されないというのも、一つの才能なのでしょうね」

 「え、何? 咲夜」

 「いいえ、何でもありません」

 本当に、嫉妬する気が湧かない咲夜。シオンの人生の一部の酷さを知り、それでも笑っていられるのに強さを感じる。それに加えて、シオンが妥協をしないのも理由だろう。

 シオンは常に努力をする。どれだけ苦労しようとも、ただひた向きに。ありとあらゆる可能性を求め、それら全てを試そうとしている。実際に試してもいた。それを見てもなお嫉妬するなど、低劣の極みだ。

 「では、このスープをお願いします」

 「わかった」

 咲夜はシオンにお願いしておいたスープの味を引き出す作業を任せる。このスープのレシピはあらかじめシオンに渡しておいたので、あまり心配は無い。

 そして咲夜にお願いされたシオンは、二つ用意したスープに切り分けた材料を順番に、タイミングよく入れる。この作業は食材を入れるのが速すぎても遅すぎてもダメだ。特に今のスープは咲夜特製のレシピであり、最も難しいと言っても過言では無い物だ。

 「次はニンジン……次は……」

 頭の中にあるレシピを思い出しながら食材を放り込む。適当に見えるその動作も、よくよく見れば洗練されているのが窺える。

 「こっちは……うん。コレだな」

 もう一つの方は、また別の食材を別の順番で入れる。

 「上手くいくといいですね」

 「……だと、いいんだけど」

 どこか不安そうに言うシオン。やはり初めてやる事なので不安なのだろうか。

 そもそもとして、咲夜はサプライズにはフルコースを振る舞えばいいと言ったのだが、シオンが「自分一人で料理を作るのははじめてだし、何よりフルコースなんて作ったら、絶対にフランにバレる」と言ったので、フランにわかりにくいスープを選んだのだ。

 コレではフランに気付かれないと思ったのだが、シオンはバレたらその時はその時、バレなかったらそれはそれで……などと小心的なことを言ったので、流石の咲夜もこれ以上の強要はできなかった。

 だが、それも当然だった。今までのシオンはあくまで咲夜のサポートくらいしかやっていなかったのだ。プロが料理の初心者に、例え一品といえども任せられるはずが無い。そのため今回のスープが、正真正銘、シオンがはじめてたった一人で作る料理なのだ。

 それでも意外だった。あそこまで豪胆な精神力を持つシオンが、こんな些細な事でここまで慎重になるとは。

 「シオンでも、そう思うことがあるのですか?」

 「……一体咲夜は俺をなんだと思ってるんだ? 当たり前だよ。俺だって()()()()()()()()ただの人間なんだ。喜んでほしいし、こんな些細な事で嫌われたくないって思うよ」

 途中でさりげなく自分を貶しめるような発言をしながらも、どんどん不安そうになっていくシオン。その痛ましい姿を見ていられなくなった咲夜は、ほんの少しの間違いを訂正することにした。

 「……シオン、一つ伺いますが」

 「?」

 「もしもシオンが誰かから、心を籠めて送られてきた物があったとします。それがシオンの嫌いな物だったとしても、シオンはそれを受け取るのを拒否しますか?」

 「そんなことするわけない!」

 「そういうことです」

 断定的な口調で言われ、シオンも少し戸惑った。

 「そういう、って……」

 「シオンのサプライズは、きっと受け入れてくれる。そう言っているのですよ」

 シオンは悟る。おそらく、咲夜は自分を励ましてくれてるのだろう。六日前にシオンが不器用ながらもそうしたように。だが、それでもシオンは安心できない。

 「……それが誰にでも当てはまるわけじゃないだろう」

 人の心は千差万別。しかもたった一人の人間の心ですら複雑怪奇なのだ。人との触れ合いは極端に少ないシオンだが、数十万人という人数を斬り殺してきたからこそわかる。

 「心を持っている存在は……理解できない」

 素直に喜んでくれる者もいるだろうが、逆に照れ隠しとして怒る人間もいる。逆に表面上は喜んでいるだけで、内心では全く別の感情を出している人間もいる。

 「正直、今この紅魔館に住んでいる者たちがどう思っているのかもよくわからない。不意に、レミリアも内心では俺を排斥したがっているかもしれない、とか考えると、体が竦む。心が軋む。視界が揺れて真暗になって、何も見えなくなりそうになる」

 今のシオンは、とても不安定な状態だ。如何に感情の暴走が収まっていたとしても、爆発していた『憎悪』が抜け落ちたせいで、不安という感情が心の奥底から溢れて止まらない。それ故に何もできなくなりそうで、怖かった。

 「だから料理に没頭してるのかも、ね」

 何かに集中すれば、他の事は気にならなくなる。シオンの集中力は、たった一つだけの事柄に注ぎ込めるはずがないのだが、今回は本当に初めての事だったのでできたのだ。

 しかし、もう慣れてきてしまった。そのせいでまた不安の感情が漏れて来たのだろう。

 「何か、わざわざ教えてくれる咲夜に、申し訳ないな」

 「別に私を気にする必要はありませんよ。私も基礎を再確認できましたし」

 「そう? ならいいんだけど」

 またスープを作るのに集中し始めるシオン。今回の料理――特にスープに関しては今自分ができる最高の物にしたい、そう思っているシオンは、ゼロコンマ以下のタイミングを逃さないようにする。

 「……ここ」

 ある意味機械のような精密作業。だがところどころで瞳が揺れているのを見るに、やはり不安は抑えきれないらしい。

 「……最後に隠し味を入れて、と」

 咲夜にもその特別な『隠し味』は内緒にしてある。あらかじめ小瓶に詰めておいた『ソレ』を、何とかバレないようにそれを投下し、スープを完成させた。

 「……フゥ。完成っと」

 ようやく作業を終えると、シオンは額に浮いた汗を拭う。体の感覚が妖怪と比べても遥かに高いシオンでさえ、この作業は疲れるものだった。

 「後は食器によそえば終わりだね」

 「では、温かい内に速くやりましょう」

 手慣れた様子で料理を皿に移していく二人。量が多いとはいっても、二人が協力したおかげですぐに終わった。そして更にそれをワゴンに移す。

 「落とさないように注意してください。特にスープを」

 「わかってる」

 全ての準備を終えた二人は、そろそろと料理を運び始める。本来ならばここまで注意する必要は無いのだが、今回だけは特別だった。

 「うまくいくことを事を祈っています」

 「うん。ありがとう」

 そして、二人は食堂へと移動し始めた。

 

 

 

 

 

 「……なんというか、日に日に豪華になっていくわね」

 運ばれてきた豪勢な料理を見て、レミリアはしみじみと呟いた。その感想は他の者も思っていたらしく、顔を綻ばせながら小さく頷いていた。

 「それはシオンのおかげですよ。一人で作るよりも手間をかけられる分、料理の幅が広がりますので」

 「そう? 咲夜でもうまくやればいけるんじゃないか? 時間操作の力を完全に扱いこなせるようになれば、一つの物体だけじゃなく、複数できるようになるだろうし」

 「今はできませんからね。やれないことを喚いていても仕方がありません」

 咲夜はクールに返すと、料理をテーブルの上に乗せ始める。シオンもそれに倣って運び始めた。

 シオンはレミリアとフランを、咲夜は美鈴とパチェリーの分を運び、二人は席に座る。

 「では、シオン」

 「わかってる。――いただきます」

 「「「「「いただきます!」」」」」

 各々は自らが食べたい物から順番に食べ始める。レミリアだけは立場的に、ここにきちんとしたテーブルマナーを重要とするのだろうが、今はシオンを除き、他人と呼べるような物はいない。つまり、テーブルマナーを気にする必要は無い。

 そこで、何故か咲夜が口を開いた。

 「そういえばシオンの好物を聞いていませんでしたね。何かあるのですか?」

 「どうしたの、咲夜。いきなりそんな事を」

 レミリアが問うが、咲夜は今気付いたと言わんばかりに手を振る。

 「いえ、私はシオンの好物を何一つ知らないので、聞いておこうかと。シオンはいつも美味しいと言ってくれていますが、表情が動かないのでわかりにくいのですよね」

 そう、シオンは食事をしている時、何故か表情が動かない。正確に言うと微かに動いているのだが、ほんの少しであるせいでわかりにくい。

 シオンはフォークを置いてから言う。

 「特に好き嫌いは無い……と言いたいところだけど、やっぱり嫌いな物はあるよ」

 「ですが、一つも残したことはありませんよね?」

 「まあ、そうだけなんだど。でもやっぱりもったいないと思うからね。だから残そうとは思わないんだ。……それに不味いとは言っても、前の俺の食生活に比べれば遥かにマシだし」

 後半はどこか独り言を言うようにモゴモゴと呟く。だが、それが聞こえないほどやわな耳をしていない四人は、一体どんな食生活をしていたのだろう、と思った。

 そこでフランがスープを飲もうと手を伸ばした。その時、シオンの顔に、ほんの少しだけ緊張が走る。咲夜もどことなく不安そうに手が揺れていた。

 フランはそれらに全く気付く事無く皿を手元に寄せると、スプーンで掬って一口飲む。そのまま少しだけ首を傾げた。

 「……? いつもと、少しだけ味が違う。食感も。それに飲み込みやすい。だけど、美味しい」

 スープに入っていた野菜を食べる。それを食べると、やや下品だがガツガツと口の中にいれ始めた。

 「フラン、そんなに急いで食べると――」

 「~~~~~~~!!!」

 「――喉につまる……って、遅かったか」

 シオンは一つ溜息を吐いてから立ち上がっり、フランの後ろに回ると背伸びをして咳をしているフランの背中をさする。しばらくして落ち着いたのか、フランは飲み物に手を伸ばした。

 飲み終えたフランは、背中をさすってくれていたシオンに謝った。

 「ごめん、シオン。それとありがとう」

 「別にいい。これくらいなんでもないし」

 「でもこのスープ、いつもと違うよね。味が私の好みのものになってるし、なんか変なくらいに飲みやすいし、食べやすい。それに、コレって隠し味、なのかな。何かよく知ってる味がするし……コレって、血?」

 「――!」

 自分の席に戻ろうとしていたシオンの体がピクリと止まる。そこでやっと気付いたのか、フランが聞いてきた。

 「もしかして、これってシオンが……?」

 「いや、あの、それは……」

 「そうですよ、フラン様」

 「咲夜?」

 シオンの代わりに答えたのは、咲夜だった。その間にシオンはそそくさと席に戻る。

 「それはシオンからのサプライズです。まあ、血を入れているなどとは一切聞いていませんでしたが……」

 ジト目で睨む咲夜。しかし当のシオンは、自分は何も聞いていませんししていませんよ、と言いたげに自分の食事を再開しようとしていた。

 「? シオン、どういうこと?」

 フランはシオンの手を引っ張って、はぐらかさないようにする。

 シオンはしばらく止まっていたが。やがてポツリポツリと話し始めた。

 「フランに……感謝したかったから」

 「感謝? 何に対しての?」

 「助けてくれた事。あの時本気で絶望して、殺して欲しいと頼んだのに、それでも俺を引っ張り上げてくれた事」

 「そんなの、私は別に気にしてなんか……」

 「俺がしたかったんだ」

 否定しているフランに、シオンは体全体を向ける。それほどまでに思っているんだと伝えるために。

 「それで、自分に何ができるのかを考えた。けど何も思いつかなかった。今までただひたすらに殺してきただけの俺には、誰かのために何かをするというのがわからなかった。そんな時に咲夜とぶつかって、咲夜が床に落とした食材を見て、コレにしようと思った」

 シオンは、もうほとんど食べられたスープの皿に視線を向ける。それにつられてか、フランもそちらに視線を向けた。

 「その日から一生懸命料理を学んだ。それから失礼だとは思ったけど、フランが料理を食べている時に顔を盗み見て、表情の変化でどんな味で、どんな食感が好きなのかを調べた」

 「それじゃあ、シオンが料理を作るのに参加してから色々な物が出たのは……」

 「咲夜に頼んで、手伝ってもらった」

 「……申し訳ありません、フラン様」

 「ううん、それは別にいいんだけど……でも、どうして血なんかを?」

 「ここ最近、フランは血を飲んでいないように感じたから、一応入れただけ」

 「そうなんだ……」

 確かにここ最近――具体的には一週間くらい――フランは血を一滴も飲んでいない。吸血鬼である以上定期的に血を飲まねばならないのだが、その血を飲む人間がいなかったのも原因の一つだろう。

 そもそもフランは手加減というものができない。四九五年もの間閉じ込められ、その頃からずっと牢屋に放り込まれた人間を適当に殺して血を得ていたため、加減をするということができなくなってしまったのだ。

 だから今回のコレはありがたい。しかし、コレだけではダメだった。

 「でも、こんなに薄めた血だと、余り意味は無いんだけど……」

 ポツリと零れた独り言。だが、それにすぐさま反応した人物がいた。

 「そうか、わかった」

 その人物は自分のカップに入っていた飲み物をすぐに口に入れる。そしてカップの中身を空っぽにすると、ナイフを手首にあてて、全く躊躇することなく引いた。

 手首からこぼれる血。それをうまくカップの中に満タンになるまで入れると、それをフランに手渡した。手渡す前に清潔な布巾で手首を押さえるのも忘れない。

 「コレでいいか?」

 「シ、シオン……大丈夫なの?」

 「痛みには慣れてるし、多少血が無くなっても問題は無いよ。……ああ、そうだ、レミリアはいるのか?」

 「え?」

 フランが飲むのを確認する前に、唐突に話を振られて戸惑うレミリア。

 「少し前に咲夜から血を貰ったから平気なのだけれど……それでも貰えないかしら?」

 別に飲まなくても構わなかったのだが、やはり味は気になる。

 血の味はその人間によって複雑に変化する。同じ血を引いた家族であろうと全く別の味がするというのもあるのだから、人間は面白い。

 「わかった」

 シオンは一言だけ返すと、ワゴンに入れてあった予備のカップを持つと、手首に当てていた布巾をとる。そこからまた溢れ出す血をカップに入れると、レミリアに手渡した。

 「はい」

 「ありがとう」

 レミリアは手渡されたカップに入った血を躊躇なく飲む。それを見て、いまだに飲もうかどうか悩んでいたフランも、少しずつ血を飲み始めた。

 「「!?」」

 一口。たった一口飲んだだけで、二人は驚愕して目を見開いた。

 「ど、どしたんだ?」

 その反応にシオンが焦る。まさか自分の血はそこまで不味いのだろうか、と。咲夜と美鈴も訝しげにしている。

 「美味しい……」

 「ありえない、美味しすぎるわ……」

 「「「え?」」」

 二人の呆然とした呟きに、三人の声が重なる。シオンは二人の反応が理解できず、咲夜と美鈴はレミリアの言葉で、だ。

 シオンは知らないが、レミリアはアレで結構味にうるさい。特に血に関しては並々ならぬ情熱を注いでいるのだ。

 そのレミリアが『美味しすぎる』と言ったのだ。驚くのも無理は無い。

 「……まるで色んな年代物のワインをうまく掛け合わせて作り上げた最高の一品ね。一口飲むだけで今日の疲れ全てを癒してくれるような、味わい深くも優しく感じるわ」

 「私はそこまでわからないけど……でも、今まで飲んだ血の中で一番美味しいってことだけはわかるよ」

 二人の、一切の悪意無き賞賛。が、褒められた当の本人であるシオンは、少し複雑な表情をしていた。当たり前だ、血を褒められてたとしても、嬉しいなどと言いきれない。

 しかし、レミリアのある一言には反応した。

 「色んな年代物のワイン、ね」

 「? シオン、何かわかるのかしら?」

 「まあ、一応は。……うちの家系って、少し特殊でね。何故か先祖代々、色んな人種の人と結婚して子供を産んでたらしいんだ。ちなみに俺と妹の代で、世界中の人種の血が混ざりきったらしいよ。俺の能力が『体細胞変質能力』なのも、コレが理由なのかもね」

 シオンの両親は、シオンが覚えているのが正しければ父がその特殊な家系の末裔のようなものであり、母は純系の日本人だ。父の髪の色は茶色で、瞳は澄んだ海のような青色。母は日本人らしく普通に――それでもかなり綺麗な――艶やかな黒髪と、黒曜石のような黒目だった。

 本来であればシオンの髪と瞳も両親に似るのであろうが、隔世遺伝によるもなのか、父の母方の母方――つまりは曾祖母の白銀の髪と、父と同じ瞳を持って生まれた。妹の沙良は当然のように母と同じ黒髪黒目だ。当時その事を知らなかったシオンは、幼いながらに自分は養子なのではないかと思い悩んだこともあったりする。

 説明を聞いた二人はその言葉を聞いて――最後の方はともかくとして――納得する。そうでもなければ、この味には納得できない。

 「なるほどね……だからこんな味が」

 しみじみと呟くレミリア。チビチビと少しずつ血を飲んでいる様子から、おそらく飲むのをもったいないと思っているのかもしれない。逆にフランは一気に飲みほしていたが。

 シオンは思い悩んでいるレミリアを放置することを決めると、フランの方へと向き直った。

 「えっと……スープ、美味しかった?」

 咲夜の顔が緊張で強張る。このスープのレシピの一部は咲夜が提案したもので、そこからはシオンが独自に手を加えたものだ。気にもする。

 シオンもシオンで、我知らず眉が下がっていた。

 (不安……なのかな?)

 よくよく見れば、シオンの体はかすかに震えている。それが何を意味するのかわからないフランではない。

 「……ありがとう」

 「え……」

 「ありがとう、シオン。コレ、とっても美味しいよ。それと、おかわり」

 フランはわずかに残っていたスープを手で持って口につけて飲みこむと、今できる精一杯の笑顔を浮かべながら、その空になった皿をシオンに渡す。シオンはどこか呆けたように両手で皿を受け取った。

 やがてフランの言葉をきちんと飲み込めたのか、シオンの頬は徐々に緩んでいった。

 「……どういたしまして」

 その時シオンが浮かべた笑顔を、フランは一生忘れないだろうと思った。

 

 

 

 

 

 シオンは夕食を――レミリアとフランは朝食だが――食べ終えると、一人キッチンで皿を洗っていた。

 そこにまだ運び終えていなかった皿を咲夜が運んでくる。シオンは一旦スポンジを置いて手を洗う。そして足場にしていた台ごと一歩横にずれると、少しだけ隙間のできたそこに咲夜が入る。

 「シオン、一つだけ話があります」

 「ん?」

 二人はどんどん皿を洗いながらも話し出す。皿洗いはもはや作業と化している咲夜は淡々と行っているが、シオンは何が面白いのか、今にも鼻歌をしだしそうなほどに楽しそうにしていた。

 「料理に関しては、もう私が教えるべきことは、ありません」

 「……え?」

 シオンの体が彫像のように固まる。それでも皿を落とさないのだから、たいしたものだ。

 「ど、どうしてだ? 俺の腕はまだまだで――」

 「それが勘違いなのです」

 「……勘違い?」

 「はい。シオンは自分の腕前が拙いものだと思っていますが、プロであると自負している私と同等の実力を持つシオンの腕が拙いはずがありません」

 「プロって……」

 シオンは戸惑うが、コレに関しては誰もが認める事実だ。が、当の本人に問題があった。

 「シオンは、比較対象が少なすぎるのです」

 コレがその問題だ。シオンは事戦闘技術に関しては、紅魔館にいる者で比べられるのは美鈴くらいしかいないほどの猛者。その反面、それ以外の分野では誰よりも劣る。

 今まで生きてきた環境が環境だからこそ仕方がないと言えばそれまでなのだが、やはり自らの力量はきちんと把握していてほしいと思ってしまうのだ。

 「私を『普通』だと、基準点だと思わないでください。私たちはただの人間から見れば、やはり『異常』に見えてしまうのですから」

 「『異常』……」

 シオンは自分のことをよく『人外』だと思うが、それは戦闘の件だけだと思っていた。しかし、違う。シオンは戦闘以外でも『人外』なのだ。

 「……俺って、やっぱりおかしいのかな?」

 一枚の皿を手に持ったままシオンが俯く。その横顔は長すぎる髪によって見えないが、悲しんでいるのはわかる。

 「おかしいですね」

 しかし咲夜は否定しない。ここで否定しても意味など無いし、何よりシオンのためにならないからだ。

 「ですが……私はシオンが努力をしているのは知っています。単純に、シオンの腕が私と同じになったからもう教える意味が無くなってしまったのと、あとは自分で研鑽してほしいという意味を込めて、終わりだといったのです」

 シオンはハッと顔をあげる。その目に映ったのは、笑顔を浮かべている咲夜だった。

 「……ありがとう」

 再び顔を俯かせてしまうシオン。その時、頭を揺らしたことで微かに見えた横顔は、赤く染まっていた。

 「いいえ。これくらい、どうということはありません」

 皿を洗うのを再開する二人。会話は無かったが、沈黙が辛いとは思わなかった。

 皿洗いを終えた二人は、レミリアとフランの昼食を用意してからそれぞれの部屋に戻り、明日のために眠りについた。

 

 

 

 

 

 「シオン、待って!」

 「待って下さい、シオン!」

 「待てるか! って、ちょ、まっ!死ぬ死ぬ死ぬ、マジで死ぬ! 本当に死ぬから! だから今すぐ攻撃を止めてくれえええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 ――翌日の午後。何故かシオンは、巨大な炎の海と、大量のナイフによって作られた壁に追われていた。

 (死ぬ、洒落とか冗談じゃなくて、マジで死んじまうぞ! こんなのが『ごっこ』なんて生易しいものなのか!?)

 そう思うが、それでこの状況が改善するわけではない。とにかくシオンは後ろから迫りくる悪鬼二人から逃げるしかなかった。

 ――こうなってしまった原因は、数時間ほど前まで遡る。

 廊下を歩いていたシオンは、何故かまだ起きていたフランにせがまれていた。

 「シオン、遊ばない?」

 「え? まあ、別にいいけど、その前に一つ聞かせてくれないか。なんでフランはまだ起きているんだ?」

 「だって、そうしないzと絶対シオンと遊べないんだもん。シオンはいっつも十時くらいには寝ちゃうし」

 そういえば、とシオンは思い出す。フランが起きてくるのは、大体午後七時から午後八時の間くらいだ。それから朝食を食べたりといったことをする。

 それだけでも十分時間をとられるのだが、シオンは咲夜の手伝いとして皿洗いやレミリアとフランの昼食の用意などといったこともするため、さらに時間をとられる。

 「じゃあ、最近フランの生活サイクルがなんかおかしかったのは」

 「シオンと遊ぶために、わざと崩したの!」

 ここ最近のフランは、何故か遅寝早起きを繰り返していた。そして徐々に日が出てる時間帯で起きる時間が長くなり、逆に日が沈んでる時間帯は多く寝ていた。簡単に言えば、昼夜逆転してしまった夜型人間改め、昼型吸血鬼といったところだろうか。

 「……アホか?」

 基本的に女性を罵倒しない――正確にはできないように姉に()()された――シオンだが、それでもつい口からこぼれてしまった。

 「シオンと遊ぶにはこれしかなかったの! だからコレでいいの!」

 フランはシオンにそう言いきると、周りを見渡し始めた。その視線の先を辿ると、銀色の髪が見えた。

 「あ、咲夜! おーい、こっちこっち!」

 「? ……フラン様、と、シオンですか」

 咲夜は呼ばれた方を向くと、まず自身に手を振っているフランを見つけ、次にその横で呆れているシオンを見つけた。

 そのままそちらに向かって歩く。そして二人の元へ辿り着くと、咲夜はどうしてかフランではなく、その横にいたシオンに聞いた。

 「何かご用でしょうか?」

 「なんで俺に……まあいいけど。用件は、フランが遊ぼう、だって」

 「遊ぶ? 私はあまり暇ではないのですが……」

 困惑する咲夜。が、その反応は当然だ。今の咲夜の両手には雑巾やらの掃除道具を持っており、その姿から掃除中なのだと察せられる。

 しかし、それで納得するフランなどでは無い。

 「一日くらいは平気だよ! 最悪シオンが手伝ってくれるし!」

 「俺任せかよ。……咲夜には恩があるから、手伝って欲しいと言われたなら手伝うのはいいんだけどさ」

 「じゃあ、決まりだね!」

 「「俺(私)たちに拒否権は無しか(無しですか)!」」

 若干の抗議を入れる二人の言葉を無視して、フランは言う。

 「それじゃまずは、『鬼ごっこ』から!」

 「『鬼ごっこ』、ですか……」

 「……?」

 咲夜は今更子供の遊びをするのか――咲夜はいまだに九歳の子供なのだが――と思い、シオンは純粋に『鬼ごっこ』の意味がわからず首を傾げる。

 「なあ、その『鬼ごっこ』ってなんだ?」

 「「え”……」」

 「言葉のニュアンスから、なんとなくなんかのごっこ遊びってことなのは想像できるんだけどさ。……もしかして、鬼になった人が鬼じゃない人を追いかけて――」

 「うん、それ!」

 「――追いかけて捕まえた人を殺す、でいいのか?」

 固まる二人。しかし、シオンの人生ならそれもしかたないと諦める。

 「シオン、どうしてそう思ったの……?」

 「いや、結構前に小さな子供が大人からパンを奪い取って逃げたあと、まあ当然だけど追われたんだが……結局は捕まえられて殴り殺されたから、そう思っただけ」

 当然のようにあっさりと言っているが、その内容は凄惨だ。ただ単純に殺すのではなく、殴ることで苦痛を延ばそうとしているところが特に酷い。

 「……シオン、それじゃごっごじゃなくて、本当の鬼だよ」

 「シオン、『鬼ごっこ』というのはですね、まず――」

 そうして説明された内容に、シオンは自分の想像が如何に間違っていたのかを懇切丁寧に言われた。そこまで丁寧にしなければ伝わらないと思ったのだろうか。

 「――なるほど、鬼がそうじゃない人を追って、追われた人はタッチされたら交代、攻守逆転、と。これでいいのか? ああ、なるほど。だから『ごっこ』なのか」

 「はい、そうです。フラン様、基本的なルール説明をお願いします」

 「わかってる。それじゃ、鬼ごっこのルールを言うね! まずコレは当たり前の事だけど、能力は全部禁止だよ。収拾つかなくなっちゃうから。あと紅魔館の廊下と玄関しか入っちゃダメ。言うまでもないけど紅魔館は広すぎるから、一つ一つ部屋を確認するだけで日が暮れちゃうし」

 「一理ありますね。つまり、部屋に入れば反則で強制的に鬼、と?」

 「うん。ルールはこれだけ。それ以外は何でもアリ。端的に言っちゃえば、能力使用と部屋に入るって事以外は何でもオーケーってこと。それじゃ、最初はグー!」

 「「ジャンケン」」

 「え? ジャンケン? ちょ、俺それ知らな――」

 「「ポン!」」

 ルールを知らないシオンは手を出せず、結果として強制負けが決まってしまった。

 「……酷くないか?」

 シオンは鬼になったのをフランから言い渡され、一〇〇秒ほど数えたら初めてほしいと言われたのだ。

 「しかたない、始めるか。……いーち、にーい、さーん、しーい、ごーお――」

 少しバカバカしいと思いながらもシオンは数え始める。

 「きゅーじゅーきゅーう、ひゃーく! ……意外と長かったな」

 律儀に間延びした声で一〇〇秒数え終えたシオンは、キョロキョロと周囲を見ると、溜息を吐いた。

 「……始めてから言うのもなんだが、能力を使えないのは痛いな」

 そしてシオンは、『鬼』として『逃走者』を追跡し始める。その視線と足取りには全く迷いが無く、本気でやっていることが窺える。

 ……『鬼ごっこ』を『遊び』ではなく『殺し合い』か何かと勘違いしているのだろうか、シオンは。

 それから数分、シオンはあっさりとフランを見つけていた。

 「……壺の中に入るって、バカだろ」

 「ア、アハハ……」

 またも珍しく罵倒したシオンに、フランは苦笑いしか返せない。

 「じゃ、次はフランが鬼な」

 「うん、わかってる」

 流石に壺の中にいる状況でシオンから逃れられるとまでは思っていなかったらしい。賢明な判断だった。

 「そうか。……もし逃げたなら、逃げた事を後悔させようと思ったんだが」

 「ッヒ!」

 シオンの言葉が冗談に思えなかったフランの顔が恐怖で引き攣る。フランは体勢はそのままに、そろそろと後退し始めた。

 「じゃ、じゃあ続きをしよ! 順番的に今度は咲夜が鬼をやる番だと思うから、咲夜を探してくるね~!」

 「おい、フラン」

 早口で告げると、フランはそのままあっさりと去って行った。

 「……二回目からは数えなくていいのか?」

 シオンはフランが逃げたのはシオンに恐怖したのすら気付かないまま、間違った知識を得てしまった。

 それから鬼ではなくなったシオンは、とりあえず移動を開始した。その間にも考察はし続ける。

 (このゲームで重要なのは、まず見つからないこと。見つからなければ追いかけられることもないし、余計な体力を使う必要が無い。じゃあ、次に隠れられる場所は……)

 考えるが、紅魔館の廊下には隠れられる場所が無い。先程廊下の途中にある壺にフランが隠れていたが、アレはすぐにバレる。というか、あの壺を当たり前のように掃除してきた咲夜とシオンなら気付けるのだ。

 (つまり、壺は使えない。……使うつもりもないけど。バカっぽいし)

 シオンは再度周囲を見渡し、そして気付いた。

 「あ。……これなら、いけるかも」

 そしてシオンは行動する。

 ――数時間後。もはや昼飯時になったにも関わらず、二人はシオンを探していた。今はフランが鬼をやっているのだが、二人で交互に鬼を交代している時に気付いたのだ。

 「「――シオンは、どこに?」」

 そう、二人だけしか追いかけっこをしていないのだ。シオンの姿が一切見当たらない。

 だからこそ二人はシオンを探し始めたのだが――すぐに見つかった。

 「「な……」」

 シオンは、午前中は廊下の陰になっていたであろう場所で、自身の黒いローブのようなモノに包まれて、気持ちよさそうに眠っていた。その寝顔は、まさしく天使のようだと言えるだろう。普段のシオンの眼はこちらを睨んでいるのかと思うほど鋭い。だが今はそれがなく、ただの幼子のような幼いものだった。

 今まで二人が気付けなかったのは、シオンが廊下の陰に隠れて黒いローブのようなモノを被っていたのと、追いかけっこをしていたせいで周囲を見渡す暇が無かったからだ。しかもダメ押しとして気配を周囲と同化させている。コレでは気付けるはずもなかった。

 それでも二人がシオンの姿を見れたのは、単純に数時間が経過したせいで太陽の位置が変わってしまい、陰になっていたはずの廊下が光で照らされたせいだ。

 しかし、それがわかっていても苛立つのは止められない。こちらが一息吐く間もなく追いかけあっていたのに、たった一人だけ休まれていれば頭にくるのは当然だ。数時間もそうされていれば、なおさら。

 「……ん……」

 微かに身動ぎしたシオンだが、再度すやすやと眠りにつく。そこで二人の限界がきた。頭の中から本来聞こえてはいけない、ブチッと何かが切れる音が響く。

 「……ねえ、咲夜」

 「……はい、なんでしょうか」

 「……今回のルールって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 「……言っていませんね」

 「……じゃあ――」

 フランは限りなく薄めた妖力で少しずつレーヴァテインを呼び出す。咲夜も大量のナイフを周囲の空中に配置し始めた。

 「――やっちゃっても、いいよね?」

 フランは巨大な炎を、咲夜は大量のナイフをシオンに飛ばす。

 「!?」

 眠っていたシオンは、ゾクリと背が震えたことで目を覚ます。そして何故そう感じたのかも確認せず、受け身すらとれないような不恰好な姿勢で横に転がる。

 「な、何が……」

 先程まで自身がいた場所を見るシオン。そこには火の海と、その熱に炙られて若干融けた大量のナイフがあった。その二つには見覚えがある。

 「フラン? 咲夜?」

 紅魔館でこんな攻撃ができるのは、この二人だけだ。そこでやっとシオンは気付いた。

 (太陽の位置が……!)

 どうやら気付かぬうちに数時間も経過していたらしい。

 (気を抜きすぎだ、俺のバカが!)

 今更嘆いたところでもう遅い。同時に何故攻撃されたのか、その理由を悟った。数時間も隠れていれば、いくら温厚な者でも怒る。物凄い勢いでぶちギレるに決まっている。

 再度炎とナイフが飛んでくる。シオンは咄嗟に避けたが、最悪な事にここは逃げ場がなかった。

 (角過ぎたのが仇になったか)

 紅魔館の位置と太陽の位置を綿密に計算し、最も長く陰になる場所を選んだのだが、それが仇となったらしい。背中と真横は壁があり、目の前はフランと咲夜。どこに行けばいいのかさっぱりわからなかった。

 (逃げる方法は、一つくらいしかない)

 シオンはタイミングを計る。今からやるのは針を刺すような、そんな微妙なタイミングでやらなければならない。

 そして、その時が来た。

 「……!」

 逃げられるたった一つの方法。それは、二人が攻撃して来た瞬間だ。攻撃する瞬間は誰であろうとも一瞬無防備になる。シオンでさえ例外ではない。シオンとて限りなく隙を埋めているだけであり、必ず隙ができる瞬間はある。

 シオンは前に跳びだし、上体をほぼ倒して移動するやり方で攻撃を避ける。炎は完全に避けられるように移動したせいか、何本かのナイフはシオンの体を掠めた。

 あと一瞬でもタイミングが狂えば、容赦なく死んでいたであろう攻撃。まさかフランと咲夜に殺されるのか、と思うほどだった。

 とにかく逃げるしかないと考えたシオンは駆け出す。だがそれだけで逃げられるほど、二人の執念は甘くない。

 「待って、シオン!」

 「待ってくれるのであれば、()()痛めつけるだけですよ!」

 「その()()ってどれくらいなんだよ!?」

 咲夜の言葉が全く当てにならない。しかたないと諦めたシオンはそのまま逃げだす。

 シオンは逃げ出したあと、後ろから追いかけてくる二人の姿を一切見ずに攻撃を避ける。元々こういった見ないで回避するのはシオンが得意とするモノだ。

 そしてシオンは紅魔館の廊下を同じ場所をグルグルと回るように駆ける。コレにはいくつか理由があるが、まず最初に廊下の突き当たりに出ないためだ。またあんな状況になってしまえば、如何にシオンといえど二度目は無いだろう。

 次に、廊下を回っていた方が効率がいいからだ。追ってくるのが複数ならば人海戦術で待ち伏せなどが使えるだろうが、二人ではそれができない。一応一ヵ所に隠れ続けるという手もあるのだが、『部屋には入れない』というルールのせいでその手は使えない。

 が、パターンを変えたとはいえ、数時間もの間何度も何度も同じことを繰り返していたせいか、そろそろ学習されたらしい。数度危うい場面に会った。

 顔を苦渋に歪めたシオンは、しかたなく今できる手札の内の一つを切ることにした。

 「感覚最大化」

 その言葉と共に、シオンの感覚が異常に広がる。

 (……右)

 右側からナイフが飛んで来るのを、()()()()()()()()()()()()で察する。

 左に曲がったシオンは、後ろから咲夜が息を呑んだと思われる音を聞く。だがそれを気にする間もなく、前方から炎が燃えている音と、空気が焼けるような臭いを感じる。同時にシオンは瞼を閉じた。

 「シオン、そろそろ喰らってよ!」

 「そんなの御免だね!」

 翼がはばたく音と、腕を振りかぶる音、炎の勢いが増大するような音を聞いたシオンはフランが空中に浮かんでいると気付き、とりあえずスライディングを使って足元を潜りぬける形で避けた。

 「じゃあね!」

 「ッ、まだだよ!」

 フランが炎を放ってくるが、遅すぎる。シオンは縮地を使おうとして――止めた。そのまま自分の足の速さで逃げる。

 (マズいな)

 感覚最大化の悪影響が出始めている。

 実を言うと、この感覚最大化はあまり便利なモノではない。シオンのやり方はかなり無茶な代物のせいか、かなり面倒なデメリットがあるのだ。

 まず、感覚最大化は全ての感覚がどんな動物よりもあがってしまう。それこそ、小さな事柄すら異常なまでに跳ね上がるのだ。先程シオンが瞼を閉じたのも、それが理由だ。暗闇に住む生き物がいきなり強烈な光を浴びると気絶するように、あの炎を目の前から見ればシオンの目が焼けてしまう。ただの光ならばなんとかなるが、閃光のような一瞬だけ強烈な光を放つモノとは相性が悪い。

 だがコレはデメリットの一端にすぎない。本当のデメリットは、触覚の最大化――それに伴う痛覚の増大だ。

 例えば今のシオンがほんの小さな、それこそ普段なら気にする必要も無いような傷を負ったとして。そうなった場合、シオンは鋭い刃物で常に斬りつけられているかのような激痛を浴びることになる。小さな傷でそれなのだ。ここに来てから負った大怪我をもし最大化の状態で喰らえば、いくらシオンといえど発狂するかもしれない。

 先程縮地を使わなかったのもそのせいだ。縮地は足に相応の負担をかける。感覚最大化の状態で下手をすれば、その場で転がってしまうほどの激痛を全身に走らせるほどに。

 痛覚を下げればいいだろうと思う者は多いだろうが、実のところそれはできない。無茶な感覚操作の代償か、常に感覚を一定にしなければ、その他の感覚が狂ってしまうのだ。

 例えば嗅覚のみを増大させると、視覚と味覚が無くなったりする。例えば視覚と聴覚だけを増大させると、痛覚だけが限界を振り切ってしまい、動けなくなった時もある。しかもパターンが一定というわけでもなく、色々と複雑に変化するのだ。

 シオンも、寝る前や暇な時間に何度も試してみたのだが、ゼロコンマ以下の単位でも変化するのだ。圧倒的に時間が足りないと判断したシオンは、結局諦めるしかなかった。

 だから今のシオンができる設定は五つのみ。感覚最小化、感覚鈍化、感覚常態化、感覚鋭敏化、感覚最大化の五つだ。感覚最小化は、ほぼ何も見えない聞こえないにおわない味がしない感じないとデメリットしか存在しないため、あまり使うことはない。逆の理由で感覚最大化も余程の状況でしか使えない。

 それ故に、シオンが使うのは、周囲を探るための感覚鋭敏化と、痛覚を抑えるための感覚鈍化、そして常人とあわせるためにわざわざ設定した感覚常態化だけだ。

 それでも注意が必要なのに変わりない。あくまでシオンの体は()()()()()()()()()であるため、下手に集中力を切らすと即座に戦えないような状態になる。

 実際、シオンはここに来てから一度、勝手に最大化になった時があった。咲夜が淹れた紅茶を始めて飲んだ時だ。感情を封じ込んでいた時に懐かしい味を飲んでしまい、悲しみが抑えきれず、涙が溢れてしまった。そのせいで集中力が途切れてしまい、感覚が最大化に戻ってしまった。とにかく制限が多すぎるのだ。

 それでも今回感覚最大化を使ったのは、鋭敏化よりも精度が高く周囲を探れるからだ。今だけはかなりの精度を誇るレーダーのような感覚を持たねば、冗談でもなんでもなく死んでしまう可能性が高い。

 (防御ができないのは辛い……!)

 普段ならば黒陽と、つい最近借りた――もらった、あるいは奪ったのではなく、あくまでシオンは『借りた』と言い張る――ばかりの白夜がある。アレを使えれば、炎は難しいがナイフはどうにかできるのだ。しかし黒陽は『形態変化』という能力を、白夜は『空間固定化』を使う必要があるため、『能力使用禁止』がある現状では使えない。

 というより、このルールはシオンが不利すぎる。この世界においてのシオンの強さの大部分は能力によって支えられているのであり、それ以外の技術と経験はあまり役に立たない。

 せめて剣があればいいのだが、用意できない。正確には剣というより刃物はあるのだが、流石にあのナイフの群れの中に突っ込んで奪ってくる気力は湧かない。それ以前に、一回でも当たれば体が止まってしまい、そのまま圧倒的な物量によって即死してしまうと予想できるのだから、できるはずもない。

 しかもフランと咲夜は何を勘違いしているのか、何故か容赦が無かった。

 シオンは知らないが、二人はシオンの異常な回復力を見ている。だから「身体が吹き飛ぶ程度なら問題ないだろう」と考えているのだ。

 しかし事実は違う。確かにシオンの回復能力は常人離れしている。だが吹き飛んで無くなった手足や内臓を完全に復元できるほどではないし、致命傷を負えばそのまま死ぬ。体細胞変質能力を使えば復元くらいは可能だが、材料となる髪がほとんど無い今、下手に攻撃を受ければ治せない可能性すらある。だからシオンは逃げるしかない。

 (あっちはほぼ全力でやれるにも関わらず、こっちは強さの大部分である能力を制限されてるとか無い。……いや、待てよ。()()()()?)

 一瞬だけ考え、それが間違っていないのを確認すると、()()を使う決心をした。

 シオンは少し前に覚えたばかりの氣の操作を始める。だが、予想外の出来事が起こった。

 「耐久度が……上昇しない!?」

 シオンが今求めたのは、体の耐久力の上昇だった。身体能力は中級妖怪程度のモノがあれば事足りる。しかし耐久度だけはどうしても人間の域を超えないシオンは、どうしてもそれを上げる必要があった。

 だが、結果は期待外れ。使う必要があったのかと疑問に思うほどだ。

 「コレでどうしろと……?」

 歯軋りしても、どうにもならないものはどうにもならない。潔く諦めたシオンは、その場に止まる。前方と後ろから二人が迫っているのを察したからだ。

 「どうすりゃいいんだよ」

 自分より強い相手が二人。複数人の格上相手の戦闘には慣れているが、それでも限度というものがある。

 「感覚常態化」

 二人が前後から近づいてくるのがわかっている以上、わざわざ最大化にしておく必要は無い。というより、デメリットしか存在しないのに、使う理由が無い。

 感覚を元に戻すと同時にすぐ近くまで迫って来た二人は、もう何も言わずに炎とナイフを放り投げてくる。一々喋っていては逃げられると思ったのだろう。

 シオンはどうやって逃げられるかを考え、即座に決めてナイフの大群に向かって跳ぶ。ナイフの中でも先行している部分を見つけ、その切先を踏み台にし、三角跳びの要領で更に跳び上がる。その途中で魔力では無く実体化しているナイフを二本だけ借りておく。

 シオンは後ろにフワリと跳びながら体を捻って天井に足をつけると一気に跳び、勢いをつけて床に下り立つ。今度は廊下を埋め作るほどの量がある炎の方へと体を向けた。両手にナイフを持ったシオンは、片手を思いっきり振りかぶってからから振り下ろし、炎を()()()

 「え!?」

 正確に言うと、シオンはナイフで炎を斬ったわけではない。精密な操作で、腕を振った時に風が動く方向を操り、突風で吹き飛ばした、というのが正解だ。

 (しょせん炎は気体だ。それ相応の風圧があれば、それで吹き飛ばせる)

 それでも限度は存在する。そもそも炎――火というものは、人の最も原始的な本能に作用しやすい物質だ。

 確かに人はその知性を持ってして火を扱うことはできる。だが、今回のような自分自身の扱いきれない炎には、どうやっても恐怖するのだ。生きたまま焼かれる恐怖を。

 しかしシオンは恐れない。シオンにとって、火は恐れるに値しない物だからだ。

 仮にフランが炎で攻撃するのなら、単純に炎を当てるのではなく、炎の熱量を上げることで周囲を熱風状態か何かにして、温度を上昇させた方がよかったのだ。あくまでシオンが吹き飛ばしたのは、目の前にある炎だけであり左右にある炎はそのままなのだから。

 もしフランが熱量を上げていれば、炎を吹き飛ばされても、左右の炎から来る熱風によって足止めくらいはできた。あるいは、炎をシオンの周囲に配置することで逃げられなくし、熱を上昇させて蒸し焼きにすることもできた。おそらくは廊下の壁を焼き尽くさないように注意していたのだろうが、甘すぎる。

 まあ、炎を吹き飛ばせた代わりに、レーヴァテインの炎によってナイフも融け落ちたてしまったが。贋物とはいえ腐っても神器。ただのナイフでどうにかできるような、そんな生易しい炎では無いらしい。

 だが殺す気でやらねば、少しの間でもシオンを足止めすることなどできはしない。

 しかしフランはそういった小細工を知らない。知識面に圧倒的な不足があるからこそ、そういったことができないのだ。

 そしてそれは、シオンにもわかっている。

 とはいえ今は戦っているわけではない。しかもどっちが鬼かもわからない上に、鬼になってしまうかもしれないから下手に攻撃できないシオンは、そのまま逃げだした。

 シオンは、一つ勘違いをしていたのだ。『タッチされたら鬼になる』のに、シオンは『触ってしまえば鬼になる』と。ルールをあまり知らないが故の弊害だ。

 とにかくその場を逃げ出したが、時間稼ぎにしかならない。ついに紅魔館の玄関ホールまで逃げたシオンだが、そろそろ逃げるのに疲れてしまった。流石のシオンといえど、数時間の間に何百、あるいは千にも届かんといわんばかりの回数を死にかけたのと、こちらからは一切反撃できない状態では少し辛かったのである。

 「…………………………」

 そこで、数時間も耐えきっていたシオンの頑丈な堪忍袋がキレた。ほぼ同時に、背後からフランと咲夜が現れる。

 「シオン、コレでお終いだよ!」

 「大人しくお縄についてください」

 シオンは答えない。そのまま無視して偶然にも横にあったそこそこ大きな、そしてかなり高級そうな壺を手に取った。

 「ねえ、二人とも」

 「……何、シオン?」

 シオンの雰囲気がどこかおかしいのに気付いたフランが、ジリジリと後ずさる。

 「知ってるか? 壺って、意外と攻撃方法として有効なんだよ」

 壺を手に持ったまま縮地でフランの真横に移動する。そのままある程度加減しながら壺を振り下ろし、その頭に叩き付けた。

 「ふぎゅ!」

 変な声を出してフランが気絶する。

 「シ、シオン、何を……」

 「ああ、安心して。手加減したから傷は無いよ。気絶しただけ」

 動揺した咲夜の声に、シオンは何か見当違いの言葉を返す。

 「だから、そうではなく――!」

 「次は咲夜の番だから」

 咲夜の言い分を一切聞く事無く、シオンは縮地で移動し、その脳天に壺を叩きつけた。

 

 

 

 

 

 「……どういう状況なの、コレは?」

 レミリアが起きると、何故か周囲が騒がしかった。すぐに着替えると廊下に出て探り出したのだが、あれ程までに騒がしかったのがいきなりピタリと収まった。

 流石に訝しんだレミリアがそのまま探索を続けて玄関ホールに来ると、もう何がどうなったのかさっぱりわからない状況になっていた。

 フランと咲夜は折り重なるように倒れていて、シオンは壁に体を預けて息を荒げている。まるで何時間も休むことを許されずに何かをされていたような感じだ。その横には、何故か玄関ホールに飾ってあったはずの壺があった。

 そこでやっとシオンがレミリアの存在に気付いた。

 「……レミリア、か」

 シオンは玄関ホールにある時計で時間を確認すると、もうこんな時間か、と呟いた。

 「ところで、コレは一体どうなっているのかしら?」

 「鬼ごっこの結果」

 「は? 鬼ごっこ?」

 鬼ごっこでどうやればこんな事態になるの……と思うレミリアだったが、次の言葉で固まってしまう。

 「数時間も反撃無しで、しかも一撃でも喰らえば即死とか……」

 シオンは無自覚に言ったが、コレが事実であればどれだけおかしいのか。通常人間は、というより例え妖怪であろうと、数時間もの間即死である攻撃を避けられるような便利な集中力は持ち合わせていない。

 だがシオンはそれをやりきった。例え極限状態であろうと、ここまではもたないだろうと想像できるようなことを。

 「だからそこまで疲れているの?」

 「半分はそうだけど、もう半分は別。どちらかというと後者の方が割合は上だが」

 「……?」

 シオンの言うことは抽象的すぎて、レミリアには理解できない。どのみちシオンも話す気は無いのだろう、顔を伏せて体力の回復に努めていた。

 「う、んぅ……」

 そこでフランの上で気絶していた咲夜が、片手に頭を当てながら目を覚ます。

 「私は、一体……。あれ、お嬢様?」

 目を覚ますと、目前には敬愛する主が。一瞬訳が分からなくなるが、すぐに我に返ると即座に状況判断。息を荒げているシオンを見て、自分が何をしていたのかを悟った。

 怒りに身を支配されたとはいえ、してもいいこととしてはいけないことの分別くらいはわからなければならない。それなのに、怒りに身を任せてシオンを追いつめてしまった。シオンが反撃してこないのをいいことに。

 「す、すいません! シオン、大丈夫ですか! 私が言えるようなことではないかもしれませんが……」

 咲夜は謝るも、ここまでシオンを追いつめたのは自分とフランであるのには変わりないと思い直す。

 「別にいい。気にしてないし」

 対するシオンは全く気にしていない。毎日が死と隣り合わせだったせいで、生き死にに関する価値観が狂い過ぎているのだ。たった数時間反撃できずに殺されかける程度であれば、ほとんど問題は無かった。

 「それより、そろそろご飯の準備をしないと間に合わないんじゃないか? もう遅いかもしれないが」

 「え……あ! すいませんお嬢様、私はすぐにご飯の準備に取り掛かりますので、これで失礼します!」

 時計を確認した咲夜は、かなりマズい状況にあるのに気付く。コレでは料理の味を引き出すのに大切な下拵えをする時間が無いかもと思いながらも走り去って行った。

 「……別に気にする必要は無いのだけれど」

 「まあ、理由が理由だからだと思うよ。はあ……本気で疲れた」

 結果的には助かったが、一瞬でも判断を狂わせれば死ぬという状況は、お世辞にもいい状況だとは言えないし思えない。いい状況だと本気で言えるような相手には精神科か何かに行った方がいいと思うくらいだ。

 「意外ね」

 「ん、何がだ?」

 「貴方は戦争に慣れていると言っていたでしょう。だから、これくらいなら平気だと思っていたのよ」

 「本当の戦争と今回のは主旨が違い過ぎる。反撃アリなら殺し尽くせる戦闘とは違って、今回は反撃不可能な上に防御も不可、相手に触って発射のタイミングをズラすとかそういった小細工もできなきゃ、疲れもするよ」

 「……触るのがダメ? 何故かしら?」

 「え。触ったら鬼になるんだろう?」

 「……そんなルールは聞いたことがないのだけれど」

 「……まさか、俺の勘違い?」

 「……そうなるんじゃないかしら」

 「…………………………ハァ」

 今までした中で一番大きいのではないかと思うほどにでかい溜息だ。

 その気持ちはよくわかる。触ってはいけないと思って行動してきたのに、それら全てが徒労に終わるのだ。一気に疲れることだろう。

 だが、一つ疑問が残る。

 「でも、貴方の力なら、別に触らなくても無力化はできるんじゃないの?」

 「今回はルールが面倒だったんだよ。『能力の使用禁止』、コレがあったせいで一気に不利になってね」

 「ああ……」

 確かに、その制限ではシオンが圧倒的に不利だ。フランは元から能力を制限しているからあまり関係は無いし、咲夜は魔力によるナイフでの物量作戦が使える。しかしシオンだけはその強さの大部分を能力によってカバーしているのだから、当然の結果だろう。

 「とりあえず、食堂に移動しようか」

 「大丈夫なの?」

 「歩くのも辛いくらい、と言えばわかりやすいかな。でもまあこんなフラフラの状態になるのも当たり前の状況にいたし、問題は無いよ」

 相変わらず異常な経験をしていると思ったレミリアだが、顔には出さない。ゆったりとした動作で壺を元の場所に戻し、かなり遅い速度で歩き出したシオンを見送りながら、気絶して床に倒れているフランを背負い、その小さな背中を追った。

 

 

 

 

 

 シオンとレミリア、そして途中で目を覚ましたフランが食堂に辿り着くと、そこにはいつも以上にグッタリとした様子の咲夜がいた。その横には、隠しきれずに思わず浮かべてしまったというような苦笑いを浮かべている美鈴もいる。

 「美鈴、咲夜はどうしたのかしら?」

 「あ、お嬢様。咲夜なら、時間短縮のために何度も時間加速を繰り返したせいで、かなりの魔力を使ってしまったらしく……」

 「魔力の使いすぎで気持ち悪くなった、と。まあ、使えば使うほど精神に直接関わってくる魔力を一瞬で大量に使えば、そうなるのも当然なのかしら」

 「……別に多少の時間なら待っててもよかったんだけどね」

 「多分、そういう性格なんだと思うよ」

 「そんなもんなのか?」

 「そんなもんなんだよ」

 レミリアと美鈴が話している横で、シオンとフランも何かを言っている。しかし、当の咲夜には話す余裕も無い。それでも伝えることがあった。

 「シオン、すいませんが、料理を並べるのは任せます。ああ、シオンは疲れていると思いましたので、なるべく食べやすい物を作っておきましたので、わかると思います」

 またグッタリとテーブルに突っ伏す咲夜。今にも吐いてしまいそうだ。

 「まさかあの状況で作る料理を変えるとか。プロ根性って凄いな」

 シオンも必ずやらなければいけない状況ならばやれるが、今のような急ぐ必要も無い状況でやれるかどうかはかなり微妙だ。

 咲夜の代わりに、どこか誇らしげなレミリアが言う。

 「まあ、それが咲夜なのだから、しかたがないわ」

 「そうか」

 そう言うと、シオンはテーブルの横にあるワゴンに移動して料理を運ぶ。その動作はテキパキと手慣れたもので、たった数日間だけ学んで覚えた素人とは思えない。そしてシオンはものの数十秒で並べ終える。コレにはレミリアたちも感心するしかない。

 「……咲夜は?」

 シオンは一応聞いてみたが、咲夜は手を横に振り、手を下ろした。自分のことは気にしないでいい、と言いたかったらしい。

 「なら、いいか。……いただきます」

 それを合図に、咲夜を除いた全員が食前の挨拶をする。それぞれが好きな料理を手に取って食べ始めるが、どことなく空気が重い。

 その発生源は咲夜と――どことなく申し訳なさそうにしている、フランだった。

 表情がコロコロと移り変わっているフランだが、それらは全て『不安』という感情から来るものだ。そんな表情を見ていれば、レミリアたちの気分もおのずと沈んでしまう。

 だが理由もわかる。いくらシオンが遊びの途中で寝ていたとはいっても、それだけで殺しかける理由にはならない。それ故にフランは謝りたい、だけど謝るきっかけが無い、という状況になっているのだ。

 「ごちそうさま」

 真先に食べ終えたのはシオンだった。咲夜が食べやすい物を作ったからが故に最初に食べ終えたのだが、フランからすれば少々マズい。

 咄嗟に謝ろうと思ったフランだが、その前にシオンは立ち上がってしまった。

 「レミリア、俺はもう寝る。風呂はいいから」

 「え、ちょ、シオン!?」

 レミリアが返事をする前にシオンは食堂から出て行く。その不自然な様子が気になったレミリアも立ち上がった。

 「ちょっとシオンの様子を見てくるわ。フランたちはそのまま食べていて」

 こう言われては、フランたちも一緒に行くのは難しい。

 レミリアは後ろを確認することなく、食堂を出て行った。

 

 

 

 

 

 レミリアが追って来ていることを知らないシオンは、レミリアから貸し与えられていた自室へ向かわず、トイレのある場所へ向かっていた。紅魔館のトイレは一室に一つなどというホテルのようなモノではない。一定の間隔でトイレがあるのだ。コレは単純に、水道管などの配置の問題にある。それには一つ理由があった。

 この世界の技術のほぼ全ては妖怪のある種族、河童によって支えられている。だがその河童の総数は決して多い訳では無いし、全ての河童が科学技術を学ぶことを選んでいるわけでもない。そのため河童が学んでいる技術は各々によっては差があり過ぎるのだ。

 しかも外の人間の科学技術は古すぎて興味を示す部分が無いせいか、生活に役立つ類のモノをあまり学んでいない。電気と水道に関してはどうにかなっているが、その他の部分は疎かになっているところも多い。

 逆に本当に一部の天才は突出しすぎていて、何に使うのかもわからない完全なステルス機能を持った光学迷彩などを作りあげたりしているのだから、何がしたいのか理解出来なかったりする。それ以前に、『幻想』郷であるここには『科学』はミスマッチなはずなのだが……。

 だが今はどうでもいい。重要なのは、電気や水道の配置がどうにかなっているだけで、決して外の技術を学んでいる河童のレベルが高いわけではない、ということだ。

 つまり、あまりにも複雑な配置をしてしまうと、その河童がどうやれば水道管などを配置できるのか、理解できなくなってしまう。

 そういった理由があるせいで、紅魔館は一定間隔でトイレを配置するしかなくなったのだ。

 それはさておき、別にシオンは眠るつもりが無い訳では無い。単純に、トイレに寄ってから眠ろうとしているだけだ。

 しかし、トイレに寄ったのはある理由からだ。シオンは周囲の気配の確認すらせずにトイレに入ると、その場に膝を着いて――()()()

 シオンの口から吐瀉物が吐き出される。

 「――ッ! ガハッ、ハッ……せっかく作ってもらったのに、ご飯、もったいなかったな。残して明日食べるとかにすれば……いや、それだと不審に思われるし」

 吐瀉物を流すと、しばらくの間その場で息を整える。左腕と左足が酷く痛んだ。

 シオンの小さな口から、か細い悲鳴が漏れる。

 「やっぱり……激しい運動は、まだ痛むか」

 シオンがあの場から逃げ出したのは、あまりの気持ち悪さに今にも吐いてしまいそうだったからだ。

 実のところ、シオンはいまだに神獣化の代償によって傷ついた体――正確には、その痛覚が収まっていなかった。

 「一回目は、すぐに収まったけど……力を使ってる時間が長ければ長いほど、後遺症が長くなるのか?」

 そもそも神獣化における代償があんなにあっさりと収まるはずもない。シオンだから生き残ってはいるが、本来ならば死ぬのが当然、必然なのだ。

 また吐き気をもよおしたシオンは、再び液体と固体の中間になった物を吐く。そしてすぐに流して、臭いを残さないようにしておく。

 「……しばらく、激しい運動はやめておこう」

 簡単な運動――例えば日常生活における歩く、走るくらいならば問題は無い。そうでなければ咲夜から料理を習うことなどできないのだから当たり前なのだが。逆に体を酷使する戦闘などはできない。しかも今回は感覚を最大化にしてしまった。そのせいで左半身にかかる痛覚が増大し、その結果、こんな状況になった。

 「……寝よ」

 シオンはフラフラの体でトイレから出る。壁に体を預けてなんとか部屋まで戻ると、扉をあけて中に入る。

 シオンはベッドに入る手間すら惜しいというように体を投げ捨てる。

 ボフンという音を立ててシオンの体を受け止めたベッドが小さく軋むが、それを気にせずに眠りについた。

 意識が落ちる寸前、シオンは一つのことを思った。

 (……少しだけ、楽しかったな)

 最後にシオンが遊んだのは、もうほとんど覚えていない三歳の頃のみ。だから、少しだけとはいえ、久しぶりに誰かと遊べたのが、我知らず楽しかった。結果としてはこんな状況になってしまったが、それでもよかった。

 シオンは少しだけ幸せな気持ちで、その意識を手放した。

 その姿を見ている影があるとも知らずに。そして、レミリアは闇の中から現れる。

 「………………」

 闇は吸血鬼にとって自身の庭も当然。だからこそシオンにも気付かれなかったのだが、そんな小細工をしなくてもシオンには気付けなかっただろう。

 「……まさか、まだ代償が続いていたなんて」

 コレはフランたちには伝えられない情報だ。もし仮に伝えれば、あの二人はかなり気にすることになる。それだけは避けたかった。

 「どのみち、シオンも伝えたくないから黙っていたのでしょうし」

 本当に嫌なら、体を酷使する運動である鬼ごっこなどしなかっただろう。つまりは、そういうことになる。実際この考えは合っている。シオンは二人に心配をかけるつもりなどさらさらなかったし、ましてやこんな()()()()で疎遠になるなど考えられなかった。だからこそ伝えなかったのだ。

 期せずして重なる二人の考え。レミリアはシオンの想いを断片的にだが汲み取り、フランと咲夜に心配ないと伝えることに決めてから、食堂へと戻って行った。

 

 

 

 

 

 フランは料理を食べ終えてからも食堂に残っていた。だがここに残っているのはフランだけではなく、いまだにあまりの気持ち悪さでグッタリしている咲夜と、その姿を見て心配している美鈴もいた。

 だからだろうか。食堂に戻ってきたレミリアに逸早く気付いたのは、フランだった。

 「お姉様! シオンはどうだったの!」

 よほど気になっていたらしく、フランはその場で待たずに椅子を蹴り捨てるように一気に立ち上がると、そのままレミリアの元に走る。

 レミリアは片手をあげてフランの勢いを制すると、少し溜息を吐いた。

 「大丈夫よ。()()()()疲れていたようだけれど、今はグッスリ寝ているわ」

 「……よかったぁ」

 フランは安心したように安堵の息を吐く。咲夜も張りつめていた気を解いたようだ。だが美鈴の顔顔だけがどこか強張っている。おそらく、レミリアの言い回しがどこかおかしいのに気付いたのだろう。長年一緒に居たが故の弊害だ。こういった隠し事がお互いにできないのだ。

 レミリアはフランにバレないように頭を振る。それで何を言いたいのか理解したらしく、美鈴は何も言わなかった。

 「……私は、風呂の準備をしてきます」

 心配事が減ったからか、フラフラと体を揺らしながらいきなり立ち上がる。

 「ちょ、咲夜、まだ安静にしていなさい。もっと辛くなるわよ」

 「大丈夫ですお嬢様。風呂の準備をしたらそのまま寝ますので。それに、これ以上美鈴を待たせるのも悪いですから」

 そう、咲夜が風呂の準備をすると強硬に言うのは、美鈴のためだった。

 今日はシオンがダウンしているうえに、咲夜も今日だけはどうしても入る気になれない。フランとレミリアは基本的に夜では無く朝に――現在昼夜逆転しかけているフランは夜に入る事になりそうだが――入るため、風呂を使うのは美鈴だけだ。

 「別に、私なら大丈夫ですよ咲夜」

 「いえ。今日も門番として外に出ていましたし、汗や砂、埃も体に付着してあるはずです。本当は気持ち悪いのですよね?」

 「それは……」

 美鈴は否定できない。今の季節はまだ春だが、幻想郷は冬に吹雪が出るほどに寒くなる代わりなのか、春になるとすぐに暖かくなる。夏と同じではないが、やはりかなりの汗を掻くことになるのは変わりない。実際、今の美鈴は汗で体中がベトベトで気持ちが悪い。

 普段ならば料理を食べる前に風呂に入っておくのだが、今回は咲夜がダウンしたためできなかった。

 「もう一度言いますが、私は大丈夫です。では」

 もう誰の制止も聞かず、咲夜は食堂を出て行く。美鈴はどこか心配そうにしながらも、どこか嬉しそうにしている。咲夜の体調の心配と、風呂に入れる嬉しさが半々、といったところだろうか。武術家とはいえ、やはり美鈴も女。多少の身嗜みはしたいようだ。

 「フラン、貴方も寝なさい」

 「え?」

 「貴方の生活サイクルがシオンに合わせるために昼夜逆転をしているのは知っているわ。もう眠いのでしょう?」

 「うん、まあ、一応」

 隠していたことがバレたからか、フランの視線が泳ぐ。

 レミリアはそれをわざと無視して告げる。

 「私は別に気にしてないから、早く寝なさい」

 「はーい。お休みなさい、お姉様」

 「おやすみなさい」

 フランはレミリアに手を振ると、さっさと食堂を出て行った。

 コレでここに残ったのは、レミリアと美鈴だけになる。

 さり気なく周囲の気配を探り、誰もいないのを知った美鈴が言う。

 「……お嬢様、シオンの本当の体調は」

 「おそらく神獣化による代償ね。痛覚がいまだに収まっていなさそうよ」

 「あの痛覚が、ですか!? 普通、正気でいられるとは思いませんが……」

 「でも事実、そうなっているわ。明日確認するつもりだから、美鈴もあまり気にしないようにしてちょうだい。二人に悟られると、かなり面倒なことになるわよ」

 「……畏まりました」

 美鈴はかなり不服そうだが、それでも従うしかない。不用意に面倒な事を引き起こしたいとは思わないし、何よりレミリアを信頼しているというのもある。

 結局二人は、それから何も話さずに解散となった。

 

 

 

 

 

 シオンの目覚めは、決して心地良い物では無かった。なにせ、体中に走った激痛のせいで無理矢理意識を引き摺り出された、というようなものなのだから。

 「ッ……!」

 自身の顔が激痛で歪むのを感じながら、シオンは体を起こす。今日もやるべき事がたくさんあるからだ。

 そこで、この部屋に誰かがいるのに気付く。

 「誰だ!」

 シオンが叫ぶのと同時に、その誰かは姿を見せた。

 「目が覚めたのかしら?」

 「レミリア……!?」

 目を見開いて驚くシオンだが、即座に気付く。

 「……さっきのを」

 見てたのか、と言おうとしたが、その前にレミリアに遮られた。

 「貴方が激痛で顔を歪めるところを見てたのか、と言いたいのかしら」

 「……そうだ」

 「なら、貴方にとっては残念なことに、見ていたわ。……隠していたのね?」

 レミリアの眼には、嘘は許さないという意志があった。いくらシオンといえども、それを誤魔化すのはできなかった。

 「ああ、そうだ。レミリアやパチェリーならあまり気にしないだろうが、フランと咲夜は気にするだろうし。……美鈴はわからない。彼女の性格がよくわからないから」

 確かにシオンが見た美鈴の性格は「よくわからない」の一言に尽きるだろう。温厚で優しいかと思えば戦闘狂としての側面を見せたのだから、シオンとしては美鈴の性格が把握しにくいに違いない。本人が聞けば激しく落ち込むだろうが。

 「……そんな状態で命のやり取り、ね。貴方、バカじゃないの」

 「否定はしない」

 思わずレミリアは呆れてしまうが、シオンは気にも留めていないようだ。コレでは何を言っても無駄だろう。

 だが、一つだけ聞きたいことがあった。

 「シオン、一つだけ聞かせてちょうだい」

 「何だ?」

 「貴方は、今、何を思っているのかしら?」

 「…………………………」

 シオンは黙る。しかし、思っているのは一つのことだけだ。

 「幸せ、かな」

 「幸せ?」

 「ああ。……俺は今まで、こんなふうに遊ぶ余裕も無ければ、遊ぶ相手すらいなかった。だからなのかな。今は楽しくて、幸せだ。戸惑うことも多いし、わからないこともある。だけど、それでも、嬉しいんだ。誰かとただ笑っていられる、そんな日常が」

 激痛に苛まされながら、それでもシオンはただ笑っていた。何の邪気も無い、ただただ快活な笑顔を。

 「……そう。なら、私は気にしないわ。それと安心してちょうだい。二人には、貴方の体調について何も言わないでおくから」

 「ありがとう」

 「別にかまわないわ。こちらとしても、二人には心配をかけさせたくないのだから」

 この約束は、どちらかというとシオンの方にしか負担がかからない。

 そてでもシオンは本当に嬉しそうに笑っている。

 それに対してレミリアは呆れながらも、最後まで自身も笑っているのに気付かなかった。




コメディなんて無かった。

ハイ、私に笑い系のお話何て無理です。

……それは置いときまして、今回もクッソ長いです。
また28000文字です。途中に鬼ごっこを入れたせいで長くなりました。
鬼ごっこを入れたのは、単にシオンの体の異常さを書きたかったからです。
羨ましいと思える力を持つシオン。しかし本当は途方もない努力という支えがあるからこそなんとかなっているだけ。実際は想像もつかないデメリットを抱えています。

それともう一つ、いや、二つほど連絡を。
23000文字超えたら一話分休載させていただきます。流石に長すぎるんです。
なので次回は6/6に掲載です。

次回『シオンの才能』
タイトル通り、シオンの持つ才能に関したお話です。
ではではノシシ


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シオンの才能

やっとこさここを書けたw
今回はシオンの才能に関して少々出ています。


 シオンはレミリアと別れたあと、いつも通りの生活スタイルをするように心がけた。とはいっても、全く同じというわけではない。

 一応完全に同じ行動をするのができないわけではないのだが、それでは不気味すぎる。ある程度は変えておいた。

 しかし、途中でその『いつも通り』がボッキリと真横に叩き折られた。それは、ある少女が現れたせいだ。

 少女はいきなりシオンの前に現れると、一言だけ簡潔に告げた。

 「着いてきなさい」

 「……は?」

 その後は有無を言わさずに無理矢理シオンを引っ張っていくと、そのまま地下図書館に連れて行かれた。

 「さあ、入りなさい」

 「……それはいいんだけどさ。いきなり何なんだよパチェリー」

 そう、シオンを連れて行ったのは、かなりの間図書館にこもっていたパチェリーだった。

 「何って、貴方に対する対価を要求しに来たの」

 「対価? どういう意味だ?」

 「魔法使いなら誰でも知ってる、等価交換の法則よ。何かを得たいのならば、それと同等の物を渡す。貴方が神獣化した時に私も協力したのだけれど、それに対する対価は貴方自身に払ってもらえ、とレミィに言われてるの。まあ、こちらもシオンが聞かれたくないことを無理矢理いってもらったのだし、少しは譲歩するつもりよ」

 「レミリアめ……。まあいいか。暴走したのは俺のせいだし」

 若干恨み言が出てきたシオンだが、元々の原因は自分だと思い出す。

 「それで、俺は何を渡せばいいんだ?」

 「渡す必要は無いわ。単純に、貴方の知識を貸してもらいたいだけだから」

 「俺の知識はあやふやだぞ? 当てになるのか?」

 「それは見てみないとわからないわ。とりあえず、ちょっとこっちに来て」

 パチェリーは図書館にある自らの作業机へと移動する。そこで引き出しからゴソゴソと何かを取り出した。

 それをシオンの目の前に差し出した。

 「……紙束?」

 「もっとよく見てちょうだい」

 そう言われたシオンは紙に書かれた何かを見る。が、わけがわからない文字が描かれているようにしか見えない。

 「何だコレ? 紋様ってわけでもないし……術式か何かか?」

 「正解よ。コレを見て何か思いつかないかしら」

 「思い付くも何も、こんなの俺の中の知識には無いんだけど? コレを理解するための基盤が無いんじゃどうしようもないよ」

 シオンの言っているのは至極当然のことだ。どうあらパチェリーもあまり期待していなかったらしく、横にある本棚を指差した。

 「なら、あっちにある本で知識を得てちょうだい」

 「あっち、って……」

 シオンがその方向を見ると、言葉を失ってしまった。

 「……何冊あるんだ?」

 何百程度ならば問題は無い。何千でもまあ平気だ。しかし目の前にある本棚の中には、何万何十万、下手をするとそれ以上あるかもしれない。それを何のヒントもなく適当に流し読みしたとしても、読み終えるまで何日かかるだろうか。

 しかも、一つの本棚だけで――片側では無く裏表がある本棚だ――それなのだ。コレが何個もある図書館の最大量は、一体どれほどあるのか。

 「なあ、パチェリー。この図書館、一体何冊あるんだ?」

 「え? そうね……魔法関係以外のモノもも結構あるはずだから、最低でも三十万は超えていたはずよ。そこから先は覚えていないのだけれど……」

 十分多いわ! と叫びたくなったシオンだが、それでどうにかなるはずもない。一つ溜息を吐くと、その本棚の一つに潜って行った。

 

 

 

 

 

 「多すぎるし、長すぎる……」

 シオンは()()()()()で音を上げた。

 シオンは本を読むのが嫌いではない。というより、かなり好きな方だ。そもそも、本を読めばある程度の知識が得られる――もちろん、その本の内容が正しければ、の話だが――というのは、シオンにとってはありがたい。

 それでも三〇〇冊は多すぎた。しかもこの本、一冊一冊の文字が小さい上にページ数も異様の多い。そのせいで読むのに時間がかかるのだ。付け加えると、段階的に本を選んでその内容を読まないと、全く持って理解できない。それほどに難しいのだ。

 「はあ」

 思わずため息が出るのも仕方がない。しかしそれでもまた別の本を手に取る。三〇〇冊も読んでいまだに読む気力があるだけでも驚嘆ものだろう。

 「今何時だ……?」

 目覚めた時間が五時。レミリアと多少話していたせいで行動するのが遅れたが、朝食も食べずにここに連れて来られた。そして現在、時計の針は十時を指していた。

 「まあ、五時間でここまで読めればいい方か」

 一応シオンは動体視力の良さと高速思考による応用で速読が行える。コレらがあったおかげで、たった五時間程度で三〇〇冊という膨大な量を読めたのだ。

 ふとシオンは思い出す。自分にはもう一つ特殊な体質があったと。

 「ん……? アレ、まさか俺って、かなり無駄な事をしてた、のか?」

 思わず頭を抱えたくなったが、瞼を閉じてそこを揉むのに留めた。

 「……疲れた」

 「シオン、お疲れ様です」

 「!?」

 いつの間に後ろを取っていたのか、何かを入れた水筒を手に持つ咲夜がいた。

 「どうしたんだ?」

 「いえ、もうかなりの時間が経ちまつし、そろそろ疲れているころかと思いまして。こうやってコーヒーを持ってきたのですよ」

 「コーヒー?」

 聞いたことが無い単語にシオンは眉を顰める。咲夜はその回答を予想していたのか、スラスラと説明を始めた。

 「やはり知りませんか。コーヒーは薬か、とまで言われる飲み物なのですが、コレにはカフェインと呼ばれている物質があります。効能はいくつかあるのですが、その一つに大脳皮質に作用して精神機能及び知覚機能の刺激……要するに、眠気や疲労感を取り除き、思考力と集中力を増す、というモノがあるのですよ」

 「へえ……確かに、今は疲れてるからありがたいかも」

 カップに入れた飲み物を咲夜から受け取る。シオンはカップの中に入っている、見た事が無い液体を覗き込んだ。

 「真黒だな」

 「ブラックコーヒーですから。色は悪いですが、質の悪い豆は使っていませんので、健康には影響しません。あまり気にしないでください」

 「わかった」

 そう言ってコーヒーを飲む。が、すぐに顔を歪めることになった。

 「苦い……」

 子供の舌は大人と違って感覚が鋭い。三倍ほども差があるほどだ。しかも子供は頭でコレが毒なのかどうかが判別できない分、苦みを感じる味覚のセンサー、味蕾(みらい)というものが多く、動物的本能で苦みを拒絶する。そのせいで子供は苦い食べ物が嫌いなのだ。動物も苦い物は拒絶反応をするし、単細胞のバクテリアでさえ避けるほどだ。

 それに加えて、シオンは今までまともとよべるような食べ物を口に入れた経験がほとんど無かった。つまり、この味蕾が全く発達していない状態にある。

 そのせいで、シオンはここまで嫌がるのだ。

 「苦い物、嫌いでしたか?」

 「……コレ、読んで」

 シオンは先程大量の本を読んだ。とはいっても、パチェリーが言っていた通り、それら全てが魔法関係だけというわけではない。めぼしいものを適当に選んで読んでいたのだ。

 その本の山の中にある一冊を抜き取り、とあるページを見つけて咲夜に見せる。咲夜は少々訝しんだ。あの大量の本の中から何の迷いもなく一冊の本を見つけ、そして見せたいページをすぐに開ける。コレではまるで、読んだ本の位置やその内容、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 しかし目の前に開かれたページがある以上、コレを読まない事はできない。

 「えっと……コレは、人間の口の感覚、ですね」

 「ここ、読んで」

 そのページの一部を指差す。

 「……そういう、ことでしたか」

 それを読んだ咲夜は納得する。確かに咲夜自身、最初に苦い物を食べた頃は苦すぎて食べたくなかった記憶がある。

 「すみません、配慮が足りませんでした」

 「まあ、別にいいよ」

 「……ありがとうございま――ってシオン、何故苦いと言いながら全部飲み干して!?」

 シオンは苦渋に塗れた表情でコーヒーを飲み込む。が、やはり苦すぎるのか、飲み終えたあとは咳をした。

 咲夜が背中をさすってしばらく、やっと調子を取り戻したシオンが、濃い苦笑いを浮かべながら言う。

 「せっかく咲夜が入れてくれたものだし、残すのももったいないからね」

 「シオン……」

 結局のところはそれだけだ。咲夜に気を遣って飲んだだけ。

 「そう言った配慮は嬉しいのですが、それでは将来苦労することになりますよ?」

 「性分だからね。しかたないよ」

 誤魔化すように軽く笑うシオン。咲夜は呆れるしかなかった。

 「それでは、私はこれで。次はかなり薄めた物を持ってきます」

 「ありがとう」

 咲夜は背を向けて立ち去る。それを見ながら、シオンは思う。

 (……コーヒーに含まれるカフェインも薬の類、か。それじゃあ効果は無いんだよね)

 シオンの体には薬物が効かない。良薬だろうと毒だろうと、ドーピングのようなものだろうと一切合財無効化してしまう。

 だが、咲夜の心遣いで、シオンの気分は晴れた。

 「続き、読むかな」

 少しすっきりとしたシオンは、嬉々としながら本を開く。

 それからのシオンの本を読むペースは、今までとは比べ物にならないほど速かった。

 

 

 

 

 

 それから七時間。その間にも大量の本を読み続けたシオンは、いくつか気になる記述を見つけていた。

 「コレとアレは使えそうだな……。今度試してみるかな」

 現状シオンは激しい運動はできない。訓練ができないせいで、それなりに体が鈍ってしまっている。だからか、かなり暇だった。

 「はあ……早く運動できるようにならないかね」

 コレでは遊びたいと言っているようなものだが、シオンの本音は「生きるか死ぬかの戦いに備えたいから訓練したい」だ。本当に子供らしくない子供である。

 「シオン、今何冊目かしら?」

 そこでパチェリーが現れる。が、シオンの格好を見て眉を顰めた。

 「……本、片づけないの?」

 シオンの横には大量の本が置かれている。その横にはせっせと本を戻している小悪魔がいるのだが、シオンは気付いていなかった。

 「ん、あれ、もうこんな時間か。……えーと、誰?」

 パチェリーに呼ばれて顔を上げるシオン。最初に確認したのが時間、次に見たのは自分の横にいる小悪魔だった。

 今の今まで気付かれていなかったというのに、全く気にせずに小悪魔は言った。

 「私は小悪魔です。パチェリー様の使い魔をやらせていただいています」

 「小悪魔、ね。よろしく。それと、本を戻してくれてありがとう」

 「いえいえ、それが私の仕事ですので」

 笑顔で答える小悪魔は、また本を戻していく作業に戻る。

 「それで、何冊目なのかしら?」

 軽く無視されていたパチェリー。だが、その様子から特に気にしていないらしい。

 「えーと……()()()()()()ってとこか?」

 「三万!?」

 異常だ。というか常識的に考えてありえない。

 「……どうやったらそんなに読めるのかしら?」

 「こうやって」

 説明するよりも見せた方が早いだろうと思ったシオンは、一冊の本を取り出す。そして一ページ目を開くと、そのままパラパラとめくり始めた。

 それから数十秒後、シオンはその本を読み終えた。

 「コレで全部覚えた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 「……どういう意味?」

 「俺にはいくつか特異体質があってね。高速思考と完全記憶能力の二つ。あとは異常に高い動体視力。コレを使って覚えただけだよ」

 要は力任せで覚えているだけ、ということだ。

 「つまり、覚えてはいるけど理解していない、この意味は……」

 「単純な話、文字を覚えただけで中身を読んでいないからだよ。一度覚えればあとはいつでも思い返せるし、夜寝る前に整理するつもり。まあ睡眠に関してはそこまで取らなくても生きて行けるようにしてるし、一時間程度寝れればそれで十分なんだけどね」

 「……なるほどね。羨ましい体質だわ」

 途中にあった部分には目を瞑って呟くパチェリー。この程度では驚いていられない、ということだろうか。

 「なら、ここの本はどれくらいで読めるのかしら?」

 「三十万程度だったか? それなら……三日、くらいか」

 「それだと計算に合わないわよ?」

 「読むのにも慣れてきたからな。ずっと読んでいればやれるよ」

 「そう。一応言っておくけど、無理はしないでちょうだい。病気になられてもこっちが困るのだし」

 「大丈夫だ。俺は生まれてから一度も病気になったことがないから」

 シオンの言葉を背に、パチェリーも本を読みに戻った。

 

 

 

 

 

 本を読み始めたから丸一日が経ったころ。シオンは図書館の本を十万冊ほど読み終えることができした。

 そこでまたパチェリーが来た。

 「シオン、ちょっと聞きたいことがあるのだけれど」

 「ん、何だ?」

 「コレを見て」

 パチェリーが差し出したのは、一日前に見せられた物と全く同じ物だった。

 「……この術式って、五行思想を元にしているのか?」

 五行思想とは戦国時代の陰陽家、?衍が理論を作ったとされている。

 一説によると、元素を五つとしたのは、当時中国で五つの惑星があったからだとも思われているらしく、少なくともその頃から水星、金星、火星、木星、土星は発見されており、これらの名称は五行思想に対応しているのだ。

 五行思想は季節を現してもいる。四季の変化は五行の推移によって起こるものだと考えられるほどである。それ以外にも、方角や色などといった、あらゆる物まで五行思想が配当されている。

 「だけど、この術式って五行思想を元にしているとすれば、何かおかしくないか? 何というか……余計な物が混ざってる、って感じがするんだよね」

 その回答はパチェリーにとって満足なものだったのか、微かな笑みを浮かべた。

 「それは私が使う日と月の二属性が混ざっているからよ」

 「日と月? そんな物あるのか?」

 「無ければ使えるはずがないでしょう。私は五行思想である五つに加えて、日、月の二属性を加えた、七属性を操る『七曜の魔女』なのだから」

 「……外見は思いっきり西洋魔術師なのに、中身は東洋魔術師か。酷い詐欺だな」

 「失礼ね。まあそれは置いておいて、貴方に聞きたいのは、その術式で間違っているところを教えて欲しいのよ」

 「なるほどね。それで俺に」

 納得したシオンは、紙に書かれている複雑な術式を読み取る。眉を寄せながら眺めていたシオンだが、やがて納得したように顔をあげた。

 「コレを作れるとか、パチェリーも天才みたいだな。魔力を術式に直接残すことで魔法発動一歩手前の状態にして、自身の魔力を少し流せば起動できるという仕組み。だけど魔力を直接残す魔法は開発されていないし、作れたとしてもどうしても複雑になる。まあ結局作りだせたみたいだが、そこは新しい物の悲しいところ、正確にできていない」

 「それに加えて、魔力を循環させる回路。それが無ければ無理矢理押し留められ続けた魔力が暴発する危険性がある上に、肝心の魔法を発動させられない」

 「結果、複雑になりすぎた術式はどこが間違っているのかがわかりにくい」

 「それと魔法は失敗するとその難易度と籠めた魔力の量によって跳ね返ってくる反動が酷くなってしまう。簡単な物ならどうにかできるけど、この術式は紙を媒体にしているせいで一回使えば燃え尽きる」

 「つまり、一度使ってみてどこがどう違うのかを確認するという手段が取れない」

 同時に溜息を吐く二人。

 「確かにコレができれば便利だけど、その前段階からつまづいてる」

 「それでもこの術式を完成させたいのよね」

 「はあ……とりあえず、この術式で間違っているのは、ココとココ。それに色と方角に微妙に狂いが出てる。手書きで書いたせいか? あとは完璧だね」

 とりあえず指示を出すシオン。一応この術式は比較的簡単な物だ。それでもかなり複雑なのだから、大規模な魔法はどうなるのか想像もできない。

 「術式だけでの魔法発動は現実的じゃない。費用対効果が釣り合ってないぞ」

 「……わかっていても、したいのよ」

 「何故だ? パチェリーは何となく現実しか見ていないような気がするんだが。こういったできなさそうにない非現実的な事はしないように見えるぞ」

 「私の体調の問題よ」

 「体調って、どこか悪いのか?」

 「悪いというより、持病ね。喘息持ちなのよ、私は」

 「喘息……だから魔法を発動させるのに苦労するのか」

 「ええ、そうよ。酷い時は一番簡単な物すら扱えなくなるの。それを解消するためにコレを作ったのだけれど」

 「自分自身でさえ扱いにくい、と」

 「そういうこと。まあとりあえず、ありがとうと言っておくわ。また何かあったらアドバイスを聞きにくるから、お願いね」

 「了解。頑張って」

 そう言いはしたが、内心ではうまくいかないだろうとシオンは思う。それほどまでに難しいのだ、あの術式は。

 (俺みたいに一度見れば覚えられるんだったら話しは別だろうけど)

 コレに関してはどうにもならなかった。

 

 

 

 

 

 更に三日と十時間が経った。その間食事を摂ったり風呂に入ったり、あるいはパチェリーに頼まれてアドバイスをしたといった事以外を全て読書に費やした結果、シオンはやっとここにある本を全て読破した。

 「……………………………………………………疲れた」

 万感の思いが籠った一言だった。それほどまでに疲れたのだ。シオンはしばらくの間頭の内容を整理する。

 「ゴチャゴチャしてて気持ち悪い」

 読みすぎた上に全く整理していなかったせいで、全ての文字がバラバラになっているかのように頭の中に存在する。

 即座に整理し、気持ち悪さを無くすシオン。

 「コレでよし、と。……パチェリーのとこにでも行くか」

 立ち上がったシオンは、わかりやすいように本を整理しておく。その途中にも小悪魔はせっせと本を戻していて、わかりやすく置いてくれていることを感謝された。

 「感謝するんだったら、普通はこっちがするものだと思うんだけど」

 「……パチェリー様って、本を読み終えたら適当に置くので」

 それで理解してしまった。パチェリーが適当に置くせいで一々整頓しなおさなければらない小悪魔は、戻すのに時間がかかるのだろう。

 シオンは礼を言うと、パチェリーの元へと移動する。

 そしてパチェリーの姿を見たシオンは、少しだけ目を見開いた。

 パチェリーは、周りの物音を気にしないほどに集中していた。その顔は青ざめているように見える。目は充血し、隈もできていた。それでもパチェリーはただ書き続ける。

 流石にマズいだろうと思ったシオンは、パチェリーに近付いた。

 「おい、パチェリー。そろそろ休んだらどうだ? そのままだと気絶するぞ」

 「!!」

 いきなり肩を叩かれたせいで驚くパチェリー。だがシオンもタイミングを見て話しかけていたらしく、術式を書き間違える、ということはなかった。

 「シオン、ね。どうしたのかしら?」

 「いや、全部読み終わったからさ。何かする事は無いか?」

 「もう終わったの? ……今更の話ね。そうね……それなら、コレを見て何か新しい術式でも書いてくれないかしら? 書く物はそこにある物を勝手に使って構わないから」

 「え? あ、ああ、わかった」

 どこかどもりながらシオンが答える。訝しんだパチェリーだが、ほとんど寝ていないせいで頭が回転しないらしく、どこかダルそうだ。

 「それじゃ、頼むわね。私は少し仮眠をさせてもらうわ」

 「おやすみ」

 パチェリーは挨拶を返す体力さえ残っていないようで、フラフラとしながら寝室へと歩いて行った。

 残されたシオンは、渡された二枚の紙を持ちながら考える。

 (……俺にできるのか?)

 三十万という膨大な本の中にある知識は得たが、魔力を使って魔法を使った事無く、それ故に何もわからない。コレは何も不思議な事では無い。実際に使った経験が無ければ解らないことは多いのだから。

 「……やるしかないか」

 一つ溜息を吐いたシオンは、やるならさっさとやろうと思い、鉛筆やら何やらが入っている物を近くに引き寄せ、少しずつ書き始めた。

 

 

 

 

 

 二時間ほどが経つと、本当に仮眠だけにしたらしいパチェリーが後ろにいた。

 「どこまでできたのかしら?」

 「えっと……ここまでだけど」

 どこか困ったように言いながら、シオンは自分が書き上げた術式をパチェリーに見せる。

 「どれど、れ……!?」

 見た術式を見て絶句するパチェリー。

 「何よ、コレは……!? 色、方角、それらが示す意味、そして魔力を残す私だけの魔法……全部完璧にできてる。なのに――」

 パチェリーは術式の一部を指し示す。それをされたシオンは、顔を背けるしかなかった。

 「何で()()()()()()()()()()()()()()()ない()()!?」

 そう、何も書かれていない。そこだけは穴の開いた空洞のようにポッカリと空いてしまっているのだ。

 「……わからないから」

 「え?」

 「そこに何を書けばいいのか、わからないから」

 「何を言って……」

 ここに書けばいいモノは、魔法使いならば誰でも知っている簡単な事だ。自分の名前を自分にしかわからない独自の言語で書けばいい。それだけだ。そうやってコレを『一部が読解できない状態』だと認識させなければ、この術式は他の人間に使われる可能性がある。

 実際パチェリーも自分自身の名前を書いている。しかし、そこで何かに思い至ったのか、パチェリーは新しい紙を用意すると、そこに全く別の事を書き始めた。

 そしてすぐに書き終えると、それをシオンに見せた。

 「パチェリー?」

 「コレを解いてみなさい」

 コレは簡単な問題だ。子供でもわかる、というかわからない方がおかしい問題。だが、やはりシオンは()()()

 「……わからない」

 予想通りの回答だった。予想通りすぎて逆に叫びたくなるほどに。

 「本当に、わからないのね?」

 「わからない」

 ついもう一度確認してしまったが、あまり意味は無かった。

 パチェリーは自分が書いた問題を見る。その紙には、一+一=と書かれていた。子供でもわかる簡単な問題。しかしシオンはコレを答えられなかったのだ。

 「シオン、どうしてわからないのかしら?」

 「……別のところでその記号を見たことがあるけど、何に使うのか想像できない」

 「じゃあ、言うわよ。(いち)(たす)(いち)()?」

 「…………………………二、か?」

 パチェリーに問題を言われ、何とか正解を言うシオン。だが、その表情はかなり不安そうだった。

 「……もう、いいわ」

 椅子に座って額に手を当てる。パチェリーにしては珍しくわかりやすい態度だ。だが、思わずそうなるほどまでに()()()()()()()()()が問題だったのだ。

 「結局、何がしたかったんだ?」

 「……貴方の欠点を知っただけよ」

 「欠点? 俺に?」

 どうやら、シオン自身はこの欠点を自覚していないらしい。

 (今までの人生がおかしかったのだから、知る機会も少なかったのでしょうね)

 パチェリーは我知らず溜息を吐くと、シオンに説明を始めた。

 「まず一つ。シオンは多分、一つの才能を徹底的に伸ばした代わりに、一つの才能を徹底的に排除してしまっているの」

 「それが何かマズいのか?」

 シオンには自覚できない。そもそも、一応は自分も人間なのだから、いくつか欠点があってもおかしくはないと思っているのだ。

 「ええ、マズいわ。正直に言わせてもらうと、日常生活を送るのも危ういと思ってしまうくらいに」

 だが、この回答は予想していなかった。

 「な、なんでだ? 別に一つくらい欠点があって当然だろう?」

 「そうね。確かにそうよ。でもそれが、普通の人にとってはあるのが当然、いえ、むしろなくてはおかしいものが欠如してしまっているのだとしたら?」

 「あって当然って……」

 「例えば、貴方から『何かを想像、あるいは創造する才能』が完全に欠如してしまっているとしたら?」

 「……!? ッ、まさか!?」

 それだけでパチェリーが何を言いたいのか理解するシオン。

 「そうよ。おそらく貴方は『既存の技術を学ぶ才能』を得る代わりに、『何かを想像、あるいは創造する才能』が失われてしまったの」

 ある意味では理に適っている。『既存の技術』とは、言い換えれば剣、徒手空拳などの戦闘技術や、知識を使って作られる機械を作る技術。シオンはそういった才能に特化しているのだろう。正確には、()()()()()()()()。咲夜から学んだ料理などといった家事の類を即座に覚え、プロ並みの腕を得られたのも、この才能のおかげなのだろう。

 逆に『想像、創造はできない』ようになってしまった。コレを失っても別に構わないと思う者もいるだろう。だが、コレはそんな生易しい物では無いのだ。

 例えば、シオンが紅魔館に来てはじめて料理を目の前に出された時の事だ。シオンは料理の名称を知らないと言ったが、同時に食べ方もわからなかった。しかも()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()のだ。下手をすれば手掴みで食べようかと思ったほどに。

 普通の人間であれば、取ってがあるのだからそこを掴んで食べようとするだろう。赤ん坊でもわかることだ。だが、()()()()()()()()()。取ってがあり、何かに使用すると思われる部分がある。そこまではわかっても、それを()()使()()()()()()()()()()()

 だからこそ今回の、『ただ自分の名前を書くだけ』という作業ができなかったのだ。参考にする資料もあったというのに。

 こんなレベルの欠如を、誰が望むのか。何らかの障害を起こしている訳でも無い、ただの健康な人間ならばなおさらだ。

 「…………………………」

 「貴方はあらゆる技術の管理、維持はできても、新しい物を創れない」

 シオンの才能は、停滞しているものを管理するだけだ。自分で新たな物を創る事は、絶対にできない。

 「唯一の救いは『既存の知識』さえ持ち合わせていれば『想像』できなくてもある程度はカバーできることだけれど、やはり限界はあるわ」

 実際、数日前にやった『鬼ごっこ』の時、シオンはそういった事をやっていた。

 『ごっこ』という言葉の意味はある動作を真似る、といったものなのだが、シオンはその言葉の意味を知らなかったため、『鬼』のワードとその意味だけで無意識の内に脳内で検索をかけた。

 その結果、「鬼に捕まったら殺される」などという歪な答えが導き出されたのだ。もしシオンが『ごっこ』という言葉の意味を知っていればまた別の回答を出したのだろうが、結局はコレと同じだ。わからなければどうにもならない。

 「普通の人にはわかりにくいけれど、『想像ができない』というのは、何よりも辛いことなのよ。新しい技術を創れないのだから」

 「じゃあ、俺が今まで必殺技とかを創れなかったのは……」

 「才能の欠如のせいでしょうね」

 必殺技。平和な場所で生きている人間が言葉にすると幼稚だが、この言葉が示す意味は単純明快だ。

 必殺技とは、文字通り()()()()()()()()()

 戦場で生きてきたシオンは、何度か広範囲に渡り周囲の人間を殺す技を創ろうとした。だができなかった。必要であるはずなのに、全く思い浮かばなかったのだ。

 シオンが黒陽と白夜の能力を扱えているのは、単純にその力を見たことがあるためだ。前例があったからこそ扱えただけなのであって、シオンの力では無い。

 自身の欠如した才能を自覚したシオンは、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。




ハイ、コレがシオンの才能と欠点です。
『完全記憶能力』と『高速思考』、そして『既存の技術を学ぶ才能』が今回出たモノですね。
前者二つは皆さん知っているので省きますが、何故後者のような才能にしたのか。
それは、シオンに欠点を作りたかったからです。完全に完璧な人間なんてツマらないですから。
当初は『戦闘技術を学ぶ才能』にしようと思ったのですが、それだと咲夜並みの家事の腕を得られた理由になりません。
その結果が、つい半月ほど前に思い付いたコレ、というわけです。

それと欠点。
『何かを想像、あるいは創造できない』欠点、コレをどう見るかによって皆さんの反応が分かれると思われます。
しかし大抵の皆さんはわかるはずです。想像できない事の恐ろしさが。
例えば、曲がり角があります。ここから何が出てくるかを『想像』してみると、色々なモノが思い浮かぶと思われます。
例えば歩いてくる人。例えば自転車や車などに乗った人。あるいは、犬や猫などの動物かもしれません。もしも自分が乗り物に乗っている場合、コレらの事を考えているでしょう。
ですが、コレらも全て『想像』なのです。あくまでも可能性にすぎません。
そしてシオンはコレらを『想像』ができない。何かが飛び出してくる事すら予想できないのです。つまり、真横から人が飛びだしてきた場合に一切の反応ができない、という意味になります。
前もって準備ができていないせいで、避けられないという事です。
まあ、シオンの場合は超人的な感覚のおかげで『想像』できなくても人が来るかどうかがわかってしまうのですが……。
もう一つは『創造』。コレもよくよく考えると無いのはキツいです。
私たちは学生の時に美術などを学びますが、この時、「何かを想像してみてください」などと言われても、シオンは何もできません。何も思い浮かばないのですから。
思い浮かぶとしても、それは頭の中にある知識を出すだけ。簡単に言えば盗作になります。
『想像』できないせいで『創造』ができない、というわけです。

この才能と欠点は両極端、正反対と言えるモノです。こうした訳は次回少しだけ紹介します。
さて、欠点を追加したはいいが、それを私に書けるのでしょうか……。

P.S
この前リア友の家に遊びに行った時、そのリア友から「活動報告を書いた方がいいのではないか」と言われたので書いてみました。といっても書くことなんて、小説の執筆の仕方とか、どんな風に書いているのかとか、そんな感じしかないのですが。
そして後書きだけで1000文字を超えてしまった。長すぎですね。


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新たな技術

 シオンはしばらくの間何も言わなかったが、やがてその表情を変える。

 「シ、シオン?」

 その表情を正面から見てしまったパチュリーは焦る。それほどまでにシオンの表情は恐ろしかったのだ。

 シオンは、ただ純粋に――怒っていた。全身に怒りを滾らせ、今にも爆発しそうな感情を抑えようとしているのが目に見えてわかる。

 ガリッ、という音が響く。おそらく歯を噛み締めすぎて唇周辺の皮膚を噛み切ったのだ。

 「ちょ、何をやっているのよ!?」

 「……ごめん。しばらく一人にしてくれないか?」

 その一言を言うのも辛そうなシオン。パチュリーの返事すら聞かずに図書館への外へと歩き出して行った。

 「…………………………」

 パチュリーは、その小さな背中に向けて――何も言えなかった。

 

 

 

 

 

 シオンは何を考えることすらなく、ただ紅魔館の廊下を歩いていた。

 「……ッ!!」

 ギリギリと拳を握り締める。そうしなければ、筋違いだとはわかっていても何かにあたってしまいそうだからだ。

 「どうして……」

 世界は理不尽だ。どうしようもなく、ただ平等に不幸を与える。

 「俺は、奪い、壊して、殺すだけの人外なのか……?」

 それが恐ろしかった。シオンは誰かを救えた記憶が無い。何かを作って、誰かの笑顔を作れた記憶も、紅魔館に来る前は無いに等しい。

 そんな自分が、どうしようもなく不安だ。

 「シオン?」

 いきなり声をかけられたシオンは、ゆっくりと顔をあげる。そこには、不安そうな表情をしている美鈴がいた。

 「美、鈴……?」

 「どうしたのですか? 顔色が悪いですよ?」

 実際にシオンの顔色は、見ている方が不安になるほどに悪かった。青ざめているどころの話ではなく、今にも倒れてしまいそうだ。

 美鈴は片膝を地面に着かせて目線をシオンと合わせる。

 「……美鈴」

 自分の肩を押さえて心配してくれている相手がいる。触れている温もりを与えてくれる。心配してくれることに温かさを感じる。この二つが、シオンは独りじゃないと、そう教えてくれるようだった。

 だからだろうか。シオンは美鈴の肩に顎を乗せて、美鈴の体に体重をかけた。まるで、幼い子供が抱きしめられるような体勢だ。

 「……怖い」

 一言だけ。だがその一言に籠められた想いはどれほどのものか。

 「……自分が、怖い。どうしようもないくらい、怖いんだ」

 「…………………………」

 小さく震える幼子。美鈴は、静かに抱きしめることくらいしかできなかった。

 

 

 

 

 

 「……ありがとう」

 俯きながら体を離すシオン。長い前髪に隠れてしまって見えにくいが、眼が充血していないのを見るに、泣いてはいないようだった。

 (確か、少し前からパチュリー様の元で手伝いをしていたはず)

 何があったのかは詳しく知らない。当事者でないのであれば知るはずもない。

 「……一体、どうしたのですか?」

 「ちょっと、思い出したくないことを思い出して」

 美鈴が問うも、要点を得ない答えを返すシオン。ならば、と美鈴は話を変えた。

 「では、一つ提案があるのですが」

 「何?」

 「――私と一緒に、稽古をしませんか? シオンならば、すぐに太極拳を極められると思うのですが」

 露骨なまでに話が変わりすぎているが、コレもシオンのためなのだろう。シオンはさりげなく右手で左腕を押さえ、少しだけ力を込める。痛みは、ほとんど無かった。どうやら神獣化の代償はほぼ無くなったらしい。

 コレなら、シオンが否定する理由も無い。

 「わかった。一緒にやろう」

 どこか上から目線な言い方だが、シオンにはその自覚が無い。美鈴も特に何も言わず、ただ苦笑を返すだけだった。

 

 

 

 

 

 「――ハァ、ハァ、ハァ! きっつい……」

 シオンは紅魔館の門前の地面に座り込んで荒い息を吐く。

 「運動してなかったのはたった二週間、されど二週間、か。体力が大分落ちてるし、体の反応もどこかおかしくなってる」

 「それでも十分だとは思いますが……。もう()()()()も休まずにやっていますし」

 そう、シオンは美鈴から太極拳の稽古の仕方を教わったあと、一回も休まずに――それこそ食事も睡眠も、水分を補給もせずに――体を動かし続けた。普通の人間がそんなことをすれば一週間も経たずに死ぬだろう無茶を通したのだ。

 むしろ何故荒い息だけで済んでいるのか不思議だった。まあ、本来のシオンであれば、一ヶ月は続けていられただろうが。

 この十日間、暇ができればフランや咲夜が止めに入りにきていたが、終ぞシオンが止める事は無かった。一応会話をすることはあっても、あくまでするだけ。ほとんど稽古の方に意識を向けていたため、生返事をする時もザラにあった。

 そのせいで二人は何度かキレかけていたが、その度に急いで美鈴が止めに入っていたので事なきを得ていた。苦労人である。

 美鈴は、どうしようもない、というふうに溜息を吐いた。

 「まあ、シオンですから、の一言で済ませられますし、気にしないようにしましょう」

 「……貴女は俺をなんだと思っているんだ?」

 「聞きたい――」

 「いやいい。聞きたくない」

 何故か嫌な悪寒に包まれたシオンは、両手で耳を塞いで目線を地面に向ける。耳と手の隙間から美鈴の微かな笑い声が聞こえると、手を離した。

 「それで? 実際のところはどうなんだ?」

 主語は抜けているが、要点はわかる。

 「真面目な話をしますと、シオンの今までの戦い方が原因ですね」

 「我流がダメだった、そういうことか?」

 「はい。シオンの技術は一見滅茶苦茶ですが、その実戦闘に特化したモノです。正確に言いますと、殺す事に特化した、という表現が正しいですね」

 「なるほど。だから体を動かしにくかったのか。俺は『まとも』な戦闘技術を学びにくいってことなのかね」

 「そうなります」

 誰にも師事せず、またできるような状況ではなかったため、仕方なく戦場で最も自分にあった戦い方を作り上げた、その弊害。

 そもそもシオンは何が『まとも』で、何が『おかしい』のかを理解できない。比較対象がいなかったせいだ。

 「でもまぁ、太極拳の基礎は覚えられたし……今回はコレでいいか」

 「私が教えたのは、本当に基礎の基礎と、『寸勁』に『鎧通し』、そして『震脚』の三つの技ですね。使い勝手はどうでしたか?」

 「基礎はけっこうきつい。それと寸勁はともかく、鎧通しは扱いにくい。そもそも鎧を纏った相手と戦った事が一度も無いから、どうやればいいのかがわからないし。衝撃を全部相手の体に残す方法を使った方が楽だ」

 「どちらかというと、そちらのが難しいと思うのですが……。まあ、私の場合、実際に騎士と戦った経験があるから簡単でしたが」

 「数百年単位……それこそレミリアよりも生きてるからだろ? 俺はまだ九歳だし、何より現代で鎧纏って戦う人間なんていないよ。……絶対とは言いきれないから、人間は恐ろしいんだが」

 自身も人間だというのに、しかめっ面で愚痴をこぼすシオン。

 「でも震脚はやりやすいね」

 「それはシオンに重力制御能力があるからだと思いますけど。実際に見て感じた私が本気で思ったほどです。アレはおかしすぎると」

 「そりゃそうだろうね。筋力によって地面を揺らし、氣を爆発させて更に揺らす」

 ここまでは美鈴がやっている工夫となんら変わりない。しかし、ここから先は酷すぎた。

 「最後に重力制御で揺れている方向を複雑化し、それでも倒れなければ直接重力を叩きこませて地面に這いつくばらせる」

 地面に立って戦う美鈴からすれば、このやり方は鬼門だ。美鈴の工夫だけでも十分恐ろしいというのに、重力制御でパターンを更にわかりにくくさせる。挙句の果てには、必死にバランスを取ろうとしている相手を嘲笑うかのように地面に膝どころか体全体を落とさせる。喰らった相手からすればたまったものじゃないだろう。

 「浮かんでいる相手には一切効果が無いんだけどね。幻想郷じゃ使えるタイミングは少ないんじゃないか?」

 「まあ、そうですが」

 そもそも幻想郷で突出した力の持ち主は、そのほとんどが近接格闘など行わない。やる時にはやるが、基本的に氣、魔力、霊力、妖力で形成した弾幕をするのが普通だ。紅魔館にいる幾人かは接近して戦うが、それでもどちらかというと弾幕に傾いてしまう。美鈴だけは例外としてほぼ近接格闘のみだが。

 「しかし、覚えておいて損はないでしょう?」

 「……まあね。太極拳は円運動を元にしてるから、学ぶべきところは多いし」

 シオンは座り込んでいた状態から立ち上がると、ズボンに付いた土と埃を落とす。

 「そろそろ夕方になる頃だし、俺は風呂に入ってくる。流石に汗でベトベトだ」

 「あれ、シオンは数年くらいであれば風呂に入らなくても平気なのでは?」

 「平気ではあるけど、不快感は拭えないよ。それに、風呂に入って湯に浸かると気分がスッキリするから、風呂は好きなんだ。風呂のあとは久しぶりのご飯だ。楽しみだな」

 小さく笑みを浮かべながら、シオンは紅魔館の中へと入っていく。それを見ながら、美鈴はポツリと呟いた。

 「……基礎は基礎であるが故に重要であり、極める事が難しい」

 だが、シオンは別だった。

 「教えた技術をあっさりと覚えた。この十日間は、あくまで自分流にアレンジするための反復くらいしかしていない」

 シオンが稽古をしている最中、さりげなくパチェリー元へと行き、話しを聞いてシオンの才能を知ったが、あまりにも極端すぎる。

 「……一体、誰がシオンをあんな風に……」

 異常の中の異常。だからこそ、シオンはあそこまで歪なのかもしれない。

 シオンの才能は、美鈴からすれば羨ましいが、同時に憐れむべき才能だ。あの才能が示しているモノは、『過去』と『現在』だ。技術とは『現在』から生まれ、そして『過去』のモノとなっていく。コレが表すモノは、停滞を意味するのようなものなのかもしれない。

 逆に創るとは、『未来』に何かを残すことだ。『現在』から作りだし、『未来』へ向かって完成させていく。

 つまりシオンは、『過去』にしがみつけられ、『未来』へと、前へと進む事を許されないかもしれないという意味であの才能を持たされたのを、苛立っているのかもしれない。

 嫌な暗示を表しているようだった。

 「フラン様と接している時が、一番子供らしいのですが」

 それでも限度がある。子供らしくいるよりも、ああいった極限まで自分を追い詰める姿こそがシオンの本性なのだろうか。美鈴にはわからない。

 「……ままなりませんね、世の中というものは」

 とっくの昔に知っていたことだ。それでも思わずにはいられなかった。願わずにはいられなかった。どうか、あの小さな少年に幸あれ、と。

 

 

 

 

 

 シオンは風呂から出たあと、食堂へと向かうことなく図書館へと下りて行った。途中でフランや咲夜に会う事も無い。基本的に女性陣は食事の後に風呂に入るからだ。先に風呂に入ってから食堂に向かうシオンとはすれ違うはずも無かった。

 そこそこ長い階段を下り、図書館の扉の前に立つシオン。そのままノックもせずに扉を開けると中に入る。

 この中にはパチュリーがいるはずだ。パチュリーの生活サイクルは常時狂っている。いつ食事をするのか、いつ風呂に入るのかすらわからない。シオンでさえ、その生活サイクルを理解できなかった。常時狂っているのだから、把握するもクソもないのだが。

 とにもかくにも、今日は運よくパチュリーは図書館にいた。

 「パチュリー」

 「……あら、シオン。私に何か用かしら?」

 「ちょっとお願いがあって、さ」

 いきなり出て行った手前、どこか歯切れ悪く答えるシオン。だがパチュリーはいつも通りに振る舞う。

 パチュリーは思う。何か言い難い事なのだろうか。それとも、自分が簡易的な術式の構築を作れないかと試しているのを邪魔していると思っているからか。しかしパチュリーは、話しかけられたことはあまり気にしていなかった。

 「用件があるのなら、早めに言ってちょうだい。時間は有限よ」

 「……それもそうだな。あのさ、パチュリー」

 その表情は迷いが明確に表れているが、言わないという意志は無いようだった。

 「――俺に、魔法を教えてくれないか?」

 

 

 

 

 

 

 「……何故かしら?」

 パチュリーには理解できなかった。シオンの思考が、何をしたいのかが。

 シオンは強い。パチュリーが全力で魔法を使え、戦えたとしても、それすら切り裂いてくるだろうというのがわかる。それほどに差があるのだ。

 元々強いシオンが、これ以上の強さを求める理由がわからない。

 「俺は、まだ弱いから」

 「!?」

 「まだ弱い。もっと強くなりたい。今度こそ、守りたいから」

 理解した。シオンの歪みを。歪さを。

 (守れなかった、反動……)

 パチュリーは……否、紅魔館の全員が、言いたくなさそうだったフランから無理を通してもらって話を聞いていた。シオンには、かつて守れなかった姉がいる、と。そのせいで、あんな憎悪に囚われてしまったのだと。

 その結果、目の前のシオンが形成された。自身にとって大切な人が、もうこれ以上目の前で死なないように、そのためだけに自分を追いつめる。相手がそれを望んでいなくても、シオンは止まってくれない。

 だからこそ油断しない。だからこそ貪欲に強さを求める。

 おそらく、シオンはありとあらゆる局面において不利になりたくないのだろう。シオンは確かに強い。だが、それはあくまで近接戦闘のみだ。しかも、現在のシオンでは、純粋にシオンよりも強い相手と戦った場合が全く想定されていないのだ。故に切り札を持とうと思ったに違いない。

 もう一つ付け加えると、その大切な相手が人質にされる可能性もあるのだが……。

 その時の事を、考えたくは無い。もしそうなった場合、シオンがどんな行動をするのか予測できないからだ。

 パチュリーは一瞬断るかどうかを考えた。だが、ここでそれはできない。結果的にだが、シオンには等価交換で必要以上の物を要求してしまった。等価交換の法則で、余剰分は返さなければ対等ではない。そして、余剰分を返さないという選択は――そもそも考えることすらしない――パチュリーの魔法使いとしてのプライドが許さない。

 「わかったわ」

 「本当か!?」

 だから、こう言うしかない。この返答にシオンは喜んでいるが、一つだけ付け加える。

 「ただし、私がするのは魔力量と、属性に対する適正の調査だけよ。これ以上は等価交換の余剰分を超えてしまうから」

 「まあ、少し教えてくれるならそれだけでも十分だけど、等価交換の余剰分……?」

 「それは気にしないで。さ、早くそこに立って」

 シオンの疑問を一蹴するパチュリー。教えるつもりが無いのではなく、魔法を扱うようになるのであれば自然と知ることになるから、教える必要が無いだけだ。

 訝しみながらもシオンはパチュリーの言われた通りの場所に立つ。

 「ここで何をしていれば?」

 「立っていればそれで十分よ。ああ、無駄に動かないでちょうだい」

 念のためにパチュリーはチョークを使って床に防御の術式を描く。本来パチュリーのほど実力があればいらないものだが、シオンのキャパシティを把握できていない以上、ある程度の保険をかけたくなったのだ。

 実際、魔力量を調べる時に、相手の容量を把握できなかった魔法使いが、調べた相手の魔力を暴走させてしまい、両方死んだ、などという件もあるくらいだ。

 「ついでに属性の適性を調べる魔法も入れておきましょうか」

 何度も魔法を使えば、それだけで喘息になってしまう。一度でできるのなら、それで済ませたいのだ。

 「準備ができたわ。早速始めましょうか」

 「頼む」

 パチュリーは既定通りの詠唱をする。とはいえ、コレははじめて使う魔法だ。なにせパチュリーは今まで自分以外の魔法使いを見たことはあっても、直接関わった事はほぼ皆無に近いからだ。そのため他者の魔力を測定する必要が無かったのだ。

 しかしあっさりと魔法を発動させるパチュリー。はじめての割に全く戸惑う様子が全く見えないのは、もっと難しい魔法を使ってきたが故だろう。

 けれど、ここで想定外の事態に遭遇する。

 「う、っわ……!?」

 シオンの体を中心に、膨大な魔力が吹き荒れる。その魔力はパチュリーが描いた防御の術式すらも食い破ってしまいそうだ。

 「……まさか、そんな」

 だがパチュリーはそんな事を気にしていられない。それを気にする余裕も無い。

 結局何か対策を取るための魔法も唱えなかったことで魔法が破られ、膨大な魔力が周囲に吹き荒れる。暴走した魔力の中心点にいるシオンが、能力制御の応用で必死にそれらを抑えこもうと努力をしてみるが、あまりにも量が多すぎるのと、何よりはじめての感覚に戸惑ってしまい、そこまでの成果が出ない。

 「おい、パチュリー!」

 いまだに呆然としている目の前にいる魔法使いに叫ぶ。パチュリーが無事なのはシオンが魔力を必死にコントロールしているからだ。

 パチュリーのいる場所を無理矢理台風の目にすることで難を逃れさせているのだ。代わりにシオンも暴風の真っ只中にいるのだが、重力制御で地面に足をつかせているので、問題はなかった。

 「おい、しっかりしろ! コレを止められるのは貴女だけだろう!」

 シオンには現状の把握ができない。そもそも今必死に操っているコレらが何なのかもわかっていないのだ。だからこそ、現状を打破できる存在に呼びかける。

 その呼び声に、やっと我を取り戻したパチュリーは、すぐさま魔法を発動させるための詠唱をする。動揺して訳の分からないことを口走らない分、パチュリーは他の魔法使いよりも遥かに格上だろう。

 実際には心の中で疑問と驚愕が渦を巻いているのだが、それを表に出していないだけだ。

 それから魔力を抑え込む魔法を使うことで、魔力の暴走を終わらせる。

 「ありがとう、パチュ……」

 シオンは周囲を見て言葉を失う。とにかく酷い有様だった。シオンの魔力によって吹き荒らされた図書館は、棚が倒れ、本が崩れている。何十万冊という本が崩れる様は、まるで山が土砂崩れを起こしたようだった。

 「……どうするんだ、コ――」

 「シオン、今から言うことをよく聞きなさい」

 半ば現実逃避しかけたシオンだが、パチュリーはそれを許さない。

 「私が調べた結果、貴方には異常な量の魔力があるのが判明したわ」

 「それのどこが悪いんだ?」

 「いいから黙って聞いてちょうだい。……その量が多すぎるのよ。人一人分には絶対に収まらない量が。大妖怪程度なら納得できるけど、あの量はありえないの」

 実際代々の博麗の巫女たちは大抵が大妖怪の上位、最低でも中位クラスの霊力を持った者が務めている。だからそこには疑問を持たない。パチュリー自身もそうだからだ。

 だが、シオンの最大量は異常だった。

 「だけど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()宿()()()()()()

 「……は? 冗談、だよな?」

 「冗談だったらどれだけよかったか……。さっきあっさりと私の術式が破られたのも、おそらくはそれが理由よ。とはいえ、その大半を貴方が抑え込んだおかげで、()()()()()被害で済んだのだけれど」

 図書館が崩壊しているかのような惨状で『この程度』だとしたら、本当の暴走が起きたら一体どうなるのか。

 「簡単よ。紅魔館どころかここのすぐ近くにある湖付近全て吹き飛ぶわ」

 洒落になっていなかった。しかし、一〇〇万人分の魔力が暴走すれば、それ以上の被害が出てもおかしくはない。

 実際、先程パチュリーが念のために用意した術式が無ければシオンが魔力を操作する暇など無かったし、シオンが魔力を操作しなければ被害はもっと大きくなった。最悪被害は出ずともシオンの四肢どころか体が破裂していただろう。

 我知らずパチュリーに命を救われたシオン。しかし二人はそれに気付かない。それ以上の優先事項を目の前にしたせいで、気付く余裕が無い。

 「……俺にどうしろと?」

 いくら一〇〇万人分という膨大な魔力があっても、それを扱う術をシオンは持たない。コレでは宝の持ち腐れもいいところだ。

 「何か属性の適性があるんだろ? それを教えてくれよ」

 「無理ね」

 「え?」

 あっさりと断れたのに驚く。だが、断り方としては少しおかしい。ここで使う言葉で正しい表現は「嫌よ」という方があっているはずだ。なのに「無理ね」とは。

 「……教えられない理由があるのか?」

 「そうよ。……もったいぶるのも面倒だから、単刀直入に言わせてもらうわ」

 どこか面倒くさそうに、パチュリーは言う。

 「シオンには、属性の適性が無いの」

 残酷なまでの、真実を。

 

 

 

 

 

 魔力を持った人間は、絶対に一つか二つ程度は何らかの属性の適性を持つ。それが当たり前のことで、それ以外はありえない。

 パチュリーのように七つもの適性を持つ者は極めて珍しいが、それでも歴史上では何度もいる程度だ。よほどのイレギュラーでも無い限り、四大属性やそれに準じたものから外れる事は無い。

 だが、シオンがそのイレギュラーになってしまった。

 『属性に適性が無い』

 この言葉なら、そこまで問題にはならなかっただろう。

 だが、違う。この世界の魔法は、そこまで優しくは無い。

 「私たちが扱う魔法は、基本中の基本なら、例えどれだけ適性が無かったとしても扱えるモノなの。だけど、一つも属性に適性が無いシオンには、その基本中の基本でさえ対象外となってしまうのよ」

 属性を持つことが当たり前のせいで、属性を持たない術式が一つも存在しない。そのせいでシオンは、魔力を別の属性に変えられない事で、その属性を起動させられない。

 例えば、『火の矢』という単純で簡単な魔法。コレを作るためには『火』に対するある程度の適性と、ある程度の魔力があればいい。

 だがシオンは『火』の属性の適性がゼロであるせいで、魔力を『矢』という形にはできたとしても、肝心の『火』を灯すことができない。

 他の魔法も似たようなモノだ。

 これらが示すモノは、シオンには、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということだった。

 「付け加えると、魔法使いは基本的に自分本位。だから、貴方を()()()()()()()狙う輩がいないとも限らない」

 歴史上ただ一人もいなかった、『属性に適性を持たない人間』。それがどれほどの価値を持っているのか。

 「しかも、膨大な魔力を持っているのもやばいわね」

 膨大な魔力を無理矢理引き摺り出せれば、それだけで今まで扱えなかった魔法を使えるようになる。それこそ大量破壊の魔法でさえ、だ。しかも何度でも使えるようになる。大量破壊魔法でなくとも、神話に出てくる特殊な武具、あるいは不可能がある程度まで、というくらいだが、天使や神などの簡単な使役くらいはできるようになるかもしれない。

 つまり、シオンがもしそういった類の魔法使いに捕まってしまえば、非人道的な実験を受けさせられるか、あるいは一生ただの魔力タンクとして人形のように生きて行くことになる。

 「今のシオンには魔法に対抗する魔法が無い。それだけで途轍もなく不利よ」

 幻想郷には魔法使いが少ないが、それでも一定数は存在する。それら全て、とは行かなかったとしても、半分かそれに近い数がいれば、シオンとて負けるかもしれない。

 確かにシオンは強い。だが、それでも遠距離攻撃に関しては弱いのだ。

 シオンも遠距離攻撃ができないわけではない。しかし威力が強すぎる。シオンが扱う遠距離攻撃は、そのほぼ全てが核爆弾のようなものなのだ。何度も使えない、強力すぎて自分自身すら傷つけるような遠距離攻撃しか無ければ、一方的に嬲られるだけだ。

 まともな遠距離攻撃を持たないが故の弊害だろう。

 「とにかく、それだけの魔力を持っているのを隠さないといけないわ。いい?」

 パチュリーは今まで逸らしていた視線を戻す。

 視線を逸らしていたのは、嫌だったからだ。

 先程もパチュリー自身が言っていたように、魔法使いになりたがる人間は、自身の欲を埋めるために自分勝手な者が多い。だからこそ、自分が手に入れられない、あるいは魔法を使えないとわかった時。どれだけ『何か』にあたるのかわかったものではない。

 事実、それで何人もの人間を殺す殺人鬼や、物を盗む泥棒のような魔法使いがいる。もちろんそれだけではないが、相応にいるのもまた事実だ。

 あるいは才能の無さに絶望するか。人間は挫折する生き物だ。幼い頃から思い描いて来た夢を叶えられないと悟った時、大抵の人間は全てを投げ出し、自棄になる。ほとんどの場合、表面上はいつも通りに振る舞うことが多いのだから、なおタチが悪い。落ち込んでいるとわかりにくいが故に励ましにくいからだ。

 しかも、期待すれば期待していたほどに絶望も大きくなっていく。シオンは「守るために強くなりたい」と言っていた。やるせない思いを抱いていても仕方がない。

 しかし、シオンはそのどれにも当てはまらなかった。

 「……それだけか?」

 「え?」

 きょとんとしながら首を傾げるシオン。沈痛な表情をしていたパチュリーも、この反応は予想できなかった。

 「それだけって……属性に適性が無いのよ? 魔法を一切使えないのよ? それなのに、どうしてそんなあっさりと受けいられるの!?」

 まくしたてるように叫ぶパチェリー。だがシオンとしては、どうしてパチェリーがそんな反応をするのか不思議だった。

 「だって、それだけが全てじゃないだろう?」

 「それは……」

 「魔法が使えなくても、大量の魔力がある。それにさっきパチェリー自身が言っていたじゃないか。『火の矢』では『火』は使えないけど、『矢』ならできるって」

 「……それがどうなるの?」

 「いや、膨大な魔力があるんだったら、相手が捌ききれないほどの大量の『矢』を作って撃てばいい。あるいは属性を持たない基本中の基本以下の魔法を覚えればいいし」

 別に道は一つしか存在しないわけでは無い。属性に適性が無いのなら、属性を必要としない魔法を扱えばいいだけの話だ。

 「……どうして、そんな風に考えられるの?」

 普通の人間であれば、さっきのパチュリーの説明を聞けば心底から絶望して、何も考えられなくなるはずだ。なのにここまで柔軟な思考ができる事が、パチュリーは不思議でならなかった。

 「一つの事に固執すれば、生き残れなかったから。忘れたのか? 俺は『戦争』の中で生き抜いて来たんだぞ」

 例えば戦争の真っ只中で銃を撃つ事だけに固執すれば、すぐに殺される。銃はあくまで牽制であり、本命は別のモノを、そしてその本命と思わせたモノをカモフラージュに本当の本命を使い、そしてそれを囮にして普通に銃で撃ち殺す。こういった現在できる様々な可能性から思考し、今できる最善の策を叩きだす。それが日常だった。

 しかもその最善の策を練り、実行するための度胸も無ければならない。どれだけ有効な策があったとしても、実行する人間が諦めていればどうしようもない。

 つまり、シオンは事戦闘という部類に関しては、『諦める』という選択肢を持たない。

 「それに、俺が魔法を覚えたいのは、強くなるための『手段』であって、『目的』なんかじゃない」

 結局のところはそれに尽きる。例えほとんど魔力が無かったとしても、その『ほとんど無いに等しい魔力』でも扱える『何か』を探しただろう。

 「まあ、そんなわけで、俺にとって魔力はあることに越したことはないけど、そこまで重要なわけでもないんだ」

 「……フ、フフッ」

 あまりに身も蓋も無いバカバカしい答え。あまりにもバカらしくて、心配していたのがアホらしくなってしまって、パチュリーは腹を抱えるほどに笑ってしまった。

 「笑うって、酷いんじゃないか?」

 「私を笑わせる方が悪いのよ!」

 シオンには、いかにパチュリーは笑う、という状況が珍しいのかを知らない。一〇〇年以上もパチュリーの親友であるレミリアでも、そう多くは無いだろう。

 そんなパチュリーの貴重な満面の笑顔をシオンは今見ているのだ。

 しかし、シオンがそれに気付く事は無い。

 「……あとで、図書館を整理するか」

 パチュリーが笑っている横で、小悪魔の手伝いをしようと思うシオン。面倒臭そうだな、と思いながらも、パチュリーに釣られて笑ってしまった。その笑みは、パチュリーのような満面の笑顔では無く、ただの苦笑であったが。




前半の、太極拳の基礎の基礎と三つの技を覚えるのが早いのは、前の話に出てきた『既存の技術を学ぶ才能』があるが故です。流石に奥義とでも呼べる技は一〇日間では覚えられませんし。

後半部分は『ゼロの使い魔』に出てくるルイズを想像すればわかりやすいかと。
『虚無の担い手』であるせいで四大に適性が無く、それ故に魔法を爆発させてしまう。大量の魔力はあるのにも関わらず。シオンのそれと似たような感じです。まぁルイズと違って爆発すら起きないのですが。


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少年の決意

 「な、どうなってるんですかコレは……!?」

 少し暇を貰って図書館の外に出ていた小悪魔が戻ると、そこは何があったのか、台風でも起きたかのような惨状ができあがっていた。

 しかも何故かシオンとパチュリーには影響が無い。更には二人して笑って――シオンの場合は苦笑だろうが――いる。訳が分からなかった。

 そこでシオンが小悪魔の存在に気付く。笑い声のせいで聞こえないはずなのに、それでも扉が開閉する音を聞いたからだ。

 「…………………………」

 「…………………………」

 顔を見合わせた二人は固まる。シオンは罰が悪そうに、小悪魔はどこか怒っているように。シオンが突如固まったのに訝しんだパチュリーだが、その原因に気付くと、すぐさま立ち上がる。

 「……私は、シオンでも扱える魔法を作って来るわ」

 「……頼む」

 さり気なく逃げるための口実を作るパチュリー。だがその内容がシオンのため、というものだったせいか、流石のシオンも正面切って逃げるのかなどと言えるはずも無く。同時に小悪魔に対する説明を丸投げされたのを理解した。

 シオンが顔を戻すと、此方を睨みつけてくる小悪魔がいる。

 「………………どう説明しろと? ……絶対無理だ」

 意外にも泣き言を言うシオン。が、シオンは怒っている女性はそこそこ苦手だったりする。姉が顔で笑っていても目が笑っていないという状態を見ていたせいだろうか。そもそも人と話すが苦手なせいなのか。

 若干逃げ出したくなったシオンだが、そうは問屋が卸さない。そこかしこに散らばっている本を器用に避けながら近づいてくる小悪魔を見て、逃走は不可能だと判断する。元から逃げ出す気など無いが。

 「説明、してくれますよね?」

 その声音から、少しどころか、予想もできないほどにキレているのが窺えた。シオンは若干及び腰になりながら、

 「……一応、最初らへんから話させてもらうけど――」

 他者が聞けば荒唐無稽な話しを説明し始めた。

 

 

 

 

 

 「そんな事があったのですか……」

 戻ってきたパチュリーの口添えもあってか、何とか納得する小悪魔。シオンが説明した時はどこか半信半疑だったが、主であるパチュリーと、シオンが嘘を言わないという性格を知ってからは素直に話を聞いてくれた。

 その甲斐あって、途中で質問される時はあったが、それを除けばほとんど遮られる事無く説明を終えられた。

 ちなみに、今三人はパチュリーの机の近くに吹き飛ばされていた椅子を持ってきて――もちろん持ってきたのはシオンだ――座っている。そこそこ時間のかかる話しだったので、立っているのは疲れると判断したのだ。

 「まあ、今回は不可抗力ですね。流石に一個人が一〇〇万人分の魔力を持っているなど、誰にも予想できませんし……」

 魔力と妖力という違いはあるが、大妖怪でさえそんな量など持っていない。パチュリーが予想できなかったのも当然だった。小悪魔でさえ、実際にその力の一端を見せられなければ、そんな量を持っているのだと信じなかっただろう。今でも信じ難いのだから。

 しかし、あんな量の魔力を見せられれば、嫌でも納得するしかない。だが、それとこれとは話が別だ。

 「ですが、片づけをするのは私なのですよ? その苦労をわかってほしいです」

 確かにここにある本の量は膨大だ。しかも前はその内容毎に区切ってきちんと区別していたりしたため、元に戻すのに何日かかるかわかったものではない。

 「あ、それなら」

 疲れたように言う小悪魔に、シオンは片手を挙げる。

 「何でしょうか?」

 「本を片づけるのは俺も手伝えるよ。完全記憶能力でここにある本は全部覚えてるから、背表紙だけ見ればどういった本かわかるし。それにこうなった原因を作ったのも俺だから……」

 それを聞いて顔を横に反らすパチュリー。だがシオンは責めるつもりは毛頭ない。元々こうなった本当の原因はシオンが魔法を教えてくれと頼んだからだ。

 だからこそシオンはパチュリーを責めないし、こうして小悪魔に手伝いを申し出ている。そんな理由が無くとも手伝っていただろうが。

 「……いいのですか?」

 「もちろん」

 躊躇っている小悪魔に即答するシオン。ここで言葉に詰まれば嘘だと思われてしまう。やがて小悪魔もわかってくれたのか、素直に頷いてくれた。

 「では、お願いします」

 「わかった。あ、パチュリーはそのまま魔法を作っててくれ。それと――」

 シオンはパチュリーの耳元に顔を近づけて、いくつか頼み事をする。しばらく黙って聞いていたパチュリーだが、全てを聞き終えると、面白そうに薄く笑った。

 「……なるほど、その考えは思い浮かばなかったわね。いいわ、任せてちょうだい」

 「頼む」

 クルリと体の向きを変えて机に書くための物を用意するパチュリー。術式を作ろうとしていた時と同じく、もう話しかけても反応しなさそうだった。

 とりえあずこれでいいか、と思ったシオンは、小悪魔に言った。

 「じゃあ、始めようか」

 

 

 

 

 

 二人がまず最初にやったのは、散らばった本を一ヶ所に集める事だった。あんなに散らばっていては崩れ落ちている本棚を戻す事すらできない。何より一番下に埋もれている本が上に乗っている本の重さで潰れたり、最悪の場合ページが破れたりといった事になるかもしれない。それ故の処置だった。

 そして膨大な、それこそ数えるのすら億劫な量の本を分類別に集め終えた二人。だが、その時点で疲労困憊になってしまった。シオンの場合は疲労と言うより、本の表紙でどういった内容なのかを知るために、頭の中の知識を出すのに神経を削られたという感じだ。

 「……多すぎる」

 「……いえ、シオン様が手伝ってくれなければ、今日明日程度では集めきれませんでしたよ」

 小悪魔の言う通り、シオンの働きには目を見張るものがあった。

 右手、左手、挙句の果てには頭の上にも乗せるなどという無茶苦茶な運び方をしていたのにも関わらず、その類稀なバランス感覚で全くブれずに運ぶ。しかもその小さな体に秘めた筋力にモノを言わせて大量の本を一度に持っていたのだ。

 更には小悪魔が持ってきた本を分類別に分けていた。こうした理由は、

 「後になって一々確認してからやるよりもスムーズにできるから」

 だそうだ。

 確かに。小悪魔はそう思った。百冊程度であれば適当に置いて後から確認した方が早いかもしれない。だが、それがこれだけの数となれば話は別だ。

 シオンの考えに納得しつつも小悪魔は立ち上がる。

 「本棚、設置し直して来ますね」

 未だに疲労は抜けないが、それでもこれ以上手伝わせるのは気が引けた。ただでさえシオンの負担は大きいのだ。だからシオンが座っている内に、できるだけの事はしておこうと思ったのだ。

 しかし、そう思っている間にシオンも立ち上がっていた。

 「あ、あの……」

 「女性一人だけに働かせるつもりは無いよ」

 この言葉、大人が言えば様になるのだろうが、子供が言うと背伸びしているようにしか見えなかったりする。それでもシオンの気遣いは嬉しかった。

 少し逡巡してしまう小悪魔。

 「……いいのですか?」

 「存分に使ってくれ」

 二人はまた本の整理をし始める。

 

 

 

 

 

 またもシオンの働きによって、あっさりと本棚を元の位置に戻せた。

 「……本棚を二つ同時に持って移動できるなんて」

 位は低いが一応は悪魔である小悪魔でさえ、本棚の重さのせいで一つずつしか運べない。だがシオンは……小悪魔は少しだけ、自分はいらないのでは? と思ってしまう。

 小悪魔の微かな変化に目ざとく気付いたシオンは、小悪魔にどうしたのかと訊ねた。

 「いえ、シオン様がいるのであれば、私がここにいる必要は無いのでは、と思ってしまって」

 どこか辛そうに言う小悪魔。

 だが、本来ならばコレが普通の反応なのだ。自分より余りにも大きな才能を、あるいは力を持った相手を目にすれば、こう思ってしまっても不思議では無い。

 何らかのスポーツをしている人間であればわかるだろう。自分よりも強い相手を羨み、妬み、そして……自分の才能の無さに、いつか挫折する。

 今の小悪魔がソレだ。シオンに嫉妬しているように見えない様子を考えるに、そこが彼女の美点だと言えるだろう。悪魔としてはどうかと思うが。

 「小悪魔がいないと俺は困るけど」

 「え?」

 「ここにずっと居たのは小悪魔だから、本棚の位置を覚えているのは小悪魔だけだろ? どうせパチュリーは知らないだろうし」

 「あ、ああ……そういう意味ですか」

 「?」

 少しだけドキッとする事を言われ、焦ってしまう小悪魔。が、「お前がいないとダメなんだ」とでも言うような言葉を言われて、少しグッきてしまったのだ。コレは小悪魔の、誰かの役に立ちたいという性格によるものだろう。

 (……何となく、ですが。シオンは将来女たらしになりそうです)

 小首を傾げているシオン。外見も相まってか、その可憐な仕草、見る人が見れば狂喜乱舞しそうだった。

 (流石に『()()()()()』するような人は……いるような気がして心配になりますね)

 『人間』という人種は、ある意味では悪魔よりも酷く醜い人種であるせいか、小悪魔にも予想できない。しかし小悪魔は、再度途轍もない重さである本棚を二つ、軽々と持ち上げているシオンを見て、その心配を打ち消した。心配する理由が無かったのだ。

 (私も運びましょうか)

 まだそこそこ残っていた本棚の一つを持ち、小悪魔も運び始めた。

 

 

 

 

 

 「あ、小悪魔。それは一のEの、『人体の構成に対しての魔法理論』って書かれた題名の場所で上から三つ、右二つ隣に置いてきてくれ」

 「わかりました」

 小悪魔は言われた通りに本を一冊ずつ置く。

 今二人がやっているのは、本棚毎に一、二、三までの数字を付け、そしてアルファベットで番号を振り、その番号毎に、関連性があるか、内容が近いモノを付近に置いておく、というものだ。

 本来ならば不可能なこの作業も、完全記憶能力によって本の内容全てを丸暗記しているシオンがいるからこそ可能になった。だがそれでもなおここまで精度が高く置けるのは、シオンがその本の内容を完全に、そして深く理解しているからだろう。そうでなければこんな事は絶対にできないのだから。

 途中で何をやっているのか聞いてきたパチェリーでさえ慌てふためき、本棚のいくつかを確認して、そこにある本の内容を見てからは唖然としていた。

 ちなみに小悪魔は本を整理する半ばから思考をほとんど放棄していた。そうしなければまともに動く事を拒否してしまいそうだったのだ。

 「コレは……一のK、『大量殲滅魔法の独自理論、その詠唱内容』、か。こんなの作ってどう使うって言うんだ……」

 使用する時に使う必要魔力量の多さからまず使えない魔法の大群。シオンならば一つでも属性の適性さえあれば使えるだろうが、一般の魔法使いにはまず無理だ。

 冒頭部分に、『本人も使用できないため、検証不可』などと書いてあったのだから、できたとしても試す気などさらさら無いが。というか、自分も使えないのに何故作ったんだ、本当に。

 ぼやきつつも本を置きに行くシオン。その間に小悪魔に指示を出すのを忘れない。

 「やっと半分くらいか」

 正直何時間本の整理をしているのかわからない。ここには時計も太陽も無いから時間を計る事ができないのだ。わかっているのは、おそらく半日は経っている、と言う事くらいだ。

 「この量なら……小悪魔、後三時間くらいは頑張れるか!」

 「その程度なら小休止を挿めば大丈夫です!」

 遠くにいる小悪魔が叫び返す。シオンは小さく頷くと、また本を取りに行く。その途中、パチュリーから声がかかった。

 「シオン、できたわよ」

 「ん、何がだ?」

 「……そっちが頼んだのに、もう忘れたのかしら? 貴方が言ってた魔法の術式よ」

 「本当か!」

 若干不貞腐れていたパチュリーに、しかしシオンは嬉しそうに笑う。

 相手の機嫌さえ無視して笑ったのは、この術式があるかどうかでこれからの戦闘方法がかなり変わってくる。正直に言うと、本当に創れるのかどうかは少々不安だったのだが……どうやら杞憂だったらしい。

 「なら、後で見せてくれないか」

 「わかっているわ。不備があったら困るから、それはそちらで確認してちょうだい」

 「創ってくれだだけでもありがたいよ。俺にはその才能は無いから……」

 どこか悲しそうに言うシオン。本当は自分で創りたかったのだろう。だが壊滅的にそっち方面の才能が無いシオンにはできない。

 料理を作っても必ず失敗する人と似たような類だが、シオンの場合は『想定と創作』ができないのだから、天と地ほどの差がある。

 「……私はほとんどの事ができないけれど、魔法なら何とかできるわ」

 「え?」

 こういう時だけ察しの悪いシオンに、少々苛立つパチュリー。その理由は照れからきていたものなのだが、本人は気付いていなかった。

 「だから、何か魔法を作って欲しいのなら、私に頼みなさいと言っているのよ。ま、きちんと等価交換はもらうけれど」

 あくまで冷静に答えるパチュリー。シオンは目を丸くしてしまった。遠くで小悪魔がこけて倒れた音も聞こえる。少し距離があるはずなのだが、パチュリーの声は聞こえたのだろうか。

 「……え、と」

 何か言おうと思ったシオンだが、急すぎて何の言葉も浮かばない。だけど、たった一つの言葉はスルリと出てきた。

 「……ありがとう」

 「私がしたいと思っている事よ。貴方が気にする事じゃ無いわ」

 パチュリーはそっぽを向いて顔を隠す。だが、若干耳が赤くなっているのは隠せていない。自分でもらしくないと思っているのだろう。

 思わず小さく笑ってしまった。

 「ありがと、パチュリー」

 今度は返事すらせず、パチュリーはズカズカと消えて行った。

 

 

 

 

 

 「コレで全部終わり、と」

 結局終わったのは丸一日経つかどうか、という時間だった。

 こんなにも時間が経ったのは、一部の本の紙が破れていたのが発覚、全ての本を再確認して破れていた場所をシオンがその内容を思い出して新しい紙に書き写し、修復するという作業が追加されたためだ。

 こうなるのは予想できたはずなのだが、シオンも小悪魔も頭に思い浮かべる事すら無かったせいでこんな事になった。おそらく、考えたくも無かったせいだろう。

 「コレを片づければ、やっと眠れます……」

 シオンが修復した本を持ちながら、声に力が籠っていない声を出す小悪魔。顔もどこか痩せこけているように見える。

 昨日から一睡もしていない上に、大量の本と本棚を元に戻すという重労働が祟ったのか、今にも倒れてしまいそうだ。

 それにしては、今日一日誰よりも働いていたはずのシオンがケロッとしているのだから、シオンの体力の多さが窺い知れる。

 それはそれとして、流石に小悪魔が哀れに思ったのか、シオンは片手を差し出した。

 「その本は俺が片付けておくよ」

 「ですが……」

 「いいからさっさと渡して寝る!」

 シオンの強引さに促され、渋々とだが本を渡す小悪魔。

 「すいません。それと、ありがとうございます」

 「どういたしまして。グッスリと寝てて」

 「はい。それでは、先に失礼しますね」

 「お疲れ。それとお休み」

 フラフラと歩きながら自身の寝室へと戻って行く小悪魔に小さく言いながら、シオンも本を片しに行く。

 そして本を片して机に戻るその途中で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、それを持って机に戻った。

 「女性にこれ以上無理はさせられないし。……ラスト、頑張るか」

 一冊の本を手に取り、パラパラと捲っていく。それが修復する必要のない本だとわかるとすぐにもう一冊を取り、また捲っていく。

 そんな作業を、寝ていると誤魔化して机の上に体を投げ出しているパチュリーが見ていた。

 (本当、シオンは優しいのね)

 そんな優しさが、フランを救うための一助となったのかもしれない。

 自分も何かしたかったが、パチュリーが起き上がっても、何も手伝う事などできない。確かにパチュリーはここにある本の全てを読んではいるが、その内容を一字一句間違えずに覚えているはずがないのだ。更には喘息持ちの上に体力も無いため、運ぶことすらできない。

 だからこそ、それをもどかしく思いながらも、ただ黙っているしかない。

 (……別に気にする必要は無いんだけどな)

 けれどシオンは、パチュリーが起きているという事実にはとっくに気付いていた。気付いた理由は至極単純。寝ていた時と起きている時の息の仕方に差があるからだ。普通なら気付かない事でもシオンは気付く。気付いてしまう。

 だが、こちらから何か言うつもりは無い。何も言える事が無いというのもあるが、それ以上パチュリーに手伝わせようとする素振りをするのすら嫌だったからだ。

 コレはシオンが自分でやると決めたことであり、それに誰かを巻き込み、つき合わせる気など毛頭無かった。

 「この本は修復しなきゃダメ、と」

 とりあえず全ての本を確認してからにしようと、修復する本を別の場所に置く。

 結局修復しなければならなかった本はその一冊のみであり、本を戻す作業を含めても意外と早く仕事は終わった。

 「……部屋に戻るかな」

 シオンは一応書き置きを残して――本当はパチュリーが起きているのだから残す必要など無いのだが、念のため――から、図書館を出て行った。

 地下から地上へと戻るシオン。廊下を歩いている途中、ふと外を眺める。雲が流れている空の上には、真ん丸のお月様――いわゆる満月が浮かんでいた。しかし、よくよく見るとほんの少しだけ欠けている。だが、それでも満月であるのには変わりない。

 「今日が満月……」

 シオンの脳裏に、ここに来てからの日数が浮かび上がる。

 「そうか……明日で三一日……もう一ヶ月」

 今月は五月。そしてシオンがここに落とされたのは、四月の十七日の真夜中。

 「もう、一ヶ月」

 再度同じ言葉を繰り返すシオン。まるで何かを決めたかのように、その瞳に強固な意志が宿っていた。

 

 

 

 

 

 そして、今日で紅魔館に来てから三一日目となる。

 この日もシオンは美鈴と朝の演武をし、それから咲夜の手伝いをする。午後からはずっとほったらかしになっていたフランと遊んだ。

 遊びの内容は『妖怪からすれば』取るに足らないモノだったが、一応は人間であるシオンは少々疲れた。というか、遊びの内容が『フランの力の制御』だったのがやばすぎたのだ。いくつかアドバイスをして何とかマシになったが、あのままでは能力がなくともいつか暴走してしまう可能性がある。

 それを危惧したために忠告したのだが、「じゃあ手伝って!」と言われた通りにやった結果がコレだった。

 「……死ぬ」

 「……私も、死んじゃうかも」

 何回かフランの能力が暴走しかけた時は、洒落ではなく本気で死ぬかと思った。まあ、そのおかげである程度力の制御ができるようになったのだからよかったのかもしれない。コレで何の成果も挙げられなかったら、笑い話にもならなかったのだから。

 疲労を癒した時には、既に夜。

 若干残っていた疲れでフラフラとしながらも何とか咲夜と共に料理を作り上げ、それをテーブルの上に運ぶ事ができた。

 わかりやすいほどに疲れていますと顔に書かれているシオンとフランを見て、レミリアは眉を顰めた。

 「二人とも、大丈夫なの?」

 「俺はね」

 「私はまだ疲れてる……」

 シオンはまだしも、フランの声には張りが無い。

 「ゆっくり食べなさいね。『急いで』食べて『吐いても』しかたがないから」

 「……」

 「はーい」

 さり気なくシオンにも忠告をするレミリア。しかしシオンは何の反応も見せず、フランがただ頷くのを横目に見ているだけだった。

 全員が食前の挨拶をし、料理に手を付ける。それから数分、手に持っていたスプーンを置いたシオンが姿勢を正し、「話がある」と前置きしてから言った。

 「俺は、そろそろここから出て行こうと思う」

 前と同じく反対にあうだろうと思っていたシオンだが、しかしその予想に反して何も言われなかった。

 「……反対、しないのか?」

 「あの時とは状況が違うよ。今のシオンは、後ろじゃなくて前を見てる。だから、いいの」

 「フランの言う通りね。そもそも、結局は一ヶ月も引き止めてしまったのだし、これ以上引き止める事なんて不可能よ。……まあ、咲夜と美鈴がどう思っているのかは知らないけれど」

 笑って言うフランに、便乗するレミリア。レミリアに水を向けられた二人も、それぞれの思いを言った。

 「私は反対しません。シオンとの修行は楽しかったですし、ためになる事もいくつか教えてもらえましたから」

 「私も特に。シオンから教われる事は教わりましたし、教えられる事は全て教えました。それらを通じて、私は思ったのです。シオンはずっとここにいるべきではない、と」

 「咲夜の言う通りかも。シオンは紅魔館にずっといられるような人間じゃないし」

 「下手をすれば、その内何かでかい事でもやらかすのじゃないかしら」

 「「確かに」」

 美鈴と咲夜の声が綺麗にハモる。シオンは反論しようとしたが、ここに来てからの暴挙を思い出すとどうにも反論できる材料が見つからない。

 俺ってどう思われてるんだ……? などと悶々としていると、レミリアがこちらに向き直っているのに気付く。

 「……まあ、俺がどう思われてるのかは聞かない。というより聞きたくない。でも、出て行く事を容認してくれるのは、ありがとう」

 「別に構わないわよ。ただし! パチュリーにもきちんと挨拶してから出て行きなさい」

 「その点に関しては大丈夫だと思うけど」

 「……? それは、どういう意味かしら。何か理由でもあるの?」

 「意味は単純明快」

 シオンは、一息吐いてから言った。

 「レミリア、俺と戦ってくれないか?」

 

 

 

 

 

 シオンと戦う事を了承したレミリアだが、すぐに戦うのをよしとはしなかった。

 理由を聞くと、

 「食後、すぐに運動をしたくないから」

 だそうだ。確かにコレから戦闘するのを考えると、最悪吐く可能性が高い。意識せずとも常在戦場の境地に至っているシオンには理解できない考えだったが。

 最低三〇分程度のインターバルを置かれたシオンは、その間にパチュリーの元へと行っていくつかの意見を聞いていた。

 それから三〇分を超え、一時間経つ手前くらいでシオンはパチュリーを外に連れて行き、もはや原型を留めていない中庭に既にいたレミリアと、一日経った事で十六夜の月となっている月の下で対峙する。

 両者の手には、既に武器が握られていた。

 シオンはいつも通りの、黒剣である黒陽を右手に。そして白剣、白夜を左手に持つ。だが何より驚くべきところは、シオンの左目にはいつ用意したのか義眼が埋め込まれており、白い髪は肩と腰の中間よりやや下くらいまで伸びている。義眼はまだしも、こうも髪が伸びるのが早いのはおかしい。だがそれを気にする者は、ただの一人もいなかった。

 対するレミリアは、いつも通りスピア・ザ・グングニルを呼び出している。それを自身の肩に乗せながら、シオンを睨んでいた。

 「どうしても、やるというのね?」

 「昨日の夜、満月を見て決めた事だから。体細胞変質能力を使わず、人間の身でどこまで戦えるのか、それが知りたい。基準がわからなければ……この先生き残ることなんて、できない」

 体細胞変質能力にも弱点はある。変質させたモノの特性をそのまま写してしまう事だ。コレでは大妖怪であり、且つ吸血鬼であるレミリアとフランの細胞は夜にしか使えない。

 それでは、レミリアよりも強い妖怪と昼に出会った場合太刀打ちできない。そんな強さではダメなのだ。生き残るには……フランを悲しませないためには、一人で生き残れるだけの強さを持っていなければ。

 そんな覚悟の滲んだ瞳を見て、レミリアはこれ以上言っても無駄だと悟った。

 「……言っても聞かなさそうね。いいわ、やりましょう」

 肩に乗せていた槍を一度薙ぎ払い、シオンに穂先を向け、構える。

 それを見たシオンは、ボソリと呟いた。

 「能力解放」

 黒陽と白夜の封印を解く。それだけで周囲に放たれる威圧感。だが、いつもとは少々違う点があった。

 何故かはわからないが、黒い剣からの威圧感が白い剣よりも上なのだ。前はいつもと同じくらいだったのに、だ。

 「神獣化の影響、なのか?」

 最後に黒陽を使ったのは、暴走したあの時だけ。それから二〇日間、一度も使っていない。特別な事を何もしていないのにも関わらず、黒陽との親和性が上がっている原因は、おそらくそれくらいだ。何かしらしなければ、いきなり神器との親和性が上がるはずが無いのだから。

 だが、困る事があるわけではない。むしろ反動は少なくなり、引き出せる力の最大量が上がるのだから、喜ぶべきなのだろう。

 しかし無理だ。理由が理由なだけに、喜びたくない。

 一つ溜息を吐くシオン。レミリアに倣って黒陽を一閃させると、その形状を変える。

 その形に、レミリアは見覚えがあった。

 「スピア・ザ・グングニル?」

 そう、シオンはレミリアの槍を模倣していたのだ。しかし、棒の部分が異様に長い。恐らくは全体で四〇〇センチを超えている。レミリアの扱う槍とは全く似た形をした別の何か、というような感じだった。

 「……そんな長さを、シオンは使えるのかしら?」

 「見てればわかる……いや、受ければわかる、の方が正しいか」

 「そう。なら、それごと吹き飛ばすだけね」

 レミリアは槍を前にしながら微かに足を引き、いつでも飛びだせる体勢を作る。

 シオンも左手の白夜を前に、右手の黒陽こと長槍を後ろに引いて、体を沈ませた。

 そして二人は、合図も無しに同時に飛び出し、それぞれの槍を振るった。




あと少しで紅魔館編も終わります。
……長かったなぁ。


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模擬戦闘

 シオンは体を捻り、槍を前に突き出す。

 黒い閃光。漆黒の槍は夜闇に紛れ、月明かりが無ければ完全に見失ってしまいそうだ。

 対するは赤い閃光。レミリアの槍は血のような紅。夜の闇で見失うことはほぼありえない。

 それを左手の白夜で斜めに受け、ギャリギャリと火花を散らしながらも脇に流す。そうしながらお返しとばかりに、右手の黒陽を短く持ち、レミリアが一発を撃ったのと同じくらいの時間の間に三連放つ。

 槍を逸らされているレミリアは、自然体もそちらの方に流れてしまう。だがレミリアには普通の人間にはないモノがある。蝙蝠の翼だ。レミリアは翼をはばたかせると、体に負担をかける事のない範囲で勢いよく真上に飛びあがる。

 真上に飛びあがられた事で避けられた三連だが、しかしシオンは一切気にせず白夜を思いきり薙ぎ払う。フランの細胞を使わずとも、元々生身で音速を超えられるシオン。ならばその一撃の狙いは、ただ一つ。

 「ッチ!」

 小さく舌打ちしたレミリアは、こちらに飛んで来たソニックブームを回転しながら避ける。だがどうしても飛ぶのに若干の支障が出てしまう。

 ならばと、風の勢いを呼んで体を回転させ、左手一本でシオンの頭上に槍を振るう。シオンは後方に向かって軽く頭を逸らし、そうしながら跳ね上げるように足をレミリアの腹に打つ。

 このタイミングなら頭を狙ってもいいのだが、万が一回避されるとタックルに近い形でぶつかる事になってしまう。まだ序盤の今、後々に響く重い攻撃は、なるべく喰らいたくは無い。

 それはあちらも思っていた事なのか、空いていた右手を腹に捻じ込んできた。恐らくは回避されるのを予期していたために、わざわざ片手だけで槍を振るってきたのだろう。

 再度開いた間。しかし刹那も油断はできない。この程度の距離、シオンもレミリアも一瞬で詰められる。

 睨みあう二人。だがそれも数秒、即座に飛び出し、そしてまた――二人の槍が交差する。

 レミリアの攻撃は単純だ。自分が出せる最高の力で、ただ槍を突きだす。技術が無い分威力は低くなるし速度も遅いが、その一撃はシオンのソレを遥かに上回る。まして人間であるシオンは一撃でも喰らえば、それこそ掠っただけで大怪我か、死ぬかだろう。

 逆にシオンの攻撃は精確すぎる。レミリアの一発に対し、技術によって上乗せされた超速の突きの連打をお見舞いする。だがやはり当たらない。槍を槍で防がれ、極たまにだが、腕などで振り払われ、翼を使って回避される。

 それはレミリアの攻撃も同じだ。ほとんどが白夜によって受け流され、弾かれる。シオンが槍を使って受け止める事は無い。人外とはいっても大妖怪ほどの筋力が無いシオンは、一度でも受け止めれば腕がイカれるのを理解していた。

 そのせいで、お互いの攻撃は過激になっていくのにも関わらず、どちらも一切の怪我を負っていないという状態に陥っている。

 傍から見ていた咲夜が、疑問の声を出す。

 「何故シオンは氣や魔力を、お嬢様は妖力を使わないのでしょうか?」

 そう、今現在二人は身体強化すら使っていなかった。両者共に、純然たる自分自身の力のみで戦っているのだ。

 「コレがまだ序盤だからですよ」

 「そう、ね。本来はこういったモノが戦闘なのだから」

 「美鈴とパチュリーは何かわかるの?」

 首を傾げて問うフランに、美鈴が答える。

 「はい。戦闘とは、お互いが拮抗した、あるいはそれに近い実力を持っていた者同士がぶつかった場合、大抵二つに分けられます」

 「一瞬で決着が着くか、あるいは長期戦になるかのどちらかね」

 「その考えになると、現在は後者になりますね。しかし、それがどうしてこんな風に?」

 「そうだよ。私はいつも妖力を垂れ流しにして弾幕を作ってたけど」

 「それは素人の考えです」

 美鈴は断言する。素人と呼ばれるのに少しだけムッとするフランだが、実際素人なのだから反論はできない。

 「長期戦になってしまえば、後はお互いがどう相手を切り崩すかになってしまいます。少しずつ自らの手札を使い、相手を追いつめる。しかし読みを誤れば一瞬で危機に陥ってしまうため、下手に使えない。だからこそ二人は、機を見ているのです。勝つための機を」

 そこで美鈴の眉が微かに歪んだ。

 「そろそろですね。状況が動きますよ」

 全員が二人の戦闘に目を向けた瞬間、何かが爆発したのが見えた。

 

 

 

 

 

 爆発する少し前、二人が槍の穂先をぶつけあう。その余波で地面にひびが入った。本来ならば突きと突きがぶつかりあうという現象は起こらない――どうやっても横に滑るからだ――のだが、シオンとレミリアほどの実力者が何百何千と槍を交わせばこんな事も起きるだろう。

 必然、二人の体も動きを止める。

 「全く、美鈴には全部筒抜けらしいな」

 「それはパチェにもじゃないかしら?」

 「だな。……それで、どうする?」

 「何がかしら?」

 「わかっているくせに。()()()()()()()()

 「フフ……そうね。でも、それは貴方もよ?」

 シオンの言う通りに笑っているレミリア。だがシオンもニヤリと笑っていた。

 しかし笑いながらも槍をぶつけあうのは止めない。さりげなく二人ともグググ……と力を押し込めあっていた。だが不利なのはシオンだ。片手で行っているという点は同じだが、元々のポテンシャルが違いすぎる。

 槍も、二人の体も一切動いていないのは、単にシオンが意地で受け止めているからだ。そうでなければとっくに吹き飛ばされている。もちろんシオンが。

 けれどその均衡も長くは続かなかった。

 「――ッ!!!」

 ほんの一瞬。それだけでレミリアは一つの小さな弾丸を作り出し、シオンの顔に向かって放って来た。レミリアが弾丸を生成する速度は決して速くない。だが一つだけ、それもごく小さいものであれば話は別だ。

 シオンは首を捻って避けるが、同時に体勢も崩れる。シオンは自身が悪手をしたのを悟った。

 この弾丸はおそらく爆発する。既に身体強化で耐久力を上げているレミリアには効果が無いだろうし、何より吸血鬼の再生能力ならば爆発程度気にする必要も無い。それ故にレミリアは自分からわざと一歩前に突き進み、槍を突きだしてきたのだ。

 体勢が崩れているせいで、足を地面に踏み込ませて真横に飛び退く事さえできない。前門の虎、後門の狼の状況となったシオン。

 レミリアの槍は上手く体を動かせば当たらないだろう。だが、もう一つは……そして後ろからチカッ、と何かが瞬くような音が聞こえ――爆発した。

 

 

 

 

 

 レミリアの作り上げた弾丸の大きさは、それこそ野球に使うボール程度にすぎない。しかしそれに込められた妖力が膨大だった。

 轟音と爆風がフランたちのところまで届いたのも、そのせいだろう。

 だが爆発の間近にいたレミリアは油断なく周囲の気配を探る。アレだけで終わるはずが無い。シオンならば何かする、絶対に――ある種の信頼が、そこにあった。

 気配を探っても見つけられなかったレミリアは翼をはためかせて風を起こし、周囲を覆っていた煙を吹き飛ばす。コレは賭けだ。気配を隠し、煙の中にいたおかげで探り難かったであろう己の居場所を相手に教えることになるのだから。

 自分が見つけるのが先か、あるいは相手に攻撃されるのが先か。どちらにしろ、シオンの方が有利であるのには変わりない。どうやろうとシオンの方が先に見つけられるのだ。コレはシオンがレミリアに向かって来ている最中に見つけて対処するしかない。

 「!?」

 そしてレミリアは、賭けに負けた。

 驚いたことに、シオンはレミリアが翼をはためかせる前から突っ込んできていたのだ。最初に行動を起こしたのに差がありすぎたせいで、レミリアは賭けに負けてしまった。

 考えている暇は無い。長すぎる槍を突きだしてくるシオン。まだ五メートルほど間があるが、後一秒もせずに埋められる。咄嗟の判断で槍を斜めにし、棒の部分を妖力でコーティングして縦長の盾にする。盾にするには心もとないが、無いよりはマシだ。

 今度は賭けに勝った。なんとか槍の棒部分に突きが当たり、ガードに成功する。それでも油断はできない。まだ何かある――そう思ったところで全身を悪寒に包まれたレミリアは、槍から左手を離して後ろに回す。

 「っつ……」

 顔を顰めるレミリア。その左腕には、長さ一〇センチすらない鈍く光る小さな槍が突き刺さっていた。光っていると言っても、ほとんど見えない。周囲と色が同化しているのだ。まるで保護色のように。

 後少しでも反応するのが遅れていれば、体の中心を撃ち抜かれていた。そして左手の白夜で斬り捨てられ、終わっていただろう。

 先程レミリア自身がやった事を逆にやられた。

 レミリアはシオンと槍を睨む。だがシオンの体も完全に無事という訳では無かった。どうやって避けたのかはわからないが、その体は爆風によって生まれた熱によって赤くなり、土と埃に塗れている。

 それでもレミリアに比べれば軽傷だろう。未だ五体満足なシオンと、槍が突き刺さったまま消えないせいで左腕が使えないレミリア、という比較だが。

 「いつの間に、こんなモノを……」

 「レミリアが空中に飛んだ時だけど?」

 つまり、戦闘開始当初から用意していた、という事だ。

 「ッ、どんな制御能力を持っているのよ! 戦闘時に余所に意識を向けられるなんて」

 「なんかコレは得意なんだよね。一ヶ月前は黒陽と体細胞変質能力の二つを同時に使う事が多くあったし。ここに来てから初めてやった黒陽、白夜、体細胞変質能力の三つを同時に併用しても上手くいってたから、この結果も当然だと思うけど」

 軽口を言いあう二人だが、その視線は鋭い。シオンはレミリアを追いつめようと槍を押し出すために腕に力を込め、レミリアは必死に盾を押さえる。

 そのままギリギリと押し合いを続けるが、不意にレミリアが力を緩める。そのままならばシオンの体は前に流されていただろうが、剣を地面に突き刺して耐える。

 レミリアはシオンの体に蹴りを叩きこんだ。シオンは喰らわないために剣を盾にするも、そこそこの距離を引き離される。

 その間に空に飛び上がり、妖力を用いて魔力によって作られた槍を消し飛ばす。穴を塞ぐのに邪魔なモノが無くなったおかげで徐々に無くなっていく傷。

 「ッチ。やっぱ吸血鬼の再生能力は狂ってるな。面倒くさい」

 「もし私に傷をつけたければ、こんなチャチなモノではなく、銀によって作られた武器か――あるいは、その二つの武器でやりなさい」

 伝承通り、吸血鬼は銀が苦手だ。とはいえ例外もある。だがレミリアはその例外というわけではなく、普通に効いてしまう。十字架などは全く効かないのだが。むしろ何故十字架なんぞにやられなければいけないのかがわからない。

 それでもシオンの双剣もまた例外の一つ。銀製ではない、しかし妖怪にとっては天敵とも言える神の武器――コレで傷をつけられれば、余程の妖力を持っていなければ、その剣の余波で体に付着した神気によって殺される。

 まあ、『当たれば』、の話しだが。

 「それが面倒だから面倒だと言ってるんだけどねぇ」

 「それを何とかするのがシオンでしょう?」

 「ま、それもそうだ」

 シオンは槍をグルグルと回しながら言う。レミリアは間合いをある程度離せたからと、油断せずに地上に下りた。

 「さて、と。ダラダラとくっちゃべるのもここまでかな」

 「そうね。ここからは――」

 「「殺し合いだ」」

 再び飛びだす二人。だが前回とは違い、レミリアはシオンから見て右方向から槍を振り払う。シオンはそれを、()()()受けた。

 「ッ、バレるの早すぎだろ!」

 「見てれば嫌でもわかるわよ! 突き()()使ってこないくせに!」

 「まあそれもそうだな!」

 言いながらも左手の白夜のみでレミリアの槍を逸らしていく。だが執拗に右側ばかりを狙われるせいで反撃ができない。

 コレもシオンが持つ才能、その弊害の一つ。

 シオンは槍に関してももちろん才能がある。一時期使い続けていたため、その力量は超一流とは言わずとも、一流ぐらいはあるはずだ。()()()()()

 単純な話、格闘に関しては足だけしか得意では無かったように、槍は突きだけしか得意ではないというわけだ。

 しかも一撃で突き殺してきたせいか、点の突きではなく線の攻撃である薙ぎ払いなどが全く使えない。防御もしかりだ。別に防御ができないわけではないが、剣と槍ではやり方が異なる。剣と槍の棒部分では受け流し方が違う。そのせいで槍が使えない。受け止める事は可能だが、レミリアの攻撃をそう何度も受け止めたいとは思わない。そもそも一剣一槍などという歪すぎる戦い方をしているのがおかしいのだが。

 ついでに付け加えると、槍が長すぎる、というのも反撃できない理由の一つだ。四〇〇センチもあるせいか、近寄られすぎると突きができない。それにシオンは一剣一槍などという変則的な戦い方ははじめてだ。

 故にシオンは防戦一方となってしまう。

 「――まあ、普通の人間だったら、の話だけど」

 瞬間、シオンの体が唐突に後ろに移動する。レミリアは目を見開いて驚愕した。

 あの体勢から、()()()()()()()()()()、どうやって、と。

 そう、シオンは足で地面を踏み、後ろに跳ぶという動作を一切しなかった。まるで何かに弾かれたかのように後ろに移動したのだ。

 レミリアにも――フラン、咲夜、そして美鈴でさえもわからない。というより、足で踏み込むという動作が無ければまともな戦闘ができない美鈴こそが一番困惑していた。

 だが、パチュリーだけは、わかった。

 「斥力」

 「ああ、やっぱりパチュリーにはわかっちゃうか」

 小さく呟いた上にそこそこの距離があるはず。しかしシオンは当たり前のように返してきた。

 「まあ、それくらいしか考えられる要因が皆無なのだし、わからない方がおかしいわ。何より重力制御ができるのであれば、むしろ使わないというのがありえないから」

 「……その知識が無くて大振りな攻撃しかできなかった俺に対する嫌味か、ソレ」

 「さあ? 貴方がどう思うかで意味が変わると思うのだけれど」

 「ちょ、ちょっと待ってください! お二人は当然のように話していますが、一体何の話をしているのですか!?」

 そこで慌てたように美鈴が割って入って来た。二人ともきょとんとしながら同時に言った。

 「「俺(シオン)の使った技についてだけど?」」

 「うわー、そこで綺麗にハモるって凄いですねー……」

 何でわからないんだ? とでも言いたげに返してくる二人に、美鈴はどこか投げ槍に言う。が、すぐに気を取り直した。

 「わからないから聞いたのですよ。というより、お二人以外誰もわかっていませんが」

 「「え?」」

 「そこで不思議そうな顔をしないでくれませんか!?」

 「まあいいか。レミリア、一時休戦。戦闘とは言っても模擬戦闘なんだし、別にいいだろ?」

 「別に構わないわ。私としてもその技がなんなのかは知りたいところだから」

 「ありがとう。で、肝心の俺の技だけど、コレは重力制御の応用で使ってるんだ」

 シオンの話を要約すると、こうなる。

 まずこの世界は星から発せられた重力によってモノは地面に着いていられる。磁石で言うところのS極とN極を近づけると引き寄せあう力だ。コレを引力と言うらしい。

 逆に同じ極同士を近づけると反発しあう。この力は引力とは反対の斥力と言う。

 「――まあ、そうは言っても重力で確認されてるのは万有引力のみ――つまりは引力だけしか確認されていないから、斥力は確認されてない事になる。だから重力制御で斥力を生み出すのは現状できない」

 「なら、どうやってその力を?」

 「要は反発させればいいだけだ。なら重力以外の斥力を持ってくればいい。例えば――ほんの少しながらも空気中を漂っている砂鉄といった、磁力を持った物を」

 つまりシオンは、重力による引力を用いて足元に大量の砂鉄を用意し、それを足に付ける事で反発する力、引力を生み出しているということだ。

 先程の爆発を回避できたのも、コレが理由だろう。完全に回避できたわけではないのは、外見から判断できるが。

 しかしそんな事を一切気にせずシオンは言う。

 「とは言っても、全ての砂鉄が反発し合うわけじゃない。そこらへんの匙加減はそこそこ大変なんだ。はじめてやったからちょっと不安だったけど……上手くいけば、さっきみたいにできる」

 踏み込む動作が見えないというのは、そこそこ面倒だよ、と言って、シオンは構えを取る。一時休戦は終わりだ、と言いたいのだろう。

 「……全く、貴方がただの人間? 冗談はよして欲しいわ」

 能力が無くとも、その才能だけでもはや人間をやめている。とはいえ、それを言えるわけもなかった。自身が人外であるのを最も気にしているのは、シオンなのだから。

 「模擬戦を受けたのは、間違いだったかしら」

 この分だとまだ隠し玉がありそうで、少々気分が暗くなるレミリアだった。

 そしてまた、二人の戦闘が始まる。

 

 

 

 

 

 

 今度の戦闘ではどちらかというとシオンが優勢だった。

 右に動いたかと思えば左に、左に動いたかと思えば前に、後ろにと、とにかく節操無く動き続けてくる。その動きに翻弄され、レミリアは防御しか選択できない。

 だが次第に慣れてきたのか、シオンの動きについてきはじめていた。

 「ハァッ!!」

 右から左、真横に槍を振り払うレミリア。シオンは斥力で動きを止めてその場に止まり、そして再加速する。

 「それは見抜いているわよ!」

 「ッ!」

 振り払う勢いをそのままに一回転、回し蹴りを叩きこむ。剣でガードしたが、やはり大妖怪の脚力を真正面から受ければ腕が痺れてしまう。

 シオンは四メートルの長さから二五〇センチほどに変えた槍を適当に振る。技術が伴っていない攻撃はやはり大振りになり、当たり前だが回避された。

 「もっときちんと練習しておけばよかったかもな!」

 叫びながら斥力を使って更に移動する。だがどれだけ移動してもレミリアはシオンの真正面になるように体を動かすだけだ。

 しかしシオンは接近しない。それに業を煮やしたのか、レミリアが突っ込んで来た。咄嗟に回避行動に出るが、先読みされて一閃される。槍を盾にして受け止めるシオン。

 槍の棒部分での鍔迫り合いとなった二人は、お互いに全力で相手を押す。レミリアはその身体能力と翼を、シオンは斥力を使って体を前に押し出す。

 「確かに斥力を使えば踏み込む動作は必要ないわ。でも、()()()()()()()()()()どこに動くかわかってしまう」

 足の甲が前に傾けば前に、後ろに傾けば後ろに動く。要は足の角度を注視していればそれだけでいいのだ。

 普通の人間相手であればその速さで翻弄できるだろう。だが妖怪の動体視力はシオンの動きを完璧に見切る。だからこそ初回は奇襲できても、そう何度も通用しない。

 「動く方向がわかっているのであれば、後は何時もと変わらないわ。多少の注意が足に向いてしまう、という点を除けばね」

 完全に理解されている。しかしシオンは、ニヤリと笑うだけだった。

 「……なら、こういうのはどうかな?」

 唐突にシオンの体がブレる。後ろに移動、上空に跳び、右に、前に、滞空して回転などという訳のわからない動きをしている。

 だが滞空から即座に稼働、回転の勢いで蹴りを叩きこむ。その後慣性を無視してレミリアから離れる。そして足の甲は前に傾いているのに右に動き、足の向きが見当違いの方向に向いているのにも関わらず前へ。そのまま刺突を繰り出す。

 「っく!?」

 理解はできない。だが攻撃をされた以上、回避し、防御するしかない。

 それでもシオンはまたも真上に跳びあがり、上から何度も刺突を繰り出してくる。その時レミリアは気付いた。シオンの足が無茶苦茶に動いているのを。

 「まさか――!?」

 「あれ、もう気付かれた?」

 必死に回避しながら、レミリアは自身の考えはおそらく間違っていないだろうと思う。

 (磁力によって斥力を生み出すのには、同じ極同士を近づける必要がある。そしてシオンは両足に()()()()()()()()を付けている! これが意味するのは――)

 足に付いている砂鉄を近づける事で斥力を生み出し、反発させる事で、足の向きが違っていても別の方向へ移動できるようにしている。

 (でも、コレは諸刃の剣。少しでも操作を誤れば予想もしていない場所に移動する事になってしまう)

 何より負担が大きすぎる。元々斥力による移動はシオンの小さすぎる体躯にある程度の負担をかけてしまう。足元に爆弾を設置し、爆発すると同時に走り出して、常に爆風を追い風に使って走っているようなものだ。

 それがさらに大きくなるのだ。無理な力技による重力制御の反動に比べればまだマシだろうが、それでもその負担は決して小さいわけではない。使い続ければ、いずれシオンの両足はしばらくの間使いものにならなくなる。

 それでもシオンは使う。使えるものは、例えそれを使うのが危険であろうと何でも使って生きてきたのだ。今更多少の危険など気にもならない。

 だがコレが有効なのは間違いない。事実レミリアは足の向きでどう動くのかがわからなくなってしまった。けれどシオンは自分の意志である程度は行きたい方向を決められる。

 ならば――

 「私も、また一つ手札を切る必要がありそうね!」

 そして、シオンに言われて自分で研究していた力を使う。

 微かに眉を寄せるシオンだが、それで何かがわかるわけでもない。故にただ前を向き、レミリアのいる場所に突っ込むだけだ。

 「な!?」

 しかしその行動は叶わなかった。今までは思い通りに操作できていた砂鉄が、『運悪く』強風が吹いた事で微かにズレ、連鎖的に動きが複雑化する。つまり、シオンの足が全く予測できない動きになったのだ。

 しょうがないと重力制御を解き、砂鉄をバラまく。宙に浮く要因が消えた事で、地面に足が着こうとした瞬間、そこでまた『運悪く』その場所にあったそこそこ大きな石を踏みつけてしまい体勢が崩れる。

 それでもまだだ! と勢い込んで、体勢が崩れたのを回転する事で無理矢理動きを修正しながらレミリアに横薙ぎを入れようと白夜を振るう。けれどシオンに降りかかる不運は終わらない。

 回転する途中に、またも『運悪く』右目に虫が入る。眼球に虫が入った事で片目しか見えない視界が消え、痛みによって回転して何とか持ち直していたはずの体勢が今度こそ崩れる。

 そこにまたも『運悪く』先程シオンが踏みつけ、蹴飛ばした石があった。どうやら先程とは違い、若干だが鋭くなった部分が上になっている。だがそれでも若干であり、普通に触れば指を切ってしまうかどうか、という程度だ。

 けれど今回は別だった。回転しながら体勢を崩してコケたせいで、かなりの勢いが上乗せされている。そして石のある位置も悪かった。その石は、ちょうどシオンの首辺りに落ちていたのだ。つまり、このままいけば石はシオンの喉を貫く。

 「ッグ!」

 ボヤけた視界で危機を察知したシオンは槍の柄で地面を叩くが、『運悪く』その場所にあった土はかなり柔らかく、柄がズルりと滑る。それでもほんの少しだけ落ちる場所をズラせた。だがそれも少しだけであり、鋭い部分で思いっきり頬を抉られた。

 自分でやった事に驚くレミリアだが、呆けている場合では無いと槍を振るう。地面をゴロゴロと転がって避けるシオン。今度は何も起こらなかったが、油断はできない。四苦八苦しながらも何とか立ち上がり、レミリアの攻撃を跳ね除けて後ろに跳ぶ。

 「――ッ、『運命を操る程度の能力』、か」

 シオンは後ろに跳びながらこの現象について考える。

 (レミリアの能力はそこまで便利なモノじゃない。だけどそれは『自身より強大な相手に直接的な運命の操作』を行った場合だけだ)

 最初シオンを殺そうとした時が、その『直接的な運命の操作』だ。けれど今回は『間接的に』周囲の運命を操って攻撃する事で、『直接』攻撃するという運命の操作をしていない。だからシオンが前に言った『神秘はそれ以上の神秘によって覆される』という事ができないのだ。

 (でも、レミリアはこの結果を予想外のように見ていた。つまり――)

 俺の運が悪すぎる、シオンはそう思った。

 強風から死にかける、という偶然の連鎖など、そうは起こらない。だが思い当たる節はいくつもある。

 シオンはいつのころからか、途方も無く運が悪くなる時があった。今回のは軽いが、それでも何度も何度も起きれば『途方も無く運が悪い時』と同じくらいの酷さになるだろう。塵も積もればなんとやら、だ。

 だが何故かレミリアが誰よりも驚いていたのには予想外だ。そのせいか、先程の槍の一撃にもあまり力がこもっておらず、そのせいでシオンにあっさりと攻撃を防がれた。

 当のレミリアは、シオンの周囲の運命を操った時に見てしまったモノに驚愕していた。

 (どうなっているの? いくらなんでも、あの結果はおかしすぎる……)

 人によって幸運不運の値は違うが、必ず一定になるようにできている。その時は不幸でも、後に幸運となるように。

 レミリアはその不運を連鎖的に起こす事で先程の結果を出した。だが不運ばかりを起こし続けていれば、いずれその反動として大きな幸運が舞い込む。逆もしかりだ。

 だが、シオンには()()()()()

 どこまでいっても不幸しか呼び寄せない、そんな予感がするのだ。もちろん確証は無い。それでもレミリアは自身の勘を信じた。だからこそ、さっき途中でシオンの運命を間接的に操るのを止めたのだ。そうしなければ、冗談では無く本気で死んでしまうと思ったから。

 (……こんなの)

 シオンはある種の恐怖を感じた。今まではほとんどの場合では倒すべき敵がいて、それを倒せば生き残れた。けれど今回は違う。あくまで自然現象の中で起きた偶然の結果だ。倒すべき何かもいなければ、そもそもまともに行動もできない。

 (こんなのははじめてだ。そしてコレを防ぐ手立ては俺には無い。つまり――)

 シオンは思う。レミリアも思った。

 (シオンの運は壊滅的に存在しない。だからコレを防げない。ということは――)

 ((――レミリア(私)と俺(シオン)の相性は最悪すぎる))

 奇しくも重なる二人の思考。

 (使い続けられれば俺は死ぬ)

 (使えば絶対に勝てる。でも途中でシオンが死ぬ可能性は高い)

 (そしてコレはあくまで模擬戦。ならばおそらくレミリアはもう使ってこない)

 (お互いの力量を計るために始めた模擬戦。私は、そしてシオンはお互いを殺せない。だからもう能力は使えない)

 とはいえ、コレが無ければ苦戦するのもまた事実。まだいくつか手はあるが、それでも有効的な手段の一つが使えないのは痛い。

 (まあ、やり方次第ね)

 レミリアは気分を切り替える。その気配を察したのか、シオンも意識を切り替えた。

 (……本来なら全力でやるのが普通なのだろうけど)

 目に虫が入ったせいか眼球が傷つけられ、眼と頬から血を流しているシオン。そのせいか、視覚に関してはほぼ使えなくなっているようだ。

 (……今回は、レミリアの好意に甘えるしかないか)

 全力で戦いたかったが、それはできない。それが歯痒かった。

 「その目、治さなくてもいいのかしら?」

 「完全に見えなくなってるわけじゃ無いし、別にいいよ」

 シオンの体細胞変質能力は、発動した瞬間だけ『そこそこの』集中力を要する。戦闘中にそんな真似をすれば死ぬ。故にシオンは使わない。模擬戦とはいえ、コレはあくまで実戦なのだから。

 「行くぞ!」

 叫び、シオンは前に飛びだした。




物語の展開でわかると思いますが、紅魔館編は次で終わりになります


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紅の光明

 シオンは、あまり無駄な行動をしない。

 例えば服。シオンの服は動きやすいように白い半袖に半ズボン。色が白なのは、単にそれしかなかったからだ。そして普段は腰に巻いて、動きを阻害しないようにしているローブ。コレは夜闇に紛れて逃げる、あるいは隠れるためだけに全身を覆う、戦闘には不向きなモノを着ている。

 武器もそうだ。黒陽と白夜に無駄な装飾が無いのは、それが直接的な攻撃にほとんど関係しないからだ。もしなんらかの実用性があれば、それを付ける事を選んでいただろう。

 今回の槍が四〇〇センチなどという長大なモノになったのも、突きしかできないなら突きの射程距離を上げた方がいいだろうと考えたためだ。

 コレは剣にも当てはまる事だ。今更言うまでもないが、シオンの身長は年齢に反してとてつもなく小さい。身長が小さいという事は、体が小さい事になる。つまり、腕も細く短いのだ。コレでは大人一人の命を一撃で奪うのは難しい。それ故に黒陽は一〇〇センチという、自分と同じくらいの長さを持つ長剣にしているのだ。

 銃を使えばいいと思う者もいるだろうが、コレに関してはシオンしか理由を知らない。どのみち幻想郷では銃弾を確保できないため、使う事はできないだろう。

 まあ、それはともかくとして。

 今まで剣や槍、その他様々な近接武器を使い続けていたシオンだ。ならば、当然身に染みてわかっている事がある。

 「ハァッ!」

 シオンは一番最初に放った三連と同じ時間の間に、()()()()突きを放つ。

 「!?」

 いきなり跳ね上がった突きの速度に愕然としながら、レミリアは槍を巧みに操って防ぐ。

 「どうしたレミリア。まだまだ増えるぞ!」

 更に突きの速度が跳ね上がる。何がどうなればこうなるの!? と思うレミリアだが、それを考えている暇すら与えられない。

 だが少しして気付く。シオンの槍を引き戻す動作が速すぎると。レミリアは過去にパチェリーに聞いてみた疑問を思い出す。

 ――何故武器を振るうと、私たちの体も流れてしまうのかしら。

 ――それは慣性が働いているからね。

 ――慣性?

 ――そうよ。簡単に言えば、レミィが走っているとして、一旦止まろうとしても少しだけ時間がかかるでしょう? それは物体がそのままの速さで運動を続けようとするからよ。

 ――それが慣性って事なの?

 ――まあ、諸々の説明を省けば、そう思っても構わないわね。

 どうやら専門的な知識が無ければきちんとした理解はできないようだが、それでも疑問を解消する事はできた。

 (シオンのこの動きからして、多分……)

 シオンは慣性の働きを完全に無視して動いている。恐らくは重力制御。それによって慣性を打ち消して、槍を戻す動作を速めている。

 自爆覚悟のパワーファイターから、テクニカルな攻撃に切り替えている。だがそれが通用しなければまた元の戦い方に戻すだろう。体の損壊など気にもせずに。

 (本当、まるで機械か人形のような人間ね!)

 心の中で愚痴を言いつつも、体を動かす事を止めない。

 しかし段々と苛立ちが募ってくる。反撃もできずに攻撃を受け止め、回避し続けているだけしかできないのだから、それも仕方がないだろう。

 「……しつっこいわよ!」

 遂に頭の中にある線がブチキレたレミリアが吼える。

 今までのように受け止めるのではなく、力任せに吹き飛ばす。

 「な!?」

 いきなりキレたレミリアに驚きながらシオンは後ろに跳ばされる。

 「少しは――」

 今までの戦いは何だったのかと思うほどの量の弾幕を用意するレミリア。

 「――私にも攻撃させなさい!」

 「それは流石に酷すぎないか!?」

 あんまりにもあんまりな内容の我儘につい突っ込んでしまう。

 「いいから喰らいなさいよ!」

 「一発でもまともに当たれば死ぬ俺に喰らえと! 無理だね!」

 あまりにも多すぎる量の弾幕が向かってくる。しかも周囲に着弾すると同時に爆発して爆風をまき散らすため性質が悪い。

 重力制御で多少だが風を操りなんとか安全地帯を作る。しかし全てを避けられるわけもなく、体に傷ができる。

 (このままだと物量で押し切られる! コレを何とかするには――)

 妖力が切れるのはありえないだろう。ならレミリア自身を狙うか。だが今でも限界なのだ。これ以上前に行けば絶対に均衡が崩れる。

 (一つしかない、か。本当はもうちょっとだけ隠しておきたかったんだけど……)

 シオンは白夜を空間の狭間の中に投げ捨て、空いた左手を上空に向ける。

 「そっちがそれを使うなら、こっちも同じ事をするまでだ!」

 大量の魔力を周囲に放出するシオン。人の身ではまずありえない量の魔力を見て、レミリアは動きを止める。それを幸いとばかりに、シオンは魔力の形を槍に変える。

 夜空に浮かぶ数百、あるいは数千の槍。そこにもう一つの細工を加える。

 「魔法陣!?」

 槍の眼前にある、細い魔力の糸によって複雑な文字が描かれた魔法陣。その内容は、文字が読めないためわからない。しかし途轍もなく嫌な予感がした。

 「それじゃ――」

 シオンは手を下ろす。主の動きに応じて動き出す槍の大群。始めはゆっくりと、だが確実に前へ進む。

 「……」

 レミリアはスッと足を引き、いつでも避けられる体勢を作る。

 「――射出!」

 槍が魔法陣を通った瞬間――唐突に加速する。

 その速度はレミリアが作り出す弾幕よりも遥かに上だ。魔法陣に何か秘訣があるのか……そんな事を考える間もなく、槍が地面に突き刺さり、そのまま消え去る。

 縦横無尽に存在し、その度に撃ちだされ、地面に降りしきる槍の雨。

 そんな中を、シオンは駆け出す。

 「上ばっかり見てると下が疎かになるぞ!」

 「ッ、ウアァァァァァッ!!」

 片手では無く両手で槍を突きだすシオン。上下左右から迫りくる槍と槍に翻弄され、満足に動く事もできない。

 何とか再度弾幕を作り、上空に撃つ事でいくつかを相殺、シオンの攻撃を避けて離れる。だが槍の数が多すぎる。避けても避けても終わりが無い。

 (いくらシオンでも、コレだけの数を操れるはずがない! なら、何かしらの手順を踏んでいるはず……!)

 槍が落ちるのにパターンがあるのであれば、それを覚えさえすればいい。

 「どうにかして覚えれば――ッ!?」

 気付く。この落ちてくる槍にパターンなど無いという事に。

 レミリアが気付いたのは偶然でもなんでもない。単純に、()()()()槍を避けている姿を見たからわかっただけだ。

 (まさか――まさか、槍にパターンをつけていない? 確かにそれをすれば絶対に予測なんてできない。でもそれは、自分自身もそうなのよ!? 死ぬかもしれないのに、それでも実用性を取るなんて!)

 吸血鬼であるレミリアやフランならば、使っても問題は無いだろう。だが人間が使えるはずがないのだ。当たれば痛みで動きが鈍り、そのまま自分の技で殺されてしまうのだから。

 だがそれは『普通』の人間の考えだ。

 「コレをどう攻略するんだ、レミリア!!」

 そしてシオンは、降りしきる雨を避けながら、レミリアに問うた。

 

 

 

 

 

 シオンがやったのは、特に不思議でもなんでもない事だ。

 銃の構造を知っていれば――知っていなくとも、『圧縮』という言葉を知っていれば、シオンのやった事を想像できるかもしれない。

 銃が弾丸を発射する原理は、1箇所のみが開いている筒の中に弾と火薬を入れ、その火薬を爆発させる事でガス圧を生み出し、弾丸を高速で放つ、というものだ。

 あるいは風を圧縮してできる真空波。あるいはダイヤモンドの加工などに使われている、水を圧縮してできるウォータースライサー。

 槍を放ったのも、その構造と似ている。

 魔法陣を通った槍の棒部分を真空にして小細工を施し圧縮。要は気圧の変化をガス圧の代わりにしているのだ。そして柄の最後の部分まで通った瞬間、押し込められ続けていた槍が解放され、地面まで真直ぐ突き進む。間違えて槍を後ろに飛ばさないようにあらかじめ魔法陣に細工をするのも忘れない。このおかげで銃弾の速度と似たような速さを生み出せる。

 しかしコレを作れと言われたパチュリーも、こんな使い方をするとは思わなかった。そもそも魔法陣の用途は、あらかじめ紙か何かに用意しておいて、使い捨てで発動するものだと考えていたからだ。シオンの考えは、それら全てを否定するものだった。そもそも使い捨てにする理由は、単純に紙の強度が足りないせいだからであり、そのせいで燃え尽きてしまう。だがシオンはまた別のモノを利用した。

 魔力の糸による魔法陣の作成。それによって術式の複雑化、耐久度の問題点を全て失くした。しかもあらかじめ準備する必要も無く、無限に扱う事ができ、臨機応変に戦える。

 そもそもパチュリーが最初に作った術式が複雑化したのは、魔力を籠めるための術式を付け加えていたからだ。その点は元々が魔力によって作られている魔力糸ならば問題は無い。

 けれどコレにも問題はある。まず魔力糸を生成しながら魔法陣を作る、という事そのものが不可能に近いのだ。

 単純に振り回すだけなら誰でもできる。だがコレを、複雑な文字を含んだ術式にするのはまず誰もできない。パチュリーでさえも、だ。戦闘時で無ければ可能かもしれないが、逆に言えば戦闘時は絶対にできない。

 それをシオンは可能にした。先程も見たとおり、シオンの制御能力はズバ抜けて高い。しかも完全記憶能力で術式を完全に覚えているため、間違える事はほぼありえない。頭の中の図式をそのまま書いているだけなのだから。パソコンのデータを別のパソコンに移す作業、と言えばわかりやすいだろう。ここでミスが出るのであれば、パソコン自体に問題があるか、データを移す途中に何らかのバグが出たかのどちらかだ。

 シオンもそれと同じ。ミスなどほぼありえない。

 「『想定と創作』はできないけれど、『既存の知識の応用と組み合わせ』はできる……そういう事ね」

 パチュリーの呟き。だはそれは、目の前で起きている不可思議な現象に目を奪われているフランたちには聞こえなかった。

 

 

 

 

 

 空を飛んで避けるレミリア。

 前後上下左右四方八方から飛んで来る槍を避けられるのは、偏にレミリアの戦闘経験によるものだろう。

 だがなぜ上空にいるのか。上空にいればそれだけ避けなければならない範囲は増える。だが地上にいれば、シオンの黒陽、あるいは白夜の攻撃を受ける可能性が出てくる。もし一回でも掠ってしまったら、それだけでかなりの妖力を奪われるだろう。だから地上には降りられない。

 だがそれにも限界はある。撃たれた銃弾が飛んで来るのと遜色のない速度で迫りくる槍を避けるのには、相応の集中力を要するからだ。

 「ハァ……ハァ……クッ! どうして、終わりが見えないの!?」

 アレだけの魔力を使っていながら、シオンに負担がかかっているようには見えない。コレではまるで――

 「博麗の巫女じゃないの!」

 「その博麗の巫女ってのが誰かは知らないけど!」

 シオンは空を飛ぶ事ができない。それでも下から攻撃するくらいはできる。黒陽を一旦ペンダントに戻して、魔力によって槍を作り、自分の所にも振ってくる槍を避けながら投げる。形状はもちろん投げやすいようにしておくのを忘れない。

 「俺の魔力が尽きるのを期待するのは、やめておいた方がいいよ! パチュリー曰く、「ありえない」だそうだからな!」

 シオンが声帯模写で声を真似て言った親友の言葉にレミリアは驚く。パチュリーでさえ驚く魔力量など、おそらく大妖怪や博麗の巫女を超える力なのだろうと想像できるからだ。

 「全く、面倒ったらありゃしないわ!」

 そう叫んでも状況は好転しない。むしろ叫んだせいで少しだけ反応が遅れてしまった。徐々に増えていく傷。すぐさま吸血鬼の再生能力で治っていくが、それでも手、足、胴体などの部分に傷ができていく。

 (コレを破るにはシオン自身をどうにかするか、あの槍をどうにかするか。それとも、何か他の部分を――)

 「ッ、考えさせる暇なんて与えないよ!」

 レミリアの視線が目まぐるしく移り変わっていくのを見て何かを察したのか、シオンは槍を一本ずつ、精密に投げて行く。

 それを何とか避けながらも、レミリアは思う。

 (考えさせる暇を与えられない。つまりそれは、考えられたら困る要因があるという事? ならそれは――)

 そこでふと視線をあるモノに向ける。

 (――そういう事か!!)

 レミリアは自身の顔に浮かんできた笑みを抑える事はできなかった。シオンはその表情を見て苦々しく顔を歪めると、槍を投げながら後ろに跳んだ。

 「その反応からして、私の考えはやっぱりあっているのね!」

 だがその対応こそが、レミリアにその考えはあっていると伝えているようなものだった。即座に行動を開始するレミリア。

 自身を中心として、何の形にも変えていない妖力を放出する。当然邪魔をするシオンだが、少しの妖力を吹き飛ばすくらいしかできない。結局諦めたシオンは槍を投げるのを止める。

 シオンが投げるのを止めたのを確認したレミリアは、全ての意識を妖力の操作に集中させる。そして、それを一定量まで溜めると――

 「全て、吹き飛びなさい!」

 ――全方位に、解放した。

 途方もない量の妖力が解放された影響か、周囲に突風が吹き荒れる。腕を交差させて顔をガードするシオンだが、下手に目を開ける事ができない。シオンの目は未だに治っていないのだ。そんな状況で風が目に入ればどうなるのかなど、想像に難くない。

 やがて突風が収まると、夜空からは神秘的な輝きを放っていた魔法陣は消えていた。

 「……………………」

 「貴方の使う魔法陣の効果は確かに強力。でも弱点があるわ。新しく作った技には大抵あるモノだから、考えてみたのだけれど」

 レミリアは自身の指先から、妖力によって糸を作り出す。シオンが魔法陣に使っていたモノよりも遥かに細く、頼りないものだ。

 「糸は束ねれば堅く強靭で、しなやかな布になる。でもそれ単体では、あっさりと千切る事のできる不安定なモノ。つまりシオンが使っていた魔法陣に使うには、糸というモノは壊滅的に強度が足りない」

 「……………………」

 何も答えないシオン。しかし沈黙、それこそが正解だと答えているようなモノだった。

 レミリアの言う通り、糸とは脆い。モノにもよるが、大人が端と端を持てばあっさりと千切れてしまうほどに。

 シオンの魔力糸もそうだ。ワイヤーのように使うのではないし、そもそもが用途が違う。仮に自分が投げられたとして、もし張っていたのがワイヤーならば、自分が切断される。自身が作った魔力糸に体を切断されては笑い話にもならない。

 一応魔力糸に使われているのと同じ、魔力による攻撃であれば、魔力糸の許容量を超えない限りは問題無い。だが気や霊力、妖力を相手にすると、途端に弱くなってしまう。

 だが――

 「ハァッ、ハァッ、コレで少しはマシに――」

 「ふらついてるくせに、か?」

 「……そっちも、人の事は言えないじゃないの」

 大量の妖力を一瞬で使った影響か、レミリアは肩で息をしていた。

 それを揶揄するが、シオンもそう変わらない。

 「私の槍と打ち合った時に、その右腕、罅が入っているのでしょう? それに爆風の影響で体が傷ついているし、そんな状態で全く慣れていない大量の魔力の放出をしたせいでガタがきてる。違うかしら?」

 「……何もかもお見通し、ってわけか。そうだよ、こっちもきつい。……だから、次でこの戦いを終わりにさせる」

 「あら、奇遇ね。私もそのつもり」

 「なら」

 「ええ」

 何も言わず、合図をせずとも、二人は同時に、そして静かに槍を構える。

 気も魔力も妖力も纏わず、二人は前へと飛びだす。

 「オオオオオオオオオオオォォォォォォォッッッ!!!」

 「アアアアアアアアァァァァァッッッ!!!」

 そして、二人の槍は交差し――

 

 

 

 

 

 「……フラン、そろそろ離してくれるとうれしいんだけど」

 「……もう少しだけ」

 「そう言ってから、もう何分経って……いや、なんでもない」

 まるで人形のように全身を抱きしめられてから、かれこれ何分経ったのか。それすらわからないシオンは文句を言おうとしたが、眼の端に雫が浮かんでいるのを見て、やめた。

 しかしやはりこんな風に抱きしめられているのは居心地が悪い。その気になれば力ずくで振り払う事もできるが、そんな事できるわけがない。珍しく困ったようにまなじりを下げているシオンは、助けを求めてレミリアを見る。が、そちらを見た瞬間に救出してもらうのを諦めた。

 レミリアの顔はニヤニヤと笑っていて、目線はこう言っていたからだ。

 ――しばらくそうしていなさい。

 シオンは思う。コレは先程の意趣返しか、と。

 結局先程の戦闘で、客観的に見れば勝ったのはシオンだ。勝因は単純明快。槍の長さの差だ。

 シオンの持つ槍は二五〇センチほど。対してレミリアのは二〇〇センチ程度だ。その差が勝敗を分ける要因となり、シオンの槍はレミリアの首筋に、レミリアの槍はシオンの首の一歩手前くらいで止まった。

 「私の負けね」

 そう言ったレミリアだが、シオンは首を横に振り、

 「能力を使われていれば、負けていたのは俺だ」

 と言って、勝ったと認めなかった。しかしレミリアはそれを認めず、

 「貴方だってまだ隠し玉があったのでしょう?」

 「……それを見抜いたのには素直に驚くが、それでもレミリアが能力を使い続けていれば、それも無駄に終わった。だから俺の負けだ」

 「いいから、受け取りなさい」

 「いいや、受け取る気は無い」

 「……貴方の勝ちよ!」

 「俺の負けだ!」

 自分から負けたがっているような発言だが、両者ともにその自覚は無い。下手をすると二回目が始まる……と思ったフランたちだが、その前に二人とも不毛だと感じたらしく、結局は引き分けにする、という事で決着がついた。

 そんな事を思い出したシオンは、現実逃避をしても何も変わらないと頭を振る。

 「フラン、このままだといつまで経ってもここから出られない。送り出してくれるんじゃなかったのか?」

 「だって……結局、あんまり一緒にいられなかったし……」

 つまりは、数時間前に言った言葉は強がりだった、そういう事だろう。だがフランは、年齢はともかくとして、精神は十歳程度。本来ならまだ親に甘えていたい――正確には甘えたいが甘えられない反抗期――年頃だ。だがフランには、昔はどうだか知らないが、親はいない。その分がシオンに回ってきているのだろう。

 だが先程も言った通り、このままだとズルズルと紅魔館に留まり続けるハメになる。それだけは避けたかった。折角決意したのに、それが揺らぎかねないからだ。

 それでもシオンは、こんな時に言う言葉など知らない。壊滅的に人と接してこなかったのが、ここに来ても影響していた。

 しばらく悩んでいたシオンだが、それでも一つ思い付いた。

 「……なら、約束をしよう」

 「約束?」

 「ああ。その内容は、『いつか絶対、ここに戻って来る』」

 「……でも、シオンに破る気が無くても、それ以外の原因で――」

 「俺は嘘は言わない。だから約束も破らない。途中で死ぬ気も無い。今まで見たいに無様に足掻いてでも生き残って見せる」

 静かな、しかし確かな意志の籠った言葉。

 しばらく躊躇していたフランだが、それでも少しずつ力を抜き、シオンの体から腕を離した。

 「……わかった。私はシオンを信じる。だから……絶対に、生きてここに来てね」

 「絶対だ」

 この世に『絶対』などというものはありえない。それでもシオンは約束する。

 姉を守ると心に誓い、その事を姉に伝え、そして約束した。だがそれは破られた。

 (もう二度と、約束を破りたくない)

 だからシオンは、フランと生きて再会すると、今度こそ守ってみせると、心に刻む。

 そこで、レミリアが口を挿んできた。

 「……ねぇ、シオン。一つ提案があるのだけれど」

 「ん、何だ?」

 「貴方にこんな提案をするのはどうかと思うけれど……『吸血鬼化』をしてみないかしら? そうすれば、余程の事が無ければ死ななくなるのだし。『スカーレットの血筋』を持った吸血鬼であれば、通常の吸血鬼より弱点も少ないわよ」

 その言葉に、隣で聞いていた咲夜と美鈴は驚く。だがシオンは『吸血鬼化』がよくわかっていないらしかった。正確には、それをすると『屍食鬼(グール)』になると思っていたのだ。

 だがそれは少し違うらしく、確かに弱く、相性の悪い人間の血を吸い続ければグールになってしまうが、強い人間や気に入った相手がいれば、特別な手順を踏めばきちんとした吸血鬼にさせる事ができるらしい。例外として、余程相性が良ければ吸血鬼になる時もあるようだ。

 「――後はもう一つ理由があるのだけれど……」

 「だけれど?」

 「――いえ、なんでもないわ」

 レミリアが言おうとしたもう一つの理由。それは、吸血鬼が、どうしても、何をしてでも伴侶としたい、あるいは妻としたい人間を吸血鬼とさせたい時、だ。

 人間は脆弱であり、百年と経たずに死んでしまう。それ故の吸血鬼化。もちろん大抵の人間は拒否をする。不老を生きるのもそうだが、相手が化け物だと知って恐怖するのだ。だが相手が吸血鬼だと知って、それでもなお愛し続ける人間もいる。

 今回レミリアが伝えるのを躊躇ったのは、それを知ったシオンがどうするのか、気になってしまったからだ。()()()()()()()()()()()があるかもしれないのだから、気になるのも当然だったが。

 「……いや、やめておくよ。俺は、人間でいたいから」

 さり気なく考えごとをしていたレミリアの様子なぞ露知らずシオンはしばらく悩んでいたが、それでもきっぱりと言った。

 しかし予想していた答えなのか、レミリアは特に気にした様子は見えなかった。

 「まあ、それもそうでしょうね。いくら『スカーレット』の吸血鬼と言っても、長時間日光に当たれば灰になるのは避けられないのだし」

 シオンの目的を知っているレミリアは、無理に提案を飲ませる事などできない。

 「……なんか、ごめん。せっかく言ってくれたのに」

 「別に気にしてないわよ。……私はコレで言いたい事は言ったけれど、咲夜と美鈴は、何か言う事はあるかしら? パチェ……は、何を言うのか予想できるわね」

 「そうね。私が言いたいのはコレだけよ」

 我先にと言ったパチュリーは、シオンの顔に人差し指を向ける。

 「何か新しい知識を得たら、私のところに来て教えなさい」

 余りにもあんまりな物言いに、レミリアは内心頭を抱え、シオンは目をパチクリとさせた。

 「なんというか、別れの言葉とは思えないほどに我儘な内容だな」

 「コレが今生の別れと言う訳では無いのでしょう? それにシオンらしくないわよ。私は『知識を覚えたら私のところに来て教えなさい』と言ったのよ? つまり――」

 「なるほど、ね。要は――」

 「「――必ず戻ってきなさい」」

 パチュリーは不敵に、シオンは苦笑の笑みを浮かべる。それで言いたい事を言い終えたのか、パチュリーは手を振って去って行った。

 次は美鈴かと思ったシオンだが、美鈴は特に言いたい事は無いらしく、ただ笑って首を振るだけだった。

 一つ頷き返したシオンは、咲夜を見る。咲夜の手には、肩にかける形のバッグがあった。

 「シオン、コレを持って行ってください。シオンの足であれば二日、途中で迷っても三日で里に着くと思われるので、三日分の食料と水を入れておきました」

 「え……」

 咲夜からバッグを受け取ったシオンは、中を見ずとも中身を理解した。シオンの鼻は、コレが咲夜が手間暇をかけて作った物だと理解させたからだ。

 おそらくは長持ちし、冷めても美味しい物を作ったのだろう。咲夜の事だ。かなりの時間がかかったはず。しかしそれを微塵も感じさせない。まさしく紅魔館のメイドとして相応しい、『完璧なメイド』だった。

 「このお礼は、またいつかするよ」

 「……シオンのお礼、ですか。楽しみに待っています」

 クスクスと口元に手を当てて上品に笑う咲夜。コレは絶対に咲夜が喜ぶお礼を渡さなきゃダメだなと思うシオンだった。

 「……紅魔館での生活は、本当に楽しかったよ」

 「楽しかった、ですか?」

 つい零れた独り言。しかしそれは、目の前にいた咲夜に聞きとがめられたようだ。

 「そう、とても楽しかった。……咲夜、確かに俺は強いと思う。でもね、俺は単純に、『当たり前の生活』を送りたいだけだったんだよ」

 「『当たり前の生活』……」

 「そう。咲夜たちみたいに家族全員で笑いあって、楽しくすごす……そんな、ごく当たり前の生活をしてみたかった。自分で作った料理で、自分がした何かで、喜んでほしかった」

 それはほとんどの人間が当たり前のように享受していること。だがシオンからすれば、それは何よりも『羨ましい』ことだった。

 「人を殺す感触なんて知りたくなかった。人の、地獄という言葉すら生温い悪意なんて知りたくなかった」

 シオンとて、何十万という人間を殺したことに、何の感慨も無かった訳では無い。

 「強さなんていらない。ただ普通に生きたかった。色々なことを学びたかった」

 それでも、シオンには何も手に入らない。手に入れるために渡すための物すらない。

 「だから、今回のことは、俺にとってとても嬉しい事だらけだったんだ」

 ここに来て、何もかもが変わった。

 「目的があった。でもそれは無理な事になってしまって、もう全部投げ出したくて、でも諦めきれなくて。挙句の果てには助けた相手を殺しかけた。バカだよなぁ……」

 自嘲の笑みを浮かべるシオン。

 「だけど助けられた。救われた。それから色々な事を知った。だから――」

 先程の笑みを消し、真直ぐに咲夜の目を見つめる。

 「――俺は、これから先も色々な事を知って、胸を張って『幸せだった』と言えるような人生を生きてみせる」

 「……それなら、シオンが死ぬことはできませんね」

 「ああ」

 咲夜が笑うと、シオンも笑い返した。

 そして、最後。シオンはずっと黙っていたフランに言う。

 「……フラン、コレからしばらく会えなくなる。何かして欲しい事、ある?」

 だが、フランはしばらく何も言わずに黙っていた。少しして、何か意を決したかのように顔を上げたが、その顔は真赤だった。

 その顔が真正面から見えたのはシオンだけだったが、耳や首筋まで真赤だった事もあり、レミリアたちにもわかってしまった。まさか、と思うレミリアたちだったが……そのまさかだった。

 「ん!」

 「――――なッッ!??」

 シオンは驚愕で目を見開く。

 そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()、何をされたのかを理解した。

 だがすぐには動けない。フランは自分が力んでいるのを理解していないのか、シオンの体を思いっきり抱きしめているのだ。『吸血鬼の腕力』で。

 咄嗟に力を込めて何とか体の骨が折られるのを防いだが、拘束されている現状、動く事ができない。なるがままに受け入れるしかなかった。

 やがてフランの羞恥心が耐えられなくなったのか、真赤になった顔を隠すように俯き、ポツリと呟いた。

 「……その、忘れたままでいられるのは、イヤだし、だから、えっと」

 かなり聞き取りにくいが、シオンには聞こえるだろう。そう思っていたフランは少しだけ目線を上げ、そして驚いた。

 「……な、な、な」

 シオンも顔を真赤にしていたからだ。まるで初心な少年のように。

 シオンとて一度もキスをした事が無い訳では無い。だがあの時は感情が昂っていたし、何よりその後の状況が酷すぎた。だから気にする暇が無かった。それに欲が無いと言ったシオンだが、別に羞恥心が無い訳では無いのだ。過酷な経験をしたとは言っても、所詮は『戦闘しか知らない』シオン。

 キスをした事はある。だが今回は完全な平常心のまま、完璧な不意打ちを受けた。戦闘においては冷静でも、こういった事は全く経験した事が無いシオンは、本当に『初心な少年』なのだ。

 「~~~~~~~!!!」

 自身が真赤になっているのを自覚し、遂に耐え切れなくなったシオンは走り出した。フランとは違い奇声を上げてはいない分だけマシだろうか。

 だからシオンは気付けなかった。『忘れられているのはイヤ』、その言葉の意味を。

 しかしそれはレミリアたちにも言える事。フランの真意は、フランだけが知るところとなった。

 ある程度の距離が離れたところで、シオンは半回転し、未だに真赤になっている顔をフランたちに向け、大きく手を振った。

 いくらなんでも、こんな別れ方はありえないと思ったのだろう。

 フランも大きく手を振り――いや、それだけではない。翼を大きく広げ、空へと飛んだ。

 シオンの方からも、フランが飛んでいる姿は見えていた。途中で止まり、その羽を大きく広げている。夜空に浮かぶ月明かりに照らされ、キラキラと煌めいている宝石の翼。位置をきちんと調整すれば、幻想的な光景が見られるだろう。

 だがシオンは歩みを止めない。ただ、フランが空に浮かんでいるのを眺めているだけだ。

 「……キレイだ」

 ポツリと、シオンの口から零れた。意識して言った事では無いからこそ、それがシオンの本心だと分かる。

 人によっては、フランの翼を変だと言うだろう。だがシオンにとっては、とても、とても綺麗な翼だった。

 何より綺麗だと思ったのは、紅だ。フランの紅の服。『スカーレット』という名前。『紅』こそがシオンを救ってくれたモノであり、シオンにとって、暗闇を照らす『紅色の光明』だ。

 少しだけ弧を描く口元。その表情のままシオンは前を向き、そして決して振り返らなかった。

 

 

 

 

 

 フランは、シオンの背中が見えなくなるまで手を振り続けた。

 シオンの姿が見えなくなったしばらくしても、その場に少しだけ留まった。

 しばらくして地上に降り立ったフランは、レミリアに言う。

 「ねえ、お姉様」

 「何かしら?」

 「私は、シオンの事が好き。命をかけて助けてくれたからじゃない。孤独を癒してくれたからでも無い。シオンの性格を知って、心を知って、弱さを知って、強さを知って、生き方を知って。だから好きになったの。大好きになったの。自分でも気付かないうちに、いつの間にか」

 「……そう。それで、フランはどうするの?」

 「決まってる。シオンといつか肩を並べられるくらいにいい女になる!」

 そう言って笑うフランの笑顔は、誰もが認める恋する乙女の顔だった。




今回で紅魔館編は終了!
……無駄に長くなりましたね。
実は当初ここまで長くする予定では無かったのです。本来ならフランを助けてすぐに旅立つ、というものだったのでしたが、それだとフランがちょっとやばい事になると思いましたので。
端的に言えば、ヤンデレになりかねない、と言う事です。
自分を助けてくれた相手が即座にいなくなる。孤独だった少女の心が不安定になっていた時期に恩人がいなくなれば、その不安定さが増し、憧れを恋だと勘違いし、依存する度合いが増すのでは? とまあそんな風に思ってしまったので、それを無くすためにここまで長くなりました。

シオンにも弱い部分はあり、ただの人間だと理解させ、助けてくれたのを自身も助けた事で帳消しにする。そうした事で相手と『対等』になったのだとフランに思わせたかったのです。
そして最終的には、日常で過ごした日々で『シオンという人間』を理解し、恋をする。
そのためにこんなにも長くなってしまった、というわけです。

でも後悔はしていません。ここまで長くしなければ未だにシオンは心が弱いままでしたし、しょっぱなからヤンデレヒロインを出したくは無かったので、コレが最善、だと、信じたいです。

後書きはここまで。では次の章で……と、言いたいのですが。
現在私の学校ではテスト期間であり、勉強及び提出物の確認などで時間を取られ、執筆時間があまりありません。それでも2つのストックと空いた時間で細々と書いていたのでここまで終わらせられましたが、やはり無理があったようです。なので、少し休憩期間を作らせていただきます。

ただ、次のお話だけ5日後に投稿させていただきます。
次話は閑話的なもので、内容は……まあ、見てからのお楽しみで。
ただ楽しいかどうかはわかりません。


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閑話 妹の過去

今回は閑話。
タイトルで誰かはわかるはずw


 ――私は、人間で言うところの、ありふれた幸せな家庭に生まれた。

 家庭環境は普通では無かったけれど。豪奢な屋敷に、格好いい執事、綺麗なメイド。上品で穏やかな、おそらくはどこかのお嬢様だったであろう母親と、厳格でありながら時折優しさを垣間見せるお父様。何よりも、とても頼りになるお姉様がいた。

 でも、どうやら私は男の子に生まれる事を望まれていたらしい。たまにお父様が、『スカーレット家の跡継ぎが……』と言っていたからだ。

 家督を継ぐ者は、大抵が男子だ。例外として女子がなる時もあるが、それはあくまで最終手段でしかない。普通は男子が望まれる。

 それでも両親、姉、使用人は私を愛してくれていた。お父様からは厳しい言葉、お母様には絵本や歌、お姉様とは一緒に遊んだりし、使用人からは勉強などの習い事を教わった。

 極々普通の、大金持ちのような生活を送っているという点を除けば、大体は幸せな人間の生活とそう変わらない日々を過ごしていた。

 けれど、私たちは人間ではない。人々の血を吸い、それを糧に生きる『吸血鬼(ヴァンパイア)』だ。

 当然それらは隠す必要がある。人間の数は最早吸血鬼とは比べ物にならないほどに増えた。もしバレれば、かなりの面倒事になると、誰もが口を揃えて言っていた。

 私もお姉様もそれには素直に従った。好奇心はあったが、家族の危険には変えられない。だから外に出るなどといった無謀な事とは無縁に、安全に生きた。

 ――私が生まれてから五年程経ったあの時、あの瞬間までは。

 「あなた! しっかりして!」

 「お父様、返事をして!」

 目の前に倒れ伏しているお父様がいた。そのお父様のすぐ近くには、お父様から飛び散った返り血を浴びている人間の男が――『吸血鬼狩り(ヴァンパイアハンター)』がいた。

 この『吸血鬼狩り』の目には、私たちに対する抑えようも無い憎悪があった。私たちが何かしたわけではない。ただ、『私たちという存在』を憎んでいるようだった。

 そのためにこんな辺境にある屋敷に訪れ、潜入したのだろう。私には理解できない。そこまでの憎悪を持つ理由が無かったからだ。

 しかしこの時、『吸血鬼は人間から恐れられ、嫌われている』、その言葉が真実だったと、頭ではなく、感覚で悟った。

 「奥方様とお嬢様方は早くお逃げに! 私たちが足止めをします!」

 周りのメイドたちが、どこから取り出したのかわからない武器を持つ。どれもが小型のナイフや剣、槌といった物から、絶対に戦闘には向かないであろう物を持っていた者もいた。

 こうした理由は、狭い屋内で大きな武器を振り回せば壁にぶつかってしまうからだ。あの時の私にはそうした訳がわからなかった。だが、それでもあの男には勝てないとわかる。

 この屋敷でお父様より強い者はいない。しかしあの男はそのお父様を倒した。それにあの男を出迎えたはずの執事たちの姿も見えない。つまりは、そういう事だ。

 次々に斬られていくメイドたち。たまにコッソリとお菓子や、珍しい料理をつまみ食いさせてくれた者、今から一年くらい前までは一緒に寝ていた者、遊んだ時に服を汚し過ぎて怒った者や、怪我をして泣いてしまった時に慰めてくれたメイドたちが、地に伏していく。

 「――――――!!」

 「――――――――――――――――!?」

 お母様やお姉様が何かを叫んでいるが、私には何も聞こえなかった。ただただ、目の前で斬られていくメイドたちを視界に映すだけだ。

 逃げろ――そう言われたお母様は私を抱きしめながらお姉様の手を握り締めるだけで、逃げようとはしない。その視線からお父様の方を見ているのがわかった。夫を見捨てて自分だけ逃げる事などできない――そんなところだろう。

 今思えば、甘すぎる判断だとわかる。メイドたちは命を賭している。それなのにお母様は逃げる事もせずに、ただ子供のように何も選択しない。

 それでも当時の私は、周りの景色を見ているだけ――正確には、頭の中にある光景が浮かび上がっていて、目の前の光景に注意できなかったのだ。

 『―――――――――!』

 『―――――――』

 『―――――――――――――――――――!?』

 『――――――――――――?』

 『―――――――――――!!!』

 様々な声が入り混じる場所。怒声、悲鳴、誰かを呼ぶ叫び声。だがどれもが一貫して同じモノを宿していた――恐怖だ。

 彼らの視線を辿ると、そこには誰かがいた。顔は何かに邪魔をされて見えない。かろうじて少女だとわかるだけで、全体像もはっきりしない、あやふやな幻影を見ているかのようだった。なのに何故か、見覚えがあるような気がした。

 少女の周りには、血と、それを流す人――人『だった』何かが、大量にあった。血に染まり、それ以外の色を見つける事の方が難しい、血の大地。

 我先にと逃げる人々の中心で、自らの手でこの惨劇を生み出した少女は、しかし泣いているように思えた。

 そして少女は――

 プツリ、と映像が途切れる。まるで見ていた写真が、そこから途切れたかのような、不自然な終わり方だった。

 私は、意識を明確にする。目の前には、全てのメイドを斬り捨て、私たちを睨みつける男が立っていた。

 「――ッ、ヒ」

 私の口から、声にならない悲鳴が漏れる。今の今まで意識がはっきりしていないせいで、この瞬間ようやく、私は死に対する恐怖を実感した。

 「……二人とも、逃げなさい」

 「お母様!?」

 「ごめんなさいね、レミリア……フランを、貴方の妹を、守りなさい」

 お母様は翼を生やし、前へと飛びだす。だがお母様は、メイドたちに比べれば強いが、それでもお父様には勝てない。

 自棄になっただけだ。もう逃げられないと、全員ここで死ぬとわかっているはず。もしメイドたちが足止めをしていた間に逃げていれば話は別だっただろう。

 だがそんな事はありえない。

 (嫌……嫌……お父様も、お母様も、メイドたちも……お姉様も、殺されるなんて)

 当時の私は、それを受け入れられるはずが無かった。

 だから、かもしれない。

 「私が……私が助けてみせる!」

 そんなバカな事を、考えてしまったのは。

 「フラン、何を!?」

 後ろでお姉様が息を呑んでいるのがわかる。それでも私は止まれない。どの道、皆ここで死んでしまうのだ。

 だけど私は、自分で死ぬなんて思ってもいなかった。幼すぎせいで、『死の概念』をきちんと理解していなかったせいだろう。

 「フラン!?」

 私が前に出たのだと知ったお母様は、眼を見開いて硬直した。

 それを見逃すような甘い男では無い。『吸血鬼狩り』は銀で作られた剣を、お母様の心臓のある場所に貫こうとした。

 (ダメ、ダメ、こんなのダメ! 私のせいでお母様が殺されちゃう。そしたらもう、あの陽だまりみたいな優しい笑顔が見られない。今までの幸せな日々も、もう得られない。だけど私には、何もできない!)

 通ってしまう。お母様の胸に、銀の剣が刺さってしまう。いくら吸血鬼といえども、銀で、それも心臓を貫かれれば、死んでしまう。

 「お母様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 私は、叫んだ。この不条理な現実に対して。どうしようもない理不尽に対して。

 それと同時に、私の中から何かがゴッソリと抜けて行くのを感じた。

 パキィィィン! と、金属が割れるような音が聞こえる。

 「……!?」

 男が硬直し、眼を見開いた。自身が持っていた剣が、唐突に『壊れれば』当然かもしれない。

 咄嗟に周囲を見渡した男は、私の方を見詰める。その眼に見つめられた私は、その眼に宿った憎悪に恐怖した。

 「う……ぁ、ぁ……」

 ジリジリと後ずさる。だけど男は止まらない。予備のモノだと思われる銀の剣を取り出し、私に向かって走り出そうとした。

 「フラン!」

 叫びながらお母様が私と男の間に入る。

 「どけ、邪魔だ!」

 「娘たちだけは、やらせない!」

 お母様は『レーヴァテイン』を取り出す。お母様はお父様とは違って戦いの心得などほとんど知らない。それでも吸血鬼の端くれとして、相応の力は持っていた。

 けれど男はその更に上を行く。

 懐から銀のナイフを取り出し、牽制として放つ。そのいくつかは私とお姉様に向かっていた。絶対に避けるわけにはいかないお母様はレーヴァテインを使って銀のナイフを融かす。

 それは致命的な隙だった。男は今度こそ走り出し、お母様と――私を同時に斬り捨てようと、剣を振りかぶる。

 「フランだけは、レミリアだけは殺させない!」

 無駄だとわかっていても、お母様は私を抱きしめ、自分の体を盾にしようとした。でも私の瞳には映っていた。

 振り上げられる剣。剣の輝きによって反射している光。男の瞳。私たちを心底から憎む、憎悪を宿した瞳。どこかで見た事のあるモノだった。

 私の――違う、『私たち』の命を奪う、その輝きと、それを持つ人間たちの姿が、目の前の男と重なった。

 ドクン、と心臓が跳ねた。そこからドクッ、ドクッ、ドクッと、遊び終えて疲れた時以上に動き出す。

 全てがスローモーションになっていく世界。この現象が何なのかわからないまま、私はこう呟いていた。

 「……壊れちゃえ」

 ただ、それだけ。それだけで男の剣が、腕が、そして体が壊れていく。驚愕した表情を張り付かせたまま、男は死んだ。

 一瞬。お父様でさえ殺せなかった男を、私は一瞬で殺してしまった。

 私を抱きしめているお母様も、気絶しておらず、傷を押さえていたメイドも――そしてお姉様も含めて、誰もが驚愕を宿した顔をしていた。

 「フラ、ン……?」

 お母様の呆然とした声が周囲に響く。それほどまでに静まり返っていたのだ。

 私はお母様に叫んだ。

 「お母様、無――」

 「私の妻から離れろ、この化け物!」

 「え……」

 聞き覚えのある声。だけどその声から、ありえない言葉が放たれていた。

 「お、お父様……?」

 「私は貴様のような化け物の父親ではない!」

 目を覚まし、傷を押さえていたお父様のその瞳には、私に対して向けられた恐怖があった。

 「なんなんだ、その力は。そんなありえない力が、吸血鬼に宿るはずが無い! 如何に『スカーレット』の吸血鬼であっても、真祖や、それに近しい者たちにはどうしても劣る」

 それを告げられたお母様やメイドたちの顔色が変わる。そしてすぐさま、恐怖を宿した。

 「どうして、こんな――」

 「私たちはこんな危険なモノと一緒にいたの!?」

 「そんなことより奥方様、早くその化け物から離れてください!」

 いつも私に笑顔を向けてくれたメイドたちが、少しずつ私から離れて行く。立ち上がる事すらできずに、お母様も離れて行った。

 「お、お母さ――」

 「触らないで! この化け物!」

 伸ばした手は、あっさりと拒絶された。

 誰もが私を化け物と言う。私を拒絶しようとする。

 そんな事は一度も無かった。

 「なんで……」

 どうして、どうして、どうして、どうして、どうしてどうしてどうしてどうして!

 私はお姉様を、お父様を、お母様を、メイドたちを……家族を助けたかっただけなのに!

 それなのになんで私を化け物と呼ぶの! 拒絶するの! なんで!?

 私の心の中は、それだけで埋まって行った。

 「――ァ――」

 気が付けば、私の両目から、雫が流れていた。だけど、それは全く無意味な事だった。

 「泣けば同情するとでも思っているのか? 全員、今すぐこいつを殺せ!」

 「「「「「っは!」」」」」

 全員が傷を押さえ、苦痛に顔を歪めながら、それでも私に向かって武器を構える。

 「……あ、は、はは……」

 結局、無駄だった。何をしても意味なんて無かった。全員が死ぬか、それとも私一人だけが殺されるか。それだけの話だったのだ。

 もう、乾いた笑みしか浮かばない。私にはたった一人の味方すらいない。独り……私は、独りなんだ。

 そう自覚すると、何もする気が起きなくなった。自分の身を守る事も、逃げる事すら。

 (今ここで殺されても、私は……)

 おそらく、ただそれを受け入れるだけだろう。

 そして私に、一斉に武器が向けられて――

 「やめてください、お父様!」

 そこで、お姉様が私の体を抱きしめてきた。

 「お姉、様……?」

 「フランは、フランドールは私の妹であり、お父様とお母様の娘ではありませんか! それなのに何故こんな真似を!?」

 「黙れ! お前はまだその化け物の力を知らないからそう言える! 知れば、絶対にお前も私と同じ行動をする! 絶対に、だ!」

 お父様が怒鳴るたびに、お姉様の体がビクリと震える。

 姉とは言っても、お姉様は私とそう変わらない年齢だ。怒られる事は多々あれど、親に逆らうなど今までしてこなかったお姉様が、本当の意味でお父様に怒られたのは初めてだ。恐怖に怯えてしまうのが当然なのだ。

 「それでも、例えフランが化け物のような力があったとしても! この子が私のたった一人の大切な妹であるのには変わりありません! お父様がフランを殺すと言うのであれば……私ごと、フランを殺してください!」

 お姉様の絶叫に、全員の武器がブレる。

 今ここでお姉様と私を殺せば、スカーレット家の血筋を持つものは、お父様だけになる。あの男に居場所がバレてしまった以上、ここから逃げなくてはならない。そして逃げている途中で今回のような事がまたあれば、今度こそスカーレット家は、終わる。

 それがわからないお父様では無い。お姉様がいれば、最悪お父様が囮となってお母様とお姉様を逃がす事ができる。そうすれば、お姉様がスカーレット家の血筋を繋ぐ事ができる。

 だけどここで私を殺せば、お姉様は絶対にお父様を許さない。無理矢理にでも連れて行く事は可能だろうが、私を殺さずに連れて行くのと、殺して無理矢理連れて行くのと。どちらが楽かなど言うまでもないだろう。

 「…………いいだろう。()()()()殺さない」

 「……! あ、ありがとうございます!」

 お姉様は素直に喜んでいたが、私にはわかった。お父様は、私を使い捨てにするつもりだと。

 私の力は強大だ。妖力の大きさも、そして自分自身でもわからない力もある。

 それを使えば、ここから逃げる事など容易だろう。そして逃げ終えたその時こそ、私を殺すつもりなのだ。

 実際お父様は、私を絶対に殺さないなどと言っていない。

 「連れて行け。ただし、決して油断はするな」

 「「「「「かしこまりました!」」」」」

 お父様が私たちに背を向けて去って行く。それを見届けたお姉様は安堵の溜息を吐くと、私の体を離した。

 「よかったわね、フラン」

 「……うん、そうだね」

 「どうしたの? 何か痛いところがあるの?」

 「なんでもないよ。大丈夫」

 「そう……ならいいのだけれど」

 余程顔色が悪かったのだろう。お姉様が眉を寄せた顔で私を見る。

 でも、言える訳が無かった。お父様を助けた事を、後悔していたなんて……。

 

 

 

 

 

 それからはあっという間だった。

 生きていた執事たちとメイドたちが荷物を纏め、吸血鬼が住んでいた痕跡を消し、いくつかある隠された屋敷を目指して、その場から逃げ去る。

 途中で追手が来たようだが、それもあの男に比べればあまり強い敵では無かったため、あっさりと殺せたようだ。

 代わりに、私の目の前に、刻一刻と死が迫ってきていた。だけど、私には現実感が無かった。昨日までは幸せだった。こんな日々が続くのだと、そう無邪気に信じていた。

 でもそれは、儚い幻想だった。

 「……外に出ろ」

 私がいた場所の扉が開けられ、そこからお父様の姿が見える。その手には、既にスピア・ザ・グングニルがあった。

 「……はい」

 余計な事はしない。下手な事をすれば、痛みが長引くだけだ。体では無い、心の痛みが。

 お父様に連れられて、私は歩く。でも変だった。殺すのであれば、わざわざ屋敷の中に連れて行く必要は無いはずなのだが……。

 そんな疑問を覚えたまま、私はお父様に着いていく。そして、『あの場所』に辿り着いた。

 「中に入れ」

 「え……」

 「聡すぎるのも考え物だな。移動している途中、レミリアに泣いて懇願された。だからお前を殺しはしない。だがお前ほどの力を持った化け物を野放しにできるほど、私は優しくない。だから今ここで選べ」

 お父様は、私に対して残酷な選択を突き付ける。

 「――今ここで死ぬか……牢獄に入り、一生をここで生きるか」

 そう言われて、私が選んだのは――

 

 

 

 

 

 暗い部屋で、私は独りだ。

 結局私は部屋の中に入るのを選んだ。なんでだろう、そう思った。

 今更生き延びようなんて思ってもいなかったのに。生き延びても、そこに幸せなんてあるはずがないとわかっていたはずなのに。

 (どうして……私は、なんで生き延びようとしたの?)

 わからない。どれだけ考えてもわからなかった。

 考えて、考えて、考え続けて……そして、ふと気づいた。

 私が何故、生き残ろうと思ったのは。

 (私は……お姉様と会いたいんだ)

 子供ゆえの無知。だからこそ姉が自分を庇ったのだという事は理解している。それでも、嬉しかった。味方なんていない状況で、それでも自分を殺さないでと懇願してくれた。

 (それが、嬉しかったんだ)

 そう思いながら、フランは涙を流す。

 悲しみの涙と……嬉しさから来る涙を。

 

 

 

 

 

 それから何日が経っただろう。一つわかるのは、お父様は本当に私を殺す気が無い、という事くらいだった。

 一日に三回、きちんと料理が運ばれてくる。それを運んでくるメイドたちは皆私を見て怯えていたが、運んでくれるだけありがたいと思った。殺されないだけマシだと。

 だけど、それも長くは続かなかった。

 「フラン! 大丈夫!?」

 「……お姉様?」

 私が独りその場に丸まってうずくまっていたところに、今までに見た事がないくらい血相を変えたお姉様が飛び込んできた。

 「どうしたの?」

 「理由は聞かないで! 今すぐここから逃げるわよ!」

 有無を言わさず私の手を取ったお姉様は、地下牢から私を連れだす。

 数日前にお父様の背中を追って通った道を、お姉様の手に引かれながら走る。

 「お姉様、何があったの!?」

 「……この前フランが殺したあの吸血鬼狩りの男。あの男の仲間が報復に来たと、そうお父様は言っていたの。……その言葉のどこまでが信じられるかは、わからないけれど」

 そちらが勝手に来て私たちを殺そうとしたくせに、身勝手よね、そうお姉様は吐き捨てた。でもそれよりも驚いたのは、お姉様がお父様を信じていないとでも言いたげな発言をした事だ。

 「お姉様、お父様を信じてないの……?」

 「……どれだけ私がお願いしても、お父様はフランを外に出してくれなかった。だから、ね」

 怒っているような、悲しそうな……複雑な表情を浮かべているお姉様。

 だけど私にはわかった。お姉様がどれだけの回数、お父様にお願いしたのか。一度や二度なんかじゃない。おそらく数百以上……それだけ願っても、お姉様の願いは叶わなかった。

 「ありがとう」

 「……! でも、私は結局、フランを助けられなくて……」

 「ううん、違うの。お姉様が私を助けようとしてくれた事。ただそれだけで、私は救われる」

 家族同然の執事とメイドも、血を分けた両親でさえも、私を化け物だと叫んだ。味方は、お姉様だけだった。

 それでもいい。独りじゃない、そう実感できるから。

 この手の温もりがあれば、生きて行ける。この時はまだ、そう信じていられた。

 

 

 

 

 

 「ここからどうやって逃げれば……それに逃げた後も問題ね、どうしようかしら」

 右手の親指をガジガジと齧りながらボヤくお姉様。マナーが悪いが、私も何かに当たっていないとやるせないくらいの思いを秘めていた。

 「でも、大丈夫よ」

 「え?」

 「何があっても、貴方だけは守ってみせる。だって私は、フランの姉なのだから」

 地下から廊下に出たお姉様は、様子を窺いなら少しずつ移動し始める。その間にも、どこからか怒声と叫び声が聞こえてきた。

 だけど、ここから見える攻撃を考えるに、いるのは吸血鬼狩り専門だけでなく、退魔の術をその身で学び、心身を鍛え上げたエクソシストもいた。

 おそらく執事たちとメイドたちの相手をするためだろう。

 だが何より恐ろしいのは、その鬼気迫る表情だ。あの男は、組織内でかなりの尊敬を集めていたのだろう。そうでなければ、あの人数が、あんな顔をするわけがない。

 「……逃げるには、まずアイツらに気付かれないようにしなきゃね」

 お姉様は一つの部屋に入ると、そこは服が詰め込まれた部屋だった。

 「やっぱり、あの短期間では屋敷から持って来た荷物を整理できなかったようね」

 お姉様はゴソゴソと荷物を引っ張り出す。そこから、エクソシストたちが着ているのとよく似たローブを引っ張り出した。

 「本当は、黒色の、目立ちにくいローブを選びたいのだけれど……それだと逆に目立ちかねないわね」

 周囲に埋もれず、且つ目立たないような色合いのローブを選んだお姉様は、それを私に着せてくる。

 「いいフラン。私たちは絶対に正体がバレてはいけないの。戦い方を知らない私たちは、奴等に見つかれば、殺される」

 「わかってる。でもいいの? お姉様一人なら、もっと安全に逃げられるのに……」

 自らもローブを着こんだお姉様はこちらに近づき、私の手を握り締めてくる。

 「そんな事はもう言わないで。守ると言ったでしょう。私は貴方の、姉なのだから」

 反論は許さないと、眼に力を込めるお姉様。私はもう、反論しなかった。

 「……それじゃ、行きましょう。大丈夫。何があっても、私が守るから」

 そして私たちは部屋から飛び出し、エクソシストに紛れて逃げ出した。

 

 

 

 

 

 「ハァ、ハァ、ハァ……フラン、足元に気を付けて!」

 「フッ、ッ、お姉、様……」

 屋敷を逃げ出し、周囲にある森の中に入るまでは上手くいった。だけどそこで、私たちが逃げ出した仲間だと勘違いしたエクソシストに追われるハメになっていた。

 しかも追手は一人二人ではない。十人以上の手練れが私たちを追って来ていた。

 「私はもういいから、お姉様だけでも、逃げて! 私が囮になれば、お姉様は……」

 「黙りなさい! そんな事ができるわけないでしょう! 大切な妹を一人置いて逃げ出す事なんて……!」

 しかし、絶対に逃げられない事は私でもわかっている。自分たちが居た屋敷の周囲なら、ある程度はわかっている。だがここは全くわからない。今走っているこの獣道さえも、逃げるために正解の道なのかはわからない。

 (どうすればいいの……。せめてお姉様だけでも……)

 (フランだけは助けないと。死ぬ瞬間に後悔する事になっても、フランだけは!)

 私が考えている事は、お姉様が考えている事とほとんど同じだったのには気付かなかった。

 「見つけたぞ!」

 「ッ、もう来たの!?」

 後ろを振り向き、遠目にエクソシストの姿を見つけたお姉様。そして、そのエクソシストが持っている銃口が、こちらを向いた。

 「まずい! 伏せて!」

 「きゃ!?」

 腕を引っ張られて倒れ込む私と、引っ張った事で倒れてしまったお姉様。だけど、この行動は正しかった。もしも引っ張られなかったら、私は体を撃ち抜かれて死んでいただろうから。

 私たちが倒れている間に、周りをエクソシストに囲まれてしまった。コレでは絶対に逃げる事など不可能だ。

 「何故逃げた? 我々はあの方の仇を取りに来たというのに!」

 ローブで全身を覆っているが、その声から女性のものだとわかる。持っていた剣を私たちに向けながら、詰問する。

 私たちが何も言わないでいると、女性は苛立ったように私たちに近づいてきた。

 「……そろそろ何か言ったらどうだ? 何か理由があるのであれば、情状酌量の余地を考えてやっても――」

 そこで運悪く、強風が吹く。エクソシストたちはとっさに頭を押さえる事でフードが脱げるのを防げたが、私たちはできなかった。

 「さっさとこちらの質問に……ッ、貴様らは!?」

 バレて、しまった。フードが脱げても私たちの翼は見えないが、吸血鬼の牙や血のような紅い目は隠しきれない。

 「っく!」

 お姉様は私の体を抱きしめる。まるで、少しでも私の体が彼女らの手によって傷つかないようにさせるために。

 だけど、お姉様に抱きしめられている私にはわかる。お姉様が、小さく震えている事に。そんなお姉様のお洋服の裾を、ギュッと握り締める。

 お姉様は視線を逸らす事無く、そして力無く笑い返してきた。

 力の無い幼い吸血鬼。その小さな姿は、人間と何も変わりない。だけど、そんな事は相手には関係ないのだろう。

 私たちに向けられた視線は、先程よりも鋭くなっていたのだから。

 「……童のような姿をした者をこの手で斬るのは気が引ける。それでも、私たちは貴様ら姉妹を殺す。ここで貴様らを逃せば、決して遠くない未来、貴様らに殺されてしまうであろう我らが子供たちのために」

 それを合図に、周囲のエクソシストはその武器を私たちに向ける。

 「恨んでくれて構わない。だが……我らのために、ここで死んでくれ!」

 私とお姉様に向けられる武器。

 同時に、わけのわからない光景がフラッシュバックした。

 武器、武器、武器。私を殺そうと取り囲んでいる武器の大群。それを持った人々。恐怖と憎悪に塗れた顔。

 そんな見た事も無い光景が、目の前の、剣を振りかぶっている人たちと重なる。

 瞬間、フランの中にある『ナニカ』がズレた。

 「ダメ……イヤ、やめて。私に、私に……」

 「フラン? フラン、どうしたの!?」

 私の体がガタガタと震えているのに気付いたお姉様が、私に叫んでいる。周りのエクソシストたちも、私たちの異常に気づき、二の足を踏んでいた。

 「ッ、臆するな! どうせ何も出来ん!」

 隊長であろう、先程私たちに詰問をした女性が、自らの部下に叱咤激励をする。それを合図に全員に、私たちに対する殺意が宿る。

 だけど、躊躇してしまった時点で、彼女たちは選択を間違えた。

 「かかれ!」

 前衛は武器を振りかぶり、後衛は魔法の術式を発動させる。その瞬間、私の中にあるモノが本格的にズレてしまった。

 「――私に、近づかないでええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇッッッ!!!」

 叫んだ瞬間、私の意識は遠のいた。

 

 

 

 

 

 「う、うぅ……」

 呻き声をあげているお姉様の声で、私の意識は明瞭となった。そのまま眼を前方に向け……そして、驚愕した。

 「なに、コレ……」

 惨殺された死体が、そこにあった。まともな死体がほとんど無い。彼女らが持っていた武器は粉々。全身が千切れているものや、中にはそもそも原型すら留めていない、服の切れ端であろうモノがついた肉の塊すらあった。

 「コレを……私がやったの?」

 わからないはずがない。あの時私の中から力が発動されたのを肌で理解していたのだから。

 「どうして……これじゃ私、本当に、お父様が言っていた通り……」

 化け物なんじゃ、そう言いそうになった。だけど、言えなかった。言ってしまえば、もう目を逸らす事ができないから。

 「フラ、ン……」

 「! お姉様!?」

 私の体を中心にして力が発動したおかげか、私のすぐ傍にいたお姉様は無事だった。でも、力の余波を受けたせいか、少し衰弱していた。

 「一体、何が……」

 手を側頭部に置いて頭を振るお姉様。それで意識がはっきりとしたのか、私と同じように辺りを見渡し……絶句する。

 そのまま、視線を私に向けてきた。

 「コレを……フランが?」

 「…………………………………」

 否定しない私を見て、お姉様は目を閉じる。

 それが怖かった。もしお姉様が私を見て化物だと言ったら、きっと私は正気を保てなくなる。そんな予感があった。

 「……フラン、一度屋敷へ戻りましょう」

 「え?」

 「このまま逃げても、先立つものが無ければすぐに殺されてしまう。だったら危険だとわかっていても一度戻って、宝石か何かを用意しなければ」

 「ちょ、ちょっと待って……!」

 「何かしら?」

 「お姉様は私の事が怖くないの!? だって、この惨劇を作ったのは私で、私は化けも――」

 「それ以上は言わないで!」

 「!?」

 「例え貴方が何であろうと、貴方が私の妹だという事実は変わらないの! だから、そんなバカな事を……自分が化け物だなんて事を、言わないで」

 「お姉様……私は……」

 抑えきれなかった。お姉様に拒絶されるかもしれないという恐怖が無くなって。それで、私は。

 「う、うぅ……私は……う、ぁ……」

 口元を押さえつけて、声を潜める。そうしなければ、大声で叫び出しそうだった。

 「……今は、泣きなさい」

 そう言って私を抱きしめるお姉様の腕の中で、私は小さく泣いた。

 

 

 

 

 

 真赤になって充血した眼のまま、私はお姉様に手を引かれて歩く。

 「お姉様……道、わかるの?」

 「一応、ね。ところどころにあった、それこそ目印とも言えないようなものを目印として覚えておいたから。多分そろそろ……ほら」

 目の前にあった木を避けると、そこには私たちがいた屋敷があった。でも……

 「ねえお姉様。物音が全然聞こえないんだけど」

 「そんなはずは……まさか!」

 「お、お姉様!?」

 私の手を握り締めたまま唐突に走り出すお姉様。私も走るが、少しだけバランスを崩したせいで転びかけてしまった。

 「どうしたの!?」

 「いいから着いてきて!」

 そのまま駆け出す事数十秒。私たちは、屋敷の入口に辿り着いた。

 「こんな……」

 私には、目の前のが光景が信じられなかった。足元にある地面が、土の色を残さずに真赤に染まっていたのだから。だけど、何故か死体は無い。

 「ここで大量の人が、お父様たちの手によって死んだのね。妖怪は殺されれば、その存在を残さず消してしまうから……」

 妖怪はあくまで人々の『噂』、あるいは何らかの伝承によって語り継がれたものが形となって生まれてくる。逆に言えば、元は存在していない。だから死んでしまえばそのまま消滅し、生きていたという事すら無くなってしまう。

 「でも妙ね。死体すらないなんて」

 「うん……。? あれ、この臭い……」

 「どうしたの?」

 「えっと、なんとなくだけど……何かが焦げた臭いがしない?」

 「それは。……本当ね。多分、お母様のレーヴァテインで死体を焼かれたんじゃ」

 確かにお母様のレーヴァテインであれば不可能ではない。だが、本当にそうならば、何故血が蒸発していないのだろうか。

 周囲を警戒しながら歩き出す私とお姉様。

 屋敷の扉に辿り着いて、ほっとした瞬間――お姉様が、倒れた。

 「お姉様!?」

 「フラン……逃げなさい……!」

 よくよく見ると、お姉様の体から血が流れている。しかも再生しない。銀で撃たれた。

 後ろを振り向くと、エクソシストが立っていた。

 「どうして……」

 「あの血で俺たちが死んだと勘違いしたよな? アレは吸血鬼を相手にする時に使う手段の一つでな。アレだけの血があれば、俺たちが死んだと勘違いするだろう?」

 「でも、あの血は本物。吸血鬼を相手に、贋物が通用するはずが……」

 「全部本物さ。民間人たちの協力によって集めたものを、な」

 「どうしてそこまで! なんで私たちの生活を邪魔するの!」

 「……お前たちは俺たちの血を吸う。そのせいで死んだ人間は数多い。吸血鬼という存在は……いや、妖怪という存在は、人間にとって害悪だ。それ故に殺す」

 「……!」

 「言いたい事はそれだけか? ならばここで、死ね!」

 地を蹴りこちらに向かってくるエクソシストたちに、私は言う。

 「私とお姉様に、近づくな」

 地面にヒビが入り、その範囲は拡大していく。だけど私とお姉様には影響が無い。

 「な、なんだコレは……!」

 「話すつもりは無い。……ここで、死ね」

 先程エクソシストが言っていた言葉をそっくりそのまま返す。

 次の一瞬で――敵の姿は、存在すら残さず消え去った。

 

 

 

 

 

 あのあとお姉様はすぐに目を覚まし、妖力を用いて傷を塞いだ。

 でも、私の方に深刻な問題があった。

 「力が……収まらない……!」

 「フラン、気をしっかりともって! 力を集中させて、ゆっくりと消していくの!」

 「さっきからやってるけど……全然、できない……」

 それどころか、内側からどんどん溢れて来て、止める事が不可能に近い。

 ……体が、熱い。焼けちゃう、かも。

 「ハァッ、ハァッ……お姉様、熱い。熱いの……内側から燃え尽きててしまいそう」

 体がどんどん熱くなり、それに比例して周囲に漏れる力も酷くなっていく。

 お姉様は逡巡するように目を閉じて。しばらくして、唇を噛み締め、切った。

 「フラン、今から言う事をよく聞いて」

 「何……お姉様……」

 「私は貴方を、地下牢に入れる」

 「どうして……!?」

 「腹ただしい事に、お父様は貴方の力を一時的に封じる術を持っていたの。それがあの地下牢にあって……あの地下牢に行けば、貴方の力は一時的に収まる。でも、それがいつまで保つかわからないし、何より貴方自身がその力を操れなければ、一生出せなくなってしまう」

 「一生? それって……」

 「ごめんなさい。だけど、今の私にはこれしかないの。恨んでくれて構わないわ。私は貴方にそれだけの業を背負わせるのだから」

 霞んだ視界で、お姉様の目の縁に雫が溜まっているのが見え、そして私の意識は闇に沈んだ。

 

 

 

 

 

 次に目が覚めた時、既に私は暗い場所にいた。

 あの地下牢だ。また私は……ここで、独りになった。

 「ここでって、何? 私はお父様に連れられて……それで」

 わからない。どこかおかしいような気がするけど、記憶が無い以上、何も無いのだろう。

 「……私はいつまでここにいればいいんだろう」

 私は暗い場所で独り、目を閉じる。

 数日後、久しぶりに扉が開いた。

 「フラン、体調は大丈夫?」

 「いきなりどうしたの?」

 「え?」

 「私はここから一歩も出てないけど、これでも吸血鬼。病気に何てならないよ?」

 「……そう」

 お姉様は一瞬だけ顔を歪めると、急いで扉から出て行ってしまった。

 

 

 

 

 

 「……そろそろ血を飲まないと、体が耐え切れないかも」

 吸血鬼は、血さえ飲めば人間が摂る食事のほとんどを必要としない。あくまでも味を楽しむ程度の嗜好品だ。だけど血がなければ徐々に衰弱し、死んでしまう。

 そんな時だった。扉が開き、男が部屋に放り込まれたのは。

 小さく悲鳴を漏らし、ガタガタと震えるその男は、人間だった。

 「……誰?」

 「ッヒ!? く、来るな、この化け物!」

 「……!」

 その言葉は、私が今最も聞きたくない言葉だった。

 何の関係も無い赤の他人に化け物扱いされる。それが嫌だった。だけど事実だ。私は人間からすれば、化け物にすぎない。

 ――離れろ、この化け物!

 お父様にも言われた。

 (私は本当に、化け物なのかな……)

 物思いに耽っていると、男がいきなり奇声をあげて私に覆いかぶさり、首を絞めてきた。

 「ァ……なに、を……!?」

 腕に体重をかけられたせいで、振り払う事ができない。

 「お前を殺せば……そうすればここから出られる。そうだ。そうに違いない。だからだからだからだから――」

 男の眼が見える。焦点が定まっていないらしく不自然に揺れていて、もう意識もはっきりとしていないようだった。

 でも、そんな事を気にしている余裕は無かった。

 「離、して……息が、できな……」

 だけど、私の話を聞いてくれるもはずも無い。

 何もしなければこのまま殺される。

 何かをすればこの男は私が殺す事になる。

 悩んでいる暇なんて無かった。一気に男の手にかかる力が強まったからだ。

 「う、おあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 私はよくわかりもしない妖力を使って、下敷きにされていた腕を無理矢理動かす。

 そしてその腕を、男の胸に突き刺した。

 「え……あ……」

 男は呆然としたように胸に突き刺さった私の腕を見て……死んだ。

 人を、殺した。だけど私は何の感慨も抱かず、目の前にあるソレに注目した。

 「コレが……人間の血……」

 私は血を間近に見たのは、コレがはじめてだった。あの時にエクソシストの血を見たけれど、ここまでの至近距離ではなかった。

 男の体を横にズラしてから腕を引き抜き、私の腕を伝っている血を舐める。そして私は、咳き込んでしまった。

 「ゲホッ、ガハッ……あ、味が……濃い……!」

 そう、あまりにも血がの味が濃すぎたのだ。

 今まで私は血を直接飲んだ事は無かった。お父様が、生まれた直後から血を飲むと味が濃すぎて飲めないと知っていたからだ。

 吸血鬼としては致命的だが、基本的に吸血鬼はその身体能力と特異な弱点を除けば、身体機能は人間とほとんど変わらない。つまり、味覚も人間の子供と同じという事だ。

 だから私とお姉様は、料理に含まれていた血を少しずつ接種する事で生き延びていた。そうすれば血の味に少しずつ慣れてくるからだ。でも今の私には、味を薄める術が無い。そのまま飲むしかなかった。

 「でも……飲まないと……」

 何度も吐きかけながらも、私は血を飲む。

 結局全部飲み干す事はできなかった。飲み終えた後は……ただひたすらに、気持ち悪かった。

 

 

 

 

 

 同じ毎日の繰り返しだった。

 一日中真暗な場所で、何をするでもなくそこに在る。たまに私に血を飲ませるために人間が連れて来られていたが、この人たちと接するのは諦めた。私を騙すためにいい人ぶった人間が裏切ってからは、期待する事すらも。

 「ア、ハは……ハ、ハ」

 もう、笑い方すら忘れてしまった。

 終わりの見えない毎日。

 暗くて、寂しくて……心が痛い。

 一人だけでいい、私を受け入れてくれる人と話したい。一緒に笑って欲しい。手と手を触れ合わせて、温もりを感じたい。

 でもそんなのは絶対に無理だとわかってる。誰も私とまともに話してくれない。私が何もしていなくても、相手は私を化け物だと罵って来るのだから。

 しかも今の私は、人の眼を見れば何を思っているのかがわかるようになってきていた。そこまで詳しくはわからないが、それでも私をどう思っているのかくらいはわかる。

 そして、ここに来た人間は全て……私の事を、ただ一人の例外も無く、化け物を見る眼で私を見ていた。そんな事が何十回とあったのだ。私が望む存在なんて、現れないに決まっている。

 「独りには、もう耐えられない」

 狂ってしまえば楽になれる。だから私は意識を殺す。精神(こころ)を壊す――寸前、今まで聞いた事が無い声が私の中で響いた。

 (本当にそんな事をして。貴方はいいの?)

 「誰!?」

 とっさに辺りを見渡す。でも誰の姿も見えない。当然だ。ここには、私しかいないのだから。

 「幻聴……? ハ、はハ……本格的に狂ってきたんだ、私」

 (幻聴じゃなければ聞き間違いでも無いわ。私は、貴方の中にいるのよ)

 「そんな戯言を言わないで! 期待させるような事を言って、私を惑わせないで! 期待したところで、どうしようもないんだから……」

 両耳を手で覆い、小さく丸まって頭を振る。

 私は期待しないと決めたのだ。期待すれば期待するほど、裏切られた時の辛さは、筆舌にし難いほど心が傷つけられるから。

 「私は……私は、もう、二度と……」

 (……なら、期待しないでいいわ)

 「……え?」

 (私は今から、独り言を言い続ける。それを貴方が聞いてしまってもただの偶然、それ以上でもそれ以下でも無いわ)

 「ちょっと待って! 一体何を……?」

 私の困惑を無視して、訳の分からない声は様々な事を話し続ける。

 人間たちが子供に聞かせる童話に、少し難しい摩訶不思議な物語。それとこの世界のところどころに存在する、心に響くような景色のお話。その他にも色々な事を聞いた。

 はじめは聞くつもりなんて無かった。でも、気付けば彼女のお話に引き込まれ、いつしかお話をせがむまでになっていた。

 「ねえ、次のお話! 次のお話を聞かせて!」

 (コレはあくまで独り言よ。だからいつ話すかは私が決めるわ)

 「いじわる……」

 私が頬を膨らませても、彼女は何も言わない。だったらと、私は話を変えた。

 「それじゃあ、そろそろ聞かせてよ。貴方のお名前は?」

 (……私に名前なんて、無いわ)

 「またそれ……」

 彼女は決して名前を教えてくれない。もう百年以上いるはずなのに、だ。だけど私はあ、と思い直す。

 (もしかして名乗らないんじゃなくて、名乗れないの?)

 それならと、私はこう言った。

 「だったら、私が貴方の名前を決める!」

 (え? 貴方が、私の名前を?)

 「そう! 貴方の名前は……『ナニカ』!」

 (適当な名前ねぇ……それの由来は?)

 「私は貴方が『何か』知らないから!」

 (……ハァ……)

 呆れが多分に混じった溜息を吐く『ナニカ』。

 (仕方ないわね。もうそれでいいわよ)

 「うん!」

 そんなように、私の日々は過ぎて行く。

 『ナニカ』がいたから私は狂わずにすんだ。だけど『ナニカ』は見えないし、触れない。少しずつ、でも確実に私の中の寂しさは蓄積されていく。

 私の中にあるこの寂しさが消えるのは、これから数百年後になって私の元に現れる、白い少年が来た時だ。

 それまで私は、『ナニカ』とともに在り続ける――。




前回でも書きましたが、ストック切れたのと、テスト間近ついでに提出物間近なので一旦休載させていただきます。提出物出さないと単位1貰って退学なので……。
次話はいつ出すかわかりませんが、8月の始まる前後に出すつもりです。


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それぞれの出会い
Side???/もう一人のイレギュラー Sideシオン/道中で


気付いたら12時を過ぎていた!
1か月ぶりなので時間を見ていなかった・・・・

前半部分はいきなりすぎますがご了承くださいw


 シオンが紅魔館を去ると同時に、別の世界でもとある出来事が起こっていた。

 絢爛豪華な装飾品で彩られている廊下を、豪奢なドレスを纏う少女が歩く。

 少女の年齢は九歳ほど、と言ったところか。だが幼い少女にも関わらずその身には張りつめられた雰囲気を纏っている。だが別に少女の外見や性格が尖っているわけではない。むしろ全く正反対だった。

 外見としては流麗な黄金の髪を背中に流している。余程丁寧に扱われているのだろう、枝毛などは一切無い。表情は険しくなっているが、それでも可憐な花を連想させるものだ。瞳の色はこちらの思惑を見抜くかのような翡翠だった。

 性格は完璧、というのが周囲の評価だ。少女の身分であればどんな事をしようと大抵の事は許される。だが少女は他者を思いやる優しさを持ち、争いを好まない。些細な事でも気にしてしまうため兄弟姉妹の間でも喧嘩をしない、要は自己主張を余りしない点を除けば完璧だろう。

 しかしそれらの評価を全て打ち消してしまうほどに、少女には欠点があった。他の国、文化であれば欠点とすら言えない欠点。いやむしろ、少女が生まれた国であってもこのような扱いを受けるのは筋違いだ。

 少女の周囲にいる身近な人々は少女を思っている。どんな事をしても届かない思いを。

 廊下を歩いていた少女は、遂に頭を振る。頭につけられていたアクセサリーが落ち、髪がバラバラに乱れてしまうが、気にもならなかった。

 (どうして、なんで私は上手くならないの!? これだけ練習してるのに! こんなにも頑張っているのに!)

