ジパングの魔物使い (gamika)
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幼年期:魔物達がいる日常
01.最初の記憶


 とてつもなく広大な青い空。それを見上げた状態で、僕は草原に寝ころんでいた。

 

「あー……?」

 

 意味を伴わない、ため息とも似た妙な声が漏れ出た。思考はうすぼんやりとしていて、どうにも判然としない。

 

 不意に頬をつつかれた。

 目線を横に向けると、そこには小さな女の子がいた。その上から、大きな影が覆いかぶさるように現れた。

 

「おとーちゃん、ひとがひんでるー」

 

「死んどらんがな。おい、坊主。そんなところで寝てたら風邪ひくぞ」

 

「……おっちゃん、誰?」

 

「おっちゃんはトンパチって言ってな、そこの畑を耕しに来たんだ。坊主、お前この辺じゃ見ない顔だな?どっから来た?隣村か?」

 

 質問には答えず、ゆっくりと体を起こす。身に着けていた麻っぽい質感の、古代日本って感じ丸出しの服が小さな擦過音を立てた。確かめるように手のひらを開いたり握ったりしてみて、体に異常がないことを確認する。

 

 自身の体はまるっきり子供のものだった。いいところ10歳程度か。小さな手と足が心もとない。

 

 隣で座り込んでいる少女はさらに幼い。つたない喋り方から、ようやく喋れるようになった程度だろうと推測できる。この子も歴史の本で見るような古代日本の服……ほとんどワンピースに近い布きれを着ていた。

 

 対して、おっちゃんはクマのように大きな体でむちゃくちゃ頑丈そうだった。僕と同じような服を着ているのに、張り詰めた筋肉でピッチピチで、伝わってくる印象がまるで違う。日に焼けた顔には生気が漲っていてテカテカと光り、ボディビルダーと言っても通じるかもしれないと思うほどだった。

 

 おっちゃんは小さな僕を怖がらせまいとしてか、それとも生来のものなのか、朗らかに笑っている。ただでさえぼんやりとしているのに、警戒心が余計に薄れた。

 

「僕、誰なんだろう。ここどこ?」

 

「おいおい、冗談……じゃなさそうだな。参ったなあ。捨て子かあ……?」

 

「どうだろう?ここ数年は不作でもないし、むしろ豊作だから口減らしも考え辛いよね」

 

「……他人事みたいに言う坊主だなあ。まあいいさ。ヨミよ、この兄ちゃんと一緒に遊ぶか?」

 

「あしょぶー!」

 

「じゃあしばらく娘を頼むわ。一段落したらきちっと面倒みちゃるから」

 

「アッ、ハイ」

 

 なんかそういうことになってしまった。

 

 おっちゃんがのしのしと歩いていく姿を見送っていると、さっきから何か地面をいじくっていた娘さんが顔を上げて、天真爛漫な笑顔を輝かせた。

 

「できたー!どろだんごたべゆー?」

 

 娘さんが差し出してきた泥の塊に眉根が上がる。

 

「君が食べたら食べるよ」

 

「どろはたべられにゃい……」

 

 だよね。

 

 

 

 

 

 おっちゃんは日が暮れ始めてからようやく畑仕事を打ち切り、僕を自身の家まで連れて行ってくれた。ヨミちゃんはおっちゃんに肩車されて、ご機嫌な様子だ。

 

 おっちゃんもなぜかご機嫌で、家に着くと僕の分まで夕食を準備してくれた。正確には嫁さんが準備してくれたのだけど。味噌汁っぽい具だくさんのスープ美味しかったです。

 

 ご飯を作ってくれたおっちゃんの嫁さんは、おっちゃんにはちょっと勿体ないなあと思えるくらいの美人さんだった。こんがり日に焼けた肌が健康的に見える活動的なお姉さんだ。

 

 でも、そのお姉さん。今はその綺麗な顔を歪ませておっちゃんに怒鳴っていた。

 

「あんた、また余計なもん拾ってきたね!」

 

「そういうなや、カーチャン。ていうか余計なもんって言い方ひどくねえ?」

 

「おかーちゃん、おこってゆ?」

 

「ああ、違うのよ、ヨミちゃん!かわいいかわいい私のヨミちゅわぁあん!」

 

 ヨミの小さな体を抱きしめて頬ずりするその姿。

 それを見ただけで、娘にだだ甘な肝っ玉カーチャンで印象が固定化された。

 

「それで、あんた名前はなんてんだい?」

 

 ヨミを抱えたまま、そんなことを尋ねられて、僕は即答した。

 

「わかんない」

 

「あんたマジで余計なもん拾ってきたね!捨ててきなよ!」

 

「ひでえ」

 

 名前がわからないくらいでなんという言い草だろう。まあね、厄介ごとの香りしかしないもんね。わかるわー。でも僕も困ってるんで譲るつもりはない。

 

「不便なんで、なんかいい名前ないですかね?」

 

「動じない子だね……」

 

「変な子供だろー?」

 

「へんなひとー」

 

「まったくだよ」

 

「ひでえ」

 

 一家そろって僕を変人だという。否定はできない。僕も自分がおかしいってことはなんとなく理解できている。でも今はそれよりも。

 

「とにかく、なんか名前ください」

 

「自分で決めればいいじゃないか」

 

「名前決めてくれたら僕もおかーさんって呼びますから」

 

「子供はもう間に合ってるのでいらないよ!」

 

 えー。

 

「そんな顔すんなって。俺が決めちゃるからよ!そうだな……トンヌラってのはどうだ!?」

 

「ひでえ」

 

「えっダメ?」

 

 全然ダメだ。この筋肉おっちゃん、ネーミングセンスの欠片もないよ。

 

「はぁ、もう仕方ないね……あんた名無しなんだからそっから文字って……ナナシーンとかでいいでしょ?」

 

「ひでえ」

 

「センスねえなあ、お前!」

 

 げらげらと笑い出したおっちゃんだったが、グーで頬を殴られて強制的に黙らせられた。「おごぉ」とか言って唸ってる。なんてお人だ。さすが肝っ玉カーチャン。

 

「おにいたん、なまえー……?あうー?ゼン?ゼンクロウ?」

 

「お、おお!なんかものすごく僕の名前っぽい!」

 

「うん、るびしゅさまがゆってたー」

 

 その言葉にぎょっとする。見れば僕以外の大人たちも似たような顔をしていた。

 

「ヨミ、ルビス様の声が聞こえるのか……?」

 

「うん、ゼンクローをたしゅけてあげてって言ってゆー」

 

「ウソ、本当に?どうしようアンタ、私たちの娘が巫女様かも……!!」

 

「うおおおお!!祝いじゃあーー!!」

 

 叫び声をあげたおっちゃんは半分寝静まっていた村中を喚きながら駆け巡り、騒音罪で一晩牢にぶち込まれた。

 

 

 それが僕、ゼンクロウの、この世界で最初の記憶だった。

 なんだこれ。

 

 

 



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02.森の中、熊さんに出会った。

 トンパチのおっちゃん……みんなはパっつぁんと呼ぶので僕もパっつぁんと呼んでいるが、パっつぁんの好意で空になってたすっげえボロい小屋に住まわせてもらうことになった。

 

 農作業を手伝いつつ、それに見合った食料を分けてもらってその日を過ごす。子供でしかない僕でもなんとか生きていくだけのものを得られるようになった。

 

 どこの馬の骨ともわからない僕に、パっつぁんの寛大な処置は助かるなんてものじゃなかった。パっつぁんがいなければ野垂れ死んでいた可能性だってある。

 

 なにしろ、ここには。

 

「『大王ガマ』、か」

 

 人ほどの大きさもある赤いカエルが、ゲコゲコと鳴きながら茂みから突然現れた。と、同時に僕は逆に反対側の茂みへと飛び込んで身を隠す。

 

 ギリギリのタイミングだったが、幸いにも気づかれなかったようだ。

 

 大王ガマはよく伸びる舌をべろんべろんと無意味に伸ばしたり縮めたりしながらひょこひょこと歩いていく。いや、カエルなんだから跳ねていけよ。

 

 なんてどうでもいいことも考えつつ、油断はしない。僕は子供で戦う力なんてない。それ以前に、相手は魔物だ。それも、初心者向きの相手じゃない。大王ガマは確か『ラリホー』を使ってくるはず。初期であれば眠らされて何も出来ぬままゲームオーバーになりかねない。

 

 赤いカエルはそのままひょこひょこと歩きながら茂みの奥へと消えていった。

 

「はあ、確かに森の中は危険だな……戻ろう」

 

 つぶやいて、ゆっくりと体を起こす。

 

 もともと、この森に来たのは森の恵みを頂こうと考えたためだ。ミカンとか()ってないかなあって。村の中が余りにも安全だったので、ちょっとした冒険のつもりでしかなかったのだが、とんだ勘違いだった。

 

 村からたった十分ほど奥に進んでこれだもの。パっつぁんの言う通り魔よけの鈴が吊り下げられた柵の外には出るもんじゃないな。今の感じだと、あらかじめ浴びていた聖水の効果もなくなったんだろう。

 

 背負っていた麻袋の中から、残りの聖水を取り出して体に振りかけようとしたところで、急に当たりが暗くなった。

 

 いや、暗くなったというか、これは大きな影が───

 

「やばッ!?」

 

 反射的に飛びのいた瞬間、獣の唸り声とともに恐ろしい勢いで地面がへこむ。

 そこにいたのは、どうみても熊だった。パっつぁんの進化形だ。

 

 『ごうけつぐま』

 

 僕の脳内でその名がリフレインするが、そんなことに意味はない。名前なんぞどうでもいい。

 

 どうするどうする?僕はおそらくレベル1。スライムにだって勝てるかどうか怪しいほどに弱いはずだ。それなのに、レベル20は必要そうな『ごうけつぐま』相手に戦うだなんて無謀以前に無意味だ。

 

「マジで終わったかも───」

 

 と言いつつ、僕は持っていた麻袋から『まだらくも糸』を取り出し、放り投げていた。同時に全力で走り出す。終わったと一度は思っても諦めてはならない。そうだ、諦めるのは間違いだ。

 

 勇者の一番の敵は己に屈する心──弱気とか恐怖とかそういったもの。

 

 たぶん僕は勇者じゃないけど、その心を倣うことならできる。そして、明らかに自分より強い者を相手取るなら、その心は不可欠必至。

 

「グゥガァアァアアアッ!!」

 

 しゃらくせえと叫ぶごうけつぐまの唸りが耳に届く。きっと『まだらくも糸』の粘性にいらだちを覚えているのだろう。時折響く、木を叩き折るような音が八つ当たりの結果だと思えば、ちょっとだけ胸がすく思いだ。

 

 けど、まだピンチなのは変わりない。この状態で他の魔物とかち合えばアウトだ。どうにかそれを避けて村まで戻らないと。

 

「無理くせえ……」

 

 どすんどすんと背後から何かが追ってくるような音がし始めた。そういえば聖水って自分よりレベルが低い相手じゃないと無意味なんだっけ。

 

 あ、じゃあ、はじめっから無謀だったってこと?

 くっそう、どうしてこんな大事なこと忘れてたんだ!

 

 己の不明に頭が痛くなるが、それでもあきらめず、茂みをかき分けて走る。

 

 背後で『ごうけつぐま』が「人間のクソガキめ、どこいきゃあがったあああああ!姿見せんかあああい!」とか叫んでいるが、完全に無視する。呼ばれて素直に出ていくなんてアホな真似、絶対にしないもんね。

 

 必死で走っていくと、急に開けた場所に出た。

 

 そこにはレンガ造りの家が一軒建っていた。煙突までついていて、ぽわぽわと煙だか蒸気だか分からない白い靄が上がっている。周囲にはそれなりに手入れがされた小さな畑。ざっと見たところ、トマトっぽい何かが生っていた。

 

 森の中、クマさんに出会ってスタコラサッサと逃げてみれば、着いた先には怪しげな一軒家。まるで童話のような……作品違わねえ?お菓子の家だったりしないよね?

 

 あからさまに怪しいとはいえ、それ以上に直接的な命の危機が迫っているんだ。背に腹は代えられぬ、と思い切って家人を呼び出そうとドアを勢い良く叩く。

 

「ごめんください!ごめんください!助けてください!」

 

「うるさいねえ、なんだい騒々しい」

 

 しわがれた声がして、扉が開く。そこにいたのは───

 

「なんだい人間の小僧。あんたここがどこか知ってて来たのかい?」

 

「うわあ!魔法ババァだあああ!!」

 

「ババァとは失敬な!あたしゃ『まほうおばば』だよ!」

 

 そうでした。『まほうおばば』でした。うわ、すげえ。なんか思ってたよりも横に太いけど、マジで魔女っぽい。とがった鼻と、ピンク色のとんがり帽子とピンク色のローブが……ピンク?

 

「うげえ、まほうおばばにピンクとかないわー」

 

「小僧、死にたいのかい?」

 

「すみませんでした」

 

 死がチラつけば、即座に土下座。幸いにもこのババア、応対を見る限り話が通じそうだ。下手に出るしかない。

 

「ふむ、まあ良いわ。それで小僧、アタシになんぞ用でもあるのかい?」

 

「用っていうか、ごうけつぐまに追われてるんで匿ってください」

 

「どうせ粋がって喧嘩でも売ったんだろう?そりゃあ、自業自得さね」

 

「とんでもない!あの熊、急に襲い掛かってきたんですよ!意味わかんねえ!」

 

「そうかい。ま、それが真実としてもアタシにゃかんけーないね」

 

「そこをなんとか!雑用とかなんでもしますから!」

 

「ほう、小僧のくせに対価を見せるか。交渉のなんたるかが分かってるようだねえ?」

 

 ケヒヒヒ、と気味の悪い声で笑いながら、ピンク色のババアは土下座する僕の前で膝を折った。

 

「アンタ、名前は?」

 

「ぜ、ゼンクロウです」

 

「ではゼンクロウ。アンタ、アタシの雑用係兼、実験台になりな」

 

「じっ、実験台だとぉ……!?」

 

「なぁに、死ぬような実験はしないさ。ちいとばかり痛みはあるかもしれんがねえ……」

 

 またもケヒヒ、と笑うババアに怖気が走る。が、いよいよ近くなってきた背後から迫る音がそれ以上の恐怖を感じさせる。

 

 もはや、うなずく以外にない。

 

「わっ、わかりました!不肖、ゼンクロウ!ピンク色のババアにこの命預けます!!」

 

「おばばだっつってんだろ!!」

 

 スパコーンと後頭部を叩かれ、僕はその場に突っ伏した。

 

 

 



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03.騎士と大王とボス

 グルルァァ、とうなりを上げる『ごうけつぐま』に対峙しているのはピンク色のとんがり帽子とローブを着た横に太いババアだった。その手には全体がピンク色に塗りつぶされた箒がある。

 

 魔女といえば箒。確かにそれは間違っていない。間違っているのは色彩センスだ。どうなってんの、あのババアの感覚。

 

 こそこそとババアの後ろに隠れながら、僕はそんなことを考えていた。

 

「何をそんなにいきり立ってるんだね?ごうけつぐまの」

 

「グルああああ!!」

 

 今のを要約するとこんな感じのセリフだった。

 

『そいつがいい気分で寝てた俺の鼻先で聖水のくっせええ匂いを嗅がせやがったんだよォ!おまけに気持ち悪ぃ糸を絡ませやがって!!』

 

 えっ、マジ?そんな理由で怒ってたの?

 

「匂いくらいで僕を殺そうとしたの?とんでもねえな魔物」

 

「カカカ、見た目の通り、暴れん坊が多い種族だからねえ。でもな、ごうけつぐまの。ここは引きな。この人間の小僧はアタシと取引したんだよ。実験台になるっていうねえ」

 

「グォオオオ!!」

 

「失礼な熊っころには少しばかりお仕置きが必要かね……?」

 

 ピンク色のババアはそう言って箒を槍のように構えた。

 

「閃熱魔法───ギラッ!!」

 

 箒の先がばちっと音を立てたかと思うと、光がほとばしった。閃光は目にもとまらぬスピードでごうけつぐまの肩にぶち当たった。

 

「グルァアアア!!」

 

 突き抜けまではしなかったが、ごうけつぐまの体毛は焼けて消し飛び、熊肉も間違いなく焼け焦げている。けれどもさすがは魔物か、その程度ではひるまない。叫びながら突進してくる。

 

「ばーちゃん!危ない!」

 

「ちょっ、小僧!?」

 

 瞬間、周りがとてつもなくスロウリィになった。思わず飛び出してしまった僕の手がまほうおばばのピンクローブに触れる。おばばはその年に似合わぬ素早い反応で、右に跳び退ろうとしていた。

 

 それに合わせるように力を込め、跳ぶ勢いを後押しする。けれども僕の体はそのまま前へと進むだけだ。そして、そこには凄まじい勢いで迫るごうけつぐまがいた。

 

 まるでトラックの真正面に出たみたいだ。あの勢いならぶん殴られる以前に、跳ね飛ばされてご臨終は間違いない。つまり、このスロウリィ現象は死ぬ間際に見るというアレに違いない。

 

 このままいけば数瞬後には空の彼方で走馬燈か。冗談じゃない!

 

 何かないか、と思ったが、子供の僕に肉体面でここから立て直す方法などあるわけもない。であれば、先ほど見たアレにかけるしかない。

 手の平に力を集約するイメージ。できるはずだ、できなければ僕は死ぬ。死ぬ間際の、火事場の馬鹿力よ!今こそ僕に!

 

「ギラッ!!」

 

 手の平でぽすん、と情けない音が鳴った。

 

 マジかよ。

 メラにすれば良かった────

 

 そんな後悔が胸に広がっていく最中、視界が白銀に覆い尽くされた。

 

「いい気合いだ、少年」

 

 流麗なイケメンを思わせる声。その声と共に、剣戟が始まった。それもひどく一方的な。美しい剣閃が弧を描き、空中を走る。その度にうめき声と鮮血が舞った。

 

 体感時間がいつの間にか通常に戻り、気付けばごうけつぐまは満身創痍で立ちすくんでいる。僕の目の前の奴がやったのだろうか。

 

 その姿は一言でいえば白銀の騎士だった。左手に盾を構え、右手には美しく輝く、手入れの行き届いた刀剣を持ち、背中の白いマントは風を受けて優雅にひるがえる。

 

 命の危機に現れたそいつは間違いなく───

 

「『さまようよろい』……!」

 

 ちょっとだけ勇者を期待して、残念に思った僕を責める者はいまい。

 

「ぐっ、グゴオオオオ……!」

 

「やれやれ、ナイスタイミングだよ、我が騎士。小僧が飛び出してきた時にはどうなるかと冷や冷やしたけどねえ」

 

「アッ、ハイ。無謀ですみませんでした」

 

 素直に頭を下げると、白銀のさまようよろいは気にするな、とでも言いたげに剣を軽く振った。

 

「さて、どうするかい、ごうけつぐまの。我が騎士が来て二対一。それでもやるかねぇ?」

 

 ひひひ、と意地悪く笑うピンクババアはまるっきり悪役の面だった。まあそうだよね。魔物だもんね。そもそも悪役だったよね。

 

 でも悪役といえば、向こうの熊だってそうだ。このままおとなしく引き下がってくれるだろうか。どうせなら「覚えてろー」ってお決まりのセリフ吐きながら逃亡してくれるとありがたいんだけど。

 

 ごうけつぐまは、ふしゅるる、と荒い息をつきながら、血走った眼で僕らを見ていた。完全に頭にキている感じだ。こりゃダメだ。説得無理。

 

「無力化できるかい、我が騎士よ」

 

 無言だったが、白銀のさまようよろいは頷いたようだった。

 

 対峙する魔物三体。裂ぱくの気合がはじけ飛ぼうとした瞬間、

 

「あいや待たれい皆の衆!!」

 

 少々甲高い、何者かの声が水を差した。

 

 まだ出てくるのか。さすが魔物だ。一匹いたら百匹はいるな。

 

 きょろきょろと辺りを見回してみれば、あからさまに揺れている木々があった。それと一緒にどすんどすんと、重々しい音も響いてくる。

 

 やがて、大きな木々を掻き分けて現れたのは、もう一匹の豪傑熊だった。そいつは僕を追ってきた個体よりも一回り体が大きかった。首の下あたりには白い毛が十字模様に生えていて、巌のようにずっしりとした、どこか威厳すら感じるような個体だ。

 

「ボスだ」

 

 自然とそんな感想を抱くほどに強烈な存在感だった。まさに豪傑。その名に相応しい。

 

「おや、帰ってきたのかい、大王」

 

「うむ!しかし吾輩、帰るなり闘争に巻き込まれるとは思わなんだぞ!」

 

 妙に甲高い声だった。このボスっぽいクマには全然似合わない。

 

「ぐおお」

 

 そうそう、こういう重低音の方が似合っている。

 僕を追いかけていた方のごうけつぐまも、ボス熊が現れてからはどこか二の足を踏んでいるように思えた。

 

 ボス熊はどすんどすんと相変わらず音を立てながら僕らの方に近づいてきて、その場にどっかりと腰を据えた。器用にも胡坐をかいている。

 

 その熊の頭から何か小さいものがぴょんと飛び降りた。

 

「さてさて、事情は大体そこらの魔物から聞いておるぞ!そこなごうけつぐまよ!相手が人間とはいえ、それは襲うにも足らぬ理由!その上、ここなおばばが仲裁に入って尚止まらぬか!無作法にもほどがあるぞ!!」

 

 甲高く喚き散らしているのは小さな赤いカエルだった。

 

「ねえ、ばーちゃん。このちっこいの何?」

 

「何とはなんだこの人間の子供め!吾輩は大王である!!」

 

「大王って……大王ガマ?」

 

「うむ!ゆえに大王よ!」

 

 変な笑いが出てしまった。

 

「おやおや、所詮は人の子よ!吾輩の威厳でちとおかしくなってしまったようだのう!」

 

 なんて幸せな頭をしてるんだろうこのカエル。これで大王ガマって。手のひらサイズじゃないか。

 

「ごうけつぐまよ!ここは我等に免じて、ちょっと可哀そうな頭の人の子を、許してやっては……あ、くれまいか!」

 

 えっ?かわいそうなのはカエルさんの方ですよね?

 

「ぐおお」

 

 ボス熊さんもどこか苦笑してらっしゃる。

 

 そんなカエルさんに、キレていたごうけつぐまさんも毒気を抜かれてしまったようで、「グァァア」と、やる気のない声を出した。振り返って四足で歩き始める。

 

「うむ!これにてぇぇぇ、一件落着!!」

 

 いい感じにカエルさんが締めようとしたが、僕はそれを完全に無視して帰り始めたごうけつぐまへと駆け寄っていく。

 

「小僧、危ない真似をするでない!!」

 

 ピンクババアの焦った声も聞かず、僕はごうけつぐまを呼び止めた。

 

「その、なんかケガさせて悪かったよ。これはお詫びだ。癒しの力よ───ホイミ」

 

 今までの僕ではできなかった魔法。その力は淡い光となってごうけつぐまの体を包んだ。優しく、優しく。できる限りその痛みを和らげてやろうと力を込めた。

 

「ほお、あの小僧、やりおるわ」

 

 光が収まると、ごうけつぐまは首だけをこちらに向け、

 

「ガルァアアア」

 

 もっと寄こせと言った。あれ、足りてない?仕方ないなあと思いつつ、もう一度力を込める。込めるが、うんともすんとも言わない。代わりに妙な倦怠感が身を包む。

 

「あっ、そうか。たぶんMP切れだコレ」

 

 微妙な空気が辺りを包んだ気がした。

 

「さっ、さまようよろいさん!!あの、ホイミスライムを……!」

 

「こいつにホイミスライムを呼ぶ力は無いよ」

 

「なんて……ことだ……!!」

 

 常識を覆されて、僕は膝をついた。恥ずかしくて、少し泣いた。

 




 ゼンクロウ は レベル が あがった!
 ホイミ を おぼえた!


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04.魔法おばばの小間使い

 ひょんなことから『魔法おばば』のばーちゃんの小間使いとして働くことになった僕だったが、それはとても前途多難なものだった。

 

「ひぇっひぇっひぇっひぇっ。練れば練るほど色が変わって……」

 

「不味いッ!」

 

 大瓶(おおがめ)をかき混ぜるばーちゃんの姿は完全無欠のアレだった。そして混ぜられているその中身は完全無欠に不味かった。マジでどうしようもないくらい不味かった。

 

 おごごご、と変なうめき声をあげる僕にかまわず、ばーちゃんは目をキーラキラさせて(かめ)の中を練りまわしている。

 

「ね、ねえ、ばーちゃん。これなんの薬?」

 

「魔力が回復する薬さね」

 

「魔力減らさないと効果わかんないじゃん!」

 

「おーっと、そうだったねえ。じゃあホイミでも唱えてから飲んでみておくれよ。も・う・い・ち・ど」

 

「ぐっ、このクソババア……!わざと言わなかったな……!!」

 

「はぁん?あたしゃ最近耳が遠くてのう。何言っとるかとーんと聞こえんのー」

 

「じゃあ魔力使ってやるよ!メラッ!」

 

「マホカンタ!」

 

「熱ゥッ!」

 

「ほほ、こりゃおあつらえ向きの火傷したねえ。ほれ、ホイミ唱えて治すがいいよ」

 

「うぐぐぐ、そして薬を飲めと……?」

 

「そうさね。まったく、アンタは素晴らしい実験台だよ」

 

「くっそぉおおおおお!ホイミ!そしてまっずぁあああああ!!」

 

 日々こんな感じだ。しかもこういう薬、効果だけはマジであったりするのが性質悪い。ここ数日で僕はどれだけ叫んだだろう。ゼンクロウさんのクールなイメージが台無しだよ。

 

 そんな風に苦しむ僕を横目に、すぐそばのテーブルでは大王と白銀の彷徨う鎧がチェスっぽい何かをやっていた。

 

 カツン、とルークっぽい駒を動かして、大王が舌をびろんびろんと伸ばした。

 

「ゼンが来てからというもの、吾輩、真の平穏を得た気分である」

 

「なんだよ、大王だって飲めばいいじゃん」

 

「嫌なのである。ゼンが来る前に散々味わったのである。マジで地獄の日々であった……」

 

 遠い目をする大王は心の底から平穏を享受しているようだった。僕という尊い犠牲があることを忘れないでほしい。

 

「シロガネさんも飲んでたの?」

 

 尋ねると、白銀の彷徨う鎧はポーンっぽい何かを一マス進めてから、ふるふると兜を横に振った。まあそうか。口とかないもんね。

 

「んで、ばーちゃん。今日の分は終わり?」

 

「残念だけどねえ、もう試すようなもんはないよ。明日にはできるけどねえ」

 

 ひひひ、と笑うばーちゃんの顔はマジで魔女そのものだ。でも太ってるせいか怖さは微妙な感じだった。

 

「ねえばーちゃん」

 

「なんだい小僧」

 

「痩せなよ」

 

「うるさいわ!用は済んだんだからとっとと帰りな!!」

 

「雑用はいいの?」

 

「ああ、今日はいいのさ。あいつがそろそろ来るからねえ」

 

「あいつって?」

 

「しばらく待ってりゃ来るだろうさ。ほれ、帰る気がないんなら、邪魔だから外でシロガネと稽古でもしてな」

 

 追い立てられるように家の外に出されてしまった。

 

 でもまあいいか。誰か知らない人が来るみたいだし、せっかくなのでシロガネさんに稽古つけてもらいながら待ってみよう。食料は山の幸で賄えるし、畑仕事は休みってことで。パっつぁんに後で怒られるかもしんないけどまあいいや。

 

「そんじゃ、シロガネさん、よろしくお願いシャース」

 

 シロガネさんは盾を投げ捨て、片手で剣を構えるとゆっくりとうなずいた。シロガネさんはとても無口だ。でもそれを補って余りあるほど、その物腰、所作で雄弁に語ってくれる。

 

 僕はばーちゃんの家の中に転がっていた刀っぽい、こんなのあったっけっていう感じの剣を上段に構えて吐息を練る。

 

 一刀目。袈裟に切りかかると、シロガネさんはそれに合わせて軽く受け流す。絶妙な力加減でそらされたそれを、切り返す形で振り上げて二刀目。けれどこれもまた、簡単に弾かれる。

 

 僕の剣技はものすごくお粗末だけど、それでもシロガネさんの技の冴えは常人をはるかに超えた域にあるのが分かる。たぶん、ただの『さまようよろい』じゃないんだろうなあって感じさせるものだ。まあそれを言い始めると、ここに住んでる魔物達全員がそうなんだけど。

 

 あ、でも大王だけはよくわかんないなあ。ちっちゃいカエルだし。喋れるのはびっくりしたけど。

 

 とかく、シロガネさんは魔物以前に凄まじい腕を持つ剣士で、その上、教えるのがめちゃくちゃ上手い。剣を合わせている間、完全に無言なのに、なんか知らんが僕という素人でもめっちゃ剣技のアレコレが理解できるのだ。自身の技量が上がっていくのを明確に自覚できる僕はきっと幸せ者なのだろう。

 

「ありあとやしたー!」

 

 大量の汗を垂らして、僕が限界だ、というところになると、決まってシロガネさんは先に剣を引く。僕自身ですら気づかないそれをきっちり見据えて指導してくれるのだ。シロガネさんマジ尊敬する。パネェっす。

 

 そして、ここから始まるのは僕と森のグラップラー、豪傑熊(ごうけつぐま)十文字(じゅうもんじ)との相撲だ。

 

 十文字はここら辺りの『ごうけつぐま』の中でも頭一つどころか三つ四つ飛び出た最強の存在らしい。思った通りだった。だって存在感からしてパネェもん。

 

 そんな十文字だが、普段は非常におとなしい。そんでシロガネさんに負けず劣らず無口だ。

 

 今も定位置の芝生の上に座って、周囲を飛び交うちょうちょに空猫パンチして遊んでいる。決してちょうちょには当てないが、腕を振るう度に風圧で軽くちょうちょが吹き飛んでいるのはご愛嬌ってやつだ。

 

 僕はとてとてと十文字に駆け寄って、その大きな体に抱き着いた。

 

「毛がふかふかでとても気持ちいい……でも獣くせえ……」

 

 十文字は心外だとばかりにふんす、と鼻息を鳴らすが、臭いものは臭い。

 

「風呂入ろうよ、十文字。せめて水浴びとかさー」

 

 またもふんす、と鼻を鳴らして十文字はぷいと横向いた。

 

「つれないなー」

 

 そんな何でもない会話をしながらも僕は全力で十文字の体を押していた。

 

 十文字が言うには、まずは体を作らないと話にならないんだそうだ。なので、基礎体力をつける走り込みなんかに加え、こうやって十文字をこの芝生から押し出す、という稽古?をつけてもらっている。これが相撲の正体だ。

 

 もし押し出せれば十文字式熊殺し格闘術を教えてくれるらしい。ちょっと燃えるよね。

 

 で、一時間ほど休みを挟みながら押したけど、やっぱり今日も十文字を押し出すことはできなかった。

 

 十文字って体格から考えると体重一トンぐらいあるんじゃねえの?

 だったら、そもそも無理じゃんこれー。

 

 と、愚痴を吐いたらシロガネさんが無言で十文字に近づき、片手で押し出した。

 それから、ぐっと親指を立てて僕にサインをくれる。お前ならやれるってことですね。

 シロガネさんやっぱパネェっす。

 

 

 

 

 

 その後は、ばーちゃんの薬の完成を遅らせようと、たまに茶々入れながら魔法の練習をしていたのだが、そこへ変な二人組が現れた。

 

 一匹は青白い肌に蝙蝠の羽を持つ吸血鬼っぽい魔物。口に収まりきらない飛び出した牙がなんかキモイ。

 

 もう一匹はその吸血鬼の周りをうろちょろする、小さな悪魔っぽいベロ出し小僧。装備がフォークなのがなんとも……農作業に使えそうだな。パっつぁんにあげたら喜ぶかな。

 

 うーん、なんだか二匹とも口から余計なものが飛び出してる感が凄いなあ。

 

「あの、どちらさまで?」

 

「おー、オメーが婆様の下僕になったって人間かァ!ヒュー!なんだか弱そうなヤツだなァ!」

 

「アッ、ハイ。下僕じゃないですけど、ゼンクロウと言います」

 

「オウ、オレッチはベビーサタンのベヒモンよォ!そんでこっちのお方が……」

 

「初めまして。バーナバスのバルナスでございます」

 

 僕らが簡単な挨拶を交わしたところで、家の扉が勢いよく開いて怒鳴り声が響いた。ばーちゃんマジうるさい。

 

「ほら、とっとと入って話を済ませな!あたしゃ忙しいんだよ!」

 

 バルナスさんは肩をすくめると、それでは、と言葉を残してそそくさと家の中に入っていった。何を話すか知らないけども、ばーちゃん相手に一人で大丈夫かな。あ、よく考えたら大王もいるか。

 

「というか、君はいかないの?ベヒモン……君?」

 

「オウ!オレッチが行ってもわからねー話だかんな!それよっかゼンクロウ!オメー、オレッチがバー様の一番弟子って知ってっかァ!?」

 

「マジで!?」

 

 あのババアの弟子だと!?正気かこのベロ出し小僧!!

 

 僕が驚きをあらわにすると、それに満足したのか、小さな羽をばたつかせて空中でくるくると回り、ベヒモンは尊大に言う。

 

「くひひ、そうともヨォ!オメーのようなポッと出の新弟子なんぞオレッチの足元にも及ばねえンダゼェ!?」

 

「お、おお、そうですか。ちなみに弟子とはどういったことを……?」

 

「ああん?修行の内容かァ?そいつぁオメーとそう変わらねえだろうよォ。掃除、洗濯、炊事に薬の被検体……巻き割りや畑の手入れもやってるぜェ!?」

 

「くうっ!」

 

 なんて悲しい人なんだ。完全にアゴでこき使われてる……ッ!僕より酷いッ!

 

「ヘヘェ、悔しいのかァ?そりゃそうだろうなあ!なんたってオレッチはメラが使えるんだからよォ!」

 

「えっ、メラだけ?」

 

 あからさまにショボい感を出して僕が言うと、ベヒモン君もまた、あからさまに慌てだした。羽めっちゃバタついてる。

 

「あっ、いっ、いやっ、もっ、もももも勿論ヒヒヒャドだって使えるぜェ!?」

 

「メラとヒャドだけです?」

 

「ななななんでェ文句あんのかバッキャロォ!そういうオメーは何が使えんだヨォ!言ってみやがれェ!」

 

「え、僕?メラとヒャドとギラとホイミと、あ、補助系だとピオリムも覚えたよ」

 

「マジでェ!?ちょ、おまっ、つつつつ、使って見せろォォッ!!」

 

「アッ、ハイ。じゃあ順に行きまーす」

 

 メラとヒャドとギラを使い、シロガネさんに全部無効化して弾いてもらう。ホイミとピオリムに関してはベヒモン君本人にかけてあげた。

 

 ベヒモン君は約二倍になったスピードで空中をくるくると転げまわり、何やらひとしきり叫んだあと、僕につかみかかってきた。

 

「どうしたの?」

 

「あっ、ああ、ああああ兄貴と呼ばせてくださいッ!!」

 

「えーっと……」

 

 チョロすぎるよ、この小悪魔。



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05.異質な少年

「ねー、おにいたん。おにいたんはろこからきたのー?」

 

 親指を咥えたヨミに問われて、僕はうーんと唸った。

 

「一体どこからだろう?」

 

「しらないのー?」

 

「うん、知らない世界だ」

 

 たぶんこの世界じゃないんだろうなあ。何の疑問も抱かせずに浮かんでくるこの世界の詳細知識からして、おそらくはここを俯瞰できるような上位世界とでも言うべきところなんだろうけど。

 

 正直言って、なんかロックっぽいものが掛かってて分かんないんだよね。

 このことについて考え始めると微妙に意識が混濁し始めるし。なんとなくだけど、この世界で生きる人間として、過去は捨てろって言われてる気がする。

 

 でも知識は使っていいとか、微妙にアレな感じだよね。ダブルスタンダードってやつ。とはいえ、その知識も記憶の中からあふれ出てくる、そう、「思い……出した!」って感じのヤツだし、何かトリガーでもないと能動的に使えないんだよなあ。しかも僕自身、その知識が当然と思っちゃってるから、ちょくちょく知らないはずの知識であることに気づかなくて、有効活用することもできなかったりするし。

 

 よく考えてみたら、ばーちゃんとかシロガネさんとか、この地域にいないはずの種族なのに、なんで僕知ってんの?ってあとから驚愕しちゃったよ。この分だと、異次元知識で無双とか無理っぽい。それで困るわけじゃないけど、まったく。

 

「不便だよね」

 

「んにゅ?」

 

 首をかしげるヨミ。年相応に可愛らしいその姿に癒される。思わずくしゃくしゃと頭を撫でまわしてしまった。

 

「結構髪伸びたね」

 

「のびたー」

 

 ちょっとボサボサ気味の黒い髪を撫でまわし続けていると、ヨミは目を細めて僕に身をゆだねる。ああ、本当にかわいいなあ、この子は。守りたい、その笑顔。

 

「だああ!もうっ!サボんなゼン!仕事しろぃッ!!ヨミもカーチャンとこに行けって言ったのに!」

 

 目を背けたい、その怒り。

 パっつぁんは鍬を振りげて思いっきり畑に突き刺すと、幼いヨミへの配慮を忘れたように遠慮なく喚き散らす。まったく、子供相手になんて言い草だ。頭冷やした方がいい。

 

「ヒャド」

 

 つぶやくと小さな氷の球が空中にできて、そのまま自由落下した。ごつん、と音が鳴る。

 

「いでぇッ!何すんだゼンッ!」

 

「頭冷やしてもらおうと思って」

 

「ぶつけたところがむしろ熱くなったわ!」

 

「やれやれ、ヨミのおとーちゃんは熱血漢だね」

 

「おとーちゃん、あつくるしいのー。おかーちゃん、ゆってたー」

 

「ヨミまで……俺の何が悪いってんだ。チクショウ、たんこぶできちゃってるよ。マジで痛ぇ」

 

「心が?」

 

「頭がだよ!」

 

「仕方ないなあ。これで冷やしたらどう?」

 

 畑の中に割って入り、転がっていた氷の球を布にくるんで渡すと、パッつぁんはそれをおでこに当てて、ふう、と一息ついた。

 

「ふふん、僕のおかげで氷があったんだよ?」

 

「その氷でケガしたんだけどな」

 

 ごもっともで。

 お前のせいだろ、と明言しないあたりパッつぁんは良く分かってるお人だ。さすがに悪いと思ったので、その後は真面目に畑仕事した。ヨミは近所のお子さん数人と一緒に走り回ってなんかしていた。

 

 辺りが暗くなって、帰り際。

 いつも通りヨミを肩車してのしのしと歩く大柄なパっつぁんは、額のあたりをさすりながら一つぼやいた。

 

「つーかよ、ゼン。氷じゃなくて、ホイミかけてくればいいのによ」

 

「そんなものもあったね。忘れてた」

 

「マジかよ」

 

 マジだ。本当に有効活用できてない。ウケる。

 たんこぶは冷やすもの。当然の知識だから仕方ないよね。

 

「魔力節約ってことで一つ」

 

「じゃあヒャドとかすんなよ」

 

「すんあよー」

 

 ぐうの音も出ないわ。

 

 

 ◆

 

 

 僕は『まほうおばば』であるばーちゃんのところにちょこちょこ通ってるわけだけど、それはパっつぁん達も周知の事実だ。危ないからやめろと言われるでもなく、大王を頭に乗せた十文字が迎えに来ても怯えることもなく、淡々とその事実を受け止めてくれている。

 

 というか、昔から村ぐるみでばーちゃんと交流があったみたい。

 でもばーちゃんが魔物だということは知らなかったそうで、晩飯食った後にそのことを告げるとさすがに驚いていた。

 

「いや、確かにババアは俺が生まれる前からあの姿らしいしよ、結構年齢いってるはずなのに、20年も生きてられんのはちょっと妙だとは思ってたんだよ」

 

「アンタ、恩人に何失礼なこと言ってんだい!おばば様のおかげでアタシ達は魔物に襲われずに済んでんだよ!」

 

「おばばしゃまはおんじんー。おくすりもくれゆー」

 

「そうだねえ、おばば様は大事にしないとねー」

 

 ヨミを抱きしめてハートマーク出しまくりなカーチャンこと、ミトさんもばーちゃんの事は悪く思ってないらしい。

 

「しかし、アンタに魔法の素養があったのは驚いたよ」

 

「フフフ、このゼンクロウ、単なる穀潰しじゃないのだよ」

 

「そうだねえ。小生意気なクソガキだねえ」

 

「カーチャン容赦ねえな。俺もそう思うけどよ」

 

「夫婦そろってひでえ」

 

 だが、どうしようもない事実だ。頭で考えるよりも先に口が出る。それはもう僕の性分と言って過言ない。余りにも『しょうじきもの』過ぎる性格が災いしているわけだ。この性格を変えるとしたら、もうそれは『本』を読むしかないだろう。

 

「『しょうじきもの』はつらいなあ」

 

「アンタが『しょうじきもの』だって?ハッ、ちゃんちゃらおかしいねえ」

 

「お前みたいなのは『ひねくれもの』って言うんだぞ。覚えておけ、ゼン」

 

「ひでえ」

 

「ちあうー、おにいたんは、『いっぴきおおかみ』らよー」

 

 娘の評価を聞いて怪訝な顔になる夫婦。全然似合わねえって言いたいんだろう。でも僕はなんとなくだけどその理由が分かる。

 

「もしかしてルビス様がそう言ってるの?」

 

「あいー」

 

 やっぱりね。

 根本的に存在が違うってことなんだろうなあ。

 

「おとーさん、おかーさん、僕はいずれ、旅に出ます」

 

 その言葉に二人は少しばかりぎょっとして、でも淡々とその言葉を受け止めた。少しばかり悲しそうな顔をしているのは気のせいじゃないと思いたい。

 

「そうかい」

 

「その時は娘さんを僕に下さい」

 

「あんた、こいつ殺そう」

 

「よし来た」

 

「冗談が通じねえ!?」

 

 全然淡々としてなかった。激情で『般若の面』かぶったような顔になってた。

 

 そのあと、しこたまミトさんに尻を叩かれ、冗談でもそんなこと言うんじゃないよ、と叱られた。パっつぁんも神妙な表情して拳骨を僕の頭に一発叩き込んでくれやがった。

 

 その日は一晩中、出来上がったたんこぶと腫れあがったケツにひたすらホイミをかけ続けた。よし、魔法を有効活用できてる。失敗から学ぶ僕偉い。

 

 犬のごとき格好で突き出したケツに淡い光を纏っていると、ヨミが眠たそうな顔で言う。

 

「おにいたんはあほー」

 

 確かにアホみたいな格好だ。まさに無様。でも、ヨミが自分からそんなこと言うなんて思えないし、もしかしてこれは。

 

「ルビス様がそう言ってるの?」

 

「あいー」

 

 ルビス様も容赦ねえな。



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06.時折危険を挟みつつ、日常は続く

 いつものように十文字が迎えに来ていた。頭の上には大王がいつものごとく居座っていて、何か俳句のようなものを繰り返しさえずっている。カエルが俳句とか。

 

 古池や蛙飛びこむ水の音。ふと思い至ったのでその句を告げると、大王は非常に喜び、そして感じ入っていた。風情があるとのこと。その気持ちは分からんでもないけど、あいにくと飛び込まないカエルもここにいる。大王って水場嫌がるんだよね。十文字と同じだ。カエルのくせに風情もクソもない。

 

「飛び込んで見せてよ、大王。僕はそのたびに風情を感じると思う」

 

「飛び込まないがゆえに、吾輩は既存の同種と一線を画す貴種であると謳うのである!」

 

「つまり、ただのカエルじゃねえ馬鹿にすんなってことだね」

 

「そう言われると身も蓋もないのである!」

 

 舌をべろんべろんと伸ばしながらぷりぷり怒る大王に恐れなど皆無。何しろ何百倍という大きさの十文字を付き従えているのだから。十文字的にはめんどくせえから相手にしてないだけだろうけど。

 今もあくびを掻きつつ、どっかりと座り込んで僕らの会話に入ろうともせず、すんすんと鼻を鳴らしている様子は自由気ままな性分を如実に示していた。

 

「十文字は目ざとい、もとい鼻が利くね。食べる?」

 

 そう言って僕が差し出したのは手のひらの上で句を練り、瞑想する大王だった。話している間に十文字によじ登ってさらったのだ。十文字はめっちゃ嫌そうな顔をした。

 

「吾輩を食料と呼ぶかこの人の子めが!身の程を知れ!」

 

「大王こそ身の程を知って池に飛び込むべきだと思うよ」

 

「そんなことをして何になるというのだ!」

 

「新しい世界が見えるよ。井の中の蛙、大海を知らずって言葉もあるしね」

 

 ほほう、とカエルが唸る。いやゲコゲコと唸る。

 

「意味はなんとなくわかるのであるが、面白い句であるな。もっとも、吾輩には適用されんものであるな!」

 

 今度はゲコゲコと笑った。

 

 されど、空の青さを知る、のだろう、大王は。吾輩吾輩といつも偉そうだが、事実、人語を解する己の特異性を知っている。ちゃんと自分を知っている。もちろん、己を超える者への敬意も。だからこそ、十文字は気ままな性分を少しばかり押し殺して、大王の言うことを聞いているのかもしれない。

 

「十文字、これあげるよ」

 

 今度こそ差し出したのは焼き魚だった。塩焼きだ。

 そう、塩をまぶしてあるのだ。

 

 塩は山一つ越えたところにある岩塩の産地までおもむき、自分の手で削り落として入手した。割と魔物が出る場所なのでそれなりに危険な場所だが、最近魔法を覚えた僕はちょっと調子に乗って出掛けて、そして死にかけた。昨日のことだ。

 

 別の個体の『ごうけつぐま』にもぐもぐされかけていたところを、心配して探しに来た十文字に助けてもらったので、今回はそのお礼なのだ。

 

 十文字が戦うところを実際に見るのは初めてだったが、凄まじきは十文字式熊殺し格闘術よ。熊の体で関節技を極め、打突は人中など熊にとっての急所をこれでもかと抉る。なるほど、確かに熊殺し。僕には習得できても真似できないなあ、と呆れを覚えるほどだった。

 

 脅威を排してのち、村の近くまで来たところで、僕は疲れ切った体を叱咤し、数匹の魚を捕まえた。川の一部をヒャドらせて捕まえたのだ。中には結構な大物もいた。子供の体だと両手で支えても違和感ない大きさだ。

 

「ぐおお」

 

 あんまり無茶すんじゃない、とたしなめつつも十文字は選りすぐった大物を素直に受け取って丸ごとかぶりついた。大物なのに十文字が持つとひどく小さい。結果、ほとんど一飲みで平らげていた。すげえな熊。

 

「吾輩には何もないのであるか?」

 

「カエルの餌はないね。蚊とか蠅とか虫系食べるんでしょ?」

 

「失敬な!吾輩は好き嫌いしないのである!」

 

「雑食?」

 

「そうである!」

 

 憤慨しながら舌をベロンと伸ばして飛んできた蚊を飲み込んだ。虫好きだなあ。古池に飛び込まなくてもやっぱただのカエルじゃん、と感じ入る僕の袖を小さな影が引っ張った。

 

「どしたの、ヨミ」

 

「かえるしゃん、ほしい」

 

「ごめんね、これは買ってあげられないんだ」

 

「吾輩は売り物ではないのである!ゼンはもうちょっとこう、吾輩に手心というか……」

 

 手のひらの上でちょっとばかり消沈している大王をそっと十文字の頭に乗せると、ヨミはうぅ、と少しばかりぐずってふかふか毛玉こと十文字に抱き着いた。悲しそうな顔が一転して安穏な顔つきになり、やがて眉根が寄る。

 

「ふわふわー。でもくしゃい……」

 

「だよね。でもふわふわの魔力に勝てないんだ。どうしても」

 

 ふんす、と鼻を鳴らして十文字は水浴びは絶対しねえと断言した。この野郎、命の恩人とはいえ、容赦しねえかんな。いつか絶対に水ん中に叩き込んでやる。そのときは大王と共々、茹でガエルと茹で熊だ。湯という快楽に沈む恐怖を味合わせてやる。

 

 そんな感じで話に収集がつかないまま、僕は十文字の背に乗ってばーちゃんのところへ向かう。もちろん、小さなヨミはお留守番だ。

 

 切り開かれた森の奥の一軒家にたどり着くなり、例のごとくばーちゃんのクソ不味い謎液体を飲み干し、謎固形物を噛み砕く。舌が馬鹿になりそうだ。うへえと呻くたびニタニタと笑うばーちゃんが憎い。

 

 不甲斐ない僕に比べて、隣で一緒に味わうベヒモン君はけろりとしたものだった。もう慣れきってしまったらしい。不憫さのあまり涙する僕を、彼は兄貴と呼び慕い、魔法について尋ねてくる。

 

「兄貴!ヒャドがどうしてもできないっス!コツを!是非ともコツを!」

 

「そうだねえ。例えばシロガネさんが今ここで抜刀したとする」

 

「はい?」

 

「そして突然ベヒモン君に切りかかるんだ。白い閃光のような一撃が容赦なく体を割り、血の雨が降る」

 

 ぞっとしない妄想だ。なんだかんだ言って彼らは魔物。そのような光景を実現するのに躊躇はないだろう。理性があるからそれをやらないだけだ。

 

 同じく想像したのだろうベヒモン君は青い顔をして、微妙にシロガネさんから距離を取ろうと後ずさった。ちょっと悲しそうな雰囲気を醸し出すシロガネさんが笑える。

 

「今背筋に冷たいものが走ったでしょ?それがヒャドだ。その凍えるような冷たさを手のひらに集めて吐き出すんだ」

 

「兄貴、全然わかんねえ」

 

 だよね。僕もだよ。

 それは口には出さずにすっげえ曖昧な説明をしつつ、お茶を濁す。そこで見かねたばーちゃんがちゃんとした説明をするのがいつもの流れだ。

 

 どうも僕は感覚的に過ぎるらしい。天才肌ってやつなのかもしれない。ばーちゃんは理論を放り出しただけの面倒くさがりと断じるが、うん、まったくもってその通りだ。否定できない。ほとんど勘で使ってるし、魔力とかわかんねーよ。考えるな、感じろ、しか言えねーよ。

 

 ともあれ、そんな感じで魔法の勉強をしつつ、時に剣の稽古をつけてもらい、十文字に抱き着いて、いつもの日常を過ごした。

 

 そして、暗くなる前に今ではすっかり馴染みとなった元廃屋の我が家に帰る。

 そこにはヨミが一人で待っていた。変なものを抱きしめて。

 



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07.小鳥拾った

「たまごひおったー」

 

「でっかいねー」

 

 ダチョウの卵みたいだ。ヨミの体の半分ほどもあるが、それを抱えてにこにこと笑うこの子は本当にかわいい。

 

「たまごやきたべゆー」

 

「すげえでかいのができそうだ。豪勢だねー。食べきれる?」

 

「あいー」

 

 なんという食欲。卵を拾ったらどうするか?子供ならば一時の好奇心に従い孵化させようとする、というのが通説だろうが、ヨミにそれは通じない。弱肉強食を飲み込んだ笑顔がまぶしい。

 

「おなかへったー」

 

「カーチャンが作ってくれてるんじゃないの?」

 

「そんちょーさんがまだいゆのー」

 

「あー、そっかあ」

 

 ヨミを巫女様候補としてこの国の女王のところにやる話が盛り上がってるんだろう。今回、僕が取ってきた岩塩が原因の一端だ。実はその産地、これまでは余人の知るところではなく、ヨミがルビス様からのお告げを聞いたところで発覚し、それを僕が証明してしまったのだ。

 

 これでヨミの将来はほぼ決定的。通例ならば年を経て神託の能力が消えてしまう可能性があるので、12を数えるまでは親元で過ごすのだが、ヨミに関してはその能力が高すぎるので範例に従うべきかがそもそも問われていた。ていうか神託が頻繁すぎるのだ。ルビス様暇なの?

