俺ガイル短編集 (さくたろう)
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社畜となった俺にだって譲れないものがある。

 季節が秋から冬に変わり、俺は年末の慌ただしい雰囲気の中、多忙な日々を送っていた。

 三崎さんとはシュークリームを買いに行った後も、何度か飲みに誘われて一緒に飲みに行った。ただそれだけだ。それ以外、何か起こるわけでもないし、起こす気もない。職場の人間関係なんてそれくらいがちょうどいいだろう……。

 

「ふう……」

 

 仕事が一区切りしたところで喫煙所に行き、コーヒーを飲みながら一服する。……こんなんで喜び感じちゃう俺ってどうんだろうな。安すぎないか、俺の幸せ。

 窓から見える夕日を見ながらそんなことを考えて黄昏ていると、ウェイウェイと戸部のような奴らが歩いてくる。俺の同僚たちだ。

 

「いやあー、今日の合コン楽しみじゃね?」

 

「だな、ナースとかマジ上玉だろ。」

 

 こいつらいつも合コンしてんな。そんなに出会い求めてどうすんの? そもそも何回もやっててまともに成功したことあんのか?

 

「今日もさっさと定時で帰って準備しようぜ」

 

「おう、今日はガチで行くぜ」

 

 ……お前ら、合コンとか行くのは勝手だが仕事くらい終わらせていけよ。このくっそ忙しい年末時期にこいつらが定時で仕事を終わらせられるとは思わんがな。こいつらが仕事を終わらせずに何食わぬ顔で定時に帰るせいで俺みたいなやつが仕事増えんだよな、まじで世の中理不尽極まりないわ。

 

「でもさー仕事終わんなくね?」

 

「終わんなくても大丈夫だろ。主任に泣きつけばあの人なんでもやってくれるからな」

 

  にへらっと三崎さんを嘲笑するように吐き捨てながら、同僚は言葉を続ける。

 

「昨日も軽く泣きついたら『それならあとは私がやっておくから大丈夫だよ』なんて言ってたから全部押し付けて帰ったわー」

 

「お前最低だなー。まあ俺もなんだけどさ」

 

「それにあれだべ。主任とかどうせ仕事が生きがいみたいな人だから、俺らの仕事をやることで楽しんでんだよきっと」

 

 こいつら何言ってんだ。

 

 同僚の話しなんて普段なら全く興味ないが今日は別だった。笑いながらあいつらが三崎さんのことを馬鹿にしているようで、それを聞くのが今の俺には耐えられなかった。こんなの俺らしくもないのだろう。ただ、このままあいつらに三崎さんが馬鹿にされるのは癪に触る。こいつらはあの人のことを何もわかってないくせに……、二人で飲んでるとき、会社の話をするときのあの人の悲しげな瞳とか知ってんのか?

 

「おい」

 

 気づけば俺は同僚たちに話しかけていた。

 

「なんだよ、比企谷。お前も合コン行きたいのか?」

 

「ちげえよ。それよりお前ら、自分の仕事くらい自分でやれよ。あんまり主任任せにすんな」

 

 なんでこんなこと言ってんだ俺は。……あれだな、雪ノ下さんに言われたからだ「助けてあげて」と、だから助けようとしたんだな。うん、そうだ、それ以外に特に理由はない。友人の姉の頼みだもんな、そりゃ断れないだろう?

 

「なんだよ急に。別に主任がやりたがってんだ、いいだろ?」

 

「本人がそう言ったのか?」

 

「い、いや、そうは言ってねえけど」

 

 そりゃそうだろ、どこの世に部下の仕事を喜んでやろうとする奴がいんだよ。こいつらは自分のいいように解釈しすぎなんだ。そして「じゃあ自分でやれよ?」と言おうとした時――

 

「つうかお前さ、やけに主任の肩持つな」

 

「そうな、お前主任に惚れてたりすんの?」

 

 は? なんでそうなる。今の話をどう聞けば俺があの人に惚れてることになるんだよ。擁護したら惚れてるとか小学生かこいつら。本当、頭大丈夫なの? いや、大丈夫ならそもそもこんな会話にならねえか。

 

「ちげえよ、話すり替えんな」

 

「だよなぁ、あんな地味でダサい人に惚れるわけないか」

 

 ……なんだろうなこの感じ。別に俺が言われてるわけじゃないのに、胸が締め付けられるような。

 その言葉に俺は何も返せずにいた。

 

「単なるマジメくんか。まあ、なら気にすんなよな、お前に頼んでるわけじゃないんだ。いこうぜ」

 

「おう」

 

 そして二人はその場を離れていった――

 

 

 一服して気分転換できていたはずなのに一瞬で胸糞悪い気分になり、このまま仕事をする気分にはなれないのでもう一度タバコに火をつけ一服する。胸の中にあるモヤモヤを煙と一緒に吐き出すように、ゆっくりと大きく息を吐いた。

 部署に戻ると定時は過ぎていて、さっきの同僚たちや他の奴らの姿はそこにはなく、キーボードを叩いている三崎さんと課長だけが残っていた。

 

「おっと、もう定時を過ぎてしまったね。帰りが遅いと妻がうるさいんで先に失礼するよ。残った仕事よろしく頼むよ、三崎君」

 

 帰りの支度を済ませた課長がそう言って、主任のデスクに自分の仕事であろう書類等を置いた。

 

「あ……、わかりました。お疲れ様です……」

 

「うむ、お疲れ」

 

 そのまま出入り口で俺とも挨拶をして課長は帰宅した。

 

「主任」

 

 声が小さかったのだろうか。呼びかけても返事はなく、キーボードを叩き続ける。もう一度、さっきよりも大きめの声で呼ぶ。

 

「……ん、比企谷君、どうしたの?」

 

 ようやく呼び声に応じる。こちらを向いた三崎さんはいつもよりも疲れた表情をしていた。

 

「他の奴らはどうしたんですか?」

 

「ちょっと今日はどうしても大事な用事があるらしくて帰るって言ってたよ? 仕方ないから残りは私が引き継いで終わらせることにしたの」

 

 どうしても大事な用事? 合コンがか? ふざけんな。それに……この人もこの人だ、毎回毎回同じようなことを言われて仕事を押し付けられているなら三崎さんのことだ、本当はいろいろと気づいてるんじゃないのか。

 

「それで帰したんですか。……主任、本当は気づいてるんじゃないんですか? どうせあいつらが主任のこといいように使ってるだけだってこと」

 

 言わずにはいられなかった。昔ならこんなこと一々俺が他人に言うこともなかったろう。

 ただ、今の三崎さんを見ていると昔のことを思い出してしまうから。

 高校2年の文化祭実行委員会の時のことを――

 

 あの時、俺は雪ノ下の体調が悪いことに気づけなかった。何が「人間観察が得意だ」だと、あの頃の俺を消したくなる。

 でも、今回は救う、あの頃の俺とは違うから――

 

 三崎さんの顔色はいつもよりも悪くなっている。年末で仕事量も増えていってこのままだと確実にこの人は体調を崩すだろう。だがそんなことは俺がさせない。

 ……雪ノ下さんに頼まれたしな。

 

「別にそんなことはどうでもいいよ」

 

「どうでもよくないでしょ? 主任、自分の顔見てないんすか。明らかに顔色悪いし、少しは休んでください。あんなやつらのために自分が苦しむことないでしょ」

 

 そうだ。あんな奴らのためにこの人が苦しむ理由なんてない。この人はもっと自分を大事にするべきなんだよ。

 そう思いながら、何か引っかかるような感じがしたがさらに言葉を続ける。

 

「今の主任のやり方は間違ってますよ。そんな自分を犠牲にして……」

 

 ここまで言いかけて言葉が止まる。

 そうだ、……やっぱりこの人と俺は似てるんだ……それも昔の俺と……。

 自分を犠牲にして、会社のために働いている三崎さんと、自分を犠牲にすることで……いや、昔とか言ってるが、結局俺だって今周りのやつらのやり残した仕事を片付けてるじゃないか。それなら結局、今の俺も昔の俺も何も変わっちゃいないってことだろ……。

 

「すいません、なんか偉そうなことを言って……」

 

「ううん、いいの」

 

「あいつらの分は俺も手伝うんで。早めに終わらせて帰りましょう」

 

 違う。俺が言いたいのはこんなことじゃない。これじゃ何も解決なんかしやしない。だが、今の俺には明確な解決方法が浮かばない……、だったらせめてこれくらい手伝わないと。

 

 それから三崎さんが同僚に頼まれた仕事や課長の仕事を片付け、二人とも会社を出たのは日付が変わってからだった。

 

「お疲れ様です」

 

「ん、お疲れ様。ごめんね、比企谷君、手伝わせちゃって」

 

 あなたが謝ることじゃないでしょうそれは……

 

「ふぅ、流石にちょっと疲れちゃったかな」

 

「大丈夫ですか?」

 

 大丈夫なはずないのに、そんなこと今のこの人を見てればすぐわかるのに。そんな言葉しか言えない自分に嫌気がさした。

 

「うん、大丈夫。それに比企谷君に心配されたのは嬉しかったしね?」

 

 にこっと疲れた顔でそう言われる。それがきつくて三崎さんから顔を背けてしまう。

 彼女がその後に「またね」と言ってその日は別れた。

 

 その夜、三崎さんを助ける為に何か解決作がないか考えたが、明確な案は思い浮かばずに俺の意識は眠りについていった――

 

 

 そして次の日、会社に行くと三崎さんの姿はなかった。

 

「課長、今日は主任はまだ来てないんですか?」

 

 何故か不機嫌そうな課長にそう聞くと、皮肉を言うように話し始めた。

 

「ああ、なんか体調を壊したらしいよ。胃腸炎だっけ? まったく困るよねぇ。この忙しい時期に。主任にもなって体調の管理すらできないなんて社会人失格だよ」

 

 は? 胃腸炎? それってストレスとかが原因でなる……? あの人はそこまで追い詰められてたってことなのか? ……何やってんだよ俺は……

 

 課長のがそう言った後、その言葉に反応した同僚たちも続いて三崎さんのことを貶し始めた。

 

「本当ですよ、主任に休まられると上司の尻拭いを僕たちがしなくちゃいけないんですからね」

 

「上司がこんなだと仕事に身が入りませんねえ」

 

「それな、つうかさ、主任0っていつもなんか残ってるけどさー、仕事遅くね? 残業する社員って会社にとってお荷物でしかないよな」

 

「わかるわかる!」

 

 何言ってんだこいつら。

 どう考えてもあの人が体調崩した原因はお前らにあるだろ。それを何堂々と全て三崎さんのせいにして……あの人が誰の仕事して遅くなってると思ってんだよ。

 ただでさえ、あの人が調子が悪いと気づきながらも助けることができなくてしんどいのにこいつらの言葉で頭がおかしくなりそうだった――

 

 それからはほとんど仕事が手につかず、三崎さんのことばかり考えていた。今更かもしれない……もう遅い可能性だってある。それでも、こんな腐った環境からあの人を助けたいと思い、必死で解決作を考えた。だが昨日の夜同様にここまで悪くなった環境を変える名案は思い浮かばなかった。

 定時の時間が過ぎて周りのやつらは退社していく。仕事なんて気分じゃないのに、今日も何故かまだパソコンに向かって作業している。いつもと変わらないことといえば三崎さんがいないことくらいだった。

 

「少し休むか……」

 

 自販機に向かい、いつもあの人が渡してくれるコーヒーを購入し、喫煙所に向かう。

 一本目を吸い終わり、続けてもう一本吸おうとすると携帯が鳴る。

 着信の相手の表示を見た瞬間、軽く憂鬱になり一度深呼吸をしてから通話に応じた。

 

「……もしもし」

 

『ひゃっはろー、比企谷君。どうしたの? 元気ないねえ』

 

 そりゃ元々沈んでる時に、このタイミングであなたから着信なんてきたら元気なんてでませんよ……。

 

「いえ、別に」

 

『そっ、でさ、比企谷君。私が何を言いたいかわかるよね』

 

 この人の考えなんて本当は分かりたくないし、わかろうとしても普段ならわかるはずもないだろう。ただ、この時に限ってははっきりと何が言いたいのかわかる。それは俺が俺自身に言いたいことなのだから。

 

「……はい」

 

『ん、わかってるならいいんだ。それじゃあね』

 

 え? これだけなの? もっと何か言われると思ったんだが……。

 正直「はい」と答えた時点で雪ノ下さんに何を言われても受け止める覚悟でいた俺は、彼女が何も言ってこないことに拍子抜けしてしまった。

 

「い、いや、何か俺に言うつもりで電話したんじゃないんですか」

 

『まあね、言うつもりだったけど、比企谷君は十分ちゃんと考えてるようだしね。今回は失敗しちゃったみたいだけど』

 

 やっぱり知ってたのか……。それならもっと責めてくれた方が気が楽なんだがな……。

 

『あのね、もし、君だけの力でどうしようもない時は一人で抱え込まないで誰かを頼るといいと思うよ。それが誰かは比企谷君なら言わなくても大丈夫だよね? 君は本物を見つけることができたんだから』

 

 そう言うと、俺が返事をする前に電話を切られた。

 

 そっか……「誰かを頼るといい」か。

 思い浮かぶのは高校時代に多くの時間を共有した二人。

 雪ノ下さんがなぜ親友の三崎さんを自分の手で助けずに俺に助言をしたのかは謎だが、あの人のことだ。何か考えがあるのだろう。今はそんなに重要じゃない、それよりもだ。

 携帯を手にし、さっきまで通話をしていた人の妹に電話をかける。

 

『もしもし』

 

「雪ノ下か、俺だ」

 

『ごめんなさい、どちらさまかしら』

 

「いや、だから俺だって」

 

『ごめんなさい、私の知り合いに俺という人はいないわ。間違い電話ではないかしら』

 

 え? 何、なんなの? あ、もしかして雪乃さん俺の携帯登録してなかったのかー、っておい。

 

「比企谷だよ……」

 

『あら、比企谷君だったのね。てっきりオレオレ詐欺かと勘違いしてしまったわ』

 

「いや、つうかお前、俺の携帯登録してないの? 画面みたらわかるよね?」

 

『…………さぁ?』

 

 おい、随分間が空いたな。こいつ絶対わざとだろ。でも何かそのやりとりが懐かしく「ふっ」と笑ってしまう。

 

『元気はでたかしら?』

 

 なるほどな、そういうことか。今の俺の状況を雪ノ下さんにでも聞いてこいつなりに俺を元気付けてくれようとしたんだろうな。こいつそういうのは不器用だし。

 

「ありがとうな」

 

『ふふ、あなたが素直に礼を言うなんてらしくないわね』

 

「ほっとけ」

 

『それで、どうしたのかしら』

 

「ああ、実はな……」

 

 それから雪ノ下に今までのうちの部署の環境、三崎さんの現状、同僚たちのことを話した。俺が話している間、あいつは黙って俺の話を聞いてくれた。聞いていてくれていただけだったが、今まで話す相手すらいなかった俺にとってそれはどれだけありがたいことだったのだろうか。

 俺の話が終わると雪ノ下がゆっくりと、そして優しい声で尋ねてきた。

 

『それで、あなたはどうしたいの?』

 

 そんなことは決まってる。今俺のしたいこと……それは。

 

「俺は……」

 

『待ちなさい』 

 

 次の言葉を発しようとした時、雪ノ下に遮られる。聞いてきておいてなんだよ。今の俺がしっかりと言って、それで協力してもらえるパターンじゃなかったの? 完全に流れ遮られちゃったよ。

 

『あなた、由比ヶ浜さんにも伝えたのかしら?』

 

「いや、まだだけど」

 

 予定では雪ノ下に話をつけてから由比ヶ浜には頼む予定だったしな。

 

『そう、それなら今週の金曜日に予定を空けておくからその日にみんなで会うのはどうかしら? あなたの”依頼”についてもその時にゆっくり話しましょう。私もそれまでに考えておくわ。それと由比ヶ浜さんと一色さんにはあなたから連絡しなさい』

 

 なんでこいつは俺の言いたいことをまだ言ってもないのにほとんど理解しちゃってるんだよ。そんなにわかりやすいですかね。……まあ、これからのことはあいつの言ったとおりに進めよう。わざわざ”依頼”というワードを使ってきたんだ、引き受けるってことでいいんだよな。

 

「わかったよ。それじゃ、あいつらにも連絡するから切るぞ」

 

『ええ、頑張りなさい。私たちはあなたの味方よ』

 

 そう言って雪ノ下は通話を切った。

 

「ふっ」

 

 あいつの最期の言葉を思い出し、小さな笑みが溢れたのがわかった。「私たち」か、そう言われるだけでなんだってできそうな気分になる。あくまで気分だが。まあ、今まで沈んでいた気分は大分良くなったきがする。

 もう一度携帯を操作し、今度は由比ヶ浜へと電話をかける。

 

『やっはろー、ヒッキー! ヒッキーから電話なんて珍しいね、どうしたの?』

 

「ん、いや。実はお前たちに頼みたいことがあってな」

 

『いいよ!』

 

 いや、まだ何も言ってないんだけど? こいつ、頼みごとがもし変なことだったらどうするつもりなの? もうちょっと警戒心というかなんというか、そんなにあっさりとオーケーされちゃうとちょっと拍子抜けしちゃうだろ。

 

『ヒッキーからの頼みごとだもん。何か大切なことなんでしょ? だから、いいよ』

 

 ……こいつらには本当に敵わないな。

 

「ありがとな」

 

『ヒッキーが素直!?』

 

 いや、そこには驚くの? というか俺って未だにそんなに捻くれてるわけなの? 社会人になってから大分丸くなったと思ってたんだが……。

 

 それから由比ヶ浜にも雪ノ下同様に、最近の俺の周りで起きた出来事や、三崎さんのことを伝えた。今週末も来てくれるらしい。あいつだって忙しいはずなのにな。本当にこいつらには感謝してもしきれない。

 

「最後は一色か」

 

 由比ヶ浜との通話を終えたので同じように一色に電話をかけると2コール目で繋がった。やけに早いな

 

『もしもーし、先輩から電話とかどうかしたんですかー?』

 

「いきなり悪い。実は今週の金曜日空いてるか?」

 

『な、なんですか、いきなりデートのお誘いですか? すいません、その日は九州の方に行っているので無理です、また誘ってくださいお願いします』

 

 なんか久しぶりに聞いたなそれ。しかしあれか、九州にいるなら流石に無理だよな。

 

「それなら土曜日か日曜日はどうしてる?」

 

『そ、そんなに私に会いたいんですか!? え、えっと土日はどっちも仕事ですね……。ていうか先輩、三崎さんとはどうなったんですか?』

 

 土日どちらも仕事か、ならまあ都合はいいな。胃腸炎なら今週一杯は休みだろうし、土日辺りにはある程度回復している可能性もある。行く前に連絡をして、大丈夫そうなら一色のところでお土産にシュークリームでも持って行ってあげるとするか。

 しかしあれだな、いろはすさっきから何か壮絶な勘違いしてるよね? まあそれはほっとくか。

 

「それじゃ土日どっちかお前の店に行くから、シュークリーム2個くらいとっておいてくれないか」

 

 少し間が空き、電話口から「なるほど」と呟き何か納得したようでそのまま話し始めた。

 

「三崎さんにですね。先輩も良いところあるじゃないですか。任せておいてください、張り切って作っておきますね!」

 

 やはり俺の考えがどうにもこの3人にはほとんど筒抜けらしい。何これ? いくら高校時代からの付き合いで10年近いといってもこんなに人の心が読めるものなの? 俺は君たちの心とか全く読めないんだけど?

 

「……まあ、そんなとこだ。じゃあよろしくな」

 

「了解でーす!」

 

 通話を切り、一服する。こんなに電話したのなんか初めてじゃないのか俺。いくら仲がいいと言っても電話は照れるんだよな。できればメールかなんかで済ませたかったわけだが、内容が内容ではあるし、メールなんかよりも直接口頭で伝えたかった。

 

「さてと……もうひと頑張りするとするか」

 

 できるだけ早く終わらせて解決策について考えたいしな。あの二人が協力してくれるのは素直に嬉しいが俺もできる限り考えたい。

 あいつらと電話をして気分転換できたおかげか、残っている作業を問題なく終わらせ家路につく。

 

 

 次の日になり、いつも通りに起床し定時に出社する俺。

 結局、昨日も何も思い浮かばないまま寝落ちしてしまっていたらしい。

 部署では仕事を頼む相手がいない課長や同僚たちが機嫌が悪いのがわかる。こいつら露骨に顔に出すぎなんだよな。

 勤務時間がしばらく過ぎて昨日と同様に主任の愚痴を言い始める同僚たち。最早同僚なんて呼びたくもないな、そうだ同僚(仮)と呼ぼう。しかし、こんな愚痴を三崎さんが戻るまで聞かされなくちゃいけないのだと思うと気が滅入るな……。

 仕事が落ち着いた頃にはお昼近くになっていた。俺にとっては三崎さんが休んでいなくても休んでいても仕事の量はあまり変わらないわけで、そこはそんなに重要ではない。問題なのは同僚(仮)どもだ。あの人がいない分、仕事を自分たちでこなさなければならない。いつもサボってた分のつけというやつだろうか。仕事も遅く、完全に残業ペースだわな。あの人はそれを全部一人でこなしていたというのだからどれだけ仕事ができる人かというのがわかる。

 そしてそのイライラを発散するかの如く主任の愚痴を言い始める。さっきからそれのループだ。

 いい加減うんざりとしてきたので同僚(仮)に文句を言ってやろうと思った時だった。

 

「失礼するよ」

 

 柔らかい笑顔を見せながら白髪の老人が扉を開けて挨拶する。滅多に姿を現さない社長がうちの部署にやってきた。

 視察だろうかここに来てから社員たちの仕事ぶりをじっくりと観察している。

 

「そう言えば、三崎君はどうしたのかね?」

 

 社長が課長にそう尋ねると課長はさっきまでの不機嫌そうな顔とは違い、取り繕うかのような笑顔で答える。

 

「彼女は体調不良で休んでおりまして。ここ最近、特に仕事に性を出して張り切っていたんですがね。彼女の仕事に対する熱意は我々も見習わなければなりません」

 

 いるいる、こういうやつ。自分より立場の上のものにだけへーこら頭下げてご機嫌どりしちゃうやつな。本心ではそんなこと1ミリも思ってないくせによく言うわ。

 しかし、社長はその答えで満足したのか「そうか、そうか」と満足な笑みを浮かべながら立ち去って行った。どうにもあの社長、良い人は良い人なのだが周りの状況を把握しきれてないというか、この課長が上手く隠ぺいしているのか。ここの現状が理解できていない。それを上手く伝えてあの社長に信じてもらうのが一番いい方法ではあるのだが、課長と平社員である俺の意見、どちらの言い分を信じるのか怪しいところだ。

 だがもし……上手く社長を味方に付けることができたなら勝てるかもしれない――

 

 

 

 それから金曜日までほぼ毎日、同じような日々が続いた。三崎さんがいないというのはやはり思った以上に深刻なことであり、俺もできる範囲で同僚(仮)の仕事をしているのだがそれでも少しずつ溜まっていくばかりだった。

 いつもなら今日も残業して俺以外に残った仕事をできるだけ片付けるところではあるのだが、今日はあいつらとの約束があるため、久しぶりの定時帰宅をすることにした。

 珍しく定時で帰ろうとタイムカードを押そうとすると、課長から「比企谷君? 君もう帰るのかね? みんなはまだ仕事をしているというのに。呑気なものだね、君も」なんて言われた。

 いやいや、おっさん、あんたの方こそ何言っちゃってるんですかね? そもそもこうなった原因はお前らが呑気に終わってもいない仕事放置して他人に擦り付けた結果じゃねえか。特大ブーメランありがとうございます。

 同僚(仮)たちや課長の冷たい視線を無視し俺は約束の場所に向かった。

 こちとら何年もこいつらよりも冷たい視線浴びせられてるんだ。おっさんの睨みなんて怖かねえよ。やっぱちょっと怖い。

 

 そそくさと退社した後、待ち合わせの時間まであまり余裕がなかったので駆け足で向かう。そのおかげでなんとか時間の5分前には着いたのだが……。

 

「ヒッキー、遅いよ!」

 

「そうね」

 

 何故か由比ヶ浜はムスっとしながらそう言い放ち、それに雪ノ下が不敵な笑みを浮かべながら同調する。

 いや、ちゃんと5分前に着いたじゃん。俺は何分前に来ればいいんだよ。そう言い返せれば楽なのだが、言い返したあとが怖いのでとりあえず軽く謝る。本当に俺の立場ってなんなの?

 

「それじゃ行きましょうか」

 

 いつも通り雪ノ下を先頭に歩き始める。しばらく歩くと見慣れたマンションの下に来たところで雪ノ下は足を止めた。

 

「今日はここでいいわね」

 

 ここって……。

 

「お前んちじゃねえか」

 

 なんでわざわざこいつの家で話し合うの? というか雪ノ下の家に上がるとか久しぶりでちょっと緊張しちゃうんだけど。

 

「あら、悪巧みをするならその辺のお店よりもいいと思うのだけれど?」

 

「もしかしてゆきのんの手料理食べれるの!?」

 

 由比ヶ浜、お前は何しに来たの?

 

「そ、そうね」

 

「やったー! ゆきのんの手料理だー」

 

 そう言いながら雪ノ下に抱きつく由比ヶ浜。いい加減お前らもいい歳なんだから百合百合しててもあんまり需要ないぞ?

 

「と、とりあえず夕食の準備をするから離れてもらえるかしら……」

 

「あ、じゃああたしも手伝おっか!?」

 

「それは結構よ」

 

「即答!?」

 

 ふっ。なんだろうな、こいつらのやり取りを見てると落ち着くというか……。

 

「あっ、ヒッキー、なんでニヤけてるの、キモイ!」

 

 おい、それはあんまりだろ。もう25だけど八幡泣いちゃうよ?

 

 

「それじゃあ、始めましょうか」

 

 雪ノ下の料理がテーブルに並べられ夕食の準備が整い、食事を始める。

 高校時代から料理スキルはかなり高かったが今は最早プロを超えてるんじゃないかというレベル。一品一品がとても手が込んでいるのがわかる。味もどれもが一級品だ。あまりの美味さに俺と由比ヶ浜は出された料理を一気に平らげた。

 

「「ごちそうさまでした」」

 

「お粗末さまでした」

 

 さてと、腹拵えもしたことだしいよいよ作戦会議といきますか……。

 食後のコーヒーを入れ終えた雪ノ下が席に着き全員が揃う。

 

「じゃあ、始めるぞ――」

 

 それから俺たちは一晩中、三崎さんを助ける為の会議をした。一人では考えつかなかったこともこいつらと一緒に考えることで色々と解決策が思い浮かび、実行するための準備や予定も立てることができた。本当、こいつらには感謝してもしきれないな……。

 その日、一番の難関である解決作が思い浮かんだことにより、俺は久しぶりにぐっすりと眠ることができた。

 

 翌日、この前約束した通り、俺は一色の店にと足を運んだ。

 

「いらっしゃ、あ、せんぱーい」

 

 いや、そこは最後まで言い切ろうな? 俺、一応お客さんだから。ほら、周りの人みんなこっち見てるし恥ずかしいんだよ。お前目立つんだし、それくらい考えてくれませんかね?

 

「近いから、もう少し離れてくださいお願いします」

 

「えー、なんでですか、別にこれくらいただのスキンシップなのに」

 

「お前はそう思っても周りはそう思わねえんだよ」

 

 さっきからこいつ目当てっぽい客の視線が痛いんだよ。察してくれませんかね?

 

「とりあえず、シュークリーム2つくれ」

 

「はーい」

 

 一色は慣れた手つきで、ショーケースのシュークリームを2つとプリンを2つ取り包装していく。ん? プリンなんて俺頼んでないぞ?

 

「なあ、一色」

 

「はい、なんですか?」

 

「俺、プリンなんて頼んでないぞ?」

 

「そうですねー」

 

 いや、そうですねって……、何? 俺に店の売上に貢献しろってことなの? いや別にいいけどさ。

 

「これは昨日、私だけ行けなかったお詫びですよ」

 

 お詫びって、お前が別に詫びることでもないだろうに……。

 

「流石に悪いだろ。気持ちだけ受け取っとくわ」

 

「あーあー、そういうのいいですから。結衣先輩たちに聞きましたよ。先輩には今まで散々お世話になってるんで、本当は私も先輩の力になりたかったんですよ。」

 

「別に世話したつもりはないんだけどな……」

 

「もぉ~、女の子の好意は素直に受け取っておくべきですよ?」

 

 女の子? お前もいい加減今年で24なんだから女の子って歳じゃな「先輩?」あ、やばい……この目は俺の思考が完全に見透かされてるやつだわ、ハチマン知ってる。

 

「とにかくですね、早く三崎さんのお見舞いに行ってあげてください。うちはプリンも美味しいんですから、きっと喜んでくれますよ」

 

 せっかくこいつがここまで言ってくれてるんだし素直にもらっておくか……。あんま断るとあとが怖そうだしな。

 

「わかった。サンキュ」

 

 そう言って店をあとにしようとすると後ろから「いってらっしゃい!」という声が聞こえた。そこはありがとうございましたじゃないの? ……まあ、これがあいつなりの励ましの言葉だったりするんだろうか、それなら俺はその声援に答えれるよう行動するとするか。

 

 

 それから先月の頭あたりに酔いつぶれた三崎さんを家に送った記憶を元に目的地に向かった。別にその時も何かあったわけじゃない、神に誓って。

 その時は初めて三崎さんが酔いつぶれてしまって、流石にこのまま一人で帰すのはまずいと思ってタクシーで送ってった。ただ、あの時は夜だったというのと俺自身もわりかし酔っていたので道中の記憶が曖昧なんだよな……。

 しばらく道に迷いながらも歩いていると、見たことのあるマンションにたどりついた。

 

「ここ……だよな」

 

 中に入り、エントランスで三崎さんの部屋を確認しインターホンを鳴らす。なぜかインターホンで喋るのって緊張するよな。いや、普通に人と話すのも緊張しちゃうんだけどさ、俺の場合。

 少し待つとスピーカーから声が聞こえた。

 

『はい』

 

「三崎さん、いきなりすいません。比企谷です」

 

『ひ、比企谷君?』

 

 いや、驚きすぎじゃないですかね。そんなに俺が訪ねるのが珍しいことですか、珍しいことだわ、よく考えたらこんなことするなんて考えられないな?

 

「お見舞いにきたんですけど、そっち行ってもいいですかね?」

 

 次の返事が来るまで少しの間が空いた。

 あれ? これ拒否られちゃうパターンなやつ? そういえばなんで俺は三崎さんが拒否することを考えてなかったんだ。当然のように部屋にあげてもらえると思ってた自分を殴りたい……。

 

『え、えっと……部屋散らかってるんだけど大丈夫?』

 

 ああ、なんだ、そんなこと気にしてたのか。大丈夫です、この前送ったときに既に経験済みなので。この人は酔いつぶれててそんなこと記憶にないだろうが。

 

「問題ないです」

 

『ん~~~、じゃあ上がってきて……』

 

 了承を得たのでエレベーターに乗り部屋に向かう。4階までたどり着いたところで降り、隅の部屋のベルを鳴らす。

 

「……いらっしゃい」

 

 一週間ぶりに見た三崎さんの顔は少しやつれていて疲れているようだった。それでも弱弱しくはありながらも優しい表情で出迎えてくれる。それが切なくもあったが不覚にも胸の鼓動が早くなったのがわかった。

 

「お邪魔します」

 

 出てきた三崎さんに挨拶して中に入る。何か物がいろいろと隅の方に追いやられているがこれはこの僅かな時間でできるだけ片付けようとした結果なんだろうか。

 チラっと横目で三崎さんを見ると恥ずかしそうに俯いているので多分そうなのだろう。この人の身だしなみで大体想像できたけどこれが片付けられない女というのだろうか、これじゃ、アラサーで結婚できていないのも頷ける。もう俺がもらうしかないな……無し、今の無し!

 

「えっと、とりあえず、その辺に座っちゃって?」

 

 うん、どの辺ですかね? 見事に足の踏み馬がないというか。仕方がないので床に落ちているものを軽くまとめて脇に寄せ、座れるスペースを確保して座る。

 

「三崎さん、もう物は食べれるんですか?」

 

「うん、軽いのならなんとか」

 

 よかった……三崎さんに確認をしていなかったので買ったのはいいが食べれなかったらどうしようかと思ってたんだよな……。

 

「それじゃこれ、一色の店のシュークリームです。あとこっちのプリンは一色からです」

 

「わぁー、ありがとう!」

 

 シュークリームを手に取り口に運ぶ、一口目を食べ頬に手をやり「おいし~っ」と言う仕草に見惚れてしまったのは秘密にしておこう。しかし、思ったより元気で良かった……。まあこれもシュークリーム効果のおかげなのかもしれないが。

 それからしばらく、三崎さんが美味しそうにシュークリームを食べる姿を眺めていた。……本当に美味しそうに食べるなこの人。

 三崎さんがシュークリームを食べ終えたところで本題に入る。今日ここに来たのはこれが目的なのだから。

 

「三崎さん、いつから復帰するつもりですか?」

 

「ん、そうだね……来週の月曜日は無理でも火曜か水曜くらいには戻りたいかな。だいぶ仕事溜まっちゃってると思うし」

 

 少し早すぎないですかね……。胃腸炎って2週間くらいは安静だったきがするんだが……。

 

「もう少しゆっくり身体休めちゃダメなんですか?」

 

「でもこれ以上会社に迷惑かけたくないし……」

 

 何故、この人はこう考えてしまうのだろうか。

 迷惑かけるどころか部署で一番会社に貢献しているのは三崎さんなのに。

 こんな悲し気な表情なんてしてほしくない、この人には笑っていてほしいから――

 

「会社より自分の身体を気にしてください!」

 

 自分でも驚くほど大きな声をあげていた。

 

「ど、どうしたの急に……」

 

 急な大声に動揺してしまったのか、震え声で尋ねられる。

 

「もう三崎さんには辛い思いをして欲しくないんですよ。あなたには笑っていて欲しいんです……」

 

「えっ……それってどういう……」

 

 どうもこうもこんだけ恥ずかしい台詞言ってるんだから察してくださいよ……。

 まあ、今から言う言葉のほうが絶対恥ずかしい気がするけど。

 

 社畜だろうがなんだろうが、俺のやることはいつだって変わらない。変わらないけれど、ただ、そこに信念があるから、俺はそれを遂行するだけだ。

 

「だから、俺はあなたを助けてみせます」

 

 そう、これは俺が、俺の意志で決めたことだから……。

 

 

 これだけは譲れない――



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社畜となった俺の人生にだって多少の甘さはあってもいい

八幡が社畜になったお話全3話です


 時計を見ると時刻は20時を過ぎていた。

 

「今日ももうこんな時間か……」

 

「お疲れ、比企谷君。今日もまだ帰らないの?」

 

 もう少しで仕事の目処がつきそうなところで話しかけられる。いきなり後ろから声かけるのやめてください、びびるんで。

 少しシワの寄ったスーツ姿にちょっとボサボサ気味の髪を後ろにまとめた女性がコーヒーを手渡してくる。この人が俺の上司であり、主任の三崎美沙さん。彼女のかけている眼鏡の奥は優しげな瞳をしていて少し安らぐ。

 この時間会社に残っているのは俺の他にはこの人くらいだ。

 

 

 俺がこの会社に入社して3年の月日が流れた。世間一般的に言えば、この会社はブラックとは真逆のホワイト企業と言えよう。給料だって同年代の奴らからしたら貰っているだろうし、休日だって完全週休二日制とはいかないまでも、年間休日は120日ほどある。

 ただ、それは仕事をしていない奴らの尻拭いをしている俺や主任からすればそうは言えないのが現状だ。

 主任の場合、毎日上司に大量の仕事を渡されたり、ほとんどの部下が何かわからないことがあると彼女に助けを求めていて、上司と部下の板挟みな分俺よりもきついかもしれない。それでもそれをこなしてしまうからまた新たに仕事を頼まれる。断ればいいのにと思うのだが彼女はそうはしない。

 これらを踏まえて考えると決して全員から見てホワイトというわけではないはずだ。こうやって他のやつの仕事をサービス残業で片付けたり、それが間に合わなければ休日手当が付かなかろうが休日出勤だってしなくちゃならない人間がいるのだから。

 

 俺からすればこの会社は、いや、この環境はブラックだ――

 

 

「もう少しで終わるんでそしたら帰りますよ」

 

「そっか……、あ、じゃあ今日は久しぶりに一緒に帰ろっか」

 

 明日は休日ということもあり、多分この一緒に帰ろうというのは飲みに行こうということなのだろう。次の日が休みでお互いが残っているとき、たまにこうして誘ってくる。俺も特に用事があるわけでもないし、上司の誘いを理由もなしに断ることもしない。まあ、高校時代なら断ってたかもしれないが……そう考えると高校生の頃に比べれば俺も変わったのだろう。

 

「終わりました、それじゃあいきますか」

 

 流石に主任を待たせるのも悪いので予定よりも少し作業を抜かして終わらせる。今日できなかった分は明日昼にでも来てやれば問題ないだろう。

 ……はっ。当然のように休日に出勤しようとしてるなんてやっぱり社畜だな、俺……。

 でもまあ、勤務中には見せないような、にこにことした笑顔で待ってる主任を見たらそんなに待たせるのも悪いと思うわけで、仕方ないな。

 

「よーし、じゃあ今日はとことん飲もうね!」

 

 会社を出て今日の飲み場を探しながら歩いてると、カバンを振り回しながら主任はそう言った。危ないんでカバン振り回すのはやめてくださいよ。というか、もういい年なんですからそういう行動はどうかと思いますけど。直接主任の年齢を聞いたことはないが確か二十代後半、つまり、アラサーだったはずだ。アラサーって言うとあの人を思い出すな……いやもうアラサーじゃないけどあの人。未だに独身のはずだったからいい加減本当に誰かもらってやれよ……。

 

 そんなことを考えていると横から「び~る、び~るっ」とリズムのいい声が聞こえる。

 何回かこの人と飲みに行ったことがあるが、酒好きで飲みに行くとつまみはあまり食べずにひたすら飲むタイプだ。ただ、酔っ払うと会社の愚痴を永遠と語り続け、手に負えなくなることがある。

 

「ほどほどにしてくださいよ、主任が酔っ払った時の愚痴聞くの辛いんで」

 

「そう言わないでよ、君くらいにしか愚痴なんて言えないし」

 

 俺くらいにしか、か……。

 

「そうですか」

 

「うん、そうだよ」

 

 にこっと微笑む彼女の瞳の奥はどこか悲しげな目をしていた。

 

「よし、じゃあ、今日はここにしよーか」

 

 主任の選んだ店は焼き鳥屋だ。中に入ると女性客は少なく、ほとんど仕事帰りのおっさん達で賑わっている。その店内を彼女は鼻歌交じりで空いてる席まで歩いていく。なんというかすげえなこの人。

 

「すいませ~ん」

 

 席に着くなりすぐに店員を呼ぶ。主任の中ではこれがデフォでもう既に頼むものは決まっているのだ。「比企谷君は決まった?」と聞かれたので主任が頼むであろうと予想されるビールを頼む。

 

「ご注文の方お決まりでしょうか?」

 

「あ、はい。生中2つと串焼きの盛り合わせ、それと枝豆ください」

 

 うん、予想通りだわ。この人枝豆本当に好きだよな。中身おっさんじゃないかと疑う。身だしなみも決していいとは言えないし……スペックは悪くないと思うのだが。いや、むしろこの人がちゃんと身だしなみを整えたらいい線行くと思う。

 

「おまたせしました、お通しと生中になります」

 

 テーブルにお通しとビールが置かれる。二人ともビールを持ち「今週もお疲れ様(です)」と乾杯をするとぐいっと飲み込む。うめぇ……まさか自分がこんなに酒を美味いと感じる日が来るとは思っていなかったが、仕事終わりで疲れた体に染み渡る。半分くらいを一気に飲んだところで向かいの主任を見るともう既にジョッキが空になっていた。

 

「ぷはぁ。ん~~っ、生き返るねぇ~!」

 

 もうあなたおっさんじゃないですかそれ。いや言わないけどさ。

 

「主任、飛ばしすぎっすよ……」

 

「ん~、いいじゃない。明日はどうせ休みなんだし、それに会社の外で主任は止めてって前に言わなかったっけ?」

 

「主任は主任じゃないですか」

 

 そんな言い方されるとなんか勘違いしそうなんでやめてくださいお願いします。それに会社で主任と一緒にいる時間が長いせいでもう主任呼びが定着してるんだよな。

 

「むぅ……」

 

 少し頬を膨らませながらジト目でこちらを見たあと「はぁ……」とため息をつかれる。

 

「なんかさ、会社以外で主任とか呼ばれると仕事のことが頭にちらついちゃうんだよね。だから三崎さんと呼びなさい、これは上司命令です!」

 

 いや、それおかしくないですかね? 仕事のことを思い出したくない人が上司命令とか言ってるの矛盾してませんか? っべーわこの人、既に酔いが回ってきてるんじゃないの。

 

「三崎さんがだめなら美沙さんって呼ばせるよ?」

 

「はぁ……なんでそうなるんですか」

 

 なんで難易度簡単になるどころか上がっちゃうんですかね? はぁ……、もうめんどくさいしここは素直に名字で呼んでおくとするか……

 

「わかりましたよ、三崎さん」

 

「ん、よろしい」

 

 彼女は満足気な表情を浮かべ、すぐそばを歩いていた店員にビールの追加を頼む。いや、だからペース早いんじゃないんですかね? この後苦労するの絶対俺なんだけど。

 

「お待たせしました、こちら生と枝豆、串焼きの盛り合わせになります」

 

 少し待つと注文したものが運ばれてきて、本格的に二人の飲み会が始まる。三崎さんは二杯目のビールを片手で持つと、残り半分を切った俺のジョッキにコツンと当てて「かーんぱいっ」と言って二回目の乾杯をする。この仕草が少しだけ可愛らしいと思ったのは秘密にしておこう。一口目をぐいっと飲むと好物と思われる枝豆を食べ始めた。

 