 少女はその欠点を知ると、自らの身分故に受けさせられる教育をきちんとこなしながら、その欠点を改善しようと努力した。努力し続けた。それこそ、四歳の時から毎日かかさず、だ。

 それでもその想いは届かない。そもそもとしてその練習方法が合っているのかどうかもわからないのだ。だが流石におかしいのはわかる。初歩の初歩、基礎の基礎すらできないのだから。

 (私には……才能が、無――ううん、そんなはずない! もしそれを認めてしまったら、私はもう、この場所にはいられなくなる……!)

 そんな事は無いと皆が口々に言うが、少女にはもう何が正しくて、何が正しくないのかがわからなくなっていた。

 「普通でもいい……普通だったら、こんな事思わなくてすんだのに」

 「何が普通だったらよかったのでしょうか?」

 「え!?」

 焦りながら振り返った少女の眼に映ったのは、自身とそう変わらない背丈をもつ少女だった。

 「メリー、ね」

 「ええ、そうですが」

 メリーと呼ばれた少女は端的に言う。このクールな少女を一言で言い表すならば、生真面目、だろうか。

 名はアルメリア・フィレス・サンチェルトと言う。メリーは少女や近しい人々が言う愛称のようなものだ。

 髪と瞳は濃い藍色をしていて、髪を三つ編みにしている。可愛いというより凛々しい顔をしているため、もしメガネを付ければ、それだけでもう取りつく島も無い、という感覚を与えてくる。

 ベクトルは違うが、少女とほぼ同等の美少女だった。

 「それで、ここで何を?」

 メリーは敬語を使っているが、身分的には少女の一段下程度の差しかない。単に彼女が外見通りに生真面目なだけだ。

 「……敬語はいらないのに」

 「どこで誰が聞いているのかもわからないのに、そんな事はできません」

 笑顔すら浮かべないメリーに、少女は諦めたように溜息を吐く。何時もの事だ。メリーは何を言おうと、二人っきりだとわからなければ敬語を外さない。まあ、最近は敬語を外す事自体が稀になってしまっているのだが。

 少女は思い返す。昔は身分の差も無く、平民の娘のように遊んでいたのを。それを寂しく思いながら、少女は言う。

 「私は自分の部屋に戻るところなんだけど、メリーも来る?」

 「お供させていただきます」

 「ハァ……」

 本当に、昔が懐かしい、そう思う少女だが、幼馴染だからこそわかってしまう。メリーは見た目通りに頑固さは筋金入りだということが。

 「……何か、失礼な事を思ってはおりませんか?」

 「気のせいだと思うけど」

 勘の良さも筋金入りだった。

 二人は少女の部屋へと入る。その部屋には、少女の身分には不相応に物が少なかった。

 「相変わらず物が少ないですね」

 「私としては、なんで偉い人間ほど自分を着飾ろうとするのがわからないわね。実用性が高い方が結果として時間を食わずにすむのよ?」

 「偉い人間は身分の良さを示すために自身を着飾って……」

 「その説明は何度も聞いたから、言わなくてもいいわ。要は自分の浅ましさを隠して、自分を大きくみせるための虚飾でしょ」

 「……まあ、間違ってはいませんが、決して人目に付くところでは言わないでくださいね。余計な敵を作りたくは無いでしょう?」

 「……今更敵が増えても、気にもならないわよ」

 少女の言う通り、少女には敵が多かった。

 二年程前、少女は愚かにも人目に付き易い場所でいつもの練習をしてしまった。そして、バレてしまったのだ。あの欠点を。

 それからは今までとは一転して周囲の反応が変わった。蔑まれ、見下されるだけならばまだマシな方。同年代の少年少女は、その欠点だけを理由に仲間外れにし、いじめと言うには度が過ぎている事をやったのだ。

 しかし少女は諦めなかった。どれだけみじめであろうと、ただ努力し続けた。

 だがその努力に、結果は出なかった。

 「王女様……」

 顔を歪ませるメリー。

 そう、少女はこの世界にある一つの国の王族だった。

 そしてこの世界には、少女が蔑まれてしまう特殊な事情がある。

 この世界は、その国によってそれぞれ特化したモノがあるのだ。

 ある国は圧倒的な身体能力。ある国は四肢の欠損などでなければどんな傷をも癒す回復魔法。またある国ではどんな物でも作り上げる稀代の天才。それぞれに特化してはいるが、ある一つの共通点が存在する。

 それが『王族やそれに近しい者ほどその才能が突出している』事だ。もちろん例外的に一般市民からも突き抜けた才能を持つが、王族は『絶対に』その才能を持って生まれる。

 少女はそんな王族に生まれた。致命的な欠陥を持って。

 「私は、どれだけ練習しても魔法が使えない」

 そう、王族であるのにも関わらず、この国特有の『攻撃魔法に特化している者が多い』というモノから外れてしまっている。

 魔法にはいくつかの区分が存在する。

 大別して自然、神聖、精霊の三つの魔法だ。

 自然魔法は以て字の如く自然の中に存在する現象をある程度操作するものだ。例えば火の類の魔法が使いたい時は、火種が無ければ扱えない。端的に言えば、火種を増大させるためのガソリンが魔力だと考えればそれでいいだろう。

 神聖魔法は回復の力を司る。コレを使うためには神を信仰している者ほど強力になっていく。つまりその宗教の中で最も信仰しているだろう教皇などがその力を最も引き出せる。

 最後に精霊魔法。コレは自然魔法とあまり差は無いのだが、精霊の力を使う事で媒介となる物が必要無くなり、更に魔法の威力が増すなどといったものがある。もちろん精霊に好かれなければ精霊魔法は使えない。だが精霊に好かれる人間など滅多にいない。希少性で言えばどの魔法使いよりも圧倒的に上だ。

 そしてこれらの魔法だが、『全ての魔法を使う事は不可能』である。

 自然魔法は、神が作り上げた世界を魔力でもって無理矢理改変するものである。故に神聖魔法は使えないと思われている。

 神聖魔法はあくまで『その現象の効果を限界まで引き上げる』だけであって、それ以上の効果は生み出さない。例えば神聖魔法の一つである回復魔法の類は細胞を活性化させて傷口を塞いでいく速度を速めるだけであって、失った手足を治すほどの効力は生み出せない。

 精霊魔法も自然魔法と似たようなモノであるが、精霊の力のみ、つまりは単一の属性だけを使っているのであれば例外として神聖魔法を使える。自然そのものではなく、精霊という媒介を用いているから可能なのだろう。

 もちろんその精霊に備わっていない、別属性の自然魔法を使えば神聖魔法は使えなくなる。

 厳密的に言えばもっと理由があるのだが、民間人にも理解されている範囲ではこのような感じだった。

 だが王女は王族であるのにも関わらず自然魔法は使えず、自然魔法を扱う一族なのだから当然神聖魔法は使えず、精霊に好かれているわけでも無いから精霊魔法は使えない。

 つまり少女は、どう足掻いても魔法が使えない。

 何かしらの……そう、基礎の基礎の魔法でも使えれば話は別だろう。発動できあるのであれば何故魔法が使えないのか、それを調べるための足掛かりにできる。だがそれすら何度やっても発動できない。

 発動できないからその過程が見られず、過程が無いから結果など出るはずもない。

 基礎しか使えないものでも『魔法は使える』。つまり最底辺であっても、スタートラインには立てているのだ。しかし少女は、『スタートラインに立つ事すらできない』。

 膨大な魔力を持っているのは、親や兄、姉から聞いてわかっているのだが、使えなければ宝の持ち腐れだ。

 「私は……できそこないなのよ」

 俯き、手を握り締めるその姿から、どれだけ苦悩しているのかがわかる。

 どれだけ努力しても意味が無い。手を伸ばしても届かない。四歳の時からはじめて、既に五年もの歳月が経っていた。普通であれば、周囲の反応と努力の無意味さから投げ出していてもおかしくはない。

 それでも少女は、努力し続けた。

 「魔法が使えなかったら……私は、ここにいる意味さえ無くなってしまうの」

 それが恐ろしかった。このまま魔法が使えずに生きていって、いずれは『存在していない』ように扱われるのが、何よりも怖かった。

 その言葉に慌てたのはメリーだ。どれだけクールを装っていても、幼い時からの親友をこのままにしているはずがない。中身は意外と情に溢れているのだ。

 「そんな事ありません! 他の方々がどのような扱いをしようと、私と王女様が親友であるのには変わりな――」

 「だったらどうしてそんな言葉遣いなのよ! 二人っきりになってもそう! 昔は王族公爵の差なんて関係なしに私を外に連れてって泥だらけになるまで遊んでたのに!」

 メリーは公爵の娘だった。だが公爵が王族付の侍女になる例は、この世界には余り無い。娘の教育のため、と言った理由でも無い限り、当時六歳の子供を侍女に出すはずが無いのだ。

 他の王族ならいざ知らず、同い年の親友の侍女であればメリーは嫌がるはずも無く、即座に決定された。

 だが王族とその侍女。外聞を気にするのであれば、やはり言葉遣いや仕草は相応のモノにしなければならない。それこそが、王女とメリー、二人の溝を広げる事になったのだが。

 「どうせメリーも皆と同じなのよ! 魔法が使えないと知って、私から離れたくなったのでしょう!? ならさっさとどこかに行っちゃえばいい! 貴方を、私の侍女から解任するわ!」

 「そ、そんな……! どうか考え直してください!」

 「うるさい! 貴方の話なんて何も聞きたくない!」

 「待って下さい! 私の話を聞いて、ア――」

 「出て行って!」

 「え!?」

 メリーの後ろにある扉を指差し、すぐにここから退出しろと命じる王女。王女の侍女であるメリーは本来それに従うべきなのだろうが、今の王女を放っておけるはずが無かった。

 「落ち着いてください! 今の貴方は興奮して――」

 「黙りなさい! 貴方なんかに私の気持ちがわかるはずがない! お父様とお母様、お兄様とお姉様方王族を除けば、この国一番の魔法の使い手である貴方なんかに!」

 「…………………………」

 そう、『王族やそれに近しい者ほど才能が突出している』のであれば、王族の次に権力を持っている公爵家の人間も、相応の才能を持っている。九歳という年で、この国で最高の魔法の使い手になれるほどには。

 メリーでは、彼女の力になれない。それを痛感させられた。

 「……それでは、失礼します」

 背を向けてしまった親友に向けて礼をしたメリーは、静かに部屋を出て行った。

 王女はパタンと扉が閉まる音を聞く。それからフラフラと移動し、自らが眠るベッドの上に俯せで倒れ込んだ。

 受け身すら取らなかったため、少しだけ顔が痛かった。

 「……ッ」

 同時に、両腕に激痛が走る。

 その痛みを我慢して、服の袖をめくる。そこには、少女の清らかな肌には似合わぬ、大小様々な切り傷ができていた。

 先程まで必死に我慢していたが、この少女は『魔法を扱うため』に、自身の血などを媒介にして魔法を発動させようとしていたのだ。結局、無駄だったが。

 「でも……」

 だけど何より、心が痛かった。

 思わず、乾いた笑い声が漏れる。無機質な、何の感情も籠っていないような笑い声。

 「……私の、バカ。たった一人の親友に、あんな言葉をかけるなんて。こんなんじゃ、王族以前に人として失格ね」

 王族の娘と言っても、やはり人間。わかっているのだ。自分がメリーにしたのは、筋違いもいいろところの、ただの『八つ当たり』だということは。

 だけど我慢できなかった。誰かから心配され、同情される。時と場合によるだろうが、それはつまり『見下されている』のと同義なのだ。自分よりも力が無いから心配だし、どれだけ努力しようと自分と同じ才能が無いからと同情される。それが耐えられなかった。

 もちろんメリーにそんなつもりが無い事などわかっている。だが、本当にそうなのだろうか。心の中では自分を嘲笑っているのでは、見下しているのではと一度でも思ってしまうと……不安が抑えきれなかった。

 「だからメリーを怒鳴ってしまった。……まるで、子供の癇癪ね」

 こう言ってはいるが、王女もメリーも九歳の子供なのだ。むしろ当然だ。しかし王族と公爵に連なる者としてかなり高度な英才教育を受けてきた二人は、そこらの大人顔負けの知識と精神を有している。

 しかし、大人であろうと人間関係には敏感な者は多いし、不安になる事だってある。

 そもそもこの少女は何年もの間、様々な人間から害されてきたのだ。ここまで我慢し続けて来れた事、それこそが少女の強さを何よりも物語っている。

 「……メリーに、謝りに行きましょう」

 少女はベッドから下りて、足を床に着ける。目元が赤くなっていたが、少しだけ泣いていたのだろう。

 それでも少女は一歩前に踏み出し――その足が、地面にめりこんだ。

 「な――!?」

 もし少女が魔法を使えたのであれば脱出できたかもしれない。しかしそれは『もし』の可能性である。魔法が使えない少女は、突如出現した穴の中に落ちるしかない。

 「待って、私はまだ、メリーに謝って――!」

 無機物の穴が言葉を聞いてくれるはずがない。だが無駄とわかっていても、少女は叫ぶ。

 そして、少女の体は完全に穴の中に落ちた。

 「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッッッッッ!!!」

 どこから絞り出したのか全くわからない叫び声をあげる少女。落下する恐怖の中、徐々に冷静になってきた頭で思考する。

 (私の、たった一人の親友に、もう会えないかもしれないなんて――)

 おそらく、この穴を通り抜ければ、最悪の出来事が待っているかもしれない。底辺にまで落ち切った少女は、もう楽観論を考えられるような余裕は無かった。

 「……喧嘩別れしたままなんて、嫌……」

 この高さから頭を下にして落ちている今、最悪頭が地面に落ちたザクロのような状態になっても不思議ではない。つまり、少女に待っているのは、死、だけだ。

 「ごめんなさい、メリー。ごめんなさい、お父様、お母様、お兄様、お姉様……」

 ずっと自分を、本気で心配してくれていた大切な人に謝る。もう会えないからこそ、ようやく少女は素直になれた。

 閉じた瞼から、小さな雫が漏れ、少女が落ちた後の軌跡として残っていく。

 それから数十秒も経たず、少女はどこか木々? に囲まれた場所に落ちた。どうやらその木に似た何かはそこそこの長さらしく、落ちるまでは数秒かかりそうだ。

 と、その時。真下から声が聞こえた。

 「空から人!? ど、どうすれば――」

 少女が顔を上に向けると、慌てたように荷物を置く少女? の姿が見えた。

 「何をやって――! 避けてください! このままではぶつかってしまいます!!」

 しかし荷物を置いた少女は、なんと両手を大きく広げていた。まるで、これから落ちてくる少女を受け止めるかのように。

 少女はもう一度叫ぼうとしたが、もう間に合わない。ぶつかる――!

 そう思ってきつく目を閉じたが、しかし予想に反してぶつかった痛みは少なかった。だがすぐにドサリ、という音が耳に入り、恐る恐る目を開けると、そこにはイタタ……と呟く、自らを受け止めたのであろう少女? がいた。

 「一体何が……」

 訳が分からず呆然と呟く少女。あの高所から落ちてきた人一人の人間を受け止めきるなど、正気の沙汰では無い。けれど事実、少女はほぼ無傷で受け止めていた。

 未だ痛みが治まらないのか、受け止めた少女は顔を顰めていた。

 しばらくして薄く目を開けた少女は、開口一番でこう言った。

 「あの……申し訳ありませんが、そろそろ降りてくれないでしょうか」

 その言葉を聞いた少女はハッとする。いくら自身が九歳とはいえ、いつまでも上に乗っかり続けていれば負担は大きいだろう。

 いそいそと上から退いて立ち上がった少女の姿を確認すると、少女? は立ち上がる。

 真正面から少女? の姿を見るが、少々おかしな恰好をしている。

 別にブサイクな訳ではない。むしろかなりの美少女だ。足元にまで届きそうな薄紫色の髪をしていて、紅の瞳を持っている。服装は少女が見た事が一度も無いものだ。少女は知らないが、少女? が着ているのはブレザーと呼ばれる、学校から指定された制服的な衣装だ。

 しかし何より目を引くのは、頭の上にある『モノ』だ。少女が目の前の人を少女? だと思っているのも、それが原因だった。

 少女? の頭の上にあったのは、なんと『うさみみ』だった。多少よれてはいるが、少女? が動かしているのか、時折ピコピコと動いている。

 紅い瞳と合わせると、本物のウサギを連想させる。

 わからない。目の前の少女? が何なのか、さっぱりわからない。

 「あの、貴女の名前は……?」

 何をするにしても、まずは名前を知らなければ始まらない。それは目の前の少女? も思った事なのか、あっさりと答えてくれた。

 「私の名前は鈴仙。鈴仙・優曇華院・イナバです。長いので鈴仙で構いません」

 言い終えると、今度は鈴仙と言う少女が、貴女の名前は? と問い返してきた。

 「私は――」

 コレは、少女の人生を決定的に変える出来事の始まりだった。

 

 

 

 

 

 シオンは、目を覚ます。

 同時にヌチャリと、いつも感じる嫌な感触を自覚する。

 それを気にせず、背を預けていた木から離れ、周囲を確認した。

 そこには、化け物がいた。しかも一体や二体ではない。()()()()()も含めて、おそらくは数十体ほど。

 だが化け物は動かない。手足を切り落とされ動けない、あるいは絶命し、血を撒き散らしたモノがだけが、そこにあった。

 「………………………………」

 その惨状に、しかしシオンは眉一つ動かさない。

 「また、か」

 そう、シオンにとってこの風景は、至極当たり前の事だった。いつもそうだったせいだ。周りに人がいて、そこで自分が眠ると、何故かいつも狙われる。だから、自分が殺されないように即座に跳ね起き、相手を殺すしかなかった。

 おそらくは自身の外見のせいだ。あの圧倒的なパワーをどこから出すのか想像もできない細く小さな体躯。少女のような美しい外見。どれをとっても、他者から見ればいい鴨でしかない。

 まあ、妖怪にとっては『人間かそうじゃないか』が判断基準なのだろうが。

 とにもかくにも、そんな事ばかりあったせいか、シオンは眠る時にはいつも黒陽を剣の形にして肩から足元にかけて、つまりは斜めにしておき、体育座りのような体勢で眠るようになっていた。しかも第三者のせいで眠りから覚めないように、眠ったまま戦える事ができるようにもなってしまった。

 本来であればシオンの体勢は即座に動けるようにしたものだ。知る人が見れば、昔日本に存在していた武士が寝る時のような姿勢だと言うだろう。そんな体勢だった。

 シオンが周囲を見渡すと、動かせない体を無理矢理動かそうとする化け物――理性すらもたない妖怪が目に見える。

 更に奥には、こちらの様子を窺う妖怪たちも見える。シオンはそいつらに見せつけるように腕をあげ、魔法で槍を作って手足を切り落とされてもまだ生きていた妖怪たちを全員殺す。

 今度こそ絶命した妖怪たちは、跡形も無く消え去った。シオン顔や髪、のローブに付着していた血すらも。

 それを確認した妖怪たちは、この場から去って行った。

 「妖怪は噂によって作られる……か」

 妖怪が消え去る光景を見たシオンは、なんとなく呟いた。

 妖怪は噂によってその存在を作られる、コレを聞いたのは、咲夜からだった。

 咲夜曰く、「妖怪は死ぬとき、その存在の痕跡すら残さずに消える」のだそうだ。

 (……もしフランやレミリア、美鈴が死んだら……こうなるのか?)

 その考えにゾクリと背筋が泡立った。

 「……ッ!」

 怖ろしい、そう思った。だが、とシオンは思う。

 (フランたちは強い。そう簡単には死なない)

 けれど、この世界には絶対などという言葉は存在しない。そしてシオンは――パン、と一度頬を叩いた。

 「弱気になってもどうにもならない。それに人の心配をしている場合でも無い」

 そう、シオンが紅魔館を出てから、既に両手で数えられる以上に襲われていた。

 コレにはいくつか理由がある。まずシオンの足ならば本来は一日もあれば辿り着けるであろう里に着いていなかった事だ。

 何故シオンが一日で着けなかったのかというと、単に歩いて移動していたからだ。

 シオンは、見てみたかったのだ。あの場所の廃りきった自然ではなく、この幻想郷にある美しい景色を。

 そのおかげで、色々な光景が見れた。

 鮮やかな木々から香る緑の匂いを。枝から生えた葉の間から射す木漏れ日を。小さいながらも綺麗な川から聞こえる水のせせらぎを。そして上を見上げれば今も見える、青い空を。

 どれもこれも、シオンが居た場所では見れなかったものだ。だから歩きたかった。歩いて、里に行きたかった。

 だが、十回以上も命を狙われれば、流石のシオンもヤバイとは思う。

 一つ溜息を吐いたシオンは、咲夜からもらったお弁当を食べる。

 本来ならば一日分の食糧なのだが、そこは節約した。

 もう冷めているし、味も劣化している。それに少し硬くなっている。それでもシオンは、それを美味しいと思いながら、全て食べ尽くした。

 立ち上がり、一つ伸びをする。

 そして一歩進もうとして、目を見開いた。

 「――なッ!?」

 咄嗟にしゃがんだシオンの頭の上を、黒い球体が飛び越した。もししゃがまなければ、シオンの頭が吹き飛ばされていただろう。

 「なんだアレは……!?」

 黒い球体が飛んで行った方向を見ながらバックステップする。いつまた飛んできても、すぐに反応できるように。

 だがそれは徒労に終わる。今度は闇が周囲を浸食し始めたからだ。

 全ての感覚が、消える。

 見えない、聞こえない、においもしない。地面を踏みしめる感触すらない。

 まるで――この闇に、全てを飲み込まれたかのようだ。

 「……クソッ。まず確認できるのは――」

 それでもなんとか冷静さを保ったシオンは、まず横に手を伸ばす。

 「触った感触は無し。でもそこにはある、か」

 闇が浸食する前、シオンの横には木があった。もし手を伸ばして木があれば、感覚が無くなっただけだと判断できる。無ければ、ここは先程いた場所とは別の空間だとわかる。

 結果は前者。それなら、まだできる事はある!

 「ここで戦っても勝ち目は薄い。なら、逃げる!」

 闇の中心部から逃げ出そうと、シオンは全速力で逃げる。途中にあった木々を右に左にステップして避ける。まるでどこに何があるのかが全てわかっているかのような走り方だが、事実全てわかっていた。

 シオンにはかなりの距離を見渡せる視力の良さと完全記憶能力がある。それを使って幻想郷の地形を覚えようと適当に飛んでいた時があったのだ。だから細かな配置すら覚えられた。

 「備えあれば憂いなしって言葉を紅魔館の本で見たけど、本当だな」

 このままなら逃げられそうだ――そう思ったシオンだが、一つ失念していた事がある。

 それは『この世界の常識はシオンの常識とはかけ離れている』事だ。

 だから最後まで気付けなかった。この闇によって混乱してしまった妖精たちによって、『木々と地面の配置が微妙にズラされていた』事に。

 そのせいでシオンは、レミリアから『絶対に行ってはいけないと言われた場所』に、辿り着いてしまった。

 そしてシオンは闇から抜け、そして――『幻想』のような光景を見た。

 

 

 

 

 

 一方、あの黒い球体の中にいた一人の妖怪が、アタタ、と頭を押さえていた。

 「あ~もう、あの速度で飛ぶのはいいけど、まさか封印が解けるとは……それに、結局あの人間には逃げられちゃったし」

 本末転倒にもほどがあるわ、と一つこぼし、横に落ちていた。赤いリボンを手に取った。

 少女の外見は、十代中盤くらいだった。肩にかかるかどうかという髪は黄色。瞳はシオンやレミリアと同じく赤い。服装は周囲の闇に紛れるかのような黒色だ。

 だがどこか近寄りがたい雰囲気を纏っている。不用意に近付けば、食われる。そんな感覚を与えてくる。

 「久しぶりに面白そうな人間と会えたんだけどなぁ。私の闇の中でも普通に動けてたし」

 少女の闇は、彼女の気分によって力の大きさを変える。通常ならば松明の火すら消す程度の魔法の闇だが、強力なモノになると周囲全てを遮断する闇となる。

 そんな状況では、闇の力を持つこの少女以外は動けないはずなのだが……あの人間は、当然のように動いていた。

 「いつか会ったら、殺し合いましょう?」

 聞こえるはずは無いのだが、少女は勝手にそう約束した。

 手に持ったリボンを、髪に巻き付けながら、少女は思う。

 (バカになった私じゃ貴方には勝てない。だから、バカで幼いルーミアじゃなく、少女のルーミアで貴方と戦ってあげるわ)

 そうして、闇を纏った少女、ルーミアは幼い童の姿となり、その場から消えた。




えぇ、前半読んで「は? なにコレ?」と疑問に思った方はいると思います。
なぜこうなったかというと……
私、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()
本来であれば世界観もキャラクターも何もかも自分で考えたオリジナル作品を作ろうとしてたんですよ。
で、実際に書いてたのが中三の夏。そしてそれなりの話数を書いた所で……

PCぶっ壊れ→HDのデータ消滅

……モチベが一気に無くなりました。
一応思い出せる所は書いたんですが、まあ、そこで終わりました。
小説書いてる方ならわかると思います! 一生懸命書いたのに全部無意味と化したあの悲しさが!!
けどまあしばらくして「やっぱり何か書きたいなぁ」とか思いまして。
それで「なら主人公はそのままに、何かの二次創作に組み込んでみよう!」とか考えて、その結果東方の二次創作にしよう、となったのです。
ちなみに前半部分の少女はそのオリジナル作品のヒロインです。
彼女がこの世界に来た理由もちゃんと思いついております。偶然だけど必然なのですw

ルーミアに関しては二次設定を使わせていただきました。
理由としては、彼女の能力で無いとシオンを『あの場所』に連れて行く理由が思いつかなかったからです……


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Side???→アリス/この世界での

気付いたらまた12時を過ぎていました・・・・!
夏休み入ってから時間を気にしなくなっていたのが仇になっています・・・・


 鈴仙は体に付着した土や葉を払うために背中をはたく。だがどうしても手が届かない場所と髪だけはどうしようもなく、仕方なく頼む事にした。

 「すいませんアリス。汚れを払ってはいただけませんか?」

 「あ、はい!」

 アリスと呼ばれた少女――アリス・ラント・トレスフィア=セフィラトは鈴仙の後ろに回り、その綺麗な髪に付着した物を、髪を傷めないように気を付けて拭い取る。ついでとばかりに服の汚れも払った。

 それらの作業が終わると、鈴仙がお礼を言ってきた。

 「ありがとうございます。それで、アリスはなぜ空から振って来たのでしょうか?」

 少し首を傾げて問う鈴仙。彼女は少しどころでは無く、多聞に知りたかった。普通に空を飛んでいる最中に制御を誤って空から落ちて来たのであれば気配でわかる。しかし目の前の少女はいきなりその気配を中空から発したのだ。

 まるで――『境界』を超えて世界を渡り歩く、あの妖怪のように。

 「それが、私にもよくわからないのです」

 「わからない……ですか?」

 「はい。私はいきなり穴が開いた地面に落とされて、その終着点があの――」

 空を指差し、自身が落ち、そして出てきたであろう場所を見るアリス。

 「――あの場所、だったのです」

 「……………………」

 それが本当であれば、アリスはまさか――そう考えた鈴仙は、一度頭を振り、思考をとめる。そう言った現象を探るのは、自身が適任ではないと知っていたからだ。

 「アリス。このままここにいても仕方がありませんし、一度師匠たちのいる永遠亭に来てはどうでしょうか? そこでなら、貴女がどうしてこんな場所に着いたのかがわかるかもしれません」

 「そう、ですね。わかりました。鈴仙様に着いていきます」

 「鈴仙……様?」

 「え、あ、はい。命を救ってもらった上に、こうして家に訪れる事を許し、あまつさえ原因を探ってくれると……なのでこう呼んだのですが、ご迷惑でしたか?」

 申し訳なさそうにしているアリスに、鈴仙は少し困った様子で眉を寄せる。

 本当に迷惑だったのかと俯いてしまったアリスに、鈴仙は慌てて声をかけた。

 「ああいえ、違うんですよ! 私は師匠や輝夜様の僕のような存在ですから、様づけで呼ばれるような存在では無いのです。なので、普通に鈴仙とお呼び下さい」

 「……はい、鈴仙」

 少しだけ頬を赤くしたアリスは、そう言った。

 「で、では行きましょう! ここは迷いの竹林と呼ばれる特殊な場所で迷子になり易いので、はぐれないようにしてください」

 「? はい」

 なぜか焦ったように早口で言う鈴仙に訝しむアリス。

 言える訳が無かった。金色の美しい少女の楚々とした姿で頬を赤く染めてお礼を言われたのにドキリとしてしまった事など。

 一つ溜息を吐いて気持ちを切り替えた鈴仙は背筋をピシッと伸ばし、歩き始めた。

 

 

 

 

 

 鈴仙の「敬語は使わなくてもいいですよ」と、アリスの「じゃあ、鈴仙も敬語は使わないで」という返しに鈴仙が「私は生まれた時からこの口調なので……」発言から、しばしの間は特に何の会話も無かったため気まずかった鈴仙だが、どうやらアリスの方はそう思っていなかったらしく、キョロキョロと辺りを見渡していた。

 コレなら話の繋ぎになると思った鈴仙は、思い切って話しかけてみた。

 「あの、先程から何を見ているのですか?」

 「え、ああ。私はこの不思議な木を見ているの」

 「不思議な木……? 竹の事ですか?」

 「はい、その竹、という物を、私は一度も見た事が無くて……どうしても気になっちゃうの」

 「まあ確かに、見た事が無ければ不思議に思いますよね。この竹は確かに木の一種ではあるのですが、時によっては一日で一メートルも成長してしまいます。この場所一帯が斜面になっているのと、竹の急激な成長による影響で、ここは天然の迷路とでも呼ぶべき場所になっています」

 「……つまり、迷ったら出るのは一筋縄ではいかない、と?」

 「はい。それにここには妖怪がいますから、迷いこんでしまった人のほとんどは――」

 そこから先は何も言わなかったが、わかってしまう。殺されてしまう、と。

 だが、一つ気になる事があった。

 「鈴仙、その『ようかい』と言うのは何なの?」

 「え? ああ、そう言えばアリスは外来人ですらないのかもしれませんし、当然の疑問ですか。妖怪と言うのは――」

 アリスは鈴仙からの説明により、この世界の妖怪という立ち位置を理解した。

 「妖怪というのは、一部を除いて私たちの世界の魔の存在と似たようなモノなのね。自らの快楽のために人を害している……」

 その微かな呟きは、しかし鈴仙には聞こえた。

 「まあ、伝承によって作られた妖怪がその通りに行動するのは当然です。貴方たち人間が生きるために食事をするように、妖怪たちが人を襲うのは『当たり前』なのですよ」

 「……じゃあ、鈴仙も人を襲う、の?」

 「いえ、私は妖怪は妖怪ですが兎の妖怪ですから人は襲いません。それに……」

 だが、その言葉の続きは言わなかった。アリスも聞けなかった。鈴仙の表情が辛そうに歪んでいたから。

 「……貴方が兎なら、鈴仙は人を襲わないんだよね!?」

 「え……はい、そうですよ」

 「ならいいの! ね、鈴仙。……私と、お友達になってくれませんか?」

 最後は敬語を使ってしまっていたが、おそらくは緊張のせいだろう。

 実際、アリスの心は不安だった。人と妖怪の違いは、先程の鈴仙の話で理解できた。それらが相容れない存在である事も。それでもアリスは、鈴仙と友達になりたかった。

 この、心優しい兎と。

 しばらく呆然としていた鈴仙だが、無意識に苦笑しながら手を差し出してアリスの手を取り、握手をした。

 「よろしくお願いします、アリス」

 「……! うん、よろしくね鈴仙!」

 アリスはこの世界で初めて、心を許せる友人ができた。

 

 

 

 

 

 また歩き始めた二人だが、ふいにピタリと鈴仙が足を止めた。

 「どうしたの鈴仙?」

 「静かに!」

 か細く、しかししっかりとした声でアリスに言う。そして少し腰を落とした鈴仙は、左腕をアリスの方に庇うようにさせておく。

 まるでアリスを守っているかのような反応に戸惑うが……事実、鈴仙はアリスを守ろうとしていた。

 ピコピコと動く鈴仙の耳が、『その音』を捉えた。

 「アリス、今すぐに目を閉じて耳を塞いでください!」

 「え!?」

 「いいから、早く!」

 「わ、わか――!?」

 だが、その忠告は遅すぎた。

 目を閉じろと言った鈴仙の言葉とは裏腹に目を見開き、()()を凝視するアリス。

 「ひ、と……?」

 今までどこにいたのか、いきなり目の前に姿を現した巨大な妖怪の口から、『人だったモノ』が垣間見えた。

 グチャ、グチャ、という、聞きたくない音が辺りに響く。時折、妖怪の口の端から赤い液体が零れた。

 「ステルス……? いえ、色の変化によって周囲の景色に擬態、ですか。でもここまでの大きさでどうやって……理性の無い下級妖怪では、そこまで複雑な変化はできないはずなのに……」

 鈴仙の頭の中は、この状況でどうやって逃げ出すかしかなかった。

 別に戦っても問題は無い。むしろ負ける要素が無い。……アリスが、いなければ。

 アリスを庇っている状況では、戦えないのだ。

 何とか睨み合う事はできるが、それだけだ。それしかできない。

 しばしこちらを凝視していた妖怪だが、何故か視線を逸らし、どこかに去って行った。

 それでも油断はしない。コレが罠である可能性が高いからだ。

 十分ほど経ち……ようやく鈴仙は、張りつめていた気を緩めた。

 「運が良かったですね……見逃してくれましたか」

 「見逃してくれた? 鈴仙、それはどういう意味なの?」

 「文字通りの意味です。私たちは、あの妖怪の気紛れによって生かされたんです」

 まだ反論しようとするアリスを制し、鈴仙は言う。

 「戦えば十中八九私が勝ちます。ですが、問題があります」

 「……それって、まさか……!」

 同年代の少年少女は違い、かなりの英才教育を受けたアリスは、その問題の内容を把握してしまった。王族である、という事も、理由の一つだろうが。

 「はい。こんな言い方はどうかと思いますが……足でまとい、なのです」

 「……ッ」

 鈴仙は明言しなかったが、わかる。

 アリスは言い返せない。どうしようもない事実だからだ。

 しかし鈴仙とてアリスを無為に傷つけたいわけではない。

 「それに場所も悪すぎました。ここは迷いの竹林。私や『彼女』であればこの場所を完全に把握できていますが、アリスはすぐに迷ってしまいます。その間に別の妖怪に襲われてしまえば、もう助ける事ができません。理性の無い妖怪だからこそできる、この場から離れて倒しきるという行動ができなくなり、かといって近すぎれば戦いの余波による攻撃でアリスが殺されかねない……だから見逃された、と言ったのです」

 「……ねえ、鈴仙」

 「何でしょうか?」

 「あの妖怪に、食われていた、人、は……」

 途切れ途切れに言うアリス。人が食われている光景は、それほどまでにアリスの心に傷を残していた。

 「……残念ながら、運が悪かったとしか言えません。ここに来て迷ってしまう人は何人もいますし、その中にはなんとか無事に帰れた人もいます。最低でも数日は妖怪に会いませんから、その間に逃げ切れる人は多いのですが……ああして、殺されてしまう人も……多いのです」

 右手で左腕をギュッと押さえたアリスに、鈴仙はですが、と続ける。

 「この世界は不条理です。何の脈絡も無く命を奪われる事など当たり前。目の前にある幸せを壊されるのに怯えながら人間は日々を送っています。そして、命を、幸せを奪っている存在の大半は妖怪の手によるものです。それでも」

 鈴仙は迷う。コレを言ってしまっていいのか。あの人間を食べていた妖怪と同じ存在である自分を信じてくれるのか。……それでも、言った。

 「それでも……貴方は、あの妖怪と同じ妖怪である私と、共にいてくれますか?」

 鈴仙は思う。なぜ、こんな事を言えたのか。この勇気が『あの時』もあれば、少しは変わったんじゃないかと……もう過ぎてしまった過去を思う。

 アリスからは何も反応が無い。鈴仙は肩を落とし、それでも無理に浮かべた笑みで告げた。

 「今ならまだ間に合います。先程の『私と友人になる』発言も取り消しましょう。師匠には私から言っておきますので、この世界で最も安全な場所である人里へ送ります。……着いて、きてください」

 アリスの横を通り、そのまま人里へ案内しようとしたところで、アリスが腕を掴んだ。

 「待って! 鈴仙、一つだけ聞かせて。……妖怪は、全てがあんな存在なの?」

 「いいえ。中には人よりも温厚な種族や、嘘を吐かない、約束を必ず守るといった者もいます。あくまで少数ですが……『人よりも信用できる』存在も、います。彼等を裏切るのは、大抵、人間の方ですから」

 「だったら、私は鈴仙を信じる。私を守ろうとしてくれた鈴仙を信じる」

 とっさにアリスの目をみつめる鈴仙。その瞳からは、嘘が見られなかった。

 その気になれば自身の能力で嘘かどうかはわかる。だけど、今だけは、この言葉が嘘かどうか知りたくなかった。

 「……いいのですか? 私だって人間とは違う、化け物の類ですよ?」

 「そんなの気にしてないわ。私は『妖怪である鈴仙』に言ってるんじゃないの。『私の友達の一人である鈴仙』に言ってるんだから!」

 「……アリスは、意外と熱血なんですね。もっと冷静な人だと思っていました」

 思わず茶化す鈴仙だが、そうしなければ堪えきれなかった。『兎は寂しいと死んでしまう』などという俗説があるが、それは妖怪にも適用されるのだろうか。

 そんな事を思い出したが、アリスの目に映っている自分の顔を見てわかってしまう。

 自分がどうしようもなく――嬉しいと思っている事に。

 鈴仙には、対等と呼べる存在はいない。師匠や師匠の主は目上の存在。自分と同じ妖怪の兎ではあるが立場はやはりあちらが上の『彼女』。他の妖怪兎は鈴仙の命令は聞いても喋れない。人間などは始めから論外だ。余程の信頼を得られなければ、妖怪は人間に怖がられて終わる。だから鈴仙には、『友達』がいなかった。

 だけど、今、そのはじめての友達ができた。相手は人間。いずれは年を取っていき、死んでしまう儚い存在。それでも、泣きたいくらいに嬉しかったのだ。

 「本当に、貴方は奇特な人です。初対面の、よく知りもしない妖怪を信じようとするなんて、バカな人ですよ……」

 「じゃあ、その初対面でバカな人を助けた鈴仙は、もっとバカな妖怪よね?」

 不敵に返すアリスに、鈴仙は何も言えなかった。

 

 

 

 

 

 頭についた長いうさみみで俯いた顔を上手く隠していた鈴仙は顔を上げる。

 その瞳は最初に見た時よりも赤くなっているが、アリスは何も言わなかった。

 鈴仙が何を思い、どう感じていたのか。それを理解できるほど、アリスは鈴仙を知らない。それなのに下手な事は言えないと思ったのだ。

 私がどう思っていたのか知ってもいないのに! と、相手の気持ちを考えずに自分の事ばかりを考えていた自分が、何かを言えるはずが無いのだ。

 そう、人の言葉は無責任だ。慰めも、アドバイスも、何もかもがしょせんは自分には関係の無い事だからこそ言える。当事者にならなければ、勝手な事だけしか言わない。

 だからアリスは、『言葉』というものの意味を考える。

 答えは出ない。それの意味など、まだわからないからだ。

 それでも、アリスは言った。

 「鈴仙、私ね。元居た場所じゃ、友達が一人しかいなかったの」

 「え……一人、だけ? 貴方のような人が、一人しか友達が居なかったのですか?」

 意外、としか思えなかった。この、妙に人を惹き付ける何かを持った少女が、たった一人だけしか?

 瞠目する鈴仙に、アリスは悲しげに笑った。

 「そうよ。他の人は、皆私を仲間外れにしたの。それどころか、いじめもしてきたわ。だけど、そのたった一人の友達だけが庇ってくれたの」

 「そう、なのですか」

 「うん」

 悲しそうに言うアリスに、鈴仙は何も返せない。

 鈴仙は一人の妖怪からいじめられはするが、それはしょせん戯れのような何かでしかない。

 友達がいない鈴仙と、一人の友達以外からはいじめられ続けたアリス。

 どちらがいいかなど一概には言えない。どちらも相応に辛い事があったのだから。

 「だからね、私は貴方を信じたいの。……もう、友達にあんなバカな事は言いたくないから。今度こそ、最後まで信じていたいから」

 「……? アリス、その言い方では、まるで……」

 「……そう、そのたった一人の友達に、酷い事を言っちゃった。今は後悔してる。だって、私はもうメリーに謝れないから」

 どうしようもない不幸な現象。回避する事はできたかもしれないが、結果は出てしまっている。

 そしてこの場所に落ちてしまい、もう二度と戻れないかもしれない。アリスはそれを理解しているのだろう。

 ――もう、大切な人に会えない。

 それはどれほど辛い事だろうか。どれほど悲しく、苦しいのだろうか。泣き叫びたいだろう。こんな現実から目を逸らしたいだろう。

 それでもアリスは前を見ている。

 強い、と。鈴仙は、素直にそう思った。

 人間は脆く弱いが、同時にとてつもない強さを得られると師が言っていたのは、この事なのだろうか。

 気付けば、口から言葉が溢れていた。

 「もう謝れないなんて事はありません」

 「鈴仙?」

 「私には何もできませんが、私の師匠は『天才』なのですよ。師匠であれば、アリスを元居た場所に戻す事ができるはずです。だから諦めないでください。その友達と、また出会う事を」

 鈴仙の言葉は無責任だ。自分には何もできない。人任せ。だけど戻す事はできるはず。だから諦めるな。要約するとこういう事だ。

 それでもアリスは、この無責任な言葉を信じた。

 どうしてなのかはわからない。他者の言葉などに一切耳を貸してこなかった自分が、なぜ鈴仙の言葉は素直に聞けるのか。

 アリスは気付いていなかったが、彼女はこの世界に来た時に死の恐怖を味わった。そしてその瞬間だけは素直になれたのだ。

 それがアリスに影響を与え、誰も信じないという自分だけの殻を、気付かぬ内に破っていた。

 アリスがその事に気付くのは、もう少し後の話だった。

 

 

 

 

 

 結局のところ、あれからは特に何のトラブルも無く、永遠亭というところに辿り着けた。

 だがアリスには、コレが本当に家なのか疑問に思った。

 石造りの家では無く、木で作られた家。こんなのは見た事が無かった。

 アリスが知っている建築物は、こちらの世界で言えば洋風のモノ。純和風の家である永遠亭に対して疑問に思うのも当然だった。

 「さ、入ってきてください」

 鈴仙は玄関かと思われるところに手を置くと、そのまま横に引いた。ガラガラと音を立てて開いた玄関の扉に驚くアリス。

 押し引きするタイプの扉しか見た事がなりアリスにとって、スライドさせて開く扉は見た事がなく、少し新鮮だった。

 まあ、あの時見た妖怪に比べれば、どんなものでもインパクトが薄くなってしまうのも仕方がなかった。

 アリスは玄関の扉を潜って永遠亭の中に入り、お邪魔しますと言ってから鈴仙に聞いた。

 「そういえばあれからは妖怪に出会わなかったけど、どうしてなの?」

 「そんなに頻繁には出会いませんよ。私たちは運悪く出会ってしまいましたが……それにこの事は先程も言いましたよ?」

 「え、そうなの? ごめんなさい、聞いてなくて……」

 「いえいえ、大丈夫です」

 ニッコリと笑って言う鈴仙に笑い返すと、もう一つ聞いた。

 「それじゃあ、もしもう一回出会ってたら、私たちはかなり運が悪いって事になるのかな?」

 「そうなりますね。でもそんなに運が悪い人なんて早々いませんよ。もし一日で数回も妖怪に出会って、更に容赦なく襲われるような人なら、多分日常生活すらまともに遅れないような日々を送っていると思いますよ」

 ……この瞬間、遠いどこかで幼き童がくちゅ、とくしゃみをしたのは、果たして偶然なのだろうか。

 「まあそんな人なんていないと思いますが。アリスもあまり気にしない方がいいですよ? 妖怪の対策なんて普通の人は持ち合わせていませんし。この事を考え続けていたら、その内発狂してしまいますから」

 どこか虚しい笑い声に、本当に発狂してしまった人を見た事があるのだろうか、とつい勘ぐってしまう。

 「玄関で立ちながら話すのもなんですし、せめて居間に行きましょう」

 入って下さいと身振りで示す鈴仙に、それもそうかと納得し、靴を脱いであがる。

 そのまま進む事少し、すぐに居間に着いた。どうやらこの家はそこまで広く無いらしい。

 鈴仙は「あまり広くしても意味がありませんから」と言っていたから、おそらくは数人程度しか住んでいないのだろう。アリスはそう判断した。

 居間の中にはテーブルと座布団、花瓶にアリスの知らない花が活けてあった。他にも茶色くて丸い、何らかのお菓子と思われるモノ――アリスは知らないが、お煎餅などだ――も置いてある。

 「師匠が帰ってきているか確認するので、座って待っていてください」と言っていた鈴仙に素直に従い、座布団の上に座り、待つ。少しして戻ってきた鈴仙はお盆を持っていて、その上にはお茶があった。

 「どうやら師匠は里の診察からまだ帰っていないようです。あ、コレをどうぞ」

 「どうもありがとう。いただきます。――アツッ」

 出されたお茶を飲んでみたが、それなりに熱かった。舌が少しヒリヒリとする。

 ふと鈴仙を見ると、苦笑していた。

 つい恨みがましい視線を向けると、更に苦笑を深くされた。

 「すいません、熱いですよと言う前に口を付けてしまわれたので……」

 「う……」

 確かに話を聞かなかったのはアリスの責任だ。

 恥ずかしくて赤くなった顔を隠すためにチビチビとお茶を飲むが、鈴仙にはバレバレだった。

 お茶は、とても美味しかった。

 

 

 

 

 

 お茶を半分ほど飲み終えると、鈴仙がお菓子と思しき何かを差し出してきた。

 「コレはお煎餅と言うモノで、お茶と一緒に食べるととても美味しいんですよ。ぜひ食べてみてください」

 差し出されたからには食べるしかない。

 アリスは少し緊張しながらお菓子を口元に持って行く。やはりはじめて食べる物を口に入れる時は、少し怖い。先程のお茶で失敗してしまったから、特にだ。

 「――ん!」

 それでも勢いよく口に入れ、歯で噛み砕く。触った感触通り少し硬いが、なんとか噛み砕く事はできた。

 味を確かめるように口を動かし、最後は喉から胃に流れるように飲み込む。

 不思議と、言葉が口から漏れていた。

 「……美味しい」

 「でしょう?」

 少し自慢げに言う鈴仙。俗に言うドヤ顔をしていて、耳も嬉しそうに揺れていた。

 どうしてなのかと首を傾げていると、鈴仙が答えを言った。

 「そのお菓子、私が作ったんですよ。色々と試行錯誤を重ねて作った自慢のお煎餅です。アリスも気に入ってくれて嬉しいです」

 確かによくよく見ると、一部のお煎餅は形が少し歪んでいる。とはいえそれもほんの少しだけであって、おそらく味は変わらないだろう。

 しばしの間、鈴仙と一緒にお茶とお菓子を食べて談笑していたが、そこでアリスの真後ろの襖が開いた。

 「鈴仙、私にもお茶とお菓子を――あら? その子、誰かしら?」

 アリスが後ろを振り向くと、そこには天女と見紛うほどの美しき乙女がいた。

 陽光を反射し煌めく黒髪は長く、腰まである。前髪は眉を覆うほどだが、それで彼女の美しさを損なうようなものでもない。むしろ『これ以外には考えられない』と思わせてくる。

 上半身はピンク色で、大きめの白いリボンが胸元にある。どうやら服の前を留めているのも同じく白色のリボンを複数つけている。

 袖は長く手を覆い隠してしまうほどであり、微かに見える白魚のような指先を見させないようになっていた。左袖には月とそれを隠す雲を、右そでには月と山か何かが黄色で描かれている。

 下半身は赤いスカートの生地の上に月、桜、竹、紅葉、梅と、日本の情緒を思わせる模様が金色の刺繍か何かで描かれている。

 鈴仙に比べれば露出は低い。だが、この人の視線を全てかっさらうような美しさの前では、余計な露出は返ってマイナスだと思わせた。

 だが、相手も逆にそう思っていた。

 ……目の前の少女は、将来相当な女性に育つだろう、と。

 お互いがお互いに見惚れているとは知らずに沈黙していたが、年上である黒髪の少女の方が早く我を取り返した。

 目の前の金色の少女が誰かはわからないが、鈴仙が客人か何かとしてもてなしている以上、下手な事はできないと思ったのだ。

 美しい手を袖から出しながら、黒髪の少女は言う。

 「自己紹介からしましょうか。私は蓬莱山輝夜。そこにいる鈴仙の主よ」

 「え、あ、はい! 私はアリスと言います。……じゃ、なくて、アリス・ラント・トレスフィア=セフィラトと申します。すいません、ファーストネームだけしか言わず……」

 笑顔を浮かべての挨拶に、アリスは立ち上がって手を取ると、上ずった声で返す。

 緊張しているのだろう。輝夜は笑顔を相手を労わるようなものに変える。

 それで緊張が解れたのだろう。アリスは握手していた手を離すと姿勢を正し、先程の態度が嘘のようにしっかりとした口調を出す。

 「申し訳ありません。もう一度名乗らせていただきますが、私の名はアリス・ラント・トレスフィア=セフィラトです。アリスが名、ラントが貴族名、トレスフィアが字、セフィラトは国名となっております」

 「……国名を背負っている、という事は、貴方はどこかの王族?」

 「はい。私はセフィラト王国の第三王女としてこの世に生を受けました。私にも貴族名があるのは、我が国では男の長子以外が国王になる事はほぼありえない、というのを示すためです」

 なるほど、それならこの服装も、気品溢れる態度にも納得がいく。むしろ王族であればこの程度は軽くやってのけなければ、王族として失格だろう。

 だが、輝夜の知る限りでは、セフィラト王国なるものの名前を一度も聞いた事が無い。

 「鈴仙、貴方はこの子をどこから連れて来たのかしら。外来人は里へ連れて行くのが一般的でしょうに」

 「それはそうなのですが……おそらくアリスは外来人ではなく、異世界人である可能性が高いのです」

 「異世界人?」

 眉を寄せる輝夜だが、この反応も仕方がない。

 輝夜とて異世界がある事くらいは知っている。だが実際に異世界に行った事は無いし、異世界から来た人間に会った事も無い。

 だが、異世界から来た()()()()()()……コレは、どういう意味なのだろうか。

 少し考えた輝夜は、もしかしたら、と思った事を言った。

 「まさか、アリスはこの世界に来るはずじゃ無かった……?」

 「はい。どうやらアリスは次元の裂け目か何かに落ちてしまったらしく……それでこんな場所に落ちてしまったのかと」

 「運がいいのか悪いのか……幻想郷に落ちてしまった不幸、鈴仙に出会えた幸運。どちらにしても、異世界に移動する時点で不幸なのでしょうけれど。わかったわ。私から永琳に頼んで、この原因を何とか探ってもらうから」

 「本当ですか!?」

 「ええ。……まあ、どちらにしろ永琳なら勝手に調べるとは思うけれど。『天才』すぎるというのも、考えものよね」

 あまりにも多くの事が簡単にできるせいで、すぐに終わってしまう。あまりにも多くの事を知り過ぎるせいで、調べる必要が無い。

 何より『特殊な人間』である自分達には、地獄のようなものだった。

 だからこそ永琳は知りたがる。自分でもすぐには解明できない課題を。

 「永琳に任せておけば大抵の事柄はどうにかなるわ。だからアリスは安心して待っていてちょうだい。……といっても、実際に見た事が無い人間を信用しろなんて言っても無理な話なのはわかっているから、しばらくはここに住みなさい。いいわね?」

 トントン拍子に進んでいく話をただ聞いているしかなかったアリスは呆然としたまま頷く。

 「それじゃあ、これからよろしくね?」

 「ここでの暮らし方は私の方でも説明しますので、わからない事はなんでも聞いてください」

 輝夜は少し悪戯っぽく、鈴仙は柔らかい笑みを浮かべる。

 こうしてアリスは、永遠亭にてコレからの日々を過ごす事となった。




と、いうわけで、まさかのシオンではなくアリスから始まりました!
どこぞの人形遣いと同じ名前なので変えようかとも思ったんですが……まぁ、少しだけ『不思議の国のアリス』と似たような状況なんでこのまんまにしました。
まぁ白兎を追いかけて穴に落ちたわけでもないんで、本当に少しだけしか似てないんですけどね。


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Sideシオン/危うき香り

今回はシオンが主人公。
最初の表現だけでここがどこかわかると思いますw


 シオンは、この世界がなぜ『幻想郷』と呼ばれているのかをわかっていなかったと、この時、この瞬間、頭では無く、心で理解した。

 「……………………」

 言葉が、出ない。

 目の前の光景に呆然としていると、少しだけ強い風が吹いた。

 それによってシオンの長い髪が吹き荒れる。

 同時に――目の前の『様々な花々』についていた花びらが空中に舞いあがり、その光景を更に彩る一助となった。

 「――ッ!」

 気付くと、シオンは涙していた。

 なぜ、と思ったが、すぐに思い出した。

 ――姉が言っていた、あの言葉を。

 姉はいつも、自分に対して言っていたのだ。絶対に叶わないだろう願いを。

 ――ねえ、シオン。

 ――いつか、二人で一緒にこの世界を見て回らない?

 ――この世界は残酷で無慈悲だけど、それでもきっと、綺麗な場所もあると思うんだ。

 ――約束、だよ?

 結局守られる事は無かった、二人で交わした約束。それでもシオンは、その約束を信じた。いつかきっと、叶うんだと。無邪気に、ただ純粋に。――純粋すぎたほどに。

 このままでは嫌なところまで思い出してしまう。そう感じてふと意識を戻すと、いつの間にかシオンは花畑を歩いていた。

 もちろん花は踏まないように、きちんと土だけしかない場所を通っている。この土の感覚からして、おそらくこの場所は誰かによって管理されているのだろう。まあ、それはこの花々の状態から見てわかるが。

 シオンは少しだけ後悔した。いくらなんでも、管理人の許可なくこの幻想的で美しい場所に土足で踏み入ってもよかったのだろうかと思ったのだ。

 最悪、何か言う事を聞いてでも無断で立ち入ったのを帳消しにしようと思ったシオンは、この光景を目に、そして頭に焼き付けようとした。

 大好きだった姉はもういない。それでも、たった独りであろうとも、かつて交わした約束を守ろうと。

 しょせんはただの自己満足に過ぎない。それでもシオンは、そうしたかった。

 シオンにはここにある花のほとんどの名前がわからない。そういった知識を持っていないというのもあるが――シオンがそう思っているだけであって、実際は紅魔館で花の図鑑を見て知っていたのだが、思い出そうとしなければ持っている知識など何の意味も無い――そんな事が気にならなかったのだ。

 そんな風に周囲を見ていると、花畑の中に一本、そこまで大きくない木があった。それでもシオンの身長からすれば十分に大きい。

 なんとなく、シオンはここで休もうと決めた。体力的にはまだ歩けるのだが、ただ本当に『なんとなく』休もうと思った。

 木に腰掛け――ようとしたところで、シオンは木の根元に小さな、ここにある花々に比べれば取るに足らないであろう花を見つけた。

 シオンは小さな微笑みを――それこそフランたちですらあまり見なかった穏やかな微笑みを浮かべると、一歩横にズレ、花を潰さないようにした。

 例え小さな花であろうとも、一生懸命に生きているのだ。無慈悲に、それこそ残酷なまでに命を刈り取って来たシオンだからこそ、命の大切さを知っている。

 (――単に、弱い存在の末路を知っているからかもしれないけど)

 背中を木に押し付け、大きく深呼吸する。それだけで色々な花の香りを感じられた。

 それから少しすると、シオンは自身がまどろんでいるのがわかった。武器も構えていないし、最低限の警戒すらしていない。命を狙われれば、そのまま殺されてしまうほどに無防備だった。

 かつて姉と一緒に居た時のような温かさ。無意識の内にシオンは呟いていた。

 「姉、さ――……」

 危うい眠り。しかしシオンはそれに抗う事無く、その意識を闇に落とした。

 

 

 

 

 

 その女性が幼き子供の存在に気付いたのは、必然だった。

 彼女は花を操る能力を持っていた。それによって花の声が聞ける。つまり彼女は、この広大な花畑に存在するほぼ全ての事柄を把握できるのだ。

 もちろん遠くにある花の声を直接聞くのではなく、伝言に近い形でここに伝えられる。広大な花畑の影響もあってか途中で情報が誤る時もあるが、それでも十分な武器だった。

 その日も花に水をあげようと思った女性は、家の植木鉢に植えられた花の声を聞いた。

 『――誰かがこの花畑に来たよ』

 「それはここにとって害のある存在?」

 女性は慌てた様子を見せない。彼女にとっては、そんなのは日常茶飯事だった。

 人間の場合、大抵は花を盗みに来たといった理由なのだが、妖怪だとすればまた話は別。女性はその時によって対応を変えている。

 どちらだろうと思ったのだが、予想に反して花は穏やかに言った。

 『姿は子供。……どうやら、泣いてるみたい。理由まではわからないけど。今は君のお気に入りの木に寄りかかって寝てるんだって。とても穏やかに眠ってるみたい』

 女性としては、この花畑に害があるのかどうかを聞いただけだったのだが、花はそれらの言及を避けている。

 珍しい……そう思いながらも、花の話を聞いた。

 『それと、彼は花を盗みに来たわけでも、まして傷つけるために来たわけでもなさそう。多分何らかの理由でここに迷い込んで、そのままあの場所に着いたって感じかな』

 「つまり、現時点では何かをする必要は無い、と?」

 『そうなるのかな。まあでも、多分気が合うと思うよ? 話に言ってみたら?』

 そう言われて少し悩んだ女性だが、まあ、会うくらいはいいかと思い、立ち上がった。

 「それじゃ、少し出てくるわね」

 『言ってらっしゃい。言う必要は無いと思うけど、気を付けてね』

 それには返事をせず、女性は背中を見せたまま手を振って、『彼』とやらに会いに行った。

 

 

 

 

 

 あれから、どれほど過ぎたのだろうか。

 ショボショボとする眼をこすり、意識をはっきりさせるシオン。そうしてから背筋をピンと伸ばしおく。別に体が凝り固まっているわけでは無いが、なんとなくそうしたかった。

 「……コレから、どうしようか」

 立ち上がって何をするか思い悩むシオン。

 正直何も思い浮かばないのだが、かと言ってこのまま立ち去るのも気が引ける。

 「――なら、私と少し話さない?」

 「――!?」

 ゾクリ、とした。とっさに後ろに振り返りながら少しだけでもと距離を取っておく。

 その女性は癖のある緑の髪をしていた。珍しいどころではなく、普通人間が持っている髪色ではない。つまり――この女性は、人では無い可能性が高い!

 そう予測するが、それでも観察は止めない。瞳はどうやら自身と同じく真紅の色。顔に関しては相変わらず綺麗だとしか言えないくらいに整っている。

 服は白色のカッターシャツを、その上にチェック柄のベストを着ている。下はチェックが入った赤色のロングスカートをレースか何かであしらっている。

 首元には黄色のりぼんをしていて、日を遮るためか、傘を差していた。普通なら、花を見に来た貴婦人にしか見えない。

 だが――シオンには、そんな些事を気にしてはいられなかった。

 「あら、どうしたのかしら。何か気になる事でもあるの?」

 「――ッ……」

 女性が一歩近づいてくるたびに、シオンは二歩下がる。

 訝しみ始めた女性だが、ふとシオンの顔を見て気付いてしまった。

 不自然に強張った顔。小さくカチカチと鳴っている、おそらくは歯がこすれている音。体も少しだけ震えている。これらが意味するのは一つだけだ。

 つまり――恐怖している。この少年は、自身に恐怖している。

 だが、なぜだろうとも思う。彼女は一見すると強大な力を持った存在には見えないのに。

 一方、当のシオンは困惑していた。蛇に睨まれた蛙のように、体が動かなくなりそうになるのを必死に堪える事しかできない。

 普通の人には気付かないだろう気配を、シオンは敏感に感じ取ってしまった。

 ――この、圧倒的強者が纏う雰囲気を。

 目の前の女性がどれだけ強いのかはわからない。しかし、おそらくはレミリアとフラン、この二人を同時に相手取るよりも、この女性の方が強い。そう確信できる。

 けれど、たったそれだけで体が動かなくなるはずがない。自分よりも格上と戦うのには慣れている。その、はずなのに……

 (どうして、体が重石をつけられたみたいに動かないんだ!?)

 無意識の内に、シオンの体が不自然な体勢になっていく。

 シオン自身は気付けない。だが、目の前の女性は気付いた。

 同時に、目の前の少年の実力も理解した。

 シオンが取っていた体勢は、戦うか、それとも逃げるか――そのどちらにも対応できる構えだったのだ。

 愚かな選択だと、気付いてしまえばシオン自身でもそう思うだろう体勢。

 何せこの構えは、どっちつかずの状態でもあるのだ。

 戦う事を決めたわけでも、ここから逃げると決めたわけでもない。そんな中途半端な体勢では、本来の力など出せるはずがない。

 それでもどうしようもなかった。

 ――勝てない。

 どう足掻いたとしても、自身が勝てるとは思えない。『予想』できないシオンが、肌で感じ取った『予測』だ。

 逃げても途中で殺されるだろう。逃げるのにも相応の実力がいる。ここまでの相手から逃げ切るには、最悪でも腕の一本くらいは覚悟しなければ話にならない。

 (無理だ。無理だ無理だ無理だ無理だ――! 勝てない、逃げられない。どうやってもここで死ぬ事しか考えられない!!)

 普段のシオンはここまで弱気にはならない。無理無茶無謀だとわかっていても、最後まで足掻くはずなのに。

 そして――ふと、気付いた。

 (俺は……死にたくないと、思ってる、のか?)

 ずっと死ぬ事だけを願っていた。復讐してやると誓っていても、そんなのは生きるために縋っていただけのハリボテだ。

 なのに、今、自分は死にたくないと、そう心の奥底から願っていた。

 理由など、すぐに思いついた。

 (フランと、約束したから。『もう一度会いに行く』って。だから例え無理だとしても!)

 いつの間にか、震えなど治まっていた。いいや、震えてなどいられなかっただけだ。

 ここで、死ぬわけにはいかないと!

 シオンは目の前の女性に対して、どう一矢報おうかと考え始めていた。……大前提として、まだ戦うかどうかも定かではないというのに。

 女性は、シオンのそんな姿を黙って見つめ続けていた。

 どこからどう見ても人間だ。自身に怯え、小さく震えている子供。だが、今の幼き童からは、そんな事は感じなかった。

 ――人外の獣。

 油断すれば、食われる。そんな錯覚を与えてくる。

 ドクン、ドクンと血が騒ぐ。戦闘狂として、何より妖怪として戦えと。

 抑えきれなかった笑みが漏れる。

 「――ッ!?」

 咄嗟に後ろに下がった少年に、一つ聞いた。

 「――貴方、名前は?」

 「……シオン。それだけ」

 「そう。私は風見幽香。……もう、我慢できないわ」

 日傘を閉じ、それをシオンに向ける。

 シオンは、悟った。殺し合いが始まるのだと。

 「――共に、踊りましょう!」

 振り下ろされた傘が地面を砕くと同時に、二人は踊る。

 

 

 

 

 

 砕かれた地面の破片がシオンに襲い掛かる。

 大小様々な破片は容赦なくシオンの体にぶつかろうとするが、その前に跳びあがり、大きい、あるいは小さな岩を足場にして空へ――飛ぶ。

 そう、跳ぶのではなく飛ぶ。シオンは気や魔力によって空に浮かぶ方法を学んでいた。

 だがやはり初心者。超高速戦闘を行えるほどに熟達してはいない。それでもパッと見ではかなりうまく見えるのだが――幽香からすれば、お粗末すぎた。

 「上手に飛べないのなら、最初から飛ばない方がいいわよ!」

 「それくらい、わかってるさ!」

 幽香は傘を振り上げながら飛びあがり、それを思いきりぶつけてきた。

 シオンは黒陽と白夜を呼び出し、それを受け止める。

 技術もクソも無い力任せの一撃によって錐もみしながら吹き飛ばされるシオン。何とか一部を受け流す事はできたが、衝撃は腕に残っている。

 ビリビリと痺れる腕を無視して、シオンは白夜の空間固定化で足場を作り、跳ぶ。

 直角に、そして極稀に空を飛んで曲線で動く三次元的な移動をしながら幽香に接近する。上下左右を移動するシオンを眼で精確に追う幽香だが、自らの勘に従って真下に傘を振り回した。

 「――っち!」

 白夜の力で空間を移動していたシオンは剣を交差させて鍔迫り合いに持ち込む。跳んでいた時の勢いを利用して持ち込んだ強引なやり方だ。長くはもたないだろう。

 「どんな勘をしてるんだよ貴方は!」

 「貴方こそ、自分が飛べないのをカバーしていたじゃない!」

 面白い、面白い、面白い! それだしか幽香の頭は叫ばない。特別な力を持った人間はいる。だがこうやって真っ向勝負で幽香の力を受け止められる人間はほとんどいない。それが珍しくて、楽しかった。

 「さぁ、もっと遊びましょうか!」

 「……! こっちは命がけなのにな!」

 一撃一撃が重過ぎる。美鈴は元より、パワー重視のフランよりも遥かに。

 しかも隙が無い。傘を滅茶苦茶に振り回しているのに、隙と呼べる隙が無い。いや、隙はあると言えばある。それらが全て次の攻撃には隙ではなくなるというだけで。

 どれだけの戦闘経験を積んでいるのだろうか。

 シオンのアドバンテージは人外染みた技術と年に似合わぬ圧倒的な戦闘経験。

 その内の一つが潰された今、シオンに抵抗するだけの力は、無い。

 「これでどうだ!」

 いくつかの布石を残すように斬るシオン。

 最後に袈裟懸けに振り下ろされる傘を受け止める。普通ならばコレで終わりだと思うだろう。しかしシオンの本命は次。

 「『同一化』、黒陽!」

 ボコリ、と黒い刀身から液体が零れ落ち、左足を覆い尽くす。左足に黒陽の力を纏わせて、一時的に神獣の左足を作り上げる。同時に真上から重力球を作り出し、そのまま幽香にぶつけようとする。

 暴走し、神獣化してからも修練して、何とか一部分を限定的にだが神獣と化す事ができるようになった。同時に黒球を使えるようにできるくらいには。

 しかし妖怪に対して最も有効であるはずの神の力をいともあっさりと片手で受け止められ、黒球も消し飛ばされた。つくづく規格外。シオンが人間という枠から外れているのであれば、幽香は妖怪という枠から道を踏み外している。

 「くっそ――が!!」

 相手は片手なのに、こちらは両手で受け止めなければならない。理不尽すぎる。

 神獣化した足を解こうとするが、ギリリと足を握り締められているせいでできない。解いた瞬間砕かれるとわかっているのに解けるはずも無い。

 「離せ!」

 「離せと言われて離すバカがいると思うのかしら?」

 「だったら――!」

 傘を受け止めていた片方の剣、白夜に()()()()()()()()を纏わせる。

 キイイイイィィィィィィィ!と響く音でそれが何かわかったのであろう幽香は目を見開くと、シオンを投げ飛ばした。

 途中まで発動させていた技をとめる事ができず、投げ飛ばされたままシオンは白夜の力を森に向けて放った。

 「白の――斬撃!」

 途中にあった木々を薙ぎ倒すのではなく、『余波を出す事無く真っ二つ』にする。斬撃を受けてしまった運の悪い木はあったが、それでも余波によって吹き飛んだ木は無かったためか、森には然程の被害はでなかった。

 それでもシオンは苦い顔をする。他の事柄を心配している場合ではないのだが、別にシオンは無関係な人間や物を巻き添えにする事をよしとする人間ではない。

 少し前であれば別だっただろうが――やはり、フランたちとの触れ合いが、シオンを変えたのだろう。

 幽香の方も森にあった花を思うと心が痛んだ。花に対しては無類の優しさを持つ幽香だ。気にしないわけがない。だが、それでも、この戦いを楽しむ事に全力を注いでしまう。

 あれほどの力を持った人間と遊べるなど、滅多にないのだから!

 「――もっと、もっと楽しみましょう! こんな楽しい時間、早々無いんだから!」

 「うるさい!」

 幽香はシオンへと、牽制の意味も込めた弾幕を撃ち始める。この戦いが始まって、コレが最初の遠距離技だった。その間にも傘と剣は交差する。

 近接で戦いながらも遠距離での攻撃を行うという矛盾。だがそんなのはおかまいなしに二人の力は交わる。シオンの武器が弾幕を消し飛ばし、幽香の弾幕がシオンの武器を砕く。だが肝心の本体には一つも届かない。

 そうして弾幕を制御しつつも剣と傘をぶつけ合う。

 「その傘、どんな材料を使ってるんだよ!? いくらなんでも硬すぎるだろ!!?」

 黒陽と白夜はそれこそ『何でも』切り裂く。戦車などに使われているダングステンだろうと一刀両断できるほどに。

 しかしこの傘には罅すら入っていない。本当の意味で硬すぎる。

 「あら、この傘は『外見上は』傘に見えても花なのよ? 勘違いしてもらっては困るわ」

 「――は?」

 驚愕の一言にシオンの動きが一瞬止まる。その隙を逃さず、幽香は傘の先端で突く。

 とっさに空間固定化を使い、固定化した空間を肘で殴り、反作用の力で回避する。少し力を籠め過ぎたせいで肘が傷んだが、気にしてはいられない。

 「……花があんな強度? 色々おかしいだろ……いや、おかしいからこそ『幻想』郷なのか」

 どの道アレがなんなのかわかってもどうしようもない。どうせ壊せない事には変わりないのだから。

 再び交差する影。途中途中でフェイントを混ぜるが、それすら無意味と化す豪快な一撃で全て消し飛ばされる。

 風が裂かれる。見当違いの方向へと向かった一撃が空を吹き飛ばす。下手をすると山すら消滅させるエネルギーが二人の間には存在した。

 何回斬り結んだのかすらわからない。致命的な一撃はもらわなかったが、シオンの腕は限界が来ていた。元より無茶だったのだ。幽香ほどの腕力をもって放たれた一撃を受け止める事など。

 それは幽香にも見てわかる。ガクガクとしてまともに動きそうに見えない腕。握力が無くなってしまったのだろう、今にも手の中からスルリと落ちてしまいそうな剣。

 足の方も限界だった。右足はともかく、何度も神獣化させた左足は肉も、骨も、何もかもがグチャグチャになったのかと錯覚するほどだ。

 それでもシオンは諦めていない。眼を見ればわかる。わかるからこそ――幽香の興奮は治まらない。

 まだ遊べる、まだ楽しめる――まだ戦える!

 そう心が叫ぶ。

 「どうして――」

 「?」

 唐突に聞いてくるシオンに、幽香は動きを止める。

 小首を傾げる幽香に対して、シオンは激昂した。

 「――なんで笑っていられる! 貴方には痛みが無いのか!?」

 ――そう、幽香はただ、笑っていた。

 ずっとだ。この戦闘中、ただの一度も笑顔を途絶えさせる事は無かった。

 シオンは一撃たりとも喰らわなかったが、幽香には何度か攻撃を入れた。なのに笑顔をやめる事は無かったのだ。

 シオンにとって、それは不気味にしか見えなかった。シオンが今まで戦い、接した人、あるいは妖怪は、痛みを与えれば相応に顔を歪める。理性が無い妖怪であろうとも、だ。

 なのに、どうして。

 そう疑問に思うシオンの前に、幽香は一言だけ、告げた。

 「だって、楽しいじゃない」

 「楽、しい……!? 殺し合い、が?」

 「ええ、そうよ。私は少し長く生き過ぎているの。だから、そのための暇つぶしとも言える行為が、戦闘なの」

 「つまり……殺し合うのはその結果であって、楽しければなんでもいい、と?」

 「まあ、そういう事になるのかしら?」

 本当は違うのだが、幽香は訂正しなかった。

 幽香は、気付いていたのだ。シオンが未だに――()()()()()()()()()()()

 戦っている最中に注視して気付いた。シオンの内に内包されている気と魔力の総量に。

 そして――シオンが、()()()使()()()()()()()()

 だからこそ、シオンの逆鱗に触れるであろう言葉を、認めた。もっと、全力で戦いあいたいがために。

 そして、それは正しかったのだと、幽香は理解した。

 「――す。叩き潰してやる!」

 シオンは牽制のために魔力を用いて剣、槍、矢などといった、とにかく当たれば何らかのダメージを与えるであろうものを生成する。

 それらは一瞬で数千、あるいは数万を超え、更に増え続ける。

 洒落になっていない量を前に、しかし幽香は笑みを深める。

 「これでも喰らってろ!」

 大量の――それこそ花畑全てを埋め尽くす魔力の武器を幽香に放つ。

 その間にシオンは魔力糸を使って数メートルを超える魔法陣を目の前に作成。そこに自身の手を押し付け、本来規定されていない量を無理矢理注入する。

 それらは魔法陣という『器』にたまる。シオンの膨大な魔力を、その中に。だが、いずれは限界を迎えるだろう。それでもシオンは魔力を注ぎ続ける。

 幽香もシオンの細工には気付いていた。しかし、シオンは何をするのだろうか――そう思い、何もしなかった。

 舐められているのはわかっていたシオンだが、形振り構ってなどいられない。どの道この技を使うには、数秒のタメがいるのだから。

 「陣壊分裂(バーストスプリット)!!」

 魔力を受け入れる器の限界を迎えた魔法陣に、刹那のタイミングを見極め、今まで注ぎ続けていた魔力の更に数倍を瞬間的に無理矢理注ぐ。

 そして遂に魔法陣は壊れ、それを形作っていた魔力は前方に向かって()()()()()()()()()()()()()()()、幽香に向かって行く。

 要は散弾銃の原理を元にしているのだ。ただし、シオンはその肝心の部分である散弾銃の仕組みを()()()()

 シオンが知っているのは、分散して襲い掛かってくる銃弾は恐ろしい、という、その一点だけなのだ。

 この技を作る前に、シオンはパチュリーになぜ失敗した魔法は爆発するのかを聞いた。

 パチュリーから聞いた話を纏めるとこうなる。

 失敗した魔法が爆発するのは、それを失敗したせいで魔法が発動できず、その結果残ってしまった魔力が行き場を無くして暴走するせい。つまり指向性を持ってないが故に爆発してしまう、との事だ。

 ならば、その『指向性を無くした魔力』を『どこかに向ける』事ができればどうなるのか――シオンはそう思い、そして試してみた。

 結果は目の前の――それこそ極太のレーザーの如き大きさを持った魔力の塊の大群を見れば、言うまでもなかった。

 勿論そう簡単に使える技ではない。まずあらかじめ暴走させる事をシオン自身が心に留めておかなくてはならない。

 次に魔法陣の大きさを決める。コレは魔法陣の大きさによって籠められる魔力の最大量が変わるため、一秒の隙が命取りとなる戦闘では例え一センチ、いや一ミリ以下であろうとも誤差は許されない。

 最後に、魔法陣が決壊する寸前に今まで籠め続けた魔力量の数倍から数十倍を魔法陣に注ぎ込む必要がある点だ。

 コレにはいくつか問題点があるのだが、その最たるものとして思い至るのは『それを失敗した場合のリスク』だ。シオンはあくまでこの魔法を『暴走し爆発するはずの魔力』を前方に撃ちだしている()()。つまり()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のがこの魔法最大のリスク。

 そう、シオンは一度試し、そして失敗した。魔力量が小さかったからよかったものの、もしもある程度の魔力を籠めていれば――シオンの体なぞ、簡単に吹き込む。

 この魔法は、魔力を籠めれば籠めるほど失敗した時の爆発の大きさは加速度的に増していく。それでも費用対効果を考えれば、この技は強い。

 (コレが効かなければ打つ手はほとんど残ってない。……当たってくれ!)

 分裂した魔力の砲弾はシオンには制御できない。暴走したものをそのまま利用しているのだから当たり前といえば当たり前だが、技として使う以上、当たらなければ意味が無い。

 何とか砲弾の向きを確認し、このままいけば幽香に当たると確信する。

 だが――本当に、このままうまくいくのだろうか?

 そう思い、油断せずに幽香を睨みつける。

 幽香は、ただ、笑みを浮かべていた。楽しそうに、そして嬉しそうに。

 傘を持った手を前方に向ける。そして、自身の技の名を呟いた。

 「マスタースパーク」

 傘の先端から、極大の妖力を纏った閃光が迸る。それはシオンの陣壊分裂とぶつかり、拮抗し、そして――そのまま貫いた。

 「コレでも無理なのか!?」

 驚愕しながらもシオンはマスタースパークを止めるために再度魔法陣を作る。あの速度では回避するよりも先に当たるとわかってしまったからだ。

 一秒以下で完成する魔法陣と、数秒の展開を要する白夜の空間転移では、あまりにもタイムラグがありすぎる。

 何とか魔法陣を完成させ、魔力を注ぎ、防御するシオン。しかし籠められた妖力が余りにも多すぎるマスタースパークは、パリィィィィン!! という儚い音を響かせ、魔法陣を破壊した。

 「―――――――――――――――――――!!!」

 シオンのその小さな体を、極大な妖力の閃光に飲み込まれた――。




……段々シオンの技が自滅に近いモノばっかりになってきちゃいました。
一応自滅技以外もあるのですが……近い将来出る、としか言えませんね。


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Sideアリス/天才たる所以

シオンの方の戦闘に気を取られすぎて昨日急遽完成させました。
そのせいで1万文字超えず、8500文字程度に。
なのでいつもより少なめです。


 アリスが輝夜からここに住んでもいいと許可を出されてから、既に三日目。

 本来であればアリスが来たその日に帰ってきていてもおかしくはなかったのだが、どうしてか永琳は帰ってこなかった。

 とはいえ何かしらの理由があるだろう事は想像できる。どこかに寄り道するような性格ではないと輝夜は知っていたからだ。

 だがそれをアリスに強要する事はできない。元の世界に帰りたいと最も望んでいるのは彼女なのだから――そう思っていたのだが、予想に反してアリスは普通だった。いや、少し楽しそうにも見えた。

 輝夜の予想は当たっている。アリスは今、とても楽しかった。自身を追いつめるほどの魔法を扱う修行をする必要が無い。他者から見下され、害される事も無い。そして……いつも自らに纏わりついて消えなかった重圧(プレッシャー)も無い。

 ただただ『アリス』という個人でいられた事が嬉しかった。

 ちなみにその三日間が経つ合間に、アリスはもう一人の妖怪兎と出会った。

 鈴仙曰く「この迷いの竹林の主であり、その全てを把握している唯一の存在」だそうだ。鈴仙が言っていた『彼女』とやらがこの人物なのは間違いないだろう。

 その時の事はよく覚えている。大量の兎に命令を下す彼女の、仙人のような姿を。命令を下し終えた途端に雰囲気が変わり、耳などを除けばどこにでもいる少女のようになったのも。

 癖のある短めな黒髪にふわふわなウサミミともふもふな尻尾を持つ。コレに関しては直に触った――もちろん許可はもらってから触れた――アリスが言うのだから間違いない。

 服は薄い桃色の、裾に赤い縫い目のある半袖ワンピースを着ている。「冬でもこの恰好」でいるとは本人談。おそらくは本当なのだろう。

 アリスは知らないが、靴を履いていたり裸足だったりと、少し気紛れなところもある。コレは本人の性格によるところだろう。

 流石は妖怪――妖獣とも言うらしい――と言うべきか、アリスの視線に気付いたらしい。最初は少しだけ警戒していたようだが、名を名乗ると警戒を解き、自己紹介をしてきた。

 「あたしはてゐ。因幡てゐよ。一応鈴仙の部下って扱いにはなっているけど、あたし個人は部下として認めてないから、そこはよろしく。後、兎を見下す発言をしたら――後悔させてあげる」

 彼女は地上に住む普通の兎、妖怪の兎問わずそれらのリーダー的存在であるらしい。実際先程の光景を見たアリスはその言葉を疑う事無く頷いた。

 どの道頷く以外の選択肢も無い。この世界からすれば、アリスは異分子でしかない。今までの常識が通じない以上人間と関わるのも最低限にした方がいい。

 「じゃあね」

 考え事をしていた間にそれだけ言って去って行くてゐ。追いかける理由がなかったアリスは、てゐが竹林を駆けて行くのを見送った。

 それ以降てゐとは会っていない。鈴仙が言うにはその方がいいらしい。原理はよくわからないのだが、どうやら鈴仙は他者の波長を見れるらしく、その波長でその人物の気が長いの短いのかがわかるようだ。それでわかったのは、てゐは兎の中でも飛びぬけて短いらしい。要は感情の移り変わりが激しい。下手に藪を突いて蛇を出す確率は低い方がいいと、出会っても最低限のやり取りですませるように念を押してきた。

 アリスにはよくわからなかったが、長い間てゐと接してきた鈴仙にしかわからない事もある。だからアリスも素直に頷いた。

 他にも技術の違いに驚いた。料理の仕方、お風呂の入り方の差異。そして体を洗うのに使っている物も此方の方が良い物だとわかる。他にも「てれびげぇむ」などと言った娯楽も輝夜がやっているのを見た。

 多分、その時からだろうか、輝夜ははじめて会った時とは違い、どこか怠惰な雰囲気を纏っていた。

 鈴仙に話を聞くと、どうもこっちが通常らしく、あの時は外面用を見せていたらしい。おそらくずっと外面用の雰囲気を纏うのを面倒だと思ったのだろう。それと元々の性格故にあの状態になるのも億劫とのこと。

 コレにはかなり驚いた。あの洗練された動きは一朝一夕で出来る事では無い。つまり長期間の指導が必要なはず。それに使わない技術は錆び、朽ちていくはずなのにそんな気配は無かった。流石におかしい――そう思い始めたアリスだが、元々この世界の存在はアリスの常識からすればおかしいのだ。何時の間にか考えるのを止めていた。

 そんな事もあった三日目の夕方。ようやく永琳と呼ばれる人物が帰って来た

 

 

 

 

 

 帰って来た永琳を出迎えたのは、何時もとは違い、彼女の主である輝夜だった。

 「今回は遅かったようだけど、何かあったの? 確か一日もかからない仕事だったと私は記憶しているのだけれど」

 「ええ、まあ本来の予定ではそうだったけど、何やら妖怪の毒に侵された方や、急遽帝王切開をする必要がある妊婦が現れたりと色々あって。それでこんなに遅くなったのよ」

 「貴女に任せればほぼ何でも解決してしまうものね。頼られるのもよくわかるわ」

 今回は色々な事が重なってしまったが、コレは何も珍しい事では無い。以前はコレよりも酷い状況に陥った事はあるし、似たような事もあったからだ。

 そこで永琳は輝夜の後ろに九歳程度の少女の姿を見た。同時に、彼女も此方を認識したらしい。

 永琳の外見は輝夜に負けず劣らず美しかった。

 長い銀髪を三つ編みにし、前髪は真ん中分け。

 左とは青色、右は赤色で色の別れている特殊な配色のツートンカラーの服を着ている。スカートは上の服とは左右逆の配色だった。袖はフリルの付いた半袖。色合いを除けば、どこか中華的な装いだ。頭には青色のナース帽――十字部分は赤色なので、服と同じくツートンカラーだ――を乗せている。ところどころに金色の何かが付けられていてるが、それが何なのかはわからない。

 コレらは一応星座を現しているのだが、星の配置などわからないアリスには理解できなかった。

 そんな彼女の姿が何なのか疑問に思っていると、あちらの方が先に口を開いた。

 「彼女は……?」

 「ああ、この子は竹林に居たところを鈴仙が保護したの」

 「そうなの……貴方、名前は?」

 体を屈め、目線を少女に合わせる永琳。こういった細かな気遣いができるからこそ人気が出るのだろう。

 「私はアリス・ラント・トレスフィア=セフィラトと申します。あの、貴女様が鈴仙や輝夜様――いえ、輝夜、さんの言う、八意永琳様ですか?」

 咄嗟に輝夜さんと言い換えたのは、その輝夜本人から睨まれたせいだ。前に「貴方から輝夜様と言われると背筋が痒いからやめて」と言われたのを無視したからだろう。

 その光景は永琳にも見えたらしく、輝夜がこうもあっさりと猫を被るのを止めたのを意外に思っていた。アリスが幼い少女なのもその一端を買っているのかもしれない。

 アリスが輝夜の視線にたじたじとなっているが、永琳は礼儀として言葉を返した。

 「そうよ、私が八意永琳。ここ永遠亭の主である輝夜の元家庭教師をしていた事があって、今は幻想郷の医者をやっているわ」

 他にも色々とやってはいるのだが、特に言う必要も無いだろう。

 「ねえ永琳。アリスの事情はちょっと特殊で、実は――」

 「――あら? 貴方、ちょっと動かないでね」

 輝夜の言葉が聞こえなかったのか、意識せずに遮ってしまう。しかしそれに気付かない永琳は懐から何かに覆われたレンズか何かを取り出した。

 それを片手で持って左目に付けると、どんな原理かそのまま引っ付いた。一度見たメガネとやらであれば耳に引っ掛ける事で落ちるのを防いでいるが、コレには何もない。不思議だった。

 目の前の不思議な物体に注視していると、突如永琳が両手でアリスの頬を触り、そのまま顔を近づけた。

 「え、永琳様……!?」

 「動かないで」

 まるでキスするかのような体勢に陥りパニックになりかけたアリスをピシャリと静止させる。恥ずかしいという気持ちは薄れていないが、永琳が他の何かを目的としてこんな体勢にさせているのはわかる。何とか逸る気持ちを抑え、動きを止めた。

 「ありがとう」

 小さく礼を言うと、永琳は右目を閉じてアリスの体を診始めた。

 本来片目を閉じて物を見るのは視力の低下や物を立体的に見れないなどといった事が起こるのだが、今回は短時間、それにアリスの『中身』を見るのが目的だったため、片目にしたのだ。

 「……魔力の流れが普通とは違うわね。それにDNAの構成物質も似通ってはいるけど違うところが多い。月人、里、外来人、そのどれとも違うという事は、つまり――」

 ぶつぶつと何事かを呟く永琳の言葉は、前半の魔力の流れという部分だけで、DNA以降は理解できなかった。

 その後も何か言っていた永琳はおもむろに立ち上がると、輝夜に向けて行った。

 「輝夜、もしやアリスはこの世界の人間では無い可能性が高いのでは?」

 「……え?」

 あっさりと正解に辿り着かれたアリスは驚いたが、輝夜からすればもう慣れた事、すぐに返すことができた。

 「私たちの判断ではそうなっているわね。ただ本当かどうかはわからないし、仮に本当だとすればアリスを元の世界に戻す方法は永琳にしかわからないわ。だから――」

 「とにかく研究してみなさい、という事ね。とりあえずいくつか思い付いた事を一つずつ検証してみましょうか」

 「え? え?」

 「いくつか、ね。それは具体的にどんな?」

 「異星人か異世界人か。この二つが最有力候補ね」

 「あぁ、なるほど。アリスのDNA情報が私たちと違ったとしても、それだけで異世界人だと決めつけられるわけじゃなかったわね。早計すぎたわ。この宇宙にはそれこそ無限とも言える広さがあるのだし」

 「え? え? え?」

 「とはいえ、現時点では異世界人である可能性が高いのに変わりはない。一概にそうとは言い切れないけど、そこは結果次第と言う事で」

 「それなら早めに結果を教えてちょうだい。アリスは友達と喧嘩したままこの世界に来たらしいのよ」

 「言われるまでもないけれど、それを聞いてしまえばもう遠慮する必要はないわね。永遠亭の家事や里の置き薬、医療の関係については多少迷惑をかけるけれど、我慢して」

 「その点に関しては頼む前からわかってる事よ。……どっちにしろ、貴方なら他の事を並列に処理しながらやるでしょうし。じゃ、頼んだわよ」

 「わかったわ。アリス、貴方にもいくつか手伝って欲しい事があるから、着いてきて」

 「…………………………え?」

 茫然としたアリスを置き去りに、打てば響くような応答。それが終わったと思えば、着いてきてと言ったのにも関わらず永琳に腕を引かれて引きずられるように移動していった。

 

 

 

 

 

 

 移動した先はよくわからない物が大量に置かれた場所だった。

 何となくだが、ここが何らかの実験場か何かだと思ってしまった。

 「それじゃ、サンプルとして一応血液とかそういった物を採取させてもらうけど……体調の方は大丈夫かしら。大丈夫なら腕を出して欲しいのだけど」

 「え、はい。でも……」

 「でも?」

 ギュッ、と腕を掴むアリスの反応に訝しむ永琳。

 無理矢理なのは嫌なのだけれど、と一つ溜息を吐いて、アリスの腕を引っ張り、『五月にしては長すぎる袖』を捲った。

 はじめて会った時から不思議だった。幻想郷は冬は寒いが、それが終わるとすぐさま暖かくなり始める。別の星、あるいは世界から来たアリスの格好は暑すぎると言ってもいいくらいには。

 とは言え幻想郷内には夏だろうと冬だろうと、一年通してそのままの格好をしている人物はそれなりに多い。だからこそ気にしてなかったのだが、この反応からするに、それ以外の理由があるのだろう。

 そして今、アリスが長袖の服を着ていた原因が後者だとわかった。

 腕に刻み込まれた長い傷跡。確かにコレを見られたいとは思わないだろう。女の子であればなおさらだ。

 「……この、腕……もう片方もこんな感じなのですが……どうにか……なりませんか?」

 泣きそうな顔で、泣きそうな声で言うアリスに、しかし永琳は答えないまま立ち上がる。

 そして何かが大量に置いてある棚に歩み寄ると、ガサゴソと探し始めた。

 数分後、永琳はその手の中に一つの小瓶を持っていた。

 「貴方の傷はそれなりの時間が経過していて、普通の治療じゃ一生残る傷痕になるわ」

 「……そう、ですよね」

 「でも、私なら傷を塞ぐ方法があるのを知ってる」

 そう言って小瓶の蓋を取り外し、中にあった物を見せる。

 中にあったのは、赤い、紅いクリームか何かだった。

 「コレは塗り薬の中でもかなり効果が高い物よ。効能は保障する。でも代わりに酷い熱を感じさせてくるから、生半可な覚悟でやると後悔するわ。なにせ、傷が塞ぐまでの数日間、常に火傷を負っているようなものだから」

 それでも、塗る?

 そう問いかけてくる永琳に、アリスは悩む間もなく即座に頷いた。ここで迷っているようでは覚悟が無いと思われる。どの道今まで辛い経験ばかりしてきた。その中の一つが増えるだけだと。

 永琳は頷いているアリスを見て、若さゆえの愚かさを感じた。

 (彼女は『想像を絶する痛み』を経験した事があるのかしらね。泣き叫ぶくらいは別に構わないけれど……それが恨みや憎しみにならないのを祈ろうかしら)

 だがその前に、やるべき事はやらなければならない。

 「塗る前にまずは採血させてもらうわ。少し痛いけれど、我慢して」

 「はい」

 台の上に腕を乗せ、血管を浮かび上がらせるために腕に駆血帯を巻かれる。それから注射器の針を腕に押し付けられる。少し怖かったが、予想に反して痛みは無かった。

 コレは永琳の腕の高さによるものだろう。どれだけ慣れている人間がやっても、多少は痛みを感じさせられる。

 加えて、永琳は薬などを一切使わず、一時的に腕の感覚を麻痺させたりといった医療には直接関係ない特殊な技術を学んでいたりするため、患者に痛みを感じさせない事ができる。まあこの方法は余程痛覚が高い人間にしか使わないが。

 患者としては痛みが無い方が嬉しいし、医者としては痛みのせいで何か喚かれる心配が無くなるため、どちらにも有益なのだ。

 採血が終わると駆血帯を取り、今度は細胞の接種に移る。とはいえ別にそこまで面倒な手順は必要ない。綿棒などで口内を撫で、それに付着した物を使うだけだ。

 「今必要なのはコレだけね。それじゃ、塗るわよ」

 「……お願いします」

 アリスの両手に、柔らかく、そして清潔なタオルを両手に握らせ、先程採血する時に使った台の上に左腕を乗せる。

 それから、素肌で触るのは爪の間から体内に入ると危険だからと手袋をつけた。

 そうしてクリームを適量取り、それを均等に、なるべく傷痕にのみ塗り込む。

 「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッッッ!?」

 声にならない叫びを堪え、アリスは腕を振り払わないように固定する。代わりにタオルを握り潰すくらいに手に力をこめた。

 永琳が何かで腕を固定しなかったのも、タオルを持たせたのもこのためだろう。

 もし痛みに耐えきれずに腕を振り払うのなら、それで終わり。アリスの覚悟はその程度だったという事だ。だが仮に耐えるのであれば、別の場所に力をこめる。基本的には両手だろう。だからタオルを持たせた。爪で手を傷つけないために。

 試されている。だが最初にお願いしたのはアリスだ。永琳はそれに応えたにすぎない。

 (恨みを向けるのはお門違い……むしろ、こんな浅はかな判断をした自分が馬鹿だった!!)

 そう、選択したのは自分。この痛みを受けると言ったのも自分。

 ならば、耐えるしかないッッ!

 クリームが塗られていく度に痛みを感じる場所が増える。

 痛い、苦しい、熱い、気持ち悪い。

 今すぐ腕を振り払って水でクリームを落としたい。そうすれば楽になれる。この終わらない苦痛から解放される。

 そう自分の弱い心が泣き叫ぶ。だけど、耐え続けた。必死に堪え続けた。

 「……左腕は、終わったわ」

 そんな言葉さえ、歪んで聞こえた。

 

 

 

 

 

 クリームを塗られた本人であるアリスには、塗り終えるまでに数時間にも感じたが、実際には数分間しか経っていない。

 それでもアリスは『やめて!』という類の悲鳴を、ただの一度も漏らさなかった。

 普通、子供はここまで強くは無い。大人でも泣き叫ぶような事を、子供にやれと言われてもできるはずがないからだ。

 だがアリスは耐え切った。体は幼いが、心は大人よりも遥かに強い。

 まあ、永琳からすれば、よくやれる、と思うくらいだった。

 心が通常よりも強い人間は、探せばよくいるものだ。単に珍しいだけで。

 どちらかというと――この幻想郷にいる、大妖怪相手にまともに戦える人間の方が珍しい。そんな人間は本当に滅多にいないが。

 「……数日間は、両腕とも液体に浸さないでね。クリームが液体に浸透すると、今度は一部だけじゃなくて腕全体にクリームが塗られるような状態になるから」

 しかも効果自体は下がってしまうため、結果として苦痛を感じる時間が延びる。この苦痛を早く終わらせたいのなら、不衛生であっても風呂に入るのはオススメできない。

 「は……ぃ。わか、り、まし……ッッ!?」

 声にならない叫び声。視界は涙で一杯になり、まともに前を見れない。苦痛のせいで並行感覚も狂っているため、立ち上がれもしない。

 「……鈴仙を呼んで来るわ。そしたら布団に運んで、そのまま寝ていなさい」

 「は、ぃ」

 そう言った永琳はアリスの首に手をかける。その刹那、アリスの視界は暗転した。

 

 

 

 

 

 倒れ込むアリスの体を、永琳は優しく包み込む。

 本当は、もっと簡単に傷痕を治す事くらいはできた。こんな痛みを伴う物では無く、それこそ手品のように傷痕を消す事が。

 「……だけど、そんな方法を使ってしまえば、人はダメになる」

 人は誰しも楽をしたがる。子供の内はそういう欲求は少ないが、それでも多少はあるのだ。そして子供の内から楽になりたいという欲求を多大に持ってしまえばどうなるのかは、言うまでもないだろう。

 とはいえ、それを無くすためにこういった苦痛を与えるのをよしとするなどと考えている訳でも無い。

 だが――

 「人を操るのに最も効果的な物の一つが『苦痛』であるのは、純然だる事実なのよね」

 まあ、こんな事をするのはこれっきりになるだろう。流石に何度もやるのは気が引ける。

 永琳は蓋を手に取ると、先程使ったクリームの小瓶に蓋をする。

 ちなみにこの薬、()()()()()()()()()()()()()()()

 この薬の効果は、単純に言ってしまえば『細胞の活性化』だ。しかしその細胞の活性化がどれだけの物かは、永琳しか知らない。

 棚に小瓶を戻し、それから別の小瓶を手に取る。また別の棚に移動し、そこから『栄養――』と何やら訳の分からない文字で書いてる物を手に取った。

 「……コレ、いつ作った物なのかしら? 寝ぼけて月の言語を書くなんて」

 自分の行動に呆れる永琳。

 それから永琳は気絶させられて脱力しているアリスを抱っこすると、研究室ではなく、その隣にある永琳の部屋のベッドに寝かせた。そうしてからアリスの腕に栄養剤を注入するための針を突き刺す。

 アリスには言わなかったが、コレも両腕を治すために必要な事の一部だ。

 「う、ぅぁ……」

 そこでアリスが小さく呻いた。その顔は赤くなっている。いや、顔だけでは無い。体全体が赤くなり始めている。

 「……やっぱり、一部だけに塗るのは……いえ、そもそもあの薬は半分失敗作だもの」

 永琳がこの薬をアリスに使ったのは、()()()()()()()()()()という意味合いもある。

 もちろん死ぬような薬では無いから使ったのだ。特に問題は無い。

 まあ、鈴仙にバレれば色々言われる可能性は高いが。

 だが流石にこのままほったらかしにするのもマズい。

 永琳はアリスの体をマッサージし、その中でいくつかのツボを押した。永琳がそれらを施していくと、アリスの体から赤みが引いて行った。熱が体の外に放出された、という事だろう。

 とはいえコレは一時的な物。またすぐに元に戻る。

 先程取って来た薬の蓋を開け、そこから十ほどアリスの口に放り込み、飲み込ませる。

 この薬は体から熱を放出する作用を強めるだけの効果しかない。普通の状態で一粒だけ使えば多少涼しくなる程度だが、今のアリスに十ほど飲ませればかなり楽になるだろう。

 代わりに汗などが大量に出てしまうが。

 汗を拭くなど、そこらの作業は何も言わなくても鈴仙がやってくれるだろうと思った永琳は、自身の研究室へと戻る。

 その顔は、とても楽しそうで、嬉しそうで。とてもまともな表情だとは言えなかった。

 おそらくは輝夜の言う通りなのだろう。例え頼まれなかったとしても、永琳は勝手にこの研究を始めていた。

 ()()()()()()()()()

 退屈で退屈でしようが無い。賢すぎる、なんでもできる。ありとあらゆる分野において才能がありすぎるが故に暇となる。()()()()()を持ってしまっているが故に人生に潤いが失くなっていく。

 そこに来ての久しぶりの『わからない事』。果たして何日かかるだろうか。いや、研究内容からして数年かかるかもしれない。それだけの年数を使う課題など、久しく無かった。

 「――ああ、楽しみ」

 いつもは穏和な永琳は、しかし今だけはどこか人から外れた顔をしていた。




若干永琳が怖いですけど、コレは別におかしな事ではないかと。
変化の無い毎日。それをかなりの年月過ごしていれば、『わからない』事は研究者たる永琳にとってはとても嬉しい事だと思うのです。
……そのせいで、なんかマッドサイエンティストっぽくなりましたが。


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Sideシオン/勝つ為に

勝手に一回休んで申し訳ありません!
大まかな流れはできていたのですが、細かい部分が思いつかなくって
結局こうなってしまいました。

しかもできはイマイチ納得できないという……


 「……やりすぎた、かしら?」

 いくら自身の技(マスタースパーク)を使うとしても、妖力を使い過ぎた。アレではシオンの体は消し炭どころか何も残さないのでは……そう思ったが、それはすぐに覆された。

 「黒い……球体?」

 どこかで見た事があるような、真黒な塊。

 それを注視していると、黒き塊はグニャグニャと歪になり、黒い剣に戻った。そして黒い塊の中には、息も絶え絶えの少年がいた。

 「ハァッ、ハァッ、ハァッ、――――」

 冷や汗のせいで額に張り付いた髪をかき分ける。

 シオンは思う。ここに来る寸前に見、そして殺されかけたあの球体のお蔭で助かったと。

 マスタースパークが当たる刹那。黒球の展開に一瞬でも手間取っていれば、灰すら残さず死んでいた。

 それと黒陽の『形態変化』と『絶対に壊れない最強の物質』という事を思い出さなかったとしても終わっていた。

 「う、ゴホッ、ゴホッ!」

 だが重力を身に纏っていたせいで、まともに息すら吸えなかった。その上外の状況が把握できないため、解除したと同時に攻撃されれば終わる。何度もやりたいとは思えない回避技だ。

 そんな事情は幽香にはわからない。幽香にわかるのは『自身の一撃をシオンが受け止めきり、無傷だった』事だけ。

 「なら――もっと力を籠めても問題無いわよね?」

 「は――? まだ上がるのか!?」

 幽香は雑に弾幕を作り、それをシオンに向けて放つ。当たり前のように迎撃をしようとするシオンだが、弾幕の『密度』を見て気付いた。

 「コレは……!」

 試しに魔力を一つ剣の形にして撃ち放つ。だが、当然のように消し飛ばされた。

 「弾幕に籠めた妖力を増やしたのか!」

 「ご名答。貴方も真似したらどう?」

 「ク――!」

 顔を苦渋に歪めるシオン。その視線からはまるで『わかっているくせに』というように感じられたが、幽香にはよくわからなかった。

 どの道今は余計な話をしてこの娯楽に無粋な事をしたくはなかった。

 だから、容赦せずに弾幕を撃つ!

 先程の弾幕のぶつけ合いが、まるで子供の児戯かと見紛うかのような密度。シオンも対抗して弾幕を撃つが――焼け石に水だった。

 (地力が、違い過ぎる……!)

 もう勝ちの目はほぼ尽きている。さっきまでは遊んで()()()()()からなんとかなっていた。

 しかし、もう幽香は本気になっている。いや、結果として本気に近い力を出しているだけで、本人からすれば遊んでいるつもりなのだろうが、シオンからすればあまり変わらない。

 「どうする、どうすれば勝てる……!?」

 思考を止めるな。勝つ意志を無くせば本当に勝てない。

 ふと、自分と幽香の立ち位置を計算する。そして、答えが出た。

 「――! コレなら、まだ!」

 それでも絶対に勝てるとは思えない。あくまで『かも』でしかないのだから。

 だが勝つための行動をしなければそれすら掴めない。

 シオンは行動を開始する。勝つために!

 

 

 

 

 

 (計算しろ計算しろ計算しろ! 『想像』はできないが『計算』はできるんだから!)

 今までの幽香の行動パターン、攻撃の傾向、自分と相手の立ち位置。その他にも様々な部分を必死に計算式に取り入れ、回答を見出す。

 それがどれほど面倒な作業かは言うまでもない。コレと並行して飛んで来る弾幕を避け続けているのだから。

 幽香は先程から動いていない。それはある意味ありがたかったが、同時にシオンの思惑が果たせない事を示している。

 (幽香を誘導させるそれ自体が不可能に近い。俺が遠くに逃げる? 挑発する? それとも敢えて接近戦に持ち込むか?)

 どれもこれも無駄に終わる気がしてならない。

 (せめて体細胞変質能力でレミリアかフランの力を使えれば……!)

 しかしできない。紅魔館で過ごしていた日々で気付いたのだが、どうやら現状のシオンでは三つの力を同時に扱うと十全に使いこなせない。

 そもそもとして制御できるだけマシなのだ。普通なら自滅して終わる。

 だからシオンは空間制御と重力制御しか使えない。純粋な身体能力だけでは幽香には勝てないからだ。どの道太陽が燦々と照りつけている現状、吸血鬼の力など使えないが。

 「うわッ!?」

 飛来する弾幕の一つが目の前で分裂し、小さな塊となって向かって来る。体の向きを変えてある程度をやり過ごし、体に当たるであろう塊を双剣で消し飛ばす。

 更にそれらを隠れ蓑として真後ろから強大な弾丸をグルリと回転して避けた。

 後ろから弾幕が飛んで来たのもそうだが、小さな塊を消し飛ばすのにもかなりのパワーを必要としたのには驚かされた。分裂していたせいで一発の威力は下がったはずなのに。真似された、そう思うが、相手の技を真似るのも立派な技術。卑怯だなんだと叫ぶ気は無い。

 だが、コレをやり過ごした後にふと思いついた。

 ――この方法を更に真似すればいい、と。

 接近しても逃げても無意味なら、自分が相手を動かせばいいのだ。先程の散弾でその場に足止めされ、後ろから不意を突かれたのと同じように。

 問題はある。シオンの魔力で形成された武器型の弾幕では幽香の弾幕にぶつかった瞬間消し飛んでしまう。つまり如何にして幽香に弾幕を届かせるかが問題になるのだ。

 (……一応思い付いてはあるんだけど、外れたら本当に勝ちの目は無くなるな)

 が、これ以外に方法は無い。ならばやるしかない。

 「っふ!」

 またも大量の弾幕を浮かべるシオンに笑みを浮かべる幽香。

 今度は何をしてくれるのだろうかと期待する。普通は諦めるだろうこの状況で。しかし目を見ればわかるのだ。シオンが、まだ諦めていない事が。

 こんな人間、滅多にいない。人間は弱い。身体(からだ)もそうだが、精神(こころ)もだ。逃げて逃げて逃げて、そしてすぐに諦める。

 そんな人間ばかり見て来た幽香だが、それでも例外はいるのを知っていた。

 家族のために、親友のために、恋人のために、自分のために――様々な人間が、強い意志を持ってここへ来た。

 そういった者たちは、強い。例外はあるが、覚悟を決めた者ほど心が強い。

 アレはそういった類の人間だ。

 自分のため。それもあるだろう。だが違う。あの人間の()()はそうじゃない。

 シオンの本質は――自分以外の誰か(大切な人たち)のために自らを殺せる、そんな道具のような性だ!

 だからシオンは諦めないだろう。自身の命はどうでもよくても、大切な人のためなら()()()()()()死ねない。

 「数百年ぶりなのよ、貴方みたいな人間と戦えるのは。ああ、本当に――愉しい」

 それこそが幽香の望み。戦いこそが幽香の愉悦となる。

 無論花と戯れるのも好きだ。だがそれは楽しいだけであって、それ以上にはならない。

 「でも、後少しが限界そうね」

 だからこそ、程度を弁えるのが得意だった。吹けば飛ぶような人間と戦ってきたからこそ、一定のルールを持たせて戦闘するのが当たり前になって。

 でも忘れてしまった。久しぶりに弱者の中に紛れ込んだ強者――羊の中に紛れた狼を見つけてしまった。それ故の愚行。

 だから幽香はシオンを殺す気など無いのだが……シオンは、それに気付けなかった。

 

 

 

 

 

 シオンは黒陽の力を一旦封印する。

 下手をすれば一瞬で殺されるような状況では愚策の行動。しかしこうしなければ『()()』は使えないのだ。

 「保ってくれよ、俺の頭……!」

 こんな無茶な使い方は今まで一度も使った事が無いのだ。しかもこの方法、少しでもミスをすれば、死ぬ。

 「あ、ぐ……! アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァッッッッッ!!!」

 痛い、痛い、痛い!

 まるで脳に焼きごてを突っ込まれたかのような痛み。多少の痛みであれば何ともないが、この痛みだけはどうしようもなかった。

 突如叫び始めたシオンにほんの少しだけ驚いた幽香だが、更なる驚愕によって塗りつぶされる。

 「空間が――歪む!?」

 周囲の空間が歪になり始めている。そこにシオンの弾幕が入り、全く別の方向から現れる。幽香の目の前や真後ろなどにも出現するのだから、一瞬の油断でもできなくなった。

 傍から見ると異様な空間だった。花畑上空には透明な、しかしなぜか視認できる魔力によって形作られた大量の武器が。そして幽香の周囲には空間の歪によって生まれた『穴』がある。

 その光景を作り出した代償として、シオンにはかつてないほどの頭痛が襲い掛かっている。叫ばなければ、意識を失ってしまうほどの。

 理由はかつてないほどに煌々と輝いている白夜にある。

 白夜の力は強大だ。人の身では制御できないその力は、多次元にすら容易く干渉できる。その力を使って無理矢理複数の多次元と『引き千切って繋ぎ直す』などという作業を行ったのだ。

 複数の多次元と繋げたのは単純に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そもそもとしてはじめて使ったこの力だが、まず大前提としてシオンは『多次元を把握する力は持ってない』。

 本で見た空間跳躍者(テレポーター)は自らの五感に加え、自身にしか認識できない、あるいは同じ力を持った人間しか把握できない多次元を見る事ができる。

 もちろん跳躍するには演算をする必要はあるが、それでも見えるのと見えないのでは天と地以上の差がある。

 それができないシオンは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 しかし代理演算をしても誤差が酷すぎれば別の計算式を用意しなければならない。それを一秒にも満たない時間内で幾万、あるいは億にも届くかもしれない量を行っている。

 だが演算を少し手も間違えれば、自分のすぐ傍に穴を作りかねない。避ける余裕が無い現状、それは自殺行為だ。そうしないためにも休んでいる暇など無い。

 シオンが苦痛を感じているのは、そのせいだった。

 それでも、と。シオンは自分で自分の頭を殴る。

 「ぃ……ッ! コレで、やれる!」

 滅茶苦茶な活の入れ方だが、明滅していた視界は元に戻った。

 シオンは半分暴走しかけていた多次元の干渉を誤差の小さな計算式を元にして制御し始める。もちろん入口と出口の場所が違えば必要とする計算式も異なる。だがシオンは完全記憶能力で計算式の全てを把握し、一つの次元毎に用いる計算式全てを覚えていく。

 幽香の目の前に、あるいは二つ三つの次元を通して不意を突いていく。幽香も弾幕を生成して放つが、そもそもとして当たらない。いや、どうでもいい場所にある弾幕には当たるが、本当に重要な弾幕には掠りもしない。

 「コレは……今までにない戦闘ね……!」

 空間そのものに干渉する相手とははじめて戦う幽香は、それ故に対処の仕方がわからない。

 しかし焦ってはいなかった。先程のシオンの叫びと、今のシオンの姿からわかるのだ。

 今のシオンは、本当に酷い。眼は血走っているし、口の端から血が溢れ出ている。まるで得物を前にした獣のようだ。

 そんなふうにシオンを観察すると言う名の余所見をしていられるほどに余裕だった。下手をするとシオンの弾幕によってダメージを受けるかもしれないのに。

 (まぁ、致命傷を喰らわなければ、問題は無いわね)

 ……と、呑気な事を考えていた。

 その時、暴風雨のように荒れ狂っていた弾幕が終わる。

 「……?」

 不思議に思って首を傾げた幽香だが、息の荒いシオンが口を開いた。

 「ッ、ァ、ハァッ……コレが通じなかったら、もう俺には打つ手が無い」

 幽香は驚く。今の今までシオンは幽香から話しかけなければ一度も喋らなかったのだ。それなのに――とも思ったが、別に不思議でも無かったと気付く。

 シオンとて意志がある。ならば話しかけて来てもおかしくはないのだ。

 「……そう。それで?」

 「貴女がコレを受ける理由は無いし、別に避けても構わない。……そうなったら、俺が負けるというだけだ」

 幽香に話しかけていると言うより、独り言を呟いている感じだ。

 どうした事かと思ったが、シオンの眼を見て悟った。もう、焦点があっていない。気力だけで意識を繋いでいるのだ。

 「それでも俺は――惨めに足掻く!」

 血を吐きながら叫んだシオンは、自身の真後ろから極大の魔法陣が光り輝く。今さっきまで何も無かったのに、だ。

 何時の間に――と思ったが、シオンならばいくらでも隙はあった。何らからの方法で隠す事だってできたはず。ただそれだけだろう。

 おそらくは先程使った技よりも威力は上。ならばこちらも相応の威力を伴った技を使うのが礼儀だろう。

 幽香は珍しく『タメ』の動作に入った。幽香がこの動作に入る事は殆ど無い。というより、必要としない。一撃一撃の威力が重過ぎる幽香は、人間で言うデコピンですらあり得ない威力になってしまうのだ。……無論、妖力による身体強化をしていたら、だが。

 そんな幽香が『タメ』る。それだけでその威力が想像できるだろう。

 一方のシオンは真後ろの魔法陣とは別に、目の前に小さな魔法陣を新たに作り出す。理由はわからない。何か特別な訳があるのだろう。

 妖力が傘の先端に、魔力が魔法陣に集まって行く。それこそ天変地異の前触れか何かと錯覚しそうだ。

 「マスター――」

 「………………」

 一瞬身を引く幽香と、身を捻って左腕を引き戻すシオン。

 「――スパーク!」

 「……ハアァッ!」

 幽香の傘から放たれる一条の閃光。それに対してシオンは腕を――()()()()()()()()

 「何を……!?」

 言って、気付く。

 ――何故、真下から光輝く何かが見える?

 目を向けると、シオンの真後ろにある魔法陣ほどではないが、それでもかなりの大きさを持つ魔法陣があった。

 (――何時の間に!?)

 あんな物を用意している暇など無かったはずだ。それ以前にどうやって魔力を――。

 視界をシオンのいる方へと戻す。そこには左腕を除いた手足を空間の歪に飲み込ませた姿が。その様はまるで、大の字に磔にされた囚人のようだった。

 手足の行き先は真下に――いや、それぞれ若干角度の違う魔法陣の元にあった。殴り、あるいは蹴りつけるようにドン! と押すと、そこから眩い光が迸り、三つの線が現れた。

 それらは幽香の放ったマスタースパークに当たると、ほんの僅かにその閃光を()()()

 シオンは祈るように眼を閉じる。

 (ここまでやったんだ。届いてくれ――!)

 幽香が最初に放ったマスタースパークの威力を計算。それを元に魔法陣に籠める魔力を逆算していく。魔法陣は『()()()()』|を()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それから自分の位置と幽香の位置を計算し、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 自身があの魔法陣に籠めた魔力から放てる力と、幽香のマスタースパークの威力を元に、『何倍まで』は弾けるのか。

 結果は――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という、絶望的な数字だった。

 普通ならば希望的な数字となるコレですら、幽香の力の前では霞む。

 一秒が何時間にすら感じられる絶望感。コレとよく似た感覚は何度も味わってきた。だが、それでも。

 ――今回だけは、今までの比ではなかった。

 シオンは閉じていた眼を無理矢理開く。

 「――!!!」

 完全には弾けていない。されど曲がってはいる。――不完全に。

 幽香のマスタースパークは、多少だがシオンの想定を上回っていたのだ。

 (――幽香は、()()()()()()()()()()()()()!!)

 本当の全力なら、触れた瞬間消し飛ぶだろう。何もかもが。

 だけどシオンは、その甘さにつけ込むしかないのだ。

 「吹き飛べえええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇッッッ!!」

 今度こそ左手を目の前の魔法陣に叩き付ける。幽香のマスタースパークには遠く及ばない、しかし人の身で出したのであれば驚嘆すべき威力を持っている。

 それでも直接ぶつかれば当然押し負ける程度の威力でしかない。だが、苦痛を伴ってでも果たした細工によって、マスタースパークと正面からは当たらない。

 (届け、届け、届いてくれ!)

 懇願するように思うシオン。

 願いは――届いた。

 マスタースパークによって威力の大半が消し飛ばされる。それでも残った一部は幽香の元へと向かって行った。

 それでも幽香は、笑っていた。

 「ハァッ!」

 気合一閃。

 傘を思いっきり横に振る、ただそれだけの動作で残った一部が跡形も無く消え去った。

 「コレで――」

 懐に飛び込んできた()()によって、幽香の言葉は遮られる。

 ()()は白かった。同時に黒かった。焦点は合っていない。唇の端からは堪えきれなかったのだろう涎が、顔から溢れた汗と混ざり合って後ろに飛び散っている。

 だが、焦点の合っていない眼は、それでもまだ死んでいなかった。

 ――二重の罠。

 そんな言葉が脳裏に浮かびあがったが、思いきり傘を振った体では動けない。

 「う」

 その間に『シオン』は『神獣化させた左腕』を振りかぶり、『今回の戦闘で()()()()使()()()魔力による身体強化』を行う。

 「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッッッッ!!!!!!」

 獣のような咆哮の末に、シオンは腕を幽香の鳩尾に捩じり込む。

 しかし幽香の体は吹き飛ばない。まるで壁に叩きつけられたかのようにしている。

 理由は明白。何時の間に戻していたのか、白夜の力によって固定化された空間が疑似的な壁の役割を果たしていたのだ。

 ――必殺の威力を、逃さないために。

 今までの人生で、コレだけの力を出した事は無い。ただでさえ神獣化の腕はシオンの腕に負担をかけるというのに、そこに『人から外れた者としてのリミッターを外した全力』、『魔力による限界を超えた左腕のみの身体強化』。

 シオンの左腕は、もうその形を成していなかった。

 しかし、アレだけの力を籠めたのだ。

 ――コレで。

 (勝った……の、か?)

 意識を保てない。今にも眠ってしまいそうだ。

 「まだまだ甘いわね」

 「――え?」

 突如目の前から聞こえた声に呆然とした声を出す。

 顔を上にあげると、そこにはまだ笑みを浮かべた幽香が、そこにいた。

 「ハ、ハハ……」

 ――苦悶の声をあげなかったのは、気絶したからだと思っていた。

 「こん、なの……」

 ――全部、無駄でしかなかった。

 「嘘、だろ……?」

 ――俺は、ここで、死ぬ?

 「まあ、よくやったとは思うわ。でも――それも、ここまで」

 「ッガ!」

 軽く顔をはたかれた。

 それだけ。たったそれだけでシオンの体は吹き飛んだ。

 クラクラとする体に力を籠めて、幽香を睨みつける。

 「まだ、まだだ! 俺は死んでない! なら、まだ――」

 「言ったでしょう? もう、ここまでだって」

 無慈悲な宣言。

 だが、受け入れられるはずがない。

 「だったらそれを証明して――!?」

 ガクン、とシオンの体が下がる。咄嗟に下を見ると、そこには左足に絡み付いた蔦があった。

 「コレは――」

 見覚えがある。その蔦に着いている『花』の名前を。

 「ハイビスカス!?」

 おかしい。ハイビスカスはこんな花ではないはずだ。ハイビスカスは『繊細な美しさ』という花言葉を持つ。こんな無粋な形をした蔦など無いのだ。

 なぜ――だが、疑問を持つと同時に蔦を斬ろうと右腕の白夜を振りかぶっている。体に刻み込まれた経験が、勝手に体を動かしたのだ。

 それも蔦が動いた事によって空振りに終わる。

 必死に体を動かして解こうとするが、一瞬日差しが遮られた事によって、後ろに何かがあるのに気付いた。

 「あ――」

 鋭い。そんな印象を与える蔦が、シオンの背中を切り裂いた。

 

 

 

 

 

 「……?」

 殺す気はなかった。しかしおかしい。背中を切り裂いたのに、なぜ『ガキン!』という、何か硬い物を弾いた感触がしたのだろうか?

 疑問に思う幽香だが、ふいに悪寒が全身を包む。

 半ば勘のようなものでその場から動く幽香。その頬を、何かが掠めて行った。

 『斬撃』の飛んで来た方向。

 そこには、驚嘆すべき事に、シオンが、まだ、動いていた。

 「――て、ない」

 ノロノロと体を動かす。

 「まだ、終わって、ない」

 それでも、シオンは体を動かす事をやめない。

 「死んで、ない、なら」

 全身血塗れ。それでも、なお。

 「戦え、る!」

 「……!」

 はじめて、幽香は、シオンを、()()()()見た。

 ありえない。それだけしか感想が浮かばない。

 普通、アレだけの大怪我を負えば、大妖怪でもその痛みに耐えられない。

 シオンの本質を『戦い続ける道具』と称したが。

 あんなのは、絶対にありえない。生きている以上、限界はあるのだ。

 なのに、アレは。

 まるで――まるで、心の奥底にまで刻み込まれた、強迫観念のような何かに縛られているかのようだ。

 「まだ……」

 「ッ!」

 あのままでは、本当に死ぬ。

 傍目から見れば致命傷にしか見えないが、幽香は気絶するだろう、しかし致命傷では無いギリギリのところで手加減をしていたのだ。

 しかしシオンは、その手加減を無視して動いている。アレでは傷口が開いて、本当に致命傷となってしまいかねない。

 ――仕方がないわね。

 幽香は、シオンの前へと瞬時に移動する。

 勢いを殺さずに腹に肘打ち。流れるように掌底で顎を打ち抜き、体を捻って頭を蹴り、地面に落とす。

 それでもシオンは、落ちる寸前、呟いていた。

 「まだ……」

 ――と。

 

 

 

 

 

 落ちる。

 意識が泥の、もがいても決して出られない、闇の中へと落ちて行く。

 (終わ、り……? 俺の人生は、こんな……)

 生まれて初めて、負けた。

 シオンは今まで一度も負けた事が無い。

 シオンにとっての負けは、イコール死だったから。

 だから負けられない。だから戦わなければならない。

 だけど――負けてしまった。

 (せっかく……生きようと。そう、思えたのに……)

 思った矢先でコレだった。本当に、運が無い。

 シオンがやろうとしていた事全てが裏目に出る。ここまで来ると、もう笑うしかない。

 (情けない……)

 ふと、走馬灯のような物までもが見えてきた。

 ――ああ、本格的に死ぬ寸前みたいだ。

 その、瞬間に。

 シオンは、泣いている少女の姿が見えた。

 『私はシオンを信じる。だから……絶対に、生きてここに来てね』

 (え……)

 泣いていた。もう少しだけ一緒に居たいと。それでも自分の我儘で外に出た。

 泣き叫びたかっただろう。はじめてできた友達だったのだろう。

 それこそ、一緒にいるために殺そうとしてきたくらいなのだから。

 なのに、信じてくれた。心の奥底では怯えながら。死んでしまうのではと恐怖しながら。

 そんな思いを――踏み躙る?

 (……本当に、終わるのか? こんなところで?)

 まだだ。まだ終わっていない。

 約束したのだ。生きて帰ると。

 (また、破るのか? 約束を)

 もうあんな思いはしたくない。そんな事なんてできるわけがない!

 (……そうだ)

 まだ、完全に死んではいない。

 (約束は、守るためにあるんだ)

 もう一度、思い返す。

 約束を交わした、あの大切な一瞬を。

 (そうだろ、フラン!)

 

 

 

 

 

 「まだだ!」

 「な――!?」

 上下前後左右全てに魔法陣が展開されていく。

 「いつの間にこんな――!?」

 どうやって魔力を籠めた? そもそも魔法陣は何時展開した? そんな暇など無かったはず――様々な思いが駆け巡るが、驚いている暇など無い。

 もう、魔法陣は作動しているのだ。

 一撃一撃が尋常ではない威力を持っている。先程幽香が放ったマスタースパークほどではないのだが、総量ではソレを上回っていた。

 「どうして――どうしてはじめからコレを一撃に籠めなかったの!?」

 「俺の体が、脆弱だったからだ」

 今もシオンの体は空中から地面に落ちている。距離もかなり離れた。周囲には雑音。なのに、不思議とその声は聞こえた。

 (脆弱――? どういう事? シオンの体は、むしろ頑丈なはずじゃ――)

 幽香にはわからない。どういう事なのかが。

 コレはシオン以外は誰も知らない事実。

 シオンは、身体強化を使っても、体の耐久度が増加しない。

 それ故にシオンは『一定量の魔力しか使えない』のだ。

 そもそも気も魔力も、本来人の身で出せる力を遥かに超えた超常の現象。

 なのに耐えられているのは、一重にその気や魔力を使うに足る体としているからだ。

 方法はいくつかある。まず最も単純なのは『気や魔力を幼少から使っている』事だ。気や魔力を体に馴染ませ、使ったところで影響が出ないようにする。

 ただし、ついこの間習い始めたシオンには、この方法は使えない。

 次に体を鍛える事。要は魔力を放出しても耐えられる体にすればいいという、ある種野蛮的な考え方だ。

 コレもシオンにはできない。確かにシオンは並外れて頑強だが、『幼い体躯であるが故に循環させられる魔力量が少ない』弱点を持つ。つまり、シオンは大人に比べると、魔力によってかかる負担が大きい。

 あるいは身体強化を使って体の耐久度を上げれば別だが――なぜか耐久度が上昇しないシオンには無理だ。

 他にも方法はあるのだが、どれもこれもがシオンにはできない方法だった。

 だからこそシオンはなるべくしたくなかった最後の手段、『一定量の魔力を放出して使う』という方法しか取れなかった。

 一定量しか使えないから魔力による一撃は弱いし、弾幕を形成する魔力ばかり使えば身体強化など扱えるはずもない。

 シオンが何千何万と弾幕を作れたのも、一秒二秒のタイムラグを挿んでいたからにすぎないのだから。

 それ故に幽香は勘違いした。――シオンは、『()()()()()』気や魔力を使っていない、と。

 シオンがわざわざ魔法陣に魔力を溜めこんでいるのもコレが理由だ。一定量しか使えないから外部に、それこそ貯水タンクに水を溜めるように魔力を集めるしかない。

 問題はある。いくら溜められるとは言っても、貯水タンクに溜められる水の量に限界があるように、魔力を溜められる量にも限界はある。

 いくつか工夫をして『体外に放出した魔力』をそのまま魔法陣に籠める事はできるようにした。要は『弾幕となった魔力をそのまま魔法陣に籠めた』事で現状を作り上げたのだ。

 だが。

 シオンが魔力を溜めこむ過程と、魔法陣を通して魔力を放つ過程で。

 火や水のエネルギーを電気エネルギーに変える時、多少は散ってしまうように。

 シオンの魔力は、空気中に消えてしまう。

 例えそれが全体の何パーセントにも満たないでいようと、それがかなりの量ともなれば、話しは変わってしまう。

 だから全力が出せない。全ての魔力を籠めるには大きすぎる魔法陣を作らねばならず、さらにそこに魔力を籠めるのにも数時間以上かかる。更に数時間籠めて溜めた魔力も、本来の二割以上が消えてしまう。

 コレらは数年すれば解決する問題。

 その『数年』が、シオンには果てしなく『遠い』。

 だがここで勘違いしてはいけない。

 シオンは魔力を一定量までしか使わない事で体に負担をかけないようにしているだけで。

 

 

 ――強大な魔力を一気に放出する事ができないわけではないのだ。

 

 

 (考えろ……! 空気中に散らさずに魔力を放つ方法を!)

 結果は不可能。既知の方法ではできない。

 ならばどうするか。『発想』できないシオンは、新たに考え付く事はできない。

 (今まで見て来た技で、何か――待て)

 そうだ。

 (()()()()()()()()()?)

 見たじゃないか。ついさっき。

 (――ああ、そうだ。単純だ。何を今更。バカすぎるな、俺は)

 体勢を、変える。

 残った右腕の先に、体内の奥底にある魔力を掻き集める。

 ありったけを。自分の体が消し飛びかねない量を。

 バチッ、バチッ、と、掌に少しずつ集められた魔力がうねりをあげる。

 今にも暴発しそうだ。

 こんなのを、幽香は制御していたのだ。

 だけど、もう十分だ。

 「マスター――」

 幽香は目先の弾幕に眼を奪われている。

 (コレが本当の、最後のチャンス)

 体を捻る。そして、腕を前に――

 

 

 突き出した。

 

 

 「スパアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーク!!!」

 真下から迫る閃光。

 「な――私の技を!?」

 透明な、シオンの『色』を表すかのような色。

 その『色』に、花畑は包まれて――。




魔法の使用時のデメリットは完全に独自解釈です。
単純に、「どうして大量破壊魔法を使っているのに術者の方には影響が出ないんだ?」と思わされる小説や漫画があったので、こっちでは理由づけしただけです。


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Sideアリス/甘え、頼る事

15日もの間空けてすいません!

親からパソコン禁止令出されて一切触れませんでした……
この話も親がいない間にちょこちょこと書いてたものです。

ゲームもWeb小説も読めないのが辛い……


 永琳にあの薬を塗られてから実に数日間、アリスはずっと苦痛と戦っていた。

 両腕に走る熱。それが常に火で炙られている錯覚を与えているのを、アリスはずっと耐え続けていた。

 子供とは思えぬ精神力。しかしそれがアリスをアリスたらんとしているもの。

 英才教育を受けたお蔭で並みの子供よりは賢いアリス。だがそんなものは同じ内容の教育を受ければ大なり小なり似たようなものになる。

 つまりアリスは、並みよりは上だが突出した才能を持っている訳では無い。

 その唯一の例外がそこらの大人を超える強靭な心。コレがあったからこそ、アリスはずっと他者から害され続けられたのに耐えられた。

 だからこそ、今回の試練にも耐えきったのは、いわゆる必然というものなのかもしれない。

 しかし、それでも痛みが引いた時には意識が途切れて、数時間ほど気絶してしまった。

 数日間ほぼ付きっきりで看病してくれていた鈴仙を慌てさせてしまったのは、今回の中で最大の失態だった。

 「……ん……。アレ、ここ……」

 目を覚ました時に見たのは、見慣れない天上だった。

 「アリス、起きましたか!?」

 「……鈴仙? じゃあ、ここは、鈴仙の部屋?」

 「はい。師匠の部屋でもよかったのですが、今は師匠と一緒にいたいとは思わないので……」

 その言葉に疑問を覚えたアリスだが、ふと思い出す。

 朦朧としていた意識の中で、隣の部屋から怒鳴り声が聞こえたのを。

 「もしかして、永琳様と喧嘩を?」

 「う……」

 気まずそうに目を逸らす鈴仙。

 どうやら図星らしい。一言物申そうかと思ったが……やめた。

 (自惚れじゃなければ……鈴仙は多分、私のために怒ってくれたのだから)

 鈴仙は優しい。だからこそ、アリスはニッコリと笑った。

 「ありがとう、鈴仙」

 「な、何がですか? 私は特に何もしておりませんよ」

 「……なら、そういう事にしておくね」

 アリスは知っているのだ。

 鈴仙がずっと、アリスのために永遠亭を駆けまわっていた事に。

 その証拠に、ずっと寝込んでいたのにも関わらず、アリスの体は汗でべたついたような不快感が無い。服だって寝間着に変わっている。

 クスクスと笑っているアリス。

 居心地が悪くなったのか、鈴仙は少しだけ赤くなった顔を誤魔化すように立ち上がると、襖に手をかけた。

 「ア、アリス、小腹が空いていませんか? お粥を作って来るので、少々待っていてください」

 鈴仙はアリスの返事を聞かずにその場から退出していった。

 (ちょっと悪い事しちゃったかな……四日間ほとんど寝ずに看病してくれてたのに……)

 あまり目立たないようにと化粧で隠していたようだが、逆にそのせいでアリスは気付く事ができた。基本的に弱みを見せてはならない王族や貴族は自身を着飾るのが常。だから化粧に関する事は幼い時から叩き込まれていた、それが理由だ。

 そう思って反省していたアリスだったが、ふと寝間着の袖を捲ってみた。

 「……治ってる」

 自身に傷をつけるという凶行を致す前の、健康な両腕だ。

 いつも迸っていた鈍い痛みも消えている。クリームのようなモノを塗っていた時の強烈な痛みは正直もう遠慮したいが、それでも腕が綺麗になったのは、とても嬉しかった。

 アリスは知らず知らずのうちに、小さな微笑みを浮かべていた。

 それから数分後、ふと我に返ったアリスは、横にあった服……というより、着物を手に取った。

 だが、どう着ればいいのかがわからない。困惑していたアリスは、しばらくの間その場で待つことにした。

 そう思った瞬間、後ろの襖が開いた。

 「アリス、お待たせしました――って、ああ、着替えるのは待って下さい。お粥を食べ終わったら私が手伝いますので。まあ、その前にお風呂に入るのをお勧めしますが」

 その後の言葉に、「数日風呂に入ってないので汗臭いと思いますし」と思ってしまったのは、アリスも幼いとはいえ女だからだろうか。

 若干顔を引き攣らせてしまったアリスだが、鈴仙からお粥を受け取ると、布団から少し離れたところにあったテーブルの上に乗せ、スプーンを取る。

 そして一口。

 「……美味しい」

 思わず漏れた賛辞に、鈴仙の耳がピョコ、と動いた。鈴仙自身の表情は変わっていないところを見るに、おそらく耳が本心、顔は冷静さを取り繕っているのだろう。

 それによくよく見れば、鈴仙の顔はニヤけそうになるのを堪えているかのようにヒクヒクと動いている。そっちの方が逆に怖い。

 遂に耐え切れずに笑ってしまったアリスに鈴仙が顔を真赤にする。

 「わ、笑わないでください!」

 「だって……フフフッ」

 どう見ても変な表情なのだ。むしろこちらを笑わせてきているとしか思えない。

 真赤になった鈴仙を弄りつつ、アリスはお粥を食べ終えた。

 「ねえ鈴仙、機嫌なおして。ね?」

 「ふーんですよ」

 弄り過ぎて機嫌を損ね、拗ねてしまった鈴仙はプイッと顔を背けている。その姿はどこか愛嬌があって可愛らしいのに気付いていないのだろうか。

 「どうしたら機嫌なおしてくれる?」

 「私は拗ねてませんよ」

 「……そのセリフを言っている時点で拗ねていますと認めているようなものじゃ……」

 「……へえ。そんな事言うんですか」

 低い声でボソリと呟く鈴仙。

 アリスは思った。……あ、地雷踏んぢゃった、と。

 

 

 

 

 

 「さあ、早く()()を渡してください。マナー違反です」

 「鈴仙が私から離れてくれれば取るから、ちょっと離れてくれない?」

 「アリス、そんな事をしても無駄ですよ? 妖怪である私はアリスの身体能力を遥かに上回っています。無駄な抵抗はやめて早く渡してください。それとも……実力行使をお望みですか?」

 「く!」

 渋々と、本当に渋々といった様子でアリスは()()を鈴仙に渡す。

 「はじめからそうすればいいのですよ。お風呂の中にタオルを入れるのは厳禁です」

 そう、二人は風呂に入っていた。

 先程どうすれば機嫌をなおすのかという発言に対する鈴仙の要求がコレだったのだ。

 が、ならば何故こうなっているのか。それは二人が服を脱いでから現在に至るまで、それぞれの差に原因がある。

 鈴仙は誰が見てもスタイルがいい。手足はスラリと長く、指先までもが美しいだと思う。爪も手入れされているのか、汚れなど一切ない。

 ある程度運動しているのか、はたまた別の要因か、お腹も引き締まっていて、しかし硬そうには見えない。

 (胸だって……)

 とそこまで思ったところで、何となく自分の体を見ていた様をニコニコと眺めていた鈴仙は、ジロジロとアリスを見た。

 「ふふ、やはりまだ子供ですね」

 「ど、どこを見て言っているの!?」

 「おや、言ってもかまわないのですか?」

 「……言わないでくれると、ありがたい、です」

 真赤になって俯くアリス。先程とは全く真逆の光景だ。

 そんな状況で、アリスはチラチラと鈴仙を見ていた。

 むろん、その視線に気付かない鈴仙ではない。

 「どこを見ているのですか、アリス? 気にする事でも無いでしょうに」

 「それは嫌味? 嫌味なの!? わかってるくせに!」

 「わかってると言われましても……主語が無ければ伝わりませんよ?」

 ニコニコと笑って(アリスには意地悪く笑っているように見えて)いる鈴仙。

 が、そこでアリスが反撃に出た。

 「それ!」

 「え、きゃっ!?」

 バシャリという音とともに、顔に水をかけられる。

 咄嗟に顔の前に腕を交差させて目に入らないようにしたが、それこそがアリスの狙いだった。

 「こんなもの! こんなもの!」

 「ちょ、アリス、やめてください! って、そんなに強く掴まないで……! 地味に痛いんですから!」

 上半身についてある『モノ』を無理矢理グニグニと掴まれているせいで、微妙な苦痛を与えられる鈴仙。

 しかしそんな鈴仙の苦情はあっさりとスルーされた。

 「何がお子ちゃまなのよ! 言ってみなさいよ!」

 「アリスがお子様なのは年齢的に考えて当然――ってああすいません! そろそろやめてください本当に!」

 反論した鈴仙の言葉に、遂にアリスが容赦なくなりはじめた。

 どんどんヒートアップしていく二人の絡み合いに――

 「……何を、しているの?」

 「「……え?」」

 扉の前に立ち、ヒクヒクと頬を引き攣らせている永琳を見てアリスは、

 ――……あ、マズい事になった。

 と、思った。

 どうやっても言い訳できない。鈴仙は痛みのせいか涙目になっていて、アリスはどこか嗜虐的な笑みを浮かべている状態だ。

 鈴仙は被害者的立ち位置だが、アリスだけはどんな観点から見ても自分と同じ女性を襲っている加害者(ヘンタイ)にしか見えなかった。

 瞬時にそう判断したアリスは、鈴仙のアレから手を離してワタワタと弁明する。

 「こ、これはちょっと気になっただけで! 私にはまだないから!」

 「……それにしては、悲鳴が聞こえてきたのだけれど」

 「それはそれはえーと少し強く掴んじゃったから!」

 どんなに弁明しても永琳のジト目というなの疑いの視線は晴れない。

 「だから私は女の人が好きなわけじゃなくて……」

 「……ええ、大丈夫よ。私は貴方がどんな性癖を持ってても気にしないから」

 「私はちょっと不安ですけど……大丈夫ですよ? アリスは友達ですから」

 「全然わかってない!」

 遂には怒鳴ったアリスは、二人の視線がどんなモノに変わっているのかすら気付かずに叫んでしまった。

 「ああもう! 私は普通に男の子が好きな普通の女の子です!」

 「……へえ」

 「……ほお」

 「……あ」

 永琳と鈴仙の視線が全く別の、ニヤニヤとしたからかっているものに変わっているのにやっと気付いた。

 カアァァッ――と顔が真赤になっていくのを自覚するアリス。

 つまりコレは、最初から最後までからかわれていた、という事だ。

 「……いじわる」

 「すいませんアリス。でも、最初に私をからかったのはアリスですよ?」

 「私はその現場を見てはいないけど、面白そうだからつい、ね。でもまあ、赤くなって恥じらっている貴方は可愛いと素直に思うわよ」

 肩を竦めた永琳は、それだけ言い残して出て行った。

 風呂に浸かっている鈴仙はまだ出ない。なので、まだ少しだけ顔の赤いアリスの相手をする事にした。

 「アリス、コレでお相子……というつもりはありませんが、代わりに、私が軽いお願いなら聞くという条件で機嫌をなおしてください」

 「……だったら」

 アリスが言ったお願いは、鈴仙ですら拍子抜けする簡単なものだった。

 

 

 

 

 

 「では、眼を閉じてくださいね」

 「うん」

 鈴仙はアリスの頭にお湯をかけ、泡を落とす。

 アリスのお願いは、自分の頭を洗って欲しいというものだった。

 ザバァーとお湯をかけ、丁寧に、綺麗にしていく。

 タオルなどでしか軽く拭けていなかったアリスの体と髪は、もう艶やかになっている。元々のケアがよかったからだろう。

 「はい、終わりましたよ」

 「ありがとう鈴仙」

 「でも、コレでよかったのですか? もう少し難しいお願いでもよかったんですよ?」

 「ううん、私はコレがいいの」

 少しだけ、アリスの声音が沈んだようになった気がした。

 そしてそれは、気のせいでもなんでもなかった。

 「私は王族だって言ったでしょ? だから私は、お父様にも、お母様にも……兄様や上の姉様、下の姉様にも甘えるなんてことは、許されなかった。ううん、そもそも、この人たちは、私の『家族』なんだ! って、胸を張って言えるのかもわからないの」

 家族として過ごした記憶なんて数えるほどもない。贅沢な話だが、平民の子供の方が羨ましいと思った事だってあった。

 例え不自由であっても、『籠の鳥』ではないのだから。

 今思えば、『家族』との幸せな記憶など持っていないから、アリスは誰も信じられなかったのかもしれない。

 今となっては、どうしようもない事だが。

 「……だから、なのかな。私は鈴仙に甘えて……『お姉ちゃん』がどんな感じなのか、知りたかったの」

 「アリス……」

 権力を持つ者には、相応の義務を果たさなければならない。むろん欲望に塗れた人間は、権力を笠に腐ったような真似をする奴だっている。

 しかし、アリスは違う。誰かに甘える事も、頼る事さえしなかった。

 その結果が、この、寂しそうな小さな背中だった。

 「……大丈夫ですよ」

 「え?」

 鈴仙は、アリスを抱きしめた。

 小さい体躯。鈴仙が全力を出せば、すぐに死んでしまう儚い命だ。そんな事をするつもりはないが、それでも、放っておくことなどできなかった。

 「何が、大丈夫なの?」

 「そうですね……。では、こういう事にしましょう。私はアリスの『友達』……兼、『お姉ちゃん』です」

 「鈴仙が……『お姉ちゃん』?」

 「はい。普段は『友達』として、アリスが甘えたい時は『お姉ちゃん』になります。だから、いつでも私を頼ってください!」

 だが、難しいだろう。甘える事も頼る事もしたことが無い人間にいきなりそう言っても、ただ戸惑うだけだ。

 今はそれでもいい。手探りでも少しずつ頼って、甘えてくれれば。弱音を吐けるようになってくれれば、それだけでいいのだ。

 ほんのはじめだけは、鈴仙が導けばいいのだから。

 「なので、まず最初のアリスの『甘え』を『お姉ちゃん』に言ってください!」

 こちらを振り向き、呆然としているアリスに、鈴仙は任せなさいという意味を込めてドンと腕で胸を叩く。

 少しして表情を変えるアリス。恥ずかしそうで、困惑しているようで、泣きそうで……そして、嬉しそうに。

 「それじゃあ、私と遊んで? 『お姉ちゃん』」

 そう、言った。

 

 

 

 

 

 「……また負けた」

 「仕方ありませんよ。でも、どんどん強くなっていますので、そろそろ私では辛くなってきましたね」

 風呂から上がった二人は、体を拭くのもそこそこに――髪だけはしっかりと拭いた。髪は女の命なのだ――鈴仙が取り出した将棋で遊んでいた。

 理由は単純、二人でやるならば将棋かチェスなどといった二人用ゲームの方が楽しいからだ。トランプなどのカードゲームもあるが、アレは多人数用。二人だけでやるには適さない。

 外で遊ぶのは論外だ。そろそろ暗くなってきているし、何より身体能力に差がありすぎて話にならない。

 そして通算十五戦目が終わる。最初の何回かはほぼ一方的に終わっていたが、十を超える頃には何度か鈴仙をヒヤリとさせる場面があった。

 とはいえやはり素人、そのチャンスをモノにできず負けたが。

 しかしうまくやれば鈴仙に勝っていたのも事実。元の頭のデキが違うのだろう。

 「もう一回やろ、鈴仙!」

 「私もそうしたいのですが……そろそろご飯を作りませんと。その他にも洗濯などの家事もありますし。続きは、それが終わってからですね」

 「……はーい」

 ダダをこねても意味が無いのはわかっているのか、不服そうに頬を膨らませつつも頷いてくれるアリス。

 今ここに至るまであった、全身に張り付いていた緊張感が消えている。リラックスしている、ということなのだろう。だからこそ、大人びたような雰囲気を消し、ただの子供として甘えてくれている。

 それが嬉しいと、素直に思う。あの大人びたアリスもいいとは思うが、やはり自分自身を出してくれる相手と一緒に居るのは気持ちがいい。適度な気遣いもできるので、疲れもない。

 「今夜は、いつもより美味しい物を作れそうです」

 小さく鼻歌をしながら、鈴仙は料理の準備を始める。

 その日の料理は、全員が賞賛するほどのものとなった。

 

 

 

 

 

 同日の夜。アリスは自身があてがわれた部屋にいたが、布団を敷くことも無く、その場でグルグルと歩きながら迷っていた。

 既に寝間着に着替えていた。しかしそれでも歩いているのは、ただ悩んでいたからだ。

 「……ても、いいのかな」

 「何がいいのかしら?」

 「ふえッ!?」

 驚きながら振り返ると、そこには永琳がいた。

 「驚かさないでください!」

 「一応、声をかけていたのだけれど……余程悩んでいたのね。可愛らしい声だったわよ」

 「――……~~~~何の用ですか!?」

 話しを逸らすようにアリスが叫ぶ。

 「もう夜も更けるわ。少し声を落としてちょうだい。……少し、話しをしようと思って、ね」

 「……話し、ですか?」

 「ええ。と言ってももう夜だから、端的に言うけれど……貴方、私に魔法の使い方を習ってみる気は無い?」

 「え……魔法の、使い方?」

 眼を見開き硬直するアリスに、永琳は軽く頷いた。

 「む、無理ですよ! 私はずっと魔法を使おうとしてきましたが、結局は今に至るまで、魔法の発動すらできませんでした、から……」

 「そうね。でも、私は貴方『たち』とは違うわ。まあ、するかどうかは明日、私のところに聞きに来なさい。確実とは言えないけれど、貴方が魔法を使えない原因ぐらいは探れるから。……それじゃ、お休みなさい」

 そんな爆弾を残して、永琳は部屋を去って行く。

 アリスは、その場にズルズルと座り込んだ。

 「……今更ここで、魔法を学んでも……」

 意味なんて、ない。そう言おうとした。だけど、そんなのは違う事に気付いた。

 この世界は、自分が居た世界となんら変わらない。人は殺し殺される。妖怪という存在に。もしも身を守りたいなら、どんな方法であろうと強くなるしかない。

 「でも……」

 もしも原因がわかって、魔法が絶対に使えないとわかったら。今までの努力が全て何の意味も無いモノだと言われたら。その時自分は、どうなるのだろうか?

 そんな思いが、拭えなかった。

 「どうすれば、いいの?」

 自分一人では答えすら出せない臆病者。

 そんな時、ふと鈴仙の言葉を思い出した。

 『私はアリスの『友達』……兼、『お姉ちゃん』です』

 「……頼っても、いいのかな」

 迷惑がられたら、怖い。

 『普段は『友達』として、アリスが甘えたい時は『お姉ちゃん』になります。だから、いつでも私を頼ってください!』

 「……でも」

 『アリスの『甘え』を『お姉ちゃん』に言ってください!』

 アリスは、どうするのかを決めた。

 

 

 

 

 

 とある部屋の前で、アリスは少しだけ迷っていた。

 それでも、と。襖を開けて、部屋の中に入った。

 「鈴仙、まだ起きてる?」

 「……起きてますよ。いつ中に入って来るのかと思ってました」

 「気付いてたの?」

 「兎ですから」

 少しだけ恥ずかしそうに答える鈴仙。

 この様子を考えるに、アリスが迷っていたのもバレていそうだ。

 「それで、どうしました? もしかして、私と一緒に寝たいとか?」

 だが、アリスが『何に』迷っていたのかはわからなかったらしい。

 アリスが胸に枕を持っていたのも理由だろうが。

 「うん……それと、相談してもいい? 『お姉ちゃん』」

 「! はい、もちろんです」

 少しだけ兎の耳を跳ねさせた鈴仙だが、優しげな微笑みを浮かべると、腕を腹にかけていた布団の端に寄せてそこを掴み、上にあげた。

 「ですが、流石に五月では夜は寒いでしょう。せめてお腹には布団をかけてください」

 「わかった」

 いそいそと枕を鈴仙の横に並べ、体を横たわらせる。

 そうしてゴロリと体を鈴仙の方に向ける。鈴仙もアリスの方に体を向けていた。

 「それで、相談とは?」

 「えっと……さっき、私の部屋に永琳様が来たの」

 「師匠が?」

 「うん。それでね、私が『魔法を使えない理由』を解明するくらいはできるって言われて……明日、自分のところに来るかどうかを決めなさいって」

 「それで迷っている、と?」

 「……うん」

 鈴仙は悩む。下手な事など言えるはずがない。が、肝心な事を忘れていた。

 「そういえば、アリスは魔法が使えないのですか?」

 アリスの身体の中にはかなりの魔力が眠っている。それだけの量が合って使えないのは、恐らく稀だと思う。魔法を使った事が無いという線も、アリスの様子からしてありえない。

 「そう言えば、誰にも言ってなかったわ。……あれ? だったら、どうして永琳様は私が魔法を使えない事を知って……?」

 「それは師匠ですし」

 本当に、どこから情報を持ってきているのか気になってしまう。

 一つの事象を知れば連鎖的に他の事象を探れると言っているが、そんな事ができるのは人間の歴史を見ても――他の世界を含めても――皆無と言ってもいいだろう。

 ついつい苦笑してしまう鈴仙に、アリスも釣られて笑ってしまった。

 だが、その小さな笑顔も、すぐに消える。

 「それでね、思っちゃったの。永琳様はただ解明できると言っただけで、私が魔法を使えるようにするとは一言も口にしてないって事に」

 「……だから、不安だと?」

 「それもあるけど、もう一つある、かな。実を言うと、多分こっちの方が理由としては大きいと思う」

 「魔法が使えないよりも大きな不安とは、一体……」

 アリスはそれに答えず、仰向けとなった。

 どこか躊躇っている様子。鈴仙は急かさず、アリスが言いたい時に言わせる事にした。

 やがて、アリスは滔々と自身の思いを口にする。

 「……私はここに来るその寸前まで……大体、五年くらいの間、日々魔法を使うための努力をしてきたの。それが明日、たったの数時間程度で、私が魔法を使えるのか、使えないのかがわかっちゃう。だから私は、私が今までしてきた事が意味の無いものになってしまうのを恐れてる。私がずっと努力してきた事は、何の意味も無い、ただの悪あがきだったんじゃないかって事に……」

 五年。その歳月は、妖怪にとっては短くとも、人間にとっては膨大な時間だ。特に、遊びたい盛りの子供ならば、なおの事。

 それら全てが一瞬で無に帰すとしたら……確かに、恐ろしい。今まで歩いて来た道、その足場が崩れ去るような気分だろう。

 鈴仙も、似たような思いを感じた事があったから、よくわかる。

 あの絶望感は、生半可なものではない、と。

 だからこそ、気休めなど言えない。本当に、鈴仙が心の底から思った事を、そのまま口に出すべきだ。

 「……本当に、全てが無駄だったのでしょうか?」

 「それは……でも結局目的が果たせなかったら、この五年間の意味なんて……」

 「確かに、アリスの目的は魔法を使う事だったのでしょう。それが使えないとわかれば、魔法を使うための練習は、無駄となります」

 「…………………………」

 「ですがアリス、貴方がその時必死に努力したという事実は残ります」

 「え?」

 「努力し続けた時に、貴方はきっと、周りから何かを言われたでしょう。それがどんなものかはわかりませんが……きっと、もう全部投げ出したいと、そう思った事があったはずです。それでもアリスは諦めなかった。それはとても凄い事です。その不屈の心は、これから先の人生で役に立つはずですよ。『あの時の辛さに比べれば』と。……こんなものは、結果論にすぎませんがね」

 そして、更に鈴仙は言い告げる。

 「もちろん強制はできません。結局使えないとわかって、それでもなお何か別の方法を見つけるのか。それとも別の事を目標にするか。あるいは……全てを投げ出して、何もせずに過ごすか。私はどれでも構いません。他者が何か言っても、それは本人にとって煩わしい、ただの戯言にすぎないのですから」

 ですが、と。鈴仙は、顔だけをアリスに向ける。アリスも、鈴仙の方に顔を向けていた。

 「もしも何かをしたいのなら、例えそれが辛い事を忘れるための逃避でも。……もしできるのであれば、私と一緒に料理などの家事をやり、それを学んでみませんか? 魔法を使う事だけが、人生の全てでは無いのですから」

 鈴仙は眼を閉じる。これ以上言う事は無い。後は全て、アリスが決める事だ。体もアリスのいる方とは反対方向にし、言葉ではなく、態度で理解させておいた。

 アリスは鈴仙が動いた事にも気付かず、ただ考え事をしていた。

 (私がしてきた事は無駄じゃない、それはとても凄い事……か)

 それだけでも十分な気がした。

 仮に鈴仙から全てを否定されたなら、アリスはきっと、泣いていた。鈴仙の目すら気にせず、大声で。

 それに、鈴仙はもう一つの『道』をくれた。

 魔法という概念に雁字搦めに縛り付けられていたアリスの心を解く、素敵な道を。

 (……鈴仙と一緒に料理を作ったりする。とても楽しそう……)

 もうアリスは、魔法を使えなくてもいいと思い始めていた。

 心が軽い。なんとなくだが、体も軽くなった気がした。

 魔法だけが全てでは無いと、鈴仙が教えてくれたから。

 「……ありがとう、鈴仙」

 それに応えるように、鈴仙の耳が少しだけ跳ねた。

 

 

 

 

 

 次の日の五時頃。起きるのには早い時間だが、何となくアリスは、永琳はもう起きているだろうと思っていた。

 アリスは鈴仙を起こさないように布団を出ると、部屋に戻って着替えようと襖を開けた。

 「……うまくいくのを祈っていますよ、アリス」

 部屋へと戻ったアリスは寝間着を脱ぎ、なぜか置いてあった、ここに来る時に来ていたドレスを手に取った。

 昨夜、この部屋にこんなものは無かった。つまり、誰かがここに置いて行ったのだ。

 そんな事ができる人物は、おそらく一人だけ。

 アリスは手早く着替えると、廊下を歩き、一旦玄関へ行って靴を取り、それからまた廊下を渡って庭へと出た。

 そこにはやはり、あの人がいた。

 背を向けて佇んでいる永琳は、アリスを見ずに言った。

 「……それで、返答は?」

 アリスは答える前に、まず永琳の前に出た。

 コレは相手から申し込まれたとはいえ、アリスの考えられる限りでは、相手にメリットなどほとんど無い。なのに永琳の顔は真剣だ。ふざけた雰囲気など欠片も無い。

 いつもならば気圧されるだろうそれに、アリスは微塵も怯えなかった。

 だからこそアリスは、相応の礼を尽くす。

 「このような早朝、にも関わらず待っていて下さった貴女様の好意、とても嬉しく思います」

 王族として躾けられたが故に優雅さを持った礼。永琳は小さく頬を緩めると、すぐに顔を引き締めた。

 「それで、貴方はどうするのかしら? 受ける? それとも受けない?」

 「……それは昨晩、とても悩みました。ですが、私は決めたのです。私は――」




シオンは言うに及ばず、アリスも九歳の子供とはとても思えませんね。
というかなぜ私は『子供らしい子供』を書けないのでしょうか。若干悩みます。
少しだけ子供っぽい箇所はありましたが……アリスの悩みも年不相応……

いつか子供らしい子供の姿を書きたいものです。

次回はシオンSideに戻ります。
あの二人の戦闘の行方は一体どうなったのか!?
……まあ、その次回が何時投稿できるのかが不安なんですけど……
一応5日区切りではあるのでたまに覗いて下さると大変うれしいです。


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Sideシオン/敗北の意味

最近かなり忙しくなり、執筆時間が足りません。

学校の文化祭で映画撮る事になり、その台本の草案作ったりとか……!

皆の意見取り入れたりしてたので時間かかりました。

段々不定期更新に近くなりましたが、完結はさせますので、どうぞよろしくお願いします。


 花畑を埋め尽くす閃光が尽きる。

 その場所には、あの閃光に包まれていた幽香が浮かんでいた。

 無敵。彼と彼女の戦闘を見ていた人間が見れば、そんな言葉が脳裏をよぎるだろう。

 「…………………………」

 しかし、本当に幽香は無敵なわけではなければ、まして無傷でもなかった。

 彼女の右腕は、酷い火傷を負っていたのだ。

 あの時、閃光に包まれた、その寸前の一瞬。幽香はまず左腕に持った傘をその場で回転して一閃すると、上左右から飛んで来た弾幕を吹き飛ばしたのだ。

 だが見た目の派手さに比べて、弾幕は呆気無く消し飛ぶ。つまり、これらは完全に囮でしかなかったのだ。

 幽香は下方から迫る、自身の技、その模倣技である『マスタースパーク』に対し、左腕でぶん殴った。むろん妖力でコーティングしてはおいたが、それを意に介さぬようにその砲弾は左腕に直撃した。

 大きさに対して被害は少ないと思えるが、その理由は至極単純で、幽香の一閃が威力のほとんどを吹っ飛ばしてしまったのだ。

 それでもなお幽香の異常とも言える身体能力故に頑丈な体、その左腕に手傷を負わせられたのだから、シオンの一撃は無駄では無い。

 「――まあ、それも私を殺しきれなかった時点で無駄になっているのだけれど」

 下を向いた幽香は、そこにいるシオンを見る。

 正確には、地面に落ちたシオンを。

 普通に考えれば、あの高さから落ちれば、生身の人間とそう変わらない耐久力しかないシオンは地面に落ちた真赤なザクロと化してもおかしくはない。

 が、シオンは生きている。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 巨大な花弁はシオンの小さな体躯を受け止め、まるでトランポリンの上で跳んだかのように何度か跳ねさせた。しかし今のシオンの体ではその衝撃すら耐え切れず、周囲に血を振りまいてしまったというわけだ。

 そう、幽香はシオンを蹴り落とした時、ハイビスカスに向けて蹴ったのだ。決して死なせないように。

 それが最後に噛みつかれたのだから、油断してしまっていたのだろう。幽香は一つ小さな溜息を吐くと、その場から下りようとして――動きを止めた。

 「……見逃してはいたけれど、邪魔をするのなら相手をするわよ? ()()()()()

 幽香が自分から見てほぼ真後ろの空間を睨むと、その空間がいきなり割れた。

 「随分な御挨拶ね、()()()()()

 そこにいたのは、この幻想郷では『妖怪の賢者』などと言われる存在。八雲紫だった。つまり、シオンを連れて来た張本人が、そこにいた。

 その彼女は、今までいた空間、その境界から出てきた。

 「それで、わざわざ貴方がここに来る理由は? 基本的に、貴方と私は無干渉でいる事を決めてあるはずよ」

 「そうね。私と貴方が本気で戦えば、幻想郷に出る被害は計り知れない。でも、それにも例外はあると思わない?」

 「……まどろっこしい話し合いは好きじゃないの。さっさと用件を言いなさい」

 幽香も幽香だが、紫も紫だ。わざわざ相手の神経を逆撫でするような言葉を言う。

 しかし、幽香はそんな事をするのは性に合わない。戦闘において相手に本気を出させるために使う事はあるが、やはり使う回数そのものは少ない。

 それは紫も長年の付き合い……というより、腐れ縁から理解しているのだろう。今までの胡散臭い雰囲気を消すと、睨みつけるような視線を幽香に向ける。

 「悪いけれど、『彼』を殺されるわけにはいかないの。これ以上続けるのなら、今度は私が相手になるわ」

 「へえ……」

 幽香は紫の言葉に対して意外そうな顔をするが、すぐに視線を下に向ける。

 紫の言う『彼』とは、おそらくあの少年の事だろう。

 シオンと紫の関係性はわからない。が、紫のこの反応を見るに、親しいわけではない、けれど助けなければいけない相手。そんなところだろう。

 元々幽香はシオンを殺す気など無かったので紫の言葉に従ってもよかったのだが、そこは幽香特有の気が出てしまい、つい言ってしまった。

 「それはそれで、面白そうね」

 「本気で言っているのなら、正気を疑わせてもらうわ。傍から見てもわかるわよ。貴方はもう全力を出せない。多大な妖力の消耗と左腕の損傷で、貴方は本気で戦えないはず。今私と貴方が戦えば、十中八九私が勝つわ」

 『絶対』とは言い切らない辺り、紫の性格が見て取れる。

 彼女は物事が絶対にうまく行くなどと考えない。だから常に最善手を模索し、それが見つからなければ次善の策を最低複数用意する。そうしてから行動し始めるのだ。

 なんだかんだ言っても幽香は紫を理解している。それはつまり、逆も然り、だ。

 「……正直、この場で戦う気は無いわ。花畑が荒れてしまうもの」

 「でしょうね。貴方は他者をどうでもいいとは思っていても、花だけに向ける愛情は人一倍を遥かに超えているもの」

 「貴方もシオンみたいに花を傷つけないでいてくれるなら、戦うのだけれど」

 「無理な相談よ。私は利用できる物は何でも利用する。そうして生きて来たのだもの、今更変えられないわ」

 「そう。まあ、それなら早くここから去ってくれないかしら。私はこれからシオンの治療と、花を元に戻さなくてはいけないから」

 どことなくもう話すのは嫌だという雰囲気を滲ませる幽香。紫と幽香はあくまで腐れ縁。友人と呼ぶ事さえしたくない間柄だ。話はするが、それ以上の事はしたくない。

 紫の方も同感だ。周囲を顧みない戦闘狂とは肌が合わない。

 「言っておくけど、彼を殺したら、私は貴方を本気で殺しに来るわ」

 だから、忠告だけを残して、境界の内側に入り、この場から消えて行った。

 幽香は紫がこの場から完全に消え去ったのを感じると、不思議な思いに囚われていた。

 (妖怪の賢者が、そこまでする人間? ……物事に干渉しない、いいえ、()()()()彼女が、一体どうして)

 彼女はこの世界で何かが起ころうと、自分からはほぼ絶対に動かない。その理由は色々あるのだが……とにかく動けない彼女は、この世界の異変を解決するために博麗の巫女に頼む。

 例外は、その博麗の巫女でもどうにもできない案件をどうにかするためくらいだ。

 その珍しい例外が、今目の前にある。

 とはいえ、幽香にはその理由などわからないし、正直どうでもいい。

 一度頭を振って先程までの考えを消すと、ハイビスカスの真上、すなわちシオンの上へと移動する。

 そこでシオンの体を掴んで持ち上げると、巨大化したハイビスカスを元の大きさに戻す。

 「……ッ……」

 自身の体からゴッソリと妖力が抜けるのを知覚しつつも、戻す作業は止めない。

 ハイビスカスの大きさを戻した時、幽香の妖力はほとんど無くなっていた。別に無くともそこらの妖怪に負けるなどありえないが、それでもシオンと同じくらいの力の持ち主と戦えば、おそらく負ける。

 膨大な妖力を持つはずの幽香がなぜ、こんなにも妖力を減らしているのか。

 それはひとえに、彼女の能力が理由だ。

 幽香の能力は『花を操る程度の能力』。しかし幻想郷にいる存在の大部分は精々が『花と会話するくらいしかできない』と思い込んでいる。

 そう思われている訳はいくつかあるのだが、大きな理由が幽香がそれ以外の力を行使しないためだ。そのせいでそれ以外には何の効果も発揮しないと思われている。

 が、実際は違う。『花』を『操る』事ができるのが幽香の能力だ。つまり幽香は、花を急激に成長させる事で、先程のような鋭い鎌を持つ、また、簡易的なトランポリンを作ったりと、幅広い花に変えられる。

 しかし、どんな能力でも完璧な物など無い。もちろんこの能力にも弱点があった。

 いや、普通に考えれば弱点と言える訳では無い。()()()()()()、この能力の副作用が弱点足りうるだけなのだ。

 植物が成長するためには色々な物が必要となるが、その内の一つが地中にある養分を吸い取る事だ。そして、植物が急激に成長する際、その養分を通常よりも遥かに上回る量を使ってしまう。幽香が自身の望む花を作ろうとすればするほどに、土の養分は失われる。最終的には、その土地はどんな植物も咲かない死の大地と成り下がる。

 それは幽香にとって許容できない事だった。花を愛する幽香が、花が育つ事ができない環境を自らの手で生み出すなど。

 故に幽香は極限られた状態でしか使わない。自身が追いつめられた時か、戦闘時に精神が高揚しすぎた時などだ。

 とはいえ、そんな状況でもやはり大地を死なせたくは無いと幽香は思った。だからこそ幽香はとある方法を思いついたのだ

 ――ありあまる妖力を使えばいいのでは? と。

 妖力を大地の養分の代わりにする。コレが幽香の思い付いた代案だ。

 しかしこの方法は使える物では無かった。余りにも効率が悪すぎるのだ。費用対効果が全くと言っていいほど釣り合っていない。

 なんせ一回使っただけで幽香の持つ妖力の大半が持って行かれるのだ。

 戦況を変えるための奇襲染みた一手としては使えるが、それ以上にはならない。使用できる回数も、状況によるが一、二回使えればいい方だ。

 今回は三回。本来なら三回目を使う予定は無かったのだが、最後のあの一撃……というより、弾幕は予想外だった。

 そのせいで予定に無かった三回目を使う事になった。本当はシオンが地面に落ち切る前に受け止めようとしたのだが。

 妖力は既にスッカラカンになる寸前。幽香はシオンの体を抱っこすると、花の植えられていない土の上に下り立った。

 「……意外と、小さいわね」

 しかも柔らかい。あの凶悪な力をどこから出しているのかわからないくらいだ。

 「あら、コレは……」

 幽香はシオンの背中を見る。血に染まった背中。早く手当しなければ出血多量で死に至る。そう思っていたのだが……。

 「――少しずつ、治ってる?」

 そう。妖怪による超高速の回復に比べれば微々たるものだが、しかしよくよく見ていればわかるほどに傷口が塞がっていく。

 理由などわからない。しかし、シオンの傷跡をまじまじと眺めるその姿は、どこか狂的だ。

 背中の傷は綺麗に体を両断していた。スパッと切れているために回復も早いのだろう。だが、幽香が気になったのはそこではない。

 そして、幽香は何を思ったのか。

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「――――――――――ッッッ!!!??」

 意識を失いながら、声にならない悲鳴を上げるシオン。それを耳元で危機ながら、しかし幽香は手を止めない。

 もしもシオンの意識があったなら、背中に手を突っ込まれ、かつ体を掻き混ぜられるような感覚を味わっていただろう。それほどに幽香は容赦なくシオンの中身をグチャグチャにしていた。

 「コレ、ね」

 やがてお目当ての物を見つけたのか、幽香は『それ』を握り締める。

 そして、一つ息を止めると。

 「――フッ!」

 『それ』を、無理矢理シオンの体から引き摺り出した。

 「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!!!」

 獣のような悲鳴を上げ、シオンは無意識に幽香の体を抱きしめる。無意識故にシオンが意識的にしている加減ができず、体の損耗を無視してしまった。

 むろん幽香とて軟ではない。耐えてはいるが……強烈に、痛い。

 しかもシオンは首をしめているために、声どころか息もできなかった。

 やがて腕から力が抜けると、幽香は数度咳をする。

 「しゃ、洒落になってないわよコレは……。もし仮にシオンが最初からこんな力で来ていたのなら……いえ、それは無理そうね」

 チラリとシオンの腕を見るが、かなり酷い状態になっている。

 具体的には神獣化などによってボロボロになっていた腕が、もう原型を留めていない。コレでは最早『棒の形をした肉の塊』とでも形容した方が早そうだ。

 しかし、コレだけの血を流していながらまだ死んでいないのには驚きだ。

 が、そろそろ本気でマズい事になっている。シオンの息が荒いし、顔色も悪い。

 幽香は手当てをしようと思い、自らの家を目指す。

 流石に数日間は誰とも戦いたくない。それ程に疲れた。代わりに今の今まで燻っていた戦闘欲求が綺麗に治まったが。

 もう一度シオンを抱っこしなおした幽香は、花畑の中を歩き出す。

 

 ――その手に、()()()()()を持って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ん……あ、れ……俺は確か、死んだはずじゃ……」

 見慣れない天井。居場所を確認するその前に、シオンはまず自分が死んでいない事に疑問を持っていた。

 「目覚めたのかしら?」

 「ッ!??」

 一気に目覚めた意識。首をそちらに向けると、紅茶か何かを飲んでいた幽香と目が合った。

 彼女の姿を確認したシオンは、意識を戦闘に向けようとし、体を動かそうとする、が。

 「――ァ、ッヅ!?」

 両手、特に背中から激痛が発せられる。両手の方はまだ耐えられる。しかし、背中の方は『()()()()()()()()()』、そんな感じだった。

 激痛によって動かせない体と朦朧とする意識の中で、そんな冷静な思考も存在する。

 痛みにのた打ち回るシオンを見て、どこにそんな力が残っているのかと呆れてしまった。

 「別にもう戦うつもりはないから、そんなに慌てなくても大丈夫よ」

 「信用、できるか……!」

 確かに、殺されかけた相手に信用しろと言われても無理だろう。

 「だったら、私が貴方を治療する必要は無いと思うけど?」

 「っぐ……」

 それもまた、事実。しかしそれでもシオンは気を抜かない。いいや、抜けない。

 「自業自得だけれど、信用無いわねえ。……一つ忠告させてもらうわ。動きすぎると、本気で死ぬわよ?」

 幽香はそう言うと、テーブルの上に野晒しにしてあった『黒いナニカ』を手に取って弄ぶ。

 それが何なのか、揺れる視界のせいでシオンは判別できない。

 しかし、不意に気付いた。『ソレ』が何なのか。

 「返せ!」

 「……え?」

 何の前触れも無く、唐突に叫ぶシオン。

 「返せ!」

 「……コレを?」

 「返せ! 『ソレ』を、返せ!」

 幽香の質問をせずに同じ言葉を繰り返す。しかも、シオンは怪我した体で、重傷で動けないはずのその身を動かした。

 ただただ幽香の手にある『ソレ』を目指して。壮絶な瞳で、『ソレ』だけを見ていた。

 「返せ!」

 「返せと言われても……コレ、一体何な」

 「返せ!」

 「だから……」

 「返せ!」

 「……ハァ」

 「――()()()()()()()、返せッ!!」

 「………………………………………………………………………………遺、灰?」

 同じ事しか繰り返さないシオンに溜息を吐いて聞き逃しそうになった、その言葉。

 それは、幽香にとって予想の遥か外にあったものだった。

 なんせ彼女が手に持っている『ソレ』は、見た目は黒いが『()()』そのもの。むしろ何故この骨が黒いのかが気になったのだ。

 最初は特に気にしなかった。しかし、幽香が作ったあの植物の鎌。アレによって作られた背中の傷が、鎌の鋭さに反して少なかった。更に切り裂いた途中で聞いた『ガキンッ!』という音。何か硬い物を切ろうとした結果、弾かれたような音だ。そして、シオンの体の中に在って、普通とは違う物質。それが『コレ』だった。

 実際何度か幽香が本気で握り締めたのだが、逆にこちらの手が痛くなる始末。

 幽香が呆然と手にある骨を見ていると、ズルズルと何かが這っているかのような音がした。

 そちらを見ると、布団を跳ね除け、しかし力が出ないのか、うつぶせになって少しずつ移動しているシオンがあった。

 シオンにとっても、先程言った言葉は予期していなかっただろう。目線がブレていて合っていない。ほとんど体が勝手に動いている状態だ。

 体細胞変質能力を使って体を治せば、それだけでもっと楽になるというのに、それさえ思考をよぎらない。

 今のシオンを支えているのは、『遺灰を取り戻す』、ただそれだけだ。

 けれど、このまま放っておけばべッドから落ちてしまう。

 疑問を一旦脇へと置いた幽香は立ち上がり、シオンの手に背骨を置く。

 自分の元に遺灰が戻ってきたと、微かに残った意識の片隅で理解する。

 シオンは小さな、注視しなければわからないくらいの笑みを浮かべると、『黒』を骨から抜き取った。

 そこにあるのは、人間の体内にある白い骨。それの、残骸だった。

 あの黒は、あくまで外側をコーティングしていただけ。中身はそのままだ。故に幽香が本気で握ったせいで、骨は粉々になった。

 それがわからなかったのは、単に外側だけが頑丈過ぎたせいだ。中身の無いハリボテ、そんな状態に。

 しかしシオンにとってはどうでもいい。心底からどうでもいい。シオンはボロボロの腕を少しずつを動かすと、残骸の中からボロ切れで作られた小さな袋があった。埃、泥、その他にも色々な物が付着していて、正直かなり汚い。衛生面から考えても、あんな物を骨に埋め込んで体内に入れるなど、正気では無い。

 だが、シオンはそんな物を抱きしめる。瞳から雫を流しながら。まるで、とても大切な宝物が戻ってきた子供のように。

 シオンはそのままスヤスヤと眠りにつく。しかしその両手は決して離さない。

 幽香はシオンの『姉さん』など知らないし、興味も無い。だが、決して軽んじていい物では無いのもまた、わかる。

 シオンにとっての大切な物がその遺灰なら、幽香にとっての大切な物は花になる。それが軽んじられ、下らないと言われたなら……そいつを、殺す自信すらあった。

 だから幽香は何もせず、もう冷めてしまった紅茶を飲んだ。

 シオンが眠り――という名の気絶――をしてからしばらくして、幽香はベッドの上にあった骨の残骸を掃除した。

 一応このベッドは幽香が眠る時に使っているモノだ。むろん、幽香以外の誰も使った事など無いし、使わせた覚えも無い。

 が、今回は例外。とはいえ自分のベッドが汚れているのは気分が悪い。

 だからシオンを起こさないように静かに掃除した。

 『珍しいね、幽香』

 「……何がかしら?」

 今の今まで一言も発さなかった、部屋に飾ってある花。それはシャクナゲという花だ。この花には様々な色があるのだが、今回は赤とピンクをしている。

 幽香はその月の代表的な花を部屋に飾る事が多い。趣味となっているくらいだ。別にマイナーな花を飾ってもいいのだが、たまに、ほんのたまにだが自らの部屋を訪れる誰かにもわかりやすい花を置いているという理由もある。

 他にもシャクナゲを置いた理由がある。シャクナゲには『危険』や『警戒』などの花言葉を持っており、そのためなのかこの花畑に侵入してくる敵を察知するのが素早い。しかもその情報は中々に正確なため、幽香は重宝していたりする。

 実はシャクナゲにはもう一つ、花言葉があるのだが――。

 『君がこうやって自分自身の意志で誰かを連れて来る事が、さ。……今回の場合だと、君から戦いを吹っかけて強制したらしいけど』

 「……相変わらず、情報が早いわね」

 『当たり前だよ。この花畑に来る侵入者を察知するのは誰だと思っているんだい? そしてその情報を纏めて幽香に報告しているのはボクだ。花畑上空で行われた戦闘を把握できないわけが無いだろう?』

 冷静に聞こえるが、どことなく非難されているように感じる。

 「え~っと……それじゃ、貴方は……」

 『うん、もちろん()()見てたよ。君が暴走して勝手に彼に襲い掛かって殺しかけた上に背中に手を突っ込んで掻き混ぜて骨を抉り取って挙句の果てには治療すらも大雑把。君はボクを挑発しているのかい?』

 「そ、そんなつもりはないのだけれど……」

 『それは本当かい? 先に言っておくけど、ボクはね、別に君を非難しているつもりは無いんだよ。ただ君もよく知っている通り、ボクの花言葉には『尊厳』というものがあってね。だから彼の『尊厳』を貶しめたのを憤っているんだ。彼はまっすぐなんだ。良くも悪くもね。小さな花に対する配慮もある。だからこそ尊い。彼みたいな人間は貴重だよ。それなのに君はまるで物みたいに扱ってその上なんだい? 骨を抉り取った後にそれをまるで玩具みたいに使って遊んでただろう? 大体君は――』

 「ご、ごめんなさい。私が悪かったわ」

 『ハァ……まぁ、今はこれくらいで止めておくよ。……君の事だから、どうせまた同じ事を繰り返すんだろうけどね』

 否定できなかった。

 先程シャクナゲが先程言った通り、この花には『尊厳』という花言葉を持つ。

 とはいえ別に幽香が戦闘を仕掛けた事に対しては特に何かを思ってはいない。ただ、その後幽香がシオンの背中に手を突っ込んで掻き混ぜて骨を抉り取ったのがマズかった。

 シャクナゲはそのような、人や妖怪、花などの『生きている何か』に対して、意味も無く玩具にするような行動を酷く嫌う。

 そんなシャクナゲだが、逆に言えば大抵の人や妖怪を嫌う事になる。普通、他者に――特に小さな虫や花に注視する人間などいない。

 つまり、シオンがあの時花畑の花を抜き取ったり、木の傍にあった花に気付いていながら踏み潰していれば、ここまで幽香を叱る事はしなかっただろう。

 幽香としても、好奇心であんな真似をしなければよかったと今更ながらに後悔する。

 ここには幽香がいるせいで、バカな人間や妖怪くらいしかここには来ない。そしてそういった対象をどうしようとシャクナゲは何も言わない。

 が、今回だけは別だった。忘れていた自分をどうしようもなく非難してしまう。シャクナゲの説教は、一度始まったら長いのだ。

 『……彼が目を覚ましたら、きちんと謝ること。そうしたら今回は説教を止めるよ』

 「…………………………わかったわ」

 しかし、どうやら何とかなりそうだった。

 これさえ無ければ、部屋の装飾として飾るのには申し分ないのに……と、ついそう思ってしまう幽香だった。

 

 

 

 

 

 「……朝か」

 「本当に、貴方は人間なのか疑わしいわね」

 「幽香、だっけ」

 「そう。もう一度自己紹介させてもらうわ。私は風見幽香。花を愛する妖怪よ」

 シオンは冷静に問いかけると、椅子に座って足を組んでいた幽香もあっさりと返す。

 幽香としては先程の質問に答えて欲しかったのだが、疑問形で聞いたわけでも無いので、まあいいかとあっさりと諦めた。

 「で、俺を殺さなかった理由は?」

 「あら、そんな言葉を吐くって事は、殺して欲しいのかしらね?」

 口の端を持ち上げる幽香。

 傍から見れば恐ろしいと思う表情だが、シオンは特に何も思わない。

 本気で言ってない相手の言葉ほど、信用できないモノは無いからだ。

 『――幽香、昨日の言葉、忘れたの? 彼に謝るんじゃなかったっけ? それがなんで挑発じみた言葉に変わっているのかな? ねえ、答えてくれるかい?』

 が、ここには約一輪? ほど、その言葉を冗談だと捉えられないモノがあったようだ。

 若干だが幽香の顔から汗が流れる。説教を喰らうと、花の世話ができなくなる。昨日はシオンとの戦いがあった以上、二日続けてサボるのは避けたかった。

 しかし、意外なところから助け舟が出た。

 「別に俺は気にしてないけどね。俺と幽香は殺し合った。なのに俺は死んでない。だから気になっただけだし」

 「……え?」

 『……へ?』

 「……ん?」

 幽香とシャクナゲは呆けた声を出し、シオンは純粋に疑問を感じて首を傾げた。

 「なあ幽香。ここにいるのは、俺と貴方だけじゃないのか?」

 「まあ、話せる相手は私だけ、ね」

 『ボクは単なる花だし……』

 「……声は聞こえる……というより、感じる? んだが。自分の事を花と言っているけど……」

 「『…………………………』」

 どうやら、本当に聞こえているようだ。本人的には感じるそうだが、何も間違いでは無い。幽香とてシャクナゲと『話して』いるとは言い難い。口が無い以上、話せるわけが無いのだから。

 幽香は単にシャクナゲの『意志』と会話しているだけ。ただそれだけなのだ。

 シオンが頭に疑問符を浮かべている中で、シャクナゲが意志を伝える。

 『ボクの意思が聞こえるなら自己紹介させてもらうね。ボクはシャクナゲ。君から見て右、夕から見て左の植木鉢にある赤とピンクの混じった花がボクだ』

 言われて気付く。確かに、『なんとなく』そこから声を感じる。

 「えっと……シオンだ。よろ、しく?」

 とはいえ、花と会話した事など一度も無いシオンだ。最後に疑問符をつけてしまった。

 『まあボクの事はあまり気にしないで。……それより、幽香? いつになったら君はシオンに謝るんだい?』

 「……ごめんなさいね。いきなり戦闘を仕掛けてしまって」

 忘れていた、と言わなかったのは賢明だ。もし口に出していたら、シャクナゲはキレていただろう。絶対に。

 そんな二人のやり取りなど知らないシオンは、特に気にしていないようだった。

 「さっきも言ったけど、気にしてない。負けたのは、俺が弱かったからだ」

 どことなく寂しさの滲んだ声。それに違和感を覚えた幽香だが、その感覚を確かにする前に、シャクナゲが言った。

 『なんなら幽香をボロクソに言ってしまってもいいんだよ? 幽香がキレかけてもボクが何とかするし』

 「いや、いいよ」

 『それならまあいいんだけど……それともボクが変わりに言おうか?』

 「大丈夫。……ありがと、シャクナゲ」

 『こんなよくわからない、今日話したばかりの花にお礼をくれるとはね。でも、どういたしまして』

 そんな恐ろしいやり取りを交わす一人と一輪。しかし、シャクナゲはどこか楽しそうだった。

 「言葉も交わせるし、相手を思いやる心もある。そんな相手に心配されたんだから、相応の礼儀を返すのは普通じゃないのか?」

 『……君は本当に、真直ぐなんだね。普通の人間はそんなふうに割り切れないよ』

 「そう、なのか。……ッ。そう言えば、忘れてたな」

 若干顔を顰めるシオンは、勿体ないんだけどと呟きながら、力を行使する。

 「これは……」

 『凄いね……』

 髪が短くなり、それに比例してシオンの両腕が元の形に戻っていく。

 数十秒。そこには怪我も無く、包帯を全てとって伸びをしている元気な姿があった。

 『ねえシオン、それは……』

 「……奥の手みたいなもの、かな」

 シャクナゲの呆然とした声に、明確な事は言わず、はぐらかすシオン。

 だがそんな中で、幽香は自身の違和感を確信へと変えていた。

 「シオン、一つ聞かせてちょうだい」

 「何?」

 幽香は自分の身体能力に物を言わせて、シオンの目の前に移動する。

 病み上がり、かつ気が抜けていたシオンは、幽香のいきなりの行動に反応できない。

 気が付けば、シオンの喉元には、幽香の手刀があった。

 「……幽香?」

 「やっぱり貴方を殺す事にしたわ。いいわね?」

 『幽香!?』

 悲鳴のような叫びをあげるシャクナゲに、しかし幽香もシオンも何も発さない。

 そしてシオンはあっさりと、しかしどこか諦観を滲ませた声でこう返した。

 「――ああ、いいよ」

 やはり、そうなのか。幽香はそう思った。

 シオンがこう返すのは、半ば予想していた。外れて欲しいとは思っていたが、同時に納得できる答えでもある。

 シオンにとって、『敗北』とは、()()なのだと――。

 「やっぱりね。貴方は、『敗北』をそんな風に捉えてる」

 そして幽香は、こう告げた。

 

 ――貴方にとって、『敗北』は()()()()なのでしょう?




幽香の言葉の意味は次々回で。次回はアリスに戻ります。


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Sideアリス/刻まれた傷痕

なんか最近10日に一回更新に近くなっていますね。

そして筆が進みません。というより話が進みませんw

ではどうぞ。


 「――私は、魔法を覚えたい!」

 永琳の目をまっすぐと見て叫ばれたその言葉。その裏を読むのは永琳にとって容易い事だが、敢えてアリスに言わせる事にした。

 「それは、どういった考えを持ってそう言ったのかしら?」

 「はい。私は今まで魔法を使いこなすようになる事ばかり考えていました。ですが、鈴仙に教えてもらったのです。それだけが全てでは無いと。だから、一度は、もう魔法を捨ててもいいかもしれない、そう思いました」

 どことなく寂しげな表情を浮かべるアリス。

 今まで培ってきたモノを自ら捨てるという選択は、人にとってそれほど辛い事なのだ。当然だろう。

 「なら、なぜ魔法を覚えようと?」

 「……思い出したからです。この世界には妖怪がいる。この迷いの竹林にも、いえ、ここ以外でもいるのでしょう。いつでも私の隣には鈴仙がいるとは考えられません。最低限の自衛の手段を持たなければ、生きていくのは難しい、そう思い至りました」

 確かにそうだろう。ただの人間が、妖怪に勝つなどまず不可能。そもそもの身体能力に差があるのだから、相応の技術と戦闘経験を持っていなければ、一瞬で殺される。

 だが、それにも穴がある。この世界のルールを知らないのだから仕方がないが、別に戦闘手段を持つ必要は無いのだ。

 「アリス。貴方はもう知っているかもしれないけど、人里に住めば、わざわざ魔法を覚えなくても安全に生きていけるわよ?」

 「……え?」

 「あの人里には、とある妖怪が『この里に住む人間に手出しするのを禁止する』って言ってあるから、かなり安全なのよ。それにあの里にはそこそこ強い半妖がいるから、それを無視してでも入ってくる妖怪は大抵殺される。絶対とは言い切れないけれど、一生の内に妖怪と出会う可能性はほぼ無くなるわね」

 ――ただしその場合、鈴仙と会える時間は無くなると言えるくらいに減るけれど。

 そんな言葉は胸の内に留め、アリスの返事を待つ。アリスのことだ、どうせ永琳が言わなかった部分も理解しているだろう。

 最初から答えを言い、そういうふうに誘導するのはとても簡単だ。しかし、そんな事ばかりしていては、肝心な時に自分一人では何も考えられなくなる。考え続ける事、つまり思考するのをやめれば、そんなものは人間とは言えない。

 何かを思い、考えるその姿こそが、人間としてのありようなのだから。何も考えずに欲望に従って行動するのなら、それはただの獣と変わりない。

 実際永琳は、そんな人間を幾度も――。

 「私は、鈴仙と離れたくありません。信頼できる友達を、そして私の姉となってくれると言った人と、一緒に居たいのです」

 「……鈴仙が姉、ね。いいわ、貴方の考えはわかった。それじゃ、早速始めましょうか」

 「はい!」

 アリスから聞いた意外な事実は脇に置いて、とりあえずやるべき事をしようと永琳は思った。

 「それじゃ、まずは魔法を使ってもらおうかしら」

 「……え? ですが、私には魔法を使えません。それは永琳様もご存じじゃ?」

 「もちろん知ってるわよ。ただ、私は貴方の体の中にある魔力の流れを見たいのよ」

 「永琳様は魔力が見えるのですか!?」

 基本、魔力は目には見えない。相手が魔力を周囲に垂れ流せば漠然と『魔力がある』と認識できるが、そんな無駄な魔力消費はしないだろう。

 例外として、魔力を視認できる人間もいた。しかしそれも少数であり、アリスは見た事は無い。それにどの世界でも希少性の高い物は人に利用されるもので、魔力の視認できる人間は無理矢理連れ去られれ事が多い。

 必然、自分が魔力を見れると公言する人間は身分の高い貴族や王族を除いてほぼいない。

 しかし、その魔力を視認できる人が居る。アリスが永琳を見ていると、その視線に含まれているモノを察した永琳が言う。

 「ああ、私自身は魔力を見れないわよ? 単純に……コレを利用してるだけよ」

 ポケットから取り出したのは、最初にアリスと会った時に使っていた、あのレンズだった。

 そういえば、と今更ながらに思い出す。確かに永琳は、あの時魔力の流れを見ているという発言をしていたはずだ。

 どうしてそこに思い至らなかったのだろうかと思ったが、それでも感嘆の息が出た。

 「そんな凄い物を永琳様は作れるなんて……」

 「まあ、暇潰しに作っただけなのだけどね」

 「暇潰しで!?」

 「意外と便利で役立ってるわね」

 あっさりと言ってのける永琳に、アリスは驚愕どころか呆れてしまいそうになった。

 何と言うか、色々と凄いのだが……どこか抜けているような気がする。具体的には一般常識とか諸々が。

 「まあそれはどうでもいいわ。とりあえず、魔法を使ってちょうだい」

 「は、はあ……」

 気の抜けた声を出しつつ、アリスは言われた通りにする。

 だが、やはり魔法は発動しない。いつものように、虚しい詠唱が響くだけだ。傍から見れば恥ずかしい事を叫んでる人と思われるだろう。今ここにいるのは永琳だけなので、特に気にならなかったが。

 その後も試行錯誤してみたが、どれも失敗に終わる。どうしてこうなるのか、アリスを含めて誰にもわからなかったのを永琳は解明できるのかと思ったが、当の永琳は何度か頷くだけだった。

 「なるほどね……もういいわよ」

 「わかりました」

 アリスの声音には元気が無いが、余り気にしている様子も無い。おそらく、慣れてしまったのだろう。魔法を使えない自分自身に。

 しかし永琳は気にしない。ただ気付いた事を言うだけだ。

 「それで、わかった事なのだけれど……どうやら貴方は、()()()()()()()()()()()()()()のよ」

 「放出……できない?」

 「ええ。アリスが魔法を使うとき、体の中にある魔力は急速に体中を巡ってる。そしていざ発動するという瞬間、一気に魔力が放出される……はずなのに、体表近くで堰き止められてるのよ。そういう体質なのか、はたまた別の要因なのか。流石にそこまではわからなかったわ」

 そこまでわかるだけでも十分凄い。アリスには、そんな事わからなかったのだから。

 「…………そうね、確証は無いのだけれど……アリス、貴方、小さな時に何かおかしな事がなかったか、聞いた事があるかしら? 例えば……母親か自分が、高熱を出した、とか」

 「そう言われましても……」

 「どんな些細な事でも構わないの。思い出してみて」

 唐突に言われて戸惑うアリスだが、永琳の視線に負けて必死に思い出そうとする。

 幼い時の記憶などほとんど無い。そもそも家族の思い出すら無い。あるのはただ、まだ何も知らなかった頃に、自らの親友であるメリーと無邪気に遊んでいた事と、事実を知ってからひたすらに魔法を使えるようになるための練習だけ。

 およそ子供らしくない記憶。そんな中で、アリスはふと思う。

 (私はなんで魔法を使おうと思ったの?)

 今思えば、『王族だから』などといったバカな理由で使うはずがない。つまり、相応の理由があるはずなのだ。

 うんうんと悩んでいると、なんとなく、ボヤけた記憶が浮かび上がってくる。

 アレは、確か――どうしても魔法が使いたくて、珍しく我儘を言い、自分が魔力を測定しようとした時の事だ。

 魔力を測定する魔導具に手を置いて、少し経ち。アリスの魔力量がわかった時、誰かが、おそらくは父が叫んだ。

 「『アイネが高熱を伴ったのは、これが原因なのか!?』」

 そんな言葉だったはず。

 アイネとはアリスの母親、アイネアスの愛称だ。だが、これだけの言葉では理解できない。

 しかし、永琳は違うようだった。

 「やっぱり……」

 顎に手を当て、考え込んでいる永琳。その頭脳の中には一体どんなものがあるのか、アリスには予想もつかなかった。

 しばらくすると考えがまとまったのか、永琳がアリスの方へと顔を向ける。

 「確実とは言えないけれど、わかった事を説明させてもらうわ」

 「……はい」

 「まずアリスが魔法を使えない。これは体質じゃあないわ。おそらく、本能レベルで刻み込まれた自己防衛本能よ」

 と言われても、アリスには自己防衛本能などという言葉は理解できない。

 世界間による技術の差のせいだ。加えて、永琳は極稀に相手の持っている知識を想定せずに説明をする事がある。むろん、それを説明されれば思い出すのだが、如何せんどうしようもない。

 だが今回は自分で気づいたらしく、アリスに自己防衛本能が何たるかを説明した。

 「自己防衛本能と言うのは、簡単に言えば自身を傷つける事から身を守る反応ね。熱い物からは手を放す、といったものかしら。とにかく、それが原因なのよ」

 「はあ……。ですが、それと私が魔法を使えない事の繋がりは?」

 「()()()()()()()()

 簡潔に言ってのけた永琳に、しかしやはり理解できない。そもそも幼少時のトラウマなどアリスには無い。正確には、()()()()()トラウマは無い。

 しかしそこは永琳。すぐさまアリスの懸念を払拭する。

 「言ったでしょう? 本能だと。本能とは無意識の内にやる事。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のよ」

 例えば夢などがそうだ。幼い時にそれが夢だと知らず怖い物を見て、それが何なのか定かではないのに怖がる時がある。これも意識が無い、眠っている時にできる、ある種のトラウマだと言えるだろう。むろん、そんな物はすぐに忘れる。余程心に傷を残すようなモノで無い限り。

 「その原因は――貴方が貴方となる前の出来事。いいえ、正確には貴方が貴方という人間として確定した瞬間の出来事」

 「…………………………それは、どういう」

 「今は私に問わないで、ただ聞いていて。そうね……アリス、貴方はどうして人が生まれるのかを知っているかしら?」

 「!?」

 ボッ、と顔が赤くなるアリス。この反応を見るに、おそらくは別の事を考えている。

 「……言っておくけど、私は男女の交わりを言っているわけでは無いのよ?」

 「わ、わかっています! もちろんわかっています!?」

 必死に否定しているが、それが逆に微笑ましい。

 とはいえアリスがそっちの知識を持っていてもなんら不思議ではない。王族とは、『そう』いう事をまず教えられるべきなのだから。婚約し、その相手と結婚する。それは両者が、特に女性は純潔でなければならないのだ。王族では、特に。

 「さて、アリスの可愛らしい反応が見られたところで、真面目な話に戻すけど」

 「そもそもなんでそんな事を聞いたのですか!?」

 「赤子が成長する段階の話をするためよ。そもそもとして人が人としてかくあるべきという話は諸説あるけれど、ただ『魔力』を宿すだけなら母のお腹にいる状態でも持っているの。そして先程アリスはアイネ、つまりアリスの母親は、貴方を宿している状態で高熱を患ったという事を仄めかす言葉を聞いた。。それはおそらく、()()()()()()()()()起きた出来事よ」

 そのまま永琳は続ける。

 「恐らく、膨大な魔力に体が耐え切れなくなったのでしょうね。でもそこは今関係無い。関係あるのは、高熱を患った母体の中にいる胎児は、長期間その状態が続くと()()()()という部分」

 そこまで言われて、わからないはずがない。

 幼少時のトラウマ。無意識でも起きる。魔力の暴走。母親の高熱が長期間続けば、胎児は流産する、つまり()()

 そのせいで、自己防衛反応はこう判断した。()()()()()()()使()()()()()()()()()

 「それじゃあ……私は……」

 手が、震える。視界も安定せず、ぐらぐらと揺れている。

 どうしようもなかったのだ。アリスが魔力を暴走させ、そのせいで無意識の内に刻み込まれた自己防衛本能によって、魔力を体外に放出する事を堰き止められた。魔力を体外に放出すれば、死に至る。それを刻み込まれてしまった体が、自身を守る為だと誤認してしまっているのだから。

 どれだけアリスが努力しようとも、何がトラウマなのかもわかっていなければ、なんの意味も無いのだ。ましてそれを克服など、できようはずもない。

 ――(アリス)は、魔法が使えない。

 わかっていた。考えていた事だ。それでも、悲しい。

 「ぅ……ッ……!」

 溢れ出る涙が止まらない。

 必死にそれを拭うが、袖で目元を擦っても擦ってもまた出てくる。

 遂に大声で泣こうとしたアリスに、しかし永琳が軽い口調で言った。

 「まあ、攻撃的な魔法じゃ無ければ使える可能性はあるけれど」

 「え!?」

 永琳の言葉に、溢れていた涙もピタリと止まってしまった。

 「アリスの魔力は母体に――それも魔法を使う国家の女王に影響を及ぼすほどにある。けれどそれは、結果的に貴方が使う魔力の最低量も押し上げる事になった。コレの示す意味がわかる?」

 動かない鈍い頭を必死に回転させ、その理由を考える。

 「……正確に言うと、私の体は、一定量を超えると魔力を体外に放出できない、ですか?」

 「正解。実際魔力操作だけなら、無意識の内に修練してたおかげなのか、かなりの技量に達しているわ。多分、初歩の初歩の攻撃魔法の更に最低威力なら使えるはずよ」

 それはアリスにとって天啓だった。初歩の初歩とはいえ、魔法が使える。ずっと追い求めていたモノが手に入る。

 だったら、やる事は一つだ。

 「お願いです! 魔力操作の仕方を教えてください!」

 それからひたすらに地味な作業が続いた。魔力を籠め過ぎず、かといって足りなすぎず、途轍もなく微妙なラインを見極める。

 しかし、流石は五年もの間魔法を使おうと努力し続けただけあって、すぐにそのラインを把握できた。

 掌から放たれる魔法。それはその道の人間からすればどうしようもないくらいのモノだったが、それでもアリスは嬉しかった。

 (……私の願いが、叶った)

 ずっと、ずっと使いたくてやまなかったモノ。

 少ない家族の記憶の中で鮮明に覚えている、母が使った、夜空を彩る魔法。それこそがアリスに『魔法』というものを憧れさせた。そんな憧れが叶ったのだ。喜ばないはずがない。

 目の端に涙が浮かんでいるのを、永琳は普通の笑顔と苦笑の中間くらいを浮かべて見ていた。

 しかし、これからが本当に辛い事だ。

 

 ――アリスはもう、これ以上の攻撃魔法は使えないのだから。

 

 どれだけ魔力があろうとも、使えなければ意味が無い。アリスのそれは、ある種の呪いだ。

 残酷な現実を、今から永琳は教えなければならない。それが、少しだけ辛かった。

 「少しいいかしら? 私は、アリスに言わなければならない事があるの」

 「なんでしょうか?」

 「アリス……貴方は、もう」

 「――これ以上の攻撃魔法は使えない、ですか?」

 そう言った時に寂しげな横顔を浮かべていたアリス。

 「……気付いていたの?」

 「はい。……永琳様は私がこの魔法しか使えないと気付いていた。だからどこか言い難そうにしていたのですよね?」

 「そう、ね。人は誰かに期待を寄せれば寄せるほど、それが裏切られた時の憎悪も増す。それが嫌だったの」

 やはり永琳も寂しげな笑みを浮かべる。それはアリスのものより数段深く、どれほどそんな経験を味わったのかと思わせた。

 だが、それもすぐに消え去った。

 「でも、使えないのは『攻撃』の魔法。……そうね、アリスの世界には、他にどんな種類があるのかしら?」

 「永琳様から見れば拙い、どうしてそうなるのかもわからない技術体系の魔法ですが……大別して三つほど。それぞれ『自然魔法』、『神聖魔法』、『精霊魔法』があります。私は精霊に好かれてはおりませんので、精霊魔法は使えませんが」

 それからアリスは、先程使った攻撃魔法の類を自然魔法、傷を癒したり身体能力を増加させる支援などを神聖魔法と説明する。永琳に対し、過度な説明をしても意味が無い、というより必要無いと気付いたのだ。

 「……そう、大体わかったわ。予想も着いたから」

 こう返されると、わかるのだから。

 だからアリスもこう返す。

 「それで、永琳様の考察は?」

 「自然魔法は一瞬の力、神聖魔法は持続する力、かしらね」

 と言われても、やはりアリスには何の事かさっぱりだ。

 しかし余計な疑問は挟まず素直に聞く。永琳の話を邪魔して質問するより、はじめから順序だった説明を聞いた方が理解できるからだ。

 「端的に言えば、自然魔法は魔力を体内で循環させる事で増幅、刹那の内に外へと拡散、その魔力を元に魔法を発動させる。……こんな風に」

 永琳は数個の弾幕を形成すると、遠くに撃ち放った。

 それらは複雑な軌道を描くと、庭にあるアリスの背丈、横幅よりも大きい岩に当たり、粉々に粉砕する。

 「これらは魔力を一瞬で使い切って発動するものだから、効果も数秒、モノにもよるけど数十秒で無くなるわ。逆に神聖魔法は体に纏わせ続けるから」

 他者にも視覚できるほど魔力を安定させて纏う永琳。微かな乱れも許さないその制御能力は、アリスのソレを遥かに上回っている。

 「……!」

 しかし、だからこそアリスは驚愕する。

 魔力は不定形だ。そんなものを安定させるには、並外れた技量を必要とする。なにせ、魔力を安定させるという事は、水などの液体を、人では知覚できないレベルで安定させるのとほぼ同義なのだから。

 改めて永琳の凄まじさを認識するが、同時に不信感もでてくる。

 永琳の外見はどう見ても二十代、上手く化粧をすれば二十歳になったばかりかその一歩手前くらいにできるだろう。

 後で聞いてありえないと思ったが、永琳はなんと化粧をしていないらしい。というより、この幻想郷に住んでいる大半は化粧をしていない。その気になればいくらでも、しかもクオリティも過剰すぎる物が作れるがする気も無い。理由としてはわざわざ着飾る必要が無いからとの事だった。

 例外としては喪などの時くらいだそうだ。それでも多少らしく、派手に着けるのは余程手慣れてない人くらいらしい。

 世界観の違いを思うが、同時になんら不思議ではないとも思った。アリスの元居た世界でも、国によって信ずるモノが違うのだから。

 とにかく、永琳の技量に反して年齢が伴っていない。いくら永琳が天才と言えども、この若さで複数の事柄を極めるのはまず不可能だ。

 「多分、アリスは神聖魔法であればかなり良い線まで行けるはずよ。とりあえず、試してみましょうか」

 笑顔を浮かべる永琳は、アリスの疑念に気付いているのだろうか。

 しかしアリスは、例え疑っていたとしても、永琳を信じた。アリスが疑っているのは永琳の年齢に反した技量であって、彼女の人間性を疑っている訳では無い。

 「――……はい」

 頷き、アリスは神聖魔法の習得を始めた。

 

 

 

 

 

 「コレは……」

 永琳はアリスの魔法目を見張る。永琳が驚くほどに、アリスが使った魔法は予想外だった。ある意味で、『医者いらず』をそのまま表している。

 それなりに面倒な制限もありそうだが、それ以上に強い。上手く使いこなせば、サポート特化として申し分無い人物になるだろうと予想できる。

 だが、今はまだ開花する前の蕾だ。花開く前に枯れるかどうかは、彼女次第。

 一つパン、と手を叩く。ビクリと体を震わせたアリスは集中力が切れたのか、魔法の発動も止まった。

 「そろそろ止めた方がいいわ。いくら魔力があると言っても人の集中力に限界はあるし、これ以上は非効率的。それに時間も丁度いいわ。朝ご飯を食べに行きましょう」

 「わかりました」

 二人は永遠亭の中へと戻り、居間へと移動する。そこには永琳の言う通り、できたばかりの料理が並んでいた。

 「師匠、アリス、おはようございます。後はお茶を淹れるのと輝夜様を呼んで来ればいつでも食べられますよ」

 ニッコリと満面の笑みを浮かべながら言う鈴仙。その視線はどことなくアリスの方を向いている気がしたが、気のせいだろうか。

 「では、私は輝夜様を呼んできますね」

 鈴仙が部屋を出て行ってから数分後、未だ眠そうな輝夜を伴って戻ってきた。

 「姫……また夜遅くまでゲームをやっていたのですか?」

 「だっていいところまで行ったんだもの。やりたいと思うのも仕方ないでしょう?」

 永琳の呆れ顔もなんのその、手を口元に当てて欠伸をする輝夜。このやり取りにはもう慣れてしまったのか、鈴仙は黙ってお茶を淹れている。

 全員がそれぞれの場所に座ると、いただきますと挨拶をして、各々が食べたい物を手に取り、口へと運ぶ。

 大体半分くらい食べた頃だろうか、永琳が一旦食器と箸を置いた。

 「鈴仙とアリスにお願いがあるのだけれど、頼まれてくれないかしら?」

 その言を聞き、鈴仙はすぐに、アリスは少しあたふたとしながら箸を置く。どうにもこの箸という物には慣れないのだ。

 「師匠、それは必ず私とアリスでやらなければならないのですか?」

 「そう言うわけでは無いのだけれど、一度くらいは見ておいた方がいいんじゃないかと思ったのよ」

 「ああ……わかりました。私は構いません」

 二人のやり取りを輝夜は理解しているようだが、アリスにはわからない。

 「あの、鈴仙と永琳様は何の話を?」

 「すいません、アリスにはわかりませんよね。今の話は、一度アリスを人里に連れて行ってはどうか、というものです」

 「人里……」

 「まあ妥当でしょうね。アリスは永遠亭しか見てないのだし、幻想郷の一部……特に人間が安全な場所の把握はしておいた方がいいわ。永琳はそう言いたいのでしょう?」

 「そうですね、姫」

 それで、と永琳は続ける。

 「アリスはどうしたいかしら? こちらとしては置き薬のストックを確認するために、どの道鈴仙を里に行かせる必要があるから、それに着いて行くか、行かないか。それを決めてちょうだい」

 アリスは少し悩んだが、すぐに言った。

 「行きます」

 「そう。だったら食事を食べ終えたら動きやすい服に着替えて、里に行ってきて」

 食事を終わらせ、鈴仙が皿を洗っている間に永琳が用意した服を着る。

 アリスには読めない字のロゴがある淡いピンク色のシャツを着て、ヒラヒラが付いたスカートを穿く。スカートだから動きにくいかと思ったが、どうやら外側をスカートに、その内側にズボンがあるようで、アリスの感覚としてはズボンを穿いているのとあまり変わらない。

 どうやら永琳は可愛いファッションと動きやすさを両立させる物を選んだようだ。とはいえ永遠亭にはこういった物を着る者はいないため、とりあえず簡単に作れる服を急いで永琳が作成したらしい。その割には完成度が高すぎるのだが。

 「着替え終わったかしら? ……よかった、似合ってるわね」

 どことなくほっとしている永琳。彼女としてはこの服は納得のいくクオリティでは無かったようで、少し心配していたらしい。

 「ありがとうございます、わざわざ服を用意していただいて」

 「別に気にしないで。流石にドレスで竹林やら整備されてない道やらを歩かせるわけにもいかないのだし」

 あんな恰好で外に出るのは余程の阿呆だ。重い、スカートが長すぎて走れない、裾を木などに引っ掛けやすいなどなど、運動などできようはずがない。

 「それに、ドレス一着だけで生活なんてできないわ。病人用の貫頭衣なんて着させられるはずもないし、いずれまた新しいのを作るつもりよ」

 アリスとしては願っても無い言葉だ。いつもいつも無駄に豪奢で綺麗なドレスばかりを着ていたせいなのか、その反動で動きやすく可愛い服を着るのが楽しいのだ。

 永琳が作ってくれた服がある程度増えたら、それを使って服を組み合わせてみようと思う。

 「あの、永琳様」

 「何かしら」

 「私に何かして欲しい事はありませんか?」

 だが、やはり貰ってばかりというのはアリスのプライドが許さない。たとえそれがちっぽけなモノであろうとも、それがあるのもやはりアリスである所以なのだから。

 微かに眉を寄せている永琳は、珍しく悩んでいた。

 正直に言ってしまえば、アリスにできる事などほとんど無い。ならば、煙に巻くような言葉を言うしかなかった。

 「だったら、人里に行ったら情報収集でも頼めるかしら?」

 「情報収集、ですか?」

 「ええ。最近起こった不思議な出来事を集めて欲しいのよ」

 若干趣味が混ざっていたが、これくらいならできるだろうと永琳は思う。

 とはいえ、そんな簡単に永琳が調べたいと思うほどの『不思議な出来事』など見つからないだろう。だからこそ、永琳にとって知りたいというのは事実でも、早々には達成できず、なおかつアリスにでもできる事なのだ。

 「――はい!」

 しかし、永琳を疑う事はせず、アリスは笑顔で頷いた。

 アリスを落胆させないための嘘に近い言葉とはいえ、その裏表の無い純粋な笑顔に、永琳の心が少し、痛んだ。




はい、今回の引きでわかる通り、次回人里行きます。

てゆーか今回で人里に行くつもりだったのに……! なんか、長くなっちゃいました。
そしてもう一つ。女性のファッションなんてわかるか。


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Sideシオン/変わらない根本

本当は12時投稿するつもりが、朝確認したらいくつか入れ忘れていた表現に気付きまして、修正していたらこんな時間に……。

まあそのおかげで少しだけマシになったのと、読者の方にもシオンの心理描写がわかりやすくなったかなと思うので、ご了承願います。


 「……何が言いたいんだ?」

 「気付いていないのかしら? いえ、気付いていないからそんな反応が返ってくるのよね」

 軽く目を細めて睨んでいるシオンを、しかし幽香は取り合わない。

 気付いていない人間に、何かを気付かせるのは難しい。それが、その人間の根本に植え付けられていれば、なおのこと。

 「一つ聞くけれど、どうして貴方は今ここで私に殺されるのを受け入れてるの? もう怪我は貴方自身が治したのだから万全のはずなのに」

 「俺がどれだけ足掻いたって、貴女には勝てない。俺じゃ貴女を……殺せない」

 あくまで戦うなら幽香を殺すと言い切るシオンに、幽香の戦闘狂としての部分が出てきそうになるが、抑える。

 これ以上は戦わない。あらかじめそう決めたのだ。

 「そう。……もう一つ聞くわ。貴方にとって、『死』とは何?」

 「敗けだ。死ねば敗け。それ以上でもそれ以下でも無い」

 ある意味、シオンのこの考えは狂っている。

 普通、死をそんな風に考えている人間はいない。そもそもとして、死に対して恐怖を覚える事はあっても、それが一体どんなものなのかと想像できないからだ。

 だが身近な部分に死がありすぎたシオンは、死ぬ事への恐怖があっても、それを理由に動けなくなるといった事は無い。だから、死ねばどうなるのかを考えられた。

 その結果が、死ねば敗け。戦闘イコール他の人間にとっての遊び、ゲームと同義に捉えてしまっている。

 「死ねば、何も残らない。『あの場所』で何かを残した人間なんて、いないんだから」

 それが、シオンの答え。

 しかし、幽香には歪んでしまった部分も見える。シオンと本気で殺し合ったからこそ、彼女にしかわからない事が。

 「だったら、何故私から逃げなかったのかしら?」

 「背中を向ければ殺されるとわかるくらいに差がある相手から、どうやって逃げろと?」

 「別に逃げられなかったわけではないでしょう。何回かそのチャンスはあったはずよ。なのにどうして逃げなかったの?」

 二人の言っている事は事実。しかし、シオンの言葉が証拠の無いあやふやな物であるのに対し、幽香の言葉には説得力がある。

 実際、あの二人の戦闘を見ればわかる。終始幽香が優勢だったが、それでもシオンは最後まで食らいついていた。本当に差があるのなら、最初の一撃で終わっていただろう。

 「本当の事を言いなさい」

 未だ至近距離、それこそキスをする寸前まで顔を近づけている二人。そんな間近で睨みつけられているシオンは、それでも何も言わない。

 「何も言わないのなら、私が言ってしまいましょうか?」

 「…………………………」

 「貴方は、逃げるつもりなんてなかったのよ」

 「ッ!」

 反射的に顔を歪ませるシオン。その表情からそれが本当だとわかる。

 そう、シオンは嘘を言ってはいない。逃げようとすれば幽香はシオンを殺していた。しかし必ず逃げ切れないわけではない。

 嘘を言わないからといって、それが真実だとは限らないのだ。

 「どうして逃げるつもりが無かったのかなんてわからないわ。だけど、これだけは言える。最後の最後、私にマスタースパークを撃つだけの余力があったのなら、序盤に使っていた空間転移か何かを使って逃走できたはず。どう? 私の言っている事は間違っているかしら?」

 幽香は相手が使ってきた戦法を基本的に忘れない。だからシオンがたった一度しか使わなかったアレが何なのかがわかる。

 ――あの覗き魔と似たような移動の仕方だったから、特に。

 紫の場合は境界を曖昧にしての転移だが、それでも転移する時に空間の裂け目を作り、そこに入るという動作を必要とする。それがシオンのと似通っていたのだ。

 「……間違ってない。全部、正しい」

 シオンも、それがわかるのだろう。だから、否定しない。いや、できない。嘘を吐かないと決めているシオンは、それを破れない。

 「逃げるつもりが無かったのは、逃げるわけにはいかなかったからだ」

 「……もし変なプライドでそんな事をしたのなら、愚かだと言わせてもらうわよ?」

 「違う。俺が……いや、俺は貴女に、『風見幽香』に勝ちたかった」

 それが本音。

 「実を言うと、俺はここには来るなと忠告されていた。それでもここに来てすぐに来た道を戻らなかったのは、この世界でも上位の力を持つ彼女が戦うなと言うほどの存在がいたから」

 レミリアの親切を、シオンが死んでしまった時のフランの心を心配して言ってくれた事を無為にするとわかっていても。

 「貴女に勝てれば……この世界で旅しても、ある程度は安全だとわかるから」

 もちろんそんなのは絶対では無い。相性というものがあるし、大前提として人間であるシオンは雑魚の妖怪であってもその一撃をまともに喰らえば死ぬ。

 「だから、戦った。……今思えば、バカみたいな理由だけどね」

 自嘲するような笑みを浮かべるシオン。心底からそう思っているのだろう。

 「――それだけじゃないでしょう?」

 しかし、幽香はそんな()()()()を許さない。

 「確かに貴方の言っている事は真実、本当でしょう。だけどそれは()()()の話し。その裏側にある本心は言ってない」

 「何を言って……」

 幽香の鋭い眼差しにシオンは戸惑う。

 それを見て一瞬眉を寄せる幽香だが、即座に気付いた。

 (……まさか、シオン自身気付いていない?)

 ならば納得がいく。人が自分の本心を見て見ぬ振りをするのはよくある事だ。シオンの場合はその事にすら気付いてなさそうだが……。

 「貴方は望んでいるのよ。例え無意識であろうと、ずっと」

 「要領を得ない事を言わないでくれ」

 あやふやな物言いに、シオンが段々と苛立ちはじめている。コレは極めて珍しい。シオンは余程の事で無ければまず苛立たない。苛立つための理由が無いのもあるが。

 しかし、幽香から見ればその反応は、図星を指されて苛立っているようにしか見えなかった。

 「そう焦らなくてもいいんじゃないかしら。落ち着いたらどう?」

 「苛立っているのは事実だが、焦っているつもりはない」

 「つもり、でしょう? 本当は焦っているのよ。だって」

 幽香は一呼吸を置いて、言った。

 「――そろそろ、自分でも気づき始めているのでしょう?」

 「な――ッ!?」

 トン、と体を押されるシオン。受け身すら取れず、いや取らずに尻もちをつく。背後にベッドがあったため背中は倒さずにすんだが、代わりにそれにぶつかった。

 「戦っている最中、ずっと気になってたのよ。貴方は私の攻撃に驚きはした。私が貴方の全力の一撃に耐えた時は呆然となった。だけど……()()()()()()()()()()

 「そんなの、慣れてるだけ」

 「ありえないわね。自分より強い相手を恐れるのは、当たり前の本能なのだから。実際、貴方は『戦う前』は私に恐怖していたのだし」

 シオンの言葉に自分の言葉を被せる幽香。シオンの『言い訳』を、一つ一つ潰すかのように追いつめる。

 体勢も、いつの間にか片膝を着き、シオンの顔の真横、ベッドの縁に手を置いていた。

 「……私は、貴方と似たような戦い方をしてきた人間を知っている。だけど、貴方と彼では唯一違う点があった。それが何か、わかるかしら」

 「…………ッ」

 「わからないでしょうね。教えてあげる。それは、彼は『生きよう』として、貴方は『死のう』と思いながら戦っていたこと」

 「違う!」

 叫ぶシオン。しかし、幽香には見える。

 ――恐怖に歪んだ、シオンの顔が。

 段々と呼吸が荒れてくるシオンを無視して、幽香は言う。

 「死にたいと心から言っている人間でも、それでも心のどこかでは生きたいと願ってる。でも貴方は、本気で、全力で死にたがっている。だから恐怖しない。()()()()()()()()()()()()、あんな自爆じみた戦い方ができた」

 「……そんな、はずない。俺は、約束したんだ。フランと、もう一回会うって。なのに」

 「そのフランというのが誰かは知らないけれど、貴方も知っているでしょう? ――人は、そう簡単に変われない」

 「……違う。そんなの、違う。約束、したんだ。生きて、会うって」

 「本心の誤魔化し。貴方にとって、自分の本音を偽れるくらいにはフランが大事なのでしょう」

 一切の容赦なくシオンの心を追いつめ、嬲る。だが幽香は、それでも止めない。

 「だけど、その『約束』すら破ってしまうほどに、その願望は大きすぎる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そして、幽香は告げる。

 「()()()

 シオンにとっての、決定的な一言を。

 「()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ――口にした。

 

 

 

 

 

 「()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シオンは、何も語らない。

 いや、幽香の告げた言葉が全て本当だった。だからこそ、何も言えない。

 しかしフラフラと立ち上がると、シオンはどこかに向かって歩き出す。

 「どこに行く気なのかしら」

 幽香も立ち上がると、シオンの前に移動して壁となる。

 「……外」

 やっと話したと思えば、声に覇気が無い。淡々とした物言いで、答えるだけだ。

 「私の話はまだ終わってないわよ」

 「他に何があるんだ? 俺を追いつめるのがそんなに楽しいのか?」

 「……重傷ね。まあ私が言える事では無いのだけれど。とりあえず、せめてコレだけは聞いておきなさい」

 顔を上げたシオンだが、その顔は髪に隠れてよく見えない。けれど眼だけはよく見えた。自身にとって受け入れてくない事実を心に突き刺されたせいか、虚ろとなった瞳が。

 「確かに貴方は道具よ。それが戦っている時の私の感想。でもそれは一つじゃないの。もう一つだけ、あるのよ」

 「そう……それで?」

 聞きたくない、そう叫ばないだけでも、シオンは強いだろう。

 幽香は、自暴自棄になっていないのなら、この言葉も素直に届くだろうと判断した。

 「貴方には、死にたいと願う道具としての心と、生きようともがく人としての心がある。……私から言えるのは、コレだけ」

 何の反応も返さないシオン。

 けれど、その瞳は大きく見開かれていた。

 「……頭、冷やしてくる」

 それから駆け出す寸前の速度でシオンは外へと飛びだした。

 「さて、彼は一体どんな選択をするのかしらね?」

 ほんの少しの楽しみと期待が入り混じった感情が幽香の胸の内に燻る。

 彼がこのまま終わるならそこまで。だが違う道を選ぶのなら――

 『……幽香、君は一体何がしたいんだ』

 今の今まで何も語らずにいたシャクナゲが、疑念を含んだ声、いや意志で幽香に問う。

 「強いて言えば彼のため、かしら? まあ大半は私のためだけれど」

 『今の会話のどこをどうすれば君のためになるのか、聞かせてもらっても?』

 幽香は腰に手を当てると、その視線を鋭くする。

 「……彼は、強い。外見からも、そして年齢からも考えられないくらいに。だけど、()()()()()()()()()()

 どんなに強力な一撃も、それを放った者の意志が無ければ何の意味も無い。幽香ほどの頑丈な体を持つ者には特に。

 しかし幽香は、先程シオンに言った『生きようと足掻いた』人間に傷を負わせられた。シオンと比べれば遥かに弱かった相手だ。

 逆にシオンの攻撃では、心の奥底まで届くようなものにはならなかった。一撃はシオンの方がはるかに上だったのに、だ。意志が無い攻撃では、幽香の芯にダメージを与えられない。

 「そんな相手に負けるほど私は弱くないわ。でも、最後だけ。最後に撃ってきたマスタースパークを放ってきた瞬間だけは、強い意志を感じたの。……体の奥に届くような、強烈な」

 『つまり幽香は、彼に発破をかけた、と?』

 「それは受け取り手次第ね。単に私がシオンを追いつめたようにも見えるし、シャクナゲの言う通りに発破をかけたのかもしれない」

 所詮はその人が感じた事なのよ、と言う幽香。

 確かにそうかもしれないとシャクナゲは思った。人によって物の見方が違うのなら、こんな議論は無駄だ。

 だったら今考えるべきは、なぜ幽香がこんな事をしたかだ。

 (基本的に幽香は無駄な事をしない。そんな暇をする時間があるのなら、花の世話に時間を割くはずだし。……待って。幽香が時間を割くものはもう一つだけ……まさか)

 色々と思うところはあるが、やはりこれくらいしか他の理由が思いつかない。

 『幽香、君が彼にこんな事をしたのは、もしかして自分と戦ってほしかったからなのか? 君が言う人の強烈な意志を持って、それから……』

 「あら、やっぱりわかっちゃう?」

 『幽香……』

 「大丈夫よ。彼なら自分で立ち直るでしょ」

 『そういう事じゃないんだけど……』

 シャクナゲに人の体があったなら、全身で呆れを表現していただろう。

 幽香は気付いているが、それをあえて無視している。

 (さて、シャクナゲにはああ言ったけれど、変わるか潰れるかは彼次第。できる事なら変わってほしいわね)

 このままでいてもしょうがないと思った幽香は、ちょうどいい時間だから昼食でも作ろうと移動し始める。

 幽香が料理を作り始める少し前、シオンは手の中にある姉の遺灰の入ったボロ切れを持って花畑を歩いていた。

 「死にたい……か」

 それは、本当の事だった。

 シオンはもう、死にたかった。こんな辛い現実で生きるのが、苦痛だった。死んだ方が何も考えずにすむと、そう思いながら生きている。

 そんなシオンを繋ぎとめていたのは、姉との約束。それが無ければ、もうとっくの昔に自殺でもして死んでいたはず。それくらい、死にたかった。

 でも、それはフランと出会って変わった……はず、だった。

 「変わってない。何も、何一つ変わらない。本当に、なんでだろ」

 そんな事を思うが、わからなかった。

 奪われて、奪われて、奪われ続けて。幸せなんてほんの一時で、それもすぐに無くなって。また絶望に落とされる。より深く、堕とされる。

 「そっか……だから、死にたいんだ」

 結局シオンは、そう思い込んでいるのだ。

 いずれはフランも、自分の前からいなくなる、と。

 無くなってしまうのなら、いっそ死んでしまえばそれを見なくてすむと。

 幽香に恐怖したのも、今思えば別の感情から来るものだった。

 シオンは条件が違うのなら別だが、事戦闘に関しては一度も負けた事が無い。だからこそ『自分が初めて敗ける』事に怯えた。

 それもすぐに『やっと死ねるのかもしれない』という考えに塗り替わった。自分自身に『逃げたら殺される』という、()()()()()()()で誤魔化して。

 「こんな後ろ向きの考えじゃ、変わるはずがないよな……」

 ふいにシオンは、自分の髪に何かが絡まっているのに気付いた。

 それをとってみると、絡まっているというより、結んであるのがわかった。

 「コレは……布? いやハンカチ、か?」

 花柄のハンカチ。描かれているのはシャクナゲを少し簡単にしたものだ。

 「いつの間に……」

 言った瞬間、わかった。ハンカチをつけるタイミングなど、シオンが呆然自失となりながら幽香の家を出て行った、あの瞬間しかないと。

 そのハンカチを見てみると、小さな紙が入っていた。

 紙には小さな文字で、遺灰を入れるのなら、コレを使いなさいとあった。

 どうして幽香がこんな気遣いをしたのかはわからない。それでもありがたかった。こんな汚い布の中に姉の遺灰を入れるなんてと、ずっと思っていたから。

 シオンは座ると、ボロ切れを縛っていた擦り切れて千切れる寸前のゴムを解く。だがすぐにはボロ切れを開かず、先に『十六夜咲夜』になる。

 外見的な変化は銀色の髪と青色の瞳だけだが、シオンの能力が変わった。

 「『時間停止』」

 範囲はボロ切れの中身。コレでよしと思ったシオンはボロ切れを開く。そこには、時間が凍結した事で一切の動きを見せない灰があった。

 小さく風が吹く。だが凍結したおかげで灰は飛んで行かなかった。シオンの懸念が当たったようだった。

 急いでシオンは灰を掴み、幽香から貰ったハンカチに包む。しかし縛る物が無い事に気付く。

 「……髪で、いいか」

 一旦能力を解除し、髪を数本引き抜く。その数本をゴムに変え、ハンカチを縛る。

 立ち上がり、なんとなく周囲を見渡す。全てが花に覆われている景色だ。誰かの手で整えられなければ、絶対にありえない光景。

 「……本当、バカみたいだ。なんで……『姉さんとこの風景を見られたら、どんなに嬉しいんだろう』って……思うんだ」

 どれだけ望んでも、そんなのはありえないのに。

 「なんで俺は……独り、なんだ」

 寂しいと、心が叫ぶ。咲夜と、美鈴と、パチュリーと、レミリアと……フランと、一緒に居たいと、そう願っている。

 独りに慣れ切っていた時はこんな事思わなかった。

 人との温もりに触れたせいで、心を蝕む感情が生まれてしまった。

 だけど、否定できない。あの時が一番、幸せだったから。

 「もう、独りは、嫌だ……! ウ、アァ……ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」

 シオンは心の赴くままに、叫んだ。

 幽香は、そんな叫びを聞いていた。正確には、花を通して伝わってくるのだ。

 「バカね、本当に」

 だからこそ、わかる。余計な感情を挿まず、ただ見た事をそのまま伝えてくる花達の様子から。 どれだけシオンが悲しんでいるのか。

 どれだけ辛い思いをしてきたのか。

 「失くしてしまったものは戻ってこない。でも、それをいつまでも胸にしまっていても、それにひきずられるだけなのよ」

 『幽香……』

 「……シオンは大事な人を。私の場合は花だけど……わかるのよ。その辛さが」

 幽香がどんなに花を慈しみ、大切にしようと。

 花は、すぐに枯れてゆく。

 けれど幽香は、その花一輪一輪の小さな輝きを忘れない。それが、枯れてゆく花達への手向けとなるだろうから。

 しかし、枯れてゆく花を見るのが辛いのには変わりない。幽香はそんな思いを忘れず、また新たな種を植え、花を育てる。

 花が大切だから。枯れていった花も、これから咲いてくれる花も。

 「彼も……それに気付けば、前に進めると思うのだけれど」

 大切な人を失った人を後悔し続け。

 ()()()()()新たにできた大切な人を守る。

 それができなければ、シオンは幽香に殺されずとも、いずれ死ぬ。

 そうなったら、自分がシオンを殺す。腑抜けた相手に拘るほど幽香は小さくないが、自身が戦った相手がそうなってしまうのを許せるほど大きくも無いのだ。

 だが、幽香のソレは杞憂だった。

 シオンは拳を握りしめると、それを『自分の顔面に』放った。

 ドガァン! という、およそ人から出るべきでは無い音が出た。それだけの音だ、当然シオンの顔も酷くなっている……はずだが、鼻血が出ている程度で、どこかが折れたりヒビが入っている様子は無い。

 「独りが嫌なら……会いに行けばいい。フランが、レミリア達がいる、紅魔館に! 死にたいと思っているのなら、誰と戦っても死ねないくらいに強くなればいい!」

 そうだ。姉との約束で死ねないのなら、それを利用しろ。

 死にたいと願う心を抑えつけてでも、生きてみせろ!

 「俺はもう、絶対に約束を破らない! 必ず『生きてまた、フランと会う』!」

 普通の人間なら、ここで誰かの助けを必要とするだろう。

 しかしシオンは違う。ほとんど一人、いや独りで生きてきたシオンは、どんな決断も独りでする必要があった。

 今回は幽香の発破で無理矢理気付かされたが、それが無くともいずれは気付いただろう。

 シオンは立ち上がると、幽香の家へと足を向ける。

 幽香の家へと辿り着くと、扉を吹き飛ばすかのような勢いで開けた。

 「……幽香」

 「花を通して伝わって来たからわかるわ。とりあえず、ご飯にしましょうか」

 「いいのか?」

 「よくなかったら貴方の分を用意なんてしないわ」

 「ありがとう」

 長らく栄養を摂らずにいたシオンは少し限界が近かった。シオンは椅子に座ると、テーブルの上にあるご飯を食べ始め、あっという間に食べ終えた。

 「ごちそうさま」

 「……もう少し味わったらどうかしら」

 「十分美味しかったよ。それに体の方が限界だった。栄養補給しないと倒れそうだったし」

 シオンは食器を片づけると、幽香の方に体を向けて、頭を下げた。

 「今日一日」

 「…………………………何がかしら?」

 なんとなく予想がつくが、幽香は先を促した。

 「今日一日だけでいい。ここに泊まらせてほしい」

 まだ頭を下げ続けるシオン。

 「……そうね。なら、花の世話を手伝う。この条件付きでいいなら、受け入れるわ」

 「!」

 少し悩んだが、それだけにしておいた。

 驚くシオンに向けて、幽香は妖しく微笑んだ。

 「この花畑は広大よ。死ぬ気でやりなさい」

 「ああ!」

 幽香の言われた通りにシオンは軍手やスコップなどの道具を持つ。幽香自身は手慣れている上に能力があるので必要無いが、やはりジョウロなど、一部の物は使う。

 まず幽香が花に花畑がどんな状態にあるかを聞き、それによってやり方を変える。

 雑草があるのなら抜き、水が足りないならかける。花同士が近すぎるのなら場所を変えておいたりなど、やる事は様々だ。

 水をかける以外は二日間近く何も出来なかったため、やらなければならない作業は多い。シオンの手があっても、場合によっては余計な事をされて遅れるかもしれない。

 が、それは杞憂に終わった。

 のみこみが早い――早すぎるシオンが、幽香が言わずとも勝手にやってくれるのだ。

 ふと、シオンが芽吹いたばかりの小さな花をスコップで周りの土と一緒に取っているのが目に入った。

 「シオン、その花をどうするつもりなの?」

 「え? ああ、何となく動かした方がいいかと……ここでいいか」

 シオンはこの季節、総合的に日当たりの良い場所に優しく花を植え直す。感覚の鋭いシオンだからこそ花を一切傷つけずにできる。

 そんなシオンを、幽香は訝しげに見ていた。

 (……どうなっているの? 確かにシオンが移動させた花があった場所は、芽吹いたばかりの花を植えておくようなところじゃない。移動させた場所も最適。だけど)

 どうしてそれがわかったの? そんな言葉が出かかった。

 なんせ幽香でもシオンがやるまでは気付けなかったのだ。

 幽香の能力はあくまで『花の意志』を感じ取れるだけであって、その意思が薄い芽吹いたばかりの花はわからない。

 人間で言うところの赤ん坊のようなものだ。赤子は泣いて意志を伝える事はできるが、言葉が無いからそれがなんなのかを察知しにくい。

 シオンは、それを完全に把握していた。

 (どうしてなのか……聞きたいけれど、そんなのはできないわよね)

 何より幽香のプライドが許さない。

 相手の手の内を相手が自分から話すのならともかく、自分から聞くのは我慢ならない。自分自身で考えるからこそ強くなれるのだから。

 結局シオンも幽香も、この時の一幕はすぐに忘れる事になった。

 シオンは特に思う事無く、幽香はその内自分で把握しようと思って。

 

 

 

 

 

 「それじゃ、俺はもう行くよ。泊めてくれてありがとう」

 「……自分を殺しかけた相手にお礼を言うのはおかしい気がするのだけれど」

 「そうなのか? 俺は特に気にしてないし、気にする理由も無いと思うんだけど」

 本気で不思議そうにしているシオンを見て、幽香はそれ以上言うのをやめた。

 今二人がいるのは、花畑の出口。その一歩手前だ。紫の能力に例えて言うなら、外と内の境界の境目にいる。

 「幽香」

 「何かしら」

 「次は勝つ。いいや、()()。……貴女は俺の、敵だ」

 凝縮した殺意を幽香に向けて放つシオンを見て、幽香は嗤う。

 「私にほとんど傷を与えられなかった貴方が、私を殺せるとでも?」

 「さて、どうだろうね。やり方次第じゃないか」

 不敵に微笑むシオン。

 マズい、と幽香は思う。完全燃焼しきっていたはずの戦闘欲求が再燃し始めている。このままでは今ここで二度目の戦闘をしてしまいそうだ。

 それは流石に嫌だった。今のシオンと戦うのも十分愉しいだろうが、もっと先、それこそ五年十年後のシオンと戦えば……どれだけのものになるだろうか。

 とはいえこのままの状態もどうかと考えた幽香は、一つシオンにアドバイスをする事にした。

 「シオン、貴方はマスタースパークを使う時に魔力を滞空させていたけれど、それは間違いよ」

 幽香は手を斜め上に向けると、小さく呟いた。

 「マスタースパーク……()()()

 手から一発、その周りから四発の閃光が放たれる。それは雲を切り裂き、消えた。

 「滞空させるなんていう余計な動作を入れたら隙ができるわ。分散させたりして威力を落としてでも一瞬で使いなさい」

 「……手加減、していたのか?」

 「子供相手に本気を出すほど堕ちていないわ」

 「舐めてくれるね……」

 今度は幽香が余裕の笑みをする。シオンは顔を引き攣らせるが、それでも笑った。

 しばらく笑みを交えていたが、ふいにシオンが一歩踏み出し、花畑の外に出る。

 「いつかはわからないけど、必ずまたここに来る」

 「その時を楽しみにしているわ」

 それだけ言うと、二人は背を向けて歩き出す。

 ――次に会う時は、また殺し合う。

 そんな思いを、胸に秘めて。

 

 

 

 

 

 ――しかし、二人とも忘れている。

 シオンは今回も『独りで』自分の心を解決した事に。

 誰の手も借りず、解決『してしまった』事に。

 未だにシオンの心は、何も変わっていない事に――。




人の心は簡単に変わらない。
まさしくその通りだと、この言葉を聞いて思いました。

いずれはシオンのこの考え方も変わるのでしょうか。
それがこの物語の行く末ですね。


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Sideアリス/再度の遭遇

前に投稿してからもう25日も……!

あれからテスト一週間前→テスト突入→台風で延期、土日勉強に潰れる→テスト後すぐ文化祭準備に→土日また潰れる→月曜日片付け→火曜水曜でなんとか書き上げる←いまここ

……書く時間が無い! ついでにスランプ(ネタはあっても言葉が思いつかない)に陥っていて空いた時間でも全然書けなかったという……


 「遅れてごめんなさい鈴仙!」

 「いえ、大丈夫ですよ。……その服は?」

 「永琳様が用意してくれたの。似合う?」

 「ええ、もちろん」

 やった! と小さく喜ぶアリスに微笑みを向ける鈴仙。

 しかし、そうしながらもやはり師匠は凄いと思っていた。

 二人が人里に行く事になったのが昨日だとしても、師匠とアリスの修行で朝は服が作れない。だとすると、師匠が服を作れるのは夜の間だけだ。たった数時間も無いのに上下を揃えられるのだから、どれだけの技術を持ってすればできるのだろうか。

 そんな事が一瞬頭を過ったが、今それを聞いてもしょうがないだろう。

 「準備できましたか?」

 「うん。いつでも行けるよ」

 靴を履いていたアリスが立ち上がると、鈴仙とアリスは永琳に言う。

 「それでは師匠」

 「行ってきます永琳様」

 「行ってらっしゃい。気を付けてね」

 手を振って二人を見送る永琳。

 二人の背中が見えなくなった頃に背を向けると、真後ろにてゐがいた。

 「……今までどこに行っていたの?」

 「ん? まぁちょっとね。ところで、あの人間はどこに行ったんだ?」

 「鈴仙と一緒に人里に行かせたけど、なぜそんな事を?」

 永琳がそう言った瞬間、てゐの雰囲気が変わった。

 「そうか、だったらいいよ。それじゃ」

 「待ちなさい」

 背を向けたてゐの肩に、永琳はそっと手を置いた。

 「てゐ。貴方が隠している事を、全部、誤魔化さずに、話しなさい」

 わざわざ区切っている永琳は、恐らく笑っている。てゐには、わかるのだ。

 だからてゐは、ギギギギと、まるで油の差されていないロボットのように永琳の方へと振り向いた。

 そこには、般若かと見紛う笑顔を浮かべた永琳が――いや、本当に般若が後ろにいると、てゐには見えた。

 「逃げたらどうなるか――わかるわよね?」

 

 「鈴仙、人里ってどんなところなの?」

 「そうですね、こう言ってはなんですが、そこまで文明は発達していないところです。元々人数が多くないのもありますが、科学技術は河童の専売特許なので、あまりやる必要が無いというのも原因の一つになっています」

 アリスとしては科学技術がどのレベルなのかもわからないし――自分の元居た世界よりはあると思うが――正直に言うと興味も無い。

 だが、一つだけ気になる言葉があった。

 「河童って?」

 「永遠亭に住むのなら会う事は無いと思いますが……川に住んでいる妖怪です」

 「え、妖怪なの?」

 「まあ一応そうなのですが、人間には友好的なので、例え会ったとしても大丈夫です。とはいえあっちが勝手に人間を盟友だと言っているだけなのですが」

 「それっておかしいんじゃ? 人間に友好的なのにあっちがそう思っているだけって……」

 「……思い込みって、怖いですよね」

 どこか遠い目をして呟く鈴仙に、なんとなくアリスは、ああ、河童が人間は盟友だと言っているだけなんだ……と理解した。

 「そ、それで他には何があるの?」

 「ん~……お店などはそちらにもあるでしょうから、寺小屋でしょうか?」

 露骨な話題逸らしだが、鈴仙は普通に答えてくれた。

 「寺小屋……お寺?」

 「あぁいえ、そういうものではなく、勉強を教えるところ、と言えばわかりますか?」

 「うん。でもそれって、お金とか必要なんじゃ? 大丈夫なの?」

 「教える人が一人しかいないので、あまり大勢に教えられるわけではありませんが、授業料はそう高くありませんよ。いつも大変そうですが、本人も楽しそうです」

 私も子供のお世話をする時があります、そう言って笑う鈴仙。

 「後は里から離れてはいますが、幻想郷唯一の神社である博麗神社。それと」

 「キャ!」

 「アリス!?」

 アリスの悲鳴に鈴仙は後ろを見た。

 そこには片足が地面の中にあるアリスがいた。

 「な、なぜ地面が……? とにかく足を抜い――」

 そこで鈴仙の声が途切れる。

 足元が無くなって、その中に落ちたからだ。

 「鈴仙、大丈夫!?」

 なんとか足を引っこ抜いたアリスが穴を覗き込むと、その顔が一気に引き攣った。

 「う、うわぁ……」

 穴の中は、その、なんというか、()()()()()を放つ物が大量にあった。

 具体的には生き物が生きていく以上必須とする事であり、それによってできる物だ。

 そんなところに落ちた鈴仙がどんな気分なのかは、同じ女であるアリスには予想する必要すら無かった。

 「…………………………い」

 一息入れると、鈴仙は叫んだ。

 「帰ったら覚悟しなさい、てゐ―――――――――――――――ッ!」

 

 片手でてゐの肩を押さえ、もう片方の手の人差し指を額に当てている永琳。

 その姿はどうしようもない子供をどうやってまともにするのか悩んでいるような感じだったが、実際は肩に置いている手をギリギリと握り締めていたりする。

 「……二人がそれにかかっていない事を祈るわ」

 そう言い、確認のためにてゐの言った事を反復する。

 「それで、その肥溜め的な何かを仕込んだ穴に、縄で固定した丸太が飛んで来る、それの他には何を仕込んだの?」

 ちなみに、てゐは今回そこそこ工夫して罠を設置したらしい。

 例えば少し引っ掛かる程度の小さな穴を作り、そこから足を抜いて前に進んだらもう一つの大きな穴に落ちる、と言ったようなものだ。その努力を別のモノに回して欲しいと思った永琳は悪くないだろう。

 更に言えば、予想に反して強硬にも何も話さないてゐに、しょうがないと言わんばかりに永琳は拷も……もとい、それに近い『お話』をして、なんとか口を割らせる事に成功した。

 しかし、なぜか最後の一つだけ――てゐは言っていないが、永琳の勘がそう告げている――は絶対に話そうとしないのだ。

 「これ以上話す事は無い」

 それだけしか言わないのだ。これ以上何もしかけてないと言わないのは、永琳に嘘を言っても無意味なのと、後からバレたら何をされるかわからないのが理由だろう。

 今回も同じ事しか言わないてゐに、一つ溜息を零すと、永琳は言った。

 「なら、てゐ『だけ』アリス達が帰ってくるまで食事抜きね」

 「な、それは!?」

 「それが嫌なら言いなさい」

 「う、ぐぐ……」

 てゐは、アリス達がいつ帰ってくるのかがわからない。里に行ったのなら食材を買いに、あるいは置き薬の確認などだろうが、アリスが着いて行ったとなると話は別だ。

 最悪数日間――そう思うと、てゐは自分の腹が鳴っていると錯覚してしまった。

 別に妖怪なのだから食事などせずとも生きていけるが、一度染み付いた贅沢はそう簡単に抜けはしない。

 要するにてゐは、兎らしく餌付けされていた。

 耳も頭も項垂れたてゐは、小さな声で言った。

 「……最後の、一つは」

 

 「全くもう、あんな物をしかけるなんて……私だったからよかったものの、アリスが落ちたらどうするつもりなのでしょうか」

 「あ、あはは……」

 あの後、穴から這い出た鈴仙は妖力を使って全身にこびり付いたアレを全て穴の底に沈めた。

 その時の鈴仙の様子は、正直思い出したくないとアリスは思う。本当に、今にもキレそうだったのだ。

 しかし物は落とせても臭いまでは落とせない。それについてはどうしようもないので、とりあえず持ってきていた水筒の水で服を着たまま全身洗い流して妖力を使って乾かしておいた。

 未だに匂いは残っているが、この際贅沢は言っていられない。里に入る前に川があるので、そこできちんと臭いを落とそうと鈴仙は決めた。

 「すいませんアリス、この臭いが大変不快なので、少し早足で行きます。速度は合わせますが、早すぎたら言ってください」

 「わ、わかった。とりあえず行きましょ」

 鈴仙の気持ちがよく理解できるので、アリスは一二もなく頷いた。

 そうして歩き出そうとして、アリスは頭上に影が差しているのに気付いた。鈴仙は気付いていないが、おかしい。

 (竹はほぼ真直ぐ生えるはず。だったらなんで影が――?)

 上を見て、アリスは息を呑んだ。

 「鈴仙、上! 止まって!」

 「え――?」

 鈴仙がアリスの叫びに応じて止まって振り返った瞬間、轟音を立てて何かが落ちてきた。

 「な、なななんですかコレは!?」

 前を見ると、黒い壁があった。

 しかしそれは、鈴仙が近すぎるからそう見えるだけだ。少し離れた場所にいるアリスには、それの姿が見えていた。

 「コレは、私と鈴仙が会った妖怪――!」

 

 「妖怪を捕まえた?」

 「そ。なんか無駄にデカいくせにトロいのが竹林にいたから、ロープで全身グルグルに縛ってどっかの竹の上らへんに置いて来たんだよ。人里に行くのに鈴仙がよく使う場所だし、ちょうどいいかなと思ってね」

 ま、流石にあたしだけじゃ運ぶのは無理だし、知能は無さそうだから誘導してから捕まえたんだけど、とおどけるてゐ。

 てゐはこう見えてそこそこ力持ちだ。運ぶのはともかくとして、竹の上に置くだけなら、上手くやれば確かに不可能ではない。

 しかし、一つ気になる点があった。

 (()()()()()()()()()()――。もしそれが私の勘違いであったならいいけれど、もし予想通りなら……()()()()()()()()()()()()

 うまく逃げられればいいのだけれど、と永琳は二人を心配した。

 

 「ど、どうしよう、鈴仙」

 少しだけ怯えているアリスに、鈴仙は言い切った。

 「戦うか、逃げるかですね。ですが相手の速度が分からない以上、いたずらに体力を消耗するのは得策ではありません」

 「じゃあ……」

 「様子見、ですね。今回は武器を持ってきていますので、最悪()()事も視野に入れましょう」

 「……!」

 鈴仙が何気なく言った、殺すという言葉。それにアリスは息を呑んだ。

 価値観の違いだ。アリスは生き死になど体験した事は無い。だから、相手を殺すなんて考えは頭に浮かぶ事すら無い。

 なのに、鈴仙は殺すと言う。相手は妖怪だと言われればそれまでだが、やはり心のどこかでは躊躇してしまうだろう。

 だから、アリスは言った。

 「……鈴仙、私はサポートに回るから、指示はお願い」

 「アリス……?」

 「私じゃ、相手を殺せないと思うから。そんな覚悟は無いし、背負う覚悟も無い。だから、今だけは、お願い」

 今だけは、とアリスは言った。

 それはつまり、いつかアリスは誰かを殺す事を覚悟する、という意味だろう。

 「そんな日が来ない事を祈りますよ」

 鈴仙としてはそんな事をしてほしくない。だがこの世界で、そして永遠亭で生きる以上、いつか必ず妖怪を相手にし、殺す日が来る。だから鈴仙は遠回しにアリスの想いを否定するしかできなかった。

 二人が言葉を交わしている間に、妖怪がゆったりとした動作で立ち上がろうとしていた。

 その妖怪は、一言で言えば黒い。ほぼ真黒だ。鈴仙とは、違う。鈴仙は人型。対してあの妖怪は獣型であり、色も一つ。まるで、()()()()()()()()()()()()かのようだ。

 「鈴仙、どうして同じ妖怪でもこんなに違うの?」

 「簡潔に言えば『存在が確立されていないから』ですね。妖怪は噂を元に生まれます。しかしそれがあまり広まっていなかったり、あるいは恐怖心が薄ければ、あんな形になるのです。だから低位の妖怪はまず自分自身を確立させるために人を襲い、その恐怖心を糧にしようとするのです。そうしなければ、生き続けられないから。忘れ去られた妖怪は、消えてしまうから」

 「消え、る」

 「ですが通常、あの程度の妖怪であれば、人の中に潜在的にある恐怖心でも自己を保っていられますが、知能は無いも同然です。自分が消えない事すら理解できません。だから――」

 妖怪は体を起こすと、手足の四本で体勢を整える。若干蛙に近いが、その巨躯は蛙なぞの比では無い。

 何やらキョロキョロと周囲を見渡している。と、その視線が一箇所で止まった。

 「――考えなしに、人を襲うのです!」

 鈴仙が言い終えると同時、妖怪がアリス目がけて突撃し出した。

 

 

 

 

 

 「アリス、とにかく相手の全体を見てください! 一点だけを見ていては足元を掬われます!」

 鈴仙はそう言うと、懐から黒い何かを取り出した。

 形としては、小さな黒い筒と、その端から握る部分が飛び出ており、その二つの間に指二つか三つが通せる穴があった。その穴にはトリガーがあるので、恐らくそのトリガーを引く事で筒の先から何かが飛び出る……アリスには、それくらいしかわからなかった。

 鈴仙はそれを片手で構え、照準をしながら呟く。

 「念のために武器を持ってきて正解でしたね――」

 まずは一発、トリガーを引く。

 ドンッ、と大きな音を立てると、視認できない速度で小さな塊が妖怪に向かって飛ぶ。

 しかし、鈴仙には見えた。

 飛んで行った弾丸が、妖怪の体に当たり、そして『弾かれた』。

 「な!?」

 驚きながらも二発、三発目を撃つ。だが、当然弾かれる。

 「アリス、横に!」

 「う、うん!」

 アリスには今の状況がわからないため、とにかく横に飛んで妖怪の体当たりを回避する。単なる回避だが、あの巨体、質量で襲い掛かられれば、アリスの体など一撃で潰れるだろう。

 けれど、鈴仙はアリスの身体能力に驚いていた。

 (アレは――魔力? 身体強化ですか。いえ、今はそれどころではありませんね)

 地面を蹴り、アリスの元へと移動しながらチラと妖怪を見る。

 (あの妖怪は動きが遅く、恐らく力も無い。代わりに――私の攻撃が一切通じない堅固な防御力を持っている)

 アリスの横に着地した鈴仙は、すぐに言った。

 「すいませんアリス。私ではあの妖怪の鎧とも言える体をぶち抜く事はできません。火力が圧倒的に不足しています」

 「それは……さっきの攻撃で、なんとなくわかってた。でも、それなら逃げるの?」

 「無駄でしょう。追いかけられるに決まっていますから。なので、奥の手を使います。たった一度限りの、奥の手を」

 「……それを使えば、あの妖怪に勝てるの?」

 「当てどころによります。体に当てても多分意味がありませんから、狙いは、頭。これ以外の場所は狙えません。しかし、コレはある程度近くに行かないと意味がありません。かと言って離れていれば威力は減衰します」

 だが、とアリスは思う。あの妖怪は無駄にでかい。頭のあるところへ行く前に振り落されるのがオチだろう。

 「幸いと言いますか、ここには竹があります。これを足場にして移動すれば、ある程度はなんとかなるでしょう」

 しかし、その間にもアリスは狙われ続ける。あまり時間はかけられない。

 無意識の内に焦りかけた鈴仙を止めたのは、意外にもアリスだった。

 「……ねえ、鈴仙。相手の動きを止められれば、当てられるのよね?」

 「ええ、まあそうですね」

 「だったら、私がなんとかできるかも」

 「は!?」

 戦闘中にも関わらず、視線をアリスの方に向けてしまう。

 アリスはただ、『信じて欲しい』と目で訴えていた。

 「――……ああもう! 危なくなったら止めますからね!」

 「ありがとう」

 言外に助けてくれると言ってくれた鈴仙に、アリスは一言だけ返した。

 「それじゃ、行くね」

 魔力を纏い、アリスは駆け出す。一直線に、妖怪へ向かって。

 

 「遅いかもしれないけれど、二人を追いかけましょう」

 「ええ……面倒だなぁ」

 「元はと言えば誰のせいなのかしらね。……薬の実験台にするわよ?」

 「全力でお手伝いします!」

 ボソリと呟かれた永琳の一言に、冷や汗を掻きながらてゐは即答する。

 そう、とどこか残念そうにしているが、何とか諦めてくれた永琳を見て、青褪めていたてゐの顔色が少しだけマシになった。

 最初の頃、てゐは永琳や輝夜にも悪戯をしていた。そのことごとくが看破され、また破壊され続けたが、それでも懲りずに設置するてゐに、永琳は薬を飲ませた。

 その時の感覚は、思い出したくも無いものだった。

 以降、てゐはこの二人に関して悪戯をするのをやめた。誰だって命は惜しいのだ。

 項垂れながら永琳に着いて行くてゐは、項垂れていたが故に気付くのが遅れ、永琳の体に頭を当ててしまった。

 「っと、どうしたんだ?」

 「追いかける必要が無くなったわ」

 「意見変えすぎだろ!」

 ついツッコんだが、気にせず永琳は自身の部屋へと足を向ける。

 「まあ、鈴仙一人だったら厳しいでしょうけど……アリスも一緒だから、大丈夫よ」

 なぜアリスが一緒だから不安になるのではなく、大丈夫なのだろうか。てゐの角度からは横顔しか見えないその微笑みは、なぜか楽しげだった。

 

 「っは!」

 アリスは気合を入れるために一つ声を発する。

 実際は心の内に潜む恐怖心を誤魔化すためなのだが、体が動けばこの際どうでもいい。気にする余裕も無い。

 生まれて初めての戦い。

 そんな状況でまともに動けるだけ、アリスはマシだろう。子供ゆえの無謀さもあるだろうが、それでも、だ。

 「――――――――――!」

 妖怪は声にもならぬ声を出す。

 と、いきなり横にある竹を掴み、バキッ、と割ると、アリスに向けて放り投げて来た。

 「え、えーと、『動体視力強化(アイ・プラス)』!」

 『動体視力強化』はそのままアリスの動体視力をあげる魔法。本来なら『視覚強化』なのだが、それだと他の視力も上げてしまうため、できない。

 視力があまりにも『良過ぎる』人間は、近くの物を見ようとし続ければ目を痛ませ、目から見た情報を処理するために稼働する脳を疲れやすくする。

 現状子供であり、またそういった感覚に慣れていないアリスのために、永琳はあえてデメリットを教え、その危険性を伝えた。アリスの聡明さを逆手に取ったのだ。

 そのためアリスにはそれぞれの感覚をいくつかに分けている。ただし、言葉は全て同じで、心の中で思った事柄を強化する、という風になっている。

 「遅い!」

 アリスの眼は、飛んで来る竹をスローモーションで捉えた。

 そしてタイミングを計り、アリスは竹に向かって、跳んだ。竹に上手く飛び乗り、そこからまた上に跳ぶ。

 妖怪へ向かって、ではなく、その更に上にあるロープへ向かって。

 「――っし」

 ロープを掴むと、複数の竹に絡まっているのを無視して横に思いっきり跳ぶ。いくつかは耐えたが、いくつかの竹は折れてしまった。

 物を壊す事をせず、そしてどんな物にも命があると、今よりも幼き頃に教わったアリスは、少し胸が痛んだが、気にしている余裕は無い。まだ竹に絡まったままの、ある程度の長さを確保したロープを持って、地面へ下りる。

 だが、それを狙ったように地面を叩き、地を揺らす妖怪。踏ん張っていたならともかく、下り立ったばかりで、しかもまだ着地が上手くないアリスは倒れてしまった。

 追撃に、妖怪は地面を叩いた時にできた割れ目に手を入れ、アリスの体よりも遥かに大きな塊を持ち、投げてくる。

 逃げられない、とアリスは理解する。明らかにアリスが立ち上がり、逃げようとするよりも早くあの塊が自分の体にぶつかる。

 アリスは身体強化は使えるが、それでもまだまだ粗が目立つ。ぶつかれば重傷、当たり所によっては死ぬ。

 腕を顔を前に出して交差し、頭を下にして小さくなる。つい目を閉じてしまうが、アリスは怯えてこうしたわけではない。

 頭を下にしておけば胸を庇える。腕を前に出せば多少は威力を下げられるし、頭と、その先にある胸を庇える。

 人の弱点はそれだけではないが、少なくとも脳、首、心臓を守れれば即死はしない。むろん怪我が大きければ生きていても死ぬだけだが、生き残れる可能性は上がる。そう永琳に教わった。

 しかし、予想に反して衝撃は無く、痛みも無い。ただフワリと優しく腕を包む感覚と、少しの浮遊感を感じるだけだった。

 「……?」

 おそるおそる目を開けると、鈴仙の顔が見えた。そして、自分がどんな体勢をしているのか理解する。自分はお姫様抱っこをされていたのだ。

 「な、なんで……?」

 「先程言いましたよね。危なくなったら助ける、と!」

 体を前に倒し、姿勢を低くして前に走る。そう、あの塊に向かっているのだ、鈴仙は。

 しかし、あの塊の狙いはあくまでアリス。つまり、前に行っても当たる事は無い。代わりに、飛ぶ勢いに耐え切れずに落ちてくる小さな土がパラパラと、たまに石も落ちてくる。

 それはアリスには当たらず、鈴仙の頭と髪、背中に当たる。鈴仙がわざわざ姿勢を前に倒していたのは、アリスを庇うためだったのだ。

 「鈴仙、いいの?」

 「汚れを気にする暇などありませんよ。ある程度接近したらアリスを降ろしますので、準備しておいてください」

 髪を汚し、傷ませるのを気にして聞いたが、鈴仙はそんな余計な事を言うなと一蹴する。

 少し落ち込んだアリスだが、鈴仙の言う事はもっともなので、自分はバカかと思って気にしない事にする。

 そんなアリスは、ふいに叫んだ。

 「鈴仙、私を前に投げて!」

 「え、は?」

 「いいから早く!」

 「は、はいぃ!」

 アリスの気迫に押されて、鈴仙は遠慮も情けも容赦もなく全力でぶん投げた。……あ、と思った時にはもう遅い。

 妖怪の腕力で全力で投げられれば、速度が出る。ただし、大人だろうと子供だろうと恐怖で泣き出しそうなくらいの速度、だが。

 しかし、現状アリスは動体視力強化が使える。周りの景色がスローモーションで見れるのであれば、恐怖心は多少和らぐ。

 問題は、ただ単純に前に進んでいるだけなので、体がグルグルと回転して気持ち悪くなりそうだという事ぐらいだった。

 そんな気持ちわるくなる事もやっと終わり、アリスは狙い通りに妖怪の足の間を通れた。空中で体勢を変え、足を地面に着ける。

 慣性に従ってガリガリと地面を削りながら、数秒して止まる。いまだスローモーションの世界の中で、アリスはロープを持った手をしっかりと握り、グルリと半円を描くように妖怪の右足の外側へ向かう。

 これでよし、と判断したアリスは、全力で上に跳び、竹を足場にしてさらに跳ぶ。

 後ろを振り向いたアリスの視界には、()()()()()()妖怪の姿が見えた。

 とても単純な話だが。

 片足を上げた状態で、半円上にした紐を地面に着けたままの方の足にかけられ、そして思いっきり引っ張られたら、どうなるか?

