オーバーロードと七回死んだ灰色の大狼 (龍龍龍)
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不死者による七回の死

※プロローグはダークソウルのエピソードです。
※ここで出てくる「不死者」はアインズ様のことではなく、ダークソウルでいうところのプレイヤーキャラクターです。




 その不死者の振るった剣が、最期の一撃となった。

 

 切り裂かれた巨大な狼はその身からソウルの輝きを発しつつ、大きくその身を仰け反らせる。

 狼がくわえていた巨大な剣も、地面に突き立つと同時にその形を光に溶かして消えていく。

 それはの狼の体も例外ではなく、山のような威圧感を与えていたものが光へと変わり、形を失っていった。地面に横倒しになるが、その感触もどこか遠い。

 狼の意識もまた薄れていく中、自分を殺した相手を見やる。その不死者はなんの感慨もなく、狼が守っていものを拾うと、そのまま踵を返す。

 何度も繰り返した定められた道筋をなぞっているだけのような、何の感情も感じられない様子だった。

 そしてそれは事実だった。狼と男は何度も何度も、この光景を繰り返している。

 

 狼は自分を七回殺した相手に、不思議な感情を抱いていた。

 

 

 

 

 自分が守るものを求めて、その不死者は七回前にやってきた。

 

 その時の不死者は全く強くなく、狼の一撃であっさりと光と消える程度の存在だった。そんな存在が狼の元を訪れるのは珍しいことではなく、その頃は狼もその不死者のことを特に気にもしていなかった。

 自分の守るものを奪おうというのなら倒すし、そうでなければどうでもいい。狼はただ亡き友の誇りを守るために、友の墓の傍で戦い続けていたからだ。

 そんな狼の前に、その不死者は何度も現れた。幾度となく剣を交え、ひたすらに戦い続けた。その不死者は回を追うごとに強くなり、徐々に狼の方が圧倒されることも増えた。足を引き摺りながら辛うじて勝利したこともある。

 そして最初の最期が訪れたとき、狼が感じた感情は友の誇りを奪われたことによる怒りと憎しみ、そして少しの達成感だった。

 命尽きるまで戦い続けた自分への賛辞を抱きつつ、狼は自身の体をソウルに溶かした。

 

 

 

 

 だが、ふと気付けば狼は再び友の誇りを持って同じ場所に佇んでいた。

 

 

 

 

 人間が見上げるほどの巨躯になっていたはずの体も小さくなっていて、友の墓の前に狼は立っていた。

 奇妙な現象に混乱しているうちに、また友の誇りを奪取せんと様々なものが襲いかかってきて、狼は無我夢中でそれらを蹴散らした。

 その際、妙に体が機微に動き、力が溢れているのを感じていた。いままでなら二度三度と斬りつけなければ倒しきらなかった重装備の侵入者も、一太刀で真っ二つに蹂躙する。

 そうしているうちに一度倒されたことは夢であったのでないかと思うようになり、狼はただひたすら戦い続ける日々に戻った。

 

 それが再び乱されたのは、かつて狼を一度殺した不死者が再び現れたからだ。

 

 その頃には狼の記憶は曖昧になっており、初めて戦うつもりでその不死者に挑んだ。しかしその不死者は、まるで狼の立ち回りを覚えているがごとき対応で、狼を翻弄したのだ。

 その不死者の立ち回りに戸惑いつつも、一度目よりも上昇していた狼の力についてこれなかった不死者を倒した。

 光と消える不死者を、狼は不思議な気持ちで見送った。

 だが、不死者はまた挑んできた。何度倒しても不死者は現れ、その度にどんどん強くなっていた。

 狼はやがて再び倒され、二度目の死を迎え――

 

 

 

 

 そして再び友の墓を守っていた。

 

 

 

 

 果たしてこれは夢なのか。それとも世界が繰り返されているのか。

 狼はわからないままで、また数百年間に渡って来訪者を蹴散らし続け、またその不死者に出会った。

 三度目の不死者は狼の力を遥かに越えており、瞬時に倒された。体を光に溶かしながら、一体この不死者は何者なのか、狼は考えていた。

 

 そして四度目の邂逅の時。

 

 現れた不死者は、なぜか狼と戦うことを迷っているようだった。

 狼は理由はわからなくとも、不死者が動かないうちが好機だと判断し、一気に不死者に襲い掛かった。後退しようとして足を取られたのか、尻餅をつく不死者を前足で押さえつけ、上半身をかみ砕いてやろうと顔を近づけた時――その不死者から懐かしい匂いを感じた。

 思わず狼は動きを止める。

 鼻を近づけ、よりよく匂いをかぎ取った。それは確かに亡き友の匂いだった。何百年――繰り返した時間も含めれば何千年――嗅いでいなくても狼の記憶には確かにその記憶が残っている。

 嗅ぎ間違えることなどありえない。

 

 それは狼が唯一絶対の友と認めた者の匂いだった。

 

 なぜその不死者から男の匂いがするのか。不思議だった。不死者がその友であるというわけではない。匂いが不死者の体にこびりついているだけだ。

 

 そして、狼はその不死者自身の匂いも、なぜかどこかで嗅いだことがあると感じていた。

 

 遠い記憶。幼い頃の記憶だ。大事な大事な友と別れることになって、暗闇の中に取り残されていたときの記憶。その時、光が差し込むように、狼の目の前に現れ、救ってくれた存在と同じ匂い。

 

 これまで不死者とは三回も戦って来た。なのに、いままでは一切感じなかったその匂いを、なぜ今回に限って不死者はさせているのか。なぜ自分はその不死者の匂いを懐かしいと思いだすのか。

 不死者は押さえつけた前足をどけた狼に向け、手を伸ばしてくる。それは撫でようとしているかのようで、敵意は感じられない動きだった。

 

 だが、その不死者の手を避けるように、狼は体を逸らして遠吠えをあげた。

 

 どうして不死者が急に友の匂いを染みつかせてきたのか。

 どうして不死者から幼い頃に自分を助けてくれた誰かの匂いがするのか。

 

 疑問は尽きなかったが、それはそれだ。

 

 例え懐かしい存在であろうと、亡き友と関わりがあろうと。

 友の誇りを守るために、狼は戦う。

 

 それは懐かしい匂いとの決別の遠吠えであり、迷いを抱いた自分への叱咤の咆哮でもあった。

 

 狼は地面に突き刺していたままだった剣を引き抜くと、それを口に構えて不死者と向き合った。

 不死者は狼に対して戦いを拒絶するように首を横に振ったが、戦わなければならない。不死者は自分の持っている友の誇りを求めてここに来ているはずだ。

 これまでの三回とも、それを不死者は回収していったのだから。

 

 狼は躊躇いを振り切るように、豪快に剣を振り回した。一度振り切った剣を、すばやく逆向きに咥え直し、さらに振る。

 不死者は盾で狼の連撃を受けたが、堪えきれずに吹き飛んだ。

 

 不死者には迷いがあったが、それでも技量は圧倒的だった。

 狼はあっという間にボロボロにされ、足を引き摺って戦いを続ける。

 

 不死者はそれでもなお狼が戦意を失うことを期待していたようだが、狼が決して剣を放さないことを知ると、静かに剣を構えた。

 狼が跳躍し、不死者が迎え撃つ。

 

 

 

 

 狼が四度目に斬り倒されたとき、不死者の目から涙が零れたように見えた。

 

 

 

 

 その後も、五回目、六回目と何度も不死者とは剣を交え――狼はその度に倒された。

 その都度、不死者は強くなり、七回目の戦いは一方的なものだった。狼の攻撃がかすりもしない。繰り返す度に狼の能力は向上し、戦法もその都度工夫していたというのに、不死者の成長はそれ以上だった。

