ランス異伝《ゼス激闘編》 (さすらいの陰陽師)
しおりを挟む

第一部 第一章

 部屋の外で鳥が鳴いている。

「……」

 スズメのような可愛らしい声ではない。カッコウのようなよく響く大声だ。

「……」

 しかも近い。寝室の窓のすぐそばで鳴いているのではないかと思うほどだ。目覚まし時計とためを張るほどの騒音が昨夜の4Pで疲れているランスの耳に入り鼓膜を打ち鳴らす。時間は朝五時だ。どちらかといえば神経が図太い方のランスもこれではたまらない。じきにいらいらが頂点に達し、ベッドから飛び起きて喚き散らす。

「うるさいわあああ!! このクソ鳥があああ!! 焼き鳥にして食ってやる!!」

 ランスはどたどたと大股で床を踏み鳴らしながら窓に近づき、桟に手をかけた。

「やめるでござるよランス。その鳥はナマズ鳥といって、苦くて不味いでござる」

 一体いつ寝ているのか、気付いたら床でストレッチ運動をしていた鈴女がそう言った。

「じゃかあしゃあ!! それなら食わねえから命だけ置いてけ!!」

 ランスは窓をぶん投げるように開け、外の木の枝に向けてランスアタックを放った。

 その時、ランスに激しく振り下ろされたカオスがびっくりして飛び起きた。

「なんじゃ! 何が起きたんじゃ!」

 鈴女が前屈運動をしながらカオスを見て笑顔で言った。

「あ、カオス。おはようでござる。ランスが外の鳥にランスアタックを放ったのでござるよ」

「はあ?」

 カオスがまだ状況が掴めないといった様子で唖然として言った。

「ぜえぜえ……。五月蝿いクソ鳥め……、見たか俺様の力を……」

 カオスが外を見ると、小さな鳥が地面に落っこちて死んでいた。

「ぜえぜえ……。俺様は疲れた、もう一度寝るぞ……」

「ういうい。静かになったので、ゆっくり休むといいでござるよ」

 鈴女が明るい声でランスに言った。カオスは剣ながらに目を丸くして、ランスを見ていた。

「お……、お前まさか、あれにランスアタック打ったの? 魔人を殺せるランスアタックをあれに……? ありえんじゃろ……?」

「ぐーぐー」

 すでにランスは寝てしまっていた。しばらくして……。

「……」

 また鳥の声が聞こえてきた。先程、ランスに怒髪天を衝かせたばかりのあの声が、再びランスの耳に入ってくる。

「……」

「……」

「……うがあああああ!!!!」

「殺す!! 殺してやる!! 全滅させる!!」

 ランスは窓を開けて外に向かってカオスをぶんぶん振り回しているが、一向にランスアタックは出ない。その様子を楽しそうに眺めながら鈴女が言った。

「落ち着くでござるよ。ランスアタックはすごく体力を消耗するから一日に一回しか打てぬでござるよ。ここは鈴女に任せてランスは安心して寝るでござる」

 ランスは振り返って鈴女を見た。

「そ……、そうか? よし分かった。俺様は寝る……」

「任せるでござるよ」

 笑顔でそう言うと、鈴女はドアを開けて外に出ていった。

 部屋に残ったのは、ランスとシイルと、蘭、そしてカオスだけになった。シィルはさすがにもう慣れっこなのか、この大騒ぎにも全く動じず、気持ちよさそうに寝息をかいている。蘭は布団にくるまったままこの騒ぎを白い目で静観していた。

「……想像以上の馬鹿だわ……。あんた……」

「あ? 何か言ったか?」

「なんでもない」

 蘭はそう言うと、寝返りをしてランスと反対の方を向いて寝てしまった。

「さて……、どうするか……」

 ランスは困った顔で頭をかいた。鈴女はああ言ったものの、興奮しすぎてしまって、もう眠気も覚めてしまった。

(茶でも飲むか……)

 ランスはそう思い立って、部屋の外に出た。部屋から出ると、ほころびた木の廊下があって、階段を下るとロビーと食堂があった。その食堂ではいつでも湯を沸かして茶が飲めるようになっていた。

(ふう……落ち着くぜ)

 ランスは一服しながら思考を巡らした。

(昨夜は久しぶりに宿に泊まったからな。ちょっと張り切りすぎちまった……)

 ランス一行は宿に泊まっていた。道中、道なき道を進むため、どうしても野宿になることが多くなってしまうが、昨日はたまたま通り道に宿があったため、ここに泊まることにした。金なら尾張を出る時に香姫に持たしてもらった金貨がたんまりとある。セックスも長いことご無沙汰だったため、大喜びでチェックインしたランスだったが……。

(まさか三人同時に求めてくるとはな……。さすがの俺様もフラフラになっちまったぜ……)

 それにしても……。

(JAPANに来るまではシィル一人だった供が二人も増えるとはな……。リアは何て言うかな……)

「……っと」

(そうだ……、リーザスには行かないんだったな。これからゼスに向かうんだ。なぜかって……?)

「お、ランス。寝てなかったでござるか? せっかく鈴女が鳥を全部追い払ってきたのに」

 玄関のドアを開けて、鈴女が中に入ってきた。

「あ……、ああ。うむ、俺様もモーニングティーとかいう高級な嗜みを身に付けてしまったのでな。朝一番でこれを飲まないと、朝が来た気がせんのだ」

(……鳥相手に激高しすぎて寝れんとか、恥ずかしくて言えんぞ)

「今の時間はアーリー・モーニングティーでござるよ。モーニングティーは朝食を食べてから昼食を食べるまでにするものでござる」

「ほ……、ほう、いや、アーリー・モーニングと言っていなかったかね?」

「言ってなかったでござるよ」

「ふむ、まあ、そんなことはいいのだ(こいつ一般的な知識は全く無いのに、なんでこんな雑学的なことには詳しいんだ?)」

「鈴女もお茶を飲むでござる」

 鈴女はそう言って、コップを取り、お茶を注いだ。

「ランスと二人きりで飲むお茶はうまいでござるな。にんにん」

「お……、おう、そうか」

 鈴女のことだから本当に感じたことをそのまま言っているのだろう。シィルのように少女趣味から来るわざとらしさが無い。だからこそ、ランスはこんな何気ない一言にどぎまぎしてしまうのである。かと言って、シィルが悪いというわけではない。彼女には彼女の良さがある。蘭は蘭で、普段は意地を張っているが、甘えてくると結構可愛いところがある……。