 答えは簡単。支えを失った体は、引っ張られた方向とは逆に倒れる。アリスは今回妖怪から見て前に引っ張ったので、妖怪は後ろから倒れる事になる。

 アリスが投げて欲しいと言ったのは、コレが理由。片足を上げていなければコレは絶対に成功しない。タイミングが命のこの策は、動体視力を強化できるアリスか、アリスと同じかそれ以上に動体視力が良い、または異様に勘が鋭い者にしかできないだろう。

 今回は運に助けられただけ。次回もこうなるとは限らない。

 だが、だがそれでも――!

 「鈴仙、今!」

 自身の友人であり、また姉とも呼べる鈴仙を、助ける事ができる!

 「流石です、アリス!」

 アリスを投げてからすぐに駆け出していた鈴仙は、妖怪が倒れ切る前にその体に飛び乗り、頭に向けて走っていた。

 妖怪が地面に背中をぶつける直前、鈴仙は少しだけ跳んでその衝撃を受けないようにし、そしてどこからか――()()()()()()()()()()

 「……何、アレ?」

 あんぐりと口を開け、呆然としているアリスを尻目に、鈴仙はそれを妖怪の頭に向ける。

 「実を言うと初めて使う物なのですが――師匠作、私の火力不足を補うために作られた散弾銃、たっぷり味わってください」

 そして、その引き金を、引いた。

 

 

 

 

 

 アリスの位置からでも、まるで耳元で叫ばれたかのような轟音が届いた。なら、それを至近距離で聞いた鈴仙はどうなったのだろうか。

 鈴仙のいる方を見ると、

 「……耳、畳んでる?」

 ペタリと耳を畳んでいた。それでいいの、鈴仙、と思ったが、とりあえず見ない事にした。

 だが、鈴仙が振り向いて来た時、見て見ぬフリなどできなかった。

 「うッ……」

 妖怪の顔は、そのほとんどが吹き飛び、残った部分がまるで紐の先にある重石がブラブラと揺れるように、首と繋がっていた。そして顔が吹き飛んだ時に飛び散った血は、大部分が鈴仙の持つ銃に、鈴仙の体にベッタリと着いていた。紅い瞳と合わせて、その姿は途方もない恐怖を誘う。

 なんとか込み上げる吐き気を堪え、竹を掴んでいた手を放し、地面に下りる。

 そのまま妖怪の体に飛び乗り、鈴仙の元へと駆ける。

 その途中で、グラリと鈴仙の体揺らぎ、膝を着いた。そんな鈴仙に向かって叫ぶ。

 「鈴仙、大丈夫!?」

 走る速度を上げ、物の数秒でそこに辿り着く。アリスは鈴仙の体に付着している血を気に留める事も無く、彼女の肩に触れていた。

 鈴仙は冷や汗を掻きながら、銃を持つ腕を押さえていた。

 「あ……アリス、です、か。すみ、ませんが、少し待って、ください」

 苦痛を堪えるように唇を噛み締める。だが、腕の振るえは隠しきれてなかった。それでも銃をその場に置いた事で多少はマシになったらしく、体に付着した血を飛ばした。

 しかし、すぐにまた腕を押さえ始める。

 「痛むの? その痛みはどんな風に?」

 「衝撃に耐え切れずに腕の骨を数ヶ所折っただけなので……大丈夫です。私は妖怪なので、すぐに治せます」

 だが、一向にそんな気配は無い。アリスは鈴仙に問いかけるような視線を向ける。と、もう隠しきれないと悟ったのか、鈴仙はポツポツと言い始めた。

 「実は……てゐと違って、私は、ほとんど妖力が使えないんです」

 「妖力が使えないって……でも、アレを吹き飛ばした時に使ってた、よね?」

 「アレくらいならほとんど妖力を使いません。ですが、治癒となると……」

 なんとか身体能力を上げるくらいはできるんですけどね、と苦笑いをする鈴仙。その苦笑いは、どちらかというと、何かを堪えるかのようなものだった。

 「だから、私には体の治癒ができなくて……ここに、永遠亭の近くに来た時も、師匠に傷を治してもらって、本当にギリギリのところで生き長らえたんです。……てゐが私を認めないのも、私が妖怪として致命的な欠陥を持っているからなのかもしれませんね」

 諦観が入り混じった笑みに変わる鈴仙を見れなくなったアリスは、

 「……ちょっと、我慢してね」

 と言って、鈴仙の腕を押さえた。

 「ッ」

 少しだけ表情を苦痛に染めるが、腕を動かさないようにする。

 「……うん、あんまり変な折り方はしてないから、私でも大丈夫」

 「え……?」

 アリスが何かを呟くと、手に光が灯り、それは鈴仙の腕に伝わって、仄かな燐光を宿す。その光は徐々に増えていき、やがて眼を焼くほどの光が、周囲を照らした。

 やがて光が収まり――目を開けた鈴仙は、腕の痛みが無くなっている事に気付く。

 「コレは……」

 「私も、これくらいしか取り柄が無いの」

 少しだけ恥ずかしそうに笑うアリスは続ける。

 「身体能力を強化するのと、回復魔法くらいしか使えないって、永琳様にも言われちゃって。だけど、この二つだけなら筋が良いって、永琳様に褒められたから、これだけで十分」

 「()()に……《・》()()()()()?」

 「うん」

 信じられないものを見るような目でアリスを見る鈴仙に気付かず頷く。

 (師匠が人を褒めるなんて……アリスの才能は、それほどあるのですか?)

 基本的に永琳は他者を褒めない。褒める要素が無いからあまり褒めないのだ。そのくせ上手く人をやる気にさせられるのだからその手腕は凄まじい。

 そんな永琳が他者を褒めるとは、つまり、『その方面において自分は勝てない』と認めたようなものなのだ。

 鈴仙の戦慄に気付かず、アリスは笑顔で言う。

 「だからね、鈴仙。欠陥を抱えた者同士、一緒に頑張ろ?」

 「……!」

 驚きに目を見開き、しかしすぐにふっ、と柔らかい笑みを浮かべる鈴仙。

 (そうですね。才能があろうとなかろうと、アリスはアリスです。こんな無邪気な笑顔を向けてくれる、綺麗な人)

 治った手で銃を持ちあげ、鈴仙は言った。

 「二人で、頑張りましょうか」

 「うん!」

 二人の間に朗らかな雰囲気が流れる。

 だが、二人は忘れていた。ここは、妖怪の体の上なのだと。

 唐突に揺れる妖怪の体に、二人は片膝を耐える。

 「な、なんで揺れてるの!?」

 「落ち着いてくださいアリス! 様子がおかしいですが、妖怪は死ねば消えます! 地面に落下し始めたらすぐに体勢を立て直してください!」

 そんな鈴仙の予想は儚くも裏切られ、妖怪は上体を起こした。

 鎖骨辺りにいた鈴仙とアリスは、放物線を描きながら地面に落下する。

 「た、確かに倒したはず! 頭を吹き飛ばされても生きていられる妖怪は、低位の中にはいないのに――!」

 顔中に疑問を浮かべるも、体は着地に備えている。膝を曲げて衝撃を和らげると、鈴仙はすぐに動いてパニックになっているアリスの体を受け止める。

 だが、あまりにも時間が無かった。受け止める事はできたが、そのまま倒れてしまったのだ。

 その間にも妖怪は不安定な体勢で腕をあげようとしている。アレは、殴るための動作だ。

 (マズイマズイマズイ――! 私はまだ耐えられても、アリスは――! ……っは!)

 気付く。相手は拳を振り上げているだけ。なら、振り下ろすタイミングを見切れば――落ちてくる場所がわかれば、後はそのまま一直線だ。無理矢理打点を変えるなどすれば減速し、最悪全く別のところに行ってしまう。

 (だったら私がすべき事は、アリスを守る事。それだけです!)

 全ては一瞬。腕が振り下ろされ、それがどこに落ちるのかを見極め、アリスを投げる。降ろされる前に投げる事はできない。仮に相手の狙いがアリスなら、すぐに拳を降ろす場所を変えられるだけだ。

 「アリス、少ししたら投げます。今度はうまく着地してくださいね?」

 おどけて言う鈴仙に、アリスは驚愕する。アリスとて現在の状況はわかっている。アレが当たれば、自分が死ぬ事くらい。

 しかし、それでも。

 「そんな事したら鈴仙が死んじゃうかもしれないのに!」

 「大丈夫です。一撃くらいなら耐えてみせます。アリスが喰らえば死んでしまいますが……私なら、耐えられる。耐えたら怪我を治してくださいね?」

 「だからって、そんなのダメ!」

 「言う事を聞いてください。それに。……『姉』は、『妹』を守るものなんですよ」

 だから鈴仙は、『自分自身を囮にして』アリスを守る事を選ぶ。

 確かに戦術的判断もあるが、あくまで鈴仙の目的はそれだけだ。

 「鈴仙、やめて……!」

 「アリス、舌を噛んでしまいますよ」

 鈴仙の口調は穏やかだ。これから自分が傷つくと分かっているのに。

 もう、今すぐにでもあの妖怪は動くだろう。その瞬間を見極めるために、知らずして鈴仙の視線は鋭く、顔は険しくなる。

 そして――動いた。

 (なっ、速い――!?)

 今までよりも遥かに速い速度で迫る拳。だが、アリスを投げる隙はある。鈴仙が腕でガードする暇が無くなっただけだ。問題は無いと鈴仙は判断する。

 暴れようとするアリスを、腕に力を込める事で押さえ、投げようとし――

 「……え?」

 その前に、妖怪の体が倒れ、それに流されるように拳も横に逸れた。

 「一体、何が――?」

 「バカぁ!」

 無理矢理鈴仙の腕を振り解き、鈴仙の胸を叩くアリス。

 「え、ちょ、アリス!?」

 「鈴仙のバカ! 私だけ助かっても意味無いのに! 鈴仙がもし死んじゃったら、私は、これからどうすれば……!」

 ドン、ドンと胸を叩くアリスを、鈴仙は見つめる。腕を止める事はしない。目の縁から零れている物を見て、止める事などできなかった。

 「……すみません、アリス」

 「そう、思うなら!」

 もう一度、強く叩く。

 「……もう、こんな事、しないで。お願い、だから」

 「はい。わかりました」

 「わかってない! 本当にわかってるなら……即答なんて、しない」

 事実だ。もしまた今回のような事があれば、鈴仙は今回と同じ事をするだろう。

 「努力します。そうならない努力もします。なってもなんとかします。それではだめですか?」

 「……ダメ、だけど。でも……最後まで諦めないなら、許す」

 「諦めませんよ。アリスを置いて、死ねるわけないとわかりましたから」

 それから少しだけ泣いたアリスをあやしつつ、数分が経つ。

 我に返ったアリスは、赤くなった眼で鈴仙を睨み、しかし袖を掴んでいる。

 苦笑いを浮かべつつ、鈴仙は全く別の事を思っていた。

 (最近の妖怪は何かがおかしい……。普通、低位の妖怪があんなに強いはずがありませんし、頭を吹き飛ばされても動くはずがありません。ですが、それが異常と呼べるものでもないのもまた事実。師匠が調べればわかるかもしれませんし、報告だけはしておきましょう)

 鈴仙はアリスを連れて歩き出す。

 その胸の内に、一抹の不安を抱きながら。



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Sideシオン/小さな出会い

 今度は勝つと宣戦布告をして花畑を出たシオンは、すぐに入った道の中で、

 「道が…………………………わからない………………!」

 先程までの威勢はどこに行ったのか、盛大に項垂れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現状がこうなったのはいくつかの要因が重なったせいだ。

 まず、幽香に道を教わらなかった事。聞こうとした時に、つまり幽香と別れるあの場所に行く前

に聞こうとしたのだが、その瞬間なぜか弁当を渡され、言う暇を与えられなかった事。驚いてそのまま聞き忘れてしまった事。

 更には現在地を確認しても目印が無い事。そもそも方角が分からないので、どこに行けばいいの

かもわからない。

 コレが、シオンが道に迷った理由の数々だった。

 「……ま、いいか。こんな状況慣れてるし。これよりひどい状況もあったからな」

 しかし慣れたもので、あっさり立ち直る。こういう突発的な出来事には滅法強いシオンは、この

程度では慌てない。

 「とりあえず、適当に進むか。最悪飛べばなんか見えるだろうし」

 こうして楽観視できるのも、ちゃんと考えがあるからだ。流石に何も無しに行動したいとは思わ

ない。

 行動指針を決めたので、なんとはなしに歩き始めるシオン。……が、行く先々になぜか出るわ出

るわ妖怪の数々。

 何時もの事だとスルーして戦い、妖怪を切り伏せていく。常人ならば絶望して然るべき状況の中でも、シオンとしてはまだまだ甘い、というレベルだった。

 今ここにいる妖怪は全て討滅したが、代わりに妖怪の血を浴びて真っ赤になっていた体。このま

までは、誰かと会っても怯えて逃げられるだけだ。

 「せめて血を洗い流さないと、道を聞く前に逃げられるだろうな……」

 人の心の機微には疎いシオンだが、流石にこれくらいはわかる。

 一旦リミッターを外す。葉がこすれ合うわざめきさえ、まるで耳元で叫ばれるような状態になり

ながらも、微かな水の流れを捉えられるよう、集中する。

 「……こっちか」

 どうやら近いところにあるらしく、すぐに聞こえた。

 そちらに足を向けながら、再度感覚を常人並みに落とす。

 だから両者とも気付けなかった。

 シオンは感覚を落とす時に、無意識の内に気配を消し。もう一人は、川で涼むのに夢中で、周囲

に気を配っていなかった。

 「……ん?」

 「……へ?」

 「「…………………………え?」」

 こうして、河童と(勝手な思い込みで)その盟友(扱いされている)である人間は邂逅した。

 

 

 

 

 

 「な、なんで……確かにセンサーを設置したはずなのに!」

 余りの驚きからか、口から思考がだだ漏れである。

 「と言われても……センサーってあれだろ? 多分、無意識で避けた。ああいうのは無意識でも

避けられるようになってるから」

 シオンが指差す方には、木に何かが着いており、見えない透明な線が張り巡らされている。

 口をパクパクとさせている目の前の少女は、外見から判断すれば人間としか思えない。

 川岸に腰を下ろしている少女は、青い髪をウェーブがかった外ハネにし、赤い珠のアクセサリーでツーサイドアップにしている。

 服装は白いブラウスに肩の部分にポケットがある水色の上着。裾にも大量のポケット――その内の一つから何かの機材が見える――が付いた、これまた青いスカート。靴は長靴に似た何か、胸元には紐で固定された鍵がある。水辺から少し離れた場所には青いリュックもあった。

 唯一緑のキャスケットを頭に被っていなければ、全身青々しかない事になる。

 だが、シオンはそんな少女から一歩後ずさる。彼女と目を合わせた時に交差した青色の瞳から、どことなく嫌な予感がしたのだ。

 「へえ。まさかそんな人間がいるとはね。ふ~ん……面白い」

 先程までの驚愕の表情から一転し、不敵な笑みを浮かべている少女。

 「ああ、名乗り忘れてた。私はにとり。河城にとり。河童だ。よろしく、盟友」

 手を差し伸べてくるにとりの手を、しかしシオンは取らない。というより――取りたくない、と思わされる?

 「その手、何か仕込んでるのか?」

 「え?」

 疑問ではなく、なぜ気付いたのか、という声音。

 やはり、と確信するシオン。

 「若干だけど電磁波が漏れてる。俺の何かを調べたいのか?」

 にとりは驚いた様子だったが、すぐに笑った。

 「これは小細工なんかせずに直接言った方がいいかもね。そうだよ。私はシオンの生体電流を知りたかったんだ」

 「生体電流って……そんな物を調べてどうするんだ?」

 「ちょっとね。言うより見せた方が早いかな」

 横に手を伸ばすと、にとりはリュックをごそごそと漁り、そこからコードの繋がった手袋と、そのコードの先に着いた機材を取り出した。

 それを自身の手に着けると、機材に触る。

 「ここをこうして……こうすれば、と」

 しばらくの間は何も無かった。しかし、

 「――消えた?」

 そう、にとりの手が見えなくなったのだ。

 (この手袋、周囲の景色と同化するようになってるのか?)

 だが、シオンはそれを即座に否定した。

 「コレは――光を捻じ曲げて……いや、透過させてる?」

 「正解だよ。まさか一発で見抜かれるとはね」

 「まあ、半信半疑だが……よくできたな」

 「最初に言った光を捻じ曲げる云々は、流石に技術よりもエネルギー的な方向で無理だったんだけどね。それにこれも試作段階。本当ならこんな機材はいらないし――それに、ほら」

 にとりは手をシオンの前に差し出す。

 シオンは、にとりの言いたい事を瞬時に察知した。

 「動かす時に景色がブレたな」

 「そ。どうやっても反応しちゃうんだよね、私の生体電流に」

 この手袋にはかなりの技術が使われている。

 反面、その精密すぎる事が仇となり、微かな電流――そこから発生する、全くと言っていいほど存在しない電磁波が、光学迷彩を不完全にする。

 動かさないなら反応しない。

 しかしそれでは意味が無い。

 そもそも全身を欺けなければ光学迷彩は完成しない。そうにとりは思っている。

 「なるほど、それで俺のデータを取って自分のとの差異を比べようとしたのか」

 「大体そんなところ。バレちゃったからもう無理なんだけど」

 「いや、最初から説明してくれれば協力したけど」

 「……え? いいの?」

 「代わりと言っちゃなんだけど、俺が困った時があったら協力してくれ」

 「なるほど、コネと言うわけだね。うん、わかった。いずれ君に借りは返すよ」

 ギブアンドテイクは常識だしね、とにとりは言い、今度こそ二人はその手を合わせた。

 

 

 

 

 

 「それで、俺はどうすればいいんだ?」

 「とりあえずコレを貼って欲しいんだ。付けるのは私がやるから」

 にとりがスカートに大量に付けているポケットの、その内一つからシールのような物を複数取り出した。

 「コレ、さっき俺にしようとした細工とは違う物……だよな?」

 「なんで見てないのにそうズバズバと見抜けるのさ……。まあそうだよ。さっきのは確実性よりも隠密性を重視したものなんだ」

 それなのになんでバレたんだか……と呟きながら、にとりは続ける。

 「だからこっちのが良いの。わざわざ協力してくれると言ったんだから、不確実な物を使う理由は無いだろう?」

「まあ、それもそうか」

 シオンは頷くと、にとりの言う通りに全身を覆う外套を畳んで傍に置き、それの横に座る。にとりはシオンから少し離れた場所に機材を置くと、外套がある反対側に座った。

 「それじゃ、腕を出して」

 「心臓とかそういった器官の近くじゃなくていいのか?」

 「河童の技術力を舐めるな! と言っておこうかな。腕でも十分データが取れるから大丈夫」

 「ならいいんだけど」

 シオンの、ある意味余計な心配をにとりは一蹴する。その顔には自信が満ち溢れており、先程の言葉が嘘では無いと察せた。

 にとりはシオンが出した腕に、三ヶ所、シールを貼った。とはいえベタリ、ではなくペタリ、という感じなので、剥がすのに苦労しなさそうだ。

 「今から計測するから、深呼吸でもして気持ちを落ち着けて。多少なら平気なんだけど、動悸とかが大きすぎると生体電流が乱れて上手く計れないから」

 「気持ちを落ち着かせるのは得意だから大丈夫」

 嘘では無い。シオンはその程度の事は四歳半ばの時には既にできるようになっていた。

 「なら、始めるね。――計測開始」

 機材にあるいくつかのキーを操作するにとり。その顔は真剣であり、本気で取り組んでいるのが見て取れる。

 それからしばらく、おおよそ十分程度だろうか。顔を上げたにとりは、シオンの腕に貼っていたシールを取った。

 「うん、これなら平気かな。……でも、これってやっぱり――」

 その先の言葉を飲み込むと、にとりは立ち上がった。

 「ねえシオン。これからうちに来ない? ここは下流だからそこそこ登らないといけないんだけど、文とか椛と会えると思うし。二人とも所属してるところは違うし、地位が上とかそういうわけじゃないんだけど、ある程度の交流を持っておいて損は無いと思うよ」

 「……。それじゃ、お言葉に甘えようかな」

 シオンが一瞬言葉に詰まったのは、にとりの考えがなんとなく読めてきたからだ。いや、より正確に言えば、()()()()()()()()がわかってきた、だ。

 (物事の勘定が常に入っている。典型的な守銭奴、か? 技術者どうこう以前に、どことなく腹黒さも見えるし……)

 にとりには聞こえないからと、けっこう酷い事を思うシオン。

 「よし決まり! 遅れないように私に着いてきて」

 それには気付かず、にとりは笑うのだった。

 

 

 

 

 

 上流へと昇って行ってしばらく、にとりはそこそこの速度で歩いていた。しかし、それはあくまでも『妖怪にとって』そこそこであり、人間であるシオンはすぐ音を上げる、そう思っていたのだが……。

 (音を上げるどころか、かなり余裕がありそうなんだけど)

 すいすいとにとりに着いてくるシオン。デコボコしている足場でも体勢を崩さず、それどころか足音も聞こえない。

 (休憩を挿む必要が無いから楽なんだけど、気になるなぁ)

 しかし聞けるはずもなく、結果二人の間には会話ができなかった。

 そして後少しで妖怪の山、その入り口に着くところで、横から声が響いた。

 「――あれ、にとり? 人間を連れてどうしたの?」

 「……うん? ああ、雛か。ちょっとうちに招待しようかと思ってね。今はその案内中」

 にとりがそちらを見て見ると、緑と赤、そして白の目立つ少女がいた。

 年は十代後半だろうか。髪と目が緑色をサイドにし、そこから全てを胸元で一つに纏めているようで、服は赤と少しだけ白、ほぼ完全に分かれている。とはいえ多少濃淡はあり、ワンピースの上が濃く、下は鮮やかな感じだ。スカートの真ん中横部分には、なぜか『厄』という字を崩した文字が刻まれている。裾には白いフリルも付いていた。

 他にも頭部に暗い赤色のリボンで結んだヘッドドレス、胸元にもリボンをあしらっている。なぜか左腕に頭に付けているのと同じだろうリボンを軽く巻いて手首のところで垂らしていた。

 しかしその少女はどこか遠慮がちな表情で近付こうとせず、にとりもまた彼女に近づこうとはしなかった。

 「……」

 シオンは少し逡巡した後、少女の元へ歩きだし、その前で立ち止まった。

 「俺の名前はシオンって言うんだけど……貴女は?」

 「私は鍵山雛、だけど。それより、私から離れて。今すぐに」

 「どうして?」

 「それは……」

 「彼女は妖怪の一部だけど、同時に厄を溜めこむ厄神様なんだよ。だから雛に近づくと、人間妖怪問わず不幸になる。それを危惧して離れてって言ってるんだ」

 言い淀んだ雛の代わりに応えたのは、にとりだった。

 (厄神様……? ……あれ、これってもしかしてマズイ状況じゃ――)

 シオンがそう思い至った瞬間。

 空から、そしてシオン達がいるのとは反対方向、つまり対岸から、更には川の中からと、大量の妖怪が現れた。

 「…………………………は?」

 「こ、これ、私のせい……?」

 「いや、多分雛の厄とやらが俺の運の悪さと混ざってこうなったんじゃないかな……」

 下級妖怪が大半だが、チラホラと中級程度の強さを持った人に獣の部分がくっ付いた妖怪、あるいは完全に獣の形をした妖怪もいる。

 だが問題はそれではなく、河童は戦闘が苦手だという事と、雛はそもそも戦闘をする機会自体が無かった事で戦い方がわからない事にある。

 河童はあくまで技術者で、戦う事は稀だ。にとりは例外的に戦えるが、流石にこの数を相手にはできない。

 雛は厄神様であるという事が影響している。彼女は不運を溜めこんでいる事で、結果的に幸運となっている。代わりに周囲にいる人間妖怪は不幸になるので、彼女に近づこうとしない。誰だって不幸にはなりたくないからだ。

 「コレ、逃げるってのも無理そうだよね」

 「そもそも逃げるってどうやれば……?」

 にとりは冷や汗を掻きながら、雛は泣きそうな顔で呟く。

 そこで、二人の横から冷静な声音が飛んできた。

 「面倒だし、殲滅でいいかな」

 二人が疑問に思いながらシオンの方を向くと、不敵に笑って、右腕を前に突き出しているシオンがいた。

 更にその後方には、凝縮された魔力によって形作られた剣、槍などの魔弾があった。

 妖怪達はまだ様子を見ているのか、襲い掛かってこない。その隙を突いて、シオンはもっと、大量の魔力を今ある魔弾に籠める。

 魔法陣を使わず、魔力をその場に留める。これは、幽香と戦った時に覚えたものだ。魔法陣に魔力を溜めると、どうしても一部が無駄になる。

 しかし直接体外に放出したのを留めれば、無駄になるのは極僅かだ。

 むろんデメリットはある。これをするには、無駄に集中しなければならないのだ。魔法陣はそれを維持していればそれだけですむが、こちらはそうもいかない。

 要練習、としか言えないだろう。

 「まだ……まだ足りない……!」

 一つ一つに凶悪とすら言える魔力が宿っているのに、それでもシオンは注ぐのをやめない。

 しかし、妖怪達はもう待ってはくれない。

 天地海、それぞれの場所でこそ最も強さを発揮できる妖怪が、三人に向けて飛びだしてきた。

 「やっぱ待っててくれないか。でもコレで十分」

 いつの間にか自分の後ろに移動している二人の気配を感じつつ、シオンは叫んだ。

 「全部、吹き飛べ!」

 射出される魔弾。

 それらはただ前へと進むだけだが、それだけで驚異的な被害をもたらした。

 妖怪達の腕を、足を、胴体を、頭を貫き、消滅させていく。むろん、相手の数が多すぎるせいで全てを倒せるわけではない。

 だが、十分だった。

 「後は残りを殺しきればそれで終わりだ」

 おどけた調子で剣を取り出したシオンは、運よく、いや運悪く生き残った妖怪を殺すために、前へと飛びだす。

 そして、未だに数が多い妖怪達に無双するシオンを見て、にとりは哀れに思った。

 「シオンの相手にすらなってないね。というか、パッと見でも身体強化を使ってないのがわかるんだけど……」

 「……人間って、あそこまで強いものでしたっけ?」

 「多分彼だけが特別っぽい。……その理由はなんとなくわかるけど、これが本当なら正直まともだと思えない。だから、今は言えない。確信も無いしね」

 困惑したような、苦りきったような、あるいはどこか憐みを含んだ――そんな、顔。雛とにとりにはやはりある程度の距離があったが、それでもその表情はよく見えた。

 それもすぐに消え失せ、にとりはいつもの顔に戻る。

 「勝手なデータは取れないから検証もできないし、今さっき出会ったばかりの人間をどうこうするつもりもない。どうしようもないね」

 にとりが言い切るのと同時、シオンは全ての妖怪を斬り伏せていた。

 戻ってきたシオンに、にとりは一言告げた。

 「お疲れ」

 「こんなの準備運動にもなってないよ」

 二人のそんなやり取りを見て、雛も一言声をかけようとしたが、すぐに自分は厄神様なのだだと思い出す。近くにいるのも危険なのに、声をかけたら絶対に不幸が降りかかる。それを思い出したのだ。

 だが、シオンは雛の心配りを無視した。

 「そういえば、さっきは妖怪達が来たせいで途中だったね」

 「え?」

 雛は、目の前に差し出された物を見て絶句する。

 シオンの、手。

 それが雛のすぐ目の前にある。

 「あの、これは……」

 「特に理由は無いけど、握手をと思ってね」

 「だけど、私は厄神様で」

 「俺は気にしない。それよりも、さっきから手が寂しいんだけどな」

 ひらひらと右手を振るシオン。しかし、雛は動けない。

 厄神様は、その存在を見続けただけで、同じ道を歩いているだけで、言葉にするだけで、大なり小なり不幸となる。

なら、触ればどうなるか。

 答えは、一つしかないだろう。

 なのに、なぜ雛の腕は、少しずつ動いているのだろうか。

 なぜ――

 「ああもう、まどろっこしいな」

 「あ――」

 ほんの少しだけ持ち上がっていた雛の手を、シオンは握り締める。

 「な、なんでこんな。近くにいただけでさっきあれだけの妖怪に襲われたのに。触ればどうなるのかなんて、わかるでしょう」

 「俺とにとりのやり取りを羨ましそうに見てたり、差し出した手を物欲しそうに見たりしたのは雛だろうに」

 「あう……」

 がっくりと項垂れる雛と、心底から呆れたシオンを交互に見るにとり。

 「誰だって不幸になんてなりたくないから、貴女の近くにいたくない。そんなのは俺でも想像できる。だけど俺は気にしない。見かけたら話しかけていいし、行き先が同じなら一緒に行こうと言ってきていい。触りたければベタベタ触ればいい。わかった?」

 「……不幸になりますよ?」

 「元から俺は不幸だ」

 「死んじゃうかもしれません」

 「むしろ好都ご……いや、その時はその時だ」

 一瞬本音が漏れそうになったが、とっさに飲み込む。雛の顔を覗いてみるが、気付いている様子も無かった。

 安堵したシオンは、ダメ押しに言った。

 「いいから黙って俺に迷惑かければいいんだよ!」

 雛は肩を震わせると、シオンの手をはたいて、山の中へと駆け上がって行った。

 「……どこか間違えた?」

 どうやらシオンは何も理解していないらしい。

 「逆だよ、逆」

 「逆?」

 先程までシオンが浮かべていた呆れを、今度はにとりがしていた。

 「厄神様に対してあんな態度、普通はできないよ。彼女は人に不幸がいかないようにその身に厄を溜めこんでるけど、その本人は人に感謝されない。というより、できない。感謝しようとすれば感謝しようとした人間が不幸になるからね。私は運が良い方だから彼女と多少なら話しても平気だけど、触ろうとは思わないし」

 「つまり、俺はそれを思いっきり無視したと」

 「まあ、さっきの強さを間近で見たせいで驚いて感情の制御ができなかったのと、シオンが幼い子供だったから油断でもしたんじゃない? 普段は触るどころか近づかせようとすらさせないからね、雛は」

 やるねえ、シオン。にとりはそう笑った。

 「雛の一友人としてありがとうと礼を言わせてもらうけど、どうしてわかったんだい? 彼女が誰かとの触れ合いに飢えてるって」

 「……さっきも言ったけど、特に理由は無いかな」

 だけど、とシオンは続ける。

 「ある時期から俺は、この人は、今こうしてほしいと思ってる、そんなのが何となくわかるようになったんだ。さっきのは、それに従った結果だよ」

 この言葉を聞いて、ある意味でやばいな、とにとりは思った。

 (チート? チートなのかこれ? 他人がしてほしいと思ってる事がわかるとか、交渉事で絶対有利になる。さっきの雛みたいに悩んでる女の子に使えば―― 

 にとりはそこまで考えて、ギロチンを落としたように思考を止めた。

 (まずい。まずいまずいまずい。さっきのシオンの行動力から鑑みて、絶対シオンは将来女殺しになる――!)

 全てが上手くいくとは限らないし、言い方も悪いが、十人にやって一人に成功すれば、どうなるか?

 (絶対やばい事になるって! 幻想郷での強者は大概女性! しかもシオンは鈍感そうだし! もしシオンがその内の何人かに恋されたら……!)

 取り合いになるという名の修羅場になる――! そしてにとりは、名も知らぬ女性が幻想郷で暴れる姿を想像して、背筋を震わせた。

 にとりは少し考え、

 (……荷物は纏めておいた方がいいかな。文とか椛にもそれとなく伝えておこう)

 そして、諦めた。

 シオンのこの行動力を止められるはずが無いと理解したのだ。

 (シオンの外見は精々三歳か四歳程度。余程特殊な趣味で無い限り恋愛感情を持つのはありえないし、しばらくは大丈夫)

 ……実はもう手遅れだったりするのだが、にとりにはわからない。

 フランとしても大変遺憾だろう。好きになった事が『特殊な趣味』呼ばわりなのだから。

 「――シオン、そろそろ行こう」

 「ああ、わかった」

 雛も、将来やばそうだなあと思いつつ、にとりはシオンを連れて歩き出した。

 

 

 

 

 その後二人は、()()()()()にとりの家へ辿り着いた。

 「……なあ、にとり?」

 「……何だい?」

 「……俺、確か厄神様に触ったんだよな?」

 「……それで? どういう意味?」

 「……厄神様に触ると不幸になる。なのに何も起こってない。つまり、これは――」

 「……あ、やっぱり言わなくていいよ。嫌な予感が止まらなくなってるから」

 「――……ここで、何か起こるんじゃないか?」

 「言わなくていいって言ったじゃないかああああああああああああああああああアアアアアアアアアアァァァァァァァァァッッッ!!」

 遂に両手で頭を押さえ、絶叫するにとり。

 しかし、シオンも少し怖かったりする。

 (元々不幸な人間が厄神様に近づいただけであんな量の妖怪に襲われた。じゃあ、触ったら一体どうなるんだ?)

 思わず息を吐いて気を緩めた、その瞬間。

 「そこにいる方どいてくださいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい――――ッッッッ!!!!」

 『!?』

 にとりが振り返った刹那、大きな音と共にシオンの姿が掻き消えた。

 「――え?」

 周囲を見渡しても何の影も見えない。だが、先程の声と、少しだけ見えた『黒い翼』

 「鴉天狗であの速さって……まさか……!」

 にとりはリュックを置くと、声が聞こえた方とは逆の方へと走り出す。

 ほどなくして、消えたシオンと、黒い翼を持ち、目を回しながらお姫様抱っこされている少女が見えた。

 だが安堵している暇は無い。シオンの体の一部から血が流れているのだ。

 にとりは小走りでシオンに近づいて聞いた。

 「……一体さっき何が起こったんだい?」

 「え、ああ、にとりか……」

 シオンは少しぼうっとしていたようだが、にとりの声で我を取り戻す。

 「さっき――」

 そして、先程起こった事を思い出した。

 まず、声が聞こえたのはにとりにもわかるだろう。

 だがシオンは声と、そして『風の音』が釣り合ってないのに気付いた。

 (声よりも風を切り裂く音の方が速い! まさか音速を超えて――!?)

 更に運の悪い事に、おそらくこの声の主がこのまま進めば、シオンとぶつかる。

 そこまで考えたシオンは、ほぼ無意識の内に体勢を整え――た瞬間、黒い翼を持った少女が目の前に現れた。

 (速すぎ――!?)

 シオンは少女を受け止めようとして、すぐにまずいと気付いた。

 (衝撃波(ソニックブーム)をどうにかしないとこっちがズタズタにされるッ)

 急遽シオンは前に突き出していた腕の速さを上げ、『衝撃波を掴んで』粉々にした。

 その後すぐに腕を移動させ、少女の腋の下から腕を通し、背中のところで両手を組ませる。しかしシオンの腕の長さは、身長と同じく短い。なので上半身を少しだけ仰け反らせ、少女の頭を胸で受け止めるようにしておく。

 これで少女の頭と上半身はどうにかなる。

 だが、音速でぶつかってくる相手を受け止めようとすれば、こちらが吹き飛ばされるのが道理。シオンはそれをなんとかするために、頭と上半身を止めた時にその衝撃を後ろに出していた片足を使って受け流す。

 むろん音速の衝撃を受ける地面は無事では済まない。ドガッ! という音を立てて割れた。

 (これでこの人? の上半身の部分はどうにかなる! だけどまだ――)

 そう、足などの部分はまだ止まっていない。このまま放置すれば止まっている上半身と動いている下半身の速度差で体が千切れる。

 それをどうにかするために、シオンは無理矢理な動きで後方に回転しながら跳んだ。

 シオンと少女の上半身は下に、下半身は上へと移動する。

 無理な体勢で跳んだせいで、あまり高度が無い。空中にいられるのはもって数秒。

 その数秒でシオンは自分だけが回転し、まず少女を横抱きにするような形にする。それから片方の腕を少女の背中に置いた。

 落下はそろそろ終わる。そして当たり前だが、後方宙返りをしていたシオンと少女は真上に居る時は頭を下にするが、着地する時は――シオンはその回転の方向を変えていたため、そうはならないが――必然、足は下向きに移動する。

 つまり、少女の足は、音速で下向きに移動する。――シオンが置いた、もう片方の腕へと向かって。

 空中で音速を受け止めたシオンは、衝撃の大部分を逃したものの、音速によって発生した衝撃波は受け流せず、腕と体の一部を切り裂かれる。

 それでもシオンは体勢を崩さず、なんとか地面に着地。少女は怪我をせずに済んだ。

 「――で、にとりが追いかけてきて、今に至る」

 「……色々言いたい事はあるけど、文を助けてくれてありがとう」

 「文?」

 「その鴉天狗の名前だよ。また速度の加減を間違えたみたいだけど……」

 にとりは目をグルグルと回している文をジト目で見る。

 「とりあえずうちに入って。治療するから」

 「わかった」

 腕の短さ故にシオンは文をうまくお姫様抱っこでできずに四苦八苦したが、なんとかにとりの家の中に運べた。

 家に入ると、にとりは物がゴチャゴチャと散乱している部屋があった。そんな部屋を、にとりは手と足で物を蹴飛ばし、整理? していく。

 そして寝室に入ると、やはり部屋は整頓されていなかった。

 にとりはベッドの上に置いてある機材を適当に落とすと、

 「とりあえずここに横にしといて。後は勝手に目を覚ますでしょ」

 「あ、ああ……わかった」

 文の扱いが酷い事に慄くシオン。

 それを察したのか、にとりは肩を竦めた。

 「文のコレはいつもの事だからね。それよりもう一つだけ手伝って欲しいんだけど」

 「手伝い?」

 「そ。まあ着いてきて」

 部屋を出たにとりは、シオンを置いてどこかに移動する。

 置いてかれまいと急いで追いかけるシオンは、着いて行った先を見て驚きに口を開いた。

 「な――これ、って……」

 「ふふ、ようこそ私の研究室(ラボ)へ! 人間で入って来れたのはシオンが初めてだ。歓迎するよ」

 手を大きく広げて笑うにとり。その背後には、時代錯誤と言えるほどに古い物があれば、異常なまでに発達した科学と言える、『行き過ぎた科学』もあった。

 「私達河童は興味のあるなしで発達する技術に大きな差が出るからね。まぁそんなのはどうでもいいんだ。さ、そこに立って」

 シオンの背中を押して強制的に移動させる。

 「おい、ちょ待、何する気なんだ!?」

 「大丈夫大丈夫。怪我とかはしないから」

 「逆に不安になるんだけど――!」

 慌てたシオンが抗議するが、にとりは一切取り合わず、シオンの手足を『拘束』する。

 「それに、逃げ出そうと思えば逃げられるでしょ?」

 「う……まあ、そうだけど……」

 そう、シオンは抗議はしたが抵抗はしなかった。

 「だったらいいよね。それじゃ、しばらく『お休み』」

 「お――」

 もう一度文句を言おうしたシオンは、しかしその前に意識を失った。

 

 

 

 

 

 「はいっ!」

 「!?」

 唐突な大声に、気絶していたシオンは起こされた。

 目を開けた瞬間に見えたのは、顔をジロジロと見ているにとりだった。

 次に感じたのは、体中に貼りつけられた『何か』。

 「……なあ、一体俺の何を調べたんだ?」

 「ん? ……悪いけど、秘密にさせてもらうよ」

 「……はぁ」

 はぐらかしてくるにとりに、シオンはつい溜息が漏れてしまう。と同時に、それでどうなろうと気にもならなかった。

 あくまで気になったから尋ねただけなのだ。調べた物が何に利用されようと、シオンとしてはどうでもいい。

 「おや、目覚めたんですか?」

 「そうだね。意識は正常。体調も万全。今なら話もできると思うよ?」

 そんな事を思っていると、研究室に鴉天狗の少女、文とやらが入って来た。

 シオンと同じ赤い瞳を持ち、黒髪のボブ、その頭の上に山伏風の帽子がのっている。

 服装は、シオンほどではないがかなりシンプルで、白い半そでシャツと黒いフリルの付いたミニスカート。靴は赤く、底が下駄のように高い。

 そんな文とやらはシオンの前に来ると、にとりと同じくジロジロとシオンを見ていた。

 「にとり、早く解放してあげないんですか? 傍目から見るとかなり危ない感じですよ?」

 「あ、忘れてた。ごめんシオン」

 にとりはパパッといくつかの操作をする。手足の拘束が外れ、全身に付いていた何かも剥がれて行った。

 やっと自由になったシオンは、まず手足をグルグルと回し――ふいに、気付く。

 「あれ、怪我が……」

 「シオンが寝てる間に治しておいたよ」

 「治したのは私なんですけどねぇ」

 文は小さく笑うと、その笑みをどこか苦くする。

 「ぶつかってしまって申し訳ありません。全てこちらのせいです」

 「えっと……誰?」

 「ああ、またバカな事を。私は射命丸(しゃめいまる)(あや)と言います。鴉天狗で報道担当を」

 「文、ズレてるズレてる」

 「またやってしまった!? 最近ネタ不足でつい……」

 ガックリと項垂れる文に、シオンがフォローを入れる。

 「い、一応名乗らせてもらうけど、俺はシオン。それとぶつかった事は別に気にしてないよ。あれで一応速度落としてたのはわかったし」

 「え、アレで落としてたの!?」

 「音速を超えてはいたけど、最高速度はもっと速いと思う。それがどれくらいかはわかんないけどね」

 「……文、コレ本当?」

 「本当ですが、あの一瞬でよくそこまで把握できましたね」

 シオンの慧眼に、文は感心する。

 それと同時に、にとりから聞いた話も真実なのだろうと思い始めた。

 「あの、すいません。取材、させてもらってもよろしいでしょうか?」

 思い立ったが吉日、文は早速行動した。

 シオンは突然の申し出に、だが理解できない事があった。

 「取、材? 何それ?」

 「まあ簡単に言えば、私の質問に答えてもらう、ただそれだけですよ」

 しばし悩むシオンだが、条件付きで受け入れる事にした。

 「……言いたくない事は言わない。それでいいなら、受ける」

 「本当ですか!? ありがとうございます。あ、報酬などはどうしますか?」

 「それはいずれ貰うよ。かなり後になるかもしれないけど、平気?」

 「わかりました、大丈夫です!」

 断られると思っていたのか、文は飛び上がらんばかりに喜んだ。

 そこに、にとりが若干呆れたように口を挿んだ。

 「迷惑かけた人に対して遠慮ないね」

 「それとこれとは話が別です。申し訳なく思っているのは本当ですが、取材はできる時にしておかなければ。それで、ですね。とりあえずは戦歴から教えてください」

 「戦歴って、シオンはそこまで戦ってないと思――」

 頭を振るにとりは、そこで気付く。

 (――あれ? もしかしてシオンって、かなり変な戦歴だったりして……)

 そしてそれは、事実だった。

 「幻想郷に来る前は答えられないけど、こっちに来てからは吸血鬼の妹、時間操作能力を持つ人間の少女、ある流派を極めた格闘家、吸血鬼の姉と戦って勝った。まぁ格闘家はどこか手加減してたけどね。それと、ある理由で暴走してた時にさっきの四人に加えた七つの属性を操る魔法使いの五人と『同時に』戦って、ギリギリで負ける。彼女達と別れた後は花畑に行って、花を愛する妖怪と戦って、負けた。片腕を持って行くのが限界だったな。下級妖怪とかと戦ったのはどうでもいいから割愛させてもらう」

 「……うわぁ、なんかおかしなところが一杯ありましたけど、一つ聞いてもいいでしょうか?」

 「何?」

 「花を愛する妖怪って、風見幽香、ですよね?」

 「そうだけど、それがどうかした?」

 シオンが答えた瞬間、文とにとりは目を合わせた。

 ――どうして彼は風見幽香と戦って生きてるんですか!?

 ――そんなのこっちが聞きたいよ!

 刹那のアイコンタクトはそれで終わり、文は質問を再開した。

 「えっと、先程シオンは幻想郷に来る前は、と言っていましたが、いつここに――」

 色々とてんやわんやの大騒ぎになったが、文とシオンの取材は滞りなく進んで行った。

 文が聞き、シオンが答え、にとりが口を挿む。そのような感じで話し、ついに終わりが近づいてきた。

 「――最後に、シオンさんはこれからどうしようと?」

 「ん……とりあえず、強くなろうと思う」

 「現時点でも十分強いと思われますが、まだ強くなりたい、と?」

 「まぁね。俺は自分が持ってる力を完全に扱えるわけじゃない。こんな不安定な力、いつか暴走させてしまうかもしれない。それに――負けられないんだ、俺は」

 文は、シオンの瞳にこめられた意志に、少し気圧された。

 「そう――ですか。これで取材は終わりです。ありがとうございました」

 「お疲れ様」

 シオンはにとりが用意していた椅子から立ち上がり、伸びをする。

 それから、ああ、それと、と言い、

 「別にその情報をどうしようと構わないけど、変な誇張はしないでほしいかな」

 「そこは心配いりません。私は真実しか書きませんから」

 「それならいいんだけど」

 安堵したように小さく笑うと、そこに途中で抜けたにとりが入って来た。

 「二人とも、取材お疲れ。はい、お茶」

 「お、ありがと」

 「ありがとうございます。実は喉乾いてたんですよね~」

 にとりからお茶を受け取ると、二人はそのまま一気に飲んだ。

 二人が飲み終わったのを見計らって、にとりが言う。

 「それで、二人はどうするんだ? 椛は今日は来ないっぽいけど、どうする? 彼女に会うために今日は泊まってく?」

 「あ、椛と会いたいなら数日以上かかりますよ。よく知りませんが、仕事が忙しいそうです」

 「タイミング悪かった、って事か。それじゃあ俺はお暇するよ。ずっとここにいるわけにもいかないからね」

 「そうかい? まぁ仕方ないか」

 着いてきて、と二人を玄関へと案内するにとり。

 三人がにとりの家の外へ出ると、もう辺りは暗くなりはじめていた。

 「もうこんな時間か……」

 「取材が長くなり過ぎましたからね。シオンさん」

 「ん?」

 「私はシオンさんに二つ借りができました。これはいずれ返します」

 「いつかはわからないけど、期待して待ってる」

 「ええ、期待しててください。……にとり、また来ます」

 「楽しみにしてるよ」

 簡潔なやり取りの後、あっさりと文は飛んで行った。

 「私もシオンに借りがあるから、いずれ返しに行かせてもらうよ」

 「……なんというか、今日だけで関係を持った方がいい二人と仲良くなれた気がする」

 「へえ、その心は?」

 「河童は技術者なんだろう? ならその伝手で、いつか便利な物でも作ってもらおうかと思ってね。鴉天狗の文は情報収集をしてる。だったら聞きたい事を教えてもらえる。ほら、損得勘定を入れても仲良くなった方が良いだろ?」

 「なるほど、道理だね」

 にとりは納得したように頷く。

 「でも、ま」

 「ん?」

 どことなく逡巡しながら、それでもシオンは言った。

 「二人とは仲良くなれると思う。個人的に、だけど」

 「……ほんと、シオンはよくそんな事を言えるよね」

 「それが俺だから。……言わなきゃ、いつか後悔する。それを知ってるから言えるだけだよ」

 ほんの少しだけ顔を赤くするにとりに、シオンはふわりと優しい、しかしどこか寂しげな笑顔を浮かべる。

 「……じゃ、また。いつかはわからないけど、どこかで」

 「それまでには光学迷彩を完成させてみせるよ。あっ、と驚かせるからね!」

 夕日を背に、シオンは一度も振り返らずに山を下りて行く。

 その背が見えなくなると、にとりは小さく呟いた。

 「さっさと光学迷彩を完成させたら、二人が驚く物でも作ろう!」

 腕まくりして、にとりは自身の研究室に戻って行った。




段々東方キャラの口調がわからなくなってきました……!

そして今回予想以上に長くなったのと、本来全く想定していなかった話のため、書くのがかなり辛かったです……。


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Sideアリス/里の中で

最近モチベーション低下も著しい……! 書く気力が湧きません!

ネタ、というか話の展開とかは思いつくんですけどね……


 竹林を出てから数分後、鈴仙とアリスは川にいた。

 「やっと、やっと体を洗えます。この臭いが落とせます!」

 「ちょ、鈴仙待って! 髪と服に葉っぱとか付いちゃってるから!」

 アリスは叫びながら鈴仙に駆け寄る。

 本来なら竹林を出てすぐに会った、他と比べて多少整備された道を使うと思った。しかし予想に反して鈴仙はその道では無くすぐ横の森に入ったのだ。

 慌てて追いかけるが、鈴仙は着いてきてくださいの一言を寄越すのみ。なんとか木の根や窪んだ土などに足を取られず、かつ木々に服を引っ掛けずに済んだが、代わりに手足に小さな切り傷などができた。

 「鈴仙、いくらなんでも酷いよ……」

 鈴仙がこんな事をした理由は今わかったが、だからと言って何の説明も無しにされては少々困る。

 アリスの疲れた顔からそれを悟ったのか、鈴仙は即座に謝った。

 「すいませんアリス。ですが、どうしてもこの不快な臭いをとりたくて……」

 「そういえば、鈴仙って兎なんだっけ」

 「ええ、まあ兎の特徴は耳なので鼻はあまり人間と変わりませんが、それでも利くと思います」

 アリスからしても、多少時間が経ったのにまだ臭うと感じるのだ。鈴仙など言わずもがなであろう。

 その証拠に、さっさと髪と服などに着いた葉っぱを払うと、あっさり服を脱いだ。

 「――って鈴仙!? ここ外だよ!? なんであっさり脱いで!」

 「……? あ、なるほど、そういう事ですか」

 なぜアリスが慌てているのかわからない、というように小首を傾げていた鈴仙は、すぐに納得するように頷いた。

 「アリス、大丈夫ですよ。幻想郷は人は基本的に里から出ませんし、妖怪とも早々出会いません」

 「でも、さっき妖怪に出会ったし」

 「この状況なら問題ありません。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 どこか得意げに言いながら、鈴仙は服を川辺から少し離れた岩の上に置いた。

 よくわからないが、『絶対』だと言い切れる理由はあるらしい。ここは彼女の言う通り、静かにしておこうと思ったアリスは、鈴仙が川に入るのをその場に立って見守った。

 足の爪先から徐々に水の中へと浸していく。

 その姿は鈴仙の外見も相まってどこか神聖で、だけど身近に感じた。

 冷たい、と言って小さく笑う。まるで子供のような仕草。

 「まだ五月だから、冷たいのもしょうがないよ」

 「ですね。でも、慣れれば気持ちいいですよ?」

 川の嵩はそこまでない。精々が鈴仙の膝より少し上くらいだ。

 それでもあの臭いが落とせるからか、鈴仙は十分そうに頷いていた。

 ふと、鈴仙がアリスの方を見る。名案を思いついた、というように。

 「アリスも、足だけでも浸してみませんか? 気持ちいいですよ」

 「私も? ん~、鈴仙が言うなら、うん。そうしてみる」

 アリスは靴と靴下を脱ぎ、鈴仙の服がある岩の近くに置く。

 「……あれ?」

 その時、何かが見えた。

 刹那にも満たない一瞬の時間。なのに、微かに見えたそれが、とても気になった。

 どうしてなのかわからない。ただなんとなく、『アレは、私にとって――』そこまで思い至った時だ。

 「アリス、どうかしました?」

 鈴仙にそう話しかけられ、アリスはぼうっとしていた意識を取り戻す。

 「ううん、なんでもない」

 アリスはもう一度、あれが見えた方向を見る。

 しかしそこには、もう何も無かった

 

 

 

 

 

 「――ッ、冷たい」

 爪先を水に入れた時の第一声がそれだった。

 ひやりとする感覚に、つい漏れてしまったのだ。

 「我慢してください。すぐに気持ちよくなりますから」

 「冷たいものは冷たいの。鈴仙だって冷たいって言ったじゃない」

 「ふふ、そうですね」

 「もう」

 余裕綽々、と言ったような笑みを浮かべる鈴仙に、アリスは頬を少し膨らませて無言の抗議を送る。

 鈴仙はまだクスクスと笑っていたが、アリスとて本気で怒っているわけではない。すぐにバカらしくなり、小さな笑みをしてしまった。

 さらさらと流れる川の水と、冷たい水がある場所だからだろう、涼しい風が二人を包んでいる。ついさっき妖怪に襲われた時の緊迫していた空気が嘘のようだ。

 五分、十分と時は過ぎ去る。

 そして、また十分と経った時だ。

 「――ックシュ」

 「鈴仙、大丈夫?」

 「あはは……五月では、まだ少しだけ寒いようです。服、着ますね」

 鈴仙は恥ずかしさからか、照れているのを誤魔化すように笑う。だが、確かに少し寒そうだ。

 実際くしゃみをする時に身を震わせていたし、今も両腕で体を抱きしめている。

 アリスは水から足を引きぬこうとして――ふと、気付いた。

 「ねえ鈴仙。体を拭く物って――無いの?」

 「え……。そういえば、ありません、でしたね」

 忘れていた、というように歯切れ悪く答える鈴仙に、しかしアリスはすぐに自分の上の服を脱いで自分の足を拭く。

 「ア、アリス!? いくら下着を着ているからって、そんなふうにしなくても!」

 「鈴仙がさっき言ったでしょう? 今は『絶対に』誰にも見つからないって。だったら少しくらいは大丈夫」

 「だからってですね……」

 足を拭き終えたアリスは、鈴仙の抗議を無視して自分の靴を取りに行き、靴下は履かずに靴だけ履き、鈴仙の服を持って川辺に戻る。

 「さ、早く上がって。風邪引いちゃう」

 「うぅ……アリスって、少し強引ですよね」

 鈴仙は諦めたように項垂れると、素直に川から片足を出し、アリスに任せる事にした。

 まるで着せ替え人形のように――あるいは王族のようにアリスに体を拭かれ、服を着せられていく鈴仙。

 髪を拭くとき、どことなくアリスは楽しそうだった。長い髪を弄って髪型を考えていたところを見るに、そこは確かに女性らしい。

 「うん、これでよし。どこか拭けてないところはない? 鈴仙」

 「私は大丈夫ですが……アリス、その服は」

 「う~ん、永琳様には悪いけど、皺が残っちゃうかも。だって、こうするし」

 アリスは水を吸って重くなった服を思いっきり絞る。

 それを何度か繰り返して、最後に水がほとんど出なくなったのを確認すると、服の端を持って何回か振り、それからそれを着た。

 「――つめたっ。でもこれで大丈夫!」

 まだ五月の季節。流石に濡れた服を着るのは少々こたえる。それでもなんとか笑うと、鈴仙の手を取った。

 「それじゃ、里に行こう? それまでには服も乾くだろうし。今度は寄り道はしないからね?」

 「そう、ですね……ありがとうございます、アリス」

 『ごめんなさい』と言いかけたが、それは間違いだと気付き、言い直す。アリスは謝罪を求めていない。

 わかるのだ。アリスは、『妹として』鈴仙の、『姉の役に立ちたい』と思って、こんな事をしたのだと。

 鈴仙は一度だけアリスの手を強く握り、それから里へと歩き出した。

 

 

 

 

 

 それからどれくらい歩いただろうか。アリスの足が慣れない歩みに痛みを出し始めたころ、やっと里が見えてきた。

 「さ、里に、着いた、の……?」

 「え、ええ、そうですが。アリス、大丈夫ですか?」

 「大丈、夫。ちょっと、こんなに、歩いた事、無かった、から、疲れただけ」

 スゥ、ハァと何度も呼吸を繰り返し、座り込みそうになる足に力を入れる。

 鈴仙は忘れかけていたが、アリスとて王族なのだ。如何に様々な人間から疎まれようとも、王族であるが故に()()()()敬われる。

 どこかに行くとしても、徒歩など以ての外。馬車などで移動するのが常だろう。それでは同年代の普通の少年少女に比べれば体力が少なくなるのも道理だ。

 むしろよく頑張りましたね、と褒めたいくらいだった。ここまでアリスは弱音の一つも吐かず、必死に鈴仙についてきた。何度も休憩しましょうと提案する鈴仙に、まだ平気と言って歩き続けたのだ。

 本当は無茶をさせずに休憩をとった方がよかったのだろうが、里の人間はあの程度の距離、子供でも歩ける。鈴仙はアリスが本当に限界だったら無理にでも休憩させるつもりだったのだが、結局ここまで来たのだった。

 「とりあえず、里に入りましょう。里の中は安全ですし、途中甘味処で甘い物を食べるのもいいかもしれません」

 「でも、時間は大丈夫なの? 妖怪と戦ったり、川で涼んだりしたから、結構時間が経ってると思うんだけど」

 「師匠は事情を説明すればわかってくれる方ですし、それにアリスに里を案内すると言った時点で一日くらいは里に泊まっていく可能性も考えているはずです。なので、あまり気にする必要は無いと思いますよ」

 「それならいいんだけど、まずはどこに?」

 「もちろん甘味処です。まずは休憩しませんと、アリスが辛いでしょうから」

 「あぅ……ありがとう」

 立っているのも限界どころか、足がプルプルと震えているのを悟られていた。アリスは恥ずかしさから頬が紅潮するのを感じたが、無理をしているのは事実なので、小さくお礼を言うしかなかった。

 ここが見栄っ張りな子供との違いだろうか、と鈴仙は思う。アリスは他の子供とは違ってかなり素直だ。

 それがくすぐったくもあるが、少し心配でもある。今から考えても詮無い事ではあるのだが。

 それはそれとして、だ。

 アリスには、一つだけ注意してもらわなければならない事があった。

 「今から言う事は絶対に守ってください、アリス」

 「鈴仙?」

 「私から離れてはいけません。これは心配というのもありますが、何よりアリスのためなのです」

 いつになく真剣な様子に、アリスは戸惑いながらも頷いた。

 アリスの顔が強張っているのを見て、鈴仙は不必要に緊張させすぎたと思い、その頬をさすって緊張を解した。

 「歩きながら説明しますね」

 アリスの手を握り、鈴仙は歩き出す。

 「私の能力は『波長を操る程度の能力』……まあ波長と言っても色々あるのですが、私の場合はほぼ全ての波長を操れると思ってくれればわかりやすいかと。私が持っていたあの巨大な銃は、存在の波長を長くして銃その物の気配を希薄にし、誰にも気付かれないようにしたのです。……わかりませんよね、こんな事を言われても」

 理解しようとしているのだろうが、やはりこの感覚は鈴仙以外にはわからない。想像はできても、実際はどんな感じなのかが経験できないからだ。

 「とにかく、それを利用して私はある波長を操作しています」

 「ある波長?」

 「はい。それが『言語の波長』です。正確には、言語を理解するための脳波の波長ですが」

 「……その波長を操って、何か変わるの?」

 どうやらアリスは根本的な部分を忘れているらしい。鈴仙はつい苦笑してしまった。

 「お忘れですか? 私とアリスは異なる世界に生きる存在です。()()()()()()()()()()()()のですよ」

 「あ……!」

 そう、それこそが問題。

 アリスはこの世界の言葉を知らないし、当然こちらの世界の誰かがアリスの世界の言葉を知っているはずがない。

 故に、アリスが鈴仙と出会えたのは行幸だった。鈴仙はアリスが落ちて来る時に叫んでいた言葉で、自分が全く知らない言語を扱っているのを即座に理解したのだ。

 だから鈴仙は、相手が異世界人だと知らぬままに自分と相手の脳波の波長をあわせて、お互い自分が知っている言葉で聞こえるように置き換えたのだ。世界一便利な自動翻訳である。

 しかし、これにも問題はある。

 鈴仙と離れすぎると、繋げている波長が途切れてしまうのだ。そして一度途切れた波長は再度鈴仙が繋ぎ直さない限り、絶対に戻らない。

 つまりアリスは、一度鈴仙と離れれば、言葉もわからず、知り合いもいない場所に独り置き去りになってしまう。だからこその、この真剣な忠告。

 鈴仙とは離れてはダメ、そう心に刻み込んでいる途中、ふいにアリスは気付いた。

 「……あ、れ? でも、永琳様も鈴仙も、私に人里に住んだ方が安全って言ってたような……?」

 「アリスがもしそちらを選んだら、こちらの言語を習得させる予定でした。アリスは物覚えが早そうですから、最低限の言葉を覚えるだけなら一週間くらいあればできると思いますし。後は里にある寺小屋――里の子供達が勉強するところで覚えれば生きていけます」

 何も考え無しにアリスを放り出そうとしているわけではない。

 自分の事を真剣に考えてくれているのに嬉しく思うアリスだが、同時に一つの事を決意する。

 「鈴仙、里に帰ったらこの世界の言葉を教えて?」

 「別に構いませんが……なぜ?」

 「いつまでも鈴仙の力を頼ってばかりじゃダメかなって。ずっと使ってると、辛いと思うし」

 「――……ッ」

 そう、アリスの言う通りだ。実を言うと鈴仙は、脳波の波長を合わせるのを余りよしとしていない。

 脳波と一口に言っても色々あるが、鈴仙はその全てを識別し、選別し、各々の波長に組み合わせているのではない。()()()()()()()()()()()()()()()、大雑把な、言ってしまえばただの力技をしているだけ。

 だから下手をすると。例えば他の、その人物の感情そのものを相手に叩き付ける、といった事にもなりかねない。

 それを察している訳では無いのだろうが、それでも自分から、一つの言語を学びたいと言うとは思わなかった。

 人とは基本、怠惰な生き物なのだから。

 「そう、ですね。言っておきますが、私は優しくありませんよ?」

 「のぞむところ!」

 アリスがぐっと手を握り締めるとほぼ同時、二人は里の中へ入る。

 生まれて初めて『庶民の暮らし』というものを見れた――アリスの世界のそれと幻想郷でのそれはほとんど違うのだが――ので、それだけでも嬉しい。

 「鈴仙、あれは何!?」

 「ア、アリス、はしゃぎすぎです。店に出てる物は逃げないんですから――」

 ――多少、元気すぎたようだが。

 甘味処では団子とお茶を頼んだ。

 その時アリスが、

 「私は鈴仙のお茶の方が好きかなぁ」

 と言ってくれたのは、鈴仙としても嬉しかった。

 八百屋、魚屋、肉屋、その他にも永琳に頼まれて必要な薬草など、色々な場所を見て回った。

 店による途中民家に立ち寄り、置き薬の状況などを聞いて、それらのメモも取っておくのを忘れない。アリスも永琳のためにと、最近おかしな事は無いかと聞いたのだが、結果は芳しくなかった。

 「ダメだなぁ、私……全然集まらない」

 「……どこかおかしいですね」

 「え?」

 アリスが落ち込んでいるのに、珍しく鈴仙は慰めず、考え事をしているのか、ぼうっとしていた。

 「普通なら噂話程度でも教えてくれるはずなのに、誰もが口を閉ざす……。まるで()()()()()()()()()()、あるいは()()()()()()()()があるような――」

 「正解だ、鈴仙」

 「この声――慧音さん!?」

 唐突に後ろから届いた声に振り返ると、そこには腰までありそうな長い、青のメッシュが入った銀髪を持つ美女がいた。

 アリスが感じた印象は、どことなく包み込まれるような温かさ。彼女自身の雰囲気がそう感じさせるのだろうが、緩い輪を描いている口元によってその印象はより深まる。

 六面体と三角錐、その間に板を挟んだような青い帽子の頂には赤いリボン。胸元が大きく開き、恐らくは上下が一体になっている青い衣服。胸元にも帽子と同じく赤いリボンをあしらっており、スカートの部分には幾重にもある白いレースがある。

 大人の妖艶さと、ところどころに垣間見える、リボンを付けるなどの子供のような可愛らしさ。

 しかし、その声には確かな知性もあった。

 「鈴仙の言う通り、里の者は皆話したくない事があるんだ」

 「……そこまで酷い事なのですか? この魑魅魍魎が跋扈する、幻想郷で?」

 「言うより見せる方が早い。着いてきて――鈴仙、この子は?」

 背を向けて案内しようとして瞬間、慧音の目にアリスの姿が入った。

 鈴仙も忘れていたのだろう、ハッとしたように体を震わせた。

 「こ、この子はアリス。迷いの竹林に飛ばされた外来人で――今は永遠亭に住んでいます」

 「永遠亭で? 里ではなく?」

 「ああ、それは――」

 「ねえ鈴仙、この人は?」

 アリスが何故永遠亭にいるのかという理由を説明しようとした時、そのアリスが鈴仙の服の裾を軽く引っ張ってきた。恐らく仲間外れにされかけているのと、純粋に名前が知りたいという思いからこうしたのだろう。

 なので鈴仙は彼女の紹介をしようとしたのだが、先に自分で言われてしまった。

 「すまない、鈴仙の姿に注視して気付かなかったんだ。私は上白沢慧音。……半分人間半分妖怪なんだがな。よろしく、アリス」

 「よ、よろしくお願いします、慧音様」

 スッと自然に差し出された手を反射的に握り返すアリス。さり気なく妖怪だと言われたが、アリスは彼女が全く怖くなかった。

 彼女の人柄が為せる技だろうか? そう思っていると、鈴仙が説明してくれた。

 「アリス、先程この里には寺小屋があると言いましたよね? 彼女は、その寺小屋の先生なのです」

 「それは本当なのですか!?」

 「あ、ああ……恥ずかしながら、子供達に勉強を教えている。だが今は非番だ。そう畏まらないでくれ」

 驚き目を見開くアリスに、慧音はどこか恥ずかしそうに頬を染めると、人差し指でその頬を掻いた。

 「なるほど……最初に感じた誰かを包んでいるような温かさは、職業柄、というものなのですね」

 「先生だからそうなるとは限りません。慧音さんだからこそ、ですよ」

 「――そ、そういえば話が途切れてしまっていたな! 私に着いてきてくれ!」

 朗らかに笑いながら自分を褒めてくる二人の言葉に耐えられなくなったのか、慧音は背を向けると 二人を待たずに歩き出す。

 そんな照れ屋な先生に二人は小さな笑みを浮かべつつ、彼女に着いて行った。

 

 

 

 

 

 「――それで、私は永遠亭にいる事を決めたのです」

 「そうか……そういう事なら納得だ」

 アリス、鈴仙、慧音の三人は、慧音に里の誰もが口を閉ざす原因があるという場所に案内されながら、暇潰しに近い雑談をしていた。

 その内容は、里の近況から寺小屋に来る子供達の様子、永遠亭での出来事など多岐に渡り、とりとめのない話ばかりだ。

 今は、なぜアリスが永遠亭にいるのかという話をしていた。

 「意外ですね。慧音さんの事ですから、里の方が安全だと言いそうですのに」

 「ん? ああ、まぁ確かに何の説明もせずに永遠亭に住まわせようと言うなら話は別だが……彼女は、自分でそうする事を選んだんだろう? だったら他人の私が口を出すべきじゃない」

 アリスはまだ子供だから、多少の心配はするけどね、と口の中で小さく呟く。

 おそらく慧音は、本質的に、そして根本的に優しいのだろう。どうしようもないくらいに『そう』なのだ。

 その証左に、里に出会う人出会う人が皆慧音に挨拶していた。愛想などではない、本当の笑顔でもって。王族であるが故に虚飾と本物の区別が付く技術が、こんなところで役に立った。

 「ところで慧音さん、もうかなり歩いていますが、後どれくらいで着きますか?」

 「そうだな……里の中でも随分と端の方だから、後四半時、といったところか。アリスはまだ大丈夫か?」

 「えっと、その……四半時、というのは?」

 「すまない、ついクセでこっちの時刻を使ってしまうんだ。後二十分だ」

 「それくらいなら大丈夫です」

 「わかった。だが、無茶はするなよ? 時間は限られているが、今は急いでいるわけじゃないんだ。多少の休息も必要だろう」

 こういった細やかな気遣いができるのも、教師故だろうか。

 しかしアリスは本当に無茶をしている訳では無いので、笑顔を返しておいた。

 途中、アリスが前を見ずに走っていた子供にぶつかられかけたりといったアクシデントはあったが、それ以外は概ね何事も無く問題の場所に辿り着いた。

 「ここだ」

 「……これ、は……」

 「…………………………」

 慧音に案内された場所、そこは本当に里の外れだった。

 だが、だからこそ目立つ。

 ――平穏な里の中にある、禍々しい爪痕が。

 幅は数メートル、というところだろうか。問題は、里を両断しかねないと思うほどにそれは大きく、広い事。真っ二つ、そんな印象を見る者に与えてくる。

 茫然とするアリスとは反対に、鈴仙はどこか考え事をしながら、注意深くその穴の縁へと手を伸ばす。

 そしてその斬撃の通った地面に触れると、途端に顔を歪めた。

 「……あまりにも断面が綺麗過ぎます。衝撃波で吹き飛ばしたのでも、抉ったのでも無い。まさか、消失させた……?」

 「やはりそう思うか。私も実際に見た訳では無いが、里の者が言う話では斬撃による風で石が飛んで来はしても、斬撃そのものが受けた石や土は消えたそうだ。正直、ゾッとするよ」

 そして鈴仙は気付く。()()()()()()()()()()()()()

 「この斬撃――太陽の畑から!?」

 よくよく見れば、この斬撃が通った場所にある小さな山を抉り取っている。

 「幽香さんがこれを……? いえ、彼女は基本力任せのパワーファイター。こんな事はできないはずです。だったら誰が……?」

 「その件については私にもわからない。ただ、つい先日太陽の畑で何らかの戦闘が行われていたのはほぼ確実だ。弾幕による閃光が時折見えたからな」

 「つまり、問題となるのは幽香さんと戦っていた『誰か』ですね。わざとやったのか、それとも戦闘の余波か……どちらにしろ、これほどの事ができるのは幻想郷でもそうはいません。注意して然るべきでしょう」

 「まあ、その注意すべき誰かが何なのかもわかってないんだがな。里の者も、何となくでもこれを行った者の力量を把握している。だからどこか暗いんだよ。何かが起こる前触れなのではないか、と思って、な」

 二人の間にある雰囲気はどことなく暗い。

 それもしかたないだろう。二人は確かに人とは違うが、それでも戦闘はそれほど得意では無い。精々が『戦う事は出来る』くらいだ。

 もしこんな斬撃を当たり前のように飛ばしてくる相手と戦えば、勝てるビジョンなど見えない。

 「ねえ鈴仙。この攻撃をした人って、そんなに強いの?」

 そんなふうに落ち込んでいると、アリスが聞いてきた。

 「単に斬撃を飛ばすだけならできる人は多いでしょう。ですが、こうも断面を綺麗にするには、相応の技術も必要となります。まあ、今回はそれプラス何らかの力を使っているようですが……どちらにせよ、まともな相手ではありません」

 「加えて、これは単に攻撃の余波だ。本人が意図した物では無い以上、本気で狙われたら相応の結果を貰われるだろうな」

 アリスは一度、この穴の端から端まで見てみる。

 里の中まで侵入し、途切れている斬撃。そして、飛んで来た方は――

 「……あれ?」

 「どうしました、アリス?」

 「あ、うん……もしかしてこの斬撃、空から出したモノなのかなって」

 「あれ、アリスは知りませんでしたか? ある程度の強者になると、普通に空中でも戦いますよ?」

 「そ、そうなんだ……」

 そう呟くしかないアリス。

 アリスの居た世界では、そんなあっさり空を飛べる者などいない。なのに、こちらでは普通に飛べる……またも世界観の違いを感じさせられた。

 恐らく、地面で戦う、それ自体が枷になるだろうとは想像できる。だが、そこからどうするのかはわからないし、今は興味も出なかった。

 「慧音さん、どうします? 一番簡単なのは幽香さんに聞く事ですが」

 「やめた方が良いだろうな。下手に刺激して戦闘でも挑まれたら敵わない」

 「ですよね……せめて彼女がもう少し友好的なら現実的な手になるんですが」

 二人が愚痴を言い合っているが、ふとアリスは思う。

 「……この攻撃をした人がもう移動してるとしたら、次はどこに行くんだろう?」

 「「!?」」

 アリスの指摘に、二人は今気付いたと言うように体を震わせる。

 「肝心なところを忘れていましたね。そもそもとしてこの人物は一体何を目的としているのか。そのために何をするのか」

 「その結果生まれる被害もわからん。……二人とも、私は万が一のために里の者に注意を呼びかける。だからここでお別れだ。里の案内ができなくてすまない」

 「いえ、慧音さんは里の守護も仕事の内ですから、仕方がありませんよ」

 「そう言ってくれると助かる。ではな」

 どこか急ぎ足で去って行く慧音。

 その背中に向けて鈴仙は手を振り、見えなくなるとアリスを見た。

 「どうしますか? まだ里を見て回ります?」

 と言われ、しばし考えるアリス。

 その時、なぜだかここに来る途中の事を思い出した。

 ほんの一瞬の出来事で、それがなんだったのかもよくわからない。しかし妙に落ち着かない気分になる、その感覚。

 その感覚と、この地面に足を着けていられない浮ついた気持ち。これを手放してはいけないような気がした。

 だから、

 「……永遠亭に戻ろう? 鈴仙」

 そう、言った。

 鈴仙はしばし面食らった様子だったが、それでもアリスの様子から何かを感じ取ったらしい。

 「お急ぎで?」

 「うん。早くお願い」

 「では」

 それだけのやり取り。だが二人はたったそれだけで互いの思いを汲み取った。

 素早く膝を曲げる鈴仙の背に飛び乗り、しっかりと捕まるアリス。

 「しっかり捕まっててくださいね!」

 アリスの返事すら聞かず、鈴仙は駆け出す。

 それに抗議もせず、アリスはただ身の内に燻る予感に身を焦がした。



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Sideシオン/ウサギと火

 川城にとりと別れたシオンだが、時間が時間だ。

 五月だから冬に比べればマシとは言え太陽が出ている時間は限られている。

 「今日はここまで、か」

 川を下っていたシオンだが、太陽はもう沈む寸前。これ以上進むのは危険だ。夜目が利かない訳では無いのだが、通り慣れた道でない以上、いらないリスクを背負いたくはない。

 とはいえ朝幽香の家で食事をしてから何も口にしていない。数日なら何も飲まず、何も食わなくとも行動できるが、緊急時を考えるとそれはしたくない。

 「……仕方ない、久しぶりに()()でも食べて――待てよ」

 不意に思い出す。

 「そういや幽香から弁当貰ってなかったっけ?」

 そうだ。確かに貰った。そこまでしてもらう義理は無かったのだが、押し付けられたのだ。

 しかしにとりも雛も、そして目聡い文すらそれに気付かなかった。

 ではどこに――?

 答えは簡単で単純だった。

 「白夜」

 白い剣を振るい、異空間からそこまで大きくない弁当を取り出す。正直どうなのと思うような能力の使い方だが、文句を言われる筋合いはない。……剣は文句を言いそうだが。

 それはそれこれはこれ、というような表情で白夜を消し、弁当箱の蓋を開けるシオン。

 弁当箱の中身はたまご焼きから始まり、からあげ、ブロッコリー、タコさんウィンナー、それらを包むようにキャベツを挿んで壁を作る。それで半分近くを埋めているが、一番端にさくらんぼが何個か置いてある。オーソドックスなおかずだ。

 さくらんぼの旬は早くとも五月の終わりのはずなのだが、何故入っているのだろうか。

 そう思いつつ一つ口にしてみると、柔らかい感触がした。昔偶然食べた物よりも酸味が薄く、純粋に『甘い』。さくらんぼそのものは小さいが、未だ味蕾がありすぎるシオンとしてはこちらの方が美味しい。

 「これ――もしかして豊錦?」

 紅魔館になぜかあった食べ物に関する資料。

 その全ては外来の物であり、幻想郷にある物は限られているが、それでもさくらんぼの情報もあった。

 元々さくらんぼは育てるのが難しく、果物の中でも高価な物なのだが――いくつかある品種の中でも、豊錦は甘い方だ。比較的早く収穫できる物でもある。それでも収穫できるのは五月の二五日前後となるため、未だ中旬の現状手に入るはずが無いのだが。

 そう思ったが――幽香だからこそ、できる方法はある。

 花を――いや、恐らくは植物を操る程度の能力。あれを使えば、さくらんぼの種さえあれば作れるはず。だがそこまでする理由があるかと問われれば、それはありえない。

 とりあえず種を吐き出そうとぼんやり遠くを見ていた視線を下に向けて、そこで気付く。

 「……炒飯に、旗?」

 今の今まで気付かなかった、それ。

 シオンはおかず、デザート、そして主食を見て、ようやっと理解する。幽香がさくらんぼを入れた訳を。

 思えば、幽香が果肉が少ない豊錦を選んだのは、シオンの口も体格相応に小さいから。酸味が薄く甘味が強いのは、シオンの味覚が未発達だから。

 つまり――幽香がこんな弁当にしたのは、

 (――完全に俺を子供扱いしているからか……!!)

 とはいえ、

 (実際子供なんだけどな。九歳だし)

 結局そこに集約される。

 グチグチと色々な事を思いながら弁当を食べる。

 悔しい事に、弁当は大変美味しかった。冷えているが程良く甘いたまご焼き。醤油が無くとも味の滲みたからあげ。野菜も新鮮なようで、普通のとは味が違う。

 弁当としては合格点、シオンの観点からすれば満点だ。

 そんな自分の感情を複雑に思いながら空になった弁当箱をまた異空間に放り込む。

 時刻はまだ七時。それでも明日早くに目覚めるため、シオンは木を背に眠りにつく。

 

 

 

 

 

 朝、四時。

 「本当、嫌になる」

 また血に塗れた体を見て、そう思う。

 幸い川は目の前だ。服を脱いで体に付着した血を洗い流し、体をスッキリさせる。

 妖怪はもうとっくに消えている。去ったのか、あるいはシオンが全て殺したのか。それはわからない。興味も無かった。

 服を着直したシオンは川を下っていく。

 基本人間は水が無ければ生きられない。比較的科学が浸透していない幻想郷なら、川の近くに里があるだろうと判断したのだ。

 だが、一つ問題が起きた。

 「道が分かれてる?」

 そう、水路が左右に存在するのだ。これではどちらに進んでいいのかわからない。

 にとりに案内された時には気付かなかったが、恐らく川の角度とシオンの視点が偶然合わなかったのだろう。

 問題はそこではない。

 問題は、どちらに進めばいいのかわからない事だ。

 如何に完全記憶能力を持っていようが、進むべき道がわからなければ意味が無い。そもそも自分が通って来た道を戻っても里に行けると決まっていない。

 手詰まり、というわけだ。

 しかし立ち止まっていてもどうにもならない。

 ではどうするか。

 ――勘で進むしかないだろう。

 とりあえず右へと向かうシオン。途中遮蔽物が無い川のすぐ傍を通るのは何となく嫌な予感がしたので、近くにある木々の中を行く事にした。

 それからどれだけの時間が経っただろうか。荒れ道の中でも木の枝が密集している中を通っているので、そこそこの距離しか進めていない。一般人に比べれば遥かに速いのだが、本人としては微妙だ。

 悪戦苦闘しながら道無き道を行っているその時、不意におかしな感じがした。

 「……あれ?」

 キョロキョロと辺りを見回すが、何も見えないし何も聞こえない。

 気のせいだろうと判断し、止めていた足を前へ踏み出す。

 何故だか妙に気になる感覚がしたのだが――それは、何だったのだろうか。

 

 

 

 

 

 歩き進めていると、森の中を抜けた。

 「道が……ある?」

 森を抜けた先には、きちんと整備されている道があった。整備されているとは言っても、木々が無く、岩や石をどかして『人が普通に歩ける』だけのものでしかない。それでも先程までシオンが通っていた道よりは数十倍マシだ。

 もしかして自分が通っていた道は……とも思ったが、知らない街でここに行けと言われてもできないのと同じだろう。人もいないのであれば道を聞けるわけでもなし、仕方がないと諦める。

 どうしようもない現実に意識を戻し、シオンは目の前にある物を見つめる。

 「これ……どこからどう見ても、竹、だよな?」

 つい漏れた独り言。

 シオンの目の前には、大量に生えている緑の棒。それは本で見た物とほぼ同じだった。

 「どうしようかね。行く意味があるのか、そもそもここを通れば何かあるのか」

 正直、悩む。

 だが悩んだのは数瞬、シオンは前へ歩き出す。

 「行かなきゃ何もわからないし。何かを得たいのなら何かを捨てろってね」

 一つ軽口を零し、シオンは竹の中へと入る。

 そこが幻想郷での『迷いの竹林』と呼ばれる場所だったとシオンが知らなかったのは、今日最大の不幸だろう。

 

 

 

 

 

 「もう何時間経ったと思ってるんだ……!?」

 ここに入ってから、恐らく五時間以上は経過している。前へ進んでも進んでも意味が無いと思わされる。

 体力に関しては全く問題無いが、道標も無い場所を歩いていれば気力が萎えるのも仕方ない。

 「まさか俺って方向音痴、とかか? そうじゃなきゃこうなってるのも説明できないし……」

 一向に里に辿り着けないのは、別にシオンのせいでこうなっているのではなく、大概が誰かのせいなのだが、本人は気付かないし気付けない。

 若干落ち込みながらも歩き続ける。

 また一時間程歩いただろうか。シオンは疑問の声をあげる。

 「いくらなんでもおかしすぎる。六時間以上歩いても景色が何も変わらないって、普通はありえない。まるで同じ場所ばかりをグルグル回ってるみた……」

 バッと周囲を見渡すシオン。

 そうしながら必死に頭の中の記憶を参照し、眼前の光景と照らし合わせる。

 完全記憶能力を持っていようと、人は見る物を、ほんの少し角度を変えただけでもその印象を大きく変えてしまう。それはシオンもわかっているが、それでも今は頭の中を探っていく。

 そして、周囲を見渡して、ようやく気付いた。

 「前へ行ったと言っても竹を避けて行かなきゃならない時もある。それに普通なら気付けないくらいに傾いた地面。日々入れ替わる竹は目印にできない。って事は――ここは天然の迷路!?」

 六時間も無駄にした、と落ち込むシオン。

 と頭を掻きながら苦りきった顔で辺りを見る。しかし何も見えず、只々シオンが今まで歩いて来た道と変わらぬ光景を映す。

 「戻るにしてもどこを行けばいいのかわからない、か。最悪だ、本当に」

 それでも来た道を戻ろうと歩き出す。

 三十分。そろそろ諦めて飛んで行こうかと思った頃に、誰かが走っている音が聞こえた。音から考えて恐らく滅茶苦茶に走っている。そして、その音の主はシオンのいる方に向かっていた。

 速度から考えてすぐに見つかる。あわや敵か――そう思って警戒していると。

 遠く離れた場所で、ウサギの耳を付けた黒髪の少女が、こちらに向かって走っていた。

 「耳――それにこの気配、妖怪!?」

 驚きもそのままに、少女は此方に気付く事無くは知っている。まだ距離もある。シオンだからこそ見えたのだろう。

 だが、とシオンは思う。あの少女は余りに――余りに、()()()()()()()

 あの感じからして何かから逃げているのはほぼ確実。しかし足音も気配もあの少女一人だけ。では、一体何から逃げているのだろうか。

 その時、シオンと少女の視線が交差した。

 「こんな時に人間――しかも子供!? ああもうしょうがない!」

 少女はシオンのすぐ傍まで来てそこで立ち止まると、焦った表情はそのままに叫んだ。

 「すぐにここから逃げて! 死んじゃうよ!」

 普段なら疑うシオンも、今回は警戒しない。余りにも必死過ぎるし、嘘を吐いていないのもわかるからだ。

 「でもここは天然の迷路なんだろ? 逃げろと言われてもまたここに戻って来るのがオチだ」

 「は? なんでそんな事知って――言ってる場合じゃないか。遅くなっちゃうけど、私の後ろに着いてきて!」

 「あ、ああ、わかった」

 頷いたが、シオンは視界の隅に何かが飛んで来るのが見えた。

 少女は気付かない。気付かないままシオンに注意しようとしていた。

 「よかった。じゃあすぐに行くよ。見失わないように気を付けて――」

 「危ない、後ろ!」

 「――え?」

 少女が振り向くと、左斜め後方から十メートルも離れていない場所に、少女とシオン、二人を飲み込んでもまだ足らないと言外に主張する炎の球が視界に入る。

 アレが当たれば、少女は死ぬ。

 本来なら避けられる。だが驚愕で体が硬直したせいで、この距離では避ける事などできない。目の前にいる人間に気を取られた結果だ。普段なら後ろも警戒しているのに――と後悔する。

「クソッ!」

 そんな悪態が聞こえて来て、少女は目を閉じた。

 自分なら、『偶然』助かるかもしれない――そんな希望的観測を信じて。

 けれど、そんな『偶然』は訪れず、ドンッ、と体を押されるような感覚だけを感じた。

 「え――?」

 目を開けると、右手で自分の体を押している少年の姿。あの体格から想像もできない力に押されて、少女は火球の射線上から外へ出る。

 少年が何かしたのか、地面に倒れても痛みはほとんど感じない。

 例え痛みがあろうとも、今目の前で炎に飲み込まれようとしている少年に比べれば遥かにマシだったに違いない

 「ダメだよ、そんな……逃げて、今すぐそこから逃げて――!」

 必死に、腹の奥から叫ぶ。どこからこんな声が出て来たのかと自分でも驚く。基本的に叫ばない少女は、こんな声を出した事は一度も無かった。

 その声を受けてか、少年は一度自分を見る。

 先程は焦って見れなかった、少女のようなあどけない顔。だが瞳は赤く、髪は白い。そんな外見を持つ少年は、少女を安心させるように、優しく、そして儚い笑顔を見せた。

 その口元が動いたように見えたのは、何故だろう。

 そして――火球は、少年に当たった。

 

 

 

 

 

 少女を吹き飛ばし、シオンはすぐ目の前に火があるのを自覚する。

 無我夢中の行動だ。理由など無い。

 ただ、できなかっただけだ。自分が危険な時に知りもしない他人を助けようとする少女を見捨てる事など、できなかった。

 もし少女が何もせず逃げたなら、シオンも『他人を助ける暇なんて無い』とでも言って切り捨てただろう。それは『IF』の話でしかないが。

 シオンは少女が火球の射線上から逃れられているのを願いながら考える。

 大きさはシオンの身長の三倍以上。飲み込まれれば灰になり、何も残らないだろう。ならば、このまま飲み込まれる訳にはいかない。

 黒陽は無理。この状況では黒陽の力が効果を発揮する前に当たる。白夜は論外だ。空間から引き摺り出す暇さえ無い。

 気及び魔力も効果は無いだろう。せめて魔力に属性――それも水を宿して使えればまた別の話になるのだろうが、何の属性も宿ってない魔力を撃っても威力の減衰しかできずに弾かれる。

 他の手札は? ――無い。この状況なら咲夜がいれば別だろうが、シオンの細胞変質は若干のラグがある。咲夜の時間停止は使えない。却下。

 結果、打つ手無し。正確には非常識な力を使った防御は意味が無いとわかっただけだ。

 (これが普通の火だと仮定すれば手はある。ただ普通じゃなかったとしたら――賭けだな、それもかなりの)

 とはいえそれも『多少マシ』になる程度だろう。近くに治療できる場所があるわけでもなし、最悪苦しむ時間が長引くだけ。

 (それでも――このまま当たるよりはマシだ!)

 思考加速で得た脳内のみでの討論は終わり、現実の体を動かす。

 火球のみを見据えて体を動かし始める。

 右腕は少女を突き飛ばした状態で伸びきっており、動かせない。動かせるのは左腕のみ。その左腕も走る時に前へ出している。通常、走る時に人は手足を前後させているので、左腕が前にあるのだが、それが幸運だったのかもしれない。

 人はただ突っ立っている場合に手を思いきり動かす時、後ろから前へ突き出すより、前から後ろに払う方が簡単にできる。勿論その手の動かし方によって変わるだろうが、ただ無造作に払うだけなら後者だ。少なくとも、シオンはこちらだった。

 今のシオンもそうだ。後先考えず少女を助けようとしたため重心は定まらず、片足は未だ浮き上がったまま。体勢も上半身が前に出ているので、このままいけば片手で受け身をとらなければ顔から地面にぶつかるだろう。その前に火球がぶつかるだろうが。

 二つ目の幸運は、振り上げている足が右足だった事だろうか。

 (これなら、行ける!)

 そう思った時だった。

 「ダメだよ、そんな……逃げて、今すぐそこから逃げて――!」

 焦りと恐怖と、その他にも様々な感情が入り混じった叫び。

 少女とてわかっているだろう。逃げられるわけがない、と。

 それでも、自分を心配してくれているであろう事は嬉しく思う。だからシオンは左足を捻じ曲げ上半身をも捻る。傍目から見れば少女の叫びに応じてつい振り返った、そんな風に見えるかもしれない。

 体勢を変えた勢いをそのままに、顔を少女の方へ向ける。

 先程の叫びで何となくわかっていたが、やはり少女の顔は歪んでいた。

 外見は全く似ていない。……だが、なぜだろう。

 (沙羅に似てるような気がするんだよなぁ。よく泣いてた。懐かしい)

 意識せず、シオンの表情は柔らかいモノになっていく。

 そのままシオンは、口だけを動かした。

 ――だ い じ ょ う ぶ。

 伝わっているとは思わないし、伝わっていなくても構わない。

 アレでいい。アレだけで十分だ。元々自分とこの少女は出会うはずがなかった。なら、これくらいあっさりしているのが丁度いい。

 シオンは捻っていた左足を思い切り元に戻す。

 全力、とまではいかないが、それでも通常出しているパワーを超えている。半端では無い痛みがシオンの左足に負荷をかけるが、歯を食いしばり、体を崩さないように地を踏みしめる。

 物を捻り、それを戻そうとすれば反動が起こる。それを利用していつも以上の力を出す。それがシオンの目的。

 では、それでどうなるか。

 足と上半身、二ヵ所で起こした力を左腕だけに集めて、前から後ろへ払う。

 先程シオンは魔力を水にすれば火球を消せると考えたが、何もそれだけではない。

 それより大きな炎で飲み込む。地面にぶつけて消滅させる。あるいは――()()()()()()()()()()()

 溜めに溜め、そして稼働した左腕は少女に認識できない速度で振り払われる。無論それだけでは意味が無い。確かに風を起こせるだろう。炎の威力も減衰できる。だがそれではダメなのだ。焼け石に水でしかない。

 (ここで――もう、一工夫!)

 腕を振り払えば、後は喰らうしかない。普通ならそう考える。

 しかし――一度しか回転できない理由など、ありはしない。

 腕を後ろに振り抜いた勢いをそのままに前へ倒れ込んでいた体を回転。タイミングを見計らって後ろへ飛ぶ。

 だがこんな不安定な動作では稼げる距離はタカが知れている。後一秒もせずに炎はシオンを飲み込むだろう。

 (でも、それでいい!)

 距離があってはダメなのだ。離れすぎていては意味が無い。

 シオンの体は未だに回転している。左腕だってもう一回だけならギリギリ払いに使える。

 一度目は当てなかった。それは威力を少しでも下げるため。当たれば即消し炭の状態でその方法を使えば失敗する。

 だから、二度。それが生き残るための最低条件!

 魔力で表面を、気で内面を覆う。多少なりとも威力を上げ、且つ耐久力を上げなければいけないのだ。二度目だけは失敗できないのだから。

 シオンの目的は、火球を()()こと。

 それが最も確率の高い、生き残る方法。

 そしてシオンは――腕を、振り払った。

 劫火の中に自分自身の腕を突っ込む。風圧でほんの少しだけ炎を振り払えたが、肉を焼かれる感覚はあった。

 それでも腕は止めない。ここで止めれば、その瞬間、死ぬ。

 「……ッ……」

 一秒が何分にも感じる。それぐらいに感覚が引き伸ばされている。

 (やっと、半分!)

 風圧が消え、炎は魔力でコーティングされた腕に喰らいつく。

 (……燃え、る。腕が、燃やされる!)

 魔力は消し飛ばされ、皮膚の表面は焼け爛れた。次は、気だ。これが無くなる前に全て斬れなければ、腕は燃やし尽くされる。残った体も飲み込まれるだろう。

 だが現実は無常だ。気はどんどん食われていく。腕も燃えていく。

 (あと、ちょっとなのに――!)

 残り、三十センチも無い。けれど、その前に気が消える。

 ここまで来れば腕その物は振りきれるだろうが、それでは切り裂けない。この火球はシオンの体よりも遥かに大きい。

 腕だけで斬るのは本来不可能だ。

 だからシオンは、それ以外を利用した。

 ――『真空波』。あるいはソニックブームとでも呼ぶもの。

 それでこの火球を切り裂こうとした。けれど、その制御は難しい。シオンの視界には炎を切り裂く風の剣が見える。それも最後に失敗すれば意味が無い――!

 (どうするどうするどうすればいい!? このままじゃ……!)

 その時、シオンは風の向きが変わったのを感じた。

 (え――?)

 その風は、シオンのソニックムーブの動きを助けるように吹いている。

 (これなら――!)

 刹那、シオンは左腕を千切らせるような勢いで腕を振り抜く。

 『幸運』にも、風の流れが変わった事で完成したソニックムーブ。

 左腕は焼かれ、いつもの白磁のような肌は見る影もない。それでも、振り抜ききった。

 だが――現実は、いつも無情だ。

 上下に分かれた炎は、確かに消え始めている。()()()()()()()()()()()()()

 驚愕で目を見開くシオン。

 直撃コース。避けられない。もうほとんど無いに等しい状態で、それでも炎は自分を生かす材料(シオン)を求めていた。

 そして、当たる。咄嗟に動かした左腕で頭を庇うが、胴、足と炎は食らいついてくる。

 「――ァッ」

 声にならぬ声が口から漏れる。

 左半身を炎に飲み込まれるシオン。それと同時、加速した思考は戻り、現実へと帰還した。

 燃える。燃える。燃える。

 体が炎に融かされていく。

 それは許容できない。まだ死ねない。そう思って必死に意識を繋ぎとめる。

 体が地面に叩き落とされた。その反動を利用して体を地面に擦りつける、いや体ごと抉るようにする。

 ただ炎を消す事を願って。それだけを思って。そして――

 「それ以上動いたらダメ! 火はもう消えてるよ!」

 必死に自分の体を押し止める、少女を見た。

 

 

 

 

 

 少女にはよくわからなかった。この少年が生きている理由が。確かに炎に飲み込まれたはずなのだ。なのに左半身が燃えているだけで、消し炭にはなっていない。

 だが、そんな些末な事を気にしていられなかった。

 生きているのだ、この少年は。

 火を消そうともがいている少年を助けようとして、気付く。

 少年は、効率的に火を消そうとしている。無駄にもがくのではなく、燃えている部分を他の場所に移さないようにして、火を、地面を抉るようにしながら消していた。

 やがて火は消える。けれど少年は気付かない。大火傷を負って焼け爛れた手足をまだ地面に擦りつけていた。

 「それ以上動いたらダメ! 火はもう消えてるよ!」

 このままでは左手足が最悪な事になる。傷を負っていない右半身を押さえて意識をはっきりさせようとして――気付く。

 (そもそもこんな状態で意識をはっきりさせたら――)

 そう、激痛で失神する。あるいは失神できずに痛みに苦しむかもしれない。どっちがいいと問われたら恐らく前者だろうが、余り変わらないような気もする。

 「そもそもどうして火球が飛んで来たの? 私は因幡の幸運ウサギ、因幡てゐなのに」

 そこが不思議だった。

 少女、てゐの能力は『人間に幸運を授ける程度の能力』なのだ。勿論、それは本人も例外ではない。だからあの時あの瞬間、火球が飛んで来るなどありえない。

 どうしてと考えかけるが、今はそんな事をしている場合ではない。てゐはシオンの体を少しだけ調べる。

 火傷は酷いが、何故か手足だけが酷い状態で、服に覆われた肩や腹は余り焼けていない。あくまで手足が酷いだけだ。理由はわからないが、それに少しホッとする。左半身全てに火傷を負えば、流石に死んでしまうかもしれない。

 どうやら無意識に幸運でも渡していたのだろう。だからこの少年は生き延びれたのだと思う。

 これからどうするか、そう悩んでいると、少年が右手を動かしていた。無意識に手を掴み、呼びかけてしまう。

 「慌てないで、それに動かないで。化膿したら最悪な事になっちゃうから」

 いつの間にか口調も変わっていた。

 てゐはいくつかの口調や声音をその時々によって切り替える。

 威厳を作る為の上から目線の偉そうな口調。

 相手をおちょくって逆上させるための間延びしたバカにするような口調。

 今使っている、普通の、どこにでもいる少女のような口調。

 他にもあるが、今は普通の少女のような口調だ。

 「……て、ゐ。怪我……無い?」

 「――! 私より先に、自分の心配をしてよ!」

 「別に……平、気。それと……髪は、ある?」

 なぜこんな状況でそんな事を聞くのかという疑問が浮かぶが、てゐは素直に髪を見た。

 「ううん、さっきの火で燃えちゃってる」

 「やっぱ、り……か」

 そこまでが限界だった。シオンは荒い息を吐いている。もう話す余裕は無かった。

 この火傷の最低限の治療もできないままでは、妖怪に襲われてすぐに死んでしまう。せめて能力を使えればよかったのだろうが、髪が燃えてしまってはそれもできない。

 手詰まりか、と思ったその時、てゐがシオンの体を起こした。

 「て、ゐ……?」

 「ごめん、私はそこまで力があるわけじゃないから、これが限界。でも、永琳のところに行ければ必ず助かるから。がんばって」

 「あり、がと。後……言い、忘れてた、けど」

 「ダメ、もう話さないで。無為に体力を消耗したら死んじゃうよ」

 「こ、れだけ、言えれば、いい、から……名前、シオン」

 「……わかった。頑張って、シオン」

 てゐは今度こそシオンの体を立たせた。

 身長差がありすぎるが故にシオンの背中と胸元に手を置いて支える。

 本来ならなお姫様抱っこができればいいのだろうが、てゐはそれができるほどの筋力を持たないため、こんな形になった。

 てゐが歩き出すのに合わせてシオンも歩き出す。しかし片足が焼け爛れているので、自身の体重のほとんどをてゐに預ける必要があった。

 シオンの体重は軽い。それに気を遣っているのか、重さもあまり感じない。

 これなら大丈夫そうだ、と安堵した瞬間、目の前が爆発した。

 「……え?」

 理解できなかった。

 目の前の爆発したモノ、それは先程シオンを飲み込んだ火球。それはわかる。だが、何故途中で爆発したのだろうか。

 てゐは何もしていない。という事は、後はひとりでに爆発したか、あるいは、

 「……シオン?」

 シオンが何かしたか、だ。

 そして、それは後者だった。

 てゐすら気付かぬ間に、シオンの左手には白い剣が握られていた。それが一体なんなのかはてゐにはわからない。

 しかしそこから歩き始めて数分後、また飛んで来た火球が爆発するのと同時に白い剣が輝くのを見て、コレが何かをしたのを察した。

 「シオン、大丈夫なの?」

 「…………………………」

 黙して語らず、いやシオンの目にはもう輝きがほとんど無い。鈍い光が目の奥に灯っているだけだ。

 気絶、ではなくとも、それに近い状態なのは明白だ。そんな状態で歩き、なんらかの能力を使い続けているのは驚異的でもある。

 歩く。てゐがシオンを支え、その支えに縋ってシオンも歩く。遅々とした歩みでも、てゐは文句を言わずにシオンを支え続けた。

 途中から飛んで来るものは火球だけでなく、炎の波であったり、火柱だったりと、色々なものに変わっていった。それら全てを見えない何かが壁となって防いでいたが、それだっていつまで保つのかわからない。

 「この速度だと、永遠亭までかなりかかる……それまで、大丈夫かな」

 その時はその時だと諦めるしかない。

 だが――流石幸運を司るウサギ、と言うべきか、あるいはシオンの意志の強靭さに驚くべきか、永遠亭に着くまで、シオンの能力は発動してくれた。

 無論、てゐの疲労は生半可なものではなかった。シオンは能力を使ってはいるが、ほとんど意識が無い。足元を注意する事すらしないため、何度か躓きかけたのだ。シオンを支えているてゐも巻き込まれかけ、しかもその真最中に炎が飛んで来たため、悪寒が止まらなかった。

 這う這うの体で永遠亭に辿り着いた時は、もう泣き出したい程に辛かった。

 シオンを支え続けた腕には力がほとんど入らず、身長差故に屈むのを要され、腰と足が小鹿のように情けなく震えている。

 それでも、辿り着けた。助けられた。

 「恩は……返せた、かな」

 ごめん、と一言言って、シオンを玄関横の壁にもたれ掛けさせる。

 それから疲れた体に鞭打って永遠亭に入り、大声で叫んだ。

 「永、り――――ん! 今すぐ、玄関に来て――――!」

 その叫びを最後に、もう限界、と言わんばかりにてゐは力なくくずおれる。

 程無くして小走りに永琳は玄関へ来た。疑問と、苛立ちか、あるいは別の何か。それが何なのかわからないが、よく思ってないのは確かだった。

 「てゐ、いきなり叫ばないで。驚いて薬品の調合を間違えかけて、かなり強力な毒を作りかねなかったから」

 どうやらそれが理由らしい。確かに洒落になってなかった。

 けれど、てゐとしてもあまり余裕は無い。

 「ご、ごめん……でも、急患! 今すぐ看てあげて!」

 息を荒げながら、それでもなんとか言い切る。

 訝しげな表情を浮かべる永琳は、しかしてゐが本気で疲れているのを察した。

「そう。それで、その急患は?」

 表情を読み取ってそれが本気かどうかくらいわかってくれる永琳は、無駄な確認の時間を必要としないため、そこはてゐにとって楽だった。

 「すぐ、そこ。玄関の横に、いるよ」

 「わかったわ。休んでなさい、てゐ」

 「そうさせてもらうよ―……」

 一気に脱力してダラけるてゐを横目に、永琳は外へ出る。

 「――これは」

 一目見て全て察する。

 どうして火傷を負ったのか、そこはわからない。

 けれど先程のてゐの様子から、この怪我を負った過程にはてゐが関わっている。そうでなければあのてゐがあそこまで必死になる理由が無いからだ。

 そこで考察を止める永琳。今はそんな状況では無い。とにかく治さなくては。

 シオンの体を横抱きにして――シオンは何度お姫様抱っこされるのだろうか――永遠亭の中へと戻る。

 「ねぇ永琳、シオンは助かりそう?」

 未だに体を投げ出していながら、けれど心配そうにてゐは尋ねる。

 見ただけでしかないのに尋ねたのは、永琳は外と比べてもなお遥かに高い技術を持つ医者故。その永琳なら、怪我の具合から何かわかるはず。そう思っての事だ。

 「この火傷なら死にはしないわ。火傷を負った範囲が小さかったのが幸いね」

 「そう、ならよか……待って。()()()――()()()? それって、まさか」

 永琳は黙して語らず、ただシオンの手足を注視している。

 てゐにはそれが何を指し示すのかわからない。

 ただただ不安を煽られるしかなかった。



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邂逅

 「このままここにいても仕方がないわ。ここで最低限の応急処置をして、それから私の部屋へ運びましょう。てゐ、少し手伝って」

 永琳は一旦シオンをその場へ置くと、未だダルそうに横たわっているてゐを手招きする。少し渋るだろうと予想していた永琳だが、それに反して素直にてゐは永琳の横へ来た。

 「私は何をすればいいの?」

 「とりあえず袖を持ってくれればいいわ。服を脱がす時に雑菌が入ったら最悪な事態になるかもしれないし、ハサミで切るから」

 「わかった」

 てゐはシオンの肩より上から左腕側の袖を掴み、少し持ち上げる。その時に見えた火傷の酷さに息を呑みかけるが、必死に呼吸を止めてそれを押さえた。

 その間に、シオンの腋から下にいる永琳はどこから取り出したのか、懐からそこそこに大きい入れ物を取り出していた。縦十五センチ、幅は四十から五十、くらいだろうか。色は白く、装飾も何一つ無いシンプルな物だ。

 その入れ物を開くと、中には剪刃――ハサミ、持針器、摂子、糸と針等々、恐らくは手術で使うであろうモノが入っていた。

 永琳はその中の一つ、布を切るためのハサミを手に取ると、服の袖部分に近づけようとし――

 「ッ!?」

 腹に来た衝撃で吹き飛ばされ、壁に激突する。

ハサミはもちろん、他の道具もばらまかれてしまった。

 「シ、シオン……?」

 信じられない、と言ったように目を見開き、驚いているてゐ。

 それもそうだろう。今の今まで意識が無いと思っていた人間が、荒い息を吐き、それでも無理に立ち上がろうとしているのだから。

 てゐからはシオンの顔は見えない。けれど、その目は確かに永琳を睨んでいる。訳も無くそう理解できた。

 流石の永琳も予想外の攻撃には驚いたらしく、何度か咳をしていた。

 「――。……容赦なく鳩尾狙い。しかも、最初は手刀で貫こうとしてたわね?」

 「ギリ、ギリで打点をズラしておいて……よく言う、よ」

 どうやら永琳が咳をしていたのは、シオンが鳩尾近くを狙ったかららしい。

 鳩尾は人体の急所の一つ。当たったところで即死はしないが、代わりに多数の神経があるため痛覚が他よりも高い。ここを突かれると、場合によっては横隔膜を瞬間的に止められ、その状態になると呼吸困難に陥る。

 咄嗟に打点をズラした永琳だが、横隔膜を止められたのを防ぐ事は出来ず、一瞬呼吸が止まってしまったというわけだ。

 とはいえあの刹那のタイミングで打点をズラせただけでも神業だ。普通なら鳩尾を貫かれて地獄の苦しみを味わわされるだろう。

 何とか呼吸を整えて永琳が立ち上がるのと、片足だけでバランスをとれなくなったシオンがふらついて壁によりかかったのは、ほぼ同時だった。

 「そのままだと手足が化膿して切り落とさなければならなくなるわよ?」

 「……それくらい、わかってる。服を脱げば、いいんだろ?」

 永琳は冷静に諭そうとし、けれどシオンが意外にも同意してくれたので、これなら楽に終わりそうだと安堵した。

 「そうよ。だから早くハサミで――何をやっているの!」

 しかし、それもすぐに覆される。

 なんとシオンは、動かせる右手で服を脱ごうとしていたのだ。仮に洗っていたとしても、あの服が汚れているのは明らかだ。そんな服を脱ごうとすれば、必然その汚れは左腕に付着してしまうだろう。

 だからこそ永琳はハサミで服を切ろうとしたのだ。服自体は修繕しなければ使えなくなるが、手足が二度と動かなくなるよりはマシだろうと。

 シオンは永琳の叫びでその意図を見抜いたようだ。脱ごうと動かしていた右手を止めた。

 「……この服を着られなくなるくらいなら、手足が無くなる方がマシだ」

 「何を言って……!?」

 ふいに、永琳は悟る。

 シオンは本当に、そう思っているのだと。自分の手足などより、服の方が余程大切だと。それ程の物なのだと。

 だから切られるのを拒む。戦闘時に汚れるのは仕方がないと思えても、それ以外の理由でこの服を汚されるのだけは耐えられない。

 それが、シオンの本音。

 けれど永琳からしてみれば、随分と我儘な患者が来たとしか思えない。

「服を切れないんじゃ、ちゃんとした処置はできないわよ?」

 「別にいい。いや……()()()()()()()()()()()()()

 「……?」

 その言い回しにどこか引っ掛かるが、相手が処置を求めてはいない以上、助ける理由は無い、のだが……助ける義理は、あった。

 二人のやり取りをどこか焦ったように見ているてゐ。彼女がその義理の訳だ。

 「……ふぅ。仕方がないわね。応急処置だけしておいて、後はアリスに頼みましょう」

 「アリス?」

 「うちに居候してる女の子の名前。人を治すのを得意とする――いえ、それしか扱えない、けれどそれだけが突出し過ぎている子よ。力は普通の子供と同じかそれ以下だから、喧嘩はしないでちょうだいね?」

 「……そう」

 釈然としない様子で頷いたシオンは、よりかかっていた壁を頼りにズルズルと腰を落とす。

 永琳はてゐに視線で道具を集めるように頼むと、懐から取り出した包帯を持ちながらシオンのところへ移動する。

 「……今、どこから出した?」

 「秘密よ」

 本気で悩むシオン。服の形から考えて何処かに何かをしまえるような余裕は無いのだが、もっと色々出てきそうな気がしてならない。

 複雑な表情をしているシオンを尻目に、永琳は包帯を巻いていく。キツくはしない。表面をフンワりと覆う程度だ。

 「痛くは無いの?」

 「微妙に痛くはあるけど、それだけだな」

 「……そう」

 包帯を巻き終えると、永琳はシオンを移動させようと手を貸そうとする。

 しかしその前に自力で立ち上がってしまったシオンは、目で問うていた。

 ――どこに行けばいい? と。

 「……着いてきて。私の部屋に案内するから」

 「わかった」

 シオンが永琳の手を借りないのは、シオンが永琳を信用してないからだろう。眼を見れば大体わかる。手当てしてくれた事に感謝してはいるが、だからといって信用できるとは限らない。そう思っている。

 シオンが右肩を支えにして壁によりかかりながら足を前へ出すのを気配で感じる。しかしその歩みは遅々としており、一向に進まない。

 ただでさえ疲労しているのに、片手片足は満足に動かせないのだから当然といえば当然ではあるのだが、この速度では永琳の部屋に辿り着く前にどこかで力尽きるのが目に見えている。

 「シオン、私が肩を貸すから、無理しないで」

 そこで手を差し出したのは、意外にもてゐだった。

 「てゐ、貴方はそんな事をする殊勝な――」

 「永琳は黙って案内して!」

 つい口を出すと、大声で怒鳴り返された。

 普段の態度を知られたくないのか、それとも今はそれどころではないと言いたいのか。両方のような気もするが、至極もっともなので言われた通り黙って歩き出す永琳。

 一回だけ肩を竦めていたのはご愛嬌だろう。

 てゐが肩を貸しているとはいえ、それでも歩みはまだ遅い。だからだろうか。

 「……誰か、来た?」

 その気配に、シオンが気付いたのは。

 「シオン、誰が来たのかわかるかしら?」

 「んっと……女性が一人と、女の子が一人。でもなんか近いな……背負われてるのか?」

 「……あぁ、なるほど。その二人は気にしないでもいいわ」

 「知り合いか?」

 「友人……いえ、どちらかというと家族、と言った方が正しいかしら? そんな関係ね」

 「そう……」

 どこか沈んでいるように聞こえる声音。

 それは何かを悔やんでいるようで――羨んでいるようで。

 過去に何かがあったのだろうとは、わかった。

 ふと、シオンが後ろを振り向いた。

 「――走ってこっちに向かってる?」

 「え?」

 走る。そんな行為をするとすれば、二人だけだ。

 ここにいるてゐと、アリス。そしててゐはここにいる。ならば残るはアリスのみ。

 だが、彼女が走る理由とは?

 帰って来たのなら、里を歩くので疲れているだろう。往復したのならなおさらだ。なのに走ってこちらへ来ている。

 さしもの永琳も、少なすぎるヒントでは答えに辿り着けない。

 「……なんだろ、この感じ。近くて、遠い。傍に居て欲しくて、居て欲しくない。似ているようで、似ていない。わからない。なんなんだ、この感覚」

 シオンがぶつぶつと呟いている。

 その内容は本人でさえ理解出来ぬもの。それでも何とか理解しようとして――その前に、一人の少女が来た。

 金色の髪、翡翠の瞳。息は上がり、頬は紅潮している。そんな美しい少女は、永琳とてゐを視界に収める事すらせず、ただ目の前を見ていた。

 幼い、白髪赤目の少年を。

 「……アリス、だっけ。確か」

 「はい。あの、貴方は……?」

 「シオン。川で感じた気配は、貴女だったのか」

 「あの時のあの感じを……シオンも?」

 「みたいだな。よくわからない、でも胸が焼けるような、変な感覚」

 「会わなくてはならない、でも会ってはならない」

 「何かが変わる。変わらせられる」

 「変わらなければならない。変えなくてはいけない」

 息も吐かせぬ二人の応酬。

 永琳も、てゐも、後から追い付いてきた鈴仙でさえ、混ざれない。

 お互いしか見えない、見えていない二人は、今何を思っているのだろうか。

 「変えたくなければ会ってはいけない」

 「変えたいのなら会わなくてはいけない」

 「「そんな――感覚」」

 「……俺は、どっちつかず。変えたいとも思うし、変わらなくていいとも思う」

 「私は、会いたかった。どうしようもない自分を、変えたかったから」

 終わらない二人のやり取りを、第三者が横槍を入れて来た。

 「シオン、そんな事してる場合じゃ無いよ。早く火傷の治療をしないと……!」

 割って入ったのは、てゐだった。

 いきなり我を取り戻し、ハッと息を吐く二人。

 「今のは……」

 「一体……?」

 シオンもアリスも、何故あんなやり取りをしたのか理解できない。ただ、そう思った事を口にしていただけ。それだけなのだ。

 どこか微妙な雰囲気が溢れる中で、永琳が言った。

 「とにかく治療が先ね。アリス、今すぐ魔法を使っても?」

 「だ、大丈夫です。出かけてからは一度だけしか使っていませんので、魔力は有り余ってますから」

 だが、一体何を治療すればいいのだろうか。

 そんな疑問を浮かべていると、永琳はまずシオンの左腕に巻いた包帯を解く。

 「――!??」

 アリスは声にならない声をあげる。

 鈴仙も一瞬息を呑んでいた。

 シオンの左腕は、火傷を負ってからかなりの時間が経っていたせいで、目も当てられないモノになっていた。

 そんなモノをぶら下げながら普通に会話していた事に、アリスは恐怖を感じた。

 なぜ、痛みに顔を歪めないのか。自分だったら泣き叫んでいてもおかしくないのに、と。先程まで感じていた熱意は、いつの間にか消えていた。

 一方見られているシオンは、アリスが何を思っているのかを大体理解していた。というより、コレが普通の反応だろうとも思っていた。

 永琳も、アリスの後ろにいる女性――いや少女も、そしててゐも。どうしてこんな風に動けるのか、よくわからなかった。

 「不思議? 私達が貴方の怪我に動じていないのかが」

 「……ッ。まぁ、疑問には思ったけど」

 「コレでも私達は幻想郷の医者。こういえば、わかるかしら?」

 「……。なるほどね。この程度の怪我なら見慣れてる、か」

 「そういうことよ」

 永琳もそうだが、怪我をしているシオンまでもがこんな反応ができるのは流石におかしいとアリスは思う。思うが、今は怪我をなんとかするのが先だ。

 永琳が左足の包帯を解くのを横目に、アリスはシオンの腕に手を当てる。

 ザリ、という、およそ人の肌から感じるべきではない感触。

 ――気持ち、悪い。

 一瞬そう思ってしまったアリスを、永琳も、シオンも責めなかった。二人はアリスの些細な表情の変化を見逃さなかったのだ。

 (――ううん、今は治療に集中しないと)

 そうして、アリスは魔法を発動させる。

 いつも通りに感覚。一定の魔力量を放出し、シオンの体に影響を与えて行く。

 「う、ぐあぁぁぁ、ぁぁぁぁあッッッ!?」

 唐突に響く悲鳴。

 それがシオンから漏れたものだと気付いた時には、アリスは吹き飛んでいた。

 「――え?」

 「アリス!」

 吹き飛んだ方向は鈴仙が立っている場所だった。偶然そこだから受け止められたものの、もし誰もいなければ壁にぶつけられていただろう。

 「アリス、怪我は!?」

 「え、あ、うん、大丈夫。怪我はしてないし、痛いところもないよ」

 「そう、ですか」

 鈴仙から見てもかなりの速度で飛ばされたのだが、アリスが傷を負っているわけでもなく、痛みを堪えている様子も無かった。

 一つシオンに文句を言おうと鈴仙が顔を上げると――

 「……あ、が、ッ……」

 ――地に倒れ伏し、全身を痙攣させている、シオンの姿があった。

 特にアリスの魔法を受けた左腕を庇おうとしている。

 「……なぜ、痛がっているのかしら?」

 「そんな事言ってる場合じゃ無いよ! シオン、大丈夫!?」

 永琳は訝しげに、てゐは狼狽しながらシオンに問いかける。

 だが、シオンは答えている余裕が無かった。

 炎で左手足を燃やされ、そこから永遠亭まで延々と歩き続け、気絶に近かった状態から無理矢理意識を戻して永琳が服を切断しようとするのを止め、それからまた永琳の部屋まで歩く。

 そして、今回の事がトドメとなり、シオンは気絶してしまった。

 それでも耐えようと右手を必死に握り締めていたのが永琳にはわかる。一体なぜそこまで意固地になるのかわからなかったが、今はそれを着にしている暇は無い。

 「わ、私、は……」

 愕然と自分の両手を見るアリス。

 アリスはシオンを追いつめるつもりなど無かった。先程の妙な感覚もそうだが、意図してアリスが行ったのは魔法を行使する、ただそれだけ。

 なのに、結果は失敗。

 鈴仙を治すのに成功して思い上がっていたのだろうか。元々アリスは魔法を使うのに適しているとは言えない人間だ。それなのに、魔法の中でも比較的どころではなく難しい回復魔法を使えている。

 正確にはそれくらいしか魔法が使えない。永琳からも、アリスは回復魔法と補助魔法に関しては才能があると言っていた。事実、アリスはこの二つは簡単に扱える。

 その後に、永琳から「アリスはいずれ、どんな怪我でも治せるようになるでしょう」と。

 だからこそ、思ってしまったのだ。

 ――永琳様は薬で病気を治し、私は回復魔法で瀕死の重傷となった人を癒す。そうすれば、私が魔法を習う意味がある、と。

 実際永琳の中で最も突出した才能は薬学に集約されており、他のモノはそれに付随している事が多い。無論その他の道にも精通している永琳だが、人の傷を治す医学と人の病気を治す薬学では大きな開きがある。

 なればこそ、アリスは医学を学ぼうと思ったのだ。永琳のために。そして人のために。

 だが、間違えてしまった。

 アリスの魔法は、一歩間違えれば人を殺す凶器となる。そう何度も教えられていたのに。永琳から、何度も。

 それに、魔法は成功していない。

 火傷を負っていた皮膚は、色こそ変わったが、完全に治っていない。つまり、失敗したのだ。アリスの魔法は。

 それがアリスの心を追いつめる。せめて成功していれば。いや成功しても変わらない。シオンに痛みを与えたのは自分だ。今回の出来事がいつかまた起こらないとも限らない。

 なら、なら――

 「今回の出来事だけれど。多分貴方のせいではないわよ、アリス」

 「で、でも! 実際に、シオンは……!」

 「確証は無いけれど、ほぼ確実に原因はシオンの方にある。だから自分を責めるのだけはやめなさい。いいわね?」

 「……はい」

 今まで見た事も無い程に鋭い視線の鈴仙に、アリスは文句を封殺された。

 「私はこれからシオンを部屋へ運ぶけれど。貴方達は休んでなさい。疲れているでしょう?」

 「あ……」

 「うん、まぁそうだね。永琳がシオンを運んでくれるんだったら、私はさっさと休ませてもらうことにするよー。後は任せた」

 先程までの必死さはどこへやら、軽い調子で言うと立ち上がったてゐはどこかへ立ち去ろうとする。

 「ま、待って下さい! そんなにあっさりと……!」

 「ん? だって永琳に任せれば大抵はなんとかなるし。だったら無駄な心配をするよりも、本当に必要な時までに体を休ませるのは当然でしょー? それとも、ここでうじうじしてればなんとかなるのかなー?」

 「そ、それは……そうですが」

 「じゃあ先に行かせてもらうねー。アリスもそんなに悩んでないで割り切っておいた方がいいと思うよー」

 ひらひらと手を振ると、てゐは去って行く。

 本当に、そうなのだろうか。自分の思っている事は無駄になるのか。それとも――

 「さ、私達も行きましょう。少し疲れてしまいましたし」

 ハッと意識を取り戻す。

 そうだ。鈴仙は里から永遠亭まで自分を背負って走りきったのだ。疲れていて当然だろう。

 そんな事にまで気付かなくなるほど自分が追いつめられているのに気付いて愕然とさせられてしまうアリス。

 「う、ん。そう、だね」

 もごもごと呟くように言うアリスに、鈴仙は、そして永琳も、少し心配そうに見つめていたのには、最後まで気付かなかった。

 

 

 

 

 

 「さて、と」

 一つ息を吐き出すと、永琳はシオンを横抱きにして立ち上がった。

 その視線はシオンの左手、そして左足に向けられている。

 傍から見れば痛ましそうに見つめているように見えるかもしれない。しかし、永琳が思っているのは全く別の事だった。

 (シオンのこの火傷……コレは、どこをどう見ても……いえ、考えても詮無い事ね。今は多少の手当てをしておきましょう)

 アリスは失敗をしているかと思っていたようだが、その実成功している。

 なら何故ああなったのか――その理由までは、現時点ではわからない。

 天才と誰からも言われ、そしてそう呼ばれるだけの才と自負があると永琳は思っている。だが如何に天才と言えど、わからない事はわからない。

 今回の出来事も、顔にこそ出さなかったが永琳は困惑していた。

 先程の魔法は完璧に、そして完全に成功していた。にも関わらず、シオンは苦痛の叫び声を出していた。

 そこは永琳、一応いくつか原因を考えてはいる。しかしそれらはあくまでも『一応』であり、確証も確信も無い。

 だからこそ調べる。原因を。シオンの体を。

 「三十分もあれば足りるかしら」

 そう言いながら、永琳は歩き出す。

 その口元に微笑が浮かんでいたのは、わからない事を調べられるからなのだろう。

 

 

 

 

 

 先に部屋――皆がよく集まる炬燵(こたつ)のある部屋へと移動したてゐ、アリス、鈴仙。

 その三人は、それぞれの話をしていた。

 「――んでまぁ、輝夜が暴走して戦いが勃発、私は命辛々逃げ出したってわけ。シオンとはその逃げてる途中で会ってね。一緒に逃げようって言った時に、警戒を怠っちゃって。後ろから火球が飛んで来た時は、あ、コレ死んだなーなんて思ったよ。まぁシオンに助けられたんだけど」

 「それは……災難でしたね。あの二人の戦いは容赦が無い上に回りの被害を考えませんから、正直命がいくつあっても足りませんし……」

 「そうそう。因幡の幸運ウサギの私だから助かったんだと思うよ。攻撃がほとんど飛んでこなかったし」

 「それで、てゐ様はなぜシオンを助けて? そんな事をする性格には見えないのですが……」

 「……さり気なく容赦ないんだねー、アリスって。命の恩人だよ? それを返すくらいの情は私にもあるからね」

 いかにも不満です! といった表情で言うてゐに、鈴仙はまぁまぁ、と手で押さえ。

 「しかし私も意外だと思います」

 「フォローじゃなくて追いつめられた!?」

 「だよね鈴仙。まさか()()てゐがそんな事をするなんて……」

 「ねぇ、『あの』って何なの! なんか無駄に強調してるような気が!?」

 「正直ありえません。もしや偽者なのでは?」

 「まさかの疑惑!? 二人とも私に恨みでもあるのかな? かな!?」

 「ありませんよ。ええありませんとも。ねぇアリス?」

 「そうですね。あるはずがありません。例えば、竹林で妖怪に会った――なんて事もありませんからね?」

 「ですね。落とし穴に落とされて、そこが()()だった――なんて事だってありませんよ?」

 「すいませんでした――――――――――――――!!!」

 一気に炬燵から飛び出て土下座するてゐ。

 それをニコニコと、妙に輝いている笑顔で見つめるアリスとてゐ。

 「……何をやっているのかしら?」

 そんな一種異様な光景を、永琳は呆然と見つめていた。

 

 

 

 

 

 「……結局その妖怪に会ったのね。それで、結果は?」

 「何とか倒せました。永琳の作った『()()』のおかげですね」

 「そう。でもアレは反動度外視のモノだったはずよ? 腕は?」

 「アリスが治してくれたので、今はなんとも。ね、アリス?」

 「え、と……うん。そうだね」

 「「…………………………」」

 暗い表情で同意するアリスに、鈴仙と永琳は顔を見合わせる。

 想像以上にシオンの件が引き摺られているらしい。てゐも、わかりにくいとは思うがフォローしていたし、今もかなりわかりにくいが『アリスの魔法はちゃんと使えるんだ』と遠回しに伝えたのだが、効果は無かったようだ。

 (とはいえ、大方予想通りなのだけれど)

 そう、これくらいは予想できていた。いくら才があろうとも対人関係については相応の経験が無ければ手玉にとられる。永琳はその『相応』の部分がやはり突出しているため余り問題にならないのだが、その分他者の心情を大体読み取れてしまうのだ。今までの経験則から。

 先程調べた結果から、なぜあのような事が起きたのかは既にわかっている。そして、その結果を教えればアリスは安堵する。と同時に、聞いてしまった事を後悔するだろう。絶対にだ。それがわからない永琳ではない。

 なればこそシオンに直接言ってもらうしかないのだが、当のシオンは昏睡状態で未だ目を覚まさず。というより二時間で目を覚ますはずがないのだが。

 「そ、それでは私は料理の支度をしてきます。下拵えはもうやっておりますので、後少しで食べられますよ」

 「あ、そうなんだ。じゃあ今日はなるべく多めで。色々あって疲れたし」

 「わかりました。では着いてきてください」

 「はいはーい」

 さり気なく逃げに入った鈴仙を横目に、永琳は内心で溜息を吐く。

 鈴仙はどうにも奥手だ。今までが今までだったために仕方のないのだろうが、それでももう少しくらいは努力してほしいとも思う。

 まぁある程度頑張っているのはわかっているのだが、人間関係と言うのは些細な事であっさりと壊れ、そして二度と元には戻らない事も間々ある。鈴仙がそれを理解しているといいのだが、とそんな事を思っている永琳は、気付かなかった。

 「……図々しいとは思うけど、その料理、俺も食べさせてもらってもいいかな?」

 いつの間にか襖が開き、くたびれた様子のシオンが立っていたのに。

 

 

 

 

 

 シオンが目覚めたのは、十五分程前の事だった。

 最近妙に気絶してばかりだ、そんな思いを胸に無理矢理体を起こす。

 なぜかあった鏡を見ると、みすぼらしいという表現が似合う自分の姿があった。

 服は汚れ、髪は肩まで焼け落ち、左手足は火傷の痕。顔の汚れは無くなっているのを鑑みるに、何かで拭かれたらしい。

 「確か、永遠亭、だっけ」

 そしてここは迷いの竹林。そんなところに家があるなぞ普通ではありえない。そして、

 「永琳。天才、か……」

 その名を持つ人物が二人いることもまたありえない。

 つまり、咲夜が言っていた『天才』とは、あの女性の事を指している。

 「永琳なら――わかるかもしれない」

 一目見た瞬間に気付いた。彼女の才能に。

 佇まいは武を修めた者のソレであり、瞳は深い知性を感じさせた。何よりも――雰囲気。

 自分は天才なのだと言外にしらしめてくる、あの感覚。生まれ持ったカリスマ性とはまた違う、その道の経験を積んだ者特有の覇気、とでも言えばいいのだろうか。それを永琳は持っていた。

 「まだ……足りない。全然、足りないんだ。俺は」

 唇を噛みしめながら手を握り締め、体を震わせるシオン。

 それは力を渇望する人間特有の姿で――同時にどうしようもない愚かさを知らしめる。

 だが、それでもと、シオンは立ち上がる。

 左手足は動かない。動かせない。だから壁にもたれかかり、歩き出す。その姿には常のシオンの姿は無い。ただ無様に足掻くだけでしかない。

 それでも人が見れば――それこそアリスが見れば、目を細めるかもしれない。

 その姿には、諦める、などという選択肢が無いのだから。

 一歩一歩、確かに床を踏みしめて歩く。松葉杖かそれに準じた何かがあればもう少しマシな歩き方ができたかもしれない。

 しかしここは人の家で、置いてあるのも人のモノ。勝手に使うのは憚られた。だからこそ時間がかかってしまったのだ。

 場所に着いては気配でわかっても、移動速度が遅すぎて話にならない。いつもなら数分で着く程度の距離が、その何倍もかかってしまう。

 目の前にあった襖を、震えているせいで頼りなく見えてしまう右手で少しずつ開く。音すら出ていない。

 そのせいだろう、誰もシオンが来たのに気付かなかった。

 しかし『料理』という言葉は聞こえて来たので、つい言ってしまった。

 「……図々しいとは思うけど、その料理、俺も食べさせてもらってもいいかな?」

 わかりやすく驚いているアリスと、驚いているのがわかりにくい永琳。てゐと、それと鈴仙という少女は見えない。どこかに行っているのだろう。

 コレから自分がどんな事をするのか、シオンは少し不安に思う。幻想郷に来てからの自分は不安定すぎて、怖いのだ。

 それがどんな結果を生むのか、わからないシオンだった。



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『シオン』という人間

今回は1万文字超えてません。
今回は流石に内容的に足りませんでした。


 「…………………………」

 「…………………………」

 「…………………………」

 「…………………………」

 「…………………………」

 ただ黙々と、目前にある料理を食べる五人。

 その様子には常の楽しそうな表情は無く、重苦しい雰囲気があった。

 そうなった理由は、見ていられないほど意気消沈しているアリスに引きずられているからだ。

 とはいえそれに影響されているのは鈴仙が主で、シオン、永琳、てゐの三人はまた別の理由だ。

 シオンは食べている最中は話す気が無く、永琳も同様。てゐはシオンの方をチラチラと眺めているため、自分の分を食べるペースが遅くなっている。

 (もう一人分と言われて気軽に用意しましたが……失敗でしたかね)

 鈴仙は心の中でそうごねた。

 元々鈴仙は、この永遠亭に住んでいるもう一人の人物――輝夜が帰って来たのだろうと思っていたのだ。なので用意して、アリスの気分を晴らすための言葉を考えながら戻って見れば、気絶していたはずのシオンという少年が当たり前のようにそこにいた。

 何とか表情には出さなかったが、内心では驚愕させられたのは言うまでもないだろう。

 あの大火傷からの失神。普通なら数日から数週間は目覚めなくともおかしくはないと思っていたのに、あっさりと目を覚ましたのだ。異常である。

 それでもてゐが連れて来た人間、客分だ。相応の対応をした。永琳が何も言ってこなかったのを鑑みるに、恐らく大丈夫だったはず。

 カチン、という音で、鈴仙は我を取り戻す。音がした方を見ると、シオンが箸を置いて手を合わせていた。

 速い。片手しか使えず、かといって行儀の悪さを気にしてだろう、寄せ箸をせず、皿の移動のために一度箸を置き、皿を移動させ、箸を手に取るという一連の流れを何度もやっていたが、誰よりも早く食事を終えた。

 「永琳、話しはどこで?」

 「貴方が起きた部屋の場所は覚えているかしら? 覚えているなら、その部屋の右隣にある部屋に行って待っていて」

 「わかった。待っている」

 運びやすいように箸と皿を纏めると、シオンは肩を壁にもたれかけさせ、片足を引きずりながら部屋を出て行った。

 「師匠、話しとは?」

 「今は言えないわね。少なくとも、彼の許可を得てからでないと」

 ストレートに話さないという永琳に、鈴仙は眉を寄せた。

 永琳は基本的に口が堅い。余程の出来事が無ければ秘密を洩らさないので、これ以上の詮索は無意味だろう。

 意外に思ったのは、てゐも、そしてアリスも何も聞かなかった事だ。

 てゐは無駄だと思いつつも聞くだろうと思っていた。いつもそうだからだ。

 アリスは永琳の性格を知らないのと、子供故の好奇心から聞くのではと何とはなしに考えたのだが、今回は外れたらしい。

 後に聞いたところ、てゐ曰く「恩人の秘密を無理矢理暴くほど恥知らずじゃないよ」だそうだ。アリスは「修行を付けてもらった時の感覚から、多分人の秘密をそう簡単に話す人じゃないんだろうなって」と感じたらしい。

 「さて。それじゃ、私も行くわね。食器はお願い」

 「わかりました」

 シオンと同じように皿と箸を纏めると、永琳も部屋を出て行った。

 二人の話し合いがどうなるのかはわからない。

 ただ言えるのは、アリスにとって良い選択になると言う事だけだった。

 

 

 

 

 

 シオンが永琳に言われた通りの部屋の扉を開けると、そこは診察室だった。

 清潔なシーツをつけた寝台。診察に使うのだろう道具を纏めた箱。幾つかはシオンが知らない道具もあったが、何となく机の上にあったカルテを手に取った。

 「――……ッッッ!??」

 そこにあった内容は、シオンの想像を絶するものだった。

 「なん、で……コレ、が」

 「いくら机の上に置いてあるからって、人のモノを勝手に見るのは失礼よ」

 後ろから届いた声に、シオンはカルテを持ったまま振り向いた。

 予想通りと言うべきか、そこには永琳が立っている。先程の注意とは裏腹に、顔には笑みが浮かんでいる。

 「貴方のその反応からして、大筋は合っているのね」

 「悪趣味、だな。わざとこんなところに置いたのか?」

 「そう思うのだったらそう思っていて構わないわよ。特に不都合も無いのだし」

 睨みつけるシオンと、飄々とした笑みを浮かべる永琳。

 だがそれもすぐに消えると、永琳はどこか申し訳なさそうに、けれど真剣な眼差しでシオンを見詰める。

 「ごめんなさいね。本当は無理に調べるつもりはなかったのだけれど、アリスが気にしてしまっていたから、原因を調べようと思ったの。そのカルテは、貴方の体を調べた結果を纏めた物よ」

 頭を下げながら謝る永琳に、シオンはどこか居心地が悪くなる。永琳が、真摯に謝っているのがわかるからだ。

 「――ハァ、いいよ、もう。この程度なら別に気にしてないし」

 シオンはカルテを眺めながら、少しだけジャンプして寝台に腰を下ろす。それを横目に永琳も椅子に座った。

 「いくつか質問をしても?」

 「こっちの要求を聞き入れてくれるなら」

 「要求は?」

 簡潔なやり取り。

 シオンとしては余り話したい内容では無い。話したところで、このカルテの内容を見るに問題は無いからだ。

 実際、紅魔館から出た直後にここへ来たのなら、何の見返りも求めず話しただろう。だが今は一つの目的がある。……いや、二つ、か。

 「俺を鍛えて欲しい。もう一つは……現実的じゃないから、今は、良い。その内話す」

 その内容に、永琳は少し悩む。

 「鍛えると言っても、その内容にはかなりバラつきがあるわ。どういったものを鍛えればいいのかしら」

 しかし断るという選択肢は無いらしく、受け入れてくれるようだった。

 「戦闘、それに準じた事柄を全て。俺は今まで我流で戦ってきた。でもそれは、この幻想郷じゃ足枷になる」

 かといって、一から鍛え直そうとしても、身に染みた戦い方は、早々直りはしない。ならば誰かに師事するのが一般的なのだろうが、ここには師になってくれる人物などほとんどいない。大妖怪相手に戦うのを目的としているシオンを鍛えられるとすれば、それは永琳くらいのものだろう。

 そういった事を説明すると、永琳は今一度悩んだ。

 「貴方の今の力はどれくらいなの? 無理な事を言われても、私には不可能よ」

 そこが一番の問題だ。

 シオンの力は、レミリア達ならよく知っているが、初対面の永琳にそんなのはわからない。

 ある程度の才能があれば、幻想郷の、探せばどこにでもいる程度の妖怪なら倒せるようになれるくらいにはできる。

 だが、大妖怪と相対するにはそれでは足りない。彼女らと戦うには、一極だけでもいい、それこそ『ぶっ飛んだ』才能が必要となる。

 「その点に関しては大丈夫。ここに来るまでに吸血鬼一家、花妖怪、雑魚妖怪の大群と色々戦ってきたから」

 「……。……それなら、大丈夫そうね」

 一瞬言葉に詰まってしまう永琳だったが、それは当然だろう。

 こんな幼子が、既に大妖怪どころか()()花妖怪と戦って生きていると言うのが、既にしておかしい。

 が、コレでノルマについては大丈夫だろう。シオンの持つ力がどんな類のモノかはわからないし予想もできないが、目的自体はどうにかなる。

 (問題はあると言えばあるのだけれど)

 その時はその時だ。

 今は、気になる事を聞くとしよう。

 「質問、いいかしら?」

 「いいよ。何から言えば?」

 「そうね……まず確認だけれど、シオン、貴方――」

 それは、あくまでも確認。前提だ。

 『シオン』という人間を形作っている、その大前提。

 永琳は一拍置いて、言った。

 

 「――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 その問いに、シオンは目を瞑った。

 訂正は無い。沈黙の意味は、是。それはつまり、永琳の言う言葉は真実という事。

 「……驚かないのね?」

 「まぁ、あのカルテを見た時から、永琳がそこまで達しているとは思ってたし。むしろあそこまでわかっていながらそこまで思い至ってないなら、正直失望ものだ」

 冷笑を浮かべて鼻で笑うシオン。その姿は妙に様になっていて、華奢な外見とはあまりにチグハグだった。

 シオンには分不相応な精神力がある。その原因が、人体実験を経たせいだ。その程度がどうあれ何かしらの悪影響があるはずなのだが、一見シオンには何も無いように見える。

 が、それはあくまで一見というだけ。

 永琳が調べた限りでは、いっそ殺された、あるいは死んだ方がマシなモノばかりだった。

 「……人間が持つ五感、神経伝達速度の向上。それらに振り回されないよう思考回路の速度も弄ってあるわね。その影響で人体のリミッターが外れて、身体能力にバラつきもある。それと、脳の一部が無くなってるのを見るに、意図的なサヴァンシンドロームも起こっている」

 『サヴァンシンドローム』、あるいは『サヴァン症候群』と呼ばれるコレは、言ってしまえば障碍者にも関わらず優れた能力を持つ人間を示す。

 だが、それにもバラつきがある。常人には絶対にできないような計算ができるかと思えば、誰にでも解ける簡単な式すら答えられない時すらある。

 シオンのソレも同じ。

 ただ、シオンの場合は少し特殊で、何も障害を負っていない。

 それは、

 「人体実験で、何人もの人間を使ったから」

 という、ただそれだけだった。

 切り取ってもいい場所とそうでない場所を、何千何万という人間を使って確認した。その結果がシオンだ。

 「……俺が持つのは『完全記憶能力』。アイツ等のコンセプトからしても、当然の帰結だろうな」

 「なぜ?」

 「簡単だよ。そもそもこの人体実験のテーマは、『戦争で使う生体兵器を作る』事だ。なら敵の情報は精確な方が良い。かと言って人間の記憶程当てにならない物は無い。だったら、いっそ全部覚えてしまえばいいなんて、極端な結論になっただけだ」

 「確かに極論ね。でも、それだけ?」

 「いや、頭を切り開いたのは、もう一つの物を埋め込むためだ。多分だけど、こっちが本命だろうな」

 それこそが、シオンに埋め込まれたあの機械。感情を抑制する機能を持ったモノ。

 「用途は脱走、反乱の阻止。まぁあの場所に居たのは、一番年上でも九歳だったから、あくまで保険程度だろうな。将来の為でもあったんだろうけど」

 欠点はあった。アレはあくまでも一時凌ぎ程度であったため、()()()()を求めなかった。

 そのせいで、無理矢理抑制された感情が爆発し、心がバラバラに壊れる子供が多かった。シオンの知る限りでも、大勢いた。

 しかもその壊れた子供を再利用し、弄った。

 「何も感じなかった訳じゃ無い。だけど、誰も、何もできなかった。あっちは大人で、こっちは子供。……地力が、違い過ぎたんだ」

 そして、それがわかっていてなお刃向かった子供もいた。彼等がどうなったのかを、シオンは知らない。

 わかるのは、彼等は決して帰ってこなかった。それだけだ。

 「俺は、何もしなかった。生き残るためにずっと耐え続けていた俺は、『他人』を心配できるだけの余裕は無かった。だから、誰とも関わらないようにしていた」

 「その口振りだと、結局関わったの?」

 「そう言えるだけの関係性じゃなかったけどね……あっちが俺に話しかけて来ただけだし」

 微かに笑みを浮かべているシオンは、少しだけ嬉しそうで、でも悲しそうだった。

 「でも、生き残ったのは俺だけだ。俺だけが、あの実験で生き残った人間で……唯一の、()()()だった」

 まるで自らを物のように揶揄する口調。

 けれどそれは、自分の感情を極限まで押し込めた物だった。それが、永琳にはわかった。

 「あいつ等は俺をどこかに輸送しようとしたんだろう。でも、俺はそれをさせられたくはなかった。でも、頭に植え込まれた機械がある。逃げられないし、刃向かう事もできない。……それを逆手にとった。『コレを付けているから安全だ』という思考の隙間を、突いたんだ」

 シオンは、ある時からただ只管に同じ動作を繰り返し始めた。心の奥底に、ある事柄を引きつめながら。

 「それが『感情を抑制された瞬間、敵を突き殺せ』だった。……成功した。そして、アイツの手に持っていた、俺達に植え込まれた機械をコントロールする物を壊して……研究所にいた人間全てを――殺した」

 ――その後はずっと、逃げて逃げて、逃げ続ける逃亡生活の始まりだった。

 「研究所にいた時の話は、そんなところかな。まぁ他にも色々あったんだけどね。でも、今は聞く気、無いんだろう?」

 「……そうね。私が聞きたいのはあくまでそれであって、貴方の人生全てではないわ」

 気にならないと言えば嘘になる。

 だが、それを聞ける立場に、永琳はいない。

 少なくとも、それだけの信頼を、シオンから向けられていない。

 「そのカルテだけど。そこに書いてあるのに見覚えは無い?」

 「ある。なんで俺の体を調べただけで使われた薬がわかったのか疑問に思うけど、ここに書かれているモノは全部使われた」

 「半信半疑だったのだけれど、合っていたのね。……正直合っていて欲しくなかったのが本音だったのだけど」

 後半は、シオンに聞かれないようボソリと呟いた。

 ここに書かれた薬は、いくつかは『まだマシ』なものがあった。けれど、そのほとんどが、一滴でも、あるいは一欠片でも体内に取り込めば即死する、というものだ。

 永琳でさえ、積極的に扱いたいとは思わない。輝夜と永琳は()()()()()から平気だろうが、他の人間、あるいは妖怪が、万が一にも触れれば大変な事になるので、やめている。

 「その他の薬については――」

 「知ってはいるけど教えるつもりはない」

 「……でしょうね。やっぱり、同じ事を繰り返さないため?」

 「ああ。こんな実験、やるだけ無駄だ。……そもそも、コンセプトから外れすぎなんだ、この計画は」

 「外れすぎている……? そもそもこの計画の根幹は何なの?」

 「単独で小国を落とす化け物を生む事。そしてそれらで隊を作り、それこそどんな国と戦おうとも勝てる事」

 百人の兵士、軍人を鍛えるために使う金と、たった一人の人間を養う金。どちらが軽いかなど言うまでもない。

 そして、シオンは単独で万の人間を相手にしようが勝てる。

 つまり、一人で万の軍隊と同等なのだ。

 そんな存在が隊を組めば、どうなるか。かかる費用と実際の効果は、分不相応な程に膨れ上がるだろう。

 スパイにしてもいい。感覚が遥かに鋭いシオンは、探索、隠密、その他諸々何でもできる。それこそハニートラップさえ可能だ。外見が外見なので、特殊性癖持ちにしか無理だろうが。

 いわゆる『何でもできる』人間だ。もし本当にこれを量産できるのなら、それこそ世界を支配できるだろうが、問題はある。

 あの実験は痛みが先行しすぎて、まず耐えられない。実験内容が内容なので、どうあがいても五歳以下の子供でなくてはいけない。だが、五歳程度の子供が激痛に耐えられる事はほとんどありえない。

 短期間で兵士を育成するのは、まず現実的ではないのだ。かかる費用もバカにはならない。本末転倒にも程がある。

 「……まぁ、あっちの目的はその実験で得た結果を他の場所で行っている実験に利用するってのもあったみたいだから、一概に無駄と切り捨てられないんだけどな。そもそもマッドサイエンティストの魔窟だったあの場所に、金なんていうのを気にする人間はいなかったけど」

 そもそも研究ができれば他の事は些末だと公言しているような連中だ。お金なんてモノ、絶対に気にしていない。

 「話が逸れた。とにかく、色々急ぎ過ぎたんだ。そもそも必ずこの薬を使わなくちゃいけない理由は無いからな。それでも使ったのは、実験の経過と一緒に()()()()()()()()()()だ。少なくとも痛みくらいには耐えられるように、と」

 「正気じゃないわね。子供が耐えられるわけないじゃないの」

 「あっちも、それはわかってたみたいだけどね? 俺を作るまでにかかった人数がそれを証明してるよ。下手な鉄砲、数撃ちゃ当たるって感じだったし」

 「ちなみに、かかった人数は?」

 「――()()()()()

 即答。

 「……え?」

 一瞬、永琳には理解できなかった。

 それだけ予想外だったのだ。

 (一〇〇〇、万? 五歳以下の子供を、一〇〇〇万も?)

 どうやって、と問う前に、シオンが答えた。

 「あの世界には人間なんて、それこそ腐る程溢れてる。それに、スラム、戸籍登録されてない子供、材料には事欠かない。スラムはゴミ溜めみたいなとこだし、戸籍登録されてなければ捜査はされない。理に適ってる集め方だ」

 吐き捨てるように言うシオンの顔には、隠しようも無い憎悪があった。

 「……まぁ、最終的に物を言うのは『才能』とか言ってたから、最終期に集められた子供は、親のいない、あるいは親に売られた子供を除けば、無理矢理誘拐された奴ばっかりだったけどね」

 その一人が、シオンだ。

 こんなところかな、と言って、シオンは締めくくった。

 コレが、シオンが幼少期に受けた全て。シオンの根幹にある、『他人を容易には信じない』、その理由。

 無論あそこだけが全てでは無いが、人の悪意を見たのは、研究所が始まりだ。

 「……このカルテにあった事は全部話したよ。でも、他にも気付いた事はあるんだろう?」

 「ええ、勿論。でもその前に、お茶を飲みましょう。疲れたでしょう?」

 「別に平気だけど……貰えるのなら、貰うよ」

 「そ、なら待っていなさい」

 永琳は立ち上がると、お茶を用意し始めた。

 それが完成すると、シオンに一つを渡して、もう一つを机の上に置いた。

 一口飲んでみたが、まぁまぁの出来だった。鈴仙の方が上手いだろうが、永琳にはこれが限界だった。

 「まず、予定外の事があった。貴方という結果は、そのほとんどが成功してる。でも、一部の異常が起こった。感覚を増幅する以上に、体の機能が増大してしまったのよ」

 「正解。それが理由で、俺の体は常に栄養不足だ。体の機能にエネルギーを回し過ぎて、身長が伸びてくれない。代わりに毒も利かず、怪我も軽いのなら数分で治る」

 「しかも細胞が完全に死滅する前に再利用できるから垢は無く、排泄物を作る前に完全に体に吸収できる」

 「……前者はともかく後者は言わないでほしいんだけど。なんか、汚い」

 どこか嫌そうに言うシオン。

 とはいえ真実なので否定できない。シオンが風呂に入ったりしなくとも清潔なのは、コレが原因なのだ。流石に埃や土、煤などはどうしようもないが、体自体が汚くなるのはほぼ無い。

 女性からすれば羨ましいと思うだろうが、どうしようもないくらいに欠点があった。

 「まず、アリスの回復魔法。アレで激痛が起こってしまったのは、元から早すぎる自然治癒力が極端に増幅されたせいね。何事も過ぎた力は碌な結果にならない。強すぎる回復能力は、体を壊してしまう」

 「まぁコレについてはどうとでもなるよ。あっちが加減してくれればそれでいいし……そもそも初見で俺の体を見抜けるのはほぼありえないからな」

 「気にしてないなら理由を言ってアリスに教えてくれるとありがたいのだけれど?」

 「どうしてだ?」

 「アリスの方が気にしてるのよ。あの子は、自信が無くなっているから」

 アリスは昔から、魔法を使う事を夢としていた。

 それだけを求めて、数年も練習するほどに……自らの体を、傷つけるほどに。この世界に来て何とか簡単な攻撃魔法と、そして天性ともいえる回復魔法を覚えたアリスだが、アリスの目的はあくまでも『強大な攻撃魔法を扱う事』だ。

 つまり、アリスは知らずして妥協している。

 そして、無意識にそれに気付いている。

 「……でも、失敗してしまった。と、そう思ってしまっているアリスは、今、自信を無くしかけているのよ。元が元だからどうしようもないし、こればっかりは本人次第になるわ」

 だが、もしシオンがアリスは失敗していない理由を言えば、それも解消するだろう。一概には言い切れないが、心にかかった重圧は軽くなるはずだ。

 「まぁ、いいよ、別に」

 「――え?」

 「わかったって言ったんだ」

 正直、意外だった。

 先程の話から、シオンは他者を信頼する事はほぼありえない。恐らく認められれば信用という段階を一足飛びするだろうが、逆を言えばそこまで行かなければならないのだ。

 紅魔館は例題だ。アレはあくまで、指針を失って暴走した結果ああなっただけで、普段ならそうはならない。

 だからこそ、気になる。シオンとアリスのやり取りは要領を得ず、永琳でさえいったいなんだったのかわからなかった。

 「なぜそこまで優しいの?」

 主語を抜かしたが、恐らくこの感覚は正しい。

 多分シオンは、性根は優しいのだ。それが歪になっただけで。

 「他人とは思えないから、かな。俺とアリスは、きっと誰よりも近しい……そんな感覚。よくわからないんだけどね」

 シオン自身、どうしてそう思うのかわからない。

 理由は絶対にある。そこまではわかるのだが、その先がわからないのだ。戸惑っているのはシオンも、そしてアリスも同じ。

 その理由がわからないうちは、とりあえずその想いに従ってみる事にしたのだ、シオンは。

 「コレで全部? 他にあるならまだ答えるよ? 応えられる範囲でだけど」

 「……今はコレだけね。正直予想外な事が多すぎで、考えを纏めさせてもらいたいわ」

 「俺は待っててもいいよ。どうせここにいる限りはやる事無いし」

 「ならお言葉に甘えさせてもらうわ」

 そういって紙と筆箱を取り出した永琳は、先程の話を纏めた資料を作り出す。

 しかし、そこには決定的に抜けている内容があった。それを永琳は気付かない。なぜシオンが人体実験の話をしたのか。それは、()()()()から目を逸らすためだ。

 嘘は言ってない。しかし、それで騙せない訳ではない。

 とはいえ永琳の事だ。近くない将来、必ず気付いてしまうだろう。シオンとしては、別に知られてしまっても構わなかったが、今はまだ永琳の性格がわからない以上迂闊な事はできない。

 それまでに何ができるか、どんな事を覚えられるか。ある意味時間との勝負だった。

 

 

 

 

 

 「――今日からここで世話になる事になった、『人外』シオンだ。よろしく」

 軽く笑いながらそう言うシオンに、永琳は肩を竦めた。

 てゐはいい。どちらかというと喜んでいるようだし、問題は無い。

 問題は、アリスと鈴仙だった。アリスはシオンに対して申し訳なさそうにしているし、鈴仙はアリスにそんな思いをさせている原因であるシオンを快く思っていない。

 そして――

 「私は永遠亭の主、蓬莱山輝夜よ。よろしくね、『人外』さん」

 ニコニコと、とても面白おかしそうに笑っている主が、永琳の頭痛の種になりそうだった。



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飲まされた物は

 シオンが永遠亭での日々を過ごすために案内された部屋は、永琳の隣の部屋だった。

 永琳曰く「その方が都合が良い」そうだ。何が都合が良いのかわからないが。

 ちなみに永琳の隣の部屋、つまりシオンから見て二つほど隣の部屋は永琳個人の研究室らしく、近づかないでほしいと忠告された。シオン自身『研究室』という単語を持った部屋にはいい思い出が無いため、素直に頷いておいた。

 「確か、アリスに気にしていないって事を伝えればいいんだっけ……」

 自室に戻ったシオンは、周りを見ながら呟く。

 本来客人を想定していない部屋だったらしく、部屋に置いてあるのは急遽持って来た布団と机、姿見くらいで、その他のモノはシオン自身必要無かったのを理由に断った。

 シオンは姿見を見ながら思う。恐らくアリスは、自分の姿を見るたびに申し訳なさそうな顔をするだろう、と。

 「だったらいっそ」

 そしてシオンは、紅魔館でさえしなかった事をする。

 

 

 

 

 

 「おはよう、永琳」

 次の日の朝。

 シオンはやはり五時前には目を覚ましていた。

 いつも通り鍛錬でもしておこうと部屋を出たら、ちょうど永琳も出てきたところだったらしく、小さな欠伸をしていた。

 「あら、早いのね。こんな時間に何、を――……」

 声のした方を見やった瞬間、永琳は言葉を失った。

 「シオン、貴方のそれ、は」

 「ん? わかりやすくしておこうと思ったらこうなった。気にしないでいい」

 「気にしないで、って……」

 「じゃ、また後で」

 ひらひらと手を振って、シオンはその場から去る。

 後に残されたのは、唖然としながら口を開ける永琳だけだった。

 

 

 

 

 

 シオンの日課に剣および太極拳の鍛錬が入ったのは、この幻想郷に来てからだ。前まではそれこそ毎日剣を振っていたからわざわざ素振りをする必要性など皆無だったのだが、ここではしなければならなくなってしまった。

 とはいえ心を落ち着かせるのには有用なので、素振りをするのは苦では無い。今は左手と左足を動かせないので、少し面倒だったが、それだけだ。

 力強さよりも鋭さを感じさせる剣と拳。剣を振るったかと思えば咄嗟に上へと投げ、その間に拳を振るい、落ちてきた剣を取りまた振るう。どこまでも実戦を想定したそれは、必然どこか危なっかしい。

 その姿に気付いたのは、朝食の用意をするために起きていた鈴仙と、珍しく早起きしたてゐ。そして、永琳だ。

 三者ともにシオンの視界で見える範囲にはいない。しかし彼女達程であれば、見えなくともシオンのしている事は把握できる。

 一時間程経っただろうか。シオンは素振りをやめると、先日皆でご飯を食べた部屋へと移動をする。この時間ともなるとアリスも既に起きており、輝夜も初日くらいはと目を覚ましていた。着いていないのは、シオンだけだ。

 ほぼ料理を運び終えた鈴仙は、シオンがこちらに来ていると悟る。それを全員に伝えると、皆の反応は別れた。

 てゐはどことなく嬉しそうに、反対にアリスは申し訳なさそうに。永琳はどことなく困った様子で、輝夜は何か面白い事が起こらないかぁと思っていそうだ。

 カタ、という音がした刹那、全員そちらの方を見た。

 そして、シオンの姿を見て――

 「……ッ!!」

 ――全員が、絶句した。

 「どうした? そんなありえないものを見るような目をして」

 シオンは首を傾げながら問うた。

 普段であれば何気無いその仕草も、今は痛ましさを増長させるものでしかない。

 ショートカットになっている髪がサラリと揺れ、その下に見えた傷痕にまたも絶句させられる。

 ――シオンの全身は、今や傷だらけだった。

 左半身は焼け跡が残っている。昨日確かに治ったはずの左手足は、更に酷くなっていて、無事だったはずの胴体すら焼けている。左手足のソレに比べればマシだろうが、元々比べるようなものでもない。顔にも影響があり、首から額に近くまで火傷が浸食している。何より()()()()()()()()()()()。虚ろな空洞が覗かれるだけだった。

 その火傷に覆い隠されるかのように、大小様々な、切られた、あるいは斬られた痕が見えてしまった。アリスにはわからないが、弾痕もあった。

 コレらはあくまで左半身のみの話しであり、右半身は火傷が無い分傷痕が強調されておるため、どちらにしろ悲惨であるのには変わらない。

 なぜこんな姿で来たのか。変装、冗談、そのような類ではないのは見た瞬間に理解させられた。酔狂でそんな事をする人間でないのは、昨日の時点で明らかだ。

 つまり――この傷痕は、シオンという人間が受けた攻撃の痕を示している。

 様々な意味が籠められた視線を感じたシオンは、どこか複雑そうな表情を浮かべた。

 「永琳、何か逆効果な気がするんだが、気のせいか?」

 「やりすぎなのよ。後刺激が強すぎね」

 「そうか……アリスの魔法が成功してもしなくてもあまり変わらない事を理解させて遠回しに気にしていない事を教えようと考えたんだが……」

 わかりにくいわっ! と全員が思わされたが、シオンに悪気は無いため、何も言えずに口を閉じるしかなかった。

 しかし二人のやり取りに少し場の空気が明るくなったのは僥倖だろう。それだけシオンの姿はインパクトがありすぎた。

 あまりに自然体すぎるシオンと、あらかじめその姿を見ていた永琳の余裕が、何とかその場を凌いだとも言える。永琳はともかくシオンにそんな意図は無いだろうが。

 「それじゃ、いただきます」

 気付けば当たり前のように座っていたシオンは、昨日と同じやり方で黙々と食べ始めているのだった。

 

 

 

 

 

 永遠亭の住人全員に強烈な印象を残したシオンは、のほほんとした表情でその場を去ると、どこかに向かって行った。

 どことなく浮ついた雰囲気でどこかに行ったようなので追いかけようと思ったのだが、思った時には完全に気配を紛れさせていたため、追いかける事は叶わなかった。

 気付けば既に昼を過ぎ、昼食を食べるべき時間になっていた。朝食を多く用意していたために昼食は軽めなものにしておいたのだが、シオンだけは朝食と同じ量を難なく完食していた。

 気付けばアリスの鍛錬をするべき時間になり、いつも通りの日課をこなす事になった。

 庭に出て魔法操作の修行を始めるアリスを、縁側に座って腕を組んでいる永琳と、そしてなぜかその右隣に足を投げ出し、投げ槍なシオンが見ていた。

 「筋は悪くないみたいだな。どことなく型に嵌った感じだけど、それが破れれば化けるってところか」

 永琳とほぼ同じ内容の推察をするシオンは、見る目が無い訳では無いらしい。しかしシオンの言い方はどこか上から目線であり、しかしシオン自身に相手を見下すような意識は無い。あくまで言い方が悪いだけで、シオン自身はアリスを俯瞰して見ているのが理由だろう。

 「で、コレを見せるのが目的?」

 シオンがここにいるのは永琳に呼ばれたからであり、それ以外に理由は無い。鍛えて欲しいと言ったシオンであるが、左手足が動かない現状、できる事は限られている。せめてこれをどうにかしない限り、上を目指すなど夢のまた夢だ。

 それは永琳もよくわかっている。永琳は、今日気付いた事を聞きたかっただけなのだ。

 「シオン、貴方の傷跡を見て思ったのだけれど。その傷痕のいくつかは、どう見ても内臓を傷つけられた箇所がある、そうでしょう? ……なぜ貴方は生きているの?」

 正直に言ってしまえば、どうしてシオンが死んでないのかわからない。どう見ても致命傷を負っているのに、普通にそこにいるのか理解できない。

 再生能力を持っている、というのならば傷痕が残る説明がつかない。限定的な回復能力と言うのが永琳の考察だが、やはり疑問は残る。能力とは、そんな使い勝手がいいモノでは無い。必ずどこかに制限が入る。

 そもそも能力とは何なのか――と、余計な事にまで発展しそうなった時、シオンが言った。

 「ご明察、俺は普通なら死んでるよ。これのおかげで生きてるに過ぎない」

 シオンは髪の毛に触れると、能力を発動させて一本の針を作る。

 「自分の細胞を別のモノに変質、変換させる能力。それを使って髪の毛とか血液を内臓に置換したってだけ」

 「変換時におけるデメリットは?」

 「常人なら発狂する程度の激痛と、あるもの以上は絶対に持ってこられない。肌を石とか鋼鉄に変換するならほぼロスが無いけど、逆に失ってしまった血液、皮膚、骨、内臓の代わりにする時は相応に消費させられる」

 つまり、シオンは傷痕を治すのを嫌がったのだ。

 無論理由はある。それも切実な。

 「新陳代謝が高いからその分血液や皮膚は何とかなるけど、骨とか内臓みたいな、欠けたりすれば絶対に自然治癒しない部分にだけ使用するようにしなきゃならない。傷跡がほったらかしなのは、その分に回す余裕が無かったからだ」

 要は保険だ。骨は内臓の次だったが、それでも無くなればマズい。外見に頓着している暇などなかった。

 「左手足の神経はほぼ全部焼き切れていたけど、それでも代替物はあったから、後回しにしていた。動けば痛みとかそういったものは無視できるからな」

 ――本当は、治すという事すら忘れていただけだが。

 その一言を押し止めた。

 この事実に気付いたのは、幽香に自殺願望を無理矢理自覚させられてからだ。

 死ぬ事を望んでいたシオンは、その確率を上げるために左手足を治すという手段を頭の片隅にすら浮かべなかった。

 ただそれだけの、情けない話をする必要は無い。シオンはそう思った。

 「待ちなさい」

 そんなシオンを止めたのは、硬い表情をした永琳だった。

 「今、貴方は()()()()()()()()()()()()()()()()……そう言ったのよね?」

 「……? そうだけど?」

 「じゃあ、なんで貴方は――()()()()()()()()()?」

 そう、それは絶対的な矛盾。

 人は神経を通してはじめて自分の意志で手足を動かせる。

 その神経が無いのに、シオンは今まで手足を動かしていた。本来なら、ありえないのに。

 永琳はその都合上、シオンの体を調べた。だがやはり他人の許可無く体を弄り回すのは流石に気が咎め、本当の意味で調べたとは言えない。

 だが前後の情報を把握するために、昨夜てゐからその時の状況を聞いた。その時てゐは、シオンが左手足を動かせないなどとは一言も言わなかった。

 つまりシオンは、()()を誤魔化している。

 「何だ、そんな事か」

 しかし当の本人は、つまらなそうに鼻を鳴らした。

 「別に不思議な事じゃないよ。骨折した時はそこを補強してそれ以上悪化させないように、焼き切れた中で残った神経を利用して手足を動かしてただけさ。……手足を動かすのに必要なのは、何も神経だけじゃない。骨も必要だ。その原理を利用させてもらった」

 シオンがやったのは、とても単純な事。

 シオンの体は常に超高温だ。シオン以外の人間が触れば普通に火傷する。それを抑えるためにシオンは自分の全身を、本来の皮膚の上に薄い皮膚で覆わせていた。普通の、常温の人肌を。コレを利用して全身の傷跡を覆い隠し、熱すぎる体を誤魔化した。

 だが左手足だけは特別製で、言うなればその部分にだけ鎧を纏わせて、その鎧を動かす事で結果的に手足を動かす、といった形になっていた。

 ただそれだけではやはり動かせない部分も出てくる。だからこそ、纏った鎧に『棘』を作り、()()()()()()無理矢理残っていた神経に繋いで、動かせない部分を動かしていた。

 「――まぁ、それも燃え尽きたんだけど。何日かしないと作り直すのは無理だ。それにこの方法もあまりいいとは言えない。どうしても誤差が出る」

 纏っているといっても、所詮はそれだけ。直接動かしているわけではない以上、ほんの少しだけタイムラグができてしまう。

 それを何とか埋めて戦ってきたが、コレも限界が近い。その内治したいが、今までが今までだったせいで治せる暇があるとも思えない。何とも悲しかった。

 「ねぇ、シオン」

 「ん、何?」

 「――もしもそれが……いいえ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()……貴方は、どうするの?」

 ――。

 刹那、時が止まった。

 無音。シオンも永琳も、息一つしない。

 張りつめた空気の中で、しかしアリスだけは()()()()()

 何も気付かないアリスの横で、シオンは右手の拳を握りしめ、永琳は組んでいた腕を解き。

 その時、小さな風が吹いた。

 「――くちゅっ!」

 その風で鼻をこそばゆくされたのだろう。アリスがくしゃみをした。

 「……っ」

 「――っ」

 シオンは失笑を、永琳は苦笑をそれぞれ浮かべる。

 いつの間にか、凍っていた空気も無くなっていた。

 「――治す気は無いよ。今だけじゃなくて、ずっと」

 「なぜかしら? 少なくとも貴方は、その力を好いてはいないようだけれど」

 「まぁ確かにね。でも、この力があったからこそ生きれ来れたのも事実。それに、この力無しじゃ戦えなくなる。しばらくすれば慣れるだろうけど、今以上の戦いはできなくなるだろうな」

 「別に戦いだけが全てじゃないでしょう? それこそ里で働いて、お金を稼いで、お嫁さんでも貰って、普通に生きていく……そんな事だって、できるはずよ」

 「無理だ。俺は今まで生きてきた中で、何十何百と死にかけた。それで理解したよ。俺は文字通り()()()()()()。……運が、悪すぎるんだ。ありえないくらいに」

 「……?」

 運が悪い。多少程度ならシオンはそう言わない。

 ならば、どのくらいなのか? 永琳は訝しんだ。

 「常人ならあっさり死ぬような状況に何度も陥ってれば、まともな運を持ってるなんて口が裂けても言えなくなるよ」

 シオンは一つ溜息を吐くと、投げ出していた足を体に寄せた。

 その体勢は、恐らく立ち上がろうとしているが故だろう。これで話は終わりだと、言外に告げていた。

 「最後に一ついいかしら?」

 「何だ?」

 ぴたり、とシオンの動きが止まる。

 永琳はそれを確認してから、アリスに聞こえないようシオンの方へと体を向け、その耳元へと口を近づけ、言った。

 「―――――――――――――?」

 

 

 

 

 

 瞑想に近い状態になっていたアリスは、ほとんど周囲に気を配っていなかった。

 心をなるべく空にし、ただ魔力を感じ取り、循環させる。シオンと永琳が何をしているのか少し気になったが、気にしてどうにかなるわけでもなし、ほとんど聞き流していた。ある程度距離があったため、最初から聞こえていなかったのもあるが。

 数十分程してからだろうか、くしゃみの恥ずかしさを誤魔化しながらも魔力の循環を続けていたアリスは、それを解いた。

 刹那。

 「――――――――――っひ!?」

 殺気。

 今まで感じたことすら無い膨大で強大で凶悪、近くにいるだけで恐怖を感じずにはいられない強烈な意志。それが周囲に漂っていた。

 ガタガタと体が震える。

 無意識の内に動いていた足を必死に抑え、シオンと永琳が居る方を向く。

 そして。

 血飛沫が、舞った。

 

 

 

 

 

 「ッ……躊躇無し、ね」

 「…………………………」

 少しだけ顔を顰めながら言う永琳に、シオンは無表情で、しかし眼だけは睨みつけている。

 永琳はその鋭い眼光を見つめながら、首元に置いてある()()()を見た。

 「とりあえず、コレをどけてくれないかしら?」

 「……なぜ」

 「?」

 「……なぜ、表情を変えない?」

 油断無く永琳を見つめながらシオンは問う。

 殺す気だった。いや違う。()()()()()()

 「そうね。貴方と同じで痛みには慣れているから、かしら?」

 そう言って永琳は。

 ――自分の右腕を貫いている漆黒を、見つめた。

 シオンは永琳の首を貫こうと、一瞬のタイミングで剣を放った。

 絶妙のタイミング。首を逸らしてもすぐに修正できるように、右腕と、少ししか取れない体のバランスも調整した。

 なのに当たらなかったのは、永琳がわざと右腕を貫かせて動きを微かに鈍らせ、そのできた隙に回避を成功させたからだ。

 シオンならば生きるためにやる。戦場で生き続けた者でも、痛みを堪えて行うだろう。だが両者には決定的な差異がある。

 ――それは、悲鳴をあげるか否か。

 シオンはしない。その程度は慣れた、慣れて、しまった。しかし後者はそうではない。例え拷問の訓練を受けようが、まず耐えられない。

 しかし永琳は平然としている。それどころか、苦笑いすら浮かべていた。

 不気味。シオンも自分という例外を知っているが、なるほど納得だ。

 ――異常。それを本当の意味で理解したのは、この時が初めてだった。

 「とりあえず、矛を収めてくれないかしら? 私は別に貴方に害なす気は無いわ」

 「……わかった」

 永琳の顔を見て、シオンは剣を縮小させ、首にかける。

 どこか感心したように永琳が見ていたが、シオンは眉を寄せて疑問を表した。

 「ああ、いえ。普通理性的に言っても聞かないのが人間だから、驚いただけよ」

 「単純に、俺個人としては、今のはほぼ完璧に俺が悪いんだから、怒られるのはこっちだと思っただけだ」

 「――本音は?」

 「逆上するとわかっていながら敢えて言った貴女は少し性が悪い」

 「鎌かけをしたのは本当だけど、どちらかというと確認の意味合いが強いわね。九分九厘は確信していたから」

 「……だから性が悪いと言ったんだ。どっちにしても結果は同じなのに」

 「それは『そうだという可能性が高い』というだけで、『真実』ではないのよ」

 「貴女みたいな研究者気質の人間はそういった部分の融通が利かないのがな」

 「そういうものよ、私達は」

 苦虫を噛潰したように言うシオンと、苦笑しつつも悪びれない永琳。

 いつの間にか、貫かれたはずの右腕の出血も止まっていた。

 「でも騙したのは悪かったわね。代わりと言っては何だけれど、鍛錬は貴方が望む以上の結果を約束するわ」

 「それなら、いいよ。俺が危惧したのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()って事だけだったし」

 「信用第一の商売をやっていますから、ね」

 「……もう行くよ。鍛錬は数日後に」

 「そう。それじゃ、また」

 「また」

 ゆっくりと、見様によってはまどろっこしい歩き方で、シオンは中庭から去って行く。

 その後ろ姿を見ながら、永琳は思う。

 (――何て強い、子供。哀れとは思えない。彼はそれを望んでいない。だけど、憐れまずにはいられない、不憫な子。幸せは無く、未来すら見えず、日々を生きるのは惰性でのみ。何度死にたいと願った事なのか)

 それでも必死に生きているのは、何故なのか。強さを求めるのは、どうしてか。

 永琳にはわからない。出会ったばかりの人間では、そこまで深くの事は読めない。だが、その人生が決して幸福な物では無いのは、事実だろう――。

 と、そこまで考えたところで、今まで二人の雰囲気に中てられていたアリスが、息を荒げながら駆け寄って来た。

 息があがっているのは、恐らくシオンの殺気によるものだ。極度の緊張は、それだけ体を疲弊させる。

 「あ、あの! 右腕は大丈夫なのでしょうか!?」

 「え? ああ、大丈夫よ。特に問題は無いわ」

 「でも、思いっきり貫かれていましたよね? すぐに治して――……?」

 永琳の右腕を見て、アリスは硬直した。

 久しぶりに見た反応ね――と想いながら、永琳は右腕を見る。

 貫かれた右腕は、既に治っていた。魔法では無い。単なる体質。しかし、誰もが一度は望むモノを、永琳は宿していた。

 「私は、怪我をしないし、病気にもならない。寿命も無い。そういう体質なのよ」

 硬直していたアリスは、それが何なのかを、理解した。

 古今東西、あらゆる立場の者が追い求め、しかし途中で必ず挫折する、奇跡の体。

 「まさか、永琳様は――」

 「その考えで合っているわ。予想通りの反応をありがとう」

 遂に完全に固まってしまったアリスを見て、永琳はそういえば、と思った。

 (シオンも私の回復を見ていたのだから、少しは驚いてもいいものなのに、全然驚いていなかったわね)

 あくまでも平然と見ていた。

 演技では無いのはすぐにわかる。今思えば、あの反応は珍しかった。

 気付いてないのか、あるいは気付いていてあの反応なのか。

 少しだけ、気になった。

 

 

 

 

 

 その日の夜の事。

 永琳は、鈴仙に一つの指示を出した。

 ――自分の分を先に食べたら、後はひたすら料理を作り続けなさい。

 当然、鈴仙は困惑させられた。作るのはいい。作業は大変だが、妖怪である彼女は体力も集中力もそれに準ずる。

 だが、作った物を処理するのは誰がやるのか。捨てるのなら勿体ないとしか言えず、それなら最初から作る意味が無い。

 そんな疑問も、永琳の瞳を見て消えた。

 長年一緒にいるのだ。永琳がどんな事を考えてるのか、全てでは無くともほんの一部くらいは読み取れる。あの眼は、信頼できる眼だ。

 鈴仙は自分の分と、輝夜、永琳、アリス、てゐの料理を作り、食べ、それからはずっと、永琳に言われた通り料理を作り続けた。

 運ぶのはてゐとアリスがやった。アリスはともかくてゐはぶつくさと文句を言っていたが、永琳がてゐの耳元に口を寄せ、一言二言何かを呟くと、それまでの態度が一変、それはもう真面目に運んでいた。

 しかし、それも一時間、二時間となれば疲れが出てくる。永琳からの終わりの指示は無く、鈴仙はただ作るしかない。

 アリスとてゐは何故か口数が少なくなっていた。まるで『ありえないモノを見た』というような態度を不思議に感じたが、そんな暇はすぐに無くなる。

 それから更に一時間以上も経ち、食材が尽きかける頃になって。

 「もういいわよ。お疲れ様」

 ようやく、終わりが来た。

 「さ、流石にこんな長時間料理を作り続けるのははじめてなので疲れました。腕なんてもう上げられませんよ」

 その言葉通り、鈴仙の腕はダラリと下がり、ガタガタと震えていた。疲労が限界を超えてしまったのだろう。

 てゐとアリスも、鈴仙程では無いが酷い物だった。ただ、どちらかというと肉体的な疲労では無く、精神的な疲労のようなモノに見えたのが鈴仙は気にかかった。

 「それで、あの料理は一体どちらの方々が? 食べ終わった皿は戻ってきていましたので、誰かが食べたのはわかるのですが……」

 「言うより見た方が早いわ。今ならまだ食べてる頃だろうから、着いてきて」

 「はぁ」

 気の抜けた声を出しつつ、鈴仙は永琳の後ろを着いて行く。

 そしていつも皆が食事をしているところへ行き、目にした光景に口をあんぐりと開けた。

 「な、なんですかコレ……?」

 驚愕。一言で表せば、それ程的確な表現は無い。

 料理を食べているのはシオンただ一人だ。それはいい。

 だが――一体何人前を食べているのだ、彼は。

 (食材は鮮度などの理由で数に差はありますが、それでも一月は保つ量がありました。それがほぼ尽きるという事は……)

 想像して、怖ろしくなった。

 永遠亭に住む者は、シオンを除いて五人。その五人が一日三食食べても一月保つ量。つまり十五人前に三十日をかければ、自ずと答えは出てくる。

 「……約、四五十人、前?」

 「私としても予想外よ。まさかここまで食べられるなんて……」

 「まだまだ余裕はあるけどね。ごちそうさま。鈴仙、だっけ? 美味しかったよ、料理」

 カン、という音を立てながら皿を置き、手を合わせながら礼を言うシオン。

 その言葉通り、シオンはまだまだ余裕そうにしているが、正直冷や汗が止まらない。純粋に礼は嬉しかったが、食べた量が酷すぎた。

 輝夜などは最も近くで見続けたため、食べてもいないのに胸焼けを引き起こしている。口元を手で押さえ、息苦しそうに胸を押さえていた。

 今見たばかりの鈴仙でさえ、その状況が頭を過ぎっただけで苦しいのだ。直に見た輝夜の心中は察して余る。合掌。

 それはさておき、なぜ永琳はこんな事をしたのか。ギリギリ明日の朝の分と、朝少なめに作れば何とか二、三人分の昼食が残っているだけで、食材は尽きる。つまり、三日前買い出しに行ったばかりであるのにも関わらず、また行かなければならない。

 若干の不満を抱えつつ、永琳に問うた。

 「それで師匠。なぜこのような事を?」

 「ちょっと食い溜めをさせなければならなくて、ね。シオン、アレだけ食べていたけれど、体に貯蓄できたエネルギーはどんな感じかしら?」

 「……正直わからない。そもそもコレだけ食べたのははじめてだしな」

 当たり前だっ、と全員の心がまたも一つになったが、やはりシオンに悪気はない。文句を言えようはずもなかった。

 「まぁ、とりあえずこちらを向きなさい」

 「ん? ――……っが!?」

 素直に永琳へ体と顔を向けると、唇と顎を片手で掴まれ、もう片方の手を喉奥にまで突っ込まれた。

 「ん! ん――っ、ァ、やめっ! ――――――――――!?!」

 吐き出そうとするも、無理矢理何かを飲まされる。喉から胃に落ちて行く過程で、シオンはそれが何なのかを理解した。

 無理矢理振り解くも、先程大量の料理を消化していた胃は未だに活発に活動しており、吐き出す前に完全に消化されてしまった。

 喉奥を触られた事で嘔吐くが、かといって吐き出されるのは胃液だけだ。喉にこびり付く酸っぱい味を飲み込み、永琳を睨む。

 「いきなり何を飲ませた……!? 今のは薬だろう。俺に薬は効かないとわかっていながら、何故こんな真似を」

 「明日になればわかるわ。それまで待ちなさい」

 「それで納得できるとでも?」

 「どの道今説明したところで理解できないわ。いえ、理解できても納得はできない、と言った方が正しいかしら。詮無い事よ」

 のらりくらりと要領を得ない事を言う永琳に、シオンは――何もしなかった。

 「てっきり攻撃してくるかと思ったのだけれど」

 「貴女が無駄な事をしないのはわかってる。それに万全な状態ならまだしも、片手片足が動かない今の現状じゃ絶対に勝てない。万全でも怪しいが……とにかく、殺すつもりだったらとっくに死んでる。気にする理由は無い。それに、明日になればわかるんだろう?」

 「ええ」

 「ならそれでいい。俺は寝させてもらう。また明日」

 誰の返事を聞く事も無く、シオンは自室へと去って行く。

 「師匠、流石にアレはやりすぎでは? 言って飲んでもらう事もできたはずでは」

 「無理矢理にでもやらなければ、絶対に飲まないわよ、彼は。シオンはこちらを完全に信用していないもの。彼と私達……いえ、アリスを除いた私達は、未だに他人止まりなのよ。私達の関係がどうなるかは、これから次第ね」

 「それならますます悪化させるような事をしてはダメなんじゃないの? 貴方の事だから何か考えがあるのでしょうけれど、貴方程の頭脳を持たない私達にはさっぱりわからないのよ」

 「簡潔に言えば、シオンは理由があれば許す、理由が無ければ許さない、そんな性格、でしょうか。とにかく、彼は怒っていませんよ。少なくとも、今は、まだ」

 そんな不穏な言葉を残し、その日は解散となった。

 

 

 

 

 

 次の日、八時。

 珍しく遅く起きたシオンは、それを疑問に思いつつも立ち上がろうとして、気付く。

 「は、い?」

 

 

 

 

 

 朝食を用意し終えて座り終えた鈴仙は、五人でいただきますをして料理に手をかけた――その瞬間、パーン! と扉が開かれた。

 「あの、食事中は静か、に――」

 「永琳、どういう事だコレは! どうして――」

 今までとは違う視点。伸びた手足に髪。

 「――どうして、()()()()()()()()!?」

 一五十センチを超えた身長は、彼を幼児から少年へと、その姿を変えさせた。




というわけで、いきなり身長伸びました。

いやー流石に九歳なのに三歳児とほとんど身長変わらないとか誰得? ですし。

今のシオンはフランよりも身長上です。女よりも男の方が背が低いのはどうなんだとか、外見から判断するとフランがショタ……ゲフンゲフン、とかになるからじゃありませんよ?

きちんと理由はあります。

ああ、シオンに薬が効いた理由は大多数の人が納得できる事を。

『永琳だから』で片付いちゃいます。

便利ですよね、この一言で大抵何とかなっちゃいますから。まあ理由は考えてあるので、一応次回でわかります。

というわけで、次回から本格的な鍛錬入ります。シオンの飲み込みの速さも相まって、チートレベルの速度で強くなる予定です。
無論その途中にあるイザコザも考え中。

ああ、何時になったら第一章が終わってくれるのか……第一章の第一話が紅魔館、第二話が太陽の畑~永遠亭、第三話が終局に向けて、第四話が一番短い終わりのお話、で第二章突入と頭の中でできているですが、全く終わる気配ありませんね。自分で書いててびっくりです。

誤字脱字、おかしな表現の報告、読めない漢字にルビを振った方がいいなどのアドバイス、勿論感想批判お待ちしております。


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シオンの服

 目覚めた時には、シオンの姿は変わっていた。

 傷痕そのものは変わっていない。むしろ急成長したせいで一部はかなり醜くなってさえいた。

 それはいい。その気になればいつでも治せるシオンとしては、それらはあまり気にする必要が無い。

 だが、爪などが伸びすぎている。余りに長すぎて、それが一瞬両手足についている爪なのだと理解できなかったくらいだ。髪も同様で、それこそ妖怪かと錯覚するほど大量に生えている。

 とりあえず一旦爪を髪に変換し、髪の質量を操って長さを調節する。今のシオンの髪は見た目に反して途轍もなくガッシリとしていて、重い。それでいて艶やかな光沢とサラサラの感触は残っているのだから、世の女性は羨み妬む事だろう。

 立ち上がると、昨日永琳に渡された浴衣を着た時には、途轍もなくブカブカで不思議に思っていたが、今となっては素直に聞いておいてよかったと思う。聞かずにいつもの服装で寝ていれば、急成長した体によって服が引っ張られ、破れていた事だろう。

 急激に変わる視界に戸惑うシオン。

 人は十センチ身長が変わるだけでもその誤差の影響は無視できない。その上体格が変わった事で体の重心の位置までもが移動し、ただ『歩く』という動作に途方もない違和感が残っている。

 (待て、落ち着け。原因はわかってるんだ。昨日の永琳の薬、アレのせいなのはほぼ確実。でもなんで俺に薬が効いた? 俺の体はどんな毒物劇物でも無効化できるのに、一体どうやって……)

 混乱を落ちつけようとし、けれど更なる疑問にはまり、錯乱しそうになる。それでもなんとか立ち直ると、シオンは部屋を出た。

 まだ左足は治さない。この現象が何なのかわからない以上、不用意に能力を使うのはマズい。使ってから、使ったせいで死にました、なんて状態になったら、流石に死んでも死にきれない。

 ダン、と足を前に踏み出す。フワリと、一瞬浮いたかと勘違いしそうになるほどゆったりとした動作は、だが素早い。左足を使わずに右足のみで走るシオンは、走る途中にふと見えた太陽の位置で現在時間を把握する。

 この時間なら全員あそこにいる、と判断し、加速を抑えた。それでもそこそこの速度で走っているシオンは、その前に立つと、思いきり開けた。

 「あの、食事中は静か、に――」

 「永琳、どういう事だコレは! どうして――」

 思いきり開けたが故に大きな音が立てられ、それを注意されかけたシオンは、それを無視して永琳に叫ぶ。

 「――どうして、身長が伸びている!?」

 その叫びに、永琳を除いた全員がハッとしたようにシオンを見る。

 艶やかな美しい髪は足元近くまで伸びており、傷痕も無理矢理引っ張ったように伸びている。外見が余りにもチグハグで、そのせいでシオンの体の醜さが如実に表れている。

 けれど、その中で群を抜いて身長が最も伸びている。普通、成長期であってもここまで伸びる事などまずありえない。というより、ありえたらそれは人間ではない、もっと別の『ナニカ』だ。

 全員の視線が永琳に集中する。

 この場でシオンに何かしたとすれば、それは永琳以外にはおらず、また昨日シオンに何かを飲ませたのも彼女だ。それは先程のシオンの叫びからもわかる。

 永琳はズズッ、とお茶を一口含むと、手振りでシオンに座れと示す。

 顔を歪めながらも素直に座るシオンを見て、永琳は言う。

 「きちんと効果が出たようで何よりね。成功するとは思っていたけれど、確実とは言い切れなかったから。安心したわ」

 「それだ。何故あの薬は俺に効いた? 一体俺に何をした?」

 「貴方の体には特に何もしてないわよ? 薬の方を()()()()工夫しただけで」

 「ちょっと工夫、ね。そんなので効くんだったら、誰も苦労しないと思うけど?」

 「特別な事は何もしてないわ。単純に、貴方の体を調べて毒物が効かない事を知った。だから貴方の体を調べて、どんな薬だったら効くのかを何度も何度も想定して調合してを繰り返しただけ。それだけなのよ」

 「――な」

 誰よりも速く理解したシオンは、しかしその内容に絶句させられる。

 シオンは自分が完璧だと思っていない。確かにシオンの体を調べて、特定のパターンを組み合わせて体に影響を与える薬を作る事も可能だろう。

 だが、それはあくまで理論上の話し。真面目に創ろうとしたら、誰もが匙を投げる結果にしかならないはずだ。

 だってそれは、シオンの体を原子レベルで理解しなければできない事なのだから。

 「ありえない。そんなの何時創った……!」

 「否定したいのも無理ないでしょうね。私でも一晩かかったもの」

 そこそこ楽しかったわよ、という一言は飲み込んだ。絶対良い状況にはならないと、バカでもわかる事だからだ。

 シオンは咄嗟にそんな時間があったかを計算し、そして悟った。

 「まさかあの時……だからあくびしていたのか!」

 「あら、わかったの? すごいわね」

 本当に驚いていた、といった体をする永琳。

 「ああ、よくわかったよ。俺が貴女に鍛えて欲しいと言ったあの後。それからずっと薬を作り続けていたのか」

 「大正解。それと安心して。あの薬と同じパターンで調合しても、もう貴方には絶対に効かないわ。一度投薬された薬に対する抵抗は並みじゃないから、投薬するにしてもまた一度から作り直しになるわね。苦労も並みじゃなくなるけれど」

 「俺としては、何故わざわざ身長を伸ばしたのか聞きたいんだが……」

 「それは食事が終わって、時間ができてからにしてちょうだい。きちんと答えるから」

 「……わかった」

 いかにも不服と言ったのが丸わかりのシオンは、やはりまだまだ子供だ。感情が表に出過ぎている。

 どこか不穏な空気の入り混じる食事は、あまり美味しいとは感じなかった。

 

 

 

 

 

 食事を終えたシオンと永琳は、永琳の研究室へと来た。

 「……で、説明は?」

 「落ち着きなさい……と言って、落ち着けるわけがないわよね。とりあえずお茶の用意をするから、少し待ちなさい」

 やはりというか、永琳はかなり几帳面な性格らしい。棚にある膨大な量の紙束はきちんと分類分けされている。だがシオンには題名を見てもその内容はさっぱりわからない。専門的すぎて理解できないのだ。

 一部何とか理解できるところもあるが、あまりに少なすぎて結局どんな専門の事を記しているのかわからない。結局は、ここを見ても無駄、というわけだ。

 次にあらゆる類の草。というより薬草毒草その他諸々何でもござれの、シオンの勘が『絶対に触れるな近寄るなそもそも見るな』と叫んでいる場所。鮮やかな色をしているモノもあれば、毒々しく濁っているモノもある。ただ、どちらも触りたくは無い。毒物の類はほぼ全て無効化できるとわかっていても、進んで触るのは本当に愚か者だ。

 他にも機材などが置いてあるが、用途はさっぱりだ。現時点で覚える予定もないため、ここはどうでもいいと記憶の片隅に放っておく。

 そして、入口とは違う場所にある扉。この先は予想できない。

 ここまで考察したところで永琳が紅茶を持って来た。

 「どうやってかは知らないけれど、見たところ貴方は五感をある程度押さえているようね。それでも常人よりは鋭いみたいだから、味は抑えめの物を用意したわ」

 「隠し事ができないね、貴女の前では」

 呆れを携えつつ紅茶の入ったカップを受け取ったシオンは、どことなく洗練された動作でそれを口に含んだ。まだまだ荒削りな部分は多いが、それでもシオンの年齢からすれば十分とも言えるその所作に、永琳は感心して頷いた。

 「何?」

 「いえ、マナーが洗練されてると思ったのよ。どこかで習ったのかしら」

 「友人から教わった。一月にも満たないけど、一応お墨付きは貰ったからな」

 まだまだ不満そうな咲夜と、そしておそらくは行楽として付き合ったのだろうレミリアにみっちりと仕込まれた日々を思い出す。

 それでもなお嬉々として話すシオンを、永琳は柔らかに微笑み、しかし決して表には出さなかったが、内心では驚愕が先行していた。

 一月でこれほどとは、と。

 だがすぐにジャンルを変えて自分に当てはめてみれば、それほど不思議ではないと思い直す。

 「落ち着いてきたようだから、説明を始めるわね」

 「頼む」

 「不躾に聞くけれど、貴方は自分の欠点を理解しているかしら」

 「本当に不躾だな……手足(リーチ)が短い事か?」

 「それもあるわね。でも何よりも大事なのは、耐久力が致命的に、そして絶望的に足りていない事よ」

 そのまま永琳は棚に移動すると、いくつかのカルテと資料を取り出し、シオンに手渡した。

 「資料は人間の体について、要点を纏めたものよ。カルテは実際に確認した物。それを見ればわかると思うけれど、子供と大人の違い、その最たる物が骨」

 「骨……」

 「そう。子供の骨は大人とは違って柔らかいし、下手をすると体の成長を阻害する。それに伴い骨折も多い」

 シオンはカルテを見つつ、永琳の話を聞き、けれど自分に当てはめて疑問に思う。

 「……俺、運動のし過ぎで骨折になった事は一度も無いんだけど?」

 「それは貴方の体の回復速度が原因ね。要するに、どれだけ運動しようと、体の自然治癒速度の方が上回っているから影響が出ないだけ。その分エネルギーを必要とするみたいだけど」

 事実、シオンが今の今まで無茶をしておきながら生きて来られたのは、コレが理由だ。

 そうでなければ、幻想郷に来る前に体が壊れて、どこかでのたれ死んでいただろう。

 「だったら、わざわざ成長させた理由は? 無理矢理身長を伸ばされたせいで、体が滅茶苦茶痛いんだが」

 「普通なら泣き叫ぶくらいの痛みがあるのだけれど……よく平気でいられるわね」

 「そんな物騒な(モン)を勝手に飲ますな」

 呆れながら溜息をしつつ、シオンはカルテと資料を差し出す。

 永琳はそれを受け取ると、棚へ戻した。

 「きちんと理由はあるわよ? 貴方の体は一見、確かに耐久力を必要としないように見える。だけど」

 永琳は棚のガラスを戻しながら、

 「――出せる瞬間火力は、かなり制限されているでしょう?」

 「……はぁ。本当、隠し事ができないよね、永琳の前だと」

 「その反応、本当だと見ていい訳ね」

 「ああ。否定する理由は無いし、否定もできない。俺は出せる力が限られている」

 「そして一定以上の出力(パワー)を出すと、自己崩壊を引き起こす、と」

 シオンの前へと戻り、椅子へ座った永琳は、紅茶を飲んで喉を潤す。

 「だからわざわざ大量の栄養を摂取させて、身長を伸ばしても大丈夫なようにしたのか?」

 「ええ。まぁ、あそこまで食べられるとは、流石に予想もしていなかったけれど。鈴仙達には悪いけれど、買い出しを頼む必要があるわね」

 「……そう、か」

 罰が悪そうに顔を歪めるシオン。

 シオンは基本他人を簡単には信用しないが、その反動というべきか、とにかく他人に迷惑をかけるのを厭う。それは偏に、他人と関わるのを拒むためだ。

 誰かに何かを頼む時は、必ず礼をしなければならない。言葉でも、物でも、何でもいいからとにかく何かをすべきだ。だが、それは人との繋がりが深く、強くなればなるほど際限が無くなっていく。信用するからだ。信頼されるからだ。

 だからこそシオンは、あまり他人に頼むのをよしとしない。

 そういった複雑な心情を、永琳はまだわからない。シオンの表面上は理解出来ていても、内面まで把握できる程一緒の時間を過ごしていないからだ。

 とはいえ、永琳は今その事を考えていないし、別の事を頼もうとしていた。

 「とりあえず、シオン」

 「ん?」

 「……体はいいわ。無理に隠せとは言わないから。でも、せめて。せめて……顔の傷は、治してくれないかしら?」

 「どうしてだ。別に治さなくとも支障は無いが」

 「そっちには無くても、こっちにはあるのよ。特にアリスが」

 「……なるほど、そう言う事か」

 「理解が早くて助かるわ」

 要は、刺激が強すぎるのだ。シオンの外見は。

 体については服で大部分を隠せるし、アリスも酷い大怪我を負った人間を見た事はあるから、そこまでの嫌悪感は無い。

 が、顔だけは別だ。シオンの顔は左半分が火傷、加えて眼球が無く、右半分も、恐らくはナイフかそれに準じた物で切られた痕が大量にある。見る場所で見れば、それこそホラーだ。ゾンビと間違われる可能性すらある。

 「ならさっさと治すか」

 目を閉じ、開ける。

 たったそれだけの動作で、いつもの可憐な女顔に戻っていた。ただし、眼球だけは虚ろになったままだが。

 「眼は、治せないの?」

 「治せる事は治せるが、一応治さない理由があってね。義眼、ある?」

 「無いわ。……しょうがないわね。少し待っていて」

 そう言うと立ち上がり、永琳は隣の、先程シオンが何があるのかわからないと判断した扉へ移動して行った。

 一分もせずに戻ってきた永琳の手には、眼帯があった。

 「とりあえず、コレを着けておいて。医療用の眼帯だから、大丈夫なはずよ」

 「わかった」

 素直に受け取り、顔に着ける。

 顔の一部が覆われた事になるが、虚ろな窪みを晒すよりはマシだろう。

 シオンはあまり外見に頓着していないようなので、周りからどのような評価をされようと、全く気にしないだろうが。

 「で、他に用件は? わざわざ身長を伸ばした理由は聞いたから、もう何も無いが」

 「もう一つあるわ。この部屋に来たのは、それが理由だから」

 そう、説明をするだけなら、別の部屋でも事足りる。

 それでもここに来たのは、ある物があるからだ。

 永琳は机の中にある入れ物の一つに置いた服を取りだした。

 「はい、コレ。身長が変わったから、服も変えなきゃいけないでしょう? 繕って置いたわ」

 「え……」

 永琳から差し出された服は、いつもより大きかった。

 茫然とした表情でそれを受け取ったシオンは、すぐに我を返すと

 「あ、りがと……う」

 そう、小さくお礼を言った。

 先程眼帯を渡された時にも言わなかった、お礼の言葉。眼帯は押し付けられたものに対し、この服については完全な善意という違いだろう。

 「どういたしまして」

 両腕でギュッと服を胸に抱きしめ、どことなく嬉しそうに、恥ずかしそうに顔を赤らめるシオンは大変可愛らしい。

 永琳は話を変えるように言った。

 「それにしてもその服、凄いわね」

 「……?」

 服を抱きしめたままシオンは首を傾げる。

 この服はシオンにとってはとても大事な物だが、他人から見ればそう思えないはずだ。

 水で洗いはしても着続けているせいで擦り切れ、遠くから見ればそうは見えないが、近くで見るとボロ切れに近い。紅魔館に居た時、咲夜やレミリアに文句を言われなかったのは、彼女達が優しかったからだろう。

 あるいは、シオンがこの服をどう思っているのかを、何とはなしに悟っていたからかもしれないが。

 だが、永琳はシオンがなぜこの服を褒めたのかという部分に疑問を覚えたと誤認したらしく、少し体勢を楽にしつつ言った。

 「いえ、その服なのだけれど、どうもかなりの種類、耐性があるらしいのよ。耐刃、耐弾、耐衝撃、耐炎、耐水、耐電……他にも色々ね」

 その言葉を聞いて、シオンは衝撃を受けた。

 確かにこの服は頑丈だ。鋭い刃物でも、銃弾を受けても、炎で燃えても、多少は傷つき破れたとしても、決して全体に影響は出なかった。

 「それに、全部手縫いで作られているみたい。かなりの裁縫技術ね。すぐにできるような物でも無いでしょうに、どれだけ一生懸命に……」

 永琳は服を繕った時の感触を思い出す。

 あの服は、ボロボロだった。どれだけ酷使すればああなるのかと思うくらいに、酷すぎる代物だった。

 けれど、そこには確かな『愛情』があった。

 どんな類の愛情なのか、そこまでは永琳にはわからない。ただ一つわかるのは、この服を作った人物は、シオンをとても大事に思っていた。死んでほしくないと願っていた。それ程までに、この服はそこらの服よりも、儚い願いを籠められている。

 「――――――――――」

 そこまで伝えて――いや、伝える途中で、シオンの瞳から、一つの雫が流れた。

 「何だよ、それ。どうして、そこまで……服なんか作ってくれるよりも、俺は――」

 ――姉さんに、生きていて、欲しかった。

 その微かな呟きを、永琳は聞かないフリをする事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 「バカだ、姉さんは。本当に、バカだ……」

 そう呟くシオンは、しかしとても悲しそうで、けれど納得のいく表情をしていた。

 「落ち着いた……かしら?」

 「何とか、ね」

 シオンの目からは、片目だけしか涙が流れていない。その理由は、抉りぬいた時にできた傷痕が原因だった。

 ただ、感情が暴走し、その他の要因も重なると、血の涙が流れ始める。そこまで行くとシオンが完全にブチ切れている証になる。

 とはいえ今回は単なる悲しみから涙が流れただけなので、あまり関係は無い。

 「気落ちしているところにこんな事を聞くのもどうかとは思うのだけれど、どうしても気になるから、答えてくれるかしら?」

 「俺がわかることなら」

 「その服を少し解析して見たのだけど、それに使われている繊維の大部分は何を使われていて、どういう風に造られているのかもわかったわ。でも、やっぱりわからない事もあるの。貴方は何か知らない?」

 さらりと爆弾発言をするが、意気消沈しているシオンはあっさり受け流し、首を振る。

 「俺は技術者じゃない。そもそもこの服をどこから用意したのか、俺は知らないんだ。単なる服だと思っていたんだけどね」

 その言葉と表情に、嘘は見当たらない。つまり、本心だ。

 「そう……まぁ一応訊ねてみただけだから、あまり気にしないで」

 「ああ、わかった」

 「それじゃ、今日から貴方を鍛えるわ。厳しく行くわよ?」

 茶目っ気たっぷりの笑顔を浮かべながら片目を閉じ、少しだけ首を傾げつつ、シオンの方を見る永琳に、シオンは力強く頷いた。

 「……ああ!」

 

 

 

 

 

 「それじゃ、買い出し頼んだわね」

 「それは構わないのですが、師匠は着いてきてくれないのですか?」

 輝夜を除いた五人は――輝夜は朝食を食べ終えた時点で自室に戻った。何をしているのか、シオンとアリスは知らない――永遠亭の玄関へ――来る途中、初めてまともにシオンの顔を()()()アリスと鈴仙は、その顔の端整さ、無論女顔に、大変驚いていたが――来ていた。

 買い出しに行くのは鈴仙とアリス、そして驚いた事に、てゐもだった。

 昨夜シオンが一月分に相当する食材を補充しに行くためのこの買い出しだが、当然二人だけで持てるはずがない。

 結果永琳の『お願い』でてゐも着いて行く事になった。

 「えぇ、そんな面倒なのしたくないよ。そもそも私はそっちが勝手に作った永遠亭に、条件付きでこの竹林に住む許可をあげてるだけ。従う理由は無いね」

 無論、最初はこのように渋っていた。

 しかしこの内容も事実なため、永琳は反論できない。鈴仙は輝夜と永琳よりも立場が低く、アリスはてゐとの接点がほとんど無い。つまり、永遠亭の住人はまずてゐに雑事を頼めない。

 が、この場には、てゐに頼める、いや影響力の高い人物が一人だけいた。

 「えっと、ごめん永琳、鈴仙、アリス。流石に俺のせいでこうなってるんだし、内容を教えてくれれば俺一人で買い出しに行ってく――」

 「なーんて事は無いよ! 買い出しの手伝いくらいならお茶の子さいさいだからね。あ、でも私がするのは帰りに荷物を持つだけだから、そこだけは注意してよね」

 あっさりと前言を(ひるがえ)して笑うてゐに、永琳と鈴仙は驚きを隠せない。

 あのものぐさなてゐが、自分から了承した……!? と軽く戦慄していると、そんな二人を置いてアリスが礼を言った。

 「ありがとうございます、てゐ様」

 「ふん、別にお前のためじゃない。勘違いしないで」

 鼻を鳴らして鋭い視線を向けるてゐに、横から声がかかって来た。

 「……てゐ、ありがとう」

 柔らかい表情を浮かべるシオンに、常の鋭すぎる視線と雰囲気は無い。

 「う、あ……こ、これくらいなんて事ないよ。お礼を言われる程じゃないし……」

 特に笑っている訳でも無いのにそう錯覚させてくるその表情に、てゐは思いきり動揺した。モゴモゴと呟きながら、逡巡しつつ、しかしはっきりとシオンに目線を合わせた。

 「で、でも、どうしても気になるなら、今度二人で月見でもしない、かな? あ、嫌ならいいんだけど」

 二人並んで満月を眺めながら、ウサギ達と突いた餅を食べる。そんな光景を幻視したが、あまりに季節外れすぎると思い直す。

 知らずして早口になっているてゐに、シオンは永琳を見た。

 「永琳、月見って、何?」

 「え? ……そうね、満月を見ながら酒を飲んだり、餅を……食事をしたりする、そんな事」

 一瞬でシオンの意図を読み取った永琳はそう言う。

 「月見……飲んだり食べたり、か。うん、楽しそう」

 軽く頷いたシオンは、てゐに笑う。

 「満月になったら、一緒に月見をしよう」

 「ッ! う、うん、私も楽しみにしてるから!」

 ウサギであるてゐは、先程の呟きは全て耳に入っていた。

 オドオドとしていた先程の様子は微塵も感じさせず、嬉しそうに飛び跳ねようとする体を何とか抑える。

 傍から見ていた鈴仙には、てゐの様子をまるで『恋する乙女』だと評したが、永琳は少し違うと感じた。

 てゐの様子から見て、恐らくはシオンに恩義を感じている。てゐは妖獣ではあるが、貸し借りといったモノには意外と重視する。長年の経験から、こう言ったモノの関係は大事だと理解しているのだろう。

 それが何らかの理由で高じて、憧れか、それに近い感情になっている。いつかはどこかに落ち着く。その落ち着く場所がどこかは知らないが、少なくとも今ある感情は恋ではない。

 ――今は、まだ。

 「満月は大分先だから、それまでに色々準備しておくね」

 「なら俺は当日に頑張るよ」

 「何をするの?」

 「それは、当日のお楽しみ、だ」

 「ふふ、教えてくれてもいいのに。でも、楽しみにしてる。だからがっかりさせないでね?」

 「肝に銘じておくよ」

 「さ、何時までもこうして話してはいられないし、そろそろ行ってきなさい。頼んだわよ」

 放っておくとずっと話していそうな二人を止め、買い出しを促す。

 てゐは不満そうだったが、文句は言わなかった。

 「それでは、夕方までには帰ります。昼食は用意しておりますので、それを」

 きちんと朝の分と昼の三人前を計算して作った鈴仙がそう言う。

 鈴仙達三人は里で昼を食べるつもりだ。既に永琳からも許可は取っている。

 「行ってらっしゃい」

 「……行って、らっしゃい」

 『行ってきます』

 普通に言う永琳と、隠してはいたが内心複雑なシオンに、三人は笑顔を返した。

 「えっと、今日は何処で食べるの?」

 「特に決まっていませんね」

 「それなら私は久しぶりにアレ食べたいんだけど」

 そんな三人のやり取りは、徐々に聞こえなくなっていく。

 「……何か、思うところでもあるの?」

 「え?」

 「なんとなくそう感じただけだから、違うかもしれないけれど」

 あまり思いつめない方がいいわよ、とだけ告げて、永琳は中庭に向かう。

 その意図を考えないようにしつつ、シオンも着いて行った。




鍛錬が始まると言ったな。アレは嘘だ。

……すいません、単純に色々詰め込みすぎたらこうなりました。

薬の説明をし、そろそろ外見を、せめて顔くらいはどうにかしないとなぁ、とそれを加え、身長伸びたし服を永琳に繕ってもらい、その途中で気付いた事をシオンに話し……最後にああ、そういえば無くなった食材を買いに行くところも……とか加えまくったら、いつの間にか9200文字となってしまいました。

それと、現状てゐはシオンに対する憧れで止まっています。恋ではありません。
今後の展開次第ですが、てゐがシオンをどう思うかは決まっていません。てゐがシオンと深くかかわるようにしたのは……勘の良い人なら気付くかもしれませんね。


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鍛錬、永琳の指導

 「で、まずは何を?」

 中庭へ移動したシオンは、キョロキョロと辺りを見渡す。

 広い、と言えば広いのだろう。だがシオンとしてはかなり物足りない程度でしかない。コレでは全力を出せば、周囲にある池、うまく整えられた木、花などを吹き飛ばしてしまうかもしれない。

 「何をするにも相手を知らなければならないから」

 だが当の永琳は、全く気にしていないようだった。軽く体を動かし、ウォーミングアップをしている。

 「とりあえず――全力で来なさい。能力を使っても構わないわよ?」

 ピタリとそれを止めた永琳は、誰もが見惚れる笑顔で言った。

 「……死にたい、いや死ねないだろう貴女は気にしないだろうが、この庭を整えた人は気にするんじゃないのか」

 「大丈夫よ。あの子は私には逆らえないし、それにそう言うって事は、ワザと狙おうとはしないでしょう?」

 実際に聞いた訳では無いが、永琳を不死ではあると看破しているシオンと、それを聞いても驚かない永琳。

 どちらも常人より()()頭の構造が違うらしい。

 「ま、いいや。俺としては鍛えてもらえれば文句は無いし、その過程でここが壊れても知らん」

 「と、言いつつも、さり気なく一番被害が少なくなるであろう場所に移動している……フフッ、優しいのね?」

 一瞬で顔に苦渋を浮かべたシオンは、否定すれば嘘になるし、仮に否定しても永琳はその笑みを消す気は無いだろうと思った。

 「どうでもいいよ。こっちのが戦いやすいのは事実だ」

 「なら、そういう事にしておきましょうか」

 含みのある言い方をしつつ、永琳は素直に着いて行く。

 その間にシオンは左手足を動かせる程度には治しておく。傍から見れば何の変化も無い左手足は、しかしきちんと動かせる。

 ある程度歩いたところでピタリと止まると、二人は相対した。

 「本気で、いいんだよな?」

 「ええ。遠慮はいらないわ。全力で来なさい」

 「後悔するなよ」

 「する必要は全くないわ」

 永琳のその言葉を合図に。

 シオンは、前へと飛びだした。

 

 

 

 

 

 前へと飛びだしたシオンは、いつの間にかその右手に漆黒の長剣を握っていた。

 愚直、とすら言える程に真っ直ぐ永琳の目前に突き進むシオンを迎え撃とうと、永琳は少しだけ腰を落とす。

 コレはあくまでもシオンの実力を見るためのモノ。シオンの一挙手一投足を見逃すわけにはいかない。

 永琳に辿り着く、その二歩前。突如後ろへ飛んだシオンは、そのまま()()()

 「……!」

 微かに驚いた永琳。

 (姿を透明にした線はない。純粋な瞬間移動の類ね)

 けれどシオンがどこに消えたかを一瞬で把握する。

 永琳は後ろへ振り向きざまに、手刀に魔力を纏わせ、五十センチ程の剣を作って一閃する。

 右手は横に、左手は縦に。ほんの少しだけ斜めにし、少しだけズレたバツ印を描くように振り抜く。

 永琳の魔力操作能力は相応に高い。多少でも、並みの鉱物より遥かに硬くできるくらいには。

 しかし、シオンはそれを上回った。

 シオンは、わざわざ永琳が手刀を交差させている、その中心部分を狙った。最も攻撃を通しにくい場所を。

 そして――儚い音を立てながら、魔力剣は壊される。

 そのまま、()()()()(なび)かせながら、剣を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 「っけほ、けほ」

 ドッ、ガアアァァァァッァン! という轟音を響かせ、クレーターを作り上げたシオンだったが、風で飛んで来た砂煙で咳をしてしまう。

 「予想以上に威力が出たな……」

 巨大なクレーターを見てそう思う。

 緑髪を風に揺らしながら、シオンは自分の腕を見る。

 (力任せの一撃でアレ、か……。幽香の腕力もそうだけど、耐久力自体が上がって出せるパワーが上がったお蔭だな)

 実のところ、シオンは剣の振り下ろしの際に、特別な事を何もしていない。

 単純明快に、幽香の膂力に加えて黒陽の力で威力をブースト、そのまま全力全開で振り下ろしただけ。

 紅魔館でもクレーターを作ったシオンだが、あの時は体の制御に殴り方にも様々な技術を込みでやった。だが、今回はそれもない。

 つまり、シオンが紅魔館で使った技術をここで使っていれば、もっと酷い結果になるはずだった、という事になる。

 (流石は幽香、と言うべきか。このパワーでも本来の力には遠く及ばないんだから、本人がやればどうなる事やら。にしても)

 永琳の気配が消えている。

 シオンは永琳に一撃を叩きこんでからも一切油断していなかった。やったと思った瞬間が最も危ない事を、身を以て知っているからだ。

 だから、反応できたのかもしれない。

 「――!」

 背後から飛来してきた一条の槍。

 咄嗟に身を捻って回避――しようとして、少しだけ、槍が曲がった。

 「グ、ッ……ァ!」

 脇腹を、貫かれた。

 「魔力、の槍……か!」

 槍は消えずにそのまま残っている。

 しかも体からほんの少量ずつ魔力が減っている。この槍は、撃ち貫かれた者の魔力を消費してその場に留まり続けるのだろう。

 シオンは槍が飛んで来た方向を向き、睨みつける。

 そこには、服の一部が吹き飛び、だが無傷の、弓を構えた永琳がいた。

 それから察するに、この槍はコレを矢の様に引いて射ったのだろう。こんな変則的なモノでよく撃てたと感心するくらいだ。

 「――スゥ――フゥ――……ッハ!」

 シオンは脇腹に手を当てると、魔力を瞬間的に纏って槍を対消滅させる。

 栓の代わりになっていた槍が消えた事で血が溢れるが、瞬時に能力を使って傷を塞ぐ。それでも受けた痛みは早々に消えないが、痛みそのものには慣れているシオンは特に気にしない。

 そして、ワザと全てを見ていた永琳は、弓を下ろしていた。それを見て、シオンも緑髪を白髪に戻し、剣の切っ先を下に向ける。

 「……痛覚が常人よりも高いのに、表情一つ変えないなんて、ね」

 永琳の場所から、槍を貫かれた瞬間のシオンの顔は見えない。

 だが、わかる。彼が無表情を貫いていたのが、わかってしまう。呻き声をあげたのは、あくまでも反射的に出しただけだ。

 例えば、意図せず相手と手が触れた時、小さく声が漏れるように。相手と体が接触してしまった時、頭を下げて軽く謝罪するように。

 シオンとて人間だ。むしろ体を貫かれて呻き声一つで済ませる方がおかしい。

 更に槍を対消滅させたアレ。永琳の作り上げた槍は生半可な魔力では消せないし、何よりも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、なんて副次的効果すらある。

 魔力が足りなければ純粋に破壊できず、魔力が多すぎれば逆に奪われる。

 ではあの槍をなぜ対消滅できたのか、といえば答えは簡単。

 あの槍を『魔力で破壊でき、且つ吸収されないギリギリのラインを見極める』だけ。

 明瞭な答えではあるが、それ故に永琳も工夫を凝らせる。そして、永琳は『天才』だ。そんなあっさり壊されるようなモノを、創るはずがない。

 それこそ、シオンが当たり前のようにやった、壊せるはずが無いように。

 永琳としては、あの槍は自分で消滅させるつもりだったのだが、予想の上を行かれてしまった。余程魔力制御と細かな感覚に優れているのだろう。

 即座に破壊しようと行動したのも好点だ。魔力を吸われる、というのは存外自分の精神に負担を掛けてくる。長時間の戦闘において、精神の疲労と言うのはバカにならないほど影響を及ぼす。

 その事をシオンは知っているのだろう。

 そしてシオンが手に持つ漆黒の剣。アレはシオンの胸元にあったはず。ペンダント型のアクセサリーが剣になったのにも驚いた。

 そして空間転移。あの一瞬、ずっとシオンの姿を見ていた永琳は、シオンのあの移動の仕方がおかしいのと、刹那のタイミングで振った『もう一つの剣』を見ていた。

 とはいえ本当に一瞬だったので、それが『白い剣』だったとしかわからなかった。

 移動してからのあのパワーも驚異的だ。力任せに振ったのだとわかるくらいに無茶苦茶な太刀筋だった事から、まだまだ威力は上がるだろう。

 永琳がこう考察できるのは、シオンの体の動きから悟ったからだ。

 素人が剣を振るとすれば、まず手本となる人間の動きを意識するだろう。だが、体全体を意識できるはずもなく、ほぼ確実に『剣を振る』動作に意識を先行させすぎて、足の踏み込みや体の重心移動がガタガタになる可能性が高い。

 そしてシオンは、逆に『意識して』力任せに振るようにしていた。つまり、空中での体勢移行が凄まじくスムーズだったのだ。

 力任せに反した剣の振りと、驚愕するほど上手い体の動かし方。どちらが本来のシオンの力かなど、比べるべくもない。

 ただし、これらを理解できたのは永琳だからこそであり、素人が見ても剣の動きしか見ず理解できなかっただろう。

 今得た情報を元に、永琳はしばし考える。だがとりあえずの方針は決まった。後はそれらを修正していけばいいだけだ。

 「シオン、まずはそのおかしな歩方を治しなさい」

 ピクリ、とシオンの体が揺れる。

 その顔からは、何故、という言葉が見て取れた。

 「いくらなんでも後ろに移動するのが早すぎるわ。それで悟った。貴方が何故、前へ走る瞬間()()()跳んだのか」

 矛盾している言葉だが、ほぼ正確に表現している。

 シオンはどこかに移動する時に、必ずと言って言い程、同時に反対方向に向かって跳んでいる。

 動きが止まらないのが不思議な程絶妙な力加減。正直コレに一番驚かされた。流石に慣性はどうにもならないようだが、後ろへの移動でもあそこまでの速度でやられると、それは一種の奇手妙手になる。

 だが、前へ走る――というより、跳べば、同時に後ろへ跳ぶ。シオンはなぜそうするのか。そんな事をすれば動きが遅くなるのは当然なのに。

 「答えは、『どのタイミングでもどこかへ移動できるようにする』ため。違う?」

 「……前へズレた重心を体の中心へ戻すには、そうするしかないからな。面倒でもこうしておいた方が役立つんだよ」

 それこそが理由。

 シオンが一対多を最も得意とするのは、言い換えれば『多人数からの攻撃を回避できる術を持っているから』だ。

 そしてシオンは、戦って傷つく内に悟った。

 ――攻撃するよりも、同士討ちによる自爆を誘発した方が、楽だと。

 結果、シオンは全方向どこから攻撃が来ても回避できるようになってしまった。代わりに必ず一手遅れるため、どちらかと言うと受け身の戦法しか取れなくなったが。

 だがコレは、あくまで一対多で使えるだけで、一対一ではむしろ足枷になる。なんせ、必ず一手譲るのだ。それがどれ程のハンデか、バカでもわかる。

 「まずはそれをまともな歩方に矯正するわ。必ず治しなさい」

 「……いや、無意識で行うくらいのコレをどうやって治せと? 無理だと思――」

 「治しなさい」

 「いやだから」

 「な・お・し・な・さ・い」

 「……アア、ワカッタ」

 一字一句区切られて、しかもとっっっても素敵な笑顔で言われたシオンは、どことなく引き攣った顔で頷いた。言葉がカタコトなのも気のせいだろう。

 当のシオンは、

 (まるで姉さんみたいに言われて、反射的に頷いてしまった……)

 と項垂れていたが。

 「でも永琳、問題はあるぞ? 無意識レベルで刷り込まれた歩方を強制するのはかなりの期間がかかる。それはどうするんだ?」

 「その点は大丈夫よ。だって、シオンはもう体の重心をまともに把握できてないのでしょう?」

 言われて、シオンは口を噤む。

 「まともな方法では無理でも、まともではなくなった今なら、どうかしら?」

 「……なるほど。確かに、これなら数日で治せそうだ」

 一歩前へ進むのさえ途轍もない違和感があるシオンは、逆を言えばそれをどうするかでこの先が決まる。

 言ってしまえば永琳は、一度作った土台を崩しただけ。それをどう直すかは、シオン次第だ。

 同じのを作るのか、別のを作るのか。

 同じものを作るのなら意味が無い。

 だからこそ永琳はまともな歩方を覚えさせる。奇手はそれ単体では相手を驚かせるだけ。そこ止まりでしかない。だが、それを定石で盤石にできれば……あるいは。

 「ああ、それと。もう一つだけ付け加えさせてもらうわ」

 「なんだ?」

 早速、と言うべきなのか。シオンはもう歩方の改善を行っていた。

 その足運びには見覚えがあった。恐らく、太極拳。誰かに師事でもしていた事があるのだろうか。

 とはいえ別に無駄ではないし、何より既に動きがかなり改善されている。予想以上のスピードだった。

 が、それとこれとは話が別。

 永琳は少しだけ腹に力を込めると、

 「――これからは、黒い剣だけの能力を使いなさい。それ以外の能力は決して使ってはダメよ」

 そんな事を、言ってのけた。

 

 

 

 

 

 「あのお菓子、美味しかったですよね。期間限定だそうですし、機会があればもう一度行ってみましょうか」

 「そうだね。その時はてゐ様も一緒に行きませんか?」

 「……シオンは、甘い物好きかな。いやでも……」

 「てゐは、彼と一緒に行きたいようですね」

 「アハハ……」

 アリスに話しかけられた事にも気付かず、てゐは下を向きながらブツブツと悩んでいる。これには二人とも苦笑するしかない。

 三人は里で必要な物を買い、甘味処で菓子等を食べ、里の住人とお喋りをしたりと一通り楽しんだりし、今はもう永遠亭に辿り着く寸前だった。

 だが、そんな和やかな雰囲気は消える。

 「――! この音は!?」

 「この方向。永遠亭、からだね。一体何が?」

 即座に気付いたのは、鈴仙とてゐ。

 その視線は油断なく虚空を睨みつけている。だが、アリスには何が起こったのか、理解できない。

 「ねぇ、今何が起きているの?」

 「そういえば、アリスは強化の魔法も何も使っていないんでしたね。聞こえなくて当然ですか」

 「単純に、永遠亭の方から轟音が聞こえて来ただけ。多分、地面が揺れるくらい大きな音だったよ」

 「永遠亭、から……?」

 何となく、アリスはその原因に心当たりがあるような気がした。

 「とにかく急ぎましょう。師匠達の事ですから大丈夫だとは思いますが、万に一つという事もあります。アリス、荷物を渡して――……アリス?」

 「永遠亭……永遠亭で、音……あ、もしかして!」

 思い出した、といった風に叫ぶアリスに、鈴仙とてゐの視線が向かう。

 「もしかして、何かわかったのですか?」

 「うん。多分だけど、シオンと永琳様が戦ってるんじゃないかって」

 「戦う? ――まさか鍛錬の事を言ってる?」

 「そうじゃないかな、と思って。鍛えてくれればそれでいいって感じの言葉を、昨日シオンから聞きましたし。だから」

 「なるほど。それならば先程の音も……しかし」

 ――あの音の正体は、そのシオンが?

 鈴仙とてゐは知っている。長年共にいたのだから、永琳の戦闘方法がどのようなものなのか、わかるのだ。

 そして、永琳は轟音を伴う技を持っていない。いや、正確にはできるのだが、永琳は超絶技巧派の人間。力技は使用しないし、まして相手を鍛えるのなら、余程そういった戦法が得意な者にしか教えないだろう。

 だからありえない。ならば、先程の音の正体は、自ずと一つに絞られる。

 「……外見で、判断しすぎましたね。まさかここまで強いとは」

 「シオンは、強いよ。でも、予想外、だったかな」

 あの華奢で小さな体躯からは予想もできないパワーに鈴仙は自身の不甲斐なさに憤り、てゐは想像を超えたシオンの力に、まだ舐めていたのかと思った。

 音はもうしない。

 三人は歩き続け、永遠亭の玄関を開けた。

 「あら、お帰りなさい。タイミングはぴったりだったみたいね」

 「師匠」

 腕を組んで首を傾けているその姿は、まさしく美女。

 「アリス、シオンが怪我をしているから、治しに行ってあげて。重傷では無いから急がないでも大丈夫だけど」

 「あ、はい!」

 パタパタと走って行くアリスは、どうやら永琳の言葉は最後まで届かなかったらしい。

 「……まぁ、特に不都合があるわけでもないから、大丈夫かしら?」

 「師匠」

 二度目の通達。

 永琳は傍らにいる鈴仙とてゐに視線を向ける。

 「あの音は、まさか彼が?」

 「やっぱり聞こえていたかしら? でも心配しないでいいわよ。彼は敵では無いから」

 「……そう、ですか。師匠がそう言うのなら、私からは特に」

 どこか敵愾心が滲むその声は、アリスを慮ってのモノだろう。

 良くも悪くもシオンという存在はアリスに影響を与えすぎる。それが良いモノであればいいのだろうが、そう上手く行かないのが現実だ。

 それを危惧しているのであれば、当然だろう。鈴仙はアリスの『姉』なのだから。

 とはいえこの感情が身勝手なモノであるのはちゃんと理解しているらしく、今はシオンに危害を加える事は無いだろう。

 「えっと、怪我したって言ってたけど、それはどれくらいの?」

 「軽く斬ったりしただけよ。手加減はしたし、シオンは回避が上手いから、ほとんど無いようなものだけれど」

 「そっか。なら、私は行かなくてもいいかな」

 てゐは小さく頷くと、どこかに行ってしまう。

 「……それでは、師匠。私も夕食の準備をしますので」

 「ええ。ああ、鈴仙。私とシオンの分は無くていいわ」

 「はい? なぜでしょう?」

 「昼の分を食べていないからよ。私達はそれを食べるから、無くて平気なの」

 「昼を食べてない、とは……休憩をしている間に食べなかったのですか?」

 なんとなく予想できてしまった鈴仙。

 だが、それはいくらなんでもありえないと思ってしまう。だって、それでは、あまりにも異常で――

 「ええ。だって、一度も休憩していないもの」

 ――その予想は、覆されなかった。

 「一度も、なんて……私とアリスとてゐは十時前にここを出ました。今はもう五時を過ぎています。()()()()()()()()()なんて、そんなの……!?」

 驚愕どころか恐怖を感じ始める鈴仙。

 一般的に人間の全力はそこまで保たない。妖怪でも同様だ。

 唯一不老不死であるが故に肉体的な疲労等はほぼ無い永琳と輝夜は例外だろうが、シオンは違うはず。

 だが、鈴仙は知らない。シオンは常人よりも数十倍その身体機能が向上している事に。つまり、戦闘可能な時間も相応に増えている。しかも多少の疲労なら仮に戦闘中であろうと無いも同然なので、そんな時間を戦っていられる。

 ただし。

 あくまでもそれは『机上の空論』と同じようなモノであり、同じ事ができるような人間は早々いないだろうが。

 「私もそこまでとは思っていなくて、つい熱中してしまったのよ。教え甲斐がある人間なんて、早々いないもの」

 クスクス笑っている永琳とは反対に、鈴仙はシオンに対する危機感を強める。

 そして同時に決意する。

 もしシオンがアリスに害を加えようとしたら、その瞬間、命に代えても彼を殺す、と。

 「……そんな事にはならないよう、祈っていますよ」

 永琳と別れて台所へ向かいながら、鈴仙はそう呟いた。

 

 

 

 

 

 「何、コレ……」

 アリスが中庭に着くと、そこは見るも無残な光景になっていた。

 地は抉れ、ところどころにクレーターがある。その反面、木や花には全く影響が無い。どうしてなのだろうか。

 荒れ果てた地面に反比例して美しい木と花、そんな場所の中心に、シオンはいた。

 漆黒の剣を斜めに突き刺し、左手を柄に、右手を剣の腹に、体を剣全体にもたれかかるようにしている。

 体は大きく上下し、それ程疲れているのだろうことが窺える。実際、かなり息が荒くなっていた。

 だが何よりも、血に塗れていたのが酷かった。恐らく返り血。だが、誰のか――と、そこまで考え、一人しか居ない事に思い至る。

 殺し合いをしていた――アリスの居る場所からは、シオンの顔は髪の陰になっていて見えない。

 その場から何とか足を動かし、抉れクレーターになっている地面を迂回してシオンの元へ移動した。

 「シオン……大丈、夫?」

 背中から覗き込むようにシオンの顔を見て、絶句した。

 シオンの目は霞んでいて、恐らく焦点が合っていない。それどころか、目の前の景色さえ見えなくなってしまっているかもしれない。

 「え……ああ、アリスか……」

 ほんの少しだけ顔を動かしたシオンは、しかしその視線はアリスに向いていない。

 「もしかして、眼が」

 「まぁ、大丈夫。声とか足音とか気配とかで、どこにいるかはわかるし」

 全く大丈夫に見えないから心配しているのだが、シオンには通じていない。

 「後、アリス。永琳は敵じゃなくてよかったと、心底思うよ。アレは、正真正銘の『天才』だ。……本当に人間なのかと、疑いたく、なる、ね――」

 「シオン!? シオン、大丈夫!?」

 ドサリ、と地面に倒れるシオン。支えを失いグラついた剣は、地面に横たわる前にどこかへ消えた。

 意識を失う直前、シオンは永琳に言われた言葉を思い返していた。

 

 

 

 

 

 『なぜ、黒陽の能力だけを使えと?』

 『ああ、それが剣の名前なのね。答えは単純よ。シオン、貴方が同時に使えるのは二つまででしょう?』

 『――! なんでわかった』

 『黒陽を使ったすぐ後に空間転移をしていたけれど、同時に細胞変質能力を使ってはいなかったから、かもね』 

 永琳は少しだけ悩みながら、言葉を続けた。

 『黒陽と空間転移、黒陽と細胞変質能力。必ず二つ以上は使っていなかった。多分、それが今の貴方の限界。最大で扱える能力の数。無理をすれば三つ同時に使えるのでしょうけれど、負担は大きい……こんなところかしら?』

 『それだけ、で?』

 『貴方も似たような事をしていたじゃない。眼の動き、表情の変化、心の動揺に応じて揺れる体の些細な部分の変化、声の高低強弱、その他にも色々な箇所で相手の性格や対人に慣れているかどうか。どんな違いがあるというの?』

 『――……ッ』

 最早絶句するしかない。

 シオンがしていた事を、永琳は既に知っていたのだ。知っていて、見逃されていた。

 『それに、複数の事柄を一遍にやるよりも、一つの事柄に集中していた方が結果が出易いわ。見たところ、貴方が最も得意とするのはその剣の力みたいだから。得意な物から伸ばすのは当然でしょう?』

 あの、一瞬で。

 永琳は、シオンが何が一番扱いやすいのかを、把握していた。

 『けれど、歩方に関してはやっておきなさい。身体面と能力面は別物なのだから』

 『……あ、ああ』

 『それともう一つ。どうしてかは知らないけれど――その矛盾は早くどうにかしておいた方がいいわよ? ……まぁ、心の奥底から死にたいと思っているみたいだから、私から言える事では無いのだけれど』

 それは、シオンの根底にある、拭いようも無い願望。

 幽香に見抜かれた、シオンの愚かなと言うべき浅ましい想い。

 その事を、一瞬で悟られた。

 『――ッ。永、琳』

 『何かしら?』

 『人は、図星を突かれると逆上する。反論できなければ、特に』

 『ええ、そうね』

 『悪いとは思う。でも――何も知らない他人に横から言われるのだけは、不愉快だ!』

 そう言いはしたが。

 本当は、わかっていた。

 自分が、永琳に恐怖していたのだと。

 背中に怖気が走るくらい、永琳を『恐ろしい』と感じたのだと。

 それを激情の中で隠す事でしか、その感情を抑える事ができなかったのに。

 シオンは、まだまだ自分は弱いと思うしかなかった。

 

 

 

 

 

 シオンの傷を癒し、後から来た永琳がシオンを部屋へと運んで行った後、その場に残っていたアリスは思う。

 あそこまでボロボロになりながら、それでもなお強くなろうとするシオンは、一体何を思っていたのだろう、と。

 自分は夢の為だった。夢の為に必死になった。結局それは儚い幻想に過ぎなかったが、だからこそ知っている。

 ――身を切るような努力は、辛いモノだと。

 あそこまで自分を追いつめるような努力は、後先考えていないからこそできること。それ程までにシオンは強くなりたいと願っているのだろう。

 「なぜ彼は」

 かつて、人を喜ばせるための魔法を使いたいと願った少女は思う。

 「なんでシオンは」

 今は人を癒すための魔法を覚えた少女は想う。

 「あそこまで、頑張れるの――?」

 全てを捨てるような努力をできなかった少女は、今はこの場に居ない少年に対して問う。

 どんな理由で、自分をそんなに追いつめられるのか――と。

 「どうして……」

 その問いに答える者は、いない。




永琳がチートな件について。
やばい、少しどころではなくやりすぎた感が凄いです。
でも永琳は他の追随を許さぬ知識の『天才』ですし、これくらいは……いえやっぱないですよねぇ。

ちなみに鈴仙のシオンに対する好感度は、マイナスとまでは行きませんがかなり低いです。
そしてアリスの好感度は高いですが、それでも永遠亭優先。公私の分別は付けております。
現状永遠亭の住人>アリス>てゐ>>>>シオンというところでしょうか。

そしてアリスの疑問。
コレが永遠亭での一番のテーマですかねー


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シオン、アリス、永琳、三人の一日

 あの後、結局数分程でシオンは目覚めた。

 気絶したと言っても精神的疲労が主な原因だろう。実際目覚めた当初多少ボンヤリしていたが、動く事自体は普通にやれていた。

 「てゐ? 何でそこにいるんだ?」

 「気絶したからって聞いて心配して。具合は良さそうだね。よかった」

 意外だったのは、てゐが横に居た事だろうか。シオンの体調が悪くないとわかってか、ニコニコと笑っている。シオンが起きようとした時に慌てて止めようとした時とは雲泥の差だ。

 「そう」

 意図せず表情を変えるシオン。その顔に浮かんでいるのは、果たして何だったのか。てゐには読み取れなかった。

 「あ、そうだ。永琳からの伝言ね。――『目覚めたら、一度食事を取って、それから研究室に来なさい』だって」

 「わかった。暇があったらそう伝えておいてくれ」

 「うん」

 頷くと、てゐは部屋を出て行った。

 

 

 

 

 

 一方、永琳は自室に戻り、鈴仙に詰め寄られていた。

 「師匠! 中庭がボロボロになっていますが、アレは二人の仕業ですよね!」

 「まぁ、そうね。でも直すのは簡単なのだから、別にいいでしょう」

 とはいえ永琳はどこ吹く風。淡々と対処し、何かを紙に書いていた。

 そして鈴仙は項垂れる。わかっていたのだ。永琳に文句を言っても仕方がない、と。

 元々この屋敷にある何もかもは永琳の用意した物で、それの大部分は輝夜が所有している。そして鈴仙は、アリスとなんら変わらない、ただ彼女よりも長く住んでいる居候に過ぎない。文句を言っても、それを受け入れてくれるほどの権利は、無い。

 しかもそれで放置しているだけなら泣き寝入りして終わりになるが、本当に永琳は直してしまうからなお性質が悪い。どうしようもないのだ。

 そういう事では無い、と伝えても、恐らく永琳は理解しないだろう。本質的に研究気質である永琳にとって、植物は薬の元でしかないのだ。

 「それに、壊れているのは地面だけよ。木や花、池はどこも壊れていないわ」

 「え?」

 ――そこに、思いもよらぬ答えが返ってくる。

 一瞬目を丸くし、永琳の言葉を理解し……そして否定した。

 「あ、ありえませんよそんなの! 師匠と彼は七時間も戦っていたんでしょう!? それなのに壊れていないなんて」

 「事実は事実。それにシオンは、ああ見えて優しいのよ? 信じられないのなら見てきたらどうかしら」

 そう言われれば、鈴仙は信じない訳にはいかなかった。

 永琳は即座にバレるような甘っちょろい嘘を言わない。嘘を言うのなら、内容を吟味し、周到に準備を重ね、時を計り、相手の精神を見定め、コレという瞬間に言う。それこそが『天才』が人を騙す時だ。

 無論咄嗟の嘘を吐く事もあるが、それは緊急時のみだ。普段は言わない。

 「……シオンが優しいとは、どういう意味ですか」

 だから、鈴仙は仏頂面でそう言うしかない。

 「簡単に言えば、常に周囲に気を配っていたってところ。驚いたけれど、彼は誰かがあの庭を美しくしていたのを察していたらしいわね。それが理由かしら」

 言いながら新しい紙を取り出し、また書き始める。

 「戦闘中、彼は怪我を負おうと、反射的に漏らした声を除けば一言も喋らなかった。たまに叫ぶ事はあっても、それだけしかしなかったわ。多分、無駄に体力を使わないためでしょう。実際彼は無駄な動きを極最小限に留めていたし、息も乱そうとはしなかった。加えて、周囲を確認し続けるだけの集中力」

 突如始まった永琳の独白。困惑する鈴仙だが、その内容はよくわかる。

 一見疲れないように見える、ただ『話す』という行為。コレは案外疲れる物だ。特に、全力、あるいはそれに近い状態でなら言うまでもない。

 偶に『叫ぶ』のは、体に力を入れるために、科学的にも有用だと証明されている物だ。シオンもそれを理解して使っているのだろう。本当に無駄なら無視しているはずだ。

 そして動きの無駄を省く。コレは技術的にまず無理だ。無駄だと理解しても無駄な動きをしてしまうのが意志ある生き物。もしできるのなら、それは生き物では無い。

 ――単なる機械だ。

 ただ作業をするように、淡々とそれを行う意識無き物。それが鈴仙の考えだ。

 「何よりそれらを支える強靭な精神。動作よりも、技術よりも、それを行おうとする集中力よりも。それらをするための大前提。コレが欠けていれば、どれも無意味に終わるわ」

 そう、全てに措いて驚くべきはシオンの精神。

 人の集中力はそこまで長く続かない。だが自身の精神状態如何でその長さは前後する。シオンの場合、最後の方は気力も振り絞っていたが、気力で保たせる集中力など知れたもの。

 つまり、シオンはそれだけ戦闘における精神の安定さが飛び抜けている。はっきり言って、鈴仙には理解不能な程に。

 だが鈴仙は特に不気味とは思わない。なにせ、目の前にその意味不明な(りかいできない)人間がいるからだ。

 「……師匠に比べればマシですね」

 「何か言ったかしら?」

 「いえ何でも」

 なぜか背筋が凍る鈴仙。

 永琳は一つ溜息を吐くと、クルリと椅子を回転させて鈴仙に向き直る。

 「鈴仙、シオンに対して敵対意識を持つのを止めろ、とまでは言わないわ。でも、それを殺意にまで昇華させてはダメよ。……殺されてしまうから」

 「――」

 鈴仙は永琳にバレていた事よりも、あっさりと殺されると言い切った事に驚いた。

 だってそれは、永琳がはっきりと『貴方の方がシオンよりも弱い』と言うのと同義なのだから。

 「シオンは、彼はそれほどまでに強いのですか?」

 「強いわ」

 断言。

 「少なくとも、現時点で全力の私を数十回は殺せる程度には。少なくとも『才能』という点だけなら、戦闘分野において私は彼より下ね」

 鈴仙は、永琳があっさりと自分が殺されると言ったよりも。

 生まれて初めて、

 「――彼は私と同等の『天才』よ」

 自分の『同類』を見つけたと、そう言い切った事に驚いた。

 「楽しみね。ああ、楽しみよ。私の想像通りなら、彼は絶対に――」

 怖気を感じるようなその声音と、その微笑みに、鈴仙は、思う。

 この方はもう、止められない、と――

 

 

 

 

 

 「あ――……怪我は、もう大丈夫、ですか?」

 シオン部屋を出て、昼食のおいてある台所へ寄ってから食卓のある部屋に行くと、そこには居心地の悪そうな顔で料理を食べているアリスの姿があった。恐らく一人で食べているのに違和感があるのだろう。

 「敬語とかはいらない。怪我はアリスが治してくれたんだろう? 全快してるよ、むしろ体調は良いくらいだ。ありがとう」

 「それならいいんだけど」

 シオンはアリスの対面に座ると、冷えた料理を食べ始める。

 シオンの中に、温めよう、という考えは無かった。むしろ、料理を温めなおす、という事すらシオンは知らない。

 それを知れるほど、恵まれた環境にはいなかった。

 「……………………………………………………」

 「……………………………………………………」

 二人の間に会話は無い。

 楽しく談笑できるほど、アリスとシオンに共通の話題は無かった。

 シオンはアリスの若干内気な性格と、回復魔法を使ったあの一件から、無理に話しかけようとは思わず。

 アリスはシオンの強さ、それを垣間見て自身との差を比べ、どこか遠い人の様に感じてしまい。

 結果、二人に話すという行為は生まれなかった。

 そんな中、スパンと後ろの襖が開けられる。

 「あら、今日は二人だけなのね。珍しい」

 本当に珍しげに、しげしげとシオンとアリスを見る、永遠亭の主。

 「……マナーが悪いんじゃないか、お姫様? 淑女としてどうかと思うよ」

 「どこか皮肉気ね。でもまぁ本当の事だし、素直に受け取っておくわ。いただきます」

 サラリと受け流した輝夜は、シオンの隣に座ると、先程の不作法はどこに行ったと思うほど洗練されたマナーで料理を食べ始める。

 王族であるアリスは元より、最低限のマナーができればそれでいいと思っているシオンでさえ、一瞬目を惹かれる程だった。

 そんな二人の視線を感じつつ――あっさりと、完璧な姫の仮面を崩した。

 姿勢を崩し、一気にダラける輝夜。そのあまりのギャップに、アリスはあんぐりと口を開け、シオンは目を瞑って頭を振った。

 「シオン、後で私の部屋に来て。頼みたい事があるの」

 「……永琳に呼ばれている。そっちが先約だから、その後でなら」

 「わかったわ。無理を言うつもりは無いから、無理だったら来なくていいわよ。時間はあるし、それこそ()()()()()

 その発言にシオンは一瞬反応したが、すぐに消えた。

 会話が途切れた事で、アリスは会話に混ざる暇を見つけられなかった。

 「ごちそうさま」

 結局二人が話したのは最初のアレだけで、言ってしまえば席を共にしただけの他人のように、シオンは皿を置きに行ってしまう。

 「ハァ……」

 料理を食べている途中だと言うのに溜息を吐いてしまう。それがわかっていても、自分の浅ましさに溜息が出るのを止められない。

 (バカみたい……もっと話したかった、なんて)

 もう一度、溜息を吐いて。

 アリスはまた、料理を食べ始める。

 どこかニヤニヤした表情で自分を見つめる輝夜(出歯亀)、その存在に気付かずに。

 

 

 

 

 

 「で、話しってなんだ、永琳」

 「ノックをして返答を聞いてから入室したのはいいけれど。普通、相手の顔を見て聞くものではないかしら」

 「気にしない相手にそう言われてもね」

 それもそうね、と軽く呟いた永琳はシオンの方へ振り向くと、ハイ、とシオンに紙を手渡す。

 シオンは知らないが、それは鈴仙との話の間に永琳が書いていたものだった。

 「コレは――?」

 「貴方の能力の応用、とでも言うべきものかしらね」

 ふーん、と永琳の言葉を聞き流し、紙に書かれた内容を見て――絶句した。

 その紙に書かれていた事は、シオンにとって知らない事ばかりだったからだ。

 「やっぱり、わからないのね」

 「え、あ――……」

 痛恨のミス。よりにもよって、最も知られてはいけない事の一つを、最も知られてはいけない人物の一人にバレた。

 ちなみに現在トップに座しているのは紫の名前を持っている者だが、そこは割愛する。

 「まぁ予想通りだから、そこまで驚きは無いのだけれど」

 「…………………………おい」

 一気に脱力するシオン。

 「なんでわかったんだ?」

 もう今更だな、とこの際開き直ったシオンは何故そう思ったのかと聞いてみる。

 「どうにもチグハグな感覚が拭えないのよ、シオンは」

 「チグハグ?」

 「ええ。シオンにはある程度の知識も、それを応用する知恵もある。けれど、どこか抜けていると言うか、何かが『欠けて』いるのよ」

 永琳は、シオンの常人が持つ『常識』とでも呼ぶべき物が圧倒的に欠落しているのを、初見から感じ取っていた。

 そして今、永琳が渡したレポートによって把握できた、という事だ。

 とはいえ、

 「このレポート、黒陽の能力についてかなり細かい部分まで書いてあるんだが……それについて驚いたとしたら、その時はどう弁明するつもりだったんだ?」

 「顔の動きでどんな反応をしたかはわかるわ」

 「もういい。何だか疲れてきた」

 いっそのこと溜息を吐きたいのを何とか堪え、目の前のレポートに集中する。何となく頭痛を感じていたが、気のせいだと割り切った。

 書かれているレポート見通す。いくつかは合っていて、いくつかは間違っていた。やはり実際に持って使っているシオンと、単純に見て考察しただけの永琳では、わかる事に差がある。それでもここまで解析できるのは、永琳だからこそだろう。

 「あの、鈴仙に言われてきましたけど――シオン?」

 「ん?」

 シオンがレポートを読み終えて顔を上げるのと同時に、アリスが部屋に入って来た。

 その時シオンは、こう思った。

 (……このタイミングの良さ。絶対に永琳が計ってたな)

 実際合っていた。

 昨夜でシオンの本を読むスピードはわかっている。難解な文字もある程度は読める。アリスの料理を食べる速さもわかる。特に今日出された料理を知っているのだから、なおのこと。

 ただし、それを『予想』よりも『予知』に近い形に整えられるのは、彼女にしかできない。少なくともシオンが知る限りでは、永琳が初めてだ。

 同時に疑問に思う。

 何故自分とアリスをここに読んだのか、その理由がわからない。

 だが、シオンは慌てない。

 「さて、二人をここに呼んだ理由なのだけれど」

 どうせすぐに、説明されるのだから。

 「二人とも、勉強をしましょうか」

 片方は困惑を。

 片方は喜色をそれぞれ宿し。

 「――は?」

 「――はい!」

 チグハグで歪な三人の、初めて共にする行動が始まった。

 

 

 

 

 

 「とりあえずアリスは国語、シオンは数学から始めましょうか。アリスはコレを見て、単純な言語から学びましょう。意味は後から、ね」

 「わかりました」

 アリスが渡されたのは、あいうえおの、幼少の子供がまず使うノートだった。この国の言語さえ知らないのだから、当然であるのだが。

 「それでシオン。四則演算はできるかしら」

 「え?」

 疑問を発したのは、シオンではなくアリスだった。

 「できないな。それ以前に、四則演算ってなんだ?」

 「えぇ――!?」

 何故そんな質問を、と言いたげな表情をしていたアリスは、大声を上げて驚く。

 「で、できないの?」

 「ああ。……必要も、無かったからな」

 そう、シオンの知識は、アリスや教養を受けた人間からしてみれば『なぜできないのか』と疑問を抱くような程度しかない。

 だが考えてみてほしい。アリスの居た世界でも、言葉はともかく文字を書けない人間は大多数であり、計算ができない人間は珍しくもなんともない。シオンの世界でも、スラムやそれに近い場所ではできない人間は多い。

 何故か。必要無いからだ。

 生きるためには知識や知恵も必要だろうが、彼等にとって何より重要なのは、まず『生き残る』こと。それに尽きる。

 食事を得るのに金が無ければ盗めばいい、そんな考えを持つ人間が五萬と居れば、『計算』なんて概念は必要ない。

 事実、物々交換が主流だった遥か古代において、本人達が納得すれば良いのだから、一つ一つを数えていければそれでよかった。

 物が溢れる時代になり、『物を速く数える』事が重要になってきたから、それに必要な概念が生まれただけなのだ。

 パチュリーに足し算の問題を問われて解けなかったのも、それが理由だ。

 (本当は紅魔館で覚えようとは思ってたんだがな)

 何故かあの図書館には、簡単な算数を書き記した本は無く、専門過ぎて理解できない数学しか置いてなかった。

 コレには一つの理由がある。レミリアのせいで、いやレミリアが()()()()()()()あの膨大な本が置いてある図書館から、自らの書斎へ移したのだ。

 フランは五〇〇年近くもの間地下牢に閉じ込められ続けたせいで、常識倫理観その他諸々が欠如している。知識もその一つだ。

 それを何とかするため、せめて四則演算くらいでも、と考えたレミリアが、図書館に教えるための本を探した。

 だが、あそこに置いてある本は膨大だ。その中から一々探していくのは、相応の時間がかかる。置いてある場所を覚えておいても、パチュリーは相手の都合に関係無く本を読み、適当に置いていってしまうため、次に訪れてみれば違う場所にある、なんて事はザラだった。

 それ故本自体を持って行ったのだ。……全て。

 レミリアが本を移動させたのは、シオンが来る数日前。その後色々なトラブルが何度も起こったので、レミリアもすっかりその事を忘れていた。

 シオンが紅魔館を掃除した事もあったが、あの時は咲夜に指示された場所、大概が空き部屋であったため、レミリアの書斎を掃除する事は無く、結果あそこに本がある事さえシオンが気付く事は無かった。

 そもそもレミリアも、フランも、咲耶も、パチュリーも、美鈴も、小悪魔も、シオンが四則演算をできない、などとは露程にも思っていない。シオンがある程度の教養を受けた人間だと誤解していたからだ。

 ちなみに紅魔館メンバーがその事実を知れば、絶対に嘘だと思い、シオンが知れば別に嘘も言ってないしブラフも使ってないんだが、と思うことだろう。

 「とりあえず、それを使って基本的な足す、引く、掛ける、割る、その四つをできるようにしておきなさい。応用問題……というより、外で言う小学生レベル……大体六年分の問題を、ある程度わかりやすく纏めてそこに置いておいたから、勝手にやってちょうだい」

 「永琳様、それは流石に無責任では?」

 「いいのよ。シオンだから勝手にやって勝手に終わらせるでしょうから。現に、ホラ」

 手で促されてそちらを見ると、既にシオンが本を開いてその内容を見ているところだった。

 「は、速い……」

 「ね? ……とにかく、アリスはこの世界の言語を覚えないと。いつまでも鈴仙の能力に頼りっぱなしだと、もしはぐれて一人になった時辛いわよ」

 「わ、わかりました」

 慌てて自分に割り当てられた五十音順の表を横に置き、そして。

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 「い、いつのまに」

 アリスは、自分の頬が引き攣るのを理解した。

 王族としてあるまじき不作法だと自覚していたが、どうしてもそうなるのを止められなかったのだ。

 「アリスが鈴仙、輝夜と話している時……つまり、私に話しかけていない時、ね」

 「それだけで覚えたのですか!?」

 「言語なんてそんなものよ。単にそれに使われる名詞と言語独特の言い回しが違うだけで。それに私は相手の表情と手振りで何を伝えたいのか何となくわかるから。まぁ、流石に聞いてない名詞や文法はわからないけれど」

 それを聞いて、アリスはやっと理解する。

 シオンが、永琳が敵では無くてよかったと言った、その意味を。

 確かに、と思う。こんな人間が敵に居たら、自分がやる事為す事全てを看破され、対処法を敷かれ、何も出来ずに負ける、そんな未来しか浮かばない。

 もし見た目相応の年齢だった永琳なら、切り崩せるだろう。

 だが不老不死となり、気が遠くなるような年月を生き、様々な物と接し、知識と経験を溜めた彼女に、隙は無い。

 殺せず、罠に嵌めるのもほぼ不可能で、恐らく輝夜以外を人質にしても無駄。こんな人間(かいぶつ)、どう打倒すればいいのだ。

 とはいえアリスは永琳を怖いとは思わない。どこか冷たい印象はあるが、性根から腐っている人間は見ればわかる。

 永琳は、まともだ。同時に根っからの研究者であり。

 そして、()()()()が決まっている。

 彼女にとって、輝夜こそが一番なのだ。恐らく、自らが死ぬ状況でも輝夜を守るだろう。

 だからアリスは怖がらない。狂人ではないのだから。

 そんな考えを頭の片隅に浮かべつつ、アリスは目の前の文字を追い始めた。

 それからどれ程経っただろうか。

 本を捲る、文字を書く、紙を動かす、体を動かす、ペンの芯を出す、そんな些細な音が、永琳の部屋に響く。

 「――……ふぅ」

 そんなシオンの溜息と共に、パタン、と本を閉じる音がした。

 「?」

 アリスはシオンの行動に疑問を持ち、

 「……」

 永琳は、何となく察したかのように眉を寄せた。

 そんな二人に見つめられつつ、シオンは置いてある本全てを持ち上げると、

 「永琳、全て理解した。次のレベルの物を出してくれ」

 「ま、待って! 終わったって……さっき永琳様が六年分って言ってたのに? 本当の本当に、終わったの?」

 「ああ。ただ、コレが六年分とは言っても、正直簡単だった。永琳の教え方がわかりやすい、というのが最大の理由だろうが、あまり苦労しなかったぞ」

 ……確かに、ある程度の物事と分別を覚えた人間なら、それも可能かもしれない。

 しかし子供がそこまでの経験を積んでいる、それ自体が最早おかしい。

 けれど永琳は動じずに、いや予想していたかのように次の本を取り出した。

 「はい、シオン。中学レベル、大体三年分ね。小学生レベルよりも大分辛いから、あまり無理しない方がいいわよ?」

 基礎ができていないのを心配してか、永琳がそんな事を言う。

 だが、それはあまり当てにならない。

 「……そんな『できて当たり前』みたいな顔で言われても、な」

 そう、永琳は全く心配していなかった。

 「私が当時の貴方の時は、もう教授レベルの勉強をしていたわよ?」

 「言葉の意味は全くわからないが、規格外だというのはよくわかった。参考にしないでおくよ」

 「そう? シオンも私と同じとは言わなくても、下回るくらいにはできそうだけれど」

 「流石に無理だ。時間が無い」

 それは、逆を言えば時間があればできる、と言っているのと、ほぼ同義だった。

 何となくアリスはシオンに渡された中学レベルの問題とやらをパラパラと捲る。

 その内の問題、最初の方は理解できたが、後になればなるほどわからなくなっていく。恐らくアリスの数学レベルでは、中学の中盤辺りまでしかできないらしい。十分凄い、凄いが。

 (……この二人と比べると、どうしても……)

 比べる対象が、悪すぎた。

 本を渡されたシオンは黙ってそれを見ている。小学生レベルの本を読んでいた時よりも少しペースが落ちているのは、やはり難しいからだろうか。それに反して表情は固まっていないため、単に確認しながら読んでいるのかもしれない。

 永琳は相変わらず何を書いているのかわからない。常に背を向けているせいで、どういった物を書いているのかすら悟らせてくれないのだ。

 アリスは少しずつ単語を覚えているが、如何せん難しい。ひらがな、カタカナはまだどうにかなるが、やはり漢字の数が多く、それらの組み合わせによってできる様々な意味を理解するには、それなりの年月がかかるだろう。

 加えて発音も全く違う。今まで使わなかった喋り方で話すと、どうにも違和感が拭えない。それでも一言二言、単語を重ね、意味と無し、言葉を生む。

 拙いものだが、十分だった。『できる』という実感があるからだ。

 勉強会は、二時間程で終わった。夕食を食べ終え、少し休憩を挿んでから――大体九時から――勉強を始め、十一時に終わる。そして各自部屋に戻り、就寝、というルーチンになった。

 ちなみにシオンは自室に戻らずどこかへ寄っていたが、何をしていたのだろうか。アリスの疑問は尽きない。

 それからの数日間は、ほとんど変わらないものだった。

 朝起きる頃には既にシオンは永琳に言われた鍛錬をし、鈴仙は朝食の用意、永琳の何らかの実験をしているらしく、てゐについてはよくわからない。輝夜は料理ができる寸前か、できたすぐ後にやっと起きてくる。

 朝食を食べ終えたらすぐにまた鍛錬。永琳はシオンの歩方を見て、どこが悪いのか、どうしてそうなるのかを説明していた。シオンも素直に頷いている。

 アリスは縁側に座って魔力制御を中心に、徐々に体に魔力を慣らしていく。こうしていけば、微々たるものだが使える最大魔力量が増えるらしい。

 昼はシオンを除いた全員が食べる。どうやらシオンは朝と夜を大量に食べ、昼は食べない、という事にしたらしい。永琳曰く「分けるくらいなら一度に纏めた方が時間が増える」とのこと。真似したいとは思わないし、多分、できない。

 夕方になるとシオンは鍛錬をやめ、てゐと何か話をしている。内容は知らない。聞いていないからだ。だが、シオンもてゐも楽しそうなので、二人の仲は良好らしい。

 夕方は全員で食べる。この頃になると輝夜の遠慮は一切無くなり、人の食べ物を取っていくなんて事もあった。主な被害はアリス、鈴仙、てゐの三人で、シオンと永琳は自分の実力で奪わせなかった。

 ちなみにアリスが奪われた場合鈴仙が自分の分を渡している。成長期に食べないと身長が、というより体が成長しないのが理由だそうだ。

 そして夜。毎日二時間だけの勉強会。シオンはもう大学レベルの数学を終え、永琳と議論を交わすようになっていた。正直チンプンカンプンで、何を言っているのかすら謎だ。どうやら使っている言語も変えているらしい。シオンに何ヶ国語使えるのか聞いてみたところ「そもそも違いがわからないから区別ができない」らしく、シオン自身よくわからないのだそうだ。どうやって覚えたのか聞いてみたが、悲しい顔を向けられて、その後は何も言えなかった。

 そして毎回シオンは勉強会を終えた後もどこかに消えていく。アリスはわからなかったが、永琳は何か悟っているらしく、小さく溜め息を吐いていた。珍しい。

 ただ、決してその内容を口にする事は無かったが。

 小さく「言ったら絶対にイメージが壊れるから」と返されたが、一体何のイメージが壊れてしまうのか、気になるが聞けないアリスだった。

 三人の一日は概ねこのように過ぎ去っていくが、いつまでも変わらないはずが無い。

 明くる日の朝。

 「それじゃ、次の鍛錬を始めましょうか」

 永琳は、シオンに新しい修行内容を告げた。



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水の中で見た幻

 新しい修行を始める、と言った永琳は、シオンに背を向けると、手に魔力を纏わせ、剣の形へ整える。

 それを振るい、地面を切り裂き、粉切れに消滅させる。

 抉られた地面は、一辺と深さが約十メートルほどの正方形となっていた。その中に、魔力で作られたであろう水を入れる。

 水が溢れる、その寸前で止める。

 何がしたいんだ、と訝しげなシオンの視線を背中に感じながら、永琳は水上に()()

 「それじゃ、シオンにもコレができるようになってもらいましょうか」

 ニッコリと笑いながら、

 永琳は、そんな無茶ブリを振ってきた。

 「いや無理だろ、コレは。いくらなんでも」

 即答だった。言う速度もどこか速い。

 そんなシオンに、永琳はやれやれと頭を振る。

 まるで聞き分けのない子供に対するような態度に、シオンはなぜそんな態度を取られなければならないんだと思う。

 「いい、シオン? 水の上に立つのはあくまでも前段階。()()()を覚えてもらうには、最低でもこれくらいできなくては話にならないのよ」

 「人間は普通水の上に立てない。道具があるならまだしも、無いなら無理だ」

 「シオンも私も、一般でいう『普通』に当て嵌まらないのはわかっているでしょうに。……まあいいわ。少しだけ、手本を見せてあげる」

 見本? と訝しむシオンに、永琳は縮地を使って一瞬で距離を詰め、襟首を掴むと、そのまま空中で放り投げた。

 「!?」

 少しだけ気を抜いていたシオンは、反応すらできずに身を投げられる。それでも少しずつ体勢を変え、何とか下を見られるようにした。

 同時に魔力を纏おうとするが、どうしても纏えない。

 「クソッ!」

 絶対に永琳が何か余計な事をしたと断定しながら、シオンは地面を見る。そこには、何故か空中に立ち、弓を構え、矢を数本同時に番えた永琳が居た。

 ギリギリと音を立てながら構えているのが見える。それを一気に放たないのは、シオンの体勢が整うのを待っていたからだろう。その気になればすぐにでも射って怪我を負わせ、優位に立つことだってできたのだから。

 そして、矢が一斉に放たれる。未だ中に浮き、能力を使えず、魔力も使えないシオンには、気を使うしか避ける術は無い。

 ただし、それはあくまで他の人間の場合。シオンにはもう一つだけ、手があった。

 シオンはタイミングを計る。

 チャンスはほんの一瞬。それを逃さず、シオンは『ソレ』を踏んだ。

 永琳が微かに驚いたのが見える。機を逃さず、シオンは『矢』を踏みしめ、跳んだ。他の遅れて来た矢は体の向きを変える事で、半ば無茶をして避ける。とはいえ完全に避けられるわけもなく、多少の裂傷は負った。

 しかし大局を見ればそう大きな怪我でも無く、むしろ良い判断だと言える。空中を自由落下するよりも余程マシだからだ。

 永琳が次の矢を番えているのが見えるが、今のシオンにそれを止める術は無い。だが、永琳が矢を放つより、シオンが先に永琳の元へ辿り着く方が早い。空中を移動するにも、ほんの一瞬のタメがいる。

 いける。そう確信したシオンは、即座にそれが間違いだと悟った。

 突如空中を『蹴った』永琳が、地面に向かって落ちていく。このままでは背中から地面に激突するかもしれない。だが、シオンと距離を取ったのには変わりない。

 もう形振り構っていられないと黒陽を長剣にしたシオンは、剣を後方へ振りかぶる。

 永琳も、弓と矢を持つ手に力を籠める。

 両者は互いを睨みつけながら、剣を振り、矢を放つ。

 トン、と二人は地面に下り立つ。

 シオンは右の頬に矢が掠り、永琳は左の頬に剣が掠った跡があった。二人は理解していた。殺す気でやるつもりはなかったと。

 「ふ、二人とも何やってるのよ――!」

 が、傍から見れば、本気の殺し合いをやっているようにしか見えなかった。

 アリスの叫びは当然と言えば当然だ。後ろで何をするんだろうかと半ば、どころか野次馬前回で見ていたら、いきなり殺し合い――の真似事――を始めたのだ。アリスじゃなくとも、肝を冷やされる。

 しかし怒鳴られた当の二人は、アリスを無視していた。

 「ね? 理解できたでしょう」

 「正直現実感は薄いが、有用性は理解できた。……ま、不便ってわけでもないしな。覚えろというなら覚えるだけだ」

 「ならいいわ。私は戻らせてもらうけど、シオンは?」

 「わかってるだろうに」

 「一応の確認、よ。じゃあね」

 永琳がどこかへ行くのを横目で確認した後、傍にあった池のような物を見る。コレからなる事を想像して少し陰鬱になるが、文句を言っていられる立場でもない。

 内心溜息を零しつつ、シオンは縁に立った。

 そして、最後の最後まで無視されたアリスは。

 「……私って、何でここにいるんだっけ?」

 草葉の陰で泣いていた……かもしれない。

 

 

 

 

 

 「う、プハァ……ゴホッ」

 口の中にあった水を吐きだしつつ、シオンは池の縁にしがみつく。

 少しだけ息を整えると、体を放し、体を沈めて池の底に足を着け、ジャンプし、水の上へと跳び上がり、水を『掴んで』立つ。だが次の瞬間、水の底に落ちる。

 水の中に落ちながらシオンは思う。

 もう何度、コレを繰り返しているのだろうか、と。

 水は服にも髪にも滲み込み、相応の重さを与えてくる。体にも纏わりついてきて気持ち悪い。

 何となく、この感覚には覚えがあった。

 暗い、暗い、暗い。何かが体にしがみついてきて、決して離さない。それは少しずつ体を蝕んで行って――最後は、全部が壊れる。そしてドロドロになった部分は表へ出てきて――

 いや違う。

 何が?

