蠱毒と共に歩む者 (Klotho)
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『蠱毒』

 

 

光があった。

 

 

「……」

 

ふと気が付くと、足元には一本の道があった。

 

 刹那の間か、一日か、一年か、一万年なのか。気が狂う程長く、気を遣る暇もなく歩き続けていたような気がする。自分が生きていた五百年がまるで長く、恐らくは竹林に住むあの二人が過ごしてきた時間よりも短い時間。そんな不可思議な感触のまま歩いていたら何時の間にか辿り着いてしまった。かつて背後に道の終わりを背にした時とは違う。今度は果てしなく、少なくとも今は果てしなく続く道が何処までも続いている。

 

その延長線上に、眩く光る光があった。

 

「……」

 

手を伸ばしかけ、既の所で止める。

 

――怖かった。

 

 あれだけの大見得を切ったのに、いざ直面してみるとどうしても怖かった。何となく分かる、この光に触れた私が目覚めてしまうのが怖かった。もし目覚めたとして、その時本当に違う世界になっていたらどうしようと、そんな考えが頭を過ぎるのだ。

 

私の知っている何もかもが無くなってしまっていたら?

 

姿だけでなく、その伝承や史実すらも存在しないなんてこともある。

 

それに――

 

 

少なくとも、もう彌里は生きていないだろう。

 

「……そっか」

 

ポツリと呟く。

 

誰に向けた物でもない、自分に言い聞かせるような言葉。

 

「私が行かなきゃ」

 

彼女の願いすらも叶えてあげることが出来ないのだから。

 

 誰に聞いた訳でもないが、多分彌里ならそう願うだろう。それを願い、最後には微笑みを携えて逝った筈だ。こんなどうしようもない親の為に――血の繋がりすら持たない唯の妖怪の為に、彼女はきっと最後の最後まで思いを馳せてくれていたに違いない。

 

『どうか、お幸せに』

 

 

声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

紅の館に住む吸血鬼はその翼を精一杯に広げた。

 

興奮。

 

 優雅に紅茶を嗜んでいた数秒前とは一転、背後に佇んでいた従者が困惑するのも構わず窓辺に立ち夜空を見上げる。真上には相変わらずの美しい満月。全ての魑魅魍魎に等しく妖しい力を降り注ぐ筈のそれが、今日は何故かただ一人の為に降り注いでいるようだった。傲慢な吸血鬼はそれでもその対象が自身ではない事に気が付いていた。自分ではなく、もっと別の何か。それこそ、この吸血鬼が未だ知り得ないこの幻想郷の――

 

そして彼女は垣間見る。

 

「……良いわね、悪くない。本当にこの場所は退屈しない。本当に鬱屈しないわ」

 

全てをかき混ぜて一度リセットしたような混沌。

 

 今まで明確だった運命が全て掻き消されて、代わりに眼前に用意されたのは先の見えない阿弥陀籤。一体どれ程の害悪が、本来収まるべきだった物をこうまで『変えて』しまったのだろう。一体どれ程の数の命が、たった一つの存在によって曲げられたのだろうか。

 

「これが余波だと言うのなら、その源流はどの位素敵なのかしら」

 

どう転ぶかは分からない。何が出るかも分からない。

 

運命を覗くことの出来る吸血鬼の少女は、その混沌とした未来に翼を震わせた。

 

 

「準備をしなさい咲夜。私達も一枚噛むわよ」

 

レミリア・スカーレットは、その瞳に何処までも純粋な好奇心を携えて。

 

 

 

 

死と生を繋ぐ境目で、一度死んだ筈の少女は巨大な桜を見上げていた。

 

「……」

 

かつて自身が起こした異変。

 

 幻想郷中の春を奪い、そうまでしてこの桜を咲かせようとした理由。純粋な興味だったのか、それとも唯の酔狂だったのか。自分でもよく分からない内に起こしてしまい、結局何も分からないまま解決された事件。紫に説教をされて、暫くの間藍から厳しい監視を受け、それでも未だに私は諦めていなかった。

 

この桜の封印を解けば、西行寺幽々子という存在が望んでいる記憶を取り戻せるのだから。

 

「――でも、その必要はなくなった」

 

けれど、一度死んで死に返った少女は気付いていた。

 

つい先ほど自身と同じように死にながらも戻ってきた存在がいる、と。

 

その漠然とした直感が、それだけで自身の欲求を満たしてしまったことを。

 

「うふふ、楽しみねぇ」

 

それはつまり、そういうことなのだろう。

 

「幽々子様!」

 

銀の髪、二振りの刀、半霊。

 

 背後から近付いてきたこの子はとてもよく似ている。仮面でもつけさせて斬りかからせてみれば、きっと面白い反応が見れるに違いない。

 

彼女の驚いた顔は、結局見ることが出来なかったから――

 

「紫が来ているんでしょう?当然、参加すると伝えて置いて頂戴」

 

西行寺幽々子は遥か昔の思い出を懐かしむように微笑んだ。

 

 

 

 

かつて妖の親と人の子が共に暮らしていた神社。

 

「いやはや、今の人里には全く驚いたよ。私を見ても全然動揺しないんだからさ」

 

「アンタの身長がもう少し高ければ違ったかもね」

 

昔を懐かしむ鬼に言葉を返したのは紅白の巫女。

 

 何の因果でこうなったのやら、まさか自分が此処に住む事になるとは思ってもみなかった。気まぐれで起こした異変の時も出来る限り此処には近付かないようにと心がけていたのに。しかもその理由が紫の差し金でも私の気まぐれでもなく、この神社を代々引き継いでいる巫女の勧誘なのだから更に笑えない。そんな少し手前の過去も振り返りつつ、昔から使っている朱塗りの杯を傾ける。この味すら、奇しくも当時飲んでいた酒と良く似ているような気がした。

 

それこそ『運命』のめぐり合わせでもなきゃ、こんな事には――

 

()()()()()()

 

「――おいおい」

 

口から漏れ出たのは驚愕と回顧の入り混じった声。

 

博麗神社に向かって、数千の極小さな妖力が近付いてくる気配。

 

「萃香?どうしたのよ?」

 

「ん……あぁ、そうか。霊夢はこの感覚が分からないのか」

 

酔っ払いの感覚なんて知らないわよ、と今代の博麗の巫女は呟く。

 

 忘れるはずもない、この奇妙で独特な彼女特有の妖力。見るからに小さく見るからに弱い、普通の人妖ならば全く脅威にもならない程度の力。

 

だからきっと、知っている者と見えている者以外は気付かない。

 

まるでありありと魅せつけているようだった。

 

「偶然か、紫か……それともなるべくしてこうなったのか」

 

演出としては紫のような意地の悪さを感じるが、しかしこのタイミングは唐突過ぎる。

 

だからこそ、きっと紫も驚いているに違いない。

 

「いいねぇ、久し振りに良い酒が飲めそうだ」

 

この場所に再び立った彼女が何を想うのか。

 

 少なくとも良い思い出や楽しい出来事だけではないだろう。身を斬られるような苦痛と、それとは別の悲しみもあるだろう。誰もが予想していて彼女自身が自覚していたとしても、それはあまりにも現実的で過酷な想像だった。これからあるだろう新しい出会い。既に終わってしまった誰かとの別れ。酔狂とはいえ私が鬼を地上に戻そうとしたように、彼女がそれを本気で起こそうとしなければ良いが――

 

大丈夫。彼女ならば、きっと。

 

「ちょっと、さっきから何呟いてるのよ」

 

「いやね、霊夢は随分ズボラな性格だと思ってさ」

 

カツンと一度、少女の拳から脳天に軽く振動を貰って。

 

伊吹萃香は心地()()感覚に身を任せた。

 

 

 

 

そこは今も昔も全く変わることのない永遠の亭。

 

 しかしそこに住む者はほんの少しだけ変わり、随分前に一人家族が離れていって、つい最近新しい家族が一人住む事になった。勿論前者の方はとても大切に思っていて、今でも戻って来て欲しいと思っている。けれど後者の方の家族であるイナバ鈴仙によってもたらされた情報によって、その家族を待つ事が出来なくなる可能性が出て来た。

 

満月の夜、月からの迎え。その真の目的は輝夜姫と八意永琳の確保。

 

「ねぇ、永琳」

 

「何でしょう」

 

呼ぶつもりで呼んだ訳ではない。ただ、ふと口をついて出てしまった名前。

 

頭では考えず、心に任せてみる。

 

「ひよりが封印されてから一千年。私にしては頑張った方だと思わない?」

 

 あの日から大体その位の経過。月に居た頃には然程長くも感じなかった年月は、驚くほど冗長で単調で退屈に感じられた。それは月に居た頃の退屈とは比べ物にならないほど耐え難く、しかもその解決方法は彼女自身によって止められてしまっているのだから。私が今こうして此処に立ち、ただ彼女の帰りを待ち続けている理由なんて最早それしかないと言ってもいい程に。だから待った。一千年も待った。自分でも驚くくらい我慢した。

 

「えぇ、そうですね」

 

「そしてその苦労は報われた。分かるのよ永琳、私には。きっと貴女には理解出来ないでしょうけど、私には分かる。この年、この月、来週の満月を以ってして、私の退屈は終わりを迎えるの」

 

永琳の目がなければ、自身の身を抱きしめて叫びたい気分だ。

 

 誰かの口から聞いた言葉ではなく、ただ己の直感による確信。頭で考えるのではなく、心で感じたまま口に出した結果。――何処にも根拠はないが、きっと本当になる。私が蓬莱山輝夜で、彼女がひよりである限り。

 

私達は一度も嘘を吐いたことがないのだから。

 

「……成る程、言霊の力ですか。嘘を吐かないという思い込みにも近い力を利用して、ひよりさんが復活するという事象を本当の事にするつもりなのですね」

 

優秀な従者であり師でもある彼女は冷静に私の意図を見抜いた。

 

しかしそれでも変わらない。確信が核心である限り、私の発言もまた発現される。

 

そう信じているのだ。

 

「だから帰る訳にはいかない。私も永琳も鈴仙も此処から離れることはないわ。てゐと別れることもないし、ひよりと再会出来なくはならない」

 

「その発言は――」

 

「永琳が実現してくれるんでしょう?」

 

背後から溜息。私は口角を吊り上げた。

 

私はまた永琳も信頼している。彼女ならばきっとそれを可能にしてみせるだろう。

 

――そう、頃合なのだ。

 

「永琳、貴女の言う言霊なんだけどね」

 

「……」

 

「多分、言っても言わなくても同じことよ」

 

同じ。ひよりは復活するし、月からの使者は来ないという事。

 

 てゐから聞いた外の情報……紅い霧が幻想郷中を覆う異変や、春を奪い冬だけにして見せた異変、多くの人妖を一箇所に集めて宴を開かせていた妖怪の話を聞いて確信した。外で動いている――恐らくは八雲紫とその仲間達はもう既に動き出している。変化の概念を――『異なった変化』の概念を『異変』として、そもそも変化という事象自体を刷り変えるという大胆な作戦。故にこれだけ時間がかかり、だから実現出来るのだ。

 

だったら、もういい頃だろう。

 

「このタイミングを逃して寝てる程ひよりは鈍くないわ」

 

蓬莱山輝夜は知りもしない真実を瞳に映しながら。

 

 

 

 

バキン

 

壊れる音を聞いた。

 

 

「……」

 

鎖の壊れる音だった。

 

 今まで自身を縛っていた鎖が――右腕が、左腕に、右足の、左足まで、自分の到る所に繋がれていた、自分が至らなかった部分を明示し続けていた鎖がバラバラに砕け散るのを理解した。

 

後悔が

 

懺悔が

 

自責が

 

罪悪感が

 

それら全てがなくなって

 

ギィィと、古い扉の開く音。

 

 

それが間違いのない事実だと気付いたのは、息巻いた藍が部屋に入ってくる音。

 

 彼女の話では、曰く何の予兆も変化もなく扉が開いたらしい。誰に触られる訳でもなく、蠱毒に開かれる訳でもなく独りでにゆっくりと。そしてその中から出て来た彼女の姿を確認した所で、藍は慌てて私の元へ来た、ということだ。

 

スキマは開かない。私だけが彼女の姿を見るような狡い真似はしない。

 

「あの子は今どうしているのかしら?」

 

「今の所は集合を呼びかけているだけです。恐らくは情報を集めているものかと」

 

私の問いかけに答えたのはかれこれ一千年程の付き合いになる従者、藍。

 

 どんな時でも無愛想な従者を演じている彼女ですら、今日だけは口元に笑みを浮かべていた。恐らくは懐かしみ、懐かしむ心を喜び、そしてこれからの再会に心を躍らせているのだろう。無理もない。私もこんな立場でなければ――ひよりを封印する手筈を整え、そこから生み出した利で幻想郷を管理している妖怪なんて肩書きが無ければ、多分同じ顔をしていた筈だ。

 

だから私は笑わない。ひよりと話すまでは、笑えない。

 

「さて、ひよりが出て来た事で何か動き出した所はあるかしら……」

 

「いえ、私の見た限りでは特に何も。ただ、気付いた気付かないで言うのならば彼女と縁のある妖怪は殆ど気付いていると思いますよ。それと理由は分かりませんが、風見幽香も気付いているようです」

 

「えっ」

 

思わず振り返る。肩を竦めて困ったという表情を浮かべる藍。

 

「お忘れですか?紫様は一度、ひよりに風見幽香の説得を依頼したじゃないですか」

 

「も、勿論覚えてるけどっ!あれは冗談で……」

 

「ご自身の口で説明なさって下さい」

 

自業自得だと、そう言いたいらしい。

 

想像。たった一度の攻防とはいえ敗れた相手の復活を確信した時の風見幽香。

 

……。

 

「ねぇ、藍」

 

「知りませんよ。この事で直接神社に来られる方が厄介だと思いますけど」

 

それもその通りなのだが。いや、しかし――

 

しかし……

 

「……まぁ、これくらいで済むなら安い方かしらね」

 

結局は諦める。ひよりがいきなり現れたリスクとしては、それでもマシな方だ。

 

 一番恐れていたレミリアスカーレットとの敵対や、ひよりと縁のある妖怪の山が混乱している様子も今の所はない。彼女の帰りを待つ者が居る地底には萃香が知らせに行っている頃だろうし、するとやはり私のすべき事はそれしか残っていなかった。

 

改めて、私は今まで支えてくれた従者を見る。

 

「ねぇ、藍」

 

「何でしょうか」

 

「今までありがとう」

 

浮かべていた笑みがフッと消えて、何時もの無表情――ではなく驚愕に。

 

私はそんな藍を見て苦笑し、再び背を向けてスキマ越しに幻想郷を眺め始める。

 

彼女が口を開いたのはその直後だった。

 

「……私だって当事者の一人です。背負うべき業は、本来なら紫様と同じかそれ以上でなくてはなりません。――幽々子も、萃香も、そして彌里も。皆それぞれ別々の言葉で同じようにそう言っていた」

 

「――」

 

「だからその言葉にはまだ答えんぞ。お前が幽々子や萃香に感謝し、彌里に謝り、そしてひよりと抱き合ったその後になら聞いてやる。それまでは、私も無理に笑えとは言わないさ」

 

「……抱き合わなきゃ駄目かしら?」

 

「まぁ、そこは()()に任せるよ。どうしてくれても構わない」

 

口ではそんな事を言いつつ、けれど否定は出来ない。

 

今度は藍がそんな私を見て苦笑し、そして立ち上がるのを感じた。

 

「まぁ、何はともあれこれで清算も殆ど終わりだ。そうしたらお前主催で宴会でも開けば良いんじゃないか。紹介してやりたい奴も何人か居るんだろう?」

 

私は少しひよりの観察してくる、と藍は部屋を出て行く。

 

「勿論、貴女も来てくれるのよね?」

 

「誘うのは勝手だが、従者面を期待するなよ」

 

「えぇ、楽しみにしてるわ」

 

スルリと障子が閉じられ、部屋に居るのは私一人になった。

 

「……」

 

かつて藤原妹紅に指摘された通り、私は何処か人と線を引いている節があった。

 

 そしてそれは稗田阿求に指摘された今でも変わっていない。多分、ひよりがそうだったような人と妖故の別れを恐れていたのかもしれない。自分よりも先に死んでしまう事が分かっている者と付き合い、笑い、泣くというのは、想像以上に難しいのだ。――けれど、それは逆の立場に立つ人間にも言えることなのだと私は気付いた。ひよりだけでなく、彌里も同じように想っていたことに気付かされた。

 

だからもし、彼女が今も笑っていられるのなら。

 

「私はもう逃げない」

 

スキマは直接彼女の目の前へと繋がっている。

 

 

匂いが酷い。

 

 兎に角酷い。臭いという訳ではなく、久し振りの使役に情報が入り過ぎている感覚。草の匂い、土の匂い、風が運んでくる遠くの匂い、虫の、小動物の、傍に生えている茸の――もう何が何だか分からない。けれど視覚だけはハッキリしているので、私は周囲を見回して様々な物を確認していく。生えているのは植物、地面にあるのは地面、風は自然現象、昆虫、哺乳類、菌類……どうやら頭の方は正常のようだ。

 

私は鼻を軽く押さえて空を見上げる。

 

「……変わらない、か」

 

どの位の年月が経ったのか、それは分からない。

 

けれど何時だって月だけはいつもこうして空に浮かんでいた。

 

顔を下に戻す。

 

「ん」

 

自分の出て来た社の階段に小さな紫の花と朱塗りの杯が置いてある。

 

 少し迷った挙句、私はそれらを回収して帯の背中へと差し込んだ。差出人が分かっている以上、これらは直接私が返してあげるのが道理という物だろう。そう結論を出した所で、私は自身の居る場所に向かって近付いてくる懐かしい『それ』を感じ取った。

 

ザワリと一度、風が誰も居ない周囲を吹きぬける。

 

「おいで」

 

その言葉を皮切りにウオンという唸りにも近い音を立てて勢いよく私の中へと戻っていく私達。

 

最後にこうして皆を集めたのは何時だったか――凡そ九百五十年前。

 

そういえば、此処は――博麗神社の片隅、森の中。

 

あの日から、皆は……浮かばないという事は、自身で確認しろという事か。

 

まぁ、とりあえず。

 

 

「一人確認」

 

開いたスキマ、出て来た彼女もまた変わる事なく。

 

 

 

 

変わっていない。

 

 まるで変わっていない。黒い髪、黒い瞳、黒い衣――頭についていた髪飾りがないのは自身の娘にそれを託した証。私の視線に気付いたらしい彼女は、自身の側頭部に軽く手を当てて確認。

 

ほんの少しだけ困ったように笑った。

 

笑った。

 

「やっぱ、ないと寂しいね」

 

「……今でも充分可愛いと思うけど、まぁ、そうねぇ」

 

()()に気付いていない訳ではないだろう。

 

蠱毒達を回収し終えた今だというのならば、尚更。

 

「それで、身体に異常はないのかしら?」

 

「ん、特には。出た瞬間は匂いと光でビックリしたけど」

 

 両手を動かし、数歩歩き、ひよりは全身を確認しながらそう呟く。その様子を黙って眺めていると、彼女はその手の内片方を背中に伸ばしたままの姿勢で停止した。

 

彼女はそれを私の前に差し出す。

 

紫の花。

 

「ありがと」

 

「……」

 

「偶々置いといてくれた……って訳じゃないんでしょ。何となくだけど、紫なら」

 

だからこれが私からの感謝の印、と彼女は私の前に掲げる。

 

感謝される筋合いなど、何も――

 

「本当に?」

 

「……」

 

「ありがとう、彌里の面倒を見てくれて。ありがとう、ぬえ達の事を気にかけてくれて。ありがとう、幻想郷を実現させてくれて。ありがとう、紫が紫のままで居てくれて。――本当は、少しだけ不安だった。彌里の事も、ぬえ達の事も、幻想郷の事も、紫の事も、ね……。無くなるべき物があったらどうしよう、有って欲しかった物がなかったらどうしようって、そんな風に考えて」

 

「ほんの少しだけ、戻ってくるのが怖かった。だから――」

 

 

ありがとう、私のことを待っていてくれて

 

 

「――っ!」

 

「……苦しいよ」

 

溢れ出た涙が彼女に見えないように。そうして頭上から聞こえて来たのは苦笑交じりの声。

 

 怒っていると思っていた。長い年月の末、ひよりと彌里の繋がりを引き裂いた私を恨んでいると思った。自分が間違った判断を下したとは思っていない――けれど、正しい選択をしたとは言い切れない。本当ならもっと別のやり方もあったのではないかと、そう考えて過ごしてきた。

 

それらの全てを掻き消すように、ひよりは黙って私の頭を抱く。

 

「『誰かの犠牲の上に立つのなら、それは私の求めている理想ではない』」

 

「……、うんっ」

 

それは彼女と手を取り合った妖怪の山で聞いた言葉。

 

ひよりが数ヶ月の間過ごした命蓮寺という寺の、人妖に平等を求める僧侶が残した言葉。

 

「でも、そんな風に都合の良い事ばかりじゃない。人も妖怪も、生物は生きているだけで他の何かを奪い続ける。聖ですらも、ね。――だから、それを背負った上で共に生きていけるのなら、それは『共存』なんだと思う」

 

私の頭に回されていた手が不意に私の顔を持ち上げる。

 

深い闇を刻み込んだ彼女の瞳は、それでも綺麗な光を燈して――

 

「此処は素敵な場所だね」

 

「……えぇ、そうでしょう?……苦労したのよ、色々と」

 

「お疲れ様」

 

手。

 

差し伸べられた小さな手を掴み、私は立ち上がった。

 

 何時の間にか涙は止まり、代わりに先ほどまで彼女に泣きついていた時の不恰好な姿が頭を過ぎる。何もかもが恐らくはあの従者、八雲藍の企て通りなのだろう。今もし彼女がスキマでこの光景を覗いていたのならば、私もこうはならなかっただろうから。

 

自らの従者ながら、自らの友人ながら末恐ろしいというか。

 

……信頼出来る、とも。

 

「これから私はどうすれば良い?」

 

「そうねぇ、予定では博麗神社に住んでもらうつもりだったのだけれども……」

 

夜空を見上げる。月がそろそろ沈もうかという時間。

 

 この時間に神社へ押しかけてひよりの寝る場所を確保するのも大変だろう。あの巫女が起き出して攻撃してくるとも限らない。だからとりあえず今日は私の家に泊めて、それから神社へ行って霊夢に説明するのが妥当か。――決して泊まって欲しいと思っている訳ではない。確かに、彼女とは久し振りに話をしたいこともあるのだけれども。

 

それに、この機会にしたい事も一つある。

 

「時間も遅いし私の家に来て頂戴。私もそうだけど藍も話をしたいと思うし、それに――」

 

「『折角だから少し面白い事もしちゃいましょう』」

 

顔に出てるよと、そう言って少女は呆れたように肩を竦める。

 

そう言われて慌てて顔に手を当てる……何時の間にか、意地の悪い笑みを浮かべていたようだ。

 

久し振りに、笑みを。

 

「ねぇ、ひより」

 

「なに?」

 

スキマを開く。行き先は懐かしき我が家。

 

ひよりは暫く私の方を見つめていたが、私が何も言わないのを確認してスキマへと歩き始める。

 

その背中が、昔から変わっていないその背中がスキマへと消えていく直前に――

 

「ありがとう。そしてようこそ、幻想郷へ」

 

「どういたしまして。それと、これからもよろしく」

 

スキマの中へと消えていった彼女。

 

 

そのスキマの手前で立っていた鼠が意地悪い笑みを浮かべてそう答えた。

 

 

幻想郷と現世を隔てる大結界の管理人、博麗の巫女。

 

肩書きだけ聞けば随分と堅苦しく大変そうな役割だと、そう思う者も居るかもしれない。

 

 

 

 

「……暇ね」

 

「あぁ、暇だぜ」

 

しかし実際はそこまで大変な事は何もない。

 

 朝起きて、軽く身体を拭いて晒を巻き、数少ない食料から一日の献立を考えて朝食を作る。食べて、食後のお茶を沸かして、そうしている内にやってくる白黒の魔法使いと一緒に縁側に座り、こうしてただ駄弁っているだけ。これはこれで大変だと言う人も居るだろうが、しかし私はそこまで嫌いではない。こうして意味もなく時間を潰してダラダラすることこそが、私の趣味であり私の好きな事だからだ。

 

「レミリアの起こした異変からもう一年とちょい、あの亡霊が起こした異変から五ヶ月、お前ん所の居候が起こした異変から早二ヶ月……段々頻度が上がって来てるし、そろそろ何か大きな事が起きてもいい頃だと思うんだ私は」

 

「あの馬鹿が起こした異変からまだ一年、その馬鹿が起こした異変から未だ五ヶ月、うちの馬鹿が起こした異変からは二ヶ月しか経っていないんだからもっと平穏でも構わないくらいよ」

 

「具体的にはどれ位だ?」

 

「そうね、五十年くらい安泰なら良いかしら」

 

そん時は私等の子供が解決するのかー?と、霧雨魔理沙は尚もやる気なくそう呟く。

 

 今の遣り取りでも分かるように、私こと博麗霊夢と霧雨魔理沙は一枚岩という訳ではない。不本意ながら幾つもの異変を二人で解決してきたが、その動機は互いに異なり行動すら異なっている。逆に言えばそれ故に噛みあっているという事か。

 

隣に寝転ぶ魔理沙の横顔を眺め、次第に空へ視線を映す。

 

「でも、厄介事は決まって向こうからやってくる物だぜ」

 

再び隣を見る。彼女は私ではなく縁側の向こう……中庭に視線を向けていた。

 

私も同じように視線を追う。

 

「……げ」

 

「あら、随分な反応ね霊夢。それと魔理沙、お早う」

 

「お早うだけどな、紫が来なかったら私達はこのまま寝て次の挨拶はこんばんはだったぜ」

 

全くしょうがない子達ね、そう言って肩を竦める紫妖怪。

 

 名前は八雲紫。肩書きは妖怪の賢者、幻想郷の管理人。一般には博麗の巫女と()()幻想郷と現世を隔てる博麗大結界を管理している妖怪という事で知れ渡っている。一部の者には、胡散臭い態度とよく分からない言動で計画を邪魔してくる厄介者という真実が伝えられているのだ。実際私や魔理沙も含めて、何人かがこの妖怪に面倒ごとを押し付けられている。

 

そして名目上は私の保護者と本人は語っていた。

 

彼女の視線が私を捉える。

 

「……」

 

「霊夢、寝たふりをしていないでよく聞いて頂戴。今日は別に修行をしろだの何だのと言いに来た訳じゃないのよ」

 

「なんだ、そうだったの」

 

「……お前何時か紫に騙される日が来るぜ」

 

冷ややかな視線を送ってくる魔法使いを無視して紫と向き合う。

 

 彼女が持ってくるのは食料か面倒事。その両手に何もないという事は、やはり後者という事か。そしてその用件というのはどうやら深刻な問題らしい。……流石にこの姿勢で聞くわけにもいかないので仕方なく身体を起こした。

 

隣の魔理沙も慌てて体を起こす。

 

紫はそんな私達を一瞥してから口を開いた。

 

 

「……ある妖怪を退治して欲しいのよ」

 

その瞳は、真剣味と深刻さを携えて。

 

 

「ひよりって奴、知ってるかしら」

 

「――」

 

バサリと彼女の持っていた本が地面へと落ちる。

 

 あらゆる書物を自身の命と同じくらい大切に考えている彼女からはとても考えられない反応だった。――私は慌てて落下途中の本を掴み、そして驚愕に目を見開いている彼女の手に無理矢理乗せる。この反応からして知っている事に間違いはないが、やはり唯者ではないらしい。私は本を手に乗せただけ彼女の両手を軽く握り、そうして視線を交錯させた。

 

何処か遠くへと行っていた視線は、それだけで此方側に戻ってくる。

 

「……知っているのね、阿求?」

 

「え、えぇ、まぁ……はい、一応」

 

「教えて頂戴」

 

今度こそ阿求は困り果てた様子だった。

 

誰かに口止めされているのか、それとも言えない理由があるのか。

 

けれど此方も退く訳にはいかない。

 

「そいつの情報が欲しいのよ。どんな些細なことでも良いし、話せる範囲で良いわ」

 

「……口止めされている訳ではありません。ただ、事情によっては話して良い事と話せない事があるんです。その、幻想郷縁起にもまだ書いていない事なので――」

 

その言葉を上書きするように言葉を重ねる。

 

「紫からの依頼でそいつを退治するのよ」

 

バサリと

 

今度こそ本は地面へと落ちた。私はそれを拾う暇さえ無かった。

 

阿求の両手は、私の肩をしっかりと掴んでいて。

 

「れ、霊夢さん、よく聞いて下さい」

 

「な、何よ」

 

普段からは想像出来ない程怯えた声。緊張と、困惑の混じった表情。

 

阿求は私の質問に答えた。

 

 

「初代博麗の巫女の母親にして、博麗神社の創設者――それが、ひよりさんです」

 

 

 

 

 

 

 

 




活動報告にて三行で前作を説明した投稿があります。宜しければご参照下さい。


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『ひよりと霊夢』

遅れてしまい申し訳ありません。


 

 

自分の生まれについて考えたことはあるだろうか?

 

 それは例えば人里でいう所の団子屋や花屋が、つまりどの程度昔から存在していたのかという話。もしかしたら親が店を構えたのかもしれないし、逆に稗田家のように代を継がせるほど長い間続いてきた仕事なのかもしれない。少なくとも子供にはその跡を継がせたいだろうから、仕事の仕方とその役割の起源くらいは話したりするのではないだろうか。それは稗田家に留まらず、友人である白黒魔法使いや古道具屋の店主にも言えることである。

 

 

と、此処まで話してみた所で私――博麗霊夢の生まれとは何なのだろうか。

 

 

よく分からない。

 

 

 

「……」

 

「……」

 

いや、何も分からないんですけど。

 

 場所は変わって私の自室。あの後何とか平静を取り戻し、内から沸々と湧き上がる疑問を抑えつつ戻って来たのが此処だった。とはいっても、その話を聞かされた時点で先日纏めたばかりの『彼女』についての資料はしっかりと持って来てはいるのだが。ちなみにそれは今私の前にある机、若干私寄りの場所に置いてある。

 

その更に奥――机の反対側にいる紅白の巫女と挟む形で。

 

「もう一度話を整理させて貰いましょう」

 

「……」

 

机に置いた資料に軽く手を置き、私は彼女の表情を窺いつつ言葉を続ける。

 

「……昨日紫さんが霊夢さんの所に訪れて、その際に妖怪退治の依頼をした、と。此処までは合ってますか?」

 

「そうよ」

 

「それで、霊夢さんはその妖怪を全く知らないので此処まで調べに来た、と……?」

 

「えぇ」

 

……さて、一体どの部分から手をつけ始めれば良いのやら。

 

 とりあえずは霊夢から聞き出すべき情報と与えるべき情報を整理していく。八雲紫の依頼、退治、ひより、創始者を知らない博麗、稗田家を訪れた霊夢――千年前の封印の真相、初代博麗とひよりの関係、八雲紫とひよりの間柄、ひよりの実力、博麗の巫女について……。

 

考えて迷う。導き出した結論から、選択する。

 

これは――

 

これは、どっちだ?

 

「……まず稗田家としての回答を。霊夢さんの仕事の為に情報を提供する、という点については全面的に協力します」

 

「そ、ありがと。それで見返りは何が良いのかしら?」

 

ちらりとも此方を見ないまま意図を射抜く霊夢。流石に勘が鋭いと言われるだけの事はある。

 

私は黙っていた後半の部分について切り出した。

 

「見返りという訳ではないのですが、紫さんから説明された依頼について詳しく教えて下さい」

 

 そう言うと、彼女はこの部屋に来て初めて私と視線を合わせた。訝しむような、意図が分からないといった感じの視線。それもその筈、霊夢はこの情報が二週間前に編纂された物という事を知らないのだ。更にその情報の提供者が八雲紫を初めとする幻想郷の主軸達であることも、恐らくはまだ――

 

だからなのだろう、霊夢は然程考える素振りもせずに肩を竦めた。

 

「……ま、良いわ。別に減るものでもないし、長い話でもないから」

 

「助かります――あ、ちょっと待って下さい!一応記録しますので!」

 

といっても、袖口から手帳と万年筆を取り出すだけなのだが。

 

私はそれらを机に広げ、手帳の新たなページを開き、そして筆を湿らせる。

 

 

もうこの時点で何となく、新たな歴史を編纂する必要があることは分かっていた。

 

 

 

 

『ある妖怪を退治して欲しいのよ』

 

この発言に興味を持っていたのは、どちらかと言えば私より魔理沙の方だった。

 

 

「妖怪退治って、つまりあれか?里とかを困らせてる奴を退治するって奴だろ?」

 

「そういう事、魔理沙は物分かりが良いから助かるわね」

 

いや、別に大して思考が必要な話でもないと思うのだが。

 

 それはどうやら魔理沙も同じ意見だったようで肩透かしを食らったような微妙な顔で此方を見てくる。大方『私だけじゃ詳細を聞きだせない』といった所か……まぁ、それでも紫の立ち位置と魔理沙の立ち位置から考えてみれば随分と距離は縮まっているのだろう。本来なら博麗の巫女として私に依頼する筈だった話を、今こうして魔理沙と共に聞かされているのが良い証拠だ。

 

その発展してきた仲を裂きたい訳でもないので、私も口を開く。

 

「物分かりは良い方じゃないのよ、私。詳しく話しなさい」

 

「えぇ、知ってるわ。だから説明するわね。……弾幕生け捕り如何を問わない正式な退治依頼よ。対象の名前はひより、種族は蠱毒。年齢としては千四百を超える妖怪だけど、その内千年は封印されていたわ」

 

私が訪ねると流れるような速さで紫は全てを話した。

 

ひよりや蠱毒といった聞き覚えのない名前を頭に留めつつ、私はついで訊ねる。

 

「正式な退治をするって事は、正式な戦いが成立しないって事ね?」

 

「その通り。今の彼女は弾幕ごっこなんて遊びに付き合う程お人好しじゃないわ」

 

それに知らないだろうし、と紫は困ったように苦笑した。

 

「分からないな」

 

次の質問へと私が移る前に、隣に座っていた魔理沙が口を開く。

 

「名前と種族を知っていてお人好しだって分かっているってんなら、つまり紫とひよりって奴は知り合いなんじゃないのか?だとしたら退治するしないの前に、そいつともう少し話し合ったりとかするべき事もある筈だぜ」

 

「……」

 

「確かに私もそう思ったわ……紫、どうなの?」

 

魔理沙も私も形式上訊ねてみたが、その答えは明白と言わざるを得なかった。

 

 この八雲紫という妖怪に限って――幻想郷を長年に渡って管理し、成立させてきた彼女を以ってして試されていない可能性など残っていないのだ。多分私達の元へ訪れる前にそのひよりを説得し失敗、そして実力行使すらも失敗に終わっている。

 

だからこそ、今こうして彼女は此処に立っている。

 

深刻と悲嘆を混ぜた瞳も、変わることなく。

 

「……お察しの通り、今のひよりは既にかつての彼女と呼べる状態ではないわ。封印された事による人への憎しみと、その結果大切な者と引き離された悲しみで暴走状態にある。私が会いにいった時も言葉は通じなかったし、私の姿を見て動きを止めてくれるような事も無かった」

 

これで大体の辻褄は合った。そう判断しつつ、私は隣の魔理沙を見る。

 

彼女もどうやら私と同じ結論に至ったようだった。

 

「「退治」」

 

どうしようもない、つまりそういう事。

 

 紫が色々と試行錯誤をし諦めたのならそれ以上何かを進言する必要はないという事だ。彼女自身が此処まで来て依頼をしに来たのも、その覚悟の表れと考えてしまうのが妥当だろう。そしてそれを聞くほど私は野暮ではないし、それと同じ位魔理沙も野暮ではなかった。

 

けれど――

 

けれど、その結論に至らなかった者も居るようで。

 

たった一人、残りの一人はそうは思わなかったらしく。

 

「残念ですが、今回は博麗の巫女である博麗霊夢にお願いしたいと思います」

 

紫は瞳を閉じたままそう言い放ち、ゆっくりと腰を折り曲げた。

 

 それは誰でも知っている、謝罪や感謝の意志を伝える際の姿勢。私に向けてではない。紫の頼みなら、と意気揚々に飛び出そうとした魔理沙の気持ちに対する感謝と、その行動の気持ちだけしか受け取ってやれないことに対する謝罪である。そしてそれが彼女の出来る最大限の礼儀だということは、普段は使わない丁寧な口調と閉じられた瞳で分かった。

 

勿論そこで文句を言うほど魔理沙も子供ではない。

 

「流石に理由が聞きたいぜ」

 

「えぇ、勿論よ。よく聞いて頂戴……別に、魔理沙を除け者にしようとした訳じゃないの」

 

彼女が話すのは、多分この話が私だけの元に来た理由。

 

そして彼女が――

 

「私と藍の二人掛りで、既に彼女を殺すことに失敗しているわ」

 

八雲紫がひよりという妖怪を諦めた、その原因。

 

つまりは強過ぎたのだと紫は言う。

 

「正確には殺しきれなかった。蠱毒という種族はね、大体で言えば小さな者達の集合体みたいな物なのよ。本来はそれぞれが意志を持っていて、それ等を統括しているのがひよりだったんだけど……」

 

「その統括している奴が暴走しているって事だな」

 

紫は不承不承といった感じに頷く。断定は出来ない、その余地を残しているらしい。

 

「……じゃあ、殺し続けていれば死ぬのかしら?」

 

「えぇ、そうよ。でも、そこまで簡単な話ではないの。正確には殺しきれないってさっきは言ったけど、でもやっぱりひよりは強いのよ」

 

「強いのか?」

 

境界の妖怪と九尾の狐を同時に相手して、打ち勝つほどに。

 

紫は迷わず頷く。

 

「強過ぎる。生命を絶命させるという観点だけで見ても、幽々子の完全な上位互換と考えてくれて結構よ。食らったら死に掛けるとか致命的というレベルじゃない、一から零になるような単純な呪いの暴力」

 

「……あぁ、そういうこと。だから私は良くて魔理沙は駄目なのね」

 

職業巫女と職業魔法使いでは、共に吸血鬼や鬼退治は出来ても呪いの防御は出来ないと。

 

 これには流石の魔理沙も何か言い返そうとしたらしい。縁側から腰をほんの少しだけ浮かせて、浮かせたまま……結局腰を降ろす。魔理沙は弾幕ごっこの部分だけで見れば間違いなく私と同等かそれ以上の実力の持ち主だが、それでもやはりそういった妖怪を相手にするにはまだまだ足りない部分があった。小妖怪、中級妖怪ならいざ知らず、大妖怪相手に弾幕抜きで勝負するには彼女の八卦炉では少々心許ないのだ。

 

紫はだから、魔理沙に対して先ほど頭を下げた。

 

今でも申し訳ないと思っているに違いない。

 

「……あーあ、折角面白そうな話が来たと思ったんだけどな。まさか戦力外って理由で外されるとは思わなかった」

 

「魔理沙」

 

「分かってる、分かってるよ。別に紫を恨んでいる訳でも霊夢を羨んでる訳でもないぜ。今回参加出来ないのは、単純に私の力不足だ」

 

そして真面目な霧雨魔理沙は、自身の不甲斐なさを恥じて縁側に倒れた。

 

潔く、往生際良く、除け者なりに格好良く。

 

「任せたぜ、親友」

 

「任されたわ、相棒」

 

隣から伸ばされたその右手に対して、私は自身の左手をぶつけ合わせる。

 

 

立ち上がった。

 

 

「以上が、恐らく現時点で霊夢さんが必要としている情報の全てです」

 

「……」

 

唖然。表情には出ていないか、それすらも自信がない。

 

 阿求はパタリとその手帳を閉じて溜息を吐いた。疲れた、という風ではない。まるで人生の遣る瀬なさを嘆いているような、または自身の知らなかった何かに対して呆れを見せるような溜息。そうしたいのはこっちも山々なのだが、しかし此方は話を聞いただけで終わりという訳にはいかない。その後の方がメインであるのだから尚更。

 

とはいえ、先ほどの話に考えさせられる部分があったのも事実だ。

 

初代博麗とその親代わりであるひよりの話、とか。

 

「ねえ、阿求」

 

「何でしょうか?」

 

「どうしてひよりは神社を建てて人間を育てたのかしら?」

 

ほんの少しだけ依頼を外れて自身の起源を探ってみる。どうして博麗は出来たのか、という事。

 

それは博麗霊夢が、博麗の霊夢である理由。

 

阿求は然程考える素振りもせず答えた。

 

「多分そこに因果関係はないと思いますよ」

 

「……」

 

阿求は続ける。

 

