シードガンダム――王道を往く者達―― (スターゲイザー)
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第1話 人造の箱庭

 世界は一人の男によって変革を遂げた。

 その男の名はジョージ・グレン。僅か十七歳で大西洋連邦のMIT博士課程を修了して、オリンピックでは銀メダルを獲得し、アメリカンフットボールのスター選手でもあり、海軍に入隊し、後に空軍のエースパイロットとしても活躍。その他、理工学の分野でも若くして様々な業績を挙げ、世界中から万能の天才として注目された正に時代の寵児である。

 当時の時代を生きる者であれば誰もが彼を知っていて、彼の次なる奇跡の活躍に期待した。自らが設計した木星探査船「ツィオルコフスキー」で木星探査に行こうとしている彼は、間違いなく後の歴史書に名を刻むであろうと確信を抱かせる能力を持っていた。

 自らの能力を鼻にかけることなく、人格者でもあったジョージ・グレンを誰もが慕った。

 何もかもが順調だった。世界には紛争が絶えなかったが世界的なアイドルに誰もが熱中する。だが、破綻は呆気なく訪れた。他ならぬジョージ・グレン自らの行いによって。

 

「僕は、僕の秘密を今明かそう」

 

 世界最初の有人木星探査に旅立つジョージ・グレンに誰もが注目していた。片道七年の旅路に向かう前の、地球軌道上から生中継されている映像は世界中のどこからでも見ることが出来た。

 

「僕は人の自然のままに、ナチュラルにこの世界に生まれた者ではない。受精卵の段階で人為的に遺伝子操作を受けて生まれた存在だ。その詳細な技術のマニュアルを世界中のネットワークに送ろう」

 

 時折、ノイズが混じる画面の向こうで喋るジョージ・グレンに世界中の人々が耳を傾けた。傾けざるをえない事実を語っていたのだ。

 

「自然に生まれた者達より多くの力を持てる肉体と多くの知識を得られる頭脳を持っている。僕をこのような人間にした人物は、こう言った。我々ヒトにはまだまだ未知の可能性がある。それを最大限に引き出すことが出来れば、我らの行く道は果てしなく広がることだろう、と」

 

 果たしてこの時のジョージ・グレンは後に起きる混乱を予測していたのだろうか。多くの識者達が自らの論理を振りかざし、肯定と否定、またはどちらかへと傾くか中庸か、分かっているのはジョージ・グレンに引き込まれたことだけだ。

 彼に罪があったかどうかは神ならざる人の身ではきっと誰にも断定しえない。だが、彼の言葉こそが混乱を生み出した大元だということだけは確かだ。

 

「今この宇宙空間から青く輝く母なる星を見ながら改めて思う。僕はこの地球と未知の闇が広がる広大な宇宙との懸け橋、そして人の今と未来の間に立つ者、即ち調整者・コーディネイター。このようにあるものなのだと」

 

 穏やかな微笑みを浮かべたジョージ・グレンに地球の映像が重なる。

 

「僕に続いてくれる者が居てくれることを切に願う」

 

 言い残して木星探査船「ツィオルコフスキー」はジョージ・グレンを乗せて旅立っていった。後に「ジョージ・グレンの告白」と呼ばれる世界を揺るがす波紋だけを残して。 

 「ジョージ・グレンの告白」は世界に波紋を広げた。

 世界的な偉人であったジョージ・グレンの偉業が科学によって作り上げられた紛い物であると非難する者がいれば、自然環境保護を訴える団体が反発を示したりもした。

 最も大きかったのは混乱が大きかったのは各宗教界だった。 

 権威達は「神の領域」を犯す技術を危ぶみ、この技術を異端認定した。データを閲覧することすら破門対象としたという報告もある。

 ジョージ・グレンが旅立った翌年のC.E.16年にはコーディネイター問題を論ずる「国連遺伝子資源開発会議」が開催され、「人類の遺伝子改変に関する議定書」が採択されて人間の遺伝子を操作することは一切が禁じられた。

 世界を覆った混乱と困惑。影響は与えれども、当の本人は遥か彼方の星の海の向こう。法的に規制されたコーディネイターの問題は彼が帰ってくる十四年後に決定されることになった。一部の富裕層で極秘裏に我が子をコーディネイター化する者がいたとしてもだ。

 C.E.22年、ジョージ・グレンは地球へと帰って来た。またもや世界を揺るがす爆弾となる物を連れて。

 「エヴィデンス01」。ジョージ・グレンが木星で発見した謎の生物の化石。通称「くじら石」。一件くじらのような骨格だが、明らかに翼のような骨があり、地球外生命体が存在することを示唆していた。

 入念な調査が実施され、偽物である可能性は全く発見できなかったと発表された。またクジラレベル・或いはそれ以上の知性を持っていた可能性が高いとも。これにより各宗教界は紺頼に陥った。

 各宗教界の権威者が一同に介した「パレスティナ公会議」が開催されるが議論は纏まらず、宗教界はその権威を失墜。以後、コーディネイター寛容論が蔓延してしまう。どんなに歪な形であれ、悠然と回っていた世界を構成する歯車に、一つの歪なパーツが混じることになったのだ。

 異変が起こり始めたのは、C.E.40頃だった。

 極秘裏に創られた第一世代のコーディネイターが成長し、学術等の様々な分野で活躍。それによりコーディネイターとナチュラルの「ヒト」としての差が歴然になっていく。

 同じでありながら違う者達。失墜した宗教間のトラブルは減ったものの、未だに人種や土地によって関係のない者には瑣末とも思える理由で殺し合う人が、またここに新たな争いの火種が生まれてあちこちで広がっていた。

 時と共に増えていくコーディネイター。旧人類を滅ぼして反映した新人類のように、遺伝子操作されていないものをナチュラルと呼称された人々はコーディネイターに滅ぼされるのではないかと恐れるようになっていた。

 C.E.53年、最初のコーディネイターであるジョージ・グレンは自分がコーディネイターとして生まれなかったことを悲観したとされる少年に撃ち殺された。反コーディネイター組織の影が噂されるも、翌年に起こったS2型インフルエンザの流行によって真相は全て闇の中。S型インフルエンザが変異し、従来のワクチンを無効化したS2型インフルエンザが世界中に猛威を振るった為にジョージ・グレンの暗殺を追及している余裕など直ぐになくなったのだ。

 このS2型インフルエンザの正確な死者数は分かっていない。あまりにも高すぎる感染力によって死者が膨大過ぎて、感染を防ぐために死体を焼いたのだ。生きている人間を護る為に仕方のない行為だった。

 問題はS2型インフルエンザはコーディネイターには感染せずにナチュラルに感染したことにあった。その為にこのウィルスがコーディネイターが遺伝子操作で開発した生物兵器との噂が流れたのは、前年のジョージ・グレン暗殺事件の真相が明かされない報復行為だと考えれば辻褄があった。僅か数年でワクチン開発に成功したのが根拠だと言われればナチュラルにとって明確な証拠などなくてもいい。

 ナチュラルとコーディネイターと能力の差。種としての恐れ。違うモノ、異なるモノ。切っ掛けはきっとなんでも良かったのだ。ただ、その切っ掛けが最低で最悪だっただけ。

 互いに歩み寄りの意志はなく、驕りと恐れ、傲慢と卑屈。時と共に互いの間の溝だけが深まり続けていく。

 C.E.70年2月14日の聖バレンタインデーに起こったため、血のバレンタイン事件と名付けられた悲劇によって、地球とプラント間の緊張は一気に本格的な武力衝突へと発展した。

 何時かは、いずれは起こると誰もが予感していた戦いは遂に火蓋が切って落とされた。

 誰もが疑わなかった数で勝る地球連合軍の勝利。が、当初の予測は大きく裏切られ、戦局は疲弊したまま、既に十一ヶ月という時が過ぎようとしてた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 C.E.71年1月25日、L3宙域に存在する資源衛星コロニー『ヘリオポリス』は今日も平和そのものだった。

 ヘリオポリスはオーブ連合首長国の資源衛星コロニーである。工業カレッジがあり、国営兵器産業工廠であるモルゲンレーテ社も工場を持っている。C.E.70年2月8日に代表首長ウズミ・ナラ・アスハが行った中立宣言により、中立国家となったオーブはザフトと地球連合の戦争に関わっていない。地球やその周辺地域では常にどこかで散発的な戦闘が繰り返されていても、ヘリオポリスでは別世界の出来事のように街には若者達や家族連れで溢れ、幸せそうに平和を謳歌していた。

 

『南アフリカの難民キャンプでは慢性的に食料・支援物資が不足しており、120万人の人々が生命の危機に直面しています』

 

 工業カレッジの学生達の憩いの場である公園で、これだけは西暦の頃から変わらないキーボードを打つ音が細々と響く。音の発生源は公園内にある東屋にベンチに座っている、茶色のショートシャギーの髪を垂らした少年が膝に乗せているノートパソコンから。驚くべきことに少年はレポートを持ちながら片手でキーボードを打って、両手を使っているのと遜色ない速さでキーボードタッチを行なっていた。

 

『では次に激戦の伝えられます華南戦線、その後の模様です』

 

 手元からは少年とは思えない甲高い慌てている様子の女性の声が聞こえ、辺りに拡散していく。少年の声ではない。周りの学生と比べても幼さを残しているといっても男であることを証明するように喉仏が隆起している。そもそも口を開いていないにも関わらず、女性の声は絶えず続いていた。

 

『新たに届きました情報によりますと、ザフト軍は華南宇宙港の手前6キロの地点にまで迫り…………』

 

 女性の声の正体は少年の膝の上にあるパソコンの画面に映っているニュースのキャスターの声だった。画面の四分の一をニュースの映像が映り込んでいようと少年の手に淀みは全く無い。それどころか、手に持つレポートと何らかのプログラムと思われる言語が波のように上から下に流れていこうとも、少年は時折ニュースにも目をやって沈鬱そうに溜息を漏らす。

 溜息を漏らした少年――――キラ・ヤマトの膝に置かれたパソコンのフレームの上に、親友から貰った鳥型をしたペットロボットが舞い降りた。

 

「トリィ?」

 

 広げていた羽を閉じたトリィが首を捻りながら鳴いた。

 ライムグリーン色でブンチョウサイズのトリィは親友が子供の頃に作った鳥型ペットロボット。飛行ロボットは構造が複雑で特に難しいとされていたが、電子工作が趣味であり特技でもあった友達は短期間で仕上げてしまった。

 桃色の花弁が舞い散る別れの時に譲ってもらってからは大事にしている。唯一親友と自分を繋ぐ絆として。

 

「キラ!」

 

 トリィを通して親友のことを思い出していたキラは自分の名前を呼ぶ聞き覚えのある声に反応し、声が聞こえて来た方向に顔を向けた。

 

「こんなとこにいたのかよ。カトウ教授がお前のこと捜してたぜ」

 

 どこか児戯を感じさせる声をかけたのは肩にショルダーバックを下げた濃い目の茶髪に癖毛がアクセントになった、自然と浮かんだ微笑が人を安心させる空気を醸し出す青年――――トール・ケーニヒである。

 キラは先年、プラントと地球連合軍の戦争が本格化して情勢の悪化を鑑みて月面「コペルニクス」からこのオーブの「ヘリオポリス」に移住してきて、学業が優秀であったから飛び級で工業カレッジに入学したキラは当初、周りが年上なこともあって馴染めなかった。

 コーディネイターであることを誰にも話せず心も開けないから、社交的ではない性格も相まって何時も独りだった。そんなキラに声をかけてきたのがトールだった。彼は太陽のような笑顔で独りだったキラを自身の仲間に引き合わせて、あっという間に輪の中に取り込んだのだ。

 独りで寂しい学生生活を送っていたキラにとってトールは恩人であり、更に一年飛び級して今年から同じ学年だが年は二歳離れているものの、トールは気にすることなくキラに接し接しさせてくれている。またコーディネイターであることを打ち明けても態度を変えなかった数少ない得難い親友となった。

 

「また?」

「見かけたらすぐに引っ張って来いって」

 

 レポートを隣に置いて作業を中断して心底嫌そうに顔を歪めるキラを見たトールは、十八歳で土地によっては大人とみなされる年齢であっても悪戯が成功した悪餓鬼のように快活に笑う。

 普通ならば嫌味に感じられる笑い方をしても許されてしまう快活さがトールにはある。この時のキラもまた、怒る気力すら湧き上がらなくなってひっそりと長い息を吐いた。

 

「なに、また何か手伝わされてるの?」

 

 トールの隣にいる外に跳ねたヘアースタイルがチャームポイントのミリアリア・ハウが問いかける。

 

「フレームの設置にモジュールの改良。とにかくプログラムの解析を手伝わされてるんだ。とにかく量だけは一杯あって、もうてんてこ舞い」

 

 トールの彼女であるミリアリアの問いに、キラは答えながら疲れたように木製の長い椅子の背凭れに凭れかかった。

 凭れかかった振動と音に驚いたのか、パソコンのフレームの上に止まっていたトリィが驚いたように飛び立ってクルクルと円を描くようにキラの上空を旋回する。

 

「どうせモルゲンレーテの仕事の方なんだろうけど、カトウ教授って何を研究してるんだ?」

「多分、何かのOSの開発だと思うけど……」

 

 トリィが羽ばたきながら旋回するのを目で追いかけながら、今している手伝い内容を頭の中で反芻して、しかしカトウ教授から渡される資料は断片過ぎて明確な形にならないまま答えることしか出来ない。

 大凡の予測から人型のロボットを動かすOS関係と予測はしつつも、行き着く答えに所属するゼミの教授が関わっていると信じたくなくて無意識に避けていた。

 

「多分って何を手伝ってるのかも分かんないのかよ」

「キラらしいわね」

「聞いても学生には教えられないって詳しいことを話してくれないんだ。ったく、カトウ教授は僕を便利屋か何かって勘違いしてないの。僕を学生扱いするなら助手みたいにこき使わないでほしいよ」

 

 二人が呆れたように言うのにもこの一か月間ずっと続く手伝いに頭が持っていかれて、上手い反論の仕方が思いつかなくて結局は言い訳染みた愚痴を吐き出す。

 

「それだけ期待されてるってことよ。仕方ないとも思うけどね。キラは教授のお気に入りで、入学して一年で工業科一位になっちゃったんだもの。工業カレッジ初の二年飛び級って肩書も付いちゃったんだもの。絶対に離してくれないわよ」

「よ、我らがカトウゼミのホープっ」

「止めてよ。昨日渡されたのだってまだ終わってないから参ってるのに、これからずっとカトウ教授にこき使われるかと思うと頭が痛くなる」

 

 慰められて煽てられても積み上がる仕事の山は消えてはくれない。この一ヶ月の間に慣れ親しんでしまった溜息が無意識に零れ出るのを抑えられない。

 母に決して本気を出してはいけないと常々から言われているのに、趣味であるプログラミングだけは時に我を忘れるほどに没頭してしまって、気がつけば工業カレッジ一などと位置付けられた我が身の不徳を嘆くしか今のキラに出来ることはない。

 

「そう言っても断らないんだろ。お人好しのキラ君は」

「折角頼って貰ってるんだから断れないよ。断らないけどさ」

 

 カトウゼミには仲の良い友達がみんな所属していて、その主であるカトウにも恩を感じているところがあるので頼られて断ることはよほど嫌な事でなければない。

 別れた親友には頼りきりだったので自分が誰かに頼られて悪い気はしない。疲れてはいるが無理まではしていないのだけど、行っている作業が終わる前から次のを用意されていれば気持ちが前を向いていられるはずもなかった。

 イマイチ煮え切らない態度のキラに、ミリアリアが良いことを思いついたとばかりに背負っていた今流行のリュックを下ろして体の前に持っていき、中に手を入れた。

 横からトールが何をしているのかと覗き込んでいるのを気にもせず、ゴソゴソと暫く何かを捜していたミリアリアがニヤリと含みのある笑みを見せた。

 

「頑張る我らがゼミのホープのキラにプレゼント、はい」

 

 天使の純粋な笑顔と共に言って、ミリアリアは鞄から取り出した一本の瓶をキラに前に差し出した。

 

「なに、これ?」

 

 突き出された茶色系の瓶を見るキラの目が訝しげに染まる。

 含みのある笑みをミリアリアは一瞬で消し去ったがキラはしっかりと逃さずに見ていた。

 このミリアリアという少女は作った料理は見た目は良いが味は最悪で、付き合っていたトールですらデートでは弁当が必要のないプランやルートを必ず選んでいるという。その話をトールがした時に、ミリアリアが勧めてくる時は悪魔の笑みの後に天使の微笑みが続くと聞いていたので、キラの警戒心はMAXに跳ね上がっていた。

 

「今、ヘリオポリスで一番人気の栄養ドリンク『元気モリモリ君MAX』。飲めば三日徹夜してもダンスパーティに出られるって評判よ」

「俺もそれ知っている。確か去年卒業した先輩が卒論の締切に間に合わせる為に飲んだってやつだろ。効果は抜群だけど、効果が切れたら一週間は動けなかったって噂の栄養ドリンクがまさか実在しているとは」

「絶対変な成分が入っているでしょ。断固、飲まないよ」

 

 さあ、と『元気モリモリ君MAX』を強要に勧めて来るミリアリアに、効果はあっても半分毒薬染みた栄養ドリンクなど飲めないと胸の前で両腕をクロスさせて絶対拒否の姿勢を示す。

 

「ちぇ、折角キラで実験しようと思ったのに」

 

 こうと決めたら誰に言われようと絶対に意見を変えないキラの頑固さを一年以上も共に過ごして知っているミリアリアもそれ以上の強要はせず、大人しく諦めたのか、鞄に直すために『元気モリモリ君MAX』を割れないようにハンカチに包み込む。

 

「聞こえてるよ、ミリィ」

「じゃあ、トールが飲む?」

「飲まない」

 

 聞き捨てならない台詞が聞こえて掣肘をしようとしたキラを華麗にスルーしたミリアリアは続いて自分の彼氏に勧め出した。このようなやり取りには慣れているのか、この日一番の素晴らしい笑顔で断るトール。

 

「残念。直球はやっぱ駄目か。普通の栄養ドリンクって言って、サイかカズイに飲ませようっと」

 

 さりげに恐ろしいことをサラリと言ってのけながら『元気モリモリ君MAX』を鞄に直すミリアリア以外の二人の視線が交錯する。

 

《よく彼氏やってるよね》

《この味オンチ以外は最高なんだけどな。お蔭で彼女が作ってくれるご飯っていう定番がないんだぜ。やってらんねぇよ》

《知らないよ》

 

 ミリアリアはトールの一歳年下で、キラの一歳年上である。それでも童顔なのか、並ぶとキラと年が変わらないように見える。二人は同じ学年でその縁もあって付き合い始めたのだと何時か聞いた覚えがあった。詳しい経緯はトールが照れて教えてくれなかった。

 軽く会話に彼女自慢を披露するトールに、奥手な性格もあって今まで彼女が出来たことのないキラには楽しい話題ではない。右肩に降り立ったトリィが相棒であることが少し物哀しく感じたキラだった。

 いくらカレッジで天才の名を欲しいままにしているキラであっても、十六歳の青少年であることには変わりない。こうやってトールが事ある度に彼女自慢をしてくるものだからそういう欲求が最近とみに大きくなっている。気になる子が出来たことも、この欲求に無関係ではないだろうが。

 

「お、何か新しいニュースか?」

 

 言葉を用いずアイコンタクトだけで会話をする二人を不審な眼で見だしたミリアリアから逃れるように、トールが絶妙の間合いでキラの隣に並んで画面を覗き込む。

 こういうふとした時のトールの如才の無さはキラには絶対に真似の出来ないところだった。いくらコーディネイターがナチュラルよりも堅牢な肉体と優れた運動能力や優秀な頭脳を持っていたとしても実社会において活かせるだけの人間としての下地がなければ居場所は作れない。今までの人生でキラが最も強く学んだことだった。

 

「うん、華南だって」

 

 兄貴分であるトールに対して持ってしまった若干の嫉妬心を胸の奥に押し隠しながら、キラもまた顔を下に向けてパソコンの画面を見ながら答える。

 ニュースの内容は知っていたのでわざわざ見る必要はないのだが、トールは目を見るだけで相手の感情を察してしまえる部分がある。尊敬する人に嫌われたくないキラが取った無意識の行動だった。

 

『こちら華南から七キロの地点では依然激しい戦闘の音が続いています』

「ひぇぇ、先週でこれじゃ今頃はもう落ちてんじゃねぇの? 華南」

 

 現地で巻き込まれている者達が聞けば憎悪さえ抱きそうな気楽なトールの言葉だったが、何も彼だけが異常なのではない。それこそが今のヘリオポリスが抱く戦争に対する第三者的な認識であり、第三者ならばどこまでも気楽にもなれる。

 キラはトールほど気楽にはなれない。それもそのはず、戦っているザフトと地球連合はコーディネイターとナチュラルの闘いでもあったからだ。地球圏で大半を占めるナチュラルと違って少数派に位置するコーディネイターは誰もがこの戦争に全くの他人事ではいられないのだ。

 C.E.71年現在では全人類の人口は150億人とされ、その内のコーディネイターの数は5億人とも言われている。そしてコーディネイター5億人の内、プラントの住民は6000万人足らず。にも関わらず人類の総GNPがコーディネイターを中心とした宇宙と、ナチュラルが大半を占める地球で半分なのだから、コーディネイターの技術力は群を抜き過ぎている。

 

「華南で戦闘やってるの? 結構近いのに大丈夫かなぁ、本土」

「大丈夫さ。近いたってウチは中立だぜ。まさかオーブが戦場になるなんてことはないって」

「だといいけど」

 

 ミリアリアは地球にあるオーブ本島オノゴロ島の出身と聞いていたので、彼氏であるトールは不安がる彼女を安心させようと殊更に気楽な口調で場を和まそうとした。

 トールが言うようにオーブは中立国で戦争に巻き込まれる可能性は低いが、それでも家が巻き込まれる可能性があるのでミリアリアの顔から不安は消えなかった。

 

「トリィ」

 

 二人の様子を意識の端に残しつつも、キラの目は飛び立ったトリィの飛ぶ姿に吸い寄せられていた。

 

『プラントと地球でホントに戦争になることはないよ。父上もそうだけどキラも心配性だなぁ』

 

 現世を離れて友の声がキラの耳に木霊する。

 今でも現在のことのように鮮明に思い出される記憶。月面都市コペルニクスで兄のように慕った少年との別れの時が思い起こされていた。もう何年も前のことなのに、プラントと地球連合が開戦したと聞いてからトリィの鳴き声と姿を見ると時折こうして思い出す。

 極東の国から輸入されたらしいと聞いた桜色の花弁が舞い散る中で、ベストと同色の帽子を被った友の姿が目に焼き付いている。

 

『そんな心配性なキラにプレゼント』

 

 手を後ろに回していた友が前に出すと、その手には欠かせなくなっているトリィがいる。

 

『首傾げて鳴いて、肩に乗って飛ぶよ。トリィっていうんだ。僕だと思って大事にしてよ』

 

 友がプラントに行くことが決まってから何かを作っていたらしいことは分かっていたから、別段キラは驚きはしなかった。

 記憶の中のキラは片手を差し出して、手に乗るトリィを見つめている。

 

『避難なんて意味ないと思うけど……』

 

 友の父親がプラントの偉い人だということは母から聞いて知っていた。

 当時のプラントと地球連合の関係の悪化は一般人で子供であるキラにも良く分かるぐらいのものであったし、友の父がナチュラルである母と友の母に交友関係があることを良く思っていないこともなんとなく察しがついていた。

 情勢悪化を鑑みれば、プラントの重鎮である友の家族が自由中立都市であっても地球連合の基地がある月に居続けることはリスクが高すぎると分かってしまう頭脳が当時のキラにもあった。

 

『キラもそのうちプラントに来るんだろう?』

 

 友の言葉に当時のキラは俯くばかりでYesともNoとも答えられなかった。

 母はキラにあらゆる分野で本気を出すことを禁じていた。あらゆる分野とは例え同じコーディネイターがいる中でもあってでもだ。コーディネイター嫌いとは違うが目立つこと自体を禁じているようでもあった。

 キラ一人ならプラントに行こうと思えば行けるだろう。そうなると女手一つでキラを育ててくれた母を置いていくことになる。でも、ナチュラルである母をプラントに連れて行って生活することは難しく、この戦時下でコーディネイターで固められているプラントに爆弾を持ち込むに等しい。

 行ったことの無いプラントに対してキラの偏見が混ざっているかもしれないが、母を一人にするという選択肢を選べない以上はコーディネイターを受け入れているオーブなどといった限られた選択肢に限られる。ヘリオポリスの工業カレッジに進学したのはそういった諸々の考えた中で選べた道であった。

 トールやミリアリアという、コーディネイターであることを受け入れてくれる友が出来たことを考えればヘリオポリスを選んだ選択肢は間違っていなかったのだろう。それでもプラントに渡った友との再会をキラは信じていた。

 遠くない内に戦争は終わって、プラントにいる友ともきっと会えると信じなければ胸が潰れる思いだった。

 

「キラ?」

「わぁああああああっ!!」

 

 物思いに耽っていたところに突如として視界に映ったトールの顔に、キラは驚いて叫んだ拍子に椅子から転げ落ちてしまった。

 

「何やってんだ、お前?」

 

 椅子から転げ落ちて固い石畳にお尻を強かに打ち付けた痛みに悶絶するキラに、原因であるトールは気付いた様子もなく呆れていた。

 

「大丈夫、キラ?」

 

 ミリアリアが心配そうに声をかけてくれても、キラは勢いよくお尻を強打した痛みで碌に目の端に涙を浮かべながら言葉も話せずに悶絶していた。それでも膝の上に置いていたパソコンを落とさずに掴んでいたのは凄いというか執念というか。ちなみにキラのパソコンは小遣いを何か月も前借してなんとか買ってもらった高性能機である。

 壊したら今までの教授からの課題や、趣味で作ったプログラムの数々が水の泡になっていたところだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大尉――っ」

 

 トレーラーから胴間声で呼びかけられ、マリュー・ラミアスは振り返った。メカニックマンのコジロー・マードック軍曹が無精髭だらけの顔を窓から突き出し、怒鳴った。

 

「んじゃあ、俺たちゃ先に艦に行ってますんで!」

「お願いね!」

 

 周囲が騒がしいので、自然とマリューも怒鳴り声になる。

 ここはオーブの国営企業モルゲンレーテの地上部分に当たる。周囲は作業をする男達の活気あるやりとりで賑わい、雑然としていた。その中で、男達と同じ作業服姿ながらも肩までの栗色の髪を振って指示を出すマリューの姿は自然と際立つ。

 

「大尉、コレが全て終わったら一杯お付き合い願えませんかね? ヘリオポリス最後の夜にでも」

 

 彼女もまた地球連合軍に籍を置く身だ。二十六歳にして階級は大尉、ここにいる中では最上官であるものの、中々の美人であるからそんな声もかけられる。

 マリューは声をかけてきた下士官の方を向いて、化粧気の薄い唇を艶やかに綻ばせて口を開いた。

 

「飲み代を全部払ってくれるなら付き合って上げてもいいわよ」

「喜んで払わせて頂きます」

 

 若い下士官がヘリオポリスに来てから狙っていたマリューを誘えたことに小躍りしそうになっていると、横にいたハマナ曹長が豪快に笑った。

 

「ばぁか、止めとけ。おまえがこの酒豪のねえちゃんを口説こうなんざ、十年早い。呆気なく潰されて財布の中がすっからかんになるだけだぞ」

「げっ、マジっすか」

「マジもマジだ。お前のような哀れな子羊達の財布の中身が消えていったことか」

 

 マリューの部下で、彼女によって潰されてきた多くの猛者を目にしてきただけにハマナの言葉には重い実感が籠っていた。

 憧れの的であるマリューを誘えて有頂天になっていた下士官は、一転して精気を絞りつくサキュバスを目の前にしてしまったように腰が引けていた。

 

「聞こえてるわよ、ハマナ曹長」

「私は前途有望な若者を破滅させようとするラミアス大尉の魔の手を防いだだけであります。他意はありません」

 

 唇の端をヒクつかせたマリューに、しかしハマナは動じることなく言い返す。

 ハマナの言いようが面白かったのか、作業をしながらやり取りを聞いていた周囲の全員が笑い出した。みんな計画の終了を目前に控え、陽気になっているのだ。

 長かった――――と、マリューの胸にも感慨が溢れる。極秘裏にG計画が動き始めて数ヶ月、彼女はその初期から携わり、こうしてヘリオポリスにつめて、全ての過程を見守ってきた。

 モルゲンレーテで新造艦アークエンジェルと共に開発、製造された、地球連合の新型秘密兵器はGと呼ばれ、これからの戦局を占う上重要な価値を持つものであった。

 そのGが完成し、搬出も目の前という段階までこぎつけたのだ。これからこの新型兵器は微調整を終え、マリューが副長を務めることとなるアークエンジェルに移送されて、密かにヘリオポリスを出港する運びとなっていた。

 これでやっと肩の荷が下ろせると、マリューは安心し、後で風評被害を広めたハマナをシメなければいけないと思った。

 

「相変わらずモテモテね、ラミアス大尉。羨ましいぐらいだわ」

 

 女性にしては少しトーンの低い、しかし男とは確実に違う馴染みのある声が聞こえてきてマリューは振り向いた。

 そこにいたのは、最低限だけで化粧気の薄い白衣を纏った女が立っていた。くすんだ金髪を無造作に伸ばして首の後ろで結び、鼻の上に実用性があるとは思えない小さすぎる丸眼鏡をかけている人物をマリューは良く知っていた。

 

「アマカワ博士」

 

 マリューはヘリオポリスで出会った知己――――ミスズ・アマカワの姿に驚きながら名前を言った。

 

「どうしてこちらに? 研究室から殆ど出て来られなかったのに」

「あまり関われなかったけど搬入される前に最後に見ておこうと思って。短い間でも離れるとなれば名残惜しいから」

「そうですか」

 

 二人で並んで彼女達の努力の結晶がトレーラーに乗せられて運ばれていくのを眺める。

 そんな二人を自分の作業をしながら見たマリューを誘って挫折した若い下士官は、頭を捻って少し離れた場所で作業をしているハマナに近づいて小声で話しかけた。

 

「ハマナ曹長。ラミアス大尉の隣にいる人って連合の人間ではなさそうですけど、どちらさんですか? ラミアス大尉と仲が良いみたいですけど」

 

 持ち上げていた荷物を抱え直したハマナは、下士官がヘリオポリスに来てまだ日が浅いことを思い出し、ならば知らないのも仕方ないと納得した。

 

「ああ、最近ヘリオポリスに来たお前は知らないか。G計画に協力してくれてるモルゲンレーテの人だよ。彼女がいなければGは完成しなかったてラミアス大尉に言わせるぐらい凄い人さ」

 

 へぇ、と下士官が感心していると、トレーラーを見送ったマリューがミスズに頭を下げているのが見えた。

 

「ちなみにな、あの人もラミアス大尉に負けず劣らずの酒豪だぞ。前にモルゲンレーテの奴らと飲みに行った時、二人に十数人の男達全員が全滅させられた。二人はそれでも酒を飲むのを止めなかったって話だ。噂では店を一件潰したとか」

「声かけるの止めときます」

「それがいい」

 

 ミスズは美人さんなので声をかけとこうかと考えていた若い下士官は、自らの見る目の無さに嘆いて肩を落とした。そんな下士官にハマナ曹長は誰もが男ならば通る道だと、慰めるように肩を叩いて仕事に戻って行った。

 

「ありがとうございます。博士のお蔭でナチュラル用のOSも目途がつきました」

「まだ完成はしていないでしょ。現状で6割。ここからが大変だと思うけど?」

「我々だけでは6割どころか半分にも満たなかったのですからお礼を言わせて下さい」

「引きそうにないわね。遠慮ばかりしているってのも失礼かしら。受け取っておきましょう」

 

 少し鷹揚そうに頷いて感謝を受け入れているように見えるミスズだが、頭を上げたマリューの顔には笑顔があった。親しい間柄だけで者達が持つ空気というものが二人の間にはあった。

 モルゲンレーテの社員ということはミスズはオーブの人間。地球連合の士官のマリューと仲良くしているのは互いの組織柄を考えると問題に発生する可能性もある組み合わせだ。

 

「でも、中立国のコロニーで兵器を作っちゃってるこっちの方が問題あるよなぁ」

「おい、若いの! ちょっと手伝ってくれっ」

「はいっ!」

 

 上層部でどのような裏取引があってこのような事態になっているかは分からないが、下っ端の下士官に出来ることなど目の前の仕事をこなす以外にない。若い下士官は自らの職責を果たそうと、取りあえずは呼ばれたハマナ曹長の下へと手伝いに向かった。

 一人の下士官の気持ちを知ることもなく、マリューとミスズの間にも湿っぽい空気が流れていた。

 

「あなたと別れるのは寂しいわね」

「折角出来た飲み友達ですもの。みんな張り合いがなさすぎて」

「たかが一升程度、水と変わらないでしょうにね」

 

 飲み屋の酒を全て飲み尽くしたのは良い思い出だと、女っ気のない職場なので女性達の話に周りでこっそりと聞き耳を立てていた男達は、アンタ達がおかしいんだと力の限りに突っ込みたい衝動を抑えて仕事に没頭しようとした。

 

「また何時か、戦争が終わったら飲みましょう」

「ええ、楽しみにしてるわ」

 

 モルゲンレーテの社員であるミスズはヘリオポリスに残るが、機体自体は完成しているマリュー達は機体の実機動試験を行うために離れることになっている。

 いくら上層部で話がついていようと、中立国のコロニーに何時までも留まっておくのは不味い。武装も完成しており、残すはナチュラル用のオペレーティングシステムを完成させるだけなので別の場所で行うことになっているのだ。

 酒豪という共通点を以て意気投合した二人は、ミスズの方がマリューよりも一回りは年上だが同世代の友人のように思えて別れを惜しむように握手を交わす。そんな二人に近づく者がいた。

 

「博士」

 

 サイズが合っていないのか、大きめのモルゲンレーテの制服をだぶつかせながら少女が横からミスズに声をかけた。

 

「あら、ユイ」

 

 白髪と赤眼という際立った個性を持った少女の登場に、最初はマリューも圧倒された。ミスズはそんなマリューの様子を知った様子もなく、少女を見て純粋にここにいることに驚いたように目を瞠った。

 

「ラミアス大尉にも紹介しておきましょうか。彼女は私の娘のユイ」

「ユイ・アマカワです」

 

 ミスズの紹介にユイは機械仕掛けの人形のようにぎこちなく、自己紹介をすることにも慣れていないような不自然さがあった。このような外見をしていれば過去に色んな苦労があったのだろうと推察して、それどころかミスズに娘がいたことの方に驚きながらマリューは手を差しだした。

 

「マリュー・ラミアスよ。よろしくね」

「……………」

 

 挨拶のつもりで差し出した手に応える者はなく。瞬きをしなければ人形かと勘違いしそうなほど微動だにしないユイに、差し出した手を行き所を失くしたマリューの方が困ってしまった。

 

「こら、挨拶ぐらいしなさい」

 

 マリューが手を差しだしたままどうするか悩んでいると、ミスズがユイの頭を平手で叩いた。

 

「博士、痛いです」

「失礼な行動を取るからでしょうが。ごめんなさいね、不愛想な娘で。人と接することに慣れていないのよ。後でミッチリと教育しておくから」

「いえ……」

 

 謝るミスズに怒るべきか文句を言うべきか態度に困ったマリューは言葉を濁した。

 当の頭を叩かれたユイが、よほど痛かったのか両手で頭を押さえて少しながらも不満を表情に浮かべてミスズを見ているので、当初は人形そのものだと思えた少女の姿のアンバランスさに笑いが込み上げるのを抑えるのに必死だった。

 

「それでどうしたの、ユイ? こんなところまで」

 

 まだ痛いのか、ユイは片手で叩かれた頭を擦りながらポケットから一枚の紙片を取り出した。

 

「時間です。お戻りを」

「時間って何も予定は……」

 

 ユイが差し出してきた紙片を受け取ったミスズは、閉じられていた面を開けて続く言葉を途切れさせた。

 

「へぇ、そういうこと」

 

 真剣な表情から皮肉気なものへと変わり、小さな丸眼鏡を持ち上げながら呟く。

 

「ラミアス大尉。私、ちょっと用事が出来ちゃったから戻るわね」

「はぁ……」

 

 打って変わってご機嫌となったミスズのテンションについていけないマリューの口から気のない返事が零れ落ちる。

 

「それじゃ、生きてたらまた会いましょうマリュー」

 

 風のように場の空気だけを掻き回して、ポケットに両手を入れて白衣を揺らしながら意味深な言葉を残して去って行く。その後ろを生まれたばかりのヒヨコのようにユイがついていく。

 遠ざかっていく背中を見送るマリューはふと疑問を覚えた。

 

「戦争をしているのだからそう言ってもいいのかもしれないけど……」

 

 まるで今すぐにでも苦難が降りかかって生き残れるかどうか分からないような言い方をしたミスズに頭を捻りながら、マリューは深くは考えずに彼女も作業に戻って行った。

 マリュー達から離れ、地球連合軍の兵士がいるエリアから離れた所で周りに誰もいないことを確かめたミスズは、ポケットに突っこんでいた紙片を取り出して目の前に掲げる。

 

「危険、か。どういう状況?」

 

 危険と示す単語だけが書かれている紙片を握りつぶしてポケットに入れたミスズは詳しい事情を話すように背後のユイに問いかけた。

 

「ケナフ・ルキーニからの情報によりますと、ここで地球連合が機動兵器を作っている情報がザフトに漏れたと」

「自分でばらしておきながら良く言うわね、あの三枚舌男」

 

 ミスズの知り合い経由で繋がりのある情報屋ケナフ・ルキーニ。彼の極度の自信家振りと自らが齎した情報によって世界が動くことを何よりの快楽とする性癖を知っているのでミスズは呆れるだけに留めた。

 

「中立国のコロニーとはいえ、指揮官によっては危険か。極端なコーディネイター至上主義だと地球連合に協力してたってだけで破壊されないわね」

 

 事実としてヘリオポリスには地球連合の新型機動兵器が存在するのだ。仮にザフトが侵攻して問題を起こしても、探られたら痛い腹を持っているのはオーブも地球連合も同じだ。リスクはあっても指揮官の決断次第で状況はどうにもで転ぶ。

 

「プロトシリーズは?」

「P01から04までロールアウト済みです。P05に関しては現在組み立て中。完成までには最低でももう数日はかかるかと」

 

 ミスズの問いかけに、聞かれることは分かっていたのか、ユイは最初から答えを用意していたかのような速さで答える。

 

「折角作ったんだから全部持って行きたいところだけど、そうなると大型艦クラスの大きさが必要になるし、ザフトが近くにいることを考えれば戦闘も考えられる。武装も積み込もうと思ったら一機が限度かしら」

 

 そもそもパイロットが一人しかいないから戦闘は一機しか無理だけど、とミスズは続けた。

 この場には二人しかいないのでユイに言っているのであろうが、あまりにも反応が薄いのでまるでミスズが一人で喋っていると他人がいれば思うことだろう。それほどにユイの反応は鈍かった。

 独白したミスズは足を止めることなく、顎に手を当てて暫し沈黙する。その頭の中では余人には想像もつかないほどの思考が展開されているのだと長い付き合いのユイには分かっていた。

 話しかけるのは邪魔になると分かっているユイは同じように言葉を話さずに、二人は沈黙したまま道を歩き続ける。

 

「よし、決めた。P05は破棄。P02と03はエリカに頼んでどうにかしてもらいましょう」

「P01と04は?」

「サハク家の坊やが来てるらしいし、P01はオーブでスペシャル機を表す金色のフレームを持ってるんだから所在地だけは教えてあげればなんとかするでしょ。P04は持ち出すわよ。あれには教育型コンピュータが積んであるんだから他と違って替えが利かないもの」

 

 そこまで言ったミスズは疲れたようにため息を漏らした。

 

「ユイ、あなたは先に行ってP04の最終調整をしときなさい。私は上に伝えてから顔を出すから」

「了解しました」

 

 一通り喋り終えたミスズは敬礼してだぶついた制服のまま走り難くそうながらもナチュラルとは思えない速度で去って行くユイを見送って唐突に立ち止まった。振り返って遠くなった先程までいたエリアを見つめる。

 

「これでヘリオポリスも見納めか。本当、また会えるといいわねラミアス大尉」

 

 数時間後のヘリオポリスを暗示すような言葉だけを残してミスズも足早に去って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘリオポリスにほど近い警戒線から少し離れた小惑星の影に二隻の戦艦が隠れていた。プラントのザフト所属の戦艦ナスカ級ヴェサリウスとローラシア級ガモフである。

 

「そう難しい顔をするな、アデス」

 

 ザフト宇宙艦随一の快速を誇っているヴェサリウスの艦長を務めるフレドリック・アデスは、彼から見て右側に浮かぶ金髪の美丈夫の苦笑を込めた声に自らでの眉間に更に皺が深まるのを自覚した。

 艦内は無重力空間に設定されており、重力がないので床を蹴れば宙を泳ぐことになる。アデスは隊の指揮官を務めるラウ・ル・クルーゼの獅子を思わせるような癖のある髪の毛がふわりと無重力下で揺れているのを見るともなしに見つめる。

 

「はっ、…………しかし評議会からの返答を待ってからでも遅くはないのでは」

 

 一般的なコーディネイターの認識として容姿端麗が挙げられるが、がっしりとした体格と四角く厳つい顔立ちが逆にプラント内で珍しいことを自覚しているアデスは、本作戦に関する懸念を口にせずにはいられなかった。

 

「遅いな。私の勘がそう告げている。ここで見過ごさば、その代価はいずれ我らの命で支払わねばならなくなるぞ」

 

 答えるクルーゼはアデスと違って正にコーディネイターを体現する男である。波打つ金髪にすらりと引き締まった体つき、風変わりな銀色のマスクで顔の上半分で覆っていながら隠れていない部分は整っていて美丈夫ではと思わせる。

 C.E.70年2月22日の世界樹攻防戦では、モビルスーツでモビルアーマー37機・戦艦6隻を撃破。その功績を称えられネビュラ勲章を授与され、更に同年6月2日にジンハイマニューバの量産型1号機に搭乗してグリマルディ戦線で地球連合軍第三艦隊を壊滅させるなど、トップガンとして獅子奮迅の活躍を見せた。

 指揮官としての采配も見事なものであり、パイロットとしての技術を合わせてこれほどまでに示す人間は「砂漠の虎」の異名を持つアンドリュー・バルトフェルド他数名のみである。

 

「地球軍の新型機動兵器。あそこから運び出される前に奪取する」

 

 クルーゼが手にしていた写真を、ピンと指先で弾いて寄越した。目の前を横切る写真を捕まえたアデスが見れば、不鮮明な画像にながらも人の顔の形をした巨大なモビルスーツらしきものが映っている。

 

「ならば尚更です。マシューやオロールは別にしても、赤とはいえ初実戦の新米が5人もいるのですから」

 

 現在のプラント最高評議会議員の息子達が名を連ねているのに犠牲などが出たら目を当てられない。彼らは大事な息子を歴戦の指揮官であるクルーゼだからこそ預けたのであって、作戦の犠牲になどなられたらどのような問題になるのかアデスには想像がつかない。

 

「彼らの実力は認めますが、数日前にエースのミゲルが傭兵と交戦して乗機が中破して、今回はノーマルのジンの出撃になります。この状況で不確定要素は出来るだけ避けるべきと具申します」

 

 ミゲル・アイマン。オレンジ色の専用ジンを愛機とし、夕日に照らされたような機体色と、高い機動力を生かした一撃必殺を身上とする戦闘スタイルから黄昏の魔弾の通り名が付き、隊内で最も信頼されるエースの1人である。

 だが、彼の乗機は、数日前にザフトの補給基地を襲撃しようとする傭兵部隊サーペントールと交戦し、相討ちで中破してしまって今作戦ではノーマルジンでの出撃となっている。

 ミゲル専用ジンは彼自身の有志で結成された専属チーム「DEFROCK」の手で性能も強化されており、外見からは分からないがノーマル機と比較して20パーセントのスペック向上を達成している。

 歴戦の指揮官であるクルーゼが危惧するほどの性能を持っているかもしれない地球軍の新型機動兵器の奪取に、少しでも不安要素は避けていくべきだと考える思考は軍人として正しいはずだった。それにアデスには他にも懸念事項があった。

 

「情報の元も気になります」

 

 掴んでいた写真をクルーゼに弾き返しながら、この情報自体にも言及する。

 

「いくら凄腕の情報屋とはいえナチュラルの、勢力を問わず様々な情報を集めて売りさばいている男の情報を信じて中立国のコロニーを襲うなど危険が多すぎます。下手をすれば外交問題になりますぞ」

 

 クルーゼに新型機動兵器の情報を齎したのはケナフ・ルキーニという情報屋であることはアデスも知っていた。

 卓越したハッキング技術を駆使して裏社会で暗躍する謎の情報屋から齎された情報が誤りであった場合、中立国であるオーブに侵攻した事実は大きな火種になりかねない。

 地球連合軍だけでも決して余裕のある戦況ではないのに、コーディネイターを受け入れることでザフトに迫りかねない技術力を持つオーブを敵に回すことは本国もまた望んではいないだろうと、アデスは推測する。

 事に一指揮官の独断で行ったともなれば、失敗した場合の末路は想像に難くない。

 

「お前の懸念は最もだ」

 

 語らない部分までの懸念を察したクルーゼは、気を回し過ぎるアデスの固く引き締められた顔を見つめる。

 

「だが、決定に変更はない。ケナフ・ルキーニは人として信頼は出来んが伝えて来る情報は信用できる男だ。でなければ裏社会で生きていけんよ」

 

 既に作戦の準備は整っている。後は時間がくるまで待つのみ。アデスに懸念があろうと今更止めるわけにはいかない。

 

「この写真は潜り込ませた調査員に取らせたものだ。証拠を掴むのに苦労はしたようだが、ここに確たる証がある。例えコロニーが壊れようとも中立国でありながら地球連合に協力していたオーブは何も言えん。地球連合も同じくな。新型機動兵器さえ奪取できれば無駄な言い逃れも出来ないようになる。どちらも後ろ暗いことをしているのだから我らを非難する資格はない」

「奪取できなかった場合は?」

「出来ると確信している。彼らにはそれだけの能力があり、連合側もまさか中立国に攻撃するなど思いもしていない盲点を突いているのだから成功しないはずがはない」

 

 浮かんで来る写真を受け取って作戦ボードに固定したクルーゼが胸の前で腕を組む。

 

「アデス、私を功名心に取り憑かれた俗物と思うなよ」

「はっ、失礼しました」

 

 他人には叱責とも取れるクルーゼの発言に、アデスは恐縮したようにザフト式の敬礼(肘を張り出さず脇を締め、指先から前腕をほぼ垂直に立てることで狭い船内でも行える独特の敬礼様式)をする。

 しかし、クルーゼの言葉尻には叱責ではなく苦笑にも似た感情が込められると何人が気づいただろうか。

 敵対国を攻めるのと違って中立国を攻めるのはどうしても艦内の士気が下がる。それが地球で数少ないコーディネイターを受け入れる国であるオーブ連合首長国となれば尚更。自分達の作戦次第では同胞であるコーディネイターを窮地に陥れる可能性があり、正式な軍令ではなくクルーゼ個人がどこからか入手した情報で動くもなれば士気は上がるどころか下がる一方だ。まだ入隊間もない新人ならばトップガンであるクルーゼの言葉を鵜呑みにしてしまうところだが、ヴェサリウスの乗る乗員はベテランが多く、表には出さずとも裡に不安を溜め込むこともある。

 艦内の不安をアデスが代弁し、クルーゼが論理立てて説明する。コーディネイター内でも能力に秀ですぎているクルーゼを補佐するにアデスという男は適任であった。

 

「ふ、お前は本当に良くできた副官だ」

「いえ、これが自分の仕事ですから」

 

 二重の意味を込めたこのやり取りにも果たしてどれだけの者達が気づいただろうか。

 艦内の雰囲気が変わったことを隊長であるクルーゼと艦長であるアデスが気づかぬはずがない。

 目を見せない奴は信用出来ないと言って憚らないアンドリュー・バルトフェルドのように、有能さを示し続けるクルーゼには内外の敵が多い。しかし、その中にあってもアデスは、その正確無比な判断力には敬服していた。

 クルーゼには謎も多く、決して人格者としては言えないが軍人として有能なことに変わりないのだから。

 

「時間だな、始めようか」

 

 クルーゼの宣言に、アデスは被っている帽子を被り直した。

 

「抜錨! ヴェサリウス、発進する!!」

 

 後に歴史書にも刻まれる作戦が遂に始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 奇妙なことにキラ達が所属するゼミのラボは工業カレッジ校内ではなくモルゲンレーテの敷地内にある。これはゼミの主であるカトウがオーブの国営企業であるモルゲンレーテに仕事を依頼される立場であるため、工業カレッジが優遇した結果であった。サイバネティク工学の第一人者であるカトウの能力が評価され、信用と信頼されている証拠でもある。

 オーブという国の中でも技術者として名の売れている彼が担当するゼミに入れるのは工業カレッジでは最難関に分類されていて、所属しているだけで一種のステータスとすら言われている。カトウゼミに所属して卒業すればモルゲンレーテ入れば出世が約束されているなどとの噂もあった。

 カトウ教授に呼ばれたキラ・ヤマトはトール・ケーニヒとミリアリア・ハウと共に工業カレッジ校内にあるレンタルエレカでゼミのあるモルゲンレーテ社屋に入った。

 ラボは社屋の上層階にあり、階段を登って部屋の前に辿り着くのに迷うことはない。通い慣れた道を三人で話をしながら歩き、扉の前で立ち止まると自動で扉が開く。ゼミに入る時に渡された社員証に近い認識証を読み取って、入室できる資格があるかどうかを自動的に確認しているのだ。

 

「うーす」

「うわぁ!!」

 

 少し品のない挨拶をするトールを先頭にしてラボへと入っていく三人。しかし、タイミングが悪かったのか、室内の人間がトールの声に驚いたように転倒する。

 パワーアシストスーツを纏った少年が倒れるのを隣にいた色付きの眼鏡をかけて派手なジャケットを着ている少年が抱えようとするも、彼我の体重差を思い出したことで足を止めて落ちるに任せた。数百キロはありそうなパワーアシストスーツを生身で受け止めようなどという蛮行は、身体能力に優れたコーディネイターであっても不可能だなんてことは考えなくても分かる。

 

「ああっ!? 何やってんだよサイ!! カズィ!!」

「お前らが遅いからだよ。でも、おっかしいな。どっかの数値を間違えたか」

「いいからまずは僕を助けてよ、特にサイ」

 

 トールが二人の少年の名前を叫びながら頭を抱える。

 倒れた少年――――カズイ・バスカークがカトウの伝手でモルゲンレーテから借りている貴重なパワードスーツから這う這うの体で抜け出しながら、手元の小型端末でプログラムを確認をしているサイ・アーガイルを恨めしそうに見る。

 

「お前にゃ無理だよ、カズイ。ほら、どけ」

 

 何時もこういう体力作業はトールの役目である。単純な頭脳面ではゼミの一番下に位置するトールは逆に肉体面ではコーディネイターのキラを抜けばダントツのトップ。

 理系で運動が苦手なカズィや、苦手ではないが得意でもないサイ。そんな二人とは違ってインテリ系とは思えないほどアウトドア系にも精を出すトールは、工業カレッジ内に見ても異端である。

 学力や頭脳面では周りに勝てないことにコンプレックスを抱いているのか、ふとした時にトールは年上のサイにはともかく同い年のカズィには辛辣な時がある。この時もそうだった。そしてそれはカズィも同じだった。

 

「なんだ、来たのはキラだけじゃないのか」

「嫌味か、それは」

「別に」

 

 嫌味には嫌味を返すカズィも慣れたもので、二人揃ってメンチを切るように顔を近づける。

 カトウゼミ最年長のサイはどちらかに加担すると後々に面倒になることがあるので二人のやり合いには手を出さない方針を貫いている。この時も我関せずと小型端末をパソコンに繋いで転倒の原因を調べていた。

 逆に最年少のキラは二人の間でオロオロとするばかり。チラチラと視線をサイに向けてくるが、サイは取り合わない。彼が一々止めずとも他に止める者がいるからだ。

 

「こら、止めなさい。みっともない」

「「痛っ」」

 

 ミリアリアが二人の頭を両手で叩く。結構な威力があったのか、叩かれた二人の頭が下を向いた。

 

「仲が良いのは知ってるから喧嘩しないの」

「「誰が仲が良いって」」

 

 叩いた手を腰に当てながらミリアリアが言うと、同時に顔を上げた二人が最初から示し合わせたように同じ文言を言いかけて、被っていることに気づいて口を閉じた。

 二人は同年代で性格が真逆なこともあってか何かと対立することが多い。そういう時は何時もミリアリアが仲裁に入る羽目になって、最近では面倒になって物理的な手段で止めることが多くなっていた。

 

「トールも突っかからない。カズィも煽らないこと。分かった?」

「「…………はい」」

 

 声と雰囲気に怒気を滲ませるミリアリアに彼氏のトールも同学年のカズィも何も言い返せず、大人しく頷く。このやり取りも慣れたもので、サイなどは最初から空気のように気にしていない。

 カトウゼミは、あまり顔を出さないカトウを押し退けてサイが家長のような立場で纏め役になることが多い。ミリアリアが肝っ玉母さん、トールとカズィがやんちゃ盛りな子供で、末弟のキラが振り回されているような感じであった。

 二人の不毛な争いが収まったのを確認したキラはパソコンの前で転倒した原因を捜していたサイの後ろに回って、スクロールされる画面を他人から見れば茫洋とした目で眺める。

 喧嘩した罰としてトールとカズィが二人掛かりでパワードスーツを機械を作って吊り上げていると、画面を眺めているだけと思われたキラの目がある一点で止まった。

 

「そこで止めてっ」

「ん? どうしたキラ」

 

 背後で鋭い声を出したキラにサイが驚きながらも振り向くも、キラは画面を見つめながら思考を走らせていた。

 同じゼミの仲間でも理解できないような思考に没頭している為、口の中でブツブツと呟くだけでサイの疑問には答えられない。そもそも声が届いているかどうかも怪しい。

 

「やっぱり、バランサーの数値が拙いんだ。えっと…………ほら、ここの数値。前と違うけど変えた?」

 

 椅子に座っているサイの後ろから画面をタッチしてスクロールさせたキラは該当箇所を指差して数値が前回と変わっていることを示す。それこそが今回の転倒の原因だと、サイが見ても分からなかった異常をいとも簡単に導き出した。

 

「一瞬で解決だな。流石は工業科一位の天才」

 

 飛び級を重ねて同級生になってから言うようになったトールの皮肉にキラは曖昧な笑みを返す。悪意はなく、からかっているのだと分かっていてもどんな表情をしたらいいのか何時も迷ってしまう。

 最年長の19歳のサイが四年生で、18歳のトールとカズィ、17歳のミリアリアと16歳のキラが三年生という、三年生が奇妙な状態になっているのだ。一年の半分を過ぎたところで2年生の授業に参加して瞬く間に自分達と並んで、下手をすればキラがサイと同時に卒業なんて笑えない事態が起きかねないとトールはミリアリアに話したことがあった。

 

「…………そういや、教授からこれ預かってた。追加とかって」

 

 カズィと共に汗だくになりながらパワードスーツを通常位置に戻したトールの賞賛に、自身がどいた場所に座ってキーボードをタッチして元の数値に戻すキラの顔を眺めていたサイは派手なジャッケトの内ポケットからデータディスクを取り出した。

 

「うぇぇ」

 

 数値を元に戻したキラは椅子に座りながら振り返ってサイからデータディスクを受け取る。そのなんともいえない困った様子の顔にサイは自分の中で湧き上がりかけた衝動が急速に萎んでいくのを自覚した。

 

「また何かやらされてんの?」

「うんちょっと……」

 

 キラが教授のカトウに気に入られているのは工業カレッジでは有名な話だった。

 カトウが全学年の試験問題に遊び心で入れた超難解問題にキラだけが正解してしまって、それ以来完全に目を付けられてしまったのだ。未だに学内でも有名なアレやコレやの騒動があった後にキラは半ば強制的にゼミの一員となった。

 サイバネティク工学の第一人者であるカトウのゼミに入れたことはプログラミングを趣味としているキラにとって十分な恩恵であり、友達となったばかりのトールとも一緒になれて嬉しかったのだが、コーディネイターであろうとも能力があれば気にしない無頓着さを発揮してこき使われるのは堪ったものではない。そういう強引さや無頓着さはカトウの良い面ではあるのだが、振り回されるキラには困り所であった。

 

「そんなことより手紙のことを聞けっ!」

 

 追加分を受け取って肩を落としていたキラに、トールが背後からタックルして首を締め上げた。

 極まってはいけないところに腕が入って来て、キラは呻くばかりで振り解けない。勿論、トールの口を防ぐことも。しかもパワードスーツを持ち上げるのに汗を掻いていて微妙に汗臭い。

 

「手紙?」

「フレイに手紙を渡したって聞いたわよ。どうなの? そこのところは」

 

 キョトンとした様子のサイに、トールだけでなくミリアリアも嬉々として詰問する側に回る。

 ことの始まりはトール達と連れ立ってキラがラボに向かおうとした時だった。レンタルエレカーポートでキラ達は三人の少女と出会った。ミリアリアと同い年で友達でもあり、地元のハイスクールに通うフレイ・アルスターが女友達と話し込んでいる現場に遭遇したのだ。

 ジュニアハイスクールで彼女とミリアリアが同級生で、飛び級したミリアリアとは学校が離れたが親しくしていて、学校が近いこともあってキラも顔を合わせたことが何度かある。

 彼女達が話していたのは内容は年頃には珍しくない恋バナである。普通とは違うのはキラ達の知り合いが関係者だということだった。

 フレイがサイから手紙を貰ったと聞いてキラは動揺を表情に出してしまい、それをトールは見逃さなかった。オシャレにも人一倍気を遣っていて美人でスタイルも良いフレイは目立っており、彼女にキラは淡い思いを抱いていたのだ。

 告白する勇気も、彼女と付き合っている自分を想像も出来ないキラは、もしサイがフレイとそのような関係であるなら片思いなんて知らせずにおきたい。年頃の青少年の気持ちは複雑なのだ。

 

「ああ、それは……」

 

 コーディネイターの力を持ってしても、完璧に決まっている首締めは解けない。酸素が足りなくてぼうっとしてきたキラの頭が気になることを答えようとしているサイの声を捉えていた。カズィは恋愛事には全然興味を示さない機械マニアなので、気にすることもなくパソコンと向き合っている。トールとミリアリアは敵で、キラの味方はいないと思われた。

 酸欠も相まって色々とキラが諦めかけた時、ラボの入り口がパシュッと空気の抜けるような音を立てて開いた。

 

「失礼、ドクター・カトウは? ここに行けば会えると言われたんだが」

 

 入室してきた人物は、室内を見渡して目的の人がいないと分かると近くにいたサイに問いかけた。

 入室者を見たサイは、問いかけて来た人物に奇異の念を抱いた。

 カトウを訪ねて来るのは大抵はモルゲンレーテや工業カレッジの職員ばかり。数年間、ゼミに所属しているサイが不審に思うほどの目の前の人物は幼い。

 はみ出ている髪は硬質な金色でハンチング帽を目深に被り、僅かに見える容姿は小さく丸く、手足もほっそりと華奢だ。固い喋り方からして男のようだが、最年少のキラよりも小さい目の前の人物がカトウとどのような繋がりがあるか推測も出来なかった。

 

「教授、今ちょっと出ちゃってるんですけど待ちます? 多分、今日は戻っては来ないと思いますけど」

 

 先程、キラに渡す追加分のデータディスクだけをサイに渡して慌ただしく出て行ったことを考えれば、ここ最近のカトウの行動と合わせるとラボに戻って来るとは考え難い。なにをしているかも知らされていないサイは自らの推測を素直に話した。

 

「待たせてもらっても?」

「別に構いませんが……」

 

 遠回しに帰れと言ったつもりだったのだが、礼儀を弁えて言ってくる目の前の人物の言葉を断り難い。

 どうしたものかと振り返ったサイが見た物は、忙しそうにキーボードを打っているキラやパワードスーツに乗り込もうとしているトール、それを手伝っているミリアリアとカズィ。

 

「お前ら……」

 

 先程までは遊んでいたのに忙しさを理由にして不審人物の相手を全力でサイに押し付けている仲間の姿に、サイは額に青筋を浮かべて外来者がいて怒る怒れない微妙な表情を浮かべた。

 何時ものカトウゼミと言えばそれまでだが、取りあえずゼミ内のヒエラルキーで最下位のキラに雑用を押し付けようとサイが決めたその時だった。突然、轟音と凄まじい揺れが彼らを襲った。

 

「うわぁ!」

「きゃあ!」

 

 机に立てかけていたキラの鞄が倒れたように、パワードスーツに乗り込もうとしたトールがバランスを崩してミリアリアがいる方に倒れかかる。

 ミリアリアも巻き込んで倒れかかったトールを慈悲もなくカズィが蹴り飛ばした。その顔は嬉々としていたとか。キラは逸早く机の下に潜り込み、サイと金髪の人物は床に伏せていた。

 

「隕石か?」

 

 コロニーで地球のような地震はありえない。となれば、これほどの建物を揺るがすほどの衝撃を与えるのは、モルゲンレーテの施設のどこかが爆発したか、コロニーに隕石が当たったかの二択になる。安全設計が売りのモルゲンレーテなので、確率的には後者の方が高い。サイが隕石の可能性を疑うのは当然であった。

 

「大丈夫か、みんな!」

 

 サイが声を張り上げると、銘々の返事が返ってくる。一部だけ苦悶が混じっているがトールなので大丈夫だろうと気にしなかった。ゼミの肉体労働兼オチ担当であるトールがこうなっているのは何時もの事だった。

 パッと見で機材にも深刻なダメージがなさそうだとサイが安堵の溜息を漏らしている間にも断続的な振動が襲ってくる。隕石が当たったにしては異常で、どこかの施設が爆発したとしてもこんな揺れ方は続かない。

 

「アナウンスも流れないか。外に出て状況を確認しよう」

 

 サイの言葉に誰も否とは言わなかった。続く振動に異変を等しく感じ取っていたからだ。

 年長者らしく主導するサイに従って部屋を出たキラ達は、同じように別の部屋から出て来たモルゲンレーテの社員と共に外に出ようとエレベーターを目指した。

 エレベータの前に辿り着いたところで、廊下の灯りが消えて非常灯の不気味な赤い光が照らしだす。

 

「なに!? なんなの?」

 

 電灯が消えて赤い光に満たされた廊下にミリアリアの不安を訴える声が響き渡る。トールが彼女の恐怖を和らげるように手を握るも、状況が分からないのは一緒なので不安は消えない。

 

「エレベーターは駄目だ。階段を使おう」

 

 ボタンを押しても反応しないので、エレベータが動かないとなれば階段で下りるしかない。キラ達は非常階段に向かった。

 非常階段に繋がるドアを開けると、次々とモルゲンレーテの制服を着た職員が上から降りて来ている。

 

「どうしたんです!? この振動はなんなんですか!」

 

 振動に続いて断続的に爆発音も混じり出していたので、階段から降りて来た職員に話を聞こうとしているサイの声も必然的に大きくなっていた。

 

「分からん! ザフトが攻撃してきてるんだ!」

「ザフトが!? ここは中立のコロニーですよ!」

「知らんよ! モビルスーツが入って来てるんだからザフトしかないだろ! 港もやられたらしい!」

 

 返ってきた返答もまた大きな怒鳴り声だった。彼らもまた状況を完全に把握しているわけでもなく、キラ達よりも多少情報を知っているだけに過ぎないのだろう。

 状況は理解できなくとも一般人に過ぎないキラ達に出来ることなど、大人しく避難することしかない。「俺達も行こう」と職員に続いて階段を下りようとしたサイに付いて行こうとしたキラの横で、金髪の人物が身を翻した。

 

「あっ、君!?」

 

 隣にいたキラが止める間もなかった。伸ばした手は空を切り、金髪の人物は手の届かない場所に走って行ってしまう。トールにお人好しと称されたキラの体は自然と駆けていった金髪の人物を追いかけた。

 

「キラ!?」

「直ぐに戻る! 先に行ってて!」

 

 背中にかかるトールの声に、振り返らずに言いながらキラは走った。

 コーディネイターであるキラが全力で走っているのになかなか追いつけない。金髪の人物は華奢に見えて運動神経に優れているようだ。しかし、基礎身体能力の差は覆らず、何回か角を曲がったところで追いついてキラは金髪の人物の腕を捕まえた。

 

「なにしてるんだよっ! そっち行ったって……」

「そっちこそ早くに逃げろっ! 私にはどうしても確かめなければならない事があるんだ!!」

 

 怒りを込めて叫んだキラは、更に強い怒りを込めた眼差しで叫び返してきた金髪の人物の気迫に飲まれたように腕を離してしまった瞬間に、キラ達が走って来た角の向こうから爆発音が響いた。

 次いで爆風が押し寄せて来てキラと金髪の人物を等しく襲った。

 

「ぐっ……」

 

 思わず腕で顔を庇って目を閉じると、強風が吹いたものの幸いにも熱波はなかった。被害は強風に金髪の人物のハンチング帽が飛ばされた。

 キラが思わず閉じた瞳を開くと、目の前にはハンチング帽で隠されていない素顔の少女が黄金の髪を爆風に揺らめかせながら立っていた。

 

「おん……な……の子だったんだ」

 

 態度や服装、硬質な雰囲気から勝手にキラは目の前の人物が男、体格から自分より年下の少年だと判断していた。しかし、ハンチング帽がなくなると気の強さの感じられる眼差しであっても、間違いなく女と分かる容姿をしていた。

 改めて体のラインを見てみれば腰がくびれており、胸元は薄いが盛り上がっている。先入観で男と判断しなければ間違わない過ちだった。

 

「今までなんだと思ってたんだ!?」

 

 少女からすれば勝手に男扱いされていれば文句も言いたくもなる。キラにしてみれば服装やらが紛らわしいのだと言い分はあれど、間違ったのは自分の方である。謝るべきだと判断したキラが口を開いた時だった。

 再び背後から爆発音が響き渡り、先程のような爆風はないものの今いる場所が危険なことは確かだった。

 

「いいからこっちに!」

「放せ、この馬鹿!」

 

 危険回避も兼ねて気まずい空気を誤魔化してしまおうと思ったキラは、少女の罵倒を物ともせずに再び腕を掴んで走り出した。来た道ではなく前へ。

 背後から爆発があったことを考えれば戻ることは出来ない。モルゲンレーテに出入りしているキラの頭には大まかな地図が入っている。結局は少女が行こうとしていた先に進むことになるが背に腹は代えられない。

 それにこのまま進めば工場区にあるシェルターがあるはずだった。地球とは違って大地の安全が保障されていないコロニーではシェルターの場所を把握しているかで生存確率が大きく変わる。母から強くそのことを教えられてきたキラはどのような場所であってもシェルターの位置と順路を最初に把握するようにしており、今回は母の教えに助かった形となる。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

 

 どれだけ走っただろうか。少女の忙しない呼吸音と二人の走る足音だけが木霊する廊下の先に光が見えていた。キラは脳裏に思い描いている地図と照らし合わせて、外に程近く、また直ぐ近くにシェルターがあるエリアに来たことを確認して安堵した。

 

「!?」

 

 しかし、光の中に身を躍らせたキラの視界に映ったのは異様なものだった。

 キラ達がいるのはキャットウォークの上。その下に巨大な人型――――ザフトが開発したモビルスーツとは違う形状の巨大な人型が二体も横たわっていた。

 

「こ、これって……」

 

 モビルスーツに詳しいとは言えないキラでも分かる異常。いる場所がヘリオポリスであることを考えれば眼下の巨人はザフト系列のモビルスーツではない。

 何か知ってはならないことを知ってしまったのだと悟ったキラは、自分の声が震えているのが分かった。

 

「やっぱり……地球軍の新型機動兵器……」

 

 横で明らかに事情を知っていると思しき少女がガクリと膝をついてキャットウォークの手摺に縋りついていても、巨人の衝撃が大きすぎたキラは気付いていなかった。

 

「――――お父様の裏切り者ッ…………!」

 

 少女の甲高い叫び声が天井に跳ね返って格納庫に響き渡る。その声に気づいた者がいた。

 片方のモビルスーツの上で銃を撃っていたマリュー・ラミアス大尉である。別方向からの侵入者と判断して鋭い眼付きのままキラ達に向かって銃を向けた。

 

「!」

 

 逸早く自分達に銃を向けるマリューの存在に気づいたキラは泣いている少女の手を引っ張った。直後、銃弾が先程まで少女がいた場所の背後の壁を抉る。

 

「泣いてちゃ駄目だよ! ほら、走って!」

 

 何を嘆いているかは分からないがキラに少女を見捨てるという選択肢はない。キラの知らない何かを知っている少女に聞きたいことはあれど、今はこの状況をどうにかするのが先とシェルターを目指す。

 幸いにも誰かが追いかけて来るようなこともなく、無事にシェルターの入り口に辿り着いた。殆ど走りっ放しで息を乱している少女とは違って息一つ乱していないキラは開閉のボタンを押した。

 

《まだ誰かいるのか?》

 

 直ぐに開くと思ったのにボタン横のインターホンから声が聞こえて来た。恐らく中にいる者達の内の誰かが開閉ボタンを押したキラに気づいて応答してくれたようだ。

 

「はい! 僕と友達の二人もお願いします。開けて下さい」

 

 直ぐに開けてくれると予想したキラを裏切るように、扉は開くことなくスピーカーからも声は返ってこなかった。

 

《…………もうここは一杯だ。悪いが君らから見て左のブロックにシェルターがある。そこまでは行けんか?》

 

 苦虫を噛み潰したような返答にキラは左のブロックを見た。下では銃撃戦の真っただ中で、何時流れ弾が飛んで来るか分からない状態だ。コーディネイターでナチュラルよりも運動神経に優れている自覚があるキラならばなんとかなるかもしれない。ただし、同じように運動神経に優れていようと女の子を危険な場所に連れて行けるはずもない。

 キラが覚悟を決めるのと決断を下すのは早かった。

 

「なら、僕はいいですから一人だけでもお願いします! 女の子なんです!」

 

 相手が断れないように良心に響く嫌な言い方をしているという自覚はあった。それでも少女が危険な目に遭うのと比べればキラの良心が痛むだけで済む。

 

《分かった。すまん》

 

 暫しの沈黙の内、スピーカーから返答があって扉が開いた。その扉に少女の体を無理矢理に押し込んだ。

 

「入って!」

 

 偶発的に体を触った柔らかい感触が本当に目の前の少女が女の子であることを教えてくれる。キラは自分の判断が間違っていないと確信できた。

 押し込められてようやく少女は、この時になってようやく事態に気づいたようだった。

 

「お前、何を!?」

 

 少女がハッとした様子で目を見開いたが既に遅い。キラは少女を押し込んで開閉のボタンを再度押した。

 

「待て、お前……」

「僕は向こうに行くから大丈夫!」

 

 何かを言いかけたが扉が閉まり、直ぐに下層にあるシェルターに向かって動く。聞こえているかどうかは分からないが少女に向かって叫び、姿が完全に見えなくなってから教えられたシェルターのある方向に向かって走り出した。

 走るキラは奇しくも先程の、モビルスーツ二機を俯瞰できるキャットウォークの近くに来てしまっていた。

 

「――――ハマナ、ブライアン、早くX一○五と三○三を起動して今の内に誰でもいいから搭乗させて!」

 

 まだ若い大人の女の声が耳に届いて、キラは作業服を着た声の主を探し当て、彼女の背後の先程まで自分達がいた場所に全身を覆う緑色のスーツを纏った兵士らしき人物が銃を構えているのを見つけてしまった。

 作業服の女性は前方に銃を撃っていて気づいている様子はない。しっかりと狙いを定めているので撃たれれば女性の命は無いだろう。

 

「危ない! 後ろ!」

 

 目の前で人が撃たれて死ぬかもしれないと考えたキラは思わず叫んでいた。

 女性――――マリュー・ラミアスは声に反応して振り返り、転がりながら銃を撃った。見事に弾丸は兵士に当たって動かなくなった。理由はどうあれ、キラは自分が人殺しに加担してしまったことに顔を青ざめた。

 キラがいる場所からは格納庫に侵入しようとしている緑や赤のノーマルスーツをした兵士達が良く見えた。モビルスーツを中心として銃撃戦が繰り広げられていて、キラはこの場所が戦場と何も変わらないのだと今更ながらに理解した。

 

「さっきの子!? なんで戻ってきたの」

 

 再びの女性の声に青ざめた顔のままキラが眼下を見下ろすと、別の兵士に向かってマリューは銃を撃っていた。

 弾を撃ち尽くしたのか、持っていた小銃を捨ててハンドガンを取り出しながらマリューがキラを見上げる。躊躇いを含んだマリューの視線と困惑に捕らわれたキラの視線が交わり、命の恩人を見捨てるわけにもいかないマリューは決断した。

 

「来なさい! そこは危ないわ!」

「左ブロックのシェルターへ行きます!」

 

 慣れた様子で銃を撃つマリューの姿からキラは彼女が軍人であることを察した。未だに銃の撃ち合いがあちこちで行われている戦場から離れんと、怒鳴るマリューに負けじと叫び返したキラは左ブロックへ向けて走り出そうとした。

 

「あそこはもうドアしかない!」

 

 その叫びにキラは走りかけた足を止めざるをえなかった。キラの頭脳に周辺にマップが浮かび、そして絶望的な答えを導き出す。

 

「この近くにもうシェルターはないわ! 早く来なさい!」

 

 導き出した絶望的な答えに先に辿り着いていたマリューは改めてキラに残酷な刃を突き刺す。

 退路はなく、行くべき場所すら失くしたキラは決断を迫られた。

 流れ弾が来ないように身を沈めていたキラは格納庫全体を見渡す。戦況は声をかけてくれた女性達にとって芳しくないことはよく分かった。少数なのに侵入者の方が遥かに実力が上なのだ。

 

「コーディネイターがどうして中立国のコロニーを……!」

 

 侵入者が専門的な軍事訓練を受けたコーディネイターであることは、一人一人の能力のレベルの違いから予測がついた。恐らく真実であろうことも。

 ならば、眼下の女性達はナチュラル。本来ならば同族であるコーディネイターの味方をするべきなのだろうが、ヘリオポリスを襲撃したのがコーディネイターであるならば、キラがどちらに付くべきかは明白である。

 例え眼下の女性達がオーブの人間ではないと薄らと悟りながらであっても、爆発が左ブロックからしたのを見たキラは決断した。

 

「くっ!」

 

 近くの階段に身を躍らせて下に降り、モビルスーツの上にいる女性の真上のキャットウォークまで走ったキラは五メートルか六メートルはありそうな高所から躊躇いもなく飛び降りた。

 

「馬鹿!? そんな所から飛び降りるなんて」

 

 キャットウォークの手摺を飛び越えて眼下に身を躍らせたキラにマリューは目を瞠った。いくら最短距離の為だからといって常人の沙汰ではない。

 怪我をすることは避けられないと思ったマリューの予想とは違って、キラはモビルスーツの肩部分に着地して膝のクッションだけで衝撃を殺して見せた。流石に完全には衝撃を殺せず、前のめりになって倒れ込んだが起き上がる様子から怪我をしているような感じはない。

 

(あの子、もしかして……)

 

 マリューも自分が戦っている相手がコーディネイターであることは察しがついていた。視線の先の少年と敵が線で結びつく。

 驚愕と少年を連れて行くべきかと躊躇に動きを止めたマリューの近くで、モビルスーツを守って戦っていた作業服の男が一人の赤いノーマルスーツの兵士を撃った。

 ヘルメットのバイザー部分が砕けて血が迸る。顔面に当たったとしたら間違いなく即死だ。赤いノーマルスーツの兵士は力を失くして倒れ込んだ。

 

「ラスティ!」

 

 別の赤いノーマルスーツの、声からして少年らしき兵が叫び、仲間の命を奪った男に銃を撃った。放たれた銃弾が命中したのか、崩れるようにラスティと呼ばれた兵士を打ち殺した男が倒れる。

 

「ハマナ!」

 

 マリューが旧知の部下を撃ち殺された瞬間を見て、撃った張本人に銃を向けるが遅い。明らかに遅く行動を始めたのに、赤いスーツの兵士はマリューが銃を構え終えるよりも早く彼女を撃った。

 

「あうっ……!」

 

 仲間を殺された怒りで我を失ったように見える赤いスーツが撃った弾丸の一発がマリューの肩に命中する。その衝撃でマリューは倒れ込み、銃を手放してしまった。

 咄嗟にキラは彼女を助けるべく肩部分から胸部部分に向かって走る。

 

「ちっ、弾切れか。なら!」

 

 マリューを撃った赤いノーマルスーツの兵士は手にしていた弾を撃ち尽くした小銃を捨て、軍用ナイフを抜き放って超人的な身体能力でモビルスーツに掛け上がり、マリューに直接ナイフでトドメを刺さんと走る。

 キラがマリューに駆け寄ったのと、赤いノーマルスーツの兵士が近づいたのはほぼ同時だった。赤いノーマルスーツの兵士は軍人とは思えない場違いな私服姿の少年を見て足を止めた。痛みに呻くマリューを間に挟んで互いの存在に気づいた二人の視線が交錯する。

 

「…………アスラン?」

 

 赤いノーマルスーツの兵士のヘルメット内の顔は、別れた親友が大きくなったそのままの姿だった。

 特徴的な緑の瞳をキラが忘れるはずがない。三年の時が経て精悍に、そして猛々しく怒り狂っていようともキラ・ヤマトが親友アスラン・ザラの顔を見間違えるはずがなかった。それでも違ってほしいと思った。断じて二人の再会の場は、硝煙と業火が猛る戦場ではないはずなのだから。

 キラの小さな願いは呆気なく打ち砕かれる。

 

「キラ!?」

 

 三年前よりも低くなってもアスランと分かる声がキラの名を呼ぶ。決定的だった。キラの前で人を殺し、今もまた傍らにいる女性を殺さんとしているのは親友アスラン・ザラに他ならない。願ってもいない場所での再会にキラはかける言葉を失い、アスランもまた同じなのか、動揺を示すように持っている軍用ナイフの先が揺れている。

 どちらかが言葉を発すれば壊れる危うい空間を破壊したのは、痛みに呻いていたマリューだった。

 

「くっ」

 

 怪我をしていない手で支えながら銃をアスランへと向ける。呆然自失していたアスランもマリューの動作に気づいて、大きく飛び退いた。キラが声をかける前に、まるで恐れるかの如く足早に離れていく。キラはただ去って行く背中を見続けることしか出来なかった。

 爆発と業火はその範囲を増しており、この場にいるのは危険と判断したマリューは立ち上がって呆然自失しているキラを無事な方の手で突き飛ばした。

 

「うわっ」

 

 突き飛ばされたキラがコクピットに落ちるのを見届け、マリューもまた開いているコクピットに身を飛びこむ。

 

「………………」

 

 二人がモビルスーツのコクピットに姿を消すのを、残っているもう一機の機体のコクピットに前で見届けたアスランも乗り込む。

 

「シートの後に!」

 

 お尻からコクピットに飛びこんで座席に座ったマリューはキラを押し退けるようにして叫びながら、キラが下がるのを待たずにモビルスーツのシステムの立ち上げにかかった。

 

「私にだって動かすことくらいは出来るはず……」

 

 マリューが言いながら次々と前面にあるスイッチを入れていくと、計器類に光が入ってエレカのエンジンのように機体の奥から駆動音が徐々に高まる。

 外部モニターが点いて、前面と横の三面が映し出された。

 マリューは機動操作に忙しくて気づかなかったが、キラの視界にはもう一体のモビルスーツのコクピットに潜り込む赤いノーマルスーツが見えたような気がした。

 また起こった爆発がもう一体のモビルスーツの姿を覆い隠してしまい、前に視線を向けたキラの目にモニターに浮かび上がる文字列を映った。

 

『  General

   Unilateral

   Neuro‐Link

   Dispersive

   Autonomic

   Maneuver  』

 

 とっさにキラは、赤く輝く頭文字を拾い上げていた。

 

「ガン……ダ、ム……?」

 

 外部から見ればまるで命を吹き込まれたかのようにキラが「ガンダム」と呼んだ機体のツインアイに光が灯り、指が動いた。メンテナンスベッドに機体を固定していたボルトが音を立てて弾け飛んで行く。

 歩行を覚えたての幼児のようにどこかぎこちない動作で、それでも次々と連鎖的に起こる爆発の中であっても立ち上がった。

 爆炎がモビルスーツの装甲を舐めるように立ち上がり、光るツインアイと相まってモビルスールをまるで悪魔のように彩った。後にザフトから「連合の白い悪魔」と呼ばれるモビルスーツGAT-X105ストライクが産声を上げた瞬間だった。

 



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第2話 大天使

 

 コーディネイター。一般的には遺伝子調整によってあらかじめ強靱な肉体と優秀な頭脳を持って生まれた人の事を指す。反対に自然に生まれた者をナチュラルと呼称するようになったのは皮肉であろうか。

 C.E.15年に人類初のコーディネイター、ジョージ・グレンが自らが遺伝子操作により生まれたことを告白した「ジョージ・グレンの告白」によって広まった技術によって高い金を出して生まれた者達。

 遺伝子を操作されたコーディネイターは、自然に生まれたナチュラルよりも堅牢な肉体と優れた運動能力、優秀な頭脳を持っており、過酷な環境や重篤疾病に対する抵抗力も高い。遺伝子操作により先天的にナチュラルより各種機能の平均的水準が高い人間である。

 ナチュラルと同じく老衰や著しい損傷を身体に被った場合は死に至るが能力差は総じて高い。身体能力や学力が成人年齢に達するのもナチュラルのそれより約5年ほど早いとされる。プラントで成人年齢が15歳と早いのもコーディネイターの優秀な能力の賜物である。

 一説には、ナチュラルはコーディネイターのおよそ三倍の平均学習時間をかけねば同じ領域に至れないという話もある。

 こういったコーディネイターの知的能力、身体能力の優越性は、学業、労働、芸術、スポーツといった社会競争の場面で全体的傾向として彼らを勝利させるため、ナチュラルにとっては生活を脅かす脅威となっていった。

 無論、優秀な遺伝子を持つコーディネイターでも適切な訓練や学習を行わなければ、その才能を完全に発揮することはできないのはナチュラルと同じである。だが、同じ努力をしても報われるのは何時もコーディネイターばかり。ナチュラルが不満を抱くのは当然のことといえた。

 ナチュラルがコーディネイターを敵視するのも、少数派のコーディネイターが弾圧されるのも、時代の流れが生み出した必然なのか。

 勃発した地球連合とプラントの戦争。その中ですらコーディネイターとナチュラルの差を浮き彫りにする。

 ザフトの主力兵器モビルスーツ。モビルスーツを操作するにはコーディネイターのように優れた情報処理能力や反射神経がなければ使えず、汎用性と機動性の高さが戦局をプラント優位に決定づけた。

 モビルスーツが戦況を左右することに地球連合側の将官の中にも気づいた者がいた。

 戦争で数こそが戦局を左右するのは古代から変わらない。今の地球連合はプラントの何十倍近い国力を持っている。後は質を上げるだけ。プラント同じモビルスーツ開発を推し進めようとするのは将官として当たり前の判断である。 

 しかし問題が一つだけあった。ナチュラルにはモビルスーツの操縦が出来ないのだ。ならばと、その将官は考えた。モビルスーツの操縦を出来るようにOSをナチュラル用に開発すればいいのだと。

 当然、対ジンを目的として開発された地球軍の新型機動兵器は開発は難航を極めた。新兵器、新武装、なによりもナチュラル用のOSの開発が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 円筒形のコロニーであるヘリオポリス外周で勃発した戦闘は、地球連合軍側が圧倒的な不利を強いられていた。それはヘリオポリス内部も同じであった。 

 

『ヘリオポリス全土にレベル8の避難命令が発令されました。住民は速やかに最寄りの退避シェルターに避難して下さい』

 

 機械音声が黒煙があちこちで立ち昇るヘリオポリス全域に鳴り響く。

 国営企業であるモルゲンレーテの重要性はコロニー内でも段違いに高い。工場や関連施設で働く者も多く、従って利便性も考えれば街に近い場所に敷地が作られたのは当然の流れと言える。

 外と同じようにジンが入り込み、地球連合軍の車両や疑わしき施設に向かって片っ端から艦載用小口径砲クラスの口径を持つアサルトライフル「MMI-M8A3 76mm重突撃機銃」を撃ち放っていた。

 今も銃弾を撃ち込まれて破壊された車両がエンジンか、それとも中に搭載されていた武器の火薬かに引火して爆発を引き起こす。侵入したザフトにモルゲンレーテと地球連合軍の明確な区別などつくはずもない。怪しい車両・場所を片っ端から破壊するのは少数精鋭で乗り込んだ彼らからしたら当たり前のことで、巻き込まれる者がいることを承知の上で破壊を行なっていた。ザフトにとって中立国の裏切りは重大な事であり、攻撃をする大義名分があったのだ。

 被害は容赦なく街の方にも広がり、巻き込まれた民間人達が爆発が轟く中で必死に避難していた。

 

「キャー!」

 

 またどこかで上がった爆発に甲高い女性の悲鳴が爆発音に混じって響く。

 最も被害の大きいモルゲンレーテの敷地内で逃げ惑う人々の中に、工業カレッジのカトウゼミに所属するトール達の姿もあった。

 モルゲンレーテの敷地外から来た一機が重突撃機銃を背後で撃っている中で、工場員やスーツを着た男達が右往左往しながら走り回っていた。ギリギリまでキラを待っていたトール達は何度も爆発が起こり、建物が持たないと判断して外に出たのだ。他のシェルターに入り遅れたり逃げ遅れた人々と共にあてどもなく走り続ける。

 走るトール達の前方の建物が火を噴きながら何度も爆発して黒煙を上げる。その爆炎を縫うようにモビルスーツと分かる巨大な人型が二体飛び出した。

 

「ああ!?」

「まだいたのか!」

 

 進行方向に現れた新たなモビルスーツの出現に、トール達は絶望の叫びを上げ、モルゲンレーテの職員の一人が忌々しげに吐き捨てた。

 遠目からでもジンとは違う、より人型に近い意匠であることは分かったものの、飛び出した二体が地球連合軍が作り上げた新型モビルスーツで、この襲撃の原因であると分かるはずもない。

 

「向こうだ!」

 

 背後にザフトのジン、前に新型二体に挟まれたトール達は、モビルスーツを開発・運用しているのはザフトだけなので襲撃者が増えたと思ってサイの先導で別方向に走り出す。

 ヘリオポリスの住民にとって間違いなく敵として侵攻してジンとは違う二つの機体の内の一つ、全体的な印象として鋭角な意匠を持つGAT-X303イージスを奪取して搭乗しているアスラン・ザラは降り立った近くにいるジンに通信を繋いだ。

 

「アスラン!」

 

 作戦開始前に渡された認識コードと共に通信を繋いでいるので、名乗る前にジンのパイロットであるミゲル・アイマンが名前を呼んでくる。

 

「ラスティは失敗だ!」

 

 2期先輩にあたるクルーゼ隊緑服であるミゲル・アイマンに事実を告げて、アスランの胸にラスティの喪失の痛みがぶり返す。

 後輩が自分に敬語を使う事を禁止しているほど同胞には寛容で面倒見もよく気さくな性格は、先程撃ち殺されたラスティ・マッケンジーと通じるものがある。

 クルーゼ隊の赤服は最高評議員を父とする者達で構成されている。優秀な両親の遺伝子を如何なく受け継いだ彼らは、確かに優秀であったが親の因縁も同時に受け継いでしまっていた。

 アカデミーを首席で卒業したアスランを、次席だったイザーク・ジュールがライバルしていた。アスランにニコル・アマルフィが付き、イザークにはディアッカ・エルスマンが付き、その間をラスティが上手く取り成すことでやってきた関係は崩壊した。二度と取り戻すことは出来ない。

 

「何っ!?」

「向こうの機体には地球軍の士官が乗っている」

 

 言って、同じように乗り込んだ現地の学生らしき少年の姿を脳裏に思い描いたアスランは、在り得ないと現実を認めたくないように首を横に振った。

 

「キラがこんなところにいるはずがない。見間違えに決まっている」

 

 アスランが呟くのと、無駄にバーニアを吹かして上空に浮かび上がっていたもう一機の新型であるX105ストライクが着地したのは同時だった。

 ストライクは着地の衝撃を殺しきれずにもたつき、崩れたバランスを取り戻そうと無駄にバーニアを噴射するところを見るに、乗り込んだ地球軍の士官が専門のパイロットでないことはアカデミーでMS戦の成績をトップで卒業したアスランからは丸分かりだった。

 

「おい、あのモビルスーツこっちに来るぞ!?」

「止まるなトール! 走るんだよ!」

 

 もたつくストライクの足下の直ぐ近くをトール達が必死に駆け抜けて行く。

 着地してから十数歩もかけてアンバランスに傾く体勢を整えたストライクのコクピットでは、地球軍の士官であるマリュー・ラミアスがモニターに映るジンと奪取されたイージスを前にして戦闘態勢を整えていく。

 シートに座るマリューの背後で窮屈な姿勢を強いられているキラ・ヤマトは、たった数十分前には友人達と馬鹿話をしていた風景が壊されているのを呆然とした面持ちで見ていた。

 

「街が……」

 

 戦闘に巻き込まれた実感は得ていたものの局地的なものでしかなく、頭の奥で楽観視していた部分が目の前に広がる廃墟と黒煙に打ちのめされる。プラントと地球連合で戦争をしていようが、中立国のコロニーにいた自分に被害が及ぶことなどないと油断していた隙を突かれたかのような痛みが胸に走る。

 マリューが操作を続けるとモニターの一部が足元や離れた場所を映し出し、20メートル近い高所から俯瞰していては分からない生々しさが胸に迫る。

 

「ああっ!?」

 

 廃墟同然となった建物や、抉れたコンクリートが映し出されるモニターの一部に見覚えのある背中が幾つも映ってキラは叫びを上げた。まるでキラの叫びを聞き届けたかのように、モニターは目的のものをズームアップする。

 

「トール!? ミリアリア! サイ! カズィ!」

 

 肉体派のトールが先頭を走り、続いてトールに付き合ってアウトドアも嗜んでいるミリアリア、研究ばかりで殆ど体を動かすことのないサイとカズィが少し遅れて走っている姿が映し出される。

 思わず身を乗り出して友の名前を呼んだキラに、目の前を遮られたマリューが邪魔だと声を上げようとした時だった。ジンが手に持つ重突撃機銃を発射した。

 

「うわぁ!?」

 

 牽制のつもりなのか、直撃ではなく足元を撃たれただけだがバランスを崩したストライクが踏鞴を踏んだのと、足元の銃弾が爆発した衝撃が相乗したものがストライクのコクピットを揺らす。

 反応の鈍いストライクにジンは重機関銃を腰の後ろにマウントして、そこからMA-M3重斬刀を取り出す。

 

「あの機体は俺が捕獲する。お前はそいつを持って先に離脱しろ」

 

 モビルスーツは遺伝子操作による高い身体能力を生まれ持つコーディネイターが更なる訓練を積んで始めて可能となるモビルスーツ・オペレーション・システムによって機体を制御している。

 ナチュラルにコーディネイター用のOSが搭載されたモビルスーツは操れない。その為に機体と同時にナチュラル用のOSを開発していたとミゲルは見ているが完成していないのは目の前でどんくさ動いているのを見れば分かった。

 下手に中・遠距離武器で戦って無力化するよりは、近接武器で四肢を破壊する方が手っ取り早い。

 重斬刀を手に機体を走り出させたミゲルの言う通り、奪取したばかりの機体で突っ立っているのは危険極まりない。アスランはコクピット内に付属されているキーボードを取り出すと、OSの設定を書き換え始めた。

 完璧な設定は最初から放棄して、母艦に帰れる程度の動きは出来るように設定を書き換えていく。

 

「基本的な構成はジンと大きな違いはないか」

 

 情報処理でもトップの成績を保持したアスランならば、システムの書き換えは造作もない。同じ人型の機体だけあってOSにも似た部分が多く、ジンのを参考に制作されていることが分かった。

 

「しかし、この機体のポテンシャルは桁違いだ。地球軍はなんて機体を作り上げたんだ」

 

 設定を変更するためにシステムを見れば、機体の性能はジンを明らかに超えている。最新鋭機であるジンの後継機として設計・開発された指揮官級向けMSシグーですら遠く及ばない。

 

「OSも半分は出来上がってる。クルーゼ隊長の英断が無かったらそう遠くない内に実践投入される。こんなモビルスーツが量産されたらプラントに勝ち目はないぞ」

 

 乗り込んでいるアスランだからこそ分かる直感。今のプラントが数で圧倒的に勝る地球連合を相手に戦えているのはモビルスーツの力があってこそだ。性能でジンを上回るスペシャル機をダウングレードして量産化して全体に行き渡れば、質で勝ろうとも数で圧殺されるのは誰の目にも明らかだ。

 設定を次々と書き換えていくアスランが乗るイージスの前で、突進したジンが逃げようと小走りのような速さで歩くストライクに迫っていた。

 

「くっ」

 

 斜め前からメビウスを容易く両断する重斬刀を手に迫るジンに、マリューはストライクのバーニアを吹かして躱した。

 なんとか躱して見せたものの、機体にかかる着地の衝撃は大きい。専門のパイロットならば苦にもしない振動であるが肩に銃創を持つマリューは痛みに強く瞼を閉じた。そしてもう一人、マリューのようにシートに座って体を支えられないキラは突っ張っていた四肢が滑って横の衝撃に押されるようにシートに倒れ込んでしまう。

 

「うわぁ!」

「下がってなさい! 死にたいの!?」

「すみません!」

 

 固い金属部分ではなくマリューの豊かな胸に顔を埋めたキラは怒られて身を起こしながらも、その顔は少し紅い。

 天才との誉れが高いキラ・ヤマトも16歳の少年には変わらない。緊急事態であっても男の本能は反応してしまったのだ。命に危機に曝されているからこそ反応してしまうのは男の悲しい性か。

 元の位置に戻ろうとしたキラの目の前の全面モニターに、両手で重斬刀を握ったジンが迫っていた。

 

「うわぁぁ!」

 

 飛び上がり、バーニアの力も使って跳び上がったジンが重斬刀を空中で振りかぶる。未熟なOSを使っている今のストライクでは避けられるタイミングではない。メビウスを容易く切り裂く重斬刀に防御の甲斐もなく切り裂かれる運命しか残っていない。

 キラの優秀な頭脳が待ち受ける末路を予想して叫びを上げさせる。

 

「くっ!」

 

 恐怖の叫びを上げるキラの後ろで、マリューが一つのスイッチに手を伸ばす。

 マリューがスイッチを押して操縦桿を操作する。すると一瞬にして鈍い鋼色をしていたストライクが赤白青のトリコロールに鮮やかに色づき、振り下ろされる重斬刀を防御するように頭の上で腕を重ね合わせた。

 振り下ろされた重斬刀とストライクの腕が接触し、しかし切り裂かれることなく接触点でチェーンソーで金属を削っているような耳を塞ぎたく金切り音と大きな火花を散らせる。

 絶対の勝機に勝ちを確信していたミゲルの表情が驚愕に染まる。

 

「なにっ!?」

 

 戦艦であろうが切り裂いてきたジンの主兵装がモビルスーツの腕で受け止められたことに、開戦当初からパイロットとして最前線で戦ってきたミゲルだからこそ、ありえない現実を前に動揺した。

 

「こいつ、どうなってる!? こいつの装甲は!?」

 

 ふらつくストライクに追撃をかけるよりも、一度体勢を立て直すことにしたミゲルは思わず普段の冷静さをかなぐり捨てて喚いた。それほどに目の前の現実を信じられなかった。

 ミゲルの疑問の答えを、通信を繋いだままにしているアスランが知っていた。

 

「こいつらはフェイズシフトの装甲を持つんだ。展開されたらジンのサーベルなど通用しない」

 

 ストライクと同じ系列の技術を搭載されているイージスのシステムを書き換えているアスランだからこそ、ジンの重斬刀では歯が立たないことを理解していた。

 一定の電圧の電流を流すことで相転移する特殊な金属でできた装甲――――相転移装甲とも呼ばれるフェイズシフト装甲をストライクだけでもなく、Gの5機全てが装備している。相転移した装甲は一定のエネルギーを消費することにより、物理的な衝撃を無効化する効果がある。この金属は相転移にともない装甲面の分子配列が変わり、色も変化する性質がある。通電することにより非通電時のディアクティブモードといわれるメタリックグレーの装甲色が有彩色化する。

 システム内をチェックしてこのことに気づいたアスランも、マリューと同じようにスイッチを入れてフェイズシフト装甲を展開する。今まで鈍い鋼色をしていたイージスが、赤を中心とした色に装甲を変化させていく。

 

「フェイズシフトだとおっ!? ナチュラルどもめ、余計なものを」

 

 理論だけはミゲルも聞いたことがあった。だが、兵器にそれを応用した例はない。

 実用されればミサイルなどの実体弾を始めとしてあらゆる物理的攻撃を無効化する強度を持つようになる。実質的にミゲルが今乗っているジンの装備ではダメージを与えられないことを示している。

 

「お前は早く離脱しろ! 何時までもウロウロするな!」

 

 幾ら動きが鈍かろうが防御が完璧で他にもどのような機能があるか分からないストライクを相手に、背後でシステムの調整をしているイージスを気にしながら戦うことは死を意味する。コーディネイターならば、赤服を着ることを許された者ならば母艦に戻るぐらいの調整は完了していると予測したミゲルは、苛立ちを抑えきれずにアスランに向けて怒鳴った。

 ミゲルの言う通り、イージスはフェイズシフト装甲を展開した時点でシステムの調整を終えている。戦闘は出来なくとも十分に母艦に戻れるだけの機能は発揮できるはず。

 

「くっ」

 

 それでもアスランがこの場に留まり続けていたのは、ストライクに乗り込んでいるであろう少年が幼き頃の親友であるキラ・ヤマトではないかと疑念を抑えきれなかったからだ。

 イージスと同じくOSが完成していない状態での退却は不可能と判断したのか、ストライクは仁王立ちしたまま動かない。

 ストライクに通信を繋いで確認したい衝動に駆られながらも、コペルニクスで別れた三年前と違ってザフトに所属して軍人となったアスラン・ザラに私情で行動することは許されない。

 ミゲルの言う通り、未練を振り切るようにバーニアを全開に吹かして飛び上がる。

 

「…………キラがこんな場所にいるはずがない。いるはずがないんだ」

 

 母艦に向けてイージスを移動しながらも、アスランはありもしない希望に縋るように眼下のストライクを見つめ続けていた。

 アスランの希望も虚しく、奇妙な縁でストライクに乗り込む羽目になったキラにはイージスを見送ることすらも出来なかった。ミゲルの乗るジンが低空飛行で迫るのをコクピットに鳴り響くアラートが知らせていたからだ。

 開発に携わっていたマリューは実際に乗り込んで想像以上の動作の鈍さを思い知らされていた。満足に動かないストライクで真正面から飛んで来るジンを躱すことは出来ない。

 避けることは出来ない。全質量を乗せた重斬刀を受ければ、フェイズシフトの装甲を持っていてもコクピットを揺るがす衝撃は怪我人の自分や四肢で体を支えているキラには耐えられない。

 避けれない。受けれない。ならば、迎撃するのみ。

 

「!!」

 

 頭の中でストライクの武装を思い浮かべたマリューは右手に握る操縦桿にあるボタンを押した。 ストライクの両側頭部に2門内蔵される対空防御機関砲「75mm対空自動バルカン砲塔システム・イーゲルシュテルン」が唸りを上げる。

 接近する敵機やミサイルなどを自動的に追尾し迎撃射撃を軽やかに躱すジン。

 

(これってまだ完成してないんじゃ……)

 

 ニュースを良く見るキラでも知らない地球軍の新型機動兵器。機体自体は完成しているように見えたのに、実際に動かしてみれば目の前のジンと違って拙さが目立つ。

 プログラミングを趣味としているキラには、今のイーゲルシュテルンが自動追尾型の機関砲であることは直ぐに察しがついた。手動で動かすには攻撃力の割に操作に手間が多いので、こういう機関砲は自動型が大半を占めていると推測する。

 動きが緩慢なこと、自動追尾型の機関砲の狙いが甘すぎること、この二点からキラは乗っているモビルスーツのシステムが不完全であることに気づき出していた。

 イーゲルシュテルンを躱したジンに乗っているミゲル・アイマンも、キラと同じようにこの事実に気づいていた。彼の場合はナチュラルがモビルスーツ用のOSを完成させられるはずがないという驕りが始めだとしても、目の前でのろくさ動くストライクを見ていれば確信もする。

 

「いくら装甲が良かろうが、そんな動きでジンとやろうなんて片腹痛んだよ!」

 

 回避動作に入ろうとしたストライクの数倍速く、そして俊敏な動作で懐に潜り込みながらジンが重斬刀を横薙ぎに一閃する。

 避けることすらも出来ずに胸部装甲に一撃を受けたストライクは、フェイズシフト装甲のお蔭で膾切りにされることはなかったが弾き飛ばされて後方にあった建物に背中から叩きつけられた。

 

「「ああっ?!」」

 

 重斬刀を食らった衝撃と、建物に叩きつけられた衝撃の二つに激震するコクピットの中で必死に四肢を突っ張るキラと痛みに耐えるマリューの叫びが同期する。

 全力で四肢を突っ張ることで先程のように弾き飛ばされる愚を避けられたキラが目を開けると、横のモニターに逃げ惑う人々の姿が映っていた。人の視線を感知するシステムでも搭載されているのか、ズームされたモニターの中には走るカトウゼミの四人の背中が映っていて、息を荒げたミリアリアが足を止めて振り返った顔がはっきりと見えた。

 マリューが操作して相変わらずの鈍い動作で建物から立ち上がったストライクに、油断なく距離を詰めたジンが重斬刀を構える。

 

「フェイズシフトだろうが無敵じゃないんだ! 攻撃を受け続ければ電力が落ちるだろ!」

 

 追い込まれたストライクが逃げ場を求めるように建物を避けるように斜め後ろに下がる。そちらにはカトウゼミの四人がいる方向だった。ストライクの足下の直ぐ後ろで恐怖に固まっているカトウゼミの四人に、目の前の相手に背一杯のマリューは気付いた様子がない。

 

「分不相応なナチュラルの夢と共にここで沈め!」

 

 コーディネイターとして生まれたミゲルの自尊心に突き動かされるようにジンが重斬刀を突き出してくる。ジンが重斬刀を突き出してもストライクには致命傷にはならないだろう。しかし、振動は殺しきれず、コクピット付近を直撃させれば中のパイロットを無力化することも可能であり、人が腹部を手で押されるのと同じように避けることが出来ないストライクは倒れ込む。足元にいるトール達を巻き添えにして。

 残酷な未来を予想したキラの脳裏に、幼き頃の物心ついた時から母によって耳にタコが出来るほど聞かされてきた言葉が再生される。

 

『絶対に全力を出しては駄目よ。あなたの能力はコーディネイターの中でも異端なのだから』

 

 小さな時分には理解できずとも、大した努力もなしに何倍も頑張っている他者を引き離し、やがては孤独になった経験を経て来てからはその意味を悟った。孤独になったキラを母は案じて、環境を変える為に月にまで移住してくれた。

 月の幼年学校に通い出してからは全力を出すことを控えていた。同じコーディネイターであっても自身がずば抜けていることを自覚してしまったからだ。本気になれず、誰にも向き合えないから孤独になった。

 孤独になったキラを救ったのはアスラン・ザラで、彼もまた優秀故に孤独だった。傷を舐め合うためか、孤独を癒すためか、理由はどうあれ二人は親友になった。

 アスランとも別れて、ヘリオポリスに来たキラの今の友達は、今まさに危機に瀕しているトール達である。

 

(ごめん、母さん! 友達を守るためなんだ!)

 

 女手一つで育ててくれた母を始めて裏切ることになろうとも、何もせずに友達を失うことに耐えらなかった。

 必ずしもトール達を巻き込むとは限らないのだから何もせずに運命に任せてしまうのも一つの選択ではある。でも、友達が危機に曝されているのに出来る力を持つのに何もしない選択肢はキラの中になかった。

 突き出されるジンの重斬刀。高まった集中力の中で緩慢に迫る武器を前に、キラの体は自然に動いていた。

 操作方法は傍らで見ていたから大まかに把握している。今必要なのはトール達の危機を回避することだけでいい。身を乗り出してマリューの視界を遮りながら彼女の足下にあるコンソールに手を伸ばす。

 キラが一つのスイッチを押すと、ストライクが膝を落として沈み込む。その沈んだ肩の上を滑るように突き出された重斬刀が擦過していく。続いてキラは、状況を理解できずに固まっているマリューの左手の上からレバーを力一杯に手前に引っ張る。

 操作に反応してストライクが撓んだ膝を伸ばしながら前進してジンに肩からタックルを仕掛けた。

 

「うわ――っ!?」

 

 まさか反撃が来るとは予想していなかったミゲルは、ストライクのタックルに弾き飛ばされたジンの中で悲鳴を上げた。

 弾き飛ばされたジンは背中から地面に激突して地面のコンクリートを抉り取りながら滑る。

 

「君……!?」

 

 自分よりも見事にストライクを操作して見せたキラに、マリューが言葉にならないように驚愕を噛み殺す。しかし、当のキラは身を乗り出した体勢のまま、次々とコンソールのボタンを操作しており、聞いていない。聞こえていないのかもしれない。

 

「あなたは軍人なんでしょう!? ここにはまだ人がいるんです! こんなものに乗ってるんだったらなんとかして下さいよ!」

 

 マリューがストライクを立ち上げた時のように、OSの立ち上げ画面が浮かび上がり、キラは不自由な体勢のまま憤りを言葉に乗せて吐き出す。

 

「こんなOSでこれだけの機体を動かそうなんて滅茶苦茶だ!」

 

 部品だけを詰め込んで接続がおろそかなOSを目にしたキラは、あまりにも不恰好すぎるシステムで二十メートルの巨体を動かそうとしていることに非難の声を上げずにはいられなかった。

 

「まだ全て終わってないのよ! 仕方ないでしょ!」

 

 モルゲンレーテのミスズ・アマカワの協力の下、ナチュラル用のOSの作成が行われていたが完成度は6割弱。元より乗り込んだだけの技術将校に過ぎないマリューが文句を言われたところでどうしようもできない。

 

「どいて下さい! 早く! あなただって死にたくはないでしょ!」 

「あ、あ……」

 

 右手で体を支えながら左手だけでは操作がし辛い。そう判断したキラは、シートに座っているマリューを押し退けるように叫んだ。肩の銃創によって熱が出て来たのか頭が朦朧としてきたマリューはキラの気迫に押されて大人しく席を明け渡した。

 モニターの先でジンが瓦礫を押し退けて起き上がろうとしているのを見ながら、シートに座ったキラは付属のキーボードを取り出して動きの鈍い原因を探り出した。

 キラも今は何時までも文句を言っている時ではないと理解していたので、それ以上の非難の言葉を口にせず、ストライクのOSをコーディネイターの自分が動かせるようにセッティングを始めた。

 

(この子……!?)

 

 シートに座って人間技とは思えない速さでキーボードを連打するキラに、マリューは彼が5、6メートルの高さのあるキャットウォークから飛び降りて無傷だったことも合わせて正体に確信を深めていた。

 

「え……」

 

 淀みなく、ナチュラルのマリューからしたら驚異的とも思える速度でシステムを書き換えていたキラの手が一瞬止まった。その顔は驚愕に彩られ、科学者が非科学的な現象を目の前にしたかのように固まっている。

 固まっているキラが座るシートの前面にあるモニターで遂にジンが立ち上がった。コクピット内部でも変化に敵が気付いてくれるはずもない。バーニアを吹かして再び突撃してくる。

 

「前!」

「ちっ!」

 

 マリューの叫びに舌打ちをしながら顔を上げたキラは操縦桿を握ることなく、システムに干渉して直接頭部バルカン「イーゲルシュテルン」を発射した。

 ジンは機体を揺らして回避動作を行うも、先程と違ってストライクの顔が微妙に動いて追尾する。

 

「何っ!?」

 

 先程は難なく外せた機関砲が直撃した衝撃が機体を揺らし、ジンがバランスを崩して踏鞴を踏むように地面を走る。しかし、そこは歴戦の強者であるミゲル・アイマンであった。左右のバーニアをタイミングを僅かに吹かせることで瞬く間に体勢を整え、何事もなかったように重斬刀を振るう。

 だが、当のストライクは体を傾けて重斬刀を難なく躱すと、置き土産のように右マニピュレーターをボクシングで言うクロスカウンターのようにジンの頭部に叩き込んだ。

 攻撃を仕掛けたジンが逆再生されたビデオの映像にように吹き飛び、モルゲンレーテの社屋に背中からぶつかった。

 ストライクのコクピットで付属のキーボードを連打するキラは、追撃よりもOSの調整を選んで次々にシステムを書き換えていく。

 

「キャリブレーション取りつつ、ゼロ・モーメント・ポイント及びCPGを再設定……、チッ! なら疑似皮質の分子イオンポンプに制御モジュール直結! ニュートラルリンケージ・ネットワーク再構築……、ええい! メタ運動野パラメータ更新!フィードフォワード制御再起動、伝達関数! コリオリ偏差修正! 運動ルーチン接続! システム、オンライン! ブートストラップ起動!」

 

 時折舌打ちも交えてブツブツと無意識に呟きながらもキラの手は止まらない。ナチュラルどころかコーディネイターであるアスランらをも遥かに上回る速度で、まるで最初から知っていたかのようにシステムが書き換えられていく。

 書き換えられていくOSが齎す動きの変化についていけなかったミゲルは、操縦桿を操作してジンを社屋から立ち上がらせながら戸惑っていた。

 

「なんなんだ、あいつは。急に動くが良くなって」

 

 もはや捕獲などと言っていられる状況ではない。重斬刀を戻して、腰にマウントしていた重突撃機銃に持ち替えて撃つ。

 ジンが武器を持ち変えるのを見たキラは、撃たれる前にフットペダルを踏み込みながらレバーを操作してバーニアを全開に吹かす。ストライクが上空に飛び上がった直後、重突撃機銃の弾丸が通過、背後に着弾して爆発を起こした。

 ジンは上空のストライクに向けて撃つが軽やかに躱され、自身もバーニアを吹かして飛び上がって上空で高さを合わせながら撃つも鳥のように飛行するので当たらない。

 

「まさかナチュラルがOSを書き換えたってのか!?」

 

 戦闘中にOSを書き換えるなどミゲルにも出来ない。それしか考えられないがナチュラルを見下しているミゲルに認められることではない。憤りに身を任せて重突撃機銃を乱射する。

 狙いも碌につけていない銃弾を視界の中に収めて、機体をランダムに動かしながらシステム内の情報を読み取っていたキラは現状を打開するための武器を捜していた。

 

「武器は――」

 

 モニターに機体の全体像が映し出され、ストライクに内蔵されている武器が表示された。

 

「イーゲルシュテルンと――――後はアーマーシュナイダー? これだけかっ!」

 

 たった二つしか武装がなく、その内の一つであるイーゲルシュテルンがジンには効かないことは既に証明されている。残った武器であるアーマーシュナイダーに命運を託さなければならないことにキラは叫び出したくなりながら、イーゲルシュテルンと同様にキーボードを操作して、腰部両脇ホルダーに内蔵されている超硬度金属製の戦闘ナイフを取り出してストライクに持たせる。

 先に地面に降りて着地間際を狙っていたジンの重突撃機銃の弾丸を、着地後にその場に留まらずに走り抜けて躱す。

 

「くそっ! チョロチョロと!」

「ここから出て行け――っ!」

 

 ジンをも上回る敏捷性で銃弾を躱したストライクがバーニアを吹かして鋭いステップで踏み込んで間合いに入り込む。ジンも重突撃機銃を撃つがストライクは身を沈めて躱して、銃を持つ右手の付け根にアーマーシュナイダーを叩き込んだ。

 続いてストライクは右手に持つアーマーシュナイダーで首元に突き刺して無力化を計ろうとした。友達を守ろうと戦う決意をしても、キラに意図的には人は殺せない。パイロットがおらず、機体の機能を停止させる部位を狙ったのだ。

 キラの目論見通り、ジンの灯りの落ちたコクピットでミゲルは各場所にあるボタンを押して再起動をかけようとした。

 

「ハイドロ応答無し。多元駆動システム停止。ええーい、この俺が自爆装置を使わざるをえんとは!」

 

 どのスイッチを押してもウンともスンとも言わないのは電気系統が完全にショートしていることを示していた。機体が完全に無力化されたことを認めざるをえなかったミゲルはシートベルトを外してシート横に設置されているレバーを力任せに引っ張っる。

 レバーが引かれると赤色灯が点灯されていたモニターに、時間が表示されて時と共に減っていく。カウントダウンと記された画面が示すのはただ一つ、機体の爆破だ。ミゲルが引いたレバーは機体を自爆するための起動装置だったのだ。

 コクピットハッチに取りついて緊急脱出装置を作動させ、ハッチを固定していた金具が爆破で外される。前にずれて落ちたハッチから身を乗り出しながらコクピット内にある小型バーニアを背中に設置して飛び出す。

 機体の自爆に巻き込まれないように離れながら、ミゲルは誇りを穢したトリコロールの機体に向けて叫ぶ。

 

「この屈辱は絶対に忘れんぞ! 貴様はこの黄昏の魔弾ミゲル・アイマンが必ず討ち取ってくれる!」

 

 ジンのコクピットからパイロットが飛んで行くのを、ストライクのコクピットで見ていたマリューは異変に気付いた。

 パイロットが機体を捨てるなんてことは普通在り得ない。それはザフトであろうとも同じはず。なのに、機体を捨てて逃げるということは考えられることは一つ。

 

「マズいわっ!」

「え?」

 

 事態の異常をシートに座るキラに伝えても本人は理解できずにマリューの方を見るだけ。どれだけプログラミングや機体の操作に優れていようとキラが16歳の少年であることには変わらなかった。

 軍人でないキラに目の前の事態の異常を察知しろという方が無理があると分かっていても、マリューは察しの悪い少年に苛立ちを覚えずにはいられなかった。

 

「自爆する気よ! ジンから離れて!」

 

 マリューの言葉に反応してキラが機体を動かそうとするも既に遅い。ジンはその機体をストライクの目の前で爆散させた。

 両腕に握ったアーマーシュナイダーをジンに突き刺していたストライクは目の前の爆発を避けることも出来ず、爆発と爆風に吹き飛ばされる。

 

「うわぁぁぁぁぁぁ!」

 

 ストライクの中にいた二人にも機体を揺るがす衝撃が容赦なく襲い掛かり、操縦桿を握ってシートに座って足を固定できるキラと違って四肢を突っ張って体を支えるしかないマリューが耐えられるものではない。

 右肩に銃創を負っていることもあって、呆気なく自身の体を支えていた手が外れてしまった。

 

「きゃあああああああああ!?」

 

 台風の中を単身飛び込んで前後左右に振り回さているような激震の中で支えを失ったら、尖った物も多いコクピット内でどこを怪我するか分かったものではない。頭を強打すれば死ぬことも十分にあり得る。

 支えを失って悲鳴を上げながら倒れ込むマリューを、キラが操縦桿から手を離して彼女を受け止めた。

 操縦桿を離せば機体の制御を失うことになるが、目の前で誰かが傷つくのを黙ってみていられるキラではない。フットペダルを踏み込んで姿勢を制御しようと努力しながら精一杯の努力をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モルゲンレーテの敷地内にある一室。地上部分はザフトのMSジンによって壊滅的な被害を負っているが、その一室は小さな地震のような振動はあるものの致命的なレベルには程遠かった。それもそのはず、その一室はモルゲンレーテの地下深くに建設された地下施設の中にあった。

 蜜月関係にあった地球連合軍にも悟られていない施設がある理由はただ一つ、オーブの国営企業であるモルゲンレーテが表沙汰に出来ない研究や開発を行うためにヘリオポリス建設時に設計図には記されないまま極秘裏に建設されたエリアだからだ。

 壊滅的な被害を受けている地上とは違って被害が少ないのは、極秘裏になるだけあって頑丈さと秘匿性を重視して造られた為である。

 微細に振動する一室で椅子に座って、呑気にも見える風にコーヒーを呑んでいたミスズ・アマカワの視線は目前のモニターに釘付けになっていた。

 

「流石はG、ジンを一蹴するとは大したスペックだわ」

 

 モニターに映っているのは地上部分で戦闘をしていたジンとストライクの映像だった。

 自分が開発に携わった機体の予想を超える性能にミスズは満足そうに頷き、すっかり冷めたコーヒーを口に含んで不味そうに眉を顰めた。ようやく自分が映像に熱中し過ぎてコーヒーが冷めていることに気づいた。

 

「やっぱりコーヒーは冷めたら駄目ね。ホットでないと美味しくないわ」

 

 アイスコーヒーというものもあるがミスズは熱いコーヒーが好みで、冷たいコーヒーは邪道とすら考えている。中途半端に冷めて不味いだけのコーヒーを呑み趣味はなく、揺れで零れないようにモニターが乗っている机の奥に置く。

 

「しかし、誰かしらパイロットは。戦闘中にOSを書き換えるなんて芸当はコーディネイターでも中々出来ないはずだけど」

 

 最初はもたついていた動きが途中から別物のように鋭い、これこそが本当の性能だと言わんばかりの機動を見せたストライクの状況をミスズは正確に把握していた。

 誰が乗っているのかとOSを書き換えたキラをも上回る速さでキーボードを叩き、生き残っているカメラを遠隔操作してモニターに映像を表示する。

 幾つかの映像の後に、荒い画面の向こうでジンの自爆に巻き込まれたもののフェイズシフト装甲のお蔭で目立った損傷も負わずに建物に埋もれて擱座しているストライクを中心にして、、擱座したまま動かないストライクにおっかなびっくりとした感じで近づく複数の人影が映像の端っこに映った。荒い映像では判別しにくいが少年少女に見えた。

 

「あら、逃げ遅れた職員がいるようね。いえ、学生かしら?」

 

 実用性皆無の鼻の上に乗っている小さすぎる丸眼鏡を押し上げ、ミスズの目には動かないストライクを怖々と見上げている者達が学生にしか見えなかった。

 モルゲンレーテの職員と分かる作業服や制服を着ておらず、スーツでもない私服なので研究に協力している学生と考えたのだ。

 

「工業カレッジの学生かしら。運のない子達ね、よりにもよってこの日にモルゲンレーテに来るなんて」

 

 モルゲンレーテでは工業カレッジの優秀な学生に仕事を手伝わせることがある。教授がモルゲンレーテに協力している場合、学生が施設内にいることは特に珍しいことでもない。

 

「ハッチが開いた。さて、誰が出て来るか」

 

 画像が荒いので見難いが、ハッチが開いたのが見えてミスズはワクワクした様子で画面に近づく。

 外を警戒しているのかパイロットは直ぐに出て来ず、機体の中の人間が生きていることを察知した学生達が擱座しているストライクの股の間に興味本位でだろう近づいてく。しかし、不用意に近づいた学生達に与えられたのは凶弾だった。地面に当たった銃弾に少年少女は悲鳴を上げて固まっている。

 

「マリューじゃないの。あちゃぁ、拳銃まで持ち出して民間人を脅してどうするの」

 

 コクピットから出てきたのはミスズの飲み仲間であるマリュー・ラミアス大尉その人であった。彼女はコクピットから拳銃を片手に出てくると、近づく学生達を牽制しながらコクピット内を振り返って何かを叫んでいる。

 知己の余裕のなさに頭を押さえながらも彼女だけが乗り込んでいるはずがないとミスズは確信している。

 

「あなたにモビルスーツのOSの書き換えなんて出来ないはず。さぁ、いるんでしょ、隠し玉が」

 

 足を組んでチャシャ猫のような鋭い笑みを浮かべたミスズの言葉通りに、コクピットから両手を上げた茶髪の少年が出て来る。

 

「へぇ、若いじゃないの。服装とマリューの様子から見て民間人…………彼がOSを書き換えて操作したとなるとコーディネイターでしょうね。ふふ、コーディネイターで構成されたプラントと戦う地球連合軍の最新鋭機にコーディネイターが乗るなんて皮肉が効いてるじゃない」

 

 おかしくて堪らないと笑うミスズに視線の先の映像では何がしかのやり取りの後、ストライクの股の下にいた少年二人がその場から離れていく。コクピットから出て来た少年は戻り、ストライクからマリューが苦心しながら下りた先で残った少年少女に銃を突きつけながら脅しながら離れる。

 三人が十分に離れたのを確認してからストライクが起き上がり、画面から離れていく。恐らくマリュー達も付いて行っているだろう。

 

「友軍を捜しに行ったってところかしら。それともストライクの装備を捜しに行ったのか」

 

 完全に映像から姿を見えなくなるのを確認してモニターを切ったミスズの背後から声がかかる。

 

「博士、サボらないで下さい」

 

 ミスズが振り返ると、相変わらずの人形と思うような無表情をしているユイが特注のオーブ軍のパイロットスーツを着て、片手にヘルメットを持って幽霊のように立っていた。

 

「サボってないわよ。これは外の状況を確認してるのよ」

 

 モビルスーツ用のパイロットスーツがなかった頃にミスズの趣味で作らせた特注の赤と白を混在させたパイロットスーツである。少し前に量産型のパイロットスーツとして採用されたと聞いて赤と白の部分を反転させたのはミスズの独断であった。

 

「似合ってるじゃないの。流石は私」

 

 回転する椅子で体全体で振り返ったミスズの言葉に対して返ってきたのは、続くユイの無言の抗議であった。自画自賛をするミスズにユイは冷たい視線を送り続ける。

 

「コホン…………で、脱出出来そう?」

 

 野次馬根性が混じっていたことは否定しきれないので咳払いで誤魔化しつつ尋ねる。

 

「友軍はほぼ壊滅、港も攻撃を受けて船は出せないそうです。出れたとしてもモビルスーツが精々と」

「攻撃を受けた時点で覚悟してたけど遅かったか。船が出せないのは痛いわね」

 

 地球連合軍に対して寡兵から少数精鋭が常のザフトにおいて、敵になりうる勢力が出てくる可能性の高い港をそのままにしておくはずがない。ケナフ・ルキーニから情報を受け取って直ぐに行動を開始したが、周りに知らせられないことが多い身では制約に縛られて後手後手に回ったことは否めない。

 唸ったミスズは仕方ないとあっさりと諦めて別のことを考えることにした。 

 

「プロトシリーズは?」

「P01からP03は隔離ブロックに移し、P05に爆薬を仕掛け終わりました。この施設の廃棄と同時に爆破する予定です。最終調整の終わったP04は何時でも行けます」

「上々、出来る部下を持つと楽できるから助かるわ」

 

 予定時間内に終わらせたユイや部下達の働きに満足してミスズが椅子から立ち上がった。

 女性としては長身の部類に入るミスズが立つと、背の低いユイは彼女の顔を見るには見上げなければならず、そのことに対して気に入らないのか不機嫌を示すように眉が一ミリ程度顰められた。そんな義娘の感情の発露を正しく読み取ったミスズは嬉しそうに笑う。

 

「ザフトに見つからないとは思うけど、最後のGが手強いと知った彼らはまた攻めて来る。これからどうしましょうか?」

「それを決めるのは私ではありません。ここの責任者は博士です」

「何もあなたに決めろと言ってはいないわ。意見を聞きたいのよ」

 

 試すように問いかけて来るミスズにユイは躊躇うように言い淀んだ。鉄面皮と言ってもいい表情は変わらずとも判断に困っているのは確かだった。

 

「逃げることは出来ず、友軍もほぼない。地球連合軍の新型は4機が奪われ、残った一機を目指してザフトが攻めて来る。私達はこれからどう行動すればいいと思う?」

 

 困っている義娘を見るのが楽しくて仕方ないと誰でも分かる嗜虐的な笑みを浮かべるミスズに、ユイは反論することなく与えられた情報を下にどう行動するべきかを精査していく。

 奪ったモビルスーツを直ぐに戦力として投入しなくても、一機撃墜されても最低でもザフトはまだ二機以上のモビルスーツを擁しているはず。反対にこちらはP04しかなく、OSも完成していない。戦力差が圧倒的なので降参・降伏するのが最適な行動であるとユイは答えを弾きだす。

 

(しかし、新型を狙って来たザフトがP04を見逃すはずがありません。そして博士も……)

 

 オーブの主戦力となりうる機体のテストヘッドであるP04は地球連合軍の機体と同じく没収され、プラントと因縁のあるミスズも捕らえられるだろう。そんな未来はオーブとしてもユイとしても望むものではない。

 では、戦うかと聞かれても否と答える。

 

(単独で戦っても勝ち目はありません)

 

 訓練を受けてはいても実戦を経験していないユイだけで戦っても勝機は無い。仮に勝てたとしても戦闘の結果としてヘリオポリスに重大なダメージを与えて破壊などさせてしまっては意味がない。ならば、残っている手は一つだけ。

 

「残っている地球軍の新型に協力してザフトを追い払う。それしかありません」

「でも、勝てるかしら?」

 

 その結論に至った義娘を嬉しそうに見つめるミスズ。また試すように問いかける。

 話し出した時には既に結論の出ている答えに迷いなどない。ユイは無感情に口を開く。

 

「必ずしも勝つ必要はありません。ザフトを撤退に追い込み、時間を稼ぐだけ。ヘリオポリスさえ破壊されなければ博士には助かる当てがあるはずです」

「ないと言ったら?」

「死ぬだけです。何も問題はありません」

 

 ユイとミスズの視線が交錯する。先に逸らしたのはミスズの方だった。

 

「80点ってところでしょうね。助かる当てがあるってところの読みは外れていないけど最後のはいただけないわ」

「痛いです」

「失点分の罰よ。甘んじて受け入れなさい」

 

 身長の差を活かして上から髪の毛を乱暴に掻き混ぜられてユイが文句を言うがミスズは取り合わない。

 自分で崩したユイの髪の毛を直してから白衣を翻して颯爽と歩き出す。ミスズの行く先に、奪われたGや残ったストライクに似た意匠を持つ一つの機体が鎮座していた。

 作業員達が辺りで慌ただしく動いている中で機体を見上げたミスズは、ふと思いついたように後を追って来たユイを振り返った。

 

「何時までもP04じゃ面倒だし、何か良い名前はない?」

 

 オーブ側が極秘開発したモビルスーツ。今まではシリーズ毎に呼んでいたが表舞台に上がるなら正式名称をつけるべきだとミスズは考えたのだ。

 

「何故、私に」

「あなたが乗る機体じゃない。自分の機体だから名前を付けさせてあげようっていう親心よ」

 

 問われたユイは文句を言おうとして、言ったとしても義母は何時ものように屁理屈を捏ねるだけだろうと止めた。

 ユイは改めて自分が乗る機体を見上げた。緑色のフレームをしている機体にこれから乗り込むのだ。

 ストライクに似ていた。ザフトのジンと違ってツインアイをしていて、頭部にあるV字型のブレードをしているなど差異はあるものの、基本的なデザインは酷似している。いや、ストライクがP04に似ているのだ。元々はオーブ本国にいる技術者のデザインを下にGは設計された、とユイは以前にミスズから聞いたことを思い出した。

 オーブと地球連合軍の力の差を考えれば主流になるのがどちらかは自明の理。陽の目を見ても正道にはなれない機体。相応しい名は他に思いつかなかった。

 

「アストレイ……」

 

 地球連合軍の技術を吸収したP04は純粋なオーブ製とも言えない。乗り込むユイからして純粋なナチュラルではないのだから、「邪道・王道を外れたもの」を意味する「アストレイ」以上にこの機体に相応しい名前を思いつかなかった。

 だが、引き取ってくれたことに恩を感じているミスズに自分を卑下するなと散々言われているので別の名前にすることにした。

 

「グリーンフレームはどうでしょうか」

 

 5機のプロトシリーズは特徴づける為にフレームの色が全て違う。グリーンフレームは、P04のフレームが緑色をしているからという安直な理由であった。

 

「へぇ、ユイが考えたにしては良い名前じゃない。よし、この機体はアストレイ・グリーンフレームに決定ね」

 

 ユイとしてはアストレイかグリーンフレームのどちらかのつもりだったのだが、ミスズは両方を並べた名前に決めてしまった。

 義娘の思考をどこまでも理解しているのかは満足そうに頷くミスズからは垣間見れない。元より養母の思考が読めた試しのないユイは無駄なことをすることなく、自分の乗機となる「アストレイ・グリーンフレーム」を見上げた。自分で名付けたからか、どこか名付ける前とは違って見えた。

 

「行きましょうか、ユイ。ナチュラルの希望の星に乗るコーディネイターっていう矛盾した機体に力一杯恩を売りつけに」

 

 元より自身を道具と位置付けているユイにミスズの言葉を否と言えるはずもない。

 新しい名前を名付けられたP04改め、アストレイ・グリーンフレームは主が乗り込むのを待ちかねているように、暗闇の中でツインアイを光らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘリオポリス内のドックの中は酷いものだった。特に港に近い軍港がある辺りは念入りに攻撃を受けて、生きている者がいるとは思えないほどの惨状を広げている。

 無重力空間に設定されている通路には死体や様々な物体が浮かんでいた。その中にあって奇跡的に傷一つない軍服を着た女性が意識を失ったまま天井に当たった。続いて目を剥いて事切れている男の体が女性――――ナタル・バジルール少尉にぶつかった。

 

「うぅっうっ……」

 

 天井と男の体に挟まれた衝撃に、ナタルは苦しそうに声を漏らす。天井に当たった反動で下に向かって落ちながら、やがて意識を取り戻したのか薄らと目を開いた。

 真っ先に気づいて目の前の男の体に取り付いたがどう見ても生きているとは思えない。

 ザフト侵攻の知らせの後、艦長の命令を受けて司令ブースを飛び出したところで記憶は途切れている。爆発が起こってどこかへ叩きつけられ、意識を失ったのだ。

 

「はっ!………船!アークエンジェルは!?」

 

 ナタルは自身が乗り込むはずだった戦艦の存在を思い出して、二度と動かない男の体に小さく頭を下げてその場を離れていった。

 通路は無重力空間なので破壊の痕跡が辺りに所構わず浮かんでいる。凶器がないとも限らず、慎重に進むも生きている者の姿はない。

 ドックに面した司令ブースに辿り着き、最前の光景を思い出しながら室内に入った。 

 

「誰か! 誰か居ないのか!」

 

 司令ブースはもぬけの殻だった。正面のガラスがあった場所には何もなく室内の柱などが焼け焦げていることから、恐らくはドック内で起こった爆発が司令ブースを蹂躙したと考えられる。

 密室内に爆風が来たとすれば生存者は絶望的。目の前を漂っている士官用の帽子が焼け焦げて真っ黒になっているのを見てナタルは目に涙を浮かべた。

 冷血・気丈な女として知られているナタル・バジルールであっても、このような状況に動揺するなとは無理もない話だった。

 

「……はぁ…くそっ! 生き残った者は!」

 

 悲しんでいる暇はない。生存者がいるのならば捜さねばならない。だが、目に映るのは二度と動かなくなって宇宙服のまま漂う人の形をしたものや、破片が所構わずに漂っている。

 ナタルの声に応える者はいないかと思われた。

 足音とは違う、何かをこじ開けようとする音がナタルの耳に入って来た。

 亡くなった誰かが幽霊になって化けて出て来たのかと、オカルト的なことが苦手で怯えていたナタルが入って来た方向とは違う別方向のドアが蹴り開けられて地球連合軍の制服を着た男が手に持つライトを向けてくる。

 男はライトを向けられて光に顔を顰めたナタルに気づいて、向ける先を少しずらして近づいて来る。

 

「バジルール少尉! よくぞご無事で!」

「その声は、ノイマン曹長か?」

 

 聞き覚えのある声にナタルの声に生気が戻る。

 同じように新造戦艦に乗り込むことが決定しているアーノルド・ノイマン曹長の存在は、弱い一人の人間でしかなかったナタルの背に一本の背筋を入れてくれた。

 近寄ってきたノイマンの体に傷は見受けられない。彼もまたナタル同様に奇跡的に難を逃れた人間のようだ。

 

「ええ。お怪我は?」

「大丈夫だ。だが……」

 

 司令ブースの惨状に目を落としながらも問いかけたノイマンに、上官が悉く死んだことを自覚せざるをえないナタルもまた沈鬱な表情を浮かべた。

 この司令ブースにはアークエンジェルの艦長や指揮官クラスが集っていた。この惨状では士官の殆どが亡くなったと考えられる。

 

「空気が漏れていないと限りません。アークエンジェルへ行きましょう」

「ああ……」

 

 ノイマンが先に立って進むの後を、上官でありながら今のナタルには付いて行くことしか出来なかった。その捨てられた子犬が一時だけ構ってくれた人間に必死に追いすがるかのような様子に、こんな事態でもないのにノイマンの胸にほっこりとした感情が過る。

 

「状況は? ザフト艦はどうなっている?」

 

 道中を阻む破片や死体を仕方なくどけて進むノイマンの後を付いて行っていたナタルが気になったのが侵攻したザフトの動向だった。

 地球連合軍の制服や作業服を着た男数人が別通路から現れてアークエンジェルに向かっているのを見ながら問いかける。

 

「分かりません。私達もまだ周辺の確認をするのが手一杯で。司令ブースの惨状を見るに艦長他、殆どが亡くなったかと。ドックも被害を受けて無事なのは艦内にいた数名のみです。恐らく生き残りの中でバジルール少尉が最上位になるかと思われます」

 

 乗り込むアークエンジェルの地図は頭の中に入っている。二人でまだ機関が停止されていて無重力空間の通路を進みながらブリッジを目指す。

 

「わ、私が最上位だと!?」

 

 艦長らも見つからず、最上位が少尉である自分だと言われれば動揺せずにはいられない。機密であるアークエンジェルと生き残った者達を背負うには階級も年齢もナタルには足りていなかった。軍人家系に生まれようとも覚悟が決まっていないナタルの気分はどこまでも重くなる。

 ブリッジに辿り着いたナタルは新造戦艦――――アークエンジェルのシステムを立ち上げて艦の状況を確かめようとした。

 

「流石はアークエンジェル。これしきのことで沈みはしないか」

 

 損傷はあちこちにあるものの運航に支障が出るようなダメージは負っていない。唯一の好情報にナタルはほっと胸を撫で下ろした。

 

「港口側は瓦礫が密集してしまっています。完全に閉じ込められました」

「ああ……まだ通信妨害されている」

 

 どこでもいいから連絡を繋ごうとしたナタルは、ノイマンの話を聞いて状況の不可思議に気づいた。

 アークエンジェルを目的とするならばもっと徹底的な破壊があってもいいはず。なのに、ナタルが目覚めてから一度も襲撃された様子がない。陽動というには規模が大きすぎる。

 戦闘能力だけを奪って放置しているような印象を受けた。

 

「ザフトの狙いはモルゲンレーテということか。くそっ! あちらの状況は!? Gはどうなったのだ! これでは何も分からん!」

 

 気づいたところで閉じ込められてしまったナタル達に出来ることはない。小娘のように喚くことしかナタルに出来ることはなかった。

 殆ど同い年で女だてらに自分より階級が上のナタルに出会った時から隔意を抱いていたノイマンは、始めて見せる女の弱さに意外な面持ちと惹かれるものを感じ取った。

 ノイマンの胸に走った甘酸っぱい感情に名前がつけられる前に、繋いでいる通信回線から声が聞こえて来た。

 

『こちら…………105……………ストライク……地球軍応答……』

「「!」」

 

 ナタル達は思わず顔を見合わせた。一度は潰えたはずの希望を見つけたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザフトの初代制式主力機にして世界初の汎用量産型MSジンに、地球連合宇宙軍の主力として活躍した量産型MAメビウスではよほど優れた乗り手でない限りは相手にもならない。

 宇宙での戦闘においてメビウスがジンに対抗するには徒党を組んで数で圧殺するか、戦術によるものが大半である。真っ向勝負で戦えるのはエンデュミオンの鷹のようなエースに限られる。

 ヘリオポリス外周の戦闘においても、たった一機のジンを相手に翻弄されていた。

 コロニー内部でストライクがジンを仕留めた直後、外周での戦いにも決着が近づいていた。輸送艦に偽装していた戦艦がジンに攻撃を受けていた。艦載機のメビウスが全て落とされ、残るはエンデュミオンの鷹の乗るメビウス・ゼロのみ。

 

「操舵不能ぉ!!」

 

 ジンの攻撃によって艦の操舵が利かなくなったパイロットが恐慌を来たして叫ぶ。

 直進することしか出来なくなった艦の前方にはコロニーの外壁が迫っていた。操舵の利かなくなった状態では目の前に迫って来るコロニーは避けられない。乗っている艦長は待ち受ける死の運命を避けられないことを悟った。

 

「フラガ大尉、後は頼んだぞ!」

 

 艦長はGの護衛任務で同行していた英雄というにはフランクする男に全てを託しながらヘリオポリスの外壁にぶつかって艦の爆散と共にその命を終えた。

 

「艦長?!」

 

 自分を英雄視することなく一部下として扱ってくれた心地良い上官の呆気ない最後に、ムウ・ラ・フラガはメビウス・ゼロを操ってジンの後を追いながら見届けた。

 

「チィ! 部下だけでなく母艦までも…………貴様だけは墜とすっ!」

 

 二人の部下を落とされて失意に沈みながらも仲間の仇を討たんと覇気を吐き、こちらに正面を向けて背面で移動しながら重突撃機銃を撃ってくるジンを墜とす決意を固める。

 メビウス・ゼロ特有の兵装であるガンバレルと呼ばれる4基の有線誘導式無人機を切り離し、身軽になった機体でジンを上回る速さで旋回する。

 ジンが本体に集中している間に横に回り込まさせたガンバレルが内蔵された2門の機関砲を撃ち放ち、見事に重突撃機銃を捉える。ジンは銃身の途中から破壊された重突撃機銃を捨てて、腰にマウントしていた重斬刀を取り出した。

 

「そんな接近戦用武器で俺をやれると思うな!」

 

 遠距離攻撃兵装を失ったジンなど接近されなけば恐れるに足らない。ガンバレルを近くに並べて本体が装備する対装甲リニアガンを放って集中砲火を浴びせる。

 一発が前進しようとしたジンの重斬刀を持っていた左腕に命中して吹き飛ばす。次弾は攻撃オプションが無くなって全力で回避動作に入ったジンを捉えることが出来ずに外れた。

 

「当たれっ!」

 

 ムウの執念勝ちか、更に二発三発とジンに直撃弾を与えた。

 腰部に被弾し、左手と頭部を失って動かなくなったジンに溜飲が下がったムウは、仇は取ったと逝った仲間に胸の裡で報告した。

 ヘリオポリ内の状況が気になった。内に入り込んだジンがいるがヘリオポリスには常住した軍はなく、秘密裏に入っている地球連合軍の装備ではジンを相手にすることは無理だろう。

 

「誰か無事でいてくれよ。俺を生き残りにさせないでくれ」

 

 ジンの中に乗っているパイロットが生きているかどうかは分からないが戦闘能力を失っているならいいと判断したムウは、せめて生き残っている仲間を助けようと機体をヘリオポリスに向けた走らせた。

 

「オロール機大破。救難信号が発信されています!」

 

 ヴェサリウスの艦内に信じられないという感情が籠ったオペレーターの声が反響する。

 

「オロールが大破だとっ? こんな戦闘で奴ほどのパイロットがか?」

「はっ、機体に損傷を受けて動けないと」

 

 オペレーターの報告に、艦長席に座るアデスは顎を引いて動揺を抑えようとしたが見る者が見れば明らかな狼狽が目の中にあった。

 アデスは艦長席の手元のコンソールを操作してヴェサリウスとガモフの艦載機の数を調べた。

 奪取したG4機と戻って来たばかりのマシューのジン、隊長であるクルーゼのシグーは動かせない。

 ナチュラル用のOSを搭載していて再設定が必要なG4機を出撃できるはずもない。隊長のクルーゼが艦を離れるのは差し障りが大きい。

 予備機が一機あるが、あれはクルーゼ隊に配属にされたばかりの赤の服を着る者達の訓練用に積み込んだ機体だ。奪ったばかりの機体の調整をしている赤の者達を出撃させられるはずがない。

 アデスは頭の中で秤にかけて決めた。

 

「戻ってきたところで悪いがマシューにオロール機を回収に向かわせろ。オロール機の損傷具合は分からんが自力での帰投が出来んのだ、消火班をデッキへ付けておけ」

 

 クルーに矢継ぎ早に指示を出してその通りに動くを見ながらも、アデスは信じられない面持ちで宙域を見つめた。

 オロールはザフトのトップエースであるクルーゼの隊に配属されるだけの実力を兼ね備えた一流のパイロットである。黄昏の魔弾と名付けられたミゲルのような異名は持たぬものの、このような小規模の戦闘で機体を損傷するほど軟な腕はしていない。

 アデスの動揺を近くの席に座って感じながらも、隊長のクルーゼはオロールの心配よりも自身を惹きつける感触を覚えていた。

 