 そうだ。壊れるんじゃない。コレは、縛っている『鎖』の役目は――

 ――『俺』が、全部を壊すのを防ぐ物?

 「ッ!」

 腕を掴まれ、強制的に顔が水の外へ出る。

 思い出したかのように息をして、して、咳き込んだ。

 「シオン、大丈夫!? 意識はあるの!? しっかりして!」

 「あ……アリ、ス……?」

 「よかった……全然上に上がってこないから、心配したんだよ」

 目尻に何かを浮かべたアリスがそう言う。

 そういえば、とシオンは思う。最後に落ちてから、数分くらい経っているような気もする。しかし特に何かを感じているわけでもない。

 なぜか、心が凍っていた。

 「シオン、少し休憩しよ? ……シオン?」

 先程から何も答えないシオンに、怪訝そうな顔を向け始めるアリス。

 マズイとは思う。心配してくれている相手に何も言わないのは失礼だ。しかしどうしても口が動いてくれない。

 気まずい雰囲気が流れる、その寸前。

 「――まだできていないの、シオン?」

 先程から人一人が水に落ちているのを不思議に思った永琳が、掻き消した。

 凍っていた心は動き出した。

 「……何か、上手くできなくてね。どうしても掴めない」

 先程の感覚もわからないまま、シオンはそう答える。

 そのままアリスの体を抱きしめつつ、池の縁を片手で握り締め、体を持ち上げる。ポタポタと垂れる水を跳ね除けながら、永琳に聞いた。……アリスがどこか恥ずかしそうにしているのに、一切気付かないまま。

 「コツとか無いか? 足で水を掴む方法」

 「掴む? もしかして、勘違いしていないかしら?」

 「え?」

 「そもそも人間の足で水を掴めるはずがないじゃない」

 何を言っているの、と言いたげに首を傾げる永琳に、シオンは訳がわからなくなる。

 永琳がやれと言ったのに、どうしてそう言うんだと。

 が、すぐにそうでない事に気付く。同時に永琳も気付いた。

 「液体を掴めるはずがない、か」

 「そうね。私は地面に立つように水の上に立て、と言いたかったのだけれど……説明不足だったみたい」

 水は土や氷のように固まっているわけではない。そんなものを掴もうと考えていたシオンは、頭のネジが緩んでいるのではとつい思ってしまった。

 「ごめんアリス。集中したいから、一人にしてくれないか?」

 「え、う、うん……。でも、大丈夫なの?」

 「……」

 アリスの問いには答えず。シオンはまた、同じ作業を繰り返し始めた。心配そうに見つめるアリスだが、シオンのお願いは素直に聞き入れ、背を向ける。

 だが、なぜだろうか。

 今のシオンが、どこか追いつめられているように見えるのは。

 永琳も、少しだけ表情を厳しくしている。

 「……危ういわね」

 「永琳様?」

 「なんでもないわ」

 二人は並んで歩き出す。

 そんな気配を感じ取りながら、シオンは黙々と、機械のように同じ作業を繰り返す。

 繰り返していると、水の上に立つ、そのコツがわかってきた。

 水は確かに不定形だ。土と違って固まってはおらず、だからこそ沈んでしまう。だが、言ってしまえば()()()()しか差は無い。

 永琳は空気を踏んでいたが、水は確かに『そこ』にある。

 今までは掴もうとしていたのを、足の裏で浮かせるように立つ。そうすると、少しだけ、体が水の上に乗っかる。しかし足に力を籠めると沈んでしまう。

 つまり、水の上に立って移動するには、()()()()()()()()()()()()必要がある。

 矛盾している、と思う。

 足に力を籠めずに移動するなんて、どうやればいいんだろうか。

 悩むが、まだ満足に水の上にすら立てていない。まずはそれからだと思い直し、シオンはまた、沈んでは浮くを繰り返し続ける。

 

 

 

 

 

 あれから、何時間経ったのか。

 耳に水が入りすぎて、音が聞こえない。鼻から水が入ってきて、痛い。水を飲み過ぎて、腹の中が揺れている。

 何より、水の中にいるのが気持ち悪い。

 「……ン」

 聞こえないはずなのに、てゐの声がした。

 「…………オン」

 アリスの声もする。

 「起きなさい、シオン!」

 そして、肩を掴まれて、シオンは()()()()()()

 「永、琳?」

 シオンは立っていた。そう、意識が()()()()()意識が()()状態で立ち続けていた。

 そして永琳に肩を掴まれて、我を取り戻したのだ。

 「よかった……目を覚ましたのね」

 ホッと、安心したように息を吐いた永琳は、次の瞬間。

 「この――バカッッッ!!」

 「――――!!」

 「一体何時間こんな事を繰り返していたの!? 少しは休憩を挿みなさい! 前と違って今回の鍛錬は下手をしたら死ぬのよ? 自分の体調くらい把握しておきなさい!!」

 「……ああ。そう、だな」

 「……私からはコレだけよ。てゐとアリスには、また別のお説教をもらいなさい」

 まだ呆然としているシオンを放って、永琳は少し離れる。

 そして、()()()()()()シオンを見た。

 自分が水の歩いている事すら気付かずぬまま地面へと移動し、二人の説教を素直に受けているシオン。

 今回の事でシオンは水の上に立てるようになった。永琳の予想を超える、大きな進歩だ。

 しかし、このままではいけない。このまま行きつくところまで行けば、シオンは本当に戻れなくなってしまう。

 「フゥ」

 ここ最近の気苦労は一気に増えたような気がする。

 それもまた一時の事だとわかっているし、貴重だとも思うが、やはり面倒なものは面倒だと思う永琳だった。

 

 

 

 

 

 説教を受けたシオンは、まず体を調べられた。長時間水に浸かり続けた悪影響を調べたい、との事だ。

 結果は、特に問題無し。

 疲労はかなりたまっているが、言ってしまえばそれだけだ。安静にしていれば風邪をひく事も無いだろうとのこと。

 それを聞いてからのてゐは素早かった。何時もは面倒臭がってやらない風呂を焚き、布団の準備をして、そしてご飯の用意の手伝いもした。

 その熱意に中てられてか、永琳も強い口調で今日の勉強会にシオンの参加はできないと言い切った。アリスも頷いている。

 輝夜はそんな様子を面白そうに、鈴仙は少しだけ楽をできて嬉しそうだ。

 が、当のシオンは不服だった。

 「別にこの程度の事で病気になったりしないんだが」

 「ダメだよシオン! ほんの些細な事で大事に繋がる時もあるんだから!」

 「小さな傷が膿んで、その場所を切り落とす事になった人もいるんだよ?」

 「いや、でもなぁ」

 てゐとアリスの二人から責められ、それでもなお口籠るシオン。

 が、別に理由が無い訳では無い」

 「昔真冬の雪が降っている中で数時間川に流されていた時も、別に風邪になったりはしなかったんだが……」

 ちなみにその時の気温はマイナスを突っ切っていた。

 「え?」

 「嘘?」

 他人事のように聞いていた永琳、輝夜、鈴仙でさえ驚かされた。

 「……そんな状態になったら、普通、凍死するわよ?」

 あるいは窒息死か、あるいは心臓が止まったりするかもしれない。とにかく、生きていられるのがまずおかしい。

 「あの時はやばかったな。体ガチガチに固まってるし、握力なんて無いも同然。近くに人も居なければ体を温めるための道具も無いからしばらく歩き続けるハメになったし。『運良く』助かったけどね」

 あっけらかんと言ってのけるシオンだが、言っている内容は凄惨だ。

 「その後は……どうなったのかしら?」

 「ん? ()()()()かなりでかい『()()』と出会ってね。()()()()()()()()()()毛布代わりにして体を温めて難を逃れたけど?」

 『…………………………』

 かける言葉が、一瞬出てこなかった。

 「あ、当時五歳と半年ちょっとくらいの出来事だから」

 今度こそ、何も言えなくなった。

 

 

 

 

 

 結局シオンは勉強会に参加させてもらえず、それどころか、半ば強制的に自室へと戻されてしまった。

 「特に何ともないんだがな……能力で体調は把握できるし」

 シオンの能力は細胞を変質させるもの。言い換えれば、自身の体を細胞レベルで理解できている事に他ならない。

 流石に体調が悪い状態で無理をする気は無い。……それが『死ぬかもしれない』状況ならいざ知らず。

 ふとシオンは思いだす。

 「……どうせ暇だし、()()のところに行くか」

 空間を殴りつけ、そこから白く輝く剣を取り出す。

 「んじゃ、行くか」

 剣を振るい、空間の裂け目を作る。

 「ついでに小細工を残しておいてっと」

 そうしてシオンは、その場から姿を消した。

 

 

 

 

 

 一方真面目に勉強に取り組んでいるアリスと、彼女の語学を教えている永琳。

 「永琳様、この単語が読めないのですが……」

 「ああ、それは――」

 シオンがいないためにマンツーマンでの勉強ができるのだが、どこか物足りない様子の永琳と、やはり違和感の拭えないアリス。何時もは横に居る人間が居ないというのは、ただそれだけで調子が出ないモノだ。

 「……シオンは、休んでいるのでしょうか?」

 「無理ね」

 「即答……でも、流石に今日くらいは休んでいるのでは? あんなに言ったんですし」

 「本人が納得していない説得は無意味よ。まだ部屋にいるみたいだけれど、少しでも注意が逸れたらどこかに行くんじゃないかしら」

 「探っているんですか? 今も?」

 「片手間でできる事よ。気にする必要は無いわ」

 感嘆の息を吐いているアリスは、永琳のソレを謙遜と受け取った。

 そもそも『気配を探る』なんてこと、アリスにはできない。だが『なんとなく』その人が来るといった経験はアリスにも存在する。それを突き詰めた結果なんだろうな、くらいの想像はできた。

 「……凄い、ですよね。シオンは」

 「いきなり何?」

 「いえ。私よりも頭が良くて、私よりも強くて。気配りもできて、一見冷たいけど、本当は誰よりも優しくて……欠点なんて、無いように見えます」

 「…………………………」

 永琳は否定しない。

 事実だからだ。シオンは他者との関わりを深くするのを拒んでいながら、その実他人に向ける配慮を忘れない。てゐと仲良くなれているのもそれが理由だろう。彼女はここ最近になって、シオンにもかなり軽い悪戯をする時が何度かあった。それをあっさり見抜くシオンだが、そうだとしても悪戯をされて気分が良くなるはずもない。

 シオンは笑って許していた。その訳は聞いていないが。

 「……やましいです」

 小さな独白。

 だが、『羨ましい』と言ったのは、聞き間違いではないはずだ。

 「……他人が羨んでいるモノを、必ずしも本人が望んでいるわけではないのだけれど」

 「え?」

 「なんでもないわ。さ、続きをしましょう」

 変な空気になる前に、一度手を叩いて元に戻す。

 慌てて手元に視線を戻すアリスを眺めつつ、永琳は内心で溜息を吐き――

 「ごめんなさい、行くところができたわ」

 「あ、はい。わかりました」

 ――そして、部屋を出て行った。

 その後に怒鳴り声が聞こえてきた理由を、アリスは知らない。

 

 

 

 

 

 結局、昨夜は永琳に輝夜のところへ行っていたのがバレた。

 説教された上に無理やり連れ戻されて、寝るまで監視されたので、戻る事さえできなかった。まあ当然といえば当然なのだが。

 だが、結果としては良かったのかもしれない。

 そのおかげで、昨日のアレを思い出さずにすんだのだから。

 (何だったんだ、あの幻は。今まであんな物を見た事は一度も無かったのに)

 あの『鎖』がどんな役目を持っていたのか。

 何故、自分はそれの意味を知っていたのか。

 何よりも、アレが自分の行動を縛るためのものではなく、自分の行動を封じなければ()()()()ためにあるのだとわかったのか。

 まるで、そうしなければ取り返しのつかない事になると言っているかのように。

 「あーもうやめだ、やめ。考えても答えが出ない事をいつまでも悩んでても意味が無いし」

 頬を叩いて気持ちをリセットし、シオンは部屋を出る。

 廊下を歩いていると、道中で鈴仙に出会った。

 「珍しいな。この時間に会うなんて」

 「シオン、さん。そうですね。基本的に私が起きるのはもう少し後ですから」

 「無理して敬称を付けないでいいよ。貴女が俺を気に入ってないのはわかってるから」

 「!! ……なぜ、それを」

 「見てればわかる。そこまで顔芸が得意じゃない人は、特に」

 言われて鈴仙は、強張らせていた顔の緊張を解く。

 「……申し訳ありません」

 「いきなりどうした?」

 「いえ、敵意を向けられて良い気分をしないのは、誰だってそうでしょうから」

 「ああ……。別にいい。慣れてるし」

 敢えてそれ以上を言わず、シオンはその場を去る。

 シオンは一部正確に言わなかった。シオンが慣れているのは、『殺意』だと。そして敵意は、自分では無く周囲に常にあったものだと。

 そんな事を言われても困るのは理解できたため、言わなかったが。

 「……なんか、やる気が無くなってきた」

 朝から気が滅入る事ばかりだ。運が無い。

 それでもシオンは中庭へと足を向ける。水の上を、歩くために。

 朝食を食べ終えると、珍しく永琳がほんの少しの敵意を纏いながら水の上に立っていた。

 周囲にある水場も増えている。中庭のほとんどが、水場になっていた。それに伴って水に面している土の部分が金属に変わっている。本来永琳は基本的に方針だけを言って、後は本人の努力に任せる。永琳曰く「本人の自主性を育てるため」であり、恐らく本音だ。面倒くさがっている訳では無い。

 永琳とて人間だ。わからない事もある。

 だからこそ永琳は他者から教えを請う事を恥だと思っていないが、請うてばかりで自分では何もしない人間を酷く嫌う。こんな方針にしているのは、シオンとアリスを、そうならないようにするためだろう。

 二人も特に不満は無い。元々二人共に自分の力で努力し続けた人間だ。そこに方向性を提示されただけでも爆発的に伸びる。

 今までの二人はどこに行けばいいのかわからず彷徨ってばかりで、コレといったものを伸ばせなかった。

 どの力を伸ばせばいいのかわからず、三つの能力を同時にやろうとして器用貧乏になりかけ、今までの経験も奇手ばかりだったシオン。

 攻撃魔法を扱えず、最後は無理矢理にでも使おうと、両腕を傷だらけにし、一生残るだろう痕を残しかけたアリス。

 永琳は、子供の二人に道を示した。だが、それも限界が来た。特に、相手と状況によって目まぐるしく戦闘内容が変わる場合は。だから永琳は水の上に立つ。シオンに、自らの技術を教えるために。

 いや、少し違った。

 永琳がコレからする事は、

 「――さ、始めましょう。貴方の剣を(調)()してあげる」

 間違った部分を調整する、痛みを伴った教訓だ。

 「何か、トラウマを刺激されるいやーな副生音が聞こえた気がする……」

 目からハイライトが消えた――ように見える――シオンは、アハ、アハハと、狂ったかのような笑い声をあげる。

 それがどこか自分を鼓舞するかのように聞こえたのは――気のせいでは、無いのだろう。

 アリスも、今の永琳は恐ろしかった。笑っている。笑ってはいるのだ。それがとても恐怖感を煽るのは、本能故だろうか。

 さり気なく距離を取る非情なアリスに気付く事無く、シオンは永琳の前に立つ。

 「隙アリよ」

 「ちょ!」

 そして、準備する間を待つことなく、永琳が突っ込んでくる。

 シオンは咄嗟に後ろに跳ぼうとして――ズブリ、と片足が水の中に埋まった。

 あ、という声は、誰のものだったか。

 水しぶきを上げながら、シオンは落ちた。

 永琳は無言で落ちた部分に近づくと、片手を水の中に突っ込んで、シオンの首を引っ掴んで引き摺り出す。

 「ァ……ゴ、ッ……ガ」

 咳き込もうとして、しかし首を絞められているためそれができない。片腕、しかも女性のものとは思えない握力。

 永琳はシオンを掴む腕を引くと、シオンを()()投げた。

 だがそれは、かなりの速度となり、背中に暴風を叩きつけられる。また体が水面の下に行く前にと、何とか手で水を小堤で殴って――受け身として手を付けて、ではない――反動で体勢を立て直しつつ、跳ぶ。

 その間にも永琳は動いている。いつの間にかその手の平を天に向けていた永琳は、残像が残る程の速さで手を振る。

 狙いは眼。ほとんど反射で顔を逸らしたシオンは、逸らした後に狙ったのが左目、眼帯を付けている方だと気付いた。つまりフェイク。

 本命は――水を纏わせた、蹴り?

 「まさか!?」

 その意図を理解したシオンは、即座に黒陽を展開し、長剣を大剣に変える。

 刹那、その大剣に、幾重もの斬撃が来る感覚があった。

 ウォータースライサー。本来であれば特殊な機材が必要なソレを、永琳は()()()()()再現している。

 シオンも条件が揃えば風で似たような事をできるが、それもあくまで手刀。足で、しかもこんな連続的にやれと言われれば、不可能としか返せない。

 どうすれば、と思うが、悩んでいる猶予はあまりない。こうしている間にも、ウォータースライサーが届いてくる数は増えている。耐えられるのは、永琳が加減しているからだ。

 (移動する? 無理だ。攻撃を一度止めさせなければしようと瞬間を狙い撃ちにされる。このまま止まっていてもいずれ押し切られるだけだ。とにかく永琳の足を……足?)

 思い至ると同時、シオンはわざと片足を水の中に浸け、力の限りに蹴った。

 「う、ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!」

 振り抜くと、大きく水が揺れる。

 今シオンと永琳が立っている場所は、地面ではない。液体の水だ。ならば、他者の足を止めたいのなら、足元を揺らすのが相場だ。

 それでも永琳は手慣れたように攻撃を再開する。

 しかし、一瞬途切れた『間』、それだけあれば十分だった。

 ほとんど無理矢理な縮地で永琳の前へ移動する。大剣は短剣に戻す。距離については一切考えていないため、恐らくぶつかる可能性がある。それを考慮すれば、振り回せない大剣や長剣は不利になってしまう。それ故だ。

 が、予想に反して、視界は真っ暗になった。

 「……? ?? ッ!?」

 顔をズラそうとして、それもできないのに気付く。と、いうより、コレは……何かに挟まっている、ような気がした。

 どことなく柔らかい感触もする。

 瞬間、シオンは凍った。

 ギギギ、とブリキの人形のような動きで一歩、二歩と離れ、そして、その予感が合っていた事を悟る。なんとシオンは、()()()()()突っ込んでいたのだ。

 衝撃が無かったのは、うまく受け止めたからだろう。

 どこか恐怖しているシオンは、過去に何かあったのだろうか。

 「ハァ」

 「!!」

 ビクッ、と体を震わせるシオンは、おそるおそるといったように永琳の顔色を窺っている。反省している様子がアリアリと見える。コレでは怒るに怒れない。

 怒るといっても、女性の胸に顔から突っ込むのは非常識だという注意なのだが。

 「今回は見逃すわ。次からは注意してちょうだい」

 「あ、ああ。わかってる。……よく、わかっている」

 ホッとしていながら、シオンの体から強張りは抜けない。本当になにがあったのか。

 しかし区切るのにはちょうどいいと思う。()()()()()()()()()()()()()()()()()。次からはそれを考慮して置けばいいだろう。

 そして、ある意味地獄の訓練が始まる――。




テストが終わり、気付けば最終更新から既に3週間。
ヤバイです。書く気力が無くなったうえにズルズルとゲームしていました。
一週間更新すらちゃんとできないなんて……。

というか実はコレもギリギリ寸前投稿。
チャットが楽しくて書き終えたのが0時だったなんて言えない……!


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『本気』ではなく『全力』で

折角余裕を持って完成させたのに投稿予約を素で忘れていました、すいません。

いつもより1.5倍ほど文章多いので許してください。


 水上に立つ二人は、ひたすらに剣を振るっている。

 シオンが片足を軸に右回転、下から上へ斜めに剣を振るうと、永琳はシオンの剣に対して十字となるように逸らす。剣が完全に受け流される前に、永琳は自身の体を片足を軸に回転させて、先程の攻撃と同じ事をする。シオンもまた永琳と同じ防御をし、もう一度回転からの斜め斬りをする。

 不思議な事に、二人はそんな感じの事を繰り返していた。

 シオンが攻撃し、永琳が防御し、シオンがやった攻撃を永琳が真似し、永琳がやった防御をシオンが真似し、そしてまた同じ攻撃をシオンがする。

 今度は完全に攻撃を受け流されたシオンは、勢いをそのままに左手で殴る。腕を使って防いだ永琳は、膝を跳ね上げてシオンの腹を狙う。

 時々真似はせずに独自の攻撃で迎撃したりもするが、コレは極稀だ。恐らくまだ両手の指で数えられる程度だろう。

 腹を狙った膝を、シオンは避けずに喰らう。だが一瞬だけ腹を後ろに反らす事で勢いを殺し、ダメージを少なくする。すぐさま剣を真っ直ぐにし、膝狙いで突きを入れる。曲げていた膝を戻し、右腕を前にした半身になって永琳は避ける。

 直後、掌底にした手で剣の腹を殴り、シオンの体勢を崩す。シオンから見て左側から攻撃されたせいで、左肩から沈むように前のめりになるが、とっさに剣の切っ先を水面に接触させ、振り子のように飛ぶ。

 空中で体勢を整えつつ、シオンは剣を盾にする。同時、手に衝撃が来た。少しだけ剣を下に下ろし、左目で永琳が何をしたのか確認する。予想通りといえばそれまでだが、弓で攻撃していた。

 もう一度撃たれてはたまらないと、シオンは魔力で弾丸を形成、永琳の矢に勝るとも劣らない速度で放つ。

 シオンは、永琳には量よりも質で攻撃した方が良いと、経験則で知っていた。

 けれど弾丸はあっさりと魔力剣で真っ二つにされてしまう。お返しとばかりに、永琳はシオンが使ったのと同程度の魔力で作った弾丸を、シオン以上の速度で飛ばしてくる。

 体を沈めて避けながら足に力を籠め、跳び出すように突撃する。身長が伸びたせいで蛇のように地を這う移動は難しくなったが、それでも攻撃を避けるのには便利だ。しかしシオンは即座に横に跳ね、永琳を注視しつつ、()()()()()()()()()水滴を拭う。

 永琳が先程放った魔力の弾丸は一つではなく二つ。片方はシオンに、もう片方はシオンが体を沈めた時に、自然下へ向いた顔を上げる前に空へ飛ばした。そしてシオンが突撃してきた瞬間真下へ叩きつけて来たのだ。

 シオンはそれを察し、真横へ移動して避けた。水滴が真横から飛んで来たのはそのためだ。

 仕切り直し、とばかりにシオンは頭を振りつつ剣を払う。応じるように永琳は弓を消し去ると、また魔力剣を展開する。

 そして二人の体は交差する。

 

 

 

 

 

 シオンの体がドサリと横たわる。その全身は水で浸され、鬱陶しそうな雰囲気を纏わせていた。

 「えっと……大丈夫?」

 眉を寄せて聞くアリス。

 永琳と戦っていたシオンであるが、やはり水上で長時間戦うのはそれなりに神経を削る作業らしく、()()片足を滑らせて水の中に突っ込む、というミスをやらかしてしまった。とはいえ特に怪我らしい怪我もないのだが、一応聞くだけ聞いてみたのだ。

 「不調は無し。問題無い……んだけど、こうも何度も落ちると気分が悪い」

 その口調からは、水に落ちることそのものより、体に水が纏わりつくことを疎んでいるようだった。

 「それなら少しでも早く水の上から落ちないようにしなさい」

 「どんな無茶ぶりだ、それ。そもそもこんな短時間で立てるようになったことを褒めてほしいくらいだ」

 「褒めてほしいの?」

 「……いや、別にいらないな」

 「シオンは結局どっちがいいの!?」

 つい突っ込んだアリスだが、そうしつつも魔力を制御するのを止めない。

 今アリスは、魔力による身体強化をしていた。かなり鍛えているシオンと違いアリスは体ができあがってはおらず、その分魔力強化を使える時間が短い。しかも強化の程を間違えると自滅するくらいの魔力を身に秘めているため、永琳からは「もし最大で使うのなら一部分のみ、それも数分だけ」と制限を喰らったほど。

 だがそれだけではマズイと、少しずつ慣らしているのだ。アリスは回復魔法の才能に関しては他の追随を許さぬほど。そんな彼女は、もし戦闘に巻き込まれればほぼ真っ先に狙われる。当たり前だ。誰だって怪我を負わせた矢先に回復させられるなど、御免なのだから。

 故にアリスは、自分一人でも戦える、あるいは逃げられる程度の力を持つ必要がある。無論他の誰かが守らないはずはないが、できて不足は無い。

 「でも、二人のやってる事って意味はあるんですか?」

 アリスは先程からやっている内容の理由を把握していない。はっきり言って同じ事のリピートにしか見えないのだ。

 「意味がある、どころではないな。正直落ち込むよ」

 「あら、シオンでもそう思うのね?」

 「……貴女は俺を何だと思ってるんだ?」

 「色々狂ってる人外さん? あるいは」

 「やっぱいい。聞きたくない」

 「あらそう?」

 残念ねぇ、と頬に手を当てつつ首を傾げる。

 「ハァ……まぁいい。わかりやすく説明すると、永琳は俺の剣の中にある『無駄』を教えてくれてるんだ」

 「無駄って……あるの? 素人目にも凄いと感じるくらいなのに」

 「ある。斬り合いを見てたならわかると思うけど、同じ行動を三回繰り返してる時が何度もあっただろ?」

 「うん。どうしてそんな事をするのかって思ってたけど」

 「アレは俺の剣の、あるいは体の動かし方にあるおかしなところを、実戦の中で教えてくれてるんだよ。ついでに、その対処法も色々ね」

 それは別に構わない。強くなれている実感はあるし、確かに言われてみればおかしいのにも気付けるからだ。

 が、やはり理屈では分かっていても、感情では長い年月を――といっても、五年にも満たない年月だが――かけて培った剣に対して「まだまだね」と言われているようで、心がざわつくのを止められないのだが。

 「どうしてそう思うの?」

 「……そうだな。例えばアリスが今やってる事。それを、アリスと同条件の人間が、アリス以上の速度で改善していけばどう思う?」

 「……それは」

 「嫌な言い方だったな。でもそう思うだろう? ()()()()()()、と」

 アリスは押し黙る。

 「思うのはしょうがない。俺だって永琳に対してそう感じるんだから。ま、思うだけなら自由だから特に気にしてないが」

 全てに措いて上に行っている永琳。

 何度も何度も自分の剣にダメ押しされる。それはかなり精神に()()ものだ。肉体的な痛みよりもよっぽど辛い。

 それで腐らずにやれるのだから、シオンもシオンだが。本人はそれに気付かずやっているからおかしいと、常々永琳は思っている。普通ならやめたくなってもおかしくないだろうに、と。

 「本人目の前にして言うセリフかしら、それ」

 「言っても気にしない相手に言われてもねぇ」

 あくまで永琳の顔は笑っている。永琳にとって、嫉妬やそれに似た感情など、浴び慣れた物なのだろう。『天才』とはそういうモノだ。

 そして永琳は一つ手を叩くと、場の空気をリセットした。

 「とりあえず、シオンも身体強化を使いなさい」

 「りょーかい」

 軽く言うと、シオンも永琳の意図を理解し、魔力を身に纏い始める。

 最近になって永琳からコツを聞いて魔力の流れをなんとなく把握できるようになってきたアリスは、シオンの纏う魔力量に驚かされる。

 シオンの魔力は、いわば暴風。その小さな身の内のどこに潜ませていたのかと疑う程の魔力を、細かな制御で従わせている。

 「……なるほどね」

 しかし、特殊な機械を以て魔力を見ている永琳には、ところどころにある粗が目立っているのがわかる。やはり正確性では、アリスは一歩永琳に譲るらしい。

 「シオンは強化に使える魔力量がかなり多い。けれど多すぎるが故に均一には整えられない。逆にアリスはほぼ均一に強化できても、扱える魔力は少ない」

 「あの、均一って、できるのとできないのでは何か違いが?」

 「かなり違うわ。そうね……例えば、自分の限界以上に走る時、右足と左足の速さが違ったら、どうなると思う?」

 「転ぶな。……いや、()()()()()()()()()()

 「……?」

 何か理解した風のシオンと、最初の部分しか理解できていないアリス。

 「つまりだ。魔力強化した状態で走っているのに、それぞれの強化があまりにも差がありすぎると、足が千切れる。これは極端な例だがな」

 「大抵の場合そこまで酷くなる前に止めるし、そもそも初心者じゃそんな強化はできないわ」

 シオンが言い、永琳が補足する。

 「だがまあ、もし均一にできれば通常の状態と魔力強化した状態での身体的な動きの違和感は少なくなる。多少の強度の差はそこで覆せる、だろ?」

 「正解。弱い人間同士ならそこまで大局に影響しないけれど、私やシオン、大妖怪クラスになるとその『少し』の差がかなりのモノになる。覚えておいて損は無いわ」

 「……身体強化しても耐久力が一切上がらないせいで、あんまり使っても意味は無いんだがな、俺は」

 シオンの身体能力は、本人でさえ全力を出せないほど体を蝕む。それこそ後先考えず全力全開で殴れば、しばらく片手が使えなくなるほどだ。

 そんな状態で魔力を強化しても、あまり意味は無い。被害が大きくなるだけだ」

 「もしかしてシオン、魔力の『密度』を上げてないの?」

 「密度? 何だそれ」

 その回答を聞いて、永琳は額を押さえた。

 「言ってしまえば『壁』みたいなものよ。あるいは全身を覆って体を守る鎧辺りでも想像してちょうだい。それを纏って、自分の体を保護する。密度を上げるのはそういうことよ」

 永琳が言うのは、つまりは『殻』を纏え、という事だ。

 殻を纏えば自身の攻撃にある程度の耐性が付くし、相手の攻撃を防御する鎧にもなる。今までのシオンは、本人が意識せぬほど微量な魔力しか体外に放出しておらず、それが脆すぎてあっさりと貫かれたのだ。

 「ああ、なるほど。言われてみれば、俺は()()に魔力を展開してばかりで、()()()()なんて事を一度もしてなかったな……」

 今更ながらに気付くシオン。

 「……?」

 その回答に、何となく疑問を覚えた永琳。

 「あ、今日はもう終わりの時間」

 しかし疑念はアリスの言葉で霧消する。

 「そういえばそうか。それじゃ、解散で」

 

 

 

 

 

 

 解散したとはいっても、永遠亭に住む者達の生活サイクルは大体が似通っている。時々早く、あるいは遅れて食事を摂る事はあっても、それ以外の理由で顔をあわせない理由はほとんど無い。

 つまり、この時も全員が顔をあわせていた。

 「アリス、今日の修行はどうでしたか?」

 「いつもと変わらないよ。とにかく魔力に慣らすこと、コレが大切なんだって」

 「アリスの体は魔力を害悪と見做しているのだから仕方がないわ。一足飛びにしようとすれば、もう二度と魔力を使えない可能性すらあるくらい。今は地道な作業を繰り返すしかないわね」

 「事情は知らないけど、難儀だね。恵まれているけど恵まれていない、か」

 「そんなものだと思うよ、シオン。全部が全部上手く行くなんてありえないんだし」

 「あなたはいつも辛辣ねぇ、てゐ」

 鈴仙、アリス、永琳、シオン、てゐ、輝夜。性格も嗜好も種族も何もかもが違う彼等彼女等は、半月近くを共にしていた事で、少しずつ打ち解けていた。

 アリスは鈴仙と、シオンはてゐと、なぜか輝夜とも仲良くなっていた。永琳はどちらともだ。

 「アリスの方はわかったけれど、シオンの方は? 順調なの、永琳」

 「ええ、まあ順調すぎる程に順調かと。教えた事はどんどん吸収していきますし。理論と本能をバランス良く備えているので、死角も少ないですから」

 「それってどういう意味だ?」

 輝夜の問いに答えた永琳に聞くシオン。

 「少しわかりにくいと思うけれど、戦闘する者には大まかに二つあるの。理論で戦うか、本能で戦うか。シオンにも覚えは無い?」

 「……一応」

 何となく、今までの記憶を思い返して、どちらがどちらかを考える。

 「理論はそのまま、頭でいくつも考えながら事を進める。けれど本能と違って刹那のタイミングでの行動が苦手になる傾向があるわね」

 要は考え過ぎて、動くのが遅れてしまうのだ。

 「本能は頭で考えるより先に体が動く、そんな感じ。時に想像もつかないような突飛な行動をするから、この点は強みね。ただ本当に本能のみで動くと動きを先読みされてしまう時もあるから注意が必要だけれど」

 言ってしまえば獣のようなモノだ。

 考えるよりも行動で。話すよりも戦闘で。それだけの話。

 「シオンの場合、考えて動くときとほとんど反射で動くときがあるから、ちょうど良いのよ。実際教える時も、水上に立つ時は言葉で、技術を教える時は剣を交わして自分で勝手に直していたでしょう? だからどちらも、なのよ。戦闘に関わる者からすれば、羨ましい才能ね」

 「なるほど。理解した」

 ベタ褒めと言える永琳の言葉に、しかしシオンはあっさりと頷くだけで、照れも恥じらいも、一切無い。輝夜、鈴仙、てゐの方がリアクションが大きいくらいだ。

 共通するのは一つの事柄。

 ――永琳が褒めるなんて珍しい。

 だった。

 とはいえそれを口に出して藪を突く気は無い。蛇どころか阿修羅が出てくるのが目に見えているからだ。

 「けれど永琳。あなたは昔言っていなかったかしら? 人間が一番成長できる場面は、死に直面したときだって」

 そう、修行、鍛錬、言い方は様々だが、似通っているのは、()()()()()()()()()()()()()()、という点だ。

 だがシオンが求めているのは戦闘、戦い方であり、それ以外は一応覚えているだけ。永琳のやっている事は微温湯のような事なのでは、というのが輝夜の疑問。

 「……え、()()()()()()()()()()()?」

 「確かに、隙があればお互い急所狙いで、容赦なくやっているわね」

 が、輝夜の想像はあっさりと崩される。

 主に、シオンと永琳(バカ)によって。

 「え、は? ……殺し合いって、嘘じゃなくて?」

 「少なくとも」

 「今出せる力の中で最大限出して戦っているわね」

 「まぁほとんど接戦だから、俺は怪我()してないけど」

 「私は何度か殺されたわね」

 無意味に息の整った二人は、交互に言う。

 しかし内容は物騒だった。特に永琳。

 「あの、私は永琳様が死んだところを一度も見てないんですけど……」

 「自分が死ぬ場面なんて見せたくないものよ」

 「それに当たる場所は頭とかが多いからな。何故かは知らないが」

 ジト目で永琳を見るシオン。

 「あくまで多いだけで、他の場所でも殺されてるわよ? ()()よ、()()

 シオンのジト目がますます酷くなったが、永琳はどこ吹く風、満面の笑みを浮かべている。

 が、埒があかないと思ったのか、シオンは諦めた。

 「ま、いいんだけどね。強くなってる実感はあるし」

 「でもまだまだなのはわかっているでしょう?」

 「当たり前だ。今は基礎のやり直し、土台固めだ。それが終わったら、さっさと次に行くぞ」

 「私はあくまでも教えるだけよ」

 「それで十分だよ」

 現状で満足せず、あくまで上を、もっと先を目指すシオン。そして、その道を正すのが永琳の役目だ。

 しかし、当然のように内容をもっと過酷なものにすると言い切る二人を、全員が戦慄していた眼で見ていたのに、最後まで気付かなかった。

 

 

 

 

 

 「よっと」

 軽く振られた魔力剣を避けて、極々自然に剣を返すシオン。そして当然の如く防御する永琳。

 今の二人はウォーミングアップ中。特に合図も無く決められた、その範囲内でのみ移動し剣を振るう。とはいえ速度はそこまで出していない。じゃれているかのようなやり取りだった。

 「なあ永琳、一つ提案なんだが」

 「何かしら?」

 「……昨日言われたし、本当に、今出せる()()じゃなくて、今出せる()()()やってみないか?」

 言われて、永琳の動きが微かに止まる。同時、剣が永琳に届く前に、シオンも止めた。

 「どんなに殺し合ってるとは言っても、能力も魔力の大部分も制限した状態じゃやれる内容はたかが知れてる。一回くらいはやってもいいんじゃないか? あるいは途中経過の把握、のようなものか」

 「そうね……それも、いいのかもしれないわね」

 確かにシオンの技はここ数日で大分上昇した。今まで荒削りだったものが、永琳との修行で余計な部分を削ぎ落とし、洗練され、本当の意味での『技』となった。

 だからこその『全力での殺し合い』を望む。もしも合格ラインを超えれば、次に行こうとするために。

 「でも大前提として、自爆覚悟の攻撃はやめなさい。いいわね?」

 「わかった。それくらいならいい」

 「それじゃ、始めましょうか。――と、言いたいところだけれど」

 「ん? 何かあるのか?」

 「あるに決まっているわ。――アリス! 貴女は永遠亭の中に戻っていなさい!」

 そう、シオンは特に意識していなかったが、シオンと永琳が剣を交わしている最中、アリスも魔力使用の向上のために鍛錬をしている。いつもならアリスに影響が出ないよう気を配ることができても、全力状態ではその余裕が無い。

 もし仮に衝撃波がアリスの居る方に飛んで行き、少しでも掠ってしまえばそれだけで致命傷になるかもしれないのだから、永琳のこの判断は当然のものだった。

 しかしアリスは当惑する。なぜ今日になっていきなり、と。だが永琳の真剣な表情を見て、冗談の類では無いと察した。

 「わかりました! 私は永遠亭で鍛錬を続けます!」

 理由はわからないが、後で聞けばいい、とアリスは二人に背を向けて永遠亭に戻る。

 それを確認すると、二人は少しだけ距離を取った。

 「さて、と。能力解放」

 シオンは永遠亭に来てから一度しか使わなかったモノを解放する。

 「重力制御……その力、見せてもらおうかしら」

 シオンの右手に存在する、禍々しい黒を放出する黒剣。その力を、永琳はただ一度しか見れていない。研究者気質の永琳は、それを調べたくてしようがなかった。

 何故、ただの剣に重力制御なんてものが宿っているのか。

 何故、そんな能力を唯人が扱えるのか。

 何故、何故、何故、と疑問が溢れてきてやまない。永遠を生きる永琳と輝夜。彼女達にとって何より欲しい物は、退屈を紛らわせられる『暇潰し』だ。

 しかし生きれば生きるほどそんな物は無くなっていく。特に自他共に認める『天才』である永琳は、調べたい事柄はどんどん消えて行った。

 そんなところに現れた調べたいこと。知識欲を刺激されないはずがなかった。

 とはいえ調べた結果はシオンにも影響を与えるので、一概に悪いとは言えないのだが。

 「まずは小手調べだ。……行くぞ」

 小さく、冷酷とも言える声でシオンは言う。

 ついで足元の水が蠢き、水玉となって空中に浮かび始める。

 「コレは……」

 ある種幻想的な光景。だが研究者としての性、光景よりも『どうしてこうなっているのか』がどうしても一瞬気になってしまった永琳。その隙を逃さず、シオンは眼に見えるのも難しい小さな重力球を飛ばす。

 「まず一度」

 ――そしてそれは、寸分違わず永琳の心の臓を貫いた。

 しかし永琳は気にしない。心臓を貫かれる、()()()()()()()の痛みで何かを思うほど、普通の生を歩んでいない。

 「なら、次は私の番ね」

 服を自らの血で汚しながら、けれどそれを気にも留めず、永琳は歩き出す。

 走るのではなく歩く。不死人である永琳だからこそできること。だが理由が無い訳では無い。

 「なるほど、一部の重力を操作しているのね」

 永琳はあくまで、自身の知識欲を満たそうとしていたのだ。

 そしてそれは、攻撃にも繋がる。

 「水玉を作ったのは伏線。狙いはあくまで弾幕を無効化するため、というところかしら?」

 そう、どんなに速さのある弾丸であろうと、途中で歪な重力力場に突入すれば、狙う場所は自ずとズレる。当たり所では一撃で即死するシオンは、遠くから狙い打たれることを何よりも警戒しなければならない。だからこその処置だった。

 「まあ、わかってしまえばそれだけね」

 永琳は人差し指をシオンに向ける。その途中には幾重もの水玉がある。しかしそれを意にも介さず、永琳は指に魔力を集め、弾丸を放った。

 シオンは永琳の狙いがわからなかったが、このままではマズいとは頭のどこかで理解していた。そしてその直感は当たる。

 弾丸は水玉のある場所に行く直前、円を描く軌道でそれを避ける。一度だけではない。途中にある場所全てを無駄なく避け、ほぼ一直線にシオンへと向かってくる。

 だが、準備をしていたシオンは魔力を鎧のように手に纏わせて、音を裂いて飛んで来る弾丸を(はた)いた。

 速度と、当たれば大怪我確実の凶撃を、パチン、と軽い音を立てながら防御する。ある意味間抜けだが、防御できればそれでいい。

 お返しに、とシオンは剣を真横に切り裂き、黒い衝撃波を生み出す。重力を纏ったそれは防御する事すらまず不可能。

 だからこそ永琳は空に飛び上がる。本来ならここで追撃をしかけるところだが、躱されるのは目に見えている。シオンは追撃を仕掛ける事無く、しかし自身も空中に飛び上がって視点を永琳と同じ場所にする。

 両者は並び立つ。しかし魔力を使って宙に浮遊するのではなくて、フワフワと辺りに漂う水玉の上へと立っていた。だが水玉がある場所は、イコールで重力の存在が無い。シオンと永琳の髪と服は重力の束縛から解き放たれ、空を漂っていた。

 竹に覆われた趣きある屋敷の中庭、そこで浮かんでいる水玉の上に立つ二人の麗人。絵にすれば数多の人間を魅了するかもしれないその光景は、しかし現実には殺し合いをする殺伐としたものだった。

 「地上――と呼んでいいのかは謎だが――戦での撃ち合いは、あまり差は無いみたいだ。次は空中戦。楽しみだ」

 無表情の中に喜色を滲ませながらシオンは言う。

 「アレでもまだお遊びの部類よ? 戦いはまだまだコレからなのだから」

 自身を血で染めながら永琳は答える。

 「どうでもいいさ。強くなれるのなら」

 「そうね。()れるのなら、他は全部些末な事よ」

 「「さぁ――()()()()()()()」」

 シオンは剣を横に流す。永琳は弓を形作り、矢を番えた。

 足に力を籠め、腕に力を籠める。

 そして人と矢は、一直線に動き出した。

 永琳に向かう事で、相対的に矢の速さも上がる。だがシオンは、敢えて矢を踏み台にする事で自身の速度を上げつつ矢を回避する。

 だが最初の一つは牽制に過ぎない。永琳は再度弦に指を添えると、今度は先程のそれよりも幾分大きい矢を番えた。

 「さて、コレはどう対処するのかしら?」

 先のそれと全く同じ動作で射られた矢。しかし、それで起きた現象は全くの別物だった。

 一つだった矢は二つに。二つの矢は四つに。どんどんと増えて行くそれは、やがてシオンを肉片にする『壁』となった。目の前に突如現れた、自身を殺すかもしれないそれを見ても、シオンは動じない。

 だが、動じない事と何も思わないのは、全く意味合いが違う。

 「その程度の攻撃なら、幽香のマスタースパークの方がよっぽど怖い、ねッ!」

 シオンは剣を縦に構えて眼前に置くと、その形を変えた。自身の体全てを覆うほどに巨大なその盾をしっかりと握りしめる。

 自らに迫りくる壁。シオンはそれを避けるでは無く、敢えて迎え撃つ事を選んだ。決して楽な選択では無い。盾に一定の間隔毎に高低の差を付ける事で着弾に多少の隙を生んだが、それでも両腕に掛かる負担は並では無い。その上壁に当たる度に、前へ進む速度は落ちる。しかし決してシオンは止まらない。

 実際には一秒にも満たない時間だったかもしれない。だが本人には長く感じたその時間は、同時に考える暇も与えてくれた。

 黒陽を使って水場一帯全ての重力を操作しているシオンは、逆を言えばその場所全てにある存在を把握できる。故にシオンは永琳が動いていないのを察していた。

 壁を突き破ったシオンは、即座に近くにあった水玉を踏む、と見せかけて、剣の切っ先を永琳へと向ける。そして、その刀身を()()()()

 黒陽には決まった形が存在しない。それ故の無茶だった。

 無論永琳とて黙って見ているはずもない。後ろへ跳んで距離を取りつつまた攻撃に転じようとして――それができないのを悟った。

 ほぼ無重力空間となっていた永琳の居た場所が、唐突に、何の前触れもなく、()()()()()()()()重力が集い始めたのだ。

 本来星を中心としている重力を、たった一人の人間に向ければどうなるか。

 それは、自身の体が砕ける音で、永琳は理解した。だが、その顔に浮かんだのは痛みで歪んだそれではなく、知らなかったことを理解出来た喜びの笑みだった。

 しかしそれも一瞬、シオンが伸ばした黒陽の刀身が、永琳の顔を貫いた。

 一瞬とはいえ脳を斬られ考える事を止めさせられた永琳は、その体を水面へ落とす。だが、その落ちる寸前、瞬きをする間もなく傷ついた体全てが元通りになった彼女は、手が傷つくのも厭わず剣を握り締めると、シオンを自身と同じく水面へ振り下ろした。

 叩きつけられるシオンと、自由落下する永琳では、落ちる速度には当然差がある。如何に重力を操れようとも、刹那の時間ではそれも無意味。

 左手で受け身を取ったシオンを見つつ、永琳は剣から手を放し、再び弓を形成、流れるように弦に手を置き、矢を放つ。受け身を取ったばかりのシオンにはそれを避ける時間は無く、だが何もしなければ額を撃ち抜かれる。

 だからシオンは、左手を盾にして防御するしかなかった。普通なら、痛みと腕を貫く異物の感覚に動きを止めるかもしれない。けれど永琳と同じく普通では無いシオンは、腕の感覚を無視して、未だ長大な剣を振り下ろす。

 そのままでは避けられるだろうソレ。だからシオンは、永琳と同じやり方をした。根元はそのままに、途中から木の枝のように分かれていく剣は、まるで無数の蛇が絡まったよう。それを見ても永琳の顔には笑みしかない。

 その理由は余裕からか、はたまた別の要因か。恐らくは後者だろうが、その理由はわからない。そのどれでも、シオンには関係無いのだから。

 シオンにとって、()()()()()()()()()()()、それでよかった。

 上空から振ってくる剣群とすら呼べないそれを、永琳は見る。だがそれは、結果として間違いだった。

 ――永琳の背中を貫く水の槍が、その証左。

 「グ、ッ……ガフッ」

 肺を貫かれ、口から血を零す永琳。その彼女を、上空から振り下ろされた黒陽は、圧殺した。

 静寂が辺りを包む。

 そこに立つシオンの背後、そこに浮かぶ水玉。乱雑に浮かぶそれは、決して意味が無い訳では無い。煌々と輝き、共鳴するような音を出す水玉。シオンは、この水玉を使って、本来魔力糸を使って作る魔法陣を作ったのだ。

 単純に魔力を使って水を操ったのなら、即座に永琳に看破されただろう。それをシオンは、魔法陣を通す事でそれを隠蔽した。

 元々水玉を作る過程でシオンは魔力を使用していた。如何に重力力場を歪ませたとはいえ、水玉を一定量のみ宙に浮かせるなど不可能。それを補助するために魔力を使用したため、永琳は魔法陣を使った事にすら気付けなかったのだ。

 使った魔法は『魔法陣にある水玉と同じ動きをする』というもの。

 元は一つであった水。それを水玉にする時、シオンは水を()()()()()()。矛盾するような言葉だが、事実そうなっている。

 例えば二つの容器があり、そこに同じ量の水があったとする。シオンはその片方の水を動かすだけで、もう片方の水も動かせる。

 コレは『一つだった水』であるのが条件。つまり、水自体は分かれているのに、自分達は一つのモノだと誤認させているのだ。だから、魔法陣を形成している水が『永琳を貫く槍』のような動作をすれば、水面の水も同じ様に動く。

 二度も通じるとは思わない。だが圧殺した今なら、まだ永琳も把握できていないだろうと、シオンは魔法陣に送る魔力を止める。

 しかし、それはほんの一瞬だけ、永琳から意識を逸らす事に他ならない。

 ゾワリと背筋が泡立つ感覚。

 それは死の予感。自身を殺す導き手。その存在を知らせるモノ。

 だからシオンは、恥も外聞もどうでもいいと、後ろに倒れ込んだ。受け身も何もかも二の次で、避ける事だけを第一に。

 それがシオンの命を救った。

 シオンの命を奪いかけたモノ、それは永琳の手にある()()()魔力剣。

 そしてその持ち主は――笑っていた。

 「ふ、ふふふ。ああ、本当にびっくりね。びっくり箱の詰まった人間ね、シオンは。私の知らないモノを見せてくれる。こんなに楽しいのは久しぶり」

 とても面白おかしそうに、永琳は笑っている。

 「だから――もっと、教えて! あなたの持っているモノを! 全部!」

 常ならぬ声で、永琳は叫ぶ。いつもの平静さをかなぐり捨て、暇を満たせるモノを持つシオンに乞い願う。

 だがそれは、対峙する側からすれば狂気の思考かもしれない。

 それでもシオンは、その感情がわかるような気がした。暇とは、怠惰とは、それほどまでに人の心を蝕むと知っていたから。

 永琳は瞬時にシオンの目の前へと移動する。

 その移動方法は、縮地だった。あるいはその類似か。どちらも似たようなものだ。どちらもほぼ一瞬で移動できるのだから。

 ほぼ反射だった。剣を振りつつ体を曲げる。

 永琳は、()()()()()()足で蹴ってきた。

 「は!?」

 剣を振っている状態では飛んで威力を軽減するのも無理だ。シオンは蹴られたままに吹き飛ばされる。自ずと腕に刺さっていた剣も抜ける。

 傷が癒えた事にも気付かず永琳はまた前に出る。

 水の上で転がりつつ多少でもダメージを軽減しようとしていたシオンは、グルグルと回る視界のなかでそれを見ていた。少しでも止まれと、弾幕を作りながら。

 しかし永琳は、手に、足に、体に、どこに当たろうとも気にも留めない。

 ――不老不死。

 傷をつけても一瞬で癒える、寿命で終わる事も無い、決して死なぬ存在。

 何より恐ろしいのは、どれだけ傷つけようと、どんな攻撃をしようと歩みを止めない、年月によって培われた精神。

 ある意味では、コレが永琳の戦い方なのかもしれない。シオンにとっては悪夢でしかないが。

 シオンは一瞬黒陽を見、悩んだ。使うかどうか。

 そして止めた。いくらなんでも使うのはマズすぎると。

 「え……あ――」

 だが――左腕を前に突き出してきた永琳、彼女の『眼』を見て、そんな考えは吹き飛んだ。

 「あ……ああ」

 ――その『眼』で見るな。

 「あああ」

 ――違う。『俺達』は()()()()()じゃない。

 「ア――」

 ――だから――

 「アアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァッァァァァッァァァッッッツ!!!」

 

 

 

 

 

 アリスは言いつけどおりに永遠亭に戻ったが、やはり気になる物は気になる。それに暇でもあった。

 てゐはそろそろ満月になるからと、最近昼間はどこかに出かけている。鈴仙は永琳の指示で昼間は薬草などを摘みに言っている。輝夜はそもそも何をしているのかすら知らない。

 だからどうしても暇だった。

 いつもはシオンと永琳の戦いと言う名のじゃれ合いを見ていたからそこまで退屈はしなかった。二人の戦いはアリスの居た世界でも見た事が無い程の高度な戦闘。見惚れないはずが無い。

 「はぁ……」

 やはりどうにも集中できない。

 しかし言われた事は素直に聞くのがアリス。隠れて見に行こうと思う事は無かった。

 ――ここで何も、起こらなければ。

 「!?」

 アリスの体が跳ねる。比喩ではなく、文字通りの意味で。そうなってしまうくらいに永遠亭が揺れたのだ。

 「な、何が……?」

 今まで永遠亭が揺れるなんて事態が起きた事は無かった。

 アリスの心中が不安で揺らぐ。一人である、という事実が、アリスの思う以上に不安の種を植え付けてくるのだ。

 「ど、どうしよう……誰かに会いに行った方がいいのかな。でも永琳様に言われたし、邪魔になるかもしれないから……」

 それでもアリスは言い付けを守ろうと、その場に座り続ける。

 「ッ、キャッ!?」

 だがそれも、もう一度起きた揺れによって倒れてしまった事で消え失せる。

 「……い、いい、よね。確認しに行く、くらいなら……」

 ドキドキと高鳴る心臓を自覚しながら、アリスは立ち上がる。緊張と興奮によるものだと思いながら、その実不安によってアリスは行動する。

 アリスは廊下へ出る。知らずして忍び足になりながら、誰も居ないとわかっていても静かに移動する。

 無意識に中庭から最も遠い場所を順番に視回る。予想通り、誰も居ない。

 そしてアリスは、遂に中庭に辿り着く。

 「――――――――――」

 絶句、するしかなかった。

 水上にシオンと永琳が居る。ここまでは良い。

 だが、している事は凄惨の一言に尽きた。

 シオンが剣を振ると、永琳はワザと腕を貫かせて受け止める。飛び散る血はシオンと永琳に降り注ぎ、しかし二人はそれを無視して次の行動に移る。

 剣で貫かれた腕に力を入れて、締めた筋肉によって引き抜かせないようにする。痛みは際限を知らぬほどに永琳の腕を襲うが、それを無視して永琳は右腕を振るう。

 敢えてシオンはそれを体で受け止め、左足で永琳の足を蹴り砕く。体勢を崩す永琳に、左手を真っ直ぐにして手刀で喉を抉る。

 その時シオンの左手に、黒い何かが纏わりついていた。

 いいや、アリスが見ないようにしていただけだ。今もシオンの体には、黒く蠢くモノが存在している。

 同時に気付いた。シオンの表情は、まるで。

 ――まるで、怯えているようだった。

 永琳の首から上を落としたシオンは、バックステップでその場から離れる。仕切り直しをするように見えるその動作は、アリスにはどうしても、永琳から離れたくてやっているようにしか見えなかった。

 そこから先は、見たくない光景ばかりが続いた。

 近づけばお互いに剣を振るい、シオンは躱し、永琳は体で受け止め剣で貫かれる。その度にお互いを血で彩り、汚していく。

 距離を取れば弾幕を撃ちあい、奇手を交えて騙し合い、一歩でも有利になろうと画策する。

 それは『戦い』というモノの本質を見ていなかったアリスに、恐怖を叩きこんだ。

 今までシオンが学んで来た事は、その全てが()()()()()に使われる。それを理解して、またそれをやろうとしているシオンの精神構造を疑った。

 どうして自分から戦おうとできるのか、と。

 アリスにはできない。しようとすら思えない。もし自分が同じ目に会ったら、きっと逃げる。そう根拠も無く確信した。

 二人の戦いは終わりに近づいていく。シオンの動きが、眼に見えて精彩を欠いているのがわかったからだ。

 「ハァッ、ハァッ、ハァッ――」

 それでもシオンは逃げない。今逃げるなんてことはできないとでも言うように。

 近づいてきた永琳を、もうほとんどが上空に行ってしまった水玉に潜ませた細工に魔力を送り、一瞬だけ拘束するような動きをさせる。

 四肢を捉えられる永琳。だが緩い拘束は力を入れれば即座に壊れそうなほど脆い。

 だが、シオンにはそれだけで十分だった。

 シオンの全身にある黒。それを右手の黒剣に凝縮させる。

 「消え失せろ―――――――――ッ!」

 ――黒い閃光。

 言い表すのなら、それが最も適した言葉だろう。

 突き出した剣から放たれたそれは一直線に永琳を貫き、その更に後方の竹の密林に当たり、どこかへ消え去る。

 時間にしてほんの数秒にも満たない放出が止まると、ポッカリと丸い空虚な部分が密林にできていた。

 そして、永琳は。

 「――ァ」

 右の脇腹から胸にかけてを丸く削られながら、シオンの顎を右膝で蹴りぬき、浮かび上がったシオンを左手で殴り、水面に沈めた。

 アリスには何をしたのかわからないが、永琳はあの一瞬で拘束を壊し、シオンに近づき、そして撃たれた瞬間に体を傾けて回避しようとしたのだ。

 シオンも然る者で、即座に修正して当てようとしたが、結果は見ての通りだった。

 水に体を浸すシオンは、その背中と、揺蕩う白髪しか見えない。だがそれでも、永琳にはシオンがその右手に剣を握ったままなのがわかる。

 先程までの狂気はどこへやら、永琳は目尻を落としてシオンを見ると、何時の間に治したのか、右の脇腹にシオンを抱えると、縁側にシオンを降ろした。

 「――アリス、見ているのはわかっているわ。怒らないから出てきなさい」

 「ッ!」

 ビクリ、と体を震わせるアリス。恐る恐るそちらを見ると、思いきり永琳と目が合った。

 諦めてアリスは姿を現すと、永琳の前に移動する。

 「とりあえず、シオンの怪我を治してちょうだい。ほとんど軽傷だけれど、一応ね」

 「え……あ、わかりました。永琳様は?」

 「着替えて来るわ。このままではいられないでしょう?」

 「そ、そうですよね! すいませんでした!」

 言われて目を逸らすアリス。

 今の永琳は、血で濡れている事を含めても、かなり扇情的な恰好だった。

 引き締まっていて、鍛えている事がわかる、臍まで見えてしまっているお腹。しかしそれも体を美しく見せる要因になっている。そして、もうボロ切れとなって体を隠す程度にしかなっていないせいで少しだけ見えてしまっている胸。同性であるはずのアリスですら何故か赤くなってしまうほどに永琳の体は完成していた。コレで裸体でも見たらどうなってしまうのか。

 意識して永琳を見ないようにしつつ、シオンの治療に取り掛かるアリス。

 それを確認すると、永琳は髪を揺らしながら去って行った。

 シオンの治療をしているアリスだが、やはり特筆して治すべき場所は見当たらない。アレだけの戦闘をしていながら、何故こうも怪我をしないのかと思ってしまうほどに。

 アリスは知らない。怪我を負わないようにしなければ生きていけないほど、シオンの日々は過酷に彩られていたのに。

 だからわからない。シオンのほとんどが、わからない。

 ふと、アリスの目に、黒剣が入る。一〇〇センチもある長大なソレ。見れば見るほど惹き込まれそうになってくるほど妖しげな気配を発する黒。

 引き寄せられるようにアリスの手が伸びて行く。

 だが、その手が剣に触れる事は無かった。

 ピクリと手が動くと、シオンの体が消えていた。

 「シオン、どこに!?」

 消えたシオンの姿を探そうとして――すぐに見つけた。

 額から股まで真っ二つになった()()()()()()()。その先に、シオンが剣を振り下ろした後の残心の構えをしている。

 その妖怪は片腕をアリスのすぐ目の前に向けていた。あともう少しでアリスを貫き、殺していたかもしれない。

 しばらく静止していた妖怪は、そのまま霞となって消える。同時、グラリと揺れたシオンは、前から崩れ落ちた。気絶したまま妖怪を斬る。それは体に刷り込まれた無意識の行動。

 「守って……くれたの?」

 あるいは、アリスのためにやった事なのか。

 理屈では前者だとわかる。だが感情的には後者だと()()()()

 そうでも思わなければ、シオンに悪感情を向けてしまいそうだったから。

 アリスはうつぶせに倒れるシオンに近づくと、魔力を纏いながら抱き寄せつつ立ち上がらせ、肩を貸すと、縁側にシオンを降ろした。その間にもシオンは剣を手放さない。

 運びながらアリスは一つの決意をする。

 あの日感じた思い。それをシオンに聞いてみよう、と――。




途中永琳がおかしくなっている描写を入れています。永琳ファンの方には申し訳ありません。

きちんと理由はあるので石は投げないで――!


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人外と呼ばれたい訳は

 あれからどれほど経っただろうか。一時間にも満ちてないのはわかる。だが、アリスには途方も無く長い時間に感じられた。

 どう聞こう、どう言えば答えてくれるんだろう。そもそも聞けるのか。ドモってしまって何も言えないのではないか。いやシオンの機嫌が悪くなるかもしれない。でもどうしても気になってしまう。

 グルグルグルグルとアリスの頭の中で、終わらない、とりとめのない思考が回り続ける。

 「ん……ッツゥ……」

 「ッ!?」

 シオンの口から漏れた声に反応してビクッと肩を震わせるアリス。

 ピクピクと瞼が震え、少しずつ開かれる。血の如き紅き瞳が虚空を見、次いでアリスの姿を捉えた。

 顔ごと動かしアリスを見るシオン。どこかボーッしていて、見ているのに見ていない、そんな状態になっていた。

 「シオン、意識ははっきりしてる? 思いっきり頭を殴られてたけど、何か変なところは?」

 「ああ、いや……ちょっと、な」

 どこか罰の悪そうに頭を掻くと、シオンは体を見る。

 「永琳の血がベットリと着いてるな……流石にこの服のまま過ごすわけにはいかないか」

 水に叩きつけられた時に多少は拭えたが、根本的に赤く染まっているのは誤魔化せない。特に白い服と髪に着いた血はかなりグロテスクだった。

 しようがないと内心で溜息を吐きつつ、シオンは上体を起こす。

 「あ、あのシオン。どうしてシオンはそんなに頑張れるの?」

 「――え?」

 ふと、アリスの口からそんな言葉が漏れていた。

 驚いたようにアリスを見やるシオンだが、アリス自身、自分がいきなり聞いてしまった事に驚いていた。あれ程思い悩んでいたのが嘘のようだ。

 だが聞いてしまった事実は取り消せない。このまま行けるところまで行ってしまえと、女は度胸だと、どこかで聞いたフレーズを胸に刻みながら続ける。

 「傷ついて、ボロボロになって、死にかけて……痛みだって酷いはずなのに。それなのに、どうして何度も何度も戦えるの? 努力できるの? ……頑張れるの?」

 揺らぐ瞳でシオンを見つめる。ともすれば濡れているようにも見えるその眼に、シオンはアリスの顔から眼を逸らし、虚空を眺めた。

 「――何も」

 「……え」

 「何も。理由なんて、無い。考えたことも無かった。頑張る理由なんて。目的も無いからな、俺には」

 その言葉を聞いて。

 アリスの中の、何かが壊れた。必死に抑えていたモノが溢れて来て、止まらない。

 ――わからない。

 人が頑張るのには理由がいるはずだ。

 ――私にはわからない。

 そうしなければ人は耐えられない。そうし続ける事に、いつか心が軋み始めてしまう。

 ――私には、シオンの事がわからない。

 なのに、シオンには理由が無いと言う。努力する理由も、続けた果ての最終的な目的すら存在しないと言うのだ。

 ――ダメ、これ以上考えたら、止められない。

 人はそう思えば思うほど、坩堝(るつぼ)(はま)っていく。この時のアリスもそうだった。

 ――()()

 それは、当然の想い。

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()――!

 理解できないモノに対する、どうしようもない感情(おそれ)

 ――怖い怖い怖い怖い怖い。嫌、近くに居たくない、この人から離れていたい。

 それはアリスが心の奥底に抑えていたモノだった。

 今までは、どうしようもなくシオンに対して近しいモノを感じていた。

 ――何で私は、あんな事を思ったの? 嫌だ、失くして! あんな事実、失くして!

 それが、アリスに芽生えた怖れに、嫌悪の芽を植え付けだす。

 ――そうだ、今すぐここから、今すぐに――

 「――アリス?」

 「!?」

 気付けば、シオンが心配そうにアリスを見ていた。

 だがそれは、今のアリスにとって途方もない恐怖を呼んだ。

 気付けば、アリスは思いのままに叫んでいた。

 「――来ないで、この化け物!」

 シオンの動きが止まる。

 「――え――」

 口から漏れ出たそれは、意識してのモノか。アリスに関係無かった。今すぐに、ここから去りたかった。

 シオンの目に、はっきりと「嘘だよ、な?」という思いが宿っていたのにすら、見ないふりをして。アリスは立ち上がると、縁側から立ち上がり、巨大な池となった中庭を迂回して、竹の密林へと歩いていく。

 呆然となりながら、しかしアリスが行ってしまうのが見えたシオンは、立ち上がろうとしながらアリスに叫ぶ。

 「ま、迷いの竹林に行くのはマズい! そっちには――」

 「話しかけないで! 私を見ないで! 私に――近寄らないでよ! 化け物のくせにッ!」

 思いの丈をぶつけて、アリスは一度も振り返らずに走り行ってしまった。

 「ア、リス……」

 手を伸ばした姿勢で、シオンは呆然と呟きながら、彼女の小さくなっていく背を見続けた。

 完全にアリスが消え、その場に残るのは、正座が崩れたような姿勢で(くずお)れるシオンの姿だけがあった。

 「ハ、ハハ……」

 しばらくして、唐突に顔を上げるシオン。その頬は濡れていた。透明なソレと赤いソレの痕を残すのを気にも留めず。

 「アハハハハハハハハハハハハハハハハハ―――――――――――――――ッッッッッ!」

 狂ったような哄笑を上げ、腕を、顔を、髪を掻き毟る。

 その体に、何かを纏わりつかせながら。

 ただただ(わら)い続けた。

 

 

 

 

 

 永琳は自室に戻り、備え付けのシャワーを浴びていた。

 本来永遠亭には一つしか風呂は無いのだが、研究に明け暮れている日々を送る永琳は、今を除けばほとんどの日を不規則な生活にしている事が多い。そのためシャワーで軽く体を洗い流す時が多いのだ。そもそも浴びない日もあるのだが、不老不死故に不健康にはならないし、体が汚くなる事も無い。

 そんな永琳だが、流石に血に塗れるのは(いと)う。如何に不老不死と言えども、外的要素を排除するのは不可能なのだ。

 ザッと体を洗い流し、髪を梳いて丁寧に血を洗い流す。もう数える事すら不可能と言える程にやり続けた事だ。血程度を流すのに戸惑うなどありえない。無意識でもできる、と断言できる。

 思い返すのは戦闘していた時のシオンの様子。容赦の無い全力での殺し合いは、鍛錬程度の斬り結びとは全く違った。

 無表情、無感動な顔。冷たく低く、ともすれば冷酷取れる声。ただ殺す事に特化した戦い方。追い詰められれば追い詰められるほど、生き残る事よりも勝つ事に注視した、自身の体を度外視した戦術に頼る精神。

 何より、最後に見せたあの『黒』が気になった。アレを見せたのは、永琳が()()()狂ったかのような態度を取った後。それまでのシオンは、あんなモノを使う素振りなど見せなかったというのにだ。

 「……トラウマは想像以上に多そうね」

 鋼のように見えるシオンの精神だが、その実メッキでしかない。単純に、壊れるまでの許容量が大きすぎるだけで、一度壊れればすぐに暴走しはじめる。その分立ち直るのも早そうだが、試す気にはならない。

 最初は挑発程度でしかなかった。反応を見ようとしただけなのに、あそこまで反応するとは予想外、だが予想できる事ではあった。人体実験を受けていたなら、()()()で見られる事が何度もあったはずだ。永琳の予想が外れたのは、シオンがそれで(たが)を外した事だ。

 恐らく何かがあった。そのせいでどんどん精神がすり減ってきている。だから小さなトラウマでも異様に刺激されるようになっているのかもしれない。

 「まるで開けてはならないパンドラの箱」

 眼を閉じた永琳の瞼に、最後の光景が蘇える。黒の閃光。恐らくシオンの全力の一撃。

 「纏わりついていたアレは、決してシオンを助けるモノじゃない。むしろアレは」

 放った瞬間、見えた。あの『黒』は、シオンの体を()()()()()()

 右手を食おうと、シオンの右手をギリギリと絞めていた。だがそれにも気付かず、シオンはそのままもう一撃を入れようとしていた。……体を壊すのにすら気付かずに。

 戦っている途中で気付いたが、シオンの能力は一定以上の出力を使い続けると、段階的に持ち主を殺し始める。だからこそ永琳は、攻撃を喰らいながらシオンに接近したのだ。すぐにあんな無茶を止めさせるために。

 キュ、と音を立てながらシャワーを止める。

 バスタオルを頭に乗せ、適当に頭と体を拭いて水滴を取り、いつもの服を着る。

 「さて、シオンにも体を温めるように言っておきましょうか……」

 恐らく、言わなければシオンはいつまで経ってもそのままでいる可能性が高い。どうにもシオンは自分の体に無頓着な部分が多い。多少の血や汚れ程度、気にもしていないのだ。

 鏡で自分の顔を確かめる。永琳はシオンと同じかそれ以上に外見に頓着(とんちゃく)しないが、やはり女の見栄というべきモノがある。多少は確認しておいた。

 確認とも呼べない簡素なソレを終えると、永琳は自室を出る。

 「それにしても」

 思い出すのは、もう一つの光景。

 「何で『黒』はシオンの()()にも纏わりついていたのかしら――?」

 永琳の疑問は、未だ尽きない。

 

 

 

 

 

 永琳が中庭に戻ると、未だシオンがそこにいた。アリスが傍にいない理由はわからないが、どこかにでも行ったのだろうか。

 その考えも、シオンに近づいた事で消え去る。

 崩れた正座のまま前のめりになり、両手を前に投げ出し、顔を伏せている。

 「シオン? どうしたのよ?」

 急いで駆け寄り、頬を押さえて顔を上げる。

 「――」

 片眉を少し動かしただけで済んだのは、永琳だからだろう。

 今のシオンは、まるで廃人そのものだった。眼は死んでいて、開いたままの口からは涎が垂れて来ている。触られているのに反応は無く、表情も動かない。ともすれば死んでいる、と判断されてもおかしくはない。

 こうなった原因に心当たりは無いが、予想は出来る。――アリスだ。

 「……何も言わなくてもいいわ。けど、教えて。アリスと何かあったの?」

 ピクリ、とシオンの体が動く。……この反応からして、合っているのは明確だった。

 「――……う」

 刹那だった。永琳すら知覚できない速度で伸ばされた腕が、永琳の両腕を掴む。

 「……がう。違う。違う違う違う違う違う違う違う違う違う――違う! 俺は、()()()()()()()()! 俺は違うんだッ!」

 魔力を纏わなければ折られてしまいそうなほど手に力を入れるシオン。今までずっと力を抑えていたのだと理解させられるその力と正反対に、今にも戻れなくなりそうなほど手遅れになっている心。

 額を永琳の胸に押し付ける。疾しさなど無い。ただ、誰かに触れて、その温もりに触れていなければもうダメになると、本能で悟っていただけ。

 全身が震える。泣いているのは明白だった。

 「ァ……アッ、ウア……」

 漏れそうになる嗚咽を、血が出るほどに唇を噛み締めて耐え続ける。

 気付けば永琳は、掴まれた手はそのままに、腕を曲げてシオンの体と頭を抱きしめた。

 少し力を入れれば折れてしまいそうなほど、シオンの体は細く柔らかい。どこにアレだけの破壊力を生み出す筋肉があるのかと思わせられる。

 それでも永琳は、ただ力の限りに抱きしめる。今のシオンに、何を言ったとしても、その心には届かない。ならば態度で示すだけだ。

 頭を撫で、髪を梳く。想像以上に艶やかなそれに、しかし今は何も思えない。

 ふいに両腕にかかっていた力が抜ける。

 「……シオン?」

 呼びかけてみるが、反応は無い。

 腕から力が抜けてダラリと垂れ下がる。それでも額は押し付けられたままだ。永琳も無理して引き離そうとはしない。

 だが、シオンはいつまでもその体勢でいる事を良しとはしなかった。

 「…………………………ごめん」

 か細く消えてしまいそうな声で謝るシオン。

 頭を上げて見えたその顔は涙で頬が赤く腫れ、鼻水は無いがグシャグシャだ。永琳はハンカチをどこからか取り出すと、その顔を拭う。素直にシオンはそれを受けた。

 拭い終えると、永琳はハンカチを畳んで仕舞う。

 「何が、あったの? ……もしかして、アリスが?」

 前者では何も言わず、後者でほんの少しだけ反応した。

 それはどちらかというと、心が反射的に聞いてしまったようだった。

 「やっぱり、そうなのね」

 永琳の憂い顔から目を逸らし、また顔を下げてしまうシオン。責めてはいないと、もう一度頭を撫でる。

 「……俺は、()()()()()()()()()()

 シオンがぽつりと小さく呟く。

 「そう、思ってる。だけど本当はわかってるんだ。どんなに否定しても、俺がそう思っていたとしても、周りはそう感じているはずがない。俺はおかしいって、異常だって、きっとどこかで思ってる。でも、そう呼ばれても不思議じゃないんだ、俺は。力も、考え方も、全部『普通』とはかけ離れてる。……これで、どこが化け物じゃないって言えるんだ?」

 シオンだって自分の事がわからない。

 きっと、自分の全てを理解できている人間なんていない。

 「俺は自分の全てを偽れる。その気になれば他人になりすまして、『自分』を殺す事だってできるんだ。剣を使えば重力も、空間も操れる。それを使えば、星を一つ壊す事だってできる。化け物だなんてまだ温い」

 今のシオンは、怖ろしく自らを卑下し続ける。

 「怪物? 悪魔? 死神? 紅月なんて呼ばれもしたな。俺の呼び名なんて、そんなものだ」

 シオンの名前を呼んでくれた人は、一人しかいなかった。

 その人だけが、シオンの力を目の当たりにしても、受け入れてくれた。笑って、凄い、と言ってくれた。……その人は、もういない。

 「壊してばかりで、守る事も創る事もできない。死体の山ばっかり作ったくせに……笑っちゃうよね、ホント」

 思い出すのは、あの光景。自ら死地に飛び込んで、その度に自分だけが生き残る。その足元に、血を流す死肉を残して。

 「彼女にも言われたよ、俺は想像するのができないんだってさ。図星だったよ。どうしようもないくらいに」

 そこで永琳は、昨日感じた違和感の正体を悟る。

 どこまでも戦闘という分野に対し妥協を許さないシオンが、なぜ魔力による身体強化のわからない部分を知ろうとしなかったのか。

 それは、知らなかったのではなく、()()()()()()()()()()

 どんな天才だろうと、頭の中に浮かばない事を試すことなどできはしない。

 「守れず、創れず、壊し、奪い、殺すだけしかできない。そんな存在を、どうすれば『人』と呼べるんだ……」

 シオンの言葉は懺悔のようで、その実は単なる独白。自分自身でどうにかしようと思えなくなってしまっている。どうにかしようとも思っていない。

 「……アリスに、化け物と呼ばれたの?」

 「ああ」

 「アリスは今ここに居ないけど、どこかに逃げたの?」

 「ああ」

 「――最後に、化け物と呼ばれたから、あなたは傷ついたの?」

 「そうだよ」

 「……そう」

 「でも、少し違う」

 「?」

 シオンの言葉に、永琳は何が違うのだろうと思う。

 「他の人間に言われたくらいなら、何も感じなかったよ。そこまで弱いつもりじゃない」

 そう、それくらいならどうとも思わない。赤の他人の挑発に乗る程幼くも無い。

 つまり、シオンがここまで思いつめている理由は。

 「――アリスに、言われたから。どうしてかはわからないけど、どこまでも()()と感じる彼女に言われたから、思ったんだ」

 近しい人間に罵倒されて、傷つかない人間などいない。シオンの場合は、それだけが理由では無かったが。

 「この話は、誰にもしてないけど。俺は人体実験を受けてる途中で、髪と眼と、肌の色が一度完全に狂った。まともな人間とは思えないほど狂った色に。……繋がりが絶たれた気がしたよ。それだけが全部だったのに、それさえ無くなったんだから。壊れそうになった。体じゃなくて、心が」

 今でもあの『色』を思い出したくは無い。あんな、もし見られれば、絶対に一緒に居たくは無いと思われるような色を。

 「だけど俺は、受容できなかった。だから誓った。『せめて、もう一度。もう一度だけ、家族に会いたい』って」

 「――あなたがそこまで思い詰めてるのは」

 永琳は気付いた。いいや、永琳でなくとも気付くだろう。

 「ああ、そうだ。俺がどうしても思ってしまうのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 人は、どちらかというとネガティブな生き物だ。

 大事をやれば失敗するかもしれないと考え、失敗が積み重なればもうダメだと思ってしまう。そう、人とはほんの少しの不安要素でどこまでもネガティブになれてしまう。不安にならない人間など、存在しないのだから。

 「アリスに言われてからずっと、頭の中でずっと繰り返し浮かんで来るんだ。父さんに、母さんに、妹に、化け物だって、近寄るなって、恐怖の眼を向けられながら拒絶される光景が」

 頭を抱えるシオン。永琳は一度、眼を閉じて気持ちを抑えた。

 (――シオンは、()()()()()()()のね)

 恐らくシオン自身気付いていないこと。無意識にあってもそれを拒んでいる。

 父の愛に。母の愛に。家族愛に。そして――恋心に。飢えているからこそ拒んでいる。だが、そこには一つだけ足りない要素がある。

 そうなった原因だ。結果には過程が伴う。ならば、家族に対する愛以外――例えば、親しい人の愛情、とか。しかしシオンの様子を見るに、それすら拒んでいる。

 (――なら、シオンが愛情を喪ったのは、一度だけではない?)

 けれど、永琳にはそれ以上の事はわからない。

 ただ、言えることはある。今のシオンに、伝えるべき言葉が。

 「ねぇ、シオン」

 「……なに?」

 「あなたは自分を化け物だって言っているけれど、私はそう思わないわ」

 「それは、永琳だから言えることなんじゃないのか。永琳は、死なないんだから」

 「そうね。私は死なないわ。でもね、そんな私だから言えることがあるのよ」

 永琳はどこか儚い笑みを浮かべる。その永琳らしからぬ笑みには、様々な感情が宿っていた。

 「かつて私は不老不死となれる薬を作り出した。私に作れない薬は存在しない――そんな、研究者としてのプライドから。今思えば、それはとても愚かなこと。私だけでなく、輝夜も巻き込んだのだから。いえ、あの子は望んでやったのかしら――とにかく、私は色々な事に気付かないくらいに愚かだった」

 自嘲する永琳に、常の振る舞いは存在しない。

 「何度も後悔したわね。あの時あんな薬を作ろうとしなければ――そう思って、何をする気も起きなかった。だけどもう一度輝夜に会った時、あの子は輝いていた。最後に会った時よりも、ずっとね。私を責めずに、ただ感謝だけを述べて」

 その時の輝夜の表情も、自身の感情も、全て鮮明に思い出せる。

 「あなたを化け物にした私を恨まないのですか――そう聞いたけれど、逆に怒られたわ。『私は化け物だなんて呼ばれるつもりはないわ。私は私。蓬莱山輝夜よ。化け物なんて呼ぶくらいだったら、姫と崇め讃えなさい!』なんて。……つい笑っちゃった。あの時にはじめて、私はあの子を知ったの。敬語が抜けたのもアレが原因でしょうね」

 くすくすと楽しそうに笑う永琳は、そこに悪感情を見せることはない。本当におかしくてたまらないと思う、天才ではない、一人の女性だった。

 「遠回りになったわね。今、私もこの言葉を贈るわ。『シオンはどこまで行ってもシオンよ。それは否定できないし、否定しても意味が無い。だったらせめて、言ってやりなさい。俺は人間だ。人の心を喪った化け物なんかじゃない――』って」

 確かに力はある。力があるからこそ強い。だがシオンは、弱い。()()()()()()()を見失うほどに弱くなっている。

 「本当の化け物は、理性も本能も無く、ただただ異形の力を振りまく存在。それからすれば、シオンはまだまだ甘ちゃんね。甘々よ」

 「――――――――――……………………えぇ…………………………」

 どこか呆れたように笑うシオンに、もう先程までの悲壮さは無い。

 「何だよ、それ……ほんっと、バカみたいだ。理路整然とした『天才』サマが、感情論を振りかざすとか……いつもの貴女はどこに行った?」

 「あら、『天才』だって人間よ。たまにはバカみたいなことだってしたくなるわ」

 「そう、だよな。人間だよな……永琳は」

 ふぅ、と一つ溜息を吐いて、そして永琳を驚愕させた。

 「わかり()()()、もう自分を化け物だなんて言うのは()()()()。愚痴を聞いて()()()()ありがとう()()()()()()師匠(せんせい)

 「!?」

 今の今まで全く言葉遣いを改めなかったシオン。

 たまに鈴仙やアリスから、少しは変えた方がいいと忠告されても止めなかったシオン。

 そのシオンが、敬語を使い――そして、()()()()()()()()()()、と認めた事実に、永琳は驚かされた。

 「シオンって……敬語、使えたのね」

 「待ってください、師匠は俺をどんな目で見ているんですか。自業自得ですけど」

 どこか戦慄している永琳に、シオンは頭を掻きながら言った。

 「()が敬語を使おうとしなかったのは、単に私が尊敬できると思える人がいなかったからです。相応の人には相応の態度を取りますよ」

 何もシオンは傍若無人なわけではない。単に自分を曲げないでいたら、敬語を使う必要があるべき相手が見つからなかっただけだ。

 逆を言えば、シオンが敬語を使うのは、()()()()()()()()()()()()()()()、という事になる。

 「――……違和感が凄まじいから、敬語はやめてちょうだい」

 「……わかった。でも師匠と呼ぶのはやめないけど、いいか?」

 「ええ、それでいいわ。むしろそれでお願い」

 それを聞いて、シオンはどこかムスッとした表情を浮かべる。初めて尊敬できる相手を見つけたのに、その相手が拒否しているのだから、しかたないかもしれない。

 だが永琳も、どうにも弱みにつけ込んだ感じがして、素直に受け取れないのだ。

 話を逸らそうと、永琳はずっと気になっていたことを聞いた。

 「そう言えばシオン、アリスはどこに行ったか知っているかしら」

 瞬間、シオンが少しだけビクついたのを、永琳は見逃さなかった。

 「アリスなら――迷いの竹林に、走って行った。頼む師匠、アリスを助けて欲しい」

 それでもシオンはドモることも噛むこともなく答える。それどころか、自分を傷つけた相手を助けて欲しいとすら言う。最初のアレを見なければ、永琳でさえ気付かなかったかもしれない。

 「そう。悪いわねシオン、少しアリスを迎えに行ってくるわ。あなたは風呂でも入ってその血を洗い落としておきなさい」

 「……わかった。師匠、行ってらっしゃいませ」

 最後に付け加えられた言葉に少しゲンナリしながら、永琳は駆ける。

 アリスになんて説教をしようか、と考えながら。

 

 

 

 

 

 「ハァッ、ハァッ、ハァッ……」

 駆ける。駆ける。駆ける。脇目も振らず、ただ前に。

 「ハァッ、ッ、ハァッ……」

 足を取られそうになり、すぐにバランスを整えて、また駆ける。

 「……ッ、ハァッ」

 逃げる。ひたすらに逃げ続ける。シオンから。そして自分から。

 「……もう」

 しかし、限界の人間など居はしない。いずれガタが来るのは、生きているモノなら道理。

 「無理ぃ!」

 息を荒げ、前かがみになりながら息を整える。つい座りそうになるが、膝を押さえてなんとか耐えた。

 脳裏を過ぎるのは先程の言葉。

 『近寄らないで! この――化け物!』

 「うッ……! なんで、私は、あんな言葉を……!」

 口元を押さえて、吐きそうになるような気持ち悪さを抑える。

 言うつもりなど無かった。ただ、衝動的に言ってしまっただけだ。その理由も、全部理解している。……自分が、弱かったからだ。

 アリスは、シオンを妬んだのだ。理由も無く、目的も無く努力できるシオンに、挫折して、唯一の友達に八つ当たりしたアリスは、シオンの強さを妬み、羨み……勝手に、恐怖した。その結果がアレだ。

 思い浮かぶはシオンの顔。化け物と言われて、心底傷ついていたシオン。傷つくなんて思わなかった、なんて言い訳は無い。あの程度の言葉で、なんて誤魔化せない。言ったのはアリスなのだから。

 もしシオンが表情を変えなければ、アリスも何も思わなかっただろう。だが現実は違う。その事実が、アリスの心を追いつめて行く。

 「私は……私は、なんでこんなにバカなの。……変わってない。メリーにあんな事を言ったあの時から、全然変われてない!」

 人はそう簡単に変わることなどできはしない。それを思い知らされた。九歳の子供が知るような現実では無いかもしれない。だが、アリスは王族だ。責任ある立場。そんな人間が、こんな人間でいいはずはない。

 「変わらなきゃ、ダメなのに。そうしないと、メリーにあわせる顔が無い。私は王女で、皆の上に立つべき人間で……だから。私は!」

 肩書きは第三王女というモノでしかない。兄はいるし、姉も二人いる。アリスにやるべき事はあまり無いだろう。だが、そんな理由で努力を放棄するほど、アリスは子供では無い。しかし感情を制御できない点では、まだまだ子供だった。

 その時、俯いていたアリスの頭の上を、一つの光が通った。

 「まぶし――!」

 顔を下に向けていたとはいえ、それだけで遮れるほど小さな光では無かった。少しだけチカチカとする眼に両手を当てた瞬間、声が振って来た。

 「アリス、竹林に来るのはやめておきなさい。今のあなたじゃ不意打ちに対応できるほど強くは無いでしょう」

 「永琳、様……?」

 その声に聞き覚えのあったアリスは、顔を上にあげる。

 チカチカとするため瞬かせた眼に映ったのは、シオンが殺した妖怪とはまた別の妖怪。

 「え、きゃあ!?」

 驚いて腰が抜けたアリスは、その場に倒れ込む。そんなアリスに、音を潜めながら永琳は近づいていく。

 「ここ最近、竹林にいる妖怪の数が増え続けているのよ。だから鈴仙に、薬草の採取の()()()()妖怪退治をお願いしているのだけれど」

 永琳の言い方はあくまでも軽い。だが、その内に潜ませている感情は、決して読み取ることを許さない。

 「私は言ったはずよ。『里の中なら安全』だと。逆を言えば、それ以外の場所ではいつ殺されても文句は言えない。……実際私が助けなければ、今ここであなたは死んでいた。シオンもあなたを心配していたのよ」

 瞬間、アリスにある言葉が浮かぶ。

 『ま、迷いの竹林に行くのはマズい! そっちには――』

 アレは、外に出ればアリスが死ぬかもしれないと危惧して言ったモノ。なのに、自分は。それを理解すると同時に、一気にアリスの表情は歪む。

 「……その顔を見るに、反省はしているようね」

 本当は説教をするつもりだった。なぜあんなことを言ったのか、少し考えれば相手がどう思うのかと伝えた後、その他の部分もダメだしして反省を促す、そうしようと思ったのだが……。

 「私は、本当にバカ。今回もそう。考え無しに言って、謝る前に逃げて、それで後悔して。メリーにもシオンにも、私を心配してくれる優しい人に八つ当たりして、それでまた独りになっちゃうのかな」

 こうも自分を貶しめる相手に説教するほど、永琳は感情任せに怒れない。

 それに、理解もできるのだ。アリスは確かに回復魔法の才能がある。だが、言い換えればそれだけだ。自衛の手段をほとんど持っていない。そんな人間が、シオンのような力ある存在からその暴力を振るわれればどうなるか……想像に難くない。

 「一つだけ言っておくわ」

 「……?」

 だから、少しだけアドバイスをする事にした。

 「人との繋がりが切れるのは、何かをしてからじゃない。何かをしてから、それを放っておいたままにする事よ」

 これ以上は言わない。後は自分で行動して結果を変えろ。

 そう言わんばかりに永琳は背を向ける。

 その背にアリスは問いを投げ返さない。言えば、きっと永琳はアリスを放って行くだろう。

 「……着いてきなさい。永遠亭に帰るわよ」

 「……はい」

 そしてその選択は正しかった。数歩歩いてから、何の前触れもなく永琳はそう言った。アリスは頷きながら言葉を返し、永琳の後を追う。

 永琳が前に、アリスが後ろを歩く。会話は無い。極稀に永琳が周囲を見渡すが、それだけだ。そんな気まずい雰囲気の中で、突如口を開く。

 「シオンに会っても、驚いて何も言わないのはやめた方が良いわ」

 「え?」

 「あなたに言われた『化け物』って言葉。アレは、アリスに言われたからこそ、シオンの心を容赦無く貫いた。近しい人間であるあなたから、ね」

 「……シオンは、私を近しい人だと思ってくれていたんですか」

 意外、と言いたげに、だがどこか冷徹な声音。コレは想像以上に難物そうだ。

 「興味の無い人間にはとことん冷たい人間よ、あの子は。代わりに近しい人間にはとことんまで優しくなれる。要は知っているのよ」

 「何を、ですか?」

 「――自分の手の届く範囲の狭さ」

 永琳は自分の掌を見つめる。

 「一人の人が助けられる人間の数は、どんな存在でも限度がある。だからシオンは、その『助けたい人間』を限りなく小さくした。その分優しさが増したのね」

 まぁ、近しい人でなくとも優しいみたいだけど、と永琳は続ける。

 「そんな風に思っている人から化け物だなんて言われたら、傷つくのも道理でしょうね」

 「永琳様、は……私を責めますか?」

 問われて、永琳は一瞬黙る。

 「私はどうとも言えないわ。力無い普通の人間からすれば、私やシオンを化け物としか捉えられないでしょうし。私達がどれだけ言ったところで、ね。私はその辺り割り切って考えているし、赤の他人から言われても気にしないわ。……近しい人から言われても、多分気にしないでしょう」

 何度も言われた言葉だ。慣れもする。だから今更言われても、どうとも思わない。

 「それにどれだけ互いが近しいと思っていても、仲良くなれるとは限らないわ。――同族嫌悪、なんて言葉もあるくらいなのだから」

 同じだからこそ忌み嫌う。そんな人間関係もある。

 ――しかし。

 「だけど、シオンは別。あの子は何度もサインを送ってたわよ? 『――俺を化け物とは呼ばないでくれ』って」

 「そ、そんなのいつ……」

 「()()()()()()()()()()()()()

 絶句したアリスの歩みが止まる。それに合わせて永琳も歩みを止めた。

 「思い返してみなさい。シオンがなんて言ってたのかを。あの時シオンは、こう言っていた」

 『――今日からここで世話になる事になった、『人外』シオンだ。よろしく』

 「コレがサイン。アリスにはわかるかしら?」

 さっぱりわからない。

 だがそんな事を言えるはずも無く、考え始める。それから数分程経っただろうか。永琳は仕方がないかと溜息を吐く、と同時にビクつくアリス。

 「そもそも『人外』という言葉には複数の意味があるわ。大体は人間でないモノを指すけれど、それ以外にも――人の道を外れた存在にも示してる。そしてシオンは、人外という言葉に『()の枠内から()れた存在』という意味を宿している。ここまで言えば、わかるかしら?」

 横目で見てくる永琳に、フルフル、とアリスは頭を横に振る。

 だがその瞳は見開かれ、揺らぎ、唇は戦慄(わなな)いている。……気付いて、しまったのだ。アリスは、シオンの願ったモノを。

 なのに首を横に振ったのは、気付いていないからでは無い。

 「人外と呼んでほしい。――それは」

 言わないで欲しいという、アリスの無言の哀願だ。

 しかし永琳は、無慈悲にも続きを止めようとはしない。

 「『人外と呼んでもいい――それでも、せめて人()()()事を認めてくれ』」

 あくまでも永琳の推測に過ぎないソレが。

 「コレが、シオンの懇願」

 アリスの心を、散り散りに砕く。

 しかし、永琳はもう一つだけ付け加える事をしなかった。

 『そう、だよな。人間だよな……()()()

 シオンはいまだに自分は化け物なのだと思い知らされている。だがコレを言ってしまえば、きっとアリスはシオンに会う勇気を無くす。

 だから永琳は、これ以上何も言えなかった。

 

 

 

 

 

 呆然自失となったアリスの手を引きながら永遠亭の中庭に戻った永琳は、人影を見た。

 「……シオン」

 「!」

 握った手が震えるのを感じながら、こちらを見やるシオンを見る。

 いまだに全身が血だらけのシオンは、まなじりを落としながらアリスを見つめる。その視線は心配の成分を多分に含んでいて――それがアリスを更に追い詰める。

 血を洗い落としておきなさいと言いつけていたのにも関わらず風呂には入らなかったシオン。それだけアリスが心配だったのだとわかる。自分が最も傷つく言葉を言われてなおその相手を心配できるのは、相当だろう。

 永琳は一度、ギュッと手を握り締める。

 ――後はあなた次第。

 そんな意味を込めると、永琳は二人を残して立ち去った。

 アリスは永琳に握り締められた手で拳を作ると、シオンに向かって歩き出す。だが、

 ――ザリッ。

 そんな音が、聞こえてきた。その音は、砂を擦った音。そしてそれを出せるのは、アリスかシオンのみ。恐る恐る、アリスはシオンの足元に視線を動かす。一歩だけ後ろに下がったその意味が、如実にシオンの本心を語っていた。

 それでも、と。それでもアリスは言わなければならない言葉がある。

 もう一歩だけ前に出て。

 「――ごめんなさい!」

 アリスは思いきり、頭を下げた。

 王族であるアリスが頭を下げるなど、本来ならあってはならない。王族とはどこまでも偉くなければならないのだから。安易に頭を下げれば、それだけその国の価値を下げる。それがどこまで愚かなのか、アリスは物心着いたその瞬間から教え込まれてきた。

 そのアリスが、頭を下げる。それだけ想いのこもったモノ。

 「私は、何もわかってなかった。何も言わずにあなたを責めた! 勝手にシオンを恐怖の対象にした。聞いたのは、こっちなのに……」

 口籠る。言い訳がましいとわかっていたからだ。

 アリスが悪く、シオンは悪くない。ならば、決めるのはシオンなのだ。アリスが無様にわめく権利など、ありはしない。

 「……努力するのは、悪いことなのか?」

 「…………………………?」

 シオンの独り言に、アリスは頭をあげる。

 「今の俺には何も無い。けど、昔一度喪った。自分の命なんかよりも、よっぽど大切なモノを。守れなかった。後悔した。だからせめて、『いつか』現れるかもしれない大切な人を、今度こそ守ろうと、頑張って……それが、責められる。どうしてだ? わからない。俺にはわからない」

 シオンには目的が無い。しかし、それは『目標』を持たないのと同義ではない。

 「異常かもしれない努力。だけど、努力して、自分を磨くのが『生きる』って事なんじゃないのか? 俺はただそれをやり続けただけだ。それ以外を知らない。努力しなきゃ生き延びられなかったから。止める人も、止めてくれる人もいなかったから、ひたすらに頑張り続けて」

 「シオンには……ブレーキをかけてくれる人が、いなかったの?」

 「むしろ一人を除いて死地においやる状況にさせられてばかりだ。大人なんて、ほとんど信用できない。黒い。真暗だ。欲に塗れた汚い人間だ。だから大人なんて、嫌いだ」

 嫌悪感向き出しに表情を歪めるシオンに、アリスは()()される。シオンらしからぬその表情に、シオンの本音が見えた気がした。

 いつもいつも死地にいて、それを切り抜けるために、異常な努力をし続けた。いいや、させられた。その結果が、このシオン。止まらないのではなく止まれない。機械のように際限無くそれをやり続ける人形。あるいは道具。

 「……辛いなんて、思う暇すら無かった。忘れたよ、忘れるしかなかった。壊れた、壊された。何が、何を? 自分でもわからない、だって知らないんだから。俺は『普通』なんて知らないんだから」

 気付けば静謐に涙を流すシオンがいた。

 「こうなった()()を責めていないし、行動をした事も後悔しない。守れたんだから。()()()()()()()()()()()、きっと俺は自分を守れない。だから、だから俺は今」

 「――もう、いいよ」

 トン、と足を踏み出し、アリスはシオンを抱きしめる。

 聞き続ける事に、耐えられなかった。そして永琳の言葉の意味もわかった。こうなったのはシオンのせいではない。誰かを守って、守り抜いて、それをむしろ誇っている。よほど、大切な人なのだろう。

 かつて守れた人がいる。かつて守れなかった人がいる。そしてその意味を思い知らされている。力が足りなかった。だからいつかのために色々な事を覚え、学び、知ろうとしている。

 アリスは何も知らなかった。知ろうともしなかった。だけど、今知れた。だから。

 「私は本当にバカだった。シオンの事を近しいと思っていたのに、何一つ知らないままで」

 「……会って半月くらいの人間が、その人間を知れるはずがないだろうに」

 「そうね。でもそれは理由にも言い訳にもならない。だから今ここで、私はあなたに誓うわ」

 シオンの頬を、両手で押さえる。乾いた血が、パキリと鳴った。

 「私はあなたを知る。あなたは私を知って? 私はあなたのブレーキ役になるから、シオンは私に色々な事を教えるの。お互いがお互いを支える。……シオンが私を許してくれるのなら、それをしてみたい。ううん、させてほしいの」

 ふんわりと、優しい微笑みを浮かべるアリス。それは、いつかの『彼女』を思い起こさせるようで――

 「は、はは……」

 「ど、どうしたの!?」

 いきなり頬を引き攣らせるシオンに、アリスはマズい事を言っただろうかと焦る。だが、シオンは左手を、アリスのそれに重ねた。

 「謝ってくれた時点で、俺はアリスを許してるよ。……嬉しかった、だけだ」

 シオンの頬が歪んだのは、信じられない事を目の当たりにしたからだ。

 「何の力も無くて、俺の力を知ってそれでも受け入れてくれたのは、アリスが『二人目』だ」

 「そう、なんだ……これから、よろしくね? シオン」

 「ああ……よろしく、アリス」

 コツン、と額を合わせて笑う二人には、もう険悪な雰囲気は存在しない。ふいにもう少しだけ、と願う自分がいるのに、アリスは気付いた。同時に『二人目』という言葉の意味に小さな棘を感じて、もっとと思ってしまう。

 けれど終わらないモノは無い。何の前触れも無く、シオンが額を離した。

 「……そろそろ戻った方が良い」

 「でも、もう少しくらいは……」

 「――服」

 「え?」

 自分の服を見下ろして、アリスは一機に顔を赤くした。

 中庭を突っ切って走ったアリスの服は、小さな木の枝や葉っぱが付いている、どころではない。どんどん暑くなってきた、六月一歩手前の今、着る服は相応に薄くなる。つまり、

 ――服が破けて美しい肌が見えている、という事だ。

 「きゃ、きゃああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁッッッ!??」

 叫び声をあげ、服を手で隠しながらアリスは全速力で走る。無意識に身体強化を併用しながらなので、よほど焦っているのだろう。遠くで「ア、アリス!? 何をして――」「イヤアアアアアアアアアァァァァァァァ! 見られた!? シオンに見られちゃった!? 恥ずかし――」「落ち着いてくださいアリス!?」なんて声が聞こえてくる。

 苦笑いしか浮かんでこないが、今のシオンにはそれすらない。

 「――永琳」

 「やっぱり気付いてたのね。いつから?」

 「最初から」

 「少し傷つくわね。コレでも隠行には自信があったのだけれど」

 「知り合いのがまだ上手いな。まぁあっちは能力も併用しているからだが」

 「そう……」

 木陰から、ずっとシオンとアリスのやり取りを見ていた永琳。出刃亀、野次馬、そんなふうにしか捉えられないが、シオンは見られていた事に赤面すらしない。

 どこか永琳がつまらなさそうなのは、気のせいだと信じたい。

 

 「――で、()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 ニコリともせず、永琳は返す。

 「……何の話かしら?」

 「誤魔化すな。俺達を二人きりにして、一人一人にアドバイスして……貴女なら、俺達を誘導する事だってできるはずだ。『天才』たる貴女なら」

 「……ハァ。私は今回何もしていないわ。思った事をただ言っただけ。その結果はあなた達が自分で掴んだモノよ」

 「……ッ。永琳ッ!」

 「――()()()()()()()()()()()()()()()()()()。私の誇りをかけて、それでもまだ信じられない?」

 その視線は鋭く、瞳には激しさを宿して。何より、主に『様』を付け、誓いを言う。それは、永琳の最も大事なモノ。

 「……いいや。嘘を言ってないのはわかってた。ただ、確信が欲しかっただけだ」

 「趣味が悪いわねぇ」

 それはシオンにも伝わった。小首を傾げる永琳に、しかしシオンは悪びれない。

 「あの結果が貴女の手によるものだなんて思いたくは無かった。あの言葉がアリスの本心だってわかってる。でも、それでもアリスはまだ幼い。俺と違って、他人の悪意を『全力で』浴びたことだってほとんど無いだろう。だからどうしても、ね」

 臆病になった、と言えるかもしれない。それでも、確かに信じれるものが欲しかった。永琳に騙されて言ったものではなく、アリス自身の言葉だと。

 ハリボテの嘘は、脆く儚いのだから。

 「それだけアリスの言葉が大事なのでしょう? とても嬉しそうだったものね」

 「永琳!」

 先程と同じ叫び。

 だが、少しだけ染まった頬が、シオンの感情をわかりやすく示していた。




やっと……ここまで、書けました!

文字数前回より増えた上に、ここの内容をきちんと書かないとシオンとアリスの関係やその過程がわからないので、かなり辛かったです。本当は春休みの内に少しくらいは貯めておきたかったんですけどね。
まぁ、ついでに今までの話を読み返して誤字脱字が無いかの再確認をしていたのも主な原因の一つですが。

作中にありますが、本当に永琳はアドバイス以上の事をしていません。裏から二人を操ろうとか一切考えていないので、そこはご安心? を。

永遠亭の話はここが一番書きたかった部分なので、多分後2話か3話くらいで永遠亭は終わるかと。

この作品、いつになったら終わるんだろう……最近色んな想像もとい妄想が浮かんできてその二次創作が書きたくてたまらない。まぁ書きませんが。


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二人の距離は少しだけ

 「とりあえず、シオン」

 「なんだ、永琳」

 あまりにバカらしい最後のやり取りに気持ちがクールダウンさせられたシオン。元々冷静だった永琳は、そんなシオンに一言言っておいた。

 「アリスに言っていた事を自分に当てはめなさい」

 「……あ」

 自身の血塗れの体を見て、シオンは小さく声を漏らした。

 「風呂、入ってくる」

 「そうしなさい」

 端的に告げると、シオンは永琳に背を向けて歩き出す。その背は、どこか嬉しそうに見えた。

 シオンの去った中庭。そこに珍しく輝夜が通りかかった。

 「あら、嬉しそうね永琳。何か良い事でもあったのかしら?」

 「良い事……そうね、あったわ。とても、良い事が」

 「へぇ……。それは聞いてもいい内容?」

 長年を共に過ごした輝夜には、今の永琳が、とても喜んでいるのを察した。そして、それはとても珍しい事だということも理解している。

 だからこそ聞いてもいいのか、と問うたのだ。

 「シオンとアリスが、私達みたいな関係になっただけよ」

 「二人が? ……ふふ。それはとても、良い事ね」

 「ええ、とても」

 いつになく大人びた微笑を交わす輝夜()永琳(従者)。それは、最悪の結果にならずに済んだ安堵も、少しだけ含まれていた。

 「コレがいい未来に繋がれば、それが最良ね」

 「少しは輝夜も手伝ってくれていいんじゃないかしら」

 「息抜き程度なら、ね」

 とはいえ、相変わらず面倒くさがりの主に、永琳は四苦八苦させられるのだが。

 

 

 

 

 

 シオンは永琳に言われた通り、風呂に入ろうと廊下を歩いていた。

 「あ、シオン。って、凄い血だね。今から風呂?」

 背後から声をかけられる。振り返ると、ウサ耳が目に飛び込んできた。血塗れの姿にこそ驚いてはいるが、その眼に怯えはない。

 「てゐか。そうだな、今から風呂だ。できているのか?」

 「ちょっと前に焚いたから、もうできてると思うよ。少し温いかもしれないけど」

 「少しくらいなら別に大丈夫だろう。それじゃ、入って血を落としてくる」

 「ん、わかった。鈴仙にはそう伝えておくよ。今シオンが風呂に入ってるって」

 「ありがとう。すまないな」

 「これくらいなんてことないよ。じゃね」

 軽く手を振ると、てゐはシオンを追い越して鈴仙のいるだろう台所へ向かう。

 「さて、なるべく早く出るか……」

 外に出ている鈴仙は、この暑さの中活動している。水場で戦っているシオンと違い、汗の量は段違いだ。恐らくさっさと汗を流したいところだろう。それを思っての事だ。

 今日は本当に色々あったな、とシオンは思う。永琳と殺し合って、暴走して、能力を自分が使える以上の力を強制的に引き出し、終わったらアリスに化け物と呼ばれ嫌な記憶を思いだし、永琳に慰められて彼女を尊敬するようになり、アリスに謝罪されて、こんな事が無いようにもっとお互いを知ろうという事になり……本当に。

 「色々ありすぎたな……」

 思い返している間に全ての服を脱ぎ終え、タオルを片手に風呂場の扉を開いて――

 『――え?』

 ……全裸のアリスと鈴仙の二人の姿を視界に収めた。

 「えっと……シオンは、どうしてここに?」

 「血を洗い流そうと。そっちは?」

 「私は汗を……アリスも同じで、後泥や葉っぱもですね」

 「つまりダブルブッキングになったと」

 「そうなりますね」

 一周回って冷静になった鈴仙と、元から冷静なシオンのやり取り。だがそれはどこか緊迫感を纏っていて――それが、嵐の前の静けさを予想させた。

 「…………………………」

 「…………………………」

 無言になるシオンと鈴仙。そしてその間いる、今までフリーズしていたアリスが遂に我を取り返し――

 「い、いやあああああああああああああああああああァァァァァッッッ!?」

 本日二度目の、悲鳴をあげた。

 「とりあえず、すまなかった」

 大声を前に冷静に扉を閉めると、何事も無かったように服を着直し、もう少し待とうと、外へ出て行ったシオンと。

 真赤な顔で体を抱きしめるアリスに、苦笑いしながら落ち着いてと頭を撫でる鈴仙。

 後からこの話を聞いて、あまりにも差がありすぎる対比に、本当に同年齢なのかを疑問に感じてしまった輝夜達だった。

 

 

 

 

 

 「本当に、どうして気付かなかったのシオン! シオンの感覚の良さなら事前に気付いてもよかったのに」

 「だから考え事してたからって言ってるだろう。それ以外に理由は無い」

 「だーかーらー、その考え事の内容を言ってって言ってるの!」

 食事時、いまだ裸を見られた事に動揺しているアリスは、シオンの隣に座って詰め寄っていた。

 「……言ってもいいけど、アリスが絶対に気にするだろうから、嫌なんだよなぁ」

 何度も問われ、遂にシオンの口からボソリと独り言が漏れた。そして、隣に座っているアリスがそれを聞き逃すはずがない。

 「言ってもいいんだ? ならいいでしょ」

 「痛いところを突くな。……今日の出来事を思い返してたんだよ」

 「ッ。そ、う……なんだ」

 「ああ」

 一気に頭を冷やされ、どころか落ち込みだしたアリスと、どこか罰が悪そうに、言葉少なに答えるシオン。

 「ま、まぁまぁ二人とも、落ち着いて下さい」

 「俺は元から落ち着いているが」

 「……アリス、落ち着いて下さい」

 流石に二人のやり取りを看過できなくなったのか、どうどうと手を出す鈴仙。が、あっさり反論されて言い直すハメになった。

 「それにしても、二人の裸を見て何とも思わないって相当よね。二人とも綺麗なのに。あ、もしかしてシオンって男色の気があったり?」

 「おい待て輝夜。何勝手に人を男好きみたいに言ってやがる」

 傍からとても楽しそうに見ていた輝夜が、ついに場を引っ掻き回しに口をはさむ。しかしその内容は決して見過ごせるものではない。

 「でも男だったら、少しは照れたりしてもおかしくはないでしょう?」

 「俺の年齢を考えろ、年齢を」

 「シオン、男性が異性を意識し始めるのは、六歳くらいの子でもおかしくはないのよ。単に性的知識が無いから性欲はわかないだけで、本能から多少反応するくらいはあるのだから」

 輝夜のからかいに反論したシオンを、横合いから永琳が封殺する。とうとう言い逃れできなくなったシオンに、てゐが呟いた。

 「……もしかしてシオンって、本当は女なんじゃ?」

 ザワリと空気が動いた気がした。

 誰もが薄々感じていたことだ。シオンって実は、女なんじゃ? と。顔はどこからどう見ても女顔。肌はそこらの女性より綺麗で、手足はスラリと長く、美しい。声も、変声期が来てないからかもしれないが、女のソレだと見ていい。男の要素がほとんどなかった。

 「あ、それはないですね。シオンは男ですよ?」

 が、その疑念も、鈴仙のその言葉で晴れることとなる。

 「それって何か根拠でもあるの?」

 「ええ、まぁ。さっき風呂場で会った、と言いましたよね。私達はほとんど見られましたが、言い換えれば私もシオンを見れた、ということです。タオルを持っていましたので、少しだけでしたが」

 「じゃあ……」

 「ええ、しっかりと『男性のアレ』がありましたよ」

 ――ある意味最悪な証明の仕方だった。

 「ひ、卑猥すぎるわ鈴仙!」

 折角冷静に戻ったアリスとか。

 「私も見てみたいわね、『ソレ』を」

 好奇心丸出しの輝夜とか。

 「私は身体構造でわかっていたから、特に興味ないわね」

 あくまで冷静な永琳とか。

 「そっか、男なんだ……」

 なぜかウンウンと頷いているてゐとか。

 「なんだろう、最後が締まらなさすぎる」

 ゲンナリとしているシオンが、そこにいた。

 少しして、飯時にする会話では無いとバッサリ永琳が話をぶった切った事で、何とか元の空気に戻ってくれた。

 もっと早く言ってくれても、とどこかの誰かが思ったが、詮無い事なのでスルーされる。

 「でも男でしたら、やっぱり照れないのはおかしいですよね?」

 「鈴仙はどうしてそんなに冷静なの……?」

 疑問を浮かべる鈴仙に、どこか胡乱げな目でアリスがたずねる。

 「いえ、子供に見られても、特に何かを思いませんし……アリスの方がおかしいんですよ? 普通は」

 至極当然の理由だった。むしろアリスの反応が過激すぎるだけだ。

 「でも、私は王族として清い体でいなければならないから……」

 「当然でしょうね。現在でも婚約して結婚するまで、お互い顔を知らない、なんて事もあるくらいだもの。それなのに他の男と一夜を共にしていた、なんて、家名を落とす事になるのだから仕方がないわ。特に女性の場合は、ね」

 ついでに、避妊どうこうできないでしょうし、とは付け加えなかった。完全な蛇足だからだ。永琳の賢明な判断が功を奏し、アリスは思いきり頷いた。

 「物心ついた頃からずっとそう言われてたから、男の人に裸を見られるのは、恥ずかしくて……どうしても反応しちゃうの」

 「私も昔似たような教育をさせられたから、よくわかるわ」

 同意するのは輝夜。

 永琳という『天才』を教育者として任命させられるほど、輝夜の地位は高い。しかしその分柵も多くあり、その一つがソレだった、というわけだ。

 が、それはこの二人だからであり、シオンの話には繋がらない。そして、ここにいる全員がそれを見逃してくれるはずもなかった。

 視線が一気に集中する中で、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべるシオン。だが、それだけで許してくれるはずもない。

 「師匠命令よ、話しなさい」

 そしてついに、永琳から指令が下った。

 もう知らない、とシオンは心の中で思い、無表情で告げた。

 「――女の肌なんて腐る程見た事があるだけだ」

 その問いに、アリスと鈴仙、そして何よりてゐが反応しかける。

 しかし永琳の眼力に負け、実際は何も言う事は無かった。

 「俺の居た場所が最低最悪な場所だったのは、察していると思う。あそこに治安、なんてものは無い。つまり、無法地帯。そんな場所に女が居ればどうなるか、わかるか?」

 刹那、全員が一気に顔を顰めた。その光景が鮮明に浮かんで来たのだろう。

 「……だから言いたくなかったんだ。この話を食事時に、しかも女性が居る前で話すのが最悪なんて事は、俺にだってわかる」

 「確かに、進んで聞きたい内容では無いわね。でも、一つ付け加えさせなさい」

 「何を付け加えるんだ、師匠」

 「いえ、ずっと気になっていた事があったのよ。シオン、あなた――実は性欲が無いに等しいでしょう?」

 なんて事を聞くんだ、とシオンは思ったが、しかしコレはシオン自身よくわからない。

 「そんなの俺が知るか」

 「でしょうね」

 だったら聞いた意味は? と誰もが思ったが、永琳の話には続きがある。

 「どうにもシオンの体は女性に対して一切反応しないのよね。で、私個人で色々調べてみたのだけれど」

 いつの間に、なんて思考は意味を成さない。医療関係において最高峰の知識を持つ彼女は、相手の体調を把握するくらいわけないのだ。

 「まずシオンの体が通常とは違うのが一つ。そしてもう一つが、人は死に瀕した際自分の血を残そうとする本能が働く。それを刺激され続けた結果でしょうね」

 敢えて確定的な言葉を避ける。人体実験や『そっち』方面、そしてシオンが何度死にかけたのかの話をしても良い事なんて全くないのだから。

 永琳が言いたいのは、シオンは性的なことに関してある意味枯れている、という事だ。その理由の正確な部分は彼女にしかわからないだろう。

 「で、今回の件で確定的になりそうってわけ。私の知識欲を満たしてくれてありがとう」

 そう言って、今までの微妙な空気を、全て永琳への脱力でリセットする。例え途中で話しをぶった切っても、それは些細なしこりとなって残る。それを危惧しての事だ。

 「……あ、でも羞恥心はあるみたいだから、やり方次第みたいだけれど」

 そんな爆弾発言を、残しながら。

 

 

 

 

 

 永遠亭に来て最も最悪な食事を終え、解散する。

 今シオンは、勉強会をしに永琳の部屋へ向かう途中だった。

 「あ、シオン。一緒に行きましょう?」

 「いいよ。……それと、さっきは悪かった」

 「ううん。私も、反応しすぎたし……」

 永琳のフォロー――とも言えないような杜撰なモノだが――で、多少の気まずい雰囲気はどこかに行っている。

 ある意味、コレくらいがちょうどいいのかもしれない。仲直りしたとはいえ、アリスの中にある負い目は消えない。それを考えれば、シオンはタイミング良くそれを打ち消す口実を与えた事になる。

 「とりあえず、今日の分を頑張るか」

 「うん。わからないところは、教えてね?」

 「俺に期待しないでくれ。話せても文字を読むのはまた別問題だ」

 「たった数日で数学の分野を覚えきったシオンが言えるセリフじゃないと思うんだけど」

 「ズルしただけだ。それが無ければ覚えられなかったよ」

 「ズル……?」

 疑問符を浮かべながらアリスが反問する。

 「ああ、そういえばアリスには教えてなかったっけ。俺は『一度見た事、聞いた事、感じた事を絶対に忘れない』能力……いわゆる完全記憶能力を持っていてね。それを使って流し読みした本の内容を空いた時間で吟味できる」

 「じゃあこんなに物覚えが早いのは……」

 「そ。単に寝る前とかに色々思い返しているだけ。ズルいだろう?」

 ハー、と感嘆の息を漏らすアリスだが、シオンの言葉には頷けなかった。

 「でも、それってシオンが覚えようと思わなきゃ無理なんだよね?」

 「え……。ああまぁ、確かにそうしないと『頭の中に理解されていない知識があるだけ』の状態が維持されて、それを利用するとかはできないな。要は数字を知っていてもそれがなんなのかわからないって覚えてくれれば、それで大体あってると思う」

 「ふ~ん……だったら、シオンはズルなんてしてないよ」

 「どうしてそう思うんだ?」

 「確かに人より覚えるのは早いと私も思うよ? でもね、少しでもできた時間に、頑張ってモノを覚えようとするのは、シオンの努力。ズルなんてしてない、シオンの頑張り。だから、ズルなんてしてないの」

 アリスの声は透き通っていて、そこに悪意など存在しない。そしてそんな言葉を言われた事が無いシオンは、ただただ嬉しかった。

 「なんというか……アリスって、意外と大きいんだな」

 「意外とって何、意外とって!? 後何が大きいの!?」

 「心の広さ? 人としての器、とか?」

 「……私はそんな事を言われる人間じゃないよ」

 シオンの言葉は嬉しい。嬉しいが、アリスにはそれを受け取れない。思い返すのは友達に言った罵倒と、シオンに言った『化け物』という単語。

 気分が沈んでいくのを、アリスは感じた。

 「別にいいんじゃないか?」

 「……え?」

 「どんな聖人君子にだって、気落ちする時もある。俺は別に化け物って言われた事をもう気にしてないし、アリスの友達だってアリスを気にしてるんじゃないのか?」

 「その話、いつ知って」

 「さっき料理を作るのを手伝う時に、鈴仙から話を聞いた。あっちは不承不承って感じだったけど……理由は知らない」

 あ、とアリスは自分の口から音を漏れるのを聞いた。思い返せばシオンは鈴仙と二人で料理を作っていた――ただし、シオンはあくまでサポート程度だったらしい――し、鈴仙がアリスに黙って話をしたのも、一緒に風呂に入った時の悩み相談をしたからだろう、と。

 「憤るとは思うけど、鈴仙を責めるのはやめてほしいな。俺自身、戻ってきたアリスの表情がどうにも気になったから無理に聞いただけだし」

 「私の……表情?」

 何となく顔を手でペタペタと触るアリス。

 「ああ。よくわからないんだが……なんとなく、アリスは自分を責めていたからな。それもかなり。俺に対して言ったのを反省しているにしては責め方が異様だったから、多分前にも似たような事をやってしまったんじゃないか、と思って。で、それを知っているアテが鈴仙だったって話だ」

 「よく、わかったね。うん、あたってる。私はここに来る前、たった一人の友達に、ヒドイ事を言っちゃったんだ。それなのに、シオンにもヒドイ事を言って……変われてないって、自己嫌悪してたの」

 「なるほど、な。そこまで深くつっこむつもりは無い。その内容は話さなくてもいいが……とりあえず、戻ったらなるべく早く謝った方が良い」

 「……戻れるの、かな。私」

 「どういう意味だ?」

 訝しげにアリスを見つめてくるシオンに、話そうかと悩む。だが話したとしても、シオンにはどうする事もできないだろう。

 「私ね、幻想郷の人間でも、幻想郷の外の世界の人間でも無い。――異世界の人間なの」

 それでも、シオンにも聞いてほしかった。理由など無い。ただ、自分の事を知って欲しかっただけだ。

 シオンの驚きに対し苦笑いを浮かべながら、アリスは続ける。

 「幻想郷よりも――ううん、永遠亭よりもかなり古い科学技術しかない、代わりに『魔導科学』とかそういった技術がある世界。後はこことはまた違う法則性を持った『魔法』に――外敵である『魔物』あるいは『魔獣』とかもいるの。お伽噺の中には『魔王』なんていう、強い力を持った存在もあるかな」

 「いわゆる『剣と魔法の世界』か?」

 「大雑把に言えばそうなるの、かな? それとやっぱり色んな国があって、それぞれ信奉している神様にも違いがあるんだ」

 「神様、ねぇ」

 「あ、シオンってもしかして神様を信じてない人?」

 「俺は基本、見たモノしか信じない性質(タチ)の人間でね。正直本当にいようがいまいが興味無いんだよ」

 「ふぅん。あ、それでね。私達の国で崇めてるのは」

 アリスは面白そうに一拍おいて、告げる。

 「――魔神」

 「魔神?」

 怪訝そうに歪んだ眉。だがアリスとしては予想に反した反応だったため、ツマらなさそうに答えた。

 「そ、魔神。あ、でも『魔の神様』で『魔神』じゃないよ? 『魔法を極めた神様』で『魔神』なんだって」

 「魔法を極めた――か。そんなに凄いのか?」

 「神話上の話だと凄いよ? なんでも『海から大地を創造した』なんて話もあるくらいだし。私の居た国はその大地の上にあるらしくて。……確証されてない話なんだけど」

 「それは――」

 「面白そうな話ね」

 「ッ! 師匠か」

 後ろを振り返ると、どこか変な笑みを浮かべた永琳がいた。

 何が変、と問われると困るが、強いて言えば――ニヤニヤ、している? そんなふうに感じたシオン。が、そのシオンを置いて永琳は考察し始めた。

 「大地を創造した――これは火山活動にでも干渉したのかしら? でもそれだとそんな事をした場所に国を作るのは危険すぎる――。火山を鎮める必要がありそうね。なんにしろ、その神様はかなりの魔法使いなのね」

 「えっと……永琳様は、信じるのですか? この話を」

 「十割全部信じられる話では無いでしょうけれど、不可能では無い話ね。実際――」

 と、永琳が視線を移す。

 「――今ここに、それができそうな人間が居そうだから」

 「ん? なんだ師匠」

 白髪を揺らす少年に、アリスも苦笑を浮かべる。

 「確かに……できそうですよね」

 「……何の話だ?」

 いきなり話が飛んで理解できないシオン。だがそれを説明せず、二人はようやっと辿り着いた部屋の扉を開ける。

 「あ、そういえば」

 「どうしたのかしら?」

 「いえ、この魔神なんですけど」

 蛇足ではありますが、とアリスが続けた。

 「――なんでも、人から神様になったみたいですよ?」

 

 

 

 

 

 今日も今日とて勉強会をやり始め、そしていつも通りに終えた。ただ違ったのは、アリスがシオンにわからないところを聞いていた点だろう。シオンもわからないなりに色々と自分で調べながら答えていた。

 今まではただ同じ場所でそれぞれの課題をこなしているだけ。それが、たった一日で親密すぎるほど親密なやり取りをする。どうにも永琳の笑みは止まりそうにない。それをシオンに不気味がられたりもしたが。

 「あ、シオン。どこに行くの?」

 「ん? ああいや、その……」

 と、アリスがどこかへ行こうとしたシオンに声をかける。だが、どうにもシオンの反応は芳しくない。

 「んー……。――来るか? 一緒に」

 「いいの?」

 「そっちのが多分早い」

 よくわからない言葉ではあったが、アリスは勢いよく頷いた。

 「うん、行く! 行かせて!」

 「わかった。……見ても驚くなよ?」

 やはり要領を得ない言葉ではあったが、それでもアリスはシオンの後ろを着いて行った。

 

 

 

 

 

 シオンとどこかに行く道中、アリスは鈴仙と出会った。

 鈴仙の手は少し湿っている。皿洗いか何かでもしていたのだろうか。

 「鈴仙は今から何を?」

 「また少し汗を掻いたので、風呂にでも行こうかと。それが終わったら眠るつもりです」

 基本、鈴仙には家事以外にやることがない。趣味も、趣味と言えるほどに興味を持ってやる事はない。強いて言えば料理の研究、くらいのものだろうか。

 必然、やる事が無い鈴仙は夜更かしをすることはあまりない。

 「アリス、まだ話すなら俺は先に行くぞ。面倒なことになるから」

 「あ、うん。わかった」

 シオンが鈴仙の横を通り、先に行く。鈴仙はどこか表情を歪めているが、それが何なのか、アリスにはわからない。

 先に鈴仙が質問をしてきたので、それを聞く暇も無かった。

 「アリスは何をするつもりで?」

 「あ、うん。私はシオンとちょっとやることがあるから、先に寝てて」

 「はぁ。まぁ構いませんが、一体何を?」

 「私にもわからない、かな」

 「……?」

 鈴仙は首を傾げるが、こればっかりはアリスにもどうしようもない。なんせ、彼女自身シオンがどこに行くのかわかっていないのだ。答えようがない。

 結局別れた意味が無い程簡潔なやり取りの末、二人はその場を離れた。

 

 

 

 

 

 今更だが、アリスはシオンがどこに行ったのかを知らない。だが、シオンと途中まで歩いていたことで、なんとなく予想はできていた。

 「多分……ここ?」

 呟きつつ、()()()部屋の前に立つアリス。しかし動く事は無く、間違っていたらどうしよう、と思い悩む。時間が時間だ。間違っていたら、眠っているところを起こしたら、相手がどう思うのかは想像に難くない。

 たっぷり数秒、あるいはもっと悩みつつ、そーっと襖を開ける。

 そんな彼女の眼に飛び込んできたのは――

 「シオン、もっとうまくやりなさい! あ、そのアイテムは必須よ! 取り忘れたら絶対許さないんだからね!」

 「ちょ、無茶言うな! ていうかアイテムって言われてもどれかわからないんだが!?」

 「ああもう、いいから貸しなさい!」

 「うわやめ死ぬ! 死んじまうから覆いかぶさってくるな!」

 ぎゃいぎゃいと叫びつつ、シオンは必死に『なにか』を操作し、そのシオンに後ろから抱き着き無理矢理その『なにか』をシオンの手の上から操作しようとする。

 「ちょっと、暴れないで! 操作が狂うでしょ!?」

 「だったら抱きしめるな! 貴女に恥じらいは無いのか!?」

 「何子供(ガキ)がいっちょ前にナマイキ言ってるのよ!」

 アリスが襖を開けたのにすら気付かず、二人は喧嘩腰で叫び合う。そうしながらも一切手元を狂わさないのだから凄まじい。

 「ああクソ、面倒クセェな! だったら手伝え! 俺が合わせる!」

 「最初からそうすればいいのよ!」

 もう普段の言葉遣いすらかなぐり捨てて、シオンは輝夜に背中を預ける。傍目から見るとかなり仲良く見えるが、和気藹々とした雰囲気とは程遠い。二人とも、かつてないほど真剣だ。

 シオンは輝夜の指の動きを先読みして自身の指を動かす。結果輝夜が「ここからどう操作しどうすればクリアできるのか」を教え、シオンがそれを一二〇%以上の精度でこなす。ある意味息が抜群に合っている。

 何かを倒した音が鳴ると同時に、二人は姿勢を楽にした。

 「ふぅ、何とかなったな」

 「当然。私とシオンの二人がかりよ? こんなの誇ることじゃないわ」

 ようやく一息ついたのか、シオンがコントローラーを手放す、と。

 「ん? あぁ、アリスか、いらっしゃい。つってもここは俺の部屋じゃないんだが」

 そこでようやく未だ呆然と突っ立っているアリスを見つけたシオンが声をかける。

 「あら、珍しい――というか初めてよね? どういう風の吹き回し?」

 「俺がいつも勉強会の後にどこ行っているのかが気になったらしい。そういえば後から来るって言い忘れてたな」

 「別にそれくらいいいけど……アリスにわかるのかしら、()()?」

 「別に知識が無くても問題は無いだろう。俺だって()()が何なのか知らなかったからな」

 またもアリスほったらかしで、()()とやらを示す二人。

 「ふ、二人は何をやっているの……?」

 当然の疑問。二人は特に慌てることなく。

 「ゲーム、だな」

 「ゲーム、よね」

 『コントローラー』を手にし、『ゲーム画面』を眺めるシオンと。

 そのシオンを抱きしめつつ、アドバイスをしながら共にゲームをする輝夜。

 「……げぇむ?」

 疑問符を浮かべながら、アリスは呟く。

 「そう。まぁ聞くよりは実際に見たりやった方がわかりやすい、かもな」

 「でしょうね。とりあえず横に来なさい」

 「あ、はい」

 おずおずと輝夜の横に座り、正座するアリスに。

 「そんな姿勢じゃ疲れるわよ。ほら、楽にしなさい」

 「え、きゃ!?」

 強制的に輝夜が足を崩させた。

 「無茶苦茶だな、おい」

 「別にいいでしょう。遊ぶときくらいは気持ち楽にしておいた方が良いわ。かたっくるしいことはその時その時考えればいいのよ」

 「なんつー型破りなお姫様」

 「私はよくある物語に出てくる、騎士サマに守られるだけのお姫様なんて真っ平よ」

 「外面は綺麗でどう見てもおしとやかって感じなのに、中身は……なぁ」

 「あら、シオンは外見通りがいいのかしら?」

 「いいや? むしろ素の輝夜の方が輝夜らしい……なんて言うつもりは無いよ。結局のところそんなのは押しつけだからな。どんな風に振る舞いたいのか、そんなのは本人次第だ。俺が『どれがいいのか』って答えたら、もうその時点で、それは押し付けになるだけだよ」

 シオンの答えに、輝夜は眼を瞬かせた。

 「なんというか、シオンは今まで見て来たどんな人間よりも誠実よね」

 「そうなのかね?」

 「そうよ」

 「そんなもんか」

 それはそれとして、とシオンは続ける。

 「俺は気楽に付き合える今の方が好きだが。おしとやかなんて言ったって、結局自分の言いたいことすら言ってくれない人が多いだろう? そんなのはゴメンだね。どうせだったら我儘を言ってくれた方が、一緒に居て嬉しいと俺は思うよ。言いたい事を言い合える関係は、人間関係を長く続けるための一つの方法だろう? それはとても、素敵だろうからな」

 アリスは思う。これは、なんというか。

 「……告白、あるいはプロポーズ紛いなセリフだよね。っていうか、シオンって結構ロマンチスト?」

 紛い、ではないような気もするが。後後半は完全に余計な一言だ。

 「そう聞こえるか?」

 「少なくとも、勘違いされそうな言葉なのは間違いなしでしょうね」

 どこか困ったように後頭部を掻きつつ、シオンは苦笑する。

 「まぁ平気だろう。俺を好きになる人間は、早々いないだろうからな」

 瞬間、二人の脳裏に浮かんだ言葉は、鈍感、その一言に尽きる。

 「んじゃ、やろうか。といっても、そう難しくはないんだけど」

 アリスにいくつかあるコントローラーの内の一つを放り投げ、今さっきまでやっていたゲームのデータをセーブし、電源を落とす。それからゲームのカセットを入れ替え、起動。

 「あら、これをやるの?」

 「たまには対戦もいいだろう?」

 「それもそうね。多少はアリスにも練習させてあげなさいよ?」

 「それくらいはするさ」

 え? え? と戸惑うアリスに笑みを浮かべつつ、三人は夜遅くまでゲームをし続けた。

 結局、三人が解散する時には三時を過ぎていた。完全に夜更かしである。

 「ど、どうしよう……明日寝坊するかも」

 「完全にハマってたよな……アリス」

 頭を抱えるアリスに、シオンは苦笑させられる。

 「だってあんなに面白いのよ! あんなに楽しいことは初めてなんだから!」

 「……ま、それには同感だ。とはいえ睡眠時間を削るのはいただけないが」

 ――たまには、こんなのもいいだろう?

 そう言って笑うシオンに、

 「……うん」

 アリスも、微笑を返した。

 「あ、ここでお別れだね」

 「そうだな。――お休み」

 「うん。――お休みなさい」

 手を振りながら、二人は各々の部屋へと戻る。アリスがどこか緊張していたのは、鈴仙に怒られないか心配だったからだろう。

 思えば今日でアリスとの距離が近づいた気がする。今までは、ただ『なんとなく』なんて理由で『近い』と感じていたが、今ではそれは単なる幻想のようなものだと思う。

 笑みを苦笑に変えつつ、シオンは自身の部屋――の、隣にある、永琳の部屋へと入った。

 「来たわね。要件が何か、わかっているかしら?」

 「ああ。まぁ予想くらいは」

 「そう。――それじゃ、一切の虚偽なく話しなさい。あなたの持つ剣、その能力の全てを」

 知らないままではいられない。それほどシオンの能力は危険なのだ。そして、それを皆の前で話せるわけも無い。だからこそこんな遅くに会っているのだ、二人は。

 夜の闇は、未だ深い。




――無理だ。

前回、前々回とあまりにシリアスすぎたので少しふざけてみましたが、どうにもコメディにはなりきれない。私にはそっちの才能ありませんね。


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狂気の強さ

 永琳が言い終えると――いや、言い終える前に、シオンの視線は尖る。それは鋭く、何よりその奥の感情を悟らせない。

 それでも聞かなければならないのだ。わからないことほど恐ろしいモノは無い。シオンの能力は強大なのだから、なおのこと。

 だが、シオンが話したくないのも理解できる。

 情報とは一種の『武器』だ。もたらされた内容から効果・制限・弱点を把握し、そこを突けば状況を優位にできる。そうでなくとも『知っているかもしれない』だけで脅しになるのだ。持っていないせいで不利になったとしても、持っていて損にはならない。

 そして、こと戦闘ではそれが顕著に表れる。もちろん事前情報が間違っていれば話は別だが、もし合っていれば相手の戦い方をある程度想像できるし、そうできれば精神的優位に立てる。それに相手の隙を突いて攻撃もできるのだ。加えてわざわざ戦闘中に相手の能力を把握しないで済むのだから、余計な怪我を負わずに済む。それを知っていて自身の力を好き好んで話したいはずがない。

 当然、もし話してもらえるのなら相応の礼はするつもりだ。能力の正確な把握ができれば、より精細な力の伸ばし方を教えることができる。他者に話すつもりも無いから、知るのは永琳一人である。

 しかし、永琳は無理矢理聞き出すつもりはなかった。師匠命令を使うことはできるが、仮にそうすれば、その瞬間シオンは永琳を見切るだろう。元々誰かの下につくのを極端に嫌う人間だ。

 正確には――信頼できない相手の下につきたくないだけだろうが。

 どちらにしろ話してもらえるかはシオン次第。話してもらえなくとも永琳はシオンを放り出すつもりはないから、今まで通りの日常に戻るだけだ。

 決定的とは言えないまでも、後々まで残るしこりを作って。

 「…………………………」

 部屋には完全に入らず、扉に背を寄せたままシオンは押し黙る。表情にも変化は無い。しかしその眼の奥は、話すか話さないかで迷っていた。

 信用はしている。信頼もしている。それでも――将来敵対しないとは限らない相手。そもそも接した時間が圧倒的に少ない。尊敬できる人ではあるが、だからこそシオンは無条件に自分の全てを預けない。コレがフランやアリス辺りなら、悩まなくてもすむのだろうか。

 そんな思考の脇道に入ったことに気付いたシオンは、考えるのをやめた。考えても意味が無い、と思ったのもあるが。

 どの道話さない理由は『将来敵になるかもしれない』だけなのだ。

 後はもう、なるようになれ、だった。

 シオンは一度右手を握ると、胸元にかかる黒陽に触れる。

 「――わかった。話すよ……全部」

 そして、それを球体にした。

 「黒陽は星の重力を操る、形無き物質――とも言えない、異質な『ナニカ』だ。どんな原理でできていてどういう理由で存在しているのかなんてわからない。ただ一つ言えるのは、コレは適性が無ければ扱えないってことくらいだ」

 「適性?」

 「ああ。無理に黒陽や白夜に触れようとすると弾かれる。言わば『選定』を通過しなければ持つことさえできない。まぁ……大前提として、試練を合格しなければならないんだが」

 一瞬遠い目をしてしまうシオン。正直アレはもう思い出したくも無い過去だ。

 「一パーセントでもいい。適性さえあれば後はとにかく使い続ければいい。ただ、その『適性を伸ばす』のが曲者でね。……全然伸びないんだよ、コレが」

 「何か問題でもあるのかしら」

 「さあ? 使い続けても多少は伸びるけど、効率はかなり悪い。何かが足りないのか、それとも単純に使い方がわるいのか……理由はわからない」

 それに、元居た場所では黒陽の力を使える場面なんて早々無かった。使い続けていたら、あっさり化け物――と他者に呼ばれる――の仲間行きだ。

 「ちなみに適性以上の能力の使用はまずできない。当然と言えば当然だが」

 「そう……例外はあるの?」

 「ある」

 即答でシオンは断言する。

 球体に戻した黒陽に干渉し、周囲の重力を歪めていくつもの重力球を生み出す。が、その代償がシオンを襲う。

 「……ッ。こんな、感じに……自分自身に、負荷をかければ……使える力も、増える。やりすぎると、あっさり潰されて死ぬけど、ね」

 ギリギリと骨が、肉が、内臓が引き締められるのを自覚しながらシオンは話す。だがやはり辛いのか、話し終えたと同時に重力球を消した。

 その様子を見ていた永琳は、かなり渋い表情で言う。

 「あまり使わない方がいいわよ、その方法。体が出来上がっていない今のあなたじゃたかが知れているし」

 「だ、ろうね……」

 シオンは否定しない。誰よりその事をわかっているのは、シオンだからだ。この方法は、あまりに体を酷使しすぎる。多用すればボロボロになった体はいずれ崩れるだろう。

 ようやく一息吐いたシオンは、少し悩みながら言う。

 「実を言うと、もう一つあるんだけど」

 この方法は、かなり不気味だ。同時に狂気の技でもある。だが、今更か――と、シオンは諦めて話し始める。

 「黒陽と『同一化』すれば、扱える力は増える」

 「同一化――まさか!?」

 ガタリ、と音を立てながら永琳は立ち上がる。シオンの言を理解し、そしてそれを行わなければならなかった状況を想像し、それを行ったシオンの心境を思い……静かに席についた。今ここでシオンを詰問しても、意味が無いと思ったからだ。

 永琳の取り乱しに少し気分を暗くしながら、シオンは黒陽を持ち上げ、眼帯を外すと――()()()()()()()()()()()()

 埋め込んだシオンの体に変化が起きる。左半身、その肘から先と膝から先が黒に染まり、獣の手足となった。

 コレこそが『同一化』。自分自身の体に黒陽を埋め込み、強制的に適性を上げるもう一つの方法。しかしそれを行うには、自分の『体に埋め込む』ことが条件。

 つまり、()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 狂気の行動だとシオンが自分自身思い、永琳が驚いたのは、これが理由。

 シオンの今は無き左目には、黒曜石のような黒色が存在する。だが、それは不気味でしかない。黒陽は全てを飲み込むような怖気を他者に感じさせる。そんなモノが左目にある。見ている側からすれば、それを視界に入れたくもないほど。

 紅魔館で話した能力の情報は、制限や弱点を強調した。そうすることで『この能力はそう簡単に使えないのか』と相手に誤認させられるからだ。あの時点では、シオンは彼女達を『信用』はできても『信頼』まではできていなかったのが理由の一つ。

 本音は――こんなことを、彼女達には話せなかった、いや話したくなかったから。こんな狂人のやることを話して、引かれたくは無かったから。当時はそんなことまでは考えていなかったが。

 だが、シオンは知らない。紅魔館で同一化した時に宿ったモノは『()()()()』であり、決して今のような『()()()()()』ではないことを。

 「この状態なら、多少は工夫できる。例えば――」

 実のところ、黒陽には致命的な問題がある。周囲の重力に干渉して重力球を作る――そこまではいい。だが、それを『剣』や『槍』あるいは『矢』といった形にはできないのだ。

 コレは単純に、重力に干渉している()()なのが問題となっている。恐らく適正が上がればまた別なのだろうが、今のシオンでは球体に整えるくらいが関の山。どう足掻いてもそれ以上にはならないしできない。

 しかし、今なら。黒陽と同一化している今なら――話は別。

 シオンは左目にある黒陽と意識を合わせ、()()()()()()

 傍目から見ると単に重力球を生み出したようにしか見えないが、中身は全くの別物。

 今までの重力球は『重さで押し潰す』のなら、今の重力球は『引きずり込んで圧縮』する。前者は体が頑丈なら防御したり回避するのは容易だが、後者はそれ自体が周囲のモノを引き寄せる力場を生み出す。防御すれば体が挽肉になるし、回避しようとしても足を取られる。空中に浮いていれば踏ん張ることすらできない。防御方法としては、圧縮すら跳ね除ける頑丈な体、あるいは大きく迂回するか、飛び道具か何かで跳ね返すか。どれもかなり難しい方法だ。

 「――とまあ、こんな感じか? 俺の知識じゃ何も思いつかん。『重力』とか言われてもスケールが大きすぎて想像つかないんだよな……」

 しかも適性以上の力は使えないのだから、下手に強大な力は使えない。中途半端な知識は身を滅ぼす種となるから、覚えたら即実践、とはいかないのだ。

 今の今まで黙って見ていた永琳は、何となく思ったことを言う。

 「シオン、その黒陽には形が無い……のよね?」

 「ん? ああ、無いよ。完全な無形だな。この球体状態が最も力を使わないからそうしているだけで、別に他意は無いし」

 「そうなの? だったらその黒陽自体を無数の剣にするとか――」

 「それは無理だ」

 「絶対に?」

 「絶対に」

 頷きも付け加えて断言する。

 「残念な事に、黒陽から分離した瞬間俺の影響下から離れてね。球状に戻るんだよ」

 黒陽を左目から外し、長めの棒にすると、両端に刃を作る。そして真ん中あたりで二つに分けるが、即座に片方は重力球になり、片方しか残らなかった。

 「こうなるから、無意味だ」

 もし形を整えられるのなら、他者に黒陽を渡したりできるのだが、そんな生易しくは無い。『絶対に壊れず刃こぼりもせず無限に使える武器』――それこそある種理想の武器、その最終地点の一つとも言えるが、他者に使えないのなら意味は無い。そもそも触れられないから関係無いが。

 お手上げとばかりに両手を上にあげる。

 「こんなところだ。これ以上は何も無いよ。黒陽は俺の精神状態に影響するから、よっぽどぶっトンだ状態にならない限りは取り返しのつかない状況にはなりにくい――つっても、安心できるわけない、か」

 ここに来てから精神状態が危うくなることが何度かあったのを考えると、保証できるはずもなかった。

 ――狂気の果てに得た強さ。それは一体、何のためにあるのだろうか。

 しかし永琳は頭を振ると、視線を少し強くして言う。

 「いえ、大丈夫よ。話してくれてありがとう、シオン」

 「そうか。なら、戻っても大丈夫か?」

 「ああ、ちょっと待って。一度こっちに来てくれないかしら?」

 「……? まぁ、いいけど」

 疑問符を浮かべつつ永琳に近寄った瞬間、

 「……ごめんなさいね」

 「え――」

 トン、と首筋を叩かれる。

 余計な力は無く自然に。入れる角度を整えられたため受け流すことさえできず――だからこそ、シオンは前に倒れるしかなかった。

 「永、琳……?」

 そんな呟きを、残して。

 倒れ込んで来たシオンを永琳は抱きしめる。その顔には憂いが宿り――そして、どうしようもないほどに剣を睨んでいた。永琳にその自覚は無い。ただ、自分の顔が険しくなっているのは、何となく理解できていた。

 気絶しても剣を手放さないシオンの右手に触れ、黒陽を持とうとし、

 「――!?」

 掌に、電流が走る。いや、電流では無いのかもしれない。どの道永琳には関係が無い。ありえないほどの重みを発する黒陽を持ち上げようとした永琳は、掌から手全体に、手首、肘と、どんどん痛みが体を伝って行くのを悟る。

 それでも剣を手放さず、左手でシオンを抱きしめるのもやめない。

 痛みは既に心臓にまで達している。まるで素手で心臓を握り締められているかのような錯覚は、常人であれば狂うほどの気持ち悪さ。しかし永琳にとっては、まだ『我慢できる』程度の痛み。

 シオンの体を持ち上げ、手で足裏を持ち、腕全体で下半身を固定し、上半身を自身の上半身で受け止める。身長に差がある二人だが、今だけは、シオンの髪が永琳の横顔に触れていた。

 反面黒陽は引き摺るしかない。重過ぎるのだ、あまりにも。一歩踏み出すのすら苦痛、という言葉ですら表現できないほどの負担を永琳に与える。

 「この剣は――()()()()()()()()()()()

 能力を持つ剣は多々存在する。重力を操る剣だってあるだろう。

 だが、もしも――もしも永琳の予想が正しければ。

 「人間は、決して()()()()の玩具じゃないの」

 永琳の予想は誰にもわからない。永琳自身さえ、今はまだわかっていない。

 腕の中の重みは、決して軽くない。助ける義理は無い。だが――弟子と言い切った、この難儀な性格の少年を振り解けるほど、永琳は冷酷では無い。

 「せめて、この幻想郷では――」

 この願いは叶えられないかもしれない。いや、その可能性が高い。

 しかし、ここは幻想郷。『どんな存在でも受け入れる』場所。だから、この『人だったと認めて欲しい』と人知れず泣く少年に、ほんの少しの()想《め》を――。

 

 

 

 

 

 シオンにとって、黒陽と白夜は数ある武器の一つでしかない。どんな名剣であろうと。どんなに凄まじい能力を持とうと。人を殺すための武器であるのに変わりはない。

 だから、シオンは適性を上げて能力の幅を増やしていても、それに頼ろうとはしない。頼りたくは無いのだ。

 だってそうしていたら、もしこの二つが無くなったとき、シオンは戦えなくなってしまうから。

 だけど、とシオンは思う。なぜ、この剣からは妙な感じがするのだろうか、と。

 理由は無い。ただ感じるだけ。でも――それが、どことなくシオンは親近感のような、よくわからないものを思わせ、この二つの武器、特に黒陽を使う理由となった。

 それでもやはり黒陽を使う場面は少ない。武器として使うのはいいのだが、普段小さな剣状のアクセサリーにしているため、人の目がある場所では大きさは変えられない。そのため幻想郷とは違い、シオンは通常の武器を多用していた。精々が自分の重力に干渉して、バレないように移動速度を加速させたくらいだ。

 恐らくコレが原因だろう。黒陽を手に入れてから三年という月日が流れているのにも関わらず、白夜とほぼ適正値が変わらないのは。

 ここに来てから多少使ったが、やはりダメだ。全然力を使いこなせていない。もっと強くなりたい。もっと強くなって、いつか――。

 ――……俺は強くなって、何がしたいんだ?

 目的は無い。目標はアリスに話したが、それが現実になる可能性は低い。現時点でも強くなって何かをする気は無い。

 空っぽ。虚ろ。どんな形容詞でも構わない。今のシオンには、何も無かった。

 ――ああ。そうだ。俺は生きようとすらしない、死にたがりの人間。俺は、一体。

 何のために、生きているんだろうか。

 「――――――――――」

 パチリ、と瞼を開く。

 外から差し込み日の光に眼を細めながら、今が何時なのかを理解した。同時、体中に汗を掻いているのも。

 時刻は恐らく午前十時から十一時の間。珍しく……というより、始めて寝坊した。ここまで長く寝たのはいつ以来だろうか。

 そんな事を考えるが、シオンは永琳と話していたため四時以降まで起きていた。つまり、まだ六時間程度しか寝ていない計算なのだが、コレで長いとは穏やかでは無い。

 汗が体を伝っていく感覚に不快を感じながら起き上がる。そこで気付いた。胸元に黒陽が無い、と。

 ふいにシオンの脳裏に昨夜永琳に気絶させられた事がよぎった。アレから一体何をされたのか、全く分からないのが若干の恐怖を感じさせる。あの手の人間は少しヤバイ。特に生き甲斐とも言えるモノに対しては。

 永琳のそれは研究。特に薬学だが、シオンの体はある種の研究対象として興味深いモノだろう。利用する価値は十分にある。

 警戒を怠っていた、とシオンは思う。わかってはいる。気分が落ち込んでいた時に慰められたから永琳に対して甘くなっているのだと言うことは。それでも――嬉しかったのだ。

 永琳はシオンの意図を全て把握している。把握してくれている。何かを言わずとも考えを察してくれるのは、シオンとしてはありがたかった。疎まれることが多いだろうその頭脳に、シオンは感謝していたのだ。

 だからこそ、と。だからこそ、シオンは永琳を、信じた。信じたシオンを信じてくれると、永琳に期待した、のだろう。

 が、シオンは一つ溜息を吐いて――そんな()()()、失望した。

 期待とは、言い換えれば所詮押し付けでしかない。それでも無意識に思ってしまう辺り、人外ではあっても人間性を捨て切れてはいないらしい――そう思って。

 シオンは立ちあがり、部屋の外へ出て行った。

 永遠亭の中に感じる気配はまばらな位置にしかない。今居るのは三人だけだ。それ以外は外出したのだろう。

 輝夜は日中だろうと深夜だろうと構わず部屋でゲームをしていて、ご飯と風呂以外で自室から出る事は無い。

 永琳はよくわからないが、薬とこの永遠亭の維持か何かをしているのだろう。主である輝夜が何もしないため、彼女以外にここを管理する人間はいないのだ。

 鈴仙は家事全般とその他厄介事を受け持つ。ある意味一番の苦労人だ。最も暇な時間が無いのは鈴仙だろう。

 てゐはどちらかというと輝夜に近い。が、彼女と違って仕事はするし義理は果たす。普段永遠亭にいないのは、迷いの竹林を歩いて回っているからだ。その真意は彼女にしかわからない。

 アリスはシオンとルーチンが似ている。朝起きたら軽い魔力制御。朝食を食べたら身体強化。昼食を食べたら鍛錬でできたシオンの傷を癒しつつ身体強化の維持。夜は他のことに気を配りながらかなり薄い魔力制御。ほとんど魔力に関する事しかしていないが、コレが最もアリスの修行内容として適切なのだから仕方がない。彼女はまず扱える魔力の量とそれを持続できるだけの集中力を養うべきなのだから。

 シオンは逆に肉体をいじめ抜きつつ黒陽の制御をしているのだが――内容があまりにハードすぎるので割愛する。アリス曰く「いつ死んでもおかしくないと思う」ような鍛錬である。

 とりあえずシオンは一番近い気配のする場所へ移動する。当然そこは、永琳の居る場所だ。

 扉の前で立ち止まり、逡巡するシオン。昨夜の事が頭の中でチラついて消えない。だがそれも一秒か二秒、あるいはそれ以下の短い時間であり、すぐに扉を開けた。

 「ああ、起きたのね。汗が凄いのなら、そこにタオルがあるから拭いていいわよ。黒陽については少し後にして。話は一段落してからね」

 早口で言いながら指でタオルのある方向を指し示し、即座に手元へ戻す。そんな反応に少し戸惑いつつ、言われた通り素直にタオルで汗を拭う。

 勿論服に滲み込んだ汗についてはどうしようもないが、体にある汗を拭えるだけでも大分変わるモノだ。不快感はグッと消えた。

 さてどうするか、と思うが、どうしようもないのが現状だ。永琳はシオンの存在に気付いていないかのように集中しているし、かといってこのままでいるのもどうだろうか。

 迷ったシオンは、結局頭の中にある、まだ読み終えていない本を思いだし始める。コレは逃げなのだろうかと一瞬思ったが、今回は仕方がないだろうと思い直す。

 膨大な本の山を思い返して、それから数時間経っただろうか。正確な時間はわからないが、永琳の動きが止まったことでシオンは現実へと意識を戻す。

 永琳は、険しい顔で目の前にあるナニカを睨んでいた。

 「やっぱり――でもどうしてこんなモノが……」

 その後も何度か呟いていたが、どれもこれも抽象的過ぎてほとんど意味がわからない。それでも何かしらの結論に至ったのか、数度頷くと今度こそ視線をシオンに戻した。

 「昨日はごめんなさいね。よく眠れたかしら?」

 「起きた時の汗の量を除けば、一応快適な睡眠だったな」

 「あらそう? それならよかったわ」

 シオンの皮肉を物ともせず、永琳はにこやかに笑う。結局毒気を抜かれることとなるシオンだった。

 永琳は手元にあるそれを掴むと、シオンに投げ渡した。

 「はい」

 「――あ」

 小さく呟きながら、投げ渡された、なぜかアクセサリーに戻っている黒陽を右手で受け止める。それを首にかけ、黒陽の輪郭をそっとなぞる。

 なんとなく治まりがついたような感覚。

 ああ、とシオンは理解した。

 (俺は――不安、だったのか)

 いつも身に着けていたモノがどこかに行ったため、身の落ち着けどころが無いような、奇妙な感覚があった。それが今、無くなったのだ。

 ただの武器と思っていた黒陽は、その実シオンにとって大切なモノの一つとなっていた。それを痛感させられる。

 そんなシオンを見やり、複雑な表情を浮かべる永琳。

 だが即座にそんな事実は無かったとばかりに鋭い眼差しを向ける。

 「さて――一晩眠って鋭気を養ったでしょうし。今日は多少、無茶をするわよ?」

 「無茶?」

 「ええ」

 実のところ、永琳がシオンを気絶させたのは何も身勝手な理由ではない。単純に、シオンの溜まりに溜まった疲労、それを解消させようとしたのだ。かといって口頭で伝えてもそれを受け入れる可能性は低いし、何よりいつも一、二時間しか寝ていない人間を信用しろと言う方が無理だ。

 まぁ、その時間を利用して黒陽を調べていたのは事実だし、否定できないが。

 そして、永琳は話す。

 「あなたは知識が無いから黒陽の力を使えないのでしょう? だったら、今日から全ての授業の内容を『重力』の把握に移すわ」

 早速とばかりに手元の紙束を手渡す。それらはかつて永琳が纏めたレポート紛いのようなモノだった。

 「……は?」

 書かれている内容はかなり高度なモノ。

 シオンは永琳から一般的な数学――永琳の言う一般的な数学は、他人で言うかなり深い、それこそ教授レベルのモノだが――を学んだが、その知識を持ってしても理解できない数式がいくつか見渡せる。

 最初の一ページでコレだ。こんな数百枚もあるページ全てを理解するのに、一体何日かかるのだろうか。

 「さ、まずは重力の基礎的な部分から学んで――」

 ああ、とシオンは理解する。

 永琳はあくまで自分の事を考えて呉れてはいるが――自分の欲求を満たそうとしているのだと。

 その証拠に、永琳の表情は嬉々としていて、楽しそうだ。

 しかし、シオンはこの授業を受けることで一気に黒陽の力を使いこなせるようになるのだが――それはまだ。誰も知らない。永琳ですらも。

 知るのは、数日後の話――。

 




先週更新できずすいません。山場を越えて一気に気が抜けました。

後一話か二話で永遠亭は終わりかなって感じです。早く次に進めたいですね……。


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本来の『主人公』達

まぁタイトルでわかりますが、あの二人がご登場。……なんという今更感。


 今日は、シオンの姿が見えなかった。

 アリスが起きたのは朝六時頃。何とか何時も通りの時間に起きれたが、たった三時間と少ししか眠れていない脳が、もっと寝かせろと騒ぎ立てる。それを気力で捻じ伏せて活動しているアリスだが、慣れない睡眠不足のせいでかなり辛いのが現状だった。

 しかし、シオンはそんなアリスよりももっと睡眠時間が短い。それなのに全く眠たそうに見えないのだから凄まじい、とアリスは思う。

 魔力操作の修行は難航した。どうにも集中しきれないのだ。コレなら朝はやめて朝食の時間になる少し前まで寝ていればよかった、と思うくらいの酷さだった。

 そして、朝食の時間になる。居間にいたのは鈴仙のみで、他の四人の姿は無かった。輝夜とてゐについては特に疑問に思わない。輝夜は朝食を抜きに――というより、そもそも起きていないという方が正しい――する事が間々あるし、てゐの場合はよくわからない。輝夜、永琳、鈴仙の三人は把握しているようだが、少なくともアリスは知らない。

 だが、シオンと永琳の二人が朝食を食べない、というのは、アリスの知る限り初めての事だ。

 「鈴仙、シオンと永琳様は?」

 「今朝師匠からは『私とシオンの分は作らなくていいわ』と伺いましたが、詳細までは知りません。何か用事でもあるのでしょうか?」

 「そうなんだ。珍しいね」

 珍しい、どころではないのだが、その点について鈴仙は黙殺した。と、そこで鈴仙は、なんとなく疑問に思っていた事をアリスに聞く。

 「ところでアリス。昨夜は私が寝付くまでに戻ってきませんでしたが、結局いつ帰ってきて寝たのですか?」

 「……昨日は輝夜様のところに行ってたの。シオンと輝夜様が二人で――えーと、『ゲーム?』っていうのをやってて、私もそれを教えてもらって一緒にやって……少ししてから戻った時には、鈴仙はもう寝てたかな」

 少し間が空いたが、嘘はついていない。単に一部を誤魔化しているだけだ。とはいえこんな言葉で騙せるとも思っていない、のだが。

 「まぁ、輝夜様はともかくシオンが一緒でしたら、大丈夫でしょう」

 「え?」

 鈴仙の言葉は、アリスにとって驚愕するしかないものだった。

 アリスは知っているのだ。鈴仙は、シオンを嫌ってはいないが永遠亭に居る事を許容していないことに。

 「鈴仙はシオンを疎んでいたよね? どうしてそう言えるの?」

 「……別に、疎んでいる訳では無いのですが」

 そう言う鈴仙の表情はかなり微妙だ。疎んでいる、というのが必ずしも否定できるものではないと、自分自身理解しているからだろう。

 「単に私は、彼を警戒しているだけです。今はしていませんけどね」

 「警戒? どうしてシオンを警戒する必要があるの?」

 「勝てないから、ですよ」

 「勝てない?」

 小首を傾げるアリスに対し、微妙な表情のまま鈴仙は視線を逸らす。

 「ええ。この永遠亭に居る人でシオンに勝てるのは、師匠くらいでしょう。てゐは戦えますがそもそも戦闘者ではありませんし、輝夜様は不老不死なので、負けはしませんが拘束されて終わるでしょう。二人より弱い私は、言わずもがなです」

 「でも、シオンはそんな事しないよ? なのにどうして警戒していたの?」

 「……今となっては私もそう思いますが、数日の間はそう思えませんでしたよ。どうしても」

 鈴仙の脳裏に、料理を作る時や、家事で鈴仙の手が足りない時に手伝ってくれたシオンの姿を思い出す。何故か鈴仙が困っている時にそこに現れて手を貸してくれたシオンの顔に、そして鈴仙の能力にも、嫌だと思っている気配は無かった。

 それが演技じゃないのはわかっていても、やはり警戒してしまうのを止められない。シオンはそれを、困ったように見ているだけだった。見抜かれていたのだ、鈴仙がシオンを信用していないのを。

 だが、普段の鈴仙ならここまで警戒しなかった。いくら鈴仙であろうと、初対面の人間に警戒心剥き出しで接するのは失礼だとわかっているのだから。

 鈴仙が警戒していた最大の理由、それは。

 「――私では、アリスをシオンから守れないでしょうから」

 「守、る?」

 「はい。……私は妖力をまともに扱えない、妖怪としては『欠陥品』の、その上臆病者です」

 自嘲気味な笑みを浮かべる鈴仙に、常の快活さは見当たらない。

 「欠陥品って――!」 

 テーブルを叩いて身を乗り出したアリスを、鈴仙は手を前に出して制する。

 「大丈夫ですよ。昔は気にしていましたが、今は師匠に諭されて大丈夫になりましたから」

 「永琳様に?」

 「昔ここに逃げて来た時に、師匠から『足りないと思うのなら他から持ってきて補いなさい。それでもダメなら他の方法を模索しなさい。時間はいくらでもあるの。諦めるのは、全て試してからでも遅くは無いでしょう?』――と」

 そして永琳は、鈴仙のために色々と骨を折ってくれた。

 妖力は全く扱えないが、その代わりなのか何なのか、身体能力は他のウサギよりも高い鈴仙に、月にあった銃よりも遥かに反動も威力も高い重火器を作ってくれた。――まぁ、やりすぎて一回使うだけで腕がダメになるアレなんかも作っていたが。

 それでも確かに、永琳は手伝ってくれたのだ。彼女からしてみれば取るに足らない、一妖怪のために。

 「私は、昔より強くなれたと断言できます。ですが、それでもシオンには勝てません。勝てなければ、もし彼と敵対した時に、私は元よりアリスは倒されるでしょう。あっさりと」

 アリスの手前『殺される』という表現は避けたが、聡いアリスは一瞬で理解した。

 「それじゃ、鈴仙は」

 「……私は輝夜様のように気楽ではいられませんし、師匠のように相手がどんな人間かをすぐに察せる程賢くありません。てゐのように助けられた訳でも無い私は――彼を、信じられるほど甘くなれませんでした」

 本当は、わかっていたのに。

 「波長を感じ取ってわかりましたが、彼はここに来て、少なくとも私の知る限り()()()()()()()()()()()()

 嘘を吐かないのは、人間としてありえないこと。

 それをしていないのは、何故なのか。鈴仙にはわからないし、理由を知ろうとも思わない。が、少なくともシオンが即座に敵対するのは限りなく低い。

 今ならわかる。なぜ鈴仙がそこまで警戒していたのか。単純にしてわかりやすく、そしてそうであるからこそ本人が気づきにくい感情。

 それは――嫉妬。

 異様、異常としか取れないほどシオンとアリスの距離は近くなっている。それに対し、鈴仙は嫉妬していた。よく考えてみればわかったが、もし気付いていなければ今でもシオンに警戒心を向け続けただろう。

 が、気付いたからこそ鈴仙はそれをやめた。思ったのだ

 ――私は子供ですか、と。

 シオンはまだ幼い。そんな相手に対し醜く汚い嫉妬を向けるなど、あまりに愚かしい。そして、それを悟ってしまえば鈴仙はもう、シオンに悪感情を向けられない。

 知性あるものが何かに警戒するのは、悪感情故に。そしてそれを向けてしまえば、その対象が持つ『嫌な部分』を探してしまう。それを探して見つけてしまえば、もう終わりは無くなる。悪循環の完成だ。

 そうなる前に理性を取り戻したのだから、鈴仙は十二分に大人だろう。

 「……少なくとも今の私は、シオンの事を多少信用していますよ?」

 「なら、いいんだけど」

 信頼はしていないらしいが、そこまでは高望みにすぎるだろう、とアリスは思う。むしろ悪化し過ぎていないだけまだマシだ。

 朝食のかなり複雑な会話を経ると、アリスはいつもの日常に戻る。だが、永琳はともかくシオンまでもがいないと、どうにも居心地が悪いと感じてしまう。接した時間は短くとも、その内容が濃密すぎたせいだろう。

 結局シオンを見たのは日が沈んでから、だったのだが――。

 「シ、シオン、どうしたの!? 顔色が悪いけど――っていうか真っ白!?」

 青褪めるを通り過ぎて幽霊か何かかと思うほどに具合の悪そうなシオンを見つけて、アリスは悲鳴をあげてしまった。

 不気味、と思ってしまったのは、アリスでなくともそう感じるので仕方がないだろう。

 「え、あぁ、うん……ついさっきまで、永琳のスパルタ方式勉強を受けててね……ちょっと、辛いな」

 どんなにキツい鍛錬であろうと弱音を吐かなかったシオンが辛いとこぼしたのに、アリスは戦慄させられた。一体どんな内容だったのか気になるが、同時に知ってしまったら後悔するかもしれないと思ってしまう。

 フラフラと歩んでいくシオンの背を、アリスはただ見守るしか出来なかった。

 翌朝、何とかいつもの顔色に戻ったのを見てアリスがどれ程安堵したのか、シオンにはわからないだろう。

 ただ一つ――先日までとかなり鍛錬の仕方が変わっていたのが、不思議だった。

 どちらかというと体を動かして技術を覚えるのが主流だった昨日までと違い、今日は黒陽を展開して周囲に重力を浮かべ続けている。ただし、一つが二つに、と加速度的に黒い塊が増えていくその光景は、圧巻であると同時にアリスに怖気を感じさせる。

 ――触れたら死ぬ。

 そう理解させられてしまうから。

 気付けば数時間も経っていたのに、アリスとても驚いた。無意識の内に魔力制御を行いながら、ずっとシオンを見ていたらしい。

 「シ、シオン! そろそろ一回休憩しよう!」

 一回、どころではなく、今日はもう終える時間だ。本来なら一時間から二時間に一度休憩にしようと思っていたし、事実シオンに『あの言葉』を言ってしまってからそうしてきた。今はそれさえできなくなってしまっているが。

 シオンはアリスの言葉に反応すると、いつの間にか片膝を着いていた地面から離す。と同時にフラついてしまった。

 「だ、大丈夫!?」

 急いで駆け寄るアリスを手で制し、シオンは一息吐く。

 「頭が、痛いな」

 しかめっ面で頭を押さえながら、アリスの横を通ってシオンは縁側に座る。

 「シオン、どうしていきなりこんな事を?」

 「ん、ああ……とりあえず永琳に言われたのを自分なりに解釈してやってみたんだよ。とりあえずわかったのは、俺が今黒陽を全力で使えるのは二時間から三時間って事か。それを過ぎると一気に力が弱くなる」

 「そうなの? 私はそう感じなかったけど」

 「相手に自分の限界がバレないように力を振るうのも技術の一つだよ」

 小さな笑みを浮かべながら――シオンは上半身を倒した。

 「とりあえず、寝る」

 「……?」

 一瞬何を言われたのかわからなかったアリスは、シオンが気絶したかのように眠っているのを見て、何と言ったのか理解した。

 「え? えぇぇ―――――――――――?」

 シオンが鍛錬だけで気絶したのをアリスは初めて見る。

 最終的に通りかかった鈴仙に頼んで部屋まで運んでもらって、その時は何とかなったが、朝までシオンは起きてこなかった。

 翌日になっても、シオンは同じことをしていた。まるで取り憑かれたかのようだが、それにしては目的意識がはっきりしすぎているし、何より効率重視しすぎている。

 そんな状況で、数日、経つ。その日は永琳が中庭を通りかかってきた。アリスが永琳を見たのも久しぶりだ。

 「あら……まさかこんな無茶をしているとは思わなかったわね」

 「無茶?」

 シオンを見ていきなりそんな事を呟いた永琳にアリスは反応する。その速すぎる反応に永琳がクスクスと小さく笑ったのを見て、赤面してしまった。

 「そう、無茶。でも無駄ではない方法。その内わかるわ」

 「……? それだけ、ですか?」

 「そうね、これだけよ。悪いけれど、私はあまり行き過ぎた語り部にはなりたくないの。これで勘弁してちょうだい」

 そう言うと、永琳はアリスの体の一部を突いた。

 「!? コレ、は」

 「魔力を扱いやすくするツボを押したわ。まぁ、アリスが努力をしていなければその作用も小さいのだけれど――どうやら、その心配はなさそうね」

 一気に活性化する魔力にアリスは四苦八苦しながら何とか制御しようとするが、やはりうまくいかない。その間に永琳は去ってしまっていた。

 鍛錬の内容はより過酷に、より洗練されていく。基礎が、その発展系へ入っていった証だ。しかしそれに、シオンとアリスは耐えられるのか――。

 

 

 

 

 

 暗い、暗い竹林の中。

 「ハァ、ハァ、ハァ――さっさと走りなさい! 死ぬわよ!」

 「わかってる、けど――相手が速すぎるぜ!」

 片や黒髪を赤いリボンで纏め、残った髪を顔の両脇に垂らし、これまた赤い髪飾りでそれらを括っている少女。

 服装は走るのには全く適しておらず、赤と白の巫女服を着ている。胸元にはその時々によって変わるリボンを付けているのだが、今日は青色だった。常のそれとは違い、彼女の巫女服はなぜか袖部分が乖離しており、脇が露出している。

 そんな彼女だが、幼い顔立ちでありながら端整である。笑みを浮かべれば、それだけで誰かを和ませる花となるだろう。しかし今、その表情は苛立ちによって形作られている。

 そしてその彼女に手を引かれ、後ろに付いて走っている、白いリボンのついた黒い三角帽――いわゆる魔女あるいは魔法使いが被るような帽子――を乗せ、これまた黒い服にスカート、そこに白いエプロンを着ている少女。傍から見て魔法使い然とした服装だ。

 隣を走る少女と比べても遜色のない顔立ち、だがそちらと比べてこちらは明るさを宿した表情が似合うだろう。しかしこちらもその表情には必死さしかない。

 どうしてこうなるの、と巫女服の少女は思う。チラと隣に居る少女を見やり、再度思う。今日こんなところに付き合わされなければ、と。

 魔法使いの少女は思う。私のせいでこうなった、と。ならせめて、私が何とかしなければならない、と。

 まるで『太陽と月』と言える彼女達だが、今が一体どういう状況なのか。それを説明するには少し前に遡らなければならない――。

 数時間前。

 魔法使いの少女が、とある神社にやってくる。

 「霊夢――! 煎餅なんて齧ってないで外出ろよ、外!」

 「あんたは相変わらずうっさいわね……なんでそんな元気なのよ?」

 ダルそうに答える巫女こと霊夢。バリボリと横に寝ながら煎餅を食べているが、一切破片を散らかさない。一見綺麗好き、と思えるが、こぼしてしまった煎餅の破片を即座に拾って食べているのを見るに、単に食い意地が張っているだけだろう。

 だが、それをツマラないと思うのが彼女が彼女たる所以だ。

 「いいから行くぞ! そんなんじゃ将来太るぜ!」

 「別に太ったら太ったでその時考え――ってこら魔理沙、引っ張らないで!」

 ギャーギャーと喚きながら引っ張り引っ張られていく彼女達。そこには長年接した相手との気楽さが感じ取れる。……途中で弾丸を飛ばすのはやりすぎだろうが。

 「それで、結局私に何の用事? しょうもない内容だったらぶっ飛ばすわよ」

 「あ、相変わらず容赦無いな霊夢……ちょっとお願いがあるんだよ」

 「お願い? 何の?」

 「いや、さ。霊夢ってなんでそんな簡単に霊力が扱えるんだ? ちょっと教えて欲しいんだよ」

 「扱い方、ねぇ……」

 どことなく切羽詰った魔理沙を見て、あぁ、コレは何かあるなと自身の勘で見抜く。恐らく――実家と何かあった、か。

 元々魔理沙は魔法使いになろうと努力しているが、実家は――というより、父親がそれを許していない。最終的に魔理沙が家を出、どこかの森に家を構えほぼ絶縁状態となった事で、一時的に何とかなっているが、それにもやはり限界がある。

 魔理沙は努力家だ。それは霊夢も否定しないし、否定するつもりも無い。

 だが、

 「――そもそも『コレ』の扱い方なんて、意識した事無いわ」

 「何、だと?」

 「物心ついてすぐ霊力を使えるようになった私は、扱えるように努力した事なんて、ただの一度も無いのよ。だから……教えられないわ」

 物憂げに応える霊夢。

 霊夢が言ったのは、全て事実だ。今まで生きてきた中で霊夢が苦労したことなぞ、お金の、家計簿のやり繰りくらいのものだ。それも最近では適当になってきている。

 努力しても報われることなどありはしない、と霊夢は思っている。それ以上の何かによって、それまでの努力はあっさりと無に帰すとわかっているからだ。それなら最初から何もしなくてもいいのではないか。その日その日を生きていけるだけで――。

 「そうか。ならしょうがないな。答えてくれてありがとな、霊夢!」

 だが、隣を歩く少女は、魔理沙はそう思わない。

 努力が足りないのなら更なる努力を、それでも届かないなら誰かに頼んでも、その考えを、その道具を奪ってでも先へと進もうとする、努力の少女。

 自分とは正反対の位置に居るこの少女を、霊夢は醒めた目で見る。同時に、自分自身を顧みる。

 ――努力をして輝いて見える少女と。

 ――全てを諦め色褪せている自分を。

 ――どうしてこんなにも違うのか。

 ――同じ人間であるはずなのに。

 ――なぜ、私達は。

 そこまで考えて、霊夢は頭を振る。そして、魔理沙に聞いた。

 「それだけならもういいでしょ? 私は帰らせてもらうわよ」

 「え、何言ってんだ? まだあるに決まってるだろ」

 「はぁ? 一体何をするって言うのよ」

 「んなの決まってる――遊ぶぞ!」

 「ちょ、ふざけてるの!? そんな面倒な事をどうしてしないといけないのよ!」

 「いーからいーから。ほら行くぜ!」

 思えば、こうやって無理矢理外に連れ出したのが原因なのか。

 「――外に出てみれば、何と強い力を身に宿した少女が居るものだ。どれ、今一度試してみようではないか」

 神社からも里からも遠く離れた場所。少し遠いが、それでも霊夢と魔理沙なら二十分とかからず辿り着ける妖怪の山。

 そんな場所に訪れていた二人の目の前に、一つの妖怪が現れる。

 簡素な服、としか言い表せない。下手をすると単なる布切れ。それに隠された体は見事の一言。だが何より目を引くのは――その頭の上にある、角。

 「鬼――」

 霊夢が呟く。

 鬼、という存在は聞いているし知ってもいる。だが、実際に見たのは初めてだった。いや、そもそも八雲紫から言われ続けたのだ。

 鬼と出会ったらすぐに逃げなさい――と。

 それほどまでに鬼とは危険なのだ、と教えられ続けた。少なくとも、何の準備も無しに出会うものではないと。

 「魔理沙、逃げるわよ」

 小声で、相手に聞こえないように告げる。だが、反応が無い。訝しむ霊夢を余所に、声が聞こえていたのだろう、鬼が言う。

 「ほぉ、逃げるか。かような詰まらぬ真似はしてほしくないものだが」

 「ッ、冗談。あんたらみたいな相手と戦ったら命がいくつあっても足りないわ。逃げるのも戦略の一つよ」

 「然り。確かにそうだ。しかし――隣にいる少女は、そうできるのか?」

 「!?」

 隙となる、とわかっていても、隣を見ずにはいられなかった。

 そこに、ガタガタと震える魔理沙がいた。

 「魔理沙――! 落ち着きなさい、深呼吸して!」

 「ぅ、ぁ……ダメ、だ。死ぬ。勝てない。私じゃ、勝てない――!」

 恐怖に怯える魔理沙に、いつもの快活さは無い。

 額に冷や汗が出ている霊夢も、本当ならどうしてこうなったのと叫びたいのだ。だが、それも霊夢がこの鬼に対し対抗できるからこそ。ただの、力無い人間では、こうなってしまうのも仕方がない。

 恐らく、魔理沙の父親はこうなるとわかっていたのかもしれない。ただの人間では、いずれ限界が来る。そしてそうなった時、死ぬしかないのだと。

 時間は待ってくれない。鬼は、既に一歩目を踏み出していた。

 「では、行くぞ」

 「ああもう、このバカ――! いつもはバカみたいに真っ直ぐなのに、こんな時にそうできなくてどうするのよ!」

 「霊夢!?」

 魔理沙の手を掴み反転、加速する。霊力を使って身体能力を強化し、鬼と少しでも距離を取ろうと努力する。

 それも儚いものだと、すぐにわかったが。

 「撒けない!? ううん――むしろ近づいてきてる。嘘――身体能力だけでコレ!? じゃあ妖力を使われたらすぐに」

 「どうしたんだ霊夢! おい!」

 愕然とした顔で走る霊夢には、絶望が色濃く宿っている。

 せめて、と霊夢は思う。

 (これが私一人なら、まだ何とかなったのに――!)

 だが、無理だ。魔理沙はまだ魔法が使えず、それ故に空を飛べない。せめて空を飛べれば霊夢が足止めして、少ししてから逃げる、という事もできるが、無い物ねだりをしてもしようがない。

 霊夢が考え込んでいる間、未だに魔理沙は喚いている。

 「いいから黙って走りなさい! 無駄に体力を使うわよ!?」

 「ッ」

 叫び、というよりも、最早悲鳴に近いそれに、魔理沙は息を呑む。

 何分走ったのか、わからない。ただ魔理沙の体力は限界に近い。霊夢はまだ持ちそうだが、後数分で鬼が追い付いてくる。体力があろうがなかろうが、あまり関係無い。

 いや、追い付いてくるだけなら今すぐに来てもおかしくはない。単に遊んでいるだけだろう。

 何時の間にか景色は移り変わり、竹が眼に入ってくるようになってきた。

 「迷いの竹林――魔理沙、ここに入るわよ!」

 「――」

 もう返事すらできない魔理沙の手を握り、更にスピードを上げる。面白い、というように後ろに迫る気配も大きくなる。

 迷いの竹林。これも霊夢の中には知識しかない。一つ言えるのは、一度迷い込めば数時間はこの中に居続ける可能性が高いということ。二つは、この中には紫の、妖怪の賢者とは反対の、人の賢者がいるということ。

 もし運が良ければ、前者の性質を利用して撒けるし、後者を利用すればその知識で鬼をどうにかできるかもしれない。

 「運、なんて嫌いなのだけれど」

 今は、コレに賭けるしかない――!

 その決意を胸に、霊夢は竹林へと入って行った。

 

 

 

 

 

 「――――――――――!」

 「シオン? どうしたの?」

 最早日常と化したシオンの黒陽の展開をなんとはなしに眺めていたアリスだが、唐突にそれをやめたシオンに疑問の目を向ける。

 そんなアリスだが、彼女の服は()()()()だった。

 永琳が彼女に告げた内容は簡単――『過剰回復を使い続けなさい』だ。

 過剰回復で体の破壊と再生を繰り返す。そうすることで早く魔力に慣れ、同時に痛みに慣れ、そしてシオンの感じているモノを少しでもわかろうとする。ちなみに配分は三と二と五だ。最後が一番多いのはもうご愛嬌、としか言えないだろう。

 最初は驚いていたシオンも、内容を聞かされて――もちろん、一番最後の理由は聞かされていないのだが――そしてそれをやると言い切ったアリスの瞳を見て、何も言うまいと諦めた。

 「――アリス。師匠を呼んできてくれないか?」

 「何かあったの?」

 シオンの言葉を聞くと同時に、アリスの視線が細く、鋭くなる。ここ最近アリスの危機意識の管理が飛躍的に伸びていた。自身の近くにその最たる存在、シオンと永琳の戦闘を見続けてきたからだろう。

 「気のせい、とは言い切れないなぁ、この気配。竹林に面倒なモノが来た。それを外に追い出してくるよ」

 「そう――気を付けて」

 「ああ」

 竹林に来た外敵の排除は基本てゐと鈴仙が行うのだが、『()()』は流石に不可能だろう。

 それにしても、

 「子供が二人――間に合うといいんだが」

 追いかけられている二人が殺される前に、行かなければならないだろう。

 

 

 

 

 

 竹林に入って、一体どれほど経ったのだろう。数時間にも思えるし、まだ数分しか経ってないようにも思える。どちらにしても自身の体感で時間を計るのは愚かだ。

 それに――もう、遅い。

 「ふむ。人間で言うところの『鬼ごっこ』は、もう終いか?」

 「何、ふざけた事、言ってんのよ……いつでも、追い付いて来れた、クセに……!」

 キッ、と睨みつける霊夢を、しかし鬼は涼しい顔を返す。

 もう、無理だ、と表情に反して霊夢の中にあるモノは諦観だけだ。やはり努力は報われるものではなく、ただ無意味な時間を伸ばすだけしかない。これならあの場所で戦っていた方が、まだマシだったかもしれない。

 悠々と近づいてくる鬼に、霊夢はスッと手に籠めていた力を緩め――

 「では、精々足掻いてもらおうか」

 拳を振りかぶる鬼を、ただ見つめ。

 「霊夢ッ!」

 その拳の目の前に姿を晒す魔理沙の背中を、視界に入れた。

 「な、魔理――」

 言い終える前に、体が動いていた。

 魔理沙の前に体を捻じ込み、身体強化を腕のみに限定し、その腕を拳が振るわれる軌道に置いておく。

 腕からどんな音が聞こえてきたのか、霊夢は覚えていない。覚えているのは、背中に居た魔理沙ごと吹き飛ばされた事だけだ。

 「い、ッ……」

 声が漏れる。それだけでも上々だ。だって、それはまだ、()()()()()()()()()事の証左なのだから。

 「霊夢、おい霊夢!? しっかりしろ、おい!」

 「うっさい、わねぇ。大丈夫、よ。揺らさないで、うざったいから」

 霊夢の体を受け止めて、その上で背中を地面にぶつけたのだから、痛みは相当のはずだ。それを押し隠しているのだから、魔理沙の強がりも大したものだろう。

 (まぁ――私も、強がってるんだけど――)

 チラと鬼の一撃を受け止めた右腕を見る。おそらく、折れている。袖をさりげなく移動させて、その部分を魔理沙に見えないようにする。

 「ほう、鬼の一撃を受け止める、か。なるほど大したものだ。将来が楽しみだが――今は、私と楽しんでもらおうか」

 将来が楽しみ、と言いながら、その顔には強者と相対できた喜色しかない。

 何となく、霊夢の脳裏に紫の――鬼は、力こそ全てという言葉が思い浮かぶ。

 「……魔理沙、今すぐ逃げなさい」

 「な、霊夢何言ってんだよ!? そんな事できるわけないだろうが!」

 そんな言葉を吐き捨てた魔理沙に、ついに霊夢の堪忍袋の緒が切れた。

 「いいから――」

 魔理沙の胸元を掴みあげ、額に額をぶつける。

 「さっさと、逃げろってのよこのバカ! あんたは、足手まといなのよ!」

 「ッ!?」

 「あんたがいたって良い事なんか何一つも無い! むしろ邪魔! だから――さっさと逃げなさいよ!」

 「い、言わせておけば霊……おい、お前、まさか」

 「何よ!?」

 額を突き合わせているからこそ、霊夢の顔が、眼が、良く見える。だからこそ、わかってしまった。

 「お前――()()()

 「話は終わったか」

 『――』

 霊夢は魔理沙の胸元から手を放し、数メートルとない距離にいる鬼へと相対する。そうしながら胸元に隠し持っていた札を取り出す。焼け石に水にしかならないが、無いよりはマシだ。

 「魔理沙、あんたはさっさと逃げなさい。今ならまだ何とかなるはずよ」

 またも何かを言おうとする魔理沙を背中で押し、制する。だがそれは、無駄だった。

 「悪いが、そちらの子供を逃がすつもりは無い。久しぶりの、里の外にいる人間。今楽しまなくていつ楽しむのだ?」

 鬼の笑みにあるのは、人間を見下す嘲笑。ジトリと、冷や汗が額と背中を伝う。

 「さて、精々私を楽しませろ。何だったらまた逃げるのもありだが」

 「そうか。なら今度はお前が逃げる番だ」

 「な!?」

 咄嗟に防御をしたのは、本能としか言えない。

 吹っ飛ぶ鬼と、軽く地面に下り立つ少年。

 その少年は、傷だらけだった。全身が刃物と、何らかのモノで貫かれた後。それらを覆うように左半身は大火傷。更に言えば左目に眼帯をしている。敵か、味方か。あるいはそのどちらでもないかもしれない。どちらにしても助かった、と魔理沙は体の強張りがとけたのを感じた。

 だが、霊夢は鋭い目で札を構えながら少年を見やる。

 「お、おい霊夢、落ち着け。今はコイツに敵意を見せても意味が無いだろう?」

 「いいえ、あるわ。ここでコイツが敵じゃないってわかれば、少なくとも無駄に警戒せずに済むもの」

 鬼を見つつ、全部聞こえてるんだけどなぁとボヤく少年に、魔理沙はビクつく。

 「俺は貴女達がこっちに敵対行動を取らなければ何かをするつもりはないよ」

 「そう――それじゃ『アレ』はどうするの?」

 「決まってるよ」

 何時の間にそんなものがあったのか。

 左足を折り曲げ、膝を頭の上にまで持って来たそれには、黒いモヤが纏わりつく。

 「アポイントメントを取らない、暴れるだけのお客様には――ご退場願おうか」




ただ逃げるだけなのは霊夢と魔理沙らしくないとは思いますが、霊夢は『魔理沙が居る事と、スペルカードルールの一つ殺してはならない』ので戦えず、魔理沙は単に『年齢のせいで未だに魔法を覚えきっていない』のが原因でこうなっています。

原作主人公達そのままだったら容赦無くボコってハイお終いですよ。


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来たる前兆

 吹き飛ばされた鬼がまず感じたのは、『腕に感覚を覚えない』ことだった。

 疑問を覚えつつも少し経つと、次第にそれが腕の感覚が麻痺している事実を理解した。それ程までの膂力あるいは脚力で殴られたことに驚きつつも、鬼の顔には笑みが広がるのみ。

 長き時を生きる存在にとって、何よりの大敵が退屈。

 では、それが『力こそ全て』という大雑把とも言える指標を持つ鬼達は、一体どうなるのか。

 ある程度までなら、仲間内で力を競い合えばいい。だが限られたコミュニティの間では、それも限界が来る。特に、彼等鬼のような、飲めや食えやのどんちゃん騒ぎの宴会とどっこいどっこいと言える喧嘩を、四六時中行っていればなおのこと。

 加えて仲間内での喧嘩を、長い時を生きる彼等が行っていないはずが無い。必然、酔いが醒めて素面に戻れば思うのだ。

 ――もうこの相手とはしばらく戦うまい、と。

 何故か。

 答えは単純だ。長い時を生きているとは、言い換えればそこに至るまでの間に様々な出来事があり、生じてそういった存在はどのようなモノであれ、大小の力を得る。

 鬼の場合は、その圧倒的なまでの戦闘能力。

 無論、長い時を生きたからと言ってそれ以上強くならない理由にはなるはずもないが、かといって彼等はわざわざ人間の格闘技術を学ぶ必要がある程弱くもない。

 イコール、それ以上の伸びしろを感じるのは難しいとなるわけだ。

 同じ相手と戦い続けても、余程実力が伯仲――それこそ生涯のライバルと言えるほど――でもなければ面白みなど感じない。

 かと言って頭打ちが見え始めた鬼が強くなるには相応の時間を伴う。

 となれば、外部に自分達と戦える相手を求めるしかないが、鬼とまともに戦える人間や妖怪などまずいない。幻想郷ではその『例外』はいくつかいるが、現時点で『純粋な人間』でありながら鬼と戦える存在は、まずいない。

 ちなみにその『例外』の一人にして『純粋な人間』である博麗の巫女がいるのだが、流石に何の装備も心の準備も無く鬼と遭遇したため、本来の力が出せなかった。

 そして暇潰し程度の娯楽が、自身と打ち合えるかもしれない人間と出会った。

 この時点で、鬼の標的が目の前にいる白髪の少年、あるいは少女に定まった。

 鬼が自身を見つめるのを感じて、シオンの目が細くなる。だが決してその場から動く事無く、ただ相手の初動を見極めようと注視するだけだ。

 そのまま睨み合いに発展するかと思いきや、突如鬼が前へ出る。

 荒々しく地を蹴り駆ける。まさしく『鬼』の名に相応しい迫力。あんなモノに追いかけられていたのかと傍から見ている魔理沙は震え、霊夢はそれを感じながら、ただその光景を眺める。

 鬼がシオンを殴る。だがそれは体を、ではなく、その手前にある、モヤのかかった足を、だ。

 その事実にシオンは細くしていた目を鬼の体全体ではなく、鬼の顔に向ける。

 鬼はただ、笑っていた。

 鬼がそれを殴って最初に感じたのは、『感触が無い』事だ。ただし、まるで山を殴ったかのような『感覚』はある。どれだけ殴ろうと果てが無く、終わりが見えない。その違和感を疎ましく思いつつ、その拳は止まらない。

 ただ殴る。

 その光景を言い表せば、その一言しか浮かばない。

 殴って殴って殴りつける。拳が霞んで見えるほどに、そして殴る時に踏みつけた地が、土が後方へ吹き飛ぶほどに。

 シオンはそれを黒いモヤを纏った足で受け続ける。

 鬼は殴り、シオンは足で受け止める。驚く事に、シオンはその間全く動いていない――ように、鬼には見えた。

 実際にそれを理解したのは霊夢くらいだろう。魔理沙はただ驚いているだけだ。ただしそれはシオンに対してでは無く、何故か足だけしか殴ろうとしない鬼に対して、だが。

 しかし霊夢にはわかった。

 鬼はシオンの体を殴ろうとしないのではなく、()()()()()()()()()()()()のだ。

 動いていないように見えたシオンは、右足の『踵』を右に左に捻って、鬼にはわからないように少しずつ、だが明確に体を鬼とは対角線になるように動かしている。

 よくよく見ればわかることだが、シオンの膝部分が少しだけよじれている。このままほったらかしにしていれば折れるだろうとわかるほどだ。

 だが、そこで疑問が生じる。なぜアイツは左足の角度を変えないのか、と。

 そんな事情はあるが、そこに鬼の思考は介在しない。ただ一つ、思った。

 ――なぜ、反撃してこないのか。

 攻撃する暇ならいくらでもあったはずだ。目の前にいる人間の顔に恐怖はなく、冷徹に観察している目だけがある。

 ならばわかったはずだ。自身の穴だらけの戦闘を。

 先ほどから鬼が盾となっている左足しか殴らず、またそれをやめようとしなかったのは、至極単純な理由からだ。

 何度も述べるが、鬼は『力こそ全て』だ。勘違いしてはいけないことは、ここでいう『力』はあくまで『直接的な戦闘』であり、『頭を使った学問』などではない事だ。

 つまり、鬼とは言ってしまえば()()()()()である――こんな言葉を彼等に投げつければ、良くて冗談だと笑ってくれるか、最悪侮蔑と受け取られて言った者の首を捻じ切られて終わるかだろう。

 どちらにしろ、この鬼にわざわざこの足を避けてシオンを殴るなんて考えは無く。

 ただ()()()()()()()――それだけが頭の中にあるのだ。

 「――もう、いいか」

 「!?」

 前兆など感じなかった。

 鬼はただ、一度拳を引いたその一瞬に、体に蹴りを叩きこまれたのを、叩き込まれた後に知覚した。

 当たったのは心臓のある場所。声すら漏れなかったのは、衝撃が体全体に走ったのと、声が喉元でとどまったせいだ。

 何とか足から地に着地するが、顔を上げると視界に影が過ぎる。それは人間の足で――それが何かわかった鬼は腕を上げて顔を庇う。

 黒く染まった足を、防御している鬼の腕に構わずぶち当てる。その威力は凄まじく、鬼の頑強さを持ってして骨が折れたかと感じるほど。だが実際には折れず、しかししばらくは腕が使えないとわかるほど痺れている。

 「鬼ってこれくらい硬いのが普通なのか? 今の一撃、腕をもぎ取ろうとやったんだが」

 「我らにとってこのような事は日常茶飯よ。だが、中々の威力だ。誇れ」

 鬼の発言に呆れの度合いを濃くし、少年は何かを悩むように手で首を押さえながらコキコキと鳴らす。

 「なあ、一度帰ってくれないか? 正直ここで戦うのはやめてほしいんだよ。お前と戦うと被害が大きくなるのは目に見えてるし」

 「断る。なぜこのような楽しみを自ら手放さなければならない?」

 「だよなぁ。お前って見たとこそんな感じ(戦闘狂)だし……」

 そう呟くと、悩んでいたことを吹っ切ったかに見えた少年が、足で地面をドンと叩く。不意打ちゴメン、と言いながら。

 「――!?」

 足を貫く黒い剣を、鬼は驚愕した眼で見つめる。何の予感も感じなかった。そもそもいつこんなモノを仕込んだのかさえわからなかった。

 しかも剣は一本だけではなく、鬼の頭、胸、鳩尾が前後左右に置かれている。鬼は内臓がある部分は人間となんら変わりないため、人体の構造上そこは急所となる場所。

 足を貫かれている今、鬼は動けない。避ける術は無かった。

 「チェック・メイト。つってもわからないか……。このままなら殺せる。逃げるかこのまま死ぬか、選んでくれないか?」

 終始変わらぬその眼で鬼を見つめる少年に、小さな笑みを浮かべる。

 この少年は、やると言ったらやるだろう。断ると、それを告げた時点で貫かれるのは必然だ。

 「ならば、なぜそうしない? わざわざ逃がして報復を受ける手間を考えれば、ここで殺しておくのが得策なはず」

 「俺は()()()()()()()()()気は無いよ」

 少年の言葉に笑みを深める鬼。この少年はわかっている、そう思ったのだ。

 鬼は強者に負けるのならそれも良しとする存在。だがそこに至るまで、例え瀕死の体だろうと決して『死んだ』と確定するまで戦うのをやめない。

 そして総じて、死にかけの相手と戦うのは愚行だ。後先考えずに突っ込んでくる相手程恐ろしいモノは無いと、わかっているからだ、この少年は。

 窮鼠猫を噛む、そんな言葉があるように。

 「それに――あの二人を巻き込みかねないし。このまま行くと」

 「……ふむ」

 あの二人、とは先程の少女達の事か、と記憶の中を思い出す。

 「いなければ戦った、と?」

 「当たり前。一度ここに来た以上、二度とここに来ないとは限らない。そんなお前のために彼女達の手を煩わせたいとは思わない。命を助けてくれた恩もあるからな。個人的にもお前みたいな奴と会わせたくないってのもあるが」

 身も蓋も無いが、それだけに本心であるとわかる言葉。嘘を嫌う鬼からすれば、その返答は好ましい。

 幾度か考え、仕方なしと諦めた。元々この鬼はこんな場所まで出てくるつもりはなかったのだ。まだ『契約』は続いているのだから。

 それさえなければ、と名残惜しい気持ちを抑えながら、鬼は告げた。

 「此度はここを去ろう。だが、人間。主の名は?」

 「シオン。『人外』だ」

 「そうか。では人外と名乗る人間の少年、シオンよ。また会おう」

 ズル、と足に突き刺さった剣を何の苦も無く抜き取ると、血が滴る足も気にせずそのまま駆け去って行く。

 その背を見送ってなお鋭い目で探索を続け、完全に鬼の気配が竹林から消えると、最低限の警戒を残して気を緩める。

 「俺はまた会いたいとは思わないんだけどなぁ」

 きっとまた会う。そんな予感を感じつつ言葉を漏らし、傷ついた猫のように睨みつける巫女姿の少女と、そんな少女を押さえる魔法使いの少女を見やる。

 シオンはトン、と足を踏み出し、彼女達の前に移動する。再度札を構える巫女に内心で溜息を洩らしつつ言った。

 「一度永遠亭に来た方が良い。怪我、治した方がいいだろう?」

 「永遠亭……あんた、そこに住んでるの? 月の賢者と?」

 「賢者が永琳って名前なら、まぁそうだ。正確には居候だがな」

 「そう。なら、信じてあげる」

 まだ警戒しつつも札を懐に仕舞う霊夢に、今度は魔理沙が突っかかった。

 「ちょ、おまバカか霊夢! 鬼とあんな戦闘できる奴に挑発まがいの行為をするなよ!」

 「だからこそ、よ。下手に出たって殺される時は殺されるわ。だったらまだこっちには余裕があるんだって見せた方が交渉しやすいじゃない」

 「時と場合はを考えろ!」

 「……それ、あんたが言う?」

 漫才染みたやり取りだが、本人達は至って本気だ。

 「――で、着いて来るのか来ないのか、どっちなんだ」

 『!!』

 今の今まで忘れられていたのか、とボヤきつつ、シオンは問う。

 「いいわ。着いて行ってあげるわよ」

 「頼む」

 あくまで上から目線の霊夢と、慣れてないかのようにぎこちなく頭を下げる魔理沙。どちらも対照的ではあるが、どちらが好印象か聞かれれば、やはり魔理沙だろう。

 それとも、霊夢は()()()それを狙っているのか。

 「……? 何よ。連れて行くんじゃなかったの?」

 「ああ。そうだな」

 彼女の真意は、彼女にしかわからないだろう。

 シオンが一歩近づくと、その姿がはっきりと霊夢と魔理沙の眼に映る。

 やはり、酷い外見だ。魔理沙なぞわかりやすく顔を引き攣らせている。特に、眼帯以外には目立った部分が無い顔と、どこを見ても傷だらけの体の対比が凄惨さを加速させる。が、シオン自身は特に思い入れが無いのか、霊夢や魔理沙の反応に無言を返す。

 「んじゃ、そっちの……そういや、名前なんだっけ?」

 間抜けすぎる問いに、ガクリ、と一気に脱力する二人。

 「えーと、私は霧雨魔理沙。見ての通り普通の魔法使い……と名乗りたいとこだが、まだ『魔法使い志望』の見習い以下って感じだ。で、こっちが」

 「博麗霊夢。巫女よ」

 一瞬、シオンがピクリと眉を動かしたが、フンと横を向いていた霊夢は当然、魔理沙も気付かなかった。

 「博麗……霊夢。それと霧雨魔理沙、ね。俺はシオン。苗字は無い。シオンでいい」

 「なら私も魔理沙でいいぜ? 変に『霧雨さん』とか呼ばれても背筋が痒くなるしな」

 「私も霊夢でいいわよ」

 「わかった。それじゃ今度こそ。魔理沙、背中に乗ってくれ」

 「……は?」

 シオンは背を向けると、わざわざ髪をかきあげて、それを肩に通して魔理沙の邪魔にならないようにしていた。

 本気なのか、と問うまでも無い。本気だ。

 魔理沙はしばし逡巡し、霊夢を見てジト目を返され、そこから更に数秒経って空気が悪くなり始めているのをその危機に対する本能で察し、この年でおんぶって……と、恥ずかしさから赤面しつつシオンの首を抱きしめ、背に乗った。

 「しっかり捕まってくれ」

 「お、おう」

 一度魔理沙の太腿の下を腕で持って、魔理沙が自分の背に乗り易くすると、腕を放す。

 「ちょ、シオン!?」

 「すまないけど、コレで我慢してくれ」

 今魔理沙が乗っている部分は背中のみ。首を抱きしめている事から何とかバランスは取れるが、あくまでそれだけ。この手を放せば落っこちる。

 文句を言おうとした魔理沙は、シオンが動き始めているのを察して顎をシオンの肩に乗せた。そうするとシオンが何をしようとしているのかがわかった。

 「……まさかと思うけど、あんた」

 「そのまさか、だと思うよ。よいしょ、と」

 わざわざ霊夢から見て左側に回り、彼女の背中と膝裏に手を通す。いわゆるお姫様抱っこの体勢なのだが、当の『お姫様』がかなり危ない表情をしていて、とても『可愛らしい』とは呼べなかった。

 「私は一人でも歩けるんだけど?」

 「無理はしない方が良い。疲れてるだろう」

 確かに疲れている。が、恥ずかしさがあるかないかでいえば、やはりある。

 もう一度シオンに物申そうかと口を開こうとした霊夢は、そうすることを叶えられなかった。

 「行くぞ。しっかりつかまってろ」

 「え?」

 「は?」

 また、あのトン、という軽い音がした。

 「きゃ!?」

 「うぉ!?」

 瞬間叩きつけられる強風。霊夢は咄嗟に顔をシオンの胸元に押し付け、魔理沙は帽子が吹き飛ばないかとヒヤヒヤしながら必死の形相で、全身でシオンにつかまった。まるでコアラのような体勢だが、彼女は羞恥心どうこうよりも安心感が欲しかった。

 そこで霊夢は気付く。魔理沙はそこそこ揺れているのに、自分は全く揺れを感じないことに。そして、自分の左腕は自分の体の上に置いてあって、負担がかからないようになっていることに。

 ――いつ、気付いたの?

 霊夢が目でそう言っているのに、片目だけのシオンは気付いた。

 元から霊夢は返事など期待していない。だが、それに反してシオンはその視線を霊夢の肩と、手に移動させた。

 たったそれだけで、霊夢はシオンが気付いた理由に勘付いた。

 霊夢は左腕の骨を折ってからずっとやせ我慢をしていた。それゆえ体は強張っている。特に、痛みの発する部分と接している左肩は不自然なくらいに。逆に手には全く力が入っていない。これだけでシオンは肩から手、その間のどこかを怪我していると見抜いたのだ。流石にその怪我が骨折なのか脱臼なのか、あるいはその他の何かかはわからないが。

 その後霊夢は顔を伏せたため、一体どんな表情をしていたのか、シオンにはわからない。ただ、何となく気まずくはあったため、走る速度をあげ、永遠亭に向かった。

 

 

 

 

 

 一分とかからず永遠亭に辿りついたが、本当ならもっと速く戻れたりする。そう、空中を歩く、という例のアレで。実はシオン、既に覚えていたりする。ただ、それをすると霊夢や魔理沙は必ず驚くだろうし、それが原因で落っこちたりすれば多少の怪我はするため、自重した。

 念のため、と救急箱を用意して縁側に座っていたアリスと、その横で腕を組み立っている永琳を見つけたシオンは、縁側にまで近付いて霊夢と魔理沙を下ろした。

 「来たのは鬼だった。この二人を追って来たんだろう」

 「鬼……珍しいこともあるものね」

 「一応殺してはいない。面倒事があるかもしれないし。アリス、二人の治療を頼む」

 「あ、はい。それではどちらから――」

 「魔理沙を先にお願い」

 アリスが二人を見ると、間髪入れず黒髪の少女に告げられる。だが、告げられたアリスは眉を顰めて霊夢を見た。

 やっぱり、と思う。どう見ても、そちらの方が怪我が大きい。

 ここ最近、アリスは過剰回復を使って自身のあらゆる場所を壊し、回復してきた。体のどこを、どんな風に回復させればいいのか知るために。その過程で、何となく他者の怪我、その深刻さを把握できるようになった。――ついでに生存本能を刺激され、警戒心が上がったのは果たしてよかったのかどうか。

 とにかくアリスはどうしようか悩み、ついシオンに視線で聞いてしまった。

 その意図を見抜いたシオンは、顔を逸らしつつ肩を竦める。言う通りにしてやれ、ということだろう。素直に聞き入れたアリスは、魔法使いの少女の傷を治すために近づく。

 「それでは怪我を治しますね」

 「お、おう……? そんなことができるのか?」

 「アリスだけは特別らしい。魔法の才が全部『回復』という一点に集中してるからこそできる芸当みたいだ」

 へぇ、と感嘆の息を漏らす魔理沙――シオンが永琳に二人の名前を告げたのを、アリスは横にいたため聞こえた――を治療する。やはり軽傷、これなら一分とかからず治療できそうだった。

 「ところでシオン。あなた、輝夜に呼ばれていたけど、何か用事?」

 「ああ……多分昨日した約束だろう。行ってくるよ」

 そのまま霊夢と魔理沙を置いてシオンは歩き出す。無責任にも程があるが、シオンの言い分としてはアリスと永琳なら信じられるから、が理由だった。

 ――一分後、魔理沙の傷を癒したアリス。

 「ありがとな、アリス!」

 「ううん、傷を治すのが私の仕事だから、気にしないで魔理沙」

 たった一分、されど一分。魔理沙の快活さに当てられ、いつの間にか両者は名前呼び捨てタメ口をきく中になっていた。

 「それじゃ、次は霊夢さんを」

 「……ええ、お願いするわ。でも、さん付けで呼ばないで。霊夢でいいわ。それにその口調もやめてちょうだい」

 「うん、わかった。――始めるね」

 不自然にならないよう左手をダランと下げている霊夢は、先程からずっと眼を瞑ったままだ。しかし額には汗が浮かんでおり、かなりの我慢をしているのが傍から見てわかる。

 「ところで、魔理沙、と言ったかしら。あなた達は鬼と何処で出会ったの?」

 「ん、と……確か里と妖怪の山の――」

 そこで、今の今まで黙っていた永琳が魔理沙に話しかけ、その視線を逸らす。霊夢が眉を顰めたように見えたのは、きっと気のせいでは無いだろう。

 アリスはなぜそこまで強がるのだろうか、と思った。その理由を恐らくシオンは知っているのだろうが――とまで考え、チラと視線を永琳に向けて悟った。

 一瞬。アリスが永琳を見たその一瞬で、永琳は目線を霊夢、魔理沙、また霊夢と戻したのだ。厳密に言うと少し違うのだが、アリスはそれで理解した

 (そっか……霊夢は、魔理沙に心配かけたくないんだ)

 多分、それで合っている。根拠も無くそう感じた。

 そしてアリスは霊夢の左腕にギリギリ触れるか触れないかというところで手を止める。

 「!」

 「大丈夫、当てないから。ジッとしてて。ね?」

 「……わかってるわよ」

 痛みに怯えてしまったのを恥じ入る様に顔を伏せる霊夢。だが耳まで赤くなったことまでは隠しようも無いのだが、霊夢に気付く様子は無かった。

 アリスは魔理沙とは少し違う方法で魔法を発動させる。自分自身に損傷を与えることでわかったのだが、傷によって回復のさせ方に若干の差異があるらしい。とはいえそう難しいと感じないし、今では手慣れたものだった。

 柔らかな光に包まれ、体中の痛みが引いていくのを霊夢は感じる。

 (……凄いわね)

 素直にそう感じる。捻くれていると思っている自分でもそう思うのだ。魔理沙がどう感じたかなど手に取るようにわかる。

 この魔法は、他者を思いやる、それこそ聖人にしか使えない魔法。だが、何故だろう。

 少しだけ感じる、小さな棘。まるで本来崇められるべき人間、その周囲の誰かが何か細工をしたかのような違和感。自身の勘がそう告げている。

 今はまだ大丈夫。だが、もしもアリスが『どこか』に戻れば――

 「――ッ――ん」

 「……今、何か声がしなかったかしら?」

 「え? 何が?」

 「よく、わからないけど……呻き声みたいな」

 何となく気になる、耳を澄ませる霊夢。自身の五感の鋭さには多少の自負がある。だから聞こえるはず――そして、霊夢はそうした事を後悔した。

 「そこ、そこは違うわ。ん、もうちょっと上に、ッ、そこ! そこもっと強く押して! ――ああ、良いわ! ッ、気持ち、いいわ。最高よ!」

 …………。

 「ちょ、変なところ触らないで! もう……ン、今更上手くしたって許さないわよ?」

 ……………………。

 「ァ、ダメ! 強く押し上げ過ぎ。――――――~~~~~~!?」

 ………………………………何を、しているのだろうか。

 「さ、さっきそこはダメって言ったじゃない! この変態! ……ぇ、でもそれは――し、仕方ないでしょ! 良いから黙ってやりなさい!」

 気付けば霊夢以外にアリスや魔理沙すら赤くなっていた。唯一素面を保っているのは永琳のみ。

 「え、と……」

 アリスが口籠るのがわかったが、霊夢としても何も言えない。

 「ン、アアアアァァァッ! ダ、ダメ! それ、以上やられたら、私、正気が、保てなくなっちゃうからァ!」

 ――その後。艶やかすぎる喘ぎ声が聞こえてきたのを、三人は必死に聞かないようにした。

 数分後、伸びをしながら気持ちよさそうに歩いてくる輝夜。その輝夜は四人の前で止まると、笑みを浮かべる。

 「で、その二人が怪我人? って、もうほとんど治ってるのね」

 二人は直感した。この人が、先程の声の主だと。

 一気に頬が熱くなる。それを見てどうして三人が顔を赤くしているのか理解した輝夜は、その笑みをどこかおっさんくさいものに変える。

 「あら、私の声で一体何を想像したのかしら? もしかして――男女の交わり、とか?」

 ボフン、という音はアリスから聞こえた。更に弄り倒そうとした輝夜だが、

 「――マッサージは気持ちよかった? 輝夜」

 「え――マ、ッサー……ジ?」

 「もう、バラすなんて酷いじゃない永琳。折角」

 「人が楽しんでいたのに? 趣味が悪いわよ」

 「いいじゃない、久しぶりの楽しみなんだから」

 ブツブツと呟きつつ、輝夜は永琳の質問に答える。

 「マッサージはかなり気持ちよかったわね。正直上手すぎて色々ヤバかったけれど。ていうかアレで初めてってすごすぎよ」

 「そう、なの。シオンに頼んで正解みたいだったみたいね」

 「もう一度頼みたいくらいね」

 不老不死である彼女達は、よっぽどの事でも無い限り体調を崩さない。だが精神的な疲れが溜まらない訳では無いのだ。

 そこでたまにお互いに、あるいは鈴仙に頼んでマッサージを頼んでリラックスをしたりするのだが、今回はそれをシオンに頼んだ、と言うわけだ。あの喘ぎ声もそれが原因である。

 『…………………………』

 思いっきり固まっている三人は、自分達が下世話な想像をしていたのを後悔した。

 「マセガキ」

 ボソリと呟かれた言葉に、先程とは違う意味で顔を赤らめる。

 「――カオスだな」

 その光景を、後から着いて来たシオンが見ながら呟いた。

 だが、霊夢と魔理沙がここに来たのは、一つの節目なのかもしれない。何かが変わる。その前兆を予感しながらシオンは――。



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最期に感謝を

 「師匠、話しは全部聞いたのか?」

 「一応ね。そっちは予想が付いたの?」

 「情報が不足し過ぎてて大雑把にしか。師匠の見解が聞きたいね」

 何事も無く近づいたシオンだが、霊夢と魔理沙からさり気なく距離を取られているのには気付いていた。しかもその様子をニヤニヤと見ている輝夜がいるのだが、それすらスルー。

 「いくつか聞いて不審に思った点はいくつかあるけれど、誤差の範囲内で終わるのよ。あなたが見て聞いて感じたことも聞かせてほしいわね」

 「ごもっとも。……そうだな。単純な疑問で言うと、何故鬼がああもあっさりと引いたのか。それが気になる」

 「どういう意味よ?」

 「文字通りの意味だ霊。ほとんど勘に近いが、少なくともアイツは戦闘狂の部類に入る。そんな奴が『面白そうな』戦闘をやらずに逃げるなんてありえない」

 そこが一つ目の疑問。

 「俺にわかるのはそこまで。鬼がどういった存在かなんて知らないからな。師匠は?」

 「上からの命令、かしらね」

 「……上からの命令で止まるような玉か? アイツ等」

 「あら、一応鬼には鬼なりの社会があるのよ? 『力こそ全て』なんていう、物騒なルールしかないけれど」

 「完全な縦社会、か」

 何となく想像が付く。ある意味人間よりも明快で、だからこそ過酷な社会。強ければ上に立ち、ある程度の権限を持てる。だが弱ければ顎で使われ、運が悪ければ捨て駒にされる。

 「だけど、ここで疑問が出てくるのよ」

 「何がだ?」

 「いくら上の鬼が下の鬼に命令を出していても、末端の事情は知りようも無いし、知っても些事にすらならないはず。それこそ死のうと『ああ、そうか』くらいだもの。あそこの死に対する価値観は」

 それが二つ目の疑問。下の者がどこかでのたれ死のうが興味すら出さない上の鬼達。そしてそれをわかっている下の鬼達。例外として『他者と戦い死んだ』場合は興味を示すかもしれないが、それがわかるまではどうでもいいと切り捨てるだろう。

 なのになぜ、鬼は下がったのか。

 「……上から何らかの制約を受けている?」

 「あるいは、『絶対に何かをしてはならない』と鬼よりも強大な力を持った存在に脅されているのか。まぁこっちは絶対にありえないでしょうけど」

 そこから先は考えてもわからない。

 鬼の存在を全く知らないシオンと、知っていても外を見ておらず、鬼の姿すら眼にしていない永琳では限界がある。事前情報が不足し過ぎているのだ。如何に天才と言えど、わからないことはわからない。

 だから永琳は、他の誰かに聞いた。

 「あなた達。その鬼、何か口走っていなかったかしら?」

 「ええ? そんなこといきなり聞かれてもなぁ」

 困ったように言うのは魔理沙。あの時は無我夢中だったし、そもそも何か言っていたのかすらほとんど覚えていない。

 反対に霊夢は、何か考え込んでいるかのように視線を彷徨わせていた。

 「『……久しぶりに里の外に居る人間』」

 ボソリと、そんなことを呟いた。

 「霊夢?」

 「――! 何でも無いわ。私が覚えている中で疑問に思っているのはそこだけよ」

 他に不審なところは何も無かった。いや、あると言えばあるかもしれない。

 『外に出た』『楽しみを覚えるほどの強者との戦い』『また会う』そんな言葉。ついでとばかりに教えたが、少しだけ永琳の顔が強張ったのが、意外と言えば意外だった。

 「なるほど、ね……流石に予想外だわ」

 「師匠?」

 どこかただならぬ様子の永琳に、誰もが声をかけられない。いつも余裕を持っているはずの永琳が、何かに苛立つ様を見るのは初めてだった。

 「アリス、魔理沙に永遠亭の構造を教えてあげて」

 「あ、はい。それで、霊夢は?」

 「霊夢には残っていてもらうわ。少し聞きたい事もあるから」

 「わかりました。行こ、魔理沙」

 「あ、ああ……また後でな、霊夢」

 腑に落ちないアリスと、名残惜しげに去る魔理沙に、霊夢は返答一つ、手振りすら返さない。だがそれは無視したのではなく、そうする余裕が無い程頭を回転させていたからだ。

 が、どこまで行っても答えは出ない。そうこうする内に、永琳がシオンに向けて言った。

 「まず『外に出た』という言葉。何故鬼は外に出た事をわざわざ口外したの?」

 「……外に出るのが、珍しいから?」

 「上からの命令で外に出るのを禁止されているか、それに近いところでしょうね。ただ、ここで『久しぶりに()()()に居る人間』という言葉がそれを裏づけする」

 「つまり鬼は、里の内部に侵入してはいけない決まりがあった?」

 永琳の問いには霊夢が答えた。

 「そして『楽しみを覚えるほどの強者との戦い』は、鬼の戦闘狂に近い部分の発露ね。つい零すほど、久しぶりの楽しい戦闘だったのでしょう」

 「それで迷惑を被るのはこっちなんだがな……」

 面倒くさそうに、げっそりと言うシオン。もう戦闘狂はコリゴリなんだが、と呟いている様子から察するに、何か嫌な事でもあったらしい。

 「ただ最後の一つが一番重要で、一番面倒な部分」

 「『また会おう』……か」

 百面相のようにコロコロと表情を変えているが、シオンが渋面を浮かべているのは本心からだ。

 「ここが迷いの竹林だというのは鬼も知っているだろうな。次に来る時は一人か、あるいは」

 「鬼全体で来るか」

 「師匠、鬼がここに辿り着ける可能性は?」

 「……高い、わね」

 迷いの竹林は天然の迷路だ。正確には鈴仙の手によって迷路の範囲は更に拡大されているため完全な天然とは言い難いが、それも元が無ければ意味が無い。そして偶然迷い込み、今も迷ったままでいる妖怪。これらは迷路と同じく天然のトラップだ。侵入したものを襲い、殺す罠。例え大人数で来たとしても、いずれはその数を減らし、いなくなる。

 だがそれも全て『ただの人間』であればの話し。もし鬼が大人数で来ればどうなるかなど、想像に難くない。途中にある妖怪など鎧袖一触で蹴散らすだろう。そしてここが『出口のある』迷路である以上、踏破される可能性は相応にある。ここは、入口のみで出口が無い、などといった事ができる屋内では無いのだ。

 「鬼は嘘を吐かない。いずれ必ず来るでしょうね」

 「そう……か」

 どことなくシオンの渋面が、悲しげなものに移り変わる。それは永琳達に迷惑をかけてしまうのを憂いているからかもしれない。

 だがここ以外に行く場所はほとんど無い。そしてそれらは、シオンにとって迷惑をかけたくない場所ばかりだ。

 「――なら、里に行けば?」

 「え?」

 そこに救いの手を差し伸べたのは、どこか呆れた様子の霊夢だ。

 「里に行ってはいけない可能性が高いんでしょう? 鬼は。だったらあんたがそこに行けば、それであっちは手出しできなくなる。まぁ里の外に出た瞬間どうなるかはわからないけれど、少なくともここに迷惑はかからないわよ」

 天啓、であるのかもしれない。元々シオンがここに来たのは偶然であり、本来なら里へ行くことが目的だったのだ。

 シオンは視線を永琳に向けると、永琳は小さく頷いた。

 (霊夢が言っているのは正しい、か)

 わかっている。わかってはいるのだ。それでも教え導いてくれる師がいて。お互いを支え合う友人のようなアリスがいて。いつも自らを心配してくれるてゐがいて。同じ目線でゲームをする輝夜がいて。そして、危機感を忘れさせないでくれる鈴仙がいて。

 ここは、居心地が良い。一定以上の事は全てどうでもいいと思っているシオンは、永遠亭で日々を過ごすのが、バカみたいに楽しい事に気付いていた。その日々を手放すのは、惜しい。

 それでもシオンは決断する。

 「なぁ霊夢。差し出がましいとは思うんだが」

 彼女達に、不必要な迷惑をかけたくないから。

 「――五日後、里まで案内してくれないか?」

 「五日後? なんでそんな日数? 明日とかならわかるけれど」

 霊夢が訝しむのも当然。精々が二日後、と言ったところだろうに、シオンは『五日後に』と言った。いや、そうでなくともわざわざ案内する必要など無いと霊夢は思っている。

 「四日後に満月だからね。その日は約束があるから。それ以外にも、師匠の修行が一段落するのが五日後っていうのもあるんだけど――」

 「そうね。本音を言えば後半月は欲しかったけれど、荒削りでいいなら五日で十分よ」

 「――って事だからさ。案内が必要なのは理由があって」

 そしてシオンは、ある意味バカバカしい話をした。

 「――バッカじゃないの?」

 聞き終えた霊夢の第一声がそれだった。永琳でさえどこか呆れた様子を見せている。

 「里に行く気が太陽の畑に? そこから妖怪の山に行って? ここに辿り着いた? どんな変な道を辿ればそんな事になるのよ! アホじゃないの!?」

 「よ、容赦無いなぁ……」

 「当たり前でしょ! 里を中心にグルっと一周してる奴を擁護できる人がいるなら逆に見てみたいくらいよ! ていうか整備された道があるんだからそこ通ればいいじゃない!」

 「いや、一応理由はあるんだが」

 「どんな!?」

 「妖怪に襲われ続けた」

 「どれくらいの頻度で!」

 「数分に一体毎?」

 霊夢は一瞬固まり、息を吸い、そして

 「――そんなのありえないわよッッ!!」

 ゼーハーと息を荒げる霊夢だが、それ程までにおかしいのだ、シオンは。まず如何に幻想郷と言えどもそんな頻度で遭遇するほど妖怪はいない。というより、仮にいたとしたら里の内部に住んでいる人間は全滅している。

 つまり、単純なまでにシオンの運が壊滅的に悪い、という事になる。しかし事実は事実であるため、シオンとしても「ああ、うん。そうなのか」としか言いようが無かった。

 とはいえそんな生返事を返せば更なる爆発が目に見えているので、結局は無言を貫くしかなかったが。

 しばらく「ありえない……」とか「何なのよコイツ……」とか呟いていたが、頭を振って正気を取り戻す。

 「まぁ、その話は了承したわ。でもただ働きは御免よ。報酬をよこしなさい」

 図々しい、と言ってしまえばそれまでだが、実際問題霊夢の生活はかなりキツい。それこそどんな場面でもガメついていかないと、飢え死にしそうなくらいには。

 そしてその切実さを何となく感じ取ったシオンと永琳。ああ、この年で苦労してるんだな、と思わなかったとかなんとか。

 「ああ、ありがとう。報酬って言うのもどうかと思うけど、四日後永遠亭に来て泊まって行ってくれ。料理は俺が振る舞うから」

 「あんた、料理できるの?」

 意外としか言えない、という表情でシオンを見つめる霊夢に苦笑を返す。

 「それで、この報酬じゃ不十分か?」

 「……十分ね。むしろもう少し軽くてもよかったんだけど、貰えるものは全部貰うわ」

 ボソリと言われた本音だが、前言を撤回する気はシオンに無い。交渉成立だな、と言うと、ほいと手を差し出した。

 「契約成立の握手」

 「変なの。そんなの別にしなくてもいいじゃない」

 そう言いつつ、霊夢は差し出された手を握り、そして驚いた。

 ――硬い。

 剣ダコだろうモノと、他にも様々な事情で硬くなった手。それは同年代の少年少女とは比べ物にならない程で、霊夢を硬直させる。自分もそこそこ硬いだろう手を持っているとは思うが、流石にここまで行くほどではない。

 一体どんな生き方をすればこうなるのか……そう思った霊夢だが、これ以上の質問をするほど仲良くないし、また仲良くする気も無かった。今は契約をした間柄、それだけだ。

 「私はそろそろ帰るわ。時間が時間だし」

 「え? ああ……そうか」

 まだ四時頃、といった時間ではあるが、家に戻る――霊夢の場合神社だが――までにかかる時間を考えると、そろそろ帰った方が良い。そもそもここまで長居をする気など無かったのだが、予想外の出来事のせいで遅れた。

 まぁ、そのおかげで一日分のお金が浮いたからいいか、と悲しい事を考えつつ、霊夢は立ち上がった。

 「それじゃ、四日後」

 「来る時は迎えに行くよ。その方が迷わなくてすむだろうし」

 「そうしてくれる? 一人で来るとかなり面倒臭そうな感じがしたから」

 さり気なく迷いの竹林の意味を看破しつつ、霊夢はそのまま帰った。後に魔理沙が来たので霊夢はもう帰ったと伝えると「お、置いていきやがった……」とか呻いたあと、待ちやがれてきな事を叫びながら走って行った。ちなみに去り際お礼の言葉をシオンとアリス、永琳に言っていたりするのだが、かなりおざなりだった。

 「……何というか、個性的な二人だったな」

 お前が言うなと返されそうな言葉をシオンは発し、だが何の反応も無い事に訝しむ。横目で永琳を見ると、顎に手を当てて何かを考えていた。

 「『黒』は『受容』、『白』は『拒絶』……」

 「何か言ったか?」

 「――いえ、何でもないわ。戻りましょうか。そろそろ風呂にでも入りたいところね」

 何かを誤魔化したとわかる永琳の態度。本当は聞こえていたシオンは、聞き方が悪かったと頭を掻く。本当なら『何か言ったか?』ではなく『今のはどういう意味だ?』と言った方がよかったのかもしれない。

 だがどんな聞き方をしようと、永琳が話す事は無かっただろう。話しても良い事は大抵話してくれるのだから。そんな永琳が話さないということは、その気が無いという事になる。今は諦めるしかなかった。

 五日後。それで、自分の今の生活が終わる。それが良い事なのか悪い事なのか、未来を見通せないシオンにはわからない。

 だが。ここで暮らすのを許してくれた人達に、せめてもの感謝を送りたかった。そのための『五日間』なのだから――。

 

 

 

 

 

 一日目。

 まずは永遠亭の主である輝夜から、と思ったのだが。

 「え、感謝? って言われても、別にする事なんて無いわよ?」

 ――情けない事に、一人目から終わっていた。

 「そ、そうか? 何かして欲しい事とかは……」

 自分の頬が引き攣っているのを何となく実感しつつ、それでもめげずに聞く。問われた輝夜は頭上を見上げて、困った様な声を出した。

 「ん~……」

 そして一言。

 「『無い』わね」

 キッパリと、そう断言した。

 輝夜は別に嘘を言っている訳では無い。本当に、何も『無い』のだ。一通りの家事は鈴仙がいつもやっているし、迷いの竹林に侵入してきた者は大抵天然の迷路に数時間迷った挙句外に出るし、そうでない例外はてゐが相手をしている。屋敷の修繕については永琳が調べ、その結果を元にてゐが兎達に命じて直す。専門的な部分については、シオンではどうしようもないだろう。

 しかしそう言われて困るのはシオンだ。何かを返したいのに、こうもあっさり言われるとどうしようもなくなる。無理に頼みごとを言わせて逆に困らせるのは本末転倒だ。

 悩むシオンを前に、ここで輝夜は気付く。

 「ねえ、シオン。もしかして感謝って、一人一人にやるつもりなの?」

 「そうだけど? 霊夢が来るのは四日後で、里に行くのは『五日』後だから、その間にね」

 永遠亭に住んでいる者は、シオンを除けば『五人』いる。とはいえ五日目は午前中しか時間は無いのだが、恐らく鈴仙はシオンに感謝されるのを拒むだろう。だから、別の形で――謝礼とは取られないように――するつもりだ。

 鍛錬についても嘘では無い。夜にやればいいだけの話なのだから。その分シオンのスケジュールはベリーハードを超えるが、その点については問題無い。シオンの人生はほぼ常時ルナティックだからだ。

 しかし輝夜は喜色満面の笑顔を浮かべてシオンに顔を近づける。

 「それならシオン、私の部屋に来て!」

 「え? あ、ああ……わかった」

 何故かルンルンとでも言いそうなぐらい気分が良さそうな輝夜に地味に気圧され、シオンは一歩後ずさった。

 「それじゃ行きましょ!」

 返答を聞く事すら無く、輝夜はシオンの腕を引っ張って行く。半ば引きずられつつ、シオンは思った。

 ――アレ、何か地雷踏んだ?

 結局のところ地雷では無かったが、精神的な疲労は溜まりに溜まった。

 その主な原因は――

 「さ、この大量の積みゲーにして詰みゲーを消化するわよ!」

 「つ、積み? 消化?」

 「一分一秒が惜しいわ! やるわよ!」

 ――そして、地獄の一日が始まる。

 「おい、データトンだぞ! どうなってるんだこのゲーム!」

 「そんなの当たり前じゃない。この程度でギャーギャー言ってると、後が面倒よ?」

 ――当然のように記録消失、最初からやり直し。

 「……無理だろコレ。そもそも()()()()とか……」

 「ああ、先に進められないと思ったら、そういう事だったの……」

 ――プログラムが作られていなくて、ラスボスすらいない。

 「いくらなんでもこんなのありか!? 画面見えないぞ!?」

 「勘で行くのよ! それで勝つる!」

 ――画面のグラフィックがぶっ壊れていて意味不明な画像になったり。

 「何このマゾゲー。一撃喰らったら即死。カスっても即死。武器使った反動でも即死って」

 「要するに回避オンリーゲーね。私が諦めた理由の一つよ」

 ――攻撃手段すら無く、なのに敵罠その他諸々無駄に豊富。まずゲームバランスから見直せ。

 「い、一日かかってこれだけか……」

 「むしろ一日だけでここまでできたことに私は驚きよ……」

 クリアできたのは数本、絶対にクリアできないのが十数本。だが積んであるゲームはその数倍近く。正直に言おう。

 (――デバッグ作業はきちんとやれ!)

 ゲーム会社に殴り込みたくなるシオンだった。

 (でも、まぁ)

 チラリと輝夜を見る。

 「ありがとね、シオン。お蔭で助かったわ」

 『姫としての仮面』ぶったモノではなく、『輝夜自身』の笑顔は――とても、愛らしかった。一日付き合った苦労が報われる程に。

 だから、つい言ってしまった。

 「いつになるかはわからないけど、また付き合うよ」

 「ホントに!? 楽しみにしてるから、絶対に破らないでよ!」

 身を乗り出す輝夜を押さえつつ、少しだけ、早まったかなぁ、と思うシオンだった。

 

 

 

 

 

 本当に一日丸々輝夜と一緒にゲームをしていたため――鍛錬する時間はほとんど無くなったが、感謝がメインなので気にしてはいない――もう陽も昇る時間。

 二日目は、アリスの修行に付き合う事となった。アリスがそう望んだのだ。

 「私はあまり魔力を放出的無いから、せめて魔力操作くらいは慣れておきたいの。だけどやっぱり、シオンに比べて扱える量が少ないから……」

 「つまり、俺に魔力の操作を補助して欲しい、と?」

 「うん。お願いできる?」

 「それくらいなら簡単だよ。むしろ片手間にできる作業だけど……こんなのでいいのか?」

 「私の魔法で回復できる速度は私の魔力量に依存してるから、少しでも扱える量を増やしたいんだ。もしも怪我をした人がたくさんいても、治せるように」

 その志そのものがとても貴いモノだと、アリスは気付いていないだろう。その様は、まるで誰もを癒す聖女のようで。

 シオン自身は彼女を崇めるつもりはない。言ってしまえばアリスは友人。お互いに支え合う、良き隣人。というより、あんな言葉だけでの喧嘩を――というには、シオンが一方的に言われ過ぎていたが――した相手を崇めるつもりなど、サラサラ無かった。

 閑話休題。

 シオンはアリスの背後に回ると、その体を抱きしめる。女性のような外見をしているとはいえ、シオンは男性。父親以外からの始めての抱擁に、アリスは緊張で体が強張るのを隠せなかった。

 しかしこうしなければ危険なのだ。その理由は、すぐにわかる。

 「アリス、魔力を体に流して」

 「ッ、うん」

 シオンの声が、吐息が、耳元のすぐ傍をくすぐる。そのこそばゆい感覚に背筋がゾクリと泡立つのを感じるが、そんな雑念はすぐに捨てる。

 大きく息を吸い、吐く。そうして心身をリラックスさせると、魔力の循環を始めた。

 魔力を内にのみ展開したのを確認したシオンは、自分の魔力を流し始める。その魔力はシオンの全身から手に集い、そこからアリスの心臓――胸に手が触れないよう気を付けてはいるので、大丈夫だろう――に魔力を送る。

 「――」

 唐突に増えた魔力の制御に四苦八苦しつつ、やはり無駄では無いと実感する。だが、片時も油断できない。もしも魔力が暴走して回復魔法が発動してしまえば、アリスは()()

 その理由は、過剰回復が行き過ぎて、肉体が破裂するというモノ。

 本来ならそれに怯えてしまうだろうに、今のアリスにそんな『余計なモノ』はなかった。そこにあるのは、シオンへの信頼。

 (シオンなら、きっと私を助けてくれる――)

 感じるのだ。そっと、アリスに気付かれないように気を遣いつつ、アリスが魔力を操作しやすいように流れを整え、促しているのを。だから不安などない。恐怖もない。ただ『やる』という意志を持ち続けるだけ。それだけの、簡単な話だ。

 だがやはり、シオンの魔力はアリスのそれに比べて膨大。抑え切れずに徐々に溢れ出した魔力がアリスの魔力の色――光り輝く金色となって、辺りを照らす。

 ――その光景を、永琳と輝夜が遠目に見ていた。

 「凄いわね、アレ。大部分がシオンの魔力なんでしょ? あんなに垂れ流してて、よく平気でいられるわね」

 「シオンは魔力量だけなら人類最高峰に位置しているから、不思議ではないわ。それに、驚くべき場所は()()()()でしょう?」

 「……そうね」

 輝夜の眼が細まる。

 あの光景は、魔法を齧ったことがある人間なら驚愕せしめられるものだ。

 それは――魔力の同調。

 本来それを行うには、卓越した技量か、あるいは道具を必要とする。考えてみて欲しい。魔力は宿したモノによって性質を変える、千差万別のモノ。

 考えてみてほしい。赤色の絵の具に青色の絵の具をぶちこんで、同じ色を保っていられるのか? 答えは否だ。別の色になるに決まっている。

 組み合わせ次第では最悪の結果にすらなる。それだけの危険性のあることを、あの二人は今、行っているのだ。

 勿論輝夜は止めようとした。そんな彼女を止めたのは、永琳だった。必要無い、と。

 「シオンが属性を伴った魔法を使えない理由は――()()()()()()()()()()

 色が無ければ何もできない。ただし、それは自分で魔法を使う場合。今回のように他者の魔力と同調させる場合、それは途方も無い価値となる。余分な作業を必要とせず魔力を受け渡せるという事は、それだけ魔法を使い続けられるということ。しかも百万人分の魔力。魔力制御はまた別の話だが、『それだけの魔力がある』という事実は一定以上の効果を生む。狙われる理由は、十分にあった。

 一つの色だけしか魔力を持たない人間はまずいない。青の中に赤が混じっていたり、あるいは複数の種類が混じりすぎて訳の分からない状態さえある。それらの難件を一瞬で解決できるのが、シオンである。

 つまりは、

 「トラブルメーカーの塊よね、シオンは」

 「それを承知で、ここに住むのを了承したのに?」

 「信用できるのはわかっていたもの。人を見る目には」

 『かなりの自信がある』

 敢えて二人は声をハモらせる。

 幻想的な光景は、陽が無くなるまで続いた。

 

 

 

 

 

 三日目は永琳――に、なる予定だったのだが、朝起きた時には既に永琳の研究室あるいは実験室の中にいた。

 ――両手両足を拘束された状態で。

 「……どういう状況だコレは」

 慌てず騒がないシオン。だがどことなく現実逃避をしているようなのは、果たして気のせいでは無いだろう。

 バタン、と今まで閉じていた扉が開く。そして何かを大量に台の上に乗せた永琳は、そのいくつかを手に取った。

 「――実験、開始」

 その後の記憶は、シオンの中にない。

 

 

 

 

 

 ガバッ、と布団を跳ね除け起き上がりシオン。体中に汗を流し、息を荒げるその姿は、悪い夢を見たすぐ後のようだ。

 「な、なんか凄まじく嫌な夢を見ていたような……」

 だが、今日は永琳の――とまで考えて、大丈夫、必要無い。だから今すぐその考えを捨てろじゃないと後悔するぞ! なんて幻聴が聞こえて来て、それはシオンの中にストンと収まった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と思っているかのように。

 シオンは先程までの考えを捨てると、なぜか体に疲労感が溜まりまくっているのに気付いた。だが寝込んではいられない。やるべき事はやっておかなければ――。

 そして夜。やるべき事をやって自室に戻り、後はずっと寝ていた。起きたのは太陽がなくなって一時間が過ぎてから、だろうか。――起きた時に今日が約束の日の前日だと気付いて愕然とさせられた。

 すぐに行動を始める。あくまでサプライズ。何時もの行動の中にさり気なく別の事をして、てゐの眼を誤魔化すのだ。

 まず風呂に入る。一日中寝ていたせいで汗がビッショリなのだ。流石にそんな状態で人前に出ると()()()怒られる。

 それから鈴仙の料理の手伝いをする。どうやら霊夢は二時頃に永遠亭に着いていたらしいが、シオンが寝ていると聞いてそっとしていてくれたようだ。寝ていたせいで約束をほっぽり出しかけていたが、あらかじめ鈴仙に頼んでおいて正解だったらしい。

 シオンとてゐの分を抜いた五人分を運んでいく鈴仙を見送り、シオンは縁側に移動した。

 縁側に着くと、そこには既にてゐがいた。何時もの格好で、何時もの飄々として顔を浮かべて。足を投げ出し、後ろに傾けた上半身を支えるように両手を後ろについている。そんな彼女の視線の先には、見事な満月があった。

 「今日は月が綺麗だね。……と、言えばいいのか?」

 「最後のが無かったら完璧だと思うよ。でも、確かに今日は月が綺麗だよね。雲が出なくてよかった」

 「まぁもし出ていたら雲をぶった切っていたが」

 「フフッ、確かにシオンならできそうだね」

 朗らかに笑いあいつつ、場を暖める。

 シオンが隣に座ると、てゐは笑顔を収め、立ち上がる。何事かを呟いた。

 そして――驚くべき光景が目に入る。

 中庭は、既に鍛錬を終えたために永琳が元の形に戻っている。だが――だが、中庭を埋め尽くすように兎達がいるのは、驚くしかない。

 「コレ、は……」

 「へへーん、凄いでしょ! 今日のために竹林近くに住んでる兎以外も呼んでたんだ。……さ、餅を搗いて!」

 ペッタン、ペッタンと餅を搗いていく兎達。息の合ったコンビネーションで、餅を搗く。

 「兎は月で餅を搗いている、なんて話を本で見た事があるが……凄いな」

 「本物の月の上でやるのは無理だけど、コレくらいはね。どう? 私のサプライズ」

 「ああ。驚いたし、こんな光景、完全記憶能力が無くても、絶対に忘れない。……忘れられないよ、コレは」

 素直な賞賛。だが瞳を輝かせているシオンの言葉に、嘘は無い。てゐは今日までの苦労が報われる程嬉しかった。

 それを誤魔化すように、シオンに言う。

 「そ、それで、シオンのサプライズは何かな? 生半可なモノだと勝負にもならないよー?」

 「まぁ、考えていた事は同じ、とだけ言おうかな」

 どこか茶化すような話し方は、てゐが人に悪戯する時のそれだ。しかしシオンは気にせず立ち上がると、てゐから見えない位置に会った台を持ってくる。

 そこにあったのはいくつかの餅。それと、お雑煮、あんこ、きなこ。特性のレシピ――といっても咲夜のレシピだが――で作った醤油。他にも色々だ。

 「月見でするとなると、やっぱり餅だって聞いたから。でもやっぱり、店で買ったのより搗き立ての方が美味しいから、そっちを食べようか」

 「…………………………コレ、シオンが?」

 「ん? そうだけど。あ、もしかして嫌いなモノがあったか? それなら無理して食べなくてもいいよ。色々あるから、どれか一つくらいは食えるだろうし」

 「そういうわけじゃ、ないんだけど」

 そう、そういう意味では無い。

 それは女にしかわからないモノ。即ち――女の意地。その意地が告げている。――負けた、と。何についてかは言及しないが。

 「でも、コレに使った材料はいつ用意したの?」

 「ああ、それは鈴仙に頼んだ」

 「鈴仙に? でも」

 「そうだな。鈴仙は俺を信用してくれているかどうか、くらいに微妙な関係だ」

 だからこそ頼んだのだが。シオンは、疲れた体に鞭打って鈴仙に頼んだ事を思い出す。

 『――食材の買い出し、ですか?』

 『そうだ。それを頼みたい』

 『何故私がそのような事を? 理由はあるのでしょうか』

 『ある。一つ目に、てゐのサプライズをするためには俺があまり下手な動きをしない方がいいこと。二つ目に、永遠亭に外に出て怪しまれない者であること。輝夜は外に出ないし、アリスもコレは同じだ。師匠はまだ里の検診に行く時期じゃない。てゐに頼むのは論外。俺が動くのは一つ目の理由から却下』

 『それで白羽の矢が立ったのが私、ですか……』

 『まぁな。それに、俺と仲が良くない相手に頼んだ方が、意表を点けるだろう?』

 『――気付いていたのですか』

 『むしろ気付かないはずが無いだろう。……今はそんな事どうだっていい。返事は?』

 『流石に私にメリットが無いのはどうかと思いますが。その件についてどうするおつもりで?』

 『――貸し、一つ』

 『……え?』

 『無期限で貸し一つ。俺にできる範囲内でなら何でもする。それでどうだ』

 『正気ですか?』

 『正気だよ。まぁ釣り合ってないのは承知の上だ。だけど、貴女はアリスを守りたいんじゃないのか? そのための手札を増やしたいなら、少しは貪欲になった方が良い』

 『余計なお世話、ですね。ですが、その件は承ります。材料は何を?』

 『コレに全部書いてある。高かったら買わなくていい。あり合わせで何とかするから』

 コレが『鈴仙に対する感謝』である。素直に感謝したいと言っても受け取らないだろう彼女に、貸し一つ。それなら受け取ってくれるだろうと思って。

 シオンは食べるための簡易な台の上に皿を置き、箸を並べる。液体などの零れやすい物は取りやすい位置に、逆に零れにくいモノは取りにくい位置に並べ――取りやすいのはあくまでてゐの位置からであって、シオンはまた別――直す。

 ついでにかなり度の軽い酒を注ぐ。流石にコレは永琳が作った物だが、度の軽さはお墨付きだ。てゐを酔わすほど飲む気は無い。

 熱い物は冷めないようにと工夫しつつ、餅が搗き終えるのを待っていたが、兎達は熟練のプロフェッショナル。意外にも早々に終わった。その間にシオンは余った醤油、あんこ、きなこなどを持ってきていた。餅の数が多すぎるので、てゐに聞いて兎が食えるのか聞いて、どうせなら皆で食おうと思ったからだ。

 兎達は自分で搗いたモノながら、シオン特性のそれの味に驚く様子を見せた。

 てゐも、

 「お、美味し過ぎる……」

 と、眼を見開きながらもぐもぐと食べていたので、シオンのサプライズも大成功と言えるだろう結果になった。とはいえ、てゐがどことなく落ち込んでいたのは気になったが。

 兎達と、そして見目麗しい少女と共に、満月が煌々と照らす下で餅を食べる。それは、シオンが経験をした事の無い味と想いを、記憶に残した。

 

 

 

 

 

 「準備はいい?」

 「元から準備するモノなんて知れてるからな。いつでもいいぞ」

 永遠亭の玄関前で、霊夢とシオンは互いの姿を確認し合う。

 霊夢はいつもの巫女服姿。特筆すべき点はない。強いて言えば、胸元のリボンの色が何故か白を基調とし、ところどころに赤色をあしらったモノに変わったくらいか。

 対するシオンも服装は幻想郷に来てからほとんど変わらぬモノだ。白いシャツにズボン、そして全身を覆うローブのような外套。軽装過ぎるほどの軽装だった。

 「またいつでも来なさい。待ってるから」

 そう言ったのは、永遠亭の主、輝夜。見送りに来たのは彼女と、シオンの師である永琳。友人のアリスの三人だ。

 鈴仙は何時も通り家事をこなし、てゐは森で見まわっている。彼女達はそれぞれ複雑な思いを宿しつつ、変わらぬ日々を送ろうとしていた。

 「今度はもっとアレなゲームをしましょうか」

 「勘弁してくれ。アレはもう疲れた……」

 嫌な事を思い出したと溜息を吐くシオンに、輝夜は腹を押さえて笑う。そして思う。そう言いつつも、また手伝ってくれるのだろうと。

 「シオン、コレ」

 「……? コレは?」

 シオンが手渡されたのは、金色の長い布だった。

 「何となく服についていたのを取って作り直したって感じがするけど」

 ギクリ、とアリスの体が強張る。事実だからだ。アリスがこの世界に来た時着ていたあの服の一部を分解し、それを布にしてシオンに渡した。

 その理由はお礼もあるが、何よりも。

 「それ、私の魔力を滲み込ませてるから……多分、一回くらいなら致命傷でも治せる……かもしれない? だ、だけど髪を縛るのには使えるから」

 自分で言いつつ自信を持って言い切れない。なにせ試したのは初めてなのだ。失敗している可能性の方が、むしろ高い。

 だから敢えて長い布にしたのだ。シオンの長すぎる髪を括れるように。

 「いや、ありがとう。大切にする」

 だがシオンは髪を縛らず、左腕に布を巻いてしまった。一瞬何故、と眼で問うたのを敏感に察したシオンは、居心地の悪そうな顔をする。

 「……いや、だってさ」

 「………………………」

 言い訳など許さないと、シオンを見る。

 「――髪括ると、女っぽさが増すから……」

 『あぁ――……』

 ガックリと項垂れるシオンに、何とも言えない雰囲気。同時に、確かに男に送るのに布は無いだろう、とアリスは今更ながら気付いた。

 「え、えっと……ごめん、ね?」

 アリスの謝罪に軽く手を振って返す。

 「シオン」

 そして最後。自身の師が言った。

 「あなたの持つ剣。それは()()()()()()

 「……?」

 何を今更、と言ったように訝しむシオンに、永琳は念を押す。

 「絶対に、忘れないで」

 完全記憶能力者に『忘れないで』とは、何とも言えない冗談だが、永琳は真剣だった。それを茶化すことなどできはしない。

 シオンは頷き、霊夢の顔を見る。

 「……行こうか」

 「ええ。着いてきなさい」

 空気を読んで何も言わなかった霊夢の後を追って、シオンは永遠亭を後にする。一度も、振り返ろうとはせず。

 後に残るのは三人。内と外の境界を乗り越え、シオンの背が見えなくなるまで手を振り続けると言った様子のアリスを見つつ、輝夜が尋ねる。

 「……さっきの言葉の意味は?」

 「いくら輝夜にでも言えないわ。……だけど」

 一度言葉を区切る。永琳の眼が細まり、どこか怒りの籠った声が出る。

 「――人間は、『あなた達』の玩具では無いのよ」

 その真意は、永琳にしかわからない。




ここの場面はずいぶんと前から練っていたのですが、最後の部分をド忘れしてしまったため、いつか変更する可能性があります。ご了承ください


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時転回起
辿り着いた里


今回はネタを突っ込みまくりました。
『こんなの霊夢達じゃない!』と言われても全スルーします。ご了承ください。


 「アンタ本当にどうなってんのよ――――――ッ!!」

 迷いの竹林出て第一声が、それだった。

 息を荒げ、肩を上下している霊夢。だがすぐにキッ、とシオンを睨むと、人差し指でシオンを指した。

 「永遠亭からここに来るまでで何体妖怪が出てくるのよ。おかしいでしょ!? あんなハイペースで妖怪が来たら、幻想郷に居る妖怪根こそぎ狩り尽くされるんじゃないのって思ったわ!」

 「って言われても、妖怪が来るのは俺のせいじゃないしなぁ……」

 ボヤくシオンとて、どうしてこうなっているのか理解できない。そもそもまた体や服に血が付着している。いつもに比べれば多少マシだが、鬱陶しいのには変わりなく。

 戦わないで済むのなら、シオンだってその方が良かった。

 「アリスの話だとこの先に川があるみたいだから、そこで血を落としたい。大丈夫か?」

 「むしろ里に入る前にそうしときなさい。血塗れ状態で言ったら里の人達がパニックになっちゃうから」

 「助かる。――もうちょっと頻度を落としてくれれば血なんてつかなかったんだがな」

 妖怪と出会う、と一口に言っても、それらは一つでは無い。正面から現れるモノ、奇襲をかけてくるモノ。二体同時に来るモノ、漁夫の利を狙って影に隠れ隙を狙うモノ。言い上げればそれこそキリが無い。

 何よりの問題は、霊夢と一緒だった事に尽きる。霊夢は弱くない。どころか、幻想郷内では強い部類に入るだろう。だが未だ幼い体躯と精神、そこから生じる集中力の無さ、どこか()()()()()()()がそれらを打ち消している。

 まぁそもそも、こんな頻度で出会う事などまずありえないのだから、霊夢の反応は別におかしくない。一対一なら大妖怪や足手まといでも居ない限り、例え鬼の中でも中程の敵であろうと勝てると、自信を持って言える。が、流石に何十の連戦は疲れた、その結果だ。

 「霊力とかは問題無いけど、持って来たお札がそろそろ尽きるわよ。そうなったら弾幕くらいしか張れなくなるわ。針とかは流石にいらないだろうと思って持ってきてないし」

 「余力を残してくれてればそれでいいよ。大妖怪――それこそ幽香並の奴でも出てこない限り、負ける気は無いから」

 「……幽香って、風見幽香? 戦った事あるの?」

 「一ヶ月くらい前に、一度だけ」

 「よく生きてるわね、アンタ」

 霊夢の知る限り、そして聞いた限りでは、幽香に会いに行って無事で済んだ者は、誰ひとりとしていない。予想できる範囲ではシオンが幽香に勝った、というものだが、それはそれで何か違和感がある。

 「まぁ、見逃されたからね。背中ぶった切られて骨抉り取られて死にかけたけど」

 「――聞かなかったことにしておくわ」

 ああ、そうだ。これ以上突っ込んでいては気が保たない。と言うか何なの、それに骨を抉り取られたって。なぜそれで普通に歩いていられるのよ――!

