【完結】 気が付くと学園都市で銀行強盗していた (hige2902)
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第一話 死線 <Dead>

雑な原作の流れ説明。
黒子達がシャッターの閉まった銀行を発見。シャッターが吹き飛ばされ、三人組の強盗が出てくる。三人組をジャッジメントですの! する。アンチスキル到着。一件落着。


 ビジネスホテルの一室でようやく一息ついた。シャワーを浴びて時計を確認する。ざっと三時間の残業だ。最後に自宅へ帰ったのはいつだったか。

 明日はゆっくり休める事を祈って ――希望に似て儚い―― 冷蔵庫からビールを引き抜く。小さなパネルに課金額が表示された。

 一杯やって酔いと疲れからかうつらうつら。不意の電子音で漕いでいた船から落とされる。携帯の着信を認めてスピーカーから内容をぼうっと聞くに、仕事に関してだった。雑に聞き流す。

 

 切羽詰まったクライアントが半泣きで支離滅裂な注文を押し付ける。()()かよ。

 

 うんざりする。割に合わない。嫌になってベッドに倒れ込む。何度この仕事を辞めようと思った事か。同情心でやっているようなものだ。いっそのことラノベかアニメの世界にでも逃げてしまいたい。

 それがおれの、覚えている直近の記憶だ。

 

 

 

 xxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

 気が付くとおれは――

 

 

 ――窓口に立ち、目立たないようにカウンターの上で銃を行員に向けていた。ダークグリーンの大きなダッフルバッグも置いてある。映画で見たフィルソンのラージサイズだ。

 おれののんびりとした思考とは反対に、ひきつった顔の女 ――パートだか契約社員、どっちでもいい―― が固唾を飲んでいる。

 耳鳴りのような静寂が次第に薄れると人人の会話が聞こえてきた。ゆっくりと思考は、滲むように取り戻される。銃口は行員に向けたまま横に寝かせる。銃身の側面には【CZ 91S SCORPION】と刻印されてある。スコーピオン、映画でよく見るが、おれの握っている物はワイヤーストックどころかサイトすらオミットされている。というかこんな小さかったか? 拳銃より少し大きい程度。そういうバリエーションなのだろうか。

 左手に書類袋を持っていた事に気づき、さっと握ったままの銃に被せた。

 

 唐突の事過ぎてそれ以外に身体が動かない。行員の右腕がカウンターの下でもそりと動くのを眺め、反射的に銃を意識させるように右腕を少し突き出す。かさりと書類袋が擦れた。もう非常ボタンは押されてしまっただろうか。

 

 というか何故おれは強盗をやっているのだ? なんだこれは?

 

 カウンターの上に置かれていたダッフルバッグを行員が手に取る。ゆっくりと席を立ち、支配人と思わしき人物のデスクへと、おれから視線を逸らすことなく向かい、耳打ちしている。支配人のぎょっとした目がおれを向き、行員からダッフルバッグを受け取ると覚束ない足取りを金庫へと向かわせた。

 

 そういえば、ここは信金だろうか銀行だろうか。まあ、この店の規模から考えて支店であることは間違いなさそうだ。ぐるりと視線を巡らせる。周りの人間はおれの行動に気をやっている様子もなく引き出しやらの用事を済ませている。客は四人。行員も四人、少ないな。壁掛け時計で夕方を確認。そのすぐ隣に貼り付けてあるプレートにギョッとする。

 

【いそべ銀行 学園都市支店】

 

 天井の隅に備え付けられたテレビを見やる。『――という事で、今年も指定校のシステムスキャンが終わった訳ですが――』と、ニュースキャスターが語る。『――気になるレベル5到達者の――』

 

 ウィスキーの事でもMtGのジャッジの事でもないよな。

 念の為、自分の頬をつねると今さらに世界が現実味を帯びてくる。心臓がこの瞬間まで止まっていたかのように息吹をしている。身体が熱い。

 おれはじっとりと嫌な汗が額を這うのを自覚した。

 

 やはりここは、いそべ銀行学園都市支店だ。行員は少ないが、学園都市の科学水準による効率化された結果、人員削減が達成されているのだ。いや何をのん気におれは……おれはついさっきまで仕事終わりの一杯をやってうつらうつらしていたはずなのに!

 せめて一休みしてからにしてほしいよ、と所帯じみた文句を即席の神に垂れる。

 

「――ごめんなさい」

 

 金の袋詰めを待っていると、背後から女が小声で話しかけてきた。ちらと肩越しに視線をやるがツバの広い帽子をかぶっていて顔は伺えない。

 

「ごめんなさい、付いて来てしまって、でもやっぱりあなた一人に罪を着せるのは、その……」 

 と申し訳なさそうに。勿論おれにとってこの女の声に覚えはない。

 

 混乱する頭は短時間で様様な疑念が渦巻いた。

 

 まずそもそも覆面すらしてないってどういう事だ? いや、していたら周りの客に気付かれるからか。というかこの後おれはどうすればいいんだ。学園都市で強盗なんてやって、アンチスキルやジャッジメントなどから逃げられっこない。もっとまともな手口はなかったのか!? おれ。

 今更だが獄中生活ってどんなんだ? やっぱ獄の風呂場で石鹸を落としたら掘られるのか? なんかの被験体にされたりするんじゃないか? 捕まった事がないからわからん。

 まずい、この状況はやば過ぎる。何とかしなくては。

 

 沈黙するおれを不審に思ったのか、女が恐る恐ると見上げてくる。妙齢の、疲れた顔をしており幸薄そうな雰囲気の。安っぽいブラウスとロングスカートに薄手のカーディガンを羽織った出で立ちだ。

 

「お、お待たせいたしました」

 カウンターから震える声と腕でダッフルバッグを差し出され、反射的に受け取る。

 重い。十キロはある。だいたい一億前後くらいか、支店にしてはかなりの額。やはり学園都市は一味違う。

 銀行は損害保険によって保険会社から補填されるので抵抗はされないと映画で見たが、どうやら本当のようだ。()()()()()()()()()()()()()気がするが。

 

 本心を言えばこの女の事などどうでもいい。二つの考えが瞬間的に脳裏をよぎる。さながら善と悪。おれだって人間だ。右肩に食い込むダッフルバッグのベルトは悪魔の鉤爪のようで、軽い左肩では天使が浮いている。そのまま両耳元で囁かれる。

 

 今ならまだ間に合うかもしれない。情状酌量の余地を得る為、おれは今すぐダッフルバッグを銀行に返すしかない! まずは女が銃器を持っている可能性を考慮して、ハンズアップさせてから腹這いにさせて拘束、武装解除、その後、金を銀行に返す。どうせもうアンチスキルは呼ばれているだろう。

 やるしかない。はっきり言って理不尽極まりない逮捕だがそれ以外に方法がない…………それとも、それとも本当に逃げ切れるのだろうか?

 

 このまま離脱するという誘惑を覚えながら、羽織っていたミリタリージャケットのポケットの中、自制心を掌握するように汗ばんだ手で銃把を握りしめる。易き道へと向かいそうになって。

 どうせこの女は強盗するような悪党だ、男に破滅をもたらすおれの運命の女、ファムファタルに違いない。ちょっとくらい手足を撃ってもバチは当たらんだろう。

 やるか?

 

「ありがとう」

 出口に向かう途中で先を行く女が呟くように言った。

「うん?」

「これで娘の病気を治せる。悪いお金だけれどそれでも」 薄らと涙さえ浮かべて振り返り、おれを見やって続ける。 「ごめんなさい、本当に。無関係のあなたにこんな事をさせてしまって」

 

 やりにくいな!

 

 おれは何とも言えない表情で半開きの口から、気にするなよと適当に捻り出し、自分の左手の薬指を親指の腹で探る。女と婚姻関係にあるわけではないことを再確認。

 推察するに女の娘さんは難病で、医療費を確保する為に銀行強盗に踏み出した訳か? で、おれがそれを手伝ってると。

 いっそ遊ぶ金欲しさのどうしようもないプー太郎ならこっちも気兼ねなく銀行に金を返せるというのに。世の中そうそう上手くはいかないようだ。

 女が嘘をついている可能性もゼロではないが、なんというか、身体から発せられる物憂げな感じが真実味を裏打ちしてくる。化粧っ気も香水の匂いもないし、爪も弄ってない。服の生地は量販店の安物ちっくだ。

 なんというかもう、やりにくいな!

 

 本当にいいのか? このまま銀行を後にして。()()()()()がどれだけお人好しなんだよ。おれの主観では女と何の面識もないんだぞ。言ってしまえば赤の他人の為に罪を犯しているようなものだ。せめてこの女と寝たとか、そういう記憶があれば多少は納得できるが、ない。直近の記憶は疲れとビールだけだ。あんまりな気がする。

 

 聞いてみようか知らん。おれ、あんたと寝た? 銀行強盗なんて大犯罪の途中で何とも下世話な事を考える。三大欲求はやはりというか、危機感より上位に位置するようだ。女の小振りな腰を見やる。上下で千円以下の下着だろう、娘の医療費の為に倹約しているのなら。

 くだらない事を思考しながら、ふと全面ガラスから外を見やる。白い三角巾でマスクしたあからさまに怪しい三人組が、もう自動ドアのすぐ近く。半端なロンゲ、短髪、ドレッドヘアの太っちょ。三人ともお揃いっぽい黒のレザージャケットに身を包んでいる。

 

「抵抗するなよ」

 

 おれはとっさに女へ口走る。そのシリアスな口調からか、それほど二人の信頼関係が固いのかはわからないが、女は小さく頷いた。おれはそっと出入り口から最も遠い場所に後ずさる。

 

『てめえら全員腹這いになれ! 消し炭にされたくなきゃあな!』

 

 三人組のいかにもな銀行強盗の出で立ちに客と行員の視線が注がれる中、これ見よがしと短髪が掌に火球を生み出して周囲を威嚇する。

 まず短髪が支配人にシャッターを降ろすように命令する。次にロンゲがバッグから目隠しの布と手錠を取り出して次次に客を拘束。ドレッドヘアがカウンターを飛び越え、行員にも同じ処理をしている。支配人だけは例外で、金庫の鍵を明けさせ、金をバッグに入れるのを手伝わせている。

 

 重たいダッフルバッグを床に降ろし、不自然でない程度に時間を掛けて腹這いになりながら行内を観察してわかったのはこれくらいだ。ひんやりとした床にうつ伏せになって絶望する。

 ああこれ不味いやつ。これこの後すぐ絶対にジャッジメントとアンチスキル来る。もう駄目かも。こいつらに教えてやりたい。ジャッジメントには、校外でも活動し、捕まえたが最後、心も体も切り刻んで再起不能にする、最悪の腹黒テレポーターがいるんだぞ。おれは再起不能になりたくない。

 

 しかしこいつら結構統制が取れている。ドレッドヘアはカウンターの向こう、ロンゲは待合が持ち場。短髪のパイロキネシストが出入り口で全体を見渡して睨みを利かせている。

 ご丁寧に全員を拘束しているこの様子だと、銀行の金ばかりか貸金庫の中身まで掻っ攫おうという腹なのだろう。少しでも通報までの時間を稼ぎたいからわざわざ手錠なんかを用意しているのかも。しかし恐らく、おれが金を持ってカウンターを離れた瞬間に受付は非常ボタンを押しているはずだ。

 

 憐れに思っているとロンゲが役得とばかりに、女を拘束するついでに胸元に手を突っ込んで乳房をまさぐっていた。見えない所でもしっかりと、わかりやすい噛ませ犬フラグを立てている。

 女は恥辱を堪えようとするも、閉じた口から小さな悲鳴を滲ませていた。訴えるようにおれを見やるが目隠しで終わる。ロンゲは満足したのか、最後の客 ――とやつらは思っている―― おれを拘束しようと近づいてきた。これ見よがしに手錠を人差し指で回しながら。

 

「ふざけんな! こんな少ないわけないだろうが!」

 とドレッドヘアの怒声。何事かとロンゲがカウンターの向こうを見やる。

「あの、その、残りは……」

「有価証券はいらねえんだよ」

「あの、あの人が」

 

 許しを請うような声。その直前、おれは三人の注意が支配人の言動へ注がれている間に飛び起き、ジャケットから抜き出した銃をロンゲの胸元に突きつける。本当はかっこよく額か下顎にといきたい所だが、急に動かれたりしたら外れそうなので妥協した。

 

 てめえ、と唸るように小さくロンゲ。 「てめえが持ってん、のか? この銀行の残りの金を」

 

 ジャッジメントとアンチスキルが現れるまで残り時間は少ないだろう。急がなければ。こいつらは既に非常ボタンが押されているであろう事を知らない。

 おれは朗朗と言う。静まり返った行内に響いた。そうとも、こいつらは知らないのだ――

 

「おまえらが誰の金を奪おうが勝手だが、おれの金は別だ。失せろ」

 

 ――おれも強盗だという事を。

 

 未曾有の危機的状況に脳内麻薬様物質が弾け出て止まらない。ニューロンのダムが決壊してドーパミンを濁流のように吐き出しているようだ。気分はムービースター。おれはクライド、ボニーが頼りないのがキまらないが。

 

 その高鳴りと反比例するように精神は安定している。極めて冷静に、この局面を客観視できている。

 だからかだろうか、今さらながらに気付く。おれの握っている銃はこれたぶんモデルガンだこれたぶん。恐らく学園都市で入手しただけあって見た目はまんま実銃の外見みたいだけど、だって軽いんだもん。本物を持ったことがないから正確に比較できている訳じゃないが。

 モデルガンだこれたぶん。

 

『――また、学園都市の犯罪率は昨年と比べて減少傾向に向かっており――』

 

 テレビの中でニュースキャスターが他人事を言っている。拘束されている客の一人が額に青筋を立てている。おれも丁度そんな気分。

 




次回 二三日以内


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第二話 駆動 <Drive>

「あ? こっちにゃレベル3のパイロキネシストが居んだぞ。てか一般人がなんで銃を持ってんだコラ」 とロンゲ。短髪が後を継いだ。

「焼死は辛いぞ、炎は酸素を消費するようなもんだから息もできずに苦しんで死ぬ」

 

 おれは吐いた言葉に反して僅かに引いたロンゲの身に、追うように銃口を押し付けて答える。

 

「一般人じゃないから銃を持っている。焼死がどうした。その言いようだと能力者は黒髪一人だって白状してるようなもんだ。つまりロンゲ、どうやってゼロ距離から発射される亜音速の弾丸から逃れるんだ? おまえが何らかの能力者ならまだしも」

 

 固まっているドレッドヘアに視線をやって、続けて言った。

 

「まあ、このロンゲごとおれを焼き殺せば分け前は増える訳だから、おまえの期待している事もわからんではないが」

 

 後はこのロンゲを人質に女と脱出。

 いつの間にかおれは銀行に金を返還する案を忘却していた。前提として保険会社から損失が補填されるのなら選ぶべきだ。こいつらに奪われるか、相方の娘の命を救う可能性のどちらを取るかという話。なら、後者を選ぶ。おれは強盗。文句、あるか。

 女の娘が汚い金で生きながらえて嬉しいかどうかなんて、当人が決める事だ。そもそも逃げ切れる可能性は低いし、札の通し番号から割れるかもしれない。そうなったらなったで終わりだ。そこまで責任は持てない。学園都市なんだから闇医者の一人や二人くらいはいるだろう。だから金が要るのかも知らん。ともあれ、こんな状況になった以上はただ善処するだけだ。

 

 というおれの予想に反して、ドレッドヘアとパイロキネシストは互いに視線を合わせるとニヤリと笑った。いやちょっと待って。凄くヤな予感。

 

「確かにな」 パイロキネシストは掌に火球を発生させ、せせら笑う。 「おまえを殺せば取り分は増える。殺さなきゃおまえが手を着けている銀行の金を逃す事になる。んだったら当然、前者を選ぶよなあ。ええ? おい。金はそのダッフルバッグか? そうなんだな? 降ろしたての札束は。成金さんよお」

 

「それに、おまえも無能力者らしいしな。その立ち振る舞いからすると」 とドレッドヘア。

「お、おいちょっと待ってくれよ、おまえら!」 ロンゲが焦った口調で。 「冗談だろ!? なあおい、おれたち仲間だろ?」

 

 一拍の沈黙の後、ドレッドヘアが後頭部を掻きながら諦観したように言う。

 

「わーかってるよ、んなこと。ちょっと強請っただけだ。その男がびびって金を出せば良し、出さなきゃ諦める。むしろそこんところは乗ってほしかったぜ。どうする? おれと熱い仲になるか、それとも大人しく金を渡すか? くらいは言ってくれよ。なあ」

 とパイロキネシストに話を振ると、あ? ああ、と取り繕うような生返事。誤魔化すように乾いた笑い声をあげる。

 

「そう、か。そりゃそうだよな。おまえらがおれを裏切るなんて、ないよな。悪かった」

 

 いやこれパイロキネシストは絶対ヤる気だったろ。銀行強盗なんて緊迫した状況では色色と思考が追い付かないのはおれもそうだったから、他人の事は言えんが。

 という所でシャッターが外から叩かれる。

 

『あのー、どうかしまして? 営業時間内ですわよね、まだ』

 

