Steal Art Online (バンバンブー)
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プロローグ

取り敢えず、思い付いたから投稿
次の更新は一切未定


 夜闇に囲まれた草原。その一画にある背の高いネコジャラシのような植物の茂みの中に人の姿があった。小柄ではあるが、体格からしてその人物が男だということは分かる。しかし、茂みの深い陰と濃鼠(こいねず)のフードを目深にかぶっているせいで顔は識別できそうにない。

 

 しばらく男が浅い呼吸で茂みに潜んでいると、どこからか低い笑い声が聞こえてきた。笑い声は複数あり、全員が愉快そうに顔を歪めている。その頭上には、煌々と光るオレンジ色のカーソルが浮かんでいた。

 

「……来た」

 

 笑い声を上げる男たちを視界に収めた男は、音を立てないように静かに起き上ると膝を屈めていつでも飛び掛かれる姿勢をとった。狙いは言わずもがな、視界に収めた男たちである。

 

 自分たちが狙われていることなど露も知らない男たちは、あまりに無防備に茂みの前を通り過ぎようとする。

 

 その瞬間、茂みに隠れていた男が飛び出した。右手に鼠色の閃光を灯しながら一息で一番後ろを歩いていた男の直ぐ横を通り過ぎる。その間に、フード男はオレンジカーソルの男の腰に佩かれている片手曲刀に触れた。

 

 刹那の拮抗のあと、夜の草原にパキン、という幽かな破裂音が響く。その頃には、腰に佩かれていた片手曲刀は、既にオレンジカーソルの男の腰から離れてフード男の右手に移動した後だった。

 

「片手曲刀《クレセントネイル》。確かに返して貰いました」

 

 呆然とする男とたちを尻目に、フード男が一方的にそう告げる。そして、フード男が片手曲刀を自分のアイテムストレージに収納したところで、男たちはようやく我に返った。

 

「て、テメエ! なにしやがるッ!」

 

「何、と言われましも、ただ奪われたものを取り返しに来ただけです」

 

激高するオレンジカーソルの男に、フード男は極当たり前の事を話すように淡々と答える。

 

「ああ? それは俺が今日こいつらに協力してもらってドロップしたレア装備だぞ? さっさと返しやがれ!」

 

「ドロップしたのは貴方じゃないでしょう。貴方はただ、今晩の依頼主がドロップしたこれを脅して奪い取っただけです」

 

 そう言ってフード男は男たちを一瞥すると、もう用はないとばかりに男たちに背を向けて走り出した。

 

「待ちやがれ!」

 

 男たちは慌ててフード男を追いかけるが、その差が縮まることは無い。数分もしないうちに、男たちは遮るもののない草原でフード男の姿を見失うことになった。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 明朝。未だ薄暗い第一層《はじまりの街》の裏道の一画に、一人のプレイヤーの姿があった。中学生くらいの少年で、良く言えば優しそうな、悪く言えば気弱そうな印象を受ける顔立ちをしている。身軽な布系装備を着用しておりダメージディーラーであることが見て取れるが、そんな彼の商売道具である武器が見当たらなかった。

 

「お持たせ致しました」

 

「わっ!?」

 

 突然、少年の背後から丁寧な口調で声が掛けられる。驚きつつも少年が振り返ると、そこには濃鼠色のフードを目深にかぶったプレイヤーの姿があった。その姿は薄暗い街に溶けているかのようにおぼろげで、本当に目の前にプレイヤーがいるのか疑ってしまうほどであった。

 

 しかし、フード男の手に握られた一振りの片手曲刀を見て、少年は目の前のプレイヤーが確かに存在していることを確信した。

 

「依頼の品は、こちらのクレセントネイルで間違いはありませんね?」

 

「はい!」

 

嬉しそうにハキハキと答える少年に、フード男は口元に笑みを浮かべるとその手に持ったクレセントネイルを手渡す。受け取った少年は、それを大事そうに抱えてから自分の腰に差した。

 

「それでは、これで依頼は完了ですね。またのご利用の無い事をお祈りしています」

 

「あの、ありがとうございました!」

 

フード男はそう独特な文句を口にすると、頭を下げる少年に一礼をして薄暗い街の中へと消えていった。

 

 

◇◆◇◆

 

 

ここは、仮想現実で作られたゲームの世界。名前を《ソードアート・オンライン》。通称《SAO》。

 

浮遊城アインクラッドを舞台とし、プレイヤーのレベルとスキルと装備を駆使して用意された百の階層全ての攻略を目指すアクションオンラインゲームである。

 

しかし、今はそれだけでは無い。現在のこのゲームは、仮想現実のヒットポイントと現実世界の自分の命がリンクしたデスゲームの舞台となっている。

 

プレイヤー達は生き残るために、ある者は安全地帯である街に引き篭もり、ある者は剣士や職人としてゲーム攻略のために力を付け、ある者は犯罪に手を染め人々から有益なアイテム等を奪い日々を過ごしている。

 

その中に、ある特別なスキルに目覚めたプレイヤーがいた。

 

一般的に、ユニークスキルと称されるそのプレイヤーの持つ力の名前は《強奪》。文字通り、他人の持つ装備やアイテム、この世界の通貨である《コル》を無理やり奪い取り自分のものとするスキルである。

 

現実の世界であっても犯罪に当たり、尚且つ装備やアイテムがフィールドでの生命線となるSAOにおいて、そのプレイヤーの持つ《強奪》スキルは誰からも忌避されるものである事は想像に難くない。

 

しかし、そのようなスキルを持っていながら、そのプレイヤーは爪弾きにされる事はなかった。それどころか、一部のプレイヤーからは英雄視される事もあった。

 

何故なら、そのプレイヤーは《強奪》スキルを盗み返す(・・・・)時にしかプレイヤーに使う事が無かったからだ。

 

古今東西、どこでも語られる事のある義賊のような行いに、《強奪》スキルの所有者はひそかに憧れていたのだ。

 

所有者の名前は《スクエア》。現在、19歳になる、義賊の真似事を楽しむプレイヤーである。



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昼間のスクエア1

昼間のスクエアは基本的に日和見


ーーチチッ

 

顔の直ぐ近くで、ネズミを思わせる鳴き声が聞こえる。その声につられてベッドで眠っていたスクエアが薄っすら目を開けると、薄茶色の体毛が体を覆う小さなネズミの姿があった。そのネズミは、体の倍程の長さがある針金のような細い尻尾を折ったり曲げたり捻ったりと複雑に動かしながら、スクエアが起きるのを待っていた。

 

「おはよう。ミック」

 

スクエアはミックと呼んだネズミの頭を指先で軽く撫で、ゆっくりと体を起こした。

 

グイッと体を伸ばしてから小さく息を吐き、ダランと手をベッドに放って脱力する。すると、ミックはその腕をよじ登り定位置であるスクエアの左肩で腰を落ち着けた。

 

軽く頭を振り眠気を飛ばして外を見ると、太陽は中天を通り過ぎて西に傾き始めたところだった。

 

「昨日は遅かったからなあ……と言っても、流石に寝すぎか」

 

ベッドから立ち上がり、メニューウィンドウを操作して装備品を寝巻きから戦闘用のものに入れ替える。すると、薄いグレーのインナーが微かに光り、瞬く間に深緑色を基調とした布装備に変化した。

 

鏡も使わずにざっと身だしなみを確認し、次いでポーチの中にある回復アイテム等の確認をする。

 

可笑しなところも不足がないことも確認し、毎朝のルーチンワークを終えたスクエアはもう一度ウィンドウを操作して腰に90cmくらいの黒みがかったステッキを出現させて部屋を出た。

 

◇◆◇◆

 

春になったばかりという事もあり、外の空気はまだ肌寒い。露出した手のひらをポケットに突っ込んで寒さから守りながら、スクエアは第一層《はじまりの街》のメインストリートをのんびりと歩いていた。

 

お昼過ぎであるためストリートにいるプレイヤーの数は多く、今日の収穫をパーティ内で自慢しあったり、レストランやカフェテリアで料理を囲んだりと楽しそうな姿がたくさん見える。そんな陽気な雑踏に、スクエアも思わず頰を緩ませた。

 

しかし、人で溢れているからこそ起きる不幸もある。

 

何気無く正面から逸らした視線の先でスクエアが見たのは、数人の男性プレイヤーが自分よりも年下と思われる少年と共に路地裏に入っていくところであった。

 

いや、入っていったというよりは連れ込まれたと言った方が正しいであろう。友人と待ち合わせしているのか、はたまたソロプレイヤーでフィールドから帰ってきたのかは分からないが、一人でストリートの端っこを歩いていた少年の腕を掴み引きずり込んだようにスクエアには見えたのだ。

 

今のメインストリートのように人が多いと場所だと、自分の身内を見失わないようにするため他人にまで気を使うことができない。また、この雑踏が助けを求める声を掻き消してしまう。少し信じられない話ではあるが、そういった事を知っているのか人混みの中でも悪事を働く人間は存在するのだ。

 

「これはきな臭いなあ」

 

ひとり呟いたスクエアは、静かに少年の引きずり込まれた路地裏に足を向けた。

 

人波の中を立ち止まる事なくするすると進んで行き、あっという間に路地裏の入り口まで辿り着く。無遠慮に壁から顔を出して路地裏を覗くと、やや奥の方に四、五人くらいの人集りが見えた。顔をよく見ていなかったから確証は無いが、恫喝するような声が聞こえるためさっきの男たちで間違いないだろう。

 

これからどうしようか、とスクエアが考えながら路地裏の様子を伺っていると、少年を取り囲む男たちの一人と目が合った。

 

スクエアと目が合った男は一瞬表情を強張らせたが、相手が子供だと気づくとこちらを睨みつけて声を荒げた。

 

「何見てんだ!」

 

その声につられて、他の男たちもスクエアの方に視線を向けた。

 

こちらを睨みつける男たち目が四対に、救いを求めるような少年の目が一対。合わせて五人分の視線に晒されたスクエアは、首を竦めてそそくさとその場を離れた。

 

臆病風に吹かれたかのようなその姿に、男たちは嘲りの声を上げる。それに紛れて少年の助けを求める声が聞こえる。

 