「どうやら些か五月蠅い蠅が飛んでいるようだぞ」

「は?」

 

 抽象的すぎるクルーゼの発言に振り返ったアデスは理解できないと首を振った。元より他人に理解される感覚でもないのでクルーゼは気にしなかった。

 直ぐに気にしていられる状況でもなくなった。

 

「ミゲル・アイマンよりレーザービーコンを受信。エマージェンシーです!」

「あのミゲルが機体を失うほどに動いているとなれば…………最後の一機、そのままにはしておけん。私もシグーで出る」

 

 ビービーと耳障りな信号の直後、オペレーターが今度こそ金切り声で叫ぶのを迷惑そうにしながら、C.E.70年2月22日の世界樹攻防戦でモビルアーマー37機・戦艦6隻を撃破してビュラ勲章を授与されたトップガンが椅子から立ち上がった。

 

「いるのだろ、ムウ・ラ・フラガ。いい加減に宿縁にも決着をつけようではないか」

 

 ラウ・ル・クルーゼは不敵に笑いながらモビルスーツのあるデッキに向かってブリッジを出て行った。

 止める間もなくブリッジから出て行った隊長に振り回されてばかりのアデスが溜息を吐いた。相変わらず何かあったら前線に出たがる面倒な癖を持つクルーゼのケツを持たされるアデスにブリッジ内の同情の視線が集中する。

 ブリッジ内の視線が自分に集まっていることに気づいたアデスは被っている帽子を深く被って紅潮した顔を隠し、自分の仕事を果たそうと前を見た。

 ヘリオポリスに向かっていたムウは胸の奥を誰かに障られるような奇妙な感覚に機体を止めた。

 

「何だ、この感覚は?」

 

 違和感を確かめる為にモニターを操作して周辺宙域を探っていたムウの目に異変が飛びこんでくる。

 機体のセンサーが反応して、味方の識別信号を発していない機体の接近警報を伝えて来る。

 

「このザラリとした感覚、覚えがある…………まさかラウ・ル・クルーゼか!?」

 

 センサー外から近づいてきた敵機は、ムウが先程戦って撃墜したジンとはまるで速度が違う。ジンの三倍はあろうかという速度で一機のモビルスーツが急速に近づいてきている。

 ジンではない。そもそも機種からして違っていた。ジンをスマートにしたような機体は、恐らくは後継機。

 

「私がお前を感じるように、お前も私を感じるのか? 奇妙な宿縁だな、ムウ・ラ・フラガ!」

 

 グリマルディ戦線で交戦してから長きに渡る因縁の存在となった相手を感じえる奇妙な感覚。無謀にもノーマルスーツを着ずにシグーに搭乗しているクルーゼは、ムウが自分を感じ取ったことを感じ取り、遺伝子に込められた神秘に笑わずにはいられなかった。

 

「お前はいつでも邪魔をする。尤もお前にも私が御同様かな」

 

 ジンが持つMMI-M8A3の改良型のMMI-M7S76mm重突撃機銃をメビウス・ゼロに向かって撃ち放ちながらクルーゼは笑い続ける。

 

「新型かよ!? こっちはまだ旧式のメビウス・ゼロだってのに!!」

 

 以前に戦った時はジンで互角だったのに、性能が上の機体に乗られては旧式の機体に乗り続けているムウに不利だった。

 ガンバレルを切り離してシグーを狙うものの、ジンを仕留めた弾丸はシグーに掠りともしない。逆にシグーが放つ重突撃機銃によって一機のガンバレルが撃墜された。

 

「ここで決着をつけるのも一興だが、今回は貴様の相手をしている暇はない!」

「ええーい!ヘリオポリスの中にっ!」

 

 撃墜されたガンバレルの有線を切り離したムウが距離を開けた隙にクルーゼのシグーが身を翻してヘリオポリスに入って行った。残ったガンバレルを本体に接続してメビウスも後を追ってヘリオポリス内に侵入する。

 シャフト内を走るムウは体に走る嫌な感覚が消えないことに苛立っていた。

 

「くっ! こんな所で攻撃してくるなんて……! 下手に撃てばシャフトに当たる」

 

 そこへ待ち受けていたシグーが銃撃を仕掛けて来た。必死に躱すが、疑似重力が働いているシャフトに入ったことで宇宙空間でしか使えないガンバレルを封じられたムウが圧倒的に不利だった。

 

「まだ来るか……そんなモビルアーマー如きでよくもやる」

 

 すれ違いざまに重突撃機銃を撃ち、命中したガンバレルを切り離したムウに呆れともつかない口調で嘲る。宇宙空間ならばまだしも、重力空間ではガンバレルは砲台と重しにしかならないことを何度も戦ってきたクルーゼはよく分かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アークエンジェルでナタル達が察知した通信を発していたキラが乗るストライクの姿は、壊滅状態になったモルゲンレーテの敷地内にある公園にあった。

 

「こちらX105ストライク。地球軍、応答願います。地球軍応答願います」

 

 あまりやる気が感じられるとは言えない声に反応する通信がなかったことに逆に安堵したキラはコクピットの中で一人溜息を漏らした。それでも地球軍の軍人であるマリュー・ラミアスに脅されている身としては続けないわけにはいかない。

 

「こちらX105ストライク。地球軍……」

 

 キラがやる気のない通信を続けていると車のエンジン音が聞こえて来て、通話を止めてコクピットから顔を出した。

 目的の物が来たのだと分かったキラは、コクピットから出てラダーを使って下に降りる。そしてストライクの近くにある休憩所に向かって歩いた。

 

「№5のトレーラー。あれでいいですよね?」

「ええ、そう。ありがとう」

 

 明らかに不機嫌と分かるサイがぶっきらぼうな口調で、ミリアリアに肩の銃創の治療を受けているマリューに問うた。反対にマリューは民間人を銃で脅して従わせていることに罪悪感を感じているのか、返した言葉は柔らかく申し訳なさそうだった。

 だからといって、サイが不機嫌を収めるでもない。この状況に陥っている全てとはいかなくても、責任の7割ぐらいは彼女と彼女が所属する地球連合にあるのだから。

 

「それでこの後は僕達はどうすればいいです?」

「ストライカーバックを……そしたらキラ君。もう一回通信をしてみて」

 

 話を向けられたキラは直ぐには返事をせず、まだ爆発や火災が続く危ないモルゲンレーテの工場からマリュー曰く「ストライカーバック」と呼ばれる物を運び出してきたトラックから降りるトールとカズィの無事な姿を見て肩を撫で下ろした。

 軍の重要機密を見たとして強制的に協力させられているキラ達に拒否権は与えられていない。中立国の人間だなんだと理由を付けても、現実と拳銃を突きつけられれば従わざるをえないのが現状だ。

 特にOSを書き換えて戦闘までしてしまったキラは良いようにマリューに使われている。このまま地球軍と合流すればコーディネイターである自分の身が危ういと分かっていても、肌を近づけたマリューを一人きりに出来ないと思うのはキラの甘さだろうか。

 怪我をしているからだとか、ストライクを動かせれるのは自分だけだからとか理由を付けようとも、友達が巻き込まれている現状では虚しい言葉である。

 

「キラ君?」 

「分かってますよ。やればいいんでしょ」

 

 柔らかい口調で話しかけて来るマリューに敢えてキツイ口調で返すことだけがキラに出来る精一杯の反抗だった。そのくせして言った後にマリューの顔を見て後ろめたく思っている自分が情けなくなる。

 勝手に忍び込んだキラを見捨てることも出来たのに助けてくれたマリューは、本来なら軍人をやっていることが不似合いな優しい女性なのだろうと罪の意識に苛まれている姿を隠せていないのを見れば分かる。

 口を開けば開くだけドツボに嵌る自分を自覚して、トレーラーから降りてマリューの下に行き、彼女から何らかの指示があったのかカズィだけが再びトレーラーに戻って行く姿を視界の端から切って、キラは黙ってバッテリーが切れて元の鋼色を曝しているストライクの下へ向かって歩く。そんなキラに近づく人がいた。

 サイが小走りで先を歩くキラに近づき、ストライクの足下で声をかけながら肩に手をかける。

 

「キラ」

 

 掴まれた力は別段強くも弱くもない。どちらかといえばサイの心情を示すかのように強い部類に入る。掴まれた当人からすれば眉を顰めたくなるが状況を考えれば理解もする。ただ、重いとキラは感じた。理由は分からない。感覚的に肩を掴まれた手を重いと感じたのだ。

 

「何?」

 

 振り返りながら口から出た言葉は自身ですらつっけんどんと感じる突き放した言い方だった。

 何時もと違うどこか殺伐としたキラの様子に気圧されたように手を離しかけながらも、サイは癖なのか色眼鏡をズレてもいないのにかけ直した。気を取り直したサイ・アーガイルはカトウゼミの最年長のマントを被り直していた。

 

「これからどうするんだ? 地球連合に協力し続けるのは俺達はともかくお前はまずいだろ」

「分かってる」

 

 今更なことを言われてキラは疲れたように瞼を一度閉じた。

 サイの中でキラ・ヤマトは優秀でありながらどこか抜けていると認識されているらしく、マリューに協力し続けることの危うさに気づいていないとでも思っているのだろうか。

 

「でも、どうすることも出来ないよ。マリューさんを見捨てるならともかく」

 

 後々のことを考えるならマリューを見捨ててしまうことが自身にとっても、仲間達にとっても最適な行動であるとキラは分かっていた。

 

「そりゃあそうだけど……」

 

 キラに言われずとも言葉を濁したサイにも分かっていた。

 ジンを倒してしまったストライクの存在は脱出したパイロットが伝えていることだろう。恐らくそう遠くない内に残った一機であるストライクを鹵獲・破壊せんと第二陣が襲撃してくることは目に見えている。

 OSを書き換えることでストライクの全ての能力を発揮できるキラでなければ生き残る確率は万に一つもない。マリューではフェイズシフトを展開しようとも電力を使い潰されて圧殺されるのは当然の流れ。そしてそれは、計らずとも連合の最新鋭機に乗ってしまったキラにとって最も都合の良い流れでもある。

 キラがストライクに乗ってジンを倒したことを知っているのはカトウゼミの四人以外にはマリューのみ。彼らだって銃で脅されたのと、口を開けば自分達も拘束されることを知っているので誰にも話せない。死人に口なしと良く言ったものだ。

 仲間内で口裏を合わせてマリューを見捨て、どこかのシェルターに紛れ込む。言葉にすれば簡単なことが出来ない。良心の呵責と、人の情に縛られる。人には感情やしがらみがあって機械のように最適な行動を取れない。

 

「教えてほしいのは僕の方だよ、サイ。僕はどうしたらいいの?」

 

 マリューの脅しは怪我をしている彼女を見捨てない免罪符になっても先の展望を明るくはしてくれない。

 肉の温もりと女の柔らかさが生々しさとなってマリューを見ず知らずの赤の他人と見させてはくれない。優しさと厳しさを孕んだ内面は母に似ていて見捨てる選択肢を選ばせてくれなかった。

 モビルスーツのOSを戦闘中に書き換えるという離れ業をやろうとキラ・ヤマトは16歳の若造に過ぎない。自身の行動如何によっては人を死なせるかもしれない恐怖がキラを苛立たせ受動的にさせる。

 

「…………俺にも分からない。こっちが聞きたいぐらいだ」

 

 仲間内では最年長であるから行動の指針を示さないと分かっていても、背負わされている命の重みが迷いを生ませる。

 サイもまたキラと3歳しか違わない19歳の若造なのだ。されど3年といえど、たった3歳しか違わないのだ。子供の世界から大人の世界へと移り変わっていた中で他人の命を背負わされては苦悩で道を決めらない。

 

「地球軍の重要機密を見た俺達は拘束されている。あの人の言うように戦争に無関係ではいられないかもしれない。だからって理解は出来ても納得することが出来ないんだ。だって数時間前には当たり前だった平和が壊されたんぞ。どうしろっていうんだ」

 

 苦悩するように俯いて、頭を左右に振るサイの言いようは拘束されて命令されていることに対する愚痴だった。その愚痴に対してキラも理解は出来るし納得も出来た。だが、それをキラに言うことはモビルスーツに乗ってその一端に加担したことに対する当てつけのようにも聞こえた。

 

「ヘリオポリスを襲ったザフトには協力できないからストライクとマリューさんを地球連合に引き渡してさっさと出て行ってもらう。僕が今考えられるのはこれだけだよ」

 

 考えることを放棄していると言われれば、きっとキラは否定できない。

 この数時間の間に目まぐるしく事態が起こり続け、日常が冒されたのだ。世界が戦争をしていても偽りの平和を築いていた楽園から追放されて、家族の安否すら分からない現状で目の前のことしか頭に浮かばない。

 

「これだけってなんだよ。もっと他にも考えることがあるはずだろ。コーディネイターのキラがこんなものに乗って戦ったって知られたらただじゃすまないんだぞ」

「じゃあ、僕にどうしろっていうのさ! さっきからサイは僕に聞くばっかりで…………人に聞く前に自分で考えてよ!」

 

 改めてサイに言われなくても状況が不味い方に不味い方に進んでいることを気づかぬはずがない。問うばかりで指針を示そうとしないサイにうんざりして思わずキラは叫んでしまった。

 キラの怒鳴り声に、マリューの負傷を水で傷口を洗って清潔にしてからタオルを巻いただけの簡易処置を終えたミリアリアがビクリと肩を震わせた。

 

「っ!? お前がモビルスーツになんて乗らなければ俺達が拘束されるなんてこともなかったんだぞ!」

「僕が動かさなかったらみんな死んでたよ。こんな簡単なことがなんで分からないの!」

 

 住んでいた街が襲撃されて見る影もなく廃墟と化した日常にストレスを抱えていた同じだった。逃げるのに必死で、戦うことに必死で、ぶつける当てもなかったから捌け口を見つけてこれ見たことかと言わんばかりに吐き出す。

 売り言葉に買い言葉、戦場を間近で知らぬ感性が抱え込んだストレスが普段ならば抑え込む不満を爆発させる。

 

「そんなこと分からないだろうが!」

「分かるよ。分かったからあんなものを動かして戦ったんだ。僕は戦いたくなんてなかったのに!」

 

 眼の前の相手に激情のまま掴みかかれば、サイの方が身長が5㎝は高いのでキラは爪先立ちを強いられる。それでもキラは言わねばならなかった。母との約束を破ってまで守ろうとしたのに、守ろうとしたこと自体が間違いだったと言われれば怒りたくもなる。

 

「ちょっとあなた達……」

 

 子供を利用している負い目があって深く関わることを避けようとしていたが、言い合いから殴り合いに発展しそうな気配にマリューが痛みを押して立ち上がった。女の身であっても彼女には拳銃がある。怪我を負っていても制圧する自信があった。

 拳銃を使わずにすめばいいと彼女の願いは、走って二人に向かう癖毛の少年によって叶う。

 

「おい、どうしたんだよ。こんな非常時に仲間内で喧嘩するなって」

 

 今にも殴り合いの喧嘩に発展するかと思った二人の間に入ったのはトールだった。掴みかかっている二人の間に体を押しこんで距離を開けさせ、場に合っているとは言い難い和やかな口調と表情を浮かべる。

 己の行為を無駄と言われたキラの怒りは大きく、トールが間に入っても収まらなかった。

 

「でも!」

「落ち着けって。キラだけじゃなくてサイもな」

 

 トールは更に言い募りかけたキラの首を抱え込んで続く言葉を封じ込め、直接的な行動で言葉を封じ込めながらもサイを抑えにかかるのも忘れなかった。

 

「どっちの言い分も分かるけど言いすぎだ。こんな状況だからカッカッするのも分かるけど、喧嘩したって良いことは何にもないんだぜ。ほら、深呼吸してリラックスリラックス」

「俺はトールみたいに呑気にはなれないよ」

 

 第三者が間に入ったことで落ち着きを取り戻しても年長者としての重荷を背負っているサイは、トールのように気楽にはなれない。

 

「呑気になってやしないさ。俺だって不満はあるし怖いとも思ってる」

 

 返したトールの声は震えていた。声だけではない。キラの首を捕まえている手も、地面を踏みしめている足も、恐怖を示すように全身が震えていた。

 

「守ってやらなきゃならない人がいる。俺が怯えてちゃ不安にさせるだろ。馬鹿をやってでも平静を装わなきゃやってられねぇよ」

 

 誰の事を言っているのか言われなくてもサイもキラも分かった。男のちっぽけなプライドと笑うことは出来ない。トールの気持ちは彼女がいた試しのないキラには理解しえない感情ではあったが誰かを守りたいと思う気持ちは共感できた。

 共感しえた気持ちが熱していた頭を急速に冷やして、自分の言った傲慢な数々の言葉を理解させて羞恥に頬を赤らめる。恥を知っているキラは謝ることを選択した。

 

「ごめん」

「謝るのは俺じゃないだろ」

 

 蚊の鳴くような声で謝るキラに、笑うばかりのトールは立てた親指でサイを示した。

 トールに指差されたサイはキラよりも大人だった。トールの言わんとしていることも、喧嘩を止める為に敢えて道化に徹したことも分かっていた。

 

「すまない。年長者の俺が動揺してしまって」

「ううん、僕だってごめん」

 

 頭を冷やせば両者共に喧嘩腰の態度も引っ込む。頭を下げ合って自らの過ちを認め合う二人の間に険悪なムードはない。

 

「ほら、仲直りの握手」

 

 謝って終わりと思っていた二人はトールに唐突に言われて顔を見合わせた。

 

「おいおい、そこまでしなくなったっていいだろ」

「俺達を困らせた罰だ。さぁ、さっさとしろって」

 

 仕方なく二人は困った顔を見合わせながら握手を交わす。まるで小さな子供を仲直りさせる儀式のようなものだが、トールの言うように罰ゲーム染みた感覚を抱いている時点で成功と言えるだろう。

 握手を交わす二人の間で一人でニヤニヤと笑うトールの顔に、サイとキラは後で必ず復讐するとアイコンタクトを交わし合った。

 

「トール! こっちも手伝ってくれよ!」

「分かった! 今行く!」

 

 マリューから命令された指示を一人では出来なかったらしいカズィがトールに助けを求めた。

 

「じゃ、仲良くやれよ」

 

 ビッと腕を上げてトレーラーに走っていくトールの背中を見送る二人。そしてようやく何時までも手を繋いでいることに気づいて慌てて外した。

 

「キラには苦労をかける。なんとか俺も手を考えてみるから頑張ってくれ」

「うん」

 

 頬を紅く染めながら素っ気なく言うサイに、キラも素直に頷いた。そこでキラはストライクのOSを書き換えることに気づいた疑念の一端を、カトウゼミの中では最も答えに近いであろうサイに問いたくなった。

 

「ねぇ、サイは……」

 

 口を開いたはいいものの、続く言葉は中々出なかった。

 予想した通りの言葉が返って来た時、キラは平静を保てる自信がない。ならば、疑念が残っても己の中だけで留めておくべきではないかと思ったのだ。

 

「ん? どうした?」

 

 話してみろ、と以前までのカトウゼミの父親的な存在感を取り戻したサイの雰囲気にキラの中で激しい葛藤が生まれた。

 父のいないキラに父性を向けて来るサイは頼り甲斐のある相手だった。幾ばくかの葛藤の後に、確信には至らないまでも答えに繋がる問いを発したくなった。

 

「カトウ教授がモルゲンレーテの何に協力していたか知ってる?」

「モルゲンレーテに?」

 

 今の状況とはあまりにもそぐわない平和な時を思い起こさせる話題に、マリューに戦争に巻き込まれたことを思い知らされたサイは思考が追いつかずにフリーズしてしまった。

 平和な時のことを思い起こされてまた怒りが湧き上がったが、不安そうにしているキラの姿に彼が自分よりも三歳も年下の子供であることを思い知る。

 一度大きく息を吐いて怒りを外に出し、改めてキラが言ったことを考える。

 

「悪いけど分からない。俺がゼミの中でも一番上といっても教授の助手じゃないから、ここ一年ぐらいは何らかの極秘プロジェクトに関わってたらしいことまでは分かるけど詳しいことは何も教えてもらってないんだ。教授がどうかしたのか?」

「そっか、ごめん。変なことを聞いたよね。ちょっと気になって」

 

 追及を避けるようにキラはサイに背を向けて下ろしているラダーに足をかけてコクピットへ上っていった。コクピットハッチも閉めてしまった。

 様子のおかしいキラの様子にサイはどうしたものかと考えたが、ストライクのコクピットに篭られてしまっては何も聞けはしない。後で聞くかと戻ることにした。銃を持っているマリューがいるのにミリアリアだけにはしてはおけなかった。

 休憩所に戻って行くサイの姿を、ストライクのコクピットのモニターで見送ったキラは両手で髪の毛を掻き毟った。

 

「言えるわけなんてないよ。教授が地球軍のモビルスーツの開発を手伝っていたんじゃないかって」

 

 そしてその機体を操ってザフトのモビルスーツを倒し、今またそのコクピットに逃げ込んだ自分にも言う資格はないと嘆いた。

 誰もが一杯一杯の状況で更なる不和を呼び込む要素を自分から投げ込むわけにはいかない。キラはこのことを胸の中に秘めておくことに決めた。

 憂鬱なままシステムを立ち上げたところでマリューが言う「ストライカーパック」なるものをどうすればいいのか分からなかった。如何にシステム的なことや操作面でマリューを超えようともデータだけでは分からないことが多い。

 

「マニュアルなんてコクピットに置いてあるはずがないよね」

 

 なんとかシステム上の情報だけで理解しようとするも、モビルスーツに一から十まで懇切丁寧に教えてくれるはずがない。分からないところは知っているマリューに聞くしかない。

 

「どれですか!? パワーパックって!?」

 

 外部音声をオンにせずにコクピットハッチを開いて顔を出し、トレーラーのトールとカズィに向かって指示を出しているマリューに向かって叫ぶ。

 肉声で叫び合うのは何時侵攻してくるか分からないザフトを警戒してのことだ。ないよりかはマシ程度だが気持ち的に大きな声が響き渡るのは避けたいキラの小心だった。

 

「武器とパワーパックは一体になってるの! そのまま装備して!」

 

 叫ぶマリューの声に視線を映せば、ストライクのモニターにトールかカズィが操作したのだろうトレーラーの荷台が開いて大砲らしき物が見えた。

 

「あれか」

 

 どう見ても武器にしか見えない大砲を扱わなければならないことに不満を覚えつつ、安全が確保されるまでだと自分に言い聞かせてストライクを操作しようとした瞬間だった。

 鈍い爆発音が響き渡り、キラ達の上空のシャフトの一部が爆炎を上げた。そこから一機のモビルスーツと、遅れてモビルアーマーが飛び出した。

 飛び出したMSシグーは眼下にいるストライクの存在に気づいたかのようにモノアイを向けた。

 

「ほう、あれが残ったGか」

 

 シグーのコクピットでパイロットのクルーゼはストライクをみやって、丁度近くにいたことを好機と考えた。

 

「最後の一機か!?」

 

 MAメビウス・ゼロを操縦するムウはザフトが侵攻してきた時点でGが標的にされていたことは理解している。眼下に一機だけがいるとなれば残る4機は既に奪取されたと答えに辿り着くのは早かった。

 

「装備を着けて! 早く!」

 

 マリューに言われるまでもなくキラはトレーラーのシステムを外部から操作してストライカーバックを装着しようとキーボードを打っていた。

 その速度は、モビルアーマーを蹴散らして迫るジンの類型機と思われる機体が迫って来る状況では遅すぎるとキラは思った。叫び出したい気持ちを抑え、ストライクの全長ぐらいはありそうな巨大な大砲が装着された瞬間に、充填されたバッテリーのエネルギーを見てフェイズシフトの装甲に電気を通した。

 キラがストライクを立ち上がらせたと同時に、公園の近くで大きな爆発が起こった。

 

「今度は何なんだ!?」

 

 発生した爆風に機体を揺るがされながら激動する事態に身を置くキラは叫ばずにはいられなかった。

 濛々と立ち込める黒煙を掻き分けるように、白く輝く巨大な戦艦が現れた。

 

「――――アークエンジェル。無事だったのね!」

 

 元々、Gが搭載される予定だった新造戦艦アークエンジェルの登場に喜んでいたのはマリューだけだった。

 

「戦艦……コロニーの中に!?」

 

 モビルスーツやモビルアーマーに飽き足らず、遂には今まで暮らしてきたコロニー内に戦艦まで現れた現実にキラはただただ追い込まれていた。

 



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第3話 ファーストコンタクト

 

 軍人。当該国家の正規の軍事組織に所属し、正規の軍事訓練を受け、正規の軍服を着用し、国家により認められた階級を与えられた者を指す。

 近代以前においては戦闘を行う者を幅広く指していた。近代以前の「国家」誕生以前においては封建制の下、兵と住民、貴族、官僚と士官の区別は基本的になかった。時代の流れによって軍人と一般人が分かれていった。

 軍人の制度として、国民にある一定期間軍隊に入ることを義務化する徴兵制と、募集を行ない志願者を募る志願制がある。

 コズミック・イラにおいても軍人の制度は旧態依然から変わっていない。

 地域によって格差はあれど、地球連合は志願制を取っている。エイプリルフール・クライシスで家族や友人、または親しい者が犠牲になった者達がプラントで憎しで志願することは珍しくない。またエイプリルフール・クライシスの影響で職を失って軍人になるケースもまた多い。色んなケースはあれど、地球連合に所属する軍人の多くは個人個人の理由で成った者が多いということだ。

 反対にプラントはどうかといえば、これもまた難しい。

 プラントが有する軍隊「ザフト」は、正規軍ではなく「義勇軍」であることは意外と知られていない。

 ナチュラルよりも鮮やかにモビルスーツを操る彼らも平時にはそれぞれの本職に就いており、職業軍人である地球連合軍とは異なる。それはプラントの最高評議院も同じである。

 そして地球連合と同じ志願制であるが、義勇軍なのでザフトには地球連合のような下士官、士官といった階級制は存在しない。肩書きは配属された兵科、職種及びその戦術単位の責任者名、管理職名で呼ばれる。そんなザフト兵が士気を鼓舞する際に叫ぶ「ザフトのために」は、ザフトへの忠誠の自己目的化では無く、政治的同志意識の確認の意味合いが強いと言える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザフトの襲撃によってそこら辺で黒煙を上げるヘリオポリスの街中に、突如として激音が轟き渡った。

 山間部から巨大な爆発が起こり、爆炎から白亜の戦艦が出て来るのを見た、ヘリオポリスを襲撃した部隊の隊長であるラウ・ル・クルーゼは自機であるシグーのコクピットの中で唸り声を上げていた。

 

「新型か? ええい、マシューめ仕留め損ねたか!」

 

 湾口の制圧はマシューの担当である。外部がオロール、中をミゲル・アイマンが制圧する手筈になっていた。仕事を完遂していないマシューをクルーゼはシグーのコクピットの中で罵った。

 クルーゼのシグーによって攻撃を受けて墜落しないように制御するのが精一杯の、メビウス・ゼロに乗るムウ・ラ・フラガもまた戦艦を見た。

 

「戦艦!? コロニーの中にか!」

 

 この事態に出て来る戦艦がオーブの物とはとても思えない。ザフトでないとすれば消去法的に地球連合しかない。

 

「俺は聞いてないぞ、戦艦も造っているなんて」

 

 現戦艦の中で類似する形を持つものがないことから開発した新型機動兵器の搭載母艦と直ぐに察したムウだが、彼の任務はあくまでGのパイロットの護衛でしかない。英雄と煽てられようと一大尉でしかない若造に多くの情報が与えられるはずもなかった。

 

「あの艦長…………こんな大事なことは先に言っておいてくれ!」

 

 死んだ者に言ったところで栓のないことと分かってはいても、愚痴らずにはいられなかった。状況を見届けることすら叶わず、不時着できる場所を探して彷徨うことだけが今のムウに出来ることだった。

 クルーゼやムウを見上げていたカトウゼミの学生と一緒だったマリュー・ラミアスは、自身が副長を務めるはずだった戦艦が絶妙のタイミングで現れたことに喜色を露わにした。

 

「アークエンジェル!!」

 

 シグーが躊躇うように滑空するのを見て、ザフトですら予期せぬ事態であることを察して友軍が乗り込んでいる可能性に希望を持った。Gが全5機中の4機も奪取されたとなればアークエンジェルもまた奪われたか破壊されたと考えていたので、ようやく先の展望が見えたような気がしていた。

 反対にアークエンジェルのブリッジ内では状況を理解をするのにてんてこ舞いだった。

 正規クルーの殆どが死亡していて、間に合わせのメンバーで専門ではない部署へ配置されている者もいたのだ。生き残る為に必死に抗って目の前のことに集中していた。

 

「開口部を抜けました! コロニー内部に侵入!!」

 

 数少ないアークエンジェルの正規クルーであったアーノルド・ノイマン曹長が操舵手席に座って、始めて操る艦の操舵に意識の大部分を割きながら状況を報告する。

 艦長席に座るナタル・バジルール少尉は、クルーの多少のもたつきは仕方ないと諦めて視線を前へと向け続ける。階級で最上位の彼女が狼狽えれば、動揺はクルーに広まる。ニセモノであっても気丈でいるしかなかった。

 モニターに映るストライクの姿に、身を乗り出したナタルは直ぐに気がついた。

 

「ストライクが起動中………いや、戦闘中か!?」

 

 言ったところでザフトのモビルスーツであるシグーが近づいて来るのを見たナタルの頭の中で幾つかの戦術が弾きだされる。

 初搭乗の戦艦では弾きだした戦術の全てが不可能と即時に却下した。艦に不慣れなクルーが実行しやすい次の行動は回避しかなかった。

 

「回避! 面舵――っ!」

 

 ナタルの指示に、おっかなびっくりといった様子でノイマンが操縦桿を動かす。どれだけ動かせば艦が動くのか試したことがないのだ。慎重に慎重を期して悪い事は無い。

 ノイマンの懸念通り、予想以上に操縦に敏感に反応したアークエンジェルがシグーが撃つ「MMI-M7S 76mm重突撃機銃」を避けようと左底部が跳ね上がる。

 牽制のつもりで放った銃弾を見事に全て避けたアークエンジェルに、シグーを操るクルーゼが瞠目していた。

 

「なんという機動力。Gのみならずこれほどの戦艦を開発していたとは。しかし、今は先約があるのでね」

 

 いくらアークエンジェルが機動力に優れていようとモビルスーツほどの小回りは利かない。クルーゼは弾を撃ち尽くした重突撃機銃の弾倉を交換しながら、元よりの標的である残ったGであるX105ストライクの下へ飛来する。

 

「フェイズシフト…………これはどうだ!?」

 

 飛来するシグーを見て取って、危険性に真っ先に気がついたマリューがカトウゼミの面々に振り返る。

 

「伏せて!!」

 

 今からではトレーラーの影に隠れるのは間に合わない。逃げようとした男達に言い捨てて、一番近くにいたミリアリアに覆い被さった。

 フェイズシフトのスイッチを入れて、機体をトリコロールに染め上げたストライクのコクピットでキラは撃たれる銃弾が地面を抉っていくことに気がついた。

 銃弾の進行方向にストライクはなく、このままいけばトール達に当たる。

 

「トール達を狙ってる!?」

 

 機体ではなく生身の人間を狙う狡猾さに吐き気を覚えつつも、放っておくわけにはいかないので操縦桿を操作してストライクを沈み込ませる。膝を地面に付けて機体を盾にして銃弾を防ぎ切る。

 命中した銃弾が装甲に跳ねて大きな火花を散らしたがフェイズシフトを貫くほどの威力は無い。ストライクの斜め上空を通過してその光景を見遣ったクルーゼは結果を予想しつつも、想定以上の装甲の固さに舌打ちをした。

 

「強化APSV弾でも貫けない。D装備でなければダメージを与えることも出来ないと見るべきか。地球連合は厄介な物を開発してくれたものだ」

 

 機体の性能が戦力の決定的差ではないことを、メビウス・ゼロでジンを撃破したムウ・ラ・フラガを敵対視しているクルーゼは良く知っている。携行武器では強い部類に入るシグーの重突撃機銃で貫けないのならば拠点攻撃用重爆撃戦装備を使うしかない。

 冷静に状況を見極めるクルーゼであったが、回頭してきたアークエンジェルを見て気を引き締める。

 

「艦尾ミサイル発射管7番から10番発射準備! 目標、敵モビルスーツ!」

 

 乗り込んだばかりのナタルはまだ兵装の全てを熟知していない。マニュアルに載っている攻撃オプションを選択して、鋭い眼でストライクを攻撃したシグーを見る。

 

「レーザー誘導。いいな、間違えてもシャフトや地上に当てるなよ」

 

 続いて火器管制席に座るロメロ・パルを振り向いて厳命する。いくらヘリオポリスに来て中立を気取って苛立ちを覚えても、だからといって好き好んで破壊したいと思いはしない。ナタルの目的はシグーの破壊か撤退に追い込むことだった。

 言われたロメロ・パルは、ただでさえ始めて乗る戦艦で、しかもコロニー内での戦闘という緊張を強いられる中で更なるプレッシャーを与えられて顔を強張らせた。しかし、ナタルは気付かない。彼女もまた目の前の状況に集中するばかりで全てのクルーの精神状況まで把握できるほどの余裕はなかった。

 

「撃て!」

 

 ナタルの合図と共にアークエンジェルの艦尾から四発のミサイルが放たれ、レーザーで誘導されてシグーに向かって飛ぶ。

 シグーのコクピット内で戦艦がコロニー内で攻撃したことに舌打ちを漏らしながら、背面飛行をして一発のミサイルを撃ち落とし、追尾してくるもう一発をコロニーを支えるシャフトの後ろに回り込んで逃げる。

 レーザー誘導は間に遮蔽物が飛びこんできても躱してくれるほど気の利いた物ではない。シグーの動きに対応しきれず、残りの三発のミサイルはシャフトに次々と当たって爆発を引き起こす。

 破壊されたシャフトの破片が降りしきる中で、戦艦の方がヘリオポリスを破壊していることに憤ったキラは怒りを覚えていた。

 

「冗談じゃない! あんなのに任せてたらヘリオポリスが壊される!」

 

 操縦桿のスイッチを押して照準スコープを引き出し、覗き込む。その動作に合わせるようにストライクが左肩後方にセットされていた長い大砲を腰だめに構えた。

 照準スコープを覗き込むキラの視界の中で、戦艦からのミサイル攻撃を鮮やかに躱し、時には迎撃しているシグーの姿が映し出される。

 

「くっ、出来るのか僕に!?」

 

 照準が合わされていく中でキラは迷っていた。大砲を構えてシグーを倒す決意を固めたはずなのに、乗っている人を殺すことに躊躇を覚えたのだ。

 キラに意図的に人は殺せない。だが、時は待ってくれず、照準がスコープの中で合っていくことに逆に焦燥を覚えていた。

 スコープの中で飛び回るシグーは、キラの焦燥など知らずに鳥以上の軽快さを持ってアークエンジェルを翻弄している。シグーの装備ではどれだけ撃っても戦艦を撃ち落とすことは出来ない。やがては諦めて母艦に帰るの待つべきかとキラの内面で声が囁く。

 スコープ内で照準が合いかけても、甘い囁きはキラの体を硬直させる。そんなキラを動かしたのは外的要因だった。アークエンジェルでも、ムウが乗るメビウス・ゼロでもない。第三者が放ったビームがシグーの右足を直撃する。

 

「何っ!?」

 

 ザフトのトップガンであるクルーゼが気づいた時にはどこからか発射されたビームがシグーの右足に命中し、当たった膝部分を打ち抜いて機体を揺らす。

 命中の衝撃と四肢の一部を失くした機体がコンマ数秒とはいえ、クルーゼの支配から離れた。同時にキラが覗き込むスコープ内で照準が定まった。ロックオンの表示が出て、明らかに制御を失って空中で無防備に身を晒すシグーにキラは思わずトリガーを引いた。

 ストライクが大砲――――320mm超高インパルス砲アグニを構えてキラが逡巡し、第三者の介入でトリガーを引くまでたったコンマ数秒。ストライクがアグニを構えたことにマリューが気づいたのはアークエンジェルを見ていて遅れたこの瞬間だった。

 

「待って! それは……」

 

 コロニー内で使っていい武器ではないとマリューが静止の声をかけるも全てがもう遅い。ストライクが腰だめに構えたアグニから凄まじいまでのエネルギーが放たれた。轟音と眩しさにマリューらは腕で覆って顔を背けるしかなかった。

 シグーのコクピット内で予想もしてない第三者からの攻撃を受けて右足の膝から下を欠損したクルーゼは機体を立て直していた。そこへ一直線にアグニのビームが直進してくる。

 空間認識力でアグニのビームを察知したクルーゼは、今まで生きてきた中で最大の命の危機に全力で機体を操作する。

 

「ぬおっ!?」

 

 ビームが直撃して機体を激震する振動に苦痛の呻きを漏らす。しかし、クルーゼは生きていた。

 致命の一撃を辛うじて右腕を犠牲にしながらも神業的な反射神経と操縦でアグニのビームを回避した。後のことなど考えずに回避したので機体が制御を失っていたがクルーゼは全身に走る冷や汗で生きていることを実感した。

 シグーの右腕を跡形もなく焼き尽くしたアグニのビームは止まることを知らないように直進する。そのままコロニーの地表に着弾して爆発する。

 爆発が内側に起こらずにそのまま外へ、つまりは宇宙空間へと抜けていった。アグニは地表を貫いてコロニーに穴を空けていた。

 空気が外に抜けているのか、ストライクに乗っているキラからはゴミとしか見えない小さな物体が次々と引き込まれていく。

 

「ああっ…………僕は、とんでもないことをしてしまった」

 

 人を殺さずにはすんでも、コロニーに穴を空けてしまったことは宇宙空間で生活する者には何にも勝る大罪だ。キラ・ヤマトは己が仕出かしてしまった罪に慄いて声を震わせていた。

 反対に赤色灯やアラートが鳴り響くシグーのコクピット内で、欠損した四肢の重量を計算してスラスター値の変更や損傷部分の機能をカットしながら必死に機体を操作していたクルーゼはこれを好機と見て穴に自ら飛びこんでいった。

 

「足を撃った者の正体を暴けんのは剛腹だがこの有様では戦えん。しかし、これほどまでの戦艦の並の火力をモビルスーツに持たすとはな。残ったG、なんとしても仕留めねばなるまい」

 

 モニターの一部もブラックアウトしていて姿を確認できないが、トリコロールの機体に向けて宣戦布告だけを残してヘリオポリスを抜け出して母艦を目指す。

 

「敵モビルスーツ。離脱します」

 

 初戦闘のあまりの無様ぶりに思うところはあれど、ジャッキー・トノムラの安堵したような声の報告にブリッジの内の空気が弛緩したのを感じたナタルも気持ちは同じだった。

 シグーがコロニー外に出て行ったのを確認してアークエンジェルのブリッジで艦長席に座るナタルは、コロニーに穴を空けたストライクを忌々しそうに見つめながらもシャフトを破壊した自分達も同罪であると、ひとまずは敵が去ってくれたことに一安心した。

 しかし、ナタルには考えるべきことがあった。

 

「さっきのは一体……」

 

 飛び回るシグーの右足を正確に撃ち抜いた誰か。通信すらなかったのだから地球連合ではないだろう。となればオーブか。

 

「どちらにせよ、頭の痛いにことには変わるまい」

 

 ザフトはまだ完全に撤退していない。きっとヘリオポリスの外にいることだろう。残ったGとアークエンジェルを狙っているはず。これ以上の頭痛の種は勘弁してほしいところだった。

 直後、ピーピーと通信を知らせる音声がブリッジに流れた。

 

「通信です。所属は――――オーブ軍を名乗っていますが?」

 

 どうしましょうか、とオペレーター席に座るダリダ・ローラハ・チャンドラII世の窺うような声に、ハッキリと頭痛がしてきて頭を抱えたくなった。

 

「ハァ……着陸する。対地速度合わせ。重力の発生に注意しろ。ストライクとそのオーブ軍に打電。話し合わねばならんだろう、これからのことを」

 

 問題ばかりが積み重なっていく現状に眉を顰めすぎて跡が残るのは無いかと心配になって眉間を解すナタルを、操縦席に座ったノイマンがチラリと心配そうに振り返った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モルゲンレーテの敷地から少しだけ離れた広い土地に大天使の名を冠された戦艦アークエンジェルが羽を休めていた。

 船体を木馬のように見せる二本脚の右側部分のカタパルトデッキが開いていて、そこへランチャーパックをつけたままのストライクが展開していると電力を消費するフェイズシフトをオフにして入り込んだ。その手に五人の人間を乗せて。

 ストライクがマリューとカトウゼミの四人を下ろすと、ブリッジから大慌てで走って来た士官達が走り寄る。

 

「ラミアス大尉!」

 

 走りにくいスカートでありながら集団の先頭を走っていたナタルが既知の軍人を見つけて顔に喜色を覗かせながら名を呼んだ。

 自分よりも階級が上の人物に、背負わされた荷物が重荷になっていたナタルは気持ち的には飛びついて抱き付きたいほどの喜びを感じていたが多くの人の前であって自重した。元よりナタル・バジルールはそのようなことをするような性格ではない。

 

「バジルール少尉!」

 

 マリューもまた駆け寄って来る集団に驚きながらも先頭に見覚えのある人物を見い出した。

 

「御無事で何よりでありました!」

「あなた達こそ、よくアークエンジェルを…………お蔭で助かったわ」

 

 互いに敬礼を交わし、万感の想いで生き残れたことを喜び合う。

 マリューが言い切ると同時にストライクのコクピットが開いた。中から結局は地球連合軍と合流する羽目になってしまったことに憂慮するキラがのっそりと顔を出した。

 コクピットハッチが開く音に知らない大人達からの視線が集中しても、キラは出来るだけ感情を表に出さないようにしながらラダーを使って下に降りる。

 

「おいおい何だってんだ? 子供じゃないか。あのボウズがあれに乗ってたってのか」

 

 モルゲンレーテの作業服にも似た服装を纏い、色黒の髭面の中年――――コジロー・マードックが漏らした驚きの言葉はしっかりとキラの耳にも届いていた。直にコーディネイターであることはバレるだろうと暗澹しながら近づいてきた仲間達にせめてもの笑顔を向けた。

 明らかに民間人と分かる私服で若すぎる少年少女を見たナタルが動揺しているのを、近くにいたマリューにはよく分かった。

 

「ラミアス大尉……これは?」

「ああ……」

 

 この場にいる少年少女以外の総意であることは、問いを発したナタルだけではなく彼女の後ろにいる全員の顔を見れば分かった。

 マリューはどこから話すべきか、どこまでを話すべきかを頭の中で整理するために、過保護らしいトールに安全を確認するために全身を触られまくって困惑しているキラを見遣った。

 一般人のキラを巻き込み、助けられ、脅して戦わせた彼女であっても敵という概念で少年を括ることはどうしても出来なかった。だが、なにを言おうとも話の根本に触れなければ伝わらないことが分かっていたので苦悩する。

 何も答えられないマリューを救ったのは、艦内から現れたパイロットスーツの男だった。

 

「へー、こいつは驚いたな」

 

 突如として現れたくすんだ金髪の男に全員の視線が集まる。

 少年少女は見知らぬ大人達に囲まれて、ストライクを背にして身を寄せ合っていた。その中にあってキラだけが覚悟を決めたように表情を引き締めていたのがマリューには気がかりだった。

 

「これが新型機動兵器、Gか。一つ目のジンよりも人間に近いし、スマートで格好いいじゃないの」

 

 金髪の男は歩み寄りながらストライクを見上げて感心したように笑った。

 マリューらがいる場所に近づくと見上げていた視線を下ろした。悪戯子供のように無邪気に笑って足を揃えて手を上げる。軍人には珍しくない敬礼だった。

 

「地球軍、第7機動艦隊所属、ムウ・ラ・フラガ大尉だ。よろしく」

 

 堅苦しい自己紹介でありながらどこか口調に遊び心を混ぜた男は軍人というよりはやり手のセールスマンのようにも見えた。

 

「第2宙域、第5特務師団所属マリュー・ラミアス大尉です」

「同じく、ナタル・バジルール少尉であります」

 

 敬礼に敬礼を返す軍人達の中で少年少女だけが場違いだった。元より軍艦なのだから場違いなのは当然だが軍人のやり取りは一般人を受け入れない頑迷さがある。この時のキラが感じていたものは疎外感に似た恐怖だった。

 地球連合軍が戦っているのはプラント。この図式はナチュラルとコーディネイターの闘いを示している。地球連合軍の戦艦に乗って周りは軍人ばかり、キラは自分の進退が窮まったことを悟らざるをえなかった。

 

「乗り込んどいて今更なんだが乗艦許可を貰いたい。この艦の責任者は?」

 

 敬礼をしていた手を下ろしたムウは言いながら辺りを見渡した。

 見ても彼の周りにいるのは若い士官ばかり。この中で一人だけ軍服ではなく作業服姿の男でも50にも満たないだろう。名乗った二人はまだ若く、ムウと同階級のマリューにしても年下だ。責任者とは考えにくい。

 

「艦長ならやっぱブリッジか。俺の乗機が壊れちまって修理も頼みたいんだが」

 

 艦の責任者がこのような事態にブリッジから離れるとも思い難く、ムウは自然と責任者はブリッジにいるものだと考えて問いかけていた。

 問われた士官であるマリューとナタルだが、マリューは先程艦に乗ったばかりで詳しいことは何も知れない。知っているだろうナタルにチラリと視線を向けた。

 ナタルは周囲の視線が自分に集まるのを自覚して、マリューとムウから乗せられた無意識の期待に体を押し潰されそうになった。そんな彼女を気遣ってか、隣に立っていたノイマンは無意識に彼女の肩に手を乗せていた。

 ノイマンの行動にナタルは一瞬目を丸くして彼を見たが、心配そうな視線を向けて来る彼に軽くそうと見なければ分からぬほど微笑んだ。

 肩に入っていた力が抜けたのを乗せていた手から察したノイマンは、胸に走った稲妻に全身を支配されながら手を離した。そんな二人の様子を目撃したマリューが瞳の中に喜悦の感情を浮かべ、ムウはもっと直接的に口笛を吹きそうなほどに驚いていた。堅苦しそうな士官が女の顔を浮かべていればムウでなくともそうしたくもなる。

 マリューとムウに知られたことに頬が真っ赤になりそうな羞恥を覚えながら、肩から離れた手に妙な物寂しさを感じながら咳払いをして誤魔化す。

 

「艦長以下、艦の主立った士官は皆、戦死されました。よって今は、ラミアス大尉がその任にあると思いますが」

「えっ…」

 

 ムウを真っ直ぐ見てのナタルの発言に、ムウと同じく艦長以下の責任者達はブリッジにいると思っていたマリューは絶句した。

 

「無事だったのは艦にいた下士官と、十数名のみです。私はシャフトの中で運良く助かりました」

「艦長が……そんな……」

 

 アークエンジェルの艦長になる予定だった男と顔を何度も合わせていたマリューは動揺を隠せなかった。副長として乗り込むことになっていた彼女は艦長と何度も話し合っていた。仲も決して悪くはなかった。ようやく一機でもGを奪取されずにすんだ報告が出来ると思っていたのにナタルが感じていたショックと重みを今またマリューも味わい、背負わされる。

 ムウとしてもまさか艦長以下が死んでいて、この場にいる面々が生き残りの殆どと知れば嘆きたくもなる。

 

「やれやれ、なんてこった。生き残りはそんなに少ないのかよ」

 

 壊滅した外の状況とどちらがマシかと比較しかけてしまった自分の間抜けさ具合に頭痛を覚えて眉間を解しながら、友軍が生きているだけでも良しとしようとムウは結論付けた。

 

「あーともかく許可をくれよ、ラミアス大尉。俺の乗ってきた船も落とされちまってね。行き場がないんだよ」

 

 皆が感情を抑え込んで暗くなりすぎる雰囲気を明るくしようとして無理に口調を軽くしたムウは、動揺を表に出し過ぎるマリューに言った。

 

「あ……はい、許可致します」

 

 マリューに乗艦の許可を受けたムウは先程から気になっていた少年少女達を見た。

 

「で、あれは?」

「御覧の通り、民間人の少年です。襲撃を受けた時、何故か工場区に居て…………私がGに乗せました。キラ・ヤマトと言います」

 

 あれ、と集団ではなく明確に個人を指した問いかけに、彼もまたキラがストライクから降りて来る現場を見たのなら下手な言い訳は禁物と自らを戒めたマリューは必要な情報だけを開示した。

 

「ふーん」

 

 どのような考えを持っているのかムウの横顔や言葉からは判別しづらい。

 面白い物を見たと言わんばかりに笑みを浮かべているムウが信じているのか信じていないのか、それとも何かを察しているのかマリューでは判断がつかず、いらぬことまで口にしてしまう。

 

「か、彼のお蔭で先にもジン1機を撃退し、あれだけは守ることができました」

「ジンを撃退した!? あの子供が……?」

 

 ジンを撃退したことまで言う必要がなかったとマリューが気づいた時には既に遅く、ナタルが言葉を拾って信じられぬとばかりにキラに視線が集中した。

 軍人達の視線が集まってもキラは気丈にも怯まず、強い視線を前に真っ直ぐと向けていた。その視線が無言で責めているように感じて、マリューはキラが内心で称したように軍人には向かない気質から視線を逸らした。マリューは軍人として正しい行動を取っても人間として間違っているのならそっちを選んでしまう。やはり軍人には向かない性格をしているようだった。

 体全体でキラだけを見ていたムウは、少年が動揺せずにナタルの後ろで軍人達の方が顔を見合わせていることに情けなさを感じながら顔だけをマリューに向けた。

 

「俺は、あれのパイロットになるヒヨっこ達の護衛で来たんだがねぇ、連中は……」

「ちょうど指令ブースで艦長へ着任の挨拶をしている時に爆破されましたので共に」

「…………そうか」

 

 死んだか、と輸送艦に偽装していた艦の艦長に紹介されたトップガン達の顔を思い出そうとして、たった数時間前のことなのに色々なことが目まぐるしく起こって記憶が掠れていることにムウは表情に出さずに愕然とした。

 トップガン達について覚えていることは自分と違って生真面目そうな後ろ姿だけだった。そのことに寂しさと申し訳なさを覚えながらキラに向かって歩いて行く。

 少し視界を上に向ければ鋼色の巨体が主に跪くように片膝をついている。その股下にいる年上の少年少女達の中で、瞳の中に最も強い輝きを以て自らを見る少年の胆力に心中はムウは驚嘆した。

 

「!」

 

 パイロットスーツの男を先頭にして近づいてい来る軍人達にキラの左隣にいたミリアリアが体を震わせた。無理もない。女の子ならば体格の良いムウが無言で近づいてきたら委縮もする。

 ミリアリアの気持ちに感謝しながらも肩に手を置いて彼女を下がらせ、反対側にいるトールの手を振りほどいてキラは前に出た。

 

「何ですか?」

 

 自分から距離を詰めたこともあって、手を伸ばせば届く距離で立ち止まったムウ・ラ・フラガと名乗っていた男にキラは挑むように自分から問いかけた。

 目の前の男はキラよりも20㎝近くは背が高い。地球連合の軍人であるからしてナチュラルと考えられる。軍事教練を受けた体格の良い男相手にコーディネイターだからといって勝てるはずもない。簡単な護身術しか習ったことのないキラでは銃を持つ警備兵がいる場所で出来ることは何もない。

 

「へぇ……」

 

 自分の肩程度の身長しかない少年が挑むような目つきで仲間を守る為に自分から近づいてきたことは当然ムウも気づいていた。

 身内にいれば酒でも奢ってやりたくなるタイプだと、部下を失ったばかりの心の琴線が擽られるのを感嘆の声を上げたムウは自覚せずにはいられなかった。それでも問わずにはいられない。後に回せば余計に不和の種になると知っているから。

 

「君、コーディネイターだろ」

 

 ムウが言った直後、キラの顔にハッキリとした動揺が現れた。表情を表に出してしまうのは若い証拠だと、自己分析しながらムウは周りの反応を窺う。

 背後にいるナタルや下士官達の動揺が背中を向けていても手に取るように分かった。仕方ないと分かっていてもどう転ぶか、ムウは先の展望がこの後の展開によって決まる考えた。

 キラは一度開きかけた口を閉じ、また開きを二、三度繰り返して意を決したようにムウを見た。

 

「…………だったら、どうだっていうんですか」

 

 ムウの言葉にYesと取れる返答を返したキラに待っていたのは、敵意と銃口だった。

 仕方ないと分かっていても同じ人の形をした者達に、ただコーディネイターであるだけで敵と認定される我が身の生まれに始めてキラは疑問を覚えた。マリューが顔を背け、警備兵達が銃を向けて来ても、もう焦りも怒りもない。あるのは諦めにも似た諦観だった。

 キラはこの場で殺されるか、良くても投獄。もしくは荒れ地となったヘリオポリスに放逐されてシェルターを捜して彷徨う羽目になるのか。どれにしろ碌な結果にはならないことは間違いない。

 

「止めろよ!」

 

 下される審判は生か死か。どんな結末でも碌な羽目にはならないと諦めて瞼を閉じていたキラの耳にトールの叫びが聞こえた。

 開いた視界の先にはトールの背中があった。銃口の前に勇敢にも身を晒して盾となり、軍人達を睨み付けている。

 

「コーディネイターでもキラは敵じゃねぇよ! 俺達の仲間だ! 銃なんて向けてんじゃねぇよ!」

 

 続くトールの言葉に触発されたようにミリアリアがキラを下がらせ、ムウの前にサイとカズィが立ちはだかった。

 

「どういう頭してんだよ、お前らは!」

 

 何時自分を撃つともしれない銃口の前に身を出して、自分達よりも年上の軍人に歯向かって怖くないはずがない。後ろから見ればトールやサイ、カズィの体は震え、寄り添ってくれているミリアリアも怯えているのが分かる。それでも彼らは一歩も退きはしなかった。

 

「キラには手を出させないからな!」

 

 意地でもどかぬと手を広げるトールの背中は大きかった。キラが憧れ、ああなりたいと願った姿そのままに。

 

「大丈夫だから」

 

 ミリアリアは女の子だ。トールと一緒にアウトドアを嗜んでいようと怖いものは怖い。瞳に涙を浮かべながらも一歩も退きはしなかった。

 

「……………」

 

 サイの無言で見せる背中が頼もしかった。カトウゼミの父親的存在はこの時も揺るがずに前に在ってくれた。

 

「守ってくれた借りもあるからさ。下がってろよ」

 

 親指を立てるカズィは他の三人と比べれば一定の距離を保って、あまりキラと関わって来ようとはしなかった。コーディネイターであるキラに対して思うところがあるのだろう。それでも動いてくれた。

 彼らのこの場における最適の行動はキラを見捨てて軍人達に迎合することだ。地球連合が何と戦っているかを考えれば子供にだって分かる。それらを理解した上で、彼らはキラの味方をしてくれている。

 

「…………ありがとう、みんな」

 

 キラにそれ以上の感謝の言葉は言えなかった。他に何が言えようか。下手に口を開けば泣きそうになって歯を食い縛らなければならなかった。守られて泣くことは情けないことだと思うだけの理性はまだキラにも残っていた。

 

「やれやれ、完全にこっちが悪者だなこりゃ」

「諸悪の根源が言わないで下さい」

 

 これは困ったと苦笑いをしている顔を向けて来るムウに、騒動を引き起こしておきながら反省もしてない男にマリューは軽く殺意すら覚えながら辛辣に言い切る。

 

「きっついなぁ。ほら、銃を下ろせ。民間人に何時までも銃を向けてんな」

 

 マリューの言いようはきついながらも的を射ている。頭を掻いたムウはまだ銃を向けている警備兵に向かって銃を下ろすように腕を下に下ろすジェスチャーをしながら言った。

 警備兵も少年少女に銃を向けていることは気が咎めるのか躊躇うように最高責任者であるマリューを見た。判断を仰ぎたかったのだ。

 

「いいわ、銃を下ろしなさい」

 

 これぐらいは自分で判断してほしいものだと頭の隅で思いながらマリューは指示を出した。警備兵達もホッとした様子で銃口を下ろす。

 今すぐにドンパチをやる気配がなくなったとはいえ、場に満ちる緊張感が消えたわけではない。コーディネイターであるキラがこの場にいる意味、地球軍の新型機動兵器に乗ったことなど問題は多い。

 

「ラミアス大尉、これは一体……」

「そう驚くこともないでしょう? ヘリオポリスは中立国のコロニーですもの。戦渦に巻き込まれるのが嫌で、ここに移ったコーディネイターが居たとしても不思議じゃないわ。違う? キラ君」

 

 ナタルの困惑を最もだと理解しながらも、心情的に同じコクピットに乗った少年を敵と思えないマリューは想像も含めて事情を推察してキラを見た。

 

「ええ、僕は一世代目のコーディネイターですから」

「両親はナチュラルってことか。いや、悪かったなぁ。とんだ騒ぎにしちまって。俺はただ聞きたかっただけなんだよね」

 

 マリューの問いに頷きを返したキラは、ムウの呆れた理由に少しの怒りを覚えた。それでも沸点を超えさせないのは彼が身に纏うオーラや雰囲気のお蔭なのだろう。

 そんな理由で聞いたのか、と全員の呆れた視線が集中して思うところがあったのか、誤魔化すように首の後ろを掻いていたムウがストライクを見上げた。

 

「ここに来るまでの道中、これのパイロットになるはずだった連中のシミュレーションをけっこう見てきたが、奴等、ノロくさ動かすにも四苦八苦してたんぜ。それを上手く動かしてる奴がいるってんなら話もしたくなるさ」

 

 正規パイロットを知るムウの発言に誰も何も言えない。彼らが見上げる唯一奪われなかったストライクはその性能を如何なく発揮してザフトのモビルスーツ、ジンを倒したという。それがよりにもよってコーディネイターの手によって行われたのだから運命の皮肉を嘆かずにはいられなかった。

 なんとか悪い方向には転がらなかったキラは、ムウの発言に行き場を失くしていた。彼らの期待をよりにもよって叶えてしまったのがコーディネイターである自分では何も言えるはずもない。

 そんな時だった。艦内放送が鳴り響いたのは。

 

『バジルール少尉! モビルスーツがアークエンジェルに急速接近していますっ!』

 

 デッキ中に鳴り響く、ブリッジに残ったジャッキー・トノムラの声に全員が身を固める。

 

「何っ!?」

 

 名指しされたナタルだけでなく、マリューやモビルアーマーのパイロットであるムウが咄嗟に走ろうとするが既に遅い。キラは行動に移すべきか迷って一瞬遅れた。

 

『駄目です!? 迎撃間に合いません!』

 

 絶望に満ちた、ダリダ・ローラハ・チャンドラII世の金切り声がカタパルトデッキに響いたのと、ストライクに匹敵する巨体がカタパルトデッキに侵入してくるのは同時だった。

 恐らく走ってきたのだろう、ジャンプしてカタパルトデッキに乗り上がったモビルスーツは足裏のバーニアを吹かして慣性を殺すと見事に着地して見せた。

 着地したモビルスーツはストライクの肩に手をかけて、右手に持つ銃口がマリュー達に向けられる。人間を丸呑み出来そうな銃口を向けられて、人が向けるのとは違う別の圧力を感じてデッキにいた全員が体を強張らせた。

 バーニアの影響を受けて腕で顔を伏せた軍人達とは違って、ストライクの脚が壁になってくれた少年少女の中で、キラは銃口を向けて来るモビルスーツがストライクに似ていることに気がついた。

 

「ストライクに似ている?」

 

 ジンと違い、奪われたGにも共通する人の顔に似せたようなツインアイにフェイスマスク。細かな意匠は違うものの、同系統の機体であると言われても信じられるほどに酷似している。

 

『ストライクが似ている、よ。この機体の方が作成は先なんだから』

 

 モビルスーツのパイロットがキラの発言を聞き咎めたのか、外部音声を通して女性の声がデッキ中に響く。その聞き覚えのある声にマリューの顔色が変わった。

 

「その声はアマカワ博士!? あなたが乗っているんですか!」

 

 数時間前に会って話をしたばかりの酒飲み仲間であるミスズ・アマカワの声をマリューが間違えるはずがない。しかし、それでも目の前で銃口を向けて来るモビルスーツのパイロットがミスズであるとは信じたくはなかった。

 

『正解。でも、パイロットじゃないわよ』

 

 それだけ言うとコクピットハッチが開き、中からくすんだ金髪を首の後ろで束ねた、白衣を着た実用性を疑う小さすぎる眼鏡を鼻の上に乗せた女が出て来る。

 ストライクの肩から手を離したモビルスーツが腰元に持って行き、その上にコクピットから出て来たミスズが乗った。ストライクがやったのと同じように滑らかな動きでマリュー達の前に下ろす。

 

「お久しぶり、マリュー。また生きて会えて嬉しいわ」

 

 モビルスーツはミスズがいるからか、銃口をどけた。残る緊張した場に似合わぬにこやかに笑みで旧友に挨拶するミスズに、マリューは直ぐに言葉を返せなかった。

 口の中の唾を飲み込んで、ようやく喉がカラカラに乾いていることに気がつく。

 

「…………どういうことですか、アマカワ博士?」

 

 舌が絡まるのを自覚して、それでもマリューはミスズに問わずにはいられなかった。

 

「友好を温めに来たんじゃない。親友が危険に晒されているから助けようと思って」

 

 藪蛇だったみたいだけど、とストライクを見上げたミスズの視線にキラはシグーの右足を撃ち抜いたレーザーがモビルスーツのライフルによるものだと理解した。

 動き回るモビルスーツを的確に狙って当てられる自信は今のキラにはない。事実、隙を見せたシグーには十分な狙いを計って撃ったのに当てのは右腕だけ。

 

「じゃ、ザフトのモビルスーツの右足を撃ち抜いたのは……」

「そう、この機体よ」

 

 キラが零した言葉に、ミスズは跪いているモビルスーツの装甲を手の甲でコンと叩いた。

 

「何を聞きたいのかしら。今の状況? それともこの機体のことかしら?」

「全部です」

「困ったわね。全部話そうと思ったら一日以上はかかるけど本当に聞く? 何時、ザフトが攻めて来るか分からない状況下で自殺行為だと思うけど」 

 

 はぐらかすように笑うミスズに、旧友が何を考えているのかが分からず、迂闊に踏み込めないものをマリューは感じ取った。彼女がマリューの何倍も頭が良いことは酒の席でのなんでもない会話からでも窺い知れている。話術で勝てる自信は全くなかった。

 こういう時は親しい間柄であるからこそ、なにを優先して問うべきかを迷った。そんなマリューの横からナタルが前に出た。

 

「では、そのモビルスーツのことだけでも教えて頂きたい」

「あなたは?」

「第2宙域、第5特務師団所属ナタル・バジルール少尉であります」

「ふぅん、まぁいいけど」

 

 明らかにマリューと対応が変わって、人によって対応を変える人物を好きにはなれないナタルは表情には出さなかったが好きにはなれない相手だと思った。

 

「Gは大西洋連邦とオーブが共同開発したことは改めて言う必要もないわよね」

「改めて言われなくても分かっています」

 

 大西洋連邦、と地球連合ではなく連合を構成している一組織を上げたことがどこか皮肉なことを言っているように聞こえてナタルは眉を顰めた。しかし、マリューはミスズが何が言いたいのかが分かるような気がした。

 Gは対ジンを目的とした、ザフトと戦うことを想定して作り上げられた機体だ。なのに、作り上げたのは大西洋連邦と連合に所属していないオーブ連合首長国。つまり、ミスズは地球連合は決して広報部が言うような一枚岩でないと言っている。

 

「この機体はあなた達の技術も取り込んで完成させた機体…………卑怯とは言わないでよね。まさかオーブのコロニーで開発をしといてこっちに見返りもなしなんて都合の良いことは考えていないでしょう」

 

 ぐ、とそう言われて、文句を言いかけたナタルは吐き出しかけた文句を詰まらせた。

 他国のコロニーを使用し、あまつさえ襲撃を受けているリスクを考えればオーブに返って来るメリットがあるべき。モルゲンレーテが共同で開発しているのだから技術を盗用してモビルスーツを作り上げることは上層部でも考えつかぬはずがない。

 

「上層部では暗黙の了解だったみたいよ。こうやって表向きは協力して出し抜かれる可能性を見越しても完成させたかったらしいわね」

 

 続くミスズの言葉に、ナタルは自分の推測が外れていないことに落胆を覚えた。

 せめてもの粗を捜そうと現れたモビルスーツを見上げた。

 

「先の動き、パイロットはコーディネイターですか」

 

 モビルスーツの操縦はコーディネイターしか行えないと言われている。それはナチュラル用のOSが完成していない状況では不可能だからだ。ストライクに乗り込んでジンを倒したキラの例もあり、ナタルがパイロットをコーディネイターと考えたのは自然だった。

 

「いえ、ナチュラルよ」

「…………では、博士はナチュラル用のOSを完成させていたということですか。地球連合に提出したのは偽装したものだと」

 

 平然と返って来た返答に、もしやと考えたマリューは親友を疑いたくはないがそうでなければ理屈に合わない。モビルスーツをナチュラルが操縦しているならナチュラル用のOSが完成していることを示している。

 

「ああ、まだよまだ。多少の細工はしたけど完成はしてないわ」

「ですが、パイロットはナチュラルでは」

 

 連合側に提出したOSに細工していたことを暗に認めながらも、完成していないのならナチュラルが操縦しているなら理屈に合わない。先ほどの見事な動きといい、ナタルにもマリューにも信じられるものではない。

 食い下がるナタルに、ミスズはモビルスーツを見上げた。

 

「そうね…………ユイ! 出て来なさい!」

「ユイ?」

 

 最近聞いたばかりの聞き覚えのある名前にマリューは思い出せずに頭を捻った。だが、一度は閉じていたコクピットハッチが開いて、そこから小柄な人影が出て来るのを見て思い出した。

 

「まさか……」

 

 マリューの驚きを知りもせず、ヘルメット被ったままのパイロットは身軽にも一度ストライクの膝の上に降りてから地面に着地する。

 ナチュラルとは思えない身軽な動きと運動能力に周りが驚くも、パイロットがヘルメットを取った時の衝撃に比べれば小さいものだった。

 

「キラよりも子供じゃねぇか」

 

 ヘルメットを取ったパイロットの顔を見たトールが唸るように言った。

 若い、この場にいる最年少であるキラよりもずっと若い。トールから見ても15歳になっていないのは、体に張り付くパイロットスーツを盛り上げる未成熟な肢体が証明していた。

 ヘルメットを小脇に抱えて、親を見つけた子犬のようにパイロットがミスズの下へ行くのを誰もが唖然と見ていた。

 

「ほら、自己紹介しなさい」

「ユイ・アマカワです」

 

 ミスズに促されて、名前だけを名乗ったユイが感情など感じさせない声と表情で機械的に頭を下げてまた上げる。

 

「それだけ?」

「他に何を言えと」

「ほら、趣味とか好きな物とかあるじゃないの」

「趣味も好きな物も特にありません」

「じゃあ、普段してる事とか」

「訓練…………としか」

「改まって聞くと危ない人みたいね」

「言えと言ったのは博士です」

 

 周りを置き去りにして漫才のようなやり取りを続ける二人。白髪赤眼で動かない表情と人形染みた容姿を持つユイが時折、不満そうにしていたり呆れていたり、表情は変わらないが雰囲気的なものか感じ取れる。彼女はミスズの相手をしている時は不思議な人間味を覗かせていた。

 二人の世界を形成しているところへ、若干の耐性があったマリューが踏み込んだ。

 

「博士、本当にその子が操縦していたのですか?」

 

 コーディネイターであるキラでも信じられなかったのに、彼よりも幼い少女が操縦していて更にナチュラルだと言われれば確認したくもなる。

 

「コクピットから出て来るのを見ていたじゃない。何よ、疑う気? なんならコクピットを見てもいいわよ。誰もいないから」

「彼女に操縦できるとは思えません。しかもナチュラルと言われても。ナチュラルではモビルスーツを操縦することは出来ないはずです」

 

 常識として、ナチュラルにはモビルスーツを操縦できないと念頭に置いてしまっているナタルはミスズが嘘をついていると言ってくれた方がよほ信じられた。問い続ければボロを出すのではないかと言葉を重ねる。

 

「ちょっとした事情があるんだけどね。この子は純粋なナチュラルではないから、コーディネイター用のOSのチューンしたのを搭載しているアストレイ・グリーンフレームを操縦できるのよ」

「アストレイ・グリーンフレーム?」

 

 マリューは純粋なナチュラルでないとミスズが気になることを言っている方を気にしたが、ナタルは聞き覚えのない名称の方が気になったようで繰り返した。

 聞かれたことが嬉しいのか、ミスズは首を巡らせて後ろのモビルスーツを見た。

 

「この機体の名称よ。この子が考えたにしては良く出来てるでしょ」

 

 隣にいるユイの頭をポンポンと、娘の偉業を誇る母親のように撫でた。

 当のユイも心持ちか頬が赤くなっているような気がする。見間違いと言われればその通りだが、人形染みたところのある彼女もミスズに褒められるのは嬉しいのだろうか、とマリューは考えて彼女達が親子であることを今更ながらに思い出した。

 

(似てないわね)

 

 容姿も何も似ていないところに、ミスズがユイを純粋なナチュラルではないと称した理由があるように思えて、仲の良い二人に余計な茶々を入れるのも野暮だろうと疑問を自分の中にしまい込んだ。

 そんな彼女の前をミスズが白衣に手を突っ込んだまま横切って行った。その先にいるのは困惑した様子のキラ・ヤマト。

 

「で、あなたがストライクを操縦したパイロットね。名前を聞かせてくれる?」

 

 マリューが止める暇もなくキラの前に立ったミスズは、覗き込むように顔を見下ろした。

 長身の女性に見下ろされて圧迫感を感じたキラは艦に乗り込んだ当初の気概をとっくの昔に失くして、元よりある気弱な面が表に出て来た。

 

「キラ…………ヤマトです」

 

 名前を問われたので大人しく答えたキラの表情は、雨の日に捨てられた子犬のように頼りなかった。水に濡れた瞳に眉は垂れ下っていて、整った甘いマスクと相まって特定の可愛いもの好きのミスズの大好物であった。

 

「可愛い顔してるじゃない。食べたいぐらいだわ」

「ええと、あの」

 

 ジュルリ、と舌なめずりしたミスズにキラの雄的な部分の警報が逃げろと最大限で警鐘を鳴らしている。何故か口から蒸気が見えそうなプレッシャーを出すミスズに、逃げなければならないのに全身が蛇に睨まれた蛙のように固まっていて足がピクリとも動いてくれない。

 顔だけは動かせれたのでトール達の方を向いて視線で周りに助けようとしたら、トール達は既にマリュー達の傍という絶対安全圏に避難していた。

 

「ちょ、トール!?」

「悪い、俺にはミリィがいるから」

「もうトールったら恥ずかしいことを言わないの」

 

 ここはやはり大親友のトールに助けを求めようとしたら、隣のミリアリアといちゃつき出した。二人とも分かっていてやっている。

 

「サイ! カズィ!」

「だから僕は常から思うわけだよ。工学系がモテないのは仕方ない。でも、キラだけがモテてるのはやっぱり男は顔って証明なのかな」

「そんなことはないって。きっとお前を好きになってくれる女の子も現れてくれるさ」

 

 サイとカズィを見れば青少年の悩みを吐露しているカズィを年長者らしくサイが慰めている。どう見てもカズィは本気なのにサイだけは台詞が棒読みだったが。

 キラは完全に見捨てられていた。

 カトウゼミの全員に裏切られたキラは、これはカトウゼミ流の肉体言語で会話する必要があると決心を握り締めた拳と共に固めた。

 まずはトールと肉体言語で会話しようとしたキラの首が誰かによって強制的に強引に前に戻される。

 

「良し、食べちゃおう」

「は?」

 

 前を向いた視界には睫毛の数を数えられるほどドアップにまで近づいているミスズの顔。

 あ、と思った時にはどうしようもないほど近づいており避ける暇もなかった。

 

「ふむぐっ!?」

 

 両手でガシリと顔を押さえつけられ、目の前には瞼を閉じたミスズの綺麗な顔立ち。鼻に香るのは甘い女性の匂い。そして唇に当たっている柔らかい感触。初めての口づけを奪われたと嘆く暇すらもない。ABCの人生で一度だけの初Aを呆気なく奪われたキラの脳裏には淡い思いを抱いていたフレイ・アルスターの笑顔が脳裏から遠ざかって行く。

 キラは脳裏のフレイが手を振ってどんどん遠ざかっていくので必死で追いかけようとした。しかし、キラは追いかけようとしているのに蛸の吸盤に全身を搦められたように動けない。それどころか蛸足の本体に近づいていく。

 

「むぐっ!?」

 

 口が強引に開かれミスズの舌まで侵入してきて、キラの舌と合わされ縺れ擦られる。

 唾液が吸われ、舌が吸われ、酸素さえも吸われると錯覚するほどに吸着していくる唇。舌がまるで別の生き物のようにキラの口内を蹂躙して暴れまくる。

 グチャグチャ、チューチュー、と二人の口から卑猥な音が鳴り響く。

 振りほどこうにも女性を傷つけることが出来ないキラには弱い抵抗しか出来ない。何時の間にか顔を固定していた両手が移動していることにも気づかなかった。

 

「はむっ!?」

 

 右手が後頭部に回され、左手が尻を掴み上げられたのを感じて奇声を上げた。

 キラの体はミスズの細身の体では信じられない力で体が浮かび上がっていて、浮かぶ両足がジタバタと空を切る。尻を掴み上げた左手の人差し指が肛門付近を触って来る感触に目を見開くほどの叫びを上げかけたが、声はミスズの口の中へと消えていった。

 

「うわぁ、ディープキスしてる。くそっ、俺もしたことないのに!?」

「やるわね、キラ」

「流石は年上キラー」

「哀れ」

 

 トール・ミリアリア・サイ・カズィと順にコメントを発表し、サイに同調して皆がハンターに狩られる獲物と化したキラに黙祷を捧げる。

 

「いい性格をしてるよ、お前ら」

 

 ちゃっかりと安全圏に避難して近くにいるトール達にムウは呆れながら、これは後でいいネタになると予感を覚えながら目でバッチシと記憶する。パイロットスーツにはないがこのようなハプニングを想定して軍の制服には胸元にポケットに小型カメラを仕込んでいたので残念である。

 

「これなら着替えて来るんだった。ちっ、折角のシーンを見逃しちまったぜ」

 

 何度艦内でオペレーターといった女性兵士と逢引していたパイロット仲間のシーンを撮影して暴露したことか。着替えて来なかったことを後悔していた。彼も方向性は違ってもトール達と同類だった。しかも性質の悪い方向に。

 

「ん――んんんっ、んっ……」

 

 貪られる側のキラは徐々に抵抗の力すらも失って、緩慢になってきた抵抗の手がミスズの白衣を掴んでいるのでまるで受け入れているようにも周りからは見えた。

 

「は、破廉恥な!?」

 

 ナタルはこういうことに免疫がないのか、顔を盛大に赤らめて目を背けていた。それでもやはり気になるのか、チラチラと見ては顔を赤らめている。

 乙女なナタルの仕草に胸をときめかせている男がいた。アーノルド・ノイマン曹長である。

 

「可憐だ」

 

 ぽつりと零した一言に、近くでその言葉を聞いたロメロ・パルとコジロー・マードックの度肝を抜いていた。彼らはナタルを規則にお堅い典型的な軍人と考えていたので、女性としてはとても見れなかったのだ。

 色んな方面に激震を起こしているのを見てマリューが頭痛を堪えるように頭を押さえていると、末期みたいに痙攣し出したキラにやっと満足したのかミスズが口を離した。二人の唇の間を繋ぐ長い糸が垂れる。

 

「ふぅ、御馳走様」

「あ、アマカワ博士。何を突然……」

 

 親友の突然の行動に、ジンに立ち向かって勇敢だったキラ・ヤマトが呆気なくノックアウトされて地面に転がるのを見てマリューは突っ込んだ。疲れた様子のマリューとは違ってミスズはキラの生気を絞り尽くしたように、肌が艶々と輝いていた。

 

「若い燕のエキスを貰っていたのよ。いやぁ、流石は若いだけあって芳醇だわ」

 

 この女はサキュバスか、と満足そうに艶っぽく息を吐く姿を見て、マリューは割と真剣にこの相手と友達関係を続けるべきか悩んだ。

 

「博士はキス魔です。10代前半が好みのようで」

 

 ご丁寧にユイが、ミスズがキラにした行為への説明をしてくれる。

 しかし、年齢の矛盾を発見したサイは頭を捻った。

 

「キラは16歳のはずなんだけど」

 

 10代前半が好みならキラは対象外ではなかろうかとサイは思った。

 

「童顔が悪い」

「可愛ければなんでもいいのよ」

 

 サイの疑問にユイが、成程と納得してしまうほどの意見を出した。確かにキラは年齢よりも若く見える童顔だった。だが、ミスズが補足した内容は身も蓋もない。

 

「おーいキラ君、大丈夫ですかー。駄目だ、返事がない。屍のようだ」

 

 倒れているキラにトールが近づいて指先でツンツンと突くも、キラは完全に意識を別世界に飛ばしていてご臨終なされていた。南無、と横に並んだカズィと共にキラの冥福を祈っていた。

 何時もならここでキラも目覚めてるのだが、予想以上に唇を奪われて口内を蹂躙されたダメージが大きいようでピクリとも動かなかった。

 

「確かに美人なら俺も年が多少上下しても気にしないもんな。分かる。分かるぜ、その気持ち」

「「大尉っ!」」

「おっとやべぇ」

 

 思わず本音を吐露したムウは、マリューとナタルに睨まれて逃げ出した。気絶してしまったキラといい、ノリに付いていけなかった者を置き去りにして色々とグダグダのまま色んな事がうやむやになってしまった。それこそがミスズの狙いなのだと気づくこともなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘリオポリス外の宙域にガモフとヴェサリウスはいた。宇宙空間内での敵を掃討し終え、湾口も破壊したことでヘリオポリスから敵がやってくることもない。

 小惑星に隠れる必要もなくなったヴェサリウスのモビルスーツデッキは慌ただしい空気で満ちていた。

 

『第5プログラム班は待機。インターフェイス、オンライン。データパスアップ、ウィルス障壁、抗体注入完了。データベース、コンタクトまで300ミリ秒。 第2班……』

 

 艦内アナウンスが流れる中で、隣にマシュー機のジンを置いたX303イージスがモビルスーツヘッドに固定されて様々なケーブルに繋がれていた。

 地球連合から奪取したばかりなので問題がないかウィルスチェックを行い、データの吸出して他様々作業が並行して行われていた。イージス一機のヴェサリウスはまだマシな方で、三機も収容したガモフでは作業員がきっとてんてこ舞いになっているに違いない。

 

「………………」

 

 赤のパイロットスーツのままイージスのコクピットの中でシステムの調整を行っているアスラン・ザラの頭の中を占めていたのはイージスのことでも地球連合のことでもない。ストライクに乗り込んだと思われるキラ・ヤマトのことだった。

 次々とシステムをナチュラル用からコーディネイター用に書き換えていくアスランの脳裏に思い描かれているのは、三年前に別れた時の泣きそうな友の姿。

 

(本当にあれはキラだったのか)

 

 新型機動兵器の肩の上で、地球連合の士官と共にいたのは間違いなく成長したキラ・ヤマト。硝煙と爆炎の中での望まぬ再会。頭の中では本人だと認めていても、最も見られたくなかった相手に感情が否定をし続ける。

 鼻に香るのは三年前の桜の香り、断じて数十分前の硝煙の臭いではないはずなのにと、理性と感情が鬩ぎ合っていても目はシステムを追って手はキーボードを叩き続けていた。

 

「うわ!?」

 

 コクピットの外から聞こえた声に、アスランの意識はようやく過去から戻って来た。

 モニターに落としていた顔を上げれば慌てた様子の整備員の姿があった。手元に視線を落とせば自分の領域を超えて向こうにまで干渉してしまったことに気づいて申し訳なくなった。

 

「すまない。ついそっちまで弄ってしまった」

「ああ、大丈夫です。外装チェックと充電は終わりました。そちらはどうです?」

 

 過去にばかりうつつをぬかし過ぎて大事な仕事を疎かにしてしまった不始末を相手に押し付けてしまったと心配したアスランに対して、整備員は弄られた範囲が修正可能なことを確認して告げる。

 

「こちらも終了だ。しかしよくこんなOSで」

 

 どうやら不手際で手間を取らせずにすんだと一安心したアスランは操縦桿についているボタンを押して付属のキーボードを自動で直しながら呟いた。

 ナチュラル用のOSは決して専門でないアスランが見ても不出来が目立つ代物であった。とてもではないが機体の性能を活かしきれない。例え完成しても折角の機体が宝の持ち腐れにしかならないものだった。しかし、逆に言えば改善の余地が幾らでもあるということで、アスランの顔には不安が残った。

 シートから立ち上がろうとしたアスランの耳に、モビルスーツデッキに鳴り響くアラートに一瞬身を固めた。

 

『クルーゼ隊長機帰還。被弾による損傷あり。消火班、救護班はBデッキへ』

 

 アラートに続いて響き渡る艦内アナウンスに騒然となるモビルスーツデッキ。

 直後、カタパルトデッキの射出口が開いてシグーが飛びこんでくる。バックでスラスターを吹かしながら制動をかけるシグーが準備されていた防護ネットに収まった。

 アスランと共にイージスの調整を行っていた整備員の一人が静止したシグーを見て絶句した。

 

「クルーゼ隊長があれだけの損傷をするなんて……」

 

 イージスのコクピットから身を乗り出したアスランも右手を右足を失っているシグーを見て絶句した。

 シグーのパイロットであるラウ・ル・クルーゼはザフトの中でも指折りのトップガンで、並外れた機動をもって実戦で殆ど被弾したことがないことでも有名であった。

 ザフト内での訓練でも彼に被弾をさせただけで有名人扱いになれるのだから実力は折り紙付き。アスランも訓練でジンを操って赤を着た五人で掠り傷一つも与えられずに撃墜された記憶は新しい。

 

(まさか、でもあいつなら……)

 

 胸の中で走った考えに、クルーゼの心配よりも過去の親友を優先していることに気づいて、装甲の冷却が始まったシグーから思わずアスランは後ろめたくなって目を背けた。

 

「隊長!」

 

 熱せられていた装甲が冷却材によって急速に冷やされていくことによって発生する蒸気音を切り裂くように、アスランの耳に聞き覚えのある声が聞こえて視線をシグーに向けた。そこにはヘルメットのミラー部分から微かに見える金の髪でミゲル・アイマンと分かる体がシグーに取り付こうとしていた。だが、ミゲルがシグーに取り付くよりも先にコクピットハッチが開いた。中から無謀にもパイロットスーツを着ていないラウ・ル・クルーゼが五体満足で出て来る。

 モビルスーツの修理や整備がある整備員はともかく部下の自分が動かないのは問題があるだろうと考え、アスランもまたイージスの装甲を蹴ってクルーゼの下へ向かう。

 

「お怪我は?」

「大丈夫だ。だが、Gの母艦らしき新造戦艦も出て来た。残ったGといい、状況は良くない」

「「!?」」

 

 無重力でクセのある長い金髪を揺らしながら相変わらずの仮面には一つの変わりもないクルーゼの発言に、クルーゼの近くにいたミゲルも向かっていたアスランも共に体を固めた。

 

「あれらをこのまま残しておけば後々の災いとなろう。ここで沈めるぞ」

 

 ラウ・ル・クルーゼという男には、人を惹きつける何かがある。カリスマと言ってもいいのかもしれないが、同時に人を突き放したところがあるのでアスランは上司として信頼しながらも人として信用を置けないでいた。

 

「戦艦もまたかなりの機動性と防御力があると見た。確実に沈めるにはD装備が必要になる。準備を急げっ!」

「「はい!」」

「!?」

 

 D装備――――拠点攻撃用重爆撃戦装備に分類されるミサイルランチャーの使用に踏み切ったクルーゼに、整備員が戦意を滾らせて答えたのとは違ってアスランは信じられない面持ちだった。

 ヘリオポリスを破壊しかねない装備を使うことに躊躇いを見せなかったクルーゼに思うところもあれば、疑う様子も見せずに了承した整備員にも同様だった。

 アスラン・ザラの母親はコロニーの破壊によって死んだ。だからこそ、コロニーが危機に陥るかもしれない行為を自らが所属する組織の、それも尊敬する上司が行うなど信じたくなかった。

 

「クルーゼ隊長、お願いがあります」

 

 一言言いたくなったアスランの機先を制するように、乗機を失ってヘリオポリスから帰還したばかりのミゲルが先に口を開いた。

 

「俺に残ったGをやらせて下さい」

 

 並々ならぬ決意を猛らせたミゲルの言葉に、クルーゼは何時ものように薄く笑みを浮かべ、アスランは親友が乗っているかもしれない機体の話題を出されて動揺を表情に出さないようにすることで精一杯だった。

 

「ふむ、一人でやらせろと言っているように聞こえるが気のせいかな?」

「気のせいではありません。俺はそのつもりでお願いしています」

 

 試すような問いかけるような、クルーゼ特有のどこか曖昧な問いかけにミゲルは小指一本も揺るぎさえしなかった。決して付き合いの長いわけではないアスランでさえ分かる。今のミゲルが不退転の決意で物申していると。

 

「分かっているだろう、あの機体の相手をするのにジンが向かないことは」

 

 物理攻撃をほぼ無効化してしまうフェイズシフト装甲は、実体兵器しか持たないジンの天敵とも言える。

 Gの相手をするのは同系列の機体か、フェイズシフト装甲をしていようが意味をなくさせるビーム兵器のような攻撃オプションを持つものに限られる。ジンの兵装ではD装備に分類されるザフト側の初期ビーム火器「M69バルルス改 特火重粒子砲」に限られる。

 特火重粒子砲にしても大口径の割には威力も高くなく機動力も削がれるので、ジン以上の機動性を持つG相手には重しにしかならない。

 

「電力を食うフェイズシフト装甲を使っていれば、いくらバッテリーを改良しようとも長時間の展開は出来まい。先に戦艦を沈め、補給を断ってから確実に沈める。私の作戦に異論はあるかね?」

 

 フェイズシフト装甲だろうと無敵ではない。展開し続けるには電力を消費しなければならない。ニュートロンジャマーの影響下で、核ミサイルをはじめとする核分裂兵器、核分裂エンジン、原子力発電などは使用不可能となる。モビルスーツのエンジンは絶対にバッテリー型になるのだ。

 フェイズシフト装甲を有するGは圧倒的な防御力を有しながら継戦能力に問題を抱える機体であった。攻略する方法は簡単である。補給できる母艦を先に破壊し、バッテリーの電力を使い切ったところを墜とす。クルーゼの作戦に穴はない。

 

「いえ、ありません。ですが、その作戦ではGを戦艦から遠ざけ、足止めする役が必要になります。ジン以上の機動をするGを相手には隊長か…………俺でなければ不可能なはずです」

「確かに。オロールやマシューでは少し不安がある。私のシグーもこの様だ。ミゲルに足止めの役割を命令することになるだろう」

 

 言ってクルーゼは目の前のミゲルではなくあらぬ方向を見つめた。アスランがクルーゼの視界を追うと、そこには左手と頭部を失い、腰部に被弾の跡が残るマシューの機体だ。

 予備機が一機あるので、ミゲルかマシューのどちらを乗せるかと言われればアスランでもミゲルを押す。

 同じようにマシューの機体を見たミゲルは、再びクルーゼにその強い視線を戻した。

 

「足止めではなく撃破してしまっても問題はないはずです。頼みのGを失えば地球連合も戦意を失うでしょう。戦意を失えば新造戦艦なぞ恐れるに足りません」

「ほう、強く出たな。出来るかな、一度負けた君に」

 

 ミゲルの論理には筋が通っている。だが、その理屈もGに勝てなければ何の意味もない。クルーゼの挑発染みた言いようのように、油断もあっただろうが艦の貴重な戦力を失った者を作戦指揮官である者が受け入れられるはずがない。

 

「モビルスーツ乗りとしての誇りを穢されたんですよ! ナチュラルに負けたままでは本国には戻れません! いい恥さらしです!」

 

 パイロットスーツの胸元に握った右拳を強く叩きつけ、コーディネイターとしての自尊心、モビルスーツ乗りとして黄昏の魔弾とまで呼ばれた誇りがミゲルを戦えと猛らせる。

 

「隊長! 俺に奴を討ち取るチャンスを下さいっ!!」

 

 今までに見たことがないほどのミゲルの気迫に、二人と共にデッキの壁近く流されてきたアスランは完全に呑み込まれて聴衆と化していた。もしアスランが作戦を指揮する立場にあったならミゲルの意志を受け入れていたことだろう。しかし、クルーゼはアスランと違って冷ややかだった。

 

「意志は認めよう。だがミゲル、君の提案は受け入れられん。G相手に普通のジンでは足止め以外は認められない。それだけの性能差がある。気持ちだけで成し遂げられるならとっくの昔にザフトは地球連合を倒しているだろう。作戦に変更はない」

 

 クルーゼは冷徹なまでにミゲルの強い意志をあっさりと跳ね除けて、ブリッジに戻る為だろう、壁に足をつけて背中を向けた。

 

「しかし、もし君専用のカスタムジンが出せるならば考慮しよう」

 

 ミゲルの専用カスタムジンは先の作戦で傭兵サーペントテールと交戦し、相打ちによって右手の肘から先を失って中破している。そのすぐ後にヘリオポリスでの作戦に従事したので、デッキの端で修理もされないまま置いておかれている。

 

「カスタムジンの損傷は右腕のみ。丁度運良く壊れたマシュー機のを代用できるだろう。修理と調整が間に合えばミゲルの提案を作戦に組み込もう」

「っ!? 間に合わせてみせますっ!!」

「期限はブリーフィングまでだ。朗報を待っている」

 

 壁を蹴って入り口に飛んで行くクルーゼに向かって、彼の姿が見えなくなるまでミゲルは頭を下げていた。

 アスランにはクルーゼを止めることの出来る利も、ミゲルを思い止まらせる理由も、何もなかった。アスラン・ザラに出来ることは早速整備員に声をかけて回って動き始めたミゲルを見ていることだけだった。

 せめてヘリオポリスに大きなダメージを与える可能性のあるD装備だけでも止めてもらおうと、クルーゼの後を追って壁を蹴った。

 デッキから廊下に抜け、しばらくしてブリッジの手前でクルーゼに追いついた。

 

「クルーゼ隊長!」

 

 呼びかけた声に振り返った仮面の視線に全てを見透かされているようで、アスランは気後れする自分がいることを認めざるをえなかった。

 

「アスラン。ミゲルと一緒にいたようだがイージスの調整は終わったのか?」

「終わっています。作戦のことでお話が」

 

 続きを話そうとして、軍人としては尊敬できながらも本質を読まさせないクルーゼに苦手意識を覚えているアスランは喉の奥で言葉が詰まるのを感じた。

 何時までも睨めっこをさせてくれる人でもない。アスランは意を決して口を開いた。

 

「コロニー内でD装備など危険すぎます。ただでさえ我々の破壊によってダメージがあるのに、隊長はヘリオポリスを破壊されるおつもりですか!」

 

 言っていて、母を失った時の怒りや喪失感が蘇って来て声が荒げるのを抑えることが出来なかった。

 部下に、遥か年下に怒鳴られても怒った表情どころか気配すら見せずに逆にクルーゼは理解の表情を浮かべた。

 

「君の母上は確かユニウスセブンで亡くなったのだったな」

 

 レノア・ザラ――――農学博士でユニウスセブンにて農業研究に携わっていたアスランの母は、血のバレンタインでユニウスセブンの破壊と共に帰らぬ人となった。多くの人達と共に未だに亡骸すら見つかっていない。

 

「っ、……ええ、そうです。ですから、コロニーを危険に晒すには止めて下さい」

 

 心の傷を無遠慮に触れられた痛みに、目の前の男に殴り掛かりたい衝動に駆られながらもアスランは自らの軍人としての立場を思い出して自重した。上司に食ってかかっていることを理解て本当に最後の一線だけを守れてしまうのがアスラン・ザラという少年だった。

 

「君の懸念も理解している。私も好き好んでコロニーを危険に晒したくない」

「なら、D装備でなくても」

 

 拠点攻撃用重爆撃戦装備は地表に当たれば甚大な被害を招く。クルーゼにその気がなくても戦闘で100発100中などありえないのだから、どうやってもコロニーにダメージを与えることになる。

 

「君もGを解析したならば分かったはずだ。ザフトですら実用化していないフェイズシフト装甲やビーム技術。モビルスーツに実装しているなら戦艦にも何かがあるのではないかね?」

「それは!? …………確かにそうですが」

 

 イージスを奪取して先程まで調整していたアスランだからこそ、クルーゼの言いたいことがな何であるかよく分かってしまう。否定も出来ず、されど肯定してしまえばコロニーが危険に晒されることが分かりきっているので口を開けない。

 クルーゼを納得させる理由を考えつかず、アスランは拳を握り締めて俯くことしか出来ない。

 俯いているアスランを見やったクルーゼがニヤリと笑った。

 

「装備に変更はない。が、ザフトがコロニーを破壊すれば醜聞が悪いのは確かだ。ブリフィーングでコロニーにダメージを与えないように厳命しておこう。これが私に出来る最大の譲歩だ」

 

 アスランが顔を上げた時、クルーゼは笑みを消していた。

 

「あ、ありがとうございます!」

「礼はいい。Gの調整が終わったならミゲルの手伝いをしてくるといい」

「はい!」

 

 一転して喜びを露わにするアスランにクルーゼは鷹揚に手を振るだけであった。申し出を受け入れてくれた隊長にアスランが不満を覚えるはずもない。嬉々とした足取りでデッキへと戻って行った。

 アスランの姿が廊下の向こうへ見えなくなるまで見届けたクルーゼは、他人が見れば底冷えするほどの暗い笑みを浮かべていた。

 

「厳命しようがあの戦艦の機動力では躱されることもありうる。コロニーがどうなろうが構わないが次期評議会議長のザラの息子のご機嫌を取っておいて損になることはあるまい」

 

 アスランの願いなど損得だけで受け入れ、かつ意味などないと分かっていながら利用するクルーゼ。副官のアデスや彼を信頼している部下達が知らないクルーゼがそこにいた。

 

「さて、どう転ぶかなこの事態は」

 

 暗い笑みを引っ込めて、掌の上で踊る愚者達を眺める王のように超然としたクルーゼはブリッジへと入って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アークエンジェルに収容されたキラ達カトウゼミの学生は軍の重要機密を見たこともあって艦内の居住区で軟禁状態にあった。

 宇宙戦艦であるアークエンジェルの居住区はお世辞にも広いとは言えない。士官や艦長クラスの部屋と比べて、末端の兵卒が暮らすことになる居住区は集団で寝泊まりすることだけを前提としているので一言で言ってしまえば狭い。

 重要機密を扱う立場でもないので機密性など皆無に近く、一室には四人が寝泊まりする艦に組み込まれているベッドが二段で四つの寝台。

 ミスズ・アイカワの濃厚なディープキスによって意識を失ったキラが二段の下の狭い布団の中で目を覚ましたのは、運ばれてから直ぐの事であった。

 

「……ぅ……」

「あ、キラが目を覚ましたみたいよ」

 

 悪夢を見ているように全身から冷や汗をダラダラと流しているキラが唸り声を上げたのを、トールと並んで同じ布団の端に座っていたミリアリアが気づいた。

 ミリアリアの声に反応して薄らと目を開いたキラは視界が定まっていないのか、茫洋とした視線をベッドの天井に向ける。

 

「おい、キラ。大丈夫かよ」

 

 顔から生気を奪われたようなキラの様子にトールが完全に棒読みな口調で問いかける。

 

「言葉だけで心配されても嬉しくともなんともないよ、トール」

 

 まだ頭のスイッチが入っていないのか、キラもまた完全に棒読みな口調で返したことが彼の現在の状況を示している。ミスズに本当に何もかも吸い尽くされたようなキラに、しかし仲間達は一切の容赦ない。 

 

「あんな美人とキスしたキラが悪い」

「けっ」

「僕、ファーストキスを無理矢理奪われたのに悪者扱いだなぁ」

 

 嫉妬を滲ませながらイイ笑顔で隣にいるミリアリアから捲り上げている袖から露出している腕を抓られて罰を受けているトールはまだしも、向かい側でトール達と同じようにベッドに腰を下ろしているカズィが盛大に舌打ちをしながら唾を吐いているのを見て、キラは枕に顔を押し付けて泣きたくなった。

 カトウゼミでは平常通りと言えばそうなのだが、住んでいるヘリオポリスの現状に参っているキラには冗談ではすまなかった。そんなキラを救ったのはカトウゼミの最後の良心だった。

 

「大丈夫か、キラ。気持ち悪いとか、頭が痛いとか、体に異常はないか?」

「サイ、もう僕は君に一生ついていくよ」

 

 トールの棒読みな口調とは違うサイ・アーガイルの言動と口調が一致した心掛けに、女性不審が芽生えかけていたキラは一気に男色に傾いていた。枕元に膝をつけて冷や汗で額に張り付く髪の毛を優しげに払いのけてくれるサイにキラの胸のキュンキュンと締め付けられる。割と真剣に尻の穴の捧げてもいいと考え始めていた。

 危ない方向に超絶進化しかけていたキラを救ったのは、やはりサイ・アーガイルの手だった。優しげに髪を梳いていたサイの手がキラの頭を鷲掴みにする。

 

「別に羨ましいとか思ってないからな。本当に、本当だからな?」

 

 ミリアリアと似て非なるイイ笑顔でサイはキラの頭を鷲掴みにした手に力を込めていく。

 

「え、サイ? ちょっと頭がミシミシっていってるんだけど。真面目に痛いんですが!?」

 

 傾きかけた愛が手に込められた万力の如き力によって物理的に元の位置に戻され、キラは研究ばかりで運動神経が死んでいるはずのサイに文句を言いながら身悶えする。

 コーディネイターとしての生まれ持った力を使えばサイを圧倒できるはずなのにしないのは、キラの他者を傷つけるのを厭う性格とカトウゼミに入ってから刻み込まれた上下関係の所為だろうか。

 

「あんな美人とふか~いキスまでしたキラ君なら平気だろ。うん、平気に決まってる」

「怒ってる?! サイも怒ってるよね! 頭蓋骨が危ない音を立てて軋んでるよ!?」

 

 色眼鏡の向こうで逝っちゃってる目をしたサイがブツブツと独り言のように呟きながら、細腕のどこにそんな力があるのかと思うぐらいにキラの頭蓋骨が立ててはいけない危ない音を出している。

 キラは助けを求めて頼りになる兄貴分を見たが、当のトールは暗黒のオーラを醸し出すミリアリアによって部屋の隅に追いやられて子犬のようにガタガタと震えていた。

 

「トォール」

「ひぃっ!? ゴメン、赦してミリアリア様っ!!」

 

 よほどミリアリアはトールの言いようが気に入らなかったらしい。トールは頼りにならず、取りあえずいい気味だと思いつつも頭の軋みに残った一人に視線を向けた。

 

「フッ」

 

 残った一人、カズイ・バスカークは良い見世物だと冷笑を浮かべていた。助ける気などサラサラない態度だった。

 自分を助けてくれる人がいないことを悟ってキラはジタバタと暴れ出した。それでもサイを傷つけないようにしているのは驚嘆ものか。

 ギャーギャー、キーキー、フッ、と収拾のつかない室内を訪れた者がいた。アーノルド・ノイマン曹長である。

 

「何をやってるんだ、君達は?」

 

 どこから突っ込んでいいかも分からなくなったノイマンは、とりあえずそれだけは言えた。

 ノイマンの発言に部屋の中が静まり、まずサイがキラの頭を掴んでいた手を離して反対側のベッドに腰掛け、トールを部屋の隅に追いやっていたミリアリアがサイの真向かいに座った。

 何事もなく座ったサイとミリアリアを見遣ったカズィは、おもむろに口を開いた。

 

「何時もの通りですが」

「どの口が言うんだ、どの口が」

 

 平静そのもののカズィに、ノイマンは思わず間髪入れずに突っ込んでしまった。

 モビルスーツを動かしてジンを撃退した少年はベッドの上で壁側を向きながらシクシクと泣いているし、部屋の隅にいる少年は壁に向かって三角座りをしながら「ゴメンなさい。もうしませんから許して下さい、ミリアリア様」と念仏のように唱えている状況を何時も通りとほざくカズィの神経を信じられなかった。

 

「カトウゼミは大体こんな感じです。オチ担当のトールと最下層のキラが弄られるのは何時もの通りです」

 

 ウンウン、とカズィの発言に同意するサイとミリアリアに自分が学生だった頃を思い出したノイマンはジェネレーションギャップを感じて天井を見上げた。

 暫しその体勢で自分が年を食ったことを実感したノイマンは、自分の為すべきことを思い出して顔を下ろした。すると、キラとトールは復活してそれぞれベッドの端に腰かけていた。信じられない復活力である。

 もうこの連中で驚くことは止めようと心に決めたノイマンは、本当に彼らに頼って大丈夫かと思いながら口を開いた。

 

「すまないが艦の仕事を手伝ってくれないか? ザフトの攻撃でこの艦に乗り込むはずだったクルーのかなりの人数がやられて人手が足りないんだ」

 

 ノイマンの提案に、マリュー達が合流した時にその場にいて大体の事情を把握していたキラ達は顔を見合わせた。

 「どうする?」と互いの視線を交わし合って口に出さずに意見を出し合ったカトウゼミの学生達は、最終決定権を最年長のサイに預けた。

 

「頼みを聞くかどうかは具体的な内容を聞いてから決めます。どうすればいいんですか?」

 

 言葉を交わすことなく視線だけで会話している学生達に仲は良いのだなと妙な感慨を抱きつつ、サイの慎重な意見に尤もだと頷いたノイマンはナタルから聞かされていた仕事のリストを頭の中に浮かべる。

 

「怪我人の手当てと荷物運びだ。怪我人の手当てを手伝ってくれるなら医務室へ、荷物運びを手伝ってくれるならMSデッキへ行ってくれ。危険性なんてない。普通の仕事だよ」

 

 仕事内容を聞いたサイは頭の中でノイマンの発言に裏がないかを考え、そんな余裕もないだろうと純粋に人手不足から手伝いをしてほしいと頼んでいることを推察した。

 コロニーに穴まで開いた状況で今からアークエンジェルを出て空いているシェルターを捜すことは危険極まりない。見つけられたとしても5人全員が運良く入れる保証もなく、軍艦とはいえアークエンジェルに留まることは安全面を考えれば悪い選択肢ではない。

 その場合、ザフトの攻撃を受けるリスクが高いのが難点だがシェルターだって巻き込まれる可能性は十分にある。

 どの選択肢も一長一短。どの道、地球連合がモビルスーツに乗ったキラやそれを見たサイ達を放っておいてくれるはずもないのだから、手を貸して借りを作ることは甘そうなマリュー・ラミアス艦長のことを考えればないよりもマシな選択になる。

 

「分かりました。手伝います」

「そりゃ助かる」

 

 サイが受け入れてくれたことに、現在のアークエンジェルに民間人といえど遊ばせておく余裕がないことをナタルに散々言われたノイマンはホッとした様子で胸を撫で下ろした。

 ノイマンの安堵を尻目に、カトウゼミの生徒らは次の行動へと移ろうと話し合いを始めていた。

 

「この人数だし、二手に別れよう」

 

 一ヵ所にに全員で手伝いに行くよりは、二手に分かれて両方を手伝った方が相手の印象も良くなると考えたサイ。艦長のマリューを見れば、モビルスーツを動かせるキラに対する人質なんて考えは取らないだろうと楽観もあった。

 

「じゃあ、サイとカズィはMSデッキな。俺とミリィは医務室に行って怪我の手当てをしてくる」

「勝手に決めるなよ、トール」

「男手は荷物運びに決まってるだろ。となるとミリィが医務室になるし、そうなれば彼氏の俺がそっちに行くのも当然。こんなところで彼女を一人に出来ないからな」

 

 どういう区分けにするかと思考していたサイの対面にいるトールが矢継ぎ早に答える。カズィが文句を言うものの、その後にトールが言っていることは間違ってはいない。

 カトウゼミの肉体労働担当であるトールは荷物運びに適任だが、ミリアリアをそちらに振り分けるわけにはいかないので医務室に回すことになるのだが100%地球連合を信用しきれない状況で人質になる可能性が最も高い女性である彼女を護るのにサイとカズィの二人では頼りないのは事実。彼氏であるトールが傍にいる方が心強いのはミリアリアの安心した顔を見れば分かる。

 今更変更というのも無粋かと考えて、その旨をノイマンに伝えようとしたサイを遮る者がいた。

 

「あの、僕は?」

 

 キラ・ヤマトである。ベッドの端っこの方で独り寂しそうに小さく手を上げるキラを見て、トールもサイも彼の名前を出していないことに気がついた。

 キラを除いた男三人は顔を見合わせ、意見の同意を持って頷きを交わし合った。キラに伝える代表してサイが色眼鏡の位置を整えながら口を開く。

 

「キラの好きにすれば?」

「酷いっ!?」

 

 投げやりな発言にキラはショックを受けて背中側にある布団に身を沈めてシクシクと泣き出した。

 キラが泣き出すのを見て、男三人衆は望む結果を得られて「イェーイ」とハイタッチを交わす。

 

「何時もこんな感じなのか、お前達」

「ちょっと勢いが弱いです。やっぱりヘリオポリスがこんな状況で何時ものノリは出せませんよ」

 

 困った、と頬に手を当てて溜息を吐くミリアリアにノイマンは、こいつらの日常はなんなのだと内心で思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザフトの襲撃によって正規クルーの大半を失って手が回らない軍人達の手伝いを強いられいたトール達。サイとカズィはMSデッキに向かい、直ぐに復活したキラは取りあえず怪我人が気になったのでトールとミリアリアと共に医務室を訪れた。

 

「あのぉ、手伝いをするように言われてきたんですけど」

 

 こういう最初の挨拶は年長者の仕事だとミリアリアに背中を押されたトールが扉が開いて開口一番になんとも頼りなさげ過ぎる発言をする。しかし、彼らに返ってきたのは軍人の叱責などではなく、生か死かの天秤に乗せられた者達を必死に生へと傾けようと戦うナタルの叫びだった。

 

「おい、サンダース二等兵! しっかりしろ! これくらいの傷では死なんぞ!」

「バ、バジルール少尉殿のような美人に看取られて死ねるなら本望であります。故郷の母さんに伝えて下さい。俺は立派に戦ったって」

 

 医務室の床に他の居住区から持ってきたシーツの上に寝かされている兵卒に向かって怒鳴っているのは、副長のはずなのに駆り出されているナタル・バジルール少尉。怒鳴られたサンダース二等兵は長い長い旅路の果てに目的地に辿り着いた旅人のように悟った表情で、安らかで煤が残る顔にはやりきった男だけが出来る笑みが浮かんでいた。

 

「だから足を折ったくらいでは死ねんと言っている!」

 

 ナタルが言うようにサンダース二等兵の右足の骨折のみで、ザフトの襲撃時に落ちて来た鉄骨を避けた際に壁で足をぶつけただけの命にはなんら別状のない怪我である。今にも臨終しそうなサンダース二等兵に医務室の奥から固定具を手に持ったミスズ・アマカワが近寄る。

 

「はいはい、怒鳴るのはいいから動かないように押さえつけておいてね。固定するわよ」

「はい!」

 

 思いっ切りやっちゃって下さい、と目が言っているナタルにミスズは気圧されたのか少し引き気味に成りながら骨折部位の固定を開始した。

 ミスズのやり方が荒いのか、ギャーと叫びを上げるサンダース二等兵。戦場の悲劇を象ったドラマのような展開が、どこにでもある三文芝居の喜劇と化した医務室のテンションにトール達はついていけなかった。

 

「あ、あのー」

 

 手伝いに来た立場としては何時までも突っ立っているわけにもいかず、トールはあからさまに引けている声で、トール達と同じく外様らしいミスズではなくナタルに話しかけた。

 

「なんだっ! 今、忙しい!!」

 

 キッと口調と同じく鋭い視線を向けられたトールの腰が目に見えて引けた。同じようにキラも大事なところが縮み上がるのを感じて、トールの背中に隠れてしまう。キラがトールの背中に隠れたのはミスズがいたからでもあったが。

 

「…………あ、学生達か。すまない、怒鳴ってしまって」

 

 声をかけたのが学生達だと気づいたナタルは表情を和らげ、怒鳴った非を素直に詫びた。

 ナタルが自分の非を素直に謝るタイプとは思っていなかったトールとキラは、少し疲れた様子の彼女に子供では出せない大人の色気が出ているようで少し惹かれたのは二人だけの秘密である。当然、ミリアリアにはお見通しで後でトールが折檻しようと考えていたりもする。

 

「いえ、こちらこそ忙しい時に来てしまってすみません。こちらの手伝いをするように言われて来たんですけど」

 

 トールを見て一瞬だけ暗いオーラを覗かせたミリアリアは、ナタルを見た時には何時もの様子に戻って訊ねていた。

 

「すまない、助かる。軍医もいなくてな。博士が助けてくれなければどうなっていたことか」

 

 制帽を脱げばいいのに被ったままのナタルにキラなどは突っ込みたい衝動に駆られたが自重した。疲れた様子のナタルに言って、美人を苦労させるのは思春期的な感情から嫌われたくない男心だった。きつそうに見えてもやはりナタル・バジルール少尉は美人さんだったからである。

 

「まさか私も本職じゃない軍医の真似をさせられるとは思ってもいなかったわ」

「人手が足りないのです。本来なら他国の人間の手を借りるわけにはいかないのですが、そうも言ってられない状況はお分かりのはずです。医療の心得があるなら手伝って頂きます」

 

 サンダース二等兵の骨折を固定し終えたミスズがぼやくように言うのをナタルが若干の申し訳なさそうに、また納得もいってなさそうに言うのがその場にいた全員の印象に残った。

 

「分かっちゃいるけど、色々と納得できないものがあるのよ」

 

 ぽん、と骨折部位を叩いてサンダース二等兵を悶えさせながらの最後の一言を忘れない辺りがミスズらしい。

 

「で、何をしたらいいですか?」

 

 愚痴を聞かされるのは苦労性のサイだけで十分と考えたトールは、突っ立っていてもしょうがないと問いかけた。

 

「では、君は私の手伝いをしてくれ」

「はい」

 

 ナタルはそうやってミリアリアを指名して医務室の奥に連れて行き、残った男二人にミスズが向かい合う。

 

「あなたたちは艦内にいる怪我人を連れて来てね。重傷者は先に治療して居住区に放り込んだけど、軽症者は手が空いてないからって後回しになってるから探して連れて来て」

「解りました」

 

 トールは背後にいるキラが借りて来た猫のように大人しくなっていることに気づき、経緯を考えれば仕方ないかと思いつつも若干の面倒臭さを感じつつ頷いた。

 

「それとサンダース二等兵を部屋に連れて行って。命に別状はないし、居住区の適当な部屋に放り込んでくれたらいいから」

「ひ、酷い」

 

 ぞんざいと言えばあんまりな扱いをするミスズにサンダース二等兵は小さな目に涙を浮かべて抗議した。

 大の男の涙目など見苦しいだけだ。10代前半の可愛い子が好みのミスズは逆に汚らわしい物を見たように顔を顰めた。

 

「私に看取られようとしなかった罰よ」

「俺に年増の趣味は……」

 

 可愛いもの趣味でも他の女の方を選ばれるのは嫌らしい。鼻を鳴らしたミスズはサンダース二等兵を物扱いする理由を語った。しかし、サンダース二等兵にミスズほどの年上の趣味は無いらしく、顔を逸らしながらぽつりと呟いた。

 

「ふんっ!」

 

 失礼な発言に額に青筋を浮かべたミスズの脚が振り上げられ、もう少しでパンツを覗けそうになるのを男の性で趣味ではないと言いながらも見ようとしたサンダース二等兵の腹にパンプスが食い込む。

 ぐふ、と口から身が出そうな息を吐いてサンダース二等兵は動かなくなった。

 恥じようのない男の生き様に思わず軍人でもないのに敬礼を送ったキラとトールに、摩訶不思議なほどに重さを帯びたプレッシャーが圧し掛かる。発生源は言うまでもない。ミスズ・アマカワだ。

 

「さっさとこの邪魔なゴミを捨てて来てくれる?」

「「yes、sir!!」」

 

 決して逆らってはならないと、宇宙に出ても退化しなかった人の動物的な直感が二人に悟らせた。ミスズの言葉に綺麗な敬礼を返して、男二人は気絶しているサンダース二等兵を肩に担ぎ上げてさっさと医務室を出て行った。

 

 

 

 

 

 サンダース二等兵を居住区の一室に放り込んで、ミスズの怒りを買わないように艦内を駆けずり回って怪我人を見つけては医務室に叩き込んでいったキラは、トールを囮にして一人で抜け出した。これ以上はミスズと同じ部屋にいることに、まだ耐えられるような精神状況ではなかったのだ。ファーストキスを奪われた心の傷はまだ大きい。

 取りあえず元いた居住区の部屋に戻ることにして廊下を歩く。そんなキラに後ろから声がかかった。

 

「あれ、キラじゃん」

「サイにカズィ? MSデッキに行ったんじゃないの?」

 

 声をかけてきたのはサイで、振り返ればその隣にカズィもいる。MSデッキに行ったはずの二人が廊下にいることにキラは頭を捻った。

 

「行ったんだけど、荷物を運びすぎてどこになにがあるのか分からなくなったんだと」

「キラが乗ったモビルスーツのマニュアルがデッキの方で見つからなくて艦内を捜してくれって頼まれたんだ」

「もしかして艦内全部を虱潰しに捜してるの?」

 

 だとすれば、広大なアークエンジェル内を捜す労力は、MSデッキを除外するにしても信じられないほど莫大なものになる。トール達に付いて行って正解だったなとキラが安堵した瞬間だった。

 

「いや、書類のありそうな場所ってことで場所の当たりは大体ついているから全部ってわけじゃない。人の出入りの多い食堂でジャガイモの箱に入っていた一冊と、ブリッジに他の書類と混ぜっていた一冊を見つけたしね」

 

 そう言って、サイが後ろ手に抱えていた二冊の本を見せてくれる。

 借りてパラパラとページを捲れば、キラがOSの書き換えをする為に弄ったシステムの概要が書かれている。やはり機体に組み込まれているシステムだけでは分からないような詳細が書かれていて、不完全なOSとは違って完成度の高い機体にキラは思わず感嘆した。

 

「後は大体捜したから残るは館長室だけだよね」

「じゃあ、僕も手伝うよ。こっちはもう終わったから」

 

 残る探す場所が一つとなれば暇していたキラもマニュアルを返しながら同行することに決めた。こいつ後が楽だと知ったら興味本位で付いてくる気になったな、とサイとカズィは気付いたが同行を断る理由はない。三人は揃って艦長室に向かった。

 艦長室にやってきたキラは二人が何の躊躇もなく自動で開いたドアを気にせずに入ったことに慌てた。

 

「ちょっと、勝手に入っていいの? マリューさんってブリッジにいるんでしょ。確認ぐらい取った方がいいんじゃ」

 

 地球連合の艦の艦長の私室に入ることは、カトウ教授の研究室に入る以上に危険な行為だ。キラが躊躇うのも当然だった。

 

「まだあのマリューって人、艦長になったばかりだろ。私物なんてないだろうし、構わないって」

「僕達に探すのを指示したマードックさんが偉い人が目を通したりするんじゃないかって言ってたからいいんじゃない? 何かあったらマードックさんの所為にしたらいいし」

「そういう問題かなぁ」

 

 妙に楽観的なサイといい、何かあったら責任を他人に押し付けようと画策しているカズィといい、カトウゼミの生徒はみんなこんなのばっかだなとキラは諦めの境地に達した。

 仕方がないから何かあったら二人に無理矢理に室内に入れられたと主張しようと考え、気にすることなく入って行った二人の後を追って室内に入る。しっかりとカトウゼミに毒されているキラだった。

 

「さて、書類がありそうな所っていうと机周りか」

「ベッドの傍にも段ボールが置いてあるよ?」

「カズィとキラにそっちは任せるよ。俺は机周りを調べるから」

 

 一方的に決定を下したサイはさっさと机の方に向かってしまう。カズィと顔を見合わせたキラは、仕方なく二人でベッドの傍にある段ボールに足を進める。

 一杯ある段ボールの山にキラはどこから手をつけたらよいかと迷った。

 

「結構、一杯あるね。段ボール」

「そうだね。僕はこっちから開けていくからキラはそっちを頼むよ」

「うん、解った」

 

 二人で手分けして開けていくカズィの意見は真っ当で、キラは特に逆らうことなく了承した。

 カズィがベッドの頭の方から開けていくのを見て、キラは足下側から段ボールを開けようとして、その目に変な物が映った。

 

「なんだろ、このヒラヒラしたの?」

 

 段ボールの端に少しだけ見えている布製の切れ端に気づいて、手に取って引っ張った。中から出て来た布製の切れ端の正体が白日の下に曝されてキラは一気に赤面した。

 

(こ、これはマリューさんの下着だ! は、早く仕舞わなきゃ!!)

 

 布製の切れ端はマリューのパンツだった。キラからすればストライクに乗せられた時に後から乗り込んできた自分よりも大きい尻を知っているので、どうやって収まるのか不思議でならない小ささのパンツが手の中で存在を主張していた。

 元に戻さなければならないと分かっているのに、女性の下着を手にしているという事実が体をカチコチに固まらせていた。そんなキラを救う救世主ならぬ地獄に叩き落とす悪魔が近づいてきた。

 

「どうしたの、キラ? もう見つけたの?」

「ぇっ!? ま、まだだよ。なんでもないよ。なんでもないったらなんでもないよ!」

 

 段ボールを開ける手を止めて問いかけて来るカズィに、咄嗟に見られないようにズボンの後ろポケットに下着を突っ込んで盛大にドモリながら答える。

 今のキラからすれば下着を持っている状況を他人に知られるのは不味いの一言ではすまされない。それもカトウゼミの面々に知られてしまったら地獄入りのサインを自分で書いてしまうのと同義。なんとしても隠さなければならなかった。

 

「なら、いいけど」

 

 不審な目を向けながらもキラが精力に段ボールを開けて捜索を再開したのを見て、カズィも作業に戻った。

 キラが内心で盛大に安堵していると机周りを捜索していたサイが声を上げた。

 

「ちょっと手伝ってくれるか。怪しいファイルがあったんだけど積み重なった書類の下にあって取れないんだ」

「うん! 分かった!」

 

 怪しんでいるカズィの近くにいるのは危ないと、キラはサイの手伝いを向かって急いだ。積み重なった書類からファイルを引き抜こうとしているサイに近づく。

 

「こういう時は慎重に……それっ!」

「うわっ!?」

 

 慎重にと言いながら何故か豪快に件のファイルを引き抜くサイ。そんなことをすれば積み重なった書類が倒れるのは当然。そして倒れていく書類の山にキラが巻き込まれるのも当然の流れだった。

 急いでいたので倒れて来る書類を避けることも出来ずに巻き込まれたキラが倒れる。

 

「おいおい、キラ。折角最後の一冊を見つけたのに何やってんだよ」

「書類を倒したのはサイじゃないか」

 

 自分がやったことなのに悪びれた様子もないサイにカズィが文句を言いながら書類をどけながらキラを引っ張り出そうとした。そこでカズィはキラのズボンの後ろポケットから何かが出ているのに気がついた。

 

「なんだ、これ?」

 

 背後からカズィが手を伸ばしてくる気配を感じ取ったキラはジンが襲い掛かって来た時以上の脅威を感じた。

 逃げなければならない。隠している物が見つかればキラの人生は終わる。

 

「うわ――っ!」

 

 キラは自由を求めて逃げた。書類を吹っ飛ばして立ち上がり、走り出した。カズィとサイが止める間もなく一目散の逃げっぷりだった。

 あっという間に艦長室から出て行ってしまったキラに、なにがなんだから分からずに二人は顔を見合わせるばかりだった。

 逃げ出したキラは近くで隠れていて、二人が艦長室から出た後にコッソリと忍び込んで下着を戻そうと考えた。

 

「まぁ、いいや。マードックさんに持って行こう」

「やっと終わったよ。結局、キラは何の役にも立たないし」

 

 ぶつくさ言うカズィを宥めながらMSデッキに向かう二人の背中を廊下の影から見届けたキラは、西暦の頃に極東の国にいたという「NINJA」のように足音を忍ばせ、気配を殺して艦長室に向かう。ズボンの後ろポケットから取り出したマリューの下着を手に持って。

 最新の注意を払って艦長室に侵入することにキラは無事に成功した。

 灯りをつけてはいけない気がして、部屋は真っ暗だ。だが、異様な集中力を発揮しているキラの目には暗い室内がぼんやりと見えた。

 

「よし、後は元あった場所に直すだけだ」

 

 艦長室に入ったのはまず第一段階と自らを戒め、下着を握るのとは違うもう片方の手で浮き出た汗を拭う。

 後一息だと考えて、一歩また一歩と下着を見つけた場所であるベッド脇の段ボールを目指す。

 4メートル、3メートル、2メートルと少しずつ部屋の入り口から段ボールへと距離を詰めていく。今この時のキラの集中力はモビルスーツのOSを書き換えた時の比ではなく目の前のことだけに意識が集まっていた。

 

「やっとだ。やっと僕は……」

 

 変態のレッテルを張られる重圧から解放される、と1メートルを切って熱い感慨が湧き上がって来て喉の奥から迸りかけた言葉を塞いだ。

 遮る物もなく、キラ自身の忙しない呼吸音と流れ落ちた汗が地面を叩く音と耳に届く心臓の高鳴りだけが世界を占めていた。

 段ボールまで50センチのところで足を止めてゆっくりと膝をつく。右手に持つマリューのパンツを目前にある段ボールへと手を伸ばした。正にその瞬間だった。艦長室のドアが開いたのは。

 暗い室内に廊下の灯りが射す。

 

「あ……」

 

 愕然として振り返ったキラは殺害直後の現場を見られた犯人のように体を硬直させた。

 逆光によってシルエットしか見えないが、徐々に光に慣れた目が幼い肢体を映し出す。

 

「ユイ・アマカワさん」

 

 キラの口から艦長室のドアを開けた人物の名前が自動的に出て来た。意識したものではない。

 

「キラ・ヤマト」

 

 艦長室の扉を開けたユイは、医務室にいるミスズからアストレイ・グリーンフレームの大まかな概要を書き記した書類をマリューに渡す為にやってきたのだが、とんだ現場に遭遇してしまっていた。

 ユイの視界の先には彼女の背後から差し込む廊下の光を浴びて、暗がりの中で段ボールに跪いて何故か右手に女物のパンツを握るキラ・ヤマトの姿がある。

 人生経験が薄く、また感情表現も多様ではないユイは、このような時にどうすればよいのかが分からなかった。取りあえず、艦長室で女物なのでマリューのらしいパンツを握るキラが世間一般的に変態を呼ばれる人種であることは分かった。

 

「違うんだ、これは!」

 

 数メートル先で片手にパンツを持ったままの少年が何やら弁明しているが、変態の言葉は全て言い訳なので聞いてはならないとパイロット候補生のアサギ・コードウェル、マユラ・ラバッツ、ジュリ・ウー・ニェンの三人娘から何故か笑み混じりで言われていたので無視する。

 頭に思い浮かぶのはミスズがこれもまた何故か笑顔で教えてくれた対処方法。

 

(博士が言っていました。変態を発見した時の対処方法を)

 

 第一に誰かに助けを求めることと言われたような気がしたが、格闘訓練を受けてオーブで本職の軍人にも負けたことの無いユイには助けを求めるという発想が理解できない。助けを求めるぐらいならば自分でぶちのめした方が早い。しかし、仮にも民間人の少年をぶちのめしてしまうのは色々と不味いことも分かる。となれば、残った手段は一つ。

 普段ならば体格差もあってユイが見上げねばならないがキラは跪いているので好都合。体を僅かに横に向けて顔を心持ち上げて視線はキラを見たまま、斜め上から少年を見下げるように意識する。そして一言。

 

「この、変態っ」

 

 変態と言う前に間を開けて語尾を強くするように言い、軽蔑の眼差しを付け加えたら更に良しと言われていたので正確に再現する。すると、ユイの主観で変態男であるキラは大層傷ついた顔をした。

 

「僕は変態なんかじゃない! 誤解なんだ――――っ!!」

 

 割とマジで涙を流すキラが涙を流して叫びながら走り出して、部屋を出て避けたユイの横を駆け抜けて行く。その手にマリューのパンツを握りながら。

 

「あ」

 

 少し行ったところでよほど慌てていたのか、何もないところでキラは転倒した。顔から倒れ込んだが大丈夫だろうかとユイも流石に心配になった。

 ユイの心配を余所に驚くべきことに何事もなかったように起き上がったキラは、ようやくその手にパンツを握り締めたままであることを気づいたらしく、立ち上がって舞い戻って来た。

 ユイの前で立ち止まって彼女の手を握ってマリューのパンツを渡したキラはまた脱兎の如く駆け出した。

 

「ゴメンなさい――――っっ!!」

 

 艦内中に響き渡る情けない叫びと共に。

 ユイは手に残ったパンツを見た。キラが長時間握り締めていたからか、まるで誰かが履いていた直後のように生暖かい。

 

「変態、それは気持ち悪いもの」

 

 ようやくユイは自分が言った変態の意味を理解した。同時にキラ・ヤマトが変態であるとも。

 



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第4話 楽園追放

 

 数で圧倒的に劣るプラントが地球連合と互角に戦えているのには理由があった。

 ザフトの初代制式主力機にして世界初の汎用量産型MSであるZGMF-1017ジンが宇宙での地球連合の主力兵器であるMAを圧倒したのである。

 C.E.69年L5宙域事変において、史上初の戦闘用MSジンを実戦投入したザフトは圧倒的少数でありながらプラント理事国のMA部隊を圧倒し、L5宙域に駐留していた宇宙軍を排除する事で、その有効性を世界に見せ付けた。

 同じ兵器であるモビルスーツとモビルアーマの差があるとすれば、まず第一に圧倒的な運動性の差が挙げられる。

 モビルアーマーは複雑な機動を行うことが出来ず、反対にモビルスーツはまるで羽をつけた人のような動きが出来る。作業機械から発展したモビルスーツはあらゆる状況での活動が求められるため、優れた運動性を持っているのだ。誘導兵器が基本であったモビルアーマーでは、機体自体の運動性がモビルスーツほどに求められていなかった設計構想の差とでもいうべきか。

 もう一つ、兵器としての汎用性の差がある。

 ミッションによって装備をある程度固定された状態で出撃するモビルアーマーと違い、モビルスーツは基本装備で多様なミッションや先頭に対応することが可能であった。専門の武装をパージしたとしても、人型ゆえに戦場で武装を持ち変えることが可能という汎用性の高さもあり、モビルスーツとしての最低限の戦闘能力は失われない。

 もちろん、武装単位での攻撃力の圧倒的な差もあり、また血のバレンタイン事件を起こした核兵器を使えなくさせるために放たれたニュートロンジャマーの副作用によってレーダー兵器の弱体化した状況下においては、身長20メートルの人型兵器が扱う近接武器は大きな脅威となる。

 他にも機体の出力自体の差、モビルアーマーの持つ兵器を無力化する装甲など、プラントが来るべき戦いの為に備えて対モビルアーマーを想定したモビルスーツを開発したのは当然の流れであろう。

 一説にはモビルスーツとモビルアーマのキルレシオ(彼我に発生した損害比率を示す軍事用語)は、1対5とされているが実際の戦場におけるモビルスーツの脅威は、それ以上だったと言わざるを得ない。

 月面エンデュミオン・クレーター上でのグリマルディ戦線において、ザフト軍のジン5機を撃墜して「エンデュミオンの鷹」という異名を持ったムウ・ラ・フラガのような例外を除いて、モビルアーマーでモビルスーツに勝つのは容易な事ではなかった。

 地球連合軍側もザフトに対抗して独自のモビルスーツの開発に乗り出すことは当然の成り行きだった。一つの悲劇と少年の運命を変えることを誰も知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザフトの攻撃によって極端な人手不足に陥った地球軍の新造戦艦アークエンジェルは、副長のナタル・バジルールまでもが管轄外の医務室に乗り込むなど、民間人をも駆り出しての慌ただしい時間は収まって来た。

 とはいってもそれは上の立場、艦のこれからを決める立場の者達がようやくこれからのことを考えられるようになったに過ぎない。

 例えばMSデッキでは、運ばれる物資を次々と艦内に運んでいるので監督する立場にあるコジロー・マードック軍曹などは時間の経過が進むごとに加速度的に仕事が増えててんてこ舞いになっている。

 艦内中が少ないながらも喧騒に包まれているの対して、アークエンジェルの動向を決めるべく幹部会にも似た話し合いをするブリッジは静かなものだった。

 ブリッジにいるのは4人。

 地球連合からは生き残った中で階級が最も高い大尉であるマリュー・ラミアスとムウ・ラ・フラガ、続いて少尉のナタル・バジルールの三人。いずれも大西洋連邦に所属する軍人である。

 残った一人は、先に合流したオーブ側の責任者であるミスズ・アマカワ。地球連合の新型機動兵器Gの開発にも協力していた技術者である。

 ヘリオポリス内の地球連合と脱出し損ねたオーブの話し合いは、なによりも艦を発進できるようにしてからだと同意もあって今の今まで後回しにされていた。

 ようやく時間が取れてブリッジに集まってはいるがまだ話し合いは始まっていない。事実上の艦の最高責任者であるマリューがヘリオポリスのダメージ確認をコントロールセンターに取っているところだった。

 本来ならばオーブ側のミスズがやるべきことなのだが、地球連合と合流してしまったので色々と都合が悪いと彼女がマリューに押し付けた結果だった。なので、話が終わるまではマリュー以外の三人は適当な世間話をしていた。

 話題は勿論、医務室で辣腕を振るったナタルに向けられた。

 

「聞いたぜ、医務室で実に手際良く怪我人の治療をしてたって。艦中の噂にまでなってる」

 

 操舵席に座って回転椅子を回して正面モニターに背を向けたムウは楽しげにナタルを見て賞賛した。

 話の矛先を向けられたナタルはまさか少ないとはいえ艦中の噂になっているとは思わず目を丸くしたが、素直に賞賛を受け入れるには彼女がしたことは軍人としては真っ当とは言い難いのでそれらしい言い訳を考える。

 

「わ、私は艦の安全の為には一人でも多くの人材が必要だからその為に出来ることをしているだけです。からかわないで下さい。博士ですね、そんなことを言ったのは」

 

 噂の発信源らしい艦長席に座るマリューと操舵席に座るムウの間で自分の真向かいに立っているミスズを恨めしそうに見る。

 

「私が医者の真似を出来るって言ったら問答無用で連行した仕返しよ。ええ、本当に酷使してくれたわ」

 

 疲れたわぁ、と顔を紅くしたナタルに鋭い視線を向けられたミスズが右手で左肩を軽くポンポンと叩いた。

 動作も少し鈍くするなど演技が細かい。人をからかうことに命をかけている女はやることが徹底的であった。

 

「うぅ……」

 

 ムウは分かりやすい演技に引っ掛かってナタルが申し訳なさそうに顔を伏せた姿ににやつくミスズを見て、彼女が自分の味方であることを理解した。極上の獲物が無防備にも野原の上を警戒もせずに歩いているのを見つけたハイエナのように目を煌めかせえう。

 

「真っ先に医務室に行って、博士が来るまで一人で頑張っていたじゃないか。なにも気にすることなんかない。寧ろ誇っていい」

「でも、人使いの荒さだけはどうしかしてほしいわね。使われるこっちとしては大変よ」

 

 そこで二人は少し間を開けてナタルの反応を確認する。

 褒めちぎりなムウには顔を赤らめて恥ずかしがり、叱責にも似たミスズには身を小さく縮めていた。

 ナタルの反応を見た二人は言葉を交わさずにアイコンタクトをする。

 

《責めるよりは褒めた方が面白いんじゃない?》

《慣れてないのかね。じゃあ、褒め殺しの方向で》

《了解》

 

 弄り甲斐のある相手を見つけた二人は、ナタルが叱責されて身を縮めるよりも褒められている場合の反応の方が面白いことに気づいた。人に褒められることに慣れていないのか、一々反応が初々しい。反対に責められるのには異様なほどに反応が慣れているように感じ取れた。

 モビルアーマーのパイロットとして多くの戦場を渡り歩き、またそれだけの上司と部下を持ってきたムウだからこそ奇妙にも思えた。

 

「努力は評価する物でしょ? バジルール少尉は仲間思いなだけです。仲間の為に身を粉にして動いてくれた彼女を我々は誇りに思います」

「そこまで言われたら私も無碍には出来ないわね。ゴメンない、バジルール少尉。私、あなたを誤解していたわ」

 

 方針転換をしたミスズが褒める方に加わったことでナタルの顔は耳まで真っ赤になっていた。よくぞここまで赤くなれるものだと思えるほどにナタルの反応は過敏だった。

 

「今は戦闘中ではないのですから副長として手の足りない部署を手助けしただけです! 決して他意はありません!」

 

 表情だけはまともにしても顔を真っ赤にしては説得力が足りない。

 自分でやっておきながらミスズはナタルの、義娘のユイとはまた違った情緒の未成熟さが少し気になった。

 

(もしかして軍人の家系で親が厳しかったとか、そんな口かしら)

 

 ミスズには、部下相手にはキリッとした顔を崩さなかったナタルの今の崩れようを見ているとそう思えた。

 親に褒められるが殆どなく、学校や軍では人間的な部分を褒めることなどあまりないので目上の立場には弱いタイプなのではないかと予測を立てた。

 

(ま、お堅い典型的な軍人タイプかとも思ったけど面白いところもあるじゃない)

 

 もしかしたらこれから長い旅路を共にする連れ合いになるかもしれないのだ。軍人としてではなく、人として好ける部分を出航前に見つけられたことは朗報であろう。ムウにからかわれるナタルを見てミスズはそんなことを想った。

 ナタルのからかいが一段落ついたところで、マリューが深い溜息を吐きながら手元のコンソールに無線機を置いた。

 彼女の通話が終わるのを待っていた三人も話を止めてマリューを見た。特にムウの位置からでは、一段高い位置にある艦長席を見上げなければならない。

 言い難いことであろうと隠せることではないことを知っていたから、三人に視線を向けられたマリューは僅かに怯みながらも口を開いた。

 

「コロニー内の避難はほぼ100%完了していますが、さっきので警報レベルは9に上がったと」

 

 ほぼという辺りがアークエンジェル内にいるオーブ側の技術者たちやキラ達のような偶発的に乗り込んでしまった民間人を除外しての数字なのか、担当の人間に直接話を聞いたマリューにも分からない。

 もし、否定されてしまった時のことを考えて、とてもではないが聞けなかった。

 警報レベルが9に上がったのも、元はと言えばちゃんとキラに「ストライカーパック」の一つであるアグニの特性をきちんと説明していなかった自身にあるとマリューは考えていた。

 いくらモビルスーツを扱えようと、コーディネイターであろうと、キラが軍人でもない一般人なのは変えようのない事実。あの状況では軍人で武装の詳細を把握していながらキラに伝えていなかったマリューに大きな責任がある。

 これでヘリオポリスには一撃だろうと入れるわけにはいかなくなった。警報レベル9は下手な衝撃を与えるだけでもコロニーが壊れかねない危険があることを示している。そしてそれは同時に住民の命綱であるシェルターが内からも外からも開かなくなったことを示している。何時壊れるか分からないコロニーの状況に出入りは危険と機械が判断したためだ。

 アグニで開いた穴はコロニーの自動修復機能で塞がっているようだが、他にもどこで穴が開いているか分からない。住民は今も狭いシェルターの中で怯えていることだろう。どうしようもない自責がマリューの全身を押し潰さんと圧し掛かる。

 

「シェルターは、完全にロックされちまったって訳か。あー、けどそれじゃぁ、あのガキどもはどうすんだ?」

 

 宇宙暮らしをしていればシェルターの存在は必ず知っている。同時に警報レベル9が示す意味もまた。

 モビルアーマーは宇宙専用の兵器である。特にメビウス・ゼロを扱うムウは宇宙暮らしが長い。警報レベル9の意味を正確に理解していた。また同時に気づく。艦内には自分達から合流してきたオーブの技術者たち以外に民間人がいることを。

 

「え?」

 

 ムウの発言はナタルには晴天の霹靂だった。彼女の中では民間人を艦内に留めておくことは確定事項だったからだ。

 

「もう、どっか探して放り込むって訳にも、危なっかしくて出来ないだろ。かといってこれから戦闘する艦に留めておくのもなぁ」

 

 オーブの人間であるミスズならシェルター関連はどうにかできるかもしれないと一縷の望みを託して、ムウは彼女に視線を送ったがどうにもならないようで首を横に振られただけだった。現状で一番安全な場所がこれから戦闘をするかもしれない戦艦であることを理解して、無力感に支配されて操舵席の背凭れに背中を預ける。

 

「お気持ちは分かりますが、少年達は軍の機密を見たためにラミアス大尉が拘束されたのです。このまま解放するわけには……」

 

 ナタルも医務室で仕事を手伝ってくれたミリアリアやトール、コーディネイターということで忌避していたキラが純粋な好意で助けてくれたことを感謝していた。

 先入観で間違った認識を抱いたキラには申し訳なく思っているし、処遇に関してもGが4機も奪われてオーブのモビルスーツまで出て来た中では機密も何もあったものではなく悪い方向にはならないように尽力する気持ちもある。

 私人としては強硬策に出るのが間違っていると理解していても、軍人としては決まった規律を厳守しなければならないと考える。そして軍人としての面が前に出れば私人の面が後ろに引っ込むのがナタルという人間だった。

 

「でも、機密を見たのは博士達も一緒じゃないの?」 

 

 ミスズが連れて来たモルゲンレーテの技術者達も艦に乗り込んでいるストライクを見ている。ムウが言いたいのはモルゲンレーテの人間が良くてキラ達民間人は駄目という理屈が理解できなかったのだ。

 

「民間人と一緒にしないで下さい」

「まあ、私達もある意味で公務員みたいなものだしね」

 

 マリューと共にナタルとムウの話に口を出さなかったミスズが始めて口を開いた。

 

「なんで?」

「モルゲンレーテは国営企業だから社の方針は国策で決まるし、作る物も国から依頼されてる。だから、実質的に国の機関といっても差し支えはないでしょ。ほら、公務員みたいなものじゃない」

「坊主共とは同じ国の人間でも立場が違うってことかよ。嫌だね、そういうのは」

 

 疑問は払拭されたものの、理解は出来ても納得は出来かねるという表情を隠しもしないムウはムッスリとした顔で腕を組んだ。

 

「じゃあ、坊主共にも脱出に付き合ってもらうってのか? 出てきゃぁ、ド派手な戦闘になるぞ」

 

 モビルアーマーのパイロットして戦争が起きてから多くの部下や同僚、仲間を失って来たムウだからこそ巻き込まれただけの民間人の少年少女達を戦場に引き込むことは避けたかった。甘いと言われようとも、この甘さを捨てれば待っているのは人間性を失った機械のような軍人になるだけ。ムウは戦場で次第に摩耗していく一般人としての感性を失いたくはなかった。

 

「ストライクの力も必要になると思うのですけど」

 

 艦内で一番偉い立場のはずなのにマリューが敬語なのは、会ったばかりで同階級のムウがいることと目上と認識してしまっているミスズがいるからだった。

 

「あれをまた実践で使われると!?」

 

 まだ試運転すら碌にすませていない新型を実戦にまた投入することはナタルの想定外だった。

 

「使わなきゃ、脱出は無理でしょ?」

「そうよね。私達も戦力は出すけどそっちも出来る限りのことはしてもらわないと」

 

 マリューの意見を後押しするようにミスズが揺らぐ地球連合の背を押してくる。

 しかし、ミスズの発言はナタルにはどうにも承服しかねるものだった。

 

「まさか、あんな子供を戦場に出すおつもりですか?」

 

 信じられないというナタルの感情が口調から容易く感じ取れる言葉に、ムウとマリューの脳裏にキラよりも幼い少女の姿が浮かび上がる

 

「仕方ないでしょ。あの子しかアストレイを扱えないんだもの。こういう時に融通が利かないから個人用にセッティングするのも考え物ね」

 

 今後の要改善事項ね、と頬に手を当てて溜息を吐くミスズにナタルだけが怒りを露わにした。

 

「あのユイという子はあなたの娘ではないのですか! なのに戦場に自分から送り込むなんて!」

「戦える者が戦わなくてどうやって生き残るというのかしら? それにキラ君を戦わそうとしているあなた達にだけは言われたくないわ」

「痛いところをついてくる」

 

 感情論で叫んだナタルを、必要だからと切って捨てて感情を感じさせないミスズ。実質的にストライクを戦場に出すと言ったマリューにはミスズの発言は耳に痛いばかりだった。ムウも同様なのか言いながら苦い顔をしていた。それでも茶目っ気を忘れない辺りが彼らしい。

 三者三様の表情を浮かべる三人にミスズは落ち着くための一呼吸を置くようにゆっくりと頬に当てていた手で鼻の上の眼鏡をかけ直した。すると、スイッチが切り替わったように肩から力が抜けた。無表情だった顔にも味が戻って来る。 