 明らかに少女の声が隔たるシャッター越し故にくぐもって聞こえた。行内に緊張が走る。もう駄目だ。

 もしもここで助けられようものなら、行員の証言により逮捕は免れない。

 客は客で、緊急事態を伝えようものならどうなるか理解しているようで何も言わない。ひりつく空気の中、ドレッドヘアが見た目に似つかわぬ温和な声をあげた。

 

「申し訳ございません。消火器に……飲料が零れてしまいまして。その、拭いている途中で誤って作動させてしまい、現在とても営業できる状態ではありません。誠に勝手ながら、ただいま業務を一時停止させていただいております。ご迷惑をおかけします」

 

『そーなんですか。わかりました、いやあひょっとしたら銀行強盗の真っ最中だったりするのかなって』

 

 あはは、と冗談交じりに別の少女は言っているが笑い話ではない。

 拘束されている客の一人が額に二つ目の青筋を立てている。

 不謹慎でしたね、ごめんなさい。と付け加えると立ち去ったようだ。それ以上の追及はない。しかしやるなあドレッドヘア。

 

「よく、助けを求めなかったな」 褒めてやるぜと言った口調でロンゲ。

「そんな事したらパイロキネシストに焼かれる、おまえごと」

「するわけねえだろ!」 不安を打ち消すように語気を荒げてロンゲは否定する。

「どうだかな、さっきのだって怪しいもんだ。とにかくまあ、おまえらの邪魔はしない。おれの邪魔をしないのなら」

 

「じゃあ、そこで黙って見てりゃいいさ」 とドレッドヘア。 「しょうがねえからゴールドをいただくとするか、重いから嫌だったんだが札よか足は付きにくいと考えりゃあ……」

「いや、おれは今すぐここを出る」 だってもう受付が非常ボタンを押してるだろうから。 「いつパイロキネシストの気が変わるかわからん。支配人を貸せ、裏口を開けさせてそこから出る。ロンゲは人質だ、出口で解放する……そこの女も一緒にな」

「だからあいつがおれを見捨てるわけがねぇんだよ!」

「よせよ」 とたしなめるドレッドヘア 「女はあんたの連れか? まあ、いいさ」

 

「なあ! おまえも冗談で言ったんだよな!?」

 ロンゲがパイロキネシストに顔を向ける。当たり前だろと返されたが、一瞬だけ視線を逸らされたのはおれでもわかった。

「ほらな」

「てめえ……殺してやる」

「なんでおれを恨むんだよ」

 

 怨嗟のこもった視線をロンゲから向けられるが、おれは気にせず銃で小突いて女の拘束と目隠しを取り外させる。ダッフルバッグを背負い、しっかりとロンゲの後頭部に銃を意識させて。

 それが不味かった。女の目隠しが払われ、安堵の表情を見て油断したのもある。ロンゲはおれが背後に立っているのを良い事に、密かに取り出したナイフで振り向きざまに薙いだ。

 馬鹿な事をした。ロンゲを殺せば人質を失う訳だから、後頭部に銃を当てるべきではなかった。絶対に撃たれないという確信を持ってロンゲは反撃に出た。 ――もちろんモデルガンとバレると終わりだから撃ちたくても撃てないけど――

 

 前腕が鋭く熱を持った。切られた、と理解したのはナイフの遠心力で飛んだ血と銃を認識してからだ。ロンゲは、そのはずみで床に落ちた銃を空いている左腕で素早く拾い上げて狙いをおれに合わせて勝ち誇る。それに構わず鳩尾に前蹴りを入れると、嘔吐に似た苦悶の声をあげて腹を抱える。零れ落ちた銃とナイフを無視して下がった頭を掴む、鼻っ柱に膝を打ち上げた。骨の砕ける生生しい感触が伝わってくる。

 

 ロンゲの荒い呼吸と痛みに耐える喘ぎ声、床に滴る鼻血に涙。それでもおれを睨みつけるのを止めようとしない。

 

「はぁあ、ふぅ、っぐ……ころ、殺す」

「もうよせ。降ろした金額も、銃を持ってるのもそうだが……そもそも構えられた銃を無視して反撃するなんて常人じゃねえ、相手が悪い、堅気じゃねえ。おまえも銃を構えられていたが、撃たれずに不意打ち出来たのは人質だからだ」

 とドレッドヘア。

 

 おれは余裕を持ってゆっくりと銃とナイフを拾う。

 

「おまえが気に入らないからつい頭を狙ってたのは、おれの落ち度だな。殺せば人質を失う事になるのに気が付かなかったから反撃を許した。それにしても軽くし過ぎるのも考え物だな、あの程度で落とすとは」

 

 これでなんとかフォローできたか? ロンゲに銃を持たれた時は流石にバレたかと肝を冷やしたが、先のセリフと痛みやら鼻血による呼吸の乱れと興奮で気付かない事を祈る。

 

「そいつを、返せ」

 とロンゲ。

 おれが左手に握るナイフに視線をやって命令してきたのでカウンターの向こうに放り投げる。

 

「後で取りに行け。噛ませ犬らしく、犬のように」

 

 女にロンゲの両手を後ろ手に拘束させ、先頭から支配人、ロンゲ、おれ、女の順で裏口を目指す。途中でふと従業員トイレに目が行った。

 そういえば三人組は銀行の有り金すべてを奪う為か几帳面に行員と客を拘束していたが、どうしてトイレは確認しなかったのだろうか? 休憩室は?

 いくら下準備をしていたとしても、万に一つという事もある。何故? 確信していたのか? 従業員用トイレに人がいないという。そんなことが可能だとしたら恐らく。

 

「おまえこいつらとグルだろ」

 

 カマをかけると支配人がビクリと震えた。どうもシャッターを降ろしたり金庫を開けたりの流れがスムーズ過ぎると思った。ひょっとしたら三人組とは面識がなく、おれを仲間だと勘違いしたのかもしれない。

 受付が共犯者なら非常ボタンを押そうとはしないはずだし、金庫から金を出す手伝いをさせるのに最も都合の良い役職だ。

 おれは思わせぶりな口調で言う。

 

「本店とは話が付いてんだよ、この支店で資金洗浄するってのは。支配人がこんな強欲張りだったのは想定外だが」

「ば、ばばかな。が、学園都市でそんなことをすればただでは」

「ただじゃ済まないなら、おれはどうしてピンピンしてんだよ。おまえらとは住む世界が違う」 ロンゲの背を蹴りつけて続ける。 「あと事が済んでもこの女を探して手ぇ出したら苦しんで死なす」

 

 おれですら触ってない女の胸を揉みやがって。

 裏口の扉が見えた。ようやくここからおさらば出来る。おれの歓喜と同時にニュルリと、扉の隙間から小さな黒いチューブのような物が頭をもたげた。瞬間的に女と共に引き返す。映画で見たことがある。恐らく特殊部隊が室内の状況を確認する為のカメラだ。

 時間を掛けすぎた、アンチスキルに踏み込まれる!

 

 どうする、どうすればいい。何をすればこの場から安全に離脱できる? ホールに戻ってはみたものの、このまま銀行が制圧されれば、おれは犯罪者としてお縄を頂戴する。女は辛うじて被害者として振る舞えるかもしれないが、娘さんを救う事はできない。金と共に女と脱出しなければ、女を助ける事は出来ないのだ。

 

『あなたたちは完全に包囲されています』

 

 戻って来たおれと女に怪訝な顔を見せる強盗たちをよそに、拡声器か何かでアンチスキルの明瞭な宣言が響いた。終わる。同時に客や行員の助かったというさざめき。

 終わりだ、どうやっても、この場から安全に逃げ出すことなど……安全には?

 おれはハッとして先ほど投げ捨てたナイフを探し、拾い上げる。どこにでも売っているような安っぽい刃に賭けるしかない。この状況では。

 

 

 

 xxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

 裏口の方ではロンゲが放せ触るなだのと喚いている。拘束されたのだ。

「ちくしょう、こうなったら……」

 

 パイロキネシストが、ドレッドヘアの制止を無視して出入り口に向けて火球を投げ飛ばした。対応して催涙ガス弾が撃ち込まれ、警備員が雪崩れ込んだ。

 視界の利かない乱戦ではアンチスキルの装備が優位に働き、あっという間に鎮圧された。

 ガスが晴れ、涙目に苦しみながらも歓喜する被害者の中を、女の切実な声が裂いた。

 

「男の人が刺されたの! 病院に、救急車に乗せて!」

 

 おれは女に肩を貸されて銀行を出るとすぐに、万全を期して用意されていた救急車に運ばれた。腹部からは寄せては返す波のような痛み。出血している。なし崩し的に女と一緒になって乗車する。ダッフルバッグも勿論。

 

「かかり、つけの病院が、ある、そこに向かってくれ」 と息も絶え絶えでおれ。

「とにかく傷を見る、衣類を裂くぞ」

「ああ」

「思ったより傷は……刺し傷じゃない、浅いな」

 

「まあ、死なない程度にしとかないとな」

「なに?」

「この車は貰う、悪いな」

 

 腰裏に挿していた銃を向ける。受付が落ち着いた状態になれば、おれの事をアンチスキルに話しているはずだが、三人組とごっちゃになって事実確認に手間取るだろう。まだ時間はある。

 車を人気のない裏路地に停車させてから女に銃を向け、人質のていで救急隊員をベルトなどで拘束させた。ざっくりとナイフで裂いた腹部と、ロンゲに切り付けられた前腕を消毒して包帯を巻く。後は救急隊員の服を着て車を運転。ジャケットはマンホールを開けて下水に捨てた。

 

 脱出した。案外なんとかなるもんだ。おれの指名手配は免れないだろうが、とにかく金はいただいた。

 

 閑散とした場所で車を停め、女と共に降車する。夕日は沈みかけ、心地よい風が吹いている。街灯が点灯した。

 ダッフルバッグを女に渡してやる。

 

「重いが持てるか?」

「ええ、なんとか。それよりも大丈夫? お腹」

「見た目ほどひどくはない」

 

 微妙な沈黙が降りた。改めて見ると熱っぽい瞳と艶やかな唇をしている。おっぱいの一つや二つ揉んでもいいくらいの働きはしたと思うが、疲れと空腹でそれどころではない。

 

「百万ほど貰っていくが、いいよな」 健康保険証は当然、財布なんて持っていない。銀行強盗する時に財布持ってくる奴なんていないよな?

「それは……どういう? ……一緒にって――」

「あんたは共犯者になりたがっていたようだが、どうかな。気づかれていない、可能性はある。おれは駄目だろう、受付と支配人に実行犯として顔を見られている。あんたに付いて行っては迷惑になる」

「そんな、わたし!」

 

「走行記録のあるタクシーは使わず、バスなんかの方がいいかもな。バッグは途中で変えて。()()()()()さんによろしく」

 

 詰め寄る女を引き離し、背を向けて歩き出す。ちょっと惜しかったかもしれない。下心を隠さずに言えば、ヤれたかもしれない。

 しかし、それで女が逮捕される可能性が少しでも上がるのは、娘さんを助けるという当初の目的、銀行強盗の動機から逸脱する。つまりおれの頑張りが水泡に帰す。軽くとはいえ腹を裂いたのにそれはあんまりだ。

 

 救急隊員のインナーTシャツで公園に行き、両替もかねて自販機で飲料を買おうとするも商品が出てこない。高い科学力水準の割には自販機がエラー吐くってどういうことだよと諦めて公園を出る。

 ゲーセンを探して両替機で万札を数枚崩す。学園都市なのだから、銀行の札の通し番号の管理は機械化されていて当然だ。大きな店で事故札は使えないだろう。

 適当な店で服を新調し、古いのはジャケット同様に人気のない場所でマンホールに捨てた。銃は迷ったが持っておくことにする。今のところ唯一の私物なのだから。

 

 これからどうしようか。のんびりとコンビニおにぎりを貪りながら公園のベンチで夜空を見上げる。

 ()()()()()()なのは、女はおれと既知の仲であることから推察するに、女にはおれとの過去がある事ようだ。主観的には唐突に銀行で覚醒したわけで、おれはその過去を覚えていないが。

 つまり銀行で覚醒する前に女とロマンスの一つや二つはあったかもしれない。そう考えると少しは慰めになる。

 

 もしもおれならばと思考を辿る。そもそもだが強盗の翌日から出社できるはずがないので退職している。自宅は電話帳やネットで苗字を検索すれば出てくるサイトがあるだろうが、とっくに見張られているはずだ。行く当てがない。やはり当面はホテルで過ごすしかない。いつまでも公園に居ては怪しまれるので、いそいそと後にする。

 

 やっぱり女の所に転がり込んで少しくらいヒモやっとけばよかっただろうか。しなやかそうな肢体を思い出し、おれは不意にやましい気持ちになる。何でもいいから風俗に行くか。幸いに金はある。

 いかがわしいビル街へと消える。上空の気球船のモニタには、夕方の事件が大大的に放送されていた。やはり人混みは避けるべきだろうか? ネオンに背けるようにその場を離れて暗い方へと足を向ける。

 

 それにしても()()()はハードだった。

 

 気が付くといつの間にか廃ビル群に迷い込んだ。なんか学園都市って栄えていると場所と廃れている場所の格差が激しすぎやしないだろうか。

 そして突発的に断続する銃声が響く。ぎょっとして身を竦ませた。アンチスキルの追撃? なら警告のない発砲はおかしい。物陰に隠れていると、制服姿の少女が現れた。腕を負傷しているのか片手でサブマシンガンを射撃しながら、足を引きずり後退している。千鳥足の所為か尻もちをついた。

 

「おま、お、おい何やってんの。サバゲーだと言ってくれよ、な」

 

 思わず歩み寄ると、頭部にはスリットの入ったような大きなゴーグルを装着していることがわかる。

 少女の射線上から、どこに隠れてンだという挑発的な声が響く。日も完全に落ち、姿は確認できない。やばいよ学園都市、怖い。白昼の銀行強盗の次は夜間の変質者かよ。

 

 少女はおれを無視して都合の利かなそうな、出血している左腕でマガジンを交換している。途中で銃を落とした。マガジンからは実包らしき物が覗いている。ゴーグルが額の出血からかずれ落ちる。

 マジかよとげんなりしてサブマシンガンを拾いあげると思っていた以上に軽い。え? こんな物なの? 実銃ってもっと重いものだと……

 おれは羽織っているおニューのマウンテンパーカーの上から、内ポケットのスコーピオンに手をやる。まさか、な。

 

 とりあえず逃げるか。

 

 どうして少女が実包を撃っていたのか、追っているやつが何者かは知らんが見捨てるというのも薄情で後ろ髪を引かれる話。こちとら乗りかかった舟で流され七つの海を制覇して来た気分なのだ。ヤバい橋をブッ叩きながら渡る事くらいどうって事ない。

 マガジンをポケットに突っ込み、サブマシンガンを片手に少女をひょいと担ぎ上げて廃ビルに侵入する。足音を忍ばせ、最悪飛び降りて逃走する可能性を考慮して二階に身をひそめる。十分高いが。

 一息つけそうなので、少女に理由を尋ねるが期待する答えは返ってこなかった。ただ、今は戦術的撤退行動中で、現在も継続の意思があるらしい、

 

 もう危険が多すぎるよ学園都市。

 おれは少女から携帯端末を借り受ける。軍用らしく無骨だ、きっと高いんだろうな、こういうの。カスタムで開発費を回収するとなると単価百万円くらいはしそう。

 

『はいこちらアンチスキル相談課――』

 ポケットから万札を一枚取り出す。

 まず現在地を告げる。次いで、 『いそべ銀行、消えた最初の強盗、事故札』 最後に通し番号を言って通信を切った。学園都市の誇る優秀なアンチスキルの事だ、飛んでくるだろう。ひょっとしたらジャッジメントも、そのどさくさに紛れて逃げるとする。

 

 

 

 xxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

 間違い電話 <Wrong Number>

 

 

 xxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

 その後、アンチスキルの接近により少女を追っていた変質者は廃ビル群を一時離れたようだ。何とか状況を脱す。少女の事は知らない、安全圏ですぐに別れた。逃げるかと誘ったが、クローンなので問題ありませんと断られた。おれのした事はただの延命に過ぎないかもしれないが、どうでもいい。当面の死を退けたのは確かだろうから。おれに対する赤の他人の評価など、どうでも。

 

 夜の更け具合を見るに深夜だ。幸か不幸か流石の学園都市、24時間チェックインを受け付けているビジネスホテルに泊まる。帽子を目深に被っていたが、鮮明な顔写真が出回ればと考えてゾッとする。

 

 

 

 ビジネスホテルの一室でようやく一息ついた。シャワーを浴びて時計を確認する。ざっと三時間の残業だ。最後に自宅へ帰ったのはいつだったか。

 明日はゆっくり休める事を祈って ――希望に似て儚い―― 冷蔵庫からビールを引き抜く。小さなパネルに課金額が表示された。

 一杯やって酔いと疲れからかうつらうつら。不意の電子音で漕いでいた船から落とされる。少女に返し忘れた携帯の着信を認めてスピーカーから内容をぼうっと聞くに、仕事に関してだった。雑に聞き流す。