「ん~っ、やっぱりビールには枝豆だね、比企谷君」

 

 うん、さっきのやっぱなし。この人、確実に中身はおっさんだわ。

 俺は枝豆よりは焼き鳥の方が好きなので軽く「そっすね」と相槌をうち、串焼きに手を伸ばして口に含む。うむ、美味いな。やっぱりビールと一番合う肉って鶏肉だ、異論は認めない。

 一杯目のビールを飲み干し、店員に追加で頼もうとすると三崎さんも追加で頼む。本当にペースが早い。ビールが届くまでの間、酒もないので食べることを一旦やめてタバコを取り出し火をつけて一息つく。酒とタバコの組み合わせとは何故こうも殺人的に合うのだろうか。タバコなんて一生吸わないと思ってたつもりだったがこの会社に入社してしばらくして吸い始めてしまった。

 

「比企谷君って意外とタバコ似合うよね」

 

「意外ってなんすか」

 

 そもそもタバコに似合うも似合わないもないと思うのだが。ああ、でも平塚先生は似合ってたな……。

 

「ところでさ、比企谷君って休日は何してるの?」

 

「休日出勤してるじゃないですか、三崎さんも知ってるでしょう?」

 

 俺が休日出勤するときは大体この人もいるしな。本当に二人して仕事大好きっ子なんだからまったくもう。……なんて本当に仕事大好きなら良かったんだけどな。

 

「あはは……、そうじゃなくて本当に休みの日とかさ」

 

「日頃の疲れを癒してますね、つまり寝てます」

 

 俺の休日なんてそんなもんだ。わざわざ休みの日に外に出ようなんて思わないし、平日の間溜め込んだ洗濯物や、部屋の掃除やらをやってたら一日の終わりが来るわけで他に体力を使うなんてあほらしい。ああ、でも明日の夜はあいつらと会うんだっけな。

 

「なんかそこは比企谷君らしいね」

 

 俺の答えにクスッと微笑みながらそう言うと、枝豆をつまみながらビールを飲む。微笑んでたときは可愛らしく、枝豆をつまむ仕草はおっさん臭い。なんか調子狂うんだよな、この人。

 

「じゃあ三崎さんは何してるんですか?」

 

 そう質問すると「う~~ん」と唸りながら顎に手をやって悩み始める。いや、そんなに悩むことなんすかね、これ。まあ大体想像できるからいいんだけどな。

 

「私も寝てるかなっ」

 

 あはっ、と笑って答える。その答えを出すのにどんだけ悩むんだこの人。しかも想像道理なんですがそれは……まあ、一人暮らしでろくに休みもなければ大体そうなるよな。休む日だから休日なわけで疲れることをするなんて家事くらいで十分だ。

 

「あ、でもね、よくケーキ屋さんには行くかな。あとレンタルビデオ借りたりするよ」

 

「へえ、三崎さんがケーキとか食べるっていうのは意外ですね」

 

「それってどういう意味かな?」

 

 ひえっ、怖い、怖いですから! 彼女の俺を見る目が笑ってない。あ、ヤバいまじでこれ怒ってるやつなの? 意外って言葉だけでこんなに人って変わるものなの? 誰か教えてください。

 

「い、いえ、なんでもないです、はい」

 

「そっかそっか。まあ、私はシュークリーム買いに行くんだけどね。行きつけのケーキ屋さんのシュークリームが凄く美味しいの! 比企谷君は甘いの好きかな?」

 

 シュークリームの話をし始めた三崎さんは、今まで見たことがないくらい目を輝かせていた。それだけでこの人がどれだけシュークリームを好きなのかわかる気がする。多分俺も小町や戸塚のことを語っているときはこんな感じだ。

 

「甘いのは好きですね、むしろこんだけ人生が苦いんです、それなりに甘いもんでも食べて糖分摂取しないとやっていけないっすよ」

 

 俺の言葉に笑いながら「そうだね」と頷くと、今度三崎さんのオススメのケーキ屋に連れて行ってくれると言い始めた。最初断ろうとすると先ほどと同じような目をして睨まれたので仕方なく了承することにした。

 それから機嫌が良くなった三崎さんと会話をしながら再び飲み始める。徐々にだが三崎さんがいつものように酔っ払い始めて、話の話題は会社のことになっていった。

 

「比企谷君はさ、なんでいつも残業とか休日出勤してるの?」

 

「なんでですかね、俺も知りたいですけど。まあ、せっかくこんな捻くれ者を拾ってくれたんで少しぐらい恩返ししてやろうかと」

 

「でも、それを私以外は見ていないし、誰も気にしてない。この会社なんてそんなものだよ?」

 

 確かにこの人の言うとおりだ。俺が残って他の奴らの仕事をやってることなんてこの人以外誰も知らないレベル。評価もされない仕事をこなしてるなんてあほらしい。それでも、誰かがやらないとそのうちどこかが崩れて崩壊する。他の奴らはそれに気づいていない。だから気づいてる俺がやってる。そんなところだろうか。

 自己犠牲か……。

 いつだったか葉山に言われた言葉を思い出す。あれから何年も経つのにな。

 しかし、俺がそうなら、今、目の前で枝豆を食べ終え、ビールから日本酒に変わってそれをつまみもなしにひたすら飲み続けている彼女はどうなのだろうか。いつも俺と同じくらい会社に残って、休日も出勤して……彼女と俺はどこか似ている気がした――

 

 

 それから完全に三崎さんが酔っ払ったところで本日の二人の飲み会は終了した。

 酔っ払った三崎さんに自分の肩を貸して店を出ると秋の夜風が少し肌寒い。三崎さんの酔い覚ましにはちょうどいいかもしれないが。

 そのままどこかでタクシーを捕まえようと大通りの方に向かって行くと、後ろから聞いたことのある声に話しかけられた。

 

「あれ、比企谷君が女性と一緒に夜の街を歩いてるなんて珍しいね」

 

 雪ノ下さんじゃないっすか……、本当にこの人は俺が誰かと一緒にいるとどこからともなく姿を現すのな。もしかして俺のこと監視しているんじゃないのなんて思ってしまう。今は雪ノ下との仲も改善されたとは言え、この人に対しては少し苦手意識がある。

 

「どうも、ご無沙汰してます」

 

「うん、久しぶりだね」

 

 そう返事をした雪ノ下さんは、俺の肩に掴まって俯いている三崎さんの方を見ると少し驚いた表情をしながら口を開いた。

 

「比企谷君、なんで美沙と一緒にいるのかな?」

 

 なんでって? 逆になんで雪ノ下さんは三崎さんのこと知っているんですかね? 

 

「会社の上司なんですよ、それで三崎さんに誘われて飲みに来た帰りです」

 

「そっか、そういえば君たち同じ会社だったね、まさか一緒にいると思わなかったから正直びっくりしたよ」

 

 俺の答えに「そっかそっか、美沙にもついに春が来たのかぁ」と何かに納得しながら頷いている雪ノ下さん。全くついていけてないので俺は雪ノ下さんにとりあえず気になったことを聞いてみることにした。隣で俯いて寝てる人は起きそうにないしな……。

 

「それで雪ノ下さんはなんで三崎さんのこと知ってるんですか?」

 

「だって美沙は私の友達だもの。友達を知っていて当然でしょ? まさか比企谷君と一緒にいるなんて思わなかったけどねえ。そういえば比企谷君、明日雪乃ちゃん達と会うんだったね。これは雪乃ちゃんに報告しちゃおうかな~?」

 

 いや待って、俺何かやましいことでもしましたか? してないですよね。ただ上司と一緒に飲みに来てただけで、なんで浮気の現場目撃されてそれを報告すると脅されてるような感じになってるの、八幡わかんない。

 つうか雪ノ下さんと三崎さんが友達ってまじか。なんか意外な組み合わせというかなんというか。この二人が一緒にいて何かしてるっていうのがあんまり想像できないな。

 

「とりあえずそれはやめてください。めんどくさくなりそうなんで」

 

「ごっめ~ん、もう雪乃ちゃんにメールしちゃった」

 

 雪ノ下さんはいつの間にか携帯を手に持っていてそこにはメールの送信画面が見えた。いや、どんだけメール打つの早いのこの人。これ明日めんどくさいやつだわ、絶対。送った本人はてへぺろみたいな顔してるし、いくら綺麗だからってあなたももうアラサーなんですからね? そんな表情に騙されませんよ俺は。少しドキっとしましたけど。

 

「比企谷君、今何か失礼なこと考えてたでしょ」

 

 なんで俺が心の中で女性の年齢に対して考えたりすると毎回バレてしまうのだろうか。今度から十分に気をつけていかないとな……。

 

「べ、別に何も考えてないでしゅ」

 

 あ、噛んじゃった。てへ……

 

「あはは、動揺してるねえ、比企谷君。静ちゃんと違うんだから別にそこまで気にしてないよ。それよりさ、美沙のことよろしくね」

 

 なるほど、まあ友達が俺みたいなやつとこんな時間に一緒にいたらそりゃ心配するよな。というわけで三崎さんのことは雪ノ下さんに任せよう。うん、それがいい、そうしよう。

 

「心配なら雪ノ下さんが送ってあげてくださいよ……」

 

「そういうことじゃないんだけどね。この子さ、昔からすぐ無理しちゃうんだよね。人付き合いが不器用っていうか、なかなか他人を信用しないんだよね。そのせいか辛いことがあっても人に頼んだりしないの。だから同じ会社の比企谷君と飲みになんて行くのも意外だったんだ。だからさ、比企谷君、もしこの子が辛い時は助けてあげて?」

 

 ああ、そういうことか。この人は三崎さんの会社の状況をたぶんわかってるんだ。それが良くないということも。だからこうしてまっすぐ俺を見つめながら頼んでいるのだろう。

 

「どれだけ力になれるかわかりませんが頑張りますよ。俺もこの人のこと嫌いじゃないんで」

 

 俺の言葉に「そっか」と微笑む雪ノ下さん。その顔は昔、雪ノ下との仲が改善した時以来の優しい顔をしていて不覚にも見惚れてしまう。普段からこれくらいの表情をしていてくれればいいのにな。まあ、昔ほど仮面をつけているわけではないのだが。

 

「それじゃあ、私は帰るから比企谷君、美沙のことよろしくね」

 

 ちょうど迎えの車が来たようで、そう言って彼女はその車に乗った。……いや、待って! 迎えの車があるなら友達の三崎さんも乗せてあげてくださいよ、本当にあなたたち友達なんですかね……。

 俺の想いも虚しく雪ノ下さんの乗せた車は去っていき、俺と三崎さんだけが残った。

 このままでも仕方がないので寝ている三崎さんを起こす。なかなか起きなかったが頬を思いっきり抓ると起きてもらえた、お返しされたけど。

 

「今日はごめんね、楽しかったよ比企谷君。また来週会社で」

 

「うっす、お疲れ様です」

 

 近くを通りかかったタクシーを捕まえ、挨拶をして三崎さんがタクシーに乗るのを見送る。

 

「さて、帰るとするか……」

 

 明日は休日なのでお昼くらいまで寝る。その後、会社に行ってやり残した仕事を終わらせ、夜からはあいつらとの食事を楽しむとしよう。秋の夜風に吹かれながら帰宅途中、そんなことを考えていた――

 

 

 次の日、予定通りに昼ちょっと前まで寝た俺は、完全回復と言わないまでも、ある程度平日の疲れが抜けたので身支度を整えて会社に向かう。流石に私服で行くわけには行かないのでスーツだ。まあ楽だよな、スーツ。

 会社に着くと、今日は俺以外には誰もいない。ポケットからイヤホンを取り出して耳に付ける。うん、音楽を聴きながら仕事できるっていいな。こんなこと休日出勤か、残業してて誰もいないときくらいしかできないからなんか得した気分だ。……休日出勤とかして得した気分ってなんだ? 何か虚しくなり「はぁ……」とため息をついて仕事に取り掛かった。

 

 それから無心で仕事をし続けて時計を見ると時刻は16時。仕事の方も片付いたので、退社して待ち合わせの18時までどこかで時間を潰すことにした。

 駅前にたどり着き、本屋が目に止まったので中に入る。最近は忙しくてあまり読書をする時間がなかったので随分と部屋に未読のラノベやら小説が溜まっている。ただ、それでも新刊を見ると買ってしまうのはなんでなんだろうな。今日も読めてないラノベの新刊を何冊か見つけて購入した。今度の休日にでも時間を見つけて読むとしよう。

 本屋を出て喫煙所を探すが見つからなかったのでカフェに入る。最近は駅前の喫煙所が少なくなってるせいで、こうしてカフェの喫煙ルームに入らないとタバコが吸えなかったりする。コーヒー一杯を注文して喫煙ルームに入り、タバコを取り出し火をつける。コーヒーとタバコも割と合うよな。不思議だ。昔、平塚先生が缶コーヒーを飲みながらタバコを吸っていたが今ならその意味がわかる。携帯を見ながらコーヒーを飲み、時間を潰すと大体待ち合わせの20分前くらいになったので店を出て待ち合わせ場所に向かった。

 待ち合わせ場所に着くと既に3人がそこにはいて、どうやら俺が最後のようだ。

 

「うっす。早いな」

 

「先輩、遅いです!」

 

「ヒッキーが遅いの!」

 

 いや、まだ待ち合わせ時間の10分前だよね? なんでこんな責められてるわけ? 一色と由比ヶ浜に文句を言われたのでとりあえず「わりぃ」と一言謝った。

 

「久しぶりね、比企谷君」

 

「おう、久しぶり」

 

 雪ノ下、由比ヶ浜、一色とは休みの日にこうして会ったりしたりしている。高校生の頃、いろいろとあったが今も友達として関係を続けていて、俺はこの関係を気に入っている。雪ノ下は両親の会社に自分の意志で入り、由比ヶ浜は専門学校に行ってから今は美容師、お菓子作りが得意だった一色は今はパティシエをしていて3人とも忙しく、そんなに頻繁に会うことはないがそれでもこうやってみんなが空いた日は集まって食事をしたり遊んだりと、高校時代の俺からは想像できないだろう。

 

「それじゃあ行きましょうか」

 

 雪ノ下の言葉で目的地の店に向かう。大体こういう集まりの時は雪ノ下が店を選んで、俺たちがついていく感じだ。まあ、こいつならセンスあるし、安心して任せられる……と思ってた時期が俺にもありました。

 雪ノ下についていきたどり着いた場所は昨日三崎さんときた焼き鳥屋だった。これってどう考えてもあれだよな、雪ノ下さんのせいだよな……。

 

「あら、比企谷君、どうかしたのかしら?」

 

 こちらを見て不敵な笑みを浮かべながらそう訪ねてくる雪ノ下。あれ? 俺顔に出してた? つうかこいつの笑い方少し雪ノ下さんに似てきてないか? やめてくれよな、あんな人は雪ノ下さんだけで十分だ。

 

「な、なんでもない。お前がこういう居酒屋をチョイスするなんて意外だと思っただけだ」

 

「まあまあ、あたしはいいと思うよ! たまにはこういうお店も! ね、いろはちゃん」

 

「そ、そうですねー、まあ先輩の言うとおり少し意外でしたけど、い、いいんじゃないですかね?」

 

 おい、一色、お前目が泳いでるから。嫌なら嫌って言ってやれよ。俺は二日連続で同じ居酒屋とか嫌だぞ。言わんけど。

 

「そう、では中に入りましょう」

 

 由比ヶ浜は何やらノリノリのようで雪ノ下が店内に入るとその後ろにくっついて入っていった。一色は「せっかくいいお店で食事出来ると思ったのになあ……」なんて呟きながら少し遅れて店内に入っていく。まあ、あいつの言うことはわかる。雪ノ下が選ぶ店って毎回レベル高くて美味いもんな。

 店内に入ると昨日とは違う個室のような部屋に案内してもらい、腰を下ろす。

 

「じゃあみんな、飲み物何にするー?」

 

「ほんじゃ俺は生で」

 

「私は赤兎馬で」

 

 おい、雪ノ下、お前そんなの飲むのかよ似合わねえな、おい。

 

「それじゃ、私はピーチサワーで!」

 

 俺たち3人の注文を確認すると由比ヶ浜が店員を呼び、他に食べ物を何品か一緒に注文をする。注文を受けた店員は昨日もいた店員で、何やら俺の顔を見たとき少しニヤついてた気がするが多分、いや、絶対誤解してるやつだわ。

 タバコを吸い始めようとしたとき、注文した飲み物とお通しが運ばれ4人で乾杯をする。お通しは昨日とは違うので多分毎日変えているのだろう。

 

「それで比企谷君、三崎さんという方とはどういう関係なのかしら?」

 

 おい、お前いきなりぶっ込みすぎだろ。

 

「え、先輩、それ誰ですか!?」

 

「ヒッキー、なんのこと!?」

 

 なんでこいつらこんなに食いついてるんだよ。

 雪ノ下の言葉で一色と由比ヶ浜がこちらを見て聞いてくる。お前ら距離近くなってるから!

 

「どういう関係って……昨日も雪ノ下さんに説明したが会社の上司と部下で、それ以上でもそれ以下でもねえよ」

 

 本当にそれだけだ。確かにあの人には良くしてもらったりはしているが。それは多分、仕事を頑張っている部下へのご褒美的な何かなんだろうと思ってる。周りの部下に比べたら仕事している自覚はあるしな。

 

「へえ……で、ヒッキー、三崎さんってどんな人?」

 

 何を気になったのか由比ヶ浜がそう聞いてきた。どんな人か……。

 

「そうだな……、まあ、見た目はちゃんとすれば綺麗だと思うぞ。いつもなんかだらし無さがある感じの人だけど。あと仕事はできる。まあ、そのせいかそれよりも雪ノ下さんの言う、人付き合いが不器用のせいか、苦労してる人な気がするな。悪い人じゃねえよ」

 

 そう言うと、3人は少し考え、それぞれ何か納得したようだった。

 

「要するに、なんとなく先輩に似てるんですね、その人」

 

 一色の言葉に他の2人も同じことを思ったようだ。やっぱり少し似てるのかもしれないな。

 

「似てるっていうのはあの人に失礼だな。俺よりも仕事できるし。あの人のおかげでうちの部署が業績を上げれてるレベルだしな」

 

 そこから何故か久しぶりの再会だというのに話の話題は俺と三崎さんのこと、主に三崎さんのことを中心とした話題だった。どんだけ彼女に興味があるんだこいつらってレベル。一つ一つ聞かれたことに答えて言っていると気づけばいい時間になっていた。

 

「大体、わかったわ。比企谷君、三崎さんは大事にしなさい。あなたのような人を気にかけてくれるなんて滅多にいないのだから」

 

 雪ノ下が何を理解したのか俺はわからないが、その言葉を由比ヶ浜と一色はわかったらしく同時に頷く。

 

「それじゃ今日はこのくらいで解散しましょう」

 

「そうだな」

 

「じゃあまた今度ですね!」

 

「ヒッキー、たまにはうちで髪切ってよね!」

 

 4人で店を出て別れの挨拶をした時だった。

 

「比企谷君、やっほー」

 

 昨日と同じように後ろの方から聞いたことのある声に話をかけられる。ただ、それは昨日声をかけてきた雪ノ下さんではなくて、さっきまで俺たちの話題の中心になっていた人物、三崎の声だった。

 その声に反応して振り向くが彼女のような人が見当たらない。確かにあの声は三崎さんの声だと思ったはずなんだが。

 

「比企谷君、どこ見てるの? こっちこっち」

 

「え、どちら様でしょうか?」

 

 声のする方を振り向くと、綺麗な人が俺を呼んでいた。こんな人俺の知り合いにいなかったはずなんだが。

 

「ああ、そうか。なんかショックだけどこれでわかるかな?」

 

 そう言って彼女はカバンから眼鏡を取り出し、綺麗な長い髪を後ろで一つにまとめた。あ、俺この人知ってるわ……。ていうかこの人ちゃんとすればここまで綺麗なのかよ!

 

「三崎さん……」

 

「やっとわかってくれたね」

 

「いや、変わりすぎじゃないですか……そんな綺麗なら普段からそうすればいいのに」

 

「え?」

 

 俺の言葉に少し頬を染める三崎さん。眼鏡を外し、髪の毛をまた元に戻す。俺も自分で言った内容をあとから気づき、恥ずかしくなってきた。多分同じように顔を赤くしていることだろう。

 

「と、ところで三崎さんなんでそんないつもと違うんですか」

 

「ああ、これは今日友達の結婚式だったの。それでいつもの感じで行ったら私の友達にちゃんとしなさいって言われちゃってね。で、いろいろ直されちゃった」

 

 てへっと笑う彼女は、いつもと違い、凄く大人びていて、それでいてとても綺麗だった。

 

「ひ、ヒッキーこの人が?」

 

 俺が彼女に見惚れていると後ろから由比ヶ浜に声をかけられる。そういえば別れの挨拶はしたものの、まだ解散はしていなかったんだった。

 

「初めまして、陽乃の妹の雪ノ下雪乃です」

 

「初めまして、比企谷君の上司の三崎美沙と言います。君たちのことはさっき陽乃から聞いたよ。実は陽乃に送ってもらってる最中にあの子が気づいて私をここに降ろしたんだよね」

 

 本当にあの人は……一緒に降りないのは意外だがここに三崎さんを召喚して一体どういうつもりなんだよ。

 

「先輩、先輩、あの人が噂の三崎さんですか?」

 

 三崎さんが雪ノ下と由比ヶ浜と話してる間に一色に耳元でそう呟かれる。いきなり耳の近くで話しかけないでくれるかな? 恥ずかしいだろ。「そうだよ」と答えると「ふぅん……すごい綺麗な人ですね」と言い、俺のことをジトーっと見てくる。ちょっと怖いんですけどいろはさん? 

 

「でもあの人どこかで見たきがするんですよね……」

 

「気のせいじゃないのか?」

 

 そう言うと「う~~ん」と何かを思い出そうと一色は必死になっているようで、それ以降返事を返してこなかった。

 三崎さんは雪ノ下と由比ヶ浜と話終えたのか今度は俺に話しかけてきた。

 

「そういえば比企谷君、明日暇だったりしないかな? 良かったらちょっと付き合って欲しいんだけど」

 

 彼女の言葉に雪ノ下と由比ヶ浜は驚きながらこちらを見つめる。三崎さんも急に変なこと言わないでくださいよ、まじで。休日に付き合うとかデートかと思っちゃうじゃないですか。

 

「明日は家でいろいろすることがあるんですけど……」

 

「あ、これヒッキー暇なやつですよ!」

 

 おい、由比ヶ浜、お前なんでそういうこと言っちゃうの?

 

「そうですね、彼がこう言う時は大体暇なときです」

 

「そっか、じゃあ明日お昼くらいに駅前でね。今日はもう遅いし、みんなもお疲れ様」

 

 そう言って彼女は台風のように現れて去っていった。

 いや、本当に何しにきたの、あの人。

 それからまだ何かを思い出そうとしている一色を由比ヶ浜がこちらの世界に呼び戻し、雪ノ下が再び別れの挨拶をして今日は解散となった。

 

 3人と別れ帰宅した俺は、三崎さんが明日何に付き合わせたいのかわからず、多少の不安と期待を胸に眠りについた――

 

 セットした携帯のアラームに起こされ、洗面所に行き顔を洗う。約束はお昼なのでまだ時間はある。というかお昼って具体的にどこからどこまでなんだろうな。昨日はお昼としか言われなかったし、部下の俺としては少し早めに待っていたほうがいいのだろうか。そう思って大体11時半くらいに駅に着くように準備をして家を出た。

 

 予定通りの時間に着いて辺りを見渡すがそれらしき姿はない。

 そういえばあの人、今日はどっちの格好でくるのだろうか。いつも通り? それとも昨日のような感じか? いや、ていうか俺は何考えてんだよ……別に三崎さんがどっちの姿できたって関係ないだろ。

 あの人を待つ間、今日読むつもりだった未読のラノベを読み始める。しばらくして12時になったのでまた辺りを見渡す。すると昨日と同じように綺麗に髪を整え、眼鏡をしていない三崎さんがこちらに歩いてきていた。

 

「ごめんね、待たせちゃったかな」

 

「あ、……いえ、今来たところなんで」

 

 何言っちゃってるんだろうな俺は。この三崎さんの姿はダメだ。ずるい、そんなしょんぼりとしながら謝らないでくださいよ、調子が狂ってしまう。

 

「それじゃいこっか」

 

 そう言って俺の手を握り、案内するかのように前を歩く。

 急な出来事で一瞬何が起きたのかわからなかったが、女性に手を握られているという現状を理解して恥ずかしくなってくる。握られた手が若干汗ばんで来ているのがわかる。というかいきなり人の手を握るとか本当に人付き合い苦手なんですか、この人。後ろからじゃ三崎さんが今どんな表情をしているかわからないのが悔やまれる。

 

「あの、どこいくんですか」

 

 このまま握られっぱなしで移動するのはさすがに俺のライフが危うく、質問をすることで二人の足を止めさせた。彼女は握っていた手を離して俺の方を振り向いて答えた。

 

「こないだ比企谷君甘いの好きって言っててケーキ屋さんに連れて行ってあげるって言ったじゃない? 今日暇だったし一緒にどうかなと思って」

 

 若干俯きながら答える三崎さん。そういうことならそうと言ってくれればいいのに、別に断ったりはしないのだから。

 三崎さんの言葉に「じゃあ連れて行ってください」と答え、二人で並んで彼女の行きつけのケーキ屋に向かった。

 

 ……しばらく歩くと目的の店に着いた。着いたのだがそこは俺も知っている店だった。店を知っているというよりは店で働くパティシエを知っている。あいつが昨日何かを思い出そうとしてたのはこういうことか……

 

「はいろっか」

 

「うっす」

 

 彼女に促されて店内に入る。ここの商品は何度か食べたことがあるが確かにどれも美味い。ただ店内には来たことがなかった。奥に進むと、ちょうど一色がショーケースにケーキを並べているところで、俺に気づいて話しかけてきた。

 

「せ、先輩、なんで三崎さんと一緒にいるんですか!?」

 

 いや、昨日そういう話してただろ……あ、そういえばあの時こいつ全く話聞いてなかったな。

 

「昨日お前が三崎さんのこと思い出そうと必死の時にそういう話ししてたんだよ。まさかお前の店とは思わなかったけどな」

 

「てことは三崎さんうちの常連さんだったわけですか、でもこんな綺麗な人がお店に来たら覚えてるはずなんですけどねー」

 

「ああ、いつもとはちょっと違うからね。髪の毛とかボサボサだし」

 

 三崎さんがそう言うと、一色は昨日と同じように何か思い出そうとして今度はすぐに思い出したようだ。

 

「ああ! いつもシュークリーム買ってくれてる、あの地味な人!」

 

 おい、地味な人は失礼だろ。三崎さんもちょっと苦笑いしてるじゃねえか。「まあ確かに地味だよね」と納得しつつ、ちょっと傷ついてる気がした。

 

「ここのシュークリームは私が作ってるんですよ」

 

 そう言って高校生の頃よりも発育した胸を少し張る一色。

 

「そうなんだ! ここのシュークリーム大好きなの、本当美味しいよ」

 

 そう言われると一色は少し照れながら「ありがとうございます」と言い、俺の方に近寄り、耳元で「先輩、この人良い人じゃないですか。大事にしなきゃダメですよ?」と言ってきた。てか、お前はなんで一々俺の耳元で話しかけるんだよ。くすぐったいしゾクッとするからやめろ。

 近づいてきた一色を引き離すと「それじゃごゆっくり~」と言い、厨房にさがっていった。

 俺と一色が話している間に三崎さんはシュークリームを二個購入していた。

 

「比企谷君もシュークリームでいいよね?」

 

「あ、はい。いや、というかお金は払いますよ」

 

「いいよ、今日は私に付き合ってもらっちゃってるわけだし。これくらいは奢らせて、ね?」

 

 優しい笑顔でそう言われると俺に反論の言葉は思い浮かばず、彼女の言うとおり奢ってもらうことになった。そのまま三崎さんが会計を済ませ、二人で空いている席に座る。お互いに顔を合わせ「いただきます」と言い、シュークリームを口に含んだ。

 

「ん~~っ、おいひぃ~~!」

 

 満面の笑みでそう言う彼女。その顔は綺麗な大人の女性とは違い、どこか少女のようにとても可愛らしいもので、それに見惚れてしまった俺は自分の食べたシュークリームの味がわからなかった――

 

 

 それから味もわからないままシュークリームを食べ終えてにやにやとした一色に見送られながらケーキ屋をあとにした。

 

「今日は、……もかな、ありがとうね、比企谷君」

 

「いえ、俺も美味しいシュークリームご馳走してもらってありがとうございます」

 

 本当は全然味なんて覚えていないんだけどな……。

 

「それじゃあ、比企谷君。来週も一週間頑張ろうねっ! おーっ!」

 

「そっすね、頑張りましょう」

 

 三崎さんの掛け声で来週も頑張ろうという気持ちになりつつ、挨拶をして解散した。

 

 

 その日の夜、俺はベッドに横になりながら週末の出来事を振り返っていた。三崎さんとは何回か飲みに行ったりしているがこんなのは初めてかもしれない。今までは会社の付き合いというのが一番だったのに……。

 三崎さんに対する感情が自分の中でどういうものが少しだけ心当たりがあるが、それでもその答えを出すのが少しだけ怖くて、俺は無理やり意識を断ち切ろうと眠りについた。



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社畜となった俺と彼女が歩む道のり。

 三崎さんの家を訪ねた後、真っ直ぐ家に帰った俺はベッドに倒れこむ。

 一丁前に上司相手に助けると宣言すると、言われた三崎さんは頬を染めてゆっくりと頷いた。……その顔が脳裏に焼きついて離れない。

 元々同じようなことを言うつもりではあったが、大声を出したあと勢いに任せて放った言葉を思い出しながら枕に顔を埋めた。我ながらあんな言葉を言い放つなんて予想外だ。時間が経つにつれ鮮明に蘇る記憶が胸の底から羞恥心を湧きあがらせる。

 

「…………シャワー浴びるか」

 

 一度頭を切り替えようとシャワーを浴びようとすると、携帯が鳴った。

 着信画面を見ると雪ノ下さんからのようだ。このタイミングでかけてきたということは……。想像したくはないがそういうことなのだろうと予想してしまう。最悪の展開を頭に入れて通話ボタンを押すとご機嫌な声で『ひゃっはろー!』と挨拶された。いや、ひゃっはろーが挨拶っていうのはどうなんだ? それもアラサーが……。

 

「……どうも」

 

『あ、比企谷君、今失礼なこと考えてたでしょ?』

 

 なんで電話口から俺の思考読み取られているんですかね。何? 最近のスマホは話し相手の思考まで読めたりしちゃうの? でも俺のは雪ノ下さんの思考読めないんだけど、これって不良品ですかね。

 

「いえ、何も思ってませんから」

 

『ふーん、まあいいんだけどさ。それで、今日美沙の家に行ったんだってー?』

 

 情報が早い! というか雪ノ下さんにだけは言わないでくださいよ、三崎さん……。

 

『で、なんだっけ。俺は、あなたを……助けて、みせます、だっけ? 随分と、かっこいいこと、言った、みたいだね……』

 

 なんであんたがそこまで知ってんの!? しかもそんなに必死に笑いを堪えるように言われたら更に恥ずかしいんですけど……。

 

『……あっははははははっ! ひ、ひぃ~、あー。だめだお腹痛い』

 

「勘弁してくださいよ……」

 

 笑いこらえてたなら最後までそれ貫いてくれませんかね……。何こらえきれず爆笑し始めてるんすか。

 

『いやいや、ごめんねー。あんまり君っぽくなかったから、ついね』

 

「だからって笑いすぎじゃないですかね」

 

『でもね、美沙喜んでたよー。気合入れて月曜日から会社行くみたい。まあ、解決策の方も浮かんだみたいだし、あとは頑張ってね』

 

 その言葉にどう返そうか考えていると、それを待たずに雪ノ下さんは通話を切った。

 

「…………」

 

 先ほどまで、倒れ込んでいたベッドに再びダイブする。

 あの人が知ったということは他の奴らにも漏れる可能性が高い……。

 なぜあんな恥ずかしいことを言ってしまったんだ、俺は。

 うああああ! 死にたい! 死にたいよおおお! 月曜日会社行きたくないよおおおお! 馬鹿じゃねーの! 馬鹿じゃねーの! バーカ! バーカ! うおおおおおおおん!

 心中で叫び、低い唸り声を上げながらベッドでごろごろしてしまう。

 しばらくの間のたうち回っていると、再び携帯が鳴ったので一度我に返り着信画面に目をやると、一色と表示されている。

 

「……どうかしたのか?」

 

 とりあえず通話を取り話しかける。一色も暇じゃないだろうし、この時間にわざわざ電話をしてくるということは何か用事でもあるのだろう。

 

『別にどうもしないですよ?』

 

 あれ? もしかしてこの子ただ単に暇なだけだったのん?

 

「いや、それなら別にいいんだけどさ……」

 

『はぁ……、先輩、そんなんじゃ三崎さんに嫌われちゃいますよ?』

 

 いや、なんでここであの人の名前がでてくるわけ? 関係ないよね?

 

『私が電話したのはですねー、お二人がどうなったのか気になりまして!』

 

 ……ああ、そういうことか。確かにこいつにはあまり話してなかったし、気になるのは当然か。

 

「問題ないぞ。お前の作ったシュークリーム絶賛してたわ」

 

『そういうことじゃないんですけどね……』

 

 俺の言葉の後に電話口からぼそっと一色が何かを呟いたが、小さな声だったので上手く聞き取れなかった。

 

「なんだって?」

 

『あ、い、いえ……喜んでもらえたみたいで良かったです! で、その後はどうなったんですか!?』

 

 え? 何その後って。またあの黒歴史になりそうな話しなくちゃいけないの? いや、まあ全部を話す必要はないよな。というか無理、また悶えちゃう。

 

「特になんもねえよ。助けるってこと伝えて帰ってきただけだ」

 

『なんですか、それー。つまんないですね』

 

 どうやら一色は俺の回答にご不満なようだ。まあ、どういうふうに伝えたのか全部言ったらそれはそれで思いっきり食いついてきそうだし、こんくらいがちょうどいいだろ。

 

『まあ、わかりました。じゃあ、また今度集まるときにはちゃんと結果教えてくださいね』

 

「おう、さんきゅーな」

 

 たぶん、こいつなりに俺にエールを送るために電話してきたのだろう。一色に礼を言うと『いえいえ』と優しい口調でそう言って通話を終えた。

 多少気が紛れたところで先ほど浴びれなかったシャワーを浴び、計画のプランをパソコンに打ち込みながら確認していく。この計画を実行するにあたって大事なのは、準備段階でどれだけ証拠を集められるかにかかっている。まあ、それさえクリアしてしまえば残りは簡単だ。問題があるとすればその後の俺の立場くらいか……。

 

「…………自己犠牲か」

 

 雪ノ下たちとの話し合いでは一応この解決策は了承された。一応というのは、今回行う解決策が成功したとしても、何らかの形で俺に罰が与えられる可能性が高いのでそれを危惧していたからだ。と言っても現状これ以上の解決策がないし、確定で俺が被害を受けるわけでもない。それに昔と今じゃ違う……。俺はどんなことが起きようとあの人を助けたいと思ったから、あの時とは一緒じゃない……。

 時計を見ると0時とだいぶ遅くまで集中していたらしい。

 切りのいいところで作業をやめて布団に入ることにした。

 それにしても……。

 

 明日、三崎さんに会いたくないよなぁ……。

 

 

 

 *   *   *   *

 

 

 次の日、いつも通り出勤すると三崎さんが既に出社していた。

 この前のような綺麗な格好ではなく、前のように皺の寄ったスーツに眼鏡で後ろを軽く止めた髪型。綺麗にすれば会社での立場も少しは変わる気がするが、本人はそういうのは望んではないんだろう。それに、あの姿を知っているのが会社で自分だけというのは、少し得した気分ではある。

 三崎さんが俺に気づき、ぱたぱたと駆け寄ってくる。この前見たよりも表情は明るくなっていて、どうやら体調は問題なさそうだ。ただそんな嬉しそうな表情をしながら近寄られると、俺の心臓によろしくない。

 

「おはよう、比企谷君」

 

「おはようございます、主任」

 

 微笑みながら挨拶してくる三崎さんの笑顔は朝が弱い俺にとっては眩しすぎるものだった。……というか三崎さん、距離近くないですか? あれれ? こんな距離感だったっけ?

 

「どうかした?」

 

「いえ、あの、なんというか距離が近いかなと思いましゅて」

 

 はい、噛んだー。何やってんの俺。こんなんじゃ動揺してるのバレるよね? 馬鹿なの? 死ぬの?

 

「あ……、ご、ごめんね……。一昨日、比企谷君に言われたこと凄く嬉しくて……、顔見たら思わず駆け寄っちゃってた」

 

 え、何? この可愛い女性。こんなの俺の知ってる三崎さんじゃないんだけど? 

 少し顔を赤らめながら髪をくしくしと掻く姿が妙に可愛らしく、不覚にも見惚れてしまい、これから行う計画に支障が起きてしまいそうだった。 

 

「い、いや、謝る必要はないんで……、それじゃ俺も仕事始めますね」

 

「う、うん」

 

 そのまま席に着いて仕事を始めると、今日も周りの同僚は、退社後の話をしながらだらだらと手を動かしている。

 いつもならそのやる気のなさと話題に虫唾が走るのだが、今回は我慢してその中に混ざりに行く。ていうかあれだな、自分から話に混ざるなんぞ人生で数える程しかなかった俺にとって、この行為は本当に『らしく』ない。

 

「な、なあ、俺もその飲み会行ってもいいか?」

 

 俺の声に同僚たちは一瞬会話が止まる。訝しげにこちらを伺い、少しの間のあと口を開いた。

 

「なに、比企谷。お前から食いついてくるなんて珍しいじゃん」

 

「まあ、たまにはな」

 

「ふーん、まあいいんじゃね? つうか今日は課長主催の飲みだから課長に聞いてこいよ」

 

 なるほど、課長主催か。それなら俺にとっても好都合だ。

 

「わかった、さんきゅーな」

 

 参加することを伝えに行こうとすると、ちょうど三崎さんと課長が話をしていた。何を話しているか気になり、少し離れたところで立ち聞きすることにした。

 

「三崎君、君のせいで仕事が大幅に遅れてるんだよ? わかってる? そもそも君の体調管理がなってないせいなんだから、復帰したからには一人でなんとかしてくれるんだろうね? それくらい社会人なら当然だよね?」

 

 相変わらず嫌味しか言わねえのな。誰のせいで三崎さんが身体を壊したと思ってんだ。

 課長の言葉に「すみませんでした」と一言謝罪をする三崎さん。それと同時に再び課長が話し始める。

 

「そもそもね、胃腸炎だっけ? 私から言わせれば気合が足りないんだよ、気合が。私が若い頃は熱が39度あっても仕事したもんだ。最近の若者は本当に根性がないから困るねえ……」

 

 健康なくせに仕事もろくにしないあんたがそれを言うのか?

 

「ああ、それとね、来週の年末会議で私のプレゼンがあるんだが、それを君、やっといてくれ」

 

 おい、流石にそれは自分でやれよ。

 

「私も何かと忙しい身でねえ。今日も夜は大事な用があるから中々手をつけられないんだよ。君は随分休んで体力も有り余ってるだろ? 頼んだよ。ああ忙しい、忙しい……」

 

 テレビや小説やらで憎たらしい上司は見たことあるが、それはあくまで架空の存在だと思っていた時期が俺にもありました。実際に目の当たりにするとこうも胸糞悪いもんなんだな……。大事な用ってあれだよな? 今日の部下たちとの飲みだろ? 本当にふざけてる。

 だがここでそんなことを思っていても仕方ない。課長は三崎さんに仕事を押し付けると、そそくさと離れていったので追いかける。

 あんな場面を見せられたら、三崎さんの手伝いをしたくなるが、それでは今日は助けられても根本的な解決にはならない。俺は一時の助けになりたいわけじゃないんだ。

 

「課長、すみません」

 

「なんだい、比企谷君」

 

「今夜のことなんですが」

 

「……それがどうしたんだね? 悪いが私は今夜は忙しいのだよ」

 

 どうやら俺が今日の飲み会にケチをつけるとでも思ったのか、課長は少し警戒心を抱いているように見える。

 

「その件なんですが、同僚に聞いてぜひ俺も参加したいと思いまして」

 

 そう言うと、表情が軽くなり俺の肩を叩いてくる。

 

「なんだ、そうか来たいのか。いいぞいいぞ。君も誰の下につくのが正しいかやっと理解してきたようだねえ」

 

 誰の下とかなんかのドラマの見過ぎじゃないですかね? そもそも課長が主任に対抗意識燃やしてるのってどうなんだ。

 

「は、はあ。それでどうしたらいいですかね?」

 

「そうだな、定時に上がったら19時に駅前に集まることになっている。今夜は私の奢りでキャバクラに連れて行ってあげるからね。君も遅れないようにしたまえ」

 

「わかりました」

 

 返事をすると、ご機嫌な表情を浮かべながら課長は自分の席に戻っていった。

 とりあえずこれで証拠確保はなんとかなりそうだ。酒を飲むなら口も軽くなりやすいだろうしな。あとはあれを用意しておけば問題ないだろ。

 今のところ計画が順調に進んでいることに安堵しながら自分の席に着く。

 

「どうだった?」

 

「ん、オーケーだそうだ。しかし、課長が奢るって言ったが、えらく太っ腹だな」

 

「まあ、実際課長が自分の金を出すんじゃないからな」

 

 ちょっと待て、それはどういう意味だ?