しかし、それらに構わずスクエアは路地裏を離れた。ただし、その表情に男たちを恐れた様子はなく、獰猛な笑みを浮かべいた。



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昼間のスクエア 2

ヒロインは決まっているけど、まだ出てきません。


第一層《はじまりの街》。その路地裏の一画に少年が座り込んでいた。数分前からずっとそうしている少年は、脚を怪我している訳でもないのに立つことが出来なかった。

 

呆然と地面を見つめていると、数分前の出来事が思い起こされ少年は微かに身を縮める。

 

初めてカツアゲにあった。路地裏に連れ込まれた直後はその程度の認識だったが、恫喝され、曲刀を突き付けられた瞬間から何もかもが変わった。

 

街の中では決してHPが減ることはなく、例え切りつけられたとしても軽いノックバック程度で済むと理解していたのに、気がつけば男たちの言われるがままに手が動き折角ドロップしたレアアイテムを渡していた。

 

カツアゲなどアニメやマンガの世界だけの出来事だ舐めていたが、ただ己の欲を満たすためだけの暴力があんなにも恐ろしいものだとは思ってもいなかった。

 

何より、敵mobとの戦闘にも慣れてきて付いてきた自信が、根本からポッキリと折れてしまったような感覚を少年は感じていた。

 

恐怖と自信の喪失。その二つが重りとなって少年を地面に縛り付けているのであった。

 

「いつまで座ってるんだい?」

 

ふと、少年に声がかけられる。

 

少年が声の聞こえた路地裏の奥の方に力なく視線を動かすと、そこには肩に薄茶色の子ネズミを乗せた深緑色の装備をした青年が立っていた。忘れもしない、さっきの自分を見捨てて逃げたプレイヤーだ。

 

「今さらなにしに来たんだよ」

 

普通なら、あの時の怒りを目の前のプレイヤーにぶつけていだだろう。しかし、今の少年にはその気力すら残ってなく、視線を地面に戻しながら力なく不満を返すだけであった。

 

無気力になっている少年に、青年ーースクエアは静かに歩み寄り、視線を合わせるように身を屈める。そして、深く頭を下げた。

 

「さっきはごめんなさい。隙を見て助けようとは思っていたんだけど、不意打ちじゃないと勝てる気がしなかったんだ」

 

スクエアの謝罪に、少年は反応を返さなかった。怖くて何も出来なかったのは自分も同じであるが、何もしてくれなかった相手を許すのも釈然としないからだ。

 

「代わりに、盗られたものが戻ってくるかもしれない方法を教えようと思うんだ」

 

「《コンプリートリィ・オール・アイテム・オブジェクタイズ》だろ?」

 

そんなスクエアの言葉に、少年は投げやりに答えた。

 

「ダメだったよ。あいつら、もう売り払ったか装備して有効活用してやがる」

 

所有アイテム完全(コンプリートリィ・オール・)オブジェクト化(アイテム・オブジェクタイズ)》。その名の通りプレイヤーの所有物を一度に全てオブジェクト化させる機能のことであり、聞いただけではどの場面で使えばいいのかよく分からない機能である。

 

その実態は、スナッチ技の持つ敵mobから奪われ、更に見失って取り戻せなくなった装備アイテムを回収するための救済システムである。

 

スナッチ技を受けて装備を奪われた場合、あるいは装備を他人に渡した場合プレイヤーから見れば何も装備していないように見えるが、ゲームシステム上では《装備者情報》はクリアされずに残っており、ステータス等に反映されないだけで装備されたままである。《所有アイテム全オブジェクト化》機能は、これらの所有権の残っているアイテム全てが対象となり、これはつまり、装備者情報さえ残っていればどこで、誰が、どのように持っていようと回収することが可能なのだ。

 

しかし、逆を言えば、装備者情報がクリアされてしまえば機能の対象外となって取り戻すことが不可能になる。装備者情報の保護は、普通のアイテム所有権よりも強固になっており、他人の手に渡った時の所有持続時間が通常のアイテム所有権の場合で5分間であるのに対し、装備者情報の場合は1時間にも及ぶ。そのため、余裕を持って《所有アイテム完全オブジェクト化》機能を使うことができる。

 

しかし、三つだけ即座に装備者情報がクリアされる方法が存在する。それは、プレイヤーが新しい装備アイテムを装備すること、商人に売り払うこと、そして装備アイテムをウィンドウ操作を介して正式に装備することである。

 

最初の二つに関しては、クリアされる理由はなんとなく想像できるだろう。

 

装備者情報とは直近で装備していたアイテムに関する情報であるため、新しく装備し直した場合にクリアされるのは当然であり、商人に売り払った場合は売って、回収して、また売って、という儲け方を防ぐためである。

 

では、正式に装備した場合は、単純に武器が他人の手に渡った場合とどう違うのだろうか。

 

装備者情報に関して最初にあげた二つの例は、順に《武器奪われ状態》と《武器手渡し状態》呼ばれ、共に武器の効果が手に渡った者のステータスに反映されているだけ(・・)である。いわば仮装備のような状態なのだ。そのため、装備者情報はクリアされずに済む。しかし、装備画面を介して装備した場合は別である。正しい手順を踏んでアイテムを装備した場合、正式に装備された扱いとなり装備者情報が上書きされてしまうのだ。

 

「……そう。それなら、ちょうど良かった」

 

しかし、それらの事を理解していながらスクエアは微笑んだ。

 

「ふざっ……ふざけんなよあんたっ!」

 

さすがの少年も、これには怒りを覚えてスクエアに掴みかかった。唯一の救済手段がダメだったと言ったのにも関わらず、それが好都合だと解釈されたのだ。まるで無責任な物言いに怒りを覚えない方がおかしい。

 

「まあまあ。落ち着いて話を聞いて」

 

それに対し、スクエアは胸ぐらを掴む少年の手に被せるように手を添え、落ち着くように諭した。そして、少年の毒気が抜けた一瞬の隙にメニュー画面を操作して《はじまりの街》のマップを開き、西区にある一点を指差した。

 

「君。ここに少し大きい宿屋があるの知ってる?」

 

少年はちらりとマップを一瞥し、小さく頷いた。

 

確かに、そこにはこの街では比較的大きい宿屋がある。少年自身も一週間くらい前に利用したことがあり、なかなかいい設備だったことに驚いたのは記憶に新しい。

 

しかし、それが何なのだ、と少年は訝しむ目をスクエアに向けた。

 

「知ってるのなら話が早い。その宿屋には誰もいないのにずっと借りた状態になってる鍵の掛かっていない部屋があるんだ。その部屋に入って、助けてほしい旨と君のメッセージコードを書いて手紙を置き、最大レベルの鍵をかけて出る。そうすると、その翌日までに《ラットピス》から連絡が来るんだ」

 

《ラットピス》。その名前を聞いた少年は目を見開いた。

 

「《ラットピス》って、強盗ギルドの……」

 

「そう。その《ラットピス》」

 

微かに希望の光を湛えた少年の瞳を見て、スクエアはほくそ笑む。

 

「俺が知ってるのはそんな噂なんだけど、試してみる?」

 

唯一の救済手段も絶たれているのだ。少年は藁をもすがる思いで、スクエアの言葉に頷いた。



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子ネズミの仕事

ネズミって意外と身体能力高いんですよね。


《ラットピス》とは、巷で噂の強盗ギルドの名前である。強盗と言っても、善良な一般プレイヤーやNPCからアイテムを巻き上げるのではなく、オレンジプレイヤーのような悪人から奪われたアイテムを取り返す事を目的としているギルドだ。ギルド名以外のほとんどが不明で、分かっていることと言えば濃鼠色のフードを被ったプレイヤーが主犯格であるということ、そして、そのプレイヤーがユニークスキルらしき特殊なスキルを持っているということだ。

 

プレイヤー名くらい分からないのか、と思うかもしれないが、このギルドは徹底的に顔を表に出そうとしない。また、《ラットピス》に依頼をするには噂を頼りに依頼を受け付けている場所を訪れるか、とある情報屋から場所の情報を買うかのどちらかしか方法しかなく、接触へのルートが狭いのも秘匿に繋がっているのだろう。

 

まあ、噂を流しているのが主犯格本人で、しかも半分以上人助けのために直接場所を教えているなんて誰も思わないだろうが。

 

そんな秘密のギルドに接触出来ると思いーー気づいていないだけで既に接触しているのだがーー少年は少なからずドキドキしながら宿屋を訪れた。

 

受付で笑顔を浮かべるNPCをスルーして27号室の前に立つ。ドアノブを捻ると、本当に鍵はかけていないようで簡単に開けることができた。

 

無意識に足音を小さくして部屋に入る。しかし、中に人の気配はなく、部屋の様子も借りた直後のままであった。

 

ここに来て、騙されたんじゃ、と少年は不安になるが、他に頼るものもないため備え付けのテーブルに依頼内容と自身のメッセージコードが書かれた手紙を置いて部屋を出る。そして、部屋の保護を最大レベルにし、加えてパスワードも新しくしてから少年は宿屋から離れた。

 

どうやって手紙を回収するのだろうと疑問に思いながら。

 

◇◆◇◆

 

強盗ギルド《ラットピス》唯一のギルドメンバー、スクエア。彼の使っている秘密裏に依頼を受ける方法は、言葉にするなら至って単純だ。

 

どこかの宿屋の一室を借りて放置し、依頼主に内容とメッセージコードを書いた手紙を置いて厳重な鍵を掛けて出てもらい、人気の少ないうちに部屋に侵入して回収する。たったそれだけである。

 

ただし、それらを行うのはスクエアではない。この一点が、スクエア自身の秘匿性を高め、尚且つロジックの解明も難解にしているのである。

 

日が沈み、月が頂点に辿り着く頃。宿屋の近くにちょこまかと動き回る小さな影があった。暗闇の中、薄茶色の体毛は月明りを反射して僅かばかり子ネズミのシルエットを浮かび上がらせるが、サイズが手の平よりも小さいためスキルを使って注視でもしない限りは気のせいだと思ってしまう程度である。仮に発見されてしまったとしても、街中に棲んでいる無害な小動物型mob(クリッター)にしか思われないだろう。

 

その影の主である子ネズミは、宿屋の周りを何かを探すようにうろちょろし、誰かが開けっ放しにしたのであろう小窓を見つけると一直線に潜り込み宿屋の中に侵入した。

 