「今日でやっと天満橋を渡るのでござるな」

「ああ、そうだな」

「楽しみでござる……。初めての大陸……。ここも行って、あそこも行って……。夢は尽きぬでござるなあ」

「そうか……? どこも人間が必死で生活してるだけで、そんなに変わらんぞ?」

「ランスがそんな人間が出来たようなことを言うとは、意外でござるなあ」

「おっと、いや、違うところはあるな。女が違う。目の色とか肌の色とか、体つきとか、何もかもが違う」

「……やっぱりランスはランスでござるなあ」

 鈴女が呆れたような顔をして言った。

 ドタドタドタドタ……。

 二階の方で急がしい足音が聞こえた。見れば蘭が階段の手すりからこちらに呼びかけていた。

「ランス、こっちはもう着替え終わったよ。そろそろご飯食べて出発する?」

 そうだな……。

 

 宿を出てしばらく歩くと、赤い欄干の大きな橋が見えてきた。天満橋だ。第二級神アマテラスが架けたと云われるこの橋は、世界で唯一の大陸とJAPANを結ぶ交通の要所になっている。ありがたい橋だが、あまりにも大きすぎて、ランスたち一流の冒険者でも、渡るのに丸一日かかってしまう。

 JAPAN最強のくのいちの鈴女や、冒険慣れしているシィルと違って、蘭は体力的にかなりきついはずだ。道中は彼女に合わせて進んでいかなければならない。

「大丈夫か、蘭。少し休むか?」

 蘭はハァハァと息を切らせながら、なんとか付いて来ている。

「大丈夫よ、これくらい。意外と優しいのね」

 蘭は、ランスを見て少し嬉しそうな顔をした。

「フン、俺様は女の子には優しいのだ」

 ランスは腕を組んで威張って言った。

(ぐすん……、私にはそんな心配してくれたことないのに……)

 シィルは少し涙ぐんだ。

「ところでランス。私、大陸って初めてなの。どんなところなの?」

 蘭は一度話しかけてくれたランスを離すまいと、タイミングよく質問を投げかけた。ランスはこの質問に、顎を撫でながらしばらく宙を見て考え込んだ。

「そうだな……、広いな」

「何よそれ。そんなの当たり前じゃない」

 蘭はその答えに不満そうだが、存外そんなことはない。こうして話している間はランスを独り占め出来るのだから。

「それと、面白い奴が沢山いるな」

「えっ、ランスが面白いと思う人なんて女の子以外にいるの?」

 蘭は次々と矢継ぎ早に質問を投げかける。会話を終わらせたくない。こうしているだけで、胸がドキドキして幸せなのだ。

「おう。まずリックだろ? ガンジーのおっさんだろ? あと誰だ……女の子ばっかりだな。バレス……? なんか違うな」

 ランスは実は二人しか言っていない。しかし、蘭の頭の中には、大勢の素晴らしいランスの友人たちの姿が浮かんできて、それだけでウキウキしてしまう。ランスは女好きでどうしようもない奴だが、男らしくて魅力があって、なぜだか、ランスの友人たちはみんな素敵な人に違いないと思えてしまう。それだけ心の深層ではランスを信頼しているのかもしれない。

「ねえ、私、ランスの友達に会ってみたいな」

 いつの間にか蘭の疲れは吹っ飛んでしまっていた。呼吸もすっかり安定していた。それに気付いた時、恥ずかしすぎてランスの顔が見れなくなった。

「おう、これから会いに行くぞ。がはは。俺も大陸は久しぶりだ。蘭や鈴女みたいな可愛い女の子と一緒に帰ってこれて最高だ。がはははは!!」

 

(ひ~ん、また私が入ってない……)

 シィルが悲哀になった。

(やった、私の名前が先に出た!)

 蘭が有頂天になった。

(にんにん)

 鈴女の心がちょっと傷付いた。

 

 尤も、ランスからしてみれば、たまたまその時蘭と話していたから蘭の名前が先に出たというだけのことであろうが、蘭にとってはそれだけのことで、幸せを感じるのには十分なことだった。

「ほら、もうすぐ大陸に着くぞ」

「えっ!? もう!?」

 時間にして20時間ぐらいにはなるだろうか。それだけの時間をぶっ通しで歩き続けた。それにも関わらず、蘭が全く疲れを感じていなかったのは、ランスがずっと話し相手をしてくれたからである。

(ランスも疲れてるはずなのに……)

 しかし、ランスは平気を装っているのか、全く疲れを見せない。

(なんか、ランスって実はすごく優しいのかも……)

 なぜだか、早雲のことを思い出した。恋人として付き合っていたにも関わらず、相思相愛だったにも関わらず、いつも仕事のことばかりを気にして、全然構ってくれなかった。それなのに、たまに会った時にはすごく気にしてるような素振りばかりを見せてその実、他のことばかり気にして、全然私のことなんて気にしてない。それに比べて、ランスは正反対で、いつも女の子のことばかり考えているようで、実は困っている人を助けたり、悪い奴をやっつけたり。今だって私のことなんて全然気にしてない素振りで、実はすっごく気にしてくれてる。なんか、ランスが女の子にモテるの、分かる気がするな。

 実際のところは、ランスが女の子のことばかり考えているのは「ふり」ではなく、事実なのだが、蘭にはもはやそんなことは見えていない。

 「私の初めての人はランス」。最近、このことを考えると、不思議な幸福感を覚えるようになった。最初はすごく嫌だったのに。初めての人は早雲が良いと思ってた。でも今は、ランスがいい。

「おお~! でっかいビル群が見えてきたぞ! あれがポルトガルだ。大陸に帰ってきたぜ」

 ランスの声に反応して、蘭と鈴女は目を輝かせてその高層建築群を見る。JAPANでは考えられないような、発展した街並み、進歩した文明がそこにはあった。往来にはキラキラと着飾った人達が溢れて、宝石やら洋服やらアクセサリーの屋台に群がっている。その客たちを逃がすまいと、売り子たちが次々と可愛いもの、美しいものを客たちの手に渡していく。まず手に渡して、試させてから商談を仕掛けるのだ。そうするとお客は少なからず自分の手に入ったものが奪い取られるように錯覚する。こうするとよく売れるんだ。とランスが言った。

「へえ、あんたよく知ってるのね」

 蘭は素直に感心した。

「まあ、この国を治めてるやつとはちょっとした知り合いでな。商売のことはそいつに色々聞いたんだ。俺様は客と話してるとムカついちまうから商才は無いがな」

「ランスって……、すごいね……」

 蘭はぽつりと呟いた。

「あ? 何か言ったか?」

「ううん……。ね、私たちって今日はここに泊まるんでしょ? じゃあ、後で買い物付き合ってくれない? 私、大陸での買い物の仕方って全然知らないから」

 蘭は無意識の内に両手を胸の前に組んで、お願いするような形になった。ランスは威勢良く笑って言った。

「がはは! いいぞ。お前たちも毎日同じ服ばっかりじゃ居心地悪いだろうからな。服を買ってやる。とびきりエロい服をな」

「えー」

 3人の女の子たちは一様にランスを嫌な顔で見た。

 