 

「じゃあ誰の金なんだ?」

 

「会社の経費じゃねーの? まぁそのへんはよく知らねーけどさ、疲れた身体を癒すって目的なんだし、別に悪いことじゃないだろ?」

 

 いや、どこが悪いことじゃねえんだよ。バレたら大事じゃねえか。

 しかし、良いこと聞いたかもしれないな。これで証拠を掴めれば、一気に今の状況を変えることができるはずだ。

 

「そうだな」

 

 同僚の言葉に軽く返事をしながら自分の仕事に戻る。それからは淡々と片付けながら進めている途中、ちょうど昼休みになったので椅子に体重を預け一息吐く。

すると、三崎さんが少し困った顔をしながら話かけてきた。

 

「比企谷君、ちょっといいかな?」

 

「どうしました?」

 

「うん、あのね、さっき課長に会議の書類を作成するようにって頼まれちゃって、流石に私一人じゃ抱えきれない量でね……。それでもし大丈夫ならでいいんだけど、手伝ってもらえないかな……」

 

 ……っ。そんな顔されたら断れないじゃないですか……。普通に頼まれても手伝うけど。

 

「わかりました。ただ今日は用事があるんで明日以降手伝います。あと会議用ならパワーポイントありますよね?」

 

「うん、あるけど」

 

「それじゃ、それは俺が作ってもいいですかね?」

 

「まあ、内容は私がまとめるし、問題ないと思う」

 

 オーケー、これでほぼ前準備は整った。心の中で軽くガッツポーズを決めると三崎さんが不安そうな表情をしている。

 

「……今日の用事ってもしかして私を助ける為?」

 

「さあ……、どうですかね」

 

「あんまり無理しないでね?」

 

 そんな悲しい表情しないでください。自分のために俺が動いていることを知ってしまうと、こうなりそうだったから言わなかったんだけどな……。やっぱり俺は心を読まれやすいんだろうか。

 

「……善処します」

 

「私のせいで比企谷君が辛い思いするのは嫌だからね?」

 

「わかりました」

 

「ん、よろしい。じゃあ、お昼いこっか」

 

 あれ? 一緒に食べる約束とかしてましたっけ? 

 

「えっと……?」

 

「ほら、いくよー」

 

 返事をする前に腕を掴まれ連行されることとなった――

 

 

 昼休みを三崎さんと過ごし、最近の負の感情を少し和らげ仕事に取り組んでいると、気づけば定時になっていた。

 いつもならこの時間に帰ることなんてありえないのだが今日は別だ。まあ、早く帰るからといって休めるわけじゃない。むしろ今までで一番最悪なアフターになるかもしれないな。

 

「お疲れ様です」

 

 荷物をまとめて軽めに挨拶をし、退社する。

 一度家に帰り、この日のために用意していたものを準備して目的地に向かうと、まだ課長たちの姿はない。時計を見るとまだ集合時間まで時間があったので計画の確認をすることにした。

 そのまましばらく待っていると一人、また一人と集まって最後に課長がやってきた。

 

「おー、もうみんないるようだね。それじゃ行こうか」

 

 そう言って歩き出す課長。俺たちは課長のあとに続き歩き始める。

 目的地のキャバクラに到着するとそれぞれが席に着き、女の子がやって来る。

 

「さあ、君たち今日は存分に楽しんでくれ、私の奢りだからな。と言っても会社の経費だけどね」

 

 自分の口で言っちゃうんだなこの人。まあ聞く手間が省けたからいいんだけどな。

 

「課長さん、かっこいいー! 課長さんの部下は幸せものですね!」

 

「ほんと、課長は最高の上司だよ」

 

 

 なんだこの会話は……まったくもって反吐が出る。経費の部分には誰も触れないのもおかしいだろうが……。

 明らかに作られた褒め言葉。こんなことを言われて喜ぶ課長。ここにある会話に本物なんてものはない。

 しかし、この場にただ文句を言いに来たわけじゃない。

 

 店に入ってからしばらく時間が立つと、課長たちは酒が結構回ってきたようでだんだんと上機嫌になっていった。

 さてと、そろそろ本格的に動こうか。

 

「課長、プレゼンはどうするんですか?」

 

 我ながら唐突すぎる話題ではあるが、まずはこの言葉あたりから始めるとしようか。

 

「プレゼンねえ……。全部三崎君に任せてるからね。彼女次第だね」

 

「でも課長がプレゼンするのに全部任せちゃっていいんすか?」

 

「かまわんだろ、どうせ彼女は仕事くらいしかやることないんだしな」

 

 何がそんなにおかしいのかわからないが課長はにやにやと笑みを浮かべながら語りだした。

 できることならこの顔を見た時点で一発殴ってやりたいところだが、殴ったところで何の解決にもならないのでそんなことはしない。

 

「ですよねえ、俺なんて仕事残ってても全部あの人にやらせてますもん」

 

「俺もだわー」

 

 課長の言葉に笑いながら同調していく周りの奴らの発言は本気でイラつくが、こちらの思惑通り動いてくれることには感謝しようじゃないか。

 

「ははは、君たちあまり彼女をこき使いすぎるなよ? 一応上司なのだからね。それにまた身体を壊されたら自分たちが仕事をしなくちゃいけないんだからね」

 

 ……さっき言ったこと撤回してもいいだろうか。本気で殴りたい。……いやいや、せっかくここまで引き出したんだ。こんなことで台無しにするなよ、俺。

 

「でもあれじゃないですか。それって社長とか部長にバレたりしたらやばくないですかね? それに経費も使っちゃってるみたいですし」

 

「そんなことを気にしているのかね君は。社長はもう年だし、上はそんなに下の現場なんて見ないものなんだ。それに、社長がもし来てもその時だけちゃんとしている振りをしておけばいいんだよ。経費だってそうだ。上手くやればバレることなんてありえないのだよ」

 

「そんなんで大丈夫なんですかね?」

 

「通用するくらい上は無能だってことだよ。まあ、上が馬鹿だから我々はこうしてサラリーマンライフを悠々自適に楽しめるんだけどねえ、あっはっはっは」

 

「それに比べて俺らは課長の下でよかったですよ!」

 

「本当にその通りですね!」

 

 やっぱりあれだな。人という字は支えあってできているなんてのは嘘っぱちだ。現実社会を生きてればそんなことは容易に否定できる。こうやってここに居る奴らのように寄りかかっている人間と、三崎さんのような支える人間がいてできているのが人という字だ。

 

「まあ、何かあっても君たちのことは私が守ってあげるから安心しなさい」

 

「流石っすよ! 課長!」

 

「俺、一生ついていきますよ!」

 

 こんなところだろうか。思ったよりも色々と喋ってくれたし、やっぱりお酒の力って偉大だわ。

 

「それを聞いて安心しましたよ」

 

 そう、本当に安心したんだ。一番難しい問題だろうと考えていたのがこんなにもあっさり行くとは思っていなかったのだから。

 

「それじゃ、記念にみんなで写真でも撮りませんか? 女の子たちも良かったら」

 

「いいね、比企谷君。それじゃ君、頼むよ」

 

 課長や同僚、女の子も写真を撮ることを了承してくれた。何枚か写真を撮って、その写真を課長に見せると気に入ったようだ。

 これで今日の目的は果たせたと言っていいだろう。あとはこのくだらない会話が終わるのを耐えておけばいいだけだ。

 

 

 

「さて、時間も遅いしそろそろ出ようか」

 

 

 やっと終わったか……。結局あれから大分時間がたったな。時計を見ると既に23時を回っている。「今日はありがとうございました」と一応の礼を言って帰路につく。

 

 

 *   *   *   *

 

 

 それから一週間、三崎さんが任せられた仕事、主にプレゼンのためのパワーポイントの作成や計画のための下準備をこなして、あとは来る年末会議に向けて待つだけという状態までもってくることができた。

 会議は来週の月曜日だし、今日は金曜日。土日はゆっくり休むことができるだろう。

 

「お疲れ、比企谷君」

 

 いつも通り定時を過ぎ、三崎さんと二人きりで残ってると話しかけられる。

 

「お疲れ様です、どうかしましたか?」

 

「うーん、特に用事はないんだけどね。良かったら一緒に帰らないかなと思って」

 

 何故か少し照れながらそう言って俺の答えを待つ三崎さん。特に断る理由もない。むしろというか俺も……一緒に帰りたいとか思ったり思わなかったりするわけで……。なんというかあれだ、決戦前の息抜きというか、そんな感じ。

 

「俺も大体終わったので大丈夫ですよ」

 

「そっか、それじゃ久しぶりに飲みにいこー!」

 

「駄目です」

 

 あんた最近まで病人だったでしょうが。そこは自重してくださいよ……。もし、それで体調崩したらどうするんですか。

 

「えぇ……」

 

 うーっとしょんぼりしながら俯く仕草が小動物みたいで可愛いのだが、駄目なものは駄目なわけで。

 

「家まで送りますから。今日はまっすぐ帰りましょう」

 

 なんかちょっと恥ずかしいことを言ってしまった気がするが、その言葉に俯いた顔をぱっと上げると、さっきとは違い、笑顔で「本当!?」と聞いてくる。不意の出来事で二人の顔の距離が予想以上に近い……。

 少しの間が空き、お互いに顔を背けた。何これ、何これ、めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど!?

 

「え、えと……、じゃあ、いこっか……?」

 

「はい……」

 

 その日はいつもと違い、お互いにどこか気恥ずかしい空気の中静かに帰宅した。息抜きになるかと思ったけど逆に疲れたな……。ただまぁ、この疲れに関して言えば全く悪い気はしなかった。

 

 

 *   *   *   *

 

 

 土日でしっかりと身体を休め、運命の月曜日を迎えた。16時からの年末会議、今日で全てを終わらせてみせる。

 入社して以来、今まで一番気合を入れて出勤した。

 

「おはようございます」

 

 挨拶をするが誰の返事もない。まあ、気合入れて早く来すぎたせいで誰もいないだけなんだけどな。とりあえず席に着き、今日の会議で使うパワーポイント、書類の整理、いつも通りの作業の準備を済ませていく。

 時間が経つにつれて少しずつ人が出勤して、最後に課長が出勤してきて全員が揃った。

 パワーポイントのデータを入れたUSBを課長に渡しに行くと、ちょうど三崎さんにそのことで話しかけているところだった。

 

「すみません、課長。今日の会議のパワーポイントのデータです」

 

「おお、なんだ、比企谷君が作っていてくれたんだね。ありがとう。それにしても三崎君、私は君に頼んだはずなんだが? なぜ比企谷君がこれを作ってるんだい? どうやら君は私が思っている以上に仕事ができないようだね」

 

「いえ、課長、それは俺が頼んでやらせてもらったんです。だから主任を責めないでください」

 

「それならそれでいいんだけどね……」

 

 三崎さんを庇ったのが気に入らないのか、見た目でもわかるくらい課長は不機嫌そうに言うと席に戻っていった。

 俺も三崎さんに一礼をして自分の席に着く。それからはいつものように一般業務をこなしていくと、いつの間にか会議の時間になっていた。

 

 

 部署のメンバーが会議室に向かうと、社長を含めた役員の人たちは既に着席していた。

 課長以外の社員はそのまま着席し、社長の言葉で課長がプレゼンの準備をし始めていく。……さあ、一世一代の大勝負の始まりだ。

 

「課長、俺も手伝います」

 

「おお、悪いね、頼むよ」

 

 準備をしている課長の手伝いを買って出る。さり気なくパワーポイントの準備をし始め、朝に渡したUSBとは別のものをパソコンに差込み、準備を終えて、操作をする準備をする。

 

「では、恐縮でございますが私の方から始めさせていただきます」

 

 書類が社長たちの手元に送られ、会議が始まる。

 課長はパソコンでパワーポイントを開き、それがスクリーンに映し出される。議題である来年ある大きなプロジェクトの計画書……のはずだったものが開かれた瞬間、役員、課長、同僚たちは目を丸くしてスクリーンに映る映像に注目していた。

 というのもそのはず、計画プランなんてものはなく、そのパワーポイントにあるのは課長たちがキャバクラで遊んだ写真なのだから。

 

「ひ、比企谷君、これはどういうことだね……!」

 

 近くにいた俺に慌てながらも小声で問い詰めてくる。どういうことだと言われましてもね。あんたが会社の金で遊んでいた証拠をこれから洗いざらい見てもらうつもりなんですよ。

 

「瀬谷君、この写真は一体何なんだね?」

 

 当たり前だが、写真を見て疑問に感じたであろう社長が、不信感を募らせた目で課長に尋ねる。

 

「わ、私にも何がなんだかわかりません……」

 

 仕切り目を泳がせている課長は明らかに動揺しているようで、最早言い訳も苦しいものになっていった。

 これなら一気にいけそうだ。

 

「すみません、社長。このパワーポイントは私が調べた課長の横領事実、並びにこの部署の職場環境の実態のレポートです」

 

「な、何を言ってるんだ比企谷!」

 

 俺の言葉を聞いて、課長はいっそうの焦りを滲ませながら語気を荒くする。その様子に他の役員たちはただ顔を見合わせ続ける中、社長が荘厳な口調で「続けたまえ」と沈黙を破った。

 

「ありがとうございます。次にこの領収書の記録なんですが、毎月同じ日に同じ名前の店に経費として支払われてます。これは経理の方にも確認済みなんですが、課長の担当してるお得意先の接待費用として重要なものだと、半ば脅しに近い形で了承させていたようですね。調べてみましたがこの店も架空のもので、実際は課長の行きつけのキャバクラに支払われていました」

 

「で、でたらめです! ひ、比企谷、いい加減にしたまえ!」

 

「瀬谷君、落ち着きたまえ。……比企谷君、続けてくれ」

 

 悪あがきのように課長が俺の言葉を否定するが、状況は完全に俺に有利な展開だ。

 

「ま、待ってください、社長! こんなもの、比企谷が証拠をでっち上げて私を貶めるために用意したんです! そ、そうだ、そうに違いない!」

 

「ではその写真はなんだね?」

 

「こ、これはただのプライベートで行った時のものです!」

 

 最早子供の言い訳のようなことを言い出し始める。まあ、その程度で逃れられるとは思わないが、これがあればあんたは終わりだよ。

 

「じゃあ課長、みなさんにこれを聞いてもらいましょうか」

 

 パソコンを操作し、この前キャバクラに行った時に証拠として収めた音声を再生させる。あの時、俺があの集団に混ざったのは全てこのためだ。

 再生ボタンを押すと『課長、プレゼンはどうするんですか?』と俺の声が聞こえ、その後に『プレゼンねえ……。全部三崎君に任せてるからね。彼女次第だね』という課長の言葉が流れる。

 それと同時に会議室がざわつき始め、役員たちの表情も強ばってきた。

 その後もあの日に録音された言葉が次々と流れて全てを再生し終えたとき、それはもう、課長にとって言い逃れのできない決定的な証拠だった。

 

「ひ、比企谷、お、お、おまえっ……」

 

 青ざめ、まるで人生に絶望したかのような表情で何かを言いたそうに俺の名を口にする。それはあの場にいた同僚たちも同じだった。そりゃそうだろ、あいつらの課長を肯定する台詞も、この瞬間のために一言一句逃さずに録音していたのだから。

 ……これで俺が役員たちに提出できる証拠は全て洗いざらい出した。あとは社長を含めた役員に任せるとしよう。

 

「……瀬谷君、何か言いたいことはあるかね?」

 

 静寂の中、口火を切ったのは社長のその一言だった。

 

「あ、……あ、その……、しゃ、社長、これは何かの間違いでして!」

 

「何かの間違いとは?」

 

 もう弁明の余地もなく、そんな在り来りな言い訳しか言えない課長に対し、更に厳しめの口調で問い詰める。

 

「……は、はめられたんです! そ、そうだ! これはここに居る比企谷の陰謀だ! なあ、そうだろ!? お前たち!」

 

 言うと、会議室にいる同僚たちの方を見て助けを求め始めた。しかし、さきほどの録音に自分たちの声もしっかり入っているとわかった途端、同僚の奴らはただ口を開けてぽかんとしているだけで、課長の言葉は耳に届いていないようだった。

 

「誰も同意はしないようだね。……よろしい、今日の会議はこれで終わりだ。瀬谷君、君はこのまま残りたまえ。あとの者は自分の持ち場に戻りなさい」

 

「……は、はい」

 

 そう返事をして、がくりと項垂れて俯く課長は、機能停止してしまったロボットのようだった。

 

「それと比企谷君、あとで連絡するので君も私のところに来なさい」

 

「……わかりました」

 

 これは仕方ないよな……。大事な会議を俺が勝手に告発の場に仕立て上げたんだ。でも、これで職場の環境が変わるなら……、三崎さんが笑顔になれるなら、罰くらい喜んで受け入れよう。

 重々しい空気の中、課長以外の人間は会議室をあとにした。

 

 部署に戻り、誰一人として声を出すものがいない中、しばらく自分の仕事をしていると内線電話が鳴る。

 

「はい、比企谷です」

 

『比企谷君、先ほどの件ですまないが、また会議室まで来てくれないかね』

 

 その言葉に「わかりました」と告げて、再び会議室に向かった。

 

「失礼します」

 

 扉を開けると入れ替わりだったのか、既に課長の姿はそこにはなく、社長に「かけてくれ」と言われたので近くの椅子に座る。

 

「まず、瀬谷君の件だが、彼は今月いっぱいで退職してもらうことになった」

 

 退職か……、まぁ、横領している時点で立派な犯罪だし、そりゃそうなるよな。

 

「それから、あの録音されていた音声元の社員たちに関しては、減給処分にしようと思っている」

 

「……そうですか」

 

「それで、君を呼び出した件についてだが、今回の騒動は会社にとっても暴いてもらったことに関しては感謝している。しかし、君の証拠の集め方や、会議の場での告発などは少々頂けないね」

 

 これも大方予想通りだ。一度だけだが俺も課長たちと一緒にキャバクラに行ったわけだし、他にもやましいことをしていないかと言われればグレーな部分もあるだろう。俺もなんらかの処分を受けるのは当然だ。

 

「比企谷君、それでは君に処分を言い渡す。君は来月から三崎課長代理の元で主任として職場を支えてやってくれ」

 

 社長の言葉に逆らう理由もなく、喋り終えると同時に「はい」と返事をした。

 …………ん? 今、社長はなんて言った?

 

「え、えっと……、すみません、今、なんと?」

 

予想すらしていなかった言葉に動揺してしまい、思わず素っ頓狂な返しをしてしまった。

 

「君が来月から三崎君の代わりに主任として頑張ってくれ、と言ったんだがね。聞こえなかったかな?」

 

  そんな俺を見ていた社長は、どこか呆れたような面持ちで先程の言葉をもう一度繰り返す。

 

「い、いえ……、ですが今回の問題を起こしておいて、なんの処罰も無いのはいいんでしょうか?」

 

「だからこれが処罰なのだよ。君にはこれからも会社のために頑張ってほしいんだ」

 

 はっきりとそう言った社長の表情は優しげな笑みをしていて、俺にはその申し出を断る理由なんてなかった。

 

「はい、わかりました」

 

「それではこの件については以上だ。戻って大丈夫だよ」

 

 その言葉で席を立ち「失礼します」と一礼して会議室の扉を開けようとした時、ふと、さっきの言葉で気にかかったことがあったので聞いてみることにした。

 

「すみません、社長。三崎課長代理というのは?」

 

「上もそこまで馬鹿ではないということじゃないかな?」

 

 にこっと笑いながら答えてくれた社長に感謝しつつ会議室をあとにした。

 

 

 部署に戻ると定時を過ぎたのにも関わらず、ほとんどの社員が残っていた。まあ、あんなことがあったわけだし、帰りにくいのはわかる。

 自分の席に着き、一息ついていると三崎さんが不安げな表情をしながら話しかけてきた。

 

「比企谷君……、大丈夫だった?」

 

「ああ……えっと、とりあえず帰りませんか? 話したいこともあるんで」

 

 今にも泣き出しそうな顔をしている三崎さんと、この場にいるのはちょっとまずい気がしたので、そう提案すると彼女は「わかった」と言ってくれた。

 そして他の社員がまだ会社に残っている中、俺たち二人は退社した。

 

「うぅ、寒いね……」

 

 外に出ると冬の風が肌に突き刺さる。

 

「ほんとっすね」

 

「ねっ、こんな日は温かい場所で日本酒とか飲んだりすると温まるよ?」

 

 本当にこの人は酒好きだな……。

 

「まだ、治って日が浅いんですから駄目です」

 

「なんでよー、もう一週間も経ってるんだよ? こないだも飲めなかったし……。それに比企谷君ばっかりお酒飲めてずるい」

 

「いや、俺最近酒飲んでないっすから……」

 

「……キャバクラ」

 

「ぶっ!?」

 

 何をいきなりこの人は言い出すわけ? ていうかあれは課長たちの証拠を掴むために仕方なく行ったわけで、酒なんかほんと少ししか飲まなかったんですけど……。

 

「やっぱり、お酒飲むなら若い子とが良いのかな……。そうだよね、ごめんね、こんなおばさんが誘ったりして……」

 

 三崎さんはしょぼんとしてしまい、顔を俯かせてしまう。

 え、まって、これって何? 俺が悪いの? そうなの?

 

「い、いや、三崎さんと飲むのは楽しいし、好きですよ? で「本当!? じゃあ今日は飲みに行こう! すぐいこっ! いつものとこでいいよねー!」

 

 騙されたぁぁぁぁ! 完全に演技だったんじゃねえか。

 三崎さんが俺の言葉を遮り、一瞬で笑顔になると、俺の手を握り行きつけの飲み屋に向かって歩き始めた。

 

「とうちゃ~く!」

 

「本当に飲むんすか……?」

 

「もうここまで来たんだし、飲むに決まってるでしょ! ……それに、いろいろ聞きたいこともあるんだからね?」

 

 頬をぷくっと膨らませながら、ちょっと怒った感じで話す三崎さんはアラサーの割に可愛いなぁ、なんてちょっと失礼なことを思いながらも、もうここまで来たんだし仕方ないかと諦めた。 

 

「すいません~、熱燗二つお願いします」

 

 店に入り席に着くとすぐさま注文する三崎さん。それがなんだか久しぶりな気がして、思わずふっと笑ってしまう。

 

「どうかしたの?」

 

 急に笑い出したのがおかしかったのか三崎さんがきょとんとしながら聞いてくる。

 

「いえ、なんだかこういうの久しぶりな気がして」

 

「そっか、……そうだよね。なんか最近特に忙しかったもんね……」

 

「まあ、でもそれも今日で終わりだと思いますよ」

 

 課長が退職して三崎さんが課長代理になれば職場の環境も変わるだろう。同僚たちだって今回の件で流石に懲りただろうしな。

 

「うん、……比企谷君、本当にありがとう」

 

「どうしたんですか急に」

 

 さっきまでの笑顔ではなく、真剣な眼差しを向けて言葉を発する三崎さんに、一瞬どきっとしながらも誤魔化すように聞き返した。

 

「君が私のために一生懸命動いてくれたことが本当に嬉しくて……。ねえ、比企谷君、社長と何を話したの?」

 

「今日のことですよ。とりあえず処罰とかに関しては俺は受けなくていいそうです。ただ、明日分かると思いますが課長は今月いっぱいで退職するようです」

 

 ここで全てを話す必要はないと思ったので、大雑把に説明する。俺に処罰が下されないと伝えると、三崎さんはほっとした顔をしながら「よかった……」と呟いた。

 

「なんか心配をかけたみたいですみません」

 

「ほんとだよ、もうあんな無茶はしないでね? すっごい心配してたんだから」

 

「わかりました……」

 

「ん、よろしい。それじゃ、お酒来たみたいだし飲もっか!」

 

 三崎さんに言われ横を見ると店員が熱燗を持って待機していた。あれ? これって今の話聞かれてたやつ? なんかすっごい恥ずかしいんだけど。

 

「かんぱ~い!」

 

「かんぱい」

 

 乾杯をすると三崎さんはおちょこに入った熱燗を一気に飲み干す。だからもうちょい味わって飲むとかしましょうよ。どうせこれ、またすぐ酔っ払って俺が介護しなきゃいけないことになるんだろうなー……。

 

「さあさあ、比企谷君も飲んで、飲んで!」

 

「いや、まだ入ってますから」

 

「んー……、やっぱり私みたいな女にお酒注がれるのは嫌、かな? キャバクラの子みたいに若い子がいい?」

 

 なんでそうなるんすかね。つかキャバクラ根に持ちすぎじゃないっすか。

 

「あー、もう分かりましたよ」

 

 熱燗を一気に飲み干し、おちょこを三崎さんに差し出す。日本酒ってこの量で結構来るんだよな……。このペースで飲まされたら潰されるぞ……。

 

「ふふっ、ありがと」

 

 俺の危惧なんてお構いなしににこにことお酒を注ぐ三崎さん。まあ、この笑顔を見れるのは悪くないんだけど、もう少しペースを落として欲しいんだよなあ。

 それからも三崎さんのペースに合わされながら飲み続けた。珍しく会社の愚痴が一回も出なかったのは今回の件があっただろうか。

 二時間くらい過ぎたあたりだろうか、トイレから戻ると三崎さんがすぅすぅと寝息を立てて眠っていた。そろそろ帰ったほうがいいな。

 

「すいません、会計お願いします」

 

 店員を呼び会計を済ませて三崎さんを起こすと、彼女はふらふらと今にも倒れそうだったので肩を貸した。

 

「ほら、三崎さん、帰りますよ」

 

「んー、比企谷君、おんぶー」

 

 ふぁ!? なに言っちゃってるのかなこの人。こんな街中でそんなことするわけないでしょうが。

 

「おんぶ……」

 

「わかりましたよ……」

 

 う、うん。これは仕方ない。三崎さん酔っ払ってるし、このまま歩かせるのも危ないからな。別におんぶとおねだりしてくる三崎さんの顔が可愛かったからとかそんな理由では決してない。

 三崎さんをおんぶして彼女の家に向かう。幸い、ここから彼女の家は遠くはないので歩いて行けるだろう。

 

「……私、重いかな?」

 

「いえ、そんなことないっすよ」

 

 むしろ軽いくらいだ。なんというか軽すぎて食生活とか心配になるレベル。

 

「そっか、ふふ……」

 

 俺の言葉に安心したのか後ろから微笑む声が聞こえると、肩を掴んでいた手が不意に後ろから回され、三崎さんから伝わる感触が大きくなった。

 

「また飲みに行こうね」

 

 急に耳元で呟かれて不覚にもどきっとしてしまう。

 

「……そうですね、また行きましょう」

 

「……うん、たくさん誘うね」

 

 背中に伝わる体温と、酔ったせいか熱を帯びて仕方がない自分の頬には、いつもなら寒さしか感じない冬の夜風も心地よいものだった――。

 



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一話完結
せんぱいっ、しりとりしましょ!


暇つぶしにどうぞっ


 放課後の生徒会室。俺は今、一色に頼まれて生徒会の仕事の手伝いをしている。

 生徒会の仕事なのに俺と一色しか居ないっていうのは毎度のことながらどうなのこれ?

 まあ、今日の仕事はそんなに多くはないから二人でたりるといえばたりるのだが。それならそれで俺じゃなくて生徒会役員がやれというものだ。

 

「せんぱい、せんぱーい」

 

 ラストスパートに向け集中していると一色に呼ばれる。

 

「なんだよ、もうそっち終わったのか?」

 

「いえ、まだです!」

 

 なんでこいつはドヤ顔なわけ? 終わってないなら早く終わらせて帰りたいんだけど。まああれだ、俺の分の仕事が終われば先に帰っても何の問題もないだろう。

 

「俺はもう終わるから帰っていいか?」

 

「え、じゃあ私の分やりませんか?」

 

 いや、なんでこいつは、それが当然のことのように聞いてくるわけ? やるわけないだろ。もう散々手伝ってるわけだし。

 

「断る。自分の分くらい自分でやれ。むしろ俺が半分手伝ってるだけありがたいと思うべきだぞ」

 

本当にそうだ。まぁ確かにこいつを生徒会長にさせたのは俺だから? 多少なりと一色の負担は減らしてやりたいというのはあるが、こうも頼られすぎると流石にこいつのためにならないし、俺もなんか勘違いしそうになっちゃうし?

 

「ぶぅ~……、先輩のケチ……。それじゃ先輩、少し休憩にしてしりとりでもしませんか?」

 

 頬を膨らませこちらを睨んでくる。何それ可愛いなお前。

 ……いやいやいや、俺は何変なこと言っちゃってんだ。しかもあいつなんつった? しりとり? やるわけないだろ。

 

「なんでいきなりしりとり? やりたくないんだけど」

 

「いいじゃないですか! 終わったら私頑張りますから!」

 

 まぁそれでこいつのやる気が上がるなら少しくらい付き合ってやるか……

 

「わかったよ」

 

「さすが先輩、なんだかんだ遊びに付き合ってくれる先輩……好き、ですよ? じゃあ普通のしりとりっていうのもなんなんで、10回しりとりっていうのやりましょう!」

 

 そういう好きとかいうのやめろよ、しかもその部分だけ上目遣いとか勘違いしちゃうから!

 

「何、その10回しりとりって」

 

「10回目にでた単語を実行するんですよー、ただそれだけです!」

 

 ふーん。なんか聞いたことないしりとりだな。あ、俺友達いないから基本のしりとりすらほぼしたことねえや。

 

「じゃあいきますね。とりあえず最初は先輩からどうぞ!」

 

 俺からでいいのか。てっきり一色からかと思ったけど、まあいいか。

 

「そうだな……、じゃあマックスコーヒー」

 

 まあ、最初はこんなもんでいいだろ。

 

「ひ、ですねー。うーん、ヒルナンデスで!」

 

「す、か。そうだなー、スイカ」

 

 なんか普通にしりとりしてるだけだよなこれ……。楽しいのか?

 

「か、ですね。かき氷です!」

 

「り、なぁ。隣人部」

 

「……なんですか隣人部って?」

 

「いやあるんだよそういうのが。まあ気にすんな」

 

「まぁいいです。ぶ、ですか。部室ですかね」

 

「罪と罰」

 

「先輩の存在が割と罪ですよね、つくしでお願いします」

 

 そういえば10回目に言ったことっていうことは一色が10回目になるよなこれ。順番変わるわけないし。あいつ何か企んでんのか?

 

「あ、先輩、藤沢さんって生徒会のなんでしたっけ」

 

 なんだこいつ?いきなりどうしたんだ?

 

「書記だろ?」

 

「書記ですね、じゃあ10個目は……、キス、で」

 

 えっ、と思った時には一色の顔が目の前にあった。

 

 一色はゆっくり瞳を閉じて、唇をこちらの唇に近づけてきた。

 

 何この子……、流石に可愛すぎてヤバイ。

 

 というかこれこのままいくと本当にキスしちゃうけどいいの?

 唇があとちょっとで触れ合う位置まで近づき、一色の息遣いが聞こえる……

 

 理性の化け物でもこの雰囲気に飲まれてしまったのか、俺も一色の唇に近づける。

 

 そして二人の唇が触れ合う……

 

 

 

 

 

「……しちゃいましたね、先輩とのキス、マッカンの甘い味がしました」

 

 えへへっとこちらを上目遣いで覗き込む一色に不覚にも見惚れてしまってしばらく思考停止してしまった。

 

 

 ヤバイヤバイヤバイ、雰囲気に飲まれたとはいえこれは完全に俺のミスだ。これからこれをネタに脅される未来が見える……

 

「せんぱい、今のわたしのファーストキス、なんですよ……?責任、とってください、ね?」

 

 

 

 ……俺はなぜこの状況になったかを考える。10回しりとり、10回目をわざわざ一色の番になるようにしたこと、そして書記を俺に言わせたこと。

 つまり全部こいつの計算どおりだったってわけか……。



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椅子取りゲーム

 それはとある放課後、いつものように奉仕部の部室でのんびりと過ごしていると、招かれざる客である一色いろはが現れた。

 

「先輩、先輩! みんなで椅子取りゲームをしましょう!」

 

 毎度のことだけどさ、こいつ何処でこんなゲームやろうとか考えてくるわけ? 生徒会室とかだったらふざけてないで仕事しろよ? 俺は一色の提案をあっさりと断る。だってめんどくさいし。椅子取りゲームをやる必要性が感じられない。

 

「先輩たち今日も暇そうですし、せっかくいい暇つぶしにと思ったのに……」

 

「あ、あはは……ねえ、一回くらいしてあげてもいいんじゃない? 依頼もないしさ。それに椅子取りゲームとかなんか懐かしいじゃん!」

 

 落ち込む一色を見かねて由比ヶ浜が賛成の意見を述べる。おいちょっと待て、一色、お前顔隠してるけど口元緩んでんぞ。お前これ演技だろ絶対。……いかんいかん、このままじゃ一色の策略でやることになっちまうぞ。

 

「やらねえよ」

 

 そもそも椅子取りゲームにいい思い出なんかありゃしない。小学生の頃にクラスのレクレーションでやったりするが俺の場合、俺が椅子に座ると「え、あいつ何座ってんの? あれ? あんなやついたっけ」などと白い目をされてクラスの雰囲気が悪くなったりしたもんだ。まじ悲しい、八幡泣いてもいいよね、これ。

 

「そうね……私もあまり気が進まないわね」

 

 さすが雪ノ下。あいつも俺と同じような過去があるのだろう。わかるぞ、同じぼっちだし。

 

「あら、比企谷君、そのわかるぞみたいな目やめてもらえないかしら。私が気が進まない理由は単に椅子取りゲームって疲れるのよね。無駄に歩かされて椅子に座るときには走らなければならないし。やると必ず最後まで残ってしまうから体力的にきついのよ……」

 

 何その理由。ていうか椅子取りゲームで疲れるって……お前体力なさすぎにも程があるだろ。それ日常生活に支障が出ない? 大丈夫? まぁでもこれで椅子取りゲームをやることもなくなったわけだ。雪ノ下が賛成の色を見せない以上、一色の提案が通ることはない。

 

 「えぇ……ゆきのん~やろうよ~~」

 

 いつのまにか由比ヶ浜が雪ノ下の傍に移動していて、袖を掴みゆさゆさと揺すっている。困ったような表情を浮かべる雪ノ下。こいつ由比ヶ浜に弱いからなぁ……

 雪ノ下の表情を見てもう少しだで落とせると思ったのか、今度は一色が空いている片方の袖を掴み、「雪ノ下先輩、やりましょうよ~」と言い始めた。なんだかんだで一色にも甘いからなこいつ……このままじゃマジでやることになりそうなんだけど……

 

「あ、あなたたちがそこまで言うのなら……一回だけよ……?」

 

 落ちちゃってますやん……。一色恐るべしだな、これ……。攻め方をよく知ってやがるというか。ほぼ毎日奉仕部に顔出しているだけのことはある。奉仕部検定一級とかなんじゃないの?

「それじゃあ、さっそく準備しましょう!」

 

 一色がそう言うと、机を移動して教室の中心に椅子を並べる。俺たちは四人なので椅子は三つだ。一回ごとに椅子の数が減り、最後に残るのは一人だけ。まあ四人だしそんなに時間はかからんだろ。さっさと終わらせて読書に戻ろう。

 

「では、準備できましたし始めましょう。音楽とか席に着くタイミングはこの椅子取りゲームアプリを使います! それではスタートですっ」

 

 え、何? 今そんなのあるの? 一色がアプリを起動し音楽が鳴り始め、俺たちは椅子の周りを回り始める。

 しばらくすると音楽が鳴り止む。これが席に座る合図だ。俺はちょうど目の前にある椅子に座った。タイミング良く椅子が目の前にあったので座れたが、隣の一色はちょうど椅子と椅子の間だったため座れずに初戦敗退。言いだしっぺの法則とはこのことだろうか。がしかし、この後一色は思いがけない行動にでた。

 最初の敗北者は一色だ。そのはずなのだが一色はそのまま俺の目の前まで歩いてくると、俺の上に座り始めたのだ。

 

「あの、一色さん? 何してるの、お前」

 

「え、椅子取りゲームですけど?」

 

 いや、椅子取りゲームは知ってるから。俺が言いたいのはなんで俺の上に座ってるかってことなんだが。なんでそんな上目遣いでこっち見てるの? やめてください勘違いしちゃうから。つうか制服越しに一色の太ももの感触伝わってやばい、やわらかいし、一色からは香水の香りだろうか、甘い香りが俺の鼻腔をくすぐって俺の思考は完全にストップした。

 

「比企谷君?」雪ノ下の冷たい視線が痛いんだけど、これ俺にはどうすることもできないわけで……。雪の下は何か考え事をし始めたのか、ぶつぶつとつぶやいている。

 

「い、いろはちゃんなんでヒッキーの上に座ってるの!?」

 

「これって椅子取りゲームじゃないですかー? 目の前にちょうどいい椅子があったので。この椅子凄い座り心地いいですよ?」

 

 そう言うと俺の両手を掴み、自分の腰に巻かせながら「えへへ~」と笑っている。え、まじで何してるのこの子? てかこいつこんな細いのか……やばい、変な気分になっちゃうだろ!

「……一色さん、今すぐその変態から離れなさい?」

 

 静かに口を開く雪ノ下。優しく一色に語りかけているが、目が笑ってないんですが、怖すぎんだろ。つうか俺が変態っておかしくね、俺何か悪いことしたの? 存在自体が悪とかいうのはやめてね?

 一色も雪ノ下の言葉に「ひっ」とビビって俺から離れる。ふう、危ないところだったぜ……こんなんずっと座られてたら俺の八幡が反応してしまうところだった。

 

「……では次を始めましょうか」

 

 今度は雪ノ下の言葉で椅子を三つから二つに減らして始める。アプリを起動して音楽が鳴り始める。さっきよりも少し早い段階で音楽が鳴り止み、またもや運良く椅子が目の前にあったので、俺は椅子に座り込む。もう一つの椅子に座ってるのは由比ヶ浜だ。つまり、負けたのは雪の下になる。……で雪ノ下さん? あなたまでなにやってるんですか? 

 先ほどの一色と同じように今度は何故か雪ノ下が俺の上に座り始めた。緊張しているのか少し震えている。……いや震えるくらいなら座らなきゃよくないか? しかし、雪ノ下が微妙に震えていて、それがちょっと気持ちいい。やばい、本当に俺変態かもしれない。雪ノ下から一色とは違う香りがする。香水はつけてないようで、その長い髪からシャンプーのいい香りが漂う……、なんだこれ……? ずっと嗅いでいたいんだが……

 

「ゆきのん!?」と由比ヶ浜からは驚きの声。

 

「ちょ、雪ノ下先輩何してるんですか!?」

 

 一色はまさか雪ノ下が同じことするなんて思っていなかったのだろうなぁ……

 

「あら、私は一色さんと同じことをしただけなのだけれど? あなたは良くて私はダメなのかしら?」

 

「そ、それは……も、もう離れてください! 最後のゲームを始めましょう!」

 

 言い返せずに次のゲームをしようとする一色。まあこうなったのお前が原因だしな。

 俺は残っている由比ヶ浜を見る。何やらぶつぶつと呟いているが大体予想できる。どうせここで俺が勝ってその上に座るつもりなんだろ? そうは問屋が卸さんぞ、流石に二回されたことで俺も学習した。次はわざと負ける、そうしよう。

 

「じゃあ始めますね」

 

 一色の合図で音楽が鳴り始める。由比ヶ浜の目は明らかに何か企んでいる。まあ関係ないけどな。

 さっきよりも長く音楽は鳴り続け、歩き回る時間もながかった。音楽が鳴り止むと、俺の予想とは裏腹に由比ヶ浜が超絶スピードで椅子に座る。なんだ……こいつただ勝ちたかっただけか。と思った瞬間だった。

 座っている由比ヶ浜が俺の手を掴み、俺を自分の上に座らせた。ちょっ、こいつ何してんの!? 二人とは違い、由比ヶ浜から柑橘系のいい香り、背中からは由比ヶ浜のあれの柔らかい感触が伝わり、理性の化物と言われた俺の理性が崩壊しかける。まじでやばい、何これ気持ちいいってレベルじゃないぞ……

 

「え、えへへ……ヒッキーの身体って意外と男の子の身体してるんだね……」

 

 その笑顔やめろ……本当に本気にしちゃうから……

 由比ヶ浜の両手が俺を包み込み、俺の理性が崩壊しかけたその時。

 

「先輩?」「比企谷君?」

 

 先に負けた二人から思い切り睨まれる。本来この事態を招いたのは由比ヶ浜であって、俺ではないので俺が怒られる通りがないのだが……敢えて言おう。

 

「お、お前らさっき俺の上に座ったよな……お前らは良くて俺はダメなのか?」

 

「何をいってるの?」「何いってるんですか?」

 

「あ、あはは……」

 

 この後俺がどうなったのかは、三人だけが知っている……



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はーくん、大好き

前書いたものをちょいちょい変えてみました。
暇つぶしにどうぞ


 今日は終業式、本来ならば午前中で終わり、そのまま我が家へと帰宅し、明日からの連休に胸を躍らせることができる最高の日なのだが、残念なことに奉仕部の活動があるらしく、俺の午前中での帰宅は儚い夢となった。

 

 由比ヶ浜と雪ノ下はお昼を外で食べるらしく、部室には午後から来るらしい。

 俺はというと小町が作ってくれた弁当があるので校内で食べることにした。

 教室はまだ残ってる奴らがうるさいので、たまには誰もいない部室でのんびり食事でもしようかと奉仕部の部室に向かう。

 扉を開けようと思って鍵を借りてくるのを忘れたことに気づくが、ドアに手をかけると何故か鍵がかかっていなかったのでそのまま扉を開けて部室に入る。

 雪ノ下が開けていったのだろうか?