 

「ザフトが真っ先に狙うならこのでっかいアークエンジェルでしょ。ユイの操縦技術は良く知っているつもりよ。アストレイの機体性能もあればよほどのことが無い限り落とされることもないから、あの子に何かある前に私の方が死んでるんだから心配するだけ野暮ってものよ」

 

 死んだ後のことまで考える必要がないと無責任にも感じられるミスズの発言であったが、根底にあるのはユイに対する絶対の信頼だった。ミスズと短いながらも濃厚な付き合いのあるマリューにはよく分かった。

 

「信頼されているんですね、ユイさんを」

「勿論、私の娘だもの」

 

 鼻高々に言い切った自信満々なミスズの笑顔に怒りを露わにしていたナタルも毒気を抜かれたような顔をしていた。

 毒気を抜かれて素の表情になったナタルの様子に仲間割れしないですんだことに胸を撫で下ろしたムウは、しかし問題が殆ど片付いていない事も分かっていた。

 

「で、そっちはいいとしてストライクに乗ることにあの坊主は了解してくれてるのか?」

「今度はフラガ大尉が乗られれば……」

 

 元よりナタルの頭の中ではムウがストライクに乗ることになっていた。当のムウがストライクに乗ることを念頭においていないことに少しの失望を覚えた。

 

「おい、無茶言うなよ。あんなもんが俺に扱えるわけないだろ。書き換えたっていうOSのデータ、見てないのか? あんなもんがコーディネイターならともかくナチュラルの俺に扱えるのかよ」

 

 モビルスーツはコーディネイターの能力がないと扱えないと言われている。事実、地球連合が鹵獲したジンを補修して運用しようとしても上手く扱えなかった。

 ナチュラルにはどうやってもモビルスーツを扱えないのは周知の事実だった。だからこそ、マリューらGの開発陣はナチュラル用のOSに苦心したわけだったが、本当の意味でナタルは理解していなかったらしい。

 

「なら、元に戻させて………とにかく民間人を戦場に出すなど……」

「そんでノロくさ出てって、的になって死ねっての?」

 

 ユイを戦場に出すのにキラは駄目では理屈に合わない。元の不完全なナチュラル用のOSに戻してムウが乗ったとしても機体性能を発揮できずに動かないよりかはマシ程度の的にしかならない。

 生き残る為の最善の手はキラに乗ってもらうことだと、ナタルも分からないはずがない。だが、それでも軍人としての面が否と叫び続ける。

 自分の裡で煩悶し続けるナタルにムウも困ったように頭を掻いた。

 

「俺が乗って来たゼロは壊れちまってるし、ここに来る前にMSデッキに寄ってマードック軍曹に聞いた限りじゃ今日一日は無理だって話だ。ストライクを整備した方が建設的だって後回しにされちまってる。次の攻撃には間に合わないだろう」

「フラガ大尉はザフトが今日中に襲撃してくると?」

 

 危急にあるヘリオポリスに救援が来るのはオーブか地球連合かは分からないが最低でも一日以上はかかる。ザフトがどれだけの時間をかけてくるか分からないがムウの言い方は今日中に襲撃があると確信している者のそれだ。マリューにはそれが気になった。

 

「勘だがね。理由はない。でも恐らく悠長に待ってくれないのは間違いないだろうぜ」

「へぇ、MA乗りはそんなことも分かるんだ」

「ははは、単にこれまでの経験でそんな気がするってだけだよ。長い間、戦場で過ごすとそういう感覚だけがどんどんこなれていくもんだ」

 

 そのお蔭で生き残れてきたことは事実であっても嬉しくはなさそうなムウに、茶化すように聞いたミスズも失言だったと口を閉じた。

 

「敵はクルーゼ隊だぜ。アイツはしつこいぞ」

 

 ラウ・ル・クルーゼはザフトきってのトップエースとして、宇宙のクルーゼ、地上のバルドフェルドと呼ばれるほどの名将の一人である。ムウはクルーゼとグリマルディ戦線以来の仇敵である。何故か奇妙な交感があることもあってザフトの隊がクルーゼが指揮するものであると直感していた。

 

「クルーゼ? そう、あの仮面野郎が外にいるというの」

 

 ムウの言葉にミスズが奇妙な受け止め方をした。まるで知っている人間のようにクルーゼのことを話すミスズに三人とも気づいた。

 代表してマリューが問いかける。

 

「もしかして博士はクルーゼを知っているのですか?」

「知っているというか、昔に一度だけ会ったことがあってね」

 

 好む相手には積極的に関わっていくのに、嫌いな相手や興味のない者にはとことん無関心なミスズには珍しい強い嫌悪の混じった口調だった。

 

「特別何かあったとか会話したとかなくて近くをすれ違っただけだけど、本当にそれだけで決して受け入れられる相手じゃないって何故かそう感じたのよ」

 

 強い嫌悪を込めて、だが何故そこまでの嫌悪を抱くのかが自分でも判らずに困惑している様子のミスズに誰も何も言えるはずもなかった。ただふと、マリューはどこでミスズはクルーゼと会ったのだろうかと疑問を胸の片隅で抱いた。

 軽薄に見えて他者の感情に聡いムウは場の雰囲気が暗くなったのを感じ取った。暗い雰囲気が好きではないムウは話題の転換を計った。「マードック軍曹に聞いたんだがな」と続けながら、舞い込んでくる仕事の山に翻弄されて地獄のような慌ただしさの中で話してくれたマードックの中年面を思い出す。

 

「あの坊主がOSを書き換えたからGのマニュアルのデータ収録プログラムとフォーマットが合わなくなってるんだと。おやっさんはキラにやらせろって聞かねぇしな。どっちの道、付き合わせなけりゃならんだろ」

 

 どんな形でも戦うことを厭うて中立国にいる民間人を争いに巻き込む己ら軍人のどうしようもない罪深さを自覚して、ムウは戦争が始まってから何度も味わってきた無力感を今また味わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 手伝いを終えてアークエンジェルの居住区に戻って来たトール達は、また狭い一室の住人と化していた。黙っていては空気は重くなる一方。ムードメーカーであるトールは話題があったこともあって率先して口を開いた。

 

「しっかし、疲れた。人手不足って本当みたいだな。怪我人を捜して艦内中を歩いたのに殆ど人を見かけなかった」

「うん、俺達もマードック軍曹って人にモビルスーツのマニュアルがないとかで艦内中を捜し回されたけど、いる所にはいるけどそれ以外の所はさっぱり」

 

 ベッドの二段に上がる為の梯子に背を預けたトールの発言に、床に直に座って片膝を抱えていたサイが顔を上げて後ろのベッドに腰掛けているカズィと頷き合って同意する。

 

「色んなところを歩き回ってたら迷子になりそうになるぐらい広いから余計にそう感じるのかもしれない」

「この船、モルゲンレーテの本部ビル並みに広いのにどこにも案内とか地図みたいなのが書いてないんだよ」

 

 サイが苦労を表現するように右肩を回して肩の骨をボキボキと鳴らす。彼と同じように艦内を歩き回されたカズィが不満も露わにしながら憤っていた。

 マニュアルには一から十まで仕様や使い方を書いていないと気になって仕方がない性質のカズィからすれば、不親切なアークエンジェルの艦内はよほどお気に召さなかったようだった。

 

「似たような作りだから実は同じ所をグルグルと回ってるって分かった時は赤面したな」

 

 同じように歩き回されながらもカズィほどには気にしていないサイは真実か嘘かは分からないが失態をジョークとして受け流される寛容さがあった。ここら辺が年長者としての余裕、というよりは単に性格的なものだろう。

 神経質なカズィに付き合うよりかはサイの冗句に付き合っていた方がマシと考えたトールは視線をサイに向けた。

 

「多分、軍艦だから艦内に敵が入って来ても簡単に進めないようにするためじゃないか」

「この艦の人だって迷うんじゃない?」

「偶発的に乗り込んだ俺達みたいなのが例外で、普通は知っている誰かに案内してもらうんだろ。現に迷子になっている人も見かけないし」

 

 トールの理屈で言うと、サイやカズィ達のようにアークエンジェルのクルーも迷うのではないかと考えたミリアリアだったがサイの言いように成程と納得した。戦艦なんかに乗り込んで手伝いをしていようとも自分達が例外だと思い知らされた気分だった。

 

「まぁ、自分の船で迷うな軍人じゃ戦争には勝てないわな」

「それはそうだ」

「男は気楽でいいわね」

 

 感傷にも似た疎外感に襲われたミリアリアと違って笑い合うトールとサイは気楽だった。その気楽さも自分にも分けてほしいとミリアリアは本気で思った。

 笑い合う二人に溜息を漏らすミリアリアという場の中で、カズィは相変わらずの仏頂面を変えていない。

 

「迷った僕はとても軍人にはなれそうにないよ」

 

 細かいところまで気になってしまうカズィでは一日だけで神経が参ってしまう。他人ではなく本人がそう思ってしまうのだから向き不向きで言えば間違いなく向いていないのだろう。仲間内なら誰もが同じことを思うことだろうし、誰も否定しない。が、カズィに対してだけはライバル心を持っているトールだけは別の方向で動く。

 

「体力も根性もないからカズィは」

「トールは頭が足りてないじゃないか。脳筋のくせして」

「なにを」

「止めなさいって」

 

 茶々を入れたトールに言い返すカズィ。言い返されたら頭にきたトールと、何時ものような展開に面倒臭そうにミリアリアが静止する。

 この二人は、と頭が痛そうな表情でこめかみに手を当てたミリアリアはギロリと二人を睨み付けた。睨みつけられた二人は気まずそうに体を小さくして顔を逸らすのみ。この三人の間のヒエラルキーは完全にミリアリアがトップなのだ。

 三人のやり取りを聞いていたのかいないのか、顔を上に向けて色眼鏡越しに天井を見上げて物思いに耽っていたサイはぽつりと独り言を呟くように口を開いた。

 

「俺達の他にもあの博士って人が連れて来たモルゲンレーテの人達もいたけど知っている人は一人もいなかった。誰か一人でもいてくれれば楽になったのに」

 

 サイの独り言に反応したのは、ミリアリアによって蛇に睨まれた蛙状態になっていたトールだった。

 

「そう都合良くにはいかないさ。話を聞いてた限りでは連合にも秘密のプロジェクトに関わっていた人達だぞ? 一般人の俺達と接触の機会なんてないに決まってる。あったって弁座を計ってくれるような価値が俺達にあるとは思えない」

 

 カズィに脳筋扱いされていようと、トールもまた工業カレッジに在籍している秀才である。彼の不幸は同年代と比べれば間違いなく抜きんでているのに、優秀すぎる仲間の中にいることだろう。頭は決して悪くはないのだ。

 

「僕達、何時までここにいなきゃならないんだろう」

 

 深い深い溜息を漏らしたカズィが言ったように、結局は彼らの悩みはそこへ行き着く。

 

「この船が味方と連絡とれないと駄目らしいけど、外にザフトがいるらしいから望み薄だろ」

「一体、何時になることやら」

 

 たった数時間のことなのにあまりにも多くのことが起こり過ぎて、もう何日もこうしているような気分になる。先を見通せないことにトールが不満を漏らして、少しでも空気を明るくしようとしたサイのおどけすらも効果は薄い。

 気になるのは自分達の今後とこれからの展望。そして街の状況と知り合いの安否だった。

 

「街は大丈夫なんだろうか、みんなは……」

「解らない。今の俺達にはみんな無事であることを祈るしかないじゃないか」

 

 不安を口にしたサイに、考えているとドツボに嵌ると自覚しているトールが強い口調で言い切る。

 不安は伝染する。皆を引っ張ってほしいのに弱気になられては下の者達が困ると視線で語るトールに、サイは最年長だからってお前みたいに大人をやれるわけじゃないと視線を逸らした。

 この辺が自然と大人をやれるトールと大人をやろうとするサイの違いなのかもしれない。そんなことをつらつらと考えたミリアリアは、チラリとずっと前から部屋の奥にいる存在に目を向けた。

 

「…………で、アレは何?」

「何って………キラじゃないか」

 

 何言ってんだよ、と視線で言ってくる彼氏にそう言うことを言いたいのではないと怒りかけて、ミリアリアは自分もまた状況に追い詰められて冷静さを少しずつ削り取らているのをようやく自覚した。

 

「キラは分かってるわよ。なんであんなにダウナーになっているのかって私は言いたいわけ」

 

 ミリアリアの視線の先、奥のベッドの角で壁に向かって布団のマットに腰を下ろして両脚の膝を立てて踵を揃え、両腕は両膝を抱え込むスタイルで背中に暗雲を背負っているキラ・ヤマトの姿があった。

 

「久しぶりに見たね。キラの壁に向かっての三角座り」

「前は何でああなったんだっけ?」

「教授がうっかりキラが一ヶ月もかけて完成させたプログラムを間違えて消しちゃった時じゃなかったか」

「ああ、教授がキラに全力で土下座したあれね」

 

 懐かしそうにカズィが暗雲を背負うキラの背中を見つめ、同じような状態になったのは何時だったかと直ぐには思い出せなかったミリアリアに覚えていたサイが記憶を呼び起こしながら言う。サイに触発されて思い出したトールもあれは良い見世物だと笑う。

 その間も壁を見つめ続けるキラは動かない。

 

「今回はなにがあったの? 医務室の手伝いをしていた時はなんともなかったのに」

「俺を見捨てて一人で逃げるくらいだし、何かあったのならその後だろ」

 

 やはりトールはキラがさっさと一人で逃げたことを根に持っていたらしく、仕返しを考えているなと同じように医務室に残されたがそれなりに有意義な時間を過ごしたミリアリアは察していた。

 

「あれ、キラって逃げてきてたの。もう終わったって俺達の方を手伝ってくれたぞ? なぁ、カズィ」

「うん、物凄く暇そうだった」

 

 ビクリ、とサイとカズィの発言に壁を向いていたキラの背中が震えた。何がしか落ち込むような出来事があった割にはちゃんと話は聞いていたようだ。

 そしてその反応をトール達が見逃すはずがない。黙っていたり真面目な話をしているとどうしても話題が暗い方向に行ってしまうことを理解しているので、誰かを弄って少しでも場を明るくしようとしているのだ。

 弄られる側にとっては傍迷惑な話だが隙を見せる方が悪いのがカトウゼミの流儀である。

 壁を見つめるキラの目が盛大に泳ぎ、背後から迫るプレッシャーに押しつぶされそうになったその時だった。地面が、この場合は戦艦が揺らいだ。

 単発ではなく持続性を持って気にしなければ分からないほど微細に揺れている。それはエレカ―のエンジンをかけた直後にも似ていた。

 

「この振動………もしかして戦艦が発進したのか?」

 

 不安を込めたサイの言葉に誰もが同じ想いを抱いていただけに部外者――――戦艦の中ではキラ達の方が部外者なのだが――――が近づくことに気がつくことが遅れた。

 

「まだ発進はしていないわ。臨戦態勢を取る為にエンジンを始動させただけよ」

 

 何時の間にか居住区の入り口に立っていたマリュー・ラミアスと、その後ろにいるムウ・ラ・フラガは両者共に厳しい表情を浮かべている。ムウの隣、マリューの斜め後ろに恐らく野次馬に来たらしいミスズ・アマカワの姿もある。

 戦艦に乗り込んだ時は作業服を着ていたマリューは今は地球連合の軍服を着ている。それはパイロットスーツから着替えているムウも同様だ。

 声に咄嗟に振り向いたキラは先の出来事もあって罪悪感からマリューの顔を直視できなかったが、そうすると胸元を見てしまって余計に意識してしまい、別の所を見ようとすれば軍服が嫌でも目につく。

 軍服や階級章がまるで見知っているマリューを別の誰かに見せているようで、キラには室内の空気がどんどん重くなっていくように感じられた。

 

「マリューさん……」

 

 この忙しい中で艦のトップと分かる者達が話がすると分かる風情で入り口に立っている。部屋の隅で縮こまっていたり、床に座っている場合ではないと馬鹿でも分かった。

 通路は三人も並べば一杯になる。自然に動いた男達がミリアリアを最後尾に下がらせ、彼らが話をしに来たらしいキラが一番前に立ち、その後ろにトールとカズィとサイが立ち塞がる。

 軍人相手だろうと女の子を守ろうとする少年達の心意気にムウは口笛を吹きたいぐらいだったが、状況を考えれば出来るはずもない。斜め前に立って、躊躇いながらも口を開いたマリューの横顔を見る。

 

「改めて伝えておくけど、軍の機密を見てしまったあなた達をこのまま返してあげられなくなったの。本部と連絡が取れてあなた達の処分が決定するまでこの艦に留まってもらいます」

 

 マリューの口調にはストライクのコクピットで肉を近づけた人を感じられる要素はあったものの、奥底には躊躇いと決意を潜ませて固い意志が滲み出ている。キラは露出している肌がビリビリと震えているのを自覚した。

 空気を重くする軍服の威圧感をカトウゼミの学生達も感じ取っているのか、仲間内では陽気であった彼らの口も重い。

 

「何時になったら本部と連絡が取れるんですか?」

 

 これだけは聞いておかなければならないとサイが年長者のプライドを振り絞って問いかけた。少し声が掠れていたかもしれないが誰も気にしなかった。

 

「月に地球軍の基地があるのはあなた達も知ってるわね? そこへ行くことになるわ」

「月!? じゃあ、ここから出航するってことですか?」

「そうなるわね。どの道、コロニーは警報レベルが9に上がって避難シェルターにすら入れないのよ。そしてヘリオポリスの外ではまだザフト軍が待機しているはず。何時戦闘になるか分からないわ」

「そんな!?」

 

 マリュー達の言うことを信じるならキラ達には月に行く選択肢しか残されていない。しかもヘリオポリスの外にいるザフトと戦って切り抜けねばならない難題付きでだ。トール達が絶句するのも無理はなかった。

 少年少女が強いショックを受けているのを見て、キラに軍人に向いていないと思わせた優しさを覗かせたマリューは表情を和らげて申し訳なさそうに眉を下ろした。

 

「巻き込んでしまったことは申し訳ないと思ってるわ。処遇に関しても私の出来る範囲でなんとかしてみせる。だから、暫くの間だけ我慢してほしいの。色んな事が片付いたら責任を持ってここへ帰してあげるから」

 

 何の保証もない感情に流された言葉ではあったのかもしれない。マリューは軍を統括する将官どころか佐官でもない尉官である。軍内部では高い階級とは決していえず、キラの置かれた立場を考えれば彼女の地位では何の保証にもならない。

 信用など出来ない。出来るはずもない。だが、だからといってキラ達に他に何が出来るでもない。

 

「降りられないし、断ることも出来ないんですよね?」

「そういうことよ」

 

 キラ達に選択肢など端から存在しない。警報レベル9のコロニー内を彷徨うのは死地と同じ。全てのシェルターにはロックがかかって、キラ達が生き延びるにはアークエンジェルに留まり続ける他ない。

 なまじ頭が良いだけに理解できてしまった学生達は、混乱することなく事実を許容させてしまう。

 

「解り、ました」

 

 苦渋を滲ませながらもサイが了承するのをマリューとムウもまた苦み走った顔で見ていた。彼らにはまだ少年に苦痛を強いる選択を選ばなければならないのだ。そしてその役目は元より副長として艦に乗り込むはずだったマリューに最高責任者を立場を渡したムウでは出来ないものだった。マリューが重い口を開く。

 

「キラ君、お願い。もう一度、ストライクに乗ってくれないかしら?」

 

 来た、とキラは来るべき時が来たのだと悟った。

 キラは自分の能力を過大評価も過小評価もしない。即席で書き換えたOSとはいえ、間違いなくストライクの機体性能を確実に発揮できるしたつもりである。そして生き残るならばもっとも能力の高い状態のストライクを使せたいはず。しかし、書き変えたOSではコーディネイターでない限りはまともに動かせれないピーキーな物になっていると分かっていたのでパイロッとトして要請されることは察しがついていた。気持ち的には当たってほしくない予測ではあった。

 

「僕を戦争に巻き込もうというんですか」

「キラ君……」

 

 つい口から零れ落ちた皮肉にマリューが顔を歪めるのを見たキラはどうしようもなく泣きたくなった。悲しませたい訳じゃない。苦しませたい訳でもない。戦いたくない、奪いたくない、と考える自分の我儘とは思いたくはなかった。

 そこへ鳴り響く重低音のアラート。

 

「こ、これは……?」

 

 辺りを見渡す学生と違って逸早く事態に気づいたムウが近くの壁に埋め込まれているコンソールのスイッチを入れてブリッジに回線を繋いだ。

 

『コロニー全域に電波干渉! ラミアス大尉! ラミアス大尉! 至急ブリッジへ!』

「…………また戦闘になるわ」

 

 キラには名前も分からぬ男の声がコンソールのスピーカーが鳴り響き、マリューが彼女もまた来るべき時が来てしまったと諦観を覗かせる。

 

「トール……」

 

 不吉な調べのようになり続けるアラートにミリアリアが不安そうにトールの服の袖を掴むのがキラの目に見えた。だが、それでも戦うことを忌避するキラの感性は決断を決めかねていた。

 唇を噛み締めるキラよりも状況の逼迫を感じ取っているムウの方が決断は早かった。

 

「仕方ない。ラミアス大尉、ストライクには俺が乗る。上手く動かせるかは分からんが……」

「えっ!?」

 

 ムウの発言に彼を見たマリューだが、彼が乗って来た乗機であるメビウス・ゼロが出せないのは既に知っていたのでCICを頼もうと思っていたからところなので驚いた。

 

「無茶です、大尉!」

「他にこの局面を乗り切れるのか!? アークエンジェルが沈んじまったら元も子もないだろ!? のろくさとしか動かせなくても砲台ぐらいにはなれる! 攻撃オプションは一つでも多い方が良いだろ!」

 

 ムウの言いようにも一利あることを理解してしまって、止めようとしたマリューの方が一瞬言い詰まった。

 オーブ側が出してくれるモビルスーツの力がどれだけのものが分からない以上、戦力は猫の手を借りたいほどに不足している。鈍重極まるムウが操るストライクであってもないよりかはマシな戦力にはると分かってしまった。

 

「直ぐにOSを書き換える」

「でも今からじゃ……」

「坊主に手伝わせる。嫌とは言わせないさ」

 

 キラを蚊帳の外に置きながら、しかし当の本人がいる場でする話ではないと二人は気付かない。まるで責められているようにも感じるキラの気持ちをこの時の誰に理解できようか。

 もしかしたら友達がザフトにいるのではないかという疑念、例え無事にヘリオポリスを脱出しても先の展望が見えない不安、間近に迫ったザフトの襲撃の危機、全てが合わさってキラの許容量は限界を超えた。

 

「卑怯ですよ、その言い方は! ハッキリ言えばいいでしょ! お前が乗って戦えば生き残れると!」

 

 堪忍袋の緒が切れるというのも変な言い方だがこの時のキラの気持ちは正にその通りだった。

 

「キラ君……」

 

 ひっそりと呟かれたマリューの声にもキラの気持ちは収まりを見せなかった。

 

「あのモビルスーツを、ストライクを使えるのは僕だけで、戦わなきゃ守れないってハッキリ言ったらどうです!」

 

 行き場のない憤りを大人達にぶつける。当のキラもまた自分が癇癪を起していることは自覚していた。だが、止められない。住んでいた街が壊され、常識を崩され、一歩先も知れぬ世界に落とされた戦争も知らない平凡な感性を持つ少年に耐えられるものではない。

 キラはまだ子供なのだ。この場にいる誰よりも。なのに、責任と行動の選択肢だけは一際重い。もしかしたら艦長の座を与えられたマリューよりも。キラがストライクに乗って戦うかどうかアークエンジェルの生存確率が激動するから仕方ないとしてもだ。

 癇癪を続けるキラの気持ちの隙間を縫うように存在感の薄い少女が完全に野次馬と化して壁に凭れて腕を組んでいるミスズに近づく。

 

「博士、作業完了しました」

「ん、了解」

 

 パイロットスーツを着てヘルメットを小脇に抱えたユイは、キラを一瞥して奇妙な物を見たように僅かに眉を動かして直ぐにミスズに視線を戻した。

 娘の僅かな挙動の変化に敏感に察知したミスズは、返事を返しながら娘がキラに理由はどうあれ興味を示したのを今の動作だけで感じ取った。後で何があったのかを確認しようと心に決め、それも生きていられたらだと自らを戒める。

 

「アストレイの特徴は分かってるわね? ストライクほどの防御力はないんだから気をつけない」

「機体の特徴は熟知しているつもりです。何も問題ありません」

 

 癖なのかミスズはユイの頭を軽くポンポンと軽く叩いた後に少し乱暴に撫でる。髪の毛を崩されたユイは少し迷惑そうにしながらも直されるのを感じながらも表情を変えない。

 母子の様子にキラもまた気づいた。その会話が意味することもまた。

 

「まさかその子があのモビルスーツに乗って戦うっていうんですか!?」

 

 母が子供を戦場に送り出すなどキラに信じられることではない。信じたくはなかった。

 

「勿論、あれを扱えるのはこの子だけだから。ストライクを扱えるのがあなただけなのと一緒よ」

「博士」

 

 キラはマリュー達に言ったつもりだったが答えたのはミスズだった。

 ブリッジでの焼き増しのような会話にマリューが口を出しかけたのをミスズは手で静止した。同時に向けられた視線が止めかけた彼女を止めた。

 自分よりも小さな、それも女の子が戦場を出るのを止めると思ったマリューが何もしないことにキラは失望を覚えながら視線をユイに向けた。

 

「君はそれでいいの? 戦えば死ぬかもしれないんだよ」

 

 キラが期待した応えはどんなものであれ自分が納得するような返答だった。だが、ユイの返答はキラの期待を裏切る。

 

「良いも悪いもない。私に出来るのは戦うことだけ。戦える力があり、守りたいと思う意志がある。他に何が必要?」

 

 女の子が戦うことしか出来ないと言い、逆に何が必要なのかと問い返されてキラは答えられなかった。

 先程のやり取りを見ていればミスズとユイの間にどんな形であれ愛情があると分かる。彼女が守りたいと思う意志の中にミスズが入っているのは間違いない。そして自ら発した問いと返って来たユイの返答は、計らずともキラを決心させる。

 

「アストレイ・グリーンフレーム、出ます」

「行ってらっしゃい。気をつけて」

 

 近所に買い物に行くように親子は会話を交わし、ユイはMSデッキに向かうのだろう背を向けた。

 

「待って!」

 

 その背中に向けて咄嗟にキラは声をかけていた。

 

「何?」

 

 振り返って無表情に問いかけて来るユイに気圧されそうになりながらも、パイロットスーツ越しにも感じられる少女の幼さにキラの男としてのプライドが目を覚ます。

 答えを知っていた口が自然と動く。

 

「僕も行く」

 

 言って、背に余分に乗っていた重しがどけられたのを感じた。

 

「キラ……」

 

 トールらが名前を呼んでくれて、彼らを失いたくないとまだ揺れていたキラの中で気持ちが完全に定まった。

 ユイの肩から手を離し、振り返ってマリューに向き合う。

 

「女の子が戦おうとしているのに僕だけ何もしないなんて出来ません。ストライクには僕が乗ります」

 

 言ってしまった途端に戻れない道を歩み出した恐怖が全身を襲い掛かって来た。それでも仲間を護れる力と守りたいと思う意志に突き動かされたキラは前に足を踏み出すことを恐れなかった。

 

「男だねぇ」

「本当、益々そそられるわ」

 

 純粋に感心しているムウと涎が出そうなほど悦に浸っているミスズといった大人達はどうあれ、キラの決意はトール達の中にも響くものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 隠れる必要もなくなって岩陰から完全に脱したガモフとヴェサリウス。ヘリオポリスから幾分離れた場所にガモフと共にいるヴェサリウスのモビルスーツデッキは、蜂の巣をつついたような騒ぎが広がっていた。襲撃や損傷したモビルスーツが戻って来たのではない。これから発進する機体の準備で忙しいのだ。

 

「6番コンテナだ!ジンにD装備を!」

 

 あちこちで宇宙服を着た整備員達が無重力空間を利用して飛び回り、パイロットスーツのヘルメットに備え付けられている無線から誰かの叫びが同じようにモビルスーツデッキに浮かぶアスラン・ザラの耳に入った。

 

「D装備だってよ」

「要塞攻略戦でもやるつもりなのかな?クルーゼ隊長は」

「こんなに破壊力のある装備を使ってコロニーに当てたらヘリオポリスが壊れないか?」

 

 横を通り過ぎた作業員の話し声がヘルメット内に反響してくる。

 何時発進の為にカタパルトデッキを開くのか分からない状態なのでモビルスーツデッキからは空気が抜かれている。作業員同士で確認しなければならない事項を離し合いたいのに単一や接触者とだけのお肌の触れ合い回線だけでは不便が多いので無線は常時開いている状態なので、ヘルメットに備え付けられている無線は近くにいる者の話し声を遠慮なく拾ってしまうことが欠点だった。

 

「しょうがないんじゃないか。自業自得だろ。中立とか言って連合に協力してんだからさ」

「そりゃそうだけどさ……」

 

 整備員同士の遠慮のない会話が耳に入って来て、クルーゼはブリーフィングでも可能な限りコロニーにダメージを与えないように厳命していたが誰もが気持ちの上ではオーブ、というよりはヘリオポリスが壊れても仕方ないと思っている。

 アスランとてコロニー内に侵入して連合軍を発見し、Gの存在をこの目で見た時は非難の思いを抱きもした。もし、母レノア・ザラがユニウスセブンで死んでいなかったとしたらアスランも彼らと同じようにコロニーが壊れても仕方ないと思っただろうか。

 

「違う。俺はもう奪わせない為にザフトに入ったんだ」

 

 自らに対する疑念にアスランは首を横に振った。

 アスラン・ザラが戦うことを決意した動機は、今のプラントではきっと有り触れたものなのだろう。多くの若者達がザフトに志願した理由と同じであることは士官アカデミー時代に同期の面々と話した時に知っていた。

 プラントが血のバレンタインの悲劇を取り上げて戦意を煽った面もある。アスランもそのことが悪いとまでは言わない。ただ、一つだけ気になることがあった。

 

(みんな奪われた者のことを考えているのか?)

 

 その言葉は口にすることなくアスランの胸中で呟かれるだけに留まった。もし誰かが聞いたたらお前は何様だ、と憤っただろう。軍人に、それもモビルスーツパイロットになるということは即ち誰かを殺すことに他ならない。

 士官アカデミーで優秀な成績を残したアスランにモビルスーツの適性があったのは言うまでもない。

 本当の意味でのモビルスーツでの実戦を知らないアスラン。核によって一つのコロニーを壊されて母を失ったアスラン。軍人になって奪わせないことに意欲を燃やすアスラン。

 彼もまたコロニーを破壊して誰が悲しむかを想像できない整備員達と同様に軍人になったことが動機と反することに、銃を撃って誰かの大切な者を殺してしまうことにも想像力が足りていなかった。

 乗機は奪って来たイージスなので本当なら待機を命じられているアスランがモビルスーツデッキに来ている目的の人物が目の前を過る。

 

「オロール先輩!」

 

 赤を着ているアスラン達の練習機としてヴェサリウスに積み込まれていたジン(練習機でも武装は本物)に、損傷した自機の代わりに乗り込もうとハッチに取り付いたオロール・クーデンベルグに背中から声をかける。

 パイロットヘルメットの無線からアスランの声が自分を呼ぶのに気づいたオロールが左右を見てから後ろを振り返った。

 

「アスラン?」

 

 アスラン達の士官アカデミーで一期上に当たるオロールは、茶髪のオールバックをヘルメットに押し込んでいる顔で訝しげにアスランの名を呼んだ。

 ジンのコクピットハッチの前で振り返ったオロールにアスランは近くに浮遊していた機材を蹴って飛びつく。ヘルメットを接触させてのお肌の触れ合い回線は会話が他者に漏れることはない。他者に言えない話をする時の常套手段。目的の為にあまり他人に知られずにすませたいアスランの望みのままに。

 

「俺と変わって下さい!」

「いきなりなんだ?」

 

 ヘルメットを壊すような勢いでぶつてきたアスランの開口一番の大声が内部に反響して、大声にオロールは耳鳴りがしていそうな顔をした。

 機嫌を損ねるのは不味いと考えたアスランは声を収めて本題に入る。

 

「ジンに乗るのを俺と変わって下さいって言ってるんです」

 

 ヘルメットを接触すれば互いの顔の距離は極間近になる。

 決意を込めたアスランの表情にただならないものを感じたオロールは赤を着ているとはいえ、本当の意味で実戦を経験していない新米の強い意志が込められた瞳に気圧されるのを感じた。

 オロールも非常に作戦成功率が高く、かつ損害が少ないクルーゼ隊に配属されて戦ってきた歴戦の戦士の一人である。隊長であるラウ・ル・クルーゼや名付きのミゲル・アイマンに比べれば劣るといえども他の隊であれば十分にエースを張れる男だ。

 実戦を知らない新米に気圧されたなど我慢ならず、パイロットスーツを掴んでいるアスランを弾き飛ばした。

 

「クルーゼ隊長のブリーフィングにはお前も出てたんだから分かってるだろ! 乗る機体のない奴は大人しく待機してろ!」

 

 無重力空間の戦闘にも精通しているオロールは容易くアスランを蹴飛ばして、無線で赤のパイロットスーツに向かって怒鳴りながら背後のジンのコクピットハッチを開いて乗り込む。

 

「国防委員長の息子だからってなにをしても許されるとは思うな」

 

 新米に気圧されたのは背後にいるザラ国防委員長の存在があったからだと、ジンのエンジンに火を入れたオロールは呟いた。

 ようやく出撃準備に入ったオロール機の斜め前でカタパルトに移動していたオレンジ色のカスタムジンに乗っているミゲル・アイマンは、アスランが懲りずに今度はマシューに噛みついているのを見て嘆息した。

 

「何やってんだ、アイツ?」

 

 普段は冷戦沈着なアスランが珍しい、と不思議な思いを抱いた。

 クルーゼにコロニーを壊さないように進言したのもアスランと聞いていたので、初対面時にナイフ戦で首筋に押し当てられた鉄の感触を思い出して違和感を抱いた。だが、実戦を前にして仲間の奇妙な行動を気にしていられる余裕はない。

 ヘリオポリスに来る前の作戦でサーペントールと戦った際に失った右腕を、メビウス・ゼロとの戦いで損傷したオロール機から貰い受けた調子を試す。

 

「やはり右腕の反応が鈍い。普通のジンでは調整してもこれが限界か」

 

 そこだけノーマルのジンの色をしている右腕を動かしてみてもミゲルの望む反応よりも2テンポは遅い。

 ミゲル自身の有志で結成された専属チーム「DEFROCK」でチューンした機体なので、普通のジンと比べれば20パーセントのスペック向上を達成している。ジンと互換性はあっても急場凌ぎでは調整も出来ず、当然塗装など出来るはずもない。

 

「塗装もしてないから情けねぇ格好だぜ。しゃあねぇけど」

 

 誇り高いミゲルには我慢ならないことだが、それを押し殺してでも倒さねばならない敵がいる。

 

「ストライクとか言ったか、残った一機は」

 

 揺れ動くカスタムジンの振動がこれから戦うのだと知らせてくれる合図のようでヘルメットの中で獰猛に笑う。

 乗機のカスタムジンではないとはいえ、自らが乗るジンを一蹴してくれた小癪なモビルスーツ。ザフトですら実用化していない新技術を搭載したモビルスーツを破壊しないことには本国には帰れない。

 

「俺の誇りを穢した罪。その命を以て償わせてやる」

 

 カタパルトに接続され、これで何時でもカスタムジンは発進できる。

 出ようとしたミゲルは通信が届いているのに気がついて繋いだ。

 

『ミゲルさん』

 

 通信相手は馴染みの整備員の一人だった。

 

『くれぐれも気を付けて下さい。腕を付けたといっても急ぎでしたので、どんな不具合が出るか分かりません』

 

 ミゲルが無理を言って損傷したオロールの機体からカスタムジンに右腕を移植することを最後まで反対していた整備員だ。

 普通のジン同士ならばともかく、ジンからカスタムジンへの腕の移植など前例がなく、かつこんな短時間では調整も満足に出来ないと訴えたのが彼だ。しかし、ストライクへの誇りの仇討ちに燃えるミゲルの説得に負けて渋々作業を行ってくれた。

 

「大丈夫だ。無茶はしない。俺は死ぬ気なんて更々ない」

 

 心配性な整備員に獰猛な笑みはそのままに戦う決意だけを高める。

 

『我らに天の加護を』

「ザフトの為に」

 

 ザフトで開戦当初から流行っているやり取りをすると整備員も安心したのか、通信が切れた。同時にオペレーターが発進シークエンスを開始した。

 戦意を猛らせていくミゲルの目に、モニターの端でブリッジへ行って隊長のクルーゼに直訴でもするのか諦めた様子もなく急いで動くアスランが見えた。

 

『ミゲル機、発進どうぞ!』

 

 苦笑を浮かべて入り過ぎていた肩の力を抜いて、オペレータの声に合わせるようにカタパルトデッキが開いた。

 それを見届けて、操縦桿を動かした。

 

「ミゲル・アイマン、カスタムジン出るぞっ!」

 

 黄昏の魔弾と称されたオレンジのジンがカタパルトデッキから宇宙空間に躍り出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エンジンに火が入れられていたアークエンジェルが土煙を盛大に巻き上げながら浮上する。アークエンジェルのブリッジで些か窮屈な艦長席に座るマリュー・ラミアス大尉は、浮かび上がっていく景色が不吉なものであるかのように感じた。

 戦うことを厭うて心臓が今にも破裂しそうなほど高まっているのを自覚して、Gを守る為に命を落とした多くの部下や仲間達に申し訳なくて唇を噛み締める。

 即席の艦長として多くの人員の命を背負って戦わなければならない不安。技術将校として殆ど実戦を知らずに知識としか知らない重みに押し潰されそうな恐怖が襲ってきている。

 耐えられない。副長を経験せずに一足飛びに艦長になってしまったマリューはアームレストに置いている手が震えるのを抑えることが出来なかった。

 高まり続ける心臓から送り出される血液が頭に集まってきてマリューの視界が歪む。必死で艦を操舵し、敵の襲来に備え続けるブリッジからマリューだけが遠ざかっていく。

 意識が遠退いて行って、このままでは失神するだけだったマリューの肩に優しい手が乗せられた。

 薄れていきかけた意識を取り戻した手を無意識の内に視線で追って、艦長席の傍らに立つ白衣のくすんだ金髪をした女性が立っているのが見えた。ミスズ・アマカワ、マリューの酒飲み友達でオーブの技術者だった。彼女は片耳にインカムを付けた状態でマリューの肩に手を置いている。

 

「戦闘をする必要はないわ。事前に決めた通り、瓦礫で埋まっている港口を破壊して逃げるのよ」

 

 ひっそりと慣れない分野にも駆り出されて己のことに集中しているクルーに聞こえないような小さな声で倒れそうになる体を支えてくれる。

 ミスズは気付いている。マリューがこれから起きる戦闘を厭うていることを。マリューの気持ちを理解した上で軍人には出来ない退却案をいとも簡単に出して見せる。その気持ちがなによりも有難い。

 

「博士……」

 

 ぐ、と噛み締めすぎて血が流れそうな唇を声を出すことで解放して、長い深呼吸をして身体の奥底に沈殿していた澱を息と共に吐き出す。

 緊張が解けるわけでもない。重みが消えるわけでもない。それでも何も出来ないような心理状況ではなくなった。肉の温もりは、戦うのが一人ではないと思わせてくれる感触は前を向く力をくれる。

 顔を上げたマリューに笑みを浮かべたミスズが手を離す。離れていく肉の感触に惜しさを感じながらもマリューは戦うための気持ちを新たにした。

 

「コロニーを傷つけないように攻撃は迎撃のみに限定する。ザフトのモビルスーツの牽制はストライクとアストレイに任せる。我々はヘリオポリスからの脱出を最優先とする。ルートは事前に示した通り。アークエンジェル前進!」

 

 マリューの艦長命令が通信を通して艦内全域に響き渡る。

 ストライクのコクピットシートに座るキラの耳にも無線を通して聞こえていた。だが、深く考えている余裕は今のキラにはない。即興で組み上げたOSの不備を直すのに必死だった。

 猛烈な勢いで付属のキーボードを連打し、まるで一続きになっているかのようなタイピング音をコクピットに響かせる。

 乗ると決めたのならストライクがどう動けるかがキラにとっての生命線。命を預けるに足る相棒とするのに必要な時間はどれだけあっても足りないぐらいだ。マードックから借り受けた三冊のマニュアルを時間もないので必要な部分だけを読んで、システムを書き換えた時に解らなかった部分に対しての理解を頭に叩き込んでいる。

 なんといっても時間が足りないので完璧には程遠い。ことプログラムに関しては完璧主義なところがあるキラには我慢できないところだったが時間に干渉することは人間に出来ない。ないもの強請りをしても仕方ないと分かっていても、神速タイピングを続けているキラの目は流れ続けていく情報を処理しながらも苛立ちを隠せていないかった。

 粗を捜せば幾らでも見つかるシステムに幾度目かの舌打ちをしたキラの耳に、ブリッジからの通信が入った。

 

『キラ君、聞こえて?』

「なんのようですか、ミスズさん」

 

 普段ならば初対面のこともあって気後れする相手であったが趣味の世界――――自分の命がかかった現状で趣味もないが――――に没頭していたキラに畏れるものなど世界にはたった一つしかない。

 畏れる者――――母相手には趣味の世界に没頭していようとも下手な対応をすれば命に関わることは幼い頃からの経験から染みついている。

 

『あら、用がないと話をしてはいけないのかしら。他のクルーは戦艦の操舵に忙しくて寂しいから連絡したわけじゃないのよ?』

「時と場合によります。そして今は駄目な方です。通信を繋いだも暇だからでしょ」

『冗談が通じないじゃない。無駄に肩に力が入り過ぎよ。必死なのは判るけど、そんな怖い顔をしていたら生き残れるものも生き残れないわよ。ほら、リラックスリラックス』

 

 偶然、ストライクに乗って仲間の安全と傍にいたマリューの為に我武者羅に戦った時とは訳が違う。元々の性格が戦闘に向かないキラに気負うなという方が無理だ。

 マリューの横顔が見えるので艦長席の端末を使っているのだろうミスズに言われようとも肩に入り過ぎている力は抜けるはずもなく、それどころか守らねばならないと気負う優しさが重圧だけを増させる。

 

『あなたの役目はあくまで近づくザフトのモビルスーツに対する牽制。敵の気さえ引いていてくれれば殺す覚悟はしなくてもいいわよ』

 

 気負いすぎている自覚のなかったキラは続いたミスズの言葉にタイピングを続けていた手を止めた。

 下げていた顔を上げてモニターに映るミスズの顔を見る。

 

『アークエンジェルがヘリオポリスから脱出するための時間稼ぎ。誰も敵を殺せなんて言ってないでしょ? 逃げ回っているだけ十分。誰もキラ君にそこまでの期待はしていないから』

「…………そしてあの子に人殺しをさせるっていうんですか?」

 

 ギリッと優しげな微笑みで慰めるミスズの言葉から察したキラは奥歯を強く噛み締めて、モニターの向こうにいる女を睨み付ける。

 キラの指摘に、可愛い玩具と思っていた小さな子犬と遊んでいて指先を噛まれたような顔を一瞬したミスズは直ぐに楽しげに笑んだ。

 極限状況に追い込まれながらも少ない言葉から察して見せた洞察力に、コーディネイターの能力を過信した愚か者でないことを知って嗜好の好みからお気に入りにランクアップした瞬間だった。

 

『ユイには殺すな、とは言っていない。それだけよ。あの子は必要と思ったなら躊躇わない。戦うと決めたのに躊躇っているあなたと違ってね』

「ぐっ……」

 

 ミスズの言うことも最もだった。戦うと選択したのはキラ自身。モビルスーツで敵を倒すということは即ち殺すことを意味している。その時間が近づいていくごとに実感していたキラは、ミスズに言い返せなくて喉の奥で唸り声を上げた。

 キラの唸り声に混じって新たな通信が繋がってモニターに映像が映る。

 

『博士、言葉が過ぎます』

 

 キラを擁護するように、モニターに着替える時間も惜しくて私服のままのキラと違ってパイロットスーツを着込んだユイ・アマカワの姿が映し出される。

 モニターの横面を見ればアークエンジェルでは規格が合わなくて全てを手動で装備を着けている別のモビルスーツ――――アストレイ・グリーンフレームがいる。

 

『あら、ユイ。あなたが人を庇うなんて珍しいわね。本当にキラ君と何があったの?』

 

 ミスズの問いにユイが真実を話すのではないかと止めていたタイピングを続けていたキラは内心で戦々恐々としていた。もし、ユイが真実を話したら生き残れたとしてもキラは墓場に直行しかねない。

 

『……………』

 

 キラの恐怖に反してモニターの向こうにいるユイは黙したまま何も語らなかった。

 ブリッジでも同じ映像を見たミスズは本当に嬉しそうな笑みを浮かべていた。キラには分からかったが、ユイがミスズの問いに答えなかったのはこれが初めてだった。何もなかったのなら否定するし、何かあったのなら肯定している。以前のユイはそんな少女だった。

 ミスズを絶対君主のように従っていたユイの沈黙という変化は彼女にとって喜ばしいものだった。

 

『まあ、いいわ。隠しておきたいことなら別に無理してまで聞かないわ』

『…………すみません』

『謝らなくていいわ。私は喜んでいるんだもの』

 

 気まずそうに顔を逸らすユイにミスズは目の前にいれば盛大に可愛がったであろう笑顔をモニターの向こうで浮かべている。

 何時の間にか蚊帳の外に置かれていたキラだったが、顔を逸らしていたユイがこちらを見て目を合わせたような気がして手を止まった。

 人形染みた少女が確かな感情を覗かせてキラを見つめる。

 

『あなたは死なない。誰も殺さない。戦うのは私。あなたは私が守る』

 

 熱意に似た熱い感情を小さく覗かせて通信が途切れた。

 

『あの子があんなことを言うなんてね。普通の女の子みたいな扱いをされたのがそんなに衝撃的だったのかしら』

 

 狐に化かされた狸のような顔で呆けていたキラは、モニターに映るミスズがにやけているのに気づいて慌てた。

 二人とのやり取りでキラの気負いは完全に取れている。女の子に守ると言われて緊張が解けるのも情けないが事実であることは消しようがない。戦って命を賭けるのが一人ではないのはなんとも頼もしい。

 

『ま、防衛が第一目的だから積極的に殺せとも言ってないし、やれるだけやってみなさい。じゃあね』

「待って下さい!」

 

 これ以上は野暮だと思ったのか、それも間違いではない。だが、通信を切ろうとしたミスズをキラは呼び止めた。

 

『なに? 別に娘さんと交際させて下さいって言うなら大歓迎よ。その場合は私も込みだけど』

「いえ、違います。聞きたいことがあるんです」

 

 さり気に恐ろしいことを言ってのけるミスズに戦慄すれど、キラはモルゲンレーテの技術者でナチュラル用のOSの開発に携わっていたらしい彼女にどうしても聞きたいことがあった。

 戦闘の前のこの時期に不謹慎だとは思っている。だが、この戦闘で命を落とすかもしれないキラにはどうしても確認したいことがあった。

 

『内緒の話のようね。ちょっと待って』

 

 言い方からしてミスズ個人に対する問いだと向こうでも判断したようで、モニターの映像が消えてサウンドオンリーになったことを示す映像が出る。

 

『この回線は私個人の物だから、これでブリッジや誰かが聞く心配はないわよ。お姉さんの3サイズが聞きたかったのなら喜んで教えるわよ。上はね――』

「教授は…………工業カレッジのカトウ教授はモルゲンレーテの仕事を手伝っていました」

 

 興奮した様子で言い募ろうとしたミスズの声を遮って、キラはどうしても消えなかった疑念を口にせずにはいられなかった。

 

「カトウ教授はナチュラル用のOSの開発に協力していたんですか?」

 

 真面目な話と分かったミスズが黙ったその隙間を縫うように、疑念の確信を言ってしまった。

 

『………………』

 

 直ぐに返答はなかった。それが良かったのかどうか、それとも直ぐに返答してもらった方が良かったのか、返答を予測できてしまう明晰な頭脳が答えを出すことを拒む。

 サウンドオンリーだからどのような顔を浮かべているのかもキラには分からない。返答を予測させてしまう材料を与える表情が見えないことは幸運なのだろう。

 

『そう言えばキラ君はカトウゼミに所属していたって言ってたわね。ならば、あなたが始めて乗ったモビルスーツの短時間で書き換えれたのかにも納得が言ったわ』

「答えて下さい! 教授は、教授は兵器を作ることに協力していたんですか!」

 

 認めたも同然のミスズの言葉に、キラは明確な返答があるまでは受け入れることは出来なかった。

 だが、どこまでもミスズは透徹とした真実だけをキラに叩き落とす。

 

『ええ、そうよ。カトウ教授はGの開発に協力していたわ。オーブでサイバネティックスの権威である彼が難航しているOS開発に参画されるのは当然の話でしょう?』

「そんな……」

 

 真実にキラは打ちのめされる一方。始めてストライクに乗ってOSを書き換えた時に知ってしまった事実、ストライクのシステムには一目でカトウの物と分かるプログラミングが搭載されていたのだ。

 カトウのプログラミングには癖が強く、良く知らない者には間違っているとすら思われることすらある。この一年間、間近でカトウの仕事を手伝わされてきたキラのような例外を除いて。

 何よりも少ないながらもこの数ヶ月にキラが教授から課題として仕上げて来たプログラムが幾つかが投入されている。この事実からカトウはキラを欺き、利用したのかと考えてしまう。

 キラは解ってしまうから絶望する。カトウがGの開発に関わっていたのだと、そのお蔭で短時間でOSを書き換えれたとしたとしてもだ。

 

『と、いってもカトウ教授も望んでしたことではないわ。彼の性格はあなたの方が良く知っているでしょ?』

 

 コーディネイターであろうとも能力があれば気にしない無頓着さと、人をこき使って憚ることのない強引さ。言葉面だけなら悪い人間のようだが、それを許してしまう人間性と懐の大きさ、なによりも本当に人が傷つけることを絶対にしない人であることをキラも良く知っている。

 そんなカトウ教授だから兵器の開発に関わっていたのだと知ってキラは傷ついた。

 

『本当ならこれは極秘なんだけどGの開発にはね、オーブの五大氏族一つサハク家――――まぁ、知らないならお偉いさんで覚えておきなさい――――が代表首長ウズミ・ナラ・アスハの関与しないところで独自にモルゲンレーテを通じて地球連合軍への技術協力を受け入れたのが始まりなのよ』

 

 キラが聞いてはいけないレベルの領域に話が及んでいるが、今更聞いていない振りも出来ない。先に足を踏み出したのはキラからなのだから。

 

『代々オーブにおいて軍事部門を影で担ってきたサハク家は手段を選ばないわ。計画への参加を断った教授に何をしたと思う?』

「分かりません。何を、したんですか?」

『人質を取ったのよ。人質を殺されたくなかったら計画に参加しろって。そしてその人質とは家族のいないカトウ教授の大切な者、ゼミに所属するあなた達よ』

「そんな!」

 

 認められる話ではない。では、カトウはキラ達を守る為に望みもしない兵器開発の片棒を担がされたというのか。

 

『カトウ教授のゼミにコーディネイターがいて、十分に使えるとは私も聞いたことがあったし、サハク家は当然、教授の優秀な教え子でもあるあなたにも目を付けていたんでしょうね。だけど、教授はあなたが子供で信頼できないとして拒否した。その所為で極秘裏に課題として知らせぬまま手伝わせる羽目になった教授は苦悩していたけど』

 

 伝えなかったのではない。伝えられなかった。国の思惑に対して逆らう個人で出来ることなどあまりにも少ない。カトウ教授は自らの出来る範囲でキラ達を、特にキラを守ろうとしたが完璧には果たせなかった。しかし、それでも教授がキラを守ろうとした事実に変わりはない。

 今もストライクのシステムを見ていてカトウ教授が関わっていたなら気づいて当然の不具合が数えられないほどにある。

 キラが作ったプログラムにしても普通ならば気づかないようなレベルでプログラム間の繋がりを失くしている。これではキラが作ったプログラム自体に意味がない。ストライクが上手く動くはずもない。

 

『カトウ教授はキラ君を守ろうとした。彼なりにね。それは分かってあげて』

 

 ミスズの言葉が引き金だった。キラは流れる涙を抑えることが出来なかった。

 

「教授……っ!」

 

 カトウは守ってくれた。大きな国の意志から、そしてザフトのモビルスーツからも。完全な初見ではキラですらあれほどの短時間でOSを書き換えることは出来ない。カトウの想いにキラ・ヤマトはどこまでも護られていたのだ。

 今もまた同じで、カトウが作り上げたシステムはストライクという鋼となってキラを守ってくれる。こんなにも心強いことはない。

 

「僕、戦います。誰かを傷つける為じゃなくて、誰かを護る為に。きっとカトウ教授もそう望んでくれると思うから」

 

 どこかのシェルターにいるだろうカトウ教授が作り上げたシステムを搭載するストライクを誰かを傷つける為に使うのではなく、友達や知り合ったばかりの人達を護る為に。

 決意を語るとサウンドオンリーの画面の向こうでミスズが微笑んだような気がした。

 

『頑張れ、男の子』

 

 今のキラには最高の激励となる言葉を残して通信は切れた。

 ストライクに乗り込んでからの緊張はどこかへ消えた。恐怖が無くなったわけではない。今のキラならば背負い、受け入れ、呑み込める。

 深く深呼吸してキータッチを再開したキラの肩からは適度な力と、ほど良い緊張が全身を循環している。無駄な気負いもなく、背負いすぎるプレッシャーも感じていない。ムウが今のキラを見れば瞠目したことだろう。

 とてもこれから始めて戦場に向かう新米の顔とは思えないほど、今のキラは落ち着いている。

 心の閊えが取れたのと、ユイの励ましやカトウの思いを知った今ならば誰と戦っても負けない万能感がキラを支配している。錯覚であっても、新米にありがちな戦意の逸りや焦りに突き動かされていないキラの精神状況はアークエンジェルとって数少ない朗報の一つである。

 この少ない時間で出来る最高のセッティングを終えようとしていたキラの耳に再度の通信を告げる音が聞こえた。

 ラストスパートをしてセッティングを終えたキラは顔を上げて付属のキーボードを直しながら通信を繋いだ。

 通信が繋がってモニターに浮かび上がったのはミスズではない。人手が足りないので管制官をすることになったナタル・バジルール少尉だった。

 ナタルは落ち着いて真っ直ぐと見て来るキラに驚いたような表情を浮かべた。

 

『キラ・ヤマト…………行けるか?』

 

 声の端々に心配を覗かせたナタルに医務室で見せた優しい面が被ってキラは自然に微笑んでいた。

 

「行けます」

 

 ハッキリとした声で表明したキラにモニターの向こうで奇妙な目を向けたナタルは先に通信を繋いでなにやら話していたミスズが何かしたのだろうと、自分を納得させて戦える精神状態になっているなら敢えて気にしないことにした。

 

『…………なら、いい。装備はコロニーを傷つける可能性の低いソードストライクで行ってもらう』

「ソードストライカー…………剣か。分かりました」

 

 システム内を検索してストライカーパックの一つであるソードの項目から、使用する武器がアグニのような遠距離の砲撃戦に特化したストライカーパックではなく、敵艦船に接近して斬撃を加えるための対艦刀「シュベルトゲベール」を用いる近接格闘戦用に開発されたストライカーパックであることに胸を撫で下ろした。

 対艦刀ならば外壁を切り裂いてしまう危険があるが、それこそ攻撃を放つ位置にさえ気をつければコロニーを傷つける心配はない。

 機械によって自動で接続される左肩部の武装を見てホッと肩に入っていた力を抜く。 

 

『君は本来は民間人で戦闘の義務はない。戦わせるのは我ら軍人だ。恨んでくれて構わない』

 

 不器用と分かるナタルの言いように、守る人たちの姿を思い浮かべながらボタンを押してフェイズシフト装甲を展開させ、ストライクを鉛色から色鮮やかなトリコロールに変化させる。

 

「戦うと決めたのは僕です。恨みなんてしません。だからそんなに気にしないで下さい」

 

 ストライクを操作させてカタパルトに足を乗せる。

 

『すまない。頼む』

 

 実直と思っていたナタルが画面の中で頭を下げて頼んでくるのをキラは黙って受け入れた。

 

『武運を祈る。必ず生きて帰れ。ストライク、発進どうぞっ!』 

 

 ナタルの言葉の直後、発進シークエンスが終了してカタパルトデッキが開いて何時でもストライクは出撃できる状態になった。

 一息、息を吸い込んで最後に唾を飲み込んで覚悟を決める。

 キラは不思議だった。連合やオーブの技術者達はストライクの事をGと呼ぶ。最初にストライクに乗った時にOSの立ち上げ画面で太字だった部分の頭文字から取って略称としているのだろうと深読みしたキラは、太字の部分を縦読みしてガンダムと呼んだ。そして機体名がストライクと聞いてから両者は繋げて読むものだと勘違いした。

 

「キラ・ヤマト! ストライクガンダム行きます!」

 

 アークエンジェルからキラの乗る機体が壊滅間近のヘリオポリスの空へと飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヴェサリウスのブリッジは困惑の空気に包まれていた。その原因は赤を着る資格があるとされる人間にあった。

 

「アデス艦長! 私も出撃させて下さい!」

 

 ミゲルやオロール、マシューが出撃した直後の緊迫していた空気をぶち壊したアスラン・ザラに、艦長席に座るフレドリック・アデスはうんざりとした顔を向ける。

 

「アスラン、今回は譲れと何度も言っている。ミゲル達の悔しさも君に引けは取らん。そもそも君には機体がないだろ」

「ですが!」

 

 尚も食い下がって来るアスランに、アデスは何度目かのやり取りかを考えて頭が痛くなって止めた。

 個人としては今いる赤の中では気分屋や横柄、小心者にお調子者と扱い難い者が揃う中にあってアスランは最も軍人として扱いやすい存在だった。命令に逆らうことはなく、解らないことが素直に聞きに来る姿勢に好感も持っている。なのにこの件に関してアスランは頑なに出撃させろの一点張りだった。

 クルーゼにコロニー内でD装備を止めるように上伸したのも彼の軍に入った経緯を知っているだけに納得もする。だが、ここまで出撃に拘るのは何故かと訝しく思いもする。

 

「艦長!」

 

 諦めを知らないように懇願してくるアスランから顔を背けて、こういう時には頼りにならないクルーではなく助けを求めてクルーゼを見たアデスは盛大な嫌な予感がした。

 クルーゼがアデスの背中に鳥肌を立てさせる嫌な笑みを浮かべていたからだ。こういう表情を浮かべている時は碌な事をしないと今までの経験が言っていた。

 

「いいだろう。アスラン、君の出撃を認めよう」

「隊長!?」

 

 あっさりとアスランの申し出を認めたクルーゼに、勘が当たってしまったことに「ガッデム!」と叫び出したい気分で金髪の美丈夫を見た。

 

「奪取した機体のデータの吸い出しは終わっている。地球軍のモビルスーツ同士の闘いというのも、かえって面白いかもしれん。行きたまえ、アスラン」

「ありがとうございます!」

 

 クルーゼの許しに頭を深く下げてモビルスーツデッキに向かったアスランがブリッジを去った後、彼の背中を楽しげに見送るクルーゼとは裏腹に艦長席に肩を深く落として座るアデスは深々と長い溜息を吐いた。

 苦労性だな、とアデスをチラ見したヴェサリウスのブリッジクルーは思った。クルーゼの副官になってから制帽の下の髪の毛が少なってきていることをクルーは良く知っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ストライクに続いてアストレイ・グリーンフレームが飛び出した直後のアークエンジェルのブリッジに警報音が鳴り響いた。

 ビー、ビー、と不快に感じる音が示すのは敵の接近。ソナーに映る熱源からコンピューターが自動でデータに適合する機種を割り出す。

 

「接近する熱源1。熱紋パターン、ジンです!」

 

 数少ない正規クルーで埋め尽くされたアークエンジェルのブリッジ中に索敵席に座るジャッキー・トノムラ伍長の叫びが木霊する。ザフトは編隊で襲ってくるかと思っていたので、それが一機と分かったブリッジの空気は僅かに弛緩した。

 トノムラの叫びが良く聞こえるCICの席に座るムウ・ラ・フラガの前のモニターには、更に詳細なデータがこちらに接近してくる1機のジンの姿と共に映し出されていた。

 オレンジ色のジンがザフトではD装備と呼称されているゴテゴテとした大きな武装を持たずに、普通のジンが持つ重斬刀や重突撃機銃しか持っていないように見えた。しかし、右肩部には髑髏と骨のパーソナルマーク、左肩部と左脚部には「DEFROCK」というロゴまで書いてあるのを見て取ったムウは盛大に顔を引き攣らせた。

 

「あれは黄昏の魔弾のカスタムジンじゃあねえか! なんであの野郎がこんな所にいやがる!?」

 

 L4にあった地球連合東アジア共和国領の資源衛星「新星」がザフトに奪取され、自軍の防衛用軍事衛星として改装しつつL5まで移送中に何度目かの奪還を試みた地球連合軍の中にムウの姿もあった。

 その時に交戦したザフトの護衛艦隊の中に「黄昏の魔弾」と呼び称されていたミゲル・アイマンがいた。

 あの派手なカラーリングのジンと戦ったムウは結局、撃墜することは叶わなかった。それどころか危うく自分が墜とされる場面も何度かあった。

 ムウが万全の状態で戦って勝てるかどうか分からない相手。流石にクルーゼには劣るようだが腕は間違いなくザフトでもトップクラス。

 黄昏の魔弾の名は地球連合の中でも有名だ。どれだけの猛者達が名を挙げる為に挑んで破れてきたか。単機で万軍にも等しいエースの出現に弛緩していたブリッジの空気が絶望に染まった直後、コロニーを激しい爆音が揺さぶった。

 コロニーの空を現していたミラー部分に新しい穴が空き、そこから二機のジンが侵入してくる。

 

「タンネンバウム地区から更に部隊が侵入!」

 

 モニターで大型のミサイルランチャーや特火重粒子砲を装備したジンを見たムウは盛大に舌打ちをした。

 ザフトの代名詞とも言えるジンの武装についての知識は地球連合に所属している軍人ならば誰もが熟知している。

 ムウの場合は実戦で何度も戦ってきた相手だ。大昔の言葉で「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」などと言うが知識不足は死を意味する。敵の武装や情報を知っているか否かで自らの生死が左右されるともなれば必死に覚えもする。

 

「なんてこったい! 拠点攻撃用の、重爆撃装備だぞ! あんなもんをここで使う気かっ!?」

 

 まだ目視できる距離ではないのでCICほどには詳細な情報を得ていなかったブリッジの面々が息を呑んだ。

 

「オレンジのジンがストライクに向かっています!」

 

 トノムラに言われなくても他のジンがアークエンジェルに向かうの対して、カスタムジンが一直線にストライクだけを標的に定めていることが分かる。

 

「ちっ! ストライクを標的にしやがったなあの野郎!」

 

 新型を最初に墜とすのは兵器乗りにとっては最高の名誉だ。ムウは黄昏の魔弾が功名に逸るには動きに敵意が出過ぎていることに奇妙な感じを抱きつつも、ストライクの管制官を務めるナタルがいる席を振り返って叫ぶ。

 

「相手はエースだ! 下手な攻撃をするよりも回避と防御に専念しろって坊主に伝えろ!」

「了解!」

 

 ナタルも黄昏の魔弾にどれだけの味方が殺されてきたかを良く知っているので、ナタルもムウの意見に反対することなくインカムに手をやった。

 

『こちらアークエンジェル。聞こえるか、キラ・ヤマト』

「はい、聞こえます」

 

 背後を航行するアークエンジェルの距離に注意しながらストライクに乗ってヘリオポリスの空を飛ぶキラは、無線から聞こえて来るナタルの声を耳に入れながらも視線はモニターに映る三機のジンに釘付けになっていた。

 

『オレンジ色のジンがそっちへ向かっている。普通のジンとは違う。注意せよ』

「注意しろったって」

 

 耳に聞こえてくるのは忙しない自分の呼吸音と敵機の接近を示すアラートばかりだ。

 ナタルの身にもならない警告に出来たのはストライクにソードパックのメイン武器である対艦刀「シュベルトゲベール」を構えさせることだけだった。

 

『乗っているのはザフトのエースパイロットだ。攻撃は当たらないと思った方がいい。回避と防御に集中しろ』

「エース? 取りあえず強いってことか」

 

 軍人ではないキラにエースパイロットと言われても具体的な強さは想像できない。

 いきなり乗ったモビルスーツでジンを撃退出来たことから、実は同じモビルスーツに対してザフトは強くないのではないかと心の片隅で思っていたキラの思考の隙を突くように一直線にカスタムジンが迫る。

 

「速い!?」

 

 別方向から普通のジン二機と合流したカスタムジンは装備の重量差があるとしてもキラの想像外の速さで重斬刀を振りかぶって向かってくる。

 円形のコロニーは回転することで地表部分に重力を発生させている。つまり、中心部には重力はあってないようなもので、例えるなら月の表面にいるような弱い重力化にある。中心部に近いところにいて重力が限りなく無いエリアにいたストライクをキラは上昇させた。その一瞬後にカスタムジンがストライクの眼下を通過していく。

 カスタムジンに乗るミゲル・アイマンは仇敵に認定したストライクの機敏な動作に獰猛な笑みを浮かべた。敵は強ければ強いほどいい。その敵を倒した後に来る高揚感は何にも勝ると知っていたから。

 

「背中ががら空きだ!」

 

 ミゲルは機体を操作させて反転し、無防備にも背中を見せるストライクの背中に向かって重突撃機銃を撃つ。

 これに反応したストライクが振り返るも回避は出来ない。シュベルトゲベールの刀身の先を下にしてを盾にして銃弾を防ごうとする。

 

「対艦刀を盾にしようが銃弾を全て防げるものかよ!」

 

 ミゲルの言う通り、シュベルトゲベールであってもストライクの全身を隠すことは出来ない。全身をくまなく狙われた銃弾が次々と装甲に着弾する。

 防御に集中していたキラは接近警報にハッと顔を上げた。

 目の前には重斬刀を振りかぶっているカスタムジンの姿があった。

 

「うわぁっ!?」

 

 恐怖に突き動かされて無我夢中でストライクを操作する。

 盾にしていたシュベルトゲベールの刀身の先を足で蹴り上げて振り上げさせる。

 真下から突然襲い掛かって来る対艦刀に、しかしミゲルは焦ることなくカスタムジンを動かし続ける。大上段から振り下ろそうとしていた重斬刀の軌道を変化させて耐艦刀を迎え撃つ。

 下から掬い上げるようなストライクのシュベルトゲベール。上から振り下ろされるカスタムジンの重斬刀。

 勝ったのはストライクのシュベルトゲベールだった。

 

「やはりGの性能は俺のカスタムジンも上回るか!」

 

 不利な体勢であったストライクよりも万全だったカスタムジンが指し示すのは単純な機体性能の差。弾き飛ばされたカスタムジンのコクピットの中でミゲルは機体性能の差を実感せずにはいられなかった。

 

「だが、機体の性能の差が戦力の絶対の差だとは思うな!」

 

 まだストライクはシュベルトゲベールを振り上げた動作から次へと移っていない。スラスターを7割で吹かして弾き飛ばされた機体を上下に反転させて振り返りながら重斬刀を振るう。

 がら空きの腰部に重斬刀が楽々と当たった。

 フェイズシフト装甲を展開しているストライクに重斬刀は利かない。だが、斬撃の衝撃までは完全に殺してはくれず、ストライクのコクピットを激震が襲った。

 

「ぐぅぅぅぅっ!」 

 

 横向きにストライクが弾き出され、コクピットにいるキラも咄嗟に目を瞑って襲ってくる激震に耐える。

 

「隙を見せた!」

 

 弾き飛ばされるに任せるストライクをカスタムジンが足蹴りにする。

 ストライクが蹴られた腹部を中心としてくの字に折れ、コクピットにいるキラを今度は前と後ろに激震する衝撃が襲う。横だけではなく前後の衝撃に強く握っていた操縦桿が汗で滑って手が外れ、体が前に投げ出される。

 

「わぁあああっ!?」

 

 もう少しでコンソールにぶつかるというところで装着していたシートベルトが役目を果たして引き止める。が、今度待っていたのは反動でシートに背中を強打する結果だった。

 コーディネイターといえども体の構造は変わらない。強かに背中を強打して息が肺から一気に抜け出す。一瞬だけ意識が遠退きかけた。しかし、キラの苦難は終わっていない。続く前後の衝撃に踏ん張りというストッパーを失くしたキラの体は何度も前後する。

 ようやく衝撃が弱まって、キラが這う這うの体で操縦桿を握った時には再び機体を激震が襲う。

 

「ああっ!?」

 

 避けるどころか防御すらする暇もなくジンの重突撃機銃がストライクを次々と叩く。

 キラがバーニアを全力で吹かして回避動作を取るも、カスタムジンはまるでストライクが動く方向を知っているかのように蛇の如く追いかけて来る。

 

「どうして僕の避ける方向が分かるの!?」

「経験が違うんだよ経験が!」

 

 どれだけモビルスーツが扱えようと戦闘の素人であるキラの動きは開戦時からのモビルスーツパイロットであるミゲルには丸分かりだった。

 キラは回避に必死になり過ぎてアークエンジェルことが意識の外にいっていることにも気がつかない。

 

「フェイズシフト装甲を持っていようが無敵じゃないんだ。何時かは限界が来るだろ」

 

 物理兵器しか装備していないカスタムジンでは物理攻撃をほぼ無効化してしまうフェイズシフト装甲を持つストライクに損傷を与えることが出来ない。だが、フェイズシフト装甲も無敵ではない。展開し続けるには電力を消費する。言い換えれば電力が無くなれば装甲を展開できなくなる。

 そのことをイージスの調整を行っていたアスラン・ザラから聞いていたミゲルは、敢えてストライクに有効なザフト側のビーム火器である特火重粒子砲を持ってこなかった。

 特火重粒子砲は大口径の割にGよりも威力が低く、大きさに比例して取り回しも悪い。機動力でもジンを上回るストライクを相手にするにはデッドウェイトにしかならないと考えたのだ。

 

「そして……」

 

 我武者羅な機動で逃げ回るストライクを必要最低限の動きで追尾することで機体性能の差を埋めて超えていくミゲルの脳裏に、アスランに見せてもらったイージスのデータが浮かび上がる。

 カスタムジンの上方へと逃げていくストライクに向けて重突撃機銃の弾道を計算して撃ち放ち、今まで抑えていたスラスターのパワーを全開にして先回りする。

 点と点が繋がり、ミゲルが張った罠に追い込まれたストライクが自ら飛びこんでくる。

 

「俺は知っているぞ」

 

 先回りされたことに気づいたストライクがシュベルトゲベールを突き出してくるが、ミゲルからすれば機体性能に頼った攻撃は狙いが甘く避けることは容易かった。

 機体を開いて天を仰ぐように切っ先をやり過ごし、あまりにも極間近過ぎて胸の塗装を削り取りながら外れていく。

 右から左に流れていく対艦刀を冷静な目で見たミゲルは、カスタムジンの右腕をストライクの人間でいえば肘関節に当たる部分に突き上げた。

 

「関節の駆動部まではフェイズシフト装甲じゃないってな!」

 

 突き上がった重斬刀がシュベルトゲベールを持つストライクの右手の肘を貫いた。

 重斬刀はフェイズシフト装甲では覆えない弱点である関節の駆動部を正確に射抜いていた。互いに動き回っている中で正確に一点を突くミゲルの妙技である。

 フェイズシフト装甲に絶対の信頼を置いていたキラにとって、ストライクの右手の肘に重斬刀が突き刺さり、そのまま切り払われて肘先が落とされる光景は晴天の霹靂であった。

 

「そんな!? フェイズシフト装甲なのにどうしてっ!?」

 

 シュベルトゲベールは両手で握っていたので無事な左のお蔭で折角の武器を落とすことはなかったが、両手で握って始めて振り回せる大きさの対艦刀なのに片手を失ってしまえば威力も速度も急激に落ちる。

 左手だけでシュベルトゲベールを振っても既にカスタムジンは離脱している。

 

「こんなに何もさせてくれないなんて、これがエースパイロットの実力なの?」

 

 機体性能では勝っているはずなのに圧倒される。ザフトのエースパイロットの名は伊達ではないのだとキラは流れ落ちる滝のような汗と共に悟る。

 

「片手じゃ他の武器は使えない。対艦刀を捨てる? いや、駄目だ。どうする? どうする!?」

 

 片手を失ってしまったので武装もシュベルトゲベールに限定されてしまった。ビームブーメラン「マイダスメッサー」やロケットアンカー「パンツァーアイゼン」を使うにはシュベルトゲベールを廃棄するか、背中にマウントしなければならない。

 唯一の接近戦用の武器である耐艦刀を手放せるはずもない。キラは手をこまねいていた。

 

「…………おかしい」

 

 追撃をかけてくると思ったのでストライクから距離を離して回避動作を取っていたミゲルは違和感を感じていた。

 次の選択を決めかねているように動こうとしないストライク。見る限り、遠距離攻撃オプションの武装を持っているとは思えないので近接近型の武装なのだろうとは分かるが、行動がイマイチ鈍く戦うことに慣れている軍人の所作とはとても思えなかった。

 

「まさか素人…………いや、そんなはずはない。軍人でなきゃ戦えるはずがないだろ」

 

 ミゲルは自問自答する。

 

「反応だけは良い。咄嗟の機転も悪くない」

 

 先の戦いの中でもコーディネイターであるミゲルを超えるほどの反応速度を見せている。

 脳裏にブリーフィングでのクルーゼの言葉がリフレインする。

 

『オリジナルのOSについては君らも既に知っての通りだ。なのに何故、この機体だけがこんなに動けるのかは分からん』

 

 どうしてナチュラルがモビルスーツを扱えるのか、ブリーフィングに疑問には思った。その答えは極間近にあることにミゲルは今更ながらに気がついた。

 

「もしかしてストライクに乗っているのはコーディネイターなのか?」

 

 ゆっくりと恐れるように呟いた。最初に動きが悪かったのに見違えたのもOSを戦闘中に書き換えたから、ナチュラルが乗っているよりかはよほど信用に値する推測だった。

 ちぐはぐだという思いを胸の中に押し留めたミゲルは、だが敵は敵だという思いを新たにする。

 

「関係ない。敵は倒す。それが誰であろうとだ」

 

 敵を倒す。その思いだけがミゲルを支配していた。

 ミゲルは故郷に母と弟がおり、民間人である彼が軍に入った理由は、年の離れた病気の弟の治療費を稼ぐためだった。治療費は稼ぎ終え、弟は治療の真っ最中なのだ。

 

「ユニウスセブンに核を撃った野蛮なナチュラル共にとって作られたモビルスーツ。貴様の存在は後々の禍根になる。ここでこの俺、ミゲル・アイマンが墜とさせてもらう!」

 

 右手に重斬刀、左手に重突撃機銃を持ち、ミゲル・アイマンは戦い続ける。その道の先にこそ家族が安住に過ごせる世界があると信じて。

 

「このままじゃ……っ!」

 

 カスタムジンから発散されている敵意の塊に気圧されているキラは、もはやアークエンジェルのことも頭から抜け落ちた頭で必死にストライクを操作して機体を動かす。

 迎撃など考えてはいない。一目散に追って来るカスタムジンから逃げ続ける。しかし、戦闘経験値が違いすぎる。

 

「逃げてばかりで!!」

 

 キラの動きは完全に見切られ、進行方向に銃撃が走って足を止めさせられる。

 背後に近づくカスタムジンにキラはストライクを向い合せてシュベルトゲベールを構えさせるしかない。

 

「覚悟を決めたか!!」

 

 ミゲルが言うような覚悟などキラは定めていない。追い込まれた獲物が希望を託して最後の反抗をするようなものだ。

 シュベルトゲベールを持ち上げて、自画自賛するほどの完璧なタイミングでカスタムジンに向けて振り下ろす。ビーム刃の部分で切り裂ければ確実に倒せる。

 未知の兵装といえど、ビームらしき物を刀身に展開していてミゲルが警戒しないはずがない。横殴りに振られた重斬刀に刀身の峰を強打されて弾かれる。

 対艦刀を外に弾かれて体が開かせられた。ストライクは背後に下がりながら頭部バルカンのイーゲルシュテルンを放って距離を稼ごうとする。

 

「やるじゃないか、ええ! だがその手はもう知ってる!」

 

 今まさにイーゲルシュテルンを放とうとしているストライクの顔の前にはカスタムジンが持つ重突撃機銃があった。

 全弾フルバースト。ズガガガガガガ、と頭部を押されてストライクが仰け反った。

 天を仰いだストライクの顔は酷いものだった。頭部にあるメインカメラは破壊され、アンテナも右側が二本とも折れている。特徴的なツインアイも右側が潰れ、特徴的なフェイスマスクにも穴が開いていた。

 全弾フルバーストにも関わらずたったそれだけの損傷に留まっているが流石に無防備を晒すストライク。当然、ミゲルがこの隙を見逃すはずがない。

 歴戦の戦士しての勘で、この一撃が決まればストライクに乗っているパイロットの心が折れて勝敗は決すると悟った。

 

「これで終わりだぁ!!」

 

 脆くなっている頭部に向けて大上段に掲げた重斬刀を振り下ろす。

 もう少しで貫くかというところで、コクピットに走ったロックオン警報に咄嗟にミゲルは機体に回避行動を取らせていた。

 直後、先程までカスタムジンがいた場所に走る緑色の閃光、ビームだ。

 

「なんだっ!?」

 

 ミゲルが見た時にはストライクはまだ体勢を立て直している直後で、そもそも放たれた方向が違う。

 距離を開けて発射源を辿ったミゲルはもう一つの目標である戦艦が大分離れた位置にまで移動していることにようやく気がついた。船体にも殆ど損傷も負わずに。

 

「マシューとオロールは何をやっている!」

 

 機体性能に頼りきりで戦い方も知らないストライクは何時でも料理できると確信したミゲルは、未だに味方が戦艦に取り付けていないのかと憤ってD装備を身に着けた二人の機体に通信を繋ぐ。電波干渉をしていてもこの距離ならば問題はない。

 

「二人とも何をちんたらとやっている。さっさと取り付けないのか!」

『やっている!』

『Gに似たモビルスーツが厄介で取りつけていないんだ!』

 

 ミゲルの叫びに返ってきたのは、焦りと焦燥に満ちたオロールとマシューの叫びだった。

 

「クルーゼ隊長の報告にあったシグーの脚を撃ち抜いたモビルスーツか」

 

 見ている中でも新造戦艦に接近したマシュー機が脚部外側にある円形状ハードポイントに装着される3連装ミサイルポッド「3連装短距離誘導弾発射筒」を発射するがGに似たモビルスーツは機敏な動きで、ミゲルをして見事と言わざるをえないほどに三発全てをビームライフルで撃ち落とした。

 

『さっきからこの調子で邪魔ばかりをしてくる! 突破できない!』

 

 邪魔ばかりをするモビルスーツを先に落とそうと考えたのか、オロール機が特火重粒子砲を向けて躊躇いなく撃った。

 自らを狙うビームにも件のモビルスーツは機敏に反応して手に持つシールドを構えた。

 ビームが着弾。大きな閃光を発するもシールドを撃ち抜けていない。

 シールドをどけたモビルスーツがビームライフルを構えてオロール機に向けて撃った。

 攻撃を放った直後に移動していたオロールは見事に避ける。が、一射と思われたビームは二射されていた。右足を撃ち抜き、片足を失ったオロール機がバランスを崩す。

 

「ぬぅ」

 

 あまりの速さに唸ったミゲルですら反応できるか怪しい早撃ちである。

 止めを刺すようにビームライフルを撃ちかけたモビルスーツは、マシュー機が新造戦艦に向けて短距離誘導弾発射筒――――ミサイルランチャーを撃ったのを見て標的を変えた。

 新造戦艦に当たる前にモビルスーツから放たれたビームライフルがミサイルに当たってコロニーの空に爆発の花を咲かせる。

 

『ミゲルもそっちに構ってないでこっちを手伝え! あのモビルスーツのパイロットは間違いなくエース級だ! 俺達じゃ手に余る!』

「プライドの高いお前がそこまで言うかマシュー。だが、そうだ。奴の相手は俺でなくては無理だ」

 

 もしくは隊長のクルーゼか、とマシューに続きを言わなかったミゲルの背中に寒気が走った。

 悪寒に従って機体を動かすと直前にまでいた場所にビームの光が走る。

 望遠されたモニターを見れば、件のモビルスーツ――――アストレイがビームライフルの銃口をカスタムジンに向けていた。

 

「ロックオンもせずにこの精度だと……!? こいつ、出来る!」

 

 しかもオロールとマシューを相手にしながらミゲルの位置も認識している。信じられない攻撃範囲である。

 新星作戦で交戦したエンデュミオンの鷹と先の戦闘でカスタムジンに損傷を負わせたサーペントール以外にはない敵に抱いた戦慄だった。味方には自分を凌駕する乗り手はいるが敵に戦慄したのはまだ3度目である。

 当のアストレイのコクピットでミゲルの戦慄など知ったものかと言わんばかりに平静な顔でいるユイ・アマカワはストライクに通信を繋いた。

 

「下がって」

 

 ユイは他人と話すのが苦手だ。だから、何時ものように端的な言葉で意志を表現する。

 

『でも……!』

「アークエンジェルから離れすぎ」

 

 抗弁しかけたキラの姿を見ることなく、その目は茫洋とした視線でモニター全体を見渡して敵の姿を捉え続ける。

 フェイズシフト装甲をコクピット周りにしか持たないアストレイ・グリーンフレームは、ストライクよりもエネルギー効率は良いといってもビームを使い続ければいずれエネルギーが尽きる。

 エネルギー残量を計算しながら、節約の為にイーゲルシュテルンで近づこうとしている右足を失ったジンを牽制する。

 

『分か、った』

「それでいい」

 

 モニターに微かに映るほど離れているストライクが転身したのを見て取ったユイは、ジン二機から意識を外さないまま知覚領域を更に広げる。

 

「アークエンジェル。こちらアストレイ・グリーンフレーム、応答せよ」

 

 視界の中でストライクがオレンジ色のジンを引き連れて来るのを見ながら、アークエンジェルのブリッジにも通信を繋いだ。

 

 

 

 

 

 オーブの戦艦を元にしたとはいえ、新造戦艦であるアークエンジェルはGと同じく新機軸の技術を次々に継ぎ込んでいる。Gと同じくアークエンジェルの航行システムもまた本格的に動かした今回になって幾つも異常が出てきた。

 オーブの技術者であるミスズがいたのも異常が出た場合に備えてのこと。でなければ技術者といっても一応は民間人の括りにある彼女が戦闘中のブリッジに入れるはずもない。

 ミスズが持ち込んだパソコンを直結してシステムの異常を直しているアークエンジェルは飛ぶだけの棺桶になっているはずだった。なのに、ブリッジの空気は緊張感に包まれていても今にも死にそうな切迫感はない。限りなくエース級に近い二機のジンの猛攻から護る守り人がいるからだ。

 敵の猛攻に曝されているのにすることもなくCIC席で戦いを見ていたムウ・ラ・フラガは今にも口笛を吹きそうな顔でモニターを見ていた。

 

「あの子、凄ぇな。なんて当て勘だ」

「当て勘?」

 

 唸るような声に振り返ったナタルには分からない単語がムウから出た。

 

「信じられるか? あのユイって子はロックオンもせずに勘だけで撃って黄昏の魔弾を墜としかけたんだ。どうやったらあんなことが出来るのか聞いてみたいもんだ」

 

 装甲が薄いMA乗りは敵の接近やロックオンをされたら回避を選択する。メビウス・ゼロを乗機としているムウだからこそ、ユイがした行為は心胆を冷やさせられた。

 ナチュラルと言われても容易には信じられないセンスを見せるユイに、彼女の母親であるミスズが座り込んで膝の上にノートパソコンを置いて超絶のキーボードタッチでシステムを直している所に視線が集まる。

 ストライクのOSを書き換えたキラ以上のスピードを見せるミスズに艦長席の座るマリューが引いてたりもするが。

 

「ユイの射撃センスは天性のものよ。生身でも凄いわよ。何キロか先に飛んでた鳥を普通の拳銃で撃ち落とした時は流石に引いたわ。どうして当てられるのかって聞いても、なんとくって言うし」

「いるもんだよな、天才って奴は」

「フラガ大尉が言わないで下さい」

「は?」

「理解してないのですか」

 

 パソコンに視線を下ろしながらのミスズの発言に、本来ならばMAでMSを撃ち落とせないのが常識の中で逆に単機で五機のMSを墜としているムウが感心しても嫌味にしかならない。マリューが思わず突っ込んでしまったが、ムウは意味が分からないといった顔をするだけで理解している様子は見受けられない。思わずナタルも呆れてしまった。

 頭が痛くなってきたマリューは身近なところだけを見ていてはいけないことを知っている。前進を続けるアークエンジェルの遥か後方で戦っているキラのことが気になった。

 

「ストライクは?」

「あんまり状況は宜しくない。黄昏の魔弾に押されっぱなしだ」

 

 答えたムウの発言の直後、ピーピーとナタルの席から呼び出し音が聞こえて振り返った。

 ユイが乗るアストレイ・グリーンフレームから通信が繋がって、管制官の席に座っているナタルは思わず機体になにか異常があったのかと考えた。機体に異常が起きても仕方がないほどにユイが乗るグリーンフレームは獅子奮迅の活躍をしていたからだ。

 グリーンフレームが戦えなくなればアークエンジェルは攻撃を受けざるをえない。震える指で通信を繋いだ。

 

『アークエンジェル。こちらアストレイ・グリーンフレーム、応答せよ。異常は直りましたか?』

「終わったわ。これで戦えるわよ」

 

 ナタルは通信を繋いだ直後に続いた冷静そのもの声に肩透かしをくらい、まるでタイミングを合わせたようにミスズがノートパソコンを手に立ち上がったのを見て眉間の奥に頭痛を感じた。

 

『では、ストライクとポジションをチェンジします。このままでは墜とされます』

「少し待て、艦長……」

 

 アークエンジェルを優先するならばこのままのポジションで戦えば無事にヘリオポリスを脱出できる。が、その場合は恐らくカスタムジンによってストライクは墜とされるだろう。どちらを優先するべきか判断を決めかねたナタルはインカムを抑えながら艦長のマリューを見た。

 CICのムウが気を利かして正面モニターに戦闘を続けるストライクが映し出された。

 

「ストライクが……」

 

 思わずマリューが絶句するほどストライクの現状は右肘から先を失い、頭部部分も破損が目立つと酷いものだった。

 

「やはり民間人の少年を乗せるべきではなかったんです!」

「坊主は良くやってる。他の誰が乗ってたとしたらとっくの昔に墜とされてるよ、勿論俺でもな」

 

 新型機動兵器の惨状にナタルが憤慨したがムウの言う通りだった。拡大されたモニターの中で逃げ回っているストライクの動きは、今のアークエンジェルの乗組員では誰も出来ないものだ。MA乗りのムウにだって、動かせるように大幅にランクダウンさせたOSのストライクでは的にしかならないだろう。

 

「バジルール少尉、ユイさんにストライクとポジションを代わるように伝えて。フラガ大尉、艦の防衛を任せます」

「…………了解」

「よし、照準をマニュアルでこっちに寄こせ。本職の腕を見せてやるぜ」

 

 マリューの決定に納得がいっていなさそうなナタルであったがストライクに乗る民間人を護る為に了承し、やる気を見せるムウは隣に座るロメロ・パルに言った。

 

 

 

 

 

 戦艦の方に向けて逃げるストライクを追うカスタムジンのパイロットであるミゲル・アイマンは、戦場の流れが変わってきていることに気づいた。

 

「Gの紛い物が厄介だ。しかし、ストライクは捨て置けない。どうする?」

 

 背後から重突撃機銃を撃たれて機構上、フェイズシフト装甲ではないバーニアを壊されるのを嫌ったストライクが上下左右に機体を振りながら逃げるのを稚拙と思いながら追うミゲルは自らに問いかけた。

 Gの紛い物の狙いがストライクとポジションを交換して自分と戦おうとしていることは察しがついていた。状況を考えれば悪い選択肢ではない。それに任務を優先すらならばこのまま戦艦に近づいていくことも悪い事ではない。Gの紛い物を先に墜とし、ストライクも同様にしてから戦艦の相手をする選択も間違いではない。

 

「決まっている。俺は俺の誇りを穢したストライクを墜とすと決めた。紛い物は後だ」

 

 操縦桿のグリップをギリッと音を立てるほど強く握り締めながら獰猛に笑う。

 ユイやアークエンジェルの誤算があるとしたらそこにあった。戦艦に近づこうとして果たせずに中途半端な距離にいるジン二機とアークエンジェルを背後に護るグリーンフレームの間にストライクが入った。少し遅れてカスタムジンも突入する。

 

「オロール、マシュー! お前達はそいつを引きつけておけ! 俺は先にこいつを墜とす!」

『ミゲル!』

『作戦と違うぞ!』

「うるさい! 誇りを穢されたままで我慢出来るものか!」

 

 繋いでいた通信を一方的に叫んで切り、カスタムジンは妄執にも似た殺意を纏って走り抜けたストライクを追っていく。

 中間を走り抜けていったカスタムジンに始めグリーンフレームは焦りにも似た動揺を垣間見せた。それはコクピットにいるユイが見せた焦りだった。

 

「離れます!」

 

 留まるか、離れるか。ユイの決断は早かった。

 アークエンジェルに一言だけ叫んで、カスタムジンを追ってその場を離れた。

 そして戦艦の守護者だったグリーンフレームが自分からその場を離れたことに、戦っていたジン二機のパイロットの方が困惑した。だが、直ぐに今がチャンスであることにも気がつく。

 

『行くぞ、オロール!』

『応さ!』

 

 だが、二人が行動に移すのは遅すぎた。ミスズが異常を直したアークエンジェルの行動は拙速だった。元よりストライクと共にジン二機の相手をするつもりだったアークエンジェルは敵機を攻撃するための準備を終えていたのだ。

 ジン二機のパイロットが困惑から脱した時には既にアークエンジェルの主砲である艦首両舷に1基ずつ装備されている2連装のビーム砲「ゴットフリートMk.71」の照準が合わされていた。離れた距離にいる二機に、右舷と左舷で分けて照準が合わせられていた。ジン二機のコクピットにロックオン警報が鳴り響く。

 模擬戦でも戦績は五分五分でオロールとマシューにモビルスーツ乗りとしての腕に差はない。

 二人に差を分けるとすれば乗っている機体にある。乗っている機体は両機ともノーマルのジン、兵装も同じD装備。OSも個人のセッティングの違いはあれど、それを込みでの模擬戦の戦績だ。二人の生死を分けたのは、機体の一部を損傷していたかの一点につきた。

 ロックオン警報に反応して同時に離脱しかけたのに、オロール機だけがマシューよりも2テンポは遅れた。それはグリーンフレームによって右足を撃ち抜かれたことによる悪影響だった。

 最大にバーニアを吹かしたことで機体のバランスを一瞬だけ崩して、持ち直した時には全てが遅い。茶髪のオールバックをヘルメットに押し込めたオロールは、死の直前に集中力が劇的に高まって目の前に迫るゴットフリートを笑い泣きのような表情で見つめることしか出来なかった。

 

「あ……」

 

 オロール・クーデンベルグは末期に何も言い残せず、コクピット部分を撃ち抜かれてこの世に肉体の欠片すらも残さず消滅した。

 

「オロール!?」

 

 先に離脱していたマシューはオロールが避けようもなく死んだことに気づいて仲間の名を叫んだ。

 機体の中心部を撃ち抜かれたジンは持っていたD装備の制御を失って、両腕に持つ残っているミサイル一発ずつをが発射された。発射されたミサイルは遮るものもなく直進し、ヘリオポリスを支えるメインシャフトに着弾して爆発する。

 

「しまった!?」

 

 ゴットフリートを機械任せではなく手動で撃ったムウはその結果に愕然とした面持ちを見せた。

 タンネンバウム地区に穴を空けてジンが侵入してから不気味に軋んでいたコロニーの背骨ともいうべきメインシャフトが遂に崩壊を始めた。

 メインシャフトを失った外壁は支えを失くし、重力を生み出すために回転していたコロニーの遠心力に振られて構造体に沿って切り取られるように分解し始めた。まるで繋いでいた糸を失った服のようにコロニーが壊れていく。

 宇宙空間に流出する空気に巻き込まれて建造物や道端に落ちていた物、エレカーや店の看板が外れて飛んで行く。爆発が起こっても空気が抜けていくからンが続きせずに消えていく。

 不安に怯える住民がいるシェルターにも強制退去命令が発令され、次々と救命艇としてパージされていった。

 乱気流がアークエンジェルを襲い、その影響はモビルスーツも襲っていた。カスタムジンから逃げ続けるストライクもまた。

 

「ヘリオポリスが壊れていく!?」

 

 見慣れた街並みだったはずの眼下の光景は構造体が接続を失って分離し、その向こうに漆黒の宇宙を映し出す。

 地上の楽園に穴が開いて、仄暗い地下にある地獄へ落ちるかのように何もかもが抜け落ちていく。

 

『キラ……キラ・ヤマト!』

「アスラン!?」

 

 空気の乱気流に巻き込まれて機体の制御に精一杯のキラの耳に、通信を通して三年前よりは男性らしく低くなっているが聞き間違えるはずのない親友アスラン・ザラと分かる声が入って来た。

 モニターを操作すれば同じように乱気流に巻き込まれながらストライクに近づこうとしている赤いモビルスーツ――――ストライクのデータベースが自動検索してX303イージスと表示された機体がいた。

 

「やはりキラ! キラなのか!?」

 

 クルーゼの許可を貰ってイージスで出撃したアスランの目的はストライクに乗っているのが親友キラ・ヤマトであること確認するためだった。彼の願いは皮肉にも叶えられた。

 

「アスラン! アスラン・ザラ!?」

 

 キラもまた懸念の一つであったことが解消されたが、皮肉な再会に嘆いたり感動する暇はない。

 二人は自らの機体の手を伸ばさせた。乱気流に巻き込まれる中で言いたことは山ほどある。お互いに何故モビルスーツに乗っているのか、疑問はつきない。だが、それよりも何よりも安全に話すための時間と場所が必要だった。

 しかし、その願いは果たされない。

 バーニアを全開にしてイージスの手を伸ばさせるアスランの視界に、ミゲルのカスタムジンの姿が目に入った。

 ミゲルのカスタムジンもまた乱気流に飲まれて機体の制御に精一杯の様子。その背中にGに似たモビルスーツが迫っているのを見て思わず叫んだ。

 

「ミゲル!」

 

 アスランの叫びが届いたのか、カスタムジンは背後を振り向いて件のモビルスーツ――――アストレイ・グリーンフレームに相対した。

 グリーンフレームは愚かにも手に持つビームライフル本体をカスタムジンに叩きつけるかのように振り下ろそうとしている。

 

「はんっ、これだからナチュラルは。そんな距離で当たるはずが……」

 

 しかし、距離が遠い。銃身から少し離れた所を通過すると分かったミゲルのカスタムジンは、万が一を考えて乱気流で流されて届いたとしても大丈夫なように余裕を以て腕を上げて防御した。

 神業的な射撃をしていたモビルスーツが届かない銃身で攻撃しようとしている。どれだけ操縦が上手くても所詮はナチュラルとその油断こそがミゲルの敗因となる。

 グリーンフレームのビームライフルから二筋の光が伸びる。銃身上下にスライド展開式のビームサーベル2基が展開されたのだ。

 

「油断大敵」

 

 笑うでもなく誇るでもなく、狙い通りにツインソードライフルのビームサーベル二基を展開させたユイはヘルメットの中でぽつりと呟く。

 カスタムジンの上げていた左腕が銃身のビームサーベルによって切り裂かれる。そのまま肩に食い込んで上体を切り裂くかと思われたが、ここでミゲルが超絶の反応を示した。

 

「舐め、るな!」

 

 この時のミゲルは命の危機に曝されて自らのリミッターを外してコーディネイターの枠を超えた動きをした。

 操縦桿を動かし、右腕で銃身を捉えようとする。

 もう一つ、ミゲルの敗因を上げるとすれば彼の機体であるカスタムジンが万全でなかったことだろう。もし、カスタムジンが完璧な状態であったならばこの後の出来事は起きなかった。

 コーディネイターの枠すら超えた反応で右腕を操作しようとしたミゲルに答える物はなかった。損傷したオロールの機体から移植した腕はカスタムジン程にミゲルの機体には答えてくれない。

 リミッターが外れて今まで生きていた中で最速で操作するミゲルに対応できるのは全開のカスタムジンだけであった。間に合ったタイミングであっても移植したノーマルのジンの腕は望まれた動きをしてくれない。

 結果として右腕の反応は遅れて間に合わず、ツインソードライフルのビームサーベルが袈裟切りにカスタムジンを切り裂く。

 左肩から右脇腹に抜けたカスタムジンの電気関係がショートして火花を盛大に散らすコクピットの中で、自機が爆発して自身は逃げられないと悟ったミゲルは薄らと口を開いた。

 

『お前は死ぬなよ、アスラン。ライル、母さんを……』

 

 初対面時に言われてひどく印象に残った去り顔だけを残して、頼んだと続いた言葉はアスランの耳には届かなかった。その時にはカスタムジンは爆発していたからだ。

 ストライクに向けていた意識が、末期の声だけを残して爆散したカスタムジンに移る。

 

「ミゲルぅぅぅぅぅぅぅ――――っ!!」

 

 先輩って付けろよ、と今にも言いそうな気障な格好つけのミゲルが死んだことを認めらずにアスランは叫んだ。

 ストライクから爆散したカスタムジンに意識を向けたのは、同時にキラを掴まえる最大に最高の機会をアスランに奪わせるのと同義だった。

 

「あ、うわぁぁぁぁっ――――!! 」

 

 イージスが手を伸ばしきらなかった為にバッテリーが切れたフェイズシフト装甲を展開できなくなったストライクは、気流に巻き込まれて虚空に引きずり込まれていく。

 

「キラ!」

 

 アスランが気づいた時には既に時遅く。ストライクは崩壊を続ける宇宙の深淵へと消えていく。

 まるでそれが地獄へと落ちていくようでイージスを操作して後を追おうとしても、アスランもまた違う気流に巻き込まれて別の箇所から宇宙空間へと引っ張り込まれる。

 

「キラぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ――――――――!!!!」

 

 親友を求め、尊敬できる戦友であり先輩を失ったばかりのアスラン・ザラの叫びもまた深淵の虚空へと消えていった。

 C.E.71年1月25日、オーブ連合首長国所有のコロニー「ヘリオポリス」は地球連合とザフトの闘いに巻き込まれて崩壊した。

 



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第5話 サイレント・ランニング

 

 戦艦。軍艦の艦種の一つ。大砲を主要兵器とする軍艦のうち、最大のものを指す。軍艦の中で最も強大な艦砲射撃の火力と、敵艦からの艦砲射撃に耐えうる堅牢な防御力を兼ね備えている。

 軍艦の艦種としての戦艦は、その強大な艦砲による火力と堅牢な防御力により、敵艦船の撃滅を主任務とした。多数の大口径砲を搭載し、自己の主砲弾と同等の砲弾が命中しても耐える甲鈑を装備した。そのため、船型は大型になっている。

 宇宙に出てもその歴史は変わらないがプラントが要するザフトのモビルスーツが戦場に出てくると、対艦を目的とした既存の概念による戦術の下に作られた戦艦では対応しきれなくなっている。地球連合軍は対モビルスーツを想定しての戦艦が必要になっていた。今まで以上の頑強さと火力、機動力に優れるモビルスーツを迎撃できる戦艦が。

 独自にモビルスーツを開発していた地球連合軍は対モビルスーツ用の戦艦を自軍のモビルスーツの母艦にもすることを考えた。そして作りだされたのが地球連合の最初のモビルスーツ搭載の宇宙戦艦となった大西洋連邦所属の強襲機動特装艦アークエンジェル。

 モビルスーツの運用実績などないに等しいアークエンジェルの艦長に求められた資格は尋常なものではなかった。

 問題があるとすれば地球連合の新型機動兵器の開発と並行して行われた本計画は大西洋連邦は独自に行ったもので、同じ地球連合のユーラシア連邦らにも秘密にする徹底ぶりのところにあった。

 自ずと人材は大西洋連邦のみに限られ、ザフトとの最初の主戦場になった宇宙戦艦となれば人材は限られてくる。

 G計画の発案者にして責任者であるデュエイン・ハルバートンは自らが指揮する地球連合軍第8艦隊の中から実績と信用が釣り合った艦長と、そして嘗ての教え子であり現部下で最も信用のおけるマリュー・ラミアスを副長に押したのである。その他のクルーにしても厳選に厳選を加え、能力と人格が釣り合う者達が選ばれた。

 しかし、ザフトに「知将」と称される彼をしても艦長を含む殆どのクルーが艦の出航前に死亡するとは考えていなかっただろう。でなければ艦を運用した実績のない大尉のマリューが艦長をやらされるはずもない。

 戦艦の艦長は基本的には大佐が務めることになっているがザフトとの戦争の折で上の階級の者が戦死してしまい、新しい者が軍に入っても育つには時間がかかる。

 C.E.71年入った現在では中佐が戦艦の艦長をやっているのも珍しくはなかった。低くても少佐で、マリューのように尉官で艦長をやるなど戦時でも普通はありえない。

 戦時中であっても大尉から少佐に昇進する時に特別な専門教育を受ける。これは少佐以上の階級の軍人は、一つの作戦単位の指揮官となることを求められるからである。そのため能力の不十分な大尉は、少佐に昇進することができないまま除隊することが多い。

 上官の下につき、現場での直接指揮をする役割を担う。つまり、個人での能力以外に、「現場での集団への指揮能力」を認められた者に与えられる役職であると言える。

 大尉のマリューはこの特別な専門教育を受けてはいたが、アークエンジェルで実技を艦長の下で学ぶはずだった。この時の彼女はまだ実際に戦艦の運用したことない、知識でしか知らない一尉官に過ぎなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 C.E.71年1月25日。この日、ヘリオポリスは崩壊した。

 ヘリオポリス崩壊の現場に最も間近で立ち会った一人であるキラ・ヤマトは、地球連合軍の新型機動兵器であるストライクのコクピットで崩壊したコロニーの残骸が散乱しているのを呆けた目で見ていた。

 

『X105ストライク、応答せよ! X105ストライク、聞こえているか? 応答せよ! X105ストライク、応答せよ!』

 

 キラが協力している地球連合軍の新造戦艦アークエンジェルから、正規クルーを失って管制官の椅子に座っているナタル・バジルール少尉の金切り声がコクピット中に響いているが、当のキラの頭の中には入ってきてはいなかった。

 

『こうまで簡単に壊れるとは』

 

 無線の向こうからムウ・ラ・フラガと名乗っていた男の声が聞こえて来て、キラもまた同じ気持ちを抱いた。

 コロニーや月面都市でしか暮らしたことのないキラはコロニー等の盤石さを無根拠に信じていた。ユニウスセブンを例に挙げれば分かるのに、自分が暮らしている場所が安全であると思いたい無意識が働いていたのだとしても誰に責められよう。

 ユニウスセブンの悲劇でその価値観が揺るがされようとも、核爆弾の所為だと思えば理由のすり替えが出来る。

 

「ヘリオポリスが……壊れた?」

 

 目が泳ぐようにモニターの向こうで散乱するコロニーの残骸を見遣る。

 構造体の破片、どこかの店の看板、ぶつけたのかフロント部分を破損しているエレカー。数え上げたらきりがないほどの瓦礫に囲まれたストライクは操縦者のキラの思いを映し出すかのように無事な左眼に光を失って残骸達と共に彷徨う。

 半日前までは当たり前だった日常の風景がこうも呆気なく壊れ、二度と同じ形に戻らないと知りながらも未だに現実を受け止められなかった。エネルギーを殆ど失ってフェイズシフト装甲を展開できなくなったストライクに、カツンカツンと崩壊時の慣性で動き続ける残骸達が当たる音がキラを責め立てるようだった。

 キラにとっての救いは、漂う残骸の中に人の姿がなかったことだ。

 殆どの人がシェルターに避難を完了させていたお蔭で、宇宙空間を生身で彷徨う人の姿を見ずにすんだ。もし、人の姿があったのならキラは発狂していたことだろう。

 

「どうして……」

 

 操縦桿を握る手がどうしようもなく震えていることすらも分からない。人が漂う姿がないことは慰めにはなっても、日常がここまで完膚なきまでに破壊された空間に直面するにはキラ・ヤマトの精神は凡庸で一般人でありすぎた。

 

『X105ストライク! X105ストライク!』

 

 自分の乗っているストライクの名はまだキラの中で馴染んではいない。幾ら呼びかけられようとも今の精神状況を呼び戻すほどの力はない。

 

『…………キラ・ヤマト! 聞こえていたなら、無事なら応答しろ!!』

 

 ナタルは返事の返ってこないキラに、モビルスーツの名前ではなく操縦者本人の名前を呼んだ。

 自分の名前を呼ばれて、キラは悪い夢から覚めたかのように自失から戻った。だが、現実は何も変わらない。悪夢は現実としてキラの眼前にあった。

 

「こちらX105ストライク、キラです」

 

 馴染みのないモビルスーツの名前を答えたキラは、自分の口から出た声が震えているのが分かった。 

 

『無事か?』

「はい」

 

 通信の向こうで相手が安心したのを感じて、なにを以て無事とするのかという判断基準が自分の中で壊れているのを自覚した。

 ヘリオポリスが、日常が壊れたのに無事も何もあったものではないと、頭の中のごく小さな冷静な部分が囁いていたが少数派に位置する思考は表に出て来ることはなかった。

 

『こちらの位置は分かるか?』

「はい」

『なら帰投しろ。戻れるな?』

「はい……」

 

 ナタルの問いに機械的に口が勝手に答える。

 嘘ではない。母艦登録をしてあるアークエンジェルの位置はストライクのモニターに表示されている。素人のキラであっても帰還することは出来る。

 

「母さん……無事だよな……」

 

 唯一の家族の無事を祈って強く目を閉じる。コロニーの崩壊に巻き込まれず、シェルターに避難できたと信じたい。が、一度思考の上に上がれば不安だけが雪だるまを坂の上から転がすように大きくなっていく。

 宇宙空間に密閉してあるモビルスーツのコクピットであろうとノーマルスーツを着ずにいることに、身内を思うのとは別の命の危険を感じ取って目を開いた。

 こんな時に家族よりも自分の心配をしている自分に自嘲したキラの目の前を小さな物が横切った。反射的に手を動かして、目の前を過った小さな物を掴んだ。

 

「なんだ、これ? 開くのか?」

 

 鎖のついた使い古されたペンダントのような物は、中に写真か何かを入れられるロケットペンダントのようだった。

 

「え、もしかしてこれって……」

 

 ロケットを開くと中にはムウとよく似たパイロットスーツを着た見覚えのない若い男が映った写真があった。

 このロケットペンダントはキラの物ではない。ストライクを開発した地球連合の誰かがコクピットに落としたりして、無重力になってコクピットの中に浮かび上がったと考えるのが自然だろう。

 誰の物かを深く考える前に、コクピットに警報音が鳴り響く。

 またザフトのモビルスーツかと怯えて体を固くしたキラだったが、警報音を発する対象を拡大したモニターには別の物が映っていた。

 

「あれは……ヘリオポリスの救命ポット!?」

 

 鳴り響く警報音は、シェルターがヘリオポリス崩壊時にパージされて救命ポットなって発する救難信号だった。

 

「母さん!」

 

 もしかしたら母が乗っているかもしれない、と考えたら見捨てることも放置することも出来るはずもない。キラはストライクを救命ポットに向けて進ませた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アークエンジェルのブリッジもまたキラと同じく衝撃の中にあった。

 中立のコロニーであるヘリオポリスで新型の機動兵器を持ち込んでザフトの攻撃を誘発させた罪悪感があったからこそ、単純な衝撃の強さでいえばキラを上回っていたかもしれない。

 その中にあって、直接Gの開発を指揮して民間人のキラ・ヤマトを巻き込んだと自責の念を抱いていたマリュー・ラミアス大尉の衝撃が最も大きいのかもしれない。

 艦長席に座ってガラス越しに漂うコロニーの残骸を見つめる顔からは色が抜け落ちていた。

 

「………マリュー? マリュー、聞いてる?」

「えっ? あ、ああ。ごめんなさい」

 

 目の前にミスズの端正な顔が現れて、マリューはようやく自分が呆然自失としていることに気づいて、恐らく何かを話しかけてきたのだろうから反射的に無視していたことを謝っていた。

 

「疲れてるんじゃないの? あなたも休んだ方が良いわよ」

 

 気遣しげなミスズの声に確かな心配を感じ取って、その気持ちに無性に甘えたくなった。

 最早、戦艦の艦長となった彼女は無様な姿や頼りない姿勢をクルーに見せることは出来なくなった。特にコロニーが崩壊して安住の大地を失った流浪の時に、艦のトップたるマリューが揺らげば進退にも影響を及ぼす。この重圧は同格であっても一パイロットでしかないムウ・ラ・フラガや、階級が下のナタル・バジルールには背負えないものだ。だが、艦の命令系統の外にいるミスズ・アマカワならば例外になる。

 彼女ならば無様な姿を晒そうが、揺らごうがクルーではないから進退には何の問題もない。純粋に彼女がオーブの一技術者であったならば、だ。

 今のミスズはアークエンジェル内の異分子であるオーブの技術者達を纏めるリーダーである。

 場合によっては不穏分子になりかねないミスズに頼り切ることは出来ない。アークエンジェルという小さな世界で、今のマリューは地球連合の代表であり、ミスズはオーブの代表なのだ。

 

「大丈夫です」 

 

 彼女の気持ちを有難くは思えど、寄りかかってはいけないと自らを戒める。これだけの事態に肩に力が入り過ぎているのが分かっていてもどうすることも出来ない。この荷物は誰とも分かち合うことは出来ないのだから。

 

「肩は大丈夫なのか? 銃で撃たれたんだろ」

「私も軍人の端くれでです。このぐらいはへっちゃらです」

 

 戦闘は終わったのでCICの席から出てきたムウの心配も引き攣っていると自覚している笑顔を返すしかない。

 始めて乗った戦艦で戦闘をしたり、少数ながらも乗り込んでいる難民となってしまった民間人を抱えたりと肩に圧し掛かる重圧は多い。まして、初めての艦長任務となれば気苦労も多い。

 

「どちらかというと、今こうして艦長をやっている方が私にとっては重いです」

 

 ポツリ、と本音を吐露してしまうのがマリューの弱さだった。

 ムウとミスズが外からこちらを向くのを察して、マリューは縋りつくように胸元を握った。

 この戦争の初期に戦死したモビルアーマーの恋人の写真が入っているロケットペンダント。挫けそうな時、苦しい時に助けてくれるロケットを握ろうとした。だが、胸元を探る手に固い感触が返ってこない。何時も肌に離さず身に着けているロケットはなかった。

 

「え?」

 

 人前でなければ軍服を脱いで確認するほどの、コロニーが崩壊した時とは別の衝撃がマリューを襲った。

 

(どこに行っちゃったのかしら。絶対失くすはずないのに。何時も身に着けてたから落とすはずないし、置き忘れたりするはずないし)

 

 軍服を着た時に付けていたかどうか、何時も身に着けているだけに記憶に残っていない。

 右手が当てもなく胸元を触って、それをムウが鼻の下を伸ばした好色そうな目で見ていることにも気がつかない。ムウが胸元のポケットに仕込んでいる小型カメラを取り出そうしたのをミスズが強烈な視線で射竦めたことにもまた。

 ようやく周りの空気の異変に気づいて、それが自分が不安を口にしたことや黙ったことにあると思ったマリューは慌てた。

 

「ごめんなさい。艦長の私がこんなじゃ、クルーが不安になってしまいますよね。今の話、秘密にしておいて下さい」

 

 真実を知らないことは何時の世も人にとっての幸福なのだろう。

 

『アストレイ・グリーンフレーム、帰投します』

 

 ブリッジにこのような事態になっても冷静そのものの声が響いた。マリューが顔を上げると正面ガラスの向こうに無傷のアストレイ・グリーンフレームがアークエンジェルの直近にまで近づいていた。

 

「ご苦労様、ユイ。怪我とかしてない?」

 

 今まで聞いたことのない安堵したような声に横を向けば、ミスズが深く息を吐きながらインカムに話しかけているところだった。

 

『機体に損傷はありません』

「そういうことを聞いてるんじゃないんだけど…………まあ、無事ならいいわ」

 

 どこかずれた回答をするユイに苦笑を浮かべながらも、やはりこの人も母親なのだなと肩から力を抜いているミスズの横顔を見て、マリューはそんな思いを抱いた。

 視線を前に戻し、右舷のカタパルトデッキが開いて着艦しようとしているアストレイ・グリーンフレームを見る。

 

「無傷、か。クルーゼ隊と戦って凄いもんだね、彼女は」

 

 ミスズとはマリューを挟んで反対方向にいるムウが戦慄とも安堵とも言えないどっちつかずの声で言ったのに、マリューもまた同じ思いを抱いた。

 

「あんな子供が戦場に出て、混乱のどさくさとはいえ黄昏の魔弾を墜としたんだ。敵でなくて良かったぜ」

 

 見た目でキラ以下の年齢と分かるユイ・アマカワを戦場に送り出した罪深さは誰もが背負っている。だが、ユイが名付きのエースを仕留められるほどのパイロットであることは味方であったことを喜ぶべきか、それとも遠くない未来に戦うかもしれない敵を発見してしまったことに慄けばいいのか分からなかった。

 それぞれの感情で、着艦しようとしているモビルスーツを眺める中でミスズだけがあるはずのない物に気づいた。

 

「ん? 何か持ってるの、ユイ?」

 

 ミスズの問いにグリーンフレームは着艦を一時止めて右手を掲げた。

 右手に掲げているのは黄昏の魔弾を仕留めたツインソードライフルではない。もっと別の、巨大な人の手の形をした何かだった。

 

『ストライクの右手です。拾いました』

「は?」

 

 その時、マリューだけではなくブリッジの思いは一つになった。

 

『いらないのなら捨てますが』

「い、いえ、回収ありがとう。そのまま持ち帰ってくれる?」

『了解』

 

 ミスズからどうするのかと視線を向けられて、捨てられては叶わないと回収を頼む。

 やり取りをして、ストライクの手を握ったまま着艦するグリーンフレームが見えなくなるまでみたマリューは、ユイをちょっとずれた子だと認識を新たにして艦長席に背凭れに背を預けた。 

 

「じゃ、私はあの子を様子を見て来るわ。なにかあったら呼んでちょうだい」

「分かりました」

 

 ミスズが言ってブリッジを出て行くのを見送って、ようやく一息つけたマリューはこのまま眠りにつきたい衝動が湧き上がってくるが艦長となった彼女にはまだこれからのことを考える義務がある。

 先のことを考えると頭が痛くなった。

 

「で、これからどうするんだ?」

 

 マリューの思考を先読みするようにムウが問いかけて来る。

 人に聞く前に自分で考えてほしいと思うも、最終決定権と指針を示すのが艦長の仕事となれば放り出すわけにもいかない。

 

「本艦はまだ戦闘中です。ザフト艦の動き掴める?」

「無理です。残骸の中には熱を持つものも多く、これではレーダーも熱探知も……」

 

 重い体を動かしてムウの問いに対する返答の為に情報を集めようと背後のロメロ・パルを振り返りながら問いかければ、予想はしていても新米艦長には重すぎる状況に、責任も重圧も投げ出したくて仕方なかった。

 

「向こうも同じと思うがね。追撃があると?」

「あると想定して動くべきです。尤も今攻撃を受けたら、こちらに勝ち目はありません」

 

 もしかしたら目的はストライクやアークエンジェルではなくアストレイになっているかもしれない、とはGの開発を行っていたマリューだからこそ口に出来なかった。

 エンデュミオンの鷹が倒すことも出来なかった黄昏の魔弾を仕留めたモビルスーツ。アークエンジェルやストライクと行動を共にしていたのだからグリーンフレームも地球連合が作った新型と思うだろう。真実はオーブが作ったのだと気づきもせず。

 

「だな。こっちには、あの嬢ちゃんが乗る虎の子のモビルスーツと、ボロボロのストライクと俺のゼロのみだ。艦もこの陣容じゃあ、戦闘はなぁ。最大戦速で振り切るかい? かなりの高速艦なんだろ? こいつは」

 

 ムウもまたストライクよりもグリーンフレームを頼りにしているのを感じて暗澹とした。

 データ上での性能ではストライクの方が総合的に上回っている。グリーンフレームがGの中でも高い完成度のストライクよりも優れている部分は、基礎フレームの違いからなる運動性とコクピット周りだけの衝撃を感知した時だけ発動するフェイズシフト装甲によってエネルギーが長時間持つことの二点ぐらい。なのに、グリーンフレームはジン二機を相手にして圧倒し、キラが操るストライクを圧倒したカスタムジンを撃墜している。

 しかもストライクに乗っているのはコーディネイターの少年だ。機体性能ではなくパイロットの差だと思いたいが、先の戦いを見れば百人に聞いても百人ともグリーンフレームの方を頼る。マリューもそう思う。

 

(ユイさんはどうやってあれだけの操縦技術を……)

 

 あの年齢でどうやって黄昏の魔弾を撃墜するだけの操縦技術を手に入れたのか気になるところではあった。何故、個人にセッティングしてあるといっても彼女がコーディネイター用のOSを扱えるのか疑問も絶えない。

 聞けるミスズが今はブリッジから出て行ってくれたことが有難かった。いたらどんな言葉を吐いたか分からなかったから。今は目の前の心配をするべき時に、仲間になってくれる人達との間に不協和音を生み出さずにすむ。

 

「向こうにも高速艦のナスカ級が居ます。振り切れるかどうかの保証はありません」

「なら素直に投降するか?」

「え?」

 

 逃げれ切れるとは思えないと考え、どうするべきかと思考していたマリューの頭はムウの発言に真っ白になった。

 ザフトに投降するなんて選択肢はマリューには一欠けらもなかった。だからこそ、ムウの発言はマリューの思考を停止するだけの力があった。

 言葉の意味を理解したマリューの脳裏にGを護る為に犠牲になった部下のハマナやブライアン、他の多くの仲間達の死が冒涜されたように感じて我知らずに視線がきつくなった。

 

「そんなに睨まないでくれ。投降することも一つの手だって教えたかっただけだ」

 

 怖い怖い、と両手を上げて言いながらもムウの表情は真剣そのものだった。おどける仕草で場を和ませながらも、本当に艦の人員の為を思うならザフトに投降するのが最善だと分かってやっているのだ。

 言われてきつくなっていた視線を逸らし、良く考えれば艦の人員の安全を対価にストライクとグリーンフレーム、アークエンジェルを渡すことが最も危険から遠ざける方法なのだと分かる。犠牲になった者達、艦に乗っている者達、どちらが大切などと比べるべきではないと分かっているのに、マリューは両者を天秤に乗せてしまった。

 死者と生者、いない者といる者、両者を比べてはいけないと分かる良心はまだマリューの中にあったが進退を考えるにはどちらかの秤を傾けなければならない。死んだ者の思いの無駄にするか、生きている者を危険に晒して犠牲にするのか、キラに軍人をやるには優しすぎると称されたマリューには酷な作業だった。

 

「なんだと! ちょっと待て! 誰がそんなことを許可した!」

 

 マリューを救ったのはナタルの困惑が籠った怒声だった。

 

「何か?」

「ストライク帰投しました。ですが、救命ポッドを一隻保持してきています」

 

 振り返りながら下層を見ると、こちらを仰ぎ見るオペレーター席に座るナタルの現状に対する困惑に包まれていた。

 

「えっ!?」

 

 ムウと顔を見合わせたマリューは更なる難題を目の前の男に全てを押し付けたい衝動に駆られた。

 暫くすると、右手の肘から先がないので左手の脇で救命ポットを抱えたストライクの姿が見えてきた。

 

『認められない!? 認められないってどういうことです! 推進部が壊れて漂流してたんですよ? それをまたこのまま放り出せとでも言うんですか!? 避難した人達が乗ってるんですよ!?』

 

 キラの論理は軍人には稚拙といえど、ヘリオポリスに住んでいた住人としては真っ当な言いようだった。聞いているマリューだって、もしかしたら自分の身内が乗っていると考えれば放り出す仕打ちなんて出来やしない。

 救命ポットには数日の分の食料や酸素があるといっても、軍人以外ならば受け入れるのが当然の考えだ。

 

「すぐに救援艦が来る! アークエンジェルは今戦闘中だぞ! 避難民の受け入れなど出来るわけが」

「いいわ、許可します」

 

 隣に浮き上がって叫ぶナタルの言いようもまた正しいと思いながらも、気持ち的にはキラに近いマリューは受け入れの許可を出した。

 救命ポットを捨てておけるナタルの方が軍人としての論理を実践できる。互いに存在を知りながらも親しくしていたわけではないこの同僚の方が自分よりも艦長に相応しいのではないかと思いがマリューの中に浮かび上がった。

 

「艦長?」

「これからザフトと戦うかもしれないのにストライクを操縦できる彼の機嫌を損ねるわけにはいかないでしょ。収容急いで」

「………分かりました、艦長」

 

 避難民の受け入れ許可を出したことに訝しげな顔を向けて来るナタルに、言い返しようのない論理を突きつけた自分もまた人としては間違っていると自覚せずにはいられなかった。

 ストライクが着艦した後に考えるのはこれからのことだ。

 

「状況が厳しいのは分かっています。でも、投降するつもりはありません。この艦とストライクは絶対にザフトには渡せません。我々は何としても、これを無事に大西洋連邦司令部へ持ち帰らねばなりません」

 

 生きて情報を持ち買える。これが死者と生者を秤にかけてマリューが出した結論だった。

 

(そしてコーディネイターを殺すの?)