 

 躊躇うことのない不死者の連撃によってあっさり決着はついてしまった。

 

 何度も狼を殺した不死者は、もはや何の感情も見せることなく、ただ作業をこなすように狼を殺し――そして去っていった。

 意識を中空に溶かした狼は自身の役割が本当の意味で終わったことを感じる。

 なんとなくではあったが、これ以上この現象が繰り返されることがないことを感じたのだ。

 

 

 

 

 七回死んだ灰色の大狼はもはや消滅を待つのみだった。

 

 

 

 

 これでようやく友のもとへ行ける。

 狼は消え行く意識のなか、たしかに自分の名前を呼ぶ声を聞いた。

 それは狼にとって一番大切で、大好きな、友の声だ。

 だから、狼はその声のする方へ向かって走った。

 手も、足も、体自体が消えていても、それでもひたすらにその方向へ向かって走る。

 きっと、その先に狼の大好きな騎士が――アルトリウスが待っている。

 確かに、彼が呼ぶ声が聞こえていた。

 

 

 

 

――おいで、シフ。

 

 

 

 そして、世界は奇跡を起こす。

 

 

 

 



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友を求めて

 目が覚めたシフは、自分が見たこともない森の中にいることに瞬時に気づいた。

 

 そこは自分がこれまでいた薄気味悪い森ではなく、清々しい陽光が梢から差し込む気持ちのいい森だった。どこに行っても淀んだ空気が漂っていた世界とは比べものにならないほど、空気が澄んでいる。

 森の中に点在しているはずの狩人たちが一人もいない。歩くキノコも、ツタ植物も見当たらない。

 森の匂いを嗅いだシフは、地面に倒れていた自分の体をゆっくりと起こす。理解不能な状況に戸惑いつつ、シフはその四つの足で立ち上がった。

 ところが、不意に眩暈がシフを襲い、ぐらりとその体が傾いで再び地面に倒れてしまう。あの不死者によって与えられたダメージがまだ残っているのかとシフは感じたが、傷が残っている様子はない。そもそも致命傷だったのだから、もし残っているとすれば遠からず死ぬだろう。

 ダメージはないはずなのに視界がグルグル回り、シフは混乱しつつも再び立ち上がろうとする。手足をばたつかせて、なんとか起きあがった。

 

 その時、シフの鼻孔にある匂いが飛び込んできた。

 

 シフは視界が揺らいでいることにも構わず、立ち上がってそちらの方に歩き出した。近くに落ちていた愛用の剣をくわえていくのも忘れ、ただその匂いがする方に歩き出す。

 それは、もう何百年も嗅いでいなかった匂い。

 

 シフの大好きな、相棒であり、親友である騎士アルトリウスの匂い。

 

 それが確かに感じられた。どれほど離れているかはわからない。あるいはシフの勘違いだったのかもしれない。それでもシフはその匂いに引っ張られるように、ふらつきながらも必死に足を進めていった。

 途中、意識が遠くなって倒れ込み、巻き込んだ木々をなぎ倒してしまっても、何度無様に転んでも、そんなことはシフにとってはどうでもよかった。

 

 またアルトリウスに会える。その想いがシフの体を動かしていた。

 

 どれほど歩いたか、シフ自身わからないほどの時間がすぎた頃、不意に目の前の茂みから一体のオーガが現れた。

 そのオーガはシフの立てる騒音に引き寄せられて、様子を見に来たようだった。

 シフの大きな姿を見ると思わず逃げ出しそうになったが、シフがふらふらしている様子であることに気づいたのか、ニヤリと笑みを浮かべる。

「きょう、うまいにく、くえる」

 たとえ大柄な肉食動物であろうと、弱っているところを攻撃すればあっさり殺せるはず。

 そう考えたオーガは、手に持った棍棒を握りしめ、シフに近づいた。シフが大きいとはいえ、オーガもそれなりの大きさだ。シフが弱っていることも含め、十分勝ち目がありそうに思えた。

 シフはオーガの放つ強烈な臭気によって、辿っていたアルトリウスの匂いがかき消されたことに、ぼんやりとした頭で気づいた。

 アルトリウスの匂いが辿れない。

 

 それを理解した瞬間、シフはオーガを殺気の籠もった眼で睨み付けた。

 

 シフの眼を真正面からのぞき込んでしまったオーガは、その睨みつける視線だけで全身が凍り、動かなくなるのを感じた。たまたまその周囲にいた小さな鳥が木の枝から落ちて、地面に激突して死ぬ。少し離れたところにいた小動物は、何の躊躇もなく巣や縄張りや餌などを捨てて、できる限り遠くに離れるべく一心不乱に逃げ出していく。

 それは上空から見ていればまるでシフを中心とした爆弾でも破裂したかのような騒ぎだった。

 シフは唸り声をあげかけ、急にそれをやめた。目の前にいるオーガは、すでに事切れていたからだ。立ったまま、棍棒を振り上げた体勢のまま、もはや動く気配すらない。あまりの殺気の強さに、体も心臓も魂すらも凍り付いて死んでいた。

 あまりにあっけなく、牙や爪を振るうまでもなく死んだオーガの姿に、シフはあきれつつ、その横をすり抜け、臭いがしない位置に移動して再びアルトリウスの匂いを探す。

 しかしどこにどう移動してもアルトリウスの匂いはしなかった。まるで最初からその匂いは幻であったかのように、忽然と消えてしまっていた。

 喜びに満ちていたシフの心は、アルトリウスの匂いが消えてしまっていることを自覚した瞬間、一気に反転して絶望に満ちた。

 アルトリウスに会えない。

 アルトリウスに会いたい。

 会えると思ったのに。

 

 シフはその両目から大粒の涙を流しながら、天に向かって遠吠えをあげた。

 

 まだ幼いただの子狼だった頃、散歩中にアルトリウスとはぐれて森の中に一匹取り残された時のことを思い出す。そのときはシフがあげた啼き声を聞いて、アルトリウスが探しに来てくれた。

 当時からすでに立派な騎士だったアルトリウスの隣に並び立てるような自分を目指していたシフは、彼に甘えることをよしとしていなかったが、その時ばかりは飛びついてアルトリウスの腕に抱かれたものだ。

 アルトリウスも鍛錬の時は厳しい男だったが、そのときばかりは優しくシフを抱き上げ、落ち着くまで頭を撫でてくれたものだ。

 そのときのようにアルトリウスが迎えに来てくれないだろうか。

 無骨ながらも優しい手付きで、自分の頭を撫でてくれないだろうか。

 

 だが、アルトリウスは現れない。

 

 シフは急に気が遠くなる感覚がして、その場に崩れ落ちた。頬に地面が触れている感触がする。力が抜けて立つことができない。

 この森には先ほどのオーガのように、敵対意思を持つ者がいるかもしれない。

 しかし、絶望に暮れるシフにはそんなことはどうでもよく、意識が遠のくままに任せて気を失った。

 

 

 

 

 シフが完全に意識を失ってしばらくして、その場に慎重な足取りで現れた者がいた。

 

 

 

 




 今作中におけるシフは、ダークソウルと言うゲームに存在するボスキャラのシフが転移したというわけではなく、実際に異世界としてダークソウルの世界が存在し、そこに実在するシフが転移したという扱いです。
 そのため、オーバーロードでいうところの「プレイヤー」の立ち位置に限りなく近い存在です。

 また、七週目のシフということでわかる人にはわかると思いますが、強さの基準はオーバーロードにおけるカンスト勢(100レベル)と同じ扱いです。

 ただし、特別なスキルとか魔法は持ちません。
 ただひたすら純粋な身体能力値と耐性値がユグドラシル勢と比べると桁外れに高い(一部は限界突破レベル)ことで、結果的にユグドラシルのプレイヤーとほぼ互角になっています。