宿屋の中には、小さなランプをつけて健気にもプレイヤーを待つ受付NPCがいるだけであり、この宿屋を借りているプレイヤーたちは既に寝静まっているようであった。

 

宿屋に入った子ネズミは、念のため人目につかないように物陰から物陰へと、短い足を懸命に使って宿屋を駆け回り、《27》とプレートに書かれた部屋の前に辿り着くとその足を止める。そこで何をするのかと言うと、子ネズミは僅かに助走をつけて跳躍し、自分の体長の十数倍もの高さにある27号室のドアノブにしがみついた。

 

厳重な鍵が掛けられたドアノブは子ネズミ一匹程度の重さではビクともしなかったが、むしろその方が好都合とでも言うようにドアノブを足場にして鍵穴を覗き込んだ。

 

しばらく中を覗いた後、子ネズミは異様なほど細長い針金のような尻尾を揺らしてギザギザになるように折り曲げた。それらのギザギザは一つ一つの大きさが異なり、まるで一本の鍵であるかのようにも見える。

 

まさかと思っていると、案の定、子ネズミは尻尾を鍵穴に突っ込む。そして、微調整をしているのか尻尾を細かく動かした後、根元から鍵の形をした尻尾を捻った。

 

ーーガチャリ

 

その瞬間、確かに鍵の開く音が響いた。

 

音を聞いた子ネズミは素早く鍵穴から尻尾を引き抜くと、今度はドアノブに尻尾を巻き付けて捻り、廊下に向かって跳躍する。そうすると、小さな体とは裏腹に意外とパワフルなのか、子ネズミからしたら巨大な絶壁であるかのようなドアがネズミ一匹が通れる隙間を作って開いた。

 

直ぐさま隙間を通って27号室に入った子ネズミは部屋を見渡し、備え付けのテーブルによじ登る。予想通り、そこには子ネズミの主人が求めている手紙が置いてあり、子ネズミは尻尾を使って雑誌を縛るような形で固定すると、ひょいと手紙を持ち上げた。

 

そこまですると、子ネズミは元来た道を辿るようにして宿屋を出て、小動物だけが使える建物と建物にある隙間を通って宿屋とは反対側の通りに向かった。

 

隙間から出ると、子ネズミの目の前を青年が通り過ぎようとしているところだった。

 

「チチッ!」

 

子ネズミは嬉しそうに鳴くと、青年の後ろから背中に飛び付き、そのまま深緑色の服をよじ登って青年の左肩に腰を落ち着けた。

 

◇◆◇◆

 

「おかえり。ミック」

 

青年ーースクエアの労いの言葉に、ミックはスクエアの頰に甘えるように頭を擦り付けることで答えると、運んできた手紙をスクエアの目の前に差し出した。

 

「ありがとう。誰にも見つからなかったかい?」

 

「チュィ」

 

「さすが」

 

スクエアは手紙を受け取り、それとは反対の手でミックにチーズを与える。

 

それを見たミックは、目を輝かせて差し出されたチーズに齧り付いた。

 

耳元から聞こえるミックの咀嚼音にこそばゆさを感じながら、スクエアは手紙を開いた。

 

夜闇の街を歩きながら、そこに書かれている内容と少年の言葉に差異がない事を確認する。

 

「確かに、お承り致しました」

 

手紙を読み終えたスクエアは、メニュー画面を開いて手紙をストレージにしまいながら無駄に丁寧な言葉で呟く。

 

そこから更にメニュー画面を操作して、彼の正体を知っている唯一のプレイヤーにメッセージを送った。

 

【こんばんは。夜遅くに悪いね。調べて欲しい事があるんだ。】



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鼠と泥棒

今回、ヒロイン登場


夕闇に沈む第十九層。現在の最前線より少し下の階層にスクエアは来ていた。

 

最前線のすぐ近くという事もありこの階層を拠点としているプレイヤーはまだまだ多く、迷宮区までの中継地点と言える小さな村にも緑のアイコンを浮かべた人の姿がちらほらと見える。

 

ポーチの中で回復結晶と一緒に眠っているミックを起こさないようにのんびりと歩きながら、スクエアは村の中央付近にある二階建ての建物に入った。

 

この建物は一階が酒場、二階が宿屋になっており、扉を開けると、まず開けたスペースに並べられた木製の簡素な丸テーブルとカウンター席が目に映り、そのほとんどをプレイヤーたちが埋めていた。

 

みんながみんな思い思いに酒を呷り、今日の疲れを癒す。酔っ払ってやけに上機嫌だったり、意味もなく泣いていたりするプレイヤーもいたりする。しかし、彼らは本当にアルコールを摂取している訳ではない。SAOは未成年も遊ぶ事が可能なゲームであるため、法律などを意識してアルコールの再現はしていないからだ。

 

その代わりと言えばいいのか、味に関してはかなり拘って再現されている。そのため、酒場の雰囲気と合わさって本当にアルコールを摂取しているかのような感覚に陥って酔っ払ってしまうプレイヤーが相当数存在しているのだ。

 

しかし、これはスクエアにはイマイチ分からない感覚であった。

 

と言うのも、再現されている酒はどれも苦味が強いものばかりであり、例外があるとしても《蜂蜜酒》のようなゲームでもお馴染みの《アイテム》だけで飲酒しているような感覚にはならないからだ。

 

これは、ゲーム内で飲酒をした未成年が現実でも飲酒をしてしまうのを防ぐための配慮から来ている。そのため、アルコールを知らない人からしたらSAO内の酒とは何故好き好んで飲むのか分からないような代物だったりするのだ。

 

ちなみに、飲みやすい酒と同じ味がする飲み物も存在するにはするが、それらはカフェテリアや茶屋などのオシャレ感溢れる店でジュースとして売られているため、今までにそれらを飲んで酔っ払ったプレイヤーはいない。

 

何事も、雰囲気というものは大切なのだ。

 

閑話休題。

 

酒場をグルッと見渡したスクエアは、カウンター席の端っこに室内だというのに褐色のフードを被った小柄なプレイヤーを見つける。フードを被ったそのプレイヤーはカウンター席の左から二番の席に座っており、他のプレイヤーと絡むことなく一人で静かに木製のジョッキを傾けていた。

 

「グッドイブニーング」

 

スクエアは、そんなフードを被ったプレイヤーのわざとらしく空けられた左隣の席に着き、その人物のフードの奥を覗き込む。

 

フードに隠れた顔は、高校生くらいの少女のものであった。

 

突然、一人の空間を邪魔された少女は、金色の瞳でジロリと無礼者の顔を睨めつけるが、相手が自分の知った顔だと気がつくと、フードの奥で髭のようなペイントがされた頰を上げニタリとした笑みを浮かべた。

 

「待ち合わせより少し遅いんじゃないカ。スー太郎?」

 

男勝りな口調でスクエアを妙な呼び方で呼ぶ少女。くるんとした金褐色の巻き毛髪と特徴的なフェイスペイントは愛嬌があって可愛らしいが、そのふてぶてしい眼光と合わせると途端に狡猾なネズミに見えてきて素直に可愛いとは言いがたい。

 

この少女こそが、SAOで最も有名な《鼠のアルゴ》の異名を持つ情報屋であり、スクエアと協力関係にあるプレイヤーであった。

 

昨晩メールを送った人物もアルゴであり、スクエアは今回アルゴに集めてもらった情報を受け取るためにこの酒場を訪れたのだ。

 

「ミックが寝ちゃったからゆっくり来たんだよ。それよりアルゴ、いい加減その変なニックネームやめてくれないかな?」

 

「にゃハハハ! それはダメだナ!」

 

「ヒッデェ」

 

スクエアの要望を一笑のもと断るアルゴ。それを受けてスクエアが肩を落としてショックを受けましたといった態度を取るも、特に気にした様子も無く持っていたジョッキを呷る。

 

そんな二人の態度から、お互いに気心の知れた仲であることが伺えた。事実、先ほどの掛け合いは会うたびに繰り広げているものであり、スクエアが肩を落としたのもただの演技である。

 

「それで、最近の調子はどうですか? 何かいい情報手に入りました? もしありましたら是非頂きたいのですが」

 

演技から一変、揉み手をしてご機嫌取りをするスクエア。

 

「なんだスー太郎。オイラからタダで情報を手に入れようっていうのカ?」

 

そんなスクエアを、アルゴはジトッとした目で睨みつける。

 

「いいじゃないですか、別に」

 

「ダメだヨ。スー太郎だけ特別扱いしちゃあオイラのお髭の沽券に関わるからナ。………でもまあ」

 

プイッとそっぽを向くことで拒絶を表す。その後、小さく呟くように言葉を漏らすと、アルゴはメニューウィンドウを開いてスクエアの方にスライドさせた。

 

スクエアの目の前に流れて来たのは、二枚のウィンドウ。酒場のメニュー表と、それに隠すように浮かぶあの少年の指輪を奪った男たちに関する情報であった。

 

「贔屓にしてもらってるしナ。今日はオネーサンが奢ってやるヨ」

 

そして、人差し指を立ててコケティッシュな流し目をスクエアに向ける。

 

対してスクエアはと言うと、アルゴから受け取った直後からウィンドウを食い入るように見つめており、アルゴの視線には全く気付いていなかった。

 

「………」

 

「いたっ⁉︎」

 

なんとなくそれが不満に思い、アルゴはスクエアの足を軽く踏みつける。

 

突然の暴力にウィンドウからアルゴに視線移してスクエアは目を白黒させる。それを見て、アルゴは少しだけ溜飲を下げた。

 

「………で、何か気になるのはあったカ?」

 

「うーん………まあ、売られてないならいいかな。これから売りそうな雰囲気も無いんだろ?」

 

「無いナ」

 

「じゃ、大丈夫だな」

 

そう言いながら、スクエアは依頼情報が載ったウィンドウを閉じる。そして、アルゴが一声掛ける間を与えない早さでメニュー表からホットミルクを選択して注文を済ませた。ほとんどタイムラグ無く木製のコップが目の前に現れ、スクエアは心持ちドヤ顔でアルゴに向かって言った。

 

「今日は奢ってくれんるだろ?」

 

「そうは言ったけど、断りもなく注文するのはどうかと思うゾ」

 

「ゴチになりまーす」

 

「スクエア、流石のオネーサンでもぶん殴るゾ」

 

「………ごめんなさい」

 