 いつもの自分の席に座り弁当を広げて昼食をとる。ふと机を見るとコーラが1本置いてあることに気づいた。

 この部室でコーラなんて飲むのは由比ヶ浜? いやでもあいつがコーラ飲んでるとこ見たことねえしな……となると平塚先生あたりか? あの人なら飲みそう……、まあ勝手に触るとあとが怖いしそのままにしておくことにした。

 

 そのまま昼の準備をして弁当を開けたところで扉をノックする音が聞こえた。

 

「失礼しまーす。私もここでお昼一緒していいですか~」

 

 最近よく奉仕部に顔に出すようになった一色いろはだ。

 

「あれ?今日先輩だけですか?」

 

「ああ、雪ノ下と由比ヶ浜なら今日は外で食べるってよ」

 

「へえ……」

 

 聞いてきた割にはどうでもいいような返しするのなこいつ。

 

「じゃあ先輩と二人きりですね♪」

 

 にこっと笑顔でこちらを向く。こういう仕草でこいつは何人の男を落としてきたんだろうか。まあ残念ながら俺には聞かないけどな。

 

「はいはい、あざといあざとい。つうかお前自分のところで飯食えよ」

 

「え~、だって私も教室だと仲いい子あんまりいないですし。ここなら落ち着いてご飯食べれますし?それに先輩もいますし!あっ、今のいろは的にポイント高い!」

 

「さらっと自虐ネタいれんのな……、てかもって何だよもって。俺までいないみたいじゃねえか。まあいないけど。それに最後の小町のパクリだし可愛くない」

 

「むぅ……」

 

その顔があざといんだよ。むぅとか言葉に出しちゃう奴初めて見たわ。ちょっと可愛いじゃねえかこの野郎。あれ、俺さっきと言ってること違うじゃん。

 

「ところで先輩。このコーラ誰のですか?」

 

 机の上に放置されてるコーラに気づいたのか尋ねてきた。

 

「知らん。俺が来た時には置いてあったぞ?」

 

「ふむふむ。ちょうど喉渇いていたのでいただきますね♪」

 

 なんでこいつは誰のかもわからないものを勝手に飲もうとするわけ? 人のものは取ってはいけませんってならわなかったの?

 

「お、おい自分で買ってこいよ。誰のだかわかんないぞ」

 

「大丈夫ですよー、誰のかわかったら後で私買ってきますし♪ いただきまーす」

 

「俺は止めたからな」

 

 一色が机にあるコーラを飲み始める「ん? なんか味が……」とか聞こたがそんな得体の知れないコーラ飲む奴が悪いと思い食事に戻る。

 

 カランっと缶が落ちる音が聞こえ目線をそちらに向けるがそこにいたはずの一色の姿がない。

 

「い、一色?」

 

 出て行った様子はない。あいつ何? 瞬間移動でも使えるの?と思って立ち上がると机の影には見知らぬ幼女がいた……

 

「ん…ん?」

 

「何が起こった……」

 

 そこには一色のであろうぶかぶかの制服を着た? 幼女。

 な、何が起こったのか俺にもわからねえ!!

 幼女も何が起こったのか分かっていないのかキョロキョロしている。

 

 するとドアが開かれる音が。

 

「やっはろー! いやぁ、お昼美味しかったよ~、ヒッキーもくればよかったのに!」

 

「そうね、あそこの料理を比企谷君に食べさせるのは勿体無いけれど」

 

 といつもどおりの挨拶をする由比ヶ浜と、いつもどおり俺のことを罵倒する雪ノ下が部室に来た……、のはいいのだが、いや俺からするとこの状況はよくないんだけどさ。

 だって部室に目の腐った男子高校生と何歳かわからんがぶかぶかの制服を纏った幼女が二人きりでいるんだぞ? 俺なら即通報待ったなしだわ。

 

「ゆ、由比ヶ浜さん、急いで警察に通報を……」

 

「ヒッキー……」

 

 やめて、そんな目で見ないで! 確かにこの状況は完全に俺が悪人に見えるけど! 俺は神に誓って何もしてないわけで、いや本当に。

「ま、待ってくれ二人共……。言いたいことはわかる。でもだ、俺は何もしていない」

 

「犯人はそう言うわ。私もあなたがこんなことをするとは思っていなかったわ。でも流石に状況が状況よ。あなたはリスクリターンの計算と自己保身に関してだけはなかなかのものだと思っていたのに……」

 

「だ、だから話を聞け! まずそこの幼女だがそいつは一色の可能性が高い」

 

「「?」」

 

 二人揃ってキョトンとした顔するなちょっと可愛いじゃねえかと思っちゃっただろ。

 

「犯罪に手を染めて頭までおかしくなってしまったのかしら……」

 

「ヒッキー……、さすがにこの子をいろはちゃんっていうのは無理があるよ……」

 

「ちがうんだ、さっきまでここにいたのは俺と一色なんだ。それで一色がそこにあったコーラを飲んだら体がちっちゃくなってたんだよ」

 

「「…………」」

 

 ジト目でこちらを見る二人。

 あれなんで二人共無言なの? なんとか言ってよバーニー。

 

「なんでヒッキーがいろはちゃんと二人で奉仕部にいるの……?」

 

 そこかよ!?

 

「いや、俺が昼飯食ってたら一色が、私もここでお昼食べますー、みたいなことを言ってだな、そんで机の上にあったコーラを飲んだんだ」

 

「つまり、あなたは一色さんがコーラを飲んだから幼児化したと?」

 

「ああそうだ」

 

「どこのコナン君かしらね、それは。APTX4869でも入っていたのかしらね」

 

「俺だって信じたくねえけどこれが真実なんだよ」

 

 つうかお前コナン知ってたのかよ、まじ意外なんだが。

 

 俺と雪ノ下が口論的な何かをしていると、話の中心である一色?(幼女)がおどおどとしながら口を開いた。

 

「おにーたん……、おねーたん喧嘩……しないで……?」

 

 な、何この可愛い子……

 ほんとに一色? あれ、天使に見えるんだけど? 俺の天使は戸塚と小町だけだったのにまさかの3人目!?

 雪ノ下と由比ヶ浜もよじょはす(今考えた)に見惚れている。

 

「大丈夫だよ~? 喧嘩してないよ? えっと、お名前はなんていうのかな~?」

 

 流石、由比ヶ浜空気の読める子! よじょはすと同じ目線になるようにしゃがみこんで話しかける。パンツ見えそうなのは黙っておこう。

 

「いっしきいろは!」

 

 ほらやっぱり一色だ。……一色!? 本当に一色なのかよ。なんでこんな天使があんな小悪魔に育っちゃったんだよ。

 

「たはは……、ほ、ほんとみたいだね?」

 

 由比ヶ浜は自分の髪の毛のお団子をくしくしと触りながら告げる。

どうやら信じてくれたようだ。

 

「本人がそう言ってるのならそうなのかもしれないけれど……、正直信じたくないわね……」

 

 雪ノ下は額に手を当てながらそう言う。

 そりゃそうだ。俺だってこんな天使があの一色だとは思いたくない。

 

「とりあえずこのままだといろいろまずいでしょうからちょっと待ってて」

 

「何がまずいんだ?」

 

「あなた、この子の服を見て分からないのかしら? それともわざと?」

 

 雪ノ下に言われ気づく。そういえば、ぶかぶかの制服を身にまとっているだけでこれはよろしくない。動けば簡単にずり落ちそうだ。

 

「簡単な服を拵えてくるから面倒を見ていてちょうだい」

 

 そう言い、雪ノ下は部室をあとにした。

 

 1時間後、雪ノ下が戻ってくる。よじょはすはというと、今は由比ヶ浜の膝の上でスヤスヤ眠っている。

 

よじょはすが着替えるため「廊下に出ているように」と雪ノ下に言われ、俺は一旦外に出た。

 

「もういいわよ」

 

 雪ノ下の声が聞こえたので部室に戻る。体操着を少し改造してよじょはすが着れるサイズにしたようだ。コイツほんとなんでもできるな。

 しかも雪ノ下曰く、これで現在の一色に戻ったとしても一応そのまま着れるらしい。

 そんなもん1時間でどうやって作ったんだこいつ。

 

 そんなことを考えていると足元に何か違和感を感じた俺は下を向いた。すると足元にはよじょはすが抱き着いており、可愛らしい笑顔で俺に問いかける。

 

「おにーたん、おなまえは?」

 

 やばい何この子、マジで可愛いんだけど……

 

「比企谷八幡だ」

 

 そう言い、よじょはすの頭を撫でる。ああ、柔らかい。髪の毛もサラサラしてて癖になるなこれ。

 よじょはすも嬉しそうだし、俺も撫でてて幸せになる。これこそwinwinの関係ってやつなのではないだろうか?

 

「じゃあ、はーくん! あのねはーくん、だっこ~♪」

 

うん、こんな天使にお願いされたら断れないな。俺は悪くない。天使が悪い。いや天使が悪いわけないから俺が悪いのか?

 

「たかいたかいしてー!」

 

「おーほれほれたかいたかいー」

 

キャッキャッと喜ぶよじょはすマジ天使。こいつ、このままずっと戻らないでいてくれないかな

 

雪ノ下と由比ヶ浜の視線が若干怖いが天使にお願いされたんじゃ断れないしな。仕方ない。

 

「随分と比企谷君に懐いているようね」

 

「ヒッキー何故か小さい子に懐かれるよね……」

 

何故かってなんだよ。

 

「いいなぁ……あたしもしてほしいな……」

 

 由比ヶ浜さん? 聞こえてますよ? 難聴系主人公じゃないからね俺? もう少し抑えてくれないと聞こえちゃうから!

 少し疲れたのでよじょはすを膝の上に座らせる。なんか自然にこの態勢にしたときまた二つの目線から殺気が放たれた気がしたけど気にしないでおこう。

 

「はーくん、あのね、あれはなあに?」

 

 よじょはすの指の先には一色の携帯があった。

 

「あれは携帯電話って言ってな、近くにいない人とお喋りできる機械だ」

 

「わあ、すごいすごい! わたしもほしいな」

 

  まあ、あれは元々一色のだしなぁ、そう思いそこにあった携帯を手渡す。

よじょはすは喜んでその携帯を触ってるがロックを解除できないようでう~う~言ってる。かわいい。

 

「まだ一色には早かったな」

 

 そう言うと膝を叩かれる。痛くない、気持ちい。なんか変なのに目覚めそう。

 

「はーくん! い・ろ・は!」

 

「ん?」

 

「いろは…、って…、よんで……?」

 

 ズッキューーーーーーーーーーーン!

 効果音を付けるならこうだろうか。

 破壊力ありすぎてヤバイ。ていうかこの子本当に幼女? なんか計算尽くされた角度の上目遣いと、言い回しのような気がするんだが。となれば一色はこの頃から小悪魔だったのか? あいつあざとさ歴何年だよ……

 

「……いろは」

 

「えへへ~、はーくん……」

 

 そう呼びながら俺の頬にすりすりと自分の頬を摺り寄せてくる。小さい子の肌は柔らかくて気持ち良くて、俺は間違った道に進むのではないかと思ったところで前の方からの2つの殺意を察知し我に返る。

 

「はーくん、はーくん~、ふみゅぅ」

           

 我に返った俺に追い打ちをかけるようによじょはすが攻めてくる。

 あ、やばいもう俺ロリコンでいいや……

 

「比企谷君考え直しなさい、まだ間に合うわ。」

 

 え、何、もしかして心読まれた? 怖いんだけど。

 

「何をだ。俺は至って正常だ」

 

「ヒッキー、そんな顔で言われても説得力ないよ?」

 

 そう言い、由比ヶ浜は手鏡を俺に渡す。

 やばい、こいつ誰? 鏡にはクッソニヤけたキモイ男が映っている。あ、これ俺だわ(白目)

 

 よじょはすが携帯を弄っているとピッっという音が鳴った。どうやら何処か押してしまったのか。

 急に音が鳴り、よじょはすは携帯を伏せて顔を俺の胸にうずめる。音にビックリしたのだろうか可愛い。そう思い、頭を撫でていると、よじょはすが顔を上げて目が合う。そして俺の膝から降り、「はーくん」と言い俺を手招きする。

 俺がよじょはすの目線に合わせるようにしゃがみこむと……

 

「わたしね…、はーくんだいすきなのっ、はーくんはわたしのことすきぃ?」

 

 愛の告白をされました。これはあれだ天使には嘘をつけないな、うん。

 

「俺もいろはのこと好きだぞ」

 

 視線が怖いんだけど小さい子と遊んでるだけだからな、多めに見てくれよ……なんて思っていると

 

「はーくん、だいすきっ、えいっ」

 

 一瞬のことで俺にも何が起きたかわからなかったが、どうやら天使が俺の唇を奪っていったみたいだ。え、まじで何が起きたのか理解できてないんだけど。

 

「くぁwせdrftgyふじこlp!?」

 

 女生徒二人も「くぁwせdrftgyふじこlp!?」ってなっている。流石にお前らは動揺しすぎだろ。

 

「えへへー……、はじめての、ちゅー、だよ?」

 

 幼い子が顔を赤らめ上目遣いでこちらを除く。そんな仕草に俺は一発KOされてしまったわけで。

 天使愛してます!!

 

「お、おう、俺も初めてだけどな」

 

「ヒッキーの初めて……、あたし狙ってたのに……」

 

 だから声が漏れてますよ由比ヶ浜さん。なんなの? わざとなの? ドキドキしちゃうし勘違いしようもないからやめて!!

 

「……」

 

雪ノ下は機能停止している。

 

「じゃあはーくんといろははおつきあいするの!」

 

 かわいいなー。お付き合いとか知ってるのか。そういうところは一色なんだなー。

 

「そうだな、いろはがあと10歳くらい大きなったら考えような。今お付き合いするといろいろ法律的なというかはーくん捕まっちゃうから」

 

「10さい……?」

 

「そうそう、15歳以上になったら」

 

「うん! じゃあ、いろはが16歳になったらお付き合いしてね? ぜったいだよ、やくそく!」

 

 そう言いながら小指を伸ばしてこちらに向ける。これは指切りげんまんをしようということなのだろうか。

 

「ああ、約束だ。指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます」

 

「やったぁ、えへへ。早くおおきくなりたいなっ」

 

 本当、可愛すぎるんだけど。なんでこんな天使があんな小悪魔になっちゃうの? 堕天使なの?

 後ろで由比ヶ浜が「ヒッキーそれって……」なんて言ってるけど子供相手にショック受けすぎだろ。

 

 しばらくするとよじょはすは俺の膝の上で眠ってしまった。

 

「疲れたんだろうな」

 

「いや、あたしのほうが疲れたよ……、精神的に」

 

「同感だわ……」

 

 スヤスヤと眠っているよじょはすの顔を見ながら俺は思う。守りたいこの寝顔!! とその時だった。

 

 膝の上で寝ているよじょはすに違和感が。なんかでかくなってきてない? 大丈夫?

 身体が徐々に成長し、あっという間に高校性の一色いろはに戻ったのだった。

 というかこの状況まずいんですが。説明すると俺の膝の上に一色がいて対面座位、違うな、向き合っていてもう何かヤバイ、説明以上。

 

「ふえっ!?」

 

 いやいや、俺が「ふえっ!?」だよ。まあ俺が言ってもキモいだけなんだが。

 

「ええと、その……、なんだ、とりあえずどいてくれ」

 

「は、はい……」

 

 だから視線が痛い痛い! 怖いから睨まないで、これは不可抗力だからさ。

 

「ほ、ほんとにいろはちゃんだったんだね」

 

「信じがたいけれど、この目で見てしまったし信じるしかないわね……」

 

「え、えっと一体何が?」

 

 状況が把握できてない一色。まあ無理もないだろう。雪ノ下が今までの説明をしてくれた。

 

「そんなことがあったんですか……」

 

「何も記憶ないの?」

 

「ですね、コーラ? を飲んだところまでは覚えているのですが」

 

「まあ知らない方が幸せだということもあるのだし、無理に思い出す必要はないわ」

 

「で、ですかね~」

 

 若干気まずいなぁなんて思っているとドアが開く。

 

「いやー、会議が長引いてしまった」

 

「平塚先生。入るときにはノックをしてくださいと……」

 

「すまんすまん。ところで机の上にあったコーラのようなもの知らないか?」

 

「あっ、ええと」

 

 どうやらあの奇妙な飲み物は平塚先生のものだったらしい。

 

「平塚先生、そのコーラのようなものはなんなんですか? 一色さんが飲んでしまい幼児化してしまったんですが」

 

「やはり飲んでしまったか。すまない。すぐ戻るつもりで置いておいたのだが。あれは知り合いの教師のチュウさんという方が作成した若返りの薬なんだ。完成したと聞き是非譲って欲しいとお願いしたら2本頂いたのさ」

 

 先生……、いくらアラサーだからってそんな薬に手を出すなんて。

 

 ギロリと睨まれる。あれ平塚先生にまで俺の心わかるの? 俺ってそんなにわかりやすい?

 そして……。

 

「まぁしかし、一色の姿が変わってないということはもう元に戻ったということか。どうだった一色、若返ってみて」

 

「いや……、なんというか、き、記憶がなかったのでーと言いますか、そんな感じなので、か、感想とかはナイデスネー」

 

 急にどうしたんだ一色のやつ完全に棒読みなんだけど。

 

「ん? そんなことはないだろう? 私も試しに1本飲んでみたが、若返るのは身体だけで記憶などは現在のままのはずだぞ」

 

「「「え!?」」」

 

 奉仕部3人の声がハモった。それもそうだ。幼児化した一色は言動も幼く、心も幼児化していたと思っていたのだから。

 身体しか若返らないということはさっきまでの行動は全て、今現在の一色の意志で行っていたということになる。つまり……。

そこで俺は思考停止した。

 

「一色さん……?」「いろはちゃん……?」

 

 二人は今まで聞いたことのないような冷たい声で一色を呼ぶ。

 

「ひっ……、あ、わ、わたし生徒会の仕事があるのでこ、これで失礼しますーー!!!」

 

「「待ちなさい!!!」」

 

 そう言うと一色は猛ダッシュで逃げていった。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 私は携帯の録音機能を起動し再生ボタンを押す。

 

「わたしね…、はーくんだいすきなのっ、はーくんはわたしのことすきぃ?」

 

「俺もいろはのこと好きだぞ」

 

「はーくん、だいすきっ、えいっ」

 

「くぁwせdrftgyふじこlp!?」

 

「えへへー……、はじめての、ちゅー、だよ?」

 

「お、おう、俺も初めてだけどな」

 

「じゃあはーくんといろははおつきあいするの!」

 

「そうだな、いろはがあと10歳くらい大きなったら考えような。今お付き合いするといろいろ法律的なというかはーくん捕まっちゃうから」

 

「10さい……?」

 

「そうそう、15歳以上になったら」

 

「うん! じゃあ、いろはが16歳になったらお付き合いしてね? ぜったいだよ、やくそく!」

 

「ああ、約束だ。指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます」

 

「やったぁ、えへへ。早くおおきくなりたいなっ」

 

 

 再生が終わる。さっきからずっとこれの繰り返し。

 

「えへへ……」

 

 さて、先輩、私は今先輩の言う16歳にです。約束は守ってもらいますからね?

 何か言ってきたらこの録音を再生させて証拠として提出しよう。

 

 そう考えるとウキウキして今日は眠れそうにない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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先輩、泳ぎ方を教えてください

「せんぱーい!」

 

 放課後、教室を出て奉仕部の部室に向かう途中、後ろから声がした。まあ、声の主はすぐにわかったのだが部室ではなく、この三年の廊下で声をかけてきたということは、俺個人に何か頼みごとでもあるのだろう。

 であるからして、それはきっと面倒なことなわけで俺は気づかないふりをしてそのまま部室に向かう。

 

「せんぱーい、やばいですやばいです!」

 

 ぱたぱたとした足音が段々近づいてくる。そもそも先輩だけじゃ誰を呼んでいるかわからないわけだし、やばいと言われて関わろうとなんかしたくないんだよなぁ……

 なんてことを考えていると不意に衿裏を引っ張られた。

 

「ぐえっ」

 

 何すんだよ……いきなりすぎて変な声でちまったじゃねえか。ほら見ろ、周りの奴らが不審者を見るかの如く俺のこと見てるじゃん。この雰囲気どうしてくれるわけ?

「なんだよ?」

 

 俺は振り向いて、さっきの変な声を出させた犯人である女の子を軽く睨んだ。

 

「先輩が無視するのがいけないんですよ」

 

 ぷくぅっと頬を膨らませながらこちらを睨んでくる女の子、一色いろははそう言うと、ちょいちょいっと手招きをしながら人気のないところまで俺を連れてきた。

 

 普通の男なら、あれ? これもしかして俺告白されちゃうの? なんて淡い期待を持ってしまうかもしれないがそこはこの比企谷八幡、そんな期待は持つはずもなく話を進めていく。

 

「んで、今度は何を手伝わされるわけ?」

 

 そう質問すると一色は頬をほんのり赤く染め、人差し指同士を合わせながらもじもじとし始める。あれ? これもしかして本当に告白されちゃうパターンだったりするの?

「私って泳げないじゃないですかー? 去年は水泳の授業をなんとか一回も出なくて済んだんですけど、今年はさすがにでないとまずいかなって……。泳げないのがクラスの子にバレて影で笑われるのは嫌ですし……」

 

 あ、はい。八幡知ってた。べ、別に何も期待なんてしてないんだからね? ……まあ、おふざけはこの辺にしておいておこう。とりあえずお前が泳げないことは俺は知らん。まあしかし、なんというか意外というか。俺の中のコイツのイメージって雪ノ下よりは全然劣るが、割となんでもそつなくこなすイメージがあったんだがな。

 

「それで先輩に泳ぎを教えて欲しいんですよ。こんなの頼めるの先輩くらいしかいないですし」

 

 なるほど……、つまりこいつは泳げないことを恥ずかしいことだと思っており、それを人に知られるのが嫌なんだろう。でもそういうことなら、それを馬鹿にせず、尚且つ、こいつに適任な人物がいるわけだが。

 

「お前、葉山はどうしたんだ? 葉山ならそんなの笑うこともないだろうし、お前としてはあいつと一緒に時間を過ごすチャンスだろ?」

 

 そう、葉山がいる。一色に泳ぎを教えるのにこれ以上の適任者はいないだろう。

 しかし、俺の言葉を聞いた一色は「はぁ……」とため息をついた。

 え、何? なんか俺間違ったこと言ったか?

「葉山先輩が気にしなくても私が気にするんですよ。……それに私は先輩に頼んでるんですよ? こんな可愛い後輩に泳ぎを教えるイベントなんて先輩の人生で一生に一度あるかないか、いえ、今この時以外きっとないんですから素直に私のコーチを引き受けてください」

 

 いや、まあ確かにそんなイベント今後起こる気がしねえけどさ。むしろ起こらない方が平和に過ごせるわけで、こんな展開エロゲくらいしかないだろ普通。いや、エロゲやったことないけどね?

 まあしかし、今回の頼んだときの一色の表情は真剣なものだったし、決してふざけて頼んでいるわけじゃないのだろう。これを断るというのも寝覚めが悪いし、手のかかる後輩ではあるが、こいつはなんだかんだ俺にとって可愛い後輩なわけで……

 

「わかったよ、その依頼引き受けてやる。んで、具体的にどうするんだ?」

 

「先輩、ありがとうございます! それじゃ、明日の午後2時くらいに学校のプールに来てください。あ、もちろん水着も持ってきてくださいね?」

 

 へ? 明日って土曜日じゃん。いやまあ、確かに泳ぎの練習っていったら休みの日くらいしかできないけど。というか急すぎない?

「あ、プールは生徒会長の特権で使わせてもらえたので気にしなくていいですよ?」

 

 こいつ職権濫用もいいとこだろ。大丈夫か、この学校。

 いや、でもそれを気にしてたわけじゃないんだけどさ。

 

「まあ、わかったわ。それじゃとりあえず俺は奉仕部に行くわ。また明日な」

 

「そうですね、私も生徒会の仕事を済ませます。ではでは、明日よろしくです」

 

 そう言って敬礼のポーズをしてみせる一色。いやだからそういうのがあざといんだよ、可愛いけど。

 

 

 それから部室についた俺は扉を開けていつものように挨拶をする。

 

「ヒッキー、遅いよ! 何してたの?」

 

 何してたっていってもな……、そのまんま言うとまためんどくさいことになるだろうし、ここは少し誤魔化しておくとするか。

 

「あー、あれだ。友達が少し困ってたんでな。ちょっと相談に乗ってた」

 

 その言葉に反応したのか、読書をしていた雪ノ下が読んでいた本を机に置き、こちらを見据えながら口を開いた。

 

「あら、あなたに友達なんていたのかしら? まさか夢を見ているわけでもあるまいし。素直に本当のこと言ったらどうかしら?」

 

 おっかしいなー、完璧な言い訳だと思ったんだがな。どうやら俺に友人がいないことはもう確定事項のようで、由比ヶ浜も全く信じてない様子だ。まあ、俺ぼっちだし当たり前なんだけどさ。少しくらいのってくれてもよくね?

「どうせまた一色さんにでも何か頼まれたのでしょう?」

 

 本当こいつなんでもわかるのね、どこの羽川さんだよ。

 一色の名前が出ると由比ヶ浜が少し頬を膨らませてむすーっとした表情になった。一色と違い、こいつってこういうこと素でやってそうなんだよな。本当止めてほしい、ドキっとしちゃうから。いや、あざといのもドキっとしちゃうんだけどね? あれ、俺チョロくね?

「ヒッキー、前からいろはちゃんに甘かったけど最近特に甘いよね。……好きなの?」

 

 なんでそうなるんだよ……まあ、確かに俺は前からあいつに甘いところはあるかもしれないが、それは生徒会長に推した責任から来ているものだ。俺個人、あいつに恋愛感情を抱いているということは決してない。……たぶん。

 

「……ちげえよ」

 

「そっか」

 

 少し気まずい空気が流れた気がした。

 雪ノ下がその空気を嫌ったのかわからないが「はぁ」とため息をつくと続けて話し始めた。

 

「別にあなたが誰かに何かを頼まれようと私は興味なんてないのだけれど、奉仕部の一員として依頼を受けたからには責任をもって解決してあげなさい」

 

「そだね、ヒッキー、いろはちゃんのことちゃんと助けてあげなよ?」

 

 なんか凄いシリアスな雰囲気になってるけど泳ぎの練習に付き合うだけなんだよな……。でもなあ、これ言うと絶対めんどくさいしな……黙ってておくとしよう。それよりも、一色の依頼とは一言も言ってないはずなのに、依頼主が一色で確定されてるのもどうかと思うわけよ。まあ、これも黙っておくけどさ。

 

「ああ、任せろ」

 

 それから依頼もなく、いつも通りの平和な一日を過ごした。……いや、依頼なら1つ受けてたか。それを思い出すだけで胃が痛い。明日泳ぎの練習という名目ではあるが、女の子と二人きりで、しかも水着姿なわけで……

 

 そんなイベント今までに一度も経験したことがなかった俺は、緊張と何かわからない期待のようなもののせいで、その日はあまり眠れなかった――

 

* * * * * *

 

 

 次の日の土曜日。そんなわけであまり眠れなかった俺は、若干寝不足でありながらも、約束の時間に着くように家を出た。目的地が学校なので今日は制服だ、ちなみに既に水着は装備済みである。別に楽しみだからとかそういうわけじゃなく、着替えるのが面倒だってだけだ。体育の授業の日とかやる奴いるだろ? あれ、俺だけ?

 

 夏の暑い日差しを浴びながら自転車を漕ぎまわす。当然のようにでる汗を振り払いながら前に進んでいくと目的地である総武高にたどり着いた。プールサイドに向かうと、まだ一色が来ている様子はなかったので、日陰で休むことにした。

 日陰で休んでいると、心地よい風が寝不足の俺の眠気を誘い、抵抗することなく意識はそのまま遠ざかっていった――

 

 

 いつの間にか完全に眠りについていた俺は、カシャッという音に反応して目が覚めた。目を開くとそこには一色が立っていて、慌てた様子で何かを隠す動作をしていた。

 

「何してんの?」

 

「な、なんでもないですよ? それよりこんなところで寝てたら風邪ひきますよ。あ、夏だし大丈夫か、アハハ」

 

 こいつ話の逸らし方無理やりすぎんだろ。最後の笑いも完全に棒だしな。大方、俺の寝顔写メでも撮って晒すつもりだろ。やめて! 恥ずかしくて死んじゃうから。

 

「まあ、気にしないでくださいよ。それより早く泳ぎの練習しましょう、私は更衣室で着替えてくるので。あ、覗かないでくださいよ?」

 

「覗かねえよ……」

 

 しかし、一色の水着姿か……。そういえば、雪ノ下と由比ヶ浜の水着姿は見たことあるけど、一色のは見たことなかったな。あいつのことだから水着もあざとい感じのチョイスしてそうだな。

 そんなことを考えながらしばらく待っていると、更衣室の方から一色がやってきた。一色の水着は予想していたあざとい水着とは裏腹に学校指定のスクール水着だった。と言っても旧スクや、二次元でよく見られるようなスク水ではなく、あの本当地味なやつ。しかしまあ、これはこれでいいのか? と言っても一色ならなんでも似合う気がしてきたわ。いや、待て、何言ってんだ俺。

 

「先輩、ちょっと見すぎですよ……はっ!? もしかして私の水着を見て興奮して押し倒してやるぜなんて考えてるんですかすいません先輩に押し倒されるのはもう少し覚悟を決めたあとでお願いしますごめんなさい」

 

 どうやら俺は無意識に一色の水着姿を凝視していたようだ。というかなんでまた俺は振られてるわけ? 通算何回目だよ。

 

「いや、お前のことだからなんかもっとあざとい水着来てくると思ったんだよ。そんで、なんでまた俺は振られてるわけ?」

 

「なんですかあざとい水着って……。普通に学校のプールを借りるわけですからそんな水着着たりしませんよ。それに、どうせそういう水着見せるならもっと雰囲気あるところで見せたいですし……」

 

 へえ、やっぱりこいつ、ちゃんとしてるところはちゃんとしてるんだよな。最後のほうは声が小さすぎて何言ってるか聞き取れなかったが。

 

「それじゃ先輩、早速お願いします」

 

「ああ、そんじゃまずは軽く準備体操でもするか」

 

 二人で軽く準備体操を始める。……なんというかあれだな、俺の目の前で一色が準備運動してるわけだが、伸脚とかしてるときの目のやり場に困りますというか。別に見たいわけじゃないが自然と目線が釘付けになってしまうわけで。いや、本当に見たいわけじゃないんだけどね?

 準備運動を終え、いよいよプールに入ることに。

 入る前に一つ、気になったことを聞いてみた。

 

「なあ、お前水が怖いのか?」

 

「は?」

 

 何言ってんの、お前みたいな顔で見られた。いや、そんなに変なこと言った?

「よく泳げないやつは水が怖いとかいうだろ。お前は別に水に顔付けるのとかは大丈夫なのか?」

 

「あ、ああ、そうですねー、その辺は大丈夫です」

 

 それなら一色のことだ、しっかり教えてやればすぐ泳げるようになるだろう。

 一色の返事を聞き、二人でプールの中に入る。午後ということもあり、水温はちょうどいい感じだ。

 

「そんじゃまあ基礎からやるか。一色、そこに手をつけてバタ足の練習してみろ」

 

 そう言うと頬を膨らましながら「むぅ」と言われた。なんでなのん? まずは基礎中の基礎からだろ。

 

「先輩、バタ足の練習をするなら、先輩の手を私に掴ませるのが普通なんじゃないんですか?」

 

 え、何それ? 俺そんなことしたことないぞ。あ、する相手いなかったわ。しかし、手を握ってバタ足の練習? いやそれ難易度高すぎだろ。主に俺が。水の中だし手汗がうんぬんはいいとして、女の子と手をつなぐとか俺にはちょっと難しすぎるんですがそれは。

 

「それしなきゃダメなの?」

 

「絶対そっちのほうがいいです!」

 

 はあ……。一色は有無を言わせぬ表情でこちらを見てる。これは何言ったってやらされるんだろうな……

 

「わかったよ、ほら」

 

 両手を一色の方に差し出すと「えいっ」と言い握ってきた。え、何、えいって。可愛いなそれ。

 一色の両手を持ち、合図をすると一色は水面に顔をつけてバタ足をし始める。泳げないっていうとバタ足もできないようなイメージだったが、普通に綺麗にできていてこれなら何の問題もなさそうだった。

 

「ぷはぁっ」

 

 息継ぎをするときそう言って顔をあげる、こんなこと言う奴初めて見たぞ。なんというか本当にあざといというか……しかし、それが可愛らしいと思ってしまうのもあるわけで。

 俺たちはしばらくバタ足の練習をしたあと少し休憩をとることにした。

 

「どうでしたか?」

 

「ん、普通にできてたぞ。むしろ上手いまである」

 

「そうですか、先輩のおかげですね、ありがとうございます」

 

 本当に俺のおかげなのだろうか? 最初にバタ足をさせてみた段階である程度できていたし、俺がしたことといえば、こいつの手を握って少しずつ後ろに歩いてたくらいだ。俺は特になにもしていない。

 

「次はクロールしてみるか」

 

「はいっ」

 

 それから一色にクロールを教えた。と言っても俺も本で読んだ位の知識しかないわけで、基本中の基本を一色に伝えてあとはあいつ次第といったところだ。それでも俺の言うことを一つ一つ守って実行していき、あっという間にクロールをマスターしていた。なんだこいつ、全然できるじゃないか。できないと決め付けて今まで練習していなかったのだろう。授業も出ていないと言っていたし、多分中学もそうやって受けていなかったのだろう。何事もやってみるべきだな。

 

「あの、先輩……」

 

 

 マスターしたてのクロールを終えてこちらに来た一色がもじもじとしながらそう言ってくる。

 

「なんだ?」

 

「その……、と、トイレに行ってきてもいいですか?」

 

「おう、いってこい」

 

 答えるとすぐさま駆け足で走り出す。我慢しすぎだろ、あいつ……

 トイレくらいすぐに言えばいいのにと思うのだが、そういえば昔小町にもそんなこと言って怒られた気がしたな。女の子というものはそういうところ気にするものなのだろう。

 

 一色がトイレから戻るまで俺も特にすることがないので、久しぶりに飛び込みでもしようかと飛び込み台の上にたとうとした。しかし、一番上に足を乗せたとき、何か鋭利なものを踏んでバランスを崩した。視界がぐるんと回り、頭に激痛が走しってそのまま水の中に落とされた。薄れゆく意識の中、トイレから戻ってきたと思われる一色が綺麗にプールに飛び込む姿が見えた気がした――

 

 

 

「ごほっ、ごほっ」

 

「せ、せんぱい、気づきましたか!?」

 

 俺はどうしたんだ……確か何かを踏んだせいでプールに落ちた気が……

 しかし、今は思い出そうにも思い出せる状況じゃなかった。上半身だけ起き上がった俺に抱きついている一色。水着一枚越しの一色のあれが俺に押し付けられていろいろとやばい。当の本人は泣きじゃくって「先輩、先輩」しか言わないし。

 

「なあ、俺どうしたんだ?」

 

「……ぐす、……わ、私がトイレから戻ったら先輩が水の中に沈んでって……それで危ないと思って……」

 

 どうやら本当に危ない状況だったらしい。一色の態度を見ればそれは容易に想像できる。

 こいつには本当に感謝しなきゃな……

 

「先輩、もう大丈夫なんですか?」

 

 心配そうにこちらを見つめる。そんなに不安そうに見るなよ……

 

「ああ、大丈夫だ」

 

 そう言って抱きついている一色の頭を軽く撫でてやった。すると、一色の顔がどんどん赤くなってさっきまでぐすぐすと泣いてた一色が泣き止んだ。

 何か言おうとして、言えない。そんな感じでこちらを見つめてくる。そして決意したのか彼女は口を開く。

 

「せ、先輩を助けるために私は大事なものをあげました! せ、責任、取ってください……ね?」

 

 え? 大事なもの? ……おま、それって……

 そう言った一色の唇に視線がいく。もしかしてというか……いや、これはそういうことなのだろう。

 

「い、いやでも俺意識なかったし。無効でいいんじゃないか?」

 

 そう言い訳の言葉を放った瞬間だった。不意に俺の唇に柔らかい感触が。ゼロ距離で一色の顔が。胸の鼓動が高鳴っているのがわかった。そして一色も同じなのだと。抱きついている一色の胸の鼓動が伝わってきた。

 

「えへへ……、これでその言い訳はできませんね?」

 

 俺はこいつの考えてることはわからない。それでもこの伝わってくる胸の鼓動は本物だと思うから。

 

「そうだな……。俺でいいのか?」

 

「先輩がいいんです。先輩じゃなきゃだめなんです」

 

 そう言い終えて再び顔を近づけてくる。

 今度は俺も自分から彼女の顔に近づけ口付けをした――



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大人のキスだ……

 

今日の終業式が終われば明日から冬休みだ。

奉仕部も今日は休みらしいので今日は午後から家でゴロゴロできる。最高だ。

 

終業式も終わりルンルン気分で廊下を歩いていると「比企谷」と声をかけられる。

おい、比企谷呼ばれてるぞ。俺も比企谷だがこんな廊下で呼ばれるはずもないので振り返らない。

それがたとえよく聞く声でも振り返らない。なぜなら振り返った瞬間、俺の平穏が終わることを知っているからだ。

 

その場を立ち去ろうと足早になると後ろから肩を掴まれる。やばい捕まった。殺される。

 

「比企谷、逃げるとはひどいじゃないか?そんなに死にたいのか?」

 

「ひっ、平塚先生じゃないデスカー、どうひたんですか」

 

オーケー大丈夫いつもと変わらない。平常心だ。

 

「まったく……。君に頼みがあるんだ」

 

「すいません、今から俺大事な用事が」

 

「ふむ、用事とはなんだね?」

 

「家であれしなくちゃいけないんですよ」

 

「なるほど。それなら大丈夫だな。20分後に奉仕部に来てくれ、依頼人もその頃に行くと思うのでな」

 

なんでいつも用事があるといっても俺は暇なことになるの?おかしくない?

「いや、今日は奉仕部休みなんですけど……、雪ノ下も由比ヶ浜もいないですし」

 

「だからだよ比企谷」

 

何言ってんだこの人。俺だけで話聞いたって上手くいきっこないのに。

 

「君は必ず来ると信じているがこない場合は君の成績がどうなるかわかるまい?」

 

この人俺の成績を人質に取りやがったぞ。それ教師としてどうなんですかね。

 

「わかりましたよ……、行きます」

 

「うむ、では私は用事があるので失礼するよ。依頼内容については依頼主から直接聞いてくれたまえ」

 

この人自分は来ないのかよ……

 

 

遅れるのもめんどくさいので俺は早めに奉仕部の部室に行く。

とりあえず依頼人が来るまでいつもの席で読書をし、時間を潰す。

20分を過ぎたあたり扉ろノックする音が。

 

「どうぞ」

 

「失礼します」

 

挨拶をして部室に入ってきたのは黒髪ロングの綺麗な女子だった。

系統で言うと雪ノ下が近い。目元は雪ノ下よりキリッとしている。

それに雪の下にはない膨らみがある。むしろそこは由比ヶ浜レベル何この子スペック高すぎじゃない?

こんなに美人なら校内で噂になっているのと思うのだが知らないな。あ、そもそも俺に噂とかこないじゃん。ぼっちだし。

 

「2年の塚平爽子です」

 

「塚平さんね……、んで今日は何を依頼しに?」

 

なんかどっかで見たことある気がするのだが……

喉元まで答えが出かかってるのにあと少しが出ないこの嫌な感じあるよね?

「実は今日一日、私と恋人になってほしいんだ」

 

え、何言ってんのこの人。見ず知らずの人と恋人?ないない知ってる奴でも厳しいというか不可能レベルなのに。俺にはこの依頼無理ゲーすぎるわ。よし降りよう。

 

「すまん。俺にはその依頼に答えられそうにもない。他を当たってくれ」

 

「断るなら平塚先生に報告するけど……?」

 

その言葉を俺に告げ彼女はニヤっとする。

……こいつ、卑怯だ。それに不覚にも今の表情に少し見惚れてしまった。

 

「オーケーわかった。今日一日だけでいいんだよな?つまり恋人の振りのようなことをすればいいと」

 

「そうなるね。ではさっそくデートをしよう?よろしくね、八幡」

 

あれ?俺こいつに名前言ったっけ……

塚平は容姿からして俺が知っていてもおかしくないレベルなのに俺は知らない。

逆に俺は目立たない。自分のクラスの奴らにすら名前ヒキタニと覚えられてるレベルだ。

 

「はやくいこう?」

 

塚平は俺の腕を取り腕組をする。柔らかいの当たってるんですけどね!なんだこいつビッチか!?ていうか若干タバコ臭いんだけど!不良かよ。

距離が近くなり横目でチラッと塚平の顔を見るとやはり美人だ。学校一と名高い雪ノ下と比べてもなんら遜色がないと言える。

というか先程も言ったがスタイルでいうなら塚平の圧勝。こんなやつがこの学校にいたなんて……

ましてやそいつと俺が一日恋人とかこれなんてエロゲ?

「お、おいどこいくんだ?」

 

「うーん、決めてないな。八幡はどこか行きたいところあるの?」

 

「俺は家に帰りたい」

 

ドンッ!!

腹パンされた……。何この子まじでめちゃくちゃ痛いしどこかのレディースかなんかなの?もういやだ八幡おうち帰る……

 

「八幡、大丈夫?」

 

「大丈夫じゃないんだけど……」

 

「とりあえずお昼にしない?私お腹すいたな。この辺でどこか美味しいラーメン屋ってないの?」

 

え?俺の心配ってそれだけ?というかこいつラーメン食べるのか。ちょっとだけ八幡的にポイント高いな。

しかしこの辺は俺のラーメンテリトリーではないんだよな。塚平に無理やり引っ張られながら歩いて来たので場所も把握しきれていない。

 

「すまん、この辺はあまり詳しくないわ」

 

「仕方ないな君は……。それなら私のお勧めのラーメン屋でいいかな?」

 

塚平に連れられて来たラーメン屋は「かいざん」という店だ。

とりあえず塚平に習いネギとんこつを注文する。

 

「ここはご飯にも、麺にもネギが合うからネギ付きは基本」という塚平のアドバイスを受けこれに。

豚骨ベースながらしっかりと出汁が出ていて、味と脂のバランスも優れていて旨い。

中太ストレート麺との相性もいい。すぉして分厚いチャーシューの満足感がやばい。

こんな名店知らなかったな。今日はこれだけで満足した気がする。よし帰ろう。

 

「「ごちそうさま」」

 

「どうだった?」

 

「いや、かなり良かったよ。また来るレベルだ」

 

「そうでしょう、ここのスープと麺の絡みは絶品だからね」

 

塚平は満足げに語ると、携帯を取り出し何かを確認している。

 

「よし、次は本屋に行ってもいいかな?」

 

「そうだな……、俺も新刊のほしい本があるしいこうか」

 

「決まりだね」と言い塚平がさり気なく腕を組んでくる。

 

気づいて回避しようとするとまた強引に来るので仕方なく片腕を生贄に捧げる。

本当こいつ自分のスタイルとかわかってるのか?歩くといちいち柔らかいものが俺にあたるんですよ?