 また、別の異世界から転移したゆえに純粋な存在であり、シフが纏う殺気や威圧感などのスキルではない要素に関してはユグドラシル勢がスキルで発揮するレベル(スキルに換算すれば〈絶望のオーラⅤ〉などと同様)ということになっています。

 ただし、強さ的には極端なチートではありません。ユグドラシルのプレイヤー基準でいえば、アインズと同じ上の下か、辛うじて上の中に引っかかる程度です。



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アインズ、動く。

基本的にシフの過去などはすべてフロム脳を駆使してお送りします。


 その日、アルトリウスはご機嫌だった。

 

 当時、普通の大型犬サイズに成長していたシフは、なぜそんなにアルトリウスがご機嫌なのかわからなかったが、大事で大好きなアルトリウスがご機嫌であるという事実に嬉しくなり、尻尾を振ってアルトリウスの周りをぐるぐると回った。

 アルトリウスはそんなシフの動きがおかしかったのか、楽しげに笑いつつ、その手にしていた剣を鞘から抜いて、自慢げに掲げてみせた。

「見てくれ、シフ。さっき王から剣を賜ったんだ。以前の戦功に対するご褒美だとさ」

 それはシフの眼から見ても綺麗な剣だった。研ぎ澄まされた刀身は青く光り輝くほど綺麗で、しかし同時に実用性に足る強度を有しているのが目に見えてわかった。アルトリウスの戦い方はどちらかというと荒っぽいものであったが、その剣ならば十分以上に役目を果たしてくれるだろう。

 アルトリウスは重そうな剣を片手で振り回して、肩に背負う。アルトリウスはかなり大柄な存在だったが彼に合わせて造られた剣だけあって、完璧に似合っている。シフは褒める気持ちを込めて何度も鳴いた。その意味を正確に理解したアルトリウスは微笑みながらシフの頭を撫で、歩き出す。

「さあ、早速だがこいつの初陣を飾るとしよう。南の森に大量の魔物が湧いたと聞く。そいつらが悪さをする前に一掃しなければな――いくぞ、相棒」

 歩き出したアルトリウスの背中を、シフは追いかけた。

 王に賜ったというその剣を用いて、幾多もの伝説を作り上げていくのであろうという確信を持って、シフはアルトリウスの後ろを追いかけた。

 

 そんなアルトリウスが相棒と呼んでくれる事実に、この上ない歓喜を覚えつつ、それに相応しい自分になるためにさらなる鍛錬を積もうとシフは自身の心に誓うのだった。

 

 

 

 

 もう何度見たかわからない、アルトリウスとの思い出の夢を見ていたシフの意識は覚醒に近づいていた。鼻孔をくすぐる甘い匂いに、シフがゆっくりと瞼を開ける。

 ひとりの少女が目の前に座っていた。シフが眼を覚ましたことに気づいたのか、立ち上がって油断なく武器を手にしつつ、話しかけてくる。

「えーと、とりあえず、私はあなたを傷つける気はないんだけど……言葉はわかるのかな?」

 シフはその言葉の細かな意図まで理解できるほどではなかったが、ひとまず敵意がないことは理解していた。ゆえに、特に敵意を向けることなく、ゆっくりと体を起こす。周囲の状況を確認しようと見回したシフは、周囲に無数の獣がいて、それがこちらの動きを見つめているのを感じた。

 しかし、シフにとってその周囲にいる獣は警戒にも値しない存在だった。ただ、唯一、目の前にいる人間のような少女からは警戒するに値する何かを感じていた。

 ゆえに、シフはじっとその少女を見つめる。

 

 その存在が敵なのか味方なのか、シフは測りかねていた。

 

 

 

 

 シフがそんな風に考えている一方。

 対峙しているアウラ・ベラ・フィオーラはこの世界に来て初めての経験に、背中を嫌な汗が流れるのを感じていた。

 森の中で倒れていた狼の姿をした魔獣を、アウラが発見したのは数刻前のこと。そのあまりに美しい毛並みと、意識を失っていても感じる強大な力の波動は、アウラを警戒させつつも、ナザリックにとって有益なものを発見できたことに対する喜びに胸中を満たさせた。

 外傷もなにもなかったため、ひとまず安全な場所に藁を敷いて寝かせていたのだが、眼を覚ました狼は、アウラの想像を超えて強大な存在だと否が応でも自覚させられた。

(まるでアインズ様を目の前にしたかのような威圧感……! そんなはずないけど、まさか、至高の御方々に匹敵する……? いや、たかが獣が、そんなのありえない!)

 アウラは必死に自分の想像を否定する。

 だが、少なくとも守護者の中では最弱の自分が勝てる相手ではないことは認めざるを得ない。魔物を魅了する能力はあるが、それに抵抗された時のことを考えると不用意には放てない。それが失敗すれば敵対行動だと受け取られてしまいかねないからだ。

(こんなことなら、せめてコキュートスにでも来てもらっておけば良かった……!)

 本来、アウラには使役する魔物がいるため、個の力が劣っていても恐れることはなかった。アウラの力の神髄は個としてのものではなく、群としてのもの。たとえ自分が勝てなくとも、集団戦に限れば他の守護者をも圧倒しうる。ゆえに、この狼がいくら強大でも、所詮は個であり、シモベを多数連れたアウラに勝るものではない――はずだった。

 だが、その狼の強大さに、アウラの使役下にある魔獣たちは圧倒され、満足に身動きすら取れていない。アウラのお気に入りであるフェンリルのフェンや、イツァムナーのクアドラシルでさえ、狼の威圧感の前に、萎縮してしまっている。

 鞭を手にしたアウラはいつでも攻撃や防御に出られるようにしつつ、狼の反応を待った。緊張感が満ちる、しばしの沈黙。

 先に動いたのは狼だった。

 不意に視線をアウラから外すと、その頭をゆっくりと地面に接するように伏せる。それは服従という様子ではなかったが、害意や敵意がないことを示すポーズのようだった。

 相手に襲い掛かってくる様子がないことを確認したアウラは、安堵から大きく息を吐き出す。まだ相手のスタンスはよくわからないが、ひとまずいきなり襲われることはなさそうだった。

 アウラは大丈夫そうなことを悟り、〈伝言〉を用いてアインズに連絡を取る。

『アインズ様、お伝えしたいことがございます』

『アウラか。どうした?』

 彼女の敬愛する主人の優しい返事に、アウラはうっとりしつつも、真面目に職務を全うする。

『森で珍しい狼……いえ、狼の姿をした魔獣と思われる存在を発見しました。私の使役するフェンリル並みの大きさで、その力は……私を優に凌いでいると思われます。畏れながら……アインズ様に匹敵する力の持ち主だと感じました』

 自身の力が劣っていることを認めることになるため、できれば言いたくなかったが、言わずに秘匿することなどできない。正確な情報の伝達は、自身の矜持よりも優先されるべき事柄だからだ。

『なんだと?』

 実際、その情報がもたらされたことで、アインズの中でこのことの重要性は一気に跳ね上がったようだった。

『わかった。その魔獣はどうしている? お前の存在に気づいてはいないのか?』

『それが――』

 アウラは森の中を哨戒している最中に倒れている狼を見つけたこと、狼が気絶していたのでひとまず安全な場所で介抱していたこと、眼が覚めた狼に言葉は通じない様子だが、自分たちを襲う気配は見せていないことを伝える。

『ふむ……なるほどな。それほどの存在がなぜ倒れていたかは気になるが……言葉が通じない相手と、敵対関係を築かずに済んだのは大きい。でかしたぞアウラ』

『ありがとうございます!』

 アインズ様に褒められた。

 アウラは引き締めた表情が思わず崩れるのを抑えきれなかった。

『これより戦力を整え、すぐにお前の元に向かう。それまで、十分に警戒しつつ、その狼の監視を続けよ。万が一の時はシモベを盾にしてでも生き残るのだ。わかったな、アウラ』

『はい!』

 アウラはそう元気よく答え、狼を逃がさないように、かといって刺激しないように、観察を続けることにした。

 狼は王者の貫録と言わんばかりに目を閉じて体を休めている。

 自分が敵にも値しないと判断されているようで不快な感情が湧き上がるが、それならそれで好都合だった。

(アインズ様が来るまで、じっとしておいてよ……?)