 

 自分に問いかける。Gを大西洋連邦司令部に渡すことが出来れば地球連合の戦力は格段に増すことだろう。延いてはプラントを護ろうとするザフトのコーディネイターを殺すことに繋がる。守ろうとする行為が誰かを殺す行為に繋がる欺瞞だとマリューは自覚していた。

 カタパルトデッキに入って行ったストライクに乗る少年の幼い姿が脳裏にちらついて、重い溜息を漏らす。

 知識でしか知らなかったコーディネイターは実際に会ってみればどこも自分と変わらない人間だった。キラだけが特別ということはあるまい。遠く感じていた敵の姿の一端を垣間見たマリューは自らの行為に迷いを抱いていた。

 

「艦長、私はアルテミスへの入港を具申致します」

 

 マリューの悩みを知ってか知らずか、心労の色の重い艦長席に座るマリューの横でナタルが発言した。

 アルテミス、と言われて重い瞼をピクリと痙攣させたマリューは記憶を漁った。

 

「アルテミス? ユーラシアの軍事要塞でしょ?」

「傘のアルテミスか?」

 

 ユーラシア連邦は地球連合の中では軍事面の他、大西洋連邦や東アジア共和国と同じく地球連合内部での中心的な発言権を持つ国家である。アルテミスはそのユーラシア連邦が保有する宇宙要塞。

 ムウが「傘」と言ったのは、要塞周辺に「アルテミスの傘」と呼ばれる全方位光波防御帯を発生させる事で高い防御力を誇り、それによりザフトから身を守って来たのが所以である。

 実際の所、アルテミスがザフトの攻撃を寄せ付けなかったのは「アルテミスの傘」を突破する方法がなかったのに加え、戦略的に重要な地点ではなかったため事実上放置されていたためであることは有名無実と化していた事実だった。

 

「現在、本艦の位置から最も取りやすいコースにある友軍です」

 

 ナタルが頷きながらマリューに一言言ってから艦長席のコンソールで航宙図を出す。確かにアルテミスが最も近い友軍で、目的地である月はかなり遠いことが分かる。

 

「でも、Gもこの艦も、友軍の認識コードすら持っていない状態よ? それをユーラシアが受け入れてくれるかしら?」

 

 ナタルの言いようが大いに良く解るが、マリューは彼女ほど楽観的には考えられなかった。

 同じ地球連合でありながらなにかと張り合うことの多い大西洋連邦とユーラシア連邦の間柄を上司から耳が蛸になるほど強く言い聞かされて、Gの開発に携わってきた間に多くの内偵が入り込んでいたかを知っているだけに懸念は消えなかった。

 

「アークエンジェルとストライクは、我が大西洋連邦の極秘機密だと言うことは、無論私とて承知しております。ですが、このまま月に進路を取ったとて、途中戦闘もなくすんなり行けるとは、まさかお思いではありますまい。オーブ側が大量の物資を運んでくれましたが余裕があるとは言えないまま発進した我々にはどちらの道、補給はどこかで必要です」

「…………分かってるわ。オーブに借りを作り過ぎると後が不味いものね」

 

 マリューの本音としてはアルテミスに寄らずに月に一直線に向かいたいところだが、ナタルが言うように戦闘なしで行けるとは思えない。オーブ側が物資を運んでくれたが後でどのような要求をされるか分からないので出来るだけ使わないですませたい気持ちもある。

 

「事態は、ユーラシアにも理解してもらえるものと思います。現状はなるべく戦闘を避け、アルテミスに入って補給を受け、そこで月本部との連絡を図るのが、今、最も現実的な策かと思いますが」

「アルテミスねぇ。そうこちらの思惑通りにいくかな?」

 

 ムウの言う通り、こちらの思惑通りのことが運べば何も言うことはない。ユーラシア連邦が友軍の認識コードがないことをいいことにGやアークエンジェルを我が物にしようとすることは十分に考えられる。

 マリューとしては最悪の方の考えばかりに思考がいってしまうがナタルは違うのだろうかと考える。

 

「でも、今は確かにそれしか手はなさそうね」

 

 図らずとも避難民を抱えてしまったのなら安全策を取るしかない。味方かもしれないユーラシア連邦を疑うよりも明確な敵であるザフトを警戒している方が建設的だ。思考停止していると言われても目の前に危難に立ち向かうことが新米艦長マリューの精一杯だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アークエンジェルに着艦したキラは、救命ポットをモビルスーツデッキに下ろしてストライクをメンテナスヘッドに固定して、ようやく一息をつけた。

 モニターに映るモビルスーツデッキに出撃前と殆ど変化はない。

 変化といえば、ボロボロのストライクと違って、隣に立つ無傷のアストレイ・グリーンフレームがメンテナンスヘッドの規格が合わなくてワイヤーで固定されているぐらいか。

 視界に映るグリーンフレームの無傷の姿を見て、自分が乗るストライクのボロボロな有様を比較する。

 

「プロと素人の差、か」

 

 戦闘中に際立っていたユイの操縦とは反対に何も出来なかった自らを恥じていたキラは、そう思うことで自分を慰めようとした。

 

「馬鹿か、僕は。何を情けないことを言ってるんだ」

 

 未だに怯えて震えている手を拳の形にして頭に叩きつける。痛みがキラを慰めてくれる。 

 コロニーを崩壊させた一端を担ったかもしれない自分には相応しい罰だと思う事態が許されないのだと考えながらも、痛みを罰とすれば心の痛みが小さくなるのだから救えない。

 頭を抱えようとして、額に異物感が触った。

 

「さっきのロケット………誰のだろう」

 

 一番知っていそうなマリューに後で聞こうとズボンのポケットに入れて、何時までもコクピットの中にいるわけにもいかないので外へ出ようとした。

 ストライクが着艦した後に空気を入れたのは、眼下で動き回る作業服を着た整備員達がノーマルスーツを着ていないことから分かる。コクピットハッチを開いて外へ出る。無重力なので体が浮かび上がるのを支えながら外に顔を覗かせると、丁度救命ポットからヘリオポリスからの難民がアークエンジェルの整備員の一人に引っ張り上げられるところだった。

 引っ張り上げられた燃えるような紅い髪の少女に、キラは見覚えがあった。

 

「あっ!?」

 

 遠くからでも見間違えるはずない少女――――キラが淡い思いを抱いているフレイ・アルスターの姿が見えた瞬間、どこからか「トリィ」と聞き覚えのある鳴き声が耳に届いた。視線を動かせばアスランから貰ったペットロボット・トリィがフレイの下へと飛んで行くのが見える。

 整備員に引っ張り上げられたところで肩に止まったトリィにフレイが全身を震わせたが、肩の上で首を傾けているのがペットロボットと分かると途端に安心した顔を見せた。

 再び、トリィが羽ばたく。今度はフレイを見た衝撃でストライクから離れて中空へ浮かぶキラへと向かって。

 トリィを追ったフレイの視線と彼女を見るキラの視線が、トリィを中心として混じり合う。

 

「ああ、あなた! ミリアリアの友達の……!」

 

 キラを見たフレイは殆ど会話をしたことがなくても互いに顔と名前を知っている。知り合いを見つけて、よほど不安だったのだろう救命ポットを蹴って飛び上がった。

 好いている相手が向こうから飛びこんでくる現実にキラの頭はオーバーヒート寸前だった。

 

「フ、フレイっ! うわっ、ホントにフレイ・アルスター!? このポッドに乗ってたなんて!」

 

 胸元に飛びこんできた温かく柔らかい感触にキラは完全に有頂天になっていた。

 キラを求めて強く抱きしめてくれる腕の感触、花のようなこちらの精神をリラックスさせてくれる優しい匂い。何よりも腹に無防備に当たる想像以上に柔らかく大きい胸がキラの性を刺激する。

 物語の中なら危機に陥った姫を助けた騎士か、と目の前に喜びに浸って崩壊したヘリオポリスのことは頭の隅に追いやられていた。

 

「ねえ、どうしたのヘリオポリス! どうしちゃったの? 一体何があったの?」

 

 当のフレイ本人に横に避けていた現実を突きつけられ、キラは喉の奥をゴクリと鳴らした。

 だが、それでもキラの刺激されている性の衝動は消えない。目の前にある宝石のように輝かせる濡れた瞳を持つフレイがいるから。

 

「あたし、あたし……フローレンスのお店でジェシカとミーシャにはぐれて、一人でシェルターに逃げ、そしたら……」

 

 話半分で聞いているキラの頭にはお花畑が咲いていた。彼女を自分だけの物に出来たなら、と思わずにはいられない。暗い衝動を抑えるのにキラは全精力をつぎ込まなければならなかった。

 

「これザフトの船なんでしょ? あたし達どうなるの? なんであなたこんなところに居るの?」

「こ、これは地球軍の船だよ」

 

 今度こそ現実に引き戻されて、それどころか冷水を背中から浴びせられたような面持ちでフレイをゆっくりと離した。直接触れて熱を感じていては何時までも理性を保つ自信がなかった。

 

「うそっ!? だってモビルスーツが!」

「あ、いやぁ、だからあれも地球軍ので」

「……え」

 

 理解できないと目を丸くするフレイもまた可愛いと感じて要領をえない自分の馬鹿さ加減に頭を叩き潰したい気分になった。

 

「で、でも良かった。ここには、ミリアリアも居るんだ。もう大丈夫だから」

 

 サイの名前を出さなかったのは付き合っていると聞いた彼に対する嫉妬か、それとも別の感情かはキラ本人にも分からなかった。

 トール達がいるであろう居住区に向かうためにフレイの手を握ったキラは、もう死んでも良いと青少年の惑いが生み出した勘違いの快感の末に思った。

 まだ避難民の大半はモビルスーツデッキに留まっていて、アークエンジェルの通路を進んでいる民間人はキラ達だけだった。途中で軍服を着た人間が何人かすれ違ったが、彼らはキラのことを知っているようで特に誰何されることもなかった。その途中ですれ違ったミスズがインカムで誰かと頻繁に連絡を取り合っているのを見ても特に気にならなかった。

 ただ、何人かはキラがコーディネイターであることを知っているようで誰もが好意的なわけではなかった。好意的な方が圧倒的に少ない状況に普段のキラなら暗澹とした気持ちを抱いただろうが、今の彼は淡い思いを抱いている少女の手を握っている。今限定でキラは無敵だった。

 途中、食堂を通りかかったので覗いてみたが他に緊急避難的に乗り込んだ民間人達が暗い雰囲気を振り撒いているだけでトール達の姿はない。やはり居住区の方かと思って通り過ぎる。

 キラの考え通り、居住区に来ると少ないながらも人の気配が感じられた。

 カトウゼミの学生達が過ごしていた部屋に近づくと微かに人の声が聞こえる。間違いなくトール達だ。

 

「サイ!」

 

 声の中にサイがいることを聞きとったフレイがキラの手を離して先に部屋に踏み込んだ。離された手に残る熱を惜しみながら、キラも遅れて部屋に入る。

 部屋に入ったキラが見たものは、抱き合うサイとフレイの姿だった。キラの胸に鈍い痛みが走る。

 

「フ、フレイ!? どうしてここに」

「私、私の乗ってたポッドのエンジンが壊れて………。そしたらモビルスーツに拾われて、ザフトかと思ったら地球軍だって言われて」

 

 キラと違ってフレイはサイの首筋に抱き付いていた。話す声も訴える姿勢も違う。それが向けられている想いの違いだと突きつけられているようで目を背けたかった。

 

「ま、まあ。落ち着きなよ。確かにこれは地球軍の船だからもう心配いらないよ」

「ホント? 本当なのね?」

 

 いるはずのない少女の突然の登場に困惑しているサイと違って、フレイは甘えるように何度も確認する。

 

「本当だよ」

 

 フレイを見下ろすサイの目にも確かな愛情を見て取って、キラは遂に見ていられずに目を逸らした。

 

「良かったぁ。でも、なんでサイ達も乗ってるの? 私みたいにポッドを拾われたの?」

「ちょっと違う。俺達は成り行きで最初から乗っちゃったのさ」

 

 二人の仲睦ましげな様子にキラは居たたまれなくなった。どうにかして離れる理由はないかと考えたが何も思いつかなかった。

 そこへ別の足音がして反射的に視線を前に戻すと、目前にトールが立っていた。

 

「おい、大丈夫か? 顔色悪いぞ。どっか怪我してんのか?」

 

 キラの目の前で手を横に振ったのに反応しないことに業を煮やしたトールは、どこかに怪我をしているからと推測して体中を触って来る。怪我を心配して優しいタッチで触って来るのが擽ったくてキラは何故か安心した。

 

「大丈夫だよ。怪我なんてしてないから」

「でもさ、顔色が良くないぜ」

「疲れてるのよ、キラは」

 

 上手く笑えたかは自信ないが、同じように近づいてきたミリアリアが理由を作ってくれたので頷くとトールは納得がいってない様子ながらもそれ以上の追及はしてこなかった。

 キラが無事と分かると場の注目は別に移る。

 

「なぁ、ミリィ。サイとフレイって付き合ってんの?」

 

 仲睦まげに見詰め合うサイとフレイをトールは訝しげに見て、隣に立つミリアリアに問うた。男衆ではそのような話は一切なかったので、この中では一番フレイに近いミリアリアならあの親密さの理由を知っていると思ったのだ。

 トールの推測通りミリアリアは知っていた。キラの一番欲しくない答えを。

 

「噂じゃ親同士が決めた婚約者らしいわよ」

 

 ミリアリアはあっさりとした口調で言い切った。別段、秘密にしておく必要もないと考えたのだろう。

 

「えっ! そうなの?」

(……………そうか、フレイとサイは付き合ってるんだ)

 

 トールは純粋に驚いていたが、キラはサイに裏切られたような気持ちを抱いていた。

 勝手な気持ちだと理解していても、恋心だけはどうしようもない。それは知性に優れていると言われるコーディネイターであっても同じだった。とても祝福は出来そうにない。それが今のキラの精一杯だった。

 

「良かったわね、フレイ」

「ミリアリア! それにみんなも…………。良かったぁ、これでもう安心ね」

 

 旧知の友達に無防備に男に抱き付いているところを冷やかされているように感じたのか、慌ててサイから離れたフレイだったがミリアリアの姿を上から下まで見て、また感極まったのか今度は彼女に抱き付いた。

 

「ええ、もう安心よ」

 

 ミリアリアがフレイにそう言っていても、キラは全く安心できなかった。

 脳裏に過るのは幼き日に別れ、硝煙と爆炎、そしてモビルスーツ越しに再会した親友の姿がちらつく。

 

(アスラン……)

 

 3年前に別れたアスラン・ザラはザフトにいてモビルスーツに乗っていた。キラもまた運命に導かれるようにモビルスーツに乗っている。

 また出会えるだろうか、と記憶に残る桜が舞い散る中で別れた幼き姿のアスラン・ザラに問いかけた。答えは当然ながら返ってこなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アークエンジェルのモビルスーツデッキでは二人の男が言い争いをしていた。正確には言い争いというより、作業服を着た中年の男にまだ若い男が詰め寄っている形である。

 

「直ぐにコイツとストライクを直せって言うですかい!? んな無茶な!」

 

 若い男に詰め寄られている作業服を着た中年の男――――コジロー・マードック軍曹は、損傷しているストライクの頭部部分の修復の指示を出しながら叫んだ。

 カスタムジンの重突撃機銃の全弾フルバーストを受けてツインアイとブレードアンテナの損傷だけで済んでいるのはフェイズシフト装甲のお蔭である。だが、同時にそれは修復するにもフェイズシフト装甲を付けねばならないことから修復は難航していた。

 同じように右腕も損傷していたが、こちらはアストレイ・グリーンフレームが右腕を持ち帰ってくれたので駆動部を取り換えるだけですんでいる。まだ作業には取りかかっていないが。

 その最中で更に男は別の機体の修理もしろと言っているのからマードックといえども叫びたくもなる。

 

「無理は承知だよ。だが戦闘になったら修理中の看板出して敵に待ってもらうわけにはいかないだろ? それに俺はMA乗りだぜ。ハニーに乗れないと落ち着かないんだよ!」

「ハニーって……」

 

 モビルアーマー乗りに関わらず、地上の飛行機乗りや戦車乗りが自らの乗機を恋人のように扱うことは別に珍しいことではないが、目の前の若い男――――ムウ・ラ・フラガ大尉のように「ハニー」などという恥ずかしい呼び方をしている男と出会ったことのないマードックは顔を盛大に引きつらせた。

 

「それぐらい乗機を愛してるってことさ。だから頼む!」

 

 階級が遥かに上のムウが深く頭を下げてきたので、マードックは困りに困った。

 

「んなことは解ってますがねえ。この人数じゃ、とても手が足りませんって」

 

 無精髭をザリザリを擦ってムウが頭を上げて諦めてくれるのを待ったが一向にその気配がない。意地でもマードックが受け入れるまで動かないつもりのようだった。

 正規クルーが少なく、予定の人員よりも遥かに少ない状況。艦を動かしているだけでも奇跡の中にあって、縁の下の力持ちをやらされている整備員は休む暇もない忙しさだ。ストライクの修理だって間に合うか分からないのにメビウス・ゼロの修理が出来るはずもない。

 

「そんなことは俺だって解ってるさ。だからこうしてわざわざ頼みに来てんじゃないか」

 

 人手の少なさは一パイロットでしかないのに艦を動かしている上層部に組み込まれているムウの方がよく解ってる。理解した上で、少ない戦力を向上させなければならないことから恥を承知の上で頼んでいるのである。引けるはずもない。

 先に折れたのはマードックの方だった。時間が足りないのに何時までもムウに時間を取られるわけにはいかないのだ。

 

「もう………大尉には敵わねぇなぁ。ま、なんとかやってみまさぁ。出来ませでした、ですまねえのが俺達の仕事ですからね」

「すまんな」

 

 無理を言っている自覚があるからこそムウは深く感謝する。

 マードックからしても生き残る可能性を上げるためにはムウのメビウス・ゼロが必要なことは解っている。それに整備員を軽視するパイロットよりは敬意を払ってくれる相手の方がなにかとやりやすいのも事実だ。もしかしたらこれから長い間、戦うかもしれないから貸しを作っておくに越したことはない。

 

「ああ、あのキラって学生、こっちに寄越して下さいよ。手が足りねぇんですから、パイロットなら自分の機体ぐらい整備しろって!」

「分かった!」

 

 ブリッジに戻ろうと床を蹴って浮かび上がったムウにマードックが両手を口の周りでメガホンにして叫ぶ。

 叫び返して通路に入ったムウは、少し面食らった。

 通路には救助した避難民も多く歩いているからどことなく軍艦ではないような感じがした。このまま戦闘も無く降ろしてあげればいいのだが、と思いを強くしながら進む。

 軍服を着るムウに様々な視線が向けられる。

 畏怖や嫌悪、どちらかといえば負の感情を向けられることはムウも仕方ないと割り切る。ムウにはどうしようもなかったとはいえ、彼らの所属する軍がヘリオポリスで最新兵器を作り、それが原因でコロニーが崩壊してしまったのだから彼らの感情も理解する。

 

「艦長は気にしそうだがな」

 

 ぽつり、と自らにしか聞こえない小さな声で零した。

 多くの仲間の死を見てきたムウは感情を割り切れる。ナタルは軍人としての責務を表に出すことでなんとかするだろう。だが、マリューだけは一身に背負ってしまうだろうことを、コロニー崩壊後の真っ白になった顔色を思い出して推測した。

 

「どこに行くのかな、この船」

 

 居住区のどこかにいるであろう目的の人物を捜していると、少年の声が耳に入ってきた。

 

「一度、進路変えたよね。まだザフト、居るのかな?」

「この艦と、あのモビルスーツ追ってんだろ? じゃあ、まだ追われてんのかも」

「えー! じゃあなに? これに乗ってる方が危ないってことじゃないの! やだーちょっと!」

 

 緊張感のない会話をする学生達に一瞬怒気が浮かび上がったものの、先程のヘリオポリスの難民のことを思い出せば彼らの感性の方が普通なのだ。

 無重力空間の移動手段であるリフトクリップを離したムウは、その手を自らの顔に当てがった。

 自分の学生だった頃を思い出して果たせず、思い浮かぶのは戦場の記憶ばかりなことに重い息が出た。

 

「壊れた救命ポッドの方がマシだった?」

「そ、そうじゃないけど……」

「親父達も無事だよな?」

「避難命令、全土に出てたし、大丈夫だよ」

 

 ヘリオポリスの、それも避難した人の話をされたら胸に痛いことこの上ない。ムウは止めていた足を進めて居住区に足を踏み入れ、目的の人物を直ぐに見つけた。

 疲れているのだろう、ベッドに横になっている。目は薄らと開いていて眠っている様子はないが眠ろうしても先程の光景はフラッシュバックするのだろう。ムウが新兵の頃に初実戦を終えた時もそうだったから良く解った。

 誰に言われるでもなく少しでも体を休める為に最適の行動を取っている少年に顔を向ける。

 

「キラ・ヤマト!」

「は、はい」

 

 名前を呼ぶと、目的の人物――――キラ・ヤマトがベッドから跳ね起きた。

 出撃前と比べて頬が僅かにこけて、動きにも力がないことを見て取った。少年の重い疲労具合を見ると休ませてやりたいとは思ったが、使える人間を休ませる余裕すら今のアークエンジェルにはない。

 一般人を戦いに駈り出す罪業を肩に背負い、努めて言葉を優しくするようにして口を開いた。

 

「マードック軍曹が、怒ってるぞー。人手が足りないんだ。自分の機体ぐらい自分で整備しろと」

「僕の機体? え、ちょっと僕の機体って……」

 

 分かっていない少年に哀れみを抱きつつも、現実を突きつけねばならない痛みにムウは耐えるしかない。

 

「今はそういうことになってるってことだよ。実際、あれには君しか乗れないんだから、しょうがないだろ。じゃあ、誰がストライクの整備をするんだ?」

「僕は軍人じゃありません。戦う義務はないはずです、モビルスーツを動かせたって戦争が出来る訳じゃありません」

 

 一般人なのだから休ませてやりたいとはムウも思う。だが、一般人でも能力のあるキラを遊ばせておくことは出来ない。

 キラの目の前であからさまな溜息を吐く。本当に年を食って上手くなるのは人を騙すことと、若者を自分が望むとおりに動かすことばかりだと自嘲する。

 

「知っての通り、正規クルーを失ったアークエンジェルはどこも人手不足だ。次の戦闘までに修理が間に合わなければ艦は攻撃を受けて沈む。いずれまた戦闘が始まった時、今度は乗らずに僕は民間人なのにって言いながら死んでいくかい?」

「でも、僕は……」

 

 卑怯な言い方をしていると自覚はある。ストライクに乗ってもらわなければ困るのはアークエンジェルの上層部の総意なのだ。それでも乗らないと言うのであれば人道に外れると分かっていても彼の友達を人質に取ってでも乗せるしかない。

 文句も苦情も生き残って始めて出来ることだ。最も人質を取って戦わせるなんて艦長のマリューが認めるとは思えないが。

 

「今この艦を護れるのは俺とお前、あとオーブの嬢ちゃんだけなんだぜ。君は出来るだけの力を持っているのに女の子に戦わせるのか」

 

 これもまた卑怯な言い方だとムウは自己嫌悪に陥る。本当に上手くなったのはこんなことばかりだと哂いたくなった。

 

「出来るだけの力を持っているなら出来ることをやれよ。そう時間は無いぞ。悩んでいる時間もな」

 

 キラが頷くのに長い時間はかからなかった。

 俺は地獄に堕ちるな、とムウはモビルスーツデッキに向かう少年の背中を見て自分を客観視してそう思った。

 

「え!? なに? 今のどういうこと?あのキラって子、あの……」

 

 頭を掻いてムウがいなくなってから、先のやり取りの意味が解らなかったフレイが隣にいるサイに問いかけた。

 

「君の乗った救命ポッド、モビルスーツに運ばれてきたって言ってたろ。あれを操縦してたの、キラなんだ」

 

 敢えてサイはキラがコーディネイターであることを伝えなかった。

 どこにコーディネイターを排斥しようとするブルーコスモスがいるか分からない。キラから強く口止めされていることもあって口には出さなかった。

 

「えー! でもあの子、なんでモビルスーツなんてどうやって」

 

 自分よりも幼く繊細そうな少年の顔を思い出したらしいフレイは疑っていた。

 モビルスーツの操縦はコーディネイターしか出来ないと言われている。どうやって角の立たない言うべきかサイが頭脳を回転させていた時だった。

 

「キラはコーディネイターだからね。モビルスーツにだって乗れるさ」

「カズィ!」

 

 サイの努力を不意にするようにあっさりと言ってしまったカズィに、トールが腰を下ろしていたベッドから立ち上がった。

 怒気を露わにするトールをチラリと見たカズィだったが、彼だってなにも考えなしに言ったわけではない。

 

「何を言ったって事実は変わらないよ。下手に隠し事をして後で問題なるよりは包み隠さない方がいいと思ったんだ。僕は間違ってるかな?」

 

 カズィの言いようはきつくはあったが正論だった。

 正統性を認めてトールは疲れたように腰を下ろした。ヘリオポリスからこっち疲れるようなことばかりで気の休まる暇もない。無性にラボで馬鹿をやっている時が懐かしくなった。

 

「うん、キラはコーディネイターだ。でもザフトじゃない」

「あたし達の仲間。大事な友達よ」

「そう……」

 

 サイとミリアリアが擁護したが顔を伏せたフレイの真意は探れそうになかった。

 静かに不協和音は彼らの中にも忍び寄ろうとしていた。そのことにまだ誰も気づいていなかった。

 

「キラ、どうするのかな」

「ねぇ、トール。私たちだけこんなところで、いつもキラに頼って守ってもらってていいのかしら」

 

 状況が悪い方悪い方に傾いていっているようで、その中で必死に足掻いているキラの姿を思うとトールはやるせなかった。

 ミリアリアの言葉が先程のムウ・ラ・フラガと名乗ったパイロットの言葉を想起させる。

 

「出来るだけの力を持っているなら出来ることをやれ、かぁ」

 

 何かをする時が来たのだと、呟いたトールは思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘリオポリスの崩壊に巻き込まれぬように距離を取ったザフトの軍艦ヴェサリウスとガモフもまたアークエンジェルと同じく強い心的衝撃を受けていた。

 ユニウスセブンの悲劇から戦争に踏み切った彼らコーディネイターの国であるプラント。プラントの先鋭たるザフトの自分達がコロニー破壊に関わった衝撃は想像以上に打ちのめしていた。ただ一人、隊長のラウ・ル・クルーゼを除いて。

 ヘリオポリス崩壊の瞬間に艦長席から思わず立ち上がってしまったフレデリック・アデスは、その瞬間にも他者に感情を窺わせなかった隊長のクルーゼを見た。

 

「このような事態になろうとは…………。いかがされます? 中立国のコロニーを破壊したとなれば、評議会も……」

 

 正しくこのような事態に卑しくも保身を考えていることを自らの口が証明してしまったことに、アデスは咄嗟に手で口を押えようとしたが既に遅い。これではユニウスセブンに核を撃ちこんだ地球連合を憎む資格はないと自嘲した。自らもまたコロニーを破壊した大罪人になったのだから。

 

「地球軍の新型兵器を製造していたコロニーの、どこが中立だ。言葉に惑わされるな」

「しかし……」

 

 アデスはクルーゼほどには割り切れなかった。その気持ちは不安げに振り返って仰ぎ見て来るクルーの不安に満ちた表情が物語っている。誰もがクルーゼほどに敵と味方に明確なラインを引けるはずもない。

 艦の雰囲気と一度辺りを見渡したクルーゼはせせらおかしいとばかりに鼻で笑った。

 

「住民のほとんどは脱出している。さして問題はないさ。血のバレンタインの悲劇に比べれば」

「!!」

 

 血のバレンタインの悲劇――――クルーゼの言葉がブリッジの空気を凍らせる。

 24万3721名の尊い命が失われた瞬間をこのヴェサリウスで見た光景と、崩壊の間際にパージされていく数えきれないほどの救命ポットを吐き出したヘリオポリスを誰もが無意識に比較する。

 ユニウスセブンに核が撃ちこまれた瞬間には既に逃げる暇もなかった。間近で戦っていたヴェサリウスの艦橋から破壊されたコロニーから溢れ出してくる残骸に紛れて生きながらに宇宙に投げ出された無辜の命が見えた。

 当時のブリッジクルーの中にはそれがトラウマになってしまって精神を病んでしまった者もいる。アデスもまた数日は眠れぬ夜を過ごした。

 血のバレンタインの悲劇と比べれば、住民の殆どが救命ポットで脱出しているヘリオポリスはなにほどのものでもない。地球連合に協力しているのが悪いのだから因果応報なのだという思いが湧き上がった。

 だが、とアデスの中に残る人としての良心が目の前に広がるコロニーの残骸に否と告げる。

 どんな理由があるにせよ、コロニーの民間人の大半はオーブが地球連合に協力していたことを知るはずもない。彼らにとってザフトは無慈悲な襲撃者で、日常を壊した破壊者でしかない。襲撃に巻き込まれて死亡した者やシェルターに入れなかった者もきっといるだろう。完璧などありえない。

 冥福を祈る資格はないと分かっていても、せめて死者が安らかでいられるようにアデスは制帽を脱ぎ、胸元に当てて瞼を閉じる。

 黙祷を捧げるアデスに、ブリッジクルーもまた同じように制帽を脱ぎ右に倣う。沈黙に包まれるブリッジの中でただ一人、クルーゼだけは黙祷を捧げずに崩壊したヘリオポリスに冷笑を向けていた。

 暫しの後、クルーゼは制帽を被り直したアデスの横を通って索敵を担当するクルーの椅子に取り付く。

 

「敵の新造戦艦の位置は掴めるか?」

「いえ、この状況では」

 

 奇しくもアークエンジェルと同じく残骸の中には熱を持つものも多くてレーダーも熱探知も意味を為さなかった。アークエンジェルがザフト軍の位置を掴めぬようにヴェサリウスでもアークエンジェルの位置を特定することは出来なかった。

 敵の位置を尋ねるクルーゼに戦う気があることを察知したアデスは眉を顰めた。

 

「まだ追うつもりですか? こちらには既に残っているモビルスーツは隊長の損傷したシグーとマシューのジンだけです。まさか今のマシューを使うと言うのですか?」

 

 あの気の良いミゲル・アイマンと恰好つけのオロール・クーデンベルグが墜とされたことを思い出してアデスは心が縮まる思いをした。

 二人はアデスがヴェサリウスの艦長になってからの付き合いで、数多の戦場を生き抜いてきたエース達だった。こんな戦いで失っていい命ではなかったはずだ。

 生きて帰してやれなかった二人の遺族に頭を下げねばならないアデスは、遺品だけでも直ぐに持ち帰ってやりたい。

 長年の仲間と相棒を失ったマシューのことも気がかりだった。彼は帰投するなり直ぐにでも追撃をと進言してきて、こちらの言葉も聞かずに同調した整備員と共に何かの作業をしていると報告を聞いている。

 復讐に逸った者は長生きしないことをアデスは良く知っている。せめてマシューだけでも無事に連れて帰りたい。アデスもまた疲れていたから。しかし、クルーゼはアデスの気持ちなど斟酌してくれない。

 

「他にもあるじゃないか。地球軍から奪った4機が」

「あれを投入されると?」

 

 出来ぬ話ではないことは、奪取したばかりの機体で勝手に出撃したアスランのイージスを見ていれば分かる。だが、アデスが言いたいのは戦力云々ではないのだとクルーゼは分かろうとしない。いや、分かった上で戦おうとしているのだと頷きを返すクルーゼを見てアデスは直感した。

 

「しかし、奪還したばかりの機体ですぞ。本国に持ち帰って精密な調査をする機体を実戦に出すなど」

 

 感嘆に承服できるものではない。奪還したばかりの機体で戦闘するなど、無茶が極っている。確かに機体性能は目を瞠るところはあるが直ぐに実践に出すなど正気の沙汰ではない。まして評議会の重鎮の息子達が乗るのだ。万が一でも撃墜されればクルーゼの進退は完全に潰える。それを解っているのだろうか、と目元を仮面で覆っている隊長を見る。

 

「データを取ればもうかまわんさ。アスランが使って問題なかったのだから使わせてもらおう。宙域図を出してくれ。ガモフにも索敵範囲を広げるよう、打電だ」

「奴等はヘリオポリスの崩壊に紛れて、既にこの宙域を離れている可能性はありませんか?」

 

 時に人に対して冷酷どころか無関心とすら感じさせるクルーゼの気質を感じ取ったアデスは一縷の希望を託して問いかけた。

 

「いや、それはないな。どこかでじっと息を殺しているのだろう。網を張るかな」

「網、でありますか?」

 

 後ろのレーダーパネルに移動したクルーゼを追って艦長席から立ち上がったアデスは、クルーが表示した宙域図を前にして考えている男の顔を覗き見た。

 戦闘の詳細はマシューのジンから映像で受け取っている。コロニー崩壊の原因はこの男が下した作戦にもあり、それを止め切れなかった自分にもまた責任の一端があると考えたアデスの肩が落ちる。

 

「ヴェサリウスは先行し、ここで敵艦を待つ。ガモフには、軌道面交差のコースを、索敵を密にしながら追尾させる」

 

 クルーゼが宙域図を指で指した敵の予想進路図を見たアデスはまた驚く。

 

「アルテミスへでありますか? しかしそれでは、月方向へ離脱された場合」

「大型の熱量感知! 解析予想コース、地球スイングバイにて月面、地球軍大西洋連邦本部!」

「…んっ…」

 

 自分の予想した展開を裏付ける情報がクルーが齎され、少なくともこれでまだ地球軍の新造戦艦がいることがハッキリとしてしまい、コロニー崩壊の衝撃を受けているクルーを労わる時間がないことを証明してしまった。

 

「隊長!」

 

 艦の最高責任者は艦長のアデスである。だが、艦をどう動かすかは隊長のクルーゼに一任されている。

 ザフトには地球連合のような階級制度は無い。所詮、副官の黒服では白服のクルーゼに逆らうことは許されない。それでも一筋の希望を託してクルーゼを見る。

 

「そいつは囮だな」

「しかし、念のためガモフに確認を」

「いや、やつらはアルテミスに向かうよ。今ので私はいっそう確信した。ヴェサリウス発進だ! ゼルマンを呼び出せ!」

 

 間違いであってほしいというアデスの小さな願いを切り捨て、白服を靡かせながらクルーゼは指示を出し続ける。

 アデスに出来るのは自軍の被害を最小限にする為にクルーゼと話し合うことだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モビルスーツデッキに来たキラは早速とばかりにマードックにストライクのコクピットに押し込められて未だ粗の残るシステムの調整を行わされた。

 プログラミングを趣味としているだけあってキラのタイピングは早く、何回も調整していていたのでそう時間もかけずに終わった。

 

「マードックさん、調整終わりました」

「ご苦労さん、流石に速いな」

 

 開けっ放しのコクピットハッチから出ると、油まみれの顔を首に巻いている拭いているマードックが感心の返事を返してくれる。

 コーディネイターと知られていることもあって地球連合の兵はどこか余所余所しく、こうやって遠慮なく感情を向けてくれるマードックにキラは好感情を抱いていた。

 コクピットから出て、キャットウォークに立って殆ど修復の終わっているストライクを見上げる。

 

「ストライクか。これが兵器じゃなかったらもっと好きになれたのかな」

 

 キラの工業カレッジでの専攻は機械工学。最近は人型のパワードスーツの研究をしていたので、目の前に立つストライクの凄さが良く解った。平時であるなら、兵器でなかったのなら、時間も忘れて没頭して解析したい代物を前にして小さな研究者の魂が疼く。

 キラがキャットウォークでストライクの人間に近い顔を見上げていると、マードックが近づいてきた。

 

「どうした、坊主? ストライクを見て」

「いえ、なんとなく。僕、工業カレッジの学生なんで純粋に機械に興味があって」

 

 視線をマードックに一瞬だけ向けても、キラの視線はやはり磁石のS極とN極のようにストライクに引き寄せられる。

 

「なんだ、坊主は機械弄りが好きなのか」

 

 整備員をしているだけに根っからの技術者屋なのだろう。マードックが同類を見つけたように嬉しそうな声を出した。

 

「ええ、教授がモルゲンレーテに協力してましたからパワードスーツを借りて制御プログラムを作ってたんでストライクの凄さがよく解るんです。これだけの機体を動かす動力と、それをバランス良く配分する技術。設計は大変だったと思います」

「ははは、一丁前に技術者らしい意見だな」

「気分を損ねたらすみません」

 

 本職に偉そうに講釈を垂れるだけの経験も技術も持っていないのに一端を気取ったことに機嫌を損ねたかと考えて謝った。それでも視線はストライクに吸い寄せられたままだったが。

 

「でも、始めて作ったロボットは友達との合作だったんですけど立ち上がって動いた時は自分の子供が動いたぐらいに、とても嬉しかったのを今でも覚えています。で、でも僕に子供はいませんからね!」

 

 変な勘違いをされては堪らないと、言ってて気づいたキラは慌てて否定した。しかし、マードックはキラの動揺にも気づいた様子も無く一人で頷いていた。

 

「成程、技術者にとっては子供、パイロットにとっては恋人か……」

「恋人……?」

 

 技術者にとっては子供、というのはよく解る気持ちだったが、パイロットにとっては恋人というのはキラには良く解らない理屈だった。

 

「パイロットが自分の機体を彼女のように愛するって言うだろ? フラガ大尉は自分の機体をハニーなんて呼んでたからな」

「い、いえ、良く知らなくて……」

 

 ハニー、ってと思わなくもないが、軍人には一般人に解らない感性があるのだろうということで無理に理解しようとしたが実感が湧かない。キラにとって二度乗ったストライクは扱いやすい機体であったが恋人と思うことはどうしても出来ない。やはり一般人と軍人では考え方が違うのかと考える。

 

「なんでぇ、聞いたことないのか? 自分の命を預ける物だぞ。ネジ一本まで彼女のように愛するのは当然だろうに」

「え? あ、あの………その、恋人とか良く解らなくて」

 

 彼女いない歴=年齢のキラには、彼女のように愛すると言われても分かる理屈ではない。命を預けるのだから大切にするとは理解しても、ネジ一本まで愛することはとてもできそうにない。

 

「坊主にはまだ早かったかな。がはははははっ!」

 

 笑われたが特にキラは不快には感じなかった。

 笑い方に品がないが人に嫌悪感を抱かせない不思議な魅力がマードックにはあった。軍曹と決して高くはない階級のマードックに整備員が全員従っているのは彼の人柄にあるものらしいとキラも感じ取った。

 

「あら、キラ君じゃない」

「っ……、ミスズさん」

 

 戦艦の中とは思えないほどリラックスしていたキラは背中側から声をかけられて、ビクリと体を震わせながら振り向いた。その先には相変わらずの白衣を纏ったミスズ・アイカワの姿があった。

 白衣のポケットに両手を突っ込んでいる彼女は、キラに惜しげな一瞥をくれるとマードックを見た。

 

「どう、うちの職員は?」

「助かってますぁ。お蔭でなんとか間に合いそうです」

「なら良かった」

 

 ミスズの言いようにキラはモビルスーツデッキ中を見渡して、ようやく地球連合の作業服を着た者の中にモルゲンレーテの作業服を着た者達が混じっていることに気づいた。

 両者は互いの領分を冒さないように気を付けながら分担して作業をしているらしく、オーブの技術が入っているストライクの整備は殆どモルゲンレーテの技術者達がやったようで、この近くで地球連合側の人間はマードック一人だけだった。

 

「マードック軍曹にちょっと相談があるんだけど」

 

 と、ミスズが意味ありげに視線を向けてきたことを察してキラは自分がこの場にいるべきではないと考えた。

 

「じゃあ、僕はこれで……」

「キラ君はいてね。あなたにも関係のあることだから」

 

 二人に背中を向けたところで、どうやって無重力空間でそこまで早く動くのかと思うほどにキラの体はミスズに捕まえられていた。

 長身のミスズに抱きしめられて、背中に当たる胸の感触にキラの頬が真っ赤に染まる。

 

「え、あ、ちょっと……」

「あなたも死にたくはないでしょ」

 

 混乱するキラを静めたのは耳元で囁くミスズの甘い声だった。背筋にゾクゾクと走るものがあったが、顔を振り上げて顔を見ればミスズは真剣そのものだった。

 勢いに押されるように頷きを返すと掴まえられたままストライクのコクピットに連れ込まれた。先のこともあって少し身の危険を感じたキラだったがミスズは特に何をするでもなくコクピットのモニターの電源を入れて、これは野暮かなと離れかけたマードックを手招きする。

 

「キラ君は何故、ザフトが重力の無い宇宙での戦闘に人型兵器を投入したと思う?」

「な、何故って…………人間の動作をそのまま出来るからですか?」

 

 ミスズの膝の上に座らされたキラは突然の問いに素直に思ったことを答えた。

 

「その通り!」

 

 子供が望んだとおりの答えを言った時の母親のように嬉しそうに肯定したミスズがキラの頭に手を置き、髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き回す。

 髪を乱されるのを少し不快に感じながらも、これもまた愛情表現の一つなのだろうと二度目の出撃を決めた時のユイの事を思い出しながら思った。父のいないキラにはこういう力強いスキンシップをしてくれるのはトールぐらいなので少し新鮮でもあった。

 

「人間と同じ骨格を持つということは、人類がこれまで得てきた経験や技術をそのまま生かすことが出来ることを意味しているわ。つまり、銃やサーベルを振り回す以外にも色んな動きが出来るのよ」

「…………ということは蹴ったり殴ったりもプログラムすれば戦闘で使えるってことですか?」

「勿論」

 

 へー、とコクピットハッチの外で感心しているマードック同様に、パワードスーツの研究でそれが如何に難しいかを良く知っているキラは更にストライクの興味を強くした。

 

「オーブが作り上げたアストレイはそこを重視して、限りなく人間に近い動きが可能な柔軟性を持っているのよ。単純な運動性ならGを上回るわ」

 

 ピッ、とミスズがボタンを押すとモニターに、ストライクの左側に立つアストレイ・グリーンフレームが表示された。

 

「で、私が何を言いたいかというと、ユイの強さの秘密を知りたくない?」

「え?」

 

 キラにとってそれはあまりにも予想外の問いだった。

 

「あるんですかい? そんな秘密が」

「あるわよ。その秘策をキラ君に託してもいいわ」

 

 なら是非、と言いかけてキラもようやくこの状況に気がついた。

 ミスズがストライクのコクピットにキラを連れ込んだ意味。それは余人に話を聞かれたくないようにするためではないか。マードックは整備責任者だから抱き込んでおけば誤魔化しもしやすい。

 

「つまり、秘策を受け取るには艦長達には秘密にしろってのが条件ですかい」

「当然。これはオーブの部外秘だもの」

 

 意図を正確に察知して思い悩むマードックと笑みを含んだミスズの視線が交錯する。ミスズの膝の上にいるキラは抜け出すことも出来ずに両者の視線に晒されて居心地の悪い思いを味わっていた。

 先に折れたのはマードックだった。居心地が悪そうにモジモジと体を揺らしているキラを見て視線を逸らして溜息を漏らした。

 

「乗るのは坊主でさ。こいつは死なせるには若すぎる。生き残れる可能性がちょっとでも上がるなら頼みます」

「マードックさん……」

 

 深々と頭を下げるマードックにキラがかけられる言葉などありはしない。

 

「OK。ユイ、聞こえてたわね」

『はい。相変わらずの手口ですね、博士』

 

 ストライクのコクピットにユイの無感動ながらも呆れていると分かる声が響き、露骨に貶されたミスズの肩が落ちた。

 そうこうしている間にグリーンフレームのコクピットハッチが開き、パイロットスーツのままのユイ・アマカワが片手にスーツバックを持ってストライクに向かってくる。

 

「持って来ました」

「ご苦労さん」

 

 マードックが開けた場所からストライクのコクピットの体を突っ込む。下半身は外にあるので身を乗り出す形で手に持つスーツバックを渡そうとしているので、未成熟な肢体をパイロットスーツが強調している所為でキラの顔が火照った。

 

「それは?」

 

 ミスズにスーツバックを渡したユイが引っ込み、彼女の反対側からコクピットを覗いたマードックが問いかける。

 キラもまた目の前にあるスーツバックの中身が気になった。

 

「教育型コンピュータって言って分かるかしら? MSパイロットの訓練時間を短縮するため行動パターンを蓄積し更新できるというプログラム。これはそのソースとデータが入ったコンピューターよ」

 

 ポン、とスーツバックを軽く叩いたミスズの笑みを見たマードックの表情がハッキリと変わった。

 

「なんてこった、そりゃ艦長達には言えねぇわけだ」

「つまり、どういうことなんですか?」

 

 一人で納得して手で目元を覆ったマードックと違ってキラにはよく解らなかった。

 

「これを搭載していれば戦えば戦うほどに強くなる」

「慣熟させた後にデータを移植すれば戦闘慣れをしていないパイロットでも歴戦の相手と互角の戦いをすることも可能になるわ。凄いでしょ」

 

 簡潔に言ったユイの言葉をミスズが補足する。

 ようやくことの重さを理解できたキラの顔から一気に色が抜け落ちた。ストライクだけではない、この教育型コンピュータの存在が今後の歴史すらも動かしかねない爆弾だと気づいたのだ。

 

「これにはユイのデータが入ってるからキラ君の助けになってくれるはずよ。でも、くれぐれもこの場にいるメンバー以外への口外はしないでね。私も出来るだけは血生臭い方法は取りたくないし」

 

 呆然とするしかないキラの前で、ユイが黒光りする拳銃を手にしていた。

 

「分かった。分かったから銃なんて抜かないでくれ。艦長達には伝えねぇから、坊主もいいな?」

 

 マードックが必死にそう言うのを聞いてキラが何度も頷くとユイも信頼してくれたのか、拳銃をパイロットスーツに付けられている腰のホルスターに直した。

 

「これを使えばキラ君でもそこそこ戦えるはずよ。予備なんてもうないし、高価だから壊さないでね」

 

 キラとマードックがホッと胸を撫で下ろした時には、言質は取られている。もうこれで誰も引き返せない。

 

「安心して。跡が残らないように地球連合と別れる時には抜き取らせてもらうから、バレることはないわ」

 

 本当にそれならいいが、と色々と思うことにありそうな顔をしているマードックの顔を見たキラは自分が知ってはいけないことが知ってしまうことが増えてきていることに不安を覚えた。

 

「組み込むには時間がかかるし、敵が来るまで私達が持ち込んだMSシミュレーターでもやって少しでもストライクに慣れておくことね。ユイ、シュミレータ―の使い方を教えてあげて」

「はい」

「え、ちょっと待って……自分で行けるから!?」

 

 ユイに手を引かれてコクピットから連れ出されて、頬が真っ赤なまま真下に落ちていくキラを見ながらミスズは頬に手を当てた。

 

「若いっていいわね」

 

 それは何か違う、と残ったマードックは思ったが口には出さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アークエンジェルのブリッジに警報音が鳴り響く。

 ザフト側に気取られない為にデコイを発射した瞬間にアルテミスへの航路を修正した後は艦内機器類を停止し慣性飛行していたアークエンジェル。潜水艦戦術の一つであるサイレント・ランニングを行なっていた艦に運はなかったようだ。それとも作戦を見抜いた向こうの指揮官を褒めるべきだろうか。

 

「大型の熱量感知。戦艦のエンジンと思われます。距離200、イエロー3317、マーク02、チャーリー、進路、0シフト0!」

「横か!? 同方向へ向かっている」

 

 索敵席に座るロメロ・パルが示した座標から副操舵席に座るムウがザフトの艦の動きを予測する。

 

「気づかれたの?」

「だがだいぶ遠い。気づかれたにしては動きが変です」

 

 艦長席に座るマリューと席を支えにするナタルは困惑したように顔を見合わせる。

 

「目標、本艦を追い抜きます。艦特定、ナスカ級です」

「チィ! 先回りして、こっちの頭を抑えるつもりだぞ!」

「ローラシア級は?」

「待って下さい。…………本艦の後方300に進行する熱源! いつの間に」

 

 情報が示す物はナタルの作戦失敗を意味していた。敵に作戦を読まれていたのだ。作戦を出したナタルの顔色が真っ青に染まる。自分が出した作戦が艦を危機に陥れてしまったと気づいたからだ。

 

「このままでは、いずれローラシア級に追いつかれるか、逃げようとエンジンを使えば、あっという間にナスカ級が転進してくるぞ。おい! 2番のデータと、宙域図、こっちに出してくれ」

「なにか策が?」

「それは、これから考えるんだよ」

 

 経験豊富なムウならばこの危機的状況を打破できると信じて問いかけたナタルに返ってきたのは、なんとも頼りない返事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 MSシミュレーターで見事にユイに全敗したキラは疲労困憊で廊下を漂っていた。なんとか居住区に向かおうとしていたキラの耳に艦内中に鳴り響く警報音が届く。

 

『敵影補足、敵影補足、第一戦闘配備、軍籍にあるものは、直ちに全員持ち場に就け! 軍籍にあるものは直ちに……』

「くっそー、ベッドに入ったばっかだってのにー!」

 

 目の前の部屋から癖毛に眼鏡をかけた見覚えのある軍人が出て来て、キラの体は疲れていても咄嗟に反応して避ける。

 これから戦闘があると分かってもキラはその場から動けなかった。ただ、流されるがままに漂う。

 

「ママぁ~」

「大丈夫よ、エル」

「戦闘になるのかこの船…?」

「俺達だって乗ってるのに!」

 

 どうやら食堂付近にまで流されて来たらしい。民間人の話し声が聞こえて来て、キラはどうしてかその輪の中に入っていけなかった。

 軍人ではない。でも、もうただの民間人でもいられないのだとマリューやミスズが顔が脳裏を過ぎって、胸に鋭い痛みが走った。どうしようもなく一線を越えた我が身がどこへ向かうのかと強い不安を感じた。

 

「キラ!」

 

 声がかけられてキラは何時の間にか閉じていた瞼を開いた。

 壁際に凭れていた背中を離して声が聞こえた方向に顔を向ければ、見慣れぬ服に身を包んだトール達の姿があった。

 

「あ! トール、みんな。…………何? どうしたの? その格好?」

「ブリッジに入るなら軍服着ろってさ」

「僕達も艦の仕事を手伝おうかと思って。人手不足なんだろ? 工業カレッジに通ってたんだから普通の人よりは機械やコンピューターの扱いに慣れてるし」

 

 性格通りきっちりと襟まで止めているカズィと、なにかポリシーでもあるのか色眼鏡はつけたままのサイの発言にキラの頭は時を止めた。

 

「軍服はザフトの方が格好いいよなぁ。階級章もねぇからなんか間抜け」

「生意気言うな!」

 

 痛てぇ、と後ろからダリダ・ローラハ・チャンドラII世に頭を叩かれたトールは軍隊の縦割り社会の無情さに涙目を浮かべていた。

 展開についていけないキラはまだ呆然としている。その彼に向ってトールは始めて会った時にキラの手を引いた浮かべた太陽な温かさで笑った。

 

「お前にばっか戦わせて、守ってもらってばっかじゃな」

「こういう状況なんだもの、私たちだって、出来ることをして…」

 

 その気持ちが嬉しかった。十分だった。守りたいと思った人達の思いが胸に熱くてキラは泣きそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦う決心を固めたキラはパイロットスーツに着替えてストライクのコクピットに収まっていた。

 

「戦いたいわけじゃないけど、僕はみんなが乗っているこの船を守りたい。ストライクガンダム、君も力を貸してくれる?」

 

 ウォォォォン、とまるで返事をするようにストライクのエンジンが高鳴る。

 

「ありがとう」

 

 錯覚だとしても戦うのが一人ではないと感じ取ったキラの胸は一杯だった。

 

『メビウス・ゼロ。フラガ機、リニアカタパルトへ!』

 

 目の前でフラガが乗り込んだメビウス・ゼロがストライクの前を横切って、リニアカタパルトへ移行していく。

 

『嬢ちゃん、坊主。俺が戻ってくるまでアークエンジェルを頼むぜ』

『了解』

「…………僕に出来るか分かりません。全力を尽くします」

 

 即答したユイと違って、パイロットスーツ越しの操縦桿の握りを確かめるキラに言えるのはそこまでだ。この中で一番、弱いのは自分なのだから護るとはとても言えない。全力を尽くす。それが今のキラの精一杯だ。

 

『はっ、無事に守れたら俺の秘蔵の酒を一緒に飲もうぜ』

『私達は未成年です』

『いいんだよ。誰も気になんかしねぇ』

 

 普段通りに話が出来る二人が凄いと思う。肩を並べて戦うこと自体が場違いな気もするが、キラでなければ戦えないのだから発奮しなけれならない。

 

『ムウ・ラ・フラガ、出る! 戻ってくるまで沈むなよ!』

 

 言い残してムウが乗るメビウス・ゼロが発進していった。

 

『3分後にメインエンジン始動! アストレイ・グリーンフレーム発進準備!』

 

 続いて、ストライクの横からアストレイ・グリーンフレームが自力で移動してカタパルトを装着する。

 

『何時でも行けます』

 

 こんな時でも冷静沈着そのもののユイが羨ましかった。その時が来るとなるとキラの手は震えている。

 

『アストレイ・グリーンフレーム発進します!!』

 

 グリーンフレームは前だけを見て発進して行った。

 次はキラの番だ。心臓が早鐘を打って、なにも音が聞こえない。ムウから聞いた作戦も頭の中から抜け落ちている。そのまま発進しても良い的にしかならないだろうキラを救ったのはやはりは仲間だった。

 

『キラ!』

『!? ミリアリア!』

 

 上部に設置されている通信相手の姿を映し出すモニターの先でミリアリア・ハウが手を振っていた。

 何故、と疑問に思ったキラの中に既に答えはあった。先ほどブリッジで手伝うと話していたばかりだ。ミリアリアが管制官をやる可能性は十分にある。

 

『以後、私がモビルスーツ及びモビルアーマーの戦闘管制となります。よろしくね!』

『よろしくお願いします、だよ』

 

 隣にいるらしいジャッキ・トノムラのツッコミが入れられて悪戯をした後のような笑顔を浮かべるミリアリアを見て、キラの口元が自然に笑む。

 笑えている自分に驚いて口元を抑えようとして、ヘルメットを被っていることを忘れている自分にまた笑った。

 

『装備はエールストライカーを。アークエンジェルが吹かしたら、あっという間に敵が来るぞ! いいな!』

「……はい!」

 

 ナタルの問いかけに今度はしっかりと返事を返せたことがキラの中で確かな流れを作る。

 

『キラ・ヤマト! ストライク発進だ!』

『キラ!』

 

 直ぐには返事をせずにキラは一呼吸を置いた。

 やれるか、と自らに問いかけると、やれると返事が返ってきた。

 

「キラ・ヤマト! ストライクガンダム! 行きます!!」

 

 開かれたカタパルトデッキに見える無限の宇宙へと向かって、キラの駆るストライクガンダムは飛び出して行った。

 



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第6話 愚者となりて

 

 宇宙には上下の区別がつかない。

 地球上では空が上であり地面が下であるが、宇宙には上下を判断できる目印がない。重力もないので生身で宇宙に出て上下左右が分からなくなってしまったら自身がいる場所や向いている方向すら不明になる。

 宇宙は広大で果てがない。地球上のような目印は無い。

 地球上で似たような環境は水の中だろう。深い水の中で溺れると上下左右の感覚を失い、水面を目指しているつもりでも下に向かって沈んでいることもある。

 宇宙では空気もないので距離感覚すらもあやふやになる。

 近いと思ったら遠く、遠いと思っていたら直ぐ傍にあるなど、どこまでも地球とは違うのだ。

 宇宙での戦闘では重力に左右にされず、地上では出来ない動きも可能になる。その代わり、距離感覚や上下左右の感覚も当てにならない。

 地上とはまた違うセンスを要求される。それが宇宙での戦闘のコツだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘリオポリス崩壊から数時間後、味方のユーラシア連邦所属の要塞アルテミスを目指していたアークエンジェル。ザフト側に気取られない為にデコイを発射した瞬間にアルテミスへの航路を修正した後は艦内機器類を停止し、慣性飛行する潜水艦戦術の一つであるサイレント・ランニングを行なっていたが頭を敵艦ヴェサリウスに抑えられた。後方にはガモフがいる。

 

「まさしく前門の虎に後門の狼というわけね」

 

 報告を受けた艦長のマリュー・ラミアス大尉は、昔の故事が好きでやたらと引用したがる上司の言葉を引き合いに出して落ち着こうとしながら唾を飲み込んだ。

 目的のアルテミスへの航路は最新鋭艦のアークエンジェルと同等のスピードを持つだろうナスカ級ヴェサリウスに前方を塞がれている。逃げようにも後方にはナスカ級には劣るものの火力に秀でているローラシア級ガモフがいる。

 

「隊長はあのクルーゼらしいけど忌まわしい男」

 

 状況が詰んでいることは素人でも分かる。艦の命運を左右しなければならないマリューは、敵将の優秀さに歯噛みする。

 速度で勝る艦に頭を抑えられ、後方を火力に優れた艦が忍び寄っている現状では逃げの一手に出るのは用兵に優れたわけではないマリューでも分かる悪手。

 

「頼みます、大尉」

 

 艦の前で敵を待ち受けている機体は二つのみ。ストライクとアストレイ・グリーンフレームだけで、その中にムウ・ラ・フラガ大尉が乗るメビウス・ゼロの姿はない。頭を抑えられたと分かった時にムウ自身が立てた作戦に則って少し前のアークエンジェルと同じく慣性飛行で先行しており、彼の成果如何で艦の命運が決まる。

 

「後方より接近する熱源3、距離67、モビルスーツです!」

「対モビルスーツ戦闘、用意! ミサイル発射管、13番から24番、コリントス装填、リニアカノン、バリアント、両舷起動! 目標データ入力、急げ!」

 

 CICの統括を務めるナタル・バジルール少尉の覇気に満ちた声は、戦闘に委縮しかけるブリッジの空気を引っ張ってくれる。

 戦術シュミレーションで優秀な成績を残しているナタルが生き残ってくれたことは、数奇な運命で艦長を務めることになったマリューにとって数少ない幸運であった。

 

「来たわね」

 

 ダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世伍長の叫びに来るべき時が来たのだと大きく深呼吸をして、戦う気持ちを作りだそうとした。だが、その気持ちは続いた報告に揺るがされることになることをマリューは知らなかった。

 

「機種特定…………これはXナンバー、デュエル、バスター、ブリッツです!」

「何ぃ!?」

「え!?」

 

 続いたチャンドラⅡ世の報告にナタルとマリューの驚愕の声が重なった。

 勝敗を左右する天秤がまるで恣意的にアークエンジェルの命運を潰そうとするかのように凶報が続く。

 

「前方からも接近する熱源2、これもXナンバー、イージスです! もう一機はジン? 装備が違う?」

 

 前面モニターに接近する機影が映された。右側に後方から迫る三機のGが、左側にイージスと無骨な装甲を全身に纏ったジンがバーニアを吹かしながらやってくる。

 

「奪ったGを全て実戦に投入してくるなんて」

 

 あまりにも早すぎる、とマリューは続く言葉を心中で呟いた。

 先の戦闘でミゲル・アイマンのカスタムジンをユイのアストレイ・グリーンフレームが、D装備のジン一機をアークエンジェルがそれぞれ墜としている。その前の戦闘で隊長のラウ・ル・クルーゼが乗っていた思われるシグーも四肢の半分を失っている。ストライクの起動時にもジンを一機自爆にまで追い込んだ。

 4機もの機体を消失、または戦闘不能に追い込んで、Gを4機も収容しているのだから艦載機の余裕はそれほどないはずと見ていた。戦えるとしたらD装備をしていたもう一機のジンと、多くても二機か三機のジンと考えられた。

 対するこちらの戦力は名付きを墜としたユイのグリーンフレームと、実体兵器には無類の強さを誇るフェイズシフト装甲を持つストライク。そして対モビルスーツ戦闘を主眼として現行の艦を遥かに凌駕する機動性と防御力、攻撃力を兼ね備えたアークエンジェル。

 キラが素人でも、これだけの陣営で負けは無いと判断したからこそマリューはムウの作戦を認めたのに前提条件を覆された。だが、何時までも歯噛みばかりしてもいられない。

 

「ナタル、攻撃を任せるわ。フェイズシフトに実体弾は効かないから注意して」

「はっ、了解です。主砲、レーザー連動。焦点拡散!」

「ノイマン、回避任せるわ」

「任せて下さい。ですが、少々荒っぽくもなりますが構いませんか?」

 

 能力の至らなさを知っているマリューには、艦長としてみっともないと分かっていても他のクルーに頼るしかないが、ナタルとノイマンのハキハキとした答えに頼もしさを感じて頷く。

 

「艦内全員に手近な所に捕まって体を固定するように通達して。怪我人のベルト着用も忘れないで」

 

 指示を与えてそれぞれ動き出したブリッジの中でマリューは前面モニターに映るG4機と特殊装備を纏っているジンを睨み付けた。

 

「本当に頼みますよ、大尉」

 

 敵の戦力は少なく見積もってもこちらの数倍。途端に苦しくなった状況に酸素が無くなったような苦しさを感じながら、先行するムウに一縷の希望を託した。

 数奇な運命によってストライクに乗ったキラ・ヤマトもまたコクピットに鳴り響く警報音で敵の接近を理解していた。

 

「二機! 一機はイージス? まさかアスランなの!?」

 

 実際の距離はまだ遠く離れているものの、接近を感知したセンサーがモニターに拡大した姿を映し出す。

 ストライクやグリーンフレームに似た意匠の赤いモビルスーツは、ヘリオポリス崩壊時に目の前に現れた機体そのものだった。僅かに繋がった通信で交わした会話からイージスに乗っているだろうパイロットは三年前に別れた親友の可能性が高い。

 

「後方からG三機接近との通信あり。前は任せます」

「え? ちょっと!?」

 

 横に並走していたユイから通信が入り、キラが返事を返す前にグリーンフレームが踵を返した。

 止める間もなく、通信に返事も返ってこないままアークエンジェルの後方から接近している敵機に向かってバーニアを吹かして行ってしまった。

 

「任せるったって言われても……」

 

 後方からアークエンジェルに接近しているのがG三機はストライクと同じビーム兵装を持っていて、前方から来る二機の内の一機はジンなので実弾が主なはず。素人のキラでも後方から来るG三機の相手をする方が大変で危険であることは承知している。対して前方はビーム兵装を持つイージスがいるといっても実弾武器が主なジン相手なら無敵なストライクの方が適任。

 

「やれるの、僕に?」

 

 頭の理解と戦闘に畏れを抱く感情は別物。ヘリオポリスでキラが戦ったオレンジ色に塗装されたジンは、敵の地球連合でも名が広く知られているエースパイロットと後で聞いた話であった。相手は実弾兵装しかなかったのに手玉に取られた記憶はまだ新しい。

 スペック上ではジンの数倍近い性能を有しているストライクに乗っていても、そのストライクで相手にして何も出来なかったのだ。モビルスーツに上手く乗れても戦争が出来るわけではないのだからキラ・ヤマトには出来ると判断できる材料が欠片もなかった。

 

「来る!」

 

 ピーピー、とセンサーが鳴らす接近警報に操縦桿を握る手に力が篭る。

 ザフトが開発していた第1世代MS用強化パーツ「アサルトシュラウド」を纏っているジンに搭乗するマシュー・オッケンワインは、昏い瞳でモニターに映るストライクを見つめる。

 

「お前じゃない……」

 

 似てはいるが違うと切り捨て、脚、足先、背部等のパーツに備えられているスラスターを全開に吹かす。

 瞬く間にストライクに近づき、ビームライフルを腰にマウントしてビームサーベルを取り出したのを目にしてもマシューの目は前だけを見つめ続けていた。

 ストライクとジン、機体が一瞬だけ交錯する。

 身構えたストライクの直ぐ横を通って、何もすることなくジンは通り過ぎて行った。

 ストライクに乗っているキラは思わず目を瞑ってしまったことに気づきもせず、通り過ぎって行ったジンを不審に思いながらも安堵した。

 

「なんで? …………まさかアークエンジェルを狙って!?」

 

 モビルスーツ同士は戦うのだと先入観があって気づくのが遅れたが、母艦がなくなれば戦闘を続ける意味がなくなる。帰る場所がなくなればモビルスーツに乗っていようがエネルギーが切れてしまったら補給も出来ず、宇宙を彷徨う巨大な監獄に成り果てる。

 遅らせながらそのことに気づいたキラはストライクを反転させて通り過ぎって行ったジンを追おうとした。

 

「キラ!」

「!?」

 

 コクピットに響いた懐かしいと感じる古い友の声に、動き出そうとしたストライクの動きが止まった。

 一際近い接近警報が鳴り響いた直後、コクピットを激震が襲う。

 

「うわぁ!?」

 

 ガクン、と揺れたがパイロットスーツのお蔭でヘリオポリスの時ほどには振り回されなかった。揺れた視界で前面モニターを見れば赤いモビルスーツが取り付いていた。先ほどの激震はイージスが掴みかかってきた衝撃のようだった。

 G同士だからか、それとも接触回線を用いてか、通信相手を映し出す上部のモニターにキラと同じようにシートに座った赤いパイロットスーツを纏った人を映し出す。その相手が三年前に別れた友アスラン・ザラであることは信じたくない現実だった。

 

「アスラン!」

 

 ストライクはビームサーベルを持つ右手と盾を持つ左手の、人間でいえば上腕に当たる部分を掴まれて身動きを封じられていた。だが、はたしてキラはストライクの右手を捕まえられていなかったとしてもアスランが乗るイージスにビームサーベルを向けられただろうか。

 

「やめろ、キラ! 俺達は敵じゃない、そうだろ!」

 

 間違いなくアスランと分かる声を聞いてるだけで懐かしさと嬉しさでキラは泣きたくなった。

 

「同じコーディネイターのお前が、何故が俺達と戦わなくちゃならないんだ!」

 

 アスランの声にはこうなってしまった運命に対する抑えようのない怒りが込められていた。キラもまた同じ気持ちだった。

 三年前に別れた最も親しかった友と、何故戦場で再会して殺し合わなければならないのだろうか、とキラもまたこうなってしまった運命を呪った。

 

 

 

 

 

 アークエンジェルからレーザー照準されたスレッジハンマーが放たれ、後方から接近しようとしていた奪取したばかりのGに乗るザフトの赤服達は機体を散開させた。

 

「ヴェサリウスからはもうアスランが出ている。後れを取るなよ!」

 

 Gの一機で、シリーズの中でも最初に完成したMSであり、将来の主力MSの基本形として要求性能をバランスよく備えた汎用機というコンセプトで開発されたX102デュエルに乗るイザーク・ジュールは、普段から敵視しているアスラン・ザラが先に出撃していることを聞いていたので闘志を燃やしていた。

 イザークが乗るデュエルにX103バスターが追従する。

 

「へいへい、お熱いことで」

 

 闘志を燃やすイザークとは対照的などこか冷めた視線で戦場を見渡すディアッカ・エルスマンは、雨霰の如く降り注ぐスレッジハンマーの弾丸を両肩に装備されている220mm径6連装ミサイルポッドで迎撃していく。

 スレッジハンマーと220mm径6連装ミサイルポッドの激突によって次々と爆発の花が咲き上がっていく。その爆炎の隙間を縫うように、宇宙では目立たない黒い機体が飛び出す。

 

「これで!」

 

 X207ブリッツに乗るニコル・アマルフィが吠える。

 ドイツ語で電撃とコードネームの通り、敵陣深くへの電撃侵攻を目的として開発されたコンセプトを皮肉にも開発元の地球連合に見せつけるかのように突撃。しかし、敵もそこまで甘くはない。

 艦尾両舷に備え付けられているバリアントMk.8が超えた爆炎の向こうから迫っていた。

 

「チィッ!」

 

 攻盾システム「トリケロス」に備え付けられている50mmレーザーライフルを放とうとしていたところを無理矢理に回避動作に移させる。

 あわやというところで直撃することを回避したブリッツのコクピットで、ニコルは背中に流れる冷や汗を実感せずにはいられなかった。

 

「実戦と訓練は違うというわけですか」

 

 イーゲルシュテルンとヘルダートを併用して一段と弾幕を厚くされて、アークエンジェルに接近できない。ニコルは今までしてきたシュミレーションや実機訓練では得られない緊張感に体が強張るのを感じた。

 ブリッツが下がっていくのを見てイザークは激昂した。

 

「臆したか、この臆病者め!」

 

 果敢に突進していくデュエルに乗るイザークの叫びがコクピットに響いて、ニコルはヘルメットに覆われた顔を紅潮させた。

 

「僕は臆病者なんかじゃありません!」

 

 下げていた操縦桿を今度は一気に前へ倒す。

 ブリッツは先を行くデュエルに追いつき、追い越せとばかりに弾幕の山を掻い潜り、頭部バルカンのイーゲルシュテルンやトリケロスのレーザーライフルで迎撃し、時にはフェイズシフト装甲を信頼して特攻する。

 

「訂正してください!」

「させてみろ!」

 

 二機は時には並び、自機を盾として味方を守りながらアークエンジェルへの距離を詰めていく。

 

「熱いねぇ。激情家と坊やは」

 

 突進する二機とは違って、後方から援護するディアッカは戦場には不似合いな笑みを浮かべた。

 右腰アームに接続される電磁レールガン「350mmガンランチャー」と左腰アームに接続される大型ビームライフル「94mm高エネルギー収束火線ライフル」で援護して、突進する二機の進路をクリアにする作業は骨が折れる。

 

「さて、年長者は若者を助けねぇとな。だから、年寄りの分まで頑張れよ若人ども」

 

 イザークが一年、ニコルとは二年の違いでしかないが、二人はディアッカの年下なのだ。

 同年代だったラスティ・マッケンジーがG奪取作戦で死んだ痛みは彼の中にもある。赤服五人の中で調整役だった彼なくしては、残ったディアッカには纏めるような役割は出来ないので以前のような関係に戻ることはないだろう。惜しくも思いながらこの気持ちを目の前に敵にぶつけようと考えたディアッカの目に何かが引っ掛かった。

 

「なんだ?」

 

 アカデミーでは五人の中で最もモビルスーツ戦の成績は低かったディアッカだったが、こと砲撃戦においては一位のアスラン・ザラすら歯牙にもかけなかった彼の勘が警鐘を鳴らしている。

 アカデミーをトップクラスの成績で卒業し、有名なクルーゼ隊に赤服で配属されることを知っての自信。模擬戦でクルーゼには赤服五人で挑んだにも関わらず掠り傷さえ与えられず、名付きのミゲルにはあっという間に撃墜され、他のパイロットにも一対一では勝てなかった。自信も驕りも狭い箱庭で得ただけの価値のないものだと思い知らされた完膚なきまでに敗北。

 0からの出発を誓い、見どころがあると言われた砲撃戦の腕を磨こうとした。奪取したGが近接戦闘を排して砲撃に特化した機体だと知った時は天命だとすら思った。

 未熟ながらもスナイパーとしての道を歩み始めたディアッカの勘が、目から感じ取った微かな異変を危険と判断した。

 

「避けろイザーク! ニコル!」

 

 二人が乗るデュエルとブリッツが従ってくれるかどうかを確認する前に、バスターに回避動作を取らせる。

 バーニアを全開に吹かせて上昇したバスターの足下を緑色のビームが通り過ぎた。回避動作に入らなければ胴体部分、つまりはコクピットに直撃したであろう一撃にディアッカの背筋が総毛立った。

 危なかったではなく助かった。勘に従って動いていなければ死んでいたと直感させた肉体が冷たい汗を流させる。

 自らの命がまだ残っていることを信じてもいない神に感謝したところで僚機の存在を思い出した。

 

「二人は………無事か」

 

 視線を向ければ、センサーが二機の無事を教えてくれた。弾幕の中にいたことが外にいて狙われたバスターほどには正確な狙いではなかったようで、二機とも足を止めていたが損傷はないようだった。

 

「なんだ、今のは!?」

 

 深く重い息を吐いて、二人の無事に安堵しているとディアッカの耳に畏れを潜ませたイザークの叫びが届いた。

 

「ミゲルやオロールを墜とした奴だろうぜ。ほら、来た!」

 

 ヘリオポリスで戦って唯一生きて帰ってきたマシューの話を思い出しながらイザークに答えを返し、何時でも動けるように操縦桿に込められがち力を緩めてモニターに目を凝らすと左方向から何かが光った。

 操縦桿を全力で動かすバスターの直ぐ近くを緑色のビームが通り過ぎる。

 

「避けられた?」

 

 ストライクから離れてアークエンジェルの左舷を大きく回り込んたアストレイ・グリーンフレーム。パイロットの特性を理解してセンサー類がGよりも数段強化されている機体に乗るユイは、攻撃が躱されたことに怪訝そうに眉を一ミリだけ顰めた。

 照準スコープを覗きながらもロックオンをせずに勘だけで撃ったビームが外れるのは当然なのだが、彼女にとってはこれが普通である。こちらの存在を認識しているならともかく、普通なら認識不可のこの距離で撃って避けられた経験は二度しかない。

 

「これで避けられたのは三度目」

 

 二度目はヘリオポリスでシグーの右足を撃ち抜いた時だ。完全に避けられはしなかったが確実に墜とせると確信したタイミングだったので、ユイの中では避けられたのと同じだった。

 

「拳神と同じ?」

 

 ユイの脳裏にとある背中が思い浮かぶ。

 オーブ本国から宇宙に渡ってヘリオポリスに向かう際に宇宙海賊に襲われ、運航艦を守る為に単身で敵の船に侵入すると既に一人の格闘家によって制圧された後だった。だが、状況は宇宙海賊の中にザフトの軍人崩れがいてジンを持ち出したことで悪化した。

 成す術もないと思われたが格闘家はあろうことか海賊船にあったもう一機のジンを持ち出した。ユイが運航艦に積まれていた地球連合の払い下げのミストラルを持ち出した頃には格闘家はジンを倒していた。

 滅多に人に興味を覚えないユイがミスズの悪戯心に影響されたのか、格闘家が乗るジンに銃口を向けたその時だった。ロックオンもせずにただ撃つと考えたその時だった。格闘家が乗るジンが回避行動に出たのは。

 後になって話を聞けば自分に向けられた敵意をセンサーに頼らずに察知できるらしいとのこと。

 格闘家とは途中の中継ステーションで別れたが、この話をミスズにすると「拳神」と爆笑しながら渾名をつけた。お互いに名前も聞かなかったのでユイも拳神と呼ぶことにしていた。

 

「違う。あの機体は私と同類」

 

 一昔前のスナイパーなら互いを目視した瞬間には敵と気づいたという。同類の匂いとでも呼ぶべきか、ユイもまたバスターのパイロットに自分と同じ匂いをかぎ取った。

 

「危険。ここで墜とす」

 

 放っておけば後々の禍根になるとバスターを標的に定めてバーニアを吹かす。

 遠距離戦に特化しているバスター相手に砲撃勝負をするつもりはない。一気に距離を詰めて勝負を決めるつもりだった。しかし、バスターとの距離を半分に詰めたところでユイの感覚に触れるものがあった。

 続いてセンサーが後方から接近する機影を捉える。

 

「ジン? 装備が違う」

 

 何よりもジンから発散されている気が異様の一言につきた。ユイの少ない経験で合致するのは鬼気や怨念のような物騒な言葉ばかりが思い浮かぶ。

 背中を見せればやられると感じ取ったバスターに向けていた機体を反転させた。

 グリーンフレームが戦うつもりであることを見て取ったアサルトシュラウド装備のジンに搭乗するマシュー・オッケンワインは昏い笑みを浮かべた。

 

「ようやく見つけたぞ、紛い物」

 

 地獄の底から蘇ってきた悪魔のように低い声で呟いたマシューは、乗っているジンアサルトが両手に持つ重突撃機銃をグリーンフレームに向ける。

 バーニアを全開に吹かして急接近する。体がコクピットに叩きつけられる衝撃でも構わなかった。

 

「ミゲルと、なによりもオロールの仇を討たせてもらうぞ!!」

 

 いなくなった死者の魂に引き摺られたマシューが怨念の塊となってユイに襲い掛かる。

 

「くっ!」

 

 発散される気迫に呑まれていると感じ取ったユイは迷わずに逃げの一手を選択する。このまま戦えば機体性能の差を埋めかねないほどの気迫に、真っ向から戦えば不利と察したが故の行動だった。

 一度距離を開けて時間をおけば、怯んだ精神も元に戻るが状況がユイに余裕を与えてくれなかった。

 

「!?」

 

 背後からの気配に咄嗟に反転しながらシールドを掲げる。直後、コクピットを閃光が支配して機体を揺らす。あまりの破壊力にシールドを掲げながらも踏ん張れずに機体が後方に流される。

 閃光に咄嗟に目を閉じてしまったユイが視界を取り戻すと、左右のアームに接続されている電磁レールガンと大型ビームライフルを連結させて超高インパルス長射程狙撃ライフルを構えているバスターの姿があった。

 今のでグリーンフレームを仕留めきれなかったと見て取ったバスターは連結を解除して、両腕のアームに武器を保持しながら銃口を向けて来る。

 

「2機が相手」

 

 同類と認めたバスターと油断ならない気を発するジンアサルト。2機同時に相手出来ないほどではない、とユイは冷静に判断する。

 2機相手に勝てるとは言わないが、今のキラにジンアサルトの相手は頼めない。殺意を向けられているのはユイだけのようだが、地球連合に協力しておいてオーブ所属や民間人であるなど信じはしないだろうから何時矛先が向くか分からない。

 キラがイージスの相手をしていることは通信で知っているので、アークエンジェルには残ったブリッツとデュエルの相手をしてもらうしかないとユイが考えたその時だった。

 コクピットに新たな接近警報が鳴り響く。

 

「ブリッツとデュエルも?」

 

 黒い機体とストライクに似た色合いの機体もグリーンフレームを目標にしているようだった。でなければアークエンジェルから離れるはずがない。

 ザフトの指揮官であるラウ・ル・クルーゼがグリーンフレームがアークエンジェルよりも優先的に狙うように命令していることをユイは知らない。クルーゼの乗るシグーに損傷を与え、黄昏の魔弾の名を異名を持つミゲル・アイマンを墜とした機体を野放しにするはずがない。

 

「これは厳しいかもしれません」 

 

 G3機とジンアサルトを相手にすることの厳しさを肌で感じ取ったユイは自らの死地がここであることを感じ取っていた。

 呟いた直後、ユイの視界は三方から放たれたビームによって塞がれた。

 

 

 

 

 

 3機のGとジンアサルトによって一方的に翻弄されるグリーンフレームの姿は、アークエンジェルのブリッジからも良く見えた。

 ストライクとグリーンフレームの存在はアークエンジェルにとってなくてはならない存在。艦長のマリューにとってユイは親友のミスズの養女なのだ。本来ならばこれほどの緊急事態でなければ戦闘に出すのも嫌がる子供の危機に黙っていられれるはずがない。

 

「アストレイの援護を!」

「無理です! あれだけ動き回っている中で敵だけに当てるなんて芸当は我々には出来ません!」

 

 マリューの気持ちの前に現実は何時だって無情である。なにもナタルだってオーブに隔意があるからといってユイを助けないなんて思っていない。

 敵に囲まれて一にも二にもなく攻撃を回避するためにこれでもかと動き続けるグリーンフレームは一瞬だって同じ場所に留まっていない。 ジンアサルトが装甲に付加されている各種バーニアを使って追いすがり、ブリッツとデュエルも近づけば接近戦を仕掛けようとする。残ったバスターも機体特性を活かして遠距離から狙ってくるという厭らしい状況。

 

「バスターだけでも狙えないの!」

「この状況で狙えるとお思いですか!」

 

 二人で叫び合っている間にもブリッジに警報音が鳴り響く。

 

「後方のザフト艦より砲撃!」

「面舵40度! 全速!」

 

 ノイマンがマリューの叫びに応えて操縦桿を横に倒す。

 無重力であっても急激な動作に艦内の固定されていない物がついていかない。事前にブリッジから艦内放送で通告があっても信じられない者や中々異変が起こらないことに大丈夫だと安心する者がいる。

 運悪く花摘みに行った直後で廊下のど真ん中にいたフレイ・アルスターなどはその典型だった。

 

「いやぁぁぁぁぁぁ―――――っっ!!」

 

 体を支える物も無くて一直線に飛んで行ったりするなど、珍しいケースはあれど被害は多かった。ヘリオポリスでザフトの襲撃を受けた際に重傷を負った者がベルトで固定されていても過重な動きに耐えられずに呻きの声を漏らす方が多かった。

 

「続いて砲撃来ます!」

「躱して!」

 

 今度は反対方向に体を引っ張られるのを感じながらもマリューの目は前だけを見続ける。

 重傷者の内の誰かが死んだかもしれないと思っても、避けなければ死ぬ自分達を守る為に犠牲を承知の上で口は動き続ける。

 

「ゴットフリート照準、前方のザフト艦。潜水航行中の大尉に当たらないようにずらせよ――――撃てっ!」

 

 ナタルの叫びの直後、艦首両舷に1基ずつ装備されている2連装のビーム砲が火を噴く。

 直進したゴットフリートは前方の障害物を焼き尽くしているだけで命中はしていない。それも当然、これは前方で道を塞いでるザフト艦に向かっているムウのことを気取らせないためのマリューが思いついた苦肉の策。

 

「これじゃアストレイの援護が出来ない」

 

 後方から間断なく艦砲射撃を撃たれては急造クルーのアークエンジェルでじっくり狙わない限り、ストライクのように全身フェイズシフト装甲ではないグリーンフレームでは危なっかしすぎて援護射撃なんて撃てない。

 

「ストライクは何をしているの?」

 

 ムウは何をやっているのだと叫び出したい気持ちを抑える。艦長が冷静さを失えばクルーが動揺する。努めて冷静であろうとするが最強戦力であるグリーンフレームが劣勢であるという事実が彼女を追いこむ。

 

「イージスの相手をしています。掴まれてから振り解けていません」

 

 チャンドラⅡ世の報告にマリューが視線を前面モニターの上の方に上げれれば、どうやらアークエンジェルの直上にいるらしいストライクとイージスが組み合ったまま流れて行っている。

 素人のキラが一機でも抑えていることを良しとするべきか。マリューは判断に迷った。

 

「アストレイが囲まれているのだぞ。ストライクに援護に行かせろ!」

 

 ナタルの叫びに自分が言わなくて助かったと思った自分を最低だとマリューは己を軽蔑した。

 

 

 

 

 

 イージスに組み付かれたまま慣性でアークエンジェルの前方から艦橋の上を通って流れて行くストライクのコクピットに座るキラの顔には迷いがあった。

 戦わなければと思っているのに旧友のアスランを前にしてあるのは迷いばかりだった。

 

「お前が何故地球軍に居る? 何故ナチュラルの味方をするんだ!?」

 

 アスランの声が耳に届くばかりに抵抗の意志が剥がされていく。

 

「僕は地球軍じゃない! けどあの船には仲間が……友達が乗ってるんだ! 君こそ! なんでザフトになんか!? なんで戦争したりするんだ!」

 

 申し訳程度にバーニアを吹かして抵抗しているように見せる自分にキラは嫌気を覚えていた。

 何を言ったとて言い訳にしかない。今のキラは逆らうための理由を論ってアスランに説得されたがっている裏切り者だ。

 

「戦争なんか嫌だって、君だって言ってたじゃないか! その君がどうしてヘリオポリスを…! 」

「血のバレンタインで母も死んだ。だから俺はザフトに入ったっ!」

 

 ハッ、とキラは続いたアスランの言葉に長い夢から醒めたように操縦桿から力を抜いた。

 キラの脳裏に浮かんだのは家の居間で掃除をしていたらしいテレビの前でワイヤレスの掃除機を落して呆然としている母の後ろ姿だった。まだ月のコペルニクスにいた頃で、飛び級をして通っていたハイスクールから帰ってきたキラが知った凶報。何時も気丈だった母が蒼褪めた顔でキラを振り返った姿が昨日の如く蘇る。

 

「ユニウスセブンにおばさんがいたの?」

「そうだ! 核爆弾で破壊されたユニウスセブンにいたんだ!」

 

 キラには認めたくない現実だった。

 ユニウスセブンの被害者の氏名は公表されていない。人数だけで氏名をプラントは公表しようとしなかった。それほどにプラントの人々は憤っていたのだし、後の報復も理解できた。それらはあくまで他人だったからこそ理解できたのだ。当事者であったアスランの気持ちは筆舌にし難い。

 何よりもキラは色々と分からない事や困ったことをアスランの母親に相談して助けてもらったらしい母ほどには面識はない。アスランの母レノア・ザラは家にいないことが多いからアスランは良くキラの家に来ていて、逆は殆どない。キラには親友の母親以上の気持ちを抱けなかった。

 

「お前に分かるか母を失った俺の気持ちが!」

 

 分からない。キラにはアスランの気持ちが分からない。

 ヘリオポリス崩壊時に母の安否が気になっているが、シェルターに入るまでに十分な時間があったはずだから大丈夫だとどこかで思っている。父は写真の中だけの人で母と二人は駆け落ちして結婚したと聞いていて親戚がいるかどうかも知らない。

 キラ・ヤマトは身近な人を失ったことがない。いや、そもそも死を知らないのだ。

 

「気丈な父が母を失った悲しみを埋めるように仕事に没頭する背中を見たことがあるか!」

 

 分からない。父を写真でしか知らないキラにはアスランの気持ちが分からない。

 

「俺と一緒に来い! お前はコーディネイターだ! 俺達の仲間なんだ!」

「違う! 僕は僕はザフトなんかじゃぁ……」

 

 ユニウスセブンに核を放った地球連合に協力することは友達を守るためといえど正しいのだろうかと迷いがキラの中で生まれた。だが、断じてヘリオポリスを崩壊に導いたのはザフトだ。中立の国で機動兵器を作っていた地球連合に思うところは大いにあれど、最初に見た圧倒的な力で蹂躙するザフトを見た所為で拒絶感があった。

 

「いい加減にしろ! キラ! このまま来るんだ。でないと僕は、お前を討たなきゃならなくなるんだぞ!」

 

 その拒絶感すらも哀切を滲ませたアスランの前に急速に萎んでいく。

 

「言うことを聞いてくれ、キラ。…………頼むから俺にお前を撃たせないでくれ」

「……アスラン……」

 

 少しテンポが崩れた湿った声は泣いているのだろうか。アスランの気持ちを思ってキラは戦う気力を完全に失った。

 

「頼む。頼むからキラ……」

 

 キラの前で弱い姿を殆ど見せなかったアスランが、何時も頼りになる兄貴分だった少年が、他人から見ればみっともなく聞こえるほど懇願していた。

 

「…………アークエンジェルに乗っている人達の安全を保障してほしい。あの船にはヘリオポリスの避難民や友達が乗ってるんだ」

「キラ!」

 

 瞼を閉じて心中でトール達やマリュー達に謝りながら言った言葉に喜色が籠ったアスランの声が返って来て、これで良かったのだと罪悪感を覚えながら操縦桿から手を離そうとした時だった。

 絡み合う二機とは別の機体が接近する警報音が鳴り響いたのは。

 

 

 

 

 

 ヴェサリウスのブリッジの空気は既に勝ったようなものになっていた。無理もない。敵の虎の子と思われるGの紛い物はガモフから発進したG3機とマシューが乗るジンアサルトに抑え込まれ、残ったストライクもアスランの乗るイージスが捕まえている。

 後方のヴェサリウスと前方のヴェサリウスに挟まれて攻撃されているアークエンジェルの反撃は散発的で、武装の威力には脅威を覚えるが乗っているクルーが不慣れなのか狙いが甘い。

 

「これは勝ちましたかな」

 

 この作戦を最後まで反対していたアデスが安心したように艦長席に身を沈めるのを指揮官のクルーゼも咎める気にはならなかった。

 

「敵、戦艦、距離740に接近! ガモフより入電。本艦においても確認される敵戦力は、モビルスーツ2機のみとのことです」

 

 このオペレータの報告に眉を顰めたのはクルーゼだった。

 

「あのモビルアーマーはまだ出られんということか」

「状況は明らかに向こうの不利です。この劣勢で出て来ないのでは、そう考えて良いのでは?」

 

 珍しく零した心の呟きを聞き届けたアデスの言いようにクルーゼは釈然としないものを感じていた。

 自分を感じ取っているはずのムウ・ラ・フラガが何の策もせず、乗機で出て来ないことにも不審を覚えていた。

 

「諦めたか?」

 

 自分で出した答えにクルーゼは心の中で否と返す。

 現在の状況はそう判断してもおかしくないほどに地球連合は逼迫している。単に乗機が壊れていて出撃できず、策も出せずにいたということだろうか。

 

「敵戦艦、距離700に接近! 間もなく本艦の有効射程距離圏内に入ります!」

「こちらからも砲撃開始だ」

 

 ムウが何か策を練っているなら、アークエンジェルが目的地であるアルテミスの前を陣取っているヴェサリウスを視認できる距離にまで近づいてか、と予測したクルーゼはクルーに指示を出す。

 

「モビルスーツが展開中です! 主砲の発射は……」

「ふっ、我が方のモビルスーツの大半は敵戦艦の後方だ。なによりも友軍の艦砲に当たるような間抜けはいないさ。味方の腕を信じろ」

 

 諌めようとするアデスを逆らい様のない論理で封じ込める。

 反論すれば味方の腕を信じていないと、嫌らしい言い方を自然にするクルーゼの言葉に気づいたアデスは一つ息を吐いて前をしっかりと見た。

 

「主砲発射準備! 照準、敵戦艦!」

「主砲、発射準備! 照準、敵戦艦!」

 

 復唱するクルーにアデスは当たってくれるなよマシューや赤を着ている者達に祈るばかりだった。

 

 

 

 

 

 ターゲットロックされたことは未熟なアークエンジェルもクルーにも直ぐに分かった。

 

「前方ナスカ級より、レーザー照射感あり! 本艦に照準! ロックされます!!」

「…………艦長!」

 

 言われた瞬間、艦長席に座るマリューの背筋を鉄杭が貫いた。

 ナタルの言いたいことは解る。彼女は決断しろといっているのだ。ムウの作戦を放棄して、狙っても当たるかどうか分からない主砲のゴットフリートではなく、この劣勢極まる状況を改善するためにアークエンジェルに搭載されている武装の中で最も強力である陽電子破城砲「ローエングリン」を以て薙ぎ払う。その後、どうにかしてヴェサリウスを突破してアルテミスに入る。

 不慣れな艦を動かすクルーで対艦船をやるなんて危険が高すぎる。それがこの作戦に反対したムウやマリューの言い分だった。

 ことこの事態に陥って、ムウを待つことは出来ない。それがナタルの結論だった。例え進路上にいるムウが犠牲になろうとも。反対にマリューは決断できなかった。ムウが犠牲になる作戦を容認できるはずもない。だが、状況の悪化が分からぬはずがない。だからこそ迷う。

 先に痺れを切らしたのはナタルの方だった。

 

「ローエングリン、発射準備!」

「待って! 大尉のゼロが接近中です! 回避行動を!」

 

 先走るナタルに咄嗟に制動をかけてしまうのはマリューの軍人にしては甘い部分が犠牲が出ることに耐えられなかったからだろう。その甘さは軍人であることを前に出そうとしているナタルが最も唾棄すべき面だった。

 

「危険です! 撃たなければ撃たれる!」

「……くっ!」

 

 ナタルの言いようも危機感も当然のものだった。味方の犠牲者0を目指すマリューの方がおかしいのだ。

 

「後方! ローラシア級! 急速接近!」

 

 ムウの命か、それ以外の艦の全員の命か、マリューは決断しなければならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ストライクとイージスに鳴り響く警報音。その正体はX102デュエルだった。

 

「X102デュエル! じゃあこれも!」

 

 ストライクと同じGであり奪取された4機の内の1機であることはモニターに表示されたデータが教えてくれる。

 

「何をモタモタやっている! アスラン!」

「イザークか!?」

 

 何かとライバル視してくる口うるさい女房みたいな仲間の声を聞いて、暫くぶりに意識を外へ向けたアスランは自分達が何時の間にか流されて 敵艦の後方にまで来ていることに気づいた。

 たった数分間ながらも4機の集中砲火に晒されて、何度も攻撃を受けて表面をドロドロに溶かせて罅が入ったシールドを持ちながら、四肢のあちこちがボロボロになりながらも健在だったグリーンフレーム。パイロットのユイもボロボロな機体に負けぬほどの疲労度だったが、デュエルが離れたこの瞬間に微かな勝機を見い出した。

 

「ここ」

 

 ブリッツが右腕に装備された複合武装からビームサーベルを出して接近戦を挑んでくるのを意識の端に留めながら、他の二機に集中する。

 疲労と集中力が極限にまで高まっているからブリッツの攻撃を避けることは容易い。

 長年の乗機であろうジンアサルトには隙はない。実体弾しか持っていなかろうが執念と実力はこの場で最も高い。ユイと同じ射撃感覚を拙いながらも持っているバスターもまた侮れない。隙を見せればやられると二機から目が離せない。 

 ここにデュエルとブリッツが攻撃を仕掛けてくるのだから堪らない。反撃することすら出来ずに只管に回避と防御に専念していた。その甲斐があって見えてきたものがある。

 

「この3機の中で穴はブリッツ」

 

 ジンアサルトは言うまでも無く、ユイと戦うことで射撃力を高めていくバスターも同じ。その2機と比べて乗り慣れていない感が大きいブリッツは唯一狙える隙だ。

 これはパイロットの腕の是非ではなく、単純に乗っている機体に問題があった。

 ブリッツの攻盾システム「トリケロス」は、複合武装で始めて扱うには多大なセンスを必要としている。ユイの見る限りではブリッツのパイロットにセンスを感じるが始めて乗った機体で万全に使いこなせるほどのものではない。

 十全に使いこなせられれば厄介だが今はまだその段階ではない。

 

「タイミングは一度だけ」

 

 思考は一瞬。判断も一瞬。行動に移すための決断もまた一瞬だった。

 不用意に近づいてきたブリッツのビームサーベルの一撃を躱したグリーンフレームは、バーニアを一瞬だけ吹かして懐に入り込む。

 Gのデータを事前に入手していたミスズが作り上げた対G用のシュミレーションをやり込んでいるユイに出来ない事ではない。今はまだ乗り込んだばかりのザフトのパイロットよりかはGの機体のことを知っている。

 ブリッツの懐に入ることでバスターの射撃を封じた。感覚の外側でバスターが砲撃するのを躊躇うのを感じ取る。

 残るジンアサルトが躊躇わず向かって来ようとするのを感じ取り、ユイは操縦桿を動かした。

 

「うわっ!」

 

 ブリッツのパイロットであるニコルはコクピットがある腹部部分を殴られて激震するコクピットで呻いた。

 フェイズシフト装甲だろうと衝撃までは消しきれない。それは続いて、腹部を殴りつけて空いた空間で振り上げた蹴りの衝撃も消してはくれなかった。

 

「これで」

 

 蹴り飛ばしたブリッツを向かってきていたジンアサルトにぶつけたグリーンフレームは、バスターに向けて牽制の射撃を放って射撃姿勢を崩させて飛ぶ。目指すはストライクとイージスのいる空域。

 

「この状態で命中させるのは難しい」

 

 今のバスターに向けて放った牽制の射撃は出来れば撃墜を狙って放ったのに、ユイが思い描いた軌跡とはかなりずれている。ボロボロのグリーンフレームではその微妙な誤差が狙った軌跡からずれてしまうのだろう。

 状況は何も改善していない。最強戦力のグリーンフレームだけが悪戯に消耗し、損傷を積み重ねていた。それでもユイはストライクを救うのが先決と、自機の損傷を後に回した。

 

 

 

 

 

 慣性飛行でヴェサリウスを目指していたムウのメビウス・ゼロは辛抱強く我慢に我慢を重ねて遂に敵艦を発見した。

 

「うおりゃぁぁ!!」

 

 もはや我慢する必要もなしと、大声を上げてガンバレルを展開させてヴェサリウスに牙を剥いた。

 ヴェサリウスのブリッジで何時、ムウが策を使うのかと思案していたクルーゼの感覚に馴染んだ敵意が届いた。

 

「機関最大! 艦首下げ! ピッチ角60!」

「本艦底部より接近する熱源、モビルアーマーです!」

「ええい! CIWAS作動! 機関最大! 艦首下げピッチ角60!」

 

 叫んでからオペレーターの報告があり、アデスがクルーに指示を出した時点でクルーゼは自らの失策を悟った。クルーゼの直感に直ぐにクルーが反応していれば避けられた攻撃も、戦勝ムードになりかけていたブリッジに対応できるものではない。

 遅すぎるクルーの操作に従ってヴェサリウスが動き出したが、クルーゼは既に遅きに逸っしていると攻撃を放つムウに憎悪を向けていた。

 艦に被弾した激震がブリッジを揺らす。

 

「機関損傷大! 艦の推力低下!」

「敵モビルアーマー離脱!」

 

 オペレータに言われるまでもなく、ブリッジの正面ガラスから悠々と逃げ去って行くメビウス・ゼロの姿がクルーゼの目にも見えていた。

 

「撃ち落とせぇぇ!!」

 

 アデスが自らが艦長を務める艦に傷をつけられて怒り狂っているが、もうメビウス・ゼロに届く距離ではない。そも、ムウならばこの距離だと避ける。エネルギーと弾の無駄だった。

 

「第5ナトリウム壁損傷、火災発生、ダメージコントロール、隔壁閉鎖!」

 

 ヴェサリウスの損傷はもう戦える状態ではない。アデスよりも深い憎悪をムウに抱くクルーゼだからこそ、小癪な策で因縁の相手にやられたままで引けるはずもないことは理解している。それでもラウ・ル・クルーゼは部下を持つ隊長である。彼は目的の為ならば目先の憎悪を横に置いておける優れた理性も持ち合わせていた。

 あくまで横に置いておくだけで決して忘れはしない。溜め込んだ負の感情の一つなってクルーゼを突き動かすエネルギーとなる。

 

「離脱する! アデス! ガモフに打電! 」

 

 ムウに対する尽きない憎悪を腹の底に押し込んで、クルーゼは退却を選択した。

 

 

 

 

 

 劣勢に追い込まれていく状況にようやく光明が差したのは、今まさにマリューがムウを見捨てる決断を下そうとした正にその時だった。

 

「フラガ大尉より入電、作戦成功、これより帰投する!」

 

 トノムラ伍長の報告に最初はどよめきが、次第に歓喜が爆発する。辛い決断を下さなくてすんだマリューは胸を撫で下ろし、強張り過ぎていた肩から力を抜いた。

 

「機を逃さず、前方ナスカ級を討ちます! ナタル!」

「ローエングリン、1番2番、斉射用意!」

 

 ようやく勝ち目の見えてきた戦いにマリューに返すナタルの声にも覇気が戻った。

 

「フラガ大尉に空域離脱を打電! モビルスーツにも射線上から入らないように言って!」

「陽電子バンクチェンバー臨界! マズルチョーク電位安定しました!発射口、開放!」

 

 敗戦間近のムードから俄然に盛り返したブリッジの空気が猛烈に動き出す。

 アークエンジェルの左艦首が開き、既存の砲門を遥かに超えるスケールの砲口が口を開けた。

 これこそがアークエンジェルに搭載されている武装の中で最も強力である陽電子砲「ローエングリン」。その設置場所から、前方の敵に対しての使用が前提となっている。ビームを生み出す陽電子チェンバーの補充に時間を要するため、連射は不可能である。

 試験装備であることとあまりの破壊力に発射指示は艦の最高指揮官が行うことになる。

 

 

 

 

 

 ストライクを捕まえているイージスと距離を詰めていたデュエルのコクピットにヴェサリウスからの通信文が届いた。

 二人はほぼ同時に通信文を見る。

 

「ヴェサリウスが被弾!?」

 

 クルーゼが指揮する母艦が被弾したなど聞いたことがなく、撤退を命令してくる通信文に敵戦力を相手にしていたモビルスーツ隊の一人であるイザークの意識に隙が生まれた。その隙を突くように外部からの力によって機体がイザークの支配を離れる。

 

「何っ!?」

 

 デュエルにビームライフルの攻撃を加えたグリーンフレームに乗るユイは想像以上に機体の状態が悪い事に歯噛みした。

 

「反応も悪いし照準も合わない。邪魔」

 

 先を行くデュエルを狙った一撃は背面の塗装と表面装甲を焼いただけに留まった。当てにならない照準スコープを払いのけて、振り返ったデュエルがビームサーベルを抜いたのを見ても無視して直ぐ傍を駆け抜ける。

 Gよりもセンサー類が強化されているモニターに絡み合うように流れて行くストライクとイージスの姿が映る。

 

「助ける」

 

 守る、とミスズ以外に始めて思った少年の気弱そうな顔を思い出してビームライフルの銃口を向ける。照準スコープはどけてある。

 狙うのはストライクとイージスが向かい合った状態でのイージスの背面側。

 背後から無視されたことを憤って遮二無二ビームライフルを撃ってくるデュエルと、Gを圧倒する気迫を振り撒くジンアサルトがやってくるのを知覚する。だが、敢えて無視した。意識を銃口の向かう先にのみ集中し、アークエンジェルからローエングリンが放たれたのと同時に撃った。

 グリーンフレームから放たれた緑色のビームはイージスの、人間でいえば肩関節に当たる部分を掠める。

 

「うっ!?」

 

 接近を知りながらもロックオンもせずにここまでの機体を掠めた精密射撃に、アスランの手が意識を離れて波打つ。その行動がイージスを動かして掴んでいたストライクを離してしまう。

 

「キラっ!?」

「ユイさん!」

 

 アスランが名前を呼ぶもキラの意識は自分を計らずとも救ったグリーンフレームに向けられていた。

 

「良かった」 

 

 と、ストライクの上部モニターに映るユイの姿が言った直後にぶれた。その理由をキラは直ぐに理解する。

 

「ああっ!?」

 

 背後からビームライフルを連射していたデュエルの攻撃がビームライフルを持っていたグリーンフレームの右腕を吹き飛ばしたのだ。

 ヘリオポリスでの戦いで、誰よりも強く無敵で傷など負わないと勝手な先入観を持っていたキラにはなによりもの衝撃だった。近くにいるイージスが、ようやく友人を取り戻せるところだったのに邪魔をしたグリーンフレームに怒りを覚えてMA形態に可変したことに気づかないほどに。

 

「よくも邪魔をして!」

 

 MA形態で手脚を広げ腹部に装備された580mm複列位相エネルギー砲「スキュラ」を放つ。これに反応したグリーンフレームは対ビームシールドを掲げるが、ボロボロの盾で完全に防げるものではない。

 アストレイ・グリーンフレームは対ビームシールドで傾けて流そうとした。が、スキュラの威力が強すぎて果たせず、対ビームシールドは粉々に砕ける。完全な回避も出来ずに左手と左足が焼き尽くされ、左半身も火傷を負ったように焼かれてしまった。

 完全に制御を失って流れていくアストレイ・グリーンフレーム。事前にイージスから通信を受け取っていたのだろう、デュエルとジンアサルトは射線上から退避していて、瀕死のグリーンフレームを仕留めようと迫っていた。

 

「僕を助ける為に……」 

 

 素人のキラにだってグリーンフレームが攻撃を受けてしまった理由が分からぬはずがない。イージスに捕まえられたストライクを救うために行動したから回避や防御が出来なかったのだ。

 一緒に戦っているユイを、単身で敵艦に向かったムウを、生き残ろうと足掻いているアークエンジェルを、軍の手伝いをしている友達を、全てを裏切ってアスランについていこうとしたキラと違ってみんなが戦っている。裏切ろうとしたキラに助けられる価値なんてないのに。

 

「止めろ――――っ!!!」 

 

 見知った少女が、危機を顧みることなく助けてくれた恩人が目の前で殺されるところを見たくなくて、己の情けなさにキラは我を忘れた。操縦桿を全力で前に倒してバーニアを全開に吹かしてストライクを突っ込ませた。

 グリーンフレームを中心として、ストライクから見て右側にデュエルが、左側に少し遅れてジンアサルトがいる。

 近いデュエルに狙いを定めたキラはストライクに左手に持つ対ビームシールドを投げさせた。

 まさか盾を投げつけるとは思っていなかったデュエルの反応が遅れる。

 

「盾で何が出来る!」

 

 しかし、対ビームシールドに攻撃力がないと分かると焦らずに自らが持つ対ビームシールドで払いのけた。

 対ビームシールドを払いのけた本当に僅か一瞬の間だけ、デュエルに乗るイザークの意識はストライクから逸れた。隙とも言えない間にキラはビームライフルを構えて撃った。

 

「なに!?」

 

 ロックオン警報にイザークが全力でデュエルを動かす。だが、僅かに遅かった。手に持つビームライフルに着弾して爆発する。

 

「うわああああああ!?」

 

 被弾したデュエルにグリーンフレームを狙っている余裕はなかった。機体を揺るがされて制御を失い、激震に揺るがされるコクピットではイザークも行動に移せない。

 無防備な姿を晒すデュエル。殺されるという恐怖がイザークをみっともなく叫ばせた。しかし、幸運にもストライクからの追撃はなかった。

 ストライクは次のジンアサルトに向かっていた。いや、既に攻撃を放っている。

 ジンアサルトの頭部のモノアイに、デュエルに対ビームシールドを投げた後に腰部両脇ホルダーに内蔵されている超硬度金属製の戦闘ナイフ「アーマーシュナイダー」を取り出して投げていた。

 ロックオンなどしていなく、当たればめっけものと思って放たれたアーマーシュナイダーは幸運にもジンアサルトのメインモニターを潰した。

 

「たかが、メインモニターをやられた程度で!」

 

 歴戦の戦士の一人であり、復讐に囚われたマシューがこの程度で動揺するはずもない。直ぐにメインモニターからサブモニターに切り替える。

 切り替わったサブモニターに間近に迫ったストライクのツインアイが光った。

 

「早い!」

 

 一切留まることなく全力で距離を詰めたストライクの機動性はGの中でも群を抜いていた。マシューが予想よりも早いスピードに動揺したのも一瞬、ビームサーベルを振り下ろしてくるストライクの左手を掴んだ。

 

「この程度でやられる俺と思うな!」

 

 ビームサーベルが強力な兵器であることはGのデータを見たマシューも認める。真っ向から戦えばジンアサルトに勝機がないことも。だが、だからといって負ける道理はない。

 ビームサーベルを保持する手を掴んでしまえば、どんな破壊力を持っていようがどうということはない。自分から距離を詰めて機体を接触させる。当てることが目的ではない。この接触状態ならばもう片方の手で持つビームライフルは被弾を恐れて使えないと踏んだのだ。

 その選択は間違ってはいない。マシューにとっての不幸はストライクが人を模していようがモビルスーツであったことだろう。

 ビームサーベルを持つストライクのマニュピュレータが回転する。人にはありえぬ手首が回る動きで保持するビームサーベルが大きな弧を描いた。

 

「!?」

 

 接触状態でコクピット部分に重突撃機銃を全弾フルバーストしようとしていたマシューは、モニターに映るダメージコントロールで右腕が肘で切り離されたことを知った。

 自由になったストライクの左手。手に持つビームサーベル。殆ど触れるような距離。

 背筋に走る盛大に悪寒にマシューが行動を起こすよりも早く、ストライクは手に持つビームサーベルを突き出していた。

 

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」

 

 全てを焼き尽くす灼熱の剣が追加装甲を纏っていようとも意味がないと言わんばかりに、コクピットを突き破って全身を跡形も無く消滅させるその瞬間まで、マシュー・オッケンワインは怨念に満ちた叫びを上げ続けた。

 

「マシュー先輩!?」

 

 コクピットを貫かれたジンアサルトが直ぐ傍にいるストライクを巻き込んで爆散したのを見届けさせられたアスラン。ミゲルとオロールに続いてマシューまで失った心の痛みにイージスのコンソールを握りこぶしで思いっきり叩いた。

 アスランならば奇ばかりを衒った攻撃をするストライクを撃墜することも、キラが乗っていることを考量すれば撃墜はまだしも邪魔することは十分に出来たはずだ。

 キラならばコーディネイターを殺すはずがないと無条件に信用していたツケをマシュー・オッケンワインの命を以て支払わされた。悔やんでも悔やみきれない。失った命は二度と戻らないのだから。

 そうこうしている間にもストライクはズタボロのグリーンフレームに近づこうとしていた。そこへビームライフルを失ってビームサーベルを握ったデュエルと、大分遅れてブリッツとバスターもやってきていた。

 3機と共に地球連合に与する2機を墜とすのが最善とザフトの軍人としての自分が囁き、私人としての自分はこれで理由が出来たのだから下がれと別の自分が言っている。

 判断に迷って動けなくなったアスランを動かしたのはモビルスーツではなかった。

 ビービー、とロックオン警報が鳴って反射的に機体を動かす。そのすぐ近くをアークエンジェルから放たれた艦砲射撃が通り過ぎる。続いて更に新たな接近警報。

 

「ヴェサリウスを被弾させたっていうモビルアーマーもか!」

 

 地球連合の主力兵器メビウスに似たモビルアーマーがタンクに見える物を外して迫って来る。状況から推測すればこのモビルアーマーがヴェサリウスを被弾させたことは分かる。

 メビウス・ゼロの攻撃を回避しつつ戦況を見る。

 デュエルは唯一の飛び道具のビームライフルを失ってビームサーベルを持っているが敵戦艦からの艦砲射撃によって敵モビルスーツに近づけていない。敵と味方で距離が空いているのでアークエンジェルからの艦砲射撃は苛烈極まりない。とてもではないが近づけそうになかった。

 

「ニコル! ディアッカ! エネルギーの残量は!」

 

 イザークはアスランの言うことなんて聞きもしないので、ニコルとディアッカのみに通信を繋ぐ。

 

「あんまりよくないな。このバスターは思ったよりも燃費が悪い」

「こっちもです。あの紛い物相手にエネルギーを使いすぎました」

 

 砲撃戦特化型のバスターは砲撃を良く撃つこともあってエネルギーの消費が早い。砲の多用による短時間でのフェイズシフトダウンを避けるため、専用のサブジェネレーターを別個に搭載している。さらに両膝にも予備電源が設置されており、長時間の運用を可能にしているがグリーンフレームの相手にして燃費を気にする余裕はなかった。

 機体に慣れないニコルもペース配分を気にして戦える余裕はなく、エネルギーが残り乏しいのは同じ。

 

「ここは退くぞ! これ以上の追撃は無理だ!」

 

 マシューを失った精神的ショックも考慮してこれ以上の戦いは悪戯に消耗して危険なだけだと判断したアスランは仲間に向かって叫んだ。

 

「なに!? 腰抜けめ、俺はまだ戦える!」

「待て、イザーク。このまま戦えばエネルギーが持たないぞ」

「3人の言う通りです。ここは退きましょう」

 

 アスランのすることなすことが気に入らないイザークが反発してデュエルを先行させようとしたが、バスターにブリッツが前を遮られた。

 イザークとて状況が分からぬ馬鹿ではない。ストライクが映るモニターを叩いて機体を後退させた。間断なく浴びせ掛かられる艦砲射撃を避けながらどんどん距離を開けていくイージスのコクピットで、アスランは遠ざかるストライクを見つめ続けた。

 

「キラ……」 

 

 ズタボロのGの紛い物に申し訳なさそうに寄り添うストライクの動作に在りし日のキラの姿が重なって、見ていられなくなって目を逸らした。十分に距離を取ってから機体を反転させ、他の機体と共に母艦を目指す。

 イージスはもうストライクを振り返ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 敵をなんとか退けることが出来て安堵に包まれるアークエンジェルに、被弾して四肢の半分を失ったアストレイ・グリーンフレームがストライクに抱えられるようにしてモビルスーツデッキに入ってきた。

 ストライクらG系列の機体と違って純粋なオーブ製のグリーンフレームでは地球連合のメンテナスヘッドに固定できないので、作業員によってワイヤーでグルグル巻きにされていく姿はお世辞にも恰好良いとは言えない。まるで拷問を受けた後の囚人のようにも見えた。

 

「あらら、ひどい有様ね」

 

 空気が注入されたデッキに何時もの白衣のままで現れたミスズ・アマカワは、散々な有様の娘の乗機に苦笑を浮かべた。艦内通路から飛んでデッキを流れる彼女の視線の先でグリーンフレームのコクピットハッチが開き、パイロットのユイが出てきた。

 コクピットハッチに腰を下ろしたユイがヘルメットを脱いで、汗まみれの顔が現れる。雨に濡れた子犬のように顔を横に振って汗を振り払ったユイの顔には明らかな疲労の色があった。何時も人形のような無表情を崩さないユイには珍しい。

 

「ユイ」

「博士?」

 

 ミスズがグリーンフレームの装甲に手をついて声をかけるまで、ユイに気づいた様子はなかった。数メートル以内にいる人の気配はなんとなく察知できるというスキルを持っているのに驚いたように顔を上げるのもまた珍しい事だった。

 

「随分とやられたようね」

 

 ミスズに遅れてグリーンフレームに取り付いてダメージの状態を把握しようとするオーブの技術者達を眺めたユイの目に小さな翳りが過った。

 

「申し訳ありません」

「責めているわけじゃないわ。あなたは良く頑張ったもの」

 

 悄然と頭を下げるユイもまた珍しい。戦いぶりをモニターしていたミスズは、優しい声と表情で労わるように娘の汗で濡れる髪の毛を梳いた。

 

「出来る限りのことをした。やらなければならないからした。そうでしょ?」

「はい」

「なら、責めなんてしないわ。流石は私の娘って褒めてあげる」

「…………ありがとうございます」

「ママンって呼んでいいわよ」

「呼びません」

 

 頬を朱に染めて顔を伏せる姿は、他人にも恥ずかしがっているのだと分かった。オーブの技術者達やストライクや先に着艦していたメビウス・ゼロの整備に当たろうとしていた整備員達が横目に見ていて思わず引き込まれずにはいられない姿だった。

 

「おーい! こらボウズ!」

 

 家族の温かい空気が流れている空間をぶち壊すだみ声が一つ。ストライクの閉じたコクピットハッチの前にいるコジロー・マードック軍曹の声だ。

 

「あ? どうした?」

「いや~、なかなかボウズが出てこねぇえんで……」

 

 メビウス・ゼロから出てきていたムウが丁度近くを通っていたこともあって問いかけた。問われたマードックは困惑した顔で後ろにいるムウを見る。

 

「おやおや。おーい、何やってんだ! こら! キラ・ヤマト!」

 

 マードックと一緒になってムウが中にいるキラに呼びかけているのを見たユイが動き出したのを見て、ミスズも興味を引かれて後を追う。ムウがハッチの近くに在る外部からの操作で開くように設定されているスイッチを押すとコクピットが開いた。

 ムウが覗き込む反対側からユイも同じようにしてコクピットに顔を突っ込む。

 二人が覗き込んだコクピットの中で、白と青を基本としたパイロットスーツに身を包んだ小柄な少年――――キラ・ヤマトが息を荒げていた。

 

「もう終わったんだ。ほら、もう、とっとと出てこいよ。お前も俺も嬢ちゃんも誰も死ななかった、船も無事だ。上出来だったぜ」

 

 新兵が始めて戦場から帰って来た時に陥りやすい症状に、何度も同じ症状を見てきたムウは安心させるように優しく笑みながら、強張って固まっている操縦桿を握る指を一本ずつ外していく。

 操縦桿から離れた手をキラはぼんやりと見て、まだ動く気配はない。ムウは自分の役目は果たしたと場所をユイに明け渡した。

 なんで場所を渡されたのかは理解できないユイだったが何かを言うべきであることは、拙い経験から理解できた。

 

「もう大丈夫」

 

 シートに固定しているベルトを身を乗り出して外して言うと、キラは安堵したようにユイの体にしがみ付いてきた。

 

「ごめん」

「どうして謝るの?」

「…………ごめん」

 

 迷子になった子供が母親を見つけたように抱きしめられたユイは、肩の上で独り言のように何重にも押し潰されて末にようやく吐き出せた謝罪の言葉が理解できなかった。それでもキラはようやく見つけた温もりを離さないようにユイにしがみ付く腕の力を込める。

 ムウやマードックが野暮だと思って離れて行ったっがキラの思いはそんな甘ったるいものではない。

 戦おうとしなかったことも、裏切ろうとしたことも、キラを守る為にユイの機体が多大な損傷をことも、今のキラを苦しめる要素の一つであっても一番大きな物ではなかった。

 

(僕は人を殺した)

 

 ジンアサルトを貫いた感触が、接触回線から響いてきたキラの全てを呪うような怨嗟の叫びが、手に耳に強く残っている。

 安堵した。生きていることに安堵した。死なないことに安堵した。今ほどに生きていることの素晴らしさを実感している時は無い。だからこそ、他者の命を奪った罪業が死にたいと思うほどにキラを責める。

 泣く資格もないのに、バイザーを埋め尽くすほどの涙の粒がキラの罪の数を現しているようだった。

 

「もう大丈夫だから」

 

 勘違いした少女の優しげな囁きと、パイロットスーツの背を撫でる優しい感触に縋りつきたくなる。

 

(最低だ、僕)

 

 キラは気付かなかった。気持ちを見透かすような透徹した視線を向けられていることに。マシュー・オッケンワインの呪いによって心に大きな傷を負ったキラは最後まで気付かなかった。

 



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第7話 ハゲタカの巣

 

 ユーラシア連邦は地球連合の中では軍事面の他、大西洋連邦や東アジア共和国と同じく地球連合内部での中心的な発言権を持つ国家である。

 アルテミスはそのユーラシア連邦が保有する宇宙要塞の一つ。

 要塞周辺に「アルテミスの傘」と呼ばれる全方位光波防御帯を発生させる事で高い防御力を誇り、それによりザフトから身を守って来たのが所以である。

 実際の所、アルテミスがザフトの攻撃を寄せ付けなかったのは「アルテミスの傘」を突破する方法がなかったのに加え、戦略的に重要な地点ではなかったため事実上放置されていたためであることは有名無実と化していた事実だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アークエンジェルとの戦闘後、ヴェサリウスはデブリに隠れてその身を休めていた。ムウ・ラ・フラガ大尉のメビウス・ゼロとアークエンジェルの陽電子砲ローエングリーンを受けて被弾し、自力航行は可能だがとても戦闘には耐えられなくなっている。

 ミゲル・アイマン、オロール・クーデンベルグ、マシュー・オッケンワインの三人を失ったヴェサリウスの空気はお世辞にも良いものではなかった。中立のオーブのコロニー「ヘリオポリス」の崩壊も合わさって士気はどん底まで落ち込んでいる。

 ザフトたる彼らが地球連合と戦う動機の一つでもあるユニウスセブンの悲劇。核爆弾によって逃げようもなく死んでいったユニウスセブンと比べて、シェルターに逃げ込める時間が十分にあったのだから人的被害は少ないといっても、コロニー崩壊を引き起こしたのは自分達であると理解しているから苦しむ。

 沈む艦内であってもするべきことはある。生き残ったモビルスーツは全てガモフに帰投してくれたとはいえ、被弾した箇所の修理にクルーはてんてこ舞い。怪我人、死者も多数出ていて静かにはならない。

 

「マシューめ、死に急ぎおって」

 

 艦長席に座るフレドリック・アデスは急ぎ上がってくる情報から指示を出し終え、先の戦闘で死者に魂を引かれて逝ってしまった部下を想って手で顔を覆う。早すぎる。あまりにも早すぎる死だった。ミゲルもオロールもマシュ―も、まだまだ若くこれからのザフトを引っ張って行く人材になるはずだったのに。

 顔を覆っていた手を下ろして顔を上げる。無機質な天井があるだけで胸の奥で痛み続ける心の傷は癒えてはくれない。どれだけの戦場を渡り歩こうと、どれだけの仲間の死を見て来ようとも、知る人間が亡くなることは何時まで経っても慣れない。

 

「慣れたいとも思わんが」

 

 慣れてしまった時が人間性を失った時であるとアデスは考える。

 軍人ではあるが好んで人を殺したいと思わない。ナチュラルだから安易に死すべしとする差別主義とも馴染めない。敵だから戦う。職業軍人としての責務として自らを律しているアデスはザフトの中でも珍しいのかもしれない。だからこそ、敵であれば容赦しないクルーゼとも馬を合わせられるし、多少の暴走を受け入れられる寛容さもある。

 チラリ、と天井を見上げていた顔を下ろしたアデスは悟られないようにしながら近くに座っているクルーゼを見た。

 

(この人は本当に分からん)

 

 指揮官としてもモビルスーツ乗りとしても他の追随を許さないほどの能力があることは認める。時にこちらがゾクリとするほど残酷になることがあっても、ザフトとしてこれほどの人間はいないとアデスは胸を張って言える。

 副官であるアデスですら理解できない人間性を覗かせることのあるクルーゼは歴戦の戦士である部下達を失ったばかりにも関わらず、顔の上半分を完全に覆い隠す仮面の所為で表情から感情を読み取れない。記憶を紐解いても地球連合のモビルアーマーに攻撃を受ける前と後にアデスですら魂を飲み込まれそうな憎悪を発したぐらいで、今は席について何かを考えているようだった。

 アデスはミゲル達が死んだことをどう思っているのか無性に問いたい衝動に駆られた。

 少なくともGを奪取した段階でプラントに戻っていれば三人とも死なせずにすみ、コロニーが崩壊することも無かった。結果論であるとも分かっていても大切な部下を失った痛みが普段ならば絶対に取らせない行動を取らせようとしていた。

 口を開きかけたアデスの前でブリッジクルーの動いた。

 

「クルーゼ隊長、本国から電信であります」

 

 オペレーターの報告にアデスは開きかけた口を閉じて前を見た。

 クルーゼが椅子から立ち上がり、オペレータから電信を受け取って不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

(評議会からの出頭命令か)

 

 用件は言われるまでもなく分かる。

 指揮官独断での中立国コロニーへの侵入、攻撃して崩壊させた。地球連合軍がヘリオポリスで新型機動兵器を作っていたとしても許されることではない。血のバレンタインを連想させるコロニー崩壊などという一大事となれば民衆も黙ってはいないだろう。

 

(罷免ですめばいいが。いや、最悪は極刑もありうる。出来ればクルーだけは守ってやりたいが)

 

 作戦に賛成し、クルーゼを止めなかったことは副官のアデスの失策だ。アデスは間違いなく艦長の職を失い、ザフトの軍人としての立場も負われることになるだろう。それだけの罪を犯した自覚と大事な仲間を失った自責の念があった。

 家族のいない無能な副官の首だけで済ませられるならば喜んで捧げよう、とアデスは覚悟を決める。

 

「評議会の出頭命令だ。ヘリオポリス崩壊の件で議会は今頃てんやわんやといったところだろう。まぁ仕方ない。あれはガモフを残して、引き続き追わせよう」

 

 モニターに映るアルテミスを見たクルーゼはアデスが心に決めた覚悟など知る由もなく、ただ淡々と今後の行動を決める。

 

「まだ追わせるつもりですか?」

 

 多くの仲間を失い、もはや戦力が奪った機体だけとなったガモフには荷が重いと思ったアデスの懸念は部隊を動かす上で当然のものだった。

 

「ここまで追い詰めたのだ。仕留めなければなるまい。でなければ死んだミゲル達が浮かばれるまいよ」

 

 またこちらが言い返せないように理屈をこねるクルーゼに腹の底から怒気が湧き上がったアデスだったが、若者たちを死なせた自分もまた同罪だと唐突に思い至った。

 アデスにクルーゼを非難する資格はない。奪取したGの有用性、新造戦艦の能力、言い訳はいくらでもあるだろうが後々の禍根の芽を潰えさせる為に止める立場にいながら唯々諾々と従って若者を戦地に赴かせ、死なせてしまった咎がアデスを責め立てる。

 Gを奪取した時点で帰還していればと、もはや取り戻せぬ過去の過ちに後悔を抱くことこそが罪の意識を忘れることだとアデスは気付かない。

 

「ガモフにいるアスランを帰投させろ。修理が終わり次第、ヴェサリウスは本国へ向かう」

 

 まだザラ国防委員長にゴマをする気かと思ったがアデスは懸命にも口に出すことはなかった。

 深く艦長席に身を沈めて制帽を深く被ったアデスの顔には諦めがあった。旧世紀にあったという断頭台に上る死刑囚のようだったと、後にブリッジクルーの一人はこの時のアデスの様子をプラントにいる友人と飲みに行った時にそう漏らしたいう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アークエンジェルはアルテミスを前にして立往生をしていた。

 目的地であるアルテミスは全方位光波防御帯を発生させていて、強靭な防御力を持つアークエンジェルとはいえ突破できるか怪しい。もしかしたらできるかもしれないが命を担保にして試す気にはなれない。

 背後のどこかにいるザフト艦を気にしなければならないブリッジでは戦闘態勢を解除しながらも緊張感が張りつめ続けていた。

 

「アルテミスより本艦の受け入れ要請を了承。臨検官を送る、とのことです」

「分かったわ、ありがとう」

 

 ロメロ・パル伍長の報告に艦長席に座るマリュー・ラミアス大尉は安堵して緊張で強張っていた肩から力を抜いた。

 

「良かったわ、アルテミスが受け入れてくれて」

 

 アルテミスの傘の一部が解除されてアークエンジェルへ誘導ビーコンが射出されるのを見て、積み重なった心労から頭痛がし始めた頭を振ったマリュー。

 

「追い返されたらどうしようかと思いました」

「本当に」

 

 アルテミス寄港の提案者であるナタル・バジルール少尉も万が一の事態に不安を覚えていたのだろう、その声には強い安堵が感じられた。ようやく友軍に辿り着けた安堵にマリューは返す自らの言葉が自然に和らぐのを感じた。

 

「うわぁ~」

 

 視線を前に向ければ副操縦席に座るトール・ケーニヒが見た目だけは綺麗に見える全方位光波防御帯に感心の声を上げていた。

 

「光波防御帯って言うんだ。別名アルテミスの傘。レーザーも通さない絶対防御兵器なんだぞ」

「良かった。これでもう俺達、助かるんですよね」

「ああ」

 

 以外に面倒身が良いらしいアーノルド・ノイマン曹長にCICの統括席から浮かび上がってきて艦長席に手をかけたナタルが感心したような息を漏らすのを聞いて、女性らしく恋話が好きなマリューは悩まされる頭痛も忘れた。

 民間人であるトールとも仲良く話すノイマンと彼の背中を見るナタルの二人を見比べて、一人でほくそ笑んだ。

 

 

 

 

 

 ユーラシア連邦の軍事要塞アルテミスに今まさに入らんとしているアークエンジェルのモビルスーツデッキで、ストライクのコクピットから出てきたミスズ・アマカワは深い溜息を漏らした。

 今回は被弾のなかったストライクのチェックを終えたコジロー・マードックがその姿を見咎めて近寄った。

 

「どうかしたんですかい?」

 

 今日出会ったばかりの才女が憂鬱そうに溜息を漏らしたので、なにか不味い事であったのかと聞かずにはいられなかった。

 憔悴しきったキラを連れて行ったユイ達を見送るとストライクの調整が出来るのがミスズしかいなかったので、調整を頼んだのは失敗だったかと思ったのはマードックだけの秘密である。

 

「まさか、よりにもよってユーラシアの軍事要塞に行くって思うと溜息も出したくなるのよ」

「なんでまた」

「女には色々とあるのよ」

 

 暗に聞くなと言っているのだろうかと考えたマードックは、ミスズが「あの蛸坊主が」などとブツブツと小さな声で呟いていたのでツッコミはしなかった。伊達でアークエンジェルの最年長軍人をやっているわけでもなく、年齢に見合った人生経験を持っているマードックはいらないことを言って人を怒らせはしない。

 触らぬ神に祟りなし。女には聞かれたくないことの一つや二つはあると離れようとしたマードックの前をオーブの技術者の一人が横切る。

 

「アマカワ博士」

「何?」

 

 キャットウォークに立つミスズに声をかけた技術者は、ギロリと音がしそうなほどキツイ目で睨み付けられて露骨に腰を引いた。それでも職責を思い出したのか、はたまま慣れているのかへっぴり腰のまま手に持つ書類を手渡した。

 

「アストレイの状態報告です」

 

 手渡された書類を反射的に受け取ったミスズの表情がガラリと変わった。

 

「あら、早いじゃない」

 

 先程と打って変わって普通に戻ったミスズにマードックは、女って奴は変わり身が早いものだと別れた女房のことを思い出して少し切なくなった。

 あいつは今どうしているかと、機械弄りに精を出し過ぎて愛想をつかして出て行った女房が気になった。

 元気にやっているといいが、と考えているマードックの感傷を知ることもなく、ミスズは渡された書類を本当に読んでいるのかと疑いたくなる速さで捲っていく。

 

「アストレイは私と博士しか知らないパスワードでシステムのロックは完了しました。ストライクの方は?」

「終わったわよ。ついでにシステムの調整もね」

 

 ペラペラと本当に読んでいるのかとマードックは胡乱気な視線を向けた。

 しかもコーディネイターのキラが弄りまくって原型を留めていないシステムの調整をしたというのだから、ミスズ・アマカワという技術者の能力は果てしないものに思えた。

 

「やはり損傷は酷いものです。右手は肘から先が全損。左半身は手足が欠損して装甲が炭化しています。正直に言ってしまえば新しく作り直した方が早いかと」

 

 マードックがストライクの隣のメンテナスヘッドにワイヤーで固定されている話題のアストレイ・グリーンフレームを見れば、技術者の気持ちも分からなくもない。

 右手は肘から先をビームライフルで撃ち抜かれ、左半身もビームで焼かれて手足は消失して装甲の炭化が激しい。ここまでの損傷を負ってしまえば欠損した四肢をつけて装甲を付け替えるよりも新しい機体を組み直した方が楽で済むように思えた。

 

「て、言ってもね。アークエンジェルの中じゃ、物資も持ち込んだ分しかないから作り直すなんてこと出来ないことは分かってるわよね?」

「今ある中で直せと仰るのは分かっています。言ってみただけです」

「なら、よろし」

 

 コントのようなやり取りだが、これが彼らにとっての日常なのだろうと外様にいるマードックにも察せられた。

 ヘリオポリス脱出直後の損傷したストライク修理にも手伝ってもらったオーブの技術者達の能力の高さには目を見張るものがある。現場に理解のある上司がいれば働きやすくなり、能率も上がるものだと過去からの経験から知っているマードックもそのやり方を習ってみようと思った。

 

「とはいえ、ただ直すだけじゃ面白くないわね。なにか一つか二つはアクセントが欲しいところだわ」

「と、言いますと?」

「そうね……」

 

 読み終えたらしい資料を技術者に渡しながら、チャシャ猫のような悪戯っぽい笑みを浮かべるミスズを見たマードックはストライクに教育コンピュータを艦上層部に内緒で組み込むのを頼みに来た時と同じ本能的な嫌な予感を感じ取って離脱しようとしたが遅かった。

 

「丁度いいところにいましたね、マードック軍曹」

 

 気がつくと傍にミスズが立っていて肩に手が置かれていた。先ほどまで彼女の隣に立っていたオーブの技術者が目を丸くしていている。数メートルは離れていたはずなのに、どうやって移動したのだろうか。

 

「なんでございますでしょうか?」

 

 自分でも変な敬語だと思いながら引き攣っている自覚のある顔で問いかける。

 

「ちょっと手伝ってくれるかしら」

 

 問いかけではなく既に手伝うことが前提になっている言い方に、女王様に逆らうことが出来ない子分のような気持ちになっているマードックに逆らうことが出来るはずもなかった。

 ミスズに詰め寄られているマードックをアストレイ・グリーンフレームに取り付いているオーブの技術者やマードックの部下が気の毒そうに見ていたりもする。触らぬ神に祟りなしと誰も近づこうとしなかった。

 

「この薄情者――っ!!」

 

 助けを求めた全員に裏切られてミスズに連れて行かれるマードックの姿は、売られていく子牛のようだったと後に整備員の一人はキラに語ったそうな。

 

 

 

 

 

 ストライクのコクピットから出てきたキラは一人では碌に歩くことも出来ないほど疲れ切っていた。無重力空間なので歩く必要はないのだが、今のキラでは漂うだけで目的地に向かって進むことが出来ない。

 無理もない、とキラに肩を貸しながら歩くユイは思った。

 コーディネイターであってもキラは自分と違って軍事教練など受けたことのない一般人だと聞いている。アークエンジェルと合流してからの戦闘前にミスズとしていた通信を聞いていたユイは、キラが始めて乗ったモビルスーツを何故動かせたのかを知っていた。だが、モビルスーツを動かせるからといって戦うことが出来るかと言われれば否とユイは答える。

 人には向き不向きがあり、ユイから見てキラ・ヤマトという少年は闘争に似つかわしくないタイプの人間だった。誰かを傷つけることを厭い、それでも大切な人が脅かせるならば戦ってしまうお人好し。

 

『立て、ユイ!』

 

 ふと、同じように普段は物静かでありながら他人が苦しんでいるところに手を差し伸ばさずにはいられなかった少年の声が耳に響いた。

 本物のはずがない。幻聴だ。 スナイパーとしての腕を買われたユイが別の訓練施設に移ったことで、少年と共に地獄と思える訓練は過ごしたのは本当に短い期間だった。あの星が好きな少年の名前はなんといったか。確か……。

 

「スウェン……」

 

 少年の名前を思い出せたことにユイは感謝した。

 ほぼ無重力空間を進むために肩を貸しているので、ユイの小さな呟きはキラの耳にも入った。

 

「え、なに?」

「なんでもない」

 

 ハッキリとは聞こえなかったようで問いかけるくるキラにユイは顔を背けた。どうにもユイが少年に感情移入してしまうのは過去が原因らしい。スウェンと似た部分を感じて感傷的になっている。どうせもうスウェンは生きていないだろうに。

 考えてみれば道具たる己が感傷に浸るのも変な話だ。ミスズの影響はユイが思うほどに大きかったということか。

 

「大丈夫?」

 

 肩に担ぐ少年の体調を気にする内面の変化は、機械仕掛けのロボットでしかなかった自分が変わっていくことは、悪い気分ではなかった。

 

「うん、もう一人で歩けるから」

「そう」

 

 コクピットから出た直後のような血が抜けた真っ青な顔も少しはマシになっていることを確認してから体を離す。

 体が離れたことで肉の温もりが遠ざかり、キラ・ヤマトは唐突に世界にたった一人で取り残されたような気持ちになった。なんてことはない。人を殺した罪も他者を感じさせてくれる肉の温もりがある時だけは責めて来なかったからだ。

 自分よりも遥かに過酷な戦いを乗り越えてきた女の子に守られ、今また支えられていた。そして離れながらも求めようとする己の惰弱さ。情けない、とキラは自らを卑下した。

 

『うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?』

 

 増加装甲を纏ったジンの胴体をビームサーベルで貫いた時にコクピットに響いた怨嗟に満ちた叫びが耳から離れずに呪いのようにキラを縛り付ける。意識だけが地獄に突き落とされたかのような孤独感と痛み。両者を和らげてくれるのは他者を感じさせてくれる肉の温もりだけ。

 

(最低だ、僕)

 

 コクピットの時と同じ、自分は卑しいのだと結論だけが出る。

 罪を感じていたくないと縋りつきたい衝動だけが今のキラの中にある。故にこそ、最低だと自らを卑下する。

 

「どうしたの?」

「いや……」

 

 言葉少なに問いかけながらも真摯な目で見つめられると返す言葉がない。

 モビルスーツデッキから進み続けて、居住区の近くで話せる話題を二人は持っていなかった。

 

「うっうっ……」

 

 通路の先で聞き覚えがあるはずなのにどこか知らない世界にいる人の声が聞こえて来て、知らずに下げていた顔を上げて前を見た。

 そこにいたのは赤い少女だった。情熱の赤、熟したイチゴや血液のような色。赤と表現するしかない少女――――フレイ・アルスターが目の前にいるというのに、キラの心には細波ほどの感情の流れも浮かばなかった。

 

「サイのバカ! バカバカバカ! 怖かった、凄く怖かったのよ! 私。船が凄く揺れるし、私一人で……」

「………………」

 

 地球連合の軍服を纏ったサイ・アーガイルにフレイは甘えるようにその胸に縋りつく。

 たった一日前までは淡い思いを抱いていた少女が他の男へ縋りつく姿を見ても、人を殺したキラ・ヤマトには遠い異世界の住人にしか見えなかった。

 近くの部屋を見れば避難民達が微笑ましい目で困ったように頭を掻くサイと甘えるフレイを見ている。

 

「どうして、僕は……」

「キラ?」

 

 隣にいるユイの声も聞こえなかった。

 僕達が殺し合いをしているのだから君達の平穏も壊れてしまえ、と心の片隅であっても考えた己に吐き気を覚えた。

 

「キラ!?」

「え?」

 

 立ち尽くすキラの存在に気づいたサイが顔を上げ、フレイも振り返る。

 二人の顔から色が抜け落ちていくのをキラは他人事のように無感動に眺めていた。

 サイとフレイは、キラのあまりの変容に驚いていたのだ。頬は何ヶ月も碌に食事していないようにゲッソリとこけ、目の下には疲労からか黒い隈が出来ていて、力なく立ち尽くす体。なのに、目だけは異様な光を放っている。

 一日で別人のようになってしまったキラ・ヤマト。

 一日で世界が変わってしまったキラ・ヤマト。

 当たり前の日常の延長にいるフレイ達避難民と、結果的にせよ戦争に加担してしまったキラとではもう住む世界が違ってしまったこと思い知らされるような変わりようだった。

 人も世界も、全てがキラを置いてゆく。傍にいてくれるユイだけがキラを常世の世界に引き止めてくれることを有難いと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まだアークエンジェルとザフトが戦っていた頃まで時は少しだけ遡る。

 小さな灯りだけが薄らと光る暗い一室には男が一人だけいた。モニターの灯りが小さいこともあって男の顔や特徴は判別がつかない。分かるのは男がマリューやムウ達も来ている地球連合の制服を着ているということだけ。

 ただ、その制服も少しだけマリュー達と違うところがあった。それは色だ。マリュー達が白を基調としているのに対して男が着ている軍服は白というよりグレーにや薄い紺ともいえる色合いをしている。

 これは男がユーラシア連邦に所属していることを示している。

 同じ地球連合でも大西洋連邦とユーラシア連邦では軍服の色が微妙に違った。

 大西洋連邦は白、ユーラシア連邦はグレーや薄い紺のような少し違った色合い。これはザフトと戦うために結成した地球連合でもありながら、表面上だけでの繋がりで水面下で対立している両者の違いをハッキリと分ける為に決められたとも言われている。真偽は誰にも分からない。

 ユーラシア連邦所属を示す軍服に身を包む男はモニターに映る、アルテミスの直ぐ外で行われている戦いを観戦していた。

 

「大西洋連邦極秘のG計画。その成果が共に相争うか」

 

 まるで我らのようだ、と現在の地球連合の在り方を指して男は笑う。

 

「ヘリオポリスからの救難信号。その直後に現れた彼ら。よもやG計画にヘリオポリスが噛んでいるという噂は本当だったようだ」

 

 楽しげに、本当に楽しげに男は笑う。

 

「これは奇運だ。いや、これこそが運命か」

 

 モニターの前に座る男は光で照らされる口元を薄らと綻ばせた。

 眺めているモニターでは被弾したザフト艦を突破した新造戦艦が真っ直ぐにアルテミスに向かってくる。

 

『ガルシア少将、ご報告が』

「こちらでも外の様子はモニターしている。あの戦艦のことなのだろう?」

 

 見ていたモニターの横に通信が繋がって部下の姿が浮かび上がるのを見て気分を害した男――――ジェラード・ガルシア少将は、手元のボタンを操作してサウンドだけにしながら答えは分かっていると言った。

 

『はっ、向こうは大西洋連邦の所属を名乗っておりますが船籍登録は無く、我が軍の識別コードも有しておりません』

 

 声だけになった部下からの報告に、ガルシアは内心で笑いを抑えられずにいた。

 まだ進水式すら終えていない新造戦艦なのだから仕方あるまい、と言いたい衝動に駆られたが部下に言ったところで分かるものではない。

 

『どう致しますか? 追い返しますか?』

「いや、入れてやれ。向こうから鴨がネギを背負ってわざわざ来てくれたのだ。歓迎せねば礼儀に欠ける」

『は?』

 

 馬鹿のように聞き返してくる察しの悪い部下であったがガルシアは気にしなかった。

 彼の胸中には喜びだけが溢れている。この気持ちを馬鹿な部下に察せよと言う方が無理があった。寛容な気持ちで許してやるのも上司の仕事の一つであると、向こうに顔が映らぬことをいいことに見下す視線を露骨に浮かべる。

 

「入れて構わんと司令官の私が言っているのだ。君は逆らうのかね?」

『いえ、とんでもありません!』

「では、受け入れの準備をしたまえ」

 

 折角の気持ちの良いところを邪魔されるのは気にくわんと横暴に考えたガルシアは、震えた声で通信を切った部下をどこの辺境に飛ばそうかと考えて直ぐにどうでも良くなって忘れた。

 今切った通信とは別の相手に繋ぐ。相手は直ぐに出た。

 

「ビダルフ少佐、特命だ」

『はっ』

 

 モニターの向こうにいる壮年の男――――ビダルフ少佐は鯱った姿勢で敬礼してくる。

 正面モニターでは、今まさにアルテミスの中に入って行くアークエンジェルの姿が映っているので、元より長ったらしい前説を好まないガルシアはいきなり本題に入ることにした。

 

「このアルテミスに戦艦が入って来る」

『拿捕するのですか?』

「結論を急ぎすぎるのは貴様の悪い癖だぞ、ビダルフ」

『申し訳ありません』

 

 謝りながらも敬礼を崩さぬ男をガルシアは重宝していた。首を突っ込み過ぎず、かといって臆病にも引き下がりもしない。命令に忠実で、どこまでもこちらの手駒に徹しようとする姿勢は扱いやすさでいえば右に出る者はいない。

 だからこそ、このような時もガルシアは真っ先にビダルフを使う。

 

「大事な客人を丁重にお迎えしろ。くれぐれも失礼のないように」

『銃口を持って、でありましょうか』

「判断は貴様に任せる」

 

 自分は嫌らしい笑みを浮かべているな、と自覚しながらビダルフが了承したのを確認して通信を切る。すると、手元にアークエンジェルから送られてきた船員名簿や艦載機のリストが届いた。

 何重ものウィルスチェックを経て司令室のガルシアのパソコンまで送られてきたリストを見るともなしに眺める。

 

「あのモビルアーマーはエンデュミオンの鷹が操るメビウス・ゼロであったか」

 

 やはり気になるのは艦載機の欄。そこに乗っていたムウ・ラ・フラガ大尉の名前に、先程戦っていたメビウス・ゼロが異名も高き男が扱っていたのだと知ってガルシアは笑った。

 

「X105ストライク。唯一奪われなかった機体。果たしてパイロットは誰かな。少なくとも現在メビウス・ゼロを唯一扱えるムウ・ラ・フラガではあるまい。これほどの機動となれば或いは偶然乗り合わせたコーディネイターか」

 

 先程の戦いを録画していた映像を出して、人に近い機体のパイロットが誰かを考えるだけでも胸が躍るのを抑えきれない。

 

「極めつけはこれか」

 

 ストライクの映像を小さくして横に移し、代わりに映し出されたのはアストレイ・グリーンフレーム。

 

「ジンの亜種と奪われたG3機相手にしながら生き残った地球連合とは違う機体。ふふ、オーブが作った機体か。興味はつきないぞ、こちらの機体もパイロットも」

 

 データにはない機体を造ったのはどこだと、今度は船員名簿を見ていく。

 当然ながら殆ど知らない名前であったし、特別に興味を引くようなものも少ない。だが、一覧を見るともなしに眺めていたガルシアの右目が眇められた。

 

「アマカワ?」

 

 その名はガルシアの記憶に深く刻みつけられた人物を思い起こさせる。

 

「ふ………………っく、はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!!」

 

 ミスズ・アマカワ、と記された船員名簿を何度も確かめたガルシアは、これは笑わずにはいられないとツルリと禿げ上がった頭を叩いて破顔した。

 直ぐに笑いの衝動を抑えながらも、胸に付けられた特務部隊のバッチを触って心を落ち着ける。

 

「一度は逃した魚を再び捕まえる時が来た。この運命には感謝せねばなるまい」

 

 数年前に苦い思いを盛大に味合わされた女傑に対しての復讐も兼ねて、私怨と虚栄心に突き動かされたガルシアは爛々とモニターで光で目を輝かせる。その視線には罠とも知らずにアルテミスのドッグに固定されて、ようやく羽を休める場所を見つけた大天使の姿があった。そこが獲物を狙うハゲタカの巣とも知らずに。

 

「ようこそアルテミスへ、アークエンジェル。我々は君達を歓迎しよう。だが、二度とここから抜け出すことの出来ないと知るがいい」

 

 背中に生える美しい翼を残さず剥ぎ取るハゲタカのように獰猛に笑ったジェラード・ガルシア少将は標的を大天使に定めた。

 大天使は腕に傷ついた少年を抱きながら、ガルシアの悪意を恐れるようにエンジンを止めたはずの船体を僅かに揺らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘリオポリス崩壊から数時間後。キラ・ヤマトが工業カレッジの授業を終えて公園で教授の課題をしていた時から半日程度しか経っていない。

 ザフトの襲撃が始まり、ストライクに乗ってアークエンジェルに合流、後に交戦したことによってヘリオポリスは崩壊。アルテミスへ向けてのサイレント・ランニングを試みるもラウ・ル・クルーゼに見破られたが前を塞ぐザフト艦をたった一機で攻めたムウ・ラ・フラガ大尉や守り続けたモビルスーツパイロット達の尽力、機会を待ち続けたブリッジの根気によって潜り抜けた。

 始めて乗る艦、始めて会った仲間、素人のパイロット、信用できるか怪しいモルゲンレーテの技術者達、強大過ぎるザフト。

 ユーラシア連邦のアルテミスのドックに入港したアークエンジェルの艦長席に座るマリュー・ラミアス大尉は、潜り抜けた危難と苦労を思って息を吐いた。

 

「ようやく辿り着いた」

 

 小さく呟かれた声は意外にもブリッジに響いたが誰も何も言わなかった。気持ちの上では同じだったからだ。

 ヘリオポリスにいた地球連合の軍人は全て大西洋連邦の所属である。ユーラシア連邦が完全な味方とは言えなくても、友軍であることには変わりない。ブリッジに弛緩した空気が流れても副長兼CICの統括を務めるナタル・バジルール少尉も咎めはしなかった。

 

「長かった。半日がこんなにも長く感じたのは初めてだ」

「僕もです」

 

 艦長席の後ろにある通信席に座るロメロ・パル伍長とヘリオポリスの学生であるカズィ・バスカークは顔を見ることなく忍び笑いを漏らす。

 恐らく艦内の至る所で似たような会話が交わされているだろうことを艦長席に身を沈めながら考えたマリューは、何も考えずにこのまま眠りたい衝動に駆られた。

 

(疲れた)

 

 とっくの昔にマリュー・ラミアスは限界を迎えている。

 艦長職も、多数の人の命を背負うことも、限りなく分の悪い実戦を繰り返すことも、キラに軍人に向いていないと思わせた優しい感性を持つマリュー・ラミアスに向いていることではなかった。

 

(普通なら寝る時間ですものね)

 

 勿論、軍人であるのだから二、三日の徹夜ぐらいは出来る。地球連合の希望たれと望まれて希望を持って関わってきたGの大半を奪われ、新造戦艦の艦長を任され、多くの命を肩に背負い、運命の悪戯に翻弄された半日。これほどまでの危難を潜り抜けた疲労は重く、肉体は今すぐにでも休息を必要としている。精神も言わずもがな。

 気を抜いてしまえば意識を失ってしまいそうな疲労感に襲われながらも、まだ艦長のマリューに休息は許されない。

 

「艦長、臨検官が到着しました」

 

 パル伍長の声に安心から閉じかけていた瞼を強引に開く。後少しで寝てしまうところだった。

 臨検とは法規に基づく行為で、軍艦が特定の国籍の船ないし出入りする船に対して強制的に立ち入り警察・経済・軍事活動することを指す。アークエンジェルには船籍登録や識別コードが無いのだから仕方のない事なのかもしれないが友軍に査察されるのはあまり気持ちの良いものではない。思い入れの強いGやアークエンジェルが関わっているとなれば特に。

 

「分かったわ、ありがとう」

 

 部下となったブリッジクルーを前にしてそんな気持ちをおくびにも出すわけにはいかない。報告してくれたパルに緩く笑んで席を立つ。船籍登録も識別コードも無い怪しい艦を受け入れてくれたユーラシア連邦の人間に礼を逸することは出来ないから、艦長であるマリューが出向くのが最良である。

 

「ナタル」

「はい」

 

 CIC統括席に座るナタルの名を呼べば彼女も分かったもの。頷き一つを返して耳元のインカムを外して席に固定し、制帽を改めて被り直して立ち上がる。

 臨検官を艦長と副長の二人で出迎えると言わずと察してくれるのは有難い。ナタルだけではない。頼りない艦長についてきてくれたクルーや協力してくれたヘリオポリスの学生、合流したオーブの技術者達も頑張ってくれた。

 ようやく休ませてやれると希望を持ったその時だった。

 

「艦長!」

 

 ブリッジから出ようとしたマリューとナタルを引き止めるパル伍長の叫び。明らかに何かがあったっと思わせる狼狽が込められた声だった。

 

「何事だ!」

 

 ザフトがアルテミスの傘を突破したかと考えて顔を蒼褪めながらナタルと共に振り返ったマリューは、ブリッジ前方のガラスの向こうに映る無数のノーマルスーツ達が群れを成してアークエンジェルを囲むのが見えた。

 その手には遠目からでもハッキリと銃器と分かる物が見えた。

 

「艦内に入った臨検官が銃を持ってクルーに降伏を求めていると……」

 

 視界の端に映るパル伍長が蒼褪めるのを通り越して真っ白になった顔で、泣きそうな声で言うのをどこか遠い世界の出来事のように感じていた。

 

 

 

 

 

 銃を持ったノーマルスーツ達と共にブリッジに来たのはそれから数分後の出来事だった。

 状況を受け止めきれずに呆然と立ち尽くすことしか出来ないブリッジクルーを手に持つ銃で威嚇するノーマルスーツの集団。彼らか少し遅れて、同じ地球連合でありながら大西洋連邦所属のマリュー達とは違う、ユーラシア連邦を示すグレーの色を来た軍服を着た男が現れた。

 制帽を目深に被った40~50歳ぐらいの男は、ブリッジに入って来ると全体を見渡した。

 

「艦長は誰か?」

 

 低く、威嚇的とも取れる声で訊ねた。

 男が現れただけで倍は重くなった空気に全身を支配されながらも、マリューは毅然として顔を上げた。

 

「私です」

「ほう、君か」

 

 答えたマリューに、しかし男は言葉面ほど感心した様子は見せなかった。逆にマリューの方が男と目があってそのあまりの冷たさに背筋に走る悪寒を止めることが出来なかった。

 男は入り口から無重力であることを利用して跳躍。天井に手とついて降りて来る。そのまま艦長席の背凭れを掴んでマリューに向かい合った。

 

「貴艦の臨検官を務めるユーラシア連邦所属アイル・ビダルフ少佐である」

「大西洋連邦所属マリュー・ラミアス大尉です」

「同じくナタル・バジルール少尉です」

 

 名乗られたのならば名乗り返すのが礼儀。特に階級は向こうが上なので敬礼も交えて名乗ったが、ビダルフは顔をピクリとも動かさない。鉄面皮を地で行くビダルフを好きにはなれそうにない相手だと直感的に感じ取った。

 ビダルフは名乗ったマリューとナタルを見て、そして更にブリッジクルーを再度見渡す。その視線の先は顔ではなく顔ではなく軍服、正確には肩の階級章だった。

 

「階級から察するに君達が艦長と副長か」

「「はっ」」

 

 敬礼を解かず、ナタルと同時に返事する。

 ジロジロとビダルフの遠慮のない視線が全身に走るのに悪寒は感じれど、そこに男特有の情欲は欠片も無い。あるのは実験動物を眺める科学者のような冷めた視線だ。友軍に向けるどころか、人が人に向けるものではない。

 

「敬礼を下ろしたまえ」

 

 感情があると思えないほど平坦な口調であったが二人は敬礼を解いた。

 この男は何者であるか、目的は何であるかと考えを巡らすマリューの横でナタルが動いた。

 

「ビダルフ少佐! これはどういうことか説明して頂きたい!」

 

 軍人は清廉潔白であるべきと自らを律しているナタルだからこそ、アルテミスの入港は彼女の案ということもあってこの状況は容認出来ることではないだろう。分からなくはないがこの対応で大凡の予想がついて納得まで出来てしまっているマリューには、ナタルの若さ故の行動を馬鹿と罵る資格はなかった。

 

「船籍登録も無く、我が軍の識別コードのない貴艦を受け入れるに当たって当然の保安措置である」

「当然って……!? 我々はザフトの追撃を逃れてようやく辿り着いたのですよ! なのにこの仕打ちは!」

 

 腰の後ろで腕を組んでいるビダルフの言いようにナタルが激昂して叫びながら前に出ようとしたが、それは近くにいるノーマルスーツの集団の一人の銃口で押し留められた。

 ビダルフは周囲の反応を確かめるように辺りを見るが、マリューが見ている限りでもブリッジにいるクルーが同じ気持ちなのは見なくとも分かった。

 

「ビダルフ少佐、艦のコントロールと火器管制のロックが完了しました」

「ご苦労」

 

 操舵席やCICに座るクルーを銃で脅して席を奪ったノーマルスーツの男が報告するとビダルフは言葉少なに頷いた。

 

「理由を教えて下さい。でなければこのような扱い、承服できかねます」

 

 男を一瞬だけ見たビダルフが声を発したマリューを見る。自身を見る目に一瞬だけ嘲りが浮かんだのをマリューは見逃さなかった。

 

「状況などから判断して入港は許可したが残念ながら貴艦を友軍と認めたわけではない」

「しかし、この軍服から分かるように同じ地球連合なのは明白です。銃口を向けられる謂れはないはずです」

「軍服などどうにでも複製できる。ザフトがアルテミスに進行するための作戦とも考えられる状況で用心は当然のことだ」

 

 嘘だ、とマリューは再び感情を感じさせない瞳に戻ったビダルフの言葉から感じ取った。

 

「モビルスーツを扱えるのはコーディネイターのみ。二機が貴艦に帰投しているのも確認している。ザフトが偽装したと考えるのは間違っていると君達は言うのか」

 

 筋道だけは通っているがお為ごかしと感じるのはビダルフが発する全てが空虚だからだ。声も表情も、人に信じさせようという熱が彼からは欠片も無い。もしくは始めからその気がないのか。マリューは後者だと考えた。

 

「少佐殿!」

「お静かに願いたい、艦長殿。我らは手荒なことは望んでいない」

 

 銃口を向けている時点で言える言葉ではない。傲慢な言いように反論しようにも銃口がギラリと光る。

 

「士官には司令室へ出頭してもらう。事情はそこで伺おう」

 

 敵と疑っている相手をアルテミスのトップに会わせるものか、とマリューは言いたくなった。

 辺りにいるノーマルスーツの群れが持つ銃口が言葉を封じ込める。隣にいるナタルがショックのあまりバランスを崩したのを咄嗟に支えながら、マリューの心はどこまでも落ちて行った。

 

「下手な抵抗はしないように。諸君らに懸命な判断を求める」

 

 幾度も死にそうになりながら辿り着いた友軍からマリュー達に向けらたのは、労いの言葉ではなく悪意に満ちた銃口だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 応急処置を終えて自力航行が可能になったヴェサリウスはプラントに向けて発進した。クルーゼ隊の旗艦であるヴェサリウスを見送ったガモフは未だに宙域に留まり続けている。クルーゼから残ったGとGの紛い物、アークエンジェルの討伐を命じられたガモフのブリッジでは作戦会議が行われているところだった。

 作戦会議といっても参加しているのはモビルスーツパイロット達と艦長のぜルマンだけ。人数はたった4人の寂しいものだった。

 

「ユーラシアの軍事要塞。アルテミスの傘は、レーザーも実体弾も通さん。ま、向こうからも同じことだが」

 

 赤を着ているとはいえ、アカデミーを卒業して幾度かしか経っていない若造達を相手にしなければならないことに面倒さを感じながらも、開戦時から艦長席に座っているぜルマンは表情には出さない。

 残っているパイロットが評議員の息子達だけになっていようとも差別も区別しないのがコーディネイターの中でも高齢にあたるぜルマンという男の生き方を現していた。

 出世や立身に興味は無く、守るべき家族もいないので秀でた能力から傲慢に陥りやすいコーディネイターの中で珍しいタイプだった。でなければ一癖も二癖もあるクルーゼ隊に配属されはしない。

 アデスを扱いやすい副官とすれば、ぜルマンは命令に忠実な部下であった。

 

「防御が絶対だから攻撃をする必要ないと」

 

 笑える話だ、と続く言葉を口の中だけに留めたディアッカ・エルスマンのことをぜルマンは嫌いではなかった。

 

「あの傘を突破する手立ては今のところない。さして重要な拠点でもなかったことからこれまで我が軍も手を出す必然性を見い出せずにいたが厄介な所に入り込まれたものだ」

 

 隊長も面倒なことを頼んだものだ、と心の中で続く言葉を呟いた。

 現状では打つ手はなく、出来るのは出て来るのを待つだけ。

 

「出てくるまで待つのが最善というわけですか」

「ふざけるなよディアッカ! お前は戻られた隊長に、何も出来ませんでしたと報告したいのか? それこそいい恥さらしだ!」

 

 こちらの意図を組んで溜息を吐いたディアッカに怒鳴るイザーク・ジュールのことは好きになれるタイプではなかった。

 ナチュラルが想像するようなコーディネイターの性格をしているイザークは、我儘を許容される親の下で育てられたと直ぐに分かる。母親のエザリア・ジュールはきつそうな外見とは裏腹に子煩悩なのだろうかと変な方向に思考が走る。

 

「そうは言うがね、イザーク。近づけば傘が展開されて現状は突破する手段がない。遠くからだと決定打に欠ける。さあ、どうするっていうんだ? 文句を言う前に案を出せよ」

「ぐっ……」

 

 現状を分かりやすく整理して説明するディアッカの前で、イザークは顔を真っ赤にして反論しようとしたがこれ以上ない正論だってので言葉に詰まった。

 

「作戦会議は意見を出す場であって文句を言う場じゃないぞ」

 

 と、いらぬ一言を言ってしまうのはディアッカ・エルスマンがまだまだ若造である証拠。

 イザークが怒気を放ってディアッカに詰め寄るのを意識の外に置いて、ぜルマンは一人で黙ってモニターを見つめるニコル・アマルフィを視線を映した。

 

「傘は、常に開いてるわけではないんですよね?」

 

 ぜルマンに視線を向けられたのを察して顔を上げたニコルの顔はまだ幼い。

 ディアッカの二歳下、イザークの一歳下ということだが、小柄な体格と童顔が相まって更に下に見える。まだディアッカは精神的に大人びている面もあるので大人扱い出来る最低ラインに達しているが、激しやすいイザークや童顔のニコルは子供にしか見えなかった。

 それでもそんな彼らを一端に扱わなければならないのが艦長であるぜルマンの役目の辛いところである。

 

「ああ、周辺に敵のない時まで展開させてはおらん。閉じているところに近づいても、こちらが要塞を射程に入れる前に察知され、展開されてしまう」

 

 内心の気持ちを押し隠すのに伸ばした髭はこういう時に他人に表情を読ませないので役に立つ。口元を隠すように覆っている顎の髭を撫でた。

 何かを考えるようにモニターのアルテミスを見つめるニコルの姿に地球連合との開戦の前に地球に降りた友人のことを思い出した。

 

『ユニウスセブンのこともあってプラントを守りたいって気持ちは分かる。分かるが戦争をするってのはどこか違うと思う』

 

 そんなことをゼルマンに言った友人は戦争の気運が高まるプラントから追い出されるように地球に降りた。その後、友人がどうなったか分からない。開戦してから戦場に出ているゼルマンにそんな余裕はなかったし、当時はゼルマンも気運に呑み込まれていることもあって喧嘩別れのような形だったので、どこに行くかも聞かなかった。 

 

(守るべき若者を戦場に送り出しておいて何様だ、か)

 

 開戦して暫くしてザフトに入れる年齢がどんどん低年齢化していくことに、同じ艦長職を務める年齢の近い友人が酒の席で酔いながら言った苦々しい言葉を思い出す。

 子供時代を地球で過ごしたゼルマンのような年齢の人間の基礎はナチュラルの思想とかけ離れてはいない。身体能力や学力が成人年齢に達するのもナチュラルのそれより約5年ほど早いとされていても抵抗を覚えてしまうのだ。

 プラントのやり方が間違っているとは思わないし、今更ナチュラルのやり方に馴染めるとも思えない。

 

(与えられた任務をこなすのみだ)

 

 思考放棄と言われても仕方ないことを分かっていてもゼルマンは考えることを止めた。

 一介の軍艦の艦長が始まってしまった戦争の是非を問うても何の意味もない。若者の戦場投入も、兵士の未熟さも、上官としての矯正すべき範囲のことをしてもそれ以上のことはしてはいけない。

 軍人は軍人の勤めを果たすのみと自らを戒める。軍人が政治にまで口を出してしまったら面倒なことこの上ない。

 

「僕の機体……ブリッツなら上手くやれるかもしれません」

 

 ニコルの声に考え事をしていた思考を打ち切り、何時の間にかモニターを見つめていた顔を上げた。

 子供だ、とニコルの顔を見てもそんな感想しか抱けなかった。赤のザフトの軍服がコスプレ染みているような、服に着られているような印象しか少年には持てなかった。

 これが何度か実戦を潜り抜ければ一端に似合うようになるのだから、戦場は人を変えるという論説も馬鹿にしたものではないと笑い合った艦長仲間は既に故人だ。もしかしたらこの宇宙のどこかに彷徨っているかもしれない。

 嫌な想像だ、と直ぐに頭から追い出す。

 

「あれにはフェイズシフトの他にもう一つ、ちょっと面白い機能があるんです」

 

 良いことを思いついたとばかりに不敵に笑ったニコルの顔を見ても、やはり子供以上の印象を抱くことはゼルマンには出来そうになかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 武器の持ち込みが出来ないように入念にボディチェックされてアルテミスの司令室に入ったアークエンジェルの士官はマリュー・ラミアス、ナタル・バジルール、ムウ・ラ・フラガの三人。

 無駄に広い部屋の奥に大きく重厚な机。その背後のガラスには地球の自然が映し出され、天井には青空。

 アルテミスという一国一城の主ならば問題にはならないだろうが、部屋に入ったムウの印象は決して良いものではなかった。成金趣味の部屋のような嫌悪感を抱くのは、まるで地球の自然を穢されているように感じるからかムウには判断がつかなかった。

 この司令室のトップであるジェラード・ガルシア少将も部屋同様に好きになれるタイプではなかった。目に野心が浮き出し過ぎなのだ。隠そうとすらしないことに悪い予感がさっきから引っ切り無しに脳裏で鳴り響いている。こういう時は他人から羨ましがれる勘の良さが恨めしい。

 

「マリュー・ラミアス大尉、ムウ・ラ・フラガ大尉、ナタル・バジルール少尉か。成程、君達のIDは確かに、大西洋連邦のもののようだな」

「お手間を取らせて、申し訳ありません」

 

 アークエンジェルに乗り込んできたビダルフ少佐とやり合って心が折れかけているマリューやナタルが何かを言う前に、ムウが先に言いたくもない礼を口にした。

 

「輝かしき君の名は、私も耳にしているよ。エンディミオンの鷹殿。クリマルディ戦線には、私も参加していた」

「おや、ではビラード准将の部隊に?」

 

 「エンデュミオンの鷹」と呼ばれることをムウは決して好いてはいなかった。むしろ嫌っているとすら言っていい。戦果は十分に誇れるものであったがエンデュミオン・クレーターでの大敗を隠蔽する為のプロパガンダとして宣伝されたもので英雄などと呼ばれても嬉しくはない。

 

「そうだ。戦局では敗退したが、ジンを5機落とした君の活躍には、我々も随分励まされたものだ」

「ありがとうございます」

 

 戦果に励まされたというのは良く言われたことで、このことに関しては誇っていいと同僚に励まされたのでこちらに関しては本心から気持ちを受け取っていいはずだが、ガルシアの目はムウというよりも戦果の方に向いているように思えた。

 

「しかし、その君が、あんな艦と共に現れるとはな」

 

 笑みを含むガルシアの目が炯々と野心で光る。傍に控える副官らしき男が無表情で立っていることが余計にガルシアの黒い炎を際立たせる。

 

「特務でありますので。残念ながら、子細を申し上げることはできませんが」

「構わん。大方、護衛かその辺りだろ。ああ、答えんでもいい。君がメビウス・ゼロから降りるとも思えんからただの推測だ」

 

 興味があるのは別にあると暗に言っているような言い方に、大体のところはムウにも予想がついた。

 

(ストライクとアストレイだろうな)

 

 野心に燃えている軍人が成り上がるには誰にでも分かる形で戦果が必要だ。既存のモビルアーマーでジンに勝てないことは証明されているので、ジンと同じモビルスーツが必要な事は誰の目にも明らか。

 ムウはまだ愛機であるメビウス・ゼロから降りる気は更々なかったが、クルーゼが乗っていた新型モビルスーツに手も足も出なかったことからその考えを改めなければいけないかとも思っている。

 モビルアーマー乗りのムウがそう思っているのだから上層部でモビルスーツ開発が出たのは当然の流れで、パイロットの護衛の任を与えられた時も別段驚きはしなかった。結果として、残ったGはコーディネイターの少年が乗って始めて真価を発揮することが出来たのは皮肉以外のなんでもない。

 

「さて、何時までも老兵の長話をしているわけにもいくまい。本題に入ろう」

 

 すんなりといかせてくれるとは思えないと戦場で磨かれた直感ではなくとも、ニタリと笑うガルシアの顔を見れば誰にだって分かる。

 

「我々は一刻も早く、月の本部に向かわなければならないのです。まだ、ザフトにも追われておりますので……」

「君達の事情は良く理解している。が、率直に言って補給は難しい」

 

 仲間を信じたいと気持ちが顔に出過ぎているナタルが言うも、ガルシアの答えはあまりにもムウが予想した通りだった。

 

「見たまえ、これが理由だ」

 

 ガルシアが机の上に置いてあるノートパソコンの横にあるボタンの一つを押すと、地球の自然を映し出していた背後の画面が宇宙らしき光景を映し出した。

 正面に映し出された地球連合の船とは全く違った設計思想の船。

 

「ローラシア級!?」

 

 アークエンジェルの後方を塞いでいたザフト艦が映し出されて思わずといった様子でナタルが叫んだ。

 椅子を回転させて後ろを振り向いたガルシアの表情は見えない。

 

「見ての通り、奴等は傘の外をウロウロしているよ。先刻からずっとな。まぁ、あんな艦の1隻や2隻、ここではどうということはない。だがこれでは補給を受けても出られまい」

「奴等が追っているのは我々です!このまま留まり、アルテミスにまで、被害を及ばせては……」

「はっはっはっはっは! 被害だと? このアルテミスが? 奴等は何もできんよ。そして、やがて去る。いつものことだ」

 

 外に出られないのと補給を受けれないのはまた別の理由である。遠回しに断ろうとするムウに、ガルシアはそれ以上の反論を封じるように手を上げた。

 するとドアの所で控えている護衛兵が銃口を向けて来る。

 

「ビダルフも言ったとは思うが手荒な真似はさせないでほしい。我々も友軍に銃を向けるのは心地良いものではない」

「では、向けなければよろしいのでは?」

 

 今まで黙っていたマリューが低い声で言った。

 

「いくら不明艦といっても、この扱いは不当です!」

「そうしたいのは山々だが状況が許してくれそうにない。申し訳ないとは思っているのだがね」

 

 続いたナタルの言葉に、ニヤニヤと下にいる者を見下す視線を隠そうとせずにガルシアはどこまでも囀る。

 一人だけモニターを見ずにムウ達を見つめ続ける副官の男の耳につけられているインカムが受信を現す光が出るのをムウは見ていた。副官の男の役割は司令官であるガルシアの護衛と見ていたのだが連絡役も兼ねていたようだ。

 

「ガルシア少将」

「む、なんだ」

 

 副官の男はムウ達を警戒しながらガルシアの傍に行って、耳元で何かを伝えたようだった。

 

「…………やれやれ、手間をかけさせてくれる」

 

 舌打ちしそうな空気を感じたが抑え込んだようで、厭らしい笑みを浮かべながら椅子を回転させてムウ達の方を向いた。

 

「君達も少し休みたまえ。だいぶお疲れの様子だ。各人に部屋を用意させる。余計に疲れさせるだけかもしれんが勘弁してくれ」

 

 一人で何が楽しいのか笑うガルシアを見て、ミスズにストライクのOSをロックするように頼んだことを思い出したムウは尋問室行きを悟った。

 副官が指示したらしく複数の男達が現れ、ムウから順に後ろ手に手錠がかけられていく。人生で始めて手錠を嵌められて、まるで蜘蛛の巣に捕まってしまったような気分だった。

 

「良い報告を期待している」

 

 連行されていくという表現が一番正しいムウ達に向けられたガルシアの言葉は、どこまでも言葉だけが上っ面を撫でていくに留まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルテミスのセンサーに引っ掛からないように十分に距離を取ったザフト軍ローラシア級ガモフのモビルスーツデッキ。3機だけの寂しいモビルスーツデッキの左端にあるX207ブリッツに乗るニコル・アマルフィは入念なシステムなチェックを行っていた。

 

『アルテミスとの距離、3500。光波防御帯、依然変化なし』

 

 オペレーターの報告にキーボードタッチを続けていた手を一瞬だけ止め、再び再開する。

 

「ミラージュコロイド、電磁圧チェック、システムオールグリーン。テストもなしの一発勝負か。大丈夫かな」

 

 自分で提案しておきながら臆することに嫌悪を覚えながらも不安は消せない。

 「ブリッツ」のコードネームのとおり、敵陣深くへの電撃侵攻を目的として開発されたモビルスーツ。新機軸の光学迷彩システム「ミラージュコロイド」を搭載する。但し連続使用には85分の限界時間があり、更に展開中はフェイズシフト装甲の併用が不可能となる為、著しく防御力が低下する。

 システム上のチェックは出来ていても実機でのテストはまだ行っていない。ぶっつけ本番で試すのだからニコルでなくても臆しもする。

 

「フェイズシフトが展開できないからって問題なんかない。それが普通なんだ。怯えることなんてない」

 

 言い聞かせるように呟いても心臓の動悸は少しも収まってくれない。

 深く長く深呼吸しても耳に聞こえる血液の脈動の音は呼吸音すら掻き消してしまうほどだった。

 

「僕は臆病者なんかじゃない」

 

 操縦桿から右手を離して心臓がある左胸を叩く。

 戦死したミゲル・アイマン、オロール・クーデンベルグ、マシュー・オッケンワインのことを思い出す。気の良い先輩たちで同期のイザークのように見下すことなく一個人として扱ってくれた彼らのことを。

 

『ブリッツ発進位置へ』

 

 オペレーターの声に機会が自動的にブリッツをカタパルトへと誘導してくれる。

 

「多くの同胞達が死なない為に敵を撃つ、か。これも欺瞞だよね」

 

 ハッチが開かれ、虚空の宇宙が視界に入り込んだ。

 

「ザフトの為に」

 

 戦うと決めた口が自然と開いて先輩達が出撃の度に行っていた言葉がヘルメットの中に響く。

 敵を一人でも多く殺せばそれだけ味方の危険が減る。今なら先輩達の言葉の意味が分かる気がした。

 

『ブリッツ、発進どうぞ』

「ニコル・アマルフィ! ブリッツ出ます!」

 

 ニコルがブリッツは宇宙へと飛び出した。

 バーニアは吹かさない。発進した時の慣性で進み、ニコルはブリッツにしかない特殊機能を発動させた。

 

「ミラージュコロイド生成良好。散布減損率35%。使えるのは、80分が限界か…」

 

 機体の内側からは見えないが外からはブリッツの姿は見えないだろう。目前にも見えるアルテミスへ向けて、ニコルはセンサー類に意識を集中した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アークエンジェルに乗っている人間は、軍人や民間人の区別なくモビルスーツデッキに集められていた。

 

「全員一カ所に集まれ!」

 

 艦の端から順に捜索され、一人の例外もなくモビルスーツデッキに連行されていく人達の様子は悲壮の一言だった。

 

「何これ…? 何なの? ねぇサイ!」

 

 銃で軽く小突かれて廊下から飛んで集まっている一団の中に押し込まれていく中で、フレイ・アルスターの言葉はアークエンジェルに乗っているアルテミスの人間以外の総意を現していた。

 フレイに問われたサイ・アーガイルにしたって、状況を把握しているわけではない。ブリッジにいて軍服を着ていようと、戦闘後にはフレイの様子を見る為に離れたのだから知っている情報はフレイと大差ないので答えられるはずもない。 

 

「よーし! そのままだ!」

 

 民間人は避難民と合わせて数十人、乗り込んでいた軍人全てを合わせると100人近い人間がモビルスーツデッキに集まっていく。

 

「こんなにも少ないのに、よく戦艦なんて動かしてたよ」

「民間人よりも少ないなんてな」

 

 軍服を着ている者は団結されるのを警戒されているのか、最前列に並ばされていた。その中でカズィが言ったことにトールも同じ気持ちだった。

 こうやって一ヵ所に集まってみれば、軍人よりも民間人の方が多いのがよく解る。こんな人数でアークエンジェルを動かしていたというのだから人手不足だと散々言っていたのも理解できた。拾われた避難民や最初からいた民間人も同じ気持ちなのだろう。そこかしこで似たような会話がされているのがトールの耳に入った。

 トールは民間人を包むように円を描いて並ばされている軍人の列の中に自分がいることに溜息を吐く。

 隣で同じような体勢で震えるミリアリアの存在がトールに折れるなと訴えかけるようだった。とはいえ、それで銃口を向けられている現実が変わるわけでもない。

 僅かに体を動かして隣のミリアリアに当ててこちらを向いた顔に精一杯の笑顔を向けるだけだ。それで少しは震えも収まってくれたのだからミリアリアの中で自分の存在が軽いものでないと確信できてこんな事態なのに少し喜ばしい。

 

「なんだってんだよ! お前達は!」

 

 反対側で聞き覚えのあるだみ声が上がった。その声がコジロー・マードックという整備員の主みたいな人だと知ったのは少し後の事だった。

 

「動くなっ!」

「ふざけるんじゃねぇよっ! 俺達がどんな思いで来たのか分かってるのか!」

 

 トールがいる真反対で繰り広げられている展開を見ることは出来ない。銃口を向けられて腕を頭の後ろで組んで跪かされている状況では下手な動きなど取れるはずもない。振り返ったとしても背後にいる民間人は立ったままなのだから見えるはずもないが。

 

「動くなと言っている!」

「ぐあっ」

 

 激昂した男の声と共に「バキッ」と鈍器で人を殴ったような音と苦痛、女性の叫びが連鎖した。

 

「どうなってるんだ?」

「私達はここで降ろしてもらえるんじゃないのか?」

「どうして何の説明もない……」

 

 ひそひそと横にいる者同士で交わされる会話。無理もないとトールは自分が同じ気持ちを抱いていることを認め、辺りを見た。

 周りには十数人の銃を持った兵士らしきノーマルスーツを着た男達が囲んでいる。全員でかかれば倒せるだろうが大半が犠牲になるだろう。最悪、全員死亡なんてこともある。

 

(キラはどこだ?) 