目が本気なことに気が付き、スクエアはすかさず謝った。

 

「………はぁ。頼んだモンは仕方ないナ。その代わり、一品だけダ」

 

「ありがとうございます」

 

アルゴの許しが出たところで、スクエアは目の前のコップを手に取った。

 

丁寧に木を削って作られたコップにはホットミルクが八分目まで注がれており、酒場にはあまり似つかわしくない上品な甘い匂いを辺りに漂わせる。その匂いを十分に堪能してから、少しずつホットミルクを口に含んで飲み込む。蜂蜜と砂糖が混ぜられた優しい甘さが身体中を駆け巡り、スクエアは気が付けば、ほっ、と息をついていた。

 

「やっぱりスー太郎はミルクを頼むんダナ。たまには蜂蜜酒とか飲んでみたらどうダ?」

 

「大人でも無いのにお酒飲むのって、何だか気がひけるんだよ。犯罪だし」

 

「イヤ、普段からオマエがやってる事も犯罪だからナ?」

 

「俺の場合はほら、カーディナルが赦してくれてるからノーカンノーカン」

 

そう言って自身の緑色のカーソルを指差してケラケラ笑うスクエアは、同時に申し訳なさそうでもあった。



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夜のスクエア

そろそろ、泥棒っぽいことしましょうか。


アルゴと別れたあと、スクエアは一人第十九層のフィールドを歩いていた。

 

ポーチの中で眠っていたミックは既に目を覚ましており、スクエアの左肩の上で彼の代わりに周囲の警戒をしている。そのお陰で、スクエアは危険な夜のフィールドでもアルゴの情報を読み返すことができた。

 

アルゴの情報で得られたものは、男たちの編成、主な活動場所、指輪の状況の三つであり、スクエアがアルゴに送っていたスクリーンショットと共に細かく記されていた。

 

パーティ名は無し。常に4人でパーティを組んでおり、全身金属鎧の片手剣と盾を持った壁役、両手斧を担ぐ鉢巻を巻いた男と羽帽子を被ったメイス持ちの二人の攻撃役、そしてバンダナを巻いた長槍使いの補助役とバランスの取れたパーティとなっている。このうち、最後のバンダナ男がこのパーティのリーダーであり、少年の指輪を装備しているプレイヤーでもある。

 

パーティの実力としては、攻略組には程遠いが中層ではそこそこの実力。ただし、常習的に他のプレイヤーから装備品などを奪い取っており、その実力のほとんどは奪い取った装備品に由来していると考えられる。実際、アルゴが少しだけ戦闘しているところを観察したが、それほど上手いという訳でもなく装備品でゴリ押ししているような印象を受けた。

 

主な活動場所は第七層から第九層の主街区周辺のフィールドであり、時々上層に出て気弱そうなプレイヤーから装備品を奪い取っている。拠点は第八層の町外れにある宿屋で、帰宅時間はまちまちだが日が昇るまでには必ず戻ってくる。

 

以上が、アルゴの情報をスクエアなりにまとめ直したものである。

 

「片手剣、両手斧、メイス、ロングスピアね………。まあ、問題ないな」

 

戦わないに越したことは無いが、今回のターゲットは敏感な手に常に密着している指輪である。全く気付かれずというのは不可能に近く、戦闘になってしまう可能性は限りなく100に近いだろう。

 

しかし、スクエアにとってこれらの武器を相手取るのは苦手ではなく、むしろ長柄武器は得意とするところであった。そのため、戦闘になって負ける心配はあまりしていなかった。もし戦闘になってしまい、男たちの武器が盗品だったとしたらついでに取り返してしまえるくらいの余裕はありそうである。

 

「問題は男たちがいつごろ戻ってくるか。………2時くらいには眠って欲しいけど、こればっかしはアイツらの気まぐれだから待ちに徹するしかないか」

 

そんなことを考えながら、スクエアは濃鼠色のフード付きマントを装備してフードを目深に被る。その奥には、獰猛な笑みが浮かんでいた。

 

「さて、それでは行きましょうか」

 

指輪を取り返す算段を立てながら、スクエアはポーチから取り出した『転移結晶』を掲げて目的地の名前を唱えた。

 

目指すは第八層。その主街区である。

 

◇◆◇◆

 

第八層の町外れの宿屋にやって来たスクエアは、その宿屋から少し離れた場所にある建物の陰に息を潜めていた。

 

スクエアの視線の先にあるのは、件の宿屋の一室。二階中央付近にある部屋からは月が西に傾いてからしばらく経ったというのに明かりが点いており、暗い街の中で蛍火のように光を零している。

 

その部屋の中に少年から指輪を奪った男たちがいた。

 

男たちが部屋に戻ってきたのは大体10分前。収入の計算でもしているのか、それとも宴会に興じているのか分からないが、とにかく寝静まる様子は見られなかった。

 

「なあ、ミック。あいつら早く寝ないかな? 昼間はできるだけ働きたくないんだよねぇ」

 

「チチッ」

 

手持ち無沙汰に左肩の上にいるミックに話しかけるスクエア。しかし、愚痴を零しながらもスクエアの視線は須臾程も宿屋の一室から外れることはない。

 

急いては事を仕損ずる。いくらユニークスキルとはいえ、《強奪》は非戦闘スキルである。この事実をスキル獲得直後の調子に乗っていた時期に痛感したスクエアは、待つことの大切さを理解していた。

 

そうして待つこと1時間後、ようやく部屋の明かりが消える。それから更に1時間待ってから、一人と一匹のネズミたちは行動を開始した。

 

まず、スクエアはフードを被り直して《隠蔽》スキルを発動させる。暗闇に加えて濃鼠色のフードの補正もあり視界の端に《隠れ率:95%》という数字が表示されると、左肩のミックも含めてスクエアの体が暗闇に溶けるようにボヤけだし最後には蜃気楼のような小さな揺らめきを残すだけになった。

 

それから、スクエアはコソコソと小走りで宿屋の前まで移動する。その影響で蜃気楼が大きく揺らめき隠れ率が減少するが、それでも80%を下回ることはなくスクエアの姿は朧げなままである。他の人が見れば、幽霊が通り過ぎたように見えるだろう。

 

スクエアが男たちの使っている部屋の真下で動きを止めると、揺らめきを突き破るようにして薄茶色の子ネズミが飛び出してきた。ミックである。

 

両手足の爪を立てて木造の壁に張り付き壁を駆け上がるミックは、地面と遜色ない速さで男たちの部屋の窓枠まで辿り着くとその中を覗き込んだ。

 

部屋は暗く中の様子ははっきりとはわからないが、ベッドは全部で二つあり、それぞれの上に一つずつ、床に二つの人影が見える。起きる気配が無いことを確認し、ミックは尻尾を器用に使って窓の鍵を開けて部屋の中に侵入した。

 

その時、一階ではスクエアが宿屋の入り口から中に入ったところであった。

 

幽鬼のように朧げなスクエアは、受付NPCにも気づかれることなく二階に続く階段を登り廊下を進む。そして、さも夜遅くに自分の部屋に帰ってきたプレイヤーであるかのように部屋のドアノブを捻る。

 

宿屋に限らずSAOの部屋の扉は全てが開けっ放し設定にしない限りオートロックであり、使用者以外のプレイヤーは開けることができない。そのため、部屋を借りているプレイヤー以外がドアノブを捻ったとしても1°も回すことなく固い何かに阻まれることになる。しかし、スクエアがドアノブを捻ると、それが当たり前であるかのようにドアノブはいとも簡単に半回転して扉のロックを外した。

 

スクエアが部屋の扉を開くと、そこには床にちょこんと佇むミックの姿がある。つまり、このミックが内側から部屋の鍵を開けたのだ。

 

音を立てないよう慎重にスクエアが扉を閉めると、その間にミックはベッドで眠る男の方に近づいていた。

 

布装備で固めることにより発動する《忍び歩き(スニーキング)》により足音一つ立てず、ただ床で眠る男たちを踏まないように注意してスクエアもミックのいるベッドに近づく。ベッドでいびきをかいて眠っている男の顔を覗き込むと、確かに少年から奪った指輪を装備しているプレイヤーであった。

 

スクエアはその場にしゃがみ込み、人差し指で男の右手中指に嵌められている指輪に触れる。その瞬間、スクエアの人差し指と指輪が灰色に輝き、パキンッ、という指輪がポリゴンとなって砕ける音を部屋に響かせた。

 

《強奪》スキルを発動させる際にどうしても発生してしまう二つのエフェクト。

 

瞬時に高まる緊張感。男たちの誰がが目を覚ましていないか、スクエアは周囲を警戒する。

 

数瞬の沈黙の後、幸いにして男たちが目を覚ますことはなかった。

 

ここまでくれば多少は気が楽だった。唯一の懸念事項であるエフェクトだが、同時に強奪の成功を知らせるファンファーレでもある。男の中指で輝いていた指輪は砕け散り、代わりにスクエアの手の中に存在している。念のために手を開いて確認すると、男の中指に嵌っていたものと全く同じ指輪が手の上にあった。

 

依頼品さえ回収できればここには用は無い。他の盗品は気になるが、それが原因で依頼を失敗してしまっては元も子もない無い。スクエアはミックを左肩に移動させると、少し後ろ髪引かれる思いで男たちの部屋を後にした。



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朝のスクエア

お久しぶりです。
予想以上にグダグダです。


はじまりの街のメインストリートから外れた路地裏。数日前に指輪を奪われたこの場所に少年は再び訪れていた。

 

朝焼けに照らされて街が少しずつ明るさを取り戻しつつある中、少年にとって嫌な思い出しかないこの場所に訪れたのは、今朝少年が目を覚ますと《ラットピス》からメールが届いていたからだ。

 

このメールを受け取った少年は文字通り部屋を飛び出し、大慌てでこの場所に駆けつけた。

 

しかし、少年が路地裏に着いた時、そこには誰もいなかった。

 

落胆し、早とちりだったのかと少年が待ちぼうけていると、突然背後から足音が聞こえてきた。

 

徐々に近づいてくるその足音に少年は期待を込めて振り返ると、そこには霞のような全容の掴みにくい灰色の影が立っていた。

 