「つまり、神社を建てた事と初代を育てた事に繋がりはないという事です。三代目稗田の記録によれば、彼女は自ら里に住み人々との壁を取り除き、彼等の暮らしをより良くする為に神社を建てたと記されています」

 

そして恐らく紫もその事に関わっていたのだろう。

 

けれど、初代を育てたのは稗田でも紫でもなかった。

 

「しかし、初代博麗を育てた事とは何も関係がないと私は考えています。神社の為でもなく、人の為でもなく、ただ当時の巫女ですらなかった少女の為だけにひよりという妖怪は人を育てる道を選んだのではないでしょうか?」

 

「だとしたら、相当な変わり者だったのね」

 

 確かにそうですね、と答えた阿求はしかし笑わなかった。どうやら彼女にとってこの話とは、冗談半分に話すことの出来るような話題ではないらしい。

 

その瞳は今まで以上に真剣な光を帯びて。

 

「だから霊夢さん、私は紫さんの話に少々疑問を覚えます。果たして本当にひよりさんは人を恨んでいるのでしょうか?」

 

「……紫が嘘を吐いている、そういう事?」

 

肯定はされなかった。否定もされなかった。

 

ただ、その首を横に振るだけ。

 

「……分かりません。確かにひよりさんが人や妖を恨む理由なら沢山あります。けれど、彼女が他者に恨みを向けるような妖怪だとは思えません。しかしそれも彼女以外の蠱毒達が率先して動いている、と言われれば納得の出来てしまう話ですので――」

 

他者が何をどう考えているのかなんて、それこそ誰にも分からない。

 

それでも――

 

「霊夢さんが確かめて来て下さい」

 

「……結局そうなるのね」

 

「えぇ、ついでに報告もお願いします」

 

直接確かめに行くことで分かることも、まぁあるのだろうけれど。

 

――それを認めてしまうと、此処に来た意味が無くなってしまうではないか。

 

 

今度こそ阿求は私を見てニッコリと笑った。

 

 

 

 

一夜明けて場所は紫の自室。

 

 あの後森から紫の家に飛んだ私は慌てふためく紫と雑多な物が転がっている物置のような部屋を見渡し、そうして呆れ顔で紫を見ていた藍と約一千年振りの再会を果たした。藍もあの時から変わらず紫の下で頑張っていたらしく、その従者としての姿勢はすっかり板についていた。……主を敬語もなしに罵り、大仰に溜息を吐きつつも手伝わない事が従者の姿勢というならば、だが。

 

そんな彼女も今は静かに瞳を閉じ、紫の少し後ろに正座している。

 

――今までの話を纏めよう。

 

「顔合わせついでに巫女の教育?」

 

「……間違ってはいないけど、随分端を折ったわね」

 

復唱出来るような量じゃなかったし。

 

 現在の幻想郷の説明から始まり、外界と結界、魔法の森なる場所、紅魔館なる建物、昔から変わらない人里、昔から聳え立つ妖怪の山――その他諸々の説明。博麗神社もやはり残っているらしく、そこに代々住む巫女が人と妖怪の間を取り持つ形で今の幻想郷を形作っているとか。後は今時の主な戦い方……すぺるかーどるーるとやらの大まかな説明もされた。

 

地底の様子や里の様子も事細かに説明してくれた。

 

その上で、である。

 

「……まぁ、一番気になってたことだし」

 

正直に言うとそれが本音。

 

 更に的確に表すならば、私が彌里に伝えたかった事が伝わっていたかどうかの確認。今代の為でもなく、紫の為でもなく、言うなれば自己満足のような物だ。

 

――と、此処で紫が神妙な顔をしていることに気付いた。

 

「どうしたの?」

 

「……いえ、何でもないわ。ただ――」

 

 

「貴女ならきっと、博麗神社に住むと言うんだと思って」

 

 

「……まぁ、ね」

 

元よりそのつもりだったので否定の仕様がない。

 

そんな私の返答を聞いてなのか、紫は満足そうに頷いて微笑んだ。

 

「だったら尚更霊夢には上下関係をハッキリさせてあげないといけないわね。……うん、丁度良いから今回の計画についても話しちゃいましょう。――藍」

 

「畏まりました」

 

紫の呼びかけに今まで黙っていた藍が紫に何か紙切れを手渡す。

 

彼女はそれを炬燵に広げた。 

 

「ざっくり説明すると、貴女を退治しに来た霊夢を撃退し寸前まで追い詰めるって段取りよ。その前段階の手回しは殆ど済んでるから、後はひよりが霊夢相手に頑張ってくれるだけで良いわ」

 

ふむ。

 

職務怠慢気味な霊夢という子に今のままでは駄目と教えるのが狙いらしい。

 

――っと

 

「手回し?」

 

「手出し無用って事を方々に伝えてあるのよ。幽香を含めてね」

 

「……幽香?」

 

「何故かは分かりませんがひより様の復活を察知していたようです」

 

今回一番の難関だったわ、と紫は疲れたように溜息を吐いた。

 

「……」

 

はて、何か禍根が残るような事があっただろうか。

 

 あの日。確かに私と幽香は衝突して、結果的に私の方が勝利した訳だけれども……あれは私の体質を最大限活用した上で全力の不意打ちを決めたからであって、二度目がもう存在しないという事は私と彼女の間で合意していた筈だ。――つまり何が言いたいのかというと、幽香には私の復活を気にする理由も説得を受ける必要もない。もしも再び衝突したとしても、彼女の勝利に揺るぎはないのだから。

 

……ない筈なのに。

 

「……まぁ、いっか。後で話してみるよ」

 

「えぇ、そうして頂戴。出来るだけ早くに」

 

そう言いつつも、紫の表情はそれとなく楽しんでいる様だった。

 

だからまぁ、それほど心配する事でもないのかも知れない。

 

「――さて、話を戻すけれど……弾幕決闘法が制定される前の巫女である先代までは普通に妖怪を退治する事で均衡を保っていたの。人を喰らい過ぎる妖怪を厳重注意したり実力行使したり、って感じね」

 

「……均衡」

 

先ほど紫から受けた幻想郷の説明。

 

それを軸にして考えるなら……

 

「外の世界で死亡確定の行いをした人間を此方に連れて来たりよ。自殺とか愚行によって死ぬ人間は問答無用で地獄行きだから、その手間を幻想郷で省くという条件で外界の地獄とも合意済み。それでも数は不特定多数だから食べ過ぎは良くないんだけど――」

 

その者達の魂は、きっとあの閻魔様が裁くことになるのだろう。

 

意識を紫に戻す。

 

「今の霊夢では本気の大妖怪に立ち向かう事は出来ないわ。弾幕ごっこでは無類の強さを誇っているのだけどね」

 

「博麗の巫女としての自覚、か……」

 

確かに紫の懸念も最である。

 

 しかし、元々彌里ですら博麗の巫女として据えるつもりは無かったのだ。あの時は紫の懇願と状況からそういう風に決まってしまい、結果的に上手くいった――けれど、やはり私達の考え出した巫女の選出方法の欠点として、『相手に選択権を与えられない』という欠点がある事だけは変えようがない。

 

だから私としてはその霊夢という子に強制はしたくないのだが。

 

チラと紫の方を窺う。

 

「先代は霊夢がまだ自我も持ってない頃に亡くなったわ」

 

「……」

 

「先代まではちゃんとその前の代が面倒を見て上げられていたのよ。でも、先代は後天的な持病を抱えていたから」

 

誰も彼女と共に居てやる事が出来なかった、と。

 

「……うん、分かった」

 

「お願い出来るかしら?」

 

何が、とは言われない。漠然とした問い。

 

 

それに対する答えを、きっと私はその子に与える事が出来る。

 

 

博麗霊夢は淡白な性格である。私の周囲の人妖は言う。

 

 けれど一つだけ訂正をするならば、別に私は淡白ではないと言っておきたい。他の人からは見えないだけで、これでも一応ある程度のこだわりやルールに則って動いてはいるのだ。ただその矛先が普段飲むお茶や起床時間や食事のバランスに偏っているというだけで、その性質だけで捉えてくれれば私が如何に普通の巫女をやっているのかが分かるだろう。それでも他に他者と違う点があるとするならば、それは過去と未来の見方くらいだ。

 

過去は過去、未来は未来。明日は昨日足りえず、後は先に及ばない。

 

初代だの創始者だの先代だのという物に、私は全くと言って良いほど興味が沸かなかった。

 

――それでも

 

「やっぱり此処に居たのね」

 

「……」

 

 

私はひよりを見つけ出した。

 

 

 

 

「紫が心配していたわよ」

 

「……」

 

答えない。

 

 眼前数メートル先に佇む黒い影。霧のようではなく、まるで暗闇のような襤褸を全身に纏ったような異形の怪物。身長こそ私よりも低いものの、その黒の中から見える双眸は底冷えする程暗く深い。腕のような蛇のような、よく分からない物がボンヤリとだがその輪郭を人として定めている程度の塊。

 

少なくとも嘗て人の子供を育てた妖怪の姿ではないだろう。

 

けれど彼女が、きっとそうだ。

 

 私が彼女を見つけたのは阿求からひよりについての話を聞いてから五時間程経過した時の事だった。段々と日が暮れ始め、それと同時に彼女が居そうな場所も減り、そうしてまだ探していない場所が数える程になった所で唐突に働いた直感。それに付き従って来て見れば、彼女は『無縁塚』に一人佇んでいた――という訳である。

 

博麗神社でもなく、人里でもなく、無縁塚。

 

彼女が封印される前には無かった場所である筈なのに。

 

「此処は無縁塚。外界から来て死んだ人間とか縁者が分からないまま死んだ人間の埋められる場所。少し先の階段を登れば冥界、更に先にある河を渡れば地獄にすら辿り着く……そんな場所よ」

 

死んだ人間の魂が保留される場所と裁かれる場所。

 

そこへ通じる場所に、彼女が立っていた理由-―

 

「……アンタが何を思って此処へ来たのかは分からないけど、馬鹿な真似は止めなさい。此処にはもうアンタの捜している奴は居ないのよ。もう――」

 

とっくに転生か成仏してしまっていると。

 

そう言いきる前に、彼女は一歩此方に近付いた。

 

「――っ、」

 

「……」

 

 慌てて距離をとって霊符を構える。それと同時に心の片隅で抱いていた期待――もしかしたら彼女を正気に戻すことが出来るかも知れないという願いにも似た思いが薄れていく。

 

そんな私の心と同じように、彼女の足元が黒く染まって。

 

「……仕方ない、か」

 

私は彼女を救うという選択肢を諦めた。

 

 もうこうなってしまえば目前のソレは初代の母でも博麗の祖でも何でもない。ただ退治すべき妖怪として、幻想郷の均衡を崩しかねない脅威として認識し直す。そうして考え直す程に、紫の言っていた『脅威』の意味がハッキリとしてきた。

 

呪い

 

まるでその存在を認めないかのように、黒は地面を荒廃させる。

 

『――――ッ!!』

 

「っ、はぁっ!」

 

動き出したのは同時。

 

 幾つもの動物が一度に果てたかのような凄惨な咆哮と共に突撃してきた彼女に対して、私は咄嗟に手に持っていた霊符で壁を作り距離を取った。そうして私が展開した霊力の迸るそれを、しかし彼女は初めから予測していたかのようにすり抜けてくる。

 

けれど、此処までは予想通り。

 

「『封魔陣』」

 

更に踏み込んできた彼女を、私は距離を取った時に撒いた四方の霊符の中に閉じ込める。

 

弾幕に使う物とは違う――妖怪を退治する為に拘束する術式に。

 

「『夢想封印』」

 

そしてそのまま一番得意とする術を彼女へと撃ち込んだ。

 

 本来ならこの技も弾幕用があって、それは色とりどりのホーミング弾を相手に飛ばすという物なのだが流石にそんな隙を作る余裕は無かった。ありったけの霊力を込めて、恐らくは弱点だと思われる目の辺りに向けて全ての霊符を衝突させる。

 

並の妖怪なら消滅。大妖怪でも、恐らくは大ダメージを被る一撃。

 

彼女は避けなかった。

 

『ガァァァァァッ!!』

 

「うっさ――」

 

咆哮。

 

たったそれだけで陣を壊し、彼女は再び此方へ突撃する。

 

全身に当たる夢想封印には怯みすらしなかった。

 

「っ、ぐぅ!」

 

瞬時に背中に差していた大幣に霊力を込めて防ぐ。

 

吹き飛ばされた。

 

「――っ、傷一つ付かない、か」

 

空中で体勢を整えつつ一人呟く。

 

 先ほど彼女を拘束した封魔陣も攻撃に使った夢想封印も決して弱い技ではない。特に妖怪においては絶対とも言える拘束力と必滅の威力を持った攻撃である。けれどそれを同時に食らう筈だった彼女は咆哮一つで陣を破り、夢想封印に関しては脅威とすら感じていなかったのか避ける素振りすら見せなかった。

 

そうして今も此方に近付いて来ているその姿には、何処も変化した部分はなく。

 

紫と藍が二人掛りで殺しきれなかったというのも強ち間違いではないと。

 

――改めて気を引き締めなおす。

 

「アンタには悪いけど、本気で退治するわよ」

 

 

ソレはほんの少しだけ喜んだように揺れた。

 

 

 

 

空中で私を見下ろしている少女――博麗霊夢。

 

 彼女の格好は私が彌里の為に作った服によく似ていた。大きな相違点はといえば、長袖だった部分が簡単に取り外しの出来る篭手のような物に変わっているというだけ。全体を紅白で整えた調子も、その頭に着けているリボンですら似通った部分が窺える。そこから考察してみるに、どうやら私が思っている以上に博麗の巫女は代々細部まで引き継いで来たらしい。彌里を育てた私からすれば、それは喜ぶ事であって決して悪い事ではない。

 

……代々引き継ぐならもっと良いのを作りたかったのだけれど。

 

「……それに、札も」

 

霊夢に聞こえないように呟く。

 

 先ほど彼女が構えた霊符。その構成は大分強化されたとはいえ、均衡やバランスは全くといって良いほど変わっていなかった。――分かり易く言うのなら、当時私が書いた文字の間隔や位置が採用されたままなのでいざ眺めてみると非常に残念な物に見えてしまうと、そういう事である。

 

今更のように過去の軽率な行動を後悔。

 

「でも、まぁ――」

 

それ以上に、何処か喜んでいる部分もあって。

 

 動きを止めた私を霊夢は訝しむように見つめていた。先の彼女の発言から恐らく私は『不条理に娘と引き離されて暴走しつつも再会を願う妖怪』という風に伝わっているのだろう。

 

勿論その思い込みを利用しない手はない。

 

――跳躍

 

「『陰陽鬼神玉』っ!」

 

一直線に突っ込んだ私に対して霊夢は素早く対応した。

 

 彼女が懐から取り出したのは二つの小さな球体……恐らくは妖怪退治の過程で生み出された私の知らない技なのだろう。霊夢が軽く霊力を込めるとそれは人の頭程度の大きさにまで膨張し、先ほどまでとは比べ物にならない霊力を放ち始める。

 

そのまま向って来た。

 

はたき落とす。

 

「――っ」

 

 これには流石の彼女も苦々しい表情を浮かべた。……はたき落とした此方の両腕も流石に無事ではないので、今のは五分五分といった所だが。

 

しかしこれで彼女の眼前へと到達した。

 

『ガァッ!』

 

「はぁっ――きゃあ!」

 

今度は貫手。

 

先の玉を弾いた時の怪我を再生させたばかりの腕を霊夢に向ける。

 

彼女はそれを先と同じように大幣に霊力を込めて受け止めようとして、再び吹き飛ばされた。

 

――風切り音。

 

「っ、あぶな」

 

まるで最初から狙っていたかのように数瞬まで居た場所を通り過ぎる球体。

 

 咄嗟に吹き飛ばされた霊夢の方を見るもその姿は視認出来る場所にはない。つまり吹き飛ばされたことを理解した瞬間にはもうあの球を動かしていたのだろう、末恐ろしい少女だ。

 

遠くで紅白が立ち上がるのを捉える。

 

「……うん、それで良い」

 

 

ガラリと纏う空気の変わった少女を見て私は小さく呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでどうなったんですか?」

 

「どうもこうもないわよ。結局私が負けそうになった所で紫が来て、それでお終い」

 

「じゃあ縁起には『手も足も出ずコテンパンにされた』って書いて置きますね」

 

そういうと彼女は悔しそうに押し黙った。

 

話して恥をかくか、話さずして大雑把に書かれるか――どちらも気分の良い物ではない。

 

縁起には真実しか書かない決まりがある事は黙っておく。

 

「……はぁ、分かったわ。話せば良いんでしょ、話せば」

 

霊夢は疲れたように肩を竦めて、そうして渋々口を開いた。

 

 

「夢想天生を使ったのよ」

 

 

 

 

 

 

 




前作紹介

『彌里(みさと)』 

ひよりの娘。

『稗田阿未(ひえだ あみ)』

三代目稗田。

『里長(さとおさ)』

名前のない人の中で一番出て来た人。





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『ひよりと未来』

独自設定タグここに極まれり。


冗談じゃない。

 

吹き飛ばされ、地面に転がった所で霊夢は先の光景を思い出す。

 

 互いが完全に初見である以上、双方の攻撃がどちらもある程度通るのは覚悟していた。封魔陣も夢想封印も当たったし、逆に彼女の突進や貫手も例に漏れず私にダメージを与えている。……少なくとも、意識ある私はそのダメージが自分に通っている事を理解していた。現に今、私の右腕は攻撃の余波で動かせるような状態ではない。

 

しかし――

 

「……反則よね、本当」

 

此方の攻撃は当たっていたが、それが通用した訳ではなかった。

 

 驚異的な再生能力と霊力とは反対の性質が組み合ってなのかは分からないが、彼女は此方の攻撃を全て無力化して見せたのだ。咆哮、両手、或いは無視という――言い換えれば、私がしたような技巧を凝らさずに、という事。

 

本当に笑えない。

 

「まぁ、それも含めて仕事なのか」

 

立ち上がる。

 

 紫が自身で諦めそれでも私の元へ来た理由は、つまり『彼女には出来ない方法で勝つ事が出来る』から。幻想郷の管理者であり大妖怪でもある彼女にすら出来ない戦い方を私はすることが出来た。それは別段手間が掛かるという訳でもないし準備が必要という訳でもない。唯私が使うと決めて能力を行使するだけで、それは容易に発動することが出来るのだ。

 

背中に大幣を戻し、霊符も陰陽玉も回収して袖に仕舞う。

 

遠くに佇む影を見据えた。

 

 

「『夢想天生』」

 

 

 

一瞬だけ霊夢が眠ってしまったのかと勘違いした。

 

 先ほどまでしっかりと放たれていた霊力が突如として消えたのだ。私の攻撃を受け吹き飛び、地面に倒れ、立ち上がり、そして此方に顔を向けた直後の出来事だった。霊夢の様子を良く見ようと目を凝らしてみれば、彼女はどうやら瞳を瞑っているらしい。足は地面につかず若干宙に浮いていて、心なしか彼女自身も消えているような錯覚を覚える。

 

 

動き出した。

 

「う、わわっ」

 

「……」

 

ゆっくりと此方に近付いて来るのと同時に放たれる球体。

 

先ほどまでの札と比べて拍子抜けする見た目のそれは、霊符よりも強い霊力を纏って。

 

「暴走……じゃない、か」

 

どうやらさっきの間抜けな声も聞こえていないようなので一人呟く。

 

 今更ながら自分に一千年程の空白の時間があったことをすっかりと忘れていた。それだけの時間があれば勿論妖怪退治の手法も、博麗の巫女の退治手段も変わるに決まっている。そして目の前の少女は、唯それを行使しているだけに過ぎないのだ。

 

ただ、その規模がとんでもないというだけで――

 

「っ!――げ」

 

「……」

 

二度目の貫手。

 

蠱毒と妖力で勢いのついたそれは霊夢の居る位置を貫通した。

 

貫通しただけだった。

 

「――」

 

今度は霊夢の動きが俊敏になる。

 

 仕返し、とでも言わんばかりに私の正面で手を掲げた。本来ならば何の意味も成さない筈のその行為によって出現した霊力の塊を、私は距離を取りながら蠱毒で相殺していく事で消していく。出現して、消して、薙いで、通り抜けて、先ほどとはまるで意味の違う、互いが互いに攻撃を放つだけの空間。意識があるのかどうかも怪しい霊夢に耐え切れず、今度は私が後方へと大きく下がった。

 

「……どこが弱いのさ」

 

この様子では、恐らくどんな攻撃も彼女に届くことはない。

 

距離を詰めて来る霊夢を見て、次に何処かで覗いているであろう紫を視て私は溜息を吐く。

 

 先ほどまでの霊夢も充分強かったが、それでも突び抜けた攻撃性を見せてはいなかった。――という事はやはり、今眼前にて行われているこの『現象』こそが紫の言っていた博麗霊夢の恐ろしさなのだろう。確かに妖怪の私が言うのもなんだが人の身には余る力である。それを行使している当の本人は此方すら見ていないのだから尚更。

 

ついでに言うと、紫はこの技について一言も私に伝えていない。

 

「霊夢相手に頑張ってくれる()()で良い、ね……」

 

 多分紫からしてみれば冗談交じりのサプライズだったのだ。現代の博麗の巫女がどの位成長しているのか、それを手早く教える為にこの方法を選んだに違いない。つまり彼女の本当の計画は『それぞれに自分の見せたい物を見せる事』であり、体面上は私にああ言ったけれど、結局の所私が勝っても霊夢が勝っても良いと考えている。霊夢が負ければ本来の目的通り自らの力が及ばない存在を知ることが出来、私が負ければそれを肴に酒でも酌み交そうという魂胆か。

 

しかも、現状からしてどちらの可能性も捨てきれてはいない。

 

どころか状態としては私の方が劣勢である。

 

「私達、騙されてるんだけど」

 

「……」

 

駄目元の説得は霊力弾の返事のみ。

 

頼りにしていた紫の助けも、こうなってみると到底来る気がしなかった。

 

 さて、残る選択肢は二つ。私が負けを認めて彼女に嬲られるか、この場から全速力での逃走を図るか。前者はどの程度で終わるか分からないので却下だとして、後者はどうだろうか――意外と悪くはないかもしれない。良くも悪くも紫への意趣返しにはなるだろうし、両者が負けないというのは双方の尊厳が保たれるので凄く平和な解決方法な気もする。その代わり、私には敵前逃亡の上にその相手の家に住み着く妖怪というレッテルが貼られてしまうだろうが。

 

周囲を霊力塊に囲まれてしまったので霊夢の居る場所に突撃する。

 

すり抜けた。

 

攻撃だけ突き抜けるのかと思えば、どうやら存在自体も浮いているようで。

 

初めて他人の中を通り抜けたという快挙は、霊力弾を回避した為余韻に浸ることすら出来ず。

 

「今のこの子に勝つ方法、か……」

 

 距離を取りつつ内部を総動員して大会議。無数に案は挙がれど、その殆どは退避や紫に助けを求めるといった後ろ向きな物ばかり。かく言う私も、相手に攻撃が通じないのではその位しか思いつかないが。

 

けれどもし私の考えが正しければ――

 

「可決」

 

勝機は薄い。まだ確定ではない要素も、幾つかある。

 

約束を破るつもりはなかった。

 

 

 

 

『夢想天生』

 

 その起源は約一千年ほど以前にまで遡る、未だ人妖の調和が取れていない時代の話。初代博麗の巫女が後世の者達の為に『理論』だけ完成させ、そうして二代目へと引き継いだ奥義。人間が空を飛ぶという非日常的な力と、人間は空を飛べないという思い込みにも似た世界の常識を利用して『あらゆる現象に干渉されないように浮く』ことが出来る。一度発動されたが最後、幻想郷に住んでいる全ての人妖の力を総動員しても打ち破ることは出来ない。完全にして無欠にして完結な、戦闘という概念を通り越した現象である。

 

博麗の巫女は代々この技を使って危機を乗り越えて来た。

 

「……けれど、あの子だけはこの技を使わなかった」

 

決して平和とは言えない動乱の時代。

 

 後代の誰にも負けない程厳しかった筈なのに、彌里は概念だけ完成させて早々に押入れの奥へと放り込んだ。練習もせず、使う素振りも見せず、その存在だけを知っている私が何故と問いただそうとした事もあった。

 

けれど、その疑問は今対峙する二人の姿を見て解決した。

 

「貴女は、自分が浮く事を良しとしなかったのね」

 

博麗彌里は滅多に空を飛ぼうとしなかったのだ。

 

 飛べない訳ではない。嘗て不死身の蓬莱人と稽古をしていた時には空中戦を披露していたし、妖怪退治の時にも空を飛ぶ妖怪相手に飛ぶ時だってある。――けれど、彼女はそれを日常生活の枠に当て嵌めて使う事はなかった。過去、現在、そして未来を通して便利だと言われ続ける力を。

 

「……」

 

多分その理由は、自らが尊敬する母の為。

 

妖怪が育てた人間が『世界から浮く』事なく生きた証明。

 

傍から見れば自己満足とも捉えられる()()は、時代を超えて二人を繋いだ。

 

「だから後は貴女がそれに応えるだけよ、ひより」

 

スキマに映る光景。一方的に攻撃を加えられる黒き小さな彼女。

 

 霊夢は決して大妖怪に遅れをとるような少女ではない。それは霊夢自身の実力も然ることながら、彼女が博麗の巫女が代々受け継いできた技術を最大限に引き出せる才能の持ち主だからだ。器用裕福と言ってしまうのも癪だが、それでも彼女には天衣無縫という言葉を当て嵌めるだけの物が揃っている。

 

そんな博麗霊夢の欠点と成り得るのが、唯一つ――

 

「『負けないことで勝てるとは限らない』」

 

絶対無敵と思われている夢想天生の、唯一にして致命的な弱点。

 

 世界から浮いて全ての攻撃を一方的に無効化する、つまり使った者が負けなくなるという究極の技。一見無敵のように見えてしまうソレは、しかし裏を返してみれば現象の無効化でしかないのだ。

 

例えばそれは神風の如き速さで逃げる鴉天狗の記者。

 

例えばそれは強力無比な力で正面から耐える花妖怪。

 

例えばそれは幾ら殺し続けても怯まない黒衣の少女。

 

双方が負けない場合、不利になるのはどうしても博麗の巫女になる。

 

相手の目的が何であれ、巫女の目的は退治なのだから――

 

「吸血鬼が余興で終わらせたように、亡霊の目的自体を止めたように、鬼が戦うこと自体に満足したようにはいかない事も、世の中にはあるのよ」

 

それは、教えて上げないままにするには危険過ぎる落とし穴。

 

何時か何処かで、思わぬ形で彼女に牙を剥くだろう。

 

「だから、存分に教えて貰いなさい」

 

欠点を教わり、強さを学び

 

そして出来れば愛情を知って欲しい。

 

 

スキマの先では、霊夢が御幣を取り出していた。

 

 

 

次に視界に映ったのは不気味な程に濃い黒。

 

 

 

「……っ」

 

一瞬だけ周囲を見回し、その明るさからかなりの時間が経過した事を悟る。

 

夢想天生が、凌がれたのだ。

 

 自分自身初めての経験だった。発動したが最後、決まって意識を取り戻す時には相手の妖怪は倒れているか消滅しているか……少なくとも此方の意識の限界によって引き戻されたことはない。

 

けれどよくよく考えてみれば、能力である以上限界も存在する訳で。

 

「……もう使えないか」

 

全身に纏わりつく倦怠感は、今までと比べ物にならない程長時間使用した事を意味して。

 

そして目の前のコイツは、それを耐え切ったという事か。

 

「本当に、紫の頼みなんか聞くんじゃなかった」

 

ひよりが踏み込んでくる。

 

殆ど込める霊力もないまま御幣を取り出す。

 

バキリと何かが圧し折れる音を聞いた。

 

「っ――」

 

 一瞬肋骨が折れたのかと思ったが、どうやら然程力を込めていない棒切れでも役に立ったらしい。折れた御幣よりも思い切り後方へと吹き飛びながら、私は漠然と今後の展開について考えを馳せる。

 

八つ裂きにされるか、あの呪いのような黒に堕とされるか。

 

少なくとも、逃がしてはくれないだろう。

 

「がっ、は……」

 

背中が強かに木へと衝突し、肺の空気が無理矢理外に押し出される。

 

乱れた呼吸を整える頃にはもう目の前に彼女が居た。

 

「……」

 

「……」

 

戦いが始まってから初めて私はひよりの瞳を見つめる。

 

紅い双眸は悲しんだように揺れていた。

 

「もっと――」

 

もっとまともな形で知り合えていたら、きっと。

 

私はほんの少しだけ、私の事を好きになれたかも――

 

「はぁい、二人共そこまで」

 

知れないのに。

 

「……」

 

すぐ横から聞きなれた声。

 

チラリと視線を自身の背中にある木――その横に立つ妖怪へと向ける。

 

 声を放った本人である紫は私の視線に気付いて、軽く片目を瞑っただけで視線を外した。数歩前に出て、私が戦っていたひよりと対峙するように前に立ち、そうして口を開く。

 

「お見事、腕は鈍っていないみたいね」

 

その賞賛は、間違いなく私ではなく目の前の怪物に向けられて。

 

「紫っ……アンタまさか」

 

まさか、なんて驚くような事ではない。

 

嵌められたのだ。

 

 なのでこの場合の『まさか』は、どちらかと言えば現在に到るまでの状況が信じられなかったという意味合いが強い。態々私だけを嗾け、阿求も含めて騙し、ひよりと私を手加減抜きで殺し合わせるという計画――それ自体が出来すぎているというか、疑うべき矛盾点が一つも無かったという部分が特に。

 

今にも彼女が恐ろしい叫び声を上げて飛び掛ってくるのでは、と。

 

視線を正面に戻した時には、既にあの怪物の姿は無かった。

 

「……」

 

代わりに立っていたのは黒衣の少女。

 

 萃香に負けずとも劣らない身長。今までに見てきたどの妖怪達よりも人間をしていそうな黒髪に、黒目。先ほどまでの身震いするような妖力と邪気は消え去り、今は唯微弱な妖力だけを放っている。

 

少女は私の視線に気付くとペコリと頭を下げて

 

「ひより」

 

「……どうも」

 

余りに端的で無機質だった故に、思わず此方も会釈を返してしまった。

 

そして彼女と共に紫を睨む。

 

「……」

 

「……」

 

「えぇ、えぇ。二人が言いたい事は分かってるわ。確かに二人にはそれぞれ嘘を吐いちゃったけど、結果としてはちゃんと望んだ結末になったじゃない。霊夢は無事ひよりの暴走を止める事が出来たし、ひよりは当初の目的通りに霊夢を負かす事が出来た。――ほら、これで無事解決!」

 

パン、と手を打って喜ぶ紫を無視して今度はひよりを見る。

 

「紫なんかに協力するんじゃなかった」

 

 そう言うが早いか、彼女は私の正面で屈んでその両手で私を抱っこでもするかのように持ち上げた。その小さな体格と身の丈にあった腕からは想像も出来ない程容易く私の身体は持ち上げられ――ひよりが両手を最大限に伸ばし、私が微妙な膝立ちの姿勢になる所までは持ち上がった。そこからはもう自身の力で立ち上がり、改めて少女と対峙する。

 

瞳には先とはまた違う色の悲哀。

 

「……ごめん」

 

「……良いわよ、別に。ありがと」

 

何に対しての謝罪なのかは分からないが、私に対しての気遣いは伝わった。

 

さて――

 

「それで、アンタは紫に何を言われたわけ?」

 

「ちょっ」

 

「『霊夢が怠けてどうしようもないからとっちめたい』」

 

ひよりは真っ直ぐに此方を見てそう答えた。正直者の目だった。

 

「で?」

 

「ま、まぁ、それに近い事は言ったけど……それが目的じゃないのよ?」

 

対して紫は此方と目を合わせようとせず、先ほどまで私が背中を預けていた木を見つめていた。

 

自称保護者より初めて会った妖怪の方が信用できるというのも、また皮肉な話ではあるが。

 

でも、まぁ……

 

「流石に紫の言いたいことが分からなかった訳でもないわ」

 

幾ら状況的に騙された所で、ひよりも私も真剣に戦った上で負けたのだ。

 

 もしもこれが本当に意思のない妖怪相手だったら、或いは悪意のある大妖怪相手だったら……紫が伝えたかったのはそういう事なのだろう。確かに紫が私に言ってきても適当に流してしまうような気はするし、そういった意味ではスペルカードルールではない勝負に負けるというの良い経験になった。絶対なんて事はこの世に存在しないのだと、改めて再認識させられる程度には。

 

だからその点に関して言えば、私は如何にも紫を怒る気にはなれなかった。

 

「……はぁ」

 

代わりの出たのは溜息一つ。誰に向けてでもない、自分に対しての。

 

今回の騒動の半分は多分私の責任でもあるのだ。

 

ひよりを見た。

 

「えーと、ひより……様?さん?その、巻き込んで悪かったわね」

 

「ひよりで良い。別に、私は霊夢と手合わせ出来て楽しかったから」

 

彼女はそう言って右手を差し出す。

 

「改めて、よろしく」

 

「……よろしく」

 

 

握り返したひよりの手は、思いの外暖かかった。

 

 

 

さて、ではあの後どうなったのか。

 

 無事霊夢との顔合わせを済ませた私は、机を挟んだ反対側に紫、隣に霊夢、間に藍を挟む形での会合を終えた。――別に会合という程の物ではなく、事の顛末と紫の思惑を明らかにした上で被害状況を纏めただけなのだが。お互いに真面目に戦い合ったにも関わらず霊夢は意外にも私に好意を寄せてくれているようで、その後改まって何か説明をすることもなく和解する事が出来、そのまま流れるように私が博麗神社に住むことが決定。

 

彼女は私を『ひより』と。

 

私は彼女を『霊夢』と呼ぶことにした。

 

「ほら、着いた。此処が――説明は要らないかしら」

 

「ん、大丈夫」

 

そして、今。

 

霊夢と共にスキマから降り立ち、先に佇む博麗神社を眺めていた。

 

『これなら数百……もっとかな、それ位は持つと思う』

 

 そう言ったのは紛れもない私なのだが、まさか此処まで原型を残しているとは思わなかった。永琳の設計図が良かったり、代々の巫女達が大切に使ってくれたというのが理由なのだろう。所々傷ついた鳥居と石畳は数百年が経って古くなりつつも、尚美しいという印象を持たせる。

 

かつて、この石畳を毎日のように掃除していた巫女が居た。

 

「さ、行きましょ」

 

歩き始めた霊夢の後に続いて私も神社へと歩き出す。

 

鳥居を潜り、石畳を踏みしめ

 

そうして賽銭箱の前。

 

「あー……先にうちの居候を紹介しとこうかしら」

 

「……居候?」

 

私の少し前で立ち止まった霊夢が此方を見ないまま頷く。

 

 紫から少しだけ聞いていた話を思い出す。博麗神社には、つい先日幻想郷で騒ぎを起こした妖怪が霊夢の勧誘によって住んでいるのだとか。その騒ぎという物についてやその妖怪については訊ねていないので分からないが……まぁ、私の知っている妖怪ではないだろう。

 

「『萃香』、帰ったわ」

 

「……」

 

居候の名前は『すいか』というらしい。

 

こう言ってしまってはなんだが、まるで食べ物のような名前である。

 

「おーう!おかえり、霊夢!」

 

霊夢に応えるようにして聞こえて来たのは幼く、しかし芯のある声。

 

その声は今頃地底に居るであろう友人の姿を彷彿とさせて――

 

……?