 

 トールらはブリッジにいたのでモビルスーツデッキに来たのは後の方だった。その時にはキラはいなかったように思うし、後から来た面々の中にも姿はなかった。

 目だけで辺りを見渡してキラの姿を探して見つからなかったので、モビルスーツデッキに繋がる通路の方を見上げた。

 通路から降りて来る人の人数もかなり断続的になっていて、それも捜索を終えたアルテミスの兵隊の方が多くなったように思える。

 今また数人が通路から出てきたが、キラではない。ユーラシア連邦の所属を示すグレーの軍服を纏った態度からして偉そうな男が集団の中にいた。

 トールの近くに降り立った男達の中で偉そうな男は、別にグループを作らされているモルゲンレーテの技術者達の方へと向かって行った。そして白衣を着ている女性ミスズ・アマカワの前で止まった。

 

「お久しぶりです、博士」

 

 ニタニタと笑みを浮かべるジェラード・ガルシア少将は女性としては長身に入るミスズの顔を見上げた。

 

「久しぶりって、直接会ったことはないでしょうが」

「これは失礼。あまりにも写真を見つめすぎて錯覚してしまったようです。実物はお美しい。こんなことならもっと早く会いたかったものです」

「気持ち悪い事を言わないでくれる、蛸坊主の分際で」

 

 心底嫌気が指していると分かる口調のミスズに対して、気にした風もなくガルシアは傍から見ているトールでも嫌に感じる笑みを浮かべている。

 二人の間に何かしらの繋がりがあるのは会話から察しがついた。決して察しの良い方ではないトールですら分かったのだから、この場にいる殆どが気づいていることだろう。

 

「あれほど誘ったというのに無碍にされては意地も悪くなるというものです」

 

 偉そうなガルシアがミスズに対しては敬語で話している。そのことが二人の間にある何かを暗示しているようだった。

 

「犯罪紛いのことをして良く言えたものね」

「凄腕の暗殺者すら送り込んだ大西洋連邦には負けます。オーブに行かれた時はホッとしたら残念やら」

 

 聞いてはいけない暗部の話に入り込んだ二人の会話に、銃を向けるアルテミスの軍人すらギョッとしたように銃口を揺らめかせた。

 

「暗殺者?」

 

 思わず呟いてしまったトールの声は思いがけず大きく響いた。

 声を聞き届けたガルシアがトールの方を向いた。一瞬、視線を向けられただけで心臓が止まりそうになるほど暗い光を見せるガルシアの目に、トールは自分でもよくぞ悲鳴を上げなかったと思った。ガルシアはトールの事などを気にするはずもなく、直ぐに視線を外した。途端、思わず止めていた息を吐き出したトールを笑える者はいない。

 軍人や民間人、はてはモルゲンレーテの技術者を見遣ったガルシアは、彼らが今の話を理解していないことを感じ取って笑みを深める。

 

「この様子ではもしや教えていないのですか?」

「………………」

 

 問われたミスズは何も答えなかった。それが更にガルシアの笑いを誘発したようだった。

 

「それもそうでしょう。でなければ、よりにもよって貴女が地球連合の艦に乗れるはずがない」 

 

 完全に表情を消したミスズの前でガルシアは興奮した様子で喋り続ける。

 

「ミスズ・アマカワでしたか。地球に降りる際に付けた偽名を調べるのに苦労しました」

「ふん、事前に知っていたみたいだけど?」

「これも仕事ですから。貴女の存在は常にマークさせて頂いています。あの白髪の悪鬼に狙われて死んだと言われていたようですが、最近生きていると知った時は年甲斐もなく泣きそうになったものです。最もガードが固くて全然手を出せませんでしたが、こんな機会が巡って来るとは私の運も捨てたものではないようだ」

 

 ミスズの皮肉を受けても、それすら最高の料理にかけるスパイスだと言わんばかりにおどけた仕草を止めない。

 ガルシアは視線をミスズから僅かに外してメンテナスヘッドに固定されているストライクと、四肢の殆どを失ってワイヤーで無様に拘束されているアストレイ・グリーンフレームを見上げた。

 

「それでどちらが貴女の関わったモビルスーツなのですか? 色なしか緑物か、それとも両方ですか?」

「関わったというなら両方でしょうね」

「そうでしょう。そうでしょう。貴女なら両方ともに関わって当然だ。何故なら――」

 

 博士こそがモビルスーツの産みの親なのだから、と続いた言葉に誰もがミスズを見た。

 人質を見張らなければならない兵士、銃口を突きつけられて動けない者達ですら振り返ってミスズを見ているのだから、口をあんぐりと開けてしまったトールと同じく驚愕だけが場を支配していた。

 

「史上初のMS試作第1号ザフトを改良し初の実用機としてC.E.67年に誕生したのがYMF-01Bプロトジン。その開発者であるイタリア系コーディネイターであるジャン・カルロ・マニアーニ技師が女であることはあまり知られていないのは名前の所為ですかな」

「悪かったわね、男っぽい名前で」

「いやいや、何も気にすることはありません。我々共は名前に拘りなどありませんから。能力があるなら性差どころかナチュラルやコーディネイターであっても使いますとも」

 

 いい加減に手を上げているのが疲れたのか、ミスズは手を下ろしたがガルシアは周りの驚愕を楽しんでいて気にした様子もなく笑みを崩さない。だが、その笑みも周囲の驚愕を楽しむように順にモルゲンレーテの技術者を見て、とある少女に辿り着いた瞬間に凍り付いた。

 

「…………くっ、ははははははははは! 成程、そういう絡繰りですか! まさか白髪の悪鬼を手懐けていたとは流石は博士! おっと、折角博士を手に入れる絶好の機会に殺されては堪らない」

 

 狂ったように笑いながらも、跪いて両手を頭の後ろで組んでいるユイ・アマカワから一時たりとも視線を外さないガルシアは慌てたように距離を取った。

 理由は分からずともガルシアの様子から無表情の少女が危険と判断したアルテミスの兵士たちが銃口を向けたが、ガルシアは手を上げて静止した。

 

「ブルーコスモスが作り上げ、数多のコーディネイターを死に至らしめた凄腕のスナイパー『白髪の悪鬼』がまさかこのような子供であることも博士同様に知られていない情報でしたか。いやはや、どうやって手懐けたものかご教授願いたいほどです」

「答えると思っているの?」

 

 一般人では一生関わりのない社会の暗部の一端が語られている。

 耳を削いででも聞くべきではなかった情報だ。民間人には実感のないことだったが守秘義務の厳しさを叩き込まれている軍人達の多くは、己の所属している組織の暗い部分を聞かされて顔を真っ青にしている者すらいた。

 

「これから長い付き合いになるのです。じっくりと待たせて頂きます」

「解放する気はないと言いたいわけね。相変わらずの粘着質だこと」

「大西洋連邦の技術の結晶と長年恋焦がれていた博士をどうして易々と手放すものですか。これだけのチャンス、存分に使わせて頂きましょう。しかし、余計な者達まで聞かれてしまったのは頂けない。私としても心が痛みますが退場願う他ありませんな」

 

 ゾクリ、とトールは背筋に走る悪寒が幾度も走るのを感じた。

 トール達の知らないところでこれからの行動が決められている。神の手ではなく、欲深き野心に燃える男の望むがままに。自分達の命運が今まさに決しようとしていると悟った民間人と、危ういボーダーラインに立たされる軍人全員が等しく顔を真っ青にした。

 ガルシアが言っているのは目撃者の抹殺。

 彼らが必要としているのはモビルスーツの技術者とパイロットと、よくて恭順を誓った軍人ぐらいか。秘密を聞いてしまった民間人など彼らが生かすはずもない。軍服を着ているトールやミリアリアらは微妙なラインだろう。

 死人に口なし。逃げるにしてもノーマルスーツを着ていない彼らでは生身で飛び出すことも出来ない。始めて来た場所で安全な乗り物を選んで逃げ出すなんて天文学的な確率で博打を試せるはずがない。

 その場の意識は完全にガルシアに集まっていた。だから、上から降りて来た人影に気づくのが遅れた。

 

「少将、艦内にいる人間はこいつで最後です。呑気に士官室で寝ていました」

「うぐぅ」

 

 降りて来た人影は三つ。一つは銃を持った兵士と、私服の民間人、民間人の手を後ろで関節を極めて拘束している兵士。

 拘束されている民間人はトールの知り合いだった。

 

「キラ!」

 

 トールが思わず声を上げると、拘束されているキラ・ヤマトは顔を上げてこちらを見た。

 同時にガルシアもまたキラを見た。その顔が驚愕に染まる。

 

「カナード! 貴様が何故ここに……」

 

 キラを見たガルシアは驚きも露わにして違う名前を呼んだが、口を押えて続く言葉を無理矢理に抑え込んだ。

 

「奴は地球で例のを受け取りにいったはずだ。ここにいるはずがない。そいつを離すな馬鹿者が!」

 

 キラを離そうとした兵士を睨み付け、そのまま拘束させてままにして、ブツブツと呟きながらガルシアは拘束されているキラの下へ進む。

 そして間近でキラを見たガルシアは徐に手を伸ばして、髪の毛を掴んで引っ張り上げた。

 

「あぐっ」

「髪の長さも違う。そもそもこんな甘ちゃんの面ではない。何よりも目だ。飢狼のような剥き出しの殺気に染め上げられた目ではない。だが、別人というには似すぎている。まさか貴様――」

 

 顔を近くに寄せて苦痛に歪むキラを気にした様子もなく、脳裏にいる誰かと比較していたガルシアはふと気づいたように顔から表情を消した。

 

「貴様は名は?」

「なんなんですか一体っ」

 

 名前を問いかけられても髪の毛を掴み上げられたキラに応える気がないことはトールにも分かった。その精神的な強さは兄貴分であるトールには嬉しいことだが状況を考えれば悪い方向にしかならない。

 

「名は何だと聞いている。貴様には他に発言を許可していない」

 

 今までの狂騒が嘘のように無表情になったままのガルシアは懐から拳銃を取り出して、真正面からキラに突きつける。そこに一切の虚飾はない。答えなければ撃つと言葉よりも何よりも空気が物語っていた。

 拳銃を眉間に突きつけられているキラに分からぬはずがない。

 

「キ、ラ………ヤマト」

 

 眼の前で混じりけなしの殺意を以て放たれた問いにキラは名前を答える以外の選択肢を持っていなかった。震える声で自らの名前を吐く。

 拳銃を突きつけられて名前を言うだけでもとんでもない勇気がいることだというのに、ガルシアは「キラ、キラ・ヤマト」とキラの名前を何度も繰り返す。そして何かの答えに至って――――途端に笑い出した。

 

「ぐははははははははははははははははははははははははっっ!! これは滑稽だ!! これを滑稽と言わずに何と言おうか!!」

 

 キラに銃を突きつけたまま、ガルシアは狂ったように笑い続ける。

 

「まさか! まさか! オリジナルの君が生きているとは思いもしなかった! ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっっっっ!!!」

 

 髪を掴まれて目の前でガルシアの狂騒を目の当たりにさせられたキラは、まるで始めて酒を飲んで飲み潰れた翌日にやってきた重度の二日酔いが一瞬で来たように気持ち悪くなった。

 キラは酔っていた、ガルシアから発散される悪意に。

 

「今日の私はなんて幸運なんだ! 大西洋連邦の極秘計画の産物だけでなくモビルスーツの産みの親にヒビキ博士の最高傑作さえも手に入れられるとは!!」

 

 目の前の男が何を言っているのかが分からない。吐き気を催すほどの邪悪さが今のガルシアにはある。人がここまで醜く笑うのをキラは始めて見た。そもそも人間であるとも思えなかった。

 

「ヒビキ博士?」

 

 男が何を言っているのかが分からない。でも、言葉から最高傑作という単語が自分を指していることは薄らと判った。

 

「君が知らない? 真実を知っていればそんな甘ちゃんの顔を出来るはずがないか。はっ、カナードが聞けば君を殺しただろうに」

 

 笑い続けて疲れた様子のガルシアは忙しなく息を繰り返しながらも、目に宿る野望の光は留まるどころか身を焼き尽くさんばかりに燃えていた。

 

「モビルスーツに乗っていたのは君だろう。裏切り者のコーディネイターが同胞ではなく地球軍側に付いた理由が気になってはいたが、君を手に入れられた今となってはどうでもいい」

「!? 裏切り者? 違う! 僕は……」

 

 言いかけたキラは、このアルテミスの外で戦って墜としたジンのパイロットの怨念に満ちた声が脳裏に響いて続く言葉を失った。

 地球連合に協力して同胞を殺しておきながら裏切り者でないとどの口で言えるのかと、唐突に悟らされた。

 

「僕は裏切り者なの?」

 

 キラの瞳から我知らずに涙が一滴零れ落ちた。

 今まで溜め込んでいた精神的ダメージに与えられた心的ショックが強すぎて感情が振れ過ぎた精神は、表情に何の影響も及ぼすことなく無表情のままに涙を流させる。涙を零すキラは人形のようだった。そしてそんなキラをトールが見ていられるはずがない。

 

「違う! キラは俺達を守ろうとしてくれただけだ! 裏切り者なんかじゃない!」

 

 銃口が向けられていようが構っていられるはずがなかった。

 青い軍服を纏っているので正規の軍人よりは危険度が低いとされ、跪きながらも民間人達に近い場所にいたトールが叫びながら立ち上がった。両手の後ろで組んでいた手も離している。

 

「訂正しろ!」

「止めてトール!」

 

 叫ぶトールを必死にミリアリアが押さえつける。

 銃に囲まれた中にあって動く少年の蛮勇とでも呼ぶべき行動に、興奮の極致にあったガルシアであっても呆気に取られた。他の軍人達も同じである。友達を守るというどれだけ賞賛される行為であっても、やはり愚かな行動だった。

 

「興が冷めた。小僧と博士やオーブの技術者を連れて行け」

 

 ガルシアが掴んでいたキラの髪の毛を離して突きつけていた拳銃を直す。

 

「それ以外は軍人も民間人もいらん。貴様らの好きにしろ。ただし、始末だけは忘れるな」

「「「「「「はっ!」」」」」

 

 男は殺し、女は犯せ、と無言の許可を出したに等しい無慈悲とも言える指示を下して、元気よく返事しながらも好色に笑う部下達を見もせずに襟を正して制帽を被り直す。

 

「特にその白い髪の女は真っ先に処分しろ。強化人間に暴れられては叶わん」

 

 ガルシアの命令によってオーブの技術者の最前列にいたユイが銃を突きつけられ、アークエンジェルに乗っている軍人達の方へと追いやられる。ユイも大人しく従うしかなかった。

 

「さぁ、歩け」

 

 キラを拘束していた軍人が手に力を込めた。

 

「っ……、離せ!」

 

 関節を極められているのでコーディネイターといえど抜け出すことは出来ない。どれだけ力があろうとも関節技を外すのにはコツと技術がいる。多少の護身術を習っただけのキラに外せるはずがない。

 

「動くな!」

 

 カレッジの仲間や自分が助けた避難民が殺されるなんて我慢できるわけがない。必死に拘束を外そうと暴れるが腕が痛むだけ。それどころから抵抗するキラを、オーブの技術者達を連行しようとしていた別の軍人が頭に銃床を叩きつける。

 

「がっ」

「痛い目に遭いたくなければ大人しくしてろ」

 

 叩かれた頭から血が吹き出し、キラ以外にも抵抗しようとしたオーブの技術者達の気勢を削ぐ。この場に置いて暴力ほどに強い力はなかった。

 

「サ、サィ……」

 

 キラやオーブの技術者達が連行されていく中で、軍服を着ているので民間人の輪には入れないサイに少しでも近づこうと最前列にいたフレイがサイに縋りつく。縋りつかれたサイにしたって銃を持った軍人達に囲まれ、事実上の死刑を宣告された武器も持たない彼らに何が出来ようか。

 アークエンジェルの乗組員達にとって誰にとって最悪であっても、殺されるだけの男は尊厳を奪われる女性に比べればまだマシかもしれない。こういうのも五十歩百歩というのか。

 誰もが恐怖に震える中で、フレイに縋りつかれているサイと同じようにミリアリアが捕まえているトールだけはガルシアを怒りの籠った目で睨み付けていた。もしもミリアリアが捕まえていなければトールはガルシアに殴り掛かっていたことだろう。

 トールに睨まれているガルシアはその視線に気づくとニヤリと厭らしく笑った。

 

「幸運を届けてくれた君達の働きには感謝する」

 

 言いながら右手を上げた。同時に軍人達が銃を腰だめに構える。その狙いが男がいる所で、女がいる所は外されている辺りが軍人達の望みを現している。

 無重力とはいえ、移動速度は遅い。周りを囲まれていては遮蔽物に隠れる前に撃ち殺されるのは見えている。分からぬほどの子供はたった一人。その子供は母親に強く抱き付いている。

 

「では、さらばだ」

 

 腕が下ろされる。悪魔によって下される審判に誰もが怯えて目を閉じた。

 

 

 

 

 

 ガルシアの命令で尋問室に連れて行かれたマリュー・ラミアスは重い徒労感の中にあった。

 

「いい加減に話してはくれないか?」

「……………」

 

 前に座る尋問官は言葉尻だけは優しくしながらも、その実は乱暴にマリューの髪の毛を掴んで恫喝している。

 

「君も何度も殴られたくはあるまい。話せば楽になるものを」

「あうっ」

 

 言いながらまた頬を一発。平手ではなく固めた拳によるものだった。払うように裏拳で頬が殴られた。

 両手を後ろ手に二個の手錠で椅子に拘束されて座っているので、見えるのは自分の体や床と乱暴に掴まれて荒れている髪の毛だけだ。こうやって殴られたのも一度や二度ではない。片手の数で数えられる程度は覚えているが、両手の数を超えてからは頭も大分朦朧としていて考えることすら億劫になっていた。

 ポタリ、と幾度目かに顔を殴られた時に切れた口の中から血が垂れて、真っ白の軍服に赤い血の色が染みていくのがおかしなことに思えた。

 

(どこで何を間違ったのかしら)

 

 アルテミスに逃げ込んだことか、ザフトと戦ったことか、キラをストライクに乗せたことか、ヘリオポリスに来たことか、Gに関わったことか、今の上司の下についたことか、軍人になったことか。つらつらと自分の間違いを探そうとしても分からない。

 左右の頬骨や何度も髪を引っ張られた頭皮がズキズキと痛んだが、虚無感に苛まれているマリューには自分のことなのにどこか遠い世界のように感じていた。

 

「…………まったく、強情な奴だ。それはお仲間もか」

 

 声に顔を上げれば、のっぺらとした顔の特徴がないことが特徴のような個性のない男が見えた。尋問官の顔が嗜虐に震えていた。

 尋問官が部屋にいる別の軍人に目で合図を送ると、マリューの前の壁が開いてモニターが現れた。

 

「見たまえ」

 

 言葉の直ぐ後に、電源が入れられて真ん中で二分割された映像が映される。

 

「フラガ大尉! バジルール少尉!」 

 

 映像を見たマリューは電撃が全身を走り抜けたような衝撃に思わず叫んだ。

 モニターに映っているのは映像だけで音声は流れない。マリューから見て左側にムウが、右側にナタルが映し出されている。その様子は尋問などでは決してなかった。

 ムウは上の服を全て脱がされて何かで両手を頭上に吊るされ、拳を傷めないようにかパンチンググローブを付けた屈強な男数人に代わる代わる殴られている。既にその顔や体は傷だらけだ。

 ナタルはマリューと同じく椅子に拘束されており、前にある机に置かれた水の入ったバケツに顔を落されて窒息しそうになったら戻し、呼吸が戻ってきたらまた顔を水に落されるというサイクルを繰り返されている。

 

「あなたたちは!」

 

 虚無感が支配しているなど言っている場合ではない。怒りを燃料にして尋問官を睨み付ける。体が自由ならば殴り掛かっているところだ。実際には椅子をガタガタと動かすだけで拘束から抜け出ることは出来ない。

 荒々しいマリューを見ても尋問官は嗜虐に満ちた笑みを崩さず、それどころか髪を掴み上げて耳元に口を近づけた。

 

「彼らを助けられるのは君だけだ。艦の制御コードを言いたまえ」

 

 それこそがこの尋問で求められている答えだった。

 マリューも絶対の味方ではないユーラシア連邦の軍事基地に入るのに予防策を講じていなかったわけではない。アークエンジェルには制御システムにロックをかけて動かすどころか起動できないようにした。ミスズに頼んでモビルスーツも同じようにしてもらっている。モビルスーツはともかく、アークエンジェルのシステムにかけられたロックを外すには艦長であるマリューしか知らない制御コードがなければならない。

 

「次はない。言わなければ……」

 

 掴んでいる髪の毛はそのままに尋問官が横にどいた。

 マリューの視界の先、映されている映像の向こうでは銃を向けられた二人の姿があった。

 

「分かっているね?」 

 

 言わなければ撃ち殺す、と愉悦に濡れる瞳が語っていた。

 マリューは自分の顔から色が抜け落ちていくのが見なくても分かった。

 

「5秒与える」

「待って!」

「5」

 

 考える猶予の時間はたったの5秒。静止の声で止まるような尋問官ではなく、直ぐに数を数え始めた。

 

「4」

 

 時間が足りない。たった5秒で何が出来る。

 

「3」

 

 数えるのはゆっくりだが何も出来ないマリューの中に焦りだけが暴れ回る。彼女の決断一つでムウとナタルの命が決まる。

 

「2」

 

 吐き気がするような動悸の中で選択肢を迫られる。

 

「1」

「大天使! 制御コードは大天使よ……」

 

 究極の選択肢を求められたマリューが秤の上から落としたのはアークエンジェルだった。残り「1」になった時、隠し通していた制御コードを口に出していた。上司の信頼を裏切れても、人の命を見捨てることはマリューには出来なかった。

 俯き、失意に沈んで涙を零すマリューに尋問官は最高の愉悦を感じていた。同席している別の兵が司令部に制御コードを伝えたのを確認して、尋問官は懐から拳銃を取り出した。

 

「ご苦労。これで君達の役目も終わった」

 

 ハッ、と声に顔を上げたマリューの眉間に拳銃を突きつける。

 

「…………騙したの?」

「誰も助けるなどとは言っていない。勝手に君が勘違いしただけだ」

 

 馬鹿な女と尋問官は声を上げて嘲笑う。

 彼女の視線の先に映る映像でも銃は下ろされてない。最初から自分達を殺すつもりで、助ける気などなかったのだとマリューも騙されたと悟った。

 

「こんな良い女を殺してしまうのですか?」

 

 今まで黙っていたもう一人の軍人が残念そうに言った。

 

「せめてヤってからの方が良いと思いますが」

「不満ならもう一人の方に行け。私はこうやって絶望した女を殺す方がエクスタシーを感じられる」

 

 そう言って尋問官がモニターの方を指さすと、ナタルが映る映像の向こうで男達がこれからすることに自分の服を邪魔だと脱いでいるところだった。興奮のあまり服を脱ぐのに手間取っているようだが、自分の末路を予測させられて絶望するナタルを見るのも楽しいと下卑た笑みを上げていると音声が流れなくても分かった。

 

「分かりました」

 

 軍人はまだ不満そうな表情を浮かべながら出遅れてなるものかとさっさと部屋を出て鍵も閉めずに行ってしまった。

 

「さて、待たせてすまない」

 

 カチリ、と撃鉄が起こされた。

 殺す瞬間は合わせるのか、ムウが映る映像の銃は微動だにしない。

 

「恨むなら大西洋連邦に所属している我が身を恨むことだ」

 

 直後、尋問室に爆音が響いた。

 

 

 

 

 

 アークエンジェルのモビルスーツデッキで、今まさに多くの人の命を奪うために下ろされようとしていたガルシアの腕が艦を揺らすほどの振動によって流れた。

 

「なんだ!? どうした!!」

 

 アルテミスの軍人の誰かが振動が続くことに動揺して叫んだが外で何かが起こっていたのは明白だった。

 アークエンジェルに乗っている軍人の最前列にいたユイが頭の後ろに回していた手首から先だけを動かした。背後にいたアーノルド・ノイマンはそれが軍で使われるハンドサインであることを理解し、周りの目が自分に向いていないことを確認して両隣に耳打ちする。

 この場にいるアルテミスの軍人で最も早く冷静になったのは司令のジェラード・ガルシアだった。

 

「管制室! この振動は何だ!」

 

 ガルシアが部下が持っている無線を奪って叫ぶ。

 

『不明です! 周辺に機影なし!』

「これは爆発の振動だろうが! 長々距離からの攻撃かもしれん! 傘を早く開け!」

 

 直後にまた振動がって動揺している管制室にいる部下へと怒鳴りつける。

 その時、全員の視線と意識が外部との繋がりを持っているガルシアに集中した。

 

『ぼ、防御エリア内にモビルスーツ!? リフレクターが落とされていきます!』

「なんだと!?」

 

 今度の管制室の報告はガルシアが続く振動で聞き取りにくいからと音量を上げたことが裏目に出た。モビルスーツデッキ中とまではいかなくても銃を構えていた軍人達が動揺するほどに響いてしまった。

 傘の有用性はアルテミスにいる軍人達の方が良く知っている。それが破られることが何を示すかも。

 

「傘が破られた?! そんな馬鹿なっ!」

 

 アルテミスの軍人達の動揺を見て取ったユイが動いた。その場で大きく飛び上がったのだ。

 無重力であることを利用してどこまでも高度を上げていく。斜め上にジャンプした先にあるのはストライクのコクピット。

 

「司令! 女がモビルスーツに!」

 

 ガルシア達が気づいた時には既にユイはストライクに取り付いていた。

 

「撃ち殺せ!」

「させるか!」

 

 ガルシアが命令を下すのと同時に今までジッと耐えていたアークエンジェルに乗っていた軍人が、遅れて民間人の男達とオーブの技術者が動いた。ユイの行動を起点として、真っ先に動いたノイマンに吊られるようにストライクに銃を向けた軍人達に数の利を活かして次々と飛びつく。

 危険だなんだと言ってられない。彼らの命と尊厳がかかっているのだ。そこに軍人や民間人はない。

 女や子供は四肢の大半を失ってロープで固定されているアストレイ・グリーンフレームやメビウス・ゼロや柱の影など、どこでもいいから隠れようとバラバラに動き出した。

 全員がバラバラに動いたことが余計にアルテミスの軍人達の混乱を招き、叫ぶガルシアの声すらも満足に届かない命をかけた怒号が飛び交う。

 

「キラを離せ!」

 

 その中でミリアリアを、フレイにしがみ付かれているサイではなく身軽なカズィに押し付けたトールがキラを拘束している軍人に殴り掛かった。

 まさか自分に向かってくるとは思わなかった軍人はもろにトールのパンチを食らってキラの拘束を離してしまう。が、そこは軍人。体勢を立て直すよりも背中の方に回していた銃を掴んで構える。

 殴られた怒りに燃える瞳で見据える標的は殴った勢いで体が流れているトール。

 

「トール!?」

 

 拘束から逃れることが出来たキラも直ぐにトールに銃が向けられていることに気づいた。

 間に合わない。銃を持つ軍人を止めるには時間が絶対的に足りない。無重力でなければ自分の体を盾にすることもで来ただろうが、体を捻れても足が床についていない状態では方向転換も不可能なので盾になることも出来ない。軍人の銃が故障して撃てなくなることを祈ることしかキラに出来ることはなかった。

 ターン、と傍から聞けば間抜けな銃声が響いた。次いで上がる複数の銃声に先んじたモビルスーツデッキに最初に響いた銃声だった。

 

「ああ!?」

 

 キラの目の前に血の塊が跳んだ。無重力なので落ちることなく塊となって浮かんでいる。

 撃たれた。トールではない。その前に身を差し出した男がいた。撃たれたのはその男だ。

 

「サンダースさん!?」

 

 トールが撃たれて力を失って漂う男を抱きとめながら名を呼ぶ。

 男はカトウゼミの学生がアークエンジェルに乗り込んで手伝いをすることになった時、医務室にいたサンダース二等兵その人。足を折って治療を受けていたのに寸劇をしていた男だ。足にはギブスがされているし、トールとキラが彼を医務室から部屋にまで運んだので間違えるはずがない。

 

「死ね!」

 

 動きを止めた三人に向けられる銃。トールに殴られた軍人は口が切れたのか、唇の端から血を流しながら狂気に満ちた目でキラに銃口を向けていた。

 キラがそちらを向いてその身体を大きな影が覆った瞬間、銃弾は発射された。

 銃弾はキラに当たらなかった。

 キラの前には大きな機械、振り下ろされた人の物ではありえない大きさの脚があった。キラの体をスッポリと覆ってあまりある脚が銃弾を防ぐ。その機械の脚はモビルスーツの物だった。

 

「ストライク!」

 

 ユイが動かしたストライクが銃弾から辛うじてキラを救った。

 ストライクは足を動かして銃を撃ち続ける軍人を容赦なく蹴り飛ばし、移動しながらアークエンジェルに乗っていた住人から離れた場所にいるアルテミスの軍人を次々と排除していく。

 突如現れた強力な存在にアルテミスの軍人達は逃げ惑う。フェイズシフト装甲を展開させたストライクに銃程度では蚊に刺された程度の損傷も与えることが出来ない。アークエンジェル側の軍人や民間人を人質に取ろうにも数の差は大きく、多数対少数なので武器の利点を活かすために距離を取ろうとすれば容赦なくストライクが攻撃してくる。

 

「これはいかん」

 

 足下にいたら踏み潰されると判断して飛び上がった者目掛けて頭部バルカンのイーゲルシュテルンを撃ち出したストライクに、我が身の安全を考えたガルシアは撤退を決めた。

 

「撤退する!」

 

 決断も早ければ行動も早い。言い出した張本人が部下を置き去りにして、いの一番にアークエンジェルとアルテミスを繋ぐ連結通路がある方向へ逃げ出した。

 続いて部下達も逃げ出して這う這うの体で続く。

 

「あいつらがちゃんと出て行くのを確認するぞ! 何人か俺についてこい!」 

 

 奪った銃を手にしたノイマンがアルテミスの軍人がアークエンジェルに残って破壊工作を行わないように飛び上がった。同じように奪った銃を手にした数人が続く。

 捕まえたアルテミスの軍人を捕まえたアークエンジェル側の軍人と民間人は放心したように彼らを見送り、ストライクが辺りを確認するように見渡す。

 十数秒経ってようやく敵がいないことを確認して女子供達がストライクの下へ集まっていく。圧倒的な戦闘能力を持つストライクの傍にいる方が安心できるからだ。それは腹部に銃創を負ったサンダースを抱えるトールとキラも同じだった。

 どうにか血を止めようとするが撃たれた腹部からは、水を一杯に詰め込んだ袋が破れたかのように止まらない。

 

「血が止まらない」

 

 サンダースと出会った医務室であの時辣腕を振るっていたミスズの姿が血に塗れたキラの視界に入った。

 

「ミスズさん! サンダースさんが!」

「見せて」

 

 別の人の傷を見ていたミスズはその人のが命に関わるものでないことを確認すると、声を上げたキラ達の下へとやってきた。

 キラが今更気づいたように辺りを見渡すと、何人かがサンダースと同じように銃で負傷しているらしく辺りには血の塊が無数に浮いていた。辺りを見渡してあまりの惨状に絶句している間に、サンダースの傷を触診していたミスズが唇を噛んだ。

 

「駄目。当たり所が悪すぎたわ」

 

 もう助からない、と重苦しく呟かれた一言にトール達に何が言えただろうか。

 

「はは…………いいですって、先生」

 

 ショックを受けるトール達に比べて撃たれた腹部を手で押さえるサンダースは青ざめていながらも安らかな顔を浮かべていた。

 

「背負うな、よ……坊主。これは俺が……勝手にやったことだ」

「でも、俺を庇って」

 

 体を支えるトールにサンダースは、苦しいのかところどころで言葉をつっかえさえながらも今際の親が子に向けるように優しく微笑む。

 

「じゃあ……よ、もっと…………彼女と自分を大事にしな……それだけ……約束すれば……許してやる…………」

「約束します! 約束しますから……!」

「………いいダチ……じゃえねぇか……大事、にしろよ、坊主共…………」

 

 ごめん母さん、と最後に故郷にいる母に謝ってゆっくりと瞼を閉じたサンダースは二度と動かなくなった。

 動かなくなったサンダースの手を取って脈を確認したミスズは、首を横に振ってその手を腹部を押さえていた手に重ねた。

 

「地球標準時間1月26日1時28分、サンダース二等兵の死亡を確認」

 

 またアークエンジェルから一人、いなくなった。

 

 

 

 

 

 アルテミスを揺るがした振動を利用して、右手首の関節を外して手錠から抜け出したマリューは尋問官の銃を瞬く間に奪って逆に射殺した。そして鍵のかかっていなかった尋問室から出て今にも犯されそうになっていたナタルを救出。

 彼らにとっての不幸はマリューが下手なコーディネイターよりも格闘術や銃の腕に優れていたところにあった。誰が手首の関節を自由に付け外しが出来ると思うのか。

 続いてムウも助け出したマリューは二人を連れてアークエンジェルに向かった。途中でアークエンジェルから戻って来たガルシアを見つけたが彼らはマリュー達に気づかなかった。幸いにも外からの襲撃で混乱していてマリュー達の脱走には気付かなかったようだった。

 見つかることなく無事にアークエンジェルまで辿り着いたマリュー達は連絡通路を渡って艦内に入った。そこで敵を警戒していたノイマン達と遭遇した。

 

「…………艦長!? その傷は!?」

 

 捕まえていても邪魔になるだけだとアルテミスの軍人を連絡通路の向こうに叩き出してから待機していたノイマン達。最初はまた敵がやってきたのかと銃を向けたノイマン達だったが、それがマリューらだと分かると一斉に喜色を現しかけたが麗しい彼女の顔が青痣や血に濡れていると分かると慌てて駆け寄った。

 

「フラガ大尉をお願い」

 

 ノイマンが近づいて来るのを遮るようにマリューは片手に抱えていたムウを押し出した。

 

「え?」

「おい、もう少し丁寧に扱ってくれ」

 

 いきなり押し付けられたが顔を上げたムウの怪我はマリュー以上に酷かった。顔の形は原型を留めておらず、羽織っただけの軍服の下の上半身も傷だらけだ。たった数十分の間にアークエンジェル内で起こったこと並の何かが彼女らにもあったのは分かった。

 ムウをノイマンに押し付けたマリューは顔を巡らせた。直ぐにブリッジに向かいたいところだったが、怯えている今のナタルを男に預けるのはマズイと分かる。

 

「マリュー!」

 

 この場にいるのが男だけなのでどうするかと考えていたマリューの耳に聞き覚えのある声が入った。

 声の方向に顔を向けるとミスズがやってくるのが見えた。そして纏っている白衣に付く血も。

 当のミスズが怪我をしている様子もなく動いていることから他人の血であることは容易に推察がつき、アークエンジェルの方も自分達の同等かそれ以上の凶事があったのだと理解させられた。

 

「博士……」

「3人死んだわ」

「っ!? ……………分かりました。ナタルをお願いします。今は男性には頼めないので」

 

 聞きたくない面持ちで話しかけたマリューに返されたのは凶報だった。顔を歪めつつも内心で煮え滾る怒りを抑え込んで、ナタルの背中をそっと押した。

 ナタルの姿はムウとは別のベクトルで酷いものだった。スカートはビリビリに破られて殆ど布きれのような状態で、上はマリューの物らしい丈の合っていない軍服を肩から羽織っているような状態だ。腕も通さずに肩を抱くように両腕を強く回しているのを見ればその下がどうなっているかも分かる。

 あの気丈だったナタルが幼子のように抱かれるに任せているのを見て、痛ましそうに目を細めたミスズの目にも怒りがあった。

 

「危ないところでした」

「そう…………フラガ大尉を医務室へ。誰か民間人の中でいいから女性を何人か私の所まで連れて来て」

「はい!」

「大尉は自分が」

 

 重いマリューの言葉でナタルの状態を把握したミスズの指示に、一人が民間人が向かった居住区に、もう一人がノイマンからムウを受け取る。操舵士であるノイマンがいないことには艦は動かせない。

 それぞれが動き出す。マリュー達が戻ってきたことで連絡通路は外され、マリューとノイマンがブリッジを目指す。進みながらマリューがムウとフラガを振り返ったが止まることはなかった。

 そしてブリッジに入って、艦長が戻って来たことを喜んだカズィとパルが傷だらけの顔を見たギョッとするのを無視して一足で艦長室に座る。

 

「状況は!」 

 

 何時もより刺々しいマリューの声が響く。

 ナタルに軍服の上を貸しているのでシャツ一枚は少し肌寒い。だが、それがナタルの受けた屈辱、ムウの受けた痛みを思い起こさせてくれて嘗てないほどにマリューは好戦的だった。

 

「ブリッツがアルテミス内部に侵入! 先だってユイ・アマカワが乗って出撃したストライクと交戦中!」

 

 モニターにはソードストライカーパックを装着したストライクがブリッツと交戦しているのが見えた。

 戦況は互角というよりもストライクがやや押しているといったところだろうか。

 

「あの状況なら援護はいらないわね。アークエンジェル発進します!」

 

 マリューの指示にクルー達もこんなところには一秒たりとも長居したくないと今までにない速さで発進準備が整えられる。

 エンジンに火が灯され、ゆっくりと動き出した瞬間に他の場所でも破壊工作が行われているのだろうアークエンジェルがいるドックにも火の手があっという間に回って来た。これだけのことをされてアルテミスの住人を助ける義理はないとして、情に厚いマリューにしてはアッサリと見捨てた。

 

「反対側の出口からアルテミスを離脱します! 転進してローエングリーン発射準備! ストライクも呼び戻して!」

 

 アドレナリンが出ているのだろう痛みは全く感じないがマリューの視界が歪み出した。もはや忘我の境地のまま指示を出す。

 

「ストライク着艦!」

「転進完了!」

「ローエングリンもいけます!」

 

 もはや誰が言っているかも分からないが内容は理解していた。

 

「ローエングリーン発射! 後にアークエンジェル最大船速で進め!」

 

 指示を下した後で、マリューの意識は本格的にに混濁し出した。それでも一瞬の光の後、少しして馴染んだ漆黒の宇宙が見えて安心したマリューの意識は完全に落ちた。

 アークエンジェルはアルテミスを脱出できたのだ。多くの人間に傷だけを残して天使の名を冠された艦は虚空を進む。

 



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第8話 虚空の宇宙

 

 ジャンク屋組合。ジャンク屋とは、スペースデブリなどのジャンク回収や修理、生産活動全般を生業とする人々である。

 本来、ジャンク屋達は独立意識が強い傾向があり、個人あるいは数名程度での活動が多く、同業者との接点は少なかった。しかし、地球連合とザフトの戦争勃発に際して自らの身を守る為と戦争で大量発生したジャンクのリサイクルのため、マルキオ導士を中心とした有識者達の働きかけによって誕生したのがジャンク屋組合である。

 また、前線で破壊され帰還不能となって各国が回収リサイクルを必要とする兵器の量も激増する。このため、業界全体の統一された仕組み作りが必要になった。

 ジャンク屋組合参加者は回収したジャンクの所有者を与えられるほか、地球連合とザフトの両支配エリアでの活動が許可されている。ただし、中立遵守と脅威に対しても先制攻撃を許されないなどの制約も課せられている。組合マーク付き船舶の入港は如何なる国家でも拒否できない為、極めて大規模な活動範囲を約束されている。これらの権限や義務は国際条約によって取り決められた。

 地球上を含め、広範囲で活動するジャンク屋だが例外として戦時中のプラントからは直接侵入することは禁じられている。ただし、「出島」と俗称される取引専用ステーションを用意され、「手形」が発行された者には監視員付きながらも侵入許可が出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユーラシア連邦の軍事要塞アルテミス脱出から三日。アークエンジェルは孤独に虚空の宇宙を進んでいた。

 ブリッジに張りつめる空気はお世辞にも良いとは言い難い。クルーは等しく針の筵に座っているような気持ちを抱いていた。

 

「再度確認しました。半径5000に、敵艦の反応は捉えられません。完全にこちらをロストした模様」

 

 空気と同じくジャッキー・トノムラの張りつめた声がブリッジに響き渡る。

 トノムラが報告しているのは艦長席に座る目元に濃い隈を残すナタル・ハジルールである。この三日間座り続けている艦長席で制帽を深く被ってよほど注意深く観察しなければ表情すらも分からない。分かるのはただ前だけを見ていることだけ。

 

「了解。引き続き、警戒を厳にするように」

 

 報告に硬質な声が答える。そこに余裕や情は感じ取れない。ヘリオポリスから追い続けてきたザフトの姿がないことに喜んでいる様子は見られない。あるのは硬質なまでの愚直さだけで、人を委縮させる威圧さだけだった。

 ナタルの変容に操舵席に座るアーノルド・ノイマンは痛ましそうに瞼を閉じた。

 

「艦長の容体は?」

「医務室からは以前変わらないとの報告あり。意識は戻られたのですがまだ熱が下がらず、完治にはまだ時間がかかると」

 

 続いた問いにはロメロ・パルが答えた。

 アークエンジェルの急造艦長を務めていたマリュー・ラミアスはアルテミス脱出後に積もりに積もった心労も合わさって倒れた。40℃近い熱を出して当初は意識不明だったが三日も経てば多少は回復してきた様子だった。

 数少ない良い情報にもナタルは引き締まったままで固まったように表情を動かなさい。

 

「フラガ大尉は部屋に戻られています。二、三日中には復帰できると報告がありました」

「そうか」

 

 この三日の間に繰り返された流れなので、続けたパルも頷いたナタルの返答も一辺通りだった。

 アルテミスでの尋問によって怪我を負ったムウもこの三日間、医務室に缶詰め状態だった。骨折や神経には問題なかったが打撲が酷く、本当ならば一週間は寝て過ごさなければならない傷だったのに半分で動けるようになっているムウが凄いのか。

 

「…………民間人の様子で何か問題はあるか?」

 

 始めてナタルが声に迷いと不安を滲ませた。その声に操舵を握るノイマンが全身をピクリと反応させて振り向きかけたが自身の職責を思い出したように振り返りかけた体を元に戻す。

 

「問題報告は上がってきていません。各自、割り当てられた仕事を行なっています」

「状況は逐一上げさせろ。問題があれば直ぐに対処せねばならん」

「しかし、民間人に仕事を手伝わせて本当に良かったのですか?」

「重要部署や艦の運航には関わらせておらん。絶対的に人手が足らんのだ。避難民といえど無為に遊ばせておく余裕はない」

 

 パルとナタルの会話にノイマンは操舵を行ないながら表情を曇らせた。

 先のアルテミスで軍人二人と民間人一人が死亡した。三人とも銃を持つアルテミスの軍人に立ち向かっていった結果だ。

 全員死ぬかどうかの瀬戸際だったのだから少ない犠牲ですんで良かったと喜ぶべきなのかもしれないが、人はそう容易く死を受け入れられる種ではない。受け入れられるなら戦争は起こらず、争いも発生しない。

 この犠牲によってただでさえ人手不足の中を水に溺れる中を喘ぎながら空気を求めるように艦を運航していたアークエンジェルは完全に手が回らなくなった。 非常時、一時だけならどうにかなっても、今のアークエンジェルは24時間艦を動かしている状態にある。休憩をしている間の交代要員が必ず必要になるが人が足りない。もはやアークエンジェルは軍人だけでは立ち行かなくなった。

 追い打ちをかけるように艦長のマリューが倒れ、同階級のムウも負った負傷によって数日は安静。階級で続くナタルに白羽の矢が立つのは当然の流れだったが彼女もまた悲惨な状況に陥っていた。

 アルテミス行きを決めたアークエンジェルの上層部三人が揃ってそんな状態なのだから民間人や下の者が文句を言える状況でもない。文句が言えるほどの余裕もない。

 

「艦内の見回りに行ってくる。何かあったらインカムに連絡を」

 

 頑なにも思える硬質な声だけを残して、インカムを取り付けたナタルは艦長席から立ち上がってブリッジを出て行った。

 ナタルがブリッジからいなくなると固まりきっていた空気が解れて何人かがホッとしたように息をついた。前を通って入り口に向かわれたカズィなど誰よりも深い息を吐いていた。それほどにナタルが醸し出す空気が彼らに緊張を強いていたということだ。

 ノイマンはナタルがいなくなった途端に緊張感を緩めすぎるブリッジクルーに腹の底から湧き上がって来る怒りが表情に出るのを感じた。だが、自分もまたナタルがブリッジを出たことに少なからぬ安堵を覚えて肩から力が抜けたこともまた事実。何も言えるはずがない。

 

「俺って奴は……」

 

 情けなさから操縦桿に突っ伏したくなったがなけなしの職業意識と艦の運命を握る物にみっともなさをぶつけたくなかったので堪えた。

 周りの安堵が理解できてしまう苦悩。ヘリオポリスからの数度の戦闘とコロニーの崩壊。そしてアルテミスで友軍であるはずのユーラシア連邦のエゴを剥き出しにした姿。ここ数日の間に緊迫し続けている艦内の空気に神経が参っているのはノイマンも同じだ。

 

「ザフトが俺達を見失ったのはアルテミスが上手く目を眩ませてくれたってことかな? だったら、それだけは感謝しないと」

「そんな気持ちにはとても慣れません。あんなことがあった後ですよ? 感謝なんてとても」

「俺も同じ気持ちだけどさ、冗談を分かってくれよ」

 

 疲れが澱のように沈殿している頭では暗くなりすぎる空気を明るくしようとして空回りしているパルと嘆息を深めるカズィの会話は雑音としか感じられなかった。

 

(疲れてるな、俺も)

 

 右手だけを操縦桿から外して目元を揉む。

 民間人に艦の仕事を手伝わせているといっても操舵やエンジン類等、触らせてはいけない部署には入らせていない。特にブリッジが最たるもので、二交代でギリギリ回しているような状態なので疲労も大きい。

 特にザフトがまた襲ってくるのではないかという不安はブリッジクルーに強い緊張を強いている。アルテミスでの凶行を思い出して熟睡できず、少しも寝た気がしないから起きている間も常に倦怠感が全身を支配している。

 自分もナタルのように目元に濃い隈が出来ているだろう。それはブリッジクルーや艦内にいる軍人や民間人も変わらない。壊れた水車を空回りさせるような虚しい気持ちを味わっていた。

 

「交代です」

「ああ、そんな時間か」

 

 何時の間にか隣に来て肩に手を置いていたトールの顔を見上げて、予想以上に疲れが全身に回っていることを認めざるをえなかった。

 意固地に操縦席に座り続ける理由はない。操縦桿に凍り付いてしまったような左手を離して立ち上がる。振り返れば、トール・ケーニヒが直前まで寝ていたのだろう、膨大に爆発している寝ぐせのままで立っていた。

 

「髪の毛、立ってるぞ」

「え、どこですか?」

「ここだ、ここ」

 

 言いながら手串で立っている髪の毛を抑えるが癖毛が強いのか一向に直らない。トール自身も自分の髪質のことは良く解っているのか、直すのを諦めたように笑った。

 

「もういいです。それよりノイマンさんは休んでください。顔凄いことになってますよ」

 

 人懐こく弟のようにも思える少年の眼差しに暗いところはない。

 目の前で一人の軍人がトールを庇って死んだにも関わらず平静でいる。このような状況下であっても逞しく在れるトールを羨ましくも思うが同時に危ういとも思う。

 

「悪い。後を頼む」

「任っせて下さい」

 

 胸を張って答えるトールに、しかしノイマンは何も言えずに肩に手を置いて後を任せた。

 離れた操縦席にトールが座るのを確認して、床を蹴って入り口を目指す。こういう時、無重力なら歩く必要も無いので疲れた体には慣性さえあれば動いてくれるから本当に有難い。

 上から見下ろすと誰もが疲労の色の濃い顔でモニターに向き直っている。ノイマンは改めてクルーの顔を見て限界が近いと思った。

 

「ザフトがこっちを見失ってくれたのは幸いですけど、こっちの問題は何一つ解決していないんですから」

 

 上を通りかかった時にカズィがパルに向かってポツリと呟いた言葉にその通りだと認めてしまい、軍人なのに何の解決策も見いだせない自分を恥じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユーラシア連邦の軍事要塞アルテミス。数日前にアークエンジェルが入港したこの要塞はたった数日の間に様変わりしていた。

 辛うじて一部分だけ光波防御帯シールドが展開されているが虫に食われたように穴だらけ。穴開き部分を埋めようと艦艇が出ているが損傷が目立つ。

 

「無様だな」

 

 たった数日でボロボロになったアルテミスを見て、アガメムノン級オルテュギアのブリッジで一人の少年が冷笑を浮かべていた。

 

「墜とされたと聞いたがボロボロになった割に健壮なのはご苦労なことだ」

 

 まだ年若い少年が浮かべるには残酷すぎる笑みを隣で見た女性兵士は僅かに眉を顰めた。

 

「カナード」

「分かっている。あの蛸坊主の前で言いはしない。それぐらい俺も弁えている」

 

 諌めるように名前を言ってくれるボブカットに実用性重視の眼鏡をかけたメリオル・ピスティスに、カナード・パルスは説教は御免だと手を振った。

 出来る女というオーラを自然と出すメリオルは雰囲気とは裏腹に迂闊すぎるカナードにまだ言いたいことがあったようだが、当のカナードに聞く気がないと解ると口から出る矛を収めた。

 カナードとの付き合いは開戦当初に上層部に引き合わされてからなので、半年程度にしか満たないが毎日顔を合わせていれば大体のことは解って来る。それでも一言だけでも言わずにはおけないほど、カナードは無鉄砲な所がある。

 

「くれぐれも言葉には気を付けて下さい。ただでさえ、あなたは口が悪いんですから」

「分かっていると言っていただろ。しつこいぞ」

 

 こちらが気を回しても受け入れようとしないのがカナード・パルスという人間であることは十重に承知している。利かん坊な弟を持ったような気分であるが実際にはそんな生易しい相手ではない。

 常に相手を睨むような目つきさえ抑えればどこにでもいる優男風の少年になるのだがその本質は獰猛な肉食獣と大差ない。今は鎖に繋がれているだけで何時自分達にも牙を剥くか判らない。

 メリオルはアルテミスを常の睨むような視線で見ているカナードの首を見た。

 肩下まで垂れる女性のように長い黒髪と特殊部隊の戦闘服の襟で見えないがそこにはユーラシア連邦が文字通りの首輪が付けられている。逃亡を防止するために取り付けられた金属製の爆弾付きの首輪が。

 

「どうした?」

「いえ、なにも」

 

 僅かな視線の動きすらも見ずに感じ取ってしまえる少年の感覚の鋭敏さに寒気を覚えながらも、データとして渡されたカナードの今までの経歴と扱いを知れば同情もする。

 

(スーパーコーディネイター)

 

 いまカナードが見ているジェラード・ガルシア少将よりも更に上の、ユーラシア連邦でも最上層に近い人間が言っていた言葉を思い出す。その時の光景もまた。

 

『カナード・パルス特務兵?』

『そうだ』

 

 時は今から半年ほどまで。ガルシアとカナードと始めて引き合わされたのだが、少年は他者よりも圧倒的に秀でた能力を有しながらも囚人のように手錠を嵌められていた。

 

『現在、プラントと交戦状態にある地球連合だがその実、支配権を強めているのは大西洋連邦であることは君も知っていよう』

『はい。エンデュミオン・クレーターでの真相を隠匿するために私をアルテミスに左遷させ、敗戦の責任をビラード准将に押し付けたことを忘れるはずがありません』

『そうだ。そしてコーディネイター共との戦争が終われば我々の敵となるのは奴ら大西洋連邦だ!!』

 

 有能といえども一介の士官でしかないメリオルには上層部が私怨で動いているしか思えない光景を見るのは苦痛であった。だが、この時のメリオルは苦痛を感じてはいなかった。それよりも馬鹿な子供を嘲笑うように口の端を微かに持ち上げる手錠の少年に意識が向いていた。

 髪は伸び放題、細く青白い肌は一種病的なものがあったがそれが余計に神秘さを増して少年を彩る。もしも天界などというものがあるのなら下界を見下ろす神はこのような少年のように笑うのだと何故か思った。

 

『大西洋連邦が極秘裏にモビルスーツを開発しようとしている情報が手に入った。そこでガルシア君、メリオル君。君達二人に特命を与える』

 

 男の言葉に少年に吸い寄せられていた視線を戻さねばならないことにとてもつもない努力を擁した。

 少年の後に俗物に塗れた男を見ると自分まで汚されるようで強い我慢が必要だった。それほどに少年の内側から発散される強い意志はメリオルに影響を与えている。

 

『我がユーラシア連邦独自のモビルスーツ開発部隊として特務部隊Xを結成する。ガルシア君、君をその司令に任命する。これからの情勢を左右する重要な任務だ。ここで実績を上げれば上に君のポストを用意しよう』

『あ……ありがとうございます! 必ずやお役に立ってみせます!』

 

 喜び勇んで敬礼するガルシアに少年が忌々しそうに舌打ちしたのをメリオルは聞き逃さなかった。

 

『では、カナード・パルス特務兵を君の配下とする。気難しいヤツだが腕は確かだ。なに曲がりなにもスーパーコーディネイターだからな』

『は? スーパー?』

 

 コーディネイターはコーディネイターでしかない。そこにスーパーが付く意味が解らないのはメリオルもガルシアを同じだった。ただ、今にも飛び掛かりそうな少年――――カナードと、言った男が見せびらかすように何かのボタンが付いたリモコンをこれ見よがしに掲げているのを見れば誰のことを指しているのかは分かる。

 

『この少年がスーパーコーディネイターだと仰られるのですか?』

 

 思わずメリオルが男に尋ねたのは、この美しい獣が鎖に繋がれているのが我慢ならなかったからである。

 

『L4のメンデルの事は知っているかね?』

『一昨年に大規模なバイオハザードが発生したコロニーと記憶しています。X線照射により全域が消毒されたためコロニー内環境は無害となりましたがG.A.R.M. R&Dが倒産したことで放置されていると』

『流石は我がユーラシア連邦が誇る才媛。良く知っている』

『恐縮です』

 

 男の言い方はとても褒められているように感じなかった。男も皮肉のつもりで言っているだろうことは、今までに女伊達らに昇進を重ねてきたことに対する嫉妬や羨望を多分に受けてきたメリオルなら良く解り、また十分に受け流せるものだった。

 可愛くない、とガルシアが呟いたのも聞こえていたが階級が上の者に進んで立て付くつもりのないメリオルは敢えて聞き流した。

 

『…………メンデルが「禁断の聖域」「遺伝子研究のメッカ」とも呼ばれているのは君も知っているな?』

『はい』

 

 自分で全てを話したい独善的な男だ、と途端に不機嫌になったことから望まれている答えだけを返すために頷いた。

 

『ならば、メンデルにあるG.A.R.M. R&Dが所有する研究所施設でより先進的なコーディネイターを生み出す研究も行われていたことは?』

『…………いえ、過分にして知りません』

 

 メリオルがいくら才媛と言われていても、知っていることと知らないことがある。前者は主に一般に広まっていることやメリオルの階級で知れる範囲の中で、後者は軍事機密に指定されていたり歴史の裏側にある情報である。男が言っているのは後者だった。

 メリオルが知らないと解ると男は途端に機嫌を良くした。

 

『当時のブルーコスモスの最大の標的であるユーレン・ヒビキ博士。彼が生み出した最高傑作こそが……』

『パルス特務兵であると? では――』

 

 カナードを見るガルシアの目が欲望にギラギラと輝いた。

 ユーレン・ヒビキのことをメリオルは知らないが当時のブルーコスモスが最大の標的としていたと聞けば大体の予想はつく。ガルシアが何を考えているかも。

 

『残念ながらパルス特務兵は失敗作の烙印を押された出来損ないだ。残念ながら最高傑作は博士と共に死んだらしい』

 

 口調ほどには残念がらず、それどころか愉悦を明らかにする男にメリオルは吐き気を覚えずにはいられなかった。

 人を目の前にして失敗作呼ばわりして何も考えずにいられるほど厚顔無恥ではなかった。だが、軍人の家系に生まれて流されるように軍人となったメリオルは感情を制御する術を身に着けており、表に出すことはなかった。

 

『失敗作として破棄されるのを研究者の一人が情けをかけて逃がしたらしい』

『それは心優しい者もいたものです。感謝しなくてはなりませんな』

『パルス特務兵のデータではヒントにもならないと報告が上がっている。どうせ逃がすならオリジナルにすれば良かったものを。失敗作は所詮、失敗作に過ぎんというのに』

『全く以て同感です』

 

 そうやってゲラゲラと笑う男とガルシアをメリオルは遠い異世界の住人のように感じていた。

 人はここまで他人に残酷になれるものなのかと、人間の醜さに直面している気さえした。この現実は夢だと思いたいメリオルが意識を逸らしていると、突然笑っていた男が笑みを止めてメリオルを睨んだ。

 

『なんて目をしている』

 

 男が睨んでいたのはメリオルではない。視線が僅かにずれているのを感じ取ったメリオルは体を横にずらして背後を見た。

 

『!?』

 

 メリオルは今まで殺気というものを感じたことはあっても殺されると思ったことはない。なのに、振り返った先にいるカナード・パルスの憎しみに染まりきった目を見て失禁しかけるほどの恐怖を覚えた。

 同時に背筋に走る快感にも似た戦慄を覚えた。

 メリオルの人生は常に他者によって流されてきた。軍人の家系に生まれ、周りに求められるままに軍人になって結果を出し続ける。自分の望みなど持ったことはないし、これからも持つことはないと思っていた。

 

『生きているだけでもありがたく思え!! この失敗作が!!』

 

 メリオルとは反対に、いたく気に入らなかった男は手に持つリモコンのボタンを押した。

 

『あああっ!?』

 

 男がリモコンのボタンを押すと手錠から高圧の電気ショックがカナードの全身に走るのがメリオルからでも分かった。

 

『まったく! 痛い目に遭わせないと理解できないとは動物と一緒だな!!』

 

 倒れ伏すカナードを忌々しそうに見る男を見た瞬間、メリオルの手は携帯している拳銃を探して動いたがこの部屋に入る前に憲兵に渡していることを思い出して抑えた。

 傍目には動いたとすら分からないほどメリオルの挙動を見過ごさなかったのは、電気ショックで倒れ伏したカナードだけだった。

 

『このように少しやんちゃが過ぎるが、能力は失敗作と言えども並みのコーディネイターを遥かに上回る。ガルシア君、君なら上手く飼い慣らせる期待している』

『はっ、閣下の期待に応えてみせます』

『良い成果を期待している』

 

 もはやメリオルの頭の中から男とガルシアの存在はどこかへ飛んでいた。

 メリオルの頭の中を占めていたのは、傷ついて立ち上がることも出来ないカナード・パルスだけだった。

 痛みに喘ぎながらも世界全てに憎しみを叩きつけるような視線が自分に向けられていないと解っても体を震わせずにはいられない。メリオルは自分が発情しているのを認めなければいけなかった。

 自分にはあそこまで強い意志を持つことは出来ない。強い力に膝を屈して屈伏する道を選ぶだろう。どれだけ蔑まれ、痛めつけられても折れず曲がらず不屈であることは流されて生きてきたメリオルには出来ない。

 メリオル・ピスティスはカナード・パルスの不屈の意志に魅了されていた。

 

『メリオル君、君にはパルス特務兵の副官を命ずる。良く管理してくれ』

『了解しました』

 

 そのような命令を下されるまでもなく、メリオルの価値観は既に激変している。

 男に敬礼をしながらも、メリオルの忠誠はカナードにのみ向けられている。男達さえいなければ不屈の意志を持つ黄金の獣に深々と頭を垂れていたことだろう。

 男はガルシアを頭に据え、カナードを動かしてメリオルに手綱を握らせようとしている。その思惑は始まる前から破綻していた。手綱を握るべきメリオルがカナードに忠誠を誓ったからである。

 

「……オル…………メリオル!」

「は、はい!」

 

 名前を呼ぶ声に過去を思い出して意識が現実に戻って来る。

 気がつけばカナードがこちらを訝しげに見ていた。

 

「何を呆けてる。着艦の指示を出せ」

「分かりました。総員、着艦準備!」

 

 言われた通りに指示を出しながらメリオルの顔は僅かに赤くなっていた。

 気づいたのは最も付き合いが長いカナードだけだが彼の興味は戦うことだけにある。モビルスーツ開発部隊に従事する傍ら鹵獲したジンを改造して実戦経験を積んできた。特務部隊の役目からユーラシア連邦と分からないように秘匿されているが、メリオルの贔屓目なしにザフトの名付きのエースにすら勝ると見ている。

 

「さて、あの焼いても食えそうにない蛸坊主がわざわざこの時期に呼び出した言い訳を聞くとしようか」

 

 未だに檻に繋がれながらも不遜さを忘れないカナード。忠誠は留まること知らず、もはや信仰の域まで達した主の言葉にメリオルは黙して追従するのみ。

 彼女は知らない。たった数日前に大西洋連邦が極秘で建造した新造戦艦とモビルスーツが来訪し、その中にカナードに関係のある少年がいたことを、ガルシアが勿体ぶって話すことをまだ知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アークエンジェルで最も慌ただしく人が動いているのはモビルスーツデッキである。

 先の戦闘で大きな損傷を負ったアストレイ・グリーンフレームに、オーブの技術者やアークエンジェルの整備員が象に集る蟻の如く機体のあちこちに張り付いて作業していた。頭に包帯を巻いているマードックが部下に怒鳴ったり、部品をくれとオーブの技術者が喚いていたりするので五月蠅いことこの上ない。

 そんな喧騒が支配しているモビルスーツデッキに一角だけ、不自然に静まっている場所があった。

 オーブ側が持ち込んだモビルスーツのシュミレータにキラ・ヤマトが乗り込んでいた。苦しげに顔を歪めるキラを見ればシュミレショーン内容は良いものではないようだった。

 

「くっ」

「攻撃と防御の意識の切り替えが遅い」

 

 モニターの中で敵機に追い込まれていく状況に息を詰めたキラの横で相変わらずの淡々とした様子でユイが突っ込む。

 

「そんなこと言ったて……」

 

 横から突っ込んでくるユイに文句を言いつつもキラの目は前に向けられている。

 視線を前から外せるはずがない。彼の目の前にはストライクの戦闘データから抽出されたオレンジ色に着色されたカスタムジンがいる。ヘリオポリスで散々に翻弄してくれた相手に目を外せるほどキラは驕っていない。

 カスタムジンが狙いを絞り込ませないように機体を細かく揺らしながら接近してくると、突然重斬刀を投げた。

 真っ直ぐ飛んで来る重斬刀をシールドで弾くと、目の前にはカスタムジンの姿。

 咄嗟に腕を動かしてシールドで防御しようとしたが嘗てのように腹部を蹴られる。

 

「速い!」

「ストライクよりも速くなんてない。差を覆しているのはパイロットの腕」

 

 激震するシートに座っているキラにユイは本当に容赦ない。

 カスタムしていてもベースがジンではストライクよりもどうしても機動力で劣る。機体の機動力の差を埋めるのは純粋にモビルスーツパイロットの技量でしかない。新米どころから半人前にも届いていないキラと名付きのエースでは技量も経験も何もかもが違いすぎる。

 蹴られた体勢を整えたところで攻撃オプションに悩む。

 手に持つビームライフルを撃つか、持ち替えてビームサーベルで攻撃するか微妙な距離だった。

 

「迷ったのなら一度引くべき」

 

 ユイが言ったようにカスタムジンはキラの悩みなど知らないのだから、迷いを突くように機体各所に設置されているバーニアを吹かして一気に距離を詰めて来る。

 遅れながらもキラもストライクを後退させようとしたが、その時には逆に距離を離されて重突撃機銃が装甲に次々と着弾する。

 

「引くと決めたのならシールドを前面に掲げて防御するってさっきから何度も言っている」

 

 注意を受けたのはこれで何度目だったかと数えかけて、言われた通りにシールドを前面に掲げる。

 性能差をパイロットが埋めるなら、キラがすることは少しでも堅実にストライクを動かすこと。性能差を活かしたごり押しをしても覆してしまえるだけのパイロットが目の前にいる。

 キラは後になって聞いたことだがモニターに表示されているカスタムジンは『黄昏の魔弾』と評されるほどに優秀なパイロットらしい。そんな優秀なパイロットと比べて実戦どころか訓練も碌に受けていない素人に毛が生えた程度のキラでは逆立ちしても敵うはずがない。奇策に走っても実戦経験の桁が違うのだから通用するかも怪しいが、カスタムジンの行動は経験に裏打ちされた読みから導き出されている。手本とするとなればこの上ない教材なのもまた事実。

 操縦桿を動かしてシールドを前面に出して重突撃機銃を防いでいるストライクにビームライフルを構えさせる。

 じっとしていてはいい的だ。照準スコープを覗き込みながらもストライクを動かすのも忘れない。

 照準は中々合わない。当然だ。この程度で上手くいくような相手ならとっくの昔に誰かが撃ち取っている。それどころから急速な方向転換でスコープの中からも消えてしまった。

 

「ちっ、また見失った!?」

 

 これもまた何度目かも分からない結果だった。照準スコープを戻してカスタムジンの姿を探す。

 キラではカスタムジンの行動を予測しきれない。下手に欲を出せばあっさりとモニターから消える。次の瞬間にはモニターの死角から回り込まれてセンサーが反応して慌てて反応するということ繰り返す。

 この時もそうだった。ストライクを反転させるのと背後から忍び寄ってきたカスタムジンが重斬刀を振り上げるのが重なる。

 キラは咄嗟にシールドで重斬刀を受け止める。

 パワーではストライクの方が圧倒的に上回っている。地力の差を活かして弾き飛ばそうとするがその前に既にカスタムジンは離脱している。折角、ビームライフルからビームサーベルに持ち替えたのに届く距離にはもう敵がいない。

 再びビームライフルに持ち替えるが当てる確信が得られず、銃口を向けるだけに留まる。

 

「当てることに集中し過ぎ」

「じゃあ、どうしろっていうのさ!」

 

 小うるさい小姑のようにジクジクと痛む場所を突いてくるユイに思わず叫んでしまう。それでも顔と視線はモニターから離さないのだから数日分の成果は出ているだろう。

 

「相手の進路を塞ぐとか牽制をして行動を限定させれば次の予測が立てやすい」

「でも、ビームライフルは使いすぎるとエネルギーが直ぐになくなるよ。無駄撃ちを避けろって言ったのは君じゃないか」

 

 キラが今まで当てることにばかり意識を割いていたのはストライクの燃費の悪さ故だ。これはG全てに共通することだが、ジンとは比べ物にならないエネルギーを持つがフェイズシフト装甲とビーム兵装が馬鹿食いするので継戦能力に難のある機体になっている。

 ヘリオポリス脱出後の戦闘の前に同じようにシュミレータを動かしていたキラにユイは無駄撃ちは避けるように言っている。システムの調整を行ったキラも承知の事実だった。だから出来るだけビームライフルは撃たないようにしているのに、キラにはユイが全く違うことを言っているように感じた。

 

「相手の行動を誘導するために撃つのと闇雲に撃つのは別物」

 

 敵はこちらの思惑通りに止まってくれるはずがないのだから、と続けられた言葉は散々駄目だしされているキラでも認めなければならない現実だった。

 指摘を念頭において戦うにはキラは素人過ぎた。戦っている間に熱くなって目の前のことに集中し過ぎてしまう。硬質な思考ではなく柔軟さを求められても直ぐに答えられるような精神性をキラは持っていない。

 

「分かった」

 

 そんな素人が頑張らなくてはならないのが今のアークエンジェルだ。

 最大戦力がユイのアストレイ・グリーンフレームなのは動かしようのない事実であるがキラが乗るストライクも性能ならば引けを取らない。後はパイロットの、つまりは素人であるが故に伸びしろの大きいキラの出来次第でアークエンジェルの趨勢が決してしまうこともありうる。

 上達は急務であった。だからこそ、こうやってシュミレータで腕を上げようともする。

 今のキラは素人に毛が生えたレベルをようやく脱しかけているというところ。目の前のことに集中しているだけでもカスタムジンは遥かに荷が重い相手なのに意識を逸らしたら墜とされるのは自明の理。

 

「…………あ」

 

 撃墜を示すモニターを前にしてキラは阿呆のように口を開けることしか出来なかった。

 

「無様」

「ごめん」

 

 感情を感じさせない言葉が責められているように感じて思わず謝ってしまうキラだった。

 シートの横にいるユイをこっそりと覗き見れば人形のように表情を動かさない何時もの顔である。怒っているわけでも呆れているわけでもない。パイロットとして接する機会は多い。だからか、少しはユイの表情や雰囲気から感情を察っせれていると感じるのはキラの傲慢か、責められていると感じるのはキラの先入観からかは分からない。

 視線を前に向ければモニターに先程の戦闘のスコアが映し出されていた。

 回数を重ねれば重ねるほどスコア自体は上がっている。モビルスーツのシュミレータでのスコア上昇は言葉を変えれば人殺しの技術が向上しているとも考えられて、機体自体を動かすことに面白さは覚えるが嬉しくは思えなかった。

 キラの中ではストライクを人殺しの道具よりも他の用途で使いたいという欲求が消えない。それほどに動かして楽しいと感じる機体なのだ。

 

「上手くなってるのかな?」

 

 キラがこうやってアルテミス脱出後にシュミレータに没頭しているのには理由があった。

 目の前でサンダース二等兵が死んだ原因が自分にあるキラは考えていた。重すぎる他人の死の自責から逃げたかったのだ。キラが捕まりさえしなければサンダースは死なずにすんだかもしれないと、ありもしない妄想を抱きもする。

 

「最初よりはマシ」

 

 一度もカスタムジンに勝てないので実感はないがユイの言葉を信用すれば上達はしているらしい。

 褒めているのか分からない言葉だったがモニターに映るスコアの上位が全てユイので埋め尽くされているから、キラのモビルスーツの師とも呼べる相手に口答えの一つも言えるはずがない。

 

「次は私の番」

 

 文句を言いたいけど言えずに口の中でぶつぶつと呟いていたキラを押し退けるようにしてユイがシートに身を乗り出してきた。

 ユイがシートに固定しているベルトを外そうと身を乗り出してくると困ったのはキラの方だった。表情や雰囲気が人形染みていても体まで硬質ではない。

 未成熟ながらも女の柔らかさが無防備にも触れてくるのは思春期の少年にとってはあまりにも毒だった。特に熱中して上着を脱いでシャツ姿のキラには肌に直接温もりが触れているような錯覚すらある。

 

「ちょ、ちょっと……っ!?」

「もう三時間はやってる。いい加減に交代すべき」

 

 男のキラが半身に触れる柔らかさに顔を真っ赤にしているのに、当のユイはモルゲンレーテの制服に身を包んだ幼くとも魅力的な体を自覚もしていない。

 分かってやっている行動ではない。小さな子供のような無防備さは時に害となる。この時のキラがそうだった。

 

「何で知ってるのさ!」

「見てた」

 

 キラが慌てるのでユイも上手くシートベルトを外せず、二人でギャーギャーと言い争う。主に叫んでいるのはキラの方でユイは淡々としていたが。

 二人にとっては真面目にやっているつもりなのだが周りから見ればイチャついているのかと思うようなやり取り。アストレイ・グリーンフレームを修復するために忙しく働く男達にとっては聞いていて楽しいものではない。

 

「うるせぇぞ、お前ら!」

 

 そうやってキラとユイに怒鳴ったのはコジロー・マードックだった。

 オーブ側を纏めるミスズがこの場にいないので実質的な纏め役は彼が担っている。マードックが注意するということは整備員達の総意であると言い換えてもいい。

 

「遊ぶんなら他でやれ! こっちは忙しいだ!」

 

 言われてキラはユイと顔を見合わせた。互いの顔の距離が思いがけずに近いことにキラの頭は真っ白になった。

 間近で見るユイの顔は悪い意味ではなく人形のように精緻に整っていて、柔らそうな唇など吸い付きたくなるぐらいに瑞々しい。腕に触れるまだ小さな胸の感触といい、キラの心臓を高鳴らせるのに十分な破壊力がある。今まで悪い意味での人形の表情と雰囲気が他人に少女の魅力を気づかせなかったのだろう。

 ユイの方はといえば、キラの変化が理解できないとばかりに首を傾げている。

 固まってしまったキラの様子に疑問を覚えなかったはずはないのだが、元より口数が多いどころか極端に少ない方のユイは気にしないことにしたようでシートベルトを外した。

 

「どいて」

 

 固定具がなくなってしまえば無理に逆らう必要のないキラが何時までもシートに乗っている理由はなくなる。

 大人しくシートから降りると、ユイが座って座席位置の調整を行う。キラが使っていた位置よりも大分前に動かしているのを見ると、やはり自分よりも小さな体なのだと実感が湧く。

 身長が10㎝近くも違うのだから当然だと頭では分かっていても鬼神の如き戦いをしたモビルスーツと重ならないことに何故か安堵を覚えた。

 キラが使っていてユイが乗り込んだシュミレータは、ミスズがプラントからオーブに渡ってモビルスーツの開発に携わるようになってから作り上げた物らしく、複数のパイロットが使うことを前提として座席位置の調整も出来るようになっている。

 キラにとっての幸運は、Gがアストレイをモデルに作られただけあって細かな違いはあっても操縦系統が酷似していたことにある。でなければキラの技量は実戦任せで向上することを頼んだ危険な賭けを繰り返すことになっていただろう。そもそも、オーブ側との接触がアークエンジェルはヘリオポリスから脱出できたかも怪しい。

 キラがつらつらと考えながら漂っていると、視線の先にいるユイは準備が出来たようでシュミレータを起動させていた。

 

「え!?」

 

 シートの背凭れを掴んで覗き込むと舞台は宇宙のようで、それは別に驚くには値しなかったが問題は戦っている相手にあった。一体ではない。複数機、キラの乗機たるストライクを含めたG5機を相手にしていた。

 ヘリオポリスにシュミレータを持ち込んでいてGのデータも盗用されているらしいので敵機として出て来ることは戦ったことが良く知っているが、G5機と同時に戦うなんて勝機の沙汰ではない。

 

「五月蠅い」

 

 視線も向けずに言われた言葉に開けていた口を手で押さえる。キラだって横から口を出されるのに良い気分は抱く受け入れたのは助言であったからこそだ。

 観戦するなら黙って邪魔をしないようにするべきと考えたキラだったが三時間もぶっ続けでシュミレータを動かし続けた体は疲労を覚え、消費したエネルギーを求めて空腹を訴えている。

 ユイもまたキラと同じく長時間のシュミレータでの訓練を行っている。理由は後でも聞けるので少し離れても続けているだろうと考え、シートの背凭れを掴んでいた手で体を引っ張り、体を中空に浮かばせた。

 シュミレータを見下ろせる位置にまで移動すると見えてくるのは二体の巨人の姿だった。

 ストライクとその横でメンテナンスヘッドを改造することによってワイヤーを使わずとも設置が可能になったアストレイ・グリーンフレーム。

 キラの前を見覚えのある整備服の人間が横切った。ストライクの調整や修理で何度か会話を交わした事のある相手だった。

 

「あの……ラムルさん」

「ん? なんだ坊主か」

 

 モルゲンレーテの技術者でミスズ・アイカワの部下であるラムル・リスティアーノは呼びかけたキラの方を振り向いた。

 マードックがキラを坊主と最初に呼んだ所為で技術者や整備員は全員そのように呼んでいた。16歳なのだから坊主呼ばわりは止めてほしいのだが年長者に、口達者どころか口下手の部類に入るキラでは口で勝てるはずもない。今となっては坊主と呼ばれることに諦めの境地に入っていた。

 諦めの境地のままアストレイ・グリーンフレームを指差す。

 

「あれって壊れたところを修復してるんじゃないんですか? 違うところも触っているようですけど」

 

 四肢の殆どを失ったアストレイ・グリーンフレームの背後にも人が入り込んで作業をしているので損傷箇所だけを修復しているようには見えなかった。

 

「博士の指示で改良しているのさ。ストライカーパックを取り付けられるようにバックパックを改造してるんだ」

「そんなこと出来るんですか?」

「出来る。といっても博士の知恵がなければやろうと思わなかった。あの人は本当に凄い人だと改めて思う」

 

 一人で納得したように頷くラムルにキラは聞きたいことがあった。だが、口に出していいかとも悩んでいた。

 ラムルはキラの悩みも知らずに、本質的に喋りたがりなのだろう。聞かれてもいないのにペラペラと話し続ける。

 

「バックパック以外にも改造しているんだが、これは出来てからの秘密だ」

 

 見た限りでは損傷した四肢以外に整備員達が取り付いているのは背部しか見えない。気になったがアムルもそれ以上のことは言わなかった。

 

「元々、P04はユイさんの専用機という意味合いも強くてな。あの子だけがナチュラルでもモビルスーツを扱えたこともあるんだが、ここまでとは正直思っていなかった」

 

 強化人間、とアルテミスでジェラード・ガルシアがユイを指して言ったことを思い出してキラは顔を曇らせた。ユイが本来ならばコーディネイターしか扱えないモビルスーツを乗れるのにはそこら辺に関係しているだろうことは想像に難くない。

 キラには分からないがラムルも思うところがあるのだろう。読み取れないが表情は常と少し違うように見えた。そこに安易な否定や嫌悪の感情はなかったので少し安心して口を開いた。

 

「あなた達はどう思っているんですか? ユイさんのことや…………博士がコーディネイターでモビルスーツの開発者だったてことに」

「………………」

 

 アムルはキラの問いに直ぐに返答することなく思案するように視線をアストレイ・グリーンフレームに向けた。

 キラは視線を眼下でシュミレータを動かしているユイに向け、意識を与えられた自室に自ら籠って出て来ないミスズに割いた。

 コーディネイターであるだけならまだしも、ザフトの主力であるモビルスーツの産みの親であることを知られて、言い方は悪いが軟禁のようなものだ。それが自主的かどうかの違いでしかない。ナタルの指示でドアの前にはMPもいるのでやはり軟禁と言った方がいいのかもしれない。守るのはどっちかは分からないが。

 地球連合の艦に彼女が乗っていることにガルシアでなくても皮肉を感じずにはいられない。それは同じコーディネイターであるキラもまた同じであるが。

 

「あの人の部下を長いことをやっているが、始めて聞いたことだから全く思うところがないと言ったら流石に嘘になる」

 

 少しの自嘲を乗せて笑みの形に唇を動かしながらも苦笑いにも似たそれがアムルの内心を言葉よりも雄弁に物語っていた。

 

「他はどうか分からないが二人との付き合いを変える気は少なくとも俺にはない」

「…………理由を聞いてもいいですか?」

 

 キラでさえ思うところが多いのに二人に近しいアムルが笑って言い切ったことに爽快感を感じた。悩みを放り捨てたのとは違う。裡に抱えた上で受け入れたと感じ取れたからだ。

 ラムルが不安そうに見るキラの頭に手を伸ばした。そしてそのままキラのショートシャギーの髪の毛を弄繰り回す。

 

「わぷっ……」

 

 父親が小さな息子にそうするように遠慮なしな手付きにキラが感じたのは嫌悪ではなく嬉しさだった。

 キラは父を写真を通してでしか知らない。写真は語り掛けてくれはしないし、触れてもくれない。

 近い表現の仕方をトールがするが二歳しか違わないのと、性格的に父性を持っていない彼では兄的な存在にしかなれない。サイならば性格的にキラの父親代わりをやれたかもしれないがあまりにも若く未熟過ぎる。

 その点、四十代を少し回ったぐらいのアムルならばキラぐらいの子供がいても不思議ではない。キラは無意識に父性を発するアムルに縋りつきたい衝動に駆られた。

 

「子供が気を回し過ぎだ。うちの息子みたいに生意気なぐらいが丁度いい」

 

 最も息子のように生意気になられたら困る、と快活に笑うアムルを見てキラの中で湧き上がっていた衝動が急速に窄んでいった。

 アムルはキラの父親役足りえない。血を継ぐ息子がいる相手に父親役をやってもらうほどキラも厚顔無恥ではない。他人に父親役をやってもらおうしていたとしてもだ。

 

「事実を受け入れるには時間が必要だ。分かり合うにも納得するにしても。博士も聡明な方だからそれが分かっているから自室から出て来ないのだろう」

 

 いきなり初対面のキラにディープキスをしてくるようなハッちゃけた人ではあるが知性という点に置いてアークエンジェル内で及ぶ者がいないのは間違いない。分野の違いや年齢の差はあれど、キラにはモビルスーツが作れるようになるとは思えない。キラよりもよほど頭の良い人が自分から閉じこもっているのだから行動にも何か意味があると考える。

 時間が必要だというアムルの言にはキラも納得が出来た。同時に思う。

 

(時間で全部が癒されるのかな?)

 

 裏切り者、ヒビキ博士の最高傑作、と二つの単語が何時までもキラの頭の中に消えずに残っていた。

 時間は誰にとっても平等で、時に優しく、時には残酷にもなるのだとどこかでキラは聞いた覚えがあった。

 この身に染みついた呪いと疑念は時間で払拭するとは思えない。同類を討ってしまった我が身を顧みて、少しずつ当初ほどの心の痛みを覚えなくなっていることに薄ら寒さを感じていた。

 

(僕もザフトと…………アスランと戦うことに何時かは慣れてしまうんだろうか)

 

 どうしてもそれだけはキラも受け入れたくない考えだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モビルスーツデッキを出て水制限もあってシャワーを使えず、仕方なく濡れたタオルで全身の汗を拭いたキラは随分前から鳴っている腹の虫を収める為に食堂に向かっていた。

 その道中で疲れたように深く肩を下ろしながら俯きがちに進むカズィ・バスカークが前方からやってきた。

 

「やあ、キラ。元気?」

「あ、カズィ。元気…………だけど、どうしたの? 何かあったの?」

 

 ヘリオポリスにいた頃、コーディネイターのキラですらダウンしたカトウ教授の課題をこなすために三日間徹夜しても、テンションが異様に高くなるだけで疲れた様子一つすら見せなかった剛の男が見せる弱気な顔にただならぬ予感を感じた。

 

「いや、何って言うか。バジルール少尉が艦長代理になってからなんかね」

「なんかって?」

 

 アルテミスから逃げ出した後に艦長だったマリュー・ラミアスが高熱を出して倒れ、数時間後に副長だったナタル・バジルールが艦長代理をしているのは誰かから聞いた覚えがあった。

 キラはこの三日間の間、ずっとモビルスーツデッキに籠ってストライクの調整かシュミレータ―を使っての訓練ばかりをしていたので艦内の空気に疎かった。当然、ナタルが艦長代理をしていることでの影響なんて知らない。

 モビルスーツデッキには艦内で仕事を手伝っている避難民や民間人も完全に兵器一色に染まっている空間に踏み込む者はいなく、作業員達はアストレイ・グリーンフレームの修復に手一杯で一種独立した空間になっている。そこから出てカルチャーショックを受けるのは当然の流れだった。

 

「まあ、誰かに聞いてみると解るよ。誰でもいいから。僕はブリッジに行かないといけないから」

 

 カズィは具体的なことを何一つ述べることなく、時間を確かめて急かされるように床を蹴った。

 

「どうしたんだろ?」

 

 どんどん小さくなっていくカズィの背中を見送りながら、キラに出来たのは首を捻ることだけだった。しかし、断続的に鳴り響く腹の虫は限界が近いことを伝えてくれている。

 

「ま、いっか」

 

 食欲を前にすれば大抵の疑問も横に流せる。この時のキラも深くは考えずに早く食堂に向かおうと足を進めた。

 キラが食堂に入った時、席の一つに休憩中らしいミリアリア・ハウが座っていた。

 

(あ、ミリアリアだ。ん? なんだかちょっと落ち込んでる?)

 

 伏し目がちに億劫そうに料理をゆっくりと口に運ぶ姿は普段の元気ぶりを知っているだけに落差が大きかった。

 ずっと腹の虫が餌を要求しているが友達の異変を見逃せるはずがない。少しの辛抱だと腹を撫でてミリアリアの下へ向かって肩に手を置く。

 

「ミリアリア」

「あ、キラ」

 

 驚いたように振り返るミリアリアの姿に、先程のカズィの様子と合わせて何かがあったのだと確信を抱く。

 

「元気ないみたいだけど、どうしたの?」

 

 ミリアリアが振り返ったので肩から手を離し、話し易い空気を作るように声を和らげる。

 

「落ち込んでるんじゃなくて…………あ」

 

 しかし、意に反してミリアリアの顔は強張ったままだった。正確に言えばキラの後ろを見て顔を強張らせた。

 後ろを振り返って見れば、そこにいた人は少し予想外の人物だった。

 

「バジルール少尉?」

 

 キラにはミリアリアが顔を強張らせる理由が分からない。

 理由が分からず食堂内部を厳しい視線で見渡すナタルを見るともなしに眺めていると、きつい視線を向けられて何か粗相をしたのかと無条件に思った。それほどにナタルの視線は強すぎた。

 

「ヤマト」

「は、はい!」

 

 怒られる、と名前を呼ばれて無条件に思ったキラは体を強張らせた。

 

「君の休憩時間は終わっているはずだが?」

「え、あ、いや…………休憩時間って決まってるんですか?」

 

 盛大に慌てた末に頭の中に定められた休憩時間なんてものがないことに気づいて、怒られると解っていても問いを発していた。

 直ぐに取りあえず謝っておけばと気づいたが後の祭り。

 

「君の休憩時間は一時間前に終わっている。その様子では渡したシフト表に目を通してもいないのか?」

「すみません」

 

 本当の事なので大人しく頭を下げて謝る。

 ナタルが艦長代理をすることになってから誰かに紙を渡されたような気がするが、寝泊まりをしている居住区のベッドに放り投げたままで寝る時に邪魔だったから丸めてゴミ箱に入れたような気もする。

 大人しく頭を下げながらも内心ではシフト表を捨てたことがバレないかと冷や汗をダラダラと垂らしていた。

 

「その動揺ぶりからしてシフト表自体を紛失したようだな」

「!?」

 

 キラの慌てようは目の泳ぎ方からしてナタルにはお見通しのようだった。

 今度こそ内心だけでなく冷や汗を全身に浮かび上がらせ、ナタルの顔を直視できずに視線を下に向ける。視界に映るのはナタルの黒いパンティストッキングに覆われた細い足だけだった。柔らかくて舐めたら甘そうだな、と性欲を晴らす余裕のない生活を送っているだけに、キラの煩悩がむくりと起き上がって自己嫌悪で即座に萎む。

 

「君がモビルスーツデッキに詰めているのは知っている。精進しているのもな。その頑張りに免じて、もう一度だけ発行するからちゃんと目を通しておけ。次はないぞ」

「…………はい」

 

 言葉通り、ナタルは次にキラが失敗した時は容赦しないだろう。相手に察せさせるだけの高圧的な威圧を今のナタルは放っている。言葉だけは優しげなので恐らくは無意識なのだろう。

 食事を取っているのはミリアリアだけではない。項垂れて謝ることを恥を覚えないでもない。悪いのは自分なので逆らうことは出来ず、大人しく肩身を小さくして頭を垂れるしかない。

 

「ではな」

 

 それだけ言い残して食堂から去って行く後ろ姿は女性ながらも恰好良いと言えるものであったが、いなくなると肩から力を抜けるのだからナタルから発せられる高圧的な威圧は負担を強いていたらしい。

 

「大丈夫、キラ?」

「うん、まぁ……」

 

 近くまで来たミリアリアに声をかけられたので咄嗟に頷きを返しながらも、言葉ほどには大丈夫とは言えなかった。

 少しだけ会話を交わしただけで何日分もの疲労を覚えた気がして肩が重かった。

 

「艦長代理になってからあの調子なのよ。ブリッジでも万事あの調子だから少しも気が抜けなくて、ずっと緊張しているの」

「僕はブリッジ要員じゃないからその辺のことは良く解らないけど、あれをずっと?」

 

 想像しただけでもげんなりとして、肩に圧し掛かる疲労が増えた気がするので早々に考えることを止めた。

 

「私達みたいな民間人にはまだ優しい方なのよ。本職の軍人にはもっと厳しいみたい」

「あれでまだ優しい方って……」

 

 先程の威圧感よりも強いのを、つい好奇心から想像してしまって顔を青くしてしまった。空腹も相まって眩暈がしてきた。

 

「とにかくマリューさんが治るまでだし、大丈夫だよきっと」

「そうだといいんだけど」

 

 キラやミリアリアではナタルに意見できる立場でないのだから、他人任せだと言われようとも待つしかない。マリューが復帰すればナタルの威圧的な雰囲気が消えずともキラ達にまで被害が来ることは減るだろう。

 

「二人でどうしたんだ? 立ち呆けて」

 

 ミリアリアと情けない顔をつき合わせていると横から馴染みのある声がかけられた。

 

「疲れてるわね、サイ」

 

 声をかけてきたサイ・アーガイルの顔を見れば彼もまた疲れているようだった。カズィと同じく研究やら開発やらそっち方面では何日徹夜しても疲れた様子を見せないのに、以前と違って色眼鏡の光に力がない。

 

「お前達もな」

 

 ブリッジにいて同じ苦労を知る者同士、ミリアリアの声かけにサイは彼女とガッシリと肩を組んでお互いを称えあった。

 

「サイ!」

「フレイ?」

 

 そこへミリアリアと同じ地球連合のピンクと黄色という派手な女性用の軍服を纏ったフレイ・アルスターがお盆を手に近づいてきていた。だが、三人に一定距離で足を止めて近づこうとしなかった。

 

「……? なに? どうしたの?」

 

 サイが一歩足を進める度に後退するフレイ。話をするにしても距離を取ったまま近づこうしない彼女を訝しんだ。

 キラも同じだったがミリアリアは訳知り顔で頷いていた。

 

「だって、水の使用制限だってシャワー浴びれなかったんだもん」

 

 ナタルがまず艦長代行になってから指示をしたのが水の使用制限だった。

 物資の搬入中にザフトの襲撃を受けたアークエンジェルは、後でオーブ側が合流した後にモビルスーツも導入して搬入したが決して潤沢にあるわけではない。最も水を使う風呂やシャワーなどは一番早く制限がつけられた区分であった。避難民も受け入れたのでナタルの指示は正しい。

 

「もん、じゃないわよ。それはみんな同じで艦長代理はそこら辺をまだ優遇してくれてるじゃない」

「一人で風呂桶一杯分じゃ何の意味もないわよ」

 

 ストレスが溜まっているのだろう、ミリアリアは文句を垂らすフレイに苦言を呈すがお嬢様である彼女は不満も露わに呟いている。

 これでも女はまだマシな方で、男は共用のバケツ一杯の水に各自のタオルを濡らして体を拭くことしか出来ないのだから扱いの差は大きい。

 

「なんだかな……」

「男女差別ってあるもんだね。文句を言いたいのに言える空気じゃないよ」

「同感だ。そもそも艦長と副長にオーブ側の代表者も女性だからな。男の肩身が狭くなるのは仕方ない」

 

 サイが顔を上に向けたのに習ってキラも新造戦艦らしく染みどころか傷一つないライトグリーンの天井を仰いだ。

 人数の比率でいえば圧倒的に男の方が多いのに肩身が狭いのは最上層部が女性で占められているのが主な原因である。艦の運営を指揮する4人の内、三人が女性では男であるムウの立場がそのまま艦の在り様にも影響している。

 

「なんて私まで軍服を着なきゃいけないのよ!」

「最初に説明があったでしょ? 着の身着の儘で軍艦に乗っちゃったんだから着替えなんてないし、少しでも洗濯の手間を減らすためだって」

「分かってる。分かってるけどさ……」

 

 民間人なのに軍服を着なければいけないことに納得がいかないのか、フレイの癇癪は止まりそうにない。

 ナタルのやり方は杓子定規で型に嵌めたがるので不満は見えないところで溜まっている。マリューならばそこら辺を上手く調整できる懐の深さがあったのだが、若く軍人らし過ぎるナタルにまでそれを求めるのは酷というもの。逆にマリューでは甘すぎて纏まりがなくなってしまう恐れがある。どちらがトップでも一長一短があった。

 

「マリューさんとバジルール少尉って足して二で割ったら丁度良さそう」

「全く以て同感。そう考えたら周りも上手い塩梅でメンバーが揃ってたもんだ」

 

 方向性が反対な二人を仲立ちするムウと民間人の総意を合わせるミスズといい、バランスが良すぎる。二人がダウンして一人が自己謹慎しているとこうまで悪化するとは考えもしなかった。

 

「本当に大丈夫かな?」

 

 口論を続けるフレイとミリアリアといい、周りの沈みながら食事をする人達を見渡してキラは先行きに不安を覚えずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 砂時計型のコロニーが宇宙空間に浮かんでいた。遺伝子調整されたコーディネイターの楽園『プラント』である。中には陸地は勿論、海洋もあり、気温は亜熱帯に調整されている。正しく人工の楽園であった。

 プラントの最高意思決定機関である最高評議会が政治拠点を持ち、首都でもあるアプリリウス近くの宙域に一隻の艦艇があった。正確にはアプリリウスに背を向けて遠ざかっている。アプリリウス周辺に滞空する複数の軍艦が追い立てるように感じるのは事件に関わったが故の負い目か。

 

「手形の抹消。プラントより退去命令だってさ」

 

 単純に母艦を示す『ホーム』と名付けられた艦艇のブリッジで、豊かな赤髪に目元の泣き黒子で妖艶を地でいく本名不明で周りにはプロフェッサーと名乗っている女が手に持つ紙を振る。

 人工知能搭載コンピュータ『8』が「oh!!」とコンピュータにあるまじきリアクションを取っている。

 

「ロウのお蔭でプラントに近づいていたテロリスト集団をやっつけられたのに、追い出すなんて非道いじゃん!!」

「まぁ、どうあれプラントの宙域で戦闘したのはマズかったですね」

 

 プラントからの通知に不満も露わにしているのはまだ16歳と若い山吹樹里で、彼女よりも4歳年上のリーアム・ガーフィールドは大人の事情が分かるだけに腕を組んで溜息を漏らしていた。

 8は樹里の意見に賛成のようで、「そうだそうだ」と本当にコンピュータかと思いたくなるリアクションを繰り返している。

 

「プラントの調べではあのテロリスト達はブルーコスモスだったようです」

「ブルーコスモスって、プラントを…………コーディネイターを目の敵にしてる組織だよね」

「ええ、コーディネイターの身としては関わり合いになりたくないところです」

 

 リーアムはこの艦で唯一のコーディネイター。ブルーコスモスはコーディネイター排斥の急進派なので、身の危険が危ない組織に近づきたいと思う馬鹿はいない。出会ってしまった時を想像したのか、立った鳥肌を擦っているリーアムにナチュラルの樹里が掛けられる言葉は無い。

 今まで黙って二人の話を聞いていた最後の一人、ヘアバンドを巻いたロウ・ギュールがデスクに置いた巨大な物体から視線を外してプロフェッサーを見た。

 

「悪いな、プロフェッサー。折角の手形を不意にしちまって」

「友達からの貰い物だから別に気にしなくていいわよ。有効期限の為に強行日程をさせてこんな事件に巻き込まれたんだから、謝るなら寧ろ私の方よ」

 

 謝るロウにプロフェッサーは手を振る。

 手形には有効期限が設けられており、一定期間のみプラント内の出入りが自由になる。ただし監視員付きではある。プロフェッサーが友人から貰った手形は期限間近で別の場所から急いで来たので強行軍と言えなくもない。

 

「ヘリオポリスでレッドフレームを手に入れられたのもその友達のお蔭なんだろ。なんたってエヴィデンス01を生で見られたんだ。後悔なんてない」

 

 人に謝るような態度ではないプロフェッサーにロウは苦笑いを浮かべながらも、迎撃に出たプラント側よりもテロリスト集団を倒した乗機を手に入れられたことと、ジョージ・グレンが木星から持ち帰った巨大な化石を見られたことに満足していた。

 

「モンドのおっさんのことは残念だったけどよ、満足して逝ったんだ。これも預かっちまったんだし、この話はここまでにしとこうぜ」

「あなたがそう言うならいいけど」

 

 ヘリオポリスからプラントに向かうまでに立ち寄った補給地で、ロウ達がプラントに入れる手形を持っていることを知って同行を望んだGG友の会のモンド。ジョージ・グレンを心酔していたモンドはエヴィデンス01を見たいと望み、ロウは同行を許可した。

 モンドはエヴィデンス01を見られたが直後にブルーコスモスのテロリストの銃弾から化石を守って死んだ。その際にモンドは持っていたユニットをロウに託して事果てた。

 

「プラントでは思ったよりヘリオポリスの件が報道されていませんでしたね」

「地球連合とザフトの戦闘で壊れたのにおかしくない? ユニウスセブンの件で過敏になってもいいと思うけど静かだったよね」

 

 プラントにいる間にヘリオポリス崩壊の件をニュースでチェックしていたリーアムが、暗くなりそうな空気を変えようと話題を変えた。

 樹里が直ぐにリーアムの話題に乗っかって訳知り顔で頷く。

 

「地球連合が作ったモビルスーツの所為だとか、開発に協力していたオーブの所為にしているとか、後は上の方で情報統制とかしてるからじゃない?」

「え~、なんかそれって嫌な感じ」

「そういうのが政治という奴ですよ。まだそれほど時間も経ってませんし、まだ最高評議会が詳細な情報を手に入れていないだけかもしれませんが。ニュースのトップを占めているのは先のテロと、ユニウスセブン追悼慰霊団派遣が遅れているのと、テロの対応で評議会開催が遅れているというのもあるでしょう」

 

 ジャンク屋組合という国を跨いで動く集団に属しているので樹里は大人の都合で情報が伏せられていることに嫌悪感を覚えているようだった。

 話す三人とは違って、政治にはとんと興味のないロウは中空を漂う8を掴んで先の戦闘のデータを表示していた。

 

「本当にたまげた性能のモビルスーツだぜ。でも、ビームが偉いエネルギーを食ってやがるな」

 

 レッドフレームの性能と残存エネルギーを見て、ロウは攻撃力は高いが燃費の悪い兵装に頭を痛めていた。

 

「ビームサーベルとか切れすぎだっつうの。あそこまで切断できる必要はないんだけどな」

『バッテリーで動いているんだから文句を言うな。ビームがエネルギーを食うのはしょうがない。諦めろ』

 

 想像よりもテロリストが乗るモビルアーマーを切り裂き過ぎて危うく殺しかけたロウとしては、エネルギーも食うし強大過ぎる攻撃力はいらないと考えている。8がロウの文句を一刀両断するが、レッドフレームをこれからも乗り続けるなら克服しなければならない問題だった。

 ロウと8の言い合いに樹里が気づいた。

 

「なになに、何の話?」

「ビームは攻撃力高すぎ、エネルギー食い過ぎって話」

 

 ロウの返事は略しすぎだが要点は捉えていたので樹里にもよく解った。

 

「じゃあ、既存の武器…………ジンの剣や銃に変えるの?」

「銃は今のままでもいいんだが、ジンの剣って重さで斬る剣だろ。今度は逆に切れ味が落ちすぎる」

 

 二人の話を横から聞いたプロフェッサーが艦にもあるジンの重斬刀と重突撃機銃をビーム兵装の代わりにするかと尋ねるが、ロウは大概注文が多い男であった。

 ロウが持っている8が表示しているレッドフレームのデータを見たプロフェッサーは、確かにエネルギーの消耗が凄いと頷いてリーアムを見た。

 

「リーアム、モビルスーツの使う剣でエネルギーを食わないのを探してみて」

「分かりました」

 

 会話の流れから自分にデータの検索のお鉢が回ってくると予想していたのか、既にリーアムはパソコンの前に座っていた。

 

「有益な情報は……」

「わおっ、早」

 

 思ず樹里が流石はコーディネイターと思うほどのキーボードタッチの速さでデータを検索する。それほど時間をかけず、リーアムの前のモニターに検索条件に引っ掛かったデータが表示された。

 

「量が多すぎます。全部試しますか?」

「この数をか? 冗談」

 

 思わずロウが聞き返してしまったほど、モニターに表示された剣の数は多い。

 実用性の高そうな物や、装飾品としての意味が大きそうな物まで合わせれば20を超えるデータを見れば全て試してみようという気はなくなる。機械好きのロウといえど、緊急性が高いとはいえない懸案の為にそこまでの苦労をするつもりはなかった。

 

「グレイブヤードは調べた?」

「グレイブヤード? いえ、調べていないです」

 

 プロフェッサーの口からで聞き覚えのない名称にリーアムは首を傾げた。

 聞き覚えがないのはロウや樹里も同じのようで、リーアム同様に首を傾げていた。同じ動作をする三人に薄く笑ったプロフェッサーは、リーアムの横からキーボードをタッチする。

 

「これよ」

 

 表示されたのは小惑星に後から次々に継ぎ足していったような建築物が映し出された。

 

「昔、地球から多くの技術者が移住したという居住衛星グレイブヤード。そしてここには」

 

 博識なリーアムが始めて見たという感想を漏らしながらも、プロフェッサーは更にキーボードをタッチし続ける。

 そして映し出されたのは、磨き抜かれた鉄のように光り輝く刀身の武器。

 

「わあっ!! 綺麗な剣っ!!」

 

 機械には思い入れはあっても武器には良い思いをしない樹里が思わず感嘆してしまうほど、鍛え抜かれた刀身は芸術品のように美しい。

 

「この剣の名は『ガーベラ・ストレート』。大昔の日本で人の手で使われていた刀をモビルスーツのサイズで再現した武器よ」

「いいねいいね。良く斬れそうな武器だ」

 

 武器の全長を映し出した図と、モビルスーツの手に当て嵌めた図の二つが同時に表示され、ロウの目が格別のジャンクを見い出した時のように輝いた。

 

「よしっ! じゃあ、決まったぜ!! グレイブヤードに刀を取りに行くぜ!!」

 

 と、ロウが真っ先に言い出したことで、リーアムや樹里はプロフェッサーがガーベラ・ストレートの情報をどこで手に入れたのか聞く機会を失ってしまった。元々、プロフェッサーは過去の経歴や本名、年齢などは一切不明なのでこういう機会でもなければ聞く機会もないのだが、やる気になってしまったロウを止めることは二人には出来ない。

 ヘリオポリスや先のテロなど、また厄介事が起きないか心配のリーアムとは違って、芸術品のような刀を見てみたい樹里はプロフェッサーに対する疑問をさっさと忘れることにしたようだった。

 

「直ぐには無理よ」

「はぁ!? なんで!」

 

 行く気満々でいたところで機先を制され、ロウは無重力なので器用に躓いた。振り向きながら叫んだが躓いた拍子に手から離れた8が勢いで壁に激突して「壁にぶつけるな!」と文句を言っていることに気づいていなかった。

 

「先約があるから」

「誰から?」

「一言で言うならレッドフレームの情報をくれた人。報酬はモビルスーツって破格でしょ? ヘリオポリスが崩壊する前に地球連合の戦艦に乗り込んだからと、ある場所で回収してくれって頼まれてるのよ」

 

 む、と樹里の問いに答えたプロフェッサーの言葉から誰の事を言っているのかが分かってロウは口を噤んだ。

 プラントの手形を譲ったプロフェッサーの友人で、ヘリオポリスで地球連合の新型モビルスーツの開発に携わり、レッドフレームらの開発も行っていた技術者。レッドフレームを自分の物としているので、お礼やメカ好きとして色々と聞きたいこともある。

 

「場所だけ決めていても時間がずれたら意味ないのでは?」

「入れ違いになることもあるしね」

 

 リーアムと樹里の意見は真っ当だった。

 

「ヘリオポリスから1週間から10日の間に目的の場所で特定の周波数を出すことになってるわ。会えなければそれまでよ」

 

 ドライだな、と樹里はプロフェッサーの返答を聞いて思ったが相手も了承してるのだから似た者同士の友達なのだろうと思うことにした。

 

「分かった。一度会ってみたかったしな。グレイブヤード行きは後回しだ。で、どこで落ち合う約束になってるんだ?」

 

 会う機会があるなら一度は会ってみたいと考えていた。グレイブヤードに直ぐに行きたい気持ちはあるが居住衛星は逃げやしない。後回しにしたところで問題はない。プロフェッサーの友人にはこの機会を逃してしまったら会えないかもしれないので、会える時に会っておくべきとロウは考えた。

 問うたロウに、プロフェッサーは何時ものように妖艶な笑みを向けた。

 

「――――――悲劇の地、ユニウスセブンよ」

 

 赤い口紅が塗られた唇から零れ落ちた言葉は、彼の地で流された血のように赤かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食堂から暫くしてからキラの姿はとある一室の前にあった。

 ノックをする手を上げながらも躊躇うようにドアの前で止める。しかし、そうやって手をこまねいていても状況は改善しないと解っているので、意を決してドアにノックした。

 

「どうぞ~」

 

 ノックをするとドアの向こうからキラの意気込みとは裏腹に暢気すぎる返事が返ってきた。

 

「失礼します」

 

 肩透かしを食らいながらも意気込みも新たにしてドアを開けた。

 この士官の部屋に自己謹慎している主であるミスズ・アマカワは机に向いたまま、キラですら瞠目せざるをえない速さでパソコンのキーボードをタッチしている。

 キラでも本気を出せば同じぐらいの速度でタイピングも出来るが指が長時間続かない。持って最高速度を維持できるのは1分程度。長くても5分は超えない。ミスズは余裕を以て今の速度なので本気ではなさそうなので、タイピング速度には仲間内で定評があったキラも自信を失ってしまいそうだった。

 

「用件はバジルール少尉を止めて下さいって話でしょ」

 

 部屋の主は入り口で口を開きかけたキラを見ることもなく用件を当ててしまった。

 

「なんで知ってるんですか?」

 

 そろそろと足を進めてみたが特に咎められることもなかったので話が出来る距離にまで近づきながら問いかける。

 

「他の連中もみんな頼みに来たのよ。ったく、説教は柄じゃないのに」

 

 ブーブー、と文句を言いながらもその目はパソコンのモニターから離れず、一時もキーボードタッチのスピードは緩まない。それどころか調子が乗ってきたようで速度が徐々に増してきている。もはや残像すら発生させそうなタッチに、ナチュラルがコーディネイターを恐れる一端を見た気がした。

 

「でも、マリューさんやムウさんが動けない以上は博士じゃないとナタルさんを説得できません」

「それも解ってるんだけど」

 

 アークエンジェルの階級で最も一番高いのはマリューとムウの大尉である。続いてナタルの少尉、その下は団子の背比べといった様子だ。

 地球連合の割り合いでいえば一番偉いのは大尉のマリューとムウであるが、戦闘部隊の隊長のようなもののムウは艦の運営にはあまり口を出そうとはしない。艦長と副長を務めるマリューとナタルが実質的に艦を動かし、ムウが二人の意見の調整役をすることが多い。

 艦を運営する三人に対してミスズの立場は不明確である。一技術者の彼女には軍人のような分かりやすい階級はないし、避難民の意志代行のようなものはなんとなくの内に決まってしまったようなものだった。最高権力者であるマリューと知己であること、彼女に信頼されることが主な要因だろう。

 

「私がこうやっているのは、自由に出歩いちゃ不味いだろうって思ってのことなのに部屋から出るのもね」

「コーディネイターだからですか?」

「それもあるけど、ザフトのモビルスーツの開発者っていう方が大きいかしら」

 

 キラは自分の懸念と違った答えが返ってきたが同時に納得もした。

 アルテミスでの一件以来、ミスズが部屋から出たというのはあまり聞かない。部屋から出る時はノイマンやマードックといった屈強で階級の高い面々数人が共に付くことが多い。キラもノイマンと一緒に歩くミスズを一度だけ見ている。

 

「私も兵器としてものモビルスーツを作ってしまったことは認めるし、今の世界を作った人間の一人である自覚もある。だから、殊更に問題を起こさないように大人しくしようとしているのに担ぎ出そうっていうの?」

「それを曲げてお願いします」

 

 いらぬ誤解から逆恨みされる恐れもあってのミスズの行動であり士官達の配慮である。だが、他に適任者はいないのだからキラには頭を下げるしかない。

 深々と頭を下げると、大きく深い溜息を吐いたミスズが初めてキーボードタッチを止めてキラを見た。

 

「分かった、分かったわよ。男の子が簡単に頭を下げないの」

「ありがとうございます」

 

 思ったよりも簡単に受け入れてくれたのは、ミスズが言ったように何人も頼みに来た影響で疲れて今後も続く前に折れたとキラは見た。頭を上げてお礼を言うと、「これはこれで良い……」と小声で呟いたが何のことかは分からなかった。

 

「頭まで下げて頼んできたのはあなたで二人目よ」

「二人目?」

「ええ、ノイマン曹長がね。なんとか追い返したけど、彼の熱意はキラ君の比じゃなかったわよ。バジルール少尉を止めて下さいって凄い熱意だったわ。なにが彼を駆り立てていたのかしら」

 

 どうもミスズが折れたのはノイマンの熱意が大部分を占めていたらしい。

 ノイマンの名前だけは知っているがブリッジにいる面々とはあまり交流がないので人となりが分からない。ただ、簡単な自己紹介をした時に得た第一印象的にノイマンがそこまで熱情を持つとは感じなかったので意外といえば意外だった。

 

「まぁ、いいわ。で、キラ君は誰の知恵で来たのかしら?」

「え?」

「今まで私に頼みに来たのは関わる時間の長いブリッジの面々か、各部署の責任者クラスばかり。その中でキラ君だけは異質。誰かの入れ知恵があったんじゃない?」

 

 全て見通されていると思うのはキラが未熟だからかミスズが聡明だからか、なんとなく前者と後者の混合ではなかろうと思い至って少しへこんだ。

 キラにはモビルスーツの設計や開発、ここまでの思考回路の構築は出来そうにない。答えを聞けば納得も出来るがそこまでに至る経路を作ることはキラには向いていないようだった。

 

「艦長に勧められました」

「あら、ノイマン曹長やマードック曹長っていう大穴は外れたか。大本命過ぎると面白みに欠けるわよ」

「どうして僕が艦長にって分かったんですか?」

「単純な推測よ。消去法と言っていいかもしれないわね」

 

 どうにも全てが予想の内では手の平の上で遊ばれている気がする。良い気分ではないが頼みに来た身分で文句を言える筋合もない。それを解っていながら言っていると察せさせられるので、本当に手の平で遊ばれているのだろう。

 

「私を説得するのを最初から諦めている部下や艦の状況に興味のないユイは除外。避難民や民間人だと私に頼むって言う意見も出し辛いでしょ? これは士官以下も同じね。マリューと対等の立場に近い私に簡単に物申せるとは思えない。残るは士官かあなたの友達だけ。私達の繋がりを知っているのは最初にモビルスーツデッキで出会った時にその場にいる者に限られる。そして自分達は断られたのに士官がキラ君に頼むとも思えない。となると残るのはあなたの友達だけだけど、フラガ大尉とマリューの体調も回復してきている。フラガ大尉なら自分で仲裁に入ろうとするだろうから除外。残るはマリューだけ。彼女に相談したとしたら、あなたの友達よりかは私に頼むって可能性は高い。ほら、消去法でしょ?」

 

 長々と高説を垂れたミスズに圧倒されてキラには頷くことしか出来ない。完全に思考をトレースされてはお手上げ状態だ。

 キラがここまで敗北感を味わうほどに純粋な能力で圧倒されるのは初めてだった。能力の高さではアスラン・ザラも相当なものだったがミスズはその遥か上を行く。

 感心しながらもキラの頭には艦長席のベッドで休むマリューの姿が思い描かれていた。

 

『ミスズさんに、ですか?』

『ええ、私やフラガ大尉が動けないならナタルを諌められるのは博士だけよ』

 

 真っ先にキラがナタルを止める為に選んだのはマリューだった。立場を考えれば真っ当な相談相手だったが、大分熱は下がってもまだまだしんどそうなマリューが勧めたのは現実でキラに正対しているミスズだった。

 

『勿論、後から聞いた博士の正体とか今までのこととか思うところがないわけじゃないけど、同じようにモビルスーツの開発に関わった私に文句を言う資格は無いわ。技術は所詮は使い様次第で善にも悪にもなるって思うのは言い訳かしら』

 

 確かにミスズがジンのプロトタイプを作ったことで今の戦況を生み出した要員の一つでもあるかもしれないが、技術の使い道で責任を取るとすれば歴史上の人物の多くがリストに上がるだろう。

 それに多くの仲間を守る為とはいえ、大西洋連邦制のモビルスーツの開発に携わっていたマリューが文句を言える立場でもない。

 ベッドから体を起こしているマリューは言って胸元を探るように手を巡らせて目的の物を見つけられなかったようで手を下ろした。その姿を見て、キラはヘリオポリス崩壊直後にコクピットに流れていたロケットを拾ったことを思い出した。

 どこかに置いておくわけにもいかず、常にポケットに入れていたロケットを取り出し差し出した。

 

『もしかしてこのロケットってマリューさんのですか?』

『あ!? それは…………キラ君が拾ってくれたの?』

 

 マリューは目前に出されたロケットを信じられないように見ていたが、ゆっくりとロケットを受け取ると大事そうに両手で握り締めた。

 

『はい、そうなんです。でもこれってなんなんですか?』

『大したものじゃないわ。全然……』

 

 そう言いながらも受け取ったロケットを強く握ったまま離さない。その目はどこか遠くを見ているようであった。

 

『許されたいわけじゃないのよ。償いなのかもしれないわね。失った者に対して、あの時これがあったら生き残れたんじゃないかって未練たらしく縋っているのかもしれないわ』

 

 キラには解らない痛みと苦しみを見ているマリューに社会にも出ていない若造が何を言えるはずもない。

 

「ミスズさんは……」

「うん?」

 

 一時の感情でキラはミスズに向けて口を開いた。

 

「どうしてプラントを出たんですか?」

 

 誰も聞かなくて、でも気になっていたことをキラは遂に聞いてしまった。

 

「科学者としてはプラントより良い場所はなかったはずです。モビルスーツの開発者なら厚遇されたはずなのに」

「あなたに答える必要があって?」

「…………ありません。純粋な興味です」

「なら、尚更答える必要はないわね」

 

 冷たく答えるミスズに気圧されながらもキラは口を開き続けた。今更、引っ込みがつくはずがない。出たとこ勝負で分の悪い戦いを続ける。

 

「ミスズさんを信じたいから。僕が納得したいんです」

 

 始めてミスズが止まった。これは何もキラだけの気持ちではない。彼女の部下も呉越同舟の軍人や民間人達も信じたいと思っている。ミスズが動かなければアークエンジェルが沈まされていた可能性が高く、そのことは特に戦闘をしている軍人から仕事を手伝っている民間人に流れている。だから誰もミスズを罵倒しないし、責めもしない。

 

「殺し文句ね。あなた、将来はどんな女殺しになるのか不安だわ」

 

 キラとしては純粋な気持ちを込めて言ったつもりなのだがミスズの顔は不自然に赤い。

 信頼が込められた視線で真っ直ぐに見つめて言葉で揺るがされては稀代の才媛と言えども揺るがされたらしい。もしくはここまで純粋な感情をぶつけられることが少なかったのか。

 

「?」

「分からないならいいわ。分かっててやってたら酷いことになりそうだから」

 

 何を言っているのか良く解らないので首を捻ってみたがミスズがそう言うのだからそうなのだろと無理矢理に納得することにした。

 ミスズが座っている椅子に深く腰掛けてキラを見た。

 

「身の上話をすると色々と長くなるから端折るけど、私が宇宙に上がったのはS2型インフルエンザが大流行してコーディネイターによるジョージ・グレン暗殺の報復行為、さらにはナチュラル殲滅作戦であるという噂が一斉を風靡する少し前、ジョージ・グレン暗殺されて情勢が悪化すると予想した時だったかしら」

 

 足を組んで上になった足の膝に両手を乗せて話して過去を思い出す姿には苦痛が溢れていた。

 

「優れた能力を見せれば差別は当たり前。コーディネイターだからって意味なく風当たりは強いし、今思い出してもあの時はコーディネイターには酷い時代だったわ」

 

 特にS2型インフルエンザが流行ってナチュラルの反コーディネイター感情が最悪になった時は、と当時を生きていないキラには解らない苦悩を告白する。その閉じた瞼の向こうでは当時のことを思い出しているのだろうか。

 

「生きる為に犯罪紛いのことも、倫理を飛び越えた行為をしたことも一度や二度ではないわ。あの時は生きることに必死にならなければ最低限の事すら認められなかったわ。そんな私を軽蔑する?」

「いえ……」

 

 コーディネイターとはいえ、母に守られて暮らしてきたキラにミスズの何を否定出来るものか。そんな思いから口は重かった。

 

「私がプラントに渡ったのはC.E.60年代だけど、当時はあそこも今ほど安全な場所ではなかったのよ。理事会は重いノルマを化すし、エネルギー生産部門がブルー・コスモスのテロによって破壊されたなんてこともあった」

 

 アスランが月面都市のコペルニクスに預けられてキラと出会ったのも、情勢が不安定なプラントにいるよりも安心と判断した彼の父の決断があってこそ。

 

「少なくともC.E.68年までは対立の原因は地球側にあると私は今でも思っているわ」

「僕もそう思います」

 

 この件に関してはキラもミスズに同意した。武力による弾圧やブルーコスモスの暗躍と、公開されている情報ではプラントの方が圧倒的に非が少ない。

 

「一昨年…………つまりは70年になってから途端に怪しくなってきたのよ、プラントの情勢が」

 

 コペルニクスの悲劇や地球連合の成立。一気に歴史はきな臭くなり始めた年代だ。

 

「極めつけは血のバレンタインね。あれでプラントは一気に抗戦ムードになったわ。私はその空気に置いて行かれたの」

「今までの熱情が一気に冷めたってことですか?」

「そうね、大体そんな感じ」

 

 ここでようやく閉じていた瞼を開けたミスズは語ることに疲れたように背凭れに体を凭れさせた。

 

「ユニウスセブンには友達も何人かいたの。薄情でしょ? 友達が死んだら一気に戦う気を失くしちゃうんだから」

「…………分かる気がします」

 

 キラもきっとミスズと同じだろう。アークエンジェルに友達が乗っていなければここまで必死に守ろうと考えていなかった。もし、誰かが死んでしまったらキラは途端に戦う気を失くしてしまうかもしれない。

 

「徹底抗戦を唱えるプラントの空気に馴染めなくて、伝手を頼ってオーブのモルゲンレーテに就職して今に至るってわけ」

 

 最後は思いっ切り端折ったミスズ。キラとしてはユイと出会った時のことを聞いてみたかったのだがミスズには話す気がなさそうだった。それどころか何時ものチャシャ猫のような笑みを浮かべてキラを見ていた。

 

「それで、艦全域に私の身の上話をどうしようっていうのかしら?」

「!? 気付いていたんですか」

 

 袖に仕込んでいたマイクの存在に気づかれていたのだと解ってキラは慌てた。

 

「あら、やっぱりマイクを仕込んでいたのね。発案者はマリュー辺りかしら」

「…………正解です」

「あの超がつくお人好しが今の状況を知って熱が出てるからって大人しくしているはずないじゃない。診察をしているのは私よ? 動けるかどうかは直ぐに分かったし、動かないのなら何かしらの手は打つはず。そこへマリューの勧めで来たキラ君。そこに何かがあると疑うのは当然じゃない?」

「御見それしました。全てその通りです」

「次からはもう少しマイクを上手く隠すことね。見えてるわよ、袖から」 

「あ」

 

 言われてみてみれば袖からぴょこんとマイクの端が顔を覗かせている。だとしても、本当に全てを見てきたように当ててしまうミスズに頭を下げるしかない。

 

「ま、これでバジルール少尉も気づくだろうし、私がわざわざ言わなくても解るわよね?」

「あ、ははははは」

 

 完全に弄ばれてしまったキラはもう笑って誤魔化すしかない。

 

「もっと精進しなさい、若者。コーディネイターだからって胡坐を掻いて怠けていたら宝の持ち腐れよ」

 

 最後までミスズの手の平の上で遊ばれたキラは緊張が馬鹿らしくなって肩を落とし、頷きの返事だけを残して部屋から出て行った。

 キラが部屋を出てから数十秒後。机の方を向いたユイは徐にどこかへ通信を繋いだ。

 

「これで良かったかしら、マリュー?」

 

 通信相手は艦長室で寝込んでいるマリュー・ラミアス。

 連絡を来ると解っていたのであろう、今は椅子に座って通信を行っている。

 

『十分です。流石は博士』

「ええ、全てがあなたの手の平の上と知ったらどう思うかしらね彼らは」

 

 これが全てのマリューの発案だと、終ぞキラは気付くことはなかった。艦全域に流されている放送でもどれだけの人間が真実に近づいたか。

 

『私が全て策略したなんて人聞きの悪い。博士の演技力があってこそです』

「良く言うわ。この事態を利用して私への不信感を晴らそうなんて考えた狸の言うことじゃないわ。どうせあなたが艦長職に戻ったら私の事情には不可侵とするとでも言う気でしょ。おおまかとは言っても話したんだから敢えて聞く奴もいないって考えてシナリオを考えたようだし」

『上手くいきすぎとも思いますよ。実況中は艦内の状況を見ていました。正直、ここまで上手くいくとは思っていませんでした。それにキラ君が動いてくれなければどうにもなりませんでした。キラ君さまさまです』

「後で二人にフォローは入れときなさいよ。黒幕にさせられた私には出来ないんだから」

『勿論です』

 

 ミスズは黒幕ではなく実行犯。黒幕はあくまで裏で二人の糸を引いていたマリュー。自分の所の協力者が裏から手を回していれば事情を知らぬはずがない。

 黒幕が変わろうが女達の手の平の上で踊っていたことは事実なのだからキラは道化でしかない。だが、その道化の働きがなければ突破口を掴めなかったのもまた事実。

 

『博士には感謝してもしきれません。ありがとうございます』

「お返しはマリューが持ち込んだ秘蔵の酒でいいわ」

『…………半分こにしませんか?』

「この艦に秘蔵の酒があることにビックリだわ。冗談のつもりだったのに」

 

 ヤベ、と単語二文字で表現できる顔をしたマリューは即座に通信を切った。迂闊な言動をしてしまった自覚があるらしい。

 

「まだ若いわね、マリューも」

 

 通信が切れたモニターを消して、幾種もの設計図やプログラムが同時展開されている画面に戻す。

 ふと、ミスズは椅子の背凭れに身を預け、天井を仰いだ。

 

「エリカはちゃんと連絡してくれたかしら? 合流地点にいてくれるといいけど」

 

 アストレイシリーズの開発者にして同僚、仲の良い友のことを思い出して呟いた。他に誰もいない部屋に声だけが静々と響いた。

 すると途端にミスズの表情から感情が消えた。残るのはどこまでも冷たい冷笑だけだった。

 

「アルテミスではしてやられたけど、光波防御帯のデータは頂いたわ。何時か蛸坊主にはギャフンって言わせてやる」

 

 ユーラシア連邦の得意技術である光波防御帯シールドを、ミスズは部下を使って奪取までの短い時間の間にアルテミスにハッキングを仕掛けさせて手に入れていた。言い様にしてやられた仕返しとばかりに技術を盗用する気満々のミスズを見れば、当のガルシアも知れば顔を青くしただろう。

 顔を青くしたガルシアを想像して嬉々としていたミスズだったが、一度息を吐くと椅子に体を沈み込ませた。

 

「…………ヒビキ博士の最高傑作、か」

 

 ガルシアが言っていた言葉を思い出す。そして先程まで部屋にいた少年のことも。

 ミスズが始めて弱気を見せた。誰にも見せることなく、ただモニターだけがその姿を見ていた。直面させられた現実に迷うように、手を進めることなく顔を伏せる。その姿はまるで懺悔する囚人のようだった。

 

「カナード…………キラ君に似ているとしたらあの時に逃がした子かしら」

 

 疲れた息を漏らしながらも後悔だけは滲ませなかったミスズが弱気と共に吐き出す。養女のユイですら見たことの無い姿だろう。ミスズでもここまで打ちのめされたのは初めての経験だった。

 

「まさか生きていたとは。これも運命の悪戯ってやつかしら。それとも、ヴィア。あなたの願いが齎した奇跡なのか」

 

 キラかカナードのどちらを指して言ったのが言ったミスズにしか分からないだろう。

 もうすぐマリューが復帰して艦長職に戻る。それまでには何時もの調子に戻さなければならない。その上で部屋から一歩も出ず、誰とも関わらないことはミスズにとって都合の良いことだった。

 

「感傷ね。許されたいのは私だろうに」

 

 机に肘をついて手で顔を覆う。

 時間が必要だったのは軍人や民間人だけではない。ミスズにもまた落ちつくだけの時間が必要だった。

 



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第9話 悲劇の地で

 

 ユニウスセブン。その名を知らぬ者は地球圏において、よほどの世間知らずか情報に疎い者に限られる。それほどに彼の地で起きた悲劇は有名であった。

 C.E.70年2月14日。数日前に設立された地球連合がプラントに宣戦布告し、月面のプトレマイオス基地より侵攻開始。プラント側はモビルスーツ部隊をもって、連合の攻撃を殲滅。だが、ブルーコスモスに所属する将校が艦長を務めるMA空母「ルーズベルト」に極秘裏に運び込まれていた一発の核ミサイルが発射された。核ミサイルは120基あるコロニーの一つである食料生産コロニー『ユニウスセブン』に着弾した。

 閉鎖的な空間であるコロニーは外壁に穴が開くだけで致命的な損傷になる。それが通常のミサイルの何百倍もの破壊力を持つ核ミサイルともなれば容易く想像がつく。

 核ミサイルが着弾したユニウスセブンは、戦闘宙域が近づいていて避難行動の真っ最中だった。

 小さな子供、結婚したばかりの夫婦も各世代に分け隔てなく存在していた。ただの農業コロニー。破壊されるはずがないと油断があったのは否めない。しかし、例えそうだとしても一瞬にして暮らしていた世界が滅びゆく瞬間を目の当たりにしなければならないほどの罪深さがコーディネイターにあったのだろうか。