 

『おまえたちがおまえたちの自己保存の為に暴走能力の法則解析用誘爆実験結果を隠匿し、わたしの樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)の使用申請を蹴っているのはわかっている。統括理事会が権能を濫用し、樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)の予測演算機能を独占する姿勢を取り続けるのであれば、わたしはわたしの技能を濫用する。これが最後の申請だ。許可を()()

 

 うんざりする。割に合わない。嫌になってベッドに倒れ込む。何度この()()を辞めようと思った事か。同情心でやっているようなものだ。いっそのことラノベかアニメの世界にでも逃げてしまいたい。

 それがおれの、覚えている直近の記憶だ。

 

 

 

 気が付くとおれは――

 

 

 

 xxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

『もしもし、アンチスキル相談課ですか? その、あの、信じてもらえないかも、しれませんが。実は……母が、銀行を、強盗しようとしているんです。わたしの為に、どうか止めてください。いたずらじゃないんです……厚かましいかもしれませんが、出来る事なら助け、助けてあげてください!』

 

 

 

 xxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

 相対的な弱者の身に、刹那的な窮地が訪れてしまった時のみ、干渉の機会がある。とある一人の逃し屋に。

 依頼は直接会うか電話回線を通じた連絡だが、不可思議な事に後者は間違い電話(ウロングナンバー)でしか繋がらない。報酬は内容を問わず一律で最低下限度額百万円。その後の事は関知しない事が条件。

 如何なる危機的状況からも、その対象を選ぶことなく()()()()させる手際から後に付いた仮称が死線駆動(デッドドライヴ)。その手腕は能力によるものと考えられているが、本人も含めて真相はわからない。

 小さな短機関銃を携帯して仕事に当たる例もあるが発砲の事実は確認されていない。銃の真贋は死線駆動(デッドドライヴ)の死後であっても不明。

 




次回  たぶん一週間以内
たぶん転生ものじゃないのかよと落胆した人いるかもだけど、そういう構造の文を書きたーい勘違いをさせたーいって書くだけじゃダメっていろいろ自分で気付けたSSでした、
そういう人がいたらごめんね


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第三話 正銘隠匿 <Authentic cover>

 間違い電話をトリガーに、たぶんだが夢遊病が発症する。その結果としておれはクライアントの依頼対象を、物質非物質、生体物体を問わず離脱させる。

 楽な仕事であることが多かった。盗まれた血統種の猟犬や、不当な評価により得られなかった大学の単位。

 なぜかは知らんがお膳立てされた状況 ――おれが再現可能な範囲―― で覚醒し、その都度状況に合わせて依頼をこなした。事が終わると、やっぱりなぜかは知らんが百万円か相当の品を手にする。それに本業である給与人の合間にやれる副業だ。だった。

 なぜかは知らん。空が青い事と大差ないだろう。だから深くは考えた事がない。なかった。

 だが学園都市の仕事は別だ。こっちにきてから割に合わない。銃や怪しい薬を借りパクされたとかマジにやめてくれ。

 

 

 

 xxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

 気が付くとおれは――

 

 

 

 ――気が付くとおれは二人の女子学生に疑惑の視線を向けられていた。一人はショートカット、もう一人はツインテール。辺りを見回すと夕暮れ間近。寮などの学生向け施設が集まる第七学区のようだ。下校している学生が多数。

 おれの服装は昨日と変わらず、この季節にマウンテンパーカーはかなり暑い。左手にはコンビニ袋、剥かれたおにぎりの包みが大量に入っている。

 

「それで、何の用ですか?」

 

 とショートカット。おれはこんな子供を呼び止めて何をやっているんだ。

 

「いやあその」 と口をまごつかせて子供を見やる。制服の所為もあってか、前の仕事の少女とクリソツだ。 「姉妹とか、いる?」

「どういう意味?」

 ショートカットは眉をひそめて訝しんだ。

 

「あー、そのなんだ。以前にきみに凄くよく似た子に命を助けられたので探していたんだ。その時、ちょうど制服を着ていたからすぐに学校はわかった。お礼をしたい」

 

 制服の校章は後で公共の看板地図などで確認するとして、履いていたジーンズのポケット探ると丸められた札束の感触。厚さからして百万円からほとんど減っていない、昨日今日か。

 

「いつですか?」

「いつだったかな、時間が経ってるから正確には。確か三ヶ月くらい前だった気がする。人違いかな?」

 

 うーん、と記憶を探っているらしいショートカット。マジかよそんなに人助けしている覚えがあるのか。ちらと隣のツインテールを見やると神妙にこちらの顔を伺っている。嫌な予感。帽子の座りをなおす。

 

「そっくりさんかな?」

「たぶん」

「そうか、わざわざ呼び止めてしまって申し訳ない。悪いんだが奇妙な事を頼んでもいいかな? きみによく似た人を見かけたら連絡してほしいんだ」 

 おれは学校帰りらしいショートカットから紙とペンを借りて偽名と昨日の少女の携帯の番号を書き記す。

「一日経ったら忘れてくれ、出張で学園都市を去らなきゃならないから。探しているんだ、ずっと。ただ一言お礼が言いたくて。えーと……」

 

「御坂美琴。いいですよ」

「見かけたらでいい、ついでくらいの気持ちで頼むよ」

 

名前はわかった。この律儀な様子なら一日後に見つからなかったという報告の電話を掛けてくれるかもしれない。あわよくば電話番号も把握できるかも。

 他人の空似にしては奇妙なほど容姿は相似している。しかし決定的な違いは昨日の戦闘による傷が額と腕に無い事。また、本人の証言から別人と判断する。

 となると昨日の少女は何だ? 本人はクローンと言っていたが、御坂美琴のクローンとみて問題ないのか。

 

 埒が明かない。樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)の使用許可を統括理事会からクライアントに離脱させなければ。しかし天気予測システムを搭載した人工衛星を、何に使うつもりなんだろうか。クライアントの口ぶりでは、予測演算の汎用性は高そうだが。

 そういえばと札束とは反対のポケットにある携帯端末を手に取る。着信履歴は昨日の間違い電話ともう一つ。バッテリーは外されている。

 

 おれは適当な大型ショッピングセンターに入り、関係者以外立ち入り禁止の札を無視して従業員用の出入り口からバックルームに侵入した。すれ違う各店子のスタッフに、お疲れ様ですと適当に挨拶してうろつく。出勤前や退勤後の人間は当然私服なので不審がられる事はなかった。お目当ての掃除用具入れからトイレ清掃中の立札を失敬し、マウンテンパーカーに包んでバックルームを出る。

 今度は客用トイレに人が居なくなるのを待ってから立札を置き、個室の奥で携帯の外されていたバッテリーを取り付ける。これだけ人が居る場所ならば、GPSの類での特定は難しいだろう。難しいだけかもしれないが、公園で掛けるよりはマシだ。非通知でコールする。

 

『携帯を拾われた方ですか?』 と男性の声。

「どうしてこの携帯から掛けた人間が持ち主でないとわかった」

『持ち主から携帯を失くしたと連絡があったので』

「嘘を付くな、あの世のホットラインで? 生きているのか、昨日のクローンは」

 

『あなたは?』

「死んだんだな。おれが何者かを、おまえ如きが知る必要はない。誰なら納得するというのだ、望む名前を言ってやる。責任者を出せ」

『なんのことでしょうか?』

「くだらん芝居はやめろ、時間が惜しい。御坂美琴に関する重要な弊害案件だ。責任者を出せ」

『わたしが責任者だが』

 

 御坂美琴の一言でがらりと口調が変わった。

 

「信じられるか。おまえは持ち主から連絡があったと一つ嘘を付いた。おまえがこの通信のインターセプターなのか、本当に関係者か確認する。クローン利用に関する概要を言ってみろ」

『機密規定に抵触する。そちらが本当に計画の関係者かを確認できなければ言えない。前述の論戦話法は、単に携帯を拾っただけの一般人に対するマニュアルに沿った物だ。御坂美琴に関する弊害を言え』

「機密規定に抵触する。おまえが本当に計画の関係者かを確認できなければ言えない。マニュアル通りにしか動けない者が、関係者であることが甚だ疑問だと言っている」

『……絶対能力進化計画』

 

「コンビニでも売っている、計画名なんぞは」

『替えの利かないレベル5である御坂美琴の代わりに、その劣化クローンを学年第一位に二万体殺させることで経験を積ませ、レベル6へ至らせる。弊害は?』

 

 なんとも物騒な計画だ。一日十体でも二千日、約六年もクローンを殺してたら気が違ってしまうんじゃなかろうか。どうすれば電話相手が計画に疑念を持つかを思考する。

 

「今になって必要クローン数が天文学的な数になる事が懸念された。頓挫する可能性がある。タイムスケールが人間のそれに収まらない。学園第一位を不死にすれば別だが」

『どういう事だ? 御坂美琴と何の関係がある。計画は樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)によって保障されているんだぞ』

 

 クライアントの言っていた通り、本当に樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)はただの天気予測機ではないらしい。

 

「クローン元の御坂美琴はレベル5でない可能性が出てきた。常盤台が御坂美琴の入学を見越し、自学校のプロパガンダ目的でシステムスキャンの結果を偽った……かも。レベル5の御坂美琴のクローンの場合と、レベル4以下の御坂美琴のクローンの場合とでは事象が異なる。計画成功の核がレベル5かつ御坂美琴である事が必須条件なのか、レベルを問わず御坂美琴である事が必須条件なのかを調べなければならない」

『信じられないな』

「おまえの信仰心はどうでもいい、適当な神にでもくれてやれ。端的に命令する。わたしの指定した人物に樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)の使用許可を出すよう手配しろ」

『なぜ秘密裏に行う? なぜ公的に話を通さない。それも、その……そちらの指定した人員でなければならない理由は? 許可の偽装は危険だ』

 

「事が水面下なのは、弊害案件による再演算が表沙汰になるとデータ周りの管理責任が露呈するからだ、少なくともレベル4の可能性を見落としたのは事実だ。汚点は残すべきではない。何もなければ計画続行で済む。指定人員は、表向きは樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)の使用適性を満たしていない事になっているが、裏ではその道のプロだ。一見して絶対……絶対、進化計画とは関係の無い事象を樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)に演算させながら秘密裏に……あー、計画の再演算を行わせる」

『上と掛け合ってからだ、常盤台に対しての追及もある』

「常盤台はこちらのデータ精査管理がずさんな点を指摘するだけだ、非を認めるものか。進んで責任を取りたがるやつが上にいるのか? 計画進行中に役職任期を満了すれば、われ関せずがオチだ、現場の人間ならともかく。事が発覚してから上に進んだ誰か、あるいはおまえがそのケツを拭くことになる。樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)の使用理由は適当にでっち上げろ。これはおまえの為でもある。指定人物の番号を教える、近日中にコンタクトを取れ、その際に無駄口を叩くな。くれぐれも周りに勘付かれるな」

 

『その弊害案件の出所は? 時間を』

「おまえは知らんだろうが各学び舎に対して、内部調査機関が存在する。レベル偽装に関してはこっちが探る、下手に首を突っ込むな、消されるぞ。おれを疑っても構わんが、再演算すること自体に問題はないだろう。保険と考えろ。一刻を争うと言ったはずだ」

『……わかった』

 

 クライアントの番号を伝えて一方的に通信を切った。そのままクライアントにリダイヤルする。

 

樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)の使用許可を()()()

『……誰だ』 と電話越しからでも低血圧で気の無さそうな女の声。

「おれが誰かなんてどうでも……なんで百万円がないんだ? まーどうでも――」

 

 とおれはここで一つの疑念に茫然とした。昨日はクローンと偶発的に接触して逃がしたが、あれが最初の一体だとしたら、最低でも二万回近くコールされる可能性があるのではないか。

 その度に学園第一位から逃げ回るなど正気の沙汰ではない。心身が持たん。

 体内の血液が二割ほど蒸発する感覚。青ざめて声を荒げた。

 

「――どうでも、よく! ない!」

『その通りだが』

「そうじゃない、おまえは誰だ!」

『なんなんだおまえは、悪戯なら他を当たれ』

「待って待ってあんたが何者か知らんが樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)使う時のついででいいから絶対なんたら計画のクローン必要数か元の」

 

 ぶつりと通話が切れた。掛けなおすが着信拒否される。一旦諦めてショッピングセンターを後にする。

 常盤台、侵入するか? 幸いにもシステムスキャンは昨日だ。まだデータは精査途中で学内に保存されているだろう、偽るべきか? 御坂美琴は実はレベル5ではなかったと。

 しかしおれにクラッキングの技術はない。学園都市ともなると電子的に強固なセキュリティなはず。パスワードがpasswordだとかaaaなわきゃない。

 流石に精査や提出用書式入力に即日はないだろう、数日と見ていい。常盤台に向かいながら考える。実際に侵入するかどうかは、ひとまず間取りを観察してから。

 

「少々お時間をいただいてもよろしくて」

 それともクライアントにもう一度掛けなおすべきか考えていると、目の前に先ほど御坂美琴と一緒に居たツインテール。瞬きの間に出現した。ジャッジメントの腕章を見せつけている。

 

「先日の銀行強盗事件はご存知で?」

「知ってる。ニュースで見た。捕まったんだってね、一件落着」

「ところが、受付の証言では消えた最初の強盗が居たそうですわ。監視カメラの映像を解析するにあなたにそっくりな」

「それは……」 と言いどもる。こいつが、例のジャッジメントか、再起不能にされたくない。

 

「失礼とお思いでしょうが、いくつかお聞きしたいことがあります」

「いや、おれは、違うんだ信じてはもらえないだろうが」

 

 逃げる? 物理的には無理。なんかよくわからんが瞬間移動する能力者だろう。拘束されれば指紋か銀行に落ちているかもしれない髪の毛で、本人であると証明される。どんなに違うと言っても物的証拠を突きつけられれば無駄だ、まだ双子の兄弟の仕業と言い訳した方が有効そうだ。いや、そうか。DNAレベルで相似でも問題ない事例をつい今しがた聞いた。

 

「おれは……おれを探している」

「はあ?」

 

 何を素っ頓狂なといった表情を向けられる。

 

「おれはクローンなんだ。恐らくだが銀行強盗を行ったのは、その内の一体だ。おれはそいつを探している」

「正気、ですの?」

「おれはクローン、しかも正常」

「いえ、あーその、えーと」

 

 ツインテールはなんと反応すべきか迷っている。やはりダメか? 荒唐無稽過ぎるか。

 

「うーん、あっそうだ」 と取って付けたように前後の脈絡を無視してツインテール。 「そもそも、どうしてお姉さまに接触したんですの?」

「それは、あれだ、おれはオリジナルと他のクローンに命を狙われている。ところを助けられた。別人だったが」

 

 ツインテールはうむむと顎に手をやり思案しているようだ。

 

「クローニングは国際法に違反する、とはいえここは学園都市……ありえなくは……」

「そうだ、こんな事は学園都市外に居る理解力と発想力と知的さに欠ける連中には信じてもらえないだろうが、とってもとっても優秀で品行方正で優雅で気品のあるジャッジメントにしか白状できないが、とにかくそういう事だ」

「その証拠は当然ない、と」

「最初に銀行強盗を行ったクローンと指紋血液DNAその他諸諸が相似だ、許せん……許せんぞクローン」

 

 おれは深い憎しみを握りしめた拳に籠めて怨嗟を口から滲ませた。

 

「しかしオリジナルが動いていなくてよかった。冷酷無比なオリジナルが事を起こせばいったい何人が犠牲になったか……おのれの無力さが恨めしい。くそったれー」

「ということはあなたもオリジナル同様に冷酷無比ですの?」

「いや、なーんというか、こう、最初はね、おれも冷たい所があったけど、あったけどね。ひょんな事から知り合った少女に人間の暖かさを教えて貰った、みたいな、的な? 気づいたら涙、出ちゃってた」

 

 渾身の言い訳にも拘らず懐疑的な視線を受けていると、手に持った携帯が鳴った。出ても? と視線を送ると渋渋頷かれたので着信を認める。

 

『おまえ、おまえは本当に何者なんだ。どうやって樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)の使用許可を……』

 

 興奮しているらしく、僅かに声を震わせて。

 想像以上に計画責任者の動きは速かったようだ。これを想定してバッテリーはつけたままで本当に良かった。

 

「そんなことは、おれが誰かなんてマジにどうでもいい。あんたがそれなりの地位にある人間と見込んで頼む。おれを庇ってくれ。それで依頼料はチャラにする……百万円が出てこないのはこういう事か」

『説明不足過ぎる』

「やばいやばいと噂されているジャッジメントに、一昨日のいそべ銀行を襲った最初の強盗の容疑者として拘束されそう。おれはクローンで、真犯人は別の個体だと言っても信じてもらえそうにない。言うまでもなく冤罪、正真正銘の無実、色は勿論白、だが現在進行形、猶予なし。助けてくれ。再起不能にされたくない」

 

 問題は山積みだ。二万体の危機的状況なんて聞いてない。二体くらいにしてほしい。

 