 というわけで、ポルトガルの大きな洋服屋に来たランス一行。ドアを開けて店に入ると、店の女の子が「いらっしゃいませ」と挨拶をした。

「がははは! 君はなかなか可愛いな。俺のものにならんか?」

 ランスが女の子を見ながらそう言った。

「あははは……、ありがとうございまーす」

 そう言って、女の子は苦笑いをした。(何この客? 頭おかしいのかしら。その割には沢山の女の子を連れてるけど)

「きゃー、これかわいいー!」

 シィルが水色のツヤツヤしたワンピースを手にとって言った。

「おっ、それシィルに似合いそうでござるな」

「大陸の服ってなんか形がおかしいわね。着慣れないわ……」

 皆、思い思いに買い物を楽しんでいる……ように見えた。

「がははは! シィル、お前にはこの白いエプロンを買ってやる。フリフリのエプロンだ。裸でこれを着るのだ。お前はこれから裸エプロンで冒険だ!」

 店内にランスの大声が響き渡った。

「ラ……、ランス様……、それは……」

 シィルは顔を真っ赤にしながらランスの口を押さえた。

「むぐむぐ……」

 蘭と鈴女は顔を見合わせた。

「シィルちゃんも大変ね。ランスにああやっておもちゃみたいに遊ばれて」

「にんにん。そうでござるな。でもお似合いのコンビでござるよ」

「ぶはぁっ!」

 ランスが暴れてシィルの手を振りほどいた。

「おい鈴女! お前にはこのバニーガールの衣装を買ってやる! きっと似合うぞ。お前はこれからこれで冒険だ。 蘭、お前にはこの胸元までスリットが入ったエロいチャイナドレスを買ってやる。今日からこれを着て外を歩け! がははは!」

 店内が静まり返り、皆ランスたち一行に注目した。

「はあ……、なんか頭が痛くなってきたわ」

 蘭がおでこを指で抑えてそう言った。ランスがさらに続ける。

「おい、お前たち! ズボンは禁止だぞ。履くものはミニスカート限定だ。戦闘中にパンチラが見えんからな!」

「あ……、あんた戦闘中にそんなの見てたの!?」

 蘭が顔を真っ赤にしながらランスに怒った。

「なんだ? 見ちゃ悪いのか?」

「べ……、別に見たきゃ見ればいいけど、戦闘中に見るもんじゃないでしょ」

「がはは、俺様は戦闘中だろうが精力びんびんだ!」

 ランスは両手を腰に添えて胸を張って笑った。

「ねえ、やっぱりランスを置いて3人で買い物に行こっか」

「それはいい考えでござるな」

「わーい、女の子だけでお買い物。嬉しいな」

「ダメだダメだ! ほら、お前たち早くこの服を着ろ。俺様が持ってきてやったぞ」

 ランスがさっき言った衣装を手に持って来た。だが、女の子たちは既に外に出て行ってしまっていた。

「うがー! 俺様に無断で出て行ってしまうとは何事だ! 逃がさん!」

 ランスも外に出ようとしたその時、後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。

「あ、あんたランスやないか。JAPANから戻って来たんか!」

「ん?」

 ランスが振り向くと、そこには巫女のような衣装を着た女。コパンドンがいた。

 

「なんや、ランス、戻ってたんやったらウチに一報ぐらいくれればええやんか」

 ランスとコパンドンは店を出てすぐのカフェで向かい合ってお茶を飲んでいた。

「さっき天満橋を渡って帰ってきたばかりだ」

「そか、ならすごい偶然やったな」

 ランスは目の前に置かれた茶を啜った。そしてコパンドンを見た。以前より華やかになった感じだ。

「それより、お前はなんでこんな所にいたんだ? 商売が忙しいんじゃないのか?」

 それを聞いて、コパンドンはクスリと笑った。

「これも仕事のうちやよ。ウチ去年ポルトガルを買うたから、この国はもうウチのもんなんやよ」

「そうか、そりゃあ大変だな」

 ランスは興味なさそうにそう言った。コパンドンもその反応を予想していたようで、すぐに話題を変えてきた。

「ところで、シィルちゃんと一緒にいたあの娘たちは?」

「ああ、JAPANから連れて来たんだ」

「さよか。可愛い娘たちやったな。大切にしてるんやろ?」

「どうかな……」

 ランスは静かにそう言った。珍しく寡言な様子のランスを見て、コパンドンは微笑んだ。

「大事にしてる。分かるわ。だって、ウチとこうして話してても全然誘って来んしな」

 ランスは痛いところを突かれたような慌てた顔をした。

「フン。寝不足と、天満橋を渡ってきて疲れてるだけだ」

「さよか。なら、ウチ戻るわ。大事な仕事残してきてん」

「おう、またな」

「ランスはあの娘たちのことが気になるみたいやしな。ほな、また」 

 コパンドンはそう言って、手を振って出て行ってしまった。

「フン……」

 

 女の子たち3人は服飾の市場に来ていた。露店や屋台があちこちに立ち並び、商売を競っている。通りには人々が溢れている。雑踏の中に、売り子たちの大声が響く、賑やかな所だ。

「わあ、これ可愛い」

 蘭が金髪の若い美男子の売り子から手渡された金のアクセサリーを見てそう言った。

「蘭殿によく似合っているでござるよ。にんにん」

 お客のグループの誰かにこういうことを言わせれば、もう勝ったようなものだ。売り子は心の中でガッツポーズをした。

「でもこの金は本物でござるか? ちょっと触らせるでござる」

 鈴女はそう言って、そのアクセサリーを指先で触ったり、目を近づけて覗き込んだりした。

「ふむ、偽物でござるな。偽物はいらないでござる」

「えっ、お客さん、よく分かりますね」

 売り子は驚いてそう言った。

「金の真贋を見分けるのはくのいちなら一番最初の方にやる訓練でござる」

「へえ、今度僕にも教えてくださいよ」

 本当にたくましい売り子たちである。

「きゃあ、これも可愛い~」

 蘭が、今度は綿で出来た紺色のワンピースを手に取ってそう言った。

「自由に試着して下さいね」

 さっきとは別の女性の売り子がそう言った。

「はーい」

 蘭は試着室の中に入って行った。

「ランスがいないと買い物が捗るでござるな。にんにん」

 鈴女がシィルに言う。

「女の子同士でお買い物なんて、本当久しぶりです」

 シィルもランスからしばらく解放されて、存分に羽を伸ばしている。

 