 一発のミサイルが壁を抉り、地を裂き、世界を破壊した。

 逃げる時間などない。5分にも満たない時間で全てが崩壊した。

 24万3721名。それがユニウスセブンに滞在していた人の数であり、そのまま犠牲者として名を刻まされた数である。

 安住と信じた大地が砕け、崩壊していく様をその場で見させられた犠牲者達の思いを察することはもはや出来ない。ただの一人として生き残った者はいないのだから。同胞が、守ると誓った世界が滅びていく様を見させられたザフトがモビルスーツのコクピットで、或いは艦船の中で、ナチュラル憎しの感情に染まってしまうのは無理からぬ話だった。

 ユニウスセブンが崩壊した直後、飛来するコロニーの破片に一人でも助けようとする気概すら奪われ、漂う犠牲者達を前にすれば人の善性など期待できるはずもない。

 地球側はこのユニウスセブンの惨劇を、後に血のバレンタインと名付けられた悲劇をプラントの自陣営の戦意向上の為の自爆作戦と批判した。これがそれまでモビルスーツという強大な兵器を持ちながらも受動的であったプラントを戦いに猛らせた。

 多くの識者がこの事件に対して様々な意見を出している。

 地球連合の作戦や、ブルーコスモスの暗躍、果ては戦争を望んで早期決着を求めるプラントの陰謀。数え上げればきりがない。ただ一つ分かっているのはこの悲劇こそが両者の間で戦争を起こさせた始まりであるということだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アークエンジェルとの戦闘でムウ・ラ・フラガ大尉が駆るメビウス・ゼロに手傷を負わされたザフトのナスカ級ヴェサリウスは、ヘリオポリスが崩壊した件で隊長のラウ・ル・クルーゼに出頭命令が出ており、応急処置をしてプラントに戻ってきていた。急いで戻ってきたはいいが、プラント間近で足止めを食っていたが。

 

「プラントにブルーコスモスが現れるとは、本国は何をしているのだ!」

 

 プラント間近の空域にある軍事ステーションに足止めされている原因のテロ。到着早々に管制官から聞いた話にヴェサリウスの艦長フレデリック・アデスは温厚な彼にしては珍しく怒りを露わにしていた。

 そんな彼を制するようにクルーゼが肩に手を置く。

 

「落ち着け、アデス。頭に血を昇らせ過ぎだ」

「しかし、隊長。本国でテロがあったのですよ。許されることではありません」

 

 柔らかな声をかけてくるクルーゼを振り返りつつもアデスの憤りは止まらない。

 なんといってもプラントにはアデスの妻子がいるのだ。今回のテロの戦力は今までの比ではなく、状況によってはコロニーの一基を落されていた可能性もあるとなればアデスでなくても怒りは大きい。

 

「どこかのジャンク屋が被害を未然に抑えてくれている。それで良しとしようではないか」

 

 クルーゼにしては優しい物言いだが彼にしたところで首都の仕掛けられたテロに混乱が続くプラントへの上陸が認められず、ここ数日は艦内に留まらされているのだからアデスにイラつかれると精神衛生上よろしくないという理由があった。

 評議会に提出する資料はここに来るまでの道程で完成しており、何度も見直すのにも飽きてブリッジに上がってみればこのアデスの様子である。機嫌を取っておくことは自身の為でもあった。

 軽く笑ったクルーゼの言いようにアデスも怒りが続かずに、されど憤懣は抑えきれずに艦長席に深く身を沈み込ませる。

 そんなアデスの様子にクルーゼは軽く含み笑いを浮かべながらもブリッジから修理と補給が行われているドックと、その向こうにあるプラントを見た。

 

「侵入を許した担当者らを許すほど国防委員長は甘くない。今頃、全員の首がすげ変わっているだろう。今後、このようなことがないように対策も十分にされているはず」

 

 言った直後、ブリッジに通信のコールが鳴った。

 オペレーターが直ぐに通信を開き、少し会話して艦長席に座るアデスとその横にいるクルーゼを振り向いた。

 

「艦長、隊長。本国より上陸許可が下りました」

「分かった。アスランを呼び出してくれ」

 

 了解、とオペレーターが返すのを見もせず、アデスは横にいるクルーゼを見る。

 

「本当に査問界にアスラン・ザラもお連れになるので?」

「ああ。その場に居た者だしな。彼なら冷静で客観的な分析も出来る」

 

 問いにどこか嘘くさい返答を返すクルーゼにアデスはその真意を探ろうとして直ぐに止めた。探らせてくれるほど迂闊な人物でないことは数年の付き合いが分かる。無駄なことは最初からしなかった。

 アスランが冷静で客観的な分析を出来ることはアデスも認めている所であった。一人減った赤服五人の中では最もアカデミーの成績が良く、本人も思慮深いところがある。

 

(他の3人に比べればマシではあるが……)

 

 イザークでは主観が入り過ぎるだろうし、ディアッカでは斜に構えた意見が出そうだ。ニコルでは評議会の前に出て意見を出すには若すぎる。Gに乗った者の中ではアスランが最も適任であることはアデスも認めるしかない。イマイチ釈然としないと感じるのはクルーゼの胡散臭さ故か。

 

(ザラ国防委員長と懇意とい噂も聞く。まさか隊長に限ってゴマ擦りなどはあるまい)

 

 唯我独尊を地で行く男に限ってそれだけはないと結論付けると別の懸念が頭を擡げた。

 

「オーブはかなり強い姿勢で、抗議してきているようですが……」

 

 ヘリオポリスを所有しているオーブ連合首長国がコロニー崩壊に際してプラントに抗議していることを、この軍事ステーションにいる知己から聞いたアデスは当事者として、或いは加害者としての立場から気にせずにはいられなかった。

 

「オーブも自国での責任を取って首長が退任したと聞いた。責任の所在は新型機動兵器を中立国で作った地球連合と協力したオーブにある。奪ったGがそれを証明してくれる」

「……はぁ」

 

 煙に巻かれているような印象と問題のすり替えをしているだけと思わなくもないが、一概にザフトにだけ責任があるとはアデスも思わなかった。思いたくはなかった。

 

「しばしの休暇といってもそう寛いでいられる時間はないぞ。恐らくな」

 

 不吉な予言とも取れる言葉だけを残して、クルーゼは身を翻してブリッジを去っていった。アデスの耳にはまるで呪いのようにその言葉だけが何時までも木霊し続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤の軍服のままでヴェサリウスから軍事ステーションに降り立ったアスランは、自らが所属する隊長であるクルーゼと共にプラント本国へと向かうシャトルに乗り込んだ。

 数日前にテロが起こってから厳戒態勢が敷かれていて、特にプラントへの渡航はかなりの制限がされている。アスラン達にしても渡航制限によってヴェサリウスで拘留を強いられることになり、渡航が許可されたのにも二日の時を擁した。

 自分達がザフトであることから渡航が許可されたというのはアスランの思い込みに過ぎなかったようだった。その原因は既に機内にいる鋭い眼付きの男にあると、アスランは父パトリック・ザラを見た瞬間に悟った。

 窓際に座る父との覚悟のない対面にアスランは足を止めて息をつめた。

 

「ご同道させて頂きます、ザラ国防委員長閣下」

 

 アスランとは違って、始めから知っていたかのようにクルーゼは緩やかに微笑んで敬礼する。

 ハッ、と上官の動作に相手が父としてではなくザフトのトップである国防委員長としてそこにいることを認識したアスランは遅れて慌てながらも敬礼する。

 

「礼は不要だ。私はこのシャトルには乗っていない。いいな、アスラン」

「分かりました。父上。お久しぶりです」

 

 パトリックがクルーゼと事前に連絡を交わし合っていたかどうかはアスランの知るところではない。念を押すように自らを見て言ったパトリックに父としての面を見い出して、少しだけ緊張を和らげて挨拶をする。

 公私共に話すことがあると察したクルーゼは少し離れた席に座り、空いているパトリックの隣にアスランは座らざるをえなかった。

 パトリックもクルーゼに向けるものとは違う、目の奥に柔らかさを含んだ視線で父の隣に座って緊張しているアスランを見て、クルーゼに視線を向けた。

 

「クルーゼよ。アスランは大事な所で詰めを誤る癖がある。上手くやっているか?」

「ええ、流石は赤を着る者というだけあります。よくやってくれています」

 

 この瞬間だけは国防委員長としてではなく父としての面を見せるパトリックにクルーゼは笑うことなく答える。どうも自分の上で交わされる会話が面白くなくてアスランの顔は我知らずに仏頂面になっていた。

 

「私も何時までも新兵ではありません。赤を着た者として相応の働きをしてみせます」

 

 男としての意地か、父に認められたい複雑な心境かは別にして、まだまだ子供な我が子に含み笑いを浮かべたパトリックは、ユニウスセブンで死んだ妻と同じ緑の瞳を注視する。

 

「働きは聞いている。大変な任務だがよくやった。親の忠告を無視してザフトに志願した放蕩息子が一丁前の口を聞くようになったぐらいだからな」

「父上、それは……」

 

 上司の近くで息子の成長を純粋に喜ぶパトリックに面映ゆさを感じながらも、反対を強行に押し切ってアカデミーに入学したアスランには抗弁する言葉が続かない。

 

「いいと言っている。お前の気持ちが分からぬほど、私も愚鈍ではない」

 

 パトリックはアスランには解らぬ理由で苦笑いと微笑みの中間のような笑みを浮かべる。

 どう考えてもアスランにはその笑みを浮かべる理由が分からなかった。これが大人をやっているのだろうか、とプラントの成人年齢に達していても敵となった幼い頃の友達を切り捨てられない心が悩む。

 

「正直に言えば嬉しいとすら感じた。お前もまたあの悲劇に憤っていてくれるのだと」

 

 ふと、パトリックは窓の向こう側に広がる宇宙空間を見た。

 何を見ているのだと聞くことはない。彼の息子であるアスランにはパトリックが今はデブリベルトに流れてしまった母の遺体が今も眠るユニウスセブンを見ていることはよく理解していた。

 父と母は仕事柄などで離れて暮らすことが多かったが互いに愛し合っていたことは息子のアスランが一番良く知っている。ユニウスセブンが崩壊した後に家に一度だけ帰ってきた時の父の狼狽具合。あまりにも膨大過ぎる犠牲者の数と悲劇で行われた国葬の場で一滴だけ流した涙をアスランだけが見ていた。

 

「アスラン、何があっても決して死ぬな。私を一人にしてくれるなよ」

「父上……」

 

 光の加減か、窓に映る父の顔はアスランには見えなかった。

 次の言葉が出なければ自分は絶対に死なないと言ったかもしれない。それよりも早くパトリックが次の言葉を紡ぐ。

 

「例え友と戦おうともだ」

「!?」

 

 アスランは言葉を出さなかった。出せなかったといった方が正しい。

 シャトルが動き出した僅かな振動だけが体を揺らす。

 

「レポートは読ませもらった。だが、悪いがパイロットの欄は私の方で削除しておいた」

「何故です?」

 

 理由を聞かねば納得できる話ではなかった。残ったGに乗っているのはアスランが三年前に別れた親友キラ・ヤマトである。彼はコーディネイターであり、自分達の同胞であるはずなのに削除するとは理解できなかった。

 息子の鋭い声にもパトリックは窓の向こうを見たまま振り返ることなく答える。

 

「奪取出来なかった機体のパイロットがコーディネイターなどと、そんな報告をそのまま上げれば全体の士気に関わる。我らは同胞の為に戦っているのだぞ。その同胞が敵に回って平気でいられるものか」

 

 ザフトの為に、と多くの兵が戦う前に唱え合う文句を思い出してアスランに返せる言葉は無かった。

 パトリックの言葉は正論過ぎて、親友が敵に回ったアスランの心情を斟酌する余地はない。だからといって全てに納得できる話ではなかったが、パトリックが国防委員長でザフトを束ねる地位にいる以上は息子の友といえど、敵に回った者のことを気遣ってやれる道理はない。

 

「ナチュラルが作り上げた高性能のモビルスーツは我が軍で採用している現行機を遥かに上回る。それは実際に奪取した機体に搭乗するアスランの方が分かっていよう。息子一人の気持ちの為に多くの同胞を危険に晒すわけにはいかんのだ」

 

 分かれ、と暗に訴えかける父の立場にアスランは膝の上に置いた拳を強く握り締めることしか出来なかった。

 敵となった友にしてやれることはエリートの証たる赤服を着ていようとも一介の兵士でしかないアスラン・ザラに出来ることはない。父に頼もうにも国防委員長というザフトを統括する立場が邪魔をする。

 

「ヤマト家のことはレノアから聞いていた。辛かっただろう、アスラン」

 

 強く握り締めすぎて血管が浮かんだ手の甲を見下ろしていたアスランにかけられる声。

 顔を上げると、そこには優しげな父の顔があった。

 

「これ以上、戦えないというなら除隊も認める。除隊が嫌ならテストパイロットでもいい。もうお前が前線に出ることはない」

 

 全て受け止めてくれそうな父にアスランはどうしようもなく泣きたくなった。

 

「父上、本当にどうにか出来ないのですか? アイツは、キラは利用されているだけなんです!」

 

 縋りつき、甘えてどうにも出来ない父に叩きつける。今のアスランにはそれしか出来ることはなかった。

 アスランの叫びにパトリックは沈思するように口を閉じ、重い壁をこじ開けるようにゆっくりと唇を開いた。

 

「…………今ならまだ手はある」

「手、とは?」

「全てはお前に掛かっている」

 

 ゴクリ、とキラを救う方法が自分にあると言われたアスランは唾を飲み込んだ。

 

「残った機体は武器換装型という特殊な機体だ。完全とまではいかなくても生きた状態で鹵獲出来ればザフトに多大な利益が出るはず。パイロットも生きたまま確保して地球連合に戦うことを強要されたと証言させれば友軍の士気も上がる。既に犠牲者が出ていることから無罪とまではいかなくても極刑は確実に避けられる」

「キラを助けられる?」

「アスラン、お前が友達を救え」

 

 力強い父の言葉がアスランに実感を与えた。

 膝に置いていた握り拳を胸の前に持ち上げて、閉じていた拳を開いて閉じるを繰り返す。

 息子の幼い頃からの決意を固める時の癖を見遣って、パトリックは再び窓の向こうに広がる宇宙空間に視線を向けた。

 

「我々はもっと本気にならねばならんのだ。早く戦いを終わらせる為にはな。でなければ何時までもレノアを冷たい墓標に置き去りにしたままだ」

「…………はい。母上を、同胞達を早く温かい場所へ連れて行ってやりたいものです」

 

 アスランは頷いた。恐らくユニウスセブンの被害者の遺族、プラントの多くの同胞が同じ気持ちだろう。

 ユニウスセブンの悲劇はあまりにも多くの同胞が亡くなった。国葬はしたものの、戦争状態に突入したプラントでは遺体を回収することすら出来ていない。地球連合と国力で遥かに差があるプラントでは膨大な遺体を探して収容するには何もかもが足りなかった。

 早く戦争を終わらせて死者たちを温かい土の下に移してやりたい。それがナチュラル憎しに染まりきったのとは別に、プラント全体の総意だった。

 

「ああ、ナチュラルを滅ぼして早く終わらせねばな」

 

 歩く道行きに希望を見出したアスランは気付かなかった。パトリックの呟きもその目で爛々と輝く憎悪と狂気に。

 少し離れた席に座るクルーゼはパトリックの呟きを耳にしてニヤリと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 プラントから合流場所であるユニウスセブンに向かったホームに乗るロウ達ジャンク屋組合のメンバーは、デブリベルトを進んでいた。

 デブリベルトとは、地球を取り巻く宇宙ゴミの辿り着いた宙域だ。人類が宇宙に進出して以来、廃棄された人工衛星や宇宙開発において派生する様々な廃棄物が宇宙空間に捨てられてきた。ここは、それらのスペースデブリが地球の引力に引き寄せられて漂っている云わばゴミの墓場と言ってもいい。

 瓦礫の少ないホームで通れるルートで、どうしても避けられない物は汎用MAであるミストラルやロウの乗るレッドフレームで除外しながら進む。行けども行けども瓦礫が散らばる空間に、レッドフレームのコクピットに座ってモニターを見つめるロウは眉を顰めた。

 

「しかし、ここは広いねぇ……」

 

 ザフトのモビルスーツであるジンよりも高度なセンサーが備え付けられているレッドフレームでもデブリ海の端が探知できなくて、ロウはその果てしない瓦礫の数々に嘆息するように呟いた。

 

「お宝の山に手を出してぇ」

『合流地点につかないとプロフェッサーにどやされますよ』

「分ぁっているよ」

 

 ジャンク屋の性が魂レベルにまで染みついているロウは宝ともいえるデブリが混在する辺りに手を出したいところだが、彼自身も合流相手に聞きたいことが山ほどある。リーアムの忠告を受け入れてレッドフレームを進ませる。

 

『あ……! あれは……』

 

 近くのミストラルに乗っている樹里の狼狽した声がコクピットに響いてロウの意識はデブリ海から目の前の光景に戻って来る。

 正面のモニターに瓦礫とは全然スケールの違う物が映し出されていた。瓦礫と称するにはデカすぎるそれは突然大陸が目の前に現れたかのような衝撃を伴ってロウの眼前に出現する。

 

『ユニウスセブン、ですね』

 

 震える声で言ったリーアムの言葉がロウの耳の中で木霊して我知らずに唾を飲み込んだ。

 

「でかいな……」

 

 ロウが思わず正直な感想を漏らしてしまうほど常識外の大きさの瓦礫がどんどん近づいて来るような錯覚を感じる。

 ユニウスセブンの異様に気圧されて操縦桿を握る手が我知らずに強くなっていた。

 

『血のバレンタインで連合に破壊されたプラント…………。当時、24万3千人が暮らしていたと記録にあります。あの事件を切っ掛けにプラントは本格的な戦争になってしまったのでしたね』

『なんか、ここって怖いよ。やっぱり引き返そう?』

 

 リーアムの説明に当時のニュース情景でも蘇ったのか、樹里が震えた声で言ってきたがロウは茶化す気持ちにはなれなかった。正直に言えばレッドフレームのメインカメラの前を原型を保った死体が流れて行ったときは思わず悲鳴を上げそうになったものだ。

 

『目的地はここです。ロウ、そろそろホームに戻りませんか? 私もあまり長居はしたくありません』

「ああ、そうだな。俺もこの場所は嫌いだぜ。俺は機械を治すのは好きだが壊す理屈は解らねぇ」

 

 無念に散って逝った多くの人々のことを思い、死者の冥福を祈るようにロウは胸に拳を当てて瞼を閉じた。樹里とリーアムもそれぞれのやり方で祈りを捧げる。

 祈りを邪魔したのはホームからの通信だった。

 

『ロウ、近くで戦闘が起こってるわ。片方からSOS信号が発信されている。攻撃を受けているのはプラントの民間船よ』

 

 ロウが閉じていた瞼を開けて、胸に当てていた手で母艦との通信を繋ぐとモニターに映ったプロフェッサーが開口一番に言った。

 

『あ、何か光った!?』

『あの光は……戦闘の光です!!』

 

 樹里やリーアムが乗るミストラルが見ている方向にレッドフレームのメインカメラを向ければ、ロウの目にも瓦礫の合間で光る瞬きが見えた。

 

「罰当たりな奴らだ。助けに行くぞ!」

 

 この時のロウに撤退の二文字はなかった。レッドフレームのバーニアを吹かせて戦闘宙域に向けて飛んだ。

 

 

 

 

 予定より数日遅れでプラントから出発したユニウスセブンの追悼慰霊団先遣隊を乗せた船シルバーウィンドは攻撃を受けていた。

 

「わああああああ!!」

 

 ブリッジに誰が上げたものかは分からないが、恐怖に満ちた叫びが響き渡る。

 

「左舷ブロック被弾!!」 

 

 部下からの被害報告に、艦長席に座る壮年の男は着弾の振動で揺れるシートを掴みながら怒りの籠った視線で攻撃を加え続ける敵戦艦を見る。

 

「クソッ、連合め! なぜこんな宙域に!」

 

 ユニウスセブンの残骸が浮遊するデブリ帯は飛来する瓦礫が危険すぎて、連合・ザフト共に近づこうとはしない宙域だったはずだ。重要拠点もない宙域を通りかかる艦もないはずで、ましてや戦争状態に突入している敵国の軍艦に出会ってしまった不運に艦長は歯軋りしていた。

 

「民間船と打電したにも関わらず…………!」

 

 申し訳程度の武装どころか目的が目的だけあって完全な非武装の民間船が軍艦に勝てるはずがない。民間船に容赦なく攻撃を加えて来る地球連合の非道さを艦長は改めて感じ取った。

 

「艦長!! 駄目です! 後一撃で航行不能になります!!」

 

 部下からの報告に艦長は決断を余儀なくされた。

 

「ラクス様の脱出を!」

「ハイ!」

 

 一番出口に近い場所にいたクルーの一人が立ち上がって出て行く。

 その姿を見送って数分後、脱出艇が排出されたのを見送った艦長はクルーに頭を下げた。

 

「すまん。お前達を助けてはやれん」

 

 この船、シルバーウィンドにはプラントの要人が乗っている。彼女だけでも逃がさなければならなかった。いや、正確にはこのような小さな船に船員全員が乗れるような脱出艇はない。逃げられるのはたった一人だけ。艦長は命の選別をしなければならなかった。

 プラントに大切な人を残している者もいるだろうに、助けてやれないことに歯を食い縛って謝った。

 

「いいですよ、艦長」

「若い子を助けるのは当然」

「ラクス様の歌がなくなるなんて人類の損失ですから」

 

 政治的な理由でラクスを脱出することを選んだ艦長の苦悩を察したクルー達は、次々と声をかける。中にはふざけたような返事を返す者もいたがそれだけラクスが船の中で愛されていた証拠だった。

 

「ありがとう」

 

 艦長に他に言える言葉は無かった。これほどの良きクルーに恵まれて、最後を共に過ごせる幸運に静かに頷いた。溢れる涙を隠すようにキャプテン帽を深く被り、キャプテン帽の裏側に縫い付けた妻子の写真を眺めた。

 

「さらばだ、エミリィ、ミリア。幸せに暮らせ」

 

 最後に赤いフレームのモビルスーツがこちらに向かって必死に手を伸ばす光景を最後に、艦長の意識は煉獄の炎と共に消失した。

 

 

 

 

 

 シルバーウィンドが撃沈される少し前。近くの宙域にアークエンジェルはやってきていた。

 ユニウスセブンが次の目的地だと聞いて、直に到着するという報を耳にしたキラはムウに連れられてブリッジに来ていた。そして、そこで惨劇の地を見た。

 

「これって……!」

 

 アークエンジェルの前には凍り付いた大地が広がっていた。

 嘗ては長閑な農村風景に似たものだったろう。枯れて凍り付いた麦が一面に白くそそけ立ち、ぽつぽつと散る農園らしき建物だけが真空中にほぼ完全な保存状態で残っている。その大地の周囲を取り巻くのは減圧で沸騰した形のまま凍り付き、まるでこのコロニーの運命に憤っているかのような海だ。嘗てはプラントの一基だったものの残骸だ。

 

「大陸? こんな所に!?」

 

 副操縦席に座るトールの声が耳に入らぬほど、体調が戻って艦長席に座るマリューの目には衝撃的な光景だった。

 

「きゃあああああああっ!!」

 

 ミリアリアの絶叫がブリッジ中に響き渡る。

 誰も叫びに驚きはしない。ブリッジの正面に傷一つないように見える遺体がぶつかって跳ねた目の前の事態に彼女が叫ばなければ自分が、という者が多かったからだろう。

 

「これがユニウスセブン。血のバレンタインがあったコロニー、その残骸よ」

 

 誰もが絶句し、言葉を失くす中でユイを従えたミスズだけが超然としていた。

 白衣のポケットに両手を入れていて、そのポケットに入れられた両手が拳を握って震えていることを近くにいるユイだけが気付いていた。

 

「24万3721人――――ユニウスセブンで暮らしていた人の人数であり、同時に犠牲者の数でもある」

 

 嘗てユニウスセブンに暮らしていた人達は皆、先程ぶつかった遺体と同じ運命を辿って今も周辺に滞在している。

 

「遺体を回収しないのですか?」

 

 マリューが発した疑問はブリッジにいる全員が考えたのとを同じだった。

 ともすれば震えそうになる声を抑えて、当時の衝撃を思い出したマリューは膝の上で拳を握り締めた。マリューもまたあの戦場にいたのだ。

 

「出来ないのよ。戦争中だっていうのと犠牲者が膨大過ぎてそのまま。だから、ここだけはあの日から時を止めたように漂い続けている」

 

 この大地のどこかにアスランの母レノア・ザラの遺体がある、とキラは考えた。

 会話を交わし、一度ならずとも触れた肉の温もりが永遠に失われた喪失感。親友の大切な人が動かなくなってこの場所にいるのだと思うと腹の底から嘔吐感が込み上げて口を手で覆った。

 

「おい、坊主!」

 

 近くにいたムウが気づいたがどうすることも出来ない。それはこの場にいるナチュラルの彼らでは理解できない苦しみであったからだ。

 キラは一度もプラントに渡ったことはない。それでもナチュラルに比べれば少数であるコーディネイターは、同種と分かるだけである種の連帯感が湧く。プラントに対して帰属意識とかはないがコーディネイターは同胞だと、排斥団体ブルーコスモスの存在を知ると強く思うのだ。

 『ユニウスセブン』『血のバレンタイン』は彼らコーディネイターに特別な思いを抱かせずにはいられない。同胞の多くがここで死に、知り合いであるレノア・ザラがこの場所にいる。キラは腹の底から湧き上がって来る物を抑えきれなかった。

 

「大丈夫よ。あなたは一人ではないわ」

 

 ふわり、とキラを包み込む温もりが嘔吐感を直前で押さえつけてくれる。

 ミスズがキラを抱きしめていた。言葉と温もりが孤独ではないのだと慰めてくれる。

 嘔吐感が急速に消え、目の奥が熱くなって涙が湧き上がってきた。何時だったか、こうやってレノアにも抱きしめられたことがあった。

 コペルニクスではアスランもキラも優秀な学生だった。中立だったこともあって多くのコーディネイターが同じ学び舎で学んでいたが、そんな彼らよりも飛びぬけて二人は優秀だった。コーディネイターだからこそプライドが高い同輩達から強い嫉妬を受けた。アスランは文武両道を地で行くタイプだったから標的にはされなかったが気の弱い所のあったキラは虐めの恰好の標的になった。宿題のデータを消されるなどの軽いものでキラなら復旧出来たが辛い事には変わりなかった。母には心配を掛けたくなくて黙って耐えていた時、抱きしめてくれたのがレノアだった。先ほどのミスズと同じよう言葉をかけてキラの涙を受け止めてくれた。その後はアスランが虐めに気づいてやり返してくれた。ザラ家の存在はキラの中で大きかった。

 

「……あそこ、には…………友達の……お母さんが、いたんです…………」

 

 何度も詰まりながらキラは涙交じりに言った。

 友達を何人もユニウスセブンで亡くしたミスズなら受け止めてくれると確信があった。卑怯な確信であったがミスズはキラを抱きしめる腕に力を込めた。強く感じる温もりが孤独ではないのだと救ってくれる。

 

「そう、大切な人だったのね」

 

 大切だった。失って、この地に来て始めてキラは自らの気持ちを知った。

 優しく、恰好良く、尊敬する母に勝らぬとも劣らぬ立派な人だった。1年遅れてやってきた哀しみがキラを喘がせる。

 

「う、ああ………ああ……あああああああ………うわああああああああっ!!」

 

 それが限界だった。キラは声を上げて泣いた。周りなど気にもしなかった。気持ちを貪るように、血を吐き出さんばかりに泣き続けた。

 

「ああぁあぁああ………ぁああぁあああぁあっ!!!」

 

 悲鳴にも、犬の遠吠えにも似た叫びが喉から放たれていた。止まらない。止めようとしてもどうすればいいのか判らない。堰を切ったようだった。とめどなく、とめどなく、キラの目から涙が湧き上がって来る。怒りを、空しさ、あらゆる感情が混じった慟哭がブリッジに響き渡る。

 ブリッジの誰にもキラにかけられる言葉を持つ者はいなかった。

 数秒か、数分か、キラの泣き声が落ち着き出して来た時だった。自席に座るロメロ・パルが叫びを上げた。

 

「近くの宙域よりSOS信号をキャッチ! プラント船籍の民間船が攻撃を受けています! 至急救援を求めています!」

「何ですって!?」

 

 突然のパルからの報告に、キラを見た全員が視線を彼に向けた。マリューがありえない報告に目を剥いた。

 

「くっ……!」 

「キラ君!?」

 

 友の母が眠る神聖な場所で民間船に攻撃を加える恥知らずに怒りの表情を浮かべて、ミスズの腕の中から抜け出た。ミスズがキラの名を呼んだ時にはブリッジから出て行くところだった。

 

「俺も行くぞ!」

 

 ムウもキラに遅れてブリッジを出て行く。

 

「博士」

「駄目よ。グリーンフレームはまだ修理が終わっていないわ。あなたは待機してなさい」

 

 ユイもキラやムウに続こうとしてミスズに伺いをかけたが彼女の機体は先の戦闘で多大な損傷を負い、整備員と技術者達が総力を上げて修理しているがまだ終わっていない。

 自分の機体の状況はユイも良く解っているのでそれ以上は何も言わなかった。ただ、この時に出撃できないことに出れないことに明らかな不満の表情を浮かべている愛娘にミスズは薄く笑みを浮かべた。

 そして再びユニウスセブンを見る。

 エールストライカーを装備したストライクが飛び立って行く。これだけの出撃の速さだとパイロットスーツにも着替えていないだろう。

 

「この時期にプラントの民間船なんて、まさか追悼慰霊団かしら」

 

 何人もの友の遺体が眠る墓所を見ながら呟いた言葉がまさか正鵠を射ているとは、さしものミスズも気づかなかった。それに乗り込んでいる厄介な人物のことも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パイロットスーツにも着替えず、軍服のまま出撃したキラが機動力に優れるエールストライカーでSOS信号を発信している宙域を目指して直ぐに通信が入った。

 

『み、民間船からの信号、途絶しました!』

 

 管制官のミリアリアのマイクを通して、パルの声がキラの耳に入ってきた。

 

「くそっ!」

 

 遅すぎた対応に悔やんで目の前のコンソールを叩く。

 

『ヤマト、脱出艇を使っての生き残りがいる可能性もある。急げ!』

「っ……!? 分かりました」

 

 ナタルからの通信にそこまで頭が回っていなかったキラは気を引き締め、緩めていた操縦桿を最大まで前に傾けた。

 推進力を全開にしたことで発生したGによって体をシートに押し付けられるものの、逸る意識はその速度ですら遅いと感じる。

 

「速く速く、もっと速く!」

 

 常に全開状態を維持すれば機体に掛かる負担とエネルギーの消耗は速いが気にしていられる状況ではない。

 全速で飛ばした甲斐もあり、大した時間もかけずにSOS信号が発進された宙域に辿り着いた。

 

「戦闘の光!? まだ誰か生きていてくれた!」

 

 チカチカ、と宇宙には不釣り合いな光が時々閃光に発せられている。キラは更にストライクを急がせようと、これ以上は動かない操縦桿を前に押し続ける。

 戦闘の光に近づこうとして視界に真新しい船が見えて、ストライクを止めた。

 ゆっくりと近づいていくと艦の全貌が見えてきた。

 

「民間船…………駄目だ。ブリッジに被弾してる」

 

 他の彷徨っているデブリと違って真新しさを感じさせる白亜の船は無残にもあちこちに穴が空き、ブリッジらしき部分に銃撃を受けたのか艦上部が抉れていた。

 見る限りでは武装の類はなく、民間人の視点からでも非武装の民間船であることは疑いようもなかった。損傷からは逃げようとして嬲るように攻撃されたことは損傷を見ると想像に難くない。

 目の当たりにした惨劇に砕けんばかりに歯を食い縛る。

 

「よくも!」

 

 民間船の状況から生き残りがいるとは思えず、この破壊を為したであろう敵が近くにいるとキラの中で堪えようのない怒りが込み上げてきた。

 一気に操縦桿を倒してストライクを戦闘空域に向かわせた。

 戦闘空域は近く、瞬く間にストライクのセンサーが敵機の存在を示す。

 

「ジン!? でも、形が違う?」

 

 識別信号ではジンと出ているがモニターに映った二体のジンは通常の物とは違って改造されているのか、二機とも原型を留めているのは頭部ぐらいだった。

 民間船の護衛か、それとも出くわしただけなのかは解らないがジンならばザフトの所属と安易に考え、二機と戦っているモビルスーツらしき反応が襲った下手人だとキラは判断した。

 

「ジンならザフトのはず。敵は戦っているモビルスー……っ!?」

 

 ジンに加勢しようと機体を動かそうとした時、敵モビルスーツが発光弾か閃光弾を使ったようでモニターが光に染まった。

 閃光を直視してしまったキラの視界は光に塗り潰され、何も見えなくなった。

 

「あぁ……」

 

 数瞬で視界を取り戻したが、その時には重機を連想させる鈍重な外見の改造ジンが敵モビルスーツに撃破され、もう一機にも魔の手が迫っているところだった。

 

「止めろ――――っ!!」

 

 叫びながらストライクを急行させたが敵モビルスーツが攻撃を繰り出した方が圧倒的に速かった。

 ビームサーベルを振り上げた敵モビルスーツは、脚部をスラスター化させて機動力に優れていそうなジンが動くよりも早く真上から一刀両断に切り裂いた。直後に改造ジンは爆発を起こして欠片だけを残してこの世から消え去った。

 

「うわぁああああああああああ――――――――っっ!!!!」

 

 怒りに我を忘れたキラはビームサーベルを抜き放ち、減速させずに敵モビルスーツに突っ込む。

 敵モビルスーツはストライクの接近に気づいて慌てたように振り返ったがその挙動は今まで戦ってきたザフトと比べれば遥かに遅く鈍い。

 

「お前ぇえええええ!!」

 

 機体で突き刺すように伸ばしたビームサーベルは間一髪のところで避けられた。

 その避け方がやけに人間味に溢れていたことが、亡くなった民間船の乗組員とユニウスセブンを真下に見えるところで戦闘をしてジンを落した喪失と重なって、キラを怒りで狂えさせた。

 迷うように機体を揺らめかせる敵モビルスーツに向けて、今度は左右に機体を振りながら接近する。

 

「落ちろ!」

 

 敵モビルスーツが距離を取ろうとしたところで一気に距離を詰めてビームサーベルを斜めに振り下ろす。

 また躱されたが肩の端を僅かに切り落とした。 

 それで敵モビルスーツもやる気になったのか、振り下ろしたストライクに向かって下からビームサーベル振り上げて来る。

 今までに戦った敵に比べれば何もかも遅い相手の挙動は、散々シュミレーションで仮想敵とやり合ってきたキラにはお見通しだった。振り上げられるビームサーベルをシールドで受け止めるだけで留まらず、叩きつけるように当てる。

 パワーではストライクの方が勝っているようで、敵モビルスーツの手からビームサーベルを弾き飛ばした。

 

「これで!」

 

 手を引いて機体の首下、人間でいえば胸の当たりにビームサーベルを突き立てんと機体を動かした瞬間だった。敵モビルスーツは弾き飛ばされて落ちていくビームサーベルを蹴り上げた。

 

「!?」

 

 キラの全くの予想外の攻撃だった。二機の距離は至近。精々がもう一機が間に入れるかという距離しかない。その距離で完全に意識の外に飛ばしていたビームサーベルが向かってくることを予測していなかったキラは、モニターに映るビームの輝きに体を固まらせた。

 突き出していたビームサーベルを戻してシールドを掲げようとするが既に遅く、もう間に合わない。

 

(死ぬ!?)

 

 一瞬とはいえ、覚悟もないまま迫る死にキラは動けなかった。が、エネルギーの供給減を失ったビームサーベル単体では何時までも刀身部分のビームを形成することは出来ない。

 キラが咄嗟に閉じた瞼の中で感じたのはビームに焼かれる感覚ではなく、コクピットハッチを叩く軽い音だった。

 

『おい、お前! いきなり何すんだコラ!! 危ねぇじゃねぇか!!』

 

 死の恐怖に体を固まらせ、開いた瞼の先に映る敵モビルスーツから通信が入った。

 若い男の声だった。怒りが込められているが憎しみといった負の感情は感じられない。少なくとも怒りが一瞬で消えたキラには民間船を嬲るような男のものとは思えなかった。

 

「う……ぇ、あ………」

『言葉が通じてんのか! お、やっと映像が繋がって…………ガキじゃねぇか!?』

 

 感情の揺れ幅が大きすぎて上手く言葉に出来なかったところに、正面モニターに敵モビルスーツのパイロットの映像が映し出された。

 声の通り、まだ若い。キラよりも二、三歳ほど年上のようだが好奇心の塊のような目と感情を剥き出しに叫んでいるところが同年代か、ともすれば年下とも見える。

 キラが思わず放心していると、アークエンジェルからの通信が入った。

 

『キラ君、彼は敵ではないわ。私が言っていた合流相手よ。相手とも連絡が取れたし、民間船を攻撃したのは彼らじゃない』

 

 通信相手はミスズだった。

 もはや絶句するしかない。確かにジンを破壊したのだから一概にミスズの言は信じられるものではなかったが、話を信じれば勘違いである可能性の方が高い。

 後少しで勘違いで人を殺したとあっては許されることではない。良く見れば向こうのモビルスーツはアストレイ・グリーンフレームのフレームの色が違うだけでそっくりだった。落ち着いて観察していればわかったはずなのに。

 目前に浮かぶ幾つもの汗の塊の向こうで、向こうのモビルスーツのパイロットも母艦から似たような通信を受けたのか気まずそうにキラを見ていた。

 取りあえずまず第一にやるべきことがあるので、キラは息を深く吸い込んだ。

 

「ごめんなさい!!」  

 

 悪い事をしたら謝れ、と母から口を酸っぱくして言われていたので教えに従って謝る。

 また電子音が鳴り始めた。下げた頭を上げるとモニターに映っていたのはモビルスーツの機影ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アークエンジェルの格納庫には、キラが見つけて曳航してきた救命ボードが置かれていた。

 救命ボートを運び込む前にキラが敵のモビルスーツだと思った赤いフレームのアストレイは僚機のミストラル1機と共にアークエンジェルに入り、もう一機が一度母艦に戻ってまたやって来たところだった。

 空気が注入されて、マリューやナタルといった幹部クラスや護衛の為に銃を持ったMP、そして赤いフレームのモビルスーツやミストラルからパイロットが降りてきた。

 

「ドクター!」

「プロフェッサー!」

 

 赤髪の女がミストラルから出て来て、アークエンジェル側からミスズも進み出て、二人は抱き合った。

 

「本当に久しぶり。元気にしてた?」

「ええ、そちらも元気そうね」

 

 プロフェッサーの背後に回されたミスズの手がアークエンジェル側から見えない視覚で動く。

 

「情報は役に立ったようね」

「勿論よ。お蔭で良い物が手に入ったわ。後で返せなんて言わないでね」

「言わないわよ。持ち出せたのは一機だけで、私としてもプロトシリーズは破壊されたくなかったしね。エリカにどやされちゃうわ」

「エリカは怒ると思うけど?」

 

 プロフェッサーも認識している手の動きは、やがて彼女のポケットに一つのデータディスクを入れた。プロフェッサーの後ろにいるロウや樹里にはその動きが良く見えた。

 

「ユイちゃんも久しぶりね。相変わらず可愛いわ」

 

 ハグを離したプロフェッサーは次にユイの頭を撫でる。

 特にユイは何も言わないが触られるのが嫌なら振り払っているので、これもユイなりの挨拶の仕方だった。知己の再会を喜び合う二人の何やら怪しい動きに辟易したロウは、辺りを見渡して目的の人物を見つけた。

 

「お、いたいた。さっきの坊主だ」

「ちょっと、ロウ」

 

 目的の人物を見つけて、銃を持ったMP達がいるのも気にせず、樹里の咎める声を無視して足を進めた。

 

「つくづく君は、落とし物を拾うのが好きなようだな」

 

 明らかに気に入らないと皮肉が込められた言い方にキラは肩身の狭さを感じて身を縮めるように立っていたところだった。

 

「おーい、坊主」

「!? あの赤いモビルスーツに乗っていた人?」

 

 そこへロウがやってきて、キラは体をビクリと震わせて彼を見た。

 一方的に攻撃をした相手が目の前に降り立ってキラは直視できずに目を伏せた。その姿は怒られるのを待つ子供そのものだった。

 

「顔上げろって。俺は気にしちゃいないからさ」

「でも、僕はあなたを攻撃をしました」

 

 肩に手を置かれて許されたとしても殺しかけた行為が消えるわけではない。自責こそがキラを苦しめていた。

 

「それは俺もお互い様だ。俺はロウ・ギュール。お前さんの名前を教えてくれないか」

「…………キラ・ヤマト、です」

 

 キラは自分で人見知りが激しいと自覚している。特に自分に負い目がある時は口も利くことが出来ない。だが、目の前のロウを相手にすると不思議と初対面とは思えない気安さを感じていた。

 

「おし、キラだな。じゃあ、キラよ。後でいいからお前のモビルスーツを見させてくれよ。ちょっとでいいからさ」

「え? でも……」

「いいじゃねぇか。な、俺のレッドフレームも見せるからさ」

「嫌なら嫌って言ってね。ロウは機械好きだからハッキリと言わないと勝手に弄っちゃうよ。私は山吹樹里。よろしくね」

 

 ストライクはキラが動かしているが個人の物ではない。軍の物であり、民間人でしかないキラは動かせるから乗っているだけでロウに対してYesともNoとも言えずにいると、ロウの後ろから特徴的な髪の少女が顔を出して自己紹介をする。

 

「おーい、開けますぜ」

「お、誰が乗ってんだろうな。さっきの話はまた後だ」

 

 マードックが言うと合流したジャンク屋組も気になるのか、ロウを筆頭に救命ポートに集まる。なんとなく彼らが優先されて救命ポートの前が開けられて、彼らと一緒にキラも正面に立つ。

 マードックがロックを操作した直後、救命ポートのハッチが微かな音を立てて開いた。周囲に待機していたMPが銃を構える。

 

「ハロ ハロ、ハロー、ハロ、ラクス、ハロ」

 

 開けられたハッチから飛び出してきたのは人ではなく、ピンク色をしたボール状の物体だった。

 慣性で目の前を流れて行くペットロボットらしき物を眺める一同は、身構えていたところだったので完全に毒気を抜かれていた。

 

「ありがとう。御苦労様です」

 

 ペットロボットに視線が集まっていたところに、救命ポートから声が聞こえて誰もが驚いてそちらを見た。救命ポートから出てきたのは一人の少女だった。キラと年齢は変わらないだろう。

 どこか人に傅かれることに慣れた感じで出てきた少女をキラは一瞬天使が現れたのかと錯覚した。

 

「な、なんで……」

 

 ユイだけが隣に立つ母が少女を見て口をあんぐりと開けていることに気づいた。彼女だけは少女よりもミスズがそれほどに驚きを露わにすることにことが分からずに首を捻っていた。

 

「あら…………あらあら?」

 

 救命ポートから出てきた慣性で流れて困惑している少女に、キラは咄嗟に手を伸ばしてその手を掴んだ。確かに人と分かる温もりは彼女が空想上の存在ではなく、柔らかな肉を持った女であることを細い手首から実感させた。

 

「あら? まあ、これはザフトの船ではありませんのね」

 

 手を掴むキラが着ている制服の徽章を見て、言葉ほどには困った様子には思えぬおっとりとした口調で頬に手を当てた。

 居る場所を確かめるように周りを見渡した少女は軍人とは思えないロウや樹里の服装に頭を傾げながらも、視線を逃げようと背中を見せている一人の人物に向けた。

 

「博士! 博士ではありませんか!」

 

 少女の叫びに周囲は驚き、それが誰を指しているかは考えなくても分かる。

 呼ばれたミスズはギクシャクとした動きで、愛想笑いを浮かべているようだがぎこちない笑みを浮かべながらゆっくりと振り返る。

 

「…………久しぶりね、ラクス・クライン」

 

 ミスズの発言に一時、現実を理解できなかった場が凍る。

 

「はい?」

 

 マリューが思わず漏らした言葉の直後に、頭が痛いと眉間を揉んだナタルが深々と肺の空気を絞り尽くさんばかりの長い溜息を吐いた。

 

「「「「「「「「「「はいぃいいいいいいいいいい!?」」」」」」」」」」

 

 直後、モビルスーツデッキが爆発したかのように全員の叫びが唱和した。

 アークエンジェルはまたまた厄介な爆弾を抱えてしまったようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ふぅ」

 

 予定より遅れた到着の後に開かれたプラント最高評議会で、ヘリオポリスで奪取した地球連合の新型機動兵器の説明を行ったアスラン・ザラは長い長い溜息を吐いた。溜息と共に下げていた視界を上げると映るのは観光名物であり、プラントに住むコーディネイターにとっては特別な場所ではない『エヴィデンス01』である。

 始まりのコーディネイターであるジョージ・グレンが見つけて持ち帰った羽くじら石。地球外生命体を実証して『存在証明』の名を冠され、ジョージ・グレンと同じく歴史の転換点となった化石。当時の混乱はまだ生まれてもいないアスランには実感もしようのない出来事だが、数日前にこの化石の前でブルーコスモスのテロがあったのだから気にもなる。

 

「青き清浄なる世界のために、か」

 

 ブルーコスモスが合言葉として諳んじる決まり文句を口の中で呟いて、コーディネイター同士から生まれた第二世代のアスランにはどうにも理解できないことだったので頭を振った。まるで自分達が罪深い象徴のように感じて、当然ながら受け入れることが出来なかったからエヴィデンス01ではなくその下の地面を見た。

 金属製の床が見えるだけで何も変わったところは無い。アスランが月のコペルニクスから母と共に移住してきた時と何も変わっていない。しかし、この床には数日前には血に塗れていたことをアスランは知っている。

 

「テロを起こしたのがナチュラルなら止めたのもナチュラル。何をやっているだろう、俺達は」

 

 ヴェサリウスにいる間に時間だけはあったのでネットで収集した情報はアスランを混乱させるものだった。

 テロを起こしたのがナチュラルであることはニュースで報道されていたが、犠牲者のことには一言も触れていなかったので、道管制が敷かれているのはプラント情勢に詳しいと言えないアスランでも察することが出来た。

 事件の場にいたジャンク屋が迫っていたテログループを退治するのに協力したというのに、そのことすら報道されていない。地球連合と戦争をしているのだから理解は出来るのだが、止めたジャンク屋や犠牲者のことを考えれば一概にナチュラルが悪いとは言えない。

 アスランの母レノア・ザラは血のバレンタインで崩壊したユニウスセブンと運命を共にした。アスランがザフトの志願したのはその事件があったからで、ナチュラル憎しの感情がなかったといえば嘘になる。母を奪った悲劇の主犯や関係者達を法の上で裁きたい。同胞を守りたいとザフトに志願しても過激派のようにナチュラルを滅ぼせとまでは思ったことがないし、今もまた考えもしていない。

 

「キラ……」

 

 真実を知ったアスランは地球連合の戦艦に乗っている幼き頃からの親友を思った。

 キラが先程評議会で説明したGの中で唯一奪取出来なかった機体に乗っていると知っているのは数少ない。同胞たるコーディネイターが敵対していることを知ったザフトの士気低下を嫌った国防委員長であるアスランの父パトリック・ザラの独断で削除された情報だった。

 地球連合の戦艦でモビルスーツに乗せられているキラが非人道的な扱いを受けていないか、同胞と戦わされて心を痛めていないか心配事は多かった。

 

「俺はキラの母親か」

 

 まるで母親のようにキラのことを心配する自分を茶化す為に言って、崩壊したヘリオポリスにいたかもしれない第二の母とも言える人を思い出して自嘲をする。

 

「カリダさん、無事だといいけど」

 

 その場にいて崩壊に加担したザフトの兵士である自身に言えたことではないと自嘲を深くする。

 アスランの中では実の母であるレノアよりも親友であったキラの母カリダの方が接した時間が長いかもしれない。レノアも十分に愛情を捧げてくれたが、やはり長い時間を共に過ごした相手に向ける情も多くなる。それでもカリダはアスランにとっては他人なのだから、やはり母親というには無理がある。どちらかといえば初恋の人と言ってもいいのかもしれない。あまりレノアが傍にいてくれなかったので代償行為と言われてしまえばそれまでだが。

 カリダの安否を心配するアスランに近づく人がいた。

 

「やあ、アスラン」

 

 評議会委員を示すコートを着た議長シーゲル・クラインは会議中の思案気な表情とは変わって、穏やかに微笑んで話しかけた。

 

「クライン議長閣下!? 御無沙汰しております」

「そう他人行儀な礼をしれくるな。ラクスの婚約者である君は将来に家族になるのだ。公式な場所ではないのだから、もっと気楽にお義父さんと呼んでくれていいものを」

「いえ、それは……」

 

 慌ててザフト式の敬礼をしたアスランにシーゲルは茶目っ気を覗かせて若造の緊張を解した。

 シーゲルの娘ラクス・クラインとは親が決めた許嫁である。プラントのトップにいる互いの家柄と、婚姻統制による結果であった。

 婚姻統制の結果として出会った二人だが、お互いに悪感情もなく将来的には結婚することになるだろうことは既定事実だった。

 出会ったのは二年前でゆっくりと関係を育んでいるがまだキスもしていないだけに、婚約相手の父親から茶化されるとどのように対応していいものか困惑してしまうアスランだった。

 

「すまんな。ようやく君が戻ったと思えば今度はラクスが仕事でおらん」

「追悼慰霊団の一員としてユニウスセブンへ視察に行くとメールがありました。お気になさらずに」

 

 二人でくじら石を眺めつつ、仕事ではなくプライベートの話を始める。

 シーゲルほど公と私の区別をつけられるほど柔軟になれないアスランなので、答える言葉は敬語だった。

 

「連絡を取り合っているのは結構だが、婚約者同士だというのに一体何時になったら君達はゆっくり会う時間が出来るのやら」

 

 やれやれ、と肩を落とすプラントの最高責任者に言われると自分がザフトに入隊したのが悪い事のように思え、人気№1の歌姫であるラクスが多忙なこともあって会える時間がないことを責められているようでアスランは体を小さくしていることしか出来なかった。

 過激派の筆頭であるパトリックと穏健派であるシーゲルの対立ぶりを議会で見ていただけに、計らずともシーゲルの立場を潰す発言しか出来なかっただけに頭が上げらなかった。

 

「申し訳ありません」

「私に謝られてもな。しかし、また大変なことになりそうだ。君の父上の言うことも分かるのだがな……」

 

 頭を下げるアスランにシーゲルは柔和な笑みを崩して苦汁を飲み込むように眉を窄めた。

 戦争の早期終結を目指すシーゲルを追い詰めているのが自分の父親なのだからますますアスランは身の置き場を失くしていた。誰か助けてくれる者はいないかと辺りを見渡しても評議会議長に気安げに話しかけてくれる勇敢な人物はいなかった。

 だが、意外な人物がアスランを救ってくれた。

 

「アスラン・ザラ!」

 

 少し遠目から声をかけてきた仮面の隊長に助かった気持ちでそちらを向いたが、話の中心人物である父パトリックが彼の後ろにいることに気づいて浮かんでいた喜びの表情を固まらせた。

 

「クルーゼ隊長」

 

 クルーゼの声にシーゲルも同じ方向を向いて困ったような表情を浮かべている。 

 二人の困惑を知ってから知らずか。アスラン的には後者の可能性が高いと思ったのは誰にも言えない秘密だった。

 

「あの新造艦とモビルスーツを追う。ラコーニとポルトの隊、そして技術試験小隊が一時的に私の指揮下に入る」

 

 シーゲルに敬礼したクルーゼはアスランに言葉少なに要点だけを纏めて言った。

 

「技術試験小隊でありますか? 新型機や開発した兵器を試験運用するあの?」

「プラントの今後を担う小隊だ。腕は確かだ。信用していい」

 

 別にアスランは技術試験小隊の腕を疑ったわけではないのだがクルーゼはそう判断したようだった。

 技術試験小隊はピーキーな機体や安全実証がされていない兵器を扱うのだから生半可な腕のテストパイロットが選ばれるはずがない。凄腕のクルーゼや亡くなったミゲルのような名付きのエースとまでは言わなくても、十分な経験を持った熟練パイロットが選ばれる。

 戦況を優位に進められるのはモビルスーツがあってこそ。プラントにとってモビルスーツ関連の技術は生命線なので新しい技術や新兵装の開発は盛んだった。

 

「疑ってはいませんが、まさか実戦で試すおつもりですか?」

 

 安全実証が為されていない機体や兵装を実戦で試すなど正気の沙汰ではない。気持ちが表情に出ているアスランにクルーゼは軽く笑った。

 

「大方の実証は終わっていると聞いている。残すは実戦検証のみで、何よりも隊長の私が新兵装の実験をしなければならんのだ。それに奪取したばかりの機体で出撃した君が言うことでもあるまい」

 

 皮肉でもなんでもなく苦笑を浮かべたクルーゼにアスランは口を噤んだ。

 話しのすり替えであることは間違いないのだが、ヘリオポリスで残った機体に乗り込んだのがキラかどうかを確認するために奪取したばかりのイージスで飛び出したのは間違いないし、クルーゼも新兵装の実証実験をやらされるとなれば文句も言い辛い。

 

「あのハイネ・ヴェステンフルスとミハイル・コースト、一人は君らの後輩らしい。残る二人も保証つきの腕だ」

「新星の英雄にドクターでありますか」

 

 前者二人はザフトにその名を知らぬほどの有名人であり、アスランの目の前にいるクルーゼにも勝るとも劣らぬエースパイロットである。後輩が誰か気になるし、有名人が同行することと、そんな彼らが技術試験小隊に入っていることの奇妙さにアスランの頭はパンクしそうだった。

 

「先の作戦に携わった彼らが投入されるほど国防委員長は地球連合の新型を気にしておられる。我らの責任は重大だぞ」

 

 言われて肩に圧し掛かる責任という名の重圧が確かな実感を持ってしまったことに気づいた。

 ザフトではトップクラスのエースパイロットがクルーゼを合わせて三人。既に墜とされたミゲルのことも考えれば決して多いということはない。アスラン自身、自らが乗るイージスの機体性能にはジンに乗り慣れていただけに畏怖を覚えることもある。恐らくイージスと同等の性能を擁するといってもミゲルを墜とすほどの実力者が敵にいることを考えれば味方は多ければ多いほどいい。

 

「出航は24時間後だ。短いかもしれないがしっかりと休め」

「はっ!」

 

 敬礼をしながらも、またキラと戦わなければならないと実感したアスランは心の内で失意に呻く。

 着々と地球連合の新造艦への包囲網が出来上がっており、もはやアスラン個人だけではどうしようもない領域にまでスケールが大きくなっている。パトリックに友達を助けたいなら動かなければならないと解っているのに、周りを囲むのが自分よりも遥かに格上のエースパイロットになると知れば尻込みしてしまう。

 

「失礼致します! クライン議長閣下! ザラ国防委員長閣下!」

 

 クルーゼが無言で並んでくじら石で見上げているシーゲルとパトリックに敬礼をし、彼らが頷いたのを見て歩き出した。

 声をかけるまで二人の存在を忘れていたアスランは改めて父親たちを見て、最近では対立派閥のトップであることからいがみ合っている印象しかない彼らが親友であることを遅まきながらも思い出した。

 二人が何を話すのか、気にならないといえば嘘になる。場所は折しも始まりのコーディネイター、ジョージ・グレンが木星よ持ち帰った化石だ。プラントの趨勢を左右する二人の私的な会話はジャーナリスト達の垂涎の的であろう。アスランもプラントに住む一住民としても気になるところだった。

 

「アスラン、行くぞ」

「はい」

 

 先に歩み出したクルーゼが催促するように言って来ればアスランもこの場を離れないわけにはいかない。言っても止まりはしないクルーゼの背を追ってアスランは小走りに足を進めた。

 軍服を着たクルーゼとアスランの姿が完全に見えなくなり、くじら石の前に残された壮年の男二人は何を話すでもなく立っていた。

 完全に人気がなくなった広場で最初に口を開いたのはシーゲルだった。

 

「アスラン君は良い青年に育った。パトリックの育って方が良かったのかな?」

「私のではない。あれはレノアが育てたのだ。それは知っていよう、シーゲル」

 

 二人を繋ぐ最も縁深い、この場を去ったアスランのことを話題に上げて二人は笑みを交わし合った。

 議会での二人しか知らない者が見れば、現実かと疑って目を擦るほどに二人の間に流れる空気は和やかだった。だが、その空気も直ぐに消え去った。

 空気を消し去った嘴を切ったのは議長であるシーゲルの方だった。

 

「我々にはそう時間はないのだ。アスラン君のような年若い者まで投入して悪戯に戦火を拡大してどうする?」

「戦争は勝って終わらなければ意味がない。勝つために。私に言えるのはそれだけだ」

 

 問いかけたシーゲルは向かい合ったパトリックの瞳をしっかりと見つめた。

 

「では何故、NC計画を推進する? あれはお前の」

「分かっている。言われるまでもない」

 

 開戦時から極秘裏に、それも最高評議会の評議員の大半にも知らせていない計画の詳細を言いかけたシーゲルの言葉を遮るように、パトリックが強い視線と言葉で言い切った。

 

「分からぬはずがない。あれの忌々しさは私が良く知っている。だが、地球軍がモビルスーツを開発した。直に量産化もされるだろう。配備しているシグーどころか開発中のゲイツすら上回る機体だ。それほどの機体が量産化されれば今の戦況が維持できるかと聞かれれば難しいだろう」

 

 自分の心情を整理するように、言葉を選ぶように慎重に口を開くパトリックの表情はどんどん鬼の如く鋭さを増していく。

 

「勝つために必要なのだ。あの忌々しいエネルギーが!」

 

 シーゲルは鬼面となったパトリックの顔を愕然と見入った。

 

「パトリック、お前は……」

 

 ユニウスセブンから一年の時を経てようやくシーゲルは友の目に情熱ではなく狂気が宿っていることに遅まきながらも気がついた。

 

「だからこそ許せんのだ! 我々の邪魔をする者は!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地球連合の基地がある月本部へ目指すアークエンジェルに奇妙な同行者と遭難者を胎の中に収め、ユニウスセブンを離れて航海を始めた。

 

「へぇ、フェイズシフト装甲のモビルスーツか。理論だけは聞いたことあるけど実装しているのは始めて見た」

 

 モビルスーツデッキでメンテナンスヘッドに固定されているストライクのコクピットのシートに座る箒みたいな髪の毛を後ろから眺めつつ、キラは少しだけ感心した。

 初対面時の馴れ馴れしさなどからトールのように肉体派と思っていたのに、キラですら知らなかった相転移装甲の理論を聞いたことがあるだけで凄いと感じてしまう。

 

「レッドフレームは対弾性が低すぎるから実装出来ねぇかな」

 

 ぼやくような言葉にロウ・ギュールが持つアタッシュケースサイズのコンピュータ『8』が「出来るわけがない」と文字を表示する。

 

「言ってみただけだ。本気じゃねぇよ」

 

 ぼやくロウに「いいや、本気だった」と返す8の返事は人間臭い。

 シートの後ろにいるキラのことを忘れたかのように二人はトントン拍子に会話と言えるのか判断に悩むことを繰り返しながら、立ち上がるストライクのシステムを見ては「ほぅ」とか「へぇ」とか目を輝かしているのを見ると年上なのに子供のようだった。

 

「ここのシステムとか、レッドフレームに入れられねぇか? 試算では運動値が3%も上昇するしよ。え? 駄目だって?」

 

 問いかけるロウが「合うか。逆に低下する」と即答されて意気消沈する様子を間近で見ていると、本当に子供のようだという印象が強くなる。

 8との会話を一段落させたロウがキラを振り返った。

 

「いい機体だぜ。兵器なのが勿体ないぐらいだ」

「僕もそう思います」

 

 コンソールを撫でる様子から本当に惜しがっていることが感じられ、キラもヘリオポリス脱出直後に似たような感想を持ったので同意した。

 

「命は失ったら機械みたいには直せねぇんだ。こいつにそんなことはさせたくないもんだ」

 

 表情をコロコロと変える様は見ていて面白く、そんな人を殺そうとしたり、ストライクを血に塗れさせたキラの気持ちを落ち込ませる。

 あの時は勘違いから激昂して斬りかかり、格下と侮って危うく殺されかかったのだから笑うしかない。アークエンジェルで始めて顔を会わせた時、ロウは気軽に許してくれたがキラ自身が己の行いを許すことが出来なかった。そういう人間なのだ。

 雰囲気の変わったキラの様子を見てロウは話題を変えた。

 

「聞いた話じゃ、キラは始めて乗ったこいつのOSを書き換えて戦ったんだってな。こんなデカイ戦艦を守ってザフトと戦ってきたんだから凄ぇよ」

「OSを作っていたのがカレッジの恩師だったんです。教授の癖と知らずにモビルスーツのOSの解析もしていたから出来ただけです。戦闘もユイさんの足手纏いばかりで僕なんてとても」

 

 システムを全部見たロウがシートの後ろにいるキラを振り向いて感心したように言った。その真っ直ぐな視線が余計に自分の罪深さを現しているようで、心持ち視線を逸らしながらキラも自分がしたことが少しも凄いと思えず謙遜した。

 凄いのはモビルスーツを作ったミスズやOSの大部分を作り上げたカトウであって、自分はユイの足を引っ張ることしか出来ないのだと卑下していた。

 すると、振り返ったロウは最初ポカンとした顔でキラを見ていたが悪戯を思いついたように笑った。

 

「キラって戦いに向いてなさそうに頑張ったのは本当だろ? 友達を守る為に必死扱いて戦った奴がそんな暗い顔をしなさんさ」

「うわっぷ」

 

 クシャリ、と遠慮呵責なく小さな子供にするように髪の毛を掻き回されてキラは目を丸くした。

 トールが似たようなことをすることがあるがロウには彼にはない深みがあるように思えた。父や兄といった方向性とは違う頼れる男という方向性は今までのキラにはなかったものだ。それは事前に見せたロウの子供っぽい一面が理由だろう。

 どうも自分はこういう頼りになる男に弱いな、とキラは思いつつ手を払いのけることなく髪を掻き乱す手を受け入れた。

 

「ロウ!」

 

 コクピットの外から聞こえる山吹樹里の涙交じりの叫び声に、キラの髪の毛が思いの外に撫で心地が良くて止められなかったロウの手が止まった。

 何故か二人で顔を見合わせて、そろりとコクピットから顔を出して無重力を利用してキャットウォークに腹這いになりながら眼下を見下ろした。

 

「何時までもモビルスーツにかまけていないで、いい加減に手伝ってよ!」

 

 二人がキャットウォークの端から眼下を見下ろすと、キラと同年代らしい樹里が半分泣きながらロウ達の母艦ホームから運び込まれた物資の中で立ち往生していた。

 会ったこともない人達の中心で運び込まれた物資の説明を渡したリストと共に責任者であるマードックにしている樹里の姿は、俯瞰した上から見ると余計に哀れに見えた。

 マードック自身からしてどちらかといえば無精髭を生やした強面の部類に入る顔をしているのだから、正規軍人の相手をするにはまだ若い樹里には酷な事なようだった。まだ年が近く同性のユイも近くで物資の搬入を手伝っているが、コミュニケーション能力が十分とはいえないユイではいないよりマシなのだろう。

 

「いいんですか、あれ?」

「大丈夫だとは思ったんだけどな。やっぱり一人にしたのはマズかったか?」

 

 キラが隣で同じように腹這いになって眼下を覗いているロウを見れば、若干気まずそうに頭を掻いていた。

 

「出来ればあっちのアストレイも触らして欲しかったんだが無理そうだしな」

 

 物資が搬入されたので一旦手を止められたアストレイ・グリーンフレームを名残惜しそうに見るロウに、キラはクスリと笑った。

 

「あっちはまだ修理だか改造中だかで無理ですよ。下手に触ろうとしたらマードック軍曹に怒られます」

「だよなぁ。レッドフレームの同型を弄れる機会なんて今後ないかもしれないのに。ああ、触りてぇ」

「手が動いてますよ、ロウさん」

 

 自分の欲求に正直で相手の心情をきちんと斟酌するタイプの人間は珍しい。諦めきれない欲望を表現するように手がワキワキと動く様が面白い。

 ロウの気持ちはプログラマーであるキラとしても分からぬものではない。新しい物に目がないのは技術者の性で、逆に言えば興味を持てないのでは技術者失格である。

 ストライクの先にアストレイ・グリーンフレームの同型機。P02という味気なかったのをロウが名づけたレッドフレームの名の通りに赤いフレームを持つアストレイのシートにキラは座った。

 ナチュラルが操縦することを前提に開発された検証機だけあって、最初にストライクに搭載されて物よりも遥かに完成度の高いOSにキラは感嘆を漏らした。恐らくだがカトウが開発していたのはこちらで、ストライクらに搭載されているのはそこから直ぐには使えないように手を加えた物なのだろう。それほどにストライクに搭載された物とはかけ離れた完成度だった。

 何よりも驚いたのがアストレイ・レッドフレームを動かしていたロウ・ギュールの存在だった。

 

「モビルスーツを動かしていたからコーディネイターだと思っていたのに、ロウさんがナチュラルだなんてビックリしました」

 

 レッドフレームに乗って搭載されていたOSがナチュラル用であることを知って始めてロウがナチュラルであることを知った。それまでキラはロウをモビルスーツを動かしていたことからコーディネイターと完全に勘違いしていた。モビルスーツを動かせるのは基本的にコーディネイターだけなのだからキラの勘違いをあながち間違っていない。

 

「8のお蔭だけどな。俺達の中でコーディネイターはリーアムだけだ。そういやあいつなんでこっちに来ないんだ?」

 

 擬似人格コンピューターをポンと叩いたロウは母艦から荷物を持ってくるだけで乗船しようとしない仲間に首を捻った。

 ロウが宇宙で漂流していた戦闘機から発見したという人工知能搭載コンピュータ『8』もキラには良く解らなかった。自分自身の意思を持ち、アタッシュケースサイズのボディに付いたディスプレイに文字や画像を表示したり様々なビープ音を鳴らすことで人間とコミュニケートする。今も「ふふん」と言葉面だけで推測すると人間で言えば鼻高々を表現しているらしい。

 8のお蔭でロウはモビルスーツを操縦できるらしいのだが、ミスズと同じ気配のするプロフェッサーという女の人やロウといい、変わった集まりであるとキラの中では認識づけられていた。

 会ったことのないリーアムという人のことは分からないが常識人である樹里が苦労させられているのだろうと眼下の光景を見ると思ってしまう。

 

「しゃあねぇ、手伝ってやるか。お~い、樹里!」

「ロウゥゥゥゥゥゥ!」

「分かったからその声は止めろって! 恐ぇって」

 

 あまり思い悩む性格ではないロウは立ち上がり、キャットウォークの柵に手を置いて下に向かって呼びかけると、年頃の乙女としてどうかと思う声を出す樹里に畏れ戦きながらも承諾できるロウを少し尊敬したキラだった。

 続いてロウは眼下の樹里からキラを見た。

 

「悪いな。本当ならもっと話を聞きたかったんだが樹里があの調子でよ」

「大事なんですね、あの人のこと」

「危なっかしくて放っておけないだけさ。そういうんじゃない」

 

 同じように立ち上がったキラにしては鋭いツッコミを入れたつもりだったが、ロウは少し顔を赤らめただけで期待していたようなリアクションは取ってくれなかった。

 

「じゃ。また後で話ししようぜ。色々と聞きたいこともあるしよ」

「はい」

 

 話していて楽しい相手なので同じことを思っていたキラが頷くとロウはキャットウォークを飛び越えて降りて行った。

 下から泣き言を重ねる樹里と宥めようとしているロウに再びクスリと笑って、沢山喋って喉の渇きを覚えたこともあって食堂に行くことにした。

 キラがコーディネイターと知っても、互いの違いを個性として偏見を全く持たないロウの存在は沈みがちだったキラを浮き立たせるのに十分だった。だから、食堂に行く際に避難民がいる居住区から聞こえた声に足を止めた。

 

「ザフトの親玉の娘を拾ったってよ」

「モビルスーツを開発したコーディネイターまでこの船に乗っているって話じゃないか」

「この船に乗っているモビルスーツの一機はコーディネイターが動かしていて大丈夫なのか、本当に」

 

 聞こえてきた避難民達の言葉の数々にキラは耳を塞ぎたくなった。

 ザフトとコーディネイターを分けて考えるのは、プラントと地球連合がコーディネイターとナチュラルの戦争という形を取っている限りは大多数の人には出来ないのだろう。コーディネイターだというロウの仲間のリーアムという人が地球連合の戦艦に乗船しようとせずに、物資の搬入だけで留まっているのはこの辺に原因がある。

 上機嫌だったキラの足取りは途端に重くなり、逃げるように避難民がいる居住区から離れて食堂に向かう。

 

「最初から分かっていたことだよ」

 

 敢えて言葉に出して自分に言い聞かせる。

 アークエンジェルに乗った時にコーディネイターと知られた瞬間に銃口を向けられた時から、もっと前からキラは知っていた。ただ、少しでも現実から逃げたくて目を逸らしていただけ。ナチュラルの中でコーディネイターは何処まで仲良くなっても異物にしかなりえない。

 暗くなっていく心と一緒に下がっていた視界の端に誰かの足が映った。

 

「サイ」

 

 顔を上げると廊下の真ん中で腕を組んでいるサイ・アーガイルがいた。

 

「ん? お前も気になるのかあの娘のこと」

 

 言われて視線をずらすと、今が休憩時間のトール・ケーニヒとロメロ・パルにジャッキー・トノムラが士官室のドアに耳を当てていた。

 それでこの一室にキラが拾ってきた救命ポートから出てきたラクス・クラインが艦上層部と共に入っているのだと理解した。見られなくても、せめてどんな会話をしているのか聞いたみたいと思った。

 

「そ、そうだね。なんかあんまり見かけないタイプだから……」

 

 清楚というか、お淑やかというか、黙って立っていても上流階級の香りがするラクス・クラインという少女はそれほどにキラの好奇心を擽る存在だった。

 

「おいおい、もっと素直なコメントはないのかよ。ぶっちゃけ、キラも可愛いと思ったんだろ?」

「いや、僕は別に……」

「ははは、なんか顔赤いぞ?」

「え!? ほ、ほんと?」

「嘘だよ。そんなことより、聞いてみようぜ。一体なんの話してんのかね」

 

 突っ込んで聞いてくるサイにキラは少し不快に感じた。

 サイらカトウゼミの面々がキラをからかってくるのは珍しいことではないが、ロウの懐の深さと波長の良さ、境遇を理解してくれて褒めてくれたことが普段とは違う心境にさせていた。これがトールならばノリに押し切られたりして受け入れてしまうのだがサイにそこまでの押しの強さは無い。

 

「やっぱり止めとくよ。盗み聞きなんて良くないから」

 

 サイの言うことを聞く気にはなれず、心残りはあれど離れることにした。

 

「おいおい、どうしたんだよ。気になるんだろ?」

「そうだけど、やっぱり…………僕、ちょっと用があるから」

 

 一般論理を当てはめてみれば自分の行動は間違っていないと思えたキラは引き止めようとするサイを振り切って、当初の目的地である食堂に向かった。

 

 

 

 

 

 当の士官室の中の空気はお世辞にも良いものとは言えなかった。

 士官室の中にいるのは艦長のマリュー・ラミアスと副長のナタル・バジルール、ムウ・ラ・フラガにオーブ代表としてミスズ・アマカワ。最後に合流して当時の状況を知るジャンク屋組代表してプロフェッサーが同席していた。

 

「ポットを拾って頂いてありがとうございました。私はラクス・クラインですわ」

「ハロ ハロ!ラクス、ハロー」

「これは友達のハロです」

「ハロハロ。オモエモナー。ハロハロ?」

 

 呑気にペットロボットの自己紹介するラクスに室内にいる全員の溜息が重なった。

 

「このお惚け娘がプラント現最高評議会議長の娘なのよ。笑えるでしょ」

 

 ラクスにベッタリと張り付かれて、見方によって腕を拘束されているように見えるミスズは疲れたように笑いながら笑えないジョークを言った。当然、誰も笑わないし笑えない。

 

「あちゃ……、ドンピシャだったとは」

 

 ピシャリと額を叩いたムウが頭が痛いとばかりに顔の左半分を抱えて深い溜息を漏らした。アークエンジェルはまたもや厄介な荷物を背負ってしまった事が分かるばかりに、溜息も漏らしたくなる。

 

「そんな方が、どうしてこんなところに?」

「私、ユニウス7の追悼慰霊の為の事前調査に来ておりましたの。そうしましたら、地球軍の船と、私共の船が出会ってしまいまして……」

 

 マリューの問いかけにラクスは気落ちしたように肩を落としながら状況を説明する。

 ベッドの上に並んで座りながら腕をラクスに抱えられているミスズが確認するように、入り口近くに立つナタルの反対側で腕を組んでいるプロフェッサーに確認の視線を向けた。

 その視線を室内にいるラクス以外の全員が見て、頷きを返したプロフェッサーにまた溜息が重なった。

 

「臨検するとおっしゃるので、お請けしたのですが地球軍の方々には私共の船の目的が、どうやらお気に障られたようで些細な諍いから船内は酷い揉め事になってしまいましたの。そうしましたら、私は周りの者達にポットで脱出させられたのですわ」

「なんてことを……」

 

 地球連合からしてみればプラント陣営のユニウスセブン追悼慰霊団は気にくわない存在なのだろう。攻撃を加えた理由が理解できてしまった自分に吐き気がしたマリューは続く言葉がなかった。

 あの惨劇の地を見て、その間近で凶行に至れる神経が信じられなかったのだ。

 

「あの後、地球軍の方々も、お気を沈めて静めて下さっていれば良いのですが……」

 

 ラクスの言葉に地球連合の制服を身に纏う自分が責められているようでマリュー達は少女を直視できなかった。

 キラがレッドフレームに戦いを挑んだ理由として攻撃されたばかりでブリッジらしき場所に穴が開いていた船を見てしまったのが理由の一つである。そのことを報告で聞いていたマリューは、ラクスが乗っていた船に生存者がいないことを知っている。微かな希望を胸に抱く少女を目の前にして残酷な真実を言えるはずがなかった。

 彼女が乗ってきた船を沈めたのが同じ地球連合だと知って何も言えなくなった空気を払うようにそれまで黙っていたプロフェッサーが口を開いた。

 

「それにしてもドクター、プラントの歌姫とどこで知り合ったのかしら? あなた昔はともかく今はオーブの人間でしょ」

「付き合い自体は長いわよ。出会ったのもこの子が小さい頃だし。ねぇ、ラクス?」

 

 会話をするプロフェッサーとミスズの関係性も良く解らない。

 元より謎めいたところがあったミスズのこともあるので、このプロフェッサーという明らかに偽名臭い名前の人間にもどんな過去があるのか聞いてみたいような気もしたが藪蛇になりそうなので開きかけた口を閉じたマリューだった。

 

「はい。うちは早くに母を亡くしたので博士が私の子守をしてくれたんです。博士が作ってくれたオカピは今でも現役で動いてくれていますわ」

「オカピって10年以上前に作ったAIロボじゃない。良く背中に乗って遊んでたのに、とっくの昔に壊れていたと思っていたからまだ動いてたことにビックリだわ」

「壊れかけたことがあったのですけれどアスランが治してくれましたの。このハロもアスランが作ってくれたんです」

 

 地球連合側の思惑を無視して私的な会話を始めてしまった二人に、マリューは思わずナタルと顔を見合わせた。

 ナタルは疲れたようにため息を吐いて首を横に振った。首を突っ込みたくは無いらしい。ムウも聞き耳を立てているが同じようで、マリューも下手な藪を突きたくはないので見守ることにした。

 

「へぇ、ペットロボットにしては高性能じゃない。あら、色々とギミックも搭載しているのね。これだとアークエンジェルの電子ロックも解除できそうじゃない。ここは地球軍の軍艦なんだから迂闊に出歩いちゃ駄目よ」

「はい。分かりましたわ」

 

 どこからか取り出した工具でハロの機能を参照しながら言うミスズの言葉に素直に頷くラクスに、マリューはこれでいいのだろうかと疑念を強くした。事前に問題が解消されたことに誰も気がつかなかった。

 取りあえず、最初の問題はドアの外にいる不届き者にナタルに怒鳴らせて追いやることだった。

 

 

 

 

 

 

 

 マリュー達地球連合の軍人と、プロフェッサーが持ち込んだ積み荷の作業の手伝いに離れたので士官室に残ったのはラクスとミスズだけとなった。

 先程までは明るかったラクスが肩を深く落として俯いている姿を見れば、マリュー達が部屋の様子を見れば驚いたことだろう。彼女はマリュー達の反応から乗っていた船シルバーウィンドが墜とされたことを察していた。

 

「ラクス、大丈夫?」

 

 気遣うように肩に置かれたミスズの手に、ラクスは体を震わせた。

 

「――――大丈夫、です…………」

 

 俯いているラクスは膝に置いていた手がスカートの布を強く握り締めた。感情を表すように膝の手は震えていた。 

 

「馬鹿ね。無理して明るく振る舞わなくてもあなたの安全は私が保証するのに」

「でも、この船も地球軍の船なのでしょ?」

「船だけよ。オーブの人間が多く乗っているし、今のところは軍の命令系統にはないわ」

 

 優しく諭すように言うミスズにラクスは寄りかかろうとはしなかった。

 言葉を信じていないわけではない。信用も信頼もしている。ミスズが言うのなら安全であると確信できるし、身の安全が保障されると安心している。だが、ラクスはそれに甘んじていることは出来ない。

 シルバーウィンドの乗員は誰一人として助からなかった。救命ポートが一つしかなくて助かったのはラクスだけだったが、見方を変えればラクスを犠牲にすれば他の誰かが助かることも出来た。

 

「生きなければならないのです。船の皆様方の犠牲に報いるためにも」

「ラクスがこうやって気負うことを望んではいなかったはずよ。彼らが私達の死を気にしてくださいって言ってた?」

「わたくしの歌が好きだと言ってくれました。生きてほしいと。恨み言も何もありませんでしたわ。でも……」

 

 親が子供に言い聞かせるような言葉にラクスは俯いた顔を上げることは出来ずとも首を横に振った。

 ミスズにとってラクスは正しく子供なのだろう。プラントの歌姫ではなく、評議会議長の娘でもなく、ただのラクス・クラインを見ている。まだ歌姫になる前の、シーゲルが評議会議長になる前の、今のプラントの人間が知らないお転婆だった小さな頃のラクスを知っているミスズに被り慣れた仮面はいらない。

 

「小さい頃から歌は好きだったものね。オカピの背中に乗っていたラクスが歌姫なんて呼ばれるようになんて思いもしなかったわ」

 

 肩に乗せられていた手が反対側に回され、引き寄せられる。頭がミスズの胸元に預けられたのを温もりで感じ取ったラクスの目に涙が浮かんだ。

 

「博士は卑怯です。突然わたくしの前から、プラントからいなくなったのにいてほしい時にいるのですから」

 

 目の端に涙を浮かばせ、唇を尖らせて甘えるように言うラクスの姿を見たら、きっとプラントの人間は我が目を疑うだろう。ミスズは驚きはしない。ミスズの知るラクスは甘えん坊で我儘な、どこにでもいるその辺の小娘と変わらないのだから。

 ミスズは顔の間近にあるラクスの髪の毛を優しく撫でる。

 仕事で忙しく家でも常に緊張感を纏っていた父には甘えることが出来なかった幼きラクスの心を解きほぐした優しい仕草だった。悲しみに沈むラクスの心は癒されていく。生まれて直ぐに母を失ったラクスが知る身近な温もりは卑怯な程に傷ついた心に染み渡る。

 

「知らなかったの? 私は自分勝手なのよ」

「本当にそうですわ」

「ラクスも言うようになったわね。これも成長したってことかしら」

「何時までもわたくしも子供じゃありませんもの」

 

 二人で静かに笑い合う。

 ラクスは現実を受け止めるようにミスズの手を受け入れ、失った命を悼むように瞼を静かに閉じた。

 暫く何時かのように頭を撫でられているとラクスも落ち着きを取り戻してきた。すると、今度は厚かましくも自分の今後が気になる。

 

「わたくしはこれからどうなるのでしょうか?」

 

 今乗っている船は地球連合の戦艦である。嫌な想像だけが膨らんできて、ラクスは顔を上げて近くにあるミスズの顔を見た。

 不安に苛まれたラクスは涙に濡れた瞳でミスズを見たが彼女が悪戯っぽく笑っているのを見て少し呆けた。

 

「大丈夫よ。全て万事抜かりなし。人間万事塞翁が馬ってやつね」

「?」

 

 笑いながら片目を瞑って悪戯そうに言い切るミスズに、言っていることの意味が分からなくてラクスは首を傾げた。

 プラント生まれ、プラント育ちのラクスに地球の一国家の諺が分かるはずもない。首を傾げるミスズは口の中に押し込めたような笑いを漏らす。

 

「分からないのならいいわよ。今頃、プロフェッサーが上手くやっているから気にしなくていい。私に任せておきない」

「分かりました。私の全てを博士に任せます」

「こら、女の子が軽々しくそう言うことを言うもんじゃありません」

「博士を信じていますから」

 

 疑問はあれど、ミスズがここまで自信満々に言ってくれるのだから心配する必要はないとラクスは自らを納得させた。

 会わなかった時間はあっても信頼できると全幅の信頼を込めて言うと、ミスズは子供の成長を目の当たりにした親のように緩く目を細めた。

 

「変わりといってはなんだけど、してもらいたいことがあるのよ」

「なんですか?」

「歌を聞かせて。ラクスの歌を」

 

 ラクスに否と言えるはずもない。今の彼女に出来ることは少ない。その中で歌を唄うことはラクスに出来る数少ないことだった。

 

「ユニウスセブンの、シルバーウィンドの、何よりも傷ついているこの船の人達をあなたの歌で癒してほしい」

 

 頼みながら失った命を悼むように目を伏せたミスズに、アークエンジェルがどのような航海をしてきたかを知らないラクスでも相当な苦難が起こったことは予想がついた。

 柔らかな揺り籠のような温もりを発する腕から抜け出し、立ち上がってベッドに座るミスズに正対する。

 胸に手を当てて一礼。

 

「はい。不肖ラクス・クライン、唄わせて頂きます」

 

 ユニウスセブンを襲った悲劇を、亡くなったシルバーウィンドの乗員の事を、アークエンジェルのこれまでを思って口を開いた。

 歌うは一周年式典で披露するはずだった新曲。観客はたった一人ながらも、向ける先は世界全てへ。

 

「静かな夜に」

 

 亡くなった者達が安らかに眠れるように、今を生きる者達が健やかな世界を歩んで行けるように願ってラクスは歌う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ヴェサリウス発進は予定を12時間早めて出航します。搭乗員は12番ゲートより、速やかに乗艦』

 

 まだ出てから一日も経っていない軍事ステーションへと戻ってきたアスラン・ザラは、船の入り口に見覚えのある仮面の男ともう一人が何かを喋っているのが見えた。

 

「クライン議長閣下」

 

 何時も通りの仮面をしたクルーゼと話しているのは珍しいことに、忙しいはずのシーゲル・クラインだった。ザフトのトップである父パトリックならばともかく、シーゲルがクルーゼと話しているのを見るのは初めてだったので声にはありありと驚きがあった。

 シーゲルはアスランを一度見ると、ヴェサリウスに入って行った。まさか航行に同行するとは思えないので艦長であるアデスに用があるのか。残ったクルーゼがアスランを見る。

 

「アスラン、ラクス嬢のことは聞いているな」

「はい。しかし隊長、まさかヴェサリウスが?」

 

 軍事ステーションとヴェサリウスを繋ぐ入り口に手をついて地に足を止めたアスランは信じられぬ面持ちでクルーゼを見る。

 アスランの声を聞き届けてクルーゼが口元を少しだけ笑みの形に歪めた。

 

「おいおい、冷たい男だな君は。無論我々は彼女の捜索に向かい、ラコーニとボルトの隊、技術試験小隊は当初の予定通りに足つきを追う。これはクライン議長直々の命令だ。一介の兵である我らに反抗することは認められていない」

 

 いいから黙って言うことを聞け、と婉曲に言われているのを察してアスランはあまりいい気分ではなかった。

 地球連合の新造戦艦と残ったG、ミゲルを墜としたGに似たモビルスーツの撃墜命令を帯びているクルーゼ隊がやる仕事ではない。キラを救えるのは自分だと信じているからこそ、地球連合の新造戦艦追討任務から外されることは簡単に受け入れられることではなかった。

 

「でも、まだ何かあったと決まったわけでは。ラクスが乗っているのは民間船ですし」

 

 キラとラクスのどちらかが大事かという問題ではない。地球圏で最も発展した技術力を持ち、コーディネイターが動かす船が事故に合うとは考え難く、軍が民間機を攻撃する理由もない。アスランの根底にあるのはそこだった。そもそもクルーゼ隊は戦闘部隊である。諜報や偵察、捜索は出来ないとまでは言わないが専門にしている部隊に比べれば遥かに劣る。

 アスランの言葉にクルーゼは近づき、耳元で囁くように口を開いた。その口元はアスランには見えなかったが確かに愉悦の色があった。

 

「まだ公表はされてないが、既に捜索に向かったユン・ロー隊の偵察型ジンが撃墜されたシルバーウィンドを発見している。乗組員は全員死亡していたそうだ」

「なっ…!? では、ラクスは!?」

 

 告げられる報告にアスランの頭の中は一瞬で真っ白になった。思わず目の前にいるのが上官であることも忘れて掴みかかる。

 花畑の中で歌っているラクスの姿が頭を過る。

 誰からも愛されて、幸せになるべき少女。アスランが幸せにしなければならない人だった。

 

(だった?)

 

 知らずに過去形にしてしまっている自分が信じられなくて掴みかかっていたクルーゼから離れる。反動で壁に背中を打ち付けてもアスランは気にならなかった。もっと別のことが気になっていたからだ。

 頭の中が動揺し過ぎて逆に平坦になり、次に出た言葉は信じられないほど無感情だった。

 

「ラクスは死んだのですか?」

 

 ギョッ、とシーゲルの護衛らしき銃を持ったMPがアスランの聞き咎めて目を剥いた。

 誰がシルバーウィンドを撃墜したかは横に置いておいて、今はシルバーウィンドに乗っていたラクスの安否が心配だった。今のアスランに常識は存在しない。

 クルーゼはアスランの変容やMPの驚きすらも楽しげなものだと言わんばかりに唇の端を笑みの形にしながら、笑みを見られないように手で口元を隠しながら沈鬱そうに首を横に振った。

 

「分からん。シルバーウィンドには救命ポットが一つだけ搭載されている。それに乗って脱出してくれていればいいが」

 

 確証もなく、小さすぎる希望だった。

 重い事実を前にして、アスランは絶望して顔を上げることが出来なかった。

 

「希望的観測であることは分かっている。が、我らの任務は脱出したと思われるラクス・クライン嬢の救出に変更された。ユニウス7は地球の引力に引かれ、今はデブリ帯の中にある。嫌な位置なのだよ。ガモフはアルテミスで足つきをロストしたままだ」

「まさか…………隊長は足つきが彼女のポットを回収したと?」

「可能性の一つではある。どちらにせよ、クライン嬢とアスランは婚約者同士なのだろう? 休暇している場合でもあるまい」

「あ、ですが……」

 

 アスランとて本音で言えば自分の手でラクスの捜索を行いたい。だが、ザフトはプラントの民の為の軍隊である。一個人の望みで部隊を動かすなどあってはならない。例えそれがプラントの歌姫であり、最高評議会議長の娘であってもだ。

 婚約者であるといってもザフトの兵であるアスランはクルーゼの問いかけに答える言葉を持っていなかった。

 固まってしまったアスランの下へ、ヴェサリウス内部から戻ってきたシーゲルがやってくる。

 

「アデス艦長には伝えた。クルーゼ隊長もよろしく頼む」

「はっ! お任せ下さい、クライン議長閣下」

 

 敬礼するクルーゼ。アスランの与り知らぬところで何かが動いていた。

 シーゲルは次いでアスランを見た。

 

「すまない、アスラン君。議長が私情に走るのは分かっている。無理を承知で娘をどうか頼む」

 

 問答無用に身体の横に垂らされていた右手を取られ、きつく握り締められる。

 目の前でアスランの手を強く握っているのは、尊敬される人物でも、プラント最高評議会議長でもない。ラクス・クラインの父親であるシーゲル・クラインである実感が襲い掛かって来て、頷かずにはいられない。

 

「分かりました。このアスラン・ザラ、微力ながら力を尽くさせて頂きます」

 

 頭を下げて痛いほど手を握って来る震える背中を見下ろすアスランに他に何が言えよう。キラが遠ざかっていくのを承知の上でシーゲルの頼みを受け入れることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アスランが乗るヴェサリウスがプラントを立つ数時間前。地球の温暖な気候の地域にある中世ヨーロッパのような宮殿に一人の男が招かれていた。

 

「だからね。この仕事をあなたに頼みたいのよ。ジェス・リブルにね」

 

 宮殿の主である男――――マティアスは招いたジェス・リブルを見ながら、手に持っている高級すぎて一般人には実用性がなさそうなコップを置いた。

 主に相対するジェスは女性のようなシナを作るマティアスに若干引き気味になりながらも、他人に考えを読ませない瞳を注視しながら慣れない高級な椅子にもぞつく。

 マティアスと同じ種類のコップに紅茶が入っているが口を付ける気になれず、台の上に置きっぱなしであった。

 

「ターゲットはプラントから地球に下ろされるザフトの実験機と現地の取材。危険な物になるけれどあなた以外には頼めないわ。野次馬バカと呼ばれるジェス以外にはね」

 

 マティアスの胸の前に上げた右手の小指と人差し指を立てるのはどういう意図を示しているのか、さっぱり分からないのだが野次馬バカと言われたジェスは言われ慣れている異名に怒ったりもせず胸の前で腕を組んだ。

 ジェスは腕を組んで自らの着古し過ぎてボロボロと形容した方が正しい服が目に入って、悩みながらもマティアスの提案に心の天秤が急速に傾く。

 

「渡航費といった掛かる費用は全てこちらで用意するわ。報酬とはまた別にね」

「う~ん」

 

 条件はとても良いのだが即答出来ない自分に悩んでいた。

 

「あら、不服なの?」

「そういうんじゃない」

 

 全てお見通しといった様子のマティアスに反骨心が浮かび上がって来ないわけではない。咄嗟に口に出た言葉だが力はない。

 

「マティアスには何時も感謝してる。仕事をくれたり、食事をくれたり、感謝してもしきれない。今、俺が生きているのはマティアスのお蔭だ」

「行き倒れていたところを助けたものね」

 

 改めて頭を下げて感謝するジェスに、マティアスは当時のことを思い出したのか口元を手で隠しながら上品に笑う。

 相変わらず男とは思えない女性口調と仕草だがジェスはそれも個性だと気にしなかった。そういうところがマティアスに好まれていると知りもしないジェスである。

 

「もっと周りに合わせれば楽に生きられるのに」

 

 マティアスはジェスの着古してボロボロと言っても差し支えない服を見て素直に思った。

 フリーのジャーナリストをやっていて、野次馬バカなんて異名が付くほどにあちこちに首を出し過ぎて業界で干されているジェスに回って来る仕事はかなり少ない。

 商売柄、カメラなどの機材は常に最高の状態にしているが扱うべき体の方が疎かになってしまっている。正直に言えば食べるのにも困るほどだった。マティアスがいなければとっくの昔にジェスは野垂れ死んでいたことだろう。

 

「出来てたら行き倒れなんかしない。俺は俺の信条を変えるなんて出来ない」

 

 年齢不詳のマティアスの忠告に、しかしジェスは拳を胸に当てて胸を張る。

 

「でも、スクープは欲しいんでしょ?」

「俺はスクープが欲しんじゃない。世界に自分の目で見た真実を伝えたいだけだ」

「立派ね。不器用な生き方だけど、そういうとこ好きよ」

 

 惚れてしまいそうだわ、と上機嫌に流し目を送ってくるマティアスに、以前の取材で男に尻の穴を狙われたことがあるジェスは冷や汗を流しながら手を後ろに回して一生誰にも上げる気のない貞操を守った。

 先程の勇ましいところから一転して気弱になったジェスに感じる物があったのか、マティアスは目の奥に熱い物を滲ませる。

 しかし、次の瞬間には一瞬でそれを消して仕事モードに入る。

 

「詳細な内容は紙面に起こしてあるから後で渡すわ。取りあえず先に風呂に入ってきなさいな。汚れが酷いわよ、匂いも」

「そうか?」

 

 相変わらずの切り替えの早さに困惑しながらもジェスは自分の服を嗅いでみた。

 見慣れ過ぎて当たり前に思えるのだが、宮殿と言えるレベルで清潔なのが当たり前な場所にいると自分がひどく薄汚れていることに気がついた。そんな汚れた服でジェスが一生普通に働いても買えなさそうな椅子に座っていることが不味い事であることに今更ながらに気がついて立ち上がる。

 振り返って椅子を見ればなんの材質かも分からない椅子に汚れがポツポツと付いている。ジェスは顔から血の気が引いていくのを感じた。

 

「洗えば取れるんだから気にしなくていいわよ」

「いいのか?」

「湯を沸かしてあるから、いいから風呂に入って来なさい。替えの服も用意してあるから」

 

 一人でコントをするジェスがおかしくて仕方ないといった様子で笑いながらマティアスは後ろに控えていたごっつい黒服の男に合図をする。

 

「ジェス様、こちらです」

 

 黒服に促されるまま、ジェスは椅子の横に置かれているコップが置いてある台の上にあるカメラを手に取って部屋を出て行く。

 部屋を出て行くジェスの背中の見送ったマティアスは、台の上に置いてある紅茶を一口飲んで、また置く。

 次いで視線をジェスが出て行ったのとは違う扉に向ける。

 マティアスが視線を向けた先は、隣の部屋と繋ぐ扉でジェスが出て行ったのと比べると一人用である。その扉が開いた。

 

「奴で本当に大丈夫なのか、マティアス」

 

 扉を開けて部屋に入ってきたのは綺麗に整えられた顎髭を持つ、20代半ば程の長身の男である。

 前髪を上げて後ろだけ長い長髪を首の後ろで縛って、パリッとしたスーツを着こなしている。鋭い目つきをしているが粗暴さとは無縁の、ナンパな男といった雰囲気を醸し出していた。

 男の本質が戦士であり、ナンパな男という雰囲気が仮面であることをマティアスは知っている。

 

「大丈夫よ、彼は。心配かしらカイト・マディガン?」

「戦地に行ったりしたら真っ先に死ぬタイプに見えれば、見目麗しい女性でなくても少しぐらいは気にもする。直ぐ近くで見た奴が死ぬと分かっていて止めないのは目覚めが悪い」

 

 自信満々に答えるマティアスにカイトは尚も懐疑的な視線を向けていたが、目の前の女性口調の男が一度決めたことを覆すことがないことを重々承知しているのでそれ以上の突っ込みはしなかった。

 

「で、俺を呼んでわざわざこんな回りくどいことをするってことは奴の護衛が次の依頼か?」

 

 カイトは、わざわざ隣室に待機させて話を聞かせたことからマティアスの意図を推測すると最も可能性の高いのを口にした。

 マティアスは近くまで歩み寄って来たカイトに笑みを向けながら否定も肯定もしなかった。胸元に手を伸ばしてポケットに入れていた写真を取り出し、カイトに向かって投げた。

 回転しながら向かってくる写真をカイトは無造作に上げた手で掴み取る。大して注視もせずに、最初からあるべき場所に定まったような写真を見る。

 

「へぇ、美人じゃないか。俺の好みだ」

 

 写真に写る女を見たカイトは口笛を吹きそうなほど上機嫌になる。

 カイトの視線の先の写真には、最低限だけで化粧気の薄い白衣を纏った女が映っていた。くすんだ金髪を無造作に伸ばして首の後ろで結び、鼻の上に実用性があるとは思えない小さすぎる丸眼鏡をかけているがそれがまたカイトの琴線を刺激してくる。

 

「彼女の護衛があなたへの依頼よ」

「喜んで依頼を受けよう。で、彼女はどこに?」

 

 詳細も聞かずに依頼を引き受けて自他共に女好きであるカイトの豹変に苦笑しながらもマティアスは指を上に向けた。

 天井に向けられた指先にカイトが頭を捻るのを見ながらマティアスはゆっくりと口を開いた。

 

「宇宙よ」

 

 年齢不詳、立場不詳のマティアスは自身の目論見の為に人を動かし続ける。

 



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第10話 選べぬ選択

 

 先遣部隊。本隊より先に派遣する部隊である。

 軍の隊は艦単体で動くことはまずありえない。少数精鋭でいくしかないザフトはともかくとして、軍隊の規模で何倍も上回る地球連合はコーディネイターに対して質で劣るが故に量で上回ろうと集団で動く。

 集団は周りに合わせなければならないので個人で動くよりも動きが鈍重になる。作戦上、拙速を尊ばなければならない時、集団を小分けにする時がままある。先行して状況を把握、または救援に赴く部隊を先遣隊と言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サイから逃げるように士官室から離れたキラは、とぼとぼと歩きながら食堂の近くまで来ていた。

 

「嫌よ!」

 

 俯きながら歩いて中で食堂から聞こえてきた大きな声に、心の準備と怒鳴り声に慣れていないキラは体をビクリと震わせた。

 

「フレイ!」

「嫌ったら嫌!」

「なんでよ!」

 

 次の聞き覚えのある声と先程の声が続いた時には心の準備が出来ていたので今度は驚きはしなかった。気になったのは知っている声の主が言い争っている事実にだった。

 

(フレイとミリアリア?)

 

 元同級生で、ミリアリアが飛び級をして工業カレッジに入っても付き合いがある二人。仲が良いと思っていた二人が言い争いをしていることに首を捻りながら食堂に足を進めた。

 食堂に入ると近くに困ったように立っているカズィ・バスカークの姿が見え、その奥に向かい合うミリアリア・ハウとフレイ・アルスターが睨み合っていた。

 

「どうしたの?」

 

 状況が理解できなかったので、知っていそうなカズィに話しかけたつもりだったのだが何故か反応したのはフレイだった。

 

「あら、キラじゃない」

「やあ、フレイ」

 

 怒っている女の子に関わり合いになりたくなかったキラだがフレイが反応してしまったのなら挨拶をしないわけにはいかないが、話しかけて直ぐに後悔した。

 

「あなたはサイ達みたいに覗きに行かないの?」

 

 明らかに機嫌が悪いと分かる胡乱な目つきのフレイにキラは直ぐに話しかけたことを悔やんだ。

 女の子の気持ちは男には分かり様がなく、元から年の近い異性と関わりの薄いキラはもっと疎い。比較対象が同じように不機嫌なミリアリアしかいないのだからキラの交友関係は狭い。

 

「え? あ、ああ。仕事もまた残ってるし」

 

 フレイが言っているのは先程サイやトールが盗み聞きしようとしていた件に対する八つ当たりで、少ししか関わっていない件で八つ当たりされては堪らないと残ってもいない仕事を言い訳にした。

 モビルスーツで戦うことがキラの仕事で、ストライクを出撃できるようにしていれば暇を持て余すことになる。不安を紛らわすようにシュミレータで訓練をすることが日課と化しているから最近はユイや整備員とばかりで学生連中と話すことも少なかった。

 

「それだけ?」

「それだけって?」

 

 逆に問いかけられても困惑するばかり。フレイが何を言いたのかキラには分からなかった。

 人殺しをしたことが心の杭となっていることをこの時のキラは自覚していなかった。仲間と会話する強い違和感に。

 

「キラが覗きに行かない理由よ。あの娘、コーディネイターの娘なんでしょ? 仲間じゃないの?」

「べ、別にコーディネイターだからって全員が知り合いじゃないよ」

 

 可愛い子だなとは思っていたので下心を見透かされたようで、最初の言葉がつまった。

 

「プラントにも行ったことないし、偉い人の娘さんみたいだからなんか別世界の人みたいでさ、僕とは関係ないのかなって」

 

 コーディネイターとしての同胞感は持ちつつも、一緒くたにされることには忌避感を持つ。ユニウスセブンの悲劇に憤りはすれど、地球圏に放たれたニュートロンジャマーに端を発したエイプリルフール・クライシスに同意は出来ない。人間とはどこまでも自分の価値観で敵と仲間を決めている。

 キラの場合、コーディネイターの国であるプラントには一度も渡ったことがなく、当の少女が偉い人の娘となれば縁遠さも感じていた。繋がりが救命ポート拾ったこととコーディネイターしか共通点とかがない。

 他の人よりかは繋がりは深いが、先のは偶然、後者は探せば多くの該当者がいる。その点で言えば知り合いらしいミスズの方が接点が多い。

 

「ふーん、そう。コーディネイターにもちゃんとした人っているんだ」

「ちゃんとしたってそんな……」

 

 褒められているようでその実は貶しているだけの言葉に温厚なキラといえども流石に傷つくよりもムッとした。

 

「あら、悪く思わないで。そういう人もいるんだなってちょっと思っただけよ。むしろ感心しちゃうわ。それに比べたら……!」

 

 ムッとしたところで感心していたようなフレイが眉間に皺を寄せて怒りを露わにしたのでキラは困ってしまった。

 

「え、なに? どうしたの?」

「サイもトールも自分の彼女を何だと思ってるのかしらね!」

「あ、そういうこと」

 

 一気に話が俗物染みたのでキラは肩透かしを食らって、怒りから困惑ときて感情が完全に平坦になってしまった。

 納得してしまったのと、フレイに淡い思いを抱いていただけに自身の事をサイの彼女とハッキリ言ったことに傷ついていた。

 

「みっともなく鼻の下を伸ばしちゃって! ホント失礼しちゃうわ!!」

「きっと珍しいからだよ。別に悪気はないと思うから」

 

 トールやサイの気持ちも理解できて、何よりもサイに対しての反骨心さえ芽生えなければ自分も一緒に盗み聞きに加わっていたのだから、プンプンと怒るフレイを宥めようとした。すると、フレイは途端に機嫌が良くなるとまでは言わないまでも理不尽な怒りを収めたようだった。

 

「キラって優しいのね。ちょっと見直しちゃった。っていうか、あなたのことまだ良く知らないし。でも、仲良くなれそうだわ」

「あ、うん」

 

 笑み混じりに言われると淡い思いを抱いている相手だけに頬を紅くしてドギマギしてしまう。現金だと分かっていてもキラはフレイにはとことん弱い。

 フレイの怒りが収まったところを見計らってカズィが顔を出した。

 

「んで、あの子の食事はどうするの?」

「何の話?」

「キラが拾ってきた子の食事だよ。ミリィがフレイに持ってって言ったらフレイが嫌だって。それで揉めてるの」

「そうなんだ。でもなんで……」

 

 いらぬ警戒心を抱かせぬ為に年が近そうでブリッジ要員で動かしやすいミリアリアが選ばれたのは、マリューかナタル辺りの配慮だろうということは察しがついた。大方、コーディネイターのキラと親交のあるミリアリアならば偏見を持たずにラクスに会ってくれるという思いもあったのだろう。

 

「私が艦長から頼まれたんだけど仕事もあるし、フレイなら食堂勤務じゃない。同年代ってことで私を選んだんならフレイの方が適任じゃない」

 

 話を聞いていればミリアリアは自分が選ばれた本当の理由にまで気づいていないようで、表面上の理由だけで納得して動いたようだった。

 

「私はヤーよ! コーディネイターの子のところに行くなんて。怖くって……」

「フレイ!」

「あ!? も、もちろん、キラは別よ。それは分かってるわ。でもあの子はザフトの子でしょ? コーディネイターって、頭いいだけじゃなくて、運動神経とかも凄くいいのよ? 何かあったらどうするのよ! ねぇ?」

「…………」

 

 ミリアリアは失言を盛大にするフレイに怒りを露わにした。同意を求められたカズィは困ったように頬を掻く。

 微妙な空気の中でキラは身の置き所を失って顔を上げていられなかった。モビルスーツに乗ってからこっち、どんどん自分の居場所が失くなっているように思えて仕方なかった。

 

「フレイ!」

 

 失言に失言を重ねるフレイに何時ミリアリアの堪忍袋の緒が切れるか分からない。同じ学校の仲間の沸点が限界に近いことを察したカズィが明らかに気落ちしているキラを見て、自分しか動けないことに深い溜息を漏らしながら口を開いた。

 

「あんな大人しそうな子がいきなり君に飛びかかったりはしないと思うけど」

 

 こういう時にトールと違って気の利いたことを言えない自分がカズィは嫌いだった。

 

「そんなの分からないじゃない! コーディネイターの能力なんて、見かけじゃ全然分からないんだもの。凄く強かったらどうするの?」

 

 フレイに受け入れる気がないのは誰の目にも明らかだった。

 この場にいることに苦痛すら覚え始めたキラは、このままでは埒が明かないこともまた自覚していた。

 

「ミリアリア、ミリアリア」

 

 顔を上げたキラはフレイとカズィの前を通ってお盆の近くにいるミリアリアに近づいた。

 

「なに、キラ?」

「コーディネイターに慣れていない人には分からないんだよ。だから、ね?」

「…………そうね。キラの言う通りだわ。私が持って行く」

「いいよ、仕事があるんでしょ。僕が持って行く」

「それは、いいけど。でも……」

 

 逡巡するミリアリアに更なる言葉を重ねようとしたキラの前にフレイがまたいらぬ口を開いた。

 

「それがいいじゃない。同じコーディネイター同士なんだし、その方があの子も喜ぶわ」

「フレイ! あんた自分が何言っているか解ってんの!」

 

 墓穴を掘っているのに失言を重ねずにはいられないフレイにミリアリアは堪忍袋の緒が切れたと言い募ったが、その前にキラがミリアリアの前に手を出して料理が乗った盆を持った。

 

「もういいから。ね」

「ごめんね、キラ。こんなことさせちゃって……」

 

 キラは儚い笑みだけを浮かべて言葉を返すことなく、寂しげに感じられる背中を残して食堂を出て行った。

 普段よりも一層小さい背中を見送ったミリアリアはわざとらしくフレイを見て嘆息した。

 

「なによぉ、まるで私が我儘言っているみたいじゃない」

「もう喋んない方がいいよ、フレイ。今の発言が我儘以外の何に聞こえるんだよ」

 

 こういう時だけは察しの良いフレイに、温厚なカズィといえども先程のキラの泣きたいのに泣けないような辛い顔を見た後では怒りを覚える。

 語気に明確な怒りが込められた言葉にフレイは臆したように体を震わせ、その怯えた姿にカズィもまた嘆息した。

 ザフトがヘリオポリスを襲撃してからこっち、ろくに良いことがない。

 ザフトには襲われるし、キラはモビルスーツに乗って戦うし、トール達が志願した所為で自分も軍人の真似事をさせられるし、アルテミスでは危うく殺されかけるし、と悪い事ばかりが起きてカズィは一杯一杯だった。

 その上で更にこの状況なのだからカズィでなくても溜息をつきたくもなる。

 

「フレイって、ブルーコスモス?」

 

 カズィはコーディネイター排斥を唱える、中にはテロまで行う右翼団体の名前を出した。

 

「違うわよ! でも、あの人達の言ってることって間違ってはいないじゃない。病気でもないのに遺伝子を操作した人間なんて、やっぱり自然の摂理に逆らった間違った存在よ」

 

 今までのフレイの言葉を思い返してみるとそうとしか言いようがなかった。否定しながらも潜在的には同意できると頭の片隅で思考しながら、傍から見ればそのものであることに気づいていないな、とカズィは冷静に思った。

 

「でも、そんなにコーディネイターって間違った存在なのかな?」

 

 こういう手合いに限ってコーディネイターと関わった経験がなく、世間での通説を鵜呑みにするのだから疲れることこの上ない。再度の嘆息を漏らした。

 モビルスーツに乗れること、ナチュラルを超える能力などあってもキラはキラであると、今までの付き合いからカズィは知っている。そして自分もまたキラがコーディネイターであるから差別する側にいる人間であることも。こんな時にだけ擁護して友達面をしていることも。

 

「どういう意味よ?」

「別に深い意味なんてないさ。ただ……つい、忘れちゃんだよね。キラがコーディネイターだってこと」

 

 何故、こんな話をフレイにしなければいけないのだと徒労感を覚えて食堂の椅子に座る。それで徒労感は消えなかったので、今度はテーブルに肘をついて顔を支えた。

 

「それは……」

「さっきの間違っている云々って台詞、キラを目の前にして言える? あなたは間違った存在だから生まれてくるべきではなかったって」

 

 コーディネイターとナチュラルの間、他人と仲間の間、どうやって境界線を越えられないのが人であると、戸惑うように瞳を揺らめかせるフレイを見て、カズィは哲学的な思考をしている自分を皮肉った。

 

「だから、キラは特別だって……」

「特別なもんか。あいつも立派って言うのも変だけどコーディネイターだよ。実際目の前にしてみると、それぐらい微妙な話だってことだと思うな、僕は」

 

 知らないから拒絶する。先入観があるから否定する。他人の内側のラインにいるキラが特別であると言うフレイにカズィはどこまでも現実を突きつける。

 

「僕だって思うところがないわけじゃない。キラの能力やモビルスーツを動かせること、コーディネイターは卑怯だって思う時は一杯あるよ? それでも君みたいにコーディネイターだからって偏見は抱いていないつもり。いくらコーディネイターが超人的っていっても人間的な部分は同じなんだってことはキラを見てたら良く解るから」

 

 らしくもなく熱弁しているな、とカズィは自分を皮肉る。

 柄ではないことをしていると疲れるのでフレイを見ることを止めて、なんとなく動かした視線に目を丸くしているミリアリアの姿が映った。

 

「なんだよ」

「カズィがそこまで考えてたなんて以外」

「失礼な。僕だってちゃんと考えてるよ。感覚で動いているトールとは違ってね」

「その毒舌振り。相変わらずで安心したわ」

 

 変な安心の仕方をするミリアリアにカズィは自分がどのように思われているかを知って、少し傷ついたりもした。カズィはショックで顔を支えていた手が外れていたりしても気にしていないが。

 

「ま、世の中がトールみたいな能天気ばかりだったら戦争もおきないさ」

 

 結局、結論としてそこへ行き当たるのがカズィのカズィたる所以というやつだろうか。思い悩むフレイを放っておいてミリアリアは、らしいカズィの結論に苦笑いを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇宙空間が眺められるブリッジの副操舵席に座るトール・ケーニヒは操舵士のノイマンと、キラが拾ってきたラクス・クラインの話をしていると脈絡もなく鼻の疼きを覚えた。

 

「ハックッション!!」

 

 手で押さえる暇も出てしまったクシャミに連動して鼻水も少し出てしまい、慌てて袖で鼻元を拭う。

 

「風邪か?」

「いえ、なんかいきなりムズムズして。誰か噂でもしてるんですかね」

 

 隣で操舵を握るノイマンが目だけを動かしてトールを見ながら訊ねたが、当のトールは元気一杯で風邪のような症状も他にないので首を捻っていた。

 

「誰か悪口でも言ってるんじゃないのか」

「なら、絶対にカズィです。アイツ以外に俺の悪口を言う奴なんていませんから」

 

 ずっと前を向きながら操舵をしているというのも退屈である。仕事であり、艦の命運を左右する操舵を担っているといっても敵襲も無い平和な間は、目の前にはどこまでいっても変わらない宇宙空間が広がっているので眠気が襲ってくる。会話をすることは眠気を飛ばすにも最適で、宇宙船乗りであるノイマンは仕事に差し障りのない程度に行っていた。

 ノイマンが積極的に話しかけて来るのでトールは操舵士とはそのようなものだと勘違いをしてしまっていたりもするが、兄貴分との会話を断る理由もなかったので是正されていない。

 

「バスカークと仲悪いのか?」

「よく喧嘩はしますけど仲が悪いって程じゃないです。俗に言う悪友みたいな?」

「へぇ~」

 

 ヘリオポリス崩壊から10日以上経っているにも関わらず、ブリッジで二人が喧嘩しているのを見たことがなかったので尋ねてみたが同級生ならそんな関係もあるかと納得したノイマンだった。

 同時に自分の友人関係を思い出して切なくなりもした。 

 

「友達は大切にしろよ。大抵、失ってから大事なことに気づくから」

「…………なにかあったんですか?」

 

 年の割には察しが良すぎるのも考え物だなと聞きづらそうにしながらも聞いてくるトールを見てノイマンは思った。

 

「俺にも軍に入ってから出来た悪友がいたんだが随分前に戦死してしまってな。いなくなってから寂しいなんて感じるなんて思いもしなかった。本音で喧嘩して笑い合えるダチは大切にしとけ」

 

 ニヒヒ、と笑う悪友のにやけ面を思い出してムカッとしたりもしたが、どちらかといえば湿っぽい感情の方が多い。

 

「ノイマンさん」

「ん?」

 

 懐かしいと思ってしまう過去に郷愁の念を抱いていたノイマンはトールに声をかけられて左を向いた。そこにはこちらを向いて乙女みたいに頬を朱に染めたトールがいた。

 

「兄貴って呼んでいいですか?」

「キモい」

 

 兄貴と呼ばれることに少し心が揺れ動いたのは本当だが、10代後半の男に乙女な仕草をされたところで生理的な嫌悪感が先行した。思ったことが口から出てしまったが後悔は全くなかった。

 

「え~、駄目なんですか?」

「駄目ってわけじゃないが…………その、恥ずかしいだろ。兄貴なんて呼ばれたら」

「俺は気にしません」

「こっちが気にする」

 

 顔を見合わせて二人でクスクスと笑い合う。男同士で気楽につまらない話を面白おかしくするのも、過ぎ去った過去を思い起こすようで何もかもが懐かしい。

 そうやって笑い合っている二人を規律に厳しいナタルが放っておくはずがない。

 

「そこの二人。あまりふざけているようなら」

「大丈夫です。仕事はちゃんとしてますから」

 

 少し前にブリッジにやってきたナタルの注意が入る前に笑いを収めてノイマンは真面目な仕事モードで返す。トールも右に倣えと真面目モードに入っていたので怒るに怒れないナタルは額に青筋を立てながら握った拳を振るわせた。

 ナタルと違って操舵士二人のやり取りを楽しげに眺めていたムウは、ナタルが暴発する前に違う話題を提供することにした。

 

「しっかしまぁ、補給の問題がひょんなことから解決したと思ったら今度はピンクの髪のお姫様か。悩みの種が尽きませんなぁ、艦長殿」

「そうですわね、本当に。同階級の方が他人事のように話すから余計に」

 

 話題を提供してナタルの怒りを逸らすことには成功したが痛い問題を突いてくるムウにマリューは唇の端を震わせて皮肉を言った。

 

「悪かったって。でも、どうするか考えなきゃいけないのは変わらないだろ?」

 

 謝りながらも飄々としているムウが返してきて、我慢我慢とどちらの道考えなくてはいけないからとマリューは心の中で呟く。どうも最近は災難ばかりが降りかかってくると、右側のスロープを後ろ手に掴んでいるムウを見ながら艦長席に座って身を深く沈めた。

 

「あの子もこのまま月本部へ連れて行くしかないでしょうね。でも、軍本部へ連れて行けば彼女は、いくら民間人といっても」

「盛大に大歓迎されるだろう。なんたって、プラント最高評議会議長シーゲル・クラインの娘だ。多大な政治的利用価値はあるだろうよ」

「できれば、そんな目には遭わせたくないんです。民間人の、まだあんな少女を……」

「そう仰るなら彼らは? こうして操艦に協力し、戦場で戦ってきた彼らだって、まだ子供の民間人です」

「バジルール少尉。それは……」

 

 痛いところを突いてくるナタルにマリューは艦長になってから負担が激しい胃がキリキリと痛むのを感じてお腹を抑えた。

 ナタルも艦長代理の際のやりすぎを反省してくれたようだが、マリューに対しては言葉の端々が厳しい。それが期待の裏返しなのだと理解できるが重いと感じるのは自分が艦長席に相応しくないと思っているからだろうか。

 

「キラ・ヤマトや彼らを、やむを得ぬとはいえ戦争に参加させておいて、あの少女だけは巻き込みたくない、とでもおっしゃるのですか? 都合が良すぎます」

「……………」

 

 軍人としてはナタルが正しいと分かっているので何も言い返せないマリューの胃が危険域に入るほど痛みだしてきた。

 思わずムウが止めるべきかと迷うレベルで急速に顔色を青くしていくマリューに、しかしナタルは気付いた様子もなくノリに乗って来たように更に口を開いた。

 

「彼女はクラインの娘です。と言うことは、その時点で既に、ただの民間人ではない、と言うことですよ?」

「あら、その理屈なら私も一言が言いたいことがあるけどいいかしら?」

「プロフェッサー」

 

 言い募っていたナタルの言葉を継ぐように、ブリッジに入室したウェーブのかかった女性が挑発的な口調と共に笑う。ミスズの友人であり、ジャンク屋組合の纏め役らしいプロフェッサーという、本名かどうか怪しすぎる女性の名前をマリューは口に出していた。

 

「一言とはなんのことですか?」

 

 なにかを感じ取ったのか無意識に後退りながらもナタルは問うた。その姿が毛を逆立てて突然現れた巨犬に怯えて威嚇している猫のようだと思ったのはマリューの秘密である。どうにもミスズと同じ気配のするプロフェッサーに苦手意識を抱いているらしい。

 

「避難民のリストを見せてもらったけど、大西洋連邦事務次官ジョージ・アルスターの娘を働かせているらしいじゃない。ラクス・クラインがただの民間人じゃないのならこのフレイ・アルスターも同じじゃないの?」

「ぬ」

 

 理屈で言えばフレイもまた民間人ではなく相応の扱いをすべきなのに、食堂勤務をさせていることを皮肉っているプロフェッサーの言葉にナタルは直ぐに言い返せずに言葉に詰まった。

 だが、こと理論武装に置いてアークエンジェルの中では他の追随を許さないナタルである。直ぐに反論の為の理論を組み立てた。

 

「ま、もう意味はなくなっちゃたけど。はい」

 

 反論武装を展開しようとしたナタルに差し出されたのは一枚の紙。薄っぺらで重力の少ないブリッジでは上と下を持たないと読みにくい。

 なんだと、咄嗟に受け取った紙に書かれている文字を見てナタルは盛大に固まった。

 

「…………請求書?」

「ええ、見ての通りよ」

 

 グギギギギギ、と壊れた人形のように顔を上げたナタルは肯定されて傍と分かるほどに真っ白に固まった。

 ナタルの手から離れた請求書をムウが拾い上げ、見た瞬間に同じように固まって眉間を揉みながらマリューに渡した。渡されたマリューはナタルの理論武装から解放されて戻っていた顔色が一瞬で危険域を超えて真っ白になった。

 

「……こ、これは……?」

「あなた達への補給物資の代金。運賃料も入っているわよ。まさか善意で上げたなんて思っていないわよね?」

「この艦にはあなたの友人の博士も乗っているのですが」

 

 補給に関しては早い段階でミスズがアテがあると言っていたので頼りにしていたので、完全に善意で貰える物だと思っていたマリューは必死に反論しようとした。

 

「別に乗り続ける必要はないでしょ? モビルスーツも技術者も全員こっちに移ってしまえば、ほら問題は解決。ドクター達は十分あなた達に協力したらしいから恩は返しているじゃない」

 

 ぐぅの音も出ないとは正にこのことであった。ナタルは提示された莫大な金額に完全に固まっていて、ムウは最初からこの問題には関わる気は無いと傍観者を気取っており、前者二人がこのような状態だから他のブリッジクルーも一斉に顔を逸らして役に立たない。マリューは仲間がいなさすぎて泣きたくなった。

 進退窮まっているマリューをプロフェッサーはにこやかな笑みを浮かべながら見つめる。

 

(避難民がいるからこの手は使えないけど、気づいた様子はなさそうね)

 

 元々は補給だけしてミスズ達はホームに移って別れる予定だったのだが、キラがオーブの避難民を拾ってしまった所為でモルゲンレーテ所属組だけがアークエンジェルから離れるという選択肢は取れない。

 避難民を受け入れられるほどホームにはスペースもないし、食料やらの物資も無い。国営企業の社員が国の人間を見捨てられるはずもない。結果としてミスズ達はアークエンジェルに留まり続けることが決定している。その代わりに別の厄介な荷物を受け取って帰ればいいだけだ。

 このことに気づかせない為に少し多めに金額を吹っかけたのだが以外に動揺が激しくてプロフェッサーの方が困ってしまった。

 

「さぁ、代金を」

 

 好機を好機と考える時間を与えずに畳みかける。プラントで買った水の代金は剛腹だが彼らが生きるか死ぬかの瀬戸際なのでプロフェッサーは余裕だった。

 

「こんな代金をとても即金では…………。軍本部と連絡が取れ次第都合しますので」

「駄目よ。払えないなら全て引き上げさせて頂くわよ」

 

 即金で払えるはずがないと分かっていてプロフェッサーが言っているとマリューにも分かったが引き上げられたら艦全員の命に関わる。

 

「…………と、言いたいところだけど既に御買い上げ頂いているから意味ないかしら」

「へ?」

「サイン、してあるでしょ」

 

 嫣然と笑って腕を組むプロフェッサーに請求書を見下ろすと、「ミスズ・アマカワ」の名前で支払いが行われているサインが書かれていた。

 

「博士のサイン」

「そっ。元からドクターの依頼で水を買ったから快く払ってくれたわよ」

「ということは、博士に俺達は生殺与奪件を握られたってことか?」

 

 オーブ側の働きがなければアークエンジェルはとっくの昔に沈んでいたことだろう。それは自他共に厳しいナタルも認めているところ。アークエンジェルに乗り込まなければ死んでいたと言ったところで、恩があるとしても十分に返すだけの働きはしている。

 ムウが言う通り、水は人が生きていく為に欠かせないのだから命運を握られてしまったに等しい。

 

「何を要求するつもりですか?」

「私達は何も。水はドクターが買った物だから。でも、まぁ……」

 

 復活したナタルが問いかけるとプロフェッサーは考えるというよりも面白い物が見られることを楽しみにしている子供のように笑った。

 

「代金として一人の少女を引き渡す様に要求してきたとしても仕方ないんじゃない?」

 

 それならば個人的にも立場的にも助かると思ってしまった自分は艦長失格なのだろうと、マリューは脳裏のミスズが高笑いをしているのを苦笑と共に思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分は何をやっているのだろう、とラクスの食事を運ぶキラは考えていた。

 モビルスーツに乗って、ザフトと戦って、人を殺して、戦う技術を学んで、やりたくもないことを続けている。出来るから、コーディネイターだから、こうやって軍人の制服を着て真似事をしている。

 

「何をやっているんだろう、僕は。アスランと戦って、コーディネイターを殺して何がしたいの?」

 

 誰もいない廊下を一人で歩いているのだから返事など、あるはずもない。期待していたわけでもない。キラはどこまでいっても異物で、ナチュラルの集団にいること自体が間違っていたのか。答えは出なかった。

 

「キラ!」

 

 自身の生まれた定義にまでネガティブな思考が進んでいたキラは呼び止められた振り返った。考えてのことではない。受動的な行動だった。そこでようやく目的地である士官室が直ぐ近くであることに気がついた。

 振り返った視界に飛ぶように廊下を走って来るサイ・アーガイルの姿があった。

 常にない慌てように内心で訝しく思いながらも、普段の運動不足が祟って息を乱しているサイは立ち止ってキラの目を見て口を開いた。

 

「ミリィから聞いた」

 

 恐らくミリアリアが仲間内で最年長であり纏め役であるサイに、キラがフレイの発言で傷ついているはずだから慰めてやってくれとでも言ったのだろうと推察するのは簡単だった。本音を言えば放っておいていてくれた方が有難いのだがミリアリアの好意は素直に嬉しかった。

 

「あんまり、気にすんな。フレイには後で言っとく」

 

 肩に手を置かれながらも言葉にキラは何も返さなかった。何も答えたくなかった。

 俯くだけで何も言わないキラにサイが言葉を重ねようとした時だった。

 

「?」

 

 どこからか聞こえる歌声にサイは頭を巡らせた。キラも同様に聞こえる歌に視線を動かして発信源を探した。

 直ぐ傍の士官室から聞こえてきていたのだから歌の発信源を探すのに長い時間は必要なかった。

 

「あの子が歌ってるのか?」

「うん、多分。博士の声じゃないし」

 

 歌はキラが目的地としていた士官室から聞こえてきている。

 聞こえてくる士官室はミスズ用に宛がわれ、彼女が自主的に謹慎している部屋でもある。捕虜扱いするには立場がややこしいラクス・クラインと知り合いということと、厄介者は一つに纏めておけばいいとキラにとっては納得のいかない理屈で彼女もこの部屋にいる。

 

「綺麗な声だな」

 

 歌に興味のないサイが感心してしまうほど澄み渡る声は耳に心地よく響く。同意して頷いたキラの落ち込んだ心を包み込むように歌声はどこまでも広がっていく。

 士官室の前で警備をしているMP二人も流石に緊張感を失ってはいないが、どこかリラックスしているように眉尻を落としている。

 

「彼女って確かラクス・クラインっていってたよな確か?」

 

 聞き入っていると不意に何かを思い出したようにサイが問いかけて来る。自分の声が歌の邪魔をするのを嫌ったキラは頷きだけで肯定する。

 歌に聞き惚れるキラの頷きをサイは咎めずに、かけている色眼鏡の位置を調整した。

 

「あれが噂のプラントの歌姫か」

「知ってるの?」

 

 独特のファッションセンスと機械マニアの気があるサイがラクスのことを知っていることの方に驚いたキラは思わず聞いていた。

 問われたサイは自分が歌に興味がないことは知れ渡っているので苦笑を浮かべた。

 

「ヘリオポリスがまだ無事な頃に友達が噂してるのを聞いただけで知ってるってほどでもない」

 

 オーブは中立を表明していて、連合やプラントと交易をしている。ニュートロンジャマーによって情報が分断化された社会にあっても文化が流れて来ることは珍しいことではない。

 例えばプラントの音楽がオーブのコロニーであるヘリオポリスに伝わることもまた。

 

「歌姫なんて言われるだけのことはある声だろ。彼女の歌は俺も好きでな。でも、フレイには秘密にしてくれよ」

「あ、うん」

 

 慌てて口止めしてくるサイに、先のコーディネイター蔑視の発言をしたフレイのことを考えればキラは受動的に頷くしかない。

 今のキラの頭の中を占めているのはラクスの歌だけだった。ヘリオポリスから激動の中ですり減って傷ついていた心を優しく労わり、母の愛のように癒してくれる静かに聞こえてくる歌。

 

「でもやっぱ歌が上手いのも遺伝子弄ってそうなったもんなのかな?」

 

 空を飛んでいるかのような浮遊感を感じていた心が、サイの心無い言葉に翼を捥ぎ取って叩き落とした。

 キラの呼吸が止まった。ラクスの声も届かないほどに地の底に落ちていく。

 決定的な断絶だった。ただ、コーディネイターというだけでその人の全てを判断しようとする先入観。それをサイから垣間見た瞬間だった。

 サイの中ではコーディネイターが何をしてもそれは遺伝子を弄ったからだという先入観があるのだと、今まで発してきた言葉の全てにそのような裏があるのだと感じ取ったキラは冷たい絶望が胸を浸していくのを感じた。

 

「…………僕、食事を届けないといけないから」

 

 泣き出したい衝動を唇を噛み締めることで押し殺したキラは顔を伏せたまま、サイを放って歩き出した。

 

「おい、キラ?」

 

 後ろからかけられた声にキラは一度たりとも振り返らなかった。

 

「失礼します。食事を持ってきました」

 

 事情を離してMPに士官室に入れてもらったキラは、緊張しながら第一声を発した。

 

「ハロハロ?」

「まぁ、わざわざすみません。呼んで頂いたら参りましたに」

 

 最初に反応したのはペットロボットであるハロで、次いで歌を止めて入り口に近かったラクスがキラに話しかけた。 

 

「いや、この船は地球軍の軍艦だし、自由に出歩かれては困ります。っていうか、今は敵同士だし」

「残念ですわね。こんな機会はないのですから皆さんとご一緒したかったのに」

 

 サイから無自覚な断絶を突きつけられたはずなのに同胞であるコーディネイターよりもナチュラルの肩を持ってしまう自分の情けなさに、キラは目を落して手に持つ料理を見た。

 出来立ての料理は空腹のキラの食欲を誘うはずなのに、この時は食指がピクリとも湧いてこなかった。

 

「でも、あなたは優しいですのね。ありがとう」

 

 歌と同じく優しげな声に顔を上げれば、ふんわりと優しく笑む少女の顔があった。

 悩みも苦しみも全て受け入れてくれそうな少女の笑みに、キラは全てをぶちまけたい衝動に駆られた。

 

「……僕は」

 

 だけど、キラにはそんなことは出来ない。

 ずっと本心を隠して生きていくことを処世術としてきたキラが全てを曝け出せる相手は少ない。いや、実はいないのかもしれない。断片であるならば母親やトール、アスランといった親しい者達がいるが彼らも真にキラの境遇を理解できない。それほどにキラの心は常に孤独なのだ。

 

「僕もコーディネイターですから」

 

 ただでさえ少ない同胞なのだから親切にするのは当然であると、この時もまたキラは本心を隠し通す。何時かは話せねばならないことだから、早めに言っておかなければならないと考えた。

 

「そうですか。でも貴方が優しいのは、貴方だからでしょう?」

 

 コーディネイターが地球軍にいるのかと尋ねられるか、それとも裏切り者扱いされるのかと思ったキラの考えを裏切って、ラクスは不思議そうに訊いた。

 ラクスはキラがコーディネイターだから優しいのではなく、キラがキラだから優しいのだと言ってくれている。

 キラはどうしようもなく泣きたくなった。ロウだけじゃない。サイのようにコーディネイターだからって先入観も無い。ただ、キラがキラであることを祝福してくれる。こんなにも嬉しいことはない。

 

「お名前を教えていただけます?」

「キ、キラです。キラ・ヤマト」

「そう、ありがとうございます。キラ様」

 

 柔らかく微笑むラクスに、キラは中世の騎士が主君である姫に永遠に違えぬ忠誠を誓った気持ちが分かった気がした。

 

「………………キラ君。私のことを忘れてないかしら?」

「え!?」

 

 入り口近くで別空間を作っていた二人に取り残されていた、この部屋にいるもう一人の住人であるミスズ・アマカワは、不貞腐れたように足と腕を組みながら揶揄するように笑った。

 当然のことながらミスズの存在を意識の埒外に置いていたキラは、彼女の視線が自身の手に持つ料理に注がれているのを感じて顔色を変じた。

 受け取ったのはラクスの食事だけでミスズの分は無い。用意されていないはずがないのでキラは自分が持ってくるのを忘れたのだと気づいた。

 

「食事のことじゃないわよ? もう食べてるし。ラクスのを頼んだのは彼女がまだ食事を取っていないからなのよ」

「恥ずかしながらはしたないこと言うようですけど、随分お腹が空いてしまいましたの」

「そうなんですか。良かった。博士の分を忘れたのかと思いました」

 

 ミスズが説明して、ほんのりと頬を紅く染めたラクスが恥じ入るように身を縮めながら言うのにキラは納得しながら安心もした。忘れていたわけではなかったようだった。

 

「キラ君、ラクスが可愛いからって好きになったちゃ駄目よ」

「え!? 確かに可愛いと思いましたけどそんな大それたことは……」

「まぁ、可愛いだなんて恥ずかしいです」

 

 安心したところだったので不意打ちに思わず本音を吐露してしまう。

 聞き咎めたラクスが頬に手を当てて恥ずかしがる仕草をする。キラには本当のところはどうか分からないが悪い気分にはしていないようで安心した。

 

「こんなお惚け娘でも婚約者がいるんだから世も末よね。二年前の時点で決まったらしいけどまだ続いてるの?」

「はい。最近はあまり会えないのですけれどつつがなく」

 

 目の前の少女に婚約者がいることにキラが唖然としている間にも話はどんどん進んでいく。

 

「優しいんですけれどもとても無口な人です。でも、このハロを下さいましたの」

「ハロ、ハロ」

「へぇ、その婚約者君は気が利くじゃないの」

 

 ラクスが飛び跳ねるピンク色のペットロボットを掴むと、当のハロが自己紹介するように名前の下になったらしい独特の鳴き方をした。

 立っているラクスとは違ってベッドの座っているミスズは位置的に前にある手なのか耳なのかをパタパタとさせているハロを突く。

 

「私が気に入りましたと申し上げたらその次もまたハロを。一杯ハロを作ってくれましたので、お蔭でわたくしの家は何時も賑やかですわ」

「こんなのが一杯? 想像するだけでも嫌だわ」

 

 ハロに埋め尽くされた自宅を思い出しているのか、ラクスは楽しそうだった。彼女の家を知らないキラにすら賑やかが伝わってくるほどに。

 

「ラクスの婚約者って誰だっけ?」

「博士はご存じありませんでしたの?」

「当時は馬鹿みたいに忙しかったら忘れっちゃたのよ。確かミラだか、ギラだったかそんな名前でだったはず…………そうよ、ヅラだわ!」

「違います! ザラです。アスラン・ザラ」

 

 二人で何故か頭を捻り合ってぼけるミスズに、失礼な名前に勝手に変換された困ると婚約者の名前を叫ぶラクス。

 婚約者をけなされたラクスが怒り心頭の様子でミスズに抗議しているが、キラには子供が庇護者に甘えているようにしか見えなかったが、出された名前を聞いたことで微笑ましさを感じるよりも遥かに大きい戦慄に晒されていた。

 

(アスランがラクスの婚約者!?)