しかし隣でニコニコと機嫌よく歩く彼女を見るとなかなか言い出せなかった。

だって凄く綺麗なんだもの。八幡ドキドキしちゃう。

 

 

本屋に入ると俺は目当ての新刊がないかチェックする。どうやらここには置いてなかったようだ。

目当てのものがないので塚平と合流し、本屋を出ようとしたときだった。

 

「あれ……?ヒッキー何してるの?」

 

……最悪だ。この状況を今最も出会いたくない人物の一人と出会ってしまった。というかなんでこいつが本屋になんかいるの?キャラ違うでしょ?ここでエンカウントするとしたら雪ノ下じゃないの?

「由比ケ浜さん、どうかしたのかしら?」

 

いたよ。なるほど二人でいたのね。仲良いなこいつら。

ジーッと俺の横にいる塚平を見つめる二人。

雪ノ下が口を開く。

 

「ところで比企谷君?そちらの女性はどなたかしら?」

 

雪ノ下も知らないのか。同じ2年なら知っていると思ったんだが。由比ヶ浜のことも知っていたわけだし。

ところでなんで君たち俺を見るときは睨んでるの?こわいんだけど。

 

「はじめまして、八幡の彼女の塚平です」

 

「か、か、か、かにょじょ!?」

 

落ち着け、由比ヶ浜何言ってるかわかんねえからそれ。

 

「私の聞き間違いかしら?彼女と聞こえたのだけれど?塚平さん、あなた大丈夫かしら。こんな男を彼氏にしてしまって」

 

「どういうことかな?八幡は最近の男子の中では中々骨のある良い男だと思うが?それを君たちが知らないわけではあるまい?」

 

まただ。こいつは俺のことを確実に知っている。だが俺は全く知らない。ここが引っかかるんだ。

雪ノ下は塚平に言われたあと眉をピクピクさせながら黙っている。

ちょっと怖いんですけどそれ。

 

「何を言ってるのかしら?そんなこと会ったばかりのあなたに言われる筋合いはないと思うのだけれど?」

 

「そうだよ、あなたよりあたしたちの方がヒッキーのこと理解してるし!!」

 

「理解していてそれか……、少しは君たちも素直になりたまえ。用はそれだけかな?私たちはこれからデートの続きがあるのでこれで失礼するよ」

 

「「あっ……」」

 

二人の声を振り切った塚平は俺の腕を取り本屋をでる。

少し二人には申し訳ないことをしたのか?

いや別に俺が悪いわけじゃないけど。

しばらく歩くと塚平はまた携帯を取り出し何かを確認している。

 

「八幡、次はスポーツ用品を見たいんだけどいいかな?」

 

ほう、こいつ何かスポーツやるのか。確かに見た感じ運動神経も良さそうだし、何よりあの馬鹿力だ。

格闘技でもやらせたら世界取れるんじゃないか。

特に断る理由もないので、塚平の誘導でスポーツ用品店に向かう。

 

「何が欲しいんだ?」

 

「ん……?そうだな……、強いて言うならグローブとサンドバッグ?」

 

マジで格闘技とかやっちゃう系ですか。怖い。

 

「そ、そうなのか……」

 

二人で塚平のお目当てのモノを探していると茶髪のロンゲが声をかけてきた。戸部だ。こいつはどうでもいいや。

 

「あんれぇ?ヒキタニくんじゃね?こんな所でなにしてるん?」

 

戸部がそう言うと横にいた塚平が「デートなんですよ」と答える。余計なこと言うなよこいつ。

 

「え、……あ。ごっめ、マジ邪魔した?わり、わりー俺もう行っから」

 

そう告げ戸部がその場から去ろうとしたときだった。出会いたくない奴の三人目がそこに現れた。

しかもこちらに気づくと一瞬で距離を詰め俺の耳元で囁く。てかこいつ相変わらず速い……

 

「先輩、こんなところでどうしたんですー?ていうか隣の女だれですかー?あ、先輩の彼女さんとか?でも先輩にこんな美人の彼女とかありえないですよね。それに先輩年下好きですし、私の方が先輩にふさわしいと思いますけど?」

 

声ひくっ。怖いんだけどしかもお前最後のそれ勘違いしちゃうよ?

「すまない、一色さん。あまり私の彼氏にくっつかないでもらえるかな?」

 

「は?え、……本当に付き合ってるんですか?え?冗談じゃなくて?」

 

「いや、じつ「見て分からないかな?只今絶賛デート中なのだが……」

 

俺の声をかき消し塚平がデート中だということを強調して抱きついてくる。

当たってます、当たってますから!!

「…………」

 

一色は機能停止している。

 

「ほらいろはすー。俺らもう行こうぜー、なあ?」

 

戸部は動かない一色を無理やり引きずりながら連れて行った。

しかし塚平のやつあの三人を相手に完全勝利してるんだけどこいつマジ何者なんだ。

雪ノ下、由比ヶ浜。一色の三人を圧倒できるなんて俺は雪ノ下さんか平塚先生くらいしか知らない。

つまりの女子はそのレベルだということだ。

いつの間にか俺は塚平に興味を持ち始めていた。

 

「次はゲーセンにでもいこうか」

 

「じゃあいくか」

 

二人でゲーセンに向かう。

 

「八幡はゲーセンには結構行くの?」

 

「まぁ時間つぶしにちょうどいい場所だしな。よく麻雀とかクイズ系のをやる」

 

「麻雀できるんだ。私も麻雀得意だから二人で店内対戦しない?」

 

「お、おう、なんか二人で店内対戦ってシュールだな」

 

「確かにそうかもね」

 

ふふっと笑う塚平。お互いお金を入れてゲームを始める。

 

店内対戦なんてしたこともないのにしかも初めての相手が女子高生ってどうなの……?

やっぱりこいつなんか今時の女子高生とは若干違う気がするんだよな。

まあそのせいなのか一緒にいて変な気遣いをしなくて済む。

あの三人とは少し違うが一緒にいて悪くないな。

 

そんなこと考えてると隣から「ロン」の声が。

塚平の跳満が俺に直撃する。何こいつ強くね?

「ふふん」と得意げな表情でこちらを向く塚平。

その表情に不覚にも見惚れてしまう。

こんなシチュエーションでときめいちゃうとか俺大丈夫?

しばらく麻雀をしたあと塚平がプリクラを撮りたいというのですることに。

 

「最近のプリクラはこんなに種類があるんだね」

 

「俺はさっぱりわからんから塚平に任せるぞ?」

 

「私も最近のは全然わからないんだ。適当にそれっぽいの選んでしまおう」

 

意外だ。今まで話した感じ、最近の女子高生としては若干違和感はあるがこいつのコミュ力は低くない。それにこの容姿なら間違いなくクラスのトップカーストに所属しているだろう。ならばプリクラなど慣れていそうなものだと思ったのだが。

 

「とりあえずこれにしようか」

 

そう言い、塚平が選んだ設定で撮る。

 

「綺麗に撮れるんだね。じゃあこれは八幡にあげるから。携帯に貼ってくれてもいいんだよ?」

 

取り出したプリクラをハサミで切り半分を俺に渡す。

 

「それはない」

 

「ふふっ、恥ずかしがるな」

 

「恥ずかしいに決まってんだろ。それにこの関係は今日だけだしな」

 

そうだ。この関係は今日限定なのだ。あまり深入りしても仕方ない。

 

「そうか……、そうだな。すまない、少し調子に乗ってしまった」

 

少し落ち込みながら塚平が言う。

 

「い、いや悪い。別にお前が良いならまたこうして遊んでもいいぞ……」

 

何言っちゃってんの俺?しかもこれ若干上から目線じゃねえか、我ながらキモイ。

 

「……意外だな」

 

キョトンとした顔でそう告げる。ちょっとその顔可愛いなおい。

 

「わりぃ、今のは気にしないでくれ」

 

「そうか。そうだな。時間も時間だし帰ろうか。途中まで送ってもらえないかな?」

 

気づけば割といい時間だ。

 

「わかった、家どの辺なんだ」

 

「ここからそう遠くはないよ。歩いていこう」

 

自転車で後ろに乗せてささっと帰ろうと思ったがまあ歩いて帰るのも悪くないだろう。

塚平はここが指定席と言わんばかりにまた俺の隣に来る。

しかし今度は腕を絡めるのではなく手を握ってきた。やだちょっと恥ずかしい。

いわゆる恋人つなぎだ。え、ナニコレメチャクチャキンチョウスル。

しかも手柔らかいし、俺手汗かいちゃわない?大丈夫?

「八幡ここでいいよ。今日はありがとう」

 

しばらく歩くと家の近くまで来たのだろう。塚平がそう言う。

 

「今日は楽しかったよ……。ありがとう」

 

「いや、俺も意外と楽しめたぞ。それじゃあ、また学校でな」

 

そう言って俺は振り向き家路に向かう。

しかし彼女の依頼とは結局なんだったのだろう。

あの依頼には何か別の意味があったんだろうではないかと考え始めた時だった。

 

「八幡」

 

呼ばれて振り返る。

塚平がこちらに向かって走ってきていた。

そして俺に抱きつき、彼女は俺の肩に手をかけ、彼女の唇が俺の唇と触れ合う。

 

「んっ、……っあぁ、ん」

 

彼女の舌が俺の舌に絡まる。

一瞬何をされたのかわからなかった。だけどそれはとても気持ちよくて……。

 

 

 

「大人のキスだ……卒業したら続きをしよう……ではまた今度……」

 

 

ニッコリと微笑みながらそう言い、左手で手を振りその場を離れた。

 

俺はというと、何が起きたのか理解するまでに時間が掛かり、理解したあとまた思考停止してその場に留まった。

 



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陽乃「奉仕部を盗撮してみよっと!」

俺ガイルフェス最高でした!!


 

「ふふん、これでバッチリ」

 

 モニターの電源を入れ、ヘッドホンをかける。

 

 

 私、雪ノ下陽乃は退屈していた。

 2月下旬、大学は春休みに入り、最初の何日かは友人たちと普通の大学生が過ごすような春休みを過ごしていたわけだけど、それももう飽きちゃったんだよね。

 ちょっと前までならこんなときは雪乃ちゃんや比企谷君をからかっていたんだけどなぁ。

 バレンタインデー以降、比企谷君たちの関係に何か進展があったようで雪乃ちゃんも少し雰囲気が変わった。変わったというのは悪い方ではなく良い方にだと思う。

 流石にここまでいい流れで来ている子たちを邪魔するのは気が引けるから今までのようなことはせず、これからは温かく見守ってあげようと思ったわけ。

 

「さてと、どれどれ……そろそろ放課後だよね」

 

 さっきつけたモニターの画面には奉仕部の部室が映し出されている。彼らを見守るためにはどうしたら良いかと考えたとき私は、「奉仕部に監視カメラと盗聴器を設置しちゃえばいいじゃない」という考えを思いついた。こうすれば静かにあの子達を見守っててあげられるしね!

 思いついたら即行動、雪ノ下建設の提携している○ルソックから監視カメラをうば……、頂き、盗聴器は自分で作ってみた。それから総武高に夜中にしの、なんやかんやして部室にカメラと盗聴器を設置したのだ。

 

 しばらく誰もいない部室を眺めていると、カチャッという音が鳴り扉が開かれた。扉の向こうから現れたのは雪乃ちゃんだ。

 雪乃ちゃんはそのまま扉を閉めてスタスタと歩き、ポットの電源を入れて窓際の席に着く。鞄から文庫本を取り出し読書を始める。

 

「ん~、雪乃ちゃん可愛いし、見てるのはいいんだけどやっぱり何かないとつまんないなぁ」

 

 読書しているだけだとやっぱり退屈してしまう。何かないかな、なんて思っていると雪乃ちゃんが立ち上がり、ポットを確認した。どうやらお湯が沸いたようで紅茶の準備でもするのだろう。やはり他に比企谷君とか来ないと暇そうだなと思っていた時だった。

 雪乃ちゃんがボソッと『比企谷君の湯呑……』と呟くと置いてあったパンさんの絵柄の湯呑を手に取り眺め始めた。うん? 比企谷君の湯呑なんて手にしてどうするんだろ。

 

「……えっ!?」

 

 少しの間、比企谷君のものと思われる湯呑を眺めていた雪乃ちゃんは、何を思ったのか急にその飲み口をぱくっと口にくわえたのだ。状況がよく理解できずに呆然としていると『ふふっ……間接キスね……』と雪乃ちゃんが呟いた。いやいやいや、え? 雪乃ちゃん、いつの間にそんな子になっちゃったの……? こんなことする雪乃ちゃん、お姉ちゃん知らないんだけど!? 

 おかしい、最近雪乃ちゃんが良い方向に変わっていってくれてると思ったのに……、これ、ただの危ない子だよ? 可愛いからまだ許されるかもしれないけど。

 それから雪乃ちゃんはその湯呑に紅茶を入れて飲み始める。飲んでいる途中に『やっぱりこの湯呑で飲む紅茶は特別美味しいわね』なんて言ってた……、ダメだこの子、早く何とかしないと……。

 

 さっきまでは軽い気持ちで見てたのに今はもうなんか頭を抱えながら見てる。雪乃ちゃんは紅茶を一口飲むと飲み口を少し回転させながら飲んでいた。もうこれは完全に手遅れかもしれない。

 そう思った時だった。奉仕部の扉が開かれ、比企谷君が現れた。ちょうど紅茶を飲み終えた雪乃ちゃんは、持っていた湯呑を自分の後ろに隠す。

 

『ど、どどどどうしたの、比企谷君』

 

『いや、どうしたのって部活に来ただけなんだが』

 

 そう言って鞄とマフラーを置いて席につく。

 

『そ、そうね、そうよね』

 

 雪乃ちゃん動揺しすぎでしょ……、いやまあ、それだけのことしてたけどさぁ。

 

『今、紅茶を淹れるわ。由比ヶ浜さんはどうしたの?』

 

『おう、さんきゅ。由比ヶ浜なら葉山たちとまだ話してる。長くなりそうだから先にきたわ』

 

『そ、そうなのね』

 

 まだ動揺している雪乃ちゃんがカメラからでもわかるぐらい震えながら紅茶を彼の湯呑に入れて渡す。それを手に取り、一口飲むと、『やっぱ、美味いわ』と感想を言う比企谷君。まさか自分が意図せず関節キスをしているとも知らずに。しかも濃厚なやつ。……関節キスで濃厚って何? 飲み口舐め回してるとかそんな感じ? ちょっと無理。

 比企谷君が紅茶を飲んでいる間、雪乃ちゃんは彼の口元を見ているようで頬を赤く染めていた。普通だったらこの表情を可愛いな、なんて思うとこなんだけど、さっきの見ちゃうとねぇ……。

 

『そ、そういえばお茶菓子を切らしていたわね、ちょっと買いに行ってくるわね』

 

『お、おう。じゃあ留守番してるわ』

 

 二人でいるのが気まずくなったのか雪乃ちゃんはそう言って部室を出て行ってしまった。

 

「んー、比企谷君をからかうのは面白いけど一人の比企谷君みてもなぁ……」

 

 誰かが来るまで暇でも潰してようと思い、近くにあった文庫本を手に取り読み始める。何ページか読んでいるとヘッドホンから『ふぅ、ふぅ、ふぅ』という声が聞こえたので比企谷君が何かしているのかなと思ってモニターを見てみると……腹筋をしてた。……はい? なんで彼は腹筋してるの? どこかのサイトでひっかかっちゃって罰として腹筋でもしてるの? もうはるのんわかんないよ?

 

『ふぅ……あっちいな』

 

 何回やっていたかわからないが彼はそう言うと上着を脱ぎ始めて上半身裸になった。比企谷君の肉体は意外にもかなり筋肉がついていて腹筋も見事にわれている。え、何? ちょっとかっこ、いやいやいや。イメージと違いすぎるでしょ! てかなんで服脱いじゃってるの!? 今2月だよ? 寒くないの!?

 

『おっし、あれやるか』

 

 そう言って彼は急に逆立ちをし始めた。いや、本当になんで? しかもそこから彼は逆立ちをしたまま腕立て伏せをし始めたのだ。

 私は呆然としながらその光景を静かに見守っていた。いや、それが目的だったのかもしれないけど、こんなの私の思い描いてたのと全然違うんだけど!?

 

『おわっ!?』

 

 何回も逆立ちでの腕立て伏せをしているとバランスを崩してしまったのか比企谷君は背中から床に腰を打ち付けた。

 

「ちょっ、大丈夫なの!?」

 

 思わずそう言ってしまったが、もちろんその言葉は彼には届かない。

 

『ってぇ……。こりゃやっちまったかな。保健室で湿布でももらってくるか……』

 

 うん、ダメなんだね。

 

 筋トレをして熱くなったのか、タンクトップだけを着直して部室をあとにする比企谷君。いや、待って? 今普通にスルーしそうになったけどなんで比企谷君タンクトップなの!? すっごい似合わないんだけど! 変、すっごい変! 

 そんなツッコミを入れていると保健室に向かったのだろう部室には既に比企谷君の姿はなかった。

 

 また部室に誰もいなくなったのでさっき読み始めた文庫本を再び読み始めようと思った時だった。

 

『やっはろー!』

 

 この声はガハマちゃんか。本当にいつもあの挨拶なんだね。

 

『あれ? 誰もいないのかな』

 

 辺りを見渡して一人呟きながら席に着く。

 

『うーん、ゆきのんとヒッキーの鞄はあるし、どこか行ったのかな?』

 

 ちょっと寂しげな表情をするガハマちゃん。あらやだ可愛い。雪乃ちゃんとは違った可愛さだよね。

 さっきまで濃すぎるような映像を見させられていたせいかな、なんかガハマちゃんを見てると癒されるなぁ。

 

『あっ、ヒッキーの上着……なんであるんだろ?』

 

 彼がさっき脱ぎ捨てた上着に気づき手に取るガハマちゃん。たたんであげるのかな? なんて思っていた時期が私にもありました。

 ガハマちゃんは比企谷君の上着を手に取ると上着の脇の辺りを顔に押し付け始めたのだ。

 

『ヒッキーの上着……えへへ。ヒッキーの匂いがするよー』

 

 何度も何度も顔に押し付けてクンクンとまるで子犬のように匂いを嗅いでいる。

 

「ちょっと待って!? この部活本当に大丈夫なの!?」

 

 先ほどからのあまりの異常な光景に私は柄にもなく大きな声を上げてしまう。いや、だってこんなの絶対おかしいよ!? 

 それからもずっと上着に、というか主に脇の下辺りを顔にスリスリと擦りつけて甘い表情を浮かべるガハマちゃん。途中、『あ、よだれ付いちゃった』とか言ってたけど、もうそれただの変態さんだよ! いや、ね? 雪乃ちゃんの時も言ったけどさ、確かにあなたたちは可愛いよ? でも、でもその可愛い表情浮かべてる理由がおかしいよね!?

 

『あ、電話だ』

 

 上着を置いてポケットから携帯を取り出して話し始めるガハマちゃん。

 

『もしもし、あ、ゆきのん? うん、うん、わかった、今行くね!』

 

 雪乃ちゃんに呼ばれたのだろうか。電話を切り、比企谷君の上着を名残惜しそうに見つめてガハマちゃんは部室をあとにした。

 

「はぁ、流石に疲れるね、これ」

 

 軽い気持ちで盗撮盗聴とかしようと考えちゃダメだな……。私の想像してたような光景なんか微塵もなくて未だに困惑している。だってあの3人がだよ? 1人の時はなにあれ!? どう考えてもおかしいよ!

 

 そう思ってモニターの電源を落とそうとした時、またもや奉仕部の扉が開かれ『こんにちはーっ』という声とともに亜麻色の髪の少女が入ってくる。いろはちゃんだ。

 

『あれ、誰もいないのかな』

 

 そう言って、さも当然のようにいろはちゃんは比企谷君の席に座った。そしてガハマちゃん同様に比企谷君の上着を見つけるとクンカクンカと匂いを嗅ぎ始めたのだ。何これ流行ってるの? それとも比企谷君の上着が余程いい匂いでもするの? 今度私も嗅いでみようかな……。

 

『なんかいつもの先輩の匂いと違う……、女の匂いがするんだけど』

 

 うん、さっきガハマちゃんがあなたと同じことしてたからね。ガハマちゃんの匂いだね。というかそもそもいつもの比企谷君の匂いって何かな? いつも今みたいなことしてるんだね、絶対そうだよね?

 比企谷君の匂い以外に女の子の匂いを感じ取ったいろはちゃんは、急に不機嫌な顔になり、席を立つといきなり服を脱ぎ始めた……って、えええ!? なんでそうなるの!? 最近の高校生事情が私にはもうまったくわからないよ!? 何? 私がもう歳をとりすぎちゃったの? 今の高校生はもうみんなこんな感じなの!? ていうかいろはちゃん、今ここで誰か来たらどうするの、今、下はスカート履いてるけど上はもうブラ1枚なんだけど!?

 薄いピンクのブラを着けただけになったいろはちゃんは、そのまま比企谷君の上着を着ると、自分の匂いを上着に染み付かせようとするかのように自分の肌を擦りつけている。

 

『ふふんっ、これで先輩の匂いは私の匂いで上塗りされましたね。あ、ていうか今なんか先輩に包まれてるみたい……』

 

 もうだめねこの子達、本当になんとかしないと……。温かく見守るとかそういうレベルじゃないよね――

 

 

 それからいろはちゃんは満足したのか上着を脱ぎ、自分の制服に着替える。誰もいないのがつまらなかったのか、そのまま部室をあとにするとちょうど入れ替わりで雪乃ちゃんとガハマちゃんが戻ってきた。

 

『そういえばヒッキーどこにいったか知ってる?』

 

『いえ、私が買い出しに行く時は留守番をしてると言ってたのだけれど』

 

 二人はどうやら比企谷君がどこにいるか気になるみたい。まさか誰もいないところで逆立ち腕立て伏せをして、態勢崩して怪我したなんて思わないよね。

 

『なんだ戻ってたのか』

 

 しばらく雪乃ちゃんとガハマちゃんの二人の、のほほんとした光景を眺めていると保健室から比企谷君が戻ってきたようだ。二人の時は本当に平和なんだねこの部活。

 

『ところで比企谷君、なぜあなたはこの寒い日にその……タンクトップ一枚なのかしら?』 

 

『そうそう、なんで!?』

 

 二人が比企谷君の服装に対してツッコミをいれる。そりゃそうだよね、普通に考えて冬にタンクトップ一枚って。それになんか比企谷君がこの格好してるとただの変質者に見えるもん。

 

『いや、まあ、あれだ。いろいろあったんだよ』

 

 筋トレをしていたというのが恥ずかしいのだろうか、曖昧に答えて自分の上着を手に取って着替える。

 

『ん? なんかこの上着、すげー甘い匂いがするんだけど? それになんか温かいし』

 

 比企谷君の言葉に一瞬体がビクっとなるガハマちゃん。うん、自分の匂いだと思うよね、さっきあんなことしてたしね。でもね、お姉さん知ってる。それいろはちゃんの匂いだよ。

 

『あ、甘い匂いってあたしの匂い……?』

 

 あ、聞くんだこの子。

 

『いや、由比ヶ浜の匂いじゃないな。まあ、別に臭いとかじゃなしいいか。むしろいい匂いだし』

 

 あ、いいんだね。それとガハマちゃんの匂いじゃないって即答しちゃうのもお姉さん何かひっかかるんだけどな? 気にしすぎなのかな私が。そしてその上着をちょっと前まで、いろはちゃんがほとんど裸で着てたって知ったら比企谷君はどんな顔するんだろうか。

 

 部室に3人が揃うとさっきまでの濃い光景とは違い、のんびりとした退屈な時間が過ぎていく。雪乃ちゃんと比企谷君はずっと読書してるし、ガハマちゃんは携帯を弄ってる。そのまま下校のチャイムが鳴り、解散しようとする3人。そこへ、この部活の顧問である靜ちゃんがやってきた。

 

『雪ノ下、帰るなら戸締りは今日は私がやっておくから大丈夫だ』

 

 雪乃ちゃんが『わかりました』と返事をすると3人は仲良く部室を出て行く。

 ところで、靜ちゃんは何をしに部室に来たんだろうか?

 

『最近は校内でタバコ吸えないからなぁ……』

 

 窓を開け、タバコを吸い始める。あ、これダメな大人だ。部室を喫煙所にしてるよ、この人。

 

『ん、比企谷のやつマフラーを忘れてるじゃないか』

 

 タバコを吸い終わると、どうやら比企谷君が忘れたと思われるマフラーに気づき、手にとった。もうなんか今までの映像とか見てると大体想像できちゃうんだけどね? まさかね、教師が……あぁ、普通に首に巻きつけちゃったよ。

 

『比企谷の匂いだな……』

 

 顧問までこれじゃあねぇ。先ほどまでの映像に比べるとたかだかマフラーを巻いただけなのでそんなに驚くこともなく、今日はこれでおしまいかなと思ったときだった。

 

『平塚先生、寒そうですね。俺のマフラー使ってくださいよ』

 

「え?」

 

 靜ちゃんが急に独り言を言い始めたのだ。しかも何故かたぶん仮想比企谷君。

 

『お、おい。やめないか。生徒のものを借りるなんて……それに君の方が寒くなってしまうだろ?』

 

『俺は平気です……それよりも平塚先生が寒い方が俺には耐えられませんよ』

 

『ひ、比企谷……』

 

『比企谷なんてやめてくださよ。八幡って呼んでくれませんか?』

 

『じゃ、じゃあ、私のことも静、と呼んでくれないか』

 

 

『静、好きだよ……』

 

『キャーーー、キャーーー』

 

「…………」

 

 ありのままのことを話すよ? 急に靜ちゃんが独り言を始めたと思ったら、何故か比企谷君に告白される感じのシチュエーションで一人演技して、しかも最後は自分で言った台詞で恥ずかしがり、両手で顔を覆い「キャーキャー」叫んでる。

 

 もう私には何がなんだかわからなくなり、そのままモニターの電源を落とし、それから私が奉仕部の部室を盗撮することはなかった――



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背中のぬくもり、二人だけの世界

「今日はこの辺にしておきましょうか」

 

「そうだねー、今日も依頼来なかったね」

 

 下校時刻を告げるチャイムがなるとそれまで携帯を弄っていた由比ヶ浜が雪ノ下の呼びかけに応じる。二人の声に頷き、読んでいたラノベを鞄にしまい帰り支度を始めたところで、奉仕部の扉が勢いよく開かれた。

 

「こんにちはです、結衣先輩、雪ノ下先輩!」

 

「やっはろー、いろはちゃん!」

 

「あら、一色さん。いらっしゃい、今日は遅かったのね」

 

「そうなんですよー、生徒会の仕事が思ったより長引いちゃいまして……。一応は、なんとか終わりましたけど」

 

「そう、お疲れ様」

 

「いろはちゃん、おつかれー!」

 

 一色は軽く頬を膨らませながら雪ノ下に愚痴るように言うと、俺たちが帰るところだとわかったらしく、こちらに笑顔を向けてくる。

 

「じゃあ、せんぱい、一緒に帰りましょっか」

 

「……おう」

 

「まったく……、本当に仲がいいのね」

 

「ほんとっ! なんか羨ましいし!」

 

「別に普通だろ、じゃあ帰るわ」

 

 なんか視線が怖いんだけど……気のせいだよね? 気のせいって言ってよバーニー。

 気まずくなった俺は先に廊下にでる。

 

「えへへ……、それじゃ雪ノ下先輩、結衣先輩。さようならです!」

 

「ええ、またね、一色さん」

 

「ばいばい、いろはちゃん!」

 

 挨拶をする一色に優しく返す先輩二人。そんな光景が若干微笑ましくて、自然と口元が緩みながらも廊下を歩き始めた。

 

「もー、せんぱい待ってくださいよー」

 

 あとから部室を出た一色がぱたぱたと駆け足で追いかけてくる。

 

「別に廊下で待ってただけだぞ」

 

「先に廊下に出る必要ないじゃないですか」

 

「……まあ、そうだな」

 

 二人で放課後の校舎を歩き駐輪場につくと、俺の自転車の荷台に一色がぽんと座る。

 少し前から俺と一色は付き合い始めた。それからいつの間にか自転車の後ろは一色の指定席になっていて、放課後、一緒に帰るときはこうして後ろに乗せて家まで送るのが日課になっている。

 なんというか、昔の俺ならこんなことめんどくさいと言って絶対にしなかったはずなわけだが……。まあ、かわ……あざとい彼女の頼みとあらば断る訳にもいかんだろ。俺としてもこいつと二人でいたいと思ったりするしな、うん。

 っべーわ、……恥ずかしくなってきた。

 

「せんぱい、はやく、はやく」

 

 そんなことを考えていると、一色は両手でサドルをぽんぽんと叩き急かし始めた。何だそれ可愛いなお前。

 

「あいよ、お姫様」

 

「なっ……、い、いきなり何言い出すんですか! ……むぅ」

 

 そう言うと、先程までぽんぽんと叩いていたサドルに人差し指でのの字を書きながら照れる一色を見て、こいつ本当に可愛いななんて思いながら一色の手をどかしてサドルに腰掛けると、後ろからギュッと抱きしめられる。

 

「あの、一色さん? くっつきすぎじゃないですかね?」

 

「せんぱいが悪いんですよ……? ほら、ごーです!」

 

「はあ……」

 

 まったくこいつは……。

 

 それから二人で自転車に乗って帰り道を進んでいく。後ろから伝わる温もりを感じつつも会話をしながらペダルを回していると、あっと言う間に一色の家の前に到着する。

 

「今日もありがとうございます、せんぱい」

 

「おう」

 

 自転車から降りて玄関に向かっていく一色を眺めていると、一色は玄関の前で立ち止まりひと呼吸して口を開いた。

 

「先輩、今日は泊まっていきませんか……?」

 

「へっ?」

 

 えっと……この子はいきなり何を言い出すんですかね? 確かに、もうちょっと一緒にいたいなーとか後ろ姿を眺めながら思ったりはしたけどさ? いきなり彼女の家にお邪魔するとかぼっち歴の長かった俺にとって難易度ベリーハードなわけなんだが。それにあれだ、いきなり娘が彼氏連れてきたってなったらお父さん発狂しちゃうかもしれないだろ。小町が彼氏連れてきたら発狂しちゃうし。あ、俺は親ではないな。

 

「大丈夫ですよ、今日は家に誰もいないんで」

 

 ……どうやら俺の心は完全にこいつに読まれているらしい。言われて家を見てみると明かりはなく、真っ暗だった。っつーかそっちの方がいろいろとまずくねえか? ほら、年頃の男女が二人きりとか、さ。

 

「……せんぱい、何かいやらしいこと考えてませんか?」

 

「い、いやそんなことないぞ?」

 

 心を読まれて動揺していると、いつの間にかおちゃらけていた一色の表情は消えていて、

 

「私はただ……、今日、今日だけでいいんで、先輩と一緒にすごしたいんです」

 

 そう告げた一色の言葉はいつになく真剣で、俺はその提案に同意せざるを得なかった。

 

 玄関を開けた一色の後に続き家にあがると、家の中は何もなかった。……いや、多少のものはある。あるんだが、それはまるで今日一日だけ過ごすために置いてあるだけのように思えた。

 

「一色、どうしたんだこれ?」

 

 それが明らかに普通とは言えない光景で、気になった俺は聞かずにはいられなかった。

 俺の問いに悲しげな表情を浮かべながらも、一色は真っ直ぐ俺を見据えて話し始めた。

 

「……わたし、明日引っ越すんです」

 

時間の流れが、ぴたりと止まった。

 

「朝一の新幹線でここを発つことになってます」

 

一色の言葉がゆっくりと自分の頭を素通りしていく。

 

「わたしの最後のわがまま、聞いてもらえませんか?」

 

「――ちょっ、ちょっと……」

 

――待ってくれ。今、何て言ったんだ……?

 一色の言葉があまりにも唐突過ぎて俺の思考が停止する。

 急にそんなことを言われても俺はどうしたらいい、何をしたらいい。

 動揺した俺の頭はまともに働いてはくれなかった。

 一色の言葉が冗談であってくれと思っても、その言葉を裏付けるように、この家にはおおよそ人の住む環境が整っていない。まるで、もうこの家には誰も住まないような……。

 

「……そういう冗談はやめないか?」

 

 いや違う。この話が冗談じゃないことは、こいつと過ごしてきた俺ならわかってるはずで。だからこいつは今にも泣きだしそうな顔で俺を見つめてて……。

 

「…………なんでだ? なんでこんな急に……」

 

「あまり家のこと話すのは好きじゃないんですけど、せんぱいにはちゃんと説明しないとですよね」

 

 そう言うと、ゆっくりと語り始める。

 

「わたしの家ってお母さんがいないんですよ。わたしを産んだ時に死んじゃったみたいで。それで、今までお父さんが男手一つでわたしのことを育ててくれたんです」

 

 でも、と言葉を繋ぐ一色の声が震えた。

 

「……最近体調がよくないみたいで……。それでお祖父ちゃんのいる広島の方に引っ越すことになって……黙っていたことは本当にごめんなさい」

 

 何か、何か言わなければいけないと思っても言葉がでない。

 どうにかしてやりたい、なんて思っても、今の俺にこの問題をどうにかする手立てがあるわけでもなくて。

 ……俺はなんて無力なのだろうか。

 

「そんな落ち込まないでくださいよ、せんぱい。せんぱいと過ごすためにわたしは、一日だけここに残ったんですから。笑ってくださいせんぱい……わたしまで悲しくなりますから、ね?」

 

「……ああ」

 

 涙を浮かべながらも、笑顔を向けてくれる一色が今の俺には眩しすぎた。

 

 それから二人で近くのコンビニまで行き、夕飯を購入する。

 

「本当ならせんぱいにはわたしの手料理ご馳走したかったんですけどね」

 

「ん、まあ、それは食べてみたかったな。でも、お前と一緒に食う飯ならなんでも美味いぞ」

 

 本心だった。

 

「なんですか、もー。……あざとい通り越してチャラいですよ……せんぱい、ずるいです」

 

「チャラいってなんだよ……」

 

「チャラいはチャラいですよ!」

 

 そんな言い合いをしながらも食べる夕食は楽しくてその時間はあっという間に過ぎていた。 

 明日に備え二人とも寝る準備をする。寝袋を引いて二人ならんで横になる。

 

「せんぱい」

 

「どうした?」

 

「そのですね、……手、繋いでもいいですか?」

 

「……おう」

 

 右手を一色の方に差し出すと、一色の指がゆっくりと自分の指に絡んでくる。弱々しく、まるで躊躇っているかのように弱々しく握ってきた彼女の手は、やっぱり離したくなくて──。

俺は繋ぎとめるように、一色の手を少しだけ強く握る。すると、それに応えるように彼女が俺の手を、今度は力強く、ぎゅっと握り返してきた。そんな彼女の温かさに包まれながら、感慨に耽るように目を閉じる。

しばらくすると一色の静かな寝息が聞こえてきたので、顔を横に向け彼女の寝顔を眺めてみる。その頬には、一筋伝うものが見えた気がした。

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

 翌朝、重い瞼を開くと目の前には一色の顔があって、

 

「あ、せんぱい、おはようございますー」

 

 挨拶する一色の表情は、昨日涙を流していた女の子の面影はどこにもなく、素の笑顔だったと思う。というか近い近い近い。めちゃくちゃ心臓にわりーよ。何これ、なんかのドッキリなの? うっかり見惚れちまったじゃねえか!

「もう少し先輩の寝顔を見ながら準備したかったんですけど起きちゃいましたね」

 

 こいつ、よくもまあそんな恥ずかしいこと言えちゃうな、おい。まあ俺も逆の立場なら寝顔を眺めていたかもしれんけど。

 

「何? 起きちゃまずかった? なんならずっと寝てようか今日」

 

「わー、わー! 今のなしで! じゃあ少し待っててくださいね、すぐに準備終わらせるんで」

 

 こいつとこんなやり取りをするのも今日が最後かもしれないと思うと、寂しく思う俺がいた。

 

「まだ時間あるし慌てなくていいぞ」

 

 少しでも一緒にいれる時間を作りたいと思って、柄にもなくそんなことを言ってしまう。

 

「はーい」

 

 一色が身支度を整え、二人で家を出る。一色の荷物を入れた大きな鞄を自転車の前カゴに入れ、いつものように後ろに一色が座る。

 

「じゃあいきましょうか、せんぱい」

 

「……あいよ」

 

 一色の掛け声とともに自転車のペダルを漕ぎ始める。年期のはいった自転車には大きな鞄と二人乗りは厳しいらしく、悲鳴を上げ始める。……まるで俺たち二人の心の声のように。

 昨日よりも重く感じるペダルを漕いでいると、不意に背中に一色が寄りかかってきた。背中から伝わる彼女の温もりを感じながら、さらに前に進むために重いペダルを漕ぐ。もうこうやって温もりを感じることができないのかと考えると、視界が少しぼやけた気がした。

 

 線路沿いの上り坂を立ち漕ぎで一気に駆け上る。日頃から自転車通学している俺にとっては朝飯前だ。といってもこれは一人の場合での話なわけで、今の状況は違う。一色を後ろに乗せ、前には大きな鞄、挙句、俺の気分はよろしくない。いつもよりもペダルの回転は遅く、一旦地面に足をつけようとした時だった。

 

「せんぱい、もうちょっとですよー! あと少しなんですから頑張ってください!」

 

 後ろから楽しそうな声でそう言い放つ一色。

 まったくこいつは……、もうちょい俺を労わってもいいんじゃないんですかね? ただ、それを聞いて少しだけペダルが軽くなった気がした。なんというか俺もつくずく単純というか……。もうすぐ受験だしあれだな。一色の応援ボイスとかあったら合格間違いなしだな。頑張っちゃうわ、俺。

 

 朝方の町は、いつも自分が知っているの光景とは違い、とても静かで、まるでこの世界に今いるのは、俺と一色の二人だけのような気さえしてくる。

 

「……二人だけの世界みたいだな」

 

「えー? せんぱい、何か言いました?」

 

「なんでもねーよ」

 

 どうやら考えていたことを口に出していたようだ。はっきりとは聞こえなかったようなので、その場をごまかそうとして、何か言葉を探していると、ちょうど坂を上りきった。

 一度も足をつかずに上りきったご褒美だろうか、俺たちを迎えてくれた朝焼けがあまりにも綺麗すぎて、今まで我慢してたものが急に溢れ出してきた。

 

「……すごい、綺麗ですね。早起きは三文の得ってこのことですかね、せんぱいっ」

 

 その言葉から一色は今笑顔なのだろうと思い、その笑顔を見たいと振り返ろうとして思いとどまる。

 だって俺は今、泣いているんだから……。こんな顔は見せられない。

 

 

 

 駅に着くと、一色が新幹線のある駅までの切符を購入する。俺も一番安い切符を購入して二人で改札を通ろうとすると、一色は自分の大きな鞄の紐を改札に引っかけて通れずにいた。一瞬ちらっとこっちを見た一色の表情は、さっきまでのものとは違っていて、察した俺は引っかかっていた鞄の紐を外した。

 

 改札を通ると一色の乗る電車のベルが鳴り響き、ちょうど一色の立っている真ん前でドアが開いた。まるで一色のためのドアのように……。

 ……一色がゆっくりと、今いる場所からドアに向かって一歩踏みだす。何万歩より距離のある一歩だ……、一体どれだけの距離になるのだろうか。一色の向かう町をよく知らない俺にはそれがわからなかった。

 

「せーんぱいっ」

 

 一色に呼ばれていつの間にか俯いていた頭をあげようとするが、自分の意思とは反対に頭が上がらない。

 

「せんぱい、約束してくれますか? ……いつか、いつか必ず……せんぱいに、また会いに行きます……。その時は、会ってくれますか……?」

 

 一色のこの言葉の意味を俺はわかってるはずだ。……はずなのに、その問いに答えられずに俯いたまま、片手でゆっくりと手を振るしかできなかった……。

 一色がどんな表情でさっきの言葉を俺に告げたのか、間違うはずもないのに。

 

 何故俺はこんな時まで捻くれてる。せめて今だけでも自分の気持ちを曝け出せよ、比企谷八幡。

 

 まだ電車は駅を出発していない。一色の乗っている号車は覚えている。

 俺は急いで駐輪場まで走った。いつも楽に生きようとしてんだ、今日くらい全力でいって何が悪い。

 駐輪場に着くと、ちょうど一色の乗っている電車が走りだす。さっき走った線路沿いの上り坂は今度は下り坂になっていて、全力で風よりも早く飛ばしていく……、あの電車に追いつけと。

 自転車が悲鳴をあげながらもギリギリ電車と並ぶことができた。できたが、それはほんの一瞬で、少しずつ、ゆっくりと電車との距離が離されていく……。

 

 一色の乗った号車が俺を追い抜いて行って、一瞬、一色の姿が見えた気がした。今、一色はどんな表情をしているのだろうか……、泣いているのだろうか。あの時、俺に「約束してくれますか」と聞いてきた時の一色の声は震えていた。だとしたら今も、もしかしたら泣いてるのかもしてない。

 

 何のために俺は今ここにいるんだ? あいつと悲しい別れがしたかったのか? 違う、そうじゃない、俺はまたあいつと会う。いつか必ず……。だから約束だ、一色……さっきはちゃんと答えられなかったけれど。これが俺の答えだから……。これが俺の本物の気持ちだから……。 

 また会おうという気持ちを込めて、一色の乗る電車に向かって大きく手を振った。

 

 

 帰り道、町はいつものように賑わいだし、俺の知っている光景が広がる。だがいつも隣にいてくれた一色の姿はもうない……。それがとても切なくて、賑わいだした町とは裏腹に、今、俺は世界中に一人しかいないような錯覚に陥った。

 

 それでも俺の足はペダルを漕ぎ、自転車は前に進む。

 

 来る時とは違い、今は俺一人を自転車が運んでいく。

 

 一人で乗っているときは悲鳴を上げない自転車が、さっきから悲鳴を上げている。

 

 まるで俺の感情を代わりに曝け出すように……

 

 それでも、俺はあいつの言った「また会いにいきます」という言葉を信じてペダルを漕ぐ。

 

 背中には微かに彼女の温もりを感じた。

 



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8月8日

 8月8日、俺は一色に呼び出され千葉駅に向かった。

 

 受験生としては、夏休みの貴重な時間を無駄にせず家で勉強をしていたかったのだが、昨日の夜に一色から連絡があった。

 

 話を聞くと、どうしても夏休み中に片付けなければならない仕事があるため、その協力者を探しているらしく、俺に白羽の矢が立ったというわけだ。

 

 別に俺じゃなくて生徒会の誰かに頼めよな。まぁしかし、一色を生徒会長に推した身としてはそう言われると断りににくいものがあり、優しさの塊である俺は、一色の手伝いをすることとなった。

 まあしかし、この1年で一色は奉仕部の予想以上に仕事をしっかりこなしてきたし、頼まれれば手伝ってやりたい気持ちもあったというのが本音でもある。可愛い後輩の頼みだしな。

 

 しかし、あれだけ上から目線で頼まれるとこれはもう俺はあいつの部下なのではないだろうかと思うことがある。年下の上司とか絶対嫌だわ。将来もそんな状況には絶対になりたくないものだ。となればそんな状態にならずに済む専業主夫こそ至高ではないだろうか。

 

 そんなことを考えつつ、身支度を済ませ待ち合わせの駅前に足を運ぶ。

 

 とりあえず待ち合わせの10時に駅につくとまだ一色の姿はなかった。

 ……待つこと30分、私服姿の一色を発見。夏使用なのかノースリーブで若干露出度が高めだ。

 

 途中、あれ? もしかして俺騙された? ドッキリかなんか?って思ったのは伏せておこう。軽く中学生時代のトラウマが蘇るし……

 

 あっちはまだ俺に気づいてないらしく駅前でキョロキョロしている。

 ふっ、どうやら俺のことを見つけるのは知り合いでも至難の業らしい。やっぱりあれか? NINJAこそ俺の天職なのではないだろうか?