 

疑問に対する答えを私の脳が弾き出すより先に、前に立っていた霊夢が口を開いた。

 

「先々月くらいに地底って場所から出て来た鬼っていう種族よ。見た目はアンタ位小さいんだけど、力は間違いなく大妖怪だから気をつけて頂戴」

 

「うらっ!霊夢っ、誰が何位小さいっ――」

 

神社から縁側へと続く道から境内に飛び出してきた少女。

 

「……て?」

 

「久し振り」

 

私は伊吹萃香と数百年振りの再会を果たした。

 

 

 

 

失念していた。

 

 何がと言うまでもない。先日自分で言ったばかりの事を自分で忘れていたのだ。それはつまり、普段のひよりの妖力が小さすぎてついつい意識の外にやってしまうという事。数百年間会っていない上に、その間に出会った様々な人妖の気配の所為で全く気付けなかった。彼女が霊夢と一緒にこの神社へ来るということは既に分かっていた筈なのに、だ。

 

目の前には、微妙な表情で固まる霊夢とひよりの姿。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

空気まで微妙だった。

 

 ひよりは自身が言った『久し振り』に対する答えを待っているのだろう。そして多分、霊夢は私かひよりが互いの関係を説明してくれるのを待っている筈だ。……しかし、私としては今の登場の仕方を如何にかしたいと思っている。それこそ霊夢とひよりに頼み込んで、全てなかったことにしてもう一度登場し直す位には。

 

だって、数百年ぶりなんだ。

 

待ちに待った再会の最初の一言があれだなんて、そんな酷い話はないだろう

 

「……やり直す?」

 

「ぷふっ」

 

ひよりが此方の顔色を窺うようにそう言い、隣にいた霊夢が口元を抑える。

 

……っ

 

「……そういうのは聞くんじゃなくて黙ってやるもんだよ、ひより」

 

「ごめん」

 

悪意はない。それが逆に、どうしようもないという気分にさせてしまう。

 

相変わらず、ひよりはひよりのままだった。

 

右手を差し出す。

 

「んじゃ、改めて――久し振り。それと、おかえり」

 

「久し振り。それと……ただいま」

 

最後の部分は若干照れ臭そうに呟き、そうしてひよりは私の右手を握り返した。

 

そこで今まで笑っていた霊夢が口を開く。

 

「はー、面白かった。……それで、二人は知り合い?」

 

「あー……」

 

「うん、友達」

 

何と答えようか、そう考えている私の代わりに答えたひよりを見る。

 

『友達』

 

 確かに封印される前から彼女とは色々な付き合いがあったが、まさか友人として扱ってくれているとは思いも寄らなかった。ひよりと戦ったのは勇儀であって、助けたのは射命丸であって、夢を見たのは紫だった筈なのに。

 

霊夢を見て、ひよりを見て

 

「……あぁ、数少ない仲間さ」

 

そう答える。

 

勿論、言われて嬉しくない訳はなかった。

 

それを悟らせないように、私は二人に背を向ける。

 

「さて、顔合わせも済んだしさっさと入るわよ――ところで」

 

背後で聞こえる二人の談笑に耳を傾けながら。

 

「仲間っていうのは、つまりそういう仲間なの?」

 

「……うん」

 

何となく視線が私に向いている事を自覚して。

 

「萃香は封印されないまま一千年過ごして、ひよりは封印されていた。でも、全然変わってないって事は――」

 

「言うな」

 

「言わないで」

 

何か照らし合わせた訳でもなく、けれど時に同じ思いを抱き。

 

「十年後までには霊夢を見下す!」

 

「頑張る」

 

「じゃ、今日から毎日柱に傷でも付ける?アンタ達の身長が伸びるのが先か柱が倒れるのが先か、勝負しましょう」

 

ちなみに私は柱に賭ける、と平然と言い放つ霊夢を睨み

 

私も柱に……なんて表情をしているひよりを小突き

 

「んじゃ、私も柱に賭けようかな」

 

そう言って二人と顔を見合わせて、笑いあう。

 

 

こういうのも悪くないなと、そう思った。

 

 

「じゃあ、やっぱり紫さんが元凶だったんですね」

 

「まぁ、そうね」

 

予想通り、とでも言いたい風な顔で阿求は両手を打つ。

 

 これで本当に今回の騒動は解決した。阿求との約束である依頼の真相も告げたし、留守番兼萃香の遊び相手をしてくれていた魔理沙にも説明を終えている。紫にはひよりが何かしらの罰を与えると言っていたので干渉はしなかったが、あの時の様子なら生半可な判決は下さないだろう。その時の紫の表情が愉快な物だったという事だけ心に仕舞って置く。

 

すっかり冷たくなったお茶を啜り、私は一度だけ開いた障子から空を見上げた。

 

時刻は、そろそろ夕方になろうかという時間。

 

「……」

 

「帰らないんですか?」

 

チラと視線を向けると、阿求は慌てて両手を上げた。

 

「いえ、その、何時もなら報告だけして帰るので……」

 

そう答えた阿求は、別に何も間違ってはいない。

 

 基本的に買い物以外で里に長居したことがないのだ。それは別に里の人間が嫌いだとかそういう訳ではなくて、端的に言えば里に居る理由がないからである。魔理沙は彼女の都合上人里には寄り難いし、神社に出入りしている知り合いはその殆どが人外なので同じく里に居ることは少ない。

 

それでも――

 

「今は、此処の方が良いわ」

 

「そうですか」

 

阿求は然程追求もせずに話を終えた。

 

この感情に関心を見せずに話を進める彼女が今はとても有り難く感じる。

 

「で、ひよりさんは何処に?」

 

……前言撤回。

 

 彼女がほんの少しでも私の心の機敏を感じ取ってくれればそんな質問はしなかっただろう。博麗神社に何時も居る私が此処に居て、夕刻になろうかという時間帯に帰ろうとしない理由。

 

思い出すのは、その身よりも大きなものに耐える背中。

 

「……ひよりは博麗神社に居るわ」

 

一人でね、と付け加えて。

 

「……」

 

流石の阿求も此処で萃香を数えているのかと聞くほど鈍くはない。

 

つまりは、そういう理由で私は此処に居る。

 

「最初は平然としていたのよ。でも――」

 

昔と変わらないと懐かしみ、苦笑して

 

今はこうかと驚きながら、関心しつつ

 

「『封印された裁縫箱』……それを見て、流石に表情を変えたわ」

 

最後に寝室の隅でそれを見せた時、彼女の無機質が作られた物だと分かった。

 

その時の顔は思い出したくもない。

 

「……初代の、でしょうか?」

 

「多分そうなんじゃない?分からないけど、少なくとも私に解けるような封印じゃなかった。それこそ、あの札自体を破壊しない限り――」

 

「じゃあ……」

 

「……」

 

それが可能な存在は、現在知る所唯一人。

 

阿求はそれ以上何も言わないまま、机に伏せて顔を横にした。

 

「……じゃあ、ひよりさんは博麗神社に住むんですね」

 

 その『じゃあ』は恐らく先の言葉の続きとして捉えて欲しかったのだろうが、誰がどう聞いても苦し紛れの誤魔化しにしか聞こえなかった。下手をすれば何も残されていないよりも辛い筈なのに、どうして紫は隠さなかったのだろうかと一人考える。中身を知っていたから、ではないだろう。ひよりの為になるから、なんて確信は持てない筈だ。阿求の言葉の続きを考えて結論を出すのなら、やはり『娘から母に送られた唯一の手紙』だったからだろうか。傷つく以上に意味のある物だと、そう信じているのだろうか。

 

そんな考えが身体を重くするので、私は阿求と逆向きに伏せる。

 

「萃香が来たばかりで準備に手間が掛からなかったのが幸いよ」

 

「そうですか」

 

そちらについての悶着は多分永劫語られることはないだろう。当の本人は現在地底に居る事だし。

 

聞いた本人である阿求は、やはりそんな事にはまるで興味がなさそうだった。

 

まぁ、私が同じ立場でも聞きたい話ではないが。

 

「ってことで、暫くは此処に居るから」

 

「えぇ、まぁそういう理由なら構いませんよ」

 

彼女の顔も見ないままそう告げて、私は意識を開いた障子の外へと移す。

 

 

「……あれ?でも何時帰れるかはどうやって――」

 

移した。

 

 

 

昔、里の近くに捨てられていた赤子を引き取った事があった。

 

 私の記憶としてはそれほど昔の話ではない。体感的にはほんの先週、現実的には約一千年という年月が流れてしまってはいるが。当然、目覚めた時に何かが残っていると期待していた訳ではなかった。博麗神社を除いて考えれば、私とあの子が共に過ごしていた頃の物なんて何一つ残っていないのだ。けれどそれは当たり前で――それが当たり前で、私もあの子もそういう風に覚悟を決めて別れた。お互いの歩むべき道を、それぞれが互いに指し示す形で。

 

『博麗彌里』……それが私と共に暮らした巫女の名前。

 

私が育てた大切な娘の名前だ。

 

「……」

 

その彼女が、一体この裁縫箱に何を残したのか。

 

何となくだが、中身が手紙や言葉ではない事だけは分かっていた。

 

 かつて私がこれを使っていた時には、それはもう本当に重宝していた。彌里の成長に合わせて丈を継ぎ足したり、或いは一から作り直しになったり、妹紅との修練で穴の開いた部分を補修したり、又は作り直しになったり、と。――そんな裁縫も彌里が自分で出来るようになってからはなるべく彼女に任せるようになって、最後に裁縫箱を使ったのは彼女を一人前と認めた時の贈り物を作った時である。

 

思えば、ちゃんと面と向かって物をあげたのはあれが最初で最後だったか。

 

本当に駄目な親だったなと、そう思い自嘲。

 

「――でも、ありがとう」

 

約束を守ってくれてありがとう、と。

 

私は札を破壊した。

 

パリンと、凡そ札とは思えない破砕音が響き渡る。

 

 少なくとも純粋な妖力で破れるような生半可な物ではなかった。自身の妖力と、蠱毒を混ぜて本気で力を込めなければそもそも触れることすら出来なかっただろう。

 

開ける。

 

 

 

 

 

彌里がつけていたリボン

 

私が挿してあげた髪飾り

 

見たことのない模様の札

 

それだけだった。

 

 

「……うん」

 

それだけで、もう充分に満足してしまった。

 

 まずは髪飾り、花の名前は忘れる筈もない百日草。私が彌里に渡したあの日から全く変わらない輝きを放っているそれを定位置――耳の横、少し後ろの辺りへと挿す。これで漸く、目覚めてからずっと頭にあった違和感が解消された。彌里に渡した時は必死で気付かなかったのだが、やはり五百年も共にいるとない方が落ち着かないのだ。

 

幽香から守ったなんて事も、良い思い出である。

 

本人の前ではあまり豪語すべきではないが。

 

 

次に、彌里に送ったリボンを取り出す。

 

「……?」

 

リボン、というには些か長い。

 

 けれど間違いなく彌里にあげたリボンだった。……違う点は私が編みこんだリボンを主軸にして、左右に向けて長く編み込まれている部分。謎感性と不器用さが作り出した私の奇怪な模様もそのまま引き継いでいるらしく、まるで帯のようだと――

 

帯のようだと……ではなく、帯か。

 

シュルリと、今自分がつけていた帯を外して裁縫箱に放り込む。

 

 覗いているような酔狂な者が居るとは思わないが、それでも気持ち的に手早く済ませる。どうやって採寸したのかは分からないが私が普段使っていた帯と殆ど同じ長さで、見下ろしてみると逆に此方の方がしっくりくるような感じがした。

 

まさか、こんな形で返してくれるとは思いもしなかった。

 

……この機会にお洒落でもして下さい、と言いたいだけかも知れないけれど。

 

「最後は、と……」

 

残ったのは見たことのない紋様の札。

 

 私が妹紅に教えた物でもなく、妹紅が彌里に教えていたどれにも当て嵌まらない、恐らくは彌里が自身の手によって作り出したのであろう霊符。それは今までに感じてきた誰の物よりも強大な霊力を纏っていて――けれど何故か私の手を焼くようなことはなく、私の手の平の上でほんのりと温もりを伝えてくる。私と会えたことを喜んでいるように、と……考え過ぎだろうか。

 

――いや

 

「『神狼(ホロケウカムイ)』」

 

『……』

 

名を呼んだ瞬間、霊符が輝き煙と共に懐かしい姿が目の前に現れる。

 

 この狼は彌里が初めて神徒と契約を交わそうとした時に出て来た子だ。神の気紛れなのか加護なのか、本来彌里が呼び出すことの出来る強さの範疇を超えて、だ。勿論私も知らない訳ではない。彌里以外には甘えた態度を見せることはなかったが、それでも私と共に昼寝をすることもあったし、妹紅とじゃれついたりもしたし、普通に紫を嫌っていた。

 

そんな彌里の神徒であるこの子が、どうして私を前にして座っているのか。

 

理解は難しくない。

 

「『此処まで出来るようになりました』ってね……。私でも良いの?」

 

『グルル……』

 

言葉こそ喋りはしなかったが、神狼は目を細めて私の手に頭を寄せた。

 

私はその頭を撫でつつ、今度は座っていた賽銭箱に視線を落とす。

 

長年を経て、賽銭により凹み、雪や雨によって劣化し、それでも変わらない私の定位置。

 

 

『と、当面の目標はその犬の躾だな』

 

『ごめんなさいっ!』

 

何時も私は此処からあの二人の修練を眺めていた。

 

 

『よく躾けてあるじゃないか彌里。まさか残飯まで食べてくれるとは』

 

『――よーし決めた。この瞬間に大決定、今日の夕飯は狐うどんだ』

 

何時も私は藍と妹紅の喧嘩を見て笑っていた。

 

 

『藍の意見には概ね賛成だけど、夕飯はきつねうどんが良いわね』

 

『ゆ、紫様……冗談でもあの白髪婆を喜ばせるような事は――』

 

何の解決をするでもなく現れる紫に呆れるのが、どうしようもなく楽しかった。

 

 

『師匠も何か言ってく――イダダダダダっ』

 

『あぁっ、もうっ!駄目ですよ、メッ!』

 

『彌里、真面目な話をするとそいつは犬じゃないんだ。だから……』

 

『この調子だと、夕飯は四人分だけで大丈夫みたいね。ほら、ひより――』

 

お腹が空いたから夕飯にしましょう、と。

 

 

その時の私がどう思っていたのかは分からない。

 

 

 

どんな顔をして答えたのかも、思い出せない。

 

 

だけど、もし

 

今の私が過去に戻り、同じ場面に出くわしたとしたら――

 

 

『夕飯は各自』

 

 

多分そう言って彼女たちの不平不満を一身に受け止めただろう。

 

そして多分、同じように封印されて目覚める。

 

 

これで、良かったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ベロリと、頬を舐められる感触で意識が現実へと引き戻される。

 

 隣を見れば、そこには石畳に座っていても私と身長の変わらない狼の姿。何を考えているのやら、一心不乱に私の頬を舐め続けている。鬱陶しくて仕方がなかったが、これもスキンシップの一環なのだと信じ暫くの間は身を任せることにする。

 

そういえば、彌里が泣いていた時も同じように頬を舐めていたっけ。

 

「……くすぐったいよ」

 

そんなに舐められるともう何が何だか分からなくなる。

 

唾液なのか、涙なのか、もう、本当に。

 

「――っ、くすぐったいっ、て」

 

パタリパタリと、自身の膝に雫が数滴落ちた。

 

それを確認しないように無理矢理顔を上げて、そうして私は正面を見据える。

 

「……」

 

鳥居が、夕日が、その先にポツンと、人里が見えて。

 

 

その奥に、未来が見えた気がした。

 

 

 

『霊夢さんは今直ぐ神社に帰るべきです!』

 

 

「……はぁ」

 

そう言われるがままに追い出され、今は神社の階段を飛行している真っ最中。

 

 別に悪いことは何もしていないのに、なんとなく帰るのが嫌になっている自分がいる。もしひよりが涙でも流していて、その場面に自分が立ち会ってしまったらどうすれば良いか分からないからだ。

 

謝るでも、励ますでもない。

 

放って置くのが一番良いと、私はそう思っていた。

 

だから――

 

「ん、お帰り」

 

「……ただいま」

 

こうして平然と夕飯を作り、丁度並べていた場面に遭遇するのは予想外で。

 

流石にこの場面に立ち会ってどうすれば良いかは分からなかった。

 

「阿求……稗田の当主への報告してきた。多分これで人里にも普通に入れると思うわ」

 

そう言って並べられた食事と机を前に、座る。

 

「お疲れ様、有難う」

 

コトリと湯気の立つご飯の入った茶碗を私の前に置き、ひよりはそういって正面へと座った。

 

「いただきます」

 

「召し上がれ」

 

箸を、動かす。

 

 そうしつつも、内心ではこの嫌な空気をどう断ち切るかを考えていた。湿っぽいのは好きではないし、多分彼女も望んでやっている訳ではないのだ。ならば此方から何か言うしかあるまい――そう思って、咄嗟にひよりの全身へと視線を向ける。

 

髪飾りが付いていて、帯が新しくなっていた。

 

「似合ってるわよ、それ」

 

そして、後悔。

 

 ひよりが此処から動いていなくて、人里の服屋や雑貨屋に行っていないことなんて一目瞭然の筈なのに、ついそう口走ってしまった。

 

勿論、嘘を言った訳ではない。

 

けれど、それが彼女の遺した遺品である事は明らかで。

 

「――」

 

ひよりは無表情を崩し、驚愕と困惑の入り混じった視線で此方を見つめ――

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう」

 

二度目となる彼女の本当の表情は、そこに一切の翳りなく。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回はもう少しあまぁくしたいですね。


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『日常的な非日常』

今回は特に進展ありません。しかもあまぁくありません。


 

 

 

起床。

 

 

「ふ、あぁ……」

 

 目を開き、外から差し込む陽の光を感じ取り、上半身を持ち上げる。隣を見れば既に目を覚ましているのであろう、丁寧に畳まれた布団が一式置いてあるだけだった。どうやらひよりは妖怪であるにも関わらず朝から活動しているらしい。その布団を暫く眺め、そうしている内に段々と意識がハッキリとしてくる。身体を布団から捻り出し、着替えるのが面倒だったのでそのまま着ていた巫女服を整える。

 

食欲を刺激する、魚の脂が焼ける匂いに気付いたのもその時。

 

私は急いで背後にある襖を開いた。

 

「……あら?」

 

いや、確かに作りたての朝食がそこに並んでいた。

 

 けれど一つだけ予想外だったのは、それを作った筈のひよりがそこに居ないという部分。私は足元で寝ていた萃香を踏みつけ居間へと入り、そのまま台所の方へと足を運んだ……がやはり誰もいない。冷めてしまわないようにと弱火にかけられた味噌汁の入った鍋と、恐らくはこれから盛る筈だったのだろう白米が入った櫃だけ。こんな中途半端な状態でまさか何処かへ行ってしまうという事もないだろう。そう考え到った所で、私は自身の耳に聞きなれた音が飛び込んでくるのを捉える。『バチバチ』と何かが弾けるような音と、何か大きな物体が空を切るような、そんな音。

 

――あぁ、成る程。

 

「どわあぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

「今日は随分早いのね」

 

その音の原因であろう片割れは、居間から見える外の庭へと姿を現した。

 

白黒帽子に白黒の服、尻餅をついて腰と箒を押さえているよく見知った顔の魔法使い。

 

霧雨魔理沙。

 

「いてて……おい、霊夢!良いのか?朝っぱらから侵入者だぜ」

 

「えぇ、そうね。とっとと追い払っちゃいましょう」

 

その言葉を聞いて安心したらしい魔理沙。私は傍に落ちていた札を拾う。

 

ベシリ

 

魔理沙の顔目掛けて投げつけた。

 

「……」

 

「……なぁ、霊夢」

 

「何よ」

 

「私は魔理沙だ」

 

「そうね」

 

「……妖怪じゃないぜ?」

 

「知ってるわ」

 

今度こそ魔理沙は訝しげな視線を私へと向けた。

 

 けれど私だって考え無しに彼女へ札を投げつけたのではない。つまり魔理沙が今まで対峙していたのは妖怪であり、それはこの時間帯に博麗神社で活動をしていた妖怪という事になる。こんな事は、きっと萃香でも容易に想像してみせるだろう。直感で物事を進めようとする魔理沙が私や萃香なしにひよりと会ったらどうなるか、考えていなかった訳でもない。

 

どうせ全身黒染めで怪しいから侵入者、とでも思い至ったのだろう。

 

そして負けたと。

 

「おい霊夢、もしかして――」

 

此処へ来てようやく魔理沙もそれに気付いたようだった。

 

私は軽く頷き、そうして縁側に出て上空を見上げる。

 

「朝ご飯冷めちゃうわよ」

 

「ん、ごめん」

 

 

ひよりが博麗神社に住むことになった、次の日の出来事。

 

 

 

小鳥――ではなく怪鳥の囀り。

 

「く、あぁ……」

 

 軽く目を擦り、完全に今の鳴き声に起こされたなと溜息を吐く。普段の私ならばそんな風に後ろ向きになることはないのだが、生憎現在の時刻は何時もの起床時間より一時間程早かった。鬱蒼と茂る森の中に住まいを構えているので日光に邪魔されることがないとはいえ、妖怪の遠吠えや怪鳥の鳴き声に悩まされるのも中々楽な物ではない。既に幾度と繰り返してきた起床パターン……そんな思考を適当に切り上げて立ち上がった。

 

さてさて、何から始めれば良いのやら。

 

 朝食の準備、部屋の片付け、魔法の勉強……するべき事は沢山あるが、今のテンションでしたい事ではない。となると、やはり自分が楽しいと思えるようなことをするのが一番か。例えばこのまま博麗神社へ行って、流れで日の当たる縁側にて昼寝をし、偶然にも霊夢の作ったバランスの悪い朝食を食べるとか。楽しい……と聞かれれば首を捻るところではあるが、少なくとも私は『楽』だ。

 

「よし、決まり!今日の朝飯は白米と味噌と胡瓜だな」

 

昨日確認しておいた博麗神社の台所事情を思い出してそう確信。

 

博麗霊夢に朝食を任せるのであれば、これ以上望むのは過ぎた欲と言わざるを得ない。

 

当然、それ等を自分が料理するという選択肢はなかった。

 

「さぁて、とりあえず昼寝から始めるか」

 

寝癖を整え、掛けていた帽子を被り、箒を掴んで扉を蹴飛ばす。

 

私服のまま寝たので着替える必要はなかった。

 

 

 

 

魔法の森を数分飛ばして、視界の先に捉えたのは友人の住む家兼神社。

 

 眼下を見下ろせば、大蛇でもひっくり返るような長さの階段があの場所へと続いている。一体どうしてこんな場所に建てたのか、恐らくは今後一生解決されることのない謎なのだろう。けれど確かに魔理沙の知る神社はどれも高い場所にあるようなイメージがあるし、そういった風に考えればこの神社も然程変ではないと言えないだろうか?……いや、変だ。参拝の途中に妖怪や獣に襲われる神社なんて、きっと世界中何処を捜してもこの博麗神社だけだろう。

 

しかし不思議なことに、今日は何時も階段で眠っている筈の妖獣の姿がなかった。

 

何度霊夢に追い払われようと毎日あそこに居る奴等が、だ。

 

「ま、そんな日もあるか」

 

その一言で終わらせる。だって、参拝客しか困らないし。

 

それよりも、今は一刻も早くあの日当たりが良い縁側に寝そべって――

 

「……んん?」

 

今度こそ魔理沙は疑問符を発した。

 

視界の先に見えていた縁側へ、神社の中から出てくる誰かの姿を捉えたのだ。

 

 常識的に考えるなら霊夢か萃香だ。けれど今の時刻は七時。本来なら私だって寝ている時間だし、彼女達が起きてくるにはもう少し時間が必要だろう。つまり、普段通りであればあの場所に誰かが立つなんてことは有り得ない訳で、しかもそれが霊夢や萃香でない事は一目瞭然だった。

 

その誰かはこの距離から見ても分かる程全身真っ黒なのである。

 

そんな奇異な姿をしている存在なんて――

 

「私か泥棒くらいなものだろうなぁ」

 

私ではないので、つまりあの黒いのは泥棒である。

 

 そう結論付けた魔理沙は縁側を見下ろせる上空へと滞空すると、そのまま暫く黒い存在の動向を監視した。黒いのは物珍しげに周囲を見回していたが、その視線が空へと向った所で此方の姿を捉えた。一体あれは何だと、そう思っているのかも知れない。けれどその視線は、何処か焦っているようにも見えた。

 

――いよし。

 

「初めまして、だよな。泥棒さんよ」

 

「……」

 

そこでようやく私は黒いのが『少女』であることに気付く。

 

 黒髪黒目の、如何にも人間らしい少女だった。黒に紫で様々な動物をあしらった着物、綺麗な文様が施された帯……何より彼女の頭で光り輝く髪飾りが、この少女の平凡性を醸し出していた。今まで出会ってきた誰よりも人間の少女らしく、また誰よりも泥棒するイメージが沸かないと言えば分かり易いだろうか。その証拠に、少女の瞳には罪悪感やそれといった物が見えない。

 

けれどその視線は、確かに一度居間の方へと向ったので。

 

「言わせて貰うが、この神社には目ぼしい物は何も無いぜ。中から出てきたんだから分かるだろうが、白米三合と味噌少しと胡瓜四本しかない家だ」

 

「えーと――」

 

「おっと、懐柔するつもりなら諦めな。私はお前を止めたって名目で、このまま此処で朝ごはんを頂くつもりなんだ」

 

少女は今度こそ焦った。そりゃそうだ、誰だって撃退されるなんて思いはしないだろう。

 

彼女には申し訳ないが、此処は大人しく私の為に犠牲となって貰うことにする。

 

八卦炉を取り出した。

 

「被弾一回、スペカ無しの勝負だ。良いか?」

 

「……」

 

少女は訝しげな視線で私を見た。どうしようかと、そんな瞳で。

 

 まさかとは思うがこの少女が自分よりも強いという事はないだろう。それは言い換えれば、つまり博麗霊夢や私達に負けた者達よりも強いということになる。そんな存在を知らない訳はないし、だからこの勝負の勝利は私にとって揺ぎ無い物なのだ。または、それを理解しているから挑むのと躊躇っているのか。どちらにせよ、逃げ道は塞いでやらなければならない。

 

「受けないってんなら、私は今直ぐ霊夢と萃香を起こしてくるぜ」

 

博麗霊夢と伊吹萃香。この二人を知らずして、此処へ盗みに入ることはない。

 

それは逆に言えば、少女の想定外を起こすと言っているのだ。

 

「……分かった」

 

「よし、じゃあこいつが落ちたら開始な」

 

不承不承といった感じで頷いた少女に、霊夢にあげる筈だった毒茸を取り出す。

 

空中へと放り投げた。

 

「……」

 

「……」

 

果たして――

 

博麗神社に入る度胸のあるこの少女は、一体どれ程強いのか。

 

落下していく茸ばかり眺めて此方へ見向きもしない黒衣の少女。

 

その、初動は。

 

 

落下

 

 

「よっと!」

 

まずは小手調べとして、少し幅を広げたランダムと規則を入り混ぜる。 

 

 弾幕ごっこでは通常弾幕と呼ばれる部類の攻撃だ。これ単体で相手に被弾をさせることは難しいが、今は被弾一回で負けという条件である。規則性に慣れ始めた辺りでランダムに引っ掛かってくれればそれで良い。そんな軽い気持ちで私は弾を発射した。

 

対して、少女。

 

自身に迫ってくる弾幕を眺め、ただ突っ立っているだけだった。

 

飛翔も、反撃も、移動もしない。

 

やる気はあるのかと、そう声を荒げようとした瞬間にそれは――

 

 

弾け飛んだ。

 

 

「っ、んな――」

 

例えでもなく、嘘でもなく、唯風船が割れるように簡単に。

 

少女はその姿を数千の鳥へと変えて飛び立った。

 

「……もしかして夢でも見てるのか?」

 

有り得ない話ではない。笑えない夢ではあるが、現実であるよりはマシだ。

 

私は自分を無視してどんどんと上へ飛んでいく、その鳥達を眺めて――

 

黒衣の少女を眺めていた。

 

「うっ、」

 

「てい」

 

わぁ、とそう声を上げる暇もなく。

 

 目の前を過ぎる筈だった鳥が突然先の少女へと変わり、その小さな両手で私の両肩を突き飛ばした。あまりにも唐突で、更には反撃が来るなんて思いもしなかった私の身体はそれだけでバランスを崩す。崩して、ついつい箒を掴んでいた手を使ってバランスを取ろうとしてしまい――

 

落ちた。

 

それはもう、見事といって良い程に。

 

「どわあぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 

ドグッ、と聞きたくないような鈍い音がした。

 

 

 

博麗神社で迎えた朝は呆れかえる程清々しかった。

 

「……んむ」

 

 ついつい間抜けな声が口から漏れてしまう。既に封印から目覚めて一度、紫の家に泊まらせて貰ったが、此処までゆっくり休むことは出来なかった。やはり他人の家で寝たというのも関係していたのだろうか。とりあえずは布団から出て、まだ隣でぐっすりと眠っている霊夢を起こさないように布団を畳む。畳んで、それを部屋の隅に置いてから部屋を出て――

 

ギュムと、変な物を踏んだ。

 

下を見る。

 

「……何やってんのさ」

 

ぐがぁと、その身に似つかわしくないイビキを発する萃香の姿。

 

まさか昨日居間で酒盛りをしてそのまま此処で寝たとでも言うのだろうか。

 

仕方ないのでそうっと跨ぎ、スルスルと襖を閉める。

 

さて――

 

「朝御飯でも作るかな」

 

 

 

 

「初めまして、だよな。泥棒さんよ」

 

少し高いところから私を見下ろしているのは白黒の服を着た金髪の少女。

 

 

どうしてこうなったのだろうか。

 

 朝御飯を作ろうとして、博麗神社の台所事情に軽く驚愕をして材料を取りにいき、何とか朝食を作り上げた。……此処までは良い。そうして今が七時前であることを思い出し、弱火にかけつつ霊夢達が起きてくるのを待つ為に縁側へ出ようとして、私は泥棒と間違われたのだ。

 

……というか、寧ろ彼女の方がそれっぽい格好をしているのだけど。

 

そこは長年の勘で口には出さない。荒事を出来るだけ避けるのが死なないコツである。

 

「……」

 

しかし困った、どうやら彼女は霊夢の知り合いであるらしい。

 

 一度チラと居間の方を見て、そこに三人分の朝食しか用意していなかったことを後悔。勿論霊夢からそんな友人が居るという話は聞いていないので知っていろという方が無茶なのだが、それでも一言教えてくれれば用意することも出来た。こんな朝早くに来たのだ、当然彼女だってまだ朝食も食べていない筈で――

 

そんな私の考えを知ってか知らずか少女はニマリと笑う。

 

「言わせて貰うが、この神社には目ぼしい物は何も無いぜ。中から出てきたんだから分かるだろうが、白米三合と味噌少しと胡瓜四本しかない家だ」

 

知ってる。言わせて貰えば、胡瓜は一本駄目になっていた。

 

けれどそれを知っているということは、間違いなく彼女は霊夢の友人であって。

 

「えーと――」

 

「おっと、懐柔するつもりなら諦めな。私はお前を止めたって名目で、このまま此処で朝ごはんを頂くつもりなんだ」

 

両手を広げてキッパリとそう告げた黒白の少女。

 

本当ならば感心したり褒めたりしたい所ではある。だが、そんなことよりも――

 

この流れは、不味い。

 

「被弾一回、スペカ無しの勝負だ。良いか?」

 

奇妙な物体を此方に向けつつそう言い放つ少女を見て、私は内心で頭を抱えた。

 

 そう、この流れは当然泥棒退治一直線である。つまりそれは彼女が私と戦うという訳で、そうなるとやはり『すぺるかーどるーる』に則って『だんまくごっこ』というのをやらなければならないのだ。しかしそこが問題なのではない。泥棒と勘違いされることよりも攻撃されることよりも、こうやって勝負を持ちかけられることが不味いのだ。だって、私は弾幕ごっこを知らない初心者なのだから。

 

紫は霊夢に聞けと言った。けれど昨日は遅かったから、今日改めて聞こうと思った。

 

だけどまさか早朝から挑まれるだなんて、誰が予想出来たというのだろう。

 

「受けないってんなら、私は今直ぐ霊夢と萃香を起こしてくるぜ」

 

そんな葛藤は当然伝わる筈もなく、魔理沙はそういって神社に視線を落とした。

 

確かにそれも、一つの解決方法ではあるのだが。

 

「……分かった」

 

けれど私は彼女の勝負を受けた。ぶっつけ本番で弾幕ごっこをやることに決めた。

 

だって、絶対に笑われるし。

 

「よし、じゃあこいつが落ちたら開始な」

 

そう言って彼女が取り出したのは茸――タマゴタケ。

 

宙へ放り投げた。

 

「――」

 

あ、と声を上げようとしたがもう遅い。

 

 タマゴタケは食用の茸だがその性質上非常に脆く原型を保たせるのが難しい。その分旨みも香りも強くて美味しいのだが、採取から調理まで一筋縄ではいかない食材でもある。それを空中に投げてしまえば――もうどうなるかは分かるだろう。ボロボロと所々が欠け落ちて、そうしてもう食べられる状態ではなくなってしまった。

 

しかもこれから地面に落ちようとしているのだ。

 

救いようがない。

 

 

そして落下。

 

 

隠れた美味、タマゴタケはその身を地へと散らした。

 

「よっと!」

 

そんなことはお構いなし、とばかりに少女は大量の玉を射出する。

 

――っ、弾幕ごっこの最中だった。

 

「……」

 

そして改めて考える。弾幕ごっことは、どういうルールなのか。

 

被弾一回と彼女は言った。

 

すぺか、というのは恐らくスペルカードの事なのだろう。これは無しと。

 

そして彼女は現在進行形で、私に向けて攻撃を放っている。

 

 

……よし、大体掴めた。

 

つまりは相手の攻撃を避けつつ相手より先に攻撃を当てる、そういう遊びなのだ。

 

だから私も妖術で鳥を生み出し、その中に紛れて彼女の居る上空へと飛翔した。

 

弾を避けつつ、他の鳥達もぶつけないように。

 

 

そして――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全く、そうならそうと言ってくれれば良かったんだ。霊夢ん所に住むことになったんなら、霧雨魔理沙さんのことも当然聞いていたんだろう?」

 

「聞いてない」

 

「話してないもの」

 

「……」

 

霊夢がそう端的に答えると、魔理沙は恨めしい顔をして霊夢を見つめた。

 

 現在食卓に座っているのは三人。私と、霊夢と、魔理沙である。本当はそこで転がっている萃香の為に作った朝食は、隣に座る魔理沙の『冷めちゃ勿体無い』という()()の説得によって彼女の目の前にあった。……まぁ、無理に起こして食べさせる必要もなかったので、結果としては良かったのだろう。次からはちゃんと四人分作って置くことにする。

 

山菜となめこの入った味噌汁を啜り、一息。

 

見れば、既に霊夢と魔理沙は朝食の入った器を空にしていた。

 

「はぁー……久し振りに手が加わった物を食べたぜ。おい霊夢、ひよりってまさか?」

 

「えぇ、うちに住んでるわ。掃除担当が私で食事担当がひより。ちなみに昨日の夕飯は――」

 

「いや、言うな。言ったら最後お前の家に住み込むからな」

 

空になった器をチラと見て宣言する魔理沙。どうやら彼女も余り料理はしないようだ。

 

 彼女は『魔法の森』という場所に居を構えている魔法を使う人間らしい。魔法の森……恐らくは私が眠っている間にそういう因果を持ってしまった森なのだろう。覚えのない場所だが、魔理沙からの話を聞く限り食料の調達には困らない場所のようだ。彼女の他にも『ありす』という魔法使いや、香霖堂なる建物も存在しているとのこと。

 

今度行ってみようと、そう密かに心の中で決める。

 

するとそれを見越したかのように霊夢が此方へ視線を向けた。

 

「ひより、アンタはとりあえず弾幕ごっこを覚えなさい」

 

「えー……」

 

「えー、じゃない。現代のルールには従って貰うわよ。ちなみに分裂も物理攻撃も駄目。……まぁ、どっちも弾幕としてなら例外はあるけれど」

 

うんうんと頷く魔理沙と霊夢を交互に眺め――内心で冷や汗を流す。

 

 先の魔理沙の弾幕を分かったことだが、あれは鳥になって避けていたからこそ良かったけれど、本来なら生物が通り抜けられるようなスペースなどないだろう。いや、多分彼女達からしてみればあるのだ。けれど私にとっては何処からどう見ても弾の壁であり、その中から時折不規則に飛び込んでくる弾丸は厄介以外の何物でもない。唯一の売りである不意討ちも、直接的な攻撃や分裂を封じられてしまうとどうしようもない。

 

どちらかと言えば私は相手の動きを分析して先読みしていく戦法なのに。

 

『多種多様なスペルカード』を、皆それぞれ持っているとのこと。

 

「……はぁ」

 

「勿論私だって手伝うぜ。朝食までご馳走になっちまったしな。それに、ひよりに聞きたいこともあるし」

 

昔の紫や萃香のこととかな、と言って悪い笑みを浮かべる魔理沙。

 

きっと理由がなくても手伝ってくれたのだろうが、それを付けたのは彼女なりの礼儀か。

 

彼女はスッと右手を差し出した。

 

「霧雨魔理沙。ま、仲良くやろうぜ」

 

「……ひより。よろしく」

 

 

当然のことながら、この日は夜まで弾幕ごっこに付き合わされる破目になった。

 

 

 

 

 

「あら、じゃあ弾幕ごっこは出来るようになったのね。おめでとう」

 

ズズズ、と湯気を放つ湯呑みからお茶を啜り紫が言う。

 

 霊夢と魔理沙の弾幕指導から四日、丁度それくらいの時間が経過していた。本来であれば基本的なルールと流れだけ説明して実践形式――の筈だったのだが、私が『空を飛ぶことが出来ない』という問題が見つかった為にこの内の二日間は飛行の基礎練習をしていたのだ。動物の姿になって弾幕を避けることが許されない以上人の姿で飛ばなければならないのは当然であって、別にそこに関しては文句はない。……けれど、まさか()()()まで自分が飛べないとは思わなかった。博麗神社の石畳が頭をぶつけ過ぎて砕けてしまう程といえば分かり易いだろうか。ちなみに例え話ではない。

 

そうして何とか霊夢から外出許可を貰える位には出来るようになって。

 

だから私はこうして紫の家で紫とお茶を飲んでいる。

 

 

――訳ではない。

 

「それで、最初は何処へ行くつもりなのかしら?」

 

「……そう、だね」

 

つまりはそういう話。目覚めたという報告を、誰から伝えていくのかという話題。

 

けれどこれに関しても一筋縄ではいかないのだ。

 

 長らく待たせてしまったぬえや、何故か私を待っている幽香。結局何も言わずに別れてしまった妹紅や、全てを話した上で無理矢理納得させた輝夜。ぬえは兎も角、他の三人は出来れば代理を立てて報告したいくらい気が進まなかった。……嫌いな訳ではない。嫌いな訳ではないが、一悶着以上あるのは間違いないのだ。痛いのも怒られるのも嫌である。

 

しかしそれでも、順序をつけるとするならば……

 

「妹紅の所かな」

 

内心で輝夜の所でもあるけど、と付け加えて。

 

幽香は大丈夫、彼女の性格からして多少の遅延は気にしない。

 

ぬえは端から心配などしていない。

 

私が彼女達を優先する理由は――

 

「妹紅には黙っていたからかしら?」

 

「……まぁ」

 

全てを話したから、とも言えるのだけれど。

 

 特に輝夜の方はそこはかとなく不安だった。私は輝夜をよく知っているからこそ分かるが、本来彼女はこういった世情を尊重する性格ではない。あくまで自らが生きる上で楽しく退屈をしないかが重要なのだ。そんな彼女にとって真実を知りつつも手を出せないという状況は、ストレスにこそなれど、楽しみに転換できるなんてことはある筈もなく。

 

それを彼是一千年程続けて。

 

本当に、もう何時爆発しても可笑しくはないのだ。

 

「ちゃんと謝らないと、ね」

 

そう言って隣を見ると、紫はそうねと言ってクツリと笑った。

 

「大丈夫よ、きっと。だって、親友なんでしょう?」

 

「別に親友は関係ないけど。……ま、そうかな」

 

または爆発の矛先が『お互いへと向かった』か。

 

……嫌な予感。

 

「ね、紫――」

 

「分かってるわ。……それで、居場所の検討はつくのかしら?」

 

湯呑みを片付けに来た藍にお礼を言い、紫が開いたスキマの正面へと立つ。

 

 これはあくまで勝手な推測だが、輝夜が一千年も私を起こさなかったのは何も私の言葉が原因ではなかったと思う。少なくとも何回か、永琳の静止を振り切ってでも動こうとしてくれた筈だ。けれどそれが功を奏していないということは永琳以外の抑止力があったということであり、それは、少なくともてゐではないだろう。

 

だとすれば、もう一人。

 

『輝夜姫、今も何処かで生きてるよ』

 

彼女の存在を知る同じ存在が、もう一人だけ。

 

だから間違いないだろう。

 

「『迷いの竹林』へ、お願い」

 

 

開かれたスキマの向こうに映る竹林群は、あの時から変わらずそこにあって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「宜しいのですか?紫様」

 

スキマへと飛び込んだ少女を見送った後、背後から聞こえた声。

 

私はスキマを閉じ、何時の間にか湯呑みを片付けて立っていた藍を振り返った。

 

「何がかしら?」

 

「ひよりを竹林に行かせて、ですよ。あそこはまだ全体像も把握できていない未開の地じゃないですか。何があるのか、それこそ検討も――」

 

「本当に?」

 

そういうと、藍は一瞬だけ言葉を詰まらせた。

 

――空気が一巡して、再び口を開く。

 

「……ひよりの言う『三人目の親友』が居るのは明らかです。紫様のスキマにも感知されない存在が少なくとも一人、あの竹林に居る」

 

「そうねぇ……」

 

藍から視線を外し、考える。

 

 暫くあの蓬莱人の姿も見ていない。もしも幻想郷に残っているとするならば、やはり彼女もあの竹林に居ると考えるべきか。そして出てこないという事は、彼女にとってひよりと並ぶかそれ以上の理由がそこにあるということである。けれど、妖が跋扈し人々が争い続けてきた時代から生きている彼女があの場所に留まる理由については……やはり、検討もつかなかった。

 

検討はつかなかった、が。

 

「少なくとも千年の間は大人しくしていたのよ。その理由が何であれ、ひよりを助けに()()()()()のであれば信用出来る。この場合に限っては、ね。……それに、貴方だってひよりの友人を信用していない訳じゃないんでしょう?」

 

「それは、まぁ。人によりますが」

 

苦々しい表情、恐らく彼女は脳裏に妹紅の姿を思い浮かべたのだろう。

 

素直じゃないなと苦笑する。

 

「なら大丈夫。きっと丸く収まるわ」

 

「ですが――」

 

尚も食い下がる藍の次の台詞は、自然と私の口から先に漏れ出た。

 

「『一波乱あるのでしょう?』」

 

「……」

 

実際の所どうなるかは分からない、そう次いで答える。

 

 相手が未知数である限り、その波乱の大きさもまた未知数である。幻想郷を霧で包むか、春を奪うか、はたまた無理矢理宴会を開かせ続けるか――それ以上か。ひよりが目覚めたことによって動き始めた物に関しては、私は何も先読みする術を持っていないのだ。私達に出来ることは、彼女しか知り得ない場所で起きた『様々な出会い(エクストラ)』から生じる良いことや悪いことを見守っていくだけ。

 

それは例えば異変の前触れであったり

 

または予想もしなかったような出会いであったり

 

そして幻想郷全体に渡る変化でもある。

 

「幻想郷は全てを受け入れる。それを実現出来るかどうかは、私達次第なのよ」

 

幻想郷始まって以来の大騒動もきっとある。

 

その度に霊夢や魔理沙も巻き込んで、藍にも迷惑をかけてしまうだろう。

 

 

「……いいえ、実現させる」

 

それでも見据えた先に、彼女が夢見た理想があるような気がして。

 

 

 

 

ザクザクと音を立てて笹の葉の道を歩いていく。

 

 

 紫に送って貰った私は、とりあえず昔輝夜に見送って貰った通りの道をそのまま歩いていた。此処が不朽の竹林群であることは知っているし当然成長はしているのだろうが、とりあえずは誰の手も借りずに歩いてみようという算段である。足元を埋め尽くす笹の葉はどうして昔から変わらず増えないのかとか、そんなどうでも良い事を考えながら。竹に突き当たっては少し避け、筍に躓いては道を変える。それの繰り返し。

 

もしも辿り着けなかった時は、また蠱毒を遣わせてみるのも良いだろう。

 

まさかあれから住人が増えたなんて事もないだろうし――

 

「――ん」

 

ガサリと一度、横の竹林が揺れたと思って

 

「ぷはぁっ……全く、どうしてこん……な……」

 

「……」

 

長い兎耳に、同じく長い紫の髪。

 

そうして赤い瞳を此方に向けた彼女は、どう見ても私の知らない誰かだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ちなみに私の中で竹林はすげー都合よく作られてるので彼女がいきなり顔を出すことくらいなんてことはないのである。




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『永遠の変化』

予約投稿を2018年にしてしまい何時までも投稿されず首を傾げていた人が此処に。


月面戦争という史実が一千年程前から月には存在していた。

 