 緊張感を維持しつつ、アウラは狼を監視するという大役に集中した。

 

 

 

 

 アウラとの〈伝言〉を切ったアインズに、目の前に控えていたアルベドが話しかけてくる。

「いかがなさいましたか?」

「アウラが大森林の調査中に、アウラを超え、私に匹敵する力を持つと思われる狼を発見したらしい」

 その情報を伝えられ、アルベドの表情が硬くなる。

「……! それは、非常に懸念すべき事態かと。すぐに討伐隊を編成して……」

「待て待て、焦るな。意志の疎通ができていないことから、ユグドラシルのプレイヤーが変化したものではないとは思うが……なにか重要なファクターになる存在かもしれん。敵対を前提に考えるな」

 アインズがそう告げると、アルベドは恐縮して頭を下げた。

「申し訳ありません。軽率でした」

「構わん。だが、十分な警戒はしていく必要がある。……あと、意思の疎通ができる可能性はすべて試すべきだな。意志の疎通さえできれば、こちらが取れる対応も大きく変わってくる」

 アインズはそう考え、動物と意思を疎通できる魔法がなかったかどうか記憶を探る。

(……私に使える魔法にはないな。ビーストテイマーであり、ハイ・テイマーであるアウラに意志の疎通ができなかったということは……スキルで意志の疎通を図るのは難しいか。と、なると……もっと種族的な方法に頼るか)

 アインズはアルベドに命じる。

「まず戦力としてアルベド、コキュートス、それからいざという時のためにヴィクティムを連れて行く。低位のシモベは私達のレベル相手では刺激するだけになって役に立たんだろうから要らん。エイトエッジアサシンのような奴らもだ。少数精鋭でいくぞ。あとは……」

 最後に連れて行く部下の名前をアインズは告げた。

 

人狼(ワーウルフ)のルプスレギナ・ベータを連れて行く」

 

 

 

 



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ルプスレギナ・ベータ

 ナザリック地下大墳墓が誇る戦闘メイドプレアデス。

 

 そのうちの一人であるルプスレギナ・ベータは、至高の存在たるアインズに呼び出され、若干の緊張感を抱きつつも、誇らしい気分で呼び出された場所に急いで向かっていた。

(いったい何の仕事っすかねー。カルネ村とかいうつまんないおもちゃの監視っていうお仕事を受けたばっかりなんすけど。わざわざ呼び戻されたってことは……もしかしてもっと他に私にしかできない仕事ができたんすかね? くぅー、それなら嬉しいっす!)

 彼女にとってカルネ村の監視という仕事は、至高の御方の命令とはいえ、退屈なものだった。なにせ彼女にしてみればただくだらないおもちゃがつまっているだけの村でしかないからだ。

 アインズは重要な村だと言っていたが、ルプスレギナにすればなぜアインズがあの村に価値を見出しているのかわからないのだ。

(まー、たぶん、アインズ様の単なるきまぐれっすよね。それ以外ないっすし)

 直々に命令を受けただけあって、やりがいを感じていないわけではないが、どうにも退屈なのだ。いっそさっさとぱーっと滅びてしまった方が小気味よい、とさえ感じていた。

 今からの仕事はそういうよくわからないものじゃなければいいなという風に考えている間に、ルプスレギナは呼び出された場所にたどり着いた。

 主人の部屋の前だ。扉を守っているゴーレムたちがちらりと目線を向けてきたが、ルプスレギナはそれを無視してしっかりと深呼吸をし、呼吸を整える。居住まいもきちんとしたものに正してから、扉を軽くノックした。

「ルプスレギナ・ベータ。参りました」

 ルプスレギナの呼びかけに対し、中から威厳のある声が返ってくる。

「入れ」

 それを受け、ルプスレギナは静かに扉を開けて中に入る。

 部屋の中には至高の主人であるアインズと、守護者統括アルベド、そして階層守護者のコキュートスが待っていた。ナザリックでも数えるほどしかいない、100レベルに達している三人が揃っている光景に思わずルプスレギナは緊張を深める。

 驚くべきは、アルベドとコキュートスの姿だ。アルベドは完全武装の状態で兜だけを取った姿であり、コキュートスが本気の武装を整えている。

 その上、コキュートスが見たことのない配下を抱えていた。翼の生えた胎児のような姿のそれからは異様な雰囲気を感じる。

「よくきたな、ルプスレギナ。近くに来い」

 その胎児のような存在がなんなのか気になりはしたが、アインズに呼ばれたことでその疑問は押し込め、頭を下げる。

「はっ」

 ルプスレギナは主人の前まで行き、そこで完璧な所作で跪く。

「ルプスレギナ・ベータ、御身の前に。いかようなご命令でもお申し付けください」

「うむ。ルプスレギナ。お前の力が必要だ。これから我らは大森林へと赴く。お前も同行しろ」

「はっ! 承知いたしました」

 ルプスレギナは一も二もなく承服した。

 至高の御方がそういう以上、ルプスレギナが拒否することはありえない。何をしにいくかを聞く必要もないのだ。行くと言うなら行くだけなのである。アインズも彼女を呼んだ理由や連れて行く理由をわざわざ説明したりはしない。だからそれで正しいのだとルプスレギナは思っていた。

 もっとも、説明がなかったのは、アインズが単に説明をし忘れただけだった。

 それは早く行かなければアウラが危機に陥るかもしれない状況だったためだ。

 アインズはまだ狼が100レベルの自分たちに匹敵することを知り、最悪の想定で動いている。

「他の者も準備はいいな? まずアルベドが潜れ。〈転移門〉」

 アインズの魔法が発動し、目の前に黒い次元の裂け目が生じる。そこをアルベドがまず潜った。もっとも防御力に長けた彼女が先陣を切るのは当然とも言える。

「デハ、申シ訳アリマセヌガ、オ先ニ失礼シマス」

 次に転移門を潜ったのはコキュートスだ。その四つの手には武器だけではなく様々なアイテムが握られており、いかなる状況にも対処できるようにということだろう。

 慎重な姿勢を持って移動する三人の様子に、ルプスレギナの全身に緊張が走る。

「お前は私の後に続け」

「了解いたしました」

 アインズが<転移門>を潜り、ルプスレギナも即座に続いた。

 抜けた先はアインズが言っていた通りの大森林だ。涼しげで爽やかな森の風が吹き抜けていく。

(ここに一体なにが……?)