 3人が宿に戻ってきた時には、もう夜になっていた。

「ただいまー。ランス、いる?」

 蘭たちがそう言いながら部屋に入ってきた。ランスはベッドに横になって尻を掻きながら魔法ビジョンを見ている。

「おう、遅かったな。待ちくたびれちまったぜ」

「ごめんね。買い物が楽しくって、遅くなっちゃった」

 ランスは立ち上がって魔法ビジョンを切った。

「よし、飯だ。飯にするぞ。俺様はお腹がペコペコだ」

「うん。それで、何を食べるの?」

「へんでろぱだ」

「えっ?」

 蘭はキョトンとしている。

「だから、へんでろぱだ。へんでろぱ」

「何? へ……?」

「そうか。蘭と鈴女は知らないんだったな。まあいい。とにかく行くぞ」

 

「ああ、お腹いっぱい」

 蘭は目の前に出された料理を全て平らげた。

「大陸の料理っておいしいのね。名前がちょっと変だけど」

「ふむ、へんでろぱというのは、こかとりすとほららの切り身と金魚を煮込んだものでござったか。なかなかの美味でござるな」

「そうだろう。俺様はシィルの作ったこれが大好物なのだ」

(ランス様……)

 その言葉を聞いてシィルが喜んだ。

(そうか……、シィルちゃんはこれでランスの胃袋を掴んでるのね。私も頑張らないと)

 蘭がやる気を出した。

 食堂の中はランプの火で照らされ、薄明るくなっていた。壁の木目が微かに見える程度だ。ロウソクの火は性的興奮を呼び起こすというけど、確かにランスの顔も昼間より魅力的に見えた。私もいつもより魅力的に見えてるのかな、と蘭は思った。

 4人は小さな円形のテーブルを囲んで、何気ない会話を楽しんだ。JAPANで誰がどうしてるだとか、大陸のあいつはどんな奴だとか。その中に、早雲の話も出てきた。「あいつのことはいいのか?」とも聞かれた。「ランスは彼の格好悪いところしか見てないけど、いつもはすごい人なんだよ」と言っておいた。でも、ランスの方がもっとすごいけど……。

 早雲を褒めた時のランスは、つまらなそうな顔をしていた。こいつもちょっとは嫉妬したかしら。

「はぁ……。早雲のこと忘れたいわ。あんたのせいで駄目になっちゃったし……」

 ランスはポリポリと頬をかいた。

(ほら、男だったらこんなこと言われたら放っておけないんじゃない?)

 蘭は、今日はランスが二部屋とっていたことを知っていた。普通に考えれば、ランスが一人部屋で、女の子3人が相部屋になるんだろうが、ランスのことだから誰かを部屋に呼ぶかもしれない。もしそうなら、自分が呼ばれたい。と蘭は考えていた。

 時間はいつの間にか9時を回っていた。もうすぐ消灯の時間だ。

「そろそろ部屋に戻るか」

 ランスたちは部屋に戻ることにした。去り際に、ランスが蘭を捕まえて言った。

「お前、あとで俺の部屋に来いよ。あいつのこと忘れさせてやる」

 蘭は、やった! と思った。

 その夜、鈴女とシィルの間にこんな会話があった。

「蘭さんが呼ばれましたね」

「にんにん。さすがは蘭でござる。交渉力7は伊達じゃないでござるなあ」

「私はもう慣れっこですけど……」

「鈴女は交渉力1でござるからなあ」

(ひーん、私なんて交渉力自体が無いですよ)

 そして、街は静寂に包まれた。

 

 ポルトガルを出発してから一時間ほど歩くと、そこはもう馬車のための街道しか人工的なものの無い、見渡す限りの荒野になった。空は快晴で、時折吹くそよ風が肌に心地良かった。ランスはグループの先頭をずんずんと歩いてゆく。振り返りもせず、前だけを見て。

「……」

 シィルも、鈴女も無言だった。

 シィルはランスとの冒険歴が長い。彼の冒険の仕方がよく分かっているはずだ。鈴女は、忍者の里で厳しい訓練を受けているから、多少の苦労や理不尽はものともしないだろう。しかし、蘭には、どうしても理解し難いことがあった。何か理由があるんだろうと、ここまで何も言わずに付いて来たが、どうしてもこれだけは聞いておきたい。大事なことだから。

蘭は、すうっと深呼吸をして、きっと真剣な表情をすると、意を決してランスに声をかけた。

「ねえ、ランス」

「ん?」

 ランスは首だけをちょっとひねって、こちらを見た。歩みは止めないままだ。

「あの……、どうして馬車を使わないの? お金はあるんだし、馬車で行った方が早いし楽だと思うんだけど……」

 そう言うと、ランスは哀れな者でも見るような目をした。そして、フッと馬鹿にしたように笑った。

「分かってないな、お前は」

「な……、なによ?」

 蘭は一瞬、自分がおかしなことでも言ったのかと思って、恥ずかしくなった。

「馬車ってのはな、太った商人とか、半裸の踊り子とか、役に立たない戦力外のキャラが乗るものなんだよ。どう考えても俺様が乗るものではない」

 その答えを聞いて、蘭は面食らった。

「あ……、あんた一体いつの時代の話をしているのよ……」

「そうだな。俺様がリーザスで大活躍をしていた頃の話だ」

 ランスは気障っぽくポーズを取って言った。

「……とても話についていけないわ」

 

キャアアアア!!!

 

 その時、耳をつんざくような悲鳴がどこからか聞こえた。

「何!?」

 その悲鳴の出処を、鈴女が一番に見つけた。荒野の向こうに、高級そうな馬車と荒くれたちの集団が見えたのである。

「大変! 助けないと!」

 蘭が、ランスの方を向いて叫んだ。

「鈴女が先に行って来るでござる! にんにん!」

 鈴女は疾風のような速さで目標に向かって行った。

「ランス様!」

 シィルもランスに鈴女を追うように促す。

 ランスはニヤリと笑って言った。

「おう、分かっている。あの悲鳴は可愛い子ちゃんに違いないぞ。イッヒッヒ……」

「あんたって……」

 蘭が呆れて言った。

「とにかく、鈴女だけでは心許ない。早く追うぞ」

「はい!」

 ランスと蘭とシィルも鈴女を追っていった。

 

 馬車は無残にも横転させられてしまい、中の者が逃げられないようにされてしまっていた。その馬車の中を、モヒカンの荒くれがナイフをチラつかせながら覗き込んでいる。中にいたのは、美しいドレスを身にまとった一見して高貴の出と分かる貴族の女性だった。モヒカンとは別のギョロ目の荒くれが彼女に言う。