 

「ひまじゃないのー」

 

「やっぱ暇じゃん」

 

 僕の心を読んでまで神託する意味があるのだろうか。精霊神様の考えることは良く分からない。

 

 資質への期待値が大きいとはいえ、やっぱりヨミは幼い。奏上に乗り気な村長さんが今すぐにでもと進めて、カーチャンがふざけんな爺って感じで抗議してるんだろう。今が一番かわいい時期だもんね。気持ちは分からんでもない。

 

 年老いた爺さんを鬼のように怒鳴りつけている様子が目に浮かぶ。下手したらぶん殴ってるかもしれない。ああ、そうか。だから僕が返ってくるのを見越してヨミを遠ざけたんだね?怖いカーチャンの姿を見せて嫌われたくなかったわけだ。なんだかんだ言ってミトさんも人の子だったんだなあ。怒ったら完全に鬼だけど。

 

 そうなると、いい加減飯作ってよ、ヨミが待ちきれないって言ってるよ?とヨミを理由にして合議の場に割って入るのも憚られる。

 

 感慨に耽っていても遠慮なく、ぐう、と腹は鳴る。まあいいや。せっかく材料もあることだし、とりあえず卵焼き作ろう。塩をふんだんに使った濃い目の味付けの卵焼き。もともと、ヨミの功績みたいなもんだもんね。報いないと。

 

 よし、と太ももを打ち鳴らしてヨミに手を差し出す。

 

「割ろっか?」

 

「あいー」

 

 びしり、と音が鳴った。見ればヨミのかかえる卵にひびが入っている。割る前に割れるとはこれいかに。

 

 こつこつという音がひっきりなしに鳴りはじめ、ヨミの体が小刻みに揺れる。不思議そうな顔もまたかわいい。

 

 ぼんやりと眺めていると、黄色いくちばしと薄い紫色の羽毛が覗けて見えた。やっぱり鳥か。半分割れた卵の殻から、ぴょこんと飛び出す上半身。ヨミと向かい合ったそいつから、ぴー、という鳴き声が響いた。

 

 ヨミが抱いていた卵をおいて四つん這いにしゃがみこむ。

 

「とりしゃん?」

 

「ぴー」

 

「翼がない……」

 

 さすがにどきりとした。翼がなく、その足はダチョウのように大きく、まるで顔そのものが胴体かのような薄紫の雛鳥。

 

「『デッドペッカー』じゃん。どうすんだこれ」

 

「でっどぺっかー?」

 

 恐る恐る手を伸ばしたヨミの手を、小さなくちばしがつつく。その力は弱々しい。今は、だが。こいつは間違いなく魔物で、この先ヤバいくらい成長するだろう。人間と同じくらいの大きさにはなるはずだ。

 

 パっつぁんとミトさん怒るだろうなあ。

 

 

 

 村長さんが帰宅した後、ヨミを迎えに来た二人は案の定驚き、そして困り果てていた。

 

「ゼンがついていながらなんってこったい!」

 

「ああもう!ついてくるんじゃないよ!」

 

 ヨミを抱えたカーチャンの後をぴーぴー鳴きながら紫色のちっさいのが追いかけている。鳥の目的はミトさんじゃない。抱きかかえられたヨミだ。

 

 インプリンティングというやつだろう。鳥の習性である刷り込みだ。この小っちゃな魔物にとって、ヨミはまさしくカーチャンなのだ。すなわち幼女母。なにこの語感、凄く背徳的。新種の魔物じゃねえの?

 

「カーチャン餌くれって鳴いてるよ。食わせてやれば?」

 

「でもよ、こいつぁ小さいとはいえ魔物だぞ?あぶねえだろ」

 

「生まれたばっかりの子供じゃん。躾ければ問題ないんじゃない?ヨミを自分のカーチャンだと思ってるみたいだし、たぶん簡単に引きはがせないよ?なあ、カーチャンの傍にいたいだろ?」

 

「ぴぃ。ぴー」

 

「ほら、やっぱりカーチャンの傍がいいってさ。あとやっぱ腹減ったって言ってる。僕も腹減ったよ。いい加減ご飯にしようよ」

 

 今は何もかも放り出してとにかく飯だ。飯を食おう。さっきからぴーぴー鳴く音に混ざってぐーぐーという音が止まないんだ。

 

「ゼン、あんたまさか魔物の言葉が分かるのかい?」

 

「え、分かんないの?不便だね。ヨミも分かるのに」

 

 ぎょっとする二人の顔が面白い。ヨミはこくこくと頷いて、いつもの「あいー」という気の抜けたような声が返ってくる。

 

「よみもおなかへったー」

 

「ま、慌てても仕方ないよ。とりあえずご飯食べて明日考えようよ」

 

「いやでも魔物を飼うのはなあ……」

 

「今更だよ。大王や十文字みたいなあからさまな魔物もいるけど、村のみんな、もう慣れ切ってるじゃん。一匹や二匹増えたところで変わんないよ」

 

 ぐうの音も出ないのだろう。しかめっ面のパっつぁんがはあ、と嘆息した。ミトさんはぐう、と腹の音を立てた。さすがだ。ちょっと赤面してるのが笑える。

 

「……ご、ご飯の準備してくるよ」

 

 ミトさんが準備してくれたのは卵焼きだった。本当はデッドペッカーの卵を食うつもりだったらしい。それが小鳥に変化してしまったので、いつもの鶏っぽい動物の卵が食卓に並んだ。塩の卵焼き美味しいです。

 

 ぴーぴー鳴く小鳥も思うさまがっついている。卵焼き食うんだね、鳥なのに。

 

「あーあ、こんなにこぼしちゃってもう。汚いなあ」

 

「こぼしちゃめー」

 

「ぴぃ……」

 

 ヨミに叱られて縮こまるその姿に、魔物としての威厳は欠片もなかった。

 

 次の日の朝、一晩寝たら驚きもすっかりなくなったのか、腹を決めたのか、大人二人は『デッドペッカー』を飼うことに決めたらしい。村のみんなも納得済みだ。反対する者は誰もいなかった。

 

 ここだけの話、打算もあるんだろう。ここは『まほうおばば』という魔物とすでにつながった村なんだから。精霊神ルビス様もそのことについて怒るでもなし、きっとばーちゃんのご機嫌取りの意味合いもあるんだろうなあ。意味ないと思うけど。ばーちゃんは他の魔物が死のうがあんまり気にしないし。村も半分は実験台扱いしてるし。

 

「とにかく、このまま小鳥じゃ呼びづらいし、名前を決めよう。ヨミ、なんかいい名前ある?」

 

「きょろちゃん」

 

「ルビス様がそう言ってるの?」

 

「あいー」

 

 ちょっとは自重しろ、精霊神。確かに姿はそれしかねえって感じだけどさあ。

 

「きょろちゃん」

 

「ぴー」

 

 時既に遅し。完全に受け入れちゃってるよ、キョロちゃん。とてとてと走り回るヨミのあとをぴーぴーと鳴きながらついて回る姿が微笑ましくて、僕は笑ってしまった。



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08.効果的な魔法の使い方

 魔法には二つの発動要素がある。

 

 一つ、常態に非ざるもの、即ち非現実を起こすためのシークエンス。

 一つ、非現実が内包した存在力を発揮し続けるシークエンス。

 

 共にその内奥には魔力という源が必要となる。すなわち、これをもって魔の発動原則と呼び、非常識、非現実を巻き起こし、保つ法則───魔法と呼ぶ。

 

「難しい言葉を並べ立てて意味が分からない感じで説明すると頭がよく見えるよね」

 

「茶化すでない」

 

 ごつん、と箒の柄で頭を叩かれ、しかめっ面になる。

 

「痛いなあ、もう。でも意味は分かるよ。ようは魔法を起こすのにも魔力がいるし、起こした状態を維持するのにも魔力が必要ってことでしょ?」

 

「その通り。それゆえに、魔力をうまく操作せねばそもそもの現象を起こすこともできず、また、現象自体に内包された魔力が尽きれば自然消失する」

 

 ヒャド、とばーちゃんがつぶやくと、手のひらの上に四角い氷ができた。

 

「努力を怠らず進めば、このように一般定義されている魔法の在り様を変えることも可能じゃ。だが……」

 

 つぶやいたばーちゃんは握った氷を僕の頭めがけて放り投げた。反射的に頭をかばった僕だったがしかし、ぶつかる直前で氷は消失してしまう。文字通り消えたのだ。水になるでもなく、あるべき空間からごっそりとなくなった。

 

「結局は原則から逃れることはできん。魔力供給を断ち、内部に残った魔力が消費されれば必然、その現象も消え去る」

 

「つまり?」

 

 僕は自分でヒャドって作り出した氷をコップの中に放り込みながら大きなあくびをした。魔力供給を断ち、氷の中に含まれる魔力自体も消えている。けれど、氷は確かにそこにあった。魔法の力に関係なく、残ったままになっていた。

 

 それはともかく、これで何個目だっけ。前に作った氷は解け始め、つめたーい水が出来上がっていた。これ飲んだら頭がキーンってなりそうだ。

 

「つまり、小僧が使っているのは厳密には魔法ではない。というか、アンタ本当に何者だい?」

 

「わかんない」

 

「だろうねえ。本気で言ってるのが分かるだけに、徒労感が凄まじいわ」

 

「えへへ、そんな褒められたら照れる」

 

「褒めとらんわ!理不尽すぎてむしろぶん殴りたいくらいさね!」

 

 有言実行とばかりに再びばーちゃんは箒の柄を振りかぶった。僕はそれをひょいとかわすと、舌を出した。シロガネさんに鍛え続けられている僕がその程度かわせないとでも?

 

「甘いわ小僧!」

 

 振り下ろされた箒の先が地面に触れるなり、魔力がほとばしる。冷気を伴ったそれは、氷のつぶてとなって周囲一帯にばらまかれた。

 

「あだだだだだだ!」

 

 拡散豆鉄砲。豆ほどに小さな氷が節分よろしく僕にぶつかって、思わず悲鳴を上げてしまった。すぐ傍で僕と同じく氷の雨にさらされたものの、キンキンと弾いて何食わぬ顔の白銀の鎧が少しばかり妬ましい。

 

「シロガネさんのアレは固くて雄々しくて、羨ましいなあ」

 

 そう言うと、シロガネさんは目にもとまらぬスピードで鞘付きの剣を僕の頭に当てた。痛い。

 

「誤解を招くような言い方してすみません」

 

「本当に口の減らない小僧だね」

 

「うん。ばーちゃん、ごめんね」

 

「これを飲んだら許してあげるさ」

 

「なにこれ……」

 

 虹色に光るその液体はとても神々しく、それ以上に僕の不安を呼び起こす。いや、単色であればまだいいよ?でもさ、七色に色が変わって光るって、それ生き物みたいにうごめいてるってことじゃない?これやばくねえ?

 

「飲め」

 

「いやいや」

 

「ゼンよ!ここが男の見せ所であるぞ!武人の心意気しかと見せよ!」

 

「いやいやいや、大王こそ王様なんでしょ?今こそ人の上に立つ資質の見せどころじゃない?」

 

「いや、吾輩ただのカエルだし」

 

「プライドねえのかよ!」

 

「カエルは人語を解さないのである。ゲコゲコ」

 

「この野郎!」

 

 ここぞとばかりにしらばっくれる大王に怒鳴り散らそうとして、不意に体が強張った。鬼気迫る。まだまだ達人には及ばないとはいえ、僕も多少武をかじった身。この気配には覚えがあった。

 

「あの、シロガネさん……?」

 

 シロガネさんの常軌を逸した力が僕を束縛している。後ろから羽交い絞めにされ、目前には七色の光輝く謎液体がちゃぷちゃぷと音を立てている。ご丁寧に、僕が作った氷入りのコップに移し替えられていた。

 

「もしかして、さっきの一言、気に入りませんでした……?」

 

 シロガネさんは無言だ。その圧迫感凄まじく、僕の背に冷たいものが走った。そっちはまだいい。前の冷たいものが口に押し付けられると、自然と顔が真っ青になる。

 

「シロガネはね、見た目通りに潔癖なんだよ」

 

 頭がキーンとする。

 

「下ネタ、ダメ、絶対」

 

 口の端から七色の液体を垂らしながら、僕は崩れ落ちた。

 

 

 

 口惜しいことに、その後の僕はすこぶる体の調子が良かった。認めたくないが、七色謎液体のおかげらしい。飲んですぐは胃の腑から込み上げる生ゴミのような臭気に吐き気を催し、履きつぶした靴底をなめるくらいの不味さに意識を失ったのだが、体に浸透するとその前症状が何だったのかというくらい快調になった。

 

 万病に効く薬作ってみた、とばーちゃんは言っていたが、まあ死にかけなら我慢して飲むんじゃねえかな、コレ。いくら効果抜群でも風邪くらいだったら絶対飲まないけどね。ばーちゃんが寿命で死にそうなときに飲めばいいんじゃねえかな。たぶんあまりの不味さにあの世から帰ってこれるよ!ザオリク並みだよ!

 

 健康状態で飲んだらザラキ並みだけどね……

 

 それはそれとして、ばーちゃんに指摘された僕の魔法の異常さが気になっていたので、それを検証するために色々と魔法を唱えていた。で、気づいた。これが意味あるのって、精々ヒャドくらいだわ。

 

 だって、メラなら火種なしに燃える炎だから、魔力が消えれば当然ただの炎になってすぐ消える。ギラも光源がただの熱だから光るだけ光って拡散してやっぱり消える。バギも鎌鼬起こしたらあとは勢い弱ってただの風になるし、イオなんて元々が爆発した時点で終わりだし。ピオリムも素早さを上げるって良く分からない効果だけど、ばーちゃんから聞いた限りじゃ魔力が体に干渉してる状態を作ってるって話だから魔力なくなったら意味ないし、この分だとルカニとかスカラでも一緒だろう。

 

「つまるところ、これしか意味が無いんだなあ」

 

「こおり、しゃくしゃくー」

 

「ぴー」

 

「あたまきーんってするー」

 

「ぴぃぃぃ……」

 

「うん、落ち着いて食べようね?急いで食べるとそうなるから。キョロちゃんもあんまりがっつかない様にね」

 

 ヨミは僕が木を削り出して作ったお手製スプーンを手に、しゃくしゃくとかき氷を食べていた。シロップは蜜柑っぽい何かを森の中で見つけたので、それをすり潰して作った。最近蒸し暑い季節が続いていたのもあって、大好評だ。

 

 村のみんなにもシロップを自分で準備する前提でご馳走したら大変喜ばれました。みんな頭抑えてたけど。誰しもが通る避けられない道。それが冷たい頭痛だ。

 

 ただ、そのあとどこで氷を手に入れたんだと聞かれて、僕の魔力で作った氷だよ、と返したら皆がすっげえ微妙な顔をしていたのだけが納得いかない。ミトさんなんて僕を無言で引っぱたいたからね。何が気に入らないって言うんだ。僕が手ずから絞り出した魔力なのに。いわば僕そのものを削って作ったかき氷なのに。懇切丁寧に説明した僕の苦労を返してほしい。

 

「美味しい?」

 

「おいしー」

 

「ぴー」

 

 その点、ヨミは精製方法を知っても、素直に頂戴って自分から催促してくるんだからかわいくて仕方がない。天使だわこの子。羽ついてるのは隣の小さい鳥だけど。あ、いや、翼ないから羽毛ないんだっけ。

 

「キョロちゃん、『ぴー』じゃなくて『クエッ』って鳴いてみようか?」

 

「ぴー?ぴ、ぴぇ……ぴ……く……」

 

 飼い主に似て純粋らしいキョロちゃんは言われるままにその音を出そうと苦慮している。はは、この小鳥もかわいいなあ。

 

「おにいたん、きょろちゃんいじめちゃめー」

 

「あはは、ごめんね。キョロちゃん、好きなように鳴いていいよ」

 

「ぴぇー」

 

 変な声になってる。

 



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09.小粋な暖を取る方法

 最近やたらと寒くなってきた。

 

 気付けば夏が過ぎて秋も終わりに近づき、やがては雪も降るだろう。僕がこの村に居座るようになってから数ヵ月。季節と同様、ゆっくりとだが、人もまた確かに変化していく。ミトさんに抱きかかえられたヨミは相変わらず小さい女の子だが、最近はたどたどしい口調も取れ始めている。

 

「おにいちゃん、もっと燃やしてー」

 

「はいはい、メラメラ」

 

 夜の寒さをしのぐため、ぞんざいにメラを放ちながら、息を吐く。囲炉裏の上の鍋は一度空になり、今はただのお湯と化している。メラメラとくすぶるオレンジの光の上で立ち上る白い蒸気をながめて、僕はふと思った。

 

「そうだ、温泉に行こう」

 

「なんだい、藪から棒に。温泉って?」

 

「あれ?知らないの?この辺、火山あるから見たことくらいあるよね?お湯の水たまり」

 

「そんなもんあるのか。毎度のことだけどよ、ゼンは妙なことばっか知ってんなあ」

 

 お前は何者だ。パッつぁんに改めてそう問われた気がするが、ぶっちゃけ僕も分からないんだってば。

 

「そうでもないって。そう、巫女様が祈祷してる場所も溶岩が煮えたぎる洞窟の中のはずだし、そこの近くなら温泉もきっと……」

 

 そう言えばあそこに『やまたのおろち』とかいるんだっけ。都から離れてるせいもあるかもしれないけど、生贄の話とかも聞いたことないし、もう討伐されてんのかなあ。あとでばーちゃんにそれとなく聞いてみよう。

 

「ようがんてなにー?」

 

「ぴぇー?」

 

 ヨミが首を傾げれば、抱きかかえられたキョロちゃんも首……がないので体ごと斜めった。よくよく見れば、その一人と一匹をさらに抱え込んだミトさんも首を捻っている。

 

「溶岩も知らないの?」

 

「おう、オレぁ聞いたことあるぜ。なんでも火を吹く岩らしいな。つっか、そんなもんがあるところに巫女様は行ったりしてんのか?」

 

「えーっと……」

 

 パッつぁんの顔がちょっと怖い。気持ちはわかる。巫女候補の愛娘をそんな危険な場所にはやれんぞってことなんだろう。これが口が滑ったって奴か。気まずさ半端ない。ごまかすために思わずヒャドらせようとしたが、さすがに思いとどまった。頭冷やすのは僕ですね、うん。ここで出すべきは手ではなく口でした。

 

「巫女様が皆行くとは限らないよ。そういう人もいたって聞いただけだし。祭壇はあるらしいけど、そもそもあそこは魔物がいっぱいいるはずだから、滅多なことじゃ行かないんじゃないかなあ。行くとしたら、それこそ世界がヤバいって時じゃない?」

 

「だったらまぁいいけどよ……」

 

「それに大丈夫だよ。世界が本当にヤバいとしたら、その時はきっと」

 

 勇者が世界を救う。

 

「きっとー?」

 

「ヨミのとーちゃんがどうにかしてくれるよ。だからヨミは危ないところに行く必要もないんだ」

 

「おいおい、無茶言うなよ。さすがに世界は無理だぜ?俺が守れんのは家族だけだ」

 

「そんだけ言えれば大したもんだよ。さすが、パっつぁんは男だね」

 

「よせやい、照れるぜ」

 

 鼻の頭を擦りつつ、身をくねらせて本当に照れるパッつぁんを笑っていると、ミトさんがなんかもの凄い冷たい目で見ていた。

 

「大の男がもじもじすんじゃないよ。キモイ」

 

「ひでえ」

 

 態度はともかく、凄くいいこと言ってたのに。しゅんと肩を落とすパッつぁんから漂う哀愁が物悲しい。僕めっちゃ笑ったけどね!

 

 拳骨食らった。

 

 悲しい事件のあった翌日、有言実行とばかりに温泉を探しに出かけた。岩塩探索で痛い目を見た記憶は比較的新しいものだが、今回の僕は一味違う。なにしろ、十文字と大王同伴なのだ。

 

 普段から修行みたいな真似をしているので、単純に僕自身のレベルも上がっているだろうけど、そんなもの数の前にはクソの役にも立たないだろう。ならば数すら打破しきる絶対戦力を引き連れていけばいい。あわよくば、ばーちゃんとシロガネさんも連れていきたかったが、ばーちゃんが腰痛いって寝込んだもんだからそれは叶わなかった。

 

「ばーちゃん、万能薬飲もうよ、虹色のアレ。そうすれば一発で治るよ。効果覿面だよ。保証するよ。ばーちゃんの薬凄いよ、本当に凄い。味が凄い。匂いも凄い」

 

「絶対に飲まんわ。あんなもの飲むくらいならあたしゃ死を選ぶよ」

 

 あの時の僕の怒りがお分かりになるだろうか。あのクソババア、自分の時に限って我がまま言いやがって。シロガネさんが付きっきりで看病する様子に毒気を抜かれて乱暴なことはしなかったけど、いっぺん勇者に懲らしめられればいいんじゃないかな。改心が必要だよ。

 

 と、ばーちゃんの愚痴を零しながら山をいくつか越え、この国の中枢とも呼ぶべき都にほど近い場所まで来ていた。道中は大王と一緒に四足で駆ける十文字の背に乗ってたので疲れはほぼない。というか着くの早すぎるだろ。山越えするレベルの遠出なのにまだ太陽が頂点過ぎたくらいなんだけど。

 

「十文字どんだけ足速いの?」

 

「ぐおお」

 

 知らんか。そうか。

 

「うむ、確かに十文字は足が速いのであるが、それ以上に進み方が豪快よ!まこと天晴(アッパレ)である!」

 

「そうだねえ。僕も初めて見たよ。こんなでっかい獣道」

 

 振り返ると、今まで通ってきた森が十文字の体の大きさに抉られて、簡易的な道になってしまっている。獣道と呼んだはいいが、なんというか、こう、無理やり押し通って作ったこれはそう呼んでいいのだろうか。

 

 崖みたいなよっぽどの通行止めがない限り、本当に村から真っ直ぐに突き進んできた結果だ。十文字曰く、「回り道とか面倒くさい」らしい。

 

 この旅路のおかげで僕はスカラを覚えた。そうせざるを得なかった。だって木の枝とか思いっきりぶつかってくるんだもの。しかも車並みの速度出てるっぽかったから、一撃一撃の衝撃がマジ半端ない。『つうこんのいちげき』の不穏な効果音が頭の中で鳴りっぱなしだった。

 先読みのバギでいくらかは切り飛ばしたりしてたんだけど、それも全部が全部うまくいくというわけでもなく、せっかく切り飛ばしたのに結局僕の方に飛んでくるのは変わらなかったりして、この時ばかりは当たり判定の小さい大王が羨ましかった。

 増える擦過傷やら打撲にホイミも使いまくる羽目になり、いつの間にか唱える呪文がべホイミに変わってたくらいだ。戦ってもいないのにレベル上がってるんだけど、喜ぶべきなの?

 

「とにかく、目的の場所には着いたみたいだね」

 

「うむ、括目して見よ。あれがこの国の中枢となっている都だ」

 

「塀と堀に囲まれてるね。やっぱそこらの村とは違うなあ」

 

 僕たちが山の上から見下ろすそこは大きな川が流れていて、その川に沿うような形で家々が点在している。家のつくりは竪穴式住居ではなく、見慣れた木造建築が多い。ま、僕らが住んでるのもそうだしね。基本的には藁葺(わらぶき)屋根みたいだが、奥まった方には瓦が乗っているような家もあるみたいだ。あの赤くて大きいのはもしかして鳥居かな。

 

「思ったよりしっかりした作りの家が多いなあ……さすがにレンガはないか」

 

「ぐおお」

 

「うん、あそこには今回用は無いから。とりあえずは溶岩洞窟に向かおうか」

 

「それは構わんのだが、吾輩達はその場所を知らんぞ?どちらに向かえばいいのであるか?」

 

「腐った卵のような匂いがする方」

 

 思いっきり嫌な顔された。

 




なんかめっちゃお気に入り増えてて吹いた。
あっざーす!
評価ついでに一言くれてる人もいて、めっちゃ嬉しかったです!


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10.火を従える者

 渋る十文字に、我慢するだけの価値はあるから、魚の塩焼きを実際に食わせつつもっとご馳走するから、と交渉してどうにか納得してもらったあと、僕らは鬱蒼と茂る森を抜け、岩肌の露出が多い場所へと到着した。

 

「ぐおお」

 

「臭いのである!」

 

「我慢して」

 

 さっきから何度も同じ文句を言う二人に確かにそうだねと心の中で頷きつつ、僕はワクワクする気持ちを抑えられないでいた。間違いなく火山帯で、しかもこの硫黄臭。あとは可能性の高い川沿いを探せば一つくらい見つかるはずだ。あんまり見つからないようなら試しにそこらを掘ってみてもいい。

 

「しかし、どうにも信じられんのである。本当に地面の中に川なぞ流れているのか。しかもそれが湧き出す場所があるなどとは……」

 

「でも雨水とかしみ込むのは事実でしょ?十分ありうる話だってさっき納得したじゃん」

 

「確かに川があるということは必ずどこかで水が湧き出さねばならんのであるし、理に適ってはいる。それが火山の熱で温まり、湯として湧き出るというのも道理であるが……」

 

 考えたこともなかったと、大王はしきりに感心している。そもそも魔物だからね。自然現象について考察する魔物がいるってことの方が異常だと思うよ。この文明レベルだと情報の行き来も少ないだろうし、下手すると一般的な人間よりも情報通なんじゃないかな。情報の真偽については実際に見てもらえれば分かるはずだ。

 

 途中で休憩をはさみつつ、その辺をうろつく。探索というより、昼食後の散歩に近い感じだったが、それでも目的の場所には比較的簡単にたどり着いた。僕たちはめっちゃ運がいい。でも叫び声が出た。

 

「っ!」

 

 一瞬動きが止まってしまった。温泉を見つけたのはちょうど森の切れ目だったわけで、そうなると繁茂する木々に隠れてあまり先が見通せない。なので、茂みをかき分けて進んでいた僕らには、例えそこに裸の女性がいても鉢合わせないよう回り込んだり、目をつぶったりすることなどできはしないのだ。以上、言い訳終わり。

 

「魔物どもめ、わらわの(みそぎ)を邪魔するなどとっ!」

 

 姿を現した僕らを見て、そこで湯につかっていた先客、すなわち素っ裸の女性が前を隠そうともせず、ざばぁと音を立てて立ち上がる。

 

 見た目年齢的にはミトさんよりも少し年齢が下くらいの女性だった。たぶんギリギリ十代かな。湯で濡れた長い黒髪を垂らし、つり上がった目が特徴的な女性。均整の取れたグラマラスな肢体の上で二つのふくらみがぷるんと揺れている。でかい。

 

「我が魂に猛る火よ!灼熱の刃と成りて敵を打ち滅ぼせ!出でませぃ!炎刃ガンマッ!!」

 

 咆哮にも似た女性の叫びに応えて熱風が吹き荒れた。空間が捻じれて声にならない悲鳴を上げ、あるべき法則が覆る。地面の中からずぶずぶと、そいつの姿が徐々に現れだした。

 

 最初は手だった。溶岩のように火を噴く岩で構成された、巨大な手。その熱に耐えきれず、そこら中にあった地面や岩が熔解を始める。近くにいるだけなのに、肌が焼けるように熱い。ただ姿を現しただけだっていうのに熱すぎる。十文字の毛が微妙に縮れ始めた。

 

 縮れて短くなっていくふわふわな熊毛と反対に、地面から生えた手はどんどん伸びていき、やがて赤い光を放つ双眸を持った異形が完全に現出する。

 

 それは紛れもなく『ようがんまじん』だった。

 

 他の魔物と違い、その場に現れるだけで害を成すその威容は正に魔人に相応しい。見ているだけでくらくらする。陽炎にまぎれた赤光がぼんやり薄れて距離感がおかしくなりそうだ。

 

 これはまさか『しょうかん』なのか?でも現れたのは明らかにタッツウやデアゴじゃない。こんなの、見たことも聞いたこともない。

 

 凄まじい危機感に体も震えている。このままじゃ僕のつやつやな髪の毛が熱に負けてアフロになってしまう。

 

「あづい!大王、どうにかならないの!?」

 

「うむ!とりあえずゼンはヒャドを唱えよ!使い方は任せるぞ、フバーハ!」

 

 大王の体が青白く光り、僕らの体も同じ色の光の膜に覆われた。途端に焼けるような熱風がサウナ程度の温度に軽減された。おお、凄い。たかが大王ガマのくせに使えるのか。これは僕も負けてられないな。

 

 ヒャドヒャドヒャド、と何度も唱えて周囲に小さな氷塊をいくつも作る。けれども作った傍からどんどん溶けていく。キリがない。

 

「ええぃ、これでどうだ!ヒャダルコォ!!」

 

 ヤケクソ気味に唱えると熊ほどの大きさもある氷塊が炎熱の溶岩を割り砕きそびえたった。これもまたすぐに溶かされていくが、魔力供給を断つことなく、その維持に苦心する。

 

「ほう、我が炎刃に対し氷で対抗するか。子供にしては中々の───って子供じゃとぉ!?やめ!やめぃガンマよ!」

 

 慌てた様子で真っ裸の女性が手を振ると、途端に熱が弱まった。焚火のそばにいる程度の熱さまで加減されているっぽい。ようがんまじんが姿を消したわけではないけど、もしかしてある程度は温度操作が可能なのだろうか。

 

 ようがんまじんが「ごめんね」って言ったので僕もヒャダルコの維持を止めて「いいよ」って返した。ふぅ、と居合わせた誰からともなく息が漏れた。

 

「やー、びっくりしたよ。大王ありがとね」

 

「うむ、吾輩も正直ちょっとビビったのである。まさか同族から問答無用で襲われるとは思わなんだ」

 

「それは僕も同感。十文字は平気?」

 

 ふんす、と鼻息を一つならすと、十文字は何でもないようにその場に座り込んで、くぁぁ、と欠伸をした。大物過ぎるだろ。

 

 とりあえず落ち着いた僕らは眼前の一人と一体に意識を向ける。女性は豊満な胸の前で腕を組み、ようがんまじんはちょっとばかり罰が悪そうな顔でじゅうじゅうと音を立てていた。

 

「お主ら何者じゃ。魔物と共に居る人間なぞ聞いたことがない。あるいは───わらわを謀るための仮初の姿かえ?であれば……」

 

 明らかに胡乱で、値踏みするような視線を向けられている。睨みつけられているの方が正しいかも。まあ明らかに怪しいよね。好戦的な態度を取られるのも仕方ない。

 

「吾輩は大王である!頭が高いぞ、人間の女よ!」

 

「ぐおお」

 

「あ、この熊さんは十文字です。よろしくって言ってます。カエルは無視して下さい」

 

「何を言うか!吾輩の威厳ある姿を前にして、たかが人間の女が無視するなどできるはずもないのである!ゼンは本当に愚か者であるな!」

 

「はいはい。この偉そうなカエルさんは自称大王です」

 

「自称ではないのである!」

 

「もう、大王は空気が読めないなあ」

 

 女性がはぁ、と疲れたような息をついた。大王の尊大さに呆れかえってるんだろう。凄く分かる。

 

「それで、(わらし)よ。そなたは何者かえ?」

 

「初めましておっぱい。正真正銘人間の子供、ゼンクロウです」

 

 突然走ってきたお姉さんにビンタされた。ひどい。

 

「……それで、(わらし)が何用じゃ?ここは聖なる泉ぞ。巫女以外に立ち入りは許されておらぬ」

 

 白衣(びゃくえ)緋袴(ひばかま)という巫女装束に身を包み、居住まいを正したお姉さんは仕切り直すかのようにそう言った。さすがに真っ裸を晒していたのが恥ずかしかったのか、ちょっとばかり顔が赤い。子供相手に恥ずかしがるとか、結構純情なんですね。

 

 くすくすと笑いながら真っ赤になった柔らか子供頬をさすっていると、お姉さんがヒャダルコで出来た氷の一部を割り砕いて布に包んだ。頬に当てられた氷と冷たい視線が気持ちいです。

 

「僕らは温泉を探しに来ただけなんですけど、まさか巫女様に会えるとは思いませんでした。お名前をお伺いしても?」

 

「わらわは火巫女(ヒミコ)。俗世の名は捨てた」

 

「うえ、マジかー」

 

 思わず変な声が出てしまった。この国で一番偉い人じゃん。

 

「うむ、人の王か!こうして出会うも何かの縁よ!さぁ、ひざまずけぃ!!」

 

「なんでそうなるのさ。ひざまずくのは僕らの方だよ。失礼しました、ヒミコ様」

 

 ふんぞり返る大王にデコピンをかますと、ヒキガエルのような声を出して十文字の頭から転がり落ちた。つぶれたカエル状態の大王の横で、僕も頭を下げる。古き良きしきたり、土下座だ。

 

「良い。(わらし)と道理の通らぬ魔物のやることじゃ。見逃してやる」

 

 ちらりと顔を上げてみれば、寛大な笑顔のお姉さんがいた。すげえい良い人だった。ただのおっぱいお姉さんじゃなかった。すごく良いおっぱいのお姉さんだった。

 

「あの、もしかしてお一人ですか?護衛の方とかいないんでしょうか?」

 

「護衛なら居るぞ。そなたの目の前じゃ。これほどの護衛はそういまい」

 

「ガンマ君のことですか?随分人懐っこいですね」

 

「が、ガンマ君?我が炎刃を人懐っこいじゃと!?」

 

「ええ。あと、その炎刃って言う呼び方。めっちゃ恥ずかしいから辞めて欲しいらしいです」

 

「何!?かっこいいじゃろう!?ガンマ!お主そんなこと考えておったのか!」

 

 いいえ違うんです、と巨大な手を振り回しながら、ガンマ君は地面に引っ込んだ。手だけ出てるの見てるとマドハンドの亜種みたいだ。

 

「ルビス神はそんなこと言っておらんかったのに……」

 

「あの神様、案外テキトーですからねえ」

 

「ぬ?そなた、ルビス神の声が聞こえるのかえ?」

 

「僕じゃないですよ。知り合いの女の子に聞こえる子がいて、その子が言ってたんです。大体ろくでもないことですけどね」

 

「ほう、次代の巫女候補の一人か……お、おお?」

 

 突然どうしたんだろう。ヒミコ様がなんだか怪訝な表情になった。

 

「ゼンクロウと言うたな?そなたは一体何者じゃ?今しがたルビス神から神託が下った。そなたに問え、と」

 

「はて、何をでしょう?」

 

「この国に災いが来るのかえ?」

 

 災いとはまたえらく物騒な。でも僕が知っているこの国を襲う災いと言ったら一つしかない。ばーちゃんに聞くのすっかり忘れてたけど、丁度いいかもしれない。

 

「『やまたのおろち』というものをご存知でしょうか?」

 

「なんじゃそれは?」

 

「首が八本……じゃなくて、五本ある竜です」

 

「聞いたことがないのう。なにかの物語で出てくる竜なのかえ?いや、というか首が五本なのか?なにゆえ八岐(ヤマタノ)という名をもっておるのじゃ?」

 

「えーっと、出てくるのはとある神話なんですけど……首五本の理由は逆に教えてほしいくらいですね」

 

 確かになんで五本なのに八岐大蛇なんだろう?気分の問題だろうか。

 

「ふむ……しかし、その名を言うたということは、実際にその竜が現れると?」

 

「分かりません。僕はてっきり討伐されたものだとばかり……」

 

 そう、勇者が倒したはずだ。それがまた姿を現す……いや、違う。そもそもまだ倒されていないのか。考えてみればアレはヒミコ様を食い殺して成りすますはずなんだ。今のヒミコ様が無事であるということは、僕の認識が間違ってたってことだ。

 

 まだ勇者はこの国に来ていない。それどころか旅立ってすらいないかもしれない。あるいはオルテガでさえも。ここは始まる前の世界なのか。始まる?始まるって何が?そんなの決まってる。それは勇者の物語だ。この世界を救う勇者の、誰もが知るロールプレ……

 

 頭痛がする。眩暈がする。ぼやける。ぼやける。僕の存在がぼやけていく───

 

「む、どうしたゼンクロウ。熱にあてられたか?大王とやら、こやつ大丈夫なのかえ?」

 

「うむ?」

 

 地面で肘を立てて横向き寝していた大王は頭を上げて舌をベロンと伸ばしてから、ピョンピョン跳ねて僕の顔を下から覗いてきた。完全にカエルだ。小さく笑い声が漏れる。

 

「ゼンよ、いつもの奴か?」

 

 笑ってみせたのに、大王の声から心配げな色は取れなかった。自分でも顔色が優れないのが分かる。頭を少しばかり動かして頷くと、大王はもういいと言って僕を制した。

 

「たまにあるのだ。ヒミコ殿、こやつを寝かせて額に氷を当ててくれ。吾輩と十文字の体ではうまくやれぬ」

 

「あい分かった。神に見込まれたとはいえやはり童か。無理をさせたようだ、すまぬの」

 

 暖かい手が僕の体を一度抱え、地面に横たえられると、頭の後ろに柔らかいものが触れる。膝枕をしてくれたみたいだ。すぐさま額に当てられたなんちゃって氷嚢と相まってなんだかすごく気持ちいい。けど、やっぱり申し訳ないし、情けない。これ知恵熱かなあ。この世界について考え込むとやっぱり良いことないわ。

 

「ゼンクロウよ、辛いだろうが今一度聞かせてくれ。『やまたのおろち』が来るとして、わらわはどう立ち向かうべきか」

 

「あー……そうですねえ、お酌して、酒でも飲ませればいいんじゃないですかね。ヒミコ様の美貌ならイチコロですよ」

 

「そなたは既に酔っぱらっておるようじゃの。目を覚ませ」

 

「そうですね。ヒミコ様の美しさに酔ったみたいです。綺麗だなあ……」

 

 氷を口に突っ込まれた。

 頬を若干染めたヒミコ様マジ純情。ああ、氷が美味い。



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11.閑話 キョロちゃんの日常

※三人称


 キョロちゃんはデッドペッカーという魔物である。

 

 まだ幼く、サッカーボールほどの大きさしかない。その姿はまさにキョロちゃんであり、キョロちゃん以外に説明のしようがない。それでもあえて言葉で表すのなら、鳥の頭に足が二本生えた生き物、といったところであろう。自然には存在しえないはずの形状の生物。分類上は鳥とすべきかも迷う、あるいは幻想とも呼べる存在だったが、キョロちゃん自身にとってそれは割とどうでもよいことだった。

 

「ぴぇー」

 

「きょろちゃん、こっちこっちー」

 

「ぴぇー」

 

 甲高いが、ちょっとばかり妙な声で鳴くキョロちゃんが求めるのは愛する母だった。それすなわち、ヨミという幼い人間の少女である。

 種族は異なるが、キョロちゃんにとってはその少女こそが母親だった。抱きかかえられればすり寄るし、離れてしまえば必死に追いかけて母と共に在ろうとする。

 

 母子は幼いがゆえに純真だった。

 

 満面の笑みを浮かべた二人がやっているのはただの追い駆けっこである。たったそれだけのことだが、何が楽しいのか、きゃっきゃと声を上げながら一緒に走り回っていた。少しばかり冷え込むような季節になっていたが、それでも元気に駆け回っていた。

 

 やがて何を思ったのか、ヨミがキョロちゃんを中心にくるくると円を描くように走り始めた。それを追ってキョロちゃんもその場でぐるぐる回る、回る、回る。そのうちその眼もぐるぐるとし始める。ぴぇーと情けない声を上げてキョロちゃんはこてん、と転がった。

 

 倒れた子にかまわず、母はそのまま離れていく。向かう先には巨大な毛むくじゃらの大きなものがいた。そいつは巨大な熊だった。それも同種の魔物ですら襲うことのある凶暴な豪傑熊であったが、うつ伏せに寝転がっているそいつ、十文字に限ってそれは当てはまらない。体も大きければ器も大きい。それが十文字という豪傑である。

 

 ヨミはそのふわふわな毛に体を埋めながら背中へとよじ登ると、転がったままのキョロちゃんを見下ろし、その名を呼ぶ。

 

「きょろちゃん、おいでー」

 

「ぴ、ぴぇ」

 

 どうにか立ち上がったキョロちゃんは呼ばれるままに踏み出した。けれども回転酔いは簡単には解消できず、それこそ千鳥足でふらふらと数歩歩いて転ぶ。

 

「もうちょっとー。きょろちゃんがんばー」

 

「ぴぃ、ぴぇー」

 

 励ます声にこたえてキョロちゃんは再び起き上がり歩き出すが、やはり数歩進んだところでまた転ぶ。

 

「おきてー。がんばー、がんばー」

 

「ぴっ、ぴぇー」

 

 転がっては歩き、歩いては転がる。けれどもヨミは声をかけるだけだ。母としてのヨミは割とスパルタだった。そしてキョロちゃんもまた、その教育のたまものか、不屈の魂が宿りつつあった。ぐるぐるの目に炎がともる。

 

「ぴぇー!」

 

 一際大きい鳴き声を上げ、キョロちゃんは勢いよく走り出した。たとえ転んでもコロコロと数回転すると勢いのまま前に跳ね飛んで再び走る。

 