 アインズたちはすでに少し先へと進んでいる。ルプスレギナも遅れないように、その後ろを追いかけ――

 

 そして、その灰色の大狼に出会った。

 

 

 

 

 その巨躯は小山ほどの大きさで、そこから感じる重圧感は目の前に立っていられないほどに凄まじいものがある。アインズたちが現れたことで警戒を強めたのか、立ち上がっているので、余計に巨大に見えた。ビリビリとしたものを殺気に似た何かを感じる。

 見事な芸術品を思わせる灰色の体毛は、風にそよぐほどに柔らかそうで、しかしそれには普通の刃など通るまい思えるほど、極めて滑らかな輝きを有している。

 恐ろしく澄んだ金色の瞳は理知的な光を灯し、まっすぐアインズたちを見据えている。

 微かな唸り声がその場にいたすべての者にプレッシャーを与えた。ちらりと覗く牙が魂すらもかみ砕かんと白く輝いていた。

 その狼の放つ気配を正面から浴びたアルベドは、即座にその手に武器を構える。同じようにコキュートスも武器を構えた。すでにその場にいたアウラも、それに並ぶ。

「……アインズ様。お下がりを。これは、悠長に接触してなどいられな……アインズ様!?」

 だが、当のアインズがその脇を通って灰色の大狼の目の前に進み出た。

 アインズは無言のまま、狼と視線を交錯させる。何も持っていないことを示すように両腕を広げた。

「……私はアインズ・ウール・ゴウンと名乗っている者だ。君と敵対する意思はない。牙を納めてはもらえないだろうか」

 獣に対するにはあまりにも丁重な言葉。

 すると、どうしたことか、狼が唸るのをやめ、頭こそ垂れなかったものの、大人しくなってその鼻をアインズに寄せた。くんくん、とその匂いを嗅いでいる。警戒は消えていなかったが、それでも敵意というものは鳴りを潜めていた。

 アインズは骨だけの手をゆっくり伸ばし、狼の鼻先に触れる。

 狼は特に嫌がることもなく、ただそれを受け入れた。

 

 骸骨と大狼の間で、奇妙な交流が交わされる。

 

 1人と1匹の間でなにか通じるものがあったらしい。

「……アルベド、コキュートス、アウラ。武器を下ろせ。心配なさそうだ」

 呆然としてその光景を見ていた三人が慌てて武器を降ろす。アルベドは警戒しつつも、アインズのすぐ側に立って、彼に尋ねる。

「あれだけ敵意を見せていたのに、一体なぜ……? アインズ様のご威光に恐れをなしたのでしょうか?」

「さて、な。正直、私にも確証はなかったのだが……なぜか、大丈夫だと思ったのだよ」

 アインズはひとまずの危険が去ったことを感じ、ひとつ息を吐く。

「とはいえ、きちんと意思は確認しておきたいところだ。ルプスレギナ。この狼と意思の疎通は出来そうか?」

 しかし、ルプスレギナからの反応はない。

 訝しげに思ったアインズたちが最後尾のルプスレギナを見る。

「ルプスレギナ?」

 彼女は最初に灰色の大狼を見た時とまったく変わらない状態で――ただ、灰色の大狼を見つめていた。

 

 

 

 

 



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大狼と人狼①

※くどいようですが、ダークソウル時代の過去は基本的に捏造です。


 骨しかない手が優しく自分の頭を撫でるのを、シフは黙って受け入れた。

 

 本来、骨だけで動くアンデッドというモンスターは敵対的な存在であり、それを打ち倒すのはアルトリウスの仕事でもある。相棒の仕事である以上、それはシフの仕事でもあり、事実何度かアルトリウスと共に旅に出た際には無数に湧くアンデッドをすべて破壊し、それを操っていた死霊術師を討伐するということもやっていた。

 しかし、現在シフの目の前にいる骸骨は違う。

 シフはその強大なソウルの力を前にして、緊張を強いられていたが、アルトリウスの方は平気な顔をして喋っていた。

「いや、しかし本当にためになる話だった。役目を終え、休んでいるところに押しかけたにも関わらず、受けれいてくれて感謝する」

 アルトリウスが軽く頭を下げると、シフの頭を優しく撫でていた骸骨――最初の死者ニトはまるで気にするなとばかりに軽く手を横に振った。

 王の知己であり、かつて世界を支配していた古竜たちと戦った際は死の瘴気を生じさせて、強大な力を持つ古竜たちを滅ぼしたと言われている。

 いまでは巨人墓地という地の底に居を構え、のんびりと長い時を過ごしている。

 そんな彼の元にアルトリウスが会いに行こうとシフを誘ったのは一週間前ほどのこと。アルトリウスは時々こうして伝説級の存在と対話し、その経験を取り込んでいた。

 すでに『大剣を振るえば天下無双』とさえ呼ばれているアルトリウスだが、その強さへの探求心はどこまで行っても収まらない。ゆえにこそ、アルトリウスはここまで強くなったと言える。

 シフは自分も着実に強くなっているとは思うものの、どこまでも先に行くアルトリウスの隣に並び立てるようになる時がいつまで経っても来ないような気がして、焦っていた。

 いつか相棒と呼ばれなくなる日が来るのではないかと、不安がシフの胸中を焦がしている。

 そんなシフを、最初の死者ニトは安心させるように撫でた。言葉はない。

 だが、高い位置にあるニトの目は、すべてを許容する深い光を持って輝いていた。それは彼と似た姿を持つスケルトンとは全く異なる光。生者を憎む目ではなかった。慈しみ、受け入れる優しさを灯した光だ。

 ニトはアルトリウスと何事かを話す。アルトリウスが驚くのが伝わってきた。

「なんと! それはありがたい申し出だ。シフもきっと喜ぶ」

 何事かと思えば、アルトリウスが楽しそうな声でシフの背中を撫でながら言う。

 

「喜べシフ。ニト殿がお前のために武器を作ってくれるそうだ」

 

 アルトリウスの言葉を聞いて、驚きを持ってニトを見上げる。

 骸骨で表情はないはずのニトだったが、シフはそこに笑顔を見た。

 

 

 

 

 シフは目の前に現れた骸骨から、ニトと同じような雰囲気を感じ取っていた。生者への恨みや憎しみがなく、理知的なものを感じたのだ。

 だから、それが倒すべきモンスターの姿をしていても襲い掛からずに済んだ。もしニトと会った経験がなかったら、例え剣がなかろうと立ち向かっていたかもしれない。

 そういえばあの剣はどこに置いてきてしまったのだろうか。

 シフがそんな風に考えている間に、骸骨と共に現れた鎧姿の女性と、冷気を纏った蟲のような存在が武器を構えていた。先ほどは敵意がなかった少女も、臨戦態勢になっている。

 もし戦いを挑んでくるのであれば、迎え撃つつもりでシフは身構えたが、臨戦態勢の三人とは違い、骸骨はゆっくりと前へと進み出てきた。

 そして、どこから喋っているのかはわからないが、低い声で話しかけてくる。

「……私はアインズ・ウール・ゴウンと名乗っている者だ。君と敵対する意思はない。牙を納めてはもらえないだろうか」

 シフは言葉を放たない。しかし言葉がわからないわけではなかった。そうでなくとも、シフは目の前にいる骸骨が敵意を持っていないことを理解していた。

 その眼窩に宿している光は、かつて会ったニトのように理知的なもので理性が感じられた。いや、そこに宿っている光はニトよりも遙かに人間らしいもので、とてもではないが一般的なアンデッドと同等のものではありえない。

 そして、なぜかシフはその目に宿る光に寂しげなものを感じた。自然とシフは牙を収め、その骸骨に――アインズに鼻先を寄せて、その匂いを嗅ぐ。死の気配は感じるものの、それは淀んでいるものではなかった。あのニトも地の底に住んでいたが、似たような匂いを纏っていたことを思い出す。

 アインズはゆっくりと手をあげ、シフの鼻先に手を伸ばす。シフはそれを黙って受け入れた。

 武器を下ろすようにアインズが配下の三人に向かって言うと、それに従って三人は武器を下ろす。しかし、シフはそのうちの一人から妙に強い敵意を感じることに気づいた。それを放ってきているのは全身を鎧で覆った女性だ。顔を覆う兜にあるスリットは細く、どんな表情を浮かべているのか見えなかったが、明らかに友好的なものではない。