幽霊のようなその存在に、少年は驚き二、三歩後ずさる。それに構わず灰色の影は少年に歩み寄り、お互いに手を伸ばせば直ぐに届く距離で足を止めた。そして、メニューウィンドウを出現させるような仕草を見せたあと、何かを握り込んだ拳を少年に向けて差し出した。

 

受け取れ、とでも言うようなその仕草に、少年は恐る恐る拳の下に両手のひらを上にして差し出す。

 

灰色の影が拳を開く。そこから落ちてきたのは、見覚えのある指輪であった。

 

驚愕で目を見開き、灰色の影の顔にあたるであろう部分を見つめる。

 

灰色の影は小さく頷いた。

 

もう一度、少年は指輪を見つめた。二度と戻って来ないと思っていたものが、こうして再び自分の元に戻ってきた。指輪の微かな重みがその事実を肯定し、少年は歓喜に打ち震えた。

 

「ありがとうございます!」

 

いつの間にか、少年に背を向けて路地裏から出ようとしてきた灰色の影に深く頭を下げる。

 

灰色の影は立ち止まり、振り返ると小さな声で答えた。

 

「またのご利用のない事をお祈り申し上げます」

 

それだけ告げて、灰色の影は路地裏から姿を消した。

 

◇◆◇◆

 

第一層で少年に指輪を返した後、スクエアは依頼部屋のある宿屋をチェックアウトし、直ぐに九層の主街区に足を運んだ。第九層を選んだ理由は特に無く、宿代の最初の数字が9だったというだけである。

 

「いやぁ、終わった終わった。久しぶりに長丁場だったなあ」

 

メインストリートを歩くスクエアは、欠伸を噛み殺しながら、街の中央に向かうプレイヤーの波に宛てもなく流されていた。

 

明け方のこの時間帯は昼組と夜組のプレイヤーが入れ替わる時間であるため、街の中央に向かうプレイヤーたちは十中八九自分の宿屋への帰途にある。そのため、そんなプレイヤーたちに着いて行けば、あまり知らない街でもほとんど迷わずに宿屋に辿り着くことができるのだ。

 

「それにしても、あいつらどんな顔するんかねぇ」

 

キシシ、とでもいうような、いっそわざとらしい悪どい笑い声を漏らす。思い浮かべているのは、当然あの男たちである。

 

目を覚ましたら、指に嵌めていた指輪が消え去っている。部屋の中を探し回るが、あの指輪は見つからない。周りにいるのは自分の仲間。しかし、盗みを平気でやるようなヤツらでもある。………もしかしたら、コイツらの誰かが盗んだのでは?

 

「とか考えそうだよなあ」

 

完徹特有の妙なテンションで妄想を膨らませ、笑いを漏らすスクエア。雑踏で掻き消されているため注目こそされていないが、どう見ても変人のそれである。

 

いや、一人だけその様子を見ている人物が存在していた。

 

「朝っぱらから随分と悪い顔してるナ」

 

「うおっ⁉︎」

 

からかい混じりに話しかけて来たのは、いつの間にか直ぐ隣まで近付いていた褐色のフードを被ったアルゴであった。

 

アルゴの接近に全く気づいていなかったスクエアは驚いて飛び退り、近くを歩いていたプレイヤーとぶつかってしまう。幸い転倒などはしなかったが、迷惑そうな目を向けるプレイヤーにスクエアは平謝りするしかなかった。

 

「………マア、その様子なら無事終わったってところか」

 

「おかげさまでね。戦闘は一切起こらず、サクッと終わらせることができたよ。ただ、アイツらの帰ってくるのが遅すぎて眠いこと眠いこと」

 

今度は大きく欠伸をして、自分の疲労具合をアルゴに伝える。そうすると、アルゴは小さく「お疲れ」と言葉をスクエアにかけた。

 

アルゴからあんまり聞いたことのない類の言葉に、スクエアは鳩が豆鉄砲を食ったような顔を浮かべざるを得なかった。

 

「………なになに? 心配で様子見に来てくれた感じ?」

 

「ン〜………。マ、そういうことにしとけ」

 

戸惑いながらの質問に、アルゴは曖昧な答えを返した。

 

それに加え、意味深な笑みとフードからこちらを覗き込むコケティッシュな瞳にますます何も言えなくなるスクエア。こっちは今年で成人だというのに、慎重差のせいで子供に弄ばれているような気がしてならない。

 

「………んじゃ、そういうことにしておく」

 

唯一思い浮かぶ反撃は、素直に受け取ることしかなかった。これで痛み分けになるかどうかは分からないが、取り敢えず良しとする。

 

「………くくく」

 

ところが、一人満足していたスクエアの耳に嚙み殺すような笑い声が届いた。見れば、俯いて肩を上下に不規則に揺らすアルゴの姿がある。

 

ああ、これは謀られたんだな、とスクエアが理解すると同時に、閉じ込められていた空気が飛び出すかのようにアルゴの笑い声がストリートに響いた。

 

「ニャーハッハッハッ! なにマジメに答えてんだヨ、スー太郎! オイラはたまたま情報収集のためにこの層に来ただけだヨ!」

 

腹を抱えて大爆笑するアルゴ。もしここが宿屋やマイルームだったら、恐らくベッドの上で転げ回っていたであろう。そんな勢いである。

 

さて、そんな勢いで笑っているのだから注目されるのは当然であろう。次第に集まってくる往来を行くプレイヤーたちの視線に、スクエアは針の筵にされていた。

 

「おーい、アルゴさん? そろそろ人の視線がですね」

 

「アレくらいで動揺するなんてオマエどんだけ耐性ないんダ⁉︎ 初心すぎるダロ!」

 

「う、うるさい!」

 

結局、アルゴの笑い声は満足するまでストリートに響き続けた。



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ビーストテイマー1

サブタイトルから分かる登場キャラ


人型。獣。昆虫。鳥。岩石。幽霊。半液体。様々な姿形で浮遊城《アンイクラッド》のフィールドを闊歩するモンスターたち。その千変万化の姿と能力でプレイヤーに襲い掛かる彼らであるが、全てのモンスターがそうというわけではなく、それ以外の性質を持ったモンスターも存在している。

 

その性質は大きく分けると三つに分類される。

 

一つ目は、非好戦的モンスター。

 

彼らは、()好戦的とあるように、プレイヤーに直接危害を加えるよりも自分が逃げることを最優先にして行動を起こすことが特徴といえる。そのため危険度は最も低いが、逃る際に他のモンスターを呼び寄せたりと厄介な置き土産をするモンスターが多いのも特徴である。

 

二つ目は、中立モンスターと呼ばれるモンスターたちである。

 

フィールドやダンジョンに配置された強力なモンスターの多く分類されており、ある一定の条件を満たさない限り攻撃してこないというのが最大の特徴である。また、逆に一定の条件を満たすと一時的にプレイヤーに協力的になるというタイプもある。

 

そして、最後が好戦的モンスターである。

 

積極的にプレイヤーに攻撃を仕掛けるモンスターのことを指し、プレイヤーたちの脅威となる存在である。大半のモンスターがこれに分類されるのは言わずもがなだ。

 

さて、このように分類できるモンスターたちであるが、《プレイヤーに懐かないという》という点は一緒である。

 

好戦的モンスターは文字通りであり、非好戦的モンスターはプレイヤーに近づこうとしない。場合によっては最もプレイヤーと関わりが深くなる中立モンスターだとしても、協力的なのは長くて一クエスト程度であり懐いたとは言えない。

 

しかし、極稀に、小動物型モンスターに限り好戦的、非好戦的なモンスターの場合は襲い掛かってくることなくプレイヤーに近づく、中立モンスターは協力関係が切れても後を付いてくる、などといった友好的な興味を示すイベントが発生することがある。

 

この時、そのモンスターの餌をあたえるなどして飼い馴らすことにより、そのモンスターを《使い魔》にすることができる。

 

そんな幸運を手に入れたプレイヤーは、賞賛とやっかみを込めて《ビーストテイマー》と呼ばれていた。

 

◇◆◇◆◇

 

「あの、ピナを助けていただいてありがとうございました」

 

水晶の煌めく洞窟の中でツインテールの少女がぺこりと頭を下げた。その華奢な肩には、ペールブルーの羽毛で包まれたピナと呼ばれた小さなドラゴンが留まっており、少女と一緒に頭を下げている。

 

「いやいや、気にしないで。同じビーストテイマーのよしみってやつだよ、シリカちゃん」

 

そんな少女を前にして、スクエアはへらへらしながら照れを誤魔化すように手に持った黒塗りのステッキをクルクルと回して遊んでいた。その左肩にはミックがおり、目の前の少女と小竜をじっと観察している。

 

「私の名前、知ってるんですか………?」

 

初めて会った男性に自分の名前を呼ばれたシリカは驚きで目を丸くし、それから警戒の色を見せて半歩後ろに下がった。

 

そんな様子にショックを受け、同時にそりゃそうかと納得するスクエアは、黒塗りのステッキを腰から下げた留め具にぶら下げて何もしないことをアピールするように両手を開いた。

 

「そりゃあ、《フェザーリドラ》をテイムしたっていう《竜使いシリカ》の話は中層辺りじゃ有名だからね。使い魔はビーストテイマーの名札みたいなものだからすぐ分かったよ」

 

厳密には、スクエアは中堅攻略組くらいの実力がありメインの活動場所も最前線付近であるのだが、友人が友人なだけにこの手の情報にはそれなりに詳しかった。

 

「そうですか………」

 

バカを演じるようにへらへらしながらそう言うと、シリカは《竜使い》の下で頬を赤く染めて嬉しそうにはにかむ。

 

竜使いの噂が広がりだしたのは今年の二月頃。今が五月の頭であるから、だいたい三ヶ月が経過している。それだけ時間が経てば、《竜使い》のような二つ名にも慣れ、誇りに感じ始める頃だろう。シリカの笑みからは、そんな心情がありありと感じられる。

 

(上層じゃほとんど知られてないよー、なんて言ったらどんな顔するかなあ)

 

そんな意地悪なことを考えるも、スクエアは口に出すことはしない。これがアルゴだったら容赦しないが、さすがに十歳以上も歳が離れていそうな幼気(いたいけ)な少女にするほど人間性は死んでいない。

 

「それより、そのフェザーリドラ………ピナだっけ? その子は大丈夫なの?」

 

「はい。使い魔用の回復ポーションはもう使いましたから」

 