 小さな鳥が器用に二本の足だけで十文字の体をよじ登る。ふわふわの熊毛をかき分けて登っていく。それはもはや壁走りに近い行為である。それを成せるのだから、子供とはいえキョロちゃんの脚力は大したものであった。さすが魔物といったところか。

 

「ぴっ!」

 

 頂上にたどり着く直前で大きく跳ね飛び、ゆっくりと上下する熊の背中に着地すると、そこには小さな赤いカエルの脇下に手を差し込み、抱え上げたヨミがいた。その姿はまるで赤子を高い高いする母親のようであり、供物を天に捧げる巫女のようでもあった。

 

 供物化した赤いカエルはぷよぷよの足をだらしなくぶら下げ、力なくため息をつく。

 

「うぬ、瞑想の邪魔は辞めて欲しいのである」

 

「だいおーはめいそー?してたのー?めいそーってなにー?」

 

「うむ。瞑想とは目を閉じ、己の内奥を探り、感じ、またそれを通して世界の深淵に触れることである」

 

「んー、わかんない」

 

「ぴぇー?」

 

 ヨミが小首をかしげると、赤いカエルを見上げていたキョロちゃんもそれを真似して不思議そうな声を出す。子は親を見て育つ。一人と一匹の仕草はよく似ていた。もっとも、キョロちゃんの場合は首がないので体全体が傾いているという違いはあったが、それは細かな違い、誤差のようなものである。少なくともキョロちゃんはそう思っている。

 

「ぬ、キョロちゃんも分からぬと申すか。吾輩は優しいので、もう少し簡単に教えてやるのである。瞑想とはつまり、目を閉じてじっとしていることなのである」

 

「ねてたー?」

 

「いや、見た目は確かにそう見えなくもないが、そうではなくてだな……うぬぬ、幼子には難しいか」

 

「ねてたならひまー?ひまなら、だいおーもあそぼー?」

 

「分かった分かった。とりあえず降ろして欲しいのである」

 

 小難しい理屈を並べ立てる大王も、ヨミの前では形無しだった。幼いがゆえに言動が直線的で、簡潔で、欲望に素直で、それがまたどうしようもなく純粋で、いい大人を自負する赤いカエルは無碍にできないのだ。

 

 ふわふわ熊毛の上に降ろされると、大王はその場で胡坐をかいた。その上頬杖までついている。カエルの癖にやたらと器用である。

 

「ぴぇー」

 

「うぬ?」

 

 キョロちゃんは大王を見ていると、たまに動きを止める。とある欲望が湧き上がってくるのだ。

 

「な、なんであるか……?」

 

「ぴぇー……」

 

 くちばしの横からだらりと唾液が漏れ出ていた。鳥とカエル。弱肉強食、自然の摂理。言わずもがなの生理的反応であった。けれどもキョロちゃんは我慢を知っている。本能の赴くままやってしまえば間違いなくカーチャンに「めっ」されてしまうのだ。

 

 でもやっぱり生物的本能に抗うのは難しい。

 

「ぴぇー……」

 

「ちょっ、キョロちゃん、吾輩をそんな獲物を狙う猛禽類の目で見ないで……げ、ゲコォッ!?」

 

「はい、そこまでだよー」

 

 大気が渦巻き、キョロちゃんの体が風に乗って舞い上がる。この季節の風は少しばかり冷たい。思わず身を縮こまらせたのも束の間、すぐさま温かいものがキョロちゃんを包み込んだ。いつの間にか黒髪の少年に抱きかかえられていた。

 

 少年に羽毛を掻くように撫でられて、その気持ち良さにキョロちゃんは目を細めた。

 

 湧き上がる安堵とは別に、キョロちゃんは妙な感覚も味わっていた。自分を抱きかかえる黒髪の少年、ゼンクロウという存在が良く分からないのだ。もちろん、危険なものではない事くらいは分かる。ヨミや大王、十文字にとっても悪い存在だとは思えない。逆に言えばそれくらいしか分からない。

 

 不思議な人間だった。感覚的なものだが、色合いがおかしい。匂いもおかしい。

 魔王が放った禍々しい魔力は今や全世界に広がって、それによって魔物は凶暴化し、人を襲うようになっている。だがどういうわけか、その少年相手の場合はほとんど敵意が湧いてこない。己が人間の群れに飛び込んで平静を保っていられるのも少年が影響しているような気がするくらいだ。

 

「ぴぇー?」

 

「そうだね。大王は食べモノじゃないね。ちっちゃな雛鳥にビビっちゃうみっともないカエルだね」

 

「ゼンがそんな風に言うからキョロちゃんが吾輩に敬意を持たないのである!もう少し反省するのである!」

 

「はいはい、大王はホント大王だね。ブレないなぁ」

 

 ぴょんぴょんと十文字の背中で跳ね飛び抗議する赤いカエルだったが、少年はいつものように適当にあしらった。キョロちゃんにとっても見慣れた光景である。見慣れたがゆえにキョロちゃん的に大王のヒエラルキーは大分下である。また涎が出ていた。

 

「だめだよ、キョロちゃん。お腹壊しちゃうからね。先っちょだけならいいかもしれないけど」

 

「先っちょ?先っちょとはなんであるか!まさか吾輩の美しい手足を!?」

 

「やだなあ、大王は疑り深いんだから困っちゃうよ」

 

 全然困ってなさそうに笑う少年はキョロちゃんを地面に降ろすと、今度はヨミに向かって手を広げた。

 

「ヨミ、降りてきて」

 

 寝ている熊の背中を蹴って、ヨミは少年へと向かって飛んだ。小さな体を受け止めた少年がその勢いを殺すように回転するとヨミは声を上げて笑った。

 

 ヨミが笑っている。少年も、カエルも、熊も、みんなが好きだから笑っている。それが嬉しくて、キョロちゃんもまた笑う。

 

「今から温泉行こっか」

 

「あいー」

 

「ぴぇー」

 

 温泉とはなんだろう?キョロちゃんには分からなかったが、ヨミが笑っていればなんでもよかった。母の行くところが自分の行くところだ。小さな魔物の雛鳥は、ぬくもりを感じられれば幸せなのだ。温かさがあれば良いのだ。

 

「温泉はね、あったかくて気持ちいいところなんだよー?」

 

 物理的にも温かいなら完璧である。さぞ心地良いことだろう。



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12.温泉に必要なもの

 なんだか良く分からないけど、ヒミコ様が呆然と突っ立っていた。いつもはしゃっきりと背筋を伸ばしてカッコいい大人のお姉さんって感じなのに、今日に限っては脱力系だ。猫背の巫女装束女性って、清廉な感じが薄れてちょっと微妙だなあ。

 

「ヒミコ様、どうしたんです?」

 

「ゼンクロウ。わらわが泉に来たのは一ヵ月ぶりなのじゃが、見慣れぬ建物があるのだ。これが何か、そなたは知っているのかえ?」

 

「何って、僕が建てた宿ですけど」

 

 具体的にはバギって伐採した木をさらにカンナを使うかのごとくバギって、十文字に木材運搬を手伝ってもらいつつ建築したのだ。釘を使わない木造建築って素敵だよね。自慢するようだけど、相当に素晴らしい出来上がりだと思う。いかにも新築といった明るい茶色の木材をベースとして、屋根には瓦、窓にはガラス戸までついているログハウス風の温泉宿がそこにはあった。

 

「なるほど宿か、なるほどのう……何故に宿?」

 

「ははは、愚問ですね。温泉って言ったら宿でしょ?」

 

 などと答えてみたものの、そもそも宿を建てようなんて思いついたのは、温泉探してそこらを掘り返してたら粘土を見つけたことに起因する。

 

 粘土があるならろくろだ、ろくろ回そうとか思って、陶器作りなんて初めたのだが、加熱する段階になって魔法だけだときっついなって気づいた。最初は炉で高温作ろうとも思ったけど、よく考えたらすぐ近くの溶岩洞窟にアホみたいに高温なマグマがあった。これ幸いと、メラとギラとマグマの合わせ技を使い始めたら、その過程で冷えたマグマの一部がたまたまガラスになっていたのだ。

 

 もしかしてマグマって上手い事成分抽出して冷やせばガラスになるんじゃね?って魔法試してたらなんかマジでできちゃうし、いやあ、火山帯って利用可能なもの多いね。

 

 そんな感じで窓ガラスと瓦を作りまくって有頂天になり、気付いたら木を切り倒して建築を始めていた。つまり、こういうことだ。

 

 森、粘土、マグマ!

 魔法詠唱!木材と瓦とガラス召喚!あと熊も召喚!

 温泉宿できた!

 

 完璧すぎる。改めて思い返してみても凄く自然な流れだ。必然の結果という奴に違いない。

 

「うむ。まったく……まったくもって、意味が分からんわぁッ!ここは聖なる泉と言うたよな!?本来は巫女しか立ち入れぬ場所なのだぞッ!」

 

「それはもちろん分かってますけど、ルビス様からお許しが出たので」

 

「大地の精霊神が!?いや、待て、そもそもここは火の精霊の管轄のはずじゃ!ルビス神がいくら位階を上げたとはいえ、仕えていた神が同じである以上、そこに命令権などあるはずが……!!」

 

「らしいですね。なので火の精霊様から了解取ったそうです」

 

「なんじゃとぉ!?」

 

 ヒミコ様の体から溢れた魔力が炎を象り、轟轟と音を立てて燃え上がる。危ないなあ。宿は木造なんだから下手したら火事になっちゃうじゃないか。もうちょっと離れてやってほしい。

 

「火の精霊よ!なにゆえこのような暴挙をお許しに……!!はぁ?禍払いの報酬を前払い?それは分からなくもないが、それは事が済み次第わらわを通して人の世に倣った礼をすれば……んがあ!めんどくさい女とか言うなあッ!!」

 

 ヒミコ様、火の精霊様からの神託でも受けてるのかな。溢れた炎が今や火柱と化して天まで焦がさんとばかりに燃え上がっている。ヒミコ様の怒りと連動してるのかもしれない。

 

「そんなに怒らなくても」

 

「これが怒らずにいられるかァッ!」

 

「ヒミコお姉ちゃん、許してよぉ。僕、お姉ちゃんのためならなんでもするからぁ」

 

「うぐっ!」

 

 甘ったるい猫撫で声を出して、上目遣い。追い打ちに涙目。あざとさ満載でヒミコ様を見つめると、人のいいお姉さんはあからさまに狼狽えた。自慢じゃないが、僕のショタ可愛さは半端ないレベルだと自負している。そもそもが子供時代は誰だって天使なんだ。そうさ、僕たちは天使だった。ククク、心優しく純情なヒミコ様には効果覿面のはずだ。

 

「か、可愛い……いやいやいや!猫かぶりで誤魔化すつもりじゃな!?わらわは絶対騙されんぞ!!」

 

「ちっ」

 

 バレたか。

 

「今舌打ちしおったな!?(わらし)のくせになんたる黒さじゃ!」

 

「うえーん、お姉ちゃんがイジメるー」

 

「今更取り繕っても遅いわッ!ええい、このたわけめ!今すぐこの建物をどかせ!」

 

 一度ばれるとやっぱり駄目か。溜息に多少の落胆を交えつつ、僕はやれやれ、と肩をすくめた。

 

「無茶言わないでくださいよ、ヒミコ様。これも仕方がないことなんです。他に温泉見つからないし、そこら辺掘っても湧いてこないし。いやぁ、温泉って見つけるの案外大変なんですね」

 

「知ったことかァッ!そなたがやらぬなら、わらわが直々に打ち壊してくれる!」

 

「まぁまぁ、落ち着いてください。どうせ壊すならその前にちょっと中覗いてみませんか?せっかく作ったんだし、見もせずに壊すのはさすがに勿体ないでしょう?」

 

「ぬ、ぬう……!」

 

 どうやら勿体ない精神というのは異世界ジパングでも通じるらしい。「それも一理あるのう」とかほざいちゃった。

 

 早速、きれいなガラス細工を木枠に嵌めた都合四枚からなる玄関の戸を開けてヒミコ様を中に招き入れると、さっきまで激おこだったのに、ほう、と感嘆の息を漏らした。間違いない。この人は案内するだけで僕の術中に落ちる。

 

 入口の土間部分は人が数人寝転がれるほどに広く取ってあり、靴を脱いで屋内へ進めば、綺麗にうるしが塗られて透明な輝きを見せる板張りの床が八畳に敷き詰められている。さらに奥には客を迎える受付台が備え付けられ、そこには僕お手製のお仕着せを来た可愛らしい小さな女の子がいた。

 

「いらっしゃいませー」

 

「ぬぅうう……」

 

「あの子がいつだったか話したルビス様の声が聞こえる女の子ですよ。どうです?」

 

「むぅうう……」

 

 丁寧にお辞儀をしたその子、ヨミこそがこの温泉で僕が作り上げた最高傑作だ。せっかくだからと、ボリュームのある髪を編み込みアップでまとめて緩くお団子にしてあげたのだが、これがまた大人の真似をするちょっとおませな若女将さんという雰囲気を醸し出していて酷く愛らしい。

 

 飾り付け終えて僕は思った。確かに温泉宿も素晴らしい。だがそれは所詮無機なモノ。人の心を震わせるのは同じく人だ。出向いた先で、素晴らしい笑顔で快く迎えてくれる人の温かさこそが一番の宝なのだ。

 

 つまるところ、結局はこの一言に集約される。

 

「めっちゃくちゃ、可愛いでしょう?」

 

「うむ、抱きしめたいほどに……っていや違うからの!?」

 

「あはは、ヒミコ様は本当に隠し事が下手だなあ」

 

 というか素直すぎる。本当に国の頂点に立つ人なのだろうか。腹芸とか超苦手そうなんだけど大丈夫なのかな。逆に不安になってくるよ。

 

「おねーちゃん、おきゃくさんー?あたし、よみー」

 

「う、うむ。わらわはヒミコと言う。そ、その……撫でてもいいかえ?」

 

「いいよー」

 

 ヒミコ様の返答は直球だった。欲望を隠そうともしない。為政者の尊厳は全く感じられない。下についている人たちは相当苦労してそうだなあ。

 

 目を細めたヨミを撫でるヒミコ様が悦に浸ってしばしのち、僕が促すとヨミは頭上の手を振り切った。ヒミコ様は切なそうな目をして伸ばした手を震わせている。どんだけ可愛いものに目がないの、この人は。

 

「でばんだよー」

 

「ぴぇー」

 

 ヨミが廊下の奥の方に声をかけると、キョロちゃんがとてとてと歩いてきた。

 

「この子はキョロちゃんだよー。それじゃおきゃくさんをごあんない?しますー」

 

「う、うむ。しかし、また魔物か……ゼンクロウよ。そなた人間の友はおらんのかえ?」

 

「失敬な!確かにヨミは家族みたいなものだから違うけど、僕だって人間の友達の一人や二人……!」

 

 いなかった。

 

 悲しいことに正解だった。僕は完全無欠のボッチ野郎だった。仕方ないじゃないか。ばーちゃんとか十文字とか、最初に関わったのがあんな人達、じゃなくて魔物達だから、村にいる同年代の子供たちはみんな何処か余所余所しいんだ。ハブられてるってほどじゃないけど、怖がられてるみたいなんだよね。

 

「そんなことより部屋見てください、部屋!僕的にかなりいい感じで出来たと思うんですよ!ヨミ、さくらの間を見せてあげて!」

 

「かしこまりー」

 

「ぴぇー」

 

「う、うむ?」

 

 で、頑張って作った純和風の、畳もあるよ!景色もいいよ!という最高の客間をお見せしたわけだけど、ヒミコ様はそわそわしてほとんど僕の説明聞いてなかった。完全にヨミに心奪われてる。かわいいは正義か。気持ちは良く分かるけど、やっぱり宿は宿で堪能して欲しい。

 

 まあいいか。それならそれで利用させてもらうだけだ。

 

「ところでヒミコ様。まだこの宿壊したいですか?」

 

 げへへ、とわざとらしくゲスい笑みを浮かべて問うと、ヒミコ様は一つ嘆息した。

 

「そなた本当に腹黒いのう……ああ、分かった分かった!ヨミの悲しむ顔はわらわも見たくないのでな、今回だけ特別じゃぞ!特別なんじゃからな!」

 

「ありがとうございます。それじゃヒミコ様、お許しも頂けたことですし、ヨミと一緒に温泉でもどうです?」

 

「わー、おんせーん。おねーちゃん、いっしょにはいるのー?いこー?」

 

「う、うむ。これ、そんなに急かすでない」

 

「ぴぇー」

 

 ヨミに手を引かれて、だらしない笑顔を見せるヒミコ様を追って、僕もキョロちゃんと一緒にかつて聖なる泉だったはずの温泉に向かった。



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13.優雅な泉の楽しみ方

 温泉に入れるのが嬉しいらしいご機嫌な様子のヨミに手を引かれて、これまた超ご機嫌なヒミコ様だったが、突然一番後ろを歩く僕に胡乱な目を差し向けた。それは子供に向ける目じゃないでしょう。

 

「ところでゼンクロウ。まさか混浴などとは言うまいな?」

 

「残念ながら。潔癖な白銀の騎士さんに猛反対されちゃったので」

 

「ふむ、それなら良いのだ」

 

 ちなみにそのシロガネさんは、鎧が錆びちゃうかもしれないという理由でお湯につかるのは自粛している。そもそも、あんまり温度とか感じられないらしい。全く無感というわけでもないのが相当に悔しいようで、珍しく見るからに気落ちしていた。

 

 ヨミたちと連れ立って脱衣所まで行ってみれば、いまだにベンチで真っ白に燃え尽きたぜ状態の彼の姿を見ることができた。

 

「しろがねさん、げんきだしてー?」

 

「また魔物か……ゼンクロウ、そなた本当に……」

 

「ほら!すごいでしょう、温泉ですよ!温泉!」

 

 脱衣所の入口にかかっている女湯側の暖簾をめくって中へと視線を呼び込もうと試みるが、冷めた視線は変わらぬままだった。

 

「躊躇なく女湯を覗くとは……」

 

「いやいやいや、今誰も入ってないですから」

 

「それはちょいと間違いだよ小僧。今の今までアタシが入っとったんじゃからの」

 

 暖簾を握った手をぺしんとはたいたのは、ほかほかと湯気をたたせたばーちゃんだった。いつものピンクローブじゃなくて浴衣だ。でもピンクいのは変わらない。ばーちゃんがピンクにこだわるので仕方なく作ったのだ。

 

「小僧が作ったにしては良いできだったわ。もっとも、今は見る影もないがね」

 

「どういう意味?」

 

「見ればわかるさね。そこのお嬢ちゃんたちも一緒にきてみるといい」

 

 促され、僕らはばーちゃんの後に続いてそのまま女湯の中に入っていく。唯一シロガネさんだけが動かなかった。

 

 重い鎧はともかくとして、脱衣所に異常は無かった。一通り見てみても、服を入れておく棚と空っぽの籠があるだけだ。

 

 問題があったのは温泉の方だった。

 

 僕が作ったのは元々の泉を生かす形で、女湯と男湯の間に岩を積み、板を立てて敷居として少しばかり景観を考慮した配置にした、源泉かけ流しの岩風呂といったものだった。それがどういうことだろう。今は敷居の岩が崩れ、板は倒れて女湯の方に浮いている。それだけじゃない。泉の周りを囲むように積んであった岩も崩れてしまって、その辺に無造作に転がっている。

 

「どうすればこうなるの?」

 

「十文字がやったのであるー……」

 

 疑問に答えたのはお湯に浮いた赤いカエルだった。隣で湯につかっている十文字に目を向けると、かの巨大熊は一声「ぐおお」と鳴いた。

 

「ゼンクロウ。あやつ、なんと言っておるのかえ?」

 

「景色見えないし、圧迫感があって嫌だったらしいです。だからとりあえずぶっ壊した的な?」

 

「なんとまあ。やることが豪快じゃのう……」

 

 息を吐いたヒミコ様もあきらめがついているのだろう。

 

「仕方ないですね。それじゃヒミコ様、このまま入ってください。ただいまから当温泉は混浴となりました」

 

「いや、わらわは入らぬぞ?」

 

「え?でもアレですよね、(みそぎ)はやらないとダメなんでしょう?」

 

「それはそうなんじゃが……」

 

 頬を朱に染めてもじもじし始めたヒミコ様だったが、その脇を駆け抜けていく素っ裸のヨミを見て固まってしまった。どうやら僕らが話している間に体を洗ってしまったらしい。準備の速さからして、たぶん適当に洗ったんだろうなあ。

 

「おんせーん!」

 

「ぴぇー!」

 

 どぼんと音を立てて飛び込んだヨミとキョロちゃんはきゃっきゃっと声を上げながらお湯の中を犬かきで泳ぎ始めた。ヨミはともかくキョロちゃんはどうやって泳いでるんだろう。足の力だけなのだろうか。もしかしたら水鳥と同じ原理で何もしなくても浮くのかもしれない。

 

「よ、ヨミはためらいがないのう……」

 

「そりゃまあ、幼い子供ですし」

 

「しかしじゃな、ここには、その、えー、あー、そう。そう、魔物だっておるのじゃぞ?防具の一つも持たずにいるのはちと危険とは思わぬかえ?」

 

「あはは、ヒミコ様は心配性だなあ。魔物ぐらいなんだって言うんですか。別に襲ったりしないですよ。温泉の前に闘争本能は無力です。ほら、普段凶暴なごうけつぐまもあんなにくつろいでる」

 

「十文字ではないか。あやつほど凶暴とかけ離れたクマなど見たことがないぞ」

 

 ですよねー。

 

 十文字はあんなに水浴び嫌がってたのに、今では事あるごとに温泉に浸かりに来てる。不意を突いて大王共々湯船に落としたら滅茶苦茶気に入ってしまったらしい。頭の上に置いたタオルといい、常連臭が半端ない。

 

 ちなみに大王は隣でうつ伏せになってぼんやりと物思いに耽りつつ浮いている。以前宣言した通り茹でガエルと茹で熊にすることはできたものの、なんか微妙に納得いかないのはなんでだろう。

 

「それよりもあのご老体、まほうおばばじゃな?」

 

 ヒミコ様の視線を追うと、いつの間にやら編み込みのリラックスチェアを持ち込んで、シロガネさんに団扇を仰がせているばーちゃんがいた。

 

「あれ?ご存知でしたか」

 

「知らいでか。とある村で魔物のくせに人と慣れあう者がいると報告は受けていた。実害なくば放っておけと命じた記憶もある。もっとも、実際に目にするまでは半信半疑じゃったがのう」

 

「きひひ、百聞は一見に如かずとも言うしねえ。まさか巫女と邂逅できるとは、あたしだって驚いているよ。小僧、また珍しい人間を連れてきたね」

 

「言うておくが、珍しいのはそちらの方じゃからな?そもそもこの泉は我らが精霊から賜り代々引き継いできたもので、本来ならば民どころか国の重鎮ですらも立ち入りが禁じられて───」

 

「けど火の精霊様が許してくれたんだし別にいーでしょ?そんなことよりさ、ばーちゃん。土とか岩の魔法とかってないのかな?十文字が散らかしてる奴を片付けておきたいんだけど」

 

 面倒くさいしきたりを語り始めたヒミコ様に被せてそんなことを問うと、頭頂にチョップを叩き込まれた。

 

「なにするの、ヒミコ様。痛いよ」

 

「わらわは怒っておるのじゃぞ!」

 

「でも精霊様が───」

 

「分かっておるわ!こうなればゼンクロウ、そなたが災いを払う、あるいは見つけ出すまでこき使ってやるからの!」

 

「はいはい、分かってますよー」

 

 軽い口調で答えたが、それは僕も強く望むところだ。実際ヒミコ様が死ぬ可能性があるんだ。見過ごせるわけがない。

 

「災いの方はとりあえず溶岩洞窟の中に行くときに僕を必ず連れてってらえればいいと思います。僕の心当たりはあそこにしかないですし、時期が分かっているわけでもないので、今はそうやって気を付けるのが第一でしょう」

 

「うむ、分かっておれば良いのじゃ」

 

 今更そんな尊大さを発揮して胸を張られても困る。色々と残念な巫女様だなあ。

 

「それはそれとして、話を戻すけど。ばーちゃん、さっきの土魔法って実際どうなの?」

 

 ばーちゃんはシロガネさんの団扇が生み出す緩い風を浴びながら、目を開くこともなく気だるげにつぶやく。

 

「土魔法なんてものはないさね。正確には見つかっていない、と言った方が正しいか。かつて神が創り給うた万物の中で、もっともその加護が強いのが大地。地面がなければ人も魔物も、海ですらも存在しえないのさ。それゆえ、土魔法は最も神の力に近い属性のものと言えるだろうね。果たして人がどれだけ力を注ぎこめば実現できるのやら、あたしゃとんと分からないよ」

 

「そうなの?でも土を動かすくらいだったらできるよ?」

 

「寝言は寝てから言いな、小僧」

 

「んー、それはばーちゃんの方かも。目を覚ましてもらおっかな。よく見ててね」

 

 魔力を放ち、湯に沈んでいるかつて敷居だった岩の一つに打ち付ける。するとあら不思議、岩は湯の中からざぶんと音を立てて浮かび上がった。さらに細かく操作すると、ぱきんと音を立てて岩が四分割される。立方体にカットしたそれをばーちゃんの目の前まで飛ばして綺麗に積み上げると、またも頭上にチョップをくらった。

 

「んもう、ヒミコ様痛いってば。なんでぶつのさー」

 

「理不尽だからであるな。さすがの吾輩も最初見たときは言葉が出なかったわ……」

 

 大王の気抜けた声を聞きつつ 手を振り上げたヒミコ様を不満げに見上げれば、あんぐりと口を開けたまま呆けている。ばーちゃんの方もさっきまで閉じていた目を大きくしていた。

 

「……アンタ本当に滅茶苦茶だね。いや、土に介入したようにも見えたが、実際は動かしただけだ。もしやすればこれは土魔法と言うより念動の類かもしれないね。小僧、もう一度やってみな」

 

「はーい」

 

 今度はもう少し見えやすいように、温泉の周りに散らばった岩を対象とした。実際に近くまで歩み寄って、岩に触れる。そして魔力を注ぎ込み、そのまま移動しろと念じる。流し込む魔力はさっきよりもかなり多めだ。岩が光を放つほどに強力な力を込めていく。やがて輝く岩はその魔力を受けて僕の手に吸い付いたままゆっくりと浮き上がり───砕け散った。

 

「あれ?」

 

 つぶやいた声は皆に届いていただろうか。僕には皆の反応を見ることができなかった。だって岩が砕けたそこは眩しいほどに光り輝いたままで明らかに異空間につながる穴が開いていて───僕は吸い込まれるようにして、そこに落ちてしまったのだ。

 

 浮遊感が身を包む。支えを失った体が強張る。視界が真っ白に染まっていく。悲鳴が聞こえたような気がした。

 

 ちょっとばかり、やばいかも。



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14.悟るに至り、書が開く

 眼前にすっげェ美男美女がいた。

 

 違った。美女じゃない。美少女、いや美童女と言った方が正確か。小学校入りたてくらいの小さな女の子だ。セミロングの髪は手入れがされておらず、そこかしこが破れた服を着ていて、抱きかかえているクマのぬいぐるみもぼろぼろだ。一言でいうなら薄汚れた浮浪者といった感じだった。整った顔と相まって余計にそれらが際立つ。さすがにあのくらいの年頃の子供がそんな格好をしていると心が痛む。

 

 女の子の傍にいる美男子も同じように思っているのだろう。上半身をすっぽりと覆うスカイブルーのローブから手を差し出し、少女に向かって優しげにほほ笑んだ。

 

「君、名前は?」

 

「……」

 

 少女は答えない。視線も合わせようとしない。美男子が困ったように薄い水色の長髪をかき上げると、特徴的なサークレットが見えた。

 

「あのー、賢者さん?」

 

「なにかね?……むう!君は一体いつの間にここへ?」

 

「ついさっき転げ落ちてきました」

 

「書が開いた感覚は一向に感じなかったのだが……その上二人もか」

 

 唸りを上げて考え込み始めた賢者さんを尻目に、僕は少女の方にも声をかけてみるが、少女は変わらず無言のままだった。つれない態度にめげず、尚も話しかける僕に彼女はどこを見てるんだか良く分からない瞳だけを向けている。聞こえているかも分からない感じだったが、とにかく僕は我慢ならない事があってしつこく口を動かし続けた。ぬいぐるみ。そう、ぬいぐるみだ。抱えている熊のぬいぐるみがやたら汚いのが一番気にくわないんだ。人間は自分の体を自己判断で清潔に保つことができる。でも、熊はそうもいかない。奴らに水浴びの概念はない。だから教えてあげてほしい。もっと愛を与えてあげて欲しい。熊は大事にしないといけないのだ。

 

 懇々と諭し続ける僕の声を一際大きい唸り声が遮った。周囲にそびえたつ岩陰からぬっと首をもたげて出てきたのは竜の顔。驚いてうめいてしまった僕に気付いて、そいつは体全部を現わした。でかい。十文字よりもでかい。大きな甲羅に身を包み、四足をどすんと響かせているのは亀か竜かで意見の分かれるガメゴンと呼ばれる魔物だった。いや、オレンジ色の体表からしてガメゴンロードか。慌てて逃げようとして少女の手を取るが、思いっきり手のひらを叩かれた。少女は先ほどから変わらぬぼんやりとした瞳のままだ。

 

「ここから消えて」

 

 その言葉でちょっと泣きそうになった僕を責められる者はいまい。でも折れなかった。僕の心情はともかく、現実に逃げないといけない状況であることは変わらないのだ。

 

「君のお願いは後で聞くから今は戦うか逃げるかしないと!」

 

「ふむ、確かに」

 

 どごん、ととんでもない音がして、ガメゴンロードの首が吹っ飛んだ。発動したのがイオ系の呪文だったことは分かる。でも、上位呪文かどうかは分からなかった。凄まじい爆発だったが、ガメゴンロードのほとんど一点に集中して、イオ系特有の全範囲攻撃と言うにはあまりにも規模が小さかったのだ。その反面、結果を見ればそれが下級呪文と呼ぶには過小評価と呼べるほどの衝撃を与えたものだったことは良く分かる。呆気にとられる僕の頭の上から、美男子のハスキーなイケメンボイスが降ってきた。

 

「原因はわからずとも、とりあえずこれは言わねばなるまいな」

 

 彼が頭部を砕いたガメゴンロードは物言わぬ屍となって(そもそも口ごとなくなったのだが)、それと同様、彼の言葉によって僕の頭も砕けるような思いをすることになった。

 

「───ようこそ、《賢者の書》へ」

 

「は、え?」

 

 ガメゴンロードと僕の違いは、素っ頓狂な声を漏らす口が有るか無いかくらいだった。

 

 

 ◆

 

 

 賢者さんはカダルと名乗り、根気よく少女に問いかけることを繰り返して、その名がマルモと言うことも判明させた。カダルという名に聞き覚えがあったが、質問した限りではどうも僕の知る大賢者カダルとは同じ名前の違う人物らしい。合体魔法なんてトンデモ技術を生み出してるわけでもないそうだ。

 

 マルモという名前にも聞き覚えがあったが、そちらについては黙っていた。「君の名前聞いたことがあるんだけど、どこかで会ったことない?」これじゃあまるでナンパ男のセリフだ。そんな考えに及んで、なんとなくその台詞を吐きたくなかっただけだ。特に深い意味はない。

 

「さて、ゼンクロウ。君のこともいろいろ聞かせてはくれないか?」

 

「マルモちゃんはいいんです?」

 

「彼女はあとで……余程疲れていたのだろうな」

 

「そですね」

 

 簡易的なベッドに横たわり、穏やかな寝息を立てる少女はクマのぬいぐるみをしっかりと抱きしめたまま毛布にくるまっている。お腹一杯に食べて、体をきれいにして、そして僕らが彼女を害する気がないと知って、ようやく安心できたようだった。彼女のことを知ってしまった以上、どうにかしてやりたい気持ちにも駆られるが、それはきっと僕の役目じゃない。安易な救済は時に害悪と化す。彼女自身を救う者はきっと別にあるはずで、それはこの世界とはまた別次元の話だろう。

 

 ただ、一つだけ分かったことがある。彼女の幼さが教えてくれた。伝説における現在の時間軸。それをこの賢者に語るべきか、結局僕は決断できなかった。淡々と僕がこの世界に現れた経緯、そして今まで体験してきた事実だけを述べただけだ。つまるところこう言った。自分が何者かもよくわかんねえ。

 

 一通り話を聞いてカダルさんは言う。

 

「君も彼女も何かに導かれたのかもしれんな」

 

「ルビス様とかにですか?説得力が微妙……」

 

「はっはっはっ、君にかかれば神も形無しだな。僧侶が聞けば怒髪天を衝く勢いで叫ぶかもしれん」

 

「おおぅ、こいつは失言でございました。賢者であるカダルさんも信徒のお一人でしたね」

 

 神に許しを請う僕を見て、カダルさんはカラカラと笑う。

 

「なに、神となればこそ、人間一人の愚痴如き歯牙にもかけぬだろう。何に対しても疑いを持つのが人間として当然の姿だと知っている者なら、その程度のことで怒ったりせぬよ」

 

「慈悲に感謝を」

 

 仰々しく十字を切って、芝居がかった仕草で手を合わせると、カダルさんもまた同じように十字を切って祈り、やがて二人の笑い声が夕焼けの空に響いた。いやあ、寛大な人で良かったよ。さすが悟りを開いた賢者様だ。一般人の失言も冗談として軽く受け流してくれる。

 

「さて、そろそろ私は夜の食料を確保しに行こうと思うのだが、君はどうするかね?」

 

「そーですねえ……うーん、時間もあれなんで帰ります。突然いなくなってみんなも心配してるだろうし。それじゃ、また来ますね。マルモちゃんにもよろしく言っといてください」

 

「待ちたまえ。書を閉じるのはここに来てすぐでは難しい───」

 

「ルーラ」

 

 温泉を行き来するためだけに最近覚えた呪文を唱えると、ふわりと体が浮いて、すぐさま急激に上昇加速する。それから息一つ挟むくらいの合間に空間にぽっかり丸い穴が開いて、僕はその中に飛び込んでいった。

 

 淡い光を放つその穴の中から下を覗くと、呆けたような様子のカダルさんが見えた。手を振って別れの意を示すと、やっぱりどこか上の空のような感じで手を振り返してくれた。変な見送り方する人だなあ。

 

 穴の中から飛び出た先は温泉の真上だった。服を着たまま勢いよく飛び込むはめになり、まさしく濡れ鼠のまま、ぽたぽたと滴を垂らしつつ湯の中を割って歩く。洗い場に上がると同時に小さな影が僕に体当たりを仕掛けてきた。

 

「おかえりなさーい」

 

 ヨミの抱き着く勢いに負けて、そのまま後ろから湯船の中に再びダイブする羽目になった。きゃっきゃと笑うヨミへの仕返しとばかりに、ほっぺたへぐりぐりと指を押し付けていると、不意に体が浮いた。十文字が服の襟をつかんで湯の中から引き揚げたのだ。つまみあげられたその姿は親猫にくわえられた子猫のように見えただろう。

 

「ぐおお」

 

「アッ、ハイ。心配かけてごめんなさい」

 

 素直に謝ったものの、それから僕はみんなにめっちゃくちゃ怒られた。そんな激おこにならなくてもいいだろうに。僕だってあれは予想外で、言わば突発的な事故のようなものだ。気を付けろと言われてもどうしたらいいか分かんないよ。そんなことを考えもしたが、結局口には出さなかった。ばーちゃんとか大王はともかく、ヒミコ様みたいにちょっと涙声で叱られてしまうと罰が悪いったらありゃしない。

 

「結局、ゼンは今まで一体どこで何をしていたのであるか?」

 

「ちょっと悟り開いてきた」

 

「うむ。全くもって意味がわからんのである」

 

 それは仕方ないだろう。悟りというのはそういうものだ。別に僕は何かに開眼したわけでもなし、アレで賢者になる資格を得たとも思えない。たぶん全部が全部偶然なんだ。それを説明したところで聡明な赤いカエルが納得するわけでもなし、僕は早々に詳細な説明を投げ捨てた。それはある意味で僕も本当に悟っていたからだ。

 

 説明すんのめんどくせえ。



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15.大王ガマが望むもの

 大王はカエルのくせに物知りさんである。

 

 その源泉は絶えることなく湧き続ける知識欲だ。なんだってそこまで色々と知りたがるのか不思議で仕方ないが、つまるところ大王は学者気質なのだろう。カエルなのにIQが高いのだ。脳みそも体に合わせて小さいだろうに、どうやってその知識をため込んでいるのやら。そもそも僕としては大王自身の存在が一番の不思議で一番知るべきなのはそちらだと思っている。シロガネさんとの稽古が終わった後、試しに本人に聞いてみた。

 

「大王ってさ、何者なの?なんでカエルなのにそんなに色々知ってるの?っていうかなんで人語喋れんの?」

 

「ふむ、それは吾輩が大王だからである!」

 

 これなのだ。全然答えになってない。僕は別にそういう哲学的な答えなんて求めてない。いわば科学者が出すような、0か1かで判断できるようなものが欲しいのだ。でも、どうあっても大王はそれ自体が実質の答えみたいな感じで言うし、重ねて問うても同じ言葉が返ってくる。そうなると僕も諦めるしかない。自分から聞いといてなんだが、おざなりな態度になってしまうのも致し方ないだろう。

 

「はいはい、裸の大王、裸の大王」

 

「うぬ、吾輩のこの艶めかしくも麗しい、しっとりとした肌がどうかしたか?」

 

「えー、通じないの?あ、そっか、それがフォーマルスタイルだもんね。んと、だったら裸の大王……じゃなくって、裸の王様っていうお話をしてあげるよ」

 

「おお、ゼンの珍しい話を聞けるのであるか!楽しみである!」

 

 大王は知らない話を聞けるとなると本当に嬉しそうにするなあ。さっきまでプリプリ怒ってたのに、純粋というかなんというか。感心と呆れをない交ぜにしながら僕は少しばかり得意げに知識にある童話を語る。

 

 昔々、あるところにオシャレ好きな王様がいました。王様のもとにある日馬鹿には見えない服を作れるという職人が現れます。以下略。

 

「───子供は言いました。王様は裸だよ!」

 

「ほほう、集団心理の恐ろしさと、上位たる者がその尊厳を虚栄で見失う愚かさを指摘するものであるな。そして純真な者にそれは通じぬと」

 

「そんな難しい話じゃないよ。裸は恥ずかしいねってだけ。だから大王は恥ずかしいねって」

 

「いやいやいや、であれば十文字とて条件は同じであるぞ!」

 

「十文字は毛皮着てるじゃない」

 

 温かな日差しを受けて目を細めて座り込んでいる十文字はくぁ、と一つあくびをした。相変わらずのんびりマイペースだけど、どうやら僕らの話は聞こえていたらしい。顔だけをこっちに向けて一声ぐおおと鳴いた。

 

「なんと!十文字までそう言うか!吾輩の美肌が恥ずかしいものだと……!!」

 

「恥ずかしいっていうか、素っ裸だし、露出狂の変態だよね。エロいよね。このスケベ!スケベガエル!!」

 

「なんたる言いざま!吾輩めっちゃショックである!」

 

 大王は両手を地面につき、がっくりとうなだれた。いや、うなだれたつもりなのだろう。僕から見れば四つ足のカエルがちょっと下に顔向けてるくらいにしか見えない。ちょっとアホっぽいね。

 

「おおお……吾輩は一体どうすれば……」

 

「服着ればいいじゃない」

 

「しかし魔物である吾輩が服など……!」

 

 変なところで常識的だなあ。自身が非常識の塊のくせにアンバランスだ。

 

「服着ないと賢者さんのところに連れてってあげないよ。素っ裸のスケベガエルを賢者さんに見せるなんて恥ずかしいし」

 

「それは困る!うぬ、服か、服であるな!?」

 

 際立って狼狽したカエルさんご自慢のしっとりした肌は、今や汗でべっとりだ。カエルなのに感情に合わせた身体反射まで人間と同じだなんて、どこまで常識を覆せば気が済むんだろう。魔物だからそういうこともあると言ってしまえばそれまでなんだけどさ。

 

 大王は二足で立ち上がると、そのままぺたぺたとした足音を連れてその場をぐるぐると回り始めた。腕を組んであーでもない、こーでもないと悩む姿は人間そのものだ。そうやってしばらく熟考していたが、やがて何事かを思いついたらしく、一声挙げてルーラで飛んで行ってしまった。ルーラを使える大王ガマってホントなんなんだろうね……。人間は考える葦である、なんて言った人もいるらしいけど、大王は考える……考えるカエルか。まんまじゃん。

 どうにも消化しきれないもやもやした気持ちを抱えたまま、最近は獣臭さが薄れたふわふわ熊毛に埋もれると、ぽんぽんと頭を撫でられた。僕の気持ち、分かってくれているらしい。

 

「ぐおお」

 

 重低音が耳に沁みる。

 

 

 ◆

 

 

 大王がいなくなった後、いつものように十文字の超重量と格闘し、多量の汗にまみれた体をヒャドって作った氷水で癒していると、畑の手入れを終わらせたベビーサタンのベヒモン君が戻ってきたので魔法の練習を開始した。今日はベヒモン君の羽のばたつきがやけに激しい。もしかすると、最近まで温泉にかかりっきりで一緒に練習してなかったから嬉しいのかな。いや、珍しくバーナバスのバルナスさんが見物しているせいかもしれない。そう考えると、まるで父兄参観で張り切る子供のようだ。

 

「兄貴!オレッチ、ついにヒャドを覚えたッス!」

 

「へぇ、やるじゃないかベヒモン君。早速見せておくれよ」

 

「了解っス!オレッチの背筋に走る冷たいものを手に集めて───解き、放つッ!!」

 

 トキハナツー。

 ベヒモン君の小さな手から魔力がぶわっと漏れ出し、ぎゅっと圧縮されると、ツララが生み出された。そいつはすぐさま射出され、近くの木に突き刺さる。見事にヒャドだ。そして見事などや顔だ。それはいいんだけど、なんというか、これはまさか。

 

「もしかして、以前僕が言った通りのやり方で?」

 

「できたッス!兄貴のアドバイスのおかげでたった十日でモノにできたッスよ!それどころか……ヒャダルコッ!!」

 

 ベヒモン君の威勢のいい声が響くと、ツララが突き刺さっていた木が見る見るうちに凍り付き、氷像となってしまった。マジか。

 

「すげえ……」

 

 あんな適当理論で覚えられるだなんて、あまつさえその上位呪文まで習得してしまうなんて、もしかして物凄い才能秘めてるんじゃないかこの小悪魔。素直にブラボー、と拍手を交えて褒めてあげるとベヒモン君はさらに激しく羽をバタつかせて宙返りを始めた。

 

「イィィィヤッハァアアアアー!!」

 

 バルナスさんも満足そうにうんうんと頷いている。しかも、いつもの不健康そうな青白い吸血鬼顔に笑みまで浮かべて。うん、完全にお父さんだコレ。

 

「バルナスお父さん」

 

「はい?なんでございましょう、ゼンクロウ先生」

 

 いきなりのネタ振りだったのに、即興でこの返し方されるのか。この人頭の回転早そうだなあ。僕がポリポリと頬をかくと、胸に片手を当て、まるで執事のような仕草で頭を下げられた。なんでも僕から教えられるまで一向に呪文を覚えられなかったベヒモン君は、ああ見えてかなり凹んでいたらしい。とんでもないと僕が恐縮すると、バルナスさんは剥き出しの牙をさらに尖らせて笑った。

 

「どうやらゼンクロウ殿には教師の才能がおありのようですな。ご自身の魔法の習得が早いこともそうですが、育成手腕に秀でるというのはそれにも増して得難い才能です」

 

「いやーそれはどうかなあ。生徒が優秀なんだと思いますよー?」

 

 やたら褒められてしまったが、事実としてやったことが口出しだけ、それも無茶苦茶な理論をテキトーに伝えただけだ。これで育成上手って言われても全然納得できないし、それを自慢げに吹聴すれば本物の教育者にブチ切れられそうだ。

 

「そういや、バルナスさんってベヒモン君に魔法教えたりしないんです?」

 

「私はそれほど魔法を使えませんので、おばば様にベヒモン君のことを頼んでいるのですよ」

 

「へー、意外だなあ。てっきりばーちゃんと魔法理論の語らいでもしてるものだとばっかり……あれ?じゃあ普段何の話されてるんですか?」

 

「そうですな、大体はこの辺りの魔物の統率と、今後の在り方についての相談でございます」

 

「なんかめっちゃ難しい話してるんですね。もしかしてここら一帯はバルナスさんがリーダーでばーちゃんが相談役みたいな感じで治めてたり?」

 

「統括は基本的には『鬼面道士』の一族が務めておりますよ。私は各地の魔物との橋渡し役のようなものでございます。もっとも、我々魔物の多くの生態を鑑みれば、有名無実という奴ですな」

 

 そっか。脳筋多いもんね。獣と同じような輩も多いし、そりゃそうなるか。

 納得してほうほうと頷いていると、ベヒモン君が満面の笑みでさらなる魔法を覚えたいと鼻息を荒くして詰め寄ってきた。うん、絶対にメガンテだけは教えないようにしよう。ひとまず戦闘系から離れてルーラでも覚えてもらおうかな。

 

「ベヒモン君、ルーラってどんな呪文かわかる?」

 

「飛ぶッス!」

 

「完璧な回答だ。ではやりたまえ」

 

「ルーラッ!」

 

 途端に風が巻き起こった。砂埃が舞い上がり、ベヒモン君の小さな体が上へ上とぐんぐん昇っていく。やがて止まると、翼をはためかせながらゆっくりと降りてきた。

 

「どうッスか!?」

 

「うん、全然ダメ」

 

「ガーン」

 

「だって普通に羽で飛んでるだけじゃん。ルーラってのはね、誰にも邪魔されず自由で、なんというか救われてなきゃあダメなんだ。独りで、静かで、豊かで……」

 

「深ぇ……」

 

「安心してください。誰かが言ってたことのパクリです。ま、僕の言葉じゃないってだけで、その重みは変わらないと思うけどね」

 

「やっぱ深ぇ……」

 

 はー、と大きな息をついて感じ入るベヒモン君だったが、ここまで変に感心されるとちょっとくすぐったい。でもこうやって僕の戯言すら深く考察するベヒモン君だからこそ、急激な魔法上達を成しえたのかもしれない。そうであれば、うん、やっぱり僕何もしてないね。

 

「うーん、とにかくさ。ルーラってのは単純に空を飛ぶ呪文じゃないんだ。そもそも、まずは自分の飛びたいところを覚える必要があるからね。

 僕はそれを独自にマーキングって呼んでるんだけど、大体マーキングできる場所はその人なりの土地の魔力を感じやすい座標なんだ。だから特に意識せずとも覚えているし、目的地を思い起こすだけで呪文が完成するし、もし覚えにくい箇所があったらルーラできないってことも当然発生する。

 そして肝心の空飛んでるときだけど、さっき言ったようにただ飛ぶんだけじゃなく多少時空を歪めてるっぽくて、だから鳥が飛ぶよりも早く目的地に着くことができるんだ。ま、時空を歪めるって言っても瞬間転移とは明確に違うから屋根のあるところでやると頭ぶつけたり、着地地点にある何かにぶつかったりすぐぁ!?」

 

 解説の途中でべちゃり、と顔に何かが張り付くようにぶつかり、後ろから倒れこんでしまった。背中をしたたかに打ち付けてしまい、声なき声でうめく。うごごごごご。

 

「おお!ゼンよ!死んでしまうとはふがいない!」

 

 なんて失礼な物言いだろう。顔の上でぺちぺちと前足をほっぺたに叩き付ける赤いカエルをつまみ上げて睨みつけると、そいつは目線を逸らしてわざとらしくぴゅーと口笛を吹いた。

 

「ベヒモン君は気を付けてね?この通り、術者の方は魔力に守られてて大した影響はないけど、ぶつかられる方はたまったもんじゃないから」

 

「うむ、気を付けるのである!……あ、はい。ごめんなさい……である」

 

「あの大王が……やっぱ兄貴すげぇッス……」

 

 よくわからないところに感心し始めるベヒモン君はまた何かしら深読みしているのだろう。それを悪いとは言わないけど、勘違いばっかりするのも問題だから気を付けてほしいものだ。

 

「それで、大王。そのみょうちくりんな恰好はなんなの?」

 

「みょうちくりん?みょうちくりんと来たか!うむ、確かに人間の服を着た吾輩ならそう見えることもあろうな!」

 

 どこ行ってきたか知らないけど、帰ってきた大王は『皮のこしまき』を身に着けていた。どうやって作ったのか、サイズもぴったり大王に合わせてある。でもそれだけだ。腰巻だけだ。上半身は相変わらずの裸で膨らんだ腹の下も全部は隠れず、明らかに見えてしまっている。なんだこれ、チラリズムってやつ意識したの?