『わかった。そいつに電話を代われ。奇妙なやつだな、おまえは』

「すぐに会えるか? この携帯は諸事情あって可能な限りバッテリーを外しておきたい。ついでにプリペイド式携帯を買ってくれ、マネーカードもくれ、着替えと食料もくれ、あと当面の住むところも用意してくれ」

「ヒモ?」

 

 というツインテールの言葉は無視する。電話の向こうでクライアントが雑な要求に少し笑った。

 

『いいだろう。わたしは木山春生、AIM拡散力場を専攻している。そこそこに名はある。アンチスキルは呼ばせるな』



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第四話 われわれ <(I and I´) not You!>

 白井黒子に通話を代わると、どうやら木山春生は直接話をつけるらしい。可能な限りバッテリーを外しておきたいというおれの言い分を考慮してくれたのだろう。

 短時間とはいえGPSで居場所を確認されていると考え、離れたファミレスで木山春生を待つことにしておいた。

 

「適当に好きなのを頼みなよ……あー、えーと、初めまして」

「白井。白井黒子ですわ」

 まだ懐疑的な表情を無視して、おれはざっくりと大量に注文する。

 

 事故札は極力使いたくないので、はっきり言って木山春生におごらせるつもり満満だ。だから遠慮せずに食べる。ジャッジメントに顔が利くくらいだ、社会的地位に比例する収入はあるだろう。

 

「ところで白井くんはアンチスキルと親しい人がいるの?」

 

 木山の到着まで暇だったので、ハンバーグを上品に貪り食いながら、探りを入れてみる。

 

「と言うと?」

「いや、防犯カメラの映像を自由に閲覧できたから、おれを探し当てられたんだろうな、と考えて。深い意味はない」

「ノーコメント」

 

 と澄ました顔でパフェを一口。

 

「手厳しいなあ。まあ、ジャッジメントをやってるくらいだから当然か。一応はおれ、容疑者なんだし」

 

 持ち上げつつ相手の言い分を認めて追加注文をしていると、駐車場に青青としたランボルギーニが颯爽と入って来た。白衣に身を包んだ妙齢の女性が降車する。まさか、と考えていると入店してきたランボルギーニの持ち主はまさに木山春生と名乗った。酷く疲れた顔をしているが、儲かるのか、AIMなんたらとかいう研究は。

 きょろきょろと店内を見回す彼女に、こっちだ、と手を挙げて呼ぶ。

 

「おまえが例の」 と低血圧っぽく言って木山はちらと白井を見やる。 「あれだ、とにかくこいつは銀行強盗ではない」

「その通りだ、木山春生は正しい」

「失礼ですが、お二人のご関係は?」

 

「それは……」

 

 木山が言いよどむ。

 

「こう見えておれは個人で輸入業を営んでいてね。で、彼女とはたまたま仕事で知り合った。懇意にさせてもらってる。高級外車に乗ってるくらい金払いのいいクライアントだしな。しょっちゅう外国に仕入れに行っているんでめったに会わないが。だよな? コーヒー飲むか?」

「いや、いい。あー、そうだ。そうだった。久しぶりだな」

 

 木山がおれの隣に腰掛ける。

 

「話を露骨に変えるようで悪いが、ついさっきだったか、おれは一仕事終えたはずだ。その代金を貰ってない」

 

 使用許可を出したのだから身元を保証しろ、と仄めかすと小さく頷かれた。

 

「払うよ。いつも通り、当然だ。わたしでは到底入手できない代物だったからね」 言って木山は白井に向き直り、白衣のポケットからくたくたの名刺を渡した。 「改めて紹介させてもらうが、わたしは木山春生。AIM拡散力場を主にしている大脳医学研究者だ。先日の銀行強盗事件とやらとこいつは無関係だ」

「クローンであるという主張を信じていらっしゃいますの?」 

 

「それは今まで彼女に黙っていた事柄なので知りようがないし、この場で結論を出せるような問題でもない。重要なのは、おれは強盗なんてやっていないと思われる、という事をきみに認識してほしいんだ」

 

 切るように口を挟んで続けて言った。

 

「本当はすぐにでも商品を仕入れる為に学園都市を出たいんだが、オリジナルがいる可能性が高いなら話は別だ。しばらくは木山のやっかいになる。もちろん捜査の協力もする。そもそも財布を落としてしまったから、どこへ行こうにもにっちもさっちもいかないんだが……とにかく彼女の社会的信用を担保に見逃してくれ」

 

 うさんくさげに名刺を見ていた白井が納得のいかない了承の意を示した。

 おれはようやく一息ついて食後のコーヒーを一口で干す。

 

「あそうだ、さっき言った通り、おれ、財布を落として無一文だから。重ね重ね悪いとは思うけど支払いを頼んでいいか?」

「まあ、それくらいは……」

 

 その後、仕事の話の続きがあるという事にして白井と別れた。何か分かったら連絡をしたいからと携帯端末の番号を交換して。

 辺りはだいぶ暗くなっており、とりあえず木山のカッコいいランボルギーニに乗せてもらい適当なビジネスホテルを探してもらう。

 

「おまえの要求していたマネーカードなどの類は後ろのダッフルバッグにある。着替えは適当に量販店で買ってきたものだから、気に入らなければ買いなおせ。飲食料はミネラルウォーターが数本と携帯食料が二、三日分」

「そうか、助かるよ。でも」

「でも?」

 

 でも、なんでこいつはエアコン付けないんだろう。窓を開けてはいるがじっとりと蒸し暑い。

 とは言えファミレスの食事をおごらせて金まで用意してもらった直後に、なんでエアコン付けないの? けち? とはさすがのおれでも言いにくい。

 

「いや、なんでもない」

「そうか」

 それだけ言うと、あろうことか木山は赤信号で止まった時を見計らってブラウスのボタンを外しだした。どこにでもあるようなブラが、汗でしっとりとした乳房を包んでいる。

 次いでシートベルトを一旦外して白衣もろともブラウスを脱ぐ。

 

「えなん……え? なんで脱いだの」

「暑いからに決まっている」

「あ、へぇーそー。じゃあしょうがないな、暑いんなら。まあおれはいいけど」

 

 誘っているのか? ――後に訳を聞くとツリーダイアグラムの事で頭がいっぱいになっており、エアコンを付けるという選択肢が消えていたらしい――

 そんな事情を知らんおれは、もちろん下心という物を隠そうとは思わなかった。

 

「このあと暇か?」

「まあ、取り急ぎの用と言えばツリーダイアグラムを使うにあたり必要な情報整理とか」

「ふーんあーそう、ちょっとそのへんの事で長くなるかもしれん話があるんだが……いや、やっぱりこうしよう、あんたの都合は知らんが長く手に入らなかった使用許可が下りたお祝いもかねて、少し飲まない? もちろんノンアルでいい」

 

 ふうむ、と一考する木山にもう一押しする。

 

「夜も遅いし、お互いの情報共有とか、もちろんビジネスライクなあれやそれの話だが。例のツリーがある局へ行くにあたって変装とかした方がいいと思うし、それについてアドバイスが出来る」

「そういう事なら」

 

 と、適当なビジネスホテルに到着した。格安でもよかったが、近いという理由だけで結構立派なところになった。部屋を取っておくから駐車をよろしくと足早に受付に向かう。

 

「部屋はどれくらい空いてる?」

「え……? ええと二十三部屋ほどでございます」

「全部借りる事はできる?」 木山からの資金の大部分を失うが、惜しくはなかった。

「は?」

 

 遅れて木山がロビーにやって来たので、困惑する受付の元をそそくさと立ち去った。

 

「繁盛期なのか知らんが一部屋しか借りられそうにない。たしかこの近辺で超巨大コングロマリット的な会社のユニバーサルな大規模会議があったという噂を聞いたことがあるので、それに関わる世界中の給与人が借りているんだと思う。タイミング悪く。疑念があるなら受付に満室マイナス1の確認を取ってくれ。とにかく一部屋しか借りられないけど、紳士的なおれは床でいいよ」

 

 疲れているので他を当たるのは無しだ、と取って付ける。

 ふうむ、と木山は顎に手をやり逡巡の後に了承した。逃走する際のルート選択として女性トイレの窓に鉄格子がかかってないか確認してくれ、とこの場を立ち去ってもらい、受付に戻って一部屋を除いた二十二部屋のチェックアウトを済ませる。

 

 部屋に向かう道すがら、おれは努めて今後の計画を提案し、入室すれば盗聴盗撮を確認し、部屋の間取りから離脱手順を説明し、木山の好物を聞き出し、ルームサービスでそれを注文し、 ――深夜だが受け付けていた。学園都市万歳―― やおら木山が肌着になったので、最後の理性がアルコールを勧めないままに事に挑もうとしたら平手打ちを食らいそうになる。

 

「なに!? なんかあんたの個人的な宗教的性癖の地雷を踏んだ!?」 寸でのところで頬に食らいそうになる細い腕を掴んでキレぎみに言った。 「シャワー勧めたら朝でいいとか言うから、おれは先に浴びたし。なんかマズいの? おれは構わんが」

「んな、なななな」 と木山。耳まで真っ赤になる。 「離せ、ばか、犯罪者がッ! 性犯罪者!」

「冗談だろ……あんたが最初に脱いだんだぞ」 おれは木山の手を放すと、一歩下がりハンズアップして言った。 「確認するが、からかって遊んでるんじゃあないよな。下着姿の女性と、バスローブの男性が一部屋だぞ。天然なのか」

「ばかか。ばかがっ! 一部屋しか空いてないからそれは仕方ないだろうが!」 

 

「なぜ脱いだ!」

「暑かったからに決まっているだろうが!」

「ならそう言えや、エアコンを知らんのか! 期待させやがって……もういいよ」 露骨にテンションが落ちる。無駄なエネルギー消費を避けるべく、ソファで横になる。 「言っておくが、おれは謝らん」

 

 ぶつぶつ言う木山をよそに、用意してもらった資金の殆どが消えた事に頭を悩ませる。くそう、反応を見るに木山に悪意はないようだ。事故みたいなものだが、あいにくこの手に保険は効かん。

 

 

 

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 翌朝、おれはホテルのロビーで、白井にタブレットで映像を見せられていた。どうもコンビニの監視カメラのものらしい。

 

 斜め上から見下ろす形で、レジカウンターの最奥から出入り口と、雑誌類が置いてある駐車場に面した全面ガラス、お手洗いの出入り口を映し出している。右下には録画時刻、深夜だった。

 

 駐車場には、いかにも騒音をまき散らしていそうな三台の大型二輪。白線を無視した駐輪で停められている。持ち主と思われる不良が菓子パンの袋を放り、缶コーヒーを啜りながら談笑しているようだ。

 ほどなくしてフルフェイスのヘルメットを被った、男と思わしき人物が入店する。店員の証言によれば徒歩で来たらしい。ヘルメットのバイザーはスモーク加工されており、顔は伺えない。酷く肩を落としている。

 ヘルメットの男は手早くビール瓶一本とカップ麺を購入した。二、三店員と会話したらしい後で、店に備え付けのポットでカップ麺にお湯を注ぎ、そのまま外でたむろしている不良の一人を背後からビール瓶で殴り倒した。立て続けに二人目に熱熱のカップ麺を浴びせて鳩尾を蹴り飛ばす。腰の引けた三人目の頭を掴んで頭突き。

 

 ヘルメットの男は、のたうつ不良たちの懐を物色し、鍵を拝借したのだろう、駐車場に停めてある悪趣味なバイクに跨って画面の外へと消えた。映像はそこで終わり。暗転した。

 おれの興味の無さそうな表情がタブレットのグレア画面に反射している。

 

 

 

「今日の深夜に起きた事件ですの」 

 

 タブレットを持っていた白井黒子が神妙な顔でおれを見やった。なるほど、と答えてみる。 「それで?」

「ヘルメットの男は去り際に被害者のスキルアウトにこう言ったそうです。おまえのカードの暗証番号を言え、嘘を付いたらこのダサい単車は燃やす。あともっとボコる。と」

「ふむん」

「アンチスキルに、というより未成年に大した貯蓄があるわけでもなく、アルバイト用の口座でしかなかったので教えたそうですの。預金額よりも大型二輪の方が金銭的価値があったから」

「おれは善良に過ぎる一般市民なので詳しくはないが、スキルアウトの連中も一枚岩ってわけじゃないんだろ? 縄張り争いみたいなもんじゃないのか。詳しくはないが、たぶんそうだと思う」 おれは肩を竦めて見せ、姿勢の良い自然体を振る舞う。特に肩には意識を払う。 「それとおれに何の関係が?」

 

「奇妙な点がありますの。その後、ヘルメットの男は別のコンビニATMでポケットマネーから九十万円ほどを預金し、また別のコンビニATMで同額を引き降ろした。盗まれた大型二輪は近くの公園には乗り捨てられ、財布と携帯端末もそこに放られていましたわ。実質、被害者が盗まれた物は無い」

「たしかに奇妙だな」 おれは諦めて重たい口を開く。 「ひょっとしてだがもしかして、その被害者の口座に一時的に預金された紙幣は、いそべ銀行の事故札の一部なのか? だとしたら消えた最初の強盗は少額の資金洗浄をしたのかも知らんな」

 

「ええ、いそべ銀行の管理していた紙幣の通し番号は、事故札として金融システムであるメインセンタおよび外部センタに登録されていますの。ですから、預金の時点ですぐにわかりました」

「で、アンチスキルが飛んできたが、ヘルメットの男は既に別のコンビニATMで引き降ろししたという訳か、クリーンな紙幣を。防ぎようがない。システマチックに事故札が預金や入金された口座を凍結したくても、口座の持ち主が例の消えた最初の強盗とは限らないからだ。強盗が事故札をバラ撒いていた場合、無関係な多くの人間や企業の口座が凍結される。暗証番号を言ってしまったスキルアウトも、単車を盗まれ殴られで即座に銀行に連絡して自分の口座を凍結できるような状況じゃないだろうし」

 

「被害者もスキルアウトと名乗っているだけあって面子を保つためか届出が遅れたのもありますわ。よくそこまでわかりますわね」

「おれなら、そうする。だが、おそらく消えた最初の強盗に共犯者はいない。単独行動をしているはずだ。木山のいるおれと違って」

「と言うと」

「いそべ銀行からいくら頂戴したのかは知らんが、リスクを顧みずに少額のマネーロンダリングをケチなやり方で実行するという事は、かなり金に困っている。かつ多額の事故札を処理する伝手がないから」

 

「たしかに」 白井黒子は最初から考えていたというように、取って付けたような相槌。 「しかし、参りましたわ」

「何が?」

「あなたのような頭の回転の速い……その、気を悪くしたら申し訳ないのですが……クローンが何人も学園都市に潜伏しているのでしょう?」

「それは、あー、どうかな。何人いるかはわからん。おれと、消えた最初の強盗だけは確かだろうが。そもそもヘルメットの男は、消えた最初の強盗のパシリかもしれんし」 先程から木山の座った眼がチクチクと刺さって痛い。 「しかし、ま、そのスキルアウトも今度からノーヘルは止めるだろうよ。それと出来る限りは協力するよ。他に何か手がかりは? コンビニ店員はカップ麺と瓶ビールを売ったんだろ?」

 

「二つほど。一つは、ヘルメットの男は、ひょっとしてだが表にたむろしている不良は邪魔か? と会計の時に尋ねたそうですの。二つ目は奇妙な事に、コンビニ側はたむろしていたスキルアウトを警察に通報していており、実際に電話をした店員もそう証言していましたが、現実には一報は無かったと」

「コンビニ店員は110を間違い電話でもしたのかな。うーむ。一応、犯人は相手を選んでいるようだが」 ちらと木山を盗み見るが呆れて嘆息していた。 「とにかく、情報をありがとう。おれの方でも探ってみるよ。クローン同士、テレパシーと言うか、感じるものがあったり無かったりする気がしないでもない雰囲気を受動する時が薄らとだが、あるかもだから」

 

 それで白井黒子とは別れた。もちろん固い握手で。

 

「おまえは、いったい何がしたいんだ」

 と木山。アンニュイに軽蔑した口調。

 

「何もしてないが? 白井の言っていたヘルメットの男がおれと同一人物と思っているのか?」

「使用許可を出してくれた事には感謝している」

「おれは別にあんたに、ヘルメットの男や消えた最初の強盗ではないと信じてもらおうとは、これっぽっちも思ってない。ただ、公的組織の前で身元を保証してくれれば。それ以上は望んでいない」

「おまえは、何者だ。本当にクローンなのか」

 

「違う、と思っていた。思っている。今となってはよくわからん」

「は?」

「御坂美琴は自身のクローンが存在するなどとは露程も思っていないだろう、今でも。だが実際は存在する。だからひょっとしたら、おれのクローンも存在するかもしれん、という事だ。これはおれに限った話ではない。あんたのクローンが存在する可能性もある。何が言いたいかというと、万一におれのクローンとあんたがバッティングしても、おれはあんたを騙す意思は無いということを忘れないでほしい」

 

「おまえと話していると頭がおかしくなりそうだ」

「それは困る。おれを守ってくれ。正気を保て。そうだな……そろそろ昼時だし、食事にでも行こう。気分転換だ。おごるよ」

 

 言っておれは、クリーンな紙幣がたっぷり詰まった安物の財布を木山に見せつけた。

 