 キョロはすがちょっと面白いし、30分待たされた罰として声をかけず観察することにしよう。俺人間観察好きだしね。私服姿の一色をしばらく見てたいなーとかそんな思いはない。断じてないぞ。

 

 5分くらい観察していたが、未だにキョロキョロ俺を探している。というかだんだん不機嫌そうに頬を膨らましている。あれが素だとしたら少し可愛いな。小動物みたいで。

 しかしまぁ、そろそろ行くとしよう。不安そうな顔でキョロキョロしてる一色を放置していることに若干の罪悪感が芽生えたし。

 

「うす」

 

俺が声をかけると一色はぷぅっと膨れながら怒り出した。ハムスターみたいだなこいつ。

 

「あー! せんぱーい! うすじゃないですよ! どれだけ待たせるんですか? もう待ち合わせ時間から35分も遅刻ですよ? こんなかわいい後輩待たせるとか何考えてるんですか? わたし怒ってるんですけどー?」

 

 おい、お前来たの5分前ですよね。

 しかしこれ言うとまたメンドくさいことになりそうだし黙っておこう、平和主義者だしね俺。

「お、おう」と言うと一色はまだ言い足りないのか説教タイムが始まった。

 

「そもそもこういう時って男子が早く来るべきだと思うんですよー。それで遅れてきた女子に全然待ってないよって言うのがベターじゃないですか? -20点ですよせんぱい」

 

女子が遅れて来るのは確定なのかよ……。こいつそれも計算して遅れてきたな。あざとい……

 

「まあでもせんぱいにそういうの期待するのも悪いですよね……、せんぱいですしー? 仕方がないので罰として今日は一日付き合ってくださいね……?」

 

 さっきまでの表情とは違い、若干上目遣いでこちらを見ながらそれを言うのは反則というものである。俺がごく普通の一般男子高校生だとしたら、間違いなく惚れていただろうであるそれは残念ながら、普通ではない俺には効かないんですよ。スペシャルな俺カッコいい。

 

「で、今日は何するんだ?」

 

 仕事の内容は効いてなかったので、確認のために一色に尋ねる。

 

「それがですね……、なんというか予定では海浜高校との連携での作業のはずだったんですけど、海浜高校の生徒会が別件でこられなくなっちゃったみたいで、今日の仕事は中止になっちゃったんですよ~。なので今日はわたしに付き合ってください」

 

「おい、それこそ連絡しろよ。中止なら今日はもう解散でよくないか?」

 

「中止って言ったらせんぱい帰っちゃうじゃないですか。それにもう今日は罰として今日一日わたしに付き合うことが確定してるので帰宅は却下です。というかこんなかわいい後輩と1日遊べるんですよ? 嬉しくないですか?」

 

 ほう、俺のこと良く理解してるじゃないか。流石に1年近い付き合いにもなるとこの流れもアレか。比企谷検定2級くらいはありそうだな。

 

「仕方ねえな。可愛い後輩は置いといてとりあえずいくか。何処かいくとことか決めてあるのか?」

 

「せんぱいリアクション薄すぎませんかね。もっとテンションあげましょうよ。とりあえず映画なんてどうですかね? あ、今日は二人で違うのを観るとか言うのはなしでお願いしますね?」

 

 言おうと思ったことに先手を打たれたのでとりあえず従うことにする。

 一色の観たがっていたのはどうやらラブコメものの映画らしい。「だから私の青春ラブコメは正しい」という作品だ。

 

 はい、そこどっかで聞いたことあるとか言ってはいけません。この題名考えた奴ボキャブラリーが乏しいんです。

 

 とりあえず二人で券を買おうとするが、珍しく一色が今日は私の奢りでいいですと言うので従うことにする。

後が怖そうで本当は嫌なんだけど。というかヒモみたいで嫌だ。俺は養われたいけど施しは受けたくないのだ。

 

 ポップコーンを軽くつまんでいると上映時間になり本編が始まる。予告で流れる映画泥棒にはやはり今回も若干の殺意が芽生える。

 

 内容はというと実は途中から全然覚えていない。映画途中から一色が俺の方に寄りかかってきたのが原因だ。

 二人とも夏仕様の私服なこともあってか、一色が寄りかかってくることで、なんというか素肌があたってしまってそっちにばかり意識がいってしまった。

 

 あんなの普通の一般男子高校生にしたらうっかり好きになってしまうレベル。というかなっちゃうだろ。俺ですら危なかったぞ……、あざといろはす……

 

 一色は、映画に大満足したらしく笑顔で感想を聞いてくる。

 いや、あなたのせいで内容入ってこなかったから感想なんて何も言えねえぞ。なんてことは言わない。絶対にだ!

 映画も見終わり、ちょうどいい時間なのでランチタイムに入る。

 一色のお勧めのレストランに行くことになった。でもこいつのお勧めとかなんか高級そうでそんなの二人分はらえねえぞ……

 

「おい、一色、あんまり高いところだと俺の財布的に二人分は払えねえぞ」

 

 そう言うと一色は不思議そうな顔でこちらを見た。

 

「え? 誰がせんぱいに奢らせるなんていいましたか? そんな毎回毎回言いませんよ! それに今日は付き合ってもらってるので特別にわたしの奢りのつもりですよ?」

 

「いや、流石にそれは悪い。そして怖い」

 

 なんだこいつ、いきなりどうした。いつもなら奢ってくださいとか言うだろう。これはマジで後で何か大きい頼まれごとでもありそうで怖いんだけど……

 

「あーそういうのいいですから……、今日はまぁ気にしないでください。せんぱいはもう言われるがままにしててください」

 

「言われるがままって……、何か企んでそうでこえーよ……」

 

「何かいいましたか? 先輩?」

 

 そうニッコリ微笑む一色は有無を言わせぬ迫力があり、俺は仕方がなく従うことにした。後が怖いし……

 

 一色に連れられてきた店は、イタリア料理専門で雑誌でも有名らしい。何を頼むかメニューを見たがイタリア語でさっぱりわからん。

 一色はどうするのだと見ると、いきなり店員を呼び注文を始めた。どうやらコース料理にするらしい。

 

「お前すげえな。何? 常連なの?」

 

「常連ではないですけどー、まぁこれくらい普通ですね普通」

 

 こいつの普通の定義を知りたいものだ。

 

 しばらく待っていると料理が次々と運ばれてくる。流石有名店というべきかどの料理も美味く、見た目も鮮やかである。悔しいがサイゼよりも何レベルか高いな……、若干悔しい

 ん? サイゼって何料理の店だっけ。

 

 メイン料理も食したところでデザートがやってくる。どうやらケーキのようだ。

 

「ここのケーキは本当おいしいんですよー。これ目当てで来るお客さんもいるほどです! せんぱいも早く食べてみてくださいよー」

 

 自信満々に言う彼女の顔は飛び切り笑顔でちょっとだけ見とれてしまった。

 肝心のケーキの味の方はというと、一色が言うだけのことはあり、申し分ない。しっかりとした甘さのケーキに酸味で刺激を与えるように添えられてるイチゴとのバランスもいい。こんな美味いただ飯食べれるなんて、今日はこれだけでも来たかいがあるというものだ。

 

 食事に満足したところで、一色が一人で軽く買い物をしたいというので別行動を取ることになった。

 俺も付き合うと言ったんだが、これだけは一人でしたいと言うので別れて俺は書店で時間をつぶすことに。下着でも買うのだろうか。

 

 30分過ぎたころに一色から連絡があって合流することに。

 

「すいません、お待たせしましたー。いやあ、中々悩んでしまって。」

 

 てへへ、と笑う一色の表情は可愛らしく、危うくあざといマジックに引っかかるところだったぜ。

 

「何買ったんだ?」

 

「ひ み つ ですよ☆」

 

 なんて言われたのでそれ以上は聞かないでおいておこう。

 

「次はカラオケに行きましょう!」

 

「カラオケはちょっとなー。一色とは合わなそうだし」

 

「別にせんぱいの歌ならなんでも聴いてあげますからいきますよ」

 

 なんか若干照れるようなこと言われた気がするが気のせいだろう。

 一色は、俺の腕を掴みカラオケに連行していく。

 

 一色は最近流行の曲を歌い俺はアニソンメインで歌った。最初こそ、うわぁ、みたいな顔をされたが俺のアニソン名曲セレクションを聴かせてやるとどうやらアニソンも馬鹿にしたものではないと理解してくれたらしい。

 

 二人だったので持ち歌も大体歌い終わると時刻は18時になっていた。

 

「せんぱい、そろそろお会計しましょうか」

 

「そうだな、結構テンション上がって歌いまくったな。ここくらい俺が出してやるよ。昼食浮いたし」

 

「大丈夫ですよー。ここもわたしもちでいいです。せんぱいは先にでててください」

 

「いやいや、流石に悪いしお前にそこまでしてもらういわれはないぞ」

 

「いいんです、わたしがいいんですって言ってるんだから今日はいいんですよ? せんぱい? わかったら先にいっててください」

 

 ああ笑顔が怖い怖い。声ひっくいんだけど。こわいいろはす。これ以上言っても仕方ないと思い外で待つことに。

 

 会計を済ませた一色が出てくる。

 

「今日はありがとうございましたせんぱい☆ 楽しかったですよ。せんぱいは楽しめました?」

 

「おぉ、意外と楽しめたぞ? あれだな特にイタリア料理は良かったな」

 

「それは良かったです。頑張って探したかいがあったというものです」

 

「たまにはこういう日も悪くないな……」

 

「ふふん。また遊んであげてもいいんですよ?」

 

 そう言うと少し照れくさそうにこちらをじっと見つめる。

 

「あー、えーとですね、今日はせんぱいに渡すものがあるんですけどー……」

 

 一色は何やら小さい小包を俺に渡してきた。中身みてくださいと言われたので開けてみると中には眼鏡が入ってた。ん? 俺眼鏡かけるほど視力悪くないぞ……

 

 反応に困っていると一色が口を開く。

 

「それ伊達眼鏡ですよー? いまどきは眼鏡もおしゃれアイテムなんです! それせんぱいに似合うと思ったので。今日一日付き合ってくれたお礼ですよ? 感謝して受け取ってください」

 

 いつの間にこんな眼鏡用意していたのだろうか。これがさっきの買い物の中身だったりするのだろうか。

 一色が早くつけてつけてオーラを出してくるので眼鏡デビューしてみることに……

 おお……、見える景色が……特に変わらないな。伊達だしそれもそうか。

 

「どうだ?」

 

 そう一色に尋ねるが、肝心の一色はこちらを見てぽけーっとしている。若干頬を染めている気がするがこれは夕日のせいだろう。

 

「あのー? 一色さーん?」

 

「はっ!? ああ、いいと思いますよ!! むしろせんぱい眼鏡かけたほうがイケメン度アップしちゃったりしてるんじゃないですか? 絶対いつもかけてた方がいいですよ。うん、これは生徒会長命令です! ……思った以上の破壊力ですね、結衣先輩の言ったとおりです。」

 

 最後の方は上手く聞き取れなかったがとりあえずこれつけとけってことか。

 しかしまだブツブツいってんのな。それは俺の専売特許だぞ。

 

「眼鏡でそんな変わるものなのか? まあかけるくらいならいいか……。せっかく一色にもらったものだしな。サンキューな一色。大事にするわ」

 

 俺がお礼をすると、一色の顔が赤くなり少しテンパって見える。

 

「そんな眼鏡くらいで喜びすぎです。なんですかわたしからのプレゼントがそんなに嬉しいですか。せんぱいの眼鏡姿予想以上にかっこよくてびっくりしてますがせんぱいが告るとかやめてください、わたしからちゃんと言うので…」

 

 どうやら得意の早口言葉で今日も振られたようだ。ん? なんか最後断ってなくね? あれ……?

 そんな風にちょっと考えてると、いつもとは違い、真剣な顔でこちらを見つめる一色と目が合う。

 

「せんぱいは卑怯です。陰湿で、最低です。周りの気持ちを理解してるはずなのに気付かないふりをしています。どこかのラノベの主人公ですか? そんなせんぱいにはちゃんと言葉ではっきり言わないとダメだと思うので、今日……今ここではっきりと言います」

 

 そうだ……確かに俺はもう気づいてる。気づかないふりをしてるだけだ。

 そうすることで今の関係を壊さないだろうという勝手な思い込みをして、納得しているだけなのかもしれない。

 だけどもう……、これだけ真正面から向かってきてくれる後輩から逃げるのはもうやめよう……

 

 

「わたし、一色いろはは、せんぱいのことが大好きです」

 

 

 すうっと息を吸うと、さらに言葉を続ける。

 

 

「素のわたしを見せてもしっかり接してくれる、ちゃんと見ててくれる。一緒にいると心から安心するんです。ちょっと捻くれてて、卑怯だったりしますけど、本当は優しくてわたしをいつも助けてくれました。わたしはそんなせんぱいが大好きなんです。この気持は本物なんです。どんどん好きになっていくんです。わたしと付き合ってくれませんか」

 

 

 人生で初めてこんな真正面から気持ちを伝えられたと思う。一色の表情がそれは確かに真剣で、その言葉に嘘はないと語っている。

 ここで逃げたら男じゃないだろう……

 それに俺ももう自分でも気づいてる。本当の気持ちに。自分を騙すのはもうやめにしよう。

 

「一色……、俺もお前が好きだ。この気持に嘘はない。こんな俺でよければ付き合ってくれるか?」

 

「はいっ……」

 

 そう言うと、いやそう言いながら一色は俺に飛び込んできた。少し震えてる体を抱きしめる。

 

「やっと……やっと言えました。これからもよろしくお願いしますね? せんぱい」

 

 夕日のせいだろうか、俺の顔が真っ赤に染まってる気がする。一色の顔は今までみたことのない表情で、それはとても綺麗なものだった。

 

「あとせんぱい、誕生日おめでとうございます! あとですね、生まれてきてくれてありがとうございます!」

 

 言われて気づいた。そういえば今日8月8日は俺の誕生日だ。今年は受験だし最近勉強ばかりですっかり忘れていた。決して毎年忘れているわけではない。なるほど、こいつ全部最初から全部計画してたな……

 

 つまりあの眼鏡も一色から俺への誕生日プレゼントってわけか。そんなことを考えるも、今も抱き着きながら俺のことを見つめる一色をみたらそんなことどうでもよくなった。

 

 

 

 今日は今までで一番記憶に残る誕生日になるに違いない。と思う。

 



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一色いろはが駄目になると思い、厳しく接してみた。

 ホームルームが終わり、久しぶりに奉仕部の部室へと向かう。

 

「あ、ヒッキー! 今日は奉仕部これる?」

 

  教室を出ようとしたところで由比ヶ浜に声を掛けられた。あんまり大きな声で呼ばないでくんない? 恥ずかしいから。

 

「ああ、今日はそのつもりだ」

 

「じゃあ、一緒にいこ!」

 

 三浦や海老名さんに「またね」と挨拶をすると、由比ヶ浜はぱたぱたとこちらに駆け寄ってくる。飼い犬が主に向かってくるみたいで可愛いなおい。

 

「別に、一緒に行く必要はないだろ」

 

 隣に並んで歩き始めた由比ヶ浜に言うと、すぐに頬を膨らませ少し怒ったような顔つきをする。

 

「だってさ、最近のヒッキー、奉仕部全然来ないじゃん」

 

 言いながら、今度はジト目で俺の方を睨んでくる。それについては、この前二人にちゃんと説明したはずなのだが、由比ヶ浜さんはもう忘れてしまったの?

「だから、それは前に言ったろ?」

 

「聞いたけどさ、本当ヒッキーはいろはちゃんに甘すぎ!」

 

 あ、ちゃんと覚えてたのな。馬鹿にしてわりいな。

 それからも由比ヶ浜の文句は続き、ああだこうだとやりとりをしている間に気付けば奉仕部の前まで来ていた。そこでこの話は一旦おしまいとばかりに、横を歩いていた由比ヶ浜がたたっと一歩前に駆け出し、部室の扉に手をかけ元気よく戸を開く。

 

「ゆきのん、やっはろー!」

 

「こんにちは、由比ヶ浜さん」

 

 挨拶をした由比ヶ浜が教室に入ったのでその後に続き中へと入る。すると、雪ノ下が珍しいものを見るような表情をして声をかけてきた。

 

「あら、珍しいわね。珍種谷くん」

 

 もう誰かわかんねえよ、それ。

 

「うっす……」

 

「奉仕部に来るなんて珍しいじゃない。今日は一色さんの方はいいのかしら?」

 

「ああ、一段落着いたからな。あとは生徒会でどうにかすんだろ」

 

「そう……、紅茶、飲むかしら?」

 

「のむー!」

 

 俺が答えるよりも早く由比ヶ浜が答える。

 雪ノ下も返事と同時に紅茶の準備を始めていた。やはりこの空間はなんだかんだ居心地がいいな……。

 

 最近の俺は、一色の依頼で生徒会の手伝いをしていた。前に作成したフリペの評判が好評だったようで、それの第二弾を作成するように頼まれたらしい。生徒会だけでは人手が足りないということで、一色が俺に依頼してきたのだ。それを聞いた雪ノ下と由比ヶ浜も手伝うと言ったのだが、一色はなぜかそれを断った。

 それからは地獄のような一週間だった。

 前と違って雪ノ下や由比ヶ浜の協力がなかったせいか、前回よりも正直きつかった。まあ、それでも成し遂げたけどな!

 そんなわけで、今日は久しぶりに奉仕部でゆっくりしようというわけだ。

 

「平和だな……」

 

 無意識にそんなことが口から漏れていた――。

 

「たはは……ヒッキーおつかれ」

 

「少し、一色さんに甘すぎるんじゃないかしら?」

 

 なんかさっきも同じこと聞いたきがするな。そんなに甘いか俺……、甘いな……。

 

「つってもなぁ」

 

 一色を生徒会長にしたのは俺の責任だ。となると、できることなら手伝ってやりたいという気持ちは少なからずあるわけで。

 

「あなたに頼ってばかりでは、この先成長するものもしなくなるわよ」

 

「まあな……」

 

 確かに、今の一色は俺に頼りすぎている気がする。クリスマスイベント後は、なんだかんだやることはしっかりやっていると思ってたんだ。しかし、ここ最近の一色は、前以上に俺に頼るようになっている。それに、手伝いに行くと他の生徒会役員は帰ったあとで、一色と二人きりっていうのパターンが多いんだよな……。そうなると自然に仕事量は増えるわけで。

 

「ちょっと考えるか……」

 

 俺がいなくなってからの一色のことを考えるなら、今の状況は確かにまずい。少し心を鬼にするべきだな。

 そう決心した時――。

 コンコンと扉をノックする音が、部室に響く。

 

「どうぞ」

 

 雪ノ下が声をかけると、扉は開かれて亜麻色の髪の少女が中に入ってくる。そいつはちょうど、奉仕部の話題にあがっていた、我が校の生徒会長一色いろはだ。

 

「こんにちはです、結衣先輩、雪ノ下先輩!」

 

 おい、俺には挨拶なしかよ。いや別にいいけどさ。

 

「こんにちは、一色さん」

 

「いろはちゃん、やっはろー! 今日はどうしたの?」

 

 由比ヶ浜が一色に尋ねると、少しだけ困ったような顔をしたあとに顔を俺の方に向けた。

 

「実はですね、少し困ったことになりまして」

 

「というと?」

 

 雪ノ下がそう言うと、俺に向けていた顔を声のする方へ向けて話し始める。

 

「えっと、昨日までフリペの第二弾を作成してたんですけど、特集記事の編集が抜けてまして……」

 

「それを手伝ってほしいということね」

 

「そうなんですよー。締切が明日までなんで、今日中にどうにかしなきゃいけなくて……」

 

 言いながら俺の隣までやってきた一色は俺の腕を掴み、雪ノ下と由比ヶ浜の方を見る。

 

「だから先輩をお借りしますね」

 

「「ちょっと待って!」」

 

 ちょっと待て、俺が言うよりもいち早く雪ノ下と由比ヶ浜が反応した。なんでこいつらが反応するのん?

 つうか一色の言っている意味がわからないんだが? なんで俺だけなんだよ。

 

「なぜ、比企谷くんだけなのかしら?」

 

「あたしたちも手伝うよ、ね、ゆきのん」

 

「そうね、私たちも一緒の方が早く終わると思うのだけれど」

 

 確かに、こいつらがいてくれた方が早く終わりそうだし助かるな。

 しかし、なぜか手伝いに積極的な二人を見て一色は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに元の表情に戻って口を開いた。

 

「でも、今からだと雪ノ下先輩と結衣先輩に説明したりしなくちゃいけないじゃないですかー?」

 

 まあ、確かに今回のフリペ作成に参加していない雪ノ下と由比ヶ浜に最初から説明するのは手間が掛かるか……。

 

「先輩ならその必要もないんでそっちの方が効率いいと思うんですよ。それにさすがに三人に協力してもらうのは悪いといいますか」

 

「私なら問題ないわ」

 

「あたしも大丈夫だよ!」

 

「雪ノ下、由比ヶ浜。今日のところは俺だけ手伝ってくるわ」

 

「「えっ」」

 

 二人は驚いた表情で俺をみた。まあ、さっきのことを考えたらそうなるかもしれないな。ただ、今回は今までと違う。一色がこうなったのも俺の責任だ。ならばここは俺が心を鬼にして一色を変えてやろうじゃないか。

 

「一色は先に行っててくれ。すぐ俺も行く」

 

 そう言うと、一色は雪ノ下と由比ヶ浜にぺこりとお辞儀して奉仕部をあとにした。

 

「比企谷くん? どういうつもりかしら。あなたさっき言ったこと聞いていたの?」

 

 あの、雪ノ下さん? 軽く殺気のようなオーラが漏れてるんですけど。少し抑えてください。

 どうやら俺の発言が気に入らなかったらしく、雪ノ下が氷のような冷たい目をして俺をみていた。

 

「いいから、今回は俺に任せてくれ」

 

「でも……」

 

 由比ヶ浜も同じように不満らしく、「むうう……」と言いながら頬を膨らませている。

 

「今回はただ手伝うだけじゃない。ちょっと俺にも考えがあるんだ」

 

「あなたがそう言うのなら……」

 

 雪ノ下は、完全には納得していないようではあったが、一応の了承はしてくれた。

 

「わりいな、じゃあちょっと行ってくるわ」

 

 俺は二人にそう告げて一色のいる生徒会室に向かった。

 

「うーん……。それだけじゃないんだけどなぁ……」

 

「そうね……」

 

 扉を閉めるときに由比ヶ浜と雪ノ下が何か言っていたような気がしたが、気にせず生徒会室へと向かった。

 

 

 

 生徒会室に着くと既に一色が書類と睨み合いをしていた。

 

「邪魔するぞ」

 

「あ、先輩」

 

 一色が俺の声に反応して駆け寄ってきた。

 

「じゃあこれお願いしますね!」

 

 一色からフリペの特集記事に使用する書類を渡される。普段ならこれをそのまま受け取り、俺が終わらせてしまうのだが今日は違う。できるだけ一色本人にやらせるんだ。

 

「一色、まずはこれ自分でやってみろ」

 

 渡された書類をそのまま一色に返す。見た感じ、この量なら一人でも片付けることができそうだしな。あれ? なんで俺呼ばれたのこれ。

 

「は?」

 

いや、なんだその顔、ムカつくな……。その「何言ってんだこいつ」みたいな表情やめろ。あと口を閉じろ。俺がものすごく変なこと言ってるみたいに思うだろうが。

 

「最近のお前は俺に頼りすぎなんだよ。お前を生徒会長にさせたのは俺だ。だからできるだけ俺もお前に協力してやりたいが、近頃のお前は目に余る」

 

「はぁ」

 

 未だに俺が何を言っているかわからないようでさっきからずっと同じ表情を俺に向けている。こうなったらあれだな……。

 

「それとも何か、お前は俺がいないと何もできないわけ? 俺に依存してるの? 八幡LOVE?」

 

「なっ、ななな何言ってるんですかわたしが先輩に依存とかLOVEとかそんなわけあるはずないじゃないですか勘違いも甚だしいですごめんなさい」

 

 一色は慌てながら両手を前に突き出したまま、首を何度も小刻みにぶんぶんと振りながら俺の言葉を否定する。しかしまぁ、普段と比べて今日は一段と慌ててるなこいつ。なんかちょっと面白くなってきた。

 

「とりあえず今日は自分でやれ。俺は絶対手伝わないからな」

 

「えー、だからなんでですかー。先輩も手伝ってくださいよー……」

 

 最終手段なのか、一色は俺の袖をちょこんとつまみ、縋りつくような瞳で俺の顔を覗き込んできた。だが、今日の俺にその手段は通用しない。ちょっとどきっとしちゃったけどな!

「だからさっきも言ったろ? このままじゃお前のためにならない。それともお前は俺に手伝ってもらわないとこんな仕事もろくにできないような奴だったのか?」

 

 今度はさっきよりも少し強めに煽ってみる。すると一色の顔は段々と険しいものに変わっていったので、それを眺めつつさらに煽っていく。

 

「はあ……、正直お前にはがっかりだわ。さすがにこれくらいは自分でできると思ったんだけどな。見込み違いだったかぁ」

 

「なっ……、わかりました。もういいです、私だってこれくらい一人でできます! というかこれくらい楽勝ですから! 先輩はそこで黙って見ててください!」

 

 一色はそう宣言すると、席に着いて特集記事の編集に取り掛かった。

 お、食いついたな。というか帰っちゃ駄目なのかよ。しかし、あれだ。一色を煽って思ったけど、なんかちょっと気持ちいいなこれ。癖になるというか……。

 

「…………」

 

 いつもなら一色がひたすらに話かけてきたりするのだが、さっき宣言したからか一色は珍しく無言で作業をしている。なんだかんだ一色はやればできるやつなんだよな。

 一色が真面目にキーボードを叩いてる姿を見て、俺は鞄から読みかけの本を取り出し読み始める。

 二人とも無言で時間が過ぎていき、キーボードを叩く音と本を捲る音だけが生徒会室に響く。

 そのまましばらく本を読みすすめていると、キーボードを叩く一色の手がいつの間にか止まっていた。

 

「先輩……」

 

 俺の視線に気づいたのか一色は困ったような顔をしながら俺を呼ぶ。

 

「ん」

 

 多分、いや、十中八九これは俺に手伝ってもらおうということなので素っ気なく返事をする。

 

「手伝って、もらえませんか……?」

 

 ふるふると今にも泣きそうな表情で頼んでくる。普段の俺ならこんな顔されたらすぐに落ちてしまうだろう。だがしかし、今日はそれじゃだめなんだ。

 

「お前、さっき楽勝って言ったよな?」

 

 言うと、俺がそんなことを言うとは予想していなかったのか、黙って俯いた。

 

「一人でできるって言ったろ? 自分の言葉に責任持てないわけ?」

 

「違います! 馬鹿にしないでください! こんなの簡単なんですからっ……私一人で終わらせてみせます……」

 

 言葉を交わしていくにつれ、一色の目尻にはじわりと滴が浮かんでいく。最早こぼれ落ちる寸前にまで膨らんだそれを堪えるためか、一色が唇をきゅっと噛みしめる。

 

「ほーん、じゃあ頑張れ」

 

 やばい、段々ぞくぞくしてきたぞ。なんというか、涙を堪えている一色の顔を見ていると興奮してくるというか……もっと虐めてやりたくなるというか。もしかして、俺ってドSだったりするのか?

 そのまま一色は無言で作業を進めていたが、しばらくするとキーボードの音がまたも鳴り止んだ。

 

「……先輩、助けてください……このままじゃ明日までに終わらないです……」

 

 ぎりぎりといった様子で涙を堪え続けていた一色だったが、ついに抑えきれなくなったらしく、握り締めている手の上にぽたぽたと滴が落ちていく。

――ぷつん。

 

「泣けば手伝ってくれると思ってるのか? 一人でやるんだろ?」

 

「……無理です。ごめんなさい」

 

 いつもの早口で振られる時に使われるのとは違う、無理ですごめんなさい。それが新鮮で俺の心に響いた。

 もっと、もっと、この子を虐めてみたい。そんな欲望が俺を掻き立てる。

 

「そんなんいいから早く書け。簡単なんだろ?」

 

 最早一色のお願いを聞く気のない俺は、淡々とそう告げた。

 一色は、ぽろぽろと涙を流しながら作業に戻った。

 

「……ぅ…………うっ……っ……」

 

 一色の涙は止まることなく流れ、勢いは増していくばかりだ。

 ……なんつうか、これはさすがにやりすぎたか……。

 罪悪感が少しずつ襲ってきて、たまらず一色に声をかける。

 

「一色……? その、大丈夫か?」

 

「大丈夫じゃない、って、いってる……じゃない、ですか……」

 

 うん、無理ですって言ってたよな。てかそんな顔で見ないでお願いします。変な世界への扉開いちゃうだろ。

 なんて思っていると、一色は顔をぐしゃぐしゃにして、縋るような瞳をこちらに向け、か細く今にも消え入りそうな声で口を開く。

 

「……先輩は、私のこと、嫌い、なんですか……?」

 

「急にどうしたんだよ。嫌いじゃねえよ」

 

 そもそも嫌いなら関わらずに放っておくしな。

 そう考えてると俺は、一色に対して少なからず好意的な感情があるんだろうな……。

 

「じゃあ、好き、ですか……?」

 

「それは……」

 

「やっぱり、嫌いなんですよね……。だからもう、私に頼まれるの嫌になったんですよね……」

 

 一色の問いに上手い言葉を見つけることができないでいると、小さな声を発しながら俯いてしまった。

 

「そんなことねえよ。好きか嫌いかで言えば好きの部類だと思うぞ。それに手伝うのが嫌になったわけじゃない」

 

「でも、だったらどうして……!」

 

 席を立ち、詰め寄って答えをを求めてくる一色。

 

「だから最初から言ってるだろ? 今のままだとお前は俺に頼りっぱなしになって必ず駄目になる。だから――」

 

「私は、先輩に頼りたくて頼ってるんじゃないです」

 

「じゃあなんでなんだ?」

 

「先輩と一緒にいたいから……、だから、先輩だけに頼んでるんです」

 

「いや、意味わからん」

 

 その言葉を告げると、一色が目を見開いて俺の胸元をがしっと掴んできて──

 

「先輩はにぶちんですか馬鹿なんですかそれともわざとなんですかそんなの私が先輩のこと好きだから一緒にいたいって意味に決まってるじゃないですかこんなこと女の子に言わせるなんて性格悪すぎて無理です付き合ってください」

 

  身体をゆらすなゆらすな。気持ち悪くなっちゃうだろ。っつかお前、無理なのか付き合って欲しいのかどっちなんだよ……。

 ただ、泣きじゃくりながら必死にその長ったらしい台詞を俺にぶつけてきた一色の表情がとても可愛らしくて、この子をもっと見ていたいと思ったんだ――。

 

「こちらこそよろしくな、いっ――」

 

「じゃあこれよろしくお願いしますねー!」

 

 はい?

 俺が言い終える前に目の前に大量の書類などが置かれた。え、あれ? どういうことなのこれ。

 

「やっぱりー、彼氏というもの彼女を手助けしてくれると思うんですよー」

 

 え、付き合うってそういうもんなん? なんだそれ、めちゃくちゃめんどくせえじゃねえか。

 

「ですから……、よろしくお願いしますね、せーんぱいっ」

 

 一色に文句を言ってやろうと思って必死に言葉を探したが、満面の笑みで言われてしまうと何も言い返せない俺がいた。

 

 

 やはり俺は後輩の一色いろはにはにとことん甘いらしい。

 

 

 

 

 

 

 一色からの仕事をこなしすぎて身体を壊し、保健室で地獄を見ることになるのはまた別のお話。



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一色いろはという少女は抱き枕にちょうどいい。

いろはすの抱き枕カバーが可愛すぎて即ポチした僕です。
あきさん、高橋さんにいろいろと教わりながら書きました。
やっぱりいろはす可愛いよはすはす!



「だるい……」

 

 今日は朝から体調が芳しくない。授業を聞いてても全く頭に入らない。いや、別に授業が数学だったからとかじゃないからね? 

 さすがにこのまま授業を受けても仕方がないと思い、二時間目が終わった時点で保健室に向かうことにした。

 

「失礼します……」

 

「あら、いらっしゃい」

 

 保健室のドアを開け挨拶すると養護教論が出迎えてくれる。

 

「すみません、朝から体調が悪くて」

 

 軽い説明をすると熱を測るように言われたので、体温を測ると平熱だった。

 

「熱はないみたいね、とりあえずベッドが空いてるから少し休んで様子をみましょう」

 

「わかりました」

 

 空いているベッドに案内されて横になる。

 

「私はこれから用事で部屋を空けるけど、大丈夫?」

 

「たぶん、大丈夫です」

 

 少し眠れば良くなるだろ。熱はないしな。

 

「そう、それじゃお大事にね」

 

 そして俺はゆっくりと瞼を閉じた――。

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 「…………ん」

 

 どれくらい時間が過ぎただろうか。

 かなり眠っていたような気もするが、未だに意識は朦朧としている。

 ふと、何か違和感を感じた。

 横になっている俺の隣になにか柔らかいものがあって、無意識にそれに抱きついてみた。

 抱きついてみるとそれはとても抱き心地が良くて、子供の頃に使っていた抱き枕を思い出す。

 驚くほどに抱き心地がいいそれを、今度はさっきよりもちょっとだけ強く抱きついてみる。

 

「はう……」

 

 ……はう? あれ、今なんか声みたいなの聞こえた? 

 気になってもう一度、さっきよりも強く抱きついてみる。

 

「んっ…………、だ、だめですよ……そんなに強く抱きつかれたら、はわわ……」

 

 あれ? やっぱ声がするんだけど。

 気になって今度は抱きついているなにかを確認してみようと重い瞼を開けてみる。

 すると目の前には亜麻色の髪があって、アナスイのいい香りが漂ってきた。

 ……一色?

 俺の位置からは顔は見えないが、さっきまで抱きついてたそれはどう考えても我が校の生徒会長、一色いろはだった。

 

 ……なんだ夢か。

 

 うん、そうだな。これは夢だ。大体、保健室で寝てたらいつの間にか女の子が一緒に寝てたとか、それなんのエロゲだよ。ん、でも保健室に抱き枕なんて普通あるだろうか。いや、まあ一色が隣で寝てる確率よりはあるな、うん。

 そう思って再び瞼を閉じる。

 夢だとわかれば問題なく、横にある抱き枕に抱きつけるわけで。さっきよりも遠慮なく思いっきり抱きつくと、さらりとした布のような感触と、ふにょんとした感触が両手に伝わった。なんだこれ気持ちいな。

 

「ひゃっ、そ、そこはさすがにヤバイです、ヤバイんですけど……。ぁぅ……」

 

 そこってなんだよ……。しっかしこれ、なんかむにむにしてて癖になるな。

 えらく柔らかい何かが気に入ってしまい、何度か揉んでみる。

 むにむに。

 

「……っ」

 

 ぷにぷに、にぎにぎ。

 

「……ぁ、は」

 

 夢の中の一色は、少しずつだがだんだんと息が荒くなってきた。

 っつーか夢の中にまで一色出てくるとか、俺どんだけあいつのこと意識してんだ。

 ……まあそんなことは今は置いといてと。

 先程から抱き枕がもぞもぞと動いてるような気がする。

 おいしょっと。

 左足を抱き枕の下に潜り込ませ、右足を上から絡めながら両足で抱き枕をがっしりと挟み込む。

 

「ふあ……せ、せんぱい……まずいです、まずいです…………」

 

 夢の中の一色の慌てた声が無性に可愛く感じてしまい、こちら側に思い切り引き寄せる。その際、唇にぷるぷるした感触がした。それが何か気になってくわえ込む。

 はむっ。

 

「ひゃあっ!? ひっ、ひん……っ、だ、だめっ……」

 

 はむはむ。

 

「ぁ、だめ……です。それ、きもちいっ……」

 

 ぴくぴくと震えている一色の反応が面白い。

 ぷるぷるした何かをはむはむと口で咥えながら、さっきと同じようにぷにぷにした何かを両手でにぎにぎと揉んでみる。

 

「~~~~っ!」

 

 どのくらいそうしていただろうか。急に抱き枕がビクンと跳ねたような気がして、それからさっきまでもぞもぞとしていた動きは完全に停止した。

 その後、「すう、すう」という寝息が聞こえてきた気がした。 

 それにしても、この抱き枕本当に柔らかいな。こんな物があるならうちにも一つ欲しいものだ。

 夢の中だというのに一仕事終えて眠気が襲ってきて、そのまま意識が遠のいていった。

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

「…………い、……ぱい」

 

 どこからか声が聞こえてくる。

 

「せんぱい」

 

 ……なんだ一色か。

 

 瞼を開けてみると、一色の顔が目の前にあった。どうやらさっき見ていた夢の続きなのだろう。

 

「どうした?」

 

「えっと……。さっき先輩がしてたのが思ったより気持ちよかったので……」

 

 なんかしたっけ俺。抱き枕に抱きついてただけな気がするんだけど。

 

「なので、今度はわたしが抱きついてみてもいいですか……?」

 

 何がなのでなの? ごめん、状況がよく読み込めないんだけど。

 

 一色の問いかけが理解できずにいると、一色は俺をぐいっと引き寄せて抱きついてきた。

 なにこれ、なにこれ?

 両手は俺の背中に回され、両足は腰のあたりに絡みついてくる。

 一色から漂ってくるアナスイの香りが、再び鼻孔を擽って変な感覚に陥る。

 

「さっきのお返し、ですからね……?」

 

「……っ!?」

 

「ちゅっ……、ちゅぴ、ちゅぴっ、ん……」

 

 そう言って俺の耳たぶをはむっと口にくわえ込むと、水音を立てながら舐めてきた。

 

「くっ……、一色、何、してんだ…………」

 

 俺の言葉を無視し、尚も耳を舐め続けてくる。抱きしめていた手足の力はさっきよりも段々と増していく。

 しばらく俺の耳たぶを舐めていた一色だったが満足したのか、今度は自身の頬を俺の頬にぴたりとくっつけ、すりすりとこすりあわせてきた。

 

「せんぱい、せんぱい……えへへ、えへへ」

 

 そして、まるで子猫が親猫に甘えるかのように、もぞもぞ、くねくねと一色が身もだえするように動き始めた。

 ああ、もう、まじで可愛いなこいつ。それになんだか愛くるしい。っつーか女子の頬ってこんな柔らかいの? ずっとこうしてたいまであるんだけど。

 

「ん……、んぅぅ」

 

 そんなことを考えていると、不意に俺の脇の下に身体を潜り込ませるようにして、一色が頭をぐりぐりと押し付けてきた。

 ……何してんの、この子。

 

「なに、どうしたんだよ」

 

「んー、んっ!」

 

 行動の意図が読めずに一色に尋ねようと視線を落とすと、俺が作る影の下で頬を赤らめ、あどけなく微笑んだ。

 

「こうすると、せんぱいの顔がちゃんと見えるかなって……」

 

 ――とくんっ。

 

 一色の瞳に吸い込まれるように、呑まれるように、二人の距離が徐々に縮まっていく。

 あと、もう少しで──。

 遠巻きに、何か物音がした。けれど、目の前にあるぷるんとした桃色の綺麗な唇が、そちらに向けようとした俺の意識を邪魔して、阻んでくる。

 

「一色……」

 

「せんぱい……」

 

 夢の割に妙にリアルなこの感覚。

 一色の吐息が、鼻腔をくすぐってきて――。

 甘く感じるようなそれは俺の興奮を掻き立て、どくどくと胸の鼓動が早まる。

 こきゅっ。

 小さく、喉を鳴らす音が聞こえた。

 小刻みに震えながらも揺れる瞳で俺を見つめる一色に応じるように、求めるように、弱々しく結ばれた唇へ自分の唇を向かわせる。あと数ミリで、お互いの唇が触れ合う。

 その寸前、不意に一色が視線を外して俺の背後を覗き込んだ。……そいや、さっき物音がしたな。

 まぁいい。今はそれよりも──。

 

「……ああ、あ」

 

 あと数ミリでお互いの唇が触れ合おうとしたとき、明らかな怯えを声音に滲ませて一色が小さな悲鳴をあげた。

 

「せ、せんぱい……」

 

「ん?」

 

 もう少しで一色のぷるんとした唇に触れ合うことができたのにと思うと、おあずけを食らったような気がして、返事が雑になった。

 

「う、後ろ……後ろに……」

 

 一体何事かと振り返ると――。

 

「二人は一体何をしているのかしら」

 

「ゆ、ゆきのん! ストップ、ストップ!」

 

 身も凍るような冷気を湛えた雪ノ下と、必死で制止しようと雪ノ下の肩を掴む由比ヶ浜がそこに居た。

 えっと……、これは夢……だよな。そうだよ、夢だ。うん。

 一度向き直ると、俺の下で一色は身を縮こませながらぶるぶると震えていた。

 もう一度確認のために振り返ってみる。

 

「比企谷くん、一色さん、覚悟はできてるかしら?」

 

「に、逃げて、ヒッキー! いろはちゃん!」

 

 やっぱりそこには雪ノ下と由比ヶ浜がいて――。

 

 ――瞬間的に空を仰ぐ。

 

 そっか……そうだったのか……。

 

 人生の終わりとは、かくも唐突に訪れるものか。

 死期を悟ってしまった俺は、胸元にしがみつきぶるぶると震える一色の頭に手を乗せ、穏やかな表情を浮かべながら口を開く。

 

「……さあ、やってくれ」

 

 我ながら清々しい程の声音で嘯くと、雪ノ下が未だかつて見た事が無い程素敵な笑みを浮かべた。

 由比ヶ浜が目に涙を滲ませて何か叫んでいる。極限状態のためか何を言っているのか聞き取れなかったが、その唇は確かに「逃げて」と訴えていた。

 目を閉じると、生まれてきたことを後悔しそうな程の冷気が身体を包む。

 

 今度こそ俺は夢の世界に旅立った――。



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どうやら一色さんが本気で八幡を落としにかかるそうですよ?