 その概要を掻い摘んで説明するのであれば、恐らくは月に対する最初で最後の地球からの侵攻。何の予兆もなく唐突に現われ、そして影も形も残さず逃げていった魑魅魍魎との争いの記録。編纂したのは、当時月で未知の脅威への対処を担当していた綿月依姫と主に行政へのご意見番を勤めていた綿月豊姫、その人である。彼女達の伝えた事実は月に大きな震撼を与えた。月でも指折りの実力を持つ依姫とそれを最大限援護出来る二人を以ってして『脅威』であると、彼女達はそう結論付けたのである。この事実は当時の軍部内でのみ伝えられ、二人が相手をした侵攻者が残した『傷跡』の残る場所には、一般人はおろか研究者ですら近付くことは許されなかった。それだけの影響を、ソレはばら撒いていったのだ。

 

そして私……鈴仙・優曇華院・イナバもまた、当事者の一人だった。

 

 

 

 

 

――という訳ではない。

 

 当時この戦争が勃発した頃の私はまだ一兵卒にも満たない見習いで、そもそもこんな戦争があったことすら知らされていなかった。それは軍部に所属してからも同じで、私はおろか上司やそのまた上司までもが知らないような情報だったのだ。これを知った当時はどうして黙っていたのかと、そう思ったことも無い訳ではない。――けれど、それを思い直すことになったのもまた、その史実を知った直後で。

 

「レイセン、これが当時の記録係が撮影した映像だ」

 

そういって私に手渡してくれた上司、綿月依姫の顔は今でも忘れることは出来ない。

 

彼女は申し訳なさそうにこう言った。

 

「相応の立場であるお前には見る権利がある。同時に、見ない権利もある。知らない方が幸せになれることだってあるのだから。……けれど『知るべきではないことを知ることは罪』だ。その選択権は、君にある訳なのだが」

 

結局私はその媒体を受け取り、そして全てを知る。

 

一度も想像したこともない地球に住む穢らわしき妖怪達の姿を。

 

それ等を処理する為に出向いた上司、綿月依姫の後ろ姿を。

 

そして――

 

そして彼女達が脅威と認めた、その黒き穢れを放つ少女を。

 

 

畏ろしかった。

 

 撮影されたのは戦場の遥か後ろ、照準越しでなければ姿すら見えない程の距離からの撮影だというのにそれは今でも脳裏に焼きついている。剣を交えながら後退していく依姫と豊姫、その二人からの指示で光線銃を放った玉兎達。体勢を崩し、そのまま依姫の能力とフェムトファイバーによって動きを封じられた首謀者の少女。

 

そして見る。

 

糸を崩して刀を腐らせ、そうして立ち上がった異形の怪物を。

 

その一対の瞳らしき物がカメラの方を向いて――

 

 

何も映していなかった。

 

 

光線を放っていた玉兎達は初めから、彼女の視界には入っていなかった。

 

否、そもそも生命として認識されていなかったのである。

 

これは駄目だと、そう思った。

 

 だって、自らを殺すために攻撃を放っていた者達に何の感情も抱いていないのだ。故に、きっと彼女は躊躇なく殺しただろう。玉兎を、月人を、依姫を、豊姫を、私を。自分が認知していなければ、それは『生きていても死んでいても同じこと』なのだから。

 

だから綿月依姫は私に言ったのだ。

 

『知らない方が幸せでいられることもある』と。

 

自分が生きていても死んでいても同じことだなんて、知りたい者が居る訳がない。

 

 後々になって調べてみれば、彼女と直接視線があったように『感じた』者達は皆使い物にならなくなってしまったらしい。それもその筈、それは殺されることよりも辛く厳しい宣告である。例えば地面を歩く蟻が踏み潰されるように、存在すら否定されたまま消えるというのは――

 

当時の私を、どうしようもなく絶望させて。

 

そして同時にレイセンを()()()

 

照準を覗けなくなったのも、その影響の一つ。

 

人間の月侵攻の度にそれを思い出し、そうして、私は――

 

 

 

 

月から逃げ出した。

 

 

 

 

テープを渡した依姫の顔を、私は今でも忘れることは出来ない。

 

 

 

眼前に立ち尽くす女性に、少なくとも私は見覚えがなかった。

 

 その紫の髪も長く先端の曲がった耳も、自身の知る兎妖怪の姿とは大分違う。……いや、億が一だが彼女という可能性も否めないのではあるが、まぁないだろう。高々一千年ちょっとであのてゐがこんな姿になるとは思えないし、そもそも彼女なら出会い頭でも軽く冗談を飛ばしてくる程のお調子者であるのだから。それに対して眼前の彼女は、驚愕と焦りの混じった表情で此方を見るだけに留めている。

 

留めてはいるがそこから動こうとはしていない。

 

その身体は微かに震えているようだった。

 

「……ん」

 

そして気付く、自身に向けられた感情の正体――『畏れ』

 

初対面で私を恐れる相手なんていないので、つまり彼女は何処かで私を知ったという事になるが。

 

それがさっぱり分からない。

 

「ねえ」

 

「っ、!」

 

声を掛けたら物凄い勢いで下がり――尻餅をつかれた。

 

 ……それを見て段々と理解が追いついてきた。此処まで過剰に反応するということは、彼女は何処かで私の本気を見ているらしい。そしてそれを見せた場所なんてのは極一部に限られる訳で、恐らく輝夜を迎えに来た使者の生き残りか紫と共に月へ行った時にあの都に住んでいた者なのだろう。そのどちらにせよ死を直接撒き散らすような私に近付きたいと思う筈もないので、この反応は当然と言える訳だ。

 

前者が此処に居て生きている訳がないので、恐らく後者。

 

であるならば、彼女も輝夜の家族である筈で。

 

「……何もしないよ。もう帰る」

 

「え――」

 

私は長い兎耳の女性に背を向けて、元来た道を歩き始めた。

 

本当は輝夜と妹紅に会いたかったが、彼女に場所を訪ねるのも酷という物だろう。

 

此処は大人しく、また別の機会にでも――

 

「ま、待って!」

 

「……」

 

しかし呼び止められる。他でもない彼女によって。

 

振り向けば、彼女は若干後悔したような顔持ちで立っていた。

 

「わ、私は……」

 

それでも、先のような畏れは消えて

 

彼女は初めてその紅く綺麗な両目を私へと向けた。

 

 

「……私は鈴仙(れいせん)。永遠亭に住んでいる、玉兎よ」

 

 

 

 

私は一体何をしているのだろうか。後ろに居るであろう少女に意識を向け、溜息を吐く。

 

 よりにもよって彼女――自らが地球へと逃げてきた理由を招き入れた理由が分からない。今でも本能は注意を促してきているし、身体は何時でも逃げ出せるように浮き足だっている。そして彼女はそんな私の態度に気付いているのであろう、けれど決してそれを口に出そうとはせず唯後ろをついてくるだけ。拍子抜け……というのも些か変ではあるのだが、それでも彼女が何もして来ないのが不思議で仕方なかった。

 

……いや、理由は分かっている。

 

『そうねぇ、確かに貴女の言う通りひよりは多分身の回り以外の誰が生きて死のうが関係ないんじゃないかしら』

 

『なら――』

 

『でも、それは私や貴女も同じよイナバ。それとも貴方は、月にいた頃地球の人間達の生き死にを気にしていたの?』

 

自分の事だけで手一杯になるのは当然だ、と蓬莱山輝夜は言って笑った。

 

その屈託のない笑顔の所為で、多分今も私は逃げずに彼女と歩いているのだろう。

 

ザクザクと二人分の足音が竹林に響く。

 

「――れ」

 

「っ!……な、なに?」

 

「……」

 

「……」

 

「鈴仙は、何時から此処に?」

 

「……五十年位前、だけど」

 

そう、丁度それくらいの時が経過していた。

 

 月では然程意識せずとも経過してしまう時間が、あの映像を見た日から人間のそれと変わらない位細かく私の中で刻まれていた。今では時間が空く度に何か考えごとをしている。黙って上司である依姫の元を離れたこと、未だ自分の知り得ない地球の様々なこと、そして――何時までこの場所に居ることが出来るのかということ。

 

多分私は明後日の満月に此処を去ることになるのだ。

 

筈なのに――

 

『貴女が此処へ逃げて来た理由は知ってる。けれどそれって言い換えれば、『まだ生きているのに殺された』のが不満だったんでしょう。つまり貴女はひよりと出会うまでは死んでいた……違う?』

 

此処五十年の間は、毎日が月とは比べ物にならない程の密度に感じられた。

 

けれどそれを最初に感じるようになったのは、輝夜の言う通りあの時が初めだった……と思う。

 

月に居た頃は死んではいなかった。が、生きてもいなかった。

 

 

どちらでも同じことだと宣告したのは、後ろを歩いている少女ではなく私自身の心。

 

 

そして今、私は月への帰還という刃を喉元に向けられている状態なのである。

 

「お」

 

背後にいる少女の声に釣られて顔を上げる。見れば、見知った建物が視界に見えてきた所だった。

 

私は一度立ち止まり、そして背後へと身体を向ける。

 

少女は建物ではなく私を見ていた。

 

「……じゃあ、私が師匠に取り次いで来るから。ちゃんと待ってて」

 

「ん、分かった」

 

 少女が頷いたのを確認して永遠亭へ向かい――その中途一度だけ振り返って動いていないことを確認し、そうして私は永遠亭へと足を踏み入れる。あの少女の元を離れても、私は胸を撫で下ろしたり、安堵の溜息を吐くことはなかった。彼女に対するそういった緊張感や恐怖心は、どうやら何時の間にか消え去ってしまったようで。

 

『この年、この月、来週の満月を以ってして、私の退屈は終わりを迎えるの』

 

 

そういっていた蓬莱山輝夜の言葉の真意が、私にはもう見えていた気がした。

 

 

 

『貴女が再び訪れるまでこの亭が永遠であることを約束しましょう』

 

『何時かまた合いに来る。その時は、永遠と程遠い変化を持ってくるから』

 

 

 一千年前、蓬莱山輝夜とひよりはそれを最後の言葉にして別れた。それは、決して短い時間ではなかった。人だけではなく妖怪も、その生死や在り方を変えざるを得ない程に長い時間。人と妖怪だけに留まらず都が、都だけでは収まらず世界全体の常識が移り変わる程の経過。一千年という時間は、まさに生物において全てを殺しきる唯一の存在なのだ。命だけでなく伝承を。伝承だけでなく噂を、語り継ぐ者を、聞いた者を、忘れてしまった者すら消えてしまう。この世界で自らは消えることなく、他を消すことの出来る概念。

 

その対象外とも言える存在が、少なくとも世界には三人存在していた。

 

永遠亭とは、その内の二人が住処としている建物である。

 

 

 

 

八意永琳にとってはその殆どが予定調和のような物だった。

 

 明後日への準備を黙々と続けていた集中力が『トントントン』というノックの音で中断される。この竹林の中で()()()()()が出来るのは最近此処に来たあの子だけなので、まず彼女であることは間違いないだろう。永琳は予測を書き連ねていた腕を止め、長時間座っていた為に少しだけ重くなった腰を動かすついでに立ち上がった。

 

扉を開ければ、そこには既に見知った顔と呼べる玉兎の姿が。

 

『鈴仙・優曇華院・イナバ』と、彼女は()()()()立ち位置を与えられた地上の兎である。

 

 彼女が此処へ来た理由――当然のことながら分からない永琳ではない。その垂れ下がった耳と自己嫌悪を帯びた瞳を見れば、『彼女』が鈴仙の案内の元この場所まで来たのは一目瞭然だからだ。……ただ一つ予想外なことがあったのは、鈴仙がここまで落ち着き払った状態で永琳の元へと訪れたこと。永琳の予想では、彼女は泣きながらドアを蹴破ると思っていたのに。誰かが何かをしたのか、彼女自身の心の変化か。まぁ、悪いことではないのだ。然程気にすることでもないだろう。

 

だから永琳は予め決まっていたかのように口を開く。

 

「通してあげて頂戴」

 

何を、とは言わなかった。誰に、とも言わなかった。

 

けれど鈴仙はそれだけ聞くと黙って小さく頷き、そうして踵を返して入り口へと向かう。

 

扉を閉めた。

 

「……さて」

 

此処までは予想通り。蓬莱山輝夜の言葉を以ってすれば、この程度は造作もない。

 

 ただ、それでも月の使者が来る可能性を永琳は考慮していた。恐らくはひよりも此方側についてくれるし、地形や情報量から考えても此方がかなり有利な戦いになるだろう。けれど、それでも、と。可能性が零で無い限り、出来うる限りの予測と準備をして置くのが最善だと考えているのだ。

 

果たすべきは、その可能性を零にする為の方法を作り出すこと。

 

再び椅子へと腰を降ろしてペンを取る。

 

 

その直後、背後の扉越しに誰かが廊下を歩いていく音を耳が捉えた。

 

 

「……」

 

ペンを動かす手は止めない。ただ、意識だけを背後へと遣る。

 

 パタパタと、表現をするならそんな軽い音。鈴仙や輝夜のようではなく、てゐのような忍び足でもなくただ単に廊下を歩くだけの音。何の変哲もないそれを、永琳はこの時久し振りに聞いたのだ。あぁそういえばこんな感じだったなと思わず意識だけでなく手まで止めてしまう程に。今正に自身の部屋を通り過ぎようとしている彼女に、けれど永琳は声を掛けようとはしなかった。

 

――しかし、足音は扉の前辺りで一度ピタリと止まる。

 

そして再び歩き出したようだった。

 

「……また、騒がしくなるわね」

 

本当に聡明な少女だ。そう関心しつつ一人呟く。

 

もしも此処で私の顔を先に見よう物なら、輝夜はそれを許そうとはしなかっただろう。

 

どうやら彼女はお咎めなしで輝夜との再会を終わらせたいらしい。

 

……が

 

「それは難しいんじゃないかしら?ひよりさん」

 

既に去ってしまったであろう、彼女を思い浮かべて言葉を投げかける。

 

 例えば輝夜がひよりと別れたままの輝夜であれば何とかなったかもしれない。或いは、鈴仙と出会わなかった輝夜ならば許したのかもしれない。けれど輝夜は妹紅と出会ってしまい、鈴仙を家族と認めてしまった。永遠にするつもりだった物が崩れてしまい、輝夜も変わらざるを得なくなってしまったのだ。

 

それはもう一人の蓬莱人にも言えること。彼女もまた、この千年で随分変わった。

 

そして今は新しい家族が変わることを迫られている。

 

「……その後押し位は、私でも出来るかしら」

 

 

ひよりに任せっきりというのも些か格好が悪い。やはり自分の家族は自分で守るべきだろうから。

 

止まっていた腕は何時の間にか動き出して。

 

 

 

 

 

 

 

 

これはあくまで当時の理想だったのだが

 

私は輝夜と妹紅が良好とまでは言わずとも、それなりに気の合う友人になれると直感していた。

 

 

 

「……」

 

パチリと桂馬が不規則に飛ぶ。

 

「……」

 

パチリと今度はそれを邪魔するように金が置かれる。

 

 

パチリ、パチリと。

 

白髪の少女と、それに相対するような黒髪の少女が腕だけを動かしていく。

 

 私はそんな二人の間、盤を横から眺めるという役を担当していた。言い換えれば、この勝負が終わりどちらかが敗北するまで待っていてくれと言われたのだ。てっきり開口一番怒鳴られ投げ飛ばされるくらいを予想していた私にとっては願ってもないことだったのだが、しかし勝負を始めてみればその言葉は取り消さざるを得なくなった。明らかに可笑しい。少なくとも、駒の一つである王将が『輝夜』と『妹紅』になっている時点で異常はひしひしと伝わった。それに加えてこの真剣さ加減、そこから導き出されるこの勝負の内容とは、つまり――

 

いや、まさか今でも殺し合いなんかしてるとは思わなかった。

 

そんなものは最初の百年足らずで終わると思っていたのに。

 

「初めて見ると面白いっしょ?」

 

そんな私に声を掛けてきたのは私が来るまで審判を務めていたてゐ。

 

「お前さんの持ってきてくれたトランプやら囲碁なんてのはもう飽きちまったってんで、今は文字通り『命をかけた将棋』の真っ最中って訳さ。勝った方が負けた方を無抵抗のまま好き放題殴るっつールールなんだけど……まぁ、守られたことは一度もないねぇ」

 

「……お疲れ様」

 

つまり最初から審判など必要ない勝負なのさとてゐは笑う。

 

「まぁでも、唯殺し合うよか全然良いと私は思うけどね。輝夜も妹紅も蓬莱人ではあるけれど、それが『死んでも良い理由』にはならないし」

 

それは確かにその通りだ。

 

――ふむ。

 

「輝夜、妹紅」

 

「……」

 

「……」

 

パチリパチリと駒を動かし続ける二人に向けて口を開く。

 

「忙しいみたいだから帰るよ」

 

――腕が止まった。

 

そして溜息。勿論二人分綺麗に重なって。

 

「……はぁ、やめよ。今日は機嫌が良いから勘弁してあげる。ほら、とっとと帰りなさい。私はこれからひよりと大事な話があるから」

 

「前半については概ね同意見だけど、帰るのは私とひよりだ。どうせ遅いだの何だの言うだけなんだから、お前は後でも良いだろ」

 

バチバチと二人の間で火花が散る。幻覚ではなく、多分本当に。

 

「ふん!」

 

「けっ」

 

犬猿の仲というには、些か争い合う程度が幼稚というか何というか。

 

――でもまぁ、()()()やれているようで何よりである。

 

「ただいま、二人共」

 

私はあえてどちらに話かけることもなくそう言った。

 

 封印される前、私が妹紅に放った言葉の真意はちゃんと伝わっていたようだ。少々考えさせられる関係ではあるけど、それでも二人は仲が悪いという訳ではない。少なくとも盤を挟んで遊べる位には互いを許しているのだ。ならば、それ以上は私が何かを言うべきではない。きっと時間は掛かるだろうけれど、それでも二人は最終的に仲良くなるだろう。

 

ほら、その証拠に。

 

 

「「おかえり、ひより」」

 

予感はすぐさま確信へと変わって。

 

 

蓬莱山輝夜は上機嫌だった。

 

 その理由は多々あれど、まず第一にあがるのは待ちに待った親友の帰還だろう。本来ならばそれだけでも充分お釣りが来るのだが、しかし輝夜には他にも喜ぶべき理由があった。今ひよりを挟んで反対側にいる蓬莱人を加算してもいい程の、だ。

 

それはつまり、ひよりが戻ってきたことにより動き出す周囲のこと。

 

彼女が戻ってきたのなら、此処はもう永遠である必要はない。

 

「ねぇ、ひより。少し相談があるの」

 

「ん」

 

 場所は竹と竹や竹のような物が一望出来る縁側。夕陽は沈み周囲が暗くなり、月が上り始めたであろう辺りの時刻。私とひよりと妹紅はそこに座り、三人とも思い思いに時間を過ごしていた。私は竹を見ていたし多分ひよりも竹を見ていたし妹紅も竹を見ていたのだろうが。私が声を上げたのは数分ほどそうし続けていた最中、丁度竹観察に飽きた頃である。

 

 

問いかけに二人分の意識が此方へ向く。意外にも、妹紅は黙ったままで。

 

「鈴仙にはもう会ったかしら?なんていうかしょぼくれた雰囲気の子なんだけど、その子を迎えに明後日の満月に月から使者が来るのよ」

 

「……それで?」

 

「大事な家族なの。追い返すのを手伝って頂戴」

 

此方を見つめるひよりと視線が交錯する。ほんの一瞬、けれど考えるには充分過ぎる時間。

 

ひよりは肩を竦めた。

 

「嫌われてるみたいだったけど」

 

「あれは自己嫌悪みたいな物よ。ひよりを嫌いな訳じゃないわ」

 

『いいよ、手伝う』と、そう言ってひよりは視線を正面へと戻す。

 

さて――

 

「妹紅は何時輝夜と会ったの?」

 

「ん、割とすぐだよ。ひよりと別れて四年経ったかそこいらって、そんな感じ」

 

 今度は妹紅とひよりの会話に耳を傾ける番。意外にも妹紅が私とひよりの話の最中黙ってしまっていたので、必然的に私も大人しく聞く義務があるだろう。

 

「で、どう?輝夜は」

 

「まるで駄目だな。世間知らずで高慢チキ、おまけに短気で飽きやすいときたもんだ」

 

「なっ――」

 

ニヤリという擬音が似合う笑みを浮かべて此方を見る妹紅。

 

勿論黙っている訳もなく――

 

「どうした、輝夜。何か言いたいなら言ってもいいんだぜ?いや勿論、私だってさっきの話に興味はあったけどな。再会したばかりの会話を邪魔しちゃ悪いと思ってね」

 

「ぐ、ぐくく……!」

 

なのに立ち上がれないでいた。なんとなく、そういう流れであると悟ったのだ。

 

今回は、多分私が折れてやる番なのだろう。今にも動き出してしまいそうな両膝にそう語りかける。

 

「仲良くなれると思うけど」

 

「……ま、それについちゃ否定はしないけどさ」

 

そんな事を考えていたからか、笑いあう二人の遣り取りを聞く事は出来なかった。

 

けれど此方をチラチラと見る妹紅を見る限り、どうせ録でもないことを話していたに違いない。

 

しかし――

 

 

「……此処暫くは、あんまり人前に姿見せないようにしてる」

 

 

不愉快な笑みは、次の瞬間には消えていて。

 

「彌里と最後まで顔を合わせられなかったから、かな。何となく気が進まないっていうか、その……怖いのかも、しれない」

 

そうして見せた表情は、私の見たことのない後悔と悲哀に満ちた表情で。

 

 少なくとも私が妹紅と出会い、殺し合い、時に両者動けぬまま言葉を交わした時には見せなかった表情だった。そして、年相応の弱々しさを見せる妹紅を見るのも初めてだった。あれだけ口が悪くて、私にだけ高圧的で、何故か勝手にこの竹林に住み着いている彼女が唯一信頼出来ると考えているのであろうひよりの前で見せたのは、再会の喜びや感動ではなく――自責の念。

 

何故か、私は胸を締め付けられるように感じた。

 

普段は多種多様な手を使って悔しがる様を見ようとする相手に、だ。

 

「妹紅」

 

「っ」

 

そんな妹紅にひよりが声を掛けた。たったそれだけで、彼女の肩は大きく揺らぐ。

 

「これ」

 

グイと、半ば無理矢理顔を掴んでひよりは妹紅を抱きしめた。

 

「――っ!……これって」

 

「そう、彌里の」

 

彌里。ひよりの娘であり、妹紅を師としていた人間の少女。

 

 流石にこの時ばかりは私もそれを唯の帯だと思うことは出来なかった。ひよりの娘がひよりの為に、一千年という年月を超えて残した物なのだから。月でも短いとは言えない時間、地上の様々が変わっても残り続けたのであろうそれは、多分私がひよりにあげた髪飾りと全く同じ意味を持つ物なのだろう。もし、一つ違うとするならば――

 

あの帯は、ひよりにとってだけでなく

 

「っ、そう、か……っ!」

 

「……」

 

妹紅にとっても大切な物であるという事。

 

 帯に顔を埋めてエグエグと泣く様は誰がどうみても無様で、普段なら軽口の一つや二つ出るのだけれど――やはり、そういう気分にはなれなかった。

 

だって、多分()()は私にとっての永琳やてゐや鈴仙であって

 

そしてやはり、ひよりの大切な物でもあるのだから。

 

ひよりが口を開く。

 

「『神狼』」

 

「――あら」

 

ボウンという音と共に現れたのは巨大な白銀の狼。一度も見たことのなかったその姿に、私は思わず声を漏らす。

 

とても美しい狼ね、と。そういう為に口を――

 

「う、うぅ~……お前も居たのかぁ……」

 

「これも彌里から」

 

「……っ、あんたねぇ」

 

今度は即座に帯から顔を離し、すぐ隣に立つ狼の身体へと埋めて泣き出す妹紅。

 

ヒクリと、間違いなく頬が引きつったのを私は理解した。

 

 妹紅に悪意がないのは分かっている。彼女にとってはひよりと顔を合わせず別れたことよりも、彼女が師をしたひよりの娘の方を気にかけたのも分かってはいる――いるが、少々泣き過ぎではないだろうか。これでは声を掛けるどころか、完全に蚊帳の外である。

 

 

……でもまぁ、人の為に涙を流す妹紅を見てほんの少しだけ関心したのは事実で。

 

 

ニヤリと――

 

 ひよりから丁度見えないように、しかし私にだけ見えるように此方を覗き口角を吊り上げた妹紅の顔を私は見逃さなかった。

 

「――へっ」

 

そして明らかに笑った。私を見て嘲笑った。

 

……前言撤回。

 

「……ひより、先に部屋に戻って頂戴。この白髪婆を土に還したら一緒に寝ましょう」

 

「へえ、もしかして誰かと一緒じゃないと寂しくて眠れないのか?私も手伝ってやるよ。ひより、こいつを眠らせたら私の家で話そう」

 

「……二人共、ほどほどにね」

 

妹紅と共に縁側から庭へと飛び出し、ひよりが溜息と共に部屋へ戻るのを見届ける。

 

ピシャリと、障子が閉められて

 

「おらぁぁぁぁ!」

 

「うらぁぁぁぁ!」

 

 

それでもやっぱり目元は赤く腫れていたので、少し手加減をしてしまったのだけれども。

 

 

 

トントントンと、ノックの音を聞くのは二度目だった。

 

 

「開いてるわよ、入って頂戴」

 

 私は扉の方も見ないでそう言った。陽は落ち、もう月が真上に昇ろうかという時間。先ほど休憩をしてしまったが為に遅れてしまった作業を進める為、今度は相手に開けて貰う方を選択したのだった。――さて、此処でようやくドアの方に意識を向ける余裕が出て来る。ノックをしたという事はてゐや輝夜ではないだろうから、恐らく鈴仙かひよりなのだろう。確立としては五分五分……さて、どちらが入ってくるにせよ――

 

「久し振り」

 

「……えぇ、お久し振りね。ひよりさん」

 

手を止めなければならないことは、やはり間違いない訳で。

 

 

 

 

「月から使者が来るんだってね」

 

輝夜から聞いたよ、とひよりはそう言って此方を見た。

 

 一体輝夜からどの程度まで話を聞いたのかは分からない――まぁ、多分何も話して貰っていないのだろう。けれど彼女が此処に来てくれたという事は、輝夜と妹紅の方に決着がついたという事だ。その上で、どうやらひよりも今回の件に協力してくれるらしい。念の為ひよりを含めて計画を立てていたこともあってか、私はそれを聞いても然程驚くようなことはなかった。

 

しかしそれでも、やはり心は躍る。

 

「ただし守る側と攻める側が逆ですけど、ね……そして多分、此方へ来る相手も」

 

「……」

 

そう、恐らくだが今回迎えに来るのは豊姫と依姫。

 

奇しくも私達が月面戦争と呼んでいる史実を逆にしたような形だった。

 

「それで、勝算はどれくらい?」

 

「ひよりさんが協力してくれるなら充分にあるわ。……但し、それは『永遠亭から誰も居なくならない』のが勝利なだけであって、誰も()()()()という訳じゃないけれど。説明は、必要かしら?」

 

「ん、いいや。その役引き受ける」

 

これも想定していた答え。ひよりは充分に考えた上で、引き受けると言ってくれた。

 

ならば此方も遠慮をする方が野暮という物だろう。

 

私は右手を差し出した。

 

「じゃあ今回は完全に協力して貰う訳だから、形式的にもお願いさせて貰うわね?……ひよりさん、明日貴女の力を貸して頂けるかしら」

 

「うん、明日一日永琳の指示に従う」

 

その小さな手で私の手を握り返し、彼女は強く頷いた。

 

あとは――

 

「それともう一つ、明日使う術についてなのだけれど……確実に上手く行く方法を取って『本物の月』と『偽の満月』を夜が明けるまですり替えるわ。こうすることで両者は完全に繋がりを絶たれて、どちらからも偽りの場所にしか辿り着けなくなる。豊姫の能力があったとしても、彼女がこの現象に気付く頃にはもう間に合わないでしょう」

 

「ん……ん?」

 

まぁ、当然か。首を捻るひよりを見て、私は内心で苦笑する。

 

「つまり明日一日月が偽物になっちゃうの。それについては、大丈夫かしら?」

 

「……あー」

 

おや、と思ったのはひよりが意外にも悩む素振りを見せたから。

 

彼女は暫くの沈黙の後、やがてゆっくりと口を開いた。

 

「多分、知り合いが何人か止めに来ると思う。傍から見れば明らかに『異変』だから霊……博麗の巫女とか、幻想郷の管理者とかが解決しようとするかも」

 

「……成る程。確かに妖怪や巫女にとっては、この異変は解決しないといけないのね」

 

 そうすると、もしかしたら私達が戦うのは月の民ではなく幻想郷の住民ということになるのかも知れない。勿論私も輝夜も弾幕ごっこという遊びについてはてゐから聞いているし、実践もしている。ただ、それの勝敗だけでこの術を止めなければいけないとなるならば――

 

それ相応の準備が必要になるだろう。

 

結論付けて顔を上げると、何故かひよりが苦笑していた。

 

「今、凄く楽しそうに笑ってたよ」

 

「あら、そうかしら?」

 

思わず頬に手を当てて確認すれば、確かに若干だが釣り上がっているように感じる。

 

 前回は私と輝夜の都合上自ら月へ行くことは出来なかった。そして現在も、この竹林からは出ない方が良いという風に結論付けている。だから、もしひよりの言う通り幻想郷の住民達が攻めてくるというのなら、それはそれでまた必要な変化なのかも知れない。妹紅が此処へ辿り着いたように、鈴仙が逃げ込んだように、今回もまた、新しい風が吹き込もうとしている。

 

目前で此方を見て苦笑する、この少女の手によって。

 

私は――

 

「ひよりさん」

 

「ん?」

 

「……ありがとう」

 

そう言って頭を下げた。様々な思いを含めた、複雑な礼だったと思う。

 

当然、全てが伝わるとは思っていなかったのだが

 

 

 

 

 

「輝夜と約束したからね」

 

どうやら一番伝えたかったことは、しっかりと伝わっていたようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次週『月は出ているか?』をお楽しみに!(嘘)


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『表と裏、外と内』

少し手直し入るかもしれません。


異変が起きた。全ての妖怪はそれを瞬時に悟った。

 

 

 以前のような分かり易さはない。空を丸ごと覆い隠すような紅い霧も、季節を無視して降り積もる雪も、それらを引き起こした者達やその他が日を待たずして神社へと集い宴会を行っていた訳でもない。人に影響がある訳でもなく、誰が死ぬ訳でもなく……けれど、幻想郷に住む全ての妖怪は()()に気付いた。否、気付かざるを得なかった。何故なら――

 

覆うではなく、すり替えたと。

 

「穢れの弱まった月……永く地上を見続けていない、太古の時代の歪な満月、ね」

 

月は全ての妖に等しく妖しい力を注ぐ。

 

 その月をすり替えたらどうなるか、ちょっと考えれば誰でも理解するだろう。月の恩恵を奪われ本来なら夜を闊歩する筈だった妖怪が。本能に身を任せて迷い人に襲い掛かる予定だった妖獣が。そして何よりこの綺麗な満月を肴に酒を酌み交そうとしていた幻想郷の住民達全てを敵に回したと、つまりはそういうことだ。レミリアも動くだろう、幽々子も混ざるだろう。霊夢や魔理沙が解決に乗り出さない訳はないし、そして勿論私も黙って見ているつもりはなかった。

 

そんな理由で私はこうして霊夢と共に空を駆けている。

 

 

異変の首謀者を――そしてひよりを捜すために。

 

 

 

 

「さて、最終確認をして置きましょう」

 

幻想郷から奪った満月を背に、永琳は此方を振り返った。

 

「私達の勝利条件は『月人を地球に降ろさないこと』……つまり、今幻想郷に出現させている偽りの満月の維持。時間は日付が変わって月が沈むまで。そして戦う相手は、本物の月を取り返そうとしてくるであろう妖怪達」

 

「私と永琳とひよりが負けた瞬間が、維持の限界って訳ね」

 

……ふむ。

 

「弾幕で相手して良いんだよね?」

 

「えぇ、そうして頂戴。弾幕でなければ絶対勝利にはなるでしょうけど、それは今後幻想郷と関わっていく上で最善とは言い難いわ。だから今回はあくまで弾幕決闘法に基づいて戦うつもりよ」

 

「あぁ、楽しみねぇ。弾幕もそうだけど、誰が来るのか考えただけでも……」

 

堪えきれないと言わんばかりに笑う輝夜を見て、私は永琳と共に苦笑する。

 

 永琳がどれだけ考え詰めてこの計画を形にしたのかを見ていた私は、とてもじゃないが楽しむ気にはなれなかった。けれど、それを口に出して言わない辺りが永琳と輝夜の絆なのだろう。永琳が苦に思わないから、輝夜もそれに感謝をしない。私が感謝される為に彌里を育てた訳ではないのと同じように。間違いなく、永琳と輝夜の間にもそれと同じ物が出来上がっていた。

 

果たして一体誰がこの繋がりを絶てるというのだろうか。

 

否、そんなことをさせるつもりはない。

 

「――ひよりさん、聞きそびれていたのだけれど」

 

「ん」

 

永琳は少しの沈黙の後、やがて慎重に口を開く。

 

「本当に私達側についても良かったのかしら?向こうにも友人が居るのでしょう?」

 

「……」

 

永琳の心配はつまり、私が協力することで仲を裂いてしまうのではないかという事。

 

 ……さて、どうなるだろうか。あまり考えずに動いていたので、実際の所どうなるかは分からなかった。確かにこれだけの現象を起こした側につくというのは中々危うい選択なのだろう。知り合いだけならいざ知らず、今回は数多の妖怪達も関心を寄せている。もしかしたら幾らかの人妖からは反感を買うかも知れない。――知れない、が。

 

『……でも、貴女と紫は友達でしょう?』

 

そう問うた幽々子に対しては、何と答えたんだったか。

 

 今でも幽々子を殺したことに後悔はしていない。彼女が一度死ぬことで、少なくとも幽々子の気持ちは救われた。紫や妖忌の後先も含めて、出来る限り最善の選択をしたと思っている。『生きていることが即ち幸せではない』というのは、私自身を以って良く知っていたから。

 

だから、永琳の問いに答えを返すとするならば――

 

「信じてるから、かな」

 

考えに考え抜いた末、幽々子を救う決断をした彼女を。

 

 だから私は輝夜の側についた。何時かと同じように、紫が私達の『真の狙い』に気付いてくれることを願って。月を掠め盗るでもなく、月人を地球に降ろさないでもない、私達の身勝手で実現不可能な地球防衛作戦。その鍵を握っているのは、他でもない八雲紫なのだ。

 

その上で、この異変は輝夜達にとって必要な物になるだろう。

 

永琳はニコリと微笑んだ。

 

「私も輝夜も、ひよりさんの友人を信じるわ」

 

「……」

 

いや、そんな笑顔で言われても反応し難いのだが。

 

「ふふっ、大丈夫よひより。貴女が親友と認めた相手だったら――私と対等の立ち位置にいる相手だったら、きっと辿り着く筈よ。本物の満月がある此処に……それとは別の目的を持つ、私達の元に」

 

その言葉を聞いて、私は輝夜達に背を向けて歩き出した。

 

「……じゃ、適当に遊撃してくる。輝夜達も準備はしておいて」

 

 竹林中に放っておいた蠱毒達は既に人妖の二人組を幾つか捉えていた。それを迎撃する為に、私は障子を開けて姿を鳥へと変える。

 

 霊夢と紫か、それとも幽々子と妖忌か。魔理沙と知らない少女もかなり近くにまで来ている。……それに、どうやら此方の意図を理解しないまま時を止めてしまっている人妖のペアも居るようだ。恐らく誰も彼も一筋縄では行かない相手だろう。何せ、異変を解決する為に迷いの()竹林()まで辿り着くような人妖なのだから。

 

さて、誰から相手をしたものか。

 

「……うん」

 

 

同時に相手をすることにした。

 

 

 

 

夜が何時まで経っても終わらないので慌てて家を出た。

 

 今日は徹夜で魔法の勉強をするつもりだったのだ。少なくとも、月が天辺にある内はそうしようと考えていた。けれど、流石に天辺にあるままでは何も出来ない。魔法の研究に終わりはないのだけれども徹夜に終わりがないのは我慢がならなかった。なので私は被る予定もなかった帽子と近所の魔法使いを引っつかみ、そうしてこの終わらない夜の解決を始めたのだった。既に蛍や雀や半人半妖と目に付く飛ぶものを叩き落しているが、未だにそれらしい者を引き当てることもなく。

 

そして今は半妖に言われた通りに竹林を飛んでいる真っ最中。

 

「……魔理沙、本当に此処で良いのかしら?」

 

「あぁ、問題ないぜ。最初から此処に来るつもりだったんだ。森や里を通ったのは軽い様子見って奴だよ」

 

あの半妖の言葉くらいしか手がかりがないからな、とは言わなかった。

 

この隣の人形使いは根拠のない捜索を嫌がるのだ。

 

それに――

 

「よう、ひより。こんな夜中に竹林で会うなんて珍しいな」

 

自分と向かい合っている相手が居る内は、進んでいる方向は合っているということである。

 

まぁ、ほんの少しだけその相手が予想外ではあったが。

 

「何?知り合い?」

 

「あぁ、この間話しただろ。霊夢んとこの神社に住んでる元神社の管理人だ。家事から炊飯まで何でも出来るから、さしずめ霊夢堕落マシーンってとこだな」

 

「……」

 

相棒にそう答えつつ、内心で返事がないことに舌打ちする。

 

 ひよりは無口で無表情が基本だがそれでも喋らないという訳ではない。それがないということは、つまり彼女はそれなりの理由があって向こう側――異変を起こした側に立っているということだ。これでもしも彼女が弾幕ごっこをしてくれなければ正直二人がかりでも勝機は薄いだろう。

 

「……家事は交代でしてる。食事は私が作ってるけど」

 

堕落マシーン呼ばわりがそれなりに効いていただけだった。

 

「なるほど、明日の朝飯は筍料理にするのか」

 

「そんな訳ないでしょ」

 

コクリとアリスに同意するひより。二人分の冷ややかな視線が心地良い。

 

「じゃあ、貴女を倒していけば問題ないのね?」

 

「貴女達が倒されても別に問題はないけど」

 

 その言葉を皮切りに冷ややかな視線は一転探るような目つきへと変わり、アリスも軽く肘で私の腕を小突いた。アリスにはこうも話してある。『真剣勝負で霊夢が負けた相手』だと。

 

……が

 

 

「……被弾三回、スペルカード有り」

 

弾幕ごっこで一度も負けていないのは、それ以上に良く話してあった。

 

 

 

 

「全く、つれないわねぇ。もう少し位話をしても良いんじゃない?」

 

「……」

 

正直退屈だった。虫や鳥を相手にするのは、余りに味気がなさ過ぎる。

 

 けれどもまさか此処で会う事になるとは思ってもいなかった。『何時か何処かで』私がこの少女と紅魔館で話すことになるのは間違いない筈なのだが、まさかそれ以前に接触の機会があったとは。隣でナイフを構えた従者――咲夜を手で制し、私は上空で佇む黒衣の少女へと問いかけた。何故彼女が此処にいるのかは興味がない。けれど、私は彼女自身には多少なりとも興味があった。様々な企みや思惑を抜きにしても、私はこの変化の塊とも言える少女と一度で良いから話をしてみたかったのだ。

 

零を壱にする少女に。百を零に変えてしまう程の()()に。

 

運命は未だ定まることなく動き続ける。

 

「そう、私達全員を以ってして()()()か。……結果が目的ではなく、手段。全ては貴女達の目論見通りって訳ね」

 

「……?お嬢様、それは――」

 

「私達は月を取り返す事に専念するわよ、咲夜。こいつも含めて首謀者達は誰一人として私達と同じ場所に立っていない。目的も考えも違うんじゃあ、幾ら運命的であっても交わることはないのだから」

 

交わらない。今回の異変で彼女と此処で戦うのは、本来なら全くのイレギュラー。

 

それが起きているという()()に、レミリアはブルリと身体を震わせた。

 

 

咲夜を制していた手を退ける。

 

 

「……『幻符《殺人ドール》』」

 

「偽物の月、終わらない夜、本来なら有り得ない筈の邂逅――」

 

ナイフの弾幕に囲まれても、彼女は眉一つ動かすことなく佇んで。

 

 

「……楽しい夜になりそうね」

 

 

 

 

「幽々子様……これ、凄く見難いんですけど」

 

「だぁめ。言ったでしょう、これも修練の一環よ。この異変はそれを付けたまま解決しなさい」

 

うわぁ、と叫び声を上げながら竹と衝突した妖夢(ようむ)を見て幽々子は溜息を吐く。

 

 この余興の所為で完全に他より出遅れていた。しかし、彼女が何時出て来るのか分からない以上油断をすることは出来ない。幽々子にとって異変はついででしかなく、そして妖夢の苦労は必要な犠牲でしかないのだ。もしも彼女が現れないのならそれでも良い。その時は、恐らくはこの異変が終わった後にあるのであろう宴会でお披露目するまで。幽々子の頭の中には、普通に紹介をするという選択肢はなかった。

 

けれど――

 

「久し振り、幽々子」

 

「……本当、紫といい貴女といい嫌なタイミングで現れるわねぇ」

 

「幽々子さまぁー!全然前が見えません!」

 

何時の間にか隣に浮いていたひより。

 

 その奥でひょっとこの面を被った妖夢が悲痛そうにそう叫ぶが、如何せん面の所為でそれほど切羽詰ってはなさそうだった。やんわりと視線を妖夢からひよりへと戻し、そうして幽々子は手に持っていた扇子をパチリと閉じてひよりへと向けた。

 

「妖忌、こいつを斬りなさい」

 

「え、おじいちゃん!?来てるんですか!?」

 

「……」

 

「……」

 

「……あれ?どなたです?」

 

妖忌、という単語を聞き仮面を外して周囲を見回す妖夢がひよりを捉えた。

 

 ……訂正をしよう。先ほどひよりにタイミングが悪いと言った幽々子だったが、タイミング以前に時期が悪かったのだ。例えばあともう数年程経過していれば、あの愛玩動物のようにキョロキョロとしている従者も少しは彼に似たかも知れない。けれどもう遅い。ひよりは『どうして欲しい?』みたいな顔で幽々子を見ているし、妖夢は妖夢で『お祖父ちゃんは何処に?』みたいな顔で此方を見てくる。空回り……そんな言葉が頭を過ぎった幽々子だったが、それでもそこで終わる程彼女は甘くなかった。

 

ひよりへと目配せし、次に妖夢に向けて口を開く。

 

「実は、この黒いのが妖忌を食べちゃったの」

 

作戦変更。普段通り、妖夢を弄り回す方へと切り替える。

 

「えぇ!?」

 

「うん、食べた。……ペロッと?」

 

その表現の仕方はどうだろう。まぁ確かに、半霊はペロッと()()()()()()

 

「こ――このぉ!よくもお祖父ちゃんを!」

 

「……自分で宥めてね」

 

「勿論、普段からそうしてるわ」

 

隣に居たひよりに妖夢が刀を振り下ろし、ひよりが離れて二人対一人の形で向き合った。

 

 望む形とまではいかなかったが、ひよりは充分妖夢に興味を持ったらしい。何故食ったこうだから、と問答を繰り返しつつもその視線が二振りの刀と半霊に向かっていることに幽々子は気付いていた。

 

だからまぁ、及第点と言えなくもないか。

 

「さあ妖夢、頑張って妖忌を助けるわよ」

 

「任せて下さいっ!幽々子様まで食べさせる訳にはいきません!」

 

息巻く妖夢と並び、幽々子は悠然と佇む黒衣の少女を叩き落す為に扇を開く。

 

ひよりが口を開いた。

 

「……被弾三回、スペル――」

 

「とりゃあ!」

 

 

 

「あ」

 

 

 

不意討ち一本。スペルカードでも何でもない縦方向の斬撃。

 

流石の幽々子もそれしか言えなかった。

 

 

 

 

情報を整理する。

 

 異変に気付いたのは夜、月が天辺に昇ろうかという頃合。今日ひよりは朝から用事があると言って博麗神社を出て行き、以降戻っていない。月がすり替られた時、幻想郷の何処を探してもひよりの姿を見つけることは出来なかった。規模は最大級、空に浮かぶ月を偽物と交換することの出来る程の実力者が、少なくとも一人。そして道中倒してきた半人半妖の話を信じるならば、やはりこの異変の元凶は迷いの竹林にいるようだった。

 

その上で考える。

 

「……分からない」

 

「珍しいわね、アンタがそんなことを口にするなんて。異変の首謀者なら、さっきの半妖が言った通り竹林に居ると思うけど」

 

そうではない。分からないのは、彼女達の目的だ。

 

 日差しが鬱陶しいから霧を出した。枯れ木を咲かせたいから春を集めた。春が惜しくて宴を繰り返した。……では、何をする為に月を入れ替えた?少なくともそうすることで彼女達には何かしらのメリットがある筈で、それは最低でも幻想郷の妖怪を全て敵に回す程の価値があるということである。果たしてそんな物が存在するのだろうか。『妖怪を敵に回すよりも厄介な何か』が、本当にこの幻想郷にあるだろうか?