そう言ったシリカは、確認するようにピナの首筋を撫でる。すると、ピナは嬉しそうに「クルルル」と喉を鳴らしてシリカの手に擦り寄った。

 

そこには、つい数分ほど前にはあった二本の牙による咬み傷は無く、温かそうなペールブルーの羽毛が覆っている。

 

ほんの数分前、たまたまこの洞窟で素材集めをしていた時、コウモリ型モンスターに苦戦している少女と小竜を見つけたスクエアは、それが巷で噂の《竜使いシリカ》と使い魔のピナだと直ぐに気づき少しの間だけ二人の戦闘を観察することにした。

 

いざとなったら助けに入るつもりで眺めるも、その必要はあまりなさそうに感じた。苦戦していると言ってもHPは安全域(グリーンゾーン)を常にキープしており、単に飛行するモンスターに対して攻めあぐねているといった様子だったからだ。

 

それから数分経ち、コウモリ型モンスターのHPが赤く染まる。

 

これならフォローに入る必要は無い、と思ったスクエアは、少女の邪魔をしないようにその場を後にしようと立ち上がる。

 

その時であった。鋭い少女の悲鳴が耳に届きスクエアがそちらに視線を向けると、コウモリ型モンスターに首に噛み付かれたピナの姿があった。

 

それだけで無く、噛み付きによる継続ダメージでピナのHPが少しずつ減っており、対照的にせっかく減らしたコウモリ型モンスターのHPは少しずつ回復していたのだ。

 

コウモリ型モンスターの持つ《吸血》スキルである。その名の通り、相手に継続ダメージを与え、それに応じた分のHPを回復するスキルである。しかし、軽い衝撃を与えるだけで直ぐに振り解けるため脅威度はあまり高くないスキルだ。

 

シリカもそれは理解しているようで、足下に落ちていた小石をコウモリ型モンスターに投げつける。しかし、コウモリ型モンスターはそれなりの高度を飛んでおり、更にシリカが《投剣》スキルを取っていない事が加わって小石は大きく外れてしまった。

 

投擲を外し、その焦りのあまりシリカの目に涙が浮かぶ。その瞬間、スクエアはマントの裏に隠していた投げナイフを投擲し、コウモリ型モンスターの額を寸分違わず貫いた。

 

その衝撃でコウモリ型モンスターは思わずピナを口から離し、洞窟の天井に向かって上へと逃亡を謀る。

 

コウモリ型モンスターから解放されたピナは、数メートルだけ落下するが直ぐに体勢を立て直し、自分の翼で飛翔を始めた。

 

シリカがピナを抱きとめたとき、そのHPはイエローゾーンにまで到達していた。直ぐさま回復ポーションをピナに使用し、それから恨みを込めてコウモリ型モンスターのいた場所を睨みつける。

 

そこでシリカが見たのは、逃しはしないとスクエアの手から放たれた投げナイフが黄色の軌跡を描きながら雨あられとコウモリ型モンスターに降り注ぎ、その体をハリネズミのようされるところだった。

 

そして、現在に至る。

 

「うーん………もしシリカちゃんが良かったら、出口まで送って行こうか? と言うか、一人でこんなところに来たの?」

 

改めてさっきの出来事を思い出したスクエアは、自然とそのような事を口にしていた。

 

シリカ自身のレベルは申し分なさそうであるが、それ以外のシステム外の技能、特に判断力は年齢相応なところがあり心配なのだ。それ以前に、このような少女を危険なダンジョン内を一人で歩かせること自体がスクエアにとっては問題であった。

 

「いえ、本当はパーティを組んでいるですけど、ちょっとはぐれてしまっていて今探しているところなんです」

 

「そんな時に、さっきのコウモリに襲われたと。そりゃあ災難だったね」

 

「あははは………。ま、まあそういう訳ですから、一人で勝手にダンジョンを出ちゃう訳にはいかないんです」

 

シリカの言葉に、さすが中層のアイドルは違うな、と感想を抱くスクエア。その気になれば転移結晶で脱出できるのだろうけど、それをしないでパーティを探し回っているところに彼女なりの責任感と優しさを感じる。

 

「そりゃそうだよねー。オッケーオッケー。じゃあ、そのパーティメンバーを探すの手伝ってあげるよ」

 

益々、スクエアは一人で行かせるわけにはいかないと思った。

 

「そんな悪いですよ! 私は大丈夫ですから」

 

「まあまあ、そう言わずに。どうせ俺も素材集めで洞窟の中歩き回らなくちゃいけないから、ある意味丁度いいし」

 

「ですけど………」

 

「同じビーストテイマーのよしみだよ」

 

それが殺し文句となったのか、シリカは申し訳なさそうながらも首を縦に振った。

 

「えーと………じゃあ、おねがいしてもいいですか?」

 

「喜んで。………あっとそうだ」

 

強引ながらもどうにかシリカに了承を得ることができたスクエアは、大事なことを忘れていたのを思い出してシリカに視線を合わせた。

 

「自己紹介がまだだったね。俺の名前はスクエア。それで、こっちが俺の使い魔のミック」

 

「チュチュ」

 

「短い間だけど、よろしくね」



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ビーストテイマー2

シリカ編がいつまで続くのかは自分でもわからない。


胡散臭い人だなあ。

 

それが、スクエアに対するシリカの第一印象だった。

 

ピナをコウモリ型モンスターから救ってくれた投げナイフの精度や洞窟内でも落ち着いている様子から、かなりの高レベルプレイヤーだということは分かる。また、戦い方のアドバイスをしてくれたり、新しい作戦を教えてくれたりと、低層プレイヤーであっても歓迎するような様子なので悪い人ではないのだろう。

 

しかし、へらへらしていて摑みどころがなく、初対面だというのに同じビーストテイマーというだけで強引なくらい親切なのが言いようのない怪しさを感じさせる。

 

結果、プラス印象とマイナス印象を比べるとシリカの中ではマイナス印象の方がやや大きく、シリカがそのような第一印象を持つのは当然と言えた。

 

それにも関わらず、シリカがスクエアの同行を了承したのはーー押し切られた感も否めないがーーソロでの行動に不安を感じたからだ。

 

安全マージンを十分に確保しているとは言え、12歳の少女が一人で閉塞感のある洞窟ダンジョンを歩き回るのは相当なプレッシャーになる。その上、このSAOで一番の友人と言っても良いピナが目の前で殺されかけた後なのだから、その不安感は誰でもいいから年上に頼りたくなるような大きいものだったのであろう。

 

「そう言えば、シリカちゃんが探してるパーティメンバーってどんな人たち?」

 

ふと、シリカのやや前を歩くスクエアが振り返り、後ろ歩きになりながら訊ねてきた。

 

前を歩いているのはシリカの目の届く範囲にいるという彼なりの配慮であり、その距離もステッキを振り回しても腕一本分くらいの余裕があった。

 

そのため、後ろから様子を観察していたシリカは、スクエアの不意の行動にもあまり不安がることなく答えることができた。

 

「私含めての五人パーティで、私以外に女の人が二人、男の人が二人います。もともとはその四人でパーティを組んでいたみたいなんですけど、ピナがどんな戦い方をするのか気になって私をパーティに誘ったみたいです」

 

「フェザーリドラは珍しいからねえ。しかも《ヒールブレス》なんて珍しいスキルを持ってる訳だから、気になるのは当然か。まあ、俺からしたらその可愛さだけで………って痛いから! ミック痛いから!」

 

シリカの直ぐ近くで飛翔するピナに目を向けてスクエアがそう言いかけると、左肩にいるミックがその左耳たぶに噛み付いた。

 

SAOのセーフティにより悶絶するほどの痛みはないが、場所が場所なだけに体全体に奔る不快感は強い。慌ててスクエアが前言を撤回すると、ミックは満足したかのようにスクエアの耳を離した。

 

「ふふ。仲がいいんですね」

 

そんな一人と一匹のやり取りに、シリカは自然と笑い声を零した。

 

「いやいや、お恥ずかしいところをお見せして申し訳ない」

 

「チュ」

 

そんなシリカに、スクエアは照れ笑いを返す。ミックも恥ずかしくなったのか、スクエアの腰に巻いてあるポーチの中に隠れてしまった。

 

飼い主とペットは似るというが、使い魔にもその考え方は適応するらしい。そう思ったシリカは、また笑みを浮かべた。

 

目の前で笑われる少女にいたたまれなくなったスクエアは、咳払いを一つして話を戻すことにした。

 

「ゴホン。それで、その四人の装備のか容姿ってどんな感じなの? 分からなきゃ人探しも出来ないからさ」

 

「えーと、一番目立つのがゲイズさんですね。布装備の中に一人だけ顔まで覆った全身金属装備の人がいるのでわかりやすいと思います」

 

「そりゃわかりやすい」

 

「あとは、バンダナを巻いた盗賊っぽい格好のミリカさん。羽帽子を被ったトーガさん。私と同じ短剣使いのカタリナさんですね」

 

「うんうん。なるほど」

 

シリカから聞いた情報を、頭の中でイメージしていく。何というか、攻撃意識の強そうなパーティ構成である。もしくは、それだけゲイズの壁が厚いということかもしれない。

 

「はぐれたときの集合場所とかって決めてる?」

 

「そう言えば聞いてないです。伝え忘れかな………?」

 

「それは危なっかしいなぁ。………まあ、とりあえずこの下の階にある休憩エリアまで行こうか。もしかしたらそこにいるかもしれないし」

 

「そうですね」

 

聞きたいことを聞き終えたスクエアは進行方向に向き直る。そこで、プツリと会話が途切れてしまった。

 

いつもは関係ない話も含めてマシンガンのように話し続けるスクエアであるが、知らない人に話しかけられるシリカの心情を考えて余計な話はしないようにしていた。

 

スクエア本人としては、間をつなぐ程度の軽い世間話をすることもやぶさかではないのだが、口から出るのはからかうような言葉になってしまうことを知っているために迂闊にすることもできない。

 

シリカの方も、せっかく会えた数少ないビーストテイマーであり、なおかつ自分よりも高レベルのプレイヤーであるため聞きたいことはたくさんあるのだが、胡散臭いという印象のために自分から話しかけることに二の足を踏んでいた。

 

そのため、二人の間には、仲良くなりたいのけれど遠慮している、という微妙な沈黙が生まれてしまっていた。

 