 

 

「なあなあ、運転していい?」

 

 おれは駐車場で一際異彩を放っている、夏の空色をしたランボルギーニに歩み寄りながら言った。

 

「なぜだ」 運転席側のドアに手をやった木山が嫌そうにおれを眺める。

「なんとなく。外車とか運転した事無いから」

「いやだ」

「なぜだ」

 

 おうむ返しに溜息を吐いて木山。 「おまえはそもそも免許を持っているのか?」

「当たり前だ」

「ミッションだぞ」

「ミッションで取った、嘘は無い」

 

 むう、と逡巡の後にキーをおれの手に……というところで止まった。

 

「免許の、所持はしているのか」

 

 諦めて助手席に座る。

 

「油断も隙もない男だおまえはまったく」 ぶつぶつぶつとエンジンを点ける木山。

「勘違いするな、別に好奇心で言ったんじゃない。あんたの目の隈を見て寝不足だろうと推察したんだ。体調が悪い時は運転を控えるようにって自動車学校で習ったろ。考えた事ある? あからさまに睡眠が必要そうなやつの車に乗る気分が。気を使ってなんとなく運転したいとオブラートに包んだんだ」

 

「もういい、口も減らん男だよ……」

 

 失礼な事を言うやつだ。仕返しにおれは、ドア上部らへんにある固定された吊り革みたいなところ ――アシストグリップ―― を露骨に握る。

 

「うんざりしてきたので話を変えるが、そうだな……もしもだが、おまえのクローンが存在したとしたら、おまえがクローンだったとしたら、その同位体と出会った時、どうするつもりだ」

「殺す」

 

 がこがこと慣れた手つきでシフトチェンジを羨望の眼差しで答える。カッコいいなあ。

 返事がない陰鬱な表情の木山に、取り繕うように続けて言った。

 

「わかるだろ? 自分が複数人存在するのは気分が悪い。ドッペルゲンガーだ。それに対してほんのちょっぴりでも潜在的な負の感情があるわけだし、それがいずれは増大するかもしれない。すると、同じことを考えているクローンに殺される可能性がある。それを払拭する最も簡単な方法は殺害だからだ。おれの女がおれのクローンと寝てたり、クローンの罪をおれが着るハメになるかもしれないんだぞ。その逆もありえるから、殺害という一番簡単な方法で己が身を守るのは当然だ」

「……おまえのようにはなりたくないから、わたしのクローンが存在した時に備えて聞いておくよ。二番目に簡単な方法は?」

「じぶんを辞めて完全なる別人になる事」

 

「言葉を濁して限りなく遠回しに表現して言うが、サイコパスだと言われた事は無いか」

「なら聞くが、あんたならどうする。完全に自分の同位体が存在していたとして、あんただって聖人ではないだろう、負の側面があるはずだ。つまり一厘以下の確率でも同位体が負を犯す可能性は無視できない。それは同時に、無実のあんたがそれを背負ってしまう可能性でもある。そうしてのうのうと負を犯した同位体が存在する事に我慢が出来るか? 無限に存在するかもしれない自己の、一個体でも悪行に向かわないと断言できるのか?」

 

 沈黙する木山を無視し、車窓に映るじぶんを眺めて続けた。

 

「おれは、断言できない。あんたも過去を思い返してみろ、あんなやつ死んじまえって思ったり、やらなきゃよかったという後悔は一度や二度ではないだろ。人生、そんなもんだ。だからおれが無限に近く存在すれば、その中の誰かが、一度や二度をやるだろう」

「善意で言うが、おまえは社会一般的通念に則さない精神構造を保持している。信頼と尊敬している知り合いを紹介するからカウンセリングを受けろ、費用は心配するな。先の発言は、無限に存在するかもしれないじぶんを殺し続ける意思の表明に近しい。無限に殺人を犯せると無意識下で……」

 

 鼻で笑うおれに木山は言った。

 

「わかった。信じていないようだから、一度だけ言う。おまえとこの手の話していると、わたしはわたしの自己同一性が危ぶまれる事を知覚している。心底おまえが怖い。それだけに頼もしくあるが」 最後に弱弱しく言った。 「だからこの話はやめよう」

「いいけどー」

 

 微妙な沈黙が降りたので、きょう暑いけど脱がないの、と言うと露骨に舌打ちされてエアコンを凍えると表現できるくらい入れられた。

 ツリーを使用する為に局へ向かうのは数日後なので、食事のついでにいろいろと購入しておく必要がある。

 

 おれがちらと窓の外を見やると、偶然にも強盗の相方が買い物袋を提げて歩いているのを見かけて薄く笑った。笑って、くしゃみをする。表情から察するにいい傾向らしい、娘さんの病気は。

 



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第五話 答案実検 <cunning>

「なんだその恰好は」

 

 助手席に乗り込んだおれに開口一番、木山は言った。

 

「さすがにラフな私服で局には行けないだろうからな。けっこういいスーツ買っちゃった」 おれは満足げに襟を正すとシートベルトを締めた。 「いま何時か知りたいか?」

「午前七時五分。精神的効能のある高額浄水器を売りつけてはしゃぎ回ってそうに見える」

 

 そっけなくアクセルを踏む木山を無視して、ケースが蜘蛛の脚にも見えるアメリカンウォッチを袖から覗かせる。

 

「午前七時五分。時間通りだな。喉が渇いているのか?」

「車内の時計でもわかる情報をどうもありがとう似合ってるぞこれでいいか」

「あんたもな。ショートもいい感じ」

 

 おれはフロントガラスに反射する、灰のパンツスーツに伊達眼鏡の木山を眺めて言った。いちおう変装というか、普段やらない事をする時は普段と違う恰好をするべきだというおれの人生哲学を押し付けた結果だ。学園都市の警備がその気になればすぐに身元が割れるだろうが、小手先の偽装でもやらないよりマシだ。

 

「おまえが指定した髪型だからそうしただけだ」

「がらりと違う格好をすべきというのは意見が一致したろう。なんかショートに嫌な思い出でもあるか。フられた時の?」

「喋るな」 棘を含み過ぎたと思ったのか、言い訳を付け加えた。 「運転に集中させろ」

「悪かったよ。その件に触れないから喋っていいか」

 

「ああ。言い過ぎた。気が張っているのは事実だ……聞きたいことがある。おまえが付いて来てくれるのは、その、助かる。がなぜだ」

「あんたの話が正しければ、ツリーはシミュレーターみたいなもんなんだろ? 答えから逆算して実現可能な課程を吐いてくれるっていう。おれもそれにあやかりたい」

 

「わかりやすく言えばそうだ」 聞くべきか迷ったのか数秒の空白の後に木山。 「……何を求めているんだ」

「なんか、御坂美琴とかいう中学生? のクローンが二万体殺され続けている。具体性と進捗具合は知らないが、絶対能力進化計画とかいって第一位とやらが――」

 

 かくかくしかじかすると、呆れを含んだ怒り声が返ってくる。

 

「事実なら、おまえは、本当に、どこで、誰から、そんな、限外紫線(ウルトラバイオレットライン)級の、情報を、仕入れたんだ」

「色は知らんが計画の現場主任者から、直接電話で。だから間違いはない」

「そうじゃない、なぜ無関係のおまえがそんな情報を知りえたのだと聞いている」

「ツリーの使用許可を出す課程で」

 

 しばらくしたら責任者どころかセキュリティ部門ごと飛ぶな、と木山はこぼした。

 

「ま、おれが今後、安全に仕事をするにはどうしたらいいかをツリーで確認する。定職にも就きたいし。なぜ辞めたかは聞くな」

「御坂にその事実は?」

「伝えてない。御坂としては、どうせほっとけば済む話だろ?」

「自分のクローンが二万体殺されてもか」

「自分じゃないから。むしろ殺す手間が省ける。問題があるとすれば、第一位がクローンと間違えて御坂本人を殺す事だな」

 

 木山が陰鬱にため息を吐いた。

 

「御坂にはわたしから伝えるから、おまえは一切口を出すな」

「あんたにこの種の解決策が提案できるのか? とりあえずクローンと間違えられない為に見た目を変えるとかが関の山だ」

「おまえとだけはこの手の話をしたくないのを御坂美琴に対する人道的義務感で堪えて言うが、なぜ駄目だ」

「おれが二万体の内のクローンの一つなら、第一位に御坂本人を殺させて、成り替わる。だから常に容姿は御坂美琴に似せる。極端な変装は逆に危険だ」

 

「朝から嫌な話を聞かされた」

 

 木山が黙り込んでしまったのでぼうっと景色を眺める。学園都市のパンフによれば目的地は第二三区とやらで、宇宙開発とかそんな感じの事をやっているらしい。住宅が少なくなり、代わりに広大な飛行場を思わせる敷地やバカげた大きさの建築物、パラボラアンテナが見え出した。張り巡らされたフェンスは軍事基地にも似ている。

 

 木山がセキュリティゲートの検問所で武装している警備員にIDカードっぽい物を見せると、すんなり通れた。

 

「今のは?」

「わたしに使用許可を出したやつから送られて来た。たぶんおまえに浄水器を売りつけられた被害者の一人。一応確認するが、タバコとか吸うか? 着火物等の危険物の持ち込みは禁じられている」

「吸わない。が」 ジャケットの内ポケットからオモチャみたいな小型短機関銃、スコーピオンを取り出す。 「バレるかな」

「物騒なやつめ」

 

「モデルガンかもよ。確かめてないから」

「は? なぜ」

「実銃なら、そんな危なっかしい物を持ち歩きたくない」

「偽物なら?」

「そんな頼りにならんものを持ち歩きたくない。わからないほうが大切な時もあるって事だ」

 

 ふあ、と欠伸が出る。気持ち良く加速するランボルギーニのエンジン音が心地よい。道路標識はなぜか百キロメートル以下とあった。広いからか。

 ほどなくして超巨大パラボラアンテナに隣接する四角い施設に到着。当たり前というか、駐車場があるので停めて入局。外から見た感じ空港より厳重な手荷物チェックがあったので銃は置いてきた。

 

 思ったよりも人は少ない。ロビーでは研究者な出で立ちや、結果待ちの背広がまばらに時間を潰している。まあ、ツリーを使用するにあたって人手がいる訳でもないからか。入口で木山がIDカードをスキャンし、受付でIDカードを見せ、エレベーターのボタンを押す前にもスキャンしていた。この調子だとトイレのドアまでそうかも。

 地下へ向かう長い長い昇降機の室で、木山がぽつりと言った。

 

「聞かないのか。わたしがツリーで何を知りたいかを」

「さあ、ウィンドウズのイルカを消す方法とか? あいつは本当にしぶとい」

 

 ふっ、と小粋に笑う木山を、おれは初めて見た。

 

「あんたからの依頼の電話で聞いたが、理事会ってのが使用申請を蹴ってたんだろ。だいぶヤバい事を知りたいんじゃないのか?」

「まあ、な。おまえだけでも引き返すか?」

「どんなやつら?」

「学園都市の重要人物を上から数えた十数人からなる組織だ。名前や容姿が明らかになっていない者も多い」

「車で待ってようかな」

 

 木山は黙って鍵を差し出したので受け取る。

 

 といったところで扉が開いた。白白しくなるほど清潔な廊下に、いくつかの扉がある。ちらと目を合わせた後、先を行く木山に仕方なく付いて行く。

 

 どうやらツリー本体は衛星に積んであるそうで、いくつかある部屋は通信コンソールらしい。

 絶対能力進化計画の責任者が滑り込ませたツリーの使用時間は一時間と十三分。使用中のランプが点灯していない一部屋に入ると壁一面のモニタや計器。 ――これ全部いるの?―― ドアの内側にはカウントダウンが表示されていた。

 隅にはちょっとした仮眠も取れるくつろぎスペース、個室トイレとシャワーもあった。シミュレートに一日とかかかる処理もあるのだろう、大きな冷蔵庫を開けるとミネラルウォーターのペットボトルがあったので、二人分取り出す。適当な戸棚にあった携帯食料で小腹を満たした。

 

 その間に木山は持参していた携帯外部メモリを接続し、コンソールの前に座って指を置いた。置いて、硬直していた。

 手持無沙汰からソファで横になる。ためらう木山の背をぼうっと眺めた。うつらうつらと舟を漕いでいると、やおら言葉を投げかけられた。

 

「……悪意が無かったとして、じぶんは利用され、他者に実害を与えた場合は罪だと思うか?」 と木山。念願のツリーを目前にしながらも、タイプする事無く言った。

「いきなりだな。法学的な答えが欲しいか? それとも、あんたにサイコパスと言われたおれの個人論? 前者なら罪だ」 ごろりと背を向ける。

「後者なら?」

「実害を被ったのがおれなら、復讐する」

「そうか、まあ、憎まれて然るべきだろうな」

 

「大元の利用したやつをな。末端の雑魚なんぞはどうでもいい。よくニュースで会計上の数値の偽装とかが叩かれているが、おれは偽装したグループが必ずしも悪とは思わん。偽装がその会社で幾重にも積み重ねられてきた地層のような、通過的通例儀式、様式、仕様としての操作であるなら、組織内でそれを悪だと判断するのは難しいからだ。長年、それ、で通っていた措置を行ったに過ぎず、それがたまたま露見し、それをやれと言われたからやった地層の表面を切り取るのは間違えている。やった地層もまた被害者かも。貧乏くじを引いただけの」

「じゃあどうするのが正しい。誰がどう責任を取るというのだ。破産して地層もろとも消えろと」

 

「正解は知らん。仮におれが利用された地層の一部なら被害者に埋め合わせをして帳消しという事にする。で、やっぱり責任持って利用したやつに嫌がらせをして知らんぷり。あくまでも個人論だからな、サイコの」

「サイコパスと言われた事を気にしているのか?」

「反省してる?」

「ああ、反省している。より抽象的な言葉を選ぶべきだった。おまえは、一人と多数のどちらかしか救えない場合、救った方に冷酷だと思われたくないから両方見捨てるタイプだろ。答えなくていいぞ」

「あんたと話すと毎回皮肉を言われている気がする……そういうあんたは? 善悪の価値観どーなんだ」

 

 無視されたのかと思うほどたっぷりと間を置いて木山が言った。

 

「からかわれるのが嫌で黙っていたが、実は教員をやっていた時期がある」

「……ふうん……」

 

 堰を切ったように語った。

 

「平たくというと孤児院のような施設に従事しており、そこは学校と呼べる法的基準にはない。だが実態は、暴走能力の法則解析用誘爆実験を、いや……能力が暴走した場合のWhereを除いた4W1Hを観察する業務と言った方がわかりやすいか。その結果、児童たちは昏睡状態に陥り、いまも続いている。それが理由で計画は凍結されたものの。言い訳だが、知らなかった。知っていたら出来るかわからないが止めていた。治療法を探ろうとツリーの申請を求め続けたが、事実を隠ぺいしたいのか、主導者の木原幻生により統括理事会を介して封殺された……今度こそわたしは、犯した罪を、帳消しにできる。と……思うか? それで許され……」

 

 返事の無いおれをいぶかしんでか、ぎしり、と椅子が回転する音が聞こえる。

 

 おれは小さく欠伸をし、重い瞼を擦って言った。 「……うん大丈夫、続けて」 

「おいまさかおまえ聞いてな、わたしがどんな思いで……」

 

 呆れ果てた木山はしばらくして、合点をいかせたのか小さくありがとうと零した。わからない方が大切な事もある。しばらくするとタイプ音が聞こえてきた。

 二十分ほどで、わたしの要件はすんだから、あとはおまえが使えとコンソールの席を譲られる。設定は木山が済ませてあるようで、基本的な操作は一通り教わった。

 

「ツリーはあんたになんて?」 とおれ、たどたどしくコンソールを叩く。

 入れ替わりでソファに横になった木山が、緊張から解かれたせいかひどく疲れた声で答えた。

「現実的に、わたしの能力と環境下で実行可能であることは確認した。速度優先で具体的な情報は圧縮してあるからわからん、自宅で専用の解凍ソフトを使うまでは。だが目的は果たせる、間違いなく」

 

 ふーん、と興味なさげに相槌を打ちながら逡巡する。なんで木山は木原幻生とやらに殺されていないのだろうか。

 

 

 

 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

「おい起きろ。時間だ」

 

 施設に入ってから一時間ほど。

 

「どれくらい経った」 と木山、寝ぼけまなこ。遠足前のこどもよろしく、昨晩は寝付けなかったのか。

 腕時計を確認して答える。 「もう出なきゃならん」

 

 木山は自身の靴が脱がされている事に気づき、悪いな、と履きなおした。

 ノベルティ感覚で携帯食料を少し拝借して室を出る。長い廊下の先にあるエレベーターの前で、ゆったりとした栗色の長髪の女性が壁に背を預けていた。視線はひどくこちらを見抜いている。

 

「あんたは喋らず、前を向いていればいい」

「は?」

「おれがやる」

 

 要領を得ない木山を無視してエレベーター前まで進む。

 

「悪いがどいてくれるか、ボタンが押せん」

「あんたらは何者?」 予断ない視線を向けられる。

「名前が知りたいのか?」

「学園都市の第一級広域効果財産であるツリーを不正使用すれば、どうなるか知ってる? それに及んだなら多方面に対して数えきれない程の公的文章の偽造も行っているはずだから、アンチスキルも弁護士も呼べないレベルだけど」

 

 法的庇護を許さない辺り、こいつは仄暗い汚れ仕事屋なのか?