「ケッケッケッケ、大人しくしてれば痛いことはしないよん?」

「クッ……」

 ドレスの女性は、悔しさのあまり歯噛みをした。

「あら、可愛い顔。その顔が苦痛に歪むところが見てみたいわん」

 語尾にハートが付きそうなオネエ言葉で荒くれは言う。

「私を……、どうするつもりだ……!?」

 恐怖に耐えながら、声を振り絞って聞く。

「そうねえ……。別に殺す気は無いわ。貴族を殺すと大変だから。でも、ちょっと私たちのアジトに来て裸踊りぐらいはしてもらおうかしら。そのあと、ついでにちょっとだけ可愛がってあげる」

 そう言ってギョロ目の荒くれは、クククと楽しそうに笑った。

「貴様……!」

 腹の底から怒りの声を絞り出した。しかし、それ以外の物は何も出せない。彼女は丸腰だった。

「ククク……、反抗しても無駄よ。大人しく付いて来なさい。痛いことはしないから。本当よ。ちょっとだけ監禁されていて欲しいだけ……」

「クッ……」

 荒くれは、彼女を捕まえようと馬車の中に手を伸ばした。そこへ……。

「何をしているでござるか?」

 鈴女が横からひょいと現れた。

「ひっ……!」

 ギョロ目の荒くれは驚いて反射的に手を引っ込めた。

「もしかして、悪いことをしているのでござるか?」

 鈴女はなおも無邪気に聞く。

「な……、何よあんた? 何者?」

「悪者に名乗る名は無いでござる。そっちこそ何者でござるか?」

「わ……私たちは……、そうね……、え~っと……」

 ギョロ目の荒くれは返答に詰まった。

「な……、何なのよこの子。この状況がよく飲み込めていないのかしら……」

 そして、部下にこう命じた。

「いいわ、あなたたち、この馬鹿をやっておしまい!」

「へい!!」

 部下たちは喜んで掛け声を上げた。いずれも筋骨隆々の数十人の荒くれたちに殺気が漲る。中には舌なめずりしている者もいる。確かに、状況を見れば、丸腰の貴族の娘に、おかしな娘が増えただけのことである。驚異になるどころか、獲物が増えたようなものだ。しかも、頭が弱いとはいえ、中々の上玉だ。犯してやる。その場にいた荒くれの誰もがそう考えたことだろう。しかし、次の瞬間彼らは自分の考えが甘かったことを知る。

「おう、悪者でござるな。それなら遠慮はしないでござる」

 鈴女がそう言って足を踏み出した瞬間に、一番大きくて強そうな荒くれの首が飛んだ。

 ぼとり。嫌な音を立てて地面に落ちる首。

「ひ……、ひいっ……」

 荒くれの集団は一瞬にして怯んだ。無理もない、彼らの誰ひとりとして、さっきの鈴女の動きが見えなかったのである。

「お……お頭!!」

 彼らは浮き足立った。そして、頭であるギョロ目に縋った。

「な……何なのよ、この子! 想定外にも程があるわ……!」

 その時、ランスたち3人が、鈴女に追いついて来た。ランスが大声で言う。

「おい、鈴女、あんまりむやみに殺すなよ。そいつらにはたっぷり情報を話してもらわないとならんからな」

「承知したでござる」

 そう言って、鈴女が小刀を構える。すると、荒くれたちには少女であったものが鬼のように見えた。

「あ……、あんたたち! 逃げるわよ! 早く!」

 頭がそう指示すると、荒くれたちは全速力で駆け出して逃げていった。

「追うでござるか?」

 鈴女がランスに指示を仰いだ。

「いや、いい。俺たちには関係のないことだ」

 ランスはそう言って、赤いドレスの女性がいる馬車の中を覗き込んだ。

「大丈夫だったか?」

「は……はい。ありがとうございます」

(ほう、なかなかの美人だ。少しカールのかかった黒髪に小麦色の肌。長い睫毛に大きな褐色の瞳。エキゾチック美人というやつだな)

 女性は、胸を抑えて、戸惑っている。まだ恐怖で心臓の鼓動が収まらないようだ。

「それでお礼の件だがな……」

(また始まった……)

 蘭は思った。

「は……、はい、命を助けられたのですから、どのようなことでも致します」

 それを聞いてランスはニヤリと笑った。

「そうか、それではここで裸踊りをしてもらおうか。そのあと、ついでにちょっとだけ可愛がってやる」

 女性は立ちくらみがしたのか、倒れてそのまま気を失ってしまった。

「……」

 ランスは意表を突かれて黙った。

「どうするでござるか? これ?」

 鈴女がランスに聞いた。

「そうだな。ここに置いていくわけにはいかないからな。とりあえず、ポルトガルまで運んでくぞ。その後のことはそれから考えよう」

「了解でござる」

 ランス達一行は、謎の女を連れてポルトガルまで引き返すことにした。

 

 今朝まで宿泊していた宿に戻り、事情を話して部屋を貸してもらうことにした。宿主は、「客室はもうベッドメイキングが終わっているのでお使い頂くことが出来ませんが、従業員専用の間なら使って頂いて構いませんよ」と言った。

「おう。十分だ」

 ランスはそう言って、案内された部屋に入ると、彼女をベッドの上に下ろした。彼女の身体は力なくベッドの上に横たわった。

「貴族の娘さんですな」

 宿主は一見して言った。

「往来を盗賊に襲われるとは、運が悪い。いや、お客さん方にとっては運が良い事になるのかな。家に送り返せばたんまりと謝礼がもらえますよ」

 宿主はそう言って部屋を出て行った。

「……フン、金が欲しいならはっきりとそう言えばいいのだ」

 ランスは先程宿主が出て行ったドアを睨みつけて独りごちた。

「それにしても、どうしたんでしょうね? この人……」

 シィルが言った。

「知らん。それに、俺様たちには関係の無い話だ……」

「でも、いいの? 綺麗な人だけど……」

 蘭が、これだけの美人を前にして冷たい態度を取るランスに違和感を覚えてそう言った。

「お礼はしてもらう。だが、俺様たちが関わるのはそこまでだ。正直、俺様だってこれだけの美人を一度だけで放流(リリース)するのは惜しい。だが、今はそれどころじゃないんでな。一刻も早く先を急ぎたい」