 他の二人も、決して安心しているわけではなく、シフがどのように動いても対応できるように気を張ってはいるようだが、それとは全く違う次元の何かを、その鎧の女性からは感じた。

「ルプスレギナ?」

 アインズがそう声をかけているのは、その背後に控えている三人ではなく、さらにその先にいる存在であることにシフが気づき、その目をその存在へと――若い少女に見える存在に視線を向けた。

 

 

 

 

 その時、灰色の大狼に視線を向けられた時のルプスレギナの心情は、何かに例えることが難しい。

 端的に言ってしまえば、彼女はナザリック地下大墳墓に属する者以外はどうでもよく、いかに巨大な力を持つ存在がいようと、それは至高の御方々に比べれば特に意識する必要もない存在だ。

 強いて言うなら、自身の加虐的趣味を満足させてくれるような相手であればよし、という程度だ。

 だが、その大狼を前にしたルプスレギナの思考を支配していたのは。

 

(なんなんすか! このイケメン狼はああああああぁっ!?)

 

 という感情だった。

(うわ、超格好いいっす! めっちゃつややかでいい毛並みっす! こんな狼がこんなところにじほいほいいるなんてこの世界どうなってるんすか!? やばいっす直前までカルネ村に行ってたからちゃんとお風呂入ってないっす! 臭いは大丈夫っすかね? っていうかあの狼からすごくいい匂いがするっす! なんでっすか!? うわああああああああああああ!)

 それはルプスレギナがこれまで生きてきた中で、経験したことがない衝動であり、感情だった。

 ナザリックの者達が至高の御方々と呼ぶ者達に対して抱いているのとは、まったく別ベクトルの感情の奔流。ルプスレギナはそれに翻弄され、上手く思考を切り替えることも出来なかった。

 そこに、激怒した声が飛ぶ。

「ルプスレギナ・ベータ! アインズ様の御言葉を無視するなど、なんたる無礼なの!」

 アルベドの声だった。殺意すら籠ったようなその怒声に、ルプスレギナは自分が完全に意識を灰色の大狼に奪われていたことを知る。

 見回せば、灰色の大狼とその傍にいるアインズ以外、三人の階層守護者から程度の差はあれ、激怒の視線を向けられていることに気づく。

「も、申し訳ありません!」

 慌てて膝をついて謝罪する。アルベドはさらに何かを言おうとしたようだが、それはアインズが止めた。

「よい、アルベド。この狼からの重圧に気を取られてしまったのであろう。100レベルに到達しているお前たちと同じように考えては可哀想だ」

「アインズ様……なんと慈悲深い……しかし、いくら相手が強大であろうと、我々の存在意義は至高の御方の盾となり、剣となること。それなのに圧倒され、挙句至高の方のお言葉を聞き逃すなど、配下としてあってはなりません。厳しい処罰を下すべきかと」

 アルベドはそうアインズに進言するが、アインズは煩わしそうに手を振った。

「構わんと言っているだろう。……まあ、それについては後回しだ。いまは先にやることがある。ルプスレギナ。この狼と意思の疎通を試みよ」

「は、はいっ!」

 ルプスレギナは前に進み出て、アインズと狼の目の前に立つ。両者から感じるプレッシャーは、戦闘メイドのルプスレギナをして、立っているのも辛くなるレベルだ。

 その吸い込まれそうな金色の瞳に、ルプスレギナは自分が映り込んでいるのを見て、心臓が妙に跳ね回るのを自覚した。

(お、落ち着くっす……! えっと……)

 ルプスレギナは自分の種族としての感覚を総動員して、その狼を観察する。だが。

 狼はその静かな目でルプスレギナを見ていた。それだけで冷静になろうとしたルプスレギナの心がかき乱される。

 それを努めて押し込めながら、何か聞いてみようと、ルプスレギナが恐る恐る狼に話しかけてみようとした時。

 大狼がルプスレギナに興味を持っている様子を見せた。アインズの匂いを嗅いでいた鼻先を、今度はルプスレギナに向ける。

(ひいいいいい! 臭いを嗅がないで欲しいっすー!!)

 狼の習性的に仕方なく、間違ってはいないと思いつつも、ルプスレギナは心の中で悲鳴をあげるのだった。

 

 

 

 




最初の死者ニトとアルトリウスの関係について

・ニトはアルトリウスが仕えていた王と共に、古竜を倒した存在のため、場合によってはアルトリウスと接点があったんじゃないか? アルトリウスが望めば会えたんじゃないか? という妄想で、過去に接点があるということにしました。

・シフがアインズを単なるアンデッドに捉えなかった理由は、過去にニトのような存在のことを知っていたから、というわけです。

・今作でのニト様は隠居した気のいいおじいちゃんのイメージで書いていますが、恐らく原作のニト様はそんな存在ではありません(笑)

・ニト様からシフがもらった武器については、今後の作中で。


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大狼と人狼②

 

「なあ、アルトリウスはシフの言うことがわかるのか?」

 

 そうアルトリウスに尋ねたのは、アルトリウスと同等の存在である四騎士のひとり"王の刃"キアランだった。細身の体に白磁の面を被り、その表情や抱いている感情は外見ではわからないが、その声にはアルトリウスに対する確かな親愛が感じられた。

 当時、大型犬よりは大きく成長していたシフは、そんなキアランにじゃれついて遊んでもらいながら、ふたりが喋るのを聞いていた。

 アルトリウスは少し離れた場所で小さな石に腰掛け、愛用の大剣を磨きながら応じる。

「当然だろう。シフは私の相棒だぞ?」

 シフも同じだと言わんばかりに胸を張る。キアランはそんなシフの頭を撫でた。

「疑う訳じゃないが、声を発しているわけでもないのに、どうしてわかるんだ?」

「色々だ。ちょっとした仕草や動作、目の細め方から手足の緊張具合。総合的に見れば簡単だぞ」

 言われてキアランはじっとシフを見つめる。

 それに対し、シフは軽く首を傾げた。

「……言葉が通じていなくて、単に不思議そうにしているように見える」

「『俺が何を考えてるか、わかるか?』と言っているんだ。ちなみに何を考えてるかといえば、これからキアランが出すであろうお菓子の内容が何かを考えている」

 当然だというように口にするアルトリウスに対し、シフは我が意を的確に表したことを誉めるように大きく楽しげに鳴いた。

 キアランはさすがに苦笑して首を横に振る。

「わかったわかった。お前たちが仲の良い友達だということはよくわかった」

「まあ、シフが賢いから成り立っているようなものだ。さすがに普通の狼や犬の気持ちはここまではわからないさ」

 アルトリウスは大剣を光に翳した。手入れの出来栄えに満足して、鞘に納める。

「それでも、言葉を持たないものと友情を成立させられるのはアルトリウスだからだろう。私には無理そうだ」

 言いながら、キアランは用意していたお菓子を取り出した。

「西方より伝わった珍しい菓子だ。たまたま手に入ったんだが、一人で食べるのもなんだからな。お前たちと共に食べようと思って」

「シフが食べても大丈夫か?」

 人と狼の間には体の構造という大きな壁がある。それをきちんと確認してからでなくては、安心して食べさせることはできない。

「抜かりはない。安心しろ。きちんと商人に確認済みだ」

「なら一緒に食べられるな。こっちにきて一緒に食べよう。シフも『キアランが持ってくる菓子はいつも美味いから期待しているぞ』と言っている」

 誘われたキアランはアルトリウスの方へ近付く。いままで座っていた場所をアルトリウスはキアランに譲る。

 キアランは素直に座りつつも、少し憮然とした声を放つ。

「アルトリウスが座ったままでいいのに……」

「お互いに腰かけると、どうしても見下ろしてしまう形になるからな。私が地面に直に座った方が視線が揃う」

 アルトリウスは大きく、キアランは小さい。

 そのため、普通に二人とも座るとどうしても見下すような視点の違いが生じてしまうのだ。キアランが石に腰掛け、アルトリウスが地面に胡坐をかいて座って、ようやくまっすぐ視線が揃う。