 

 身長はおれより低い。目に見える武装の類はなし。歳は高校生か大学生程度。アクセサリーの類と指輪痕はなし。爪も弄っていない。大人びて見えるが、たぶん十七、八。すっぴんに見える、香水もなし、まだ化粧の仕方を知らんのか? 雑な性格かも。

 

 それにしてはバストを強調するような胸の下のベルト。自身の肉体が世間的に見てどう感じられているかは理解している程度に女性。日焼けが嫌なのか七月半ばに長袖とニーハイ。嫌な事は、徹底して拒むタイプ。

 ポケットの無さそうな服装からして財布や免許証の類は持って来ていない。が、この無駄に広い施設を徒歩は無理だろうし汗の匂いも無い、たぶん上に誰かが待機している。最悪でも一人は免許を持ったエージェントが。と思ったがヘリかも。

 

 膝下まであるヒール高めの白のロングブーツ。この季節に合皮は無いだろうし、特有の履き皺があるので本革。大切にしているのか綺麗に手入れされている。この汚れや傷の少なさで不正者を取り締まる事が多くあるなら、飛んだり跳ねたりするタイプの能力ではない。自身は動かず、何かを射撃、あるいは操作する系。単独。にも関わらず挑発的で自己肯定に満ちた視線と物言いからして、かなり強力な力である可能性が高い。

 不正使用を取り締まりに来たらしいにしては余裕があるのも戦闘能力の高さを裏付ける。傲慢にも似た自信家。その割には理性が残っているように感じられる口調。猫被っているのか。

 

 また、とても仕事に臨む出で立ちではないが、完遂できれば服は好きなのを着るという規律よりも実力に重きを置く理念がある。

 総括として、拒まれないように直接的な対立に持っていかず、こちらがとても敵わない様子を見せて相手の実力とプライドを尊重し、理念に共感したところで提案をしなければならない。

 

 問題なのは、こいつのバックは局のセキュリティをパスさせるほどの影響力を持っているという事。しかしドアを破って突入できていない事からして、どの室を利用したか、おれと木山が誰なのかを把握する情報網は持っていない。理事会が不正使用を知ったのなら、遠隔操作でおれたちの室のコンソールを停止すれば済む話なので、少なくとも理事会勢力ではない。それに準ずる影響力はある。だが通報していない事からして、こいつのバックと理事会は友好的関係にあるわけではなさそうだ。理事会かこいつのバックの、どちらかがどちらかの目の上のタンコブだといいが。

 

 だいぶヤバそうだが、学生らしい年下の少女。ここは穏便に済ませよう。

 

「で、おっさんは何者? 即答し」

 

 おっさ……

 

「わたしは統括理事会を構成する一人だ。もう一度言う、そこをどいてくれるか。時間が無い」

 

 カチンと来たので、この残忍なエージェントに高額な浄水器を売りつけてやる事にした。

 気を取り直して時間を惜しむように腕時計を確認すると、エージェントの視線に相対する。その際に木山を盗み見ると、エレベーターを眺めたまま口元で薄く笑っていた。おばさん呼ばわりされても知らんぞ。

 



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第六話 釈明轢殺 <trample explanation>

 ふざけているのか、と半笑いでエージェント。 「よくまあ、そんなしょうもない嘘つけるねえ……ツリーを不正使用してまで何を確認したかったのかを言え」

「仮に言ったとして信じるのか? この場で裏を取れるとでも。われわれの意図を探るような質問は時間の無駄だ。お互いプロだろう。手短にいこう。われわれはエレベーターに乗りたい。そちらの要求は?」

 

「吐かせる手段はいくらでもある」

「構わんが、ここで拷問の類を行うつもりか? 連行するにしてもどのみちエレベーターに乗らなければならんだろう」

 

 エージェントは露骨な舌打ちの後でIDカードをスキャンし、上るボタンを押した。前哨戦はこちらの言い分を呑ませた形になるが、問題はこれからだった。エージェントとおれは扉を側面にしたまま相対する。隣の木山は変わらず正面を向いたまま。

 ゆったりとした上昇感が身体を浸透する。

 

「で不正使用の」

「ツリーの使用許可を認可する事は理事会員の権能の一つであって、会員であるわたし個人も当然に有している権利の一つである以上、厳密には不正使用ではない。わたしの許可申請を、わたし自身で認可した」

「使用に至る手段が実質的に不正。申請書に記載されていた適性使用者は十時間前に死亡が確認されている。学園都市における研究者の唐突な爆発、とろけ、事故死および病死は珍しくないけど、運が悪かったわね、残念」

 

「わたしが手にした許可証にそのような偽装工作が行われていたとは。冤罪だ」

「シラを切るつもり?」

「なら証拠を出せ。仮定の話でもいい、わたしが不正使用をするにあたって、いったいどのような手段を用いて使用許可を出したというのだ。言いがかりだ」

「だーから、こいつは弁護士も呼べない話だって言ったろ? あんたらは文句なく殺処分。たとえ理事会員でも暴走すりゃあ粛清対象だし、あんたがそうである事が疑わしい。証拠があるのか」

「会員カードでもあるとよかったが、あいにく統括理事会はレンタルショップと少し違う」

「ゴミみたいになりたいか? 最後に一度だけ聞く。誰だおまえは」

 

 だいぶ堅い。統括理事会員である事に集中しろ。誰なら折れるかと試算するが、自己貫徹型に効きそうな人物像が思い浮かばない。仕方なしに知っている中で一番偉そうな名を口にする。

 

「わたしは木原幻生。そのクローンか、本人だ」

 

 少女は沈黙した。

 

「作業効率上昇とバックアップとしてわたしのクローンを作った。ただ、どれがオリジナルかはオリジナルもわからないだろう。もちろん物心ついた時からの記憶はあるが、それは植えつけられた物かもしれないし、真偽を別にどの個体も同じ答えを言うだろうから」

 

「てめえ、正気か」 興が乗ったと言わんばかりに腕を組み、不遜に口元を緩める。

 

 わたしは焦りを感じていた。このエージェントは子供の言い訳のロジックを面白半分に観察する気だ。聞くだけ聞いて、結局は自分を信じる。揺るがない自己肯定。他者の不在。ヤベーやつ。

 

「理事会員である証拠になるかわからんが、限外紫線(ウルトラバイオレットライン)級の情報をいくつか掴んでいる。絶対能力進化計画と言って――」

 

「……そうだとしても、相手が誰だろうが関係ないという論理からは脱却できてないなあ」

「きみがわたしを殺すのは簡単だろうな、易き道を行くがいい。だがきみが有能さと自身の誇り高さを示すなら難き道を進む必要がある。理事会内部では大きな政争が起きている」

 

「いつもの事だ」

「前人未到のレベル6を顕現させる計画の是非で割れているのだから規模が違う。計画が完遂されれば能力者は、レベル6かそれ未満の二つでカテゴライズされるほどの。わたしはそれを阻止する手段の一つとしてこの施設を訪れた。それに今この瞬間にもある少女のクローンが殺され続けている。彼女らとて、生を受けたのならば尊厳に値する生があるはずだ。命がある。ただの人形ではないのだ」

 

「たかがクローンだろ。魂があるとでも? 物損だ」

「学園の現代生命倫理学であっても、魂という概念は定義づけられておらず、論ぜど結論は無数かつ個別にある。きみはいま、無機物と会話していると感じているのか。そうではないだろう。人間と会話するレベルの無意識さで口を開き、反応を待っていたはずだ」

「それはあんたを木原幻生のクローンだとは思ってないからだ。だいたい、似ても似つかない」

「自己同一性を守るために肉体は完全に他者のそれにした。だから当然誰も、おまえは木原のクローンではない他の誰かだと言ってくれない訳だったが。誰にもその苦悶を言えずに一生を耐えなければならなかった。肉体すべてが他者でも、自分がクローンかもという自意識には囚われ続けるという事だ」

 

「わたしの知る木原幻生はクローンの尊厳だとか、能力者の為だとかいう建前は石ころにも思っちゃいない静穏な狂人だ」

「主義や主張でオリジナルが決まる事はない」

「でもわからないんだろ。あんたら自称クローンの中でも、誰がオリジナルかは」

 

 地上に到着し、扉が開いた。ガラス張りの正面入り口から差し込む光と、ロビーの雑多な会話に救われた気がする。同時に、円柱にもたれかかっていた、オレンジのパーカーを羽織った少女が自然体で構える。後詰か。

 エレベーターから一歩出たところで立ち止まり、女に振り返って言う。

 

「最後に生き残ったのがオリジナルだ。わたしはわたし以外の木原幻生を殺して回っている」

「なら手伝ってやるよ」

 

 女は掌に光球を生み出した。その光景を目にしたロビー内の一人が何事かと会話を打ち切ると、みなそれに続いた。光球は薄ぼんやりと緑がかっており、どうにも剣呑そう。

 静まり返った室で、わたしは言うと同時に絶望に近い感覚に腰まで浸かっていた。死ぬ? わたしが論戦で敗北するならまだしも、このエージェントの殺意を取り()せない? 逃げられないなんてことが……

 

「理事会員であり、木原幻生であっても殺そうとするのか」

「まずおまえみたいな理事会員は知らないし、わたしたちアイテムの存在すら知らないのも不自然だ。仮に木原幻生なら殺したほうが世の為人の為ってわけ」

「いいや違う。これまできみとの会話を分析してみて理解した。きみのそれは建前で、きみは目標を殺せと言われたから殺すのだ。そのような指示を受けたからであって、断じてそれ以外の理由など無い。違うか?」

「よくわかってるじゃない。ま、あんたは今までの目標とは一味違ってなかなか面白かったよ」

 

 こいつは今まで出会ってきた中で最上級に極まった精神構造を持っている。普通は任務に関する責任だとか、成否、損得、恥、栄誉、世間体、後輩を含む仲間内や上司の評価と関係に気をやる。こいつにはそういった煩わしい合切が無い。喧嘩を売るんじゃなかった。こいつに訴えかけてもダメだ。

 

「わたしも楽しかった。最後に一つだけ頼みがある。数分でいい、きみの指示者と会話させてくれ」

「最後の言葉を他人と交わす事になるけど? ま、奇妙な体験をさせてくれた礼だ」

 

 女は空いている手でスカートの下から携帯端末を取り出し、発信してからわたしに投げてよこした。ポケット付きのスパッツでも履いていたのだろうか。

 

『何があった、緊急回線だぞ』

「絶対能力進化計画を知っているか」

『誰だおまえは、なぜ……この端末の持ち主は!?』

「生きているし、目標であるわたしを殺して任務を終えようとしている。最後に交渉して指示者であるあなたと会話させてもらった。絶対能力進化計画を知っているか?」

 

『は? ……ああ』

「わたしはそれを阻止する手段の一つとしてツリーを利用したが、計画推進派の工作により、不正使用をでっちあげられた。あなたは不正使用者の処罰という偽の情報を掴まされた。この失態は理事会で槍玉にあげられ、後のレベル6の最初の性能テストにあなたのエージェントが使われる理由にされる。汚れ仕事をやるような連中がいくら死んだところで誰も気にしないしな。わたしと相対した女性のエージェントは指示者であるあなたの命に従順で、極めて優秀な兵士だ。それを失いたいか? 替えが利くようには思えない」

『おまえは……いったい』

「わたしは木原幻生、そのクローンかオリジナル。休戦したい。見返りに情報を分ける。木原幻生主導の暴走能力の法則解析用誘爆実験は凍結されていない、水面下で何かが進行している。エージェントを止めてくれ」

 

 一拍の後に返事を得たので、エージェントに携帯端末を返す。比類ない兵士だったが、上司はまともだ。命令に対する忠実さが仇になった。勝った。わたしはエージェントの命令を撤回させる事に成功した瞬間に腹部が熱を持った。視界が赤く明滅し、その場に悲鳴とどよめきがこだました。背後から逃げ惑う足音。激痛に膝が笑う。

 

「あー、もしもしー。作戦は一時中止ー? うーん、ちょっと遅かったかも」 エージェントがにやにやと笑ってわたしに吐き捨てるように。 「命令に忠実であるという言質を取った上で、うちの上司を丸め込み、停戦の命を下させたのは褒めてやる。だけどやっぱ怪しいわ。勘だけど」

 

 わたしは呼吸が怪しくなりながらも、腹をおそるおそる見やった。

 ぽっかりと直径十センチ程の正円の穴が、おそらく貫通している。断面は焼かれているせいか失血していない。ゆっくりと顔をあげて女をねめつけると、周囲に複数の光球が浮遊していた。あまりの痛みに声も出ない。この女はヤバすぎる。論理や理屈の防壁を直感と感情だけで貫通してくる。能力はよくわからんが、使い手の実力は学園都市でも五本の指に入る。人が苦労して積み上げたものを、なんか邪魔だからという理由で轢いてくるような精神構造のこいつを折る事は論戦術の細緻に入る御業で、わたしは至らなかった。

 

『よせ!』

 

 電話口からの大声を無視して、エージェントは大仰な手振りで言った。

 

「いーじゃない。レベル6とやり合うってのも悪くない。それに口八丁手八丁で煙に巻こうって魂胆が見え隠れして気に入らないから死ね。いやその前におまえが本当は何者なのかを聞くんだった。次は、うーん、脛でも撃っちゃおうかな、タマは最後にしてやるよ。で何者? 即答しろ」

 

 口を開け。こいつは絶対、片足の脛と思わせて両足を抉るようなやつだ。脛とは言ったけどどっちか一つとは言ってませーん、とか恐ろしい理由をつけて。

 語れ。意思はそう肉体に命ずるが、痛みでそれどころではない。粘つく唾液と鼻水が呼吸を遮る。脂汗が滴り落ちる。とにかく横になりたかったが、伏せば負けると理解していた。痛みで絶叫しても敗北する、傷に手をあてがっても相手の言い分を飲むに等しい。そう理解はしてた。膝に手を突き、崩れそうになる身体にたたらを踏むと傷口がたわみ、苦痛で意識が飛びそうになる。

 喋れ。何でもいい。口説き文句、好きな食べ物、嫌いな色でもいい、から。他に対抗手段は無い。

 駄目だ、声が……出せない。

 

 視界がぼやける中、わたしとエージェントの間に割って入った人影。その抱き心地の良さそうなくびれと尻には見覚えがあった。

 

「やってくれたな、苦労して手に入れた幻生のクローンを!」

 

 木山……喋るなと言ったのに。殺されるぞ。

 

「自分の事を理事会員の幻生クローンだと思いこんでる一般人だろ!」

「木原幻生が静穏な狂人だと言うのなら、御坂クローンの生命を尊重する発言の次に、自身の幻生クローンを殺し続けると言ったダブルスタンダードを吐くこいつもまた静穏な狂人そのものではないか! 事実こいつの精神構造はおかしい!」

 

 ひ、ひどい。こここ、こいつら言いたい放題。

 癪なので皮肉の一つでも言ってやろうと思ったが、浮き輪の手動空気入れポンプみたいな音しか出ない。カッコ悪いので黙ってる他ない。腰を落ち着けなければ何も言えん。悔しい。

 

「ただの詐欺師だ、雑魚はどいてろ! 無能力者ともども一緒に死にてえか!」

「これはわたしの私物だ! 破壊させはしない! この損害はいずれそちらに支払ってもらうからな!」

「いずれなんて無えんだよ!」

「きさまには言っていない! きさまの指示者にこのツケは払わせると言っているんだ、聞こえているだろう! 目標が幻生のクローンという情報が伏せられていたのは明白だ! きさまらとて敵対者がいないわけではあるまい! こいつが十中八九、木原とは関係ないと考えているのだろうが、最後に生き残ったのが幻生のオリジナルではなく、最初に死んだのが幻生のオリジナルだったという事にされるのがオチだ! 現実はどうあれ、客観的には幻生を殺したという事実だけが残るのだぞ!」

「無視してんじゃねえ!」

『麦野!』

 

 電話の向こうの指示者の怒声が木霊した。

 

『絶対能力進化計画は木原幻生の起案だ、文句なくクローニングを行使できる立場にある! 目標がクローンであっても木原で、かつよりにもよって幻生であるなら、われわれは冤罪の幻生殺害という泥を被るかもしれないんだぞ!』

「それがどうした! 所詮はクローンだろうが! 今まで目標の有罪無罪を考えて汚れ仕事をやった覚えは一切無い!」

『十把一からげの木原のクローンならともかく幻生は別だ、部隊の存続に関わる! われわれを消したい連中にその口実を与えるという事だ! 武力ではなく権力によって解体される。おまえたちの実行力は理解するが、わたしの政治的横車が通らなくなるんだぞ! これは罠だ! 何者か仕掛けた、幻生のクローンという情報地雷だ! やりようはある!』

 