 と霊夢は思ったが、拳を握りしめて、耐えた。そのほかにも突っ込みたいところはある。だが全て黙殺した。

 だが当の本人は霊夢の葛藤など知らぬのか、あっさりと言った。

 「お、川発見。ちょっと洗ってくる」

 「言う必要無いと思うけど、油断してパックリ逝かないでよ?」

 「表現が何かおかしくないか」

 「だって食われてあの世に行くって意味だもの。これでもいいでしょ」

 「あの世、ねぇ。信じてるのか?」

 「信じてるも何も、実際地獄とかあるし。閻魔もいるわよ? 死神とかも」

 「……流石幻想郷。自分の眼で見るまでは完全に信じられないが、色々おかしいだろ。神様とかもいるっぽいし」

 「神様? 見た事あるの?」

 「あの人が神様だと言えるなら、一応……? 厄神様って言えばわかるか?」

 「厄神様……ああ、名前だけは聞いた事あるわ。ただ近づかない方が良いって言われたけど――って、私の目の前で脱ぐとか、羞恥心無いの?」

 あっさりと上を脱いだシオンに呆れる霊夢。が、シオンの反応は霊夢の斜め上を言っていた。

 「――別に裸見られたって平気だろ?」

 「……は?」

 「見られて減るもんじゃないし、大体俺の裸なんて見て得するのか?」

 言われて、霊夢はシオンの体を見る。傷だらけの、その体を。今の今まで忘れていた。霊夢にとって外見は記号にしかすぎない。だから傷を見ても「ああ、そういうものなのか」程度にしか思わなかったが、普通の人間ではそうもいかないだろう。

 「ていうか、血を落としてもその体じゃどっちにしろ騒ぎになるんじゃ?」

 「それはどうにかなるから大丈夫だ。とりあえず血を流さないと逆に面倒だから」

 シオンの言葉の意味はわからないが、何とかなるらしい。シオンの裸体を眼に入れないようにしつつ、霊夢は、コイツって本当に男なのかしら、などと思った。

 そんな彼女の心情等露知らず、シオンはまず服を手洗いし、続いて髪を梳き、最後に体を流して血を落とす。どこか手慣れたように見えるのは、果たして何故なのだろうか。

 「よし終わり。いつでも出発していいぞ」

 「私としてはもう少し涼んでいたいところなのだけど。まぁいいわ。行くわよ」

 さり気なく素足を晒して水に浸けていた霊夢は、川から足を出すと霊力を使って水気を全て吹き飛ばし、靴を履く。

 ついでに周囲の気配を探るが、今のところ何かが近づいてくる気配は無かった。ここから里までは数時間単位かかるため、いずれ遭遇する――というか、シオンが傍にいる事を考えると、今すぐに来てもおかしくはない――だろう。

 「シオン、川に沿って行きましょう」

 「それはいいが、どうしてだ?」

 「川を背にすれば、少なくともある程度の余裕が出るでしょう」

 その言葉で即座に察せられるのは、シオンが戦闘者だからだろう。要は、霊夢は川の流れと共に歩けば、片面のみに注意していればいい。仮に川のある方から奇襲されても数秒の時間を必要とするはずだから、自分達なら対応できるだろう、と言っているのだ。

 「……川の中から現れたら?」

 「その時はその時ね。まぁ、多分来ないでしょう」

 「根拠は?」

 「勘」

 こう言うといつも呆れられるのだが、シオンはふむと頷き一考するだけだった。

 それに面食らうのは霊夢だ。予想に反したその態度に、つい聞いてしまう。

 「驚かないの?」

 「え? ――特に驚く必要があるのか?」

 「驚く必要……って」

 「霊夢は自信を持ってそう言い切ってる。疑問符を浮かべながらなら呆れただろうけど、そういうわけでもないし。だったら驚く理由は無いよ」

 コレはコレで呆れた理由だ。霊夢の言った『勘』と同じく、何の根拠も無い。なのに――霊夢は何故、それを『嬉しい』と感じたのか、ついぞわからなかった。

 「は、話しは終わりよね? 里に行くわよ」

 「わかった」

 クルリと背を向け、足元にある石や岩に気を配りつつ霊夢は歩き出す。だがその歩き方に若干の焦りがあるのは、シオンの気のせいだったのだろうか。

 

 

 

 

 

 太陽がほぼ天変に差し掛かる頃になって、ようやく里が見えてきた。道中妖怪に何度も出会って里への道を間違えかけたりと何度かハプニングもあったが、何とか辿り着いた。

 「……疑って悪かったわ。確かにアンタの運の悪さは筋金入りね」

 「だろう? 誇りたくなんて無いけどな」

 もうやってらんない、という感情がありありと浮かび上がっている二人。それでも何とか気を取り直し――そこでシオンが気付く。

 「魔理沙と――後二人、誰だ?」

 シオンの視力の高さ故に気付けた事だが、当然霊夢には見えない。だが、その三人がどうしてそこにいるのかは知っていた。

 「どうせなら案内人が居た方が良いと思ってね。頼んでおいたのよ。魔理沙は勝手について来ただけじゃない? 頼んでないし」

 意外な面倒見の良さを見せる霊夢。それに驚きつつも、シオンは三人の姿が良く見えるところにまで近付いていく。途中でシオン達に気付いたのか、長身の女性が手を振って来た。

 三人も歩きだし、シオンに近づいてくる。だがその歩みは、シオンの姿をはっきりと視認した瞬間止まってしまう。絶句している二人と、あーあと頭を振っている魔理沙を疑問に思いつつ、シオンは三人に近づいた。

 「貴女達は?」

 「え、あ、ああ……私は上白沢慧音。寺小屋の先生と里の守護者を兼任させてもらっている。君がシオンだな。霊夢から聞いている。今日はよろしく頼む」

 どことなく男勝りなその口調。そこに違和感は無く、シオンに『そういうものか』と思わせる雰囲気があった。

 ただ――彼女から、人間では無い別の何かを感じるのは、気のせいなのだろうか。

 そんなシオンの疑問は言葉という形となる前に、慧音の横に立つ少女が口を開く。

 「私は藤原妹紅。隣にいる慧音とは友人だ。里については慧音程詳しくないけど、多少話をしてくれれば、その、嬉しい」

 最終的には顔を赤く染めて慧音の服の裾を掴む妹紅。

 彼女はシオンと同じ、見ようによっては銀にも見える白髪のロングヘアーと、これまたシオンと同じ真紅の瞳を持っている。その銀のような白髪には白地に赤のある大きなリボンが一つと、毛先に頭上のリボンを小さくしたような物が複数個ある。

 上は白のカッターシャツ、下は何故か紅いもんぺのようなズボンを、シオンにはよくわからない何かで吊るしている。また、ズボンの各所には護符か何かが貼られてあった。この服の形状をどこかで見たようなある気がするのだが、思い出す――頭の中から掘り返す――のも面倒なので、諦めた。

 それよりも気になる点は、

 「……不老不死?」

 輝夜や師匠と同じ気配を、この少女から感じ取れる事だ。

 シオンの呟きは全員の耳に入っているらしく、目を丸くしていた。シオンの確信的な口調から妹紅が不老不死であるのを見抜いているのを理解する。

 「何故、私が不老不死だとわかった。私が不老不死であるのを知っている人間は、余りいないはずなんだけど」

 「貴女から感じる気配が、知り合いによく似ていたから、そうだと」

 「知り合い?」

 「蓬莱山輝夜と師匠……と、八意永琳だ」

 つい師匠と言ってしまったシオンは慌てて訂正する。だが、妹紅は何とも言えない、かなり微妙な表情をしていた。

 「妹紅?」

 「――いや、すまない。輝夜とは顔見知りでな。ところで、どうして永琳の事を師匠と?」

 「一か月前に大火傷を負ってね。その時てゐに運ばれて永遠亭に辿り着いたんだが――その後色々あって、俺の荒削りだった戦闘技術を整えたりしてくれた。その他にも人間的に尊敬できる部分があったから、師匠と呼ぶようになった」

 もし永琳が人間的に受け付けられなかったら、シオンが彼女を師匠と呼ぶ事は無かっただろう。その点は彼女の人間性が良いモノだったと言える。

 「そうか。一月前――ん?」

 何となく、妹紅は頭の中に引っ掛かりを覚えた。

 (一か月前。大火傷。永遠亭に近いって事は、迷いの竹林辺りのは、ず――ッ!?)

 そこまで思い至った瞬間、妹紅の頬が一気に引き攣った。そうだ、あの後彼女と出会った時、こんな事を言っていた。

 『しばらく喧嘩はやめましょう。周りに迷惑がかかるから』

 その言葉の意味は、まさか。

 「どうした?」

 「え? あ、あぁいや何でもないぞ!?」

 体を仰け反らせて、半ば叫び声を上げながら妹紅は一歩後ろに下がる。だがこの反応、どう見ても何かがあると言っているようなものだ。

 そこで、ふと慧音は呟く。

 「そういえば一月前って、()()()()()()()()()()()()()()――」

 「いや私は何も知らない! 私の放った炎がシオンを燃やしたとかそんな事実は一切無い!」

 『は?』

 「あ――」

 シオンの、霊夢の、魔理沙の、そして慧音の視線が妹紅に集中する。

 「コレはつまり、どういう事なんだ?」

 「状況から判断して、妹紅の攻撃が結果的にシオンに当たった」

 「あぁ、こりゃ有罪(ギルティ)だぜ。流石に大火傷は酷すぎる」

 「う、うぅ……私だって、まさか当たってるなんて思ってなかったんだ」

 「……あの時近くにてゐがいたはずなんだけど。少なくとも、それを頭の片隅に入れてなかったのか?」

 「グフッ!」

 何かがグサリと妹紅を貫き、四つん這いに倒れる。そうだ、確かにあの時てゐが傍に居て、慌てて逃げていた――ような、気がする。

 「そもそも何が原因で争ったのか気になるんだけど」

 シオンの言葉に、妹紅の背が震える。

 「それは妹紅の愚痴で聞いたような……確かタケノコとキノコはどっちが至高か、だったか。意味が解らなくて放置していたが」

 「うっわ、それは無いわ。そんな理由でなんて」

 「ありえねぇ……子供かよおい」

 意味が解っていない慧音と違い、霊夢と魔理沙ははっきりと理解していた。理解して、妹紅にドン引きの視線を送っている。背中でそれを感じた妹紅は、恥ずかしさから消えて無くなりたいとすら思う。

 「なあ霊夢。タケノコとかキノコって何の話だ?」

 「うーん、具体的に説明しろと言われても難しいわね。タケノコとキノコくらいは知ってるわよね?」

 「ああ。キノコは昔猛毒とか幻覚作用を持ったのを喰った事がある。タケノコはつい最近見た」

 「うん。前者については聞かなかった事にしておくわ。それで、その二つを模したビスケット? クッキー? の頭にチョコレートをかける。コレで完成……なんだけど」

 「なんだけど?」

 「この二つのどれが良いのかって話になって、血みどろの戦いが起こったんだぜ」

 「血みどろの!?」

 「もっぱら鼻からだけどな。チョコレートの食い過ぎで」

 「…………………………」

 言葉も出なかった。

 「今は『皆仲良く』って結論に落ち着いてるけど」

 「水面下では未だに両者は争い合っている――そんな、益体も無い争いだぜ」

 「ちなみに私はタケノコ派」

 「私はキノコ派だぜ」

 「「……………………」」

 「タケノコの方が良いに決まってるでしょ! キノコとか何よ! ビスケット部分が小さくてチョコも少ない! それに比べればタケノコはビスケットもチョコも両方でかい! こっちのがお得だし上手いわ!」

 「は! そんなんだからお前は貧乏人なんだよ霊夢! タケノコがでかい? ビスケットやチョコが多い? バカか! いいか、確かにキノコは小さい。だが! 小さい分コストは少なく、だからこそ多く生産できる! つまり、長く味を楽しめるって事だ! さっさとタケノコを食い尽くして私が横でキノコを食ってるのを何度見た? 言ってみろよ霊夢!」

 「キノコなんて、傘部分を食ったら後は出涸らしそのものじゃない! タケノコは最後までチョコの味が楽しめる! 傘の分離なんてして取って部分はポイする奴が後の絶たないキノコ信者共に比べれば、こっちは皆一致団結しているわよ魔理沙!」

 「分離しているのは一部のクソったれどもだけだぜ! 本当の信者なら、取ってまで全部食ってこそ! 一部だけを批判してそれを全体がそうだと言うなんて見損なったぜ霊夢!」

 「な、アンタねぇ!」

 「んだよ事実だろうが!」

 「だからって――」

 「そっちこそ――」

 その言い合いを目の当たりにして、慧音がふらついた。

 「……あぁ」

 「大丈夫か?」

 身長差的に受け止めるのは難しいが、支えるくらいはできる。

 「すまない。ちょっと……な」

 「その気持ちはよくわかる」

 『何て無駄な争いだ……』

 コレが、人の本性だと言うのか。醜い。醜すぎる。世の無常を嘆く二人。

 もし他者がこの光景を見れば、こう思うだろう。

 「何コレカオス――」と。

 

 

 

 

 

 何とか正気に戻った二人は、顔中を真っ赤にして縮こまっていた。言い終えてから恥ずかしさがジワジワと来たらしい。後ろでウンウンと頷いている妹紅が憎らしかった。

 「ゴッホン。……里、行きましょうか」

 無かった事にしてくれるらしい。三人は慧音に心底からの感謝を捧げた。慧音の横で呆れているシオンは完璧にスルーして。

 だが流石に妹紅はスルーできなかったのか、おずおずと話しかける。

 「そ、その……怒ってないか?」

 「何に?」

 「大やけどの件について……だ。知らなかったとはいえ怪我を負わせてしまった。言いたい事があれば言ってくれ。素直に受け止めるから」

 「と言われても……特に言う事なんてないぞ?」

 「え? いや。いやいやいや、何かあるだろう? よくもやってくれたな! とか、そんな感じの」

 「いや、本気で無いんだが……」

 困っているシオンだが、それに気付かず妹紅は言い募る。

 「そんなはずはない! 君は人間だろう? その左半身と眼帯は、もしかして私の炎が原因なんじゃないか? だったら――」

 「……いいよ、別に」

 通常よりも低い、声。

 だが明確に『不機嫌だ』とわかるそれに、妹紅はたじろぐ。

 「少なくとも妹紅の炎とこの火傷は無関係だ。それ以前に、あの時の事は()()()()()()()()()()()()

 「だが」

 「俺は貴女を恨んじゃいない。これ以上言われても――いや、いい。その気持ちだけ受け取っておくよ」

 ――それに、この外見はそろそろ何とかしようと思ってたし。

 その呟きと同時に一歩先に進むと、シオンの体が凄まじい勢いで治っていく。傷痕は消え、火傷は顔の皮膚と同じ瑞々しいモノに変わる。髪にも艶が入った。

 「さて」

 後頭部に手を当て、眼帯を外す。即座に霊夢達にバレないよう、永琳から手渡された義眼を埋め込んでおく。

 「それじゃ、案内を頼んだ」

 『…………………………』

 まるで人間ビックリショーの如く変わりまくったシオンの外見。だが、と思う。シオンの顔だけ何故ああも綺麗だったのか。その理由がコレだったならば理解できる。

 「ねぇシオン。触ってもイイかしら?」

 「構わないが、霊夢、どこか発言がおかしくなかったか」

 「気のせいよ」

 シオンの疑問をあっさり斬り捨て、霊夢はシオンの腕に触る。火傷の腕とは違い、とても肌触りが良い。いつまでも触りたくなるくらいだ。

 「スベスベだし、プニプニだし、でも芯はしっかりしてる……何コレ、クセになるんだけど」

 「マジか? な、なぁシオン。私も触ってもいいか?」

 「いやいいけど。そんなに楽しいのか?」

 それに答えは無く。

 その後妹紅と、何故か慧音が参加した事を、ここに記しておく。

 

 

 

 

 

 「結局何時になったら里に入れるんだ?」

 そんなシオンの言葉にようやっと彼女達は正気を取り戻す。流石にコレは全面的に彼女達が悪いため、罰の悪そうな顔をしていた。

 とはいえそれを気にしてまた何かが起こっても仕方がない。そう思ったシオンは気にしていない旨を伝えようとして――

 「魔理沙。ここにいたのか」

 「っげぇ、親父!?」

 ――また、何かの横槍が入った。

 シオンの位置からは魔理沙の父親の姿が見えない。わかるのは、目の前にいる魔理沙がとてつもなく嫌な顔をしているくらいだ。

 (――何かあったのか?)

 シオンは魔理沙の事情をほとんど知らない。現状でわかったのは、魔理沙は、少なくとも父親とうまくいっていない、事くらいだろうか。

 「何でここに親父が居るんだよ!?」

 「親を舐めるな。さあ家に帰るぞ。母さんが心配している」

 「ッ――うるさいんだよ! いつもいつも『魔法使いになるのはやめろ』って! 私がどうしようと私の勝手だ!」

 「私をどう思うは勝手だ。……だが少なくとも、母さんに顔を合わせるくらいはしなさい。それくらいはしてもいいはずだ」

 それを言われると、弱かった。魔理沙は父親と折り合いが悪い。だが、母親だけは、魔理沙の夢を否定しなかった。受け入れてくれた。だから。

 「……わかった。母さんに挨拶、するよ」

 「そうか」

 どことなくホッしたように思える声。そのまま背を向けて、魔理沙の父親は歩き出す。シオン達に口パクで「すまねえ」と言いつつ、渋々魔理沙はついて行った。

 前を歩く父親と、その後ろをついて行く魔理沙。その光景は、どこにでもある極ありふれたものなのだろう。

 「……家族、か」

 「シオン?」

 そんな光景が、酷く眩しかった。

 

 

 

 

 

 里に入ってまずしたのは、軽食を摂る事だった。もちろん朝食はきちんと食べたが、それも数時間前の話。今は空腹だ。

 「ここは里でもうまいと有名でな。ただ店主がそろそろ限界だそうで、もう少ししたら閉店してしまう。間に合ったのは運が良かったよ」

 確かに、包丁を握り、鍋を振る姿には、どこか精彩が無い。それでも料理が不味くないのは、彼の料理人としてのプライド故だろう。まさしく『料理を振るう鉄人』のようだった

 ほどなく運ばれてきた料理。一口食べて理解した。コレは、彼の人生、その集大成だと。

 「……コレは、あなたが最も自信のある料理で、よっぽどの事が無ければ振る舞わないモノのはずだが」

 そしてそれを詳しく知る者が、ここにいた。

 「いいえ、いいんですよ。私は料理人としては限界だ。家で、家族に対して出す料理ならまだ作れる。でも、店で、『コレが私の作った物だ!』と胸を張って言える物は、多分、それが最後になるでしょう」

 「そんな事は」

 「あるんです。誰よりもそれをわかっているのは私です。……だから、まあ」

 ポリポリと、頬を掻きつつ、恥ずかしそうに彼は告げる。

 「今まで世話になった先生に、せめてものお礼を、と思いまして」

 「そうか……それは、すま――いや、ありがとう」

 「どういたしまして。さ、坊ちゃんと嬢ちゃんにはおまけのデザートだ」

 照れ隠しなのか、台に隠れて見えなかったデザートを取り出し、シオンと霊夢の前に出す。慧音と妹紅には食後のお茶を出した。もちろん冷たいものをだ。

 妹紅は小さく礼を言うと、少しずつ飲む。その様子を、しょうがないなぁと苦笑いしている慧音と親父。妹紅の人見知りは、かなり知られている事らしい。

 そこで、シオンは思いだした。

 「そういえば、俺はお金なんて持ってないんだが……」

 「え? ああ、大丈夫だ。ここは私が奢るさ。だから心配しないでいい」

 それを聞いてニヤけた笑みを浮かべたのは霊夢だ。おおかた昼飯代が浮くとでも考えているのだろう。

 「その、すまない」

 「気にしないでいい。コレでもそこそこ貯金はある。私はあまり遊ばない人間だから、金はこういった時にでも使わないと貯まる一方なんだ」

 苦笑を浮かべて言う慧音に、親父はニコヤカに告げる。

 「だったらその金でうちの孫とパーッ結婚式でも挙げてくれませんかね? 貴女だったら大歓迎です」

 「はは、それは御冗談を。私は誰とも付き合うつもりはありませんよ」

 「これは残念。孫にもそう伝えておきましょう」

 慧音が敬語になっているのを感じ取って、コレは脈無しと思ったのだろう。親父は素直に引き下がった。

 「腹の調子も落ち着いたし、次はどこに?」

 「そうだな……一応お互いの姿を見失った時のために、目印になるところでも決めておこうか」

 「それなら寺小屋がいいんじゃないか? 一応アレは里の中心近くにあるからな」

 「私は異論無いわ。正直この話もシオンのためだし」

 わいわいと、シオンのために話し合う三人。しかしシオンはそれを聞くでもなく、ある方向へ振り向いた。

 「え――この、気配。まさか」

 まさか、まさかまさかまさかまさか。ありえないと思った。気のせいだろうと思った。だけどこの気配を、忘れるはずが無い。

 愕然として立ち止まるシオンに、霊夢が肩を掴もうとしたその時。

 もう既に、シオンは消えていた。ただ、『彼女』の元を目指して走りゆく。

 そして、また運命は交差する。特別でもなんでもない場所で。

 「八雲――紫イイイイイイイイイイイイィィィィィィィッッッ――――!!」

 シオンはただ、彼女の元を目指すのみ。



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殺意抱く『人間』と『狐』

 ――見つけた。やっと、やっと、やっと!

 ――忘れない。忘れる理由が無い。忘れられるはずが無い。ある意味で、最も怒りをぶつけるのにふさわしい相手なのだから!!

 ――距離なんて関係無い。居るのはわかっている。だったらそこを最短距離行くだけ。他のモノなんて知るか。

 ――そうしなきゃ、いけないんだ。そうしないとダメなんだ!!!

 霊夢達を置き去りに、シオンは屋根の上を走る。しかしそこに、常の冷静さは無く。屋根を()()()()()突き進んでいる。

 今更言うまでもないが、シオンの身体能力は非常に高い。それでも日常生活を普通に送れているのは、本人が意識して常人の領域まで力を抑えているから。

 では、それが完全に、意識の片隅にすら残らない程シオンが感情的になっているとすれば。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 屋根を壊し、地面を抉り、途中飛んで来た物を素手で消滅させ、だが無意識で人だけは避ける。脳裏に映るのは、彼女の背。人を煽り、言うだけ言って背を向け去った彼女の姿。

 ギリリリリッ! とシオンの歯がかなぎりをあげる。

 そして――見つけた。

 「八雲――紫イイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイィィィィィィィィィィィィィィッッッッッ!!!」

 「!?」

 突如怒声で呼ばれた紫は、尋常では無い()()を感じ振り向く。そこで視界に入ったのは、自身がこの世界に呼んだ、少年。だが記憶に宿る少年の顔と、今の少年では決定的に違うところがある。

 身長? ああ、そうだろう。わずか二か月で五〇センチも伸びているのだから。

 能力? それもある。シオンに宿る力は大幅に強化されている。

 だが、それを差し置いて。何よりも目立つのは――その表情。阿修羅、と言うのもまだ生温い。今のシオンの顔は、誰にも見せられないそれだった。

 本人は意識さえしてないだろう。そんな余裕さえない。今のシオンにあるのは、唯一つ。

 ――コイツを殺す!

 そのためなら他がどうなろうと知ったことじゃない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そんな物騒な考えが、今のシオンを支配している。それだけの激情。穏やかな海の底に押し隠していた、マグマのような感情。

 だからこそシオンは悪手を取った。気配を紛らわさず、殺気を撒き散らし、名前を叫んで自分に注目をさせてしまった。本当に殺したいのなら、最初から最後まで、凪のように行動するべきだったのに。

 故に紫は焦らない。未だに距離は空いている。視認した瞬間叫んだシオンは、紫との間に一〇〇メートル単位で距離があった。

 紫は目を細める。相手は速い。目標を見定める必要があった。

 残り四〇〇。残り三〇〇。残り二〇〇。残り一五〇。シオンの足は紫に近づくごとにその速度を増していき、それに比例するかのように紫の思考は研ぎ澄まされる。

 残り――一〇〇。

 機は来た。紫は小さく手を振り、能力を発動させる。範囲は狭く。何より相手に無用な怪我を負わせないよう加減をして。

 同時、シオンの動きがガクンッ、と急停止する。手に宿る激痛。咄嗟にシオンが自身の右を見ると、黒い円状の物が手首を拘束していた。前後左右に動かすが、全く移動しない。いや、力を籠めればほんの微かに移動するが、黒い円は移動させたと本人に自覚させてくれない。

 感触は無く、壊せる気もしない。シオンは即座にコレを特殊な拘束具と断定した。

 シオンが拘束を解こうと四苦八苦する、その光景を見て、紫は安堵の息を吐く。シオンと戦って負ける気はしないが、無用な戦いは避けるべき。それが彼女の考えだった。だからこそ――油断、した。

 ゴキンッ!! という鈍い音がして。

 シオンの体が、動き出す。

 「な――」

 驚く紫に、シオンは疑問に思う。

 この拘束具が何であれ、手首を潰さない程度に加減されているのなら、通常の拘束具となんら変わりない。

 だったら簡単。()()()()()()()()()()()。それだけで動けるようになる。

 動きだした瞬間、シオンは右手首を左手ではめ直す。もう一度鈍い音が鳴り響き、ブラリと垂れ下がっていた手首は元に戻った。

 だがその音は、紫にシオンが何をしたのかを悟らせる音でもあった。

 (まさか、関節を外した!? 一瞬の躊躇もせずにッ!)

 しかしそれならそれで対処法はある。手首がダメなら、恐らく足や胴体でも無駄。だったらどこを狙うか。それは一ヵ所のみ。

 ――()だけは、関節を外せない!

 首の関節を外せば、それは死に直結する。その方法は、もう運に賭けるしかない。余りに近すぎるのだ。外せば隙を晒して死ぬ。わかっていてなお、紫はそれを選択した。

 結果として、それは成功した。

 「消せ、白夜アアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァ―――――――ッッッ!!」

 そして、()()()()()()()

 「――」

 今度こそ、紫は言葉を失った。確かに黒い円はシオンの首を拘束した――した、はずだった。それは、ほんの刹那、シオンを確かに拘束する。

 瞬間、左手を振るったシオンの手にある白い剣が、紫の拘束を砕いた。

 紫は知らない。白い剣の能力が『空間制御』に関するモノだということを。

 シオンは知っている。紫の能力が『境界を操る』モノだと。

 ――だからこそ、対策がとれた。

 紫の能力は、あくまでも『境界』を操るだけでしかない。例えば物に干渉し、腐るまでの時間を伸ばしたり。例えば空気に干渉し、疑似的に炎や水、雷を生み出したり。例えば場所と場所の境界を曖昧にし、空間転移と似たような事をしたり。

 だがそれだけなら『氷』の能力者なら物を凍らせて時の流れを食い止めたり、炎や水、雷の能力者なら直接生み出せる。そちらの方が圧倒的に速いしコストも軽い。

 そしてそれを当てはめるのなら。黒い円は()()()()()()()拘束する。だったら。空間を()()使役できる能力の方が、干渉力は上だ。

 間接と直接。それが紫とシオンの差。事『空間』に関しては、シオンが紫を上回る。

 逆に、『応用』という一点なら、手札という一点なら、紫の方が遥か上。

 だがそんなもの、今の状況に措いて何にもなりはしない。紫の脳裏は停止している。今まで拘束を破壊された事はあっても、こうもあっさり壊された事など一度も無い。自信はあった。実際に成功した。だが失敗した。それが思考に空白を生み出す。明白な隙。

 このまま行けば紫は斬られる。そしてシオンが温情をかける理由は、無い。

 ()()()()()

 シオンは、紫の十メートル手前で、止まった。

 「……何が、したいの?」

 先程までの殺気は本物だった。止まる理由は無いはず。だがそれは、『紫から考えた』モノでしかない。『シオンにとって』はまた別。

 ギリギリと歯を、拳を、全身を震わせて、シオンは無理矢理自分を抑える。今にも斬りかかろうとする自分の感情を捻じ伏せて、理性で持って会話しようとする。

 「聞きたい事が、あるだけ、だ」

 そう告げるにしては、シオンの眼はあまりに鋭すぎた。そして何より、その後の行動――否。()()がダメだった。

 シオンは紫を見つけたその時から、ずっと右手に黒陽を隠し続けていた。関節を外した時は手放しかけたが、それでも気力で持ち続けた。

 だがいっそのこと、手放していた方がよかったかもしれない。

 「聞きたい……こと? ()()()()()を出しながら?」

 「え?」

 それが単なるブラフなら、シオンは引っ掛からなかっただろう。しかし紫の顔にあるのは、恐怖と、そして()()()

 ここでもう一つ再確認しよう。黒陽は、担い手の意志一つでその形を変える。だが言葉と言うのは不思議なモノで、意味合いは違うのに似たような意味を持つ事がある。この場合、意志一つとはそれ即ち『想像力』とほぼ同義。

 しかし人の『想像力』などたかが知れている。完璧と本人が思っていても、ところどころ穴があるように。なのになぜ、シオンは『完全な』剣を再現できたのか。

 ソレを教えてくれたのも、永琳――師だった。

 永琳はシオンに様々な事を教えている途中、微かな違和感に気付いた。そしていくつかの確認をして、その違和感をどういったものなのかにまでこぎつけた。

 『シオン、あなたは物事を考えるのが苦手?』

 『苦手、というか――知人から『あなたは想像ができない』と言われた事はあるけど』

 『……その人、もしかして何か患ってないかしら? あるいは口数が少ないとか、説明するのが苦手とか』

 『持病の喘息持ちらしいから、口数は少ないな。そのせいであんまり人と話さないらしいから、得意じゃないかもしれない』

 『ああ……やっぱり。シオン、それは訂正する必要があるわ』

 『訂正なんているのか?』

 『ええ。あなたは確かに『想像』するのは不得手よ。でもそれを正確に言い表すなら、『想像ができない』のではなく『想像しづらい』の方が正しいわ』

 それに何の違いがあるのか、シオンにはわからなかった。それに気付いたのか、永琳はすぐに説明してくれた。

 『あなたには全ての物事を完全に覚えてしまう能力がある。だから自分が知らない概念を説明されると、頭の中にある記憶――映像が呼び起される』

 例えば海、と言われてもシオンには理解できない。だがそこに『地平線の果てまで大量に水がある場所』と言われれば、川などの風景を無限に広げた光景を頭に浮かべる。

 『ただそのせいで、あなたは荒唐無稽なモノを思い浮かべられない。付け加えれば、あなたの過剰とまで言える現実主義が、見た事の無いものを『今はわからないから』ばっさり切り捨ててしまう。だから『想像できない』というのも、あながち間違っていないわ』

 シオンが悪い、というわけではない。単に生きてきた環境が悪すぎた。余計な()()を浮かべていれば、その間に死んでいる。そんな場所。だから目の前しか見られない。『夢』なんていうバカげたものを見られず、目の前の『現実』しか見る事を許さない。

 シオンは、知らない事を想像できない。

 だってそれは、生きるという一点に措いて、『邪魔』にしかならないから。

 だから、ありえないはずなのだ。常に完成された図が頭の中にあるシオンに。

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 シオンはすぐに剣に戻そうとして――だができないのを悟った。

 激情。心の中に燻る、今すぐ紫を殺せという叫びが、集中するのを許さない。良くも悪くも紫にしか意識が向いてないシオンに、黒陽に『想像(イメージ)』するだけの余力が、無い。

 そしてシオンは、諦めた。

 紫と対話するのを。紫を『殺さない』でいる事を。

 ああ――と、シオンは幻想郷に来てからの事を思い浮かべる。

 俺が幻想郷で誰かを殺したいと思ったのは、コレが初めてだな、と。

 『死にたい』とは思っていても、『殺したい』とは不思議と思わなかった。そこらの妖怪を殺した時だって、自分を殺しに来たから逆にそうし返しただけ。いわば作業。

 だから、だろうか。

 「前言は撤回する」

 わざわざ口に出して、そう言ったのは。

 「貴女を殺す」

 足を踏み出し、のたうつ黒陽を振りかぶる。虚を突かれた形となった紫は、先程まであった猶予を無駄にしたのを理解する。

 しかしその顔に、諦観の色は無い。

 落ちてくる『黒』の波。それを眺めながら、紫は言う。

 「藍」

 「御意に」

 その音を表すのなら、どう言えばいいのだろうか。硬い金属がぶつかったような、反対に柔らかい羽毛に包まれたような、よくわからない音。

 その中で理解した、たった一つの事。

 それは、

 「受け止められた、か」

 「紫様を殺させる訳には参りませんので」

 横から振るわれた『尾』を躱すために、シオンは一度距離を取る。だが目測を誤り、頬を掠められた。ツツ――ッ、と血が伝うのを、腕で拭う。その間に目の前の誰かは交差していた四本の尾を開く。

 まず眼に入るのは、鮮やかな金。髪と瞳、そして背後から生えている九つの尻尾。その存在感がありすぎるのだ。その主張されるモノの一つ、金髪には角のような広がりを持つ帽子がある。外見から考えて、あのトンガリは狐の耳でもおさまっているのだろうか。

 服装はどこかの法師が着ているようなモノで、ゆったりとした長袖、ロングスカートに青い前掛けのような物を被せている。一見中華風だが、コレは後ろにいる紫に合わせた物だろう。先程の言動から、紫と彼女は主従関係かそれに近いモノだろうから。

 事実、彼女のシオンを見る眼は、敵を見るそれと似たようなモノだ。威嚇するように九つの尾も蠢いている。何か複雑な感情が宿っているような気もするが、コレは気のせいかもしれない。

 「紫様の式、九尾の狐の八雲藍だ」

 シオンの()()()()()から目礼だけをし名乗る藍。敵であっても多少の礼を尽くすのは、後ろにいる紫の名誉を重んじてのものだろう。そうでもなければ、主を殺しかけた人間にそんな態度を取るはずが無い。

 「……『人外』のシオン」

 だからシオンも、最低限の礼を返す。微かに敵意を減らしたのは、シオンの内心を察してか。

けれど藍は油断しない。

 ――先の一撃。完全に受け止めたかのように見えた藍だが、その実かなりギリギリだった。四本の尾を交差して防御したが、その勢いを両足だけで受け止めることは叶わず、残り五本の尾を支えにして何とか止めることができた。

 その証左に、藍の周囲が陥没している。女性にしては高身長の藍と『頭一つ分の差』しかないのはそれが理由。

 つまり、膂力に関して言えば、藍よりシオンの方が上回っているかもしれない、ということだ。

 「どけ。そいつ、殺せない」

 敬愛する主に対して『そいつ』呼ばわりしたシオンに藍は殺気を向ける。だがシオンにそれを気にする余裕は無い。

 視界がチカチカと明滅する。脳がギリギリと悲鳴をあげる。心臓は跳ね上がり、体全体が軋む。

 こんな状態になった事など、今まで一度も無かった。初めての感覚。だからコレが――『怒りで前が見えなくなる』の少し変わったモノ。いわば『怒りで前しか見えなくなる』だろう。

 「紫様」

 「一応言っておくわ。殺さないで」

 「……畏まりました」

 一瞬の間と、ピクリと動いた表情から、藍が本気でシオンを殺そうとしていたのを察する。だから、油断してしまった。確認する、という隙を、シオンが突かないと思っていたせいで。

 白夜を振るい、シオンは藍の後ろに移動する。そのまま肩を掴むと、もう一度一閃して開いた空間の歪に藍を放り投げ、自分もそこに飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 里の遥か上空。

 そこに浮かぶは白と金。

 白は無表情。

 金は苛立ちを、それぞれ宿していた。

 「里に被害が出ないよう、わざわざ上に移動したと? 意外だな。先程までのお前にそんな理性的な判断ができるとは思わなかったが」

 金――藍が苛立っているのは、それ。そんな判断ができるのなら、里に被害が出ないよう、もっと遠く移動する事だってできたはず。だから苛立つ。もしそんな反論をして里に下りられれば、それで割を食うのは自分達(紫と藍)だから、と。だから我慢するしかない。

 白――シオンはその質問に無言を返す。

 その反応に、遂に藍の堪忍袋の緒が切れた。主を狙われ元から限界だったそれは、あっさりと切れてしまった。

 「殺しはしない。だが――死んだ方がマシだと思えるくらいにはさせてもらう!」

 藍の尾、その一つがたわみ――()()()

 単純明快な突き。だが速度は神速。それを敢えて避けず、風圧で木の葉のように舞って避ける。もう一度使えるとは思わない。使う気も無い。

 ただこの一瞬。それだけ稼げればよかった。

 「『黒剣技(ソードアーツ)』」

 黒陽が揺らめき、シオンの手に一つの剣として現れる。だが何よりも眼に入るのは、シオンの背に出現した『四本』の剣。

 シオンの背から一定距離離れた位置に、柄を上に、半円を描くように広がっている。

 手数には手数を。それを選んだ結果だった。

 しかし藍の尾は九。足りない分は、

 「技術で補うッ」

 ドンッッ! と前に飛び出し、二人の間にあった距離を縮める。弾幕は張らない。恐らく迎撃されるだろうし、そもそも自分は遠距離攻撃に向いていない。

 藍の方も迎撃手段として弾幕を張ろうとしない。全て真っ二つにされそうな気がしてならないからだ。

 自然、二人の攻撃方法は絞られる。

 『叩き斬る――!』

 奇しくも声が重なった瞬間。

 剣と尾。異例の二つが、火花を散らす。

 

 

 

 

 

 シオンの姿が見えなくなってから、早十数分。霊夢は慧音達と別れて、シオンを探していた。

 「いない……どこにいったのよ、アイツ」

 ここまでする義理は無い――と言いたいが、後々の関係のためにも多少の()を付けておいた方が都合が良い。だから『里に着くまでの案内』を『里の中の案内』に変更したのだ。

 普段は気にも留めない周囲を見渡す。だからこそ一早く気付いた。上を見上げる人間が、驚きに満ちた顔をしているのを。

 それを切っ掛けに一人、二人と。上空を見る人間は、霊夢の見える周囲全てとなった。

 その光景は、里にいるほぼ全員が見ていた。当然、霊夢にも。

 よく晴れた空に、微かな光が瞬いている。小さく、大きく。チカチカと。常人でわかるのはそれだけ。だが、霊夢だけはわかった。

 「アレは……」

 よっぽど視力が良くなければ見えない、それ程の上空。そこに見知った色を見た瞬間、霊夢は走り出していた。

 けれどその歩みは止まってしまう。

 つい先ほどまで、()()()()()()()に攻撃された斬撃を見るために。もしあのまま止まっていたら――と考え、背筋がゾクリと泡立った。

 何とか我を取り戻すと、霊夢はすぐにできた溝に駆け寄る。

 「綺麗、過ぎる……斬撃」

 つい昨日の事。里の案内を頼んだ時に慧音から言われた言葉。

 『案内するのはいいが――この里は狙われているのかもしれない』

 そして案内された場所は、この溝とよく似た感触の断面を持つ、深い谷。

 「まさか、アレを作ったのは」

 そこまで言いかけた瞬間、周囲から悲鳴が上がる。

 咄嗟に上を見た霊夢は、どこかに斬撃が飛んで行ったのを見た。数秒後、飛んで行った方向に悲鳴が出る。

 その叫びに、霊夢の行動を怯えた表情で見ていた里の人間は、我先にと逃げ出す。

 『何が起こってるんだ!?』『通して! 家に子供が!』『とお、遠くに! あの攻撃が来ない場所に!』『押すんじゃねぇクソが!』『ママッ、どこに行っちゃったの!?』『最低限の荷物を持ってさっさと逃げ――ガァ!?』

 悲鳴、怒声、怪我をして痛みを堪えるような呻き声。阿鼻叫喚の地獄絵図。

 「何やってんのよ――」

 それは、こんな状況を起こしたシオンへの叫び。

 「あのバカは――ッ!」

 霊夢は走り出す。当ては一応、ある。こうなった事情を知っているだろう存在は、霊夢の知る限り一人しかいない。そいつの元へ行くのだ。

 『里の中の案内』が、『あのバカをとっちめる』に変わった瞬間だった。

 

 

 

 

 

 跳ね上げた脇のすぐ傍を藍の尾が通って行く。即座に一歩分上空に移動し、下から来たもう一本の尾を避け、真正面から来た尾を白夜で逸らす。四本の剣は既に別の尾と斬り結んでいた。

 (『()』の数が違い過ぎる――!)

 押されているのは、シオンだった。

 藍の巧みに操られる尻尾が上下左右どこからでも飛んでくる。長さ自体は調節可能なのか、最初見た時の大きさよりも比べ物にならない程でかい。今のところ長さの限度を見ていないため、伸ばせる限界はわからない。

 どちらにしろシオンに離れるという選択肢は存在しない。弾幕を撃ち合っても自分が負けるだろうと、シオンは怒り狂った頭の中に残る、どこか冷静な部分でそう判断していた。

 「っと!?」

 ほぼ勘を頼りにその場でバク転をする。グルリと回転する視界の中で見えたのは、()()()()襲い掛かる尻尾。

 藍は戦闘開始時から一歩も動いていない。そして今シオンがいるのは藍の真正面。つまり藍は、ほぼ真直ぐに突きを入れてから、即座に折り返して突きを入れた事になる。

 だが、

 (――いくらなんでも構造的に無理があるだろ!)

 今藍がやった動きを人間の腕部分で当てはめれば、肘を九十度に曲げた後、肘と手首の間でもう一度九十度に折り曲げた事になる。それがどれほどのことか、わかるだろう。

 だが藍は全く気にした様子を見せない。

 (マズいッ。今でも手一杯なのに後ろからも来ると想定するのは無理がある! こっちはこれ以上手数を増やせないってのに……!)

 真下から来た尾を蹴り飛ばし、反動で横合いから飛んで来た尾を避ける。ついで体を回転させてもう一つの尾を流す。幅一ミリにも満たない、そんな真横を尾が通って行くのは中々精神的に辛かった。

 その合間にシオンはもう一つの剣を作ろうとして――即座にやめた。

 (脳、の……処理、限界……ッ!)

 一瞬、シオンの無表情が崩れた。藍に背を向けていたからこそバレなかったが、正面あるいは顔が見える状態だったら看破されていただろう。

 「……?」

 それでも動きが鈍ったかもしれない、という事実までは消せなかった。すぐに動きを戻したために気のせい、あるいはブラフかと思ってくれたようだが、ほんの少しでも遅かったらどうなっていた事か。

 やはり無茶はするものじゃないな、と思う。

 そもそも何故シオンが黒陽の剣を複数に増やせているのか。手元から離れた場合、球体になると言っていたにもかかわらず。

 答えは簡単。()()()()()()()()()()からだ。

 黒陽の柄。そこから大妖怪の視力を持ってすら視認できない程の細い糸。恐らくはナノ以下のそれは、この辺り一帯を漂っている。その糸から、剣が()()()いるのだ。

 単なる逆転の発想。手元から離せば形が崩れるのなら、ずっと手元に置いてある状況を作り出せばいい。とはいえコレも永琳のアドバイスから来たものだ。彼女に言われなければこんな方法、思い浮かべすらしなかっただろう。

 が、やはりそううまい話があるわけもなく。ナノ以下の糸の生成・維持だけでも相応に意識を割かれる。最初はコレだけでも戦闘を十分にこなせなくなるほど支障が出た。慣れてくると剣を造りだせるようになったのだが、コレも問題だった。持ち手の問題だ。当たり前だが、剣は振るわれる事で攻撃として形を成す。しかし糸から生えているだけの剣にそんな真似はできない。精々シオンが剣を動かすのに引っ張られるだけだ。

 考え抜いた末に生まれた方法。その方法もまた、かなりの力技だった。

 動かすことができないのなら、()()()()()()()()()。造ればいいだけだ、と。

 要するにシオンは、破壊と再生を同時に行っている。糸から剣を生成、防御し、攻撃する時はまるでシオンの意のままに操っているかの様に見せながら何度も造り破壊し直す。ちなみに鬼に対する奇襲も、糸を地面に刺して網目のように広げ、罠を仕掛けていただけだ。

 だがそれらを行うシオンにかかる負担は並外れたものではない。

 元々シオンは高速思考を持っていても並列思考は扱えない。つまり四本の腕を同時に扱う、なんて真似はできない。それでもなお両手に持っている剣を含めて六本振るっているのだから、その凄さは想像に難くない。

 仮に戦闘をしなくてもいいという条件下なら、『生み出すだけ』であれば十二本まで。動かすというのなら一気に減って七本。

 そして高速戦闘下では――四本。

 もしそれ以上造り出そうとすれば問答無用で気絶する。脳の処理が限界を超えてしまうからだ。

 (こうなったら――!)

 一度距離を取るため、シオンは白夜に力を籠め、ほとんど適当に剣を振るう。全てを切り裂く斬撃を、藍は避けるしかない。受け止めれば尾ごと斬り飛ばされるからだ。だが虚空を行く斬撃は、()()()()()()落ちていく。

 シオンは気付かない。元々限界を超えていた紫への殺意を無理矢理藍の方に向けているのだ。他の事に気を遣う余裕など、残っていない。

 逆に藍は里の方を気遣う。敵が用意した、里の上空で戦うという状況を許容し、且つ自分が最も得意とする遠距離戦――弾幕を封印しているのは、里への被害を防ぐ為だ。

 だからこそ臍を噛む。()()防げなかった――と。

 戦闘中、シオンは何度か白夜を振るっていた。そしてそのいくつかは里に落ち――結果、下は里の人間達の悲鳴と怒声に溢れている。自身の聴覚が、それを捉えてしまうのだ。

 (幸い物以外――人が死ぬまでは行ってないが)

 ほんの一瞬。刹那の隙間、藍は思考してしまった。

 他の事に気を取られる――という、戦闘中に措いて最もしてはならないことを。

 「隙だらけ」

 「なッ!?」

 ボソリ、と後ろで呟かれた言葉。

 咄嗟に反応して後ろを振り向くが、そこにはもうシオンはいない。

 (しまった――! 奴は空間転移ができるのを忘れていた!)

 一度自分を叱咤する。後悔はする。だがそれを気にして縮こまる理由にはならない。藍は一度深呼吸して瞼を閉じる。

 尾から妖力が溢れ出し、帽子の中に隠れた耳がピクピクと動き出す。

 一秒、二秒、三秒――シオンに動きは無い。

 だが、藍は動いた。

 「そこだ!」

 自分を中心に後方三十七度。距離までは測っていない。だが大まかな居場所を探れればそれで十分だった。

 九ある尾の内六本を突き刺す。コレで終わるとは思っていない。事実、終わらなかった。

 ガキンッ、という金属音が数度鳴り響く。重なり合いすぎて何度かはわからないが、尻尾に伝わってきた感触からして五。

 藍が振り向く。視界に入るのは、黒陽の切先を前に。白夜を逆手に持ったシオンの姿。

 突進。全身を一本の槍にして、ただただ愚直に突き進んでくる。途中にあった最後の一つを、逆手に持った白夜で迎撃して。

 方法はわからないが、シオンは四つの剣で五本の尾を受けた。だからこそ一本分――突きを入れるための分は残っていた。

 それでもまだ、届かない。

 残る三本の尾。それを縦横斜めに交差させ、シオンの攻撃を受け止める。

 (重、い――ッ)

 相応の距離から放たれた槍。元々の剣の重量、飛んで来た速度。何より、必ず殺しきるという殺意。それらが積み重なり、藍を追い込む。

 宙に居ても多少は踏ん張れる。それでも押し切られると悟った。

 ()()()

 「え――。ッ! しまッ!?」

 突如、今まで拮抗していた力が崩れ。

 三本の尾を崩し、シオンを『敢えて』懐に受け入れた藍は。

 微かに頭を逸らし――それでも剣が帽子を掠め、そのせいでほとんど破損した――て避け、握った『拳』を引く。

 藍は近接戦闘は得意では無い。唯一尻尾での戦闘ができるくらいだ。

 けれど――大きな隙を晒した相手を、ただぶん殴ることはできるッ!

 「ハァァ――!」

 気合一閃。単純な一拳を叩きこむ。

 妖力と大妖怪の身体能力にモノを言わせた、文字通りの力技。コレを喰らって耐えられる人間など、いない。

 しかし、藍の顔は晴れない。むしろ強張っている。

 「……完全に『入った』と思ったんだが」

 「いいや、ギリッギリだった。貴女が格闘術を学んでいたら――危なかった」

 そう、シオンは直前で防いでいた。技術を持たない藍の殴打には無駄が多く、そのため直前で白夜を目の前に置き、それを左足の膝で固定するのが間に合った。

 代わりに剣を通して伝わった衝撃が膝の骨を折ったが――それを悟らせないよう振る舞う。

 「少しは人間の技術を学ぶべきなのか?」

 「さあね。それは貴女の自由だ」

 肩を竦めるシオンだが、その脳裏には勝利への道筋だけ。

 (コレで『種』は撒けた。後は――勝ちを拾うだけだ!)

 そしてここで、シオンは今まで使わなかった戦法を取る。

 トン、と空を叩き。

 シオンの体が急加速する。

 「は――!?」

 藍の顔に驚愕が浮かぶ。氣・魔力・霊力・妖力あるいはこれらに準ずる力で空を飛ぶ者は相応にいる。だが――空を『蹴って』移動する人間と会うのは、初めてだった。

 ジグザグに動くシオン。今までの婉曲の動きと違い、直線の機動。速さは段違いだった。

 藍はまず三本の尾を使って移動を制限。多少動きが鈍ったところに尾を突き入れる。その尾がシオンを捉える事は無かったが。

 藍の尾の動きは速い。だがシオンの速さはそれよりも上。

 そして、尾とシオンが、藍から見て交わった瞬間、また――シオンが消えた。わざわざ藍の眼に見えないようにして。

 小癪な真似を――と思うが、一定の効果があるのも事実だった。特にあの高速移動ができると分かった今、一刻の猶予も無い。

 (だが、どうせまた後ろに移動するのだろう!)

 そんな思いを抱きながら藍は振り向き。だがそこに、シオンは()()()

 自身の予想が外れた事実に呆然としつつ、けれど気配探知はやめない。

 結果は――真正面から!?

 「バカな!?」

 もう一度振り向き、藍はそこでシオンの姿を見る。

 そこで藍は、シオンの意図を看破した。

 (二度も後ろに転移したのは、私に後ろを意識させるためか――!)

 一度目はここに転移させられたとき。二度目はつい先程。どちらもシオンは後ろに転移し、藍に攻撃を意識させている。

 その理由は死角となるからだと思っていたが――全くの見当違いだったとわかった。

 (だがそれもバレては意味が無いぞ!)

 今度は七本の尾を携え藍はシオンを攻撃する。

 (元々六本を相手にするのが限界だったのはコレまでの戦闘で把握している。仮に突破しても尾が二本あれば立て直しは利く。だから――いや、ここで終わりにさせてもらう!)

 不倶戴天。その意識を胸に抱き、尾を突き入れ――()()()()()()()()()()()

 「――」

 今度こそ。

 今度こそ、藍の思考は完全に停止した。

 「御丁寧に引っ掛かってくれてどうもありがとう」

 停止したからこそ、その声に釣られて藍は振り返る。そこにいたのは、先程貫かれたはずのシオンだった。

 停止した脳がフル稼働する。その脳から導き出された答えは――

 (魔力で作った『(デコイ)』――だと!?)

 藍はまんまと二重の罠に掛かった。裏に行ったと見せかけ表から。ただしそちらは偽者で、本物は下方に待機して藍の視界に入らないようにしていた。

 目の前にある藍の表情、それを見てシオンは内心小さく溜息吐いた。

 (気付かないだろうね――。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、なんて)

 どれだけ魔力に工夫を凝らしたところで、本人でない以上、バレるのは一瞬だろうとシオンは考えていた。

 その果てが、『魔法陣による気配の偽装』だ。

 シオンは魔力糸による魔法陣の作成を得意としている。一度目は人型に整えつつ効果を発揮させるのに手間取ったが、二度目からは息をするように、数度でほぼ一瞬で作れるようになった。

 そしてもう一つ。コレはシオンが知らず――というより、知っているのは幻想郷内においても極々限られた者――にいる事実。藍はその頭脳を紫の式となる事で手に入れた。長い年月によって蓄えられた知識と、現代にあるスパコン並みの並列処理が可能な頭脳。彼女の思考は並大抵のものではついていく事さえできない。

 それでも。例えスパコン並みの事ができても――()()()()()()()()()()()()()()

 主従共に、魔法陣の運用をここまで効率化できた存在を知らない。だからこそ引っ掛かった、ただ一度のみ通用する罠。

 (まだ――まだだ!)

 まだ尾が二本残っている。それを使えば体勢を立て直すくらいは――とまで考えて。

 「仕切り直せると思ったか? 甘いよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 そんな『甘い考え』を斬り捨てるように。

 ジャラジャラジャラッ!! と何かが擦れるような音がして。

 藍の右手と両足、そして一本の尾に絡み付いた。

 「コレは――!?」

 絡み付いた『鎖』の色は『黒』だ。コレはシオンの持つ黒陽と同じで――本数も一致する。

 「残念。黒陽には『形が無い』んだよね」

 (声をかけた理由は――私にコレを悟らせないためか!!)

 苦し紛れに、藍は最後の一本の尾。そして左手を使って弾丸を形成し、動かせる尾を、シオンに向かって穿ち放つ。

 その一撃を黒陽であっさり受け止めたシオンは、下から斜めに白夜を振るって弾丸を消し、間合いを詰める。どんどんと近づいてくる、大きくなるシオンの姿。

 それを藍は、どこか酷く冷めた様子で視界に入れていた。もう一撃なら弾丸を撃っても間に合うのはわかる。しかし撃たない。どうせ無駄だと分かっているから。

 (残り、二歩)

 それは、シオンが『藍を殺せる』間合いに入る歩数。

 一歩目なら、重傷を負うが生き残れる。

 二歩目なら、心臓か首か頭か――どれかを斬られて絶命する。

 そしてシオンは――『二歩』、間合いを詰めた。

 そこで藍は、何故自分が酷く冷めていたのかを知った。

 (ああ、そうか。私は)

 太陽を反射し、煌めく『白』を見つめながら。

 (紫様、申し訳ありません――)

 藍は瞳を閉ざす。

 そして――




少々長いですが、補足説明をば。

『能力の干渉』というモノが出ましたが、実はコレ、一番影響が出ているのはレミリアの『運命を操る程度の能力』だったりします。
シオンの考察は、実は半分合っていて半分間違っています。
相手の運命に『干渉』して望む結果を手繰り寄せる。それがレミリアの能力の本質です。
例えば相手に『明確な死』を与えようとした場合、相手の運命の糸を手繰り寄せていきます。ただ相手がそれを拒んだら、当然糸は引き寄せにくくなります。要は綱引きみたいなものですね。『同格や格上相手に通用しない』、というのは、相手に与えられる影響力が小さいからです。それでも程度が低い――仮に『怪我をする』くらいに小さな干渉でしたら可能かと。だから一応は通用します。足に怪我を負わせて素早さを奪ったりすればいいのですし。
ですが運命というものは複雑怪奇。相手が拒んだ結果お互いの糸が絡まり合い、そこに第三者が絡めば更に複雑化し、予期せぬ結果を起こします。
レミリアの槍の先から妖力が暴発したのもその一つ。ちなみに『最悪』が起こった場合、穂先で妖力が爆発、最も近くに居るシオンが死亡。レミリアは咄嗟に妖力を使ってガードが間に合ってとして、それでも槍を持つ右手は吹き飛ぶでしょう。まぁ吸血鬼なので、しばらくすれば復活すると思いますが。そして咲夜ですが、彼女は爆風で重傷を負う――か、能力で時を止めて逃げるかのどちらかですね。前者の比重が遥かに高いですが。
かなり使いにくい能力ですが、彼女の能力の本来の使い方は、『能力を使ったサポート』だったりします。『相手が望まない結果は歪な結果しか生まない』のであれば、『相手の望む結果を手繰り寄せやすくする』ことだってできます。
いわば『幸運の女神』というわけですね。まぁ本人の性格上、そんな加護を与えることは早々無さそうですが。
……正直序盤の方を読み返すと、自分でもよくわからない文章になっちゃってるんですよね。書き直そうかとも思うんですが、週一更新くらいが限度なのにそれ以上は――って状態で、手詰まりなのです。せめて能力の説明くらいは差し替えようかなぁとか思ったり。


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殺意を抑えて

うん、書いててどうしてこーなったと悩み中。

一応理由がありますので、「んなわけあるか!」とか言わないでくれると大変助かります。


 シオンが白夜を藍に向けて振り下ろす、その寸前の出来事がいくつかあった。

 まず、ようやっと事態の中心人物の一人であろう元に辿り着いた霊夢が見たのは、何かを尋ねる事を躊躇わせる程焦った顔をした紫だった。

 その視線の先には――シオンと、拘束された藍。

 「んな!?」

 霊夢は博麗神社の巫女。この幻想郷で『唯一』の神社。そこに住んでいる霊夢は、幻想郷の管理人である紫と藍に面識があった。親しい仲、と言われると疑問は残るが、それでもあんな状況に陥って何とも思わないほど冷たい関係ではない。

 しかし――助けられない。それが一瞬で下した霊夢の判断だった。

 (あまりに距離がありすぎる!)

 この距離では自分が行くよりも、弾幕を飛ばすよりも、シオンの方が藍を斬り捨てる方が数倍速い。近接という一点に措いて、剣などの武器は飛び道具などよりも遥かに優位だからだ。

 「藍!」

 自身の大切な従者が拘束された時点で、紫は能力を発動させた。紫の『境界を操る程度の能力』があれば、距離など無いも同然。この場で藍を救える可能性があるとすれば、それは彼女だけだろう。

 だからこそ――対策も立てやすい。

 「え……?」

 目の前に開いた空間の裂け目。それが()()()()()()()。地面に残るのは、小さな、注視しなければわからないほど小さな『斬撃』がある。

 ――白夜による空間を斬り裂く衝撃波。

 実のところ、シオンが戦闘において最も警戒していたのは、『第三者による介入』だった。

 藍は一人で戦う理由が無い。主である紫が真下に居て、状況的に見れば自分の方が『悪』だと考える者もいるだろう。そして一対二になれば、シオンが勝てる可能性は激減する。紫の介入も、彼女に斬撃を飛ばせるよう『位置を調節して』戦っていた。

 白夜ではなく黒陽で藍の尾を防いだのは、この理由が大きい。仮に白夜の力を使って防いでいれば、藍の尾を斬り落とせただろう。『破壊力』という一点では黒陽に劣るが、こと『切断力』という一点に措いては白夜の方が優れているからだ。

 それでもなお黒陽で防いだのは、紫の空間を操る術に対抗できるのが白夜だけだったからだ。

 事実、シオンは藍の攻撃を斬り捨てるのと同時、ほんの微かとはいえ斬撃を飛ばして紫の介入を防いだ。

 ――黒陽で防いだのはもう一つ理由があるのだが……そこは現時点では割愛しておこう。

 そしてその事実は、紫に一つの現実を痛感させた。

 (私はシオンの抑止力になれないの……ッ?)

 紫が躊躇無くシオンをこの世界に呼べたのは、シオンの力が自分よりも圧倒的に下だったところが大きい。当時のシオンは全力で戦っても――いや、死力を尽くして、そして死と引き換えにしても腕の一本か、精々が重傷を負わせられる程度だったろう。これなら仮にシオンが幻想郷で異変を起こしても、紫の手でギロチンを下ろせた。

 それがたった二ヶ月。それにも満たない期間で、紫と同程度かそれ以上の力を手にした。

 シオンが紫と同程度なのにはいくつか理由がある。

 まず一つ目に、紫は近接戦闘が得意では無い――どころか、従者の藍にすら劣る。コレは彼女の戦闘方法が、中・遠距離であるのが原因だろう。長所である後者の力を磨く事はあっても、不得手である前者はまったく鍛えなかったのだ。

 距離を詰められても『境界を操る程度の能力』で空間を移動して距離取れるし、相手を拘束してそもそも動けなくすればいい。その間に攻撃を叩きこむのもアリだ。

 相手が弾幕戦で応対しても一部を空間を通して様々なところから弾幕を張れば、いずれ押し通せる。前面にしか展開できない相手と、前後上下左右どこからでも飛ばせる紫。どちらが有利なのか考えるまでも無い。

 今まで紫はそうやって戦ってきた。それで問題無かったし、問題にならないだろうと考え続けていた。

 それが今、覆された。たった一人の人間の手によって。

 弾幕を全面に飛ばすことは可能だろう。だが自身が空間移動したり相手を拘束したりしようとすれば、シオンは全てを斬り捨てそれを阻止するだろう。

 一対一では、紫は藍よりもシオンとの相性が悪い。能力に頼ってきたツケが、紫に負債を与えてくる。

 ――紫がそんな思考を浮かべたのは、単なる現実逃避に過ぎなかった。

 目の前で斬られる従者に何もできない自分に絶望して、他愛も無い考えを浮かべて意識を逸らしているだけ。

 今ここでやめてと叫んでも、シオンは止まらないだろう。だって、この世界にシオンを呼んで来たのは紫で。その紫に際限の無い殺意を向けていたシオンが、その従者である藍を殺さない理由にはならないから。

 甘く見ていた。油断していた。『自分だけで何とかなる』――そんな考えのせいで、藍が殺されてしまう。

 紫は手を伸ばす。届かないとわかっていても。シオンはきっと、その手を下ろしてくれないとわかっていても。それでも、紫は手を伸ばした。

 今にも泣いてしまいそうな、その顔を、霊夢は見た事が無かった。いつもあやふやとしていて掴みどころのない紫が、一人の従者の死に涙しかけている。

 (紫にも一応、そんな感情があったのね)

 だが――何故だろう。

 ()()()()()()()()()――そんな気がするのは?

 シオンは白夜を振り下ろす。それは渾身の一撃。溢れ出た魔力で腕が覆い隠されるほどの。色の無い軌跡が後を残す。その暴力的な一撃は大気を揺らし。シオンはそれに負けぬほどの声を張り上げる。

 「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァ――――――――ッッッ!!!」

 膨大な、暴力的な力を秘めた一撃が藍に集い。

 藍の体を()()()

 その剣は、()()()()()()()()()()

 そして、霊夢の勘通りに、シオンは藍を殺さなかった。

 ……代わりと言っては何だが、力の行き先が向けられなかった剣が紫のすぐ傍に突き刺さって爆発。紫と、ついでに霊夢を黒焦げにしてくれたが。狙ってやったのなら相当だろう。

 が、巻き込まれた霊夢は堪ったものではなく。

 「何やってくれてんのよシオン―――――――ッ!」

 余計な火種を新たに作った辺り、シオンの運の悪さは筋金入りだった。

 そんな事情の出来事など露知らず。藍は何時まで経っても来ない衝撃と痛みに疑問を感じ始めていた。

 (なぜ何も来ないんだ……? 恐怖感を煽るため、か?)

 もしそうだとしたら、シオンの趣味は悪いと言わざるをえない。未だに眼を閉じている上に、シオンによる何らかの妨害で気配も探れない。藍には周囲の状況を把握する術が無かった。

 見えない、という状況は不安を煽る。眼を開けた瞬間醜悪な笑みを浮かべたシオンに殺されるという光景を見させられるかもしれない。もしそう考えているのなら、その策は成功していると皮肉を籠めて伝えたいところだ。

 そんな思いを胸に、恐る恐る眼を開ける。

 「――……いない?」

 眼を開けて飛び込んできたのは、どこまでも続く蒼穹。そこにシオンの姿はいない。拘束が解けていない以上、どこかにいるのだろうが――

 「――あ、やっと眼を開けてくれた」

 そんな声が、自分の『狐耳』に浸透してきた。自分の狐耳があるのは頭上で、そしてそこのすぐ傍から声が聞こえて来た以上、シオンが居る場所は自ずと一つに限られる。

 ギギギ、と古びたブリキの人形のように藍は首を動かす。だがその途中で、藍は自身の視界全てを『白』に覆われた。

 その感触が何なのか、最初はわからなかった。だが頬に触れるサラリとしたモノ。それと似たようなモノを、自分は毎日触れているような――。そこまで考えて、コレが髪なのだと理解した。それを予期したのか、あるいはただの偶然か。シオンの両腕が藍の首に回される。もしやこのまま首の骨を、と思ったが、それにしてはあまりに触り方が優し過ぎる。壊れ物を扱う時よりも優しいかもしれない。

 それでも油断しなかった藍は、自身を縛り続けていた鎖、その一つが解けたのを知った。

 「何を――」

 片手と両足は未だ拘束されたまま。だが近接戦闘を行うのは尾だ。それを解放するとは、と思ったのだが、シオンの返答はトンチンカンなモノだった。

 「だってさ……こんな毛並みの良い尻尾を拘束するなんて勿体ないじゃん!」

 「……は?」

 幻聴、だろうか。一瞬だが藍は自分自身の耳とそれを処理した脳を疑った。

 「こんなに手触りいいし、毛並みだって綺麗に整ってる。どれだけの時間をかけたのかなんてわからないけど、多少程度じゃこうはならない。努力してるってわかる。だからさっきの戦闘で無駄に傷つけないように注意してたんだよ? 白夜で切断なんて以ての外だし」

 「……………………………………………………………………………………………………………」

 幻聴、などではなかった。

 本気でシオンはそう思っている。手触りも、毛並みも。そして藍がどれほどの苦労をしてコレを維持しているのか。紫の無茶振りによるストレス。(チェン)が時折する突飛な動向の心配。時間の不足による栄養不足と寝不足による疲労。それでも時間をやり繰りして必死に質を保つ苦労。

 「――特に紫様の無茶振りが酷すぎるんですよ。実務の大半を私に丸投げ。結界の維持、妖怪による被害の算出・それをどうするかの検討。勿論私も紫様の苦労はわかっているので文句の言いようもありません。少しでも橙が手伝ってくれれば私達も楽になれるのですが、あの子はまだ遊びたい盛りなのか遊んでばかりですし。せめて一人。後一人いれば……」

 「うんうん。わかるよ、その大変さ。物の調達に、相手が納得できるだけの折衷案。言う事を聞いてくれなければ力技でやる必要があるけど、やりすぎるとただの恐怖支配になる。何より自分達の悪評が広まると良い事なんて何一つ無いからね。常に局地的且つ大局的に行動するから人の統治は面倒だよね」

 ある種異常な光景だった。

 つい先程まで本気で殺し合っていた同士が、片方が愚痴を吐き、片方がそれを受け止め相槌を打っていく。

 藍は拳を握りしめて力説し、シオンはニコニコと笑っている。

 ……ちなみに、藍を拘束していた鎖はとっくの昔に解かれているのだが――藍に気付く様子は無かった。

 「ええ。ええそうなのです! 特に私は妖怪なので、妖怪側の視点で見る事はできても人間側の視点で見るのは難しいので……どうしても問題が出てしまいます。幸いここの人達は優しいので何とかなっていますが、それに甘えてもいられまんし」

 「確かに。人の心程複雑怪奇なモノは早々無いし。今は優しいからずっと優しくしてくれる、なんて考えは甘えだ。それを考えれば向上心を持つのは素晴らしい事だと思うけど――この幻想郷で最も弱い人間(最  弱)の側に立った事が無い藍には難しいと思うよ」

 「そう……ですか」

 「ああ。そうするくらいなら誰か別の奴を雇った方が良い。目には目を。歯には歯を。毒には毒を。そして人間には人間を――ってね。まぁアテがあるのかどうかは知らないけど」

 「現時点ではありませんね。ハァ……また心労が溜まります」

 ガックリと項垂れる藍。心なし尻尾も萎びているような気がする。と、ここでシオンの頭上にピコンッ! と何かが灯った。

 「――それじゃ、リラックスさせてあげるよ」

 「へ? ――きゃぁ!?」

 ヌメリ、とした感触が藍を襲う。時々ピタピタと何かが触れて――と、ここまで考えて、()()が何なのか、悟った。

 「まさか、()()()()――ひゃう!?」

 「にゃはは、綺麗な耳だね。ゴミなんて全然付いてない」

 耳の裏側から擽って焦らす。そうしながら唇を使ってハムハムと甘噛みする。

 「んー、藍は浅いところより奥の方……の、一歩手前辺り、か? 変な場所で敏感だね」

 「へ、変な事を言わないでくれますか! セクハラで訴えますよッ?」

 「その程度で止まるとでも思っているのか? ハッ、甘い! このクセになるような感覚を手放せるものか!」

 「何でそんなところで妙な執着心を……! ひぅ!? ァ、ちょ――そこは! ん、ンンァ」

 遂に耳の奥に舌が侵入してくる。舌のザラザラした部分がペロリと筋を舐め上げ、藍の背筋をゾクリと震わせる。

 だがそれは恐怖故の、悪寒から来る震えではなく――コレは――快、感……?

 「お、おかしいですよ! 耳で、なんて……!」

 「別におかしくはないんだけどね? やろうと思えばどこでも気持ち良くなれるから、ね」

 藍を弄ぶシオンと、シオンに翻弄される藍。その光景は、まるでペットにじゃれつく子供のようだ。

 ――殺せ。

 ――このまま首を捻り折れ。そうすれば一瞬で死ねる。

 ――相手は脱力してるんだから抵抗も無い。それとも少しずつ高度を落とすか? 助かったと思った従者を目の前で殺されれば、紫はきっと――。

 藍は気付かない。いや、気付けない。シオンが藍に当てているのは『手首から肘まで』で、決して『手首から先』で触れようとしないのを。

 触れてしまえば、気付かれるから。ギリギリという音が響きそうなほど手首に力が入り、指先は食い破りそうなほどに掌を抉っている。

 ほんの少しでも均衡が破れれば、手首が壊れるか掌が血に塗れるか。その危うい状態で、シオンは耐えていた。

 ――藍を殺そうが誰にも文句は言わせない。言った奴から殺せばいい。

 ――権利? そんなモノ、必要ない。そんなモノ無くとも誰かを殺せる。

 ――理由? 紫の従者。それだけで十分だ。藍も俺を殺そうとした。お相子だ。

 ――だから、ここで殺しても――いやダメだ!

 シオンは『表面上』遊んでいるように見えるだけだ。マグマの如く激情は全く治まってはいない。治まる理由が無い。

 殺せ、と感情が叫ぶ。殺すな、と微かに残った理性が訴える。ゴチャゴチャとないまぜになった頭が痛い。気持ち悪い。

 このままではいずれ違和感に気付かれると判断したシオンは、更に藍を追いつめに掛かる。体に残る快感を逃がそうと、足とともにのたうつ尻尾の内一本に触り、撫でる。

 最初はかなりのソフトタッチ。だが何度か触れていくと、次第に藍が『気持ちいい』と思う場所をいくつか見つけた。念のために少しだけ強く押してみると、藍の反応がいきなりよくなった。

 シオンは一度耳から口を離して、手の動きを和らげる。

 「意外と反応イイね? ここまでイイ声で啼くとは思わなかったよ」

 「だ、誰がそんな事をしていると思って……!」

 「うん? 俺だね? でも少しは耐える努力をしてもいいと思うんだけど」

 「あ、ああ言えばこう言う――ッ」

 「あ、ごめーん。ちょっと『(ツボ)』を押しちゃった」

 テヘ、と笑うシオンに、しかし藍は反応を返す暇がない。唇を噛み締めて、辱めに耐えている。……耳と尻尾を弄られるのが辱めに該当するのなら、だが。

 と、そこでシオンは目の前に地面が迫っているのに気付いた。どうやら無意識の内に高度を下げていたらしい。横目で紫の居る方を見るが、ただひたすら鋭い眼でシオンを見ていた。どうやらこの『遊び』でも彼女の眼を誤魔化すのは無理らしい。

 藍の耳から口を離し、溜息を吐く――と、それがトドメになったらしい。藍の腰が砕けてへたりこんでしまった。背中から降りるついでに狐耳に付着していた涎を拭った。

 一度紫に背を向ける形になったが、紫は手を出さない。下手に手を出してしまえば、無防備な藍を――言ってしまえば、彼女は人質だ――殺される。だから、正しくは出せない。

 今度こそ降りたシオンは、意外な事に藍から離れて、藍と紫の、丁度中間辺りに移動した。ようやっとシオンの顔を確認できた霊夢。

 「――?」

 そこで霊夢は気付いた。

 ――何か――どこがとは言えないけど――おかしい?

 警戒心に満ちた紫。未だ呆然自失としている藍。戻ってきたが遠巻きに見ている里の人間。そのどれにも当てはまらない霊夢だけが、気付けた。

 「なあ、紫。一つ聞いても?」

 「その内容によるわね」

 「……そ。なら、できれば()えてほしい」

 一度聞こうとして、諦めた事を。今一度、聞く。

 「――俺は、元の世界に帰れるのか?」

 その問いに、紫は一度瞑目した。返答次第では、シオンは恐らくキレる。そうなったら、今度こそ止まらないだろう。

 だが――ここで嘘を吐いたとして。それが見抜かれたら、どうなる? それを考えると、やはり下手な答えは返せない。

 傍から見て数秒。だがその中で何度も自問自答し。

 「……帰れないわ。少なくとも、私の手では」

 「ああ――そう」

 恐らく、予期、していたのだろう。

 シオンは倒れ込むようにして胡坐をかいて座り込む。片手で頭が地面に倒れないように支えつつも、だが深い、深い息を吐く。

 「わかっては……いたよ。貴女の能力は『境界を操る』のであって、何の指針も無い場所に行くための力じゃない。――わかって、いた。それでも……!」

 ――実のところ。

 シオンが紫に向かって行ったのは、何も怒りによるものだけではない。恨みがあったし、憎んでもいた。だが根底にあったのは――『恐怖』だった。シオンを元の世界に返せる可能性があるのは紫だけ。その紫が『無理だ』と言えば、帰れる可能性は、〇に等しい。そしてシオンは、何よりそれを恐れた。

 だからこそ、殺そうとした。聞かなければ『真実(こたえ)』はわからないから。それでも一度聞こうとしたのは――

 「霊夢! シオンは見つけ――」

 その『先』の思考に行きつこうとした瞬間、慧音が現れた。しかしその足も、このよくわからない状況を見て止まった。

 さて、客観的にこの状況を表現しよう。まず藍は何かあったかのように荒い息を吐きつつも恍惚としていて、シオンは落ち込み過ぎているかのように憂鬱そうだ。紫は今までにないくらい鋭い眼でシオンを見ていて、霊夢は何かを考え込んでいるかのよう。

 はっきり言おう。――カオスだ。

 そこで慧音は混沌とした雰囲気の中で唯一足りないモノを察した。察して――シオンの元へと駆けより、肩を掴んだ。

 「シオン、今すぐこの場から去るぞ」

 反応は無い。慧音は眉を顰めると、霊夢を手招きした。

 「どうしたのよ、慧音」

 「霊夢、質問は後にしてくれ。一刻も早くこの場から()()()必要がある」

 「は? 隠れ――質問は後、だったわね。いいわ。ほらシオン、速く顔を上げなさい! ……シオン?」

 耳元で叫んでも反応が無い。霊夢は一瞬悩むと、シオンの前髪をグイッ、と掴んで持ち上げた。視界の端で慌てている慧音が見えたが、恐らく無意味だろう。

 果たしてそこに、眼の焦点が合っていないシオンがいた。

 「やっぱり――この様子じゃ叩いても無駄ね。慧音、引き摺ってでも連れて行くわよ」

 「あ、ああ……」

 あまりの対応に、頼んだ慧音の方が腰が引けている。コレでいいのだろうか……? と思いつつも、シオンの体を抱き起こす。が、予想外の軽さにたたらを踏んでしまった。

 何度か歩き、支障無しと判断すると、霊夢に頷き返して二人は走り出す。

 その背を、ようやっと元の世界に戻ってきた藍が見つめていた。しばらくして立ち上がると、既に去ったシオンらには目もくれずに紫の――主の元へと歩き出す。そして目の前に立つ寸前、藍は片足を地につけ、平伏した。

 「申し訳、ありません。紫様」

 「それは何に対しての謝罪? 負けたこと? 無様を晒したこと? それとも――シオンに、()()()()()()()()?」

 「気付いておられたのですか!?」

 「気付いたのは今さっきよ。あなたらしからぬ戦い方を見て。そして最初の反応と照らし合わせて理解したわ」

 そもそも藍の戦い方は、その並外れた並列思考を用いての弾幕戦。決して九つの尾を使った接近戦をしないとは言わないが、主流は前者。だがそれだけなら違和感を覚えなかっただろう。しかし相手がシオンで、尚且つ尻尾『だけ』しか使わなかったのが、紫に気付かせた訳。

 「――あなたは一度も弾を撃たなかった。誘導としての一発すらも」

 里の被害を気にしていた、というだけなら一度も撃たない理由にはならない。アレだけの、しかも滅茶苦茶に衝撃波を出していたシオンでさえ、全体から見れば十分の一すら里に落ちてはいないのだ。

 「……紫様の考えは正解です。付随すれば、嫉妬と同時に見下していた、というところもあります。戦闘時に気付けたことではありますが」

 「見下す?」

 「はい。正直に申し上げますと、私は『あの』三年間、ひたすらに彼を追い求め続けた紫様に疑念を抱き続けました。『そんな事をしても意味があるのか』……と。見つからない人間を延々と探し続けて、そして見つけてしまった。それに嫉妬した」

 そこまでは、紫の想像通り。

 「ですが私はそこで、一つの結論を出しました。『私が呼ばれた人間に劣るはずが無い』と。それがいつの間にか『彼は私よりも下の存在だ』と見下すようになっていたのです。その結果、『相手の土俵に立って、その上で勝てる』と思い込み、得意の弾幕戦をしようとはしなかった。……コレが全てです」

 最後、藍が心の中で紫に謝ったのは、それに気付いたから。気付いて、そんな自分に失望したのだ。――いつから私はそんな事を言える存在になった、と。

 助かった身の上ではあるが、正直生き恥を晒した気分だ。あのまま殺されていた方が……などと考えるのは筋違いだし、何より紫を置いて逝くことなどできはしない。コレも一つの教訓だと割り切るしかないだろう。

 「――ねぇ、藍」

 「何でしょう」

 「誰にも話さないと、約束できる?」

 何故そんな事を聞くのだろうか、と思ったが、紫の眼を見て考え直す。

 聞くのか、ではない。逆だ。()()()()()()()()()()()()()()()なのだ。

 「聞かれるまでも、ありません」

 「……ついてきて。ここで話せる話では無いわ」

 紫は背を向けると、能力を使い境界を歪ませる。開いた場所から見えるのは、自分達の住む家の居間。そこに二人は入って行く。

 後に残されたのは、未だ動かぬ里の人間だけだった。

 

 

 

 

 

 どこから取り出したのか、移動してすぐに紫はお茶の入った湯呑を取り出した。藍はそれを受け取り飲むが、どこか味が劣っていた。

 「……藍、この事を話しても、失望しないでちょうだいね」

 「え?」

 「――私は、シオンを殺すつもりでこの世界に連れて来たのよ」

 「ぇ……は、紫様!?」

 未だ残っていた湯呑を倒しながら、藍は立ちあがる。茶でテーブルが濡れいるのも気にせず藍は身を乗り出し――紫の眼を見て、冷静さを取り戻した。

 その、悔いに塗れた瞳を。

 「幻想郷が変わってから、色々な事があった。それも一つの幻想郷の形。あったかもしれない可能性。そう受け入れていたけれど……でもやっぱり、『違う』と感じてしまう」

 幻想郷は、紫にとって家であり、庭であり、玩具であり――そして全てだ。

 「それが何者かの手によって作り変えられた。違う。こうじゃない」

 ――私の幻想郷は、()()()()()じゃない――!

 「そして、手がかりを見つけた」

 あの、黒衣を纏った少年を。

 「アレが何なのか、最早どうでもよかった。能力を把握してからの説明も、言ってしまえば言い訳よ。だってあの時私は、こう思ったのだもの」

 ――あの人間を殺せば、元に戻るのではないか?

 「でも私達の手では殺せないのは事実。だから外部に協力を求めた」

 それがシオン。

 「適度に強く。私達に刃向かえないくらいの。でもあの人間に勝てる程度の強さ。そしてもしシオンがあの少年を殺したら」

 紫がシオンを殺しただろう。あるべき『幻想郷』に戻すために。

 「私は彼を『駒』としか見ていない。彼はそれを拒絶した。だから私を殺そうとした」

 盤上を操る『神の見えざる手』とも呼ぶべき存在を殺して、迫る『死に手』を回避しようとした。結局は殺さなかったが、それも運でしかない。

 「今は愚かだとわかっているから説教はいらないわ。正直に話して、誠意を籠めて頭を下げてお願いすれば、彼は多分、受けてくれたのに、ね」

 既に冷めつつある茶を揺らして、紫は笑った。

 

 

 

 

 

 「あがってくれ。まぁ大勢が住めるような作りにはなってないから、教室なのは勘弁してもらいたいが」

 「別にいいわよ。今は休めるところが重要なんだし」

 「確かにな。この恰好を見られるのもマズい。一時的にでも人目を避けられるなら、文句は言わないさ」

 寺小屋に着いた三人は、慧音がまず鍵を外し、霊夢が教室の机と椅子をいくつかどかし、最後にシオンを背負っていた、途中で合流した妹紅が入る。

 「よい、しょと」

 「ごめんなさいね。背負わせてしまって」

 「いや、大丈夫だ。シオンは身長の割に軽いし。負担にはならないよ」

 「そんな事より事情説明。わかってるんでしょ?」

 その言葉と共に、三人の視線がシオンの元へ向かう。

 「今のシオンは――下手をすれば()()()()




意外と尺が長くなったので今回はここで途切れます。本当ならシオンが紫を殺さなかった理由とか、藍をモフった理由とか、色々あったんですけどね。

次回は『殺さなかった理由』をテーマにしております。シオンの心境の変化、上手く書けるといいのですが。

最後とか言いつつ。誤字脱字指摘、感想お待ちしております。


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『心』のあやふやさ

 「入れ」

 「……わーったよ」

 シオンが紫を殺そうとする、少し前のお話。

 魔理沙は自身の親に連れられて、生家へと戻ってきていた。ここに来るのも一体何年ぶりなのだろうかと思うと、苦い笑いが出てくる。

 玄関をくぐってすぐに周りを見るが、母がいる感じはしない。出かけている、のだろうか。あるいは庭弄りか何かか。流石『あの』魔理沙の母、というべきか、多趣味――というより、かなり移り気のある人だった。正直、何故母が今でも親父一筋なのか、魔理沙にはわからなかった。

 父は靴を脱いで家へあがると、一度どこかに消えた。自分の部屋に行っていろとは残して行ったので、恐らく茶か何かでも用意しに行ったのだろう。

 「ったく、名前通りに厳しい親父だよ」

 魔理沙の父の名前は霧雨(いつき)。近所の人達から総じて『厳しい人』だと言われる程の人間だ。それは数年経っても変わらないらしい。

 「ここで突っ立ってても変わんねぇか」

 一度息を吐くと、魔理沙は家に入る。

 「……ただいま」

 この言葉を言うのも、一体何年振りか。厳の部屋に行く途中でそんな事を思ったが、詮無いことだった。

 「飲め」

 そんな言葉と共に差し出されたのは、予想した通りのお茶だった。ただし、湯気が出ている、という注釈が付くが。

 魔理沙は厳を睨みつける。ガッシリとした大きな体、名前通りに厳しい顔。野獣、とまでは言わないが、初対面で臆病な子供が厳を見たら泣き出しそうな貫録を持っていた。

 「こんな暑い日に熱いお茶とか……」

 「暑い暑いと愚図るから暑くなる。気をしっかり持て」

 「へーへー」

 口ではボヤきつつ、魔理沙はお茶を含む。この暑さのせいで喉が渇いていたのも事実。欲を言えば冷たい方がよかったが、意味は無いだろう。

 正直魔理沙のお茶の方が上手いな、などと失礼な事を考えている間に、厳は姿勢を正し、魔理沙を見ていた。

 「まだ魔法使いになる事を諦めていないのか」

 「――――――――――」

 不意打ちだった。顔が歪むのを止められない。

 「……そうか」

 それだけで十分だったのだろう。厳は眼を閉ざすと、もう一度茶を飲んだ。その態度が、気に入らない。

 「んだよ。言いたいことがあるならはっきり言えよ! いつもいつも頭ごなしに『魔法使いになるのは諦めろ』ってさ。他に言える事は無いのかよ!」

 八つ当たりなのはわかっていた。わかっていても、口が止まらない。

 「理由があるなら言ってくれよ!」

 その叫びを聞いてもなお、厳は泰然としたまま。魔理沙としても『母に会う』という名目でここまで付き合っていたが、我慢の限界がきそうだ。

 怒りか、あるいは他の何かか。震える魔理沙に、厳は珍しく迷った様子を見せた。

 「……話した方が良いか、何度も迷ったが。お前の気持ちはよくわかった」

 「いきなり、なんだよ。なにか、話してくれる気にでもなったのか?」

 「ああ」

 冗談で言った言葉を真面目に返されて、魔理沙は言葉を失った。その間に厳はどこから取り出したのか、電極と――計測器、のような何かを取り出した。

 「それ、なんなんだよ」

 「魔力計測用の機材、と言えばお前にはわかりやすいか? 簡易な物だから正確な値はわからないが、それでも大雑把には把握できる――らしい。友人の受け売りだがな」

 ――待ってくれ。

 一瞬、喉までその言葉が出かかった。何故だか嫌な予感しかしない。聞きたくないと体が叫び始めている。

 「お前が魔法使いになりたいと言い出したのは、確か四つの頃だったか。私はその時友人に頼んでコレを作ってもらった。そして――寝ているお前に、使った」

 まるでコソ泥のようだ。厳も自覚しているのだろう。自己嫌悪に塗れた顔をしていた。それでも使わなければならなかった理由は、何故だ。

 ツツー……と汗が頬を伝う。もう気付いた。だが即座に違うと否定する。もし本当なら、自分は今まで――。

 「結果は、コレだ」

 指し示す針は、何かの目印の四分の三辺りを示していた。目印が何を表すのか、もう魔理沙にはわかってしまう。

 「一度私や、頼み込んで母さんにも使ってもらった。私はこの半分すら無く、母さんはお前の半分より少し多い――といったところだ。それを考えれば、お前は恵まれているのだろう」

 ――ああ。やめてくれ。

 「実際ある程度までの魔法なら使えるとお墨付きも貰ったよ。それがよかったのかどうか、私にはわからないが」

 ――そんな言葉をかけないで。まるで慰めているかのような、そんな言葉を。

 「それでもお前は――魔法使いには、なれない」

 「嘘だ! そんなの親父が、私が魔法使いにならないための方便だ! そうに決まってる! そうじゃなきゃ――」

 ――私が今までやって来た事は、全部独り善がりの、最低な……。

 これ以上、魔理沙は叫べなかった。みっともない八つ当たりだと理解していたし、何より()()()()()()()()()()()()()()()父を責められるほど、魔理沙は子供じゃなかった。

 今まで厳がただ『諦めろ』としか言わなかったのは、それを教えないため。もしも魔理沙が大人しく言う事を聞いていれば、『親父のせい』という免罪符を与えられた。『魔力が足りない』という、魔法使いにとって致命的な事実を知らずに済んだ。それでも厳は、娘を傷つけないための道を選んだ。……一生娘から恨まれるという、代償の末に。

 かつての母の言葉が思い出される。確か自分は、こう聞いたはずだ。

 『ねぇねぇ。どうしてお母さんはお父さんと結婚したの?』

 『え? そうね……確かにあの人は無口で、無愛想で、何を考えているのか全然わからない人だけれど』

 ――誰よりも私達を愛してくれているのよ。

 その顔が娘に向けられるものと少し違う事に、幼いながら魔理沙は気付いていた。だから、少し嫉妬していた部分もあるだろう。その一年後くらいに告げられた言葉を切っ掛けに、魔理沙は家を飛び出した。

 そして独り暮らしを始めて――いや待て。

 (おかしくないか? 何で私は、今の今まで()()()暮らせていた?)

 物を盗む事すら無く、当たり前のように生活できていた。あの霊夢でさえ、日々の暮らしに困窮していたくらいなのに。

 母からさり気なく生活費を貰っていたが、自分はそれ以上にお金を使っていたはずだ。薬や本の類にかかったお金の総額は、考える必要すら無い。

 同時に思い出す。一ヶ月に何度か、という頻度ではあったが、霊夢や紫、藍が魔理沙の家に訪れていた事を。

 霊夢はともかくとして、幻想郷の管理者であるあの二人が、わざわざ何度も小娘一人に会いに来るなどありえない。必ず誰かの差し金だったはずだ。だが相手は幻想郷の管理者。頼むにしても相応の発言力がいる。里からの信頼厚い人間にしか。そしてそんな事ができる相手など、魔理沙には一人しか心当たりが無い。

 よく『厳しい人だ』と言われる厳は、同時に『この人なら信頼できる』とも言われていた。その厳なら、紫や藍にも。

 ギリッ、と歯を噛み締め拳を握りしめる。俯き震える体は怒りに包まれているそれと同じ。だから厳は、魔理沙が涙を堪えているのだと気付かなかった。

 だがそんな暇すら二人には与えられない。突如としてあがった悲鳴。それは二人が即座に行動をするのに十分なモノだった。

 「何があった!?」

 外に面する襖を開け、厳が叫ぶ。

 「厳かッ。今すぐ最低限の荷物を持って逃げた方が良い。あるいは絶対にその場から動くな。そうすれば安全だ!」

 返答はすぐにあった。白髪の髪を揺らし、人を落ち着かせ、誘導できるだけの『上に立つ』人間独特の貫録を持った少女。藤原妹紅。里内でも良く知られるボディガード。

 その妹紅は、上空を睨みつけながら冷や汗を流している。

 「()()()の射程範囲は、多分力が切れない限りは無限だ。下手に集まるより散らばっている方がまだ被害は少ない――と、思う」

 確証は無いのだろう。その言葉は酷くあやふやだ。だが魔理沙は、妹紅の言う『アイツ』とやらが誰なのか、気になった。

 それを考える間すら無く、妹紅は顔を歪めた。

 「――ッチ!」

 妹紅は里の人間を押すと、その掌から炎を噴出させる。咄嗟に出した炎は、それでも人間一人くらいなら焼け死ぬ程の質量。

 ――それすら無意味だった。

 上空から飛んで来た剣閃は炎を消し去り、そのまま射線上にいた妹紅の突き出されていた腕を吹き飛ばした。

 血が噴出する。衝撃で妹紅が吹き飛ぶのが見えた。そしてその血飛沫を間に当たりにする――その寸前で厳が魔理沙の前に体を挟み、襖を閉めた。決定的な場面は見ずに済んだが、それでも魔理沙にショックを与えるには十二分すぎた。

 魔理沙は今まであんな大怪我をした事が無ければ見た事も無い。骨を折った事くらいならある。だが腕を吹き飛ばされた事などある訳が無い。

 ハァ―、ハァ―、と息が荒らぐ。最悪な気分だった。

 「……アレを見ても、まだ魔法使いになりたいと思うか?」

 「ッ」

 魔理沙は、厳の本音を垣間見た気がした。もし魔理沙が魔法使いになれば、いつかあんな大怪我を負う事件に巻き込まれるかもしれない。里に居ても今回のような出来事が起こるだろうが、渦中にいられる事はまずないし、そもそも事件が起こる可能性が低い。

 つまり厳の本音は――魔理沙が大怪我を負わないか、死んでしまわないかと、恐れて、いる?

 それを理解して、魔理沙は、

 「――ああ。絶対になってやる」

 ――それでも己を曲げなかった。

 「昔決めて、今まで努力してきた。確かに将来私は大怪我を負うかもしれない。道半ばで死んじまうかもしれない。それでも『その程度』の事に恐怖して、足踏みして、諦める方が――私はずっとずっと、嫌だ」

 大きな親父の体を見据えて、本音を言う。大きな声はいらない。ただ相手の眼を見て言う。それだけで伝わる。

 ――何故だろう。アレだけ嫌っていた親父を、今は嫌いにはなれない。

 そんな胸中を抱いている魔理沙を見、厳は眼を閉じる。

 「……そうか」

 伝わったのか。伝わってないのか。魔理沙が不安に思う中、温かな声が聞こえてきた。

 「あらあら、久しぶりね魔理沙」

 「か、母さん……」

 襖を開けたそこに立っているのは、魔理沙を大人にして、静謐な雰囲気を加えたような女性だった。何時もとは趣の違う笑みを浮かべるその感情は、読めない。

 「理沙」

 「私は反対しませんよ? 魔理沙の頑固さはあなた譲りでしょうし。娘の好きにさせてあげたいとあの時も言いました。これ以上付け加える事はありません」

 「聞く必要は無かったか」

 わかっていたでしょうに、と笑う理沙に、厳は肩を竦めた。両親のいきなりのやり取りに戸惑う魔理沙を余所に、厳はこの部屋には似つかぬ箒と、八卦炉をかなり小さくしたようなものを持って来た。

 「……コレは?」

 「霖之助から預かっていたモノだ。渡そうと思えばお前が飛びだした時点で渡せたそうだが、私が止めさせた。箒はともかく八卦炉は危険過ぎるからな。……つい最近、両方ともに改善したみたいだがな」

 受け取ると、両方とも手にズシンと来る重さだった。

 「何でも霖之助は河童の友人――の、更に友人から教わった事らしいが。曰く『力が足りないなら他から持ってくればいいんじゃないか』だそうだ。それを利用して、箒は空を飛ぶ時に必要な魔力の大部分を空気中から集める。八卦炉は普通に使えば威力の底上げと消費魔力の減少。周囲に魔力が散布されていれば更に威力を跳ね上げる事ができる……らしい」

 胡散臭い話だ、と顔に書いてある厳を見て、だが魔理沙は気付く。箒と八卦炉に書き込まれた、複雑怪奇な魔法陣を。コレが魔力の吸収と利用ができるようにしているのだろう。

 「で、でも親父。どうしてこれを、私に?」

 「……私だって、本当ならお前の夢を否定したくは無かった。だがお前の安全と、本当になれるのかという現実を天秤にかけた結果がああだった。それでもお前は、なると決めたのだろう? 私がとやかく言ったところで、お前が止まる訳が無い」

 ――お前は私の、娘なのだからな。

 「――――――――――ッ」

 不意打ち過ぎだ。そんな文句すら言えない。

 ――どうして母が親父一筋なのか、今までずっとわからなかった。

 無口で、無愛想で、何を考えているのかなんてわからなくって。自分の夢を否定し続ける頑固なクソ親父だと愚痴を言い続けて。なのに本当は、ずっと心配し続けてくれて。

 コレが親か、と思う。

 (勝てっこ、ねぇよなぁ……)

 不意に、魔理沙の頭が撫でられる。帽子は部屋に入った時点で取っているため、剥き出しの頭を直接撫でられた。グシャグシャに掻き混ぜられる髪。だが久しぶりに感じるこの無骨な手の感触を前に、魔理沙は動けなかった。

 「やるからにはやり切れ。……頑張るんだぞ、魔理沙」

 父親の微笑を、魔理沙はどこかで見たような気がした。

 後に魔理沙はその事を母に聞いた。返答は、このようなものだった。

 『あの人の笑顔? ……そうね。あなたはあまり見た事が無かったわね。あの人は何度も笑顔を浮かべているのだけれど』

 魔理沙が生まれた日。魔理沙が初めて『パパ』と呼んでくれた日。二本の足で立てるようになった日。他にも色々ある。だが、総じてその意味するところは。

 『――本当に嬉しい事があった時に、あの人は笑うの』

 それを知っているからこそ、理沙は厳が好きなのだ。妻と娘以外の前で笑顔になる事などまず無いと、わかっているから。

 『魔理沙が大好き』という意味を悟り、顔を真っ赤にして悶える魔理沙が見れるのは、数年後の話――。

 

 

 

 

 

 「――殺される? 何故だ。シオンの力量ならそう簡単にはやられないだろう」

 即座に問い返したのは、妹紅。彼女は一度シオンの攻撃を受け止めた事がある。不老不死である自分だからこそ気にも留めなかったが、そうでなければやばかったと思うほどに。シオンの攻撃を受け止める手段を妹紅は持たない。だからこそ、一度頭を吹き飛ばされた瞬間に逃げられれば殺すのはまず無理。そう考えていた。

 「この里のシステムは知っているわよね?」

 「当然だろう。私も一応、そのシステムの一部のようなものだしな」

 この里のシステムとは、即ち幻想郷に今でも存在できている術。如何に紫がこの里に手を出すなと言われても、妖怪の性がそれを認めない。一部の妖怪は紫の忠告を無視して襲ってくるときがあるのだ。そのため里の内部に、常に複数低位の妖怪であれば一撃で打破できる程度の力量を持った人物を置いている。

 無論里の外へ薬草を取りに行く時もある。そうしたとき、稀に『危ない』感じを纏った妖怪を見つける時がある。そういった場合は紫に相談してあらかじめ退治してもらっているのだ。退治する前に一応情報収集し、白か黒のどちらなのか判別はしているが、大抵は黒だ。

 そして現在のシオンであるが。まず『里の内部で暴走』した。これだけで一定の不信感が出てくる。加えて『死者を出しかねた』こと。今回は運良く誰も死ななかったが、それがいつまでも続くとは限らない。もし『次』暴走したら、今度こそ……と、里の誰もが思うはず。

 「だからそうなる前に、里の人達に談判された紫はシオンを殺すために動く――と思う」

 「それはないよ」

 「――え?」

 霊夢が振り返ると同時、何故か拳を振り上げ――轟音と共に自分の頭にぶつけているシオンの姿があった。

 「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」

 流石に頭をぶん殴れば痛いのか、頭を抱えて震えるシオン。あまりの奇行に、一体何をやっているのか、という声すら出てこなかった。

 「……な、何やっているのよ?」

 「き、気付け……」

 ――数分後、ようやっと聞けたことの返答はそれだった。気付けにしてはちょっとやりすぎだろうと思わなくもないが、言っても無意味だろう。

 「と、とにかく。紫が俺を殺すことは絶対に無い」

 「なんでそう言い切れるのよ? 自分を殺しかけた相手を生かす理由は無いでしょう」

 「確かに……君が紫にとって『脅威にならない』と判断されたのなら別だろうが……あの反応からして、まずありえないだろう」

 霊夢の反論に、慧音も便乗してか口を挿む。が、それでも無意味だった。

 「戦闘が終わった直後ならともかく、今の紫は気付いただろう。――俺は紫を殺せない。絶対にだ」

 一方、紫は藍に説明をしていた。

 「――シオンは私を殺さない。いいえ、殺せないのよ。胸の内にどんな感情を秘めていても」

 「それは……いえ、説明になっていません。そう言い切れる理由は?」

 「もし俺が何の感慨も抱いていないなら、あのまま藍と、紫を殺していた」

 「でも彼はそうしなかった。何故なら『殺せない訳』があったから」

 「俺がこの世界に来た当初なら、問答無用で殺していた。殺さない理由が無いから」

 「にも関わらず、殺せなかった。そして彼は物に頓着する人間とは思えない。なら残る選択肢は限られている。それは『彼にとって大切な誰か』ができたから。少なくとも、彼がそう思えるくらいの存在ができたはず」

 「太陽の畑の幽香――は、どこに居ても気にしないか。妖怪の山に住む河童のにとり、天狗の文と厄神の雛。永遠亭で生きている師匠、アリス、輝夜、鈴仙、てゐ。紅魔館の、レミリア、咲耶、美鈴、パチュリー、小悪魔、そして――フラン。彼女達は幻想郷で生きている。だから、紫を殺せないんだ」

 「彼は私の能力を知っていた。なら私が、この世界の『管理者』あるいは『神』とでも呼ぶべき立ち位置にいると知っているはず」

 「紫の能力で保たれている以上、彼女を殺せばこの世界は消える。そうすれば、フラン達に大規模な悪影響を与えるだろう。そうなるのを、俺は許せなかった。……そのおかげで、紫に確信を与えたわけだけど」

 「とはいえこれは私の予想。だったのだけれど――シオンが藍を殺さなかったことで、疑念が確信に変わった。シオンは絶対に私達を殺せないと」

 「紫を殺せない。だけどそれは、イコール藍を殺さない理由にはならない。藍はこの世界を作った訳じゃない。殺したところでこの世界は消えない。でも」

 『――藍はこの世界の実務を取り仕切っている存在』

 「あなたが死ねば、この世界の大半は停滞する。そうなれば数年以内に、この世界は()()()()崩壊する」

 「それじゃ紫を殺した結果となんら変わりない。意味が無いんだ」

 「だから私は彼を殺さない。言ってしまえば彼は、自ら弱点を吐露しているのだから」

 「俺は人質を取られているようなものだ。しかも一々眼を付ける必要は無い。だって、俺が自分で自分を縛っているだけなんだから」

 「私達は今まで通りに生活していればいい。それだけで全てが終わって行くわ」

 ふぅ、と、期せずしてシオンと紫の吐息は重なった。

 「……少なくとも、紫は俺をこの世界に呼んだ理由を達成させるまでは、俺を殺す気は無いだろう。本末転倒だからな。逆を言えば、終わってしまえば――」

 「その先は彼次第。変わるのなら受け入れる。それが『幻想郷』だから。でも、もし変わらなければ――」

 ――殺すわ(殺される)

 「大体そんなところだ。何か質問は?」

 「……いえ……」

 それ以外、何も言えなかった。たったアレだけの、傍から見れば戦闘しかしていないように見えたやり取りに、そんな意図が含まれていたなんて想像もしていなかった。慧音と妹紅も、横で唖然としている。

 「さて、と」

 「どうしたのよ?」

 突然シオンが体勢を直し、霊夢に向き直る。

 足を曲げて両足を揃える。両拳は軽く握って膝の上に。背筋はピンと伸ばす。そしてその体勢となったシオンは――頭を下げた。

 「どうか、俺を里の外にある住居に住まわせてほしい」

 ……土下座、していた。シオンが。

 「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! なんでいきなりそうなる訳!? 理由を説明しなさい、理由を!」

 「……わかった」

 渋々、と言った様子でシオンは頭を上げる。そして少し躊躇した後、どこか頼りなさ気に言い始める。

 「俺は里でやりすぎた。俺の姿を見た人は何人もいただろう。その人達からすれば、俺がのうのうと里の内部を歩く姿は恐怖にしかならない。『いつまた暴走するのか――』そんな思いを内側に抱えられてちゃ、どんな事をしてもマイナスイメージに傾くだけだ」

 その言葉に最も共感できたのは、慧音と、妹紅だった。

 「……わからなくも、ない。私も最初は半妖だから、と恐れられていた。数十年単位努力し続けて、やっと認められたんだ。里の人達に。今思えば、里の中からでは無く、外から少しずつ説得していけばよかったのではないかと思っているよ」

 「私は、幻想郷ができる前から恐れられていた。年を取らず、怪我を負ってもすぐに治る。常人からしてみれば化け物みたいな存在。一度でも噂になれば終わりだから、一ヵ所には留まれない。それをどうにかするには、離れるのが一番だった」

 つまり、三人はこう言っているのだ。

 ――冷却期間を挟んだ方が良い、と。

 そうしなければ、シオンがどれだけ努力しても良い方向には向きにくい。それ故の、シオンの土下座だった。わざわざ里の案内まで買ってくれたのに、それを足蹴にした挙句別の提案をしている事への。

 ハァ、と霊夢は溜息を吐いた。何度か熟考したが、コレしかない。だからこそ、少し気分が悪くなってしまう。

 「仕方ないわね……うちに来なさい」

 「な、何を言ってるんだ霊夢。男女七歳にして同衾せず。常識だぞ?」

 「いくらなんでもそれは古いと思うんだけど。……ちゃんと理由はあるから」

 ピン、と霊夢は人差し指を立てる。

 「一つ、慧音は里に住んでいるから論外。一つ、妹紅は迷いの竹林に家がある。でも迷いの竹林から出てきたシオンからすれば、余り歓迎できる話では無いでしょう」

 とはいえ、それしか選択肢が無ければ、シオンは文句ひとつ言わずに従うだろうが。

 「対して私の住んでいる神社は適度に里から離れているし、何より紫達とのコンタクトが強い。里の人達も『博麗神社なら……』と納得してくれる可能性が高いわ。そうなれば後はこっちの物。少しずつシオンのマイナスイメージを払拭すればいい」

 反論は? と言ったが、慧音は無理だし、妹紅としても異論は無い。シオンは元々口出しできる立場ではない。

 「なら決まり。ただし! シオンには居候させる代わりに生活費を提供してもらうわよ」

 「それは当然だ。……と、言いたいが、俺はこの世界の通貨を持っていない。どうすればいいんだ?」

 長期滞在したのは紅魔館、永遠亭の二つだが、どちらもシオンに金を要求する事は無かった。そのためシオンは金を持たずとも平気でいられた。だが、居候として生活費を払うとなると、どこかで稼がなければならない。かといってシオンにそんなアテは無い。

 そう思い悩んでいると、

 「……それなら、うちで働くか?」

 慧音が、そんな言葉をかけてくれた。

 「慧音、それは少し無茶なんじゃないか? そもそもシオンは誰かに教えるのを得意としているのかもわからないんだ」

 「それはそれで構わないわよ。最低限、子供達の安全を守ってくれれば」

 「ああ、なるほど。用心棒的な意味でか。それならいいさ」

 「――話が見えないんだが」

 「すまない。……私が寺小屋で子供達の先生をやっているのは既に話しているな?」

 コクリと頷く。慧音が先生をやっているからこそ、今ここにいられるのだ。

 「だが里の子供達全員に教えられているかと言うと、嘘になる。時間が限られているし、私の身は一つしかない。無理なんだよ。全員に教えるのは」

 他にも授業料を払えない程貧困している人達もいるが、それは言わない方が良いだろう。

 「もし、もし仮にシオンが先生となれるなら、教えられる子供達の数も増える。どちらにとっても損は無い。ただ、君が生徒達に勉強を教えられるかどうかが問題だが」

 「一応師匠――永琳に色々教わってるけど、一部は習ってない。歴史とか、そういったモノを」

 「なら教材を渡そう。すぐに覚え――られないか」

 「大丈夫だ。完全記憶能力があるから一度見れば覚えられる。後はどこまで『深く』理解できるかが問題だが、それは一度慧音に確認してもらえばいいだろう」

 「そんな便利な力があるのか。よし、わかった。何日後に来れる?」

 「……明後日、で頼めるか? 今日は疲れた。明日一杯で覚えて来るよ」

 確かに、明日来いと言われても無茶だろう。慧音は頷いた。そしてシオンは妹紅に向き直ると、再度頭を下げた。

 「それと、すまない妹紅。その腕……俺のせいだろう?」

 「え? ああ、いや――特に問題は無いさ。服は修復できる。気にしないでくれ」

 シオンが気付けたのは、妹紅の腕が片方剥き出しになっていて、切れ端部分に血が付着しているのと、そこから微かに感じる力の残滓からだ。

 妹紅は頬を掻きながら返答するが、初対面の時に感じた印象が少し変わったような気がした。

 (正直、不気味だったんだよな)

 まるで石ころでも見るような感覚。相手にそうと悟らせないように、かなり高度に偽装されていたが――妹紅は気付いた。シオンは初対面の人間を、それこそ道端にある石ころの如く『どうでもいい』と思っている事に。その後の対応次第で敵か、味方か、それとも単なる他人かを見定めている――ような、気がする。

 確証は無い。だから妹紅も、それ以上気にするのを止めた。

 「決まりね。それじゃ一度、解散しましょうか」

 その一言とともに、シオンの生活が決まった。

 

 

 

 

 

 もう陽も落ち夜となる時間。

 シオンは博麗神社の境内に座っていた。一応霊夢に神社の中を案内されて、今は使われていない部屋の一つを間借りする事になっている。共同で住むためいくつか規定を作る事になったのだが、それは明日に繰り上がった。

 思い返すのは、里の外へ出るまでの道中。里の者達から向けられる。恐怖と畏怖の視線。そして何より――化け物を見る眼。

 「あの眼で見られるのも、久しぶりだな……」

 いつもいつも同じ事の繰り返しだ。アリスも似たような悩みを抱えていたらしいが、自分だって負けていない。むしろアリスよりも酷いとさえ思う。

 そもそも鬼から逃れるために里に行こうとしていたのに、結局里の外にいる。本末転倒にも程があった。

 「――ん」

 と、そこで黄色い瞳と目が合った、ような気がした。しばらくそちらを見つめていると、恐る恐るといったように、真っ黒な猫が姿を現した。

 「猫……」

 「――じゃないわね。妖怪よ。猫又みたいだけど……大きさからしてまだ子供みたい」

 何時まで経っても戻ってこないシオンを呼び戻しにか、霊夢が後ろから歩いて来た。その手にはお札が握られている。

 「何をするつもりなんだ?」

 「見てわからない? 追い払うのよ。流石に子供を退治するつもりは無いわ」

 「必要無いよ」

 霊夢の雰囲気を察してか、ビクつき一歩後ろへ下がった猫又へ手を差し伸べるシオン。

 「大丈夫。怖くないよ。あなたを傷つける人はいない。だから安心して。ね?」

 その声は、誰に向けられるよりも優しかった。それこそ、フランよりも。

 最初は怯えていた猫も、変わらぬシオンの態度と雰囲気を察してか。少しずつ近寄って行くと、そのままシオンに飛び付いた。

 「うわ、と。危ないなぁ」

 しょうがない子だ、と苦笑を浮かべる。そのまま猫を胡坐をかいた足の間に下ろすと、頭や顎を撫で始める。とても楽しそうに――嬉しそうに。

 それを見た霊夢はお札を懐へ戻す。少なくともこの猫又には殺意が無ければ敵意すら無い。それならまだ何かする必要は無いだろう。そんな霊夢の心情を理解してか、さり気なく警戒していたシオンはそれを解いた。

 が、そのために、霊夢がいきなりシオンの背にもたれて来たのに気付くのが遅れた。

 「霊夢……?」

 霊夢は何も答えない。振り返ろうとしたが、霊夢の手の甲で押さえられた。そのまましばらくの時間が流れる。

 「()()()()()()()()

 唐突に、霊夢が呟く。

 「厳密に言えば少し違うのだけど、シオンはそれを利用して()()()()()()()したんでしょう?」

 「気付いてた――のか?」

 「今の光景を見て気付いたのよ」

 今更霊夢は気付いた。何故シオンが藍と戦っていたのか。

 それは――ストレスを無くすため。

 物に、人に当たれば、大なり小なり苛立ちは紛れる。それを利用して、シオンは自分の中にある感情の爆発を、やりすぎないように抑えた。それでも残った分を、藍に触れて心を癒し――そうして紫の言葉を聞き、現実を受け入れた。

 「シオン。あなた、本当はどうしようもない()()()()でしょ? 理由は知らないけど」

 「………………………………………………………」

 事実だ。シオンはどうしようもないくらいに『動物が大好き』である。永遠亭の初日、フラリと姿を消したシオンが行った場所は、てゐが呼び寄せていた()()()()のところ――そうしてしまうくらいに好きだ。

 どうしてそうなったのか、なんて。一つだけだった。

 「動物は――裏切らないから」

 霊夢の言葉が唐突なら、シオンの言葉もまた唐突だった。

 「人は裏切る。正確に言えば大人は。欲があるから醜く汚い。それに比べれば、子供と接している方が楽だ。言いたい事を言う分わかりやすい。腹に一物積もっている奴より万倍マシだ」

 『心』を持つから色々な事がある。それを理解している。だが、それよりも。そんなあやふやなモノよりも。

 「動物は裏切らない。こっちが真心を持って接すれば、一緒にいてもいいと許してくれる。隣を歩いてくれる。ずっと一緒――とはいかないけど、それだけで十分だ」

 猫又を撫でる手つきは柔らかだ。先程まで震え怯えていた猫又が、シオンの手に体を擦りつけてくるほど。

 「バカみたいな話だけど――俺の初めての友達は、動物なんだ。だから、大好き」

 シオンの位置から霊夢の顔が見えないように、霊夢もまたシオンの顔が見えない。だけど――笑っているのだと思う。誰よりも、優しく。

 「……あっそ」

 何故だかそれが、酷く羨ましく思えた。




書いてて思った。コレシオンより魔理沙の方が主人公っぽいと。

7/1 13:30追記
今回出てきた魔理沙の両親、厳と理沙ですが、原作では存在しているとは言われていても、名前も容姿も何一つ情報がございません。そのため完全に今作オリジナルのオリキャラとなるため、今後出てくる可能性は低くなります。

……要望があれば出すかもしれませんが。


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里へ行く前に

すみませんまだ完成していなんです!

リアルでテストなどのゴタゴタがあって、それらに時間取られてしまいました。実は先週の話もテスト一週間前の中で時間を見て書き上げたモノなのです。

ですが2週間更新になるのは避けたいため、こうして投稿時間稼ぐ(ための言い訳)ことをしているわけです。

多分@1時間かそこらあれば完成すると思いますので、見ようとして下さる方々、どうかご迷惑をおかけします。

作者が至らぬばかりに、すいません。

P.S更新ミスりました。定時すぎてすいません。

更にP.S 1:03現在更新完了です。1時間で5000文字は辛かった……。


 それから、ふたりの間に会話は無くなった。シオンはただ猫又の黒猫を撫で続け、霊夢はシオンと背中を合わせたまま下を向いている。

 沈黙。それが苦痛と感じないのは、一体何故なのか。本来なら厭うはずのそれを、今のシオンはこういうのもたまにはいいかもしれない、と思ってしまう。だがその思いすら、生理的な感覚によって消え去った。

 「霊夢、本当は俺を呼びに来たんじゃないか?」

 よくよく考えれば、今は夕食の時間だ。恐らく霊夢が来たのもそれが理由のはず。なのにこうして一緒に涼んでいるのはどうしてなのだろう。別にこうした雰囲気は嫌いじゃない。嫌いじゃないが……霊夢が付き合う理由にはならない。

 「そろそろ食事の準備をしようと思ったのよ。あんまり材料は無いけど、一応シオンの食べたい物でも聞こうと思って探してた」

 「その気遣いはありがたいけど、俺は今日、何かを食べる気力がない。悪いな」

 本来シオンは一食でも抜くと、その事情からかなり辛いことになる。シオンがその気になれば一度で数十人前食べられるのも、食べた端から消化していくからだ。それでも太らないのは、単純に新陳代謝が高すぎてエネルギーが消費されるのと、運動のしすぎ。

 ただ毎度毎度それだけ食べれば食費も凄まじいモノになる。そのため普段は能力を使って新陳代謝をできる極限まで下げ、ようやく『まとも』と呼べるレベルになっている、のだが。その違和感に体がおかしく感じているのか、はたまた新陳代謝が低いイコール栄養が足りていないとでも思っているのか、とにかく何でもいいから食べたくて食べたくて仕方がなくなる。

 それでも今日は、口に何かを入れたいとは思わなかった。

 「なら、私も今日は食べなくていいわ」

 「別に付き合う必要はないぞ? 成長期なんだ、食べたほうがいい」

 「あんたが言う? それ。……一食くらいなら大丈夫でしょ。ダメだったらそん時はそん時」

 「後で後悔しても知らんぞ。俺は忠告したからな」

 「自分の言葉くらいは責任持つわよ。だからもう少しだけ、黙って背もたれになってなさい」

 はいはい、と心の中で返事をしつつ、シオンは少し霊夢へと体重をかける。お互いがお互いの背にもたれるような状態になったが、天秤が釣り合っているのだろう、どちらかに倒れるということはなかった。

 「……あ」

 ふいに、猫又がどこかに行ってしまった。行き先を追うと、逃げた猫又を大きくした黒猫が、そこにいた。二匹は互いに寄り添うと、大きい方の猫又が、小さいの方の猫又の頬をペロリと舌で舐め上げた。その後、大きな猫又は一度だけシオンの方を見ると、ペコリと頭を下げ、どこかに去った。

 その様子を振り返って見ていたらしい、霊夢が呟いた。

 「あの猫又の親みたいね。はぐれたから探していた、そして見つけて、あんたがあの子猫を保護してくれているのを理解して頭を下げた。そんなとこかしら」

 霊夢は気付かなかったようだが、シオンは気づいた。必死に隠していたようだが親の猫又は、かなり息が切れていた。それほどまでにあの子猫を心配していたのだろう。

 「親……か」

 ――自分が最後に親の顔を見たのは、もう何年前になるのだろうか?

 そんなことが脳裏を過ぎるくらいの寂寥感が、シオンの心を埋め尽くした。本来であればまだまだ親に甘えたい年頃。だがその甘える相手はもう、いない。

 時々こんなふうに、無性に孤独感に苛まれることがある。情けないとは思うが、思うだけならいいだろう、と割り切ってもいる。

 「シオン?」

 「え? ……あ、ああ。なんだ、いきなり」

 「別に、どうとは言わないけど。なんというか……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――そんな感じの眼をしていたから」

 勘だけどね、という霊夢だが、本当に、彼女の勘は凄まじい。というかよく当たりすぎだろう、いくらなんでも。

 「あながち間違いでも無いな。……親に会いたいなと、なんとはなしに思っただけさ」

 小さな呟きだが、これだけの至近距離なら聞こえるだろう。だというのに、霊夢からはなんの返答も無い。

 ただ、霊夢も小さく呟いた。

 「……親、ね」

 霊夢には親がいない。父親も、母親もだ。親代わり、とでも言えるのは紫くらいのもので、その彼女も親として区分するなら失格の部類に入る。

 だから霊夢には、シオンの感情が理解できない。『親』という存在を知らない霊夢にとって、それは全くわからないモノでしかないから。

 「そろそろ戻りましょう。幻想郷の五月は暑いしまだ梅雨には入ってないけれど、それでも夜は冷えるわ。それに時間も時間だし」

 「わかった。悪いな、付き合わせて」

 「たまにはこういうのもいいわよ。風情があって、ね」

 かすかに口元を緩ませる霊夢。二人は部屋へと戻るが、今思い出したとばかりに霊夢が言う。

 「そういえば、シオンの背中って妙に硬いわよね。触ってもいい?」

 「いいけど、男の背中に触ってもいいとか変なこと聞かない方がいいと思うが」

 「あんたなら大丈夫でしょ。外見女っぽいし」

 信用してくれているのか、容姿が男っぽくないと貶しているのか。判断に困るような言葉をくれた霊夢だった。

 時刻は八時半頃、そろそろ布団でも敷いて寝る準備でもしたい時間帯だが、二人は居間にいた。

 「んじゃ、寝そべりなさい」

 本気でやるのか、と思わないでもないが、このままごねても霊夢を更に強情にさせるだけで終わるだろう。やるならさっさとやって寝よう。そう思ったシオンは素直にうつ伏せになる。

 そんなシオンの背に馬乗りになると、グッとシオンの背中を手で押した。

 「うっわ、コレ硬いんじゃなくて凝りすぎてるだけじゃないの!? 一体どうやったらこんなふうになるのよ!」

 ――シオンの体は、硬すぎた。想像以上に。そして異常なまでに。幼少期に体を鍛えすぎると身長が伸びなくなるとはよく言うが、コレなら伸びなくとも納得できる。

 「あんた、いつもどういうふうに過ごしてるのよ?」

 一度馬乗りをやめた霊夢の意図を汲んで、シオンは体育座りに近い体勢を取る。普段なら腕の間のところに剣を挟んで肩に立てかけ、いつでも反撃できるようにしているのだが……今は無くてもいいだろう。説明には困らない。

 「寝ているときはこんな感じだ。起きているときは背筋を伸ばしているが」

 「ああ……もう大体わかったわ。シオン。その寝方はもうやめなさい。というか、今まで止めてくれる人はいなかったの?」

 「いや、そもそも人と接すること自体ほとんど無かったからな。それに――油断すれば、死ぬ。寝ている時でも事に備えるのは当然だろう」

 そう言い切ったシオンの眼は、あまりに鋭すぎた。触れなば斬れん、そんな言葉が思い浮かんでくるほど。が――霊夢には、意味がなかった。

 「いいから、私の眼が届く内は、絶対にその体勢を取らせないからね。いい?」

 「……緊急時とかの、有事の際にはやってもいいというのなら、従おう」

 「わかったわ。流石にそういう時にまで口出すつもりはないもの」

 意外と素直なシオンに、拍子抜けした、と表情に出す霊夢。だが、シオンが素直に従っているのには理由がある。

 単純に、シオンは今霊夢の家に居候させてもらっている立場。だから家主の言葉は、それが余程理不尽なモノでない限りは従おうと決めている。コレはその結果だ。

 とりあえずこれで寝れるだろう、と思ったシオンは体を伸ばして立ち上がろうとしたが――見通しが甘かった。

 「うん、そういうことなら仕方ないわね。だったら私がマッサージ、してあげる!」

 それはもう。

 今までのイメージからは考えられないほどの満面の笑みを浮かべる霊夢の姿に。

 「………………………え?」

 途方もない嫌な予感を感じるシオンだった。

 「いだ、いだだだだだだ! ちょ、変なツボを押すな!」

 「あ、こら動かないでよ! 押す場所ズレるでしょう!」

 「その押す場所が間違って――おい待てそこはダメだ! やめ――!」

 多分、霊夢は誰かにマッサージをしたことないのだろう。にも関わらず、妙なトコで妙な押し方をしてくるのは、聞き齧った知識を試しているからなのだろうか。どちらにしろ、シオンの今の立場は『霊夢の実験台』だった。

 「あ」

 「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」

 聞いてはいけない音とともに、シオンの口から声にならない声が響く。

 痛みには慣れている。慣れている……はずだった。剣で、ナイフで、レイピアで、サーベルで、銃で、爆弾で、炎で、薬で、拷問で。ありとあらゆる苦痛をこの身に受けた。だが、この痛みはどれとも違う。無防備でいられることを強制させるこのマッサージは、他の何にも勝りかねない苦痛を与えてくる。

 「……………………………………………………………………………………………………………」

 「あ、あれ? おーい、シオーン。返事できる? ……コレって、もしかしたらヤバい、かも? ――ま、まぁ明日になれば大丈夫でしょ。バレなきゃ犯罪じゃないって、()()()も言ってたし」

 そんな言葉を最後にして。

 シオンは意識を失った。

 次の日、シオンは敷かれた布団に寝かされていた。昨日の夜のアレは正直思い出したくもない。永琳から受けたマッサージは気持ちよさ云々よりも効率重視だったため少し痛かったが、アレの比ではない、と思う。

 ただ、体の凝り、とでも呼ぶようなそれはない。あんな痛みがあっても、一応やった効果はあったらしい。いつもより体に柔軟性がある。

 シオンは居間に移動する。どうやら痛みで気絶したせいもあって、いつもよりも遥かに遅い時間に目を覚ましたらしい。

 「……おはよう、霊夢。覚えていて悪かったな」

 眼がジト目になってしまうのを抑えられない。シオンが昨夜のことを、しかも最後の呟きすら聞こえていたのを悟ったのだろう、霊夢の顔が引き攣った。

 「ま、まぁ初めてやったんだからしょうがないじゃない。小さな事に拘る男は、女の子にモテないわよ?」

 「俺は誰かに好かれたいとか思ったことは……一度しかないな。とにかく、だ。聞き齧った程度の知識を使うのはやめてくれ。アレは痛すぎる」

 「わ、わかったわよ。ちゃんと専門のマッサージ技術を学んでくるから」

 「いや待て。なぜマッサージに拘る!?」

 あの痛みが再び、と想像して――完全記憶能力のせいで、その時の痛みすら再現されかけて――シオンは思考をシャットダウンさせた。

 シオンは内心で一つため息を吐くと、朝食の準備をしていたらしい霊夢の手伝いをする。

 「別に手伝わなくてもいいわよ? これくらい慣れてるし」

 「多少はな。それに、斬るのには慣れている」

 「そ。ならお願い」

 何やら『切る』のニュアンスが若干違うような気がするが、気にしても詮無いことだろう。霊夢は朝食に使う()()()魚と、ネギや人参、大根などの材料を手渡す。

 「……これ、もしかして」

 「釣ってきたわ。()()()()

 魚を見て驚いているシオンに、霊夢は冷静に返す。

 霊夢の住む神社は常に金欠だ。そのため山菜や魚などを自分で採取する必要がある。最初の内は食えないモノや毒草に近い植物を食って酷い目にあったが、今では慣れたモノで、食えるモノばかりを取れるようになった。

 それでもやはり限度はあるので、多少は里から購入している。それがシオンに手渡した野菜類、という事だ。

 想像以上に大変な生活をしているらしい、と理解したシオンは、黒曜で包丁を形作り、手渡された食材の捌きへと入る。

 野菜はあまり余計なモノを削ぎ落とさないようにし、皮は他の場所に一纏めにする。次に適度な大きさで切り分けるが、それは通常よりも小さい。

 次に魚を切る作業に入るが、魚を捌くのは少し大変だ。生き物である魚は体内で寄生虫を飼っているモノが大半で、モノによっては人体に途方もない悪影響を及ぼすものがある。そのため内蔵などは全て取り、臓器に潜む寄生虫を物理的に排除。それでも残った寄生虫や菌は焼き殺して消毒すればいいだろう。

 「終わったぞ、霊夢」

 「え? 頼んでからまだ数分も経ってないけど……って、ホントに終わってる。早いわね」

 確認してみると、霊夢の予想以上にやってくれている。野菜は霊夢がいつも切り分けているのより若干小さいが、その分数は多いし、何より見た目も良い。魚も内蔵を取っているし、見たところ血抜き作業も終わっているようだ。ゴミに分類される皮も一纏めにして置かれているし、内蔵は別の場所に捨てたようだ。流石の霊夢も魚の内蔵は食べたくない。懸命な判断だ。

 「うまいわねー……慣れてるの?」

 「言っただろう? 斬るのは得意だ、と」

 シオンは一歩下がり、後のことは霊夢に任せることにした。変に介入して味を変えるよりも、霊夢に一任させたほうが確実だろう。

 作られた料理は、白いご飯、焼き魚、味噌汁、山菜の漬物。おそらく『日本の朝食』の基本とでも呼ぶべきものが、そこにあった。

 味は――うまい。文句なし、掛け値なしに。切り分けられた野菜や油揚げの大きさも、おそらくシオン達の口の大きさに合わせてのモノだろう、食べやすい。何より味噌の味が素晴らしい。コクがあって、だが喉越しがいい。いつまでも飲んでいたいと思うような味と食感。

 一度茶を飲んで口の中をスッキリさせたが、コレもうまい。記憶の中にある咲夜が淹れた紅茶と遜色ない。比べるジャンルが違うが、それでもだ。

 多分だが、霊夢はこういった溶かす作業が得意なのだろう。……なんとなく、それがどうやって培われてきたのか想像できるが、気にしないこととする。

 山菜の漬物は事前に作っておいたモノらしいが、これについては年相応、だろう。こういったモノは技術よりも経験がモノをいう。無論技術も大事だが、お婆ちゃんの知恵袋、という言葉があるように、経験というのはバカにはできない。霊夢は、技術もそうだが経験が足りないらしい。

 が、そういったことは抜きにして、だ。

 「……うまいな」

 そう、うまい。紅魔館や永遠亭の食事もうまかったが――もちろん幽香の弁当も――霊夢のこれも負けてはいない。

 「ま、数年一人暮らしで、しかも赤貧生活を送っていれば、嫌でもこうなるわよ。無駄にできる物なんて全然無いんだから」

 本人からしてみれば、かなり切実な問題だ。どことなく悲愴ささえ感じてしまう。実際、褒められてもあまり嬉しくはなかった。

 「それでも自分が磨いた技術だろう? 身につけた経験は、時に自分を貶める罠になる時もあるけど――それでも、決して無駄じゃないんだ」

 「どうしてそう言い切れるのよ? 誰かが言っていたけど、『死んだら何もかも意味がない』のよ」

 「意味なんていらないよ」

 そうシオンは断言する。

 「そんなのは本人がどう思ってるかだ。他人から見た物差しで計られるのは、正直不愉快だ。覚えようと努力するのは、色々な理由から。霊夢だって生きるためにやったんだろう? それは決してダメな事じゃない。だから、まぁ」

 ――霊夢は自分のやっていることを、誇っていいと思うよ?

 あくまで俺の考えだけど、と付け加えるシオン。他人に計られるのが嫌い、正直コレは霊夢としても同感だった。まるで自分が『そうあれ』と強制されるかのような――そんな感覚。

 皆自分が『博麗の巫女』である事を強制する。それが嫌なわけじゃない。ただ、里の人達から、山菜を摘んで、魚を釣っている作業を見られたときに、『敬虔な巫女様だ』と言われるのは、罪悪感があった。

 ――私はそんな人間じゃない。

 生きるためにやっているだけだ。博麗神社に祀られている、巫女である自分でさえ知らぬ神様なぞのために、肉を食わず、日々質素な生活をしているんじゃない。全部自分のためで、他のことは気にも留める暇さえなかった。

 だけど、シオンは『それでもいい』と、『誇ってもいい』と言ってくれた。

 「それに、霊夢の技術のお陰で俺はこうして心から『美味しい』と思えるような料理が食べられた訳だし。お礼の言葉くらいは受け取ってくれると嬉しいな」

 先程までは嫌だった、そんな言葉も――今では素直に嬉しいと、そう思える。

 クスクスと笑うシオンを見て、霊夢はそう思った。

 食事を終えて皿を片付け、ついでに皿洗いをした二人は、居間に戻って新しい茶を目の前に置いて、向かい合って座っていた。

 「それじゃ、まずは二人で生活するにあたって、目安のようなモノでも作りましょうか」

 「俺は基本そっちに合わせる。俺は居候の身分だしな」

 「あ、そう? ならまず一つ。生活費についてなんだけど、コレはしばらく私が負担するわ。お金、無いんでしょう?」

 「ああ、そうしてくれると正直助かる。後は寺子屋でいくら給料を貰えるか、なんだが――」

 「慧音だし、常識的な判断はしてくれるでしょう。ピンハネした金を懐に入れるようなクズじゃないのは絶対だから、信頼――とまでは言わなくても、信用していいわ」

 というか、金をピンハネするような、そんな妖怪が里内で寺子屋など開けるはずもないのだが。里の人間は騙せても、紫や藍もいるのだから。

 「それで二つ目に、家事とかなんだけど。コレは全部私がやるわ。料理・掃除・洗濯、その他色々ね。ただその分生活費は多めに支払ってほしいわ」

 シオンは頷く。

 この提案は、シオンとしてもありがたい。寺子屋の先生をやることになったが、それでも体が鈍らない程度には鍛えたい。そのためには多少の時間が取られるのは避けたかった。それを引き受けてくれるのなら、こちらとしても万々歳だ。

 「んでもって最後。お互いの生活テリトリーには無断で近づかないこと」

 「よく意味がわからないんだが、どういうこと?」

 「要約すると『お互いの部屋に勝手に入るな』ってことよ。自分がいない間に勝手に入られて部屋を漁られるなんて嫌でしょう?」

 「そういう事か。俺は部屋に物を置くつもりはないから、こっちはそれが無くていい。勝手に入って掃除してくれ」

 「そっちがそれでいいならいいけど……」

 霊夢としてはその方がありがたい。掃除の手間が省けるからだ。掃除の度に一々シオンに確認を取るのは、数日ならいいがそれ以降はストレスが溜まるだろう。

 「で、霊夢はそれで要求は終わりか?」

 「現時点では、ね」

 「なら今度はこっちからだ。風呂の時間帯を明確にしておきたい」

 「風呂? ……あ」

 一瞬疑問の声を上げた霊夢は、即座に理解した。そして自分のバカさ加減に、頭を抱えたい気分になった。

 シオンは、外見はともかく中身は『男』だ。もう一度言う。シオンは『男』だ。にも関わらず、裸を見られるかもしれないのに風呂の時間指定を忘れていた。完全に外見に騙されていた。……シオンは騙す気など一切無いのだが、そこは諦めるしかないだろう。

 「風呂に入る時間はいつもバラバラで決まってないから、そうね……立札でも作っておけばいいかしら。表と裏を明確にして、入るときに変えればいいでしょう」

 「そうしてくれ」

 「他には何かある?」

 「特には……問題点は、これから見つければいいだろう」

 そうして、九歳の男女二人っきりという、世にも奇妙な同棲生活が始まった。

 とはいえ二人共そこらの大人よりよっぽど分別があるし、性欲が皆無なシオンと、意外なことにそういった知識をいまだに知らない霊夢の二人は、健康的な生活を送ることだろう。言い方は悪いが、()()()()()を送る事とは無縁だ。

 一度シオンは部屋に戻り、慧音から手渡された教科書や、それを詳しく解説した専門書、更には慧音が独自に書いた解説付のノートを持って居間に戻った。自室でやるのもいいが、どうせなら日当たりがいいところでやりたい。あの部屋が今まで使われなかったのは、位置関係上日が差してこないからだ。

 シオンはいくつかの教科の中から、国語を選んでページを開く。

 霊夢はまた淹れたお茶を横に置く。そして視線だけを動かして見るが、慧音から貰った教科書の中で、一つだけ抜けているモノがあった。

 「シオンは数学をやるつもりはないの?」

 「ん? あぁいや、そういうわけじゃないんだが……単に永遠亭でもう学習済みってだけだよ。一応外で言う教授レベル――らしいんだけど、『どこの教授』か言われてないから、詳しくは知らないけど。興味もないし」

 軽く言ってのけたが、それはよっぽどではないのだろうか。『永遠亭で習った』というのなら、先生は十中八九永琳。その永琳に習ったのなら、生半可なレベルではない。なんせ永琳は、幻想郷では誰もが知る、そして誰もが認める『天才』だ。

 が――なぜ彼女は、数学だけを教えたのだろうか?

 シオンに聞いてみると、意外に単純な理屈だった。

 「俺が『鍛えてほしい』って言ったからだよ。それで戦闘で重要な能力のうち、戦況を把握したりするための、言わば『演算能力』、あるいは脳の『情報処理能力』の向上。それの一番手っ取り早い方法が数学だった、ってことなんだろう」

 実際、そのおかげでシオンは『黒剣技』で出現させられる剣の量が増えた。まぁ完全に制御できるとは言い難いが、十分だろう。

 「質問は終わりか? それならこっちに集中させてくれ。なんせ一日しか時間がないからな。やり続けないと終わる気がしない」

 「わかったわ。ごめんなさいね、邪魔をしちゃって」

 「いや、いいさ。気にしないでくれ。聞かれたことには大抵の事なら答える。だから霊夢も、変な遠慮はしないでいい」

 そう言ってくれたシオンだが、量が量だ。霊夢は居間をそっと後にし、自室へ戻った。

 昼食は片手間に食べられる物を、と思ったので、パンに切り分けた野菜やハムを挟んだだけの、かなり簡易な物になった。それでもシオンは文句一つ言わず――サンドイッチを貰った時には礼をくれたが――黙って教科書を見ている。

 一つ気になったのは、シオンがノートに何も書かず、ただ見ているだけ、という事だ。気にはなったが邪魔をするのも気が引ける。待つしかないだろう。

 結局終わったのは夜も七時、夕食の時間だった。

 「――ふぅ」

 朝から十時間以上も読み続けたシオン。どうやら寺子屋で勉強を教えるのは、外で言う小学六年生、つまり十二歳くらいまでで、それを六歳から十歳の間までに教え込む、らしい。人手の関係上と資金の問題からそうなるのだろう。

 シオンは『外』を知らないために『そういうものだ』としか思わなかったが、ほかの人間からすればどうなるのだろうか。考えても意味のないことだった。

 「終わったみたいね。ほら、息抜きのお茶」

 「ああ、ありがとう。何度も悪いな」

 「別にいいわ。茶葉はこの前永遠亭で貰ったものだし。何でも『実験に使おうとして余ったもので――』とかなんとか言ってたけど」

 「……そんなものをよく飲む気になるな」

 「実際使ってないんだからいいでしょ。――ていうか顔色悪いけど大丈夫?」

 「大丈夫だ。多分、きっと。……『実験』っていう単語に悪寒を感じるだけだから」

 「いやそれ大丈夫じゃないから」

 記憶はなくとも体に植えつけられたトラウマは健在のようだ。

 一頻り震えが収まると、シオンは渡されたお茶を飲む、が――。

 「――味、薄くないか?」

 なぜか味が薄かった。疑問に思ったシオンが問うと、霊夢は「あー……」と唸り。

 「それ、実は何回か使った茶葉で淹れたモノだから……」

 「はい?」

 何度か湯呑と霊夢の顔を往復させる。が、何度見直しても霊夢の顔は変わらない。やがてシオンは数秒考え。

 「いいか、別に」

 気にしないことにした。

 「それでいいのあんたは!?」

 その態度に、スルーされた霊夢が突っ込む。が、シオンはそれすら気にしない。

 「別に人体に悪影響があるわけでもなし。単に味が薄いってだけだろう? 目くじらをたてるようなものじゃないさ」

 ご馳走様、と湯呑を霊夢に返す。

 その時、霊夢にこう言われた。

 「……シオン。あんた、相当変わってるわね」

 「霊夢もだろ。俺は霊夢より酷かったけどね」

 その後二人は多少の会話を交えつつ食事を作り、夕食を食べ、特筆することなくそのまま寝入った。

 そしてまた、日が昇る。

 今日で面接となる。霊夢は多少でも豪華にするため、取っておいた少量の肉を朝食に使った。シオンはそれを、ただ美味しそうに食べる。

 「シオン、やれる?」

 疑問というよりは、確認の問。

 「なるようになるさ。人に教えるのは初めてだから、ちょっと緊張するけどね」

 「シオンみたいな人間でも?」

 「俺みたいな人間だから、とも言うけどね」

 その後シオンは慧音から渡された教材を纏め、それを白夜で作った亜空間に放り込む。

 「いつ見ても便利よね、それ」

 「どこに閉まったか忘れると取り出せないから、多少不便ではあるけどね」

 シオンにはあまり関係ないが、そうでないなら使わないほうがいいような部類の技だし。

 「だったらこれをお願い。そろそろ食材が切れそうなの」

 手渡されたのは、メモ帳。料理をする上で必須とも呼べるモノもいくつかあった。

 「ああ、わかった。帰りに買ってくるよ」

 そう言ってシオンは背を向ける。

 「それじゃ」

 「ええ」

 「行ってきます」

 「行ってらっしゃい」

 ある意味素っ気ない、だがそれだけで良い言葉を背に、シオンは里へと足を向けた。



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四人の協力者

 サク、サク、と土を踏んで歩く。博麗神社から里までの距離はかなりのモノ。どうしてこんな交通の便が悪い場所に神社を置いてあるのか――と思うが、ちゃんとした理由はあるのだろう。

 今はまだ五時を少し過ぎた頃。子供達が集まり授業を始めるのは八時半頃。勿論その前から子供達は寺小屋に来るので、八時前には全てを終わらせておきたい、と慧音から伝えられている。それだけならもう少し遅くなってもよかったのだが、シオンの場合は里で『やらかした』せいで、その件についての謝罪がある。だからこそこんな時間に神社を出たのだった。

 足取りは重い。相手に多少非があるのであればもう少し堂々と行けるが、今回は完全にシオンが悪い。

 別に誰かを殺したりしても、悪いとは思えどそれ以上思うところはない。罪悪感などという感情は、とうの昔に消えた。唯一の例外は動物くらい。シオンがかつて幽香と戦った時に山へ白夜による消滅の斬撃を飛ばしてしまった後悔は、それによるもの。

 にも関わらず、足取りが重くなっているのは――殺したのをどうとも思わなくとも、『喪う』ことに共感はできるからだ。

 姉を――大切な人を喪うあの感覚を、わかってしまうから。

 ハァ、と溜息を一つこぼす。考え事をしていたからか、もう里は近い。シオンの、それこそ妖怪の眼よりも高い視力は、里の姿を捉えていた。

 少し悩んだ後、シオンは全身を隠すためのフード付きの外套を脱いだ。これを着続けていると、不審者のような扱いを受けかねないし、相手に無用な警戒心を与えてしまう。それだったら最初から脱いでおいた方がいい。それから左腕に巻きつけていた、アリスから貰ったリボンを外し、左側の髪の毛を纏めると、リボンを使って一纏めにした。はっきり言って付けていてもいなくてもほとんど変わらない髪型だが、色の明るいリボンを髪に付けておけば、多少はこの鋭い眼から視線を反らせるだろうと思ったのだ。

 さて、これで準備は終わった、とシオンは里へ足を向ける。

 五分もせずに、シオンは慧音の姿を見つけた。あの特徴的な服を見間違えるはずがない。

 「慧音!」

 「ん、ああ、シオンか。時間より少し早いが、そこは好印しょ――」

 と、そこで慧音の言葉が止まる。何かに驚くように目を見開くと、その後まじまじとシオンの全身を、足のつま先から頭の天辺まで見やった。

 そして何度か頷くと、

 「君は女だったのか?」

 「んなわけあるか」

 ――何たわけたことを抜かしてやがる!?

 などと思ったシオンの心情など露知らず、慧音は困惑を表すように眉を寄せた。

 「いや、だが……どこからどう見ても、君の外見は女にしか見えないんだが」

 「この顔と背格好は母親譲りだ。髪と目の色は……流石に違うが」

 「そう、なのか? 女として負けた気分にさせられるくらい綺麗だ。もう一度だけ聞くが、本当に男なのか?」

 「男だよ。それに慧音が負けるとかどうとか言うのはどうかと思うんだが……」

 「……?」

 首を傾げる慧音に、これは絶対にわかってないな、と思わせられるシオン。思い返せば、一昨日里で昼食をしたときの店主の言葉にも冗談だと思っていた節がある。

 「知らぬは本人ばかり、か」

 「ん? 何か言ったか、シオン。言いたいことがあるのならはっきり言って欲しいんだが」

 「いいや、なんでも。少し思うところがあっただけだ」

 それよりここで話していてもいいのか、と言う。話を逸らしている自覚はあるが、実際時間は有限で、もう雑談をしてもいい分は過ぎている。慧音もそれを思い出したのだろう、すぐに頷いた。

 「それじゃまず。シオンには、ある人物に会ってもらう。その人さえ説得できれば、里内で過ごすことに文句を言われることはまず無いはずだ。内心ではどう思っていようと、な」

 「それはいいが、ある人物ってのは?」

 「悪いがそれは教えられない。会う条件にはそれも含まれているからな」

 「つまり、ぶっつけで会って何とか説得しろと。……そしてそれに文句を言えないんだから、俺もバカをしたもんだよ」

 「自覚があるだけまだマシさ。先があるんだからな」

 慰めかどうか、かなりわかりにくい言葉を言うと、慧音はシオンの肩を叩き、里へ入る。シオンも後に続いた。

 慧音が入ったときはよかった。だがシオンが里に入った途端、気のせいでなければ里がザワついた。

 そしてそれは、気のせいではなかった。

 「……シオン、あまり気にしないでくれ」

 「さっきも言ったろう? 自業自得だよ」

 里の人から向けられる、怒りと恐怖と憎しみ。シオンにとって、慣れ親しんだ視線。それに含まれる『化物』を見るような眼。まるで少し前に戻ったかのような気分だった。

 「ま、わかっていたことだ。これから変えるよ。あの眼の中身を」

 「シオンがそういうのなら、私がどうこう言える問題ではない、か……。何かあれば私を頼ってくれ。諌める程度ならできるはずだ」

 「……お人好し。でも、ありがと」

 あの時とは違う、味方がいる事実。それが少しだけ、重い気分を軽くしてくれる。だからシオンは、慧音の後ろではなく、隣を歩いた。

 今まで慧音のお陰で隠れられていたのを、そこから出たことによって一気に視線の量が増した。あの事を知らない人間も、事実を知る人間から事情を知って、シオンに向ける視線を同じモノへと変える。だがその眼には困惑も見て取れた。視線の先から慧音に向いているのを察したシオンは、なぜ慧音が化物(シオン)――少なくとも彼らはシオンを人間ではなく妖怪の類だと思っているだろう――と一緒にいるのか、と思っているのだろうと感じた。

 だが話しかけてくる人間はいない。好奇心猫を殺す。彼らの感情の比重は、好奇心よりも恐怖心が勝っているのだろう。だからシオンも視線を周囲へ向けず、ただ前だけを見据え続けた。

 「そういえば聞き忘れていたんだが、シオンは朝食は食べたのか?」

 「食べたよ。ただ神社の食材がほとんど尽きたから、買い出しに行って欲しいと言われたな」

 「金は預かって?」

 「……無いな」

 「やはりか。――仕方がない、面接に合学して、今日の授業内容しだいで前金として渡そう」

 「いいのか? そんな贔屓をして」

 「良いか悪いかで問われたら、悪いのだろうな。だが君は、多分嘘を吐かない人間だ。持ち逃げするような奴ではないだろう?」

 「それだけで信用するのもどうかと思うけど……慧音を裏切ればアテが無いからな。その信用を裏切らないようにしよう」

 「そうしてくれ。それと、訂正を一つ」

 ピシリ、と人差し指をシオンの目前に指す。

 「私は君を信用している。だが何より、『信頼』している。それを忘れないでくれ」

 クスッ、と小さく笑い、慧音は再度歩き出す。少し呆けていたシオンは、その言葉の意味を理解すると、苦笑した。

 「ホンットーに、このお人好しは」

 遅れないように駆け足で慧音を追う。

 もう周囲の視線は、気にならなかった。

 里をグルリと周り、今はある民家の一つの前に立っていた。周囲に点在する家よりも少しだけ立派な気がする。

 「ここは?」

 「シオンも知っている人の家族が住む家だ」

 珍しくシオンは困惑をあらわにする。だがそんなシオンを置いて、慧音は家の玄関の前へ立つとノックをし、叫んだ。

 「私だ、慧音だ! 誰かいないか!」

 それだけ言うと一歩下がり、慧音は腕を組んでその場に佇む。それから一分もせずに家の鍵が開いたような音がした。

 そして扉が開かれると、そこから出てきたのは貫禄を纏った大の男。常人なら気圧されるような雰囲気を纏ったそれを前に、シオンはへぇ……と感嘆の息を漏らした。

 「魔理沙の父親か」

 「わかるのか?」

 シオンは確かに魔理沙が連れて行かれたのを見ているが、それも背中を見ただけ。正面から顔を見たわけではないし、人の背中など、服を変えただけで印象が変わってしまう。

 「半ば勘に近いけど、なんとなく魔理沙と似たような感じがしたからね。うん、頑固そうなところとか?」

 けらけらと笑うシオンに、慧音は内心焦る。初対面でそんな失礼な言葉を、と思ったのだが、

 「……フッ。入れ、茶を淹れよう」

 何故か微かな笑みを浮かべると、そのまま中に入ってしまった。

 「わ、笑った? 『あの』厳が?」

 「どうかしたのか、慧音。というか厳って、あいつのことか?」

 「あ、ああいや……なんでもない。それと、そうだ。彼の名前は霧雨厳。里内で唯一様々な道具を扱う店で」

 一拍置き、なぜここにシオンを連れてきたのか。その理由を告げる。

 「――里の代表、その一人だ」

 家の中へと案内されたシオン達は、そのまま厳の部屋へと通された。厳が戻ってくるまでに、里のシステムの一部を説明された。

 この里は東西南北でそれぞれに代表を集い、そしてその四人の纏め役を一人、選出している。そして厳は東の代表者。

 ちなみに四人の纏め役を担っているのは慧音。かつては人間の代表が行っていたのだが、いつしか慧音がその役についていた。とはいえ纏め役というのも名ばかりのもの、特に異論はなかったようだ。

 説明を終えて数分後、盆に茶を乗せた厳が入る。

 出されたのは熱い茶。だがシオンも、慧音も文句は言わない。全員が一度喉を潤すと、厳が口を開いた。

 「今回の里の被害は、そう大きくはない。人的被害は皆無。家や道路に傷がついたりしたが、全てをあわせても、一月もせずに直せる。だが、目の前に自分を殺し損ねた攻撃によってトラウマを植えつけられた者は多い。君の姿を見れば錯乱するだろう」

 あらかじめ予想はしていたが、死者が出なかったのはよかったのだろう。だからといって安心できる内容ではないが、死者が出た出ないの差で、随分とハードルの高さは変わる。

 「里の修繕の手伝いはできる。木材が必要なら持ってこれるし、土が必要ならいくらでも用意しよう。トラウマについては――俺にはどうしようもないな」

 剣技を使えば木は斬れる。白夜を使えば空間に物を移動させればいくらでも運べる。だがそれらはあくまで物質にしか効果がない。心なんていうモノに干渉できるような、便利なモノではないのだ。

 だが、全面的に里への出入りを禁止されれば、もう打つ手は無くなる。

 「……頭を下げろと言われれば、いくらでも下げる。腕を切り落とせというのなら、その通りにしよう。奴隷にように働けというのなら、そうする」

 「――本気で言っているのか?」

 「本気だよ。別に誑かそうとかそういうつもりはないさ。変わらないよ、今までと」

 人間扱いすらされなかった人体実験をされていた頃。そこから逃げてからの逃亡生活。痛みに慣れ、虐げられるのに慣れ、殺すのにも慣れきった。だから今更少し待遇が悪くなったところで、どうとも思わない。

 強いて言えば、『ああ、またこれか』と思うぐらいか。

 「――嫌だとかそんな贅沢を言えるような、生温い人生は送ってないよ」

 ただそれだけの話だ。

 厳は瞑目する。顰められたその顔で何を思っているのかはわからない。どちらにしろこの提案を断られれば、シオンにはもう打つ手が無い。

 そして厳が眼を開ける。内心諦観を浮かべていたシオンは、座して厳の言葉を待った。

 「わ――」

 「――ちょっと、いいかしら?」

 『!?』

 その声は、女性のそれだった。だが慧音はシオンの後ろにいるし、何よりこの声は慧音のそれとは全く違う。

 声のした方向、真横を見る。まるで眼を開いたかのような形の歪みから、一人の女性が姿を現した。

 「八雲……紫!」

 歯を噛み締め敵意をあらわにするシオン。だがそれに何より驚いたのは紫だった。あの底なしの殺意が敵意にまで抑えられている、と。厳と慧音は困惑している。いきなり前触れもなく現れたのだから当然か。

 しかし紫は、その一切を無視した。

 「里の修繕は私が請け負うわ。トラウマについても何とかしましょう。私の能力を使えば、精神や記憶の境界に干渉できるから」

 シオンの体が停止する。それも一瞬で、すぐに紫を睨みつけた。

 「何が目的だ? 貸しでも作りたいのか?」

 「この世界に連れてきて、あなたのこれから先の生を歪ませた以上、これくらいの手伝いはするわよ。できないことはしないけれど、片手間くらいならなおさらね」

 そう言うと、紫は亜空間から封筒を落とす。それを手で受け止めると、軽い動作でシオンへと放り投げた。いくら軽いとはいっても、大妖怪の腕力での『軽い』だ。厳の眼では捉えることすらできないそれを、シオンは優しく受け止めた。封筒はズシリと重い。

 封筒の封を切ると、中身を出す。出てきたのは、一纏めにされた札束だった。これだけの額があれば、数ヶ月は何もせずとも暮らせるだろう。紫の意図が読めないシオンは、視線を向ける。

 「私はできる限りあなたの支援をすると決めただけよ。代わりと言ってはなんだけれど、シオンにはこの里や幻想郷に危機が迫ったら、それに対応して欲しい。ギブアンドテイク、というわけ」

 支援の詳しい内容はわからないが、紫の言う『できる限り』が生半可なモノではないことくらいはわかる。それだけ幻想郷を想っていることも。

 「それに、あなたが私を殺そうとした理由も、皆に伝えておくわ」

 そして――これを受けなければ、シオンの里でのイメージ回復も手伝わない、と言外に告げていることも。

 どうするのか、と紫の眼が問うている。受けるのか、受けないのか。

 「受ける」

 シオンはあっさりと頷いた。あまりの速さに、一度紫はまばたきしたほどだ。

 考えなしに受けたわけではない。里を守ることは里内の人達へのイメージアップに繋がるし、幻想郷の危機はフラン達の危機。言われずとも対処する可能性は高い。

 何より、後ろ盾があるなしでこれからの活動が随分と変わってくる。その点を考慮した結果だ。

 「憤りはある。わだかまりもな。それを差し置いてでもあなたの提案を受けると決めただけだ」

 「――そう。なら交渉成立ね」

 紫は手を差し伸べる。シオンも手を伸ばした。お互い力はこめない。ただ手を重ねるだけだ。

 ――シオンの中に燻ったままの殺意は、完全に消えることは、多分ない。そんな簡単に消えるようなら、初めから暴走などしていないのだから。

 それをおしてても協力すると、そう決めた。

 「つまり、私達はお払い箱ということか?」

 と、蚊帳の外に追いやられていた慧音が呆れたように口を挟む。紫は何か言葉を返そうとしたのだが、その前にシオンが言った。

 「いや、慧音に頼んだことと厳に言った条件はそのままにしてくれ」

 「なぜだ? 紫の手伝いがあれば、私達は必要無いと思うんだが」

 「――慧音。貴女は上の人間からいきなり『こうだったからこうしてくれ』と言われて、素直に納得できるのか?」

 「――――――――――」

 「その反応が答えだよ。確かに紫の言葉には一定以上の説得力がある。でも、それだけだ。それ以上にはなってくれない。でも、同じ立場の人間なら? 厳が大人達を説得して、慧音が子供達を納得させてくれれば。その方が、里の人達も信頼してくれるようになる」

 だから、さっきまでの話はそのままにしてくれ。

 その言葉に、紫は何度か頷き返した。

 「とりあえず、これ以上私がここにいても意味はないでしょう。明日には里にいる全員に伝えておくわ」

 それだけ言うと、紫は姿を消す。仕事仲間というだけの関係なら、これが正しい。シオンとしてもその方がありがたかった。下手に一緒にいても敵意が先行しすぎて、足並みを揃える、なんてことはできなさそうだから。

 紫が姿を消すと、慧音が口を開く。

 「考えなしに言ってすまなかった。寺子屋で、どうか働いてほしい」

 「最初に頼んだのは俺なんだから、その言い方はおかしいんだけど……よろしくお願いします」

 これで二人の味方――紫が味方かどうかは判別しづらいが――はできた。後は厳だけなのだが、当の厳はシオンを見つめていた。

 「シオン、と言ったな?」

 「……ああ。それがどうかしたのか、厳」

 お互いがお互いを呼び捨てにしている事すら気にもとめず、厳はシオンへと視線を向ける。その眼には、何やら憐憫のようなものが混ざっていて――それがどこか、気に障った。

 「私が言う条件は、一つだけだ。誰でもいい。里の人間と交流しろ」

 「……それだけか?」

 「ああ。お前はまず自分の価値観を変えろ。そうしなければ、いつまで経っても、どれだけの時間が経とうと、私達がシオンに向ける視線は変わらない。絶対にだ」

 厳は悟っていた。シオンは『危うい』と。ああもあっさりと自分を捨てられるシオンを、里の人達は異質に感じるだろう。

 自分を大切にしない。それがどれだけおかしな事か。それをまず理解して欲しい。

 そんな不器用な優しさ故に、厳はこんな提案をしたのだ。よほど人格的に問題がなければ最初から協力するつもりだったなどと、欠片も悟らせず。

 「……うん。やっぱり厳は、魔理沙の父親だ」

 なのに、シオンは苦笑していた。

 「頑固で、不器用で、だけど優しい――」

 先ほど感じた不快感は、もう消えている。

 「そんな、信頼できる人だ」

 この人は、裏切らない。そう直感した。

 「……そうか」

 厳は誰が見てもわかるほど、笑みを浮かべた。その笑顔の意味をシオンは知らない。この場でわかるのは慧音のみ。

 こうしてシオンは、里での協力者を得ることができた。

 寺子屋へ向かう前に、慧音は一度飲みきった茶を流しに置きに行っていた。シオンと厳は少しだけ話している。

 そして流しに置き、ついでに洗い終える。

 「久しぶり、慧音」

 「……理沙か」

 終わったのを確認したのだろう、いきなり理沙が抱きついてきた。今ではもうその面影がほとんど残っていないが、理沙は昔、魔理沙に負けず劣らずの腕白少女だった。誰かに抱きついてくるのもその一貫……と、いうより。

 「やめないか」

 「あー……もう、いけずぅ」

 胸を揉もうとしてきた理沙の手を叩き落す。ぶぅ、と頬を膨らませて拗ねる理沙に、相変わらずだな、と苦笑させられる。

 「話し合いは終わったの?」

 「ああ、なんとかな。説得に協力してくれてありがとう」

 実のところ、厳をあの話し合いにまで持ってこれたのは、理沙の尽力あってのものだ。慧音一人では厳しいものであったに違いない。感謝していた。

 「んー……」

 だというのに、理沙は困ったように笑っていた。

 「私が言わなくても、あの人は手伝ってくれたと思うわよ?」

 理沙は多分、唯一厳の不器用な優しさを、本当の意味で知っている。だから感謝されても背中がむず痒くなるだけだ。

 「そう、なのか? 私にはよくわからないんだが」

 「よっぽど人格的にダメな人じゃなきゃ、厳は助けてくれるかな。最悪ぶん殴ってでもとめるような人だし」

 「となると、シオンは合格なのか? あの厳が笑ったほどだし……」

 「――笑った? あの人が?」

 刹那、空気が凍ったような気がした。なぜだ。先程までは和気藹々、とまでは言わずとも、楽しく話し合えていたはずなのに。

 目の前にいる理沙の笑みが、怖い。

 「あ、ああ……シオンと話していたら、笑っていたな。二回ほど」

 「……二回?」

 言えば言うほど理沙の笑顔に気圧される。慧音の顔が抑えきれないほど引き攣り始める。本音を言えば、今すぐ逃げたい。

 「ねぇ、慧音。どんな話で厳は笑ったのかしら?」

 「あ、いや、そのだな……ちょっと落ち着いたらどうなんだ?」

 「私は十分落ち着いているわよ? だから話を逸らさないで? ね?」

 一歩、また一歩と迫る理沙に、一歩、二歩と慧音は後ずさる。だが流しのあるこの場所は、言うまでもなく狭い。すぐに腰を台にぶつけた。理沙の手が慧音の肩を掴む。

 もう、逃げられない。それを悟った慧音が観念した、その瞬間。

 「慧音、いつまで洗ってるんだ? そろそろ行かないとマズいんじゃ――」

 いつまで経っても来ない慧音を心配したシオンが来た。その姿を、なぜだか慧音には『――女神様!』と思えてしまった。

 「――誰? 魔理沙の母親?」

 だが慧音は知らない。理沙もわかっていない。今の二人の体勢、シオンから見れば。

 「……お邪魔だった?」

 『え?』

 シオンの言葉が理解できず、二人は状況を見直す。慧音は台に腰を乗せ、背中を後ろに倒し気味だ。そして理沙はそんな慧音の肩に手を乗せ、体は前に倒れていて――。

 つまり、まぁ。端的に言ってしまうと。

 ()()()()()()のような体勢、だった。

 「趣味嗜好は人それぞれだから何かを言うつもりはないけど……少し遅れるとか、それくらいは言って欲しかったかな」

 厳には少し遅れるって伝えておくよ、とだけ残すと、シオンは手を振って背中を向ける。数秒フリーズした二人が動き出したシオンを捕まえたのには、十秒とかからなかった。

 それから何とか誤解を解いた頃には、理沙のあの重圧が無くなっていた。それと比例して、慧音の疲労感が凄まじく増えていたが。ちなみにその時自己紹介は済ませてある。

 「――で、誤解なのはわかったんだけど、どうしてあんな体勢になったんだ?」

 「あ、うん。えっと、厳が笑ったのはどうしてか、その話を聞こうと思ったんだけど……」

 「私が口籠ってしまって、それでな」

 なぜそのことを気にするのか、シオンには少しわからなかった。そもそも『笑う』のになにか理由のがあるのかと思ったが、それについては後ででいいだろう。

 今わかったのは、理沙がどうしてそうしたのか、その根本だった。そしてその理由に、シオンは心当たりがあった。

 「……嫉妬?」

 「ッ!?」

 「???」

 ボソリと呟いた言葉に、理沙は過剰とすら言える程の反応をする。驚愕が狼狽に、狼狽が赤面に変わっていく様は、百面相を見ているようだった。慧音は理解してないようだが、彼女は恋をしたことがないのだろうか。

 「ああ、うん。なるほど。……よっぽどなんだねぇ」

 敢えて主語は抜いたが、理沙にはわかったのだろう。赤面を超えて煙が出るほど真っ赤になっていた。

 シオンの生暖かい眼が、理沙を縮こませる。

 「う、うう……だってぇ」

 顔を俯かせ、両手の指をツンツンとさせる理沙。

 「厳の笑顔は、私達だけのなんだから。……なのに、二回もだなんて」

 乙女だなぁ、とシオンは感じたが、わからなくもない。恋愛感情に独占欲は付き物だ。仕方がないだろう。それに付き合わされた慧音からすれば、たまったものではないだろうが。

 その慧音はといえば、ありえないモノを見るような眼をしていた。いつもの人を喰ったような態度ではない、女の子女の子した理沙を、慧音は見たことがない。

 「そりゃ、嬉しいことがあれば笑うよ? 厳だって。でも、やっぱり私と魔理沙にだけ笑顔を向けて欲しいなーって思うんだもん。……抑え、きれないんだもん」

 ――なんだろう、幼児退行している気がする。

 そう思った慧音だが、シオンの視線に含まれた『何も喋るな』というものに素直に従った。下手に話して自分に被害が合うのを恐れたのだ。

 「俺に嫉妬を向ける必要はないよ。厳は俺に笑いかけた訳じゃないし」

 「……そう、なの? でも、シオンは綺麗だし……そのリボンのお陰で、可愛く見えるし」

 「あ、そう……」

 つい、俺は男なんだけど、と返したくなったが、話の腰を折りそうだったので黙っておいた。

 「私ももうそろそろおばさんだから、やっぱりシオンみたいな若い子の方がいいのかなぁ……男の人って、シオンみたいな若くて綺麗で可愛い女の子の方が好きだって話だし」

 うん、無理。我慢できない。

 「俺、男なんだけど。こんな外見だけど、男だからね」

 「えぇ!? う、嘘。その容姿でッ?」

 「一応。母親譲りだよ、容姿は。……女扱いされるのは、宿命なのかなぁ」

 別に褒められる事自体はいい。母親譲りの容姿だ。マザコン、ではないが、一般的な家庭くらいには家族を愛しているシオンは、やはり親を褒められれば嬉しいと思う感情はある。シオンの容姿は母親譲り、イコール母さんを褒められている、というわけだ。

 「そんな心配する必要無いよ。断言する」

 「うぅ……そう?」

 何故か打ちひしがれた様子の理沙に首を傾げつつ、シオンは頷く。

 「厳が笑った時の状況を簡単に、端的に説明すると。――魔理沙に似てる。そう言った時だよ。二回ともね」

 なんとなくだが、わかる。家族を愛している、という点では同じだから。

 「魔理沙を褒められて嬉しかったんじゃない? 俺だって、母さんが褒められれば嬉しいと思うくらいだし」

 素直にそう言えないのは、ひねくれてしまったからだが。ただ、シオンにもわかることがある。それはとても簡単なこと。

 「厳は魔理沙のことも、貴女のことも。深く愛してるよ。きっとね」

 知らずシオンの顔に笑みが浮かぶ。それは誰かを安心させる慈愛の笑みで――それを見た理沙はいきなり起き上がると、ガシッ、とシオンの手を掴んだ。

 「し、師匠……!」

 「へ? し、しょう……って?」

 「あ、あの、悩み事があったら、また相談してもいいでしょうか!?」

 シオンの疑問すら無視して、理沙は身を乗り出す。その勢いに押されて、シオンはつい頷いてしまった。

 ああ……と慧音が額を押さえているのが視界の端に見える。

 「それと、里の人達の師匠へのイメージアップをしたいんですよね。私、協力しますよ! 母親達の――女の繋がりはかなりのものですからッ!!」

 ど、どうなってんの……? と戸惑うシオンに、慧音が口パクで伝える。それをシオンは読心術で読み取った。

 ――理沙は昔から奥手でな。しかも恋愛事にはからっきしで、弱気だ。それなのに弱い部分を見せるのを嫌うから相談することもできなくて……二人がくっついたのも、実は奇跡に近い。

 ――それは、つまり。まさか。いやでもありえないだろうそれ!?

 理沙の言う『師匠』とは。

 「あ、でも代わりに相談されちゃうかもしれません。()()()()! でもきっと大丈夫ですよ、師匠なら!」

 予感的中。

 「い、いや待ってくれ。敬語も師匠もいらない。だからそんな恋愛相談とかやめてくれ!?」

 「いいえ、やめません! 絶対に!」

 理沙のキラキラとした眼に、シオンは悟る。――あ、無理だこれ。

 ガックリと項垂れるシオンは、現実逃避するように玄関へと向かう。そしてシオンのただならぬ様子に声をかけようとした厳に何も言わぬまま外へ出る。さりげなく慧音が謝ってくれていたが、気づきもしなかった。

 「師匠ッ、私頑張りますので、また相談に乗ってくださいねー!」

 「あ、うん……わかった……」

 だが現実は非常だ。わざわざ玄関から身を乗り出して笑みを浮かべる理沙に、シオンは乾いた笑みしか返せない。

 そしてテンションが上がりに上がった理沙は、そのまま玄関先で厳にキスしていた。咄嗟に厳が玄関を閉めていたが、数人に見られたのは確実だ。明日どんな言葉をかけられるのか。正直シオンとしてはどうでもよかった。

 「俺……九歳だぞ……?」

 期せずして四人目の協力者を得られたシオン。だが最後の一人は、トラブルメイカーなのかもしれない……。

 「Don’t mindだ。シオン」

 これから先のことを想像して。シオンの苦労を思うと、涙が滲んで仕方ない慧音。唯一自分を慰めてくれる慧音に身を寄せ、シオンはただ、疲れたように息を吐いた。




ふざけすぎた。ふざけすぎました。本当は三人にするつもりだったのに、何故か四人になってしまった……。

もし言い訳をするのなら、紫は里全体に管理者として上から忠告し、厳は里の大人衆に、慧音はこれからの里の中心になる子供達に。

でも『女性達』に言える立場の人が誰もいないんですよね。だったらいっそ理沙にしちゃえば、と。
奥手で弱いところを見せるのが嫌いな(ここらへんは原作魔理沙の『努力しているところ=弱いところを見せない』部分から引っ張ってます。恋愛に奥手? そこらへんは知りません)『あの』理沙が相談する相手、となれば、相応に信用できるんじゃないか、と。
とはいえ女性心理はさっぱりわかりません。おかしな部分があれば提案してくれると大変嬉しいです。


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シオンの教育方針

 どことなく疲れた様子を滲ませているシオンに、慧音は声をかけられない。歩いているのも惰性か、あるいは気を紛らわせるためだろう。こうも弱っているシオンを見ると、あの暴走が嘘のように思えてしまう。……まぁ、それもシオンの一面ということだろう。

 「だ、大丈夫……か?」

 大丈夫ではないのはわかっているが、どうしても気になってしまう。やはり根本的に慧音は優しいのだろう。そしてそれがわかるからこそ、シオンはその心配を無碍にできない。

 「いや、大丈夫とは言い切れないけど……困っているだけだから。恋愛とか、ほとんど経験無いしなぁ」

 「ほとんど、とはつまり、一応あるんじゃないか?」

 「そうは言っても、おままごとに近いよ」

 実際、自覚すらしていなかった。それが恋心だなんて。

 「大切で大事な思い出ではあるけど、そこまで濃密って訳でもないし」

 だからシオンが言えるのは、たった一言だけだろう。

 「――せめて後悔しないように。想いを伝えるだけでもした方がいい。俺から言えるのは、それくらいだ」

 その言葉には、重みがあった。自覚せず、だから伝えることすらできず。そして結局、後悔してしまった恋。

 「俺は遅すぎた。伝えられても、それを育む時間が無かった。……それだけが、心残りだよ」

 苦笑して、その中に一抹の後悔を宿しながら、慧音を見る。

 慧音にはその感情がよくわからない。彼女は恋をしたことがないからだ。よく道端で恋の話をしている女の子や、知人からそれがどういったものかを聞くが、彼女自身はその感情を宿したことがないからだ。

 「恋とは、大変なのだな」

 「そうだね。とても大変で……辛くて、苦しい。でもだからこそ、綺麗で、結ばれた時の喜びは何にも代え難い。……いつか分かる時がくるよ。慧音にも」

 「そうか。……そうだと、いいのだがな」

 慧音はもう数百年生きている。人の部分と、妖怪の部分。両方を持つからこそ両方から疎まれてきた彼女は、その日々を生きることに必死すぎて、他の事に気を取られる余裕など無かった。

 だから、今初めて思う。

 ――恋をするのも、いいのかもしれないな、と。

 「ま、慧音の事だから俺と同じで自覚しないでいそうだけどね」

 「む、失礼な。自分の気持ちだ、必ず気づくさ」

 「どうかな~? 賭けてもいいよ、気づかないって」

 「ほう、言ったな? なら気づいたら相応の物を貰おうか」

 「自信満々だねぇ、そのときが楽しみだ」

 からかうようなシオンの笑みに、慧音はただ自信ありげな顔を見せる。とはいえシオンにも自信はある。というか、里の人間の誰に聞いても同じ言葉が返ってくるだろう。

 ――いや気づかないって。絶対。

 それくらい慧音は、恋心に鈍感なのだから。

 「私が恋をしたら、君に恋愛相談をしてくれと頼むかな?」

 「それは勘弁してくれ。悩みを受けられるほど、俺はできた人間じゃあない」

 そうだろうか、と慧音は思う。

 慧音は今まで何度か恋愛相談を受けた事があったが、大小の違いはあれ、本質は似通った部分が多かった。

 そもそも『恋愛』とは当人達のものであって、相談されたからと言って基本部外者である人間がどうこういうべきじゃない。本当に必要なのは、背中を押してくれる誰か。

 大丈夫だよと、背中を押してあげる、勇気を出すための存在。あるいはさっさと告白しろと蹴り出してくれる、発破をかけてくれる人。

 その観点で見るのなら、シオンは前者が適任だろう。彼は嘘を言わないと慧音にはわかる。だからこそ彼の言葉には重みがあるし、それを聞いた誰かに安心感を与えてくれる。

 なのにその本人がここまで拒むのは――なにか理由があるのだろうか。

 「ああ、話していたら寺子屋についたか」

 と、もうそれくらい歩いていたのか。シオンは先日一度だけ中に入った小屋を目に入れた。やはり子供達を預かる場、里の中でも一際大きな家、そして広い土地だった。

 「…………………………」

 「どうかしらのか? 眉間に皺を寄せて」

 「――何でもない」

 シオンが見ていた方を見る。背中だけしか見えないが、十三か十四程の、肩にかかるまで黒髪を伸ばした少女。その横には、恐らく彼女の妹と弟だろう存在と手をつないで歩いている。遠目には彼女らの両親が見えた。

 その光景に、なにか思うことがあったのだろうか。慧音にはわからない。既に寺子屋の中に入ってしまったシオンに聞くのもはばかられる。

 少しはマシになったと思ったら、また気分が悪くなったのか。何となく、思う。シオンは運がないな、と。

 一度慧音が授業の準備をする部屋、というか単純に私室だが――通常なら職員室、というのだろうが、慧音一人しかいないため、もう私室同然なのだ――に入った。

 そこでまず行ったのは、シオンの知識量の把握。そこで出たのは、ある意味驚愕すべきことだった。

 数学や科学、歴史といった、暗記科目とでも呼ぶべきものは完璧。というより、慧音よりも理解が深いかもしれない。逆に国語――特に『この人物の心情を文章から抜き出せ、あるいは想像して書け』といった問題には極端に正答率が悪い。前者はまだしも後者は完全に不正解だ。

 チラとシオンを一瞥するが、シオンはただ困ったような表情を浮かべるだけ。本人としても、これが全力でやった結果なのだろう。

 「なんというか……これだけができないというのも、凄まじいな」

 「心情を考えろっていうのがどうしてもできないんだよね。他人なんて気にかけてる暇が無かったから、いくら考えてもわからなくて」

 そう、他人の感情がいくらか読めても、それで相手が何を考えているのかわかるはずがなく。気配りはできてもその中身がわからないのだ。

 しかも人間の心というのは複雑怪奇。つい一秒前に考えていた事とは一八〇度変わることすらザラだ。それでもなんとかなっているのは、一重に慣れ、経験という積み重ねがあるからこそ。気配りや相手に合わせることを知っているからこそ。

 だが――シオンにはほとんどそれがない。

 相手に合わせようにも嘘をつけないから難しいし、相手の考えを察せられるほど経験を積んでもいない。そもそも心情なんてわからない。

 「なるほどな。となると、国語の授業だけは私が受け持つしかないか」

 流石に説明できない分野がある科目を担当させるわけにはいかない。それでは『先生』がいる意味がないのだから。

 それでも、だ。

 「他の科目は満点だ。国語以外は任せよう」

 「それじゃあ、合格と?」

 「ああ。合格だ」

 ふぅ、と息を吐くシオン。以下に紫からの支援を受けられたとは言え、それだけに頼りたくないのがシオンの本音だ。そもそも唐突に支援を打ち切られる可能性もあるので、なるべく他のアテが欲しかった、というのがある。

 「今日は顔合わせ程度にしようか。あとは授業のサポート……副担任、とでも言おうか。それをしてもらいたい」

 「わかった。といっても、俺のやり方は多分、慧音の想像してるものとは大分違うだろうけど」

 「……?」

 不思議そうにしている慧音に、シオンは微笑を浮かべる。

 さて、シオンがどんな授業をするのか。それは最初の授業で、あっさりとわかることとなる。

 時刻は八時。この時点で幾人かの子供――生徒がまばらにいる。教科書やノートを取り出しているのを見る限り、真面目な部類なのだろう。誰よりも早く来ていたシオンを見てどうしたんだろうと言うような表情を浮かべていたが、すぐに席についていた。

 逆に十五分を過ぎてから来た生徒は、シオンに話しかけてきた。好奇心旺盛、というのを表すかのように眼を爛々とさせている。この様子では、シオンがやったことをよく知らないのだろう。知っていても理解できるかどうかは怪しい限りだが。話している内容は他愛もないもので、知らないことはやはりあったが、少しは親しくなれただろうか。

 そして二十五分、もう遅刻寸前という時間になってようやく最後の数人が寺子屋に来た。汗をかいているのを見るに、本当に時間ギリギリ、全力疾走で間に合わせたようだ。席はそれで全員埋まる。遅刻者はいないらしい。

 と、全員が席についたところで――もちろんシオンは座っていないが――慧音が教室内に入ってきた。ギリギリで入ってきた生徒の顔が強張る。

 「――ハァ。今日は遅刻者は無し。……ギリギリだがな。次はもっと余裕を持ってきなさい」

 『はーい!』

 頭が痛い、というふうに即頭部を押さえる慧音の心情など露知らず、反省している様を見せない子供達。だが腕に隠れた慧音の顔には笑みがある。よっぽど子供達が好きなのだろう。手間がかかるかからないを問わず。

 「さて、今日も授業を始める――と、言いたいところだが、その前に。今日からここで私と共に働くこととなる者を紹介する」

 慧音の言葉に、ザワ、と教室が揺れる。中には慧音に直接質問する子もいた。

 「先生先生! それってどんな人ですか!」

 「ん……そうだな。とりあえず、真面目だ。聞けば、知っている範囲ではあるが、何でも答えてくれるだろう。苦手分野もあるみたいだが、私よりも頭がいい。後は……」

 つらつらと良い点と悪い点をあげていく慧音。それに面白そうにしているのは大半が女子達で、逆に男子達は面白くなさそうだ。

 「あ、私もいいですか! その人って――女性? それとも男性?」

 シーン、と教室の誰もが動きを止める。だがその内容は正反対。女子は黄色い悲鳴をあげる一歩手前、男子は純粋な悲鳴をあげる一歩手前の状態だ。しかし慧音は気づかない。これで気づくようなら恋心に鈍感などと呼ばれはしない。

 だから、ただ簡潔に告げた。

 「男だ」

 そして、歓声。

 男子は全てに絶望したかのように項垂れている。その反応は、まるで。シオンですらわかるほどにわかりやすい。

 (まぁ、慧音は魅力的だしな。年上に憧れる年頃だし、憧れに近い淡い想いくらい抱いても不思議はないが……慧音。少しは気づいてやれ)

 女子はもう本当に面白いことを見つけたとばかりに慧音に質問している。だがそこは流石慧音、というべきなのか。

 「さぁ、皆落ち着け! そろそろ時間も過ぎる。一時間目の授業まで潰すわけにはいかないからな、簡単な自己紹介をさせてやりたい。……さ、シオン。名前と年齢、それから趣味みたいなことを教えてくれ」

 「わかった。ま、質問がなければ一分で終わるだろ」

 え? という言葉は、誰が発したモノか。

 生徒達全員の視線が、先程から教室の隅で腕を組んでいたシオンに集中する。それを露程にも意に介さず、教卓の横へ移動する。

 「さて、紹介に預かったシオンだ。苗字は無い。シオンと呼び捨てにしてくれ。歳は九。この中にも年上はいるだろうが、一応教師として接し……なくてもいいか。趣味は鍛錬。質問は?」

 とはいったものの、誰も彼もが驚きで固まったままだ。予想したものとは随分と違うその姿に、硬直している。

 「質問は無いみたいだな。シオン、授業を始めようか。一時間目は歴史だから、私がやっても構わないか?」

 「ん? ああ、いいけど……」

 ――妙に嬉しそうだな、という言葉は言えなかった。

 それくらいに迫力があったのだ。ここでは慧音が一番上なのだから、わざわざ聞く必要もないだろうに。

 横目で今になって質問しようとして、でも慧音の様子を見て何も言えなくなっている男子生徒が哀れだった。

 ――授業は滞りなく進んだ――と言えたのなら、どれほどよかったか。困ったことに、歴史の授業で寝てしまう生徒が教室の約三分の一に上る。これが単純に生徒のせいなら、シオンとしても文句を付けられたのだろうが……。

 「さて、それでは次の内容に移る。経歴七九四年、この時代は――」

 つまらないのだ、物凄く。慧音の授業が。

 別に下手なわけではない。それどころか理路整然としてわかりやすく、理解しやすい。……が、それはあくまでシオンからの話。

 慧音の授業を簡潔に説明すると。一から十まで全ての内容を説明し、黒板に書き、そして次に行く。――わかっただろうか、このつまらなさ、そして何より大変さが。

 一から十まで説明する、それはいい。だがその大前提として――覚えなければならないのだ。その()()を。

 慧音がやる説明には抜かしていい場所がない。つまり()()()()()。一番覚えなければならない部分がない。だから全部覚えるしかない。

 それゆえ子供達は大別して三つに分かれている。眠気に負けて眠っている者。ここに区別されている者はどの授業でも同じ行動を取るだろう。先ほど言った三分の一、その半数を下回るくらいの人数がここに入る。

 次に、これが大半となるが、眠っている者と、起きてはいるがほとんど何も書いていない者。これは前者が全てを諦めていて、後者は()()()()()()()()()()()()書いているだけの者。やらないよりはマシ、くらいに考えているのだろう。シオンとしてもそれはしょうがない、とすら思う。

 最後に、シオンの見る限りでは数人程しかいないが、一生懸命頑張って、一から十まで全て書いている者。それでも全てを書くのは並外れたことではなく、書けなくて涙目になっている子までいる。

 (慧音、流石にこれは……無い)

 シオンが余裕でいられるのは、完全記憶能力があるからだ。それがなければこの授業、やる気など失せる可能性が高い。それ程までにつまらない。面白味がない。

 想像すればわかるだろう。ここからここまで全部覚えろ。覚えたらここからここまで。その繰り返しだ。……やる気が出るか? 普通は出ない。

 「では――と、その前に、眠った者を全員起こそうか」

 ピシリ、と教室中が、先ほどとはまた別の意味で凍りつく。その中には、今にも泣きそうになっている子までいた。シオンはこれをよく知っている。恐怖、という感情を。

 「慧音、待て」

 だからこそ、シオンは止めた。一言物申すために。

 「シオン? なぜ止める。私は寝ている子達全員を起こそうとしているだけなのだが」

 「……起こすためにここまで恐怖するか?」

 ボソリと呟いたが、慧音には聞こえなかったのだろう。どこか不機嫌そうにしている。

 「理由が無いのなら、授業妨害になる。いくらシオンといえども――」

 「つまらない」

 またしても、全員が固まった。今度は慧音を含めて。

 「学者に説明するんだったらいい。でも事前知識が全くない子供達相手にこんな説明しても無意味だ。というか理解すらできん。眠っても当然だろう。頑張ってる生徒にはわるいが……全部、無駄だ」

 何か見えない矢印が慧音に突き刺さっているような気もするが、気のせいだとシオンは断した。

 「まぁやるのは別にいい。知識があればわかりやすいしな。だがやるならせめて、ここは覚えておいたほうがいいとか、もっと直接的にここは試験に出す可能性が高い、とか伝えておけ。そうしないとノートを取る気すら失せるぞ。数人は自業自得だが、眠っている残りは慧音、貴女の授業内容に問題があるからだ」

 「わ、私は間違っていたのか? 何百年も、こんな事を……」

 ……少し、やり過ぎたか。慧音が落ち込んでいるように見える。フォローを入れておこう、と思ったのは、シオンの心境の変化か。常ならここで放っておくだろう。

 「歴史が好きなのはわかる。話したいのなら俺が付き合おう。だけど子供達には、もっと楽しく授業を受けさせてほしい。それも教師の役目だろう」

 「う……そう、だな。歴史を理解するには、正しい歴史を最初から学んでいく必要がある。そう思っていたから、こんな事を……」

 今更ながら思い返せば、歴史だけは妙にテストの点数が悪かった。その度にもう少し歴史の授業の時間を増やすか、と思って増やしたり、それでもダメなのに頭を捻って、もう少しわかりやすくしようと努力して……要するに、ドツボにハマっていたのだ、慧音は。

 「今回は俺が授業を受け持つ。それでいいか?」

 「ああ。私もここから変えるのは無理そうだ。アドリブは苦手でな」

 意外、というと失礼ではあるが、慧音はあっさりと引いてくれた。だがその横顔にはどこか憂いがあって――そして、それに見蕩れている数人の男子。

 ハァ、とシオンは溜息を吐く。それから全員を見渡し――パン、と手を叩いた。静かに響くその音。普通なら何も起こらないが――シオンが何の用意もなく手を叩いたはずはない。

 『氣』が込められたその音にほんの少しの殺意を加え、眠っている子供達の生存本能を揺らす。

まるで絶対的な死を与えてくる相手に出会ったかのような恐怖。だが目が覚めると、そこはいつもの教室で――そして他のクラスメイトが自分達を不思議そうに見ている事実。

 シオンが殺意を向けたのは、眠っている者達にのみ。それが原因で、起きていた子供達は突如として全員が一斉に飛び起きたのを不思議そうに見ているのだ。

 「それじゃ、これからは慧音に変わって俺が歴史の授業を進める。さ、ノートを開きな。まずはさっき慧音が進めていた部分で重要なところを教えようか」

 やはり、というべきか、シオンが進めていても眠ってしまう者はいた。それはしようがないことなのだろう。全員に『そうであれ』と強制するのは傲慢だ。だからシオンも放っておいた。

 授業が終わる寸前になると、シオンは教科書を閉じる。仮に無くても全ての内容は覚えてあるので問題ないが、やはり生徒達の手前、繕う必要はあった。

 もう一度眠っている全員を同じ方法で叩き起こす。二度目になると、それが何なのかわからずともどういった効果なのかはわかるらしい。どこか畏怖の視線を向けられているが、シオンは気にしない。

 「授業終わりになるけど、一つ伝えておくよ」

 そこで一度区切り、全員が聴いている事を確認する。

 「別に真面目に俺の授業を受ける必要はないよ」

 そんな、正気を疑う言葉をシオンは言う。畏怖の視線が今度は不可解なモノを見るような眼に変わっているが、全て無視。

 「今やっている授業、その全てが無駄とは言わない。でも大半は無駄だ。計算なんて四則演算ができればそれ以上を習う必要なんてほとんどないし、文字もある程度読み書きできれば覚える必要はない。歴史も過去の偉人がやったことであって、自分達には関係ない。その他の教科なんて言うに及ばずだ。だから、言わせてもらう。()()()()()()()()、と」

 実際、シオンは生きていく上でそれら全てを必要としていなかった。今ではこの場にいる全員より――慧音を相手にすると一部分が悪いが――も頭がいい。知識もある。

 が、それら全てを使うのかどうかと言われると――否定するしかない。

 「最低限を覚えておけば将来的には十分だ。それが理由。わかったか?」

 一瞬の静寂。だが一人二人と理解していくと、やがて拳を振り上げて喜ぶ男子が出てきた。明日は何をして遊ぶかと相談している女子もいた。

 それでもシオンは何も言わない。やがて静寂が一転して喧々轟々となる。

 「まあ――それで騙されて後悔しても、知らないけどね」

 冷水が飛んでくる。それはシオンの冷徹さを証明するようで、騒いでいた者全員の心胆まで寒からしめた。

 「ど、どういう意味だよ、シオン」

 と、そこで先ほど真っ先に拳を振り上げていた男子が質問してくる。

 (名前がわからない……そろそろ聞かないとマズそうだよなぁ。予定も狂ったし)

 シオンの本音としては、一時間目の授業で慧音が誰かに問題を答えてもらう、といったようなことをした時に覚えるつもりだったのが、まさか全員置いてけぼりで進めていくとは思いもよらなかったのだ。

 現時点ではそこまで覚えなくてもいいため、とりあえず今の質問に答えておく。

 「さっきも言っただろう。最低限覚えればそれでいい、と。だけどそれは、最低限のことにしか対応できないことになる。騙されたとしても、それがわからない可能性がある」

 シオンが騙されずに済んだのは、人と接さないでいたこともあるが、何より『嘘』を見抜く観察眼に長けていたことにある。同時にシオンは、普通の子供はここまでおかしくないことをよく知っている。だからこそ学び、知り、備え、生きていかなければならない。

 「お前達は今楽をして将来『かもしれない』未来を潰すか。あるいは今ある程度頑張ってこの先を生きるか。お前達が、自分で、決めろ。俺はやろうとしない奴に俺の時間を使うつもりは全くない。ここは学びたい者が来るべき場所だ。他は知らん」

 ――これが、シオンの教育方針。全てに平等に教えようとする慧音とは正反対の考え方。

 いや、そうでなくともこの考え方は異端だろう。それくらいは理解している。だがこの考えを曲げるつもりなど、サラサラなかった。

 「……シオン、流石に言い過ぎではないか? そのやり方では給料を払うどころか、最悪クビになりかねないぞ」

 「それならそれで仕方ないと諦めるさ。俺は波紋を生んだだけ。それに」

 「それに?」

 「いや……なんでもない」

 命を賭け金に学ぶよりはマシだろう、なんて言葉。慧音に言えるはずがなかった。

 その後も一応シオンが授業を受け持った。シオンもやはり天才の部類に入るのだろう。意欲はある、だがどうしてそうなるのかがわからない生徒の『わからない』部分を理解し、丁寧に、『その生徒にとって』わかりやすく教えている。

 逆に意欲がない生徒に関してはほぼ無視に近い。黒板と説明だけ聞いてろ、と態度で示しているのだ。そんな生徒には慧音が対応していた。

 一日が過ぎるのは早いもので、もう昼食時。どうやらこの寺子屋では弁当を持ってくるのが基本のようらしく、生徒達が各々の弁当を取り出し、食べていた。

 「シオン、私達は戻ろうか」

 慧音は教員らしく、自室で食べている。誘われれば一緒に食べもするが、やはり年齢差を意識してか遠慮がちだ。この日もそうだった。

 「あぁ……いや、その」

 しかし予想に反してシオンは苦虫を噛み潰したかのような顔を浮かべている。何かイレギュラーでもあったのだろうか。二人は並んで教室を出た。

 「実は……弁当を、持ってきてないんだ。個人だとは知らなくて。どこかで食べる場所は……あっても無理か」

 重い口を開いて出てきた言葉は、どうしようもないことだった。持ってきてない、それだけなら他にも手はあるだろうが、シオンの場合はそれすらままならない。一人で外出すれば、里の人達の恐怖心はパニックへと繋がるだろう。

 「……仕方ない。今日は諦めるよ。自業自得だしな」

 「そう、か。いや、それなら作るか? 幸い材料はある。一食くらいであれば構わないが」

 「いいのか? わざわざそんな」

 「構わない、と言っているだろう? それに一人の食事は味気ないものだ。話し相手になってくれると助かるのだが」

 「わかった。ありがとう、慧音」

 「そう手間取ることでもないさ。今度は君の料理でも振舞ってもらおうかな?」

 「そんなのでいいのなら、約束しよう。近いうちにな」

 「ふふ、それは楽しみだ。美味しいものを期待しているよ」

 慧音の料理は世辞抜きで美味しいものだった。つい心の中で、これはハードルが高いな、と思わせられた程だ。

 食事をしている途中、慧音が眉を寄せて言って来た。

 「シオン、やはりあの教育方針は間違っていると思うんだ。意欲があっても着いてこれない子には優しいが、やる気が無い子をあっさりと見捨てすぎだろう」

 「そこは理念の違いだろうな。俺はやる気が無ければ意味がないと思っている。ほら、よく言うだろう? やる気があればなんでもできる。あれは言い換えれば、やる気がなくては全て意味がないってことだからな」

 「それはいくらなんでも極端すぎる。やる気をだそうにもそれを奪われている子だっているんだぞ。そういった子はどうするんだ?」

 「多少、説得はするかもしれないが、それくらいだろうな。本人の意識が変わらなければ意味はないし」

 シオンは意欲があるのならどこまでも付き合うという意思があるし、それを実行できるだけの力を持っているつもりだ。

 だが根本的に意欲がない人間にどうこうするつもりは欠片もない。

 「俺は今まで見てきたよ。生きたいと願った人間も、死にたいと願った人間も。色々見続けてきた。腐るほどに。そして諦め続けた人間が――腐っていくサマを。努力した人間が折れて狂うサマを。俺は――ただ我武者羅に生き続けた人間だ」

 一人で努力した。共にいた人間もいたが、全員いなくなって。その中で知ったのは、簡単な事実だった。

 「()()()()()()()()()()()()。だったら俺にできるのは、精々()()()()()()()()()ことだけ。でも、伸ばそうとすらしない人間は……見ていて反吐が出る。それがどれだけ幸せなのか、知りもしないくせに」

 吐き捨てるように言うシオン。

 教えられることは、どれだけ恵まれているか。こんな暖かい人に教えられるのが、どれだけ幸せなことなのか。

 それを理解しないのが――そしてそれを理解できるだけの環境にいなかったことが、酷く羨ましく思えて、苛立ってしまう。

 それを何よりも望んでいた人達は、皆死んだから。

 「それでも――君の教育方針は、行き過ぎている」

 「努力している人は好き。努力してない人は嫌い。それだけのことだろう。だったら分けてしまえばいいだけだ」

 「分ける……? 何が言いたい」

 「俺が努力している人の背を伸ばして、慧音が努力していない人の尻を叩く。そうすれば、完璧だ」

 言いことを思いついた、というように笑うシオンに、慧音は肩の力が抜けてしまった。

 「シオン、まさかだとは思うが、はじめからそれが目的で……?」

 「さぁてどうなのかな。今言ったのは全部本音だよ。本当にあったことでもあるし。どう思うかは慧音次第だね」

 「やれやれ。こんな小さい子に手玉に取られるとは、私もまだまだか」

 「揺さぶりをかけられれば誰だってこうなるよ。俺でもね」

 と、シオンは食後のお茶を淹れる。茶葉が違うため多少苦労したが、その内容は霊夢のやり方を覚えている。

 「ほれ、お茶」

 「ああ、ありがとう。……ふむ、少し味が抜けているが、上手いな」

 「そりゃどうも。茶を淹れるのは初めてだから、緊張したよ」

 少しだけど、と言ってシオンは笑う。その言葉に驚いた慧音だが、その驚きを伝える前に時間になってしまった。

 グイッ、と一気に飲み干し、湯呑を流しに置く。そして急いで午後の準備をし、部屋を出た。

 「給金については様子見だ。覚悟しておけ」

 「……りょーかい」

 もう苦笑いしか浮かばない。

 自分のせいだとわかっていても、どうにかならないかな、と思うシオン。そんなシオンに、慧音はデコピンをおみまいしてやった。




次で戦闘にするつもりが長引きすぎて次々回? に。

よーやっと出せるよ。次回ラストに期待してください。


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紅の来訪

 「――はぁ」

 その日の授業が全て終わり、慧音が帰りのHRをしているのを眺める。そして挨拶を終えて生徒達が各々帰りにつく中で、シオンはその場に残っていた。

 一応最後の授業が終わる寸前、わからないところがあったら質問に来てくれ、とは伝えておいたが、実際来るとは露ほども思っていない。最初に言いすぎたからな、と自分でも原因はわかっている。だからこその溜息。慧音にはああ言ったが、ここで働けなくなればもう金を稼ぐための場所は無くなる。霊夢には言えないなぁ、とシオンが小さく溜息を吐いた時。

 「あ、あの……」

 「ん?」

 おずおずと声をかけたのは、気弱そうな、けれどシオンの記憶には真面目に授業を受けていた男子生徒。

 シオンの反応に更にビクりと怯えていたが、小さな声で言った。

 「わ、わからないところを、教えてほしいのですが……」

 「それは構わないが。どうして慧音じゃなくて俺の方に?」

 そこが不思議だった。確かにシオンは『質問しに来い』とは言ったが、先生は何も一人だけではない。というより、剣呑な雰囲気を滲ませるシオンより、大人の女性、頼れそうな、そして聴きやすそうな慧音に頼むのが普通だろう。

 が、少年は何故か周囲に視線を移すと、言いにくそうに答えた。

 「えっと……慧音先生の方が聞きやすいのは本当だけど、でも慧音先生は」

 さりげなく失礼な事を言いつつ、チラと慧音のいる方向を見やる。当の慧音はサボっていた生徒に説教と、ついでに宿題であろうプリントを叩きつけていた。

 「あんな感じに、授業態度とか成績が悪い生徒を重点的に教えてるから、さ」

 「ああ、なるほど。――そういうことならいいよ。で、聞きたいのは?」

 「ありがとう。今日の授業の大体はわかったんだけど、どうしても歴史だけはダメなんだ」

 「慧音のあんな授業じゃ仕様がないさ。どこから教えればいいんだ?」

 「ああいや、ノート自体は全部とってあるんだ。だから、どこが重要なのか、そこに線を引いてくれればいいんだけど」

 話している内に少し慣れたのか、最初の頃の淀みが無くなってきた。というより、勉強を教えている内に笑顔が浮かんできた、というべきか。どちらにしろ笑顔で教えることを吸収してくれる生徒は教え甲斐があるものだ。

 知らず知らずの内に笑みを浮かべているシオン。その顔を見たからか、一人、また一人と質問をしに来る。やはりまだ精神が熟さない子供だからか、順番を待つ事を知らない。それでも一人一人の話を聞いてアドバイスをする。

 最終的に終わった時間は夕方になる一時間か二時間くらい前くらいだった。単に子供達が帰らなければいけない時間になっただけの話ではあるが、シオンとしてもありがたい。これから霊夢に頼まれた食材の買出しに行かなければならないのだ。

 「慧音、一つ聞きたいんだが、これから買出しに行ってもまだ店は開いているのか?」

 「この時間なら――そうだな。まだ開いているだろう。冬ならもう日が沈んでいるから閉まっていただろうが。運がいいな、シオンは」

 「俺はそう思わないけどねぇ。慧音、頼めるか?」

 「わかっているさ。君一人で出歩かせるのは、まだ早いからな」

 そう言うと、慧音は教室の戸締りをする。シオンも窓を閉めるのを手伝い、二人共外に出たら教室の鍵を閉めて寺子屋を後にする。

 「顔を隠しておいたほうがいいか? 念の為に」

 「ん、いや……遅かれ早かれ君の事は知らせる必要がある。それに、だ」

 慧音はシオンに近寄ると、極自然な動作でシオンの手を握った。

 「こうすれば、シオンの危険性を多少は減らせるだろう」

 「…………………………な」

 小さく呟かれたシオンの言葉。半妖と言えど現状人間と変わらぬ五感しか持たない慧音にはほとんど聞こえない。

 「何か言ったのか?」

 「……いや」

 聞き返してみても、シオンは歯切れ悪そうに答えるだけ。そして何度か躊躇し、一度慧音の手を強く握ると、答えてくれた。

 「こうして誰かと手を握って歩くのは……随分久しぶりだと思っただけだ」

 「それは……悪いことをしたか?」

 「たまにはこうするのもいいよ。懐かしいって感じただけだから」

 なんとなくだが、慧音はその理由を聞くのをはばかられた。理由は自分でもよくわからない。下手に突っ込んではいけないと、本能的に悟っただけなのだろう。

 「おぉい嬢ちゃん! こっちだ、こっち!」

 「ん? あぁ……八百屋か。いきなり叫ばれてなんだと思ったぞ」

 「わりぃわりぃ。嬢ちゃんが誰かと一緒にいるのも珍しいなと思ってよ。それで、その子は……誰なんだ?」

 「今日から私の寺子屋で共に働くことになった、シオンだ。こんな外見でも男だから、相応の扱いをしてほしい」

 「お、そうなのか? こんな外見してるのに、わからんもんだねぇ。――って、待ってくれ、嬢ちゃん」

 何故か、八百屋の顔が引き攣り出し、頬には冷や汗が滲み始めている。

 「白髪、赤目……それに十かそこらの身長の子供。まさか、そいつは」

 「ああ。多分お前の考えているとおりだよ」

 「正気か嬢ちゃん!? こんな奴を里に入れてるどころか、一緒に居て歩いてるなんて。嬢ちゃんもこいつの同類に見られるかもしれんぞ!」

 「そのくらい理解しているさ。大丈夫だよ。シオンはもう暴走しない。少なくとも、理由が無い限りはな」

 「って言われてもな……嬢ちゃんがそう言うならおれぁ信じるが、他の奴は知らんぞ? 少なくとも頭の固いジジイ共とか、臆病な奴とか」

 「その辺りは割り切っている。今は一人でも味方が欲しくてな。安心しろ、少なくとも妖怪の賢者はこちらの味方だ」

 「げっ、紫様がか……つっても限度はあるぜ? 他にも、その、なんだ。協力者はいるのか?」

 「私と後二人。樹と理沙が協力してくれる」

 「あの二人か。それならまぁ多少はイケるか。――わぁった。俺も商売仲間に呼びかける。で、今日の用事はそれだけか?」

 「私の方はな。代わりにシオンが――って、何をやってるんだ、シオン?」

 水を向けてみると、シオンは二人をほったらかして野菜を手に取って吟味している真っ最中だった。妙に静かだと思ったら、真剣に野菜を見ている。授業をしていた時よりも集中しているかもしれない。

 「シオン、少し――」

 「うるさい。ちょっと黙ってくれ」

 「あ、はい」

 ピシャリと言い放たれ、慧音はそれ以上何も言えなくなってしまう。な、なんだこの気迫は……と恐れていると、八百屋が割って入ってきた。

 「おい坊、主? でいいのか? 確かにここにあるもんは、多少の差はあるが、どれも新鮮な物だぞ? ……話聞いてんのか?」

 が、全てスルー。と、シオンはいきなり動きを止めると、緑色野菜のある場所を睨む。そしてその中に腕を突っ込むと、一個のキャベツを引っ張り出した。

 そしてそのキャベツをいきなり分解し始める。流石の八百屋も限界だった。

 「なぁ、嬢ちゃん。いくら普段世話になってるあんたの言でも、これはそろそろ堪忍袋の緒が切れそうだぜ……?」

 「す、すまない。おいシオン。いくらなんでもそれは」

 「ねぇ、慧音。それに――八百屋? これを店先に並べるのは、いくらなんでもどうかと思うんだけど」

 シオンは二人の言葉を遮ると、分解した部分の一つを見せた。それを見た瞬間、八百屋は眉間に皺を寄せた。

 「こいつぁ……そうか。すまねぇ坊主。俺が悪かった」

 「いきなりどうしたんだ? 特に何があるわけでもなさそうだが」

 「そっちからは見えねぇのか。ここだ、ここを見てくれ」

 「ん、ん……?」

 指差されたところを見ると、少しだけ破れたところがあった。だが、慧音にはこれがなんなのかがわからない。

 「これは、虫食いだよ」

 「虫食い? わかるものなのか?」

 「何となくな。つっても、こんな奥まで侵入してると実際に使うまでわからないが。まぁ別に虫食い自体はいいんだが……問題は」

 「中に混入してる虫だよ」

 シオンは人差し指を慧音に見せる。そこにはキャベツについていたのだろう、小さな虫が止まっていた。

 「誰だって好き好んで食用でもない虫を食べようとは思わない。生理的嫌悪が湧き上がる人だっているだろう。クレームもあるんじゃないか?」

 「まだ俺が店を継いだばっかの頃は、よくやっちまったな。気をつけていたんだが、ここまで奥に入られるとわからねぇ。今回ばかりは感謝しとくぜ、坊主」

 「うん、まぁそれはいいんだけど。一々見つけてあげたんだから――ちょっとサービス、してくれるよね?」

 「はぁ、抜け目ねぇ奴だ。しょうがねぇ、多めに見てやるよ。クレームを相手にするよかマシだしな」

 「あ、それと、傷んでいるせいで店に並べられなかったモノとかない? あるなら欲しいんだけど」

 「そんなもん何に使うんだ?」

 片眉を上げた店主に、シオンは告げる。

 「何って――食べるためだけど?」

 

 

 

 

 

 「まさか一軒目でここまで手間取るとは思わなかった」

 「当然だろう。傷んだ物をわざわざ渡すバカがいるか。商人は信用が第一なのだぞ?」

 「俺はクレームとかつけるつもりはサラサラないんだけど」

 「良心の問題だッ!」

 どこかズレているシオンに、慧音は深呼吸して気持ちを落ち着ける。当のシオンは慧音の反応に見当違いな事を考えたのか、大丈夫だよ、と言った。

 「こんな交渉はそうそうできない。アレは偶然あっただけだ。仮にあるとしても、何ヶ月か後くらいじゃないか?」

 「そういうものなのか。私にはよくわからないが」

 「一応専門のスペシャリスト。俺がどうこう言える事じゃないよ」

 ――その発言通り、と言うべきなのか。

 その後怖がられながらも魚屋、肉屋、と一つ一つ順に巡っていったが、店先に並べるべきではないモノ、なんて物は無かった。シオンは当然の事として捉えていたが。

 「さて、こんなところか。頼まれた物は」

 手元にあるメモを眺めるシオン。周囲はもう日も暮れていて、メモにある文字など見えなさそうなのだが、特に問題はないらしい。

 「仮になにか残っていても、この時間だ。店は閉まっているよ」

 「そうか。まぁ、後はここにあるものを全部持って帰れば――」

 言葉を途切れさせると、微かな警戒心を胸に潜めつつある方向を見る。釣られて慧音もそちらを見ると、ボロ布を纏った、男か女かもわからぬ子供がいた。

 「あれは――」

 「……幻想郷にも、貧富の差はある。どうしようもないことだよ、これは」

 そう言う慧音の言葉には、妙に力が籠っていた。どう見ても現状を良しとしていない人間の声。だが、シオンは何も言わない。いやむしろ――

 「飢餓以外に死に直結する要素がほとんど無いんだから、大分マシだろう」

 「何か言ったか?」

 「いいや。何でも」

 そんな事を直接慧音に言っても反感を買うだけだろう。彼女は『貧富そのもの』を疎んでいるのであって、『そこに潜んでいる不幸の差』を知っているわけではないのだ。それに、下手に何かを言って不幸自慢をするのもどうかと思う。紅魔館は例外だ。あの時は前後不覚ととった。忘れたい過去である。

 「今日は付き合ってくれてありがとう。また明日、慧音」

 「あ、ああ、わかった。明日も里の前で集合、でいいか?」

 「その必要はないかな。よ――っと」

 いつの間に取り出したのか、刹那の時間で白夜を持ち、そのまま空間を切断。そして適当に荷物を放り投げると、別方向にまた一閃。

 「それじゃ」

 もう振り返らずにシオンは空間の穴へ入っていく。その後ろ姿が、妙に焦って見えたのは――果たして慧音の気のせいなのか。

 神社へ戻ったシオンは、罰当たりだろうなと思いつつ鳥居に背を預け、ズルズルと座り込む。

 「あぁ、クッソ――」

 先程の少年か少女かの姿。アレが、妙に嫌なことを思い出させる。

 「見たくなかったなぁ……」

 まるで、昔の自分のようなボロボロに擦り切れて、やせ細った体。だからこそ、シオンは何もできなかった。

 昔の姿のままなら――いや、昔の姿でも、一層反感を買っただろう。

 ()()()()()()()()()()()()、という言葉を返されて。

 だからシオンは食料を渡せない。同情するつもりはないと言ったところで信じては貰えないだろう。ただ――なんとなくの共感を覚えただけなのだとしても。

 「かと言って、それ以外に何ができるわけでもないんだけど」

 貧富の差をどうこうしたところでできるわけがない。特に、部外者で、恐れられているシオンでは。紫――は、おそらくどうでもいいと割り切っている可能性が高い。アテにできるはずがなかった。

 「――シオン? そんなとこで何座ってんのよ?」

 「霊夢?」

 なぜか鳥居の入口の方から歩いてくる霊夢。多少汚れた霊夢の巫女服は、彼女が今まで外にいたことを知らしめていた。

 「外に行ってたのか。何してたんだ?」

 「ちょっと妖怪退治にね。ここ最近、妙におかしな妖怪が多くて。依頼が増えるのはありがたいんだけど、ペースが速いと御札とか針とか用意できないから辛いのよね」

 最悪殴ればいいんだけど、という霊夢には気にする様子は無い。そのまま霊夢は、それで、と続けた。

 「あんたはそこに座って何してるの? 今度ははぐらかさないでね」

 「そんなつもりはないんだけど……ちょっと、昔の自分に似た奴を見ただけだ」

 「ふぅん。それだけ?」

 「それだけ、って……反応薄いなぁ」

 「別に私がどうこう言える問題でもないし。それに」

 霊夢は少しだけ顔をしかめると、

 「あんただったら……自分でどうにかするでしょ」

 そっぽを向く霊夢。だがシオンの視力は、霊夢の耳が赤くなっているのを捉えていた。

 何とかする、と言われても、何も思いつかない。今のシオンには、金も、地位も、名声も、何一つとして持っていない。現状で出る結果は、無理。

 だが、もし――もし、金があれば?

 (金があれば孤児院か何かでも作れるだろう。人を雇って――いや、土地が無いか。それならいっそ里の外に……守る人が必要か。アテは――ある。妹紅なら、多分。絵空事に近いけど、できるかもしれない)

 里の中に土地はないが、外になら土地がある。その土地を使ってある程度の自給自足をさせ、一定以上の年齢に達している少年少女は働きに出ればいい。安全面を捨てているため誰かが妖怪から襲われるのをなんとかする必要があるが、それこそ妹紅か、最悪自分が孤児院に住み込めば何とかなる。

 その為に必要な資金はかなりのモノだろうが――できる、かもしれない。

 明日慧音に相談しよう、と思いつつ、シオンは立ち上がって霊夢に言った。

 「ありがとな、霊夢」

 「お礼を言われる筋合いは無いわ。それよりも食材! 買ってきてくれてないと、今日の夜は抜きになるわよ?」

 「そこは抜かりない。ほれ」

 適当に袋の一つを取り出し渡す。霊夢は中身を見ると、ちゃんとメモの通りに買ってくれたと、少し安心したように息をついた。

 「ならさっさと準備しましょうか。ほら、あんたも手伝う!」

 「わかってるわかってる」

 手を叩いてシオンを追いやる霊夢。そのまま神社の中へ入り、飯を食べ、風呂に入り、一日が終わる。シオンの頭の中に、一つの計画を刻みながら。

 「――孤児院の設立?」

 次の日の朝。いの一番に寺子屋に駆けつけたシオンは、昨日考えたことの一部を慧音に聞いてもらった。

 「不可能ではないと思うんだが、どうだ?」

 「私も不可能ではない、と判断できるが、やはり難しいな」

 「難しいって、どの辺りが?」

 「まず里の外に作る、という点だ。里にいる人は誰もが妖怪の驚異を理解している。里の外へ出るという事実も。いくらボディガードのような者がいても、本能的な恐怖はどうしようもないだろう。何人かはついて来てくれるだろうが……」

 難しい顔で腕を組む慧音。だが、そこはどうにでもなった。

 「つまり、慧音が言いたいのは里の外での安全面ってことな?」

 「ああ。そこさえどうにかできれば、あるいは」

 「()()()()

 即答と、断言。

 「何?」

 「――出来るって言ったんだ。里の外での安全の確保」

 聞き間違えかと問い返した慧音の疑問に、シオンは自信に満ちた顔で言った。

 「安心しろ。魔力なら無駄に有り余っている。どうとでもなるさ」

 

 

 

 

 

 その日から寺子屋は臨時休業に入った。まず慧音とシオンで案を煮詰め、その煮詰めた案を厳や理沙に見せる。里に住む、『普通の』人間ならではの視点――常識がないシオンと、半人半妖である慧音では気づかない部分――から見た欠点を教え、更に修正。

 その案を、何故かひょっこり出てきた紫に見せ、資金の援助を頼む。

 「仕方ないわねぇ」

 と呆れながらも頷いてくれた。余計な交渉を省いてくれたのがありがたかった。

 それから厳に頼んで里の代表を全員集めてもらった。案を出したのは、敢えてシオン。シオン自身は話がこじれるから、と辞退したのだが、ついでだからシオンのイメージアップに利用しなさいと、()()()言われてシオンが提出する事となった。

 厳は理沙の言に基本逆らわないし、慧音は元より賛成だ。押し切られたシオンは渋々四人の代表者と纏め役の慧音に案を聞かせた。

 案の定、というべきか。出てきた反対案を、慧音と厳の反論。そして何より――

 「()()()を消すのって、何時の時代でもある事だよね?」

 ニッコリ笑ったシオンの言葉で消えることとなった。呆れている慧音と厳、理沙は無視。

 そうして(無理矢理)通した案を元に、力自慢の男性と建設業を営む職人達を雇い、孤児院の設立に入った。

 材料についてはシオンと紫が大量に持ってくるため問題はない。それを形にするのが職人達。そしてそれを指示通りに運ぶ力自慢の男共。ある程度を運んだらシオンもその剣技を無駄に使いまくり、魔力を使っていくつもの木材を浮かして運んだ。

 最初に会った時には怯えが隠しきれていなかった彼らも、仕事に入り、シオンと共に働いてからは一切の遠慮がなくなった。それどころか、

 「おい小僧! 雇い主が一番働いてるんじゃねぇ! こっちの立つ瀬がないだろうが!」

 「そう叫んでる暇があるなら手を動かせ手を! サボってんじゃねぇぞ職人(笑)!」

 なんて、会話とも呼べない、喧嘩一歩手前の怒号を交わすようになった。

 急ピッチで進められる作業は、本来なら数ヶ月はかかるところを数日で半分以上進める程に至った。途中で寺子屋が休んだことで見に来た怖いもの知らずの子供達――周囲の妖怪については藍や紫、慧音、霊夢らが討伐している――が野次を飛ばしに来たりもした。

 更には理沙を筆頭に女性陣までもが集まり、差し入れを出したりしてくれた。それを奪い合うようにして食べていると、人間不思議なもので、恐怖心が薄れてまともな会話をしてくれる人が多くなった。

 孤児院の大きさを、里内部にいる貧しい人達の人数とこれからどうなるかを大雑把に割り出し、決める。そうすると一日だけ人を追い出し、シオンが地面に魔法陣を書き出した。内容は防御、接触不可を中心にした結界だ。魔力は大部分がシオンを頼っているが、その内孤児院の人間だけで維持できるようにしたい。

 結界ができると、更に作業が捗った。なんせわざわざ妖怪を相手にする必要がなくなったのだ。今まで手伝えなかった彼女達に加え、途中話を聞いてやってきた妹紅が手伝いに入る。もちろん木材を切るのは職人とシオンの仕事だが、運ぶ手が増えるだけでもありがたい。

 そして結界ができたからか、孤児院の近くに作った仮小屋で雑魚寝する事になった。といってもそうするのはもっぱら職人達だけで、里の人は戻っていたが。

 孤児院ができるまで、もう後何日か、という段階になると、シオンと慧音は里中を駈けずり回った。孤児院の存在を知らせるためだ。

 もちろん最初は渋られた。『里の外にある』というだけで忌避感を誘うのだから仕方がない。それでも『一度だけ』ならと、嫌々頷いてくれた。慧音はわからなかったようだが、シオンにはその理由がわかった。無駄な体力を消耗したくないのだ、彼らは。

 大人数での移動は妖怪を誘いやすい。そのためシオン達はその移動方法を工夫し、妖怪が現れてもエンターテイメントに近いやり方で討伐した。血生臭い殺し方より、見ていて『良い意味で』非現実的な光景を見せることで、恐怖心を紛らわせるのだ。

 そして見せた孤児院の反応は、手応えがあった、と言い切れるものだった。彼らのために振舞った料理もそれに拍車をかけたのかもしれない。

 もちろん、完成したあとは彼らの手で努力をしなければならない。だが、これまでは努力してもどうにもならなかったことが、今は努力すればどうにかなる、に変わったのだ。嬉しく思わないはずがない。シオンと慧音は嬉しそうに見ている彼らを見て、笑いあった。

 その日、慧音とシオンは二人きりだった。

 「シオン、ありがとう」

 「どうしたんだ、いきなり?」

 「いや……どうしても伝えたくてな」

 そう言うと、慧音はシオンの両手を握った。

 「今まで、私は『どうにかしたい、どうにかしよう』と思い続けても、結局何もしないしできなかった。だけどシオンは、里に来てたった数日でこれだけの事をしてくれた」

 「別に俺一人でやったんじゃない。紫が金を出して、慧音と厳と理沙が案を纏めてくれて、嫌々承認したのに全力で手伝ってくれた里の代表者のお陰で、職人達が家を建ててくれて、その間彼女達が守ってくれたから……どうにかなっただけだ」

 「それでも全部の始まりは君だ。君が動いたから、皆が動いた。せめて感謝の言葉くらい、受け取ってくれないか?」

 「……そこまで言うなら」

 「ああ。――ありがとう、シオン!」

 「どういたしまして」

 慧音の笑顔がイヤに眩しくて、シオンはついぶっきらぼうに答えてしまう。それでも笑顔を崩さない慧音の顔が見れなくて――

 「それより、そろそろあの時の飯のお礼をしたいんだけど?」

 話を、逸らしてしまう。

 「いいのか? 私は返してもらわないつもりでいたんだが」

 「約束は約束! いいから今日は神社に来ること! いいなッ」

 「そこまで言うなら――御相伴に与ろう」

 そして夜――神社に慧音を連れ立って戻ったシオンは、気配で霊夢が戻っていることを悟った。

 「ただいま」

 「お帰りなさい。風呂なら焚けてるわよ。私はもう入ったから。それとも飯にする? まだ準備もできてないけど――って、慧音が来るなんて珍しいわね。いらっしゃい」

 「ああ、邪魔をさせてもらうよ」

 「で、慧音が来たのは?」

 「お礼。今夜の夕飯は俺が用意するよ?」

 「そう? それなら私はその後の準備をしようかしら。ああそれと、味噌汁は朝の余りがまだあったはずだから、飲みたいなら温めなさい」

 「わかった」

 阿吽の呼吸で二人は各々がやるべき事をやる。シオンが飯を作っている間に霊夢はテーブルを拭き、先に用意ができるご飯をかき混ぜ、食器と箸を持ってくる。その前に慧音を上座に座らせるのを忘れない。

 意外と早く準備できた料理。とても美味いと慧音は思ったが――途中から、その味を楽しめなくなってしまった。主にシオンと霊夢のせいで。

 「やっぱり霊夢の作った味噌汁は美味しいね」

 「当たり前よ。何年一人で作ってきたと思ってるの? 朝の食事に味噌汁は当たり前よ、日本人だったら」

 「俺は色々なスープを食べてきたけど――うん。霊夢の味噌汁なら毎日食べても飽きないと思うな」

 「ッ……バカみたいな冗談言ってないで、さっさと食べなさい」

 「冗談じゃなくて本音なんだけどなぁ。霊夢の作った味噌汁、本当に美味しいし」

 「だからッ。それをやめなさいと言ってるのよ……!」

 ……付き合っているのだろうか、この二人は。

 シオンが言っている事はあの有名な『毎日味噌汁を~』のプロポーズのようだし、それに満更でもなさそうに――あるいは純粋に褒められたからか――笑みが浮かびそうなのを必死に堪えている霊夢。ケッ、と唾の一つでも吐きたい気分になっても、慧音を責められないだろう。

 食後のお茶を霊夢が淹れている間に、シオンは流しで食器を洗う。洗い終えるとシオンと霊夢はさっさとお茶を飲み干し、お茶請けを食べている慧音の疑問をよそにシオンは横になる。それから霊夢はシオンにまたがると、シオンにマッサージし始めた。

 「う……ん、しょ、と。まだ固いわね。今日も張り切りすぎじゃない?」

 「って言われてもね。こうして働いてみると結構楽しいし……それに生活費もあるからな。霊夢の方は稼ぎが微妙だろう?」

 「む……まぁそうだけど。だから家事とか優先してやったり、あんたにマッサージしたりしてあげてるんじゃないの。……痛いところは?」

 「それは感謝してるよ。帰ってくるときには色々準備ができてるのは嬉しいからな。……気持ちいいよ。数日前とは大違いだ」

 「ならいいんだけど。――一言余計、だけどね」

 なんだろう、と慧音は思う。会話の内容が、まるで妻を養うために稼ぎに出る夫と、そんな夫のために口では色々言いつつ健気に尽くす妻のようだ。

 「なぁ、つかぬ事を聞くが」

 『()()()?』

 「君達は、その……付き合っている、のか?」

 『()()()()()()()慧音(あんたは)?』

 呆れ満載で、しかし息ぴったりに答える二人。

 『同棲してる相手なんだから(同 棲 し て る 相 手 な ん だ し)()()()()()()()()()()()()?』

 内容は似ているが多少聞き取りづらいハモりで言う。

 「……ああ、そうか。私が悪かった」

 慧音は諦めて、投げやりにそう答えた。

 二人としてはそれが当然なのだろう。わかりにくいが本当は優しい霊夢と、性根からして優しいシオンの二人は、互いが互いに思いあい、相手のためになることをしている。その結果がこれなのだろう。変なことを聞くほうが野暮だ。

 どこか疲れた様子の慧音を見かねて白夜で寺子屋に送ったシオンは、霊夢と二人で縁側に座り、新しく淹れた茶を飲んでいた。

 「孤児院は後どれくらいでできそうなの?」

 「早ければ三日。遅くとも五日から七日以内。ただ、色々と改良しなきゃいけないから、長めにみるけどね」

 「改良? そんなとこしなきゃいけない場所ってどこにあるのよ?」

 「魔法陣。今のままだと雨とか空気とか……そこらへんも遮断しかねないんだよ。俺が直接操ってる内はいいんだけど、最終的には彼らに任せるわけだし、扱いやすいようにしておきたい」

 「アフターケアは万全ってことね。お優しいことで」

 「やるのなら全力で、がモットーですから」

 クスクスと笑うシオンに、霊夢はやれやれと肩を竦める。その瞬間、ゴトリ、という音が横から聞こえてきた。

 「シオン、どうしたの?」

 「何か来る。それもかなりの勢いで」

 茶飲みを真横に置き、虚空を見るシオン。同時に耳で音を捉えようとする。だが霊夢には何も見えないし、聞こえない。それでもシオンの邪魔をしないように息を潜めた。

 「――来た。って、え?」

 何故か驚きに染まったシオンの表情。

 「シオン? どうし」

 その理由を問おうとした霊夢は、しかし聞けなかった。

 「――オオオオオオオォォォォッォォォンッッッ!!」

 彼方から聞こえてくる、()()()()()()()()()()()()()()()()に。

 「まさか、本当に」

 例えどれだけ離れていても目立つ、()()()()()()()を纏って。

 そして勢いをさらに加速させ――シオンにぶつかってきた。

 何とか受け止め、減速し、だが尻餅をつくシオンを気にせず、彼女は――()()()()()()()()()()()()は、目尻に涙を浮かべて、叫んだ。

 「お姉様が――ううん、皆がおかしくなっちゃった! 助けて、シオンッ!」




今回はダイジェストに近い、ですかね? 本当はセリフ入れようかと思ったんですけど、それだと長すぎるため没案に。
っていうかダイジェストにしたのに余裕で1万文字超える件。ちょっと前に友人と話したんですが、クドいと呼ばれる訳ですよね……

そしてようやっと登場した彼女。ヒロイン再登場させるのに何話使ってるんだろうね私は……


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時転回起の結界

 「シオン、お願いッ。お姉様達を助けて!」

 「ちょ、待っ――一旦落ち着けぇ!」

 尻餅をついて倒れるシオンに更に迫ってくるフランに、伸し掛られているせいで圧迫胸がされ、息がしにくい。そうでなくとも一体どういうことなのか説明してもらわなければ対処のしようがない。

 「手伝いはする。そういう『約束』だしな。そうでなくとも恩がある。――でも、行くのは一体何があったのか、それを聞いてからだ」

 「う、うん……ごめん。わかった」

 慌てていただけで、落ち着ければきちんと理解してくれるのがフランの美点だ。まぁ、彼女が吸血鬼である点と、所持している能力の危険性から、進んで言えるのは限られているだろうが。

 チラと霊夢を見やる。その視線に気づいた霊夢は、吸血鬼である目の前の少女はシオンの知り合いなのだろうと警戒心を少しだけ残して切った。初対面の相手を全面的に信じることは、霊夢にはできそうにない。溜息を吐いて居間から出た。

 縁側に行ってくれた霊夢に感謝するシオン。恐らくだが、フランはまだ他人と接するのに慣れていない。それにここ数日間で気づいたことだが、『博麗神社にいる巫女』というのは、妖怪に対してかなりの影響を与えているようだ。主に――『容赦なく滅してくる』という方面で。

 とはいえフランはどう思うのか――とまで考えて、思考を打ち消した。段々余計な方向にまでいっている。人間関係には未だ不慣れなシオンだった。

 「とりあえず座布団――そこ座ってくれ」

 「わ、わかった。……それでね、話なんだけど」

 お互いに座り、シオンはフランの話を聞き始める。

 「何から、言えばいいのかな……お姉様が変なことを言い始めたあたり、からかな……?」

 

 

 

 

 

 シオンがいなくなってから早いもので、もう一月が過ぎた。

 咲夜、美鈴、パチュリーはシオンが残していったアドバイスと技術を自分達なりに研鑽して自らの血肉にしていた。レミリアはまだ外の世界の知識を覚えていないフランのため、自身の時間の中で空いた時間を使い、彼女の教師として様々な事を教えた。

 吸血鬼としての生き方、人間が持つ常識、そもそもとして生きていくための知恵――本当に、色々な事を。

 量は膨大、覚えるのは反復するしかない。大変な作業だ。それでもフランには、あの何もすることがなく、ただ孤独に心を蝕まれていくのよりは楽しいと思えたし、自分の力の危険性を把握できた。そして理解できたからこそ、それを制御できる術を考えられた。

 今はシオンのお陰で周囲に影響を与えていないが、道具は道具でしかない。フランの能力が『物質を破壊する』という一点に特化しているなら、いずれ力が増した自身の能力で、この腕輪は破壊されるだろう。『破壊不能』という能力を破壊して。

 誰にも、それこそシオンにも話していない『ナニカ』の話では、フランの能力はこの世に存在する全ての能力に輪をかけて扱いにくいらしい。理由は教えてくれなかった。あるいは知らないのかもしれない。

 日々努力を重ねていくフラン。話し方を大人っぽく、移動の仕方――今までフランは普通に飛んで移動していたり、最悪壁を破壊するのも厭わなかった――を普段は歩くのに限定したり、更には咲夜に乞うて家事を覚えて。

 そんなある日の事。何時も通り、レミリアに今日の予定を聞きに行こうとした時の事だった。

 「お姉様? 今日暇な時間はいつになりますか? その時間までは食事のマナーの勉強でもしようかと――……お姉様?」

 ノックはしていないが、この時間帯は書類仕事に精を出しているはず。そう思って部屋に入ったのだが――どうにもレミリアの反応がおかしかった。

 動きを止め、目を見開いている。その反応を、フランは何度か見たことがあった。

 アレは――()()()()()()()()()()()、だ。

 フランにはどうして姉がそんな反応をするのか、理解できなかった。だから、レミリアが叫んだ次の言葉を呑み込むのに、時間がかかった。

 「どうして――どうしてあなたが外に出ているの!? それとも……遂に、心底まで狂ってしまったの……?」

 恐怖かそれ以外の何かか。言葉が震えるレミリアに、フランは何も返せない。

 ただ一つわかるのは、()()()()()()()()()()って()()()()、という事だ。

 ダッ、とフランは部屋の外に出る。

 「ッ、待ちなさいフラン!」

 そんな、疑問と困惑と、少しの恐怖が宿った姉の言葉を背後に残して。

 (どうして――何でお姉様はあんな言葉を……)

 ドクドクとフランの小さな心臓が跳ね上がる。息も荒れているが、これは疲労からではなく、レミリアの態度の急変を考えて、その内容が恐ろしかったからだ。

 「どうしよう……誰かに相談する? でも、だけど」

 「フラン様」

 唐突に背後から声を投げられ、ビクリとフランが震える。

 「美、鈴?」

 恐る恐る後ろを振り向くと、両足を肩幅まで広げた美鈴がいた。その美鈴は笑顔で頷くと、フランに話しかけた。

 「はい。フラン様、一体どうなさったのですか? そんなに怯えたように震えて……私でよければ相談に乗りますが」

 「う、ん……ありがとう、美鈴。でもね、私と話すだけなら」

 一度言葉を切ると、フランは羽に力を籠めながら、続きを言う。

 「()()()()()()()()()()()()

 そしてフランが飛んだ瞬間、その空間を美鈴が殴りつけた。縮地での移動。フランが警戒していたのはそれだ。

 「何故バレたのか、気になりますが問いはしません。一度、気絶してもらいます……!」

 「理由もわからずに気絶なんてお断り!」

 駆ける美鈴に、フランはまともに相手をせずに美鈴を見たまま後ろに飛ぶ。紅魔館内部の構造は全て覚えている。後ろを見ずに飛んでも支障無い程だ。

 美鈴の突きを半身になって避け、側面の壁を蹴ってサマーソルトを躱す。近接格闘は美鈴の十八番だ。近づけばやられる。だからフランも弾幕を使っての攻撃しかしない。だが狭い通路ではそれほどの数は作れないし、その程度なら美鈴の足止めにもならない。

 (なるべく情報を集めたい……! 壁を壊して逃げるのは、それからでも遅くない)

 引き際を見誤れば閉じ込められる。一対一を維持している今がチャンスだった。

 「美鈴、どうして私に攻撃してくるの!? 私がなにかしたから? それとも単に私のことが嫌いだから? ねぇ、答えてよ!」

 「……ッ。お教えすることはできません!」

 一瞬言葉に詰まり、顔を歪ませながら美鈴は突っ込んでくる。だがその拳には迷いが見えた。

 (私を攻撃してるのは、自分の意志じゃない……? お姉様の指示? ううん、いくらなんでも早すぎる。私があそこから飛び出して美鈴に会うまで数分も経ってない。つまり美鈴は、()()()()()()()()攻撃してきたってこと――なの?)

 だがこの考えが合っているとすれば、問題は『何故美鈴が攻撃してくるのか』という理由はわからないままだ。

 「ッ!」

 考え事に集中しすぎて目の前が見えなくなっていた。飛んできた拳を交差させた両腕でガードして、殴られた勢いを利用して移動する。

 やっぱり迷ってる、とフランは思う。普段の美鈴なら、フランが交差させた腕を掴んで投げ技に移行するくらいはあっさりとやってのける。それをしないのは、彼女の中でなんらかの迷いがあるからだ。そこを突けば、あるいはもっと情報が引き出せるかもしれない。

 美鈴自身はフランの考えを知らない。だから彼女は自身が情報を渡しているという事実をわかっていない。それもフランを有利にしている。

 ヒュン、という風切り音。ほぼ反射で避けたフランだが、投げられた本数は一つではなく八本。全てを避けきることは叶わず、三本は肌を掠めていった。

 もう少し、もう少しだけ――そう考えていたフランの思考の隙を突いた一撃。そんなことができるのは、紅魔館でも一人だけ。

 「咲夜……いるんでしょ? 出てきたら?」

 どこから出てきたのか、フランの横から現れる咲夜。既にナイフを構えていて、油断なくフランを睨みつけている。

 だがその顔は複雑そうだ。どうしてそんな顔をするのか……直接聞きたいが、答えてはくれないだろう。

 「なんで攻撃してくるの……なんて、もう聞かないよ。答えてくれないんだろうし。だけど、理由もわからずに攻撃を食らうのは嫌」

 「それは……理由を話せば、大人しくついてきてくれると?」

 フランはそれに答えない。

 揺さぶりが効くとしたら、美鈴ではなく咲夜。とはいえその揺さぶりをしたことがないフランとしては、手探りでやるしかない。まぁ、今やるつもりはないが。

 「それとこれとは話が別。どっちにしろ、勝てば無理矢理にでも聞けるんだから」

 「……何故、今になって」

 そんな咲夜の呟きを最後に、ナイフが飛んできた。

 勝てば聞けると言ったフランだが、この二人を相手に勝てるとは思っていない。

 (そろそろ潮時かなぁ)

 などと考えるくらい、余裕がなかった。

 美鈴が前衛として殴りかかってくる。まずは様子見の正拳、それをフランが片手で受け止めるとそのまま距離を詰めての肘打ち。膝で相殺して回し蹴りを入れようとするが、中衛の咲夜がナイフを投げてきたため蹴りを中断し、回転したまま避ける。

 咲夜は絶対に来ない。このままサポートに徹するだろう。これで後衛に収まるだろうパチュリーかレミリアでも来れば敗北は必至だ。

 左右に飛ばされたナイフ。フランを狙ったのではなく、フランの動きを制限することを狙った軌道。美鈴は近づくと、フランの腕を掴み、そのまま床に叩きつける。だが黙って叩きつけられるほどフランは諦めがよくない。床をぶん殴って穴を開けると、腕力に物を言わせて床を抉り、抉った床を美鈴に当てる。

 「う、あぁぁ!」

 叫び、組まれた腕を解く。その隙を狙って飛んできたナイフを避け――られ、ない?

 (あ、れ……?)

 (フラン!!)

 視界が揺らぐ。そして体が勝手に動く。恐らく『ナニカ』が体の支配権をフランから奪い、操作したのだろう。

 「……かなり強力な薬を塗っておいたのですが――流石お嬢様と同じ吸血鬼。効果は余り出ませんか」

 「く、すり……?」

 「ええ。ご安心ください。毒薬ではありませんので。ちょっと眠くなるだけなので」

 視界がボヤくのはそのせいか。意識を逸らせば即座に落ちてしまいそうだ。唇を噛み締める痛みで意識を繋ぎ続ける。

 いつ食らったのか――なんて言うのは野暮だ。初撃のナイフ。アレに薬が塗られていただけだろう。効果が余り無い、というのも事実だろう。

 外に出たばかりの頃なら、もうこれで詰みだ。だけど、今のフランなら――様々な事を学び覚えた『フランドール・スカーレット』なら、どうにかできる!

 (集中――)

 二人共これで終わりだと思っている。警戒心をほとんど解いているのが伝わって来るからだ。だからとにかく意識を落とす。

 (集中――)

 狙いを悟らせてはいけない。何をしようとしているのか知っているのは、自分だけでいい。

 (――今!)

 バキン、と何かが壊れるような音が響く。それはフランの体から響いた。

 (成功、した……!)

 失敗するほうが確率としては高かった。いくらなんでもこの考えは無茶が過ぎたからだ。

 フランの能力は『物質を破壊する程度の能力』なのは紅魔館にいる誰もがわかっている。だが、その『物質を破壊する』定義がどこにあるのかを把握できているのはフランのみ。そしてこの一ヶ月でわかったのは、いくつかの条件。

 フランが破壊を行うための条件は、フランが感覚的に捉えている物質であること、フランが破壊しようと思うこと。そして自分の力で破壊できる物質であること。

 そして今その条件は全て満たしていた。ただ自分の体の中にある『害あるもの』だけを破壊するというのは、強制的に意識を落とさせようとする薬に抗いながらやるのはかなり厳しかった。もう一度やれと言われても断りたい。

 一歩間違えれば自分の体を壊しかねなかったのだから。

 「せめて縄で縛るとかしないとダメだよ!」

 「え!?」

 「――薬の効果を打ち消した!?」

 バッ、と起き上がり距離を取るフランに、咲夜は驚き、美鈴は気の流れからフランが何をしたのか理解し、駆け出した。

 「待ってください!」

 「ごめんね、これ以上いても意味がなさそうだし――来て、『レーヴァテイン』!」

 炎を宿す剣。その力の大半をがんじがらめに封印し、ようやっとまともに扱える神の武器。それを床に突き刺し、美鈴と咲夜を中心に円で覆う。

 「くっ、これでは……!」

 「その炎は私が指定したモノしか燃やさない。私がここからいなくなれば消えるから……ばいばい、美鈴、咲夜」

 壁を能力を使って破壊し、そこから飛び出す。

 延々と飛び続け――だが違和感に気づく。その違和感ごと能力で破壊して、フランは飛ぶ。空は黒い。既に日は沈んでいるのだ。

 (お姉様達皆おかしくなった。理由はわからない。せめてもう少しヒントがあれば、私でもわかるかもしれないのに……)

 あのまま戦い続けても負けは見えている。最悪異変が起こったすら誰にも伝えられなかったかもしれない。

 (他の妖怪には頼れない。そもそもどこにいるのかすらわからない。人間――『博麗の巫女』も多分無理。だとしたら、やっぱり――)

 本当は、まだ会うつもりはなかった。だけどフランが頼れる人は、レミリア達を除けばたった一人しかいない。

 シオンが行ったのは里。フランは地理を知らないが、勘を頼りに里を目指す。時間は余りない。六月である現状、日が昇るのは早いのだ。そして吸血鬼であるフランは、太陽に当たれば灰になってしまう。

 「――それで数時間の探索をして、やっとシオンの気配を見つけたってわけ」

 「なるほどね……」

 話の途中、喉を潤すために渡したお茶を飲み干すフラン。その飲み干した器を受け取ると、流しへ置く。

 「んじゃ、行くか」

 「行くって……どこに?」

 「紅魔館。行くんだったらさっさと行ったほうがいいだろう?」

 「い、いいの? こんな遅くに、迷惑じゃない?」

 「……ハァ。約束したろ。紅魔館に何か起こったら、必ず行くって。恩があるとも。ま、理由なんていらないんだけど」

 そしてシオンはフランに手を伸ばす。

 「ほら行くぞ。早く立ち上がれ」

 「うん……うん! ありがとう、シオン!」

 「ああ。霊夢、留守番は頼んだッ」

 頷き返し、霊夢に向かって叫ぶ。だが戻ってきた霊夢は、何故かキョトンと目を丸くした。

 「留守番って……何言ってんのよ? 私も行くに決まってるでしょ?」

 「え゛?」

 「妖怪に関連した話は博麗神社が何とかする……っていうのは建前。同居人がどうにかしようとしてるのを手伝いたいっていうのが本音ね。ただし!」

 人差し指を突き刺し、ジト目でシオンを見る。

 「ただ働きはゴメンだから、お金かあるいは食材、渡しなさい」

 「……そんなんでいいのか?」

 「サービスよ、サービス。針と御札はもう用意済みだから、行きましょ」

 「そうか。ありがとう」

 どう見てもフランの話の途中で用意していたとしか思えない準備の良さだ。元から手伝う気満々だろう。それを隠しているのは霊夢の性格故か。

 「え、っと。えっとね。ありがとう……霊夢」

 「あんたのためじゃないわ、私のためよ。ま、どうしてもって言うなら受け取っておくわ。どういたしまして」

 シオンの背後から顔だけを出して礼を言うフラン。普通に考えれば敵対関係にある二人だが、今回だけは素直に対応できた。

 「シオン、白夜を使って移動するんだよね?」

 「ん? ああいや、今回は普通に飛んで行くつもりだ。ちょっと――考えがあってな」

 「そうなんだ。なら行こう。太陽が出るまで、後六時間か七時間くらい。急がないと」

 「吸血鬼っていうのも、面倒くさそうねぇ」

 フランの弱点がある現状、留まっているのは得策ではない。

 電気を消したり水道ガスの確認、戸締りをして、三人は紅魔館へ向けて飛び出した。

 飛び出したはいいが、フランが前に出すぎている。

 (早く、早く、早く――!)

 その焦りが、無意識の内にフランが飛ぶ速度を速めている。

 「ねぇ、シオン。一つ聞いてもいい?」

 「なんだ? 霊夢」

 前触れもなく体を、そして顔を寄せてきた霊夢。だが色気など欠片もなく、その目には困惑と疑問があった。

 「あんたが紅魔館って単語が出た時から、ずっと疑問だった。シオンが『本当に』紅魔館の誰かと会っていた、なんて」

 「その発言……まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()、みたいな言い方だな」

 「事実おかしいのよ。あんたには黙ってたけど――紅魔館の連中とここ数年、()()()()()()()()()()()んだから。私含めて、誰もね」

 「それは、おかしいだろ」

 紅魔館には紅茶の葉も、食材も、かなりの量があった。買い貯めしていたのだろうと予想できるくらいだ。だが、それでも――数年単位の量を貯蓄できるはずがない。その前に腐る。自給自足できる程の生産性があったという記憶もない。どうあがいても、どこかで供給しなければ飢えて死ぬだろう量しかなかった。

 「だけど、それを知っていたならどうして何もしなかったんだ?」

 「異変が起きてるなんて誰も思わなかったからよ。相手は吸血鬼よ? 言い方は悪いけど、何をしているのかさっぱりわからない。そんな相手のところに行くなんて正気じゃないわ」

 それに、と霊夢は顔をしかめると、更に顔を寄せ、声を潜めて続ける。

 「いくら『博麗神社の巫女』って言われても、基本的に私は異変が起きてからでしか動かない。受身なのよ。だから誰かに連絡されなきゃわからない、動けない」

 「……」

 「紫から連絡されて動くこともあるけど、なんかここ三年くらい、紫が焦ってる……気がするのよね。最近――それこそあんたが来たくらいからマシになってるけど、それでもまだ何かに気を取られているような……」

 勘だけどね、と霊夢は言うが、その勘がバカにならないのだ、霊夢の場合。

 「どっちにしろ、行けばわかる。良くも悪くも」

 「そうね。だけど、戦闘になるでしょう。絶対に。死なないでよ?」

 「わかってる。死なないよ。少なくとも――」

 今は、まだ。その単語を飲み込み、速度をあげてフランの横に並ぶ。

 「もう少し速度を上げるか?」

 「ううん、大丈夫。今の速度が自然に妖力が回復するのと釣り合ってるから――焦ってはいるけど、きちんと状況は把握してる。心配しないで?」

 一月前とは違う、理路整然とした大人の意見に、シオンは感嘆の息を吐く。

 「でも――」

 「?」

 「慌てすぎてもいいことはないってわかってても、やっぱり感情が制御できない。シオンはどうしてるの?」

 「……戦闘するときは、勝手に頭が冷えるだけだ。それ以外では、むしろ酷い」

 「そ、っかぁ。シオンでもそうなるんだ」

 「感情なんてそんなものだ」

 投げやりにシオンが言うと、フランはもう一度そっかぁ、と呟く。

 「それなら、ちょっと雑談でもいいかな?」

 「構わないが、何を話すんだ?」

 「どうして白夜で移動しなかったのか。白夜の空間転移を使えば一瞬で移動できるよね?」

 「ああ、それは私も気になるわ。時間が惜しいのなら、さっさと移動すればいいのに」

 「一応、理由はあるんだけど……」

 フランの話を聞いている途中で、ふいに思ったことだ。

 「もしかすると、紅魔館は『巻き戻ってるのかもしれない』って」

 『巻き戻る?』

 「ああ。時間が巻き戻ってる。それも、二ヶ月と少し前の紅魔館に。それならフランを攻撃した理由がつく。二ヶ月と少し前の紅魔館は――」

 「……私がまだ閉じ込められていた頃。確かにそれなら、私が外にいたことを驚くのにも納得できるけど――咲夜にはそんな力、無いよね?」

 「そこが疑問なんだよな。咲夜が巻き戻せるのはある程度だけだし、その対象もせいぜいナイフくらいの小さなモノだけだ」

 「だけど、それだけなら空間転移しない理由にはならないわよ?」

 「そう。だから一度巻き戻る巻き戻らないは置いて、一つの過程を考えた」

 「過程……どんな?」

 「紅魔館は『何か』に覆われてるんじゃないか、って過程」

 突飛な発想。だが敢えて二人はそれを否定せず、ただ続きを待った。

 「俺が紅魔館から外に出るとき、ほとんど妖怪に出会わなかった。森から一歩外に出たら、かなりの数に出会ったのに。そこから色々考えると、妖怪達は森の内部にほとんどいなかったんじゃないかって思ったんだ」

 この考えは、迷いの竹林に行ったことがあるからだ。シオンは運が悪い。一歩外に出れば一瞬で妖怪に出くわすほど悪い。だが迷いの竹林は内部が歪んでいるせいで天然の迷路と化している。それを理解してか、妖怪達も内部に入ろうとしない。それでも数体程はいるが、数える程度だ。

 もし仮に紅魔館の外に広がっている森が同じ状況になっていたら、何となく納得できる。内部がイカれていて、妖怪達が入ろうとしなかったのだ。

 「基本的にそれがイカれているのはその空間を弄っているからだ。その近くに空間転移したら、なんらかの干渉を起こして変なことになりかねない。特に、空間なんていうよくわからないことなら尚更だ」

 「確定はしてないけど、怪しいから一応……ってことかしら?」

 「そうなる。面倒だけどな」

 「ねぇシオン。仮にお互いが影響を出し合ったら、どうなるの?」

 「そう、だな……全く関係ない場所が斬れたり穴が空いたりしてどっかに移動させられたり……およそまともな事にはならな」

 ッ、とシオンは息を飲んだ。額から冷や汗が流れ、手が震える。

 「シオン、どうしたの?」

 「!!! ……い、いや……なんでも、ない」

 全く大丈夫ではないが、痩せ我慢でそう答える。

 心配そうにしているフランと、訝しげにしている霊夢を敢えて見ずに考えに没頭する。

 (ずっと……ずっと不思議だった。どうして俺が、()()()()()()()のか)

 仮に自分が紫なら、そんな初っ端からベリーハードモードに突入させるはずがない。絶対に本人の意図ではない部分があったはず。

 そしてそれが、紫の能力と紅魔館にある『何か』が干渉しあったというのなら……その結果が、『シオンが紅魔館付近に落ちた』というモノなら、納得できる。これが一度目。

 (だけどそれは、一度目の話。俺は紅魔館から外に出た。()()()()んだ。その時点で多分、俺は()()()()()使()()()()()。これが二度目)

 アリスがここに落ちてきたのは、時期的にちょうどシオンが紅魔館から外に出るとき。根拠なんてない。ただ『その可能性が高い』だけだ。でも――どうしても、その可能性を考える。

 アリスは言っていた。『この世界に来たとき、真っ黒い穴から落ちてきた』と。それは先ほどシオンが言った事と一致する。

 友人と喧嘩したと泣いていたアリス。何も変わっていないと悲痛な叫び声をあげていたアリス。その彼女をこの世界に落としたのがシオンなら――なんと謝ればいいのだろう?

 (紅魔館に辿り着くまでは『かもしれない』で済む。だけど、もし本当なら――俺は、どうすれば……)

 「見えた! あそこだよ!」

 フランの声に、ハッ、と意識を目の前に戻すシオン。

 見た限りでは、何時も通りの森に見える。だが――シオンには、わかる。

 (覆われてる……結界に。それも、かなり巨大な! これだけの規模のモノを、数年間も!?)