 

現状の突き詰め完了。逆説の可能性を探ってみる。

 

月の為に月をすり替えたのではなく、幻想郷の為に月を摩り替えた可能性。

 

妖怪を相手にしたいのではなくて、月を相手にしたくなかった可能性。

 

厄介な何かが、幻想郷ではなく別の何処かにある可能性。

 

ひよりとその友人を以ってして、そう判断を下す程の相手。

 

――月。

 

「……」

 

「……ふぅん。紫がそこまで考えるってことは、何だか並々ならない事情がありそうね。――でも、私は異変を解決するわよ。今目に映っている『異変』は夜が明けないことと月が変なことだけ。例えその裏に何が待ち構えていようと隠れていようと関係ない。私は今日をさっさと終わらせたいの」

 

朝になればひよりもご飯を作りに帰ってくるでしょ、と。霊夢はそう言う。

 

その通りである。

 

「だからこそ、よ。だからこそ私達はひより達……異変の首謀者である()()から話を聞く必要がある。月を摩り替えるなんて無駄なことをして何がしたいのか、逆に何をされたくないのかを私達は知らなければならない」

 

「月人って……あんた、本気?」

 

決め手はあの時の月面侵攻。

 

 何故ひよりがあれだけ反対をし続け、侵攻と同時に撤退をさせたのか。どうして地球に帰ることの出来る可能性が零の自分ではなく、一応はスキマを使える可能性のあった私を帰したのか。藍は月に行ったと同時に撤退しろと言われた。妖怪達が動けなくなるより前に、妖怪達が死ぬよりも先に、だ。そして無事にひよりが帰ってきた理由。彼女は頑なに語ろうとはしなかったが、例え彼女が月の都を滅ぼしたとしても帰って来ることは不可能である。それを含めて私はひよりを帰すつもりでいたし、恐らくは彼女達――豊姫と依姫も、帰すつもりはなかったのだろう。

 

だから逆説。私を帰したかったのではなく、ひよりが残る意味があった。

 

『……それで、そっちの目的は達成出来たのかしら?』

 

『半分は。残りの半分は選択次第かな』

 

半分。妖怪達を地球に帰し、私とひよりが帰るので全部なのではなく。

 

半分。妖怪達を撤退させて、月人達を撤退させること自体が目的なら。

 

 

全部を含めてそのどちらの為でもなかったとすれば――

 

「異変を起こしたのは月から迎えが来るから。……もしもひよりの親友が月の中でも有数の地位を持っているなら、その可能性は充分にある。ねぇ、霊夢。知らないかしら?平安末期に記録の残る、月より墜とされ満月と共に月へと帰っていった姫の話を。不老不死の妙薬と解けることのない五つの難題を地上に残して消えた伝説の名前――」

 

霊夢は少しの間沈黙し、やがて上空の満月を見上げて口を開いた。

 

「『かぐや姫』」

 

「えぇ――そうよね、ひより?」

 

その満月と重なるように、私達の遥か上空で此方を見下ろしていた彼女。

 

ひよりはふわりと降り立った。

 

「うん、そうだよ」

 

否定の言葉はなかった。誤魔化す素振りも見せずに、彼女はそう答えた。

 

 

私はこの時初めて彼女が立っている場所に共に立つことが出来たのだ。

 

 

 

「あぁ、永琳が落ちたのね」

 

揺らぎ、薄れて消えてしまった幻影を眺めつつ呟く。

 

 では侵入者の妖怪達は全員を倒したということか。ひよりを、てゐを、鈴仙を、そして永琳を打ち倒し、満月を取り返す為にこの部屋の目の前まで来ているということか。果たして何人辿り着いたのだろう。二人か、四人か、それとも全員?けれど何人であってもそれは同じ事。()()()()()()()()()来たのならば、もう満月は此処にある必要がない。もしも夜が終わらなければ月は永遠にあのままだし、彼女達が私を倒せなければ月は永遠に歪なまま――そんな退屈な状態を、私が許すものか。

 

襖が開かれる。当然のことながら、入ってきたのは永琳ではない。

 

「お嬢様、あれが――」

 

「あれが今回の騒動の犯人だ。……あぁいや、騒動の目的でもあったか」

 

繋がりとは無関係に真実を見抜いた主と従者。

 

「アリス、あれが本物の月……だよな」

 

「そうね。というか、その程度判別出来るようになりなさい」

 

真実とは無関係に異変を解決しに来た魔法使い。

 

「幽々子様、あの人は知り合いじゃありませんよね?」

 

「えぇ、大丈夫よ。――だからと言ってすぐに構えるのはやめなさい?」

 

真実も異変もお構いなしに、ただ騒動に便乗しに来た者達。

 

 

――そして

 

「あれが親玉?」

 

「私達が倒しても問題ないけれど、取られてはいけない王将って所かしら」

 

彼女が認め、真実を全て知った上でやってきた二人。

 

誰も彼もがまるで違い、そして同じくらいに面白そうだった。

 

「早かったわね。鈴仙やてゐなら兎も角、ひよりが居たのだからもう少しくらい時間が掛かると思ったのだけれども」

 

あぁ、それならと。計八人は口を揃える。

 

「吹き飛ばしたぜ」

 

「串刺しに」

 

「りょ、両断してしまいました……」

 

()()()を使って退場して貰ったわ」

 

あっけからんと言い放つ少女達。ひよりがこの場に居たら何と言うだろうか。

 

これは後のお楽しみ。

 

「此処まで辿り着いたのだし、折角だから相手をしてあげるわ。こんな事しなくても月は返すのだけれど、やっぱり親玉を倒してハッピーエンドが王道でしょう?」

 

「分かってるじゃない。私は正義の味方じゃないから、ついでにアンタも救ってあげる」

 

一歩前に出てきたのは紅白の巫女。異変解決のエキスパート、だったか。

 

「でもその前に、いい加減夜を終わらせましょう。私は永遠が嫌いなの。そんな物は、精々偽りの満月一つで充分。本当は()()だって今直ぐ返したいくらいよ」

 

身構える八人を見据えて、私は予め作っておいてスペルカードを取り出した。

 

 初実践で何処までやれるかは分からないが、ひよりや永琳がそうしてくれた手前私だけおめおめと負ける訳にはいかない。せめて此方側の戦いだけでも勝つつもりでやることにした。……いや、多分勝てないのだろうが、それでいい。夜は明ける。月は沈み、陽が昇る。もしも私が勝つことでそれが覆るというのなら、私は今直ぐにでも舌を噛み切ってやるつもりだ。

 

出来うる限り大仰に両手を広げ、私は自身の『永遠と須臾を操る程度の能力』を行使した。

 

 

「さぁ、もう朝はすぐ近くにまで来ている」

 

 

ガチリと世界は時を刻む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今目に見えている地上に八意永琳と蓬莱山輝夜はいない。

 

 そんなことは百年程前から分かっていた。どうやら彼女達はあの場所とは違う秘境に身を隠しているらしい。姉である豊姫と共に捜査を進め、試行錯誤をし、そうして辿り着いた一つの結論だった。現実と非現実の間に何かを作り、その間を往来する物を引き寄せる性質を持つ世界――さながら幻想郷といった所か。誰が作り上げた場所なのかは知らないが、道理で見つからない訳である。

 

故に、この百年でその境界を打ち破る術を研究してきたのだ。

 

「――到着!さぁて、準備は良いかしら?依姫ちゃん」

 

「問題ありません。此処なら人目を気にせず穴を開けることが出来るでしょう」

 

地上の何処かにある山奥……倒壊したのであろう神社の前に私達は居た。

 

 しかし漸く会えると考えると、ほんの少しだけ私の心に戸惑いが生じる。もしも永琳や輝夜が私を拒絶してしまったら?または、二人共幻想郷にすら居なかったら?考えるだけ無駄である筈なのに、それらの疑問は消えることなく最近の私を付いて回った。この一千年の間に随分変わってしまったと一人自嘲。原因は分かっている、他でもないあの少女の所為だ。そう――

 

 

彼女の名は――

 

「ひより、お前も永琳様達と共にいるんだろう?」

 

「今日は『こっち』にいるよ」

 

振り返る。

 

「久し振り、依姫」

 

「……余程有名な怪異でなければ、この世界で生きるのは難しいと聞いたが」

 

いつの間にか闇に紛れるようにして立っていた少女、ひより。

 

 思い出すのは月での邂逅。永琳と輝夜からの伝言をあえて最後まで伝えず戦い抜き、そうして全てを丸く治めて帰っていった妖怪――蠱毒。当然死んでいるなんて思いもしなかったが、しかし外の世界でこうして会う事になるとは思わなかった。妖怪は人の畏れを糧として生きる種族……故に、人が恐れなくなった外の世界では生きていけない筈、なのだが。

 

彼女は立っている。其処に、普通に、変わりなく。

 

「ひよりさんは妖怪じゃないのかしら?それとも蓬莱の薬を飲んだの?」

 

豊姫の投げかけた質問はしっかりと確信を突いていた。

 

外の世界でこうまで余裕を見せている理由は、妖怪ではないか消えないかのどちらかなのだ。

 

――そう思っていた。

 

ひよりは私達から視線を外し、そうして背後の、向こうに聳える建物の群れを眺めた。

 

 

「人は妖怪を畏れなくなった。闇夜に恐怖を抱かなくなった。……この場所を見れば分かる。此処には、多分妖怪達の居場所はもうないんだろうね」

 

 

「でも私達は違う」

 

 

「私達は畏れから生まれたのではない。私を()()したのは人間で、その理由は恨みだった。相手への殺意がそれ以外を殺すことを上回った。その結果生まれたのが、私達」

 

 

「ねえ、依姫」

 

 

 

 

「世界は未だに人を恨み殺し続けているんだね」

 

 

 

 

 

 

 




しかしこのひよりよく喋る。さては偽の(


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『生殺与奪』

前回の投稿からかなり期間が空いてしまったこと、謹んでお詫び申し上げます。

期間が空きすぎて少々鈍っていると思いますので、今後数話の錯綜と誤字脱字についてはご容赦頂けますと幸いです。

あと何時もより短k(


妖怪達の月面侵攻

 

 月の史実に一生綴られることになるであろう戦争の幕引きは、依姫と豊姫が師とする八意永琳と月の姫である蓬莱山輝夜からの伝言によってひよりを逃がしたことであった。勿論当初は最後の最後まで逃がす予定など毛頭なく、それでも攻めてきた妖怪達を一人たりとも殺すことが出来なかったのは素直に永琳と輝夜の作戦、そしてひよりの実力あってのことなのだろう。

 

その敗北自体に疑問を抱いたことはない。

 

けれど一つだけ、腑に落ちないことが依姫と豊姫の胸中で渦巻いていた。

 

 

『何故、八意永琳はひよりを月へ送り出すことにしたのか?』

 

 

「――それだけが不可解だった。他の全てには妖怪か私たちの為の配慮や気遣いがあるのに、その一点だけに関しては何の根拠も理由もない」

 

正確には違う。ないのではなく、辿り着けなかったのだ。

 

 師である八意永琳が、ひよりという少女の何に行き着いて()()()()のか――それがこの疑問に対する答えとなる。そんな確信にも似た予想を抱いて、私は姉と共に地球を調査する傍らそれを考え続けた。

 

「浄化装置が働いても動ける理由は直ぐ分かった。お前は穢れそのもの、そういう事なんだろう」

 

それ自体に可笑しい部分はない。

 

 しかし浄化装置を無効化することは妖怪と殆ど同質であるひよりを月へと送り出す決定打にはならない。幾ら突破したところで、私と姉が他の妖怪にするように攻撃するのは間違いないからだ。そして蓬莱の薬を飲む以外に、絶対に死ぬことのない存在というのは恐らく一生現れないだろうと確信している。であるならば、やはりあの方には何らかの確証があったのだ。八意永琳と蓬莱山輝夜の名前を出すという相手任せの奥の手ではなく『ひより自体が何かをしなくても死なない』……そんな理由が。

 

そしてその理由に、多分私達も追いついてしまった。

 

私は彼女に――ひよりの背中へと語りかける。

 

「穢れは地球に住む生物全てに含まれている。人間も、妖怪も、動物も……その量こそ違えど、な。それを私は地球にいるからこそ存在する呪いのような物だと思っていた」

 

言って、私は自分の利き手が震えていることに気付いた。

 

 嘗て私はレイセンという玉兎に『知らなくても良い事を知るのは罪だ』と、そういったことがあった。そして今、私は同じように知りたくもなかった世界の理を知ろうとしている。きっとこれを口に出してしまえばもう二度と後戻りは出来ないだろう。それが分かっていても尚、私は自らの人生よりも月人達が目を逸らし続けてきた真実と向き合うことを決めたのだ。

 

「けれど、やはり月人にも微かだが穢れがある。地球の生物に比べれば無に等しい程度の物だが、やはり我々ですら穢れを放たないということは出来ない」

 

震えは止まらない。口に出すのはやめろと、そう言わんばかりに。

 

「では、地球ではなく生物に理由があるとしたら?……妖怪にも人間にも動物にも月人にも共通していて、且つ私達月人が地球に居た頃から変わらない物がただ一つある。それは――」

 

私は震える腕をもう片手で押さえるようにして、その結論を口にする。

 

 

 

 

「『殺意』」

 

 

 

他者を害するという、究極の悪感情。

 

黒衣の少女は答えなかった。

 

 

負の感情こそがひよりという少女を構成する唯一の性質だと。

 

そう思い至ったのは、もう随分と昔の話だ。

 

 月に移住することを決めた時、その発案者である月夜見と私はそうは思っていなかった。生きているからこそ穢れを持つ。持っているから何時か死ぬ。地上で行われえる全ての争いや他の生命の捕食が、やがては自らをも死に至らしめるのだと、そう考えて過ごしてきた。

 

ある時一人の少女と再会した。

 

 彼女は人間ではなく、妖怪ではなく、他の何でもなかった。敢えて言葉で表すのならば、彼女はどの生物にも(カテ)(ゴリ)されていなかったのだ。出自が特殊で誕生も特殊。尚且つ自身の愛する家族の友人ということもあって、私は地上に来てから抑え付けていた探究心に再び火が灯るのを感じた。そんな私に彼女は嫌な顔一つすることなく知る限りの事を教えてくれた。

 

 

『ひよりは妖怪である』

 

 人よりも遥かに長い時を生き、人間であれば死んでしまうような負傷もすぐに治る。無理に食べ物を食べる必要がなく、また夜目も効く。身体からは妖力を放っているし、霊力は放っていない。知能のある妖怪からは同じ妖怪として認識され、人間達からは妖怪の一種として認識されている。時間の経過によって姿を変えることがなく、自らの意思で様々な動物へと姿を変えることが出来る。

 

 

『ひよりは妖怪ではない』

 

 彼女は蠱毒という術なだけであって、明確に言えば妖怪ではない。幾ら自身を妖怪と分類していようと、その本質は他の妖怪とは明らかに異なっている。夜に活動する必要はなく、朝に頻繁に活動する。時に人を助け、時に妖怪を助けた。人を襲う必要がなく、驚かす必要性がなく、そして人々に語られない。

 ――語られない。妖怪の存在の拠り所が人々の恐怖や伝承に依存しているというのに、彼女は語られない。どころか自分から自身の伝承を隠したのだ。永遠亭にある唯一の書は、恐らくもう一生誰の手にも渡ることはないだろう。それでも彼女は存在し続けている。人に依存しないようにと修行を重ねていた妖怪達を尻目に、妖怪に食われまいとしていた人間達を嘲笑うかのように存在していた。依存せず、喰らわず、ただ存在しているのだ。

 

 

『では、ひよりは蠱毒なのだろうか』

 

 蠱毒とは本来人を呪い殺す為に作られた術である。その使用方法に諸説あれど、最も使われたのは間違いなく呪殺だ。……であるならば、ひよりが外見上は人の形をとっていたとしても本質は奪命である訳で、そうであるならば彼女はその責務を全うすべきである。

 

例えば人が子孫を残すように。

 

例えば妖怪が伝承に沿って人を襲うように。

 

それぞれが『人間』『妖怪』と定義されているから、彼等はそのように生きている。

 

けれど

 

行き着いた先は、そんな推論とは全く関係のない結末だった。

 

()()()()()――

 

 事柄と事柄の間にある関係性の思い違い。この場合は「無数の生物と共に閉じ込められ、最後にひよりが残った」という過程と「故にひよりは蠱毒である」という結果の勘違い。蠱毒と同じ製法を体験した、あるいは聞いた者は皆、ひよりが蠱毒になったのだと思っただろう。人は誰でも先に定義されているものと同じであれば、そうであると信じてしまい易いのだ。そして事実、私も同じ見落としをした。

 

多分ひよりは他のどの生物よりも自覚していたのだ。

 

他者を喰らうということは、その存在を殺してしまうという事を。

 

そしてそれを繰り返し続けた結果、彼女の中は他者の殺意で一杯になった。

 

 

それがひよりの正体である。

 

 

 

 

 

「ひよりさんはあそこに混じらないのかしら?」

 

 魔理沙に手を引かれて喧騒の中に混じって行く輝夜を眺めつつ、私は後ろの賽銭箱に座っているのであろう彼女に問う。

 時は私達が満月を奪った日から一日、異変解決を祝う宴会が行われている真っ最中である。異変を起こした側として招待されたこの宴会だが、やはりというべきか私自身はあまり気乗りがしなかった。幾ら月からの使者が来ないと分かっていても、この宴会が親睦を深めるためだとしても、此処へ来るために残してきた問題が余りに大き過ぎる。全壊した永遠亭の修復、幻想郷と今後付き合っていく上での話し合い……特に前者は全くと言っていいほど手を付けていないのだ。当分の野宿は避けられないだろう。

 

そして後者を話し合う相手である八雲紫に、私は輝夜共々宴会へと招待された訳だ。

 

どうやら彼女は余程私達に野宿をさせたいらしい。

 

「此処から眺めてる方が、私は好きかな」

 

振り返れば何処か愛しそうに喧騒を見つめているひよりの姿。

 

その瞳はまるで、眩しい物を見つめるように細められていて。

 

「……昔は此処で、彌里と妹紅の組み手を見ていた。毎日やってたけど、毎回見に行っちゃうんだよね。今までは妹紅と彌里だったからって、そう思ってたんだけどさ――」

 

私はその時の彼女の顔を一生忘れることはないだろう。

 

「私があの時見続けていた理由が、多分此処にもある」

 

座っちゃうのはその所為と。ひよりはそういって、微笑むのだった。

 

「……」

 

私は外の世界でひよりと豊姫達が何を話していたのかを知らない。

 

 私と輝夜の意志と謝罪を伝えることを頼んだ以上、それ以外について訊ねるというのも野暮だろう。例えひよりが二人に何を言おうと、何を言われようともそれは彼女達自身の物だ。向こうから話して来ない限りは、此方が手を出すような事をする必要はない。

 

だからこそ不安だった。

 

『結果は報告して欲しいかしら?』

 

『いい。知らなくても五百年は何とかなった』

 

そう言ってくれた彼女の決断を、私は出来うる限り尊重したい。

 

 けれどそれと同じ位、そう上手く行かない事にも気付いていた。豊姫と依姫――蠱毒という()()()()()()()あの二人が彼女について考えれば、きっと答えに辿り着いてしまうだろうという確証があったのだ。

 

ひよりは自身が妖怪でありたいと、そう思っていることを知っている。

 

けれどもし、あの二人がそれを口にしたのならば――

 

「……御免なさい。ひよりさんには、迷惑をかけてしまったわね」

 

「別に。霊夢達と戦うのも依姫と豊姫と話すのも、楽しかったよ」

 

それに、と彼女は続ける。

 

「輝夜がああやって笑えているなら、私はそれで良いかな」

 

彼女の言葉に釣られるようにして、私も視線を正面へと戻す。

 

 最初は魔理沙に手を引かれて恐る恐るといった様子の輝夜が、今ではもう吸血鬼と取っ組み合いをするまでに発展している。吸血鬼の帽子を投げ捨て、輝夜の長い髪が引っ張られて――けれども、何故だかそれを止めようとは思わなかった。永い間二人で永遠亭に居た頃には見せなかった笑顔を、私はこの時久し振りに見たのだ。

 

それを見て私は、先の言葉が相応しくないことに気付く。

 

「ねぇ、ひより」

 

「ん」

 

謙らない。今私の後ろにいる彼女は、私の友人でもあるのだと気付いたから。

 

「ありがとう。今回のこと、本当に感謝しているわ」

 

「うん――」

 

 スタンと足が地に着く音がする。そうして私の横を通り過ぎ、彼女はどうやらあの宴の中に混じるつもりのようだ。

 

その後ろ姿は相変わらず小さくて、触れれば消えてしまう程儚げで。

 

「そっちの方が、永琳らしくて良いと思う」

 

けれどその歩みは、決して緩むようなことはなく。

 

「……」

 

その後ろ姿から視線を外し、私は喧騒の中にいるであろう輝夜の姿を捜す。

 

取っ組み合いは終わって、今度はどちらが正しいかを弾幕ごっこで証明する所のようだ。

 

輝夜の顔には、相変わらず笑顔が浮かびっ放しで――

 

 

足は自然と、その方へと向かった。

 

 

 

「それでは、失礼します」

 

プシュウと音を立てて閉じた扉を背に、溜息。

 

 二つの報告を同時に済ませた。一つは今回の地球探索で八意永琳と蓬莱山輝夜を発見できなかったという物。もう一つは、今後二人の捜索の為に地球へ人員を派遣することを取り止めるという物。そのどちらも私と姉上に一任しているとはいえ、僅かな期待を持って待ち続けてきた者達に偽りの報告をするというのは余り気分の良い物ではない。

 

けれどそれ以上に心躍って。

 

「嬉しそうね、依姫ちゃん」

 

「っ!……居たのか、姉上」

 

そんな私を待っていたのだろう姉は、ニマニマとした笑みを浮かべながら近付いてきた。

 

「それで?永琳様と輝夜様の捜索は?」

 

「あぁ、()()打ち切られたよ。もう月の使者が地上へ降りることもないだろう」

 

それが、ひよりから伝えられた伝言の一つ。

 

『八意永琳と蓬莱山輝夜を捜索することを固く禁ず』

 

「嬉しい半分悲しい半分ねぇ。永琳様は兎も角、輝夜様は月では少し物足りなかったでしょうけど、それでも一言くらい言ってくれれば良かったのに」

 

「最初は普通に迎えにきていたとひよりは言っていたぞ。……まぁ最も、輝夜様が帰るのを望んでいない上にひよりが居たのでは結果は変わらなかっただろうな」

 

結局力では二人と再会することは叶わないという事だ。

 

それでも新たに用意された道がまだ私達には残されている。

 

「そして今も帰るつもりはない。けれど、()()()()()()()()()

 

「あぁ、そうだな」

 

それはひよりから伝えられたもう一つの言葉。

 

『豊姫と依姫で来た場合は、その限りではない』

 

 つまりは、月の使者としてや八意永琳と蓬莱山輝夜の捜索という目的でなければ来ても良いと言う事。本来であれば本人達と話が出来ない以上絶無の可能性だったのだが、ひよりが仲介をしてくれたお陰で何とか向こうの望む形で会いに行ける可能性が出てきたのだ。

 

姉は呆れと苦笑が混じった複雑な表情で頬を掻いた。

 

「そうは言っても……これお姉ちゃんが手を回すのよ?仕事を押し付けたり役割を分担したり重要案件を優先させたりって」

 

「頑張ってください、姉上」

 

「~~っ!依姫ちゃんにも手伝って貰うからね!」

 

そういって半ば泣くように走り去っていく姉を私は見送る。

 

まぁ、勿論彼女だけに任せたまま悠々と過ごすようなつもりはないのだが。

 

「……」

 

そうして漸く一人になって、私はついつい想い出す。

 

つい先程まで地上で話していた、あの黒衣の少女との遣り取りを――

 

 

 

 

 

『ひより、お前って家族は居るのか』

 

『居たよ、人間の子供が一人』

 

一千年前にね、と付け加えて。彼女は潰れた神社の残骸に腰掛けたままそう答える。

 

『……すまん』

 

『ん、別に。もう過ぎたことだから。悲しくは、あるけれど』

 

素直に強いと思った。地球で生きる彼女は、きっとこれからも多くの生き死にに触れるだろう。

 

 そこから悲哀の感情だけを抜き取って前を向くというのは余りにも難しい。例えば綿月豊姫が、八意永琳が、蓬莱山輝夜が去なくなってしまったら私はどう思うだろうか――どうすれば良いのだろうか。考えただけでも心に冷たい何かが広がっていくこの感覚を、一体彼女はどうやって切り抜けてきたのか。私よりも短い年月を生きている筈の少女が、月人達が月へと逃げることで諦めた()()を背負っている。

 

きっと彼女も多くを失ってきた。少なくとも、私にはそう映った。

 

『そうでもないよ。少なくとも、私はそう思う』

 

私の心を見透かしたようにそう言って、ひよりはゆるりと首を振る。

 

『例えば、さ。草や木が枯れなくて、動物は他の動物を食べる必要がなくて、人が死ななかったら――きっと世界には、新しい誰かが生きる場所がなくなる』

 

『……』

 

『生は恒常的であってはならない。死は普遍的でなくてはならない。生きる為に奪って、死ぬために与えなければならない』

 

本当に殺意の権化なのかと思うほど、その口から零れる言葉は躍動感に満ちて。

 

『生きて死ぬ。月人にとっては忌々しいことで、人間にとっては悲しいことだけど、意味がなかったことはない』

 

死は多くを奪う。それ以上に、彼女はそこから多くを得たように見えた。

 

『……そうか』

 

不思議と胸に収まった。実感がないまま、そういう物なのだと思ってしまう程に。

 

私も彼女と同じように夜空を見上げる。

 

 

 

そこには多分、月人と地上の妖怪という隔たりはなかった。

 

 

 

斯くして、幻想郷から満月を奪うという大胆不敵な異変は無事解決された。

 

表と裏、外と内。それぞれの思惑や目的が交錯した故の、複雑怪奇な異変ではあったが。

 

 今回異変を起こしたことによって存在を知られることになった永遠亭とそこに住む不思議な人間達は、どうやら薬師として人里と関わっていくつもりらしい。しかし迷いの竹林という場所は迷い易く、しかも数多の妖怪が出没する場所でもある。彼女達が果たしてどのように人々との仲介を行っていくのか……を知るのは、もう少し後のお話。

 

それと、ひよりは宴会の途中から何時の間にか戻っていたようだ。

 

 紫と二言三言交わしその後暫く蓬莱人の片割れと話していたようだが、それが終わってからは静かに輪の中で弾幕ごっこを眺めていた。正直に言えば紫が何処へ送ったのか、今回の異変の犯人達とどう関係があるのか興味の尽きない所ではあった――が、それを聞く勇気は残念ながら私にはなかった。幾ら同じ屋根の下に住んでいるといっても、何となく私もひよりもお互いに遠慮しているような気がしてしまって。

 

 

そんな蟠りを抱えたまま迎えた、異変解決の宴の次の日。

 

 

 

私は寝室から良い匂いが漏れてくる居間へと続く襖を開ける。

 

「おはよう」

 

「……おはよう」

 

挨拶も程ほどにして席についた。

 

 白米、筍と旬の野菜の佃煮、焼き魚、菊と豆腐の味噌汁……恐らくは私が起きる時間に合わせて作ってくれたのであろう、まだ湯気の立つそれ等へと箸を伸ばす。

 

確かひよりは昨日ずっと竹林に居たのだから、この筍は――

 

「そ、うちの竹林で取れる筍よ。驚いたわ、こんなに美味しいのね。おかわりは?」

 

「……貰うわ」

 

はいどうぞ、と白米を盛った茶碗を差し出したひよ――蓬莱山輝夜を睨みつける。

 

 何の因果でこうなったのかさっぱり検討もつかなかった。宴会が終わり、吸血鬼も亡霊も蓬莱人も各々自分の家へと帰った筈だ。いや、蓬莱人の家は今はないのだけれども、神社に泊めるのも面倒だからと帰らせた。なのにこうして目の前に蓬莱山輝夜が居るというのは、一体どういう訳なのだろうか。……よくよく思い返してみれば、挨拶を返してきたのも彼女だったような気がする。

 

そして私は漸くこの朝食を作ったであろう張本人がいない事に気付いた。

 

「ひよりは?」

 

「盛り付け任せて遊びにいっちゃったわ。酷いと思わない?()()()()の何処が良いのかしら」

 

どうやら彼女は朝からひよりに会いに来て、そして振られたらしい。

 

自分の分のおかずを食べ終えて私の方へと伸ばしてきた箸を叩き落とし、急いで口に運ぶ。

 

「で、あんたはどうして此処にいるのよ」

 

「霊夢と親睦を深めに来た……って言ったら信じる?」

 

自分の茶碗と私の茶碗を重ねて流し台へ持っていく輝夜。

 

「信じない」

 

「ま、そうよね。でも実は本当よ。私は貴女と仲良くなりに来たの」

 

そういって再びテーブルへと戻ってきて、彼女はニマリと笑みを見せる。

 

「正確には貴方とひよりの仲を取り持つ為に来たのよ」

 

「……」

 

「貴女、ひよりとの付き合い方に迷走しているんでしょう?」

 

輝夜は私の答えを待たず、その笑みを柔らかい物へと変える。

 

「確かに関係は複雑よねぇ、ひよりは元々娘が居たし、貴女は早くに亡くなったとはいえ先代が居た。お互い思い浮かぶ人がいるから踏み込めない。自分は良いとしても、相手に思い出させたくはない……違う?」

 

「……そうよ」

 

これが魔理沙や他の近しい者ならば誤魔化しただろう。

 

けれどこの話題に関してだけは、私はほぼ他人である彼女になら素直になれる気がした。

 

「そうね……じゃあ、私から一つ難題を出しましょう」

 

「……難題?」

 

すわ弾幕かと身構えたが、輝夜は慌てて両手を振って苦笑する。

 

「もう、弾幕ごっこ一直線ね。……そうじゃなくて、私のちょっとした遊びに付き合ってくれれば良いわ。それに応えることが出来たら、貴女が間違いなくひよりと仲良くなれるひよりの『秘密』を教えてあげる」

 

両手をパンと打ち鳴らし、輝夜は立ち上がって口を開く。

 

 

「迷いの竹林で肝試し――どう?面白そうでしょ?」

 

その笑顔から、私でなくても嫌な予感を感じさせる邪気を纏って。

 

 

 

 

 




え?豊姫の出番が少ないって?儚月抄での紫との絡みまで我慢してください。


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『一歩前へ』

十一月の頭に投稿するって言いました。私の中では頭は10日までです。

だからセーフ。

※改行ミスにより文章がとんでもないことになっていました。感想にて指摘して頂いた方々、誠に申し訳ありません。


「此処から先は通行止めだ」

 

不意に頭上から聞こえてきた声。

 

 輝夜の提案で肝試しをすることになった日の深夜。紫と共に再び竹林へと訪れていた霊夢は聞こえてきた声に足を止める。迷いの竹林は人も妖も殆どと言っていい程近寄らない。それこそこの間叩き落した雀や蛍、あとは迷い人くらいの物だと思っていたのだが。

 

声を掛けてきた相手の姿に、霊夢は思わず眉を顰める。

 

「……『慧音』」

 

「人里の守護者ね。全く、この竹林には何かその手の呪いでも掛かってるのかしら?来る度に予想外の相手と対峙させられている気がするのだけど」

 

私の呟きに賛同した紫は、しかし何も間違ってはいない。

 

 眼前にて道を阻んでいる彼女――『上白沢慧音』は、普段は人里で寺子屋の教師をしている半人半妖だった。正義感が強く、知性に溢れていて、それでいて誰に対しても平等……そんな性格。霊夢自身、彼女とは何度も話をしたことがある間柄である。勿論仲が悪いという訳ではない。隣にいる隙間妖怪だけで来たのならば兎も角、私も共にいるこの状況で敵対するような人物ではなかった。

 

それに、彼女とは本来この時に居合わせるような事はない筈なのだが。

 

「満月の夜に出て来ている所、初めて見たわ」

 

「出来ることなら見られたくはなかったさ」

 

慧音は半人半妖。妖怪の力が強くなる満月の夜の間、彼女は種族妖怪となる。

 

 それを後ろ向きに捉えて満月の夜の間は家から出ようとしないという事を霊夢は良く知っていた。阿求の誘いにも、霊夢の呼びかけにも応えないのだ。だからきっと、それは彼女の決意なのだろうと思っていた。人と共に生き、人として生きたいと願っている彼女にとって誰にも譲ることの出来ない大切な物である、と。

 

そしてそれを捨ててまで、彼女は私達を止める為に立ちはだかっているのだ。

 

しかし――

 

「私達、特に止められるような事はしてないと思うけど」

 

「今日という日にお前達が此処へ来た、それが理由だ。それも私の目の前にまで到着したのならば間違いないだろう」

 

私達を止める理由はないが、此処へ来た者を止める必要はあるということらしい。

 

そこで今まで黙っていた紫が口を開いた。

 

「……姿を見ないと思ったら、まさか慧音を懐柔していたなんて」

 

「普通に友人だ。それにそれを言うなら、お前の方こそ姿を見る度霊夢としか活動していない気がするが?……もしかして、お前――」

 

「叩き落すわよ霊夢。彼女の登場にはもう充分に驚かされたし、肝試しの前座にこれ以上割く時間はないわ」

 

「友達少ないもんね、アンタ」

 

紫からの呪詛混じりの視線を軽く受け流す。

 

慧音を睨んだ。

 

「私達は此処を通る、慧音は此処を通さない……それで良いのよね?」

 

「……あぁ。お前達が相手では、どちらかと言えば私の肝を試すことになりそうではあるがな」

 

そういって距離を取った慧音を見据えつつ、先の紫と慧音の会話を思い出す。

 

 今回もどうやら私の知らない所で様々な思惑が入り乱れているようだった。この分ではこの先にいる肝試しの目標が全うな幽霊や何かという可能性は殆ど皆無と言ってもいいだろう。それは提案をしてきた輝夜の顔を見れば想像には難くなかったし、例えそうだとしても私は私で自分の目的を達成する為に動くつもりである。

 

博麗の巫女としてではなく、博麗霊夢として。

 

「じゃあ、慧音の肝試しと行きましょうか」

 

「あの二人の元へは絶対に行かせんっ!」

 

 

頭上から降り注ぐ月の光が、慧音の持つスペルカードを照らした。

 

 

私が妹紅と出会ったのは今から丁度二年程前。

 

満月の夜、半人半妖であるが故に妖怪化してしまい、案の定眠れなくなってしまった日のことだ。

仕方なく人目につかないようにしながら里を抜け出して周囲を散歩していた私は、そこで月明かりが霞む程の光を見た。

 

 

正確には、天まで届き得るかと思うほどの火柱。

 

足は自然と火柱が立ち昇った迷いの竹林の方へと向いていた。

 

 迷いの竹林に入るのは、実はこの時が初めてだった。人里の者達も妖怪も等しく近付くことのない秘境。私も人里に住む者として例に漏れず、何度か遠巻きに眺めたことがある程度である。けれどこの時の私は普段とは違った。まるで何者かに導かれるかのように迷いなく進み、竹と笹の葉を掻き分けて、そして――

 

 

不死身の蓬莱人である妹紅と出会ったのだ。

 

 

 

――彼女は不思議な人間だった。

 

 竹林の外の事について詳しく、そして幻想郷のことについて詳しかった。妖怪の退治の仕方も、人との付き合い方も、その知識と技術はとてもではないが人一人の人生をかけても学びきれない程の量を持っている。その辺りについて訊ねてみても、彼女は曖昧な答えと共に自分が師事してきた相手が良かったと、そう言って話を終わらせてしまうのだが。

 

『私が此処にいる理由?いやいや、輝夜は関係ないって!』

 

一度だけ、どうして彼女が未だ竹林にいるのかを訊ねたことがある。

 

 妹紅はこの場所が幻想郷と呼ばれる以前から竹林で生活をしている。しかし彼女の口振りと態度を考えれば、人と妖の間に壁のなくなった今の人里で充分にやっていけるのではないのかと思ったのだ。そして、彼女は人と暮らすことが好きだと言う。輝夜姫との因縁があるというだけで竹林に居続けるのでは、余りにも勿体ない。

 

しかし、そんな私の問いかけに彼女は困ったように頭を掻いた。

 

『最後の最後で、私も見届けるべきだった事を師匠に丸投げしちゃってね。昔はそうは思ってなかったんだけども、今になって考えてみれば多分――私はあの時逃げたんだと思う』

 

別れるのが辛くてねと自嘲気味に笑う妹紅。

 

 

――その時の彼女の仕草に、私は未だ知らない彼女の師の姿を見た気がした。

 

 

 

「なぁ、妹紅」

 

「んー?」

 

時は少し遡って、永夜の異変の前日。

 

 満月が近いという緊張の所為もあってか、私は人里を離れて迷いの竹林にある友人――藤原妹紅の家へと訪れていた。特に理由があっての訪問ではない。どうやら何かに備えて霊符作りをしているらしい妹紅と、ただ他愛もない話をする為だけに来たのだ。

 

忙しなく手を動かしている妹紅を見、次に外を見て喉から声を絞る。

 

「その、明日はこっちに泊まっても構わないか?」

 

妹紅と知り合ってからはそれが毎月の恒例であった。

 

「そりゃいいけど……あんまり気にしなくても平気だと思うけどねぇ。もう今は姿形で相手を判断するような奴なんて殆どいないっしょ」

 

「何というか、踏ん切りがつかなくてな」

 

それは人間である里の者達に、自身の人ではない部分を見せる事への躊躇。

 

そんな私を見かねたのか妹紅は作業を止めて私へと向き直った。

 

そして、口を開く。

 

「多分、私もこれからは人里に出入りすることになるからさ」

 

「――え」

 

今、何と言ったのか。

 

妹紅も、これからは人里に来るのだと?