 

 三年前の桜が吹きすさぶ中で別れた少年の姿と、ヘリオポリスで荒れ狂う火の中で再会した青年の姿が脳裏でダブる。

 ユニウスセブンで母を奪われてザフトに入ったアスラン・ザラ。先にモビルスーツでキラとも戦った記憶はまだ新しい。あの幼馴染が目の前でじゃれる少女と婚約者であるという事実にまだ頭がついていかない。

 

「どうなさいましたの?」

 

 不意に間近でラクスの声がして、キラは現実を突きつけられたように体を震わせた。

 目の前にラクスの綺麗よりも可愛いと表現すべき顔があって、そんな彼女の婚約者と戦う我が身の不実さを責められているようだった。

 

「なんでも、ないです」

 

 そうとしか言いようがなかった。キラに他に何が言えただろうか。

 

「悲しそうな顔をしてらっしゃいます。なにか理由があるのでしょ?」

 

 なのに、ラクスは全てを受け入れるようにキラに微笑む。母性というべきか、キラは彼女の姿に母の姿を見た気がした。

 ここにはミスズもいたが今のキラの目にはラクスしか見えていなかった。彼女なら全てを受け入れてくれると確信があって、ずっと誰にも打ち明けるつもりのなかった言葉が口から零れ出る。

 

「……僕は……本当は戦いたくなんかないんです……」

 

 一度開いた心の蓋は内から溢れる想いを示すように留まることを知らない。ラクスもミスズも、ハロですら黙って聞いていることが歯止めを失わせた。

 

「ザフトが攻めて来て……そこにアスランがいて」

「アスランが?」

「僕は戦いたくなんてないけど、友達を守らなくちゃいけなくて…………イージスに乗ったアスランはお母さんがユニウスセブンで亡くなったからプラントを守る為に戦うんだって」

 

 キラは考えて喋っているわけではなかった。言葉の繋がりもなく思いつくがままに、口が言葉が出るままに喋り続ける。

 その後もキラは溜めこんだ想いを全てぶちまけるようにラクスに向けて言葉を発し続ける。友達と戦っていると知ったミスズが驚愕した顔を向けて来るのも気にならなかった。

 これまで胸に閊えてきた思いを全て、この船とはなんの関係もない少女に打ち明けていた。彼女なら分かってくれる気がした。

 

「そうでしたの」

 

 ラクスはキラの思いを否定も肯定もしなかった。ただ、聞き届けて許容する。母の寛容さに似た器の大きさを持つ少女にキラは救われた気がした。

 

「悲しい事ですわね。キラ様もアスランも良いお人なのに戦わねばならないとは」

 

 安易な同情や慰めながら逆にキラは頑なになっただろうし、肯定であっても結果は変わらない。肯定も否定もせずに、誰かに認めてもらえることだけがキラの救いだったのだ。

 

「お二人が戦わないですむようになれば、いいですわね」

 

 そっと手を握りながら呟かれた言葉にキラは強く頷いた。

 アスランと本気で殺し合わなければならない未来が来ないことを切に願った。だから、ミスズが思案気に自分とラクスを見ていることにキラは最後まで気づかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラクス・クライン探索の命を受けたクルーゼ隊は、脱出したかもしれないラクスが地球連合の艦に拿捕された可能性を考慮して月側からユニウスセブンを目指していた。

 プラントを出発して数日経った頃、ヴェサリウスの自室で執務を行なっていたラウ・ル・クルーゼは呼び出しに応じてブリッジにやってきていた。

 

「どうした?」

 

 艦長席に一日中座っているのではと思えるほどに一体化しているフレデリック・アデスに問いかけながらも、クルーゼの目はブリッジ上部に表示されているセンサー画面を見ていた。

 

「地球軍の艦艇と思われますが、こんなところでなにを?」

 

 荒い画像ながらも地球軍の艦艇と思われる船影が画面に映っており、クルーゼは思案気に口を開いた。

 

「足つきがアルテミスから月の地球軍本部へ向かおうとすれば、どうするかな?」

「では、やはり補給。いや、もしくは、出迎えの艦艇ということも」

 

 クルーゼの推測にアデスも数年間も副官を務めているだけあって直ぐに答えに辿り着いた。クルーゼ隊はなにも隊長であるクルーゼだけの隊ではない。独創的すぎるクルーゼの考えを優秀なクルーに伝えられるアデスがいてこそ初めて機能する。

 

「こちらの位置はまだ気づかれてはいないな。ロストするなよ。慎重に追うんだ」

「我々がですか? しかし、我が隊は議長から直々にラクス嬢捜索の命令を受けています。勝手に動くわけには」

 

 センサー類に限らず、技術力の点でプラントは地球連合の一歩も二歩も先を行っている。ヴェサリウスに使われているシステムも最新の物に取り換えられたばかりなので相手側には悟られていないだろう。

 クルーゼは空腹時に絶好の獲物を見つけたような獰猛は気配を隠すことなく撒き散らしている。だが、別の任務を直接議長から頭を下げて拝命したアデスが乗り気になれるはずがない。

 プラント本国に妻子がいるアデスには娘を助けたいという議長の気持ちが良く解り、だからこそその願いを叶えたいとも思う。その中にヘリオポリスを崩壊させた自責があったとしてもだ。

 

「ラクス・クラインの捜索も無論続けるさ。だがたった一人の少女の為にあれを見逃すというわけにもいくまい。捜索はあくまで議長からの極秘の命令。本来の命令を疎かにして、私も後世の歴史家に笑われたくない」

 

 分かってくれるな、と問われればザフトの軍人としての公人の面が頷くしかない。

 卑怯なお人だと思わずにはいられないが、正論であることもまた事実。最高評議会でも奪ったGの危険性が高いと判断されて特に処罰が下されることもなかったが、その性能が量産されればプラントの将来に関わって来ることは認めざるをえない事実である。

 

「別行動をしているラコーニとボルトの隊、技術試験小隊を集めろ。合流はしなくてもいい。足つきと地球軍の艦隊を挟める位置にいれば後は好きにしていいと伝えろ」

 

 時に隊長であるクルーゼが他人に必要以上に冷酷になることはアデスも強く承知している。この時もそうだった。振り返ったアデスがクルーゼを見た時、幾度の過酷な戦場を超えても感じなかった鳥肌が総毛立った。

 

「獲物は極上、餌は少々物足りないがそれも止むをえまい。さあ、盛大な狩りを始めようではないか」

 

 この時のクルーゼもまた、目的の船にラクス・クラインがいることを知らず、その一点だけが読みを違えさせることになるとは夢にも思っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アークエンジェルは艦の後方部に展望デッキがある。外が宇宙空間なので窓なんて付けれない船の中で、展望デッキは閉じこもりがちになるクルーの気分転換を兼ねて無限に広がる星々を見ることが出来る。他に誰もいなく、滅多に人が来ることもない展望デッキはナタル・バジルールの密かなお気に入りの場所だった。

 お気に入りの場所にいるにも関わらず、休憩時間に展望デッキにやってきたナタルの表情はあまり冴えているとは言えない。星空を見て憂鬱そうに息を吐く姿は悩んでいるようでもあった。その姿を操舵士であるアーノルド・ノイマンが柱の影から見ていた。

 

(バジルール少尉……)

 

 ノイマンは明らかに悩んでいると分かるナタルの仕草に、十数分も躊躇い続けてからようやく柱の影から出た。

 

「少尉」

 

 展望デッキに入っても気づかないナタルにノイマンは呼びかけた。

 声をかけられると思っていなかったのか、ナタルは少し驚きながらも慌てることなく落ち着いた仕草で振り返る。

 

「なんだ、ノイマン曹長か」

「すみません」

 

 どこかホッとした様子で苦笑するナタルに、ノイマンは彼女を驚かせた事実が申し訳なくて謝った。

 申し訳なさそうに謝るノイマンを見てナタルは薄く笑った。

 

「謝ることはない」

「脅かしてしまったのかと思いまして」

「変なことを言う」

 

 よほどノイマンの反応が面白かったのか、ナタルは声に出して笑った。

 普段の彼女を良く知っているわけではないが僅かに精彩を欠いている姿に、自分が力になれないかと勇気を出して問うことにした。

 

「あの、………何か悩み事でもあるんですか?」

 

 意を決して聞いたノイマンの顔をナタルがマジマジと見る。

 本心を見透かされたような瞳に気恥ずかしさを覚えたノイマンは体を縮めた。

 大の大人らしくないノイマンの挙動に、ナタルは宇宙空間を映すガラスに身を預けてゆっくりと口を開いた。

 

「…………分かる、よな。いやなに、さっきのブリッジのことでをね」

「クライン嬢の話、ですか?」

 

 先のブリッジで艦長であるマリューとナタルがラクス・クラインの扱いについて揉めたのは、その場にいたノイマンも良く知っている。

 民間人としての扱いを望んだマリューに、ナタルは他の民間人を働かせている現状を突きつけてラクスの扱いに対する矛盾をついた。結局、ラクスの扱いは横槍が入る形でミスズの預かりとなることになったが二人の舌戦は終始ナタルがリードしていた。

 

「ああ、ちょっと艦長に言い過ぎたかなって」

 

 この人は優しい人なのだな、と伏せたナタルの長い睫毛の方を気にしたノイマンは思った。 

 

「戦争は軍人だけがやっていればいい。民間人を巻き込みたくないのは私も同じだ。特にアルテミスでの一件から強く思っている」

「分かります」

 

 アークエンジェルに乗り込んでいる地球連合の軍人全てに共通する思いだった。ノイマンは強い共感を覚えて頷いた。

 

「別に艦長を批難するつもりはなかったんだ。ただ、艦長は学生達や避難民を巻き込んでおいてそれを当然のように考えていたように聞こえたものだからつい、な」

「バジルール少尉……」

「心配するな。ラミアス大尉とは上手くやっていけるよ。艦長たるもの常に冷静な判断と状況を広く見渡す視点を身に着けてほしいと思うのは期待のし過ぎかな?」

 

 不器用な人で真っ直ぐすぎる。それが彼女の美点であり、また欠点でもある。ノイマンは優しい人なのだと制帽を取って片手に持つナタルを見て思った。

 このことを言えばお堅い人だなんて思われることもないはずなのに、マリューとは反対に公私の区別をつけすぎて損をするタイプなのだろう。照れているナタルが年相応に可愛い人にしか見えなかった。

 

「頷けます…………なんだか、元気出て来ましたねバジルール少尉」

「あ、……ああ。そうだな。ありがとうノイマン少尉」

 

 スッキリとした様子ではっきりとした笑みを浮かべた女性を見て、ノイマンはようやくナタル・バジルールを好きになっている自分を発見した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地球軍艦艇の後をコッソリとつけるヴェサリウスのブリッジは緊張感に満ちていた。

 新星の英雄であるハイネ・ヴェステンフルス、ドクターとの異名を持つミハイル・コースト、女傑とも噂されるヒルダ・ハーケン。この三人だけでも荷が重いのに、モビルスーツ開発初期からのパイロットを務めて来たベテランであるレスト・レックスが放つ重圧はまだ新米の領域を脱していないアスラン・ザラには荷が勝ちすぎるものだった。

 

「――――以上が作戦の概要だ」

 

 常には無い緊張感を振り払うように艦長のフレデリック・アデスが戦術モニターを囲むように立つ歴戦の勇士達に圧されないように気を張る横で隊長であるラウ・ル・クルーゼが言った。

 

「もし、あれが足つきに補給を運ぶ艦ならば、このまま見逃すわけにはいかない。質問は?」

 

 地球軍艦艇に非情な殲滅宣言を告げながらもクルーゼの口元には何時も通りの薄らとした笑みが浮かんでいた。

 隊長の笑みを見ながらアスラン・ザラは胸の奥に降り積もる何かから目を逸らしながら口を開いた。

 

「仕掛けるんですか? しかし、我々には……」

「我々は軍人だ、アスラン。いくらラクス嬢捜索の任務があるとはいえな」

 

 クルーゼ隊に与えられた命令はユニウスセブンの追討慰霊団が行方を晦ましおり、同行していたラクス・クラインの捜索である。

 最高評議会議長の娘であり、プラントのアイドルであるラクスはアスランの婚約者でもある。ラクスの父であるシーゲルから与えられた直接の命令を一隊長に過ぎないクルーゼが独断で動くのは問題があるはずである。

 クルーゼの言うことにも一利ある。ザフトはあくまで軍人であって、障害となる足つきに補給しようとしている敵の艦艇を発見したのに見過ごすのはおかしい。

 生存が絶望視されているラクスの捜索を優先するか、将来の危機を事前に詰むために行動するか、ザフトに所属する軍人が取るべき行動は決まっている。アスランに抗弁できるだけの材料はなかった。

 俯いたアスランを見たクルーゼは全体を見て反論がないことを確認する。

 

「第一部隊の指揮はラコーニ隊長に、第二部隊の指揮はレスト殿にお願いします」

「俺が?」

 

 寝耳に水だとレストは僅かに眉を顰めた。

 アスランの父パトリックと同年代で目元に皺を刻んだ壮年の男レスト・レックス。眉目秀麗なことが多いコーディネイターにしてはナチュラルと左程変わらない容姿をしていることが逆に目立つ要因となるのは皮肉か。

 

「鉄人と呼ばれるあなた以外に彼らを纏められる者はおりますまい」

 

 薄らと笑うクルーゼに言われてレストは周囲の面々を見た。

 実戦経験のない新人は緊張して固まっている。片目に眼帯をつけた女は自分には関係ないとばかりに残った目を閉じている。冷たい目をした男は面倒事は御免だとばかりにそっぽを向いていて、一人だけニヤニヤと笑っている男は状況を楽しんでいるようだった。

 

「分かった。引き受けよう」

 

 少しばかり嘆息してレックスは損な役回りを引き受ける。

 彼の内心を推し量ることは誰にも出来ないが指揮を引き受けてくれたレストにクルーゼは頷きを返した。

 

「作戦は先に説明した通り。ザフトの未来の為、諸君らの働きに期待する」

 

 ザフト式の敬礼を交わし合って、解散する。

 全員が慌ただしく動き出した中でもっと次の行動に入るのが遅れたアスランもまた動き出した。ブリッジを出て、自機のイージスの調整をしようとモビルスーツデッキを目指す。

 若い顔に苦渋を滲ませるアスランの頭の中にあったのは作戦のことではなかった。

 

(ラクス……キラ……)

 

 アスランの頭を占めていたのは実戦の恐怖ではない。行方不明の婚約者とこれから戦うかもしれない親友のことで一杯だった。

 元から考え込み過ぎやすいアスランはドツボに嵌って前にいる人間が立ち止っていることにも気がついていない。

 

「おい、アスラン・ザラ。聞いてるのか?」

 

 男に声をかけられても、自分を自縄自縛しているような状態のアスランの耳には入って来ない。

 

「駄目だ。聞こえてないな。てりゃ」

「あ痛っ!?」

 

 若い身空で眉間に皺が刻み込まれそうな若者を救うために男はアスランのちょっと広い額に向かってでこピンをかました。全くの無防備に一撃を受けたアスランは額に走る激痛に驚いて無重力なので簡単にバランスを崩す。

 しかし、そこはアカデミーで首席を取って赤の制服を与えられたアスランである。崩れかけたバランスをすぐさま取り戻して、攻撃を受けた額が痛いのか手で擦りながら下手人を見る。

 一言文句を言ってやろうとしたアスランはその人物を見た瞬間、固まった。

 

「ヴェステンフルス先輩!?」 

 

 アスランの目の前で予想以上の反応に困惑しているのは、先のブリーフィングにも参加していたハイネ・ヴェステンフルスである。クルーゼ隊に配属になった時にミゲル・アイマンから嫌になるほど話を聞かされてきたトップエースのトップエースである。

 新星作戦で多大な戦果を上げたクルーゼにも並ぶパイロットを前にして、アスランは怒るよりも先にザフト式の敬礼をしていた。

 

「ハイネでいい。堅苦しいのはナシでいこうぜ」

「え……あ……」

 

 手を差しだしてくるハイネにアスランは困惑した。

 言わずと知れたトップエースがフランクに接してこられても、エリートの証である赤の制服を着ていようとも簡単に切り替えることは出来ない。

 

「ザフトには階級なんてないんだ。気楽にしろって」

 

 ハイネは困惑するアスランの手を自分から取って無理矢理に握手してしまう。

 相手からしっかりと握手の握りが返ってきたら満足して手を離す。人好きのする笑顔を浮かべるハイネを目を点にして見ていたアスランは満足そうな顔を見て思わず笑ってしまった。一連の流れで相手に不快感を与えないのはハイネの仁徳であろう。なんとなくミゲルがハイネに憧れたのが分かった気がしたアスランだった。

 笑ったアスランにハイネは顔を引き締めた。

 

「婚約者のラクス様のことが心配なのは分かるけど、俺達は軍人なんだ。軍の命令に従って敵を撃つのが仕事だ。この作戦が終わるまでは前だけを見て進め。じゃないとお前も死ぬぞ」

「…………はい」

 

 多くの実戦を潜り抜けて来た戦士の忠告にアスランは素直に頷いた。

 言われている通り、このような雑念ばかりでは如何に高性能機に乗っていようと敵にはフェイズシフト装甲を撃ち抜くビーム兵装がごろごろとしているのだ。油断は禁物である。

 

「ならいい。しかし、アスランはいいよな。奪取したっていってもシグー以上の高性能機を専用機にする許可が出たんだろ? 羨ましいぜ、このこの」

「そんな、専用機っていっても一番習熟しているだけで実力で選ばれたわけでは。ヴェステンフルス先輩が乗った方が」

「ハイネでいいって言ったろ? 良いじゃないか専用機。乗るに値する腕があるって認められた証なんだから素直に喜んどけ」

 

 近寄って胸を突いてくるハイネを避けながら言うと、腕を回してアスランの肩を掴みながら耳元で言った。

 

「外野が文句を言うなら実力で黙らして見せろ。期待してるからよ」

 

 自己評価の低いアスランはそれでも言い返しかけたが、その言葉が封じた。

 アスランとて男である。ハイネ程のトップエースに期待されて嬉しくないはずがない。

 

「はい。その期待に応えて見せます」

「いい返事だ。頑張ってくれ」

 

 上手く乗せられている気がしないでもないが掴まれていた肩を離し、言葉通りの気持ちを込めて軽く肩を叩かれてはやらないわけにもいかない。

 強く頷いてやる気を示すがハイネは何故かアスランではなくその後ろを見ていた。

 

「ザラ先輩!」

 

 甲高く、しかし聞き覚えのある声にアスランは咄嗟に誰の事を言っているのかと思いながら振り返った。そこにいたのはアスランより少し年下の赤服を着た少女がこちらへ向かって来ている。

 見覚えのある少女の姿に、アスランはしかし驚くことはない。先のブリーフィング以前に顔を合せているので今更驚くことはない。

 

「シホ」

「お久しぶりです。ザラ先輩」

 

 緩やかに笑うシホ・ハーネンフースにアスランは少し間だけ時間が巻き戻ったような気がした。まだ戦場を知らず、ヘリオポリスでキラに会う前のアカデミーにいた頃の記憶が脳裏を過ぎる。

 

「アスランお前、婚約者がいるのにシホちゃんと浮気か?」

 

 アスランの肩の上から顔を出したハイネはシホを興味津々な目で見る。

 シホとハイネは同じ技術試験小隊の一員なので、アスランが彼女と知り合いであることを邪推したようだった。どちらかといえば楽しんでいるようでもあったが。

 

「違います。アカデミーの後輩です」

「そうです。ハイネさんも変なことを言わないで下さい」

「つまんねぇの」

 

 トップエースでも男に顔を近づけられても嬉しくはない。ハイネの顔をどけながら変な認識を訂正する。

 勝手に浮気相手にされたシホは若干立腹しながらハイネに詰め寄り、トップエースをたじろがせる。如何にザフトのトップエースといえども女の子には勝てないらしい。

 ハイネをたじろがせたシホはアスランに向き直る。

 

「改めましてザラ先輩。アカデミーの卒業以来ですね」

「ああ、シホも卒業したって聞いてたけど赤服を着てるんだな」

「私も優秀ですから」

「よく知ってるよ」

 

 冗談を滲ませて胸を張るシホ。アカデミー時代から変わらない礼儀正しい後輩に表情を綻ばせるアスランは、彼女が好意を寄せていたイザークがこのことを知ればどう思うか少し考えて笑いの衝動が込み上げたが辛うじて表には出さなかった。

 

「シホちゃんは我が技術試験小隊の期待の新鋭。俺が育てたんだぜ。凄いだろ」

「私の指導係はヒルダさんです。ハイネさんに育てられた覚えはありません」

 

 つ~ん、と顔を逸らすシホに立てた親指を胸元に指していたハイネがガクリと肩を落とす。軽快に会話する様から普段の二人の様子が窺える。

 慣れているのか直ぐに復活したハイネがアスランを見る。

 

「取りあえず、シホちゃんは腕はあっても戦場に出るのは初めてなんだ。アスランも注意してやってくれ」

「分かりました」

 

 今度は真剣なハイネにアスランは深く頷いた。

 アスランでさえ実戦に出たのはほんの数週間前。数にして二度だけで、実質的に戦闘をしたのは一度だけだ。それもキラを説得する方に重点を置いていたので戦闘と呼べるかどうか怪しい。初実戦はキラのことを考えていて緊張しなかったが普通は危険なのだ。

 

「シホちゃんも俺達を存分に頼ってくれたらいい。なんていったって俺やドクターにヒルダ、超ベテランのレストのおっさんもいるんだから無理だけはするなよ」

「はい」

 

 レストと聞いてアスランはブリーフィングを黙って聞いていた髭面の壮年の男を思い出した。

 アカデミーの教科書に出て来た生き字引のような、どんな戦場からでも生きて帰って来る様から『鉄人』と呼ばれる男と同じ戦場に立つ高揚を感じていた。

 

「後、アスランにもザラ先輩じゃなくて名前で呼んでやれ。俺達ザフトのモビルスーツパイロットは戦場へ出ればみんな同じだろ? 赤服だろうが緑だろうが、命令通りにワーワー群れなきゃ戦えない地球軍のアホ共とは違う」

「分かりました。じゃあ、えとアスラン先輩で」

「それでいいかアスランも?」

「俺は構いませんが」

 

 どうにも師弟関係が出来ているシホとハイネの間には入りづらかったアスランは言われるがままに頷いた。

 

「何時までも廊下で屯していてもしょうがない。アスランのイージスでも見に行こうぜ」

「私も行きます。アスラン先輩の機体には興味ありますから」

「いいよな、アスラン?」

 

 言われてアスランは現在時刻と作戦開始までの時間を頭の中で計算し、少しの間なら時間があることを確認して頷いた。

 

「よし、善は急げだ」

「急ぎましょう」

 

 率先して動き出したハイネの後を追いながら表情を緩ませた。

 この時のアスランの頭からはラクスとキラのことは一時的にせよ、横に避けられていた。以外とアスランは単純な人間なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月を目指して宇宙空間を進むアークエンジェルに、吉報を齎す使者からの通話がされていた。

 

『本艦隊のランデブーポイントへの到達時間は予定通り。合流後、アークエンジェルは本艦隊指揮下に入り、第八艦隊との合流地点へ向かう。後僅かだ。無事の到達を祈る』

 

 マリュー達が所属する地球連合宇宙軍第八艦隊の先遣隊の長であるコープマンの言葉にブリッジの空気がそれと分かるほどに弛緩する。

 ヘリオポリスでザフトの攻撃を受けてから苦難の連続だった。生きるか死ぬかの瀬戸際を何度も繰り返してきた末の救援である。多少の緩みは許容範囲内だった。艦長のマリューや厳しいナタルですらそのような気持ちなのだからブリッジ全体の空気が緩むのも致し方ない。

 

『大西洋連邦事務次官ジョージ・アルスターだ。まずは民間人の救助に尽力を尽くしてくれたことに礼を言いたい』

 

 通信相手のコープマンの隣に座る壮年の男にサイが含み笑いをした。

 軍艦にも関わらず軍服ではなくスーツを着ている男は避難民フレイ・アルスターの実父である。知り合いが神妙な顔でいれば慣れているマリューら軍人と違って民間人であるサイには奇妙な物に見えているのだろう。

 

『あーそれとそのー…救助した民間人名簿の中に我が娘、フレイ・アルスターの名があったことに驚き、喜んでいる。出来れば顔を見せてもらえるとありがたいのだが……』

 

 事務次官ほどの男がするには公私混同甚だしいが、気持ちが分からないでもない。ナタルは気に入らなそうだがマリューとしては好ましい提案である。私人としての気持ちとしては会わせてやりたいが軍人としては間違っているので沈黙するしかない。

 

『事務次官殿、合流すればすぐに会えます』

『娘がいるのだから顔だけでも見たいと思うのが親の心であって、一分一秒でも早く会いたいと思うのは間違っているのかね』

『ここは軍艦で、我らは軍人です。事務次官といえどもなにをしても許されるとは思わないで頂きたい』

 

 画面の向こうで喧嘩よりも大きな問題になりかけている二人にブリッジの誰もが口をポカンと開けていた。娘に甘い父親なのだと言いかけたサイですら同じ状態なのだから、皆がこうなるのも無理はない。

 言い合いを続けている映像を流しているのはマズいと向こうの通信士が判断したのか、映像は前触れもなく途切れた。

 

「大丈夫なんでしょうか?」

 

 ぽつりと漏らしたカズィの言葉にマリューどころかナタルですら不安を感じているのだから誰も答えられるはずもない。

 なんともいえない澱んだ空気を壊したのは、ブリッジにいながら双方向通信に移らないようにしていたプロフェッサーだった。

 

「誤算ね。まさかジョージ・アルスターが来るなんて」

 

 口の中で呟いたプロフェッサーは考えを纏めると艦長席に向かった。

 

「艦長、ちょっといいかしら?」

 

 また面倒事だと思いながらあまり時間がないことを知っている。プロフェッサーが自分の声に焦りが滲むのを抑えられなかった。

 

「どうされました?」

 

 何時も落ち着いた風情のプロフェッサーが焦りを滲ませていることにマリューは眉を僅かに顰めながら問い返した。

 

「私達はこの艦からラクス嬢を連れて直ぐに離れるわ」

「そうですか」

「ドクターとキラ君も連れて行くからよろしく」

「ちょっと待って下さい! いきなりなんですかそれは!」

 

 あっさりと言って離れて行こうとしたプロフェッサーをマリューは慌てて腕を掴んで引き止めた。進みかけたところを引き止められたので足が浮き上がったが、無重力生活が長いプロフェッサーは慣れた様子で着地する。

 急いでいたところなので迷惑そうにマリューを見る。

 

「何時でも離れていいとは言いましたけど急すぎます。事情を話して下さい」

「悠長にしている暇もないのだけれど」

「少し話すぐらいの時間はあるはずです」

 

 ない、ある、と不毛な言い合いをしている間に時間が過ぎていくことに二人は気付いていないのだろう。操舵席に座るノイマンやトールは我関せずの態勢に入っており、他の者達は二人の間に口を出せる勇気がいる者は殆どいない。となれば、副長のナタルに二人の仲裁というか間に入れという視線が集中するのは当然の流れであった。

 そこら中から視線を向けられたナタルは間を開けるように何時も被っている制帽の位置を直す。

 帽子を被り直しても空気が変わらないので深い深い溜息を漏らして、未だに不毛な言い争いをしている二人を止める為に立ち上がった。

 

「プロフェッサー、言い合う時間があるのなら話しをした方が賢明です」

 

 艦長席の横で言い争いを続ける二人に向けて言うと、ピタリと空気が固まった。

 凍ったわけではないのだが気持ち的に空気が固まるのはなにか悪い事をしてしまったような気がして、ナタルの背中は冷や汗で軍服の下に着ているシャツが張り付いていた。

 

(私はなにか間違ったことをしただろうか?)

 

 一向に動き出さない目前の二人にナタルの中で疑心が際限なく膨れ上がっていく。

 当のマリューとプロフェッサーは顔を見合わせていた。

 

「それもそうね」

「全く以てその通りよ」

 

 あっさりと不毛な争いを止める気になった二人にナタルは自分の額に青筋が浮かび上がるのをハッキリと感じた。もし手に何か持っていたら握りつぶしていたことだろう。幸いにもこの時は徒手であった。ナタルの席の近くに座るミリアリアやサイが恐れ慄いている時点で様子は察して知るべき。

 マリューとプロフェッサーは話し合いをする体勢に入っていて、ナタルはもう何も言う気がなくなって力なく自席に座り込む。その肩が深く落ちていて、当の二人がナタルをさっさと話を進めていることが特に哀れを誘った。

 

「アルスター事務次官がブルーコスモス!?」

「過激派ではないけどね」

 

 驚くマリューにはプロフェッサーの一言はフォローにはならない。

 ザワリとブリッジの空気が揺れた。

 

「穏健派ではあるけど彼は反コーディネイター運動を行っているわ。事務次官という立場を利用して連合各国にコーディネイターの排斥を呼びかけている。出会って直ぐに殺すなんてことはないと思うけど長居は無用でしょう?」

 

 プロフェッサーの皮肉な言いように誰にも何も言えるはずがなかった。

 ブリッジを見渡して周りの反応を確認したプロフェッサーは身を翻した。ブリッジから出て行く彼女を止められる者はいなかった。

 

「どうしようかしら、ナタル?」

「………………」

 

 呑気にマリューに聞かれてもナタルにだって直ぐには即答できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 物資の運び出しも完了して落ち着いたモビルスーツデッキでは今日もまたロウの好奇心が爆発していた。

 

「基本的な性能はレッドフレームと変わらないな」

「グリーンフレームは私専用にチューンされているだけ。同じ実験機であるプロトシリーズに性能差があるわけない」

 

 アストレイ・グリーンフレームのコクピットから出てキャットウォークに立ちながら言うロウに、他人には無表情に見えるユイがテストパイロットとして関わって来た経験から告げる。

 アストレイシリーズの開発チームがいるアークエンジェルに乗っているだからとレッドフレームを持ち込んだロウは整備員に集られている愛機を見て首を傾げた。

 

「じゃあ、レッドフレームはなんなんだ?」

 

 グリーンフレームがユイの専用機であるならば他の機体は何の目的で作られたのかはレッドフレームに乗るロウの興味はそこにあった。

 

「ナチュラルが操縦することを前提に開発された検証機」

「そっか。だから、8の手助けがあったにしてもロウでも操縦できたんだ」

 

 ユイの素っ気ないとも思える対応にもロウらもだいぶ慣れて来たようで、樹里がロウと同じく感心した様子でレッドフレームを見た。

 続いてモビルスーツデッキに残る最後の一機ストライクに注目が集まる。

 

「ストライクは装備換装型だっけ?」

 

 ストライカーパックを付けていない素の状態のストライクを見遣った樹里は思い出すように唇に人差し指を当てる。

 武装だけに限定すれば肩の後ろにビームサーベルを装備しているアストレイ二機に比べれば、外見から見える武器のないストライクは貧弱に見えた。

 

「はい。エール・ソード・ランチャーの三種のストライカーパックを換装することで様々な距離に対応できる万能型のモビルスーツとして開発されています」

 

 ユイが言うようにストライクの真価はバックパックを換装できる点にあった。近・中・遠距離に対応したストライカーパックを装備すれば他のGにも勝るとも劣らない能力を発揮する。様々な状況にも対応できる強みがストライクにある。

 

「面白そうだな、装備換装って。レッドフレームも換装できるように改造するか」

 

 感心したようにストライクを見るロウの様子から構想を練っているのだなと樹里は思った。

 

「各ストライカーパックはそれぞれ戦い方も違いますからいいものじゃないです。始めてランチャーを使った時、どれだけの威力があるかも分からずに撃ってコロニーに穴を空けてしまいました」

 

 ロウにキラは体験談を交えて自虐した。

 シュミレータでどうにか扱えるようになるまで散々だったことと、ヘリオポリスでアグニを撃ってコロニー破壊に望まない一役を買ってしまったことを思い出して肩を落とした。

 気落ちしたキラにロウは笑いながら落ちた肩をバシバシと叩く。

 

「気にすんなってまでは言わねぇけど、あんま悩み過ぎると将来禿げんぞ」

「禿げません!」

 

 最近、悩み過ぎているのは本当なのでキラは咄嗟にロウの冗談を真に受けて頭に伸ばしかけた手を、もう片方の手で押さえつけながら叫んだ。

 手を抑えることに集中してしまった為、背後からニヤニヤと笑う樹里が近づき、キラの軍服の赤い襟に手を伸ばしていることに気がつかなかった。

 

「あ、こんなとこに抜け毛が」

 

 ここで頭を触るということは心当たりがあるということで、そんなことをすればロウにからかわれることはカトウゼミ時代の経験で学んでいる。しかし、意外な人物からの振りにキラは物の見事に引っかかって振り向いてしまった。

 

「え? 嘘!?」

 

 振り返ったキラの視線の先にはにやけ面の樹里。その手には抜け毛と思われる物はなく、担がれたことに遅まきながらも気がついた。

 

「…………抜け毛がある?」

 

 首をこてんと傾けてのまるで子供が気になったから聞いてみたような聞き方をしてくるユイに、キラは顔に血液が集中して熱が上がって見えなくても真っ赤になっているのが分かった。

 このユイ・アマカワという少女の感性といったものが見た目以上に幼いことはヘリオポリス崩壊から共に過ごしてキラも分かっていた。理解していても、ふとした一言は時に鋭利な刃物のようにキラの心に突き刺さる。

 

「うん。ロウの言う通り、キラ君て真面目過ぎ」

「生真面目つうか、絶対優等生タイプだろ。よく軍人なんてやってんな」

 

 頷き合うロウ達に笑われるよりも冷静に批評されて自分が悪い事をしたように思えてキラは身の置き所をなくした。なんとなく上げた手で頭を掻いて、そこでロウが「よく軍人なんてやってんな」と言ったことを思い出して口を開いた。

 

「待って下さい。僕は……」

「ロウ!」

 

 軍人じゃない、と言いかけたキラの言葉は上から降って来た女性の大きな声に掻き消されて消えた。

 四人が揃って視線を上げれば艦内廊下から、プロフェッサーが無重力空間を利用して白衣を揺らめかせながら一足でモビルスーツデッキに降りてきたところだった。

 キラは近づいて来るプロフェッサーを見ながら首を捻った。ミスズがいる士官室か、艦長らに用があってブリッジにいる以外は滅多に出歩かない彼女がモビルスーツデッキに来た理由が分からなかったのだ。仲間のロウや樹里に用があるのだろうが用件までは分からない。

 ユイは特に反応を示さない。彼女の様子は何時も通りなのでキラは気にしなかった。問題はプロフェッサーを見たロウと樹里が急に緊張した様子になったことだ。

 懐の深いロウが緊張したり焦る姿がキラの認識と上手く合致しなかった。

 

「直ぐに撤収よ」

 

 プロフェッサーはキラの疑問に答えるはずもなく、ロウと樹里を見て手短に用件を伝えた。

 しかし、言われた当のロウが眉を顰めた。用件は仲間である彼にしても予想外なようだった。

 

「随分と急な話だな」

 

 腕を組んだロウは静かな眼差しで樹里を見た。

 

「私、荷物を纏めて来る」

 

 視線を向けられた樹里は意図を察したのか、話をするのはロウに任せてその場を離れた。

 樹里が飛び上がって与えられた部屋に荷物を取りに行くのを見送って、ロウは視線をゆっくりとプロフェッサーに戻した。

 

「なにがあった?」

 

 ロウとプロフェッサーが放つのは部外者であるキラにはもう入れない空気だった。ユイと共に傍観者になるしかない。

 

「この艦の救援が来たわ。厄介なお客も連れて」

「厄介なお客だって? 誰だ?」

 

 左眼下の泣き黒子を触ったプロフェッサーの言葉にロウは傍目に分かるほど組んだ腕に力を込めた。

 

「大西洋連邦事務次官ジョージ・アルスター。ブルーコスモスの一員よ」

「…………マジか」

 

 アルスターという名前にキラの脳裏にフレイの顔が思い浮かんだが、『ブルーコスモス』という単語が持つ強大な力に上から塗り潰された。

 組んでいた手を解いて天井を仰ぎながら言ったロウ以上にキラに走った衝撃は大きかった。

 『ブルーコスモス』とは、反プラント、反コーディネイター思想とその主義者の総称である。構成員の国籍、年齢、職業はさまざまであり、社会のあらゆる団体に存在し、各国の政財界や軍部にも根を張っている。過激派によるコーディネイターへのテロや迫害・危害は多い。コーディネイターとして生まれた者には一生関わり合いになりたくない集団でもある。

 キラもまた例外ではない。自分を脅かす集団として常に注意し、警戒してきた。

 

「本当なんですか? なにかの間違いじゃ」

 

 まさかこんな宇宙の真ん中でブルーコスモスと出会うはずがないという思いもあった。否定してほしい思いで縋るようにプロフェッサーに問いかける。だが、返ってきたのは無情な返答だった。

 

「残念ながら事実よ。ブリッジで通信しているのを見たし、アルスター外務次官がブルーコスモスの一員であることは間違いないわ」

「そんな……」

「不味いぞ。この艦には何人かコーディネイターがいる。鉢合わせなんて洒落になんねぇ」

「だから、私達はアークエンジェルを離れるわよ。キラ君も私達と来なさい」

 

 事態は既にキラの手を離れている。いや、最初から事態は何時もキラを置き去りにして進んでいる。どうしようもないタイミングになってから選択だけを強要されている。どちらを選んでも正しいか分からない選択を。

 ユイが見ている。何時もの感情を感じさせない瞳で。

 ロウが見ている。自分で決めろと求めて来る瞳で。

 プロフェッサーが見ている。選択を委ねている瞳で。

 

「僕は……」

 

 キラが選択を迫られるのはこれで何度目であっただろうか。友が乗る戦艦に残って天敵とも言える集団の一員と相見えるか、友を見捨てて自分の命を優先するか。当然、自分の命を優先するなら後者にするべきだ。だが、キラには選べない。

 3年前に別れた親友であるアスランの手を振り払ってまで守ろうとした友達を切り捨てられるはずがない。でも、誰もがキラに選択を望み続ける。

 この時もまたキラ・ヤマトは状況に流されようとしていた。

 

『総員第一戦闘配備! 繰り返す! 総員第一戦闘配備!』

 

 艦内全域に鳴り響く警報音と共に流れるアナウンス。

 

『モビルスーツ、モビルアーマーパイロットは至急、搭乗機へ!』

「行く」

「あっ!? 待って僕も」

 

 キラとユイと、ムウを指したアナウンスが流れた。

 アナウンスの全てが流れ終えるよりも早くユイが動き出し、吊られるようにキラも小さな少女の背中を追った。

 

「おい、キラ!?」

「行って下さい。僕は!」

 

 後に続く言葉なかった。ロウ達に背中を向けて、パイロットスーツに着替える為に艦内通路に入る。

 途中ですれ違った樹里が何かを言っていたがキラは気にしなかった。今は何も考えたくはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アークエンジェルの救援として宇宙空間を進んでいた第八艦隊の先遣隊は突如としてザフトの強襲を受けていた。 

 

「モビルアーマーの発進を急がせい!」 

 

 先遣隊旗艦ネルソン級宇宙戦艦モントゴメリの艦長であるコープマン大佐は、ブリッジに鳴り響く警報音に負けじと声を張り上げる。

 

「ミサイル及び、アンチビーム爆雷全門装填!」

 

 隣に座る大西洋連邦事務次官ジョージ・アルスターが怯むほどに大声をがなり立てるコープマンの内心は焦りで一杯だった。

 

(このタイミングで攻撃を仕掛けてくるなど、まさか後をつけられたというのか?)

 

 アークエンジェルと後少しで合流してくる時になって接敵してきたザフト軍の行動に嫌な予感が止まらなかった。

 

「モビルアーマー各機、発進どうぞ!」

「アンチビーム爆雷発射!」

 

 急場の指示を出して思考を巡らすコープマンと、娘との感動の再会から一転して放り出された戦場に怯えを隠せないジョージという極端な二人を置いて環境は激化していく。

 

「接近する艦の熱紋照合…………ナスカ級ヴェサリウスです!」

「ヴェサリウス!? ラウ・ル・クルーゼの乗る船か」

 

 攻撃を仕掛けて来ようとしているザフト軍の艦がヴェサリウスだとオペレーターが艦長席に座るコープマンを振り返りながら叫ぶ。

 屈指の指揮官であり、同時に優れたパイロットとしても有名な男が乗るザフト軍で最も有名な艦が現れたことに、コープマンは艦長席のひざ掛けに乗せている拳を強く握り締めて歯を強く噛みしめた。

 世界樹攻防戦ではモビルスーツでモビルアーマー37機・戦艦6隻を撃破し、グリマルディ戦線では第三艦隊を壊滅させるなど、地球連合に多大な被害を与え続けた男である。自らの名が恐怖として広まっていることを利用するために自分が乗る艦には敵にも分かるように識別信号を送る男でもあった。そのような男が指揮官をしている艦の名は地球連合で恐怖の象徴である。

 

「一体どういうことだね! 何故今まで敵艦に気づかなかったのだ!」

「艦首下げ! ピッチ角30、左回頭仰角20!」

「うぉぉ!?」

 

 喚く隣席の男が煩わしくてコープマンは指示を出して艦を動かさせる。

 動く艦の慣性によってジョージの慌てふためく声を聞きながら目はただ前だけを向ける。

 

「ランデブーは中止だ! アークエンジェルへ反転離脱を打電!」

 

 指揮官としては知将と呼ばれるデュエイン・ハルバートンと比べれば凡俗でしかないコープマンに打てる手は少ない。勝てるとは言わない。アークエンジェルが逃げるまでの時間ぐらいは稼げる能力は自分にあるはずだとコープマンは願った。

 

「なんだと、それでは……」

 

 目の前の戦闘に全神経を集中したいのにジョージが文句をつけてくるのがコープマンの癪に障った。

 

「この状況で、何が出来るって言うんです?」

 

 事務次官という立場にいる男を邪険に出来ないのが軍人の辛い所だった。

 

「合流しなくてはここまで来た意味がないではないか!」

「あの艦が落とされるようなことになったら、もっと意味がないでしょう!」

「うぅっ…」

 

 ジョージの言うことは正論である。だが、喚く男の本音がアークエンジェルとG計画の産物よりも自分の娘にあると知っているコープマンの目には滑稽に映った。

 ジョージ・アルスターは第8艦隊の司令部よりも上から自身の立場を悪用して先遣隊に捻じ込んできた。娘の為に形振り構わないのは一人の人間の親としては美徳であっても、地球連合の中核を担う大西洋連邦事務次官としては失格である。コープマンは公私の区別をつけない隣の男のことがどうにも嫌いだった。

 

「熱源接近! モビルスーツ4!」

 

 何時までもジョージに関わってはいられない。コープマンは前を向いた。

 

「誰か事務次官を救命ポットで!」

「機種特定、ジンハイマニューバ3。それと待って下さい…………これは!」

 

 コープマンが叫び、残る一機の特定に手間取った観測班に務める軍人の一人が表示されたデータを前にして声に詰まった。

 

「イージス! X303イージスです!」

「なんだと!?」

 

 コープマンが信じられぬ報告に目を剥いたのと同時に、前面モニターに今まさにビームライフルを構えて撃つイージスの映像が映った。

 放たれたビームに集団を形成していたメビウスが散開するが行動が遅すぎる。強力なビームに貫かれて運の悪かった2機に命中した。機体が爆散し、宇宙の藻屑と消えていく光景をモントゴメリーのブリッジクルーは見させられた。

 

「奪われた味方機に墜とされる!? そんなふざけた話があるか!」

 

 ハルバートンが推進した地球連合の旗頭となるべきG計画。ザフトに奪われたという地球連合の希望たる新型モビルスーツの一機が、その性能を如何なく発揮して牙を剥いてくる現実を憤る。

 止まらない現実はコープマンに見えない刃を突き刺し続ける。

 

「ドックズ03から14、エッジ05と08が被撃墜! エッジ02が被弾、帰投します!」

「馬鹿な! まだ出たとこだぞ!」

 

 思わずといった様子で臆していたジョージが味方のあまりの呆気さに目を剥きながら叫んだ。その思いはコープマンも同じだった。たった、一合やり合っただけで発進したメビウスの三分の一が戦闘不能に陥ったなど信じられるはずもない。

 

「弾幕を張れ! メビウスは陣形を崩すな!」

 

 コープマンの叫びとは裏腹に、継続している戦闘は最早一方的だった。

 

「ドックズ06から09、12、15が被撃墜! ドッグス05が被弾! エッジ01、04が更に被撃墜!」

 

 加速度的に増していく自軍の被害。レーダーから自軍の存在を示すマーカーが蟻食い虫に食われたかのように次々と消えていくのに合わせるようにコープマンの顔色が悪くなっていく。

 

「機体性能が違うのだから個々で対応しようとするな! 数で押し切れ!」

 

 もはや数でどうにか出来る領域ではないと分かっていても、コープマンに出せる指示はありきたりな物でしかなかった。

 コープマンが指示を出した直後、ドレイク級バーナードの直上に移動したイージスがモビルアーマー形態になって手脚を広げ腹部に装備された580mm複列位相エネルギー砲スキュラを放った。

 現行のモビルスーツが放てる最高火力レベルのビームがアンチビーム爆雷によって減衰されながらもバーナードの船体を貫いた。ビームはブリッジを上から貫いて艦底を貫き、電気関係がショートしているのか宇宙空間に火花が散った後、バーナードは船体を爆散させた。

 ブリッジをバーナードの船体が爆発した閃光が照らし出す。

 

「護衛艦バーナード爆散!」

「ジンハイマニューバ1機がローへ向かっています!」

 

 オペレーター達が次々と裏返った声で報告する。

 光が収まったモニターの向こうでバーナードと同じく護衛艦であるローが一機のジンハイマニューバに接近を許し、あらん限りの弾幕を張って必死に抵抗しようとしているのが見えた。

 

「メビウス部隊は何をやっている!?」

 

 ドレイク級は小回りの利く130メートルという全長だが、MSの機動性の高さにはついてゆくことができない。艦に敵モビルスーツを近づかせない為にメビウスがいるのである。悠々と敵に接近されている現状にコープマンもまた裏返った声で叫んだ。

 

「半数が被撃墜か被弾で戦闘不能! 残ったメビウスが残り二機のジンハイマニューバと交戦中!」

 

 残ったメビウスは腕利きが乗っているか、連携を繰り返して良く戦っている。だが、その戦い方は敵を打倒するのではなく如何に墜とされないようにする機動であって現状を維持することしか出来ない。それにしても鑢にかけるように神経をすり減らしてようやく出来るのであって、集中力を切らした時が全滅する時であろう。

 

「悪夢だ」

 

 誰かがそのような言葉を呟いたのを耳にしてもコープマンに怒りは湧かなかった。彼もまた同じ気持ちだったからだ。

 

「イージス、最終防衛ラインを突破して本艦に接近して来ます!」 

 

 オペレータが上げた悲鳴のような声の直後、正面の艦橋窓に迎撃を掻い潜って来たイージスが肉薄する。

 

「――っ!」

 

 コープマンは近くから喉の奥で息が詰まるような音を聞いた気がした。もしかしたら自分の物だったかもしれない。

 イージスがビームライフルの銃口をブリッジに向ける。見えるはずもないのにコープマンは確かにビームライフルの銃口の向こうから今まさに発射されるビームの光を見た。だが、そのビームがモントゴメリのブリッジを貫くことはなかった。突然、横合いから閃光が走ってイージスのビームライフルの銃身を焼いた。

 イージスはまるで人間のように驚いてビームライフルを捨てて慌てて後退する。

 

「――――!?」 

 

 ブリッジの直ぐ外でビームライフルが爆発した遮光窓でも遮れない閃光がコープマンの目を曇らせる。

 数瞬の後に視界を取り戻したコープマンの目に映ったのは、赤い翼を背負って緑色のフレームの殆どを剥き出しにしたモビルスーツだった。数秒遅れてデータで見たことのあるトリコロールのモビルスーツが追従する。

 二機は一瞬たりとも留まることなく、緑色のフレームの機体はメビウスの相手をしているジンハイマニューバ二機の下へと圧倒的な加速で向かい、トリコロールの機体はビームライフルを失ったイージスへと向かって行く。

 

「アークエンジェルが!? アークエンジェルが戻ってきています!」

 

 オペレータの報告にモニター内の映像が動き、こちらに向かってくる白亜の戦艦アークエンジェルを捉える。

 

「来てくれたのか!」

 

 まだブリッジの入り口で士官と共にいたジョージが言うのを聞き取ったコープマンは、一度は失いかけた命を繋いだ喜びを横に置いて握った拳を肘掛けに叩きつけた。

 

「馬鹿な!」

 

 コープマンにはラウ・ル・クルーゼがこの程度で終わるはずがないという予感があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 プロフェッサーが出て行って直ぐ、やはりブリッジの空気は良いものではなかった。

 

「レーダーに艦影3を捕捉、護衛艦、モントゴメリ・バーナード・ローです!」

 

 索敵班のロメロ・パルの笑み混じりの報告に、もう直ぐ第八艦隊先遣隊との待ちわびていた合流が間近であること伝える吉報がブリッジの空気を明るくする。

 

「やったー!」

 

 副操縦席に座るトール・ケーニヒがガッツボーズしても誰も批難しなかった。

 ブリッジにいる誰もがトールほどのリアクションは取らなかったといっても、マリューのように大きな安堵の息を吐いたり、今までの苦労を思い出しながら制帽を被り直すナタルなど、程度の差はあれど皆が喜んでいることに変わりない。

 喜びに沸き震えるブリッジの中でレーダーで接近する先遣隊を今か今かと見ていたパルは、レーダーパネルに不自然なノイズが走ったことに気がついた。

 

「ん?」

 

 アークエンジェルは処女航海を始める前に実戦に出てしまった新造戦艦である。システムの設置や調整は十分に行われているが実戦証明はされていなかった。ヘリオポリスからこっち実戦を重ねてきたが、新造されたばかりの物は今まで目立った不具合などは出ていないが何であっても不安が残る。

 このノイズに関してもパルが咄嗟に疑ったのはレーダー装置の異常だった。

 

「あ! これはっ!」

 

 調整をするがノイズは止まらない。それどころか更に酷くなっていくのを目にしてパルにもこのノイズが機械の異常でないことに思い至る。

 

「どうしたの?」

「ジャマーです! エリア一帯、干渉を受けてます」

 

 ようやく重荷を下ろせると完全に気の抜けたマリューの声に被せるようにパルの裏返った声がブリッジに響き渡り、先遣隊との合流を目の前にしてブリッジの空気が凍った。

 ジャマーとは妨害電波のことである。自然発生的にジャマーに似た現象が発生することもあるが、先遣隊を間近に控えたこのタイミングに起こる天文学的な確率を超えている。天文学的な確率でこのタイミングで発生するか、別の理由によって起こるか、どちらの方が可能性が高いかなど分かりきっている。

 

「前方にて、戦闘と思しき熱分布を検出! 先遣隊と思われます!」

「戦闘って…!?」

 

 軍人の誰もが頭に過った可能性を補強するようにチャンドラ二世の動揺しきった声に、完全に楽観モードに入っていた半分民間人のミリアリアなどは戦闘の恐怖を思い出して声が震えていた。

 誰かがコンソールで操作したのだろう。正面モニターに何倍にも拡大された映像が映し出される。

 まだ距離があるので拡大しても時折光るだけで戦闘を行っているようには見えない。だが、確かに映像の先では命のやり取りが行われているのだ。

 

「モントゴメリより入電! ランデブーは中止! アークエンジェルは直ちに反転離脱、とのことです」

 

 パルからの報告にマリューは即答しなかった。

 階級で言えばモントゴメリの艦長コープマンは大佐であり、マリューは大尉に過ぎない。本来ならばマリューは戦艦の艦長をやるには速すぎる階級であるが今は関係ない。問題は三階級も階級が下のマリューがコープマンの指示に従おうとしないことにあった。

 

「敵の戦力は?」

 

 軍では上からの命令は絶対である。従おうとしない艦長に痺れを切らしたナタルが叫ぶよりも早くマリューは淡々と返す。

 先遣隊が敵に見つかったというのに冷静というよりも冷淡な反応のマリューに気圧されたトノムラが慌ててセンサーを確認する。

 

「イエロー257、マーク40にナスカ級ヴェサリウス! 熱紋照合、ジンハイマニューバ3、それと、待って下さい。これは、イージス!? X-303、イージスです!」

「イージスだと!?」

「では、あのナスカ級だと言うの?」

 

 バスター・ブリッツ・デュエルの三機がいないのが気になるところではあるがナスカ級がいることから間違いないだろうと、マリューは瞼を閉じてヘリオポリス脱出からアルテミス要塞到達までに戦ってきた敵の母艦を思い描く。

 ラウ・ル・クルーゼ。ザフトきっての名将にして優れたパイロットが指揮官を務める存在だけで地球連合を恐怖に貶める艦とニ度も相見えるようになるとは想像もしていなかった。

 

「艦長!」

 

 判断を決めかねているマリューを見かねたナタルが今度こそ叫ぶ。

 

「でも、あの船にはフレイのお父さんが」

 

 サイが弱気を覗かせながらもナタルの近くの席から意見を出した。

 特段、押しの強いわけではないサイがこれほどの緊迫した場で口を挟むのは知り合いが先遣隊にいるからか、婚約者の父親を死なせたくないという思いからかは本人にしか分からない。

 ナタルの意見、サイの気持ちを斟酌したマリューは閉じていた瞼を開いて振り返った。

 

「フラガ大尉は?」

「仮眠中です」

「呼び出して」

 

 言われたパルは怪訝な顔をしながらも「了解」と頷いて通信を繋いだ。

 パルが通信を繋いでいる間にマリューはインカムを耳につける。これがあれば二人の会話は外に漏れない。

 通信は直ぐに繋がった。

 

『どうした艦長?』

 

 仮眠中なのに起きていたのか、それとも寝起きがいいのか。益体もつかないことを考えながらマリューは寝起きを感じさせないハッキリとした問いをしてくれるムウに切り込む。

 

「先遣隊がザフトに襲われています」

 

 通信の向こうで黙り込んだムウにマリューは浅く息を吸い込む。

 

「敵艦はナスカ級ヴェサリウス。モビルスーツはジンハイマニューバ3機とイージスです」

『そりゃあ、また豪勢なこって。クルーゼはなんとしても俺達を倒したいらしい』

 

 動揺したかもしれないが最初の沈黙以外だけで軽い言葉尻には余裕すらも滲ませる男をマリューは頼もしいと思う。現在のエースはユイであるが戦闘部隊の主軸は間違いなくムウ・ラ・フラガである。

 本人はあまり好きではないらしいがエンデュミオンの鷹の異名に偽りはない。ようやくモビルスーツパイロットらしくなってきたキラや意欲の薄いユイではリーダーを任せるには不安が大きすぎるというのもあるが。

 

「単刀直入に聞きます。戦闘部隊でこの4機のモビルスーツに勝てますか?」

 

 CICからギョッと驚く反応が雰囲気で伝わって来たのをマリューは黙殺した。ナタルやブリッジの空気が俄かに強張り始めたのもまた同じく知らない振りをする。

 

『勝てる。イージスをキラが、ジンハイマニューバ3機なら俺と嬢ちゃんで倒せる。だがな』

「伏兵がいる可能性があると?」

 

 自信を以て断定できる味方の戦力を頼もしいと感じながら、伏兵の可能性は頭の隅で考えていたことなのでマリューも驚きはしなかった。撤退を暗に提案しているナタルもそのことを考え、敢えてリスクを冒すことを避けて安全策を取ろうとしている。甘ちゃんの自覚があるマリューに危機に陥っている味方を見捨てられるはずがない。

 

『ああ、クルーゼの奴ならやる。それに』

「それに?」

『いや、なんでもない。どうも変な感覚がするのは気のせいだろ。で、どうするんだ?』

 

 ムウが言葉に出来ずに言い淀んだ何かが気にはなっても問い返しはしなかった。もし、この戦いにおいてマリューの失策を挙げるとすれば、この時にムウに問い返さなかった。その一つに尽きる。

 

「今から反転しても、逃げ切れるという保証もないわ。…………総員第一戦闘配備! アークエンジェルは先遣隊援護に向かいます!」

 

 この時はマリューは自分の判断が間違いだとは思わなかった。ただ、背後から漂ってくるナタルのオーラに負けまいと前を向き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エールストライカーを上回る推力を持つ『ジェットストライカー』を装備したアストレイ・グリーンフレームを操るユイは、予想以上のパワーに無表情の外面からは分からないが不満を感じていた。

 

「推力が強すぎる。小回りも利かず、設定も雑すぎ」

 

 シールドで前面を守りながら今にも一機のメビウスを仕留めようとしていたジンハイマニューバを後退させる。

 ユイが不満も露わにしているのは始めて装備する『ジェットストライカー』にあった。

 連合のストライカーパックを研究して実用性を置いてそれ以上の能力を求めて開発されたオーブ製のストライカーパック。その一つであるジェットストライカーは島国であるオーブ本国での本土防衛用に作られた大気圏内用の高機動空戦型ストライカーパックである。

 エールストライカーの以上の推進力を持ち、エールストライカー以上の飛行能力を持つ。ここまでならば利点に感じられるが元より設計図・データ段階のエールストライカーを上回る為に考案された急造作である。

 4基の高出力スラスターを持つエールストライカーを上回る為にスラスターを6基に増やし、整合性を取る為に設計を弄っている。スラスターを増やせば、より大きな推力を得るのは当たり前で、根本的にはなにも解決していない。

 推力はエールストライカーを上回っているがその分だけエネルギー消耗も激しく、推力に振り回されて細かい動作もし辛い。欠陥品とまでは言わなくても完成品とは口が裂けては言えないストライカーパックであった。

 だが、こと目的地に急いでいる時と奇襲においてはこれほど重宝するパックはない。ジンハイマニューバは現れたグリーンフレームに対して驚いているのか退避動作に隙があった。ユイは間髪も入れずに攻撃を加えようとした。

 

「連発も出来ない。威力はあるけど実戦では使えない」

 

 エネルギーが溜まっていないライフルでは撃つことが出来ず、残った遠距離攻撃手段が頭部バルカンのイーゲルシュテルンしか残っていないことに舌打ちしたい気持ちを抑える。

 

「実験作ならこんなもの」

 

 と、自分を戒めるように呟く。

 ジェットストライカーとグリーンフレームが今持つ強化ビームライフルはミスズ・アマカワが機体の開発と同時に、データ段階にあるG計画の技術を改良したものである。

 連合のG計画に関わりながらオーブ製の機体開発もしなければならなかったミスズの苦労は身近にいて知っているからこそ、実戦で試すような羽目に陥ろうとも引きはしない。

 

「ようは使う私自身」

 

 コクピットに警報音が鳴り響く。グリーンフレームがビームライフルを構えても撃たないことに気づいたジンハイマニューバが反撃に出たのだ。

 試製27mm機甲突撃銃。ジンの持つ重突撃機銃をベースに改良したハイマニューバの専用装備の銃弾をジェットストライカーの推進力で躱す。その回避動作が連動してもう一機のジンハイマニューバが背後に回り込もうとしたのも回避し、ユイはモニターで辺りを見渡した。

 

「下がってくれた」

 

 ジェットストライカーの推進力もあって一瞬で前後左右が変わる状況の中で、ユイが艦の護衛に下がらせたから周囲にメビウスの機影は無くなっていた。

 見る限り、ジンハイマニューバ二機に損傷は見受けられない、知将と名高いハルバートン旗下の部隊であってもモビルスーツが跋扈する戦場においてメビウスは時代遅れの兵器なのかもしれない。

 ピーピーと音がコクピットに響く。強化ビームライフルのエネルギーが充電され、銃身の冷却が完了した音だった。

 加速で圧倒的に上回るグリーンフレームを駆使してジンハイマニューバ二機と機動戦を繰り広げていたユイは、ターゲットスコープを取り出すことなく引き金に手をかけた。

 

「狙い撃つ」

 

 目視だけで狙って当たるはずがない。他人が見ればユイの頭の中身を確かめたくなる言葉と共に放たれた、通常のビームライフルの三倍の威力が込められたビームが回避動作に入ろうとした一機のジンハイマニューバに命中して、宇宙に爆発の花を咲かせた。

 

 

 

 

 

 ローに襲い掛かっているジンハイマニューバに強襲を仕掛けたメビウス・ゼロのパイロットであるムウ・ラ・フラガは、モニターの端に映った豆粒ほどの爆発を見てパイロットスーツのヘルメットの中で口笛を吹いた。

 

「流石、お嬢ちゃん。でも、子供だけに任せてちゃ、大人失格でしょ。俺だってな!」

 

 爆発に意識を割いたのはコンマ数秒のみ。直ぐに意識を目の前でターゲットロックされないように機体を左右にジンハイマニューバに戻し、メビウス・ゼロの真骨頂であるガンバレルを切り離した。

 空間認識力を持つ極限られた人間にしか使えないガンバレルを巧みに操り、ジンハイマニューバを追い込む。

 敵もさることながら。四基のガンバレルの攻撃に晒されながらも、回避動作の合間に振り返りながら試製27mm機甲突撃銃を撃ってくる。

 

「やる!」

 

 銃弾を回避しながらムウは敵を称賛した。

 攻撃を続けるガンバレルではなく、躊躇うことなく本体を狙ってきた敵パイロットの挙動と攻撃の精度の高さに舌を巻く。

 性能の高さもあるのだろうがパイロットが機体を十分に扱えていることが先の攻撃だけで分かった。最低でも新兵ではない。先の判断力は実戦でしかな身につかないものだ。どんな天才でも机上の上だけで理解できるものではない。

 優れたパイロットが操るジンハイマニューバが相手であろうとも負けるつもりはなかった。

 ヘリオポリスでクルーゼが乗っていたシグーに墜とされたとはいえ、目の前の相手はパイロットの腕も機体も劣っている。この相手に負けていて宿敵という言葉が似合うクルーゼに勝てるはずもない。

 

「出来るパイロットってのは分かったがクルーゼ以上じゃなけりゃな!」

 

 ガンバレルを一旦戻してメビウス・ゼロの性能限界に挑むかのように旋回を行ない、軋むコクピットの中でムウは吠えた。

 4基のガンバレルを本体と接続すればジンハイマニューバ相手であろうともスピードで負けることはない。なによりも敵のモビルスーツはグリマルディ戦線でクルーゼが乗っていた同型機。年月の経過から性能が上がっているかもしれないがパイロットの腕はクルーゼの方が圧倒的に上。

 

「お前に負けたら腕が落ちていることになっちまう。ここで墜ちてくれよ。クルーゼとやる前に負けたらシャレにならないからな!」

 

 互いに相手の後ろを取ろうと大昔の戦闘機の戦いのようなドックファイトをしながらムウは再びガンバレルを切り離した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 味方が一機が堕とされたのは、ビームライフルを失って遠距離攻撃に乏しい状況でストライクに近づこうとするイージスからでも見えた。

 

「メスタ先輩!?」

 

 アカデミーで一期上の優れたパイロットであるメスタ機のシグナルが消えたのを確認してしまったアスランの意識が一瞬飛んだ。

 面倒見が良くてアカデミー時代に優秀ながらも問題児だったアスラン達を見守ってくれた先輩の一人がこうも呆気なく死んだ。数時間前に久しぶりの再会に会話の花を咲かしたばかりの人を二度と見ることがない喪失感は、ミゲルから始まって何人も続いているが慣れるものではなかった。

 

「――っ!?」

 

 自失は一瞬。意識が一瞬飛んだ隙はモビルスーツの硬直となって現れ、敵であるストライクは躊躇なく攻撃してくる。

 掲げられたビームライフルに気づいて慌てて回避動作に入った。

 イージスが先程までいた場所にビームの閃光が通り過ぎるのを確認してしまったアスランは背筋に走る悪寒を止めることが出来なかった。

 

「キラ!」

 

 後少しで死にかけた恐怖を振り払うように機体を直進させ、声の限りにストライクに乗っている友の名を叫んだ。

 しかし、ストライクはアスランの思惑など知らぬと言わんばかりに機体を後退させる。

 エースストライカーを装備しているストライクの機動性はG5機の中でも飛び抜けている。モビルアーマー状態の両手脚を進行方向に伸ばした巡航形態ならばともかく、モビルスーツ形態のイージスではとても追いつけない。

 遮二無二にストライクを追いかけるイージスに向けて、またもやビームライフルの閃光が迸る。

 

「くっ」

 

 頭に上った熱を冷やせと言わんばかりの一撃を慌てて避けて、体勢を整える。

 

「焦るな。焦ったって何もなりはしない」

 

 今の自分は頭に血が上っていて冷静な思考と判断が出来ないと判断したためだ。だからといってストライクの挙動から集中を外すことなく、機体自体は動かしながらヘルメットの中で大きく深呼吸を行なった。

 不可解なことにストライクは攻撃を仕掛けて来ない。

 ビームライフルを掲げて一定の距離を保ったまま、イージスとは別の軌道を描きながら滞留している。

 イージスは地球連合が開発したのだから詳細なスペックや武装は周知のはず。ビームライフルを失ったイージスに残された遠距離攻撃武装はモビルアーマー形態になってのスキュラか頭部バルカンのイーゲルシュテルンのみ。

 接近を許さないように一定の距離を保ったまま攻撃を仕掛け続けるなら分かるが、一向に仕掛けて来ないストライクの挙動はおかしすぎた。

 

「まさか時間稼ぎか? 撃墜、または捕獲の為に」

 

 考えられるのは味方に他の敵を撃破してもらい、イージスを仲間と共に相手にすることだ。

 元は地球連合が作り上げた機体だ。敵の戦力はストライクとGもどき、ザフトのモビルスーツと互角に戦うことの出来るメビウス・ゼロの三機。既に一機が墜とされ、数の上では互角。どちらかが先に一機を墜としたら決着は早くつくだろう。そしてその敗北の可能性が高いのは自分達であろうという予想がアスランについてしまった。

 

「作戦の都合上、向こうが時間稼ぎをしてくれるなら都合がいい。だが……」

 

 その場合、自分以外の仲間が死ぬことになる。アスランが我慢できるはずがない。

 

「出来るはずがないだろう!」

 

 敵として向かい合っているのに攻撃をしない奇妙な均衡を打ち破るように、アスランはイージスをストライクに向けて直進させた。

 無防備にも両手を広げて直進してくるイージスにストライクが戸惑うように機体を揺らした。機体を左右に揺らすことなく真っ直ぐ向かってくるイージスに向かって撃つのを躊躇うストライクを見てアスランは笑みを浮かべた。

 

「キラ!」

 

 ビームライフルを撃たずに下がろうとしたストライクよりも早く、バーニアを全開に吹かして掴みかかる。

 

「何故、戦う? 僕達は仲間だろ! 同じコーディネイターじゃないか!」

『僕は戦いたくなんてないのに…………ザフトがヘリオポリスに攻めてなんてくるから!』

 

 ビームライフルを抑え、シールドで弾こうとするストライクに接触回線を開いて言うと泣きそうなキラの声がコクピットに木霊した。

 拘束を逃れようとする腕を動かすストライクの動きがまるでキラが泣いて暴れているような動作に重なる。先の戦いでの言葉からキラが軍人ではなくなんらかの理由で工廠に紛れ込んだ一般人であることを察しているアスランに抗弁できる言葉は無かった。

 地球連合が悪いから、協力したオーブが悪いから、と抗弁しようとも一般人であるキラ達からすれば、ヘリオポリスを襲ったアスランのいるザフトは破壊者でしかない。

 

『もう僕達のことは放っておいてくれ!』

 

 今のキラを苦しめているのはアスラン自身であることを悟ってしまったが故に心に矢のような物が刺さり、棘となってアスランを苛む。

 キラから拒絶されたショックが操縦桿を握る手の力を緩ませた直後、衝撃がコクピットを揺るがした。

 

「――ぐわっ!」

 

 一瞬何が起こったのか分からずに混乱する。

 後方に流れて行く機体を立て直すとストライクが蹴りを放った姿勢から足を下ろすところだった。蹴りを放つことでイージスを振り解いたらしい。

 明確なキラの拒絶の行動を受けようともアスランの腹積もりは既に決まっていた。

 

「それでも俺は泣いている友達を放ってはおけない!」

 

 自分が親友を苦しめていると分かっていても、アスラン・ザラは今のキラを放っておくことは出来ない。

 昔と同じように傍にいて優しく笑っていてほしかった。三年前のように穏やかな日常に帰りたかった。胸が焦がれるような欲求を諦めるつもりはない。

 イージスを再び直進させ、ストライクを補足しようとバーニアを吹かす。

 今度は心づもりを決めたキラも躊躇ずにビームライフルを撃ってきた。真っ直ぐ進めば直撃するビームを、機体を操作して躱しながら進み続ける。

 一射、二射、三射、と後退しながら撃たれるビームを果敢に突き進みながら避けるイージス。だが、動きの華麗さとは違ってイージスを操るアスランにあったのは戦慄だった。

 

「前に戦った時よりも動きも狙いも良くなっている。この短期間でモビルスーツの戦い方を習得したのか。相変わらずの天才肌め!」

 

 思わず叫んでしまいたくなるほど、ストライクの挙動はアスランの目から見ても上等な物だった。

 キラはコーディネイターの目から見ても異常と思えるほどの能力の持ち主だった。本人はその能力を疎み、周りには必死に抑えた能力だけを見せていたが親友で長い時間を一緒に過ごしたアスランにはお見通しで、その潜在能力は遂に計れることはなかった。

 モビルスーツの扱いも戦い方もキラならば出来ても仕方がないと諦めさせる天才性があった。プラントのコーディネイターが努力した時間の半分以下で成し遂げてしまう異常は身近にいたからこそ、アスランは天才の一言で片づけてしまうところがあった。

 

「お前を捕まえる! だから!」

 

 回避を優先していたら今のキラを捕まえることは出来ない。覚悟を決めたアスランは被弾を覚悟でストライクに向かった。

 だが、アスランの望みは果たされない。横合いから極大なビームがイージスを襲った。

 

「うぐっ!?」

 

 偶然にもシールドに着弾したビームは衝撃だけで機体を揺るがした。完全に無警戒の方向からの一撃にアスランの口から息が漏れた。

 直進コースを外された機体を立て直しながらモニターを見ると、そこにはアストレイ・グリーンフレームがいた。こちらに向かってくる。戦っていたジンハイマニューバの識別信号が消えている。それが示す物はただ一つ。

 

「アニュー先輩が墜とされたのか!?」

 

 侮っていたつもりはなかったがアスランの想定以上にグリーンフレームのパイロットの腕は優れているようだった。

 ストライクと向かってくるグリーンフレームに意識を割いたアスランの目に、残っていた識別信号が消えた。

 

「ラコーニ隊長も!?」

 

 ハッとしてモニターを動かせば一基のガンバレルを失ったメビウス・ゼロが向かってくるところだった。

 

「残ったのは俺だけか」

 

 三機に包囲されたイージスのコクピットでアスランは生き残ってしまった罪悪感に苛まれた。そして同時に気づく。

 

「時間は過ぎた。作戦の第二フェーズが始まる」

 

 目の前で突如としてグリーンフレームが大きなバーニアの光を輝かせて反転離脱する。遅れてメビウス・ゼロが続き、ストライクは戸惑うようにイージスにビームライフルを向けていた。

 これからが本当の戦いの始まりだった。

 



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第11話 傷だらけの天使

 

 捕虜。武力紛争において敵の権力内に陥った者を指す。

 捕虜は、それを勢力下に入れた勢力によって随意に扱いを受け、奴隷にされたり殺されたりした。一方、能力を認められた者は厚遇して迎え入れられることもある。中世ヨーロッパでは相手国や領主に対し捕虜と引き換えに身代金を要求する事が良く行われた。

 捕虜に対して安易に虐待や殺害を行うことは、敵兵に投降の選択を失わせ戦意を向上させてしまう恐れもあることから、その意味でも捕虜に対して相応の扱いをする例はあった。

 近代の国際法では、捕虜に対して危害を加えることは戦争犯罪とされるに至ったが、捕虜を虐殺する事件も決して少なくない。捕虜を保護し、それを知らしめる事により早期の降伏を促す事のメリットはあるが、現実には捕虜を適正に扱うにも食糧や医薬品の提供などの負担が必要であり、補給の途絶や不足が生じた場合にはその余裕がなくなる。よって捕虜の虐待は、そういった余裕の無い場合に頻発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オープ連合首長国所有の資源衛星コロニーであるヘリオポリスがザフトの襲撃によって崩壊してから一週間弱。崩壊したコロニーから射出された救命ポットが回収され、本国にまで輸送されるには十分な時間だった。

 宇宙から降りて来たシャトルから降りて来た避難民と化したヘリオポリスの住民の中に金髪の少女がいた。

 船からぞろぞろと出て行く他の多くの避難民の最後に故郷の土を踏んだ少女は肺一杯に息を吸い込む。

 

「やはりここの空気が私に合う」

 

 宇宙から地球に降り、経緯はどうあれど初めての一人旅からオーブの本島であるヤラファス島に足を下ろした少女は、戻って来た故郷に安堵の息を漏らした。

 シェルターの薄い壁の向こう側にあった真空の世界は人が生身で生きていけるものではない。自他共に認められるほど気が強い少女にとってもコロニーが崩壊する現場にいたのだから、シェルターの中にいても緊張は拭えなかったらしい。こうして故郷の土を踏んで肩から力が抜けて始めて、本人が気づかないレベルで緊張の糸が張りつめていたことを自覚する。

 

「カガリ様!」

 

 キラ・ヤマトにシェルターに押し込まれたまま避難民の中に紛れ込んでしまった金髪の少女は、己の名前を呼ばれて空気をより感じる為に自然と閉じていた瞳を開いた。思いの外、感慨に耽っている時間が長かったのか周りには誰もいない。

 

「キサカ」

 

 駆け寄って来る男は自身の世話役とも言うべきオーブの軍人レドニル・キサカであった。故郷の空気と慣れ親しんだ男の顔がより帰って来たと実感させる。

 キサカは一直線に走り寄るとカガリと呼ばれた少女の全身を見る。

 

「ご無事ですか」

「お前には私が怪我なんてしているように見えるのか? こらそんなところを触るな!」

 

 カガリはキサカが言いながら触って来るのを擽ったく思いながら、女としては男に触れてほしくない場所まで怪我がないことを確認するために手を伸ばしてくるのを阻止する。

 手足や頭を触って怪我の有無を確認し、顔を紅くするカガリに強がりはないと長い付き合いから判断したキサカは安堵の息を漏らした。

 

「本当に怪我はないようですね。心配したのですよ」

「うっ、悪い」

「悪いと思うなら此度のような無茶な行動は止めて頂きたいものです。今回の件でどれほど心配したことか」

 

 心配をかけたことは素直に悪いと思っているカガリであったが自分の気性を良く理解しているので、キサカの軽挙妄動を慎むようにと言われても簡単に頷けなかった。

 

「次は気をつける」

「しない、とは言わないのですか?」

「…………確約出来ないことは言わない主義なんだ」

「貴女というお人は。言動を行動に移せるのは美徳ですが軽挙妄動になってはまたユウナ様に笑われてしまいますよ」

「あいつは笑わないさ。昔ので懲りてるからな」

 

 幼き頃を良く知るユウナ・ロマ・セイラン曰く、「カガリって猪突猛進の猪みたいだね」と言われて怒りのままに叩きのめしたことがある。いくらユウナが文系のもやしっ子だとしても4歳年上の従兄を叩きのめしてしまったことが、考えるよりも脊髄反射で動いてしまうカガリの性格を現していた。

 真実を確かめる為だと言って国の要人にも関わらず、たった一人で国外どころか地球を飛び出して行ってしまった行動力は瞠目に値する。

 呆れ果てたと言わんばかりの溜息にキサカを直視できず、気まずさから顔を逸らしたカガリの視線の先には船から降りた避難民が歩く姿が映った。

 

「彼らはどうなるんだ? 行政府の対応はどうなっている」

 

 趨勢が悪いので話を変えるわけではないが一週間弱の時を共に過ごした者もいて今後が気になる。

 住む場所を失い、仕事すらも失った彼らが不安に打ち振るえている姿を見もした。実権はなくとも口を出すぐらいのことは出来る立場であれば言いたくもなる。今度のことで行政府が何もしなければカガリは立場を利用して動く気満々だった。

 真摯に見上げて来るカガリの熱意に、キサカは目尻を緩ませながらゆっくりと口を開いた。

 

「彼らのことは心配いりません。行政府が既に動いています」

 

 ほら、と促されてカガリがキサカから視線を避難民に移せば、行政府の人間らしいスーツを着た集団が近寄っていくところだった。

 

「ならいい。これ以上、彼らが政治の犠牲にならないのなら」

 

 発した言葉に皮肉が混じってしまうのは信頼していた父親が裏切りをしたと思うからか。避難民達がスーツの集団に連れられて移動するのを見ながら、カガリは自分の父親の裏切りによって彼らがこれ以上苦しまずに暮らせることを切に願った。

 

「キサカ、お父様はどこにいる? 行政府か?」

「…………何か御用でも?」

「今回の件で言わなければならないことがあるからだ。お父様に正面きって文句を言えるのは私だけだからな」

 

 そしてカガリは問わねばならなかった。ヘリオポリス崩壊の引き金を引いた地球連合の新型機動兵器開発の片棒を担いだかどうか。知らなくても避難民の気持ちを考えれば許せない事であり、良くも悪くも真っ直ぐなカガリは許せないと考える。

 真意を確かめるようにカガリを見つめたキサカだったが決して曲げる気のない熱意に折れるように先に目を逸らした。

 

「今はご自宅におられます。勘違いするな。これには理由がある」

 

 話している途中で、「この事態に呑気に家にいるなどと!」と激昂しかけたカガリを諌めながら少しは考えて行動するようになったと感動していた気持ちを返してほしいと、内心で嘆きながら今にも走り出しそうなじゃじゃ馬を止める。

 つい、言葉遣いが幼い頃に世話役をやっていた頃に戻ってしまったことに気づいて咳払いをしつつ、納得していないカガリに直球で爆弾を放った。

 

「今回の責任を取ってウズミ様は代表首長の座をホムラ様にお譲りになられました」

「何!?」

「事実です。現在はご自宅で謹慎されています」

 

 よほど予想外の返答だったのか驚愕を現したまま固まってしまったカガリに、しかしキサカはそれ以上は何も言えなかった。

 ウズミが娘を厳しく躾けながらも溺愛をしているのは二人を間近で見てきたキサカには当たり前のことで、父親が代表首長の座を降りたと聞いてショックを受けても仕方ないと思える。

 

「帰る」

 

 なんと言ったらいいものかと思案していたキサカの目の前でカガリが踵を返した。

 引き止める間もなくスタスタと歩くカガリを慌てて追いかける。

 

「家にいるなら都合がいい。待っていろ、お父様」

 

 この後、家に帰ったカガリは父に「世界を知らない」と言われてまた家を飛び出すことをキサカは知らなかった。自身が同行することもまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゴットフリート1番、照準合わせ、てぇ!」

 

 戦闘部隊が迷いなく発進したことでナタルの迷いも吹っ切れたようで、溜まった鬱憤を晴らすかのように指示を出していた。

 主砲が火を吹き、高エネルギー収束火線は直進してモントゴメリに攻撃を加えているヴェサリウスの動きを掣肘する。

 アークエンジェルとモントゴメリの同時攻撃をされることを嫌ったヴェサリウスが後退する。損傷著しいモントゴメリは無謀に攻撃を仕掛けることはせず、大人しく安全圏へと下がった。

 

「グリーンフレームが一機撃墜しました!」

 

 幸先の良い報告に引き締めていたマリューの表情が若干緩む。それも一瞬。厳しく見つめる先にあるものは敵か味方か。

 状況は良い方向に進んでいるが油断は出来ない。敵は歴戦の将であるラウ・ル・クルーゼである。油断など出来るはずもない。そのことは実際に戦ったブリッジクルーの誰もが知っている。だから、目の前の戦いに神経を集中させているブリッジのドアが静かに開いたことに誰も気がつかなかった。

 

「パパ……パパの船は?」

 

 ブリッジに入ってきたのはフレイ・アルスターであった。

 先遣隊に父がいると聞いて、もう少しで合流という最中で戦闘になったことで少しでも状況を知りたいとやってきたのだ。しかし、意気込みとは裏腹にスクリーンに映る戦闘に瞬く間に顔を青くして怖気づいた。

 

「フレイ!?」

 

 フレイの存在に真っ先に気づいた席の前を横切られたカズィだった。

 軍に協力してくれているカトウラボの学生とは違って小さな仕事を手伝っているだけで完全な民間人であるフレイの登場は、自分の判断で艦を戦闘に参加させているプレッシャーを抱えているマリューの癪に障った。

 

「今は戦闘中です! 非戦闘員はブリッジを出て!」

「パパの船はどれなの? どうなってるのよ!」

 

 マリューは己の叱責に気づいた様子のない少女の気持ちを理解しながらも、戦闘が行われているモニターに釘付けになっているフレイを再度叱りつけようと息を吸い込んだ。

 戦闘中の艦長の余裕のなさを知っているサイは身近な少女の暴走に混乱しながらも、本格的に激発する前に耳につけていたインカムを取り外しながら無重力を活かして飛び上がった。

 

「フレイ!」

 

 父が近くにいるとすればこうなってしまっても仕方ないと思えども、今は大事な時であると短い時間ながらも戦いをやっていて知っているサイは婚約者を羽交い絞めにする。

 

「何よ! 離して!」

 

 戦闘中のブリッジに、軍服を着て軍人の仕事を手伝っていようとも身も心も民間人の当の少女にはサイの気持ちは伝わらない。邪魔をするサイを振りほどこうともがく。

 彼女の心はただ父を思うあまりに歯止めを失っていた。その時、通信が入ってどこかの艦の内部が映し出された。

 

『命令は届いていたはずだ! 何故、戻って来たアークエンジェル!』

 

 通信が繋がった直後、怒り心頭のコープマンの怒声がブリッジ中に響く。

 戦闘中で音声調整がされているはずの通信で、ここまでの大きな声を出せるということがコープマンの怒り具合を現していた。

 

『理由はいい! ただちにこの宙域から離脱しろ!』

「しかし、戦況は我が軍が有利です」

 

 反論したマリューの言う通り、戦況は数的に見ればメビウスを抜いても互角。アークエンジェルが抜けるということは先遣隊の壊滅を意味している。

 

『馬鹿者! 貴様はあの男の本当の恐ろしさを知らんのだ! ラウ・ル・クルーゼがこの程度で収まる相手なら既にハルバートン提督が倒している! 技術将校程度が思い上るな!』

 

 例え敗北すると分かっていてもコープマンがアークエンジェルを下がらせようとするのは実戦での経験の差であった。技術将校であるマリューはコープマンほどには戦場を経験していない。

 そしてクルーゼと戦場で相対したことがアークエンジェルでの一度だけであるマリューの判断など当てにならないとコープマンは吠えた。だが、別の場所から異論が出た。

 

『馬鹿を言うな! 今、アークエンジェルに退かれたら我らはどうなる!?』

「パパ!」

 

 コープマンの後ろから顔を出して意見した軍服の中でただ一人だけスーツを着た壮年の男――――ジョージ・アルスターが最も意見を言ったのを見たフレイは、久しぶりの父の姿に目を潤ませた。

 

『早く事務次官を救命ポットに連れて行け! いいな、一刻も早くこの宙域から離れろ! これは命令だ!』

 

 フレイの感動など知ったことではないコープマンは文句を言い続けるジョージを捕まえると手近にいた部下に放り投げ、マリューに逆らう暇も与えずに言い切ると通信を切ってしまった。

 

「フレイ! さ、行こ、ここに居ちゃ駄目だ!」

「うっ…うっ…」

 

 ナタルに睨まれて比喩的な表現の雷が落ちる前にサイはフレイをブリッジから連れ出す。通信で父を見たことに安心したのか、それとも連れ出すのがサイだからか、どちらにしても今度はフレイも逆らわず大人しくブリッジから出た。

 

「グリーンフレーム、メビウス・ゼロ共に一機ずつ撃墜! 残ったイージスへ向かうとのことです」

 

 ブリッジを出る間際、戦況が少なくとも地球連合側に有利に進んでいるのがサイの救いだった。だが、ブリッジを出たサイもフレイも知る由もなかった。

 

「後方より新たに熱源を確認! ローラシア級です!」

「まさかこのタイミングで伏兵を出してくるか!? 索敵、何故気づかなかった!」

 

 イージス以外のGがいないことから伏兵の存在は早い段階で疑われていた。その為に索敵には事前に気をつけていたはずであるなのに、ナタルの手元に示されたデータでは容易に接近を許している。看過できることではなかった。

 

「エンジンを切って慣性で近づいてきたものと思われます」

 

 トノムラの推測混じりの報告にナタルとマリューは同時に答えに辿り着いた。

 

「以前のこっちと同じ手を使ったのね。やられた」

 

 苦渋を噛み締めるように奥歯を軋り合わせるマリュー。

 件のローラシア級はヘリオポリスから脱出したアークエンジェルがアルテミス要塞に辿り着くために取った、最初の噴射だけで艦の動力を全て切った慣性飛行によるサイレントランニング。その戦術をやり返される羽目になろうとは予想もしていなかった。

 

「ローラシア級よりモビルスーツ発進! 数は5機!」

 

 ザフトはマリューらの後悔も悔しさも汲み取ってはくれない。この時に勝負を決めんとばかりにローラシア級からモビルスーツが出て来た。真っ直ぐにアークエンジェルに向かってくる。

 

「熱紋照合…………ジン3、シグー2。ですが、5機ともデータ照合値にばらつきあり」

「改修型か新しい装備をつけているのだ。各自、油断するな! フラガ大尉らを呼び戻せ!」

 

 5機がアークエンジェルに向かってくるのを見たナタルが管制を務めるミリアリアに叫んだ。こちらに向かってくる敵モビルスーツの距離を計り、次いでローラシア級の位置を確認する。

 

「左回頭、ローエングリン発射準備! 先制で敵戦艦を叩く!」

 

 母艦を撃墜されれば艦載機は動揺せざるをえない。どれだけ優れたパイロットであろうとも一瞬の動揺はあるはずだと考えたナタルは先制攻撃の口火を切ろうとした。流石は新造戦艦に選ばれただけあって即座に反応したクルーがローエングリンの発射体制を整える。

 

「敵モビルスーツ散開!」

「構わん撃て!」

「ローエングリーン発射!」

 

 ローエングリーンの発射シークエンスの許可はマリューにしか出せない。撃つタイミングまではナタルが整えて最後の号令はマリューが発した。

 事前に散開されていたこともあって敵モビルスーツに被害はない。せめてローラシア級の足を止めるだけの被害を与えられたらと望まれた陽電子砲が直進する。

 

「駄目です! 躱されました!」

「ちっ、敵モビルスーツが来ている。目標を敵モビルスーツに変更。だが、ローラシア級の挙動は見逃すな」

 

 あわよくばと願ったがそれほど現実は優しくはなかった。敵戦艦に注意は払いつつも味方が戻ってくるまで敵モビルスーツの相手をする為に標的変更の指示を出す。モビルスーツと戦艦の両方を一緒に相手どれるほどクルーは艦に習熟しておらず、敵の戦艦の方も巻き添えを危惧して攻撃はしてこないだろうとの読みがあった。

 

「ミサイル発射管13番から18番! 撃て!」

 

 ナタルの失策を挙げるとすれば、この敵モビルスーツの性能とパイロットの腕を読み違えたことにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突如としてアークエンジェルの背後から現れたローラシア級ツィーグラー。全くの奇襲から吐き出されたモビルスーツは全部で5機。その全てが愚かな罠に嵌ったアークエンジェルに襲い掛かる。

 アークエンジェルとして座してやられるわけがない。ありったけの火器で応戦する。

 

「凄い火力だな。現行の戦艦じゃ最強じゃないか」

「ハイネさん、真面目にやって下さい」

「へいへい」

 

 アサルトシュラウド装備を纏ったパーソナルカラーのオレンジ色に塗装されたシグーを駆るハイネ・ヴェステンフルスの動きは華麗にして流麗だ。

 シグーディープアームズを動かしているシホ・ハーネンフースも言葉ほど注意しているわけではなく、普段のやり取りをすることで実戦の緊張を解す一種のプロセスだった。

 

「さて、怖い奴が来る前に沈めてしまうか!」

 

 シグーアサルトが雨霰と降り注ぐ迎撃を掻い潜り、近くにあった75mm対空自動バルカン砲塔システムであるイーゲルシュテルンを重斬刀で切り裂く。

 爆発に巻き込まれないように距離を取り、他の砲塔から撃たれる銃弾を躱す。

 

「そうしましょう!」

 

 ハイネ程には操縦技術に習熟していないシホは大型の盾を構えたレストのジンに守られながら試製指向性熱エネルギー砲を撃った。

 シグーディープアームズの主兵装である試製指向性熱エネルギー砲は、地球連合が作ったGのビーム兵器よりも巨大でありながら威力で劣る。事前に散布されているアンチビーム爆雷の影響で大幅に減衰してしまったビームは、アークエンジェルの装甲に着弾するも目立った損傷は見受けられない。

 

「この調子でいい。続けろ。防御は気にしなくていい」

「はい!」

 

 間違えていたら間違えているとハッキリと言うレストに認められたシホは絶対の安心感の中でビーム砲の冷却を待つ。

 レストのジンが持つ盾は現在のザフトの技術で作られる最硬の物で、モビルスーツの全長をスッポリと隠すほどにデカい。どっしりと構えるレストの姿勢もあって不動の壁のようにシホを守ってくれる。これほど頼もしいことはない。

 

「大丈夫かい、シホ?」

 

 冷却を待っていたシホに通信が入る。それは技術試験小隊のもう一人の女性、ヒルダ・ハーケンのものだった。

 

「レスト隊長が守ってくれてますから平気です」

「隊長ならハイネよりかは百倍安心だね」

「おいおい、ヒルダ。その言い方はないんじゃないか?」

「油断は禁物だよ。甘えてないで自分でも気を付けな」

 

 背後に巨大なリフターを背負ってジンに乗るヒルダが果敢にアークエンジェルに攻撃を仕掛ける。甘えを見透かされているようでシホは唾を飲み込んだ。雑な扱いに文句を言ったハイネを華麗にスルーしているところは笑った。

 ジンハイマニューバと別方面の改良をとして考案された外部装着型リフターを装備しているのがヒルダの乗るモビルスーツの特徴だった。大気圏内用のサブフライトシステムとして運用される『グゥル』をモデルに、宇宙だけでなく地上でも使えるように開発され、宇宙では単純に推力と火力の強化に用いられる。

 今また、リフター下部に備え付けられたレール砲を撃って敵戦艦に損耗を与えている。

 

「ミハイル、あんたも何か言ってやんな」

「私はオペ通りに進めば文句はない」

 

 手術用の手袋を模した「ゴッドハンド」のマークが入った、ジンハイマニューバの改修型であるジンハイマニューバ改に乗るミハイル・コーストが興味なさそうに言った。

 

「ドクターって本当に他人に興味ないよな。変えた方がいいぜ、そういう性格。なによりも女にモテない」

 

 流石に見過ごせなかったハイネが攻撃の合間にミハイルに通信を入れた。

 

「女などどうでもいい。私は患部を処理するだけだ!」

 

 ハイネに合わせて動きながらミサイル発射管を潰したミハイルの口元には笑みがあった。

 相変わらずのミハイルにハイネとヒルダは揃って溜息を吐いた。シホは困ったように苦笑いを浮かべている。レストは変わらずの鉄面皮であった。

 ミハイル・コーストがザフトのエースパイロットであることは間違いない。

 ザフトに入隊する前は医師をやっていて、基本的に他人を信じない冷淡な厭世家であり、社会や政治的な事情にはまるで興味がなく、常に自身の興味を満たす事を最優先に行動する。医学の道を志したのも人道的見地からでは無く、純粋に人体への好奇心からである。

 作戦を「オペ」と称し、戦局の流れを病の進行に見立てながら、的確且つ迅速に患部である敵の中枢を見つけだし処理する。このことから、医師をやっていたこととも相まって、敵軍だけではなく仲間達からも「ドクター」の異名で怖れられている。

 

「お前達、お喋りはここまでだ」

 

 レストの言葉に三人の空気が変わった。遅れてシホも空気が変わったことに気づき、レーダーに映る敵機反応に顔を引き締めた。

 

「来ました!」

「散開!」

 

 シホの叫びとレストの注意喚起と同時に放たれたビームが一瞬早く動いたザフト機の中間を通って行く。

 

「情報にあった緑のやつです」

 

 ゴクリ、とミゲル・アイマンを始めとして歴戦のザフト兵を次々と屠って来た怖い奴と認識しているシホは唾を飲み込んだ。

 母艦の救援に来たのだろう。ストライクが付けているストライカーパックに似た情報にない装備があるのが見えた。予想よりも早い帰還速度は、その装備にあると元が技術者であるシホは自分で驚くほど冷静に判断する。

 

「私が行く。同型と思わしきのと因縁があるのでな」

「あ、ズルいぞドクター。話を聞いてからやりたくて仕方なかったんだ。俺も混ぜろ」

「好きにしろ」

 

 新星で緑色のフレームをしたモビルスーツの同型機と思われる機体と交戦したミハイルがジンハイマニューバ改を駆って真っ先に敵に向かって行った。同じ戦場に立っていながら遭遇しなかったハイネが遅れて続く。

 

「私達はどうしますか?」

 

 後に続くべきかと判断を問うヒルダと同じ気持ちだったシホはレスト機を見た。

 

「敵戦艦の相手はツィーグラーがする。先にモビルスーツを仕留める」

「「了解」」

 

 敵戦艦の火力の半分は沈黙しており、これならばツィーグラーでも相手に出来ると判断したレストに従ってシホとヒルダもハイネ達の後を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミリアリアの泣き混じりの帰艦要請に急いでアークエンジェルの近くまでジェットストライカーの推力で戻って来たグリーンフレームに乗るユイは、前から2機のモビルスーツが向かってくるのを確認した。

 

「新型? 違う。既存の改修型」

 

 先行しているのはジンハイマニューバの、後ろのはシグーに追加装備をしたタイプだと当たりをつけたユイはまだ互いの射程外であることを利用してエネルギーの残量を確認する。

 

「残り半分。出来れば戻って補給したいところ」

 

 だが、そんな余裕は欠片もないとユイにも分かっている。

 強化ビームライフルは一発で三発分の威力があるだけあって、その分だけエネルギーの消耗が激しい。気にして使っていたつもりだが他にもエネルギーを食うジェットストライカーを使っているのもあって通常よりも減りが早い。

 

「最悪、戦場で換装する必要あり」

 

 混沌とするであろう戦場では出来ればしたくないという感情を声に僅かに滲ませ、後少しで互いの射程外に入るというところでセンサーが更に三機のモビルスーツの存在を教えてくれた。

 姿を確認するよりも早く、ユイは強化ビームライフルを撃った。

 牽制と回避動作から乗っているパイロットの腕・モビルスーツの能力を計る試金石になればいいと放った一射は、2機には惚れ惚れとするほど簡単に避けられた。

 

「強敵。あの2機を倒すのはG4機を相手にするよりも厄介」

 

 ユイの直感だった。先の戦闘でG3機とジンアサルトに囲まれた時以上のプレッシャーと絶望感が背中に伸し掛かって来る。

 

「それでも、やる」

 

 アークエンジェルにはミスズが乗っているのだ。彼女が乗っている艦を前にして、ユイ・アマカワの辞書に後退や撤退の二文字はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦闘中に避難民が集まる居住区に向かっていたサイとフレイは、ブリッジを出て暫くしてから近くで何かが爆発したように揺れる廊下で悪戦苦闘していた。断続的に発生する振動で真っ直ぐ進めない。例え無理に進めたとしても今までにない艦の揺れに委縮してしまっているフレイでは強硬策も取れない。

 

「フレイ……」

 

 ブリッジで何度も戦闘を見て来て皮肉にも慣れてしまったサイは怯え震えている少女を愛おしいと思うも、ただならぬ揺れ方と振動をする艦に戦況の悪化を感じ取っていた。

 

(こんなことならインカムを外すんじゃなかった)

 

 インカムをつけていれば最低限の情報は得られるはずだった。ついフレイがブリッジに現れたことに動揺してインカムを外してしまったことに後悔する。

 どう戦っているのか分からないこのような気持ちを避難民は感じていたのかと今更ながらに思い至りながらも、サイ・アーガイルは怯える少女に気の利いた言葉の一つもかけてやれない己を恥じた。

 

「あの子……キラは?」

 

 震えているばかりの少女が発した予想外の人物の名にサイは一瞬だけ呆けた。

 

「あの子は何やってるの!?」

「頑張って戦ってるよ。でも、向こうにもイージスが居るし、中々」

 

 婚約者の少女が縋るような気持ちを向けたのが傍にいる自分ではなくモビルスーツで戦っているキラであることに鬱屈した感情が起き上がったのを感じて、フレイから目を逸らしたサイは何かに対して言い訳するような言葉で濁した。

 

「でも! 大丈夫だって言ったのよ! あの子、僕達も行くから大丈夫だって!」

 

 父親と自分達の命がかかっている中で振り回される少女は金切り声で叫ぶ。その瞬間、はっきりとサイはキラに嫉妬した。年下の友達が命を賭けて戦っていることを知っている。アルテミスから逃げ出してからストライクの調整とシュミレータをやり込んでいることもまた。

 生き残る為に全力を尽くしている友達に、サイはキラのようにモビルスーツに乗って戦えないことに嫉妬した。

 

「大丈夫だから、ね? お父さんの船は、きっと大丈夫だから」

「…うっ…うっ…」

 

 胸元に縋りついてくる少女をあやしながらもサイの心は空虚だった。

 サイにはどうやっても気休めの言葉を繰り返すしか出来ることはなく、反対にキラはモビルスーツを駆ってフレイの望みを叶えることが出来る。キラに男として負けていると思い込んだサイは少女を安心させることも出来ない己に絶望した。

 

「嫌ぁ! 私は! 離して! 離してったらぁ!! うっ……」

「フレイ!」

 

 また艦が激震に揺れる。何度目かも分からない振動にフレイが恐慌を来たして暴れるのを押さえつけながらサイの中には強烈な衝動が湧き上がった。何歳も年下の小娘に振り回され、同じく年下の小僧に嫉妬する我が身の情けなさが相乗して、フレイを殴りつけたいとすら思った。

 叩くために腕が降り上げられた。しかし、その手が振り下ろされることはなかった。

 

「歌?」

 

 通路の向こうから歌声が聞こえた。サイのささくれ立った心を癒す優しい歌声。どんどんと近づいて来る歌声は声量が増しているのではなく、単純に距離が近づいているからだ。

 ほどなくして声の主の姿が見えた。

 

「こら、ラクス! こんな非常時に歌ってないで自分で歩きなさい!」

 

 歌声とは別の声がピシャリと間に入り、白衣を着たくすんだ金髪の女性が後ろ手に豊かなピンク髪の少女を引っ張って近くの通路から現れた。

 

「あら、博士が焦ってらっしゃるから緊張を解してあげようと思いましたのに」

 

 ぷんぷんですわ、などと手を引っ張られながら進むラクス・クラインは叱責するミスズ・アマカワにこんな非常時でなければ魅力的に映る仕草で憤る。

 

「あんたが食事を提供してくれたコックにお礼を言ってからなんて無茶を言うから焦ってるって分かりなさい!」

「そう言いつつも食堂に連れてってくれた博士は優しい人ですわ」

 

 片手でラクスの腕を引き、もう片手にチャックが締め切らず紙の書類が見え隠れする明らかに積載過多のバックを持って進むミスズは怒髪天をついた。

 

「礼を言うまでは梃子でも動かないって言ったのはラクスでしょうが!」

「美味しいご飯を作って下さった方々に一言お礼を伝えずに離れるなんて、そんな失礼なことは出来ません。それに時間がかかったのは博士が荷物を纏めるのに手間取ったからではありませんか。昔から片付けが下手なのは変わりありませんわね」

 

 本当に急いでいるのか、と目の前をギャーギャーと言い合いながら通って行っく二人を見て思ったサイは、突如としてフレイが手を振り切って走り出した。目の前を通り過ぎた二人に向かって。

 

「フレイ!?」

 

 サイが静止する間もなく二人に追いついたフレイはラクスの手を掴んだ。

 振り返ったコーディネイターの呑気な顔に一瞬で怒りが沸点を超えたフレイの瞳は狂気にも似て荒れ狂っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イージスをなんとか抑え込んでいるキラにミリアリアの悲痛な声が届いたのは、グリーンフレームやメビウス・ゼロがアークエンジェルへと向かってからそれほど時は経っていない。

 

『キラ! キラ!』

 

 キラの技量でイージスを抑え込むのは生半可なことではない。キラが相手だからアスランが本来の技量を発揮できず、ビームライフルを失っていてようやく出来ているのだ。

 

「……うぅ……」

 

 そんな中で突然鳴り響いたミリアリアの甲高い声に重い疲労を感じていたキラの反応が遅れた。

 一定距離から近づかせないようにしていたイージスが両腕のクローを発振源とする特有のビームサーベルを発現させて目の前に現れた。

 

「うわぁああああ!」

 

 恐慌に陥りながらも咄嗟にビームライフルを捨ててビームサーベルを取り出せたのは、ずっと行っていたシュミレータでの訓練の成果だった。

 間一髪というところでビームサーベルにビームサーベルを当てることで被弾することを防いだストライクと、攻撃をしているイージスが拮抗する。だが、この近接距離ではイージスの方が武装は豊富だった。

 

『ここで!』

 

 接触回線からアスランの声が聞こえる前に、シュミレータで戦ったイージスがどんな武装を持っているかを知っているキラはストライクを動かしていた。

 四肢の全てのビームサーベルを出して攻撃しようとしたイージスの挙動よりも早く、ストライクがその腹部を膝で蹴り抜く。まさかの攻撃に反応が遅れたイージスへ向けてシールドを叩きつけた。

 離れていくイージスから大慌てで距離を取り、運良く漂っていたビームライフルを見つけてビームサーベルを直しながら掴む。

 視線の先ではイージスが人間で言うなら口惜しそうな雰囲気でストライクを見ている。手に持つビームライフルを構えるとパッと距離を取り、狙いをつけられないように機体を振る。

 キラもまたストライクを動かし、イージスから付かず離れずの距離で牽制する。

 

(何時までこんなことを続けるの?)

 

 アスランと戦う理由などないはずなのに戦っている自分に疑問を感じながらも、疲れた頭はそれ以上の思考を許さず、ただ戦う戦闘機械となる。だが、そんな状態は長くは続かなかった。

 

『キラ、戻って! ユイさんとフラガ大尉が!』

 

 半分どころか8割ぐらい泣いている声が通信先から聞こえてキラの意識は、ふっと現実に戻るように平常に戻った。

 肉体は変わらずイージスを牽制している。それを有難いと思う思考すら働かず、モニターの端っこに小さく戦っているユイのグリーンフレームとムウのメビウス・ゼロが見えた。

 

「こんな近くに!?」

 

 どうやら場所は比較的にアークエンジェルに近いようだった。これはアークエンジェルが敵モビルスーツに追い込まれ、今また敵戦艦に攻撃を受けて少しでも逃げようとしているからのようだった。

 

「ユイさん! フラガ大尉!」

 

 イージスと戦っているキラが思わず状況を忘れてしまうほど、ユイとムウは圧倒的に攻め込まれていた。

 ムウのメビウス・ゼロはガンバレルの2基目を失い、ユイのグリーンフレームのは甲に銃弾の跡がいくつも見受けられた。

 直接的に攻撃をしているのはシグーアサルトとジンハイマニューバ改、機動力のあるジンリフターが二人の連携の穴を埋めながら高い機動力を以て牽制する。遠距離からはシホのシグーディープアームズのビーム砲が襲い、彼女の機体を狙おうとユイがビームを向けてもレストの盾が防ぐ。

 

『敵が強い』

『駄目だ、持ち堪えられねぇ! これじゃ立つ瀬ないでしょ、俺はぁ!』

 

 通信が繋がったユイの声には普段の無感情の声が偽物と思えるほど焦燥に満ち溢れ、ムウはもっと直接的に言葉で表現していた。

 キラは即座に救援に向かうべきだと判断する。

 

【パパの艦、やられたりしないわよね!?】

 

 動きかけた時、パイロットスーツに着替えてモビルスーツデッキに向かっている時に通路でフレイに言われた言葉が脳裏をフラッシュバックした。

 ストライクに乗り込んだ時にサイからフレイの父親が先遣隊の船に乗っていることを聞き、自分が大丈夫だと言ったことを思い出す。急いでいたから相手の欲しがっている言葉を焦って口にした負債の支払いを求められる。

 

「くっ」

 

 キラが迷っている間に現実は進行している。

 せめて包囲網から抜け出そうとユイ機とムウ機が示し合わせたように別々の方向に向かう。だが、ユイ機の前に動きを読んでいたレスト機が現れ、その強硬な盾で強かにグリーンフレームを打ち据え、追い打ちをかけるようにジンハイマニューバ改の試製27mm機甲突撃銃とシグーアサルトの重突撃機銃が襲う。

 だが、これでメビウス・ゼロの方には残っているシグーディープアームズしか残っていないから突破できるはずだった。

 ストライクのコクピットにビービーと新たな接近警報が鳴り響く。

 

「今度は何!?」

 

 イージスの牽制を忘れないように行いながらも更なる敵の襲来にキラは叫んだ。

 直ぐに敵の姿は知れた。ツィーグラーから発進したその機体は真っ直ぐにメビウス・ゼロを目指していたから。

 

「ムウさん!」

 

 基本はシグーながらも背部に円盤のような物を背負った機体が包囲網から抜け出したメビウス・ゼロに近づいているのを見て、背筋に走った悪寒に急かされるようにキラはムウの名を呼んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 手負いという表現が正しいメビウス・ゼロに接近するクルーゼは己が策がこうも容易く成ったことに笑みを浮かべずにはいられなかった。

 

「先の作戦では私も些か思うところがあって必勝を期す作戦を立てたが、こうも容易いとは。今回は役者が良すぎたか。これだけの兵が揃って沈められなければ私は無能の烙印を押されてしまう」

 

 メスタ・アニュー・ラコーニと優秀なパイロットを三人も失ったがクルーゼの中では想定内の犠牲である。ハイネ・レスト・ヒルダ・ミハイルの四人の力は予想以上に高く、逆に簡単に作戦通りに上手く生き過ぎて肩透かし感すら覚えている。

 被弾だらけの敵戦艦に敵モビルスーツ、宿敵のモビルアーマを見て呆気なさに笑いすら込み上げる。

 

「我らの決着がこんな戦いでつくとは呆気ない物だな、ムウ。だが、これも運命だ。貴様に出来て私に出来ぬはずがない。いい加減にまみえるのも飽きた。今度こそ仕留めさせてもらう……!」

 

 シグーの背中の円盤についている左側の突起が分離する。続いて右側も同じように分離して、ワイヤーのような物で繋がった突起が飢えた飢狼が獲物を見つけたようにメビウス・ゼロに襲い掛かる。

 

『これはガンバレルと同じ……!!』

 

 二人だけに伝わる繋がりからムウの驚愕が伝わって来る。

 ザフトがメビウス・ゼロのガンバレルを解析して作ったこの新兵装の原理はガンバレルと同じである。現在の所、ザフトの中で扱えるのは空間認識力のあるクルーゼのみ。プラント中で空間認識力が確認されているのは、この兵装の開発に関わったテストパイロットであるコートニー・ヒエロニムスだけ。

 

「自分が扱う兵器にやられて死ぬがいい!」

 

 ムウが得意とするガンバレルの技術で殺せるならまた良しとクルーゼは狂笑の中で判断し、既に瀕死のメビウス・ゼロに向けてザフト製ガンバレルの対装甲リニア弾を撃った。

 3撃まで回避してみせたムウであったが本場ガンバレルよりも小型化され、スラスターも強化されているザフト製ガンバレルを避け切ることは叶わなかった。反応速度は十分に間に合っている。どこから来るかもなんとなく分かる。なのに、機体がムウの操縦についてこれなかい。

 

『くそが……っ!』

 

 4撃目で被弾したガンバレルを切り離すも、5撃目で残ったガンバレルも撃ち抜かれてしまった。残すは本体のみ。

 クルーゼは最高の狂笑で躊躇いもなく残った本体を撃とうとした。

 

「!?」

 

 その一瞬前に、メビウス・ゼロ本体を撃ち抜こうとしたザフト製ガンバレルが逆にビームに焼き尽くされた。

 ユイが操るグリーンフレームの強化ビームライフルから放たれたビームだった。5機の猛攻を受けながらも僚機の状態を把握していたらしい。恐るべきパイロットの能力にラウの意識が切り替わる。

 

「君は何時も私の邪魔をしてくれる!」

 

 最も良い所を邪魔され、ヘリオポリスでも自機に傷を付けられた恨みがあったクルーゼは、最優先目標を既に継戦能力を著しく失っているメビウス・ゼロではなくユイのグリーンフレームに変更した。

 もう一機のザフト製ガンバレルをグリーンフレームに向けた瞬間だった。

 

「――っ!?」

 

 別の場所から放たれたビームが最後のザフト製ガンバレルを撃ち抜いた。

 

「また君か」

 

 そちらへ視線を向ければイージスの相手をしていたストライクが銃口を構えて向かって来ている。仲間の危機にいてもいられなくなったのだろう。だが、甘いとクルーゼは笑う。

 

「イージスから離れていいのかね? 君は助けに来た艦隊を見捨てたのだぞ」

 

 クルーゼが言った瞬間だった。ストライクの背後で連続して大きな爆発が起こったのは。

 片方はヴェサリウスに攻撃を受けていたロー。そしてもう一つは今まさにイージスのスキュラの攻撃を受けたモントゴメリの物だった。

 背後の爆発に驚いたように振り返りかけた中途半端な姿勢で硬直したストライク。

 

「隙だらけ、と言わせてもらおう」

 

 哂うクルーゼ。直後、シグーディープアームズから放たれたビームがストライクを直撃した。

 運良くビームシールドで守ることは出来たようだが完璧とはいかなかったようだ。腹部の横側、人間で言えば横っ腹に当たる場所。他のGを実際に見ているクルーゼは被弾近くにコクピットがあることを知っている。

 被弾してからピクリとも動かないストライクを眺めながらクルーゼは重突撃機銃を向けた。その銃口を遮るようにモビルアーマー形態になったイージスが割り込んでくる。

 

『隊長!』

「分かっている。ストライクに対して、これ以上の追撃はしない。必要もないだろうしな」

 

 必死なアスランの姿をモニターに眺めて直ぐに切る。溜飲は既に下がっている。

 機体を動かして、推進部を破壊されたのかストライクと同じように動かないメビウス・ゼロを見て、更に掃討の段階に映っているグリーンフレームとアークエンジェルのボロボロさを見て、あまりの呆気ない幕切れに鼻を鳴らした。

 

「ここまでのようだな、ムウ・ラ・フラガ」

『ラウ・ル・クルーゼ……!』

 

 仇敵の最後の声を聞いておこうと、浮遊しているメビウス・ゼロに手を近づけて接触回線を繋げながら末期直前の声を聞いて少しの溜飲が晴れる想いだった。

 

「さらばだ」

 

 コクピットと思しき場所に重突撃機銃を押し当て、引き金を引こうとした。

 

『―――――――――ザフト軍に告げます。こちらはオーブ避難民代表ミスズ・アマカワです』

 

 だが、その引き金は突如として戦場全体に国際救難チャンネルを通して響き渡った声を前にして止まった。

 

『我らはヘリオポリス崩壊に際して緊急避難的に地球連合艦アークエンジェルに乗り込み、現在プラント最高評議会議長シーゲル・クラインの娘であるラクス・クラインを保護しています』

 

 戦場が凍った。比喩ではない。戦いをしていたザフト艦が攻撃を止め、突如として響き渡った通信にモビルスーツもまた困惑するように動きを止めている。

 

『ザフト軍の指揮官と話がしたい』

 

 戦いを引っ繰り返すジョーカーの札が切られた瞬間だった。クルーゼは歯をギシリと噛み締めすぎて自らの奥歯が砕ける音を聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブリッジの空気はまさに狩人達に追い詰められた獣のそれだった。この空気が今のアークエンジェルの状態を示している。

 

「左舷の弾幕が薄いぞ! 何をやっている!」

 

 5機のモビルスーツに言いようにあしらわれたアークエンジェルの相手は伏兵として現れたローラシア級にシフトしていた。負った損傷は大きく、単純な火器や機動力ならばローラシア級を上回るアークエンジェルは特に攻撃を受けて火器の殆どが損傷している左舷に回り込まれて劣勢に立たされていた。

 

「損傷が大きくてこれ以上は無理です!」

「無理でもやって見せろ! 死にたいのか!」

 

 ナタルの言いようは尤もであった。弱音を吐いている暇があったらやってみせろと檄を飛ばす。檄を飛ばされたクルー達もまた死にたくない一心で足掻き続ける。無駄であったとしてもだ。

 

「第6センサーアレイ被弾! ラミネート装甲内の温度上昇! これでは排熱追いつきません!」

 

 ローラシア級に備え付けれられている937mm2連装高エネルギー収束火線砲がアークエンジェルの左舷に被弾する。

 左舷は敵モビルスーツの攻撃が集中して火器の殆どが使用不能になっている。ローラシア級の指揮官は悪辣にも左舷に回り込んで攻撃を仕掛けて来るので、先ほどから一方的に攻撃を受けているような状態だった。

 

「回頭、面舵20!」

 

 振動に揺れるブリッジの中でマリューがノイマンに指示を出し、彼もまた優れた操舵士の腕で即座に反応するが多数の被弾によって艦の初動が遅い。

 初動が遅いから先手を取られ、攻撃を受けるから余計に動作が遅くなる悪循環が形成されていた。

 

「グリーンフレームとメビウス・ゼロが敵に囲まれています!」

 

 艦長席に袖架けを掴んで体を支えながらマリューが正面モニターを見れば、5機に振り回されているグリーンフレームとメビウス・ゼロの姿が映る。

 勇猛果敢だったグリーンフレームの姿はなく、あるのはジンハイマニューバに似た機体とシグーに追加装備をした機体に翻弄されて装甲に無残な傷を刻んだ姿だった。

 メビウス・ゼロも負けずにボロボロな姿だった。ノーマルのジンに背後にエイのようなバックパックを背負った機体に機動力で負けている。ガンバレルを2基失って機動力を半減させているとしても並みの相手に追い込まれるムウではない。敵パイロットもまたムウクラスのエースだった。

 

『艦長! 駄目だ! 離脱しなきゃ、こっちまでやられるぞ!』

「しかしこれでは何のために我々は!」

 

 懸命に回避行動を取り続けるメビウス・ゼロから届く悲痛な通信に、半ば意地になっていたマリューに聞き入れられることではなかった。そもそも既に逃げられる段階ではないことはマリューも気がついている。

 玉砕覚悟で突破するか、この場で耐え忍ぶか、どちらもリスキーである。ただ前者を選べば間違いなく先遣隊は全滅する。後者を選んでも上手くいく可能性は限りなく0に近い。どちらを選んでも生存の可能性は50%を切っていた。

 

『俺達のことはいいからアークエンジェルだけでも離脱しろ! その艦にはヘリオポリスの避難民が乗ってるんだぞ!』

 

 唐突に現実を突きつけられたように、ムウの活でマリューは頭の中で茹っていた熱が引いていくのを感じた。

 奥歯を砕けそうなほどに強く噛み締め、拳を血が出そうなほどに握り締める。

 ヘリオポリスが崩壊した時も、アルテミスから脱出した時も、何度も選択を迫られてきたがこの時ほど苦しむことはなかった。マリューはアークエンジェルを生かすために先遣隊を見捨てる決断を固めた。

 せめてストライクがフリーになって駆けつけてくれれば活路の一つも見いだせると考えたマリューは、モニターに映らないストライクの姿を探した。

 

「…………ストライクは?」

「イージスと交戦中!」

「呼び戻して」

「艦長、それは」

「命令よ。ストライクを戻してこの宙域を離脱します」

 

 振り絞るように出した苦渋の決断であった。

 ミリアリアが躊躇うように通信でキラに伝えると、モニターに映るストライクが目に見えて動揺するのが分かった。 最悪の場合は、戦闘部隊を囮にして逃げなければならない。友達の為に戦っている優しい少年をも殺すことになる。

 マリューは人の命を背負う本当の意味を今更ながらに思い知った。

 

「ローラシア級から更にモビルスーツ!」

「また!?」

 

 新たな敵モビルスーツの登場にマリューが苦虫を口一杯に詰め込まれたような苦い顔をする。

 これで最初のジンハイマニューバ3機とイージスと合わせれば、ザフトが投入したモビルスーツは10機に上る。艦載機がモビルスーツ2機とモビルアーマー1機のアークエンジェルに過剰戦力もいいところである。

 

「熱紋照合シグータイプと認定! メビウス・ゼロに向かっています!」

「大尉を援護して!」

「この状態ではできません! 先に本艦の方が沈められます!」

 

 ナタルの叫びの直後、直撃弾に船体が振動する。

 4基あるガンバレルの半分失って戦闘能力が半分に落ちているメビウス・ゼロを援護したくともローラシア級に攻撃を受けているアークエンジェルに余裕などありはしない。

 

「あのジャンク屋の赤いアストレイは出せないの!?」

「とっくの昔に彼らの母艦に戻って本艦を離れています! 今からでは間に合いませんよ! 仮に戻って来てもモビルスーツ一機でどうにかなる状況ではありません」

 

 微細な振動を繰り返す艦長席に座りながらマリューは必死に状況を打開する策を考えるが、既に状況が半ば詰みに入っていて戦闘指揮官としては凡百以下であると思っている彼女の頭ではどうしようもなかった。

 状況の閉塞感を思考と視界を狭め、ブリッジの扉が開いたことに気づくのが遅れた。

 再びの乱入者に最初に気づいたのはまたしてもカズィだった。彼はアークエンジェルが沈む可能性を考え、一人でも逃げる算段を考えていたのである。

 結局は考えていただけで仲間もいるので実行に移せないのがカズィ・バスカークという少年であったが、さりげなく何時でも動けるようにしてブリッジのドアに意識を割いているのだから諦めきれていないらしい。

 そんなわけで再度の乱入者の登場に気づいたカズィだったが予想外の付き添いに目を丸くした。

 

「あ…」

 

 カズィの声に反応して何人かがつられてブリッジのドアを見て同じように驚愕した。そんな彼らの視線の先でフレイが戸惑い顔のラクスの二の腕を掴みながら進む。おまけでラクスに掴まれたミスズを連れて。

 ラクスとおまけのミスズを連れたフレイは目の端に涙を滲ませながら只事ではない雰囲気で口を開いた。

 

「この子を殺すわ!」

 

 少女の発した言葉にブリッジの空気が戦場であるにも関わらず凍った。

 フレイはクルー達の視線にすらも頓着しない精神状態で更に言い募る。

 

「パパの船を撃ったら、この子を殺すって! あいつらに言って!」

 

 遅れてブリッジに入ったサイが止めるのを躊躇するほどの、肉親を守りたいと願う正気と狂気の狭間で揺れ動く心が迸られた叫びだった。

 

「そう言ってええぇぇぇ!!」

 

 気持ちの上では誰であっても理解できる叫びは既に遅すぎた。

 ストライクがイージスから離れ、今にも落とされようとしていたグリーンフレームを助けた直後だった。遮る物のいなくなったイージスはローと共にヴェサリウスと艦隊戦を行っていたモンゴメリに肉薄してモビルアーマーに変形した。

 イージスがスキュラを放つのとヴェサリウスが主砲が同時に火を吹き、モントゴメリとローを深々と貫いた。

 

「あっ!!」

 

 二つの艦は一瞬の停滞の後、盛大な爆発の花を咲かせた。爆発の閃光はブリッジを真っ白に染め、全てが終わった後には嘗ては艦の残骸が無惨にも漂う光景を映し出す。

 マリューの目は自然と残骸の中に漂っているかもしれない救命ポットを探した。

 

――――――――――「早く事務次官を救命ポットに連れて行け! いいな、一刻も早くこの宙域から離れろ! これは命令だ!」――――――――――

 

 コープマンは通信の中で部下に向けてそう言っていたので、もしかしたらフレイの父親だけでも逃げ延びているのではないかと期待したのだ。だが、現実はどこまでも無情でしかない。探すまでも無く漂う残骸の中にあるわけがないと悟ってしまった。

 艦が爆発する前に救命ポットが射出されてはいなかったし、直前に射出されたとしても巻き込まれている。艦の防衛に当たっていたメビウスも爆発に巻き込まれたようで動く物は無い。先遣隊に生き残りがいるとは思えなかった。

 

「いやぁぁ――――っ!」

 

 戦闘の最中に起こった悲鳴に艦長であるマリューはフレイがいる方向へと振り返ってしまった。

 

「ぁ…ぁ…あっ!」

 

 ジョージの姿を先の通信で見てしまったフレイは、爆発した艦の中に父親がいたことを知っている。生存が絶望であるとブリッジの反応から直感的に感じ取ってしまったフレイは現実を受け入れられなくて、サイの腕の中で子供のように手足を動かしている。その目はブリッジもそこにいる者も戦場すらも見てはいない。

 

「フレイ……」

 

 緩慢に暴れるフレイの名を呼んだサイは、しかし何も言えず、さりとて腕の中の少女を抱きしめることも出来ずに支えることしか出来なかった。

 

「ああ…ぁぁ…ぁぁ…あ、あぁ…………」

 

 父親を目の前で失って狂乱する少女を、ラクスはミスズに捕まりながら目を見開いて見つめた。戦争によって家族を失われたその瞬間に居合わせ、少女の家族を奪ったのが自分の住む場所の住人だという残酷な現実を突きつけられる。ミスズは怯え震えているラクスの肩を抱き、同じようにフレイを痛ましげに見つめた。

 

「ストライクが被弾!」

 

 戦場にあるまじき空気が流れるブリッジを掻き乱した凶報だった。

 皆と同じようにフレイを見ていたマリューがビクリと反応して前を向いた時、モニターに映るストライクは人間で言えば横腹に当たる場所に被弾してそこからスパークが起きていた。

 

「キラ! 応答して、キラ!」

 

 ストライクはピクリとも動かない。コクピットの近くに被弾したからか、ミリアリアが呼びかけるが返って来る言葉は無い。

 虚しく呼びかける少女らしい声がマリューの胸を切り裂き、ブリッジクルーを絶望に沈める。

 更に状況は悪化し続ける。

 

「ヴェサリウスが転進! こちらに向かってきます!」

「イージスがストライクを捕獲!」

 

 先遣隊を仕留めたヴェサリウスがアークエンジェルに転進して、モビルアーマー形態に変形したイージスが被弾して動かないストライクを鉤爪のようなアームにガッチリと捕らえた。

 

「艦長!」

 

 ナタルはマリューに向けて叫んだ。これほど追い詰められた状況で一発逆転など普通はないがこの場においてだけ通用する策がある。だが、マリューは動かない。軍人としての正義か、人としての情か、多くの人間の命を背負う重圧か、ナタルには分からない苦渋をこの時のマリューは背負っていた。

 分かっていて動かないのか、分かっていないのか、ナタルには分からない。しかし、悠長に判断する時間は与えられてはいなかった。

 モニターの中では、最後に現れたシグーの新装備型がガンバレルを全て失って本体の推進器も破壊されて身動きが取れないメビウス・ゼロにゼロ距離で銃を突き付けている。グリーンフレームも5機に翻弄されて墜とされるのは時間の問題。ストライクは依然として動かないままイージスに連れて行かれようとしている。ローラシア級と艦隊戦をしているアークエンジェルもボロボロで、ここにヴェサリウスが加われば勝負は見えていた。

 人として間違っていると分かっていても艦にいる全ての者を護る為にナタルはシートを蹴ってCICから上階へ上がった。

 上階に上がったナタルはサイの腕の中でもがくフレイを、ミスズの腕の中で震えるラクスを見た。どちらもナタルよりも年下の少女だった。非日常の戦争なんて知らず、日常の陽だまりの中で過ごす当たり前の子供だった。この二人の少女達のどこに差があるのだろう。

 遺伝子が違うだけで同じ人間であるはずの自分達、ナチュラルとコーディネイター。キラやミスズ、そしてラクス・クライン。

 今までコーディネイターを実際に目にしたことのないナタルの目には、彼らがブルーコスモスが言うような宇宙の化け物とはとても思えなかった。その能力に思うところはあれど、悲劇に悲しみもすれば他人に優しくもする。彼らは人間だった。なのに、戦っている。分かっていても少女を利用することでしか生き残れない我が身の不実さをナタルは呪った。

 少女達を見たのは一瞬だった。その中でミスズとも視線があった。

 

「あなた……」

 

 小さなミスズの言葉に、視線が一瞬だけあったのに考えを読まれたと察したナタルは視線を直ぐに逸らした。これからすることを考えれば合わせていられるはずがなかった。

 目の前にいるカズィのインカムを無理矢理に奪い取って、周波数を全周波数に変更する。

 奪い取ったインカムを口に近づけて言葉を発しようとした時だった。

 

「私がやるわ」

 

 ラクスに掴まれたままのミスズがインカムを押さえつけていた。

 

「しかし」

「地球連合の少尉がやるよりは私の方が彼らも信じてくれる可能性が高いはずよ」

 

 一瞬でもその通りだと思ってしまったナタルの手からミスズはインカムを奪い取った。そしてラクスを見て「ごめんね」と微かに謝って前を向いた。

 

「ザフト軍に告げます。こちらはオーブ避難民代表ミスズ・アマカワです」

「博士!?」

 

 マリューが気付いて越権行為を咎めるように叫ぶが、全周波数で送られた通信は戦場全体に響き渡っていた。

 慌てて艦長席が立ちあがったが最早、止めることは出来ない。賽は放たれてしまった。

 

「我らはヘリオポリス崩壊に際して緊急避難的に地球連合艦アークエンジェルに乗り込み、現在プラント最高評議会議長シーゲル・クラインの娘であるラクス・クラインを保護しています」

 

 効果は絶大だった。攻撃をしていたザフト軍が凍り付いたように動きを止めた。

 

「ザフト軍の指揮官と話がしたい」

 

 余韻のように言葉がブリッジに響き渡る。

 モビルスーツも戦艦も戸惑うように宇宙空間を漂う。沈黙は長くは続かなかった。 

 

『こちらはザフト軍ラウ・ル・クルーゼ。ラクス嬢を保護したと言ったが確認したい』

「映像を映すわ」

 

 同じく全周波数でザフトから通信が入り、ナタルの目配せを受けたチャンドラが通信を繋げた。

 相互で通信が繋がったことで互いの姿が画面に映る。

 アークエンジェル側に映ったのは、コクピットと分かる場所でパイロットスーツも着ずに豊かな金髪を揺蕩わせた仮面の美丈夫だった。

 

『確かにラクス嬢のようだ』

 

 クルーゼは向こう側にも映る映像を見てラクスの存在を認めた。

 乗艦として有名なヴェサリウスの存在、Gが奪取されたヘリオポリスでムウが戦ったことからクルーゼが指揮官であることは噂されていたが本人が名乗ったことことで確定情報に代わった瞬間だった。

 

『それで話とは何か?』

 

 追い詰められた敵の予想外の反抗に気分を害したようにクルーゼは言葉鋭く切り込む。対してミスズは余裕の姿勢を崩さなかった。

 

「見ての通り、この艦にはラクスが乗っているわ。まさかプラントの歌姫を一緒に殺すなんて言わないわよね」

『そこにいるラクス嬢が本物であるという証拠はない』

 

 本物と認めたはずなのに疑りにかかるクルーゼの言いようにブリッジクルーの背筋が粟立った。

 

「まさか疑うの? もしも本物だったら大変なことになるわよ」

『見た目など如何様にも出来る。艦を墜とされないように非常手段として偽物を用意していたと言われた方が、ラクス嬢が地球連合の船に乗っているよりかは辻褄が合っている思うが? 私は敵の言うことを鵜呑みするほど愚鈍なつもりはない』

 

 正論ではあるが、クルーゼの言い方はどんな理由を並べようとも認める気がない頑迷さがあった。

 それも当然であろう。これほどの戦闘部隊をたった一隻の戦艦を沈めるのに動かし、貴重なはずのモビルスーツを三機も失いながらも戦局を圧倒的有利に進めて、後一押しというところで一発逆転をされては適わない。

 

「後でバレそうなことをわざわざやるはずがないじゃない」

『例えそこにいるのが本物だとしても、たった一人の少女の命の為に後々の禍根を見逃せるはずがない』

「それが最高評議会議長シーゲル・クラインの娘であってもかしら?」

『尚更と言わせてもらおう。プラント最高評議会議長の娘の身柄だ。ここで見逃そうと地球連合から身柄を引き換えにどのような要求をされるかわかったものではない。議長も娘の命とプラントの今後を天秤にかける愚かな真似をする御方ではない』

 

 二人の話し合いの結果によってアークエンジェルの命運がかかっている以上、艦長であるマリューですら言葉を差し挟むことは出来なかった。ここで余計な口を挟めば相手の攻撃の材料となり、ミスズが不利になるのはマリューにも分かるからこそ黙って見守るしかない。

 

「でも、プラントの歌姫とまで呼ばれているラクスを生きているのにあっさりと見捨てるのはマズいんじゃないかしら。この子のファンは多いらしいじゃない。プラントの未来の為ってお題目だけで救える可能性をみすみすと潰して世論が納得するかしら?」

 

 揺さぶりをかけるミスズに、画面の中のクルーゼは何を考えているのか分からない顔で冷笑していた。

 その顔を見たミスズは初めてクルーゼと会った時と同じく悪寒に襲われ、同時に本心に気づいた。

 

(ラクスを見捨てる気!?)

 

 クルーゼの冷笑から考えを読み取ったミスズは予想外の反応に思考が停止した。

 画面の中のクルーゼが決定的な言葉を紡ごうと口を開いたその時だった。

 

『待て、クルーゼ』

 

 クルーゼよりも低く、巌の如き硬さを伴った別の声が遮った。

 画面が真ん中で二分割されて、右側にクルーゼが、左側に今の声の主が映る。

 

「あんたは……!?」

『久しぶりだな』

 

 ミスズがパイロットスーツを着た壮年の男を見て驚き、逆に男は落ち着き払った仕草で頷いた。

 

『まさかこんな場所で会うとは思いもしなかった』

「…………こっちもね」

『何故、地球連合の戦艦などに乗っている? オーブに降りたのではなかったのか』

「話を聞いてなかったの? どこかの馬鹿な軍隊に襲われて緊急避難的に乗り込むしかなかったのよ」

『そうか』

 

 どんなにふざけても芯を揺るがさなかったミスズが壮年の男を前にして焦っている。歴戦の勇将であるクルーゼを相手にしても一歩も退かなかったミスズが気圧されている姿は付き合いの長いマリューには俄かに信じ難かった。

 

『レスト殿、彼女と知り合いのようだがどのような関係で?』

 

 クルーゼがこの通信を聞いている誰もが知りたいと願っている問いを発した。

 

『元妻だ』

「元旦那よ」

 

 問いに返って来た二人の返答はあまりにも予想外過ぎた。

 これにはクルーゼも予想していなかったようで画面の中で次の言葉を直ぐに発しなかった。

 

『こいつのことは良く知っている。ラクス嬢とは付き合いがあったこともな。こんな状況で嘘をつくような馬鹿をする女じゃない』

 

 レストは黙ったクルーゼを見て、まるで全軍に言い聞かせるように言った。

 このラクスがミスズにしがみつている映像は全周波数で発せられているのでモビルスーツにも艦にも届いている。ラクスの顔はプラントで知らない者はいないぐらいの有名人なのだから偽物だと思う者もいない。

 

『では、見逃せと?』

『そうは言わない。わざわざこんな通信を全周波数で流したのにはラクス嬢の存在を知らしめて戦闘を止めるためだ』

 

 そうだろう、と画面の中のレストがミスズに無言で語りかけていた。

 

「ええ」

 

 頷いたミスズはすっかりレストに話の主導権を握られたことに内心で苦い顔をしながらも決して表には出さなかった。元旦那であるレストという見知った相手が出てきたことは信用も信頼もおけないクルーゼよりは良いと思うことにする。

 コクピットの中で僅かに視線を左右に動かしたレストは、少しばかり考えるように思案して口を開いた。

 

『15分与える。その間に意見を纏めておけ』

「じゃあ、ストライクを離してもらえるかしら? 交渉は互いの信頼があってこそでしょ。誠意を見せてくれないと手が滑っちゃうわ」

 

 これ見よがしに雲の上で自分の身が他人に左右されようとして怯えているラクスの首に手をかけたミスズは笑う。

 

『いいだろう。それと、似合わない演技は止めておけ。下手過ぎて不自然過ぎる』

 

 それだけ言い残して一方的にレストは通信を切った。

 直後、大きな盾を持ったジンが反転離脱してローラシア級に向かうと次々と後続が続く。最後に動き出した背中に銅鑼のような物を背負ったシグーはイージスに近づいて説得したのか、少ししてストライクは解放された。2機はローラシア級に向かわずにヴェサリウスへと向かって行った。

 

「…………ふぅ」

 

 通信が切れて大きなため息を漏らしたミスズはラクスの首から手を離して、インカムを外した。

 ラクスに「ごめんね」と謝り、視線を艦長席から立ち上がってこちらを見ているマリューを見た。

 

「なんで、あんなことを!」

「逆に聞くけど、あの状況で他に事態を逆転する方法があったのかしら?」

「それは……」

 

 ミスズを問い詰めていたマリューは逆に問い返されて途端に勢いを失くした。

 ムウは被弾して自力航行すら出来ない。ユイは5機に翻弄されていて墜とされるのは時間の問題だった。キラは被弾してイージスに捕獲されていた。艦載機を失えば損傷の大きいアークエンジェルの状況は詰んでいる。

 他に手はないと分かってはいても生き残る為に民間人の少女を盾にすることに大義があるとは思えなかった。そんなことをして生き延びたいのかと思ってしまうのはそれだけマリューが情の深い人間なのだろう。

 

「博士の行動は正しいです」

 

 自分がやろうとしたことをミスズがしたナタルは感情で逆らうマリューを冷ややかに見つめた。

 

「民間人の女の子を利用するという軍人として最低の行いをしたことは解っています。ですが、あのまま戦闘を続けていたら本艦が沈められるのは時間の問題でした。よくても無事ではすまななかったことは艦長にも解らないはずがありません」

「っ! だけど!!」

 

 状況は完全に積んでいた。例えどんな神山智謀を持つ者でも何の材料もナシに覆すことは不可能だった。マリューも分かっている。だけど、感情は容易く解ってくれない。

 

「言いたいことは解ります。しかし、死んでしまってはどうにもならないんです。失礼ですが、艦長の判断を待っていては本艦は沈んでいました。博士が動かなければ我々はこの艦とストライクを送り届けるという任務の為に動いています。それを忘れないで下さい」

 

 どこまでも合理的に事を進めるナタルはこの場においては正しい。

 正しいからこそ耳障りに感じることが人にはある。この時のマリューがそうだった。

 

「…………判ってるいわ」

 

 納得できないのが感情論でしかないことを重々承知していても自然と口調が刺々しくなってしまったマリューを見つめて、ミスズは深い溜息を吐いた。情に厚すぎる艦長と合理的すぎる副長。足して二で割れば丁度良いのだろうが、この組み合わせだからこそ今まで生き延びて来られたのもまた事実。

 

「時間は15分しかないのよ。さぁ、どうするの?」

 

 モニターの向こうではボロボロのグリーンフレームが推進器が壊れて動けないメビウス・ゼロを抱えてストライクに近寄っていくところだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヴェサリウスに帰投したアスランは、何時また出撃があるか分からないのでパイロットスーツのままでブリッジに上がって来た。

 ブリッジの扉が開き、艦長席に座るアデスの隣に立つ豊かな金髪を流した白服の男を見たアスランの頭が沸騰した。

 

「隊長」

「早いな、アスラン。もっと時間がかかると思っていたよ」

 

 ヘルメットを外しただけのアスランよりも軍服のままで宇宙空間の戦闘に出ていたクルーゼは何時ものように薄らと笑う。

 先の戦いでビームライフルを失ったイージスに、プラントで製造したばかりの新品を扱えるようにマッチングしなければならなかったので10分近い時間がかかった。

 アスランと違って指揮官であるクルーゼはするべきことが多い。

 

「ラクスをどういうつもりですか?」

 

 戦闘を止めた全周波通信をイージスも受信していた。まさか行方不明のラクスがよりにもよってアークエンジェルにいるとは夢にも思っていなかった。

 どのような経緯にせよ、ラクスが生きているなら助けたい。

 

「さて」

 

 アスランの問いにクルーゼは明言はしなかった。

 通信で彼は最高評議会議長の娘であろうとも地球連合の新造戦艦とモビルスーツを秤にかければ前者は取らないと言っている。交渉は強気に出てこそだとしても、軍人としては権力者の子供だとしても小娘一人の命で後の命運を左右するかもしれない兵器を見逃しはしない。アスランにもそれぐらいの機微は読めた。読めてしまった自分を恥じた。

 アデスがフォローのつもりなのか、クルーゼに話を振る。

 

「このまま付いていったとて、ラクス様が向こうに居られれば、どうにもなりますまい」

「連中も月艦隊との合流を目指すだろうしな」

「しかし、みすみすこのままラクス様を艦隊には……」

「渡せないな。敵に塩を送るような馬鹿な真似をするわけにはいかない」

 

 二人の会話を遠い異世界の出来事のように見つめる。

 

「やれやれ、小娘一人の命に大騒ぎか」

 

 クルーゼがふと漏らした言葉は異様なほどブリッジに大きく響いた。

 花の中で無邪気にハロと戯れていることが似合う少女の身の行方が他人達の間で交わされる不思議。一年前の、三年前の戦争なんて知らない世界こそが現実なのだと思いもした。

 アスランの思索を遮ったのはオペレーターの声だった。

 

「ツィーグラーより通信が入っています」

 

 遅すぎるとはクルーゼは言わなかった。この男の内面は誰に読めない。

 

「繋げ」

 

 少しの後、モニターに鉄を連想させる壮年の男が映った。 

 モビルスーツ開発期からテストパイロットとして関わって来た生き字引にして、誰が言ったか「鉄人」との異名を持つレスト・レックスである。

 

『ラクス嬢をどうするか、そちらの意見を聞かせてもらいたい』

 

 通信が繋がって直ぐに返答を求める男の愚直さにも似た固さにクルーゼは内心で嗤った。

 

「見捨てる…………という選択肢が軍人ならば正しい。メスタ、アニュー、ラコーニ隊長を失ってまで得た好機をみすみす捨てるなど出来るはずがない」

『相手が重要人物であり、プラントの歌姫でなければ、か』

 

 モニターの中のレストは小さく息を吐いた。

 鉄人といえども一パイロットの領分は超えず、ことがプラント全体に波及する問題ともなれば専門外を言い訳にして下がっていられる状況ではなかった。

 

「議長らはともかく民衆は納得しますまい」

『厄介なことだ』

「見捨てるのは御法度。このまま見逃すのもまた。ここは攫われたお姫様を助ける為に王子様に頑張ってもらうか」

 

 クルーゼが珍しく洒落っ気を覗かせてアスランを見たが当の本人に答えられる言葉は無かった。やれと言われればやるし、その時は全力を尽くす。過程でキラも纏めて連れていければ完璧だった。

 話題を振ったクルーゼの中では現実的ではなかったのか、ラクス奪還の命令は出さなかった。

 

「それで、ミスズ・アマカワと言いましたか。レスト殿が結婚されていたとは知らなかった」

 

 これだけはなんでも知っていそうなクルーゼも心底驚いたのか、僅かな感嘆を覗かせた上司に傍から見ていたアスランも同じ気持ちを抱いた。レストは「鉄人」の異名通りの人間である。少なくとも出会ってからそれほど時が経っていなくて関わりが多くないアスランにとっては。

 通信で話していたくすんだ色の金髪の女性にも似たような印象を抱いたが、レストが他人と夫婦関係にあったというのがどうにも想像できない。二人が同じ家に住んで生活をしているビジョンがどうしても思い浮かばなかった。

 

『既に離婚している。あれは今のプラントのやり方を嫌ってオーブに移った』

 

 鉄面皮に少しの諦観を覗かせてレストは言い切る。その言い方にアスランは眉を顰めた。

 アスランの親はどちらかといえば仕事人間で、両親が共に過ごしている記憶は恐らく他の過程に比べれば少ないのだろう。それでも二人が共に過ごしている時はアスランが間に入るのを躊躇するほど馴染んでいる空気があった。離れていても互いを大切に想っているということが息子ながらも感じていた。

 先のレストの言い方では別れたといっても元妻がいるのに敵戦艦を沈めても仕方ないと諦めているようだった。クルーゼもアスランと同じ感じ方をしたようで、だが彼ほどには分かりやすい反応は見せずに口を開く。

 

「よろしいので? 場合によっては足つきと運命を共にすることになっても?」

『覚悟はしておろう。それにこの程度で終わる玉ならとっくの昔に死んでいる。心配などするだけ無駄だ』

 

 あまり表情を変えないレストが自信を込めてニヤリと笑った。

 別れても相手を理解し、信用しているのだなと分かる笑い方と言い様だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グリーンフレームに抱えられて帰投したメビウス・ゼロのコクピットから出たムウは、各モビルスーツがメンテナスヘッドに固定されて群がり始めた整備員達がノーマルスーツのヘルメットを被っていないのを見て空気が充填されたことを遅まきながら理解する。

 

「くそっ」

 

 億劫にヘルメットを脱ぎ捨て、水に濡れた犬が全身を振るうように顔を振って汗を弾き飛ばす。

 宙を漂いながら汗で張り付いて気持ち悪い前髪を煩わしげに感じながら、近くにいた整備員を捕まえた。

 

「おい、俺のゼロは何時までに直せる?」

「本体は推進器の損傷だけです。メビウスの互換パーツを付け替えればいいのでそう時間はかかりません。問題はガンバレルの方です」

「やっぱり替えがないと無理か」

「ガンバレルを扱えるのは地球連合でも大尉ぐらいです。この艦には予備なんてありませんよ。ヘリオポリスにあったやつで最後です」

 

 馴染みの整備員が暗い顔を浮かべた理由はムウには直ぐに分かった。

 メビウス・ゼロの固有武装ガンバレルを扱うには突出した空間認識能力が不可欠であり、軍内ではその素質を有するパイロットの存在は希有だった。よって人材確保の困難さからこの機体は少数生産に留まり、以後は一般兵士向けの量産機であるメビウスの生産に切り替えられた。

 ムウはメビウス・ゼロを扱える希少なパイロットの一人であったが故に少数生産に留まった弊害を身を以て知っている。これがムウの所属する第7艦隊であれば事前に発注して問題は無いのだが、アークエンジェルには所属していた仲間が全滅してから合流している。

 まだヘリオポリスの湾口にガンバレルの予備パーツが奇跡的に4基だけ残っていたが、それも先程の戦闘で破壊されてしまった。もうアークエンジェルにガンバレルはない。

 

「ないものは仕方ない。推進器だけでも取り換えておいてくれ」

「ガンバレルなしで戦うつもりですか? そんな無茶な!」

 

 ガンバレルのないメビウス・ゼロではメビウスにも劣りかねない。いくらムウが卓越したモビルアーマー乗りであっても無茶だった。

 

「やるしかないだろ、生き残るためには。これで終わったって訳じゃないからな。面倒かけるが整備を頼んだぞ」

 

 止めようとする整備員をガンバレルを失ってすっきりとしてしまった愛機の方へと流し、自分の吐いた言葉が先の全周波数通信で流されたミスズのことを非難出来ない我が身に返ってくることを知っているので悔しさに歯噛みした。

 

「情けねぇ。女の子を人質にしなくちゃ生き残れない程に俺達は弱い」

 

 歯噛みしたムウの視線の先で単純なボロボロぐらいでは段違いのグリーンフレームからユイが出て来た。

 ムウと同じようにヘルメットを煩わしげに脱ぎ捨て、汗を拭う。その顔を見てムウはギョッとした。

 頬が扱け、元から人形のように白かった顔色は死人のように青白い。

 

「大丈夫か、お嬢ちゃん」 

 

 漂うばかりのユイを捕まえて平気なはずがないと分かっているのに問うた。

 出撃する前と後では人相が違うユイに、それも仕方ないと思うほどの激戦を紙一重で潜り抜け、大人なのに他に何も言えないことにムウは情けなさを覚えた。

 

「私は大丈夫です。ですが……」

 

 あちこちの装甲に穴が開いたグリーンフレームを見ていたユイが視線を横にずらした。そこにいるのはコクピットが内側から開かないストライクだった。

 人間で言えば右脇腹に当たる部分に被弾して機械部分を剥き出しにしたストライクは単純な損傷でいえば最も少ない。だが、被弾がパイロットに影響しているのか、マードックが外部からコクピットを開いた。

 開いたコクピットに真っ先に体を突っ込んだマードックは、直ぐに出て来た。

 

「担架を持って来い! それと医者だ!」

 

 マードックの言葉よりも何よりも雄弁に、コクピットから出て来る赤い血の粒達がキラの状況を教えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブリッジに残ったミスズとは対照的にラクスはブリッジクルーの一人に連れられて元いた士官室に戻された。

 士官室に戻ったラクスは何をする気にもなれず、椅子に座ったまま項垂れていた。

 

「ハロ、ラクス。ゲンキダセ!」

 

 そんなラクスを見咎めたペットロボットのハロが床を跳ね回りながら機械音声で喋る。

 跳ね回るハロを捕まえて膝の上に置いたラクスは淡く笑う。

 

「私は大丈夫ですわ。それよりも。フレイ……さん? 彼女の方が心配ですわ。目の前でお父様を亡くされたのではお辛いでしょうね」

 

 ブリッジでの扱い。人質であったにも関わらず、ラクスが気にしたのは自身よりも泣き叫んでいた少女の方だった。

 

「オマエモナ!」

 

 ペットロボットであっても無音の部屋にいるよりかはずっといい。例えプログラムされたようにしか動かず、喋らないハロでも今ほどいてくれて助かった時は無かった。

 一人であっても孤独でないことは救いだった。

 

「本当に哀しい事ばかりですわね、戦争は」

 

 医務室に連れて行かれる少女の背中とブリッジでの泣き声が今もラクスの目と耳に残っている。

 分かったつもりになっていた。だが、実際の戦場で奪われた肉親を前にした少女を前にしてラクスは理解力が足りなかったことを認める。

 

「このような日が一日でも早く終わるように、祈ります」

 

 祈って何が変わるはずもない。だけど、今のラクスに出来ることはそれ以外にはなかった。でなければ堪えている涙が流れてしまう。

 ラクスに泣く資格はなかった。泣いてはいけないと思う気持ちだけがラクスを支えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何かに乗せられて運ばれているような感覚があって、もっと強い脇腹から走る痛みが全身を支配していた。

 

(痛い)

 

 キラの意識は現実と夢の狭間を漂っていた。痛みだけが夢に落ちかけるキラを現実に引き止めていた。 

 

「いやぁあああああああ!!」

 

 突如として耳に響いた甲高い少女の泣き声が狭間を漂っていたキラを現実へと帰還させた。

 

「フレイ?」

 

 その泣き声がフレイ・アルスターであると頭よりも先に理解した口が少女の名前を呟かせていた。

 憧れている少女が泣いている。止めないととキラは体を動かして担架から転げ落ちた。

 低重力下だから体重と重力がプラスして床に叩きつけられるなんてことはなく、ゆっくりと落ちていく体を担架を運んでいた誰かが掴んだ。

 

「あぐぅっ」

「馬鹿! 怪我してるのに動く奴があるか!」

 

 途端に脇腹に走る激痛に顔を上げれば、体を支えてくれているトールの顔が目に入った。

 途中の記憶がキラの中から完全に抜けていた。脇腹が痛い理由が分からなかった。

 

「僕は?」

「ストライクが被弾した時に壊れたモニターの破片で脇腹がイッたんだ。動くなよ。直ぐに医務室につくから」

 

 トールは痛みに顔を歪めるキラの血に濡れている脇腹に触れないように反対側の肩を支えながら、一緒に担架を運んでいた整備員に一言お礼を言って目と鼻の先の医務室へと目指す。このままなら担架に乗せて運ぶよりも速いと判断したためだ。

 

「傷自体は深くないってよ。俺が着いた時には血が一杯出てから死んでるかと思ったぞ」

 

 キラが自身の脇腹に視線を落せば脇腹に止血用のテープが張られていた。これだけの簡易的な治療ですんでいるのだから痛みはともかくトールの言うように傷は深くないのだろう。

 ようやくキラは自分が撃墜されたことを思い出した。被弾した時の衝撃で意識を失い、どうやってかは分からないがアークエンジェルに戻ってきたのを理解する。

 

「ごめん」

「謝んな。キラは精一杯やったよ」

 

 痛みではなく申し訳なさで目を伏せたキラをトールは懸命に励ました。だが、敵に親友のアスランがいてキラは本当に精一杯やったのかと疑念に駈られていた。

 本気で戦っていたつもりではあった。しかし、自分の決めた枠組みの中での全力であって形振り構わない全力であったのかキラ自身でも分からなかった。ただ一つ言えるのは、キラは自分の限界がどこにあるのかを知らない。そして今回の戦闘で限界には到達していないことだけは確かだった。

 医務室を前にしてキラは申し訳なさで一杯だった。

 

「嘘よ! そんなの嘘よ! ……嘘ぉぉ!!」

 

 医務室の扉が開いた瞬間、キラの胸を抉る少女の泣き叫ぶ声が響いた。

 視線を向ければ床に尻をついたサイの腕の中でフレイが泣き叫んでいるのが見えた。ドアが開いたことで彼女を宥める為に同性であり知り合いであるミリアリアも同行したのだろう、はっと振り向いてトールと彼に肩を抱えられているキラを見た。

 キラの目にはミリアリアの姿は入らなかった。赤く綺麗な髪が乱れるほど振り乱し、サイの胸に縋って泣くフレイの姿だけが視界を埋めていた。

 

「…………フレイ」

 

 先遣隊のどれかの艦にフレイの父親が乗っていたことは出撃前にサイに聞いている。

 撃墜された原因が先遣隊の艦の爆発なのだから、フレイの様子から父親が助からなかったのは容易に予想がついた。あの時、フレイとの約束や彼女の父親の命をアークエンジェルと天秤にかけて見捨てたことは事実。止むを得なかったとしても謝りたいとキラはフレイの名を口にした。

 声にサイの胸で泣きじゃくっていたフレイが入り口にいるキラを見た。一瞬、涙を浮かべた瞳がキラの脇腹に浮かぶ血の跡を見たが直ぐに別の感情に塗り替わる。

 

「嘘つきっ! 大丈夫って言ったじゃない! 僕達も行くから大丈夫だって!」

 

 キラは何も言い返さなかった。仕方ないとも、アークエンジェルを守るためだったと言い訳はしなかった。

 シュミレータでモビルスーツの扱いには習熟していたから生半可な相手には負けない自信があった。シュミレーションの中であってもノーマルのジンが相手なら勝率は6割を超えていた。ユイにも呑み込みがいいと言われた。己惚れはあったかもしれない。自分よりも遥かに強いユイや頼り甲斐のあるムウがいたことによる過信があったことは否定できない

 

「なんでパパの船を守ってくれなかったの!? なんであいつらをやっつけてくれなかったのよぉっっ!!」

 

 出撃前に呼び止めたフレイを安心させるために不用意にした約束がキラを縛り付ける。

 キラは守るつもりだった。途中までは上手くいっていた。だけど、父親を失った少女を前にすれば全ては言い訳だった。

 

「フレイ! キラだってこんな怪我までして必死に……」

 

 我を失って詰りつけるフレイを諌めようとミリアリアが間に入った。だが、フレイの目は間にいるミリアリアを除けてキラに詰め寄った。

 

「あんた……自分もコーディネイターだからって、本気で戦ってないんでしょう!!」

 

 胸元を掴んだフレイの言ってはいけない言葉にキラの世界から色が失っていった。

 コーディネイターだから戦わされているのに、みんなを守る為にアスランを敵に回してでも嫌々戦っているというのに誰も理解してくれない。心配してくれるトールやミリアリア、一緒に戦っているユイやムウがいるのに言葉として叩きつけられた感情はまるで艦の総意かのように感じさせてキラを蝕む。

 

「フレイ!」 

 

 それだけ入ってはならない禁断の言葉に、流石のサイもフレイを強引に引き剥がした。フレイの狂乱に押されていたトールがキラを医務室に引き込み、反対にフレイを抱えたサイが出て行く。

 すれ違うその時もフレイは憎悪と悲しみに満ちた目でキラを見ていた。

 

「パパを返してえぇぇぇぇっ!!」

 

 ドアが閉まってもまるで呪いのように何時までもフレイの叫びはキラの耳に響き続けた。

 暫くして、医務室の椅子に座ったキラはパイロットスーツを上半身だけ脱いで傷の治療を受けながら今に至るまでの経緯を聞いた。幸いにも傷は見た手の通り、そこまでは深くないが医者がいない現状では下手な治療はしない。消毒して医療用のテープを張り付けておくだけしか出来ない。

 手先が不器用なトールではなくミリアリアが治療を行い、終わってからトールが重い口を開いた。

 

「キラ、大丈夫か?」

 

 傷か、心か、キラは分かっていながらも動揺した。

 

「あ、ああ……大丈夫。仕方ないよ、約束は守れなかったんだから」

「キラの所為じゃない! それは解ってくれ。そうじゃないと俺たちも辛い」

「…………そうだね」

 

 言葉通り、当人よりも辛い顔をするトールにキラはなんとか頷いた。

 頷いたキラを見たミリアリアは言うか言うまいかと悩んだがやがて口を開いた。 

 

「フレイね、ブリッジにいたのよ。お父さんの船が沈む瞬間に」

「えっ?」

「ミリィ!」

 

 それを言うな、とばかりに声を張り上げたトールにミリアリアは体をビクつかせた。

 今は艦の誰もが消耗している。その中で彼氏とはいえ、体の大きなトールにあれだけ威嚇的な大声を出されれば誰であっても怯える。

 怯える少女を見てトールは自分も気が立っていることを自覚し、深く息を吐いた。言ってしまったこととはもう取り戻せない。トールは続きを話すことにした。

 

「ラクスさんを人質にとってブリッジに連れてきたのはフレイなんだ。それを見たバジルール少尉が動いたのを制してミスズさんがザフトと交渉して今は停戦してる」

「そんなことがあったんだ」

 

 心の中で様々な感情が入り混じり過ぎてキラの返事は淡泊だった。

 心底参っている様子のキラにトールは先を言うべきか迷った。だが、キラの心の中の荒れ狂いようをトールほどには察せられないミリアリアが言葉を継いでしまう。

 

「目の前でお父さんが死んだんじゃ、誰だって冷静でいられなくなるわ。あたしだって自分のお父さんが同じ目にあったら……」

「ミリアリア……」

「許してあげてとは言わないけど、彼女の気持ちも解ってあげて、キラ」

「うん……」

 

 頷く以外にキラに何が出来るだろう。視線を落したキラは自分は何でここにいるのだろうかと不思議に思った。こんな苦しい思いまでして戦ったのに誰も理解してくれないのに、と。

 

「キラ……」

 

 すっかり小さくなってしまったキラの肩をトールは何を言うべきか定まらないまま掴もうとした。

 トールの行動を遮るように医務室の扉が開いた。入り口にいたのは白衣のポケットに手を入れているミスズだった。

 

「どうしたの?」

 

 沈んだ空気を敏感に察したのだろう。問いかけて来るミスズをトールは真っ直ぐに見れなかった。 

 

「なんでもありません。キラの治療、お願いします」

 

 外部の接触に助かったと思ってしまった自分を殴りつけたいと思いながらも、結局は今のキラに何も出来ない無力さに歯痒さを感じていた。

 納得のいっていなさそうなミスズの横を通って医務室を出る。話し合いの最中で意見など出しようもないからブリッジを抜け出せただけで、あまり離れすぎるのはマズい。マリューもナタルも気が立っていたので怒られるのは勘弁である。

 

「くそ。なんて声をかけたらいいんだ」

 

 トールは廊下に出た少し歩いて立ち止まり壁を叩いた。死んだサンダースに無性に会いたいと思った。

 逆に医務室に入ったミスズは廊下に出たトールの様子がおかしいことに気がついたが、彼女にとってトールの存在はキラに付属しているその他程度の認識しかなく、故に数歩進んだ瞬間には自然と意識の外へと弾き出していた。

 

「傷を見せて」

 

 今大事なことはお気に入りのキラの傷の具合である。脇腹に貼ってある医療用テープを剥がし、一度着たパイロットスーツをミリアリアに手伝ってもらいながら脱いで傷の具合を確認する。

 

「綺麗にスッパリといってるわね。お蔭で治りも早いでしょ」

 

 言って、てきぱきと治療を施していく。

 本職ではないと以前に言っていたが本職顔負けの手際に、補助の必要もなく見ているだけのミリアリアや治療されているキラが見蕩れるほど。

 

「ミスズさんって本当は医者が本業じゃないんですか?」

「昔に取った杵柄ってやつよ。あくまで私は研究者だから。流石に本職には負けるわ」

 

 思わずキラは問いかけていたが質問されることに慣れているのかミスズは手際と同じく淀みなく話す。最後にミリアリアが巻いていた治療用のテープを張り付けて、あっという間に治療は終わった。

 

「よし、これでいいわ。動かしてみなさい」

 

 手際の良さと早さを見ていても完全な安心などできるものではない。とはいえ、一度は具合を確かめる為に動かさなければならない。

 痛みを覚悟して最初から腰を捻ってみる。

 

「痛くない?」

「そうなるように治療したんだから当然よ」

 

 ミスズは何気なく言うがそういうレベルではない。

 医務室に来る前には少し動かすだけで激痛が走ったのに、今は軽く動かした感じでは痛みは殆どない。流石に動かし過ぎると痛みが酷くなるが日常生活の中での行動ならば注意していれば問題のレベルだった。

 本職以上に医者をやれるのに勿体ないとは思うが、Gシリーズやアストレイシリーズ(アストレイシリーズの基礎設計は別の人がしたらしいが)を開発した研究者相手に言える言葉ではない。

 

「で、時間もないから本題に入ってもいいかしら」

 

 和やかだった空気が間に芯が入ったように固まった。

 避けていたわけではない。目を背けていたわけではない。向き合わなければならない現実と分かっていても直視できない時がある。キラにとってさっきまでがそうだった。

 

「…………お願いします」

 

 フレイに与えられた心の傷は呪いのように痛みを与え続けているが現実がキラを待ってくれるはずもない。

 圧倒的な優位にあったザフトを一時的に下がらせたといっても今後何があるのか予想もつかない。ラクスの処遇に関して何らかの話し合いがあったのは明々白々である。あの優しい少女が関わるならばキラは現実を直視しなければならなかった。

 ミスズは疲れたように息を吐きながらも口を開けた。

 

「ラクスは返すことに決まったわ。フラガ大尉のメビウス・ゼロは推進器が壊れただけだから取り換えが利くけど、予備のガンバレルがないから戦力はガタ落ち。ユイのグリーンフレームにしても損傷が酷くてなんとか動かせるってレベル。ストライクは当たり所が悪かったみたいで電装関係がイッてたから今回は見送りね。こんな状態だから今のアークエンジェルは、とても戦える状態ではないわ」

 

 平気そうに見えても思うところ、考えることが一杯あるのだろう。ミスズは心の準備を固めるように、そこで一つ息をついた。

 

「戦闘なんてとても無理だからラクスを渡すことを引き換えに逃げるってことですか」

「ナタルはあわよくばこのまま人質にして月艦隊と合流したかったみたいだけど、あちらさんもそれは承知の上のはず。その前に襲撃をかけてくるでしょうね。ラウ・ル・クルーゼという男はそんなにも生易しくないわ」

 

 見た目は普通の少女であるラクスを人質に身の安全を計ろうとしている自分達にミリアリアが反発しかけるが、少女の社会に擦れていない若さを見たミスズは笑うのみだった。

 

「良いところ出来るとしたら時間稼ぎぐらいでしょうね。それにしたって引き伸ばせたのは避難民達を戦闘停止したことを知らせて呼び戻しているジャンク屋組合の船に移して艦から遠ざける時間分だけ。一時間といったところかしら」

「…………じゃあ、どうするんですか? とても戦えない。戦っても勝てない。逃げることも出来ないこの状況で」

 

 ミスズの笑みを見て思案していたキラは答えを見い出せずに問うた言葉に返ってきたのは謎の笑みだった。

 

「神頼みでもしてみましょうか。いえ、この場合はラクス頼みと言った方がいいのかしら?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私が、でありますか?」

 

 ヴぇサリウスのブリッジで、何時出撃がかかるか分からないのでパイロットスーツのままのアスラン・ザラは当惑も露わに目の前の仮面の男に問い返した。

 

「ラクス嬢を迎えに行くのに婚約者の君以上の適任はいないだろう。相手がイージスをご使命なのだ。やってみせろよ、アスラン」

 

 地球連合の戦艦との通信はブリッジにいたアスランも聞いていたので命令に否はない。

 どうして聞き返したのかはアスラン自身にすら判然としなかった。

 

「武装を外して行き来分のエネルギーだけで来いとは、何かの策では?」

 

 ラクスの迎えにはイージスが指名されていた。スキュラのような機体から外せない武装は別としてビームライフルやビームサーベルといった取り外し可能な武装を除去し、ヴェサリウスから足つきまでの行き来が可能なエネルギーだけで来るようにとの条件で。

 アスランが疑うには十分な内容だった。

 

「最も大きな攻撃力を持つイージスを封じたいという思いがあるのだろうが今の奴らは死に体寸前の状態だ。策などない。例え策があったとしても我らには破る力がある」

「それはそうですが」

 

 侮りではなく、純然たる事実として彼我の戦力差は圧倒的である。

 誰がチェックメイト寸前の勝負に焦る必要があるのか。既に戦勝ムードのヴェサリウスのブリッジの空気に乗れないのは、足つきに親友と婚約者が乗っているアスランであるからこそだ。

 

「私もここまでの戦力を整えて足つきを落せないとなればこの白服を返上しなければならなくなる」

「では、足つきを見逃す気は無いと?」

「向こうはラクス嬢を返還するから見逃せと言っているが聞く道理はない。イージスがラクス嬢を乗せて足つきから離れてから勝負をつける」

 

 同じように聞いていたアデスの問いに、本国の評議員にラクスごと討っても良いかという許可を求めていた男は笑みすら浮かべて足掻く蟻を仕留めようとしている。

 非情ではなく軍人として当然の考えとしてクルーゼは動く。

 

(隊長はイージスが奪還されるとは考えないのか?)