 

 大王は腰巻の裾をめくりあげたりしつつ、その場でくるりと回った。カエルのファッションショーかよ。見ればすさまじいどや顔だ。どうだ素晴らしい出来だろうと言わんばかりのその顔に、僕は当り障りのない感想でお茶を濁すなどというふわっとした対応は即座に投げ捨てた。残酷な真実を突き付けてやる。

 

「蛮族スタイルじゃん。逆にIQ低そうだよ。なんかさ、裸よりもアホっぽく見える」

 

「なんと……!吾輩とゼンの衣服に何の違いがあるのか……!!」

 

「服じゃなくてセンスの違いかなー」

 

 大王としてはなんか体に巻き付けときゃ大丈夫だろって感じなんだろうなあ。あまり人間を甘く見ないでほしい。人間の美的センスは古来から磨かれてきたものであり、僕の審美眼もまた曇りなきものだ。温泉宿を見るがいい。人間魔物の区別なく、見るだけで癒しを与えるというのもまた美しさがもたらす一つの効果だ。

 

 僕の辛口評価に大王はゲコゲコといたく嘆いていたが、突然うめき声をぴたりと止めると背中越しにちらりと僕を見た。

 

「……吾輩、服を着てきたのである」

 

「そうだね」

 

「ということはつまり、賢者殿と会うための条件は満たしたということで相違ないな?」

 

「違うね」

 

「なぜに!?」

 

「前提として恥ずかしいカエルさん見せたくないって言ったでしょ?今の大王恥ずかしいまんまだし」

 

「しかし吾輩服を着たのである!」

 

「そうだね」

 

「ならば賢者殿の居られる場所へ吾輩を!」

 

「連れていきたくないなあ」

 

「約束が違う!ひどい!ひどすぎる!」

 

「さすが兄貴、魔物よりも悪魔だ。すげえッス……」

 

 カダルさんは賢者という名に恥じない、心の広い人だし、本当は連れて行ってあげても何一つ問題ないんだけどね。そっちよりもマルモちゃんに与える影響の方が気になるんだよなあ。なんとなく大丈夫な気はするけど、できれば避けたいという気持ちもある。

 

「ゼンよ!魔物の矜持まで捨てて服を身に着けた吾輩に言うべき言葉はそれなのであるか!?」

 

「うん」

 

「ぬうぅううううううッ!!」

 

 地団太を踏む大王をしり目に僕はひとつあくびをして、ベヒモン君に向き直った。さっきはせっかくまじめに解説してたのに大王に邪魔されたからね。別にそのことで腹を立てているわけではないけど、魔法授業の続きとしゃれこもうじゃないか。

 

 そうして僕はベヒモン君に思う存分知識をひけらかし(それが正しい真実だったのかは別として)、満足のいく時間を過ごしたのであった。けれども。

 

「はぁー賢者殿に会いたいのであるー……」

 

 チラッ。

 

「吾輩、最近人間の着る服の良さが分かった気がするのであるー……」

 

 チラッ。

 

 結局、知りたがりのカエルさんにしつこく、それこそ毎日どころか毎時毎分のレベルでチラッチラッされ続けて僕は折れた。うっぜえ。

 



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幼年期:冬の国
16.夏場は涼を取りたいから


 気付けば冬が終わって春も過ぎ、クッソ暑い夏になっていた。みんみんと鳴き喚く蝉時雨を背に、僕はえんやこらせと畑にクワを叩き込む。頭の上に小さな桶を乗せて手拭いで固定して、水をちゃぷちゃぷと鳴らしながら、何度も何度も飽きることなく叩き込む。ほとんどヤケクソだった。

 

「これはパっつぁんの分!これはミトさんの分!これはヨミの分!これはキョロちゃんの分!あとはえーとめんどいな!これは僕の分!僕の分!僕の分!」

 

「やかましいわ!意味の分からん掛け声だすな!」

 

「ちゅーてもパッつぁんよォ、こう暑くちゃ叫ばずにゃいられねんだども」

 

「また妙な喋り方して。暑さで頭が湧いちまったか?」

 

「確かにそーかも」

 

「じゃあもう休んでな。子供にゃこの暑さは厳しいだろ?」

 

「うーん、でもなあ……」

 

 ヒャド、と小さくつぶやいて氷の塊を口に含む。ああ、冷たい。ガリガリと氷を噛み砕きながら、ぱちんと指を鳴らすと、頭上の水をたたえた桶に浸かっている赤いカエルさんがフバーハを唱えた。途端に暑さが半減する。相変わらず日差しはきっついけども。

 

「一応、反則気味の気温調節っぽいことしてるしなあ……」

 

「吾輩のおかげであるぞ?吾輩のおかげであるぞ?」

 

「そんなどうでもいいこと二回も言わないでいいよ。黙ってたけど、すぐサボって呪文解いてるよね?僕汗だくだよ?」

 

「うぬ、しかしゼンよ。もともとフバーハは熱効果抑圧の呪文なのだ。高すぎる温度や低すぎる温度でないと調節が逆に難しいのである。気温程度だと温度が半端過ぎて効果が低く、それでも効果を発揮させようとすると、すさまじく燃費が悪い。さすがの吾輩も根を上げるほどだ。賢者殿とも相談したが、現状これ以上の改善はできないのである」

 

「唱えっぱは疲れるってことだね。そんなことはわかってんだよぉおおおお!!暑いぃいいいいいいいいい!!」

 

「この国に住む以上は諦めるしかないのである。……ううむ、水がぬるくなってきたのでヒャドを頼む」

 

「自分で唱えればいいでしょー!?」

 

「ゼンの常識離れした頭のおかしい呪文でないと効果が薄いのである」

 

「頭のおかしいって……あーもー!ヒャダルコッ!!」

 

「ゲコォッ!?」

 

 イライラをそのまま冷気に変えたおかげで、見事な大王の氷像ができた。そうだなあ、名づけるなら「桶浸しガエルの活造り@氷固め」というところだろうか。

 

「相変わらず大王には容赦がねえなあ。大丈夫なのかよ、これ」

 

「大丈夫だよ、魔物だし」

 

 普通の大王ガマなら耐性持ってるから、ヒャダルコはギリギリDead or Aliveぐらいの威力だったはずだ。普通じゃない大王なら精々体力半減程度だろう。凍った大王を桶ごと放り投げたあと、もう一度ヒャドを唱えてパッつぁんに一塊の氷を渡してから、地面に突き刺したクワにもたれかかる。

 僕がそうやって休んでいる間も、筋肉黒光りなパっつぁんはもの凄い勢いで畑を耕していく。化け物か。若干鼻歌交じりなあたり、あのおっちゃんも相当おかしい。筋肉か。筋肉のせいなのか。僕も服がはちきれんばかりの筋肉があればアレくらいやれるのだろうか。子供にしては鍛えられた自身の腕を見ながらぽつりとつぶやいた。

 

「無理だね……」

 

 魔法学習を通して僕は知ったのだ。ばーちゃん然り、ベヒモン君然り、各個一人一人に、その人独自で成立する法則がある。この人だからできる、この人だから分かる、そういった個々人の特性は他人が簡単に真似できるものではない。「どうしたらできるの?意味わかんないんだけど」と聞いたところで「なんでできないの?意味わかんないんだけど」しか答えが返ってこないのだ。大王が大王だから人語を解するのと同じだ。呪文をなんとなくで唱えられる僕自身にだってそれは当てはまる。意味があるようで、意味がない。もし、その意味を解き明かすことができるとしたら、それはきっと神様くらいだろう。

 いや、神様でもできるかどうか。だって神様ってルビス様だし。なんかさ、怪しいよね。あの神様って何ができるんだろう?何がしたいんだろう?よくわかんないや。

 ぼんやりとそんな埒もないことを考えていると、甲高いヨミの声が届いた。やべっ、僕の考えてることが不敬だって怒られるかも。

 

「おとーちゃーん、おにーちゃーん、なんか変なのあったー」

 

 どうやら杞憂だったようで、ちょっぴり身構えてしまった僕をヨミは気にも留めていなかった。それよりも口にしていた「変なの」とやらを見て欲しいらしく、これなに?これなに?と餌を欲しがる雛鳥の如くせっついてくる。まるでキョロちゃんだね。ぴぇぴぇと鳴く本物の雛鳥からもせっつかれ、思わず小さく笑ってしまった。

 

 さてさて、と気を取り直し、その「変なの」とやらを確認してみると、割れた板みたいな石だった。

 ヨミの小さな手からぐいと差し出されたそれを受け取って、ためつすがめつ眺めてみれば、どうも何かしらの絵が刻まれた石版の一部のようだ。割れているのでガラクタ同然にも思えたが、微妙に魔力的なものを感じることができ、なるほど、ヨミが変なのと言っていた理由にも納得だ。

 ほうほう、と頷きながら魔力を直接浴びせてみたりして検分を続けてみたものの、結局よくわからなかった。見識豊かな誰かに意見を求めたいところだが、こんな時に限って大王は氷像と化している。

 

「ちぇっ、使えない大王だなあ」

 

「使えないとはなんであるかァアアアッ!」

 

 バキンと音を立てて大王の氷像が砕け散った。違った、まとわりついた氷が砕けて飛び散った。何か呪文でも使ったのだろうか。ぴょんと飛び跳ねた大王は空中でくるりと一回転。そのままヨミがひょいと差し出した手のひらにおさまった。

 

「まったく、まったく……!まったくもう、これだからゼンは……ッ!!大王たる者に向かって何たる言いざま!吾輩、怒り心頭であるッ!怒髪天を衝くとはまさにこのことであるッッ!!」

 

「いやいやいや。大王、そもそも毛がないじゃん」

 

「だいおーケガないー?わー、つめたー」

 

「う、うぬ!?ヨ、ヨミよ、そんなあっちゃこっちゃ触られると……あふん!」

 

 すっかり冷え切ってしまっていた大王は、ヨミにとって体の良い納涼道具に過ぎなかった。ペタペタとまさぐられて大王が変な声を出したところで、見かねたパっつぁんが取り上げて高く持ち上げる。

 

「こらこら、あんまり大王触ると手が生臭くなるからやめな」

 

「ほんとだーなまぐさーい」

 

「生臭いて……」

 

 手の匂いを嗅いではくさいくさい、きゃっきゃきゃっきゃ、と顔をしかめながらもはしゃぐヨミにほっこりする。それにしても、親子そろってひどい言いようだ。目に見えて落ち込む大王をほんの少し哀れに思った。でも事実だから仕方ないね。

 

「ぴぇー」

 

「うん、生臭くてもきっとおいしいって褒め言葉じゃないからね、キョロちゃん」

 

「生臭い……」

 

 そうだ、今日は焼き魚にしよう。夏場の生臭は避けるに限る。

 



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17.両親の許可をもらって

 一旦は落ち込んだ大王だったが、石版の欠片(かけら)を見せると目を輝かせて復活した。

 

「ううむ、なんであるかこれは!」

 

 ペタペタと触り、こつこつと叩いたり、僕と同じように魔力を浴びせてみたりと色々やっていたが、その結論は果たして僕と同じだった。

 

「さっぱり分からんのである!!」

 

 役に立たねえ。

 がっかりだよ、と肩を落とす僕に反して、大王は何故だか意気揚々と石版の欠片を掲げる。分からん分からんと言いつつもめっちゃ嬉しそうだ。そんなに未知の何かに触れることが嬉しいのか。

 

 この場では更なる調査をしようにも埒があかぬ、ということで、とりあえずばーちゃんのところに持っていくことになった。大王が言うには、ばーちゃん家の地下室には研究用のいろんな道具があるらしく、それ使って調べればさらに何かわかるかも、とのことだった。じゃあ、早速行きましょう。

 

 その前に、パっつぁんにごめんけど仕事休ませて、と断りを入れに行くとサクッと快諾された。

 

「この暑さの中、子供を無理やり働かせたとなっちゃあ男が廃るってもんよ!がはは!おう、ヨミも行きたいのか?ババアんとこなら問題ねえぞ、行ってこい行ってこい!」

 

「相変わらず大雑把だなあ。小さなヨミを一人で出歩かせることになるんだよ?不安はないの?」

 

「一人?馬鹿言っちゃいけねえよ。お兄ちゃんが一緒にいてくれんだろ?」

 

「あー……」

 

 大きな手でわしゃわしゃと頭を撫でられるのと一緒にかけられた言葉は、思いがけないものだった。

 

「もう、やめてよー」

 

「なんだあ、照れてんのか?ま、なんにせよ、俺がいねえ時はヨミを頼むぜ」

 

 大きな手がさらに強く僕の頭を撫でこする。髪がぐちゃぐちゃになってしまった。快活に笑うパっつぁんをジト目でにらみながら手串をかけてキレイに髪を整え、それが終わるなり、ヨミの手を引きつつ一旦家に戻ることにした。

 

「ただいまー」

 

「ただいまー」

 

「お邪魔するのである!」

 

 近くの木陰で寝転がっていた十文字を横目に家に上がると、ミトさんが慌ただしく何かをやっていた。いろんなものを引っ張り出してはその辺に置いていく。これも違う、あれも違う、と呟く様子からして、何かを探しているようだった。

 

「ゼンかい?丁度良かった、あんたまな板どこ行ったか知らないかい?」

 

「まな板?知らないけど……ないの?」

 

「さっきから見つからないんだよ!いつも置いてあるはずの場所には変な板があるし!」

 

 見るからにイライラしているミトさんが指さした先には、確かに変な板があった。僕の頭の上にのってふんぞり返っていた大王がぴょんと降り立ち、その板に触れる。片手にはヨミが持ってきた板もある。それにしてもよくもまあ、自分の体よりも大きいモノ持てるなあ。バイキルトでも使ってるのかな。

 

「ふむ、同じものであるな。なんとびっくり、割れた部分がぴったりとハマるのである!」

 

 呵々と笑う大王はその場に胡坐をかくと、じっくりと品定めを始めた。ヨミもその隣に座り、大きな瞳をキラキラと輝かせながらクスクスと笑った。

 

「ん?」

 

 いや、ヨミは笑っていない。興味深そうに大王の手元を覗いているだけだ。でもなんかさっきからクスクスと笑い声が聞こえる。

 

「キョロちゃん、何か言った?」

 

「ぴぇー?」

 

 キョロちゃんでもないらしい。そもそもキョロちゃん自身にも笑い声が聞こえているようで、右往左往しながら辺りを見回している。変だなあ、と思いながら僕も周囲に目を配るが、何一つ妙なものはない。精々が石版の割れ目をなぞりながら唸る小さな赤いカエルと、グチグチと呟きながら衣装棚をひっくり返し始めたミトさんと、僕と同じようにキョロキョロし始めたヨミくらいしかいない。ということは、ヨミにも聞こえるのか。

 

「だれかいるのー?」

 

「ぴぇー?」

 

 返事はないが、たぶん僕ら以外の誰かがいる。僕の中の何かが訴えている。こいつぁキナくせぇって具合に。けれど、声のする方に慎重に近づいても声ばかりで姿が見えない。まるで透明人間だ。透明?

 

「そうか!レムオルだ!大王!凍てつく波動出して!出して!早く出して!」

 

「んっ!?うぬ……?」

 

 なぜだかびくっと震えた大王は、首筋(と言っていいのか分からないが)あたりをさすりながら振り返った。そして不思議そうな顔で僕を見る。

 

「ほら大王、凍てつく波動だよ、凍てつく波動」

 

「なんであるか、それは?」

 

「知らないの?ほら、あらゆる呪文効果を打ち消すっていう魔王クラスの特技だよ」

 

「なんと!魔王はそんなエゲツない技を使うのであるか!?吾輩のバイキルトも打ち消されると!?」

 

「その様子だと使えないみたいだね。んー、残念……」

 

 とはいえ、肩を落としてばかりもいられない。際立った悪意は感じないけど、どうにもモヤモヤする。きっと今ここには何か得体のしれない異形のモノが────

 

「────あったぁ!ゼン!あんた、こんなとこにまな板隠してどういうつもりだい!?」

 

 いた。異形の鬼がいた。般若の面かぶったようなミトさんがいた。衣装棚のすぐそばでまな板を振りかざして僕を睨み付けていた。超怖いんですけど。でも僕はその恐怖を乗り越えて反論した。

 

「意義あり!そんなことしないよ!僕じゃない!冤罪だ!」

 

「じゃあヨミがやったとでもいうのかい!?」

 

「それこそあり得ないよ!」

 

 そりゃそうだ、と二人して首をかしげる。本当に僕じゃないのかって問われても、そもそもそんな事して何の意味があるのさ、と言い返せばそりゃそうだ、とやっぱり二人して首をかしげる。物の怪の仕業かもね、と僕が思いついたまま呟くと、ミトさんは物凄い疑いの目で大王を見ていた。恐れおののく大王の前に仁王立ち、いやいや、大王がやったとしたらそれこそ何のために?子供じゃないんだから、そんな悪戯するはずがないよ、と擁護すると、やがてミトさんはため息一つついて事態の追及を諦めたようだった。

 

「精霊様がいたずらでもしたのかねえ……」

 

「精霊っていうか妖精かなあ。古今東西、妖精ってのは悪戯好きだと言われてるし」

 

「しかしこの辺りに妖精種などおらぬぞ?ミ、ミト……ミト殿。に、人間達の認識もそう……であろう?」

 

 びくびくとしながらも大王が問うと、ミトさんはそもそも妖精と精霊の違いが分からないとか、根本的なことを言い出した。面倒になって端折って説明したが、精霊は自然を司る神様みたいなもので、妖精は僕ら人間や魔物と同じく生物の一種だと伝えると、案の定ミトさんはだったら魔物以外に人間以外の種族は知らないと答えた。

 

「まぁいいさ。結局まな板は見つかったんだし、少しばかり時間を浪費しただけだね。ヨミ、ゼン、今日の晩御飯は何がいい?」

 

「焼き魚で」

 

「なまぐさくないさかなー」

 

「……」

 

 微妙な顔で閉口する大王は放っといて、僕はミトさんにも今からばーちゃんのところへ行くことを伝えた。ヨミを連れていくことも話すと、ミトさんは気を付けて行っておいでとヨミをぎゅうと抱きしめていた。それも小一時間ほど。その間、僕はぽけーっとそれを眺めていた。前にヨミを温泉に連れて行った時もこんなことあったなあ。相変わらず子煩悩な母親の鏡だ。

 

「そんなに離れたくないなら許可しなきゃいいだろうに」

 

「あたしの我儘だからね。それに、ヨミだっていずれは巫女様として離れていくんだ。今のうちから少しでも慣れとかないと、あたしが耐えられないんだよ」

 

「……愛情が深いってのも困りもんだね」

 

「まったくだよ」

 

 愛おしそうに我が子を抱きしめ頭を撫でる母親の姿に、目を細めてそのぬくもりを感じる子の姿に、少しだけ胸が痛くなった。




* もうちょっと導入続きます。


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18.ボス熊さんを駆り

すげえ久々に更新しといてなんですが、PCの調子がクッソ悪いのと、DQ11で鼻歌気分なのが相まって次の更新まで感覚が開くと思います。新しいPCまだ届かねえ…
でも、あの作家いつまでたっても続刊出さねえ…みたいにならないように気を付けたいと思います、はい。


 四つ足で歩く十文字の頭に大王が、背にはキョロちゃんを抱いたヨミをさらに抱え込むような形で僕が相乗りして、森の中を割って進む。

 

 ヨミのことを考えてくれているのか、十文字の進行速度は結構緩い。緩いけど平気で木をなぎ倒していく。その度にヨミとキョロちゃんがきゃっきゃと嬉しそうに騒ぐ。

 

 ヨミを楽しませてくれようとしてくれるのはありがたいんだけど、こんな事続けてたらその内森が無くなってハゲ山になっちゃいそうだ。

 

「全国のなんとか山さんが怒りそうだなあ……」

 

「ぐおお」

 

「んーん、独り言だよ。でも穏便にお願いね。分かってるでしょ?」

 

 ふんす、と一つ大きい鼻息を吐いて十文字はどすどすと歩いていく。何があろうと自分がどうにかしてやるから安心しろってことだろう。木々への破壊行為も、実は周囲への威嚇を兼ねているのかもしれない。相変わらず頼もしいボス熊さんだなあ。

 

 でも頭の上にちょこんと胡坐をかいているカエルさんはそれだけでは心もとないようで、しかめっ面をさらして唸っていた。

 

「うぬ、一体何者であるか。この辺りに吾輩らに盾突くものなどおらぬはずだが……」

 

「確かに僕たちが最初出会ったときもそんな感じで引いてくれてたね。でもさ、実際に誰かがつけてきてるし。ねえ大王、本当に心当たりない?」

 

「うむ、例えばあの笑い声など、実に怪しいものであるな」

 

「大王にも聞こえてたんだ?」

 

「吾輩一人が耳にしたのならば気のせいだろうと放置しておったやもしれぬが、他に二人と一匹も聞いたとなれば疑わずにはおれんのである」

 

「うーん、やっぱり妖精がいるのかなあ?」

 

「きゃつらは幼子のような心の清い人間でなければ視認さえできぬと聞く。吾輩ら魔物はもとより、スレた少年に見えぬ理由とすれば、まあ納得できるものである」

 

「言葉のトゲが痛いんですけど」

 

 大王はゲコゲコと笑うが、遺憾なことに反論できない。年相応の少年としてあるべき姿と僕自身の精神性に大きな開きがあることは、言われずとも自覚しているのだから。

 

「冗談はともかくとして、ヨミにすら見えなかった、という事実を考えると、どうも腑に落ちんのである」

 

「それはレムオルで説明がつくよ」

 

「透明化の呪文であるか。しかしそれほど高度な呪文の使い手となると……目的が分からんのであるな」

 

 声が聞こえるほど近くにいたのに危害を加えられるわけでもなく、観察されてただけだからね。何したいのかさっぱりだよ。

 

 ううん、と一人と一匹して唸る。

 

「ぐおお」

 

「そりゃそうだけども」

 

 十文字が面倒くさいと言って少しばかり前傾姿勢を取ったとほぼ同時だった。突然甲高い叫び声がして、空からひゅるひゅると何かが落ちてくる。

 

「ぬ、なんであるか?」

 

「ガルーダ!」

 

 その怪鳥モンスターが持つその白い翼は真っ黒こげで、穴が開いてしまっている。何らかの外敵に燃やされたのは明らかだ。そいつは木々にぶつかりその体をはねさせながら墜落した。

 

 そいつが落ちてきた空を反射的に見上げると、黒く大きな影がいた。咆哮を一つ上げて、その場でバサバサと翼を動かしながら滞空している。

 

「ドラゴン……?」

 

 いや、ちょっと待って。そもそもこの世界にあんな魔物いたっけ?いるにしても、それこそ竜王くらいしか……いや、いやいやいや、そんな馬鹿なこと。

 

「ううむ、果たして何者であるか……もしや背後の者どもの仲間……」

 

「だとしたらかなり不味いね。相手ドラゴンだったら洒落になんないよ。とっとと逃げよう、十文字!」

 

「ぐおお」

 

「鶏肉美味そうとか言ってる場合じゃないでしょー!?」

 

 少しばかり泣きが入った僕の声に蹴飛ばされるように、十文字は力強く駆けだした。僕はヨミとキョロちゃんを抱きしめて、その凄まじいスピードに振り落とされないように十文字の背中毛にしがみつく。

 

「おとーちゃんよりはやーい」

 

「ぴぇー」

 

 こんな状態でもきゃっきゃとはしゃぐヨミ達の言う通り、確かに十文字は足が速い。速すぎる。パッつぁんなんて比べ物にならない。周囲の木々があっという間に後ろに流れていく。耳元にはごおおという風切り音がして、聴覚がさえぎられてしまうほどだった。ていうか風の勢いで吹き飛ばされそう。

 

「くぅっ、こんなことなら鞍(くら)でもつけとくんだった!うぼぁ!」

 

 べちゃりという音と衝撃が顔面に響く。何かが顔に張り付いた。

 

「ぬおお!激しく同意である!」

 

 大王だったらしい。なんとか赤い体をつまみ上げてキョロちゃんのくちばしの先あたりに持っていく。

 

「キョロちゃん、くわえて!」

 

「えっ、あっ、あっ、いっ、いやあああああ!喰われるのであるぅうううううう!!」

 

「ぴぇー」

 

 心外だとばかりにキョロちゃんは赤いカエルを2、3回つついて僕の指示通り軽くくわえてくれた。とりあえずこれでなんとか。大王が完全に生を諦めた贄のようにだらんとなっているが無視しよう。

 

「後ろの奴らは!?」

 

「むっ!?奴らも速度を上げて追ってきているのである!!」

 

 大王は首のあたりだけ器用に後ろに向けていた。赤い体が青く染まりかけているような気もするがやっぱり無視しよう。

 

「大王!バシルーラって使える!?」

 

「うむ、使えるのである!」

 

「メガンテは!?」

 

「うむ、使え……何をさせる気であるか!?」

 

「絶対使うなって言いたかったの!」

 

 本当に最後の手段だからね。大事に大事に死蔵しておかないと。

 

「ばーちゃんちに早く行こう!シロガネさんもいるんだからきっとなんとかなる!」

 

「ぐおお」

 

 その前に振りきるだって?さすが十文字、大した自身だ。でもリスクは考えて手を打っておかないとね。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 無駄な心配だった。むしろ心配するべきは大王だった。

 

 ばーちゃんちのテーブルの上でぐったりとうつ伏せている大王はぐっちょぐちょでぬろぬろでぬめぬめしていた。言うまでもなくキョロちゃんの涎のせいだ。

 

 良い子のキョロちゃんは僕の言うことを素直に聞いて赤いカエルを腹に収めることもなく、最後にはテーブルの上でぺってしたのだ。

 

「だいおーべちょべちょー」

 

「あっ、ダメだよヨミ。大王は汚いからね。汚物だからね。えんがちょだよ」

 

「だいおーえんがちょー」

 

「ぴえー」

 

「正直言って今の吾輩、怒ろうにも気力が湧かないのである……」

 

 テーブルべちゃべちゃにされたばーちゃんもね。無言の圧力が怖い。

 

「……騎士よ」

 

 無表情になってるばーちゃんの呼びかけで、シロガネさんは美しい白銀の手をぬめらせつつ大王を拾い上げ、洗い場に運んでいく。その間やっぱりシロガネさんは何も言わない。いや、ちょっと兜が傾いて大王からのけ反るような姿勢の気がするけど気のせいだろうか。

 

 じゃぶじゃぶと音が聞こえてくる中でほっと一息。ぼんやりと椅子に座って唾液のあとを雑巾で拭いていると、突然屋外から重低音の獣の声が響いた。十文字だ。

 

 同時にシロガネさんが洗い物をやめて家の外に出ていく。そしてまるで僕らに出ていくなと言わんばかりに大きく音を立ててドアを閉めた。

 

「まさか……」

 

「ちとまずいかもしれんの」

 

「なになにー?」

 

「ヨミはおとなしくしているのである。ゼンも……何をしているのであるか?」

 

 大王も小さな布切れで体を吹きながら洗い場から出てきていた。ある程度拭き終わるとぴょんぴょんと跳ね飛んで僕の肩に乗っかった。なんか肩が湿るんですけど。

 

「ほら、こうやって外覗こうと思って」

 

 言外に出るなと言われても見るなと言われているわけではないのだ。という屁理屈をもって、レンガづくりの壁の一部をちょこっとずらして隙間を作る。

 

「小僧、いつの間にそんな仕掛け作ってたんだい?」

 

「ごめん、この間呪文の加減間違ってココぶっ壊しちゃった。その時補修するついでに……あいたっ」

 

 後ろからごん、と箒で頭をたたかれ、渋い顔になりながらも隙間をのぞき込む。

 

 外には豹のような虎のような……黄色い下地に黒いまだら模様の体毛に包まれ、頭頂部から背中にかけて特徴的な赤いたてがみを持つ魔物がいた。口から飛び出す牙がいかにも獰猛そうで……ってアレまさか!

 

「キラーパンサー!?」

 

「ふうむ、見たことのない種類の魔物であるな。その様子だとゼンは知っているようだが……」

 

 確かに知識にはある。けど、なぜだろう。知ってるものであるはずなのに違和感がぬぐえない。

 

「よみもみたいー」

 

「ぴぇー」

 

 ヨミもぴょんと跳ね飛んで僕の背中につかみかかると容赦なくよじ登ってくる。ちょっと待って。皮膚をつねらないで。痛い。重い。

 

 子供の容赦のなさにもグッとこらえて、さらにしかめ面になりながらも外の様子をうかがう。キラーパンサーと十文字とシロガネさんは互いに向かい合って警戒しつつも、動こうとしない。

 

 三竦みのようなそこへ、さらにバサバサと翼をはためかせるような音がして、大きな影が空から降ってくる。黄金に近い感じの薄黄色い胴体と翼を構成する皮膜。そして爬虫類のような面構え。さらに十文字に匹敵、あるいは凌駕するような巨体。

 

「やっぱりドラゴン?しかもあれは……ッ!」

 

 すげえグレイトドラゴンっぽい!

 え、でもなんで?おかしくない?だってあの魔物が生息してるのは魔界とかじゃなかった?もしそういう存在がこの世界にいる可能性があるとすれば……

 

「ふん、本格的にまずいか。ここはあの二人に任せて逃げるよ、小僧」

 

「いや、ちょっと待って、ドラゴンの背中に紫色っぽい何かが……」

 

「いいから来るんだよ。あんたの妹が巻き込まれて怪我でもしたらどうするんだい?」

 

 その言葉に背筋がゾッとした。

 

「わー、なんかおっきー」

 

 こんな時でも変わらず能天気な声。それを泣きわめく声に変えたくない。背中で感じる小さな体を恐怖に震えさせたくはない。それはきっとばーちゃんもそうなんだろうけど。

 

「ちょっと言い方が卑怯じゃない?」

 

「そう言うな、である。なんとしてでも子供を守るのが大人の責務というやつである」

 

「子供の僕に言っちゃうの、それ」

 

「ゼンはお兄ちゃんであるからな」

 

 はぁ、と溜息をつく。パッつぁんといい、大王といい、どうしても僕に保護者としての自覚を持たせたいらしい。

 

「仕方ないか……ヨミ、ちょっと出かけるよ」

 

「どこいくのー?」

 

「どこだろう?」

 

 答えられず、ばーちゃんに視線を送ると、盛大に息を吐かれた。

 

「ついてきな」



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19.渦巻く流れに乗って

限界だ…PCがッ!新PC、早く来てくれーーー!
というあれで、次回更新はマジで間が開きます。


 

 ピンク色のばーちゃんは何もない壁の前でごにょごにょと何かしらの呪文を呟いた。そうすると間髪入れず、

 

 ごごご……

 

 と、重たい音を立ててレンガの壁が後ろに倒れていく。あとにはぽっかりと開いた暗がりがあった。よくよく見ると階段のようなものがある。ここを伝って地下に降りるのかな。城でもないただの一軒家に秘密の裏口があるだなんてなんかすげー。

 

「これ抜けたらどこに着くの?」

 

「行けばわかるさね」

 

 ばーちゃんはそれ以上答えるつもりがないらしい。小さくメラ、と呟いて明かりをともすと、ずんずんと階段を下りていく。

 

「さあ、ゼンもいざ行かん!である」

 

 頭の上に鎮座した大王に促され、僕もヨミの手を引きつつ、慌ててピンク色の背中を追いかける。

 

 やがて着いた場所は完全に行き止まりの部屋だった。ただ、明らかに異常なものがそこにある。渦巻き。渦巻きだ。渦巻きとしか言いようがない。妙な力を放ちながら、水色の光がゆっくりと波打ち渦を巻いている。

 

「わー、わー、なんかぐるぐるー」

 

「ぴっぴぇー」

 

 きゃっきゃとはしゃぐヨミ&キョロちゃんの声を聴きつつ、首をかしげる。なんでこんな場所にこんなものが。

 

「これ、凄く見覚えがあるんだけど?」

 

「ほお。小僧、おぬし知っとるのか?試しに言うてみい」

 

「旅の扉だよね?」

 

 僕の回答に、ばーちゃんはかぶっていたとんがり帽子を小さく下に引いて視線を隠した。なんで黙り込むのさ。

 

「……まったく、一体どこで知識を手に入れたのやら。あんたの出自が気になって仕方ないよ」

 

「そう言われても覚えていない以上答えようがないよ?」

 

 大げさに肩をすくませて凄まじいまでのヤレヤレ感をかもしだすと、ばーちゃんはそうだったね、と呟いて顔を上げた。そんなあからさまに呆れたような顔しなくてもよくない?

 

「そんなことよりさ、ばーちゃん。一体どこへ連れてこうってのさ?」

 

「忘れられた島さね」

 

「それって、あー、と。ひょっとしてルザミとか?」

 

「…………そうさ」

 

 たっぷりと間をおいて答えたばーちゃんの視線は射貫くような鋭さを持っていた。僕は知らず身震いしてしまった。

 

 ちょっと情けない感じがしたので、こほんと軽くせき込んでみせて、先んじて旅の扉に歩を進めた。水色の光が体中にまとわりつくが、特に温度やら手触りやらは感じない。

 

 ほへー、とちょっと油断した途端にぐにょんぐにょんと視界が揺らぐ。

 

「ううむ、この感覚はいつまで経っても慣れないのである……」

 

「気持ち悪い……吐きそう……」

 

「ぐにょぐにょー……ぐにょぐにょー……」

 

「ぴっぴっぴっ、ぴぇー……」

 

 僕の後を怖がりもせずついてきたらしいヨミとキョロちゃんは、急激な変化に目を回して座り込んでしまっている。

 

 世界がちかちかと明滅する。耳鳴りもする。どこかで聞いたことのある電子音のようなものが視界も意識も閉ざしていく。

 

 このままじゃ倒れる。

 

 そう思った瞬間に視界が急激にクリアになり、僕たちはいつの間にか石造りの部屋にいた。そして目の前にはばーちゃんがいる。紫色のばーちゃんがいる。

 

 後遺症でこめかみを押さえたまま立ち尽くす僕の前に、すっとピンク色のばーちゃんが表れた。おお、ばーちゃんが二人いる。どうやら僕は頭がおかしくなったらしい。

 

「ほほ、驚いたわ。誰かと思えばお前さんかい。久しぶりじゃのう」

 

「あんたこそ元気だったかい、グランマーズ」

 

「年の割には元気じゃよ。ほほ、お前さんには聞くまでもなさそうじゃのう」

 

 グランマーズってどこかで聞いたことがある気がする。

 えっと、占い師かなんかの人?

 名前自体がうろ覚えなあたり、たぶん知名度微妙な人かな。

 

「で、その子供達はなんじゃ?」

 

「ちと訳ありでねえ。あっちが危なくなったんで逃げてきたのさ」

 

「そうかいそうかい。シロガネも後始末ばかりやらされて大変じゃわい」

 

 ふぉっふぉっふぉっ。

 

 年季の入った笑い方で紫色のばーちゃんが肩を揺らす。

 ううん、どっちのばーちゃんも体型が似通っててぱっとみ姉妹に見える。同じ白髪だし、顔はしわくちゃだし。髪型がショートと前垂らしのダブルおさげで分かれてるけど、服の色が違ったら見分けつかないかもしれない。

 

 ダブルおさげの方の紫ばーちゃん、つまりグランマーズさんは腰の後ろに手をまわして組んで、いかにもばーちゃんっぽいたたずまいだった。

 

「あの、グランマーズさん?」

 

「ん、どうしたかの?」

 

「あのグランマーズさん?」

 

「あの、とはよくわからんが、わしはグランマーズじゃよ」

 

「占い師の?」

 

「ほほ。よく知っておるのう。お前さん、名はなんという?」

 

「ゼンクロウです。この子はヨミで、ちっちゃい鳥はキョロちゃんって言います」

 

「吾輩は大王である!」

 

「知ってる」

 

 みんな声をそろえて答えたが、その声音はどこか冷たかった。

 

 

 ◆

 

 

 結局、グランマーズさんとの初顔合わせは僕とヨミとキョロちゃんだけだったらしい。僕らにはよくわからない会話も多かった。誰それが云々なんて話もあったけど、顔も見たことない人じゃへー、とかほー、とかしか言いようがない。

 

 部分的に分かったのは、グランマーズさんが普段はルザミに一つしかない村に住んでて村長をしてることと、弟子の女の子(僕よりちょっと年上ですごい美人らしい。互いに自分の若い頃にそっくりとか言っててちょっとげんなりした)が元気にしてるってこと。あとは今いる場所が建設者不明の古い神殿の奥であること、そして、たまたまここに来て僕らと鉢合わせしたことくらいだった。で、その理由はマーズばーちゃん曰く、

 

「こんなものが浜辺に流れ着いたんじゃよ。もしかしたらこの神殿に関わるものじゃないかと考えての」

 

 その手にあるのは石版の欠片(かけら)だった。

 

「ねえ大王、あれってさあ」

 

「うむ、かもしれぬな!」

 

 嬉々として大王はどこからか2枚の石板を取り出した。

 

「どこに持ってたのそれ……」

 

「ふくろである!」

 

「ちょっとまって。大王、袋なんて持ってたの?」

 

「? 頬袋ならここにあるのである」

 

 ぷくーとほおが膨らみ、お馴染みのゲコゲコという鳴き声が響く。うん、確かに持ってたね。そうじゃなくてだね。

 

 指でほおを押すとぷすーと、空気が抜けるような音がした。

 

「むむっ、吾輩で遊ぶのはやめてほしいのである!」

 

「そうだね。じゃあ大王、もう一回ほお膨らませてくれる?」

 

「う、うむ?」

 

「ほらヨミ、ここ押してみて」

 

「ぷくぷくー」

 

 ぷすー。

 

「ゲコォォオオ!やめるのである!」

 

 大王で遊んでいる間にばーちゃん達が大王から石版を奪い取り、ゆっくりとした足取りで部屋の中心にある台座に向かった。

 ここが神殿だとして、あの台座はなんなんだろう?供物をささげる場所か何かかな?

 そんな感じで軽く考える僕とは裏腹に、ばーちゃん達は二人して難しい顔をしていた。

 

「マーズよ、もしやこれは……」

 

「ふむ、神の導きやもしれんのう」

 

「どうしたの?」

 

 近づいて台座の上に大王を乗せた後、僕も台座の上をのぞき込もうとつま先立ちになる。身長低いとこういう時に不便だなあ。

 

「おお!予想通り見事にハマっているのである!」

 

 かろうじて目にするとができたそこには、大王の言葉通り台座のくぼみにカッチリと収まっている割れた石版があった。

 

「おー確かに。でもさあ、これに何の意味があるの?集めたら過去に行けるってわけでもないんでしょ?」

 

「あるいは、そうかもしれんのじゃよ」

 

 神妙な顔をしてマーズばーちゃんは意味が分からないことを言い出した。当然僕の反応はこうだ。

 

「うっそだー」

 

「ぬぅ、信じないゼンには吾輩が特別講義をしてやるのである!」

 

 で、相変わらず偉そうなちっちゃい赤いカエルさんが言うには、今でこそこの島は周囲に海しかない本物の孤島だけど、大昔はもっとたくさんの島が周りにあったそうだ。それこそ古代ってレベルの話で、なにがしかの災害で一旦文明が途絶えてしまっているのだとか。

 ただ、この神殿のような遺跡が証拠として残っているらしく、それらを調べる限りでは古代文明はまさに神代(かみよ)と呼んでいい時代で、現代では再現不可能な謎の超技術があったらしいのだ。例えば、時を逆行する類のものとか。

 

 すごい胡散臭い。

 

「信じられんのも無理はないさね。エスタード諸島。その呼び名自体も失われて久しい」

 

「エスタード諸島ねえ……」

 

「ふぉっふぉっふぉっ、当時は島々を収める王国もあったんじゃよ。さて、己の目で見たものしか信じなさそうな童に、一つ面白いものを見せてやるとするかのう」

 

 猜疑心が強くてすみません。

 心の中で謝りながらも好奇心がうずいて、紫色のばーちゃんが取り出したものに視線が吸い付く。

 

「砂時計……?」

 

「わしらが見つけた古代の遺産……時の砂、というものじゃよ」

 

 そう言って、ばーちゃんは手にした砂時計をひっくり返して見せた。なんということでしょう。ひっくり返ったのに砂が落ちる方向が変わらない。なにこれ、水中から泡が浮かび上がるみたいになってるんだけど。

 

「時の砂ってこういうものなの?時間巻き戻ったりしないの?」

 

「そう、それなのである!文献によるとそんな力があったらしいのである!」

 

「マジで?ちょっと触ってもいい?」

 

「ほほ、気を付けるんじゃよ。割れたら何が起こるか分からんからのう」

 

 何かのフラグみたいに言わないでほしい。

 

 ばーちゃんから受け取った砂時計をひっくり返したりさすったり、ヨミに見せてあげたり、こっそり魔力当ててみたりしたものの何の変化も見られない。結局、石版と同じじゃん。

 

「なんの変哲もなし、かあ。もし時間が戻るなら、一度会ってみたい人がいたんだけどなあ」

 

「誰にだい?」

 

 なんでピンク色のばーちゃんはそんな鋭い視線を向けるかなあ。僕がこの遺跡に関わりがあるとか邪推してるのかな。ご期待に沿えずに申し訳ないけれど、僕とこの遺跡は何の関係もないよ?ただ、僕は思っただけなんだ。

 

「過去の偉人に会いたかったんだよね。僕その人に憧れててさ。すんごい徳の高い人でね、戦ったあとの魔物ですら友にしたっていう逸話があるんだ」

 

「ほう?それはわしも知っておる人物なのかのう?」

 

「知ってるかは分かんないけど、グランバニアっていう国の王様だよ」

 

 そう答えた直後だった。

 台座からいきなり光が放たれ、周囲が紫色に一瞬で染まる。当然みんな慌てふためき、口々に何事かと叫んだ。僕だってそうだ。

 

「時間差とか卑怯でしょ!」

 

 焦って隣にいたヨミの体をかき抱くも、それだけしかできなかった。

 世界がちかちかと明滅する。

 意識が飛びそうだ。

 あの時と同じだ。渦だ。僕は今、渦の中にいる。流れは僕らを強制的に押し流していく。このままじゃまずい。ああ、誰か、助けて。

 

 ぐおお。

 

 そうだ、十文字を呼ぼう。ボス熊さんなら僕らを────

 

 

 ◆

 

 

 結論から言うと、十文字でもどうすることもできなかった。

 

 ていうか、こんな異常事態、誰にもどうすることもできないんじゃないだろうか。賢者のカダルさんとか、伝説の勇者さんとかならなんとかできたのかなあ。

 

 現実逃避気味に思考を巡らせると、何度目かのくしゃみが出た。ああもう、体が震えてしょうがない。

 

「さぶっ!」

 

 僕たちは降り積もった雪の上に放り出されていた。

 夏の日差しが懐かしいです。

 

 

 



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20.冬の国に来ました。

 

 あたり一面白い世界。

 ああ、なんて真っ白な雪景色。

 

 フフ、当たった。フラグが当たったよ、ばーちゃん!

 当たってほしくないフラグだったよ……ッ!

 というかフラグ立てた本人がこの場にいないってどういうことなの?理不尽すぎる。

 

「しゃむいー……」

 

「ぴぇー」

 

「おおお、待って待って待って……」

 

 ヨミとキョロちゃんを抱きしめても一向に心が休まらない。人肌で補うには気温が低すぎるのだ。そもそもこちとら夏服なのに、イキナリ雪原と思しきところに投げ出されてもマジ困る。

 

 思いっきり悪態つきたいところだが、寒さでそれすら億劫だ。

 

 がくがくぶるぶる震えながらメラを複数放つ。ただし射出はしない。自分の周囲に浮かべて消えないように魔力を送り込み続ける。あんまり長くは続かないから今のうちになんとかしないと……

 

 なんてこと考えながらふと足元を見やると、大の字で雪に埋まった赤いカエルがいた。ピクリとも動かない。

 

「大王。大王……?」

 

「しんでるー?」

 

「違うのであるー……単に冬眠しそうなのであるー……」

 

 冬眠てカエルかよ。カエルだった。変温動物はだめだ。恒温動物に頼ろう。

 

「十文字。十文字……?」

 

「ぐおお」

 

 でっかい毛の塊が寒い寒いと言いながら雪上でめっちゃ丸まってた。そういや熊も冬眠するんだった……じゃなくてさ、二人とも魔物でしょ?なんでフツーの動物みたいな反応してるの?