 アルトリウスは対等の相手であるキアランに配慮しているのだ。

「それに、戦いの時はともかく、女性に席を譲るのは男として当然だろう?」

「……」

 そんなアルトリウスの言葉に、キアランは沈黙を返した。

 その反応を受け、アルトリウスは少し声を落とす。

「む……すまない。キアランは女扱いが嫌なんだったな。……ん? なんだシフ。なぜ呆れているんだ? 『まだ彼女の気持ちに気づかないのか』とはどういう意味だ?」

「……はぁ。いいよシフ。ありがとう。アルトリウスはこういう奴だから仕方ないさ」

 キアランが力なく撫でるのを、シフは少し申し訳なさそうに啼きつつ、受け入れた。

「んん?」

 アルトリウスはなぜか自分がふたりから責められているような気分になって首を傾げる。

 キアランが素直に石に腰掛けながら、話題を変えた。

「それより、ふと気になったんだが、シフはアルトリウスみたいな喋り方なのか?」

「いや、言語を介しているわけじゃないから、これは単に私が感じた通りの口調というだけだ。実際にシフが言葉を覚えて喋った場合の口調とは違うと思う。要はシフにどんなイメージを抱いているか、シフの態度をどう受け取るか、だということだ」

 だからもし、とアルトリウスは続ける。

 

「私以外にシフの言いたいことがわかる者がいたら、その者はその者なりに、シフの口調を表現すると思う」

 

 

 

 

「『我が名はシフ。騎士アルトリウスの友であり、相棒だ』……と言っています」

 なぜ慌てていたのかは不明だが、落ち着きがなかったルプスレギナがようやく落ち着いて、灰色の大狼の意志を翻訳していた。

 ルプスレギナ曰く、狼語という言語を使っているわけではなく、意思の意訳のようなものらしいが、大体の意図が通じるだけで十分だった。

 シフやらアルトリウスやら、固有名詞もきちんと通じているところが不思議ではあったが、元々この世界の言語を勝手に翻訳して理解できるような、よくわからない世界法則が働いているのだから、不都合がない限りはアインズはそれを受け入れる。

「アルトリウスという騎士についてもう少し詳しく教えてくれないか?」

「『アルトリウスは最高の騎士だった。大剣を振るえば天下無双。王に仕えし至高の四騎士の中でも最強の強さだった』……そうです」

「ふむ……王に仕える騎士アルトリウスか」

 念のためすこし記憶を漁ってみたが、アインズの記憶に該当する名前はない。

 個人プレイヤー名だった場合はわからないが、シフはユグドラシルとは関係がない可能性が高かった。そもそもユグドラシルでは『王に仕える』という状態がない。ギルドマスターを王とするロールプレイを好んでいたというのならわからないが、そういう存在というわけでもなさそうだ。少なくともシフの様子からはNPCたちと同じ本気度が感じられる。

(と、なると……シフはこの世界の存在なのか……? いや、それにしては何か雰囲気が明らかにこの世界の者と違うように感じる……そもそも、この世界の基準からすれば我々と同様にシフも明らかにオーバースペックだ。そんな存在が森の中にぽつんと倒れていた? ありえないだろう)

 アインズはシフがユグドラシルとは違う別のゲーム、あるいは異世界からの流入という可能性を考えていた。

 そして、それはある意味希望を感じさせることだ。

(散発的な流入があるということは……つまり、仲間たちがいまこちらに来ていなかったとしても、これから来るかもしれないということじゃないか!)

 その希望に気づいてしまっては、アインズはとても落ち着いてはいられない。いますぐにでも世界すべてにアインズ・ウール・ゴウンの名前を知らしめたくなる。慎重に行動するつもりだったが、力に任せて征服してしまってもいいのではないか。そんな風に考えてしまう。

 そんなアインズの昂ぶった精神は、沈静化された。

(ちっ……抑制されたか。まあ、仕方ない。いまは落ち着いてシフに話を聞くことが大事だしな)

 気を取り直して、アインズはシフに尋ねる。

「そのアルトリウスはいまどうしているんだ?」

「『死んだ。その昔、深淵の化け物に挑み、帰らなかった』」

「……そうか」

「『我はアルトリウスの死後、その墓を守り続けていた。我が友は世界でも有数の騎士であり、その墓に何か貴重なものが眠っているはずだと考える不埒者どもは幾人もいた。そんな屑どもに友の誇りは穢させられない。ゆえに守り続けた。我にアルトリウス以外の友はなく、ひとりだったが……守り続けなければならないと思った』」

「それは……よくわかる」

 アインズの友が遺していったものの名前は、奇しくもナザリック地下大墳墓。

 友の墓を、誇りを守り続けるという行為はアインズがゲーム時代していたのと同じ、そして現在もそうしているのと同じだ。

 アインズはシフという存在に強い共感を覚えていた。

「その墓はどこに?」

「『わからない。我は長い間墓を守り続けていたが、ついに侵入者に敗れてしまった。そして、気づけばこの森の中にいたのだ』」

 シフがこの世界の存在ではなく、ユグドラシル以外の世界から転移してきたのは間違いなさそうだ。アインズは納得し、頷く。

「……どれくらい、守り続けたんだ? たったひとりで、どれほどの期間を?」

「『数えていたわけではないので、正確にはわからないが』……え?」

 翻訳をしていたルプスレギナが、途中で唖然とした顔になって硬直した。それを、アインズは不思議そうに見やった。

「どうした?」

「い、いえ、ちょっとありえないので、たぶん正確に伝わっていないのだと思うのですが……」

「構わん。お前が感じた通りに言ってみろ」

 アインズが命じると、ルプスレギナは頷いた。

 

「『四千年以上』だそうです」

 

 告げられた途方もない年月に、アインズは驚愕した。

 

 

 





<シフの墓を守り続けた年月について>

・本来シフが墓を守り続けた年月は「何百年」とだけされています。

・しかしここではシフがその年月を繰り返していた設定ですので、「何百年」×7で「数千年」。何百年を200~400年と見るか、500~700年と見るかで大きく違ってきますが、今作中では600年×7で4200年近く守り続けた、ということになっています。

・単純に何百年かだとナザリックの面々にはインパクトが薄いかと思い、このような表現の仕方をしています。ナザリックの面々がどの程度の時間間隔かわからないので、可能な限りの最大値を用いたわけです。




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シフとアインズ①

※お待たせしました。一か月ぶりの更新です。


 

 振り回した剣の重みに耐えかねて、コロコロと体が転がる。

 

 慌てて起き上がって体にこびりついた砂を払っていると、アルトリウスがかすかに笑っていた。転がった自分を見て笑ったのだと気づいて、シフは思わず喉から恨めし気な唸り声を出していた。

 それを受け、アルトリウスは「すまんすまん」と謝りながら膝を突いた。

「大丈夫か、シフ。怪我は?」

 ちょっとした転倒程度で怪我などするはずもない。シフは元気よく吠えて応えようとして、口に咥えた剣が落ちそうになったので慌てて咥え直した。その動作が面白かったのか、やはり笑うアルトリウスに、シフは軽く体当たりをした。本気ではなく、じゃれついているレベルだ。当然、アルトリウスがそんな程度の接触でびくともするはずもなく、力強い腕で受け止めた。