 麦野と呼ばれた女が歯がゆい表情を見せた。自己最優先かと思っていたが、意外に部隊の連中と仲がいいのか。アイテムという組織そのものは、自己と同様レベルには大切に思っている? ますますをもって訳が分からんエージェントだ。だから歯が立たんのか。

 わたしはゆっくりと呼吸を整え、直立し、麦野と呼ばれた女を見据えた後に背を向けて歩き出す。木山が隣に並んだ。途中でフードの少女が立ちはだかったが、立ち止まり黙っていると道を譲った。

 

 入口のガラスドアには綺麗な穴が開いている。おそらくわたしの腹と同じ径の。麦野とかいうやつの能力は、やはり遠距離戦に特化している。

 木山……助かった。けどなんで入口から微妙に遠い所に停めたんだよ。数キロにも感じられる数十メートルを歩ききり、わたしは借りていたキーでロックを解除して運転席に乗り込んだ。

 

「おいおまえは助手席に」

「わたしの好きな映画の主人公は、ラストでマフィアに腹を刺されたが平気で運転してスタッフロールしてたよ」 息も絶え絶えで続ける。 「いいから、乗れ。信用して車を貸せ。あと助かったよ。あれは化け物だ。妙なボーダーラインが引かれた組織愛があったとは露程も考えられなかった。わたし一人だと負かされていたに違いない」

 

 木山は何か言いたそうだったが、黙って従ってくれた。お守り代わりのスコーピオンを懐に収め、二回エンストしたが、何とかエンジンをかけてランボルギーニを走らせる。

 

「取り急ぎ確認したいことが二つある。暴走能力の実験が水面下で実行中というのは? あいての反応を見るに事実性があったが」

 

 おそらくガキが昏睡状態になったのはシナリオだろう。計画主導者が統括理事会を介してツリーの申請を操作できるのなら、当然に主導者もツリーを利用し、計画の課程と完了の保証は既知だろうから。

 だからまだ暴走能力の実験は継続されている。もしもわたしが主導者で、本当に事態を隠匿したいのなら木山とガキは暗殺するから。そうなっていないという事は、実験自体に関係者を殺すほどの機密性はなく、でも木山にはこの件に関してツリーで干渉されたくない事由がある。もしくはガキにはまだ利用価値がある。

 

 昏睡状態のガキを治されてもたいして困るまい。再び孤児を集めて同じ実験をすれば済む。つまりそれ以外で、計画自体に探られて痛い腹がある。ガキを治療する方法の演算過程で、万一にそれに触れられると面倒だから申請を蹴っていたと考えた。

 

 という事を途切れ途切れに伝える。

 

「ではまだ子供たちになんらかの危害が加わる可能性が……」

「かも。二つ目を言ってくれ、わたしが死なないうちに」

「おまえは何らかの能力者なのか?」

「知るか、そんな事。あんたの能力は大脳なんとか研究に突出した思考が出来る事か? と言われても反応に困るだろ。そうかもしれんし、たまたまかも」

 

「それもそうか……おい、病院の区画は」 と木山が過ぎ去った標識に視線を流した。

「ダメだ、あいつら、アイテムとか言っていた連中はたぶん、引いたふりしてわたしの入院中に適当なスキルアウトを使って間接的に拘束させる。そうして、万一の敵対組織を介した理事会の糾弾を躱すつもりだ。わたしならそうする。正円の傷なんてレアな手術痕だから、時間を指定してカルテを徴収するなり盗み見すればすぐ居場所は割れる」

「死ぬぞ」

「悪いがわたしは尋問されて、あんたの目的を吐かない自信は無い。もしも昏睡状態のガキに利用価値があった場合、幻生の裏工作で移送される」

「しかしそれでは!」

 

 わたしは思い出したように突発的に痛みを叫んだ。

 

「あのクソ女! 何て事してくれたんだ! くそたれ!」

「うぉっ! 急に……お、おい気持ちは分からんでもないが落ち着け。別にあいつらは……らしくないぞ」

 

「わかったわかったわかってる! 不正使用者を摘発するのが今回のあいつらの仕事で! わたしたちは不正を働いた、だからこーなった! 復讐なんてくだらん事は考えてないっ!」 ハンドルをこれでもかと握りしめて歪に右折する。 「めちゃくちゃ痛いんだよ! だからこう、とにかく怒ってアドレナリンを出して痛覚を誤魔化してる最中! ああ! 世界一ビックリマークが似合う男になりそう! 怒るのに協力してくれ!」

 

「わかったそうか、協力する。安心したよ。少しだけ」 木山は両手でアシストグリップを握って言った。 「もう少し中央線から離れたところを走ってくれるともっと安心」

「そうか! 全然気づかなかった! あと白井に映像通話で連絡を取ってくれるか? ズボンの左ポケットに携帯端末があるから。なんか力み過ぎて手がハンドルから離れん……なんてこった! これじゃあクラクションも押せん、あーいらいらする!」

「ああ、でも今度は歩道に寄りすぎ……」

「運転にケチを付ける助手席ほど煩わしいものはないな、良い調子だ! だんだんと痛くなくなってきた」

 

 木山が二件しかないアドレス帳から白井を呼び出すと、数コールで着信した。

 

「白井か!? わたしだ! ちょっと手が離せないから木山に掛けさせてる! で、腹が立つほどヤバい状況! 助けてくれ! おっとー、木山、ウィンカーの使い方を知らずに右折するバカ対向車にクラクションを鳴らしてくれ!」

 

 パー! と木山は鳴らしてはみるが、当然すでに件の車は過ぎ去っている。前方車両の運転手の困惑した顔がルームミラーに映る。

 

「くそっワンテンポ遅い!」

『いったい何事ですの』 と怪訝な声色の白井。

「腹を撃たれた!」

 

 視線を木山にやると、サッとぽっかり正円に空いたわたしの横腹にカメラを向けた。白井の息を飲む声。

 

「グロい物が映るかも、くそっ今度はワンテンポ早い!」

「わがままを言うな」

「死にかけだぞ! 言わせろ! イラッと来た! その調子!」

『どうしてこんな、誰が……今どこですの!』

 

「わたしは木原幻生のクローンだった! アイテムとかいうのにやられた、かも。いまから第四学区に向かう! そこでジャッジメントとしての白井くんに頼みがある! 一帯の監視カメラを凍結できるか!?」

『それは……』

「わたしがっ望んでいる言葉は、わかったからもう喋るな、ってやつだ。映画とかでよくあるあれだよ。人生で一度は言ってみたいセリフだろ? な?」

 

 数秒の沈黙は答えを出しあぐねている証拠だ。つまりは可能なのだろう。ただ、自身の権限を大きく逸脱しかねないのでやりたくないか、どこかに借りを作るのを嫌ってか、単純にわたしを信用していない。

 

「腹と引き換えに御坂美琴に関する重大な情報を掴んだ。電話回線では危険すぎるほどの。一時間でいい」

『……わかりましたわ』

「助かる。追って連絡する」

 

 頭を使ったせいか理性が戻り、痛かった痛みがもっと痛くなる。ハンドルを握る手が緩くなる。

 

「第四学区だと……おまえそこがどこかわかっているのか!? あそこは飲食街だぞ、このあいだ食事しところだ。まさか……」 木山がわたしの傷跡を覗き込み、そっと物を置くような慎重さで続ける。 「まさか腹が空いたから、とかそんなつまらん……」

 思わずハンドルに齧りついて堪える。 「うまいこと言って笑かふな、う、ぐっぐっ、腹は痛ひ」 涙まで出てきた。

 

 意識が遠のきそうになる。居眠り運転特有の左右にぶれるハンドルさばき。しっかりしろと、アシストグリップをがっちり掴む木山……のブラウスは汗で透け、白いブラに張り付いている。どうしても珠の浮かんだ胸元に釘づけになる。

 なるほど確かに、頭がいっぱいになるとエアコンを付けるのを忘れる。もう木山をからかえんな。

 

「痛くてショック死しそうだ」 息も絶え絶えで言った。 「頼みがある」

「わかった、前を向いてくれれば何でも聞く。いや前を向いて安全運転してくれれば」

「胸を触らせてくれ。青臭いと思うかもだが、わりと切実。いま死ぬ前にやっておきたい事の二番目だ。本当は一番目をやりたいが、たぶん身体が持たん」

 

 木山は逡巡して神妙に言った。 「嫌だ」

 

「何でだよ! 男が死にそうなんだぞ! 胸くらい貸せや! 最後の願いかもしれないんだぞ!」

「おまえが怒るのに協力しろと言ったから」

「そうだった! わたしのクソ野郎! 何であんな事言ったんだ、くそたれ!」

「わたしを、その、笑わそうとフザケているのか?」

 

「今度は憤死しそうだ!」

「腹は痛むか?」

「悔しいが全然」

「なら、アクセルを緩めてクラッチを踏め」

 

 速度に合わせて木山がシフトチェンジした。

 

「最後の晩餐などという洒落た考えは似あわんからやめろ」 そっぽを向いて木山が言った。 「今からでもいい。運転を代われ、病院に行こう。アイテムや理事会の追撃は免れんが、おまえには、なんだ……」

「いや、いいんだ。これでいいんだ、ここがいいんだ。この時間の、ここが」

 

 わたしはゆっくりと減速し、クラクションを小粋に鳴らす。ギョッとして立ち止まった買い物途中の女に、フロントウィンドウを開けて言った。

 

「よう相棒、娘さんを治療してる闇医者の所まで案内してくれるか。目立つなりだが、防犯カメラは機能してないから安心してくれていい、わたしの容態以外は」

 

 

 

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 どこをどう通ったのかはあまり覚えていない。助手席に二人を乗せてしばらく運転し、木山の肩を借りて数分歩いたら、雑居ビルの一室で怪しい闇医者と話していた。色とりどりの瓶と、ファイルとそれっぽいデスク。医療器具。大病院から空間を切り取って来たような設備は、映画のセットのようにも感じられた。

 

「とりあえず前金はランボルギーニで」

「おい、あれはわたしのだぞ」

「借りると言ったろーが。いつか返す」

「まあ、構わんが……どのみちわたしが持つ。大丈夫そうか」

 

 んー、と闇医者がわたしの腹を見やる。 「リクエストはあるか?」

「せっかくだから傷跡は残してくれ、なんかカッコ良さそうだから」

「そうじゃない。何肉がいい? この穴を埋めるのに使うやつ。冷蔵庫には鳥のモモ肉と冷凍してる豚バラがあるが」

 

 わたしは木山を見やり、次いで女に視線をやる。これ怒っていいやつ?

 

 ジャケットの内ポケットからスコーピオンを取り出して言った。「おまえの死肉を詰める」

「冗談だよ」

「よかった、わたしもだ」

「なら、銃を降ろしてくれるか」

「このまま手術だよ、先生。局部麻酔でいい」

 

 というところで視界がぐらつく。慌てている木山らを床から見上げる。

 

 

 

 わたし(・・・)は気が付くと――

 

 

 

 ――気が付くと安っぽいベッドに横たわっていた。おっかなびっくりに上体を起こして辺りを見渡す。窓の無いコンクリ打ちっぱなしの簡素な部屋だ。ハンガーにはスーツが掛けてある。じゃあおれ(・・)はというと、安っぽい寝間着姿。左腕には点滴。ひどく疲れているので、再び横になった。

 

 空腹により再び目を覚ますと、そばに誰かがいた。丸椅子に座って文庫本を読んでいる。寝ぼけまなこを擦ると、ぼんやりと女性らしい。

 

「気が付いたか、先に礼を言わせてくれ。とにかくおまえには助けられた」

「うん? ああ……しかしまあ、あんたと出会ってからとんでもない事ばかりだ……ああ、栄養が足らんから頭も回らん。あんたを助けた貸しをきちんと返してもらう為にも、状況の相互確認がしたい。おれはめちゃくちゃ頑張ったよな」

「寝起きにそれか。まあおまえらしいと言えばそうか。きちんと清算するさ。おまえがよくわからん方法でツリーダイアグラムの使用許可を出し、あまつさえわたしと不正使用したあげくアイテムを相手取って生きて帰ったんだからな。闇医のぼったくりに近い医療費を肩代わりしてもお釣りが出る」 

「あー……請求書でも渡されたか?」

 

 ああ、と言われて医療費の請求書を見せつけられた。初診、入院費等の欄に点数が書かれており、請求額合計の欄は桁が凄い事になっていた。氏名欄には木山春生の文字。全額持ってもらって、なんだか悪い気もする。

 

「うーん……名前とか大丈夫か? 闇医だし違法だろ、ここ」

「わたしとしては明かしたくなかったが、相手も裏稼業だからな。密告を危惧してのささやかなケアだと判断した。それくらいは付き合ってやるさ」

「もぐりにしては本格的な請求書だな」

 

 しかしながら、と木山はにやりと笑った。 「すごい寝言を言ってたぞ。聞いてるこっちが恥ずかしくなるような」

「あーはいはいはい。いいからそういうの。それよりお腹が減った、なんかない?」

 

「腹に空いた穴が完治するまで点滴。死ぬ前に言ってみたいセリフベストテンを下から順に言っていた」

「マジかよ……医療費をあんたに持ってもらった身だけど死にたいわ」

「あいつからきみを守れる者はいない。このおれ以外にはな」

「しぬしぬしぬ」

 

 枕を抜き取り顔を埋めてバタバタやっていると闇医者と女がやって来た。

 

「入院費も取るぞ。あと一応最後に触診する」

「連れに言ってくれ。しかし、ま、助かったよ」

 

 闇医者はおれの寝間着を捲り、左横腹を軽く指圧して確認した。

 

「良い腕だな。跡も残っていない。」

「だろ、要望通りにきれいさっぱり」

 良かった、と涙を拭う女。

 

 だが反応の無い木山を見やると、愕然とし小さく震え、文庫本を落とした。焦って周囲を確認する。次いで、吊ってあったスーツを引っ手繰ると銃を取り出して、覚束ない構えでおれに銃口を向ける。

 

「どうした」

「おまえは、おまえは……」 その声は恐怖していた。 「誰なんだ!」

 




次回タイトル仮 The Client <木山センセイ>
なるはや


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第七話 The Client 「木山センセイ」

「何を言っているんだ。おれは、よくわからん方法でツリーダイアグラムの使用許可を出し、あまつさえあんたと不正使用したあげくアイテムを相手取って生きて帰った関係だろ。友達じゃあないが、他人と言うにはいささか冷たいくらいの」

「その情報はわたしが喋った事だろうが!」

 

「なんか勘違いしてないか……頼むよ、木山」

「請求書の氏名欄から確認したな! ……記載が本名なら裏社会に流れる個人情報と、偽名ならそれが露見した時のリスクの危惧その両方とも取れる言い方で!」

 

「ちょ、ちょっと落ち着いてください」 と女が無謀にもおれと木山の間に割って入る。

「部外者は黙ってろ!」 木山は興奮した様子で闇医者に銃口を向ける。 「こいつは撃たれた傷を残せと言ったはずだ! 格好いいかもとかいうバカげた理由で! なぜそれが無いッ!」

「こいつが、いざ手術の段階で言ったんだよ。やっぱ正円の傷はダサく見えるかもだから、跡が残らないようにしてくれって」

「そうだったか? よく覚えていない」

 

「思い出せ!」 女を突き飛ばし、おれの腹に銃を突きつける。 「正気か、おまえは、わかっているのか!? これがどういう事か。わたしを、なんだと思っているんだ!」

「あんたこそわかっているのか? おれは腹に穴が空いていたんだぞ。意識が朦朧とする中で確実な記憶なんぞあるもんか。刀傷ならともかく、普通は正円の傷を残したいと思うか? むしろ残したくないと考える方が正常だろうが。手術の前段階でそう選択できた事が、正しいんじゃないのか」

 

 闇医者が恐る恐る口を挟む。

「お、おいせっかく峠を越したんだから、患者を殺すなよ。撃つならせめて重症にしてくれ。割引で治すから」

 

「おまえは、おまえはいま、わたしの危惧している事を理解しているのか。自身のクローンが存在すれば殺すと言ったおまえは、どこでもいい、例えばこのベッドの下に術前の過去を持つ個体の死体がある可能性が生まれてしまったという事だ。おまえはもう、わたしと出会ったおまえでは無いかもしれないという事だ!」

「術前の個体を、いま会話しているおれが殺して成り代わった可能性を考慮しているのか」

「誰なんだ……本当におまえは」

 

 木山は崩れ落ちるようにぺたんと腰を下ろし、顔を伏せた。

 

「あー、そのなんだ。話はあまり見えんが」 と気まずそうに闇医者。 「なにかしらの、ほら。記憶を相互で確認し合えばいいんじゃないのか?」

「あまり意味はないな」 とおれ。顎に手をやり、思考を口にする。 「たとえば指定の日に、木山とどこで何を食べたか。という記憶が合致したとする、ではそれ一つで特定の個体だと納得できるのか? クローンなのだから木山とならどこで何を食べたいか、という趣味趣向はトレース出来るかもしれんし」

 