 くそう、ヨミとキョロちゃんに加えてこの二人も運べっていうのか。

 

「大体さ、なんで十文字までいるの?ばーちゃんちで睨み合いしてたはずじゃないの?」

 

「ぐおお」

 

 呼ばれたから来たって?うん、全然意味わかんない。ルビス様の超パワーが炸裂したとかそんな感じ?じゃあその超パワーで寒さもなんとかしてよコンチクショウ。

 

「ぐおお」

 

 眠たげな十文字の超パワーでみんなまとめて抱きかかえてもらいました。熊の毛皮超あったかいナリィ。大王にもフバーハ唱えて頑張ってもらってます。

 けど、このままの状態が続けば寒さでみんな天に召されかねない。それ以前に、ここで他の魔物に襲われたら。

 

 早急に決断を迫られていた。

 

 無理を押して移動するか、それともこの場でかまくらでも作って寒さをしのぐか。かまくら作れたら焚火もできるかな。メラメラ維持するのめっちゃキツイんだよね。何もしないで燃える炎が欲しい。

 

 そんな僕の願いが(ルビスさま)に通じたのか、いつの間にやら目前でホントに炎が燃えていた。間違いなく僕のメラじゃない。なにせ色が青い。その上なんか目みたいなマークもあるし、口みたいなものもある。ハハッまるで魔物みたいな────

 

「げぇー!?ブリザードッ!?」

 

 気づいた瞬間、僕は放出していたメラをありったけ手前の雪の中に突っ込ませた。じゅう、という音とともに水蒸気が吹き上がる。

 

「十文字ッ!走って!逃げて!!」

 

「う、うぬ……?見たこともない魔物だったがそんなにも強いのであるか?」

 

「ザラキ使ってくるんだ!こっちがいくら強くても下手したら死ぬ!!」

 

「なんと!」

 

「ぐおお」

 

 十文字はすぐさま二足歩行で逃走を始めた。四足のときよりは遅いけど、僕たちを抱えつつであることを考えたら十分な速度だ。あとは僕と大王でできる限りの足止めをすればいい。

 

「ヒャダルコ!」

 

 目いっぱいのMPを消費して、ツララというよりは氷の壁を作り出す。ブリザードを取り囲むように放ったそれは、上手いこと奴らの目と行く手を遮ってくれたらしい。続けて唱えられた大王のラリホーも効いたのかもしれない。奴らが追いかけてくる様子はなかった。危ない危ない。

 

 勇者さんが都合よく助けに来てくれるとも限らないし、自分たちだけで乗り切れて一安心だ。

 

 けど、そこからも正直言って気が気じゃなかった。ヨミが寒さに震えるばかりで黙り込んでしまい、大王までもが寒さのあまり完全に眠りについてしまったのだ。マジで冬眠するとかどういうことなの?自分にまでラリホーかけちゃったの?

 

 必死こいてなけなしのMPを消費してメラを唱え続け、責任を投げ出した赤ガエルへの愚痴も唱え続け、寝ぼけ眼の十文字に小言(ザメハ)を唱えつつ、無理して歩いてもらった。そのおかげで、大事になる前に寒さをしのげそうな洞窟にたどり着くことができた。

 

 しかも驚くべきことに、奥には温泉らしきものまであったのだ。なんて都合のいい。

 

「ここに投げ入れたら大王の冬眠もとけるかな?そぉい!」

 

「熱ゥッ!?」

 

 ゆでガエルが飛び上がると同時、温泉とは別の熱気が洞窟内に広がった。熱気の元は湯けむりに紛れて気づかなかった人影らしきもの。そいつから漏れ出した闘気とも呼べる気配に冷気も忘れてじとりと汗ばむ。ちょっとやばい感じがする。

 

 服を脱ぎかけていたヨミを慌てて背後に隠し、じっと湯けむりを見据える。

 

「何やつでござるか」

 

 人影は鎧を着ていた。でも体が小さい。せいぜい子供の僕と同じくらいだ。でも見下ろすように睨めつけられていた。理由は一目瞭然。だってお湯に浮いている。お湯に浮いた緑色のスライムの上に腰かけている。

 

 明らかにスライムナイトだった。

 

「どうしたの、ピエール。魔物がいた?」

 

 そしてスライムナイトの影から出てきた素っ裸の男の子には見覚えがあった。黒髪で後ろ髪が長く、そしてトレードマークのような紫色の布切れを手にしている。たぶんターバンだ。初めて顔をみたけど、ああ、僕は瞬間的に理解した。彼は間違いなく────

 

「師匠……ッ!」

 

「え?誰?」

 

 にゃあ、と一つ鳴き声が響いた。

 

 ◆

 

 ぱちゃぱちゃと音を立てて黄色い体毛に黒斑点の猫と紫色の鳥が温泉を泳いでいる。僕らはその横で向き合って温泉につかっていた。互いに軽く自己紹介を終えて、彼───リュカ少年は不思議そうに僕を見る。

 

「ゼンクロウ君はどうしてこんなところにいるの?」

 

「どうしても何も、師匠に会うために決まってるじゃないですか!」

 

「僕師匠じゃないよ?」

 

「じゃあ師匠って呼んでいいですか!?」

 

「え、うん、いいけど……」

 

「こう言ってはなんだが、おぬしらの主は変わっているでござるな」

 

「うむ、吾輩らも苦労しているのである。分かってくれるか異国の騎士よ。あと、こやつは吾輩達の主ではない。むしろ吾輩が主的な?」

 

「ぐおお」

 

「むう、主殿は主殿で苦労されているようでござる……」

 

 まったくね、大王のやつには困ったものだよ。でも今は大王なんてどうでもいいんだ。そんなことより師匠だよ師匠!憧れの人が目の前にいるんだよ!これが興奮しないでどうするってんだ!

 

「師匠ッ!師匠はなにゆえここにおわすでござる!?」

 

「えっ、その、ベラに頼まれて」

 

「なるほど把握ッ!ここはかの有名な妖精の国ですねっ!?」

 

「あっ、ハイ」

 

「んぅー?おにーちゃん、おかしくなったー?」

 

「いつものことである」

 

 そして続く、ぐおお、ぴぇー、にゃー、という鳴き声。魔物率が超高いわこの温泉。もっと人間が……あれ?そういやベラさんはいずこへ?

 

 気になって聞いてみると、一応お風呂なので異性らしく気を使って、もっと奥の方でビアンカさんと一緒に焚火してるらしい。二人はもう入ったあとで、ようやく順番が来たところに僕らが姿を現した、って流れらしかった。えっ、ビアンカさんまでいるの?

 

「実際誰を嫁にすべきかですごい議論が起きるんだよね……」

 

「なんの話?」

 

「あ、いえいえ、なんでもないです。それよりも師匠、御父上はご壮健でござるか?」

 

「お父さん?お父さんは風邪ひいちゃって寝込んでるんだ」

 

「おお、かのお方がお風邪を召されるとは」

 

「でもね、普段はすごいんだよお父さん!まずとっても強い!ずっと旅してきて、いろんな魔物を見たけど、どんな魔物も一発でなぎ倒していくし、無敵なんだ!それに凄く優しいんだ!何かあるたびにホイミかけてくれるんだよ!」

 

 はい、存じております。

 その後興奮するリュカ少年は父親が如何にすごいかを熱く語り続けた。憧憬というかなんというか、確かに話を聞いていればどれだけすごい父親なのか理解できる。ある日突然姿を消した嫁を探して世界中を旅してまわるなんて、正直言って並みの精神力じゃない。愛情が深すぎる。

 それは言葉を止めないリュカ少年だってそうだ。まだ幼いのにこれだけ口が回るなんて、さすが師匠。賛美の口上が下手な大人よりうまい。何せ僕が「いやいや師匠だってすごいじゃないですか」と口を挟めば、それを受け取った上で流れるように父の賛美へつなげていく。父親好き過ぎるだろこの人。どんだけ自慢したいの師匠。

 

「ああなると主は止まらんでござる」

 

「そちらも苦労しているようであるな」

 

「わかってござるか、カエル殿」

 

「吾輩はカエルではない!のである!」

 

 いや、カエルでしょ?

 



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21.けがわのコートください

 温泉から上がって服を着た後、ふと僕はつぶやいた。

 

「僕にベラさん見えるのかな……」

 

 子供なのだから、見えるのが当たり前と言えば当たり前なのだろうけど、少しばかり特殊な自身を省みると疑問が残る。あんまり自覚ないけど、どうにも子供らしくないらしいし。なんて弱音を吐いたのがまずかったのか、大王がここぞとばかりに煽ってきて最高にうざったい。

 

「妖精であるベラ殿が見えぬということはつまり!ゼンは子供にあるまじきド汚い心を持った少年ということである!」

 

「いやあ、大人になるのが人よりちょっと早かっただけじゃないかな?」

 

「毛も生えぬ子供がよくも言うのものである!吾輩、へそで茶を沸かす勢いである!」

 

「人間みたいなこと言ってるけど、大王ってへそないでしょ?毛だって一本もないし」

 

 当たり前のことを言っただけなのに、なぜか大王が目に見えてへこんだ。

 

「吾輩も毛が欲しいのであるー……」

 

 大王の視線の先にいた十文字がすげえ嫌そうに鼻をならす。持つ者と持たざる者との明確な差がここにきて浮彫になった形だ。

 

 とまれ、毛がないというのは僕からしても重要な問題だった。ここらはクッソ寒いからね、全身を覆う毛でもないとマジでやってられない。特にヨミが心配だ。どうにか入手しないといけない。

 

 ということで、さっそくリュカ師匠に頼ってみることにした。師匠はいつもの紫ターバンとマントの上に、けがわのフードとポンチョ装備状態なのだ。どこで手に入れたのか聞いてみると、ベラさんからもらったとのことだった。つまりベラさんに聞くべきということだ。そうか……僕が毛を手に入れられるかはベラさんにかかっているのか。すなわち、毛の入手と引き換えに、僕の純真さが試されるということだ……!!

 

「あなたゼンクロウっていうの?私はベラよ。よろしくね」

 

「よろしくお願いします」

 

 なんか普通に見れた。

 話に聞いた通り、ベラさんは紫色の髪の少女姿だった。ちょっと拍子抜けだ。どうやら僕は普通の子供だったらしい。

 

「普通の子供なら、むしろ私たちの姿は見えないわよ?あなたちょっとおかしいんじゃない?」

 

 もうちょっと言葉を選んでくれないだろうか。僕がおかしいってなんですか。大王がゲコゲコ笑うのが凄い腹立たしい。

 

「私が見えるそのカエルさんも変よね。というか、カエル?でいいのよね…?」

 

「否ッ!吾輩は大王である!」

 

「はい、カエルです。笑い声もゲコゲコだし」

 

「ゲコォ!?そんな馬鹿な!」

 

 憤ってもカエルである。

 そして子供に弄ばれるのもまたカエルである。

 どういうわけかおとなしかった金髪三つ編み少女のビアンカさんが、目をキラキラさせながら大王をつついたり持ち上げたりしている。つられたのか師匠までもがカエル遊びに興じ始めてしまった。大王に人気が集まって正直ちょっと嫉妬する。うらやましい。僕も師匠にかまわれたい!

 

 なんて考えを胸に秘めつつ表面上は至極平静を装って、ベラさんに現在がどのような状況下にあるのか尋ねてみた。

 

 ベラさん曰く。

 

 ここは妖精の国であり、そして春が訪れない国でもある。

 

 本来はとうに春の時期らしいのだが、春を告げる力を持つ春風のフルートが何者かに奪われてしまい、美しくも冷たい、極寒の世界が妖精さんたちを苛んでいるらしい。日に日に気温が下がっていくとかマジでヤバい。そこで白羽の矢が立ったのがベラさん。妖精の女王ポワン様に命じられ、早速フルートの魔力痕跡を追ったはいいが、見たこともない魔物たちに行く手を阻まれ、捜査はとん挫。自分一人で成せぬとあれば別の誰かの力を借りればいいと考え、お次は救世主探しに奔走。結果として、不思議な力を持つリュカ師匠とビアンカさんの助力を得ることができ、今は再びフルートの魔力痕跡を追って山登りをしていた最中だったらしい。

 

 大体想像通りだ。

 ここまで分かれば僕のこれからの行動も簡単に決まる。

 

「僕も行きます。お手伝いさせてください、師匠」

 

「危ないよ?魔物だっているし」

 

「大丈夫です。なんたって僕には心強い味方がいますから」

 

「ふふん!である」

 

 ビアンカさんにつつかれながらふんぞり返る赤いカエルさん越しに、相変わらず暢気に欠伸なんかしている大柄な熊さんを見据えると、ぐおおといつもの重低音が響いた。

 

「確かに十文字殿は拙者が今まで出会った武士(もののふ)の中でもかなりの手練れでござる。心配は要らぬと思われるぞ、我が主」

 

 そうでしょうそうでしょう。強者オーラが半端ないピエールさんだって太鼓判を押してくれている。何の問題があろうか。いや、ない。

 

「ねえ吾輩は?吾輩はどうなのである?」

 

「カエル殿はもう少し食べて大きく育った方がよいと思うでござる」

 

「失敬な!吾輩これでも大人である!」

 

 これ以上大きくなれないんだね……。

 僕のつぶやき声に返すように、ビアンカさんが「そのままでいいんじゃない?小さい方が可愛いわ、ねぇゲレゲレ?」と、抱きかかえた黄色い猫、もとい、ベビーパンサーに話しかけていた。撫でられて喉をゴロゴロと鳴らす様は完全に飼い猫だ。野生はどこへ。

 というかビアンカさんのネーミングセンスやっぱりおかしいよ。ゲレゲレって。名付けられたゲレゲレが不憫だよ。ゲレゲレ。やれやれみたいな感じで使ってみたけど微妙だった。げれげれ。

 

「吾輩、かわいさよりも威厳が欲しいのである……」

 

「結構軽んじられちゃうもんね、大王って。あ、そんなことはともかく、師匠、早速行きましょう。これ以上寒くなるとか本当にヤバいし、さっさとフルート取り戻さないと。あとコートくださいベラさん」

 

「早速軽んじられているのである!!!」

 

 憤慨する大王をなだめつつ、来た時と同じように十文字に抱いてもらって外に出た。

 寒い。

 けがわのコート欲しい。

 

 物欲しげな視線を師匠に送ると、にこやかな笑みとともに彼は言う。

 

「ゼンクロウくんたちの分のコート取ってくるね。ちょっと待ってて。ピエール、行くよ」

 

「承知」

 

「あっ、私もいくわ!」

 

「にゃー」

 

 取ってきてくれるのはありがたいんだけど、妖精の村に戻るのだろうか?疑問に思いながら林の中に消えていく背中を目で追ってしばらく。

 

 突然すさまじい轟音が鳴り響き、地面が揺れた。

 おののく僕らの耳に、やがておぞましい断末魔が届き、ヨミが軽く泣き出してしまった。僕も怖かったけど、ヨミをあやしながらどうにか自分を保つ。大王も十文字も警戒してくれている。だというのに、どういうわけかベラさんはいたって平静だ。妖精さんは僕らと精神構造が違うらしい。

 

 気温のせいだけではない震えを我慢しつつ、警戒心バリバリでじっと待っていると、やけに明るい声をあげながら師匠が戻ってきた。

 

「ゼンクロウくーん、持ってきたよー。コートじゃないけど」

 

 渡されたのはものすごくでっかい毛皮の服だった。原始人が着ている系の野性味あふれるアレだ。なにこれ、マジでデカすぎる。こんなの誰が着てたのやら……もしかしてさっきの断末魔はこれの持ち主とか?ハハハ、まっさかー。

 

「ちょっと大きすぎたね。でも、この辺で服着てる魔物ってアレしかいなかったからなー」

 

 マジだった。信じられない。しかもこの大きさだ。十文字すら覆い隠せるレベルの巨大さがある。こんなの着る魔物なんて早々いない。僕が思い浮かぶのなんてあの魔物くらいだ。

 

「師匠、これの持ち主ってまさか一つ目の?」

 

「うん、一つ目のやつだよ」

 

 師匠すげえ。

 



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22.冬の山がおかしい

 

 やっぱり英雄は子供のころから英雄なんだなあと感慨にふけりつつ、毛皮のコートをバギッて切り出し、自分たちの体に合わせて調整していく。紐がないので単純に穴をあけただけのポンチョ型だ。師匠とお揃いになってちょっとうれしい。

 

 しかも試しに着てみれば、すごくあったかい。癒される……

 

「くしゃいー」

 

 うん、嘘ついた。とてもじゃないけど癒されるまではいかない。ヨミのつぶやき通りなんか獣臭いのだ。魔物が着てたんだから仕方ないといえば仕方ないけど、いったん洗って乾かした方が良いかもしれない。でもこの寒さで乾くまで待つのも辛いし……

 

「ねえ大王、匂い消しの呪文とかってないの?」

 

「ないのである!」

 

「大王は役立たずだなー」

 

「まったく、ゼンは本当に容赦ないのである!そんな呪文賢者殿とて知らぬだろうに!」

 

「意外と知ってるかもよ?聞いたことないでしょ?」

 

「う……うむ?言われてみれば確かに……帰って早速聞いてみるのである!考えてみれば匂い消しの他にもいろんな用途の呪文がありそうでなさそうであるな!おお、その辺も踏まえて聞いてみねば!」

 

 なんか大王の知識欲に火をつけてしまったらしい。

 フルートを追って移動を始めた後も、あれやこれやと、ちょっとあったら便利かもねー、みたいな効果を大王が漏らし続けて若干うるさい。

 

「大王を黙らせる呪文ってなかったかなあ、沈黙の呪文といえば……」

 

「マホトーンか!本来の用途は魔封じであるが、確かに黙らせる呪文でもある!おお、見方を変えればそういった効果とも取れるのである!これはもしやすれば……!」

 

 逆にうるさくなった。

 

「マホトーン」

 

 しかしゼンクロウは呪文をおぼえていない!

 残念すぎる。

 

 結局、元気にしゃべり続けるポンチョ来た赤いカエルさんをBGMに、僕らは黙々と山登りをつづけた。フルート盗んだやつらって、なんでこんな山奥にいるんだろう。林とかが散在してて結構進みにくい。足元が雪に埋まって歩きにくい。ぶつくさ言いつつも枯草をかき分けて10分ほど進むと突然視界が開けた。

 

 そこには真っ青なお尻があった。すんごいでっかいお尻があった。

 

 なんだこれ、と恐る恐る近づこうとしたら、師匠が服をくれた魔物だよ、と仰られた。

 あー、なるほどねー。

 よくよくみたら確かにスカイブルーの肌に一本角と一つ目、そしてすんげえ巨体が目を引くギガンテスだった。たぶん出会ったら死を覚悟せねばならないレベルの魔物だ。でも今はそんなこと欠片も思わない。だって巨体は土下座するように膝を曲げて上半身を伏せ、腕の中にその顔をうずめてしまっている。

 

「オレ、マッパ ニ サレタ。ナカマ ニ ワラワレタ。ヒドイ、ニンゲン、ヒドイ。フク、ヌガス、ゲドウ、ヒドイ」

 

 さめざめ泣いてるんだけどこの魔物。

 完全に心折られてるんだけどこの魔物。

 

「何やらかしたんですか師匠」

 

()いただけだよ?」

 

「はい、簡潔で分かりやすいですが、ちょっと酷くないですかね?」

 

 魔物なのに社会的に殺された感があるんですけど。

 

「うーん、最初は純粋に頼んでたんだけど、ビアンカが面倒になってラリホーかけちゃって」

 

「そして剥いたわ!」

 

「おお……ビアンカ姐さんすげえ」

 

「ウフフ、もっと褒めて!」

 

 こんなでっかい魔物に対して物怖じもしない。

 これが大人になったら、ちょっと幸薄そうな、でも芯が強くて面倒見のいいお姉さんになるんだから驚きだ。今は本当に見たまんまの勝気で無鉄砲なお嬢さんじゃないか。

 

「ごめんね、ギガンテス君。今の僕はキミに何もしてあげられない。代わりと言ってはなんだけど、大事に使わせてもらうよ、キミの服」

 

「ポンチョ感謝なのである!」

 

「うじゅ、ありあとー」

 

 純粋なカエルさんと熊に抱かれて鼻をすする幼女のお礼がとどめになったのか、ギガンテス君はウォンウォン唸って泣き始めた。これさっきの断末魔……

 

 全部見なかったことにして先に進もうか。

 

 

 ◆

 

 

 それから僕らは比較的順調に山登りを続けていった。とはいえ、まったく何もなかったかというとそうでもない。剥かれたギガンテス君はともかく、なんかやたら魔物が強い。その分、ピエールさんと十文字の活躍が凄いんだけど、感嘆よりも違和感が先に来る。

 

「ベラさん、ここらに出る魔物って普段からこんなのだったの?」

 

「私も初めて見る魔物ばかりよ。フルートが盗まれてから異常なことが立て続けに起こってるの」

 

「もしかして異界とつながってたりするのかな?」

 

「わからないわ。ただ、恐ろしいほど強くて冷たい魔力がこの世界を覆っている感じがするのよね……」

 

 そっか。気温が単に低いのだとばかり思ってたけど、この冷たさは魔力そのものから感じるものでもあるのか。言われてみれば確かにそんな感じもする。出現する魔物が寒冷地にいそうなものばっかりなのも、この魔力のせいかもしれない。

 

 ブリザードにギガンテス。さっきはシルバーデビルとキラーマシンの混成群とも遭遇した。これ、いくら師匠やピエールさんが強いといっても、十文字と大王の助けがなかったら半分詰んでたんじゃなかろうか。ビアンカさんがヘルプメンバーに入っているのも納得の難易度だ。マジで師匠の父君がいてくれたら良かったのにとすら思ってしまう。

 

 ロンダルキアじゃあるまいし、なんなのだろう、この調整ミスってる感。ある種の理不尽さすら感じる。

 いや、相手が本気で殺しに来ているのか?

 

 神妙な顔で考えていると、十文字がぐおお、といつもの重低音を響かせた。そりゃ頼りにしてますけどね、この先に何があるのやら。本気で即時撤退の手段は考えておいた方がいいだろう。といっても、ルーラ一発で済むだろうけどね。

 

「おっきなおうちー」

 

「ぴぇー」

 

 やがて、目の前に現れた氷でできた館を見上げて、僕はごくりと喉を鳴らした。

 一体この館の中には何がいるのだろう。想像通りの者がいるのだろうか。心臓が不安と恐怖でどくどくと波打つ。けども足は止めない。踏み出すんだ。勇気をもって踏み出すんだ。何せ僕のそばには英雄の卵がいる。彼と彼の仲間に無様なところは決して見せない。彼らへの憧れは即ち、僕にとっての矜持の一部でもある。

 

 なるんだ、彼らのように。

 

 なんて、ちょっとシリアスに思いながら堂々と館の扉をあけ放って、それでもその先に居座る存在に動揺を隠せなかった。愕然としてしまった。

 

「なんだ、お前達は!?このザイル様になんの用だ?

 あっ!さてはポワンにたのまれて、フルートを取り戻しに来たんだなっ!?」

 

 ただの布を目出し帽のように被ったそいつは言う。

 肌に吸い付くピチピチのスーツを着たそいつは言う。

 ピチピチスーツに黒いパンツと手袋とブーツだけを身に着けたそいつは言う。

 見紛うことなきカンダタスタイルでそいつは言う。

 

「ポワンは、じいちゃんを村から追い出した憎いヤツだ!

 フルートが欲しければ力ずくでうばってみろっ!」

 

 変態だ。

 ああ、変態だ。

 なんて禍々しいオーラなんだ……ッ!!

 

 




あの蛮族スタイルは本人のセンスがマジでどうかしてるとしか思えない。


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23.僕はキミが恥ずかしい

 目前のカンダタスタイルでわめく、背の低い少年。……少年?うん、たぶん少年。

 彼は一体全体どういうつもりなんだ。あれは真面目にやっているのだろうか?口調はとげとげしく、あからさまな敵意を向けられているし、振りかざした斧をもって今にも飛び掛からんばかりの勢いだけれど、どうしても真面目に受け止めきれない。それもこれも全部服が悪い。センスが悪い。

 

「あー君、ザイル君って言ったね?その、君は本気なの?」

 

「本気も本気、大マジだ!ポワンの手先にフルートは渡さないぞッ!!」

 

 本気であの覆面全身タイツみたいな服を着ていると?正気ですか?

 

「君は……君は恥ずかしくないの?」

 

「恥ずかしい?何を言ってるのか意味が分からない!オレを惑わそうったってそうはいかないぞ!!」

 

 惑わされているのは僕の方だ。タジタジだ。はっきり言って恐怖とは別のモノで気圧されている。大王が凄い怪訝な顔で僕を見ている。くそう、やっぱりカエルにはわからないのか。いや、今この時はあまりわかって欲しくもない。いつだったか、僕は大王に服のセンスがないと酷くこき下ろしたことがある。魔物だからダメなんだとまで言った記憶がある。でも目の前にいる彼は人間でありながら魔物並みの服飾センスだ。男に二言はないとはいえ、突き付けられた現実に思わずうつむき、うめいてしまう。

 

「ゼンクロウ君?」

 

 心配げな顔で師匠が僕の背中に手を当てる。師匠は優しい。そしてカッコいい。

 師匠を見る。

 ザイル君を見る。

 師匠を見る。

 ザイル君を見る。

 

「格差、社会……ッ!!」

 

 イケメンであれとまでは言わない。フツメンであればいい。普通の恰好した普通の人間であれば……はっ、もしや。もしや彼は人間ではないのではなかろうか。そうだ、あんな格好の人間がいるはずがない!大王レベルの服飾センスだなんてありえない!ありえてはいけないんだ!

 

「ザイル君……きみはもしや人間では……ない……?」

 

「彼はドワーフよ」

 

「ドワーフ!!」

 

 ベラさんの回答に驚愕する。人間ではないがほぼ人間じゃないか!なんてことだ!しかもドワーフと言えば鍛冶や細工といった工芸に定評のある種族!そのセンスがアレだなんて……そんな馬鹿なッ!

 

「ザイル君……!君は誇り高きドワーフに生まれたというのにそうなってしまったのかい?ああっ、僕はキミが恥ずかしい……っ!」

 

「何を言ってるんだ?オレの何が恥ずかしいってんだ!」

 

「君は気づいていないの?君自身がどれほどのことをしてしまっているのか」

 

「……!!」

 

「僕らはね、春を呼ぶためにここに来たんだ。さわやかな風が舞い踊り、木々がざわめき、動物たちが歓喜の声を上げる、あの素晴らしく美しい季節を呼ぶために。だというのに君はッ!」

 

 春に多いとかいう変態さんじゃないか!!

 出てくるの早すぎるよ!

 

「……君がなぜそうしているのかは知らない。でもキミは(服が)間違ってるんだよ」

 

「オレが間違っている?ポワンが正しいってでも言うのか!そんなことは信じられない!ポワンにじいちゃんは追い出されたんだぞ!!」

 

 つまり、爺孫そろって変態スタイルでポワン様に追い出されたと。

 

 当たり前じゃないか!!

 

 祖父から孫へと脈々と受け継がれる変態スタイル。そんなもの放っておいたら変態さんが次々と生み出されそうで怖くなるよ!ある意味治安維持のためだよ!そんなのみんな不幸になるだけだ!ある意味優しさだよ!

 

「ポワン様だって、本当はそうしたくなかっただろうさ。君のおじいさんが間違ったモノ()を生み出してしまったから、きっと仕方なかったんだ」

 

「おまえは何を、何を言ってるんだ?」

 

「ゼンクロウ?あなたまさか知って……?」

 

「いいんだ、ベラさん。ここは僕に任せてほしい。彼を説得してみせるよ」

 

「あなた、一体……」

 

 変態の遺伝子というものは根強く、深く、血に刻まれ、決して消えることなく受け継がれてしまうのだろう。何百年も前から触手プレイのエロ絵を描いていた人種がいたとどこかで聞いたこともある。確かホクサイだったかな。

 彼の人の残した絵画は後世では芸術とまで言われたそうだけど、冷静に考えなくてもエロ絵はエロ絵だ。変態スタイルは変態スタイルだ。今ここで彼の意識を改善、改心させねば妖精の国に真の平穏は訪れないだろう。ならばやるべきだ。おそらく常識をわきまえた上で、なおかつこの場で一番口が回るであろう僕がやるべき事なのだ。

 

「ポワン様はね、君のおじいさんが作ったものがとても危険だって思ったんだ。だから、仕方なく追い出したんだよ。きっとおじいさんの方もそう思ってたんじゃないかな?」

 

 半分は僕がそうだったらいいな、おじいさんにも常識残ってたらいいなって思ってるだけなんだけどね。

 

「それは……そうかも、しれない……」

 

「思い当たる節があるんだね?だったら、なぜザイル君は自分が正しいと思ったの?おじいさんがそう言ったことがあった?それとも……」

 

「じいちゃんは……仕方ないって悲しそうに笑うだけだった。でも雪の女王様が!ユリナ様がオレは正しいって!」

 

 なるほど。そいつが諸悪の根源か。カンダタスタイルを許容する女王。つまり変態の女王だね?

 

「ザイル君はそいつに騙されてるんだよ。大体、女王様とやらがどうしておじいさんが正しいってわかるのさ?きっと面識だってないだろうに」

 

「昔じいちゃんの恋人だったって言ってたし……」

 

「そういうことか……」

 

 こじらせカップルの性癖の果てにってところかな。性癖が受け入れられないからって極寒の世界にするとか、ちょっと凶悪すぎる。ああ、そうか。そうだね。寒いなら顔隠すスタイルも防寒だって言い張れなくもないのか。小賢しいな!

 

「ザイル君。僕はキミと争う気はないんだ。その雪の女王様とやらに会わせてくれないかな?きっとその人ならすべて知ってる。そんな気がするんだ」

 

「……わかったよ。オレももう一回ちゃんと確認したくなった」

 

 ザイル君は振り上げていた斧をおろした。根はすごく素直な子なんだろう。あからさまに肩を落とす様子が少し憐憫を誘った。

 

 

 ◆

 

 

 そうして、氷の床をつるつる滑りながらザイル君の案内に従って館を進んでいく。

 それにしても、ベラさんがさっきからやたら怪訝な視線で僕を観察しているのが気になってしょうがない。何気ない風を装ってはいるものの、見てるのバレバレだからね?視線って見られてる側からしたら結構バレるものだからね?

 

 大王が僕の頭の上で溜息をつき、小声でつぶやいた。

 

「うむ、明らかに疑われているようである」

 

「はてさて、何が気になるのやら」

 

「……ゼンはダーマ神殿で詐欺師にでも転職した方が良さそうであるな」

 

 なんてヒドイ風評被害だ。僕は真剣に説得したっていうのに。いっぱい悲しい。師匠に泣きつこう。

 

「師匠、僕ってそんなに怪しいですか?」

 

「うーん、ビアンカ、どう思う?」

 

「怪しいっていうか、変な人ね。頭にカエル乗せてるし?」

 

 なんだ、大王のせいか。よかった。僕じゃなくて大王が変なんだ。

 




流行りの勘違い要素入れてみました!度し難いな!

あと、覚えてない人も多いと思うので補足。
原作のザイルのじいちゃんはカギの技法という、いわゆる盗賊のカギレベルの技術(つまりピッキング)を生み出したせいでポワン様に追い出されてます。きっとマジで治安維持目的です。実際、洞窟の奥に技法を封印してますしね、じいちゃん。きっとドワーフであるがゆえに認められないとわかっていても技術の研鑽をやめられなかったんでしょう。それもまた変態だわ。


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24.女王様は冷たい女で

 寒い地方名物、滑る床。

 その機能は子供たちを対象に、遺憾なく発揮されていた。

 幼女と毛玉と猫と赤蛙が氷の上を滑っていく。

 

「わはー」

「ぴぇー」

「にゃー」

「ぬあああー!」

 

 楽しそうで何よりだ。逆に僕らは割と必死だ。

 なにせ、一人と三匹を守るために、周囲の魔物を速攻で処理していく必要がある。どうにかあがいてはみるものの、ヨミ達が滑る速度は中々のもので、さすがに全ての魔物を倒すこともできず、パラパラと打ち漏らしが発生してヨミ達に向かってしまう。

 が、幸いにも現状大事には至っていない。魔物はヨミ達の目前で全員漏れなくすっころんで行くのだ。大王がバギをうまく使ってすくい上げるように魔物を払っていくせいらしい。魔法式足払いか。なんて器用なカエルなんだ。賢者カダルさんの教えのたまものだろうか。

 

「ぬあー!止めるのであるー!!」

「であるー」

「にゃー?」

「ぴぇっぴぇー!」

 

 いまだに滑り続けるヨミのお尻の下にはちょっと臭いギガンテス君の服を加工した簡易のじゅうたんがあった。ヨミはキョロちゃんを抱いてけらけら笑っているだけなのだが、どうもこの辺りの氷は妙な加工がしてあるらしく、勢いも何もつけていないのに、勝手に方向を決めてつるつる滑るのだ。「あーこれね、知ってる知ってる、なんか滑るアレでしょ?」なんて呟きつつ、ふざけてじゅうたん作ってヨミを乗せ、「そりだよー」とか言ってゲレゲレとキョロちゃんに引っ張らせてみたのがそもそもの間違いだった。

 

 僕の心配をよそに、ヨミは滑るのがどうにも楽しくて仕方ないらしい。きゃっきゃきゃっきゃと笑い声が絶えない。ひるがえって、置いて行かれそうになる僕らはマジで必死だ。ミイラ取りがミイラになるのも困ってしまうので、僕らは滑る床を避けて並走しているのだが、ヨミ達がどっちに行くのかわからないこともあって度々急激な方向転換を迫られる。滑る床は特徴的な色をしていて目視判別しやすいのだけが幸いだった。

 

「師匠!なんとかならないですか!?ああもう、ビアンカさんでもピエールさんでも誰でもいいからヨミを止めて!」

 

「うん、僕らもこのままじゃ厳しいしね、ちょっと危険だけど試してみよう。ゼンクロウ君、ヨミちゃんの進行方向にヒャダルコで坂を作ってみて」

 

 ここに来るまでに、師匠には僕の変な魔法のことを少し話している。試しにベラさんに似せた氷像を作ったら、すごく感心されて鼻高々になったことは記憶に新しい。それを早速利用してくれるらしい。

 

「行きますっ!ヒャダルコッ!」

 

 ビキビキと音を立ててなだらかな氷の坂が作られていく。これに乗せて床から離れさせるつもりなんだろうけど、どうやって誘導を?下手したら坂の直前で90度回転とかされちゃうのに。

 

「次。ピエール」

 

「承知。イオッ!」

 

 ヨミの後方で一緒に滑っていた魔物を吹き飛ばすと同時に爆風が吹き荒れる。ヨミ達の体が臭い絨毯ごと中に浮いた。

 すぐさま師匠がバギを唱え、さっきの大王も顔負けの巧みさで風を操り、絨毯の向きを調整。うまいこと坂に乗ったヨミ達はその勢いのまま、スポーンと飛んだ。スキージャンプみたいだ。あ、でも着地は?

 

 慌てて駆け出そうとしたところで、降下地点にでっかい熊さんがいるのに気付いて足を止める。熊さんは大きな手を広げて胸元にある十字の白毛をさらけ出し、吹き飛んできたヨミ達をまとめて受け止めた。無事に不時着と相成って、一安心だ。

 

「たーのしー!」

 

 ヨミが十文字に抱えられたまま、満面の笑顔で僕に手を振り、それに「ぴっぴぇー」「にゃー」と魔物たちが同意する。唯一大王だけゲッソリとした顔で「もうマジ勘弁なのである……」とつぶやいた。なんか妙に笑えてきて、結構大変な目にあったのに思わず笑い声まで上げてしまった。

 

「なんかすごいな、お前達」

 

 ザイル君が相変わらずの格好でそんなことをつぶやいた。驚いてるっぽいけど全然表情が見えない。微妙に不便だし、いっそ脱いでくれないかな?その、一緒に歩いてると恥ずかしいし……

 

 

 ◆

 

 

 そんな感じで僕らは氷の館を進んでいったのだが、ここやたら広くない?ていうか、なんで洞窟になってるの?不思議に思う僕に、ザイル君は言う。

 

「ユリナ様の趣味だって。オレもこういう作りの方が落ち着くし」

 

 つまるところ、ドワーフの感性に合わせたということらしい。例のおじいさんと恋人云々の話も聞いたし、好きな男に合わせてわざわざ建造したのだろう。特に、途中で見かけたいかにもな感じで台座に突き刺さった剣とか、おじいさんが昔作ったものをわざわざ伝説の剣っぽく飾っていたのかもしれない。遠目に見ても錆びてたから、きっと心が離れたあとはそのままなんだね……。心ってやつは移ろいやすく、現実の物はその影響を受けてどんどん朽ちていく。

 

 でも、きっと朽ちぬものもあるのだろう。

 簡単には移ろわぬものもあるのだろう。

 

 洞窟の奥、居住区のような場所で衰えぬ美貌と、消えぬ怒りを携えて、その女性はふう、と冷たい息を吐いた。白くまばゆい、雪の女王様の御出座だ。

 

「ザイル。いったい何の真似?なぜ人の子を連れてきた?」

 

「じいちゃんが村を追い出された理由を聞きたい!ポワンの嫌がらせじゃないのか!?」

 

「知らない」

 

「知らないって……どういうことだよ!!」

 

 女王様は答えない。どうでもよさそうに手にしたフルートをふるふると振った。それがまたザイル君を煽る。興奮した彼はひたすら喚き散らすが、暖簾に腕押し、柳に風、糠に釘。女王様の超然とした雰囲気も相まって、ザイル君必死のお問合せも無駄な努力感が否めない。それでも諦めないザイル君に気圧されているのか、ベラさんは目的のモノが目の前にあるというのに口を出しあぐねている様子だった。

 

「うるさいぞ!ガキども!」

 

 やかましい現場に、突然、恫喝の一声が響き渡る。

 ビキビキと青筋を浮かべながら現れたのはブサイクな猫のような紫色の魔物。シルバーデビルの色違い。つまり、そいつは、いや、嘘でしょ?

 

「お前こそやかましい。黙りなさいバズズ」

 

「ぐっ、貴様……!」

 

「ヒャド」

 

「ぬぉおおおお!?」

 

 女王様は冷たい女だった。底冷えするような魔力が、仲間らしきパズズにも遠慮なく襲い掛かる。あわやというところでパズズは氷の弾をかわすと青筋を立てて吠えた。

 

「殺す気か!」

 

「それもまた良し」

 

「なにぃ……?教団に逆らう気か!」

 

「もとより従っているわけではない。暇つぶしに付き合ってあげているだけ」

 

「この女ァ……!」

 

 ちょっと仲悪すぎじゃない?

 

 

 



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25.少し間抜けな感じだった

 女王様の氷の呪文はマジでえげつない威力だった。そもそもが氷の環境というのもあるかもしれないけど、それを差し引いてもすさまじい。たった一度の呪文の応酬でバズズの右腕が一瞬で凍ってしまった。

 

 そもそもバズズの呪文選択も微妙なんだよなあ。マヒャドにマヒャドぶつけるなんて、氷属性そのものの人に勝てる自信あったのかなあ。あったのかも。なにしろ、やたら悔しそうな表情だもの。ギラ系の呪文で氷溶かしながらギリギリと歯噛みしてるけど、どこからそんな自信が来るんだろう。

 

「勘違いしないことね、バズズ。この世界は私が生み出したもの。約束を守らなかったあの男に報いを与えたいだけ。お前はそれに乗っただけの門外漢でしかないのよ、お猿さん」

 

「ぐぅ……!失礼、しました……」

 

 おー、これはまた見事な上下関係だ。部下が見るからに不満アリアリなあたり、言葉通りのワンマン操業らしい。

 でも外部の人間である僕たちにそれは一切関係ないのでどうでもいい。それよりも女王様の言葉に気になる点があった。どうやら師匠も同じことを思ったらしく、僕と視線を合わせると頷いて、その凛々しいお顔を女王様に向けた。

 

「約束……?女王様、約束ってなんですか?」

 

「知れたこと。私と出会ったことを誰にも話さない、ただそれだけの約束。あのドワーフはそれを破った。故に相応の報いを受けねばならない」

 

「初耳だわ」

 

 ベラさんのその一言に、女王様はそれまで一切感情を乗せなかったその瞳を驚愕に見開いた。

 

「えっ」

 

 えっ、て何? 「マジで?嘘でしょ?」って顔してるんだけど、この女王様。まさか思い込みだけでここまでのことをやっちゃったの?

 

「ザイル君、何か知ってる?」

 

「少なくともオレはじいちゃんから女王様のことなんて一言も聞いたことないぞ!女王様に聞かされて初めて知った!」

 

 おやおや?

 

「ベラ、何か知ってる?」

 

「60年前からあのご老人がザイル以外の誰とも話さず、ほとんど外界との関りを断っていたということは知っているわ」

 

「60年ってすごい昔よね……女王様と会ったのっていつなのかしら?」

 

「50年前……」

 

 ビアンカさんの疑問に女王様が思わずつぶやき答える形で発覚してしまった事実。

 おじいさんと女王様が出会う以前から、おじいさんは世捨て人。

 誰かに話す機会がそもそもなかったってことはつまり、約束守ってたのとほぼ同じだ。

 なにこれ。思ってた心のすれ違いと違う。

 

「雪の女王よ、私たち妖精に春風のフルートをお返し願えないでしょうか?」

 

「…………」

 

 女王様は答えない。さっき一瞬見せた驚愕の表情もすっかり消えて、出会い頭の無表情がその心中をうかがわせない。これ知ってる。ポーカーフェイスってやつだ。でも絶対、心の中で「やっべぇ間違えた」とか思ってる。

 

 それを敏感に感じ取ったのか、お猿さん呼ばわりされたお猿さんが慌てた様子で怒鳴り散らす。

 

「おっ、お待ちを!ドワーフも妖精も嘘をついているのです!このバズズこそが真実を知っている!あのドワーフは確かに過去の出会いを私に話したのだ!!」

 

「バズズ。お前は以前、約束を破ったか問い質してきたと言っていたわね。明らかに矛盾している。私を……騙したのか?」

 

「いや!これは手違いで……!」

 

 恐ろしいほど底冷えする魔力が空間内に充満していく。お怒りの様子ですけど、これ人のせいにして自分の勘違い誤魔化そうとしてるよね?空気の読める僕は何も言わないけど、白々しいなあ。

 

「雪の女王よ!同じく王を冠する者として言わせてもらおう!フルートはとりあえず返すのである!」

 

「ぐおお」

 

「そうね……妖精たちには済まないことをした」

 

「ダメだ!それは看過できんぞ!!こうなれば力づくで……!!」

 

 お猿さんがいきり立っているが、この場は多勢に無勢。いくら教団の幹部、邪神官の側近とはいえ、無謀じゃなかろうか。師匠たちと僕らだけだったらまだ分からなかったけど、雪の女王様って明らかにバズズと同格以上だし。

 

 

 ◆

 

 

 勝った。

 

 そりゃもうヒドイ一方的な展開だったので詳細は割愛するけども、お猿さんは腕をぶった切られ、しっぽが氷漬けにされ、体毛に隠れた地肌が見えるくらいに切り刻まれて、這う這うの体で退散していった。追撃しようとしたら、師匠の憐みの視線に気づいて立ち止まってしまった。

 

「仲間になりたそうにこちらを見てくれればなあ……」

 

 師匠、さすがにそれは無理かと。

 僕なら、仮にそうなっても「いいえ」一択です。あんな常時腹に一物抱えてる仲間なんていらないわー。

 

 そんな一幕も、春風のフルートを返してもらって喜色満面のベラさんを見てたらどうでもよくなった。対面の女王様は相変わらずの無表情だったけど、きっと心の中では汗かいてたと思う。でもまあ、冷気に汗ってそぐわないものだしね。常に冷静沈着なのは、あの人の性質なのかもしれない。

 

 フルートを取り返した僕らは、そのまま急いで妖精の村へ向かった。雪の女王様が魔力の放射を止めてくれたからのんびり行けばいいかなあ、と僕は考えていたけど、実は師匠の仲間が一人で妖精たち相手に支援してたらしい。

 

 実際、村に着いてみれば、一匹のドラゴンキッズが炎を一生懸命吐いて暖炉に火をつけて回っていた。女王様の魔力がもたらす効果は想像以上に影響力が強く、単に寒いだけじゃなくて、火の点いた薪があっても、しばらくしたら水をぶっかけられたみたいに消えてしまう状態らしかった。おまけに単純に火をつけるのすら上手くいかない。

 

 火をつけるだけなら若干の魔力さえ伴えば、サクッと点火できるらしく、魔力のこもった炎を吐けるドラゴンキッズ君が大活躍してたようだ。

 

 でもいくら得意な技とはいえ、村全体に火を吐いて回るのは相当な負担だったらしく、出会った当初はすごい辛そうだった。しんどそうに丸まって、潤んだ瞳を向けられると同情が沸いてしまう。

 

「お疲れ様。がんばったね、シーザー」

 

 それでも師匠に撫でられるとキュウキュウ鳴いて嬉しそうにすり寄っていくんだから、マジで伝説の魔物使いのカリスマ半端ない。僕もあれくらいの扱いができるようになるといいんだけどなあ。

 

 そんなことを思いながら頭上の大王を撫でると、あふん、とか言って身をくねらせた。相変わらずカエルの肌って微妙に湿ってて妙な質感だ。

 

「撫でられた感じどう?気持ちよかった?」

 

 ちなみに僕の撫で心地はあんまりよくなかったです。

 

「こそばゆいのである!ムズムズするのでやめるのである!」

 

 先は遠いや。

 



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26.憧れと別れて

 台座に刺さっている錆びた剣といえば何を思い出すだろうか。

 僕の場合は伝説の剣だ。びっくりすることに伝説の剣でも錆びることがあるのだ。実際に見たアレは御大層にぶっ刺さってる割に見た目めっちゃしょぼかったけど、可能性は否定できない。

 

 なんだかんだで妖精さん達の問題も解決して一安心していたら、ふとそんなことを思い出して大王に説明したのだが、大王はものすごい不審な目で僕を見る。

 

「雪の女王のところで見たモノを確認しに行きたいのであるな?」

 

「さっすが大王、話が早い!ちょっと余裕あるわけだし、せっかくだから。ね?」

 

「ダメなのである!いい加減ヨミを連れて戻らねばミト殿に殺されるのである!」

 

「えー?でもちょっとくらいならよくない?」

 

「ならんのである!ミト殿のご機嫌優先である!」

 

 強い言葉を吐きつつも、その身はぶるぶると震えている。僕がされていたお仕置き(尻叩き)を思い出したのだろう。恐怖におののく大王には自尊に伴う威厳が欠片も見られなかった。

 魔物のくせにただの人間であるミトさんに恐れをなしてしまうとは、なんと情けない大王様だろう。

 

「おなかすいたー。おうちかえるー」

「ぴぇー」

「ぐおお」

 

「そっか、三人がそう言うなら帰ろうか」

 

「吾輩と扱いが違う!!」

 

 今更なのである。

 

「ゼンクロウ君たちはもう行くの?」

 

「はい。親が待ってるので」

 

「そっか。ちょっと寂しいけど、お父さんが待ってるなら仕方ないね」

 

「ゼンクロウは真面目ねー。もうちょっとくらいなら大丈夫なんじゃないの?」

 

 ビアンカさんの言葉に黙って首を振る。大丈夫じゃないです。大目玉です、間違いなく。ばーちゃん達もさすがに心配してるだろうし。潮時というやつです。

 

「おにーちゃん、どっち行けばかえれるのー?」

 

 ヨミに服の裾を引かれてその大きな瞳を見つめ返すことしばし。

 

「大王、そういえばここってどこら辺になるの?異世界?」

 

「分からんのである!」

 

「相変わらず役に立たねえ……」

 

「ぬう!この小童が!ゼンこそ分からんのであろう!」

 

「そうだけどさー、大王なりの所感があるんじゃないの?僕はそれが聞きたいなあ。博識な大王なら何かしら推測してると思ったんだけどなー」

 

「うぬ、しからば吾輩の考えを言わずにはおれぬのである」

 

 ぴょん、と跳ね飛んだ大王は近くの岩の上に乗り上げると、両腕を組んでさも偉そうに語り始めた。いいね、調子出てきたんじゃない?