◇◆◇◆◇

 

「あ……あの、スクエアさん」

 

会話が途切れてから十五分後。休憩ポイントに向かって黙々と歩き続ける二人であったが、ついにシリカの方が沈黙に耐えられなくなった。

 

「ん? なに?」

 

「えーっとですね………」

 

スクエアは首だけ振り返ってシリカの方に視線を向ける。

 

しかし、そこに来て何を話すか全く考えていなかったことに気付いたシリカは、しどろもどろになって右へ左へと視線を泳がせた。

 

何でもいいから話題を探していると、シリカの視線は先ほどミックが潜り込んだポーチで止まった。

 

「ミックちゃんとはどこで出会ったんですか?」

 

「え? ミックと?」

 

予想外の質問に、スクエアはきょとんとした表情を浮かべる。

 

「はい。私、この層までのダンジョンでミックちゃんと同じモンスターを見たことがなかったので………」

 

「あー………それもそうか。確かに、シリカちゃんは見たことないかもね」

 

と、シリカが素直に気になったことを打ち明けると、スクエアは一人納得するように頷いた。何かしらの理由があるのだろうが、それが全くわからないシリカは「はぁ……」と返事ともつかない返事をするしかなかった。

 

「うん、いいよ。それじゃあどこから話そうか………っと、そういうわけにもいかないか」

 

「え?」

 

懐かしむような柔らかい笑みを浮かべて頷くスクエア。そして、どうやって話そうかと腕を組んだ瞬間、足を止めて前方を軽く睨みつけた。

 

スクエアの視線の先にあるのは、モンスターの出現を表す小さな空間の揺らめき。

 

そこから現れたのは、先ほどのコウモリ型モンスターが二体と小さな斧を手に持った醜悪な小人が二体であった。

 

「モンスターが四体も⁉︎」

 

「きゅるるる………」

 

モンスターの数に驚愕するシリカと、さっきのコウモリが二体いることに脅えるピナ。

 

「うーん、これは俺が呼んじゃったかなぁ?」

 

対照的に、スクエアは困り顔を浮かべるだけで怯むことはなく、非常にリラックスした様子で黒いステッキを構えた。

 

「リベンジマッチってことで、シリカちゃんたちはコウモリを一体でいいからお願いできる? その間に、他の三体をちゃちゃっとやっつけちゃうから」

 

大雑把なスクエアの作戦に、シリカはピナに気遣うような視線を送る。

 

シリカと視線を合わせたピナは、少し逡巡するような仕草を見せると、自分を鼓舞するように短く勇ましい声で鳴いた。

 

「はい! 大丈夫です!」

 

ピナの決意を見て頷き、シリカも短剣を構える。

 

「でも、大丈夫なんですか? 三対一ですよ?」

 

「大丈夫、大丈夫。こいつがあれば事実上の一対一だからさ」

 

心配気なシリカの声に、スクエアは牽制のために小人に向けたステッキの先端を空中に円を描くように動かしながら自信満々に答えた。

 

長さ約90cm。太さ約2cm。持ち手がUの字に曲がり、唯一白塗りの先端部分を除いて全身は漆黒に染め上げられている。

 

まさしく《ステッキ》としか言いようのないその外見は、はっきり言って、シリカからしたらネタ武器にしか見えない。仮に弱い武器じゃなかったとしても、それをメインで使っているとは到底思えなかった。

 

「………本当に大丈夫なんですか?」

 

「本当に大丈夫! オニーサンに任せなさい!」

 

言外に心外だと伝えながら、スクエアはコウモリに向けて投げナイフを一本投擲した。



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ビーストテイマー3

スクエアとミックの出会い
次回は少し事件が起きるかもしれません


結果から言って、シリカの心配は無用であった。瞬く間に三体を無力化し、ほとんど序盤からシリカに加勢するだけの余裕をスクエアが見せたからだ。

 

自分の戦いに集中していたシリカは、その戦いっぷりを見ることは出来なかったが、巧みなステッキ捌きでモンスターたちをあしらう姿は想像に難くなかった。

 

まあ、そんな訳でモンスターを打ち払ったスクエアとシリカの二人は、そのまま洞窟内を進み休憩ポイントに到着するのであった。

 

「綺麗なところですね………」

 

シリカの言葉通り、休憩ポイントに広がる光景はとても綺麗なものであった。

 

通常であるなら直径20mくらいの広さがある岩肌の露出したドームであるのだが、その壁面は微かに薄い水色に染まっており、水面が夕日を反射するように煌めいてているのだ。

 

気になったシリカが近付いて壁面を観察すると、岩肌の表面が水晶のような鉱物でコーティングされていた。これが、誰が置いたかわからない松明の光を反射しているのだろう。

 

「見た感じ他には誰もいないか」

 

ポツリと呟いたスクエアの言葉に、幻想的な光景に目を奪われていたシリカは自分が何をしにここに来たのかを思い出す。慌てて周りを見回すが、確かに、シリカたち以外の人影は無かった。

 

「まあ、広いダンジョンで打ち合わせもなく合流なんてそうそうできるものじゃないからなあ」

 

居ればラッキー程度に考えていたスクエアは、淡々とした声で言った。

 

「取り敢えず休憩しようか。待ってれば来るかもしれないし」

 

メニューを開き、アイテムストレージから大きめのレジャー用カーペットを出現させたスクエアは、壁際に敷いて座り込みシリカとピナを手招きした。

 

「し、失礼します」

 

呼ばれたシリカは、ピナを抱きしめ、少しためらいながらカーペットの端の方にちょこんと座った。会ってまだ間もないスクエアの領域に踏み込むことに緊張したからだ。

 

そんな気にしなくていいのに、とスクエアは微苦笑を浮かべる。その一方で右手は忙しなく動いており、二人の間に湯気の立ったティーポットと二つのカップ、そしてお茶請けのビスケットと漫画でよく見る穴あきチーズを出現させた。完全にプチお茶会の様相である。

 

準備の良いスクエアに、シリカは目を丸くした。

 

「これ、いつも用意してるんですか?」

 

「まあね。戦闘の後の優雅なティータイム。ンー、癒される」

 

慣れた手つきで紅茶を注ぎながら、ドヤ顔で答えるスクエア。

 

そんなスクエアの顔を、シリカはまじまじと見つめてしまった。自由奔放な人、という印象が追加された。

 

「はい、どうぞ」

 

そんなことを考えていると、スクエアからカップが差し出された。注がれた紅茶からは緩やかに湯気が立っており、芳醇な香りをシリカに届けた。

 

「あ。ありがとうございます」

 

その香りで幾らか緊張の解けたシリカは、ピナを隣に下ろしてから紅茶を受け取ると、まずは一口だけ口に含み、静かに飲み込んだ。市販で売っているペットボトル飲料のような飲み慣れた味と香りであったが、疲れた心にはそれだけで充分であった。

 

スクエアの方も同じように紅茶を静かに飲んでいた。よく見れば目尻が垂れており、癒しを満喫しているようであった。

 

「チュチュ」

 

そんなスクエアに、いつの間にかポーチから出てきていたミックが催促するように鳴いた。

 

「はいはい。少々お待ちください」

 

スクエアはまるで臣下のように傅くと、カップを置いて穴あきチーズを手に取り、ミックのサイズに合わせて千切ってから差し出した。

 

それをミックは短い両手を使って受け取ると、小さな口を素早く動かしてカリカリと嚙りだした。

 

大切そうにチーズを抱きかかえる姿はそれだけで可愛らしく、シリカは小さく笑みを浮かべる。

 

ふと、何かに気づいたシリカが視線を落とす。するとそこには、物欲しげな目でシリカを見つめる小竜の姿があった。

 

「あ! ごめんねピナ!」

 

慌ててストレージからナッツを取り出す。それを見て、ピナは歓喜の鳴き声を上げた。

 

それから、スクエアとシリカは、時折ビスケットを摘みながらそれぞれの使い魔が満足するまで食べ物を与え続けた。

 

そして、ミックとピナが満足し、スクエアが一杯目を飲み終えたところで切り出した。

 

「なんだかんだあって流れちゃったけど、ミックとの馴れ初めを話してなかったよね。まだ聞きたい?」

 

確信を持ちつつの確認に、シリカは迷うことなく頷いた。

 

「オッケー、オッケー。それじゃ、何から話そうかーーー」

 

◇◆◇◆◇

 

カツカツカツ、という規則的な足音が薄暗い冷たい石造りの廊下に反響する。

 

左右には鉄扉のついた窓の無い部屋が無数に並び、時折ある開かれ鉄扉から中を覗き込むと両手両足を鎖に繋がれた白骨死体が床に横たわっていた。

 

まるで監獄のようなこの場所は、迷 第九層の迷宮区であった。

 

そのダンジョンの中を、当時は積極的に攻略に参加していたスクエアはダンジョン攻略のため一人で歩いていた。

 

この時点で《強奪》スキルを獲得していたスクエアは投げナイフなどの補助武器を除いて丸腰であり、端から見れば危険極まりない格好であったが、その表情は自信に満ち溢れていた。言い換えれば、新しいスキルにはっちゃけていた。

 

「お。あったあった、みーつけた」

 

延々続く廊下を進み続けていると、スクエアの目の前に今までの錆びた鉄扉とは違う、一際は頑丈そうな両開きの扉が現れた。

 

この扉の先に上の階に続く階段があると確信したスクエアは、力一杯扉を引いた。しかし、ガシャン、という阻まれる音が監獄に響くだけで扉が開くことはなかった。

 

「まだ解鍵はされてない、っと。じゃあここが最前線か」

 

第九層迷宮区は、難解なギミックがあったり複雑な構造をしていたりする、なんてことは無い非常に単純なダンジョンである。ほぼ正方形に近い牢屋が規則的に並び、最奥にある鍵の掛けられた頑丈な鉄扉を開けて階段を上がっていくだけなのだ。

 

回れ右をして鉄扉を後にしたスクエアは、取り敢えず一番近くにあった牢屋の中に入った。そして、牢屋の中を注意深く探索し、目的のものが無いと知ると直ぐに牢屋を出た。

 

それを、しらみ潰しに行っていく。

 

スクエアが探しているのは、各階層に設置された看守室の鍵である。

 