「では、わたしとの記憶の照合はどうでしょうか」 女がおずおずと提案する。

「あっても、あんたとの記憶を持つ個体と、術前の個体と、現在の個体が同一個体である証拠にはならん。そも記憶の確認なんぞは、術前の個体を拷問でもして情報を集められていたら役に立たん。それに証拠がない限り、どこで何をしたとかは現在の個体が嘘をついて水掛け論に発展させられれば平行線だ。なるほど木山が大慌てな理由を理解してきた。術前の個体と現在の個体を結ぶ正円の傷という連続性が断たれた今、最低でもおれは二体存在している訳だ。現在の個体が術前の個体に成り代わった可能性の所為で、観念的にだが木山の主観内でおれのクローンが生まれてしまった」

 

「あなたはクローンなのですか?」

「違う。と言ってはみるがしかし客観的には、というより木山の主観ではそうなった。擁護すると彼女は狂ってるわけじゃない。おれが木山でも、同じように判断する。せざるを得ない状況と情報だ」

 

 おれはうなだれる木山をベッドから見下ろして続ける。

 

「ま、諦めろ……それにしてもなぜ悲観する、術前の個体に思い入れがあったのか? ビジネスパートナーとしてではなく」

「それは……」 と木山はうなだれたまま力なく言った。 「わからん」

「ならいいだろ」

「わかりたかった、かも」

 

「なら楽観しろ。少なくとも、クローンが存在するなら殺す、だから殺されるかもと言っていた個体は、あんたの主観では消失した。あの個体は術後すぐにベッドから抜け出し、おれは当面の衣食住目当てにまんまともぬけの殻のベッドに潜り込んだ。あいつはわれわれクローン群からの離脱を果たした。木山春生に、あいつとわれわれが別人であると認識させた。信じられない事に、二番目に簡単な方法を実現させて一足先にアガリだ」

「……完全なる別人」

「完全かはわからん。仮に魂だけじぶんの全身サイボーグになれば、他のクローンを含めた誰もが他の誰かだと思うだろう。それは転じて誰も、おまえはクローンではないと言ってくれない訳だ。二万体のクローンの姿かたちが全員違うなら、二万体の別人としか映らないだろ? だから当人は、誰にもその苦悶を打ち明けずに一生を耐える必要がある。肉体を替えても、自分がクローンであるという自意識には囚われ続けるという事だ。だが誰かが、おまえだけはクローン群とは別個体だと、たとえ主観であっても認識してくれるなら、そいつにとっては慰めにはなるというだけ」

 

「あの、あなたはいったい……誰」 と女。

 

「おれが誰かなど、どうでもいい。誰なら納得する。きみの名前を言ってやろうか。クローニング技術が存在する以上、万人のクローンが存在しうるんだ。学園都市の医療水準は性転換や骨格レベルの整形まで出来るだろし、つまり()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のクローンかもしれんという事だ」

 

 それを聞いた木山は無言でとぼとぼと部屋を出た。闇医者も、不気味なものを見るような視線をおれに向けた後でそれに続く。

 

 しばらくの沈黙の後に女が尋ねた。

「さっきのは本気で? クローン群からの離脱の件だけど」

「優しさ。いや、分からない方が良い時もあるという事。悪いが何かスープというか、ジュースとかあったらこっそり持って来てくれる? 味のするものを胃に収めたい」

 

 女が頷き、退室しようとするとスーツに入っていたプリペイド携帯が鳴った。ついでに取ってもらい、ドアが閉じられると同時におれは着信を認める。

 

 

 

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 数時間後、落ち着いた木山春生が野菜ジュース片手に病室に戻ると誰も居なかった。枕もとに、じぶんが買ってあげたプリペイド携帯があるだけだ。履歴を確認すると、直近で非通知通話の記録があった。

 

 ほんの少しの喪失感を覚え、ポケットからスコーピオンを取り出し、ゆっくりとゆっくりとベッドの下を覗きこむ。安価なパイプに支えられた安価なマットの下。年季の入った木目の床の上を。

 

 そこには正円の傷を持つあいつの色の無い顔が、光の無い目でこちらを見つめているのではないかと、木山は思考を止める事が出来なかった。

 木山は確認して、じんわりと力が抜けていくのがわかった。何もなかった。いや――と、手を伸ばしてまだ新しそうなメモ用紙を取り出した。埃を払い、内容に目を走らせる。

 

『急な野暮用ができた時の為に書いとく。木山春生に渡せ。

 ツリーによれば、安定した定職に就くにはやはり能力進化計画を破綻させる必要があるらしい。なぜかは知らん、ツリーに聞け。手段は三つで、実行しやすい順に記す。

 

 一つ。御坂美琴は、幻想御手っていう能力者の力を引き上げるドーピング音楽ソフトウェアを使っていたという事にする。つまりは、御坂は幻想御手を使ったからレベル5だったという事実を上層部に認知させる。

 どうもレベル4御坂のクローンの場合だと、第一位は星の数ほどの個数の御坂クローンを殺さなきゃならんらしい。第一位は計画全課程の12.08%をこなして老衰で死ぬんだと。ドーピング発覚、レベル4の場合の再演算、計画凍結の流れ。

 このソフト作ったの、あんたなんだって? 電話で言ってたあんたの技能の濫用ってこれの事ね。とんだサイコだ^^;

 本人がドーピングの使用を認めないと意味がないし、御坂は不名誉を被る事になるから、説得が無理なら別にいいよ。あとドーピングしても御坂は第一位を殺せん。

 

 二つ。計画完遂には二万体のクローンを使って、二万通りの戦場を経る必要がある。という事は、戦場でのクローンの初期位置も決定されているので、第一位との戦闘開始前にクローンをスナイプするなり爆撃なりで殺し続ける。第一位に経験を積ませない事で、計画は無限に延長する。計画参加者が折れるか第一位の寿命までやってくれ。個人的にはこれを推す。手段と金は任せる。

 第一位の敵になるのは無理だから、敵の敵になろうって考えが気に入った。

 

 三つ。たぶん無理ってか見た時ちょっと笑ったんだけど、どっかのレベル0が第一位くんを倒せば終了らしい。これ成功確率無限小って表示されてた。

【-∞】だぞ。

 いま絶対ニヤッとしたろ? グッドラック』

 

 読み終わると、木山はベッドの上のプリペイド携帯で黒子に連絡を取り、御坂に絶対能力進化計画の全容を話した。

 御坂の反応は事実を受け入れられていないように感じられる。それも当然だ、自身のクローンが存在するなど、誰も思いはしない。関連施設の襲撃は無駄なようなので止めておけと伝え、連絡先を教えて別れた。

 

 要するに木山は、二つ目の案を実行するくらいなら、あいつが定職に就かないくらいはどうでもいいかなって考えている。いざとなったら転がり込んでくるだろう。だからあとは御坂の選択次第だ。三つ目の案が叶う事など万に一つもない。だいたい、自身がレベル0と知りながらレベル5に喧嘩を売るなど正気の沙汰ではない。そんな事が出来るなら、まさしくヒロインの幻想の中でのヒーローだけだ。

 

 

 

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 一か月後、木山は自宅マンションの一室で瞬間を待っていた。しばらくは飲めなくなりそうなコーヒーを味わっていると、インターホンが鳴った。相手が誰かもわかっている。ドアを開けると完全装備のアンチスキルが数人いた。問答無用であっという間に組み伏せられ、固い床に頬をぶつけた。手錠とアイマスクで拘束される。

 

「木山春生だな。医療機関、製薬所、医大から無許可かつ藍線(インディゴライン)級の対外秘品薬物および超精密精製器具の横領でおまえを連行する」

 

 おまけに口には防言テープ ――酸素は通るが母音の空気振動を少しばかり抑制する―― をべったりと張られた。昏睡状態を安全に解除するワクチンを精製すればこうなると、ツリーでカンニングしていたとはいえここまでとは。弁護士も無理かと木山は内心で独りごちる。まあ、贖罪には妥当か。

 すでにワクチンは、ある信頼置けるカエルみたいな医者に届けてある。子供たちもそこで保護されているので覚醒は近い。

 

 そのまま隊員に抱え上げられ、ロープで地上まで降り、護送車両に乗せられた。車内は向かい合わせの座席で、木山の両隣りに二人、対面に一人。区切られた運転席に二人。

 木山の対面の一人がインカムに言った。

 

『こちらB班、統合司令所へ、目標の移送の準備完了、引き続きの支援を求む。以上』

『こちら統合司令所、了解』

 

 前後に一台の厳重態勢。片側三車線の大通りを進む。暗色の三台は色とりどりの乗用車の目を引き、浮いていた。

 

 覚醒した教え子にもう会えない事は、木山にとっては救いでもあった。原因の一端を担ったじぶんに対する批判、憎悪、冷ややかな視線。それを避ける体のいい言い訳になるからだ。だが同時にほんのちょっぴりの羨望もあった。回復した子供たちを、一目でいいから見たかった。

 これからどうなるのかはわからない。裁判があればいいが、最悪の場合は木原幻生と再会するかもしれない。そうなれば、投獄よりもひどい目に合うかも。

 

『……こちらB班、了解』

 

 陰鬱な木山の思考を、聴覚が打ち消した。微かに聞こえる、クラクションとタイヤのスリップ音に混ざる懐かしいエンジン音 ――車内の全隊員が小銃の遊底を一斉に引いた―― 聞き間違えるはずもない。あれは。

 

 一際鋭いドリフト音と同時に全護送車両が停止し、B班の一人が飛び出した。A班C班もそれに続いて周囲を警戒する。空気が緊迫している。

 

「マジで、信じられないんだけど!」 と、外から少女と思わしき怒声。 「アクセルベタ踏み逆走とかマリカーでもやってる気分って訳よ!?」

 

 悪びれずに男が答える。

「そうだっけ? あれだよ、ジッポーくらいの大きさの小っちゃいミニゲーム機みたいなの知らない? テトリスとか出来るやつで、自機を三レーン上で左右に移動させて車を避けて進むゲーム。あれ得意だったから行けると思って」

「そうだっけ、じゃない! ふざけんな! あれは進行車線で追い抜いていくゲームだろ! どのみちあんたのお粗末な脳味噌はゲーム脳って訳よ!?」

「しょうがないだろ! 急に頭の中で声が聞こえたんだよ! 木山センセイどうしてるかな? 会いたいね、って枝先だか春上だか知らんがおばけの会話が! ああー、今度お祓いに行かなきゃ。わ、待て待て撃つな。わたしは統括理事会を構成する一人だ。諸君らの目標を接収する」

「それたぶんテレパスの通信が混線してるか間違いテレパシーなんじゃあ……」

 

「おい何を勝手な事を」

「仕事に横やりを入れるような真似をして悪いと思っているが、おばけクライアントが木山センセイに会いたいって依頼を出したんだから諦めてくれ。あんたの上司は人間だが、わたしはおばけだぞ。祟られたら敵わんからマジで譲れ。ボーナスの査定に色つけるように手回しするから」

 

 カツリと革靴で誰かが車内に乗り込んでくる。木山はアイマスクを取られ、差し込む光に目を細めて闖入者を見やった。

 

「久しぶりだな、木山。悪いが、本当に申し訳ない、ごめんだけど何も言わずにおばけに会ってくれ、センセイって言ってたからたぶんあんたの教師時代の教え子だと思うけど。あと知り合いに霊媒師がいたら紹介してくれ。ゴーストバスターズみたいな掃除機を開発してくれてもいい。これは冗談じゃない」

「きさま誰の許可あって」

 

 はいこれ直接強制認可書、と男はアンチスキルの一人にペラ紙を押し付けて、ぞんざいに木山の防言テープを剥ぎ取った。

 

「ごめん、半泣きになるほど痛かった?」

「まあ、な。おまえは本当に」 気が利くんだか自己中なんだか。優しいんだか雑なだけなんだか。

 

 男はまだ納得のいっていない隊員に手錠を外させて木山と共に降車した。

 木山の視線の先、先導車の進行を防ぐように蒼天色のランボルギーニが美しい曲線のドリフト跡を残して横づけしてある。

 

「言ったろ、借りるって」

「驚いたな、どうやってインチキ研究員から取り戻した」

「カマをかけるのはなんで? 悪いが木山のとは別個体だ。個人で輸入業を営んでいてね。副業で理事会員をやってるんだが、イタリアに仕入れに行くことがあったんでなんとか手に入れた。頼むから次からはもうちょっと流通している車に乗ってくれ」

 

 男はキーを木山の手に……というところで止まった。悪戯に笑って続ける。

「免許の、所持はしているのか」

 

 つくづく、この男は。木山は軽く笑って助手席に乗り込んで、アシストグリップを露骨に握った。

 

 

 

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「すまんな、突然居なくなって。わたしにも色色と事情があってな」

「いいさ、仕事が繁盛しているようでなによりだ。あの後どうしてた」

「それが聞いてくれよ。笑える話なんだけどさ、あの後、アイテムの上司の謀略だと考えてるんだけど、理事会の定例会議に出席しなくちゃならなくなって」

「よく生きてるな。死んだからおばけの声が聞こえるようになったか?」

 

「生きてる実感が欲しさにしばらく目を閉じて運転したくなるぞ。そういう肝が冷える冗談はよせ。で、理事会長とか他にも何人か欠席だったんだけど、その場の全員が誰こいつみたいな顔してるんだよ。その内の一人が核心突いて誰おまえって言うから、存在しないはずの最初の七人みたいな事を言ったら割と納得された。ウケるだろ。たぶん学園都市だと抹消された~とか居ないはずの~ってのが珍しくないんだな」

「消えた最初の強盗とかな」

「このクソつまらん話題は止めよう」

 

「幻生関連はどうなった」

「理事会員の中でも少数派なんだが、幻生を快く思っていない会員と仲良くなったとか。あと木原一族って変人集団なんだな。何人かと会ったけど、幻生のクローンって言っても受け入れているみたいだった。たぶん、わたしと幻生が同じ場所に居て、木原の何人かが幻生に認印を求めたり会話をしてたりするだろ。で、途中で幻生が急死したら、そのままわたしに認印を求め、会話の続きをするような連中。狂ってるよな」

「居心地良さそうだな」

「全然。テレスティーナとかいうちょっとイイ女が幻生の孫らしいんで、おじいちゃんだよーってちょっかいかけたら危うく殺されかけた」

 

「ふぅん」 とつまらなそうに木山。露骨に話題を切り替えた。 「で後ろの一見して明白に未成年の少女は? 釈明を聞こう」

 

 二人乗りのランボルギーニ故にシートの後ろの空間に無理やり横たわる金髪ロングは、関わりたくないオーラでスマホをスワスワと弄っている。

 

「わたしの趣味じゃない。アイテムの一員。今のところ、こいつらの上司とは共同戦線を張ってる。互いの喉元にナイフを押しやった持ちつ持たれつな関係だけど。こいつはカメラマンとして借りた」

「カメラマン?」

「今からちょっと幻生の所に寄り道しようと思って」

「は? 何の為に」

 

「嫌がらせだよ。利用したやつにするって言わなかったか? おまえの計画を破綻させてやったぜ、ざまーみろってからかう所を撮ってもらおうと思って」

「このおっさ」 少女はバックルームミラーで男と視線が合った。 「おじさんの矮小な復讐の為に、アイテムの一人がしょうもない役割を担うって訳よ」 心底情けなさそうに零した。

「おまえ、ばかだろ」 と木山も呆れ顔。

 

「構図は考えてある。わたしと木山が肩を組んで、二人して幻生を指さして大笑いする、ってのはどう? 楽しみだな。奮発して凄いカメラを持ってきたから。動画も取れるし解像度が肉眼レベルって学園都市の技術レベルは天井知らずだな。SNSに投稿するのはやり過ぎか」

「つ、疲れる。おまえと久久に話すのは」

 

 懐かしさを覚えた木山の言葉に少女が反応した。

 

「このおじさんと話すときは、スマホでも弄りながら話半分じゃないと意識が汚染されるって訳よ」

「ふうむ、見習おう」

「……あーそう。じゃあわたしもそうする」

 

 そう言って男が携帯端末を弄ると二人は、ながら運転だけは止めろと慌てた。

 

「おまえに怖い事は無いのか」 と木山は携帯端末を取り上げて言った。

「あるよ。幻生が死ぬと非常に怖い事になる。わたしが後釜にされるから。まあ大丈夫だろうけどな、あの爺さんはいろいろ身体を弄ってるみたいだし」

「確かに、木原幻生は殺しても死ななそうだし、一世紀以上生きていると言われても納得するくらいだ」

「だろ? クリーチャーみたいにしぶとそうな幻生が死ぬわけないよな」

「ないない」

「でもひょっとして、嫌がらせをしたら憤死したりして」

 

 まさかー、はっはっは。男と木山が笑った。

 

 

 

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 気が付くと学園都市で銀行強盗していた 完

 

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 だがわたしはこの時、知る由も無かった。アイテムの上司が、なんとか幻生を暗殺してわたしを幻生に成り代わらせ、木原一族との太いパイプを構築できないだろうかと思案しているなど。

 だがまあ、木山の罪悪感から来る陰鬱な表情が消えて、いい感じになったのでとにかく何でも良しとする。あの失望と無念さに肩までつかったような顔が、今ではあっけらかんと笑っているのだから。

 映画なら、車を正面に捉えて、笑ってるわたしと木山の止め画でエンディングだ。

 



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