「悪い悪い。まあ、最初のうちは仕方ないさ。私も最初、剣を使い始めた頃はその重みに振り回されて上手く扱えなかったものだし」

 アルトリウスは立ち上がると、背負っていた剣を抜き放つ。かなり重量のある剣だろうに、軽々と片手で振り回すと、肩に担いだ。

 そして、シフに鍛錬用の藁人形を見ておくように示す。

 次の瞬間、アルトリウスは空中を駆けていた。いや、そう見えただけで、実際はただ跳躍しただけだ。しかし、空中で自在に姿勢を制御し、舞うような動きは、空中を駆けたとしか表現できない見事なものだった。

 跳躍の勢いそのまま、剣を振るい、その重心の移動すらも糧にした一撃が藁人形を両断する。

 無骨な剣は決して切断に優れたものではなく、斬る体勢もひどく乱れたものであったはずなのに、藁人形の切断面は滑らかで、そのままくっ付ければ元通り使えそうなほどだった。

 アルトリウスは満足そうにそれを見やり、再び剣を納めながらシフの方に歩いてきた。

「こんな感じで、剣を体の一部に感じられるようにまで扱いこなすんだ。シフならできるさ」

 わしゃわしゃと頭を撫で回される。その手はガントレットに覆われてはいたが、確かな優しさと熱を感じさせるものだった。

 いつかその手のように剣を扱いこなして見せる。

 その想いを込め、吠えたシフの口から、横向きに咥えていた剣が落ちた。重力に従って落ちた剣はシフの前足のすぐ傍の地面に突き刺さり、思わずシフは飛び上がって避けてしまった。

 それを見たアルトリウスが大笑いし、シフは情けないやら恥ずかしいやらで、そんな感情を誤魔化すようにアルトリウスのマントに噛みついた。

 

 笑いながら謝るアルトリウスは、とても楽しそうだった。

 

 

 

 

 四千年。

 アインズはその途方もない年月を想って呆然とする。日本語には四半世紀という言葉があるため、もしや翻訳機構かあるいはルプスレギナがそれと混同しているのではないかと一瞬疑ったが、それこそありえないとアインズの本能が囁いている。

 目の前にいる大狼は数百年の時を超えて存在していることは明らかだ。千年を超えていてもおかしくはないとは思っていたが、まさか四千年もの時間を経ていたとは。

「そんなにも長く……永い時を……ひとりで、か?」

 思わずそう聞いていた。

 アインズにも、何年でもナザリック地下大墳墓に君臨し続ける覚悟はあった。仲間を探し出すまで。仲間を見つけ出すまで。仲間が来るまで。どれほどの長い年月を費やそうとも、この世のすべてにアインズ・ウール・ゴウンの名を知らしめて。

 大墳墓を守り続け、仲間を待ち続ける覚悟はあった。

 しかし、実際にそれほどの長い年月を耐えられるかどうかは……それこそ、いまのアインズにはわからない。

 その先達が目の前にいる。

 シフはその金色の目をすがめ、少し考えるような間を開けてから、ルプスレギナを通じて答えた。

「『こうして誰かと会話を交わすのは、アルトリウスの墓を守り始めてから始めてだ』だそうです」

「…………そうか」

 アインズは考える。

 たとえば、自分がその状況におかれたらどうだろうか。自分にはNPCたちがいる。彼らを守るために、彼らに失望されないように、支配者たる自分は君臨し続けることを決めた。

 彼らはNPCで、仲間たちが残した子供のような存在だ。自分を慕ってくれる彼らとの交流は心温まるものだし、話し相手になってくれるだろう。支配者と従属者で、一定の壁を感じるのは仕方ないが、それでも話す相手がいないということはない。

 それに対し、シフは誰もいない状態で、ただ友の墓を守るという気持ち一つで四〇〇〇年もの長い時を生きつづけたのだという。墓荒らしは来ただろうが、そんな存在が何の気休めになるというのか。少しでも油断すれば墓を荒らされる状態だったとすれば、ろくに墓から離れることも出来なかったのではないだろうか。

 そんな状態で、四〇〇〇年。

 アインズは愚かな問いとは半ば自覚しつつも、聞かずにはいられなかった。

「なぜ、そこまで……?」

 その問いに対し、今度のシフの返答は早かった。

 

「『友の誇りを守ることに、それ以上の理由が必要なのか?』」

 

 当たり前のことを当たり前に口にしただけ。

 そんなシフの雰囲気と口ぶりに、アインズは一瞬唖然として、そして、大きく笑い声をあげた。周りにいるアルベド、コキュートス、アウラ、ルプスレギナは、その笑い声に、どこか清々しいものを感じる。シフのことを馬鹿にしている笑いではない。むしろ、自分の馬鹿さ加減に呆れた者が発する自嘲の笑い声だ。

「は、ははは! そうだな。ああ、そうだ。愚問だった。……私もそうだからな」

 アインズはシフに向かって頭を下げる。周囲の者が息を呑むのを感じつつも、アインズはそうすべきだと感じたことをする。

「すまない、下らない質問だった。忘れて欲しい。……その上で、提案があるのだが、聞いてくれるだろうか」

 シフは先を促す。

「シフよ。よければ、我がナザリックに招かれないか? アウラによれば、あなたは森の中で倒れていたと聞く。見たことろ外傷はないようだが……休息は必要だろう。ナザリックの中でならば十分な休息を取れるはず」

 その言葉に何よりも早く反応したのはアルベドだった。

「お待ちくださいアインズ様! 慈悲深きあなた様の心は理解しておりますが、我らに届きうる牙を持つ獣を、何の対策もせず迎え入れるのは危険です!」

 ある意味、アルベドの言葉は正しかった。アインズの言っていることは砕けていえば、町でたまたま言葉を交わした相手に「お前気に入ったからうちで休んでいけよ」と言っていることであり、相手のことをよく理解していないうちにするにはあまりにも不用心なことだ。

 しかし、アインズは静かに応える。

「アルベド。私が彼をナザリックに招くと決めたのだ。今後、シフはナザリックの賓客として扱う。最大限の敬意を払え」

 元々、アインズもこの行為が危険であるかもしれないという可能性は考慮していた。ナザリックからすれば異物を招こうというのだ。危険でないはずがない。

 だがアインズはそんな理屈よりも何よりも、シフという存在を尊重することを選んだ。それは自分と『同じ』であるシフを尊重し、敬意を表するべきだと彼が感じただめだ。シフに対する共感はそれほどまでに強かった。

「ただの獣であるならば、確かに危険かもしれんが、シフが知性ある存在だ。ならばこちらの敬意に対し、それを裏切るような真似はしないだろう」

 そういってシフを見上げるアインズ。シフの目にはどこか不思議そうな感情が宿っていた。

「シフ。どうして私があなたを招くのか、あなた自身気になるだろう。答えは単純だ。もう少しあなたと話がしたいと思った。突き詰めればそれだけのことだ」

 嘘偽りない本音。

 そしてそれは、シフ側も同じものを感じていたようだ。

 シフは静かに頷き、アインズの提案を受け入れる。

「『少しの間、世話になる。よろしく頼む』……と仰っています」

 アインズはその時のルプスレギナの声に、なぜかかすかに弾むものを感じたが、些細なものだったため、気にしないことにした。

 杖を構える。

「それでは早速だがナザリックに転移するとしよう。閉じる前に続いてくれ」

 そういって、アインズは〈転移門〉を開く。

 

 こうして、灰色の大狼シフは、ナザリック地下大墳墓に招かれた。

 

 

 

 



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