 

「確かにここはゼンの言う通り、吾輩らが住んでいる場所とは地続きの場所ではなかろうな。であるからして、異世界という呼び名はもっともである。

 問題はこの時空が吾輩らの世界とどういったつながりを持つかである。おそらくはあの石版に座標を登録された世界の一つであろう。

 となれば、あの遺跡を作った者達の意思が反映されているはずである。正確に読み解くには遺跡自体の調査が必要であるな。

 しかし、現状判明しているのはアレが古代、グランエスタード時代のものであり、かつ目的が何らかの災害から逃れようとしたものであることのみである」

 

「ほほう。災害回避かあ。ありえそうだけど、その根拠は?」

 

「碑文である。たまたま残っていた一欠けらの石に『災厄への対策のためにこの遺跡を作った』と記載されていたのである。今回吾輩らが実際に体験した結果と、その碑文から推測するに、逃げ場を欲したのであろうな。避難民が流入しても、安全でかつ、食料を継続的に入手できるような場所が登録されていたのであろう」

 

 もう少し言えば、原住民との対立も考慮したのかもしれない。妖精さん達なら割と人間に好意的だから。

 

 と、大王はふんぞり返ってうんちくを垂れてくれた。

 

「ふーん」

 

「反応が淡泊すぎるのである!質問したのはゼンであろう!」

 

「そうだけどさー、帰るのには役に立たないなあって。やっぱルーラ試してみようかな」

 

「ルーラ?」

 

 師匠とビアンカさんが同時に首を傾げた。あれ?まだ知らないのかな?

 

「ルーラは移動用の呪文ですよ、師匠。思い浮かべた場所にほぼ一瞬で飛べるっていう」

 

「え、そんな呪文があるの?」

「初耳だわ。ベラは知ってた?」

「私も詳しくは……古代呪文にそんなものがあったって聞いた気がするけども……」

 

 古代呪文?いやいや、僕じゃなくてもちょっと習熟した魔法使いならバリバリ使ってるよ?そんな昔の────ん?あれ?昔の呪文なんだっけ?え?

 

 ぐらり、と頭が揺れる。目の前がチカチカする。

 

「ゼン!」

 

 気づいたら十文字のふわふわ毛皮にもたれかかるように埋まっていた。んー、何考えてたんだっけ。

 

「ごめんごめん、ちょっと疲れたみたい。やっぱりさっさと帰ろうか。みんな僕の所に集まってー」

 

 やたらと僕の心配をするみんなに笑顔を見せつつ、四つん這いで伏せた十文字の背中によじ登る。大王もピョンピョン跳ね飛んで、珍しく僕の頭に乗らずに上っていった。ヨミとキョロちゃんも十文字が上りやすいように差し出した腕側からおっかなびっくり上っていく。

 

「ゼンクロウ君、本当に大丈夫?」

「無理しちゃだめよ?」

「分かってますよぉ、師匠。それよりも、残念ながらこれでお別れですけど、せっかくなんで僕のルーラの出来栄え、最後にしっかり見ててください」

 

 師匠とビアンカさんが数歩後ろに下がると、僕らと師匠達の仲魔たち、そして妖精さんたちと対面するような形になった。

 

「気を付けてね」

「師匠達も、どうかお元気で」

 

 そして僕らは一筋の光になった。

 

 

 

 なんて、抽象的な表現したけれども、僕のルーラは間違いなく発動して、そんでみんな一斉にばーちゃんの家の前に投げ出されていた。

 

「あいてて……ホイミ」

 

 反射的にヨミを抱きしめて落ちるのをかばったから、たぶん怪我とかはしてないだろうけど、念のため、目も開かない内に抱きしめた温もりに癒しを施す。

 

「ついたー?」

「ぴぇー」

「うぬ、ぬぅ……」

「ぐおお」

 

 最後の十文字の唸り声はおかしかった。というか、完全に威嚇だ。何か目の前にいるの?

 ふらつきながらも立ち上がり、その警戒に値する何かに目を向ける。

 

 そこには────

 

「ゼンクロウ君……?」

 

「師匠……?」

 

 紫色のターバンとマントを身にまとった、一人の青年が立っていた。

 



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27.再び出会うあの人は

 衝撃だった。

 ついさっき別れたはずの人が目の前にいる。それも随分と成長した姿で。

 

「驚いた。ゼンクロウ君……だよね?あの時からまったく変わらない姿だなんて、やっぱり君は不思議な人だ」

 

「いやいやいや、師匠こそ成長しすぎでしょ?」

 

「それはそうだよ。あれからもう十年経つからね」

 

「はい?ついさっき会ったばかりですよ?」

 

「君は何を言っているんだ」

 

 師匠からものすごい神妙な顔で言われてしまった。

 おかげでお互いの間に微妙な空気ができてしまう。気を使ったのか、大王が茶でも入れてやればいいと促したので、ばーちゃんの家にあるテーブルを勝手に外に引っ張り出して簡易的に野外カフェを創出した。

 

 外はいい天気だった。さっきまで寒い場所にいたせいもあって、やたらと日差しが気持ちいい。まあこっちは夏場でむしろ焼け焦げる勢いだったから、大した間もおかずに木陰に場所を移したんだけども。実際その「日差しが強い」という事実も不思議なことだった。かなり長時間妖精の世界にいたはずなのに、こっちはまだ太陽が頂点過ぎたくらいであんまり時間の経過を感じない。

 

 下手すると日をまたいでいたのかしら、なんて風にも思ったけど、師匠が言うには、僕らが旅の扉を通ってルザミに行ってから大した時間も経っていないらしい。師匠としてもアレが10年前の出来事であることは疑いようもないと言う。実際、師匠は大人になってるわけだし。

 

 結局僕らが使ったものが尋常の物じゃないので、タイムスリップしてたんじゃない?という結論に落ち着いた。そんな馬鹿なって言いたいけど、事実は覆しようがない。

 

 時を経た結果、ドラゴンキッズだったシーザー君はやたらとでかいグレイトドラゴンになってるし、ゲレゲレは完全にベビーを通り越したキラーパンサーだし、見た目ほぼ変わらないのはスライムナイトのピエールさんだけだ。あっ、でも人型の下のスライムさんの眼光がやたらと鋭くなってる気がする。なんか口の端が吊り上がり気味でニヒルな笑みって感じ。ワイルドだよぉ。

 

「ぶっちゃけ何が起きたかよくわかんないけど、ミトさんに怒られずに済みそうでよかったね、大王」

 

「うむ!」

 

 なんて力強い頷きなんだ。

 

 ちなみに当のヨミはゲレゲレのヒョウ柄体毛にうずくまって眠っている。暑くないんだろうか。うんざりする僕とは対照的に、十文字はどこか不貞腐れていた。見た目は努めて普段通りを装っているようだけど、いつものポジションが奪われて何となく寂しいオーラを醸し出しているのが僕には分かる。

 

 もうちょっと素直になればいいのに。シーザー君なんて甘えたいのを隠そうともしていない。師匠のそばに寄り添って気持ちよさそうに撫でられている。師匠は師匠で、なんて穏やかな顔をしているんだろう。

 

「そういえば師匠はなぜここに?」

 

「僕は、勇者を探している」

 

 そう言って、師匠は一振りの剣を取り出し、目の前のテーブルに置いた。刃の左右に折り返しが入っている刀身が特徴的な、美しい装飾の剣だった。鍔(つば)は竜を象った緑色のもので、尻尾部分がナックルガードのような形になっている。僕はその剣がなんであるか知っていた。

 

「てんくうのつるぎ……」

 

「この剣のことを知っているのかい?博識だね」

 

 僕は魅入られるようにその柄(つか)に手をかけ、持ち上げようとした。けれども、あまりに重くて持ち上げることができない。んぎぎ、とか変な声出して頑張ってみたけど無駄だった。僕は勇者じゃないから、やっぱり持てないのか。わかりきったことではあるけど、少し悔しい。

 

「あるいは君が、とも思っていたんだけれどね。そう上手くはいかないか」

 

「やだなあ、僕は普通の子供ですよ」

 

「普通の子供は時を超えたりしないと思うよ」

 

 師匠は苦笑して、柄の部分に触れないように剣を持ち上げた。そうすれば重くならないらしい。装備はできないけど持ち運べるってこういうことなのか。納得。

 

「やっぱり、当初の予定通りおばば様に聞くことにしよう」

 

「勇者はどこにいますか?って聞くんです?」

 

「そうだね。それ以外にも、いくつか……」

 

「アリアハンに行ったらどうです?」

 

 僕の言葉が意外だったのか、師匠は目をしばたたかせた。

 

「もしかしてオルテガさんのことを言ってるのかな?」

 

「オルテガ殿にござるか。確かに彼の御仁ならば勇者と呼んで遜色ありますまい。サマンオサの雄、サイモン殿と並んで名声に恥じぬお人でござった」

 

 然り、然り、とピエールさんがうなずいた。

 

「ピエールの言うように、あの人とは面識があるよ。幼いころに一度会ったきりだけど、彼も違った。あの人ほど勇者にふさわしい人はいないと、父も言ってたんだけどね」

 

「いえ、僕が言ってるのはオルテガさんの息子さんです」

 

「あの人に息子が?確かに、それなら可能性はありそうだ」

 

 可能性っていうか、間違いなく勇者だし。これは予測じゃなくて、確信でもなくて、単なる事実だ。僕は知っているというだけ。そう知っている。明らかに不自然な知識だけど、深く理由を考えない。考えてはいけない。なぜならそれが僕の根幹だから。今はまだその時ではないのだと、はた迷惑な頭痛と気絶が毎度のごとく通告してくる。

 

「ゼンクロウ君は年の割にいろんなことを知っているね。なるほど、おばば様の秘蔵っ子というやつかな?」

 

「んもー、からかわないで下さいよー。確かに僕はばーちゃんから魔法使いとしての手ほどき受けてますけど、ばーちゃん性格悪いから、なかなか教えてくれないんですよー」

 

「言いたい放題言ってくれるね!」

 

 ごちん、と箒で頭をはたかれた。しかめっ面を横に向ければ、そこにはピンク色の服着た横に太いばーちゃんがいた。やっぱり目に毒々しいなあ。

 

「おかえり。今帰ってきたの?」

 

「ああそうだよ。あんたらがいなくなってどうしたものかと思ったんだけどねえ、まさか先に戻ってるなんて予想外さね」

 

 ばーちゃんはため息とともに、付き従うように後方にいるシロガネさんに向けて顎を引いた。

 

「あっ、もしかしてシロガネさんが呼びに行ってくれたんです?」

 

 シロガネさんは相変わらず無口だ。首だけ振って肯定を示してくれた。

 

「そうか。シロガネか……良い名前をもらったんですね」

 

 師匠の言葉に、再びシロガネさんが首を縦に振る。

 

「ふん、あれ以来か。ずいぶんと大きくなったね、紫の小僧」

 

「はい、ご無沙汰しております。相変わらずお元気そうで何よりです」

 

 師匠が頭下げてる。ものすごい違和感があるんだけど、どういうことなの?

 

「シロガネさんもばーちゃんも知り合いだったの?」

 

「もともとシロガネはこの紫のと一緒に来たんだよ」

 

「そうなの?」

 

 シロガネさんがまた首を縦に振る。口には出てないけど、心なしか、師匠が来たことを喜んでいるっぽい。ついでに言うと、ピエールさんもなんか喜んでた。「いざ手合わせを!」と、シロガネさんに詰め寄っている。

 

 あれよあれよという間に剣戟をかわし始める二人。なんというか、すさまじい。ピエールさんの剣は過去の世界で見た時から流麗ではあったけど、今はそれに加えて得も知れぬ凄みがある。たぶん、本当に凄絶な戦いを経て、成長してきたんだろう。

 

 ただ、驚くべきことに、それでもまだシロガネさんの方が上だった。剣の質が僕に教えていた時とは違って、時々力で捻じ曲げるような一閃を放っている。僕に教えてくれたものはあくまで型に過ぎなかったのだろう。あれは実地での剣術というやつかな。型破りな動きをしながらも、それを型に取り入れてしまっているというか。その動きが相手の虚をつき、実を生かしている。一言でいえばなんかすげえって感じだった。

 

「彼だって勇者に相応しいと、僕は思っていたんだけどね……」

 

 どこか物悲しそうに師匠は言う。

 そんな顔しないで下さいよ。きっといろんな悲しみに触れてきたんだろうけど、それはきっと何かで癒されるべきなんだ。だから僕は子供らしく空気読まない発言します。

 

「師匠、師匠。再会のあかつきに、また温泉なんてどうでしょう?鎧の二人は温泉は入れませんし、置いてっちゃってもいいですよね?」

 

「え?ああ、君はまったく……あの頃を思い出すね」

 

 くすり、と笑ったそのお顔から完全に影は取れていなかったけれど、それでも仕方がないなあ、なんて言いつつ師匠は僕の提案に乗ってくれた。

 

 いつものようにルーラで聖なる泉に飛んでいく。そこでまたヒミコ様に出くわしちゃったんだけど、シーザー君を見て腰ぬかしてたのにはちょっと笑ってしまった。

 

「これが竜……災厄か!」

 

 いいえ全然違います。

 

 不必要にきーきー猛るヒミコ様を最初は真面目にたしなめていたけど、だんだん面倒くさくなってきて、僕は有無を言わさず服を脱いで素っ裸になった。途端に清純なお人は顔を真っ赤にして逃げ出してしまった。ふふふ、おぼこい。悪い顔して笑っていると、師匠から拳骨もらってしまった。

 

「いたずら好きだね、君は。妖精たちと気が合うのも納得だよ」

 

「だって子供ですし」

 

「君が言うと、なんというか、モヤモヤするセリフだね」

 

 よく言われますけど、そうですかね?僕自身もモヤっとしたので、師匠と並んで温泉に浸かって全てお湯に流す、もとい水に流すことにする。

 

 誰のものともつかない、はあ、と弛緩した吐息が漏れた。

 

 お湯の効果か、若干だけど師匠の口の滑りがよくなり、少しだけ今までのことも聞けた。

 ビアンカさんとは幼少期に分かれて以来、会っていないらしく旅のついでに一応探してはいるのだとか。やっぱり波乱万丈な人生を送っているっぽいけど、ヘンリーさんとの冒険の話とか、本当に楽しそうに話していた。でもやっぱり時折見せる陰が何とも言えなくて、僕はつい口にしてしまった。

 

「もし過去に辛いことがあったなら、それを変えたいですか?あの遺跡ならもしかすると───」

 

「いいや、それは駄目だよ、ゼンクロウ君。人は取り戻せない過去があるから今を精いっぱい生きれるんだ。そもそも、だけどね。僕はキミ以外その遺跡を使う資格がないんじゃないかと考えている」

 

 君も乱用は避けるんだよ、と忠告まで受けてしまったが、僕は少しモヤっとした。そうは言っても、好きな人たちが不幸に陥った過去があるなら、それをどうにかして変えたいと思ってしまう。師匠のことだってそうだ。できることなら過去を変えてしまいたい。

 

「ふふ、悩んで考えて、色々なことを経験して、それから君自身の心に従って決めればいい。君はどこか特別な存在だから、君自身にしか答えを決められないと思うんだ」

 

「あんまり持ち上げられても自覚が湧かないんですよねー……」

 

 当人からしたらそうなのかもしれないね、と師匠は笑っていた。

 

 

 ◆

 

 

 ひとしきり師匠との時間を堪能した後、ヨミと大王を引き連れて帰宅した(最近大王だけは僕の家についてくる。お目付け役のつもりらしい)。

 

 師匠はもう少しばーちゃんと話すことがあるらしく、それを終えてから再び旅に出るとのことだった。アリアハンに行くのかと思ったら、別件もあって、その話が夜までかかりそうだと言われたのだ。

 子供の僕らが夜まで親元を離れているのも問題なので、見送りまでできなかったのは残念だけど、そんな考えの僕を気遣ってか、師匠は別れ際に一つ贈り物をくれた。

 

 それは妙な光を放つ果実(腐らないらしい)だった。師匠自身も果実がなんであるか分からず、物知りなばーちゃんも大王もその正体がわからず、首をかしげるだけだった。

 

 寝転んで、つまみ上げて今頃師匠は旅立ってるのかなあ、なんてぼんやり考えていたら唐突に大事なことを思い出した。

 

「あっ。ああ。ああああああーーーーー!!」

 

「どうしたのであるか!?」

 

「サインもらうの忘れてたあああああ!!」

 





幼年期:冬の国 了

次回、幼年期:災禍の蛇 開始────


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幼年期:災禍の蛇
28.妹のために


 絶えることなく噴き出す火の岩が存在する場所は、炎の精霊による強い恩恵を受けているのだという思想がある。それゆえか、溶岩魔人を従えるのは巫女たるものの証として、必ず与えられる試練であった。逆説的に、巫女となる者は溶岩魔人を従えた者から選ばれる。

 

 なんて簡単に言うけれど、実際にその資格自体を得る人間なんてほぼ皆無に近い。それこそ、現在のヒミコ様が幼少の頃より大人となった今に至るまで、他の候補が一切いなかったという現実が他でもない証だった。

 

 こんな物言いだと勘違いが入るかもしれないので一応断っておくと、巫女となるべく選ばれた少女が今までまったくいなかったわけではない。神託を受ける能力は最低限の資質であって、頂点に立つためにはさらなる才能、結果が要求されるだけだということだ。それに足りないものは巫女見習いとして修業を積みつつ、ヒミコ様の身の回りの世話をする従者となる。

 

 そういう意味で、すでにキョロちゃんという魔物を従えるというか、飼っている状態のヨミはかなりの有望株だったらしい。ふらりと村に現れた(みやこ)からの使いという男性がパッつぁんとミトさん、あと憔悴した村長にそんなことを説明しているのを聞いた僕は、ヨミを連れて例の温泉にやってきていた。

 

 ミトさんがものすごい真剣な表情で「逃げろ」と命令したからだ。

 とはいえ、行った先で即座にヒミコ様に出会ってしまったときは変な笑いを浮かべることしかできなかった。

 

 今は温泉宿の一室、畳張りのさくらの間で向かい合って座っている。大事な話ということでヒミコ様も僕も正座していた。

 

「事情は把握した。それでわらわに便宜を図れと言う事かえ?」

 

「ですです。どうしてもヨミを連れて行ってほしくないみたいで。僕も小さなこの子に過酷な運命は背負ってほしくないですし、その意見に否やはないです」

 

「ふむ。しかしの、わらわとしてもヨミには是非とも跡を継いで貰いたいと考えておる」

 

「交渉決裂ですか」

 

「これこれ、そんな怖い目をするでない。(わらし)というに、そなたはどうしてそう大人のような反応をするのかの」

 

「あいにくと腹芸とか苦手でして。素直に感情を表に出すのはむしろ子供らしいと僕は思うんです」

 

「感情の使い方が童らしくないと言うとるのじゃ。自分の態度がそのまま交渉に通ずると理解しておるであろ?」

 

「ぼく、むずかしいことわかんなーい」

 

「この小童(こわっぱ)め」

 

 あからさまにとぼけた表情をすると、ヒミコ様がぐりぐりと手を押し付けるように僕の黒髪をかき回した。

 

「ヨミもするー」

 

 ヨミまで一緒になって僕の頭をわちゃくちゃと混ぜ返す。ヒミコ様だけだったら叩いてでもやめさせたかったけど、ヨミの手を無理やりに払うことはためらわれて、しばらくなすが(まま)になるしかなかった。

 

「それで……母御(ははご)はどうしてもヨミを手放したくないと言うておるのじゃな?」

 

「はい、それはもう猫かわいがりで。ヨミを見れば納得すると思うんですけど」

 

「そうじゃなあ、わらわも手放しとうない」

 

 居直って話の続きをしようとしたら、ヒミコ様の太ももの上にヨミが居座った。わかりやすすぎる程にニコニコ上機嫌なヒミコ様は、しきりに手を動かしてヨミの頭やら頬やらを撫でさすっている。それだけでも楽しいのか、ヨミはむうむうとむずがりながらも喜んでいる。

 

「こういうのはどうじゃ?ヨミは幼く、今は己で判断もつかぬだろう。ならばもう少し時が進み、成長したのちに自身に判断をゆだねるという風に……」

 

「それで都の偉い人たちも納得するんです?」

 

「難しかろうな。わらわの時もそうじゃったが、こと、巫女の後継ぎとなるとあやつらも目の色が変わる。それこそしきたりを超えた部分で干渉を始めるだろうのう」

 

 実際、そうなってるしね。それだけ希少な人材ってことだ。この国の行く末を思えば、偉い人たちの入れ込みようも理解できる。ただ、それでも個人の意思を尊重したいと思う僕はわがままなのだろうか。

 

「と言うてもな、わらわが健在である以上、早々ヨミにお役目が回ってくるわけでもない。幸いにもヨミはわらわと直接会う手段があるのじゃから、都に出ずともここで徐々に修業を積ませ、来たるべき日に備えると言えば説得できぬでもなかろう」

 

「それじゃあ……」

 

「うむ。わらわから話を通しておく。さすれば通例の齢十二に満ちるまでは自由にできるじゃろうな」

 

「よし、言質取った!」

 

「そういうところが童らしくないんじゃがの……」

 

 拳を固く握る僕を見つめながら、ヒミコ様は一つため息をついた。そしてヨミを持ち上げると、くるりと体を回して目を合わせた。

 

「ヨミ、わらわと一緒に修業してくれぬかえ?」

 

「しゅぎょうってなにー?」

 

「僕が十文字とかシロガネさんとやってることだよ」

 

「おすもうとかー?」

 

「そうそう、そんな感じのやつ。でもどっちかというと、ばーちゃんとやってることの方に近いかな」

 

「わー、あたしもじゅもんおぼえるー。おにいちゃんといっしょー」

 

「そうかそうか、やってくれるか。ほんにヨミは愛いやつよのう」

 

 それからというもの、ヨミは時々聖なる泉と呼ばれる温泉へと出かけることが増えた。もっとも、ヒミコ様も頻繁に訪れるというわけでもないから、行ったきりにならないのであればとミトさんも渋々と承知した。実際に都から偉い人が来ることもなくなったし、認めざるを得なかったのだろう。

 

 とはいえ、ミトさんもパっつぁんも親である以上、子供を一時的にでも預ける相手のことは気になる。請われて一度ヒミコ様と顔合わせさせてみたけど、なんだかんだ言っても相手は権力者だ。さすがに大きな態度をとることもなく、土下座するみたいに頭を下げていて、僕はちょっと意外だな、なんて間抜けな感想を覚えていた。

 

 実際の所、頭を下げた二人の気持ちは分からなくもない。横柄な態度をとれば、本当に権力にモノを言わせて、なんて方法をとられるとも限らないのだから。ただ、それでもやっぱり────

 

「それではヨミに問題じゃ。火の呪文と言えば?」

 

「めらー」

 

「そうじゃそうじゃ、よぉくできたのう」

 

 よしよし、と頭を撫で擦ってご満悦のヒミコ様を見ればそんな心配するだけ無駄だとよく分かる。ご両親の前じゃ威厳保つのに執心してたみたいだけど、化けの皮が剥がれればすぐこれだ。何をやってもすぐ褒めるんだから、甘やかしすぎじゃなかろうかと僕は逆に不安に思ってしまう。

 

「おにいちゃん見て見てー、めらー」

 

 ぼっ、と音を立てて小さなろうそく程度の炎が宙に舞う。ふふ、教えられてすぐに覚えてしまうヨミはもしかして天才なんじゃなかろうか。素晴らしいです!

 

「すごいね、さすがヨミだ。偉い偉い」

 

「えっへん」

 

 どや顔がまた愛らしい。僕もヨミの頭を撫でまわす。でもヒミコ様の手が邪魔だ。押しのけるようにしてわしゃわしゃと髪をかき混ぜているとヒミコ様の手が僕の指先に触れ、そして手首を捻りあげられた。あっ、と思ったときには僕はレフリーに勝利宣言を受けたボクサー状態になっている。レフリーの方は僕なんてどうでも良さげに空いた片手でヨミを撫でまわしていた。

 

「邪魔しないで欲しいんですけど」

 

「ゼンクロウこそ邪魔するでない」

 

「んー、んんー」

 

 ヨミの頭上で、制空権の奪い合いは熾烈を極めた。ヨミはどちらの手が触れていてもきゃっきゃと無邪気に喜んでいる。その足元では、ぴぇぴぇと鳴く毛玉がすり寄っていた。キョロちゃんも参戦か。

 

「親バカしかおらんのである……」

 

「ぐおお」

 

 魔物たちが何やら言っていたが、ヨミを可愛がるのは僕の役目だ。

 ヨミを可愛がるのは僕の役目だ。 

 

 大事なことなので二回言った。

 



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29.上に立つ者の心意気

少しキツイ話です。


 僕にはちょっと焦りが生まれていた。

 

 最近呪文を覚え始めたばかりのヨミがあっという間にメラミまで覚えてしまった。マジで天才だ。このままでは兄の威厳が危うい。それ以上に、ヨミ自身が危うい。強力な呪文を覚えるだけならまだいいが、まだ本当に子どもである以上、その扱いには無邪気だからこその危険性がある。何かの拍子に自分を傷つけてしまいかねないし、パっつぁんやミトさんに不意に向けられてしまったときのことを考えると背筋がゾッとする。それこそヨミに消えない傷がついてしまう可能性があった。

 

 ヒミコ様が教育係なのだから滅多なことはないと信じているけども、その方針にも不満があった。同じく危うさを感じたのであろう彼女は、なんとヨミに自分で唱えたメラの炎を触らせたのだ。

 

 あまりの熱さに当然のごとくヨミは泣きわめいた。火傷だって当然する。幸いにもホイミで火傷は跡も残さず癒えたが、僕は憤慨のあまりいきり立ってヒミコ様に殴りかかってしまった。

 

 けれど、僕は結局子供で、それこそ心身を鍛錬している大人には女性であってもかないっこない。あっけなく組み伏せられてしまった。身動きが取れない。だから僕は、湧き上がっていた感情のままに叫んでいた。

 

「ヨミが何したって言うんだ!何のためにこんなことを!」

 

「わらわとてこんな事好き好んでやるわけがなかろう。自身で痛みを経験すれば、それはやがて他者への(おもんぱか)りになる。ゼンクロウ。そなたならば、これだけで理解できるはずじゃ」

 

「だからって認められるか!ヨミを傷つけるなんて!」

 

「やれやれ、そういうところはまだまだ童なんじゃなあ……」

 

 そう言ったヒミコ様の顔は悲痛さと苦々しさに満ちていた。当然だろう。あんな猫かわいがりしていた自身の娘のような女の子を傷つけるなんて絶対にやりたくなかったはずだ。

 

 でもそれ以上に、ヒミコ様は為政者であり、人の上に立つ人物だった。人の善いお姉さんである反面、冷徹で、厳格な部分もあり、人の暗がりを知るだけの経験を積んでいた。

 

「ゼンよ、幼き人の子に道理を説いても、早々学びには通じぬものである」

 

 大王の言葉通りだ。だからこそ、自身の経験をもって否が応でも理解させた。言葉でなく体験で、ただ褒められていたばかりのそれが実は危ないものだと認識させた。甘やかすばかりの僕では取れない判断であり、かつ、周囲から誉めそやされるばかりのヨミは、本人の資質に関係なく、危機感が薄くなる可能性は少なからず存在していた。

 

 対応としてはたぶん、正しい。他の方法だってあるにはあるだろうが、これが一番確実で、即効性がある。唯一の難点があるとすれば。

 

「こんな方法をとれば、ヨミが修業を嫌がるようになる!下手すれば忌避感を覚えて、二度と呪文を使えなくなる!そうなったらどうするんだ!」

 

 ヨミは泣いていた。泣いて十文字の毛皮にうずくまっていた。

 ヒミコ様はその背に悲し気な視線を送ると、僕の拘束を解いた。ゆっくり立ち上がれば、頭の上で巫女装束の長い袖が翻る。ヒミコ様にぽんぽんと軽く頭を叩かれた。

 

「その時は巫女候補から外すだけじゃ。ヨミはなんら気にすることなく母御の元で、普通の人生を送ることになる。わらわはちと寂しいが、それはヨミにとって幸せの形の一つじゃろうなあ」

 

「それで……周囲は納得するんですか?」

 

「させるとも。もとより巫女候補はヨミ一人ではない。現段階で、他に高い能力を持つ者もおるからの」

 

「でも……!」

 

 言い淀むしかなかった。僕だって、本心は巫女なんてややこしい立場をヨミにやってもらいたいなんて思っていない。権謀術数渦巻く宮中のような場所で心を濁らせる可能性を作りたくはない。あの天真爛漫な笑顔を歪ませるようなことはしたくない。それは今の状況だってそうなんだけど。

 

 憤りに顔が歪む。何かに当たり散らして済むようなことじゃないから余計にだ。

 

「そなたほど分別のつく童であれば、わらわとてこんな強引な手段はとらなかったのじゃがの。幼さが罪とまでは言うまいが、先行き思うがままといかぬは少々苛立つものよな」

 

 目前でまたも白衣が翻る。僕らから少し離れた位置を取ったヒミコ様は、すうと大きく息を吸う。

 

「ヨミよ!よく見ておれ!」

 

 十文字の毛皮から顔を放したヨミが、赤くなった目元を擦りながら振り返った。

 そこにいつもの笑顔はない。泣きわめく声は収まったが、まだぐすぐすと鼻を鳴らしている。ひどく胸が痛んだ。それはヒミコ様も同じだったのだろう。一度きつく唇を噛み、再び叫ぶ。

 

「炎よ!」

 

 ごう、と中空で炎が燃え盛った。呪文というにはあまりに発動が早い。おそらく火の精霊の力なのだろう。火種無しに巻き起こった聖なる炎の先に、美しく凛々しく、そして険しい顔が揺らめいた。

 

「人を傷つけた者には相応の報いがいる!立場など関係なく、わらわとて例に漏れず、そうあらねばならぬ!ゆえに見よ!そなたを炊きつけたわらわも今より罰を受ける!」

 

 宣言と共にヒミコ様は白衣の袖をまくり上げると、一切の躊躇なく、炎の中に己が腕を突っ込んだ。結果はそれこそ火を見るよりも明らかだ。

 

「ぐう……!」

 

 うめき声と共に焼け爛れていく腕には激痛が走っているだろう。でもヒミコ様はすぐには腕を引かず、歯噛みしながらそれに耐え続ける。たんぱく質が焼ける嫌なにおいが鼻についた。

 

「いくらなんでもそこまで……!」

 

「言うなゼンクロウ……!わらわとて自身を罰せねば気が済まぬのだ!ヨミへの償いとまではいかぬがッ!先人としての責任は果たさねばならんッッ!!」

 

「おねーちゃんだめー!!」

 

 逡巡する僕の前を小さな影が走り抜けていった。そして跳ね飛ぶようにしてヒミコ様の炎に巻かれた腕にしがみついた。

 

「ヨミ!」

 

「なっ!」

 

 あろうことか、炎は先ほどよりもより強く、さらに勢いを増してごうごうと燃え盛り、ヨミの体をも巻き込んだ。反射的にヒャドを唱えようとして、すぐさま僕はその必要がない事に気付く。

 

 炎は確かに燃え盛っているけれど、どういうわけか、ヨミの体に一切の影響がない。それどころか、抱え込まれたヒミコ様の腕が徐々に癒え始めている。

 

「安らぎの炎……」

 

 つぶやいたヒミコ様も愕然としているようだった。私見だが、あれは炎に見えるだけの治癒術の一種なのだろう。ヒミコ様の様子を見るに、ご自身で発動させたわけではないらしい。となれば、残る可能性はヨミだけだ。

 

「あついのはいたいの……おねーちゃん、だいじょうぶ……?」

 

「おお、そなたは本当に……」

 

 炎は時間と共に勢いを落としていき、最後にはぷすんと音を立てて消え去った。ヒミコ様の腕の火傷も完全に消え去っている。ヨミが離れた後には、瑞々しく白い柔肌だけがそこにあった。

 

 ヒミコ様は手のひらをくるくると返しながら己の腕を眺めている。そばにいるヨミもその腕を心配そうに見ていた。そこへ赤いカエルがぴょんと跳ね飛び割り込んだ。何度か跳ね飛ぶと、ヨミの頭の上まで到達し、ふんぞり返って偉そうに甲高い声で喚く。

 

「人の王よ、見事である!吾輩も同じ王としてその気概、見習いたく思うほどである!」

 

「ぐおお」

 

 十文字の方は苦言だったけど、まあそりゃそうだ。英才教育にしてもちょっと度が過ぎる。ヨミが王族とかならまだしも、あくまで庶民の子だ。いきなり王様の理屈聞かされて体現されたって、寝耳に水というやつだろう。王たる姿勢を早めに見せようって魂胆はわかるんだけどさ。

 

「あんまり無茶しないで下さいよ。心臓に悪いです」

 

「……すまぬな。ヨミよ、感謝するぞ。わらわはそなたの気持ちをとても嬉しく思う」

 

「ぶー」

 

 お礼を言われたところでヨミの機嫌は直らなかった。そりゃね、ケガさせて、自分もケガして、それが教育ですなんて言われたところで意味わからないだろう。でも、確実にヨミの心には残ったはずだ。理屈は分からなくとも理解の種は生まれたはず。

 

「なあ、ヨミ。これからもヒミコ様と一緒に修業できる?」

 

 僕の質問に、ヨミは唇を突き出したまま、首を縦に振った。強い子だ。優しい子だ。僕だったらとてもじゃないけど、キレずにはいられないし、場合によっては固辞するだろう。

 

「しゅぎょうはするけど、もういたいのはや。おねーちゃん、きらい」

 

「なん、じゃと……!?」

 

 そうなるよね。自業自得だ。こうなるのも当然の流れだ。ヨミはとてとてと走って僕に抱き着いてきた。顔をぴったりと僕の胴にこすりつけて、ヒミコ様に思いっきり舌を出した。あっかんべー。

 

 途端にヒミコ様が腕が焼けた時以上の苦悶の顔を浮かべて崩れ落ちる。うめき声が心底辛そうで、なんかぶつぶつと呟いている。

 

「わらわは、わらわは、人生で一番の間違いを犯したやも知れぬ……!おお、なんということじゃ!」

 

「ショック受けすぎでしょ……」 

 

 最初の心配とは逆に、ヒミコ様の心に消えない傷がついてしまったのかもしれない。

 

 

 




原作に今回の「安らぎの炎」っぽい特技とかあったっけ?
はっするはっするーしか思い出せない。


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30.ゼンの才能

 最近、僕はかなり真面目に呪文とか覚えている。あまりの力の入れようにばーちゃんに何か良からぬことを企んでるんじゃないかと疑われたくらいだ。なかば孫ポジションの僕を信じないとは、なんてひどいババアだ。

 

「よくもまあそんなセリフが言えたもんさね。普段の自分を省みな」

 

「そういう反論のしようもないことは言ってほしくないでーす────ヒャダイン」

 

 呪文を唱えると、まずは吹雪が巻き起こる。直後、呪文効果の中心にでっかい氷塊が出現し、砕けると同時に周囲にばらまかれた。鋭利な槍のようなそれらを迎え撃つのはシロガネさんだ。呪文効果と言っても結局は物理現象だ。氷である以上、それは剣でいなせるし、叩き斬ることも可能だ。

 

 範囲に合わせて白銀の鎧が駆けめぐる。その度に剣が閃き、あっさりと氷塊を真っ二つどころか細切れにされてしまった。それも全部だ。凄すぎる。

 

「これをやるんです?自分で?」

 

「そうさね。半分は曲芸みたいなもんだがね、練習にはなるさ。アンタはあいつほどの身体能力はないだろうから、全部斬ろうと思えば効果範囲を絞るしかない。まあ頑張ることだね」

 

「さすがに無理ありまくりじゃんこれー。制御力つける目的は分かるけどさー」

 

 泣き言を言うと甘えたことをぬかすなと叱られる。やっぱりひどいババアだ。まあ僕からお願いしてる部分はあるし、ただ無茶言われてるだけだから、やれなくて何がどうなるってわけでもないんだけど。

 

「ヨミに追いつかれるよ」

 

「奮起せざるを得ない!」

 

 そんな感じで日々努力を続けている。気づけばさっきのようにヒャダインまで唱えられるようになってしまった。ばーちゃん曰く、僕は氷系との相性がそこそこいいらしい。普通は質量をもつようなモノを具現化する呪文は総じて覚えづらいらしいんだけど、僕はちょっと特殊なのかもしれない。

 

「おお、寒い寒い。メラ!である!」

 

「ぐおお」

 

「うぬ、仕方なかろう!吾輩両生類であるからして、冷気には弱いのだ!」

 

 毛皮が燃えるから近づけるなと大きな熊が文句を言い、赤いカエルさんが我慢しろという。いつもの光景だけど、毎度毎度おんなじやり取りをよくやるなあ。

 

「ゼン!そもそも、お前が他の呪文の練習をすればよいのである!」

 

「えー?でもやっぱり一番相性がいいやつ練習した方が効率いいでしょー?」

 

「効率が良いのは事実であるが、一番ではないのである。吾輩の見立ててだと、ゼンは移動系呪文向きであるぞ」

 

「そうなの?」

 

「うむ。実際ルーラを唱えた際の効果は通常の枠にとどまらぬ領域にあるであろう?」

 

 確かに。賢者カダルさんのところ、ええと《賢者の書》だっけ。あそこに行ったりとか普通はできないだろう。呪文の暴走とかそんな感じに思ってたけど、ある意味暴走が起こること自体も才能なのかもしれない。

 

「言いたいことは分かったけどさー。でもルーラじゃ敵倒せないじゃん」

 

「ぐおお」

 

「んんー?確かにバシルーラなら使い方次第ではいけるのかなあ」

 

 バシルーラは簡単に言えば相手を吹っ飛ばすだけの呪文だ。でも例えば、吹っ飛ばした先に剣があれば突き刺さるようなこともあるだろう。言葉にした通り使い方次第だ。ただ、かなり状況とか環境に左右されるし、困ったときに使える一手程度に考えておいた方がいいかもなあ。

 

 思考をめぐらせながらも、続いて呪文を唱える。範囲を絞って絞って、維持したまま移動を開始。剣を振り回して氷の槍を砕いて回る。ああ、やっぱ全部は無理だわ。ヒャダインの制御しながら体動かすの自体がすごく難しい。シロガネさんと競争して氷砕きやってるけど、僕が砕けるのは良くて一割だ。

 

 こうやってMPが空になるまで同じことを続けるのが最近の僕に与えられた課題だ。最適化最適化最適化。ひたすらに効率と応用力を求めて呪文も剣も熟練度を上げていこう。数値が見えないから成長度合いがよくわかんないけど、たぶん成長してるのだと信じるしかない。

 

 とはいえ、難しいものはやっぱり難しい。悪戦苦闘しながら修業をしていると、ふらりとバーナバスのバルナスさんが現れた。

 

 相変わらずの尖りまくった犬歯をのぞかせながら笑みを浮かべている。スーツ着てるし、紳士的なのは実際そうなんだけど、やっぱり魔物だね。青白い笑顔が物騒だわ。

 

「お久しぶりですな、ゼンクロウ殿」

 

「お久しぶりです、バルナスさん。今日はベヒモン君いないんです?」

 

「ええ、別件でお使いを頼んでおりまして」

 

「そうなんですかー。ベヒモン君お手伝いも頑張ってるんですねー」

 

「フフ、頼んだ時は嫌がっておりましたが、結局は渋々ながらも請け負ってくれるのでございます。あの子は素直ではありませんが、根はとても良い子でございますよ」

 

 ですよねーうんうんと頷くと、青白い笑顔が打って変わり、遠くを見るように目が細められた。なんか変な反応だなあ。ベヒモン君の生い立ちとかに何かあるのかな?でも、僕の立場であんまり深く聞かない方がいいかな。

 

「今日もばーちゃんに用事なんですよね?家の中にいますよ」

 

「確かにおばば様に話は通さないといけないのですが……今回はゼンクロウ殿にも関りがあるお話でしてな、是非ともご同席をお願いしたのでございます」

 

「珍しいですね。人間の子供に用事だなんて」

 

「実はですな、ゼンクロウ殿のことを鬼面道士の一族に伝えておいた方が良さそうな流れがあるのです」

 

「あ、そういう話です?」

 

 鬼面道士の一族と言えばこの辺の魔物たちをまとめている存在だったはずだ。ちょっとよく分かんないけど、政治的なアレかしら?ということは、ばーちゃんの弟子としての立場を買われてって感じだろうか。

 疑問に思ったことをちょろちょろと聞いてみたところ、どうやら鬼面道士への顔見せが必要らしい。それも、できれば早急に。

 

 そうであるならば仕方がない。修業はいったん中断だ。

 

 ばーちゃんに声をかけにいくと、あからさまな不機嫌面を見せられた。面倒なのはわかるけど、バルナスさんの立場もあるしちょっとくらい慮ってやってよ。ヒミコ様じゃないけど、人としてそれくらいはさあ。なんて考えたけどよく考えたら全部魔物相手の話だった。そりゃ道理とか義理とか吹き飛ばすきらいあるよね。

 

 まあまあとなだめて、十文字をお留守番に残してバルナスさんのルーラで鬼面道士一族の住処へと飛んでいく。向かう先は溶岩洞窟付近だろうと思ってたけど、思ったより離れた位置らしい。草木生い茂る森の中を人工的に切り開いたような場所だった。

 

 そこには意外なことに竪穴式住居が複数建っていた。魔物はぶっちゃけ野生動物とそう変わらない輩が多いから、てっきりそこらの天然洞窟とかに住んでるのだと考えてたけど、思ったより文化的だ(上から目線)。それよりももっと意外なことに、この区域にいると妙に清涼な空気を感じる。魔物が暮らしてる場所なのに妙だね。何か仕掛けでもあるのかな。

 

「バルナスよ、そやつがゼンクロウじゃな?」

 

「そうでございます、ブラス老」

 

 現れた鬼面道士はどういうわけか全体的に水色だった。

 水色と言えば賢者カダルさんのパーソナルカラーのイメージが強くて、なんとなく賢者っぽく思える。たぶん特殊個体で鬼面道士さん達の長なんだろうなあ。

 他の鬼面道士さんたちもわらわらと集まってきたので、赤の中に水色が一滴たらされた感じで、いやが上にもよく目立つ。見た目としても突出した雰囲気の、まさしくリーダーって感じ。逆に同じ賢者っぽい能力持ちの大王は赤色に囲まれて没個性状態だ。王様って言ってるのに没個性とかウケる。

 

「それで、なんであたしを呼んだんだい、鬼面のジジイ。あたしゃ忙しくてね、他の魔物なんて知ったことじゃない。そいつはよく知ってるだろう?」

 

「うむ、知っておるとも。そう言いながらもワシらに最低限の手助けをしてくれとることもな」

 

「話がとんと見えないねえ。あたしにそんな覚えはない」

 

「やれやれ、ここぞとばかりにとぼけるのぉ。ワシらが正気を保っているのはお前の呪文──マホカトールのおかげじゃろう?気づかないと思うたか?」

 

 カラカラと笑うブラス老は好々爺然としていた。

 

 

 



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31.ばーちゃんの すごい ぎじゅつりょく

 ブラス老が言うには、ここ最近邪悪な気配の強まり具合が甚だしいらしい。そこで先んじて手を打ったのがばーちゃんなんだとか。先んじてとは言ったけれども、結局元を断たずに対症療法なんだから、後手に回ってる感否めない。

 

 そこを指摘してみると、ブラス老は若干苦々しい声で眉根を下げた。眉毛ないけど。

 

「確かにのう。お前の言う通り元を断たねば、いずれは取り返しのつかないことになるという可能性もある」

 

「それじゃあ、そのための話し合いをしたいってのが今回の意図です?」

 

「そういう事じゃな。して、おばばよ。我らには邪悪なチカラが増している原因がわからんのじゃ。ずいぶんと前に魔王が現れてからその傾向があったとはいえ───」

 

「数年前に一度、気配が大きく減じただろう?アレはおそらく近隣にいた魔王の配下、それもかなり上級のヤツが倒れたからさね。今になってその分が補完された───と、あたしは見ている」

 

「新たな魔王の手先が近くに来たということか!」

 

「そう考えるのが自然だろうねえ」

 

 え?めちゃくちゃ物騒な話なんですけど。それもばーちゃんの見解的には魔王の側近とかそういうレベルの魔物が来てるってことじゃないの?