「ねえ、ずっと気になってたんだけど、私たちって今どこに……」

 蘭が疑問を口にしようとした時、鈴女が人差し指を口に当てて、それを遮った。

「しぃっ、静かに。どうも起きたようでござるよ」

 鈴女はそう言うが、蘭が彼女を見ると、どう見ても寝ているようにしか見えない。

「起きているでござるな。盗み聞きでこちらの情報を探ろうとするのは良くないでござるよ」

 そう言うと、彼女は観念したように目を開けた。

「ごめんなさい。ただ、あなた達のことが知りたくて。他意はないの」

「……」

 彼女はしばらく黙って考え込んだあと、自己紹介を始めた。

「助けてくれて本当にありがとう。私の名前はベラドンナ。ポルトガル貴族です」

「……」

 そして彼女は申し訳なさそうにランスの方を見て言った。

「あなたには特にごめんなさい。最初、あなたの冗談が分からなくて、怖くて気を失っちゃったわ」

「冗談じゃないぞ」

「そう、本当に冗談じゃないわよね。私ったら、お馬鹿さん。あなたのような良い人があんなこと本気で言うわけないじゃない」

「俺様は至って本気だ」

「……」

 彼女はコホンと一つ咳払いをして、シィルたち女性陣の方を見た。そして言った。

「あの……、このお方は、何かの病気の療養中なのかしら?」

 シィルは引きつった笑顔で、「あの……、あの……」と後に続く言葉を探している。蘭は顔を隠して笑いを堪えていた。

「そうですわよね。言いにくいことでしたら別に言わなくても構いませんのよ」

「おい」

 名をベラドンナといった女性はランスを無視して話を続ける。

「私は一度家に帰ります。あなた方にもお礼を差し上げなくては。ここまでお世話になっておいて恐縮ですけど、ご一緒に来ていただけませんか?」

「おい、そんなことより……」

 蘭がランスを右手で制止しながら言葉を挟んだ。

「もちろんです。あんなことがあった後で、一人で家に帰るのは危険です。ご自宅までは私たちがしっかりとお守りします」

 蘭の力強い言葉を聞いて、ベラドンナは嬉しそうに微笑んだ。

 

「あなた方はお優しいんですのね。それに、お強いわ」

 ベラドンナは帰りしなにそう言った。

 ポルトガルの街路は、石畳で綺麗に整備されていた。言うまでもなく、馬車が走るためだ。だが、彼女の馬車は荒野に置き去りになっている。そのため、ランス達は歩いて彼女を家まで送って行く。

「すみません。遠いですわよね。もうすぐですから、あと少しだけご辛抱くださいな」

 彼女はそう言って、どんどん街の外れの方に進んでいく。商業都市ポルトガルはこの世界屈指の大都市であるが、中心からこれだけ離れると、自然に囲まれた閑静な住宅街も増えてくる。予想はしていたが、豪華な邸宅が立ち並ぶ高級住宅街の中心に彼女の家はあった。

「今、人を呼びますわ」

 彼女は門の呼び鈴を鳴らした。門の向こうには馬を存分に走らせることが出来そうな大きな庭が広がっていた。使用人が毎日手入れをしているのだろう。花壇に植えられた色とりどりの花が来客の目を楽しませていた。しばらくすると、中から執事服を着た初老の男が出てきた。鍵を使って門を開け、背筋をしっかりと伸ばして、主人と来客を迎え入れる。

「ありがとう。父はいるかしら?」

 執事服の男は、「はい」と短く返事をした。

 邸宅の玄関をくぐると、場違いなほど豪華な光景が広がっていた。赤い絨毯にシャンデリアに、ゴシック調の重厚な調度品だ。しかし、そんなことはランスたちにとってはどうでも良かった。

「よし、ちゃんと家まで送り届けたな」

 ランスがそう言ってベラドンナに確認した。

「はい、本当にありがとうございました。今、お礼を……」

「そんなものはいい。それより、一発やらせろ」

「はあ……」

 ベラドンナは力なく返事をした。

「そんなに、なさりたいんですの?」

「おう、俺様は既に戦闘準備万端だ」

 ランスはそう言って下半身を突き出す。

(うっ……、何て奴……)

 蘭が眉をしかめた。ベラドンナが言う。

「そこまでおっしゃるなら、いたしましょう。でも、その前にひとつお願いを聞いてくださらない?」

「ふむ、なんだ?」

「私の頼んでいた護衛たちが、さっきの事件で皆いなくなってしまったの。あなたたちが代わりに、私をリーザスまで送り届けて下さらない?」

「ほう? リーザスのどこだ?」

「リーザス城までです」

 それを聞いてランスは驚いた。リーザス城と言えば、あのリア女王の居城だ。

「なんだ。リーザス城に行くところだったのか」

「はい」

「リアとは知り合いなのか?」

 ランスがリアと呼び捨てにしたのを聞いて、ベラドンナは少し驚いた顔をした。

「はい、リア女王様とは十年来のお友達でございます」

「なんだ、そうだったのか」

「……送って、いただけますか?」

 ランスは首を振って、「いや、ダメだ」と言った。「今はそんな余裕はない」

「あら、そう……」

 ベラドンナは残念そうな顔をした。

「悪いが一つ頼みたいことがある」

「何かしら?」

 ランスは胸のポケットから紙を一枚取り出して、ペンを使ってすらすらと文字を書いた。そして、彼女に手渡した。

「これをリアに渡してくれ。ランスからだと言えば分かる」

 ランス、という名を聞いて、彼女は目を見開いた。

「ランス……、あなた様があのランス様でしたの?」

「なんだ? 知ってるのか?」

「リア様からよくお話で伺っております。素晴らしいお方だと……」

「ほう。リアの奴もよく分かってるじゃないか。ガハハハハ!」

 ランスから渡された紙は封筒に入っているわけでもなく、見ると汚い字で「かえってきたぞ ランス」と書かれてあった。

「これをリア様にお渡しすればよろしいのですね」

「そうだ。頼んだぞ。ガハハハハ」

「はい。確かに承りました」

 ランスは話を終えると、マントを翻して出口の方を向いた。

「お待ちください。助けて頂いたお礼をまだしておりません。せめてお金だけはお持ちになって」

 

 ランス達はベラドンナから謝礼としてのお金を受け取り、再びポルトガルを出発した。心地よい陽気の中、今度は何事もなく、次の目的地であるMランドに向けて、順調に歩みを進めていった。途中、蘭がランスに聞いた。

「あの人のことは、あれで良かったの? 珍しいわね。あんたがお金だけ受け取って出てくるなんて」

 ランスはこう答えた。

「ああ。リアの友達なら、リーザスに行った時にでもリアに言って呼び出させればいいだけだからな。これでベラドンナちゃんとはいつでも出来るぞ。ガハハハハ!」

「呆れた……」

 蘭は肩を竦めて言った。

 Mランドは、初代園長・運河優太が設立した娯楽都市だ。この国全体が遊園地になっている。巨大なジェットコースターや観覧車が都市外からも見ることが出来、それらを見ていると大人でもワクワクしてきてしまう。財政危機であった折にコパンドンに買収され、現在はコパンドンがこの国のオーナーになっている。

「ねえ、ランス?」

 蘭がランスに呼びかけた。

「何だ?」

「あれ……、何?」

 すぐ先に見える巨大な観覧車を指差して言う。

「ああ、お前は知らないのか」

「知らないわよ。あんなのJAPANに無いもの。ね、鈴女ちゃん?」

「ういうい、鈴女も知らないでござる」

「そうか、それではこの俺様がお前たちに教えてやる」

 ランスは腕を組んで誇らしげに言った

「あれは観覧車というものだ。あれに乗って高いところからの眺めを見るととても気持ちがいいのだ。あれはジェットコースターだ。あれに乗って高いところから落ちたり、グルグル回ると、とても怖いのだ」