「で、なんで俺は呼び出されたわけ?」

 

 放課後の生徒会室。

 机を挟んで正面に座っている女の子に問いかける。

 

「わたし、決めたんですよ。先輩たちのことを応援しようと思っていましたけど、……いつまで経っても進展なさそうですし」

「なんの話だ?」

 

 俺は呼び出された理由を知りたかったんだけど? 一色さんは何故急に語り始めたのん?

「というわけでですね。わたし、先輩のことを本気で狙いにいくのでよろしくです」

「や、待って? どういうわけかさっぱりわかんないんだけど」

 

 一色は言いたいことを言い終えて満足げな表情を浮かべているが、言われた俺はちんぷんかんぷんだ。

 つうかこいつ、今なんて言ったんだ。先輩のことを本気で狙いにいくっていうのは葉山のことか? だったら俺じゃなくて葉山に直接言えばいいだろうに。

 なんて思ってると、正面から「はぁ……」というため息が聞こえてきた。

 

「先輩、どうせ今『なんでこいつはそんなこと俺に言うんだ? 葉山に直接言えばいいだろ』とか思ってますよね?」

「何? お前もエスパーかなんかなの?」

「やっぱりそうですか。ていうか、先輩の言い方だとわたし以外にもエスパーいるんですけど……まあ誰のこと言ってるのかは大体想像つきますけどね」

 

 一色は両手で頬杖をつきながら、ぱたぱたと動かしていた足で俺の脛を軽くつついて言葉を続ける。

 

「というわけで言わせてもらいますけど、わたしの言う『先輩』というのは、今現在わたしの目の前にいる『先輩』のことで、本気で狙いにいくっていうのは、『先輩のことが大好きなので、付き合ってもらえるように本気で落としにいく』って意味です。どうです? わかりました?」

 

 こてっと軽く首を傾げ笑みを向けてくる一色に不覚にもドキっとしてしまった。

 正直なところ、こいつが俺に多少の好意があるのは、なんとなくそんな気はしていた。

 別に俺は鈍感系主人公ではないわけだし。

 ただ、こいつは葉山が好きだと公言していたし、それ以上俺も考えることはなかったわけで。

 面と向かって急にそんなこと言われると、嫌でも意識しちゃうだろうが。

 

「あ、今ちょっとドキっとしました?」

「全然してないからね?」

「先輩って直接好意向けられるの弱そうですよねえ。この分だと思ったより簡単に落とせるのかな」

「そういうこと本人の前で普通言う? 大体、なんで俺なんだよ。葉山と俺とじゃ雲泥の差だろうが」

「そうですか? そんなことないと思いますよー?」

「いいや、あるね。超ある。お前、葉山の去年のバレンタインに貰ったチョコの数とか知ってるか?」

「いや、去年わたしこの学校にいないんで知りませんけど。先輩は知ってるんですか?」

「俺も知らん」

「なんですかそれ……」

 

 だって一年の時クラス違うし。まあ、それでも大体予想はつくだろう。

 

「まあ、数えるのが面倒なくらい貰ってたのは確かだ。結構な噂になってたし」

「へぇ、さすがは葉山先輩ですね」

「それに比べて俺はあれだ。貰ったのは二個だけだ」

「先輩、二個も貰えたんですか? 凄いじゃないですか。……で、誰です、先輩にチョコをあげた奴。まさかあの二人じゃないですよね?」

 

 怖っ、目がマジじゃねえか。

 

「俺があの二人と知り合ったのは今年からだ。二人っていうのはな……母親と小町だ」

「こまち? お米?」

「ちげえから。妹だよ」

「……妹ですか。私の知らないライバルがいるのかと思っちゃったじゃないですか」

「いや、知らんし。まあ、そういうわけだから俺の言ってるのことは正しいわけだ」

 

 俺の言葉に「ふうん」と呟きながら、一色は少し考えたあと口を開いた。

 

「つまり先輩は、バレンタインにチョコが欲しいってことですよね?」

「や、なんでそうなんの? 今は俺と葉山の差をわかりやすく説明してただけなんだけど」

「そうなんですか? でも、今年のバレンタインは先輩にはわたしがあげるので、差はなくなりますよ」

「一人増えたぐらいで葉山との差は変わんないだろうが」

 

 50に対して2か3かなんてどっちにしろ相手になるわけがないわけで。

 

「変わりますよー。葉山先輩にチョコあげる子ってモブっぽい子ばかりじゃないですか。それに比べてわたしからのチョコってすごいですよ? メインヒロイン級のチョコですよ? 嬉しくないですか?」

 

 おい、いきなり変なこと言い出さないで? お願いだから。

 

「つうかね、バレンタインは好きな奴に渡すもんだから。義理とか貰っても虚しくなるだけだからね?」

「だから言ってるじゃないですか。わたし、先輩のこと好きですよ? というか大好きです」

「じゃあ、俺のどこがいいのか言ってみろよ」

 

 ふっ。お世辞の好意を向けられたときに大体こう言うと、お互いが気まずくなり話を自然に終わらせられるんだよな。

 …………。

 別に、昔のことを思い出して悲しんでるわけじゃないから。そんなことないから。

 

「言っていいんですか?」

「おう、どんとこい」

「そうですね、まずは優しいところですね」

 

 でた、でたよ、優しい。

 これ言っとけばセーフだろ的台詞第一位。

 

「普段嫌そうな顔して文句を言いつつも、なんだかんだ助けてくれるところとか。かと思えば、さり気なく重いもの持ってくれたりとか気を遣ってくれるのって卑怯ですよね。ずるいです」

 

 あれ、優しいって言って終わりじゃないの?

「本当につらいときに、優しくされると女の子って結構弱いんですよ? それに先輩の優しさって上辺だけじゃなくて、本物の優しさな気がするんですよ」

 

 俺の予想とは違い、一色はさらに言葉を続けていく。

 

「それに、今時の男子高校生とかと違って芯を持ってますよね。珍しいと思うし、凄いと思うんですよ。そういうのを持ってる人って。戸部先輩見てくださいよ。『うぇーい』だけの人ですよ? それに比べて先輩って深いです。知れば知るほど惹かれていきます」

 

「えっと……」

 

「あと、これはあまり関係ないんですけど、よく見るとイケメンの部類ですし、運動神経もそこそこにいいじゃないですか。マラソン大会とかかっこよかったですよ?」

 

 もう止めて! くすぐったい何かが俺を襲って辛いから! 八幡のライフゴリゴリ削られていってるから!

「……わかった、わかったから。ちょっと休憩しよう。俺のライフが持たない」

「えー……、まだまだいいたいことあるんですけど。……だめ、ですか?」

 

「いや、勘弁してくれ。お前の気持ちはもうわかったから。でもあれだぞ? 俺と付き合ったとしてもつまんないと思うぞ。一回デートしたことあるしわかるだろ? あんまり面白い話とかできねえし、美味い店とかそういうのラーメンくらいしか知らないぞ。デートとかしたらつまんないことこの上ないと思うんだが」

 

「先輩は気にしすぎなんですよ。本当に好きな人とならどんな話だって面白いものですよ? デートだって別に毎回どこか行かなくても、わたしは先輩と一緒にいるだけで幸せなんです。言ってしまえば、今二人でこうしてお話しているだけでも、私はとても幸せなんですよ?」

 

 一色はほんのりと頬を染めながらも、真剣な眼差しで答えた。

 そんなにはっきりと言われてしまうと、こういうことに免疫のない俺は、正直どうしていいものかわからない。

 由比ヶ浜もわかりやすい好意は向けてくるが、それは自分の勘違いなんだと思い込めばなんとかなる範囲内だ。

 今目の前にいる一色は、自分の気持ちを明確に俺にぶつけて来ている。

 俺はなんて答えるのが正解なんだろうか。

 

 一色になんて返事をすればいいのか分からずに、しばらくの間項垂れながら考えていた。

 すると、からからと椅子を引く音が聞こえ、数秒後に後ろから優しくそっと抱き寄せられた。

 アナスイの香りが鼻孔をくすぐり、鼓動が早くなっていくのがわかる。これだけ激しいと一色にもばれてるんだろうな……。

 

「先輩は、こういうふうに直接好意を向けられるのに慣れてないから困ってるんですよね? 大丈夫ですから。わたし、先輩がちゃんと答えてくれるの待ってますから」

「……それで、いいのか?」

「はい。あ、でも待ってるだけじゃないですよ? その間もわたしは、積極的にアプローチかけるんでよろしくです」

 

 一色がそう言うと、俺の頬に何か柔らかいものが触れた。

 振り返ると、一色が唇に人差し指を当ててくすっと笑みをこぼした。

 

「えへへ……」

「お、おおおおま!?」

「おー、凄いですね、ここまで動揺してる先輩初めて見ましたよ。思い切ってみて良かったかな?」

 

 よくないからね? お前のせいで俺の心臓が弾けそうなんですけど。さすがに刺激が強すぎんだろ……。

 

「あ、もしかして、頬じゃなくて唇にした方がよかったですか? さすがにそれはわたしも初めてなので難易度高いんでもう少しだけ待っててください。あ、頬も初めてですからね? こんなことしたの先輩が初めてなんです。どうです、嬉しいですか?」

 

 俺から離れた一色がにこにこと楽しそうに笑みを浮かべながら尋ねてきた。

 いや、嬉しいもなにも……お前のせいで俺の頭は思考停止中だよ。

 

「ぶっちゃけ何が起きたかわからんかった。だから嬉しいもなにもない」

「えー、ちょっとひどくないですか? わたしの初めてですよ?」

 

 おい、なんか言い方がやらしいから。つうか俺だってあんなの初めてだよ。

 でもまぁ……なんだろうな。こういうのも悪くはない、か。

 はっ、前の俺が今の俺を見たらなんて言うんだろうな。

 

「ふっ」

「せんぱい? どうしたんですか? 急に笑い出してキモいです」

「おい、急にひどくない?」

「えー、でも本当のことですし」

「お前、それ好きな相手に言うことなの?」

「そうですねー、でも大丈夫です。そんなキモいところもわたしは大好きですから!」

 

 こいつは……。はあ、すっかりこいつのペースだな。

 

「先輩、怒ってます?」 

「これくらいで怒るわけないだろ」

 

 言って、立ち上がり右手で一色の頭をくしゃくしゃすると、嬉しそうにしながら甘えた感じの声を発した。

 ……不覚にもめちゃくちゃ可愛いと思ってしまった。いやあれだ、猫っぽかったからそのせいだな、うん。

 

「……んじゃそろそろ帰るか」

「そうですね、いつの間にかこんな時間ですし」

 

 このままいたら完全に一色に染められると思ったので、帰るように提案すると、一色も承諾してくれた。

 

 

「じゃあ、また明日な」

 

 帰る方向が違うので校門を出たところで一色に挨拶をして帰路に向かう。

 自転車を漕ごうすると、後ろから足音が聞こえて振り返る。

 そこには一色が立っていた。

 

「何してんの? 帰るんだろ?」

「帰りますよ? 先輩と一緒に」

「へ? いや、一色の家方向違うだろ」

「さっき言ったじゃないですか。好きな人と一緒にいたいって。もう忘れちゃったんですか?」

 

 いや、確かにそんな感じのこと言ってたけどさ。

 このままだと二度手間だろうに。……仕方ないか。

 

「はぁ。さすがにそれはまずいだろ。ほれ、乗れ」

「ふふ、なんだかんだそうやって乗せてくれようとする先輩はやっぱり優しいですよ」

「お前これ狙ってただろ」

「さぁ? どうですかねー」

 

 顔を逸らして答えるっていうことはそういうことだと受け取っていいんだよな。

 ペダルに足をかけて自転車を漕ぎ始める。

 

「しっかり掴まっとけよ」

 

 俺の言葉に反応して腰に巻かれた一色の手に力が入る。

 そうして俺たちは帰路についた。



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雪ノ下雪乃は意外と積極的だったりする。

「それでは只今より、○○祭恒例カップルコンテストを開催しまーす!」

 

 司会者が挨拶をすると会場が盛り上がりを増す。

 

 小気味よく晴れ上がった秋の一日。

 俺と雪ノ下は文化祭で行われる行事の一つ、カップルコンテストに参加することになった。

 ……事の始まりはカップルコンテストの商品だ。

 

 

  *   *   *

 

 

「比企谷くん、これを」

「どうした?」

 

 出店を一緒に散策している途中、雪ノ下が看板を指差し立ち止まった。

 看板に目をやると、どうやらうちの大学の催しであるカップルコンテストについてらしい。

 

『○○祭恒例カップルコンテスト!

 参加者は我が校の学生カップルなら誰でも参加自由。

 是非とも参加して、周りに自分たちの深い絆を見せつけよう!』

 

 ……うへえ。なんでこういうのやろうと思うんだろうな。そもそもこんなもの見るやつらいるの? 他人の幸せなんて見て何が楽しいのだろうか。

 

「比企谷くん……あなたに頼むのは癪なのだけれど……、私と一緒にこれに参加してもらえないかしら?」

「え?」

 

 今こいつなんて言ったの? カップルコンテストに参加して欲しい? お前と?

 や、そもそもお前と俺付き合ってもいないよな? 確かにお前のことが好きで私立の大学諦めて同じ大学までついてきた俺ですけど? え、何? もしかして俺の知らないところで実は二人は付き合ってた系なの? そんなわけあるか。

 

「あなた……、なにか勘違いしてないかしら?」

「べ、別に? ……つうかなんでこんなの出たいんだよ。お前これ、ただの晒し者になるだけだぞ」

「私だって普段ならこんなくだらない催しに興味なんてないわよ。……ただ」

 

 言いながら雪ノ下は再び看板に視線を送る。同じように雪ノ下と同じ場所に目をやると、そこにはカップルコンテストの商品についてが書かれていた。

 えーっと……、『見事優勝されたカップルには、ディスティニーランド一泊二日の券と限定パンさんペアリングを差し上げます』か……。

 なるほどね? こいつ、相変わらずパンさんに目がないのな。

 

「はぁ……、とりあえずなんで出たいのかは理解した。だけどな雪ノ下、これカップル限定だぞ? 俺たち別に付き合ってるわけじゃないし……」

「そのあたりは上手く誤魔化せばいいんじゃないかしら?」

「いや、まあそうかもしれんが……。つうか出たとしても優勝なんて無理だろ」

「あら、どうして?」

「どうしてって……、こういうのってあれだろ。お互いのことをどれだけ理解しているのか、とかそんな問題がいろいろ出題されたりしてだな」

「あなた……随分と詳しいのね」

 

 んぐ……。別に詳しいとかじゃねえけど。

 ほら、こういうのって結構有名だったりテレビでなんかやってたりするからそれの知識というか、ね?

 めんどくさくなるから言わんけど。

 

「でも、そうね……、確かにあなたの言うとおりかもしれないわね」

「だろ? 出たところで恥かくに決まってるぞ」

 

 まぁ、こいつは容姿は良いから大丈夫かもしれんが。

 

「俺なんか出てみろよ。完全にネタ要員だわ」

「そこまで自分を卑下することはないと思うのだけれど……。それにあなたの言うとおり、『お互いをどれだけ理解しているか』ということなら、……私たちだって、案外良い線行くんじゃないかしら」

「へ……?」

 

 いきなり何を言い出すんだこいつは……。変な声出しちゃったじゃねーか。

 雪ノ下を見返すと、彼女は俺から目線を外しふいと顔を背ける。自分の言ったことが恥ずかしいのか、白い頬はうっすらと桜色に染まり、スカートの上に置かれた手がきゅっと固く握られていた。

 そんな顔されたら断るわけにもいかなくなっちゃうだろ……。

 

「…………わかったよ。参加しようぜ」

「そ、そう……。ありがとう、比企谷くん」

「優勝できるかは知らんけどな。とりあえずやるだけやってみるか」

 

 

   *   *   *

 

 

 それから受付を済ませ現在に至るわけだが――。

 簡単なアンケートや質問に受け答え、いざ会場に入ると思った以上の参加者と観客に正直もう帰りたい。

 彼氏と彼女は別々に入場らしく、雪ノ下の姿が見えないのも俺的に帰りたい要因の一つだ。

 

「それではまず一回戦、五組のカップルに入場してもらいまーす!」

 

 入場のBGMが流れて俺の前にいる男が歩き出す。

 後についてステージの上に上がり用意された席に着く。

 

「ではではこれから一回戦の説明に入ります! これから彼女さんたちにはあちらに設置された板の向こう側で待機してもらいます」

 

 司会者が指を刺した先を見ると大きな板が設置されていた。板には腕が入りそうな穴が五つほど空いている。

 

「お気づきの方もいらっしゃると思いますが、彼女さんは板に空いてある穴から手を出してもらいます。それを彼氏さんに見つけてもらうというゲームです。手を触るのはオーケーとしますが、身につけているアクセなどは外してくださいね。先に当てることができた上位二名が決勝に進めます! では頑張ってください!」

 

 なるほど、……つうかこれ、早く当てないと雪ノ下の手を誰かが触るってことだよな? 

 なんかそれはムカつくんだけど。となると誰よりも先に当てる必要があるな……。

 

 司会者が開始の合図を出すと一斉に彼氏側が板の前に向かう。

 

 雪ノ下の手はどれだ……?

 穴から出された五本の手を集中して比べる。幸いなことにまだ誰も手には触れていない。

 そして三本目の手を見てこれじゃないと思い、四本目を見た瞬間。

 

 ……これだ。これに違いない。

 細くしなやかな腕。

 他とは明らかに違う滑らかで白く綺麗な肌。

 

 これが正解だと確信した俺は、その手を握る。

 ……なにこれめちゃくちゃ柔らかいんだけど。

 女子の手ってこんなに柔らかかったっけ? あ、俺そもそも手繋いだこと小町くらいしかねえわ。

 

「あのー? 比企谷さん? その手でファイナルアンサー?」

「あ、は、はい」

 

 あまりの柔らかさに、何回か握るのを繰り返してて答えるのを忘れてたわ……。つうかこれじゃただの変態じゃねえか。

 

「比企谷さん、正解です! 一番手で正解したのでこの後の決勝戦に進出します!」

 

 司会者の言葉に観客が「わーっ!」と盛り上がる。

 ふう、とりあえず合ってて良かったわ……。

 なんとか雪ノ下の手を他のやつに触られずにすんでほっと一安心していると、板の向こうから顔を赤く染めた雪ノ下が出てきた。

 なんだろう、もの凄く気まずいんだけどこれ……。

 

「それでは正解者の二人は控え室でお待ちくださいねー」

 

 係の人に案内され、控え室の中に二人で入る。

 

「お、お疲れ様……」

「お、おう」

「とりあえず第一関門突破といったところかしら」

「そうだな……で、だ。雪ノ下」

「……何かしら?」

「なんでお前は壁を見ながら話してるわけ?」

 

 部屋に入ってから何故か雪ノ下は俺の方を見ようとしない。

 

「あ、あなたが人の手を何度も握るから……」

「わ、わりぃ……」

 

 ぷいっと顔を背ける雪ノ下。

 どうやら、俺が必要以上に雪ノ下の手を触っていたことが気に障ったらしい。

 

「べ、別に私はいいのだけれど……。でも気をつけなさい。私ならともかく、他の参加者の手をあんなに握ってたらあなた、通報されるわよ」

「や、さすがにそれはなくないか?」

「いいえ、あなたのような死んだような魚の目をした男に、自分の手を握られてしまう女性の気持ちを考えてみればわかるでしょ?」

 

 ああ、確かに――って、

 

「俺のメンタルへし折りにくるのやめてもらえませんかね?」

「それだけ気をつけなさいということよ。……まぁ、あなたがどうしてもというなら、私は別に……」

「別に、何だよ」

「……何でもないわ。とにかく、決勝戦も必ず勝ちましょう」

「まぁ、俺にできるだけのことはするつもりだしな」

 

   *   *   *

 

 

 それから他の組の決勝進出者たちも順調に決まり、いよいよ決勝戦を迎えることになった。

 決勝戦に出るカップルともなると、俺たち以外の参加者は所構わずイチャつくやつらばかりだ。

 完全に俺と雪ノ下が浮いてるんだよなぁ、これ。というか見てて恥ずかしくなるんだけど。

 

「では、これから決勝戦を始めたいと思います! まずは決勝に進んだカップルたちの入場です!」

 

 あぁ……、いよいよ始まっちゃうのかぁ……。

 

「いきましょう」

 

 雪ノ下の呼びかけに軽く返事をしてステージに向かって歩いていく。

 

「それでは決勝戦の説明を行いたいと思います」

 

 参加者がステージに出揃うと、先ほどと同じように司会者がルールの説明をしていく。

 どうやら決勝は『お互いのことをどれだけ理解できているか』をチェックするためのクイズらしい。彼氏と彼女用に順番に問題を出していき、先に三問正解したカップルが優勝ということだ。参加する前にアンケートをやらされたのはこのためってわけな。

 正直全く勝てる気がしないのだが……。

 

「それでは第一問! まずは彼女さんに質問です。彼氏さんの好きな飲食店は?」

 

 司会者が問題を読み終えると同時に雪ノ下が手元に置かれたボタンを押す。

 あまりの速さに他の女の子たち若干引いてるんだが?

「はい雪ノ下さん、では答えをどうぞ」

「サイゼリヤね」

「正解です!」

 

 正解のコールが流れると、観客が一斉に拍手をして会場が盛り上がる。

 しかしあれだ、問題が簡単でよかったわ……これくらいなら俺と雪ノ下でも大丈夫だろう。

 

「次に第二問です! 今度は彼氏さんに問題ですね。彼女の出身高校はどこで「総武高校」」

 

 なんだよ、こんなの簡単すぎるだろう。身構えて損したわ。

 あまりに楽勝な問題だったので、司会者が問題を言い終える前にボタンを押して答えた。

 当然司会者が、

 

「正解です! いやぁ、比企谷雪ノ下ペア、二問目で早くも優勝に王手をかけました! それでは第三問、次は彼女さんへの問題です。彼氏さんの好きな芸能人は?」

 

 あ、これは絶対雪ノ下じゃ解けない……。そもそもあいつってテレビとか見たっけ? まぁ俺書いたの声優なんだけど。

 案の定、この問題で雪ノ下がボタンを押すことなく、他の参加者が答えてしまった。

 

「ではさくさくいきましょう第四問! 彼氏さんへの問題です。二人の思い出のキスは?」

 

 は? キス? いやいやいや。そもそも俺たちまだ付き合ってすらいないわけでキスって……。

 

 …………あっ。

 

 いや、そもそもこれを雪ノ下が回答として用意している可能性は低い、低いけど……。

 俺が悩んでる間も他の参加者二人がボタンを押して回答したがどちらも外れていった。

 ……いくしかないな。意を決して手元のボタンを力強く押す。

 

「はい、比企谷さん!」

「えっと……。高校三年の時に、部室で、その、机で寝ている俺に……」

「俺に?」

 

 これ最後まで言わなくちゃいけないの? もう俺の精神ずたぼろなんだが。……しかたないな。

 

「キスをしたこと、で」

 

 俺の回答を聞き、司会者が答案が書いてあるのであろう用紙を見つめ、

 

「正解! 比企谷雪ノ下ペア、見事優勝です! おめでとうございます!」

 

 司会者がそう告げると、会場のボルテージが最高潮に達し、俺と雪ノ下がステージの中央に立たされる。

 こんな人前に晒されて俺どうなっちゃうの? もう早く帰りたい。今すぐ帰りたい。

 隣にいる雪ノ下を見るとこいつはこいつで、耳を真っ赤にしながら俯いてぷるぷる震えてるし……。それもそうだろう。あの時のあいつは俺が寝てると思ってただろうし。ばっちり起きててすまん。

 

 それから表彰をなんとか乗り切った俺たちは、お互いに話すことなく大学を出た。

 流石にあのまま文化祭に留まるのは、周囲の視線が辛すぎて耐えられなかったわけで。

 

「その、なんだ……お疲れ」

「…………」

 

 俺なりにとはいえ一応ねぎらったのだが、雪ノ下は一切反応もせずひたすら一歩前を歩き続ける。

 これはあれだよな……確実に決勝のあれが原因だよな。

 気まずいなぁ、と内心嘆いていると、雪ノ下がぴたりと足を止め振り向く。

 

「…………あなた、知ってたの?」

「知ってた、というか、起きてたが正しいな」

「……そう」

「なんつうか、それに関してはあれだ。……その、嬉しくなくもない、というか、嬉しかったというか、そんな感じでだな」

 

 こんな時、なんと言ったらいいかわからないせいで、やたらとへどもどした言い回しになってしまった。だがそれでも雪ノ下にはちゃんと伝わったようで、俺の目をじっと見つめながら切れ切れの声で呟く。

 

「迷惑、では……なかったというの?」

 

 その表情は今にも消えてしまいそうなほど、儚くて。俺は雪ノ下にこんな顔をさせたいわけじゃない。

 

「迷惑だったらわざわざ雪ノ下を追いかけて同じ大学になんてこねえよ」

「それって……」

「だから、……つまりだな。俺も、雪ノ下のことがそういうあれであってだな」

 

 だああああ! なんでこういう時はっきり言えないんだよ……。本気で自分が嫌いになるわ。

 今言わなくていつ言うんだよ本当に……。

 そして俺は意を決し、深呼吸したあと、

 

「雪ノ下、聞いてくれ」

「……?」

「俺は、雪ノ下、お前のことが……好きだ」

「――っ!?」

 

 俺の言葉を聞いた雪ノ下は、口元を手で押さえ、ふるふると肩を震わせる。数秒の間があいた後、閉じた瞼の端から一滴、透明な感情の結露がつつりと伝い落ちていく。

 

「なんていうか……返事を貰えたりすると助かるというか」

「……なら、少しの間だけ、目を閉じていてもらえないかしら」

「目を?」

「ええ」

「……わかった」

 

 雪ノ下の指示通り、俺は目を瞑ることにした。

 それから微かに足音が近づいてきて――。

 

「――これが私の答えよ」

 

 言葉と同時に俺の首に優しく雪ノ下の腕が巻かれ、唇にそっと柔らかな感触が伝わった。

 

 



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雪ノ下陽乃は比企谷くんとイチャつきたい。

「すみません、お待たせしました……」

「遅いぞ~。女の子を待たせるような男の子はモテないよ?」

「や、陽乃さん女の子って年じゃ……ひっ!?」

「どうしたのかな?」

 

 や、どうしたもこうしたも……、あなたのその人を殺しそうな冷たい目にビビっちゃったんですけど。

 姉妹そろって怖いから……主に目。いや、それ以外もいろいろと怖かったわ。

 

 時刻はお昼をちょうど回った頃。周囲は連休のせいか人でごった返している。

 こんな日は家から出ずにのんびりアニメや読書に勤しみたいところだったのだが……。

 そんな俺の願いは午前中にかかってきた一本の電話によって打ち砕かれた。

 

 

   *   *   *

 

 

『ひゃっはろー、比企谷くん。今日は暇かな?』

「……おはようございます。生憎と今日はいろいろと予定が入ってまして。結論から言うと暇じゃないです」

『なんだぁ……、そっか……』

「すみません、そういうわけなんで」

 

 危ない危ない。ここで暇ですなんて言ったら、絶対遊びにでも誘われるに決まってる。

 今日はGW一日目だからまったりしたいわけで。早めに誤魔化して切ってしまうに限る。

 

『じゃあ、お昼に駅前の○○○ってお店の前に集合ね! ……遅れたらお姉さん何するかわからないよ?』

「あの、話聞いてました? 俺予定あるんですけど?」

『うん? どうせ家でごろごろする予定なんでしょ?』

「…………」

 

 ……最後の方の声が妙に重々しかったのは気のせいだろうか。違うわ、気のせいじゃないわ。

 しかしそれにしても、何故俺の周りのやつらは、俺の予定が家で過ごすというのがわかってしまうのだろうか。いや、確かに出かけたりすること滅多にないけわけだが……。

 

『そういうことだから宜しくね~』

「ちょっ!? ……切れたし」

 

 ……はあ。めんどくさいけど行くしかないか……。あとが怖いし。

 

 

   *   *   *

 

 

 そんなこんなで今に至るわけだが。……とりあえず俺遅れてないよね? 時間通り来たら陽乃さんが俺より先に来てたってだけですよね?

「まぁ、遅刻はしてないから許してあげるよ」

「はぁ、そりゃどうも。で、今日は何の用ですか?」

「んー、用がないと駄目だったかな?」

「いや、……え?」

「なんとなく暇してたから、比企谷くんと遊びたいなぁと思ってね」

 

 不意に向けられた純粋な笑みに、思わず目を背けてしまった。

 ……こんなの反則だろ。というかこの人も鉄仮面なんて止めていつもこれくらいならいいのに。

 なんてことを考えていると、いつの間にか陽乃さんが距離を詰めていて、

 

「ん~? 何か言いたいことでもあるのかな?」

「な、なんでもないれす」

「あははは! 焦ってる焦ってる! 可愛いなぁ比企谷くんは」

「距離が近すぎなんですよ……」

 

 いつの間にか俺と彼女の距離は、お互いの吐息がかかりそうなほど縮まっていた。

 さすがに陽乃さんクラスの綺麗な人とこの距離で平静を保てというのが無理なわけで。いや、普通の女の子でも無理だわ。

 てかなんでその距離保ってるんですかやめてください。いや、ほんとに。

 

「それじゃ、いこっか」

 

 陽乃さんは楽しそうに言うと、俺の左腕をくいっと掴んで歩き始める。

 祝日の駅前ということもあり、人ごみを掻き分けながら二人で歩いていく。

 ……歩いていくのはいいのだけれど、先程から俺の左腕に柔らかい何かがちょいちょい当たるんです。

 いや、これはさすがにね……? 大学生の豊満な、その、あれがね? それにこれは香水だろうか。ほんのりとした甘い香りは強すぎず、かといって弱すぎず、ほどよく鼻腔を擽る。なんの拷問だこれ。

 

「あの、陽乃さん?」

「ん?」

「そのですね、もう少し離れて歩きませんか? このままだといろいろとまずいんですけど」

 

 主に俺の左腕とか息子とか。

 

 俺の言葉に陽乃さんは、まるで子供が悪戯を思いついた時のような笑みを浮かべ、掴んでいた俺の左腕をさらに自分に寄せると、

 

「それはどうして、かな?」

「い、いや……わかってますよね?」

「さぁ?」

 

 明らかにわかってるくせに……。じゃなきゃそんな顔がにやけてるわけないでしょうが。

 全く何言ってるんだこの人はなんて考えていると、急に陽乃さんが甘えた声で、

 

「……比企谷くんは私にこういうことされるの、嫌?」

「や、嫌ってわけじゃないですけど。いや、というかですね。陽乃さんみたいな美人がこう、俺みたいなやつにくっついてると周囲の視線が痛いっつうか」

 

 先程から街中を歩いているわけだが男性陣、主に一人や男同士で歩いているやつらの視線を感じるわけで。絶対俺殺意向けられてるよな。

 

「そんなの無視しておけばいいよ。まぁ比企谷くんが本当のことを言ったら止めてあげなくもないかな?」

「本当のことって何ですか?」

「腕組をやめてほしい理由。人のせいにする子、お姉さん嫌いだな」

 

 んぐ……。バレテーラ。

 いや、だってね? こんな理由、面と向かって言うわけにもいかないでしょうに。

 

「さぁさぁ、早く~? 言わないともっと当ててあげちゃうよ?」

「わかってるじゃないですか!」

「あ、バレた?」

 

 全くこの人はもう……。

 

「そういうことなんで……、俺にはちょっと刺激が強すぎるんですよ」

「ピュアだなぁ。比企谷くんは」

「どうもすみませんね……」

「ん、仕方ないなぁ」

 

 やっとこの地獄、いや、正確には地獄というよりは天国なのだが……。とにかくこの状況は打破できた。

 

 ──ファッ!?

「じゃあこっちならいいよね」

「タイム! タイム!」

「えー、今度は何?」

 

 落ち着け俺。

 今何が起きた?

 了承した陽乃さんが俺の左腕から手を離して……、そこまではいい。なんでそこから俺の手を握ることに至ったのん? わけがわからないよ。

 

「えっとですね、……何故に陽乃さんは俺の手を握ってるんですか? しかも、こ、ここ、恋人繋ぎで」

「何照れてるの? これくらい普通じゃない?」

「じゃないです」

 

 こんなの普通であってたまるか。普通に手を繋ぐのですら難易度鬼だっていうのに恋人繋ぎとかオープニングでラスボスと戦うレベルなんですか。何それ敗北イベントじゃん。

 

 とにかく、恋人繋ぎのせいでやたら柔らかい陽乃さんの指先とか、手のひらの感触が鮮明に俺に伝わるわけで。

 ……駄目だ、手汗かいてきた。

 

「むぅ……。あれも駄目これも駄目。ちょっと悲しいなぁ……」

「そんなこと言われてもですね」

 

 拗ねてしまったのか陽乃さんは俯きながら落ちている小石をちょこちょこと蹴り始めた。

 なんとなく珍しい光景に、ふと笑みがこぼれる。

 この人こんなことするんだな。……もしかして蹴られてる小石を仮想比企谷とかにしてるとかないよね? 大丈夫だよね?

 まぁ、そこは置いておいて……、

 

「で、手は離してくれないんですかね?」

「うん、やだ」

 

 否定と同時にさっきよりも強く手を握られる。それは、絶対離してやるもんかと陽乃さんの意思表示のように感じて――、

 

「わかりました。……俺の負けでいいですよ。行きましょうか」

「そうこなくっちゃねー! それじゃいこっか!」

 

 全くこの人は……。

 

 

   *   *   *

 

 

「んで、ここどこですか……?」

 

 あれから恥ずかしがりながらも、手を繋いで陽乃さんに案内されるまま一緒に歩いてきた。

 ようやく陽乃さんが足を止めた場所は、住宅街に入ってすぐに建てられた大きなマンションの前だった。

 しかし、立派なマンションだな……。まぁこんな場所一般庶民の俺には縁遠いところだから関係ねえけど。

 

「実はね、私一人暮らし始めたんだ」

「え? まじですか?」

「うん。やっぱり実家は堅苦しくてね」

 

 先頭を歩きながら説明してくれていた陽乃さんが立ち止まり、くるっと反転しながら、

 

「それに、こうして一人暮らしすれば好きな時に比企谷くんに会えるでしょ?」

 

 いや、そんな満面の笑みで言われても……。

 

「おやおやどうしたのかな~? 比企谷くん、顔真っ赤だよ?」

「……陽乃さんが変なこと言うからですよ……」

「本当にそう思ったから一人暮らし始めたんだよ? ほらいこ?」

 

 この人はなんの恥ずかしげもなく言うから卑怯だ。どうにか一矢報いたいものだけれど……無理だよなぁ。

 

 

 陽乃さんの後に続きエレベーターに乗る。

 八階まで上がったところで降りて少し歩くと、陽乃さんが玄関の鍵を開け中に入ったので俺も続くように入る。

 

「……おじゃまします」

「比企谷くん、そこは『ただいま』でいいんだよ?」

「いやですよ、言わないです」

「ぶぅ~……、連れないなぁ。とりあえず、ソファーにでも座って待ってて? お茶菓子用意するから」

「はぁ」

 

 言うと、陽乃さんはキッチンの方に向かっていった。

 流れで部屋まで来てしまったが、この後何するのだろうか。

 というか、よく考えてみたら年上の女性の部屋に入るのって初めてだよな……。やばい、今更ながら緊張してきた。

 

「あんまりジロジロ見られるとちょっぴり恥ずかしいかな?」

「あ、すみません」

 

 落ち着かなくて部屋を見渡していると、陽乃さんがティーセットとお茶菓子を運んできてくれた。

 テーブルに置かれたカップに陽乃さんがお湯を注ぐと紅茶のいい香りが漂ってくる。

 

「それで、ここで何するんですか?」

「ん、そうだねえ、借りてきた映画があるから、一緒に見よっか」

「はぁ、映画ですか」

「うん、ホラー映画」

「なんでまたそのチョイスを……」

「だって、一緒に見たら比企谷くんが怖がって私に抱きついてくるかもしれないでしょ?」

「俺どんだけビビリなんですか……」

「違うの?」

「違います。はぁ……とりあえず見ましょうか」

「そうだね、それじゃ」

 

 陽乃さんはそう言うと、テレビの電源を入れてBDディスクを起動する。そしてこちらに来る際、部屋の明かりを消して俺の横に座った。

 

「なんで暗くしたんですか?」

「ホラー映画だし、こっちの方が雰囲気でると思ってね。ほら、始まるよ」

 

 テレビの方を向くとちょうど本編が流れ始めた。

 けれど、今の俺はそれよりも気になることがありまして。というのも、何故か陽乃さんが俺にしがみついているわけなのだが……なんで?

「あの、陽乃さん?」

「しーっ! 映画観る時は静かにだよ?」

「あ、はい」

 

 なにか上手く誤魔化された気がするのだが……。

 今更言ったところでこの人は止めてくれないだろうしなぁと、俺は諦めて映画に集中することにした。

 じゃないと、ね? 右側にやたら存在感のある例のあれが気になっちゃってしょうがないんだもん。

 

 

「あ、ちょっとトイレに行ってくるね」

 

 映画も中盤あたりに差し掛かったとき、陽乃さんが席を立った。

 

「ん、映画止めておきます?」

「そのまま見てて大丈夫だよ。私二回目だから」

「……うっす」

 

 二回目なのかよ。なんてツッコミは敢えてしないでおこう。

 そのまま言われたとおり映画を観続けていると、後ろから何やら人の気配を感じるような気がして。

 ……まさかね? どうせ陽乃さんが俺を驚かせようとでもしてるんだろ? そうだよね?

 決してビビってるわけではないが、気配を確認しようと振り返ろうとした瞬間――

「えーい」

「おわ!?」

 

 陽乃さんがソファーと俺の間に入り込み、俺の後ろにポジションを取った。

 

「な、何してるんですか?」

「んー、せっかく二人きりなのに隣で見るのも味気ないかなと思ってね?」

「意味がわからないんですがそれは」

「まあまあ、気にせず一緒に映画観よ?」

 

 耳元で呟かれて全身がびくっと震える。

 気にせずにって言いますけどね? 今まで散々意識しないようにと考えていたあなたの豊満なあれが、俺の背中に直撃してそれどころじゃないんですが!

 やばいやばい……まじでなんなのこれ。背中からめちゃくちゃ柔らかい感触が襲ってくるし、耳元には陽乃さんの息がかかりくすぐったい。挙句、香水の香りがなんというか、その……いろいろと俺の理性を壊しにきてる……。この人絶対わざとやってるだろ。

 逃げたいけれど陽乃さんの両足がそうさせまいと、俺の体をがっちりホールド、俺のハートもがっちりホールドしちゃってるんだよなぁ。……何言ってんだ俺。

 

「きゃー比企谷くん、こわーい」

「あーはいはい」

「……もうちょっとリアクションとってくれてもいいんじゃないかな?」

「こっちはあなたのそのあれのせいでいろいろとあれなんですよ」

 

 陽乃さんの怒涛のボディー攻撃のせいで映画の内容なんてこれっぽちも頭に入ってこない。

 大体こんな状況で映画見ろっていう方がおかしいんだよ。理性が崩壊しないようにとそっちばかりに気を取られてたわ。

 そのおかげかわからないがなんとか映画を最後まで見終えると、後ろから微かに寝息を立てる音が聞こえ振り向くと――。

 

 俺に寄りかかりながら陽乃さんが熟睡していた。

 ……まぁこの人も普段忙しい人だしなぁ。

 仕方ないなぁとソファーから立ち上がろうとした瞬間、腕を掴まれて再びソファーに座らせられる。あれ? この人起きてない?