 

「大事じゃん。ヤバくない?」

 

「まったくもってその通りじゃ。恐ろしい災厄が近づいておるということじゃからの」

 

「災厄、災厄かあ……」

 

 ジパングを襲う災厄。もしかしなくても、これがそうなのかな。だったら。

 

「僕、ヒミコ様に伝えてくる」

 

「ふむ、人間の頭(かしら)じゃな。ゼンクロウよ。わしがお前を呼んだのはそやつにこの災厄のことを伝えてもらうためなんじゃ。わしらは魔物じゃから人間相手にまともに話ができんでの」

 

「そですね。人間が聞く耳持つとは限らないし」

 

「それもあるのじゃが、わしらは人を見ると襲わずにおられん状態になっとる。マホカトールで邪悪なチカラを打ち消して、やっとお前と話ができる状態なんじゃよ」

 

「実際話してるとそんな風には思えないんですけどねー」

 

「こればかりは実際に体験せねば分からんじゃろうな。おばば達が特殊なんじゃよ」

 

 ついでに言うと、シロガネさんや十文字、大王だってそうだ。僕の周囲にいる魔物たちがその理性を失うようなことは起きていない。バルナスさんに関しては色々と動き回る必要があるから、なんか特殊なアイテムをばーちゃんからもらったらしい。携帯マホカトールみたいなやつ。時々ばーちゃんの技術力が意味わからなさ過ぎて頭痛くなる。

 

 ううんと唸る僕を見て何を勘違いしたのか、ブラス老はため息をついた。

 

「わしらとて、無闇に命を散らしたくないんじゃ。そこは人と同じじゃな。分かり合う以前に命が惜しい。それゆえに人と協力することも辞さないというだけじゃ」

 

 魔王から発される闇の波動の影響は、戦闘に向ける以外の思考力をことごとく奪ってしまうらしい。闘争本能、殺意、その他もろもろ、黒い感情があふれて理性やら自意識やらはあっさり吹き飛んでしまうのだとブラス老は苦虫を噛み潰したように言っていた。

 

 自分が自分ではなくなるというのは考えただけでも恐ろしいことだ。意識がなくなっている間に致命的な過ちを犯すとも限らない。僕だってそんな状態は絶対に避けたいと思う。

 

 魔物だって生き物だ。怖いものはきっと怖いのだ。避けられるものならば避けたいのだ。

 だからこそ、魔物と関りの深い、種族人間である僕が呼ばれたのだろう。

 

 それを光栄と思うか、面倒だと思うかは人それぞれだと思うけど、僕はできる限り手助けをするつもりだった。

 

 そもそもの話だが、僕は自分が不幸になるのも嫌だし、他人の不幸だって見たくないと常々思っている。難しいとは思うけれど誰もが笑いあって過ごせたらいいと考えている。

 

 不幸は僕の敵だ。

 それをまき散らす邪悪な存在は許せない。他者に不幸を強要するような幸せなんて認めない。

 正義感とかそういういいもんじゃない。ただの我儘だ。我儘を貫き通すために僕は――――

 

 ぐらり、と視界が揺れた。

 

「──!」

 

 気づいたらシロガネさんに後ろから支えられていた。ふらついてもたれかかってしまったらしい。

 シロガネさんからやたらと心配げな視線を感じる。

 うーん、なんか頭がぼんやりするけど、とりあえず体は大丈夫かな。

 

「あれ?僕何考えてたんだっけ」

 

「小僧、今……」

 

「んー?んー……僕なんか変なこと言ったかな、ばーちゃん」

 

「いや、アンタは一言もしゃべってないよ」

 

「あ、そうなの?」

 

 やたらと物騒なこと考えてた気がするけどまあいいや。今はそれどころじゃないよね。急いでヒミコ様に現状を伝えなくちゃ。でも、結局僕はどう伝えたらいいんだろう?

 

「ヒミコ様には状況をありのまま伝えれば大丈夫かな?」

 

「そうさじゃのぉ、現状でできることと言えば(いくさ)の準備程度じゃろうし、打って出ようにも相手の所在が分からんしのう」

 

「アンタの思うようにやればいいさ」

 

「うん、わかった」

 

 僕一人でどうにかなるような話じゃないし、話すだけ話してヒミコ様に対策分投げようっと。僕は子供なんだし、自分がやれることだけやればいい。昔誰かにそう言われたし。

 

 子供らしく楽しめって。賢者のように悟ったような態度取ったって、子供が背伸びして無理してるようで周りが辛いだけだからって。

 

 思い返すとなんかヒドイ言われようだな。僕結構頑張ってるのに。

 なんかちょっと腹が立ってきた。茶化そうか。

 

「ところでさ、ばーちゃん。マホカトールって賢者専用の呪文じゃないの?もしかしてばーちゃんって賢者?」

 

「あたしは賢者じゃあない。魔女さ」

 

「魔女?なんかカッコいい言い方してるけど結局それって種族魔法おばばのことでしょ?確かにばーちゃんは見た目も性格もババアそのものだよ」

 

「れでぃに失礼な小僧だね!」

 

「あいたっ!」

 

 例のごとく箒で叩かれた。いつものことだけど、結構鍛えてるはずの僕がなかなか避けきれないって実はすごい事じゃない?呼吸をずらすのがうまいっていうかなんていうか……

 

「小僧が考えなど知ったことじゃないがね、一つだけ覚えておきな」

 

 頭をさする僕をじろっとねめつけて、ばーちゃんはふん、と鼻をならした。

 

「なんだってそうさ。賢者にできることが魔女にできないわけもない」

 

 ばーちゃんはやたらと得意げに笑ったけど、魔女なんて職業ないです。あるとしたら種族だけど、ばーちゃんはババアだし、やっぱり魔法おばばだよ。なんてこと言うとまた叩かれるから黙っておこう。

 

 

 




ばーちゃんとかシロガネさんとかやたらと強キャラで持ち上げられている感があってもにょる人もいると思いますが、そのうち納得できる説明するつもりです。だいぶ後になりそうですけど。(今更な言い訳)
ゼンが褒められているのは年のせい。二十過ぎればただの人。
大王と十文字に関しては完全に趣味です。動物愛護精神。




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32.溶岩洞窟を見に行こう

「お待ちを。ゼンクロウ殿、ヒミコ様のいらっしゃる日時をご存じなのですか?」

 

 バルナスさんのふとした疑問に僕は唱えかけていたルーラを止めた。ぶっちゃければ、そんなの知らない。パっつぁん達を会わせた時だって、僕が温泉に出かけてヒミコ様が来てるのを確認してから連れてっただけだし。これまでだって、あんまり慌てて会いに行く理由もなかったから、用事があったとしてものんびり会えるの待ってたんだよなあ。

 

 そもそも、僕の中で温泉>ヒミコ様の優先度だったわけだ。言ったら怒られそうだから絶対に言わないけど。

 

 でもなあ、よく考えたら不便だよね。最近はヨミの修業もつけてくれてるし。

 今はヒミコ様も僕もあんまり本気で修業させたいわけじゃないから、会えた時にやればいいってくらいのザックリ感でなんとなく合意しちゃってるけど。

 

 そんな状況なわけだから、バルナスさんの疑問もごもっともで、かつミスったなあって空を見上げて嘆いているわけだ。

 

「やはり小僧は適当に過ぎるね」

 

「本当にこの子に頼んで良かったのかのう……」

 

 ご老人二人がため息をついている。なんというか、申し訳ない。

 

 まあね、でもね、過ぎちゃったことは仕方ないと思うんだ。前がダメならこれから改善していけばいいってだけだよ、うん。そんなに悲観することないんじゃないかな。

 

「私もついていった方が良さそうですな。少なくとも説明するにあたって魔物の一匹はいた方がよいでしょう」

 

「それなら大王がいるし、大丈夫じゃないですか?」

 

「ふむ、大王殿ならば……いやしかし」

 

「むっ、なんぞ吾輩では頼りなしとでも言うであるか?」

 

「そういうわけではないのですが……事の重さを伝えるにおいて、ヒミコ様と面識がない者を連れて行った方がよいかもしれませんな」

 

「なるほどー、そういう意図ですか。それならバルナスさんも一緒の方がいいかなあ。僕らだけだとなんだかんだでサラッと言って終わるだけかもしれないし」

 

 いつものメンツならいつもの感じになるっていうのは大いにありうる話だ。僕自身、流れで話してしまって、結局は単なる話題の一部になっちゃう可能性……あると思います。

 

「じゃあ今回はバルナスさんも連れて行くってことで」

 

「あたしゃしばらくここでやることがあるからアンタらだけで行ってきな」

 

「はいよー、わかったー。そんじゃ行きましょー」

 

 そんなわけでいつもの大王+バルナスさんという感じで聖なる泉へとルーラした。

 

 

 

 までは良かったんだけど。

 

「いないね……」

 

「いないのであるな」

 

「しばらく待ってみましょう」

 

 待ちぼうけること1時間。温泉入ったりして暇つぶしてたけどやっぱりヒミコ様は来なかった。うおー、なんかこう、急ぎの用事があるときにこれは。

 

「焦れるのである!」

 

「だね。いっそヒミコ様の家に直接行っちゃおうか?」

 

「ですがその場合、我々の存在が足かせになるのではございませんか?」

 

 もっともなご意見に僕も大王も押し黙る。ええと、ここまで来て何もせずにいるのもアレだし……置手紙でも書いておこう。でも紙もペンもないんだった。どうしようか。木の板に炭でも使って書いておこうか。木彫りは労力がいるし、書き間違いしたとき面倒だし。

 

 思いついたら即行動だ。

 その辺の木をバギッて伐採し、板を複数作りながら削りカスを燃やして炭を作る。あとは細い溝を作った木板に炭を敷き詰め、同じ形状の板で挟んで押し固め、溝ごとに細くカットして、先っちょを削れば簡易鉛筆の出来上がりだ。紙はないのでさっき余分に作っておいた板に書きます。

 

 うわ、超書きづらい。

 

 ていうか思うように色がつかない。やっぱりちゃんとした黒鉛じゃないとダメだこれ。同じ炭素系の物質だからいける気がしたけど思い付きだけでやるもんじゃないなあ。

 

「ゼンは面白いことを考えるのであるなあ」

 

「そうなのかな。都の人達って、何を使って文字書いてるんだろうね?」

 

「うむ、一般的な例でいえば植物の種子などでつくられたインクだったはずである」

 

「あれ?大王そんなの知ってたんだ。以外だなあ」

 

「呪文を記すに必要なものであるからな。おばばが持っているのである。吾輩も使用経験があるのである」

 

「へぇー」

 

 そういや僕、ばーちゃんちの奥の研究室に行ったことないな。いっつも台所みたいな場所で魔法授業受けてるし。なんなら大抵は屋外だし。実践的と言えば聞こえはいいけど、机上で講義受けてないのも知識的には良くないかも。

 

 いっそ大王に机上での勉強教えてもらおうかしら。大王に板書してもらって……アレ?大王どうやってペン持つんだろう。

 

「ほい」

 

「ん?なんであるか?」

 

 大王に作り立ての偽鉛筆を渡して持たせてみたら、でっかいこん棒持った人みたいになった。大王は偽鉛筆を装備した!みたいな感じ。

 

「専用武器みたいだね」

 

「吾輩ペンで戦うのである?」

 

「ペンは剣より強し!」

 

「意味が分からんのである。刃物の方が強いに決まって……もしや何かの隠語であるか?吾輩バカにされてる?」

 

「そんなことないよー。ちょっと現実逃避しただけー」

 

 こんな書きづらいもので手紙書くとかマジナンセンスってやつ。今はやるしかないから、大王に手伝ってもらいつつ再度執筆に挑戦だ。

 

 何度も何度もなぞるように板をがりがり鉛筆で擦る。時折大王に体全部使って書いてもらって、疲れたら交代。そんなことを繰り返していくうちに、不格好ではあるけどお手紙完成。字がヨレヨレだけど、とりあえず読めるから別にいいよね。

 

 出来上がったものを温泉宿の玄関に放り出すと、次なる行動に出るべく大王を手に乗せたバルナスさんに向き直る。

 

「溶岩洞窟に行こうと思います」

 

「?」

 

 あからさまに首を傾げられた。まあね、因果関係わかんないよね。

 

「んーと、僕の勘だけど、魔王の手先とかいう魔物がそこに現れるような気がしてるんだ。ヒミコ様いないし、とりあえず様子見に行こうかな、と思って」

 

「ふむ。しかしヒミコ殿が言うにはあの場所はここよりもさらに聖なる気に満ち満ちているのであろう?そのような場所にわざわざ近づくとも思えんのであるが」

 

「そうですな。私も同意見でございます。何か決定的な理由でもおありですかな?」

 

「さっきも言ったけど勘だよー。確たる理由なんて一切なし!」

 

 元気よく言い切ると眉を顰められた。二人とも眉ないけど。まあね、もにょる気持ちはよくわかるよ。僕だって無駄じゃないかなって思うところはあるもの。

 

「念のためだよ、念のため」

 

 納得のいかない大王を頭に乗せ、一人置いておけば間違ってヒミコ様に襲われそうなバルナスさんの手を引いて溶岩洞窟に向かう。バルナスさんの手は冷たかった。バーナバスだからなのかな。

 

 対して、溶岩洞窟の中はそりゃもう暑かった。熱いって言い換えてもいい。そこら中にマグマがあるんだし、当然か。火の精霊様のいる場所に最も近いって以前ヒミコ様が言ってたのも納得だ。

 

 彼女達のように神託の能力でもあれば精霊様の声が聞けたのかなあ。そうすればヤマタノオロチがここに来たのかどうかもすぐに聞けたのに。

 

 あーでも、実際とっくの昔にヤマタノオロチが来てたら精霊様ってどうなってたんだろう。封印とかされてたのかなあ。封印か。ありうるなあ。

 

 でも、これだけ強大な地形で「火」なんて概念を司る相手をどうやって封印できるんだろう。世界をどうにかしちゃう魔王なら何か方法があるんだろうか。考えたってわからない。分からないから対策が打てない。いつだって後手に回る方が不利になる。

 

 だったら、分かる範囲で先んじて手を打ってしまえばいい。

 そのための手段ついてはヒミコ様にも伝えてある。

 

 僕らは贄の祭壇の目前まで来ていた。祭壇上には蓋をされ、密封されたツボが置かれている。ヒミコ様とその従者が定期的にささげている供物だ。

 

 本当はアレの一部を温泉まで運びたかったんだけど、十文字連れてくればよかったかな。僕だと持ち上げるだけでも大変だ。他の人に頼ろうにもなあ。

 

「熱いのであるー……」

 

 暑さでぐてっとした大王は役に立たないし、

 

「これはさすがに厳しいですな」

 

 慣れない空気に消耗しているバルナスさんに無理させるわけにもいかない。

 

 というわけで、助けを呼びましょう。

 

「おーい、誰かいませんかー!」

 

 一声上げるとそれに応えるように近くの溶岩がどろどろと持ち上がり、手を形作って一つの物体を成していく。溶岩魔人だ。普通だったら僕らを襲いかねない相手だけど、今ここにいる彼だけは違った。

 

「ガンマ君元気してた?」

 

 溶岩の親指がぐっと立てられる。

 

「僕ら以外、予想外の人たちがここにきてたりしてた?」

 

 溶岩の手のひらが否定の意味でぐにゃぐにゃと揺れる。

 

「そっかー、じゃあまだ大丈夫なのかなあ。あ、ところでガンマ君ってヒミコ様がいつ頃ここに来るか知ってる?」

 

 今度は溶岩の指が3本たてられた。

 

「3日後くらい?」

 

 またもや親指が立つ。ガンマ君もジェスチャーばっかであんまりしゃべらないね。恥ずかしがり屋さんなのかもしれない。

 多分、ヒミコ様のせいだと思う。召喚獣みたいな感じで契約結んでるんだろうけど、ヒミコ様の口上っていかにもカッコつけてるみたいで若干恥ずかしいもんね。無言にもなろうってもんだ。

 

 それはともかく、ヒミコ様が来る時期も分かったし、とりあえずの用件は終わったかな。供物は……今度十文字でも連れてこよう。ガンマ君じゃ筋力的には問題なくても熱量的に問題あるし。

 

 そんなわけでせっかく連れてきたバルナスさんにはいったんご帰宅願って、3日後にばーちゃんちで落ち合おうという話になった。

 

「仕方ないですな……」

 

 妙に落ち込むバルナスさんの様子が気になったけど、まだまだ、これからだよ。大丈夫、大丈夫。きっとなんとかなるから。

 

 

 



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33.酒宴が始まる

 十文字に二日かけて祭壇に置いてあったツボを温泉まで運んでもらった。その間、本当にヒミコ様に会うこともなく、なんだか嫌な気配が徐々に強まっていくのを感じるだけだった。

 

 そして、いよいよヒミコ様との面会前日の夜にその気配は途轍もなく強まり、肌がひりつくような感覚に唸らずにはいられなかった。

 

「ゼンよ、その時が近づいたようである!」

 

「うん、警戒はしてる。準備もしてもらったし」

 

「それにしても凄まじく邪悪な気配であるな。これほどの魔物がこの国に訪れるとは……!」

 

「不思議だよね。別にあっちにとっての脅威がこの国にあるわけでもないだろうに。ひょっとして火の精霊様狙いなのかなあ」

 

 なんて会話しつつも夜は普通に寝た。

 だって僕子供だし、あんまり夜更かしできないんだ。体動かしてるのもあって、眠気の限界来てすぐ寝ちゃうからね。

 

「ゼンの危機感はどこかおかしいのである……」

 

 翌日の朝方早めに起きて、ふああとあくびをかく僕を、大王はジト目で見てきてそんな風に言うけども、これは信頼の裏返しでもあるんだ。大王は爬虫類のせいか睡眠時間短いからね。夜中に何してるか知らないけど、何かヤバいことがあったら大王が起こしてくれるはずだ。それに十文字が温泉で見張ってくれてるし。

 

 そんな気持ちが分からないなんて大王はまだまだだね、やっぱり魔物だからかな。フウ、ヤレヤレ。

 あからさまなため息ついたら飛び跳ねた大王にびんたされた。ぺちって。

 

「爬虫類に叩かれるなんて……」

 

「なんぞゼンは勘違いしておる!吾輩は由緒正しき両生類である!」

 

「えっ?」

 

「むっ?」

 

 どうしよう。素で間違えた。ちょっと恥ずかしい。なんだろう、気を抜いてたつもりで、実は僕もいつの間にやら気負ってたのかしら。

 

 もう一度ふぅ、と息をついてぽりぽりと頭を掻く。

 

「ほら、緊張しっぱなしだと、今みたいにヤバいミスやらかしちゃうかもしれないじゃない?肩のチカラは抜いておいた方がいいと思うんだ」

 

「限度というものがあるのである!ヤバいのはゼンの頭の方である!」

 

「まあまあ、一応真面目に対応する気はあるから見逃してよー」

 

「とてもそうは思えんのである……まったく、この人の子は……!」

 

 朝っぱらからそんな感じで、微妙な脱力感を振りまきながらルーラでばーちゃんちまで飛んだ。バルナスさんを迎えに行くためだ。

 

「あれ?まだ来てないのかな?」

 

 ばーちゃんちの目の前で瞑想していたらしいシロガネさんに尋ねてみるも、肝心の吸血鬼さんはまだいらっしゃっていなかった。うーん、早速後手に回った感があるから対応早くしておきたかったんだけどなあ。

 

 迷ったけど、バルナスさんのことはばーちゃんに頼んだ。ばーちゃんもルーラ使えるから。遅すぎるようならもう一回来るよと言づけて、一足先に温泉へ。

 

「ヒミコ様もいないなー」

 

「約束したわけでもなし、想定の範囲内である。待つしかないのである」

 

「そだね、焦ってもどうにもならないし、ゆっくりしよーか」

 

 暇を持て余すくらいなら、と大王を伴って温泉に浸かることにした。

 

 相変わらずいい雰囲気のたたずまいを感じさせる温泉宿にうんうん、と頷いて板張りの床をぺちぺちと足音を立てて進んでいく。やがて暖簾をくぐれば、そこはまさしく憩いの温泉だ。

 

 うお、なんか今日は湯気が凄い。服を脱ぎ捨てながら、視界が悪いその先を眉根を寄せてじっと見据えてみれば、大柄な影があった。

 

「ぐおお」

 

「あら、十文字先に入ってたんだ。お湯加減はどうです?」

 

「ぐおお」

 

 大きな熊さんの満足げな声を聞いて、僕もうんうんと頷く。

 

「そっかー、本当ここはいいお湯が湧いてくれるよねー」

 

「二人とも、危険が近づいているのを理解しているのであるか?」

 

 はっはっは、大王は心配性だなあ。今気を張って疲れてしまったら、いざという時にうごけなくなっちゃうじゃないか。僕はそういうことも考えてるのだよフフン。なんて余裕ぶってみても、ちょっと心配なのは事実だ。ジト目で大王に見られていると、なんだか僕の微妙な気持ちを見透かされているようで、ちょっとイラッってなった。

 

「そぉい!」

 

 なので、大王つかんで温泉に放り投げた。赤いカエルは空中で数回回転ののち、ぽちゃんと音を立ててお湯に沈んだ。

 

 てっきり怒鳴ってくるかと思ったけど、大王はお湯に浮かんでそのままだらしなく両手両足を伸ばしている。源泉からの流れにのってゆらりゆらり。ちょっとはリラックスできたのかな。僕も大王と並んで全身お湯につけて仰向けに浮かんでみた。局部丸出しだけど気にしない。

 

「はあー生き返るなー」

 

「ほう、ぬしはゼンクロウか?」

 

「……あれ?ヒミコ様いたの?」

 

 そこには白い肌を惜しげもなくさらした黒髪の美女がいた。うんうん、ヒミコ様は相変わらずスタイルがいいね。良いもの食べてるんだろうね。

 

「もちろんいるとも。それがわらわの役目ゆえ」

 

 ヒミコ様はじとりと湿り気を帯びたような視線を僕によこした。流し目ってやつ?妙に色っぽい。子供の僕にはちょっと刺激が強すぎると思うけど、うーん。

 

「ねえ、ヒミコ様。お酒飲む?」

 

「ほぉ、酒があるのか?よいよい、景気づけに一杯いただこう」

 

 僕は温泉の隅っこまで歩いていき、そこに置いてあった大きなツボの密封を解いて、陶器のコップで中身をすくった。酒気が舞って、特有のにおいが鼻に刺さる。これもまた子供の僕には刺激が強い。

 

「十文字ー、このツボ、お湯のそばまで持ってきてー」

 

「あまり湯に近いと酒精が飛ぶと言っておったろうに、良いのであるか?」

 

「いいよー。間を空けずに全部飲んじゃえばいいんだし」

 

 大王の疑問に答えつつ、僕がヒミコ様にお酒を渡すと、彼女は躊躇することなくごくごくと飲み干していく。

 

「良い飲みっぷりですねー」

 

「酒は好きじゃ。どれ、ぬしも飲まぬか」

 

「えー?僕子供だからお酒はちょっとなあ」

 

「いいから飲め。わらわの酒が飲めぬと言うか」

 

 ヒミコ様は酔っぱらう前からアルハラ全開だった。肩に腕を回され、ぐいと体を寄せられて、肌まで押し付けられた。この上、セクハラまでもされるとは。なんかぷよんぷよんしたものがめっちゃ当たってくる。僕としてはそっちの方が困るので、不承不承ながらも了承して、体を放してもらったあと、仕方なくちょっとだけ口をつけた。

 

「オウフ」

 

 のどが、焼ける……ッ!

 無理ッ!これ無理ッ!きっついわー!

 

 えほげほと咽る僕を見て、ヒミコ様が豪快に笑った。僕を酒の肴にでもしているのか、ゲラゲラと笑いながらもツボから酒をすくってはグイグイと飲み進めていく。なんつー酒豪だ。

 

「ヒミコ様、そのお酒、祭壇に捧げてあったものなんです」

 

「わらわへのか?ならば全部飲み干してやらねばなあ!」

 

 湯船の縁に座り込んで、足湯状態のヒミコ様は顔を赤くして、はふぅ、と酒臭い息をついた。十文字がツボをそばにおいてくれると、器を空にするたびにすくってはグイと呑んだ。やってることはアレだけど、その所作はやっぱりやたらと色っぽい。僕でなければ勘違いしちゃうね。

 

 やがてヒミコ様は恐るべきことにツボ一杯分、それこそ僕と同じ体積分くらいのお酒を飲み干してしまった。

 

「もうないのか?」

 

「ううん、あるよ」

 

 僕がぱちんと指を鳴らすと、十文字がさらにツボを抱えてヒミコ様のそばに並べ置き始めた。残り九つ。僕が頼んでおいたものはこれで全部だ。

 

「おお!わらわはまだまだ飲めるぞ!」

 

 顔を赤くしながら、それでもまだ酔いつぶれることなく、ヒミコ様は次のお酒に向かっていく。僕は若干あきれながら、もう好きなだけ飲めばいいよとだけ呟いて、温泉から上がった。

 

「大王ー、十文字ー、もう上がるよー」

 

 体を拭いて、服を着て、弱めたバギで十文字の体毛を乾かしている間も、ヒミコ様はひたらすらに飲み続けた。僕は白い肌が赤く染まっていくのをじっと見つめ続けて、そして───

 

 ついにヒミコ様はすべての酒を飲みつくしてしまった。彼女もようやく満足したのか、ゲフウ、とおおよそ妙齢の女性が立ててはいけない音を口から出して、地べたに仰向けで寝っ転がってしまった。

 

「もう満足です?酔っぱらっちゃいました?」

 

「うむ、良い酒じゃったわ……」

 

「そりゃ何よりです。もう思い残すこともないですよねー」

 

「んん?なにやら物騒な物言いを……」

 

「ヒャダイン!」

 

 ヒミコ様に向けて僕は全魔力を使い切るつもりで大出力の氷の嵐を放った。

 突然の凶行にヒミコ様の顔が歪み、僕はほくそ笑んだ。

 

 

 




お酒は二十歳になってから。良い子はゼンの真似しちゃだめだよ!!




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34.全てを汚染する竜の息吹

 荒れ狂う吹雪がヒミコ様の顔をした何かを物理的に凍らせていく。凄い形相だ。怒りよりも驚愕の方が強いようだが、めっちゃ不細工だった。どんな美人でも変顔したらすげえ顔になるもんね。思い知らされたわ。

 

 なんて、間抜けな感想は置いといて、この好機を逃す手はない。すかさず声を張り上げる。

 

「大王!続けてヒャダイン!十文字も一発凄いのぶちかまして!」

 

「ゲロゲーロ!吾輩のヒャダインを食らうのである!」

 

「ゲロゲーロって何!?」

 

「ぐおお」

 

 そうだよ。そんなキャラじゃないでしょ、大王。

 

 思わず叫び返したけども、大王が唱えた呪文は確実にヒミコ様モドキを凍てつかせていく。僕のヒャダインと合わせて相乗効果でなかなかの威力が出てるっぽい。

 

「吾輩貴種とはいえ、元を正せばカエルである!蛇は天敵ッ、憎し捕食者ッ!そやつすら手玉に取る吾輩はまさしく大王ッ!そう知らしめるためのアッピールであるッッッ!」

 

「なるほど!つまり煽ってるってことだね!すげえ分かりづらいよ!」

 

「なんと!」

 

 あっ、うなだれた。

 落ち込むのはいいけど呪文の手は緩めないでほしい。パキパキとヒミコ様の皮膚が凍り付いていくが、どうやらそんなに効いているわけでもないっぽい。驚愕多分な表情が徐々に怒りの表情に変わっていく。具体的にはめっちゃしわくちゃになっていく。ばーちゃんみたい。

 

「貴様らあぁ!よくも……」

 

「ぐおお」

 

 どごん、ともの凄い音がして、何かを叫びかけたヒミコ様モドキが吹っ飛んでいった。十文字が吹雪の中に突っ込んで、腰の入った正拳突きをぶちかましたのだ。凄いね。マジであんなゲームみたいな音出るんだ。あんなん食らったら腹に穴空きそう。

 

 実際すさまじい威力だったらしく、温泉の脇に壁として組み上げておいた岩石が、ヒミコ様モドキ衝突の影響であらかた吹っ飛んでしまっていた。なんてことだ。

 

「ああっ、僕のっ、僕の温泉が……ッ!」

 

「この期に及んで湯の方が心配とぬかすか!確かに!心地よくはあったが!」

 

 僕の嘆きに呼応するかのようにヒミコ様モドキがただの瓦礫と化した石塊の上に立ち上がった。もうほとんど人の顔をしていない。口は裂けたように広がり、眼球は爬虫類特有の縦長瞳孔と化してしまっている。

 

「やっぱり!ヒミコ様の顔が化け物だ!」

 

「ぬうっ!騙して食ろうてやろうと思ったがここまでか……!」

 

 ギチギチと身を軋ませながら、ヒミコ様モドキが徐々に姿を変えていく。人の体は崩れ去り、巨大な体躯を成そうと筋肉が盛り上がる。人肌は緑色に染まり、せり出す鱗が歪に光を反射した。その怪物の首は五本。五対の眼光がとてつもない威圧感を伴って僕らを鋭く射貫き、それぞれの首からおぞましい唸り声が五重になって響き渡った。ああ、やっぱりこれは、間違いなく────

 

「やまたのおろち……!」

 

「そうよ!我こそやまたのおろち!人間の小僧よ、なにゆえ気付いた!我が擬態呪文(モシャス)は完璧だったはず!」

 

「気づかないはずがないッ!だってヒミコ様は……ヒミコ様は、もっと残念な人なんだッ!!あんなオボコいお嬢さんが色気なんて出せるはずもない!つまり偽物だッ!」

 

「その言われようは聞き捨てならんぞゼンクロウ!」

 

 ごおっと炎が音を立てて大蛇に襲い掛かった。すさまじい熱気と風が巻き起こる。その間隙を縫うようにして、対峙する僕らの間に躍り出た巫女装束の女性は、今度こそヒミコ様その人だった。

 

「本物?」

 

「ああ、本物だとも!しかしな、ゼンクロウ、その本物に色気がないとはどういう事かえ?ことと次第によってはお尻ぺんぺんじゃぞ!」

 

「どういう事って……ただの事実ですけど」

 

「尚のこと納得いかぬわ!もうよいっ!あとでお尻ぺんぺんじゃ!」

 

「ヒミコ様って子供をいたぶる趣味あるんです?こわぁ……」

 

「人を特殊性癖みたいに言うでない!大体、色気むんむんな方が本物のわらわであったらどうするつもりだったのかえ!?」

 

「前提がありえないです。僕がヒミコ様を見間違えるわけないから」

 

「こっ、こやつ、(わらし)のくせに殺し文句のようなことを……!」

 

「でも、そうですね。本当にヒミコ様があんな感じになったその時は……うん、成長したなあって感慨にふけると思います」

 

「おぬしはわらわの父親か!」

 

「やかましいわ人間ども!我を前にいい度胸だ!消し炭にしてくれる!!」

 

 ヤマタノオロチは大してひるむことなく、五つの口から炎の息を放った。どうやらヒミコ様の炎は効き目が薄いらしい。もともと炎に耐性があったのだろう。けれどもそれは火巫女たる彼女だって同じだ。すかさず神聖なる炎の壁が噴出して、竜の息吹を遮った。

 

「ぬぅ、人間のくせにやりおるわ!」

 

「邪龍めが!炎の神域においてこのわらわを討ち取るなど、そう安々と叶わんと知れ!」

 

「ヒミコ様、油断しないで。あれが以前説明した災厄そのものだよ」

 

「分かっておる!バルナスという輩から聞いたのでな!」

 

 バルナスさんここまで来てくれてたんだ。しかもヒミコ様に説明までしてくれていた、と。さすがだ。やっぱりできる紳士は違うなあ。

 

「くはは、炎で有利に立てずとも我にはこの鋼のごとき肉体がある!」

 

 邪竜の首が奇妙にうごめいて、高く伸び切ると、地面に突き刺すような勢いで振り下ろされた。噛みつくとかそういうレベルじゃない。首だけの体当たりのようなものだけど、十分な力が乗ったそれはたやすく僕らを押しつぶす勢いがある。その先には極限まで鍛え上げられた筋肉を持つ、獣のボスがいた。

 

「ぐおお」

 

 よっこらせ、と微妙に気が抜けるような声を出して、十文字がその頭にかち上げるようなアッパーを放った。岩同士がぶつかるような激突音が響く。なんというパワー。拳と顎が互いに弾かれ合い、顎は再び上空へ、拳は熊の体ごとずざざと地面を盛大に彫り削りながら後退した。

 

「ぬうう!熊ごときがよくも我の一撃を……!」

 

「ぐおお」

 

「いやまあ、確かにあっちだって蛇ごときなのはそうだけどさ。もうスケールが違うじゃない」

 

 竜と蛇は似て非なる者だよ。僕の感想に言葉も返さず、十文字は地面に埋まった足を器用に引っこ抜いた。そんなことをしている間に再び竜の頭が振り下ろされる。今度は噛みつきだったが、十文字は牙を避けて上手いこと鱗に覆われた部分を叩き、危なげなく跳ね返していく。何度も何度も、五本ある竜の首が振り下ろされては打ち返され、あっ、これ揺れるサンドバッグ打ち返すボクサーだ。

 

「ぬう。どう見る、ゼンよ。お主が言うよりずっと善戦しておるのである」

 

「そだね。なんか十文字強すぎない?」

 

「吾輩のバイキルトその他もろもろ補助呪文のおかげであるな!」

 

 フフン、と鼻を鳴らす大王は調子に乗りつつもたまにヒャダインとか打ってるけども、邪竜はびくともしない。タフすぎる。危なげないように見えて、これはちょっとまずいね。完全に消耗戦だ。ヒミコ様の炎は効きが悪いし、炎の息を打ち消すのが精いっぱいだ。

 途中からガンマ君を《しょうかん》したみたいだけど、ガンマ君も炎属性メインだから竜の鱗に攻めあぐねてる。十文字だってそうだ。僕らを守るために竜頭を一手に引き受けて攻勢に出れていない。回復呪文があるとはいえ、十文字が体力の限界迎えたら一気に突き崩されかねない。

 

 現状を打破するためのもう一息が欲しい。何かないか。必死に考えて、考えて、そして思い……出した!

 

「大王!睡眠呪文だ!あいつは眠気に弱い!」

 

「うぬっ!ラリホー!」

 

「ぬぅ!?」

 

 酒飲ませてたから倍率ドンだ。これならきっと……!

 

 ちょうど十文字の一撃を食らって跳ね返った頭がくらりとよろめき、盛大な音を立てて墜落した。完全に伸びてる。

 

「ぬおお!我が首の一つが……!いや、これはまさかッ!?」

 

「効いた!でも頭一つだけだ!大王!ラリホーマは!?」

 

「大王たる吾輩ならば使えるとも!ラリホーマ!」

 

「ぬうう!そこのカエルよ少し待て!」

 

「待てと言われて待つカエルなぞいないのである!」

 

 びたーん、びたーんと竜頭が次々と沈んでいく。いいリズムだ。これなら勝てる!

 

「えっ、ええい!目を覚ませ!」

 

 真ん中の首が叫ぶと同時、地べたに這う首に次々と体当たりを始めた。まるでもぐら叩きだ。叩かれた方はとろんとした目を一瞬で見開いて首をもたげた。覚醒が想像以上に早い。脳みそが5つあるせいとかだろうか。でも寝起きのせいか、明らかに動きに精彩を欠いている。

 

「やっ、やはりこれは!貴様らのせいで今までのいい気分が……!」

 

「大王続けて!少しでも隙が出来れば十文字も攻撃に移れる!」

 

「任せよ!」

 

「ぐおお」

 

 眠った首を起こす役目と十文字をとどめる役目。遠距離から呪文を放つ僕らに向けて炎で牽制する首も必要だ。役割が増えたことで、明らかに十文字の負担が減った。残念ながら僕のヒャダインじゃ大した影響与えられないけれども、十文字のパワーなら!

 

「待てと言っておるだろうがぁあ!うぐっ!」

 

 邪竜の叫びにも構わず、熊の巨体が雄々しく駆け抜けていく。それを押しとどめようと度々牙が襲い掛かるが、さすがは十文字式熊殺し格闘術の開祖だ。熊のくせにやたらと体の使い方が理論的で、実践的で、技巧的だった。紙一重で躱し、いなし、撃ち落とし、それこそ熟練の武闘家のように巨体に見合わぬ恐ろしい速度で拳を振るう。サモハンかよ。

 

「くっ、熊よ!ちょっと待て!待たぬか!我は今……」

 

「ぐおお」

 

「いやそうではなく!ぬぐう!」

 

 ついに竜の足元に肉薄した熊は、その両目に気迫をみなぎらせて、大きく一歩踏み込んだ。っていうか、踏み砕いた。地からの反動をそのまま上空へ向け、熊毛に包まれた拳に乗せて、打ち、抜く!

 

「ぐおお」

 

 抉り大槌(ハンマー)って言ってた。技名らしい。名前付いてるだけあるようで、その威力は見るからに今までで一番だった。何しろ吹き飛んだ竜頭の勢いが違う。首が折れちゃうんじゃと思うほどにのけ反って、あろうことか邪竜の前足が浮き上がり、そのままひっくり返りそうになって……ギリギリのところで持ちこたえた。

 

 けれども、今の一撃で竜頭の表情は明らかに憔悴し、青くさえなっているように見える。持ち上がった足が地面に戻ってこない。後ろ足どころか全身がぷるぷると震えている。

 

「うぶっ」

 

 邪竜が大きく口を開いた。今までにない予備動作……まさか灼熱の!?

 

「ぎっ、気持ち、悪……げはあ!」

 

 高く高く掲げられた竜の口から、どろどろとした何かがあたり一面に盛大に飛び散った。びちゃびちゃと音が鳴る。なんだこれ、くさっ!臭い!

 

「ゲッ、ゲロだこれーーーー!!」

 

「ぎゃあああああ!」

 

 頭から被ったヒミコ様が女性が出しちゃいけないような悲鳴を上げた。

 

 

 

 






酒飲んだ後の急な運動は厳禁です。マジで。




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35.それぞれの目的

書けてしまったので勢い任せで3話同時投稿。1/3


 やまたのおろちとの協議の末、戦闘は一旦中断した。

 ゲロ掃除のためだ。

 

 やまたのおろちは一度吐いた後、酒臭いゲロの臭気にやられてまた吐いた。

 どうやら胃の中が空っぽになるまで吐いたらしい。中には骨みたいなのもあったが、人骨でないことを祈っておこう。

 

 ゲロの処理は焼却という手段を用いた。骨→処理→火葬、と連想したのが一番の理由だが、焼いたことでさらに途轍もない臭気が充満し、今度は僕が吐いた。少しばかり酒に口をつけていたので、僕も少し酔っていたのかもしれない。

 

 死んだような目になりながら、ヤマタノオロチも火炎の息を吐いて焼却を手伝ってくれた。たまに口元から涎とはいいがたい液体を流してヴぁー、とか言ってた。その間にヒミコ様は温泉に入って、涙ぐみながら巫女服を洗っていた。最終的にはやるせない気分も汚物な灰も何もかも、温泉で洗い流した。

 

 戦いは何も生まない────僕は心からそう思った。

 

「だからさあ、もうあきらめて帰ってくれないかな?」

 

「小僧……今となってはこの我も貴様が言いたいことが分からんでもない。だが、我もうぇっぷ」

 

「まだ無理しちゃダメだよ。マジでもうちょっと時間おうぇっぷ」

 

 甚大な被害だった。敵味方の垣根を越えて、共通認識を持ってしまうほどに悲劇的な出来事だった。ああ、厄災だ。これは間違いなく、やー、くさいだ。くだらない。頭が回らない。

 

「とっ、とにかくだ。この程度のことで引き下がれん」

 

「はぁ……仕方ないね」

 

 向こうも上司である魔王バラモスから色々と言い含められているのだろう。彼らにとっては悪事こそが仕事でもある。こちらとしても、そんなことを見逃すわけにはいかない。ただ、どうにもこうにも締まらないので、お互いに全部忘れて仕切り直しということになった。

 

 

 ◆

 

 

 そうして僕らは再び臨戦態勢で向かい合っている。しばらく時間をおいたとはいえ、ヤマタノオロチも僕も完調とはいかない。ヒミコ様なんて、威風堂々と腕組みして仁王立ちだけれども、その目元は腫れぼったくなっていて、明らかに泣いたあとだ。

 

「ぐはは!よくぞ我が擬態呪文(モシャス)を見破った!やるではないか人の子よ!」

 

「僕がヒミコ様を見誤るわけがない!」

 

「ひっ、控えよ下郎めが!わらわに成りすますなど言語道断じゃ!」

 

「……微妙にやる気が出ないのである」

 

「ぐおお」

 

 そんなこと言わずにさあ……

 僕らだって無理してテンション上げてるんだよ?

 

 ジト目の大王と座り込んでしまっている十文字は、どうにもやる気が湧かないらしい。ガンマ君もぐつぐつ煮えたぎる溶岩から両目だけ出して手は引っ込めたままだ。うん、きっと彼らは魔物だから、もともと敵意が湧きにくいのもあるんだろう。そう思いたい。

 

「やっ、やまたのおろち!そもそも!お前の目的は何なんだ!」

 

「知れたこと!この国の、否、この世界の基盤の一つたる火の神域を支配することよ!」

 

「まさかっ!そのためにわらわらに成り替わろうとしたと言うか!?」

 

「然りッ!ぐはは!少しは頭が回るようだのう!」

 

「そんなことはさせない!大王!ラリホーマだ!眠らせて袋叩きにするッ!」

 

「ラリホーマ」

 

 大王はやる気ないまま呪文を唱えたけれど、その効果はばつぐんだった。だって、相手は明らかに本調子じゃない。首5本の内3本が一瞬で墜落。続けて、残った頭に狙いをつけて僕がヒャダインを放つと、大蛇は火炎の息を放ってそれを相殺した。

 

「ぬぐぅ、やりおるわ……!少々不利か……!」

 

「分かったんなら魔界とかその辺の故郷にお帰りよ!」

 

「いいえ。そうはなりませんぞ、ゼンクロウ殿───強制覚醒呪文(ザメハ)

 

「良いところに来たなあバルナァアアス!」

 

「バルナスさん!?」

 

 驚愕に声を上げると同時、眠っていたはずの竜頭三つがぐい、と持ち上げられて咆哮した。耳が痛くなり、体が硬直してしまうほど大きな雄叫びだった。でも、むしろ叫びたくなるのは僕らの方だ。

 

「バルナス!どういうつもりであるか!」

 

「ぐおお」

 

 僕らが硬直した隙を補うように、十文字が邪竜の前に躍り出た。ようやくやる気を出してくれたらしい。ゲロ前の戦闘時を思い起こさせるかのように竜頭と激しい格闘を開始した。火炎の息はガンマ君とヒミコ様が協力して押しとどめてくれている。

 

 そして僕と赤いカエルは背後から突然現れ、しかもやまたのおろちに協力するような真似をした、一匹の上位吸血鬼(バーナバス)と対峙していた。

 

「バルナスさん、どうしてこんな事を……僕らを騙していたんですか?」

 

「正直に答えよ!返答次第では吾輩、同胞の死もいとわぬ所存であるぞ!」

 

「いささか、おろち様の方が不利の様でしたのでな」

 

「ちゃんと説明してください」

 

「仕方ないのです、ゼンクロウ殿。これが大人の……魔のやり方なのですからな」

 

「ぐはは!情でも移って裏切ったかと思うておったが、このためか!手引きご苦労であったなあ!」

 

 上機嫌になったやまたのおろちが十文字を吹き飛ばした。熊に似合わぬ身軽な体捌きで受け身取ってるから多分大丈夫だろうけど、なんかやまたのおろちのパワー上がってない?さっきまであんなグロッキーだったのにどういう事?いや、バルナスさんこそどういう事?頭の中は疑問符だらけだ。

 

「くかか、オーブのチカラがようやく効力を発揮し始めたようじゃわ」

 

 ぞわり、と背筋に冷たいものが走った。この竜が現れてから濃密になっていた邪悪な気配が、さらに凶悪になっていくのを感じる。これはオーブのチカラなのか?確か、パープルオーブ……その力を利用している?目的が神域の支配?