「へえ……」

 蘭と、鈴女は感心している。シィルはその様子を見て笑っている。

「ねぇ……ランス? あれ乗っていい?」

 蘭が甘えるような声でランスにそう言う。上目遣いで。

「お……、おう、いいぞ……」

 ランスは照れた。

 

 観覧車には待たずに乗れた。4人一緒に車両に乗り込む。ランスはシィルと隣り合って座り、向かいの座席に蘭と鈴女が並んで座った。座るといっても、子供がやるように座席に膝をついて、窓から外を眺めているのであるが。

「楽しいですね。ランス様」

 シィルが隣りのランスにそう言った。

「ふむ、たまには観覧車もいいものだ。何より、蘭のパンツが見えそうだ。ふとももがむっちりしていてとても良い」

「ス……、スケベっ!」

 蘭はスカートの裾を押さえた。

「お、上がっていくでござるよ」

 観覧車はゆっくりと高いところに上がっていく。

 地平線の位置がずりずりと下がって行き、荒野の中に周囲の都市の姿が浮かんでくる。まず見えたのは、北にあるジオの街だ。そして、反対側にはランスが聖魔教団の遺跡を落として出来た都市、闘神都市がある。

「わあ、きれ~い……」

「観覧車とはいいものでござるな。にんにん」

「ランス様……」

 シィルはランスの腕に絡みついた。

 こうして、楽しいひと時は一瞬にして終わり、観覧車は地面に戻ってきた。

「あ、今度はあれ乗ってみたい」

「鈴女も行くでござる」

 蘭と鈴女は、ジェットコースターに向けて駆け出して行った。

「ランス様……、楽しいですね」

 シィルはランスとの楽しい時間を満喫している。 

 ……。

 やはり大陸はいい。こうしていると、JAPANで命をかけて激しい戦争を戦っていたのが嘘のようだ。ただ、蘭と鈴女がここにいるという事実だけが、あれが現実だったということを証明している。蘭と鈴女……、俺様に惚れてJAPANから付いてきてしまった二人の女だ。正直、俺様に惚れてる女を3人も連れて歩くというのは未知の経験だった。今のところは仲良くやっているようだが……。

 しばらくすると、蘭と鈴女がジェットコースターを乗り終えて戻ってきた。

「うう……、気持ち悪い……」

「にょほほほ。楽しかったでござる」

 蘭はフラフラになっているが、鈴女は上機嫌の様子だ。

「そろそろ、宿を探しに行くか」

 宿は遊園地の中にあるようだが、どこにあるか分からない。そう思っていたら、「こっちでござる」と鈴女が案内してきた。こういうところはさすが忍者だ。目ざとい。すぐさま部屋を確保して、食堂に向かう。

「ねえランス? 今日は何を食べるの?」

 蘭が聞いてきた。

「ふむ、今日は山田くんだ」

「や、山田くん?」

 聞いて、蘭が一瞬固まる。無理もない。JAPANの人間にとって「山田くん」といえば人名以外に考えられない。

「うむ、こんがり山田くんだ」

「ひ……人?」

 蘭が続けて聞く。

「人じゃないぞ。俺様もよくは知らんが、どうやら人ではないようだ。うまいぞ」

 それを聞いて、蘭がホッとした様子で胸を撫で下ろした。 

「ホッ……、良かった、人じゃないのね……」

 食堂でこんがり山田くんを食べた。こんがり山田くんは美味かった。それにしても、山田くんとは何なのだろうか。モンスターだろうか。ここでは深く考えないでおく。

 そんなことよりも、ランスには大きな問題があった。

(ふむ、今日は誰と寝るか……)

 という問題である。今夜も昨日と同じように二部屋取った。正直、もう4Pは勘弁願いたい。最初は俺様のことが大好きな3人の可愛い女の子とハーレムプレイでガハハ、グッドだー! だと思っていたのだが、実際するとこれが意外ときつい。やはりエッチは一人づつするのがいい感じだ。だが、そうなると誰を部屋に呼ぶかという問題が生じてくる。昨日は蘭ちゃんとやったが、今日も蘭ちゃんとやってもいい感じだ。でも、鈴女も捨てがたいし、シィルも良い。これは困ってしまったぞ。ガハハ、もてる男はつらい。

 ランスがそんなことを考えていたら、蘭と鈴女が「じゃあ今日は疲れたから部屋に戻るね、おやすみ」と言って、さっさと部屋に帰って行ってしまった。そして、シィルとランスが二人、食堂に残された。

「ランス様……」

 そう言って、シィルは頬を紅潮させて、上目遣いにランスを見てきた。なんだか遊園地にいる時から、今日のシィルは異常に可愛い。なんだ、女の子同士で談合でもしているのか。とランスは思った。よし、今日はシィルとするぞ。ガハハ、グッドだー!

 お馴染みの音楽が鳴りながら、夜が更けていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一部 第二章

 Mランドを出発し、レッドの街を通過する。レッドの街は全体が赤レンガで出来た個性のある街だ。蘭と鈴女が「面白い建物ね(でござる)」と言ってキョロキョロ街を見回していたが、ここには伝統工芸のしゃもじとセルさんの教会ぐらいしかないので、さっさと通り抜ける。

 レッドの街を抜けてしばらく進むと、今度はラジールの街に着く。ラジールの街にはマリアの秘密工場があるが、今は特にマリアをこます必要は無いので、通過する。

 カンラの街に着いたところで、さすがに足に限界が来た。今夜はここで宿をとることにする。

「おい、おやじ」

 ランスが宿の受付で部屋を二部屋予約する旨を伝える。

 その時、カウンターのすぐ近くにあった階段から、薄緑色のローブを着た見知った顔の女が降りてきた。長い真緑の髪の毛に、濃紺の三角帽子とマントを身につけている。ランスはすぐにこの女のことに気付いた。

「おっ、お前、志津香じゃないか」

 志津香と呼ばれた女は、ランスを見て露骨に嫌な顔をした。

「うっ、ランス……。嫌な奴に会ったわ……」

「おう、お前もここに泊まっていたのか、どうだ、今夜俺様の部屋に来んか?」

「いっ……、行くわけないでしょ!」

 志津香は顔を真っ赤にして言った。

「ほう、じゃあ、一緒に飯でも食わんか?」

「…………嫌」

 そう言って、志津香は出て行ってしまった。

「あの魔法使いの子ですか? 何やらこの近くの洞窟で武者修行をしているみたいですよ。ええ、ここ数日はいるんじゃないですか」

 宿の主人はそう言った。

 蘭は、彼女のことが少し気になったが、ランスのことだからこんなことをいちいち気にしていても始まらない、と思い、気にしないことにした。

 夕食を食べている時に、ランスが「明日は俺様の地元、アイスの街を通るぞ」と言った。JAPANでもよく使われている、世色癌を作っているハピネス製薬の本社もあるという。あまり興味はないが。