 

それは――

 

「――それは本当かっ!?」

 

「おぉうわっ!?ちょっ、待って待って落ち着いて!」

 

思わず身を乗り出してしまった私を反射的に抑えようとした妹紅の手から筆が舞い、宙に踊る。

 

気が付くと眼前には、顔の前に両手を掲げて身を引いている妹紅。

 

「……落ち着いた?」

 

「……もう少し」

 

……。

 

カラカラと地面を転がる筆の音で我に返った。

 

「実は、一昨日師匠が帰ってきて――ストップ!!ありがとう慧音、気持ちだけでも充分伝わるから両手は膝の上、な?」

 

「う、うむ」

 

しかし高揚感は収まらない。

 

それもその筈、自身が長い間望んでいたことが二つ同時に叶ってしまっているのだから。

 

「んで師匠と少し話した結果、私は人里と関わるべきだって言われちゃった訳。ちなみに師匠もこれからは人里に出入りするつもりらしいよ」

 

「そうか……」

 

口から漏れた声は、自分でも驚くほど喜びに満ちていて。

 

 何時か妹紅と、妹紅を育てたという彼女の師匠と共に人里を訪れたいと長い間願っていた。二人共自分達が居た時代から恐らくは訪れていないであろう、今の人里を見せて驚かせてみたかったのだ。稗田家の当主も、民家の配置も、里のルールもきっと何もかもが違うのだろうけれど、それでも彼女達が当時夢見た『幻想郷』を見る事が出来るならと、そればかりを考えていた。

 

堪えきれず顔に出てしまっていたのか、妹紅は恥ずかしそうに頬を掻いた。

 

「慧音がそんなに喜ぶとは思わなかった」

 

「嬉しいさ。妹紅は今こうして話せているが、それとは別に妹紅の師匠とは是非一度話をしてみたかった。君の師とならば、多分仲良くやっていけるような気がする」

 

「その事なんだけど、実は明日慧音が来る事を見越して呼んで――はいはい、勿論来るよな。……今の慧音とは動きだけで会話出来る気がするよ……」

 

返事の代わりに浮きかけた両手を膝の上へと戻す。溜息を吐く妹紅。

 

「ったく、多分慧音が思ってる程の奴じゃないぞ?」

 

「期待するのは自由だろう?少なくとも私が妹紅から聞いた話では、期待しない者の方が少ないと思うが」

 

勿論、彼女が師についての全てを話してくれた訳ではないのだろう。

 

しかしその数少ない体験談だけでも、彼女がこの幻想郷に残してきた物の形が窺える。

 

即ち、彼女が成した事が今の幻想郷を形作っているのだと――

 

 

妹紅はそんな私の様子を見て頭を抑えた。

 

まるで頭痛を堪えるかの様に。

 

「……私としては何というか、慧音の方が心配になってきた。大丈夫か?ちゃんと今日帰ったらしっかり寝て、火の始末とかしてから来るんだぞ?私、火は出せても消せはしないからな」

 

「ぜ、善処する……」

 

じゃあ念の為、と言ってスラスラと紙に筆を走らせる妹紅。

 

そうして差し出された紙に書かれた、まるで子供の留守番表のような一覧を見

 

妹紅を睨み――

 

紙を睨みつけて――

 

「……」

 

 

でも一応受け取った。

 

 

 

「ここまでね」

 

ビシリと、霊夢は自身の右手に持つ霊符を此方に突きつける。

 

「……」

 

スペルカードを破られた私は、それを冷静に見つめていた。

 

 最初から勝算のある勝負ではない。それでもあの二人が少しでも長く邪魔されずに楽しんでくれればと、そう思って出てきたのだ。――本音を言えば私も彼女の師である彼女と話をしてみたかった。顔を合わせて、名を名乗り、握手位はしたかった。……それ等を我慢してまで霊夢や紫を相手取った私の気持ちを、しかしこの二人が汲み取ってくれることはないのだろう。

 

だからせめて、そう思い通り過ぎる二人に向けて口を開く。

 

「……満月の夜に人前に出た私ほどの覚悟が、お前達にあるか?」

 

それは、普段の自分であれば絶対に言わないような言葉。

 

背後の妖力は一瞬たりとも停止しなかったが、霊力――博麗霊夢は、私の呟きに足を止めた。

 

「……もしもお前が私の姿を見て驚いたのなら、どうか頼む。今日だけで良いんだ、引き下がってはくれないか」

 

「……」

 

霊夢は悩んでいるようだった。

 

彼女は横暴にして粗暴な性格と思われ易いが、理由なく我を通さない事を私は知っている。

 

だから――

 

「悪いわね、慧音」

 

そう返事が返ってきて、私は不思議とその時点で納得してしまった。

 

「私も、今日は博麗霊夢として来たのよ。紫の指示でも、幻想郷の為でもなく、私自身の為に」

 

霊夢の声は、普段の無気力を微塵も感じさせない声で。

 

「……驚いたな」

 

思わず喉から洩れた言葉は、紛れもない本心である。

 

 少なからず博麗霊夢という少女と付き合ってきた私からしても、それは驚愕に値する言葉だった。博麗霊夢という少女は、基本的に他人に本心を語ることがない。それこそ彼女と真なる意味で付き合いの深い白黒の魔法使いでもない限り、彼女はそういった『弱み』を見せるような事はしないのだ。私が人前で自身が妖怪化した姿を見せないように、彼女もまた、恐らくは自分なりの決意を以って為しているのだろう。

 

そして彼女は私がそうしたように、今度は自身の覚悟を示してみせた。

 

彼女は問う――

 

「通っていいかしら?」

 

もう通り過ぎている私に向けて

 

「あぁ、私の負けだ」

 

唯一勝っていると思った覚悟でさえ先を行かれては、そう答える他無かった。

 

そうして既に遠くなっている妖力に向けて、背後の霊力も段々と離れていって――

 

「……ふ」

 

私は、その方ではなく()()へと足を向けた。

 

 妹紅はこれ以降人里にも出入りすると言っていた。彼女ならばきっと自身が人ならざる部分を持っていることを隠したりはしないだろう。――ならば、いい加減私も躊躇を捨てる時なのだ。自身と同じく半ば望まない形でその立ち位置に居たと思っていた()()ですら変わろうとしている。彼女よりも先を行く『人里の守護者』として、これ以上後塵を拝する訳にもいかない。

 

もしかしたら妹紅はこうなる事を見越して今日に定めたのだろうか。

 

……それを聞くのは多分、野暮であるという物。

 

 

上白沢慧音はその姿を竹林群の中へと投じた。

 

 

 

 

 

一軒の小さな家屋を発見した。

 

横にいる紫に止まるよう片手で促して、私はその小屋を見据える。

 

 慧音を倒した場所から数分飛んで見えたこれが、恐らく輝夜の言っていた肝試しの標的が住んでいる家なのだろう……いや、肝試しに来て標的を探しにくるというのも不思議な話ではあるのだが、慧音と紫の会話と輝夜の様子から察するに、きっと此処に住む何者かを『試して』やれば良いのだ。

 

いや、あるいは――

 

「よう、お二人さん」

 

本当の意味で、私の肝を試すつもりだったのか。

 

 私にも紫にも気配を悟らせることなく宙に浮いていた彼女は、その口角を愉しそうに吊り上げてそう言い放った。――月の光を受けて白銀に輝く髪、永遠亭に居た兎とは違う燃え上がるような赤い瞳。恐らくは袴の類だったのであろう物を、動き易くする為だけに整えたといった感じのモンペ。そして何より、彼女の髪の所々で揺れる奇怪な文様のリボンが目を引く。

 

「……藤原妹紅」

 

隣で紫が忌々しげに呟くのを聞いた。

 

妹紅はそこでようやく隣に立つ紫へと視線を向け、向けて、固まる。

 

「げっ」

 

そして表情を苦々しく歪めた。

 

具体的には、厄介事を持ってきた紫に私がするような顔を。

 

「あー……何ていうかお前、付き合う相手はちゃんと考えた方が良いぞ?私は今まで色んな人妖を見てきたけども、その中でもお前の隣にいる女はとびっきりの極悪妖怪だ」

 

「知ってるわよ。ついでに言うと、私も博麗の巫女の中ではとびっきりの不良巫女らしいから不便を感じたことはないわ」

 

「あぁ、良く()()()()()とも」

 

その呟きの意味を私が尋ねる前に、妹紅は続けざまに口を開いた。

 

「それじゃ、改めて自己紹介。私は藤原妹紅、この竹林に住む不老不死の人間さ。お前には『ひよりの弟子』って言った方が伝わり易いか?」

 

「……アンタが?」

 

「おう。何なら隣の隙間妖怪にでも聞いてみれば良い。そいつだって、一応は私の顔見知りだからな。一応は」

 

そう言われて、私は隣に浮く紫へと視線を遣る。

 

紫は観念したように溜息を吐き、そして渋々と言った様子で口を開いた。

 

「えぇ、認めたくないけれどその通り。彼女はひよりが公言している数少ない親友の一人よ。まさか、本当に竹林に住んでいたのね」

 

「なんだ、分かってて来たんじゃないのか?」

 

「分かってたから貴女以外である事を願ったのよ」

 

それは誰が聞いても分かるような挑発だったが、妹紅はそれを軽く笑って受け流す。

 

「そりゃ私も同じだ。見たところ、お前さんは八雲以外にも連れて来れる奴が居たんじゃないのか?私としちゃあ、その方がやり易くて助かったんだけどな」

 

あぁいや、と妹紅は態とらしく片手を使って謝る仕草を見せた。

 

「そうしたらお前が一緒に行く奴が居なくなっちまうのか」

 

「ぐ、ぐぐ……霊夢!」

 

私の背後へ回り、両手で肩を掴みながら妹紅を睨む紫に内心で苦笑する。

 

藤原妹紅を正面に捉えた。

 

「さあ、始めましょうか」

 

「違うわ霊夢、フォローをして頂戴?」

 

「唯勝負するだけってのもつまらないし……そうだな、何か報酬でも付けるか」

 

紫がクイクイと両肩を引くが、そんなことに構っている()()はない。

 

「――うし、決めた。お前達が勝ったら、一つ良い事を教えてやるよ。安心しな、お前達が負けても、私は何も要求しないから」

 

「どういうつもり?」

 

紫の両手が私の肩から離れた。私も紫も、互いに数メートル程幅を開けて身構える。

 

今まで紫から()()()()()()()()ことが事実ならば――

 

「どういうつもりも何も――」

 

今まで普通に笑っていた顔が一転、博麗の巫女と妖怪の賢者をしても畏怖する物へと変わる。

 

まるで獲物を見つけた時の獣のような、凶暴な笑みで

 

 

「有り得ない方に不利な条件をつけて、何の問題があるってんだ」

 

 

――蓬莱『凱風快晴 -フジヤマヴォルケイノ-』

 

彼女は高らかにそう宣言した。

 

 

 

 

 

 

『認めたくないけれど妹紅は強いわ。多分、弾幕ごっこなら貴方や魔理沙に並ぶ程』

 

『でもそれと同時に、彼女はその実力を人を傷つける為には使わない』

 

『だから霊夢、貴方が勝って頂戴』

 

……とは言った物の。

 

「……っ、ちょっと、もう!」

 

少々此方に弾幕をばら撒きすぎなのではないだろうか。

 

 妹紅は霊夢相手に全力の弾幕を仕掛けることはない。紫が一緒ならば兎も角、彼女単体で挑めばまず間違いなく勝てるだろう。だから二対一ではなく、一対一と一対一になるように距離を取った。此処までは良い。此方の方の弾幕が霊夢よりも難しいのも、勿論想定内だ。

ただ少し、その量とレベルだけが思っていた物と違っただけで。

 

改めて、藤原妹紅という少女の生真面目な姿勢に感服させられる。

 

 彼女が竹林の外へ出ていないのは紫自身が良く知っている。その上でこの強さ――恐らくは、相当練習を重ねて来たに違いない。永遠亭の永琳や輝夜の弾幕は確かに難題ではあったが、此処まで『完成』されてはいなかった。即ち、妹紅はこの弾幕を習得する為の練習を一人ないし慧音としかしていなかったという事である。

 だというのに、妹紅の弾幕はまるでそれ自身が自分の代わりとでも言わんばかりの美しさと、何より彼女らしい激しさを併せ持っていた。相手によってこうも手を加えたり抜いたりしてしまうのも、やはり妹紅らしいもので。

 

紫は炎と霊符の隙間から見える妹紅の表情を窺った。

 

 

楽しそうな、彼女の顔を。

 

 

「相変わらず、気に食わない顔ね……」

 

誰にも聞こえていないであろう、紫は一人呟いた。

 

 思えば、妹紅が笑っている所を見るのはこれが初めてではなかっただろうか。嘲笑や当て付けのような笑いならばあった。けれど、彼女がああも自然に笑っているのを見るのは初めてだった。私や藍が居る時は決まって口をへの字にして、常に藍と睨み合っていたのをよく覚えている。

 

『断言してやるよ。お前がその理想郷をひよりと一緒に作っても、お前は一生人と仲良くする事なんて出来ない。幾ら他の妖怪を嗾けた所で、お前に対する人間の印象なんか変わらない。だからお前は紫さんで、ひよりは母さまなんだろうが』

 

そう言った彼女に、果たして私は何と答えたのだったか。

 

――否、思い出す必要はない。

 

「ちっ、これも凌がれたか」

 

スペルカードを限界まで使い切った妹紅が舌打ちと共に姿を現す。

 

チラと横を見れば、そこには此方と違い然程消耗した様子もない霊夢の姿が。

 

「……驚いた」

 

妹紅のそんな言葉を聞き、私は霊夢に対する称賛かと内心で歓喜する。

 

けれど、妹紅は霊夢ではなく私を見ていて――

 

「昔、お前に言ったよな。お前じゃ人と仲良くなんてなれないって、もう覚えてないだろうけど」

 

そんな事はない。あの日から、一時たりとも忘れたことはないのだ。

 

しかしそれを口に出すのは癪なので私は沈黙を貫いた。

 

妹紅は続ける。

 

「――訂正するよ。()、お前もやっぱり師匠の『親友』なんだな。どうしても納得がいかなくて今までずっと考えてたけど……うん、今なら分かる。結局、私達の目指した場所は一緒だったって訳だ」

 

私やひよりに比べて些か不器用ではあるけどな、と彼女は小さく呟く。

 

だが、私はそんな軽口にも反応出来なかった。驚愕の余り、言葉を忘れていた。

 

……妹紅が私を認めた?

 

「ちょっと、戦闘中に空気を湿らせないで頂戴」

 

「ごめんごめん、この機会を逃すと言える気がしなくてさ。霊夢は知らないだろうけど、昔の私はこいつの事好きじゃなかったんだよ」

 

「私は今でも好きじゃないわよ。厄介ごとばっかり持ってくるし、修行しろだの何だのって煩いし、この隙間妖怪が絡むと碌なことが起きないわ」

 

でも、と今度は霊夢が横目に此方を見る。

 

「妖怪の賢者じゃない時の紫は、まぁ、嫌いじゃないけど」

 

妹紅はニヤニヤとしながら此方を見ている。霊夢も、妹紅に攻撃する素振りを見せない。

 

どうやら私の言葉を待っているようだった。

 

――否、答える必要はない。

 

「……霊夢、とっととこの蓬莱人を倒して帰るわよ」

 

「おいおい、素直じゃないなあ。此処は普通、互いを認めあってハッピーエンドじゃないのか」

 

「ハッピーエンドも何も、私達は肝試しの為に此処へ来たのよ。私達にとってのハッピーは肝試しを終えることだから――そうね、頭に付いてる紙切れを一枚くれればそれで良いわ」

 

妹紅は困ったように肩を竦めて、霊夢はクツクツと笑って札を構えた。

 

「そういう訳だから、えーと、妹紅だったかしら?話はまた今度、ゆっくり紫として頂戴。とりあえず今は、私達とアンタは退治役と嚇かし役ってだけよ」

 

「……今更ながら、私はいきなり押しかけられてきて『さあ嚇かせ!』って言われてる状況なんだな」

 

来るわよ、と霊夢が私に促す。

 

――そう、答える必要はない。思い出す必要もない。

 

「でもま、精々嚇かしてやるとするか!」

 

 

ただ、彼女にも分かるように示すだけで良いのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全てが終わった後、妹紅は大の字になって竹林の中に倒れていた。

 

「はぁー」

 

負けた。二対一とは言え、一切手加減はしなかったというのに。

 

 地面に倒れている妹紅の姿には傷一つない。それもその筈、余りにも苛烈な弾幕の所為で霊夢も紫も反撃すら許されなかったのだ。本来ならそれだけでも誇るべきことなのだが、当然妹紅は二人の外での評価を知っている訳でもないので。

全てのスペルカードを避けきった以上、自身の負けであると。

 

その証拠に妹紅の頭からは一つリボンが消えていた。

 

「ん……」

 

ザクリと、そんな足音を耳にする。誰かは語るまでもないだろう。

 

「いやぁ、完敗だったよ。これでもそこそこやった自覚はあったんだけど、まさか当たりすらしないなんて」

 

頭上にて自身を見下ろす少女――ひよりにそう言って、妹紅は身体を起こす。

 

 当然のことながら本来慧音と妹紅と共に一夜を明かすつもりだったひよりは先の弾幕ごっこの最中妹紅の家の中に居た。二対一にも関わらず妹紅がひよりの助力を求めなかったのは、()()()()戦いではなかったからだ。大事なのは勝敗ではない。肝を試す為に、彼女達は此処まで来たのだから。

 

(かん)……知ってる?」

 

「ん、何だそれ」

 

「肝と同じ字で意味が違う奴……何だったっけな、意味。確か――」

 

 

「まごころ」

 

 

そういって私に手を差し伸べたひよりは、珍しく優しい微笑みを浮かべていた。

 

「お疲れ様」

 

「本当にな。いい迷惑だっての……ったく」

 

手を取って起き上がり、今頃私のリボンを見て喜んでいるであろう輝夜に悪態を吐く。

 

 実は今日此処にひよりが来ることを知っているのは、私と慧音とひよりを除くとたった一人しかいないのである。それは、何やら忙しそうに準備をしている所を邪魔してやろうと自慢げに話した相手――蓬莱山輝夜。霊夢は何かしらの口車に乗せられて紫と共に私を退治しに来たのだろう。自分で直接来ない辺りが見事に私の機嫌を逆撫でしてくれている。

 

けれども、今回だけに限っては感謝しても良いのかも知れない。

 

ひよりと共に家へと向かいながら、妹紅はポツリと呟いた。

 

「良い機会だったよ」

 

「そうだね」

 

良い機会。慧音にも、霊夢にも。

 

そして勿論、私と紫にも。

 

「正直、私は妹紅が紫を認めるとは思わなかったけど」

 

「……本心だよ。今のアイツを見たら、昔言った言葉が相応しくないって気付いた」

 

霊夢の背に隠れる姿はお世辞にも格好良くはなかった

 

それでも、そこに人へと歩み寄ろうとする紫の姿を垣間見たのだ。

 

「あぁ、歩み寄ると言えば……」

 

と、此処で自分の失態から何食わぬ顔で横を歩くひよりへと矛先を変える。

 

「『霊夢とどう接してあげればいいか分からない』――だっけか」

 

「……」

 

フイと視線を遠くの竹薮へ移したひよりを見、口角を吊り上げながら覗き込む。

 

 それはつい数刻程前、まだ妹紅が家の中でひよりと祝宴を交わしていた時に彼女が打ち明けた悩みだった。――曰く、『霊夢には元々先代が居た。自分は良いとしても、霊夢に思い出させたくはない』と。真剣な顔でそんなことを言うひよりを初めて見たものだから、大事な事だと分かっていてもついついからかってしまう。

 

素直に羨ましいと感じた。

 

ひよりに想われる霊夢を、霊夢に想われるひよりが。

 

「大丈夫だって、師匠。二人を見た私から言わせて貰うけど、もう時間の問題だと思うよ」

 

時間の問題。あとはひよりが神社に帰って、霊夢と会うだけで良いのだ。

 

もうその為の()()()はしてある。

 

「……だと良いんだけど」

 

「それより問題なのは慧音だよ。話しただろ?人里で教師をしてる奴なんだけど、ひよりと会うのを死ぬ程楽しみにしてたんだぜ?」

 

一昨日の様子から考えるに、恐らく相当後悔しているに違いない。

 

「そういえば、戻って来なかったね」

 

「まぁ、慧音も何か思うところがあったんだろーよ。妖怪化したまま帰ったってことは、そういうことさ」

 

彼女もまた一歩先へ進む決心をしたらしい、と。

 

目前にまで迫った自分の家の扉へと近付いて、自分の身体だけを滑り込ませてパタリと閉じる。

 

「という訳で、ひよりもとっとと帰るように」

 

「――え」

 

「はい、おやすみ」

 

そう言い放って、扉に背を預けたまま外のひよりの様子を窺う。

 

彼女は数秒程その場で唖然としていたようだが、やがて小さな溜息と共に踵を返していった。

 

「……ふう」

 

誰もいなくなった我が家で深く息を吐く。

 

正直言って非常に疲れた。戦うのも、認めるのも、本当はそんなつもりはなかったのだが。

 

 けれど不思議と悪い気分ではなかった。自覚しているが、こう見えて自分は他の人と居るのが好きなのだろう。だからこそ、いがみ合う奴が一人減って少し気を許せる奴が一人増えたのは嬉しかった。

 

ひよりが此処に来てくれなければ、果たしてそうなっていたか如何か。

 

「相変わらず、師匠は停滞だけ許してくれない」

 

独白。思い出すように、確認するように。

 

輝夜との喧嘩も、紫とのいざこざも、竹林暮らしも、これで止められてしまった訳だけども。

 

「――よしっ」

 

 

その分、前へと進めるような気がした。

 

 

 

「ご苦労様、霊夢。私、ますます貴方と仲良くなりたくなっちゃった」

 

「……どうも」

 

竹林からリボンを片手に神社へ帰ってきて、数分。

 

 私は妹紅のリボンを片手に上機嫌な輝夜の隣に座っていた。風が縁側に吹き込み、輝夜の持っているそれもヒラヒラと靡く。その様子を眺めながら、私はそのリボンを手渡してくれた真紅の蓬莱人の言葉を思い出す。

 

その顔にとても良い笑顔を浮かべた妹紅の言葉を――

 

 

『ひよりは、お前さんが先代を思い出しちまうんじゃないかって遠慮してるんだ』

 

『……ありがと、それだけで充分よ』

 

『会ってかないのか?』

 

『良いわ、別に。だって紫もアンタも当然来るでしょ』

 

『そりゃまあな……恥ずかしいか?』

 

『……』

 

『冗談だよ、冗談。んじゃ、輝夜に会ったら精々よろしく言って置いてくれよ。多分あいつの()()()を奪ってやれただろうから、念入りにな』

 

『はぁ……アンタも性格悪いんじゃない』

 

『だからこそ、お前とも仲良くなれそうだ。また今度、ゆっくりと話そうぜ霊夢?』

 

最後の提案には結局答えなかったが、彼女ならば勝手に来るだろう。

 

 

「――という訳で霊夢には約束通り、良い事を教えてあげる!」

 

よく聞くのよ、と。輝夜はそう言って息をゆっくりと吐いた。

 

そして

 

「ひよりも霊夢のことを心配して踏み出せなかったのよ。この間の異変を準備してる時にそう言ってたわ。それで、宴会の時に魔理沙から話を聞いて思わず来ちゃったって訳!どう?驚いた?」

 

驚いた。妹紅の予想はピタリ的中してくれた訳だ。

 

しかし何故彼女、そこまで見抜いて置きながら私に任せたのだろうか。

 

「……」

 

「あら、何だか微妙な反応」

 

彼女ならば、私はこういう事が得意でないことも分かっていたのではないのか。

 

「えーと、輝夜。ちょっとその、良いかしら?」

 

「?……えぇ、勿論。何かしら」

 

演技は出来ない。嘘も苦手。であれば、残る手段は唯一つ。

 

「実は――」

 

 

 

 

「ただいま」

 

「おかえりなさい」

 

誰に宛てるでもなく言ったそれに、居間でお茶を啜っていた霊夢が答えた。

 

 妹紅の家から閉め出しを食らって真っ直ぐ帰ってきたものの、時刻は既に夜中の二時を回っている。本来であれば霊夢も私も寝ている時間なのに彼女が起きているのは一体如何いうことだろうか。もしかしたら、黙って出ていったことで余計な心配を掛けてしまったかも知れないと――

 

そう思い到った辺りで、霊夢はバタリと卓袱台に倒れこんだ。

 

「……肝を冷やしたわ」

 

「?」

 

「来るって分かってても、怖い物は怖いわね」

 

独り言よ、気にしないでと霊夢は言った。

 

霊夢達と妹紅の対決には然程肝を冷やす要素はなかったと思うのだが――気にしないことにした。

 

……私まで巻き込まれたら嫌だし。

 

「ねえ、ひより」

 

そんな余計な事を考えていたら、霊夢は伏せた顔を此方に向けて私の名を呼んだ。

 

「……」

 

「……」

 

沈黙。

 

霊夢は少しの間目線を何処か遠くへ遣って、それから小さく、本当に小さく言葉を発した。

 

「……ひよりにとって、私は何なのかしら」

 

ともすれば外の森の虫達の羽音にすら掻き消されてしまうような声。

 

妖怪である私の耳には、勿論しっかりと聞こえていたが。

 

「――」

 

そして考える。私にとっての霊夢とは何か。

 

答えは出ているのだ。それを言葉にするのが、とても難しいだけで。

 

それでも――

 

それでも、私の本心を口にするのであれば――

 

「『家族』……かな」

 

娘ではなく、家族。この言葉を選んだ私の気持ちは、果たして霊夢に伝わってくれるだろうか。

 

「私は」

 

霊夢は一瞬迷ったように口を噤み、ゆっくりと体を起こして、私へと向き直った。

 

「私も今はひよりのことを家族だと思ってる。顔も知らない先代よりも、ひよりの方がそう思える」

 

ほんの少しだけ先代が哀れに思えたが、心の中で謝るだけに留めておく。

 

何故なら今、私はたった一人の家族からお願いされているのだ。

 

「でも――」

 

でも、と。博麗霊夢はそこで一度言葉を切った。

 

 彼女の顔にはその理由がありありと浮かび上がっていた。それは、人が絶対に為し得ないことを願う時のような顔だった。月へ行きたいだとか、地獄を見に行きたいだとか、三途の川を渡ってみたいだとか――そんな無理難題を叶わないと知っていながら願う時の表情によく似ていた。

 

 

けれども、その願いは――

 

 

 

 

 

 

「でも、私は母親が欲しい」

 

 

 

 

 

 

――それは、見た目相応の少女が望むに値するささやかな願いであった。

 

「うん」

 

私は頷いた。頷いて、霊夢の前に座った。

 

霊夢は頬を真っ赤にして、今にも部屋を出ていきそうな勢いだった。

 

そうまでして本音を口にした霊夢。返す言葉は、一つで良い。

 

「私も霊夢が娘なら嬉しいな」

 

「――っ」

 

バッと音がする程強く、霊夢は身体ごと私とは正反対の方向にやってしまう。

 

いや、そんな露骨に背を向けられると流石にこっちも恥ずかしくなってしまうのだが。

 

「霊夢」

 

「っな、何?」

 

回り込みつつそう呼んだが、見事に反対を向かれる。

 

「……夜も遅いし、今日はもう寝ようか」

 

何時までもこうしていても仕方ないので、私はそう言って立ち上がった。

 

後はもう、何も言わなくて大丈夫。妹紅の言うとおり時間が解決してくれるだろう。

 

「……そうね」

 

続いて、霊夢も立ち上がって湯呑みを片付けに流し台の方へと向かう。

 

 

私はそんな霊夢の後ろ姿を眺めつつ、寝室への襖に手を掛け――

 

 

 

「一緒に寝る?」

 

 

「寝ないわよ」

 

 

 

 

一緒に寝た。

 

 

 

 

 




補足ですが、永夜抄本編とEXの時系列は全く一緒なので異変解決後=慧音先生の変身はナシ……となるのですが、偽りの満月と本当の満月でダブル満月なんだから慧音先生も二日間変身で良いっしょ、という事にしました。ごめんなさい先生。

今後は霊夢とひよりの日常も絡めつつ書いていきたいと思います。



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『地の底に華ありて』

今は量を描きたいので後々文法や細かい部分の修正が入るかも知れません。


博麗神社の一日は、寝室から出てきた霊夢の大きな欠伸から始まる。

 

 まずは私が霊夢に挨拶。数秒遅れで思い出したように霊夢が同じように挨拶をし、卓袱台には着かずそのまま縁側へのそのそと移動する。日光を浴びると目が覚めるらしい。妖怪であるが故にそういった感覚とは無縁の私だが、確かに陽が昇るのを見ると今日も一日頑張ろうと思える。

 そんな彼女の後ろ姿に視線を配りながら手元にあった櫃からご飯を手の上へと乗せ、そのまま手の中で何度か柔らかく握りこんでオニギリにする。私が封印される前にはない風習なのだが、今時はオニギリには具を詰めたり海苔という物を巻いて食べるのが主流だそうだ。霊夢に言われてその通りに作ってみたが、確かに具が入っている方が楽しいし海苔のお陰で白米が手に付かないのは非常に喜ばしい。ぬえにも今度作ってあげるとしよう。

 

程なくして、大皿には()()()お握りが大量に盛られることとなった。

 

……。

 

 大事なのは大きさではないのだ。例え手の大きさの問題で二口サイズ程度の物しか作れないとしても、それで味を損なうだとかそんな事はない。そう、大事なのは外見ではなく中身。愛情さえ込めてあれば良いのだ。

 

――と、

 

風切り音。誰かが庭先へ降り立つ音。

 

何者かが庭先に来たことで、私は嵌りかけていた(思考)から脱却して料理を再開する。

 

「いよっ、霊夢!ひより!タダ飯食いに来たぜ」

 

「帰れ」

 

「おはよう」

 

霊夢の横を通って入ってきたのは、もうすっかり見慣れた白黒魔法使いこと霧雨魔理沙。

 

 此処までが博麗神社の基本的な朝の日常風景である。私が料理をしている間に霊夢が起きて、魔理沙が来て、偶に起きていたら萃香も交えて朝食を食べる。魔理沙もどうやらあまり自分で料理をしないらしく、且つあまり良い物を食べていないようなので此処最近は毎日朝食を食べに来ていた。

 

魔理沙は一度卓袱台の上のおかずを見、そして私の居る台所の方まで来た。

 

「お、今日は御握りか」

 

これ運んでおくぜ、と申し出てくれた魔理沙に皿を任せる。

 

 恐らくは一番上に積んであった奴が一つ卓袱台に着く前に消えることになるだろうが、魔理沙に任せる以上その程度は黙っているのが一番良い。というか、無駄だった。

 

 

空になった櫃に水を流し入れて、私も二人が待つ居間へと向かう。

 

 

 

 

「はぁー、美味かった……ご馳走様!」

 

「美味しかった、ご馳走様」

 

思い切り両手を上げて、そのまま床に倒れる魔理沙。

 

その横で同じく食事を終えた霊夢はそんな魔理沙を白い目で見ながら両手を合わせた。

 

「ん、お粗末様」

 

そんな二人を見て、私はここ数日で二人に表れるようになった変化に思いを馳せる。

 

 魔理沙は見ての通り、博麗神社に居る時は彼女らしく振舞うようになった。元々霊夢と萃香だけの時はそうだったようだが、私が来てからの数日は借りてきた泥棒猫のように大人しかったのだ。別段何をしたという訳でもないので、一体私の何を見て彼女が自分らしく振舞っても大丈夫と判断したのかは分からない。彼女の緊張が解れたのは私が飛行練習の時に石畳を頭で砕いた辺りからだが――詳細な追求はやめておこう。聞くと傷つく気がする。主に私が。

 

二人が食べた食器と自身のそれを重ねた所で、私の手は隣にいた霊夢に止められてしまった。

 

「もう、良いってば。私が片付けるから」

 

大人しく待ってなさい、と言って台所へ消える霊夢。

 

 肝試しから数日。霊夢は分かり易く態度を変えたりするような事はないのだが、何処となく雰囲気が柔らかくなった気がする。それに、一緒に縁側や賽銭箱の上で日向ぼっこなんかをする事も多くなった。元々私も霊夢ものんびりとするのが好きなので、これは正直に霊夢との距離が縮まったと喜んでも良いのだろう。最近では彼女の方から手伝いを申し出てくれることすらある。

 

……まぁ、食器の量と私を見て何か思う所でもあったのかも知れないけれど。

 

食器を流しに置いてきたのだろう霊夢が、再び私の隣へと座って口を開いた。

 

「ひより、アンタ次に行く場所は何処にするか考えてるの?」

 

 ちなみに母さまやお母さんとか好きに呼んでくれて構わないと言ったのだが、何やら俯いてボソボソ言いつつ却下された。彌里の時は母さまだったので、是非とも母さんと呼ばれてみたい気持ちはあるのだが。

 

と、そんな下らない思考を切り上げて霊夢の言葉を反芻する。

 

「何処に……何処にしよう?」

 

「そんな一杯あるのか?」

 

上半身だけ起こして訊ねてきた魔理沙に頷いて答える。

 

 この間は会えなかった慧音や当代の稗田がいる人里、何故か私を待っている幽香。それに、この間の宴会で輝夜と喧嘩していた人からは是非『紅魔館』に遊びに来てくれと言われていた。輝夜と妹紅も似たようなことを言っていたが、彼女達とはついこの間色々したばかりなので二人で()()()遊ぶように言ってある。

 

だからまぁ、優先するとすれば――

 

「地獄かな」

 

「「……」」

 

何故か霊夢と魔理沙が顔を見合わせて沈黙。

 

程なくして口を開いたのは魔理沙だった。

 

「えーと、余りに多すぎて地獄みたいな気分ってことか?」

 

「ううん、地獄」

 

「……地獄って言うと、閻魔だか何ちゃらが居て死んだ奴が行く所だよな」

 

「あ、えーと……旧地獄、だったかな」

 

紫と映姫が話していた時、朧気にだがそんな風に言っていた気がする。

 

 二人の可哀想な人を見るような視線から察するに今はまだ地底の存在は地上には知られていないのだろうか。その辺りは萃香か紫に聞いてみないと分からないが、だとすれば、今は霊夢や魔理沙に詳しく話をし過ぎない方が良いのかも知れない。

 

さてどう言い繕おうかと考えた矢先、霊夢がゆるりと首を振った。

 

「決まってるなら別に良いわ。ちゃんと帰って来なさいよ」

 

 とりあえず今日の昼と夕はコイツと何とかするから、と卓袱台から霊夢の側へと飛び出していた魔理沙の足を指差してそう言う。卓袱台の向こうから親指が立てられた。

 

であれば、お言葉に甘えさせて貰うにしても早い方が良いだろう。

 

私は立ち上がり、軽く身嗜みを整えて縁側から外へと出た。

 

振り返る。

 

「それじゃ、行って来る」

 

 

いってらっしゃい、と。

 

 

二人分の声に背を向けて私は妖怪の山に向けて飛翔した。

 

 

 

 

 

 

数十分後、私は妖怪の山の中腹辺りにある巨大な洞窟の淵に立っていた。

 

 

 ぬえを助けにいった時は紫のスキマで直接飛んだので正確な場所が分からず困っていたのだが、途中出会った白狼天狗の少女が親切なことに道案内を買って出てくれたのだ。妖怪の山は今でもあまり余所者を歓迎しないと聞いていたので疑問ではあったが、少女の話を聞くにどうやら天魔が方々に手を回してくれていたらしい。なので、私は道中彼女――犬走椛から妖怪の山の内情について教えて貰うことが出来た。

 

 曰く、文は新聞作りに没頭していてまともに仕事をしていないらしい。今もどうやら人里に新聞を届けている真っ最中らしく、そうでなければ椛は文を私の元へ向かわせてくれるつもりだったとか。何故椛が私と文の関係を知っているのかと思えば、どうやら彼女、この一千年の間に鴉天狗から大天狗へと昇格したらしい。そして椛は数多く居る白狼天狗の中で、唯一とも言えるトンデモ上司の下に就いてしまった白狼天狗の一人であるとのこと。

 

「――っと。到着しました、此処が地底への入り口です。……すいません、結局私の愚痴ばかりでしたね」

 

何処かスッキリとした顔の椛が申し訳なさそうに頬を掻く。

 

そんな椛に楽しかったと告げると、彼女は本当に嬉しそうに微笑むのだった。

 

「では、ひより様。また今度、私用で会える事があれば」

 

そう言って森へ戻っていく椛を、私は心の中で密かに応援しておいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて――

 

意識を再び正面に向けて、ポッカリと開いた空洞の中を覗き込む。

 

「……深」

 

洞窟内部は只管下へと続いているようだ。吹き込んでくる風から察するに数百は下らないだろうか。

 

此処を飛び降りた筈の萃香達は誰も怪我していなかったが、あれは参考にしてはいけない。

 

「よっと」

 

故に私は姿を蜘蛛に変えて風穴へと飛び込んだ。

 

 今まで確かめた中での最大は鳥居の上からの十数メートルだが、その高さまでなら蜘蛛は他の動物に比べて高所からの落下で然程衝撃を受けずに済む。その辺りの理由は紫に訪ねれば判明しそうではあるが、如何せん蜘蛛の苦手な彼女にこの話を振るのは酷なのでやめておこう。

 

ちなみに蟻なんかでも問題はないのだが、これには佐渡島で狸を選んだのと同じ理由があった。

 

即ち、捕食。

 

「……」

 

人の姿で降りるよりもゆっくりとした視界の隅で同業者の巣を見かけて安堵する。

 

少なくとも蜘蛛の姿なら、こういった蜘蛛の巣に引っ掛かってしまうという事はないだろう。

 

……と思ったのだが。

 

「――っ」

 

引っ掛かった。それはもう、見事なまでに。

 

 一体何が起きたのかと下を見てみれば、自らの八対の足が巨大な蜘蛛の巣に引っ掛かっている。……いや、引っ掛かったというよりは乗っかったという方が正しいのだろうか。人間の姿の時の私を二人分程並べただけの大きさの蜘蛛の巣が、洞窟の途中を蓋で塞ぐかのように張られていたのだった。

 

一応足掻いてみるも、糸は見事にくっ付いて離れる気配すらない。

 

仕方ないので妖術で火を起こそうかと考えた矢先に――

 

「ふんふふーん」

 

()()は現れた。

 

「ふんふんふふーん」

 

いや、現れたというよりかは昇って来たという方がしっくりくる。

 

 とても奇妙な格好をした少女だった。魔理沙の着ている服を茶色と黒にして、そのスカートの先を膝下辺りで纏めていると言う他表現の仕様がない服装。恐らくは西洋風の格好だと思われるが、今までに出会った内の誰にも当て嵌まらないその姿に思わず言葉を失う。

 否、唯そういう格好で来られたのなら驚きはしなかっただろう。私が絶句したのは、そんな言葉では表せないような格好の少女が()()()()()の状態で私の視界へと映り込んで来たからだ。

 