 どうして気付かなかったのか――そう思うほどの強大な結界。あるいは隠蔽するための仕込みも入れてこれなのか。それとも『違和感』を破壊したフランのお陰か。

 「シオン、見た結果は?」

 「……嫌な予感が、大当たりだ」

 そう答えるシオンは、目の前が真っ暗になりそうなほどの嘔吐感に塗れていた。



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強行突破

 「道中話した通り、巻き戻ってる可能性が増してきたな……しかもこの結界。咲夜が意図して巻き戻してるって可能性も無くなった。

 目の前にある結界。幻想郷を覆う大結界を管理・維持する一端を担う霊夢にも、その役目がなんとなくわかった。

 「つまりこの結界がシオンの言う『巻き戻り』と、本来不可能なはずの事象を可能にした()()()()()()ってこと?」

 「付け加えれば、この結界そのものを隠蔽する効果も付与されてたっぽいな。多分フランの言ってた『違和感』を破壊した時にそれごとぶっ壊れたんだろうが」

 更にこの結界、通るのも出るのも自由だ。行き来するのを阻害されないから結界の存在自体に気づかないが、内部はイカれていてまともに移動できないため、すぐに外に出る。

 しかも前例として迷いの竹林があるからあまり不自然に思われない。

 「森を覆うようにしているけど、上空を飛んでいく分には問題ないみたいだしな」

 「それじゃ飛んでいく? ここまで来れば早いでしょ」

 「……やめた方がいいな。上から入ると、恐らく全く別の場所に出る。外見と中身が一致していない、って感じか」

 「シオンならどうする? 私、こういう結界系はまだ習ってないからわからなくて」

 眉を寄せたフランが聞いてくる。シオンの答えは、

 「一番手っ取り早いのは、白夜で結界を叩き斬って消滅させ――」

 「それはダメェーッ!!」

 どこから取り出したのか、既に持っていた白夜を振りかぶっていたシオンをタックルして無理矢理止めさせる。

 「シオンの白夜って、確か『絶対切断』だったよね!? 紅魔館ごと斬っちゃったらどうするつもりなの!?」

 あたふたと取り乱し叫ぶフランに、だがシオンはきょとんとした様子で言う。

 「手加減はちゃんとするぞ? 今出せる最大限もわかってるから、後は調整すれば」

 「それって試したことないんだよね! 空からもそれもダメならここから行こう! うん、それがいいよ!?」

 と、シオンの手を掴むとフランは足を前に出す。紅魔館を壊されてはたまらない、と全身で表現していた。

 「ちょ、入るのはやめた方がいい! 危険だから――」

 「シオンの考えの方がよっぽど危険!」

 フランにはもうシオンの考えは届かない。説明する順番を間違えた、とシオンは顔を顰めるが、もう遅い。

 「……シオンって、案外天然?」

 一人残された霊夢はそう呟くと、肩を竦めながら二人の後を追った。

 「絶対入るのはやめた方がいいんだがなぁ」

 そうボヤくのは渋々フランの後ろを歩くシオン。そのフランはシオンの言葉を聞きつつも、当然のように無視していた。

 「ところでシオン。紅魔館にいる人? 達って、どんな能力を持ってるの? あと戦い方」

 霊夢はしょうがないと、この雰囲気を変えるためにシオンに話しかける。シオンは霊夢の方に顔を向けつつ、何故か視線は鋭く周囲に目を回したまま答えた。

 「そうだな。まず一番強いのは、当然といえばレミリア。槍を扱う吸血鬼。能力は『運命を操る程度の能力』だな」

 「私のお姉様で、尊敬する人」

 「へぇ。聞く限りじゃ能力は扱いづらそうだけど、実際どうなの?」

 「さぁ? 俺は彼女じゃないからな……どの能力も使い方次第だし」

 「私もお姉様の能力はよくわからないかな。ただ、ある種の観点から見るとすっごい能力になるって事くらい? 自分で言っててよくわかんないけど」

 二人の回答は随分あやふやなモノ。ただ、レミリアの能力は本当にわからないのだからしかたがない。

 霊夢もそう思ったのだろう、内心で溜息を吐いた。

 「……参考にはならなそうね。いいわ、私の眼で見て判断するから」

 「そうしてくれ」

 それから周囲の探索に注視する三人。こう深い森の中では、視界を頼りにすると奇襲されかねない。紅魔館にいる誰かが、あるいは迷い込んだ妖怪が……すぐそこにいて、隙を窺っているのかもしれないのだから。

 だからこそ、気づくのが遅れた。

 ピシリ、と、何の前触れもなく、フランの頬が裂かれたのが。

 「……え?」

 「フラン!」

 咄嗟にシオンがフランの首の裾を掴み、自分の方へ寄せる。一瞬首が締まって息が詰まるが、視界の端に見えた木が音を立てて倒れたのを見ると、文句も言えない。

 「ちょ、何よあれ!?」

 「言ってる場合か、逃げるぞ!」

 そう言われて足を回そうとするが――

 「んな、シオンあんた、何してんのよ!」

 「舌噛むぞ、黙ってろ!」

 いきなりシオンが腕を腰に回すと、そのまま脇に抱えるようにして走り出したのだ。

 「私達は荷物じゃないのよ!?」

 「だったら貴女達は()()を予測できるのかッ」

 顎を向けて方向を示す。

 そちらを見たフランと霊夢は――絶句するしかなかった。

 周囲の探索は続けている。にも関わらず、木々がバッサリと斬られていくのを、その力の前兆を全く感じられない。その事実が、二人を驚愕させ、動きを止める。

 「っとぉ!」

 『きゃあ!?』

 いきなりスライディングするシオンに、二人は驚きの悲鳴をあげシオンを非難する。だがシオンがスライディングで通った瞬間陰ったのがわかって、文句を言えなくなってしまった。

 視界の端に倒れ落ちる木を見ながら、それでも霊夢は文句を言った。

 「足、地面にぶつけた。――あんた、どうして避けられるのよ?」

 「あそこで動きを止める方が危険だ。……まぁ、予測できてたからな」

 トン、トン、と小刻みに足を動かし、右、左、たまに動きを止め、と移動していく。

 「予測? 正直空間系は把握できない側からすれば訳がわからないのよ。ちゃんと説明してくれるわよね?」

 「わかってる。つっても、俺もそこまでわかってる訳じゃないけど……」

 シオンは白夜を扱い、その力を振るっているが、扱いこなせているとは言い難い。前に別次元の計算を行ったが、正直もうやりたくないくらいだ。

 二人と違う点があるとすれば、何度も白夜で空間を切り、繋げてきたことによって空間が震える前兆を察知できるくらいだ。

 付け加えればこれは単なる『自然現象』でしかない。二人が察知できないのはそれが理由なのかもしれない。

 「言ってしまえば、ここは中身が変化する迷路なんだよ。それが一定ごとなのか常に変わり続けているのか、それはわからない。だけど、フランはその一部を『壊した』んだ」

 「それがどうしたのよ?」

 「端的に言えば、欠けた材料を補おうとしている。その結果がコレだ」

 「つまり……足りないものを補おうと継ぎ足していってるけど、無いものはどうしようもない。それが再現なく繰り返されてるせいで、無限ループ状態に陥ってるってこと?」

 「そういう――ことだ!」

 前後左右がいきなり空間に飲み込まれる。その場でジャンプ、空気を踏みしめて逃げるが、一歩遅ければ『飲まれて』いた。

 「とにかくここから出る! しっかり捕まっ――」

 加速しようとしたシオンは無理矢理急停止する。目の前が空間を切り裂いていくのを眺め、元に戻った瞬間を待とうとし、

 「っそがぁ!」

 いきなり斜めに急加速。だが一瞬後にはガクリ、と動きを止める。

 「シオン!?」

 フランは驚きの声を上げる。だがそれは非難によるものではない。どこからどう見ても今の動きは不自然だった。

 だが脇に抱え込まれているせいで後ろが見えない。

 しかしブチッ、ブチブチブチ、と『何か』が千切れるかのような音が聞こえてくる。それは布か何かが破れているようで――

 「ッッ!!!」

 シオンは歯を噛み締めると、一歩前に出す。すると、今まで動きを止めていたのが嘘のように加速する。

 フランはシオンの腕に捕まって後ろを見る。見えたのは、ユラリと揺れる――白い、束。数本どころではない、大量の、『束』だ

 (アレは――髪の、毛?)

 それも、ついさっきまで見ていた誰かの髪。フランの視界には見えない。だが、わかる。それがシオンの髪だということが。

 と、何か赤い液体がフランの頬を叩く。それが血だとわかってしまうフランは、シオンに声を掛けようとして――

 「シ――」 

 霊夢に止められた。声には出されていない。だが足を蹴られて、そちらを向いて顔を横に振られたことでわかった。

 だからフランは、話を変えた。

 「外に出るまで大丈夫だと思う?」

 「ん? まぁ足が千切れたりしなければ行けると思うが。でもちょっと予想外だったなぁ」

 「予想外?」

 「……。フランは気にしないでいいよ」

 間を空けてシオンは答える。

 本当に予想外だった。まさか空間の揺らぎが二種類あるなんて想像できなかった。

 発動は遅く、だが刹那で『切断』する方と、発動が早く、段々と圧縮してくる『拘束』する方。その二つは全く性質が違うが、だからこそ恐ろしい。拘束されている時に切断されれば、最悪避けられもせずに即死する。

 「出口まで後数分くらいだから、全力で行く」

 最後の最後で油断したりはしない。

 ただ全力で、シオンは走り抜けた。

 (い、っつぅ……)

 既に能力を使用して元に戻っている髪に触る。だが幻痛というのは予想以上に後を引くものだ。どうしても抜け落ち血が流れた部分を触ってしまう。

 「命があるだけ儲けもん、か」

 「何か言った? シオン」

 「……ちょっとね。で、他に案は思いついたのか?」

 「ぅ……」

 思いっきり話を逸らしにかかるが、フランは言い返せない。シオンの案を没にした結果ああなって、それなのに時間を貰っているのだ。反論できる身分ではない。

 「ところでシオン。あんたなんで入る前から危険だってわかってたのよ?」

 そしてなぜかこのメンバーの調整役(バランサー)に収まっている霊夢。考えが先行しすぎて理解しにくいシオンと、身内が危険な目に遭っている(かもしれない)せいで不安定なフラン。その二人を止める役目になっているのが霊夢なだけなのだが、理不尽だと思うくらいに極端な二人に、本人は勝手だ、と若干やさぐれている。

 「半分勘。でもこの結界、能力の増幅、結界自体の隠蔽の他にも、絶対に攻略されないように内部を弄ってるみたいだから。それでフランが変に『破壊』したなら色々おかしくなってるんじゃないかって。まさかあそこまで酷いとは思わなかったけど」

 「ならどうしてそれを言わなかったのよ? 言えばフランもわかってくれたと思うけど」

 「通れればそれが一番よかったからさ。無理だったけど」

 「……シオン、ヒントお願いできないかな?」

 自分で考えるべきだとわかっている。わかってはいるが……シオンの頭の中身がさっぱり予想できない。

 「ヒント、ねぇ。んじゃ、記憶が巻き戻っているレミリアは、フランが外に出ることを極端に厭んでいる。フランが外に出ればすぐに追ってくるくらいに。そのレミリアが追ってこない、というより()()()()。これでいいか?」

 「……もしかして」

 先に気づいたのはフラン。途中で答えに手が掴みかかっていたようだが、『来れない』という部分で完全に悟った。

 多分、幽閉されていたフランだからこそ先にわかったのだろう。次いで霊夢が理解した。

 「答え合わせ、いい?」

 「どうぞ」

 「この結界は内部を狂わせた結界。しかも私が一部を壊したせいで異常なまでに危険な空間になっている。それが私達をここで足止めしている堅牢な『砦』になっている。ここまではいい?」

 「ああ。大体俺の予測通りだ」

 「次は私ね。私達が通れないほど危険な『砦』。ってことは、逆に内部に居たまま出られないレミリア達にとっては、鍵のない『牢獄』になる」

 入れず、出られない。それはある種の観点から見れば重要な要素だろう。だが、誰もが通りたいのに、外にいる誰かも中にいる誰かも通れないとなると、その要素は途端に逆転し、両者にとって邪魔にしかならない。

 「で、シオンがやろうとしていたのは『白夜』を使ってこの邪魔くさい結界を根本から吹き飛ばそうとしていた――ってトコまではわかったわ」

 霊夢としてはここから先があまり想像できない。身内がいない、そして『襲撃されたことが一度もない』霊夢にとって、想像の埒外なのだろう。

 フランもそれは同様。外に出たは出たが、この結界のせいで外から紅魔館に来た人間はシオン以外皆無。そして霊夢よりも経験不足が祟って、こういうときの対処がよくわからない。

 「襲撃されたと勘違いされる。――反撃にあうってことだよ」

 もしもそのまま通れれば、こちらが紅魔館に来たことを悟られず、優位に事を進められる。逆に白夜で余計なモノを全て吹き飛ばして突き進めば、敵襲が来た上に自分達ではどうしようもなかった結界を吹き飛ばせるだけの力を持った『何か』が来たと思う。

 「でも実際はこっちに敵意は一切ないから、殺してしまうような『全力』は出せない。あっちは死ぬかもしれないからと、それこそ文字通り死ぬ気でくるだろうけど……」

 誤解を解くのも難しい。もし彼女達にこちらの言い分を通したければ、

 「一回ぶん殴って冷静に――いや、拘束しないと無理だろう」

 ちなみに頭に血が上って全く聞いてくれない可能性もあるのだが、それは割愛する。

 「他に聞きたいことは?」

 「一応、シオンの言い分は理解したわ。私はそれでいいけど」

 即答するのは霊夢。彼女はシオンとフランの手助けをするために来ただけ。雇用主(クライアント)の意見はなるべく尊重していくつもりだ。それがよっぽど的ハズレでない限りは。

 残るはフラン。一瞬だけ納得していない顔をしたが、やがて小さく頷いてくれた。

 「私は……お姉様たちと戦うのはイヤ。でも、この中を突破していくのは、私のわがままだってわかってる。だから、いいよ。一回戦う。お姉様たちと」

 「そうか。――ありがとう」

 実を言うと、もう一つだけ案がある。だがそれは危険すぎる。だからそちらだけは絶対に選びたくなかった。

 「ここから強行突破だ。急いでいくぞ」

 「うん、わかった」

 「ま、そうするしかないわよね」

 胸中の安堵を隠しつつ、シオンは白夜を持つと天上へ掲げる。

 「じゃ、ちょっと余波が行くかもだから、地面を踏みしめていて」

 え? と疑問を問う前に、シオンは力を使っていた。

 何の前触れもなく光が溢れ、瞬時に白夜を照らし出す。その光が刀身に薄くぴったりと覆うようになると、そのまま片手で振り下ろした。

 無音。

 『絶対切断』の名の通り、音すらなく結界を破壊し、木々と地面を抉る。そしてその衝撃波が紅魔館に当たる――直前で、消え去った。

 「よし、予想通り。んじゃ行くか――ってどうした?」

 唖然として口を開いている二人に、シオンはなぜそうしているのかわからないというように首を傾げる。

 力の放出、凝縮、収斂、そして解放。その一連の動作が淀みなく行われ、それでいてミスが全く無い。しかも調整自体が『はじめて』なのだ。いくらなんでもおかしい。絶対おかしい。

 フランは今までの経験から、霊夢は持ち前の勘から、そう告げることはしなかったが。

 (おかしい……絶対におかしい)

 天才型の二人でも、そう思うしかない。シオンは天才というより天災だった。

 「行こうか……霊夢」

 「そうね、時間の無駄だし行きましょう……フラン」

 「――え、あれ? 俺無視って酷くないか?」

 自分を置いてさっさと走っていく二人を、複雑そうな表情をしながらついていく。

 ちなみに二人の判断は正しい。仮にできたところでシオンは「できたんだからそれでいいじゃないか」としか返さないだろうし、ニュアンスを汲み取ってくれない。

 二人はシオンがミスを『した』からおかしいと思ったのではなく、ミスを『しなかった』からおかしいと思ったなどとは……想像すらしないのだ。

 (できないよりはできた方がいいだろうしなぁ)

 失敗したら即死亡の人生を送ってきたシオンにとって、やはり誰かの常識というものがさっぱりわからなかった。

 言葉は交わさず、だが各々の考えは理解しながら走る。全力疾走は愚行。周囲の探索が出来る程度に、疲れず、適度な速度で。

 元々シオンの気配探知範囲はこの幻想郷でもかなりのモノ。ちなみに霊夢やフランとは違い、周囲の音などをあてにしているためあくまで素の能力でしかない。咲夜の場合は暗殺者特有の気配を覚えていただけ。相応の自信があった。

 だから――油断していた、のかもしれない。無意識で。

 「ぐぁ――!?」

 真横から飛んできた――否、跳んできた、()()()の弾丸。

 「シオン!?」

 「待ちなさいフラン!」

 慌ててシオンを追おうとしたフランを咄嗟に押し飛ばす。そして押し飛ばした代わりにフランの居た場所に移動した霊夢は、何かが跳んできた方向とはまた違う場所から来たナイフに刺された。

 「あ、あ……霊夢! 霊夢、大丈夫!」

 やられた。フランはシオンを想っている。それが隙を生み出し、狙われたフランを庇った霊夢が攻撃を受けた。

 自己嫌悪に襲われるフラン。だが、こんな時だからこそ、フランは霊夢を背負うと即座に移動を開始した。

 (シオンなら……シオンなら、きっと大丈夫。だから、ごめんなさい!)

 助けに行きたい。でも霊夢を見捨てられない。だから、フランは信じた。シオンの強さを。彼ならきっと、どうにかなると。

 その選択が正しいのかどうか――フランは知らない。

 

 

 

 

 

 「い、っつぅ……。腕はまぁ、大丈夫か」

 吹き飛んだシオンは、全身――特に腕と背中の痛みに顔をしかめる。

 (防御が遅れてたら死んでたぞ、完全に)

 運が良かった、としか言えない。シオンの動体視力が高速で迫る弾丸を捉え、それ故両腕でガードしつつ後ろに跳び、しかし相手の勢いはそれ以上でそのまま吹き飛ばされた。背中が痛いのは、吹き飛ばされる道中木々を薙ぎ倒していっただけの話。

 あの勢いなら背骨が折れても不思議ではないのだが、そこは黒陽の出番。ほぼ咄嗟に背中に壁を展開、背中を防護した。多少の衝撃はあったが、許容範囲だろう。

 「黒剣技覚えといてよかった……」

 ボヤきつつ、シオンは黒陽を剣の形にしつつ目の前に降り立つ彼女を睨む。

 「随分とした挨拶じゃないか。なぁ――美鈴?」

 「攻撃は斬撃。そしてあなたは剣を持っている……問答無用です。紅魔館に矢を放ったこと、後悔しながら死んでいただきます」

 「話は通じない。当たり前か」

 「ゴチャゴチャ呟いている暇でも?」

 気を利用した気功波。美鈴の技術がイコール気功波の威力となるそれ。元々遠距離攻撃が苦手な彼女が唯一得意とする遠距離攻撃。

 極々当然のように避けるシオンだが、美鈴とて牽制目的でしか放っていない。むしろ当たったら驚きだった。

 避けて避けて避け続ける。単なる正拳突きだが、それを突き詰め続けた美鈴のそれは神速。マシンガンのような速さで、弾速はシオンの知るそれより遥かに上。美鈴が体と目の動きをアテにして動いているが――それがバレれば即座に対策を取られるだろう。期待しすぎるのはマズい。

 「――こんなところでしょうか」

 と、ある程度放ち続けた美鈴は唐突に動きを止める。訝しむシオンに、美鈴は朗らかに言った。

 「さっきは狭すぎましたからね。これで少しはスッキリしたと思います」

 美鈴を視界に収めつつ、シオンは納得する。まるでリングのようにある程度の広さができあがっている。先ほどの無駄に近い牽制はこれが目的だったのか。確かに先程まではかなり狭かった。それを考えればこうしたいのもわからなくもない。

 (とはいえ、それはあんまり関係ないんだけど……)

 どちらかというと、シオンに逃げられるのを厭んだのかもしれない。これくらいの距離なら彼女は絶対に見逃さないのだろうから。

 そろそろ行くか、と体に力をこめる。そしてグッと足を踏み入れ、まずは軽く様子見の突きを入れ――美鈴が右に避けるのを見たシオンは即座に薙ぎ払いに移行する。

 「――え?」

 ……やはり、油断が先行していたのかもしれない。

 軽く入れた突きは、即座に軌道を修正できるようにしている。横に避けたら薙ぎ払い、しゃがめば振り下ろし、後ろに避けたら仕切り直し。だが――このような返しをしてくるとは、夢にも思っていなかった。

 薙ぎ払う寸前、ほんの一瞬だけ速度が緩んだその刹那を、美鈴は捉えた。左手の二本の指で刀身をはさみ受け止め、瞬きすら許さぬ内に内側へ引っ張る。

 自然体が前のめりに浮き、強制的に脱力されるシオンの右腕。そしてその腕に、美鈴は自身の右腕の肘を振り下ろし、右足の膝を打ち上げ――。

 「うがあああああああああああああァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!?」

 ゴキリ、という音が何重にも響き渡った。

 

 

 

 

 

 「ハァ、ハァ、ハァ、ッ、ハァ――」

 息を荒らげ、一瞬喉元にせり上がった違和感を飲み込み、また走る。

 逃げ続けて既に数分。たったそれだけの時間で疲れるほど吸血鬼は柔じゃない。では何故これ程の疲労を負っているのか。それは、相手が問題だった。

 (咲夜の能力――相手にすると、怖すぎるよ!!)

 前方から来たかと思えばもう後ろから、次の瞬間右に、左に、挙句の果てには上から下からと、どこから投げているのか疑問に思う方向から飛んでくる。しかも一度は目の前にナイフがあったりしたこともあった。

 どこから来るのかわからない攻撃。それが想像以上にフランの集中力を奪い、精神を疲弊させていく。

 「これが……反対だったなら」

 シオンの能力は咲夜に対して絶対的な効果を発揮する。しかも暗殺者との戦闘が得意だったシオンはそういった対処法を知っているはず。

 逆にフランと霊夢はどちらかというと中衛、後衛であり、前衛はできるが前者に比べればお粗末だ。そして近接格闘が得意――というかそれしかできない、というべきか――な美鈴との相性は良すぎるくらいにいい。

 が、理想は理想でしかなく、現実は非情だ。

 「ぃ、ッ、ったいわ、ねぇ……」

 グチャリ、という音が、背中から聞こえてきた。ついで暖かい、見知った温度。

 「まさか、霊夢――」

 「ええ。足手まといはゴメンよ。私だって戦えるんだから」

 無理矢理ナイフを引き抜いたのだ。それがどれだけの痛みを発するか――想像に難くない。

 「私はこれでも巫女よ? まともに修行してない不良巫女だけど……少しくらいなら、治療とかそういった関連も学んでいるのよ」

 妖怪退治が本業な『博麗の巫女』ではあるが、妖怪によって傷ついた人を癒すために、最低限の応急処置ができるようにしている。

 まさか自分にすることになるとは……と思っていると、何となくで霊夢は針をぶん投げた。

 「霊夢?」

 「……ッチ、外した。痛みの代償にしちゃ軽すぎね」

 舌打ち一つ、体に走った激痛を我慢しながら呟く。

 「え、えっと……咲夜の位置、わかるの?」

 「わからないわよ? 単なる勘だし、アテにしないで」

 「……あ、そうなんだ」

 一時的に攻撃が止んだのを考えるに、当たらないにしても当たりかけたのだろうが、それがただの勘とは恐ろしい。

 『博麗の巫女』もある意味人外だよね……と思い知らされた。

 「っとと、危なかった」

 動揺(したのだろうか?)が無くなったのか再開したナイフの群体。だが霊夢のおかげなのか適度にリラックスできたフランは軽く避ける。

 「で、どうすればいいのかな?」

 「とりあえず私の傷が癒えるまではこのまま乗らせてもらうわ。んで、今から言う事が重要なんだけど――なるべくここから動かないでもらえるかしら?」

 最後の言葉だけは小さく、口の動きを隠すために痛みを堪えるような動作を見せて、フランに指示を出す。フランも心配するような動作をしながら、だがナイフだけは確実に避ける。

 「大丈夫、霊夢? ――了解」

 「心配してくれてありがと。――頼んだわよ、ハッ!」

 さり気なくニンマリと笑みを浮かべると、霊夢は針を取り出し投げる。

 (さぁて、と。フランにかなり負担をかける事になるんだし――私もミスしないよう、頑張らないとね)

 まだ痛みはある。が、我慢できない程ではない。何とかなるだろう。

 それよりも狙いを悟られてはならない。今はナイフの痛みのせいで激しく動かないようフランが気を遣っているように見せかけられるが、それも長くはない。

 (時間との勝負……こういうのは結構苦手なのよね。ま、なんとかなるでしょ)

 持ち前の勝負強さと勘の良さをここで発揮するとき。

 霊夢は右手の指全ての間に針を挟み、そしてそれを投げる。半分は敵がいると勘が示す場所に、もう半分は全くの見当違いの場所に。

 (ふぅ、相手はいつまで勘違いしてくれるかしらね)

 『博麗の巫女』の勘も絶対ではない、と思ってくれれば上々。違和感を覚えたくらいならまだ大丈夫。ただ、ワザと外したと思われたら――終わり。

 (加減って、私が一番苦手な事なのよね。できるかしら? ――できる)

 一世一代の大芝居。外せば多分死ぬ、当てれば次に繋げられる。割に合わない大仕事だが、報酬はシオンからフッたくるしかないだろう。

 (こんな面倒なことをさせるんだから、こっちも遠慮しないわよ? シオン)

 ……その時シオンが寒気を感じたのかどうかは――定かでない。



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戦人、暗殺者

2話投稿です。前話を見忘れないようお気を付けください。

※数日したら消します


 「フラン、後ろ! 右に動いてッ」

 「ッ!!」

 東南東から来たナイフを避けた瞬間後方から来るナイフを、霊夢の指示に従い避ける。その後気配探知に反応が出た場所からどこに向かうか判断してまた動く。

 アレから一体何分経ったのか。ただ避け続けるフランは、霊夢のおかげで回復できた精神的な疲弊をまた感じ始めていた。

 終わりが見えない――それがどれほど辛いのか、知っていたはずなのに。ただ深く暗い牢獄の中に囚われているのと、こうして動いているのでは感じる内容が違う。

 動けないのがジワジワと真綿で締め上げられるようなら、動けるのは一瞬先の死が体を掠めていく恐怖。

 全く違う。そんな中で、フランは何故か笑みを浮かべていた。

 「ちょっと、笑っている場合なの!?」

 「え――」

 それに気づいた霊夢は、汗を拭い、針を投げ、そして木々に御札を置いておく。――御札は流石にわかりやすいくらいの罠だった。

 「笑って、るの? 私?」

 「ええそうですとも! どっからどう見て、も――」

 フランではなく霊夢を狙った攻撃。一瞬反応が遅れたフランの代わりに霊夢が自分で避けた。

 「笑顔よ、それ! ちょっと引き攣ってるけどねッ」

 傷口は――開いていない。そろそろ大丈夫そうだと判断した霊夢はフランから飛び降りる。これで多少は狙いが分散するし、会話もできるようになるだろう。

 笑ってた――その理由を考える。だが、すぐに理解した。単純な思考。

 (シオンと似たような事が経験できる……それだけで嬉しいなんて。本当、私も大概狂ってるんだなぁ)

 自覚した狂気だが、その底は中々らしい。フランは内心苦笑するが、霊夢の言葉で我を取り戻した。

 「で、教えて欲しいんだけど。相手の能力は何なの? さっきから不思議でしょうがないんだけど、これ」

 いくらなんでもナイフが来る方向がバラバラすぎる。分身とか、設置した罠だとか、そう考えてもナイフの量がおかしすぎる。魔力か何かで作っている線もあるが――それにしたって限度があるだろう。加えてナイフの速度が変わっているのも意味がわからない。しかも自身の勘が『速度は全部同じ』なんていうおかしな判断を下しているのがさっぱりだった。

 「相手の――咲夜の能力は『時を操る程度の能力』だから、時を『停め』て移動してナイフを投げておいて、『加速』と『減速』でナイフの速度を変えてるんだよ」

 「何それチートじゃないの。ナイフ自体はどうしてるの?」

 「……『停止』中に自分で回収しつつ魔力で作ったナイフも併用してる、って言ってた」

 「……なんかそこだけ聞くと、ちょっと……なんていうか、ダサ――」

 瞬間霊夢の全方位からナイフが飛んでくる。数本を避け、数本を両手で挟み受け止め、更に数本を足で蹴っ飛ばす。

 「殺す気!? 今の完全に私狙いだったわよね!? 殺す気なの!?」

 「多分、気に障ったんじゃないかなぁ」

 「それでも暗殺者なの咲夜ッ」

 「まぁ暗殺者よりメイドが本業だし――」

 言い訳無用、と霊夢もお返しに針を投げまくる。ムキになって返してきたと思われるように、顔に怒気を宿らせて。

 (そろそろ、完成しそうなんだけど……これなら)

 そう思った霊夢の表情が、凍る。フランも似たようなモノだった。

 二人は、知らない。全力全開、後先考えずただやろうと思えば、咲夜はもっとナイフを作れるという事を。

 霊夢だけを狙ったのは意地になったからではなく、未だに戻ってこない美鈴を心配した彼女がそろそろ終わらせようと思って、だが終わらせられなかったため。

 そして――終わらなかったから、もう後の事を考えるのをやめた。

 「聞いてないわよ。これ」

 「私も――知らなかったから、なぁ」

 何百――いや何千あるのか。視界を覆い尽くすほどのナイフ、ナイフ、ナイフ、ナイフの群れ。これだけの数を作り、操るのにどれだけの魔力と集中力を要するか。

 「えっと、一つ聞きたいんだけど」

 「なにかな?」

 「これをどうにかする方法――ある?」

 「と思う? 霊夢は?」

 「あったらわざわざ聞かないわよ」

 「だよねー……」

 結論、無理。あっさりと言い切った二人。霊夢の案は未だ未完成な上に、こういった全方位攻撃は『とにかく避ける!』くらいしか思いつかない。

 対してフランは吸血鬼としての再生能力があれば生き残れるだろうが、霊夢が無理だとわかっているため無茶ができない。能力を使うのも却下だ。アレは一度に一つの対象しか壊せない。こんな風に大群を対処するのには向かないのだ。性質上の問題として。

 諦めるつもりはサラサラないが。

 「――アレ?」

 「どうしたのよ?」

 「あっ、うん……あの光、何かなーって」

 「光……?」

 吸血鬼の視力が捉えた閃光。かなりの距離があったが、視覚を強化した霊夢はそれを見た。

 「ねぇフラン。私の勘が正しければ、あの光、こっちに来てるんだけど……」

 「……それって、まさか――」

 どんどん大きくなる光。そして次の瞬間、もう目の前にあった。

 『えええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!??』

 ――そして二人と、ついでにナイフの群れが光に飲まれた。

 

 

 

 

 

 (折れた、じゃない。粉砕されたのか!?)

 痛みには慣れている――などと嘯けたら、どれだけよかったか。とにかく痛い。複雑骨折はしたような記憶があるが、粉砕されたのはこれが初めてだ。

 痛みに堪えるシオンを、美鈴は見逃してくれない。右足を下ろすと地面を踏みしめ一歩前に飛び出してくる。この形は――ラリアット。

 (まず――このままじゃ、首の骨を――)

 美鈴の筋力と自身の耐久力を考えれば、一撃で折れる。最悪千切れる。そうなれば、前者ならともかく後者では能力を使っても治せない。

 判断は一瞬。腕を粉砕された時に前のめりになっていた体は止まった。それなら体を動かせる。

 シオンは足を前に、腰を起点に上半身を後ろに倒す。ほんの少しだけ倒れたと言っても、どう足掻いても回避は間に合わない。美鈴の腕の方が先に当たる。それを理解していた美鈴はほんの少し眉をひそめ――そして瞠目した。

 「いっ、ッ……」

 わざわざ上半身を倒して位置をズラしたのはこの為か! と驚きつつも相手を賞賛する。

 首に当たれば即死する。だが回避は絶対に間に合わない。だからこそシオンは当たる位置を変えた。丁度――『口』に当たるように。

 そしてタイミングを合わせた。速くても遅くても死ぬ。だから刹那の時間を見なければならなかった。

 ギリギリでシオンは口を開け、そして閉じた。思いっきり歯を突き立て腕に噛み付き、即座に放す。受け止め続ければ歯が折れる。

 衝撃を受け止め威力を減衰させ、しかも少しでも後の展開を有利にするために怪我をさせる。咄嗟の機転だった。

 吹き飛ばされたシオンは、最後に追撃をされないように美鈴の足に自身の足を引っ掛けて転ばせた。それでどうにかなるはずもないが、追撃されなければそれでいい。

 (心臓に悪……しかも歯がグラついてるし。タイミングは完璧だったのに、それでもダメだったのか)

 体勢を直し立ち直したシオンは歯をガチガチと噛み合わせる。だが何本かは耐え切れなかったのか今にも抜けそうだ。

 とはいえシオンの歯はほとんど使わなかった影響で一本たりとも大人の歯になっていない。そもそも大人の歯に生え変われるだけの栄養素が無かった、というべきだが。今回はそれに感謝するべきなのだろうか。

 「今ので終わらせるつもりだったのですが。まさか、歯で回避されるとは思いませんでした。体術もやれるみたいですね。凄いです」

 「いやいや、こっちも少し油断してた。そっちもやるねぇ」

 素直な賞賛。だがシオンは、冷静に彼我の差を理解していた。

 (こっちは腕の粉砕に、力を籠めるときに噛み締める歯を持ってかれた。で、あっちは多少違和感はあるだろうけど五体満足……んでもって、こっちは殺しに行けなくてあっちは殺しに来る。どんな無茶ぶりだよ、おい)

 美鈴の腕についた歯型はシオンのもの。本当ならこっちも腕を折るくらいはしたかったのだが、そんな余裕を与えてはくれなかった。

 シオンはダラリと垂れ下がった左腕から右手に黒陽を持ち変える。

 「そちらの腕でも使えるので?」

 「一応両利き。どっちでもイケるよ」

 「……首狙いではな、く両腕狙いにしておいたほうがよかったようですね」

 容赦ねー……と呆れながら呟き、シオンは駆けた。

 腕は治さない。治せると判断されれば美鈴はもっと容赦無く腕を、足を全てを持っていく。あくまで『腕は使えないし治せない』と思ってくれていたほうがありがたかった。

 シオンは逆手に持ち直した剣で美鈴の腹を斬りにかかる。当然のように右手で受け止められ、左手の掌底を返される。意趣返しかこちらも腹狙い。シオンはグッ、と左手を握り締めると腕の力だけで体を反転させ、逆さまになる。

 背中を向ける形だが、今の美鈴は両手を使っている。剣を掴んでいる右手を放せばそのまま斬り払いに移行するだけだし、そうでないならこのまま足を落として踵落としを叩き込むだけだ。

 それでも狙い通りに行くほど甘くはなく、美鈴は剣で手を傷つけないよう気をつけつつシオンごとぶん投げた。

 うまく受身を取りつつ美鈴を見ると、既にそこにはいない。

 気配探知――だが、見つけられない。

 「え――ッ!?」

 咄嗟に前転。粉砕された右腕に激痛。だが死ぬよりはマシだと割り切りつつ、回っていく視界の中で美鈴を捉えた。

 追撃を仕掛けようとする美鈴に弾幕をあげる。最初気功波を貰ったように、コチラも気で作ったもので。

 美鈴はそれを回避するでも防御するでもなく、()()()()()消滅させる。

 「うっわぁ、どんなパワーファイター……」

 「いえいえ、そちらも中々狡賢いようで。まさかあんな新体操のような動きをするとは」

 「そっちだって、まさか()()()()()()()()()()なんて思いもしなかった。しかも格闘家の貴女は足音とか衣擦れの音も消せるし――そっちも中々狡いだろう」

 初撃、砲弾のように突っ込んできた美鈴を察知できなかったのはそのせいだろう。

 吹き飛ばされながら感じたもう一つの気配――多分、咲夜のだ――は、きっちりと感じたというのに。そのタネがこれなら、そうなのだろう。

 ついでに自分にそれを破る術が思いつかない。

 タラリと伝った汗は、一体何によるものだったのか――。

 

 

 

 

 

 カラ、カラランとした音が響く。それはナイフが壊れ地に落ち散乱とした様相を示す証。その中央に、フランと霊夢は大の字になっていた。

 「ギリッ、ギリで――間に合ったぁぁぁ……霊夢は大丈夫?」

 「流石に今のは、死ぬかと思ったわよ……何とかね」

 フランの『レーヴァテイン』で受け止め威力を分散し、霊夢がフランが受け止めきれなくなった瞬間身体強化でフランを担いで移動、そして光が地面にぶち当たった衝撃でゴロゴロと吹き飛び、そして大の字で止まった。

 これが先に起こった出来事を纏めた全てだ。

 吸血鬼のフランはともかく人間の霊夢は色々厳しい。というか怪我した脇腹が開きかけた。というか地味に開いている。血が滲んでるし。

 光が飛んできた方向をキッ、と睨む。あんな攻撃をする『奴』を、霊夢は一人だけ心当たりがあった。

 「さっさと降りてきなさいよ。――魔理沙ああああああああああああああ!!」

 ビリビリと木々が揺れる。ついでにフランの脳も揺れる。

 数十秒後、空から箒に跨り、だがかなり気まずそうに魔法使い然とした少女が降りてきた。彼女が魔理沙なのだろう。初対面のフランはそう思うしかない。

 「あんたねぇ、私を殺す気ッ? 威力調整くらいしなさいよッ」

 「い、いや、殺すつもりなんて無かったんだけどさ……箒に上手く乗る練習ばっかりしてて、八卦炉を使ったのは初めてなんだよ、実は。威力調整とか知らなくてさ……アハハハ。ま、まぁ危なかったんだしどうにかなったんだから、結果オーライだろ!」

 まるでシオンのような魔理沙。だが、シオンが成功したのに対して魔理沙は失敗。加えてこの阿呆みたいな笑い声が、とても、とっても癪に障った。

 オロオロとするフランを横目に、二人のやり取りは続く。

 「あ、ん、た、ねぇ……!」

 「ヒィ――!?」

 ゴキゴキと手を鳴らす霊夢に怯える魔理沙。だが二人は横合いから飛んできたナイフを弾き、躱す。

 「――で、何でここに来たのよ?」

 「ちょぃと用事があってな。つっても霊夢にじゃない、シオンにだ。んで、適当に探し回ってたら、白夜……だったか? アレの力が遠目に見えてな、ここに来たわけだ」

 会話をしつつも飛んでくるナイフに対処する。先程までの険悪な雰囲気はどこへやら、息の合った――合いすぎた二人は、まるで一つの生き物のよう。

 「あっそ。それは今すぐじゃないとダメな用事?」

 「いんや、一日二日なら問題ない程度の用事だ。だからまぁ、ここでの件が終わらせるの、手伝うぜ?」

 「――頼んだわよ」

 「応、任された!」

 用事が何なのかは知らない。大丈夫だというのなら霊夢は魔理沙を信じる。そして魔理沙は当然のように霊夢を手伝うだけだ。

 「だからフラン」

 「え、な、何?」

 「ここは私達が終わらせるから、あんたはシオンの手伝いに行きなさい」

 え、と息を呑むフランに、霊夢は力強い笑みを見せる。

 「行きたいんでしょう? 心配でしょうがないって感じよ。――行きなさい」

 「ッ……ありがとう霊夢。本当にありがとう!」

 今まで隠していた宝石の付いた翼。それをはためかせてフランは飛ぶ。

 「綺麗だなーあの翼。……いくらで売れんのかね?」

 「その言葉、シオンに聞かせたら首が飛ぶわよ?」

 「じょ、冗談だっつーの」

 「だといいけどね」

 冗句を交えつつ、フランへ飛ぶナイフを落とし、霊夢は勘頼りで、魔理沙は適当に弾幕を飛ばしていく。

 「余計な事はしないでよ?」

 「メインはお前だ。私はそれを手伝うだけだよ」

 魔理沙は初めての共闘に高揚する気持ちを落ち着かせる。自分は戦いの『た』の字も知らない。だが足手まといなど死んでもゴメンだ。

 そうでなければ――ここに来た意味が、手伝うと言った意味が無いのだから。

 そうして二人は動き出す。

 それからまた数分。もういくつ避けいくつ壊したのかもわからないナイフの群れ。回避し壊すたびに反撃の針と弾幕を飛ばしたが、一発も当たる気配は無い。

 「霊夢、針は後何本だ?」

 「んーと……二十本、かしら。魔理沙は?」

 「元々魔力がすくねーからなぁ。半分切った」

 「まずまず、ってところね」

 後数本。それで準備は整う。そうしたらタイミングを見るだけだ。

 「魔理沙、頭上から咲夜を狙いなさい」

 「あ? それは弾幕でか? それとも八卦炉を使ってか?」

 「後者で」

 「あいよ」

 箒に跨る魔理沙を狙って来たナイフを弾き、針を飛ばす。

 「いよっし。そんじゃ遠慮なくいくぜ、霊夢」

 高々度から下を見下ろす魔理沙は、八卦炉に魔力を籠める。運がいいのかあるいは努力の結果なのか、ナイフを壊したことで発生した魔力がかなりある。

 「道具だよりってのが情けないが、使わせてもらうぜ」

 数秒の溜め。そして放つ。霊夢の事すら気にせず、ただ全力で

 「『マスタースパーク』!!」

 最初に撃った光。アレよりも遥かに強大で巨大な閃光。

 それが霊夢に当たり――弾けた。

 「注文通りやったが……死んじゃいねぇよな?」

 モクモクと揺れる煙。それを眺めつつ――お、と魔理沙は呟いた。

 「なーるほど。こりゃ私も予想外だぜ、霊夢」

 眼下に見える、歪な形をした結界。その中に、先ほどのマスタースパークで消し飛んだ森に隠れ潜んでいた人間が見えた。メイド服を纏った彼女、十六夜咲夜を。

 そして結界の中心、どこに隠していたのかと疑問に思うような巨大な針を突き刺していた。

 「霊夢、私の魔力はスッカラカンだ。後は任せたぜ」

 届くはずもない距離。だが、霊夢は返した。

 「わかってるわよ、それくらい」

 これが奥の手。相手が暗殺者なら、隠す場所を無くし、炙り出せばいいと考えた結果だ。

 本当なら自分で発動させるつもりだったのだが、それだと霊力がほとんど無くなる。それは勘弁したかった。

 そして魔理沙が来たことで出来た次善の策として魔力を利用した結界。魔理沙の魔力がネックだったが、それも八卦炉を利用したマスタースパークのお陰で解決した。

 「魔力利用するために一々針の位置変えたり御札貼って予想できる反発抑えたり――得意分野じゃない事させたんだから、ちょっと殴るくらいじゃ許さないわよ」

 付け加えるなら。

 (――『マスタースパーク』のせいで吹っ飛んだ針を打ち直した労力もあんたにぶつける!)

 完全な八つ当たりである。

 「……ッ」

 白兵戦は分が悪い。そう理解していてなお咲夜は諦めるつもりなどなかった。

 だが――『博麗の巫女』に、情けなどなかった。

 「あ、足元気をつけなさいよ」

 「え? ――――――――――――――――――――アアアアアアァァァァァァァァァァアアアアアア!???」

 時既に遅く、真後ろにあった御札を踏んだ咲夜の体に電撃が迸る。

 「あーもう、だから言ったのに。時を操れるあんたに油断なんてするわけないでしょう?」

 効果が切れ、プスプスと黒炎が立ち昇るのを見る。

 「ここら一体罠だらけ。歩くとトラップ踏んで、今みたいになるわよ? さて、ここであなたに問題です」

 ニッコリ。霊夢は輝くような笑顔で言う。

 「私はここに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 その笑顔が、咲夜にとって悪魔にしか見えない。

 が、霊夢は毒を吐きたくて仕方が無かった。散々()()()()()()()のだ。少しくらいは――吐き出してもいいでしょう?

 「ま、私も鬼じゃないわ。ほい、と」

 「な、何を――!?」

 札を五枚利用して作る『五角形(ペンダゴン)』を使い、咲夜の首、両腕、両足、中心である胴体を拘束する。

 「私、これでも『博麗大結界』を維持するために、多少結界術を習っているの。これはその応用の簡易結界(動くな殴れない)よ。名前でこれから何するのかわかるでしょう?」

 霊夢の前にある五角形が輝きを放つ。それはまるで、魔理沙の『マスタースパーク』の前兆のようで――それが咲夜を凍らせた。

 「じゃ、バイバイ」

 魔理沙よりも小さく、だが威力は相応にある光。

 ボロボロになって、しかし予想外に傷の少ない気絶している咲夜に、聞こえないとわかっていてポツリと呟く。

 「ま――手加減しといてあげるわよ。感謝なさい?」

 その様子を見ていた魔理沙は思う。

 (容赦ねー……と思ったけど、案外優しい、のか?)

 「シオンとフランに殺すなって言われてなかったら死ぬ一歩手前までいじめてあげたのに」

 (あ、前言撤回。やっぱ容赦ねーわ)

 霊夢は結界と罠を解く。そしてふぅと息を吐いて――

 「後は、任せたわよ。シオン、フラン」

 ドサリ、と倒れ伏した。

 「れ、いむ?」

 未だ空中漂う魔理沙は、目の前の光景が信じられず――だが、信じるしかなかった。

 「霊夢―――――――――――――――!??」

 

 

 

 

 

 ボタリ、と何かの塊のような粘ついた液体が地面に落ちた。それは赤色。そして落ちた場所にいるのは白い影。

 「……まさかここまで長引かせられるとは思いませんでした」

 「アッハハ……生き延びるのは、得意中の得意、でね。まだまだやれるよ」

 腕の歯型、そして多少破れた服以外は傷と呼べる傷が無い美鈴。

 対してシオンは右腕粉砕、左足が一度折られて無理矢理元に戻し、腹部を手刀で裂かれた。先ほど垂れた血はそこからだ。後は大小の切り傷と殴打による打撲、無茶をしたせいで折れた数本の歯に骨――と、いったところか。

 美鈴が格闘の達人なのは知っていた。だがまさか、当たり前のように手刀を使った抜き手で腹を貫こうとしたのには怖気が走った。腹の傷はそのせいだ。

 そこらの鈍らよりも遥かに鋭い手、というのも恐ろしい。剣と違ってリーチは短いが、その分慣性に引きずられにくいし連続で攻撃しやすい。

 と、シオンの言葉を聴いて顔を歪ませる美鈴。

 「ん、どうした。もしかしてフラン達の方が気になるのか?」

 「いえ、そういう訳では……ですが、一つ教えてください」

 「内容による。それでよければ応えよう」

 「それで構いませんよ。――なぜフラン様があなたと行動しているのか、それだけ教えてくださいませんか」

 真摯な表情。本当に、心底から気になるのだろう。

 わからなくもない、とシオンは思う。フランは五〇〇年もの長い間あの牢屋に囚われ続けていたのだし、見知った顔も紅魔館の住人のみだ。――少なくとも、彼女達の認識では。

 そうであるのなら、何故当然のように外にいて、しかも他人の――会ったこともない人物を頼るのか、わからないだろう。

 「まぁ、それくらいなら。――フランが俺を頼ってくれたから。そして俺は、フランのために、そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()から」

 「……?」

 理解できないのだろう。

 美鈴の様子にシオンはどこか寂しそうに笑うと、剣を向ける。

 「言葉で言ってもわからないだろうし、今からそれを教えてあげる」

 「そう、ですね。あなたの言葉が正しいのかなんてわかりません。でしたら、こちらの方が嘘か本当かわかります」

 「……ホンット、変わんないなぁ」

 面白そうに、楽しそうに笑っている美鈴。武人として、強者と競い合うのを喜ぶ顔。と、そこで轟音。

 『――!?』

 お互いの顔を見る。だが驚いているのはシオンと美鈴、どちらも同じ。

 「音がしたのは――」

 「――あっちだな」

 遠い。メートルではなくキロ単位で離れている。だが無意味に狙う理由は無いはずだ。となれば一つくらいしか理由が思いつかない。

 「ふぅ。どうやらお互い、のんびりとしている暇は無くなったようですね」

 「そうか?」

 「……そちらには無いのかもしれませんが。こちらにはあるのですよ」

 どうやら美鈴もわかっているらしい。

 (そりゃそうだろうな……そっちに()()()()()んだし)

 パチュリーはよっぽどの事がなければ動けず、レミリアは紅魔館から出る気はないだろう。ならば可能性は大まかに分けて三つ。

 単なる偶然か、シオン達の援軍か、それとも――第三者による介入か。どちらにしても咲夜を心配する美鈴が焦る理由にはなるだろう。

 ふぅ、とシオンは一つ息を吐き出す。

 「どっちにしろ全力で相手するしかないっぽいし。こっちから行かせてもらうよ!」

 「縮地……」

 美鈴直伝、神速移動。

 彼女からしてみれば、まるで自身の技を奪われたようにも見えるだろう。蹴りを繰り出し、ついでに弾幕を左右後方から出す。

 追い打ちをかけようとしたところで美鈴が二つの弾丸を掴み、

 「――返しますよ!」

 そのまま受け流し反射する。シオンは剣でもって切り裂き、後退する。美鈴は前へ駆け肘で一撃を、剣の腹で受け止められたのを見てもう片方の手を前に出す。だが、そこでは距離的に当たらない。攻撃を受け止めたシオンは少し後ろに移動したからだ。

 が、美鈴は拳でも掌底でもなく、単純な()()()()をシオンの額にぶち当てる。

 「イッ!?」

 たかがデコピンと侮るなかれ。美鈴の鍛えに鍛えられた身体能力と超速が合わさった人差し指が額に直撃したのだ。脳震盪を引き起こしかけ、続いて視覚がグラグラと揺れる。

 それを地面を踏みしめ剣の柄頭を頭の横にぶち当てて無理矢理脳震盪を止める。片眉をあげた美鈴は、しかし気にせず一歩踏み込むと、今までと違う、きちんとした構えを出す。

 (ま、ず――)

 逃げろ逃げろ逃げろと体が叫んでも、それを受け止める脳が機能してくれない。そして腰だめに構えられた拳が、シオンの腹をぶち抜いた。

 「ッ、ァ――」

 息が止まる。

 吹き飛び木々にぶち当たり、数本を薙ぎ倒してようやく止まる。

 ピクリとも動かないシオンの体。倒れた木々の重なった合間から、シオンの手と足が見えた。それなのに、美鈴は立ち去らず、シオンを見続ける。

 「――……ァー」

 と、剣を持つ左手が動くと、そのまま、通常の人間の身体能力なら絶対にどうにもできない木をどかす。

 汚れた、しかし何故か破損が裂かれた腹部以外ほとんど無い服と、それに反してボロボロになったシオンが出てくる。

 「行ってくれたら背中から奇襲できたんだけどなぁ。どうしてわかったんだ?」

 「……衝撃で。何か硬い――鋼鉄のようなモノに当たったような気がしたので。咄嗟に『徹し』に変えましたが、あなたを殺せる程のモノではなかったでしょう」

 「あ、ぁー、そういやそうだった」

 ボケてんのかな、と首を回す。それでもシオンの眼光が鋭く、美鈴は下手に手を出せない。

 (死にかけた。誇張抜きでガチで死にかけた)

 脳震盪を引き起こしかけた脳で、それでもギリギリ白夜による空間固定で壁に近い鎧を作れた。それでも徹しのせいで多少の衝撃を貰ったが。

 (()()()()も、もういいかな)

 トン、と黒陽を地面に突き刺す。身を硬直させる美鈴に、だが無駄だとシオンは言った。

 「――黒剣技」

 瞬間、美鈴の背後から、チャイナドレスを破り股を抜けて剣が突き刺さる。拘束とも呼べないそれを、シオンは縮地で美鈴の前に移動し、剣で突き抜く。

 最初からずっと用意していた罠。それをやっと使えた。

 たかがスカートとはいえ破こうとすれば一秒にも満たぬ数瞬隙ができる。諦めて顔を傾けて避ける。と、驚いたことにシオンは剣を手放した。

 手放したことで剣を戻す動作を無くしたシオンは、何故か右腕を腰だめに構える。

 その構えは、先ほど美鈴の出した構えと寸分違わず――

 「ど、っせい!」

 だがそれでも、驚きに硬直した美鈴の体は動く。一瞬遅れて、なのにシオンと同じ速度で放たれた拳と拳。

 ビキリ、と腕が鳴った。粉砕された腕を、木々に埋もれている間、美鈴にバレないよう少しずつ治した。そうしてもなお粉砕が複雑骨折に変わっただけの腕。その結果、複雑骨折のせいで骨が腕を突き破ったが――別に構わない。

 拳の衝突のせいで動きが止まった美鈴の腕を左手で掴み、()()()()()()()()()グイッと引っ張りこむ。ついでとばかりに足を引っ掛けるのも忘れない。

 まるで美鈴が押し倒したかのような格好。だが美鈴に浮かぶのは疑問だけだ。

 「何故……」

 「ん、何か疑問でも?」

 「疑問しか、ありませんよ。この体勢で有利なのはどう見ても私です。あなたは片腕を使えず、もう片方は私が押さえているんですから」

 そして、残った腕でシオンの首を押さえれば、もう生殺与奪権は美鈴のものだ。

 「あの黒剣技で私を直接狙えばそれで終わったはずです。何故そうしなかったのですか?」

 生半可な理由なら美鈴は容赦なく首の骨を折ってくる。そう悟ったが、納得出来るだけの理由を生憎と持ち合わせていない。

 「赤の他人ならまだしも、一応先生みたいな人を殺すのはちょっと、ねぇ」

 「先生みたいな、人……」

 思い出すのは先ほどの型。確かに似通っていたが、それだけなら美鈴は驚かない。彼女があそこまで驚いたのは――どう見ても、自分が教えたような構えだったからだ。

 同じ流派でも、極めようとすれば各々が最適となる型になる。シオンはそれを、美鈴の形を基盤として自らの型に最適化していた。

 見覚えのない弟子のような人間。それが理解できなかった。

 「ですが」

 「ア、ガッ!?」

 ミシリ、とシオンの首が音を立てる。

 「私はあなたを殺す必要があります。お嬢様のため――フラン様のため。私に情けをかけたこと、後悔してください」

 「ハ、ハ……そう、かい。な、らこっち、も。あと、もう一つ。生、殺与奪権を、持っている、って、考え……大間違い、だぞ?」

 首を絞められ息も絶え絶えに、それでもなお嘯くシオンに、美鈴は凍てついた眼で答える。

 「ここから逆転できるとでも?」

 「いやー……無理、だね。うん、だから、さ」

 シオンは苦しげな顔を唐突に変え、小さく笑った。

 「す、まない。頭上注意、だ」

 「え――んな!?」

 いきなり気配探知に反応が出た。場所は――自身の頭上。

 「来て」

 「いつの間に――ッ!?」

 動かさない、とばかりに片手と歯で動きを止めてくる。足はスカートの拘束のせいで動けない。素直に悟った。間に合わない、と。

 「『レーヴァテイン』!!」

 そして炎を纏った枝、その柄頭が、美鈴の後頭部を殴打した。




えー本日は2話投稿ですが、なんてことありません。

先週予約投稿したと思ってしていなかった、それだけです。

……ま、まぁちょうど良く先週と今週で戦闘回繋がってるんで許してくださいすいません(土下座

来週は今回の戦闘の意味を軽く説明&おさらいしたら次に進めます。(実はレミリアとの戦闘シーンが全く出来て無いどころか想像すらしてないなんて言えない……言えない。ハハハ……)


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一時の休息

 気を失った美鈴が、ドサリと体を倒れ伏す。その真下にいた美鈴は、身長の差と元々の体勢もあってか押し潰れさた。

 美鈴の体は鍛え上げられた者のそれでありながらしなやかさを持っており、女性らしく柔らかくもある。プロポーションも相応だ。彼女にならその下になってもいい、と思う男は相当数になるだろう。

 だが、シオンは別だった。性欲がない、というのもその一助となるだろうが、何より現状がマズかった。

 人一人が崩れ落ちてきた振動が体を伝わり、そして肩を通って腕へ突き刺さる。

 骨が突き破れた、右腕へと。

 走る激痛。反射的に漏れかけた叫び声を、口を引き締めてうめき声にまで堪える。角度的に腕はフランから見えない。体も美鈴の影になっていて状況がわからない。

 まず腕を元に戻す。失ったモノを元に治すのなら相応の代価が必要だが、単に突き破れているだけなら特に問題はない。シオンは体から切り離されたり血を外に流したりしなければ、いくらでも体を治せるのだ。直せる、と言い換えてもいいかもしれない。

 「ッ、ゴホッ、ガハッ! ――。ぃ、つぅ……」

 血を吐き出しかけて、飲み込む。体外でも多少なら操作は可能だが、やはり体内にある方がやりやすい。

 少し内蔵を傷つけたらしい。おそらく腹をぶん殴られた時の衝撃のせいだろう。しかも手刀で裂かれたのも腹のため、多量の血を流したらしい。血が足りなくて少しクラクラする。

 「だ、大丈夫? シオン」

 「あぁ、まあ客観的に見て大丈夫とは言えないかな……すぐ治すから問題ないけど」

 『レーヴァテイン』を消し去り、美鈴の肩を掴んでシオンからどかす。その時シオンの服に付着した血を見て少し目を見張る。

 「本当に大丈夫なの? そんなに血を流して……人間は血を流しすぎると、出血多量で死んじゃうんでしょ?」

 「俺は代替品があるから何とかなる。流石にそれすら無かったらちょっとキツいけど」

 それに、シオンは新陳代謝が高い。血の生成量もそれなりに多い。今の今まで生きてこられたのも、それが理由の一つだろう。

 怪我は大半を治した。外見をマシにするため外傷から先に行ったが、平気だろう。この程度の痛みなら耐えられる。

 「でも、シオンが前に美鈴と戦ったときはそんなに喰らわなかったよね? どうして今はそんな酷いの?」

 ……純粋な瞳で見られると、まるで責められているかのような錯覚に陥るからやめてほしい。

 などとは口が裂けても言えず、シオンは一瞬躊躇ってから答えた。

 「……色々だ。美鈴が殺す気で来てたとか、こっちは殺せなかったから苦戦したとか、言い訳はかなり思いつく。だけど一番大事なことが一つ。二ヶ月くらい前の俺と今の俺。何が変わってると思う?」

 「ん、と……強さの違い? 手間取ってた空を飛ぶのも上手くなってたし、気とか魔力の操作も段違い。黒陽はともかく白夜は使いこなせてなかったのが使えるようになってる。体術も、きちんとやれてるみたいだね。今回は黒陽だけしか使ってないみたいだけど」

 笑っていうフランに、シオンは内心で驚いた。驚くほどに彼女は自分を見ている。そう気づかされたからだ。

 そんな事など気づきもせず、彼女は続けた。シオンが更に驚愕させられるほどに、鋭い洞察力を見せて。

 「あと一番大事なこと。前は全部投げやりだったっていうか、自暴自棄だったような気がするんだけど、今はなんか、芯ができてるような。……あやふや、みたいだけど。まだうまく形になってないのかな。――うん、でも……今のシオンはすっごい()()と思うよ!」

 「――――――――――!」

 ハッ、と息を呑む。

 表情は変わっていない。だけど、内心は別だった。そこまでわかってくれているなんて、思いもしなかった。自分自身、そこまで断言できない。変わっているのはわかっても、それを受け入れるには時間がかかる。

 だから、ほっとした……というのが適当なのかもしれない。

 「そういうフランだってかなり変わってるだろ?」

 まるで誤魔化すようにシオンは言う。内心の照れは見て見ぬフリで。

 「え?」

 「テキトーだった所作だったのに、今じゃ女性らしさが見える。肌だって、食生活が変わったからなのか知らないけど、綺麗だよ、とても。服自体は変わってないけど、リボンとか、ところどころの装飾を変えたり気を遣ってる。――俺が渡した腕輪と、合うように……」

 「う、うん……ありがと」

 真っ赤になったフランはそれだけを呟くと、赤くなった顔を隠すように俯く。ギュッと腕輪を握り締めて、心の中では歓喜が溢れていた。

 気づいた――気づいてくれた――!

 シオンは、鈍い。生来なのかあるいは何か理由があるのか、シオンはとにかく鈍い。あるいは知ってても言わないかもしれない。

 だから、諦めてもいた。努力している部分を気づいて、褒めてくれるのを。

 だけど、本心では気づいて欲しかった。綺麗になったと言って欲しかった。幼なくったって女なのだ。好きな人には――褒められたいのだ。

 「シオンは、その……今みたいな私のほうが、いい?」

 「うん? んー、そう、だな。そっちのがいいと思うよ、俺は」

 ……多分、シオンは気づいていないのだろう。

 異性として問いかけているフランに、シオンは『フラン』として、あるいは一個の存在としてしか見てくれない。

 だけど、今はそれでいい。

 それをいつか、恋心に変えてしまえばいいのだから。

 「う゛、うん。話が逸れたな」

 「あ、確かに。それで、なんだっけ?」

 一つわざと咳払いし、変になった空気を振り払う。

 「今フランが言ったのは俺の内面的なモノだ。それは『勝利要因』であって、ここまで傷ついた『苦戦要因』にはならない。もっと単純に俺を見てくれ」

 「単純っていうと――身長とか?」

 今の今までフランはスルーしていたが、別に気付かなかったわけではない。それ以上の焦燥によって指摘しなかっただけだ。

 暇を見て図書館に行き、パチュリーの蔵書を借りていたフランは、人間のことを知ろうとそれ関係の本を見ていた。

 そしてその中には人間の成長についてもあった、のだが……わずか一ヶ月と少しで五〇センチも身長が伸びる話は聞いたことがない。

 まぁ、シオンだし……と割り切っていたのもあるのだが。

 「もしかして、シオンがあんな地を這う蛇みたいな戦い方をしてたのって?」

 「そ。低い身長を利用するため。美鈴は高身長だから、あの時の俺が普通に立ってたとしても殴るのに多少屈む必要がある。誤差の範囲だから上手くやれば隙を少なくして殴れただろうけど、それがわかっていたからあんな変な移動方法使ってたってわけ」

 元々シオンが美鈴に勝てたのは、相性によるところが大きい。

 最初の遭遇戦は、シオンをただの人間だと思っていた美鈴が、子供であるシオンを殺さないよう極限にまで手加減していたところを突いた。

 二度目の勝負は、低身長故に殴ることが難しいところを利用した。もちろん、シオンがそれで調子に乗れば容赦なく顎を蹴り上げ、正拳突きのコンボに繋がっていただろうが。

 これらに共通するのは、どちらもシオンが『身長が極端に低い』ことだ。

 つまり美鈴にとって、シオンは極端なまでに『相性が悪い』相手だった。

 そして今回、シオンは身長が伸び、少年程度になった。それは手足が伸びたことでもある。

 「美鈴がその気になって俺が隙を見せたら、彼女は関節技か、あるいはそれに準じたことでもして組み伏せてきただろうね。それくらいに彼女は『巧い』んだ」

 ここでおさらいだが、シオンが苦手としている相手はいくつかいる。

 一つ、至極単純に『強い』相手。身体能力で大幅な差があれば、勝ちを拾うのは途端に難しくなる。例えば――幽香のように。

 二つ、技術的に『巧い』相手。自分よりも技術が上ならば隙を見つけるのが難しいし、よしんば見つけたとしてその隙が巧妙に偽装されたフェイクであれば目も当てられない。その相手が、美鈴だ。

 つまり少年となったシオンにとって、美鈴は『相性が悪い』相手に分類される。それが今回の苦戦の理由だ。

 「へぇ~……戦いって、そんなに考えるものなんだ」

 「人による。今回はフランがいたから助かったけど、あのまま一人だったら辛かったな」

 「シオンならそれでもなんとかしそうだけど。でも、どうして美鈴は私が来たのに気付かなかったの?」

 「小細工、してたからなぁ。それに運がよかった」

 シオンの特性を利用した、小狡い小細工だ。そして美鈴のことを知っていたからこそできたことでもある。

 美鈴は武道家として、自身で制御しきれている戦闘狂紛いの思考がある。もっと強く、上へ行きたいと思うのなら仕様がないが、だからこそわかる。

 自身の技を磨きたいのなら――特に太極拳、格闘術を扱う美鈴は、一対多、あるいは多対多の戦闘を、嫌ってはいなくとも乗り気ではないはずだ。

 だからこそ、美鈴はきっと()()()()()()()()()を嫌うはず。より強い相手と戦う時、そんな可能性を頭に入れていては負けるから。

 その代わりに、周囲の気配を探るという形で奇襲に備えている。それでも意識的に行っていることの一割もあればいい方で、シオンの予想だとそれ以下だ。

 「俺の魔力が無色透明なのは知ってるだろ?」

 「うん。シオンに属性の適性が無いのはそのせいだって、パチュリーが言ってたから」

 「どうも気とかもそうっぽいんだよね。だからまぁ、それを利用した」

 先ほど言ったその小細工もその応用。

 「俺の気は無色透明、そしてそれは相手に対して気や魔力を渡しても抵抗がないのと同じ。だから()()()()()()()()()()

 「……? ???」

 少し悩んでいたが、やはりわからないらしい。

 予想していたことではあるので、シオンはフランと手を重ねた。慌てるフランを完全スルーして気を発動させる。

 今使うのは、相手を傷つけることに用いる『外気功』ではない。

 「ん……なんか、あったかいね。これも気なの?」

 「気と一言に言っても色々あるからな。元々の力が生命の根源なんだけど、それを引っ張ってきて形にしているのが気だ。それを攻撃に転換するのが外気功って言うらしい」

 そしてシオンが最初に使っていたのはそれだ。

 シオンの身体能力は、本人の体と釣り合っていないのはフランも承知の上だ。言ってしまえば電車か何かに両手首を紐で括りつけて引っ張られているようなモノ。そこに外気功で身体強化を行ってしまえば、電車が新幹線に早変わり、限界へのカウントはストップ知らずだ。

 「で、今使っているのは内気功。これは人の細胞を活性化させて傷を癒し、心を落ち着けられる技。……後者はその人の心根次第、らしいけど」

 攻撃的な人物程外気功を操りやすく、人を思いやる者程内気功が得意になる。もちろんコレは単なる目安でしかないし、人によってはその波長が気に食わない時もあるから、後者を扱う者はまずいない。

 だがここで重要なのは『傷を癒す』という点だ。

 シオンは内気功を用いて、外気功のせいで傷ついた体を癒している。壊しては癒す、を無限に繰り返しているのだ。

 「……抵抗感、あるか?」

 「ううん、全然」

 「この時点でおかしいんだ。普通、他者とこういった事をすると多少の抵抗力――反発力と言い換えてもいいけど、それが起きる。似たようなモノだけど全くの別物なんだから、むしろ起きない方がおかしい」

 「だけど、シオンはそうならないんでしょ?」

 「ああ。師匠が言うには、何か他の理由もありそうだって事だけど、理由はわからない」

 手を離し――どこか残念そうにしているフランに、話を戻すぞ、と伝える。

 「とにかく、俺は相手に気を譲渡しても気づかれない。だから、直接触れて少しずつ気を送ったんだ。遅効性の『毒』として」

 もちろん殺すためじゃないけどね、と釘を刺しておいて、またフランに気を送り始める。

 「気配探知、してみて。ただし、妖力を使ってだ」

 「わかった。――って、あれ?」

 できない。いや、微かにだが感じはする。でもそれだけだ。こんな頼りなくては、戦闘中に探ることなど――

 「もしかして、これを美鈴にしたの?」

 美鈴は格闘術だけでなく、気の達人でもある。

 それによって生命力を極限まで抑え、シオンの探索から逃れ、奇襲できた。凝縮した気弾を撃てたし、気配を探るのも相手の生命力を見つけたから。

 「そうだ。まぁ、運がよかっただけだ。さっきも言ったけどな」

 「運……?」

 「俺が美鈴の気を乱すために色々細工してたこと。美鈴がフランが近づいてるのに気付かなかったこと。フランが気配を隠して近づいてたこと。そして――それら全てが上手く噛み合ったこと。全部偶然だ」

 気を乱していたと言っても、それはあくまで前段階、潜伏期間だ。あのときシオンは気の流れを多少阻害し、美鈴を、本人さえ気づかないほど微妙に疲れやすくしていただけ。淀みを作っていただけだ。

 フランが来ていることに美鈴が気づいてないとわかったのは、美鈴の反応からだ。美鈴なら、もしフランが近づいてるとわかれば、もっと果敢に攻めてきたはず。それがなかったから。

 そして、フランは美鈴には無駄だとわかっていても隠密行動をしていたこと。いくら気による探索を誤魔化したといっても、普通に五感で囚われれば全て無意味だ。そういう点から見ると、フランの行動は無駄ではなかった。

 シオンの言った『時間稼ぎ』はそれが理由だ。隠密行動をしているが故に移動が遅いフランを悟られないよう必死になった。

 最後は相手を動けないようにすれば、あとはフランが気絶させてくれる、ということだ。

 「……ま、順序立てて説明すればこんな感じだ。さ、そろそろ霊夢達のところに行こう。あっちも終わったみたいだし」

 「それはいいんだけど、美鈴はどうするの? ここに置いておくわけにもいかないし」

 「俺が背負ってくよ。特に重くないしね」

 美鈴を背中に乗せると、フランに頼んで抱っこが安定するようにしておく。間違えて落とした、なんてなったら目も当てられないからだ。

 「ッ……」

 その時腕に走った痛み。そこを起点に、全身が強ばった。悟られてはいけない。だから必死に顔を保ち、走らなければならなかった。

 全身に走る痛み――特に右腕を庇いつつ霊夢達のところに辿り着いたとき、魔理沙が必死に霊夢を揺らしているのが見えた。

 「もしかして……何か、あったの?」

 フランがそういうのも無理はない。それほどまでに魔理沙の顔は切羽詰っていた。

 「霊夢ッ、おい、霊夢! 冗談だろ、さっきまでいつもみたいにふてぶてしく笑ってたのに、いきなりこんな……!」

 ガクガクと揺らし、それでも反応のない霊夢に叫ぼうと口を開いて――

 「れい――」

 「うっさいわ! 耳元で叫ばなくてもふっつーに聞こえるわよ!」

 まったくもう、とブツブツ愚痴る霊夢だが、顔が青ざめているのを隠せていない。

 「霊夢、大丈夫なの!?」

 「何があったか知らないが、無理に起きるな。横になれ」

 「フラン、シオン。大丈夫だった――って、大丈夫じゃないか。それじゃ、お言葉に甘えさせてもらうわ」

 素直に――いや、あの形ではまるで投げ出すように体を横にする霊夢には、いつもの余裕が見えない。

 「何があったんだ?」

 「毒よ。ナイフに塗ってあったんでしょうね。それも、最初のやつにだけ」

 「毒、って……まさか、私を庇ったあの時に?」

 「あーあー、そういう反応いらないから。私が勝手にやったことよ。あんたにどうこう言われる筋合いはないわ」

 それがフランに気を追わせないためだとわかるから、フランは何も言えなくなる。魔理沙は殴り飛ばされたところから戻ってくると、霊夢に問いかけた。

 「それが何なのか、わかるか?」

 「さっぱりね。通常の毒みたいにも思えるし、全く別のにも感じられる。聞きたいなら咲夜を叩き起こすしかないと思うけど……」

 チラリと咲夜が倒れている方を見る。未だ気絶している咲夜に、起きる気配はなかった。

 「あの様子じゃあ、ねぇ」

 ハァ、とため息を吐く。

 その様子を見て、シオンは幾度か逡巡し、そして決めた。

 「先に謝っとく。すまん、霊夢」

 「は? 何言って――ひゃ!?」

 素っ頓狂な叫び声を上げ、だが同時に、()()()()()ことも悟る。

 そしてシオンは、『脇腹』から指を引き抜くと、微かに付着した血を舐めとった。

 「な、な、な……何してんのよ、シオン!」

 「先に謝ると言っただろう。まぁそれで済むとも思っちゃいないが」

 あっけらかんと答えるシオンだが、額に若干の冷や汗が見て取れた。ジト目でシオンを見るフランと、反対に訝しげな表情を浮かべる魔理沙の対比がわからなかったが。

 フランがジト目になっているのは少しの嫉妬、魔理沙は何となくおかしさを感じてだ。

 吟味するように血を舌で転がす。それがなんなのかわかると、そのまま吐き出さずに飲み込んでしまった。

 「やっぱ美味しくねぇ。で、症状だけど。コレ、単なる麻痺毒だな」

 「美味しいわけないでしょうがッ。それにしても、麻痺、ね――だから触られたのに何も感じなかったのね」

 あの時反射的に叫んだ悲鳴は忘れたい。

 「んじゃ、霊夢はこのままほっといても助かるのか?」

 「いや、死ぬ」

 ピシリ、と魔理沙が固まった。

 「これは確かに麻痺毒だけど、かなり凶悪なモノだ。人間に使うようなモンじゃない」

 「ぐ、具体的な例は?」

 「打ち込まれた部位から全身に伝わると、体中の動き――正確には筋肉の動きを止める。そこから内蔵の動きを止めて、死に至る。元々はフランに使うつもりだったんだろう。その気になればフランは文字通り『全部』壊せるから、それを恐れて。そしてフランなら、このくらいの毒は人間で言う麻酔程度だろう」

 「じゃあどうして霊夢は無事なの!? シオンの話通りなら、()()()に使うつもりだった麻酔なんて耐えられるはずないのにッ」

 「霊力を使ってるだけよ」

 段々と息が荒くなってくる霊夢。肺の活動が弱まり始めているのだ。

 「別に、身体強化をするだけが能じゃないのよ……。例えば新陳代謝を上げて毒に対する抵抗力をあげたり、肝臓とかの特定部位を強化したり……小細工は、人間の十八番なんだから」

 「霊夢、何か手はあるか?」

 今やっていることは、単なる延命措置。悪あがきでしかない。このまま放っておけば、霊夢は死ぬ。

 「そっちは?」

 「……無い。フランに使うつもりだったなら、咲夜は解毒薬なんて持ってないだろうしな」

 「で、しょうね……仕方ない、か。シオン、私の腰辺りにある御札の束を取ってちょうだい」

 言われて、なるべく触らないようにしつつ紙の束を取る。形も大きさもバラバラなそれは、ある程度纏められている、としか言えない乱雑さだ。

 「その中に、二枚か、三枚しかない御札を取って……ちょうだい」

 御札の数は多い。流石に三桁は超えないだろうが、そう思わせられる量だ。その中のたった二枚を探すのは難しい。この緊迫した状況でならなおさらだ。

 それでもシオンは自身の能力を最大限活用し、わずか十秒で目的の札と見つけ出した。

 「これでいいのか?」

 「ええ……それを、私の胸の中心に……服の上からで、大丈夫だから」

 唇の色が冷めてきた。服の上からでもわかるほど霊夢の体が冷たい。しかも――心臓の音が、ほとんどしない。

 「次は?」

 「後は……私の両手を、札の上に……乗せて、くれれば」

 言われた通りに動かす。まるで自らの命を賭して祈りを捧げる巫女のような……そんな縁起でもないことを考えながら、シオンは多少でもマシになるだろうと、内気功を使って霊夢の細胞を活発化させる。

 やりすぎると逆効果にしかならない危険な行為だが、背に腹は変えられない。戦闘時と同じかそれ以上の集中力でもって内気功を使う。

 「他にした方がいいことは何かないか?」

 「今は、特に……数分もすれば、話すのに支障無くなると思うわ」

 ――その言通り、確かに霊夢は数分で体調を治した。

 「三人共、一旦休みを取ろう。流石に体力が落ちているし、このままレミリアのところへ行っても帰り道にあうだけだ」

 一同がホッとし、少し空気が緩んだところでシオンが提案する。

 「むしろそれ以外無いでしょうね。私はダウンしてるし」

 「私は魔力が無いな」

 「特に問題ないけど、私一人じゃお姉様には勝てないから……」

 結局、咲夜や美鈴をどうするのかについても後回しにして、四人は休息を取ることにした。

 そこでフランが疑問点を挙げる。

 「ねぇ霊夢、その御札ってそんなに効果がある物なの?」

 今は木に背をもたれさせて楽にしている霊夢に問いかける。

 「それについては、私よりも――」

 「ああ。私が説明させてもらうぜ。答えは『ある』だ」

 「そうなの? こんなちっさいのに?」

 「大きさ自体はあまり関係ないんだ。要は必要な部分が必要なところにさえあれば稼働するんだからな。御札の形が違うのは、まぁ、わかりやすく区別するためだろ。多分」

 「だけどこれ、俺が知らないモノもいくつか混ざってるんだが」

 「あーまぁ、それは和洋折衷にも過ぎるモンだからな……。私も最初見た時は驚いたぜ? こんな滅茶苦茶なのに効果は一級、しかもちゃんと発動してるときた。その道の専門家からしたら発狂するぜ」

 ちなみに魔理沙曰く、この御札はどんな力にも一定の補助(ブースト)をかけるらしい。

 それのどこが凄いのかを問うと、

 「ん、と……この説明でわかるかは知らないが、この際何でもいい。とにかく『完成したモノ』を想像してくれないか?」

 「それは改良できるような不完全な完成?」

 「いんや、後から付け足す必要も無駄な部分を削ぎ落とす必要もない、『完全な完成品』だ。そうでなくとも、芸術品だって別にいいぜ」

 「美術品なんて見たことがないが……まぁ、続けてくれ」

 「りょーかい。そう難しく考えないでくれよ? 目に見えない完成品。そして私達に出された問題は、その完成品に()()()()こと。それも、()()()()()()()()()()()()、だ」

 『それは――』

 「ああ。不可能、じゃぁないかもしれないが、まず無理だ。でも、霊夢がやったのは『それ』なんだよ。本来不可能な事を可能にする札。しかもこれ、何より恐ろしいのが、あらかじめ強者が力を封じ込めておけば、例えどんな弱者だろうとその一回だけは強大な力が使えるんだ」

 今回霊夢は自身の霊力による強化を一時的に増大させたらしい。その結果、毒が回るよりも早く毒を駆逐しえた。

 だがこの御札はそれ以外にも――それこそシオンの黒陽や白夜にもその効果を発揮するのだから末恐ろしい。

 「しかもこれ、完成したのが偶然でもなんでもなく、単なる『勘』だぜ? マジでやってられねーよ」

 「失礼ね。一応博麗の巫女が読む秘伝書の中身と、あんたに見せられた本の内容を適当に組み合わせてみたらできただけよ。……いくつか勘でやったけど」

 「おい待て霊夢。やっぱ『勘』じゃねーか」

 ボソリと付け足された言葉を、魔理沙は聞き逃さない。

 そんな二人を横目に、フランがシオンに問いかけた。

 「あれ? でもシオンも魔法陣を使ってるけど、それはまた別なの?」

 「ん、ああそれは――」

 「お、シオンも魔法陣作ってたのか? なら見せてくれよ!」

 霊夢との言い合いもなんのその、『魔法』陣と聴いて即座に駆けつけた魔理沙に気圧されつつ、シオンはレミリアと幽香との戦いで使った魔法陣を展開する。

 「ふーん、魔力糸を使って『加速』の術式か……潤沢な魔力を持ってて羨ましい限りだ。まぁそれは置いとくとして。コレ、ところどころ無駄があるぜ?」

 「そうなのか? 実は学んだ期間が少なくってな」

 「少なくてこれか? 天才ってのはどこにでもいるもんだな。ま、相応に努力はしてるんだろうけどさ」

 ぶつくさ言いながら魔理沙は疑問点を挙げ、それに逐一答えるシオン。

 最早周りに目が向いていない二人を眺めつつ、()()()()()()()()霊夢に言う。

 「――やっぱりギリギリ?」

 「正直シオンの内気功が無かったら、三・七で死んでたわね。言っておくけど七が死よ? ま、今も結構辛いんだけど」

 「私に何か出来ることは?」

 「あの二人に――いえ、魔理沙に気づかれないようにして。シオンはきっと、気づいてるだろうし」

 シオンの洞察力を、霊夢は過小評価していない。

 「わかった。二人に質問して意識を逸らすね」

 「……できるの? あの二人が言ってること、専門的すぎて訳わからないわよ」

 「それでも疑問点はあるから大丈夫」

 そしてフランは二人の後ろからこっそりと近づく。

 「この術式、アホだろ。魔力自体を貯めるのはいいけど、それを敢えて暴走させて攻撃に転換するとか……発想自体はいいが、一歩間違えれば自滅の思考だぞ?」

 「遠距離攻撃が殲滅するか全部ぶった切るか効果のない目くらましかのどれかしかなくってな。一時凌ぎでも必要でさ」

 「今は大丈夫なのかよ、オイ? 無茶をする私が言うのもなんだけど、これは流石に『無い』と思うぜ?」

 「一応他人の技を見てそれを利用してるから、それでなんとか――」

 シオンはチラリとフランを見る。だからフランは、魔理沙に背中から飛びついた。

 「うぉ、何だよフラン!?」

 「ちょっとしつもーん! シオンの陣と霊夢の陣、真ん中だけ違うのはどうして?」

 そう。確かによくよく見れば二人の陣の中心部分に存在するところだけは明確に違う。他の部分は、探せば共通点のようなモノが見えるのに、だ。

 一度シオンと目を合わせ、魔理沙が答えた。

 「そう、だな。フラン、技術ってなんだと思う?」

 「技術? ……自分の力を強くすること?」

 「それも一つの解だな。でも私は、『万人が覚えられる技』だと答える」

 それは、ある日魔理沙がふと思い至った考えだ。

 「一定以上の基準と一定以上の努力があれば、練度の差はあれ誰もがそれを使えるようになる。だけど、秘伝の奥義みたいに誰彼構わず覚えられるのが困るってモノは相応にある」

 「私も、それはあるけど……関係あるの?」

 「ある。こっからが本番だから、聞いてくれ。……この陣は、その形を覚えさえすれば、そしてそれを起動させるに足る力があれば誰でも使える。だけど、その内容如何によっては大量破壊兵器になるし、場合によるがもっと最悪なことになる。それを危惧したどっかの誰かが何をどう思ったのか、一つの答えを考えたのさ。――魔法陣を起動させるのに、鍵を付けようと」

 それがこの鍵ってわけだ、と空中に浮かぶ陣の真ん中を指差す。

 「一見するとただの文様だが、実はコレ、魔力の込め方を間違えると不発する」

 「え!?」

 「ちなみに人によってはその場で爆発するような仕掛けになってる。そこまで性悪な人間は早々いないが、自壊するようにはしているだろうさ」

 つまり魔法陣とはその人が考えに考え抜いた『暗号』なのだ。中心にあるモノに正しい順番で正しい量の魔力を込めて起動させる。

 しかも陣に使われる言語は様々な意味を持つ。まるでタロットの組み合わせのように、少し間違えただけで内容が変化する、それが魔法陣。

 「でも、それが中心に置く理由になるの? 端っことかでもいいんじゃないかな」

 「それがそうでもない。また例え話で悪いが、物語の中心って、誰だと思う?」

 「? ……主人公、じゃないの?」

 「そう、主人公だ。物語はあくまで話全体を示す言葉であって、()()()()()()()()()()()()()んだ。いわば軸なんだよ、中心ってのは」

 「軸……」

 「そうだ。どんなモノにだろうと『軸』が存在する。そこが変わるだけで、それ全体に影響を及ぼす程に中心は大切だ。だからこそ私達は中心に全てをかける。周りの奴は単なる付属品みたいなもんだ」

 そこで締めくくると、ふぅ、と魔理沙は息を吐く。熱弁しすぎて少し疲れたらしい。

 と、何やらすぐ傍でパチパチと手を叩く音がした。

 「シ、シオン、何やってんだよ」

 「いや、そこまでは知らなかったからさ……勉強になったと」

 だが、その言葉に一周回って冷え切った思考が魔理沙を襲う。

 「……やめてくれよ、単なる黒歴史なだけだ」

 心底冷え切った声で、表情で、そんな事を言う。

 努力して努力して努力して、その過程で知った魔法陣の存在。()()()()()()()()使()()()と思って手を出したそれは、あくまで手を出せない程の強大な魔法を使うためだったと知った時のあの絶望感を、今でも鮮明に思い出せる。

 いきなりブルーになった魔理沙をオロオロとしながら見るフランに、何故かフォローを入れないシオンに憤る。

 自分のせいでああなったのに、どうして謝りすらしないのか、と。

 その疑問は、次の瞬間消えた。

 「こんのバカ魔理沙ァー!」

 「げほぁ!?」

 霊夢に蹴られて吹っ飛ぶ魔理沙。

 「何すんだよいきなり!」

 「フン、あんたがしょーもないネガティブ思考だから、活を入れてやったのよ、活を!」

 「活入れるなら背中殴るでいいじゃねーか! 何も蹴る必要まではないだろうがッ」

 「霊力で作った()()ぶち込まれないだけマシだと思いなさい!」

 ギャイギャイ言い合う魔理沙には先ほどの知性の欠片もない。霊夢も未だ毒にかかっているとは思えないくらい元気だ。

 「い、いいのかな、アレ……」

 「あの二人はアレがちょうどいいんだよ。俺がヘタに口を出すよりよっぽどマシだ」

 「じゃあ、やっぱり」

 「――はー……ったく、オチオチ落ち込んでもいられやしねぇ。乱暴な奴を知り合いにしちまったもんだ」

 「それくらいがちょうどいいのよ、アンタは。調子戻った?」

 「ハ、あんな活入れられて戻らないわけねーだろ。……感謝は、しとく。ありがとな」

 珍しく礼を言う魔理沙に驚きつつ、霊夢は小さく笑った。

 「普段からそれくらい素直なら、さっさと父親とも和解できたでしょう、に……」

 唐突に力が抜け、倒れる霊夢。地面に倒れる――寸前でシオンが抱き止め、額に触れる。

 「……そりゃそうだよなぁ。副作用くらいあるか」

 熱い。新陳代謝を上げすぎた影響で、体全体が熱を帯びている。

 シオンが危惧したのがコレだ。内気功は細胞を活性化させるが、反面こういった部分に問題がある。本人の体力、細胞を活性化させられるだけのエネルギー、熱に耐えうるだけの精神力。諸々に不安が出る。内気功があまり使われない理由、その最後の一つ。割に合わない、だった。

 「……時間的にそろそろ行く必要がある。咲夜と美鈴をここに連れてきてくれ」

 指示通りに魔理沙が咲夜を、フランが美鈴を連れてくる。彼女達の両手首を合わせると、そこに黒陽を変化させた手錠を作る。美鈴には足枷も付ける。彼女は足技だけでも十分驚異的だからだ。

 「美鈴はフランが運んでくれ。魔理沙は咲夜を。俺が霊夢を運ぶ。ある程度速度は出すが、全力は出さないでいい?」

 「その……霊夢は、大丈夫なのか?」

 霊夢に無理をさせたのは魔理沙だ。そこまでネガティブにならないようにと気を張っているようだが、やはり無理をしている感は否めない。

 「大丈夫だよ。毒が完全に解毒されてないのに動いたからな。すぐに、とはいかないだろうが、収まるよ」

 「ならいい。待たせて悪い、行こう」

 「私が気配探知をするから、シオンは霊夢を落とさないように気をつけてね?」

 最後に冗談めかしたように言うと、フランは翼を広げて飛ぶ。その両手には美鈴がお姫様抱っこされている。次に魔理沙が、前に横座りさせている咲夜を落とさないようにしつつ飛んだ。

 そして、シオンが霊夢を揺らさないように、静かに走り出す。

 目的は、遠く見える紅い屋根、紅魔館。




今回は大半説明会になっております。
こうした理由なのですが、設定の補完が目的の大半です。ぶっちゃけ適当な感じに説明したせいであやふやとなっている部分が結構ありますし、いくつかなんて自分でも何が言いたいのかよくわからないところがあったので。

『外気功』と『内気功』
シオンが美鈴を見て間違えて覚えた身体強化の詳細。シオンが見たのはあくまで『美鈴が気を纏う』姿であったため、内気功の存在を永琳に指摘されるまで気づきませんでした。

『魔法陣の存在目的とこんな形にしている理由』
暗号を作るとか色々あったのですが、その詳細は省いていたので。
魔理沙がすっごく賢く見えますが、原作でも努力をしているらしいので、これくらいは当然かな、と。特にうちの魔理沙は魔力量が足りないせいで色々と苦労しており、それを解消するために手を伸ばしまくってますし。

本当は、たまに魔力を込めるために本人の血を利用したりしていて、それを嫌がるフランの描写を入れたかった(他人が血を流すのと自分が流すのはまた別)のですが、ちょっと時間が足りず断念。

暇があったら入れるかと。


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記憶が無い故に

 紅魔館門前。かつて通ったその道を、シオンは霊夢を揺らさないよう蹴り開ける。

 「ホントに手前で止まってる……」

 それを他所に、フランは門のほんの手前で途切れている斬撃の後を見た。確かにシオンの言った通りだが、どこか複雑に思うのも無理はない。

 「そう狙ってやったからな。できるって言っただろ?」

 「うん、それであっさり信じられるなら、それは狂信と変わらないと思うんだ」

 どこか冷めた眼で見てくるフランから顔を逸らす。逸らした先で霊夢が汗を流し息を荒げているのを見て、シオンは一気に意識を切り替える。

 「霊夢、意識は? あるなら体調を教えてくれ」

 門をくぐり中庭へと入りつつ霊夢へ尋ねる。それから彼女を降ろし壁へ寄りかからせて楽になれるようにする。

 何度か深呼吸をしてから、霊夢は答えてくれた。

 「大体半分くらいは、解毒できたってところ。ただ動くと悪化するから、私はこれ以上戦えそうにないわ。悪いわね」

 「元々こっちの都合だったんだ。霊夢がいなきゃフランが毒を受けて身動き出来なくなってただろうし、そうなったら美鈴と咲夜の二人がかりで来られて負けた。霊夢がいたから、なんとかなったんだ」

 「――ま、魔理沙が来たからってのもあるけどね」

 「そんなことねぇよ。どっちにしろ私が来なくても何とかなっていたぜ、きっと。なぁフラン」

 「うん。きっと今より酷い状況だったと思うよ」

 「わかった、わかったから別にフォロー入れなくてもいいわよ。で、続きだけど」

 立て続けに慰められたからか、青白い頬を赤くして霊夢は話を逸らす。

 「私はこれ以上動けそうにない。でも、美鈴と咲夜を監視する程度ならどうにかなるわ。二人はここに置いて、あんた達三人でこの異変を何とかしなさい。後はレミリア……フランの姉だけなんでしょう?」

 「……まぁ」

 実際は後一人――いや二人程参戦する可能性があるのだが、彼女達が動く可能性は低い。まず一人だけだと考えるべきだろう。

 「だったら、後顧の憂いは断つべきよ。せめてそれくらいは、役立てない身で何とかする。だからあんた達も、前だけ見ていなさい」

 「霊夢らしいぜ。私は言われなくてもそうするつもりだ」

 誰よりも真っ先に答えるのは、やはり魔理沙。彼女はそれこそ誰よりも霊夢の強さを、その存在を信じている。その逆もしかり。だから彼女達は、緊急時に多くの言葉を交わす必要は無い。

 「無理そうだったら私を呼びな。急いで駆けつけてやるよ」

 「はいはい、精々期待しといてあげるわ」

 ヒラヒラと手を振る霊夢。シオンは若干眉を潜めていたが、やがて美鈴と咲夜の拘束を両腕のみでなく、両足にも施した。

 咲夜はともかく、美鈴は足技も驚異的だ。例え両腕を封じられようと、今の体調が悪すぎる霊夢相手なら勝てるだろう。

 「霊夢はきっと、ごめんって言っても受け取らないよね? だから、ありがとう。これが終わったら、私から何かお礼がしたいな」

 「取らぬ狸の皮算用。そういうのは全部終わってからにしなさい。――貰える物は貰うけどね」

 フランを窘めつつ霊夢は笑う。霊夢が付け加えた言葉にフランも小さな笑みを返した。

 お互い冗談を言い合えるくらいには緊張感が解れている。これ以上ここにいても、無駄に時間を喰うだけでいいことはないだろう。

 「さ、行くぞ二人共。霊夢、不意打ちに気をつけて」

 「そんなことわかってるわよ。そっちも、私に忠告したんだから、不意打ちに気をつけなさい」

 小さく頷き、シオンは踵を返して紅魔館の玄関へ向かっていく。その足取りはやや速い。

 (――……やっぱり気づかれてた、か)

 全身を脱力させ、先程よりも遥かに息を乱す。

 霊力による身体の一部のみを強制強化。さらにそれをブーストして毒に対抗し、本来できない猛毒を克服する。聞こえはいいこの言葉だが、忘れてはならない。

 それは単に、自身の限界を超えた事をしているだけなのだと。

 (シオンの内気功もなくなっちゃったし、後は気力との勝負。辛いわね)

 霞む視界。朦朧とする意識。だが眠れない。眠ったが最後、霊力の供給が途切れ、まだ体に残った毒が霊夢を殺す。

 いくら術式の補助(サポート)があろうと、それは補助であって主要(メイン)ではない。霊夢の意識なくなれば、自ずと消えてしまう。

 だから眠れない。眠れば死ぬという緊張感だけが、霊夢をつなぎ止めていた。

 だがすぐに、その考えが間違っていたと気づく。

 確かにこれで実質的な被害を被るのは霊夢だけ。いつもの自分なら『自業自得ね』の一言で済ませるだろうそれを、今だけは否定する。

 (……だって、私は……三人を裏切ることができないから)

 魔理沙は『信じている』と、ただそう言ってくれた。フランは『お礼をする』と、『この後』の事を語ってくれた。全部終わって、何もかも解決した後の事を。

 シオンは――そういえば、シオンだけは何も言わなかった。

 (……アイツらしいっちゃアイツらしいけど、せめて一言くらい)

 ハァ、と内心でため息を吐きそうになりつつ、でも文句は言えない霊夢。ここに来るまで誰よりも霊夢を気遣っていたのはシオンなのだ。これで文句を言えばバチが当たる。

 (せめてここから、祈っていようかしらね)

 何もしていなければ気絶するのなら、想い続けていればいい。

 霊夢の勘では、この異変は()()()()()。より正確に言うのなら、誰もが思い描く幸運な結末(ハッピーエンド)が存在しない。

 だから、霊夢は願う。

 ――あの三人に、幻想(ユメ)現実(シンジツ)にする力を。どうか。

 

 

 

 

 

 見えてきた紅魔館の玄関口にある扉は、かつて見たときより小さい。だが何故だか、あの時よりも遥かに大きく見えてしまう。それだけの圧迫感。

 「なぁ、シオン。私の勝手な想像に過ぎないんだが、これは……」

 「いる、んだろうな。多分――いや、きっと」

 ゴクリ、と息を呑む魔理沙。扉越しでこの重圧感(プレッシャー)――フランの姉、とは聞いていたが、その威圧感は全く違う。あるいはフランが隠しているだけで、彼女もここまでの気迫を持っているのだろうか。

 一歩後ずさりそうになった魔理沙に、シオンは心に伸し掛かる負担を軽くするために言った。

 「魔理沙はレミリアの相手をしないでいい。道中にも言っただろう? 魔理沙が相手をするのはあくまで」

 「『彼女』だって言うんだろ。わかってるよ。でもな、人間にとっちゃ、()()()()()()()、ってだけでも末恐ろしいもんなんだぜ」

 それは――わかる。

 かつて幽香と対峙したとき感じたあの感覚。どうしようもない程理不尽な、勝てないと悟ってしまう絶望。

 「なら、それ以上の『何か』があれば話は別か? なら、そうだな――これが終わったら、魔理沙の新しい装備でも考えるか?」

 「お、マジか!? ああでも、これが終わったらは多分無理だな。色々忙しくなるだろうし」

 「そうか? なら全部終わった後だな」

 「おう。楽しみにしてるぜ!」

 快活に笑う魔理沙。だが対照的に、フランはずっと押し黙ったままだ。先ほど霊夢と話していた面影はない。

 だからこそ魔理沙と談笑して少し明るい雰囲気にしようと思ったのだが、むしろフランの暗さを際立たせるだけだった。

 「不安か? フラン」

 「……うん。勝手に出てきた私を、お姉様がどう思ってるのか。――もし、もしも」

 嫌われていたら……そう言おうとして、口を閉ざす。

 言ってしまえばフランは家出したようなもので、それに心配はすれど嫌うことなどまずないというのがシオンの考えだ。いや、あの妹に対する愛情溢れる(そして溢れすぎた)姉なら、それこそ抱きつきそうなぐらいだ。

 ――時と場面が合っていればの話だが。

 「それはないよ。断言する」

 「どうして? シオンはお姉様の心がわかるの?」

 「いんや、それはない。でもなぁ、どう予想しても、多分レミリアは――」

 そこで紅魔館の玄関に辿り着いてしまう。ここに留まり続ければ、いずれしびれを切らしたレミリアが『グングニル』でもブン投げてきそうなので、話は一旦中止するしかない。

 「レミリアのことだからまずないと思うけど、扉を開けた瞬間の奇襲に気をつけて」

 「シオンの背中にいりゃ多少安全だろ。っな」

 「それ、シオンのこと盾扱いしてないかな? 安全なのは同意だけど」

 これを信頼と受け取っていいのか、それとも本当に盾扱いしているだけなのか、思慮に悩むシオン。

 それでも気を取り直して、扉をグッと開けた。

 ギィィ、と耳を刺激する音が鳴り立てる。これだけの音なら、多少遠くても気づくだろう。

 「あら、いらっしゃい。随分遅かったわね」

 目の前にいるのなら、なおのこと。

 テーブルも何もない、ポツンと置かれた椅子。そこの背もたれの上に座り、翼を出してバランスを取る。足は本来座るべき場所に置かれていた。

 片腕を軽く広げ、レミリアは告げる。

 「おもてなしできる程の用意は無いけれど、どうか楽しんで行って? ……()()()()()、ね」

 かつてシオンが初めて会った時の優雅さや茶目っ気はどこにもない。

 殺気混じりの瞳と声が、彼女の心象を如実に表し、そこに交渉の余地などありはしないと告げてくる。

 シオンはともかく、フランはビクリと慄き、魔理沙は声すら出せない程歯を食いしばる。二人共これだけの殺気を浴びたことがほとんどないのだ。

 ――殺される。

 自分が死体となる、そんなイメージが湧き上がりかけるほどの恐怖心。

 「――と、言いたいところなのだけれど」

 一転、レミリアは殺気を打ち消しパチンと指を鳴らす。

 壁にかかった松明が、遥か頭上にあるシャンデリアに刺さった蝋燭が一人でに火を灯し、夜闇を仄かに照らし出す。

 彼女の重圧から解放されたフランと魔理沙は、顔には出さないようにしつつ全身を脱力させた。それで自分達が極度に緊張していたのだと気づかれた。

 「あなた達は二人を殺さなかった。だからこちらも、一度だけ優しさを見せましょう。――フランを置いて、今すぐここから去りなさい。そうしたら命だけは見逃してあげる」

 これはレミリアにとって最大限の譲歩だった。

 姿は見えずとも、レミリアはここから戦闘の気配を掴み続けていた。その結果、気や魔力の淀みから二人が負けたと悟り、だが死んではいないとわかって安堵した。

 それでも二人をボロボロにした彼らに怒りを覚えないわけがない。今のレミリアはそれをギリギリのところで抑えていたのだ。

 即ち、『彼らはフランをここに送ってくれて、私達はそれを攻撃でもって返した』――と。

 そう思うことで、悪いのは自分達なのだと抑えていたのだ。森を荒らしたシオンに金や武器を要求しないのはそのためだ。

 結局のところ、レミリアにとって『フラン達がいればそれでいい』のだから。

 だがそれを受け入れるのは、最悪の一つ。レミリアは一度無理矢理外に出た――と、少なくともレミリアは思っている――フランを外に出すのを許さないだろう。つまり、フランはまたあの牢獄へと戻ることを示している。

 それを恐れて後ずさったフランを見て、シオンは意識するより先に答えていた。

 「悪いけど、命を喪うのを恐れてここまで来たわけじゃないんだ」

 「……つまり? どういう事なのか、はっきり答えて欲しいのだけれど」

 「断る」

 簡潔な一言。それ故にレミリアはシオンの意思を明確に汲み取り、自身の我慢が無駄だったのを悟った。

 「シオン……」

 そして、最愛の妹が、目の前のシオンとやらを信じていることも。もう一人の魔女あるいは魔法使いは答えないが、返答を聞く意味はない。

 「そう」

 低く、小さな声。

 「あなた達の考えは、よくわかったわ」

 怒りと殺気を滲ませた声は、先ほどの比ではない。

 「そして、そこの人間。私はあなたを――絶対に、許さないッ」

 鋭い爪を持った指を向けてくるレミリアに、ッチ、と小さく舌打ちするシオン。

 ()()()()()()()()――などと愚痴を言える訳もなく。レミリアは既に戦おうと妖力を高め始めている。余計な事を考えている暇はない。

 「魔理沙、手筈通りに! フラン、サポートを頼む!」

 「わかってる! 信じてるぜッ」

 「死なないでね、魔理沙!」

 箒に乗り、魔力を込めたのが合図になったのか。

 シオンの視界を、幻想的な光が埋め尽くす。

 「白夜!」

 全てを打ち消す必要はない。最低限――×の印を描くように剣を振るう。

 切断するという一点において至上の信頼ができる剣は、シオンの知る限りこれのみ。だが相手にとってはシオンが衝撃波――剣圧で打ち消したと思うはず。それでいい。実らなくとも後に繋がる伏線を残しておければ。

 シオンは右に、フランと魔理沙が左に動く。

 椅子から飛び降り斬撃を躱し、壊れた破片を腕で防ぎつつ、レミリアは気配で分かれた事を察した。レミリアは魔理沙を狙って弾幕を放つ。もしここでレミリアが本気で怒り狂っていたのなら、魔理沙を置いてシオンを狙っただろう。全力で。

 しかしレミリアに残った冷静な部分が、狙うべきは魔理沙だと囁いた。例え感じる気配から、取るに足らない存在だとわかっても、そのほんの少しの油断で敗北しては本末転倒。だからこそ魔理沙を狙う。

 「させないよ――『レーヴァテイン』!」

 遠慮なしに炎を噴出させ、その業火でもってレミリアの攻撃を打ち払う。

 シオンとは違い、フランは手札を隠さない。フランがレミリアの手札を知っているように、その逆もしかり。だからこそ、敢えて全力で戦うのだ。

 「魔理沙、今!」

 「おう!」

 魔力総量が少ない魔理沙にとって、少しの飛行でもそれなりの支障を来す。それでもなお箒に跨り移動するのは、それだけレミリアが危険だからだ。

 そう――

 「打ち抜きなさい、『グングニル』」

 一度放てば絶対に相手を打ち抜くという、神槍を持つがゆえに。

 腕をたわめ、投げる。それだけの動作をさせないために、シオンは手札を一つ使う。

 「黒陽、落とせ!」

 同時、シオンとレミリアが膝をつく。

 「お、も……!?」

 いつもなら軽々と振り回せるはずの槍が、途方もない重量を発揮している。仕方なしに槍の先を地面に突き刺して堪える。

 一方シオンもレミリアと同じく、いやそれ以上の負荷がかかっていた。

 身体能力では彼女よりも劣り、耐久力など言うまでもない。その上で彼女と同じだけ増加させた重力の影響を受けているのだ。

 (体が、軋む……! でも、あともう少しで――)

 ミシミシと音を立てる体を無視し、視界の端で魔理沙が地下へ向かうのを見る。

 本来ならレミリアの周辺の重力だけを増加させればいいと考えるだろう。だが黒陽はシオンが扱える以上の力を使うと、力が逆流して使用した本人を苛む。

 そして、黒陽から離れれば離れる程それに伴って必要とする力は増え、反動はキツく、辛いものとなる。だからこそシオンは、黒陽を中心に重力負荷を跳ね上げるしかなかった。

 一時の痛みと、戦闘に支障をもたらす程の傷を負うのでは、前者の方が圧倒的にマシだったからだ。

 「邪魔を、するなぁッ!」

 レミリアが叫び、槍を持たぬ左腕を振るう。

 そこから撃たれたのは妖力をこめた弾丸。軌跡を描いて動くそれは、弾というよりも針、あるいは小さな槍だった。

 「クソッ!」

 狙いは脳天。重力制御を手放し横に転がり回避。だがその一瞬でレミリアは立ち上がり、再度槍を構えなおす。

 「やらせない!」

 目の前に広がる炎の壁。燃え盛るそれによって魔理沙の姿が掻き消え、フランが壁を背に『レーヴァテイン』を構える。

 レミリアの持つ『グングニル』は、フランと同じくレプリカであり、更に力を抑えている。『必ず命中する』というその能力も、そのせいで『相手を視認している』状態でなければその効果を発揮し得ない。

 もう魔理沙は地下へ向かう通路に入ってしまった。二人が足止めをする以上、追いかけられないし追えない。

 この時点でレミリアは、この三人の狙いが援軍を嫌ってだと悟る。

 「いいのかしら? あのひよっことパチェじゃ、才能という一点からしてもかなりの差があると思うのだけれど」

 「否定はできないね、それは。でもさ、あんまり魔理沙を舐めないほうがいいよ?」

 不敵な笑みを浮かべる人間。

 「だね! 魔理沙はすっごいんだよ、お姉様」

 無邪気に笑顔を向けてくる、大切な妹。

 癪に障る。二人の笑顔が気に入らない。どうしてフランは、何故――

 「なんでよ、フラン。どうしてなのよ」

 「……? お姉様?」

 顔を伏せ、肩を震わせるレミリア。先ほどの激昂はまだ心に燻っている。だがそれ以上に、悲しかった。

 「ソイツやあの魔女にはそんな顔を見せてあげてるのに、どうして私にはその笑顔を見せてくれなかったのよ、フラン……ッ」

 「――――――――――――――――――え?」

 一瞬、フランの思考が止まる。明確な隙。そこを狙えば有利になるというのに、しかしレミリアは狙わない。心中に宿る不可解さが、レミリアを動かしてくれなかった。

 「あの時からずっと、ずっとずっと……一日たりともあなたの事を考えなかった日はなかった。私はあなたの、フランドール・スカーレットの『お姉ちゃん』だから。それなのに私は守られて、逆にあなたを暗闇の中に閉じ込めるしかなかった。……そうしなきゃ、あなたは全てを壊して、それを後悔したあなたの心は絶対に耐えられないから」

 四九五年。それだけの年月を、レミリアはスカーレット家の当主として行きながら、同時にフランを外に出してあげる為の手段を探し続けた。

 「あなたが孤独の中でどんどん狂いかけているのを、ただ歯を噛み締めて見ているだけしかできなかった私が、こんな事を言うのはお門違いだってわかってる。でもッ!」

 槍を握り締め、今にも泣き出しそうな顔で、レミリアは叫ぶ。

 「――どうして、あの時に逃げ出したの!? そんなに私の事が嫌いなの!?」

 逃げ出したのには理由がある。もしあの時美鈴と咲夜に捕まれば、フランはシオン達に異変を知らせることができなかった。

 だが、それが――そのことが、レミリアを苛ませていたということに、今更気づかされた。

 フランからすれば、レミリアは自身を閉じ込めた存在なのだ。そしてそれをレミリアが気づいていないはずがなく、それ故彼女は恐れている。

 自分は『姉』ではなく、憎き『怨敵』なのではないかと。

 「……レミリアにとって、フランが外にいることは訳がわからないんだ」

 「シオン?」

 いつの間にか隣にいたシオンは、レミリアを見たまま言う。

 「俺が能力を制御する術を渡したことを知らないから、フランはまだ外に出ることを恐れていると思っているんだよ。なのにフランは外に居て、更に初対面であろうはずの相手と笑顔を交わし、親しげにいる。――お互いの立場を逆にして自分に当てはめれば、どう思う?」

 「……理解、できない。不気味に思う、よね」

 「ああ。そして多分、レミリアはこう思うはずだ」

 小声で話す二人に、いきなりレミリアは槍を突きつける。

 「俺がフランを洗脳したんじゃないか――って」

 「フランに一体何を吹き込んだのよ、人間!」

 シオンはレミリアの瞳を見る。よく見知った色を宿した眼を。

 (憎悪――か)

 「ま、待って! いきなり飛躍しすぎだよ!」

 「この際他のことは抜きにして考えれば、それが一番()()()()()んだよ」

 「納得――?」

 フランが相槌をうった瞬間、レミリアはグングニルをシオンに向けてぶん投げる。真横にフランがいる事さえわかっていないかのように。

 それを交差させた黒陽と白夜で受け止める。衝撃を膝で受け止め数歩分下がるが、グングニルを弾き返せた。

 「人は自分の見たいものだけを見て、知りたい事だけを知りたがる。だから、まぁ――自分が納得できる事を思い込んだって、仕方ないだろう? 暗示みたいなもんだよ」

 「それって……じゃあ、お姉様は――!」

 「妹を騙そうとしている極悪人――とでも、思ってるんじゃないかなぁ、俺のこと」

 もし男性、あるいは女性不信の人間がいたとする。そんな人間がわずか一日で男性あるいは女性と親しげに笑っていたら、嬉しく思うよりもまず不気味に思うはずだ。

 それが重度であれば、なおのこと思う。そしてフランはその重度。狂う一歩手前まで行きかねた程だ。むしろ狂ってなかった事に疑問を感じる。

 そんなフランがあっさりと信頼している様子を見れば、信じられなく思っても無理はない。

 シオンは軽く笑うが、引き攣っているのを隠せていない。

 (予想してたけど、マズい、マズすぎる……!)

 元から期待していないが、話し合いという線が完全に消滅した。しかもあの憎悪。シオンを殺さなければ、アレは生半可な事では絶対に治まらない。

 「絶対に――殺してやるッ」

 シオンに見えたのは、レミリアが足元の床を破壊した軌跡だけ。

 「シオン、危ない!」

 フランはレーヴァテインを構え、レミリアの薙ぎを受け止める。油断していた。戦闘中に考え事をするなど愚の骨頂。

 最近本当に温くなってきていると叱咤しつつ、シオンは段々と押され始めているフランの加勢に入る。

 フランの後ろから、剣と腕を隠して攻撃。フランの脇を通った攻撃は、だがレミリアの手で掴まれて阻まれる。驚異的な腕力は、片手で槍を持ち、片手でシオンの剣を押さえつつもピクリとも動かない。

 (これが……レミリア(お姉様)の本気……!)

 かつてシオンとレミリアは戦った。だがその時、レミリアはここまでの強さを発揮しなかった。手加減されていたとわかっていても、これほどだとは思わなかったのだ。

 剣を持つ手を引っ張り、逆に槍を持つ手を押し出す。シオンはレミリアの方へ、フランは後方へと吹き飛ばされる。

 ちょうど交互に入れ替わるような二人に、レミリアは槍をグルリと回して逆手に持つと、その穂先をシオンへ突き刺す。

 シオンは剣を手放して伏せると、髪を払われていくのを感じながら前へ踏み出し、左手を引き絞って掌底を打つ。しかしレミリアは足を曲げて膝蹴りを繰り出すと、掌底を相殺させた。技後硬直で固まるシオンに、あらかじめ作っておいた魔力槍をぶちこむ。

 それをフランがレーヴァテインの炎で打ち消し、その余波でレミリアを退ける。昔と違い多少はこの程度の小細工ができるようになった。

 仕切り直し、と三人は睨み合う。

 レミリアはフランを傷つけないよう後方へ飛ばし、その間にシオンを狙う。シオンとフランはレミリアを殺さないよう注意しつつ、自分達が殺されないようにする。どちらも本気、全力でありながら制限された状態。

 明確に勝てるというヴィジョンが見えない。

 それはレミリアも同じだった。シオンとフランは、強い。怒りを持ちつつ、だが頭ではそれを理解していた。認めていた。

 だからこそ――許せない。

 フランと共に戦える存在がいるのを。そうできるだけの信頼を築いているのを。

 醜い嫉妬だとわかっていても、感情が理性を踏みつける。

 「絶対……絶対、取り戻してみせる」

 それが何を意味しているのか。

 最早レミリアにさえ、そんな事がわからなかった。



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見習いの意地

 紅魔館の変わらない光景、その廊下を歩く。

 (クソッ、地下への道が見つからねぇ。せめて走れれば別なんだろうが)

 シオンとフランに道順は聞いた。だが余りにも変わらない、目印の無い紅魔館では、すぐに迷ってしまった。

 魔力総量が少ない故に箒に跨って飛ぶ方法は使えないし、年齢的に少ない体力から走れないし、それを補う身体強化は魔力を消費するため本末転倒。だからそのどちらも消費しない、歩くという移動手段しか使えない。

 一度懐に手を入れ、そこに収まるモノに触れる。

 キリ、と爪で硬い何かを引っ掻く音。数瞬悩み、だが魔理沙は首を横に振ると、手を出す。

 (……一度、()()()()()場所は見つけたんだが)

 鋼鉄の扉で閉ざされた地下への道。少しだけ変な、据えた肉の匂いがしたような――一体なんだったのだろうか。あの道は。

 どちらにしろあそこではない。大量の古い本が放つ、その独特の臭気は覚えている。魔理沙はすぐにそこから退いた。

 それから既に数分。シオン達の戦いは激化しているのか、たまに強大な力の奔流を感じる。シオンもフランも、そしてレミリアも、魔理沙では想像できない程の力を扱いこなしている。

 それに嫉妬を覚えないでもない。だがそこで足踏みし続ける事を自身のプライドが許さない。歩みを止めれば、自身の今までの道程も、やっと和解し、信じてくれた父親の想いを、そして自らの夢を否定する。

 頼りはする。だが決して諦めない。それが今の魔理沙だった。

 「――ん?」

 ふと自分以外の魔力を感じた。シオンも魔力を使うが、この感覚はシオンの放つそれではない。おそらく別の誰か。それも、かなり強大な力を持った誰か。

 何故そんな事を――? と思ったが、ふと気づく。

 (そりゃこんだけ揺れてればなぁ……)

 本棚に入れていても床に積んでいても、倒れて崩れるのがオチだ。それを何とかするために小型の結界か何かで防護したのだろう。その残滓が、魔理沙の感じた魔力。

 だがありがたい。道筋はわかった。後はそこを歩いていくだけ。幸いそこはあまり遠くなく、すぐにたどり着いた。そこは何故か階段ではなく緩やかな傾斜だった。情報では喘息の持病持ちと聞いたから、負担を少なくするためと、歩いている途中で休めるようにそうしたのだろう。

 そろそろ敵と相対すると理解した魔理沙は、掌に汗が滲んでいるのを見て苦笑する。任せろと自信たっぷりに頷いたものの、本当の意味でこれは魔理沙の初戦闘。緊張しているのまでは誤魔化せない。

 「――そんなに怖いのなら、帰っても構わないのよ?」

 「いや、そういうわけにもいかないんだな、これが」

 やはり、そこにいた。当たり前だ。本を大事にする人間が、図書館で戦おうとするはずがないのだから。

 「まぁ仮定の話としてだ。私がここで帰ったら、あんたはどうするつもりなんだ?」

 「レミィの助けに行くつもりよ」

 「それをしないっていう選択肢は?」

 「あなたは親友を助けないの?」

 その、質問であり同時に回答でもある言葉に、魔理沙は何も返せない。

 だってその質問は、答える必要がないほど当たり前のことなのだから。

 「やっぱしそうなるよなぁ……」

 「ええ。私としてもあまり時間をかけたくはないの。だから」

 ――ここで、消えて。

 小手調べの弾幕。魔理沙が重傷を追う程度には魔力が込められているそれを、魔理沙は箒に跨り空を飛んで交わす。

 魔理沙が空を飛んだからか、パチュリーも応じて宙に浮かぶ。

 「とりあえず名乗っとくか。私は魔理沙。霧雨魔理沙! 将来魔法使い志望の魔法使い見習いだぜ!」

 「そ。私は『七曜の魔法使い』パチュリー・ノーレッジ。将来の魔法使いさん、七つの色が織りなす幻色を、その眼に焼き付けなさい。そして知りなさい。魔法とは、どんなモノなのかを」

 「言われなくてもよーく知ってるよ!」

 ……まずは日。

 極々単純な、超々高温のプロミネンス。自身にも影響のあるそれを、水の魔法で熱を遮断しておく。逆に小さなプロミネンスの熱を真正面から受ける魔理沙は、たった数秒で、かなり離れているにも関わらず大量の汗を掻いていた。

 (マジかよ、いきなりコレとか洒落になってねぇ!!)

 魔力をそのまま放出するタイプの魔理沙はともかく、パチュリーは詠唱を元に魔法を使う、純然な魔法使いだったはず。ということは、あらかじめ詠唱をし、それからここに来たのだろう。何が『帰っても構わない』だ。戦う気満々ではないか。

 魔理沙は心中で叫びつつ、反撃を試みる。だが余りにも高すぎる熱の余波で弾幕は溶かされ、全て無意味と化す。

 顔が歪むのを感じる。わかってしまったのだ。パチュリーは確かに魔力量が自身と比べ物にならない程多いが、同時に魔力制御に長けている事が。どちらかが疎かになっても魔法というのは発動しない、あるいは暴発するが、魔力が多少足りずとも魔力制御ができれば、一ランク上程度の魔法は使える。逆もしかり。

 つまりパチュリーは、有り余る魔力にあぐらをかかず、努力し続けたということだ。

 だから、彼女がこの攻撃をミスるという理由は無い。

 「ッチ!」

 魔理沙は大きな舌打ちをすると、シオンから手渡された『石』を放り投げる。微かに訝しんだパチュリーは、次の瞬間目を見開くと、咄嗟に後退しつつも温度の遮断に使っていた水魔法に魔力を注ぎ込む。

 そして――視界が光で埋まりきった。

 「いってぇな、ォイ……威力ありすぎだろ」

 魔理沙は懐から取り出した石を見る。ほんの少しずつ漏れ出す魔力はシオンのそれ。

 ――道中に渡された秘密兵器。それがこれだった。

 シオンは既に魔力を貯める魔法陣を開発し、利用している。魔力糸を使えば即座に使える程に習熟したその力を利用し、途中で拾った手頃な石にその陣を刻み込んで魔力を込めた。元々シオンの魔力は無色透明。だから魔理沙の魔力が切れた時に備えての魔力タンクにしておこうと渡してくれたのだが、まさかこんな使い方をするとはシオンも思っていなかっただろう。

 そして先ほどの現象、単純に使われた魔力が大きくなりすぎてパチュリーがあの魔法の制御ができなくなり、結果暴発したというだけなのだが……

 (魔力込めすぎだぜ、シオン。……石はあと二つ。大事にしねーとな)

 流石に道中説明しつつ石に魔法陣を刻み、それに魔力を込める作業はシオンとしても神経を擦り切らせる作業だ。しかも石の大きさはそれぞれ違い、三つともこめられている魔力量が違う。そもそも三つ作れただけでも上々だと本人も言っていた。

 道中来る前に使おうかと思ったが、使わなくてよかった。流石に一個だけであれだけの魔法を使える魔法使いと戦うのは分が悪いどころの話ではない。

 念の為に一番魔力がこめられた石を投げたが、これからは考えて使わないとマズい。何より重要なのは、この石の数がバレないように振舞わなければいけないことだ。バレればまた力押しのゴリ押しされる。

 ふいにタラリと血が流れる感覚。腕を見ると、血が伝っていた。壁や床、天上が爆破した時に出た破片が腕を切り裂いたのだろう。とはいえあのプロミネンス相手にこの軽傷なのだ。御の字というモノだろう。

 パチュリーは瓦礫の先に隠れて見えない。魔力も感じない。

 「出てこいよ。まだ終わってないんだろう? 終わってたら拍子抜けだぜ」

 声をかけるも返答はなし。ふぅ、と息を吐いた、その瞬間。

 ――ヒュン、という風切り音と、金属の槍が飛んできた。

 箒でガードし、だが勢いの乗った攻撃を受け流せず吹き飛ぶ。それでも吹き飛ぶ途中に箒を操作し、ブラ下がりながら旋回する。

 「やーっぱ生きてんじゃねぇか。油断した私が悪いからどうこう言うつもりはないけどさ」

 「……何を、したの」

 「あ? 私が何をしたって?」

 聞き返す魔理沙に、パチュリーはどこか苛立っている様子を見せる。最初の冷静さはまだ残っているが、何か妙に気になっていることがあるような……

 「ただの石程度で私の魔法を暴走させられるはずがない。一体何の細工をしたのよ?」

 話してもいいものか、悩む。話さなければ無理矢理にでも聞こうと攻撃してくるだろうし、話しても奪おうと攻撃してくるはず――あ、一緒だなこれ。

 「話す理由があると思うか? 一応秘密道具だぜ、これは」

 「……そう、そうよね。だったら――無理矢理にでも聞き出す!」

 (うっわー予想通りだなおい。そうじゃなきゃ魔法使いなんてやってられないけどさ)

 探究心の塊が魔法使いだ。その心理は理解できる。できるが――。

 目の前に現れた木々を見て、思う。

 (待て。それを一体何に使うつもりだ?)

 どことなーくウネウネしている様に見えるのだが、気のせいなのだろうか。予想できるが予想したくない。

 「あなたが懐から石を取り出したのは見えたわ。だったら、()()()()()()()()でしょう?」

 ……素直に渡した方がよかったかと、若干後悔した瞬間だった。

 「ッチ、うわ、ちょ、どこ狙って――待て、そこは洒落じゃすまないからな!?」

 「だったら素直に渡しなさい。そうしたらまともに戦ってあげる」

 「そんな気サラサラ無いくせによく言えるなそんなこと!?」

 横を掠めていく木の枝を避け、大きく宙返りをして後方と前から来た枝を躱す。と、いきなり天井から生えた木を、体のバランスを崩しながら腕で押しのけて防御。

 その瞬間、魔理沙は下方に弾幕を展開。隙を伺っていた枝を吹き飛ばす。

 (厄介としか言えねぇ! 大半の枝の強度はクリーンヒットでかなり痛いってくらいだろうが、一部だけは……)

 あくまでもパチュリーの狙いは魔理沙の打倒。

 だからこそ彼女は、攻撃の中に本物の、『刺さる』枝を混ぜた。細剣(レイピア)のように鋭いその枝は、当たれば『痛い』どころでは済まないだろう。

 既に何度か体を掠めている。魔理沙は防戦一方に追いやられていた。

 服が避けられ、裂かれた場所から止めどなく血が溢れる。この速度では、遠からず血を失いすぎて失神する。

 (一個無くなっちまうけど、仕方がないかッ)

 魔理沙は箒に片足立ちになり、

 「クッソォ!」

 覚悟の一喝、両足立になると足を巧みに動かしてグルリと半回転。即座に懐から八卦炉を取り出すと、残存魔力すら気にせず、ただ力を飲み込ませる。

 「これが私の全力だッ、喰らいやがれ!」

 「……――」

 パチュリーは何も言わない。ただ魔理沙の妨害をしようと枝を手繰るだけ。その事に訝しみつつも、魔理沙は八卦炉を持つ手を前に出す。

 「『マスタァァァァ―――――スパァァァァァァァクッ』!!」

 森を吹き飛ばす時とは遠く及ばない威力。だがそれでいい。あの時と同等の威力を出せば、問答無用で殺してしまう。無力化できればそれでいいのだ。

 「……――『星の嘆き(コメットハンマー)』」

 それは油断だった。格上相手に『無力化できればいい』などという思考は愚の骨頂。本来なら殺しにかかってしかるべきなのだ。

 パチュリーの手に現れるのは、棒と、その先端にデコボコした球体。『ハンマー』という名称からして何に使うのかは明白。

 「おい、まさか……」

 八卦炉の先から撃たれる砲弾。その反動を、箒という不安定な立ち位置から必死に押さえている魔理沙は、自身の想像に戦慄した。知らずして汗が頬を伝う。

 「……解放――『狂月・破砕(ルナティック・ブロー)』」

 ハンマーの持ち方も、それの振り方も、何もかもが滅茶苦茶。

 にも関わらず、その一撃は――マスタースパークを消滅させてなお有り余る一撃だった。

 「う、おぉ……!?」

 マスタースパークですら受け止めきれなかった攻撃、その余波によって魔理沙は箒の上から吹き飛ばされる。

 グルグルと回る視界。それでも必死に手を伸ばし、箒だけは掴み取る。地面に落ちる――その寸前で箒を使わず自前の魔力だけで空に浮かぶ。ガリガリと削られる魔力。すぐに箒を通して魔力を使い空を飛びなおす。

 小さく安堵の息を漏らし、そこで気づく。

 ――無い。

 八卦炉が、無い。取り落としたのだ。

 (アレがないと、砲撃(マスタースパーク)が撃てない。決定打がない……!)

 この戦いで初歩の魔法なぞ何の役にも立たない。そして弾幕だけでは攻撃が通らない。アレが無ければそのまま押し切られる。

 だがパチュリーは待ってくれない。魔理沙は磨り減った魔力を、最も魔力の少ない石の一つに宿った力、その五分の一程――魔理沙の魔力総量では、一度の回復では使い切れない――を使って回復しながら、飛んでくる炎の(アギト)を大ぶりに躱す。

 大きい。少なくとも、魔理沙を飲み込んでなお足りない大きさだ。魔理沙は炎逆巻く竜を見ながら後退し、途中途中来るパチュリーの散弾を、竜を盾にして避け続ける。

 (どうする――どうする――……どうすればいいんだッ!)

 目まぐるしく視線を動かし、何か使えないか、あるいは八卦炉が落ちてないかを探す。だが見つからない。この広い通路の中で、あんな小さな物など見つける暇がない。

 (クソッ、せめて散乱してる石が無けりゃ――……石?)

 ハッ、と魔理沙は一瞬だけ目線を動かす。そしてパチュリーに見られないよう帽子を深く押さえて滲みでた笑みを隠すと、箒を下に向けて地面に移動する。

 自然、竜は魔理沙を追って下へ飛ぶ。巨体を揺らし、舞い降りてくる火の粉。それが微かに魔理沙の顔を焼くが、それを気にもとめずに箒の先をグイと手前に引っ張り、地面スレスレで急停止。そのまま前へ飛ぶ。

 竜はその実体無き巨体を地面にぶつけ、炎を噴出させた。

 「無駄よ。その竜はぶつかっても決して消えない。あなたを飲み込むまでただ追い続ける」

 「わかってるさ、そんなことは!」

 魔理沙は叫び返すと、もう一度箒を手前に引っ張る。ちょうど竜が鎌首をもたげ、再度追いかけてくるところだった。

 かかった――と、魔理沙は更に笑みを深め、箒にこめる魔力を跳ね上げる。異変に気づいたパチュリーだが、もう遅い。

 腕を振りかぶり、魔理沙は亀裂の入った岩――即ち天井に、箒の先端を叩きつける。衝撃と揺れは一瞬。

 ピキ、パキパキ……と亀裂が広がるような音が響き――落ちた。大量の岩が。

 「私()飲み込むんじゃない。私()飲み込まれな」

 その岩の大群は大口を開けて今まさに食べようとしていた魔理沙の代わりに飲み込まれ、竜をたたきつぶす。

 「なら、私があなたを生贄に捧げましょう」

 そんな儚い声が魔理沙の耳に飛び込むのと同時、胴に土が食い込んだ。次いで足、腕、更には首まで。

 「ァ……ガ――!?」

 「やっと捕まってくれた」

 魔理沙が声にならない声で苦悶の呻きを漏らす。その魔理沙の視界に入るようパチュリーが姿を見せた。無防備とすら言えるほど、あっさりと。

 「な、んで……」

 「あなたを捕まえられたから。普通、術者はこうして相対する者に自らの身を晒す事はない。どうしてだかわかるかしら? ――危険だからよ」

 通常、パチュリーのように詠唱を主とする魔法使いは後衛として戦う。詠唱する間は無防備となる時間を、稼いでもらうために。だが一人では全てを自分でこなすしかなく、ある程度なら近接戦闘をこなせるようになったりする。

 しかし彼女にはそれができない。喘息という病魔を患っているがゆえに。

 「それを改善するための策。その一つが、これ」

 パチュリーは、いまだ具現したままの『星の嘆き』を魔理沙に見せる。

 「魔法は本来使えば一瞬だけ。自然に干渉し、瞬間的な力で攻撃する。――これはその逆。()()()()()()()()()、そこにこめられた魔力を解放することで初めて魔法となる、能動的な力」

 前者が一度使えばそれで出し切りの力だとすれば、後者はこめられた魔力が切れるまで具現させられる。

 無論、弱点はある。術者が能動的に使うということは、使う場面を冷静に見極める必要があるということ。更にきちんと重さは残っているため、持っているだけでも疲れる。加えて最悪な事に、この魔法、()()()()()()()()。奪われれば相手に使われる可能性もあるのだ。

 「私が最初に使った日の『天輪(プロミネンス)』と水の『加護(ヴェール)』、それと火の『竜の顎(アギト)』は瞬間の魔法。金の『金剛錬成』、木の『茨の森』、月と星の『星の嘆き(コメットハンマー)』と『狂月・破砕(ルナティック・ブロー)』、土の『祭壇・供犠(贄の祈り)』は具現化の魔法。あなたは私が魔法の合間合間に、あらかじめ詠唱をしていたと思っていたのでしょう? それは、合っているけど間違っているわ」

 正確には、もう何年も前から発動しておいたのを放っておいただけだ。忘れていた、とも言い換えられるが、それは教えない。

 「――ここに来た時点で、あなたは詰みなのよ。私の具現化魔法は、まだあるから」

 これが、研鑽を積んだ、積み続けた魔法使い。『七曜』を操る才能の持ち主。

 諦めなさいという意味を含んだ視線を向けられる。

 ――その差を見て、理解して、それでも魔理沙は諦めない。

 (諦め、られるかよ……ッ。こんな、程度でッ!)

 歯を噛み締めてパチュリーを睨み、無理矢理弾幕を作って飛ばす。パチュリーは力の差を示すように全ての弾幕を打ち消していった。

 ハァ、とため息を吐く彼女。無駄なことを、と思っているのだろう。実際、無駄に近い。それでも時間稼ぎはできる。

 (ダメだ……通らない。全部止められる。どこに撃っても、全部)

 ふいに、魔理沙は何かが思考の淵を掠めたような気がした。

 (……なんだ? 何がおかしい? アイツは私の弾幕を全部受け止めてる。……それを疑問に思っている? どうして? ――待て、そもそも本当に全部消す必要が?)

 思えば、魔理沙は意識が半ば朦朧としているせいで全く見当違いの方向に撃っている。パチュリーはそれすら迎撃しているのだ。いっそ清々しいと思えるほど、律儀に。

 (もし、合っていれば……間違っていたら、死ぬ。少なくとも逆鱗に触れる)

 魔理沙は、賭けた。

 この可能性が合っている事を。

 「ウ、オオオオオオオオォォォォォォォォオオオオッッ!!」

 「な――!?」

 無理矢理手首を捻り、懐からもうほとんど魔力が残っていない石を掴み取る。そして魔力を込めて――爆発させた。

 極小規模とはいえ、超々至近距離での爆発。相応のダメージを負い――だが枷を外した魔理沙は箒を投げ捨て、弾幕を飛ばしてパチュリーに牽制の弾幕を放つ。

 「しまった……!」

 パチュリーは自らの失敗を悟る。本当に拘束するのなら、手の位置を変えるべきだった。弾幕に対処しつつ、いつ魔理沙が来てもいいように身構え――そして、勘違いを悟った。

 眼中に無い、というかのように魔理沙はパチュリーの横を通る。咄嗟に具現化魔法の一つを使おうとして、だができなかった。

 「――っげほ、けほ――……こんなときに!」

 持病の喘息。元々体の弱いパチュリーは、『星の嘆き』を振り回すことですら大きな負担になってしまう。そのツケが回ってきた。

 魔理沙はもうほとんど残っていない魔力を全力で振り絞って飛ぶ。ただ前に――この先にあるという、『図書館』に向かって。

 「……何が狙いなのよ、あなたは」

 「いんや、ちょっと気になることがあってさ」

 ようやく喘息を整えて図書館へ入ったパチュリーが見た光景は、自身の机の上に腰を乗せ、ペラペラと紙をめくっている魔理沙の姿。

 嫌な予感。それに内心で怯えながら、気丈に問いかける。

 「気になることって、何かしら」

 「簡単だよ。――どうして私の攻撃を全て消していた? 最後のじゃない。()()()

 今思えば、パチュリーは決して魔理沙の攻撃を通さなかった。全てなんらかの方法で消滅させているほどの念の入用。

 しかもマスタースパークを撃った時なぞ、不利になるのをわかっていて『星の嘆き』を使っていた。何故か。それしかあの攻撃を消滅させられなかったからだ。

 「――あの時私の砲撃は、この図書館の一部に当たるような位置になっていた。だからお前は、どうしてもその攻撃だけは受け止める必要があった」

 「だから何? アレが一番確実だっただけよ」

 「そうか。なら、そういうことにしておこう。……次だ。どうしてお前は姿を現した?」

 「どういう意味よ」

 「お前がさっき自分で言ってたことだぜ。『普通、術者はこうして相対する者に自らの身を晒す事はない』って、さ。この言葉はお前に――いや、お前だからこそ当てはまる言葉だ」

 姿を晒せば、どうにもならない人間だから。

 「そのお前が姿を見せた。そうすれば、()()()()()()()()()。この図書館という場所から、目を逸らせるから」

 つまり、パチュリーの真意とは。

 「この図書館に私を()()()せないこと――それだけだ」

 「そうね。そうよ、私の目的はあなたをここに立ち入らせないこと」

 もう話を逸らせない。誤魔化せない。それを理解したパチュリーは、素直に諦めた。魔理沙とは違い、彼女は捨て身で戦えるだけの理由がない。レミィを助けに行きたいのも本心だが、感じられる力から見て取って、邪魔になる可能性の方が高い。それに、ここにある本はもう手に入らないモノばかり。全てを天秤にかけた結果、諦めたのだ。

 「なら話は簡単だ」

 「私が拒めば、ここを荒らす。そう言いたいのでしょう」

 それくらいバカでもわかる。

 今の魔理沙の魔力残量でも、目の前の紙や腰掛けている机、それに棚にある本を燃やす事くらいは造作もない。

 「……それで、あなたがここに来た理由は?」

 「ああ、私の目的は」

 「――させません!」

 『……!?』

 響いた声。驚愕に体を強ばらせる魔理沙と――パチュリー。

 (なんでパチュリーも――まさか、アイツも予想してなかったのか!?)

 完全な不意打ち。予想外の伏兵。

 対応する間もなく、魔理沙は両脇から腕を持ち上げられるのを感じた。ついで上体を逸らし、下手に暴れれば『喉元を噛みちぎる』とばかりに首筋に息を感じる。

 「だ、れだ――お前は……ッ」

 「小悪魔ですッ。パチュリー様の使い魔の!」

 目を見開き驚愕する魔理沙。確かに小悪魔の存在は聞いていた。だがシオンは、小悪魔を『戦力にならない』と言っていたはず。フランも同意していた。

 だが、忘れてはならない。小がつくとはいえ、彼女は『悪魔』なのだ。その身体能力は人間よりも上。そして『戦力にならない』と判断したのは、シオンとフラン。つまり、どちらも小悪魔程度の身体能力など意にも介さぬ腕力の持ち主。

 その認識の差が、この状況を作り出した。魔理沙とシオン達の痛恨のミス。お互いにお互いの能力をよく知らなかったが故の弊害。

 「パチュリー様、今です! 私ごとで構いません、撃ってください!」

 マズい、と魔理沙は顔を引きつらせる。今は戸惑っているパチュリーだが、恐らく小悪魔に被害を出さないようにする魔法のストックくらいはあるはず。彼女がそれを思い出したら、終わってしまう。

 「これで終わりか――なんて言うと思ったか? は、甘いぜ小悪魔。まだ終わっちゃいない」

 「は……?」

 だから、笑え。騙しきれ。いつもやっていたように、手癖の悪い泥棒紛いのやり方で。

 「なぁパチュリー。なんで私が箒も八卦炉もほったらかしでこんなところにいると思う? 道具に頼らなきゃまともな魔法なんてほとんど使えない、この私がだぞ?」

 疑問の表情を浮かべるパチュリー。当然だ、敵の話をまともに受け止めるのはバカの所業。だが疑問を浮かべてくれればそれでいい。端っから切り捨てられていれば、それで終わっていたのだから。

 「後ろ、見てみろよ。お前が疑問に思っていた、どうやって最初のあの魔法を暴発させたのか。その答えが見れるぜ」

 「――……。小悪魔、もっと強く押さえていなさい」

 「は、はい!」

 「う、ぎぃ!? いだだだだだだだ、容赦ねぇな!」

 ギリギリギリ……! と引き絞られる両腕の痛みに思わず叫ぶ魔理沙。だが内心ではほくそ笑んでいた。うまくいった、と。後は『そう思わせられるように振る舞えれば』いい。

 パチュリーの視線の先にあるのは箒と、八卦炉。そして――細かな紋様の刻まれた、石。

 「アレは……魔法陣? でも、なんであんな小さな石に……」

 即座に看破したのは流石というべきか。なんでわかるのかと呆れるべきなのか。内心の思いを封じつつ、魔理沙はニヤリと笑う。

 「そう、魔法陣だ。箒と八卦炉は似たような効果があってな? 周囲に漂う微かな魔力を集めて私が魔法を使うのを補助してくれる。んで、石の方はこめられた魔力を、必要な時に応じて必要な量を取り出せる。壊れれば中に詰まっていたモンが外に放出されるって仕組みだ」

 「なら、最初のあれは」

 「融解した、イコール壊れた事で解放されて、急激に増大した魔力のせいだな」

 「付け加えると、石はともかく箒と八卦炉は周囲にある魔力を、周囲の状況に応じて一定量吸い込み続けるって効果がある」

 「――まさか!?」

 「お、気づいたか? 流石だな」

 戦慄するパチュリーに、魔理沙は気軽に応じる。理解できないのは小悪魔だけだ。

 「あ、あなたは何を言って?」

 「ふむ。なら優しく、わかりやすく言おう。魔力を吸い込む量は、周囲の魔力量に比例して跳ね上がっていく。要は魔力が濃ければ濃いだけその真価を発揮する。まぁ吸い込み過ぎると暴発する可能性があるから、普段は私が制御してるんだがな」

 そして今の状況。魔理沙とパチュリーが遠慮なしに魔法を使い続けた事で、そして地下という軽く密閉された空間の中に溢れる魔力は、一時的にではあるが魔法の森に若干劣る程度の濃度となっている。そんな場所に制御が離れたあの二つを置けば、どうなるか。

 「私の見たとこ、()()()()だな、ありゃ」

 「……だからどうしたというの? あそこからここまでかなりの距離がある。ここに届くことはありえ」

 「――るんだな。ここに来る前にした『細工』のおかげで」

 そう。魔理沙が渋るシオンに頼みこんで付け加えてもらった、とある機能。

 「暴発して爆発する魔力に指向性を持たせる魔法陣――それを付けてもらった」

 ()()()()()()()()()八卦炉を見ながら、魔理沙は言う。

 シオンがかつて幽香に使った、そして二度と使うことがなかった、あの魔法陣。本当は『暴発するならせめて被害を抑えたい』と思って付け加えた機能が、こんなところで役に立った。

 「そしてあの石。アレが何らかの衝撃で壊れたらどうなるか、なんて――今更言うまでもないよな?」

 何故わざわざ箒を投げたのか。その理由が、アレだ。石だけ投げればパチュリーが不自然に思うかもしれない。だから箒を投げて、さも『少しでも移動速度を速めるために投げた』と思わせられるように。

 暴発寸前のあの二つに、最後のダメ押しをするためだけに。

 「ここで私は死ぬかもしれない。なら、せめて――道連れくらいは増やしてやるさ」

 パチュリーは答えない。そして魔理沙の位置からパチュリーの顔は見れない。

 「……どうして」

 やがてポツリとこぼれた、小さな声。

 「そこまで、やるの? そこまでの理由が、あるの?」

 「ある」

 即答だった。

 「……私が今こうして、あんた――いや、()()()みたいな魔法使いとまがりなりにも戦えていたのは、シオンのお陰だから」

 普段は使わない敬称。それは、魔理沙がパチュリーを本気で認めている証だった。

 「だからこそせめて、たった一度くらいは恩を返したかった。それで貸し借り無し。私らしく私の道を行けるってね」

 これは意地だ。魔理沙の、魔法使いとしての意地。その意地――誇りのために、魔理沙は命を賭けた。

 「――そう」

 一度上を向き――魔理沙と小悪魔にすら聞こえるほど、大きなため息を吐いた。

 「小悪魔、()()()を放しなさい」

 「は、はいっ! って――よろしいので?」

 「いいのよ。もう、決まったから」

 振り向いたパチュリーは、仄かに笑っていた。

 「――私の負けよ。完敗だわ」

 そう見えたのは――気のせいだろうか。




今回疲れました。超疲れました。
というか魔法使い戦とシオン+吸血鬼戦で5000文字ずつ使おうと思ったのに、気づけば11000文字超える始末。どーなってるんですか。

んで、今回パチュリー大暴れ。『七曜』らしく
日――『天輪(プロミネンス)
月――『星の嘆き(コメットハンマー)』こと『狂月・破砕(ルナティック・ブロー)
火――『竜の顎(アギト)
水――『加護(ヴェール)
木――『茨の森』
金――『金剛錬成』
土――『祭壇・供犠(贄の祈り)
とまぁ、全部突っ込んでみました。こうしたからここまで長引いたんだろとかいう突っ込みは無しで。そしてネーミングセンスの無さにも突っ込まないでお願いします。

ちなみに魔理沙の八卦炉の改良(改悪?)は前々回のシオンと魔理沙が魔法陣に議論していた時についでに付け加えていました。いつの間に、と言える程の手際の良さ。流石本家では泥棒(笑)ですね。

認め合った二人のやり取りは次回の冒頭にでもやろうかと。理由?

――すいません、シオンとフラン、レミリア戦の構想が全くありません。

それだけの理由です。マジで。大なり小なり考えていた話の内容のうち、ここだけほとんど丸裸。なんもありません。

……もしかしたら次回は遅れに遅れるかも?
最近資格取得でちょっと忙しいので。


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吸血鬼の真価

 「で、終わったんだったらさっさと放してくれないか? いつまでもこの体勢はちょっと息苦しいんだが」

 「あら。私は負けを認めはしたけど、それはあくまでさっきの勝負の話。あなたを放すかどうかはまた別の話よ」

 ついイラッときた魔理沙は先程までの微笑みが嘘のように表情を消しているパチュリーを睨みつける。

 いっそ破裂させたろかと思っていると、パチュリーは両手を上げて降参の意を示した。

 「――それは短絡的すぎよ。別の話とは言ったけど、単にこっちの条件を呑んで欲しいだけ」

 「条件による、とだけ答えさせてもらうぜ。私の目的は足止めだからな。苦しい体勢ではあっても我慢できない程じゃない。最悪ずっとこの状況を維持させてもらう」

 「ハァ……そこまで言わせるほどの相手なのか、あるいは別の理由か。ま、どっちでもいいわ」

 と、パチュリーは片手を魔理沙の方へ向ける。ピクリと体を震わせる魔理沙だが、その手の向きが魔理沙から少し下を向いていた。

 「『この手に』」

 短い詠唱。一節だけのわかりやすい単語は、しかし何を目的としているのか悟らせない。

 次の一瞬。魔理沙の足元から一枚の紙が飛び出し、パチュリーの手元に置かれる。その何も書かれていない真っ白な紙に、魔力を使って文字を刻み込んでいく。最後に親指を噛み切って血の文字を書くと、今度はその紙を魔理沙の目の前に浮かせた。

 文字は大きい。恐らくパチュリーが不意打つ可能性を危惧した魔理沙が文字だけに集中しないようにして、結局内容が頭に入らないという迂闊な事にならないようにしたのだろう。

 内容は簡潔に三つ。

 一つ。魔理沙が使った道具の魔法陣の解析。その許可。

 二つ。あの魔法陣の製作者は誰か。魔理沙ではないのならその名前を。

 三つ。その人物の紹介。及び橋渡し。

 以上を対価に、パチュリー・ノーレッジは魔理沙が許可を出さない限り、一度に限ってその場を絶対に動けない。

 ――この条件は、魔理沙が死んだ後も適用される。そのため、魔理沙を殺してその場から離れる事はできない。仮にしたらその場から二度と動けなくなる。

 更にその条件下のみパチュリーと縁があるものも魔理沙には手出しできない。

 そして最後に、血で塗られたパチュリーの名前の誓約(サイン)があった。

 「随分と簡潔だな」

 「不必要にダラダラと書いたところで、不信感を持たれても仕方がないでしょう? だったらこれくらいがちょうどいいわ。正式な場でも無いしね」

 それには同意する。にしても、と思う。ここまでバカ正直に書くとは思わなかった。黙っていれば自分を殺して、あるいは拷問にでもかけて無理矢理許可を出せるというのに。

 が、悩む。そもそも何故パチュリーがあそこまで魔法陣にこだわるのかが不透明なのだ。そこが知りたかった。

 「じゃあ、こっちも一つ条件を付け加えさせてくれよ」

 「まぁ、いいわ。それくらいは譲歩しましょう。ただし――内容次第、だけれど」

 先ほどの魔理沙の回答と同じことを口にし、それに魔理沙は笑った。

 「別にそこまでの事でもないけどな。単に、なんでパチュリーはそこまで『魔法陣』ってモノに執着するのか、教えて欲しいだけだ。悪用されても困るしな」

 軽い気持ちで言い放ったその条件。それくらいは別にいいだろう、と思っていたのだが。

 ――パチュリーは瞑目していた。それも、どこか悔しそうに。

 「おい……?」

 「なんでもないわ。ちょっと、昔を思い出しただけだから」

 ふぅ、とパチュリーは小さく息を吐くと、いいわよ、と答えた。

 「話してあげる。私がどうしてそんな事を願ったのか」

 あれはもう、いつの事だったか。パチュリーはいつも引きこもっていて、自身の年齢さえ既に忘れている。毎日毎日本を読み、魔法の練習をする日々。身の回りの世話は全て小悪魔に一任していて、ともすれば自堕落とも言える日常。

 あまりにも本の収集をしすぎていて、家中が本で埋め尽くされるようになった頃の事。パチュリーは、ある少女と出会った。

 一目見て悟った。この少女には敵わない、と。戦闘にすらならないだろうとわかる程の彼我の差に、パチュリーは抗う事無く生きるのを諦めた。だがパチュリーは運が良かった。少女の機嫌はその日は良く、パチュリーの話を聞いてくれたのだ。

 魔法使いを生業としている、と答えると、少女は『能力の制御』に関する話題を降ってきた。よくわからないと思いつつも、パチュリーは知る限りでそれに答える。相手は真剣なのだから、専門職ではないにしても、わからないなりに。

 ――気づけばパチュリーは、巨大な屋敷の地下室を気軽に渡されていた。

 そして知った。少女が――レミリアが何故あそこまであの話題にのみ執着したのか。それはたった一人の妹のため。

 彼女の事を話す時のレミリアは、レミィは、とても楽しそうで、嬉しそうで、そして……とても悲しそうだった。

 勝手ながら、その時既にパチュリーは彼女のことをはじめてできた親友だと思っていた。だからこそパチュリーは、その親友を悲しませないよう、ありとあらゆる可能性を探った。

 「具現化魔法はその一つ。でもあれは任意発動であって常時発動ではないし、何よりこめた魔力が尽きれば霧散する。それじゃ意味がないの」

 次に目を向けたのが魔法陣だった。魔法陣は具現化魔法とは違いそれ単体では意味を成さないと言われている。だが、パチュリーはその発送を逆転させた。

 術者が魔力をこめるのではない。魔法陣そのものが魔力を集めればいい、と。

 しかしそんな高度なモノ、今の今まで魔法陣を学ぼうともしなかった人間がそう簡単に作れるはずもなく。専門外もいいところだった。

 それでも何とか親友の妹の能力、その影響を少なくする魔法陣は開発できたが、それも定期的にパチュリーが魔力をこめなければならない不完全なモノ。

 「時間をかければ、できなくはない。でもその前に――あの子が、死ぬ。肉体的なモノではなくて、精神的な。見ていてわかるのよ。限界だって」

 だから知りたい。あの魔法陣の作成者を。そして請うのだ。どうか教えてください、と。

 「私はレミィが好きよ。もちろん親友として、という意味だけれど、だからこそ何とかしてあげたいと思うの」

 「そうか。……なら、いいか」

 魔理沙は小悪魔を見やる。その意図を察し、片腕の拘束を解く。

 ガリ、と強く親指を噛む。痛い。強くやりすぎたようだ。八つ当たりするように力強く紙に指を押し付け、不格好な文字で『魔理沙』と書き込む。

 「これで契約成立だ。……にしても、契約に関する魔法も使えたんだな」

 「一応ね。でもそこまで強力なモノは使えないわ」

 「私からすれば十分羨ましいけどな。で、まずは道具か。持ってくるよ」

 小悪魔から手を離してもらい、箒と八卦炉、石を取りに行く。少し埃がついていたが、問題はないだろう。

 パチュリーのところに戻ると、そのまま机の上に置いておいた。パチュリーは体が弱い。彼女に持たせるよりは、あらかじめ机の上に置いたほうがいいだろうと慮ってのことだ。

 そして次は誰が作成したかについて、なのだが。

 「どうしてなの? あなたにとって、それの根幹を作った人に相当の恩義を感じているはず。なのにこんな売るような真似をしたのは、何故?」

 「あー、まぁそうなるよな。でもさ、多分あいつなら『それくらいは別にいいけど』とか言って気にも留めないと思うんだ」

 確証はないが、そんな気がする。カラカラと快活な笑みを浮かべ、パチュリーに言う。

 「仮に何か言われてもそん時はそん時だ。で、肝心の『誰か』についてだが、お察しの通り、作成者は私じゃない」

 「そうでしょうね。その魔法陣は、どこか歪だもの」

 「やっぱそう思うか。魔法に一部科学技術が入ってるもんな」

 話が逸れた、と魔理沙は独り言を言うと、簡潔に言う。

 「シオンだ。ただのシオン。それがこの魔法陣の作成者。私を一応は魔法使いの見習いにしてくれた奴の名前。……本人は知らないだろうが」

 あるいは気づいていても言わないのか。どちらでもいいが。

 「……シオン、シオン……。ダメね。聞いたことがないわ」

 「――そう、か」

 パチュリーには隠したが、魔理沙の顔は複雑そうだった。

 ――やっぱ、忘れられてるんだな……。

 「それで、その、彼? 彼女? は、どこにいるの?」

 「あぁ、シオンは男だから彼でいいぜ。で、どこにいるかだが――」

 パチュリーにわかりやすく告げるため、指を紅魔館の玄関あたりに向ける。

 「今、レミリア・スカーレットとドンパチやってる真っ最中だぜ?」

 「……――は?」

 

 

 

 

 

 自身の腹を突き破ろうとする突きを半身になって躱し、続く薙ぎを肘と膝をぶつけて瞬間的に受け止め、もう片方の足で横へ飛ぶ。槍の薙ぎ払いと同じ速度で移動したシオンは、今度は前に出てレミリアに袈裟斬り、それを妖力で作り上げた爆弾を斬らせることで瞬間的な目晦ましに利用させる。

 突発的に目を使えなくなったシオンは、だが目以外の感覚でレミリアの姿を捉える。驚いたことにレミリアは後ろに下がっているが、先程までいた場所に炎の壁が出来上がったのだから、その判断は正しい。

 その間にもう一度シオンが前に出ると同時に炎が消える。本当に便利な炎だ、と思う。炎を自由自在に動かし、消すのも思いのまま。明確な弱点は自分自身も炎の影響を受ける事と、炎自体を出現させるのに数秒必要とする事だが、それもフランならカバーできる。

 レミリアはどこか苛立だしげに表情を歪めると、槍を一度回転させて構える。バカ正直に突貫するところをカウンターするつもりなのかもしれない。

 「はッ? 武器を投げ――!?」

 それを黒陽を放り投げる事で無理矢理体勢を崩す。敢えて武器を手放す選択肢に驚くレミリアの隙をついて懐に急接近。白夜は使わず掌底を鳩尾に入れ、怯んだところで体を捻って両足で蹴り上げる。反射的に槍をはさんで受けたのは流石だろう。

 翼を広げて急停止し、すぐさまその場から離れる。少しでもシオンから離れれば襲い来る炎に怒りを感じながらも、それを放つ主に攻撃はできない。

 シオンもそのことはわかっている。フランに怒りをぶつかるわけにもいかず、だからこそ『妹をたぶらかした悪い男』であるシオンに対して憎悪を倍増させているのも。ある意味最悪な状況ではあるが、別にいい。悪感情を向けられるのには慣れている。

 問題は自分達の布陣だ。別に自分が前衛であることに不満はない。むしろ不必要にフランが傷つくよりは万倍マシだ。が、戦術的な面で見れば完全に間違いである。

 身体能力によりゴリ押しよりも技術的な攻撃が得意なシオンは、二人で共闘する場合、相方の隙を埋める補助役(サポート)の方がよくなる。

 逆に身体能力によるゴリ押しが得意――というか、それしかできないフランは支援(サポート)には全く向かず、だからこそシオンの代わりに前衛となって思い切り戦う方がいい、のだが。レミリアはフランを傷つけたくないがため、シオンしか狙わない。狙えない。よって前衛は強制的にシオンとなるため、大雑把な火力支援(カノンサポート)しかフランにはできない。

 「……さない。絶対に絶対に絶対にぜ……――」

 あぁ、やばい、とシオンは思う。あれでは勝ったとしても負けを認めてくれないどころか、死んでも認めないかもしれない。それくらい頭に血が上っている。

 「――殺すッッ!」

 叫び、レミリアは高空から一気に下りる。もうシオンしか目に入っていない。

 (ああ、これは多分――)

 レミリアを止めようとフランは『レーヴァテイン』の炎を最大出力で叩き込む。人間なら容易に消し炭になるだろうそれを、レミリアは()()()()()()

 「え……?」

 フランの呆けた声が聞こえる。それを聞きつつも炎から飛び出してきたレミリアを見る。よくよく見るとレミリアにはあまり炎が付着していない。寸前で留まっている――風か。突風を生み出すことで炎を吹き飛ばしているのだ。

 黒陽は手元に無い。白夜を握り締めて応戦の意思を見せると、レミリアは槍を振り絞る。

 「鬼攻閃(キコウセン)!」

 それは長大な突きだった。本来なら槍本体と腕の長さでのみ決まるそれを、レミリアは妖力でもって強制的に飛距離を伸ばしている。

 瞬時に防御の構えを取るシオン。弾き飛ばしてもう一度掌底を叩き込もうと考えて。

 そしてその考えが甘かったと、すぐに知る事になる。

 五メートル、六メートルと伸びる閃光。凄まじい勢いのそれを、機を狙いただ冷徹に反撃する。剣と腕を水平に。顔の横に構えて。両足を前後に開く。基本的に構えないシオンの、ただ『突き』だけに特化したその行動。

 後ろ足に力を込めて瞬発力を生み出し、足から腰、肩肘手と連動させて余すことなく勢いを乗せていく。そして前足を踏みしめ、そして剣を、ただ前に。前に。

 剣の切先が槍の切先と拮抗する。そしてシオンは悟った。

 ――押し負ける。

 腕がたわみ、弾ける。後ろに倒れ込もうとする体を全力で傾けて横に転び、鬼攻閃を回避。後ろは見ない。見る暇がない。レミリアがもう一弾用意しようとしているからだ。

 そして放つ。早い。速い。疾い。先ほどよりも遥かに。辛うじて見えるだけのそれを、また全力で横っ飛びして避ける。それでも避け損ない、数本髪が飛び散った。

 (――違う)

 それを、シオンの五感が否定した。

 (飛び散ったんじゃない、これは)

 横目で鬼攻閃が受けた方を見る。だがそこに、求めたモノはなかった。

 (――()()()()()

 跡形もなく。廃すら残さず。つまりあの攻撃は、フランの炎よりも遥かに――。

 「考え事をしている余裕でもあるのかしらッ!!」

 もう一度来る。今度は連続で三突き。シオンから見て後ろと左右にそれぞれだ。つまりレミリアの狙いは、わかりやすいくらいに明白だった。

 だけど、選択肢はなかった。前に行くしか、生き残る道はない。

 トン、トン、トン、と三回方向転換して槍の残像を躱す。レミリアは敢えてわかりやすい隙を作っただけであって、上手く移動しなければそのまま死ぬ。今のレミリアに、甘さはないのだ。

 躱しきった先には当然レミリア。驚いたことに、彼女は槍を背中に背負っている。一体何を――と思ったが、彼女はその思考ごと粉砕してきた。

 無造作な正拳。それでも美鈴の鍛錬を見てきたからだろう、その形は美しい。避けられない。後方と左右から来る爆風のせいで、体のバランスを強制的に崩される。

 片手で持つ剣を今は両手で握る。先の攻撃で、生半可な攻撃では押し負けると悟ったからだ。それでも――

 「グ、ァ――!?」

 叫び声すらあげられない。剣を押しのけ、力任せにシオンの鳩尾に拳を叩き込む。まるで先ほどのシオンの行動を鏡合わせのように真似て、体を捻り蹴りをねじ込む。わかっている。これを受ければ洒落にならないと。剣をはさみ、レミリアの蹴りを受ける。

 本当に鏡合わせ。だがシオンとレミリアの違いは、お互いの攻撃を受け止められたか、否か。レミリアの蹴りを受けたシオンは、剣を通して胸に伝わる衝撃で体を揺らす。カハッ、と漏れた声は吐血と共に。

 空中に打ち上げられながら、シオンは視界の端に瞳を滲ませるフランを見た。笑おうとしたが、胸に鈍痛。どこかは知らないが、骨が数本イったらしい。

 レミリアの追い打ちが、飛んできた。

 「これで終わり。――鬼攻閃ッ」

 撃たれれば、彼女の言う通りシオンは終わる。フランは無理だ。さり気なく弾幕を撃って動きを牽制している。

 だからシオンは、自分の手で撃たせないようにしなければならない。

 グルンと体を回す。目的は足を回すために。一回転した瞬間、バチリと音が鳴り響く。刹那、本当の意味での閃光が周囲を照らした。

 目を灼かれ、生理的反応で目を閉じ両腕で体を庇う。何故そうしたのかはわからない。それでもこうしなければ、もしかするとレミリアは死んでいたかもしれない。

 光が止んでから数十秒。とりあえず骨だけ繋げたシオンは、まだ目を瞬かせているフランに近づく。……微かに漂う、()()()()()()()に、顔をしかめながら。

 レミリアの姿はない。どこを焼かれたのかはわからないが、回復に専念するためだろう。

 「シオン、今のって魔法、だよね……? でも、シオンは――」

 「しっ。そういうのは言うな。敵に長所と短所を教えるのはバカのすることだ」

 「あ、ご、ごめんなさい」

 謝るフランに、シオンもこれ以上強く言えない。そもそも人のことは言えないのだ。

 ……かつてシオンは、彼女達に自分の力のほぼ全てを教えた。あの時の自分よりも強くなったとは言えるが、根幹部分は変わらない。

 それは愚かだったと、今なら思う。バカ正直に敵か味方かはっきりしていない相手にする行動ではない。投げやりになっていた、という言い訳もあるが、何よりシオンは知らなかった。

 『再選する』、という事の意味を。

 何故か。それはシオンが、今まで生きてきた中でただ一度たりとも『再戦をした事がない』からだ。生きるか、死ぬか。それだけしかしなかったし、他の選択肢を選ぶ理由がなかったから、そうしただけ。

 今は違う。相手の事を知って、その対策を取れればかなり有利になると知った。だから慎重に行動する。

 とはいえ、フランにだけは教えたいと思ったのも事実だ。

 (――無理だ。口頭で教えなきゃ危険は伝えられない)

 あの魔法は、実のところ魔法とは言えない。単に極小規模な雷を生み出しただけだが、原理としては簡単だ。単に科学の論理を当てはめただけである。

 魔力を使って雷になる前の分子に干渉し、強制的に起こさせる技。即ち『現象』を引き起こす魔法。

 利点はシオンのように属性に適正が無くともきちんとした理論と周囲の状況からその現象を引き起こせるだけの数学を行えること。

 欠点は単純。この魔法、あくまで『現象』を引き起こすだけなのだ。つまり、術者自身制御()()()()。撃ったら後は勝手に吹っ飛んでいくだけだ。

 下手すれば撃った瞬間術者含めてそのまま死ぬ。シオンはそれを白夜の力で強制的に壁を作り上げて遮断したが、もしフランに当たっていたらと思うとゾッとする。

 なるべく使いたくはない。だが使わなければ生き残れないかもしれない。フランにどうにかして伝えられないかと想っていると。

 「――()()()()()()! ()()()()()()()使()()()()()()()()()()()!」

 (――え?)

 まるで、シオンがそれを伝えたかのようにフランは言う。

 (なんで? 俺は言ってない……よな? なら、フランがわかってるように言ってる訳は?)

 理由がわからない。混乱と困惑で思考を埋め尽くされている状態故に、シオンは気付くのが遅れた。

 「――グッ!?」

 ガブリ、と首筋に歯を突き立てられる。首にある『何か』を叩く

 「コウモリ……?」

 流れる血を抑え、小さなコウモリを見る。

 「マ、マズい!」

 顔を青ざめたフランがシオンを押し倒すのと同時、シオンの前髪を衝撃波が切り取った。驚きに目を丸くするシオンの前で、小さなコウモリの姿が大きくなる。

 それはよく見知った姿――レミリアとなる。頭を抑え、顔をしかめるレミリア。少しだけ残った両腕の焼け跡が、白い肌にクッキリと残っている。

 「ふぅ、血をありがとう。お陰で両腕を多少治せたわ」

 「飲まなくても何とかなるだろうに。物好きだな」

 「飲まないのと飲んでいるのとじゃ、大分違うのよ? 再生速度がね」

 チッ、と小さく舌打ちする。油断した自分が悪いとは言え、むざむざ血を渡すのは悪手だ。バックステップでレミリアと距離を取るが、何故か追撃はない。

 しかしそれも数秒のことで、レミリアは構える。

 「鬼牙(キガ)

 右に一線、返す刀でもう一線。シオンは空いた真ん中から避けようとしたが、直感に従って大きく上に跳んだ。次の瞬間、その行動が正しかったとわかる。二本並行に並んだ線がたわんだかと思うと、いきなり重なりあったのだ。

 (だから『牙』なのか……!)

 鬼の牙。その名に恥じぬ威力なのは容易に想像できる。

 「鬼攻閃」

 空を飛ぶシオンを撃ち落とさんと飛んでくる突き。それを避ければまた鬼牙が襲いかかる。

 「鬼爪(キソウ)

 しかし予想に反して槍を縦に構えたかと思うと、今度はひと振りで五重の閃光を生み出す。それは天井を破壊する程の射程と威力を持ってシオンを斬り裂く。

 それでも白夜を間に挟むことで致命傷だけは避ける。追撃を避けるためにフランが炎を出してくれるが、最早レミリアは躱しもしない。

 (白夜は折れなくても、俺のほうが限界か……! フランも無理だ)

 武器はいい。だがそれを扱うシオンの方が耐えられない。そしてフランも、レミリアを殺すだけの覚悟がない彼女では、もうこれ以上は期待できない。

 点の鬼攻閃。追い詰めるための鬼牙。逃さないための鬼爪。ならまだあるはず。もう一つ、トドメを刺すための必殺がッ。

 予想は正しい。そしてそれは、今までのように生易しくはなかった。

 「鬼翼(キヨク)

 およそ攻撃に相応しくないと思えるその言葉は、名前に反して絶大だった。

 あまりにも大きすぎる程槍を振りかぶり、二度袈裟斬り。凄まじい軌跡を残して飛翔。そしてそのまま、まるで技を放ったレミリアから巨大な翼が生えたかのように羽ばたくと、シオンの後方を埋めつくす。

 その様は、まるで彼女の翼によって抱きしめられているよう。そのままレミリアの翼はゆっくりとシオンを飲み込み、全てを消し去った。

 「――ハァ、ハァ、クッ」

 少しだけ息を荒げるレミリア。いつもの余裕がない。態々シオンの真似をしたりと、余裕を見せたりしていたのが嘘のようだ。

 だが、終わったとは言わない。油断なく前を睨み、奇襲に備える。

 フランは動けない。ガタガタと体を震わせるだけだ。

 ……嫌だった。これ以上大好きな姉と、恋している異性が戦うのが。わかっていたのに。こうなるかもしれないとわかっていたのに。

 何故こうしたのかと、あの時の自分を殴りたい。

 なのに。どうして、感じるのだろう。さっきもそうだった。シオンの考えていることが頭ではなく心に伝わってきて、だからわかった。

 シオンはきっと、気にしていない。仕方がないと、笑ってくれる。自分が傷つくことに頓着しない彼は、ただ許してくれる。

 そして、立ち上がる。

 「――……まだ、やれる」

 ボロボロになって、フラフラの体で、立つ。血染めの体。服を見て悲しそうにしていても、それでもレミリアを見ている。

 「流石、としか言えないわ。アレを受けても生きているなんて」

 グルグルと槍を回転させて、今一度構え。

 「でも、この殺し合いもそろそろ終わり。あなたもそのつもりでしょう?」

 「ああ。こっちもこんな無駄な事は終わらせたい。――次で、終わるだろうな」

 言葉は終わり。後は駆けるだけ。一瞬だ。それで全てに決着が着く。

 シオンは白夜を構えると一足飛びに、レミリアはグングニルを構えたまま、翼で飛翔する。

 二人の影が近づき、そして交差――しない。

 「……!?」

 「悪いとは思うよ。でもさ」

 ()()()()槍を持つ手を握る、シオンの片手。白夜でレミリアを傷つけないように、わざわざ持ち方まで変えている。

 「これが、人間なんだ」

 苦笑し、左手の指を手繰る。

 次々と地面から現れる黒い鎖。それが何なのか、レミリアにはわからない。

 「でもさ、こっちの目的はあくまで『レミリアの無力化』。端っから殺す気なんて無いんだ。許してくれ」

 この言葉で、理解した。

 自分は、目の前の男に負けたのだと。




11分オーバーすいません。でも頭ガンガンになるまで頑張りました。正直二度目の戦闘とか辛すぎです。
そもそも原作知らず(というか未プレイ)のにわかなんで。ぶっちゃけキャラクターに惚れて書いただけのある意味適当な作品なので、技とか考えるのが辛いんですよね。
そして前回の魔法使い戦に反してこちらは6000弱とかしか書けてない時点でお察し。流石に二週間休みは嫌だったので書きましたが、クオリティは……orz

0時半までに読み返しましたが、いくつもの誤字と表現不足発見。修正しました。


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鏡合わせの二人
不穏な気配


 ズキン、と体の内側から痛みが走る。その苦痛を慣れたものだと内側に追いやり、意識を目の前に集中する。

 拘束されたレミリア。不思議な事に、彼女は逃げようとはしない。蝙蝠に変身すればこの拘束から抜け出せる。まぁみすみす逃す気はないが、隙くらいはできるはずなのだ。

 (一部前言撤回したいところだ。あの時の俺は本当に視野狭窄になっていたな)

 確かに死ぬ気になれば何とかなる時もある。だが、その前に死ぬ。それだけ妖怪は強い。かつての自分はそれさえ気づかぬほど、復讐に染まっていた。

 だからこそ気になるのは、先程まで怒りと憎悪に染まっていた顔が、今では納得の色になっていること。そんな簡単におさまるような、生易しい感情ではないはずなのに。

 「なんで」

 レミリアの肩を押さえていた左手を放す。無理矢理繋げていた空間を閉じ、ズクズクと脳を突き刺す痛みから解放される。

 「なんで、最後の鬼翼――手加減、したんだ?」

 あの一撃、耐えれたのはシオンが何かをしたからではない。

 レミリアが殺す気で放たなかったから、シオンは何もしなかったのだ。殺す気で来たのなら、黒陽で防御するつもりだったのに。

 「さぁ、何故かしらね。それより解放してくれないかしら? もうこちらからあなたに手を出さないと誓うわ」

 本気で言っている、とシオンは感じた。なぜ、と問うまでもない。眼を見れば、わかってしまうから。

 シオンは左手の指を手繰り、レミリアを縛る鎖を回収する。一瞬の後に鎖は剣となり、小さなアクセサリーとなってシオンの手の中に現れる。驚きの早業だった。いつの間にか白夜も消え失せている。

 レミリアは体の調子を確かめるようにゴキゴキと体を慣らす。無論、スカーレット家当主として見苦しく動かさない。あくまでこの程度なら、というくらいにだ。

 「シオン、お姉様! 二人共無事!?」

 「フラン……ええ、私は無事よ。シオンは手加減してくれてたから」

 「こっちも同じだ」

 骨が折れている件は黙っておく。

 「だけど、どうして? いつものお姉様に戻ってるような気がするけど……」

 頭上に疑問符を浮かべるフランに、レミリアは朗らかな笑みを浮かべながらその頭を撫でる。

 「フランがあなたを頼った理由。そしてあなたがフランを助けた訳。全部わかった。だから私は殺意を向ける先を見失った、それだけの話よ」

 あっけらかんと言ってのけるレミリア。

 「それはつまり、記憶が戻ったのか?」

 「え、本当!?」

 二人の剣幕を諌めるようにレミリアは肩を竦める。その対応にフランは傾いていた体を戻し、レミリアの言葉を待つ。

 「おー、終わったのか。音が止んだから気になってたんだよな」

 「……戦闘中だったらどうするつもりだったのよ。死にたいの?」

 「まぁまぁ、その時はまた別の対応をしていたと思いますから……」

 レミリアの背後、シオンの正面からぞろぞろと魔理沙、パチュリー、小悪魔が現れる。確かに一息ついていたからよかったものの、魔理沙は流れ弾の一つでも直撃すれば死んでしまう。かなりの賭けであるのは間違いなかった。

 パチュリー、小悪魔だけどころか、それを理解したシオンとフラン、果てはレミリアまで『コイツは、全く……』と言いたげな目を向ける。

 「お、お前ら……おいシオンッ、そんな態度するんなら伝言伝えてやんねーぞ」

 「伝言? 誰からのだ?」

 プイッ、とそっぽを向く魔理沙。シオンの問いに答えるつもりはないようだ。が、それも数秒。ガシガシと頭を掻くと、言った。

 「……慧音からだ。そっくりそのまま言うぜ。『月が太陽に食われる』。一体どういう意味だ? なんかの言葉遊び――」

 「魔理沙」

 気づけば、シオンが目と鼻の先にいた。視界の端にフランが狼狽えているのが見えたが、魔理沙は逃げられない。両方をキツく押さえられているからだ。

 赤く、紅いその瞳。それがジッと魔理沙を見つめている。だがそこに不純な色はなく、どこか焦っているようにも見えた。

 「その伝言、一字一句間違いがないんだな?」

 「あ? あ、ああ……確かにこう伝えてくれよ言われたけど」

 そう言うだけが精一杯だった。シオンは魔理沙に一言すまないと言うと、顎に手を当てて考え込んでいる。

 ……もしかしたら、事態は魔理沙が思うより深刻なのかもしれない。

 そう思わせられるほど、今のシオンは真剣だった。

 「レミリア、行くところができた。――また来る」

 「あなたの用件は済んだのでしょう? 私は構わないけど――」

 チラ、とフランの方を見る。オロオロとしているフランは、このまま紅魔館に残るか、それともシオンについて行くかで迷っているようだ。

 レミリアは少し考え、翼をはためかせながら移動する。そして玄関横に置いてある傘――紅魔館周辺の散歩用であり、外に出るようのモノではないのだが――を、フランに渡す。

 「お姉様、これは……?」

 この傘がレミリアのお気に入りだとフランは知っている。散歩に使うのみで外にさしていかないのは、これがに傷がつくのを厭んでいるからなのも。

 「ついて行きたいのでしょう? そろそろ夜も明ける。これを日傘に使いなさい。太陽を直に浴びては辛いわよ?」

 もう六月に入る。四季がはっきりと現れる幻想郷では、もう間もなく日が出るだろう。そうなれば吸血鬼たる自分達は辛い。

 辛い、で済む時点でスカーレットが特別たる所以なのだが、そこには目を瞑る。

 「ありがとう、お姉様!」

 「ええ。ごめんなさいねシオン。あなたに断りもせず決めたけれど」

 「別にいいよ。待たされる訳でもないし、付いてくる来ないはそちらの勝手だ」

 連れて行くのはシオンだが、決めるのはフランだ。あくまでシオンは彼女の意思を尊重する。

 消し去ったはずの白夜を握り締め、目の前の空間を斬り捨てる。

 「レミリア、魔理沙。後始末は――」

 「わかってるわ。こちらでやっておくから、あなたはあなたのやるべきことをしなさい」

 「正直何をすればいいのかなんてわからないけど、霊夢の事は任せてくれ」

 頷き、裂け目へ飛び込む――寸前で躊躇し、一度だけレミリアを見る。しかし続いて飛び込むフランと衝突しないよう、その背を消した。

 

 

 

 

 

 ――やっぱり、気づかれてしまったかしら。

 ふぅ、と一つ息を吐き出す。

 とりあえず咲夜と美鈴を回収するべく足を運び、扉を開ける。そこで彼女の足が止まった。

 「……驚いたわ。まさか動けるまで回復するなんて」

 「初対面の人間に言う第一声がそれ?」

 吸血鬼用の麻痺毒、人間では即死級の猛毒を受けてなお生きていた霊夢。

 (――フランに当たっていなかったから、外していたのかと思っていたけれど……)

 まさかこの人間に当てていたとは。

 レミリアがわかったのは、単に霊夢の体調と、この独特な臭いから把握しただけだ。並外れた五感だからこそわかったのだろう。

 気絶している二人を肩に担ぐ霊夢の顔色は、悪い。まだ完治していないところを、無理を通して来たのだ。正直今にもぶっ倒れそうだった。

 霊夢から二人を受け取り、うまく重心を移動させると、懐からポイッ、と何かを投げる。

 それを掴んで見てみると、小さな容器に入った錠剤が。霊夢はそれを見て――速攻で取り出し飲み込んだ。

 あまりの速度に呆気に取られるレミリア。説明すらせずに飲み込むとは思わなかったのだ。

 「毒薬とか、疑わないの?」

 「少なくとも私に害があるとは思わなかったし。多分、解毒剤でしょ? これ」

 ひらひらと空のカプセルを振る霊夢。勘と言うには凄まじい。最早未来予知に近いのではないだろうか。

 「どうしてそう思ったの?」

 「えーと、ちょっと待ちなさい。纏めるから」

 それから十を数えてから、霊夢は言う。

 「吸血鬼にも効く麻痺毒を部下に持たせるなんて、普通は正気じゃない。反逆されるかもしれないし、そうでなくとも敵対している誰かに奪われればそれだけで危険。……保険用?」

 「大正解。元々は別の用途だったのだけれど……」

 チラリとパチュリーを見る。その横に立つ魔理沙は、霊夢の体調が戻ったと察し、安堵の息を吐いていた。

 「彼女が作ったの?」

 「ええ。解毒薬もね」

 「なるほど……流石は『知識(knowledge)』ってところかしら」

 「パチェを知っているの?」

 「シオンが言ってたから」

 『彼女が持つ知識は膨大だ。それを扱えるかは別として。パチュリー・ノーレッジという名は誰よりも彼女を表しているよ』

 「へぇ、そんな事を……」

 面白そうな笑みを浮かべる横顔を見ながら、パチュリーはため息を吐いた。

 「結局、彼とは話せなかったわね」

 「すまない。私のせいで」

 「別にいいわ。まだまだ時間はあるもの。またいつか、話せればそれでいいわ」

 そんな会話の末に、パチュリーと魔理沙は図書館へ戻る。パチュリーはせめて魔理沙の持つ二つの道具を解析できればいいと思ったし、魔理沙は未だ見たことのない大量の本を読みたいが為だ。

 そんな二人を見送り、レミリアは二人を運ぼうと霊夢に背を向ける。

 「――で、()()()()()()()()()?」

 ピクリ、とレミリアは一瞬動きを止める。反応してしまった以上、もう誤魔化せないだろう。

 「もう……どうしてわかっちゃうのかしらね」

 苦笑するレミリア。その顔には、どうしようもない寂しさがあった。

 「シオンも気づいているはずよ。きっとね」

 霊夢が気づいたのは、単に今までの話を統合した結果だ。霊夢ができることをシオンができないはずがない。少なくとも、既にある結果から新たな事実を発見する事くらいは。

 「十六夜咲夜という人間を利用した誰かは、きっとこうなることを予期していたのでしょうね」

 そうでもなければ、今のこの状況を説明できない。いや――本当は、フランを脱走させることすら、本来の予定には無かっただろう。そこだけが想定外、と言ったところだろうか。

 「三ヶ月という期間は、咲夜の力の限度。でも同時に、『安全に』繰り返しを行うための時間でもあった」

 強制的に繰り返しを行おうとすれば、どこかでボロが出る。だからこその三ヶ月。物の配置などの小さな事柄から始め、本人すら気づかぬ程度の記憶を忘却させていく。違和感を失くし、この繰り返しを続けるために。そして一定期間が過ぎれば――始点に戻る。

 誰も気づかない。気づけない。

 唯一気づけたのは、全てを破壊してしまうフランのみ。シオンが渡した制御石も、『本人に危険が及べば』勝手にその力を解放するため、やはり影響は出ない。

 (いえ、そもそも――)

 本当に、()()()()()()()()()()()()

 そんな思考が過ぎったが、余計な事だと切り捨てる。

 「その通りね。私は思い出していない。というより、思い出せるような生易しい物じゃない、と言うべきかしら」

 確かに咲夜の能力で行われたのは記憶の忘却だ。しかしそれは、削除と同時に()()()している。

 喪失ではなく、強制的な破壊。

 だからレミリアがシオンと、あの可愛らしい笑顔を浮かべるようになった直後のフランと過ごした日々を思い出せることは、もうない。二度と。

 「だから気になるのよ。何故穏やかでいられるのか。あの二人の間にあった出来事を、まるでわかっているかのように振る舞えるのか」

 「わかっているかのよう、ではなく、実際にわかっているだけよ」

 「――……その理由は?」

 答えは、わからない、としか言えなかった。

 ただ、心当たりはあった。

 「シオンの、能力、かしらね」

 レミリアの頭の中にある能力の説明と、今ある現状は全く結びつかない。それでも、何となく思うところはある。

 「多分だけれど、私と同じでシオンは、自身の能力を()()()()()()()()()。だからこそ間違った解釈をし、間違った能力を言っているんじゃないか――って。そう思うのよ」

 レミリアが二人の事を思い出したのは、『シオンの血を飲んで』から。つまり、シオンと直接的な接触を果たしたからだ。

 詳しい条件はわからないが、少なくともその直後に、『シオンから見た』フラン達の姿が見えたのだ。強ち間違いではないはず。

 瞳を閉じる。脳裏に浮かぶは紅魔館に来てからの彼。

 『――いない。どこにも『アイツ』がいない』

 霧を歩いた幼子は、求める人を見失った。

 『――異世界? あ、はは……なんだよ、それ。それじゃ、殺せないじゃないか』

 人は、感情が許容量を超えたとき、その場に合わぬ行動を取る。

 『――ごめんなさい。まだ見ぬ貴女を種に笑うことを、どうか許して』

 そして、彼は笑った。全く似合わぬ二つ名を付けられた少女を。

 『――もう、どうでもいい。だからこの命を、その子のために使おう』

 だから受け入れた。自らが死ぬかもしれぬ運命を。

 『――あともう一回だけ、頑張ってみよう』

 彼が紅魔館を去る時に思った、淡い想い。

 レミリアの中にある記憶。それは、()()()()()()()()()()()()だ。

 あの不敵な笑顔の裏にあった、絶望を。レミリアは見てしまった。

 瞼を開ける。そのレミリアの瞳には、心配の色だけがあった。

 だから、祈る。

 「いつかそれで決定的な間違いを犯さなければいいのだけれど――」

 

 

 

 

 

 元々『月』と『太陽』の話は、慧音とのふざけたやり取りから生まれたモノだ。

 上白沢(ワーハクタク)である慧音は満月を見る事でその力を宿す。そして慧音は『里の守護者』でもある。だから『月』が示すのは『里』となった。

 そして太陽とは、人に恵みを与えると同時に、日照りで作物を奪う『脅威』となる。だから『太陽』が示すモノは『危機』になった。

 遊びで作った言葉が暗号となり、それは二人の間に暗黙の了解を作った。

 即ち、里に危機が迫った時、それを誰にも知らせずお互いに悟らせることに使おう、と――。

 夜の帳が降りる里に足を着ける。

 今はまだ誰も活動していない時間帯だ。そもそも夜は妖怪が活発になる時間。よっぽどの愚か者でもない限り、里の外どころか家の外にすら出る者は稀だった。

 「静か、だね……」

 死んだような、と形容できる里の有り様に、フランは無意識に呟く。この光景が、かつて地下牢にいた時の静けさを思い出させるから。

 と、ふいに感じる手の暖かさ。見ると自分の手に重ねられた、シオンの手。

 「慧音は寺子屋にはいない。居場所はわかったから着いてきてくれ」

 手を握ってくれたのは偶然らしい。でもそれなら手を握る必要性はない。一度声をかければわかるはずなのだ。

 だけど、フランは聞けなかった。

 聞かなくてもいいと思ったし、何よりこの手の温もりを放したくなかったから。

 二人の歩く速度は速い。足の長さの関係もあるが、それでも大の大人が歩くよりは速かった。走ればもっと速くなるが、レミリアとの戦いで消費した体力を取り戻したいと思ったシオンが、歩くのに止めた。

 途中途中家の間にある僅かな隙間。そこから出来た迷路のような通路を通ってショートカットしていく。この隙間は里の住人であっても迷う程入り乱れているのだが、シオンはほんの少しの迷いも見せなかった。

 時々倒れそうになるフランを手で引っ張り、フォローしてくれる。たまに勢い余って抱きついてしまったのはご愛嬌だろう。

 「ご、ごめんね! なんか色々迷惑かけて」

 「いいよ別に。それにフランの力を借りる時があるかもしれないから、その時頑張ってくれ」

 ぶっきらぼうに答えるシオンは、どこか焦っているようにも見える。

 その理由は、慧音と出会ってからわかった。

 「――一体何が起こったんだ? 慧音」

 「シオンか。流石に背後から、気配を消して言われると驚かされる」

 そういう慧音の顔には非難の色はなく。むしろシオンが来たことに安堵していた。

 「とりあえず簡単な状況説明を頼む。あの暗号はあくまで知らせるだけで、内容はわからないんだから」

 「それは構わないんだが、その後ろにいる子は? どう見ても人間ではないのだが」

 「わ、私はフランドール・スカーレット。吸血鬼、です。シオンについてきたんだけど……」

 「……吸血『鬼』?」

 慧音がどういう事なのかと、シオンを見る。

 「フランは敵じゃない。少なくとも敵対する理由はないな。――それにしても『鬼』か。まさかとは思うけど」

 「予想通りだ。山から奴らが来た。それも大軍勢と言っていい程のな」

 苦々しく顔を歪める慧音。同時にシオンも顰めっ面を作る。

 「待ってくれ慧音。山から里に降りて来たってことは、まさか」

 「いるぞ。目と鼻の先にな」

 「―――――――――――――――クソッ」

 握った拳が震える。ついフランを握る手にも力を入れてしまい、後ろから痛ッ、という声がして冷静になった。

 「悪い、フラン。痛かったか?」

 「大丈夫だけど、一体何が起こったの?」

 「妖怪達が住む山から、来たんだよ。そこを支配する最強種が」

 それ即ち。

 「『鬼』が、来た」

 シオンの脳裏に、かつて退けた鬼の顔が蘇る。才能は凡庸だった。突出した部分も、恐らくないだろう。それでも驚異的だった。その身体能力と、圧倒的な耐久力という、ただその二点だけで彼らはありえない強さを誇る。

 「最悪な報せだ、シオン。私が見た限り、鬼の中でもほぼ天辺に位置するだろう『鬼の四天王』の内二人、里に来た。彼女達の強さならば、一人で里を数分以内に殲滅できるだろうな……」

 絶句する。慧音が言う『数分』とは、ただの数分ではない。

 この里は伊達ではない。妖怪が跋扈する幻想郷で未だ無事でいられるのは、それだけの強さを持つ者がいるからだ。それらを相手にして尚数分で終わらせるという宣言。

 「どちらにしろ、鬼が相手では分が悪いどころではない。彼らが大軍勢を引き連れてきたその時点で、私達は終わりなのだ」

 絶望するしかない。今まで築き上げてきたもの全てが奪われ、終わる。

 それでも、と慧音は強がりで浮かべた笑みを作る。

 「彼らは無類の宴会好きだ。酒を用意し、上手い飯でも作れば、一度くらいは何とかなるさ」

 逆に言えば、一度だけしか無理なのだ。

 「どうして一度だけしか無理だって言うの?」

 「ん、ああ、そうか。君は里に来るのは初めてか」

 慧音にはフランの姿を見た記憶がない。これだけ美しい少女だ。一度見れば、忘れたくとも忘れられないだろう。

 まるで生徒に教える先生のように慧音は答える。

 「里にある備蓄の問題だ。鬼はただでさえ大食らい。それの大軍勢。里にある食料全てを出しても足りるのか、想像できない。そしてそれだけの備蓄全てを使ってしまえば……」

 生き残れたとしても、明日をも知れない大量の浮浪者を出すだけだ。

 明日を捨てて今日を生きるか。全てを捨てて明日を生きるか。どちらを選ぼうと、意味はない。いずれ鬼はまた来る。ただの延命措置に、一体何の希望を持てばいい。

 「すまないな、シオン。せっかく作ったあの家も、全て無駄になってしまった」

 そう、あの家は里と山の間にある。宴の用意に最低半日かかるとして、鬼達はその時間余興とでも称して殴り合いというなの殺し合いでもしているだろう。その余波で壊れるはずだ。

 「もし全てが上手く終われば、また作り直そう。里の皆で」

 浮かべた笑顔は、全てを諦めたそれだった。

 その顔を見て、シオンが言うのは激励か慰めか、それとも同意か――。

 「無理だな」

 拒絶、だった。

 「……どうしてだ」

 裏切られた、というように顔を無に染める慧音に、

 「()()の問題だ」

 「――――――」

 カネ。……金?

 思考が停止する。逆にフランはああ、と納得していた。多少レミリアの元で学んでいた時に、お金の大切さを学んでいたからだ。

 「忘れたか、慧音。あの家を作るために支払われた金は――全部、俺の自腹だってことを」

 より正確には、シオンが幻想郷に危機に陥ったとき、それを解決する、という条件で請け負った依頼の報酬、だが。それも無限ではない。

 霊夢に生活費としての資金を一括で渡したあと、残った全てを家を作るためにあてた。要するに残金など残っていない。

 そもそも何故あそこまで里の人達が協力的になっていたか。それは、とても単純な事だった。

 「――この里の浮浪者。それがどうやってできたのか、慧音はよく知っているだろう?」

 わかっている。彼らは全て、『奪われた』人間なのだと。

 里の外縁にいる人達は、かなりの危機を孕んだ生活を送っている。当たり前だ。内と違い外は妖怪に襲われる可能性が段違い。

 だから彼らは、失った。住む家を。家族を。今までの生活にあった全てを。

 里で当たり前の生活をしている彼らが浮浪者に対してイヤそうにしていても決して追い出したりしない理由が、それだ。

 いつか自分も――そんな未来が、見えてしまうから。だからしないし、できない。そうした結果自分も同じ目にあったら、きっと彼らは受け入れてくれない。

 呉越同舟、という言葉がある。大きな目的の前になら、多少の悪意や隔意を超えて協力するということ。あれだけ恐れていたシオンの提案を呑んだのもそれで、目的は受け皿を作るため。

 里の外にある、というだけでかなり危険だが、人並みの生活を送れるならと目を瞑った。職人を頼って頑丈な家を作り、里の外故に有り余った土地を利用して田んぼや畑を作り、里で店を営む人に差し入れをしてくれるよう頼み。少しずつ少しずつ生活の基盤を作った。

 どれだけの金が消えたか。シオンが木材を用意したりしたのも、彼らを雇う期間をそう多く取れないがためだ。

 だから、できない。金が足りない。雇いなおすなど不可能。慧音の言葉は叶えられない。

 ――と、言うのは()()()

 慧音には言わなかったが、里の人達が持つ恐怖感は相当な物だ。恐らく彼らの危機に対する敏感さの裏返しなのだろうが、だからこそ絶対にできない。

 慧音の案は、大前提として里にいる人間全員の協力が必須だ。そして、そこにいる人間が大勢いればいるほど、全員の意思を固めるのは不可能になっていく。

 土台無理な話なのだ。里の人間だけで『鬼』に挑むなど。

 「勝つどころか一時的に追い払うことさえできない。その前に里が割れる。そして終わるだろうさ。――自分達で殺し合って」

 「だったら――だったら、どうすればいいッ!」

 遂に慧音がキれた。ストレスで。自身の願いを否定されて。

 「私にできるのはそれくらいしかないんだッ、力もなく彼らを退かせるための案すら出せない、その程度の――弱虫に。……どうしろと、言うんだ……」

 彼女は里が好きだ。そこに住む人達が大好きだ。ずっと一緒に生きてきた。老夫婦も店を開いた男女を幼き子供を生まれたばかりの赤子を、傍で。

 血の繋がりはなくとも、大切な人達。それが全て奪われる。これ程の恐怖なんて、ない。

 (私は『先生』なんだ。助けたい。絶対に、何があっても。だから、だから)

 「何があっても、助けたいんだな?」

 「え……?」

 涙で滲む視界の中で、シオンが笑っているような気がした。

 「フラン、行くぞ」

 「はいはーい。……ほんと、優しいよね、シオンって」

 「慧音があそこまで言うんだから、そのためだ。誰かの為に優しくなれる人くらいは、助けたいからな」

 「ふふ、なら私はそんなシオンを助けてあげる。何でも言って? 手伝うから」

 「少なくとも今はいらないな。その内頼むよ」

 行ってしまう。二人共。

 「ま、待ってくれ! 一体何をするつもりなんだ!?」

 「んー?」

 シオンは一度振り返り、ヒラヒラと手を振りながら、言った。

 「ちょっと、()退()()に行こうかな、と」




もーしわけありませんでしたッッッ

テスト一週間前→テスト→文化祭準備→文化祭→片付けとハードスケジュールで、月曜日に書こうと思ったら疲労ピークでダウン。
かといってこれ以上放置は嫌なので、仕方なく今日投稿に。

それにしてもやーっとこさ書けました。
即ち! シオンの本当の能力は全くの別物だったのだ――!
……と言う伏線。
この時点でわかったら正直バケモンです。黒陽と白夜使える理由とかもわかったら脱帽です。
能力については――まぁ、次の次の次辺り、でしょうか?
なるべく早く出せるよう頑張ります。


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危機への伏線

 ――『鬼退治』

 シオンは確かにそう言った。呆然としている間に既に慧音の前から姿を消した彼の真意を問いただす事はできない。

 だが、何をしようとしているのか、大雑把にだがわかってしまった。

 無茶だ、とは思う。実際シオンはここに来る前からボロボロで、一体何をしていたのかと感じた程だ。聞けなかったのは、単に慌てすぎて他の事に目を向ける余裕がなかったから。

 「頼むしか、ないのか」

 このまま何もせず、里の危機を任せっきりにして。

 「いいや、そんなことはできない」

 慧音に戦闘能力はない。霊夢と比べることさえできない程だ。足元にすら及ばない。

 しかし、なお。里で生き続けたが故の人脈が、少しはある。それを使って医療準備を整える。鬼と戦ってシオンが無事で済むとは思えないからだ。

 後は医者だ。それも、信用ではなく、心の底から信頼できるほどの腕を持つ医者。

 「永琳しか――彼女しか、いない」

 彼女ほどの腕前を持つ者ならば、この世の誰よりも信じられる。

 罪悪感も、事前にどうにかできなかったのかという後悔はある。それでも慧音は歩みを止めようとは思わない。できる、できないという問題ではなくなったのだ。

 里の者には申し訳ないが、全員叩き起こさせてもらおうか――。

 

 

 

 

 

 ――『鬼退治』と聞いて思い浮かべるものは、果たして何か。

 八方塞がりになっていた慧音の思考をついたのは、反対意見を聞くつもりがなかったからだ。慧音の様子から一日程度は猶予がありそうなので、とりあえず体調を整える事を優先する。

 「でも、このあたりで休憩できる場所なんてあるの?」

 「ちょっと遠いけど、一応な。どっちかというと栄養補給したいだけなんだが」

 里の外周をグルリと回って全く別の方向へ向かっているシオン。紅魔館の外から出たことがないフランにとって外の景色は珍しく、先の件が解決した事が故に焦りから解放されたことも相まって、見る物全てが面白い、といったようにキョロキョロと周辺を見渡している。

 そんな二人の歩みは、速い。ただの人間からすればコマ送りのように見えるだろう。シオンの場合は荒地を進む事に慣れている事から。フランは身体能力にモノを言わせて強引に。両者異なってはいるが、異様な光景であるのに変わらなかった。

 時間があればもっとゆっくりでもよかったのだが、フランの動体視力をもってすれば普通に歩いているのとなんら変わりないようで、そこは助かった。

 まぁ、例え文句があったとしても、フランがそれを口にするのはありえないだろうが。

 ふいに景色が移り変わる。

 緑色、という点は変わらない。だが生えている材質が全くの別物になっていた。

 「……なにこれ?」

 恐る恐る触ってみる。硬い。が、柔らかい。力を込めると少しだけ曲がり始めた。もう少し力を込める。離す。ビーヨン、と揺れた。

 次にコンコン、と叩いてみると、反響。まるで中身が空洞のようだ。もう一度力を込めると、今度はあっさり壊れた。

 目をパチクリさせながら、フランは思わず呟く。

 「これ、植物……なの?」

 「()だな。一応色々な用途があるんだけど、今回の目的はこれじゃない」

 あくまで目的地に生えているだけの代物だ。

 そして幻想郷に竹が群生している場所など、一箇所のみ。

 『迷いの竹林』、そこがシオンの目指した場所だった。

 天然の迷路であるこの場所を、シオンは迷いなく突き進む。後ろをついてくるフランなどはもう訳がわからないといったように目を白黒させているのに、だ。

 「シオンは道が分かるの? こんな獣道より酷い道なのに」

 「多少は、まぁ。落ちてる石だとか、踏んでる土の感触と……あとは頭の中にある地図を使ってるだけ」

 「頭の――地図?」

 「迷いの竹林を上から見た図だよ。範囲はわかってるから、どこから入ったのか、がわかれば大雑把に計算して答えが出せる」

 とはいえ迷いの竹林は鈴仙が一定毎に道のりの距離をデタラメにしているため、定期的に歩き回って落ちているモノなどを逐一目印にしないとすぐにどこにいるのかわからなくなってしまう。その点今はまだいくつかアテになるモノが落ちているので助かったと言えるだろう。

 と、そこでシオンは足を止める。よそ見をしていたフランは顔を背中にぶつけてたたらを踏んだが、それを気にする事なくシオンは前を凝視していた。

 ひょこ、とシオンの肩から首の先を出してそこを視認。

 真っ先に目が向いたのは――ウサギの耳。次に黒い髪と同色の瞳。そしてピンク色の服と――背中に背負った、全く似合わぬリュックサック。

 「何やってるんだ、てゐ?」

 「え? ――って、シオン!? 出て行ったんじゃなかったの!?」

 「ああ、久しぶり。って程でも無いか。ちょっと出戻り。師匠はいるか?」

 「師匠? ……あ、そっか。永琳か。一応いるけど、用があるなら私が聞くよ?」

 ボロボロの服を纏ったシオンを見てもてゐは眉一つ動かさない。まるで見慣れたモノを見ているかのようだ。

 事実、そうなのだが。永琳との修行は、後半から最早どちらかが死に体になる――永琳はその体質上、もっぱらシオンだけが――事が多く、この程度なら軽傷、というヘンテコな認識が植えつけられていたりする。

 が、フランにはそんな事情、はっきり言ってどうでもいい。

 何より重要なのは、この外見『だけ』少女なてゐというウサギから、嫌な感じがするのだ。それも、自分にとって嫌な気配。

 相手もそう思ってるのだろう。フランに対してどこか嫌悪に近い感情を向けてくる。唯一間に挟まれた形のシオンだけが普通だった。

 「単純に栄養補給。カプセルとか粉末とか、なんでもいいからエネルギーになるモノが欲しい」

 「そういえばシオンの体って、スッゴイ燃費が――うん、わかった。ちょっと待ってね」

 言うとてゐはスルスルと竹の間を移動していく。その速さはシオンがこの竹林を歩く以上。それほどまでに彼女は竹林の形状を理解している。

 例えここが、日々移りゆく惑いの迷路なのだとしても。

 さててゐは十とかからない時間で戻ってきた。その両腕には風呂敷か何かで包んだ大きなモノを持っている。いや、この表現は正しくない。

 正しくは、大量のモノを包んだ袋を持っている、だった。

 てゐは風呂敷を地面に置くと結びを解き、広げる。中にあるのは大量の葉っぱ。

 「シオンはユーカリの葉っぱを食べるコアラじゃないよ?」

 「言われなくてもわかってる。知識がないなら黙って見ててくれない?」

 どこか険のある二人のやり取り。しかもこの二人は並の力の持ち主ではない。その気になれば周辺一体を更地にできるのだ。

 そんな二人の、危なっかしすぎる口の利き方を無視して、シオンは白夜で仮初の床を作る。

 「目には見えないけど、床を作った。立ってるのも面倒だろ? ここに座れば汚れることもないから、遠慮しないで」

 そういっていの一番に座って例を示す。二人の間に飛び交う火花などわかってないかのように。実際にわかってないのがシオンだからタチが悪い。

 毒気を抜かれて二人はため息を吐き、じゃあ、と見えない床に座る。

 座り心地は悪くない。むしろいい。どうやら二人にあった椅子のような形にしているらしく、さりげない気遣いが見て取れる、が、いつのまに()()()()を把握したのだろうか。

 結局聞けなかったが、答えは『気配で』わかったとしか言えない。視認して、気配の形からおおよその形状は予想できる。無駄な技術の一つだった。

 とりあえず座った三人。その後てゐはシオンに頼んで、ボウルのような形のモノを空中に用意してもらう。透明なため視認しづらいが、コンコンと叩くと確かにそんな形の物体がある。

 てゐは先ほどの風呂敷に置いてあった葉のほぼ全てをボウルの中に放り込むと、リュックサックの中に入れてあったのだろう棒のようなモノで磨り潰し始める。人間ならば無理だろう量を、一気に、ゴリゴリと。

 と、その間フランはてゐの動作を見ていたが、シオンは風呂敷に残った残りカスを何とはなしに眺め、一枚を手に取る。

 「なぁてゐ。これってさ、一枚だけでも効果はあるのか?」

 「あるよ? というか、用途次第じゃそれ一枚だけで作るときもある。もちろん、組み合わせた方が効果は高いけどね」

 「ふーん。ならま、いいか」

 「いいって、何を――……!?」

 振り向くてゐが見たのは、パクリと()()()()()()()シオンの姿。シオンの突飛な行動に慣れているはずのフランも目を丸くしている。

 そんな二人を無視してシオンはムシャムシャと音を立てて葉を食い千切る。顔をしかめ、かなり不味そうに。

 「え、っと……確かにそっちの方が効能はいいかもしれないけど、美味しくない、よ?」

 「食べられないほどじゃない。木の根っ子よりは食べやすいし、土の味も混ざってないから、うん……イケる」

 何が!? と言いたかったが、シオンは先と打って変わって無表情になって食べる。その顔を見て、ふと気づいた。

 シオンにとって、急を要するほどに焦っていることがあるのだと。

 必要があるのなら待つ。急かさない。急かしてデキの悪いモノやコトにならないように。シオンはそれができる人間だ。

 そして急を要することがあっても、他者にまでそれを強要しない。あくまで自分のみ。それでどれだけ迷惑を被ろうと、許容する、できてしまう。

 だから余計心配になると、シオンはわかっていない。

 てゐは諦めの境地に達すると、急いで葉を磨り潰しにかかる。フランも無言で手伝い始めた。てゐはともかくフランは吸血鬼。腕力なら相当な彼女の力もあって、すぐに潰し終える。

 次はてゐが永琳に言われて取っていた様々な葉を使う。

 「もしかしてこれ、薬?」

 「気が遠くなるほど永琳と一緒に暮らしてると、なんとなく学んでみようかな、と思った時期があってね。にわかだけど」

 とはいえ、暇つぶし程度に習った事といえど、数年あるいは数十年仕込み。多少なら自分一人で作れるくらいの知識はあるし、難しいモノでも永琳の助手の真似事くらいはできる。あまり興味が無くてそんな事は一切してこなかったのだが。

 「……いいなぁ」

 ふと、フランの口からそんな言葉がこぼれる。

 「何がいいの? 言っておくけど、私は才能がない方なんだからね」

 「あ、そういうんじゃなくて。色々学べる環境にあったのが、羨ましいなって」

 「あんた、何言って」

 言葉を止める。

 (……なんて、顔を)

 本当に、心底から。

 羨ましいと、滲み出したような笑みを浮かべるのは、やめてほしい。

 まるで目の前にいる吸血鬼は、サイテイサイアクな人生を歩んできたのかと、そう思ってしまうから。

 てゐにとってシオンは憧れに近い。その憧れの形すら漠然としたものに過ぎないが、だからこそわかる。

 ああ、この娘はシオンに恋してるんだな――と。

 未だ想いが定まらないてゐがシオンに向ける想いは執着に近い。だから、ここは譲ってあげることにした。

 「これ作ったら、渡すのはあんたがやって。私は永琳に言われた薬草とか集め直さないといけないから」

 「……嘘だよね? 手渡すくらいの時間はあるはずだもん」

 鋭い。

 てゐは苦笑し、コツンとフランの額を叩く。

 「年長者の好意は素直に受け取りなさいな」

 ついでどこから取り出したのか、何かが入ったコップを手渡される。

 「ジロジロ見なくても、単なるジュースよ。手伝ってくれたからそのお礼にね」

 好意として渡したものだと、てゐは言う。

 天然一〇〇パーセントジュースだからきっと美味しい、と。

 いくつかの材料を適当に放り込み、混ぜる。本来ならば加熱したり仕分けしなければならないモノも混ざって――そうしなければ毒が残っていたり、余分な効果が入ってしまったり――いるのだが、シオンの体質を知っているてゐは気にしない。

 そうして数時間かける作業を数十分で終わらせたてゐは、それをフランに任せた。

 「――ほら、これ。大量にあるから容器に移したりして運ぶのは無理かな。あ、そうだ。そこで葉っぱムシャムシャ食ってるシオンに()()()()()()って言っておいてね~」

 口直しさせにまた後で来るけど、ニシシ、とイタズラ気な笑みは何を思ってのコトなのか。フランには察せられず、彼女が去るのを見ているしかなかった。

 残ったフランは、てゐの言いつけ通りにシオンを呼ぶ。

 「薬、できたよ。でも移動させられないし容器とかに移せないからそのままなんだけど、どうしよう?」

 「ん、大丈夫。うまく形を変えれば……」

 ある意味凄まじいまでに毒々しい緑色の液体を前にしても顔色一つ変えず、冷静にボウルの上に細長い管を作成。ストローのような形にし、口に含む。

 飲む。透明故に緑色の『ナニカ』が移動していく様は見ていてとても痛々しい。

 フランは視線を逸らす。信じられない音が聞こえてきた。

 ゴキュバキュベキガリュジュク――およそ液体を飲んでいるとは思えないその音。フランはその光景から必死に目を逸らし耳を塞ぎうずくまる。

 数分後。ゆっくりと振り向き、ボウルが空になっているのを確認。

 「シオン――大丈、夫?」

 全くもって大丈夫だとは思えなかったが、シオンの肩に触れて揺する。

 「え、シ」

 オン、と名前を呼ぶ前に、グラリと体が揺れてフランのいる方に倒れこむ。

 「きゃぁ!?」

 唐突過ぎたのと、驚きで身を硬直させていたフランは支えることすらできずに押し倒される。それすら気に留めずすぐにシオンの顔色を見るが――悪い。凄まじく悪い。

 体質的に薬物毒物問わず一切効かないのを考えるに、その線は薄い。

 ――渡されたジュース。

 ――口直し。

 ――良薬は口に苦し。

 と、いうことは。

 「もしかして、スッゴイ不味い……?」

 それこそ、シオンが耐え切れない程に不味すぎるのなら。少量なら耐えられても、アレだけの量を摂取すれば。

 不意にてゐのイタズラ気な笑顔を思い出す。何かを狙った、あの表情。

 そして、『無理しないで』という言葉。

 「もしかしてシオンって、疲れてるの?」

 だからこそシオンでさえ耐え切れない程の『味』でもって無理矢理気絶させ、眠らせる。その時の無防備なお姫様(シオン)を守る騎士(フラン)もいる。お節介だとわかっていても多少の無理を通したかった。

 本来ならその役割はてゐが担うはずで――だがそれを、フランに譲った。普段のてゐをよく知る人物なら、相当驚くだろう。

 勝てないなぁ、と思わされた。シオンが疲れていることなど一切気づかない自分に呆れ、気づいたてゐに嫉妬する。譲ってくれたのは何故だろう。そんな事にも気づかないのかと叱咤しなかったのはどうしてなのか。

 そんな疑問も、目の前にグッタリと力なく横たわるシオンを眺めていたら消え去った。代わりに頭に浮かんだのは、本で見た文章。

 「いい、よね。うん。誰も見てないし、それにこんな体勢で寝ると体を痛めちゃうし」

 シオンはこの後鬼と戦うのだ。少しでもリスクは減らすべきだろう、うん。

 なるべく石や葉っぱが少ない場所にシオンの体を横たえさせる。白夜の力で作った床はシオンが気絶した時点で消えている。多少汚れるのは仕方が無かった。

 最後にフランはシオンの頭の上に移動し、正座を作る。その上にシオンの頭を乗せた。

「………………………………………………………………………………………………………………」

 なんとなく、気恥ずかしい。

 そう思っていても手が勝手にシオンの頬や髪を撫でてしまう。傷がついた頬の血をそっと拭い、バラバラに崩れた髪を整える。そうやって遊んでいると、ふいにフランの手にシオンの手が重なった。

 「――ね……え――さ……」

 その呟きが示すのは、きっと自分(フラン)ではない。もっと大切で、シオンという人間を形成する上で欠かせない人物が、その言葉に宿る意味。

 「私はまだ、シオンにとってそこまでの人じゃないんだろうね」

 でも、いつか。

 「いつかきっと、私はシオンにとっての『それ』になってみせるから――」

 それが叶わない夢だと知らぬまま、フランはこの眠れるお姫様に誓った。

 

 

 

 

 

 咲夜と美鈴を部屋に運び治療を終え、一息吐いたレミリアと霊夢。

 「言っておくけど、ただ働きじゃないわよ? ちゃんと報酬は貰うからね」

 「わ、わかっているわ。でも――あなたが言う食材がある場所なんて、私は知らないのよ」

 お嬢様らしいセリフに、霊夢は知らずため息を吐き出す。

 さっきもそうだった。運ぶのは手伝ってもらえたが、治療を施したのは全て霊夢。レミリアはただ見ているだけだった。

 いや、手伝ってもらおうとはした。ただその度に色々なモノをブチ撒け、それを掃除しようと何かを倒し、それを戻そうとしたら――とエンドレスで色々やらかしてくれた。

 結局部屋を移し替えて後始末は咲夜に任せようと全てを丸投げし、残りは全て霊夢がやった。普段はここまで酷くはないらしいが、全く信用できなかった。

 とはいえわからなくもない。つい先程までレミリアは戦闘していたのだし、その内容も察して余りあるものだ。だからこそ愚痴を言いつつ手伝っている。

 「で、私はそろそろ帰るわけだけど。あんたはこれからどうするわけ?」

 「そうね。ちょっとパチェに頼み事、かしら」

 「なら魔理沙に伝言頼めるかしら。一度里に顔を出せって。――多分、危険な事が起こる。それもかなりの」

 どんどん勢いを増していく警鐘。それは未だかつてない程の予感。当たって欲しくないほどのそれは、霊夢の知る最悪よりも更に下回る。

 解決できる目安はある。それだけが救いだが、何故だろう。

 (よくわからない。でも、その()()()があるような気がする)

 だから先に行動しておく。ジッとしているのは性に合わないのだ。

 「伝えておくわ。……私も後で顔を出すから。きっとね」

 「そうしてちょうだい。力を集めておくのは、無駄じゃないだろうから」

 玄関から出るのも惜しいとばかりに窓を押し開き、外へ飛び出す。

 今から行って神社へ寄り、そこから里に行くまで、何時間かかる事か――。

 

 

 

 

 

 レミリアは地下へと足を向ける。元からパチュリーの元へ行くつもりだったので、魔理沙への伝言はそのついで。

 途中の通路の壊れっぷりに唖然とし、開きっぱなしの図書館への扉に呆れ、次いで魔理沙とパチュリーの魔法使い特有の話に頭を抱える。

 「あ、レミリア様。パチュリー様に何か御用で?」

 最初に気づいたのは本の整理をしていたのは小悪魔。あの二人の周りに散乱している本を考えるに、必要な本を集め、いらぬものを片付けていたのだろうか。

 「大変ね、あなたも」

 「ええ、まぁ。ですが使い魔として主に必要とされるのは、嬉しいですから」

 にっこりと満面の笑み。本当に喜びに溢れている小悪魔。従者としての面目躍如といったところか。眩しい限りである。

 「それで、レミリア様。主に何かご入り用で?」

 「ついでにそこの金髪の魔法使いにもね」

 ピシッ、と魔理沙を指差す。

 「んぁ? あー、確かレミリアっつったっけ。私になんか用か?」

 「用っていう程でもないわ。霊夢からの伝言をそのまま伝えるわよ。『一度里に顔を出せ。――多分、危険な事が起こる。それもかなりの』と。ちゃんと伝えたからね?」

 刹那、魔理沙の視線が鋭く尖る。それも一瞬のこと、すぐにいつものヘラヘラとした笑みを浮かべ直した。

 「おう、伝えてくれてありがとな。すまんパチュリー、行かなきゃいけないとこができたから、今日はここまでだ」

 「わかったわ。この話の続きはまた後日にしましょう。楽しみにしているから」

 「お前の魔法理論は興味深いからな。私も楽しみだ」

 「あなたの知識も中々面白かったわ。またね」

 ひらひらと手を振って背を向け去りゆく魔理沙を見送る。

 「珍しいわね。あなたがそこまでするだなんて」

 「彼女は一人前の魔法使いよ。礼儀知らずはともかく、相応の魔法使いには相応の礼儀でもって話すべき。それだけのこと」

 レミリアが言いたいのは『パチュリーが一人前と認めた』という事実なのだが、この眠気(まなこ)の親友は気づかないだろう。

 「それで、私に何か用があるのでしょう? 魔理沙との話を本にまとめておきたいから、なるべく手短にお願い」

 ……それでいてこういった事には鋭いのだから、本当に。

 「前にフランの能力を抑える術式を頼んだでしょう? アレの取り下げにね」

 「でしょうね。彼女にはもう()()()()わ。それだけかしら?」

 「いいえ。後一つ、お願いがあるのだけれど――」

 優しき姉は、愛する妹と、その想い人のために行動する。

 

 

 

 

 

 「で、(サク)。ホントにあんたを簡単に退けた人間なんているのかい?」

 「ええ、います。少なくとも私はあの時油断しておりませんでした」

 「ふ~ん。ま、あんたの基準と私の基準は全然違うから、期待せずにいようか」

 朔と呼ばれた、角の生えた若い男の眉がピクリと動く。

 わかりやすい反応だった。自分が認めた人間が貶されていると感じたのだろう。本当は、期待しすぎてそれが外れた時落胆しないようにという予防線だったのだが、伝わらなかったらしい。

 その若さに内心でクククと笑っていると、後ろから最早聞き慣れた声が飛んできた。

 「言っておくけど、期待通りの相手だったら一人占めになんてさせないからな?」

 「萃香」

 鬼の中でも最強に近い自らと同格の力を持つ鬼の名前を呼ぶ。

 どこから現れたのか。一瞬前まではいなかったはずの場所に、小さな女子(おなご)が立っていた。

 どことなく薄みの茶色いロングヘアー。その長い髪の先っぽを一つにまとめている。その手には伊吹瓢――と、本人が言っている――という紫の瓢箪が握られている。

 中身は当然酒。今もんくっ、と一呑みし、顔を赤く火照らせている。それよりも赤い真紅の瞳は酔いが回ってか潤んでいる。不釣合いに長くねじれた二本の角も少しだけ緩くなっているような気がした。

 白のノースリーブに紫のロングスカート。そしてなぜか腰から鎖で繋げている三角錐、球、立方体の分銅を吊るしている。

 酒を呑んで気分がいいのか、口元は弧を描いている。しかし潤んだ瞳の奥に見える真意を、自分が見逃すはずがなかった。

 「約束はできないねぇ。私達の『ルール』を忘れたかい?」

 「む。なら条件だ。その人間とやらが指定した場合無条件で相手に譲る。それでどう?」

 少し考える。『ルール』から考えて、早い者勝ちというのが普通なのだが――。

 「別に構わないよ。あんたと私の仲だしね」

 確かに愉しみは欲しいが、こうしてバカをやっているのも楽しい。それに、このフラストレーションが溜まりに溜まっている友人に譲るのもやぶさかではなかった。

 「そういや契約期限まで後何日だっけ?」

 「酒の呑み過ぎじゃないか? 後二日、というところだよ」

 ベベれけになっている萃香に呆れてしまう。千鳥足気味の萃香を放って足を前に向ける。

 この二人が一足先にここに来たのは、迷いの竹林でとある人間と出会ったという朔の話を聞いたためだ。

 曰く、『強い』と。

 それだけで十分だった。どんな人間で、どんな戦い方をするかなんて関係無い。強いか弱いか、その単純すぎる真理のみが重要で、それ以外は瑣末。

 とはいえ少し早すぎたかもしれない。上役が勝手に結んだ契約とは言え、強い者に従うのが鬼のルール。契約とは約束だ。嘘を吐かない鬼にとって、約束とは絶対に破ってはいけないモノ。特に萃香などはそれが顕著だ。

 契約内容が内容のため、ある程度近づいたらそこで期限が切れるまで待つつもりだ。そのためにわざわざ荷物持ちとして鬼の大群を引き連れてきた。

 それが保つかどうかは別として。

 「――ん?」

 ふと、視界の先に仄かに青く光る何かを見つけた。

 「萃香、アレが何かわかるかい?」

 いつの間にか肩に引っ捕まってふよふよ浮いている萃香に聞く。体重はほとんど感じなかった事から、恐らく能力で体重を散らしでもしたのだろう。

 萃香は酒を呑むのを中断し、自らが指差した方向を視る。

 「単なる結界っぽいねー。ぶん殴って力尽くで破壊すれば?」

 「へぇ。そりゃあいい。わかりやすくて」

 そう。それくらい単純なくらいがちょうどいい。

 凄絶な笑みを浮かべ、結界へ近づく。試しに触ってみるが、固くは無く、かといって柔らかすぎるほどでもない。所謂()()()()とやらでも触っているかのようだ。

 が、そんな事はどうでもよかった。

 これをぶち破る程度、余興に過ぎない。もう目的地に辿り着いたも同然と、腰に吊るしてあった瓢箪を取り出し呑む。

 そして適当に――裏拳を放つ。

 恐らくかなり複雑に作ったであろう結界が、一撃で粉々になる。が、破壊した本人はどこか拳に違和感があった。

 ――壊した実感が薄いねぇ。細工でもしてあったのか?

 見ると、ほとんど地面が抉れていない。いつもの調子で殴ったから、ある程度の被害が出ていなければおかしいのだが。

 「こりゃ、遠距離での打ち合いに期待できそうだ」

 魔導には詳しくないが、これだけの術式を使える人間がいるのなら、多少やりあえるだろう。近接戦闘よりは楽しくないが、久しぶりの鬼同士以外での戦い。楽しんでなんぼだった。

 「今から二日間、休憩に入るよ! 各々好き勝手に遊んどきなッ!」

 言うが早いが、近場にあった木を背に酒を呑む。

 ここから始まる『遊び』に、無意識で心躍らせながら。




誠に申し訳ありません!
書き始めたらなんか異様に長くなりすぎて1万文字超え出しても終わらなくて。で、それなら一週間休んでうまく分割した後2話構成にしようか――とか思ったのにそれでも終わらなくて2万文字超えそうになってでも終わらなくて。

次回は今度こそ2話構成にできるようにして一気に投稿できるといいなぁ……(遠い目

適当ですいません。

で、でも今までより深く考えて――知人から色々東方の設定聞いてみたりして――いるので少しだけマシになっている、はず!

低クオリティな上にちょこちょこ休んだりしてますが頑張りますので、何卒応援をよろしくお願いします。


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ちょっとした提案

 ――懐かしい、夢を見た。

 膝枕をされて、一緒に夜の星を見上げた頃の記憶を。

 『シオンは今、幸せ?』

 『いきなり何? ……幸せだよ。姉さんとこうしてる今は』

 『うん。私も幸せ。シオンもそう思っててくれてるなんて、嬉しいな』

 『なら他の疑問なんていいじゃないか。俺は姉さんが傍にいてくれればそれでいい。他に欲しい物なんてない』

 そう言うと、姉さんは何故か苦笑していた。

 『シオンは知らないだけだよ。いつかきっとわかる時が来る』

 『どういうこと?』

 『あなたの持つ力は大きい。それをどうするかで、シオンの将来は変わっちゃう。それがとても心配』

 答えているようで、答えていない。眉根を寄せたところに、姉さんは人差し指を当てた。

 『ふふ、やっぱりわからないか。……あなたはきっと、色んな人から色んな感情を向けられる。憧れ、嫉妬、羨望、憎悪、恋慕、他にも。シオンの力を利用とする人が』

 でも、と姉さんは言う。見上げた顔は笑っていて。頬を撫でる指は優しくて、くすぐったい。拒むように、あるいは受け入れるように手を伸ばすと、天邪鬼みたいに距離を取って、今度は頭を撫でてくる。

 『あなたを慕う人が、きっといる。それが力なのか、シオン自身なのかはわからない。でもね、もしその人が、『シオン』という人を想って傍にいてくれるのなら』

 その人を、絶対に守ってあげるのよ――

 

 

 

 

 

 ――遠い昔のようで、たった一年くらい前の出来事。過去と現在の中で、最も幸せだった頃の記憶。殺すために力を振るうのではなく、守るために力を使いたいと願っていた頃の追憶。

 目を開ける。見えたのは安らかな寝顔。それが夢に出たあの人との顔とダブる。

 「……姉、さ」

 ん、と言おうとして、その寝顔は違うと悟る。

 金色の髪は微かに揺れていて、真紅の瞳は閉じられ見えない。安心しきったその顔に不安は見えず、まるで母親に抱きしめられているかのよう。

 右手はシオンの髪を、左手は頬に触れていて、撫でていたのだろうかと思ってしまう。そこで気づいた。膝枕をされているのだと。

 人の後頭部は意外と重い。吸血鬼であるフランでも、長時間正座したまま膝に頭を乗せていれば疲れるかもしれない。そんな理屈を抜きに、何故かシオンは恥ずかしがる小さな子供のように急いで、且つフランを起こさないよう静かに身を起こす。

 ――……ありがとう、フラン。

 声には出さず、口だけで言う。

 懐かしい夢を見たのは少しだけ悲しいし辛いが、それ以上に幸せだった。姉さんが『■■■』でから、当時の記憶はほとんど思い出そうとすらしなかったから。

 「少しは立ち直れたのかな。姉さん」

 フランの唇の端にかかっていた髪を手の甲で払う。今の自分はどんな顔を浮かべているのだろうか。笑っているといいなと、心の片隅で思った。

 立ち上がり、周囲を見渡す。気配を探るが、特に驚異となるものはいない。

 ――てゐは、帰ったのか?

 ふと、驚異にならないからと後回しにしていた違和感に近づく。

 念の為に警戒しつつ近づくと、置いてあったそれはなんの変哲もない箱。その上に置いてあった紙を手に取り、開く。罠は無かった。

 手紙には、丸っこい字でこう書かれていた。

 『目を覚ましたら、その子と二人で口直しに食べてね。不味い薬を飲ませちゃってごめんなさい。あと、フランって子を責めないであげてね。私が睡眠薬を飲ませたせいだから。――P.S 病弱だった子のだから焼いたほうがいいかも』

 簡潔なその文章を見て、あの筆舌にしがたい味と感触を思い出す。てゐならきっと変なモノは作らないと信じて飲んだが、終えた後には連戦による疲労と痛みの後遺症による幻痛によって気力が完全に尽き果て気絶した。鈍っていると痛感させられた出来事である。

 とはいえ口直しの食べ物は素直に嬉しい。未だに口の中がカオスなのだ。箱を開ける。

 それと、元々フランが眠っていた事を責めるつもりはない。彼女とて疲れているのだ。特に大切案姉達の変貌は相当精神に負担をかけただろうから。

 中に入っていたのは、子うさぎの死体――を、解体したと思われる肉。見た限り血抜きも内蔵などの処理も済ませてある。

 適当に燃やせるモノを集めようかと思ったのだが、箱の中にそういった物が入っていた。準備して火を灯す。

 燃え広がったら黒陽で肉を適当に切り分け、白夜で適度に穴を開けて作った薄い板のようなモノの上に乗せる。確か焼肉、だったか。

 焼いている間に使い捨ての箸と皿を取り出しておく。

 「ん、んん~~……?」

 と、焼いている音か、はたまた匂いに釣られてか。起きて眠たげに瞼を擦りながら欠伸をしているフランがいた。

 それから数秒。どこか生暖かい眼で見られている事に気づき、先ほどの自分の行動を思い出して顔を真っ赤にするフランが、そこにいた。

 「うぅ~~~!」

 「そう唸ってないで落ち着けって。悪かったとは思ってるからさ」

 「う~う~!」

 全然わかってない! と頭を振るフラン。困り果てたシオンは肉を引っくり返し、ふと思った事で行動に出る。

 「フラン、こっち向いて」

 「う?」

 「ほい」

 「う“!?」

 フランの口に肉を突っ込む。口から箸を出す。即座に文句を言おうとしたフランだが、口の中に食べ物を入れている状態では行儀が悪いと素直に食べる。

 その間に新しい肉を並べ、ついでに焼き終えた物をパクパク食べる。ちなみに味はある。結構な量の塩が付属していた。てゐは気の利く少女(オンナ)である。

 食べ終えたフランを見る度にタイミングを狙って肉を突っ込む。文句を言おうとしては肉を食べさせられ、食べ終えて口を開いてはまた――と繰り返され、最終的に親から食べ物を分け与えられるヒナ鳥のようになっていた。

 羞恥心? そんなもの寝起きのズボラなところを見せられてゴミ捨て場に放り投げられた。シオンには元より存在しない。

 てゐもシオンが起きたあと、気配を探られる前にひっそりと去ったため止める人間もおらず、結果おかしな食事風景となった。

 全て食べ終えるとテキパキと片付け。白夜の効果を消すと、パラパラと焼き焦げが消える。特に問題はないろうから放置。片付けた物を入れた箱は異空間に放り込む。

 フランを見る。レミリアから渡された傘をたて、日差しを遮っていた。

 「フラン、準備はいいか?」

 「いつでもいけるよ。でも、策はあるの?」

 鬼を倒す、あるいは追い返すための作戦。それがなければ無謀もいいところ。もし策が無いと言うのであれば止めるつもりだが。

 「希望的観測に近い策なら、まぁ。それがダメだったら、血みどろの殺し合いになるかな」

 まるで友人の家に出かけるような気軽さで、そんな事を言う。注意しようかとも思ったが、そんな事をしても意味はない。

 シオンにとって殺し合いは日常の延長線上。そこに疑問を挟む余地はない。

 そう、はじめから決めていたことだ。

 (私はシオンについて行くだけ)

 この危うい人を、どうしても放っておきたくないから。

 「ああ、そうだ。うまくいけばの話だけど、フランは基本手出ししないでくれ。話が拗れるからさ」

 「え? それはいいんだけど……シオンは何を考えてるの?」

 「ちょっとした事だよ」

 鬼が交わした誓約と、にも関わらず近づいてきている現状。付け加えて鬼達の嗜好。そこから考えて。

 「――ちょっとした、『余興』だ」

 どううまく煽るかを考えて、シオンは笑った。

 

 

 

 

 

 時刻、正午過ぎ。太陽は中天を過ぎ、今は日暮れを向かい倒れていく。やっと半日が過ぎたところだが、後一日以上も待てなくなってきている。フラストレーションが溜まっていくのだ。朔の話は期待半分以下と言ったところだが、そうでなくとも久しぶりの遊び。愉しみにしていないはずがない。

 持ってきた酒や食い物も限度がある。今はバカみたいに飲み食いしているから我慢できてはいるが、そうでなければ約定を破ってしまう鬼が出るかもしれない。

 (そういった事を考えるのは得意じゃないんだけどねえ……)

 グイ、と常人からすれば大きすぎる盃を傾ける。度数の高すぎる酒が喉を通り、胃の中へ。しかし泥酔はしない。思考は明朗だ。

 いっそ殴り合いでもさせるか、と思う。もう仲間内での殴り合いは腐るほどやったが、やらないよりはマシだろうと。

 「――ッ」

 動きを止める。気のせいかと思ったが、違う。

 ()()

 人よりも化物に近い存在が、すぐ傍に。

 ニンマリと笑みが浮かぶ。確証はない、単なる勘だ。それでも――。

 ――()()ね、最高だ。

 「……何しにきたんだい? ここが鬼の宴会場だとわかって来ているのなら、あんたは愚か者になるよ」

 その声はどこへ投げかけたものか。比較的近くにいた鬼が不思議そうな顔をしているが、どうでもいい。

 まず、歪みが現れる。次いでトン、という音がした。それは靴音。地面を叩いた時に出た音。

 幼い少年。白を纏った少年だ。だがその力は、彼女をして相当なモノだと悟らせる。

 見開かれたその人間の赤い瞳が、彼女を見抜く。

 「気づかれてたか。ま、いいや。どうせ暇なんだろう? だからさ」

 ――ちょっとした『余興(お遊び)』をしないか?

 

 

 

 

 

 奇をてらう事をして気を引こうとは思っていたが、ここまで注目してくれるとは思わなかった。とはいえ狙っていた事でもある。鬼が戦いと宴を好むのは、それが享楽的な事だからだ。ある意味単純過ぎる彼らは、それくらい単純な事を好むのだろう。

 そんな彼らがこの状況を心の底から楽しんでいるとは思えない。特に、目の前にエサがぶら下がっているような状況では。とはいえ驚きもした。白夜で転移したはずの自分を正確に察知したこの女性は。そして、正確に力量を把握されている。

 強者を目の前にした鬼は、自らの欲求を優先する。

 だから、目の前にいる女性は笑う。嗤う。哂う。

 嬉しそうに。楽しそうに。歓喜の声を、声を出さずにあげている。

 フランと同じ鮮やかな金髪。違うのは無造作なロングだということ。見事な角が一本、額から生えていて、何故か星のマークが存在する。目の色は赤。『鬼』という種族は赤目が基本なのか。シオンは知らないが、体操服の上とよく似た服とロングスカート。手足に付けている枷は、何かの暗喩なのか。

 油断なくシオンを睨む彼女の真意は知れない。

 「余興(お遊び)、ねぇ? それは一体何をするんだい?」

 「あはは、そう睨まないでくれよ。すぐに説明するからさ。っと、その前に。お互い自己紹介でもしようじゃないか?」

 「ああ、そういやそうだった。基本的な事を忘れていたよ。その無礼、私から名乗る事で謝罪とさせてもらおうか。――星熊勇儀。それが私の名前だ」

 「シオンだ。――さて、お互いに名乗ったところで説明だ」

 そこで言葉を区切り、周囲を見渡す。突如現れた人間に対して注目を集めている。ザワザワと雑談している鬼達に向かって腕を振るい、大声をあげる。

 「お題目は単純明快、どんなバカにでもわかること。即ち『腕相撲』だ!」

 瞬間、絶句。狙い通り、興味無さげにしていた鬼でさえこちらを見ていた。その中に、ふと見知った鬼を見つけた。

 不敵に、面白そうに笑っているその男。迷いの竹林で出会ったあの鬼だ。

 ――やーっぱりお前か。面倒なことを……。

 内心の思いを押し隠し、シオンは不敵に笑ってみせる。

 「どうせお前ら暇だったんだろう? なら見せてやるよ。魅せてやるよッ。人間の底力って奴をさァ!」

 そして、裏周り。今まで背を向けていた勇儀が背もたれにしていた木を狙い撃つ。掌底、しかしただの掌底では鬼を驚かせるに値しない。

 だから、衝撃(インパクト)を伝える。一点ではなく全体に。

 ――粉砕する。

 粉すら残さず微塵になって消える木。手に持った盃を眺め、勇儀はそこに木の破片が全く入っていないのに気づく。

 「これでもまだ、不足はあるか?」

 ああ、と思う。これは、期待してもいいのかもしれない。

 「いいや? いいね、確かにあんたとなら『余興』にはなりそうだ。でも、わざわざ提案を受けなくても、無理矢理連れて行っても構わないんだよ?」

 「そうなったらさっさと逃げるさ。これだけの鬼が一斉にかかってきても、逃げられる程度の自信はあるから」

 「自意識過剰ってもんじゃないのかい? それとも私達を舐めているのか?」

 「いやいや、自意識過剰でも舐めてるわけでもないよ。――そんな甘っちょろい考えなんて、とっくの昔に捨てたから」

 笑っているが、それは見せかけ。本当に襲ってきたら、一度力を振るってから即時離脱するつもりだ。

 「これは交渉だけど、通帳でもある。最後通帳って奴だ」

 「……そんな御大層なセリフを吐いといて、舐めてない、ねぇ。ちゃんとした理由はあるんだろうね?」

 「あはは、それは貴女の方がよーくわかってるんじゃないのかな?」

 バッ、と片手を大きく広げ、鬼達にわかりやすく示す。シオンが示す先は、食料の置いてある場所。そこにあったモノは、かなりの量が既に消費されている。

 「かなり遠くからずっと観察させてもらってたけど。今残っている食料と、今までの消費量から考えて、持って明日の昼まで。でもフラストレーションが溜まりに溜まってるせいで、消費量はもっと増える。俺の予想だと、今日を過ぎるまで保つかどうか」

 違う? そう言って笑うシオンに、勇儀は内心で苦い笑みを返す。享楽的な鬼は、後先考えない者が大多数。加減しようなんて考えないだろう。

 「戻って持ってくるなんて面倒な事をしたくもない。だから仲間内で殴り合わせようとか考えたんだろうけど、限界はある。いつ暴走するのか、見ものだよ」

 「あーあーあー! やっぱり慣れない交渉なんてするもんじゃないねぇ。こういうのはアイツの専門だっていうのに。いいよ、その提案、受けようじゃないか」

 裏があろうが別の目的があろうが構わない。愉しければそれでいい。その思考からあっさりと前言を翻して受ける勇儀に、内心で安堵しつつそれを押し隠してシオンは言う。

 「そっか。それはよかった。でもさ、思うんだ。ただ力比べをするのは誰だってできる。だからそこにひとつだけ、お互いに賭けをしないか?」

 「モノによるね。私達に不利な条件を吹っ掛けられるのも困るから、先に条件を決めてもらわないと」

 「当然だな。まぁ、単純明快だよ。――今すぐ引け。そして里に来るな。それがこちらから出す条件だ」

 先程までの朗らかさから一変、殺意どころか虚無感すら滲ませている。勇儀を見ているようで見ていない、そんな眼。

 末恐ろしい人間だ、と思わされる。

 周りの鬼の反応さえ気にせず、勇儀が問う。

 「それで。それだけ理不尽な条件を出すんだ。もちろんあんたもよっぽど理不尽な条件を出すんだろうねぇ」

 だから、乗ってみた。どんな提案をしてくるのかと。もちろん中途半端な条件なら蹴り出すつもりで。

 「にゃはは、もし俺が負けたなら、俺が貴女達と戦い続けるよ。十年? 二十年? 三十年はちょっとキツいかな。――で、この回答はご不満か?」

 巫山戯ているようで、その目に宿るのは不倶戴天の意思。負ける気など更々無いと、デカデカと主張していた。

 「く、ふふ……」

 やっぱり、いい。先ほどの威勢の良さを含めて。

 「アハハハハハハハハハハッッ! いいね、最高だよあんた! アホみたいな条件を出すからアホみたいな条件を返してくれるだろうと思っていたけど、予想以上だ!!」

 誰が想像できる! 短命な人間が、あっさりとその半分近くを投げるなど!

 「鬼を相手にしてその不敵さ! 格上相手に『提案』するなんていう無謀さ! そして、私達に勝とうとする、その意思! どれを取っても最ッ高に楽しいよあんた!」

 舐めている? いいや、コイツは一切舐めていない。むしろ油断すれば喉元を食いちぎろうとする()犬だ。

 だが、それをこそ求めていた。退屈な時間を吹き飛ばしてくれる、イった存在を。

 「御託はいい。受けるのか受けないのか。聞きたいのはそれだけだ」

 「ハッ、ますます気に入ったよ。短気な鬼ならぶん殴られてる言葉だ。――いいさ、受けさせてもらうよ」

 「俺としては貴女の上にいる鬼の言葉を聞きたいんだけど」

 「それについては安心しな。私と同格の鬼は、私を含めて四人。鬼の四天王と呼ばれる存在だ。そして私達より上の存在は一人だけ。鬼子母神様だけだ。全ての鬼は鬼子母神様から生まれたとされている。正直私は興味がないけどね」

 この意味がわかるかい、と視線で問われる。

 「その鬼子母神とやらは、放任主義なのか?」

 「近い。どっちかというと子供の自由に任せてるって感じだね。それと忠告だ。私は気にしないけど、呼び捨てにすると鬼子母神様の敬愛者に殺される可能性があるよ」

 「ご忠告どうも。で、肝心の安心の根拠は?」

 「今来るところだよ。――萃香」

 「アレ、呼んじゃうんだ? まぁいいけど」

 どこからか聞こえた幼い声。だがその出処がわからない。周囲を見渡しても、そんな声を放った主など見えない。

 「こっちだよ、こっち。今から『出る』から慌てなさんな」

 緩やかな風が、シオンの髪を揺らす。その先には細かな粒子。そして現れたのは――鬼。

 「さっき勇儀が言ってたけど、私も自己紹介だ。伊吹萃香、鬼の四天王の一人だよ」

 「これが根拠だ。同格二人が進言すれば、他の二人は口出ししにくい。流石に長期間は無理だろうけど、数年単位で大丈夫だろうさ」

 二人で笑い合うが、勇儀は気づいた。シオンが全く笑っていないことに。

 ――勘もいい、か。本当に面白い奴だ。

 ダラダラと冷や汗を流しているシオンは、萃香から目を離せない。

 (……わからなかった。どこから現れたのか、全くわからなかったッ!)

 人間が持つ視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感。そして長い間命に晒されて培った第六感。それら全てをもってしても、彼女がどこから、どうやって出現したのかわからない。

 勇儀は単純だ。恐らく驚異となるのはその異常な身体能力のみ。わかりやすいくらいの脳筋。だからこそ対処しやすい。

 萃香は勇儀よりも身体的に劣っている。代わりに、鬼としても異端の異能を持っている。その力を使ったとき。

 その潜在能力は、一体どれだけのモノになるのだろうか――?

 「おい、あんた! 腕相撲するんだろう? だったら私と遊んでくれよ。な、いいだろ?」

 ハッと息を呑み、一歩後ずさりかけて――止める。憶測でモノを語るのはやめよう。上げていけばキリがないから。

 「悪いが、俺が提案したのは勇儀にだ。貴女にではない。貴女とは、遊べない」

 「ふ~ん……私、耳が悪いのかねぇ? もう一度言うよ。私と遊んでくれよ。じゃないと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……?」

 「ん? なんだい、シオン以外にも誰かいるのかい?」

 「いるよ。私にはわかる。なぁシオン、あんたの言葉をもう一度聞かせてくれよ」

 ニコニコと笑っているようで、その実笑っていない。

 ――鬼は、嘘が嫌いだ。

 やると言ったら本当にやる。そしてその標的がどんな『鬼』なのか、シオンは知っている。自分ではなくフランに注目が行くのを恐れて置いてきたのに、これでは意味がない。

 どうする、と考え、だが無駄だと悟った。

 「勝手な行動しないでくれると、嬉しかったんだけどなぁ」

 「フフ、それは無理な相談かなぁ。だってそいつ、『コソコソ隠れる臆病者』だって言ってるみたいだったもん」

 フランもまた、笑っている。笑っていない顔で、笑っていた。クルクルと傘を回し、楽しそうにしている。

 「あぁ、出てきたんだ? 手間が省けてよかったよ。こっちから出向くのも面倒だったからね」

 「ゴメンね? 今日はちょっと日差しが強いから、お肌が荒れちゃうんだ」

 「そういえば日に弱いんだったねぇ。好きに太陽の光を浴びれないなんて、()()すぎる」

 「そういうアナタはお肌、気にしないんだ? ガサガサに荒れても知らないよ? 同じ女に生まれた身として、そのガサツさは()()()()()ね」

 「一人コソコソ隠れていた臆病な()()が、一丁前な事を言わないでくれるかな?」

 「私よりも()()()()()子供にだけは、そう言われたくないかなぁ?」

 「アハハ、鬼にも劣る、鬼とすら名乗る事すら烏滸がましい()()()()()が、小生意気な口を聞いてるのは気のせいかな? アンタ等なんて小虫で十分だよ」

 「そうやって相手を見下してると、足元を掬われちゃうよ? いっつもお酒飲んで酒臭い上に戦いがこの上ない至上なんていう()()()()()さん?」

 「ア、ハハ……ハハハハハ……!」

 「フ、フフ……フフフフフ……!」

 見たくない。あんなフラン、見たくない。

 「その、すまないねぇ……うちの子供(すいか)が」

 「いや、こちらこそ……うちの子供(フラン)が」

 一気に虚しくなったのは何故だろう。頭から冷水を被せられた気分だ。

 気を取り直して。バチバチと火花を放っている二人を放って、ルールを煮詰める。

 「基本ルールは当然腕相撲準拠。他はどうする?」

 「能力を使っても構わないよ? じゃないと私と差がありすぎだろうからね」

 「台はこっちの能力を使っても構わないか? 大概の台は多分最初のでぶっ壊れるだろうし」

 「アテがあるのなら構わないよ。ただし、余計なギミックは入れないで欲しいけど」

 「そういう細工はしないよ。勝負上遊びは公平にやるさ。じゃないと余興にもならないしな」

 ――そして、ルールをお互いに把握し、お互いの相方の元へ行く。

 一度顔を見合わせ、ため息を吐き。相方の頭を、片方は思いっきり、片方は軽く叩いた。

 ドガンッ! という音と、コツンッ、という音で、どちらがどちらかわかるというモノだ。

 「いつまでやってるんだい! ガキすぎるにも程があるだろう!」

 「フランもだ。もうちょっと冷静になれ。最後の方は『バカ』とか『アホ』とかしか聞こえなかったぞ……」

 『だってコイツが!』

 『仲いいのはわかったからお互いに相手を指刺さないように』

 相手の肩を掴みズルズルと引き摺って離す。もう理解した。

 ――この二人、犬猿の仲だ。

 「離せよ勇儀! アイツ殺せない!」

 「あんたが言うと洒落にならないからやめろ!」

 「シオン離して! あの女ぶっ刺せないから!」

 「おい待てそれどっから出したそれをどこにぶっ刺すつもりだ!?」

 ギャーギャーと喚く二人を苦労して押さえ込む。さっきまでの緊迫感はどこに行ったのだろうかと泣き出したくなったのはご愛嬌だろう。

 ……そう思わなければやっていられなかった。

 

 

 

 

 

 「準備ができました。いつでも出られます」

 「そうか。それじゃあ行こうか。不安要素を排除しに」

 「……本当に、よろしいので? もししくじれば、最悪――」

 「どの道今やらなかったらもっと酷くなる。計画を前倒しにするしかないさ。魔力は?」

 「目標の五分の四、といったところです。できれば後一年は欲しかったのですが」

 「その分はあのイレギュラーを殺した後にその死体から吸収すればいい。その術式も用意してあるのだろう?」

 「はい。人が持つ魔力は、その本人が生きている限り、臓器と同じように魔力を生成しようと動き続ける。仮に死んでも魔力が周囲に拡散するまでは回収可能です。もちろん、妨害が無い事が前提ですが」

 「ならいい。殺した後は俺が引き付ける。その間に回収しろ」

 「……了解いたしました。お気をつけて」

 「ああ。――全く、あのイレギュラーが来てから何もかもが狂いだしているよ」



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全て、叩きつけて

約束通り二話投稿です。前話読んでない方はお気を付け下さい。


 慧音がそこに足を踏み入れた時、太陽は既に中天に差し掛かろうとしていた。それに反して、心なし慧音の顔色が悪い。

 (思っていたよりも時間がかかってしまった。これでは肝心な時に間に合わないかもしれん)

 それが慧音を急かせる理由。シオンはどこかへと行ったが、アレから早数時間。もう行動している可能性が高い。一刻でも早く動く必要があった。

 だが、たった一つの、しかし深刻な問題がある。

 それは道案内が無いこと。この『迷いの竹林』に嚮導(きょうどう)無しで入るのは無意味な行為だ。特に、浅い場所ではなく、もっとも奥深いところにある場所を目指すときは。

 「虎穴に入らずんば虎児を得ず、か。……行くしかないのだろうな」

 ここで下手に迷えば絶対に間に合わなくなる。そのリスクを侵してでも行くと、慧音は決めた。だが数分後、その選択を後悔することになる。

 「……ここは、どこだ?」

 結論から言えば、迷った。

 前後左右を見渡しても、どこをどう行けばいいのかさっぱりわからない。やはりダメだったか、と歯噛みするも、意味はない。せめて最短距離でここの外に出るしかないだろう。運が良ければ一時間と経たずに出られるはず。

 「慧音、あんたここで何してんのよ。授業はほっぽっていいの?」

 「――てゐ?」

 ツいている、とその声を聞いた瞬間思った。気まぐれな彼女が迷いの竹林にいて、しかもこうして目の前にいるなどと。

 「何、ちょっと急用があってな。永琳は永遠亭に?」

 「いるけど、珍しいね。動けない患者さんでもできたの?」

 「どちらかというと個人的な所要だ。案内は頼めるか?」

 「んー、まぁ慧音なら、いっか。ついてきて」

 背を向け歩き出すてゐに置いてかれまいと慧音は駆け出す。

 しかし、と思う。果たしてこれは偶然なのだろうか。一番急いでいる時に、一番必要な相手が現れて、更に案内までしてくれるなんて。

 機嫌のいいてゐを見つつ、慧音はそこで思考放棄する。上手くいっているのならそれでいいじゃないか、と。

 「あ、こっちはダメだった。この先はちょっと急な坂があるから注意してねー」

 「わかった。忠告感謝する」

 唐突に方向転換したてゐについていく。

 てゐの言うとおり、坂というより崖に近いところを、半妖としての身体能力で踏破する。登りきったその時、ふと二人の人影が見えた。

 「アレは――フランと、シオン?」

 「え、あの二人を知って――るか。慧音は里の守護者なんだし」

 「ああ。だがフランは大丈夫なのか? 吸血鬼なのだろう。太陽の光を浴びれば危険なんじゃないのか」

 「それは大丈夫。あの辺りの竹を少しだけ傾けて、天然の傘にしてるから。多分、四時になるくらいまでなら陽の光はささないよ」

 意外だ、という言葉を、賢明にも呑み込む。

 (これが本当に、あのイタズラ好きのてゐなのか?)

 自分の知っているてゐとはまるで違う。無論、真面目な時は至極真剣にやるのは知っているが、そんなのは稀だったはず。

 二人を眺めるてゐの横顔には、どこか優しげな笑みが浮かんでいる。

 変わった、のだろう。この短い期間で。こちらが戸惑うほどに。

 程なくして永遠亭が見えてくる。てゐはクルリと反転すると、慧音に言った。

 「私はちょっとやらなきゃいけない事があるから、慧音は勝手に入ってて。慧音なら下手に追い返されないと思うし」

 「そう言ってもらえるとありがたい。多少猶予があるとわかったが、余裕はないからな」

 「それ、もしかしてシオンのこと? それとも里のこと?」

 唐突な問いに、戸惑いつつも答える。

 「何故その二択なんだ?」

 「トラブル体質のシオンと、里を大事に思ってる慧音の心が重なったような気がしたから……」

 「後者はともかく、前者は妙に納得できるのが不思議だ」

 ただし、自分からトラブルを招いている点も考えなければならないが。

 「じゃ、またね。帰りに必要なら案内するけど」

 「永琳を説得できれば問題ないさ。ありがとう、てゐ」

 ならいっか、と呟いて、てゐは後ろ手を振りながら去っていく。

 「――よし」

 ギュッと拳に力を入れ、玄関を開ける。ガラガラという大きな音と共に、あの泰然とした声が飛んできた。

 「いらっしゃい、慧音。何か飲み物はいるかしら?」

 「……なら、()()()()()()お茶を一つ」

 こういう風に言わないと、知らない内に薬を飲まされて実験台にされかねない。一応あらかじめ言っておけば入れないでくれるので、そこだけは――何も言わずとも入れないでくれるのが一番なのだが――ありがたかった。問答も情けも無用な狂った科学者(マッドサイエンティスト)程恐ろしいモノはない。

 ところ変わって永琳の研究室。トン、と出されたお茶に異様な味はなく、普通に美味い。

 永琳は何故か背を向けたまま、机の上にある器具を整理している。

 「用件は、何かしら」

 「シオンの力になりたい。その為に永琳の医療知識と技術が必要だ」

 「そう。()()()()シオンは戦う事を選んだのね」

 「やっぱり、とはどういう意味だ」

 「言葉通りの意味。一度、ここには鬼が来たから……それで何となく、予想しただけよ」

 相変わらずの知識と知恵だと舌を巻く。この頭脳だけで、永琳は化物レベルだと慧音は即答できる。

 知識だけでは活用できない。

 それを扱う知恵があるからこそ、永琳は永琳として、人間として、恐ろしい力を発揮する。

 「まずその用件に対して、だけれど。無理よ。私は余程の事がなければ動いてはいけない。私の目的、知っているでしょう?」

 「……ああ」

 彼女の目的。それは何を差し置いてでも蓬来山輝夜を守ること。それだけが、彼女の存在理由。他の事は暇つぶしか、主の意向によるもの。後は幻想郷にいるという対価――というより、慈善の行為くらい。

 それ以外で例外を作ってはいけない。もし作ってしまえば、心無い誰かがわめきたてるから。

 「話が変わるのだけれど、一つだけ、質問しても?」

 「私に応えられる範囲でなら」

 「それなら大丈夫ね。慧音。あなたはどうして――シオンを支えようとすることができるの?」

 一瞬、彼女が何を聞こうとしているのか理解できなかった。

 「言葉が足りなかったかしら。私の予想だと、多分シオンは紫に会って暴走したはず。アレは復讐の権化。それを妨げた紫を許すのは至難の技。最低でも一度は事を構えると思ったのだけれど」

 「……シオンの事を、よく見ているのだな」

 「一月も一緒に暮らしていれば、その人の人となりくらい大体わかるわ。それに彼は、人間としてはありえないくらいバカ正直だし」

 「バカ正直……なのか?」

 「煙に巻いたり相手を誤魔化そうと敢えて言葉を抜き取ったりするけれど、それを私が見抜けないと思う?」

 まっっっっったく思わない。この擬似さとり妖怪。

 などと面と向かって言えるはずもなく、

 「擬似さとり妖怪とか思っていそうだけれど、これは単なる予測よ? ……精度には多少自信があるけれど」

 看破されたが全て無視。

 何故シオンを支えようとすることができるのか。これはシオンについてどう思っているのかから話す必要があるだろう。

 「――子供だよ。それも何の道徳も持たぬ、真っ新とした子供。それが私の見解だ」

 「……」

 顎を下げ、無言で永琳は先を促す。

 「彼は私の出した考えに、自分なりに真剣に答え、そして出した答えに向けて努力していた。あの理念というか、信念については――本人の環境のせい、なのだと思う」

 本当に、頑張っていたのだ。才能がある。途方もない才能が。

 それを鼻で嘲笑い、努力している人間をこそ尊んでいた。理由は知らない。極端過ぎたその考えに、賛同するとは言わない。

 「ただ――羨ましいと、感じたんだ。何かに向けて、自分の全力を向けられる、その姿に」

 だから、もっと見てみたいと思った。これから先、彼がどんな風に全力で駆け抜けていくのか。

 「それに、私は『先生』だからな。子供を教え、導くのが使命だ。彼が変な道に進まないよう、見ていないとな」

 だから『守り』、『支え』、『導く』のが慧音の役目。例え公には目に付かずとも、そっと背を押すのが、先生という名を持つものの正しき姿だと思うから。

 ダラダラと御託を並べたが、結局のところ、全てはてゐに言った通り。

 「――単なる、私のワガママだ」

 永琳は答えない。手元に置いてある何かを弄り回し、作っていくだけ。カチコチと、妙に響く時計の音が気になる。

 そろそろお暇しようかと思った頃に、作業を終えた永琳が呟く。

 「今月は、まだだったはずよね」

 それと同時に、研究室の扉が開いた。

 そこに立つのは永琳の主にして永遠の体現者。微睡む姫君。

 「永琳、命令よ。――勝手になさい。ただし、シオンを必ず助けること。彼のマッサージとゲーム技術を失うのは惜しいから」

 どこまでも勝手気ままに、姫君は笑う。それは従者の行動を見逃す寛容さの象徴だった。

 「……仰せのままに」

 永琳は答え、去りゆく背中に礼を取る。唯一永琳を止める障害はない。これで、最強の頭脳の力を借りられる。

 「永琳、すまないがさっそく準備してくれ。時間は無さそうなんだ」

 「私の考えがあってるなら、後二時間くらいは大丈夫よ」

 そして何かの整備を終えた永琳は、それを目にかける。それはモノクルだった。いつかアリスの魔力線を見たときに付けたものとそっくりな、だが決定的に違うモノを。

 「それに、単純な外傷を癒すのなら私より彼女の方が得意よ。行くのならあの娘を誘ってからでも遅くはないわ」

 という永琳の言に従って来てみれば、現れたのは見事な金髪を棚引かせる少女。ただし、年齢は恐らくシオンと一緒、だが。

 「永琳、彼女には自衛の手段が無さそうに見えるが」

 「後方支援に徹して敵の前に姿を現さなければいいだけよ」

 「え、と……話が見えないのですが、永琳様」

 「シオンが一歩間違えば死にそうな状況にある」

 「行きます」

 即答だった。どこまで危険なのか、一切聞かずに。だから、先生である慧音は尋ねた。

 「いいのか。死ぬかもしれないのだぞ?」

 「彼が怪我どころではなく、死にそうな状況にあると聞いた時点で、それはわかっています。いいんです。私は、今度こそ――友の力になると、誓ったのですから」

 その眼に宿る意思は、子供だからと侮っていいものではない。最近出会う子供――シオンを始めとして、霊夢、魔理沙など――は、年齢に半比例して精神が成熟過ぎる。大人顔負けだ。

 「私は上白沢慧音だ」

 「! アリス、と申します。フルネームは訳あって省略させていただきます」

 「――行くのですか?」

 認められた、と喜ぶアリスに、その声は冷水だった。

 「鈴仙……ダメ?」

 「いえ、構いませんが」

 「そうだよね、ダメだよね……え?」

 「何ですか、その顔は。私はシオンの力を信用しています。それに、彼は自分の友人を守れないような愚かな人間ではありません。きっとアリスを守ってくれるでしょう」

 未だに鈴仙はシオンという人間を認めていない。だが、その力だけは認めている。人の枠を超えて、血を吐き続けた果てに得たその能力を。

 「強いて言えるとすれば……シオンを盾にしてでも生き残ってくださいね」

 「なんか鈴仙が怖い……」

 「シオンの影響は良くも悪くも酷過ぎるな……あの優しい鈴仙はどこに行った」

 黒い。黒すぎる鈴仙に戦慄する二人。

 それを横目に、永琳はただモノクル越しの光景を眺め続けた。

 

 

 

 

 

 「ん、んん……フ、アァァ~~……」

 眠りから覚めた時特有の倦怠感を自覚しながら起き上がる。既にお昼を過ぎかけているためか、暖かい。

 ――お昼を過ぎている?