 

 非武装のイージスだけで敵戦艦に乗り込めと言われたアスランは第一に疑ったのがそれだった。

 イージスは地球連合が開発したモビルスーツである。戦力が劣る足つきが猫の手も借りたい気持ちで奪還に動いてもおかしくはないと考えた。

 先の戦闘で緑のフレームをしたGに似たモビルスーツが大破に近い状況に陥っているので、イージスを奪還した後にそのパイロットが乗り換える可能性もある。これで戦闘可能かどうかは分からないが敵にはモビルアーマー一機とモビルスーツ二機になる。対してザフト側はモビルスーツ6機に戦艦二隻。

 単純に比較して戦力差は倍近いがラクスを人質に取られている状況でザフト兵がどれだけ敵戦艦に攻撃を加えられるか未知数である。それだけラクスは愛されている。

 だが、それでも作戦として動き出せば、この戦力差では結果は火を見るよりも明らかだ。

 

(もしかして隊長は俺やラクス諸共に沈める気か? この人なら、隊長なら必ずやる)

 

 もし、ラクスを奪還できずにイージスが奪取されたとしてもクルーゼは躊躇わないと確信がアスランの中にはあった。

 目の前の仮面の男は情やその場で感情で行動を誤ったりはしない。短いながらもクルーゼの指示の下で動いてきたアスランの直感である。

 

「ツィーグラーに打電。モビルスーツは事前に射出。敵に悟られないように火は入れずにカタパルトからの発進のみに留めろ。私も出る」

「隊長もですか? 仕留めるのはツィーグラーの隊に任せては」

 

 本来ならば艦にいて指揮しなければならないのに前線に出ると標榜した隊長にアデスは諦め気味に言った。

 

「獅子はウサギ一匹狩るにも全力を尽くすという。私も古語に習って見せよう」

 

 副官の苦労を知っても気にしないラウ・ル・クルーゼは今度こそ大物を仕留めようと意欲に燃えているのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一時間の後、アスランはイージスのコクピットに座っていた。

 

「ラクス、必ず助ける」

 

 心許なさ過ぎるエネルギーに不安は覚えてもやるべきことは決まっている。

 

「キラ……」

 

 これが親友を救える助けられる最後のチャンスかもしれないという思いもあった。

 敵の戦艦に非武装とはいえ、乗り込める機会など次もあるとは限らない。この機会を活かせればラクスと共に奪還できる。胸が躍らないはずがない。

 

「アスラン・ザラ、イージス出る!」

 

 勇ましく叫びながらもエネルギーが行き来分しかないので、節約の為に発進シークエンスは完全にヴェサリウス任せになってしまう。

 一瞬のGの後に真空の世界に投げ出されたイージスは単身で敵戦艦へと向けて飛び立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どういうことですか」

 

 ノーマルスーツを着込み、手に持つ拳銃の弾数を確認していたマリューは声をかけてきたキラを見た。

 

「ノーマルスーツかパイロットスーツに着替えなさい。危険よ」

 

 軍服に着替えているキラを見たマリューは質問に答えずに返した。

 キラの斜め後ろにいる桃色の髪の少女――――マリューの周りにいる小銃を持ったMP達を見て怯えるラクス・クラインを見ないようにして。

 目を逸らすマリューを見てキラは激昂した。

 

「なんでラクスはノーマルスーツを着たら駄目なのかって聞いてるんです!」

 

 モビルスーツのコクピットにノーマルスーツもなしに乗り込むということは本来なら危険が伴う。ラクスは無事にイージスに乗れたとしてもアークエンジェルを離れてから命の危険に脅かされるのだ。その危機感がザフトの行動を抑制するとしてラクスにノーマルスーツは与えられなかった。

 マリューは答えない。

 

「マリューさん!」

 

 再度の呼びかけに銃の点検に余念がなかったマリューが疲れたように息を吐いて顔を上げた。

 

「分かりなさい。これは命令よ」

「ラクスを返すんでしょ! そんな命令になんて」

「二度は言わないわ。従いなさい」

 

 手の持つ武器を誇示すようにキラに向けたマリューは、自分だって心底納得しているわけではないと感情を表情に覗かせていた。

 

「私だってこんなことをしたいわけじゃない。でも、仕方ないのよ。誰だって死にたくはないのだから」

「自分達が生きる為ならラクスは死んでも構わないって言いたいんですか」

「そうじゃない。そうじゃないのよ」

 

 伝わらない思い。伝えられない言葉。軍人だからこそ必要な事を行うことが出来るマリューらと、軍人の真似事をしていても気持ちに左右されてしまうキラでは行き違いが生まれてしまう。

 

「……………」

 

 何時もならここで仲裁に入るミスズは視線を向けただけで何も言わなかった。

 今までは軍人に理解のあるミスズがキラらの間に入って緩衝材の役目を担っていたが、彼女は彼女で今回の件で思うところがあるのかノーマルスーツのヘルメットの填め心地を直しているだけだった。

 

『イージス、着艦します』

「話はまた後でしましょう」

 

 ブリッジからの通信に耳を傾け、マリューはキラに背を向けた。

 キラはもっと言いたいことが山ほどあったがラクスが袖を引いたことで機会をなくしてしまった。

 

「ラクス」

「キラの気持ちは有難いのですが、これでいいのです」

 

 儚げに笑うラクスにキラはそれ以上は何も言えなかった。

 アークエンジェルの開かれたカタパルトデッキに降り立ったイージスが前進する。その背後では開かれていたカタパルトデッキが閉じられていく。

 モビルスーツデッキの真ん中辺りで立ち止まったイージスが辺りを睥睨するように顔を動かした。

 抜かれていた空気が充填され、人が呼吸できるようになったと機械が判断してキラの目の前の扉が開かれた。

 

「イージスだ」 

 

 モビルスーツデッキに通じる通路の扉が開かれ、フェイズシフト装甲を展開する電力も無く直立不動で立つイージスを見た誰かが言ったのを、MP達、そして高い白兵戦能力を持っているマリューに囲まれたキラは聞いた。

 周りに何人も人がいるので誰が言ったかは分からない。分かったところで意味はないと、イージスがコクピットハッチを開くのを見る。

 視線をずらせばユイが乗り込んだグリーンフレームがビームライフルをイージスに向けているし、ガンバレルを失ったメビウス・ゼロが対装甲リニアガンを向けている。キャットウォークや至る所から銃を持った整備員がノーマルスーツを着こんで隠れている。それだけイージスを警戒しているのだ。

 

「博士」

「ええ」

 

 艦長であるにも関わらず銃を持つマリューが顔を向けると、人の輪の中からミスズが歩み出て空を飛んだ。

 無重力なので一目散に床に落ちることもなく、イージスのコクピットへ向けて最初の慣性のままに飛んで行く。

 イージスのコクピットから出て来た赤いパイロットスーツに身を包んだアスランは向かってくるミスズに警戒したようだが、両手を上げて抗戦の意志はないと示したことで警戒しながらも取り付くのを許した。

 

「どうしてコクピットに?」

 

 時間がなくて詳しい経緯を聞けなかったキラは、銃を持ったMPに怯えるラクスの手を握りながらマリューに問いかけた。

 厳しい目でコクピットに入って行くミスズの後姿を見ていたマリューがキラの方へ顔だけを向けた。

 キラの隣にいるラクスが怯えている様にマリューは心持ち銃を少女から遠ざけながら目つきを和らげた。

 

「見た目で判断できる武装はともかく中身は分からないからアークエンジェルとデータリンクしてるのよ。博士にはその作業をしてもらっているの。Gの開発に関わって来た博士なら適任だから」

 

 まるで言い訳のようだと、キラはマリューが目を逸らすのを見て思った。

 Gの開発にはマリューやアークエンジェルに乗り込んでいる整備員も大なり小なり関わっているはずで、一歩間違えれば殺されかねない危険な役目をミスズがやる通りは無い。

 ミスズがこの役目を担わされたのは、コーディネイターだからか、モビルスーツの開発者だからか、元プラントの人間だからか、ラクスを人質にする発案者だからか。

 

「出て来た。キラ君も行くわよ」

 

 思案は長くは続かなかった。

 イージスのコクピットハッチからミスズが出て来て、OKサインを出してマリュー達がモビルスーツデッキに飛んで行く。

 

「ラクス、大丈夫?」

 

 後ろで見張るようにMPが銃を構えているのを意識して認識から外し、手を握る少女の様子を見る。

 

「大丈夫、です」

 

 ラクスは誰が見ても分かるほどに美しい顔を蒼褪めさせ、握る手は微かに震えていた。

 そうとしか返せない少女を哀れみ、そうとしか聞けない自分に憤りながらもキラは動くしなかった。一向に動こうとしないラクスに、後ろで不穏な気配を醸し出すMPに強硬策に出られるよりかはマシだと自分を納得させて少女の手を引っ張る。

 キラは自分が碌でもない男であるかのように感じた。

 

(欺瞞だ)

 

 キラは無重力に身を任せてモビルスーツデッキに降りながら唇を噛んだ。

 戦えないからラクスのお守をさせられているのに碌なことが出来やしない。降り立ったキラ達の周りには武装した地球連合の兵士。見据える先にはイージスのコクピットから出て降りて来たアスランとミスズ。この場にいる誰もがノーマルスーツを着ている。ラクスとキラを除いて。

 

(こんなにも怯える少女を利用してまで生きたいのか、僕達は)

 

 宇宙空間に出るのにノーマルスーツを着用しないのは自殺行為である。戦闘をして損傷を負いやすいモビルスーツのコクピットに入るのだから尚更。

 ミスズがイージスから離れ、地球連合の兵達がいるのとは別方向に離れていくのを見送ってキラは自嘲した。

 誰も死にたくなどない。生きたいに決まっている。その為に争い、他人の命を奪ってまで生き延びようとする欺瞞に満ちた生物が人間である。コーディネイターだナチュラルだとかは関係ない。

 

「ラクス!」 

 

 ラクスを確認したアスランが叫び、彼の存在を認めたラクスもまた安心したように体を震えを止めた。蒼褪めていた顔色にも僅かに赤みが戻ってきていた。

 自分には安心させてやれなかったのにアスランが容易く成し遂げたことにキラは少し傷ついた。だけど、それも仕方のないことだと心に整理をつけた。

 土台、会ってから一日程度しか経っていない自分と婚約者のアスランを比べる方が間違っている。三年前の時点でもアスランには頼り甲斐があった。きっと今なら頼もしい男になっているのだろうと自分を納得させた。

 納得させなければやっていられなかった。

 

「行って」

「でも」

「行って!」

 

 促しても行こうとしないラクスの背を押してアスランの方に流す。

 

「色々とありがとう、キラ」

 

 ラクスはキラには分からない感情で笑むと、押されるがままに無重力空間を流れて行った。その背中と桃色の髪を見送るしかなかったキラの胸を切なさが支配する。

 キラに背中を押されて流れたラクスは地球連合の兵の間を流れ、止める者もいないままイージスへと辿り着いてしまう。

 

「アスラン……」

 

 アスランに抱き留められたラクスの安心しきった顔をキラは見れなかった。もし見ていたらノーマルスーツも着せられずにこの場に連れて来られたラクスの現状にアスランが周りに憎しみの籠った目を向けたことにも気がついただろう。アスランのそんな目を見なかったことはキラにとって良かったのか悪かったのか。

 

「彼女を連れて早く行きなさい」

 

 キラが再び視線をイージスに戻したのは、マリューの氷のように冷たい声音だった。

 向けられた銃口は正確にラクスの背中に向けられていた。

 

「分かっている!」

 

 アカデミーで軍事教練を受けたアスランはマリューやMP達の狙いが自分ではなくラクスに向けられていることを感じ取っている。

 戦う力のない少女を人質にし、今も銃口を向けている。憤り、怒りを覚えながらもラクスを守ろうと体で銃の射線を遮った。こんな所には一秒でもいたくないとばかりにそのまま飛び上がろうとしたが、アスランは敵の姿を見据えようとするかのように周りを見た中である場所で視線を止めた。

 視線を止めた先にはキラがいた。ラクスと同じく、モビルスーツデッキの地球連合側でただ一人だけノーマルスーツを着ていないキラの姿が。

 

「キラ!」

 

 生身でかけられた二週間振りぐらいの声には色々な感情が込められていた。

 喜びであり、怒りであり、哀しみであり、その他にも感情が絡まり過ぎて他人には容易に察することは出来ない。きっと言った本人にも分からないのかもしれない。

 

「お前も一緒に来い!」

 

 名前を呼ばれたキラは地球連合の兵から見られながらも視線は、手を伸ばしてくるアスランだけを見ていた。

 今が分水嶺になると何故かそう感じた。

 

「コーディネイターのお前がこんなことをする地球軍にいる理由がどこにある!? 俺と一緒に来てくれ、キラ!」

 

 心が動かなかったといえば嘘になる。事実、足は僅かなれど動き、手も何かを求めるように上がりかけた。

 だが、キラはもう三年前とは違うのだ。

 

「キラ!」

 

 アスランではない声がキラの名前を呼ぶ。

 声の主を探せばノーマルスーツも着ずに艦内通路からモビルスーツデッキに出て来たカトウゼミの学生らがいた。声を発したのはトールだ。

 本当なら他の避難民と一緒にジャンク屋組合の船で避難しているはずの彼らがまだアークエンジェルに残っているのは考えるまでもない。キラの為だ。キラの為に彼らは隠れていたのだ。

 

「…………いけない。僕は一緒には行けない」

「キラ!?」

「僕だってアスランと戦いたくなんてない。でも、この艦には守らなきゃいけない人達が」

 

 胸が苦しい。息が出来ない。でも、キラは選ばなければならなかった。

 キラが撃墜したジンアサルトのパイロットの、父親を失ったフレイの、二人にかけられた呪いがキラをアークエンジェルに縛り付ける。

 

「友達がいるんだ!」

 

 キラは選んだ。アスランではなくトール達を。選ばざるをえなかった。正しいとか、間違っているとかではなく、この道を選ぶしかなかった。

 

「ならば、仕方ない……」

 

 キラの叫びを聞いたアスランは辛そうに眉を顰めて顔を誰にも見られないように伏せた。直ぐ傍にいるラクスからはアスランが泣いているように見えた。

 再び上げた顔は毅然としていた。

 

「次に会う時は、俺がお前を撃つ!」

「…………僕もだ」

 

 決別を告げる声は互いに震えていた。思ってもいない言葉であっても言わなければならないと互いの立場が認識させる。

 隔てる距離が遠い。立ちはだかる人が多い。障害がありすぎた。

 アスランは感傷を振り捨てるようにラクスを抱えて飛び上がった。反対にイージスのコクピットに完全に入り込むまでラクスはキラを見続けていた。

 距離を取った地球連合の兵の見ている中でメタリックグレーのままでイージスが動き出す。

 閉められていくハッチにイージスの姿が隠されていくのを見ていられなくてキラは目を伏せた。そのキラの肩をミスズが優しく抱く。

 

「ミスズさん」

 

 ミスズは何も言わなかった。ただそこにて、ノーマルスーツ越しでも分かる肉の感触がキラを孤独にはさせなかった。

 二人を置いて周りは動く。マリューは急いでブリッジに戻り、MPや整備員達も自分の仕事に戻る。

 周りが動き出す中で二人だけが静止していた。

 コーディネイターでありながらナチュラルの集団の中にいる異端者。二人は置いて行かれた者だった。異端であっても孤独でないことが今のキラの唯一の救いだった。それでも溢れ出した涙は止まらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『よくやった、アスラン。ラクス嬢を連れて帰投しろ』

 

 イージスが足つきから離れた直後、クルーゼからの通信が入った。

 十分に距離を取らされていたヴェサリウスとツィーグラーのエンジンが点火して噴射光が灯る。宇宙を漂う岩塊に火を消して隠れていたモビルスーツが出て来る。その光景を見たアスランは後ろを振り返りたい衝動を抑えるのに必死だった。

 イージスを操って、撃ってきた足つきの弾幕を躱しながら残りのエネルギーを確認する。

 Gの特徴の一つであるフェイズシフト装甲は展開できない。バーニアの類もギリギリしかないから余計な回避動作は取れない。それでも腕の中にいるラクスを守る為にやってみせるしかなかった。

 

『ヴェサリウスがそちらに向かっている。流れ弾に当たるなよ』

「分かってます」

 

 クルーゼが乗っているザフト製ガンバレル搭載型のシグーとすれ違った。

 

『ならいい。道中の守りはレスト殿がやってくれる』

『というわけだ』

 

 クルーゼ以外の通信が入るとモビルスーツ大の盾を構えたジンがイージスの背後に滑り込んだ。

 

「もうエネルギーが持ちません。お願いします」

 

 背中を守ってもらえる安心感を感じながらヴェサリウスとの距離を計って、これ以上の回避動作がエネルギー切れを守ることを認識させられる。

 

『任された。俺の背中につけ』

 

 言葉少なく答えたレストの言葉に従い、イージスを反転させてジンの背中に隠れる。

 そして視線をさっき自分が出て来た足つきに向ける余裕がようやく出て来た。

 

「叔父様?」

『その声はラクス嬢か。久方ぶりとなる』

「何をしているのですか! あの船には博士が、あなたの奥方が」

 

 クルーゼのザフト製ガンバレル搭載型シグー、ハイネのシグーアサルト、ミハイルのジンハイマニューバ改、シホのシグーディープアームズ、ヒルダのジンリフターの5機が鋭い牙を足つきに突き立てようと近づいていく。

 足つきが凄まじい火力で応戦しようとも、出撃したボロボロのGもどきとガンバレルのないメビウス・ゼロでは戦力に乏しい。

 小動物に群れる大型肉食獣のような図だった。

 

『あれも覚悟の上。軍人でない者が口を出せばこうなると判ろう』

「嘗てといっても夫婦であった者が言う言葉ですか!」

 

 先の戦闘での通信はアスランも聞いている。

 イージスのコクピットに乗り込んできた技師らしき女性がレストと別れたとはいえ夫婦であったことは、間近で見ても信じられるものではなかった。だが、今のアスランは普段は大人しいラクスの激情に駆られた姿にこそ驚いていた。何時もおっとりとしていて、穏やかに笑うラクスの姿しか見たことがなかったからだ。

 

『軍人が命令に従うのは当然のこと。命令がない限りは止めることなど出来ません』

「それは命令があれば止めるのですか?」

『…………』

 

 沈黙は肯定の証だった。モニターに映る光景では、最も機動力の高いヒルダのジンリフターが足つきに攻撃を仕掛けようとしていた。

 それを見たラクスは意を決したように体を乗り出して、通信機のスイッチを入れ変えた。

 

「そこのジンは攻撃を止めなさい! ザフト軍は攻撃を停止しなさい!」

 

 間髪を入れず、放たれたラクスの怒声にヒルダのジンリフターはその動きを止めた。

 足つきから射撃が放たれ、慌てたように回避する。その動きには明らかな戸惑いがあり、他のザフト軍の機体も同じだった。

 

『なんのつもりか、ラクス嬢』

 

 クルーゼがはっきりと怒っている声音で通信を繋いだ。

 

「止めて下さいと申しているのです! 追討慰霊団代表のわたくしのいる場所を戦場にするおつもりですか!? そんなことは許しません!」

 

 アスランであれば思わず平伏して謝ってしまう怒り様にラクスは勢いで全てを押してしまえとばかりに一気呵成に言い募る。

 

「直ぐに戦闘行動を中止して下さい! 聞こえませんか!?」

 

 歴戦の兵士であるクルーゼの怒りに触れて怖がっていないはずがない。無理な体勢で叫んでいるのもあって体を支える為にアスランのパイロットスーツの肩を掴んでいる。その手は震えていた。

 アスランにはラクスの気持ちが分からない。

 足つきが何があったのか、何が彼女を動かしているのか、分からなかった。

 

『…………了解しました、ラクス・クライン』

 

 暫くの沈黙の後、クルーゼの方が先に折れた。

 クルーゼは一度言った言葉を撤回する男ではない。足つきを包囲していたモビルスーツが転進する。

 それを見送ったアスランは夢でも見るように放心するしかなかった。

 

『良くやった』

 

 レストのジンがそれだけを告げてイージスの腕を取ってヴェサリウスに向かうのもアスランの意志によるところではなかった。

 

「これで良かったのですよね、これで」

「ラクス……。ありがとう」

 

 通信を切ったラクスが体を起こして満身創痍の様子で肩に頭を乗せてくる姿に哀れみと、キラが助かった喜びに突き動かされて少女の肩を支えた。その肩はザフトを動かしたものとは、クルーゼの意志を変えさせたとは思えないほど小さな肩だった。アスランが守られなければならない少女だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 九死に一生を得たアークエンジェルで、ミスズが深い溜息を吐いた。

 

「ラクスは上手くやってくれたようね」

 

 ミスズでは他にこの場を切り抜ける手段を思いつかなかった。博打に近い手段だったが上手くいったようだった。

 

「どうやったのですか、博士」

 

 何時もの士官室に戻って来たミスズに背後からユイが話しかけた。

 独断専行も過ぎて今まで以上に士官室から出られなくなったミスズに戦闘態勢が解除されたユイが会いに来たのだ。

 

「どうもこうもないわ。ラクスならザフトを動かせるってことと、動かしてくれないと私達が死ぬってことを言っただけよ」

 

 ユイはミスズの言葉を吟味して、理解しながらも表情を動かなさなかった。

 

「博士は最低です」

「――――分かってるわよ。よくね」

 

 ユイからは椅子に座ったミスズは背を向けていてどのような顔をしているのか分からなかった。ただ、傷ついているように感じて、嘗てミスズがユイにそうしてくれたように、後ろからその身体を抱きしめた。

 

「それでもあなたは私達を守ってくれました」

 

 耳元で囁くとミスズは体をピクリと震わせた。

 

「……ありがとう」

 

 小さく呟かれたミスズの感謝の言葉はしっとりと濡れていた。

 

 

 

 

 

 灯りのついていない部屋のベッドで暗い目をしたフレイ・アルスターがのっそりと身を起こした。

 

「許さない」

 

 俯いた口から漏れたのは普段の闊達とした少女にはありえない押し殺したような低い声だった。

 

「コーディネイターなんて、みんな死んじゃえばいいのよ」

 

 呟いたフレイの目には狂気と憎悪しかなかった。

 戦争によって父を失った少女は世界ではなく、コーディネイターを呪った。

 



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第12話 君は僕に似ている

 

 プラントと地球連合の戦争は、数で勝る地球連合軍をザフトはモビルスーツで圧倒した。地球連合側でもモビルスーツの有用性に目をつけた男がいた。士官であるデュエイン・ハルバートンである。

 彼は対モビルアーマーとして開発されたジンのカウンターとして、対ジンを想定としたモビルスーツの開発を提唱したのである。

 開発の上伸を却下されたり、開発に着手したものの先端技術の大半をプラントに依存していたので当然の如く難航した。その為、オーブ連合首長国の国営企業モルゲンレーテとの共同開発へと切り替えた。

 紆余曲折あったものの、モルゲンレーテの協力もあって開発は順調に進んで5機の機体がロールアウトした。だが、完成前にザフトがヘリオポリスを襲撃することも、味方のはずの連合の兵がスパイとして潜り込んでデータを盗んでいることも、神ならぬ人の身であるハルバートンには分かるはずもない。そして奪取されたGの技術がザフトのモビルスーツに影響を及ぼすことも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ~」

 

 プラントのマイウス市にある企業、マイウス・ミリタリー・インダストリー社のデスクで一人の男が黄昏ていた。デスクに伏せて盛大な溜息を漏らした四十を少し超えた男の近くにいた二十代の男が見咎めた。

 

「主任。仕事をして下さい」

 

 ピッチリとしたスーツ姿でパソコンのキーボードを打つ若い男は、四角い眼鏡をつけた神経質な見た目通りに注意する。

 若い男に注意を受けた主任は、ここ最近とみに後退著しい前髪を掻きながら体を起こす。

 

「そうは言ってもねぇ、ハインツ君。最近の仕事の量は異常だよ。もう一週間も家に帰れてないんだよ、僕は」

 

 主任はハインツに見せるように汚れた襟を見せるようにつまんだ。

 何日も家に帰れず、なんとか風呂だけは会社のシャワー室で賄えているが服まではそうはいかない。替えの服なんて用意していなかったから一週間も着続けているスーツは傍目にも分かるほど汚かった。

 

「私達だって似たようなものなのですから文句は無しです」

「君のと私のを比べて似たようなものと言われてもねぇ。私だけボロボロ過ぎない?」

「睡眠時間を削って身だしなみに気をつけてるんです。主任と比べないで下さい。私は単にこういう性格なだけです」

 

 パソコンのモニターだけを見ているハインツの服装は主任と比べるときっちりとし過ぎている。変わりに顔色だけは主任の何倍も悪いのは言う通り睡眠時間を削ってでも身だしなみに気をつけているのだろう。

 感心すればいいのか、もっと体調に気をつけろと言うべきか主任は迷った。

 

「主任は新型開発のトップなのですからしっかりとして下さい。でなければ、下の者に示しがつきません」

 

 じゃあお前がトップをやれよ、と主任は思わなくもなかったが口にはしなかった。

 肩請ったなぁ、と爺臭い台詞を言いながら腕を回して凝り固まった肩の筋肉を解し、文句の代わりに頬杖をついて深い深い溜息を出した。

 

「色々と計画に無理があるのよねぇ。まぁ、分かるけどさ。奪った連合の新型の性能がシグーどころか開発中の新型にも勝るっていうし」

「データを見せられた時は正に晴天の霹靂でした。特に小型のビーム兵器を実用化してくるとは」

 

 二週間ほど前に上層部から齎された情報に揃って仰天した過去を持つ二人は、疲れの滲んだ息を同時に吐き出した。

 

「あれからだよねぇ。上から奪った連合の新型を超える機体を作れってせっつかれたのは。連合は金と人材に物を言わせた少数生産の高性能高級機でしょ。こっちは量産型で性能を超えろって無理があるじゃん」

 

 しみじみとした様子で主任は言いながら、この二週間で現在進行形で続く苦行を思い返す。

 

「やれと言われたらやるしかありません」

「社畜の辛い所だよねぇ。お仕事万歳ぃ」

 

 弱々しく拳を突き上げる主任にハインツはクスリと笑った。

 ハインツも気持ちは主任と同じであるが性格的に文句を延々と垂れることは出来ない。こうやって主任の愚痴に付き合うことで彼は彼なりにストレス解消しているのだ。

 

「やっぱセレーネ女史が抜けた穴はきついかぁ」

 

 行儀悪く顎をデスクにつけた主任の呟きにハインツの四角い眼鏡が電灯の明かりに照らされてキラリと光った。

 

「聞き捨てなりませんね。彼女がいなくても計画にはなんの支障もありません」

 

 初めて仕事の手を止めてまで言い切ったハインツに、主任はニヤリと厭らしい笑みを浮かべた。

 

「相変わらず女史をライバル視してんのねぇ。それとも恋い慕う人がいなくなったことを気にしてんの?」

「な――っ!?」

「言わずとも私は解ってるよ、うん。いやぁ、ハインツ君が見た目の割に乙女な所があるってみんな知ってるさぁ」

 

 なぁ、と同意を求められた同僚達が揃いも揃って目を逸らした。

 ハインツがこの話題に触れられることを嫌っているのは周知に事実であり、つい3ヶ月ほど前に己が研究の為にプラントを去ったセレーネ・マクグリフを恋い慕っていたこともまた知られていた。

 一斉に目を逸らす同僚たちの反応で、恋心が皆に知られていることを知ったハインツの堪忍袋の緒が切れる前に主任は話題を逸らす。

 

「確かD.S.S.D技術開発センターに入ったって聞いたけど、彼女も頑張っているといいねぇ」

「!? な、なぜ彼女ほどの技術者がD.S.S.Dに?」

 

 かかった、と内心でほくそ笑んでいるだろう主任の内心を見透かした同僚達は苦笑しながらも仕事の手を休めない。話を聞きながらも仕事が出来るプロフェッショナル達であった。決して無駄なスキルなどと突っ込んではいけない。

 皆の注目を集めていることを自覚した主任は顔を起こして頬杖を聞く。意地でも仕事はしなかった。

 

「火星軌道よりも遠くの天体を目指すことが望みって聞いたことがあるよぉ。プラントに来たのだって技術力を吸収する為だって公言してたからねぇ。コーディネイターとナチュラルの争いには無関心だったから戦争と関わらなくて夢が叶えられるD.S.S.Dに行ったんでしょ、多分」

 

 主任は黒髪の1度決めた目標は最後までやり通さなければ気が済まない性格をした強い目をしたセレーネを思い出す。如何なる努力も惜しまなず、目的のために手段を選ばない側面を持って例え上司に対しても我を押し通す強気な性格は強く印象に残っていた。

 

「技術力を吸収する為って、よくプライドの塊みたいな連中の多いウチが受け入れましたね」

 

 ハインツの疑問はご尤もだった。プラントの人間はコーディネイターであるから己の能力に自信を持っており、総じてプライドが高い。その中でプラント外の人間が利用することを公言しておいてよく受け入れたなとハインツは疑問に思った。

 

「当時のここのトップ。つまりは僕の前任の主任が面白いって認めたのよぉ。盗めるものなら盗んで見せろって。最高評議会にも意見を通せる人が認めたんなら下は従うだけでしょぉ。まぁ、セレーネ女史が技術者として優秀だったてこともあったけど」

 

 そういえばあの人が連合の新型に協力していたんだなぁ、と主任は当時のことを軽く思い出してノスタルジーを感じつつ、現在の忙しさの何分の一かを担っている昔の上司を呪った。

 

「はぁ、凄い人だったんですね」

 

 最高評議会にも口を出せる人がどうして一企業の主任なんてやっていたのか謎ではあったが、話のスケールがプラント全体にまで広がってしまって頭が麻痺してしまっていた。

 

「そういえば君は僕の前任の主任に会ったことなかったねぇ。色々とスケールの大きい凄い人だよぉ。なんてたってヴイ君を採用したのもあの人だし」

「あの変人ヴァレリオ・ヴァレリをですか」

 

 色々と残念な年下の後輩を思い出して、前の主任にハインツは素直に関心した。

 自身ではハイセンスと思っているが服のセンスがネジ3本ぐらい外れていた、記録よりも記憶に残る男ヴァレリオ・ヴァレリ。セレーネがプラントを離れる少し前に辞めた男のことは、一年も共にいなかったのに強く印象に残っていた。

 

「ヴイ君は研究者としてはそれなりに優秀なんだけど、強いエリート意識とプライドを持ちすぎてるからよく周りと喧嘩になってたねぇ。あの人がいなくなって認めてくれる人がいなくなったって、自分の才能を高く買ってくれる場を求めてプラントを出ちゃってからどうしてるかなぁ?」

「どこかで馬鹿やってるでしょう。ああいう人種は世に憚るものです。忌々しいことに」

 

 本当に忌々しいとばかりに、一際強くキーボードを押すハインツに主任はカラカラと笑う。

 

「君ってヴイ君とソリ合わなかったよねぇ。彼と何時も喧嘩してたし」

「あのふざけた態度が気に食わないだけです。そういう主任は一緒に馬鹿やってましたね」

「僕は嫌いじゃないよ、彼の事。何よりも真面目に馬鹿なところは面白かったし。勿論、あの服のセンスは理解できなかったけどねぇ」

 

 呑気に言い切れる懐の深さに感銘を受ければいいのか、実はヴァレリオのことを虚仮にしていることを突っ込めばいいのか、ハインツはどっちつかずの顔をした。

 そしてふと気づく。ハインツが入社する前、主任の前の主任もこのような性格をしていたのではないかと。

 

「ちょっと催しちゃったからトイレに行ってくるよぉ。大きい方だから長くなるからねぇ」

 

 まさか主任になると性格が似て来るのか、もしくはそういう性格をしている者が主任に選ばれるのか、どうでもいいようで下で働くとなると気になってしまったハインツの隙を縫うように主任は足早に席を離れてしまった。

 一秒、二秒といなくなった主任の席を見つめること数秒。

 

「また逃げられた!?」

 

 二週間の間に7度目になる脱走に気づいたハインツは脱兎の如く逃げる主任の後を追いかけた。

 

「主任――――っっ!!」

「ここまでおいでぇだよ、ハインツ君」

 

 部屋の向こう、廊下側からどたんばたんと走り回る音と声に、同僚達はやれやれと微笑ましい笑みで見送って仕事に戻った。

 プラントは今日も平和であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カナード」

 

 開発したモビルスーツの為に改造した旧モビルアーマーデッキで、ザフトのジンと差別化を図る為に二つ目をした鋼鉄の巨人を見上げていたカナード・パルス特務兵は自分の名を呼ぶ副官メリオル・ピスティスの声に視線を下ろした。

 

「またここにいたのですか」

 

 メリオルの責めるわけではないが呆れているような声音に反論しかけたカナードだったが、口を開いたところでブリッジにいるかモビルスーツデッキにいるかのどちらかの可能性が高いことに気づいた。

 

「悪いか」

 

 つらつらと考えてみたが反論の材料が見つからなくてむっすりと口を閉じた。

 

「そういうわけではありませんが、指揮官が暇そうにしていては艦の士気に関わります」

「こいつの調整をしていただけだ。暇そうになどしていない」

「その様子では手は空いているようですが」

「まだ俺のところにまで回ってこないだけだ」

 

 この鋼鉄の巨人の特有の兵装をアルテミスで積み込み、整備員達が昼夜を徹して調整を行っている。パイロットであるカナードもしなければならないことがあるが、技術畑ではないので言うほどに多くは無い。

 腕を組んで駄々っ子のように自分の非を認めようとしないカナードに、メリオルは少し呆れながらも思ったよりも何時も通りで安心した。

 薄く笑うメリオルに気分を害した様子のカナードは眉の角度を目に見えて分かるほど上げた。

 

「俺が何をしていようとお前達に関係ないだろ」 

「あなたって人は自分のことを何も知らないのですね」

 

 他人に興味がなく、戦うことだけを生き甲斐としているカナードにメリオルはこっそりと溜息を漏らす。

 周りの意見や目を気にしないどころか無視しているのはモルモットとして育ってきたところに原因があるのはメリオルには良く解った。実際は圧倒的な戦闘能力と自信に塗れた姿は部下達にはカリスマとして見られているのが気づいていないらしい。

 コーディネイターであることを蔑視している者や僻んでいる者はメリオルの権限で他部署に飛ばしているので、戦えば必ず勝つカナードの評判はオルテュギア内で頗る高い。

 

「他人の評価など、どうでもいい」

 

 心底そう思っている口調のカナードにメリオルは再度の溜息を漏らした。意識改革は今後の課題としてカナードに習って二つ目をした人を模した巨人を見上げる。

 何をするでもなく黙って見上げると、カナードが瞳に暗い熱を灯しているのにメリオルは気付いた。

 

「…………報告は?」

「発見はまだとのことです」

 

 何を問われるかを先に推察していたのでメリオルの返事は早かった。

 本音を言えば答えるどころか目的地を変えてしまいところだが上官であるジェラード・ガルシアの命令は、まだ無視できない。

 

「アルテミスで月の本部へ向かう旨の発言をしていたとのことですから、状況から推測してどこかで補給をしているはずです。直に追いつけるはずです」

「そうか……。まだ本物には会えないか」

 

 本物と漏らしたカナードの言葉に、失敗作と罵られ続けて今に至る彼の過去を思えば何を言えるはずもない。

 劣等感や味わってきた痛みや絶望を糧にして生き続けてきたカナードが突如として現れた本物に敵愾心と憎悪を持つことは避け得ない現実だった。

 

「命令通りに捕まえるのですか?」

「まさか」

 

 ガルシアは自身が長を務める特務部隊Xに、最高のコーディネイターの完成体であるキラ・ヤマトとモビルスーツの生みの親であるミスズ・アマカワの捕獲命令を出している。命令を受領したオルテギュアは開発中だった新兵装を積み込み、捕獲対象が乗り込んでいるアークエンジェルの目的地である月へと先回りしようとしていたはず。なのに、実働部隊のリーダーであるカナードがその命令を鼻で笑った。

 

「成功体を、キラ・ヤマトを殺す。そうすれば俺が本物になれる」

「本物に?」

 

 カナードをずっと見てきたメリオルにはその理屈はどうしても理解しにくい物であった。だが、所詮は他人で、失敗作と罵られていたモルモット扱いされて辿ってきた今までを考えれば仕方のないことかもしれないと、メリオルは自分を納得させようとした。

 

「そうだ。俺を止めるか、メリオル?」

 

 または命令を無視して対象を殺そうとしているカナードを止める義務が副官でありガルシアが派遣したスパイでもあるメリオルにはある。そもそも強大な能力を持ち、プラントのコーディネイターと比べても遥かに強いカナードを御するために付けられた制御装置の役割として期待されているのがメリオルなのである。

 

「…………いいえ、止めません。私の忠誠は、その首の爆弾と制御装置を取り外した時からユーラシア連邦ではなく既にカナートに捧げていますから」

 

 忠誠を誓ったのは、正確には不屈の意志を持つ黄金の獣を前にした時からであるが言葉だけを見れば一目惚れのように聞こえてしまうので羞恥から嘘をついた。

 

「変な女だ」

 

 大昔の騎士が仕える主に剣を捧げるように頭を下げるメリオルを見下ろしたカナードは面白くなさそうに鼻を鳴らした。

 なんとなく、ハリボテになっている金属製の首輪に触れている自分を自覚して面白くないと感じていた。

 私生活では完全にメリオルに依存してしまっており、公の部分でもかなり頼ってしまっている。忠誠を疑うことはない。メリオルが副官になってから天国と地獄ほどの待遇の差で、もう今のカナードでは昔に戻れないほど生温い。出来る女であることは間違いないのに失敗作の御守を命じられてからおかしくなったが何か困ったことがあるわけではない。

 

「この艦の、ガルシアを抜いた特務部隊Xはカナードの手足同然です。好きに使って下さい」

「言われなくても使ってやる」 

 

 カナードは言って、メリオルから二つ目の巨人――――『ハイペリオン』と名付けられたモビルスーツを見る。

 ハイペリオンは「高い天を行く者」の意味を持つギリシア神話の神であるヒュペリーオーンに由来する。モルモットとして人扱いすらされなかったカナードが乗るには不釣り合いな機体であった。だが、とっくの昔に死んでいたと思っていた成功体が生きていて、キラ・ヤマトを殺すことが出来ればその名に恥じない人間になれるとカナードは信じていた。

 

「生き抜き、勝ち抜き、ここまで来た。待っていろよ。必ずお前に辿り着いてみせる、キラ・ヤマト」

 

 嗤うカナードと彼を心配そうに見るメリオルを、ハイペリオンが静かに見下ろしていた。暗く昏く静かに飢える獣は、やがて出会える獲物を確実仕留める為にその時を待つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アークエンジェルとの戦いから数時間が経過していた。ラクスを救出し、プラントに向かう彼女に会うためにアスラン・ザラはツィーグラーに来ていた。

 

「ん?」

「ハロ、ハロ、アスラーン」

「……おっ、ハロ」

 

 ラクスがいるという士官室の扉を開けたアスランは目の前に広がったピンクの物体に少し驚いたが慌てずに受け止め、それが自分がラクスにプレゼントしたペットロボットであるハロであることに気づいた。

 手の平の中で羽をばたつかせるハロをどけると、ようやく室内の様子が見えた。

 

「ハロがはしゃいでいますわ。久しぶりに貴方に会えて嬉しいみたい」

 

 室内にいる二人の内の一人であるラクスが椅子に座ったままゆるりと笑った。

 

「ハロにそんな感情のようなものはありませんよ」

 

 ラクスの護衛の為に部屋にいるヒルダ・ハーケンから何故か厳しい視線を向けられることに内心頭を捻りながらアスランは苦笑しつつ言った。

 ハロを作ったのはアスランである。どのような機能があって、どのような行動を取るのか大体わかる。製作者に会ったからといって喜ぶような感情がないことは百も承知の上だった。

 

「そう考えた方が夢があるではないですか」

「すみません」

 

 同意してくれないことに拗ねたように唇を少しだけ尖らせたラクスに、謝りながら手の平の中にいるハロを放した。

 アスランの下から離れたハロはそのままラクスの方へと流れて行く。

 

「あなたを作った人はいけずですわね」

「イケズ、アスランハイケズ!」

 

 受け止めたハロを顔の前にやったラクスは悪戯気に笑いながら言い、ハロが繰り返す。こうも繰り返されるとアスラン本人も自分がいけずのように感じるのだから不思議だった。

 ハロをラクスに渡した当初は簡単な単語を登録しているだけだったが二年近くを共にして随分といらない言葉を覚えたらしい。

 

「それで、どうかされましたのアスラン?」

 

 開戦前のことが随分と昔のことに思えて、懐古の念に駆られていたアスランを現実に戻したのは静かなラクスの声だった。

 

「あっ、いえ。あ、ご気分は如何かと思いまして。その、人質にされたりと、色々ありましたから」

 

 背後で自動で扉を閉まる音を聞きながら椅子に座るラクスの前へと足を進める。

 足つきから出て来た時にイージスのコクピットでの出来事。辛いことがあっただろうことは容易に察しがつき、慰める言葉をかける為に来たにも関わらず碌なことを言えない自分が憎かった。

 

「私は元気ですわ。あちらの船でも、貴方のお友達が良くしてくださいましたし」

 

 ラクスは笑顔だった、その笑顔が作り物であることは分かる。アイドルであり最高評議会議長の娘であるラクスは望まない笑顔を作ることがある。この時に浮かべている笑顔は正にそれだった。

 アスランにはラクスが泣いているように見える。辛くて苦しいのに笑いながら泣いているように見えた。

 

「そうですか、あいつは変わらないんですね」

 

 そんな言葉しか言えなかった。口下手なアスランにはラクスにかけられる言葉は少ない。行動に移すことしか出来ないアスランは部屋に別の人間がいると何も出来ない。

 

「あいつは馬鹿なんです。軍人じゃないって言ったくせに、きっと利用されてるだけなんだ。友達とかなんとか、あいつの両親はナチュラルだから!」

「戦いたくなんてないと仰っていましたわ。それでも護る為には戦わなければならないのだと自分を戒めておられました」

 

 一瞬の感情の暴発は、理解者がいてくれる安心感に絆される。

 

「キラ様はとても優しい方です。そして、とても強い方」

 

 頬に伸びて来たラクスの手をアスランは払わなかった。払えなかった。

 ラクスの慈しみに似た表情が三年前に失った母のそれと重なって、友に伸ばした手を振り払われたアスランが拒絶できるはずもなかった。

 

「辛いですわね。貴方もキラ様も」

 

 頬に触れた手が優しく稜線を撫でるように擦る。涙が出そうな温もりに泣かなかったのはアスランなりの男としての挟持だった。女性に、それも婚約者に慰められている時点で男としての挟持などあってないようなものだが泣くと泣かないとではやはり違う。

 

「情けないです、俺」

「そんなことはありませんわ。アスランは私を守ってくれたではありませんか」

 

 現状に対して言ったつもりのアスランだったがラクスは状況レベルで解釈しているようだった。

 慰められている状態への勘違いを正すべきかと考えたアスランだったが、頬を撫でる手の思いもよらない温かさに絆されてしまっていた。

 

「早く戦争が終わって二人がまた元の関係に戻れたらいいですわね」

「はい」

 

 何時かはキラと元通りの関係に戻れるだろうか。アスランはラクスの手に癒されながらその時が来ることを切に願った。

 

 

 

 

 

 頬を撫でる女と撫でられる男という甘々な雰囲気を撒き散らす二人と同じ部屋にいさせられる苦行を課せられたヒルダ・ハーケンは、厳しいを通り越して殺意すら込められた視線でアスランを見る。

 

「アスラン・ザラ」

 

 今まで興味もなかった男の一人であるアスランの名前と顔をヒルダは強烈な印象で覚えた。他ならない先の戦闘でヒルダの心を鷲掴みにしたラクス・クラインの婚約者として。

 今までヒルダは異性に興味がなかった。

 同性ならともかく異性では顔と名前が一致しないことも稀ではない。どちらか片方だけでも無理なことが多かった。

 ザフトは義勇軍の体を持っていても本質は軍隊となんら変わらず、やはり男の方が多く絶対的に相性の悪いヒルダはどこに行っても鼻つまみ者だった。パイロットとしてエース級であっても男と問題を起こしてばかりいたヒルダが技術試験小隊に厄介払いされたのはそのような経緯があった。

 ヒルダにとって幸いだったのは、技術試験小隊のメンバーが男であることを傘にきて女を下に置きたがる輩がいなかったことにある。

 隊長であるレスト・レックス然り、最近入って来たハイネ・ヴェステンフルスやミハイル・コーストもそういうタイプではなかった。ハイネが気安げに接してくることを鬱陶しいと感じつつも不快とまではいかないのは彼の人柄かもしれない。

 アカデミーを卒業して入隊したシホ・ハーネンフースもヒルダをイラつかせることなく、彼女にとって技術試験小隊は居心地の良い場所だった。

 

『そこのジンは攻撃を止めなさい! ザフト軍は攻撃を停止しなさい!』

 

 ヒルダにとってその戦闘は別段気になるものではなかった。何時ものように戦い、何時ものようにモビルスーツに乗って、何時ものように兵装の調査するだけ。

 プラントの歌姫が関わっていると知ってもヒルダは全く気にしていなかった。その覇気に満ちた声を聞くまでは。

 

『止めて下さいと申しているのです! 追討慰霊団代表のわたくしのいる場所を戦場にするおつもりですか!? そんなことは許しません!』

 

 正直に言えば、ヒルダは戦いを止めろと叫ぶラクスの声に射竦められた。

 多くの戦場を渡り歩いてきたヒルダが十数年しか生きていない小娘に射竦められたのだ。最高評議会議長の子供なんて苦労を知らなさそうな小娘にだ。

 

『直ぐに戦闘行動を中止して下さい! 聞こえませんか!?』

 

 心を射抜かれた。ラクスの声はヒルダを支配したに等しい。帰還してパイロットスーツを脱いだヒルダは自分の女の所が濡れていることに気づき、その思いを強くした。

 技術試験小隊がラクスをプラントに送り届けるがツィーグラーには女性士官がいないということでヒルダが護衛の任をレックスから与えられた時は天にも舞い上がるところだった。

 実際に会ってみれば満開の花のような美しさと愛らしさ。上に立つ者として自然な下の者への気配り。全てがヒルダを包み込んだ。

 

「ラクス様……」

 

 届かぬと知りながら想い人の名を呼ぶ。

 始めて想い、仕えたいと心底から思った人には婚約者が既にいた。間違っているのは自分と分かっていても運命を、婚約者であるアスランを憎まずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルテミス崩壊の折にアークエンジェルを見失ったガモフは月を目指していた。正確にいえばアークエンジェルが目指すだろう地球連合の基地がある月へだ。

 言っては何だが遭遇の可能性が低い希望的観測を多分に含んだ航海は意外な所から情報が齎された。

 ガモフでクルーゼ隊に所属する3人の赤服が通路を進む。

 

「ラクス様が見つかってよかったですね」

 

 数日前にヴェサリウスから伝えられたラクス・クラインの生存報告にニコル・アマルフィは顔を綻ばせた。

 

「地球軍に捕まってたらしいがな」

「無事に奪還したんだ。イザークも喜べって」

 

 素直になれない男筆頭のイザーク・ジュールの肩を叩いたのはディアッカ・エルスマンである。

 ラクス・クラインが行方不明になったとの情報が入った時、ガモフもまた動揺した。ラクスはプラントで知らない者がいない程に有名人で、誰からも愛される歌姫なのだ。気にならないわけがない。

 彼女の生存が確認され、プラントへと向かっているという報告はガモフの船員を沸かした。地球連合の船にいたのを奪還したと知れた時はもっと。なのに、イザークの機嫌が優れないのには理由があった。

 

「いい加減に機嫌を直せって。アスランが戦功を立てたからって不機嫌になられちゃこっちが堪らんぜ」

「うるさい。俺の勝手だ」

「そう言うなら何時までも不貞腐れないで下さい」

 

 子供みたいに不機嫌を隠そうともしないイザークに年下のニコルが苦言を呈す。ラクスを奪還したのがイザークがライバル視しているアスラン・ザラであり、彼が先の戦闘でモビルアーマー6機と戦艦2隻を撃墜したことを気にしているのだ。

 イザークもラクス奪還の報が届いた時には喜んだがアスランの戦果を聞くとこの通り。赤服で同期であり、同じ隊のディアッカとニコルにはいらない迷惑である。

 この状態が数日も続いていれば飄々としているディアッカでも疲れる。

 

「そんな戦功を上げたいもんかねぇ」

 

 分かっていながらディアッカは煽るように呟いた。

 

「馬鹿者! 俺はアスランが気にくわんだけだ!」

 

 煽られていると分かりながらも叫んでしまうのがイザークの長所でもあり欠点でもあった。

 

「先に行っているぞ!」

 

 台詞通り、大いに気にくわないと気勢を露わにしたイザークが進むスピードを上げて、一人でさっさと進んでいく。

 

「相変わらずってか。アスランには敵意剥き出しだな、イザークは」

 

 イザークよりもアスランの方が一歳年下で、父親は国防委員長。アカデミーの総合成績では後一歩及ばなかった。更に婚約者はラクス・クラインと来ている。 母親が評議員でイザークも十分にエリートなのだがアスランはその上を行っている。

 僻みもあるのだろうが、立場はディアッカも似ているのだからイザーク自身の負けず嫌いが大きい原因なのだろう。

 

「アカデミー時代ですからね」

「卒業後も変わんねぇよ。チェスで負けた乗馬で負けたって、勝負で負ける度に部屋の壁を叩くんだぞ。今度こそ叩きのめして思い上って取り澄ました面をクチャクチャにしてやるって息込んでは、負ける度に癇癪起こして同室の俺がどんだけ迷惑したことか。あいつの負けず嫌いだけはほとほと呆れ果てる」

 

 ニコルはアカデミー時代を思い起こして懐かしそうだが、アカデミー卒業後にも散々迷惑をかけられたディアッカは疲れたように息を漏らした。

 

「アスランも同じでしたよ。イザークにチェスで負けた時に次は勝つって燃えてましてから」

「ああ、あの時か」

 

 クルーゼ隊に配属されて少しの時にあった記憶を思い出してディアッカは頷いた。

 何時も負けてたチェスに勝ったのに、アスランが悔しがらなかったからまるで負けたみたいに癇癪を起して本を投げたりコップを割ったりカーテンを引き裂いていただけに記憶に強く残っていた。

 

「通じていないようで通じてる。似ていないようで似てる」

「あの二人の関係を言い表すのに最適ですね、それ」

 

 腕を組んで頷くディアッカに納得したようにニコルは言いながら笑う。

 イザークにディアッカがついて、アスランにニコルがついて対立する形が多いが、当の二人がいなければディアッカとニコルの仲は悪くない。

 ディアッカは二人の喧嘩を完全に面白がっているし、アスランを兄と慕うニコルは数的不利になれば加勢せずにはいられない。この二組の間にラスティが緩衝材と潤滑剤を担って上手くいっていた。

 その日々がもう来ることはないのだと思うとディアッカは無性に寂しくなった。

 

「寂しくなっちまったもんだよ、クルーゼ隊も」

「ええ……」

「ミゲル先輩にマシュー先輩やオロール先輩、ラスティまで死んじまったからな」

「戦争だっていうのは分かっているんですがやはり悲しいです」

 

 たった二週間で旧知の仲間や配属先であるクルーゼ隊の先達が悉く討ち死にしている。クルーゼ隊は隊長であるクルーゼ本人と後から入ったディアッカ達赤服4人しかいなくなってしまった。

 今はガモフにいるがいずれはヴェサリウスに戻る。戻ってもあの賑やかな空間は戻って来ないのだと思うと物哀しくなってしまう。

 

「だな」

 

 ディアッカは湿っぽくならない程度に軽い感じで答えた。

 一番年下ということで先輩達から特に可愛がられていたニコルと違って、当の先輩が同年代だったディアッカは扱い難い存在だっただろうが差別はなかった。温かく賑やかで楽しかった隊はもう戻って来ない。

 

「だけど、感傷だ。俺達は戦争をやっているのだから犠牲はつきもの。湿っぽくしても仕方ねぇ」

「そんな言い方はないでしょ」

「違わない。次に死ぬのは俺たちかもしれないんだ。死んだ後に湿っぽくされるのはニコルだって嫌だろ?」

「それはそうですけど、ディアッカみたいにヘラヘラと笑っていられるのも嫌です」

「言うねぇ」

 

 若さにあかせた率直な言いようをするニコルにディアッカは苦笑を浮かべた。

 2歳だったか3歳だったかは年下のニコルのような若さが昔の自分にあったかと自問しかけて、やはり今のまま歳を重ねて来たのではないかと思えて苦笑を続けた。

 

「変わりませんね、ディアッカは」

「人間なんてものは普通はそう簡単には変わらないだろ」

「変わらなさすぎです。僕達は戦争をしているんですよ。変わって当たり前です」

「戦争をしてるからって人はそう簡単に変わるもんじゃない。ニコルだってあんま変わってないぜ?」

 

 ディアッカが嘴を向ければ今度はニコルが苦笑を浮かべる。

 

「ディアッカほどじゃありません」

 

 目的の部屋に辿り着き、扉の前に立ったら自動に開く。

 苦笑というよりは呆れを滲ませてニコルは開いた扉に体を潜り込ませた。

 

「イザークは…………早いな。もういない」

 

 続いてディアッカもパイロットルームに入り、そこに先にここへ向かっていたイザークの姿がないことを確認して呟いた。

 

「僕達も早く着替えましょう」

「そうだな。またどやされたくない。あいつは気が短いからな」

 

 各自のろっかの前に立って、ニコルは言いながら軍服を脱いでいた。ディアッカもそれに習う。

 暫し、無言の時が続いた。

 

「…………10分で足つきを仕留めるって出来ると思いますか?」

 

 ロッカーから出したパイロットスーツに足を通しながらもニコルの言葉に、ディアッカは先のブリッジでのやり取りを思い出した。

 

「イザークは自信ありげだったが正直難しいだろう。奇襲の成否は、その実働時間で決まるもんじゃないとしても流石に制限時間が短すぎる」

 

 それでもやるしかない、と続けるとニコルは残念そうに息をついた。

 軍人である以上は命令は絶対。発令されてしまった作戦を妨げることなど出来るはずもないとコーディネイターの聡明な頭脳が理解してしまう。

 

「出来るだけのことを、死なない限りにやるだけのことさ。安心しろ。お前達の背中は俺が守ってやるからよ」

「正面は守ってくれないんですか?」

 

 足を通したパイロットスーツの着心地を確かめながら悪戯気に問いかけて来るニコルにディアッカは呆れ気味に見えるように表情を動かした。

 

「バスターは砲戦型だぞ。砲戦型が前に出てどうすんだよ」

「そこはなんとか」

「なんねぇよ。若者はもっとガツガツと前に出て行け」

 

 ヘルメットを片手にとってコツンとニコルの頭を小突いて愛機が待つモビルスーツデッキを目指す。

 

「待ってろよ、緑野郎。今度こそ墜としてやる」

 

 当たり前に、戦争の中であっても変わらない自分で在り続ける為にディアッカは歩み続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あと30分程度で合流ポイント。どうにかここまで漕ぎ着けたわね」

 

 アークエンジェルのブリッジで艦長席に座るマリュー・ラミアスは、後少しで合流ポイントに辿り着く航図を見遣りながらも厳しい面持ちを崩さなかった。

 

「索敵、警戒を厳に。艦隊は目立つ。あちらを目標に来る敵もあるぞ!」

「はい!」

 

 ナタルの叫びがブリッジに響き渡る。

 

「ナタルも来ると思う?」

「来ないと考えるのは今までの事を踏まえれば早計でしょう。なによりも警戒していて損にはなりません」

「悪い方にばかり状況が転ぶものね」

 

 ヘリオポリス然り、コロニー崩壊後然り、アルテミス然り、先遣隊然り、ラクス然り。最後に関しては良い方向に転びもしたが胃の痛くなる日々であることには変わりない。

 思わず今までの道のりを思い出して渋面を作っていると、指示を出し終えたナタルが無重力を活かして浮かび上がって艦長席の近くに来ていた。

 

「…………あの、艦長。キラ・ヤマトのことを気にしておられるのですか?」

「キラ君?」

 

 言い辛そうにしながら口を開いたナタルから考えもしなかった話題を振られてマリューは目をパチクリと瞬きを繰り返した。

 だが、ふと思い出して、その問題が何も解決していないことに気づいた。

 

「イージスのパイロットがキラ君の友達だってこと?」

 

 一難去ってまた一難との言葉が相応しい現状にマリューは深い溜息を吐いた。

 

「ええ」

 

 頷くナタルを見ながら数日前の出来事を思い出す。

 マリューはラクスが返されるモビルスーツデッキのその場にいた。ザフトのパイロットがキラの名前を呼んだ時は驚いたし、キラが敵パイロットの名前を呼んだ時も同じだった。

 

「同じコーディネイターなんだから知り合いでもおかしくはないでしょ。博士とラクスさんが知り合いだったぐらいなんだから」

「ですが、三年前に別れた幼馴染同士がGに乗るなんて、このような偶然があるものでしょうか?」

「まさかキラ君がザフトのスパイだとでも言いたいの?」

 

 話はあなたも聞いたでしょ、と続けるマリューの頭の中でラクス返還後にキラを聴取した記憶が蘇る。

 副長のナタルはマリューと共にキラの聴取に立ち会って話を聞いただけに懐疑的だった。マリューも同じ疑念を抱かなかったと言われれば嘘になる。一度でもそんなことを考えてしまったマリューは自分を恥じた。

 

「一般人が入り込めない工廠にあったストライクに乗り込んだ過程が本人の証言だけとなれば疑いたくもなります」

 

 カトウゼミに来た少女が走り出して工廠に辿り着いた、では疑って下さいといっているようなものだとナタルは言葉も強く言い切った。

 

「その少女に関しては他のカトウゼミの学生も見ているし、別に走り出した子をキラ君が見捨てられるような性格じゃないことはナタルにも分かるでしょ? 私としてはその少女の方が怪しいと思うけど」

「それはそうですが」

「キラ君がどれだけ頑張って来てくれたかたなんて、わざわざ言わせないで」

 

 この話題はここまで、とマリューは暗に言葉に込めて話題を打ち切った。

 楽観的で身内に甘いマリューのことを思って色々な可能性を考えてくれるナタルの事は有難いが今はただ不快でしかない。

 父親が最高評議会議長とはいえ民間人の少女を人質にして生き延びた我が身の不徳が心から抜けきっていないので、心を削って戦ってきた少年を疑うような真似をしたくなかった。例え少年を戦いに引き込んだ自分だと分かっていても、だ。

 友達と戦ってまでアークエンジェルを守ろうとしてくれるキラに報いなければならないとマリューは常々思っていた。

 

「しかし、周りが必ずしも艦長のように理解してくれるとは限りません」

 

 それもまた一つの真理だった。今の艦の状況にマリューは航図を見遣って深く重い溜息を漏らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いろいろあったけど、あと少しだね」

 

 食堂で、もしかしたらアークエンジェルで食べられる最後かもしれない食事を取っていたサイ・アーガイルは、同じく食事を取っていたカズィ・バスカークの漏らした言葉に顔を上げた。

 

「後三十分ぐらいで第八艦隊との合流ポイントに着くらしい。何事もないといいな」

 

 ブリッジを出る前に聞いた話を思い浮かべつつ、口の中の食べ物を飲み込んだサイが言った。

 

「僕達も降ろしてもらえるんだよね、地球に」

「え、なんだって?」

「もう、トールったら口の端にケチャップついてるわよ」

 

 フォークでパスタを巻いていたカズィの呟きが聞こえなかったトールが聞き返し、彼の口端についているケチャップを新妻のように甲斐甲斐しくミリアリアがハンカチで拭いている。

 

「だから、僕達も他の人と同じように地球に下ろしてくれるのかなって話。あの時、ラミアス大尉が軍の重要機密を見てしまったから然るべき場所と連絡が取れて処置が決定するまで行動を共にして下さいって言ってただろ。第八艦隊ってその然るべき場所じゃないの?」

 

 二人の仲の良さにげんなりとしたカズィはさっき言ったことにプラスアルファして繰り返す。

 トールとミリアリアの仲の良さには完全に耐性がついて、もはや無視できるようになったサイは人参を突きながらカズィの言うことを考えて直ぐに結論を出した。

 

「可能性がないわけじゃないけど厳しいだろうな。軍事機密を見たんだ。あっさりお役目ゴメンってわけにはいかないだろ」

「ストライク以外をザフトに奪われてるのに、今更軍事機密も何もあったもんじゃないと思うけど」

「それはあの時にも言えたことじゃない? 地球連合内でまだ軍事機密になっているならザフトに奪われたからって意味ないじゃない」

 

 だよな、とサイの言葉に納得しかけたカズィを擁護する気はなかったとしても、箸先を行儀悪くもくるくると回しながらのトールの発言には一理あった。トールの口端についていたケチャップを拭いたハンカチを畳んでポケットに直したミリアリアの発言にもまた同じく。

 

「ようは俺達の今後は第八艦隊のトップ次第。裁量でどうとでもなる」

「祈ろうぜ。俺達にとって良い指揮官でありますようにってね」

 

 サイが結論を締めて、トールが希望的観測を込めておどける。

 全く、と思いつつもなるようにしかなならないとカズィらには希望的観測を受け入れるしかなかった。 

 

「でも、キラはどうなるんだろう。あのイージスって機体に乗っていたのはキラの昔の友達だって言ってたじゃないか。降りられんのかな?」

 

 ふと漏らしたカズィの言葉が食堂に暗い影を落とした。

 

「俺達がいるからキラはここに残ったって事だろ。このままでいいのか、俺達は?」

 

 サイにも、トールにも、ミリアリアにも、問いを放ったカズィにも解答を持っていなかった。

 

 

 

 

 

「あのイージスって機体に乗っていたのはキラの昔の友達だって言ってたじゃないか」

 

 食堂に入ろうとしたフレイ・アルスターはその言葉に足を止めた。

 この数日を部屋に閉じこもって過ごしていたフレイであったが、家族を失ってもお腹は空く。

 サイは自分の食事の後に何時も持って来てくれていたが、フレイとしてもコーディネイター抹殺の為に何時までも閉じこもっていてはいけないと部屋から出てきたところである。

 フレイ・アルスターは自分を必ずしも優秀だとは思っていない。同い年ながら飛び級を繰り返しているミリアリアや彼女の仲間であるカトウゼミの面々と比べれば、はっきりと下だと自覚している。だが、これから行うことは誰にも相談できない。親友のミリアリアにも婚約者のサイにも。自分で考えなければならなかった。

 

「敵と友達ですって……?」

 

 壁を背にして怒りで拳が震える。

 

「イージスってお父様を殺した奴、じゃない」

 

 怒りで押し殺した声が震える。

 覚えている。父が乗っているという船が赤いモビルスーツが放ったビームに貫かれる光景を。

 聞いている。ブリッジで働いている面々と仲が良いので話していたモビルスーツの大体の特徴を耳にしていた。

 

「許さない……」

 

 キラが頑張って戦っていたことは僅かとはいえ戦闘を垣間見たから分かっていた。

 サイらからも戦闘がどれだけ厳しいもので、キラがどれだけの努力を積み重ねて来たかを聞いている。父を失ったばかりとはいえ、罵声を浴びせたことぐらいは謝るべきだと数日をかけて理解した途端にこれだ。

 敵のコーディネイターと味方のコーディネイターを分けていた中で、フレイの中で何かが壊れた。

 

「コーディネイターなんて絶対に許さない!」

 

 フレイの心は遂に傾いてはいけない方向に振り切れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 電気もつけず暗い部屋でキラ・ヤマトは孤独に蹲っていた。

 膝の上に置いたノートパソコンでストライクのOSの調整をする以外やることがない。数日間、ずっとやり続けていた所為でプログラムが瞼の裏に焼き付いてしまったが元より技術者の卵であるから苦痛には感じなかった。

 二段ベッドの下の布団の隅で三角座りをするキラ以外に部屋には誰もいない。部屋の電気をつけるぐらいなら問題は無いのだが一日中こうしていて動く気になれず、ここ数日はベッドの上で過ごすことが多い。

 それもこれもアスランとの関係が周りにバレたことにあった。

 戦闘が終わって落ち着いた後にマリューから呼び出されても、遂にこの時が来たとしか感じなかった。下手をすればスパイだと疑われて殺される可能性もあったのに、感覚が色々と駄目になっていたらしい。

 マリューとナタル、ムウの三人に囲まれてキラは諦めて全てを話した。アスランの事、ストライクの上で再会したことも全て。

 

「自室謹慎、か。優しい方なのかな」

 

 膝を抱えながらうっそりと呟いた。

 思えば与えられた処分が謹慎だったことは良かったのだろうと、今になってそう思う。

 

「どう思っているのかな皆」

 

 仲間達にどう言えばいいのかも分からないし、周りからどのような目で見られるかも分からない。

 合法的部屋から出なくて良く、会ったのは食事を運んでくれた食堂の人だけ。それにしてもドア越しに食事を渡されるだけで面と向かって会ったわけでもない。 

 謹慎の期間は定められていない。士官室なので避難民が来ることはまずないから扉は施錠されていない。謹慎は命令による強制ではないから施錠されていないのだ。

 何時かはこの揺り籠の部屋から出て行かなければならない。だけど、今のキラにはそんな勇気は出なかった。

 闇に慣れた目を静かに閉じる。ノートパソコンの電源を落しているので部屋の中には光源一つない。真っ暗闇には変わりないが、少しだけ気持ちが落ち着いてくる。

 それからどれだけそうしていただろうか。もしかしたら眠っていたかもしれないし、そうでないかもしれない。

 

『総員第一戦闘配備!』

 

 突如として鳴り響いた警報が目を開けさせた。

 

『繰り返す! 総員、第一戦闘配備!』

 

 警報が耳に入り、頭に認識されるまで少しの時間を要した。

 

「行かないと……」

 

 事態を認識するとキラの体は自然と動いていた。

 長時間が膝を抱えていたことから固まっていた筋肉を強引に動かしてベッドから降りる。少しフラついたがコーディネイターの頑丈さで持ちこたえ、一回だけ深呼吸をして顔を上げた。体だけではない。戦うために心の準備も整える。

 

「……よし」

 

 とても戦える心の状態ではないが、先の先遣隊が全滅したことを考えればやらなければやられることは目に見えている。

 

「やってやる」

 

 足を踏み出した。戦いへ、殺し合いへ、戦争をする為に足を踏み出した。

 扉が開いた瞬間は流石に緊張した。だが、そこには罵倒する人どころか人っ子一人いなくて、敵襲を知らせる警報の重低音だけが鳴り響いていた。

 一歩踏み出し、二歩目が床をついて、三歩目からは大きく歩幅を取って走り出した。

 走り出したらもう勢いは止められない。惑い、泣き叫ぶ心だけを置き去りにして体だけは進み続ける。コーディネイターはナチュラルよりも多くの力を持てる肉体と多くの知識を得られる頭脳を持っている。だからといって、心までも優れるわけではない。

 事態に対して心が追いついていないから想定外の事態に対処できない。

 

「戦争よぉ! また戦争よぉ!」

 

 進行方向の分かれ道から子供の甲高い声が聞こえたが、耳に入って脳が認識して体が反応するのにも時間がかかった。

 

「あっ!!」

「わあっ!」

 

 幼い少女が分かれ道から出てきた瞬間に止まれ切れずにキラの体にぶつかってしまった。

 少女がもんどりうって倒れ込む。 

 

「大丈夫か……」

 

 い、と続けながら手を伸ばそうとしていたキラの行動に先んじて、少女が来た分かれ道からフレイ・アルスターが現れて遮った。

 

「ごめんね、お兄ちゃん急いでたから」

「う……うん」

 

 キラよりも先に駆け寄ったフレイは、言いながら転倒して痛いのか涙を目の端に浮かべていた少女を抱き起した。

 フレイは数日前の狂騒もなく穏やかであったが、艶やかであった髪は痛み、頬も若干こけている。父親を失ったばかりなのだから影響がないはずがなかった。

 光の中で笑っていた少女には痛々しい姿ではあったが逆に凄絶さも感じさせてキラの気を引いた。

 

「また戦争だけど、大丈夫。このお兄ちゃんが戦って、守ってくれるから」

「ほんと?」

「うん、悪い奴はみ~んなやっつけてくれるから。そうでしょう、キラ」

 

 目の端に浮かんだ涙を人差し指で拭ったフレイは、問い返してくる少女に頷きを返しながらキラを窺った。

 

「う、うん」

 

 心はどこへ行ってしまったのか。キラには頷くしかなかった。

 それでも聞くべきことはあった。

 

「フレイ、大丈夫なのか?まだ、休んでた方が…」

「大丈夫よ」

 

 明らかにフレイの状態は正常ではない。心配して言ったつもりの言葉は、思ったよりも強い言葉が返って来て閉口した。

 顔を引いたキラの様子を見てフレイの顔が弱々しくなった。

 

「キラ、あの時はごめんなさい」

「え?」

 

 しおらしく謝って来るフレイにキラは先程と雰囲気すらも違って困惑した。

 立ち上がり、少女と手を繋いでいるフレイは以前とは別人に見えた。どこがどう違うかは言葉には出来ない。だけど、確かにキラはこの時のフレイに違和感を感じた。

 

「あの時は私、パニックになっちゃって。凄い酷いこと言っちゃった。本当にごめんなさい」

 

 違和感が脳内に形として成る前にフレイは続けた。

 フレイが発した言葉がキラに違和感を探らせる機会を永遠に失わせる。

 

「僕の方こそ、ごめん。君のお父さんを守れなかった」

 

 キラはフレイの父親を守れなかった。その罪悪感が目を曇らせ、真実から遠ざけた。

 

「いいのよ。貴方は一生懸命戦って、私達を守ってくれたのに酷いことを言って。ちゃんと分かってるの。キラは頑張ってくれてるんだって。謝るなら私の方よ」

 

 そしてフレイは視線を傍らにいる少女へと向けた。

 

「戦争って嫌よね。早く終わればいいのに……………このお兄ちゃんなら皆守ってくれるから応援しないとね」

「うん! 頑張って敵をやっつけてね、お兄ちゃん!」

「敵はみ~んなやっつけてもらわなくっちゃ。じゃないと私達が死ぬもの」

 

 父親を守れなかった男に全幅の信頼を置いてくれるフレイと少女の期待に否と言えるはずもない。

 

「……そうだね」

 

 またキラは状況に流されてしまう。戦わなければアークエンジェルを守れないように、頷かなければ今までのことを無駄にしてしまうから。

 置き去りにしていた心が目の前の少女らに急き立てられる。戦え、戦えと。体を置き去りにしてどこまでも追い立てられる。

 

「僕、行かないと」

 

 返事を聞かずにキラは走り出した。

 今度はキラの思いすら置き去りにして走り出した心を追い求めるように足早に。背後から来る何かから逃げるように。

 

 

 

 

 

 キラを見送ったフレイと少女は暫しその場に留まっていた。

 少女は恐る恐る手を繋ぐフレイを仰ぎ見た。

 

「お姉ちゃん、もういい?」

 

 まるで人形のように笑顔のまま表情が固まっているフレイに声をかけると、フレイは一瞬で笑顔を消した。

 

「ええ、もういいわ。ありがとう、エルちゃん。ごめんね、変なお芝居をさせて」

「いいけど、お菓子は?」

 

 言うと、フレイは手を繋いでいるのとは反対の手をポケットに入れた。

 

「はい。これしかないけど我慢してね」

「飴さんだけなの?」

「ごめんなさいね。私もこれぐらいしか持ってないのよ」

 

 飴を受け取ったエルは不満そうにしながらも、これ以上の駄々を込めても仕方ないと二週間の生活で理解しているのかそれ以上の不満は言わなかった。

 片手でも簡単に飴の包装紙が取れるタイプだったので早速取り出して食べる。

 喉飴らしく甘さは足りないがお菓子好きの少女にとって何よりもの嗜好品であった。先程、会ったフレイから事前に言われた通りに喋っただけなのだから苦労には十分にあったご褒美だ。その芝居の意味を知ることもなく。

 

「キラには頑張って戦ってもらわないと。コーディネイターはみんな殺さなきゃ」

 

 ふと聞こえてきた声にエルは顔を上げ、そして恐ろしくなった。

 フレイは笑っていた。口だけが歪に歪んでいた。

 エルはフレイと手を繋いでいることが怖くなった。だけど、エルを捉えている手は万力のような力で離さない。

 

「いったー!…んっ…」

 

 無理やりに繋いでいた手を振りほどいてエルは一目散に走り出した。

 飴をくれたお姉さんは何時までもその場から動かなかった。

 エルは飴の甘さをもう感じなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パイロットスーツに着替えたキラはモビルスーツデッキに飛びこんだ。無重力を利用して、跳躍して一気にストライクに取り付く。その姿を見咎めたマードックが苦い顔を向けた。

 

「いけるのか、坊主!」

「行きます!」

 

 行けるかではなく行く、と言ったキラにマードックは一言も二言も言いたいことがあったが、敵が迫っている今の事態は彼の思いを待ってはくれない。

 コクピットに乗り込んでいくキラを見送ることしか出来なかった。

 

「…ぇぃ!…」

 

 コクピットに入った瞬間に身体に悪寒が走ったがそれは気の所為だと自分を戒めた。弱気を見せれば食われることは自然界の掟であり、弱肉強食に決まりである。戦争は弱い者から死んでいく。

 気を強く持てと、キラは自分に言い聞かせた。

 悪寒を振り払い、シートベルトを締めてストライクに火を点ける。各種モニターや電源が入ると通信モニターにミリアリアの姿が映った。

 

『キラ、ザフトはローラシア級1、デュエル、バスター、ブリッツ!』

「あの3機!」

 

 敵の中にイージスがいないことに安堵した自分を見せないように踏み止まらせながら、一度戦ったG3機の姿を思い浮かべる。

 

「ムウさんとユイさんは?」

 

 何時でも発進できるように機体を立ち上げながら先の戦いで損傷を受けている2機のことを聞いた。

 通信モニターが分割して、ヘルメットを被ってコクピットに座るユイと、パイロットスーツには着替えてはいるがパイロットルームにいるムウの姿を映しだた。

 

『メビウス・ゼロはガンバレルを失っているから出撃出来ません。グリーンフレームは損傷が修理できていませんが発進します』

『いけます』

『悪い。二人に頼むしかない』

 

 この数日間に弄り回したプログラムをインストールしながら頷きを返す。

 プログラムの読み込みは早かった。だが、キラの心はムウが出れないことに不安を強く覚えていた。

 エースかはともかく戦術部隊のリーダーはムウである。精神的支柱は間違いなく彼だった。そのムウが戦闘に出れないことはキラに不安を覚えさせるには十分な材料だった。

 

『おい、坊主……』

 

 キラの顔に走った動揺にムウが声をかけようとしたが事態は待ってくれない。

 

『APU起動。ストライカーパックは、エールを装備します。カタパルト、接続。ストライク、スタンバイ。システム、オールグリーン。進路クリアー。ストライク、発進です』

 

 ムウの言葉を遮るようにミリアリアが発進シークエンスを整えてしまった。

 丁度、キラが組んだプログラムのインストール完了し、何時でも発進できる体勢を整えてしまった。

 

「キラ・ヤマト、行きます!」

 

 キラは逸る心を抑えきれずに、ムウの言葉を無かったものとして星屑の空へと向かって発進した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 デュエル、ブリッツ、バスターの3機が前者2機を前衛にしてアークエンジェルに近づいていくのを阻むように、ストライクとランチャーストライカーを装着したグリーンフレームが立ち塞がる。

 

「数の上では向こうが上。やれる?」

「やるよ。僕が前に出る」

「出来るの?」

「そんな傷だらけのグリーンフレームよりもストライクの方が動ける。やってみせる!」

 

 通信相手のユイに言い捨て、キラの乗るストライクが前に出た。

 グリーンフレームに乗るユイはそれ以上は何も言わず、後衛に徹するつもりなのかアグニを構えた。

 エールストライカーの4基の高出力スラスターから噴出光を発しながら、先行してくるデュエルに向けてビームライフルを向ける。当然それはデュエルに乗るイザークにも突出するストライクの姿がモニターに映っている。

 

「ストライクは俺がやる!」

「じゃ、俺は緑野郎だな」

「ディアッカと俺でモビルスーツを引き剥がす。ニコル、足つきは任せたぞ!」

「了解!」

 

 当初の作戦通りに動くため、グリーンフレームのアグニを警戒して3機は散開する。

 ブリッツはアークエンジェルを目指し、バスターは両手の武器を連結して超高インパルス長射程狙撃ライフルをグリーンフレームに向ける。

 散開した3機に敵の意図が読めず、どのモビルスーツを狙うべきか迷ったストライクの行動が遅延する。

 

「ストライクって言ったなっ! 貴様は俺が討つ!」

 

 意識が分散しているストライクへとデュエルが強襲した。

 撃たれたビームを対ビームシールドで受け止めたキラだったが、デュエルがそのままスピードを抑えずにぶつかって来たのには対処できなかった。

 

「うっ……やられるもんか!」

 

 シールドで強かに打ち付けられた振動に揺れるコクピットで歯を食い縛りながら、ビームライフルを構えて照準がずれる中でデュエルを撃った。

 碌な狙いもつけられずに撃たれたビームは掠りもしなかったが威嚇の役割は果たしてくれた。

 ビームライフルを収めてビームサーベルを取り出そうとしていたデュエルに警戒心を抱かせて、体勢を整えられるだけの距離を開けてくれた。

 

「逃げるな!」

 

 キラは気持ちの上だけでも負けるものかと威勢だけは高らかに、バーニアを全開にして前進しながらビームサーベルを抜いて斬りかかる。

 

「この程度でやられる俺ではない!」 

 

 ストライクの挙動をデュエルも見逃してはいない。負けじとビームサーベルを抜き放って迎え撃った。

 両者の中間でビームサーベル同士が接触し、バチバチとスパークが両機の間で閃光を放ち弾かれた。

 

「んっ!」

 

 コクピットを照らす閃光の眩しさに目を曇らせながら、キラは一歩も退かなかった。

 

「てぇいやっ!!」

 

 一瞬離れた距離を直ぐに詰めてデュエルに斬りかかる。

 迎え撃つデュエルも負けていない。作戦想定時よりも遥かにやるようになったストライクを相手にしながらも、これでこそ討ち甲斐があるものだと盛大に笑みを浮かべながらイザークもキラに負けじと気合を入れた。

 

「今日は逃がさん! ここで貴様はこの俺――――イザーク・ジュールによって倒されるのだ!」

 

 ここで引けば負けるとデュエルとストライクは大昔の剣闘士の如く、ビームサーベルを振るう。

 2撃、3撃、4撃、5撃と、実弾兵装に大きなアドバンテージを持つフェイズシフト装甲といえでもビームサーベルの前には実弾ほどの強靭性は無い。ビームサーベルに斬られれば現行で最高の性能を持つGといえども結果は同じである。

 ストライクとデュエルの戦いは一進一退を極めていた。近接近戦を繰り広げる2機と違い、バスターとグリーンフレームも遠距離戦を行っている.。

 

「ふんっ! そんな大砲が易々と当たるものかよ!」

 

 直ぐ傍を駆け抜けて行ったアグニのビームに背筋に悪寒を走らせながらも、ディアッカは超高インパルス長射程狙撃ライフルを放つ。

 

「……っ!」

 

 戦うごとに射撃の精度を増していくバスターに戦慄を覚えながらもユイは無駄口を叩かなかった。が、不満はあった。

 

「乱発は出来ない。しかし、他の兵装が120mm対艦バルカン砲と350mmガンランチャーしかないのでは」

 

 ランチャーストライカー装着時の戦闘は始めてであるが驚くほどに違和感は感じない。問題を挙げるすればアグニが使うエネルギーと他の兵装の貧弱にあった。

 一ヵ所に留まって長距離から敵を撃つか、動き回って攪乱しながら敵を仕留める戦法を得意とするユイにはランチャーストライカーは使い辛い兵装だった。

 

「外部電源を繋げばやりようもありますが、バスターをアークエンジェルに近づけるのは下策」 

 

 いっそキラのように近づいて接近戦を仕掛けるか、という思考がユイの脳裏を過ぎる。

 完全に砲撃戦特化を想定して作られているバスターは近づかれてしまえば碌な兵装がない。対してグリーンフレームにはビームサーベルがあるので、接近戦になればバスターの不利となる。

 

「やる」

 

 即断すればユイの行動は早かった。

 消費するエネルギーに見合うだけの強力な破壊力を持つアグニは銃口を向けるだけで十分な威嚇になる。アグニで威嚇しながら120mm対艦バルカン砲と350mmガンランチャーで牽制しながら近づいていく。

 

「近づこうってか! させるわけないだろうが!」

 

 だが、その戦略は正しいとディアッカは認めざるをえなかった。同時に、この距離でなければ自分に勝ち目は全くないのだと静かに認める。遠距離戦に徹せられれば勝機が薄いことは前回の戦いで認識している。が、近づけば余計に勝ち目がないことは武装を見れば明らか。

 ディアッカにとって勝機を見い出せるとすれば互いの機体の特性にあった。

 バスターは遠距離からの支援砲撃を目的としているだけあって、Gの中で大の火力を誇る機体であるがビームサーベルなどの近接戦闘用武装や防御用のシールドを一切持たないために接近戦能力は皆無に近い。

 ランチャーストライカーもまた遠距離特化の兵装であるが装着しているグリーンフレームにはビームサーベルが搭載されているので接近戦能力がある。アグニは確かに現行のモビルスーツが得られる最高の火力を有しているが欠点としてエネルギーを食いすぎることにある。

 砲の多用による短時間でのフェイズシフトダウンを避けるため、専用のサブジェネレーターを別個に搭載し、更に両膝にも予備電源が設置されており、長時間の運用を可能にしているバスターとは違うのだ。

 ディアッカの目的は機体特性を活かして、戦闘を長引かせてエネルギーダウンを狙うことにあった。

 

「当たるも八卦、当たらぬも八卦ってね!」

 

 自分と敵のどちらを指しての言葉かはディアッカにも分からなかった。

 デュエルとバスターが敵モビルスーツと互角の戦いをしている中、ガモフと艦隊戦をせんとするアークエンジェルにブリッツはが近づいていた。

 

「第8艦隊も、こちらに向かっているわ! 持ち堪えて!」

「バリアント! てぇ! 」

 

 艦長のマリューが鼓舞して、ナタルの号令も高らかにアークエンジェルの副砲が火を噴いた。

 バリアントはガモフに当たることなく、虚空へと消えていき、今度は向こうの主砲が放たれたアークエンジェルの横を通過していった。

 

「艦隊の位置は!?」

「ローラシア級にコースを抑えられています! 振り切れません!」

「くっ、合流させない気ね」

 

 航図を確認して、敵の狙いを読み取ったマリューが舌打ちをする。

 

「ブリッツが艦後部より接近!」

「取りつかせるな! 対空防御! ヘルダート撃てぇ!」

 

 艦橋の後方に16門装備されているごく短射程の艦対空ミサイル発射管がナタルの指示で発射され、接近を仕掛けようとしていたブリッツが右腕に装備された複合武装トリケロスに搭載されている50mmレーザーライフルで迎撃する。

 次々と撃墜されるヘルダートの爆炎がブリッツの姿を覆い隠した。爆炎が晴れた後にはブリッツの姿は最初から存在していなかったように消えている。

 

「ブリッツをロスト! センサーから消えました!?」

「ミラージュコロイドを展開したんだわ。アンチビーム爆雷を発射! 爆雷の中でビームを使えば位置を割り出せるわ!」

 

 トノムラが戸惑った声を出すが、開発チームに関わって来たマリューはブリッツに搭載されている新機軸の兵装を知らぬはずがない。

 一瞬戸惑ったブリッジクルーはマリューの活に我を取り戻し、指示に従って爆雷がブリッツがいた空域に放たれた。

 

「展開中はフェイズシフトは使えない。実弾兵器も効くぞ。対空榴散弾頭準備しておけ!」

 

 マリューの指示に追加してナタルが戦術を編み出す。

 直後、アンチビーム爆雷が散布された空域で何かが光った。

 

「センサーに反応!」

「そこにブリッツがいるぞ! センサーに反応の合ったポイントからブリッツの位置を推測、撃てぇ!」

 

 アークエンジェルは極秘に建造され、この戦争において地球連合の旗頭にならんと建造されたGの母艦である。選び抜かれたクルーは優秀で、数多の激戦を潜り抜けて艦の操舵に慣れてナタルの指示にも即応した。

 即座に放たれた榴散弾頭が数十の弾頭に分かれ、ミラージュコロイドを展開中のブリッツに向かって殺到した。

 正確な予測と即座の行動によって弾頭が向かってくるのを見て平然としていられるだけの胆力と、潜り抜けられる技量と成せる自信の両方を生憎とニコルは持ち合わせていなかった。

 

「くそっ!」

 

 普段は絶対しない口汚い言葉を吐き出しながら、ミラージュコロイドを解除してフェイズシフト装甲を再展開する。

 黒影の機体が宇宙空間に現れ、迫る数十の弾頭を50mmレーザーライフルで迎撃、もしくは盾で防ぐ。

 

「元々そちらのものでしたっけねぇ。弱点もよく御存知だ!」

 

 爆発の閃光で眩み、揺るがされるコクピットの中で敵の巧みさにニコルは任務の難しさを知った。

 

「ミラージュコロイドを使わせないつもりですか!」

 

 時間稼ぎをされては艦隊との合流を許してしまう。早く決着をつけるには敵に気づかれずに接近して落とすのが最良であり、ブリッツに搭載されているミラージュコロイドはうってつけだった。

 だが、これほどの弾幕を張るアークエンジェルに近づくには被弾を覚悟で突っ込むしかない。フェイズシフト装甲が使えなくなるミラージュコロイドを使う気にはなれなかった。

 

「イーゲルシュテルン、自動追尾解除! 弾幕を張れ!」

「艦隊との合流は?」

「残り7分です」

 

 戦況は拮抗していた。勝てはしないが負けもしない。

 アークエンジェルはブリッツを近づけさせず、バスターとデュエルはグリーンフレームとストライクが抑えている。ムウが出られないことに不安はあったが戦況はアークエンジェルには悪くない展開である。

 艦隊との合流を間近に控えていたアークエンジェルには都合の良い展開だった――――この時までは。

 

「センサーに新たな反応あり!?」

 

 このまま艦隊と合流できるかと考えたマリューの予想は希望的観測に過ぎないのだと言わんばかりのトノムラの驚愕に染まった声がブリッジに響き渡る。

 

「まさかザフトの援軍か!?」

「いえ、これは……」

 

 ナタルの懸念は最もであり、ブリッジ全員の代弁をしたがトノムラの返答は違った。

 

「これは大西洋連邦のシグナルです!」

 

 この報告に遂に艦隊が来たと思わなかったクルーは誰一人としていなかった。

 射撃戦と剣撃戦を繰り返していたストライクとデュエルの戦いはどちらにも天秤は傾いていなかった。

 

「ええい! 手古摺らせる!」

 

 予想では雑魚だと思っていたストライクに苦戦していることにイザークは歯軋りしていた。

 デュエルがビームライフルをストライクに向け、銃身下部に備えられたグレネードが放たれる。

 この戦闘どころか、今までも一度も使ったことの無い武器を使って敵の意表をついたつもりだったが、ストライクは慌てるどころか冷静に頭部バルカンのイーゲルシュテルンで迎撃する。

 

「この!」 

 

 迎撃されたグレネードの爆炎を割って、今度こそ意表をついたビームサーベルの攻撃にもストライクは反応して見せる。

 シールドで受け止め、デュエルの顔の前にビームライフルの銃口を突きつけた。

 

「ちぃぃっ!?」

 

 意表をついたつもりがこちらの意表をつかれ、情けなくともイザークは全力で回避する。

 ビームを回避したデュエルに向かって、今度はストライクの方から斬りかかって行った。デュエルはビームサーベルを傾けて斬りかかって来たのを防ぎ、ストライクを蹴り飛ばす。その一連の動作に余裕は無かった。

 

「腕は間違いなく俺の方が勝っている。なのに、なんだ向こうの手際の良さは……」

 

 デュエルのモニターの先で、ストライクはまるで蹴り飛ばされることに慣れているかのように直ぐに機体を立て直す。その全てを見通して高みに君臨するような姿がイザークの怒りの琴線を刺激する。

 

「不可解な奴め!」

 

 手の内を知られているようなやり難さに苛立ちながらもイザークに退却の文字はない。前進あるのみ。

 デュエルはイザークの気性そのままにストライクへと突っ込んで行く。

 

「やれる。僕は、やれる」

 

 ストライクのコクピットで荒く息を吐きながらも、キラの目から戦意は一欠けらも失っていない。

 パイロットとしての技量は間違いなく敵の方が上。だが、キラにはシュミレーションとはいえ、デュエルとの対戦経験は恐らく誰よりも重ねて来た自負がある。

 G制作時のデータ上が使われているシュミレーションが優秀なお蔭で、兵装で意表をつかれる心配は既に通り過ぎた後である。ザフト側で改修したならともかく、奪取時の状態で兵装ではキラの意表を突くことは出来ない。

 

「ミリアリア、艦隊合流まで後何分?」

 

 やり難さの正体を探るように射撃戦に移ったデュエルを相手に無駄玉を撃たぬように考慮しながら、アークエンジェルにいるミリアリアに通信を繋いだ。

 だが、返ってきたのは予想外の返事だった。

 

「艦隊はすぐそこに……」

「え?!」

 

 早すぎる、と疑問に思ったのと同時にセンサーが新たな機体の接近を告げる。奇妙なことにシグナルに該当するデータがない。データベースに該当なしで『Unknown』と表示される機体の接近にキラはセンサーに反応があった位置にモニターを動かす。

 

「モビルスーツ?」 

 

 モニターの映った敵機は四肢を持つ人型をしていた。

 宇宙空間では人は生身で生きていられない。ならば、モビルスーツであるとキラは直感的に考えた。ザフトの援軍でないことはストライクと距離を取ったデュエルが戸惑うように漂っていることから推察できる。

 謎のモビルスーツが近づいて来ることにそのディテールが明らかになっていく。

 

「あれは…………ガンダム!?」

 

 GAT-Xなんて言い難い名称ではなくて、OSの頭文字から勝手にガンダムと呼んでいた機体達と共通する特徴を持った機体が近づいて来るのを見て、キラは混乱した。

 

「オーブの機体なの?」

 

 キラがミスズから聞いた話ではGはオーブにいる技術者が基礎設計をしたアストレイの外観を流用しているのだと言っていたこと思い出す。ザフトのモビルスーツはモノアイが基本である。で、あるならばキラが向かってくるガンダムをオーブの機体と判断するのは当然の流れといえた。

 味方が来たと安堵したキラだったが、速度を上げるガンダムから発散される何かが体を弛緩させてはくれない。敵だと、何故かそう感じ取った。当のガンダム――――ハイペリオンに搭乗するカナード・パルスは歪み切った唇から抑えきれない哄笑を迸らせていた。

 

「ようやく見つけたぞ、キラ・ヤマトっっ!」

 

 求め、焦がれ、身を焼き尽くされんばかりに探していた相手との出会いにカナードは目を剥いてストライクを掌中に捉えた。

 

「何っ!?」

 

 銃口を向けて来たハイペリオンに戸惑いながら、地球連合の通信波で繋がれた通信から聞こえる男の狂気に満ちた声と、その相手がキラの名前を呼んだことに戸惑う。

 

「消えろ!!」

「うわっ!」

 

 ハイペリオンが銃口を構え、躊躇いもなく発射する。

 

「くっ!!」

 

 バーニアを吹かして射線から逃れたキラは、撃ってくるなら敵だと判断して照準スコープを取り出した。

 初撃を難なく避けたストライクに笑みを向けたカナードの狙いは、目の前で戦い出した2機に戸惑っているデュエルに向けられた。

 

「貴様は邪魔だ! どこへなりと行くがいい!」

「なんだこいつは!?」

 

 ストライクだけでなくデュエルにも撃って下がらせているのを見ながらキラは、ハイペリオンに向けて十分に狙いをつけてからビームライフルを撃った。

 ビームは直進してハイペリオンに直撃した。

 

「当たった!?」

 

 ハイペリオンが回避動作すらも取らずに被弾したことに逆にキラの方が驚愕した。

 今までに戦ってきた相手がザフトの熟練パイロットばかりであっただけに、呆気なさすぎる手応えに肩透かしすら感じていたがカナードは簡単に終わるほど容易い相手ではない。

 

「無駄だ」

 

 一瞬の閃光の後、見えてきた光景は無傷のハイペリオンの姿だった。

 

「アルミューレ・リュミエール。このモノフェーズ光波シールドの前にはビームだろうが実体弾だろうが破ることは不可能だ!!」

 

 左腕を翳して手首近くから広がる光がハイペリオンの前面を覆い、まるで盾のように君臨する。

 

「さあ、完全体である貴様の力を俺に見せてみろ!」

 

 アルミューレ・リュミエールを展開したままハイペリオンが直進する。

 ストライクがさせじとビームライフルを撃つが、ハイペリオンはアルミューレ・リュミエールを前面に押し立てて防ぎながらビームサブマシンガンを連射する。

 

「完全体?! 君は何を言っているの!?」

 

 放たれるビームサブマシンガンを躱しながら繋がれている通信から聞こえる聞き捨てならない単語に叫ぶ。

 

「アルテミスでガルシアに会ったお前なら意味が分かるだろ! 失敗作の烙印を押された、このカナード・パルスの事を分からんとは言わせんぞ!」

 

 逃げるストライクと追うハイペリオン。

 戦いを始めた2機をデュエルは混乱しながら見つめる。

 

「訳の分からない奴まで出て来るし、どうなっている? が、ストライクを抑えていてくれるなら利用させてもらおう」

 

 2機に置いていかれる形になったデュエルは戸惑うように留まっていたが、己が立場を思い出したようにアークエンジェルへ向けて進路を切った。

 デュエルの動きは絶対の盾を持つハイペリオンを突き崩せないストライクにも見えた。

 

「デュエルが」

 

 仕方ないにしてもカナードの前で見せるには大きな隙であった。

 

「余所見をする余裕が貴様にあるのか!」

「ぐわっ」

 

 エールストライカーの羽の部分にビームサブマシンガンの弾丸が被弾し、ストライクはバランスを崩す。

 

「この時を以て俺は完成体を超える!」

 

 ビームナイフを抜き放ったハイペリオンがバランスを崩して無防備なストライクに斬りかかった。

 

「させない」

 

 バスターと戦闘中であったグリーンフレームが転進してアグニを放った。

 アグニから放たれたビームは狙い過たず、ハイペリオンに直撃するはずであったがウイングバインダーが展開され、機体を覆うようにアルミューレ・リュミエールが展開される。

 横合いからハイペリオンを抉り取るはずだったアグニのビームは、アルミューレ・リュミエールによって防がれた。

 

「成程、アルテミスの傘。光波防御帯をモビルスーツに転用したの」

 

 ユイは展開されたアルミューレ・リュミエールが「アルテミスの傘」と同じ物であることに即座に気がついた。その厄介さにもまた。

 

「よくも邪魔をしたな!」

 

 エネルギーを大量に消費するアルミューレ・リュミエールの全開展開を閉じたカナードは、決着をつけられるところを邪魔されて激昂した。

 標的をストライクからグリーンフレームに変更して向かう。

 

「消えろっ! 消えろっ! 消えろっ! 消えろっ! 消えろっ!」

 

 ビームサブマシンガンを連射しながら向かってくるハイペリオンの射線から逃れながらアグニを構えたグリーンフレームであったが、また椀部のみの展開を見て撃つのを躊躇ったとカナードは感じたが実際は違う。

 

「アルテミスの傘と原理は同じのはず。発生装置を潰す」

 

 アルミューレ・リュミエールを発生させている装置に狙いをつけていた。

 狙いをつけずに勘だけで撃っても当てられるユイがしっかりと照準を合わせ、ここぞという時に撃った。

 

「ちいっ!」

 

 カナードは今まで数多くの修羅場を潜り抜けている。ユイの狙いを動物的な勘で感じ取って機体を動かした。腕の発生装置のみでのアルミューレ・リュミエールでアグニを受けないようにビームを回避する。発生装置で受ければ機体は持たず、腕だけでのアルミューレ・リュミエールでは持ちこたえられないと判断したためだ。

 

「アルミューレ・リュミエールの弱点によくぞ気がついた。当たれば効果はあっただろうが、俺の駆るハイペリオンを舐めるな!」

 

 操縦者の怒りを表すようにハイペリオンはビームサブマシンガンを撃つ。だが、遮二無二に見えてもその動きは洗練され、怒りを原動力としながらも支配されていない強かさすら感じさせた。

 グリーンフレームは辛くも避け続けていたがランチャーストライカーを装備していては動きに軽快さがない。アグニは重すぎて機動戦には向かない。

 

「くっ、この装備では」

 

 この敵にランチャーストライカーはデッドウェイトでしかないと判断したユイの行動は早かった。

 ランチャーストライカーを切り離して追って来るハイペリオンにぶつける。

 進行方向に迫るランチャーストライカーを払いのけたハイペリオンの前に、ビームサーベルを抜き放ったグリーンフレームがいた。

 

「小細工を!」

 

 ビームナイフでビームサーベルを受け止めたハイペリオンがビームサブマシンガンを構えた時、既にグリーンフレームは離脱していた。

 

「小賢しい。が、貴様はやる。ここで死ね!」 

 

 グリーンフレームに乗るパイロットの腕を感じ取ったカナードは、ここで死すべしと後を追った。

 このパイロットの操るモビルスーツに背中を見せて安穏と出来る腕の差はない。最高のコーディネイターを殺すと決めたからこそ、先にグリーンフレームを倒さなければならないとやられるのは自分だとカナードは真に剛腹であったが優先順位をつけた。

 ハイペリオンとグリーンフレームはランダム機動を描いて交戦し合う。

 

「速い! 2機の動きが追えない」

 

 キラには及びもしない領域で戦う2機に歯を強く噛むしか出来なかった。

 レベルが違う。機体性能でいえばストライクは恐らく2機よりも上のはずだがキラにはハイペリオンとグリーンフレームのような動きが出来るとは思えなかった。

 しかし、キラにはカナードには聞きたいことが山ほどある。完成体とは何なのか、ヒビキ博士とは誰なのか、自分は何なのか。聞かなければならないことが沢山あり過ぎた。

 

「畜生! 僕だってやれるんだ!」

 

 実力が及ばないからといって、じっとしていることは出来なかった。

 

「てぇい!」

 

 2機の後を追って飛翔し、後ろからハイペリオンをビームライフルで撃った。

 だが、ハイペリオンは背中に目があるかのように容易く連続で放たれるビームを次々と回避する。

 

「駄目!」

 

 ストライクが攻撃に加わった時点に感じた嫌な予感にユイが急速回頭する。バーニアを全開に吹かして目指す先にいるのはストライク。

 

「分不相応の機体に乗っておいて、この程度が唯一の成功体の実力か! 笑わせるな!」

 

 ハイペリオンが振り向き様にウィングバインダーを稼働させ、先端部から光を迸らせる。

 グリーンフレームのパイロットと比べてあまりにも攻撃の稚拙さが目立つ。最高のコーディネイターの実力がこの程度であることに失望と憎悪が同時に沸き立った。

 

「貴様の相手は後でじっくりとしてやる! そこでじっとしていろ!」

 

 カナードの怒りをそのまま表したようなビームキャノンが放たれた。アグニには劣るものの、ビームライフルには勝る「フォルファントリー」と名付けられたビームキャノンから放たれたビームが直進する。

 こちらこそ遮二無二突っ込んでいたキラにこれを回避する術は無かった。キラは眼前に迫る死の具現を見つけることしか出来なかった。

 

「うわっ!」

 

 着弾する僅か前に急速回頭したグリーンフレームがそこへ現れ、ストライクを突き飛ばした。

 全速力でストライクを突き飛ばしたグリーンフレームにビームキャノンが直撃する。

 

「ああ……!」

 

 突き飛ばされた機体を立て直したキラは、被弾して流れて行くグリーンフレームを見た。

 膝下が無くなっていた。躊躇いなく全速力で突っ込んだお蔭か、ビームキャノンに焼かれたのは膝下に済んだようである。だが、互角だった戦いはキラの介入によって圧倒的不利へと立たされる。

 

「ユイさん!」

「アークエンジェルへ戻って」

 

 ユイの安否を確認するために慌てて通信を繋いだキラの鼓膜に響いたのは冷淡なユイの声だった。

 

「でも……」

「足手纏い。邪魔」

 

 抗弁しかけたキラを遮ったのは、はっきりとした拒絶だった。

 ユイとしてはハイペリオンを相手にするにはストライクは言葉通り足手纏いでしかなく、感情で動かれれば邪魔でしかない。先程まで相手をしていたバスターやデュエルの事もあり、自分の身よりもアークエンジェルのことを優先しろと伝えたかったのだが言葉足らずではキラに伝わらない。

 もし、キラが通信モニターでユイの姿を見ていればそこに込められた意味を正確に感じ取っただろが、状況はどこも切羽詰まっていた。

 

「第6センサーアレイ、被弾! ラミネート装甲内、温度上昇! これでは装甲の排熱が追いつきません! 装甲内温度、更に上昇!」

 

 グリーンフレームが離れて自由になったバスターの砲撃が着弾して、衝撃がアークエンジェルの船体を揺らす。同じく自由になったデュエルがアークエンジェルから見れば好き勝手に動いてくれる所為で目障りで仕方ない。

 

「デュエルが邪魔よ! 撃ち落とせないの!?」

「ゴットフリートをデュエルに照準、てぇ!」

 

 マリューの意を汲んでナタルが攻撃するがデュエルは易々と躱す。

 

「ブリッツが取り付きました!」

「撃ち落として!」

「出来ません! 艦に近すぎます!」

 

 モニターの中で艦横に取り付いたブリッツが至近距離からビームライフルを連射している。

 アークエンジェルにのみ使われているラミネート装甲ならば数発ぐらいなら受けても持ちこたえられるが、何発も連続して撃たれては装甲が持たない。

 

「ストライクとグリーンフレームは何をしている!」

 

 この状況を打開するには取り付くモビルスーツを排除するしかない。なのに、先程までデュエルとバスターと戦っていた2機は何をやっているのかとナタルは心底から思った。

 

「2機とも所属不明のモビルスーツと交戦中! あ?! グリーンフレームが被弾!」

 

 モニターの中でグリーンフレームがストライクを庇って被弾するのを見たクルーが息を呑んだ。

 

「俺が出る! ゼロを出せ!」

 

 パイロットルームにいたはずのムウから通信が入り、モニターに映った場所はメビウス・ゼロのコクピットであった。

 

「ガンバレルのないゼロでは駄目です! 良い的になるだけです!」

「だがな、出なきゃしゃぁないだろ! 砲台ぐらいにはなれる!」

 

 ムウの言うことには一理ある。が、ガンバレルを失っているメビウス・ゼロはメビウスよりも機動性で劣る。戦力が少しでも欲しいと分かっていても出せるものではなかった。

 

「整備班! その人をコクピットから引きずり出しなさい!」

 

 モビルスーツデッキに繋ぎ、マリューはそれだけを言い捨ててムウとの通信を切った。

 

「艦隊は?!」

「シグナルは一つのみです! 先程から動きません!」

 

 第八艦隊と思われた大西洋連邦のシグナルはたった一つしか艦がない。一定距離から近づいてこず、その艦から出て来たモビルスーツはストライクとグリーンフレームに攻撃を仕掛けた。

 はっきりとした希望を感じたところで、その希望がまやかしであると信じたくないブリッジは恐慌状態に陥っていた。

 

「通信はどうした!」

「繋がらないんですよ! うんともすんとも返ってきません!」

 

 ナタルも冷静さを失っていた。正直に言えばマリューも同じであった。泣きが入っているカズィを責められるものではなかった。

 

「キラ! キラ!」

 

 ミリアリアが必死に戦うキラに縋り続けるのをマリューは悪いとは思わなかった。

 状況はストライクに乗っているキラにも直ぐに理解がついた。分からぬはずがない。

 

「ブリッツに取り付かれたわ。戻って!」

 

 ミリアリアの通信に、またストライクは隙を晒した。

 

「俺を前にして何度も余所見をするんじゃない!」

 

 ビームナイフを構えてハイペリオンが迫る。

 またグリーンフレームがストライクを庇わんと身を差し出した。

 

「あ」

 

 キラにはその姿が良く見えた。同時に別のモニターの映る攻撃を受けるアークエンジェルの姿もまた。

 

『頑張って敵をやっつけてね、お兄ちゃん!』

『敵はみ~んなやっつけてもらわなくっちゃ、私達が死ぬものね』

 

 出撃前に廊下で会話を交わした少女とフレイの姿が脳裏を過ぎった。

 手を繋いで戦いに向かうキラを見送ってくれた二人が、愚かなキラを身を挺して守ってくれているユイが――――死ぬ。

 他者の死への認識がキラの中で何かを壊した。

 

「――――――――――ぅぅぅぅぅぅぅぅうううううううううううううああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっっっっっっ!!」

 

 コクピットでキラが獣のような叫びを上げて、ストライクが躍動する。

 ツインアイから光を迸らせて、パイロットの操作による早すぎる駆動に関節を軋ませながらストライクが横回転し、グリーンフレームの前に出ながら動作の間に抜き放ったビームサーベルでハイペリオンの右腕を薙ぎ払った。

 一瞬消えたと思うほどの速さで眼前に現れたストライクによってビームナイフを持つ腕を切り払われながらも、カナードの鍛え上げられた肉体は反応する。だが、ストライクは先程までの動きが嘘のように機敏に動き、ハイペリオンよりも圧倒的に早く行動する。

 持っているシールドを投げ捨ててハイペリオンの頭部にぶつけてメインカメラの視界を封じ、シールドを捨てた左手で右肩にあるもう一つのビームサーベルを抜いた。

 左手は抜いた動作のまま斜めに振り下ろし、ハイペリオンの腕を切り落とした右手が降り上がる。結果、まるでグリーンフレームの仇討ちとばかりにハイペリオンの両足を膝下から切り落とす。

 更に右足を上げ、斬り落とされたハイペリオンの両足が爆発を起こす前に踵で腹部に叩きつけた。

 グリーンフレームに乗るユイが見ている前で、瞬く間に起こった出来事であった。

 

「なにぃぃぃっ!!」

 

 4肢の内の3つを失って、斬られた右手と両足の爆発に包まれるハイペリオンのコクピットでカナードは絶叫した。

 当のストライクはもはやハイペリオンに興味を失ったのか、グリーンフレームの手を掴むとエールストライカーのバーニアを全開にして転進した。

 

「待て、どこへ行く! 俺を見ろ! 貴様もなのか? 俺はカナード・パルスだ! ニセモノなんかじゃ、失敗作なんかじゃない!! 俺を、このカナード・パルスを見ろ!」

 

 割れたモニターの中で遠ざかっていくストライクにカナードは手を伸ばす。だが、ストライクはカナードの求めを知ることも無く去って行く。

 モニターの破片がぶつかって罅割れているヘルメットを煩わしそうに取ってハイペリオンを動かそうとするが、損傷を負ったことでシステムエラーを引き起こした機体はピクリとも動いてくれなかった。

 

「…………再起動しない? 動け、今動かなければ俺の夢は所詮驕りだということになる! 動け、ハイペリオン! 動けぇええええええ!!」

 

 ハイペリオンの開発に初期から関わっているカナードは各種のスイッチや再起動の手順を繰り返す。

 逆に一刻も早くとばかりにアークエンジェルへ向かっていたストライクは途中で中破しているグリーンフレームを手放し、最高速度を保ったままブリッツへと突っ込んだ。

 

「機体事なんてっ!?」

 

 ストライクの接近には気づいたが、まさか真正面から突っ込んでくるとは思わなかったブリッツがビームライフルを慌てて撃った。

 しかし、ストライクはビームライフルを撃ってビームを相殺すると、そのまま体当たりでブリッツを弾き飛ばした。

 

「うわあああああああっ!!」

 

 いくらフェイズシフト装甲であろうとも最高速度でぶつかってくるモビルスーツの衝撃までは消せない。シートベルトをしていても意味などないばかりの、今までにない衝撃がニコルの意識を刈り取った。

 ブリッツにトドメを刺さんとパイロットが気を失って一瞬だけ漂っている機体にビームライフルを向けた。

 

「やめろぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 そこへ近くにいて仲間の危機に気づいたデュエルが飛びこんできた。

 

「はぁ――――っっ!!」

 

 ブリッツを仕留めんとして無防備になっているストライクの背後からビームサーベルを振りかぶったデュエル。

 だが、ストライクの動きはイザークの想像を遥かに超えていた。

 

「!?」

 

 背中を見せていたはずのストライクが前進する。エールストライカーだけを置いて。

 デュエルの動作はもう止められない。振り下ろされたビームサーベルはエールストライカーだけを切り裂いて、爆発がストライクを隠す。その爆発を縫ってストライクが取り替えていたビームサーベルを両手に持って、デュエルの懐へと一瞬で潜り込んでくる。

 

(やられる?!)

 

 鬼神の如き勢いで正確に2刃のビームサーベルをコクピットへと伸ばすストライクの姿をモニターに映して、イザークははっきりと自身の避けられない死を自覚した。なのに、ストライクは後少しというところで機体を僅かに捻った。

 先程までストライクがいた場所にビームが落ちる。直上からのバスターの砲撃であった。回避動作は直上から降るバスターの砲撃を避ける為の動作であったのだ。

 

「馬鹿な!?」

 

 確実に仕留めたと確信したタイミングで回避したストライクにディアッカは驚愕した。それどころではない。バスターの右手にストライクのビームサーベルが突き刺さっていたのだ。

 砲撃を躱したと同時に両手に持つビームサーベルの内の一つを投げて、バスターの右手を正確に貫いた。同じパイロットとは思えない技量である。もはや同じ人間であるかも疑うレベルであった。ディアッカが知る最高のパイロットであるラウ・ル・クルーゼであっても出来ないと思うほどに。

 爆発に揺れるバスターのコクピットでは、当のストライクがもう一方の手に持つビームサーベルをデュエルに突き刺しているところであった。

 バスターの砲撃によってコクピットから狙いは外れたが、人間でいえば脇腹に当たる箇所を貫いた影響は大きかった。

 コクピット近くに攻撃を受けたデュエルのコクピットに紫電が走ってモニターに纏わりつき、爆発した。

 

「ぐわあああっっ!」

 

 爆発したモニターの破片がヘルメットに激突する。

 突如として走った眉間の激痛が全身を支配する。顔中に走る痛みとヌルリとした感覚にイザークは呻いた。

 

「止めを刺そうってのか! させるかよ!」

 

 慣性で漂うデュエルに止めを刺さんとしたストライクへと向けて、爆発に流れる機体を立て直したバスターがミサイルポッドを放つ。

 アークエンジェルが大半を撃ち落としてくれたがストライクもイーゲルシュテルンで迎撃する。その隙に、ついさっき気がついたニコルがブリッツで動かないデュエルの腕を掴んで離脱する。

 

「ディアッカ! 引き上げです! イザークが!」

「痛い、痛い、痛い!」

「…………撤退するぞ! 俺が盾になる! ニコルはイザークを!」

 

 まだ敵艦隊が到着するまでに1、2分の時間がある。しかし、モニターに映ったイザークの血塗れの姿を見たディアッカは一瞬の停滞の後、ニコルの提案を受け入れた。

 ブリッツがデュエルを抱え、バスターが盾となりながら下がる3機をストライクは追わなかった。別の敵が迫って来ていたからだ。

 

「ミリアリア、ソードストライカー射出!」

「キラ!?」

「ソートストライカー射出!」

 

 アークエンジェルのブリッジで管制をしていたミリアリアにキラのものとはとても思えない声が聞こえて、戸惑ったが繰り返された声には有無をも言わせぬ迫力があった。

 敵が迫る。アークエンジェルの前に傷だらけのハイペリオンがいた。

 

「ハイペリオンはまだ俺と共に戦ってくれる! 生きている内は負けじゃない!!」

 

 四肢の内で左腕だけが残っているハイペリオンがアークエンジェルの前方から迫って来ていた。

 ストライクはアークエンジェルを挟んでハイペリオンを見据え、そこから一気に急加速。ハイペリオンへ向かって行く。

 あっという間にアークエンジェルを追い越したところでハイペリオンを待ち構えるように静止したストライクを見てカナードは歓喜の声を上げた。

 

「戦うことしか出来ない俺は勝ち続けるしかないんだ!!」

 

 唯一残った左腕とウィングバインダーが稼働してアルミューレ・リュミエールを展開する。

 体の前面を覆った左腕のアルミューレ・リュミエールとは違って、ウィングバインダーの方はその形をまるで槍のように変形させていく。対するストライクの武装はエールストライカーを失って、手に持つビームサーベルのみ。

 いや、ビームサーベルのビームが消えた。同時にストライクのフェイズシフト装甲が切れて、トリコロールカラーの機体がメタリックグレーへと変わる。エネルギーが切れたのだ。明らかなストライクの異変を見て、カナードは勝利を確信した。負ける気がしなかった。

 ハイペリオンは全速力でストライクに向かって突き進み続ける。

 

「はぁあああああああああああ――――――っっ!!」

 

 今までの辛く苦しい人生を思い、今この時を以て夢を成就せんと直進する。戦い、勝利することだけで生きることを許されて来た人生に終止符を打つために。ただ、それだけの為にカナードは生きて来た。

 

「私を忘れないで」

 

 一目散にストライクを目指すハイペリオンの斜め前方にはグリーンフレームが外したアグニが漂っていた。

 中破同然で放っておかれたグリーンフレームが頭部バルカンであるイーゲルシュテルンを放つ。

 イーゲルシュテルンは今まさにハイペリオンが通り過ぎたアグニに命中し―――――爆発を起こした。

 

「――っ?!」

 

 完全な意識外の爆発に機体を揺さぶられ、カナードは悲鳴を上げることすらも出来なかった。

 背後の爆発にウィングバインダーのアルミューレ・リュミエールで形成された槍は簡単に狙いがずれてしまう。如何にカナードが優れたパイロットであろうが瞬時には崩れた機体を立て直しきれない。

 そこへストライクが強襲し、下に逸れたアルミューレ・リュミエールで形成された槍を躱して、傾いているウィングバインダーに何時の間にか取り出して両手に持つアーマーシュナイダーを叩きつけた。

 アーマーシュナイダーが突き刺さったウィングバインダーからアルミューレ・リュミエールが消失する。

 

「ウィングバインダー如きで!」

 

 背後からの爆発とストライクによる攻撃によって下方に流れた機体を立て直したハイペリオンは、損傷を負ったウィングバインダーを取り外して尚もストライクを目指す。

 機体名である「ハイペリオン《高い天を行く者》」とは裏腹に、下方から五体満足で君臨するストライクへと向かって。

 

「何時もそうやって高みから見下ろすか!」

 

 生まれ持った宿命を消し去ることは出来なくとも、上書きできるはずだと信じて高みから見下ろす完成体へと唯一無事な左手にビームナイフを持って向かって行く。

 カナードの全てをかけた攻撃を前に、ストライクは微動だにしない。ただ、半身になって待ち構えるのみ。

 

「俺はカナード・パルスだぁああああああああああ!」

 

 カナード・パルスは夢を叶える夢を見て沈む。

 ストライクが背後から来ていたソードストライカーのシュベルトゲベールを掴み、ハイペリオンを遥かに上回る速度で終わらせた。

 シュベルトゲベールの実体剣部分でビームナイフを持つ左手を真正面から叩き潰し、胴体を袈裟切りに切り払われたハイペリオンが慣性で漂う。機体に傷一つつけることなく、ハイペリオンは――――カナード・パルスはキラ・ヤマトに負けた。

 半壊したハイペリオンのコクピットで血の海に沈むカナードは、峰を返してレーザー刃を発生させたシュベルトゲベールを振り上げたストライクを見上げる。

 

「キラ・ヤマトォォォォォォォォッッ!!」

 

 遥かな高みから見下ろすストライクに向けてせめてもの呪詛だけを残して、衝撃の後にカナードの意識は闇に沈んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 プラントから地球に下ろされるザフトの実験機と現地の取材はマティアスからの依頼である。どうしてマティアスが極秘のはずの情報を手に入れられたのか分からない。が、仕事である。ジェス・リブルに断る理由は無かった。

 誰かにマティアスの印象を聞かれれば「色々と胡散臭い」と答える程度には認識は固まっている。マティアスという人間が色々と胡散臭い所があるのはジェスにも分かっていることだった。恩人であることや仕事の世話までしてもらっていることには大いに感謝しているが認識は覆せない。

 嘘は間違いなくつくだろうし、悪人であることも恐らくは間違いだろうと思っている。

 ジェスが及びもしない世界で何かをしていることを知っている。それでも付き合いを続けているのは、ジェス自身がマティアスを気に入っているからだった。生きていく為の生命線であることは事実だが。

 アフリカの砂漠地帯に送られたのも何か理由があるだろうと推測はしても気にしない。少なくともマティアスは人を貶めて喜ぶような根っからの悪人ではないと知っている。

 

「―――――」

 

 ジェスが、その戦闘を目撃したのは偶然である。

 ジェスが、その戦闘を目撃したのは必然である。

 偶然か、必然か、どちらにしてもジェス・リブルはカメラを持つ手に意識を集中して、ファインダー越しに見える映像を撮り続ける。

 アフリカは熱い。砂漠地帯ともなればオーブンの上に立っているようなものだ。陽射し除けのマントを被って砂の上に寝そべってファインダーを覗いていたら汗が止まるはずもない。額から頬を伝って流れて行く汗を煩わしく思いながらも遠望レンズで見える戦闘をつぶさに観察する。

 

「戦闘をしているのは二機。四足歩行機と二足歩行機…………バクゥとジンか?」

 

 巻き起こる砂埃では把握するのに時間がかかったが戦闘を行っているのは二機。

 このアフリカの砂漠地帯で猛威を振るうバクゥに間違いない。だが、もう一機はザフトの主力モビルスーツであるジンとは違っていた。

 

「あっちのバクゥタイプはマティアスが言っていたザフトの実験機か。大分、バクゥと違う」

 

 色や色んなところが違うが最も目につくのは頭部のファングだ。サーベルタイガーの牙を思わせるほどのサイズを持つ姿はより戦いに特化しているように見える。

 細部に違いはあれど、このバクゥタイプがマティアスの言っていたプラントから降ろされた実験機であることは確実だった。

 仕事を思い出してバクゥタイプに集中して写真を撮るがジェスの興味は、バクゥタイプと戦っているもう一機のモビルスーツにあった。

 

「あの青いフレームのモビルスーツはジンとは違う。もしかしてヘリオポリスで建造されていたっていう噂の連合の新型か?」

 

 ジンをもっとスマートにしたモビルスーツは、単眼が基本のザフトの機体と違って頭部が双眼でより人間に違いフェイスをしている。青いフレームを白い装甲で包んでいる機体は公開されているザフトの機体とは似ても似つかない。

 ザフト以外にモビルスーツを開発できる国は限られている。コーディネイターを受け入れているオーブ連合首長国等や巨大な組織力を持つ大西洋連邦などの地球連合理事国のような技術力や組織力がある国に限られる。

 二週間前にオーブ所有のヘリオポリスがザフトに襲撃されてコロニーが崩壊したのは有名な話であった。

 プラントの言い分としては中立国のコロニーで地球連合が新型機動兵器を開発していたとしていて、実物の映像も流されているが地球連合は肯定も否定もしていないが巻き込まれたオーブでは代表首長であるウズミ・ナラ・アスハが責任を取って辞任している。

 

「こんな大スクープを取れるなんて……!?」

 

 誰も実物を見ていないので実在を疑っている者がいるが撮影できれば大スクープである。シャッターチャンスなど考えずにカメラのモードをフォトからムービーに切り替えて撮りっ放しにする。これならば撮りっぱぐれることはない。

 2機をファインダーに入れていればいいので興味は戦いに向いていく。

 

「す、凄い……」

 

 ファインダー越しに繰り広げられる戦闘は戦いの素人であるジェスにも分かるほど高度な物だった。

 機体が優れているのもあるだろう。だが、それよりも何よりも機体を扱うパイロットの技量が際立つ戦いだった。

 ジェスが見る限りでは両パイロットの腕はほぼ互角。モビルスーツの性能はビーム兵装を持っていたり総合的には青いフレームの方が高いだろう。地形的にはバクゥタイプの方が有利で性能の差を覆すには十分である。

 紙一重の攻防と回避。綿密に組み上げられた戦術と不利な状況を覆せる度胸と精神。

 

「俺以外に観客がいないのが勿体ないくらいの戦いだ」 

 

 殺し合いをしているにも関わらず感嘆してしまうほどの戦いはそうはない。

 何時までも見ていたいと思える戦いは呆気なく終わりを告げた。

 

「動いた!?」

 

 青いフレームのモビルスーツがビームサーベルを抜いてバクゥタイプとすれ違い、そのサーベルタイガーを思わせる牙を斬った。肩部の装甲を代償にして。

 直ぐに振り返ったバクゥタイプと違って、青いフレームのモビルスーツは止まらずに進み続ける。

 

「逃げた? いや、退いたのか」

 

 バクゥタイプもここが戦闘の引き時としたのか、その背中を見送るだけで追撃はしなかった。

 2機の間にどのような通信が為されたのかはジェスには分からない。そもそも通信がされた保証もない。

 不思議なことに2機の間には命の取り合いをしたにも関わらず、殺し合い特有の陰惨な空気は無かった。まるで強敵と戦えたことを喜ぶように誇らしげに立つバクゥタイプにジェスは不思議な感動を覚えた。

 

「俺もモビルスーツに乗ってみたい。そして彼らが見ている景色を見てみたい」

 

 戦いたいわけでは断じてない。ジェス・リブルは殺し合いをする為にカメラを構えるのではない。ただ、そこにある真実を映し撮りたいだけだ。

 青いモビルスーツとは別の方向へ去って行くバクゥタイプを見るジェスの中で、モビルスーツからの視点の真実を撮りたい欲求に駈られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死を迎えたはずのカナード・パルスは生き長らえた。

 

「――――ここは…………」

 

 目を覚ましたカナードが見た物は鋼鉄の天井だった。断じて死後の世界などではない。醜い人が争うだけの現出している地獄のような元の世界で目を覚ました。

 

「大丈夫ですか、カナード」

 

 キラに殺されたはずの自分が生きている状況を理解できずに混乱していたカナードに、副官であるメリオル・ピスティスが瞳に心配の色を覗かせたが当の本人は混乱していて気が付かなかった。

 

「…………メリオル。ここは、どこだ?」

「オルテュキアの医務室です。動いてはいけません。重傷なのですよ」

 

 言いながら起きようとするカナードの肩をメリオルは優しく抑えた。

 重傷過ぎて起き上がれないのだから抑える必要がないとしても、カナード・パルスという人間がどれだけの無茶をするかを熟知しているメリオルの心配は正しかった。

 

「俺は…………奴はどうなった! 何故、俺は生きている!」

 

 弱い力にも関わらず、気を失う直前に見た対艦刀を振り下ろそうとしていたストライクを思い出して重傷にも関わらず体を起こそうとした。メリオルが止めていなければ治療をしたにも関わらず起きていただろう。

 メリオルは自分の判断を良しとした。

 

「どこまで覚えていますか?」

「奴が対艦刀を振り下ろそうとしていたところだ。俺が生きているはずがない。死んだはずだ」

 

 全身に走る痛みか、自身が生きているはずがない状況に対する不安か、カナードは顔を歪めながら吐露した。

 記憶の確認の為に問うた返答は奇しくもメリオルの予想通りだった。果たして言っていいものかと迷ったが、カナードのアメジストのような瞳が色んな感情で歪むのを見て観念した。

 

「アルファ隊があなたを助けたのです。褒めてあげて下さい。彼らはカナードを守り切った」

 

 生きては帰れないと知りつつも戦いに赴いたモビルアーマー乗り達を思い、メリオルは一瞬だけ瞳を閉じて彼らに黙祷を捧げた。

 

「馬鹿な! あのキラ・ヤマトに歯向かっただと!」

 

 看過できない言葉にカナードは遂に肩を抑えるメリオルの手を振りほどいて起き上がった。

 動いたことで傷が開き、全身に巻かれた包帯から血を滲ませるカナードは痛みに耐えながらも真っ直ぐにメリオルを見る。

 

「あなたを守る為です」

「俺にそのような価値なぞ」

「彼らはやりきりました。あなたがここにいるのが何よりの証拠です」

 

 だからそのような悲しいことは言わないで下さい、と部下を失ったメリオルはカナードに告げなくてはならなかった。

 

「オメガ隊があなたを回収、後に私達は空域を離脱しました。アルファ隊全機未帰還。ですが、彼らはカナードを私達の下まで送り届けてくれました。その功と、命を投げ出しても守ろうとした行為に報いてあげて下さい」

 

 振り下ろされた対艦刀に身を曝したショーンも、時間を稼ぐためにストライクに特攻を仕掛けたチラム・ハント・メルウィン、ハイペリオンをオルテュギアがいる方向へ弾き飛ばしたレムタイ。

 まずショーンが死に、チラム・ハント・メルウィンが次々と。ハイペリオンをオルテュギアを弾き飛ばしたレムタイは弾薬を自爆させて時間稼ぎまでしてみせた。死ぬと分かっていて彼らは笑ってストライクへ向かって行ったのだ。その理由を分かってほしいと思うのはメリオルの傲慢であろうか。

 カナードの命は彼ら5人を犠牲にして、今ここにいる。

 今のカナードにこの言葉は苦痛でしかないと分かっている。誰かが言わなければ、それこそ無謀にも追撃をかけようとするストライクからハイペリオンを救うために命を投げ出して行ったパイロット達が報われない。

 顔を伏せたカナードは何も語らない。意識を失っていないことだけは、痛みに荒い息が物語っていた。

 

「ハイペリオンは大破しています。あなたが生きているのが不思議なぐらいの損傷です」

 

 あの斬撃で機体が断ち切られなかったのはカナードの腕か、ストライクのパイロットの未熟か、それとも他の理由かはメリオルには分からない。少なくともカナードが生きているのが不思議なほどの状態であることは間違いない。

 

「第八艦隊に気づかれぬようにオルテュギアは撤退。センサー外で待機しています」

 

 指示を、と隊長であるカナードに酷であるとは分かっていても問うた。

 俯いているカナードは暫く動かなかったが、やがてゆっくりと口を開いた。

 

「アルテミスへ帰投する」

 

 顔を上げたカナードの顔には哀しみがあった。

 

「失った者達の仇を取る為に、今は退く」

「カナード……」

 

 メリオルは嬉しかった。カナードは悲しんでいる。我が事にしか興味のなかったカナードがモビルアーマーパイロット達の死を惜しんでいる。そのことが嬉しかった。

 

「復唱はどうした」

「アルテミスへの帰投、了解しました」

 

 隊長であるカナードに敬礼を返し、表情を緩めた。

 ここからは副官であるメリオルの仕事である。

 

「無理はなさらないで下さい。後は私が」

「ああ…………後を頼む」

 

 喜びと部下を失った喪失感の中で、カナードを寝かしつけてメリオルは医務室を出た。

 閉じた扉の向こうから聞こえる嗚咽は聞かなかったことにした。

 




本作はここまでです。挫折しました。
この後の展開は活動報告に載せています。


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