 一瞬自分がひっくり返っているのかと思ったが、しかしそうであるならば彼女は鼻歌を歌いながらこの縦穴を落下していることになる。流石にそれはないだろう。

 

と、不意に逆さ吊り少女の焦げ茶色の瞳が私を捉える。

 

「ふんふ――……ん?」

 

ツツイと、そんな音が鳴りそうな動きで少女の顔が間近に迫った。

 

 彼女は一瞬目前の現象に理解が追いついていなかったようだが、もがき続ける私と巨大な蜘蛛の巣を見、途端に顔を青褪めて私へと手を伸ばしてきた。

 

「うわあっごめん!」

 

彼女の指が腹の下へと差し込まれ、不思議な事に糸とくっ付く事無く私を掬い上げる。

 

普通の向きに戻った少女は私の隅々を確認し、やがてホッと胸を撫で下ろした。

 

「よかったぁ……同族を引っ掛けて怪我させたとあっちゃあ、表を歩けなくなっちゃうよ……」

 

大丈夫かい、と問うて来た少女にとりあえず感謝の念を送っておく。

 

「いやいや、謝るのはこっちの方さ。誰も通りゃしないのに見栄張って横糸を太くしちゃったんだよ、ついこの間。丁度、君の引っ掛かった辺りがそうなんだよね」

 

 なんと彼女は私の声なき声が聞こえるらしい。この姿では話すことが出来ないので如何しようかと考えていたが、少女の反応を見るにそれは杞憂であったようだ。

 

とすると、彼女は……

 

「自己紹介が遅れたけど、私は黒谷ヤマメ。――そう!蜘蛛社会きっての出世頭、土蜘蛛の黒谷ヤマメ様とは何を隠そうこの私の事なのさ!」

 

勿論知ってるよね?と期待の眼差しで此方を見るヤマメに首肯する。

 

 土蜘蛛といえば、私とぬえが京で大暴れした少し後に都を大きく騒がせたことで有名だ。確か鬼のような顔で、虎の胴体を持ち、クモの手足でワサワサと動いて人々を恐怖させたのだったか。当時ぬえの痕跡を探していた私は、密かながらにその目撃談と噂話を元に正体を探っていた。まさかそんな姿で人を驚かせる妖怪がこの世に二人も居たなんて……と、これはどちらの前でも言わない方が良いだろう。

 

特に自慢げに胸を張ってムフーと鼻息を鳴らす彼女には。

 

「にしても、君は一体何処から来て何処へ行くつもりだったんだい?どうやらこの辺の蜘蛛じゃなさそうだし、それにほんの僅かだけど妖力も持ってる。態々こんな所まで来なくても円満にやっていけるだろうに」

 

ツイツイと背を突かれつつそう問われる。

 

私は素直に答えた。

 

「この先の旧地獄に行きたい?何ていうか、物好きだね君。あそこ、普通に蜘蛛の串焼きとか売ってる所だよ?」

 

旧地獄には人の姿で行くことを固く決意。

 

ヤマメは暫し悩んだようだが、やがて仕方ないとばかりに肩を竦めた。

 

「……まぁ、良いや。君がそういうなら止めないさ。これが普通の仲間達だったら止めたんだろうけど、君みたいに話の通じる奴が行くってことは何か勝算があるんだろう?」

 

ヤマメの問いに再び肯定の意を示す。

 ここでヤマメに自分の正体を明かすことも考えたには考えたのだが、彼女の同族好きから想像するに話が出来ると分かった瞬間引き止めようとしてくる気がした。無論彼女のことが嫌いな訳ではないが、霊夢との約束もあるので今回は私情を優先させて貰おう。ヤマメが私の正体を知って尚同族だと思ってくれるのであれば、またこうやって話す機会もあるだろうし。

 

ヤマメは私を手に乗せたまま先の巣よりも下り、そして壁の傍に手を伸ばした。

 

「はい、此処から降りていけば引っ掛かることなく下まで行けるよ。分かってはいるだろうけど、ちゃんと下が見えて来たら壁に糸張っとくんだよ?幾ら蜘蛛っていっても、この高さで糸なしは自殺も良い所だからね」

 

「!」

 

思わず洩れてしまった衝撃にヤマメが白い目で私を見る。

 

「……訂正。君、私の巣に引っ掛からなかったら糸を張らずに下まで行くつもりだったんでしょう?私が謝ったの取り消すから、代わりに君が感謝して頂戴」

 

八本の足を彼女に見えるように掲げて合わせた。蜘蛛が出来る最大限の感謝の姿勢である。

 

ヤマメは苦笑しながら顔を近づけた。

 

「それじゃ、この借りは何か別の形で返して頂戴ね?」

 

言外に無事帰って来いと言ってくれているのであろう、私はヤマメに了承の意を示して。

 

 

そして、長らくいた彼女の手の上から飛び降りる。

 

 

 

 

 

一番下へと辿り着いたのはそれから数分後のことだった。

 

「……」

 

ヤマメの忠告通り、壁に糸を張ってスルスルと下っていく。

 

 ちなみにこういった動物固有の動きをする時私は彼等に任せっ放しにしている。鳥の翼や犬のような四足歩行位ならば自分でも出来るのだが、蜘蛛なんかはサッパリなのだ。増えた足を動かすのは体の延長線上だからか問題ないが、糸を吐き出すことだけはどうしても出来ない。何度か彼等に教えを請うた事もあったのだが、結果はこの通りである。

 

そうこうしている内に地面へと降り立ち、私は姿を人へと変える。

 

「よっと」

 

文字通り、地に足が着く感覚。

 

何度か手を握り、足を前後に振ってから風穴から外へと出る。

 

そして

 

 

「――」

 

 

視界一面に広がった橙の灯と絶える事のない喧騒に私は息を呑む。

 

 嘗てぬえと都に出入りしていた時に見かけた祭事に勝るとも劣らない賑やかさ。けれど幟のような物は見えていない。であるならば、この景色こそが今の地底の日常なのだろう。

 

 一千年前、此処には岩と怨霊しかなかった。僅か数ヶ月で、彼女達は都と変わらない程の町並みを築いてみせた。

 そして今、目の前から聞こえてくる喧騒はとても四十そこいらの妖怪達の声ではない。鬼の、鬼以外の、人ならざる者達が笑い、怒り、叫ぶ声が聞こえてくる。それはまるで、結局私が人間だった頃に楽しむ事の叶わなかった都の祭りのようであった。此処までこの旧地獄を発展させて来たのだろう彼等の絶え間ない努力が、喧騒と共に聞こえてくるようで。

 

地底の都へ向かっていた筈の足は、その直前――大橋の途中で止まることになる。

 

「……」

 

一人の少女が橋の手摺に座っていた。

 

 これまた奇抜な格好の少女である。ただし彼女に関して言えば、先に出会ったヤマメよりは普通の服装だとは思う。余り見慣れた格好ではないが、佐渡より遥か北の方に住んでいる者達に近い服装をしているのだ。ともすれば、占い師か何かのような印象を受ける少女だった。

 

そして金の髪に、淡い緑の瞳。

 

少女はスタンと手摺から降りて、そうして私の目の前へと立った。

 

「……」

 

「……」

 

視線が交錯する。彼女の瞳の内に、彼女を見つめる私自身の姿が映る。

 

彼女は、まるで――

 

「はぁ……まるで鏡を見ているみたい」

 

溜息と共にそう言い放った少女。その言葉は、正しく私の心の内を代弁していた。

 

少女の緑色の瞳がゆっくりと閉じられる。

 

「水橋パルスィよ」

 

「ひより。よろしく、ぱるしい」

 

「……まぁそうよね。良いわ、とりあえずパルシーと呼んで頂戴。但し、期間は一月」

 

それまでに発音出来る様にしなさいとパル……パルシィは鼻を鳴らした。

 

彼女の瞳が再び私を映す。

 

「それで、そっくりさんは如何してこんな地の果てに来たのかしら?」

 

「……そっくりさん」

 

「名前を覚えていない訳じゃないわ。ただ、この呼び方の方がしっくりくるだけ。……大方私達の起源が似ているからとか、そんな感じでしょうけど」

 

起源。彼女が何の妖怪なのかは知らないが、悪感情に関係した妖怪なのだろうか。

 

気になる所ではあったが、とりあえず彼女の質問へと答える。

 

「友達に会いに」

 

「ふうん?」

 

パルシーの瞳がユラリと煌き、仄かにその中に光が混じる。

 

程なくして彼女は疲れたように肩を竦めた。

 

「……余計な心配は止めなさい。貴女の心配しているようなことは、万に一つもないから」

 

「……」

 

まるで心を見透かされているようだった。否、見透かされたのかも知れない。

 

 橋の途中で足を止めたのは何もパルシーが居たからという事だけが理由ではなかった。長い間待たせてしまったぬえや、村紗達と再会するのが何となく怖くなってしまったのだ。何か言われてしまうのではないかと、昔のように接してくれるのだろうかと、そんな不安が足を止めてしまった。そんな事はないと、そう思ってはいるのに。

 

だがパルス……パルスィは、何の事もないように心配はいらないと言った。

 

その言葉を聞いた途端、何故か私の中に巣食っていた不安が霧散する。

 

「今回だけの特別サービスよ。この事、旧都の誰かに言ったら二度と貴女の事名前で呼んでやらないから。貴女なら普段の私が()()()()性格か、分かるでしょう?」

 

見た目も在り方も何もかも同一とは程遠い彼女、水橋パルスィの本来の性格。

 

私が頷くと、パルスィは再び橋の手摺に座って外を向いてしまった。

 

その右手がヒラヒラと舞う。

 

「分かったらとっとと行きなさい。私、自分の在ったかも知れない未来とか考えるの好きじゃないの」

 

「うん、ありがとう。パルスィ」

 

 

そう呼ぶと、彼女は本当に驚いた風に私の事を見た。見て、慌てて視線を外へと戻した。

 

私もそんな彼女から視線を正面へと戻し、そして今度こそ旧都へ向けて足を動かす。

 

 

――懐かしき友と再び再会する為に。

 

 

 

 

 

 

正しく魑魅魍魎と表現する他ない妖怪の群れをすり抜ける。

 

 既にヤマメやパルスィと出会って分かっていたことではあったが、どうやら地底は本当に鬼や封印された妖怪達が共に暮らす都にまで発展しているようだ。おでんや蕎麦の屋台といった定番の物から、ヤマメが散々注意を促していた蜘蛛の串焼き屋。ちなみに一番多いのは居酒屋である。普通の店、居酒屋、居酒屋、居酒屋位の比率だろうか。しかもそのどれもが妖怪達で埋まっているのだから、彼等は案外一日中居酒屋に居るのかも知れない。

 

私は立ち止まり、周囲を見回してみる。

 

 赤ら顔で笑う鬼。その鬼や他の客に一片に料理や酒を提供する形容し難いウネウネ。向こうでは、たった今近くの居酒屋で清算を済ませて出て行った大柄な男が獣混じりの妖怪と取っ組み合いになっている。囃し立てる声。物を壊すなと飛ぶ怒号。ふと視線を先の居酒屋に戻してみれば、店主も客も喧嘩を見るのに夢中のようだ。

 

見物人の顔には笑顔。組み合っている二人も、心なしか楽しんでいるようにすら見える。

 

私は暫しの間、彼等に混じってその様を眺め続けることにした。

 

男が殴り

 

獣が噛み付き

 

けれどそんな事はお構いなしに、男は相手の首を掴んで地面へと叩き付けた。

 

湧き上がる歓声。

 

「どうだい、旧都は。これはこれで、まぁ面白いもんだろう?」

 

 周囲の歓声は相変わらず煩いのに、その声だけはハッキリと私の耳に届いた。妖艶で、芯が通っていて、そこはかとなく楽しげな彼女の声。ポンと肩に手の甲が置かれる。見れば、その手には私の顔よりも大きいであろう朱塗りの杯が乗っていた。それをグイと顔の方に押し付けてくるので、思いっきり肩を跳ね上げてやる。

 

おおっ、と声がして――けれど中身が零れるような音は聞こえない。

 

私は振り返った。

 

「久し振り、勇儀」

 

振り返って、彼女が真後ろにいたので私は限界まで顔を持ち上げる。

 

着崩れた着物、ほんのりと赤く染まった頬、先の鬼の顔よりも赤い角。

 

 

星熊勇儀は屈託のない笑顔で応と答えた。

 

 

 

 

 

 

 

「という訳でようこそ。『ひよりはいい加減帰って来ても良いんじゃないか』の会へ!……つっても、もう殆ど終わっちまってるんだけどね」

  

たははと笑って勇儀は彼女達の他に誰もいない店内へと入っていく。

 

私も同じように彼女へ続き、そして――

 

「……すぅ」

 

「……ぐぅ」

 

重ねた座布団を枕に眠る村紗と、村紗のお腹を枕に眠るぬえの姿を見た。

 

「……」

 

「丁度お前さんが居なくなってから一千年って所だったろ?今日偶々、酔った勢いでこの二人が命名したのさ」

 

まぁ昨日も一昨日も飲んだんだけどね、と勇儀は恥じらいもなく笑う。

 

私はそんな勇儀の傍、ぬえと村紗の元へと近付く。

 

 近付いてみれば、確かに色々と終わっているようだった。テーブルの下に落ちた村紗の白い帽子。猪口の代わりに使おうとでもしたのだろう、柄杓は熱燗用と思わしき桶の上で所在なさげに揺れていて。ぬえの槍に至っては、その先端に何らかの魚を刺したままテーブルへ無造作に投げ出されている。

 

私は二人を起こさないようにそっと彼女達の傍へと座った。

 

左手をぬえの頭へと伸ばす。

 

「良く帰って来たよ、本当に。よく自分の足で此処へ戻って来た。何があったにせよ、お前さんが無事で何よりだ」

 

ぬえの髪を手で何度か梳かし、次に村紗へ。

 

「だからそんな顔しなさんな。泣き腫らした顔なんて、もうこいつ等で見飽きちまったよ。萃香も地上に行っちまったからね、私ぁ今子供の笑顔に飢えてるのさ」

 

ツウと、頬に涙が伝った所で自分が泣いていた事を自覚する。

 

けれど決して冷たくはない。胸の中に温かい物が広がるのを感じた。

 

「……勇儀」

 

「ん、どうした」

 

私は村紗の頭から手を離し、そして右腕を蛇に変えて中に突っ込む。

 

 ぬえや村紗は良い。彼女達になら、私は素直に感謝をすることが出来る。けれど勇儀にそれを言うのは何だか恥ずかしかった。同時に他でもない勇儀だからこそ、私は言葉ではないもう一つの感謝の仕方を知っている。彼女には悪いが今日だけは此方を使わせて貰うとしよう。

 

 取り出したのは二つの酒器。嘗て妹紅と共に鬼と戦った際に勇儀から貰った杯と、目が覚めた時私が寝ていた社に置かれていたもう一つの杯。

 

萃香は、私の知っている限り瓢箪から直接酒を飲んでいるので。

 

私は勇儀から貰った方を彼女に差し出した。

 

「よろしく」

 

「あいよ――ったく、お前さんも律儀だねぇ」

 

そら、と彼女の瓢箪が宙を舞う。

 

私はそれを空いている手で掴み、今度は社にあった方に中身を注ぐ。

 

「主役は寝ちまい肴は全滅……門出祝いにゃぁ、ちと寂しいが」

 

「今日は泊まるよ、ぬえも水蜜も寝てるし」

 

どうせ明日もやるんでしょ、そう言うと勇儀はニマリと笑って杯を差し出してくる。

 

私はそれを受け取り、今度は私が先程酒を注いだ杯を彼女へと渡した。

 

「それじゃ」

 

「ああ」

 

 

「「乾杯」」

 

カツンと乾いた音が他に誰もいない店内に響き渡る。

 

 

 

 

 

 

結局、その一杯で二人だけの門出祝いは終わってしまったのだが。

 

「酷いよ、勇儀さんもひよりちゃんも。私のこと、言ってくれても聞いてくれても良かったでしょう?」

 

私も混じりたかったーと、一輪はそういってテーブルに倒れる。

 

 あの直後、私は勇儀の頼みでぬえと村紗の為に毛布を取りに行っていた一輪と再会した。彼女は曲りなりにも僧なのでと、あまりお酒を飲んではいなかったようだ。ここで重要なのはあまりという所。この場合それは、つまり村紗やぬえのように眠りこけるまで飲んだくれたという訳ではない。

 

つまり、何が言いたいのかと言えば

 

「いえーい!お帰りなさい、ひよりちゃん!」

 

「ただいま……」

 

彼女は見事に出来上がっていた。それはもう、完膚なきまでに。

 

 ちなみに村紗とぬえに掛けるつもりで持ってきた毛布は床に散乱している。私の顔を見た一輪が言葉通り諸手を挙げて喜んだ結果だ。これでいよいよこの居酒屋は死屍累々という言葉が相応しい物になって来たのではないだろうか。多分これから、私も彼女に撫で殺されてしまうが故。

 

容赦ない抱擁と頬擦りを遠ざける為、私は彼女の両肩に手を置いた。

 

「本当、一輪達が無事でっ……良かった!」

 

「えぇー、それはこっちの台詞だよ。ぬえさんに起こして貰ったら地獄だし、聖は居ないし、ひよりちゃんも……グスン」

 

 グググと一瞬力が拮抗したのも束の間、再び私は一輪の胸に埋まった。お酒を飲むと私の中の彼等も同様に酔ってしまうので、今の状態ではとても一輪に対抗することは出来ない。

 

……だから私がお酒は好きではないのだ。

 

「ちょっと、勇儀、助けて」

 

「んー?あぁすまん、今ちょっと毛布を拾うのに難儀してる」

 

カラカラと笑う勇儀は、しかし正面の席に座ったままニマニマと此方を見ている。

 

 更にその奥、一輪の体を通した向こうで雲山が散らばった毛布を片付けているのが見えた。一体勇儀は何をどう難儀していたというのだろうか。鬼は嘘が嫌いだというのに、嘘にもならない嘘なら良いのか。というか雲山も見ていないで助けて欲しい。そんな、微笑ましいと言わんばかりの顔で此方を見ていないで。

 

――と、一輪の抱擁がいよいよ圧しかかりに差し掛かった所で。

 

「すー……」

 

酔いが回ったのであろう、一輪は私の上で勝手に寝てしまった。

 

ご丁寧にガッシリと両手で私を抱いたまま。

 

「勇儀」

 

「おう」

 

「助けて」

 

「無理無理、毛布が全然片付かなくて」

 

ちなみに毛布は雲山が二人にちゃんと掛けてくれた。勇儀は動いてすらいない。

 

この惨状、雲山や勇儀が助けてくれなければどうしようもないのだが。

 

「なぁに、一千年振りの再会だ。ちょっとは素直になりなよ。此処の片付けとかお前達の運搬は、私と雲の旦那でやっておくからさ」

 

なあ?と訊ねる勇儀。頷く雲山。

 

 あまり回らなくなってきた頭で考えを巡らす。村紗もぬえも寝ていて、だから今日は泊まるしかなくて、しかも動けない。折角寝てくれた一輪を起こすのは論外。しかし此処の片付けが――あぁいや、勇儀と雲山がやってくれると言っていた……言っていたか?まぁ、良いだろう。勇儀だけなら兎も角、雲山がいるなら平気だ。もし勇儀が役に立たなくても、雲山ならきっと。

 

なら私が寝てしまっても、良いだろうか。

 

一輪を退かそうとしていた手をゆっくりと降ろし、手だけを動かして辺りを探る。

 

 

何か、枕になる物でも――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雲山は入道雲である。故に、喋ることはない。

 

 けれど雲山は全てを見てきた。命蓮寺の面々が封印された後、封獣ぬえの手によって聖輦船の封印が解除された時から。ぬえと村紗のひより自慢を、一輪と村紗の苦心する様を、ぬえが時々静かに涙を流すことを、勇儀に誘われ皆で酒を酌み交すのを。最初は落ち込んでいた彼女達が、段々と本来の感情を取り戻していく経過を。地の果てにまで来て見つけた、妖怪である自分達を迎え入れる最後の『良心』を。

 

だからこそ雲山は誰に何を語ることもない。

 

この鬼も、きっとそう――

 

「なぁ、雲の旦那」

 

だから星熊勇儀の問いに、雲山は顔を向けたりはしなかった。

 

 ただカチャカチャと小さく食器の擦れる音が響く、誰もいない貸切の居酒屋の中。この旧都を作り出した張本人の一人である星熊勇儀は、誰に向けるでもなく言葉を漏らす。

 

「実は昔、閻魔に説教食らったことがあってね。『萃香に全てを任せっきりにするな、お前も何時か周囲を纏める立場になるのだから』――だったっけな。まぁ、速攻逃げたから覚えてないんだけど」

 

机の下に落ちた村紗の帽子を取る。故に彼女の表情は窺えない。

 

「本当、萃香がやってた事をやるのは大変だったよ。()()()の奴に幾らか任せるったって、絶対私がやんなきゃいけない事もあるらしくて」

 

帽子は回収した。後はこれを、彼女の手にでも握らせて置けば良いだろう。

 

しかし雲山は暫くテーブルの下に居ることにした。

 

「だから仕事は真面目にやってるけども、やっぱり責任のある立場ってのは最悪だ。今でもそう思ってるし、多分これからも変わんないだろう」

 

でも、と彼女は続ける。

 

「それでもこいつ等の幸せそうな顔見てると、その笑顔に少しだけでも私のやった事が繋がったと思うと――どうにも嬉しいもんだ。……はは、らしくないのは分かってるけどな」

 

彼女は鬼である。故に、その言葉に嘘偽りはない。雲山はそのことが非常に残念だと思った。

 

 もしも彼女が嘘を吐ける身であれば、きっとその言葉は雲でしかない自分ではなく、別の誰かにもっと違う形で言えていただろうから。

 

「――さて、と……馬鹿二人は兎も角、ひよりと一輪はとっとと船まで連れて行かないと風邪引いちまうかね。んじゃ旦那、下の掃除が終わったらそっちを頼む」

 

その言葉を合図にテーブルの下から出る。

 

 見れば、先程一輪に圧し掛かられたまま眠りについたひよりの手がぬえの腕を掴んでいた。そのぬえは、両の手で村紗の手を包むようにして寝ている。どちらも枕を求めての行動だったのだろうが、前者も後者も全くと言っていいほど空振っていた。

 

けれど確かに、彼女達を見ていると勇儀の気持ちが分かるような気がした。

 

 勇儀は何処からか持ってきた大きな桶を傍に置き、ぬえの腕を掴むひよりの手をそうっと解く。そうして、ひよりに抱きついたまま寝ている一輪と一緒に優しく持ち上げて桶の中へと降ろした。

 

雲山もそれに倣ってぬえと村紗を持ち上げ、勇儀と共に外へと向かう。

 

勇儀は出口の所で一度雲山を振り返った。

 

「この話、内緒にしてくれよ?ほらあれだ、雲を見て何とかみたいって言う奴。あれと同じだ。じゃないと恥ずかしくて死んじまう」

 

言われなくても雲山はそのつもりだった。

 

 何も語らないが故に聞かせて貰った彼女の本心。それを誰かに話そう物なら、それは嘘を吐いたに等しい行為であるだろう。

 

 

雲山の心が伝わったのか、勇儀は助かると言って笑った。

 

 

 

 

雲山は入道雲である。故に、喋ることはない。

 

 

 ぬえや一輪や村紗がこぞって遠慮した勇儀の強い酒を彼女があえて黙ってひよりに飲ませたことも。ひよりに圧しかかったまま寝てしまった主にして半身が実はこっそり起きていることや、そんなことには欠片も気付かず本心を語った鬼のことも。ぬえの槍に刺さっていた魚を刺さりっ放しにしておいたことも。

 

 

 

気付くべき物は何時かきっと、彼女達自身が気付いてくれるだろうと信じて。

 

 

 

 

 




今回半端にしか関われなかった人たちとの話は後々出てきます。


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『ただいまといってきます』


申し開きはせぬ。更新が遅いと我が首を切り落とすが宜しい。


 

 

 

長い間、夢を見ていた。

 

 それは一つの理想を信じて集まった者達が、信じた物によってバラバラに引き裂かれてしまう話。犠牲の上に立つのであれば自らの信ずる道ではないと断言していた彼女は、けれどそうして人々の平穏の為に犠牲となった。

 彼女の言葉を信じて目前に迫る絶望に身を委ねたあの瞬間、皆は何を考えていたのだろう。怒りか、恨みか、憎しみか、哀しみか。少なくとも、喜びではなかっただろう。彼女――聖白蓮でさえ、最後の瞬間に浮かべた表情はやはり悲哀に満ちていたのだ。

 

私達が志し()ていたのは、悪い夢だったのだろうか?

 

 昔ならばすぐに否定の言葉が出てきたのに、今では答えることすら怖くなる。もしも何時か私が目覚めて、命蓮寺の皆も目覚めたとして、それでまた同じ理想を追い続けるのだろうか。

 ――怖かった。何の躊躇いもなく聖を封印した人間達が。そして何よりも、こんな事を考えてしまっている自分が怖かった。

 

それはきっと、封印される瞬間に脳裏に過ぎった物の所為なのだろう。

 

命蓮寺(家族)を引き裂いた人間が

 

人間を喰らう妖怪が

 

それ等を形作っている常識が

 

悲しくて、悔しくて、虚しくて――

 

 

私はきっと、あの時初めて世界を憎んでしまったのだ。

 

 

『私が昨日言った事を意識していれば、もしかしたら共存出来る様になるかもしれない。でも此処に今人間達を入れるなら、それは絶対に叶わない』

 

『人間達の勝手な行動で、貴女の理想が邪魔されても良いの?』

 

彼女が問うた、あの瞬間。

 

もしもあの時に戻れるとしたら、皆はどういう結論を出しただろうか。

 

 

……答えは分かっている。こんな物は、一時の気の迷いでしかない。

 

 きっと目が覚めた頃には忘れているのだ。それこそ、夢でも見ていたかのように。私が村紗水蜜である限り、絶対に諦めたりはしないだろう。星やナズーリンと再会し、聖を助け、そうしてまた理想実現に向けて頑張るのだ。

 

 

 

 

その先で待っている筈の、彼女と再会する為に――

 

 

 

 

 

 

「ぐ…うぅ…」

 

頭に響く鈍痛。

 

 気怠さを通り越して身体が重くなったような感覚と洞窟内にいるかの如く響く音。いや、音なんて鳴ってはいないのだが、それすら聞こえてきそうな勢いである。

 ここまで思考して漸く、これが俗に言う二日酔いの状態であることに気付いた。そして二日酔いであるということは、私はお酒を飲んだという事なのだろう。…確かぬえと二人で歩いている所を勇儀に見つかって、そのまま半ば強制的に飲み屋に連行された――のだったか?

 

 記憶が曖昧である所が少々不安だが、身体の訴えかけを見るにどうやら相当飲んだらしいので無理もない。どうしてそんなに飲み明かしたのかは忘れてしまったけれど。

 

兎にも角にも、まずは現状を確認するのが最優先である。

 

「ん…あぁ、聖輦船か」

 

目を開けて、飛び込んできた木目の天井を見て直ぐに理解する。

 

恐らく勇儀と一輪が運んでくれたのだろう。別に起こしてくれても良かったのに。

 

「ほらぬえ、とっとと起き――」

 

 とりあえず私は隣で眠りこけているであろうぬえを起こす為に声をあげた。今まで何度も酒を飲み酔い潰れた仲ではあるが、未だ彼女が私よりも先に目を覚ましたことはない。大抵一輪か雲山が此処まで運んでくれて、私が彼女を起こすのが通例となっている。

 

だから私は隣を向くよりも先に手を伸ばし

 

 

そうしてひよりの頭に触れたのだった。

 

「……」

 

意外にも初めて触った彼女の頭を堪能。サラサラである。

 

そのまま一分ほどひよりを楽しんだ後、私は更に奥で眠るぬえに手を伸ばす。

 

「……ちょっと、ぬえ」

 

「む、むり……頭が……」

 

そう言って此方を見もせずに片手を振るぬえの頭を引っつかみ、無理矢理此方を向かせる。

 

面倒臭そうに開けた彼女の目が、次の瞬間見開かれて――

 

「――どぅえ」

 

翻訳するならば『えっ、どうしてひよりが』と言った所だろうか。

 

 ぬえは恐る恐るといった様子でひよりに手を伸ばし、何故か頭を一分程撫で続け、次に私の方を見つめてきた。私としては先程のどぅえについて追求したい所ではあったのだが、まずは私とぬえの間で寝息をたてている彼女が夢でないことを確認しなければならないだろう。

 

どうやらぬえも同じことを考えていたらしい。私もぬえに手を伸ばす。

 

「……いひゃい」

 

「……うん」

 

互いにしっかりと抓った上で、再び私とぬえはひよりに視線を落とす。

 

 そんな私達の事など知らぬと言わんばかりに寝息をたてているひよりの、綺麗な髪飾りを、サラサラの黒髪を、変わらない身長を確認して――

 

 

「「ひよりっ!」」

 

二人して彼女の寝ている布団へと飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで私の所へ逃げてきたと」

 

 そう一人呟いた私に彼女は何処か疲れたように苦笑した。今の私の言葉で色々と思い出したようで、私にはぬえと村紗の二人から揉みくちゃにされる彼女の様子が鮮明に流れ込んできた。

 なるほど、確かにこれは酷い。私はあまりこの身で体験したことはないが、やはり妖怪の力は恐ろしい物なのだと知覚できる。それこそ彼女が一度死にかけて、こうして命からがら逃げ込んでくる程度には。

 

手元にあったカップを手に取り、その中で湯気を立てている紅茶を一口。

 

コトリと置いて私は彼女を見つめる。

 

「私としては大人しく死にかけていた方が良かったと思いますよ、えぇ。今貴女の()()()()()()上での結論ですが」

 

そう答えると彼女はその無表情を少し崩した。それと同時に表情と同じ焦りが流れ込んでくる。

 

私は続ける。

 

「こんなこと私に言われるまでもなく分かっているとは思いますが、あの二人は本当に貴女の帰りを待っていましたからね。長らくその気持ちを見続けてきた私からすれば、むしろ死んでいないことに感謝すべきだと思いますけれど……それに満更でもなさそうでしたよ貴女」

 

 それは今思い起こしているであろう彼女の感情からしても明らかである。私としては寝ている所に突然自分より体格の良い二人から全力で圧し掛かられ、死にかけても満更ではないという気持ちはてんで理解できない物だが。

 

彼女はその照れを隠すように、自分の手元にあったカップに口を付ける。

 

そこには正しく一人分の生き物らしい気恥ずかしさが見えた。

 

「……便利ですね、その体質。揉みくちゃにされている自分と、更に此処で話している貴女、そしてお燐達と遊んでいる彼女ですか。人型で形取るとそれぞれの時点では記憶の共有が出来ないということを除いても、こうして目の当たりにしてみればそんな欠点は霞んで見えます」

 

 少なくとも今目の前で話している彼女の他に、最低でも二か所で彼女は活動しているということになる。一人は聖輦船であの二人に捕まっているであろう一人。そしてもう一人は先ほど自身のペット達と共に動物同士積もる話をしにいったという一人だ。

 

ちなみに目の前にいる彼女は本体ではない。本体は今はお燐達と共にいる。

 

私は先ほど初めて本体である彼女が訪れた時のことを思い出した。

 

 

『すみません、それ以上近づかないでください』

 

『私は古明地(こめいじ)さとり、心を読むことの出来る覚妖怪です。ご存知ですか?』

 

『……っ、そうですか。では掻い摘んでご説明致します……私には貴方たち全員の声が聞こえている、と。これで分かって頂けるでしょうか』

 

 

……今思い出しても頭が痛くなってくる。

 

 私は覚妖怪であるが故にあまり雑踏を好まない。生き物が近づけば、私が目を向ければ、その人々の心を読むことが出来てしまうからだ。心の声はその思いの強さによって多少ではあるが強弱がつくし、それが生き物の行き交う往来で数十人分ともなると私の間近で人々が言葉を交わしているのと何も変わりがない。

 

更に自分はあまり騒がしいのが好きではないときた。

 

「なので今後私の所へ遊びに来る時は今みたいに一人で来てください。……あぁいえ、別に責めている訳ではないです。私としても恐らく一生に一度体験できるかどうかという経験をさせて貰いましたし。……勘違いしないでください、一生に二度も体験したいことではありませんよ」

 

そんな私の元に彼女が訪れてどうなったか。

 

数千を超えるであろう彼等の声が一斉に私へと向かって流れ込んで来たのだ。

 

 それはまるで世界中の生き物を一堂に集めて私についての意見徴収を行ったかのような嵐であった。興味、関心、警戒、それに突然近づかないでと言われたことによる悲しみ。彼女達自身が殆ど動物のような思考であるが故にそれらは素早く簡潔にころころと変わっていくのだ。私と対峙し、彼女が一人になるまでの間一度だって全員が静かになった瞬間はなかった程に。

 

ちなみに彼女が一人になれないのであれば、私は金輪際彼女との関わりを絶つ覚悟すらした。

 

しかしそれは杞憂に終わった。他ならぬ彼女自身のお陰である。

 

「まあ、私としてはまた是非遊びに来て欲しいとは思っていますよ。言ってませんでしたか?私、動物が大好きなんです。動物としての姿だけでなく思考も私好みですし、もしも許されるなら一人地霊殿(ちれいでん)に住んで貰いたい位です。……冗談ですよ、冗談。普通に遊びに来て下さい」

 

 本心をありのままに前半部分で伝えた所為か、後半も真に受けて身構える彼女に私は苦笑しながら紅茶に口を付ける。成程、分離自体は造作のないことではあるが彼女はあまりそうすることを良く思っていないようだ。……確かに彼女をありのままに受け入れている者たちからすれば、むしろその内の一人だけ――というのはきっとあまり良い気はしないだろう。

 

そう、だからこそ私はちゃんと言ったはずなのだ。

 

「ひーよーりー!」

 

「此処にいるのは知ってるんだよ!目撃者がいたんだから!」

 

ビクンと、廊下から響いて来た声に対面に座る彼女の身体が震える。

 

その感情は焦りと後悔。次いで私に対して助けを求めてきた。

 

「全く、貴女自身そう思っていたじゃありませんか。貴女をありのままに受け入れている彼女達からすれば、その内の一人だけを置いて逃げてくるなんて方法で通用する訳がないでしょう。大体、自分自身を分けて苦痛を代替わりさせようとした所で、相手も自分自身なんだから今度は貴女の存在を売るに決まってるじゃありませんか」

 

貴女も分離した一人な訳ですから、揉みくちゃにされて本体を売ることになるでしょうね。

 

そうハッキリと告げると、いよいよ彼女は逃げ道を探すべく立ち上がった。

 

その背後から扉を叩く音。

 

「さとりさん!ちょっといい?」

 

「えぇ、なんでしょう村紗さん」

 

答えつつ、私は隣で窓に手を当てる彼女を眺める。

 

「ひよりが私たちの所に一人だけ残して何処か行っちゃったのよ!問い詰めてみたら、私と村紗が落ち着くまで別の所に行ってるって!」

 

村紗の代わりに答えたのはぬえだった。

 

「此処にくる途中で勇儀に会ったんだけど、ひよりが此処に入るのを見たって言ってたから」

 

「なるほど、それで地霊殿ですか」

 

はめ込み型の窓であるが故に諦めた彼女が小さく勇儀め…と呟くのを聞いた。

 

「勇儀さんが言うには、きっとさとりさんとお茶でもしながらやり過ごすつもりなんだろうって」

 

「なるほど、それで私の所ですか」

 

 怖いくらいに当たっている。隣の彼女を見れば今頃は旧都にいるであろう勇儀に対して恨み言を言っている最中であった。

 

「それでひより、今此処にいる?」

 

もう一度彼女がビクンと肩を震わせた。

 

私はそんな彼女からあふれ出てくる狼狽と困窮を感じ取り、自然と口角が上がった。

 

「さて、どうでしょうね?……逆に村紗さん達に聞きますが、ここで私がひよりさんは此処にいませんと言った所で確認もしないで帰りますか?あ、答えは結構です。心を読むまでもなく分かりますので」

 

扉の向こうが数秒沈黙した。

 

 しかしもうカウントダウンをするまでもなく寸前である。私があえて長々と言葉にして村紗とぬえに問いかけたのは、今横で進退ここに極まれり、といった表情で私と扉を交互に見遣る少女に僅かながらの時間を与える為であった。彼女との会話は有意義であったし、何より彼女が無事に二人をやり過ごせたのであれば、そのままもう一度話をするのも悪くないと、心の隅でそう思って。

 

そんな私の心境など心の読めない彼女に伝わる筈もなく。

 

しかし彼女は小声で匿って、と言って引き出しの中に滑り込んだ。

 

だああん、と扉が開かれる。

 

「迎えに来たわよ、ひより!――って」

 

「…いない?」

 

勢い良く扉を開いたぬえと、その背後から顔だけ覗かせた村紗。

 

私は二人を静かに見遣り、そして私の机の引き出しから此方を伺う鼠を見た。

 

「なるほど、そういう答えですか。お見事です、動作に迷いがありませんでしたね」

 

「そういう答えって…心を読むまでもなく分かってたでしょーに」

 

 中に入ってきた二人からは見えていない、引き出しの中の彼女に向けた称賛の言葉。しかしそれを先ほど自身に課された問いに対する反応だと勘違いしたぬえがそう言うので、思わず私は声に出して笑ってしまった。

 

「二人はその人のことを大切に思っているんですね」

 

 部屋を探索していた村紗も、ひよりが飲み残した紅茶とお茶菓子に手を出していたぬえも意外そうな顔で此方を見た。そうして流れ込んでくる二人分の感情、想い。そして思い起こされる彼女たちの気持ち。

 

私はそれらを受け止めて、そうして引き出しを引く。

 

「だから言ったんですよ、私は。貴女は満更でもなさそうでしたし、それに彼女達は貴女の帰りをずっと待っていた。私には心が読めますからね――死にかけたからなんて唯の言い訳で、本当はただ気恥ずかしかっただけでしょう貴女」

 

私が手を伸ばしても彼女はもう抵抗しなかった。

 

軽くつまんで持ち上げた彼女に二人からの叱責が飛ぶ前に、私は村紗に向かって放り投げた。

 

「それではぬえさん、村紗さん、後は三人で仲良く本体を探してください。恐らく私のペット達と遊んでいるでしょうけれど、早くしないと逃げられてしまうかも知れませんよ?」

 

そう言うと二人は感謝の言葉を述べながらひよりを片手に部屋から出ていく。

 

扉が閉じる瞬間、村紗の手の中で捕まっていた鼠が一瞬口を開いた。

 

 

しかし言葉は紡がれることなく扉は閉じる。

 

 

 

残された私は一人、残り僅かとなった紅茶を飲み干して地霊殿の中庭に躍り出た三人を眺めた。

 

「言葉は必要ありませんよ。私、心読めますので」

 

それは先ほど、彼女が退室する前に言おうとした言葉への返事。

 

彼女から流れ込んできたのは安堵と感謝の念。

 

 

素直じゃないなあ。

 

 

 

 

 

「はい、じゃあここ座って」

 

ボスンと置かれたのは愛用の座布団。

 

 私とぬえが使用し始めた時期から言えばこの座布団も大妖怪並みの年月をしかも封印抜きで過ごしている筈なのだが、一体どうして完璧なまま形が残っているのだろうか。もしかしたら、長年使っていた所為で私の髪飾りと同じように身体の一部として認識されているのかもしれない。

 ……いや、流石に座布団が自分の身体の一部になってしまうならいよいよ私は紫や永琳に相談する覚悟すらある。この調子で私が長年使っている物が私の一部として認識されてしまうのなら、何時かは付喪神か何かと勘違いされてしまいそうだ。

 

と、そんな風に座布団を眺めていたのにぬえが気づいたのか。

 

彼女は少し寂しそうに笑った。

 

「それ、実はもう三代目なんだ。受け取ってから使い続けて…ひよりが来なくなった頃に丁度かな?流石に中の綿も潰れちゃって外側も補修出来なさそうだから捨てちゃった」

 

その後に同じ柄のを作ってそれも壊れて三代目、とぬえが言う。

 

 成程、これで一つ疑問が解けた。流石に肌身離さずといった訳でもない唯の座布団がそんなに長持ちする筈がない。ぬえの言う通りこれが三代目なのだとしたら充分納得できる話だった。

 

ちなみにそれでも平均して五百年使っていることになるのだが。

 

寿命の長い妖怪だからこそ確認出来る物の寿命という物は、実はこれくらい長いのかも知れない。

 

もしそうでなかったとしても――

 

「二代目までには、三代目までにはって思ってひよりを待ってたら……まあ、やっぱり大事にしちゃうよね」

 