何故そんなものが牢屋にあるのかと疑問はあるが、そういうギミックなんだと無理やり納得するしかない。とにかく、ダンジョン攻略に必要不可欠なものなのでスクエアは慎重に看守室の鍵を探した。

 

探索から30分。そろそろ探索した部屋が十を越えるが、まだ鍵は見つかっていなかった。

 

ハズレ部屋から出て、少しでも疲れを取るためにスクエアは首を回す。

 

「あー……どこにあるんだー……」

 

深く深く息を吐き、疲れ切った低くしわがれた声を発するスクエア。迷宮区のモデルが監獄ということもあり、建物の放つ圧迫感が精神をじわじわと疲弊させていたのだ。

 

少し休憩しよう、とスクエアが考えた。その時だった。

 

「イッテェエエッ!」

 

「っ⁉︎」

 

監獄にスクエア以外のプレイヤーの声が反響した。

 

悲鳴と苛立ちを半々にした怒鳴るような声に、完全に気を抜いていたスクエアは肩を強張らせて恐る恐る声の聞こえた方に目を向けた。

 

先にあるのは、淡い蝋燭の光を呑み込む監獄の薄闇。

 

さっきの怒鳴り声は、パーティ内で喧嘩したからか、あるいは思わぬトラップにはまったからか。スクエアは気を引き締めて、声の聞こえた方に向かって走り出した。

 

いくら単純な構造と言っても迷宮区。スケールはそれなり以上ある。スクエアが全力疾走する途中にも、「ふざけるなっ!」「コノヤロウっ!」と言った怒鳴り声がスクエアの耳に届いた。

 

その内容から、怒鳴っている人物が優位な立場にあるのが分かった。それでは、何に対して怒鳴っているのかという話になるが、それが他のプレイヤーだった場合はまた別の意味で急行しなければならない。

 

なんにせよ、のっぴきならない状況かもしれないので足を止めるわけにはいかなかった。

 

次第に怒鳴り声が大きくなり、目的地が近づいてきた。そこで、スクエアは怒鳴り声の中にいくつかの笑い声が混じっていることに気付いた。嘲るようなイヤな笑い声だった。

 

思わずスクエアは眉をひそめた。最後の予測が正解だとすると、なんだか不快に感じたからだ。

 

更に急ぐと、薄闇の中に光の灯る部屋が浮かび上がってきた。監獄内でここまで強い光を灯すことができるのは、看守室しかない。

 

《鍵》を巡ったトラブルである事は確定。足を止めること無く、スクエアは看守室に突入した。

 

果たして、看守室の中にいたのは三人のプレイヤーであった。スクエアの突入により、全員がこちらを惚けたような顔でこちらを見ていた。

 

同時に、スクエアも一点を見つめて驚愕の色で顔を染めた。

 

スクエアの《鍵を巡ったトラブル》という予測は確かに当たっていた。しかし、その対象がプレイヤーではなかったのだ。

 

三人のプレイヤーたちの内、真ん中に立つ男。その右手には、針金のように細長い尻尾を力なく垂らしてグッタリしている薄茶色の子ネズミが頭を下にして握られていたのだ。

 

単純で分かりやすい構造をしていると言っても、この第九層迷宮区の監獄もボスダンジョンである。それ故に、簡単にクリアできるというわけでは無い。

 

この監獄で厄介なものは二つある。

 

一つ目が、言わずもがな《看守室の鍵》である。似通った無数の牢屋の中から各階の看守室の鍵を探し出すなど、聞くだけでもうんざりする。

 

そして二つ目は、場合によっては《看守室の鍵》よりも厄介であった。何故なら、その鍵は逃げ回る(・・・・)からだ。

 

実を言うと、看守室にある階段前の扉を開ける鍵は、錆び付いていて使えなくなっている。一階ではそのせいで詰んだと思ったプレイヤーがたくさんいたのだが、当然代わりになるものも用意されていた。

 

その代わりになるのが、逃げ回る鍵こと《ピッキングマウス》という薄茶色のネズミ型モンスターであった。

 

名前から察することができるように、ピッキングマウスは鍵穴さえあればどんな扉や宝箱でも開けるという特別なスキルを持っている。つまり、このネズミを捕まえて階段前の扉を開けさせるのがこのダンジョンの攻略法なのだ。

 

そして、その文字通りこの迷宮区攻略の鍵であるピッキングマウスが、不思議なことに男の手の中でグッタリとしていた。しかも、明らかに痛めつけられた様子で、だ。

 

「………なにしていたのですか?」

 

取り敢えず、そう言うものだと状況を丸呑みしたスクエアは、ピッキングマウスを握る男に向けて静かに訊ねた。

 

ピッキングマウスは、非好戦的モンスターであるため戦闘が起こることはまずない。また、モンスターを呼び寄せるスキルも持っていないため危険度は最低と言ってもいいほど安全なモンスターである。

 

そんなモンスターを、こうまでするのは故意に行うしかありえなかった。

 

それでも、ただの偶然でこうなったーー万に一つもないないだろうがーー可能性も考慮して、スクエアはまずそう訊いたのだ。

 

それに対する男の反応は、スクエアの予想通りであった。

 

「何って、コイツがネズミの分際で俺に噛み付いて来やがったから少しお仕置きしてやっただけだぜ」

 

「噛み付いたからって………」

 

ピッキングマウスが最後に噛み付いてくるのはイベントのようなものである。この噛み付きによって手を放してしまうか放さないかで成功か失敗かを決めるのだ。

 

そうして成功した場合は一時的に捕獲したプレイヤーの所持アイテムになり、失敗した場合はは瞬く間に逃げられてしまいもう一度捕まえ直すことになる。

 

「………ふん」

 

それを知ってのこの狼藉だとしたら、スクエアにとって許し難いことである。いや、知らなかったとしても無抵抗の相手に暴力を振るっている時点で許せることではなかった。

 

男の言葉を訊き、不満を表すように一つ鼻を鳴らしたスクエアは静かに腰を落とした。

 

これからスクエアが行おうとしていることは可能か不可能かすらわからない賭けである。しかし、目の前のピッキングマウスをいち早く助けるためにも試す価値はあった。

 

ターゲットを男の右手に握られているピッキングマウスに絞り、スクエアは全力で踏み出す。

 

「おぉっと⁉︎」

 

ステータスを敏捷振りにしているスクエアの加速力は攻略組の中でもかなり上位に食い込むものである。それにも関わらず、スクエアの矢のような突進に男が反応し、避けることが出来たのは腐っても攻略組ということだろう。

 

しかし、一度目の突進をステップで避けられたスクエアは、しっかりとその跡を目で追っていた。片足が地面に着くと同時に石畳を踏みしめて方向転換し、第二射を放つ。

 

この小回りの効きの良さが敏捷振りプレイヤーの利点の一つである。あっという間に男との距離を詰めたスクエアは、鼠色のライトエフェクトを放つ左手を男の右手に伸ばした。

 

《強奪》スキルは、他人の所有物を奪い盗るスキルである。ならば、一時的とはいえ所持アイテム扱いになるピッキングマウスを盗む事は可能なのではないか、とスクエアは考えのだ。

 

些か暴論が過ぎるが、最も素早く救えると思った方法がこれであった。

 

瞬く間に距離が縮まり、スクエアの左手が男の右手に触れる。その瞬間、鼠色のライトエフェクトが強く発行し、パキンっ、という乾いた音が響いた。

 

「渡して頂きますよ」

 

ピッキングマウスが自分の物になった瞬間、スクエアは男の右手を外側に捻ることで指を開かせると、そこからぐったりしている子ネズミを素早く抜き取る。そして、ついでとばかりに男の胸を右手で押しのけて転ばせた。

 

どさっ、と音だけで男が尻餅をついたことを確認しつつ、スクエアは弱りきったピッキングマウスの小さな身体を優しく胸ポケットに入れる。そして、咄嗟に横に飛んだ。すると、間一髪スクエアのいたところを鉄製の六角形柱が通過し石畳を激しく打ち付けた。

 

他に二人いた男たちのうちの一人だろう。なら、もう一人はどこかと視線を走らせると、閉じられた看守室の扉の前で長槍を構えて立っていた。

 

状況を一言で表すなら、まさしく《袋の鼠》であった。

 

ーーーが、スクエアはそれがどうしたと言わんばかりに笑みを浮かべた。

 

「なに笑ってやがるテメェッ!」

 

尻餅をついた男が、そのままの格好で怒りの声を上げる。

 

その声に怯むことなくスクエアは笑みを浮かべたままポーチの中を探り、目的のものを取り出すと高く掲げた。

 

それは、直方体の半透明の水色の水晶であった。第九層の時点ではその水晶の価値は凄まじく高く、ボスドロップのユニークアイテムよりも価値があると言っても過言ではなかった。

 

そんな希少価値のあるものを、スクエアは惜しみなく使った。

 

「転移、《はじまりの街》」

 

そのコールの直後、水晶と同色の膜がスクエアを包み、ピッキングマウスと共にスクエアを看守室から《はじまりの街》へとテレポートさせた。

 

◇◆◇◆◇

 

「とまあ、こんな感じ。今思うと、やったことの割に呆気ない終わり方だよなぁ」

 

時と場を戻して洞窟の休憩ポイント。ミックとの出会いーーと言うよりも救出劇ーーを《強奪》スキルのところを誤魔化しながら話し終えたスクエアは、そのあっさりにも程がある幕引きに我ながら無いな、と苦笑いを浮かべた。オチが酷いにも程がある。

 

「そのあとはどうなったんですか?」

 

「そのあとは……まあ普通のテイムと同じような流れだったよ。目を覚ましたミックを連れて第九層に戻ろうとしたらウィンドウが現れて、試しにチーズをあげてみたらテイムに成功した」

 

「へぇ〜………」

 

スクエアの話を聞き終えたシリカは、少しだけスクエアを英雄でも見るような目で見ていた。

 

確かに、スクエアの話は幕引きを除けば英雄譚のような話であるため、年若く純粋な少女がそうなるのも無理もないだろう。

 

そんなシリカの視線に気がつき、スクエアはシリカの中で本当の自分とは全く違う自分が構築されているような気がした。

 

とは言っても、少女の幻想をその幻想本人がぶち壊す訳にもいかず、スクエアはその様子を黙って眺めているしかなかった。



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