 そのまま座った俺の膝に陽乃さんは、自分の頭を乗せて心地よさそうに寝息を立てる。

 気持ちよさそうに寝ている陽乃さんの寝顔を眺めながら優しく髪を撫でてみると、

 

「ん、ん……ふふっ……」

 

 一体どんな夢を見ているのだろうか。陽乃さんは幸せそうな表情をして俺が触れるたびに笑みをこぼす。

 その可愛い寝顔を見て予定とは違う一日だったが、こんな一日も悪くないと思ってしまう。

 それもこれも、ここで寝ている俺の彼女が可愛すぎるのが悪いんだ。



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やはり俺が一色家の婿養子なんてまちがっている。

「意外と時間かかっちまったな……」

 

 時計を見ると時刻は七時。

 急いで会社を退社して、まだ通いなれない道なりを駆け足で進んでいく。

 社会に出て二年目、社畜生活に慣れてきた俺だが最近生活面で大きな変化があった。

 

 それは――結婚だ。

 

 

 

「ただいま」

 

 無事我が家に帰宅し、玄関で一言。

 すると、ぱたぱたと小走りで玄関に向かってくる一人の女性。

 

「おかえりなさい、あなた。ご飯にする? 先にお風呂にする? それとも……わ・た・し?」

「え、えーと……」

 

 このパターンいつまで続くんですかね……。

 もうお決まりになったこの問いに、どう返答しようかと悩んでいると、後ろから物凄い勢いで別の人物が駆けてくる。そして――

「ちょっと、お母さんいい加減にしてよ! 先輩は、わ・た・しのものなんだからね!?」

 

 と、先に出迎えに来た女性に怒鳴りつける。

 甘ったるく鼻にかかったような声を発した人物こそ、俺のその……なんていうか、結婚相手の一色いろはだ。

 つうか、今この子わたしのものって言った? 言ったよね。そこはあれだなー。ものじゃなくて夫とか旦那とかそう言ってほしかったなー……。

 

「えーだってぇ……私も八幡くんのこと気に入ってるし」

「気に入ってたってダメなものはダメなの!」

「あの、えっと……」

 

 はぁ……。

 このやり取りももう何度目だろうか。

 一週間前、俺といっし……いろはは結婚した。

 元々、彼女の父親以外は結婚に賛成してくれていたのだけど、お義父さんはいろはがうちを出ていくなら絶対に結婚させないと頑なに折れてくれなかった。

 仕方なく俺が一色家に婿養子になることで決着がついたわけなんだが……。

 どうにもお義母さんが俺のことを気に入っているらしく、こっちに来てから毎回俺のことをこうしてからかってくるわけだ。

 早くに一色……いろはを産んだらしく、見た目も若く、いろはに似て顔立ちもとてもいいので正直こうやってからかわれるのは心臓によろしくない。

 いろはも俺にちょっかいを出すのはどうやら面白くないらしく、毎回こうやって口論になっている。

 まぁそれだけならある程度我慢できるのだが……。

 

「おい、飯はまだか!」

 

 奥のリビングの方から、大きな声が響いてくる。

 ほらぁ……お義父さんがお怒りじゃないですかーやだー……。

 

「はいはい、今準備しますからね」

「ほら、先輩、いきますよ」

「あ、ああ……」

 

 行きたくないよー……。やだよ絶対怒ってるもん。食事中ずっと睨まれるわこれ。俺にはわかる。だって今までそうだったし。

 食事くらいゆっくりとりたいと、軽くため息をついて俺もリビングに向かう。

 案の定、不機嫌顔のお父さんがテーブルに座っていて。

 俺は自分の席であるお義父さんの対面に座って、いろはとお義母さんが料理を運ぶのを静かに待つ。

 その間もお義父さんはこちらを凝視。っべーわ。これ過去最大級に怒ってるわ。助けていろはす!

「あ、あの、俺も料理運ぶの手伝いましょうか?」

 

 あまりの空気の重さに耐えきれず、二人に提案する。

 

「いいのいいの、八幡くんは仕事終わってばかりで疲れてるんだから。座って休んでいて」

「そーですよ。先輩は座って待っててください」

「はい……」

 

 二人とも空気読んで? 俺がこの空間から逃げ出したいの悟って?

「ほら、お父さん、ぼーっとしてないで料理運ぶの手伝ってよ」

「そうよあなた。いつまでくつろいでるの。ご飯食べたいなら手伝う」

「え……?」

 

 違う、そうじゃないそうじゃないですから! ほら見て? お義父さん、なんで俺だけって顔してるから。 すっごいマヌケな顔しちゃってるから。あ、こっち見た。めちゃくちゃ睨まれてるんだけど。さっきより目力半端ないんだけど? なにこれ? やっぱり俺が全部悪いの? もうやだおうち帰りたい。助けて小町……!

 不服そうに料理を運ぶお義父さん。気まずすぎて俺のライフがゴリゴリ削られていってるのがわかる。

 

「これで最後ね、じゃあ頂きましょうか」

 

 どうやらすべての料理が運び終わったらしく、一同席に着く。着くのだが……。

 

「ちょっと、お母さんはお父さんの隣に座ってよ!」

「いいじゃない、私だって八幡くんの隣がいいわ~」

「よくないから!」

 

 何故かお義父さんが対面で、俺を挟むようにいろはとお義母さんが席に着く。

 もうやめてくださいお願いします。俺のライフもやばいけど、見て。二人とも見て。お義父さん、もう泣きそうだから。血の涙浮かべ始めてるから。こんなお義父さん俺見てられないんだけど。

 

「ほら、八幡くん、あーん」

「や、さすがにそれはちょっと……」

 

 お義父さんの血管がぶち切れそうなんで遠慮します。や、そうでなくても遠慮するけど。お義母さん、お願いですから空気読んでください。

 

「先輩、じゃあわたしがあーんしてあげましょうか?」

 

 そう言っていろはが自分のおかずを箸で掴んで俺の口元に持ってくる。

 正直それは嬉しいのだけど……。

 目の前にいるお義父さんが、なんていうか怒ってるんだが泣いてるんだかわからない表情をしていて見てられないから勘弁してください。

 

「それはまた今度にしてくれ……」

「むぅ……」

 

 拒まれたのが不満だったのか、いろはは頬をぷくっと膨らませながらジト目でこちらを睨んでくる。

 こいつは……いつになってもあざといな……。や、まぁ可愛いからいいんだけどさ。

 

「八幡君、後で私の部屋に来るように……!」

 

 いろはのあざといしぐさに見惚れていると、対面に座っているお義父さんが顔を真っ赤にしながら言い放った。手元を見ると、いつの間にかウイスキーボトルが空になっていて。

 あれ? あれって昨日開けてその後ほとんど飲んでなかったやつじゃないの? この人短時間でどんだけ飲んでるんだよ。

 

「わかったか……?」

「ちょっとお父さん、先輩疲れてるんだから休ませてあげてよ!」

「うるさい、いろはは黙ってなさい。これは男同士の問題なんだ」

 

 だめだ。いろはの言葉に聞く耳を持たないなら俺が何を言っても無駄だろう……。

 

「はい……」

 

 返事したのはいいけれど、どうしたもんか。この人酔っぱらったら俺の手には負えないわけで……。

 これから起こるであろう惨事を想像すると胃が痛い。

 というかなんで俺ばかりなの? や、そりゃ妻と子供には言えないのはなんとなくわかるんだが……婿養子って辛い。

 

 

   *   *   *

 

 

 夕食を済ませ、先に風呂に入る。

 寝室を除けば風呂とトイレが今の俺には心のオアシスだ。

 お義父さんは一番風呂を済ませ先に部屋で待機していることだろう。……あれ以上飲んでたりしないよね? 大丈夫だよね? 良い人なんだが……家族のことになるとホント怖いからなぁ……。

 確かに、俺も小町を盗った男なんかと仲良くやれる自信はないが。というか仲良くなるつもりないわ。最近、どこぞの虫が小町の周りを飛んでるらしいから今度殺虫剤でも持って行かないとな。

 まぁそんなこんなであの人の気持ちはわかる。だからこそ、どうすれば気に入ってもらえるか考えるわけで……。

 気づけばだいぶ長い間風呂に浸かっていたらしい。結局考えがまとまらないまま風呂から上がり、ラスボスが待つ部屋へと足を運んだ。

 

 

 ノックをすると、「どうぞ」という声が聞こえたので中に入る。どうぞって、入社試験かなにかなの? 俺、これから面接かなにか受けるの? おっかしいなー。てっきりそれは結婚の許可をもらいに来たときに合格してたもんだと思ってたんだけど。や、よくよく考えたらお義父さんは思いっきり反対してたわ。てことはあれか。これが実質最終面接みたいなものと思えばいいの? ……辛い。

 

 部屋に入ると酒の匂いが充満していて、お義父さんの座るテーブルの上には缶ビールが四、五本転がっていた。……俺が風呂に入ってる間にこんだけ飲んだの? 早く出とけばよかったマジで……。

 

「そこに座りなさい」

「はい……」

 

 酔っぱらいとは思えない鋭い目つきで言われ、怯えながら言われた通り座る。

 明日は土曜日だというのに、平日最後にこんなイベントが残ってたなんてな……。早く部屋で休みたいよー……。

 

「ビールでいいか?」

「え、あ、はい」

 

 お義父さんは冷蔵庫からビールを二本取り出し、一本を俺に渡す。

 あれ? 俺も飲むんですか? ていうかお義父さんまだ飲むんですね……。

 

「最近俺の肩身が狭くてな。これくらい飲まないとやってられないんだよ」

 

 知ってます。というかなにかあるたび睨まれてるんで察してます。

 

「二人とも君ばかりに優しくするからなー……」

 

 あっれー? 怒られると思ったらなんか愚痴り始めたんだけど? なにこれ俺は愚痴に付き合えばいいの? わかりましたお付き合いします。

 

「そんなことないと思いますよ?」

「君、今日のあれ見てそういうこと言える?」

「……すみません」

「いいんだいいんだ俺なんか……どうせもう家に必要ないんだ。君がいれば二人は満足なんだよ」

 

 やばい、これ説教とかよりめんどくさいやつだ。完全に拗ねた子供なんだけど? こういう時どうすればいいんだ? 助けてお義母さん!

「いろはだけならまだわかる。なんであいつまで君に甘いんだ? いや、いろはが君に優しくするのもなんか許せん」

「ははは……」

 

 ダメだこの人、完璧に出来上がっちゃってるわ。もうこうなったら覚悟決めて愚痴に付き合うしかないな……。

 

 

   *   *   *

 

 

 あれからどれくらい時間が経っただろう。

 二人の前には空き缶が数本増えていて、お義父さんは愚痴をあらかた言い終えていた。

 

「よぉし、明日はお前、付き合え!」

「えっとどこにですか?」

「決まってるだろ! 釣りだ釣り! 朝一で出るからな! 遅れたら海に沈める」

 

 行くのは確定してるんですね……。というか明日はいろはとの約束が。でもこれ断ったらまた怒りそうだし……てか沈めるて言った? 言ったよね?

「わかりました……」

 

 はぁ……いろはにはあとで謝ろう。

 とりあえずはお義父さんの方優先でいかないと、またこんな愚痴付き合うのもあれだし。てか釣りに誘ってくれたってことはそこまで俺って嫌われてないのだろうか? それなら嬉しいんだけど。

 

「あなた、そろそろ八幡くんのこと解放してあげなさいよ」

 

 扉を開けて中に入ってきたのはお義母さん。

 

「まだ全然話たりない」

「いい加減にしないと怒るわよ……?」

「ひっ――!?」

 

 俺の角度からではお義母さんの顔を見れなかったが、お義父さんを怯ませるくらいの形相をしていることはなんとなくわかった。いろはも怒ると怖いし……。

 お義母さんのおかげで、今日のところはとりあえず戻っていいとお義父さんに言われ、部屋をあとにする。

 

「遅かったですねー」

 

 部屋に戻ると、いろはがベッドに座りながらテレビを眺めていた。

 

「まぁなんかいろいろあってな」

 

 主に、というかほぼお義父さんの愚痴のせいだけれど。

 

「それでなんだが……明日出かけるのは中止にしてほしいんだけど」

「先輩、おもしろいこといいますね」

 

 ちょ、いろはす? 近い、近いから。

 ベッドから降りて距離を詰めてくるいろは。なんとなくというか、かなり怒った顔をしていて。

 

「どういうことか説明してください」

「はい……」

 

 さらに、グイッと顔を近づけてくるいろは。表情は怒っているものの、距離が近いせいで風呂上りのシャンプーの香りが鼻孔を擽る。

 

「先輩……?」

「わ、悪い」

 

 うっかりいろはの甘い香りに我を忘れていると思い切り睨まれて。

 ちょっとー、お義父さんよりこっちの方が怖いんだけど? 

 

「その、な。明日はお義父さんが一緒に釣りに行こうって」

「わかりました」

「さんきゅ。ってどこいくつもりなんだ!?」

 

 いろはは納得したのかと思いきや、了承するなり部屋を出て行こうとする。

 

「どこって、お父さんのところですけど。ちょっと話があるので」

「ねえ、その話って明日のこと? 明日のことだよね? やめて、俺がまたいろいろめんどくさいことになるから」

「……先輩はわたしよりもお父さんの方が大事なんですか?」

「や、そういうわけじゃないが……」

 

 引き留めると、いろはは肩を落とし悲しそうな表情でこちらを見る。

 そんな顔するなよな……。俺だっていろはとの時間が一番大事に決まってる。

 

「俺だってお前と一緒にいたいけど、たまにはお義父さんと親交を深めるというか、そういうのもしておかないと。この家にお世話になってるわけだし、明日だけ、な? 日曜はずっと一緒にいるからさ」

「ホントですか……?」

「本当に本当。俺がお前に嘘ついたことあるか?」

 

 言うと、いろはは手を顎に添えながら少し考え、

 

「結構ありますよね?」

「ごめんなさい」

 

 うん、割とあったわ。でもこういう真面目なときは嘘ついてなくない? それじゃ駄目ですか駄目ですよね。

 

「……今回はマジ。嘘ついたら針千本飲む」

「じゃあ指切り……」

「ああ」

 

 お互いの小指を絡めて指切りをする。

 

「約束ですからね」

「わかってる。じゃあ今日はもう寝るか」

 

 ベッドで横になろうとした瞬間。いろはが俺の腕を掴み、反転させてベッドに押し倒した。

 

「なに――」

 

 するんだ? と、言おうとした俺の口をいろはが自分の口で塞ぐ。

 とても柔らかな唇の感触とともにいろはの舌が俺の舌と絡み合う。

 息をはずませながら、柔らかくて暖かいいろはの舌が、俺の口のなかで優しい生き物になる。

 

「んっ……んあっ……先輩の口の中、お酒の匂い」

「……休ませてくれるんじゃなかったのか?」

「明日の予定をドタキャンした罰ですよ。先輩は、したくないんですか?」

 

 目の前にいる彼女にそんな台詞を言われて誰が断れるだろうか。

 もちろん俺の答えは決まっていて――。

 今度はこちらからいろはの唇を奪う。

 すると、いろはがそれに答えるように腕を俺の首にまわし、ねっとりと唇を押し付けた。

 

「はむっ……ん、んんっ……先輩、今夜は寝かせませんよ?」

「待って、明日朝早いんだけど……?」

「あーあー、聞こえません。でも……先輩が頑張ってくれたら寝れるかもしれませんよ」

 

 高校時代のような、懐かしい小悪魔的笑みを浮かべるいろはに内心ドキッとしつつ、平静を装う。

 というか可愛すぎて、このままだと本当に朝までコースになりかねないんだけれど。

 

「……努力する」

「期待してますよ?」

 

 クスっと笑みを浮かべるいろは。

 そしてもう一度口づけを交わしながら、少し乱れた衣服に俺は優しく手をかけた――。



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雪ノ下雪乃は比企谷くんとキスしたい。

「ひ、比企谷くん」

「ん、どうした?」

「あの……その……」

 

 大学の講義を終えて、雪ノ下がカフェでお茶しようと言ったのでここにきたわけだが……。

 注文を終えてから、雪ノ下は何故か俯き身体をもじもじしながら黙ってしまっていて。

 やっと口を開いたかと思えば、その先を中々言えずにいる。ホント、今日のこいつどうしたんだ? 明らかにおかしいというか、挙動不審すぎてあやしいんだけど。

 

「その……私たち、付き合ってどれくらい経つかわかるかしら……?」

「たしか……もうすぐ一年になるんじゃないか?」

 

 雪ノ下と俺が付き合い始めてもうすぐ一年。

 大学に入って初めての夏休みに付き合ったのだから忘れるわけもないわけで。

 つうか、こいつはそれを聞くのがアレでずっともじもじしてたの? 

 

「そう、そうよね。もうすぐ一年なのよ……」

「……それがどうかしたのか?」

「昨日知ったのだけれど、一般的な恋人同士というのは、大体一年以内にキスをするらしいのよ……」

 

 ブッ――!?

 急になにを言い出すの雪ノ下さん? 

 飲んでいたコーヒーを軽く吹き出してしまい、雪ノ下に白い目で見られる。や、お前のせいだからね? 急に変なこと言い出すから……。

 というか、こいつがいきなりこんな話題を出すわけがないよな? 誰かの入れ知恵か……。となると、それはあの人くらいなわけで。

 

「雪ノ下さんになにか言われたのか……?」

「――っ!?」

 

 陽乃さんの名前を出すと、雪ノ下の表情が一瞬強張り、持っていたティーカップが震えた。

 どうやら当たりのようらしい。

 まったくあの人は……。妹が大好きなのはわかるが、あんまりからかいすぎるのは如何なものかと思うんだけど。そんなことばっかりしてると、本当に嫌われますよ? 似たようなことして小町に嫌われた俺が言うんだから間違いない。

 

「それで、なにを吹き込まれたんだ?」

「その……付き合って一年も経つのに、未だにキスもしたことがないのはおかしいって……」

「俺たちには俺たちのペースってのがあるんじゃないのか……?」

「私もそう言ったのよ。そしたら姉さんが『もしかして比企谷くん、雪乃ちゃんのこと好きじゃないんじゃないの?』って……」

「んなわけないだろ……」

 

 つうか陽乃さんの真似声真似上手すぎませんか? 一瞬本物が来てるかと思っただろ。……まさかいないよね?

 不安になって一応周囲の確認をするため、辺りをみまわ――いたーーー。ホントにいたよあの人……。なんでいるのホント……。

 雪ノ下の後ろの方の席で俺に手を振る陽乃さん。てか、あの人隠れる気ないよね? この状況楽しんでるよね?

「どうかしたの……?」

「や、なんでもないなんでもないから。話を戻そう」

 

 俺が自分の後ろの方を見ているのが気になったんだろう。雪ノ下も釣られるように振り返ろうとしたのでそれを必死に阻止する。

 

「わかったわ……。それから姉さんに『そろそろキスの一つくらいしておかないと私が比企谷くんを取っちゃうよ?』と言われたわ……」

「はぁ……?」

 

 何考えてんだ……?

 再び後ろの方を見ると、今度は陽乃さんがウインクしてきて――。

 なるほど、そういうことか……さっぱりわからん。

 

「だから比企谷くん……私と、その、き、キスをしないかしら……」

「だからの意味がまったくわからんが……雪ノ下はそれでいいのか?」

「私は別に……あなたのことを好意的に思っているし。付き合っているのだから問題ないけれど……」

「つうか、こういうのって人に言われてするもんでもないだろうに」

「それはそうだけれど……。本当言うと、私もしたいのよ……」

「へ? なにを?」

 

 雪ノ下がなにを言ったのか一瞬理解できず、素っ頓狂な声をあげてしまう。

 すると、キッと俺を睨む雪ノ下。

 ごめんなさい。俺が悪かったから許して……?

「あなたはしたくないのかしら……?」

「や、その、アレだ。したいかしたくないかで言えばしたい。ぶっちゃけしたい。好きな奴としたいと思うのは当たり前だろ、たぶん。つうか男なんてそんなもんだ」

「それなら――」

「でもな、雪ノ下」

 

 雪ノ下の言葉を遮るように口を開き、ひと呼吸する。

 俺だってできることなら雪ノ下とその……キスしたいわけで。しかし、ここで俺たちにある問題点が浮かび上がるわけで。

 

「できると思うか……? 俺たちが」

「そ、それは……」

 

 キスといえば、口づけですよ。お互いの唇同士を重ね合わせるわけだ。つまり超至近距離にお互いの顔がある。

 最近やっと手を繋ぐことに成功した俺たちが、だ。

 そんな俺たちがキスしたいからキスしようと言って、おいそれとできるとは思えない。RPGでレベル一からボスと戦うようなもんだぞ。下手したら二人共ゲームオーバーになりかねん。

 だからここはまず、段階を踏むべきだ。

 

 そう、まずは――。

 

「だからな、雪ノ下。まずは、か、間接キスから始めてみないか……?」

「つまり……段階を踏んでいこうということね……?」

「その通りだ。最初から高難易度のダンジョンに潜るのは無謀ってもんだ。まずは腕試しじゃないが初級ダンジョンから攻略していこう」

「その例えはよくわからないけれど……。わかったわ。とりあえずあなたの案でいきましょう」

 

 や、めちゃくちゃわかりやすい例えじゃなかったか今の? これ以上の例えとかどうしていいか俺にはわからないまである。

 まぁしかし、とりあえずは雪ノ下も納得したようだし、次に行くか。

 

「よし、じゃあまずはお互いのティーカップを交換しよう」

「えっ……?」

 

 俺の提案に、雪ノ下は椅子を引いて持っているティーカップを俺から遠ざける。

 ねえ、なんで? 今さっき間接キスからしようって言ったのに、なんでその反応なの? さすがに傷つくんだけど?

「あのさ、お前がティーカップ交換してくれないと間接キスできないだろうが……」

「それは……。わかったわ……交換しましょう」

 

 こんなんで本当に俺たちはキスできるの?

 間接キスする前からこの反応はちょっと厳しい気がしてきたが……それでも俺たちは前に進むしかない。

 

「お互いが口に付けてたところを自分もつけて飲むんだからな?」

「わかったわ……」

 

 頷き、先程まで俺が口をつけていた部分に、雪ノ下のみずみずしい唇がゆっくりと向かっていく。頬を赤く染め、カップを持っている手がぷるぷると震えていて、なんだかいけないことをしているんじゃないかと錯覚してきた。

 

「ひ、比企谷くん……」

「ど、どうした?」

「その、あんまり見られていると、恥ずかしいのだけど……」

「わ、わりぃ……」

 

 どうやら俺は、雪ノ下の間接キスシーンを凝視してしまっていたらしい。

 だが言い訳させて欲しい。自分の好きな女の子が、しかも普段そういうことをするような子じゃないのに、狙って間接キスをするところを見たくないわけがないだろうと。

 ……なにを俺は熱く語ってるんだ。これじゃただの変態だわ……。

 

「じゃ、じゃあ、いくわよ……」

 

 再び、雪ノ下がカップに自分の唇を向かわせる。

 今度はさり気ない程度に雪ノ下を見つめ、雪ノ下の邪魔にならないようにする。

 そして遂に、雪ノ下の唇と俺の飲んでいたカップが触れ合った――。

 

「こ、これで間接キスしたことになったのかしら」

「そ、そうだな」

 

 そこにいつもの透き通るような白い肌はなく、顔全体を紅に染めた雪ノ下。

 間接キスでこれなんだから、実際キスしたらどうなってしまうんだろうか……。

 

「次はあなたの番よ、比企谷くん」

「え、俺もやるの?」

「当然じゃない。あなただって、いきなりキスからは無理でしょう?」

「まぁそれはそうだけど……」

 

 さっきの雪ノ下を見たあとだとな……。

 もしかして、間接キスですら相当な難易度を誇っているのではないだろうかとまで思ってしまう。

 しかし、雪ノ下が頑張ったんだ。ここで男の俺が退くわけにもいかないだろう……。

 

 小さく深呼吸をして、雪ノ下のカップを目の前に置く。

 そして雪ノ下が唇をつけていたであろう場所をしっかりと確認。

 ここに、雪ノ下の柔らかで綺麗な唇が触れていたのだと思うと、胸の鼓動が早まってくる。

 

「いくぞ……」

「ええ……」

 

 カップを手に取って、少しずつ、俺の口元に運んで――。

 その途中、なにやら対面からとてつもないほどの視線を感じ見てみると、雪ノ下が俺とカップを凝視していて。

 

「あのな、雪ノ下」

「な、なにかしら?」

「さすがにそこまで見られると、恥ずかしすぎて死ねる」

「ご、ごめんなさい……」

「や、俺もその気持ちはわかるからいいんだけど……」

 

 雪ノ下もさっきの俺と同じ気持ちだったのだろう。

 わかる、わかるぞ雪ノ下。俺もそうだったからな。

 さてと、それじゃ気を取り直して、もう一度。

 ゆっくり、正確に雪ノ下の口をつけた部分に狙いを定め――。

 雪ノ下の唇(間接的)と触れ合った。

 

 ……やだなにこれ恥ずかしい……。

 意識した間接キスってこんなにも恥ずかしいことだったのか……。

 頬がめちゃくちゃ熱くなってるのがわかる。今すぐこの場を立ち去りたい気分だ。

 

「お疲れ様と言うべきかしら……?」

「別につかれてはねえよ。や、でも精神的には疲れてるか……」

「奇遇ね、私もよ……」

 

 がっくりと項垂れる雪ノ下。やはりこいつも相当精神的にやられたのだろう。この調子だと、今日は本番は無理だろうな。 

 

「どうする? このままボスを倒しに行くか?」

「私は構わないのだけど……。ただ、さすがにここではその……」

「そうだな。って、え?」

 

 構わないの? いいの? お前、間接キスであんだけやばいんだぞ? 

 

「えっと、じゃあうちくるか……?」

「そうね、それではお邪魔することにするわ」

 

 ホントに今日するんだな……と、期待やらなにやらを胸に秘め、俺たちは俺のアパートへと向かった。

 

 

   *   *   *

 

 

「では、始めましょうか」

 

 部屋に上がっての第一声がそれだった。

 

「あの、早くないですかね?」

「そうかしら……? あまり時間をおいても、と思ったのだけど……」

 

 まぁ確かに、間接キスで多少なりと耐性があるうちにした方がいいか。

 が、しかし本当にキスできるのか? 

 目の前にいる雪ノ下と向かい合う。

 目線は自然と雪ノ下の潤った滑らかな唇に吸い寄せられる。

 

「比企谷くん……」

「ん、ああ、どうした?」

「その、少し見すぎじゃないかしら?」

「悪い、なんつうか……想像したらつい」

「そ、そう……」

 

 なんなのこの空気? ここからどうやってキスに持っていけばいいのか誰か教えてくださいお願いします。

 しかもここから距離を詰めるわけだろ? ……やば、想像したら手汗がひどい。

 

「あの、さ。本当に今するのか?」

 

 我ながら意気地のない発言だとは思う。

 ただ、ここで無理して先に進む以外にも道はあるんじゃないか?

「……したいわ。私はあなたとキスしたい」

「…………わかった」

 

 自分の彼女にここまで言われてしないわけにはいかないだろ。

 覚悟を決めろ俺。俺だってしたくないわけじゃないんだ。むしろしたい。むちゃくちゃしたい。雪ノ下のことが誰よりも愛してるから――。

 

「い、いくぞ……?」

「ええ……」

 

 お互い一歩前に踏み出して距離を詰める。

 そこは少し顔を前に出せばもうお互いの唇が重なる距離で。

 雪ノ下の肩に優しく手を乗せ、ゆっくりと唇同士が近づいていく。

 

「ん……」

 

 雪ノ下からとろけるような声が漏れる。

 感じたことのない感触が唇を通して伝わってきて。

 いつまでもこうしていたいと、そう感じさせられる感覚。

 

 それからどのくらい時間が経っただろうか。

 十秒、いや一分だろうか、惜しみながらも唇をゆっくり離すと、目の前には普段とは違ってしおらしい彼女がいて。

 

「もう一回……してみない……?」

 

 雪ノ下からの一言に頷き、再びお互いの距離を詰める。

 そしてゆっくりと、今度はさっきよりも長い口づけをした――。



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八幡といろはが居酒屋で恥ずかしくなっちゃうみたいです。

「あれ? 先輩、こんなところで何してるんですか?」

 

 大学近くの居酒屋。

 今日は大学の研究室の奴らと飲み会のため、集合時間前に俺は居酒屋の前で携帯を弄って暇つぶしをしていた。

 

「研究室の奴らとこの店で飲み会なんだよ。お前だってこんなとこで何してんの?」

 

「今日は友達とここで飲み会なんですよー。あ、先輩、明日って空いてます? ちょっとにも……、買い物に付き合ってほしいんですけど」

 

「おい、今荷物持ちって言いかけたよね? やだよ、明日は忙しい。大学のファンクラブの奴らにでも持ってもらえ」

 

 一色いろは。俺の一つ下で同じ高校出身。

 それでもって何故か同じ大学に通っている。一昨年の春に再会したときは正直驚いたもんだ。

 うちの大学割と偏差値高いし、一色がここに入学してくるなんて思ってなかったからな。

 俺が言うのもなんだが、大学に入って可愛さにさらに磨きが掛かっているためか、大学内では一色いろはファンクラブまであるらしい。

 正直怖い。主に俺に対するファンクラブの奴らの態度が。

 

「えー、いいじゃないですか……。あ、先輩もわたしのファンクラブ入ってくださいよ!」

 

「や、なんでだよ。入らねえよそんなの」

 

 言うと、一色が頬をぷくぅっと膨らませ、「なんでですかー」と肩をぱんぱんと叩いてくる。

 リスみたいで可愛いのはいいが、痛い、痛いからね?

「大体、先輩大学生になってから妙に余所余所しくありませんか? 高校生の頃はなんだかんだいって付き合ってくれたのに……。むぅ……」

 

「そんなことないだろ。というか俺もいろいろとあるんだよ。就活だってまだ決まってないし、卒論だってあるんだぞ」

 

 

「それなら……まあ、もういいです。その代わり来週の土曜日は空けといてくださいね!」

 

 近い、近いからね? そうやってぐいぐいと顔を近づけてこないで? そのせいで俺はお前のファンクラブの奴らから嫌われてるんだから!

「すまん、その日も予定あるわ」

 

「読書と睡眠ですか?」

 

「そうそう。だから忙しいんだよ」

 

「そうですか。じゃあ、来週の土曜日十時に駅前集合でいいですかー?」

 

 なんでそうなっちゃうんですかねえ。どうせこれ俺に拒否権ないんだろ?

 つうか来週の土曜って……。

 はぁ……。

 一色に勝手に予定を決められてげんなりしていると、どうやら一色の友達が居酒屋に到着したようで。

 

「あー、いろは、おまたせー!」

 

「ごめんねぇ、遅くなっちゃって」

 

「もう、遅いよー。あ、それじゃ先輩、お先に失礼します~」

 

「おう」

 

 一色につられ、一色の友人も俺に軽く会釈をし三人は店の扉を開けて店内に入っていった。

 何も律儀に挨拶なんてしないでそのまま入っていけばいいものを……。

 そんなことを考えながら俺は再び携帯を弄り始めた。

 

「おー、比企谷」

 

「わりぃわりぃ遅くなった!」

 

「や、流石に遅すぎだろ」

 

 あれから待つこと一時間近く。

 別にいいけどさ? 種火集め捗ったし。

 FGOのアプリを終わらせ、むさ苦しい男どもと店内に入っていく。

 店員さんに案内されたのは四人用の座敷で個室だ。

 

「それじゃかんぱーい!」

 

 とりあえずと、先に注文した生をみんなで乾杯して飲んでいく。

 

「でさー。いろは、最近どうなの?」

 

「ふぇ? なにが?」

 

 お通しを摘みながらビールを飲んでいると、隣の方からそんな会話が聞こえた。

 なんだ、隣は一色たちなのか。

 

「ほらぁ、いろはが狙ってる先輩って人! 最近どうなの?」

 

「ちょっと待って! な、なんのこと?」

 

「ほら、あんたが高校時代から大好きな先輩! うちの大学に入ったのだってその先輩追ってきたんでしょ? ファンクラブなんてできるほどなのに、健気な子なんだから~」

 

「ぶっ!?」

 

 あいつら一体なんの話してんだよ……。

 いきなりのことで飲んでたビールを吹き出してしまった。

 

「おい」

 

「すまん」

 

 向かいの木村に思い切り吹きかけてしまったようだ。

 や、そんなことはどうでもいいんだけどさ。

 それより、今あいつらはなんて言った? 一色が好きな先輩を追いかけて大学に入った? ちょっと待って頭が追いつかないんだが。

 

「ちょっと待って。今はその話題は……ね?」

 

「えー、なんでよ? この話になるといっつもいろは誤魔化すじゃん。こんな時くらい喋っちゃいなよ~! ほらほら、飲め飲めぇ!」

 

「いや、だって今、ここにいるかもしれないし……」

 

「え、もしかしていろはの好きな先輩ってお店にいた人!?」

 

「しーっ! やめてお願いだから!」

 

「いいじゃんいいじゃん。ここ個室だし聞こえないって!」

 

 思い切り聞こえてるんですがそれは。

 一色のお友達さんももうやめてあげて? 俺まで恥ずかしくなってきたから。

 しかし一色も気の毒に。

 なんて一色に多少の同情をしたのも束の間、目の前にいる野郎どもがなにやらニヤニヤとこちらを見ている。

 おい、なんだ。めちゃくちゃ嫌な予感しかしないんだけど。

 

「今日だってさ、『来週は先輩の誕生日だから何あげようかな。……わたし、とか? えへへ……』なんて独り言言ってたじゃん? あんたにそんなに想われて、その先輩も本当に幸せよね~」

 

「やめてお願いもうやめてええええ!」

 

「もういっそのこと本当にいろはあげちゃいなよ」

 

 誕生日プレゼントに一色って……まじか。

 いやいやいや、待て落ち着け俺。

 ……とりあえずだ。一色は置いといて、今はこの目の前にいる野郎どもだ。さっきよりも顔がウザイ。なにか企んでるだろ。

 

「そういやさ、比企谷」

 

「……なんだよ」

 

「お前いろはちゃんのことどう思ってるの?」

 

「おい待って?」

 

 急に何を言い出すんですかやめてくださいお願いします。

 

「ほら、お前にこないだ聞いたらさ。高校の頃から妹みたいな奴で、一緒にいるのが心地よいとか言ってたじゃん? ぶっちゃけそれって好きだよなー」

 

「いつ俺がそんなこと言ったんだよ」

 

 マジでまったく記憶にないんだけど。

 一色が隣にいるからって捏造するのやめてくれない?

「何? お前覚えてないの? こないだの飲み会で酔っ払ったとき語りまくってたくせに」

 

「えっ」

 

「そうそう。あとさ、こないだ一色さんと会ったあと、『あいつまた可愛くなったな』とかボソッと呟いてたよな。あれ聞こえてたぞ」

 

「頼む、待って、なんでもするから。今日は俺の奢りでいいから」

 

 まじでこれ以上こいつらに変なこと言わせちゃならん。

 心なしか隣から一色の驚く声が聞こえたような気がしたが、これは気のせい。そう気のせいなんだよ。

 そう思ってないとやってられないんだけどまじで……。

 

「そういえばいろはこの間の飲み会のとき凄かったよね」

 

「ねえ……もうやめよう? わたしの話はもういいから!」

 

 今度はまた隣の部屋から声が聞こえてくる。俺の勘違いでなければ先程よりも大きな声で。

 これ絶対一色の友達も気づいてるよね? こいつら悪魔かなんかなの?

 

「えー、いろは覚えてないの? ああ、あの時凄い酔っ払ってたもんねー」

 

「そうそう、凄かったよね。最初は愚痴から始まってさぁ」

 

「うんうん。『高校時代から散々アプローチかけてるのに全然進展しない』とか『先輩はわたしがメールとかしても返信に一日かかる』とかねー」

 

「挙句、『この前先輩の家に泊まったのに襲ってくれなかったんだよ!』だもんね。びっくりしちゃったよねえ」

 

「やめてえええええ! なんでも言うこと聞くからああああ!」

 

 一色の声とは信じられないような悲鳴声が店内に響き渡った。

 もう俺にはわけがわからないよ……。

 つうか、あいつもあいつで何変なこと言ってんだよ……。

 隣から聞こえてくる精神攻撃に俺のライフがごりごりと削られていく。

 さらに目の前にいる男どもが嬉しそうにビールを一気飲みすると、俺に向かって話かけてくる。

 

「あー、そうそう。なんでか今思い出したわ。こないだ比企谷が酔っ払ってたときさ、『この前一色が俺の家に泊まったんだが……反則だろあいつ。あんなの襲われても文句言えねえぞ……』とか言ってたよなぁ」

 

「タイム! ちょっと口閉じろ。頼むから!」

 

「えー……。まだまだいろいろあんだけどなぁ」

 

「俺が悪かったから、や、何が悪かったのか全くわからんけど……とにかく俺が悪かったから!」

 

 俺の馬鹿馬鹿あほ八幡! なんで俺はこんなやつらの前で迂闊なこと口走ってんだよ!

 つうかまだまだあるってどういうことだよ。何? 俺って酔っ払うとそこまで口が軽くなるの? 

 決めた。もう二度とこいつらの前で酒は飲まない。

 

 それから、俺の必死の抵抗虚しく、次々と赤裸々発言を隣にいる一色に確実に聞こえるような大きな声で暴露されていった。

 一色の友人たちもこちらに聞こえるようにどんどん暴露話を続けていき、店内には俺と一色の悲鳴が交互に鳴り響いた。

 

「それじゃ、帰るかぁ」

 

「いやぁ、今日は楽しかったな! な、比企谷!」

 

「ああ……そうだな……」

 

 飲み会が終わる頃には俺も酔っ払っていた。

 や、だってこんなの飲まなきゃ耐え切れねえから。

 もういっそ誰か俺を殺してくれ。

 

 レジの前で会計の順番待ちをしていると、後ろから見覚えのあるやつが歩いてくる。

 一色いろはだ。

 ちょうどこいつらも飲み会を終えたのだろう。

 それにしてもなんでこのタイミングなの? めちゃくちゃ気まずいんだが……。

 一色も同じ心境なのだろう。一瞬こっちを見たが直ぐに目を逸らした。

 

「あれれ? 木村さんじゃないですか?」

 

「おー、碧ちゃんじゃん。偶然だね。何? 飲み会?」

 

「そうなんですよー」

 

 ???

 こいつら知り合いなの? やけに親しそうなんだが。

 

「そっか、じゃあ碧ちゃんたちの分も俺ら出しとくよ」

 

「え、いいんですかー? ありがとうございます!」

 

「いいっていいって。それよりこれからみんなで飲まない?」

 

「それいいですねー! あ、でも……いろはったら既に酔っ払っちゃってて……」

 

「そっか、それじゃいろはちゃんは帰ったほうがいいね」

 

「ですね。だけど、もう時間遅いですし、流石に女の子一人で帰るのは危ないと思うんですよ」

 

 そう言うと、碧ちゃんと呼ばれている女の子がこちらをチラ見してきた。

 なんだよ。何が言いたいんですか。

 

「確かにそれは碧ちゃんの言うとおりだね。誰か一緒に帰ってあげれる人いないかな?」

 

 今度は木村が俺をガン見してきた。

 うん……もうわかったわ。お前のガン見で察しがついた。 

 

「……はぁ。送ってきゃいいんだろ……」

 

「わー! ありがとうございます! いろは良かったね!」

 

「え? え? え?」

 

 一色は現状をまったく理解できていないようだった。こいつどんだけ飲んだんだ?

 や、ぶっちゃけ俺もこの状況を理解したくないし、夢だと思いたいわけなんだけど。

 

「それじゃ、比企谷、また来週なー」

 

「いろはーまたねー!」

 

 一色の友人と木村たちが早々に店を出ていき、俺と一色はぽつんと取り残された。

 ……さっきまでのあれのせいでめちゃくちゃ気まずいんだけど、どうしたらいいのこれ。

 

「あー、えっと一色……」

 

「待ってください、少し整理させてくださいお願いします!」

 

「お、おう……」

 

 一色は頭を抱えながら何やら独り言をぶつぶつと唱え始めた。

 

「……わかりました」

 

 

 しばらくすると、一色がこちらを向いてボソッと呟いた。どうやら整理は終わったらしい。

 

「あれもこれも全部先輩のせいです。悪いのは先輩です」

 

「いや、何でだよ……。全く意味がわからないんだけど」

 

「大体、先輩が未だにわたしに振り向いてくれないのが悪いんですよ! だから酔っ払っちゃったときに、あ、あんな恥ずかしいことをみんなの前で……」

 

「それは俺が悪いのか……?」

 

 大体、俺だってお前と同じくらい恥ずかしい内容暴露されまくったんだけど?

 勘の良さそうなこいつなら俺の気持ちばれるレベルなんだけど。

 

「そうですよ! わたしは、私はこんなに先輩のことが好きなのに……って、なんで今先輩にこんなこと言っちゃってるんだろ~~! せっかく来週の誕生日に先輩がわたしのこと好きになってくれるための作戦考えてたのに……!」

 

「……ああ」

 

「わたしばっかり先輩のこと好きなのは悔しいです。先輩も私のこと好きになってください」

 

「むちゃくちゃすぎんだろそれ。……つうかもうなってるっつうの……」

 

「えっ……?」

 

 ……何言っちゃってるの俺? ああ、そうだこれはあれだ、酒のせい。そう酒のせいだ。

 

「せ、先輩今なんて言いました? もう一度言ってもらえません?」

 

「近い近いんだって!」

 

 俺の言葉に反応した一色が、先程まで曇っていた目をきらめかせ顔を近づけてくる。

 吐息から漏れる酒の香りに頭がくらくらしてきて理性の箍が外れたような気がした。

 

「あー……、だから俺もお前のことがだな、その……なんだ、好き、だ」

 

 酒の力を借りなければおおよそ一生かかっても言えないような台詞を言い終えた瞬間、唇を柔らかい感触が襲った。

 

「おっ、お、お、おおおまえ……」

 

 何が起きたか理解するのに数秒かかり、目の前の一色に焦りながら問う。

 一色は顔を真っ赤にさせながらも、今まで見てきた中で一番の笑顔で、

 

「えへへ……、少し早いですけど、わたしからの誕生日プレゼントです」

 

 そのまま一色が俺の身体にぎゅっと抱きついてきて、その身体を両手で包み込む。

 

「えっと……なんつうか……さんきゅう」

 

「いえいえ、あ、当日も別にプレゼント用意してありますからね?」

 

「……楽しみにしとく」

 

「ふふ……きっと驚きますから」

 

 一色の言葉に柄にもなく期待しつつ、自然と手をつなぎながら帰路についた。



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