 

「まさか、オーブのチカラで火の精霊を封印するつもり……?」

 

「ほお、バルナスの言う通り、なんぞ余計な知識を持っておるなア小僧」

 

「いやでも、オーブはアレの復活のためのもので、そんな風に使えるはずが……」

 

「これこそ魔王様のお力よォ!かのお方にかかれば聖なるものも邪に染まり、魔を強化する術となる!魔のチカラは聖なる剣ですら砕くのだ!がはははは!調子出てきわ!」

 

 顔色だいぶ良くなってきたもんね。

 

 いや、そうじゃなくて、オーブだ。オーブが魔物も利用できるんなら、内包されている力は正邪の区別がない、純粋なチカラなのかもしれない。なら、聖なる力でその指向性を打ち消せれば……

 

「大王、退魔呪文(ニフラム)って使える?」

 

「無理である!」

 

 はい、詰んだ。

 じゃなくって、聖なる力、魔なる力……道具に宿った魔を払う、邪を払う。すなわち呪いを。

 

解呪呪文(シャナク)は?」

 

「無理である!」

 

「くっそ!大王使えないなあ!」

 

「なんという暴言!吾輩僧侶ではないのであるぞ!」

 

 知ってる。それどころか相反する魔物だもんね。

 

 えーと、じゃあせめてオーブを取り戻そう。どこに隠し持ってるんだろう?腹の中?でもさっき全部ゲロってたしなあ。もしかして宝箱とか持ってたりするの?宝箱なら……

 

鑑定呪文(インパス)探知呪文(レミラーマ)ならどう?」

 

鑑定呪文(インパス)ならば使えるのである!」

 

「さっすが知識欲の権化!じゃあ早速やまたのおろちに使ってオーブの場所調べて!」

 

「何やら思いついたようですが、邪魔はさせませんぞ!沈黙呪文(マホトーン)!」

 

「やばっ!」

 

「ぬおお!」

 

 焦った僕は大王を引っ掴んで放り投げた。とりあえず効果範囲から外れれば問題ないはずだ。

 

 赤いカエルがだらしなく手足を伸ばして空中を行く。飛び立った先には濡れた巫女服をバサバサ翻しながら炎を吹き出す人間火炎放射器がいて、大王はその端正な顔にべちって張り付いた。

 

「ヒミコ様ナイスキャッチ!」

 

「ゼンクロウッ!!」

 

 二人に声を合わせて怒鳴られた。しょうがないじゃん、緊急事態なんだし。

 実際余裕ないので、二人は怒鳴った後、すぐさまやまたのおろちの方に顔を向けなおした。あっちは大王達に任せるとして、僕はバルナスさんをどうにかしないとね。

 

 声が出るあたり、マホトーンは空ぶったみたいだけど、念のため、腰帯に差しておいた聖なるナイフを抜き放って構えを取る。

 まさかばーちゃんに持たされてたこれの出番があるなんて。いくらシロガネさんに鍛えられていても、子供の僕が魔物相手に肉弾戦挑むのは無謀に過ぎるから、本当にこれは最終手段なんだ。使わなくて済むように、まずは口からいってみよう。

 

「バルナスさん、ブラス老が言ってたように闇の波動に支配されてたりします?」

 

「そんなことはございません。これは私自身の意思でございます」

 

「んー……だったら、人質とか取られてたりします?」

 

 バルナスさんは一瞬目を見開いたが、すぐに気を持ち直したようだった。

 

「……仕方がないのですよ」

 

 やっぱりベヒモン君かなあ。ここの所姿見てないし、バルナスさんの態度にも違和感覚えてたし。

 ただ、それでもやっぱりバルナスさんは気のいい魔物だったのだろう。なにしろ、やまたのおろちに手を貸すにしてもやり方が杜撰過ぎる。成りすましを完遂したいならヒミコ様が一人の時を狙えばいいのにそうすることもなく、僕らがこの場に鉢合わせるように手引きまでしている。

 

「ベヒモン君を僕らが何とかする……って言っても無理かな?」

 

「人の子である貴方に過度な期待はできませんな」

 

 そうだよね。ベヒモン君がどこにいるかすら分からない僕にできることなんて高が知れてる。それこそ十文字とか大王みたいな規格外な存在でもないと対応できないだろう。うん、規格外な存在ね。やまたのおろちもそうだけど、他にもいるよね。

 

「バルナスさんってさあ、やっぱりかなりキレるよね」

 

「はて?何のことですかな?」

 

「こうして見合ってるだけでもいいってことかな?」

 

「何が言いたいのですかな?」

 

 二人してにやりと笑いあう。



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36.形あるものいずれは壊れる

書けてしまったので勢い任せで3話同時投稿。2/3


「バルナス!何をしておる!早く小僧を殺してこちらに手を貸せぃ!羽虫どもが中々しぶといのだ!」

 

「ぐおお」

 

 わあ。やまたのおろちも十文字も決め手がなくて凄いイライラしてる。

 背後から感じる圧迫感がすごい。

 見る限り、やまたのおろちの方が優勢なんだけど、後方支援があるから十文字も倒れないで済んでいるのだ。一度目の戦いと同じく、完全に消耗戦だ。長引けばどんどん力を増しているやまたのおろちの方が有利になっていくからもっと余裕を見せてもいいはずなんだけど、たぶん上位魔物としてのプライド的に許せないんだろう。なんだかんだ言って、十文字が「種族・ごうけつぐま」なのは事実だし。

 

 それにしても大王まだオーブ見つけられないのかな。さっきから呪文唱えてる気配はするんだけど。補助呪文と併用だからあんまり手が回ってないのかもしれない。ヒミコ様の補助呪文があってそれでも尚足りないか。やっぱりやまたのおろちはどんどん強力になってるんだ。

 

「早くしろォ!あの小悪魔がどうなってもいいのかッ!?」

 

 邪竜の一声でバルナスさんから表情が消えた。代わりに溢れ出すのは紛れもなく闘気だ。その気勢は、普段シロガネさんを相手にしている僕でも軽く怯んでしまうほどのものだった。

 

 さすがにまだ気取られるわけにはいかないか。

 僕は聖なるナイフを再度掲げ、ゆっくりと腰を落とした。

 

加速呪文(ピオリム)

 

 唱えると同時、地を蹴ってバルナスさんに肉薄する。驚愕に染まる顔に向けてナイフを振るった腕は二の腕を叩かれる形で弾かれた。その勢いを殺さず、そのまま後方へと退避。バルナスさんも僕も一旦そこで動きを止め、睨み合った。

 

「驚きましたぞ。それほど速く動けるのですな。まるで瞬間移動のようでした」

 

「そうかな?バルナスさんこそ強いね。僕、これでも一般的なごうけつぐま相手なら速度で翻弄できるだろうってシロガネさんに太鼓判押してもらってるんだけどな」

 

「フフ。速度は十分ですとも。ですが、筋力が足りませんな。逃げはできても勝てはしない、といったところでしょう」

 

「さすが。そこまで分かるんですね」

 

「ええ。その程度ではもちろん私にも勝てませんな」

 

「じゃあ、試させてもらうね!」

 

 発声と同時に再び斬りかかった。けれどバルナスさんは対人向けの体術もかなりのもで、僕の攻撃はすべて払われてしまう。その度に僕の腕やら何やらを叩かれて、めっちゃ痛いです。泣きそう。僕凄く打たれ弱いんだよね。どっちかっていうと魔法使いタイプだし。

 

 そんな自覚もある僕があえて呪文を使っていないのは単純に魔力(MP)を温存しているからだ。この後で邪竜戦に復帰するつもりだし、復帰できる目算もある。バルナスさんにはしばらく僕のナイフに付き合ってもらおう。

 

 そんな感じで誤魔化しつつ戦っていたら、当然焦れてくるのが人情というもので。

 

「バルナスゥ!いい加減にせんかぁ!」

 

 ついに我慢の限界を迎えたやまたのおろちが僕に向けて火炎の息を放った。うわ、やばい。

 

「させぬぞ!」

 

 すかさずヒミコ様の炎が相殺してくれた。さっきから何度も起きた光景だ。やれやれ、これなら安心してバルナスさんの相手を───

 

「さっきからしつこいわぁ!もう本当に貴様らいい加減にせいよ!許さんッッ!許さんからなッ!死ねッ!死ねッ!死ねえええええーーーーッッ!!」

 

 うわ、やまたのおろちが威厳とか体面とか完全に放棄して本格的に暴れ始めた。もう狙いも何もない。とにかくあたり一面に燃え盛る火炎を吐き出しまくっているし、尻尾も首もしっちゃかめっちゃかに振り回している。そんなことをすれば一番影響を受けるのが地形だ。当然温泉も滅茶苦茶になるし、宿だって。

 

「あっ」

 

 一つの炎弾が僕の頭上を越えていった。首を回してそいつを追った先には、僕が苦心して作り上げたログハウス風の温泉宿があった。多大なる労力を費やし、並々ならぬ愛着により細々としたアップデートを繰り返してきた木造建築があった。

 

 宿に炎が直撃する。宿は木造りだ。炎が当たって燃えないわけがない。はじめは直撃を受けた屋根が燃え始めた。それが徐々に広がっていくかと思いきや、次々と炎が空から降ってくる。宿が避けてくれないかなあ、なんて現実逃避気味に思ったけど、そんなことが起こるわけもなく、当然の帰結として、更なる燃焼が巻き起こる。

 

 宿が。

 僕の宿が。

 

「あ。ああっ、あああああああああああああーーーーーーーーッ!!!!」

 

 僕の悲痛な叫び声でヤマタノオロチがぴたりと暴れるのをやめた。燃え盛る宿を見て、僕を見て、もう一度宿を見て、僕を見て、ニタァと、それはそれは邪悪な顔で笑った。

 

「おやおやぁ?小僧、こいつはそんなにも大事なものだったのかぁ?」

 

「まっ、まさか……!!」

 

「ぐはは!さらに破壊してくれる!」

 

「やっ、やめっ、やめろォオオオオオーーーーーッ!!」

 

 ヤマタノオロチはどすんどすんと巨体を揺らして走り出し、炎ごと吹き飛ばす勢いで、僕の宿に思いっきり体当たりをした。

 

 結果、宿が砕け散った。

 

 

 

「うあああ……!ああっ、あああああ!!」

 

 臆面なく泣きわめく僕の傍に、突然光が舞ってピンク色の太いものが現れた。よく見なくても分かる。ばーちゃんだ。多分シロガネさん達と一緒にルーラで飛んできたんだろう。冷静にそう判断する部分と激情に駆られる部分とがせめぎ合って、僕はただ叫んだ。意味のない音の羅列を叫び続けた。

 

「どういう事さね、これは。ずいぶんと景気よく燃えてるじゃないか」

 

「おばば様……」

 

「ああ、バルナスいたね。あんたの言ってた通り、捕まってたこの子はこうして連れてきてやったよ。感謝しな」

 

「え、ええ。ありがとうございます。大変助かったのでございますが……」

 

「ウっス。オレッチはこうして無事に帰ってこれたっス。あの、どうして兄貴が泣いてんスか?もしかしてそんなにもオレッチのこと心配して────」

 

「ベヒモン君ッ!僕の、僕の宿がっ!」

 

 泣きながら皆の顔を見る。誰かどうにかしてよ。燃えてるんだよ、ねえ。あんなに苦心して頑張って作って、みんなだって癒されてきたじゃないか。あんなに、あんなに大切にしていたのに!僕が初めて作った大掛かりな施設だったのに!経年劣化とか台風とか地震とかそういった自然現象でもなく、ただの魔物一匹に!

 

「僕の宿がッ!燃えてッ!ぶっ壊れてぁああああああああああああーーーーッ!」

 

 誰も声を発さない。どういうわけかやまたのおろちまで黙り込んでしまっている。

 ただ僕の嘆きだけが響いている。

 

「バ、バルナス。ひ、人の子ってここまで家に執着するのか……?我ちょっとドン引きなんだけど」

 

「は、はぁ。ゼンクロウ殿が特殊なのだと思いますが……」

 

 なんだ、一体。どうしてこうなったんだ。そんなの分かり切ってる。だって、やった奴が目の前にいる。

 

「よくも、よくも僕の宿をっぉおおーーーーッ!おのれッ!おのれぇえーーーーッ!!許さんぞヤマタノオロチィィィイイイイイッ!!」

 

 泣きながら立ち上がって僕は吠えた。

 本当にドン引きしているのか、邪竜はあからさまに身を引いた。

 

「ゼンクロウ、そんなに泣くでない。壊れたものはまた作り直せばよいであろ?」

 

 ヒミコ様が慈母のような声音で僕の顔を覗き込む。

 でも、そこには隠し切れない感情があった。

 胸がすっとしたみたいな感じ。ちょっと目の奥で笑ってるヒミコ様の顔が余計に僕を昂らせる。

 怒りを声に出しただけじゃ収まらない。僕はさっきと打って変わって押し黙り、肩を抱いてくるヒミコ様の手を払いのけ、ゆっくりと自身の体内で魔力を巡らせた。復讐する。絶対に復讐する。

 

 本当ならおそらく現存する呪文の中での最高位、ギガデインを食らわせたいくらいだけど、勇者固有の呪文なので僕には使えない。それどころかメラゾーマのような上級呪文も扱えるレベルにない。で、あれば。

 

 であれば、その強力な呪文を使える存在を呼び出せばいい。

 自身で復讐が、圧倒的な蹂躙が叶わないなら誰かに頼んでしまえばいい。

 

 そんなことが可能なのか?そんな疑問を持ってはいけない。疑心を持てばそれだけで可能性の実を摘む。大王が言ってたじゃあないか。僕の才能は何なのか。

 

 《瞬間移動呪文(ルーラ)》。

 

 かつて僕自身がベヒモン君に説明したことがある。ルーラは単なる移動呪文ではなく、時空をゆがめる呪文なのだと。実際に時空を超えて《書》にたどり着いた経験もある。ガンマ君を呼び出すヒミコ様の術も見たことがある。

 

 知識と見識と基礎技術は既に僕の内に存在するのだ。

 ならば。

 ならば、できないはずがない!

 

「《しょうかん》ッ!!」

 

 破壊。破壊だ。破壊するための最強の存在!そいつを呼び出す!

 狙うは一点、僕が知る最強の幻魔ドメディッ!

 

「我が呼びかけに応え出でよ!そして、そしてッ!眼前の邪龍をことごとく食らい尽くせええええ!!」

 

 魔力が体外に放出され、僕の周囲を駆け巡る。この世界を書き換えてしまえとばかりに駆け巡る。

 その魔力は僕の意思を受け、一点へと集中し、爆発的に増大した。

 

(ダメです!ゼンクロウ!まだその力は───!)

 

 誰かの声が聞こえたような気がしたけど完全に無視した。もう、誰も、僕を止めることはできない。

 

 僕の呼び声に応えて、まばゆい閃光が奔った。

 



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37.召喚されし者達

書けてしまったので勢い任せで3話同時投稿。3/3


 強すぎる光があると、人は視力を失う。何も見えなくなる。だから、それが現れた瞬間は誰にも分からなかったはずだ。

 怒りに燃える僕の呼び声に応えて現れたのは、間違いなく僕が望んだ最高の人外の力を持つ破壊者だった。

 

 けれど、それは人でもあった。

 

 青い服と青い帽子。その帽子の上から押さえつけるように付けられた特徴的なゴーグル。そして、彼が手にしている剣には鳥を模した美しい装飾の鍔があった。

 

「ロトの……」

 

 あまりのことに、先ほどまで僕の全部を塗りつぶすほど燃え上がっていた怒りが一気にしぼんでいく。同時に立ち続ける力もしぼんでいく。僕はへなへなとその場に座り込んだ。頭が、思考が、ぼやける。

 

「ゼンよ、大丈夫であるか?」

 

「おい、ゼンクロウ?聞こえておるのか?」

 

「小僧め、またとんでもない者を呼び出しおって……」

 

「兄貴!なんスかさっきの呪文!?」

 

 次々に周りのみんなが声を出すが、僕はそのどれにもこたえられなかった。ただ、目の前の信じられない存在を見つめ続けることしかできない。マジか。マジでか。僕はなんて、なんて───!

 

「君、大丈夫かい?」

 

 目の前の青年が僕に声をかける。かけてくれている。ブンブンと首を縦に振って、僕は最初の一言を思い切って口にした。

 

「あっ、ああああのっ!サインくださいッッ!」

 

「サインって何のことかな?」

 

「あっ、そうか、そういう文化ないのか!えと、サインと言うのはそう、出会った記念に直筆の名前を書いて渡すってもので……!」

 

「良く分からないけど、それじゃあ僕の場合はロランって書いて渡せばいいのかい?」

 

「はい!はい!そうですそうです!」

 

「うぬ、何をそんなに興奮しておるのだ」

 

「ばっか、わかんないの!?この人勇者だよ勇者!伝説の!破壊神を破壊した!」

 

 そう、彼は間違いなく勇者だ。きっと、大王を除いて知らない者はいないに違いない。ローレシアの王子にして、世界を救ったロトの血脈の一人。師匠とはまた別の意味で、僕が憧れた本物の勇者!

 

「……なんというか、君は中々に変わった子供だね」

 

「よく言われます!あ、色紙ない!だったら服、服に!!ばーちゃん!ペンとかないの!?この際墨でもいいよ!」

 

 ばーちゃんが呆れたようにため息をついた。なんでか知らないけど、ペンの代わりに拳骨もらったし。意味わかんない。まあいいや。今この場にペンがないなら後でばーちゃんちに来てもらって、そこでサイン書いてもらおう。

 

「まぁた良く分かんねェところに来ちまったな……」

 

「これもルビス様の導きなの……?」

 

 あ。ロランさんの後ろにお仲間の二人までいた。召喚時の閃光のせいもあるけど、あまりのことにくらくらして、視界が狭まってたみたいだ。

 

 この際だからじっくりと二人を眺めさせてもらう。

 男性の方は緑を基調とした服を着ていて、前掛けのようなその服にはロランさんの剣と同じく、鳥を模した紋章が描かれている。髪は金髪。ロランさんと同じくゴーグル装備。

 女性の方は紫のほっかむりにゆったりとした白いローブ。ちょっとくせっけのあるブロンドの髪がなんともチャーミングだ。手にした杖が何か光を放ってるけども、何か呪文でも使ったのだろうか。

 

 いやまあ、こんな詳しく説明しなくてもいいよね。あの人達だよ、あの人達!

 

「すげえ本物のサマルさんだ!サマルさんまでいる!」

 

「サマルじゃねえ、サトリだ。俺の国知ってんのか?お前、本当に変な子供だな……」

 

「うっひょぉお!犬姫様ぁ!こっち向いてー!」

 

「うー、あんっ!……こほん。私はルーナ。正真正銘の人間です。犬扱いしないで欲しいな。というか、なんでその事知ってるの?」

 

「まあまあ、二人とも、今は───」

 

 ロランさんはそう言って鋭い視線を背後に向けた。途端に邪悪な竜が怯えたように息をのむ。気持ちは分かる。魔にとって、彼らはまさしく天敵。それも、この感じだと、破壊神を破り、頂点に上り詰めた後、更なる領域に至った人達だ。

 

 だからこそ、やまたのおろちは動かなかった。いや、動けないでいた。

 何気ない振舞いの向こうに、常に臨戦態勢。何をするでもなく、ただそこに在るだけで、そのオーラは既に邪気をねじ伏せ───圧倒した。

 

「ぬ、ぐう……!!」

 

 有無を言わさぬ威圧を前に、やまたのおろちはたたらを踏んだ。己が力に絶対の自信を持っていた邪竜が怯えている。ああ、やっぱりこれが、これこそが僕の、僕らの望んだ───

 

「ま、わかりやすい状況だわな。あの五つ首の竜から邪気が溢れかえってやがる」

 

「他の魔物は……ああ、クリオ君達と同じなのか」

 

「みたいね。合縁奇縁、不思議なものだけど、私達の旅はまだ終わりじゃないみたい。ふふ、とりあえず回復してあげる」

 

 ルーナさんが杖を軽く振ると、淡い緑色の光が僕らを包んだ。これはベホマラーかな?暖かい。身体的な傷だけじゃなく、彼女の慈愛が僕の傷心を癒してくれているようだ。

 

「ここに来る前に君の嘆く声が聞こえたんだ。よく耐えたね。あとは任せて欲しい。ええと、名前……」

 

「ゼンクロウです!」

 

「ゼンクロウ君だね。君は皆を守ってあげてくれ」

 

 かっけぇ……

 僕は陶然とした目で彼らを見ることしかできなかった。手伝う?ううん、そんなこと考えるまでもない。師匠の時は、まだ発展途上だったというのもあって僕が手伝うなんて小生意気な真似もしたけど、この人たちは既に完成しているんだ。

 

 三人で一人の勇者は僕らの前に出て並び立ち、巨大な竜に向かい合う。

 

「邪悪なる竜よ。僕らは彼らのように正しい心を持った魔物がいることも知っている。だから、あえて言おう。これまでの悪行、反省するというのなら少し痛い目を見る程度で留めてもいい」

 

「いや、反省も何も、我はせいぜい家屋を一つ壊しただけ───」

 

 言いかけて、やまたのおろちはハッとしたように五つの首を横に振った。

 

「否!否ッ!断じて否ッ!我が人間に媚びへつらうだと?そんなことがあってたまるかぁ!我のチカラは常に高まり続けている!何者が相手だろうと負けるはずがないッッ!がああああ!」

 

 大蛇は大きく息を吸い込み、そして、今までになく強力な炎を吐きだした。三人の姿が炎の中に沈んで、一瞬で見えなくなる。なんて熱風だ。直撃を受けていない僕の髪がちょっと焦げてしまった。これもしかして《しゃくねつ》レベルなんじゃないか?急激に強くなりすぎだよ。オーブってマジチートアイテムだわ。

 

 こんなもの受けたら普通はただじゃすまない。というか死ぬ。僕だったら多分死ぬ。でも、目の前にいる人たちは違った。何の痛痒も受けずに同じ場所にたたずんでいる。

 

「無駄とは言わないけど、この程度で私達は殺せないわ」

 

「ほう、あの一瞬でこれほどまでに強力なフバーハを張るとはね。やるじゃないかあのお嬢ちゃん。後継者に欲しいねえ。小僧よりもよっぽど見込みがありそうだ」

 

 けひひ、と笑うばーちゃんの言葉通り、ルーナさんが張ったフバーハはとんでもない威力のはずのしゃくねつを完璧に受け流していた。地面を見ればわかりやすい。光の薄膜を境界として、おろち側に転がっていた石はさっきの炎でドロドロに溶かされているが、勇者側は草一本すら燃えていない。すげえ。

 

 まあでも、ちょっと範囲外にいた僕の髪は焦げちゃってるんですけどね。

 

「あ、ごめんね。ゼンクロウ君達の方にちょっと炎が漏れちゃったかも」

 

「ったく、あっちは俺が張っておいた。手ェ抜いてんじゃねえよ。オレはルーナに比べりゃ補助呪文はヘタクソなんだ。攻撃に集中させて欲しいもんだぜ」

 

「サトリ……君は本当に変わったよ。昔はむしろのんびり屋だったのに、今じゃ一番に切り込もうとするほど気性が荒くなって……」

 

 もう違和感もないけどね。そう続けたロランさんが溜め息をつくと、サトリさんはカラカラと笑った。

 

「ははは!あんな激戦続けてりゃ男なら多少荒っぽくなるわな!つーわけで早速行くぜ!」

 

 サトリさんが駆け出したと思った瞬間、どういうわけかその姿を見失ってしまった。目も瞑らずにじっと見ていたのに。唖然とする間もなく、彼の猛りが聞こえてきた方向に視線を流すと、邪竜の首が四本ボトリと落下した。おいおいおい、今の一瞬で切ったの?どうやって?

 

「これが古流剣殺法二文字(にもんじ)。ちゃんと見てたかあ、ゼンクロウ君よ~!」

 

「見てたんですけど見えませんでした!どうやって四回も斬ったんです!?」

 

「はっはー!俺の(つるぎ)は二度『破壊』の風を起こす……ってな!まあ二回斬ったらこうなるわけだ!」

 

「その二回すら見えなかったんですけど……十文字は見えた?シロガネさんは?」

 

「ぐおお」

 

「……」

 

 どうやらシロガネさんだけはかろうじて見えたらしい。たぶん僕の周囲で一番強いのはシロガネさんだ。そのシロガネさんも見るだけですら厳しいのか。すげえ。

 

「チェ……見えてなかったかあ。じゃあロランの番だ!残りの首一本、わかりやすい一撃頼むぞー!」

 

「ああ、分かった。竜よ、覚悟はいいかい?」

 

「まっ、まままま待て!!わわ分かった!反省する!反省するからやめてくれ!」

 

「そうか……」

 

 邪竜が怯えるように後ずさると、ロランさんは構えかけた剣を下ろし、少しばかり安堵したように息をついた。

 

「ロラン、いいの?」

 

「ああ。ゼンクロウ君からはクリオ君と同じような気配がするから、きっと大丈夫だよ」

 

 そう言って僕へと笑いかけた瞬間だった。邪竜の瞳が紫色に怪しく輝き、大きく大きく息を吸い込んだ。途轍もなく邪悪で、強大で、震えそうなほど恐ろしい闇の力が一点に収束していく。

 

「ロランさんっ!」

 

「残念だ」

 

 聞こえたのは心底残念そうな響き。見ていたのは神々しく光りを放つ剣。一旦は散漫になったはずのロランさんの力が一気に刃へと集中し、聖なる力が闇を払うべく振るわれる。

 

 一瞬のことだったが、今度は確かに見えた。

 

 振り下ろした剣から迸った光が、闇の炎を切り裂き、浄化し、その先にあった邪竜の頭部を粉々に吹き飛ばしてしまっていた。いや、頭だけじゃない。首の根元から胴体の中ほどまで、根こそぎ消滅してしまっている。

 

「すげえ」

 

 凄まじい光景を前にして、ただ呆然とすることしかできない。立ち尽くして、あんぐり口を開けた僕の頭を誰かがぐしゃぐしゃと掻きまわした。見上げてみれば、快活に笑うサトリさんがそこにいた。

 

「どうだ、ゼンクロウ。今度ははっきり見えただろ?」

 

「はい……はいっ!すげえ!!」

 

「ふうっ、これで終わりかな」

 

「ですね!すっげえ!マジすげえ!!」

 

 さっきから僕すげえしか感想言ってない。すげえ。

 

「ゼンクロウ、おぬし……」

 

「はっ!?」

 

 興奮して叫び続けて喉が疲れてきたところで、みんなから生暖かい視線を向けられていることに気付いた。僕はわざとらしく咳をして居直った。

 

「これで災厄は回避できましたね、ヒミコ様」

 

「お、おう……ゼンクロウも男の子じゃのう」

 

 言わないで。恥ずかしいから。

 なんにせよ、本当にこれでヒミコ様は助かったと言えるだろう。あとは本物のヒミコ様にパープルオーブを保管してもらって……あっ。

 

 冷静になると、改めて見えてくるものもある。

 パープルオーブ、さっきの一撃で消し飛んでないよね?

 

 慌てて竜の死骸に向かって駆け出そうとして、ルーナさんに肩を掴まれた。細い手なのに力強い。ピクリとも動けなくなったし、僕より筋力あるよ絶対。

 

 不満を込めてルーナさんの顔を見上げると、その顔は明らかに強張っていた。まだ魔物と相対していた時の顔のままだった。

 

「みんな気を付けて!あいつまだ生きてる!」

 

「マジか」

 

 どんだけしぶといんだよ、やまたのおろち。

 

 確かにまだ終わっていないようで、竜の死骸の肉が盛り上がり、ぐねぐねと奇妙にうごめいていた。吹き飛んだ首を再度形成するかのように細く、硬く引き絞られ、地面にぐいんと伸びていく。その先には紫がさらにくすんで闇色に近くなった光があった。アレがオーブかもしれない。

 

 肉塊はオーブを取り込むなり、筋繊維むき出しの首を高く掲げた。紫紺の光が一層輝き、筋肉の上から徐々に鱗が生えていく。

 

「はぁー、こりゃ驚いたぜ。あの一撃でまだ生きてやがるのか。さすが腐ってもドラゴン。大した生命力だ。それともロランよ、闘い続きで疲れて仕留め損ねたか?」

 

「それは否定できないね。アレも激しい戦いだったし……僕はともかく、向こうの事が少し不安かな」

 

「大丈夫よ。あっちはあっちで、あの人達がどうにかしてくれてるわ、きっと。今は目の前の事を優先しましょう」

 

 なにそれ。どんな戦いをしてたのかめっちゃ聞きたい。けど、確かに今はルーナさんの言葉通りやまたのおろちを片付けることの方が重要だ。

 

 じゃあ、どう始末をつけるか。

 僕が思うに、ロランさんの攻撃力が足りてないというのは違うんじゃなかろうか。あれは言うなれば魔力(MP)を使って再生するゾンビとか、その辺だと考えた方がいいような気がする。

 で、たぶんだけど、再生の仕方見る限り、今のMP供給源はパープルオーブ。操ってるのは闇の波動の根源である魔王。オーブは破壊できないし、今すぐ魔王をどうこうする事も不可能。

 

 だったら、オーブへ向かう闇の波動を断ち切ってしまえばいい。その手段として考えられるものといえば。

 

「邪なる威力よ退け。《破邪呪文(マホカトール)》」

 

「そうそう、例えば《破邪呪文(マホカトール)》とかで───はい?」

 

 神々しい光の柱が天へと立ち昇り、オーブにまとわりついていた邪悪な波動が浄化されていく。それと共に復活しかけていた邪竜の死骸は力を失い、今度こそただの肉塊と成り果てた。僕の考えは当たっていたようだったが、それを実践した人物は予想外だった。

 

「なんでここに……?」

 

「久しぶりだな、ゼンクロウ。そして……」

 

 白く清廉なローブの上に空色のマントを着こみ、智慧(ちえ)を司りしサークレットを身につけた人物。彼ならば確かに破邪呪文を使えるだろう。勇者ではないけど、勇者と同じくらい尊敬できる人だ。

 

「この世界へようこそ、異なる時空の勇者達よ」

 

 三人の勇者へ向けて、にこやかに笑いかける賢者カダルさんが、そこにいた。

 

 




完全パクリだけど、あのシーンめちゃくちゃカッコいいんだもの。真似したくなっても仕方ないよね。
(あいつ勇者の話になると早口になるの気持ち悪いよな)


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38.英雄達との別れ

 突然現れた賢者カダルさんにはそりゃもうビックリしたけれど、どうやら今回は僕に用事があるわけじゃないらしい。三人の勇者への伝言があるのだとか。

 

 ルビス様曰く。

 

 『アリアハンより旅立ったオルテガを追え』

 

 カダルさんの補足説明だと、どうやらルビス様は何かに手を取られているらしく、神託を下されたはいいが、おおまかなニュアンス程度しか分からなかったらしい。ヒミコ様も同じように、かなり曖昧にしか聞こえないと言っていた。たぶん、ヨミが聞いている時もそうなんだろう。

 

「そんなんだったら受け取り手次第で勘違い入るんじゃない?」

 

 そう質問してみれば、確かにそうだけど自分たちにはどうすることもできないよね、とごく当たり前のように返された。うん、神様になんかできるならそれは人間じゃないよね。逆説的に、人でなき者なら神たる存在へ何がしかの影響を及ぼせるのだろう。

 

 人じゃないモノ……大魔王が何かしたのかなあ。

 石化の呪いを受けた?でもまだ声は届いてるし……

 

 いくら考えたって予測の範囲を出ない。確かめたければアレフガルドへ行くしかないだろう。

 うーん、そろそろ僕も外の世界に出るべきかもしれない。

 何ができるか分かんないけど、ただの足手まといになるかもだけど、それでも助けたい人達がいるから。

 そう思うのは当然僕だけじゃない。

 

「闇を払うのは僕たちの使命であり、願いだ。喜んで請け負うよ」

 

 ロランさんはそう言って、すぐさま旅立とうとしたけど、僕は子供らしく駄々をこねて引き留めた。そんで、いろんな旅の話をせがんだ。僕が意図せず呼び出す前の話だ。

 

 それは最初の旅立ちから邪教の神官を倒すまでの苦労話だけに留まらなかった。その後もいろんな戦いがあったらしく、ここに呼び出される直前も、別の闇と戦っていたそうだ。

 なんかすげーやべー術によって自身を魔物と化した帝王と、全世界の国家が相対して起こったそれは、人類の存亡をかけた世界大戦とも呼べるものだったらしい。怖すぎるんだけど。

 そのヤバい帝王の名前を聞いてみたけど教えてくれなかった。なんでも、強大な魔物の名はそれ自体が言霊になるらしく、知るだけで魔の力を呼び寄せかねないんだとか。ルーナさんが聖母のように微笑みながらそう忠告してくれた。

 ああ、それじゃあ僕もあんまり魔王の名前とか口にしない方がいいのかな。今まで、幸いにも口にしなかったけど、これからは十分注意した方がいいかもしれない。闇は深く、一度まとわりつかれたら払うのは難しい。僕もそれは知っている。かつての経験から知っている。

 

 ───かつて?いつ、どこで?

 

 考えただけで、脳みそが軋むような痛みに襲われた。耐え切れずにぶっ倒れた。

 これも考えるなってことか。

 ズキズキとした痛みに顔をしかめながら、仰向けになって空を見上げる。

 ルビス様、これさあ、やっぱり制限大きすぎない?たぶん昔の僕は何か知ってたんだよね?

 

 何度目か分からない、大王の心配げな声を遠くに聞きながら目を閉じる。

 

「ゼン!しっかりするのである!死んではダメなのである!死んだら吾輩が新しい物語を聞けなくなるのである!」

 

「僕の価値そこだけなの?」

 

「うむ!あっ、いや、じじ……冗談。そう、冗談である!」

 

 ジト目でにらむと大王はゲコゲコとあからさまなとぼけた鳴き声を響かせた。

 

「うぬ、その……なっ、何も成せぬまま死ぬは人としての矜持が許さんのではないか!?」

 

「一つ成したよ。ヒミコ様を災厄から救えた」

 

「そうじゃのう。お前と、お前の仲間たちのおかげでわらわはこうして五体満足にしておる。感謝するぞ。ようやったのう」

 

 僕の頭が持ち上げられて、柔らかいものの上にそっと置かれた。

 ヒミコ様の膝枕は気持ちいい。なんていうか、母さんにしてもらってるみたいで酷く安心できる。

 細い指に前髪を救いあげられながら、ゆっくりと目を閉じた。

 

「これだけでも、頑張った甲斐がありました」

 

「はは、小さな勇者はここにもいる、か……」

 

 遠い目をしたロランさんが笑った。

 

 

 ◆

 

 

 カダルさんは勇者三人に、伝えるべきことを伝えた後、僕らとの会話もそこそこに「賢者の書」へと帰っていった。たぶん、マルモちゃん一人残したままなのが不安だったんだろうね。大王がちょっと寂しそうだったけど、また連れて行けば簡単に会えるしいいじゃないって言ったら飛び上がって喜んだ。

 

「また連れて行ってくれるのであるか!?」

 

 しまった、墓穴掘った。言わなければ連れて行かなくて済んだのに。でも、今回大王も頑張ってくれたしね。ご褒美代わりにいいかもしれない。十文字にはまた魚でもご馳走しようかな。

 

 そんなこと考えてたら、ヒミコ様が今度家に招待したいとか言い出した。なんかご褒美くれるらしい。でも断った。

 

「なぜじゃ?幼子が好きそうな甘味も出せるぞえ?」

 

「んー、それよりロランさん達ともっと話したいし」

 

「ならば三人とも連れてゆけばよい」

 

「それだと大王と十文字が連れてけないじゃん。魔物はダメでしょ?」

 

 むむむ、と唸るヒミコ様は疲れてはいるけど大した傷もない。可能性だけで言えば、彼女が死んでしまう未来もあったはずだけど、うまく回避できたし、僕としては十分な結果だ。いや、それ以上だ。

 

 なにせ、ロランさん達三人と会えるとは思ってなかった。完全に埒外の結果、僥倖ってやつだ。これこそ僕に対するご褒美そのものだ。

 そんなわけで、ひとまずオルテガさんの出身地、アリアハンの地理的な説明を餌にして、三人をばーちゃんちにいざなった。ヒミコ様は置いてきた。がなり立てて煩かったけど、政務あるでしょ?って言ったら黙った。パープルオーブの保管もあるし、やることちゃんとやってからねって言ったら恨めしそうな目で見られた。

 

 ヒミコ様はいないけど、そこそこに話は盛り上がった。

 いろんな話を聞いたし、今度は僕もいろんな話をしたんだけど、その中で以前リュカさんに出会ったときにサインをもらいそびれて滅茶苦茶悔しい思いをしたことも語った。

 

「う、うん……それは、その、残念だった……ね?」

 

 ロランさん達が一歩引いてるのが不思議だけど、ともかく僕の目的の一つがこれだから。

 

「あんな悔しい思いはもうしたくないし、なんか記念に下さい!!僕の勇者コレクションに加えるので!」

 

「お前はなんつーか、遠慮しないよなあ」

 

「うむ。ゼンの美点であり、悪癖である」

 

 若干呆れ気味のサトリさんを前にしても僕は引かなかった。押せ押せだ。

 

「そもそも俺らがやれるもんなんかないぞ?」

 

「そこはほら、旅の途中で余った武器とかそんなんでもいいんですし、あ、そうだ!僕、前にリュカさんからはこれ貰ったんです!」

 

 僕が手のひらで輝く、不思議な果実を三人に見せると、三者は顔を見合わせた。

 

「同じもの持ってるわよね?」

 

「ああ、持ってるな。《願いの欠片》だって言ってたっけなあ」

 

「用途は良く分からないけれど、集めれば願いが叶ったりするかもしれないね。ゼンクロウ君にあげるよ。僕らは僕らの力だけで願いを叶えるから」

 

 ロランさんはそう言って、袋から取り出した輝く果実を僕にくれた。まあすぐに大王に奪われたわけだけど。どうやら話を聞いて興味を持ったらしい。本当に知識欲の権化だなあ。

 

 

 

 

 そんでしばらく話し込んで、一晩経った次の日。

 早くも旅立とうとしている三人に僕は意を決して言った。

 

「僕も一緒に行きます」

 

「それは……」

 

 ロランさんはかぶりを振った。それはダメだ、危険な旅になるから連れてはいけないと。

 そんなことは百も承知だ。分かった上で頼んでいる。色々と言葉を尽くして頼んだけれど、結局受け入れられなかった。なによりも反対したのが、意外なことにシロガネさんだった。

 

 子供だからじゃない。お前は単純に力不足だ。足手まといになる。

 

 わかってたことだけど、明確に言葉にされると意外とショックだった。

 

 こなくそと思って八つ当たり気味に大王を放り投げ、十文字に体当たりした。僕も放り投げられた。地面にたたきつけられたところで大王が僕の顔面にべちっと音を立てて着地した。

 

 痛い。

 

 この痛みでいやでも思い知る。僕は弱い。ちょっと魔法が使えるだけの子供に過ぎない。

 無性に叫びたくなったので、思いっきり叫んだ。意味のない言葉の羅列をただ叫んだ。それで幾分かすっきりしたけど、虚しさは完全に晴れない。

 

 だから僕は一般的な人間らしく、何か別のことに打ち込むことにした。決意を言葉にして、自身の慰めにしよう。もともと、一つやりたいことはあるわけだし。

 

「温泉宿、作り直さないとね」

 

 自分で言っててちょっと泣きそうになった。畜生、やまたのおろちめ……

 

 涙ぐんだ僕は再度、温泉宿の建築にとりかかろうと聖なる泉にルーラした。

 この世界の勇者が来るまでに、この地方の名物にしてやるぞ、と小さな野望に燃えながら。

 

 

 




幼年期:災禍の蛇 了
次回、青年期:勇者の旅路 開始────

次からは三人称。ゼンクロウ君は主役から引きずり降ろされます。
だって本物の主人公の話だもの。



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青年期:勇者の旅立ち
39.オルテガの息子


※三人称


 それはエニクスが16歳になる誕生日のことであった。

 

「おきなさい。おきなさい、私のかわいいエニクスや……」

 

 母親の優しい呼びかけによって、少年はゆっくりと瞼を開いた。

 

「おはようエニクス。もう朝ですよ。今日はとても大切な日。エニクスが初めてお城に行く日だったでしょ。この日のためにお前を勇敢な男の子として育てたつもりです」

 

 その言葉は紛れもない事実であった。

 エニクスは無口な少年であったが、それでも尚、周囲はその存在感に目を背けること叶わず、彼自身が執拗なまでに己を追い詰め、鍛え上げていく姿を見れば、なるほど、確かに彼こそがアリアハンに並ぶ者なき勇者オルテガの息子であると誰もが思い知らされる。

 

 そして、父を追うその姿勢は既にアリアハンの王にも認められ、異国へと旅立つ許可を得られる手はずになっていた。16歳ともなれば、この世界では成人の扱いである。

 

 母に促されるまま、少年は身支度を整え、玄関の前に出ると大きく息を吸い、迎いの家を見上げた。視線は二階の窓に注がれている。

 

 果たしてそこには、彼の幼馴染たる一人の少女がいた。名をミルトという。薄水色の髪を長く伸ばした可憐な少女であった。少女は窓枠に手をかけ、しかしその取っ手に手をかけることなく、どこか物悲し気に眼下の少年の姿を目に焼き付けていた。

 二人を分け隔たっているのは透明なガラスだけだったが、互いに言葉をかけることもない。声は交わることがない。ただひたすらに視線だけが少年少女の間を行き交う。

 

「行ってくる」

 

 少年は声を届かせるつもりもないのか、ただ一言そう呟くと、アリアハン城への道をたどっていった。

 

 母親と同道して行く先々では、顔を合わせた人々が立ち止まり、少年へと激励の言葉をかけていく。彼らも事前に聞いてはいたのだ。オルテガの息子が父を追って旅立つ日がいずれくると。

 

 せいぜい頷く程度の反応しか見せない少年の代わりのように、母親が町民に返事をしていた。こういうところはまだ子供なのだなと、町民たちは微かに笑った。

 

「ここからまっすぐ行くとお城です。王様にちゃんと挨拶するのですよ。さあいってらっしゃい」

 

 母親は城の目前まで来るとようやく少年を一人見送ることにしたようだった。少年は事前に一人でよいと見送りを断っていたのだが、母親はそんなことはできぬと頑として譲らなかった。未練とならぬよう、少年に本心を明かすことはなかったが、こうして家族を見送るのは二度目のことだ。一度目がいまだ帰らぬ夫であれば当然の事、彼女の心情察するに余りある。その瞳から一滴が零れ落ちるのも致し方ない事だろう。

 

 けれども、少年はそれを振り切った。振り返ることもなかった。決意は固い。戻らぬ父を追うために、その死を信じられぬ己の心を救うために。

 

「よくぞきた!勇敢なるオルテガの息子エニクスよ!そなたの父オルテガは戦いの末、火山に落ちて亡くなったそうじゃな」

 

 謁見した王の言葉は王宮の兵士からも聞いたものだ。一人旅立ったオルテガを追い、そして戻ってきたライアンという兵士がもたらした報告だという。

 

「その父の後を継ぎ旅に出たいというそなたの願いしかと聞き届けた!

 敵は魔王バラモスじゃ!

 世界の人々はいまだ魔王バラモスの名前すら知らぬ。

 だがこのままではやがて世界は魔王に滅ぼされよう」

 

 魔王の名が王の口から漏れ出るたび、少年の顔がわずかに強張る。ただ名を呼んだに過ぎないというのに、まとわりつくような不快感が脂汗を呼び、おぞましさが背筋を駆け抜けるようだった。だからこそ、魔王の存在に疑いを持つこともない。人にとって忌むべき何かが確かにいる。だからこそ、その存在を―──

 

「魔王バラモスを倒して参れ!」

 

 有無を言わさず少年に課された、魔王討伐という王命。実のところ、この場においてのそれは、ただの建前に過ぎなかった。今でこそ規模は縮小したが、かつて絶大な権勢を誇ったアリアハンの王ともあろう者が、たった一人の少年に全てを任せてしまうほど愚かなわけがない。

 

「街の酒場で仲間を見つけ、これで装備を調えるがよかろう。ではまた会おう!エニクスよ!」

 

 全ては、父を探したいという少年の想いを汲んでいるからこそ生まれる言葉だ。わずかばかりとはいえ、民の血税から支援を引き出すことまでするあたり、為政者としては情に傾きすぎだとすら言える。

 

 少年はいくらかの武具と金を受け取ると、深々とこうべを垂れた。

 

   ◆

 

 城をあとにした少年は、ルイーダの酒場へ来ていた。

 

 酒場では多数の冒険者がくだを巻いていた。アリアハンの周囲は比較的魔物が弱く、その見返りも少ないのだが、これほどの数が集まっているのは理由がある。王命だ。魔王に対抗するため、自国の戦力だけでなく、傭兵という外の力も求めた結果だった。

 

 いかつい冒険者の只中に、まだ年若い少年が混ざると、次々と値踏みするような視線が投げかけられた。冒険者たちも当然のごとく聞き及んでいる。アレが名高き勇者オルテガの息子なのだと。果たしてどれほどの物か、気にならない方が珍しい。

 

「ここはルイーダの店。旅人が仲間を求めて集まる出会いと別れの酒場よ。何をお望みかしら?」

 

 耳目が集まる中、少年はさして気負った風もなく女店主ルイーダに言った。

 

 己よりも強い者がいるか、と。

 

「はぁん?坊主、ちいとばかり調子に乗ってんじゃないかい?」

 

 色めきだつ冒険者の中から一人の女が歩み出た。くせのある紫紺の長髪と共に、女とは思えぬ筋肉を震わせている。分かりやすく怒っているようだった。

 

「ファグナさん、そう短気を起こさずに。麗しき乙女がそれでは、神も嘆きます」

 

「神はともかく、アルリタの言う通りね。やめといた方がいいよ、ファグナ」

 

「無理」

 

 ファグナという女傑はルイーダの酒場でも一目置かれる強者だ。かつて「ごうけつぐま」をたった一人で打倒した経験もある、紛れもない豪傑である。

 その背から忠告をかける女性三人は僧侶アルリタ、魔法使いチコ、武闘家ジーシェンといい、ファグナを含める4人のパーティはこの場でも上から数えた方が早い実力者達だった。そういった顔ぶれからすれば、先ほどの少年の言葉は身の程知らずと受け取られても仕方がないが、実際に立ち上がったのはファグナのみである。

 

「かぁー!あんたたちこのアタシとパーティを組んでおいてそんな事言うのかい!あんな坊ちゃんにアタシが負けるとでも!?そりゃあチビならあんなのにビビるのも分かるけどねえ!」

 

 憤慨するファグナの言葉にムッとした顔を見せたのは、ミルクを飲んでいる魔法使いの少女だった。ともすれば幼い子供しか見えない彼女だが、少年よりも年上である。加えて言うなら、チビは禁句だった。

 

「エニクス。少し痛い目見せてあげて」

 

「あぁ!?あんたアタシを侮って……!?」

 

 突然迸った威圧にファグナは途中で言葉を切った。警戒を含んだ視線の先にはまだ16になったばかりの少年しかいない。

 

「なるほど……アタシが間違ってるのかもねえ……?」

 

「そうね。でも勘違いしないで。あの子はただ優しいの。優しくて、もしも体のことで馬鹿にされてる女の子がいたら必ず助けようとするってだけよ」

 

「はは……!いいねえ!ゾクゾクするじゃあないか!」

 

 言うが早いか、ファグナは鋼の剣を抜き放ち、刀身を背負うような独特の構えを取った。完全に臨戦態勢である。「脳筋」と、口数の少ない武闘家ジーシェンが呟いたが、それには耳も貸さず、目前の少年を睨め付ける。

 

 対する少年は動かない。構えを取ることもなく、気勢だけが油断なくまき散らされている。

 

 そのまま睨み合いを続けて、ふっと少年が視線を逸らした。瞬間、ファグナは地を蹴り飛び出そうとして、後頭部をしこたま殴られた。

 

「いてぇ!」

 

 つんのめっって倒れかけたが、なんとか体勢を立て直す。涙目で振り返る女傑の背後には、フライパンを持ったもう一人の女傑、店主ルイーダがいた。

 

「あのねえ……ここは出会いと別れの酒場って言ったでしょう?闘技場じゃないの。暴力禁止」

 

「いや、でも分かるだろ!?コケにされて黙ってるわけにはいかないんだよ!プライドの問題がなあ!」

 

「はいはい、プライドの問題ならまずはチコにあやまったら?」

 

「そうです!さあ誠心誠意先ほどの発言を謝りましょう!そうすれば神もお許しになるはずです!そしてともに祈りましょう!人類のとこしえの友愛のために!」

 

「大仰」

 

 少年は既にその場からいなくなっていた。




今後こんな感じになるので雰囲気変わります。前の方が好きだった人はごめんね。


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