 「ヤバい、寝過ごした!?」

 一気に意識を覚醒させる。思い出すのは昨日のコト。

 ――そうだ、私は神社に戻ってきて、風呂に入って、それで……

 霊夢は未だ九歳。夜更かししすぎた反動で、体を清めてすぐに寝てしまった。体を清めたのは、多分乙女のプライド的な理由だと思う。単に汚れが酷くて気持ち悪かったというのもあるが。これが冬だったら風邪を引いていただろう。

 同時、ググゥ……とお腹が鳴る。流石の霊夢も、誰も聞いてないとは言え微かに顔を赤らめてしまう。

 「確か、シオンが用意したご飯があったはず……」

 一応置いてあったが、冷蔵庫に入れもせず放って置いたため、多少しなびている。それでも無いよりはマシと割り切って食えてしまうのは、今までの食生活故だろう。シオンの分は冷蔵庫に戻しておいた。

 魔理沙はどうしているだろうか、と思う。あの伝言がそのまま伝わったなら、恐らくもう自らの家に帰っているだろう。自分と同じように寝ていなければ里にもついているはずだ。

 食べ終え食器を洗う。一人分の食器は手間もかからずすぐに終わった。少し物足りなく感じるのは何故だろう。

 護符、御札、針、次いで頭につけるリボンを新しくする。願掛けのようなものだが、気分的には大分違う。

 これでよし、と気合を入れ、霊夢は神社を飛び出す。

 「里に着くまで、何分かかるのかしらね……」

 

 

 

 

 

 やっと気分が収まり収束した二人の口喧嘩。それに誰よりホッとしたのはシオンと勇儀の二人だろう。大事な友人が口汚く罵り合ってる姿を好んで見たいと思うような性格はしていない。

 「アンタが喚いてる間に私らが戦う事に決まったよ。大人しくしてな」

 「アーッ! ズ、ズルイぞ勇儀!」

 「萃香が他の事に気を取られてるからだろう。元々シオンは私をご指名してたみたいだし、約束だよ」

 「ちぇ、つまんない。ま、言ったことは守るけどさ」

 石を蹴って拗ねる萃香の頭を撫でながら、勇儀はシオンに聞く。

 「あー……それで、ハンデはどうするんだ? 私とアンタじゃ握力に差がありすぎるから、手首掴んでも構わないよ?」

 「あくまで勝負は公平に、と言っただろう。普通に手と手でいいよ」

 「って言われてもねぇ」

 シオンの手首を見る。細すぎるその手首は、鬼の勇儀どころか大の大人が強く握っただけで折れてしまいそうな程華奢だ。

 「ああ……そういうこと」

 それを察したのか、シオンは左手に力を込め――

 「――ッフ!」

 ビキリッ!! と腕全体に筋肉が盛り上がる。

 「――いやいやいやいや! シオン、それ一体どうやったの!? おかしいよね色々と!」

 「普段は筋肉を隠してるから……速度重視だし」

 そういう問題ではないのだが、本当にできてしまっているから始末に負えない。これがシオンとただの人間の違い。筋肉の付き方どころか細胞の一つ一つが変わっている――作り替えられたシオンは、筋肉の『形』をある程度変えられる。

 (パワー)速度(スピード)持久(スタミナ)、と、その時々で筋肉を変えていける。無論、代償無しにタダでできるわけではないし、問題もあるのだが、今は問題ない。

 「まぁ、さっきよりはマシだろ?」

 「驚いたねぇ。まさかそんな事ができるなんて。いいよ、わかった。ハンデはナシだ」

 パンと手を叩いて褒め、次いで両手を挙げて降参の意を示す。頷き返したシオンは、一応勇儀に聞いた。

 「ところで一つ聞きたいんだが、台から肘が離れたらどうする? 普通のルールなら反則負けになるが……」

 「続行で構わないよ。どうせ私の力に耐えられる台なんて無いんだ。私が壊して反則負け、なんて萎える展開はゴメンだね」

 「わかった。――術式再構成。必要魔力注入。結界生成、展開・維持」

 念のため、孤児院が壊れないよう勇儀が壊した結界を作り直す。術式は既に作ってあるから魔力で文字を彫り直し、魔力を注入して作動させればそれで済む。簡単な作業だった。

 「あの結界、シオンが作ったのかい? 多才だねぇ。こりゃ山に帰った後も退屈せずに済みそうだよ」

 「――白夜」

 それは言外の勝利宣言。ムッとするフランを尻目にシオンは白夜を手に握る。作るのは台と、孤児院周辺に張った結界とはまた別の結界を張る。こちらは完全に耐久性重視だ。とにかく『壊されない』事に注視した。

 コンコン、と勇儀が見えない台を叩く。

 「中々硬いね。全力で殴れば、あるいは――ってところかい。腕相撲の余波程度じゃ壊れなさそうだ」

 「ご注文通りだろう? ま、壊れない保証なんてどこにもないけどな。――黒陽」

 ネックレスを取り外し、まずは剣状に。

 「剣を展開――起点(はじまり)である黒球(ブラックホール)に。着装、空虚な黒龍(エンプティ・ドラゴン)

 剣から黒球、黒球が左手から液体となって伝い、腕、肩、そして全身に浸されていく。白眼が黒く染まり、義眼である左目が零れ落ち、代わりに黒い炎が噴出する。髪はいくつも捻じれ出し、それは幾筋の角となる。そして液体が凝固し、腕や胴体、足が鱗に覆われ、両足が肥大化・巨大な爪を生やす。右手もそうなる――かと思いきや、ほとんど人の手と変わらぬ大きさのまま鱗に覆われている。最後に骨組みだけの翼が出てきた。空を飛べない、トベナイツバサが。

 唯一変わらないのは、白夜を持つ左手から先だけだった。

 さしもの勇儀もこれには驚かされた。人ではなく龍と相対するとは思ってもみなかったからだ。

 「龍、かい。昔から虎と龍、鬼と龍は見比べられていたけど、実際に戦うのはこれがはじめてだよ」

 「中身は人間だから期待はするな。言っただろ? 『空っぽ(エンプティ)』だって」

 龍という名前に似合わぬ程の弱さ。何より龍にあるモノ全てが欠けた中身の存在しないただの模造品。比べる事すら烏滸がましい贋作。

 「――さ、()ろっか。そろそろ周りの鬼も耐えられなくなる頃合だろ?」

 言外に勇儀もそうなんだろう、と聞いてくるシオンに、獰猛な笑みで答える。確かに、耐えられなかった。

 人間から化物に。

 化物から黒龍に。

 次は一体、何を見せてくれるのか。このビックリ玩具箱に、過度の期待を寄せている自分に、勇儀は気づいていた。

 一度酒を呑み、自然体に戻る。それだけで凝り固まった体が解れ、リラックスされた体に適度な緊張感が戻る。

 最も良い体調(ベストコンディション)。いつでもイける。

 「鬼っていう種族自体がチートな気がする」

 そうボヤいたのはシオン。誰にも聞かせないその呟きは、シオンの心情を強く語っていた。

 ――息を吸って吐くだけで最高状態とか、どんだけだよ。

 漲る気合を纏う勇儀が、見えない椅子に座る。次いでシオンも座り、お互いの手を握り合う。誰に問うまでもなく決められた合図。勇儀は手に持つ石を、空高く放り投げる。

 それを、萃香は空にプカプカ浮かびながら眺めていた。

 一。――まだ石は頂点に達しない。

 「勇儀、負けんじゃねぇぞ。負けたら思いっきりぶん殴ってやる」

 二。――勢いが落ち、頂点に差し掛かる。

 「そりゃ怖い。負ける訳にはいかなくなったねぇ」

 三。――石の落下が始まる。

 「シオン」

 四。――石が風を切り裂く音が、シオンの耳に届いた。

 「負けないで」

 五。――カ

 「――信じてる」

 ――ピシ、ドゥンッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 ――台から腕に体を伝っていったその衝撃は、地面を割った。砕けた岩が勇儀とシオンの両足を埋める。局地的な地震によって体を揺らされた全員は、決定的な瞬間を見逃した。

 結果は――勇儀の腕が、台に着いている、というもの。鬼の嘆きと、フランの歓喜の感情が沸き起こる。

 「シオンの勝――」

 「まだだ!」

 そんなフランの喜びを、萃香の叫びが止めた。唯一萃香だけが状況を見ている。最初から空中に浮かんでいた、彼女だけが。

 ギシリ、という音が、どこからか聞こえてきた。それは骨の軋む音。

 ただし、それは勇儀からではない。

 ()()()()()()()聞こえる音だ。

 「こ、の……大人しく負けを認めやがれ……!」

 「いやいや、勝負はここからだろう? まだ全力どころか本気も出していないんだから、さ」

 手の甲が台につく、その寸前。手首を捻って無理矢理負けを回避した勇儀が笑う。その笑顔は綺麗なのに、シオンにとっては死神のようにしか見えない。

 「往生際の悪い鬼だなァ!」

 「そうさ、私らみーんな諦めの悪いバカばっかりだ」

 でもね、シオン。

 「そうしなきゃ、勝ちなんて拾える訳が無いんだよ!」

 冷や汗を流して押し込もと全体重をかける。それでも押し込めない。いや、むしろ――

 (なんだこのパワー!? 本当にこれが、一個の生物が持てる力なのか……?)

 これが鬼。

 これが鬼の四天王。

 「そういえば、ちゃんと名乗ってなかったかねぇ?」

 グギリッ、と何かが折れるような音がした。同時、シオンの腕が上がっていく。それは勇儀の反逆の瞬間でもあった。

 「鬼の四天王が一人、『力』の勇儀だ。精々足掻いてくれよ? じゃないとツマらないからさ」

 最強の身体能力を持つ鬼は、容赦なく力を振るう。

 聴覚を使って、ともすればフライングと捉えかねられない刹那を狙ったのに、押しきれなかったシオン。全体重を乗せるタイミングさえ計算した、技術の粋。

 人類最高峰の人間という名を持った化物と、人間が生んだ化物を排斥した技術。それを使っても押しきれない、最強と呼ばれる鬼の一人。

 「()()()、大丈夫かい?」

 「余計なお世話、だ!」

 もうスタートの位置に戻りかけている二人の腕。咄嗟に力の方向を組み替えて強制的に肘を折り直す。

 凄まじい音。折れた肘を折り直し、そのせいで出た悪影響を別の骨を折り、あるいは脱臼させることで排除する。

 「無茶するねぇ」

 「アハハ、俺も諦めが悪くてなァ……! ここであっさり負けを認めるようなら、とっくの昔に死んでるんだよォッ!!」

 血反吐を吐くような叫びだった。それ程の想いが篭った咆哮だった。

 だから。

 「そうかい。なら、()()()()()()

 ――敬意を、表した。

 石を投げる時以外は常に持っていた酒入りの盆を、放り投げる。酒を手放したその顔に浮かぶのは後悔でもなんでもなく、ただ純粋な想いを宿す真剣な顔。

 「アンタに勝つ」

 「――ッ!?」

 単純な言葉。それを合図に、シオンの腕が耐え切れない程に倒れていく。

 「()()()()()。それを踏み越えていくのが、私達()だ」

 ――負ける。

 このまま何もせずにいれば、負ける。

 (()()。勝つための手立てはッ! 反則スレスレ、下手をすればキれられるくらい最低最悪な策が!!)

 嫌だった。その手段を使うのが。

 外道になら外道の手段で戦える。だが、こんなにも。

 こんなにも真っ直ぐに向かってきてくれる相手は、はじめてで――

 「何か甘ったれた事を考えてないかい、シオン!」

 「なッ!?」

 「さっきも言っただろうッ、小細工上等だって! アンタはまだ勝てるかもしれない『何か』があるのに使わず負けるつもりかい!?」

 それは、ありえないはずの激励だった。敵が、敵を叱咤する。

 ハッと目を見開き驚くシオン。当の勇儀は笑っている。本当に、それすら踏み越えて勝つつもりなのだ。

 ――いいさ。なら、やってやる。

 卑怯だなんだと罵られても。勝つためにならなんでも使うッ!!!

 「コクヨオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォッッッッッッッッッ!!!!!!!」

 ――刹那。

 世界の重力が、消え去った。

 「何が――!?」

 重力の楔が消え、シオンと勇儀の肘が台から浮かび上がる。

 ――それは本来なら反則負けになるはずのコト。

 力を入れても、それを移動させるための始点が存在しない。

 ――台が壊れるかもしれないとだまくらかして、勇儀に頷かせて無くした条件。

 それはシオンも同じ。だからこの方法は、やっても意味が無い事だった。……永琳の元で、修行しなければ。

 ――『人間』としてのシオンが考えた、真実の中に紛れさせた詐欺。

 シオンは特殊な力が無くても空を跳べる。それは、本来足場には絶対できない原子を足場にしているから。

 ――壊れる可能性は本当にあったから、嘘に敏感な鬼が誰一人気付かなかった。萃香でさえ。

 ……なら、手で壁を殴るように反動を付ける事だって、できないはずがないだろう?

 ――ただの保険の、つもりだったんだけどな。

 「ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!」

 「ッチィ、それならこっちにも手段はあるんだよ!」

 一瞬反応が遅れたが、勇儀とてタダで負けるつもりはサラサラ無い。

 妖力で肘に力場を展開。手の甲にしなかったのは、それが反則だとわかっていたから。反応速度は上々。だけど――もう遅い。

 「黒陽ッ、もう一度――!」

 無重力から、高重力圧ッ!

 地球にかかっている重力。それを一瞬だけ、数百倍に――!

 かけるのは自分の体にだけ。そのためだけに――重すぎる重力を軽減するためだけに、この仰々しい鎧を纏ったのだからッ!!!

 唯一鎧を纏わない右肩から先が、粉々に押しつぶされる。

 それでも、その代償を払ってでも――

 「俺の、勝ちだ――ッッ!!!」

 勇儀の拳を、台に叩きつけるッッ!




いやー何とかコンパクトに纏まりました。そして二話投稿の約束も完了。よかったです。

今回は結構な無茶をやらかしました。それくらいやらないと勝てないってことですね。ちなみに普通に生身で殴りあったら即死です。勝ち目なんてありません。能力値全部STR>>>AGI極振りの完全近接脳筋に、AGI極振りVITカスの超紙装甲が勝てる訳無いんです。一撃カスっただけで終わりなんです。

……まぁ無茶苦茶なのは承知の上です。批判上等ッ!

次回はまた別の展開のための布石です。バイちゃ!


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『死』

 勝った――だが凄まじく後味の悪い勝利。卑怯だと言われても仕方がない。

 鬼は嘘を吐くことと約束を破ることを嫌う。卑怯なことも同様だ。勝負に勝ったのだから約束は守ってくれるだろうが、今は良くても、将来的には大損だ。

 フランはさりげなく意識を後方に向ける。やはりというべきなのか、大半の鬼達は嘆きと、そして怒りを持っていた。

 ――放っておけば暴走しちゃう。

 今はまだ、シオンも、勇儀も、そして萃香も、誰も動かない。だからこその静寂。

 ――だけど、それもすぐに……でもやらせない。シオンは絶対、

 私が守る。

 そう決意し、いつでも動けるよう、また炎の壁でもって阻害できるように『レーヴァテイン』を召喚できるようにしておく。

 見据える先で、シオンの手がスルリと解ける。けれどそれは、力を抜いたというより、力を入れられなくなったかのようだ。

 もしかしたら、かなり重度の怪我を負ったのかもしれない。勇儀からの圧力に耐え切れずに腕の骨が折れてしまったのだ。直にそれを味わっていた手がどうなっているのか、想像したくない。

 「ふ、ふふ……アーハッハッハッハッハ! いやー負けた負けたぁ!」

 「何笑ってんだよ勇儀ぃ! 私の楽しみ奪いやがって!」

 お前はいいかもしれないけどさぁ、と勇儀を責める萃香は、けれどどこか楽しそうで。周りで嘆き怒っていた鬼達も「まさか(アネ)さんが負けるなんてなぁ」と、負けたことさえ酒の肴にして飲んでいた。

 まさか、とは思うが。単に姉貴分が負けたから沈んでいただけで、シオンに対する悪感情を向けていないのか、とフランは推測する。

 「なんで――俺を、責めないんだ? 俺は、卑怯な真似をしたのに」

 「ん、なんだい? 別にあんたは卑怯なことをしてないじゃないか」

 「何を根拠に」

 「ゲーム外で小細工をしなかったからさ」

 どこから取り出したのか、大きすぎる盃に、零れおちそうな程に並々と入れた酒を飲み、喉を潤す。

 「確かにゲーム台から肘を浮かせるのはズルだ。でもそれは『通常の』ルールでの話。あんたはゲームが始まる前に私に聞いただろう?」

 ――台から肘が離れたらどうする?

 「そして私は続行で構わないと答えた。あんたが決めたんじゃない、私が決めたことだ。それを逆手に取ってギャーギャー騒ぐなんてみっともないよ」

 「だからって、そんな簡単に納得できない」

 「頑固な奴だ。というか、シオンは卑怯な手段を厭わない人間だと思ってたんだけどね?」

 「相手と状況による。外道な相手ならこっちもそうする。そうしなければ生き残れないならその手段を選ぶ。でも、しないでいい状況でそれをし続ければ、俺はきっと、あの人に顔向けできなくなる。相手が誠意を持っているなら尚更だ」

 そういうことか、と納得する。目の前の人間は血の匂いが『濃す』ぎる。何人同族殺しをしてきたのかと気になるくらいだ。

 だからこそ真っ直ぐになった。純粋培養の殺人者。それがまともに機能しているのは、本当に奇跡だったのだろう。

 「……やっぱりあんたは卑怯者じゃないよ」

 本当の卑怯者は、と勇儀は忌々しい記憶を思い返す。

 「毒や薬を躊躇なく使って、寝首を掻く輩のことさ」

 姿を見せず、不意打ちで決める。確かに種族差も考えればその程度はしなければならないのだろうが、それが屈辱でもあった。

 ――どうせ死ぬなら戦いの中で。

 それさえできずに死ぬ鬼が、一体何人いたことだろう。

 勇儀の呟きはシオンに聞こえなかった。それくらいの声量なのもあったし、シオンもそこまで注意していなかったからだ。

 誤魔化すように勇儀は笑う。力強く、雄々しく。

 「誇れよ人間。『お遊び』とはいえこの私に勝ったんだ。笑って勝ち誇りな。それが私にとっての手向けだよ」

 その笑顔は、問答無用で相手の言い分を打ち負かすものだった。誰かの上に立つ存在が持つカリスマ性。

 「なんっというか……本当、理不尽だけど人間よりもさっぱりしてるなぁ。わかったよ。勝ち誇ってやるさッ。この勝負は俺の勝ちだ。約束は守ってもらうぜ、鬼!」

 返礼の笑みは、勇儀と同じ力強く。

 「里に来ないでほしい、という約定。期間も何も定められていないが、まぁ。そちらの『誠意』に期待させてもらうよ」

 「そう言われると弱い。そう、だね。しばらく私がなんとか抑えるけど、数年程度が限界だ。その間に解決策を出さなきゃ、今度こそ止められない。今言えるのはこれだけだね」

 「それでいい。むしろそこまで譲歩してくれるとは思わなかった」

 最悪一度戻って準備したらまた来ると言った展開まで考えていたため、きちんと時間を決めていなかったのを後悔していたのだ。この辺り、まだまだツメが甘かった。

 と、勇儀が右手を差し出してくる。

 「楽しかったよ。またやりたいもんだ」

 恐らく他意は無いのだろう。シオンも素直に応じる。だが、

 「こっちとしては遠慮願いたいところだ」

 差し出された手は、左手だった。

 握り合うのではなく、シオンの手が勇儀の手の甲を包むようにして触れている。何故、と勇儀は疑問に思う。黒龍の鱗を纏ってはいるが、踏ん張りための両足と違い、右手はほぼ肥大化していない。精々鋭い爪が見える程度。

 だが、そこで更に疑問が浮かぶ。

 ――なんで解除しない?

 答えは、無い。それでも動かさないなら動かせない理由があるのだろう。

 「帰るぞ萃香。尻尾巻いてトンズラだ!」

 「なぁに偉そうに言ってんだ! 帰ったらまず一発殴りつけるからな!」

 「アハハハハ、あんたの腕力で私に痛打を入れられるのかい? そりゃ楽しみだ」

 誰かに気づかれる前に手を戻し、萃香をダシにして場を誤魔化す。

 ――ありがとう。

 遠くからそんな言葉が聞こえてきたが、それには答えず鬼は去っていった。

 「まるで台風みたいだったな……」

 心底からそう思う。酷い例えだが一過性であるのに変わりはない。

 色々なモノを破壊していく暴風である、というところが。

 とはいえ台風と違って、『力』さえあればある程度話を聞いてくれるところが救いか。そこまで行くのに色々失うハメになるだろうが。

 ふと意識を逸らし続けていた両腕に激痛が走る。左腕は重力増加による圧力で骨が凹んでいる。右腕は折れた骨を折り直したりしたせいで複雑骨折。

 そして鎧を解除し、現わになった右手は、粉砕していた。

 確かに鱗は勝負を続行するという観点では役立ってくれた。しかし勇儀は恐ろしいことに、『拳を握る』というただそれだけの動作で異常な衝撃を生み出し、鱗の内部に貫通、あっさりとシオンの手を圧砕してくれた。

 (鬼、か……末恐ろしい限りだ)

 「シオン、大丈夫……じゃ、なさそうだね。両腕がひっどいことになってる」

 「まぁマシな方だろ。もがれてる訳でもないし。くっついてるだけ()しやすい」

 「最近シオンの判断基準がわかってきたような気がする……」

 ジト目を向けてくるフランは努めて無視。とはいえ彼女も茶化していられると思っていなかったのだろう、すぐにすまなさそうにしていた。

 「ごめんね、無理言ってついてきたのに何もできなくて」

 「いや、フランはよくやってくれたよ。わかんないだろうけどね」

 シオンが気力・体力共に充実した状況で挑めたのは、彼女のお陰だ。

 「……???」

 やっぱりわかっていなかったけれど。今はそれでもいいと思えた。とりあえずは両腕を直すのが先決だ。

 いつも通り能力を発動させる。気負う必要はない。いつもと同じ、腕を直すだけ。

 「……アレ?」

 ふと、シオンの後方に真っ黒な人影が見えた。『外』から迷い込んだ人なのか、と思ったが、それにしては足取りがはっきりしすぎている。

 (鬼が近くにいた状況で、人……?)

 おかしいと気づく。シオンのような状況でも無い限り、ここに近づくメリットなど無い。では逆に考える。

 ――()()()()()()()()()()()()()

 極論だ、と断ずる。まだ偶然迷い込んだだけという方が可能性が高い。

 ――パリィ――……ン。

 何かが割れたような音。それはとても身近から聞こえた。続いてドサリ、と何かが倒れたような音が響く。

 「シ、オ……?」

 目を瞑り、倒れているシオン。身動ぎもしないその姿はまるで、まるで――死――?

 「あ、ああ……イヤ、嘘――なんで、いきなり」

 シオンしか見ていないフランは気づかない。

 風切り音を伴って飛んできた、短剣が。

 「なにやってんのよこのバカ!」

 グイッと襟を引っ張られて引き寄せられる。首が一瞬絞まったが、今のフランはそれを気にする余裕さえなかった。

 それでも、反射的に問う。

 「霊夢、どうしてここに?」

 「……一応、少し前からいたんだけどね。変な結界のせいで中に入れないし、無理矢理入ろうとしてシオンの集中を途切れさせたら悪いから、遠くから見てたのよ」

 霊夢が警戒したのは、探知用の結界かどうか判断が付かなかったからだ。しかもシオンは何かをやらかしている最中。必然、遠くから見ているしかなかった。

 フランは気づいてしまう。結界が張って霊夢が通れなかったというのなら、霊夢が来る前からいたあの男は、結界が張られる前からここにいたという事に。

 「私が、もっと早く気づいていれば……おかしいからって、問題を後回しにしないで……」

 ビキッ。

 「私のせいでシオンが死にかけてるのに何もできない」

 ビキキッ。

 「私が――」

 ――プチッ。

 「ダァァァァーもうウッザイわよあんた!!」

 叫び札を飛ばして爆発、あの男が回避したのを見計らって半回転、フランの胸元を掴んで、

 「一回頭ン中リセットしろこのド阿呆!」

 その小さな頬を、引っぱたいた。グーで殴らなかったのはせめてもの情け。無いとは思うがこれがシオンだったら、抉りこむように打ち込んでいた。

 爆風は止んだ。回避させて取れた時間はもう無い。向けていた背を正面に戻し、あの男を見据える。

 「アンタが今しなきゃいけないのは嘆くこと? それなら今すぐここから逃げなさい。足でまといは余計。邪魔なだけよ」

 辛辣なセリフ。そこに優しさはない。

 「……ううん、逃げない。ここで逃げたら、私は」

 「なら何かしなさい。きっとできる事があるはずよ」

 話をしながら、おかしい、と霊夢は違和感を感じていた。

 ――なんで何もしてこないの?

 そう思うも、ありがたくはある。後ろを気にしながら戦えるほど、霊夢の戦闘経験は積まれていない。

 霊夢があの男の警戒をしている隙に、フランは多少の知識を総動員してシオンの状態を確認していた。

 (呼吸――無し。心拍も……心臓が動いてない。なら人口呼吸と、心臓マッサージを施しておけば……)

 と、フランの耳が、異常自体を捉えた。

 (え、嘘、なんで。ありえないッ。動いてない、()()()!)

 シオンの身体にある全てが機能していない。それが指し示すものは――死んで、いる、こと。

 咄嗟に能力を発動させるフラン。

 「い、ヤ……」

 無い。

 シオンの中に壊すべき場所にある目印が、無い。

 (違うッ、違う違う違う違う違うッ! そんなことある訳ない、ありえない! だって、アイツはシオンに何もしてない! どんな事があればこんなっ、誰にもわからない方法で、一瞬でシオンを殺せるの!?)

 けれど、事実は変わらない。

 シオンは動かない。決して動いてくれない。優しい声を出してくれない。仄かな微笑を見せてくれない。

 強くて、優しくて、でも弱い彼は。

 ――『大丈夫』だと、抱きしめてはくれない。

 空っぽだった。空虚だった。心にポッカリ大きな穴が空いていた。ふとフランは、どうしてシオンがあそこまで復讐に拘っていたのか、知った。

 ――そう、だね。耐えられない。こんなの、耐え切れないよぉ……!

 姉がいて、シオン以外にも『大切』があるフランでさえ、心がバラバラになりそうだ。なら、彼はどうだったんだろう。

 どんな想いで、唯一の人が喪われるのを見続けたんだろう。

 きっと比ではないはずだ。自分の全てを喪って、それで正常でいられるはずがない。自分の命でさえ駒のように扱える人間が。

 だから走るしかなかった。自分を支える精神的支柱を作るために。

 それが復讐だった。何も無い人間が最後に残された、たった一つ。

 「ねぇ霊夢。シオンのこと――頼んで、いいかな……?」

 「待ちなさいフラン。アンタ、ちょっとおかしいわよ。何があったの?」

 「……お願いね、霊夢」

 「フラン……ああもうッ、勝手な事して!」

 背中から飛んできた霊夢の憤りに内心で謝りながら、それでもフランは止まらない。

 「私はお前を知らない。興味もない。でもね、だけど――」

 翼を広げ、異様に爪を延ばし、鉤爪とする。それを歪に動かし鳴らしながら、喉の奥で叫んだ。

 「シオンを殺したお前を、私は絶対に許さない……ッ」

 

 

 

 

 

 「いきなり何やらかしてんのよフランは」

 豹変、と言ってよかった。額を押さえて頭痛を堪える霊夢は、シオンの体に触れ、そして――ただ理解した。

 「……そういう、こと。なんだ、それなら、言ってくれればよかったのに」

 冷たい骸。微かに残る体温が、目の前の人間だった存在が生きていたことを教えてくれる。

 霊夢はフラン程シオンに思い入れが無い。それでもほんの少しだけ共に過ごした間柄だ。勝手に死なれて何も思わないくらい、薄情ではなかった。

 「腕の一本……いえ、両手両足、かしら?」

 ナニをするつもりだ、と返されるべき言葉に返答はない。死んだ人間は話さない。それを理解していて、何度も見たことがあるのに、慣れる事はない。今まではただ、ああ、死んだのか、くらいにしか思わなかった。なのに、こんなにも痛い。

 懐から札を取り出す。

 「こんな事、生き残った奴を慰めるだけの自己満足だとわかってるけど」

 それを胸の中心に貼り付け、保存の術式を発動させる。腐敗を止め、体を朽ちさせないようにさせるためだけの札。結局燃やすか埋めるかだから、死体の見栄えをよくするくらいにしか、意味が無いことだけれど。

 「精々眠りなさい。深く、長く、安らかに」

 霊夢は気づいていなかった。自分の感情が酷く乱れていたことに。如何に平静を装おうと、彼女は九歳の子供に過ぎない。身近な人間が死ぬ事に、慣れていなかった。

 だから気づけない。勘が働かない。

 「これは――しま――!?」

 転移術式。それを刹那で勘づいた霊夢が反応しようとしたが、その小さな両腕を無骨な鎖が縛り付ける。

 (まさか――まさかまさかまさか……!? 相手の目的ははじめっから……!)

 シオンの死体を回収すること。そのためにあの男は自ら姿を晒し、注意を惹きつけ、シオンから目を逸らそうとした。フランを殺そうとしたのは不確定要素を排除しようとしたから。

 「ダメ、そんなことさせるもんですか……! アンタらなんかに、シオンを渡してッ」

 女の細腕で鎖に抗おうとしても無駄なのはわかっている。だけど、彼の死体を何に使うのか、霊夢にも少しはわかっていた。

 おかしな人間であるシオンの体を解剖するか、はたまたその身の内にあった魔力、その残存を利用するか、あるいは人の肉を好む妖怪に食わせるか。

 させたくなかった。死した人間を弄ぶような真似を。

 でも無理だった。どれだけ力を入れても、霊力で強化しても。相手の慎重に過ぎる用意周到さが霊夢を動かせてくれない。

 一人で来る、なんておかしなことだと気づいたってよかったのに。だが霊夢は今まで他と群れない妖怪と戦い続けてきたせいで、その根本的な部分を忘れていた。

 ――人は、誰かと組んでこそその真価を発揮するのに。

 消える。既に魔力はこもっている。後はもう、上から下に降りるように、簡単にシオンは連れ去られる。

 「クソッ、クソッ、クソッ……! シオン! 嫌だ、やめろ! 私はお願いされたのよ! フランに、あの子に! だから、絶対ッ」

 子供の霊夢ではなく、成長し成熟した霊夢だったなら。あるいは奪い返せたかもしれない。

 でも今は子供だ。

 「――大丈夫よ」

 ならばそれを助けるのは、その成長し成熟した大人であるべきだろう。

 風に乗ったその声は、不思議と荒れ狂う霊夢に届き、落ち着かせた。聞き覚えのあるそれはとても穏やかで知性溢れるモノのそれ。

 数百メートル離れたところから命中させたにも関わらず、永琳は誇らない。背に幼き少女を乗せながら、まるで歩くように優雅に、けれど一瞬で霊夢の元へ移動する。

 「八意、永、琳……? どうしてここに?」

 「無茶をやらかした弟子の怪我を見る、ことだったのだけれど。どうやら意味がなさそうね」

 永琳は一目で把握した。シオンが死んでいることに。もう生き返らせる手立てが無いことに。

 「そう……幻想郷で一番の腕を持つアンタがそう言うなら、そうなんでしょうね」

 「ええ。少なくとも、()()()無理よ」

 「私には……?それって」

 霊夢が聞き返そうとした瞬間、再度魔法陣が足元に展開される。

 二重の罠。一度目のそれよりも鎖の数が多く、中には鋭く尖ったものさえ存在した。下手に避ければ今度は殺す。そんな意思が感じられる。

 「――破魔矢」

 けれど遅い。魔法が発動する前から既に永琳は行動している。

 魔を祓い浄化する矢が地面に落ち、術式を完全に破壊する。永琳手製のそれに、ただの魔法陣が抗う術はない。

 しばし様子を見る永琳。だが三重の罠が無いと悟ると、小さく息を吐き出した。

 「もう無さそうね。アリス、行けるかしら?」

 「はい、いつでも。ですが私の能力(チカラ)では、シオンを治すことは……」

 「普通なら、そうよ。でもね、『あなたとシオン』なら、話は別。きっとできる。さ、疑問は後回しよ。今はとにかく能力を使いなさい」

 わかりました、と素直に頷くアリス。彼女は永琳が冗談を言わないと知っている。特にこんな酷い冗談は。できると言ったなら、できるのだ。

 「ねぇ永琳。あの子――アリスとやらに、一体何ができるの?」

 さりげなく気配を殺して永琳に接近した霊夢が尋ねる。変なモノクルを付けていたのに疑問を抱いたが、今はどうでもいい。

 「霊夢。あなた、自分の体を見知らぬ他人に触られるのをどう思うかしら?」

 「ハァ? アンタ正気……か。嫌よ、絶ッ対にイヤ。服の上からでもゴメンよ、そんなの」

 「で、しょうね。でもね霊夢、あの子はそれを許してしまう魅力を持っているの」

 と、永琳が霊夢の両腕に触れる。

 「アリスがやっているのは、相手の肉体――正確にはその細胞に干渉して、活性化させること。でもね、それをするには相手の肉体を知らなければできないことなのよ。活性化させすぎて相手の体を歪に治したら意味がないでしょう?」

 永琳にも真似事ならできる。だが、それがもたらす結果は――

 「ッ、放せ気持ち悪い!」

 全身を悪寒に包まれ全力で脱出した霊夢を見れば、わかるだろう。

 「どんな感じたったかしら?」

 「まるで体の内側と外側を変な触手が這いずり回ってるみたいだったわ……わかりやすいけれどもう絶対ヤメテ。治してくれたのは素直に感謝するけど」

 両腕をさすり、先程の気持ち悪さを打ち消そうと必死になる霊夢。

 「でもわかったわ。アリスはこの気持ち悪さを相手に感じさせないどころか、無意識に許したくなるような魅力があるのね?」

 「ええ。正確には、相手が気持ちいいと感じる程度の強さと速さで少しずつ相手の肉体を把握していってるのだけれど」

 「だけど、それがシオンと何の繋がりがあるのよ?」

 「……細かいところは話せないけれど、似ているからよ。人間としての本質ではなく、一個としての在り方が」

 仮にアリスの力を例えるなら、相手と寄り添い支える彼女は『同調』だろうか。同じ調べを作り上げられる彼女の能力は、とても優しく甘い。

 永琳のモノクル越しに見る光景は、酷かった。吐き気を催す程に。見下ろすシオンの死体は、本当のところ『まだ生きている』。だがその『内側』がダメだった。

 このまま放っておけば、本当に死ぬ。輪廻転生すら許さず、『シオン』という存在はもう二度と生まれ変われない。

 今目を閉じ祈るようにシオンの手を握る、アリス。

 アリスだけが、シオンを救えるただ一人の女神だった。




すいません、前回の更新から色々あってモチベが死にかけです。多分今までで一番最短。なんとかあげようとは思っていますが、筆が乗らない。

ネタは、あるんですけど……頭が痛い事がありまして。

なんとか続けられるよう頑張ります。


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壊れたモノは

 勝つつもりは、初めからなかった。

 フランにとっての目的は『相手を殺しきる』こと。その過程で自分が死を避けきれない重傷を負おうが構わない。そんなもの、気にする感情の余地さえ残っていない。

 勘違いかもしれない。フランの間違いで何もしていないかもしれない相手を一人、死なせてしまうかもしれない。

 だが、彼女に『かもしれないから』なんて可能性で止まることはできない。

 フランは炎剣『レーヴァテイン』も、自身の能力である『ありとあらゆる物を破壊する程度の能力』も使うつもりはなかった。少なくともこの人間相手には致命傷だ。

 傷を治そうとして能力を使ったシオンが倒れた。それはつまり『能力を使おうとしていなければ意味がない』状態だったのだ。それがキーになる。

 だから特殊な力は使わない。使うのは吸血鬼としての異能(チカラ)。人間ではなく超人、バケモノとしての力だ。

 翼を広げる。四肢に力を込める。最も力を入れるのは両手だ。

 ビキッ、と音がした。フランがこの力を使うのは久しぶりのこと。だからこの音を聞くのも、久しぶりだった。

 伸びる。指先が。そして爪が。鉤爪のように鋭く長く。

 「殺す。殺してやる。ううん、違う。シオンを殺したあなたを――殺してあげるッ!」

 感情の爆発が、フランの抑えを、枷を外す。かつて初めてシオンと殺し合ったときよりも、ただ速い。

 それでも、最初の一撃だけは外すつもりだった。その反応如何で殺す殺さないを決める理性くらいは残っていたのだ。

 ――片目くらいは、いいよね?

 殺しはしないが、そんな物騒な思考は持っていた。下手をすれば目を貫通して脳ごと貫きそうなものを、フランは躊躇を失った脳の命令に従うがまま腕を振るう。

 普通はよけられない。ただ喰らうしかない攻撃。

 それを、相手は敢えて一歩踏み込んで肘で腕を押さえ込み、隠し持っていた短刀でもって返答とした。

 狙いは心の蔵。ここを貫かれたとしても、然るべき休息をすれば生き長らえる。だが、同時にしばらく行動不能になってしまう。背中の翼を片側だけ振動、グルリと一回転して抑えを外しながら攻撃。

 五指の爪による攻撃範囲は広い。なのに、当たらない。当たり前のように範囲を読み、攻撃を外させ、フランを恐れず一歩の距離を確かに詰めて、その小さな剣で喉、心臓、鳩尾、それができなければ手足の末端を狙ってくる。

 喉はできれば程度のようで、狙う回数は少ない。心臓と鳩尾は例え外れてもその他の部位に当たりやすいほど的が大きい。手足は血を流させることと、強制的に再生させて疲労をもたらすことを目的としていた。

 ――耐えるしかない。

 攻撃している回数は圧倒的にフランの方が上なのに、少ない隙を確実に、堅実に狙ってくる相手に負けている。

 シオンはわざと超々近距離で戦ってくれていた。それもフランの叫びを受け止めるために、本来不得手な相手の攻撃を受け止める戦い方で。だから慣れていない。こんな、まるで影を踏むような戦い方なんて知らない。

 だから耐え続ける。殺すために。痛みに、屈辱に耐え、ただ一手を探すために。

 

 

 

 

 

 アリスにとって、そして誰にとっても幸いだったのは、シオンの体が完全に朽ちていない事だった。

 確かに彼女は細胞一つ一つに干渉し『ああして欲しい』『こうして欲しい』と願う形で色々な事を起こせるが、その細胞自体にそれを叶えるだけの元気が無ければ効果がない。霊夢がせめてもの供養のためにシオンの体を朽ちさせないよう『保存』しようとし、その上で転移による奪取を暴れて邪魔して永琳達が来る時間を稼いだ。

 本人に自覚は無いだろうが、彼女の行動がシオンを救った。とはいえ、このままでは先延ばしになっているだけにすぎない。

 心臓を動かす。胸を上下させる。体の機能を取り戻させる。それでやっと『生きている』体に戻れる。

 目覚めないシオン。アリスの力が十全でない以上、アリスが離れるか、力の限界が来ればシオンの体はまた腐へと向かっていく。

 「映倫様。やはり、これ以上は」

 無駄なコト、そうは言えなかった。

 アリスのやり方は完璧だった。むしろ本人すら知らぬ内に限界を超えて力を行使してさえいる。それでもなお目覚めないということは、つまり。

 わかっていてもやめないのは、諦めたくなかったから。

 だって、友人なのだ。

 気味悪がって、怖がって、泣き叫び恐れから叫んだ言葉で最悪なコトを言った。それを許し、勝手だが友とさえ思っている。その相手が目の前で死んでいくのを見るのが、嫌だ。

 「ええ、そうね。これ以上は『無駄』よ」

 なのに、その希望を永琳はスッパリと、そしてバッサリと切り捨てる。

 「な、永琳あんた!」

 「霊夢様」

 いきり立とうとした霊夢を止めたのは、アリスの視線だった。永琳は無駄なことをしない。まして一度、たった一ヶ月の期間であろうと取った弟子を何の理由もなく見捨てる訳がないと、信じていた。

 「――アリス。あなたは色んな『サイアク』を見る勇気が、ある?」

 「……『サイアク』、ですか?」

 「ええ。知りたくもない現実(サイアク)よ」

 「あります。それがなんなのかなんてわかりませんが、堪えてみせる。だって、私が思考停止したらシオンの体が完全に死んでしまうでしょう?」

 だったら耐えなければなりません、そう戯けるアリスは、だが怖れも抱いていた。永琳が、月の賢者が『そう』と言ったのなら、それは本当に『そう』なのだから。

 アリスの返答にしばし考える永琳。彼女の思考速度は常人の比ではない。数秒で考えを纏め終えると、ずっと気になっていたモノクルを外し、アリスの目に取り付けた。

 「――え」

 見えてきたモノ。それはなんの変哲もないようでいて。

 「あ、な、これ……そ、んな……!?」

 最初はわからなかった。理解さえできなかった。なのに『視』えてしまうそれがなんなのか、理解できてしまう。

 それは、記憶だった。それは、人格だった。それは、感情だった。それは、ありとあらゆるモノを内包していた。

 そして――バラバラに壊れた、『魂』だった。

 目を動かす。ギョロギョロと、はしたなく、だが何より忙しなく。

 ――視える。

 石、木、様々なモノの中にある、小さな、だが確かにそこにある『魂』の形。永琳や、心配そうにこちらを見ている霊夢の内側にさえ存在している。

 だからこそ、アリスは目を閉じ力の行使だけに意識を集中した。

 「なん、なんですか、これ……こんなの、本当に」

 見たものは、まさしく『サイアク』だった。見たくもないことを見せられる。それはきっと、生きていく上で想像したくもない事の一つ。

 事実から目をそらし、耳を塞ぐ。それは逃避だが、一種の精神保護措置でもある。

 「もう、わかっているのでしょう?」

 まさしく、今のアリスがそうであるように。

 「あなたが『視』たものは、それだけで全てを証明できる」

 永琳は許さない。逃げていくことを。

 「でも、だったらッ! シオンはもう絶対に助からないじゃないですか!!」

 モノクル越しに永琳を見ることさえ厭わず、アリスは彼女を睨みつける。

 ――ああ、なんて酷いモノ。

 永琳の『魂』はとても綺麗で、とても醜い。整っていて、壊れている。あらゆる矛盾を内包し包括し、存在している。

 「ねぇ、永琳。話の途中で悪いのだけれど、私は帰らせてもらうわ。ここにいてもわからないことだらけだし、下手に誰かを連れてきても意味がない。『鬼はシオンが追い返した――』それだけ伝えて安心させてくるから」

 空気を読み、霊夢は敢えて引いた。実際ここにいても意味はない。できるのはフランの加勢くらいだろうが、あの勢いだと加勢した相手すら切り捨てそうで恐ろしかった。

 永琳とアリス以外、誰もいない。

 「……答えてください。これでどうやって、シオンを助けるというのですか」

 そう問えるだけの余裕が、アリスにはあった。酷く汚い物を垣間見て、それでもまだ信じられたのは、永琳の魂を視れたから。

 「今のシオンは、内が壊れた状態にある。元々魂とは無垢だと言われているモノ。そして生まれてから色々なことを経験して、感情を、記憶を、人格を、あらゆるものを宿して、最後は死にゆく体から解放され、どこかへと向かう」

 だからこそ、アリスはシオンの魂を、永琳の魂を、そして少しだけだが霊夢の魂でさえ視てしまった。まるで相手の全てをのぞき見るようなそれは、アリスに凄まじい罪悪感を与えた。

 「真っ白なキャンパスに色を描き、完成させる。でもシオンは、そのキャンパスが壊れ、作られた全てをバラバラにされた」

 だから、体が生きていても動けない。精神が残っていても動かすための燃料がない。魂を喪った体はただの人形に朽ち果てるしかないのだ。

 「――アリス。『これ』を()しなさい。()すのではなく、()すの」

 「む……そんなの無理です! 私の能力はそこまで便利ではないのを、永琳様はご存知のはずですよね?」

 「わかっているから言っているのよ。あなたはもっと自分を、自分の能力を信じなさい。ただ橋掛かりにさえなれればそれでいいの。後は、彼が自力で戻ってくる可能性に賭けるしかないから」

 あやふやでよくわからない言葉。

 だけど、信じるには十分。賭ける意義も意味もあるのなら、それでいい。

 「私の言うことに従いなさい。まず、これ以上魂がバラバラに崩れるのはマズいわ。包むようにして崩壊を防いで」

 「はい」

 今はただ、彼女の言に従う以外に道はなかった。

 

 

 

 

 

 ――暗い。昏い。冥い。……(くら)

 思考できない。記憶がない。そもそも存在しているのかどうかさえあやふやだった。

 『自分』がバラバラに壊れて消えていく。そんな自覚があるのに恐怖を感じない。ただそうなるんだという感覚しか胸の内に浮かばない。

 願いも、誓いも、約束も。全部が溶けて無くなっていく。

 全てが無に染まって零れ落ちるだけ。死ぬことよりも恐ろしいことを、けれど何も感じないのは果たして正しいのか間違いなのか。

 ここに残っているのは、本当に重要な、最期の最後。これが消えれば、もう二度と自分は立ち上がれない。

 何となく、それもいいかな、と思った。思考できないはずなのに、疲れた、と疲弊しきった精神が嗤う。このまま無に消えて行っても、約束は完全には破らない。

 何度も何度も死にかけて、その度にみっともなく生き残った。

 『生きて欲しい』――その願いはなるだけ叶えられた。

 『幸せになって』――その願いは絶対に叶えられない。

 だって、シオンにとっての幸福は、大好きで大切で、誰より愛した『姉さん』と共にあることだけだったから。

 唯一できた、初めての友が好きだ。

 姉で、母になると言った人が、大好きだ。

 そして――気づけば異性として気になっていたあの人を、愛している。

 その想いがあるから頑張れた。その想いが強すぎたから、最期の姉さんの願いを絶対に破ることができなかった。

 『姉さん』がいたから『シオン』ができた。

 ……だから縛られる。『■■』にできたことが、『シオン』にはできない。

 自分の本当の名前を名乗る機会があったのは、自暴自棄になっていた、紅魔館で、誰に会ったとき、だっけ――?

 『やれやれ、キミは僕達との約束を破って消えてしまうのかな?』

 いつの間にかそこにいた、自分を見下ろす『シオン()』が見える。髪も、肌も、服も。全てが黒に染まっているのに、確かな形として存在している。けれど、消えかけの人間は疑問に思うことも、それに反応することもない。

 『ああ、この姿? 僕に形はないからね。キミの姿を借りたんだよ、シオン』

 そっちのがわかりやすいだろう? そう言って笑う彼は、しかしわかっていない。

 自分と同じ顔形をした人間がいれば、最初に思うのは戸惑いだ。それがわからない時点で、この黒いシオンは人間とは全く別の立場に立っている存在だとわかってしまう。

 『あの子も怒っていたけど……まぁ、あの子は喋らないからね。僕が代弁させてもらうよ』

 スゥ、と息を吸う動作。それは人間らしいが、どこかわざとらしさが見え隠れしていた。

 『僕達が力を貸してるのはキミの為じゃなくて僕達の願いのためだなのにキミはいつもいつも好き勝手に振舞ってて僕達の願いはほとんど叶わないいつもいつも似たような光景ばっかり見せられてウンザリしてるんだよ折角幻想郷(ここ)に来て少しはマシになったと思ったのにやっぱり根本は変わってないし挙句の果てにはこれだよ――いい加減にしろッもっと見せてくれよ視せてくれよ魅せてくれよじゃないとキミに協力する意味がないじゃないか!』

 結局のところ、それは単なるグチだった。頼りになる人物に己の心中を吐露するだけの行為。

 『でもね? そんなキミだから、僕達は手を貸したんだ』

 苦笑いを一つ。その形は、やはりシオンのそれと似ても似つかぬ。同じ容姿で、だが決定的に違うことの証左だった。

 『キミは自分を大事にしない。だから自分の欲や周りを欲に振り回されて僕達の力を振るおうとはしない。それが一番重要なんだよ』

 また苦笑いをする。それはついつい漏らしたものだった。

 『やっぱり、こういう時にかける言葉なんてわからないな。――僕には、無理だ』

 彼は一度シオンの頭を触る。撫でようとしたのか、あるいは気付けで殴ろうとしたのかはわからない。

 『このままキミが消えたとしても、僕は受け容れる。それがキミの選択だから』

 せめて悔いのない方を、選んで欲しい。

 そう言い残して、黒いシオンはどこかへ消えた。

 また、静寂が戻る。残されたシオンは目を閉じ、全ての情報を遮断した。

 ――――――――――――――――――――――――――……………………

 ―――――――――――――――――――…………………

 ――――――――――――…………………

 ――――――………………

 ――お――さ――

 ………? ―ら――き――

 『起きなさいこのネボスケ!』

 「――え!?」

 ガバリと体を起こす。無に帰そうと、バラバラになって消えかけていたことも、今もなお喪いかけていることでさえ、気にならない。

 この声を、聞けるなら。

 「ど、どこ? どこ姉さ――」

 「こっちよ。どこ見ているのよ」

 バッ、と真後ろを振り向くそこに、確かにいた。

 雑多に切った肩にかかる程度の黒髪を。舐められないよう敢えて釣り目にしたキツい両目を。不敵に笑うその顔を。

 誰より、何よりも知っていた。

 パアァ、とシオンの顔が輝く。零れ落ちた大半の記憶の中で、それでも消え去る最後まで残そうと思っていた姉さんとの記憶。

 その記憶が示している。この人は偽物でも、最期に見えた幻でもない。本当に本当の『本物』なのだと。

 文句を言おうと口を開きかけたその人に、脇目も振らず近寄る。

 「会い、たかった……ずっと。ずっと――」

 大きかったと思っていたその体は、今のシオンにはとても小さい。それを感じたのはシオンだけではない。

 「なんだ……こんなに大きくなっちゃって。あんなに小さかったのになぁ」

 感慨深く息を吐く。ただ、腕が勝手に動いていた。

 「久しぶりね、シオン。私も――会いたかった」

 そう笑って、シオンを抱きしめ返した。

 それからシオンは幻想郷に来てから起きたことを全て話した。紫の無茶苦茶な願い、藍の尻尾の艶やかさ、幽香の理解不能さ、てゐの頼もしさ、鈴仙のアリスを想う心、アリスにしてしまったかもしれないこと、レミリアの『姉』心、咲夜の従者としての心構え、美鈴から教わった太極拳とそれを鍛えるための向上心、パチュリーと交わした魔法の議論、そして――そして、地下に繋げられ続けた、とある少女のお話を。

 「ここに来た理由はよくわかんないなぁ。なんかされたのはわかるんだけどさ、気づいたら色々バラバラになってたって感じだから」

 「うーん、私はシオンが見聞きしたことを知ってるだけだからなぁ。それに私、肉体は持ってないけど精神的な疲弊はあるからたまに寝るし」

 一緒になって悩む二人。だけど、シオンのそれはただのポーズだった。一緒にいるだけで楽しくて、こうして他愛もないことを話すのが好きだった。

 「それで、次は何を聞きたい? なんでもいいよ! 姉さんといるだけで、俺は」

 「シオン」

 だから、彼女は『姉』として、『弟』を止めなければならない。

 「どうして、私が死んでからすぐのことを話してくれないの?」

 「――――――――――」

 笑顔が、壊れた。楽しそうな雰囲気が全て凍り沈黙へ導く。もう一度問おうとシオンを見れば、帰ってきたのは擦り切れ切った顔だった。

 「……どうしようもなかったよ。死にたくて、死にたくて、何度も死にたいと願い続けて、でも約束があった。だから必死になった。意固地になった。それを支えにした。それを果たすために枷と誓いを作ってそれだけに全力を尽くした」

 見てたならわかるよね? そう言ってシオンは姉を見つめる。

 「――俺は、もう、生きていく気力が、無いんだ」

 目的がない。目標がない。いいや、目標はあるが叶えられるなんて露程も思っちゃいない。叶えられない目標なんて、掲げている以外に意味はない。

 「シオン、あなたはここで私といるためなら、他の全てを捨てられる?」

 「もちろん。他全てと姉さん一人なら、俺は姉さんを選ぶよ」

 「そ、う」

 即答だった。躊躇さえ無い。だが。

 ――それを嬉しく思えても、叱らなければならないのだ。

 体をシオンに向ける。そして、覚悟を決めた。

 ――パァンッ。

 「ひとつだけ、私はシオンに謝らなければいけないことがあるの」

 泣きそうになって、でもそれを覆い隠す。

 「私はあなたを縛った。あなたの私に対する想いを軽く見て、軽く言った言葉を重荷にしてしまった」

 本当は、シオンに幸せになって欲しかっただけなのに。それだけを願っていたのに。時間が足りなくて、伝えきれなかった。

 「……私はあなたを縛りたくないの。私はもう死んだ人間。生きているあなたを殺して、歩みを止めさせて、あるかもしれない希望を、奪いたくない」

 知っている。そんなのは限りなくありえないことを。

 けれど可能性はある。ほんのちょっとの、細い糸のような希望が。

 「わかってる」

 シオンとて、理解はしている。

 「それでも俺は、姉さんと一緒にいたかったんだ」

 でも。

 「まだ『約束』があるから。俺は全力で『生きて』みせるよ」

 そう、シオンは完全に死んでいない。なら、先ほど捨てかけた約束を拾い直したって、いいはずだ。

 「ねぇ、姉さん。最期に無理な約束を押し付けたんだ。こっちも一個、約束を押し付けたっていいよね?」

 「わかったわ。何でも言いなさい」

 「俺が死ぬまで生き抜いてみせたら。もう一度、会ってほしい。死ぬ寸前までやり抜いた事を、語り終えるまで聞いて欲しい」

 「すぐに死なれたら困るわ。本当に、何日経っても足りないくらい一杯お話を作ってからよ」

 バラバラに壊れた魂を拾い直す。今ならきっと、なんでもできる。それくらい、気力が充実仕切っていた。

 「あら、誰かの助けも来たみたいね」

 それに、姉さんの言うとおり。ずっと、シオンが消えないように、シオンの魂を優しく包んで守り続けた誰かの暖かい気配を感じる。

 でも、今は。ただ姉さんに伝えたい言葉を、伝える。

 「姉さん。あのときは『さよなら』だったけど。今度は」

 「ええ。もうその言葉は、いらない」

 「「――『また』、ね」」

 消える。消えていく。それを消え去る一瞬まで笑って見送り続ける。

 見送って――その場にくずおれた。

 「……イヤ。イヤ。本当は、行って欲しくない。傍にいて。隣で笑っていて。あなたの声を聞かせて。あなたの体を抱きしめさせて」

 私は、強くなんてない。シオンがいなきゃ『姉』面もできない弱い存在だ。だけど、さっきも言った『縛りたくない』という言葉も本当だった。

 どうしようもない二律背反。それでも彼女はシオンの未来を願った。自分の手でその道を奪いたくなんてなかった。

 あぁ、でも。悲しい。痛い。また一人。会いたい、会いたい、会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい――。

 『……うまくいったみたいだね。でも、あちらを立てればこちらが立たず、か』

 真っ黒に染まりきった『シオン()』が見える。その後ろには、真っ黒とは逆、シオンの全てを真っ白に染めた『シオン()』がいた。

 シオンよりも遥かに白いその姿は、余りに白すぎて眩い。

 全てを飲み込みそうな『シオン()』と。

 全てを弾き出しそうな『シオン()』と。

 全く正反対の彼らは、だが不思議と似通っていた。外見ではなく、中身が。

 白は喋らない。黒の後ろにしがみつき、ただジッと彼女のことを見つめている。これは何も今回だけではない。いつものことだ。喋るのは黒で、白はただ見ているだけ。

 「来ないでちょうだい。今は、その姿を見ているだけで辛いから」

 『彼のことを思い出してしまうから、かい? でも、キミも彼の事は知りたいはずだ。戻れた彼がどうなったのか、とかね?』

 それは、弱みを知っているからこそできる顔だ。

 『キミは確かにシオンの事を知っている。でもそれは、決してキミの力のおかげじゃない』

 「……それは」

 『キミは僕達が見聞きしたことを僕達から聴いてるだけで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ――キミは僕達を頼るしか彼を知る方法が無い。

 顔を歪める黒の顔は、まさしく悪人面だった。

 「シオンの顔で、そんな顔をしないでほしいのだけれど」

 『ああ、これは失敬。どうにも顔のつくり方がイマイチでね。これでも試行錯誤してるんだ』

 けれど、彼のおかげで気を紛らわせたのも事実。嫌味はあるが、これが彼なりのやり方だ。もう慣れてしまった。

 「もういいわ。さっさと外の状況を教えなさい」

 『うん、いっそ清々しいまでの二面性だ。シオン以外の前だとほんっと高圧的だよねキミって』

 とはいえ、教えるために現れたのだから、特に異論はない。

 『――ま、多分何とかなるよ。いつもどおりにね』

 

 

 

 

 

 「――()()()()()?」



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魂の破片

 目が覚めてはじめて見えたのは、鮮やかな黄金だった。次いで蒼天。目を少し動かせば大量の木が生えた森が。

 「……誰だ? それに……ここ、は」

 掠れた声が喉の奥から漏れる。それが聞こえたのか聞こえていないのか、彼女は目を見開き隣にいた女性に慌てながら声をかけた。

 その女性は少女を落ち着かせながら、だが顔のどこかに喜色と安堵を滲ませていた。

 それを横目に上体を起こす。ふいにピシリ、と小さな痛み。

 ――状態の確認。

 ――記憶に混濁。睡眠に入った時と風景に多大な変化。

 ――可能性の一つとして、彼女らが移動させたことを提案。

 ――提案の破棄。触れられれば起きる。長時間触られた痕跡も無し。

 ――結論の保留。思考時間の無駄。

 ――肉体に小さな異常。

 ――左腕及び左足の反応速度に若干の遅れ。左側の視界が暗い。

 ――恐らく左半身全体に何らかの障害を負っているモノと思われる。

 ――それを前提に動かせば戦闘には支障無し。

 ――着た覚えの無い服装と装飾。

 ――気にする必要はないと判断。

 ――総合的な結論。

 ――特に異常無し(オールグリーン)

 思考を止め、立ち上がる。だが微かな違和感に体がフラついた。ふいに視界の端に誰かが戦っているのが見えた。

 が、どうでもいいと判断し、背を向ける。

 「え、あ、どこ行くの?」

 無視。しかし相手は急いで立ち上がると、手を握ってきた。

 「あの子が戦ってるんだよ? あの子、シオンの友達じゃないの?」

 指差す方向を見る。確かに戦っていた。

 「あのさ、さっきから気になってたんだけど」

 その顔を、見たことがなかった。

 限りない無表情、行き過ぎたまでの棒読み。

 「――『シオン』って、()()?」

 「え、な、そんな、笑えない冗談を……」

 「冗、談?」

 コテン、と小首を傾げているのに、その動作はまるで人形のよう。機械染みた動作。その所以を知らない。知っているのは、もう一人。

 いつの間に動いていたのか、彼女は真後ろから囁くような声で言った。

 「アリス、さっきみたいな要領で能力を使いなさい。それで多少マシになるわ」

 「もしや、永琳様は……いえ、わかりました」

 今はまだ触れられている手に、力を込める。そして跳ね除けられる前に、能力を使うッ。

 「……? ――なっ!?」

 バッ、と手を離す。触れられていた部分をさするが、今は何ともない。

 ――何だったんだ、今の。

 とても暖かくて、優しい……そう、まるで母に抱きしめられているかのような安心感。

 「オイ、()()()何しやがった」

 それが、異常なまでの警戒心を生み出した。

 先ほどまでとは打って変わって獣のように警戒心と闘争心。一体どういうことなのかと永琳に視線を向けようとすると、やっぱり……と言いたげに頭を押さえていた。

 「モノクルで彼の魂を見なさい」

 言われた通りに目を向ける。

 人の魂はその人の在り方全てを映す。だから彼の意識が戻ってからは見ないようにと気をつけていた。

 だから気付かなかった。

 「え、なん……欠け、てる?」

 彼の魂が、未だバラバラに砕けたままなのが。

 正確には、今この瞬間にも少しずつ元に戻り始めている。だが彼を彼たらしめている根幹部分からはじまり少しずつ戻っていても、余りに遅い。

 だからアリスの力で強制的にその速度を活性化させた。その結果が今の彼。

 でも、ちょっと待って欲しい。

 ――さっきの人形みたいなシオンが過去の彼なら。

 今ある魂の破片、それはかつての彼。たった数年の記憶。

 ――一体どんなことがあれば、あんな状態からこんな状態になるのだろうか……?

 「ごちゃごちゃ話してないで答えてくれないか? なんなら骨の一本二本折ってもいいんだぜ。うまくやればそれだけでそこそこの拷問になるからな」

 億劫そうに答えるが、爛々と光る目が本気だと伝えている。ジャリ、と足音が鳴り、今にでも動き出しそうだ。

 「私達が何かした保証でも? あなたに何が起こったのかはよくわからないけれど、少なくとも私にはあなたがいきなり手を離したようにしか見えないわ」

 「……。ッチ、屁理屈か。まぁそれならそれでいいさ。今回は見逃す。だけど、次はない」

 ――次は殺す。

 そう言うと、さっさと背を向け歩き出そうとする。けれど、アリスと永琳にはそうできない理由があった。

 「あ、あの! あそこにいる子――助けてあげて!」

 「はぁ?」

 その声音には、心底からの呆れが宿っていた。チラとまだ戦っている二人を見、そしてありえないなと肩を竦める。

 「助ける理由がないな。少なくとも自分の命を賭けに出す程じゃない」

 「そんな理由で……ッ」

 「甘い」

 ズカズカとアリスににじり寄ると、その額をグリグリと押した。

 「いいか。他人を助けるなんていうのは、余裕が有る奴だけだ。余裕があるから他が見える。他に手を差し伸べる余地がある。――そうでないなら単なる自己犠牲か、あるいは自己満足に浸るバカだけだ」

 要するに、見栄っぱりだけが誰かを助けようとする。体が勝手に動いたなんて言う奴は、頭のどこかがイカれている。

 「油断すれば死ぬ。他所見をすれば死ぬ。ちょっと手を出したら腕ごと持ってかれる。だから手を出さない。オレが誰かを助けるなら、そうした理由を持っているからだな」

 あくまで見返りを求める。貰えないのなら切り捨てる。

 「で、テメェは俺を動かすだけの対価でも持ってるのか? 無いなら邪魔するな。あそこで戦ってる奴のどっちが生き残ろうが死のうがオレには何の関係もない」

 言い返せない。彼女には差し出せるモノが何一つとしてないからだ。元々この世界に落ちてからはずっと永遠亭に居候させてもらっている身。持っているモノはなく、強いて言えば服についていた装飾品くらいだが、彼にとっては何の価値ももたない。

 「はい、これ」

 「……なんだこれ?」

 そこに永琳が差し出したのは、茶色い棒のような食べ物。

 「それは乾燥させたクッキーね。それ一つで一日分の栄養が補給できるように改ぞ……改良したから、それでどうかしら?」

 「これ一つで命を賭けるとでも?」

 「ならそれ一つで彼女達の戦闘の考察。それが終わったら数百個を追加するから、助けてあげてちょうだい」

 「ふぅーん。いいよ、交渉成立。ちゃんと貰えるのなら別にいいさ。働かせてもらうよ」

 クルッと背を向け戦っている二人を眺める。

 そんな彼を見つつ、アリスは永琳に問うた。

 「あの、何故シオンはあっさり受けたのでしょう……?」

 「端的に言えば食糧不足が故の栄養不足、が理由でしょうね」

 「? ……???」

 「あなたは知らないでしょうけれど、地域によってはその日を生きることすら困難な人々もいるの。彼もその一人。だから、私が提案した事に乗ったのよ」

 たった一度の戦闘で、数百日分の栄養価を貰えるのなら、安いモンだと計算して。

 「命が……軽い。まさか、シオンの生に対する執着心の薄さは……」

 「人はあっさり死ぬ。それをまざまざと見せつけられた結果でしょうね。痛みを許容できるのは単に『死ぬよりはマシ』と割り切っているから」

 他にも色々理由はあるが、それをアリスに伝えるには余りに酷だ。そうこうしていると、彼は完結に纏めた言葉を述べた。

 「――うん、多分もう少ししたら死ぬんじゃない? あの子」

 それが考察した結果だった。どうあがいてもその結論は覆らない。

 まず少女の戦闘方法は、巨大な(エッジ)を、片方を攻撃、片方を防御に使っている。対して少年は一本の短剣(ナイフ)を振るっているだけ。攻撃を逸らすために体術を使っているが、主なダメージソースはあの剣だけだ。

 さて重要なのは、あの二人の有利不利な点。

 少女は圧倒的な身体能力と大きなリーチ。だがそれは技術が足りず、ただ力任せに振るっているに過ぎない。

 少年は少女に比べ一歩劣っているものの、類希な技術でもって攻撃を逸らし、小さな隙を的確に狙っている。実際先程から食らっているのは少女の方だけだ。まぁ少年が一度でもまともに攻撃を貰えば死ぬだけだが。

 「あっちの女の子、たまーに攻撃方法(パターン)を組み替えてるみたいだけど、あんまり効果は無いね」

 攻撃と防御の両立から、防御に比重を寄せて相手の隙を伺おうとしたり、逆に攻撃一辺倒になって防御なんて知ったことかと両手を振るったり。

 だが防御し続けても反撃の隙が無く逆にダメージを貰い過ぎ、攻撃一辺倒になればできた隙を狙われて大きな傷を受けたりと、全くいい事がない。最初の構え(デフォルト)が一番いいとはどうしようもなかった。

 まぁわからなくもない。ある意味彼女の行動は片手に剣を、片手に盾を構えていたようなもの。それを両方剣にしたり盾にしたりしても意味がない。

 どちらにしろアレが一番安定している以上、よっぽどの事がない限りはこのままチマチマと削られて終わり……

 「そもそも彼女のあの再生能力が無かったら出血多量でとっくに死んでるだろうね」

 そしてここまで考え――同時に栄養補給だと先ほど貰ったクッキーを口に放り込みつつ、永琳の提案を断ろうかと思ってしまった。

 「断る? どうして?」

 「どうにも割に合わなそうなんだよね。アイツ、強いよ。オレ程じゃないけど、肉体的にも技術的にもかなりのレベルで完成してる。下手すりゃ負けるね」

 死ねば終わり。それが今の根幹である以上、やりすぎはダメだ。だから、断ろうとして――ドクン、と心臓が鳴った。

 ブツッと頭に再生される見覚えのない映像。

 助けて、助けられた。支えて、支えられた。そんな、掠れて見えない記憶。さっきからよくわからないことばかりが起こって頭が混乱している。

 「ぁー……やっぱいいや。なんかわからんけど、何もいらない」

 「それは、つまり?」

 「何もいらないけど、あの子を助ける。助けたい。それがオレの頭が喚いていることみたいだから」

 わからない。わからない。わからないから思ったことに素直に従う。それで今まで何とかなってきたから。

 自分の直感を、ただ信じる。

 「助ける理由、できたっぽいね」

 とりあえず、あの短剣を止めてこようか。

 

 

 

 

 

 ――勝てない。

 予想はしていた。だが想像以上に食い下がれない。何度あの短剣が肌を掠めていったのかも覚えていない。

 だけど引くことだけはしたくない。自らを見失うほどの狂気の愛ではなかった。日常で生まれた小さな恋心、それを少しずつ育んでいく事で生まれた愛。その感情が、フランを前へと進ませている。

 ――負けることは、もう決まってる。

 だったら。

 ――死ぬ寸前に、コイツを道連れにするッ。

 もう避けきれない。ならわざと心臓に貰う。そしてそのまま相手を抱きしめ殺す。

 ――こんな奴を抱きしめるなんて、それこそ()()()()イヤだけど。

 少なくとも、完全な負けではなくなる。

 短剣が自分を貫いてすぐに行動しなければダメだ。腕を捻られれば内蔵をかき混ぜられる痛みに耐えられないだろうから。

 ――ああ、でも。もう一度くらいは、シオンの顔が見たかったなぁ。

 死に顔でも構わない。彼の顔を見られるのなら。それだけで十分だった。

 「なーんで誰も彼もオレのことをシオンって言うのかね? 名乗ったことあったっけ?」

 この雰囲気に合わぬ軽快な声。短剣を指の合間に挟んで受け止め、貫手を腕で逸らす。攻撃が通らないと知るとバックステップで下がった少年の潔さ。

 (オレが言うことじゃないけど、妙に戦い慣れしてるな)

 「ほ、ホントにシオン……?」

 「どーでもいいだろそんなコト。邪魔だしさっさと下がってくれないか? さっきの戦いぶりを見た限り、正直いらない」

 武器はない。あればいいが、素手でも何とかなるだろう。最悪相手の持ってるあの短剣を奪えばいい。

 後ろにいる少女はこの話し方から違和感を覚えたらしい。追求される前に手を振ってシッシと追い出す。何か言いたげだが、そんな余裕はない。

 彼女が遠くに行ったのを知覚する。ならもう十分だろう。

 言葉はいらない。交わす理由はない。だから足を前に出す。拳と短剣が交差する、その寸前でふと思った。

 ――あの羽、本物なのか?

 ガキンッ! と短剣と肉体がぶつかったにはありえない音が響く。しかしそれを気にせず足を捌いて相手の股座に突き刺し捌く。だが相手は倒れないようにと足を回して逆に投げ飛ばそうと背負投げをしかけてきた。それを甘んじて受ける謂れはない。自身の胸と相手の背中が密着した瞬間その無防備な首筋目掛けて歯を剥き出しにする。

 その攻撃を、咄嗟の直感でも発動したのか構えを解除して距離を取ってくる。このまま逃がすつもりはない。追いかけて軽いジャブ。短剣を合わせてきたから体を沈めてブローに変更。短剣を打ち上げ――同時に上体が浮いた相手の胸に手を添えて、衝撃。

 吹き飛ぶ少年。が、手に入った反動はそこまで大きくない。後ろに飛ばれたのと、何かおかしな力で衝撃を分散された。それならそれで別にいいと割り切り次の一手、踵で足元の地面を砕いて適当な岩を作り、ぶん投げる。

 いくつかを短剣で切り裂き、いくつかを拳で砕き、いくつかを避ける。当たっても問題ない岩と部位は受けていたが、大勢に影響はなし。単なるお遊びに近い。

 結局のところ、決定打が無いのが痛かった。本気で殴ってもうまく避けられてしまっては意味がない。せめて尖ったモノがあれば脳とか喉とか心臓にでも突き刺してやれたのだが、無いモノ強請りをしてもしょうがない。技術的にはこちらが優っている。何かの隠しダネを持っているようだから油断はできないが、よっぽどでもない限り負けはない。勝ちもないが。

 唯一の懸念は相手と自分の疲労度合。何故か体が重い。今は問題ないが、後三十分と経たずに限界が来る。体というより、もっと根本的な部分で限界が来てるような気も……。

 とにかく止まる理由はない。動いて動いて動き続けろ。

 五分、十分、それでもやはり似たような事の繰り返し。お互いにお互いを殺しきれない。だから少しだけ、()()()()()ことにした。

 相手が短剣を振るう。先程から短剣に合わせてそれの腹を殴って逸らし続けたせいか、あまり大振りな攻撃はしてこなくなった。これではできない、だから。

 合わせて踏み込み、相手の短剣を『腕』で受け止めた。

 グシャリ、と肉と骨を貫かれる感覚。一瞬で相手は手を離して距離を取ろうとしたが、その前に相手の腕を掴んで逃がさない。そのまま相手の首をへし折ろうと手を伸ばし、だが相手は口をモゴモゴと動かした。

 ――口の中に吹き矢ッ!?

 プッ、と飛ばされた小さな小さな針。首を折ろうと近づきすぎて彼我の距離は五十センチ程度しかない。

 ――避けきれない。

 ふいに、左目に違和感。その原因を考える前に、体が勝手に動いていた。傾く顔。それでも針が顔に到達し貫く方が速い。けれど、針が貫くことはなかった。

 正確には、穿った。左目の義眼を穿ち、だが貫けはしなかった。針の短さと距離の近さにより最高速度が出なかったせいだろう。

 しかし動きは止められた。針が目を穿った衝撃は動きを止めるどころか顔が後ろに逸れてしまうほど。その間に相手は左腕に刺さった短剣を無理矢理引き抜き心臓を狙ってくる。

 再度の避けきれない攻撃――ならば、それがまた通じないのもおかしくはない。

 短剣を持つ手首に絡みつく『糸』が、手首ごと切断して攻撃を中断させる。ボトリと落ちていく手。それでも悲鳴を堪えて下がったのだから懸命だ。手を拾うような動作を見せたら首を持っていくつもりだった。

 相手の顔は『どこからそんなモノを』と言いたげだが、答えるつもりはない。足元に落ちている手を拾い、短剣を回収。その後手をバラバラに引き裂く。折角の部位破損。最大限に利用させてもらう。

 左目に刺さった針を抜き取り唾を拭う。瞬きできないのは中々に不愉快だった。それから短剣を左腕に突き刺し直してグリグリ抉り、骨の破片やらなんやらをほじくり出す。それから唾を拭った針に白い糸を巻きつけて適当に縫う。これで完璧。

 その間まるでおかしなものを見るような目を向けられたが、何かおかしな事でもしただろうか。不思議だ。

 「……ッチ」

 ボタボタと垂れ落ちる血を抑えながら、相手は憎々しげに睨んでくると、足元に何らかの陣を展開。そのままどこかに消えていった。

 「……最近の科学技術はここまで高くなってたっけ?」

 なんとなく違うような気もするが、わからないからどうでもいいと判断。とりあえず相手の撃退はできた。義手やら何やらでも付けてくるだろうが、それはそれで不便だ。少しとはいえハンディを付けられただけマシだろう。

 何とはなしに周囲を見渡す。まるで何かが暴れまわったかのように地面は陥没していた。少し空恐ろしく感じたが、逃げ回ればなんとかなるだろう。……多分。

 背中に気配。それも三人。彼女達だろう。

 「オレはそろそろ行かせてもらう。これ以上一緒にいる理由はないからな」

 「シ、シオ――?」

 「それは、どういう思考から来た答えかしら?」

 「オレはあんたらの事を何一つ知らない。そんな奴と一緒に過ごすなんてゴメンだ。いつ寝首を掻かれるかわかったもんじゃない」

 「わ、私はそんなことしません!」

 「ああ、まぁあんたはそうだろうね。――目が綺麗すぎる。真っ直ぐすぎる。正直オレからすれば眩しいくらいだ。だから一緒にいたくないんだけどな」

 でも、とクルリと振り向き永琳を、次いでフランを指差す。

 「そこの二人。――特に銀髪の方。何故かオレの中で近づくなって警報鳴らしまくってるんだよね。アンタ一体何やらかした? んで金髪。こっちが言えた義理じゃないが、どんな残虐な方法で人を殺してきた? およそまともな方法じゃないだろ」

 要するに、永琳とフランは過去『やらかした』せいで無意味に警戒心を刺激している。人を殺すどころか害した事さえほぼ皆無のアリスと、今は違うが過去狂人と呼ばれても詮無いことをやらかしたフランと永琳。どちらが信用するに足るかなど、考える必要すらないだろう。プロフィールだけ聞けば断然前者だ。

 「ま、これは建前だけどね。単に人間が信用できないってだけ。誰かと一緒にいるくらいなら一人の方がいいんだ」

 だからさっさとどこかに行こうとする。確かにフランを助けはしたが、だからといってそれ以上を共にする気はない。自分としては一種の気の迷い、程度に考えていた。

 「それともう一人の金髪。『次はない』――そう言ったよね?」

 少しだけ腰を落としていたアリスにピシャリと告げる。もう一度あのよくわからない感覚を浴びせられるのは勘弁だ。不快ではない。無いが、わからないことを受けるのは経験上よくないと判断していた。

 冷たい殺意。それから庇うように永琳がアリスの前に手をかざしながら目の前に出てきた。

 「いくらなんでも殺しをしたことがない子供相手にぶつけるようなモノじゃないわ」

 「子供、ねぇ。ナイフ一本どころか少量の糸、針一つあれば人は死ぬ。さっきのあのよくわからない感覚で殺されないなんて保証はない」

 だから殺す。子供とか大人なんて関係ない。殺されたくないから先に死なせる。ただそれだけ。

 クルクルと短剣を弄ぶ。刃先を爪先で受け止めバランスを取ったりしてみる。飽きたので逆手に持ち直す。

 ふいに永琳が耳元に口を寄せ、

 「――あの研究は、よっぽどのモノだったのね」

 「―――――――――――――――!?」

 ほぼ反射で逆手に持った短剣で彼女の喉を切り裂いた。殺ってから気づく。永琳が喉元を押さえていて、そこから血が噴き出したのを。

 「……その事を知っていいのは、もうオレ一人だけだ」

 あの研究は、本当にクソだった。知ってはいけない。存在してはいけない。だから、知っているかもしれない相手は、全員殺す。

 「すまない。アンタの顔は忘れないよ」

 倒れる彼女の体を受け止めようと手を伸ばす。けれど、それは油断だった。

 「その必要はないわ」

 「――え?」

 不意に頬を伝い、首元に添えられる白い指先。

 ――折られ。

 後ろに飛ぶ。距離は稼げなくていい。とにかくあの指先から離れられればいい。幸い折られる事はなかった。

 ――後はこのまま逃、げ……?

 ガクン、と足から力が抜ける。

 おかしい、ありえない。一体何をされた。そんな纏まらない思考がグルグルと巡る。コツコツと靴音を鳴らしながら、眩い銀髪を揺らす美女が近づいてくる。それはきっと、男女の目を全て集めるほど優美なのだろう。

 なのに、何故だか今の自分には死神の足音にしか聞こえない。彼女の姿に『死』しか感じられない。

 「な、に……しやが、った」

 確かに切り裂いた喉。その証拠に血がこびり付いている。

 ――なのに生きている。理不尽だと感じてしまうくらいだ。

 「首は、脳へと血を運ぶための血管があり、同時に脳から体を動かすための命令を下す神経が宿っている部分でもある」

 それはまるで、出来の悪い生徒に優しく教える教師のように滔々とした言葉。

 「実際高齢者になると、頚椎(けいつい)に異常が出て、手に痺れを感じたり――()()()()()()()()()()といった症状が出てくるわ」

 そっと片膝立ちになり、首筋に触れてくる。

 「――こんなふうに」

 「あッ、ガァ……!? や、め――?!!」

 足は動かず、手が痺れ、いくつかの内蔵がまともに動かなくなって体が悲鳴をあげている。逃げられず、足掻くことさえできない。

 まるで、まるで――かつての――

 「薬は効かなくても、身体の構造上どう足掻いても逃げられないわ」

 死刑宣告。彼女の瞳を、肉体の異常を覚えながら見てしまう。

 「眠りなさい。起きたら全て、終わっているから」

 ――まるで、かつての研究者達が実験材料(じぶん)を見ていたかのような瞳だった。



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抱える悩み

 目が覚めた時に広がったのは青い空ではなく、古ぼけた茶色い天井だった。レミリアの紅魔館でも、輝夜の永遠亭でもない。記憶を探ってもアテはなかった。

 「あら、やっと起きたのね。おはよう、ねぼすけさん」

 真横から聞こえる涼やかな声。そちらに目を向けると、そこには彼女の美貌に似合わぬ変なモノクルをかけた師がいた。

 「……ここは? 見覚えのない部屋だが」

 「幻想郷の主(八 雲 紫)の家よ。見知らぬのは当然ね」

 「そう……」

 古ぼけて見えるのは当然か。この家ができてから五年十年では済まないだろうから。彼女の家なら納得だ。

 ふいに何かを覗き込まれるような違和感。ほぼ勘だが、あのモノクルが原因のような気がした。

 「特に問題はなさそうね。シオン、何か変な感覚は残っていない?」

 「いいや、何も。完全に治ってるから大丈夫だ」

 「そう。その様子だと記憶もそのまま残っているのね」

 「面倒くさいことに」

 正直過去の自分なんて見せたくはない。極端に人形染みた頃の自分も、他人を寄せ付けず獣のように感情剥き出しの頃の自分も。

 ……一番嫌な時期の自分を見られなかっただけ、まだマシだと割り切った。

 「ところで。あなたは自分の能力をきちんと理解できたの?」

 「いいや、全く。魂に関することだとはわかったけど、思考する時間さえ貰えてないからな。流石にわからない」

 「なら私の推察混じりの答えを聞いて、正答か否か、考えてちょうだい」

 コホン、と永琳は一つ咳払い。

 「あなたの能力は多分、あらゆる魂を受け容れる類のモノ。そうね――言い表すのなら、『魂を同一化する程度の能力』かしら」

 「同一化……?」

 「あなたには魔力を操る才能がない。にも関わらずその魔力量だけは飛び抜けている。その一端はその能力を使って、無意識の内に相手の魂を自身のそれに閉じ込めているから」

 「確かに魔力量については自分でもおかしいとは思っていたが、だからそうなるのは極端なんじゃないか?」

 「理由もないなら、そうね。でもシオン。あなた、私を一度殺した時に、何かを言わなかったかしら?」

 言った。確かに、言っていた。『すまない。アンタの顔は忘れないよ』――と。だが、それが一体なんなのか。

 「極論に近いけれど。その相手に対する心情が無意識で作用しているのではないかしら。相手の魂を全て奪うのではない。魂の極一部、あなたに対するなんらかの感情――例えば憎しみ。その部分だけを抜き取る、とか」

 だからあなたが向けている、向けられている感情が大きければ大きいほど、宿す魂は大きいのではないかしら。

 そう言われて思い出すのは、自分の内にいた、大切な姉の魂。『いなくならないでほしい』と心底から願った唯一の相手。

 「あなたの魂が風船。奪った魂が水。あなたが殺した人数は知らないけれど、例え万人を殺してもほんの少し抜き取るくらいなら、シオンの負担は少ない。……ここまでで、間違いはある?」

 「……多分、無い、と思う」

 向けられているというのはよくわからないが、自分が向けているという部分は合っているとシオンは思う。

 感情が向くというのは、よくも悪くも興味があるのとほぼ同義からだ。それが自身の能力に作用していたとしても、まぁ、わからなくもない。

 ただ一つ疑問なのは、今の説明では自分が使っていた能力を何一つ説明できないところだ。

 「俺は今まで自分の能力が『細胞を変質させる程度の能力』だと思っていたんだけど、それは勘違いだったのか?」

 「近くて遠い。本質的には似通っている、といったところかしら?」

 「……?」

 「見解の相違、というやつね。目に見える結果としてはあなたの言うとおりで間違いない。でも本来ならもっと違う表現があったはず」

 そう言うと、永琳はシオンの胸元を指さした。

 「一度、能力を使ってちょうだい。それできっと、確信できる」

 「わかった。それで確信が得られるのなら」

 とりあえず、包帯を巻かれている左腕を元に戻す。我ながら無茶をしたなぁと思ったが、いつものことなので割り切る。魂に感じる激痛と、左腕が逆再生のように直っていく異常な感覚。自身の能力を自覚してから妙に鋭くなったような気がする。

 表面上冷静に見えるからなおさら質が悪い。傍目から見ると何の代償もなく傷を治しているようにしか思えないからだ。

 「なんというか。気持ち悪い、としか表現できないわね」

 「ぶしつけだな。そこまで酷いか?」

 「魂のようなモノがグニャグニャと変形しまくってるのが気持ち悪くない、と?」

 「どれだけだったんだよ……」

 「理解できないくらい?」

 「……あ、そ」

 彼女が理解できないというのはそれだけで珍しいのだが、今のシオンは何故だかジト目を向けてしまう。

 「ゴ、ゴホン。わかったのは『やっぱり』だったということくらいかしら」

 「……ふーん」

 「お、恐らくあなたは一度肉体情報を魂という無形に戻し、それから再度欠損した部位に再構成しなおす、というものよ。1を0に、0を1に……といったところかしら」

 「……で?」

 「あ、あなたが感じる苦痛は一時的に増える情報量の増大と、それを変換する時の違和感。そして減る情報量――つまり魂をすり減らす擬似的な感覚を覚えるせいではないかしら」

 「――過程は違うけど結果が同じって、それのこと」

 「そうなるわね」

 それも、本当なのだろう。先の感覚はまさしく永琳の言うとおりだ。つまり、この能力を正しく言い表すとすれば――

 「『魂を変質させる程度の能力』、かしら。あなたの『魂の同一化』という能力から派生して生まれた、完全に『個』の力を追い求めた最終系――」

 モノクルを外し静かに述べる永琳。

 「その言い方、どこか引っかかるんだが」

 まるで揶揄するような発言。彼女は何かと見比べている、のだろうか。あるとすれば多分。今脳裏に浮かんだあの子、か。

 「あらゆる存在と『同調』し支え進ませるアリス。彼女が傍にいれば細胞の活性化によって決して死なない死兵となれる。親が子を抱きしめるように包めば老いない不老となれる」

 圧倒的な『量』を持って外敵を打ち破る支配者。全てのモノを纏め上げ進ませるその姿はまさしく女王。

 シオンが最初に受けた力は前者。今回は後者によって命を救われた。

 「他者の力を奪い己のモノとし善も悪も『受容』するシオン。魂を奪えば奪うほどに増していく力は、けれどたった独りで完結しきった閉じた力」

 圧倒的な『質』で他を殺し地にふせる殲滅者。自らだけを高め続け誰にも頼らぬその姿はまさしく尖兵。

 けれどその力は、シオンが、彼一人が考えた力しか伸びていかなくなる。

 「私は、あなたがアリスを呼んだのは偶然ではなく必然だと思ってる。コインの裏表でしかないあなた達だけれど、巡り巡れば()()()()()()()

 「つまり、俺とアリスは同じだと?」

 「根本的な部分では同じ、というだけで人間的には全く別物よ。()()()という個人(フィルター)で見た景色は()()()という個人(フィルター)が見た景色は違う」

 けれど本質が似ている。

 例えばシオンもアリスも、外見で人を判断しない。どんな苦手な事でも受け入れ努力できる。人を疑いはするが一度信じると決めたのなら殺されたとしても信じ抜く。

 それは上辺だけを見て中身を見ないのは愚かだと知っているから。苦手だからと何の対策もしないのは自らの首を絞めると身を持って経験しているから。赤の他人を疑うのは当然で、でもだからこそ、信じたのなら裏切られても当然だと思い、信じ抜く。

 もちろん間違いはする。彼も彼女も人間だ。だからこの二人はあくまでとてもよく似ていて、けれどそれだけ。

 「なるほどね。俺はアリスのようにはなれない。彼女みたいに自分と他の誰かの息を合わせるくらいなら、自分で全て終わらせる方が早いと思う人間だし」

 「それがアリスの美徳だもの。仕方がないわ」

 個人で完結するシオンと、誰かと共に何かを為すアリス。どちらがいいかと言われれば、どちらとも言えないが答えとなるだろう。

 「……雑談はここまでかしら。見て大丈夫、話して大丈夫。なら後は軽く動いて調子を把握すればいいわ。ただし。変質の方の能力の使用は厳禁。負担が大きすぎる。そうね……一度庭にでも出たらどうかしら。中々立派な庭だから」

 言って立ち上がると、彼女は襖を開けて外へ出ていく。元々診察しにきただけで、能力云々はそのついで、といったところか。

 「よし」

 ダルい体で布団を押しのけ、シオンは庭へと向かった。

 

 

 

 

 

 ギィギィと鳴る床を歩き、シオンは左目についていた眼帯をいじくる。寝ていたときは特に気にならなかったのだが、若干頭を締め付けられる感覚には違和感しか感じない。一応針で貫通された義眼は取り外されているようで、虚ろな空洞はこれによって外から見えない。

 服装は何故か浴衣に変わっていた。丈があっていないからか袖は手を覆い隠し、裾はうまく調整しなければ転びそうな程長い。……誰が着替えさせたのかは努めて考えないようにする。

 一見普通に歩けているが単なる痩せ我慢、実はけっこうシンドいシオンだったが、それを表に出せるのなら苦労はしない。結局呼べば来てくれるだろう永琳や、居るのなら同じく来てくれる可能性の高い藍を呼ばずに庭へ到達する。

 「へぇ……確かに立派だ」

 ほぼ同じ大きさで尖ったものを失くし怪我をさせないように工夫している石、生き生きとした鯉が飛び跳ねる池、木々を植え緑を増やし、だが一色だけに染まらぬよう各所に花を咲かせている。

 大きな石がある場所に乗って移動すると、先程から聞こえたチョキン、チョキン、という音が段々と増していく。

 しばし歩くと、フリフリと尻尾を揺らしながらフンフフ~ンと鼻歌を奏でつつ盆栽をしている少女の姿が。凄まじいミスマッチだが不思議と様になっている。まことに不思議である。

 当の彼女はというと、シオンに気づかずいくつもある盆栽を眺めては余分なものを切り落としている。そうして満足をしたかと思えば大きくうんっ、と頷き、満足気にニッコリと満面の笑みを浮かべた。

 服装に彼女の被っている帽子、それに妖怪としての気配と微かに感じる藍の妖力――総合的に見て彼女は藍、あるいは紫と関係があると見ていいだろう。

 とはいえ彼女自身に大きな力はない。むしろ、弱い。

 ガリガリと頭を掻いて荒れかけた心を静める。自分はまだこの世界に呼ばれたことを気にしているらしいと、意外と短気な自分に呆れ果てた。

 そのため息で所在を気づかれたらしい。ビクリと肩を竦ませた彼女は恐る恐る振り向き、そして目があった。

 「で」

 「……で?」

 「出たあぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁ―――――――ッッッ!??」

 ズザザザザッッ、と後退り一気に逃げ出す彼女。一瞬頭に?を浮かばせたシオンは、ふいに自分の姿を思い出す。

 白髪赤目、眼帯、病的なまでに白い肌。体調が悪いから多分いつもより青白い。そして丈の合わぬ無駄に大きな浴衣――まるっきりよくある幽霊である。

 とはいえ。

 「……妖怪に怯えられるっていうのも、なんというか」

 アホみたいな話だった。

 近づくたびに叫ばれて遠くに行かれるので、最終的に足を見せて幽霊ではないと証明するまで約四半刻。

 ――彼女は散々怯えた姿を見られた事に羞恥を感じて木陰に隠れていた。

 膝を抱えてプルプルと震える姿は愛らしいという他ないが、このままでは自己紹介すらままならない。シオンはもう一度ため息を吐く出すと、彼女の頭をポンと叩いて横に座った。

 何も言わず、身動ぎさえしないシオンに、やがて冷静さを取り戻したらしい彼女がおずおずと顔をあげる。一瞬怯えていた子猫が少しだけ擦り寄ってくるような感慨を覚えたのは、彼の心に秘めておく。

 そしてその時やっと、シオンは彼女の顔をきちんと見れた。

 恐らく緋色に近い赤みがかった髪と目。クリクリとしたその丸い目は好奇心の大きさを表しているようで、猫の妖怪か何からしい彼女にとても似合っていると思う。しかしそれはそれとして、先程からジロジロ眺められるのは少し居心地が悪い。

 「俺の顔に、何かついてるのか?」

 「え……あ、ごめんなさい。紫様が客人を連れてくるのは、珍しいので」

 失礼の無いようにしなさい、そう言われていたのだと彼女は言う。それも既に無いも当然だったが、シオンは特に気にするような人間ではない。

 「別にいきなり殺りにかかられた訳でもないし……」

 「はい?」

 「何でもない」

 こと自分に関する事柄には寛容なシオンである。

 「ところで、一番大事なことをずっと忘れてるんだが」

 「なんでしょうか」

 「――名前、何て言うんだ?」

 「……」

 ――あ、と言って口を押さえたのは、きっと、忘れていたからではないと信じたい。

 気を取り直して、二人は改めて自己紹介をする。

 「(チェン)です。八雲藍という九尾の狐の式をやらせていただいています」

 「シオンだ。見ての通り、ちょっとおかしな人外だ」

 「苗字、無いのですか?」

 「あるといえばある。無いといえば無い。そっちは?」

 「私は八雲の性名を与えられておりませんので、単なる『橙』です」

 妙なところで妙な共通点を見つけてしまった。

 「なんで橙は庭で盆栽を?」

 「ぁー……実はこの庭園を維持してるのって、私なんですよね」

 「は?」

 この見事な庭園を、彼女一人で?

 「あまりに殺風景過ぎたので、つい。紫様に頼んで必要なモノを用意してもらって、数百年以上かけてここまでやれたんです」

 「そこまで時間をかけていたのか」

 ハー、と感嘆の息が漏れる。シオンには想像のつかない苦労の果てに成したであろうことを、純粋に凄いと思う。

 「と、言っても自分としてはそこまで凄いとは思いませんが」

 「なぜだ? 数百年も続けられるなんて、並大抵のことではないと思うが」

 「自分のためにやっているからですよ。そう、ですね。シオンさんは妖怪によく見られる症状を知っていますか?」

 「症状? なんかの病気か?」

 「病気、というより慣習ですが……あまりに長く生きすぎると、色々()()が外れてしまうようになるんです」

 他を省みずただ自己欲求に従い行動する。それは確かに楽ではある。それでも、橙はそんなことをしたくなかった。

 「私は化猫ですが――藍様から知性をもらいました。子供程度の知性ではありますが、欲求に従い生きる彼らは、まるで。……獣のようでした」

 怖かった。あんな風に生きるのが。いつか自分もあんな醜い姿になるのか。

 彼らがああなった理由も予想できる。壊れたのだろう、と。

 「長く生き過ぎて生きる意味を見失う。その結果が思考放棄の欲求優先本能丸出し、獣染みた生き方なのでしょう」

 「それは……鬼達よりも、酷そうだな」

 「ですね。彼らも目先の欲求優先ではありますが、自分達で定めたルール、その最後の一線だけは決して越えようとはしませんから」

 ここまでの話から、なんとなく見えてきた。

 「つまり庭園の手入れとかは、そうならないための予防線……?」

 「趣味があれば……自分がやるべき事があれば、きっと『ああ』はならない。なんて、わかりやすい思考からやってみようと思いまして」

 結果としてここまでなったのだから、彼女の目論見は大成功と言えるだろう。卑下する必要はないはずだ。

 「ま、まぁ個人的な問題ですので、余り気になさらず」

 出会ったばかりの人間にここまで話してくれただけでもありがたい。そう思ってここは引き下がったほうがいいだろう。

 ピクリと彼女の猫耳が微かに動く。それは注視していなければ分からない程で、橙が何かに気づいたのだろうと思わせる動きだった。

 「私はそろそろ失礼しますね。無駄に荒らしたりしなければ適当に歩いて回っても構いませんので、どうぞごゆっくり」

 去ろうとする彼女を止めるつもりはない。

 が、一つだけ指摘しておいた方がいいだろう。でないと次も同じ態度をとられてしまいそうだ。

 「()()してるのはわかるけど、敬語オンリーはちょっとやめてほしかったかな」

 肩を震わせる橙。振り返りペコリと頭を下げるとそのまま早歩きで行ってしまった。謝ってもらいたいんじゃなかったけど、と思ったが、それを言ってもまた謝られるだけだろう。

 「で、どーするかな」

 今も少しずつ近づいてくる気配。

 『彼女』と会うとなると、ちょっと気分が暗くなる。気付かなかったのは体調の悪さと、後は橙の話に注意しすぎていたのが原因だろう。それを狙っていたとしたら中々に策士だ。

 ジャリ、と石を踏んでいく音が間近から聞こえてくる。

 「やっと起きたんだね。三日も起きてないから心配しちゃった」

 「……三日?」

 なるほど。寝起きに永琳が『ねぼすけ』と言った理由がよくわかった。確かにねぼすけさんである。

 そして、目の前で眉根を寄せたフランの顔を見てると、どうにも申し訳なく感じる。

 「手に持ってるそれは?」

 「お粥。色々工夫して栄養たっぷりになってる……はず。味見もしたけど、そこそこ美味しかったよ。咲夜みたいには、できないけど」

 「その言い方からすると、それってもしかして」

 「うん。私が作ったんだ」

 言ってシオンの前に置き、蓋を取る。つい先程完成させたのか、湯気が大量に溢れてくる。湯気が眼に沁みてつい閉じてしまう。少しして目を開けると、心なし多めの野菜、芋、栄養価の高いもの……というより薬に近い、そのものな効能を持つものも入れてあった。

 「ふ、不揃いでごめんなさい。まだうまく切れなくて……」

 確かに大きさはまばらだが、気になるほどでもない。そこまで浮かない顔をする必要はないはずだ。

 「だって、シオンはすぐにうまくできてたし」

 「あー……それは」

 原因は自分にあったらしい。だがある意味ズルをしていた身としては少し後ろめたい。

 「『刃物には慣れている』――それだけじゃ説明できないくらい上達が速かった。そう咲夜は言ってたよ。どうしてそんなに上手く作れたの?」

 「一応それも事実ではあるんだけどね。――ま、いいか。フランなら」

 一瞬フランがキョトンとし、ついで赤くなってワタワタしているのを横目にお粥を一口。感想から言うと――薄い。全体的に味付けが薄いのだ。

 恐らく体調の悪さを慮ってのことなのだろうが……薄すぎて辛い。

 微妙な顔をしているとわかったのか、フランがおずおずと聞いてくる。

 「えっと……美味しくない?」

 「美味しいことは美味しいんだろうけど……味が、薄い」

 「え、でもシオンって五感がすっごい鋭いんじゃ?」

 「普段は常人程度に落としてるよ。いや、落としてるというか……」

 何と言えばいいのか。異常を晒すだけなのでなるべくやめておきたいのだが。

 「切り離してる、が正しいのかな」

 「え? どういう? 全然意味がわからないんだけど」

 「つまりなんだけど。自分の体を人形とかに見立てて腕がもげようがどうなろうが、『痛覚があっても何も思わない』状態を維持してるというか――感情と感覚の切り離し?」

 「……」

 「それを応用して五感の全部を閉じてる? というか、下手に一箇所だけ開いてるとその部分だけ過剰反応とかするから、気が狂う」

 ちなみに触覚を閉じて味覚だけ上げていると味が過剰過ぎて飲み込むのも辛かったり。逆に触覚だけ上げていると何を食べても砂利を食べているようにしか――みなまで言うまい。

 だから普段は五感を下げて、警戒時は多少、戦闘時はほぼ上げきっている。

 と、いうようなことをツラツラ説明しつつ五感を微調整しつつ、ちょうどいい具合になったら止めてお粥を美味しく食べていると、フランが額を肩に当ててきた。

 「シオンは……どんな生き方をしてきたの?」

 「それは、俺が『オレ』と言っていた時のことか?」

 「それもあるけど、アリスって子が言ってた『人形みたいだった』っていう頃のことも」

 顔が歪むのを感じる。前者はともかく後者は知って欲しくなかった。

 「……そっちは勘弁してくれ。もう一つなら話すから」

 「わかった。我慢する」

 「ありがと。――そーだな。あの頃はもう何も信じてなかった。精々が動物くらいで、意思を持ち知性を備えた人間が、俺には醜悪な獣にしか見えなかったんだ」

 だから感情剥き出しにして威嚇することで、心を閉ざした。途中で食料不足故に多少の譲歩を覚えた頃の自分になったが、大差ない。

 「ま、単にそれだけのしょーもない理由だよ」

 「しょーもないって。じゃあ、シオンが『俺』って言うようになったのは?」

 「姉さんに調きょ――もとい注意されてなった」

 何でも『声が鋭すぎる』だと。

 『いい? 『オレ』と『俺』だと後者のほうが柔らかく聞こえるでしょう? 最初から敵意を向けてるみたいな言い方だと余計な悪意を買うから、もうちょっと改善して。ね?』

 「――とまあ紆余曲折あってこうなった」

 「はぁ……お姉さんの苦労がしのばれるね」

 ハァ、と息を吐くフランに、よし話を逸らせた、と思った瞬間。

 「――で、どうしてそんなにうまく作れたのかな?」

 ――逸らせてなかった。

 「『完全記憶能力』と『高速思考』があるから」

 面倒くさいと感じたシオンは、『まぁ、フランならいっか』と割り切った。

 「この世界の大半の物事は反復作業だ。何度も繰り返して覚えていく――なら完全記憶能力があれば? 自分がやった事を全て覚えているこの能力があれば、どこをどう間違えてどう改善すればいいのかが全部わかる」

 そう――これがズル。その一つ目。

 「そして高速思考で一度目にやった作業を思い返しながら二度目の作業をする。それでまぁ、大概うまくいくんだよ。見本があるなら尚更ね」

 そして二つ目がこれだ。完全記憶能力だけでは単にイメージを固められるだけ。そこに高速思考があってはじめて『作業をしながら思い返す』ことができる。

 シオンの物覚えがいいのは比喩ではない。文字通り完全なのだ。

 「だから俺を杓子定規に当てはめると色々面倒くさいぞ。自分の速度でやったほうがいい」

 全てを告げてもシオンは妬まれるだろうと自覚している。大半の人間は相手の持つ悩みを察せないものだ。シオンの姉でさえ、冗談だとわかっていても『ズルいズルい』とよく口にしていた。

 「大変――だったんだね」

 ――だけど。

 この優しい吸血鬼は、察してくれた。わかってくれた。

 「いきなり何を?」

 「『完全記憶』――か。便利なんだろうけど、それってつまり()()()()()()んだよね?」

 「ああ、そうだな」

 「じゃあ、シオンは――お姉さん、が、死んじゃった時のこと……」

 本当に、怯えながら聞いてくるフラン。今は少しだけマシだが、かつては暴走するほどに精神(ココロ)に傷を負っていた、記憶。

 「忘れられない。どれだけ願っても、姉さんを殺した男の顔が忘れられない、んだ」

 シオンは覚え続けている。体に帯びた苦痛を。殺した人間の顔を。全てを失う喪失感を。

 「本で読んだんだ。人が『忘れる』のは自分の心を守るためだって。それでシオンがずっと精神を蝕まれてたのは、その能力があったせいなんだって、気づいたの」

 「随分と、賢くなったな」

 「ふふ、凄いでしょ? ――って言えたら、よかったんだけどね。八意永琳って人から、シオンが眠ってる間にこれでも読んでなさいって渡された本を読んだだけなんだ」

 だからこう言えた。そうでもなければフランでさえ『ズルい』と言っていたかもしれない。

 「結果論だけどさ。それでも嬉しいと思ってるよ。例え知識として知っていても経験に活かせるかは本人次第。俺がよく知ってることだから」

 「私も地下にいた時の記憶があるから、よくわかるってだけだよ。ねぇ、シオン。一つだけ、お願いがしたいことがあるんだ」

 「お願い? 何を?」

 クスクスと笑って、フランは声を潜めるために口元を寄せてきた。

 「うん、それはね――」



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集う手助け

 シオンと別れた後、永琳は黙考を重ねながら古びた廊下を歩いていた。置いてある絵画や装飾を一顧だにせず、頭に浮かぶは彼らの能力のこと。

 使用条件。その効果。弱点。応用範囲。できることとできないことを少しずつ想定し、可能性の高いことを頭の片隅に、低いものは切り捨てつつも断片だけは残しておく。

 永琳は天才だ。だがそれは、彼女があらゆる事柄に対しての想定を済ませているから。誰もが行っている情報収集からの予想図を、微かな断片さえも記憶し積み重ね形と成しているからだ。後はただ、思考の積み重ねと長く生きた経験から結果を導き出す。

 その結果。永琳は、あの真っ黒な青年の能力を()()()()

 少なくとも条件と効果はわかった。弱点と応用は情報が少なすぎてわからない。

 シオンの能力も大体わかった。そして、シオンがどうして人を見抜くことに長けているのかも。

 廊下を歩く音が止まる。真横にあった襖を開け、中にいた二人の姿を視界におさめる。

 「目を覚ましたわ。体調も、少し休めば万全に戻るでしょう」

 「まさか数日も眠り続けるとは思っていなかったけれど。『魂』とは、繊細なものね」

 「さしずめ『眠り姫』でしょうか? 外見は少女そのものですし」

 クスクスと笑う藍。が、帰ってきたのは呆れを多分に含んだ眼差し。な、何ですかと怖気つつ問い返してみれば、殺し合ったにしては随分気を許しているとのこと。

 と、言われても、藍からしてみれば彼と殺し合ったのは彼が主に対して敵対的であったからでしかなく、むしろ心情的には同情の余地がある。無理矢理拉致されてその目的がとある人物の殺害だと言われれば、藍なら憎む。というかキレる。

 このような事を言ってみたところ、紫は若干落ち込み、永琳は苦笑い。慌てた藍はお茶を淹れに行くと言って、逃げた。

 「――それで、勝ち目は?」

 「十二分に。……と、言いたいけれど。いくつか不安な点があるわ」

 「対処できるものなら対処しましょう」

 それを聞いて、永琳は内心安堵。できないのなら諦めるが、折角の優秀な弟子だ。できるのであれば最大限の譲歩を引き出したかった。

 ――シオンが持つ薬の耐性。それを使って実験できなくなる――なんて思考は無い。一切ない。

 「まず一つ。あの遠隔の魔法陣を使って存在がいる。一人か二人かはわからない。でも、後方支援者がいるだけで戦況は大分不利になるわ」

 「そう……なら、誰かを派遣するわ。とはいえ、簡単に行かせられるのは霊夢くらいね。他には何か?」

 「確証がないのが。まあ、これはシオンになんとかさせるから、いいわ」

 「随分と信頼しているのね。そこまでの関係を?」

 「いいえ? むしろあっさり死んでしまいそうな気がするわ」

 鎖が無くなればあっさり死ににいきそうな人間をどう信用しろというのか。それでも永琳が何とかできると言ったのは、単純な話。

 「予想が正しければ、今回の戦いはシオンが最も得意とするモノだからよ」

 

 

 

 

 

 燦々と降り注ぐ太陽の下で、本来いるはずのない吸血鬼と、外にすら出ない引きこもりの魔法使いが里の中を歩いていた。

 日傘を差し、優雅に歩くお嬢様と、傍から見ると寝巻きそのものの服装を身に纏って歩く魔法使いの二人組は相応に目立ち、注目を浴びている。しかしお嬢様の方は慣れたように、魔法使いの方は気にもとめずに自然体のまま。

 大勢の人間に見られながらも里の中心を目指していく。途中あった甘味処でジュースを買って喉を潤し、目的の寺子屋にたどり着いた。そこに立っていたのは、どこか疲れた様子を見せる慧音。

 見られたことに気づいたのか、慧音はレミリア達へ視線をよこす。

 「……シオンならばここにはいない。用があるのなら紫の家へ向かうといい」

 「まだ用件は言ってないのだけれど」

 「この幻想郷に吸血鬼などという種族はそういない。ならば、あの少女かシオンか、どちらかだろう」

 それ以外の可能性もあるが――今は置いておこう。そもそも慧音がここに突っ立っているのは、待ち人がいるからだ。

 「中へ入っているといい。無駄足を踏むのは嫌だろう?」

 「理由は? 説明がないと納得できないわ」

 「シオンは鬼との戦闘後、何者かに襲われたらしい。その時負った怪我の後遺症のせいで、未だ眠ったままのようだ。起きたら使者をよこす。……そう言われて、既に三日目だがな」

 それから慧音は三日間、用事や飯、風呂などの所用を除いてずっとここに立っている。そうでもしていないと、緊張感から胃がやられる。

 なんて説明をできるわけもなく、慧音は無言で扉を開ける。レミリアはその態度に若干の疑問を抱いたものの、吸血鬼たる彼女がずっと太陽が日照りを晒す中で立っていられるワケもなく、その中へと入っていき――後悔した。

 ――空気が、重い。

 そこにいたのは霊夢と、魔理沙、そして見覚えのない河童と慧音のように疲れた様子を見せている鴉。

 そうは見えないが服の下には完全武装の霊夢は黙して瞑想。魔理沙は河童の少女と話しているがピリピリとした空気を隠していない。なるほど慧音が外にいるのも頷ける。中にいるよりは何倍もマシだろう。

 「少し寝るわ。お休みなさい」

 マイペースにそう告げると、目の下にクマを作ったパチュリーは毛布すら用意せずにゴロリと横になる。

 そんな彼女に毛布をかけたのは、くたびれた様子の鴉の少女。

 「わざわざありがとう」

 「いえ、これくらいのことでお礼なんて。もしやあなた方も?」

 こういうのであれば、彼女達の目的も。

 「シオンに会うことが、主目的ね」

 「ですか。私の場合はそこにいるにとりの付き添い――単に拉致されただけなんですが――になります。彼女を送ったら帰るつもりですよ。……私の目的は、無意味だったようですし」

 無意味? と聞いてみると、どうやら彼女はシオンに鬼が来るから逃げろと警告しに里に来たらしい。だが当のシオンが何らかの手段で鬼を撃退。だから来たことが無意味になったようだ。

 にとりは里に行こうとした文を無理矢理引っ張って着いてきたらしい。

 「『足の速さなら幻想郷一なんだから、荷物があっても大丈夫だよね?』とかなんとか言って無理矢理……カメラの作成者が彼女なので、脅さ(ゆすら)れると逆らえないんですよねぇ」

 彼女が使うカメラは幻想郷にあるにしては超高性能。が、反面メンテナンスできるのが作成者のにとり以外おらず、その為これを脅しの材料に使われることがしばしば。それでも手放さないのはこのカメラが便利すぎる故だ。悪循環である。

 そんなことがあってにとりの傍にある大荷物を持ってフラフラ揺れながら里にまでたどり着いた次第である。

 「……私も寝ますね。精神的に限界です」

 肉体的に、でないところが涙を誘う。哀れ文。

 毛布を被って横になる文を何とはなしに眺め、ふいにアクビが出てくる。元々昼間は寝る時間なのだ。その上ここ数日まともに寝ていない。手で小さなそれを隠し、レミリアもまだ置いてあった毛布を膝に敷いて壁によりかかる。

 体勢的に辛いと思ったが、意外と早く眠りに陥った。

 「――……ろ。ほら、起――いか」

 「う、ん……?」

 肩を揺すられ、朦朧とする頭を我慢して目を開ける。視界に入るのは銀色の女性。

 「今、何時かしら……?」

 「十七時頃だ。すまない、余り寝られていないだろうが、使者が来たんだ。シオン達のところへ行きたいのなら起こすしかなくてな」

 「いえ、わざわざありがとう」

 寝起きと寝不足が同居したとき特有のダルい感覚を押し殺し、立ち上がる。まわりを見れば頭を振っている文に、焦点の合っていないパチュリーなどなど、寝不足だらけの面々が目立つ。霊夢は黙想したまま、魔理沙とにとりは――言うまでもない。

 毛布を綺麗に畳み――パチュリーの分もついでにやっておく――横に置いておく。それから外に出ると、尻尾をテロンと垂らす少女のような化猫が。

 「――私が皆様を、紫様の元へご案内いたします」

 ペコリと頭を下げた彼女の頂点には、妙に視線を惹きつけられる猫耳が動いていた。

 

 

 

 

 

 フランのお願いは、不可解なものだった。簡単そうでいて、簡単には頷けない、そんなよくわからないお願い。

 ――シオンはそれを、了承できなかった。

 フランは仕方ないと言い、だが悲しそうに笑っていた。その真意はわからない。今なお思う。

 彼女は一体、何を想ってあんなことを言ったのだろう――と。

 時刻は既に六時を過ぎた。この時期ではまだ陽が沈まないけれど、念の為に子供達は家へ帰っている時間だろう。そんな時間に、シオンはお米を炊いていた。本当はほかのこともしたかったのだが、藍に止められた。今は自分の体調を考えてくださいと。

 そう言われたらシオンとしても黙るしかない。未だ体調は万全に程遠く、今もふらついているのだから。それが理由でシオンは飯盒(はんごう)炊きをしているのである。

 機を見て火を止める。流石に火を見ている状態で視覚を上げると失明するので通常のままだが、そこそこいい方ではなかろうか。

 結局無難なデキではあったが、失敗して焦がすよりはいいだろう。元々下準備自体は藍がやってくれたので、寝落ちでもしない限り問題はないのだが。

 ほかほかと仄かな甘い匂いと暖かい湯気を感じつつ蓋を閉じ、飯盒を移動。食べる量がわからないので各人でよそった方がマシだとの判断だ。

 藍の料理の腕は如何程か――顔には出さず内心期待しながら待っていたのだが、生憎シオンはそれの相伴(しょうばん)には預かれなかった。

 「八雲――……紫」

 「話があるの。あなたのお時間、私に下さらない?」

 「拒否権無いのに聞いてくるのは意地が悪いぞ。――いいよ。俺も少し、話があるんだ」

 気配で藍が近くにいるのを察し、飯盒をわかりやすいところに置いておく。この季節だ。よっぽど長時間放置でもしない限りは大丈夫だろう。

 移動した場所は紫の私室。机の上に置いてある用紙は何かの書類か。シオンとしては興味の欠片も湧かない。文字は書けるし読めるが、管理者のやる仕事なぞわからない。現状関わるつもりもなかった。

 紫は二人分の座布団を敷くと、片方に正座で座る。シオンも紫の正面に座った。

 「話をするのに茶の一つも無しか?」

 「なら出しましょう」

 境界を手繰り即座にお茶を出す紫。皮肉が通じなかったシオンは内心舌打ち。紫の方も能力でシオンの感情の揺らぎを感じ取ったが、敢えて無視。

 殺意も敵意も憎悪も憤怒も、何もかもを了承した上でこの世界に叩き落とした。その程度で気圧されるほど、幻想郷の主(八 雲 紫)(あま)くない。

 「用件はわかっているかしら」

 「どうせ俺を殺そうとしたあの男を殺せとかだろ。わかってるよ」

 「話が早くて助かるわ」

 無駄な時間を使わなくて済むから。

 「あの男は三年前唐突に現れた。でも私がその存在を察知したのは余りに遅すぎて――この箱庭を散々に荒らされた後のこと。……察知した後も、恐らくあの男の有している能力の関係上、私はどうしても手が出せなかった」

 「だから欲したのか。力があって、そいつに対抗できるだけの手駒を」

 「そうよ。今更隠しも誤魔化しもしない。私が動けるのならそうなかった。でも動けなかったから必要とした。事実はそれだけ」

 「……不意打ちとは言えあっさりと殺された人間を頼るしかないなんて、よっぽど相性が悪いのか?」

 「最悪ね。私一人『だけ』なら特に問題はなかったのだけれど」

 「何かしら足枷でもあるのか」

 「この世界全て」

 紫の回答は、簡潔だった。そして、だからこそシオンも理解した。

 「もしかして――維持が、できない?」

 「本当、察しがよくて助かるわ」

 それが答え。

 幻想郷を脅かす(どく)を退治したい。でも自分はその敵に対抗するための手段(くすり)がない。だからもうひとつの毒を持ってきた。

 ――毒を持って毒を制す。

 その言葉の通りに。

 「私が直接出向いて戦闘になれば、それだけで終わってしまう。今までは藍とかが護衛になっていたから、彼らも直接襲いに来なかったのでしょうけれど」

 「完全にバレたとなればその限りではない、か」

 付け加えれば、あるいは形振り構わなくなって来る可能性も。

 「で――師匠の見解はどうなんだ?」

 「――やっぱりバレてたのね」

 永琳は驚かず。逆に紫が驚愕を表すように眉を動かしていた。

 「一応、境界を揺らがせて気配どころか存在を隠していたのだけれど」

 「何か――視えるんだ」

 一瞬。シオンの瞳が、幻惑的な蒼になった。

 「文字が視える。数字が視える。揺らぎが視える。幾重にも重なってほとんど表面だけしか見えないけど。でも、その人の事を少しだけ識られる」

 文字はその人の想いと記憶と人格と。数字は生きた年月と、他はまだわからない。揺らぎはその人の魂の輝き。今の紫の魂は、少しだけ輝いて見える。

 「だから能力を使っているのがわかって、この屋敷にいる存在の全てを探り直していない人間が誰かわかった。それだけ」

 「『魂を識別する程度の能力』、といったところかしら?」

 「……あなたが信頼する信頼しないといった分別は、そこから来ていたのかもね」

 永琳が言い、紫が相槌を打つ。シオンには答えようがない。曖昧な顔で頷くだけだ。

 魂を変質させるには、別種の魂の形を覚える必要がある。結果として生まれた副次的な能力なのだが、そうと自覚していなかったためシオンにも変化はなかった。

 ちなみにかつてフランの魂を覚えたとき、細胞を見た――見ていたのは魂だが――り血を舐めたのは、肉体情報から魂魄を探るためなので、強ち間違いでもなかったりする。

 「強力な能力ではあるけれど、今回は使えなさそうね」

 「自滅したいのなら話は別でしょうけど。あなたはそうじゃないでしょう」

 永琳は残念そうに、紫はどこか揶揄するように。対応が全く違う。まぁ紫に対してはシオンの対応が対応なので仕方ない。

 とはいえバックアップを受けられないのはキツい。最低でも相手の情報くらいは知っておきたかった。

 「さっきから何か『会えば終わる』とか『使えば自滅』とか遠回しな事を言っているが。アイツの能力はチカラを暴走させる系統なのか?」

 「私はそうなんじゃないかと睨んでいるけど――永琳、あなたは?」

 紫は永琳に問う。確かに答えていないのは永琳のみ。だが、シオンは少しだけ別だ。まだ答えていないことがある。

 「シオン、あなたは直接能力の影響を受けたでしょう。そこから察せられない?」

 「考えてはみるけど。いきなり魂がバラバラに砕けただけだしな……強いて言えば、いきなり能力の制御が手元から離れた感じか」

 「それ、暴走と何か違うのかしら」

 「だよなぁ」

 シオンも紫も、考えることは似たり寄ったり。余り参考にはならないだろう。それでも答えてほしいことはまだある。

 「ちゃんと思い出して。どういうふうに制御が離れたのか。そのことを」

 何故、ここまで気にするのか。シオンにはわからない。それでもシオンは、永琳を、自らの師を信じて、その時の事を思い出すのに務める。

 「そう、だな。よくよく思い出してみると、なんといえばいいか……制御が離れる寸前、思ったんだ。『なんでこんなことができなかったんだろう』って」

 「できなかった――何が?」

 「さっぱりだ。今までは無理だったのに、ふいにできるようになった。そうとしか言えない」

 次の瞬間暴走したので、これ以上は何も言えない。紫は不満そうに腕を組んだ。

 「ありがとう。参考になったわ。これで大体だけどわかったから」

 は? と異口同音の声をあげる二人。そんなデキの悪い生徒二人に優しく諭す永琳。

 「まずはわかりやすい使用条件から。これはシオンが能力を発動させるまでは出てこなかったことから、恐らくその対象が能力を使ってないと意味がないと思われる。ただ、その効果範囲――影響を与えられる距離はわからないわ」

 「となると、今この瞬間も安全ではないかもしれない、と?」

 「逆に近距離までいかなければダメな可能性もあるわね。永琳、そこは?」

 「謎としか言えないわ。ただ、無作為に使おうとはしていなかったわね」

 「確かに『オレ』に連発するどころか一度も使ってなかったな……デメリットでもあるのか」

 「暴走ならうまく使えば手足を千切るような動作もさせられるはずよね。つまり、あの男の能力はそれじゃない……?」

 少しの言葉で思考誘導させる永琳。そうと気づかず頭を働かせる二人。

 「かと言って単なる強化じゃ制御を手放すなんてありえないはずだが」

 「あなたがそう思い込んでるだけの可能性は?」

 「黒陽白夜自分の能力。この三つを並行して使えるのに傷を癒すだけの事で制御できなくなるならそんなの無理だろ」

 「それじゃ、特別な能力――その個体特有の能力を暴走させる、とかは?」

 「そうなるとアイツの身体能力の異常さが説明できない。身体強化は使っていたけどそれで強化できる範囲なんてタカが知れてる。俺についてこれるわけがないんだ」

 暴走、強化、そのどちらでもない。となると何か前提が間違っているのか――頭を悩ませるが、わからないものはわからない。

 頭を突き合わせて悩む二人に、永琳はパンパン、と手を叩いて正気に戻す。そして仕方なしと苦笑いにしては幾分柔らかい表情で言った。

 「どちらも合っているけど、どちらも間違っている。それが答えなのよ」

 「どちらも?」

 「それが答え?」

 「ええ。彼は確かに強化している。でもそれは当人も把握不可能な部分――即ち。相手の『潜在的能力』、言ってしまえば『未覚醒』状態を強制的に覚醒させる能力」

 能力名とするのなら、『潜在能力を強制覚醒させる程度の能力』になるだろうか。だが、何故こんな答えになるのか。

 永琳の中には、既に答えとして出ている。

 「普通の強化なら『できる限界値が増えた』と表現するだろうし、暴走なら『能力が制御できなくなった』って感想しか出ないのよ。でも、シオンはなんと答えたかしら?」

 「『なんでこんな事ができなかったんだろう』って……そうか。そういうことか!」

 ここまでヒントを貰って、ようやっとシオンは悟る。逆にウンウン唸っている紫はわからなかったようだ。

 「私には、わからないわ。勿体ぶらずに教えてくださらない?」

 「例えばなんだけどさ。今までそれ一辺倒しかできなかったのが、ふとした拍子についできちゃった、なんて経験は無いか?」

 「――あるわね。何度か」

 「それが永琳の言う『潜在能力』なんだ。できないことはどうやったってできない。でも、できることは切っ掛けひとつでできるようになる」

 「ねぇ、でも彼の能力は『強制開放』……なのよね? その切っ掛け無しにそんな事をしたら、大変なことになるんじゃないの?」

 「だから暴走するんだろうね。只人の身で他者にその人の十全を与える能力。もし効果を限定できるのだとしたら、人類は多分、もっと極端になる」

 その内容を、シオンは言わなかった。永琳も言わず、察した紫も問わない。

 自ずと話は対策へと切り替わっていく。

 「少なくとも彼の能力は範囲が限定されていて、しかも認識発動の可能性が高いから、至近距離以外なら問題ないはずよ」

 「事前準備は今の内、と。でもあっちも数年前の『オレ』にやられたことはわかってるはずだ。きっと何か罠をしかけてるだろうし、生身のままじゃ厳しい。せめて万全の状態じゃないと、多分勝てない」

 「それなら私かあなたの力で直接転移は?」

 「相手の仲間に古今東西の術式を操る術式使いがいるわ。その誰かが罠を設置している可能性が高いから、やめておいた方がいいわね」

 「事前情報が無いから何の罠があるかもわからないし、現実的ではないな。隠密行動は得意だから、足で近づければ罠の位置もわかるんだが」

 「そんな事をすれば視認されて狙い撃ちね。いい的だわ。シオン、あなたは死ににでもいくつもりなのかしら」

 「んな訳ないだろこんな時も皮肉か紫。――ハァ。音と気配は誤魔化せても見られちゃ意味無いし、やっぱり罠無視の突貫しか――」

 「ハイハーイ! そんなあなたにオススメの一品ッ。河童のにとりの参上だよ!!」

 ………………。

 「――あれが誰だか、わかるかしら?」

 「私は知らないわ。シオンは?」

 「ああうん、一応、知り合い、です……」

 テンションマックス状態な知り合いが犬猿の相手に師匠の前にいると妙に気恥ずかしいと初めて知った。知りたくなかった事実である。

 「あれ、あれれー? いいのかなぁ、そんなこと言っちゃって」

 にとりは唐突に笑みを消し、腹黒い顔を浮かべると、

 「敵にバレずに近づく方法、教えてあげよっか♪」

 手で丸いマークを作りつつ、そんな事を宣った。



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借りた想いと力

 どこか楽しそうに、だが黒い笑顔を浮かべるにとり。なぜだか発明をしている時と同じかそれ以上に生き生きとしたその表情を前にしても動じなかったのは、ただ一人。

 「とりあえず()()でどうかしら?」

 前触れもなく懐から取り出し無造作に放り投げたそれは、封筒。にとりはその分厚い封筒を片手で受け取り――受け取った音的に相当な重量のはずなのだが――封を切ると、ペロリと指を舐めて湿らせ手馴れた仕草で枚数を数える。

 そしてホクホク顔で札束を封筒に入れ直すと、一変して真面目(シリアス)な雰囲気を醸し出す。

 「見られたらオシマイなら見られなければいい。要はそれだけなんでしょ?」

 「確かにそれができれば苦労はしないけど、その手段が無いから困っているのよ。魔術的、それに準じた異能力では相手に探知されるだけなのだから」

 魔術や異能ではダメ。その時ふと、シオンの脳裏に過ぎったのは、かつてにとりが発明しようとしていたひとつの『科学』技術。

 「だったら頼らなければいい。そう! 私達河童が持つ、私達の、私だけの発明を!」

 スパン、といきなり襖が開けられる。そこから少年一人が着られる程度の大きさの、光学迷彩。だがこれは一部だけではなく、服のように上下に別れておらず、着ぐるみのように背中から着るタイプのようだ。

 「流石に普通の洋服みたいにするのは、電線とかエネルギー伝導効率とかの問題でまだ無理なんだよね。ちょっと厚手なのもそれが理由」

 「見られないってだけならこれで十二分に果たせる。多少重心が崩れるから、時間をくれないとダメだが」

 ペタペタと触って確かめるシオンは、着ても移動に問題ないと判断。それを尻目に永琳が呟く。

 「……で、いくらなのかしら?」

 永琳は先ほどの金を情報代としか考えていない。永琳一人に伝えればそれは今この場にいる全員に伝わる。だから『それ』込故のあの大金。この光学迷彩とはまた別料金だ。

 察したシオンは眉尻を下げるが現在金を持っていないため払い用が無く、紫は河童の技術をこの短時間では理解しきれず、また信用も薄い事から金を出す程ではないと判断した。

 河童は――というより、このにとりという少女はかなりガメつい。研究費用を得るためならかなり足元を見てくるだろう。

 「え、タダでいいよ?」

 と、予想していたのだが。まさかの無料とは思ってもいなかった。

 だがこういう格言がこの世には存在する。『タダより怖いものはない』――と。一体彼女は何を考えているのか。そう言いたげな永琳の瞳に心外だなぁと鼻を鳴らす。

 「まぁこっちとしても思惑はあるけどね。でも安心して。ちょっとシオンで検証させてもらいたい、ただそれだけだから」

 「検証? 実験ではなくか?」

 「うん。ほら、ずっと前にシオンの生体電流とか調べたでしょ? それでシオンの生体電流以下の出力なら超々微弱な電波が迷彩(ステルス)を妨害しなくなったんだけどさ」

 コンコン、と軽く叩くにとり。その顔は苦く染まり、未だ納得できていないことを伺わせる。そしてこの時点でいくつかの疑問点が浮かび上がる。

 「それ、あくまで()()()()()()状態でのことだよな? だとすると、俺よりも強い生体電流を持ってたら途端にガラクタになるんじゃ」

 「いい指摘! それに動いてない状態だとやっぱり意味がないって気づいたんだ。だから検証が必要ってわけ」

 「つまりその光学迷彩は実験の検証に付き合う代金――ということかしら?」

 「そゆこと。まぁ代案があるなら出す気はなかったんだけど、無さそうだし? だったら無駄になるかもだけど一応の保険に、ね」

 はにかみながら言うにとり。彼女の想いは素直に嬉しい。知らずシオンの口元が緩み、それを見ていた紫は少し安堵した。

 「それで永琳。これは役に立つの? 立たないの?」

 紫にとって重要なのはそこだ。無駄なモノを装備して戦いに赴くなど無意味でしかない。そしてこの道具を最も理解できるのは永琳だろうと聞いたのだが、答えは顎を引くことだった。

 ならいいか、と思い、紫は聞く。

 「それで、これは何で動くのかしら。電気が必要なら充電しないとダメだと思うのだけれど」

 「あ、これに積んである電池に充電しても三十分も迷彩が発動しないから、多分無駄だよ? ないよりはマシだけど」

 無邪気に言うにとりに、シオン、永琳、紫の動きが止まる。その顔はまるで『不良品を掴まされた!』と言っているかのようだった。

 「……クーリングオフって、効くのかしら?」

 「シオン、今からでも遅くないわ。この娘をほっぽり出してちょうだい」

 お金を払ったわけでもないのに呟く紫。

 掌を返すように一気に冷たい反応をする永琳。

 シオンは何も言わないが、だからこそ『にとりは何をしに来たんだ?』と言いたげなジト目が際立っていた。

 三者三様の視線にたじたじになるにとり。珍しく素直に答えたらこれとは運が悪いとしか言えないが、同時に自業自得なので何とも微妙である。

 「だ、だって仕方ないじゃん! 周囲の風景に同化させ続けるって結構電気食うんだよ? 大食らいだよ? むしろ三十分も保たせた私を褒めて欲しいくらいだし。半日とかだと今の倍以上デカくなるんだから!」

 確かにそれは凄い。認めよう。だが実際問題、三十分で敵陣に突入するのは無理がある。索敵しつつ隠密行動し、罠の探知からそれの回避。いくつか挙げるだけでもうキリがない。

 白けた空気になるのを止めたのは、お馴染みの快活な声だった。

 「おうおう、使えないって決めつけるのはちょーっと早すぎるぜ、シオン!」

 「ん? その声は――魔理沙?」

 にとりと魔理沙。全く繋がりが見えない二人が、一体どうしてここにいるのか。その答えは単純にして明快。

 「科学と魔法の融合――それは誰しも一度は夢見ること!」

 「それ即ち! 不可能を可能にすることを指す!」

 ノリノリでポーズを決める二人はただの悪ガキにしか見えない。もう諦観を込めた視線を大人二人が宿す中で、シオンは魔理沙が隠し持っているモノに気づいた。

 「おい魔理沙……貴女まさか!?」

 「ふっふーん。使えるものはなんでも使う主義の私にこれを渡したのは悪手――でもないか。運が良かったな、シオン。今回は妙手になったみたいだぜ」

 ひらひらと手を振る魔理沙の手に握られたのは、小さな石。しかしそこに刻まれた紋様は複雑怪奇。そこに込められた魔力は尋常ではない。

 それを渡したのは紅魔館突入前のこと。てっきり使い切ったのかと思ったのだが、一つだけ残しておいたらしい。手癖の悪いことで。

 もう片方の手には、シオンが細工を加えて八卦炉。そこで紫は気づく。『境界』を操るが故に様々なモノの範囲を知れる彼女は、光学迷彩にポッカリと空いた空間を気にしていたから。

 今にも説明したそうな魔理沙から石と八卦炉をぶんどる。

 「あ、ちょ何すんだよ紫! 返せよおい!?」

 「ここを、こうして……こうかしら?」

 抗議を意にも介さず何故か二重底化されていた八卦炉をパカリと開き、空洞に石を詰め込む。次いで光学迷彩の背中――小さな袋部分に、何度か回転させてはめ込んだ。

 「ぴったりね。魔理沙、これは一体何なの?」

 「説明も聞かずにやりやがったクセに謝罪もなしかよ」

 「……すまない魔理沙。紫の代わりに謝る」

 「しゃーなしだな。シオンに感謝しろよな紫。それでこれは――」

 「電気そのものを動力源にするのではなく、代わりに魔力を使って動かす装置ね」

 「うん、その通り! それで半分正解だよ」

 「花丸が欲しいなら、もうちょっと正確に――」

 「魔理沙得意のマスタースパーク、即ち魔力を電気に精製する機能を持ってるんだろ?」

 「……少しは私に説明させろよ~~~~!?」

 紫に道具を奪われ、永琳に答えを言われ、シオンに詳しい説明をされた魔理沙が遂にキレた。意気揚々と来た結果がこれなのだから仕方ないのかもしれない。

 元々我慢強い少女ではないのだから。

 三人は顔を見合わせ、ついでにとりに目を向けると、彼女は魔理沙にバレないようしょうがないなぁという顔をした。

 「ほら魔理沙、肝心なところをまだ言ってないんだから、それをお願いするね?」

 「う、そ、そうか? ならいいけどさ……ん゛、んん゛」

 と、わざとらしく咳払いを一つ。

 「この光学迷彩を魔力で動かす点で最も重要なのは、『外部の魔力を使用しない』点だ」

 ここにいるメンバーならわかるだろう。気配探知に優れた人間は、周囲の動いている・動いていない魔力の差を感じ取れる。

 つまり八卦炉のみの機能を付けると、微弱な魔力の吸引によって居場所を悟られる。だからこそ魔力を込められる石の出番だ。元々魔力が入った石から直接吸い取るのなら、それはほんの少しの移動にしかならない。気付けるのは迷彩を着た本人くらいだろう。

 そして魔力を電気に変換する機能を備えた八卦炉が、迷彩を発動させ続ける。

 ちなみに石に魔力を込め直せば無限に迷彩を発動させ続けることさえ可能だ。ただし、それができるのは魔力をとどめ続ける魔法陣を扱える人間――シオンのみだが。

 「――合理的ね」

 全てを聞いた永琳の言葉が、全てを表していた。にししと笑うにとりと魔理沙がシオンに近づき手をあげる。

 戸惑いつつもあげた手。そこに魔理沙とにとりが、力強く叩いてきた。

 「私達はお前が何をするのか知らないけどさ」

 「私達も力を貸すってこと、忘れないでね!」

 「ああ……そうだな。忘れないよ、きっと」

 それを最後に二人は部屋から出ていく。立つ鳥跡を濁さずとはよく言うが、彼女達の去り際はあっさりしたものだった。

 残ったのは紫と永琳。先に腰をあげたのは永琳だった。

 「それじゃ、私はこの機械のメンテナンスでもしておきましょう。専門外だけれど、故障しているかどうかくらいはわかるから」

 魔力を使い、光学迷彩を宙に浮かせる。そうしながら永琳は、シオンの頭にポンと優しく手を置いた。

 「私はあなたに、死んでもやり切れ、なんて言わないわ。――頑張りなさい。あなたがしたいように。あなたが後悔しないように。望んだ結果を、勝ち取りなさい」

 一回、二回。髪を梳くように撫でた永琳は、柔らかい笑みを見せて部屋を出る。

 犬猿の仲の紫とシオン。この部屋の主は紫だから、次の出るのはシオンだろう。それでもシオンは一言だけ、言っておきたかった。

 「貴女のためじゃない」

 「ええ」

 「この幻想郷(セカイ)に生きる――俺を助けてくれた彼女達のためだ」

 「でしょうね」

 「……殺せるのなら、殺してやりたいのに」

 「……わかっているわ」

 苛立ちを込めた目を向けても、紫の態度は変わらない。

 「貴女みたいに、何かを犠牲にできる奴は、これだから嫌いなんだ」

 強いから。

 並大抵のことでは崩しきれないから、嫌なんだ。

 「好きになってもらおうなんて、考えていないわよ」

 「あ、っそ。もう寝る。明日は顔を見せに来なくていい」

 見に来たところで喧嘩腰になるだけだ。だったら見ないほうがお互いの為になる。

 お休みの挨拶すらなく、シオンは部屋を出る。その瞬間聞こえた言葉に、()を背けて。

 「――貴女みたいな強さが、欲しかったよ」

 彼女もまた、その言葉から耳を背けた。

 

 

 

 

 

 シオンは自分が寝る場所はどこか、知らされていない。恐らく一番最初にいた部屋でいいだろうと考えているし、別の場所で寝ても文句は出ないだろうと思っていた。

 だから、別段不思議なことではない。

 フランが廊下の片隅で、シオンのことを待っていたのは。

 「明日、戦いに行く……んだよね?」

 「そうだな。もしかしたら、死ぬかもしれない」

 少なくとも勝ちの目も負けの目もある。それに相手が出していない手札を考えると、シオンが殺される可能性は、高い。

 嘘を吐かない事を信条にしているシオンは誤魔化さずにそう言うと、フランは焦燥をあらわにして詰め寄ってきた。

 「なら、やっぱり私もついていきたい。シオンと一緒に、シオンの隣で戦いたい!」

 「ダメだ。フランが出ていけば、全部ダメになる」

 どうして、とは言えなかった。シオンは気づいてる。永琳も、紫も。

 「気づいてて、見逃してたんだよね? 私が前に出ちゃいけないことを、教えるために」

 「わかってるなら、言わせないでくれ」

 フランは悪いことだと理解していて、彼らの話を盗み聞きしていた。気付かなかったのは恐らく魔理沙くらい。にとりは――彼女の反応は差がありすぎてわからなかったが。

 けれどもこの場で最も大事なのは、『フランが出向けば全て終わってしまう』ことにある。

 その理由は、とても単純だった。

 「――……『ありとあらゆる物質を破壊する程度の能力』を持つ私が、万が一、億が一能力(チカラ)潜在能力(スペック)を完全に引き出されたら、この幻想郷(セカイ)だけじゃない。外に連なる地球(セカイ)さえも完全に壊してしまうから、行っちゃダメなんでしょう?」

 フランの能力は強大すぎる。そしてそれ故に、彼女はあの巡り続ける時の回路の中に組み込まれてしまった。

 もしあの黒い人間の能力に巻き込まれれば、その瞬間機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)の如く全てを終わらせてしまうからこそ。

 わかってるなら言わないでくれと目で応えるシオンに、それでもフランは諦められずに言い募った。

 「で、でも! 私、今までずっと大丈夫だったんだよッ。シオンがくれたこの腕輪があったから今まで一度も暴走せずにッ」

 「それは腕輪のおかげじゃない。貴女が、自分の意思で、自分の心で抑えたからだ」

 「え……何、それ――?」

 シオンは一度目を逸らし、まるで罪を告白する罪人のように頭を垂れた。

 「それは半分正しい。でもな。半分は間違いなんだ」

 「シオンが、嘘を吐いた……ってこと? どういう意味なの!?」

 「確かにその腕輪は妖力の抑制をしたり、無駄な流出を避けたりできるように作ってある。能力の制御も、まぁ多少なら力を貸してくれるだろう」

 けれど、大前提として考えてみて欲しい。

 「でもそれには、純然たる破壊の力を押さえ付けるだけの力なんて、持ってないんだ」

 フランの能力を押さえ付けることは、只人でしかないシオンでは、どだい不可能。もしフランがその気になれば、腕輪ごと完全に破壊してその能力を発動させたことだろう。

 「じゃ、じゃあなんで、シオンはこの腕輪を私にくれたの?」

 「……かなり話は変わるが、思い込みって不思議だよな」

 「え?」

 その言葉にフランが眉根を寄せる。話を変えた、というのならわざわざそう前置きにする必要はない。

 つまり、この話はきちんと繋がっているのだ。

 「そう、だな。催眠術とかが一般的な例か? あるはずのないものを『ある』と思い込ませたりだとか、逆にあるはずものを『無い』と見せたりだとか。でもそれは、他人からすればありえないことでも、本人からすればそれは純然たる『事実』になるんだ」

 「……つまり?」

 「フランに腕輪を付けたのは、フランに『この腕輪は自分の力を押さえ込んでくれる特異な力が宿っている』と思い込ませるためだ」

 「!?」

 無意識でギュッと腕輪を握り締める。遂にシオンはフランを見ることなく、廊下を歩いて壁に寄りかかった。

 「実際、上手くいってただろう? そう思い込んだフランは無意識的に能力の発動を抑えていたんだから」

 「それじゃ、シオンがやったのは、本当にちょっとした手助け、だけ?」

 コクリと小さく頷く。ともすればそれが返答だとさえ気付かなかったのは、後ろめたさからか。シオンは自嘲気味に笑った。

 「俺が言った説明、かなり無茶苦茶だったろう? 嘘にならないように、でも信じ込ませるように結構焦ってたんだよ。本当に信じてくれるとは、思わなかったけど」

 あるいは誰もがわかるほどの大怪我をしていたからかもしれないが。どちらにしろ、状況に救われたと見るべきだろう。

 そこでシオンはフランを見る。どこかショックを受けたフランを見て、また苦い笑みをこぼす。それをすぐに飲み干し、フランに告げる。

 「だから、貴女の力は依然として危険なままなんだ。連れてはいけない」

 ポンとフランの頭を叩こうとして――やめた。代わりに肩を叩き、一言。

 「お休み、フラン」

 返事は、当然のように無かった。

 

 

 

 

 

 その日は部屋に置いてあったご飯を食べてから壁を背にして寝た。食べてすぐ横になるのは何かに悪いと見た覚えがあったからだ。

 思い出すのは先ほどのやり取り。本当に伝える必要があったのかと迷い、けれど言わなければフランは隠れてでもついてきそうだと無理に自分を納得させる。思考を強制的にシャットダウンさせて、その日シオンは眠りについた。

 眠っている途中、誰かに責められているような夢を見た。

 『お前のせいで』と、『お前がいなければ』と。言われ慣れたその言葉は、もうシオンの心に波紋を立てる事さえ無くなった。

 悪意を受けるのが日常になったのは、果たして何時のことだろうか。そして悪意の中から救いが来たのは、何度会っただろうか。

 シオンは紫が嫌いだ。復讐する相手のいないこの世界に無理矢理落とした彼女のことを、心底怒り憎んでいる。

 でもそれはただの一面で。

 本当は、少しだけ感謝もしていて――。

 「……夢だとしても気持ち悪いな」

 頭が痛い、と体を丸めて縮こまるシオン。少なくとも誰かに内心を悟られることだけは絶対に避けたかった。

 「ないないありえないから。俺が紫に感謝してるとかどんな()()()()だよ」

 クスッ――。

 「……?」

 ふいに笑い声。だが周囲に誰かがいる気配は無い。

 「シオーン。朝餉がそろそろできるわよー!」

 「わかった、今行くー!」

 遠くから聞こえてきた師匠の声に、シオンは疑問を投げ捨て部屋を出た。部屋を出て朝食にありついたシオンだが、渡されたのは水と、小さなカプセルが数十錠。と、大量の紙束。

 「これが……朝ご飯?」

 「栄養剤ね。これを()()()戦いに行きなさい」

 当然抗議の視線を送ったシオンに返されたのは、永琳のため息だった。

 「紫から伝言。『豪勢な食事が欲しければ勝ってくることね』――だそうよ」

 瞬間、ピキッ、と何かが鳴った。

 「ああそうかい本当に地雷原をドカドカ踏んでくれやがるよ紫はぁぁっぁぁ……ッ!」

 怒りの表情を一転させ、永琳を指差すシオンは叫ぶ。

 「俺も紫に伝言だ。『精々俺を驚かせられるくらいの料理を用意して待ってろ』と!」

 「そ、わかったわ。行ってらっしゃい」

 「行ってくるッ!」

 ドカドカと足を踏み鳴らして行くシオン。その背を口元を緩ませた永琳が見送る。

 「だ、そうよ?」

 「なら頑張らせてもらいましょう。精々ね」

 目の形に開いた空間の奥から声が届く。どちらも素直じゃないと苦笑する永琳だけが、二人の心情を完全に把握している。

 シオンは『必ず勝って戻ってくる』と言い切り。

 紫は『あなたは必ず戻ってくる』と信じた。

 「素直じゃないわね、二人共」

 二人が聞いたら全力で否定することを言って、永琳は隈を作った目をこすりながら部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 部屋を出て少しして見えたのは、蝙蝠の翼。そんな特徴的な翼を持った存在を、シオンは一人しか知らない。

 傘をさして優雅に佇む彼女は、外見不相応の貴婦人の如く。

 「見送りに来てくれたのか? レミリア」

 「そうね。そうなるのかしら。ここにいるってことは」

 「随分迂遠な表現だな。どっちなんだ?」

 「さぁ? 私はモノと言葉を渡しに来ただけだから、どちらとも言えるだけよ」

 コツコツと踵を鳴らしながらシオンに近づくレミリア。体を近づけるとは自ずと顔も近くなる。つまり、レミリアの目の下にある黒いモノがよく見えてしまう。

 シオンの視線に気づいたレミリアは、日陰に来たからか閉じた傘でコツン、とシオンの頭を叩いた。

 「レディの顔をジロジロ眺めるのは、マナーがなってなくてよ?」

 「あ、いやその……すまない」

 「素直に謝ったならいいわ。よろしい、許しましょう」

 どこかわざとらしい言葉遣いで言うレミリアは、クスクスと童女のように笑うとシオンの目の前に立ち、見上げた。

 「一体何があればこんなに背が伸びるのかしら?」

 独り言のように呟き、レミリアはシオンの襟元を掴むと思いっきり引っ張った。

 「うぉ!?」

 強制的に首を絞められる形になったシオンは抗議を唱えようとして、耳たぶの激痛に片目を閉じて耐えた。抗議の音も飲み込んでしまう。

 そして何かを通される感触。右耳にかかる重さからして、イヤリングか何か。触ってみると、わかったのは棒状であり、垂れ下がった方の先っぽが鋭いことくらい。

 「……なんだこれ?」

 「お守りよ。きっとあなたを守ってくれるわ」

 そう言われると弱い。不意打ちの痛みとはいえ痛みには慣れているし、自分を想ってくれてのことは、正直、嬉しかった。

 近すぎる顔を見られているからこそバレているはず。

 顔が熱くなっていることを。

 「それともう一つ」

 「まだ何かあるのか?」

 これ以上されると流石に気恥ずかしさが目立つ。けれどレミリアは悪戯っぽい笑みを浮かべて、シオンの額に顔を近づけ――

 ッチュ。

 「……ふふ、私からの幸運の証よ。お守りと、幸運の願い。この二つがあれば、あなたに何が起こったとしても大丈夫」

 「『運命を操る』能力を持つレミリアからの――か。ご利益ありそうだ。ありがたく受け取っておくよ、()()()

 「私は吸血鬼。女神なんて高尚な存在からは程遠い。冗談でも言わないことね」

 言葉は鋭く、顔は柔らかく。レミリアも彼女なりの冗談を返してきたらしい。

 「ところでフランは? あの子なら絶対に見送りに来ると思ったのだけれど」

 「ああいや、多分フランは来ない。昨日の夜に俺のところに来たから」

 「でも、あの子はあなたのことを――」

 言葉を止める。

 「……そう。わかったわ。あの子を見つけたら、慰めておくわ」

 「察しがよくて助かる」

 「いい女は男の事情に口出ししないのよ。行ってきなさい」

 「ああ、行ってくる」

 シオンがいなくなり、残ったレミリアは傘をさして日向へ出る。

 「寝る前に、もう一仕事、ね」

 涙で滲んだ視界で、レミリアは空を見上げた。

 

 

 

 

 

 シオンが最後に出会ったのは、巫女服を纏った少女。

 「準備はできたのかしら?」

 問うてきた少女の顔はこちらに向いていない。けれどそれでいい。

 いろんな人から借りた想いと力。最後に借り受けることになるのは、この少女からだ。借りる立場の人間が文句など言えるはずはない。

 「いつでも出れる。そっちは?」

 「あんたより先に来た私がダメなわけないでしょ」

 「愚問だったか。――よろしく頼む、霊夢」

 「はいはい。囮は任せなさい。代わりに頼んだわよ、シオン」

 トン、とお互いの拳を叩いて、二人は同じ道を歩きだした。



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果たせない約束

 敵がいる場所へ歩む途中、ふと気になり霊夢は口を開く。

 「そういえば、シオンはアイツがいる場所を知っているの?」

 「さぁ、さっぱりだ」

 ……一瞬シオンを殴り倒したくなったのは、秘密にしておこう。

 とはいえ漏れ出た敵意を敏感に察したらしいシオンは、ガリガリと頭を掻いて弁明する。

 「俺が目を覚ましたのは昨日のことで、時間がなかったんだ。相手の居場所よりも自分の能力の正確な理解と、敵の対策を考える方が重要だったんだよ」

 「それはわかるけど、でも居場所を教えるくらい簡単でしょうに」

 「一刻を争うって訳でもないから同意したいところだけど、その『簡単なこと』はもう教わってるんだよなぁ」

 ヒラヒラと渡された封筒を降る。触っている感触からして数枚入っているだろう。封を解いて中身を取り出すと、また封筒が二つ。片方はシオンに。もう片方は霊夢に。

 シオンは霊夢あての手紙を渡す。無言で受け取り即座に開封するのを横目に、自分も宛てられた紙を見る。

 本当に簡素な内容だった。

 敵の居場所。そしてただ一言――生きなさい、と。

 永琳は一体どれだけ先を見ているのか。ただわかるのは、彼女はきっと、誰より優しいということだけだ。

 「確約は……できないかな」

 あの男は、強い。身体能力はもちろん、それを支える精神も。この世界で、味方などほとんどいない状況で三年も抗い続けられたのは、背水の陣の如く。

 だが、人はそこで大別される。

 勝てないと諦めるか。

 負けが見えていてなお、抗うか。

 後者である彼は、何もない状況で抗っている。そんな人間は、強いのだ。自分の命すら作戦に組み込む気概を持っているような者は、特に。

 それを自分がやったことがあるからこそ知っているシオンは、小さく息を吐く。自身の心のさざなみを落ち着かせるために。

 一方で霊夢はまだ紙を見ていた。恐らく文章量が段違いなのだろう。その眼を皿のように細めている。

 シオンの視線にも気づかぬ程集中している霊夢は、もう一度だけ冒頭の文章を読み直す。

 『霊夢、あなたは囮よ。シオンが本命にたどり着くための、生贄』

 普段の霊夢なら憤慨していただろう。ふざけるな、と。いくら博麗の巫女だろうと、許容できる感情には限度がある。

 けれど、今は、今だけは別だ。そうしなければいけないと理解しているからこそ。その囮というものが、この作戦で重要になる。

 『私の予想だと、敵の仲間は最低三人から五人。これ以上いるというのは、隠密行動から考えればまずありえないわ。

  現状判明している敵の中で、あなたと相対するであろう人だけを教えたいのだけれど、彼ら三人の能力はどれも強力で、凶悪なもの。全てとは言わないけれど、頭の片隅にでも残してくれればいいわ』

 そして一行の空白。

 『まず、彼らのリーダー。あなたも会った、あの黒い少年。

  彼は一定範囲にいる人間の、本人でさえ気づいていない潜在部分を強制的に開放し、それを暴走させること。暴走した力がどうなるのか、なんてバカな事は言わなくてもわかるでしょう。

  範囲については恐らく任意操作。そして距離は、余り遠くない可能性が高い。戦闘中彼に来られると、あなたの能力を利用されるかもしれないから、シオンが戦闘を開始したと判断できるまでは決して使わないで。

  あの男は彼らの中で最も幻想郷を知っている人間。自らの足で計画を成す程に』

 だからこそ永琳は気づいたのだろう。リーダーである彼自身が赴かねばならないほど、手足が足りていないのだと。

 シオンと同じ……最前線に立ち続ける尖兵だ。

 『そして彼を支える二人。この二人の情報はほとんど無いわ。

  片や古今東西を問わずありとあらゆる魔法陣を使う、()()|使い。陣は作る

手間暇がかかるからこそ敬遠され続ける技術――でもそれは、その問題点をクリアできるのなら、

何より有用な一つの技術。シオンも、パチュリーも。不便性に目を瞑ってでも使い続けるのは、そ

れだけの価値があるからこそ。

  気をつけなさい。術式使いにできないことは、少ないわ』

 ――恐らく、これが霊夢と対峙することになるであろう存在。

 先の少年が前衛。あの身体能力をシオン一人で突破するのは難しい。その間に永琳でさえほとんど文字通り『なんでもできる』とまで言わしめた後衛が何かをすれば、ほぼ負ける。

 その足止め係故の囮なのだろう。

 後は相手のレベル次第。そう割り切って霊夢は先に目を通す。

 『そして三人目。ある意味では彼らの中で最も重要な役割を成す存在。

  あなたも知っているはずよ。ここ最近の幻想郷で、全身を黒く染めた存在を見つけたことがあるのなら』

 確かに何度か見たことがある。普通のそれよりも多少強くなってはいたが、けれどそれだけの存在だったが。

 『アレが担っている役割は、情報収集の可能性が高い。妖怪に、妖精に、霊魂に、獣に……ありとあらゆる場所に、ありとあらゆる存在へと手を伸ばして。

  全身が黒く染まっているのは、その身を()()|覆われているからよ。実際私が見た者達には影が無かった。

  けれど、それを除けばちょっとおかしな程度。怪訝には思えど進んで調べようとは思わないくらい。

  だから、私達の情報はその大半を知られていると思ったほうがいいわ。

  フランドール・スカーレットが外に出ないよう、封じられたように』

 ハ、と霊夢は頭を殴られたような気がした。自分の情報を知られている――それはどれだけの不利になるか。

 ――最悪、私が使う式もほとんどが……。

 続きを見ようと目を向けるが、そこで一枚目の紙は途切れている。二枚目を取り出し、読もうとして、だがその必要は無かった。

 そこにあったのは、とても単純な言葉(ねがい)

 『シオンのことを、助けてあげて』

 一瞬霊夢の歩みが止まる。

 そこには一体どんな想いがあったのか。柄にもなく感傷に浸り、眉を下げる。顔をあげてシオンを見ると、掌に小さな陣を作り、紙を燃やし尽くしている姿が。

 「ん? ……燃やしたいなら燃やすが、その紙」

 つい見ていたのを見当違いな方向で解釈したシオン。とはいえずっとこの紙を持っているのも面倒なので手渡す。

 魔法陣に魔力を込め、ボッと一瞬だけ燃え上がった火柱が紙を灰へ化す。本来属性を伴った魔法の使えないシオンでさえ、陣を使えば火を起こせる。今から霊夢が相手取るのは、彼らのその遥か発展系。

 小さな肩に伸し掛かる不安。

 「ねぇ、結局場所はどこなのよ?」

 それを吹き飛ばすためか、殊更明るい声を強調して問いかける。

 「霊夢も来たことがある場所だよ。少なくとも一度はな」

 「私が行ったことがある場所ねえ。色々ありすぎてわかんないわよ」

 それもそうか、と息を吐いて。

 「邪魔者が入りにくい場所――つまり、迷いの竹林だ」

 

 

 

 

 

 幻想郷は人と妖怪――人外達が住む異郷だ。程度の差はあれお互いのテリトリーを離れようとしない彼らだが、たまに外に出たいとする好奇心から、あるいは単純な思考からか様々な場所を徘徊する身の程知らずな者は、そこから離れる。

 そして知識の無い者がそうした場合ほぼ必ずする行動が、悔やむこと。

 何故外へ出ようとしたのか。

 何故この道を歩んだのか。

 そして何故――ここへたどり着いてしまったのか。

 この幻想郷には決して行ってはならない場所がいくつも存在する。

 例えば四季とりどりの花々が咲き乱れる花畑だとか。

 例えば圧倒的な力で以て形成された縦社会の山だとか。

 例えば濃密な魔素によって常人ではまともに生きられない森だとか。

 例えば――天然の迷路が入り乱れることで、中に入れば外に出ることさえ難しい竹林だとか。

 そういった情報が出回り、行ってはならない場所が暗黙の了解で伝わっている。その一つがここだった。隠れるにはうってつけ、だからこそ選ばれた場所。

 シオンと霊夢が竹の見える距離まで近づくと、そこで一度立ち止まる。

 「シオン、どう?」

 「結論から言うと、無理だ。俺の記憶とは違いがありすぎて脳内のマッピングは役に立たない。むしろ一度完全に捨てないと足を引っ張ることになりそうだ」

 「ってことは、私の時間稼ぎはそこそこ重要になりそうね」

 「すまない。それと、頼んだ」

 返事をせず、霊夢は空へと飛び上がる。囮ならば相応に派手に行くべきだ。永琳達に悪いとは思いつつも札を取り出し、投げる。

 それがある程度にまで落ちると――起爆した。

 焼け焦げた臭いが辺りに充満する。なるだけ息を吸わないようにしつつ、霊夢は更に札を取り出そうと懐に手を入れ。

 唐突に現れた鎖に腕を掴まれ動きを封じられる。攻撃の前兆さえ感じなかった事に危機感を覚えつつも抜け出そうとしたが、その前に増えた鎖が霊夢の足元で複雑な模様を描き、それが輝いたかと思えば。

 その場から、霊夢の姿が消え去った。

 一方、残されたシオンのほうは。

 空間制御の応用で二次元に叩き込んでいた光学迷彩を着込んでいる真っ最中だった。元々服を着込むことを好まないシオンとしては違和感が凄まじい。それでもこれが役に立つのだからと割り切り、肌が空気からシャットアウトされたのを理解する。

 視界が狭まることに若干目を細め、本当に見えなくなったのかを疑問に思う。

 少なくとも自分の視界では普通に見える。が、それはあらかじめにとりに言われたことで不思議には思わない。

 『相手から見えないのは大前提だけど、だからって自分が見えなくなるのは問題なんだ。私達生き物は『知る』ことの大部分を視覚に頼ってる。そこを封じられると、自分が今何をしているのかさえあやふやになっちゃう』

 それが原因で、にとりは自分だけは自分の姿が見えるように特殊なバイザーを作る必要があったという。シオンの視界が狭い原因もそれだ。

 にとりが言うには『シオンだったら大丈夫!』とのことだったが――それでもデータ収集のために一応取り付けた、とのことで。

 竹林に入る寸前、罠が設置されていないかを首を最小限動かして確認。それから久方ぶりに足を踏み入れた。

 けれど、たったそれだけのことでシオンは竹林の空気が変わったのを悟る。ただの勘だが、それを信じた。実際それは正しく、時に魔法陣が、時に爆弾が仕掛けられ、更には原始的に糸にかかると吹き矢が飛んでくる、なんてものまであった。量が段違いではあったが。

 それら全てを掻い潜る。かつてはレーザーだらけの罠や、もっと冷酷な仕掛けを掻い潜った経験のあるシオンにとって、ここの罠は生ぬるすぎる。

 ――それでも油断しなかったからこそ、シオンは咄嗟に身を忍ばせることができた。

 影から生まれたかのように突如現れた漆黒。その姿を、シオンは今まで何度も見てきた。そして殺し続けてもいた。

 シオンは永琳から相手に影使いがいることを知らない。そもそも永琳でさえ『そんな相手がいるかもしれない』程度の憶測なのだ。それが正しいかどうかさえわからない。

 だからどうでもいい。言ってしまえば罠に加えて巡回する警備が増えただけのこと。これまで以上の警戒心を持って行動すればいい。

 音を、気配を、姿さえ消し、足跡さえ残さない。竹から生えた葉さえ掠らせない。風のようにすぐ傍を横切るだけだ。

 少しずつ近づいていく予感。理由などない。ただ『そんな気がする』だけ。ただ、一応理由付けはできた。どうでもいいと割り切っているだけだ。

 どうせ相対すれば殺し合う。それだけなのだから。

 だから不思議には思わない。

 例え相手が()()()()()()()としても。

 「……遅かったな。もう少し早く来るかと思っていたんだが」

 「今日は珍しく喋るのか。前は苦悶の声さえ出さなかったのに」

 シオンの皮肉に、一箇所、右目だけが不気味に覗く以外は全身を黒で覆った彼は苦笑いを返したような気がした。

 「なるだけ情報を遮断するためだ。これだってそれが理由だしな」

 トン、と手を叩き、同時に黒がスルスルと引いていく。正直不気味だったが、それでもその光景を直視していると、その黒が影でできたことがわかる。

 「――見られてるなら無駄だよな」

 合わせるようにシオンも空間制御で直接降り立つ。同時に邪魔な、そして壊さないために光学迷彩を紫邸

 少年の顔は、整ってはいるがどこにでもいる平凡なものだった。

 シオンにように女顔として整っているわけではない。声だって普通の少年のもの。背丈だっておかしくはない。唯一普通と違うのはオッドアイであることだけ。

 文字通り『どこにでもいる少年』としか言えなかった。

 それでもシオンと彼を見比べたら、恐らく誰もが口を揃えて言うだろう。

 『彼とシオンはよく似ている』――と。

 眼だ。二人の眼はとてもよく似ている。形ではない。宿しているものだ。

 「なるほど他人の気がしない。その眼は?」

 「『千里眼』のコト――を、言っている訳ではなさそうだ」

 なぞるように目の周辺を撫でる。はぐらかすように言ったが、シオンの居場所がわかったのはその得意な眼によるものだろう。

 「何となく察したから別に構わないけどさ。知ってるのか知らないのか。一応忠告だけしておくけど、そこに立ってると――()()()?」

 「そこまで、解るのか」

 歪んだ顔は、彼が望んでそこに立っているのを示していた。

 彼の直下にある魔法陣。それはそこに立つ者の生命力を魔力に転換する効果を持つ。そこにずっと立ち続ける事は、気を使うよりも更に深い部分を損耗し、やがて死に至る。

 けれどシオンが不思議に思ったのは、そこから派生して伸びる魔法陣だ。複雑に絡み合い解析しにくいが、それでもわかる。

 「……そうか。お前の目的は、もしかし」

 「ッチ。行け、()()共!」

 奇しくもシオンの黒陽と同じ名前の異形の怪物。

 「跡形もなく消せ。そいつの存在を。そしてオレの望みの礎になれッ」

 「悪いが断る。俺にはまだ、お土産をあげないといけない相手がいるんでね」

 右手に白夜をダラリと脱力した構え。

 竹から飛び降り上空から強襲を仕掛けた相手を斬り殺したのが、開戦の合図となった。

 

 

 

 

 

 「いっつつつ……乙女の腕を掴んで引っ張るなんて随分と容赦がないのね」

 周囲を見渡し、先よりも色濃い霧が立ち込める竹林の中。強制転移されたということは、つまりすぐ傍にその下手人がいるはず。

 そしてそれは、予想外の声音だった。

 「同じ乙女なら、その点はクリアされると思いますが」

 能面のような無表情をたたえた少女。霊夢よりも若干年上の少女は、霊夢とよく似ていて、けれど決定的に違った。

 腰まで届く黒髪を赤いリボンで一つに纏めて流し、丁寧に整えている。笑えばつい見惚れるような姿を見せてくれるだろう綺麗な顔は、冷たい。反面その黒水晶の眼には温かさが宿っている。

 キッチリと着こなした巫女服は、霊夢のように腋を見せたりすることなど決してない。仮にどちらが『巫女に相応しいか』と問うたのなら、一考する間もなく彼女だと答えるだろう。

 小さく細長い白い指先には、シオンがよく使う魔力糸が編まれている。

 彼女は流れる水のように滔々と言葉を紡ぐ。

 「先に一つだけ忠言をば」

 「するんだったら早めにね。私は余り気が長い方じゃないの」

 「ご心配なく、すぐに済みますので。――この空間は、閉じています。特殊な結界で覆われているが故に、遠くへ逃げてもこの場所へ戻ってくるのみ。あなたの勘も無駄となります」

 「ああそう。つまりあんたは、逃げても無駄ってことを教えたかったのね」

 即頭部を掻き、わかりやすく大きな息を吐き出す。

 「舐めないでよね。その程度で怯えるほど、私は弱くない」

 「だといいのですが。お互い囮を買って出た身。死なない程度に、戯れましょう」

 理解していてなお二人はここへ来た。

 一人は上司の命令と、バカな少年のために。

 一人はかつて救われた恩を返すために。

 「――行きます」

 「――さっさと……倒れなさい!」

 ピアノを演奏するかのように動き出した十の指が踊る。それを阻止しようと投げつけた針は、目の前に展開された陣によって空間が歪み、複雑な道を描いて霊夢へと戻る。

 舌打ち一つ、戻ってきた針を指と指の合間で挟み受け止め、懐へしまう。今度は札をばら撒いて結界に干渉。先に彼女が展開した空間の歪みを強制的に複数生み出す。これで霊夢の攻撃も、相手の攻撃も通らない。

 霊夢の策に眉を潜める。術式使いたる彼女にとって時間稼ぎはありがたいことだ。いかに魔力糸を紡いでも、その速度は近接戦闘を行うものや、通常の魔法使いにさえ劣る。だからこそ手早く自分の『場』を作るのが定石なのだが、それを相手がやると不安になる。

 念の為にいくつか防御の陣を作りつつ、次の攻撃の布石を形作る。その最中のこと。咄嗟に魔力を込めて、作った防御陣の中でも最も堅牢な全身を覆うものを発動させる。

 数瞬後、全身に針が突き刺さる――寸前で、陣に阻まれ止まる。

 無表情のまま、しかし額に冷や汗が垂れるのを自覚。判断が遅れれば、先の一瞬で死んでいた。

 「空間の歪を利用しましたか……しかし、どうやって」

 「そんなの勘でいいでしょ、勘で。適当に投げたら全部当たっただけよ」

 第二、第三の針が投げられる。しかし最初に投げられたように全身に向けてはなく、だからこそ適当に作った防御陣で事足りる。

 「話に聞いてはいましたが、随分とデタラメのようで!」

 陣が完成する。

 複雑に折り重なった陣は、人間が想像する『最強』を召喚した。

 「『乱積龍(らんせきりゅう)』」

 それは東洋で知られる龍の姿。手が数本も生え、胴体が凄まじく長い。一説では龍は九の動物それぞれの部位に似ているというが、確かに似ている部分は多い。

 というより、術者の彼女が敢えて似せて生み出したのだろう。だが何より注意すべきは、かの龍には()()()()()()があること。

 その姿は龍の完全体である『応龍』であることを示す。

 それだけの威容を晒すのだ。生半可な力であるはずがない。

 とぐろを巻く龍の中心。相手は容赦なく全力を出している。ならば霊夢も、それに負けない程度に力を出すべきだ。

 本来ならまだ使うべきではないのかもしれない。だが、ここは完全に閉じきった空間だと霊夢の勘は示していた。

 つまり、あの少年の能力の警戒は必要ない。自身の全力を出しても、問題はない。

 「例えどんな幻想を持った存在だろうと、私に触れることは許されない」

 それは宣言。

 「私は『浮いている』から。故にこの世の全てからあらざる者」

 それは純然たる事実。

 「全ては私の足元に。決して私へは届かない」

 それはこれから起こる現実。

 「『夢想天生(ムソウテンセイ)』」

 遊びではない、本気の霊夢が龍へと挑む。

 

 

 

 

 

 降り注ぐ血液。その温かさは随分と久しぶりだ。しかし開始そうそう血塗れになりたくはなかったシオンは、トン、と足を動かして真横にいた黒妖の脳天を貫く。そのまま死んだ黒妖の首を左手で掴むと鈍器のように振り回し、背後にいたシオンよりも小さな黒妖をたたきつぶす。

 体を回転させた勢いのまま背後へ飛ぶ。シオンの数倍は大きい黒妖が、先程までシオンがいた場所を踏み潰した。

 ――遅いよ。

 言葉にするのさえ惜しいとばかりに内心で呟き、まだ持っていた黒妖を投げながらバラバラに斬り裂く。噴出した血液が目晦ましとなり、刹那の隙を生む。

 「――弱すぎだ」

 飛ぶ斬撃。密集した黒妖の集団へ飛ばしたそれは、一定以下の力しか持たない黒妖を真っ二つにする。

 一気に数を減らす黒妖達。だがわかる。今シオンに攻撃しているのは後先考えず突っ込んでくる愚か者――即ち捨て駒だと。

 実際強者はまだ手を出してこない。

 ――理性が残っているのか?

 あるいは協力者なのかもしれないと割り切って回避と攻撃を続ける。

 シオンの剣を警戒したのか左手側から近寄る相手の足を蹴り、転ばせる。屈んだシオンに隙ができたと感じたのか攻撃してきたのを、曲芸師のように地面を片手で掴み体を捻って避ける。代わりにそれを受けたのは、先ほど転ばせた黒妖。

 同士打ちほど簡単な()()()()()はない、とシオンは思う。

 自分がちょっと綻びを与えてやればあっさり崩れる。息が合い連携した郡程綻びを生み出し広げるのは難しいが、この程度の烏合の衆なら簡単にすぎる。

 片手立ちとなり逆さまとなったシオンに四方から迫る拳。バカバカしいと思いながら片足を振り下ろして一体の腕をへし折り、そのままつま先の力だけで立ち上がって避ける。標的がいなくなりお互いを殴り合う形になった黒妖三体の首を白夜で斬り飛ばし、背後の一体の首は左手で握りつぶす。

 ただ一度もその手を、足を止めることはない。

 止めれば殺されるのを、誰よりも知っているシオンは、決して足を止められない。

 クルクルクルクルと周り、回り、時に殺させ、時に殺す。シオンが最も得意とする一対多は、こんな愚者に対して絶大すぎるほど効果的だった。

 辺り一面が血みどろになっても。

 黒妖化が原因か、未だに残っている肉塊も。

 シオンにとっては慣れ親しんだ光景に過ぎない。

 「物足りなさそうだから、追加だ。『色々』な」

 不意に届いた声。

 半身になると、頬を切り裂く小さな閃光。

 「……弾丸以上の速度を持った単純な魔法か」

 「ああ。銃みたいに構えてバン、ってやるだけだ。簡単だろ?」

 ここからシオンの踊りは加速する。

 弱い者から死んでいくというのはつまり、残るのは強者のみということでもある。殺せば殺すほどシオンは有利にも不利にもなる。

 数が少なくなることで状況判断がしやすくなるシオンと。

 足でまといを捨てると同時にシオンの攻撃方法(パターン)を見抜く相手と。

 どちらも一歩も引かない。本当に一瞬でも気を抜けば飛んでくる弾丸が、少し、また少しとシオンに血の線を引き出す。

 それが当たるのはほとんど手足のみ。というより、手足しか狙われていない。胴体部分はシオンの姉が編み出した服によって防護されると判断し、確実に機動力を削ぎに来ているのだ。

 それでも流れ出る血は全体から見れば極々微量に過ぎず。計算しても全てを殺し尽くしたとしても間に合う程度だ。

 ――本当に?

 このまま終わるなんて思えない。絶対に何かしら企てている。

 ザリ、と足を前に出した瞬間のことだった。

 今まで一発ずつしか打てていなかった相手の弾丸が、ショットガンに変わったのは。

 「ッ!?」

 それでも冷静に腰に巻いていたローブを左手に巻きつけて盾にする。いくつか当たるのはもう割り切った。

 守るべきは頭と、最低限胴体。半身になって的を狭め、屈んで小さくなって更に狭める。それでも守りきれるのは少ない。

 左足の大半が打ち抜かれた感触。左手も衝撃が貫通し、痺れて動けそうもない。

 吹き飛ばされた中で、いつもの現状把握。

 ――損傷具合は左手足のみ。

 ――肩が若干外れかかっている。至急嵌め直しを。

 そんな思考が頭を過ぎる。空中で回転し、うまい具合に左肩から落ちるように設定。着地の衝撃を左肩に集めて嵌め直す。

 ゴロゴロと転がって衝撃を受け流しつつ立ち上がり、剣を握り直す。先ほどの行動で随分と隙ができた。左手足を庇いながら戦うのを考えると、若干どころではない修正が必要だ。

 向かってくる黒妖を前にしてそんな事を考えていると、ガクン、と左腕が落ちた。

 ――()()()()

 落ちているのは、

 ――俺の、体?

 何もないはずの背後を見る。左腕に巻きついていたのは、嘲笑を浮かべる()()()()()

 それだけで全てを理解した。

 ――し、まッ。

 ドンドンドンッ! と撃たれる銃弾。

 いくつかは逸れて胃と、肺と、その他の臓器に当たる。それだけでも致命傷だが、それ以上の重要部位を撃たれた。

 『心臓を、撃ち抜かれた』

 ――ダ……しんぞ――死――再生――しょう、めつ……?

 能力を使えば、体は生きられても魂が消滅する。

 ドサリ、と倒れ伏すシオンの体から、血が流れる。血は地面を汚し、やがて取り返しのつかない量を染みこませた。

 ――ごめ……フラ――ン――。 



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第二ラウンド

 「グゥルルル……ッ」

 喉の奥から搾り出すかのような唸り声。ただ術式から生み出されたにしては妙に生き物臭い龍が睨みつけてくる。

 とぐろを巻いた腹?――胴体が長すぎてどこが腹なのかがわからない――に包まれた彼女の姿はかすかにしか見えない。

 巨大な龍が、まるで自らの巫女を守るかのような姿。攻撃を通すのも一苦労だろう。だが相手も動いては来ない。霊夢を包む異様な力を警戒しているせいだ。

 さてどうするか――自分も、相手も動かない。先手をどちらが取るかというのを読み合う時点で戦いは始まっている。

 霊夢としてはこのままでも構わない。所詮自分は囮。時間稼ぎが本命でしかない。よしんば勝って援護に行くのも一つの手だが、それで囮すらこなせない状況に陥っては本末転倒。状況維持を選んで、好戦的な自分を押し隠す。

 しかし相手は違った。肺か何かを膨らませるように大きく息を吸い込む龍。あわやブレスか、と身構える霊夢に、相手は全くの別方向から攻撃してきた。

 「ィギィヤァアアアアアアアアアァァァァァァァァァ――――――ッッッ!??」

 「んな――!?」

 単純な、吠え声。だがあの巨体が叫ぶのは吠え声では済まされない。一種の音響兵器だ。

 まるで黒板を爪で引っかいた音を数十倍に増幅したかのようなその音に、霊夢は一瞬だけ耳をやられた。

 その一瞬で、龍は本命のブレスを叩き込んでくる。威力ではなく速度重視の雷のブレス。雷速のそれは一秒にも満たず霊夢に届き――()()()()

 「グルゥ……?」

 訝しげな声をあげる龍。本当に生き物――というより、人間臭いと思いつつ、霊夢は未だ反響が残る頭を振る。

 こういった攻撃に対する対処法は今後の課題になるわね、なんて考えつつも、どこに隠し持っていたのか、針を取り出し投げる。

 当然、と言うべきか。いくら術式によって生まれた龍でも、龍の名に恥じぬ堅牢な鱗の前に弾かれる。これでは術者本人に攻撃を当てるのはほぼ不可能だろう。

 逆に言えば、あの要塞の如き防御を構えている限り、動くのは無理に近いのだろうが、この閉じた結界内ではそもそも動く必要性が無い。

 (不動要塞を作りつつ、結界で相手の逃げ場を無くして一方的に嬲り殺す――趣味が悪いというか性格が悪いというか。効果的なのは認めるけれど)

 なるほど強い。こういった罠を仕掛けるのに術式使いというのは本当に最適だ。戦闘中に龍を召喚するほどの陣を作れるその技術にも感嘆するべきだろう。

 ――それでも。

 (私のこの技には、自信があるのよねッ)

 硬い鱗を持った龍に敢えて突進する。かつてない敵の行動に、龍が――あるいはそれを操る巫女が微かに驚いたかのように硬直。それでも思考する前に迎撃行動に移り、羽を広げる。共鳴するかのように震えた翼の前に、大小様々な球体。

 火の粉が落ち、水滴が零れ、雷が迸り、風が震える。砂塵が舞い、氷柱が光を反射し鈍く輝く。節操無くあらゆる属性を内包した弾幕を見て霊夢に浮かぶのは小さな笑み。

 ――当てられるものなら、当ててみなさい。

 声なき言葉が瑞々しい唇から放たれる。それに応えるように小さく吠えた龍が、弾幕を形成。分散して細かな回避場所を埋める炎。動きを抑えようと緩やかに動く水。避けた刹那の隙を狙おうとする神速の稲妻。視認できない鎌鼬。質量を持った大岩。貫き穿つ氷の塊。それぞれが独自に動き各々の役割を果たそうと迫ってくる。

 けれど、それらは全て無意味と化す。

 全ての弾丸が霊夢を物言わぬ骸にしようとし、だが全ての弾丸は、まるでそこに何もいない幻影を穿つかのように霊夢を通過していく。

 「――――――――」

 瞠目し、更なる弾幕を形成しつつ龍が身をよじる。それは自身の危機を察知してではなく、術者をより堅固に守ろうとしたが故だ。

 しかしそれをするには龍があまりにも巨大すぎる。少なくとも、とぐろを巻いた体を、この狭い空間で動かすのは無理だ。中心に守るべき者を置いているのなら尚の事。

 そして、その明確な隙を逃す霊夢ではない。ただ突っ込むだけで弾幕を自動的に回避できる。とは言え、相手にも何か隠し玉が残っている可能性は高い。この世に絶対なんて言葉が無い以上、

 ――狙える内に、狙い撃つッ!

 針、千本。

 まさしくその形容が相応しい量の棘が霊夢を中心にして展開される。相手はとぐろを巻いた龍の内部にいる。それは堅固な要塞だ。

 だがそんなもの、逆に言えば逃げ場のない袋の鼠でしかない。ほんの少しの隙間から侵入した針をどれだけ避け続けられるか、と次の手札を用意しながら投擲。

 幾重にも折り重なった針の剣山。大半は鱗に弾かれて終わりだ。キンキンと小煩い音を立てて地に落ちる針に見向きもせず、ただ押し通す。

 ――通ったッ。

 ほんのちょっと。数ミリの隙間を、通っていった。見たところ彼女の身体能力はそう高くない。あの位置、あの速度からなら――当たる!

 スッ――それは、何にも当たらず『通過』したが故に感じた錯覚。

 ピタリと止まる針の嵐。それは霊夢の勘が、これ以上は無意味だと知らせたから。

 「ホンットありえないでしょ。何が『ほとんど』よ、永琳。『なんでも』の方が正しいんじゃないの!?」

 信じたくない。

 けれど、見たからには信じなければならない。

 「夢想、天生――!」

 わかる。相手が自分と同じステージに立っている事が。

 理解する。けれど別の場所に存在していることを。

 そして悟る。これでお互いの飛び道具は無意味になった事を。

 「……夢想天生、でしたか。この技を模倣されたからといって、そこまで驚く必要があるのでしょうか」

 「あるわ。問題大アリよ。この技は、私の能力を基盤にして使ってるんだから。私だけにしか使えない、秘中の技。それを、何でアンタが使えるの!?」

 叫びに応じるように龍が動き、できた隙間から引きこもっていた女が出てくる。その姿を見ると同時、霊夢の顔が引きつった。

 「ア、アンタ、それ……」

 「ああ、『これ』ですか? 別に体に直接彫り込んでいる訳ではありません。――こういった事を可能にする術式がある、というだけですので」

 特に問題はありませんよ、というように両手を広げる。

 ――彼女の全身には、複雑怪奇な線が走っていた。

 顔に、腕に。見えないが体全体に、その術式が宿っているのだろう。けれど霊夢がおかしく感じたのはそこではない。

 「動力源が、アンタの中から感じない……?」

 「……。中々に鋭いようで」

 そう。どう感じ取っても彼女の中から特異な力が感じ取れない。

 魔力も。

 霊力も。

 あるいは気さえ。

 むしろそれらを代用しているのは――後ろの龍だ。

 おかしい、と霊夢は思う。

 どのような力であれ、代償を支払うのは必然で、当然の事だ。龍を召喚した時点で彼女が術者なのは明白で。けれど現状は、まるで彼女があの龍から力を借り受けているようにしか見えない。

 「何なのよ、そのチグハグさ」

 「自分の事情をそうペラペラと話すのは愚か者の所業なのですが。まぁ、時間稼ぎ程度の戯れに付き合ってくれるというのなら」

 そこまで言って、ピタリと動きを止める。

 その動作を、まるで人形のようだ、と霊夢は思う。それ程までに彼女は感情の起伏が小さい。本当に自分とは正反対。

 そう考えた自分の思考を止めるかのように、小さな呟きが耳に飛び込んできた。

 「()()()()()()――()()()()()()

 「!?」

 白い、少年。そんな言葉を投げかけられる程の『白』を象徴する人間を、霊夢は一人だけしか知らない。

 「私の主が勝った。それだけのことです」

 ああそうだ。言葉にすればとても単純で、わかりやすい。それでも実際に聞くと心に()()ものがあった。

 「さて、これで私達が戦うのはほとんど意味が無くなりましたが。まだ、やるのですか?」

 「そんなの――当たり前に決まってるでしょ!」

 「……解せませんね。例えここで私に勝ったとしても、その切り札が貴方の能力を基盤にしている以上、切り札になるどころか悪手にしかならない。少なくとも、それが使えない状態で主に勝つのはまず不可能だと思いますが」

 確かにそうだろう。単純な身体能力でシオンよりも劣る霊夢。霊力の使い方やそれらを使った術も覚えている。

 それでも彼我の戦闘経験の差は膨大で。霊夢ではシオンに勝てない。殺し合いで勝てる要素が一つも無いのだ。

 「勝てない? ええそうでしょう。でもね、それでも退けない時があるのよ。男であれ女であれね」

 「その、心は?」

 「()()()()から、よ!」

 そう。竹林に入る前に、シオンは確かに言ったのだ。

 『頼んだ』――と。

 「たったそれだけで十分なのよ。じゃなきゃ私は、私を信じてくれた人間を裏切る事になるんだから。だから――諦められないッ。例え本当にシオンが死んだのだとしても、だったら私がシオンができなかった事を成し遂げる!」

 その叫びに、霊夢は今一度気合を入れ直す。それとは反対に、一度目を閉じ、浅く呼吸してから返答した。

 「……わからなくは、ありません。それに敬意を表して、私の秘密を、お教えします」

 言外に時間稼ぎではない、と伝えて、彼女は言う。

 私の能力は、『術式を視る程度の能力』です――と。

 

 

 

 

 

 ズル、ズルと引きずられるシオンの死体。別にそうしろと命じたわけでもないのに掴んでいる場所は綺麗な白髪だった。ブチブチと髪が抜ける音に思わず眉をしかめる。

 文句は言わない。所詮死体だ。心臓を貫かれ、回復する手段が無い以上、生き残る事などまず無理。死後に残った体は肉塊に過ぎず、屍人がどんな扱いを受けようと知ったことではない。

 (なのに、なんでこんな胸クソ悪くなる)

 チッ、と舌打ちを一つ。考えをとめて目を逸らし足元に広がる術式に集中する。

 (やっと、やっとなんだ。下準備に何年もかけたこれも、もう終わる。完成する。今更誰かに邪魔されて失敗なんてオチ、考えたくもない)

 シオンの内部に残留している魔力を使えば一瞬だ。一瞬でこの術式を開放できる。その点ではシオンに、そして彼を連れてきた八雲紫に感謝するべきかもしれない。

 彼がいなければ、年単位で延期することになっただろうから。

 ――ふいに、何故まだ考えを続けているのかと自問する。

 集中している。している、はずだ。なのに取り留めのない思考がグルグルと頭の中を蠢き続けている。

 何故、何故、と迷路に落ちた思考が何度も同じ言葉を吐き出し続ける。それが不安から来たものなのだと気づいたとき、

 ――ザリュ、ブチ。

 それはなにかが切り裂かれた音。そしてその音を、何度も聞いた覚えがあった。

 「何が起こ――。ッ!?」

 視界に広がる、巨大な『鉤爪(クロー)』が、死を幻視させた。

 「ギギャァ!」

 奇声をあげて、横にいた黒妖の一体が道を遮る。けれどそんなものに見向きもせずに五指の爪が体を貫き、それごと突進してくる。

 咄嗟に構えて受け止めた。ミシ、と体から嫌な音が漏れ出る。

 「なんで……生きて――?」

 ギシギシとお互いの体が軋む音がする。視線が交差した、ような気がした。けれど、相手は自分を『見ていない』。

 目の焦点が、合っていない。

 ただ自分を殺すという殺意に突き動かされているに過ぎない。

 ゾクリと背筋が泡立った。意識が無く、何かの意思によって動く。それはまるで、まるで。

 人形のようだと、思ってしまった。

 ほとんど反射で片手を引き、目の前の肉壁を殴りつける。あまりの勢いに肉が抉れて血が飛び散ったが、その汚れを気にする間もなく荒い息が口からこぼれた。

 「何が起きた……どうやって治した?」

 口に出したのは、思考を纏めるためだ。黒妖に遮られてほとんど見えなかったが、シオンの体を確かに貫通していた風穴は全て塞がっていた。

 アレは何かで治したのではない。まるで『再生』だ。

 「再生……あの鉤爪……。ッハ、最近どこかで見たじゃないか」

 そう。あの吸血鬼の女。アレとほとんど同じなのだ。

 まさかの第二ラウンド。彼にできるのは、今度は一筋縄では行かなそうだと溜息を吐くくらいだった。

 

 

 

 ゴロゴロと受身すら取れない体が転がる。けれどその衝撃が、混濁していた意識を取り戻す一助となった。

 ズキズキと痛む頭を押さえ、左手で心臓を押さえる。

 「な、にが……死んだはず、じゃ」

 ゴフッ、と咳込み、血が口の端から流れ出る。例え体は治っても、体内に残った血液がシオンを休ませてくれない。また数度咳込み、ようやっと状態を把握できた。

 ――全部、治ってる。

 ふと、右手に違和感を覚える。地面を掴んでいるはずの右手。だが先程から感じる感触は、地面を掴んでいるというより、抉っている気がしてならない。

 視線を落とす。

 目に映ったのは、自身の顔を覆うほどに巨大化した掌と、そこから伸びる指と爪が一体化した手だ。極最近見たばかりの、手だ。

 「……? !? ッ!!」

 バサリ、と服を突き破って翼が生えてくる。色とりどりの宝石を付けた翼。視界の端に映る髪の色は、()()だった。

 (『――間に合った。間に合ったよ、シオン……!』)

 感極まる、という表現しか当てはまらないほど震えた声。首に回された半透明な両腕、肩にかかるかすかな重み。寄せられる頬。

 決して表には出さず。心の中で愕然としながら、シオンは横目で『彼女』を見やる。

 吸血鬼の妹。

 (フ、ラン……!?)

 麗しき紅、フランドール・スカーレットを。

 ――なんで、どうして。

 光学迷彩? 吸血鬼の能力?

 いいや、違う。それでは説明がつかない。

 なら何故フランがここに、しかも半透明でいる。他の何者かによる能力でもないだろう。あの時あの場所にいた人間で、そんな事ができる者はいない。

 (パチュリー……は、まずないか?)

 かつてなら術式を多少操れるようにはなっていたが、記憶が消えた彼女はあの時シオンと共に話した内容を覚えていない。陣を生み出したのは、シオン一人。それが事実になってしまった。

 フランはシオンに抱きついたまま、その半透明な翼で触診していた。ちゃんと怪我が治っていないかを確認するよう、優しく、丁寧に。

 チラと敵を確認する。まだ攻撃はしてこない。だが相手の目に、フランは見えていない。つまりフランを見れるのはシオンと、フラン自身のみだ。

 警戒心を残しつつ更に考察。外的要因はありえない、とまずフラン以外の全ての要因を排除。永琳ならあるいはと思うが、透明になれて尚且つシオンだけに見える、そんな便利な薬を作っているなんてありえないから。

 フラン自身の力、というのもありえない。彼女の力はとにかく『壊す』一点に向けられていて、補助効果のある力は持ち得ていない。

 (あれ、つい最近こんな事があったような……)

 ふと、シオンは()()()()()見える、という事に注視した。

 同時、顔が愕然と崩れるのを堪えるのに、全身の力を集めなければならなかった。

 (俺、だけ……俺だけが見える。待て、待ってくれ。でも、だけど、もしこれが合ってるなら、フランは――!?)

 叫びたかった。もし『そう』なら、自分はきっと耐え切れない。世界がどうなるなんて気にも留めず、泣き叫んで絶叫する。

 だけど、現実なんてものはいつだって理不尽で。

 (『うん、そうだよ。私はシオンに()()()()()()』)

 フランは簡単に、肯定してしまった。

 (いや、違う。だって、そんな、フランがそこまでする理由が……)

 (『ある。……シオンには言えないけど、一杯ある。シオンの言う、そこまでする理由が』)

 フランは気づいていない。フランが首を抱く腕が力むと同じく、シオンの白夜を握る手が軋み出しているのを。

 ――それは夜が深まりきった後の、妖し達の時間。

 フランはシオンに真実を告げられたあと、ギュッと腕輪を握り締め、俯いていた。

 ――風が身を切るようにフランを包み、どこからか夜行性の鳥の声が聞こえてくる。

 けれどそれは、騙された、という思いからではない。

 ――俯いていた顔をあげたとき、そこに悲壮感など欠片も無かった。

 「関係、無いよ」

 ――あったのは、決意だけ。

 「私は、シオンが好き。それだけが、大事なんだ」

 ――思い出すのは、シオンが起きたすぐのこと。

 『――あなたの能力は、あらゆる魂を受け入れる――』

 ――なら、『妖怪の魂』だって、理論上は可能なはずだ。

 『――私を殺し――向けている感情を抜き取る――シオンの興味――』

 ――フランがシオンに向けている感情。シオンがフランに向けている感情。

 「なら、私が覚悟を決めさえすれば」

 ――私は彼を、救える。

 できる限り気配を同化させる。もしバレれば、シオンはフランが近づききる前に起きてしまうだろう。二度目の挑戦(チャレンジ)は不可能と見てとるべきだ。

 呼吸を止める。妖怪で、吸血鬼。肺活量は人間と段違いだからこそできること。視覚と聴覚を極限まで研ぎ澄まし、足元の床で比較的脆い部分を見抜き、そこを回避して床を軋ませないように神経を尖らせる。

 寝ているシオンの索敵範囲は不明だ。だが、油断してはならない。近づけば跳ね起きるというのはよくわかっている。

 ――あれから何分経っただろう。

 普段なら数分で行ける距離を、ともすれば一時間かけたのではないのかとすら思える程の長い長い時間。

 ふいに汗が出そうになるのに気づいて、歩みを止める。極限状況は、予想以上の疲労困憊ぶりをフランに与えていた。呼吸はしている。だがそれは周囲から聞こえる寝息に合わせて少しずつ吸っていたため、全く足りていない。

 少しの休憩をはさみ、歩みを進める。

 そしてたどり着いたのは、シオンに与えられた寝室。

 そっと襖を横に移動させる。この時どうしても音を立てて――フランの住む屋敷には襖など無いからどうしようもない――しまう。

 息を噛み殺して反応を伺う。だが、目前にある布団に反応は――いや違う。

 (――いない!?)

 それでも必死に息を止める。ここで呼吸を乱せば今度こそバレてしまう。だから必死に必死に息を止め続けて、バクバクと鳴り響く心臓を抑えて、眼だけを動かす。

 右に、左に眼を動かしたそこに、いた。

 壁を背に、右手で柄を握り剣を抱きしめ、膝を立てて座るシオンが。

 体育座りのような格好で寝ている姿に胸を締め付けられた。

 だってそれはシオンが安心して眠れる状況がほとんど無かった事を示していて。今この時でさえ自分は横になれないと警戒心を残している。

 口には出さず、フランの唇が動く。

 ――ごめんなさい。

 気配を同化させたまま、殺意だけを研ぎ澄ませる。一歩で接敵、その途上で指の一本を鋭く伸ばす。それで首を引き裂くか心臓を貫けば、殺せる。

 後一歩。そこでシオンの左腕が飛び跳ねた。ガシリと、この体勢で一体どうやってこんなバカ力を出しているのかと問いただしたいほどの腕力。

 受け止めた瞬間弾き出されたように閃いたのは、左腕という枷が外れた白銀の刀身。逆手で握られているにもかかわらず、その正確無比な斬撃が振るわれる。

 死ぬ。殺される。――それでもフランは避けようとすらしなかった。

 下から迫る剣はフランのハラワタを食い破り、心臓を切り裂き脳まで穿つだろう。

 じっと、スローモーションの視界で剣が迫るのを待つ。だから気づいた。

 ――……あれ……動きが――?

 違和感に気づいたシオンの腕が鈍る。このままでは『シオンが殺した』事にはならない。

 だから、決断した。

 「――――~~~~ッッ!??」

 足から力を抜いて全体重を叩き乗せるッ。

 しかし剣速が鈍ったそれは技術もクソも無く、そこに無理矢理乗ったフランの腹は綺麗に裂かれることなどなくグチャグチャに掻き乱されていく。

 それでも悲鳴をあげず、ただひたすらに腹が切り裂かれる感触を味わって。

 やっとの想いで――心臓を斬ってくれた。



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ユメを否定する力

 ――物心ついた時から、世界には知識が溢れていた。

 壁に、地面に、空中にさえ。

 ありとあらゆる文字と、ありとあらゆる図形が並べられている光景。けれどそれらが彼女にもたらしたのは、地獄だった。

 眼を閉じても耳を塞いでうずくまっても見えて、視えてしまうその瞳。幼い少女に理解できない陣が脳に直接刻み込まれるのは、好奇心を刺激される云々以前に、眼と脳を襲う痛みで発狂しかける程だった。

 ――幸運だったのは、彼女が生まれたのが巫女の家系だった事だろう。

 特殊な水を染みこませた呪符を包帯として目に、頭に巻きつけ、強制的に眼と脳を外界から切り離した。それによって精神破壊、あるいは精神汚染を免れたが、光を失った彼女にとって、己の運命と世界を憎むには十分過ぎた。

 「でも、今のあんたはそれを付けていないみたいだけど」

 「そう、ですね。その説明もしなければいけませんか」

 外という概念を失った彼女はやがて、内に引きこもるようになった。

 蔑まされるのが痛い。外を見つめるのが怖い。世界から見捨てられたのが恐ろしい。ジクジクと疼きだす胸の痛みに、眼を封じたのは所詮延命措置に過ぎなかったのだと教えてくる。

 だから敢えて、彼女は自ら呪符を取った。ただただ心が腐っていくのを自覚しながら死ぬのを待つくらいなら、せめて足掻いてみようと。

 一体何に対して足掻くのかさえ自覚せずに少女はひたすら陣を見続けた。彼女にできるのはあくまで視認できるだけ。解析は専門外。

 再び眼と脳を襲う痛みと戦い続けた、そんなある日のこと。彼女はふと幾重にも折り重なった陣の一部を理解できた。

 ――そこから怒涛のように彼女が陣を解析できたのは、ある種の才能を宿していたかだろう。

 分析し、解析し、情報を纏め理解し、その結果を頭の片隅に置いて、また新たな陣を理解しようと眼を向ける。

 だが一つの小さな部屋にある陣の数などたかが知れている。得た知識で新しい陣を思い描いたりもしていたが、自分で試す事はできない。

 やがてその『遊び』にも限界が来て、その頃には既に彼女は『知りたい。もっと色んな事を識ってみたい』と思い続けていて、物心ついてから初めて外に出た。

 出て、しまった。

 部屋にいた頃とは比べ物にならない圧倒的な情報量。血涙を流し、けれど一瞬で意識を手放した故命だけはくい繋いだ。

 そして残ったのは、絶望だけ。

 外に出れば死んでしまう。だが内にこもればまた緩やかな死を待つだけ。

 何をする気にもなれず、漫然とした日々で出会ったのは、彼女を救う王子様(シニガミ)だった。

 死ぬかもしれないと敢えて初めに言い。それからうまくいっても彼女の望む結果は得られない可能性が高いと吐き。

 ――それでも生きたいか、と。

 そう呟かれた問いに、少女はただ頷いた。

 万が一の可能性でも、この暗い世界が変わるのならと。

 あるいはただ、死ねるだけの理由を、自覚しないまま望んでいたから。生きるために最後の手段に縋って、それで失敗したのなら、もう十分だろうと。

 「それからどうなったのか――彼の能力を知っていて、今ここに私がいる。それだけでわかりますよね?」

 「あんたには悪いけど、失敗すればよかったなんて思うわ。そうすれば、幻想郷がここまで危険になることもなかったんだし」

 「それについては申し訳ありません。ですが、私は彼に命を救われた」

 だからこそ、彼女は誓ったのだ。

 命を救われたからこそ――ただ一度だけ、何に代えても彼の力になると。

 「これまでの術式は、私が集め続けた陣の集大成。幻想郷に貼られた大結界でさえ、私からすれば幼稚に過ぎます」

 過去と現在。そこに刻み込まれた当時の人々の知恵を掠め取るその瞳を扱いこなせる今、先人達の知恵を更に束ねて己が血肉に変える。

 神代の時代の、幻想が跋扈していた頃の秘術を。

 現在で脈々と受け継がれた一族の秘伝を。

 全て奪い、力へと変えた。

 「私自身に力など無くとも。『世界は私の味方となる』のです」

 ヒントはあげましたよ、と言いたげに笑う彼女に、霊夢は悟る。

 「世界が、味方――まさか、あんた!?」

 地中を睨みつける霊夢の背筋が泡立つ。もし考えたことが本当なら、事実上目の前の術式使いに限界が存在しない。

 夢想天生を持つ霊夢だからこそ無効化できているだけで、霊夢以外なら――物量で負けることになる。

 「霊脈から直接力を吸い取って戦闘に転用させるなんて、一体どんな術式使ったらそんなことができるのよ?」

 「一度大きな桶で水を掬ったら、それを別の物に封じ込めて順次使用しているだけです。この龍は攻撃にも使えますが……どちらかといえば、力を留めるための装置なのですよ」

 「恐ろしい、としか言えないわねぇ」

 「ふふふ。だからこそ私は幻想郷に貼られた二つの結界を操作できるのです。この結界も、根底にあるのは霊脈から吸い上げた膨大な力でしょう? そこに干渉して少し流れを変えるだけで強化も弱体もお手の物」

 だから――()()()()()()()()()()()()()()()()

 「その為の三年間。霊脈を破壊するだけの力を集めるために。その邪魔が入らないために。日陰に徹し、遠回りし続け、そして今日という日が来た。今更止められるなんて、ゴメンです」

 「それを聞いて尚更あんたらを止める必要が出てきたわ。この幻想郷(セカイ)は退屈だけど、皆が生きる世界なの。外に出ればこの世界の大半は死ぬんだから。そんなの絶対、認められない」

 「やはりダメ、ですか。諦めてくれるか見逃してくれるのを期待したのですが」

 「元から敵同士、そんなのあるわけないでしょ」

 「でしたら」

 「ええ」

 ――黙って、もらいます。

 ――押し通るわよ!

 とは、言ったものの。

 霊夢はよく理解していた。夢想天生を両者使ったのなら、もう小手先の手札は無意味だと。弾幕をはろうと自動で回避し、針や短剣を投げても無駄。

 つまり、霊夢達にできるのは単純明快な戦法、即ち。

 近づいて殴る、素手喧嘩(ステゴロ)だ。

 けれど相手は動かない。カウンター狙いかと警戒し、上等とばかりに霊夢は駆ける。その途上で数本、針を投げつつ。

 夢想天生は確かに強力だ。自動回避し、どのような攻撃であれ絶対に当たらない。だがその自動回避が仇になる時がある。

 それが同じ力を使った相手と戦う時だ。

 ドッシリと構えて一撃強烈なモノを叩き込もうとしても、牽制程度の軽い攻撃でさえ勝手に体が動いて回避してしまう。無論、そうなれば体がズレて構えが解けるどころか、体勢が崩れて大きな隙を生む。

 つまりこの戦いは、牽制に牽制を重ね、自動ではなく手動の回避もし、その上で隙を作って相手に一撃を叩きつける方が勝つ。

 (――最初に一撃入れられれば、それだけ私が有利になるッ)

 予想通り、勝手に体が動き針を回避していく。けれど構えとも言えない、両腕をダラリと下げていただけの相手は、大きな隙など生むはずもない。

 だが霊夢は引かない。更に加速し接近する。

 まずはジャブ程度に拳を一つ。霊夢の小さな拳が頬に迫り。

 そしてそのまま、パンッ、という音がした。

 ――え?

 その声はどこから漏れたのか。無意識の内に霊夢は次の動作に移り、グルリと回転してからの裏拳を腹に叩き込んでいた。

 くの字に折れ曲がる相手の体。そのまま足を振り上げ即頭部を蹴りあげようとするも、バックステップで避けられた。

 赤くなった頬と腹を押さえている。同時に理解したと言わんばかりの顔。

 そうか、と霊夢は思う。相手は初めて夢想天生を使った。術式は使えてもその効果を知らない可能性は高かったのだ。

 もしもっと早く気づければ一撃で仕留められた――なんて思考は捨て去る。それは余計なものでしかない。できなかったことはそうと割り切らなければ。

 「油断、しました。まさか夢想天生を使った者同士は殴りあえるだなんて」

 お互いがお互いに浮いている状態。それゆえ接近すると回避行動に出ないのだ。

 『そこにある』と認識できていないのか、はたまた他の原因か。わかるのは『殴れる』ただそれだけ。

 ただ、斬るという行為はできない。夢想天生はまるで磁石の同極同士がぶつかった時のように反発し合うからこそ衝撃が通るだけだ。剣をぶつけても斬撃の代わりに鈍痛がその当たった箇所に来るだけにすぎない。

 どちらが先に気絶するかという耐久勝負でもある。女子がやるような喧嘩ではない。

 と、彼女はパンと手を合わせる。両手に書かれた術式が相互に干渉しあい、そこに収められた武器――薙刀が現れる。

 感覚を取り戻すかのように基本的な動作を行う。その間攻撃されないように警戒しているため、近づきにくい。

 ――行きます。

 トン……と軽やかな動作で舞い踊る。足裏の草履に刻まれた術式が発動し、通常の数倍の速度で突っ込んできた。そのまま右から左へ横薙ぎに一閃、同時に薙刀の棒部分が光輝き、()()()()()()一閃が追加された。

 ×の字に振るわれる攻撃。普通なら困惑するだろうが、あいにく霊夢は普通じゃない。敢えて前に一歩踏み出し、左手で薙刀を受け止めた。衝撃が手から腕へ伝わり痺れるが気にしない。右手首を鳴らしてもう一度腹へ掌底を入れようとする。

 その寸前で跳ね上がった膝が霊夢の顎を狙う。咄嗟に薙刀を掴んでいた手をグイと押してわざと倒れこむ。受身を取って更に距離を離す。

 薙刀に引きずられるように若干バランスを崩したが、まだ膝立ち状態の霊夢を狙うチャンスでもある。再度爆発するように突っ込み、突きを放った。

 今度は刀身が鈍く光り、三叉の槍(トライデント)へと変貌した。三叉の槍を高速回転させてドリルの如き採掘機が霊夢へ迫る。

 どこか引きつった顔の霊夢は針を取り出すが、あんなギュルギュル空気を切り裂いてるドリルをどうしろってのよ!? と内心叫んで受身も考えずに避ける。

 突きが刺さった音は、しなかった。

 ポッカリと空いた地面がドリルの威力を物語っている。不要な部分は一切削らないそれは、つまりそれだけ精錬されているということで。

 末恐ろしい……なんて言葉が漏れかけた。

 薙刀で三叉の槍でドリル。もう訳がわからない。

 しかも普通の薙刀のように振るわれてくるのだが、棒部分に刻まれた術式が発動して上下、あるいは左右から同時に迫ってくる。たまに地面に掠る度にその場所を抉っていくのだ。当たりたくない、と思っても仕方がないだろう。

 逃げて逃げて逃げ続けて。ゴクリ、と唾を飲み込んだ霊夢は覚悟を決めた。

 針を指の間に仕込み、接近。迎撃するために振るわれる薙刀のドリル部分を()()()掴む。当然伝わる衝撃が霊夢の手をボロボロにする。

 「ッ――!??」

 「何を!?」

 押し殺した悲鳴と、驚愕の声。

 その刹那、霊夢は指の間に仕込んだ針を三本、棒部分に叩き込む。これで上下、左右からの同時攻撃は防げる。ドリル部分を掴んでいた手を離し、折れかけた指で相手の胸元を掴んで引きずり込む。身長差を気にもせず霊夢は自分の額を相手の鼻っ面に叩き込んだ。

 「舐め、るなぁ!」

 形振り構わず必死の形相で片手持ちにした薙刀を逆手で振るう。まるで自分に振るったかのような軌跡を描いたそれは、薙刀との間にいた霊夢の背中を直撃した。

 「あんた、こそ――!」

 背中を叩かれたということは、近づいたということでもある。相手の胸元を掴んでいた手をそのままに、もう片方の手で袖を掴む。

 そこから足を相手の股の間に突っ込んで自分のふくらはぎを相手の膝裏に合わせ、刈り取る。いわゆる柔道の内股だ。本来ならここで受身を取らせるが、敵相手にそんな情けをかけるつもりは毛頭ない。

 「デヤッ!」

 しかも頭から地面に突き刺した。そこから叩き込むように蹴りを入れる。吹っ飛んだ彼女に追撃をしようと足を踏み出すが、その必要は無かった。

 ダラリと投げ出した体に意識があるようには見えない。あっさりと結界が崩れる。

 勝った……と思った瞬間、霊夢の体から力が抜けた。ドリルが当たった背中部分の服が破けて真っ赤に腫れ上がった背中が見える。

 その状態で必死に体を動かし、相手の体に動きを封じる札をペタリと貼る。これでよし、と一息ついて、すぐに頭を振る。

 まだ一人残っているのだ。こんなところで暇を売っていることはできなかった。

 「あいつがいる場所は――」

 気配を探った瞬間、霊夢は息を呑んだ。

 「なぁんだ」

 口元が弛み、痛みがジクジクと疼きだす。

 「生きてるんじゃない、あのバカ」

 痛みに耐え切れず、霊夢はその身を投げ出した。

 

 

 

 

 

 フランがシオンに斬られた。そこまではいい。その後どうなったか、それが知りたかった。

 (『そのまま私は心臓を斬られたの。でも』)

 「思考させる暇を与えるなッ。一度でダメなら何度でも殺すんだ!」

 しかし二人の会話は中断させられる。混乱から脱し、シオンに対する警戒心をあげた敵が心なしか増えた黒妖を伴ってくる。

 (フラン、これだけは聞かせてくれ)

 自然体で構えるシオン。そこに押し潰されそうな不安を抱えているなど、誰が想像できるだろうか。

 (フランは、死んで、ないよな……?)

 ただ、それだけ。その事実だけを、シオンは望んでいた。それに沈黙を返すフラン。そのことに不安が恐怖に変わりかけたが、その寸前で、答えを返した。

 (『死んでは、いないよ。死ぬ前に、永琳に助けられたから』)

 (師匠に? いやでも、一体どうやって)

 その疑問が形になることはなかった。真後ろから来た影が、思考を中断させたからだ。人差し指の爪でサクッと頭を貫き、そのまま軽く前方に放り投げる。

 一瞬の隙ができた、その合間に。

 (……この戦いが終わったら、教えてくれ。何があったのかを、全部)

 (『うん、わかってる。私がしたバカなことを何もかも、教える。だから』)

 ――勝って、生きて。

 それがフランの、望みだから。

 答えるようにフッと息を吐き出し、走る。瞬間、光弾が先程まで立っていた場所を撃ち抜いた。シオンの道を塞ぐように複数の黒妖が群れてくる。右手の五指を目一杯広げ、突き出す。細いとはいえ細剣(レイピア)の如く鋭い爪が体を抉り貫く。それでも急所を外れた三体がシオンへ向かって手を伸ばしてきた。

 もういらない、とばかりに右腕を振り、死体と死にかけの黒妖をぶん投げる。一瞥さえくれずに駆けようとして、またシオンの影が蠢き足を止める。

 (この影操作が邪魔すぎる)

 (『魔力を体だけじゃなくて影にも流せば大丈夫だと思うよ? 抗魔力改め抗能力的な感じで』)

 (なるほど……試してみるか)

 ついでに小さな光を発して、影自体を小さくする。結果は成功。影は千切れた上に動かなくなった。それでもどこからか干渉されている気配がするので、気は抜けない。

 だが、その間に一つの巨大な影が近づいていた。

 恐らく黒妖の中でも図抜けてデカい。そんなものが既に拳を振り抜いていた。

 避ける――暇はない。そもそも黒妖を黒妖たらしめている影の拘束、その腕部分が解かれてシオンの周辺を埋め、影の監獄を作り出していた。逃げ場がない。

 受け止めるために吸血鬼の爪を前に突き出す。半身になって足に力をこめた瞬間のことだった。力の制御が離れて足が地面を抉りとっていた。

 (なぜ――!?)

 (『シオン、構えて!』)

 崩れた体勢。それでも直撃だけは避けようと白夜を頭の上に掲げた。ゴキゴキゴキ、と嫌な音が響く。

 拳の直撃だけは避けた。だが代わりに背中を中心にヤスリ代わりに地面に削られた。攻撃が終わった時には左手が折れ曲がって奇妙なオブジェになり、全身に擦過傷ができていた。

 (致命傷は負わなかったが……左腕が使い物にならないな)

 (『大丈夫。吸血鬼(わたし)の力ですぐ再生するから。むしろどうしてああなったの?』)

 (いや、限界値の見極めが下手だっただけだ。次は間違えない)

 左手の指をビキビキと鳴らす。原因はわかっているから混乱しない。

 逆再生のように骨が繋がっていく異様な感触。そのことに感謝するべきか、不気味だと恐れるべきなのか。

 一つ確かなのは、怪我を気にしなくてもいいというのは随分ありがたい、ということくらいだ。

 治った腕をグルグル回す。違和感は無い。

 「お返しだ。試しに実験台になってくれ」

 それは誰に言ったものか。誰の目にも止まらぬ速さでもっとも図体のデカい相手の真上に逆さまになって移動していた。魔力を爪に纏わせ肥大化させる。それは突き刺すためではない。この無駄に大きな頭を掴むためだ。

 添えるように頭の天辺に掌を置き、爪の位置を調節。

 反応する間も与えず――首をへし折る。

 事切れた相手の体が倒れる前に右手に力を込め、()()()()()()()()()()

 周囲の竹も黒妖も考慮せずに我武者羅に鈍器(したい)を振り回し続ける。数十秒経って鈍器が消えたが、それでも踏み潰されたモノは数多い。

 (なるほど――人は妖怪に勝てないなんて言われるわけだ。理不尽すぎる)

 (『シオン?』)

 (圧倒的な身体能力。図抜けた再生力。しかもそこに細かな力もあるんだろ? 紅魔館の時の俺は随分物を知らなかったらしい)

 何度も言うが前言を翻すつもりはない。無いが、諦めたくなる気持ちもわかった。たしかに常人ではキツいを通り越して無理に近かった。

 (『――シオン! 一体どうなってるのか教えてよ!』)

 (え、あ、ああ、そうか、そうだな。すまない)

 別にシオンがやったことは特別な事ではない。

 シオンが元々持っていた身体能力と吸血鬼の身体能力に頑丈な耐久力。そこに魔力強化やら何やらを付け足しただけだ。

 要するに、ただの力任せ。技術もへったくれもありはしない。

 今までのシオンでは、人間の体が足を引っ張って全力など出せなかった。だが吸血鬼の力があれば、仮に体が壊れたとしても最悪治せる。

 (なのに俺はいつも通りの力で戦おうとしてたわけだ。力が強くなったのに感覚が変わらないと思ってればそりゃ制御を間違えるわ)

 地面を踏み抜いたのもそのせいだ。とはいえ。

 (今全力を出して大体わかった。次はもう間違えない、絶対に)

 「さっさと出てきたらどうなんだ? 当たってないんだろ」

 「……油断、してくれればやりやすかったんだが」

 「殺した確信もないのに気を緩めるわけないだ――」

 少しだけ汚れた相手に向けて毒を吐く、瞬間。

 ザッと足を動かし体をズラす。

 「ダメか。不意打ちも」

 「ここまで堂々とされると毒を吐く気にもならないよ」

 頬を撫でた光弾の痕に触れる。既に血は止まり傷も塞がっていたが、なぜかシオンよりフランが慌てていた。

 (『き、気をつけてよね? 心臓は大丈夫でも、頭っていうか、脳を貫かれたらもう再生できないんだから!』)

 (できないのか?)

 (『あくまでシオンがベースだから、再生力が普通よりも低くなるんだよ。少しくらいなら平気だろうけど、完全に吹っ飛んだら、もう……』)

 それならそれで戦えばいい、とシオンは思う。

 羽を広げ、宝石に光を灯す。込められたのは人並外れた膨大な魔力。明滅していた光がやがて煌々と照らし出される姿は幻想的だが、中身は爆弾よりも恐ろしい。

 「全部纏めて、吹き飛びなッ」

 射出されるのは最早弾丸ではない。砲弾、いやミサイルか。地形が変わりかねないほどの威力を伴ったそれを躊躇なくぶっぱした。

 「おいおい正気かよ!?」

 「お前に言われる筋合いは無いね!」

 敵から言われるのは心外だった。黒妖を粉々に吹き飛ばし、竹を粉砕し、けれど本命には当たってくれない。当たる前にあの光弾で弾かれている。

 (ほんっと厄介だよアレ)

 (『そこまで嫌がるものなのかな、あの光って』)

 (速度は銃弾より速いのに銃声も火薬の臭いもなし。死角から撃たれたらほとんど認識できない攻撃だ。よっぽど制御がうまいのか魔力も感じないし……)

 しかも弾の内容を変えられるときた。正直初見殺しに近い。シオンでさえ完全に避けきれないのはそれが原因だ。

 だから、シオンはちまちま撃ち合うのをやめた。

 目くらましにもう一発撃ち、それを迎撃したのを見る前に縮地で背後へ。流れるように背中へ肘打ちを叩き込む。

 だが肘にきた感触は凄まじく硬い物。

 ――仕込んだか!?

 思考する前に体が動き、寸勁、いわゆる鎧通しで衝撃をとおす。骨を折る嫌な音。けれど、それで動きを止めるほど相手は甘くなかった。

 片手をシオンの肩に置き、それから翼に硬い何かで挟まれる。次に起きることを想像して、シオンの顔が引きつった。

 ブチ、ブチブチブチッ。

 「――――――――――!!!」

 翼を引っこ抜かれるのは、慣れているはずもない。

 バランスを崩しながらも肩を押さえて距離を取る。引っこ抜かれた翼の一部に肉片がこびりついていたのは見なかったことにした。

 ペッと噛み付いていたせいで噛みちぎった翼の一部を歯から吐き出す。

 痛み分けに近い。それでも再生能力があるシオンの方が後々有利だ。

 それをわかっているのだろう、魔力で剣を作り、『二振り』の剣をシオンに向けて構えた。

 「ニ刀、か」

 「防御するよりもさっさと相手を殺したほうが、結果的に怪我は少ないからな」

 つくづく似ている。

 ほとんど一色の服しか着ないところが。攻撃されても痛みを気にせず反撃するところが。化物じみた身体能力が。戦闘方法が。

 「なんでだろうな、まるで鏡を見ているようで変な気分になる」

 「んなこと知るか」

 同感だ、と答える前に突っ込んでくる。

 剣と爪なんて変則的な武器でどこまで相手ができるか。

 そう思って警戒、していたのだが、

 (……? もしかして、こいつ)

 逆手に持った白夜で斜めに受け流す。火花が散ったのを利用して着火。小さな炎とはいえ反射的に片目を閉じたのを見やりながら爪を振るう。

 それでももう一方の剣で反撃してきたので親指と小指と薬指で迎撃。人差し指で胴体を狙う。半身になって避けようとしたので中指で人差し指を『へし折って』軌道変更、肩にねじ込んだ。

 「ッ、ァガッ!」

 肺――は貫けなかった。突き刺さった瞬間肉がズレるのを覚悟で逸らしたようだ。それならそれでと人差し指を肉をほじくるように動かすが、強ばった筋肉が爪を拘束して思うようにいかない。

 ドン、と腹に蹴りを入れられる。あえてそれに逆らわず後ろへ跳ぶ。

 (間違いない。こいつは、きっと)

 ついでに足元に時限式の爆弾を置いたが、引っかかってくれず逃げられた。

 (――()()()()()()()()()()()()()()()()()

 付け加えれば、戦闘技術も随分杜撰だ。

 黒妖や光弾に騙された。あいつ自身の戦闘能力はシオン程高くない。それでもなんとか戦いになるのは、相手の身体能力がシオンを上回っているからだ。

 (『シオンは自分より強い相手と戦ったことがあるの?』)

 (そりゃあるさ。最初っからここまで強かったわけじゃないからな。戦闘ばっかりさせられたせいで無駄に色々知ったよ。でもあいつの場合、まるで体だけ鍛え続けたせいで実戦って言葉をどこかに置き忘れてきたみたいなんだ)

 技術の片鱗は感じられる。けれど動きの大半が力技にしか見えない。チグハグさの原因は、自分と同格の相手と戦ったことがないからだろうと思えたのはそのせいだ。

 さてどうするか、と思う。このまま戦えば十中八九勝てる。だが、シオンの勘が警鐘を鳴らし続けているのがどうにも気になった。

 (なんだ、何を見落としてる。それさえわかれば、多分答えが)

 けれど、その先を考える暇などなかった。

 「時間稼ぎは十分出来た」

 「……何が、言いたい?」

 答えはない。

 代わりに虚空へ生み出した大量の魔力剣を向けられただけだ。迎撃体勢へ移ったが、すぐに違和感に気づく。

 切っ先が、自分に向けられていない。

 パチンと指を鳴らされた瞬間、全ての魔力剣が()()()落ちていく。

 ただ一体でさえ避けようとしない。いや、影を操る主が動かそうとしないのだ。急所を貫かれ絶命する黒妖。

 十体、二十体、三十体。戦闘開始時点からまた補充された黒妖がどんどん死んでいく。

 そして――臨界した。

 フォン、と足元に隠された術式が起動する。それはシオンでさえ知らない数多の文字と記号と図で作られた超々高密度の魔法陣。二重三重ではない。十重二十重に及ぶかもしれない程の陣が重なり仕掛けの意図を見せない。

 けれど、シオンの勘が叫んでいたのはこれだった。

 どうやって隠していたのか、この陣を発動させるには膨大な魔力を必要とする。そしてそれが貯まったから、発動した。

 「自分で妖怪を殺したのはそういう事かッ」

 シオンの死体を回収しようとしたのと同じ理由だ。

 『死体からの魔力の回収』が目的。つまりシオンは知らずして相手に協力していたことになる。だがそこまでするほどの目的が見えない。

 「お前は一体、何がしたいんだ……ッ!」

 わからない。三年もの月日を費やして。楽しさも嬉しさも糧にして。大怪我をしても絶対に止まらない。

 なのに、何故だ。心のどこかで共感し、同時に嫌悪する自分がいるのは。

 「――復讐だよ」

 ポツリと呟かれた言葉に、ここまで動揺するのは。

 「個人じゃなくて、国に対するものだけどな」

 「国、に?」

 「ああ。その国に捨てられた……まぁ、それはいいさ。故郷が無くなったと言っても、物心ついてすぐのことだ。気にする理由はない」

 だけど、とその眼に復讐の憎悪が宿った。

 「命を助けてくれた、『生きる』ことを教えてくれた恩人を殺されたことだけは、絶対に許せないんだよ」

 その言葉だけで、シオンは目の前の人間に言う言葉を持つ術を失った。

 「相手は国家だ。どれだけ人を集めたところでテロのレベルを越すことはできない。中心人物を探るにしてもそれだけでどんな手間暇がかかるか。復讐する前に死ぬ可能性が高い」

 だからこそ、探った。

 武力でも情報力でもなく、また別の方法を。

 「幻想郷を外と繋げようとしたのは、それが目的に近づけるための手段?」

 「ああそうさ。この世界に住む妖怪は強い。しかも人間とは敵対に近い関係だ。うまくやれれば世界に大規模な混乱を生み出せる」

 そう。そのためだけに、歴史を無理矢理改竄させて鬼がいなくなった事実を消し去った。闘争本能が強く、力があり、数もいる鬼の集団を。

 「その間に、復讐をする。そのために死んでくれよ、お前も」

 カッ、と真横から黄色い閃光が叩きつけられる。眼を細めてそれが何かを見た。

 蛇のように細く長い体。枝のように広がった巨大な翼。内包された力。東洋に伝わる伝説、龍の姿。

 ――霊夢の戦いに負けても、龍は消えなかった。

 そう、あの龍の役目はあくまでも一つ。

 『――どちらかといえば、力を留めるための装置なのですよ……』

 それはこの時この瞬間のため。

 理解する。あの龍がこの術式にぶつかれば、爆発する。貯まりに貯まった魔力が臨界点を突破してなんらかの効果を引き起こす。

 それがなんなのかなんてわからない。

 (――そんなこと、させない!)

 ただ、そう思っただけだった。

 (『ダメ、シオン逃げて!』)

 フランの静止の声を振り切って駆け出す。魔力糸を出して前方に幾重もの魔法陣を展開。ありったけの魔力を込めて防御術式を叩き起こす。

 龍が目の前に迫り、

 

 ――呆気なく、壊された。

 

 力の量に差がありすぎた。桶程度の水で、海に対抗することなどできはしなかった。

 (――ダメだ)

 死ぬ。今度こそ死ぬ。アレに喰らわれれば廃さえ残ることが想像ができない。

 相手は既に退避している。ここでシオンが死ねば、悠々と奴はこの世界を壊していくだろう。

 (――そんなの、ダメだ)

 この世界は、小さく閉じている。

 閉じていて、完結していて、多くの不幸と幸福の中で回っている。

 それが壊されれば、どうなるか。

 死ぬだろう。レミリアも、咲夜も、パチュリーも、にとりも、雛も、文も、永琳も、輝夜も、鈴仙も、てゐも、アリスも、慧音も、藍も橙も紫も皆皆皆――死んで、いなくなる。

 そしてその始まりとして、シオンと共にフランが死ぬ。

 「そんなこと――させてたまるかあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!」

 足りない。

 気だけじゃ、体を強化する程度しかできない。

 魔力だけじゃ、少し特異な現象しか起こせない。

 霊力と妖力は持っていても使い方さえわからない。

 もっと強い力を、もっと上位の力を。

 どこからそんなものを持って来ればいい。この数秒で。

 (神サマ――)

 厄神様の、鍵山雛。

 人ではない、妖怪でもない。神という幻想。

 『魔神と呼ばれた存在は――人から神様になったみたいですよ?』

 それは、アリスから聞いた言葉。打開策とさえ言えない答え。縋るには弱々しい持論。

 それでも、できるできないはこの際捨てる。

 自分の力は魂に関わる力。だから、するだけだ。人の魂から、神の魂に()()だけだッ。

 もしもそれに名前を付けるのなら。

 「夢幻(ムゲン)

 きっと答えは、決まっている。

 「転生(テンセイ)――!」

 その叫びは、龍の咆哮に飲み込まれて、誰の耳にも届かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バチバチと鳴る音がする。それが体から響いてると気づいたのは、数秒経ってからだった。ついで感じたのは、膨大な熱。内側から荒れ狂うほどの力の奔流が吹きすさび、壊していく。

 吐き出したい、と思ったすぐの出来事だった。空へ向かって形無い力が飛んでいった。そのときはじめてシオンは自分が地面に倒れているのを知る。

 「生きて、た……?」

 半ば呆然と自分の両手を見る。白夜は手元から吹き飛び、爪は引っ込んで普通の人間の手に戻っていた。

 上体を起こし、体を確認する。土で汚れた以外には傷一つ無い。無傷だった。

 (『――オン、シオン、ねぇ聞いてる? ねぇってば!』)

 不安に包まれた声が内から響く。ハッと我に返り慌てて返答する。

 (い、いや、聞いてる。……大丈夫だ、怪我も何もない。落ち着いてくれ)

 (『ッ、よかっ、よかっだ……シオン、死ななぐって……!』)

 涙で濡れた声に罪悪感が募る。慰めの声をかけようとして、頭に軽い衝撃。それを感じた方を向くと、愕然と焦燥の入り混じった顔が見えた。

 軽く首を傾げると、もう一度軽い衝撃。コツンと軽く叩かれた程度の痛みが額にぶつかる。それが光弾によるものだと気づいたのは、弾が散弾になり、体にぶつかってからだった。

 当然、フランがそれに怒らないはずがなく。

 (『シオン、なんで避けなかったの? 今ので死んでたかもしれないんだよ!?』)

 シオンからの返答は無い。

 妙に思考の回転が鈍い。殺意にも気づけない。けれどそれを表には出さない。まだ内に燻っていた力を手に宿して、前に突き出す。

 それは単なる壁だった。術式による整理も詠唱による想像固定もない。ただの力の暴虐。

 ――なんでこんなに、動きがトロい?

 それはすぐに判明する。

 『成った』シオンの魂が、固定されていないからだ。人から神へと変貌するための元となった魂は、今にも消えてしまいそうなほど儚い。

 そう、外部からの干渉があればあっさり消え散ってしまいそうなほど弱々しい。

 理屈はとても簡単だった。

 シオンは今、生まれた赤子も当然だ。それが原因で身体機能が著しく衰えているのだ。成熟した精神が、未熟な魂に引っ張られている。

 今もなお心の内で叫ぶフランに説明する事さえできない。違和感を悟られればそれだけで不利。確かめるように両手を握り、ただ無造作に前へ突き出す。

 カッ!! と目の前が光に覆われた。

 それは大砲。情も慈悲もなく下された審判は、あらゆるものを破壊して上空へ突き抜ける。撃ったシオンでさえこの威力に唖然としていたくらいだ。

 力の制御ができていない。後先考えずの全力パンチを放つ赤ん坊のようだ。それでも表情を固定できて――引きつって動かなかった可能性は大だが――いたのは僥倖。バレていない。

 (……と、思いたいところだ)

 (『シオン、来るよ!』)

 ボンヤリとした思考に走る警告。ほとんど反射で真横へダッシュ。直後、背中に撫でる熱と風。どこか他人事のようにそれを感じながら、安全圏へと逃げる。

 けれど、距離を取りすぎた。心が思う『止まれ』という意思が体に反映されるのが遅すぎる。戦いの『た』の字も知らなかった昔よりも酷い。

 そして、その違和感に気づかないほどフランは鈍くない。全体的にシオンの反応が鈍く遅いのを察したフランが囁いた。

 (『……私がナビゲートするから、シオンはその通りに動いて』)

 唐突に頭上が陰る。落ちてきたのは幾重に折り重なった竹。絡みついている影から、自分で自分をへし折って――へし折らされて――いることを見抜く。

 (『黒妖がほとんどいないから、間接的な攻撃に変えたのかな? シオン、腕をあげて』)

 言葉に従うまま腕をあげる。

 (『魔力操作は――なるだけこっちでやるから。ただ撃つ事だけに集中してね』)

 なら、後はフランの言うことに従うだけだ。

 だがそれを見過ごしてくれるような甘い相手じゃない。シオンを一度『殺した』切っ掛けとなった散弾が飛んでくるのが見えた。

 やはりそれも当たった瞬間、軽い衝撃と共に消え、熱が灯る。

 (『――今!』)

 細く、刹那的な力が迸る。折り重なった竹の一部に直撃し、ちょうどシオンの立つ場所だけが台風の目のような安全地帯(セーフティゾーン)を作り出す。

 そのとき、頬に笹の葉が掠る。ほんの少し赤い線を作り出しただけだが、だからこそシオンはこの現象を理解した。

 (『跳んで逃げて!』)

 どこに行くのかなんて一切無いオーダー。それでも動いたのは、フランを信じた結果だった。

 そして、先程までシオンがいた場所に叩きつけられる拳。なんの強化もされていない純粋な拳打が地面を崩壊させた。砕かれた石の破片がシオンの体を叩く。

 不安定な足場でバランスを取ると、未だ空中にいるシオンに向かって跳躍。

 (『防御して。今のシオンだと反撃を喰らいやすいから攻撃は最小限にッ』)

 相手の腕が力むのが見える。だから、敢えて前に出た。

 中を蹴って前へ。驚きに一瞬眼を見張る相手を無視して手を前に。拳が最大速を出す前に手を置いて威力を殺す。

 上半身の警戒が高まったと思ったのか、膝が飛んでくる。掴んでいる手を振って半身になって避けたが、今度は伸びきった足が振り子のように戻ってきた。

 シオンは敢えてそれを避けず、ほんの少しだけ手をはさんで衝撃を分散し、蹴られた。やはり身体能力が高いからか、ただの蹴りでかなりの距離を吹っ飛ばされた。ビリビリと痺れる手をヒラヒラと揺らす。

 (やっぱり、これが弱点か……)

 (『? 何が弱点なの?』)

 (純粋な物理攻撃には効果が無いってところだよ。デメリットは存在しないが……いや、あることはあるか)

 ――『夢幻転生』

 それがシオンが使った、新たな力の名前だ。

 効果は単純。

 気・魔力・霊力・妖力を吸収し取り込み己が力と変える。ただそれだけの能力。

 だが、恐らく上限はない。あの龍を受けても許容オーバーをした感覚はなかった。少しずつ固定されていく魂が、教えてくれる。

 あの程度なら問題はない、と。

 (『でも、どうしてそんな力を使えるようになったの? いくらなんでも、無条件に相手の力を吸収するなんて……』)

 (俺の属性が、鍵、だったんだろうな……)

 シオンの属性は『無色透明』だ。白ではなく、色がそもそも存在しない。だからこそ、他の力を受け取ってもラグがない。

 (ほのお)だろうと、(みず)だろうと、(かぜ)だろうと、()だろうと、(ひかり)だろうと、(やみ)だろうと。

 等しく同じで、反発し合うことがない。もしこれでシオンが何かの属性を得ていたのなら、それと相反する属性が弱点となっていたかもしれない。

 (『いくつも重なった偶然の結果……なら、デメリットは?』)

 (遠距離攻撃がほぼ使えなくなった)

 正確に言うのなら、下手に使うと夢幻転生が使えなくなる。

 理由は吸収し、取り込み、己が力へ変える。このサイクルを行うとき、一度必ず同じ力を通さなければならないからだ。想像してみてほしい、体力消費で使う気と、超常の力でもって発現する魔力が同じように扱えるか?

 答えは否。それをしたら下手すれば取り込んだ力が暴発する可能性がある。

 しかも夢幻転生は凄まじく燃費が悪い。長時間の維持は難しいだろう。

 夢幻(ゆめまぼろし)を転生させ、相手へと返す。

 幻想(カミサマ)の存在へ足を踏み入れたのに、夢幻(カミサマ)を否定する矛盾。

 どこまでいっても人らしい、自己満足の愚かな力だ。

 (相手の遠距離攻撃を封じるメリットとしては、夢幻転生を使ってる間は身体能力が異様に跳ね上がるってことくらいか)

 (『……どっちにしろ、シオンは後衛の天敵だね』)

 (俺がまだ知らない弱点があるかもだけど、な!)

 飛んできた小石を跳ね除ける。

 高速思考でのやり取りのお陰か、多少の時間しか経っていない。けれど、それだけで十分。相手も思考を纏めただろう。

 パキン、と下から小さな音。そこから伸びた手が、まるでゾンビのようにシオンの掴んで砕こうと力を入れてくる。力任せに足を振り抜いて地面に潜んでいた何かを引き抜いた。

 いつの間に地面から迫っていたのか。振り回されてそれでもなおシオンの足を掴んでいたのをいいことに、逆にシオンを振り回してきた。

 耐久力が上がっているとはいえこの速度で叩きつけられるのはゴメンだ。直前で手から力を解放して衝撃を和らげる。それでも細かな石のつぶてが裂傷を生み出す。すぐに回復する程度の傷とはいえ、鋭さなんて欠片もない鈍らじゃ痛い。

 まだ掴まれたままの足を引きずられる。ガリガリと背中を削られる痛みが広がった。けれどそんなことを気にしている余裕はない。腕を振り上げた姿が見えたら、このあとの展開なんて誰でもわかる。両手を前に出して逆に至近距離で砲撃を食らわせてやる。

 だが――それでも足を手放さなかった。

 執念か、あるいは別の何かか。溜めに溜めた一撃がシオンの腹部を貫く。衝撃が全身を貫き、口から吐き出された血がその威力を物語る。

 しかしこの程度の痛みで諦めるほど、シオンは柔な精神をしていない。今の今まで隠していた犬歯を剥き出しにして相手の首筋に思いっきり噛み付く。

 即座に振りほどかれたが、多少の血液を吸い、それから毒を送り込んだ。まぁ、効果があるとは露ほども思っちゃいないが。

 それでも首に噛み付かれるというのは嫌だろう。シオンの方も人間の血を自分から飲み込むのは嫌なのだが。

 (『それにしては躊躇が無かった気がするんだけど』)

 (……いや、まぁ、アレだ。その――()()()()()()()()()よなぁ……)

 なんとなくフランが絶句したのを感じたが、努めて無視。目の前の敵に集中。

 それと、相手と殴り合ってわかったのだが、夢幻転生の力の吸収、どうやら触れた相手が纏っている気や魔力などは吸い取れるらしい。あくまで皮膚の接触が前提だが、一刀一拳で戦えば問題はない。つくづく初見殺しの技だ。

 だからこそ、驚いた。

 ()()()()()()速度で、接敵されたことに。

 ――な、に、

 硬直仕掛けた体を無理矢理動かして、正中線狙いの拳を外す。

 ――が起こった!?

 それでも、外れた拳はシオンの土手っ腹を貫通した。ゴフ、と漏れかけた血が唇から流れ顎を伝っていく。

 確かに感じる超常の力。しかし、ここまで触れているのに吸収できない。

 「やっぱり()()は吸い取れないか。なァッ!?」

 確信を込めた叫び。呼応するかのようにシオンの目が鈍く輝き、相手の惨状を目の当たりにしてくる。

 「おま……えは、まさか――」

 相手を蹴飛ばし、翼で姿勢制御。無様に着地を取って再度確認。コヒュー、コヒューと小さな吐息をしながら、呟いた。

 「死ぬ、つもりなのか? ここで!」

 気とよく似ていて、決定的に違う力。シオンでさえ吸収できない、決死の覚悟で扱う力。死戦で使うその力の名は、生命力。

 気は体力を使う。多少無茶をしようと疲労困憊するだけで、限界を超えた更に先へ行ったとしても長期間寝込むだけで命に別状はない。

 だが生命力は違う。焼べるものは、寿命。文字通り命を燃やして使うのが、生命力なのだ。命を削る代償に得られる力は膨大。

 幻想(ゆめ)を否定する夢幻転生では、現実の極地点ともいえる生命力(じゅみょう)を、取り込めない。

 「知るかよ、そんなこと」

 そう。

 「どっちにしろお前を()らなきゃ、チャンスもなく死ぬだけだ!!」

 シオンでさえ、全力の集中力を向けなければ見えなくなる程に。

 身体能力では完全に負けている。

 ――このままじゃ殺される。

 だからシオンは、もう後先考えるのを、やめた。

 夢幻転生につぎ込んでいた気を、魔力を、霊力を、妖力を垂れ流す。この四つの受け皿である神の力――神力を開放できないのは痛いが、無い物ねだりはしない主義だ。

 気を鞭のように伸ばして白夜を回収。そのまま陣を作り魔法を使う。単純な魔法障壁を数枚展開するだけの魔法は、だがそれがあるからこそ相手の位置を少しだけ特定できる。

 霊力は結界だ。垂れ流された力が真下の魔法陣に行かないよう、特別な結界を貼る。霊夢ほど鮮やかではないし、魔法陣の補助が無ければ維持さえできない貧弱さ。それでも、既に臨界点を突破した魔法陣を発動させないための保険は必要だった。

 妖力は――

 「燃え、つくせええええええぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!!」

 レーヴァテインではない、単純な炎の波。フランの適正属性の一つ、火をぶちまけた。通るだなんて思っていない。実際相手は生命力の鎧で身を守っている。どころか炎など構わず突き進んでくるくらいだ。

 シオンの目的は一つ。

 逃げること。

 生命力を使い続ければ、それだけ寿命を消費する。時間稼ぎそれ自体がシオンの命を救うことになるのだ。

 だから情けなくとも、シオンは逃げる。

 華麗な敗北よりも無様な勝利。余人から嘲笑われようと、シオンにとってはそれが全て。フランの命を背負っているなら尚更だ。

 障壁を貼り、炎の渦をバラまき、フランのナビに耳を傾け、ただ逃げた。地形が陥没し、竹が燃えつきる。環境破壊なんて言葉が出てくるほどの暴虐。

 二人共――いや、三人共余裕などない。魂だけとなって体なぞ無いはずのフランでさえ息が荒れている。

 シオンとフランは精神的に。相手は寿命……体力的に。

 そしてまたバックステップで距離を取ったとき、トン、と背中が軽く押される。更に翼に絡みつかれる。それが何なのかなんて、すぐにわかる。

 影だ。小さな小さな影が編まれた糸。それが蜘蛛の糸のようにシオンに絡みつき、動きを束縛する。

 この状況で、それは致命的だった。一瞬の隙が死を生む状況で、余りに大きすぎる隙。翼に風を纏わせて影を切り裂いたとき、『それ』は目の前にいた。

 光り輝くオーラ。これ以上無い、と言えるほどに凝縮された決死の一撃。

 ――当たれば死ぬ生き残れない避けろ躱せ躱せ絶対に当たるな――!!

 そんな警鐘がガンガンと頭を叩く。

 もう、後先考えないと決めたシオンは、形振り構わずに叫んだ。

 「切り裂け、白夜――ッ!」

 剣を振ってなどいない。

 なのに、白夜は空間を切り裂いた――否、切り裂きすぎた。

 歪曲し(ひず)(ゆが)みバラバラになった空間。それは両者の間にも現れ、それがシオンの命を救い、敵の決死の想いを踏み躙った。

 その、人間が出すにはどれほどの代償を必要とするかという一撃は何もない壁に当たり、暴発する。下手すれば目の前の壁をぶち破るのではないかという威力。直後、何事も無かったかのように全ての空間は元の形へ。

 繋がった道を、シオンは駆ける。

 手を、五指を、そして爪を伸ばす。強烈な鉤爪となったその一撃を、捨て身で心臓へ振るう。これが届けば、殺せる。

 ――殺せるんだ。

 そうすれば、

 ――生きて、帰れる!

 だが、そこでシオンの瞳が疑問を映す。

 (なんで、片手が懐に)

 拳に威力を乗せたいなら、そんな行動する必要はないのに。

 ゼロコンマで進んでいく視界の中で、微かに見えた『モノ』。

 「あ――あ、ぁ……」

 唇が揺れ、絶望の吐息が漏れる。それでも、思考だけは高速回転させて、叫んだ。

 (ゴメン、フラン。今すぐ俺から離れるんだ!)

 (『ぇ、何言ってるの? もう勝てるんだよ? 今ここで離れたら翼とか、夢幻転生とか、色々切れちゃうんじゃ――』

 (説明してる時間なんてないッ。気になるのなら相手の手を見ろ。わかったら今すぐ離れるんだよ、死にたくないのならッ!)

 疑問を胸に抱きながら、フランはシオンの瞳が映す世界を見る。視界のほぼ全てを映す死にかけの敵。けれどシオンが見ろと言ったのは、その中のほんの一部、手だけ。

 拳を握った方の手には何もない。必然的に見るのはもう片方。

 最初はほとんど何も見えなかった。だがすぐにその手が何かを掴み、取り出しているのがわかった。

 少しずつその全貌を現してくるそれを見て、フランの息が止まる。

 それは小さかった。

 それは銀色だった。

 それは、シオンとフランに馴染みのあるものだった。

 それの名は――銃、といった。

 一発だけしか込められない、護身銃。たかが銃弾。たかが一発。

 だが、捨て身の一撃を与えようとしているこの状況では――致命的だった。

 (初めから、罠だったんだッ)

 噛み締められた唇がブツッと切れ、血が流れる。

 (やられた――俺がやったことを、やり返されたッッ!)

 なぜ相手が指だけで銃弾を撃ってきたのか。

 それはこの護身銃を持っているのを悟らせないため。

 生命力を使ったのはなぜか。

 もう後が無いと思わせるためだ。

 逃げられない、避けられない、完全な直撃コース。夢幻転生は実弾を吸収できない。即ち――絶対絶命。

 だからシオンは、思考を変えた。

 生き延びるための思考ではない。

 ()()()()()()()ための思考を、だ。

 (フラン、今から言うことをよく聞いてくれ)

 (『シオン?』)

 疑問の声音を出すフランを無視して、ただ淡々と説明する。

 (俺はわざと銃で撃たれる。その寸前で魂の同一化を解くから、外に出た瞬間、俺の代わりにこの爪で奴の心臓を抉ってくれ)

 (『な、それって、つまり……ヤ、ヤダ!』)

 (フラン、何を言って――これしか方法が無いんだ。幻想郷を救うには。フランを助けるためには)

 (『ヤダッ。ヤダヤダヤダヤダッッ! シオンが死ぬなんて、絶対にイヤッ!』)

 駄々っ子のように地団駄を踏む――あくまでそんな光景を幻視しただけだ――フランの説得を早々に諦める。そんな時間的余裕はない。

 ならばと、シオンは能力を発動して強制的にフランを外に出そうとして、失敗。

 なんと表現すればいいのか。魂にしがみつかれて、切り離せない。

 焦るしかない。同時にシオンは、同一化はそこまで便利な代物ではないのを悟る。相手の魂を丸事取り込むとはつまり、相手が納得しなければ自分の魂の中で暴れられ、最悪乗っ取られる可能性すらある事を。

 フランが協力的だったからその問題点が浮上しなかっただけにすぎないのだ。屈服させた訳ではないから、自分の意思ではどうにもならない。

 (まずい、まずいまずいまずい――! 死ぬんだぞフランッ。今俺から離れなきゃ共倒れだ。一緒にあの世逝きだぞ!)

 (それでもいいッ! シオンと一緒なら、死んだって構わないッ)

 犬歯を剥き出しに、更に力強く絡みつかれ抱きしめられるような感覚。それにとてつもない温かさを感じて、ほんの少しだけ。

 ほんのちょっとだけ――この温もりを手放したくない、と思ってしまった。

 だがすぐに後悔。フランは本気だ。本気で一緒に死ぬつもりだ。と、いうかそんなのフランがここに来た経緯を思い出せばすぐにわかる。

 頭に突きつけられる銃口の中身が見える。銀の銃身と同じ、銀の弾丸。そこに掘られた緻密な術式は、彼の仲間の術式使いによるものか。余りに細かすぎて効果が少ししかわからない。

 そして、その効果は、銃弾の爆発。うまく撃たれれば助かったかもしれないが、脳が吹っ飛んでは助からない。

 (すまない、紫……ごめんなさい、師匠――)

 幻想郷を想う紫。色々なアドバイスをしてくれた永琳。

 そして何より、フランを愛してやまない、姉。彼女の願いを知っているのにそれを自分が踏みにじるだなんて思ってもいなかった。

 (レミリア――!)

 キン、と耳元で音が鳴った。そして大量の妖力が流れ込んでいく。

 ――チリ、と髪の毛が数本舞って気づけば銃を持った手が吹っ飛んでいた。

 「――あ?」

 それはどちらが発した声なのか。

 わからない。わからない事だらけだ。

 たった一つ、わかったのは――ここを逃せば、勝ちを拾えない事だけだッ!

 「う――オオオオオオアアアアアアアアァァァァァァァッッッ!!」

 ズシュリ、ズチュ、という奇っ怪な音。

 鋭い爪が、心の蔵を、貫いた。




本当はラストまで書き終えたかったんですが、どうにも筆が乗らないのと予想以上に戦闘が長かったため割愛。……言い訳ですねすいません。

霊夢と術式使いの戦闘については短くてゴメンナサイ。
というか両者が夢想天生使うと必然的に近接戦闘になるのですが、二人共あくまで徹底的な後衛。近接戦闘は距離を取るためか時間稼ぎ程度の護身術くらいしか覚えてないので、どうしても短くなるんですよね。
回想で文字稼……ゲフンゲフン。イイエ、何モ言ッテマセンヨ?