こんなにも使い手に大切に使われればきっと大往生を遂げるのだろう。

 

話が逸れちゃったね、とぬえは言って私と向き合う。

 

「それじゃ……おかえりなさい、ひより。随分長かったじゃん」

 

それは先ほど合流して記憶を共有した『私』の時に何度も聞いた言葉。

 

 しかし泣きじゃくりながら二人してしがみつき、何度も繰り返していた時のおかえりとは違う。それを聞いて漸く私は、目覚めてから今まで心の片隅に残り続けていた後悔が小さくなっていくのを感じた。私は何も伝えられなかったけれど、ぬえはずっと私を待ち続けてくれていたのだ。

 

だから私も正面で笑うぬえに対して、出来る限りの笑顔で答える。

 

「ごめん……それと、ただいま」

 

意識してするのは得意じゃないのでぎこちない笑顔だっただろう。

 

けれどぬえは何故か満足そうに頷いて、そうして聖輦船の外に繋がる扉を見た。

 

「村紗、もう入ってきていいよ!」

 

そう言って暫くして、開いた扉から水蜜がひょっこり顔を出した。

 

「もう?早くない?」

 

「そもそも村紗が気を遣い過ぎでしょ。私とひより、別にそんなに悲劇的な別れ方をした訳でもないんだから。積もる話も言いたいことも聞きたいこともあるけれど、それは村紗も一緒だろうし」

 

 何でもない風にそう言ったぬえ。確か私たちは涙を流しながら別れた筈だが、彼女にとってはあれは悲劇的な別れ方には含まれていないらしい。一体彼女の中の悲劇的な別れ方はどれくらい悲しいのだろう。ほんの少しだけ聞いてみたい気持ちはある。

 

けれど彼女自身がそう言うのであれば今は特に言う事はない。私は二人を待った。

 

「うーん……じゃあ私も相席させて貰おうかな。とりあえず、おかえりひより!」

 

「うん、ただいま水蜜」

 

そう言ってストンとぬえの横に座ってにへへと笑う水蜜。

 

 二人がそうして私に向いた所で、今度は私の方から話を切り出した。今までのこと、起きてからのこと、娘と別れたこと、今は霊夢と暮らしていること。地上で流行っている弾幕ごっこの話や、水蜜には封印される前に行った命蓮寺の話、そして聖の封印されているという法界についての話も知ってる限り伝えた。

 二人は驚き、時に目を輝かせながら私の話を聞いている。特に、人間の娘がいたと知った時の二人の反応は、きっとさとりであれば椅子から転げ落ちたかもしれない。私は両手で耳を塞ぎながら、大人しく二人が落ち着くのを待った。

 

すうはあと興奮を落ち着かせるように息をする二人を見て苦笑。

 

最初に口を開いたのはぬえだった。

 

「私聞いてないよ娘なんて!い、いつ?封印される前?え、じゃあもう会えないの?嘘ぉ……」

 

そう言って項垂れるぬえ。しかし、私も何も理由もなしに彼女に伝えなかった訳ではない。

 

「うーん……でもぬえ、私に娘がいるって言って会わないでいられた?」

 

「うっ」

 

「地上と地底、今でも行き来するのは良くないんでしょ」

 

「ううっ」

 

それにきっと『お互い離れ難くなってしまう』だろうから。

 

 これが人間のただの友人であれば伝えたかもしれない。けれどあの子は私の娘で、私は母であったのだ。であれば、私は妖怪とはいえ母としての義務を果たすべきだった。だからこそ、妖怪であるぬえを含めた友人たちには出来る限り伝えないように、そして遊びに来ないようにとお願いしたのだ。

 

私はあえてこの一言は胸の内に仕舞っておくことにした。

 

次に口を開いたのは私の話の後半部分から考え込んでいる水蜜。

 

「ひよりの娘のこともびっくりだけど、私としてはナズの言っていた法界のことが気になるかな」

 

『私』の聞いた話によると、水蜜達が封印から目覚めたのは三百年前。

 

 私が最後にナズーリンから話を聞いた時には、どうやら飛倉の破片と星の持っている宝塔がどうたら……と言っていた筈なのだが、生憎永琳のする話も含めて学の浅い私にはその手の話を聞いた上で他人に説明するのは非常に難易度が高い。

 先ほどの話でもそこはある程度曖昧に伝えたのだが、相手は水蜜。聖の封印解除の為の方法があまり良く分かっていないが故に考え込んでしまっているようだ。心の中で謝罪。

 

「今度星達の所に行って詳しく聞いてくるよ、二人のことも気になるし」

 

「うん、お願い。あとは……手紙とかも書いた方がいいかな」

 

「あ……じゃあさひより、ついでにマミゾウのことも見てきてよ。流石に千年ともなると、私も多少は気になっちゃうんだよね」

 

命蓮寺はともかく佐渡島。気になってはいたが、何故。

 

水蜜と私が首を傾げる中、『それに』とぬえは神妙な顔で本音を吐露した。

 

封獣(ほうじゅう)にはもうウンザリ。正直今すぐ地底を出てぶっ飛ばしに行きたい」

 

「あぁ……そうだね」

 

息巻いて手のひらと拳を打ち合わせるぬえを見て苦笑する水蜜。

 

つまりこういうことだ、と水蜜は語る。

 

「地底だとぬえって鬼達と同じ位の古株だから皆苗字で呼ぶんだよね、封獣さん封獣さんって。字だけが伝わった人には封獣(ふうじゅう)さん。それ位なら良いんだけど、ぬえと親しい古株の鬼なんかは封獣(ほうけもの)のぬえって」

 

「だぁーれが惚け者だ!鬼に言われたくないやい!」

 

その怒号に私も水蜜も苦笑。呼び方の発端は果たしてどちらの鬼か。

 

 まさかマミゾウもそんなつもりで付けた苗字ではなかろうが、こと地底においては彼女の付けた苗字は良い意味でも悪い意味でも浸透しているらしい。これでは今更変えた所でもう取り返しはつかないのでは――そう思ったが、しかし今のぬえを前にしてそんな残酷なことを伝える勇気はなかった。

 

それを誤魔化すように口を開く。

 

「じゃあ、命蓮寺と佐渡島の様子は見てくるとして……二人とも、その後はどうするつもり?」

 

後?と二人して首を傾げる。どうやら何も考えていなかったらしい。

 

「ぬえはともかく、水蜜は地底より命蓮寺に居た方がいいと思うけど」

 

「え、私も地上に出たい」

 

「行きたい行きたくないの話じゃなくて、聖復活の為にってことでしょ」

 

即座にぬえにツッコミを入れる水蜜。『あ、そうか』と納得するぬえ。

 

仲良くやっているようで何よりだ。

 

「結局ぬえもマミゾウに用があるならどっちかが地上か地底に行かなきゃいけないけどね」

 

「……それなんだけど、今って地上と地底の行き来の約束ってどうなってるんだろ?私が勇儀達と地底に来た時には駄目って言われてたけど、萃香は勝手に出て行ったし」

 

遠回りな言い方をしていることに気づいてくれたのはぬえだった。

 

 恐らくは水蜜も伝えられているとは思うのだが、地底を封印された妖怪たちが過ごす場所として使用するにあたって紫は管理人であった四季映姫と『地底から絶対に封印された妖怪達を出さない』という約定を結んでいる。人間が封じ込める意図で地の底に送ったのだから、無遠慮に解除して地上へ戻すというのは見過ごせないということだ。

 

無論私や水蜜、ぬえとしてもこの約定に異論がある訳ではない。

 

でも萃香出て行っちゃったし。

 

「紫に聞かないと分からないけど、もしかしたら閻魔様の言葉が関係してるのかも」

 

「閻魔様?閻魔様って……あれだよね、地獄の偉い人」

 

「そそ、前に地底を貰う時に一回だけ会ったんだ。えーと、何て言ってたかな……確か――」

 

『もし地上で人と妖が共存出来るようになれば、この地底に封印された妖怪を留める必要もなくなるでしょう。それを貴方達が成せば、ですが』

 

確かこのような事を言っていた気がする。

 

 であれば今回萃香が地上に出ることが出来たのは、地上で人間と妖怪が共存出来るようになったからということになるのだろうか。

 

二人に視線を送ってみるも、二人ともさっぱりという風に肩を竦めた。

 

「じゃあまずは紫に聞いて、それから命蓮寺と佐渡島。それからの結果次第だけど、地上に出れるようだったらとりあえず水蜜と一輪達だけでも地上に……だね」

 

地上に出れるとしても聖輦船を含めた水蜜達をどうやって地上に送り出すのかという問題がある。

 

ちなみにこの問題は予想だにしていない形で解決することになるのだが、それはもう少し後の話。

 

異議なーしと声を揃えた二人を見て私は立ち上がった。

 

「じゃ、早速行ってくる」

 

「待って待って、まだ手紙書いてないって!」

 

私の言葉を聞いて慌てて立ち上がる水蜜。

 

手紙のことをすっかり忘れてしまっていたのでなんだか申し訳ない気持ちになってしまった。

 

「そうしたらひよりとちょっと旧都を見てくるねー!勇儀にもお礼言いたいし、あとは私の傑作建築物も見せてあげなきゃ!村紗ー、風穴前で集合ね!」

 

 そこに間を入れずにフォローを入れてくれたぬえに心の中で感謝。もしかしたら唯彼女の作った傑作建築物を見て欲しかっただけなのかも知れないが、お陰で多少申し訳なさが薄れた。

 

了解と声を上げながら遠ざかっていく水蜜を二人で見送る。

 

 

 

 

「じゃあ行こっか」

 

ぬえは嬉しそうに立ち上がって私に手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして風穴前には数人の人だかりが出来ていた。

 

「それじゃこれ、皆を代表して私と一輪から!こっちが星宛てで――」

 

「そしてこっちがナズーリン用ね。ひよりちゃん、お願いします」

 

「ん、分かった」

 

急いで手紙を書いてくれたのだろう、息の上がった二人から手紙を受け取り仕舞う。

 

 

「悪いねひより、私達はそういう気の利いた物はない組だ。とりあえず萃香にたまには帰って来いって伝えておいてくれ。ぬえの作った萃香の()()が寂しそうにしてるってな」

 

「私からはそんなに具体的に伝えて欲しいことはないんだけど……とりあえずマミゾウにはありのままの私の怒りを伝えておいて。あと萃香には、少し改造して快適にしておいたよって」

 

自称気の利いた物のない組である勇儀とぬえからは、二人の友人たちに込めた言葉を受け取って。

 

萃香の家のことについては触れないでおく。いずれ語らざるを得ない日もあるだろう。

 

 

 

私は一人一人と顔を合わせて、そうして皆に背を向けた。

 

 

 

「それじゃ行ってきます」

 

 

『いってらっしゃい!』

 

 

 

 

 

背中から押された勢いのままに、私は思い切り風穴に向かって上昇した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




申し開きはせぬのだ。




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『目に見えぬ約定』

 

 

 

 

 

「ん、早かったわね。お帰りなさい」

 

 

 地底に続く風穴を抜け、妖怪の山を出て真っすぐに博麗神社へと飛翔した戻った私を出迎えてくれたのは参道を竹箒で掃除している霊夢だった。手にもっているそれは博麗神社に備え付けてあった竹帚とは少し違う新しめの……多分、魔理沙の箒である。

 それで何の気もなしに石畳に散った葉を片付ける霊夢を見て、私は居間か縁側で寝ているであろう魔理沙に心の中で合掌をしておいた。

 

葉を散らさないように静かに霊夢の前に着地。

 

彼女も手を止めて私の方を見た。

 

「ただいま」

 

「てっきり三日位ゆっくりしてくるものだと思ってたわ。どう?ちゃんと会えたの?」

 

「うん、お陰様で」

 

じゃあいいわと言って霊夢は集めていた木葉を参道の脇に散らす。

 

「そういえば、ひよりが出た後のお昼に慧音が来てたわよ」

 

「ん、寺子屋の人だっけ」

 

慧音……確か、妹紅と再会を記念した祝宴をしていた時に聞いた名前だったか。

 

『それより問題なのは慧音だよ。話しただろ?人里で教師をしてる奴なんだけど、ひよりと会うのを死ぬ程楽しみにしてたんだぜ?』

 

妹紅の話だと半人半妖で、更には人里で寺子屋で先生をしているらしい。

 

 何故そんなに私に会いたがっているのは分からないが、どうやらあの日慧音は私と妹紅の再会を邪魔しないようにと肝試しに来ていた霊夢や紫の相手をしてくれていたらしい。

 本来ならばその後戻ってくる筈だったらしいが何故か戻って来ず。あの日は外から声を掛けた慧音と顔だけ出して答えていた妹紅の会話の一部しか拾うことが出来ず結局会うことは出来なかったのだ。

 

それが昨日のお昼、態々博麗神社に来てくれていたのだという。

 

「……怒ってた?」

 

「なんで怒るのよ。ふつーにひよりに会いに来たって言ってたから、今日明日くらいは多分帰って来ないって伝えただけよ……まあ項垂れるくらい残念がってたけど」

 

そう言って何かを思い出し苦笑する霊夢。

 

彼女がそんな風に同情するということは余程慧音は落ち込んでいたのだろう。

 

「寺子屋……」

 

「そ、人里の中央に近い横長の建物。何だったらこっそり授業を受けてくると良いんじゃない?この近くの湖でうろちょろしてる氷精達も参加することがあるから、席は余分にあるだろうし」

 

そう言って此方を見る霊夢の顔は悪戯心に満ちた笑みを浮かべている。

 

 成程、飛び入りで参加も出来るのであればそれも楽しそうだ。これ以上慧音の方から態々来てもらうのも申し訳ないし、それに寺子屋というのも興味がある。霊夢の悪戯に乗るかは別としても、それは此方から赴くには十分な理由であった。

 

一帯の掃除を終えた霊夢は良し、と呟いて神社へと歩き出す。

 

「まあ慧音の件はひよりに任せるわ。それよりもご飯にしましょう、早くしないと魔理沙が飢え死にするわよ」

 

「ちゃんと二人が食べても三日は大丈夫な様にしておいたと思うんだけど……」

 

「魔理沙は朝から『ひよりが帰ってくるかも』の一点張りで林檎位しか食べてないけど?自炊を殆どしないアイツにとってひよりの料理は致命的過ぎたのよ。才能って残酷ね」

 

私は慌てて背後を見る。既に夕日は落ちかけて夜になろうかという時間だ。

 

「霊夢、私は先に戻ってるから」

 

「えぇ、私もすぐに行くわ。水だけ汲んで来るわね」

 

あとこれだけ魔理沙の横に転がして置いて頂戴、と言われて手渡された箒を掴んで飛翔する。

 

 出発前にサムズアップと共に見送ってくれた魔理沙の姿が脳裏に……いや、あの時彼女はちゃぶ台の向こうで寝転がっていて私の側からは掲げられた手と足しか見えなかったか。思いの外信頼度の低い魔理沙の『任せろ』のサインに内心で愕然とする。彼女の言を信じる時は、もしかしたら正座で帽子を取り敬語を使うレベルではないといけないのかも知れない。

 

 しかし差し当たっては二人の為に夕飯を作ることが先決だ。聞きたいことは幾つかあったけれども、本当に魔理沙が餓死したら困る。二人とも育ち盛りの年齢なのだ、先ほどの霊夢の林檎一個は冗談だと思いたい。

 

 

 

居間に入った私は結局それが冗談ではなかったことを知る訳だが。

 

 

 

 

 

 

 

「はー、生き返った。ご馳走様!」

 

「ん、お粗末様」

 

隣でそんなことを言って腹を撫でる魔理沙を横目で睨む。

 

 紫が定期的に食料を持ってきて、且つひよりも毎日必要な分だけ調達してきてくれている。それでも朝から晩まで入り浸ってご飯だけ食べるというのは如何な物だろうか。彼女が逆の立場であれば絶対に小言の一つや二つは言ったであろう、故に私もそんな思いを込めて魔理沙を見た。一瞬不思議そうな顔で此方を見た魔理沙だったが、私の視線が意図する物をすぐに感じ取ったらしい。

 

食器に手を伸ばそうとしていたひよりを手で制して魔理沙が腰を上げる。

 

「さって、じゃあ今日は私が片付けるか」

 

 言うが早いかそそくさと食器を片付ける魔理沙を見て、私と魔理沙の無言のやり取りを見ていたらしいひよりが苦笑する。彼女にとっては一人分多く作る手間よりも、一人分多く食卓を囲む方が良いから気にしていないという風だが。

 

それはそれ、これはこれである。食べた以上は働いて貰う。

 

「魔理沙はともかく、魔理沙の箒が代わりに働いたと思うけど」

 

「んー?私がどうかしたかー?」

 

台所で洗い物をしていた魔理沙が耳聡く聞きつけて顔を出した。

 

「何でもないわ。あんたの住んでる森について話をしてただけよ」

 

「……おう?」

 

少し疑問は残ったようだが、再び洗い物を再開するべく顔が引っ込む。

 

 そして再び顔が出てこないことを確認して、私はひよりに目だけで魔理沙の箒のことは言わないで置くようにと伝えた。私が縁側で魔理沙と共に昼寝をしていた時に、掃除に使う竹箒を取りに行くのが面倒で魔理沙の箒を引っ掴んで出て行ったのだ。当然魔理沙はそのことを知らない。

 

 良くも悪くも周囲の人妖から普通の魔法使いと呼ばれている魔理沙の箒は、しかし彼女の中の魔法使いとしての誇りのお陰もあってか普通ではないようだ。実際、先代の頃から神社で使っている竹帚よりも驚くほど綺麗に掃除することが出来た。まあ、本人に言える話ではないけれど。

 

ひよりもそこまで魔理沙の肩を持つ気はないらしく静かにお茶を啜る。

 

程なくして洗い物を終えた魔理沙が戻ってきた。

 

「もう十月ってことを抜きにしたって、此処の水は冷たすぎるんじゃないのか」

 

 手をプラプラと振りながらちゃぶ台に戻ってきた魔理沙は、何故か座ったちゃぶ台の足元から空気を掴み、自身の膝に掛ける動作をした。私とひよりが訝し気な様子でそれを見ていると、どうやら無自覚だったらしい魔理沙がハッとした表情で私とひよりを見る。

 

そして次第に赤みを帯びていく頬。

 

「……おい霊夢ー、そろそろ炬燵を出しても良い頃なんじゃないのか?」

 

あぁ、成程。

 

「こたつ?」

 

「もしかしてひよりの居た頃にはなかったのか。炬燵ってのはえーと、電気やら炭やらで机の下を暖かくしてくれる奴だ。こう、布団を掛けてな……わかるか?」

 

「……あんまり」

 

その説明でこたつを知らない人間に理解して貰える方が可笑しいだろう。

 

「ま、見せた方が早いわよこういうのは。修理に出しているから今はないけど」

 

「霖之助の所か?」

 

「あの人じゃ直せないと思うから河童の所に回されるとして、戻ってくるのは十二月頃かしら」

 

それを聞いた魔理沙はいよいよやり切れなくなったのか、深いため息を吐いてちゃぶ台に倒れた。

 

「うぅ、くそ……二カ月は家で過ごすか?いやでも、ひよりの飯は捨てがたいし……とはいえ、今後の寒空を毎朝飛んできてたら寿命が縮んじまう……」

 

そうではなく、どうやら暖かさと食を同時に解決する方法を探していたらしい。

 

呆れた魔法使いである。私とひよりは肩を竦めて魔理沙から視線を外した。

 

そうして家といえばさ、とひよりが話を切り出す。

 

「二人は紫の家って知ってる?」

 

「紫の家?」

 

そういえば思い当たる節がない。私は自身の頭の中を探る。

 

 普段妖怪退治を依頼する時は紫の方から博麗神社に来ていたし、修行だなんだと言いながら私の様子を見に来る時も彼女の方から。食料を定期的に持ってきてくれる時は、最近ではそもそも紫ではなくて藍である。それも時たま橙であるのは、果たして紫の怠慢なのか二人の従者として橙の仕事なのか。

 

私の沈黙を否と受け取ったのか、ひよりは少し考えて口を開く。

 

「少し紫に聞きたいことがあって。前は旧地獄と地上の行き来って禁止されていたんだけど、今はどうなっているのかな」 

 

その言葉を皮切りにしょうもないことを呟いていた魔理沙も身体を起こした。

 

「え、だって萃香が出てきてるんじゃないのか」

 

「うん」

 

「そういえばそうね……」

 

朝餉だけ食べてそそくさと居なくなった鬼の姿を脳裏に浮かべる。

 

 彼女――伊吹萃香が地底から地上へと出てきて異変を起こしたのは今から三カ月程前。吸血鬼や亡霊が起こした赤かったり白かったりする異変の解決祝いとして行われた宴会の熱が丁度引いてきた七月頃である。なんとはなしに開催した筈の宴会が何故か数日置きに行われて続けて、しかも次第に参加者が増加していくというものであった。

 

いやまぁ、何回目かまで誰も疑問に思わないのも問題ではあるのだが。

 

 流石にこれはおかしいと、参加者がそれぞれ解決に乗り込んだ直後に伊吹萃香は自分から姿を現した。それぞれが伊吹萃香と対峙した日にちがバラバラだった故に皆から話を聞いてみたが、どうやらあの鬼、対峙(退治)した全員に対しててんでバラバラな目的を伝えていたらしい。桜が短くて残念だったからとか、賑やかな宴会が見たかったからとか、あるいは殴り合いたかっただけだったとか。ちなみに私は後者である。

 

 博麗神社に居候として住んでいる彼女だが、その件については何度聞いても曖昧な答えではぐらかされてしまうが故に真相は闇の中だった。少なくとも以前までは。

 

――だが、地底と地上でそんな条約が結ばれていることは知らなかった。

 

「そんな決まり事があるんだったら、そもそもただ宴会をさせたり賑やかな様子を楽しみたいってだけで地上に出てくるのが変になるよな」

 

「そうね、私もその事については初耳。とはいえそこまで興味のある話ではないけど……ひよりの疑問を解決するには根本的に考え直した方が良さそうね」

 

「根本的?」

 

 ひよりが首を傾げるのも無理もない。彼女には萃香が起こした異変については概要しか伝えていないのだから。それも『萃香らしいね』の一言で終わらせていた辺り、彼女達にとってはそれほど不自然なことではないようだ。

 

だから推理するのは私と魔理沙。今度は二人から視線を外して空を見る。

 

「……あの異変、誰が参加してた?」

 

「私とアリスだろ?紅魔館の奴らと冥界の二人、それに妖怪の山の烏天狗も取材に来てたか。

……あとは、えーと確か、一回だけ阿求と慧音も見に来てたと思うぜ」

 

私の独り言染みた呟きに反応した魔理沙。

 

「その辺りについては特に問題ないわね。夜中に慧音がいるとはいえ阿求が一人は少し気がかりだけど、まあ多分今回の件とは関係ないんじゃないかしら」

 

「いや、お前が阿求に過保護過ぎるだけなんじゃないのか」

 

無視。余計なノイズはカットするに限る。

 

だがその僅かな私と魔理沙の冗談めいた遣り取りの間に、ひよりが声を上げた。

 

「ん、その宴会って紫は――」

 

「……あぁ、そこだな」

 

「そう、()()()()()()()()()()()。……正確には、異変として始まる前の宴会に、結構な人妖の前に現れたみたいだけど」

 

「私は後で何かを漬けようとしてた焼酎を、霊夢は供えてあった御神酒をだったか?皆それぞれ何か食料系を持ってかれたみたいだったな。結局宴会では出てこなかったし」

 

そして全ての人妖は異変解決の為、一度は紫と出会っているのだという。

 

「じゃあその辺りが焦点か。即ち『どうして萃香が人妖を一堂に会したのか』『どうしてその場に八雲紫がいなかったのか』……どうしてだと思う?」

 

「本当の理由を話していないなら、異変の時に話した理由は全て嘘ってことでしょうね。残っている有力な理由は『地底と地上の行き来の約束』の為よ」

 

だが、それらが何を意味するのか。私たちの持っている情報では此処が限界だ。

 

しかしここに一人、更に踏み込める可能性のある人物がいる。

 

ひよりは私たちの話を聞くや否や立ち上がった。

 

「二人ともありがとう。少し紫の所へ行ってくる」

 

「もしも紫が家にいるんだったら、家を探すよりも藍を探した方がいいと思うぜ。この時間なら橙と迷い家(マヨヒガ)にいると思うから――ひより!妖怪の山の麓、人里寄りの場所の中腹辺りだ!」

 

「あんたよく覚えてるわねそういうの……私には到底真似出来そうにないわ」

 

何はともあれ結論は出た。私達に背を向け縁側へと向かうひよりに声を掛ける。

 

「ま、ただの食後の雑談として話に出ただけだから報告は任せるわ。萃香も紫も別に意味もなく理由をはぐらかす奴じゃないし。もしも話すべきじゃないと思うならそのまま胸に秘めておいて」

 

分かった、といって縁側から夜空へと飛び立ったひより。

 

不服そうに此方を見る魔理沙を無視して、私は彼女が視界から見えなくなるまで見送った。

 

「さて、じゃあ片付けも終わってるんだし私は寝るわよ。アンタはどうするの?泊まってく?」

 

「うーん、折角だし私としては真相を知りたかったんだが」

 

どうやらそれが不服だったらしい。私は魔理沙を見ることもせずに言葉を繋ぐ。

 

「そ、じゃあ聞けばいいんじゃない?もし二人の目的が酒に酔った魔理沙の行動観察日記をつけることとかだったらその日記そのまま阿求に渡してあげるから」

 

寝室への襖を開けて中に入り、そして明かりを点けて襖を閉じる。

 

 押し入れから二人分の布団を取り出して、とりあえずは自分の分だけ敷いて中に潜り込んだ。何も問題はない。あとは全自動式の白黒魔法使いが全てやってくれるだろう。

 

数秒を待たずして襖が開かれた。

 

「くそっ、一つの真相を闇から暴くよりは一つの真相を闇に葬る方が良いに決まってるだろ。世の中は知らなくていいことの方が多いんだ」

 

特に私の悪酔いした姿とかはな、と言って魔理沙は私の用意した布団を敷き始めた。

 

程なくして明かりも消えるであろう。私は目を瞑って想いを馳せる。

 

 

 

自分(真相)を隠したままにしがちな二人の友人(八雲紫と伊吹萃香)に――

 

 

 

 

 

 

 

 

「紫、萃香。今ちょっといい?」

 

 

二人で縁側にて酒を酌み交わしていた時に突如背後から聞こえた声。

 

 振り返れば、そこには見知った黒衣の少女――ひよりの姿。彼女は私の家の場所も来る方法も知らない筈なのだが……と、彼女の更に背後にて私達の様子を伺っている狐と猫の姿を捉えた。

 

あぁ、成程。

 

〈ひよりを此処に連れてきたのは貴女ね、藍〉

 

式神に対して使う事の出来る言霊を飛ばしてそう声を掛けた。

 

程なくして申し訳なさそうな声が返ってくる。

 

〈申し訳ありません、一応指示通りに弾幕ごっこで戦いはしたのですが〉

 

〈驚いた、まさかひよりが弾幕ごっこで勝つだなんて〉

 

一瞬だけ沈黙。迷ったらしい藍のうめき声が聞こえた。

 

〈いえその、先に橙と遊んで貰いまして。その時に見事に花を持たせてくれたというか〉

 

 その言葉を聞いて私はとうとう笑いを堪えられずに口元に笑みを浮かべてしまった。正面で私と萃香を見据えるひよりが怪訝な顔をするが、その程度で抑えられる物ではない。成程、万全だと思っていたがまさかそういう落とし穴があるとは思ってもみなかった。

 

 そもそも今日、私も萃香もひよりと会う予定はなかったのである。それは私たちが昨日から常に彼女が地底に向かう様子や、地底の面々と再会する様子をスキマから覗き見ていたからだ。

 この覗き見ともいえる行為を誤魔化す為に萃香は今日の朝まで神社で過ごし、朝食を食べてから此方に来ている。その後にこうして覗き見た内容を肴に私と酒を酌み交わすことを約束して。

 

 だからこそ、藍にはひよりが来たら弾幕ごっこで追い払うように指示した。実際弾幕ごっこをなら藍が勝つだろう。しかし橙となら本来はひよりが勝利する。

 

そして私と対等の友人であり、藍が尊敬するひよりに勝てば橙がどうなるか……想像に難くない。

 

「ちょ、なんでひよりが……おい紫!もう既に色々と計画がご破算なんだが!」

 

そして藍からの報告が聞こえない萃香は小声で私に声を掛ける。

 

既に私の中では解決した疑問ではあったのだが、萃香の為に口を開いた。

 

「ふふ、どうやら最後の最後で読みを誤ったみたいね……地底でぬえ達と地底と地上の約定について話すことも想定内、戻って霊夢や魔理沙達に私の家について聞くことも想定内。ただ――」

 

霊夢や魔理沙がひよりの為に知恵を絞ったこと、それは私の想定外であった。

 

 二人のことだからてっきり萃香の起こした異変の詳細なんてとうの昔に忘れていると思っていたのだ。それも多くの人妖が集まり一日とて同じ様相を見せなかった宴会の異変である。ひよりと共に過ごし、仲良くなる上で二人にも『変化』が訪れたということか。

 

そして理由は兎も角、ひよりは私と萃香の予想を裏切って目の前に立っている。

 

「――こうなった時点で私と萃香の今回の企みは失敗ね」

 

「くぅ、嘘こそ吐いちゃいないが前回の異変もこの二日間のことも鬼としては大分ギリギリだってのに……しょうがない。甘んじて受け入れるしかないか」

 

落胆する私たちを無視してひよりは縁側へと座る。

 

そうして萃香が振り返った際に置きっぱなしにしていた瓢箪に口をつけた。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

瞬間訪れる静寂。私と萃香は息を呑んでひよりを見守る。

 

それはまるで自分たちが重ねた罪に対する裁判(判決)を待つようであった。

 

 

 

 

コクリコクリと小さく鳴っていた喉が止まり、口が瓢箪から離れて――

 

 

 

 

「最初から全部説明して」

 

 

 

あ、終わった。

 

 

据わった目で此方を睨むひよりを見て、萃香もきっとそう思ったことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

だから私は会いたくなかったのだ。

 

紛れもない本心である。最後にあった一千年前からその気持ちは変わっていない。

 

 だから私は目前にいる彼女から逃げるように視線を外した。開け放たれた部屋に縁側から差し込む日の光。風情を重視する従者が庭に備え付けた池と鹿威しが微かに音を此処まで運んでくる。恐らくは池にいるであろう何かの生き物が水を撥ねる音、お茶を淹れるよう頼んだ橙がパタパタと廊下を移動する音、ほのかに香るお茶とお茶菓子の香り――

 

「そんなに私が苦手なら、最初から逃げていれば良いでしょう」

 

無論そう出来るならそうしている。そう出来ないから私は正面に座る彼女を見た。

 

「お久しぶりですわね、閻魔様。旧地獄で会って以来かしら」

 

「えぇ、その節はどうも。その件について()()は地獄を代表する者として妖怪の賢者に感謝を」

 

四季映姫はそう言ったが、その声音と視線には感謝の念など欠片もない。私の頬が引き攣った気がする。

 

程なくして、私と閻魔の間にはお茶とお茶菓子が置かれた。

 

「……とりあえずはお茶菓子でも如何?自信作ですのよ」

 

「自信作ですか。人から奪うという行為の結果得た作成物という意味では、まあ確かに自信作ではあるのでしょう。強奪に自信を持っているのであればですが」

 

そう言って此方を睨む四季映姫。バレている。完全に、何もかも。

 

 萃香が異変を起こした時、私たちには二つの目的があった。一つは、文字通り萃香が異変を起こし人妖が一堂に会する場を設けること。もう一つは、繰り返す宴会によって持ち寄る物を消耗させ、幻想郷の人妖が持っている様々な秘蔵の品を半ば強引に手に入れるというものである。

 

そして今四季映姫の前に出されているこれは、魔法の森に住む人形遣いお手製のクッキーである。

 

「そうは言っても日持ちするものでもないし、作った本人の為にも駄目になってしまわない内に食べてしまうのが最善だと思うのだけれど?ほら、こんなに美味しい」

 

「今からでも早くはありません。地獄に落ちませんか?」

 

「まだ判決を出すには早いのではなくて?挽回の余地くらいあると思うけれど」

 

もう手遅れですよと言って溜息を吐いた映姫。

 

その右手が魔女特製のクッキーを掴み口に運んでいった所で、私は内心で歓喜する。

 

これで同罪。

 

「……なんですかその目は」

 

「いえ、結局食べるのだなあと」

 

「食べますよ、えぇ食べますとも。確かに現状これは食べてしまう他ないでしょう。私が叱り貴女が謝って作った本人にクッキーを返した所で、もうこのお菓子の行き先はゴミ箱以外ないでしょうから」

 

少なくとも私が本人ならそうします、そう言って映姫は此方を見た。

 

「さて、雑談はこの位にしておきましょうか。これ以上貴女の罪を探した所で判決が変わる訳でもなし。何度でも言いますが私は暇ではありませんので」

 

「あら、てっきり雑談をしに来た物だと思ったからお茶菓子まで出したのに」

 

あと数分遅ければ橙の胃の中に行く予定ではあったが。

 

一瞬映姫の視線が氷点下のような鋭い物に変わったが、気づかないふり。

 

少しの間を置いて彼女の口が開く。

 

「今回伊吹萃香が地上へと戻ってきた件についてです。覚えていないとはいいませんよ」

 

そりゃあ勿論、今も結託中ですし。

 

「勿論覚えていますわ。『封印されていた妖怪達は地上へ出さないようにする』……これが、かつて旧地獄を貰い受ける際に交わした約定で間違いないでしょう?」

 

「えぇ、その通りです」

 

「そしてそれと同時に『もし地上で人と妖が共存出来るようになれば、この地底に封印された妖怪を留める必要もなくなるでしょう』と、閻魔様は確かにそう言ったわね」

 

「……それが今だとでも?」

 

訝し気な目で此方を見る四季映姫。私は右手を持ち上げて、静かに降ろした。

 

「今だと言ったのよ」

 

彼女にも見えるように開かれたスキマに映る大宴会の様子。

 

 ワインを嗜む吸血鬼の主と人間の従者が、鳥居にしがみついて眠る白黒の魔法使いが、嘘を吹き込む亡霊とそれを信じる半人半妖の二人が、その様子を呆れたように見守る巫女が、それらを記録しようと、記事にしようとしつつ楽しむ烏天狗と人間の少女の姿が。

 

そこには正しく人と妖の区別があって、しかし隔たりはどこにもなかった。

 

私は横目でそれを見つめ、そして言葉を紡いだ。

 

「……システムとしてはまだまだ不完全。全ての人や妖怪が従ってくれている訳でもない。それでもスペルカードルールで戦った者たちがこうして過ごしているのを見て、私は確信したのよ」

 

この先どのような異変が起こり、どのように解決されるかは分からない。

 

 それでもそれぞれに歩み寄ろうとする者たちが居てくれる限り、きっともう大丈夫なのだという自信が胸の内にあった。不満を持つものが異変を以て主張し、それに対してスペルカードルールで以て決着をつける。解決した後は、双方に不満が残らないように負けた方が勝った方に譲歩する。そうして擦り合わせていく内に、少しずつ様々な者たちが共に生きることが出来るようになると。

 

期待と信頼の入り混じった感情をそのままに――

 

「約束するわ、閻魔様。この景色が特別なものではなくなるということを。今までのように、これからも、こうやって少しずつ人妖の輪が広がっていくことを」

 

そう言い切った私の心境は果たして上手く隠せていただろうか。

 

 本当のところを言えば誇張表現も甚だしい。紅霧異変や春雪異変の結果に嘘偽りはないが、萃香によるこの異変は宴会を行わせる後押しにもなっている。参加者の純粋な気持ちから生まれたものであるとは正直言い難いのだ。

 

それでも私は(霊夢)(と魔)(理沙)に賭けた。

 

歴代でも怠け者の博麗の巫女と、普通の魔法使いの少女に。

 

「だから閻魔様、チャンスを下さいな。世界は変化したということを確かめるために。かつて人々と対立し地底に封印された妖怪達が、今の幻想郷で受け入れられることを証明する機会を――」

 

彼女達を中心として、地底の妖怪達は地上でも上手くやっていける筈だと。

 

私はそう言って四季映姫の瞳を真っすぐに見つめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――で、本当のところは?」

 

「皆が美味しそうなものを準備してたから、つい欲しくなっちゃって……」

 

「私がいない間に地上の酒がどんな味になったのか知りたくてさ……」

 

そして現在、私と萃香は正座させられていた。

 

 無論、四季映姫との会話の内容は全て話した。萃香の異変は映姫に人と妖が歩み寄っていけることを証明するためのものであったこと。人形使いのクッキーはとても美味しかったこと。映姫も食べていたので彼女も同罪であることも。

 

割と強めに頭をはたかれた。

 

そして萃香のことも軽く叩いた彼女は深く、深くため息を吐いた。

 

「あんまり変な暗躍ばっかりしていると霊夢たちに嫌われるよ」

 

そう言って苦笑するひより。だが、その声音はどことなく嬉しそうだ。

 

「……まぁそうよね。普通に萃香が異変を起こしていれば、その解決の流れで宴会自体はしたでしょうし」

 

「奪った分は次の宴会でしっかり返しておくさ。当然ひよりにも手伝ってもらうから覚悟しといてくれよ」

 

そんな調子の良い萃香の言葉に頷くひより。

 

 普段であれば嫌、と即答しそうなところだが。やはり地上と地底の行き来に関する取り決めが()()されたことで内心浮かれてしまっているのだろう。

 

私も同じ気持ちだった。

 

「宴会の準備もいいけれど、地底の妖怪達の進出方法についてもちゃんと考えて頂戴ね。閻魔様と約束した以上、霊夢たちと地底の妖怪とは仲良くなって貰わないと困るんだから」

 

逸る気持ちを抑えてそう言うと、二人は早速地底の面々について話を始める。

 

鬼かぬえか、村紗達はどうだ。船ごと地上に出すのも面白いかも知れないと。

 

 

 

 

そんな風に話す二人を見て幻想郷がまた一歩完成に近づいたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

「……いいでしょう。条約は撤廃、今後は貴女の判断に委ねるとします」

 

そう言って席を立とうとする四季映姫に紫は思わず声を掛けた。

 

「どういう風の吹き回しかしら」

 

相手が相手なら不機嫌になりそうな言い方だったが、閻魔は揺るがない。

 

「意外でしたか?」

 

「……正直に言えば少し、ね。勿論そうなるように計画はしたし勝算はあったけれど、ここまであっさりと許可が出るとは思ってなかったわ。追加の約束の一つや二つは覚悟していたのに」

 

「そうですか。なら――」

 

「今回の取り決め撤廃は当然の結果よ。意外なことなんて一つもないわ」

 

自ら掘った墓穴を即座に埋めた紫に、映姫は小さくため息を吐いた。

 

「約定については前回のもので十分です。貴女と貴女の理想郷が、人の世のルールを壊すようなものではないことは一千年をかけて証明されました。その信用に基づいて、以前取り決めた約定はもう不要であると判断したまで」

 

それは決して個人的な感情ではない、合理的な閻魔故の判断だった。

 

 実際最も世の中のことを知っているのはそこに住む人々ではなく、その者たちに裁きを行う閻魔大王であるというのは不思議なことではない。四季映姫という閻魔大王もまた、一千年前から人と妖怪について学び、移り変わる時代の常識を見定め、そして認識を改めたということである。

 

放たれた言葉に面食らっている紫を無視して彼女は立ち上がった。

 

「では、私はもう行きます。アリス・マーガトロイドには貴女からお礼を伝えておいて下さい。私が()()()()()()になったとはいえ、今はまだ自由に歩き回れるほど仕事に慣れている訳でもありませんので」

 

「――えっ」

 

「あぁそれと、今後の貴女の行いは私が裁く人妖からも筒抜けになるので、その点も注意しておくように。地底の妖怪達が地上で大暴れなんてしたら……どうなるかは言わずとも良いですね」

 

放たれた言葉に狼狽している紫を見向きもせず、四季映姫はそのまま紫の視界から消えていった。

 

「……」

 

後に残されたのは八雲紫、ただ一人。

 

 大局的に見れば今回の会談は八雲紫の勝利である。そもそもにおいて紫の目的は地上と地底の行き来に関する取り決めの撤廃であり、友であるひよりとその友人たちの活動の後押しをすること。映姫に撤廃を宣言させた以上、紫の目的は十二分に達成されたと言える。

 

だが、しかし――

 

 

 

「……あれ、これ以前より私の責任重くなった?」

 

試合に勝って勝負に負けた妖怪の賢者の姿がそこにあった。

 

 

 

 

 

 



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