シオンの方はちょっと後付けが締まらなかったかなぁと。フランがシオンと同一化できた理由はまた次回。
夢幻転生は夢想天生になぞらえて。人は人らしく、矛盾の塊のような技となりました。一応このお話の初期の初期から考えていたことなので、出せて嬉しいですね。

気も魔力も霊力も妖力も、一切合切無効化にする力。

けれど夢幻は幻想に対してしか効果を成さず、物理攻撃に対して力を発揮し得ない。要するに幽香とか鬼とかの近接戦闘バカには勝てないのは相変わらず。

身体強化の出力が上がったので多少、くらいといったところでしょうか。

生命力についてはこじつけです。これくらいしか思いつかなかった、というだけなのですが。

次回で今回途切れたフランの回想と、ラスト何があったのか。そして一つ、物語の区切りとなるところです。

それではまた次話で。ノシノシ


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エピローグ

 ドクンドクンと掌に伝わる鼓動。この小さなものを握りつぶしてしまえば、それだけで目の前の敵はあっさり死んでしまうだろう。

 「は、ハハ……なんだ……」

 けれどシオンはそうしなかった。心臓と繋がっている血管を爪で切り裂いておきながら、そこから全く動かさないために栓の役割を果たしてしまっている。

 いつかは死ぬだろう。だがその死ぬまでの時間を極端に引き伸ばしていた。反撃されて殺されるかもしれないよ――そう言おうとしたフランだが、どこかシオンの様子がおかしい。

 「これで、終わりかぁ……何年も時間をかけたんだけどな……」

 そう言うクセに、復讐者の顔は穏やかだった。目的の完遂がもう目と鼻の先。そんな状態で殺されるなんて、普通は嫌なはずだ。

 ピクリとシオンの体が震える。それは言おうか言うまいか悩んでいるようで。それでも彼は言い切った。

 「出会いが違えば、なんて言葉があるらしいけどさ。友達は無理でも、共感し会える理解者くらいには、なれただろうにな」

 「今更だ。本当に」

 「ああ。だからこれは一方的にする約束だ。――殺してやるよ。そいつを。お前ができなかった代わりにな」

 何故だか目を見開き驚いている。

 シオンとしても、ここまでするつもりはなかった。他人の復讐に手を貸すどころか、全面的に背負うだなんて。

 口は勝手に開いていた。

 「俺が自分ですることだから、お前の意見は聞かない。屍人に口無し、だ」

 「自己中野郎が。俺の名前も知らない奴が、俺の代わりなんてできるわけないだろ」

 心臓の鼓動がどんどん小さくなっていく。青白い顔が、死神の魔手がすぐそこまで迫っているのだろ教えてくれる。

 言葉を交わせるのは、多分これで最後。

 「ああ、そうか。そうだな。じゃあ、これが手向けの言葉だよ、()

 今度こそ動きを止めてしまった相手に向けて、シオンは嬉しいのか悲しいのか、色々な感情が混ざったグチャグチャな笑顔を向ける。

 「もう死に急がなくていい。――そろそろ、休んで?」

 その言葉に何を感じたのか。彼は――蛍は、初めてぎこちないながらも笑みを浮かべた。

 「なんだ、そういう……いいぜ。お言葉に甘えて」

 一足先に、休ませてもらう。そう言い切ることなく、彼の体から力が抜けて、背中から地面へと倒れていく。反射的に掴んだ心臓だけがズルリとその体から抜き出された。

 動かない心臓を片手に、シオンはその場で立ち止まる。だがすぐに動き出し、その手におさめられた心臓を、蛍の体の中に戻した。

 「なんというか。ある意味運命とさえ思えるような境遇だよな、俺らは」

 (『シオン?』)

 たった一人だけに復讐することを決めたシオン。けれど、それは生きていくための言い訳を作るためにすぎず、本当は誰かに殺されることを望んでいた。言ってしまえば自分一人だけが死ぬ、内向的な破滅願望を持っていたと言える。

 逆に蛍は誰が恩人を殺そうとしたのかわからない。だからこそ国という単位に被害をもたらそうとした。しかし、内心ではシオンと同じく、死にたいとも思っていた。生きていても仕方がないから、と。大多数の人間を巻き込んで死んだっていいと考えていた彼は、外交的な破滅願望を持っていたのだろう。

 一人を殺し一人で死のうとしたシオン。

 多数を殺し多くの人と死のうとした蛍。

 全くもって正反対だ。共感し理解しあえるところはあるだろうが、やはり友や仲間となるのは無理だったと思う。

 (『ねぇ、なんでそこまで彼のことをわかるの?』)

 「さぁ。多分、心臓を貫いたことが原因。それ以上のことは、よくわからない」

 ふと、シオンは銃を破壊していった物体が何だったのかと思い出す。蛍の件に気を取られすぎて忘れかけていた。

 (『うーん……あれって、きっとそうなんじゃないかな』)

 「……?」

 抽象的な言葉ではあるが、フランはアレがなんなのかわかっているようだ。恐らく飛んでいった方向を見ると、特殊な力を纏い過ぎて周囲の葉をまき上がらせている『槍』が見えた。

 その形、その色。何よりも宿す力。

 シオンはそれを見たことがある。というより、喰らいかけた事があった。

 「神槍……『グングニル』」

 ジリジリと空気を焼き焦がすようなオーラのせいで持ち手が見えにくい。それでもシオンは棒部分に刻まれた彫刻を見て取った。

 (封印術式の強化……形状の縮小化……開放条件……持ち主以外が持つための許可……)

 様々な効果を持った術式。それを開発し刻むまでにかかった時間は想像に難くない。槍に触れようとして近づき、持ち手に触れた瞬間。

 バチッ!! とシオンの手が弾かれ。

 ――そのまま槍は何処かへと消え去った。

 後に残ったのは、ジュゥゥゥ……と、手が焼け焦げたシオンと、やっぱりと納得の息を吐くフランのみ。

 即座に治った手を複雑そうに見つめつつ、シオンは呟く。

 「なるほど、確かに貴女は俺にとっての勝利の女神だったみたいだよ。レミリア」

 その言葉にフランが嫉妬したかどうか、定かではない。

 

 

 

 

 

 一方、日傘をさしてでも外でシオン達の帰りを待っていたレミリア。中で寛ぎ下さいと藍に言われても断り、ひたすらに待ち続けた。

 気づけば隣には自らの無二の親友、パチュリーがいた。

 「勝てるかしらね。シオンは」

 「知らないわ。私は彼と会ったこともなければ話したこともない。そもそも見たことがないくらいなのよ」

 言外に、興味がない、と返したパチュリーは相変わらず冷たい。シオンの記憶から見たパチュリーとは大違いだ。彼は悲しむだろうか。

 「んなこと言ってやるなよ。アイツが負けたら私達の生活は全部オジャンだぜ?」

 「私は今までどおり隠居するだけよ。それ専用の術式でも編めばいいのだし」

 「……うわ、ザ・引きこもり臭がプンプンするぜ。臭いまくってるぜ」

 ドン引きですわーと体ごと後ろへ下げる魔理沙。ピキ、とパチュリーの頭に線が浮かび上がったのは気のせいだろうか。

 てのひらに魔力が渦巻いて見えるのは、もっと気のせいだろう。

 ギャーギャーと騒ぐ二人を無視して、レミリアは不安を押し隠す。フランの姿が見えないのがそれを助長させる。

 もしかして、と思ってしまう。フランならやりかねないのが問題だ。

 恋心とは厄介なものね、と恋を知らぬレミリアは嘯く。

 「確かに、その感情が一番いろんな出来事を巻き起こすものね」

 「後ろどころか全く別の場所から声をかけるなんて、失礼ではないかしら」

 一瞬飛び上がりかけたのは内緒だ。内緒ったら内緒だ。

 優雅に振り返り――あくまでレミリア視点では――紫を睨みつける。が、紫から見れば悪戯された子供が拗ねているように見える。外見というのは大事だというのを教えてくれるいい例だ。

 「いえ、ね。あの二人が喧嘩ですませるようならいいのだけれど、戦闘にまで発展したらちょっと困るから」

 「……ああ」

 忘れてはいけない。ここはあくまで紫の家なのだ。こんなしょうもない理由で壊されてはたまったものじゃないだろう。

 「ところで、フランの居場所を知らない? 朝から見当たらないのよ」

 「わからないわ。私の能力は誰かの場所を見つけるようなものでもないし」

 ふと思い当たったレミリアがたずねる。けれど紫の反応は芳しくない。あくまで『境界線』を操るのが紫の力だ。確かに人選を間違えている。

 「ところで、それがどうかしたのかしら」

 「私の予想通りなら、シオンについていってるんじゃないかと思って」

 「気配探知が一流以上の彼に? 途中でバレると思うわよ」

 「まぁ、そうなるわよね」

 結局のところ答えは出ない。だからレミリアは考えるのをやめ、傘越しに見える太陽の光に目を細めた。

 「……アレは?」

 故に、気づいた。

 「――ちょ!?」

 真上から降ってくる、閃光に。

 カッ、と目を焼くような光りが周囲を覆い尽くし、レミリアの目前で爆発。吹き荒れる風がレミリアの服を荒らしつくす。

 傘の骨が折れかけたが、咄嗟に手放すことでそれを防ぐ。同時に一歩二歩と下がることで己の身を日陰へと移す。一瞬で灰になることはないが、用心に越したことはない。

 風がおさまり砂塵で咳き込んだが些細なこと。すわ敵襲かと思ったが、そこに突き立っていたのは一本の槍。

 即ちグングニル。伝承通り『放たれた後に主の手元へ戻ってくる』という性質上、シオンという媒体を通して放たれたあと、主たるレミリアのところへ帰ってきたのだ。

 が、本来ならこの距離を戻ってくるには相応の力を必要とする。新たに加えた封印術式でそういった能力のほぼ大半が封じられているせいだ。その一部が強制的に開放されている。

 やったのはシオンだろう。膨大な力を注ぎ込まれたせいで術式が歪んだのだ。さり気なく傘を回収してくれた紫に感謝を述べ、傘をさし直し槍へ近づく。

 槍が発動する条件はたった一つ。シオンの危機を対処しろ、ということのみ。だがこれらを設定するのにいくつか限定的な付加をする必要があった。

 一つにシオンが命の危機を明確にしていること。

 一つにシオンがそれに対処できる方法が無いこと。

 一つにシオンが開放術式を発動出来るだけの力を残していること。

 それら以外にもいくつかある条件をクリアしてようやっと使える槍だ。レミリアとしても本当に保険程度の、お守りのつもりでしかなかった。世の中何があるのかわからない。

 「大丈夫、なのよね?」

 しかし逆に言えば、これが発動する、してしまう程にシオンが追い詰められたことを指す。胸中の不安が顔に表れるほどだ。

 槍に近づく。逡巡し、それでも覚悟を決めて、触れた。

 そしてただ一言、レミリアの脳裏に反響された。

 レミリアの口が緩やかな弧を描く。

 「全く……だから私は吸血鬼だって言ってるじゃないの」

 クス、クスクスと堪えきれずに笑ってしまう。麗しき童女の笑みに、何かを察した紫と、爆風に巻き込まれた魔理沙とパチュリーが顔を見合わせる。

 代表して、紫が訪ねた。

 「それで、何があったのかしら」

 「シオンが勝った。今から帰ってくるわよ!」

 それは安堵と、歓喜と、あらゆる正の感情に満ち溢れた顔だった。

 

 

 

 

 

 槍を見送ったシオンは、頭上を見上げるのをやめ、地面を見下ろす。血と肉がこびりついた大地はお世辞にも綺麗だとは言えない。惨憺たる状況だった。

 「なぁ、フラン。一つ頼みごとがあるんだけど、構わないか?」

 (『……しょうがないなぁ。いいよ? 使っても』)

 シオンの問いを先回りし、フランはまるでどうしようもない我が子を見るような顔で答えた。外見にそぐわぬその表情に何故か居心地の悪さを感じつつ、感謝の一言。

 「来い、『レーヴァテイン』」

 シオンが呼び出したのは神の炎を宿した神剣。『お前は俺の主じゃない』とでも言いたげな反発を感じるが、内にあるフランの協力によって無理矢理従える。腕まで燃やさんと轟々とシオンの意に反して燃え盛っていた炎がやがておさまり、渋々従ってくれる。

 それでも『お前に従うわけじゃない』と火の粉が舞うが、それで十分だ。

 「送り火としてはこれ以上無いんじゃないかな。手向けの炎だよ」

 小さな火種が死体と血と肉を廃すら残さず燃やし出す。だがそれ以外の――折り重なった竹や葉を燃やすことはない。シオンの制御がそれを許さない。

 所詮全員死んでいる。残したところで何もない、と言われればそれまでだ。それでもシオンはその死に様をほったらかしにするのを憚った。

 全て燃やし、火を消す。ありがとうと刀身を撫でると、炎を噴出される。まるで感謝される謂れはないと切り捨てられたかのようだ。

 苦笑を残し、レーヴァテインを消し去る。同時にシオンの体が崩折れる。

 (『シオン!? 何があった――』)

 トン、とフランの魂が押され、外に排出される。だがそれはそれで好都合。心臓を押さえているシオンの背中を触れる。

 眉をしかめているシオンは珍しく『痛い』と表現していた。

 「シオン、どうしたの? いきなり心臓が痛くなった、ってわけじゃないよね。蛍に何かされたの?」

 ギリギリと締め付けられるのは心臓ではない。その更に奥深いところ。

 「た、魂……が……」

 神へ成った魂が悲鳴をあげている。神の魂(ソフト)に対して人の体(ハード)がついていかない。元に戻そうとするも肉体との痛みと魂の変質に関する痛みが双方から襲いかかってきて、表情を取り繕ってる暇がない。

 それでも動き出そうとすると、フランが慌てて肩を支えてきた。

 「う、動いちゃダメだって。体は大丈夫でも疲れは残るんだから! 今は少しでも休んで安静にしないと」

 「いや、大丈夫だ。痛み以外にはほとんど影響はないし」

 相変わらず頑固だなぁ、とフランの呆れの視線から逃げる。行きよりも更に遅い歩みだが、フランはこの時間が嫌いではなかった。

 こうしている間は、彼に触れていても何も言われない。好きな人の傍にいられる。何よりも『彼を支えている』実感が湧いてくる。肩にかかる重みがそのままシオンが頼ってくれているのだと思えるのだ。昔の、それこそ出会った頃のシオンなら、肩を貸す事さえできなかっただろうから。

 「その、な。フラン」

 「何、シオン」

 「ありがと。助かった」

 信じられない言葉を聞いたようにフランは目を見開きシオンを見るが、その時には顔を逸らされていて、その顔は髪に隠れ見えない。

 フランは先の言葉を胸に秘めることにした。ポカポカとする温かさも。いつかこの想いを共有できればいいな、なんて夢を見ながら。

 ふと、シオンが小石を蹴り上げ、軽く放り投げる。それは放物線を描く――ことはなく、直線で吹っ飛んでいく。動作と結果がおかしいが、腕の動きか何かだろう。深く気にしてはならない。

 石が飛んだ先には何があるのか。それは飛んできた大きな石が答えを示していた。

 「ねぇこれ、もしかして」

 「寝てたから叩き落とした。直接当ててはいないけどな」

 「当ててないから許されるわけでもないでしょうが! 顔の真横に石が当たるとか、恐怖すぎるわぁぁぁぁ!」

 肩をいからせてくる霊夢。その後ろには両手を札で拘束され、式を使えない術式使いが。どことなく呆れも見えるが、反抗的な様子はない。

 「失敗、したみたいですね。彼は」

 「ああ。蛍の火葬はすませた。野晒しにするのも、な」

 「そうですか。彼に変わり、感謝を。ありがとうございます」

 「ちょっとした感傷だよ。ただの」

 憂いを見せるシオンに、彼女は何かを察したように目を伏せる。フランと霊夢も察しかけたが、わからずじまいだった。

 四人となった一行の間に会話はない。警戒と疲労と途切れる集中力と、様々な要因が重なった結果だ。

 空気を読んだのかあるいはこの四人の実力を本能で察してか、シオンの不運を持ってさえ妖怪が現れない。出たら出たで即消滅だったので、妖怪からしてみれば運が良かったのだろう。

 「ところでさ、フラン」

 「ん、なに?」

 「いや、今さら思い出したんだけどさ。……レミリアに、なんて言うんだ?」

 ピシ、とフランの動きが止まった。今の今まで忘れていたらしい。頭を抱えるフランに、ついシオンは笑ってしまった。

 「私の不幸を笑うなんて酷いよ!」

 「人の話を聞かずに勝手に来るからだ。自業自得だろ」

 「ていうかフランがなんでここにいるのよ? 気付かなかったの?」

 「気づく余地が無かった、というべきか……言い訳か」

 今度はシオンが頭を抱える番だった。傍から見ていた彼女としてはコメディを見ているようだ。全員の表情がコロコロと変わっている。

 「そもそもフランは結局どうやって俺の魂と同化したんだ? そこらへんの説明がまだなんだけど」

 「あー、んー。そういえばそうだったね」

 眉を寄せて、フランは語る。

 「あの時私は確かに死のうとしたんだけど――」

 剣が心臓に当たる、その寸前のことだった。

 グイッと肩を掴まれ、引き寄せられる。内側から刃が引き抜かれる異様な感覚。それが消えると即座に腕に何かを注射される。フランを寄せた影はそのままシオンに近づくと、荒れた呼吸を見計らって口内へ何かを放り込んだ。

 数分して、シオンの呼吸がおさまる。フランの方も、本来あの剣で斬られれば治りが遅いはずの傷が消えていた。薬でこんなことができる人物など、一人しかいない。

 「八意、永琳……」

 夜闇に映える銀髪を煌めかせ、シオンの師匠がフランを睨んでいた。

 「どういうつもりかしら?」

 押し殺した声が落ちる。

 「シオンは自分の大切な人が死ぬのを何より恐れる。あなたはシオンを殺したいの?」

 シオンを殺す。その一言はフランの胸を貫く。

 だが言い分はあった。フランだって何の理由もなくやるつもりはないのだ。

 「で、でも! 相手はシオンくらい強いんだよ? 霊夢がいたとしても、敵が三人だけだなんて限らない。力が強くてもただの人間のシオンじゃ、少しでも隙を生んだら死んじゃう。だから、私の――『吸血鬼』の魂を取り込んで、ほしかったの」

 「だからって方法が間違っているわ。殺されて取り込まれる保証なんて無い。よしんば合っていたとしてもあなたの想像通りになるとは限らない。無鉄砲にすぎるわよ」

 それでも、とフランは永琳を睨む。

 ジッと待つだけなんて、できなかったのだ。

 フランと永琳はお互いの目を見て睨み合う。やがて永琳は視線を外し、てのひらを頭に当てて呆れるように息を吐き出した。

 「恋する乙女を相手にするのは、分が悪すぎね……わかったわ。協力してあげる。私だって、みすみす弟子が死ぬのを見ていたいわけじゃないもの」

 「え……」

 呆けるフランにクスリと笑いかける。

 「私が一体何年暇していたと思ってるの? こういう時に役立つ薬なんていくらでもあるわ」

 そう。先にフランに打った注射や、シオンに飲ませた薬。あれらも永琳が作ったものだ。副作用がありすぎるものは破棄――その副作用を逆に利用できれば別だが――し、そうでないものは友好的に活用する。その膨大な量は最早他人には想像できない程。

 「そんな私が、()()()()()()()()薬とか、()()()()()()()()薬を作っていないと思う?」

 持ち歩ける量に限度はあるため必ず持っているとは限らないが、今回はその二つを持っている。他にも補助的なものがいくつかだ。

 「どうする?」

 まるで悪魔のような囁きが、フランの耳にするりと通る。

 「私の力――必要かしら?」

 キッ、と目に力を宿す。

 「――当然!」

 合格と永琳は目だけで笑い、薬を懐から取り出して並べる。

 「シオンの薬や毒に対する抵抗力はかなりのものよ。今は魂が消滅しかけたせいで抵抗力が薄れているけれど、その隙は数十秒と経たずに消えるでしょう。先に飲ませた睡眠薬はシオンだけの特別製だから、二度は効かない。……覚悟はいい?」

 「それ侮辱? 覚悟がなかったら、死んでもいいような行動なんてしないでしょ?」

 「だったわね。ごめんなさい」

 シオンの口を少しだけ開けた永琳は、まず一つ目を飲ませる。能力を増大させ、強制的に同化を発動。二つ目。能力の強制開放を限定的にするための制御。三つ目は体が壊れないようにするための抑制。

 それからタイミングを見て順次投入。そして唐突に永琳が離れた。

 「来るわよ」

 「え?」

 カッと光ったと思えば、シオンの内側から解読できない文字列が見える。だがその光は内側から漏れているだけで、それ以上出てこようとしない。

 「触れなさい。腕を突き込めば、それだけで十分のはずだから」

 「……。わかった」

 そうしてフランはシオンの魂に触れて――

 「後はシオンの知ってるとおり、かな」

 あっけらかんと言っているが、もしフランをこの手で殺していたらトラウマどころではない。首を吊ると本気で言える。

 ただまぁ助けられたのも事実。だから、怒る役目は他に回そう。

 笑うフランの肩をトントン、と叩く人影。ニッコリと上品に笑う彼女は、しかし激烈に怒っていた。

 「種明かしをありがとう。これで心置きなく叱れるわね」

 「え゛……お姉、さま」

 ネジの切れた人形のように振り返る先には、フランにとっての修羅がいた。

 ――あ、死んだ。

 なんて思ったかどうか、定かではない。

 そんな光景を他所に、紫が鋭い眼差しで術式使いを見る。

 「あなた、名前は?」

 「聞く理由は?」

 「誰を呼んでいるのかわからないのは不便でしょう。それ以外には無いわ」

 「そうですか。私の名前は沙璃亜。天宮沙璃亜です。天の宮、沙華の沙に瑠璃の璃と亜空の亜で天宮沙璃亜です」

 紫は一度シオンを見る。シオンは霊夢を見、その返答が肩を竦めることだったので紫に軽く頷いた。

 「ついてきなさい。ああ、安心して。拷問はしないから。単に事情聴取と、アドバイスを貰いたいだけよ」

 「敗者ですからね、私は。畏まりました」

 境界を切り開きこの場から去る直前のこと。

 「ああそうだ。シオン、帰ったら宴会だから、楽しみにしていて」

 「はい?」

 疑問を言葉にすることさえできずに紫は消える。

 「……宴会?」

 後に残るのは、『宴会』という言葉の意味を知らないシオンと、逆にその言葉の意味を理解して満面の笑みを浮かべる霊夢の、凸凹コンビだけだった。

 

 

 

 

 

 橙が日々整え続けている紫宅の庭。その風情ある場所で、紫主催の宴が行われていた。

 主旨を知る者だけで宴会を行っているため、参加している人数は少ない。いつもの規模からすれば控え目だった。

 シオン、フラン、霊夢、レミリア、魔理沙、パチュリー、永琳、紫、藍、橙、そしてにとりの合計十一人。本当はアリス達や咲夜達も呼ぼうとしたのだが、アリス達はそこまで乗り気ではなく、咲夜達は壊れた屋敷の修繕に忙しいからと断られた。

 鬼を呼ぼうかなんていう案もあったが一瞬で没になった。()()宴会好きな連中を呼んだらどうなるかなんて考えたくもない。

 とはいえ現時点でも変わらない気がする。飲めや歌えやの大騒ぎ。霊夢が当たり前のように酒瓶ごと持っているが、確か日本酒はアルコール度数が高かったような。体は大丈夫なのか。

 主賓なのにわざわざ気配を周囲と同化させて姿をくらますシオンを、だが紫と永琳だけは、一拍遅れてフランが即座に看破した。

 「……なんでこうもあっさり……」

 「こうも近くでやられればわかるわよ」

 「主賓が逃げるなんて、主催者としては遺憾もいいところよ」

 師匠と主催者にそう言われては逃げ場もない。諦めて中央に連れて行かれたシオンは、霊夢からは日本酒を、レミリアからはワインをと無理矢理手渡されては飲んでいく。が、薬や毒を無効化するシオンの肉体に、たかがアルコール程度では酔うどころか顔が赤くなることさえない。

 調子に乗った魔理沙に酒瓶数本を一気飲みさせられてもそれは変わらず皆を驚かせたくらいだ。

 宴もたけなわ、と言ったところで紫が手を鳴らす。

 ホロ酔い加減の今が良いと判断したのだろう。彼女はシオンを見つめ、言った。

 「シオン。あなたは『()()()()()()()()つもりはない?」

 「……。……それは、つまり」

 バカでもわかる。八雲という名前を使う意味など。

 「――家族になって欲しい。私達と共に幻想郷を支えて欲しい。そういうことよ」

 直球だった。真っ直ぐにシオンを見る彼女の目を見て。またシオンの周りにいる彼女らの無言の期待を悟って。

 「わかった。できないことは無理だが、出来る以上のことは頑張ろう」

 「ありがとう。感謝とはまた別だけれど、代わりに一つ贈り物をさせてちょうだい」

 「贈り物?」

 「厳密には物じゃないけれど――名前を、ね」

 コホン、と一つ咳払い。

 「私の名前、『紫』という漢字と、あなたの名前である『シオン』で最も当てはまる名前――即ち『紫苑(シオン)』、それが私が贈りたい物。新しい名前よ」

 「八雲――紫苑」

 「ええ。これからはそう名乗ってほしいの。もちろん、嫌なら諦めるわ」

 「いやいい。どの道呼ばれる名前は変わらない。漢字を当てはめただけだからな」

 ならよかった、と安堵する紫に、シオンは立ち上がって手を差し出す。

 「これからよろしく。八雲紫」

 「ええ、よろしく頼むわ。八雲紫苑」

 こうして幻想郷が崩壊する未来は止められ、シオンという化物並の力を持った少年は八雲紫苑という名を持った。

 ハッピーエンド、大団円。

 けれど、誰も知らぬままに、揺れる瞳を。

 「シオン……」

 か細い声で。

 「無茶、しないでよ……」

 そう囁かれた真意は、まだわからない。




先週はまさかの脳震盪を起こして風邪引いたせいで更新できなかったという。誠に申し訳ありませんでした。

この物語はここで一つの区切りです。次回からは1話か2話程話を挟んでまた別の展開に行く予定です。幽々子とか妖夢とかもそろそろ出したいところ。あんまり風呂敷広げすぎると回収できないからなんて理由で出番が無かったので、その分頑張ります。


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小話.復讐と鏡面

 誰もが例外なく寝転がっている。

 死んでいるわけではない。ただ酒の飲み過ぎで、静かに胸を上下させているだけだ。夜に浮かぶ月がかろうじて明かりを降ろす中、紫苑は一人の少女に近づいた。

 「――何の御用でしょうか」

 足音一つ出さなかったはず。なのに少女は薄闇にたたずむ紫苑を見つめていた。まるで、自分の要求を既に悟っているかのように。

 彼女の静謐な瞳はどんな光景も映さない。あるいはそれが、聞き知った彼女の能力を発動させない条件なのかもしれない。

 「一つ聞きたい」

 けれど紫苑にそんな事は関係ない。気になることは他にもあったが今回の件に関わらないし、今ある目的は一つのみ。

 「幻想郷の外に出るための術式は、あるのか?」

 内に入る時は結界に干渉したらしいが、ならば外に出る時はどうするつもりだったのか。蛍の目的は結界自体の破壊だったようだし、誰にも悟られず外に出るのは至難の技かもしれない。

 破壊してしまえば、出る手段など考える必要は無いのだし。

 こちらの意図を見抜こうとしたのか、初めて彼女は自分の姿をその目に映す。しかし、荒事に慣れているとは言えども紫苑とは年月が違う。人の顔を見て何かを察するには彼女はあまりに経験が足りなさ過ぎたし、逆に彼はそれを隠すのに慣れすぎた。

 結局真意は、見抜けなかったようだ。素直に聞いてくる。

 「目的は、なんなのでしょう。私ではなくとも、八雲紫に聞けばよろしいのでは」

 「紫じゃダメだ。彼女はあくまで管理者で、『八雲』になった俺が不用意に外に出ることを許さないだろうから」

 幻想郷の外は、紫が把握できる物事の範囲外に完全に出てしまう。よりにもよって『八雲』の紫苑を外に出し、万が一暴走すれば目も当てられない。内にいる者達の『八雲』に対する不信感を煽ることになるからだ。

 かといって紫苑が自分の手で外に出るのもマズい。白夜はあくまで自分が行った場所にしか転移を許そうとしない。将来的には可能かもしれないが、少なくとも今は無理だ。

 結界をぶち抜いていくのは論外。

 つまり、『誰にも悟られず』外に出るには、第三者の手が必要だった。そしてそれを可能にするのは、紫苑の知る限り一人だけ。

 「ここまでで質問は?」

 「とくには。……ああいえ、一つだけ、お聞かせください」

 ジッと紫苑を見る沙璃亜。どことなく似た風貌の人間に見られると、鏡を見ていると錯覚してしまいそうだ。

 もちろんそれは錯覚だ。よく見れば細かな違いはあるし、何より性別の差は大きい。

 感じたそれを誤魔化すように、紫苑は仕草で続きを示す。

 「外に出て、一体何がしたいのですか?」

 ……確かに、それは彼女のわかりやすい疑問だろう。

 少なくとも紫苑が外に出る理由はない。外敵たる蛍は倒し、現状目前に迫った脅威はない。紫苑がわざわざ変なリスクを背負う意味はないのだ。

 ――だから、これは単なるワガママ。

 「殺す人間がいる。……それじゃダメか?」

 一気に眉を寄せる沙璃亜。

 けれどそれもすぐに解消される。頭の回転は悪くないらしい。ありえないようなものを見る目で見つめてくるのは少し傷ついたが、まぁ、わからなくもない。

 「蛍の、代わりに?」

 「ああ」

 「見返りは?」

 「あると思う?」

 「……する、意味は?」

 「自己満足」

 理解できない、と困惑する彼女に、紫苑は更に近づき、顔を寄せる。お互いの目に映るのは、お互いの顔だけ。

 「協力してくれるのか、しないのか。それだけ教えてくれ」

 「……」

 数秒か、数十秒か。沙璃亜は瞑目し、そして。

 「――わかりました」

 パシン! という音がすぐ傍から響く。

 「協力致します。我が全霊を持って」

 あっさりと拘束具(ふだ)を剥がした彼女は、紫苑の前に膝まずいた。

 

 

 

 

 

 兵は拙速を尊ぶ。

 その言に則り、紫苑と沙璃亜は迅速に移動を開始する。白夜で博麗神社に飛び、その更に先にある結界の縁に立つ。

 そこからは沙璃亜の出番だ。術式を視る事に関しては最強の眼を持つ彼女は、かつてより改良されているはずの術式を看破し、影響を及ぼさずに外へ出る方法を編み出す。

 張り巡らされた結界の穴を作り、外へ出る。その寸前、紫苑は聞いた。

 「なあ、どうやって貴女は術式を使ってるんだ? 気も、魔力も、霊力もない。なにを代替にして動力源を確保して……」

 「龍脈、あるいは霊脈と呼ばれるそれから拝借しています」

 「へえ? ってことは、あの時の龍はもしかして」

 「私が作ったものでしょうね。術式が発動しなかったのを見るに、防いだようですが」

 言外に『アレを防ぐなんておかしい』と責められた気がしたけれど、言われなかったのでスルーしておく。

 何故か溜め息を吐かれたが、気を取り直すように彼女は告げる。

 「代わりに、私は脈が通じていない場所では無力です。辛うじて武器は扱えますが、その方面の専門的な分野に携わった人間では時間稼ぎしかできないでしょう」

 「大丈夫だ。戦闘自体は俺がやる。貴女は俺が集めた情報を纏めてくれるだけでいい」

 元より実行するのは紫苑一人だけだ。

 「……というか、外に連れてってくれるだけで俺としては十分だ。逃げたいんだったらこのまま逃げてもいいんだぞ」

 「逃げて、どこに行くのですか? 身分証明どころか金も住む家も無い私に帰る場所なんてどこにもありません。体を売るなんて反吐が出ます」

 汚い言葉が飛び出すほど、紫苑の言葉は沙璃亜の逆鱗に触れたらしい。ある意味紫苑の言葉はブーメランだったのだが、彼女はそれに気付かなかった。

 「……悪い。ならこれが終わったら、幻想郷で暮らせるように紫に言おうか?」

 「彼女は私に相応の恨みを持っているのでは。無謀というものでしょう」

 「紫が個人の感情を優先させることはほとんど無いだろうさ。幻想郷を守るために使えるものはゴミでも使う。沙璃亜が結界強化に協力するのなら、対価はちゃんとくれる」

 無理矢理言うことを聞かせて壊すより、物を与えたほうが人は働く。そこまで言い切ると、沙璃亜は納得するように頷いた。

 「なるほど、よくも悪くも為政者と。それならば理解できます」

 「どちらにしろ、全部終わってからだ」

 開いた穴に向けて、紫苑は足を出す。沙璃亜も紫苑の後へ続く。

 ――紫苑自身も、紫にとっては『使える道具』の一つでしかないことは、結局言わなかった。

 

 

 

 

 

 外に出て真っ先に感じたのは、『汚い』だった。

 空気も、空の色も、何もかも。ありとあらゆるものが、紫苑の五感に対して薄汚れていると告げてくる。

 「幻想郷が綺麗すぎるのです。あそこには、科学的なものはほとんどありませんから」

 紫苑に説明するというより、確認のために呟いたような言葉だった。

 「それで、ここからどうするのですか。私は紫苑についていくだけのつもりですが」

 「行動方針を決める前に、一つだけ。貴女達は幻想郷に来る前に、多少でも情報を集めたりしたのか?」

 「ええ、もちろんしました。その結果『私達にはわからない』という事になり、世界に綻びを作るために幻想郷を壊そうとしたのですから」

 「って事は、その『集めた情報』がある場所は存在するんだろうな。燃やして隠滅した?」

 「……しては、いませんが」

 「ならまずはそこに行くぞ」

 あっさり決めた紫苑に、沙璃亜が慌てて告げる。

 「ま、待ってくださいっ。隠れ家は別の国にあるんですよ。どうやって誰にもバレないように向かうのですか?」

 金はない。パスポートもない。どころか戸籍さえ存在しない紫苑。色々なモノが不足している状況で、けれど紫苑は沙璃亜の想像を超える発言をする。

 「……金なんて、いるのか?」

 「は?」

 本気で言っている紫苑に、一瞬沙璃亜は固まった。その隙をついて彼女を横抱き――いわゆる女性の憧れ『お姫様抱っこ』で持ち上げる。

 ひょいっと軽く持ち上げる紫苑に、やっと再起動した沙璃亜は戸惑いの眼を向ける。

 「一応、言っておきますが。空を飛んでいくのは下策ですよ。人工衛星や、そうでなくとも監視カメラが至るところにあります。余計なことを(にんげんばなれ)した行動をすれば、即大騒ぎになります」

 「要するにバレなきゃ問題ないんだろ。方角は?」

 「……。あちら、です」

 全てを諦めた沙璃亜が指で指し示す。

 「よし。んじゃ、行こうか」

 暗い暗い森の中、紫苑は疾走する。抱きかかえられた沙璃亜にかかる負担はない。どころか振動すら感じない。

 道中散らばる小石や小枝、乱立する木々を避けるために右に左にと移動しているのに。沙璃亜はなんとなく、この辺りの技術的な差が蛍に勝ったのだろうかと思った。

 トン、と紫苑は足を止める。

 毒々しい光りがあたりを照らし、車や人が行き交う騒音が耳を叩く。

 「それで、ここからどうやって移動するのですか」

 紫苑も沙璃亜の格好も、目立つ。黒いフード付ローブで全身を隠す不審者と、それに抱えられる巫女。どう考えてもおかしい。

 「ちょっと揺れるかもしれないから、気をつけて」

 それを封殺して、紫苑は建物の上に降り立つ。音を立てる愚行はしない。そこからどうするかなんて、決まってる。

 建物から建物を、飛んでいくだけだ。

 眼球を忙しなく動かし、監視カメラを見つければそれらの死角を通る。一瞬人のいる頭上を過ぎるが、例え見つけたとしても気のせいで終わる。それが人という生き物だから。

 轟々と吹き付ける風から顔を守るために目を閉じ紫苑に抱きつく。唯一の救いは揺れるかもと言いつつ揺れない事だろうか。これで揺れていたらパニックになって落ちていたかもしれない。

 車が移動するよりも速く紫苑は駆ける。

 「……、…………」

 高所恐怖症ではないが、それだってあの速度で命綱無しは恐ろしすぎる。

 「――おい、沙璃亜!」

 「ひっ!?」

 ビクッと体を震わせる彼女は、とても霊夢と競り合った巫女とは思えなかった。

 数秒後。――真っ赤になって震える少女がそこにいたのは、言うまでもない。

 それでも自分の役目を思い出したのか、我慢して言う。

 「方向はこのままで合っています。海を渡った更に先ではありますが、少なくとも近づけば細かな指示は出せますので」

 「……速度、落とせばよかったか?」

 「人が必死に忘れようとしていることを思い出させないでくれます!?」

 ご、ごめんと素直に謝る紫苑に、沙璃亜は怒り顔で迫ってくる。

 「大体ですね、人は飛べないんですよッ。生身で飛べる幻想郷の人達がおかしいですから。それがあんな速度で移動するとか恐怖以外の何モノでもありませんから!!」

 沙璃亜は確かに異能を宿してはいるが、それ以外はむしろ世間知らずの女の子にすぎない。非常識の塊である幻想郷は、少女の認識を大いに狂わせただろう。

 手をあげて非難を受け入れた紫苑は、これからやる事も大差無いんだけどなぁ、と近い未来のことを憂いた。

 怒られる時間も勿体無いと、沙璃亜を無理矢理背負うと、海へ向かって駆け出す。

 「ちょっと、私濡れたくないんですが」「聞いてます?」「聞いてませんよね?」「少しくらい人の話を」「いいから止まって濡れ鼠なんてイヤですからぁぁぁぁぁっぁ!?」

 なんて叫びが聞こえたが無視。どちらにしろ濡れないんだし。

 ピチャチャプと水が微かに跳ねる音。必死にしがみつく沙璃亜は、ふと自分が全く濡れていないのに気づく。後ろを見やれば確かに遠ざかっていく街が見える。前を見ると無限にも思える暗闇があった。

 なんとなく下を見て、沙璃亜の頬は引きつった。

 極々当たり前のように水の上を走る紫苑。もうヤダこの非常識人……と、蛍よりも色々バグってる紫苑に(比較的)常識人の沙璃亜の目がキラリと光った。

 水の上をただひた走る作業は単調だ。二人の間に会話はなく、つまるところ暇つぶしは存在しない。すると、特別な訓練も何も積んでいない沙璃亜を眠気が襲う。時刻にすると既に深夜に迫るくらいなのだ。限界だった。

 「寝たいなら寝ていいぞ。寝心地は保証できないけどな」

 その言葉を合図に、沙璃亜は張り詰めていた緊張を解いた。

 背中で脱力しスースーと寝息をたてる少女を落とさないよう、背負いなおす。こういった単調作業、嫌いじゃない。同じことをしているだけでいいのならあまり考えなくてもいいし、これからの事に浸れる。

 蛍の代わりの復讐は、多分そこまで時間はかからない。蛍と沙璃亜が集めた情報量次第だろう。その後は幻想郷に帰ることだがこれも白夜を使えば一発だ。問題は、勝手に外に出ていたのを見咎められるくらいか。

 徐々に白み始める空。実際は移動のしすぎで時差が起こっただけだが、どうでもいい。どの道すぐに『暗くなる』のだ。

 水の上を走っていた足を止める。必然紫苑と沙璃亜は水に沈むこととなるが、同時に黒陽の力を発動。全身を球体で包み込み、水を防ぐ。

 もちろんこのままでいれば水の流れによって見当違いの方向へ行くことになる。その前に術式を展開して自分の周囲の水の流れだけに干渉し、進む。これなら人工衛星に見つかる可能性は低い。

 問題点は星を見られないから自分の位置を確認できないことだが、勘で何とかする。

 一体何時間経ったのか。一寸先も見えない暗闇では時間の把握が難しい。常人なら気が狂ってもおかしくないので、沙璃亜が寝ていたのは運が良かった。

 気づけば陸が近づいている。人の気配もほとんどない。タイミングを測れば誰にも知られず上陸できるだろう。

 数時間ぶりに外の空気を吸った紫苑は空を見上げる。緯度と経度が変わったからか、空が違うような気がした。

 日陰へ移り、彼女の格好を隠すようにローブで包んで地面に横たえ、頭を膝の上に置く。ついでに風に乗って運ばれる潮風に髪がベタつかないように纏め背中に流す。そんなことをしていると、ふと早朝故に人の姿はないが、傍から見ると恋人同士に見られるかもしれないな、なんてどうでもいいことを考える。

 実際のところは恋人なんて生易しい関係ではないが。

 「う、ん……ん……?」

 「起きたか」

 寝呆け眼で紫苑を見上げる沙璃亜。頭が回転を始めると、自分の体勢を理解したのか紫苑を怒鳴ろうとし、けれどそれが自分を思いやってのことだと自制し、最終的に小さな声で、

 「ありがとう、ございました……」

 と、言ってきた。

 「どういたしまして」

 なんというか、と紫苑は思う。まるで子供を相手にしているみたいだ、と。

 慣れない接し方をされているせいで戸惑いが強く現れている。反面今までの人生で培った冷静な思考がそれらを戒めている、ように見えた。

 関係ない、と紫苑は考えるのをやめた。少なくとも、これからの事に私情を挟めばそれは不利になる。

 沙璃亜が完全に起きたのを確認したら、もう一度背負って移動を始める。見つかるヘマ何て、する訳がなかった。

 隠れ家はマンションの一室。木を隠すなら森とはよく言うが、極一般的なマンションに情報を隠すとは思ってもいなかった。

 とはいえ沙璃亜は鍵を持ち合わせていない。仕方なしに紫苑が黒陽で鍵を作り扉を開ける。部屋の中は一目見てわかるほど埃だらけになっていた。

 「きったな」

 「三年ほったらかしにしていれば当然でしょう」

 「むしろ契約切れてなかったのが驚きだよ」

 「十年単位で契約しておきましたので」

 値切るために、と手で丸を作る。世知辛い世の中だ、と返した。

 「ここまで来れば大丈夫です。念のためある程度の資金をここに隠しておきましたので、無駄遣いしなければ問題無いでしょう」

 パチンと沙璃亜が指を鳴らす。それだけで部屋に刻まれた術式が眩い光りを放ち、部屋を完全に綺麗にした。

 「さ、これで問題はありません。情報を載せたパソコンはそこに。……使えます?」

 「……多分?」

 ちなみに普通に扱えた。

 紫苑が情報を読み取る中、沙璃亜は着替えて買い物に出かけた。流石に三年も経っていては保存食を口に入れるのも不安なので、いっそのこと全部買い替えるつもりだ。

 一方で紫苑は予想外の情報量に驚いた。これだけあれば十分だ、と。

 なので家に残っていたお金を借り、家を出てこれまた紫苑も買い物に出かけた。

 沙璃亜が家に戻ると、紫苑がカチャカチャと機械を弄っていた。

 「……何してるんですか?」

 「んーちょっとしたこと。気にしないでくれ、そのうちわかるし」

 「はぁ……」

 納得していないながらも沙璃亜は素直に引き下がり、調理し始める。久方ぶりの外の料理なので若干気分良く作れた。

 会心の出来だと笑みを浮かべる。蛍も契約上の協力者も全然反応してくれなかったので紫苑は何か一言くれるだろうか――と思った瞬間、それが期待故だと理解しぶんぶんと頭を振る。

 「料理、できましたが」

 「わかった、今行く」

 ちょうど紫苑も終わったところだったのか、機材を片付けていた。

 と、そこで紫苑が沙璃亜に複雑そうな顔を向ける。小首をかしげると、紫苑は卓につきながら言った。

 「……恨みとか、無いのか?」

 「何に対する、恨みでしょう」

 「蛍を殺した俺に」

 ああ……と沙璃亜は納得する。先ほどの複雑そうな顔はそれでか、と。

 「ありませんよ?」

 沙璃亜は確かに蛍に救われたし、行動を共にしていた。仲間でもある。友でもあった。恋仲に発展するにはお互いをよく見ていなかったため無理だったけれど、だからこそわかることもある。

 「蛍は復讐者でしたが……同時に、死に対する願望を持ち合わせていました」

 復讐対象がわからない。だから世界を巻き込む事さえ躊躇がなかった。

 けれどそれは、そうしたいのとイコールじゃない。巻き込まないですむならそうした。

 「彼は……蛍は、自分じゃ止まれなかった」

 「……」

 「だから、きっと求めてたんです。自分を止めてくれる誰かを。殺してくれる死神(てんし)を」

 どこかで聞いたような話だった。それも、至極身近な。

 「私はそれを聞いていたので、彼に対して恋愛感情を抱くことはありませんでした。私は『生きていたい』から、『死にたい』と願った彼を好くのは、あまりに接する時間が短すぎて」

 命の恩人、蛍はそれ止まりだった。

 だから沙璃亜が次に言う言葉は、きっと――

 「ありがとうございます。恩人を、救ってくれて。彼を助けた人に、どれだけ誤っても顔向けできないような行為をさせないでくれて」

 「……身近な人を殺して感謝されるのは、初めてだな」

 怒り、憎しみ、悲しみ、恐れ、殺意、そういった感情を向けられたことはあっても感謝された覚えなどない。

 沙璃亜もわかっているのだろう、私達は特殊ですから、と自嘲気味な笑みを浮かべた。

 その笑みが、妙に紫苑の頭にこびり付いて離れなかった。

 夜。太陽が沈んですぐの時間。

 紫苑はローブを纏い、マンションの窓から外へ出る。

 「気をつけてください。相手は国家権力に守られています。下手な殺人は自分の首を絞めることになりますよ」

 そんなアドバイスを貰いつつ。

 残った沙璃亜はパソコンに繋げられた機材を見つめる。それは紫苑が作った、紫苑が見たものを映す映像機器。

 「一体どうやって映すのでしょうかね」

 そうボヤきつつ、彼女はスイッチを押した。

 駆ける。駆ける。ひたすらに。遠慮などなく。今、紫苑の背中には羽があった。艶やかな黒、烏の羽が。音速を軽々と超えるその速度を、紫苑は自在に使いこなす。

 とはいえ時速何百キロで進むべきか。出しすぎて目標地点を飛び越えても意味がないため、途中速度を落とす必要がある。常に音速移動は下の下だ。

 そもそも紫苑は今自分がどこにいてどこに向かっているのかすら知らない。その辺りは沙璃亜に一任した。彼女はオペレーターだ。携帯機器など使わなくとも術式を使えば色々代用できるので警察やらなんやらに盗聴される心配もない。油断はできないが。

 『紫苑、速度を落としてください』

 「了解」

 徐々に速度を落としていった先で見えたのは、どこか寂れたように見える町だ。否、だからこそ隠れ家として使えたのかもしれない。

 『紫苑、一体どうするつもりなのですか? 彼らは確かに暗殺などの汚れ仕事を請け負っていましたが、彼らは既に引退者です。数年前の出来事に関わっているとは思えません』

 「だからだよ。汚れ仕事から足を洗ったからといって、その間起こった出来事とは無関係でいられない。『知りすぎた』彼らを殺すための刺客は絶対に存在する。そんな奴らから自分の命を守るには、どうすればいいと思う?」

 『……蛇の道は蛇に。彼らは現役の暗殺者達から情報を受け取っている?』

 「代わりに何を受け渡しているのかは知らないけどね。興味もない」

 そう、紫苑が興味を持つのは――

 「話してくれる必要なんてない。勝手にお前達の魂が教えてくれる」

 蛍の恩人を殺すように依頼した人間。引いては実行者達の情報だ。最悪暗殺者全員の情報を引きずり出して、一人一人確認すればいい。

 「尋問いらずって、ホント便利だよね?」

 そう言い笑う紫苑は、確かに死神のような不気味さを携えていた。

 殺さずにすむのなら事は簡単に終わる。そう思っていたのだが、ちょっと驚いた。

 「……誰だ、テメェ」

 わざわざ不器用な英語で対応してきた。しかもこの間に音を出して敵襲を知らせている。本当に驚かされる。流石に本業の暗殺者相手に奇襲は難しいと思い知らされた。

 銃を向けられたにも関わらず横を見ている紫苑を理解できないように見てくる。

 「奇襲するのはいいけどちゃんと狙ってね? 相討ちさせて『あげる』から」

 クス、クスクスクスとあえて甲高い声で笑う。女の口調で、けれどどことなく男に見えるような態度で。

 ジリジリと迫ってくる相手に、紫苑はただ一言、呟いた。

 「眠って」

 その言葉を合図に、彼らはその意識を閉ざした。

 『何をしたのですか』

 「黒陽で相手の頭をぶん殴っただけ。まぁ……」

 紫苑の影がうねうねと蠢き、集まっていた暗殺者達の身柄を周囲に集めていく。

 「ちょっと、やりすぎたかな?」

 既にその顔に、優しさは欠片もなかった。

 相手の心臓から魂に接続し、彼らが歩んだ道のり全てを見通す。幸福も不幸も全て等しく。同情はしない。感動もしない。あるがままに受け入れていく。

 終わった者から順に元の家に戻していく。有用な情報は回収できた。問題は、その暗殺者が今どこにいるのかという事なのだが。

 「足はあるんだし、ヒントもある。後は総当りになるかな」

 さよならと告げて、痕跡も残さずその場を去る。

 『次はどこに?』

 「助け合わず自分の力だけで逃げる元暗殺者に会いに行きつつ現役を狙う」

 先の彼らは力が足りないからこそ協力し合う者達だ。ならば逆に、力があればそんなことする必要はない。

 そして総じて、そんな彼らはあらゆる面でうまい。

 「死なない程度に、頑張りますかぁ」

 フードを下げた紫苑の左目が、無機質な黒をギョロリと動かした。

 あれから三日経った。紫苑も沙璃亜も力を惜しまず動き続けた結果、復讐対象はとある大金持ちだという事を知る。

 『念には念を入れて』――それだけで、狙われたのだ。蛍と、蛍の恩人は。

 確かに一理ある。だが、感情だけで納得はできない。特に、紫苑は。

 「どこの世界も、無意味に持ちすぎた金持ちは腐ってる」

 ――そう言った時の紫苑の感情を、沙璃亜は怖いとしか思えなかった。

 濁りきったその殺意を。

 唯一の救いは、カメラが左目に埋め込まれた故に紫苑の顔を見なかったことだろう。もし見ていたら、沙璃亜はオペレーターをするのを拒否していたかもしれない。

 『どうしますか。直接? それとも狙撃を(スナイプ)?』

 なんかどっかで聞いたフレーズだなぁと思いながら、紫苑は言う。

 「直接」

 殺害自体はどうとでもなった。黒陽で心臓を止めればそれで終わり出し、白夜を使えば適当な山奥に放り込むことだって造作もない。紫苑が殺した証拠なんて、残さない。

 ついでに机の上に汚職の証拠も適当に並べておく。さも『書類を隠す途中でした』なんて風にしておけば突発的に死んだという結果しか残らないだろう。薬物なんて使ってないのだし。

 ふと気配を感じたそれが何なのかを察して、紫苑は今度こそ反吐が出そうだった。

 「……下種が」

 単なる自己満足にすぎないが、黒陽の力で『彼女』の鎖を外し、白夜で服を落とし、ついで声を飛ばす。

 ――逃げたきゃ逃げろ、と。

 何があったのかなんて知らない。この先の選択も紫苑は関わらない。生きるか死ぬかは彼女次第だ。

 「ホント、人間ってのは腐ってる奴ばっか」

 自分も含めて、クソばっか。

 沙璃亜はそれに、何の言葉も返そうとはしなかった。

 復讐はあっさり終わった。これまでの三年は何だったのかと思うほどに、あっさりと。沙璃亜としては、最初から紫苑に頼めばとは思ったが、蛍達が幻想郷に来て異変を起こしたから紫苑が幻想郷に落ちてきたのだ。不可逆はありえない。

 『世界は理不尽ばかりです。本当に』

 「今更だ。……今更なんだよ」

 人の復讐で。自分とは関係のないはずなのに。

 何故だか虚しいとしか、思えなかった。

 紫苑が白夜を使ってマンションに戻ると、沙璃亜は随分質素な食事を用意していた。

 曰く「食べる気力なんて残ってないでしょう」と。実際残っていなかったのでありがたかった。

 「紫苑、もう一つだけ聞かせてください」

 「内容による」

 「……何故、蛍の復讐にわざわざ手を汚すのを厭わなかったのですか? 他人、でしょう?」

 「自己満足――って言っても納得しないか」

 「当たり前です。そんなので誤魔化されるわけないんですから」

 チン、と音を立ててスプーンを置く。それでもこちらを睨み続ける沙璃亜に、ついに紫苑は降参した。

 「俺も、復讐者だからだよ」

 「……え?」

 「俺と蛍はよく似ている。境遇は知らないけど、恩人を失ったことを。その原因を作った相手に対する復讐心を。そして――死にたいと、願っていたことを」

 「……」

 「鏡合わせのようなんだ。鏡面を見ているようだった。アイツの記憶を見て、尚更そう思った」

 もちろん俺とアイツは違う人間だけどね、と告げておく。

 「だから、蛍の復讐を終えたなら。いつか俺の復讐も果たせるんじゃないか、なんていう、腐りきった願掛けさ。自己満足ってのはそういうこと」

 「あなた、は……愚か者なのですね」

 「今気づいたの?」

 遅すぎるよ。そう言って紫苑は儚い笑みを浮かべた。

 「ところで、沙璃亜。沙紗って名前――聞き覚え、ある?」

 

 

 

 

 

 「――――――――――――――――――」

 「そう、やっぱり。ってことはきっと、俺と沙璃亜は」

 「――――――――――――」

 「わかってる。この世界は俺にとって異世界だ。何をどうこうするつもりはないよ」

 「――――――」

 「いいって。うん、教えてくれて、ありがとう」

 「―――――――――――――――」

 「……戻ろうか。幻想郷に」

 

 

 

 

 

 帰って第一声。紫苑は紫と永琳、加えてフランにそれはもう怒られた。しばらく外出禁止例を喰らったほどだ。

 逆に沙璃亜との事はスムーズに決まった。この点は紫苑の予想通りと言えるだろう。

 「あの家を、頼んだ」

 「任されました」

 沙璃亜は紫苑が作ったあの家の管理を任された。幸いと言っていいのかあの場所はどうやら脈の真上にあるようで、沙璃亜の力を最大限発揮できる。あのマンションのように。

 こうして沙璃亜も幻想郷の一員になった。

 二人の間に、小さな秘密と約束を交わして――。




ってわけでおまけ的なお話。蛍の復讐を代わりに果たしたりとか、紫苑はまだ復讐を諦めてないとか、色々と。

後もう1話小話を挟んだら次ですかね。東方の二次創作が完結できるのいつになるのか本人すらわからない現状です。


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小話2.巫女は心配性

 「ふぅ、依頼はこれで終わりかしら」

 目の前で崩折れる妖怪を見下ろしながら、私は確認のために呟いた。

 今日は里の人に頼まれて、森に潜み人を襲う妖怪を退治してくれと頼まれたので、こうして神社を離れここまで来た。

 その依頼も完遂したので後は報酬を受け取れば今日やる事は終わりだ。元々私のやる事なんて少ないんだし。

 悲しくはない。同年代と比べて圧倒的に友人が少ないことを理解しているけれど、だからって自分から増やそうとは思えないのだ。

 自分を理解してくれる少数の友がいれば十分と思える性質なのだろう、私は。

 放り投げすぎた針や、まだ使える札を回収する。これらだってタダじゃない。針は作り直した上で霊力を練り込まなければならないし、札なんて一から墨で書き直しだ。まだ利用できるのなら再利用したい。面倒はゴメンなのだ。

 あらかた回収し終えた時の事だった。

 「わ、わわわ! ちょ、まっ、助け――!?」

 フラフラとなっさけない走り方で駆け下りてくる、見慣れない服装の人間。里の人達が彼を見たなら、多分、彼の正体に気づかなかっただろう。

 「あ、あんた逃げろ! 後ろから狼が、っとわぁ!?」

 あ、私が投げて地面に刺さったままの針に引っかかった。……運動神経が悪いのかもしれない。でもまぁそのお陰? で狼の噛み付きを避けたのだから、運は強いのかもしれない。

 運は運でも悪運だけど、ね。

 なんて呆れてはいるけど見捨てるつもりはない。一応それが私の役割の一つでもあるのだから。

 「頭を下げなさいッ」

 折角回収した札を投げて小規模な結界を作る。これで彼が死ぬことは無いはずだ。少なくともただの狼ではこの結界を破れない。

 「な、なんだこれ? さっきから何が起こってるんだよぉ!」

 ……比べる対象が悪いのはわかってるけど、本当に情けない。

 「男だったらね」

 安全は確保した。

 「もうちょっと根性見せなさいよ!」

 後は、霊力を垂れ流して力の差を見せつけるだけだ。

 ビクリと狼が体を震わす。やがてその瞳に恐怖心が宿ったとき、彼らは人間(エサ)を置いて森の奥へ逃げ去った。

 「た、たすかった……?」

 「そうね、助かったんじゃない?」

 呆れをこめた溜め息を吐き出すと、ようやっと自分の状況を見直せたのだろう。彼は慌てて立ち上がると、私に頭を下げてきた。

 「あ、あのさ。助けてくれて、ありがとう。君は一体?」

 「……博麗霊夢。馴れ合うつもりはないから名乗らなくてもいいわよ」

 「いやでも、名前がわからないと困るだろ、霊夢」

 「気安く名前で呼ばないで」

 なんか、イラつく。

 妙に取り繕ってるのが丸わかりだ。あんなに情けない姿を見せつけたのに、何をどうしようというつもりなのだろう。

 馴れ馴れしいのも気に食わない。しかも私に妙な目を向けてくるのが特に。

 見たとこ特別な力は持ち合わせていない。本当に、偶然迷い込んだのだろう。気に食わないが、それでも助けなければならないのだ。

 ――これが男の意地だというのを、私は知らなかった。ちっぽけでもプライドを持ってると、理解していなかった。

 異性の前で情けない姿を晒せない、なんて。今更だけど。

 「元の場所に帰りたい?」

 「え?」

 「……二度は言わないわよ。帰りたい? 元いた場所に」

 「当たり前だろ。こんな危険なとこにいられるか」

 「あ、っそ。それなら私についてきなさい。帰してあげるから、あんたのいたところに」

 「そんなこと、できるのか?」

 「信じられないならついてこないでいいわよ。私にメリットなんてないんだし。ここで野垂れ死のうが知ったこっちゃないわ」

 そう言うと、途端に困った顔をする。私はさっさと帰って休みたいのだ。来るなら来る、来ないなら来ないで決めて欲しい。

 それでも数秒後、彼は頷いた。

 「わかった、君についていく」

 それが聞ければどうでもいい。背を向けて歩き出す。飛んでいけないのが本当に煩わしい。

 ため息を付きそうになるのを何とか堪え、この厄介者を追い返すのを決めた。

 ……あ。

 留守番してる奴がいるの、忘れてた。なんて伝えよう。

 

 

 

 

 

 「ま、まだ……つかないのか……?」

 「もう少しよ。ここを上がればすぐ。全く、体力なさすぎでしょ」

 「は、博麗が体力ありすぎなんだよ……!」

 口答えするからもっと疲れるのに、なんて思うけれど、私は注意してやらない。精々疲れてしまえばいい。立ち止まったなら置いていくだけだ。

 実際一度休もうとしたこいつを置いていったから、本気だとわかるだろう。そして、そうなればどうなるのかも。

 博麗神社の前にある長い長い坂道を登り終えた私の目に映ったのは、キッチリと巫女服を着こなし、長い白髪を布で一つに纏めて背中に流す少女。

 ザッ、ザッ、と箒で神社の掃除をしていたが、私が帰ってきたのに気づいたのだろう。振り返って柔らかな笑みを浮かべた。

 「――お帰りなさい、霊夢。依頼は終わったの?」

 涼やかなトーンの声。そしてその笑顔は、私には浮かべられない程眩い。その美貌と相まって、美少女と女の私ですら認められるくらいだ。

 「ええ。余計なものまで拾ってきたけど」

 「余計な? よくわからないけど、お風呂とか、料理とか、色々用意できてるよ。して欲しいことがあったら言ってね」

 「ありがと、助かるわ」

 「今日一日、霊夢を助ける約束でしょ? お礼なんていらないから」

 ゆるゆると顔を振り、私に近づいて肩を揉んでくる。

 「うん、疲れが溜まってるみたい。早く休んだほうがいいよ」

 「そうさせてもらうわ、って言いたいところなんだけど」

 ジト、と私が通ってきた道を睨む。あの男はまだ来ないのか、と思ったところで、ヒィヒィ言いながらやっと追いついてきた。

 「も、もぅダメ……疲れ――」

 そんな弱音を吐こうとした瞬間、彼の息が止まった。

 「……?」

 不思議そうに小首を傾げるのを、彼は真っ赤になった顔でニヤけた笑みを浮かべながら近づいてきた。

 「あ、あの、お名前は?」

 どもりながら問われた言葉に、それを聞かれたのが自分だと気づかずゆるりと首を傾げ、

 「えっと、私のこと? 私はね」

 そう言って、『彼女』は告げる。

 「()()()()って名前だよ」

 どこからどう見ても美少女にしか見えない()()()()()()が笑う。

 スッカリ騙されたこいつは紫苑に近づこうと必死だ。

 ……女日照りなのだろうか。

 そんな失礼な思考を展開している間に紫苑と男の会話は続いていた。

 「あ、あの、オレ、霧夜って言います。紫苑さんと呼んでも?」

 「別に呼び捨てでもいいよ? 気にしないし」

 「ならオレも霧夜と」

 「うん、わかった」

 浮かれている男――霧夜とやらは、多分、というか確実に気づいていない。今霧夜に紫苑の正体を教えたらとても面白いコトになりそうだけれど、どうせ消える相手だ。

 最後くらい幻想(ユメ)を見させてあげるべきだろう。辛い現実を教える必要はない。

 同性愛を否定する気は無いけれど、紫苑をそれに巻き込みたくはないし。ちなみに私の本音は後者が大部分を占めていた。

 とはいえ今すぐ返すのも面倒くさい。私は疲れた。それはもう疲れたのだ。返すのは明日。私が決めたんだからそれは絶対。

 「汗流したらすぐに飯よ! 準備しといてね」

 「うん。ゆっくりお湯に浸かって、疲れを取ってきてね」

 ……自分で『こういうふうに振る舞え』と言ったけれど、違和感が凄まじい。

 チャポ、とお湯を手で掬う。思うのは先ほどの紫苑の演技。声の強弱、清楚とした振る舞い、他人にかける気遣い。

 「確か、大和撫子、だっけ」

 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、というフレーズ。それに当てはまるような行動をしている。

 よく紫苑は『やるのなら全力で』と言うが、まさか押し付けられたことにも全力とは。正直恐れいった。私にはできない。いろんな意味で。

 ていうか手渡された時に驚いてはいたけれどそこまで抵抗しなかった理由が気になる。一体彼に何があればあんな風に『わかった、これを着てそれっぽく振る舞えばいいんだな』と快諾できるようになるのか。

 頭が痛い、と自分で押し付けたことを棚に上げながら、私は風呂から出た。

 風呂から出て居間に戻ると、既に紫苑はちょうど料理を終え食器に米をよそっているところだった。

 「よかった、タイミングばっちりだったみたいだね。後はこれをよそい終えたらいただきますができるよ」

 「狙いすましたかのように……」

 「ふふっ、ご飯は温かいうちに食べたいでしょ? 頑張って調節したんだぁ」

 ふんわり笑う紫苑の前に、私は反論する気力を失う。元よりその気遣い、嬉しくないわけじゃないから。

 一方で霧夜はと言うと、私に『さっさと座れ』的な視線を向けてきていた。家主に対する態度かと思うけれど、こいつの心情を察するに紫苑の手料理をさっさと食べたいのだろう。わからなくもない、こんなに美味しそうなのだから。

 ご飯を食べるところは割愛させていただく。霧夜が紫苑の料理を手放しに褒める描写なんて思い出したくもない。あ、料理はとっても美味しかったと追記するのは忘れない。

 食べ終えたあと、自ら進んで食器を一つに纏めていた霧夜の『褒めて褒めて』という雰囲気を一蹴しつつ紫苑は自分の横に置いてあった黒い箱を私に手渡す。

 「何よ、これ」

 悪戯……という線はまずないだろう。紫苑はそんなことをするほど私に恨みとかないだろうし。魔理沙あたりなら別だろうけれど。

 「開けてみて?」

 なんだろう、紫苑がちょっとだけワクワクしてるような気がした。

 ……まあ、いい。開けなければ虎子は得られない。私はさり気なく心中で覚悟を決め、えいやと箱の蓋を開けた。

 開けた瞬間――特に何も起こらなかった。

 「……?」

 ついキョトン、としてしまった私に、紫苑は手で中を見てと指し示す。言われたとおり中を見ると、大量の札と針がギッシリ詰まっていた。

 「今日部屋を掃除してる時に、ね? そろそろ御札とか針とか、色々と足りなくなるんじゃないかなぁ、って思って。霊夢が帰ってくる前に作っておいたんだ」

 言って紫苑はこれが手本にした御札と、無駄にした紙と墨代と告げてお金を卓の上に置く。本当に律儀だ、かかった時間を考えればこちらがお金を出すべきだろうに。

 けれど紫苑はそんなのいらないと首を振る。

 「あんまり余裕無いんでしょ? 依頼が来ても報酬がいいとは限らないんだし、貯金できる内に貯金すればいいの。これは私からのプレゼントだよ」

 「……素直に、受け取らせてもらうわ。ありがと、紫苑」

 つい照れてぶっきらぼうな感謝の仕方になってしまう。こういう素直な好意に、私はとても弱かった。

 さてこの御札が使えるかどうかの確認だ。一枚一枚確認しなければ、とこれから行う作業に欝になっていると、紫苑が私の手に手を重ねてきた。

 「何するのよ?」

 「いいからいいから。ちょっとここに触ってみて」

 紫苑は私の手を引くと、右手と左手を箱の側面に置かせた。

 「そこで霊力を流し込む!」

 言われたとおりに力を入れる。霊力は箱の側面に刻み込まれた術式に力を注ぎ込み、そのまま水を入れるように霊力が入り込んだ御札と針が起動する。

 「ちょ!?」

 けれどその力が発動することはない。あくまで霊力がこめられた状態で維持し続けているだけ。やがて霊力の供給が途切れた御札と針が元の形に落ち着いた。

 「なんなのよ、これ……」

 驚く私に、紫苑がニコニコとしながら告げる。

 「一々御札を確認するのは面倒だよね? だから、沙璃亜に頼み込んで術式を一緒に考えてもらったんだ。その結果できたのが、これ」

 曰く、箱の側面から霊力を注入し、内部にあるモノを起動寸前の状態に持っていく。そうすることで中にあるモノが正常に起動するかどうかを確認できる。

 言ってしまえばそれだけだが、私としてはとてもありがたい道具だった。

 わからない人には例え話をしよう。百枚ほど目の前に紙がある。その一枚一枚にダメな部分がないか、逐一確認していく作業。

 さて、あなたはその作業を嫌だとは思わないか?

 ……誰に向かって例え話をしてるんだろう、私は。

 本当に、思う。これだけ気遣いができる人間がそういるのだろうかと。そういう演技をしているのかもしれないけれど、演技ができる時点で他者を思いやれるのだ。できない人間は演技上でもできないのだから。

 ポーっと紫苑を見ていると、

 「集めてくれてありがと。お皿を洗ってくるね? 霧夜はその間にお風呂入ってきて」

 「お、おう。こんぐらい当然だよ。じゃ、じゃあな」

 照れながら霧夜はささっと居間から出て行く。

 「風呂がある場所はすぐそこだから迷わないでよー! 変なとこ入ったらもぎ取るからね!」

 「何をもぐんだ!?」

 恐々としながら出て行く霧夜に紫苑は苦笑い。食器を持つと台所へ行ってしまった。

 さて、何をしようか。紫苑が御札と針を作ってくれたのでやることがなくなってしまった。ジャーと水の流れる音に耳を傾けながら、私はそっと眼を閉じた。

 「……。……むってば。ほら起きて、寝るならここじゃなくてちゃんと布団を敷いて?」

 気づけば肩を揺すられていた。寝ぼけ眼を擦りながら目を開けると、目尻を下げた紫苑が私を見ていた。

 「ああ、もう……頬に畳の跡がついてる。仕方ないなぁ」

 私の頬を撫でさすり、紫苑は困ったように笑う。

 撫でられる感触が嬉しかった私は、体を倒れ込ませる。紫苑の方に。驚く紫苑なんて気にせず胸元に顔を寄せた私の頭を持ち上げ、膝に落とす。

 外見上は女の紫苑だけれど、体つきはやっぱり男のそれみたい。鍛え上げたが故に膝枕をする太腿は固い方だ。でも嫌いじゃない。それに、いい匂いがする。

 鼻をこすりつける私の頭を撫でながら、紫苑は鼻歌を披露する。七色の声を持つそれは、ただの鼻歌であろうと私の気持ちを落ち着けるには十分過ぎた。

 数分経って霧夜が戻ってきた。服装は簡素なTシャツとズボン。どうせ後は寝るだけなのだからこれでいいだろう。というか普通の服装なんて持ってないのだから仕方ない。

 当の霧夜はその格好に不満はないようだ。これが寝巻きだと理解しているかららしい。ただ、紫苑にこの格好を見られるのは相応の羞恥心があるようだ。

 が、私の体勢を見た瞬間その羞恥心は吹き飛び、どこか羨ましそうに私を見る。微妙な雰囲気が流れるけれど、私は黙殺した。

 その空気を察したのか、紫苑は一度部屋を出て行く。

 「なあ、博麗。どうしてこんな質素なもんしかないんだよ」

 「仕方ないでしょ。ここに男が出入りすることなんてほとんどないんだから。あんたみたいな奴も珍しいし、さっさと帰すことがザラだから用意する必要なんてないの。あるだけマシと思いなさいな」

 「なるほど……って、ちょっと待て。それじゃオレがここに泊まる必要性は?」

 「無いわね」

 「おい!?」

 「冗談よ」

 苦虫を噛み潰したかのように見てくる霧夜。こいつ、気づいてないのだろうか?

 「私があんたをここに連れてきた時点で時刻は五時を過ぎていたのよ。いくら今が夏に近いとは言っても、あんたが戻る場所次第じゃすぐに日が暮れるわ。その場所が森とか山奥だったとして、日が明けるまで耐えられるの?」

 「ぐっ」

 一応これでも考えてあげてはいるのだ。それに従わないでギャーギャー喚くだけの人間なんて知らないけれど、こいつは文句は言いつつ従ってくれるのだし。

 「霧夜、霊夢はぶっきらぼうで愛想なんて無いけど、とっても優しいんだよ?」

 「一言余計よ」

 楽しそうに笑いながら戻ってきた紫苑は、その手に一式の布団を抱えていた。埃が舞っちゃうけど許してね、と事前に告げながら布団を敷いた。

 「すみません、わざわざオレのために」

 「気にしないで? この程度で謝罪されるような事でもないし」

 「では、ありがとうと」

 「感謝なら、素直に受け取らせてもらうね」

 うーん、なんだろうこの感覚。シオンという男性じゃなくて紫苑という女性にしか見えなくなってきちゃった。

 それ程までに違和感が無い。何度でも言おう、違和感がどこにも見つけられない。こいつ本当に男なのか。女なんじゃないの。

 「そろそろ日が暮れちゃうし、私も早くお風呂に入ってくるね。二人共、喧嘩しないで仲良くやってね?」

 言うと紫苑はさっさと部屋から出て行ってしまう。実際もう夕日になっている。日が沈むのは時間の問題だろう。

 日の光りが無くなったら寝る、そう告げようと霧夜の方を見ると、内心ゲッ、と思ってしまう。

 ――ヤバい、こいつ多分覗く気だ。

 それぐらい顔がわかりやすく欲情してる。なるほど女性にモテなさそうなわけだ。

 「霧夜、一つ――いえ、二つ程言っておくわ」

 「なんだ、博麗」

 「一つは日が暮れたらさっさと寝ること。電気はあるけど電気代が勿体ないからね。理由もなく起きてる意味がないのよ」

 「わかった、キツいがなんとか寝れるようにするよ」

 「それと、二つ目なんだけど」

 単に相槌を打ってるだけのこいつを揺さぶる言葉を、私は言う。

 「覗きすると、死ぬわよ?」

 「な――」

 絶句。まさしくそうとしか言い様がないほどバカみたいに口を開けている。

 「な、なんのことだよ!?」

 「あんたのバカ面見てればイヤでもわかるから。誤魔化さなくてもいいわよ」

 「く、くそぉ……」

 ギリギリと歯を噛み締めている霧夜。なんとなく思っていることを想像するに、多分、このことを紫苑に告げられないかとでも思っているのだろう。

 「言っておくけど、紫苑は私より強いわよ?」

 「……は? それ、冗談……だよな?」

 「単なる事実。そうねぇ、もし見に行ったら、あんたの頭蓋骨が粉砕する、と言えばわかりやすいかしら」

 ありえないと言いたげだけれど、私は本当のことしか言ってない。それくらい紫苑の身体能力はぶっ壊れているのだから。

 気とか魔力とか霊力だとかで身体能力を強化している訳でもないのに。

 「とにかく、死にたくないのなら覗きとか夜這いはしないことね。命が惜しくないんだったら行ってもいいけど。私は止めないから」

 私だって死にたくない。まぁ、そもそも霧夜の場合覗きや夜這いをしに行っても見れるというか知れるのは紫苑が男だという現実だけなんだけどね。

 うーうー唸ってる霧夜を放って、私は自分の部屋へ戻るために立ち上がる。

 「水とかなら勝手に飲んでもいいわよ。冷蔵庫の中に入ってるものはダメだけど。なるべく外を出歩かないように。じゃね」

 ひらひらと手を振って、私は襖を開けた。

 ハァ、と溜め息を吐いて私は窓の外を視る。綺麗な満月なのに私の心は浮かばれない。理由はきっと、わかってるからなのだろう。

 ――紫苑は……気づいてないわけ、ないか。

 こうやって無理矢理貸しを清算させて無茶を聞かせているけれど、それでも紫苑の眼の奥に燻った火種は消えない。むしろ平穏な日々を甘受するたびに、それを受け入れまいと炎を燃え上がらせている気がする。

 だからこそ、不安になる。

 ()()()()()()()()()()()、ある意味藍よりも知っているが故に、恐ろしく思う。

 日々を過ごし、目的を騙して濾過した感情の先に、紫苑は耐えられるのか。紫苑の願いはあくまで復讐で、ここで燻っている謂れなど無いのだから。

 あるいは――

 「霊夢、いる?」

 トントン、と律儀に襖を叩く音に、私は心臓が飛び跳ねる思いだった。それでも紫苑に不信感を抱かれないよう、数度息を吸っては吐き出し、息を整え返事をする。

 「いるわよ。こんな時間……って訳でもないけれど、何か用?」

 「あ、うん、ちょっと明日の予定が気になって。明日、彼――霧夜を外に帰すんだよね? だったらお弁当とか持たせてあげたいから、時間を貰えないかなぁって思ったの」

 なるほど、と思う。

 私の言いつけ通りに『世話焼きで気遣いができるとっても優しい巫女さんになりなさい』なんてのを守るからこそのセリフか。あるいは本心かもしれないが、まぁ、いい。

 「わかったわ。その程度の余裕はあるでしょう」

 「よかったぁ。流石になんにも持たせないで外に送り返すのも無責任だし。好みが分かれるかもしれないから沢山おかず用意しなきゃ」

 ムン、とガッツポーズを取る紫苑。今更気にしないが、なんかこう、心にクるものがあるのはなんでだろう。

 じゃあ、と紫苑が背を向けて襖に手をかける。そのまま自分の寝る部屋に戻るんだろうと視線を窓の外に向けた瞬間、

 「――大丈夫だ。どんな結末でも、俺は幻想郷を壊さない」

 ハッと紫苑を見やれば、もう既にその背を見ることは叶わなかった。

 「ったく」

 本当に、紫苑はわかっていない。

 「だから尚更心配になるんでしょうに……!」

 不貞腐れた私は、その日、訳のわからない苛立ちを抱えながら寝るハメになった。

 ――朝。

 私は昨夜の苛立ちを抱えたまま起きるハメになった。目覚めは当然最悪。顔を洗いに来たらしい霧夜なんて私の顔を見た第一声が『っげ!?』だったんだから失礼しちゃうわ。それくらい酷かったんだろうけど。

 そして私をこんな状態にしてくれた当の張本人は、というと――

 「待っててね霧夜。あなたの大好きなおかずを色々詰め込んであるから、楽しみにしてて」

 「は、はい! 本当に何から何までお世話になってしまって」

 「ふふっ、感謝なら霊夢に、ね? なんだかんだ連れてきたのはあの子なんだし。あ、おかずの中に嫌いなものがあったら、なるだけ捨てずに誰かにあげて。味は保証するから」

 「いえ、紫苑の作ったものなら嫌いなものでも全部食べてみせます」

 「ありがとう! やっぱり食べ物は粗末にしちゃいけないもんね」

 昨夜のことなど何も無かったと言わんばかりの態度。その方がいいのは理解している。変に気にしても日常生活で支障を来すだけなのだから。

 にしても、紫苑はいつまであの格好を続けるのだろう。朝食を食べながら回転の鈍い頭で思考を続ける。

 他の事――霧夜が外に出てもなんとかするための装備――に気を取られていたため、私は終ぞ気づくことがなかった。

 霧夜を外に出し、石段の真ん中中央に立たせる。緊張で強ばった霧夜だが、その視線の先にあるのは私ではなく、紫苑。だが当の紫苑は向けられたそれに気づいているのかいないのか、

 「あ、私ちょっと着替えてくるね。先に始めててもいいよ?」

 なんて言葉を吐き出した。

 それを聞いた霧夜は私に『わかってるよな? 始めるなんて言わないよな?』と血走った眼を向けてきた。溜め息を吐きながら私は了承。

 ――あれ、でも、なんで紫苑は着替えを……?

 そこで、ふと思い出す。

 私が紫苑に出したオーダーは、正確には『これを着て()()()、世話焼きで気遣いができるとっても優しい巫女さんになりなさい』というものだったはず。

 そしてその指示を出したのはちょうど、太陽が真上に出るくらいの時刻のは、ず――。

 「……あ」

 「どうしたんだ博麗。何か忘れたことでもあったのか?」

 ある意味、ね。

 「ねぇ霧夜、悪いことは言わないから、さっさと外に出ましょ?」

 「いきなりなんだよ。悪いけど、オレは決めたんだ。例え断られるとしても、彼女にオレの想いを告げるんだって」

 「だから、それをやめなさいって言ってるの。いい、これはあんたのためなの。幻想を見られる内が華なのよ」

 「なんだ博麗、ああだこうだ言いつつオレの事が気になってたのか? でもオレにはもう心に決めた人が――」

 せめてもの幻想を見せてあげようと思ったけど……やっぱやめた。なんか自己陶酔に浸ってるバカに付ける薬はない。こんな奴のために気遣ったのがアホみたい。

 そうこうしている内に紫苑の気配を感じる。

 あーあ、なんて思いながら空を見上げた私の背中から声が聞こえてくる。

 「なんだ、まだ始めてなかったのか」

 「あ、紫苑、オレ、あなたのことがす――」

 ピシリ、と動きを止める霧夜。その顔に汗ではないものがダラダラと流れ落ちる。

 「ん、どうした霧夜。そんなありえないようなモノを見るような顔は」

 多分、紫苑はいつもの格好をしているのだろう。いつも通りの声、いつも通りの眼差し。だけどそれが告げるのは、わかりやすく、霧夜にとってとても残酷な真実。

 紫苑が――好いた人が、実は女ではなく男だということを。

 「あ、あ、う……」

 「う? だ、大丈夫か。意識をしっかり保て、息が荒いぞ」

 ああ、やめたほうがいいわよ紫苑。そんな、『紫苑』の面影を垣間見せるような発言をしたら、現実逃避ができなく、

 「嘘だあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッッ!??」

 あ、もう手遅れだったみたい。

 一瞬で真っ白な灰になった霧夜はガックリと崩れ落ちると、その口から真っ白なものを吐き出して――って、あれ魂じゃないの。確か一度だけ見た記憶がある。

 「まぁ、いいか」

 言うことを聞かなかったのはこいつだ。多少危険だけれど、もうちゃっちゃと送り返すに限る。私は連日厄介事ばかりで疲れた。いい加減気を抜かせて欲しい。

 霧夜の姿が消えると、辺りに静寂が戻る。

 紫苑の役目も終わりだ。元々私の留守を任せていただけなのだし、ここに留まる理由はない。紫のところへ戻ってまた仕事でもしてくるのだろう。

 「ああ、そうだ霊夢」

 「ん、なによ」

 「ちょっとした気分転換にはなった。だから、ありがとな」

 紫苑の眼には、まだ憎悪が残っていたけれど……。

 「どういたしまして。また頼みごとがあるかもしれないから、そのときはまた頼むわ」

 少しだけ、マシな顔にはなっていたと思う。

 ……多分だけどねっ。




小話第2弾。今回は試金石的に一人称で書いてみました、おかしなところがあったら指摘してくれると改善できるのでお願いします。

それと今回終わったら次行くと言いましたが、もう一つ小話を思いついたのでそれが終わってからということで、次回も一人称予定。

(´・ω・)<……これなら前回も一人称にすればとか思ったり思わなかったり

ただ次回のは完全に突発的思いつきなので短くなるかもとだけ。

ではノシノシ


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小話3.恋は咲くか、枯れるか

 葉が紅を身に纏い、最後の命を咲かせる頃の事だ。

 私は日を遮るための傘を肩に乗せ、憂いを見せながら、手元にある小さな物を見ていた。それは私の大切な人が大事にしている物。いつか返そう返そうと思い、けれど今の今まで返せてはいない物だ。

 「どうしよう、この指輪……」

 炎で焼け焦げ、衝撃で歪み、それでも持ち続けた物品。込められた想いはきっと、私に想像できない程だろう。

 だから、怖い。彼に返したとき、一体どんな表情を浮かべるのか。それを知るのが、怖い。

 でも私は知ってる。時々浮かべる悲しげな顔を。それは多分、私がいつまで経っても返さないこの指輪を思ってのことだ。

 今更返しても、彼は私を責めず、むしろ感謝してくれるだろう。それくらいのことはわかる。でもそれで返せるかと問われると、頷けない。私はそう単純ではないのだ。

 ハァ、とため息が漏れる。どうしたのかとおばさんに聞かれたけれど、苦笑しながらなんでもないと返した。

 自分で言うのもなんだけど、私はこの里で比較的人気な方だ。吸血鬼ではあれど一度も里の人から吸血行為をしたことはないし、逆に妖怪の暴威から彼らを守ったことだってある。冗談だろうけど、一度息子の嫁に来ないかと言われたことだって。もちろん好きな人がいるからと断ったのだけれど。

 まぁ、この容姿のお陰っていうのもあるんだけど、当の本人がこの容姿に惑わされてくれないので、あんまり意味がなかったり。本命はいつだって手に入らないのだ。

 ふと目に付いた傷がつけられた壁を見つめる。

 (あれ、なんだろう、何か違和感が……)

 数秒見続けて、ふと気づく。

 (……私の身長、伸びてる?)

 そう、数ヶ月前に見た時と違って、視線が上がってるのだ。成長した、と考えるのは容易い。でもわからないのは、『何故私が成長するのか』ということ。

 基本的に吸血鬼の成長は遅い。お姉様だって数百年もの間生きているのに容姿は人間でいう子供のままだ。だから、少なくとも私が成長するのはお姉様の後になるのは当然のことで。

 そこまで考えて、私にはわからないと諦める。私は自他共に優秀だと言える存在ではあるけど、それはあくまで秀才の領域。天才という名のバケモノには遠く及ばない。

 壁から目を離し、私は歩き出す。

 「今日、紫苑はいるかなぁ」

 愛しい人の姿を思い浮かべて、私は笑った。

 ここ最近、私は紫苑に会えていない。前にその姿を見たのは一週間以上も前。それだって話ができた訳じゃない。

 本当は数ヶ月くらい前のお祭りにだって一緒に行きたかった。でも紫苑は『八雲』で、そして八雲はお祭りの運営にも関わっていた。屋台の場所決めや、喧嘩の仲裁。お祭りに参加せず静かに過ごしたい人の事だって考えなきゃいけない。毎年このお祭りを運営するのは中々に大変で、紫苑も当日は当然のこと、準備段階から各所を駆けずり回っていた。

 そんな彼を誘うなんて……できなかった。

 代わりに、お姉様を始め、里の人達――どうしてだか(見た目上で)同年代の男の子が多かったけど――から誘われたけど、全部断った。

 だって、初めてのお祭りは彼と一緒にって、決めてたから。

 だから、寂しくはあったけど、お祭りには行かないって決めたんだ。

 でも、紫苑はちょっとでいいから来て欲しいって言ってくれたの。どうしてだかはわからなかったけど、それでも見に行った。すぐに帰るつもりで。

 それが正解だったのは、里について少し遠くからお祭りを見ていたときのこと。

 いきなり手を掴まれて、私は引っ張られながら歩くことになった。

 誰、と驚く私に、紫苑はからかうようにいいからついてきて、と言った。

 そしてしばらく歩いて辿りついたとき――夜空に花が舞った。

 そこは本当に誰も気づかない穴場のスポットだと、紫苑は言う。運営に関わったのだから、せめてこれくらいの役得は欲しいと。そのためだけにさり気なく各所に配置する場所を誘導したと。

 「どうして私を誘ってくれたの?」

 そんな私に、紫苑は切なげに言った。

 「フランと一緒に見たかったから」

 ……今でも思い出すと赤面してしまう。

 この後紫苑はすぐに行ってしまった。多分、本当にギリギリだったのだろう。私のために――私のためだけに、彼は時間を作ってくれた。それだけで本当に嬉しかった。

 今思うと、私は紫苑から貰うばかりで、何も返せていないのかな。そう思うと、嬉しかった気分がちょっとだけ悲しくなってしまう。

 「もっと……もっと、話したい。会いたいな、紫苑」

 だけど、それを里の人に行っても理解してくれない。むしろ、どうしてあんな奴と、と眉をしかめて言ってくる。

 理由は、わかってる。紫苑はここに来たとき、紫と藍の二人を本気で殺しにかかった。その過程で里の人達を巻き込んだ。

 幸い死傷者は出なかったけど、その時の恐怖が薄まる理由にはならない。八雲になって、紫苑の努力が実を結び認めてくれる人もいたけど、大多数は未だに紫苑を認めていない。むしろ出ていってほしいと厄介者扱いだ。

 たまにあんな奴より自分と一緒にいた方がいいなんて言い出す人もいるけれど、そんな事を言う人をこそ願い下げだ。

 そう。彼の魅力は自分が理解していればいい。他の人なんて知らない。私は彼が好き。そう自分で決めて、だからこそ揺がらない。他の人の悪口で、彼を疑うなんてしたくない。それが、恋することなんだって、思うから。

 それに、紫苑の魅力を知ってる人だっている。

 それは、子供達だ。

 大体十二歳くらいの子が、紫苑を庇ってくれる。たまに悪いことを言う子もいるけれど、それは本心ではなく照れ屋さんだからだ。

 接すればわかるんだって、子供達は叫んでくれる。そこらの人より紫苑はいい人なんだと。

 そしてそう言ってくれる子達と信頼を――絆を育む場を与えてくれたのが。

 今私が目指す、この里唯一の教育の場、寺子屋だ。

 八雲になって仕事が一気に増えた紫苑だけれど、『金を持たない自分を案じて誘ってくれたのは彼女だけだから』と、今でも寺子屋で教師役を引き受けている。

 受け持つのは国語と、算数と、理科。社会というか、歴史だけは慧音さんが絶対に譲らなかったと苦笑していた。他の教科は慧音さんが受け持っているらしい。

 国語は昔の有名なお話だけじゃなくって、敢えて変な表現を入れたものも混ぜたりする、と紫苑は言う。

 「()()()()ことに興味を持つお年頃だからな。まずは話を聞かせる事からってね」

 なんて若干黒く笑っていた。

 逆に算数は100マス計算で基本的な計算処理速度と、集中力の向上を図ったり、その中でも上位四人にはトランプを使って決められた三桁の計算をさせたりする。

 例えば最初に二が出たら二を始まりにして、次に十一が出たら十三。次々に足して言って、先に合計数字が大体三百前後になった人の勝ち。勝った人にはアイスとかのお菓子を進呈。

 「やっぱり欲しいモノがあるとやる気が出るよねー?」

 ちなみに数回勝ったらお菓子じゃなくて制限はあるけど好きなことをしてあげるようにした、と言っていた。

 勝つために100マス計算をやりこんだり、トランプを紫苑から借りて友達と競い合ったりしている子がいる、と嬉しそうに言っていたのが懐かしい。

 そんな風に色々な方法で子供達を指導する紫苑は、好かれていた。頭から言うのではなく、寄り添って、目線を合わせて、出来る子は褒めて、出来ない子は傍にいて、少しずつ教えて。

 子供は正直だ。嫌な人は嫌だと言うし、逆に好きな人には好きだという。

 その子供から好かれる紫苑は、やっぱり凄いんだと実感できる。

 紫苑がいつ授業を受け持っているのかはわからない。でももし、今日紫苑が寺子屋にいれば、久しぶりに話せる――そう思っていたら。

 「あれ?」

 慧音さんと話している人物の後ろ姿。アレは確か、あの時世話になったはずの、

 「八意、永琳?」

 紫苑が師と仰ぐ人物。私も彼女のことは素直に凄いと感服する程の知識と、それを扱いこなすだけの知恵を持った人。

 ここからだと話し声は聞こえない。盗み聞きをするつもりもないし、足音を立てず素直に近づいた。

 「――そう、なら少なくとも紫苑は子供達に好かれ――あら?」

 「む、フランドールか。紫苑に会いに来たのか? 生憎今日紫苑はいないが」

 先に私に気づいた永琳に触発されて慧音さんが答える。

 っていうか、私が何か言う前に答えるって……そんなにわかりやすいのかな、私。

 ――単に里で噂になるくらい私の好きな人が誰か広まってただけだと気づいて悶絶することになるのはずっと後の話。

 少なくともこの時点ではわかっていなかったけど、その回答はありがたかった。

 「そうなの? あーぁ、今日も紫苑には会えないのかぁ……」

 思わず溜め息を吐く私に、慧音さんは不思議そうに答える。

 「いや、そもそも紫苑は紅魔館に行ってるんだが……すれ違ったようだな」

 「つまり私は里に来なかったらもう会えてたの!?」

 ガーン、とショックを受けてしまう。会おうと思ったらこれだ。『ぶつよくせんさー』なる言葉はこれにも効くのか。

 ガックリと項垂れる私だけど、一つだけ確認しておかなければならない。

 「紫苑が紅魔館に行ったのっていつのこと?」

 「わからん。私が聞いたのは今日行くということだけだ。最近の彼は忙しいから、今急いで戻っても白夜で移動している可能性が」

 そこまで聞いて膝をついた私は悪くない。うん、ワルクナイ。

 と、横で傍観していた永琳が懐か何かを取り出した。

 「仕方ないわね――紫苑、今大丈夫?」

 霊力を通した光り輝く札に声をかける永琳。何をするのかと訝しんだ次の瞬間、

 『っと、大丈夫だ。すまない美鈴、ちょっと休憩に入らせてくれ』

 『構いませんよ。紫苑と体術を競うのは楽しいので、すぐに時間が過ぎてしまいますし。今体力を回復させるのは賢明です』

 『ああ、ありがとう。それで、要件は何だ師匠。今日は珍しく何の用事もないから、したいことを消化するつもりなんだけど』

 「邪魔したみたいね。でも一つ聞きたいの。紫苑はいつまで紅魔館にいるつもり?」

 『……。後一時間くらい美鈴とやり合ったらパチュリーに魔理沙と一緒に術式の研究。多分陽が沈む一時間前までだ』

 「つまり、後数時間は確実に居ると?」

 『火急の用事が入らなければ』

 「そう。なら、火急の用事とやらが入ったら私に言いなさい。代わりにやるから。だから、紫苑は絶対に紅魔館にいなさい」

 『は? いやでもそれは』

 「いいから、いなさい。師匠命令よ」

 『……了、解した。その時は頼む』

 ふっ、と札から光りが消える。ポカンと口を開く私に、永琳が言う。

 「時間は確保してあげたわ。これでまた入れ違いになる可能性はまずないでしょう」

 代わりに、と永琳は言う。

 「あなたの時間を少し、私にくれない?」

 私に拒否権は、無かった。

 その後慧音さんに別れを告げた私と永琳は、黙々と里を歩く。たまに家に寄らないかと声をかけられたりするけれど、用事があるからと断って。

 向かう方向は紅魔館だからいいけど、私としてはさっさと戻りたい。ヤキモキしている私に、唐突に永琳が顔を向ける。

 「ねぇフラン。あなたは今でも、紫苑のことが好き?」

 「え?」

 一体なんなのだろう。でも、冗談にしては余りに真剣すぎる。誤魔化すことを許さない、そんな瞳。

 どこか必死さを滲ませていた。だから、素直に言葉がこぼれる。

 「……うん、好きだよ。私は恋してるって、はっきり言えるくらいに」

 ジッと私を見つめる永琳に、私は視線を逸らさず見つめ返す。数秒して、永琳が先に眼を逸らした。

 「本当、みたいね。これがいいのか悪いのか。アリスは喜んでくれそうだけど、私は素直に喜べない」

 漏らした言葉は聞き捨てならないこと。

 「私が紫苑を好きになったのがいけないことなの?」

 「あなたが、ではないの。()()()、紫苑を好きになるのを恐れてるだけよ」

 あやふやで抽象的な表現は、理解できないもの。思わず顔を歪ませる私に、永琳は苦い笑みを浮かべてきた。

 「人によるだろうけど、きっと後悔するだろう恋だから……。紫苑もそれを気にする。お互いが幸せにはなれないだろう恋をするのは、辛いものよ」

 「それを決めるのは、あなたじゃない」

 「確かにそうね。でもね、フラン。あなたは自分が傷つくのは耐えられても、紫苑が傷つくのは耐えられる?」

 「それは――その質問は、卑怯すぎるよ」

 「ごめんなさい。だけどこうでも言わないと、あなたは紫苑の心的外傷(トラウマ)に気づかず告白(アタック)しそうだったから」

 永琳が言っているのは私でも知ってることを再確認させるように教えているだけだ。

 「あくまで教えてくれないんだね」

 「私は推測しているだけで紫苑から直接教えてもらっていないもの。それに、他人の事情をベラベラ喋るのは好きじゃないの」

 だから、教えられない。そう言う永琳は大人として、子供の私を導いているだけだ。年齢的には長く生きていても、心が未熟な私を。

 思わず黙り込んでしまう私に、永琳は願うようにポツリと呟く。

 「あなたの持つそれが恋とするのなら。それがいつか無償の愛になるのを、期待してるわ」

 「無償の、愛? ……それで何が変わるの?」

 「変わるわけじゃない。むしろ、あなたからすれば自ら不幸に身を投げ出すようなことよ。それでも、知りたい?」

 「知りたい。お姉様からも言われたから。『判断材料は多ければ多いほどいいわ。知らないだけで不利になってしまうから』って」

 「そう。あまり話したことはないけれど、あなたのお姉様は賢いようね」

 「へへへ……そうでしょそうでしょ!」

 身内を褒められて、つい嬉しくなってしまう私は単純なのだろう。永琳は好ましいと笑っていたけれど。

 「恋は、燃え上がるもの。相手を好きになって、だから自分のことも好きになって欲しい。会いたい、話をしたい、共に時を過ごしていたい。一概には言えないけれど、共通するのは相手を求め自分を求めてもらうこと」

 それは……わかる。今の私がそんな状況だから。

 でも、それと愛に一体何の違いがあるの?

 「愛は、与えるもの。見返りを求めるのはまた違う。それは打算的なものよ。自分が愛しているのだから相手も愛を返してくれるなんて、おこがましいにも程がある。愛は、見返りを――愛を返してもらうのを求めてはならない。ただひたすらに注ぐもの」

 「それは――……」

 辛い、のではないだろうか。相手を愛しても、相手は自分を愛してくれるとは限らないのに。それでも愛し続ける。それはいつか苦痛になる。あるいは憎悪にさえ成り代わる。

 そんなことができるのは、聖人か、聖女くらいのものだろう。

 ……もしかして。

 永琳は、それを見越していっているの?

 私が紫苑に恋をして。それがいつか愛へと変わったとき。

 それでも紫苑が私に恋をせず、愛してくれないと理解したとき。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――

 殺し合うのは、避けられない。

 見返りを求めてはならないなんて。抱きしめてもらうのを欲してはいけないなんて。それを想像しただけでも泣きたくなるのに。

 ――私は、紫苑を好きになったことを後悔しない。

 ――でも、それで紫苑を殺してしまったら、私は一体どうなるの?

 恋が愛になって、そして憎しみに変わるだなんて、想像したくない。

 イヤだ。

 そんなの絶対に、イヤッ!!

 紫苑が受け入れてくれず、私がそれに耐えられなくなったのなら。

 私が紫苑を殺すのではなくて、紫苑が私を殺してもらったほうが、いっそ。

 でも、それは押し付けだ。そんなの愛じゃない。だから、そうなったら。

 私は私を、殺そう。

 そう決めて顔を上げた瞬間、永琳が私の頭に手を置いた。

 「――ごめんなさい」

 辛そうに、苦しそうに。永琳が私に謝罪する。

 「本当は、紫苑の師匠である私がなんとかしなきゃいけないのに、あなたに押し付けなければならない。それがとても、不甲斐ない」

 「だけど、永琳は将来のことを考えてるんでしょ? だったらそれは、謝るのとは違うよ」

 「……そう思ってるのなら、違うわ」

 否定する。永琳は空を見上げて、驚くべきことを口にした。

 「私はね――()()()()()()()()

 それは、賢人である永琳とは正反対に位置する立ち位置。

 「賢者とまで呼ばれた私はなんでもできる。なんでも知ってる。この先何があるのかという事から――そこで自分ができることを。だから私は、できないことをしようとは思わない」

 「それは、でも……失敗するのがわかってるのなら、仕方ないんじゃ?」

 「そうでしょう。だけど、愚者は違う。愚か者は――バカは、わからないから進むしかない。それは時に、賢者(わたし)でさえ想像しえなかったことすらやってのけてしまう」

 例えばそれは、鳥籠(ここ)から出たいと願ったお姫様(かぐや)のように。

 前へ前へと望んだ誰かは、賢者が得られなかった未来を掴み取ることさえできる。

 永琳は、続けた。

 「だから賢者は押し付ける。あなたには愚直に、紫苑を愛してほしいと。愚者になってほしいと押し付けている」

 だから、謝るの。私はあなたに一生を棒に触れと言っているようなものだから。永琳は私に向かってそう言った。

 「愚者という表現が嫌なら。ただ紫苑だけを愛し続ける聖女になってほしいの。大多数に向けるそれを、たった一人の人間だけに」

 「たった一人に……愛を注ぐ」

 「だけどね。あなたがそれを捨てたいのなら。燃え上がった恋が燃え尽きて、愛にならずに消えるのなら。私はそれを責めるつもりはない。あなたの人生だから、あなたに決めて欲しい。私はただ、あなた達の未来に幸あれと願うだけなのだから」

 「……」

 「フランドール・スカーレット。『その時』が来るまで、私はあなたを支えましょう。その恋が成就するように。本当のハッピーエンドを掴むために。賢者(わたし)の知恵を、あなたのために、ひいては紫苑のために、授けましょう」

 私を呼んだ賢者は、手を差し伸べた。

 これを掴むか否かで、私のこれからは大きく変わる。ここは一つの分岐点。悩むべきなのかもしれない。でも。

 ――永琳は私に、進めといった。

 愚直に、ひたすらまっすぐに。

 知りたいことを教えてくれるアドバイザー? それは一体どれだけ心強いのか。

 なら、悩む必要はない。

 私はこの手を掴んで、望む未来を手に取ればいい。

 紫苑と二人笑い合える、そんな最良の未来を――。

 

 

 

 

 

 紫苑と美鈴が拳を交える姿を、遠くから見守る。

 私の手には二つのタオルと飲み物。汗をかく二人のために用意したものだ。最初は紫苑だけしか用意してなかったけど、それは何か違うと思って二人分。

 やがて二人の競い合いは終わり、礼。それを見て駆け寄った私はタオルを頭に投げ、飲み物を差し出した。

 「はい、二人共お疲れ様」

 「ありがとうございますお嬢様」

 「ありがと、フラン」

 「どーいたしまして!」

 ふぅと一息吐く紫苑を見ていると、

 「それでは紫苑、私はこれで失礼させてもらいますね」

 「ああ、付き合ってくれてありがと」

 「いえいえ。私も拳を交えられるのは嬉しいことなので。ではお嬢様。――頑張ってください」

 「!?」

 最後に私に小さく声をかけて、美鈴は足早に去っていく。その横顔に、ニマニマとした笑みを貼り付けて。

 ――絶対からかってる、あの笑顔は!

 でも気を遣ってもらって感謝しているのは事実。この際これを借りだとは思わないことにした。あくまで偶然だ、これは。

 それにグズグズしてると紫苑がパチュリーのところに行ってしまう。それだけは絶対に避けなきゃいけないことだ。

 「ねえ、紫苑。ちょっと湖まで出かけない?」

 この時期にもなると、湖にまで出かけるのは厳しい。水自体が冷たくなってるせいか、吹き込む風が寒いのだ。まぁ、私は吸血鬼だし、紫苑も特に問題無いからいいんだけどね。

 最悪『レーヴァテイン』の炎でも使えばいいんだし。神剣なのに扱い雑だけど。

 何も言わず紫苑は私についてきてくれる。道中何も話さないのに、それに苛立った様子はない。横顔を見れば、それくらいはわかる。

 サクサクと土を踏みしめる。中には葉が落ちてむき出しの枝を晒す木もあった。半年前に紫苑が来た時は、もっと青々と茂ってたのにな。

 不思議だ。五百年も生きてるのに。この半年は、あっという間に過ぎ去った。

 思い出さないから忘れていたけど、『ナニカ』の声ももう聞こえない。アレは私が生み出した仮想の人格なのか。それとも、また別の現象だったのか。

 ここは幻想郷だし、理屈で解明できないことも多いけれど、ふと気になった。

 だから、聞いてしまった。変な目で見られるかもと思ったけど、知って欲しくもあったから。

 「ああ、気になってはいたけど、そういうことだったのか」

 「……え?」

 帰ってきた答えは予想外にも納得だった。不思議そうでもなく、変な目を向けられるでもなく、ただただ理解したという表情。

 「俺が他者の魂を見れるのは知ってるだろ? 自覚してからはずっと不思議だった。他の人だけはちゃんとした形をしてるのに」

 ――フランの魂だけは、ツギハギだらけだったから。

 ドキリ、と私の心臓が鳴った。

 一体、なんで……?

 やましいことなんて無いはずなのに、まるで図星を突かれたかのような。聞いてしまってもいいのかという葛藤。

 だけど、紫苑は滔々と言葉を漏らす。

 「まるで足りないものを補うようにかき集められた魂。多分、フランが自分の能力を十全に扱いきれないのはそのせいなんだろうね」

 「扱いこなす資格が満たされてない……ってこと?」

 「正確には、剥ぎ取られた感じがするけどね。どうしてそうなったのか。その原因は多分、一つだけ。貴女の前世――貴女になる前の人が、『自分で魂を破壊した』からだと思う」

 私の能力は基本、物質にしか作用しない。でも自分に使うだけなら、魂という目に見えないものを破壊することさえ可能かもしれない。

 なんで前世の私とやらがそうしたのか、なんて――思いつく可能性はそう多くない。

 「絶望した、からじゃない? 壊し尽すだけの人間が好かれるなんて、そう無いんだし」

 紫苑だってそうだった。壊すだけの人間で、自分を好いた人は同類か、それを除けば一人のみ。その一人だって、なんでそうなったのかわからないくらいなのに。

 「でも、だったらなんで私に声を……そもそも、輪廻ってものがあるなら前世の私が消えちゃってもおかしくないよね」

 「さて、そこらへんのことは俺にはわからない。神様に成れはするけどやれることなんて少ないし。破壊されてボロボロになった魂だから例外扱いだったのか。あるいは、フランが自分と同じ状況になるのに耐えられなかったのか」

 俺にはわからないことだらけだ、と言って、紫苑は黙り込む。

 紫苑の言が正しいのなら、『ナニカ』が私に話しかけなくなったのは、私がもう絶望していないからなのだろうか。

 わからない。私にだって正解は見えない。

 でも、一つだけ言えることがある。

 それは、私が今ここにまともでいられるのは、『ナニカ』が話し続けてくれたからってこと。

 だから私だけは覚え続けないといけない。微かに残る、誰からも拒絶され続けた少女のこと。それでも私のことを助けてくれた、優しい彼女のことを。

 「……さ、湖まで後もうちょっとだよ、紫苑!」

 しんみりとした空気を吹き飛ばすために、私は大きな声でそう言った。

 やっぱりというべきか、湖周辺は物凄い寒い。予想以上だ。それならそれで仕方ない、人気が無い場所って珍しいんだし。

 スーハーと数度深呼吸。ちょっとだけ緊張するのは仕方ない。

 バッと振り返って紫苑の顔を見る。そしてここに来るまでずっと手に握り締めていたモノを、グイッと紫苑の胸元に押し付けた。

 「紫苑、これ!」

 目を閉じる私に紫苑の反応は見えない。それでも手を差し出されたのは感覚でわかる。手を開いて握っていたものを投下、紫苑の手に収まった。

 「これ……もしかして」

 一瞬息を呑んだ紫苑の驚きが伝わる。

 怖い。紫苑の反応を知るのが怖い。でも知らなきゃいけない。だから、恐る恐る目を開くと、紫苑はもう戻ってこないものが戻ってきた時に浮かべる顔をしていた。

 即ち、驚愕と歓喜に満ち溢れた顔。

 「もう、無くなったものだと思ってたけど……フランが持っててくれたのか?」

 「う、うん。ずっと返そうと思ってたんだけど、なんか、気後れしちゃって……」

 言い訳がましい私に、それでもと紫苑は嬉しそうに笑った。

 「ありがとう。本当に嬉しい。姉さんとの思い出の品は、ほとんど無いから。こうして戻ってくるだけでも、望外のことなんだ」

 ああ……と感嘆の息を漏らす横顔を、私は見たことがない。ただの、一度だって。

 ふと、気づいてしまう。

 紫苑はもしかしたら――……

 その時私の脳裏に永琳の言葉がよぎる。

 『きっと後悔するだろう恋だから』

 あなたは気づいているの? ううん、きっと気づいてるんだ。だから私にあんな事を言った。

 耐えられない。こんなに苦しいのに。ああ、だから永琳は私を傷つけるような言葉を敢えて言ったんだ。今ならまだ、浅いからと。

 涙がこぼれそうになってしまう。耐えるために唇を噛み締め、拳を握る。

 「なあ、フラン」

 「……なにかな?」

 ああ、今浮かべるこの笑顔がとても辛い。いっそ泣き出したいくらいに。でも、紫苑はきっと気づかない。

 痛い。

 ジクジクと心臓が泣いてる。

 赤い血を流してるみたいに、苦しい。

 今すぐここから逃げたい、そう思ってる私の目の前に、紫苑は指輪を差し出した。

 不思議に思う私に、

 「折角返してもらったんだけどさ、これ……フランが持っててくれないか?」

 「でも、これとっても大事なものなんじゃ。私に渡すなんて」

 思わず言い返してしまった私に、紫苑は笑顔で言う。

 「今まで大事に持っててくれたのはフランだしね。俺が持ってても、いつかきっと壊しちゃうだろうから。だったら信頼できる人に持っててもらいたいんだ。……どうか、これを預かってくれないかな。無理なら諦めるから」

 信じてると告げるその笑顔に、私は弱い。好きな人からならなおさらだ。無意識の内に差し出した私の手に、返したはずの指輪が戻ってくる。

 ……大切な人に、紫苑が手ずから渡した、指輪。

 それを預かるのはいかんともしがたい感情が溢れてくる。だけど、預かった以上はきちんと大切に持ってるのが筋だろう。

 ――まだ、チャンスはあるのかな。

 紫苑は気づいていないんだろうけど、私に指輪を返したとき、本当に一瞬だけ、紫苑は切なげな笑みを浮かべた。

 痛いよ、永琳。恋してるだけでこれなのに、私は紫苑を愛せるの? これを捨て去る前に、紫苑を振り向かせることなんて、本当にできるの?

 私は、紫苑と結ばれる未来を掴み取ることが、できるのかな――……。




単にノロケ話かと思えばそうではないというお話でした。
最初は嬉しさで、次に悲しさ、最後に切なさという具合ですね。

ついでに今までほったらかしてた(忘れかけていたとも言う)フランの正気を保たせていた『ナニカ』さんのネタバレ。前世の彼女(フラン)がもう一度出てくる機会は果たしてあるのか。

それはさておき、この話で全体的に告げたいのは、『紫苑とフランが結ばれるかどうかは定かじゃない』というものです。
恋人同士になるか、フランがただひたすら想い続ける悲恋になるか、あるいは……。

小話はここで終わり。次から新章開始です。
具体的には言いませんが、穏やかに過ごすなんて紫苑らしくないよね? ってことで一話目から不穏な空気ぶっ込んでいく予定。


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プロローグ

 「霊夢、動きを止めるからそこを狙えッ」

 「あんたまた無茶するつもりじゃ――」

 言うが早いか、紫苑は霊夢の静止を聞かずに片腕を差し出す。

 「い、ッ――!」

 鋭い犬歯で噛み付かれた腕が骨ごと持っていかれる。一瞬止まる紫苑と、人狼のリーダー。双方を狙い霊夢と、若い人狼が殺到する。

 けれど紫苑と目の前の敵が留まる謂れはない。紫苑は手に纏わせた黒陽を。人狼はその鋭い爪を互いにぶつけ合う。本来なら紫苑の腕では耐え切れないそれも今は無視。とかく拮抗状態を維持し続けなければ意味がない。

 「ったく、後二十秒耐えなさい!」

 「無茶、言うねぇ!」

 篭手を纏わせた手を斜めに逸らして爪を避ける。同時に噛み付かれた腕から牙を引き抜くと同時に、

 「そら、これ食いたんだろう!?」

 最早死に体の腕を、人狼の口内に突っ込んだ。

 「――ッ!」

 喉奥を突かれた苦しみから嗚咽を漏らす人狼。しかしそれさえも紫苑に突っ込まれた腕が原因でできない。

 紫苑を見る目に憎悪が宿る。だが紫苑はそれに怯えるでもなく、ただ笑ってみせた。

 思ったことは一つ。

 ――ああ、懐かしい。

 本当に、混じりっけ無しの憎悪を浴びるのは久しぶりだった。里の人達が見る目には確かに憎悪があったけれど、それだって怯えの成分は多い。

 殺し合う中で宿る殺意の宿った憎悪は、一つも無かった。それは仕方ないことだろう。彼らは本気の殺し合いなんて経験したことなどないのだろうから。

 そういう意味では紫苑は今この状況に場違いな安堵を抱いていた。気を遣わなくていい。ただただ当滅すればいい。

 ……思考しなくていいというのは、存外気が楽だった。

 痛みはあるけれど、それも単なるスパイスにしかならない。紫苑にとってこの程度の痛みは慣れたもの。

 だから、容赦はしない。黒陽の能力、形状変化で篭手を纏う腕を変更し、同時に指先の部分を鋭い切っ先へと変える。もちろん喉奥を突かれた状態で、だ。当然の如く瞬時に伸びた指先が槍の如く人狼の喉に五つの穴を作り上げる。

 「――――ッ!??」

 喉が引き攣る。それでも未だ死なない人狼が紫苑を殺そうと両腕を伸ばしてくる。

 「……遅い」

 その前に、紫苑の手のひらが人狼の胸元に触れた。

 ――発勁、鎧通し。

 ドン、と衝撃がそのまま心臓にぶち当たる。破裂させることはできなかったようだが、それでも心停止状態には陥る。

 呼吸ができず、心臓も動かない。生命力が急激に停止するのは当然だった。

 ふっ、と体から力が抜け、瞳から光りが失われる。だが死ぬ寸前、最後に残った灯火が、リーダーとしてのプライドが、ただ死ぬのを許さない。

 後ろではなく、前のめりに倒れこむ人狼。喉を刺突している紫苑は当然人狼の前にいる。更に最後の最後で口を閉た。無理矢理口と喉に力を入れているのか、腕を引き抜いて逃げるという手段は使えない。為すすべもなく潰されるしかなかった。

 人狼は筋肉質で、重い。いくら力があろうと耐久力は人間の子供のそれしかない紫苑は腹を圧迫され、小さく息を吐き出した。

 リーダーを殺された怒りからか、周辺にいた人狼が紫苑目掛けて殺到する。少なくとも紫苑がここから抜け出るよりも先に頭を潰される方が早いだろう。

 「十分だろ、時間稼ぎ」

 そう、紫苑がたった一人であったのなら。

 「閉じなさい!」

 唐突に全ての人狼が動きを止める。いや、止めさせられる。全身を覆う見えない壁が、彼らが動くことを許さない。どれだけ叩いても、吠えても、壊れない。

 「集まれ!」

 ふ、と人狼の足が地面から離れる。宙に放り投げられた人狼達はジタバタともがくが、悪あがきにすらなっていない。少しずつ少しずつ、全ての人狼が集まっていく。折り重なり、やがて小さな小さな月か、星のような球体になる。

 それを見て紫苑はうわぁ……と思ってしまった。人狼は人の体に狼の特徴を兼ね備えている。つまり、毛が生えている。

 そして当たり前だが、毛布を何枚も重ねれば熱くなるように。

 あれだけの人狼が無理矢理一箇所に集められれば、中心部は地獄のような暑さを発生させていることだろう。

 もちろんそれは時間をかければかけるほどそうなり、いずれは自分達が発生させる熱だけで脱水症状を起こし、死ぬだろう。とはいえ霊夢とてそこまで鬼ではない。ひと思いに楽にさせるつもりだ。

 本音はあんなのにそこまで時間を使うのが勿体無いだけだが。

 「粉、砕」

 ギュッと可愛らしい動作で、だが紡がれる言の葉は物騒にして手を握る。ギシギシと球体を描く結界が圧縮し、圧縮し、圧縮し――潰れた。

 何かが潰れる、とても嫌な音が聞こえる。それはまるで、足でゴキブリを潰したと思ったらそれが一匹ではなく、数匹分だった時のような――あるいはそれを更に数倍にしたかのような、そんな音が。

 紫苑の頭上。潰れた人狼から溢れ出た赤い紅い血の色――それがプールのようにチャプチャプと揺れている。恐らく水圧で肉も、骨も、内蔵も何もかもが潰れきった。

 普通なら嫌悪を感じるべきなのかもしれない。でも、

 ――ああ。

 (ホント、綺麗だよな……)

 倒れる紫苑の目に映す、ただ一色だけの――少なくともそう見えるだけだが――その赤さ。惹きつけられる色。それがどんどん大きく……大きく、なって――?

 「あ、やば術式が」

 なんて、とても嫌な言葉が聞こえてきた。

 パシンと結界が消え去る。当然ゆらゆらと揺蕩っていた血は雨、否滝の如く降り落ちる。

 ……紫苑の、真上に。

 咄嗟に黒陽で盾を作ろうとして。でも、やめた。なんとなく、頭を冷やしたくなったのだ。

 実際のところ、凄まじい程の熱さが襲いかかってきたが。おしくらまんじゅうのように敷き詰められて人狼が熱し、圧縮した時の摩擦か何かで更に加速。外側だけは適温だがそれでも熱い。少なくとも人肌で耐えられる温度を越えていた。

 目を、口を閉じる。最低限守るべきところは守って、他は全てこの熱湯に晒す。熱くて熱くてたまらないのに、どうしてか避けようとは思わなかった。

 何秒経ったのか。ふいに紫苑に叩きつけられていた血の滝が終わりを告げる。動く腕を上げてみると、真っ赤に染まった肌が見える。これは恐らく、人狼の血と、焼けた肌が合わさった結果だろう。そういえば無性に背中が熱いと、視線を横に移すと、背中に広がる血の海が。まるで紫苑からぶちまけられたような参上。

 パタリと腕から力を抜く。なんとなくバカらしくなってきて、焼けた喉でくぐもった笑い声をあげる。

 遠くから霊夢がかけよってくるのが見える。何かを大声で叫んでいるのが見えた。でも、焼けた耳には何を言っているのかわからない。目にも影響を受けていて、読唇術が不完全だった。

 霊夢は血の海に入る手前で顔をしかめると、それでも躊躇せずに足を踏み入れる。熱いだろうに我慢して、紫苑のすぐ傍まで近寄った。

 そのまま上半身だけを折り曲げて、巫女服が血に濡れないよう器用に紫苑の手を掴んだ。

 掴まれた腕が酷く痛むが、耐えられないほどじゃない。声を出さない紫苑の代わりなのか、霊夢の方が、

 「何、この酷い感触……本当に、紫苑の肌なの?」

 なんて言葉を発した。

 巫女服が濡れないよう気をつけていたはずなのに、霊夢は紫苑の腕を引っ張ると肩を貸す体勢に変えた。服は耐火、耐水性なので胴体は問題ないが、それ以外――特に血を吸い取った髪からは血がポタポタと垂れ落ち、白いはずの髪が一時的に真紅に染まっていた。

 ほとんど意識が無い状態で、紫苑は考える。

 どうして自分はアレに対処しようとしなかったのか――と。

 そんな事を人知れず悩みながら連れて行かれたのは、紫苑と霊夢が戦っていた場所から結構離れたところだった。

 そこにいた人物は、膝をつき、両手を胸の前で握り締め、眩く輝く金髪を揺らしながら頭を垂れていた。その目と鼻の先にあるのは、一本の白い剣。

 紫苑の持つ、空間に作用する剣、白夜。それをもって霊夢が作るよりも遥かに強度が高く、またそれを維持する時間もその場から引き抜かない限りは続くという、紫苑の持つ結界術式の中でも郡を抜く力。

 もちろん、その間紫苑は空間を操れなくなるが、それを差し置いてなお、『誰かを守る』これ一点だけはどんなものより信じられる。

 それに守られている人物は当然、戦闘力が低く、だが狙われる優先順位が高い。

 その人の名は、アリス。

 二つ名を『永久の癒し手』という、彼女。霊夢が紫苑を連れてきたのは、彼女に紫苑の傷を治してもらうためだった。

 「ほら紫苑、起きなさい! あんたしかこの結界解除できないんだから!」

 髪を引っつかんでグラグラ揺らす霊夢に情けなんて言葉はない。仮にも怪我人相手だというのにこれだ。

 しかし、このままほったらかしていても怪我は治らないとわかっているからこその行動でもあった。彼女を責めるのはお門違いだろう。

 暴れていれば当然アリスも気づく。怒鳴り声に近い叫び声に振り向くと、そこには紫苑を揺らしまくる霊夢と、ぐったりと倒れこむ火傷と左腕を噛まれひん曲がった紫苑の姿。

 「な――何やってるのですか霊夢!? 怪我人にそんな対応をしてはいけません!」

 「このままこいつが起きなきゃあんたはそこから出られない。出られなかったら治療を受けられない。不可抗力よ!」

 「根本的に間違っていますッ。怪我人を治すのに怪我人に無茶をさせたら本末転倒でしょう!」

 幻想郷で相応の時を過ごしたからか。過剰なまでの礼儀正しさは消え、それでも育ちの良さを窺わせる品の良さを残しながら、アリスは怒る。

 永琳と共に怪我人や病人を治療して回っているからか、アリスはこういったことにはとても厳しい。その迫力に押された霊夢がつい謝ってしまうほどだ。

 まあ、そこまでの感情を抱くほど『永』琳と共に治療し続けたからこそ『永久』なんていうだいそれた二つ名を皆から与えられたのだ。当然の帰結だった。

 だが霊夢とアリス、二人の少女が耳元で騒げば、当然そのすぐ傍にいる紫苑にも届く。

 「う、ぁ……。……あ?」

 呻き声をあげながら何度か目をまたたかせる。耳に届く二人の少女の声。それが脳に届く前か後か、紫苑は手を伸ばして結界を解除していた。

 無理に手を伸ばしたからか、紫苑の体が揺れて崩れ落ちる。受け身も取らず顔から落ちていったせいで嫌な音が辺りに響いた。

 焦った表情で霊夢が紫苑を回転させて仰向けにし、アリスが紫苑の容態を見る。

 「……火傷は酷いですが、比較的軽傷です。腕の傷も……後遺症なく治るでしょう」

 「そう。それなら特に問題ないかしら」

 「はい。ただ、一つ気になるのは、この熱さ。一体何をどうやったらこんなことに? まだ煙を纏ってますよ」

 「あー……」

 ポリポリと頬を掻く霊夢の脳裏に浮かんだのは、ボコボコと泡立ち煙が立ち上る血の池地獄に倒れた紫苑の姿。

 圧倒的な鉄の臭いと、それ以上の肌を突き刺す熱気。今でも肺が息苦しいと錯覚するような場所に倒れていたのに、紫苑はたったそれだけの火傷しか負っていなかった。

 昔から何かがおかしい。そう霊夢は思う。

 でも、と頭を降り、感じた疑問を頭から追い払う。今大事なのは、紫苑の謎ではない。紫苑の傷を癒すことだ。

 「ちょっと、熱湯を被っただけよ」

 「熱湯って……まぁ、一応納得はしました」

 こんなに赤いのも、熱いのも。

 なんとなく察したアリスはそう答えると、早速と紫苑の治療に取り掛かる。

 アリスが使う『回復魔法』は人の持つ自然回復力を相応に早めるというもの。リスクとして患者がある程度以上の栄養分を補給していないと、肉体の急速回復についていけず、逆に自壊する恐れがあることと、やりすぎると寿命をガリガリと削ること。

 付け加えれば、紫苑の場合のみ凄まじくコントロールが難しい。本人の事情が事情のため霊夢には言っていないが、紫苑の体は新陳代謝が高すぎて自然回復を早めるとあっさり自壊する。そのため常の患者に比べより繊細になる必要があった。

 心臓に手を置くアリス。心臓は全ての血管の中心点。そこに魔力を流し込んで、全身に魔法の作用をかけていく。全身を巡った魔力はやがてアリスの手元へ返り、その魔力の大きさで今かけている魔法のかかり具合を把握していく。

 多く帰ってくるならかけすぎであり。

 ほとんど帰ってこないならかけたりない。

 そういった具合でアリスは回復魔法を扱っていた。ちなみにかかりやすい人とかかりにくい人には個人差があり、紫苑の場合はかかり『やすすぎる』。それがアリスに負担をかける一つの理由でもあった。

 焦ると紫苑を殺してしまうとわかっているので、慎重に。

 まず影響が大きすぎる火傷を排除。書類仕事と外回りをすることが多い以上、動かしにくいというのは大きなハンデになるだろう。

 ピンク色の肌が白色に戻ると、荒れていた吐息が急速に和らぐ。内心でホッと一息つくが、すぐに腕に手当に戻る。だが流石にこれだけ大きな傷となると、腕の骨を元に戻し、なおかつ表面上の傷を治すのが限界だった。というより、ここまで癒せたのが予想外だ。

 紫苑は消化器官も良い、良すぎるので、かなりの量の栄養を貯め込める。しかもそれで太らないほど燃費が悪いので、アリスの能力とはとにかく相性がいい。何せ回復魔法を万全に受ける栄養の補給を事前に大量に行った上で行動できるのだから。

 「ここまでです。腕の傷は表面上治ってるように見えるだけなので、数日は安静にしておかないとダメですね」

 「へぇ。見たとこ完全に治ってるようにしか見えないのにね」

 基本的に外敵が現れたときは紫苑、霊夢、アリスの三人で行動している。近接を紫苑、中距離が霊夢で、後方待機する医療要員。

 が、今までアリスの出番が必要だったところはほとんど無い。規模が小さいというのもあったけれど、何より紫苑がそこまでの無茶をしなかったというのもある。

 ふと霊夢は夜空に浮かぶ月を見る。此度の人狼はいきなり発生したと言っても過言ではないほど数が多かった。その上今日は満月ではない。だからこそそこまで強くはなかったが、数の暴力がもし里に襲いかかれば――と考えてしまう。

 「……帰りましょう。鈴仙に怒られてしまうから」

 鈴仙の過保護っぷりは里の誰もが知っている。アリスを危地に連れて行く紫苑と、ついでに霊夢を嫌って――あくまでその部分を嫌っているだけだ、他はそうでもない――いる。

 これ以上嫌われる理由を作るほど、霊夢は子供ではなかった。

 ……未だ十に満たぬということを、里にいる人は覚えているから子供扱いされるのが当然なのだが。

 そして紫苑を背負い、里へ帰る。

 「それでは私はこれで。紫苑のこと、頼みますね」

 「最低限の責任は果たすわよ。気にしないでさっさと行きなさい」

 あんたが遅れれば遅れるだけしわ寄せがこっちにくるんだから、という本音は飲み込み、

 「鈴仙が心配してるでしょうから、安心させてあげなさいよ」

 という建前を発しておく。

 「はい。それでは今日もお疲れ様でした」

 ペコリと軽く頭を下げて、アリスは里へ入っていく。遠目に里の人達から何か誘われているのが見えた。

 「私も行きますか」

 そう呟き、霊夢は八雲邸へと飛んだ。

 八雲邸が見えた瞬間、霊夢は知らず溜息を吐き出す。流石に軽いと言えど自分と同じかそれ以上の人間を運ぶのは疲れる。

 八雲邸に降り立つと、霊夢がまず目指したのは紫苑の部屋。そこまで行けば後は布団を敷いて紫苑を眠らせればそれでいい。帰って寝れる。

 後は紫苑次第、と寝ぼけた頭で用意し、横に置く。ついでに額から流れる髪を払い除けてやる。どことなく苦しそうだった紫苑の表情が和らいだ気がして、ちょっと嬉しかったのは内緒だ。

 ――この時気づけた可能性を持てたのは、霊夢だけだった。

 人狼の攻撃を避けられたのに避けなかった、その理由。薄ぼんやりとした思考の中で思い描いたちょっとした願望。

 ――気づいていれば、結果は変わったかもしれない。

 歯車が狂い始めた、その瞬間の出来事。

 

 

 

 

 

 紫苑の朝は早い。

 朝日が出る前、大体三時から四時には起き、朝食の準備をする。その合間に暇ができれば書類などを再確認及び修正し、紫に提出。そこから再び書類仕事に戻るか、あるいは何か小さな異変が起こればその対処に出向く。一週間にニ、三日は寺子屋で授業もしたりする。

 本当は紫苑も人間ということで、異変の対処は藍に、人里の衝突は紫苑に、ということになっていたのだが、紫苑は里の人々から恐れられていたし、何より『常識』というものが人よりズレているので妖怪の藍よりもアテにならない。

 それが理由で、紫苑と藍はそれぞれの役割をチェンジした。適材適所、というものである。

 「紫、今月の里の食料事情だ。足りないものと多すぎるものを纏めておいたから、多少改善しておくことをすすめる」

 「そうみたいね。夏と冬では植えるものが違うから、こういった細かいところに気を付けないと私達がやらなきゃいけないことが増えるものね。里の人達にも伝えておくわ。それじゃ紫苑、次は里の人口データを作ってちょうだい。家屋がどれだけ足りてるか足りてないかを知りたいの。夏からどれだけ増減しているのかも纏めておいて」

 「わかった。明日か明後日には提出できると思う」

 このように、紫苑が与えられた問題を纏めて報告書にして紫に渡し、そこに書かれた欠点を紫が改善していく。そしてまた次の問題を与えられる。

 こうなった原因は、紫達がこの三年間、幻想郷で暗躍していた蛍達にかかりきりになっていたせいだ。本来やらなければいけないことを、本当に重要なもの以外後回しにしていたせいである。その負担が一気に紫と、藍と、紫苑に降りかかっているのだ。

 とはいえ、沙璃亜のおかげで幻想郷を覆う術式は大分安定し、消費する力も減ったため紫が睡眠を必要とする時間は大幅に少なくなった。これで紫が寝ていたら、紫苑と藍の二人は火の車になるだろう。

 紫苑は少し違和感を覚える腕をグルグルと回して、里へと向かった。

 里の人口データを集めろ、と言われた紫苑であるが、これは紫苑が適任だからこそ与えられた仕事だ。本当なら戸籍でも作ればいいのだろうが、それを管理するのは手間がかかる。かといって人口を知らなければ里の人間がどれだけ増え、また減っているのかがわからない。

 故に、完全記憶能力で人を完全に覚えられる紫苑が適任だった。気配探知で人を探り、その人独特の気配を覚えておく。

 赤子、子供、少年少女、大人の男女、老人老婆。それを一人一人、正の字を利用して把握していく。

 自分の姿は晒さない。怖がられているのがわかっているのだから、敢えて仕事のしにくい状況を作りたくはない。大人しく屋根の上にいるのが賢明だ。

 いかに紫苑が完全記憶能力を持とうと、『記憶する』のと『思い出そうとする』のは全く別の機能だ。同じ人間を数えていないか、数え間違いが無いかをすり合わせるのは膨大な時間がかかる。それに里の外へ出ている人の事も考えなければならない。

 朝早く出たはずなのに、もう夜になっているのはそのせいなのだろう。手元にある書類をなんとなく見つめる。帰ったらこのデータを正式な書類にし、前回作ったデータを元に人口推移を纏めなければならない。

 もちろんそれが全てではないが、ある程度の期間毎に纏めれば、いつ人が増えていつ人が減りやすいのか、指標にはなる。紫としてはそれで十分なのだろう。

 今までできなかったことを、試せるのだから。

 陽が完全に沈み、空に煌びやかな光りが灯る。なのに、紫苑はそれを綺麗だと思えなかった。それからまた数時間。

 夜闇の中、凍える風を体に当たらせながら、紫苑は家へと帰っていった。

 「紫苑、おかえり。夕御飯は温め直しておいたから、必ず食べてくれ」

 「ああ、ありがとう藍。……そっちの仕事は?」

 「相変わらずだ。結界の管理は大雑把で済むようになったのが救いといえば救いだな。多少のイザコザはともかく、やれ商品のアイディアを盗んだやれこの畑は自分の畑まで侵害しているだと面倒くさいことばかりで頭が痛いよ」

 「人間というのは面倒な生き物だからな。面倒なことばかり起きるのは仕方がないさ」

 「紫苑が言うべき言葉ではないな、それは」

 笑う藍に、紫苑も皮肉気だが笑みを浮かべる。

 「仕方ないよ、根本的に他人というものを信じてないんだから、俺は。人となりを見れば信じるのは簡単なんだけどね」

 「あれだけの人数は厳しいか。まぁ、仕方ないだろう。ご飯を食べたらどうするんだ? 風呂に入って寝たほうがいいだろう。この時間だし」

 「いや、風呂はいい。軽く水で濡らしたタオルで体を拭ければ十分だ。今日はあまり動いてないしな」

 そう言うと、藍はどこか不安げに言った。

 「そうか? なら、後で温めたタオルを渡そう。この季節に冷水で濡らしたタオルは体に悪いからな」

 「わざわざすまない」

 「いや構わないよ。それより、だな」

 ん゛ん゛、と咳をする。その仕草と、若干赤くなった頬が、少し恥ずかしいという心情を顕わにしていた。

 「あー、その、だ。……紫苑、疲れてないか? 無理、していないか? 頼りにならないかもしれないが、私とてお前がやっていた仕事をしていた身だ。手伝えることもある」

 「……?」

 「……ダメだな。やはりストレートに伝えよう」

 よくわからない、と小首を傾げる紫苑の小さな頭に、藍は自身の手を乗せ、撫でた。

 「頼ってくれ、紫苑。そんなに頑張らなくてもいい。子供のお前は、大人の私に寄りかかって構わないな。そ、それだけだ。ではな、私は寝る!」

 最後は早口で言い切り、おやすみと背を向けて去っていく藍。

 「……頼、る……?」

 まるで聞いたことのない言葉を言われたかのように、目を丸くして呟く紫苑。そしてそのまま、気づけば口にしていた。

 「頼る、って」

 驚くべき一言を。

 「()()()()()()()()……?」

 

 

 

 

 

 それからまた数日が経った。

 一昨日出された難しい問題をどうにかこうにかクリアし、後は書類にして纏めればいいという段階。できれば紫が戻ってくる前に終わらせたいと、黙々と書き連ねる。

 橙もそれを察してくれたのか、昼食を作るのを代わってくれた。ありがたいと思いながら手を進める。

 ほぼ書類が作成し終わり、後は結論を書くだけ。その時紫が帰ってきた。まだ門前にいると察したので急いで書き終える。紙数枚を順に並べ、揃える。

 それを持って紫苑は玄関前へと急いだ。

 ちょうど紫が玄関を開ける音が聞こえる。

 「おかえり、紫。書類は纏まったから、後で確認してくれないか」

 「あら、そう? まさかこの短時間で終わるなんて」

 そして書類を受け取った紫が、最初の一枚目にザッと目を通す。そしてさも今思いついたというように、口を開いた。

 「そうだわ、紫苑。ちょっとあなたに言うことがあるのだけれど」

 「ん、なんだ。次にやることか?」

 「いえ、あなたから、()()()()()()()()()()()ということよ」

 「……え?」

 軽く告げられた、その言葉。

 「それで、そこから」

 「すまない紫。ちょっと里に行きたいから、話は帰ってからにしてくれ」

 「え、しお――?」

 逃げるように――いや、逃げた。

 紫の言葉から。その先を聞きたくないと、逃げ出した。白夜で空間を切り裂き、ついでに周辺一帯に干渉して追いかけられないようにした上で。

 紫苑は、逃げた。

 里へ降り立った紫苑は、フラフラと歩き出す。行き先は無い。ただ、紫の前にいたくなかっただけだ。なら何故里へ来たのか。それさえわからない。

 ふと、衆目を集めている気がする。それだけなら気にする理由はない。里に入れば、大なり小なり恐れと、怯えと、怒りと、憎悪と。およそ友好的でない視線を多分に含んだ眼を向けられるのだから。唯一友好的なのは、寺子屋で授業を教えている子供達くらいだろう。

 精神年齢が上だからか、尊敬を集めてる気がするし――なんて、半ばどうでもいい思考を展開する。

 彼ら彼女らが今紫苑を見ている眼に宿るのは、『驚愕』と『困惑』と、少数だが嘲笑もあった。

 どうしてなのか、その理由を突き詰める前に、紫苑の体が後ろから吹き飛ばされた。

 「おいおい、どうしたんだよ? いつもはあっさり避けるのに。やっぱお前にフランさんは相応しくないなぁ?」

 そんな声が聞こえる。

 この声には聞き覚えがあった。フランに熱をあげている少年の中で、本気で惚れている奴だ。そして、妙に紫苑を目の敵にしている。

 事あるごとに突っかかってきて、その度に躱している。躱せなかったのは、今日が初めてのことだ。

 だからだろう、自慢気に、ここぞとばかりに笑っていた。

 「それがわかったら、今後フランさんに近づくのはやめ、て――」

 だが、その笑みが唐突に止まる。その眼に宿るのは、今まで紫苑を見ていた人と同じ、『驚愕』と『困惑』だ。

 小さな声で「いや、え、なんで……いやこいつに限ってそんなのありえないだろ、いや単なる見間違い」と、また紫苑を見る。

 それを数度繰り返したあと、紫苑に近づいて腕を引っ張り身を起こさせる。そのまま紫苑の腕と足と服とを叩いた。

 「あー……悪かったよ。何があったかわからないけど、元気出せ」

 「…………?」

 「クソッ、調子狂うな。次会った時には元のお前に戻っておけよ! 張り合いがないからな!」

 言うだけ言って、走り去っていった。

 何がしたかったのか、一体何が起こっているのか。そう考えて辺りを見渡して、気づいた。

 ――ああ、そうか。

 鏡を見て、やっと気づいた。どれだけ遅いのか。

 ――泣いてる、のか。

 他人事のように、そう思った。

 フラフラ、フラフラとまた歩き出す。異様に心が空いていた。体の感覚が無くなってしまうくらい、空虚だった。

 誰も話しかけてこない。いつも怒鳴りかけてくる人も、元気に笑いかけてくる人も。怯えて離れる人も。一人として、一度紫苑を見て、呆然とした顔を向けるだけだ。

 一体自分のイメージがどうなっているのか気になったけれど、そんな疑問も心に空いた穴に吸い込まれて消えていく。

 ――わからない。

 どうしてこんなに涙が出ているのか。

 ――わからない。

 どうしてそれに気付かなかったのか。

 ――わからない。

 どうしてこんなに――心が痛いのか。

 ――わから、ない。

 そして、その『事実』に、眼を逸らし続けるのか。

 ふと、涙を拭う。拭っても拭っても止まらないそれを、手のひらでゴシゴシと。それでも止まらないと、手を見つめて。

 「――え?」

 ()()()()()()()()、手が見えた。

 フッ、と足から力が抜ける。

 『思い出した』からだ。

 ――ああ、そうだよな。

 血に塗れて倒れる死体を。

 ――『いらない』なら。

 『使えなくなった』人間の、最後を。

 ――『捨てる』しか、無いんだよな。

 「は、はは……」

 笑うしかなかった。努力したのに。頑張ったのに。

 言われたことを守って。出せる以上の結果を出そうとして。

 ――たった一度も、褒めてくれなかったな。

 ありがとうとさえ、言ってくれなくて。

 ――『家族』って、そういうものじゃないのに。

 嬉しかった。偽りでもよかった。『八雲』になりなさいと、言ってくれて。

 ――わかってた。『道具』でしかないってことくらい。

 頑張れば、『認めて』くれるんじゃないかと、期待して。でも結局、意味がなくて。

 ――期待したのが、間違いだったなんて、思いたくなかったから。

 必死に眼を、逸らし続けた。

 選んだのは自分だと、紫苑は思う。褒めて欲しいと言わなかったのは、自分だと。だから紫苑が向けるべき感情は、紫苑のみ。

 ふと、頭の中に『姉さんとの約束は――』という言葉がリフレインされる。

 でも、それがどうした。

 簡単に『家族』を割り切れるほど、自分は大人ではなかった。

 本当に本当に小さな頃にあった、『家族のかたち』。ありふれたもので、特に特別でもなくて。でも、それを無くした紫苑にとっては、とてもとても大切で。

 いつしか、それが、『憧れ』になっていた。

 だから求めたのかもしれない。ありふれた家族を、紫達に。でも、それは形になる前に崩れ落ちた。

 だから、紫苑の感情は爆発する。

 『憧れ』をそれのままにした自分の我儘を。

 それに気づいてくれなかった紫に対する理不尽な怒りを。

 もうどうでもいいと割り切る、捨鉢な諦めを。

 ないまぜになった感情(おもい)を、理性(あたま)で抑えられるほど、紫苑は強くない――!

 「……もう、いいや」

 ブチ、と首元にかけた黒陽を引っ張る。即座にギザギザに捻じ曲がった歪な短剣に形を変える。即座に回転させて逆手持ちにし、それを、思い切り手元に引っ張り。

 そして――鮮血が、舞った。



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紫苑の『憧憬』

 カリカリカリ、と静かに文字を書く音が響く。それは重要な書類を書いている訳ではなく、単なる趣味だ。書き方は乱雑で、書いた本人以外には何と読むのか、そもそもどこから読めばいいのかさえわからない。

 これが彼女なりの暗号文だとわかるのは、一部を教えてもらった紫苑と、暇つぶしに解読していた輝夜と、鈴仙くらいのものだ。アリスは専門外だと端から覚えるつもりはなかった。

 書き記す暇潰しに思い返すのはアリスの言葉。

 『今回は腕を噛まれて大怪我をして、全身に火傷を負っていました』

 「……久しぶりに紫苑が負傷した、か」

 アリスの口ぶりから察するに、紫苑は負わなくてもいい怪我をした可能性が高い。腕の傷は囮として差し出したにしても、『全身に火傷』というのが不自然だ。

 紫苑の実力をよく理解しているからこそ考えられることだが、紫苑が攻撃を避けられなかったとは考えにくい。腕は先の考えでいいだろう。

 だが、全身火傷。これはどんな過程を作ったとしてもおかしい。まず『全身』に怪我を負わせるには一定以上の条件が必要だ。

 まず『本人が動けない』状況にあること。痛みで反射的に腕を引いたり暴れたりする人間が、全身に火傷を負うなんてそれくらいしかありえない。炎でやられた可能性は低い。紫苑なら高速で体を動かせば風圧で消し飛ばせるだろう。

 次に『庇うという動作すらしないこと』だ。例え動けない状況を作られたとしても、腕を動かしたりすることくらいはできる。それで顔を庇うのが普通だろうに、それさえしなかったというのは流石におかしい。腕が動かせなくとも、足なりなんなりいくらでも方法はある。

 そもそもこれらは一般人を前にした条件だ。大前提として、紫苑の身体能力は高い。『動けない』という状況に持っていくのはかなり辛いだろう。

 (その気になれば黒陽を使えばいいんだし……熱湯っていうならなおのこと)

 そう、気になるのはその一点。液体を防ぐのなら、黒曜の形状変化で自分を覆う盾を作れば事足りる。全ての前提条件が狂わせられる程に便利な能力。

 つまり、紫苑が全身に火傷を負ったというのなら。

 ――紫苑自身が、()()()()()()()()()()()、という結論に、落ち着いてしまう。

 ピタリと動きが止まる。

 (紫苑が、自分から負傷した? 何故? ……傷つくことに躊躇いはなくても、傷つこうとする意思は持ってなかったはずなのに)

 何かが、おかしい。

 このまま放っておくと取り返しのつかない自体に陥る気がする。急に不安になったので纏めていた内容を乱雑に書き記すと、ファイルに突っ込んで棚に放り込む。

 そして顔にかけていたメガネを外すと、永琳は立ち上がる。

 最後に一応薬品のチェック。不必要な物を置いたままにしておいたせいで騒動になった事が過去にあった――主にてゐの悪戯に使われた――ためで、それからはこうして危ない物はなるべく隠すようにしていた。

 チェックが終わると、永琳は部屋を出て玄関へ向かい、外へ出る。

 と、その時。ちょうど遠くから人影が歩いてきた。そのシルエットには見覚えがあり、同時に永遠亭に来るのは珍しい人物だった。

 上白沢慧音。

 それが永琳の前にいる者の名だ。

 「慧音? 珍しいこともあるものね。用件は――ああ、その手か。アリスなら中にいるからあがってちょうだい」

 「……私はまだ何も告げていないのだが」

 相変わらずの先見の明に呆れつつ、だがしかし実際その通りだったので言われたまま家へと入らせてもらう。

 その手には彼女に似合わぬ包帯が巻かれており、しかも血が滲んでいた。永琳の勘違いでなければ怪我をしてそこまで経っておらず、また深い傷だろうと察する。

 「ところで、その傷は? 何かに挟まれたのかしら」

 「ああ、これか。……そう、だな。永琳には話しておくべきだろうか」

 何かを躊躇するように視界を動かし、何度か口を動かして。

 彼女は、永琳の思考を止めるような言葉を口にした。

 瞬間、彼女の脳がこれ以上ないほどに活発化する。そして、これから行かなければならない場所を突き止める。

 「悪いわね、慧音。あなたのその傷――治すのは、後にさせてもらうわ」

 「ふむ、その顔を見るによほどのことか。あいわかった、私としてもあなたが行くべきところに興味がある。同行させてもらおう」

 行き先は、紫苑がいるだろう八雲邸――。

 

 

 

 

 

 一方で、紫苑から書類を受け取った紫はというと。

 その理路整然とした内容は、紫が舌を巻くほどわかりやすい。最初の頃からある程度できてはいたが、最近になってこのレベルに進化した。

 (流石としか言えないわね。文武両道才色兼備。アレだけの才が溢れていてどれか一つだけに特化していないなんて、冗談にもほどがあるわ)

 本当に、何と言えばいいのかわからないくらいに。

 褒めるべきなのか。だが、褒めたところで彼は喜ぶのだろうか。そもそも紫という、ある意味で憎い相手から褒め言葉を言われて皮肉だと捉えられないだろうか。

 (なんでこんな悩みを……なんて、バカみたいね)

 わかっていたからだ、と紫は思う。

 紫苑のことを体のいい『道具』として扱おうとして。実際に扱ってみて。

 ただ、耐えられなくなっただけだ。健気に頑張ってくれる少年に、申し訳なくなってしまった。元々紫とて、必要がないのならあんなに仕事を押し付けたくはない。

 全ては幻想郷のために――そうして自分を偽って、何かを犠牲にして幻想郷を守ってきた。だから、今回も。一人の少年の人生を食い潰して、もっと先の、それこそ百年先の幻想郷のために役立てようとした。

 結果は、無理だったが。

 だからこそ、紫は紫苑から『八雲』の名を剥奪した。

 良くも悪くも『八雲』は目立つ。敵味方が凄まじく別れるこの名前は、名乗るだけで相応の危険を持つ。管理者故の権限を持つメリットよりも、命を狙われるデメリットの方が目立つくらいに。

 『紫苑』の名を奪わず、『八雲』の性を返上してもらったのはそのためだ。

 (藍にも言われたし、せめてある程度くらいは、仕事を忘れて紫苑の好きなように過ごしてもらえれば――……)

 その分、紫苑のやっていた仕事は一気に紫と藍に降りかかるが。

 (藍は紫苑がやっていた外回りの仕事を引き継いでもらって――橙は、本当に簡単な仕事を手伝ってもらいましょうか。里の問題は私が対処しておけばいいだろうし)

 そんな事を考えていた、その時だった。

 キン、という音がして。

 紫の背後の壁が、崩れ落ちた。

 「な――!?」

 気配も音も無く、紫の背後を取った誰かが白刃を煌めかせる。

 咄嗟に境界を操って即席の盾を作る。境界を通った刃は、その盾――正確にはどこかへと通じる穴――へ触れ、目視できなくなった。

 そしてそこまで確認してからやっと、紫は自らを襲った相手を見、驚愕した。

 「八意……永琳? なぜ、あなたが?」

 「黙りなさい」

 冷たく、凍えた声。端的に告げられたその言葉が、永琳の心情を表していた。

 「ッ、待ちなさい、私はあなたと敵対するつもりは」

 「()()、八雲紫」

 境界から腕を引き抜くと、そのままスッ――と、静かに紫の盾を()()()()()

 「な――?」

 ――一体何をしたの!?

 『境界を引き裂く』という、文字通りありえない剣、技……?

 (違う、アレは――アレは……!?)

 メス。手術をするとき、患者を切開するときに使う道具。

 そんな武器とさえいない得物で、永琳は紫の盾を突き破ったのだ。驚嘆に値する。驚きに硬直している紫に、永琳は左手を突き込んだ。そのまま紫の美麗な顔を抉ろうとしたそれは、とっさに手首を掴んだことで動きを止める。

 だが安堵する間もなく、右手を閃かせて隠し持っていたメスを投げる。上半身を仰け反らせて避けたが、前髪を数本、持ってかれた。

 瞬時に永琳は横蹴りを振るう。後転しつつカウンターでサマーソルトキックをしたが、逆手に回転させたメスで足を切り裂かれかけた。

 そのまま数歩距離を取るが、所詮は家の中だ。取れる距離などたかがしれている。すぐ後ろに壁がある事を知覚しながら、永琳への対応を考える。

 考えた、が――。

 (対応策が、ほとんど無い……!)

 ここで永琳の不老不死という部分が引っかかった。

 まず殺しても殺してもキリがない。首を切ろうが全身を消滅させようが、『死』という事象が彼女に存在しない以上、無駄にしかならない。

 そして拘束も無意味だ。手錠を使ったのなら自分の手首を捩じ切ればいいし、紫の力で空間の境界を操ったとしても、その部位をちぎってしまえば簡単に抜けられる。あくまで『境界』を操る以上スッポリと彼女を覆うような――それこそ鋼鉄の処女(アイアン・メイデン)のような――ものにはできない。

 どうあがいても隙間ができ、そしてその隙間から永琳は反撃してくる。

 対応策は、一つだけ。

 (彼女が感知できない場所に、ひたすら逃げ続けることくらいしか、方法がないッ)

 そして『天才』たる彼女から逃げ切るのは、無理だ。

 だから紫に逃げるという選択肢を選ぶことはできない。というより、ここで逃げればもう話し合いというなの交渉すらできなくなりそうな気がした。

 そうするために、紫がしたことは単純だった。

 纏っていた妖力を霧散させ、さり気なく開いていた鉄扇をしまう。

 『武装解除』、それが永琳を交渉の席につかせるために考えうる手段だった。

 「まず、最低限の説明をしてちょうだい。あなたが私を狙う理由は、基本的にないはずよ」

 取りうる選択肢としては下の下だ。襲ってきた相手に悠長な説明を求めるなど、舐め腐っているとしか思えない。

 それでも紫が選んだのは、相手が永琳だからだ。理性的で、メリットデメリットを計算できるだけの頭脳を持ち、それを選べるだけの我慢強さを持つ。もしこれで感情的なら、紫がそういった瞬間堪忍袋の緒が切れていただろう。

 事実、永琳は溜め息を吐き出すとメスを懐に入れ、一人の人物を呼んだ。

 「慧音、入ってきてちょうだい」

 「やれやれ、気は済んだのか? 私は二人の争いに巻き込まれるなんてゴメンだぞ。戦闘能力は生憎とあまりないのでな」

 「全く済んではいないけれど、状況確認くらいするわ。情報が欲しいもの」

 恐らく玄関から入ってきたのだろう、靴を脱ぎ、きちんとスリッパを履いてきた慧音が呆れたように言う。対する永琳の返答は冷めたもので、下手な言葉を返そうものなら即座に首を掻っ切られそうだった。

 「……まずは、座りましょうか」

 話が長引くと判断した紫は、倒れた椅子とテーブルを戻すとそこに座り、仕草で二人にも座るように進める。

 「それで? 私が殺されかけたのは、どうしてなのかしら」

 「慧音、お願いするわ」

 「了解した。まず、そうだな。私のところに血相変えた子がきたところから始めようか――

 

 

 

 

 

 その日、私は珍しく里の店で何かを相伴に与ろうと外に出ていた。

 基本的に自活している私は朝昼晩を全て自分の手でご飯を作っているし、何より平日の昼は授業があるからなおのことだ。だから、その日は本当に珍しかったのだ。

 だからだろう、私を見つけたあの子が、ほっと安堵した吐息を出したのは。

 「先生、やっと見つけた!」

 「どうした? そんなに慌てて。何か怖いものでも見つけたのか?」

 「怖い……確かに、ある意味怖かったけど」

 要領を得ない言葉に訝しむ。

 覚えている限り、この子は紫苑以外には優しかったはず。紫苑につっけんどんなのはまぁ、幼い子の可愛い嫉妬、と言えばわかるだろうか?

 とかく、そんな子が慌てている。そうわかった私の心に暗澹としたものが降りかかる。

 まさか、何かあったのか。そんな思考が私の中を過ぎった時、意を決したように顔をあげた子が言う。

 「紫苑の様子が、おかしいんだ」

 「紫苑、の?」

 ありえない、と一笑に伏そうとした寸前、この子の眼に黙らされる。嘘やハッタリなんかじゃない、本気でそう言っていて。

 ――本気で、心配している人間の眼だった。

 「……………………」

 「なんていうか、心ここに非ずっていうか、ボーッとしてたっていうか。とにかくなにか、なんていうか、ええと」

 思わず黙り込んだ私に、疑われていると思ったのか、口早にそう言ってくる。どんどん焦燥をあらわにする顔にトンと手を置いた。

 「せ、先生?」

 「四の五の言うつもりはない。――紫苑は今、どこに?」

 「! あ、あっちに行きました!」

 「わかった、すぐに行こう。……教えてくれて、ありがとう。恋敵を心配するとは、やはり君は優しいな」

 「か、からかわないでくださいッ。それより早く行ってくださいよ!」

 だから紫苑も、君に突っかかられても嫌いにはならないのだろう。なんて言葉を口にする前に、真っ赤になった顔で否定された。

 ……やれやれ、心配しているその眼が何より雄弁に語っていると言うのに。

 ともあれこのままからかっているのも本末転倒だろう。

 私は服を整え、足を引っ掛けないよう準備して、走り出す。

 「先生、頼みます! 紫苑の悩みをなんとかしてやってください!」

 本当に、私の生徒は優しい子が多くて仕方がない。口元が緩み、嬉しさを滲ませながら私は返した。

 「当然だ、私は『子供』の先生だからな!」

 なんだかんだ忘れがちだが、紫苑はまだまだ小さな子供にすぎない。

 大人である私達が教え、導き、紫苑が間違った道を進まないよう、示さなければならないのだから。

 ――そして。

 私がたどり着いたその時、紫苑は両目から血を流して、真っ赤に染まった両手を見ていた。とても尋常とは言えない様子で、かなり焦ったのを今でも思い返せる。

 それでも止まらなかったから、間に合ったのだろう。

 歪で、禍々しく象られたナイフを逆手に持つ紫苑。それを躊躇せず、自らの喉元を穿ち貫こうとした、その寸前。

 ……私の手が刃を掴み、その矛先を無理矢理変えた。

 加えて紫苑の体を横に引っ張ったのが功を奏したのだろう。それでも首筋から血が伝っていたのだから、もし引っ張らなかったらと考えるとゾッとする。

 「ッ!」

 冷静になった今になって、ようやっと手のひらの痛みを近くする。ギザギザに曲がるナイフを素手で掴んだせいで、凄まじく痛い。指が落ちていないだけマシ、なのだろうか。辺りに散らばった鮮血が、傷の深さを窺わせる。

 ほっと一息つきながら、何故こうしたのかを考える。そもそもナイフを掴む必要があったのかと考え、しかしこれは必要なことだったと思い直す。

 紫苑の身体能力は、半端な半妖でしかない私を遥かに越す。せめて満月の――上白沢(ワーハクタク)の状態でなら別かもしれないが、人間が全面に出ている私では無理だ。

 腕を掴んで止めるなんてできない。かといって、あのギリギリの状況で手首を掴んで切っ先を逸らそうとすれば間に合わない。

 だから、ナイフを掴むしかなかった。掴んで、即座に変えるしか。

 これで失敗していたらと思うが……考えるべきことではないのだろう。

 思考を止め、そっと紫苑を見下ろす。紫苑は自分の行動を理解していないかのように、また永琳に抱き止められていることさえわかっていないかのように、光の無い眼を湛えていた。

 「わかってたのに。『道具』だって。使い捨てられるだけだって」

 「おい、紫苑……?」

 「意味なんて、無いのに。そうあることなんて望んでなかったのに。どうして俺は」

 「紫苑、落ち着け!」

 ボソボソと呟く紫苑の言葉を聞いていられなくなって、慧音は叫ぶ。それでも、その声は紫苑には届かない。自傷行為のように自分を傷つける言葉を吐くだけだ。

 「頑張っても、褒めてくれない。一言も、くれない。俺のことを、見てくれない。『家族』ってなんだっけ? あんなのが『家族』なの?」

 なんだ。

 一体、何が起こってるんだ。

 「なんで――なんで、なんでなんでッ。期待なんて、したんだ俺はッッ。もう――になるのは無理だから、代償行為に求めたのか!? そんなの違うのに! 所詮、俺はッ」

 ガリ、と、頭を丸めてうずくまる、防御の姿勢。そのまま私なぞ――いや、里の皆が見ていることなど知らないように、紫苑は叫んだ。

 「()()()()()()()()()()()()()()()()ッッ!!」

 「な――」

 そんなの違う、と言おうとした。

 きみは色んな人から好かれ、愛されてるだろうと、伝えたかった。

 だけど、そんな言葉が届かないと、わかってしまう。そもそも紫苑は誰かの言葉を求めようとしているのではない。

 抑えきれない感情の赴くがまま、叫んでいるに過ぎないのだ。

 「そう、だよ……壊すしか、能がない人外が、求められるなんて。そんな幻想(ユメ)、無かったんだ」

 眼から血を流して泣いている紫苑は、狂ってしまった子供のようだった。ストレスが原因で眼から涙を流すことはあるけれど。

 紫苑のそれは、その範疇を超えている。

 私は、紫苑が強いと思っていた。精神的に成熟し、あらゆる事柄に冷静に対処し、行動できるだけの胆力があると。

 そんなのは思い違いだと、理解させられた。

 精神的に成熟したのは、そういなければならなかったから。

 あらゆる事柄に冷静に対処できるのは、そうできるだけの経験があるから。

 行動できるだけの胆力は、実行しなければならない状況が幾重もあったから。

 人は経験しなければ成長せず、不可逆なのだ。そのことをわかっていたのに察することができなかったのは、紫苑がそれと悟らせないように振舞っていたからだ。

 恐れ、憎まれても、笑っていたのは、吐き出せる感情の行き場なく、また紫苑がそれに耐えられるように『なってしまった』だけに過ぎないのだと、今更になって理解する。

 否。紫苑からのサインはいくらでもあった。永琳からも、そう言われていたのに。

 ただ私が、おざなりの対応をしていただけなのだ。

 「でも、約、束……自殺、なんて、いけないよね」

 自己嫌悪に――死のうとする子供を前に説得材料を持たない自分に苛立っていたとき、紫苑が呟いた。

 一瞬、死ぬのをやめてくれるのか、と思った。

 「もし死ぬのなら――」

 だから、遅れた。

 紫苑の眼に、仄暗い光りが宿っていたのを。

 「『幻想郷のために、死ぬべきだよね』」

 強迫観念のような、言葉。

 いつの間に持っていたのか、紫苑の右手に白い剣が握られていた。それで目の前の空間を叩き割り、どこかへ繋げる穴を作る。

 「ッ、待て、紫苑!」

 グイと左腕を引っ張り留まらせようとする私を、どのような体術を使ってかあっさりとすり抜けていく紫苑。

 そのままどこかへ消えていこうとする彼を見送るしかないのか――そう、思っていた時だ。

 「忘れてた」

 私の方を振り返った紫苑が、『金色の髪』を靡かせながら私の手を取り、魔力を流す。

 「ありがとう、慧音。それと――さよなら」

 最後に儚い笑みを浮かべると、紫苑は私の前から消え去る。

 もう一度手を伸ばし、追いすがろうとしたけれど、その背中はもう見えない。――その時にはもう、痛みは、大分薄れていた。

 

 

 

 

 

 ――これが事の顛末だ。なにか、聞きたいことがあれば言ってくれ。可能な限り答えよう」

 そう言って締めくくると、紫は言葉もないと唖然としていた。無理もないか、と慧音は思う。紫苑の言動から紫に問題があるのは察していたが、本人はそのつもりなど微塵も無かったのだろう。

 いじめと同じだ。本人に自覚は無くとも、いじめられた方はそう思わない原理と。

 まあ、そんな言葉は隣にいる『鬼』には通用しないのだろうけれど。

 「……紫、一つだけ聞かせてちょうだい」

 鬼の如き殺気を撒き散ら――すことなく、自らの内にしまい込む永琳。だからこそ恐ろしいと感じる。

 それが解き放たれたとき、どうなってしまうのかが。

 「あなたは、一度でも紫苑を褒めたことがある?」

 「え……」

 「答えてちょうだい」

 鋭い眼で詰問する永琳。その姿はどこか紫苑を思わせる。微かに滲ませる雰囲気が、よく似ているのだ。

 「無い、わ」

 「なんだと?」

 「一度も、無いの。なんて言えばいいのか、わからなくて。一度も言えてないのよ」

 今度は慧音が唖然とさせられる立場だった。『家族』となった人間に、一度も? そう思わせられる慧音に、だが永琳は違う反応を見せた。

 「やっぱり、あなたは所詮『妖怪の』賢者なのね」

 「それは、どういう意味かしら。何かの皮肉?」

 「いいえ。ただあなたはどこまでいっても妖怪で、人間の、傷ついた紫苑の心が全く理解できていない!」

 段々とヒートアップしたのか、普段の冷静さをかなぐり捨てた永琳が叫ぶ。

 「そんなことないわ。私は仲介人をやったこともあるのよ?」

 「それはあくまで仕事上の話でしょう。あなたは精神的に弱った子を看たことは? その子と接する上で大事なことを知ってるの? 知らないでしょう! そんな暇など無いのだからッ」

 吐き捨てるように言い、永琳は続ける。

 「もし知ってるのなら、紫苑の対応がそんな杜撰にはならないッ。あの子は『家族』というものに人一倍憧れてるのよ。幼い頃に失って、ほんの少しだけ残った記憶が()()()()()()()()()()せいで!!」

 過去を美化するのは、何も紫苑に限った話ではない。誰でもすることだ。ちゃんと覚えている人とそうでない人に差異ができるのはそのせいなのだから。

 紫苑の場合はそれが顕著だった。紫苑の完全記憶能力は生まれ持ってのものではない。実験の結果だ。

 そして過酷な実験を受けたせいで精神的に摩耗した紫苑が、家族の記憶に縋ったとしても――なんら不思議ではない。

 そのせいで異様に美化されたのだ。行き過ぎといっても過言ではないほどに。

 「いっそ『憧憬』とさえ言っていいくらいに無意識に渇望していたのよ、紫苑は。そして憧れというのは――()()()()()()からこそ、憧れなの」

 家族が欲しいと願った紫苑は、同時に諦めてもいた。そんなのありえないと、端から切り捨てていた。

 そんなとき、降ってわいた『八雲』になりなさいという言葉。ありえないとわかっていても、期待するのを、希望を持つのを捨てきれなかった紫苑を、誰が責められよう。

 むしろ子供の紫苑がそれを望んだとて、微笑ましいとしか言えないはずなのに。

 「でも……紫苑はそんなことを一度も」

 「言えるわけないでしょう。あの子は一度だって頼んだことがないのだから」

 叫んで落ち着いたのか、深呼吸する永琳。

 「私の見た限り、紫苑は一度だって甘えたことがない。何かをしてほしいときには必ず何がしかの対価を、報酬を渡していた。それは多分、紫苑にとって仕事上仕方なくそうしただけで、しなくていいならしなかった行動でしょうね……」

 意気消沈する永琳を、慧音は複雑な目で見る。永琳と慧音、立場は違えど弟子に教える師匠と、子供を導く先生。その二人が紫苑に対して結局何もできなかった。

 もっと幼い時に学ぶ甘え方、そして頼り方。それを教えられなかったことを。

 「……ごめんなさい、紫。あなたを責めても仕方がないとわかっているの。紫苑のケースは複雑すぎるから、専門的な人でも対処は難しいもの」

 それこそ、紫苑を一途に思うフランでもなければ。

 「いえ、思い返せば私の対応が悪すぎただけよ。今なら紫苑がどうして死のうとしたのか、わかるから」

 言って、紫は己が告げた言葉を二人に言う。

 「確かに、その対応は普通に考えれば間違ってはいないが……」

 「紫苑に限って言えば、とんでもない悪手ね……」

 「もうちょっと、藍の言葉に耳を傾けるべきだったわ……」

 三人の知恵者は同時に溜め息を吐く。頭がいいだなんだと持て囃されようと、他人の心はわからない。それを思い知らされる。

 それでも落ち込んでばかりはいられない。賢いからこそ三人はすぐに紫苑の対処をしようと顔を上げる。

 その、瞬間。

 ゾクリ――……。

 『!??』

 背筋を撫でる、凍りつくような悪寒。

 同時に視界を覆う『黒』が見えた。

 「なんだこれは!?」

 「落ち着いて、これは多分攻撃的なものじゃない。もっと別の何かよ」

 「永琳の言うとおりね。これは『闇』よ」

 「闇だと? そんなものを司るのは、一人しか――ッ、そうか」

 どう考えても、心当たりがそれしかない。だが、なぜここで彼女が行動するのか。三人は立ち上がり、外を見た。

 永琳が壊した壁の外。

 そこから見える太陽が――黒く塗り潰されていた。

 「『彼女』一人だけの力では無理ね。どう見てもこれは」

 その先の言葉を、永琳は言わなかった。

 幻想郷を救ったのは、霊夢と、フラン。そして紫苑。

 だが今回幻想郷を襲うのは、先の事件の立役者、紫苑だった。




えー、というわけで実は死んでなかったり。

紛らわしい表現ですいません。でもこれも物語を引き立たせるスパイスってことで! 感想の返信遅れたのは下手になんか言うと死んでないと悟られそうだったので。

今年はちょっと進学とか課題とか色々あるので、更新が週二になる可能性が高くなります(それ言うならゲームやらなんやらするなって話ですけど)

終わらせる気はあるんです。見捨てないで読んでください……ッ!


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闇との契約

 闇が満ちる――それよりも前に戻る。

 慧音の前から去った紫苑は、幻想郷中を巡り回っていた。花畑に、湖に、竹林に、森に、山に、空に、三途の川に。

 白夜の力を持って、短距離を転移しては一人だけを求めて探している。

 花畑では幽香に、湖では精霊に、竹林では妖怪に、森では魔法使いに、山では鬼に、三途の川では死神に。尽く行く先々で遊び感覚で襲われたが、即座に消える紫苑を前に、追跡するのは諦めたようだ。

 それでも求めた人物を見つけられない。移動速度は普段と比べ物にならないほど速いので、里から出てまだ一刻も経っていないだろうが。単に移動するだけなら四半刻といらないが、気配探知をしながらだと少し手間がかかる。

 一度諦め、どこかの坂道に降りる。辺りには木々が生え、獣道ですらないその場所は視線から隠れるには十分だった。

 一つ溜め息を吐いて心を落ち着かせる。慧音に自殺を止められたあと、心は凪のように穏やかなままだ。

 決めたからだろう。そうと定めれば真っ直ぐ進めるのが自分の長所で、短所だと、紫苑はよく理解していた。

 ぐうぅ~……と気の抜けた音がする。お腹が鳴った音だ。そういえば今日は朝昼とずっと何も食べていない。燃費が悪く常に栄養を必要とする紫苑は、必ず三食を、しかも相当量食べなければいけないのだから仕方が無かった。

 空腹を紛らわせるために思考してみる。取り留めの無い、ここ半年の出来事を。

 そういえば、とふと思い出す。

 彼女と出会ったのは――この場所みたいな、獣道だったと。

 「お肉、み~つーけたーっ」

 「!?」

 背後から聞こえた(おぞ)ましい言葉。

 バッと振り返ると、目の前にかつて見た金と黒が目に見えた。その色がブレると同時に、左肩に激痛が走る。

 「ぃ、っぅ……」

 グチャ、という音がした。それはきっと、自分の肩が食いちぎられた音。感じるのは、彼女の口から漏れる咀嚼音。

 それでも声を押し留め、左手で彼女の頭を、右手で背中を抱きしめる。

 そのことに疑問を思い浮かべたのか、彼女は肉を飲み込むと、

 「……? 逃げないのかー?」

 とても不思議そうに、そんなことを言った。

 まぁ、確かにと紫苑は思う。『生きたまま食べられる』という恐怖を感じれば、逃げたくなるのが生き物の性だろう、と。

 そう考えていたが、彼女はその疑問を放り捨てて、食事に入ろうとしたらしい。また肩を噛み千切ろうとしてきたので、

 「今の貴女じゃ、話は出来そうにないね」

 頭に回していた左手を、そのまま結ばれていたリボンに移し、引っ張った。

 特異な術式が刻まれていたのだろう、触れた瞬間反発し、解こうとしたら手を焼かれた。消し炭になる前に無理矢理リボンを外したけれど、ギリギリだったらしい。

 カッと閃光のような光りが迸る。目も開けられない光度だ。チカチカとする眼を堪え、前を見ると、

 「……いつまで抱きしめるつもりなの?」

 先の幼子とは違う、成熟した少女の声が響いた。なんとなくからかう声音に、紫苑もからかうように返した。

 「なら、貴女はいつまで抱きしめられてくれる?」

 「あら、残念。私はそんな安い女じゃないの」

 彼女はスルリと身を翻し、艶やかに笑った。

 「それで。わざわざ闇の化身に会いに来たのは、どういう理由かしらね」

 「どうして貴女に会いに来たと? 殺しにきたのかもしれないよ」

 「見敵必殺をしてない時点でありえないと言わせてもらいましょう。そもそも、戦闘能力という点で劣る子供から、知性をかざして戦える大人にする意味が無いわ」

 矛盾しすぎね、と彼女は言う。殺すのなら子供の方がやりやすいのに、と。

 「ま、そうだね。俺は別に殺し合いに来たんじゃない。貴女に――正確には、貴女の能力に用があってきたんだ」

 「私の能力……? 『これ』のこと?」

 掲げた右手に、忌避感を宿らせる『闇』が纏う。ぐねぐねと動き回るそれは、本能的に『近づきたくない』と思わせた。

 「人間が闇に触れるのは正気の沙汰とは言えないわね。気が狂って死ぬのがオチよ? 何に利用したいのかは知らないけど、対価もなしに、力だけ渡すのもゴメンだし。興が削がれたから見逃してあげるわ。さっさと帰って眠りなさい」

 「……」

 その言葉に紫苑は沈黙を返す。それを答えと受け取ったのか、彼女は背を向けてその場から去ろうとした。

 けれど、言葉だけで諦めるほど、紫苑の想いは軽くない。

 「対価を渡せば、力を貸してくれるのか?」

 「……。……? ……正気?」

 最初は理解できないと固まり、次いで言葉を理解しようとし、最後にありえないと言わんばかりの顔を向けてくる。

 「答えてくれ。貸してくれるのか、くれないのか」

 自然と眼が鋭くなっていくのを感じる。ともすれば殺しかねない目だ。それだけ本気なのだと理解したのか、溜め息をしたあと、

 「……話くらい聞いてあげるから、まずはその肩を治しなさい。死ぬわよ? その出血量」

 指差した先には、ルーミアに噛み付かれた肩の傷があった。臓器には届かないまでも、抉り取られた傷痕は深い。今もダラダラと血を流している。

 そういえば……と、紫苑は今の服装を見る。今日は戦闘するつもりじゃなかったから、服装は普段着を着用していた。姉特製の服は、厳重管理して部屋に置いたままだ。

 能力を発動させ、アリスとなる。どことなく体は丸みを帯び、女性らしくなる。一応性別は男のままだが、初見ではわからないだろうレベルだ。

 漏れ出た魔力が燐光し、紫苑を照らす。そのまま肩口に集まると、まるで逆再生のように傷口が治っていく。完全に治りきったそこは、しかし剥き出しの肌が見える。そのことに途方もない色気を感じることだろう。

 ――本来なら、だが。

 「あなた、それは」

 「タダで治るほど甘い能力じゃないよ、これは」

 紫苑の肌は、カサついていた。髪にも常の艶が失せている。何日にも渡って十分な水分を摂らずにいた結果、潤いをなくしてしまったかのよう。

 朝昼と食事をとらず、その上で肉体の成分を回復に回す力を使った結果だ。死ななくなったとはいえ、もしこれが女性なら死にたくなるほど落ち込んだかもしれない。

 紫苑は特に気にしないが。

 「対価を求めるんだろう。俺が渡せるのはそう多くない。精々、()()()()()()()()()か、()()()()()()()()()()()()()()|か、くらいだな」

 「……!?」

 腹芸をしたことがないのか、素直に驚きをあらわにする。紫苑は既に彼女のリボンに刻まれた術式を見て取っていた。

 まずあの封印、実は『そこまで効果が高くない』。どちらかというと封印を解除したり、()()()解除することに対して効果が高い。

 大体封印に二、防御に三、残り六に全てを割り振っている。

 その六は、『再封印』だ。仮に何らかの事故が起こって封印が解除されても、一定時間内にまた封印を施される仕組み。しかもそれは極めて早く行われる上に、術式を読み取ったりするのを防がれるために解除するのも厳しい。

 だから、あのリボンにこめられた術式が摩耗するのはまずないだろう。普段消費される力の量が少ないのだから当然だ。この術式を考えた相手はかなり頭がいい。

 まぁ、簡単に封印が解除されるので、一長一短ではあるが。

 「それで、どうする? 何か要望があれば聞くけど」

 「……なら、いくつか質問させてもらうわ。紫苑、死体をあげるといったけれど、それはつまり途中で死ぬつもり? それに、封印解除なんてできるの?」

 「ふむ。なんで俺の名前を知ってるのかについて教えてもらいたいとこだけど。まず、死ぬつもりだよ。封印の解除は解析が終われば簡単に解ける」

 「そんなカサカサの死体なんて貰っても、ね」

 「途中で栄養補給しようか? この体で無茶はできない。慧音には俺が何をするのか大体はわかってるだろうけど、情報が拡散するまでまだ時間はあるし」

 そう。実は紫苑にはあまり余裕がない。ここに来る前に慧音とあったやり取りで、紫苑を止めるだろう誰かが来る。

 「……私、いざこざに巻き込まれて死ぬなんてゴメンよ?」

 「戦闘になっても貴女の命は保証する。死にかけた回数は多いから、絶対に死ぬってギリギリの境界線はわかるしね」

 「栄養補給する時間はあるのかしら」

 「慧音にはバレてるけど、紫に直接会いに行く可能性は低いしなぁ。紫は俺の性格を中途半端に知ったかぶってるから、慧音の言葉を否定するだろうし。だったら『それも有り得る』と考えてくれる師匠のところに行くだろう。紫のところに行くのはその後だ」

 「八意永琳、か。彼女の住まいは迷いの竹林だから、運が良くてもたどり着くまでに結構時間がかかるわね。そこからトンボ帰りしても、ってこと」

 「そういうこと。里の人は俺に対していい感情を抱いてないから、魔理沙とか誰かがいない限り誰にも言わないだろうし。何より彼らは基本的に戦闘能力なんて無いし――と、これはどうでもいいか。とにかく、情報拡散はまずありえない」

 それ故に、紅魔館や山、最悪どこかの川で釣りでもすれば、食事にはありつける。どうとでもなるだろう。まあ、あくまで『そうなる可能性が高い』だけで、話を聞いた霊夢とかが紫苑を追いかけているかもしれない。楽観視はできなかった

 「他に質問は?」

 「なら、そうね。そもそもあなたは一体何がしたいの?」

 「何をしたいのかは……『幻想郷のため』、としか言えないな」

 「幻想郷のために、自分の命を投げ捨てるつもり」

 「そうなるね。自殺しようかとも思ったんだけど、それじゃ余りに『勿体無い』だろ? だから折角だし、この世界を少しでもよくしようかと思ってね」

 ……本気だと、思った。

 『闇』を操る彼女は、紫苑が本気でそう思っているのだと、嫌でも理解させられる。

 「その結果としてこの世界が壊れるとかは? 私、外で生きていけるとは思えないの」

 「少なくとも直接的に壊れることはないねぇ。俺が、じゃなくて、起こした後に他人が壊した、とかだとどうともいえない。そこまでは範囲外だ」

 淀みなく、紫苑は答える。今のところ紫苑は嘘を言っていない。つまり、今のところ自身に得がある条件を引き出せる。

 しかし甘い話には相応に裏があるというもの。

 「……未練はないの?」

 「無いね。これっぽっちも」

 「――――――――――」

 だから、最後にそう聞いた。

 なのに、紫苑の答えは早かった。戸惑いもなく、悩みもせず、当然と言いたげに。それで、やっとわかった。

 ――この人、そもそも生きるつもりが、ない。

 死ぬつもり、じゃない。死ぬ気、なのだ。だから有利な条件を与えていく。死ぬのだから、相当に無理な条件でもなければ突っぱねるつもりはないのだろう。

 「この世界に来て、少なくとも半年以上は経っているわよね。誰かともっと一緒にいたい、だとか。そういう思いはないのかしら」

 「……さっきからそれどこ情報? 俺貴女と会った覚えがまず無いんだけど?」

 顔をしかめる紫苑だが、話が逸れたと思ったのか、一度咳をして軌道を修正する。

 「少なくとも、そういえるほどではないな。友と思える人はいるけど、彼女達は俺がいなくても大丈夫だろう。恋してる人もいない。家族も――いない」

 悲しそうに、笑う。ひび割れたようなその顔にその笑みは、まるで今にも崩れてバラバラになってしまいそうだ。

 「なら、目的は? 目標を持ってないの」

 「……この世界には、ないな」

 紫苑の目的・目標は、二つだけだ。

 一つは、家族と一回だけでいい、もう一度会いたいという願い。

 一つは、誰よりも愛する姉を殺した人間を、殺すこと。

 だがそれは、どちらも叶わない。この幻想郷から元の世界には、戻れないから。それを再度自覚し直した心がジクジクと痛みを発する。

 俯く紫苑に、何となく察した彼女は心の中で思う。

 (全部本心、か。なら協力してもデメリットはほとんどなさそうね。問題点は、無いとは言えないけど)

 自覚していないだけで、紫苑に未練はある。それを発芽するための種は植えられている。けれどそれが芽を出す前に、大地(シオン)栄養(こころ)()ってしまった。

 協力している間にその種が芽吹くかもしれないが、それはそれだ。

 色々と考えた結果、決めた。

 協力することと――求める対価を。

 「わかったわ。私のチカラを、あなたに貸してあげる」

 「本当か? ありがとう」

 「早とちりしないの。対価は、あなたの『心』を見せなさい。それが許容できなきゃ、この話はご破産なんだから」

 そっぽを向く。けれど、紫苑は既に彼女を見ていない。

 「俺の、『心』を見せる? それが一体何の役に立つんだ?」

 「ハァ……さっきも言ったとおり、私は『闇を操る程度の能力』を持った妖怪。つまり、人の持つ悲しみ、怒り、憎しみ、絶望――そういった負の感情に安らぎを思えるの。逆の感情はお断りだけどね」

 肩を竦め、続ける。

 「私は光の中で生きられない。今も木の間から差す太陽の光がとってもイヤだもの。だから、求めるの。あなたの中にある、想像もできない負の感情を」

 彼女の眼が、紫苑からにじみ出る『黒』を見抜いている。

 彼女の耳が、紫苑が叫ぶ声にならぬ声を聴いている。

 彼女の心が、紫苑の想いを感じ取っている。

 そして――その全てに、ずっと傍にいたい安心感を、覚えている。

 「『闇』が私の生きる場所。だから、きっと、あなたの魂の内は、とても、とーっても楽しそうなのよねぇ……」

 このとき、紫苑は一瞬だけ彼女を『怖い』と感じた。どれだけ悲しみと怒りと憎しみと絶望に身を浸していても、口が裂けたその笑みを。

 人形のように可憐なその容姿を、恐れた。

 「貴女は本当に、俺の情報(こと)をよく知ってるんだな」

 「子供の私は面倒くさがりだけど、好奇心も相応でね? 里の人からよくあなたの(かげぐち)を聞いていたのよ。陰険な感情は、見ていてとても心地よかったわ」

 誰にも理解されない彼女はきっと、誰からも受け入れられない。だから彼女は封じられた。だから彼女を求める人はいなかった。

 だからなのか。

 「それじゃ、短い間だけど、よろしく」

 「ええ。気持ちのいい時間を私にちょうだい?」

 紫苑の手にとった彼女は、とても面白そうに、笑っていた。

 闇の化身と、白の化身。二人は混じり合い、ひとつになり。

 そして、その後――世界は闇に包まれた。

 

 

 

 

 

 「この『闇』の発生源は特定できるの?」

 「私よりもむしろあなたの方が便利だと思うわよ。『境界』を使ってこれが濃い場所と薄い場所を見つけていけば、答えはわかるでしょう」

 もちろん、濃い場所が紫苑のいる方向だ。

 「永琳、私はどうすればいい? 戦闘力という点で私は二人に遠く及ばない。ついていっても足でまといになるだけだ」

 「できれば、戦闘力があって、紫苑と戦うことに躊躇がなくて、でも紫苑を殺そうとしないくらいに温厚な相手がいれば、それでいいのだけれど」

 「そんな都合の相手がいると思うの?」

 「だったら『鬼』でも連れてくる? 喜び勇んで紫苑を『潰し』に行くわよ」

 紫の突っ込みくらい予測済みだ。かといって霊夢や魔理沙は躊躇うだろう。フランなど論外だ。戦う前から負けるのが目に見える。永琳だから――彼の師匠だからわかる。今の紫苑は、例え誰だろうと容赦しない。フラン達なら殺さないだろうが、傷つけることくらいは許容する。

 かといって戦闘狂集団も論外だ。そもそも『魂の同一化』ができる紫苑に『紫苑からすれば弱くて、けれどそこそこに強い』相手は格好の餌だ。問答無用で取り込んで魂を強化されたらもう目も当てられない。止めることさえできなくなる。

 「……なあ、永琳。対価は厳しいが凄まじく強くてある程度融通の利く相手がいるんだ。対価の支払いについて、一任してしまっても大丈夫か?」

 「そんな相手、本当にいるの?」

 が、押し黙っていた慧音が少し悩み、そして決断した。

 「一人だけ……それなら、アテがある。もちろん絶対に連れて行けるとは言えないが、可能性はあるはずだ」

 「まぁ、足でまといにならないのなら、出すものは出すけれど」

 「その点は大丈夫だ。強さは保証する。むしろ紫より強いんじゃないか?」

 コロコロと冗談を言っているが、そこまでの好条件を持つ相手がそうそういるとは思えない。それに断られる可能性もある以上、応援は無いと思っておこう。

 しかしそう思っていることなど伝えさせない、落ち着いた声音で永琳は言う。

 「それじゃ、今すぐそこへ向かってくれる? なんなら、紫をタクシー代わりにしちゃっても構わないわよ」

 「ちょ、私の意見は?」

 「拒否権を与えるとでも思っているの?」

 とても冷たい眼で紫を見る。一応納得はしたものの、虐待と言っても過言ではない状況に紫苑を追いやった事実を、永琳は忘れていない。

 空気が悪くなったと感じたのだろう、慌てて慧音が割り込んだ。

 「な、なら私を一度里へ帰してほしい。念の為に前報酬が渡せる程度の物は持っていきたい」

 「……紫」

 「わ、わかったわよ、もう。……ほら、これで戻れるわ」

 瞳孔の形に開いた隙間から見える風景が、里だということを教えてくれる。毎度これを通る時に思う違和感を封殺して、慧音は里へ戻っていった。

 それを見送ると、永琳は紫へ目線で告げる。

 ――さっさと能力使って紫苑の居場所を探りなさい。

 慧音がいたよりも更に冷たい眼でもって紫を見る。紫苑に負い目もあったのだろう、然程反論せずに集中しだした。

 その背中を見て、胸中で溜め息。

 ――わざとではないと、わかってはいるのだけれど。

 紫には、子育ての経験が無い。

 藍と出会った時には、既に藍はあのくらいには成熟していた。橙と接したのは主に藍だし、藍の強い影響もあって責任感ある子へと成長した。

 だが、それらに紫は多く関わっていない。

 だから、藍が気づけた紫苑の不調に、紫は気付かなかった。あらゆる意味で『普通の子供』とは縁遠いことも相まって、こんなになるまで放っておいたのだろう。

 「……私は、紫苑の部屋でも見てくるわ」

 ありえないだろうけど、ヒントくらいはあるかもしれない。そう思って紫に一言告げ、返答ももらわずその場から足を遠ざけた。

 紫苑の部屋の位置取りはわかっている。今まで何度か紫の邸へ来たことはあったし、紫苑に請われて書類の纏め方を教えたことだってあった。そのためだ。

 誰もいないとわかっていた永琳はノックもせず襖を開ける。整理され、閑散とした部屋。作業机と、纏められた布団と、恐らく書類を纏めるのに使った資料を集めた棚。娯楽関係のモノは何一つとして置いていない。

 この部屋の風景を見て、これが『子供部屋』とわかる人間は、一体どれだけいるだろう。少なくとも永琳にはわからない。どう見たって、大人の作業部屋だ。

 まず資料棚を――そう思って近づいたとき、ふいに布団を見る。

 「……?」

 どことなく、違和感。

 それに命じられるがまま動き、見つめることしばし。

 ――()()()使った形跡が、無い?

 そう。永琳の観察眼が、これがここに置かれてからただ一度として使われていないと見抜いた。少し布団を浮かしてみると、畳が少し変色している。長期間同じ場所から動かさなかった結果だろうと思われる。

 何故、どうして、と次に気になるものへと眼を向ける。

 考えれば簡単なこと。布団で寝ていないのなら、一体紫苑はどこで寝ていたのか。答えはとても単純で、それ故に永琳の頭を抱えさせるものだった。

 ――紫苑、あなたは動物か何かなの?

 唯一かすかに凹んだ痕がある、壁。それはちょうど紫苑の背中が当たっていただろう位置。恐らく紫苑は、紫にこの部屋を与えられてから、ずっとこの壁に背を預けて寝ていたのだろう。

 そこから導き出される結論は、一つだけ。

 (紫苑、あなたは……『紫を信じていなかった』のね)

 正確には、信じきれていなかったのだろう。本来心を休めるべき家で、紫苑は体を休めれても、心までは許せなかった。

 そっと、壁の凹みに手を触れる。目を凝らさなければわからないくらい微かに滲んだ血の痕に、ちょっとだけ眉が動いた。

 しかしこれはあくまで紫苑の生活を辿ることでしかない。紫苑の居場所を探るヒントには一切ならない。

 その場から離れ、机へ向かう。考えれば資料棚は収められている量が多すぎる。元々あまり期待していない以上、紫苑の手記か何かがある可能性のある机の中を優先した。

 中には特にありふれたものしかない。筆記用具、メモ帳、絆創膏などの救急用具、めぼしいものは何もなかった。そもそも紫苑自身、あまり物を貯め込む人間ではない。これは期待できなさそうだと思ったところで、最後の引き出しを見て気づく。

 ――二重底?

 かなり巧妙に偽装されているが、ほんの少し、厚さ三ミリにも満たない空間の存在を、永琳は見抜いた。

 恐らく本当に知られたくないことなのだろう。紫苑の工夫が見て取れる。

 それでも見なくてはならない。これ以上なく明白な家探しのようで気乗りしなかったが、壊さないように二重底を取り外し、中身を取り出す。

 少なくとも取り出したときには、半分に折られた白い紙でしかなかった。ということは、開けば中身が見える。この薄い紙で裏側に何も見えないということは、色付き鉛筆やボールペンを使った可能性は低い。

 数度、息を吸って吐く。そして覚悟を決めて開き――そして、後悔した。

 バンッ! と紙を机の上に叩きつけ、激しい呼吸に見舞われる。この紙が、紫苑の内心を全て物語っていた。

 それを一瞬で理解してしまって。

 そのときの紫苑の感情を思ってしまって。

 永琳は、泣きたくなってしまいそうになった。

 書かれた、否、描かれた内容は、何の変哲もない絵だった。今まで紫苑が出会った人々が、誰もが笑顔でいて、好きなように話し、踊り、食べ、飲んでいる絵。きっと、見れば誰もがこういうのもいいなぁと、ほんわかとする絵。

 そして同時に、思ったはずだ。

 この真ん中に()()()()()()()空間は、なんだろう、と。

 ちょうど、『人一人分』の隙間。

 そして、『この絵に存在していない誰か』という、疑問。

 「紫苑、あなたは……本当にッ。……!」

 ただ一人――笑い合う絵の中にいない、少年。それはきっと、描けなかったのだ。

 この中で笑う、自分の姿を。

 その情景を、思い浮かべることができなかった。

 永琳は、思う。

 (あなたから師匠なんて呼ばれながら、私はあなたをちゃんと見れていなかった。あなたが望んだ未来へ導くことさえできなかった。今度は、間違えない。あなたが『生きていたい』と思えるような、そんな未来を!)

 永琳は、傍観者だった。

 多少のアドバイスをしても、当事者にはならなかった。あくまで関係者で留めた。どんな時でも実際に身を危険に晒したのは紫苑で、フランで、他の誰かだった。

 仕方がないことだったといえば、それだけだ。永琳の目的は輝夜を守ることで、そのために他のことに大きくかかずらっている余裕はない。

 ――その立場を、今だけは。

 紫苑を助けるために、それを捨てる。輝夜は何と言うだろう。怒るか笑うか呆れるか。きっと、仕方がないと言ってくれる。

 もし解雇通知を渡されたら――そのときは、紫苑に責任を取ってもらおう。

 と、聞く人が聞けば勘違いされかねないことを思ったとき、スパンと襖が開かれる。神速で紙を引き出しの中へ放り込み二重底を取り付ける。その間三秒。驚きの早業だった。

 「見つけたわよ、永琳! これ以上ないってくらいに濃い闇の深淵を!」

 「意外と早かったわね。これは、誘われてると見るべきかしら……?」

 興奮する紫とは逆に、永琳は冷静だった。誰かを連れて行くべきかと思ったが、紫の懐刀である藍は所用でいない。

 それにこのままほったらかしにしていればもっとまずい事が起きる。そう思って、永琳は誰かを連れて行くのを諦めた。

 「行きましょう、紫。紫苑を止めに」

 「ええ。会って、謝りに行くわ。そして、止めなきゃね」

 開いた隙間から覗くのは、黒い世界。中心部だからこそ影響が強く、重い。

 意を決して足を踏み入れる。

 感じたのは、『黒』だ。負の感情、その極地。精神にかかる負担が一気に増す中で、その全てを振り払って永琳は歩く。

 ちなみに紫は能力でそれらの影響を跳ね除けていたが……自分の能力だ、文句を言うのは筋違いだろう。

 草を踏みしめているはずなのに、その感触も、音もしない。『闇』以外が存在しないその空間を歩んでいく。

 このままいけば、世界はこの闇に全てを飲み込まれるのかもしれない。そんなことは、絶対に許容できなかった。

 進んでいった先に、歪な椅子に座った、白一点。

 黒と闇しか存在しない世界で、その白は途方もない違和感を放っていた。ふと、自分以外の存在に気づいたのだろう、白は二人に声をかける。

 「ああ、紫に……師匠か」

 穏やかな、声だった。

 悲しみも、怒りも、憎しみも、絶望も。何一つとして感じさせない、真っ白な声。それに言葉を返そうとして、永琳は気づく。

 ――あの、椅子。紫苑と繋がって……?

 その視線を辿ったのだろう。疑問に答えるように、紫苑は席を立った。

 グネグネと動き出した椅子が、不定形となり、『紫苑の中へ』戻っていく。トンと降り立ったときには、闇は紫苑の右半身へ集っていた。

 まるで侵食するかのように覆われる。特に右目は白い部分が完全に黒へ染まり、まるで喰種のような悍ましさ。

 そして末端部位である右手からは、ポタ、ポタ、と黒い雫が漏れる。

 「ふふ、醜い姿でゴメンね? 俺は彼女と違って完全にこの闇を扱いきれないんだ。どうしても体の方に影響が出ちゃうんだよ」

 笑う紫苑に、常の親しみはどこにもない。

 あるのはひたすらに、『コイツは誰だ』という、警鐘だけ。

 「紫苑、あなたの目的は一体何なの?」

 「幻想郷を脅かすのなら、一時的にあなたを無力化することさえ厭わないわ」

 「目的を聞いたところで仕方ないだろう、師匠。それに、紫はやっぱり幻想郷が一番か。その関心の一欠片でも……いや、どうでもいいことかな」

 二人の言葉を一笑に伏し、紫苑は自然体で構える。

 「悪いけど――消えて?」

 瞬間、永琳から血がぶちまけられた。



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予想外の参戦者

 「悪いけど――消えて?」

 一方的に宣告した紫苑は停止状態から一気に最速にまで加速する。両者の間にあった距離は瞬く間に縮まり、目と鼻の先に紫苑の姿が現れる。

 永琳はすぐに反応、背中に隠し持っていた剣を取り出し迎撃行動に移った。

 「え……!?」

 だがそんな彼女の目に映ったのは紫苑の姿ではなく、どこまでも先のない『闇』だ。自らを飲み込まんとする闇が襲いかかる。

 流石の永琳も闇そのものを相手にしたことなどない。斬る、防ぐ、避ける、そのどれを選択するかを悩み――その刹那が、隙となった。

 永琳の『影』、そこから現れた紫苑が彼女の顔へ手を回し、固定。まるで抱きしめるかのような体勢だが、今から紫苑が行うのはそんな生易しいものではない。

 そして闇に覆われた右手が蠢き出し、

 「バイバイ」

 永琳の首を、切断した。

 ゴトンと、永琳の頭が地面に落ちる。冷徹にそれを見た紫苑は、その頭を闇で飲み込み消滅させる。

 行動を途切れさせず、黒陽を抜いて肥大化。

 形作るのは、十字架。イエスを縛り付けたような、巨大な十字架だ。

 勝負は一瞬。永琳の再生は本当にすぐ終わってしまう。彼女が頭を治し状況を把握する前に、全てを終わらせる。

 彼女の体を十字架へ叩きつける。重力の向きを変更して磔状態を維持。首、腰部分を拘束する。そこまでやって、永琳の頭の再生が終わった。

 この間数秒。紫でさえ見ているしかできない、一瞬の出来事。

 我を取り戻した永琳は、すぐに自分が拘束されてると気づく。

 「でも、私にこんなのは無意、味……?」

 ふと、気づく。

 重力で磔にさせられているにしては、全く手足が動かせない。いやそもそも、何故か『一部の感覚が存在しない』状態だ。

 「まさか!?」

 ――()()()遮断された!??

 「正解。いやほんと、師匠相手だと手札が少なくなるから困るよ」

 永琳は確かに超速の再生能力を持つ。バラバラの肉片にしようが、心臓を射抜こうが、頭を吹き飛ばそうが、意味がない。

 彼女を挫けるとしたら、果てしない苦痛を与え続けて、その強靭にすぎる精神を叩きおった、その時だけだ。そして今の紫苑にそんな事をしている余裕はない。

 あらゆる知識を持ち、それを活かす技術があり、どこで使えばいいと判断できる経験を兼ね備えていて、しかも不死身。そもそも殺す事さえ容易ではない。

 だから、彼女を拘束できる手段を用意した。

 誰も彼もが永琳に対して拘束できないと考えているかもしれないが、その実そうではなかったりする。

 ピッチリと隙間なく彼女を覆って動けない状況を作り出せばそれでいいし――通常の技術ではそれは不可能だが――永琳を気絶したままにできればそれもまた一つの拘束方法だ。

 が、紫苑はそういった不完全な状態を嫌った。

 だから黒陽を利用して、彼女の手足を貫いているのだ。

 とてもとても小さな、極薄の針で。

 「手足の主要箇所は大体貫いてるから、まず動かせないと思うよ。自重で位置がズレるのも嫌だから、黒陽で重力方向も変えてるし。師匠は、そこで見ていればいい」

 かつて見た彼女のカルテ。そこに記載されていた内容通りにねじ込んだから、もう動けることはないはず。

 「俺が全てを終わらせるまで、邪魔しないでいてくれれば」

 「待ちなさい紫苑。あなたの本当の目的は、もしかして」

 紫苑の目を見た瞬間そんな事を言った永琳に、

 「はい永琳のアドバイスはここでおしまい!」

 白夜を突き立て空間を歪ませ強固な結界を作り上げる。実のところ、永琳を真っ先に捉えたのは彼女の戦闘力より、その賢さ故だ。

 ――だーから怖いんだよねぇ。相手にしたくないよ。

 「さて、と。ところで、紫はどうしてそこから一歩も動いていないのかな?」

 紫苑は、今の今まで厳しい視線を送るだけだった紫に向き直る。ひとまず永琳の事は置いておけばいい。彼女はもう、動けないのだから。

 「自分の師匠に、容赦ないのね」

 「殺せない相手に躊躇したら死ぬのはこっちだよ。そもそも紫は、俺が異変を起こした事くらいわかってるだろう? そんな相手が、情けなんてかけると思うのかな」

 「……ッ。幻想郷を救ってくれたあなたが、どうしてこんなことを」

 「どーでもよくなったからさ」

 口調が、違う。

 何かに影響されたのか、先程から今までずっと言葉が軽い。ともすればニヤニヤと、相手を嘲るように口元が歪む。

 「で、来るの? 来ないの? 邪魔しないんだったら返してあげるから、お家に帰ってこの異変が終わるまで眠っていればいいさ」

 ――その後幻想郷がどうなってるかは、知らないけどね。

 そんな言葉を、幻聴した。

 「私は、あなたを止めるわよ、紫苑!」

 「宣告なんてしないで不意打ちでもすればいいのに」

 闘志を燃やす紫とは対照的に、紫苑は冷たくそう告げる。

 背中に展開される弾幕。だが正直、紫苑としてはもう慣れた。ただ飛ばしてくるだけなら適当に相殺すれば後はどうとでもなるレベルの物でしかない。

 斬って、弾いて、防御して、躱す。それをひたすらに繰り返せば、それでいい。ミスなどするはずもない。

 紫がどのような行動に出るか。そう思って彼女を注視していると、ふと背中に小さな揺らぎを感じた。

 ――防ぐ? 避ける?

 ――避ける。

 即座に展開される思考に命じられるがまま体を動かし『背中から』飛来した弾丸が脇を通っていくのを横目に捉える。

 遠目に紫が驚いているのを感じた。その後焦ったように周囲が揺らぎ、そこから弾幕が飛び交ってくる。この時点で、察した。

 『境界を操る程度の能力』で、弾幕を周囲に飛ばしている。紫苑が反応できたのは、彼女のこの能力は『空間』に作用しているからだ。

 空間を繋げる時に生じつ小さな『揺らぎ』を直感的に悟り、避ける。これは大きなアドバンテージだ。

 少しだけ、弾幕が途切れた。

 そこを見逃さず縮地で移動。闇が蠢く右手を伸ばし掴みかかる。

 潜在的な恐怖を刺激され、紫の顔が小さく歪む。それでも咄嗟に傘を盾にしたのは褒めるべきなのか。

 顔は諦め傘を掴み、そのまま闇で飲み込みバキンと叩き壊す。少しだけ感じた反発は、多分この傘が特別性だからだろう。

 それでもその隙をついて紫は足元に『境界』を作り出し、落下。顔を掴みそこねた手が空を切った。

 紫は更に他方で展開、前後左右上下から、弾丸を、矢を、巨大な剣を射出する。大小様々なそれらによって、遠近感を狂わせ避けにくくするために。

 だけど、

 「本命は、別物よ……!」

 紫苑の、上空。そこに一際大きな揺らぎが生じる。

 現れたのは――爆発寸前の、バス。

 「……はッ!?」

 ここでようやく、紫苑の顔が動く。予想外すぎる物体が降ってくるのに、周囲から襲いかかる弾幕がその場から離れることを許してくれない。

 落ちてくるまで、後五秒。

 闇を周囲に展開し、自分を覆う巨大な盾を作り上げる。

 バスから発生された熱が紫苑へと伝わってきた。

 弾幕が盾にぶつかり微かな振動を紫苑に伝わせてくる。

 パラパラと、砕けたバスの破片が紫苑の肌に触れ、焦がす。

 盾となっている闇を維持し、その中心点から、槍を解き放つ。

 放たれた槍がバスを貫き、その動きを食い止める。

 その瞬間、紫がバスの中から、動力部分だけを紫苑の横へと移動させる。

 「しまッ――」

 炎が引火し、大爆破。

 闇で自身の周囲を覆っていた紫苑に避ける隙間など無く。

 ――その衝撃を、全て受け止めた。

 熱と音から身を隠すように目を閉じ耳を塞ぎ丸くなっていた紫は、もう大丈夫かと立ち上がる。少し土埃に塗れたが、許容範囲かと割り切った。

 あたりを見渡し、それを数度繰り返して、見つけた。

 黒い黒い世界の中で横たわる、灰のような少年の姿を。

 闇で塗りつぶされた右半身は、大きな火傷を負っていない。けれど逆に、左半身はボロボロの炭のようになってしまっている。

 それは、紫の胸に小さな痛みを感じさせた。

 こんな事を、したかった訳じゃないのに。

 何故、こんな事になったのだろうか。自分のせいだとはわかっているけれど、やりきれない思いが胸中に広がる。

 「素直に諦めてくれれば、ここまでするつもりはなかったのに……」

 「この程度で諦めるくらいの軽い想いなら、はじめからやってないよ」

 トン、と。

 紫の腹から、小さく鋭い、刃が出てきた。

 痛みと驚愕で思考が鈍る中で、後ろを恐る恐る振り向く。

 そこにいたのは、無傷の紫苑。

 「どう、して……確かにあなたは、そこに……!?」

 「あの盾が、俺の姿を一瞬隠すためだって気付かなかったのが敗因かなー」

 ハッと死に体のような体を見下ろせば、ずぶずぶと闇の中へ消えていく途中だった。

 「闇を使った、分身をッ!?」

 「相手が勝利を確信した瞬間が、大きな隙を生むのは経験則でわかってたからね。あの攻撃、利用させてもらったよ」

 紫を油断させるための、大きな演出。それを理解して、紫は唇を噛んだ。

 「――私を、離しなさい!」

 近接戦闘などまるでできない紫だが、この至近距離で、肘打ちをするくらいならわけはない。もちろん躱されるなどわかっていたが、

 「ほいっ」

 ぐりゅ、と。バックステップで遠のく間際、手首を捻って腹を掻き混ぜられた。ぐふ、と口から血が滴り落ちる。

 ナイフを引き抜き境界を操って出血を食い止める。長時間やりすぎると塞き止められた血液が血管を圧迫するが、血を失って貧血になるのはもっとまずい。

 「藍が、来てくれれば」

 心底から、そう思う。

 紫はあくまで後衛に位置するタイプだ。前でもタメをはれるが、前衛特化型の紫苑とは、相性が悪すぎる。同じ前衛型の藍が来なければ勝負にもならない。

 「悪いんだけどさ」

 だから、紫苑はその希望をへし折りに行く。

 「藍は、ここにはこれないよ? ……絶対に」

 「何が言いたいの。藍に、一体何をしたの!」

 「ちょっと、拘束してるだけ。いいよ、少しだけ、許してあげる」

 一度指を鳴らし、紫苑から漏れ出る闇が動き、少しだけ戻っていく。そのすぐ後の事だ。

 『紫、様……申し訳御座いません』

 「藍? 一体何が起こってるの? 藍!?」

 今まで何の反応もなかった藍から、式を通して念話が飛んでくる。だがその声も途切れ途切れであり、今にも潰れそうだと、そう察してあまりある声音だった。

 『闇が、私の体を拘束して……そちらには、行けそうにありません。この念話も、勢いが少しだけ衰えた隙を、狙って……うッ!!』

 「わかったから、無理をしないで。この異変はこちらでなんとか解決するから。だから、もう念話をしないで、藍!」

 『お言葉に、甘えて……』

 それを最後に、藍との繋がりがプツンと途切れた。

 「貴女の傍で、ずっと二人の事を見続けていた俺が、貴女達二人が揃うのをただ待っているだけだと思った? 危険は迫る前に排除する。それだけで、こんなに有利に戦える」

 片手を振りかぶり、上段に構える。その手で掲げられたのは、闇色の剣。そこから噴出する黒が渦を巻き、膨大な力を宿し始める。

 ――どうすれば。

 これを避けてもジリ貧だ。怪我を負った紫と、未だ無傷の紫苑。後衛型と、前衛型。そもそもの戦闘経験。いくつも積み重なった差が、紫と紫苑の間に越えられない溝を生む。

 ――私、一人じゃ。

 勝てない……。

 「さよなら、紫」

 そして、剣が振り下ろされる。

 闇が迫り、紫という存在をこの世から消し去ろうと、空から落ちてくる。比喩抜きで、途中にあるもの全てを叩き割って。

 ――死。

 その光景を、幻視した。

 寸前、紫苑の腕に何かが絡まる。

 「――え?」

 呆然と漏れた音は、誰から聞こえたものだったか。

 グンと引っ張られ、振り下ろされた腕が真上にはね上がる。紫へと向かっていった闇が、まるで逆再生するかのようにまた元の位置へと戻っていく。

 「え、あ、って、うわわ!?」

 前へと移った重心を無理矢理戻され、バランスを崩した紫苑が尻もちをつく。闇の統制が一気に崩れ、怒涛の勢いで紫苑の右半身へと戻っていく。

 「い、ったた……」

 「い、一体何が?」

 反射的に呟いた紫苑と紫。その目の先にあるのは、一本の『蔦』。それは、植物から生える、それだった。

 そして、幻想郷に植物を――否。花を操る存在は、たった一人しか存在しない。

 「おいおいマジか」

 緑の髪を靡かせ、血と泥と焦げ臭い戦場の中に、彼女は現れる。

 かつて大敗を喫した、最悪の相手。未だ再戦したこともなければ、戦おうとさえ思わなかった、その相手が。

 風見幽香が、戦いの真っ只中へと、舞い降りた。

 「流石にそれは予想外すぎる。どうしてここに来たんだ幽香」

 「そうね。あなたは基本、こういった事には無頓着なはずよ」

 ここだけは息の合う、不可解だと全身で表現する二人の紫の名を持つ者が問う。

 紫苑としては、ここで幽香と戦うのは得策ではないとわかっているから。例え闇を用いようと、近接戦闘という一点において、恐らくまだ勝てないと、理解しているが故に。

 逆に紫は、ここに来て現れた彼女の不自然さに、疑問を持ったから。変に介入されてしっちゃかめっちゃかにされるのだけは、困る。

 二人に詰問された幽香は、けれど悪戯っ子の笑みで返す。

 「ふふふ、二人が困っている様を見るのはちょっとおもし……楽しいわ」

 『……』

 ドSだった。そういえばこの人はこんな感じだったよなぁと、妙にシンクロする二人が頭痛を抱える。

 しばしその様子をおもし……楽しんでから、幽香は答える。

 「昔世話になった友人から、借りを返してほしいと頼まれただけよ」

 「友人……?」

 紫苑は未だ疑問に思った様子だが、紫は気づいた。

 『一人だけ……それなら、アテがある。もちろん絶対に連れて行けるとは言えないが、可能性はあるはずだ』

 紫と永琳にそう告げた、一人の女性。彼女が幽香を遣わしたというのなら、この段階で現れた理由も納得できる。

 ――そういえば、居場所を教えていなかったものね……。

 だから、先ほど紫が使った動力の大爆発で、このあたりだと検討をつけるまで、来れなかったのだろう。

 「ま、報酬はきっちりと貰うつもりだから、ギブアンドテイクだけど。私はレアよ? 報酬は安くないわ」

 ――せめて少しくらいは遠慮してくれるとありがたいものよ……!

 心底から楽しそうだと笑う幽香に、紫は今からこの異変後の事に頭を悩ませるハメになるのだった。

 ――さてどうするか。

 紫苑は幽香の一挙手一投足を見る。紫に対する警戒心も忘れておかない。まさかの二対一という展開に、内心焦っていた。

 ――こんなことなら。

 ぬかったとしか言えない。ここに来る前の紫苑なら、ダラダラとくっちゃべらずに紫を戦闘不能にしていただろうに。

 甘くなったといえば、それまでだ。

 勝ち筋が見えづらくなった以上、勝ちを狙いつつ時間稼ぎに専念するのが得策か。元々時間さえあれば自分の目的は達成できる。

 ――頼むぞ、ルーミア。

 ――ま、少しくらいなら手伝ってあげる。

 内から微睡むような声。フランとは違いルーミアは紫苑の中で、紫苑の内にある闇の揺り籠に包まれている。

 紫苑の焦りに反応して、少しだけ意識をこちらに向けてくれたに過ぎないのだ。この機会を逃すわけには、いかない。

 紫は幽香の発言に対して動揺し、動けていない。

 ――やるなら、紫だ!

 紫苑の影がゆらめき、すぐにおさまる。

 ――いまっ。

 「避けなさい紫」

 ――え?

 殺気を抑え、ルーミアに託した一撃は、あっさりと幽香に看破された。幽香の声で反射的に身を逸らした紫は、地面から生えたその攻撃に目を剥く。

 避け、られた。

 殺意も敵意も戦意も、何一つとして持ってはいなかったのに。

 「私の能力は、『花を操る程度の能力』だけれど」

 彼女は傘を閉じ、トン、と地面を叩く。

 「その過程で、花から()()()()()()()()ことだって、できるのよ」

 その言葉が示すのは、つまり。

 (彼女に地面からの奇襲は通用しない。奇策が、奇策として成り立たない。正攻法で彼女に勝てって、正気かよ!?)

 まさかの得意技が封じられる。ギリ、と歯を噛み締めるが、だからといって何かが変わる訳でもなく。

 このまま二対一で戦われれば、勝目なんて、本当に無い。

 前衛を得た後衛は、水を得た魚のようにその本領を増すだろう。ルーミアがいるとはいえ実質的に一人の紫苑では、数の差で押し負ける。

 本格的に焦り出す紫苑の前で、しかし幽香は、彼女はこういった。

 「紫、あなたは下がっていなさい」

 『!??』

 驚愕と、不可解。二人の感情が幽香に集まるが、彼女が視線を向けたのは、紫のみ。そしてその意図を理解したのも、紫だけだった。

 「……わかったわ」

 紫は腹に手を回し、その治療に専念し始める。

 「二人でかかればすぐ勝てるだろうに、なんでそうしない?」

 「お腹に傷を抱えた後衛なんていう不確定要素、必要ないだけよ」

 「容赦ないな」

 「自他共に認める加虐趣味者ですから」

 それはもう、語尾に音符かハートのマークでも付きそうなくらいの笑顔で答える幽香。とはいえ紫が戦線から離れたところで、幽香という脅威が目の前にいるという現実は変わらない。

 どうでる、と様子を見ていたのが悪かったのか。

 気づけば頭に、掌底が迫っていた。

 ――はや、いっ!

 紫苑の動体視力はあれから上がっている。それでもなお捉えきれない、その速さ。紫苑の脳裏に恐ろしい想像が湧き上がる。

 ――前の戦いは、手加減してアレだったのかよ!?

 単純とさえ言えるくらい、幽香の身体能力はズバ抜けている。ただそれだけの、とても単純な理屈。鬼の四天王にさえ、負けないくらいの。

 ――さりげなく、縮地使ってるしさあ……!

 眼で捉えきれなかったのは、そのせいだ。いつ覚えたのか、なんて野暮な問いはできない。使えるから、使っているだけに過ぎないのだから。

 加速した脳が、そこまでの処理を一瞬で終え、幽香への対応策へと移行する。

 この掌底を喰らえば、多分、死ぬ。そのくらいの握力が、その手には宿っている。

 一歩横に動き、避けようとする。もちろん幽香は逃さじと腕の軌道を変え、追いすがる。だけどどうしても、その合間には隠し様のない淀みがでる。

 それだけあれば、小細工はできる。

 紫苑の前から数本の針が突き出る。地中からではない、紫苑の体から漏れ出る闇から出現したそれは、例え幽香でも察知しきれない。

 「邪魔よ!」

 紫苑を狙った魔手はその矛先を変え、針の全てを鎧袖一触で破壊する。傷をつけることさえ叶わないのも予測済み。取り回しの簡単な短剣を持ち、幽香に迫った。

 「ハァ!」

 「フッ!」

 拳と剣が、火花を散らす。お互いに膨大な魔力と妖力をそれぞれの得手に纏わせ、情けのない一撃を加えていく。

 紫苑は繊細な技術をもって、間断のない連撃をお見舞いし。

 幽香はその身に宿した力任せの大技を、一撃に乗せていく。

 掠ればそれだけで致命傷になりかねない拳を躱し、ひたすらに小さな傷を積み重ねる。その小さな傷も、妖怪故にすぐに消えていくため、常人ならまず心が折れるだろう。

 だが、紫苑は折れない。傷は与えられる。殺すことは可能なのだ。ならば、相手の傷が回復しない段階まで、攻撃し続ければいい。

 そうやって――今まで、生き残ってきたのだから。

 必死になる紫苑を見て、幽香はうまくやれたと、内心で嘆息しているとも知らずに。

 

 

 

 

 

 幽香と紫苑が、超々至近距離で殺し合っている頃。

 紫は傷を癒し切り、けれど戦線には参加せず、永琳の元へと移動していた。結局のところ、紫にも幽香にも、紫苑の目的はわからない。

 ならば、それがわかる相手のところへ行くのが、道理というものだろう。

 このまま闇雲に戦ったところで、どちらかが死ぬまで終わらないなんて、嫌だから。

 紫の動きに、永琳は目だけでそれを追う。すぐさまその本意を悟ったのか、彼女の邪魔をすることなく、また黒陽の拘束で体を不自然に動かさないよう、振舞った。

 紫は永琳を覆うように展開されている結界に触れる。だが術式も何もなく、ただ強力な武器によって作られたそれは、通常の力で解除できるような易しいものではない。

 ――結局、能力(これ)に頼らないとダメってわけね。

 スッと静かにその結界に触れる。特に反発することもなく触れたが、

 ――紫苑は気づいていない。

 使用者が違和感を覚えた様子はない。あるいは、気づいていてもそれどころではないのか。遠くから見ている紫でも、幽香の攻撃には怖気を覚えるのだから。

 とはいえ、だ。下手に壊そうとすれば、今度こそ気づかれるだろう。そもそも紫の能力では、この結界を破れない。

 かつて紫苑が言っていた事だ。

 応用範囲の広い紫は、だからこそ特定分野の単一能力においてのみ、劣ってしまうと。空間に直接作用できる紫苑と、境界を操り限定的に干渉できる紫では、その分野での影響範囲も、干渉速度も、何もかも劣る。

 だから紫は、この結界を打ち破るのを、諦めた。

 ――私にできるのは、あくまで『境界』を操ることだけ……。

 違えるな。この結界も、所詮は数多ある『境界』を形作る、一つなのだと。紫苑という人間が作った一つの『世界』ではあるけれど、ならば、解析できない理由は存在しない。

 紫が藍にのみ告げたもうひとつの弱点。それは『理解できない事柄には干渉できない』というそれを、今だけは撤回させてみせる。

 ――さあ、やりきってみせるわよ、私!

 全てを壊す必要はない。

 ただ一点のみ、突破できれば、それでいいのだから。

 頭を回せ、思考を絶やすな、今まで蓄えた知識を使え、そして――『境界』を操ってきた、その経験で、不可能を可能にしろ!

 そして、紫は、

 「できた……!」

 ほんの小さな、穴を開けた。

 これでは永琳を連れ出す事はできないだろう。だが、音は、声は届く。永琳の(こた)えを、聞くことができる。

 「永琳、教えて。紫苑は一体、何がしたいの。本当に彼は幻想郷を壊したいの!?」

 焦って、今自分が何を言っているのか、何を教えて欲しいのかさえ纏まらないまま、彼女は悲鳴のような声で叫んだ。

 それを受けた永琳は、まるで信徒に神託を授けるかのような、静かな声で、

 「紫苑の目的は、恐らく――」




受験で忙しくなると言いつつ新しい二次創作を書いてしまった私を許してください。

え、許してくれない? お願いします何でもしますから(ry

とりあえず息抜き程度の友達から借りた小説を読んでいたらドハマリした結果があの二次創作です。無駄にモチベダダ上がりした結果、気づいたら小説色々読み直して設定やらなんやらを逐一調べて書き連ねていた。

2日で3万文字まで書いてしまった。このやる気をこっちに回せば今頃この作品終わってたんじゃないのかな……?

私の性で無駄に詳しく書いていたりするので、もし興味があればそちらもご参照してくださると狂喜乱舞します。

あ、あっちでも書きましたがあくまでこちらメインなので大丈夫です。あちらに引きずられる形でこっちのやる気も出る……といいなあ(願望)。


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紫苑の目的

 「チッ」

 闇を纏い、掛け値なしの全力で戦っている紫苑は一度距離を取って舌を打つ。やはりというべきなのか、幽香の防御を打ち抜いて一撃を入れても致命傷にはならない。芯に攻撃が通らないのだ。しかも彼女は剣と闇を纏った攻撃だけは必ず避けるので、その一点でも攻撃力は下がる。

 こっちは一撃貰えば致命傷。あっちにはいくら攻撃を与えても終わらない。わかってはいたが、理不尽だと思う。諦めるつもりは欠片も無いが。

 どちらにしろ現状勝てる要素は一つもない。勝率ゼロ。彼女の防御を完全にぶち抜けるだけの技を打ち込まない限りどうしようもない。

 ――仕方がないか。

 どうやっても、足りない。かつて打ち込まれた薬で異常強化(ドーピング)された身体能力でも、経験し覚えた技術でも。

 彼女には決して、届かない。

 だから、紫苑は一つだけ『諦める』。自身の『目的』を安全に達成することを。理性を失い暴走する可能性を代償に、更なる力を得ることを。

 幽香が足元にあった拳大の石を蹴り上げ弾丸のように投げてくるのを横に移動し避ける。そのまま接敵してきた幽香の一撃を敢えて避けず、体に受けた。

 「……?」

 なのに、衝撃がほとんど通らない。致命傷となりうる一撃を、如何なる手段か紫苑は防いでみせた。

 疑問に思った幽香は離れようと拳を引き――剥がせない。

 「なに、これ?!」

 いつの間にか自身の手首までを覆う闇。だがおかしい。紫苑の『闇』は半身を覆うのみで、それ以上は普通だった。

 視線を上げた幽香は、紫苑を見る。そして理解した。

 ――捨てたのか、理性を!

 全身を『闇に染めた』紫苑を見て、幽香はそう思った。確かにあった人間としての肌色はもうそこにはなく、黒い肌と瞳、相反する異様に際立った白髪、瞳の中心にある紅。

 本来適正はない『闇』に手を染めた者の、末路。

 それならと幽香は掴まれた腕をそのまま押そうとして、その寸前、顎をかち上げられた。その痛みを覚える前に、抜き手に構えられた手が幽香の眼を抉ろうと迫る。

 動く方の腕を盾にし防御。だが紫苑の動く手はまだある。それをわかっていた幽香はまた包まれかけている腕から力を抜き、その手からパラパラと種子が落ちる。

 それが地面に触れると、まるでコマ送りのように芽吹き、成長し、花となる。その花が更に肥大化し、紫苑を食べる食虫ならぬ食人植物へと変貌する。

 両腕を離し退避する紫苑。だがそれを逃さじと追い縋る食人花に目を細めた紫苑は、纏った闇を打ち出した。

 穿たれボロボロになった食人花は、それでも幽香のためにと蔦を伸ばし紫苑の動きを阻害しようとする。焦れったくなったのか、紫苑は一瞬で接敵すると、食人花の頭か何かを掴み、闇を内部へ侵入させる。

 闇に全てを犯された食人花は数度体を跳ね上げると、完全にその機能を停止させる。

 隙あらば打つ、と狙い定めていた幽香は、花が完全に萎れ枯れていく様を見て、思考を止めた。

 (命を――生気を完全に吸い取った!? あの『闇』は一体)

 生き物が生きていくのに必要な全てを、紫苑は奪い取る。容赦なく、慈悲を与えず。無慈悲な殺人鬼として。

 まだ、何とかなると思っていた。

 まだ、どうにでもなると考えていた。

 甘かったとしか言えない。もしこのまま放っておいたら、幻想郷はこの闇に覆われ、紫苑に全ての生気を吸い取られるかもしれない。そうなったら、終わりだ。

 命を失った世界は、崩壊してしまうのだから。

 気づけば紫苑の体から漏れ出ていた闇は完全に止まっている。不完全な同化は相応の結果しか残さなかったが、幽香によって決意した紫苑によって、その結果は変わった。

 くぐもりひび割れた声が、届く。

 『来、ナイノ……?』

 話しづらそうに、聞き取りにくい声で問う。

 『来ナイナラ』

 ザッと、紫苑の足元から音がした。

 『殺シニ、行クネ』

 静か、だった。

 紫苑の移動は。まるで寄り添うように、あるいは這い寄るように。そこにいるのが当たり前のように、幽香は接敵されたのに気付かなかった。

 その美貌を歪め、回避に徹する幽香。一度でも掴まれれば、また先のように拘束され、今度こそ生気を吸い取られるかもしれない。

 もちろんただの花と幽香では保有する量が段違いだ。しかしやらなくても済むのなら、やらない方がいい。勝ち筋が見えないのだからなおさらだ。

 時間をあげるのも問題なのが、痛い。刻一刻と紫苑の目的を達する時間は迫ってきている。それまでになんとかできなければ、幽香の負けだ。

 こうなったのが紫の責任だというのは聞いていた幽香だが、まさか自らの大切な花畑にすら影響の出る異変にまでなっているとは寝耳に水だ。

 ひたすら逃げに徹する幽香。だがそれも一分、二分と過ぎた頃、少しずつストレスが溜まってくる。元々幽香はいじめられるよりいじめる方が好きだ。もっと言うと、大好きだ!

 だから今の状況が気に食わない。言いように、猫に追いかけられるネズミのような今に、イライラが募る。

 そして当然というか――爆発した。

 「しつ」

 ビキリ、と幽香の足元に亀裂が走る。

 「っっっこい!」

 盛大にブチ切れた幽香が足元を割り紫苑へと拳を振るう。微かに瞠目した紫苑は堅実に防御しようとして、

 「そんなものでっ!」

 闇を巻きつける前に防御を粉砕され、顔面をぶん殴られた。吹っ飛びゴロゴロと転がる紫苑。ピクリとも動かないその姿は、まるで死体のよう。

 『闇で拘束される前にぶん殴る』という力技で突破した幽香はというと、

 「ふぅ、ちょっとスッキリできたわ」

 どこか晴れやかな顔で、そう言った。紫苑を止めるということすら忘れ、己のストレス解消のために紫苑を殴った彼女は、もうその後はどうでもいいとすら思ってしまうほどに、スッキリしていた。

 「何やってるの、幽香!」

 だがそれを咎める者は、ここにいた。やりすぎた幽香を窘め、苦言を申す紫。怒りを顔に宿した彼女に、幽香は鬱陶しげに答える。

 「仕方ないでしょ。うざったかったんだもの」

 「……報酬は減額ね」

 「それとこれとは話が別でしょ?」

 「私は一度でも『紫苑を殺せ』だなんて言ってないわよ!」

 仲間同士のはずなのに言い争う彼女らに絆なんていう高尚なものはない。

 その隙を、突かれた。

 「チッ、あなたのせいよ」

 「さりげなく人に押し付けないでくれます?」

 幽香と紫がその場を飛び退く。けれど集められた闇は二人を付け狙い離れない。執拗に、周到に一撃をお見舞いしようとする。

 だが幽香は地面を抉り、抉った岩を投げて闇を払い、紫は境界を操ってそもそも近づけない。油断せず、周囲を警戒するだけだ。

 闇があるということは、紫苑が健在という証拠。油断する理由は無かった。

 「これで黒陽と白夜があったら手のつけようもないわね」

 「…………………………」

 「それで、紫苑の目的はわかったのかしら。わざわざ時間稼ぎなんて地味な事をしてあげたのだから、少しくらい収穫があると嬉しいのだけれど」

 「…………………………」

 「ダンマリは、わからないと同義?」

 言葉を重ねるごとに紫の顔に苦渋が浮かぶ。それは聞けなかったということではなく、聞いてしまったからこそ浮かぶ色。

 それでも幽香が再三尋ねるのは、単に追い詰めるのが楽し――ではなく、紫苑の目的を知りたいからだ。

 「それは――」

 しかし、幽香の言葉が形になるのは、許されなかった。

 二人の間を襲う一撃。遥か上空から迫る闇の壁が二人を引き剥がし、距離を取らせる。無理矢理引き離された二人は、視線を感じた方を向く。

 「あなたの目的を知る私の口封じ、かしら」

 「私を先に始末して、紫に手を出すつもり」

 そこにいたのは、紫苑の姿。

 ――()()()()()()、紫苑がいた。

 

 

 

 

 

 幽香は周囲を覆う闇を見る。前後左右と上の先が見えない暗闇。漆黒の空間。けれど、彼女はそれに恐怖しない。

 「さて、どうしようかしらね」

 そう軽く呟けるほどには、落ち着いていた。

 ぐるりと動かしていた視線を元に戻し、紫苑を見る。この暗黒に似合わない白と紅を持つ紫苑は目立つ。異端とすら言える白は、ここにいてはいけないと言いたげに光っていた。この空間だからこそだろうか。

 さっさと紫苑をぶちのめして息苦しいここから出よう――そんな危険思想は、真っ先に潰れた。

 「ッ……。ァ……ッ!?」

 首を締め付けられ、声が出なくなる。次いで手、足、胴体と、締め付けられる箇所がどんどん増えていく。

 理由は簡単。ここが『闇』の中だからだ。言い換えればここは紫苑の腹の中。闇ある場所故にいくらでも攻撃手段を確保できる。

 だが幽香は妖怪。肺活量は人間の比ではなく、数分程度で息の根が止まるようなやわな肉体を持っていない。

 だから紫苑は、容赦しない。

 ゴフッ、と幽香の口から吐息が漏れる。

 腹を殴られた衝撃が、声にならぬ声を伴って口から吐き出されたのだ。一度、二度、三度。大した衝撃ではないそれも、息ができず、衝撃を逃せない現状、幽香を追い詰めかけない一撃と化していた。

 けれど幽香にとっても、そして紫苑にとっても。この程度で終わるなんて、これっぽっちも思っちゃいない。

 幽香の目に凶暴な色が灯る。それは刹那の間だったが、その間だけで、木っ端微塵に闇の拘束具を破壊した。

 そのまま紫苑に向かって駆け抜ける。獰猛な獣になっている幽香の上に闇が『降って』来た。大量の隕石に、幽香は真正面から拳をぶつけて破壊する。

 本来の隕石に比べれば弱くとも、その質量をものともせずに破壊する様子は末恐ろしい。幽香の底力を垣間見せるようだ。

 少しずつ、しかし確かな歩みで進んでくる幽香を見た紫苑は構える。それは単に重心を落としただけだが、紫苑にとってはそれで十分なのだと、幽香は理解していた。けれどそんなもの関係ないと、幽香は距離を潰して拳を握り、振り上げて。

 拳を『受け止められ』、裏拳で顎を『打ち抜かれた』。

 「――!?」

 顎に伝わる確かな衝撃。ふらつく頭を抑え脳震盪を封じ込み、素早く距離を取る。グラグラと揺れる視界の中で、幽香は先程の一幕を思い返す。

 (速度と膂力で上を行かれて、一撃で私の防御力を貫いた……?)

 幽香の拳は並みのものではない。それこそ大砲か何かで打たれた砲弾よりも威力は上だ。それを軽々と受け止めるのは、普通ではない。

 しかもどこの装甲だと騒ぎたくなるような防御力すら物ともしない。どう見たって、普段の紫苑ではありえない。

 「一体何が……」

 とまで言いかけて、スンと鼻を動かす。

 そのまま吐き捨てるように舌を打ち、懐から取り出した種子に、手のひらを少しだけ爪で切って流れ出た血を吸い込ませる。

 『自身を苗床に』したのを紫苑に隠したままもう一度近づいた幽香は、殴りかかる直前で手のひらを真下に向けて、

 ――貫きなさい!!

 寄生した植物が即席の槍となり、紫苑の足目掛けて殺到する。それでも反応した紫苑はさすがだが、生憎とこの槍は『生きている』のだ。多少ズラしたところで回避できるはずはない。

 槍で貫かれ、少量の血を吸われるのと同時に、

 紫苑の足から――血が()()()()

 

 

 

 

 

 「これは、私狙いなのかしら」

 近接戦闘力の無い紫を先に始末し、後顧の憂い無く幽香を撃破する。なるほど確かに道理だ。しかもこの闇から外へ出る境界がわからないせいで、逃げることもできない。

 闇と地面の境界がわかったところで、どうしようもないのだから。

 紫はキッと紫苑がいる前方を睨みつける。

 「どうして、こんなことをしたの」

 『………………』

 紫苑の形をした闇は、答えない。

 「私を憎んでるなら、私を狙ってくれればいい。少なくともこの世界に罪はないの。だからこれ以上はやめて。いくらでも謝るから。私はダメな妖怪だったと、蔑んでもいいから」

 『………………?』

 少しだけ、ほんの微かに首を傾げる紫苑。

 紫はそれに気づかず、言い募る。

 「だから、この世界を変えないで。この世界に干渉しないで。もういいの。もう、頑張らなくてもいいの。だから自分を、追い詰めないで」

 『……。……何ノ、話?』

 「――え?」

 『自分デコウシタイカラ、勝手ニシテルダケ。確カニ憎ンデルケド、アイツニ比ベタラソレモ軽イモノ』

 そして一息入れ、

 『終ワルマデ、止マラナイ。『八雲』ヲ捨テサセタ貴女ノ言葉ハ、聞キタクナイ』

 ギリッと歯を噛み締める。

 わかっていた。わかっていたのだ。完全に紫苑はこの目的を遂行するつもりなのだと。それまでは止まらないと。

 例え紫が望んでいなくとも、紫苑はもう、『八雲』ではないのだから、関係がないと。

 「それなら力尽くで、も」

 闇が、紫を拘束する。言葉を吐く事さえ許さないと、伸びた鎖が紫を封じ込める。ガシャガシャと鎖が揺れ、しかし紫の悪あがきでは決して壊れない。

 『チョットダケ、寝テテ。ソシタラ全部、終ワッテルカラ』

 目の前に来ていた紫苑は紫の頭に手を当て、小さく揺らす。

 『サヨナラ、紫』

 呟く紫苑は、少しだけ寂しそうに、笑っていた。

 

 

 

 

 

 まるで蛇口を捻ったかのように、あるいは放水口を窄めたホースのように吹き出す血液。数秒でそれもおさまったが、本来ならありえない減少。

 ――もしかして。

 それを見た幽香は、かつて体験した人間の技を思い返す。

 「『血流の、加速』……」

 詳しい原理は知らないが、身体能力を跳ね上げる技。それによって圧倒された幽香は、倒されかけた事すらもある。

 けれど、結局幽香は負けなかった。

 正確には――その人間が、そのまま死んだだけだ。

 加速しすぎた血流に肉体が耐え切れず、細い血管のある脳に血が流れて死んだ。幽香を圧倒したその人間は、呆気なく事切れた。

 だが紫苑は耐えている。その事に疑問を覚えていると、

 ――パリッ。

 そんな、何かが割れる音がした。

 はじめ小さかった音はどんどん大きくなり、やがて紫苑の背後を割って何かが入ってくる。そこから落ちたのは、二人の人影。

 それは紫と――もう一人の紫苑。

 「紫苑が……二人? っていうか紫、簡単にやられすぎよ」

 呆れと共に吐き出された溜め息。小さく鋭くなった眼が、彼女の心情を表していた。

 今入ってきた方の紫苑が言う。

 『紫ハ確保シタ。後ハ幽香ダケ。準備モ終ワル。紫ヲ『使ッテ』仕上ゲスルカラ、邪魔ヲサセルナ』

 コクリ、と頷く幽香と戦っていた紫苑。そのままもう一度構え、恐らくまだ血流が加速したままで突っ込んでくる。

 ――なるほど、偽物なのね。

 あの紫苑が無茶できたのは、これが偽物だからだ。このままでいれば、あちらの紫苑が紫を利用して何かを成すだろう。

 「なら――遠慮しないでも、いいかしら」

 速攻でぶちのめせば問題はない。

 そう結論づけた幽香は、紫苑を迎撃しようと種子をバラ撒いた。

 一方で二人の戦いを眺める紫苑は、既に意識を取り戻していた紫に向かって独白する。

 『ネェ、ナンデ俺ニ『紫苑』ッテ名前ヲ付ケタンダ?』

 小さく眉を寄せる紫。なんとか能力を使って拘束を外そうとする紫は、次の言葉で頭を空白にさせられた。

 『俺ハ、コノ名前ガ、()()()()

 「――――」

 驚きに眼を見開く紫に、紫苑は続ける。

 『紫苑ッテ、花ノ名前ニアルケド。紫苑ノ『君ヲ忘レナイ』ッテ花言葉ハ、姉サンヲ()()()()()()俺ニ対スル皮肉ナンダトシカ、思エナカッタ』

 完全記憶能力者に与えられた、その花言葉を冠する名前。過去を忘れられず、想いに区切りをつけられず『そこ』に留まり続けていた紫苑にとって、それは痛烈な皮肉にしかならなかった。紫の善意は、大きなお世話にしか、なっていなかった。

 善意だとわかっていたから、何も言えなかった。

 激戦と化している戦闘は、幽香が一方的に優っていた。手札を割られ、打つ手がなく、闇の拘束も無意味で、血流加速の更なる身体強化も打ち破られる。時間はない。

 スッと、紫苑は紫の頭に手を乗せる。

 『貴女ハ俺ニトッテノ家族ニナッテクレナカッタ』

 「ッ……」

 後悔するように紫は顔を伏せる。幽香は間に合わない。あの影は打倒できるだろうが、それでは紫苑の目的が達成される。

 けれど、ダメだ。紫では止められない。止めるための言葉を、口に出すことができない。

 『ダケド、嬉シカッタ。ダカラ』

 「……?」

 最後の一撃が影に振るわれかけて、紫がその光景に息を止め、

 『ダカラ、俺ノ命ヲ、コノ世界ノタメニ使ウヨ』

 ――その拳が、止まった。

 幽香の一撃は影に止まることなく、その一歩手前で完全に停止している。

 『何ヲ……』

 「あなたにしては随分と杜撰ね。いえ、それとも勝手に()()()()()()のかしら、それは」

 影の反撃でところどころ血に濡れた幽香が言う。髪に触れて乱れたそれを整えた。そのまま動かぬ影に顔を向けて、

 「それで――いつになったら素顔を見せてくれるのかしら? 紫苑」

 そう、確信した声で言う。

 「……あーあ、バレちゃった。あのまま振り抜いてくれれば万事解決だったのに」

 そう、目の前の拳に手を触れた『影』――否、紫苑が言う。その声に淀みはなく、いつもの紫苑の小枝。

 「あんなベラベラ悠長に話す人間なの? そんなわけないでしょうに。まさか、最初に闇を纏った時点から入れ替わってたなんてね、気付かなかったわ」

 「仕方がないだろう? あれは一応、俺でもあるんだ。俺がずっと隠してきた、本音。俺の持つ『闇』の部分。だからこそ、幽香を騙せたわけだけど」

 だが、紫苑の目的を知っている紫は騙しきれず、だからこそ彼女の口だけは封じなければならなかった。

 「だから師匠はズルいんだ。俺がやるのを先読みして。紫が師匠のところにいくのを止められなかった時点で、こうなるのは決まっていたのかな」

 「それだけではないわ。紫の態度は、あまりにもおかしすぎた」

 「幽香……気づいて……」

 所詮影は影でしかなく、我慢などということはできない。紫苑が思っていたこと、感じていたことを全て口にしてしまう。

 特に、自分自身が目の前にいると、繋がりが強すぎて止まらないのだ。

 けれど幽香は否定し、もう一つの持論を持ってくる。紫はそれに驚き、紫苑もまた、手で目を覆った。

 「元から可能性は無かったってことか」

 「ええ。あなたの目的は自分自身を囮にしてそちらの影を本物と思わせること。そして影のフリをしたあなたが私に『殺されれば』、それを達成できる、と?」

 「大正解。冷静になって思い返すと俺は『約束』してるから自殺できない。だから、俺を殺しても特に気にしない貴女が来てくれたのは、むしろ大歓迎だったんだけどな」

 結局のところ、殺されなければ意味などない。

 パチン、と紫苑が指を鳴らす。それだけで闇の空間は亀裂を走らせ崩壊し、元の黒と白しか存在しない世界へと形を戻していく。

 「ネタバラシ、してくれるかしら」

 「まあ、もういいけどね。茶番は終わりみたいだし」

 「本気で死ぬつもりなのに茶番、ねぇ」

 先までの殺気はどこにもなく、ケラケラと笑う紫苑に思うところはない。

 なのにどうしてか、その姿は追い詰められた獣のようだ。

 「それでどうしてこうしたのかっていうと――」

 「その回答は、私がしてあげる」

 「……師匠」

 黒陽から解放され、白夜の結界が消えた結果、永琳がこの場に姿を現す。幽香との戦闘の結果大分距離を離したはずなのだが、関係ないようだ。

 「最初から不思議ではあったのよ。紫に対する復讐で幻想郷をどうこうするにはあまりに規模が大きすぎる。あなたなら結界を直接破壊できるのだから。つまり、そもそもの着眼点は『何故あなたがルーミアと契約したか』になるわ」

 そう、復讐に走ったから闇と契約するというあまりにも当たり前な行動。だが、それは力のない人間がするべき行動で、紫苑がするには違和感がありすぎる。

 それが示すのは紫苑は『誰かの力』を借りたかったのではなく、『ルーミアの力』だけを欲しがったということ。

 なら次に考えるべきは、ルーミアの持つ『闇』をどうしたかったのか。

 ここで最初に戻ろう。紫苑がルーミアの力を借りてやったのは、彼女の闇を『幻想郷中』にバラ撒いたこと。

 それは、『そうしなければならないだけの理由』があったから。

 更にもう一つの要素、紫苑の持つ『魂を同化させる程度の能力』を利用したら?

 「幻想郷全てという広範囲、そこにある存在の『魂』に宿る『闇』――『負の感情』だけを抜き取りこの世界にある無数の『悪意』を自分一人に宿して、死ぬ。それがあなたの目的よッ!」

 告げられたのは、今までとは正反対の答え。

 「……ホント、隠せないよねぇ」

 そして紫苑は、隠す気などないと言うように返す。

 「うん、正解。文句のつけようのない。だからこそ、外れて欲しかった」

 もし永琳が『紫苑の目的は幻想郷を壊すこと』だと言ってくれれば――紫の態度に疑問を思わなかった幽香が、紫苑を殺してくれたのに。

 諦めの溜め息を吐き出す紫苑に、紫はならと身を乗り出す。

 「あなたの目的は達成できないってこと、よね? 自殺できないのなら、紫苑はもうこのまま諦めるしかないのだから」

 「……そうなるね。幻想郷中から悪意はほとんど集め切ったし、これ以上闇を広げる意味はないから。さすがに『遠すぎる』ところまでは手を伸ばせなかったけどさ」

 紫の顔に、淡い希望が映る。

 「だけど」

 反して、幽香と永琳の顔は、険しかった。

 「()()()()()()()()()

 心底から吐き出されたその言葉は紫を凍りつかせ、永琳の顔を歪ませた。

 「もう考えたくない。何かをして誤魔化し続ける作業はしたくない。元の世界の帰れないんだったら、いっそ全部忘れて眠っていたい」

 そして、

 「だからさ――失敗したら、決めてたんだ」

 紫苑の目的は一つではない。

 勝ったら、そのまま死ぬことに決めていた。

 では、負けたらどうするつもりだったのか。

 紫苑の体から、眠りこけたルーミアが光とともに現れ、紫苑の手の中におさまる。その彼女を地面に横たわらせると、今度は紫苑自身が光を放つ。

 「『何も知らなかったあの頃に、戻りたい』」

 「紫苑!?」

 カッ! と目も眩むような輝きが、闇から戻りつつあった世界を照らし出す。同時に紫苑から溢れ出した文字が紫苑の体を包み、グルグルと巻きつけていく。その進行が進めば進むほど、紫苑の体が()()()()()()()()

 「なんなのよあれ……? 紫苑の体が、子供に!?」

 「いえ、それだけじゃないわ。多分、あれは」

 紫の驚愕と、永琳の冷静な声が交わる。幽香は冷静に腕を組み、その光景を目を細めて見つめていた。

 時間は恐らく、数分程度。

 光がおさまりチカチカとする目が元に戻った頃。

 「……ここ、どこ? お姉さん達、だれ?」

 この世界に来たばかりの頃の身長。けれど、決定的なまでに『違う』。

 白ではなく『白銀』の髪と、紅ではなく澄んだ海のような深い『青』の瞳。白すぎた肌は日本人のような普通の肌に戻り、鋭い瞳もきょとんと真ん丸になっている。

 紫苑、ではない。不思議そうにキョロキョロと尻もちをついたまま見渡す彼は、決して、紫苑ではない。

 「あなたは……誰なの」

 口から出た声は、枯れていた。しかし彼には届いていたのか、一度首を傾げ、それからニッコリと笑って答えた。

 「おれ? おれはね、雨宮汐(あまみやしお)! お母さんがつけてくれた名前だよ!」




というわけで異変は解決……? と思ったらまた変な状況にしました。

この異変は東方二次始める当初から考えていたもので、子供に戻ることは確定していたのです。

勝てば、死。
負ければ、全てを忘れて子供に戻る。

それが紫苑の目的でした。

さて次回は子供に戻った彼の日常を描いたあと、ずっと書きたかった章に突入です! 多分次の最後に新しい人出せるよ! オリじゃなくてちゃんとした東方キャラだよ!


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それぞれの行方

 異変が終わって数時間。闇が晴れ里の者達も大手を振って歩けるようになった頃のこと。あの事に関わらなかった者達はまだ知らない、幕間のような時間。

 幽香を送り出した以外に何もできなかった――少なくとも彼女はそう考えている――と、寺子屋でただ祈ることしかできなかった慧音は今、どうしようのない理不尽に対して、抑えようのない怒りを抱いていた。

 「――異変が終わったと聞けたのはいい。私も安心できたからな。だが、何故、何故に……」

 ふるふると震えた体。最初紫達が来た時にはどうなったのかと慌て、次いで安堵に変わった彼女は、最後にその怒りを爆発させた。

 「私が『汐』を預からなければいけないという話になっているのだ!?」

 それを説明するには、異変が終わった直後にまで遡る必要がある――。

 

 

 

 

 

 「…………………………」

 「…………………………」

 ジーッと紫と汐と名乗った幼児が見つめ合う。ニコリともせず、どころか表情一つ変えずに顔を合わせるその光景はいっそシュールだった。

 「なんか、気が抜けたわ。私は帰らせてもらおうかしら」

 「お疲れ様、と言えばいいのかしら。後で対価について聞かせてもらうわよ」

 「もちろん。それが目的で手伝ったのだもの、踏み倒されたら敵わないわ」

 くすくすくす、と笑みを残して、幽香は立ち去っていく。彼女を汚していた土も煙も、血でさえもう影も形も残っていない。来た時と同じように、いつの間にかいなくなっているだけだ。

 永琳は汐を見る。色素が戻り、顔から鋭さが取れた彼に紫苑の面影はほとんどない。

 ――元々の彼は、あんな感じだったのかしらね。

 必要だったから、ああなっただけで。それを思うと、疲れたという心情も理解できる。永琳とて何年も生きることに疲れを抱く時があるのだから。

 とはいえ放っておく事はできない。汐という人間は紫苑と似て非なる存在。しかし根本的には同一だ。つまり、白夜と黒陽、更には魂魄同一という異形の力を使うことさえ可能かもしれない。それを何も知らないままに振るえば、恐ろしい結果となるだろう。

 保護者が必要だ。何も知らない彼に知識を教えることが――違う。

 人として大事な感情を教えられる、先生が。

 汐が邪気のない笑みを浮かべ、紫の服を引っ張った。紫が数秒呆けると、慌てて汐に何かを問いている。不思議そうにした汐は、

 「……お母さんの友達じゃ、ないの?」

 小首を傾げてそう聞いた。

 その言葉から察するに、紫と永琳を自身の母の知人と判断したらしい。確かに汐の年齢を考えれば、母親の年代は自分達の外見とそう大差ない。当然といえば当然の帰結か。

 「友達、ではないわね。私達はあなたとよく似た人を知ってるだけだから」

 「おれと、よく似た人?」

 「ええそうよ。私が鈍かったせいで、傷つけてしまったけれど」

 苦笑を浮かべる紫は、永琳から見れば彼女こそが傷ついているように見える。しかし、それを口に出すつもりはサラサラなかった。

 それを言っていいのは、紫苑ただ一人だけなのだから。

 そんな事を考えていると、汐の瞳が一瞬鈍く光ったような気がした。

 「大丈夫だよ」

 「え?」

 「きっと、その人もわかってくれる。笑って許してくれる。だから、そんな笑顔をしないでくれると、嬉しい……? かな?」

 汐自身よくわかっていないように告げる。ただ浮かんだ言葉を並べているだけで、彼は言葉の意味までは考えていないのだ。

 ――だけど、今のは……。

 勝手に発動した能力。だとすると、もしかしたら汐は随分と小さい頃から異能の力を使っていたのかもしれない。

 その後、汐を両手で目隠しし、紫の能力で屋敷に戻る。汐は一瞬で変わった景色に呆然と口を開けて、紫にどんな手品!? 種はあるの!? と尋ねていた。

 自身の力を手品と言われてどこか引きつった笑みを浮かべていた紫は、ふと近寄ってくる気配に気づいた。

 「橙、出迎えご苦労様」

 「いえ、とんでもございません。それより紫苑さんはどこ、に――……?」

 キョトン、とした目で紫の服の裾を引っ張っている紫苑とよく似た少年を見やる。

 ――この子は一体?

 ――あなたお探しの紫苑あらため汐よ?

 橙は汐を見、紫を見、そして汐を見て、

 「え……えええええええええええええええええええええええええええええええッッ!??」

 ピーン! と耳と尻尾が真っ直ぐに伸びるほど、驚いた。

 「こ、これが紫苑さん? ていうか汐君になってますよ!? 一体何がどうなったらこんな事になって」

 「う、うるさい……」

 「ああすいませんすいません!? え、あれ、紫様は異変の解決に臨んだのであって、新たな異変を起こしに行ったのではありませんよね。どうしてこうなって?」

 思考回路がオーバーヒート寸前にまで慌てた橙は、ついにボヒュン! と頭が火を噴いた。フラフラと揺れ動いて行くと、ありえません……とだけ言って、どこかに消えた。

 「えっと……面白い、お姉ちゃん……だね?」

 どこか形容し難いと言いたげな汐の顔に、そんな扱いを受けた橙にそっと涙した。

 居間に案内された汐は、どこかボーッとした様子でテーブルに触れている。それから不思議そうに色々な物に目線を移し、また不思議そうな顔をする。

 「どうしたのかしら」

 「え、あ、うん。なんか、見覚えがないのに見た事があるような気がして、不思議で」

 既視感(デジャヴ)。汐が感じているのはそれだろう。

 そしてその事から、あくまでも封印は不完全なのだと察せられる。『紫苑』という人物を描いた物語(エピソード)の記憶がどこかに行ったことで人格までもが入れ替わっているだけで、その過程で見た物などの記憶は微かに残っているのだ。

 その辺を刺激すればまた別の結果になるかもしれない。とはいえ下手に紫苑の記憶を思い出させれば人格崩壊までまっしぐらだ。慎重になってしかるべきだろう。

 そもそも不思議なのは、どうして記憶だけでなく肉体まで幼児化しているのか。紫苑の操る物はあくまで『魂そのもの』であって、他の部分――肉体操作など――は副次効果にすぎない。つまりどうしたって『魂を増減できない』事になる。

 記憶を封じるだけなら魂の奥底に放り込めばいいかもしれないが、肉体の情報を一体どこに持っていったのか。疑問は尽きない。

 そんな考察をしていると、不意にくいっと小さな力で服を引っ張られた。

 「お姉さんは、あの人とどういう関係なの?」

 「あの人――ああ、紫のこと。そうね、古い友人、が表現として一番近いかしら。親友と言うには私達は色々打算と目的がすれ違いすぎてるし」

 よくわかっていなさそうな汐の額をコツンと殴り、

 「大人には色々あるってことよ」

 「むっ、子供にだってわかることがあるんだからな!」

 頬を膨らませる汐はぷいっと視線を逸らすと、自分以上の大きさの椅子を引っ張りその上へと乗った。足を揺らさせるその姿に落ち着きはない。

 と、ぐぐぅ~……と、気の抜けるような音が聞こえた。

 「~~~~~~!!」

 瞬間顔を真っ赤にする汐。お腹を押さえて俯く姿につい喉奥で笑ってしまった。

 「子供にもわかることがある……だったかしら」

 「う、うるさい! お腹が空いたら大人だって鳴るだろ!」

 笑みを絶やさない永琳に犬歯を向ける汐を横目に台所へ移動する。何故か途中まで炊いてあったご飯を炊き直しておき、熱々のそれを断熱用の魔力と調味料である塩でコーティングした両手で掴んで握る。汐の味覚がわからないので味付けは薄味、普通、濃い目と分けておく。

 ピシッと綺麗な三角でできたお握りに海苔をペタと貼り付け完成。数もそこそこ作ったから汐のお腹を埋めるのには十分だろう。ダメならまた作ればいいだけだ。

 手を洗って清めると、お盆を持って居間に戻る。机の上に乗せた両腕の中に顔を埋めていた汐は永琳が戻るとパッと顔を上げた。

 「それ、お握り? 作ってくれたの!?」

 「味は保証しないわよ。右から薄い、普通、濃いって感じね」

 説明を終える前に汐はお握りを手に取ってパクパクと食べ始める。その遠慮の無さは流石子供と言うべきか。

 永琳も小腹が空いていたのでいくつか頂戴しておく。米も塩も海苔もいい物なのか、シンプル故の素材の味わい。

 お腹が膨れた塩は小さくけぽっ、とげっぷすると、ニッコリ笑って、

 「ありがとね、お姉さん」

 米粒をつけたまま、そう言った。

 「そういうのは米粒を取ってからいいなさいな」

 「え、嘘? どこについてるの」

 「ああもう、動かないで。私が取るわよ」

 顔を押さえて近づくと、汐が呆けた顔に変わっていく。薄ぼんやりとした目にどうしてなのかと思ったが、そういえば汐は今普通の子供なのだ。

 「……見惚れているの?」

 「――え」

 夢から覚めた、と意識を現実に引き戻す。ニヤニヤと彼の顔を見ると、恥ずかしそうに、悔しそうに歯軋りしていた。

 「何やってるのよ、あなた達」

 その一部始終を見ていた紫が呆れと共に姿を現す。そのまま喜び、笑い、恥じ、怒り、落ち込みとどんどん表情を変えていく汐に振り回された、楽しくも疲れる一日。

 「これは、キツいわね」

 「私も、幻想郷の管理があるから、何日もこんな事できないわよ」

 汐にバレないよう荒い息を整える二人。子供のポテンシャルを甘く見ていた二人は、盛大に汐に振り回された結果、大いに疲れていた。

 というより、良くも悪くも童心に帰ったせいか、心が疲弊していた。

 けれどそれは、落ち込みだした汐によって気にしていられなくなる。今にも泣きそうな顔で堪えている汐は、遂にその場でうずくまってしまった。

 「汐、どうしたの。何か痛いところでもできたの?」

 永琳が膝を折り曲げ汐と目を合わせる。数度躊躇うように顔を上下させた汐は、本当に小さな声で言った。

 「お父さんと、お母さん……迎えに来ない。もう帰らないとダメなのに」

 ギュッと両手を握って、寂しい心を抑え込む。いつもならもう家にいるはずの時間はとっくに過ぎていて、太陽は後少しで沈んでしまいそうだった。

 『子供』などという時代はとっくの昔に過ぎていた二人は忘れていた。この年齢の、しかも外の子供なら、大人が一緒にいるのは当然だ。特に家族に異様な憧れを向けていた汐の家族なら、恐らくかなり家族仲はいいはず。

 だからこそ伝えにくい。彼の家族は絶対に迎えに来れないのだと、言うのは。

 「あなたのご両親は忙しいの。しばらくあなたを迎えに来るのは難しいわ。でも、彼らはあなたを愛しているから、きっといつか会えるわ」

 漏れたのは別の、嘘で塗り固められた言葉。

 また、汐の瞳が鈍く光る。一瞬眉をひそめたが、すぐに柔らかくなった。けれど、泣きそうな瞳は消えるどころか更に増していく。

 ――嘘と本当を、識別してるのね。

 永琳の言葉の中にある嘘を読み取り、だがその本心を察してくれた。だからこそ、わかってしまったのだ。

 家族とは会えない、その現実を。

 「ならっ、それまでに……お父さんとお母さんを驚かせるくらい、すっごくならないとね」

 なのに、この子は耐える。瞳からこぼれそうな雫を落とさないよう、歪になった顔で、無理矢理笑みを浮かべて。

 心に抱えていた不安の出し方を知らなくて、だから我が儘を言うように二人を振り回し続けていたのに。本当に相手を困らせることは決してしない。

 これではダメだ。いつかきっとパンクしてしまう。紫苑のように、この子も。

 「紫、汐を預ける場所、決めたわ」

 いいや、最初から決まっていたのかもしれない。子供好きで、何人もの生徒を導き育て上げた一人の教師。彼女に汐を託すのを。

 「八意慧音に、汐を預かってもらう」

 ――そして冒頭に戻る、というわけだ。

 一応全ての理由を聴き終えた慧音の怒りはだいぶおさまっており、少なくとも説明する前よりはマシになっている。

 頭が痛い、と額に触れると、

 「汐はどうすると言ってるんだ?」

 「私達の推薦なら、と。あれで随分賢い子だもの、私達に迷惑をかけまいとでも思ってるんでしょうね」

 「養育費はどうする。私は寺子屋をほぼ無償で開いているんだ。私のところで育てるには無理があるぞ」

 「その辺は紫が『紫苑に渡すべき報酬を彼に渡しましょう。汐は、彼なのだから』と言っていたから大丈夫。後はあなたが決めてちょうだい」

 うぐ、と反論を尽く潰される慧音。元々口で永琳に勝てるとは思っていない。単に自分のいないところで勝手に決められた意趣返しと、もう一つ。

 「私の『仕事』を邪魔される、ということはないだろうか」

 「必要ならこちらで手伝いましょう。それでも無理?」

 悩みに悩む。子供は好きだ。育てるのだって本当は嫌ではない。それでも自分が育てられるのかという不安はある。

 寺子屋で他人の子供に教えるのと、常に自分が傍に寄り添っているのでは、違うのだから。そういった不安が慧音にはあった。

 「……引き受けよう。汐の子育ては、私がやる」

 けれど、彼女は子供が好きな自分の気持ちを、信じることに決めた。

 そして今、

 「きょ、今日からここでお世話になります、雨宮汐、です。上白沢慧音お姉さんで、合っていますか?」

 予想外なくらい小さくて素直な童子が、そこにいた。初めて会う人だからかガチガチと緊張で体は強ばっていて、落ち着きがない。

 まるでどこにでもいる子供だな、と思っていると、そこでおかしな事に気づく。

 ――逆を言えば、私は紫苑を普通じゃないと認識していた?

 泣く時には泣くし、怒る時には怒る。嬉しければ笑う、そんな人だと認識していたはずなのに、心は全く別の反応を示していた。

 (これではダメだ、汐は紫苑とは違うと聞いていただろう! そうだ、間違えるな私。この子は今日初めて会うのだと認識しろ!)

 兄弟と姉妹では全く違う人間だと昔思い知っただろう。そう心に刻み込んで、汐へ向き直る。

 「早速ですまないが、私はここの教師をしていてな。明日の授業進行の用意なんかがあるから夜は忙しいんだ。構ってやれる時間は少なくなるが……」

 「そこは永琳さんから聞いたので、大丈夫です。なるべく迷惑はかけないようにするので」

 「待った」

 妙に畏まった様子の汐の態度が目に映り、慧音はここから正そうと思った。

 「私に対して丁寧ね言葉はいらないぞ。お前は今日からここに住む。つまり、暫定的だが家族になるんだ。甘えたければ甘えろ。迷惑など気にするな。子供の内はそれが仕事だ」

 「いや、でも……いい、の?」

 「構わないさ。なんだったら『お母さん』と呼んでくれても構わないぞ?」

 「それは、遠慮したい、かな」

 「な……に……」

 あっさりと拒否された慧音は落ち込む。中々言い事を言ったのではないかと自負していたためにその傷は深い。

 「だって慧音さん、子持ちの人には全然見えないくらい若いし、失礼かなって」

 そういえば、と思い出す。汐は外で暮らしていた頃の紫苑だ。常識なんかもそこ準拠になっている可能性が高いので、子供を持つ世帯は二十代、という認識なのだろう。

 後は子持ちだと勝手に決めつけられるのが老けていると考えられるからか。慧音はそこまで気にしたことはないが。

 「ふう、先程言ったばかりだろう。迷惑をかけろと。お前が気にするのは、自分がこれからどうしたいのかという事だけだ。ただ飯喰らいは許さんぞ?」

 そう茶目っ気たっぷりに言うと、やっと汐は小さな笑みを浮かべてくれた。

 「それじゃ、慧音姉さんで」

 「結局お母さんと呼んでくれないのか!?」

 「おれのお母さんは、一人だけだから……」

 そんな幕間があったとか、ないとか。

 次の日、そういえば今日から全ての授業は自分一人でやる事になるのを思い出した。そもそも自分一人でやっていたため特に問題はないが、かかる負担がまた増えるのを考えるとちょっと気が重い。

 と、いうより、

 「今日から紫苑は来られなくなった。今日からまた私だけになる」

 『ええええええええええええええええええええええええええええええッッッ!??』

 こうなるのが予想できたから、頭が痛かった。

 「どうしてですか先生、紫苑はクビになったんですか?」

 「それとも妖怪に襲われて死んじゃったんじゃ……」

 「ありえないだろ、あの紫苑だぞ!? 百回殺したって死なないような奴だぞ、そんなのありえないって」

 口々に騒ぎ出す子供達。紫苑は子供達から――一部の生徒からは特に――慕われていて、よく懐いていた。

 そんな人間がいなくなれば当然の反応だろう。それでも対応しなければいけないのが教師の辛いところだ。

 両手を叩いて皆を沈める。

 「落ち着け! 代わりに今日からお前達のクラスメイトになる人間が加わる。そら、入ってくるんだ汐」

 言われておずおずと扉が開いていく。小さな体が静々と入ってきて、その顔を見た生徒全員が驚いた。

 どこからどう見ても紫苑。なのに仕草と表情が全く違う。汐は黒板に『雨宮汐』と下手な字で書くと、

 「今日から一緒にこの教室でお世話になります、雨宮汐です。授業には全くついていけないので参加するだけですが、遊んでくれると嬉しいな」

 控えめな笑顔を浮かべてペコリと頭を下げる。眼球だけを動かした生徒は、

 ――これ、紫苑なのか?

 ――ありえない。冗談でもこういう事する人じゃないし。

 ――ていうかこれが紫苑だったら笑うしかないんだけど。

 満場一致で『こいつが紫苑なのはありえない』と、否定された。ある意味正しくある意味間違っている解釈だが、汐がいじめられるのだけは無さそうだった。

 一方で里の外。適当に肉を食べた少女がボヤく。

 「うげっ、これ生焼きじゃん。最悪だ、酒が不味くなる」

 「焼いている途中の物を適当に持ってくるから悪いんだろ? 私はそれはやめとけって言ったと思うんだけどね」

 「うっさい。紫苑の奴が約束守らないのが悪いんだ」

 「……私が言うのもなんだけど、鬼の戦闘欲求はどうしようもない」

 額から生えた角をコンコンと叩きながら女性は言う。

 彼女等は鬼の四天王の一人、伊吹萃香と星熊勇儀。周囲の鬼達からせっつかれ、紫苑を妖怪の山へ招待――もとい拉致しに来た。

 一定周期で鬼達の相手となり彼らの戦闘欲求を満足させる。そのためだけに紫苑は妖怪の山へと訪れていたのだ。

 里へ入りこむ二人。その姿を見て人々が怯えるのも最早慣れたもの。半年前にここへ進行しに来た記憶は新しく、彼らに与えた恐怖は拭い取れていない。

 「ま、私らにとっちゃどうでもいいことだけどね」

 勇儀は言うと、紫苑の気配だけを探ろうとする。しかしどれだけ探してもいない。もしや里にいないのかと思ったところで、小さな反応を見つけた。

 「なんだい、そこにいたのか。隠れん坊でもしてるんならもっとうまくやれるだろうに。ほら萃香、酒見てないでさっさと行くよ!」

 「ちょ、ちょっと待ってくれたっていいじゃないか。ああ、美味しそうなお酒が……」

 未練タラタラな萃香を引っ張って行く勇儀。だがしかし、彼女は気付かなかった。大雑把に探ったせいで気配が少しだけ違うのを。

 何より『小さい反応』という事の、意味を。

 そして彼女は寺子屋へたどり着き――ほのぼのと遊んでいる汐を見た。

 「あー……萃香、私の目にはアレが紫苑に見えるんだけどさ。おかしくなってないよね?」

 「悪いが勇儀、私にもアレが紫苑に見える。――どうなってるんだよこれ!?」

 どれだけ目を凝らしてもアハハと楽しそうに笑っている姿が消えない。ありえない、と言いたげに震える彼女らは一体紫苑をなんだと思っているのか。

 「クソッ、ちょっと脅かしてやる」

 萃香の能力は『密と疎を操る程度の能力』だ。それを使えば彼女は物質から精神に至るあらゆるものを萃め、疎めることができる。圧縮させればブラックホールのようなものさえ作る事が可能であり、逆に散らして大気中に霧散でもすれば、特殊な感知系の能力者でもなければ彼女を見つけることはできない。

 そうして霞となった彼女は誰にも見つけられないまま汐へと近づいていく。楽しそうに笑っている汐は違和感に気づいた様子は見えない。

 ――そのままでいい。後は背中でも押せばいいだろ。

 単なる嫌がらせだとわかっているので、萃香もそれ以上するつもりはなかった。ただちょっと脅かせればよかっただけなのだ。

 そして手だけを実体化させようとした瞬間、

 「――誰だ?」

 細められた蛇のような目が、萃香を貫いた。

 ――バレ、た?

 けれどすぐに汐はいつもの目に戻ると、

 「あれ、なんかいたような気がしたんだけど……気のせい?」

 「何やってんだよ汐。ほら、さっさといかないと駄菓子無くなっちまうぞ」

 「それタンマ! 俺だって食いたいんだけど!」

 そう言って駆け出していった彼に先程の面影はない。なのに、萃香は察した。

 (あの目は紫苑のそれだった。って事はアイツが紫苑で間違いない。だけど、あいつの持ってる力はありえないくらい小さい。……アイツは、紫苑じゃない。別人だ)

 鬼にとって重要なのは戦闘力。それが無くなった以上、もう紫苑との約定は消えた。里を襲おうが何しようが自由だ。

 勇儀の元へ戻った萃香はどこか鬱屈となっている気がした。

 「イタズラは、しなかったんだね」

 「ああ……なあ勇儀。もういっそのこと、どこかに行かないか?」

 「どういう意味だい? 私達だけってことじゃないんだろ」

 「紫苑はもういない。どっかに消えちまった。アイツが消えた里を襲うのも、なんか興が乗らないんだ。だったらいっそ遠くに旅に出たほうがいいような気がしてね」

 「ふ~ん、それもありってとこかね」

 勇儀としてはどちらでも構わなかった。萃香とバカをやるのが彼女の楽しみだからだ。鬼達は力づくで黙らせればいい。

 「さよなら、紫苑」

 もう会うことはないだろう強敵(とも)に向けて、独りごちる。

 「さよなら勇儀、それに、萃香」

 風に乗って流れた声は、きっと気のせいなんだと思うことにした。

 

 

 

 

 

 遠く遠く、川を挟んだ更なる先。

 「さて、アレから数ヵ月。ここ最近彼からの反応がありませんし、そろそろ様子を見に行ったほうがいいかもしれないでしょうか」

 最果ての地獄から、閻魔の王が動き出す。




先週更新できなくってすいません。ブレーカー落ちて書いた半分吹っ飛んでやる気が吹っ飛びました。意地で書き直しましたがクオリティが酷い事になってると思います。

やっと描きたいシーンがそろそろ書けると思った矢先の落とし穴。一気に書いてやるとか調子に乗って保存しなかった罰なのでしょうか。次から気をつけます。


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