 

 翌日、カンラの街を出発して、アイスの街に到着した。ランスは、アイスの街でキースギルドに立ち寄った。

「よう」

 ランスがキースにそう挨拶すると、キースは驚いて立ち上がった。そしてランスの方に駆け寄ってきた。

「おお、ランス。久しぶりだな。JAPANでは大活躍していたみたいじゃないか」

 そう言って、キースはランスの肩を叩く。

「フン、この俺様なら当然のことだな」

 キースとは、ランスが所属している冒険者ギルドのボスで、口周りから顎にかけて髭を生やしたスキンヘッドのちょい悪おやじだ。いつも派手な毛皮のガウンをまとっていて、光りもののアクセサリーを沢山身に付けている。

「それで今日は何をしに来たんだ?」

「ゼスの情報が聞きたい」

 ランスがそう言うと、キースは少し戸惑った。

「ゼス……、いや、特に何も情報は入っていないが……」

「そうか、それならいい。邪魔したな」

 ランスがそう言って外に出ようとすると、キースが思い出したようにポンと手を叩いた。

「そうだ、ゼスに行くなら海を渡って行くんだろう。今、海には恐ろしい怪物が出てるって話だぜ。気を付けろよ」

 怪物……? ランスはキースに聞く。

「それはどんな怪物だ?」

「俺もよくは知らねえが、クラーケンっていう怪物らしい。そいつのせいで、海を渡れねえってんで、ゼスへの定期便も出てないみたいだぞ」

「そうか。まあ、どんな怪物だろうと俺様たちには関係ない。倒して進むだけだからな」

 ランスのこの言葉を聞いて、キースはにんまりと笑った。

「そう言うと思ってたぜ。実はクラーケン退治の依頼がうちに来てたんだ。他にこんな依頼を受ける奴はいねえから、あんたらが戻ってきてくれて助かったぜ。漁協には船を出してくれるように、俺の方から話つけておくから、安心して行ってくんな」

「うむ」

 ランスはキースギルドを出て、港町ジフテリアへと向かった。

 

 港町ジフテリアからは、川中島行きの定期船が出ている。川中島は、自由都市地帯からゼスへ行くための中継点であるが、大陸最大の宗教団体・AL教の本部もここにある。毎日、大勢の信者たちが川中島に礼拝に訪れるが、今は恐ろしい怪物が出ているため、信者たちの姿もまばらで、ジフテリアの町も寂れた様相を呈していた。

「……思ったよりひどい状況みたいね」

 蘭が、辺りの様子を見渡して言った。

「ああ、船が出せなきゃ港町なんて何の価値も無いからな」

 ランスが腕組みをしながら言う。

「早く怪物をやっつけて、いつもどおり船が出せるようにしてあげましょう」

「うむ」

 ランス達が漁協に着くと、漁師たちは皆昼間から酒に溺れていた。

「うっ……、酒くさい……」

 蘭が鼻をつまんだ。

「おい、貴様」

 ランスが、手近にいた酔っ払い漁師の胸ぐらを掴んで、無理やり立ち上がらせた。

「うい~っ……、なんだいあんた?」

「俺様は、ランス様だ。ここの頭はどこだ?」

 そう言うと、酔っ払いは急に正気に返って、身なりを正して、ランスを迎え入れた。

「おっ、おおっ、あんたが、あのランスさんか。話は聞いてるよ。怪物をやっつけてくれるんだって?」

 漁師は酒に強い。どうやら酔っ払っていたように見えたのは、酒代を節約するために、無理やり酔っ払おうとした成果らしい。

「漁労長は奥だよ。早く行ってやってくんな。いやー、良かった。みんな船が出したくてウズウズしてたんだ」

 ランス達は奥に進んで、漁協の長に会った。漁協の長は色黒でしわくちゃの気難しそうな老人だった。とはいえ、筋肉質で体付きは良く、さすがは現役で漁をしている漁師といったところだ。

「あんたがランスさんか。話は聞いてるよ」

「おう、俺様がランス様だ。怪物のことは俺様に任せておけ」

 ランスが力強く、胸に拳を当てて見栄を切った。が、漁協の長である老人は疑わしげにランス達4人を順番に値踏みするような目で見回した。

「なんだ、女の子たちばっかりじゃないか。船は出せないよ。こっちも死人は出したくないからな」

「な……、なんだと!!」

 ランスは目を逆三角形にして、漁協の長を睨みつけた。

「睨んでもダメダメ。あんたは強そうだけど、他はてんで弱そうだもん。ってか、あんたたち何、大道芸人? 売名目的で来たんでしょ? うちはそういうの間に合ってるから、帰ってくれない?」

「こ……、このジジィ!!」

 ランスは固く握りこぶしを作って、今にも振り下ろさんばかりにぶるぶると震えている。蘭とシィルがランスにしがみついて、それを必死に止めた。

「なんだい? 文句あんのかい? うちは元々冒険者ギルドなんて信じてなかったけどね。まさか、あんたらみたいなのを寄越すとは思わなかったよ。文句言いたいのはこっちだよ。ほら、もうさっさと帰ってくんな」

「ムキーーーッ!!」

 興奮しているランスを抑えながら、蘭が口を開いた。

「あ、あの、私たちこう見えても、それぞれが特殊なスキルを持った優秀な冒険者なんです。どうか、話だけでも聞いていただけませんか?」

「あ? 話聞くだけならいいよ。なんだい? 言ってみな」

 ランスが少し落ち着いたので、蘭とシィルが抑える手を離した。ランスは服装の乱れを直し、蘭は襟を正した。

「場合によっては私たちでも怪物を何とか出来るかもしれません。怪物の特徴を教えていただけませんか?」

「ああ、いいよ」と言って、老人は怪物について語り始めた。

「奴の名前はクラーケン。巨大なイカの怪物だよ。大きさは二十メートルぐらいはあるかねえ。航海してると海の中から突然現れて、船に絡みついてくるんだ。どんな優秀な航海士も奴に出会ったら最後、船は沈められて、乗組員は全員、帰らぬ人になっちまう」

 それを聞いて、蘭はゴクリと唾を飲み込んだ。ていうか、無理じゃない? と思った。

「がははは! なんだ、お前たちはそんな雑魚に恐怖していたのか? 俺様は魔人殺しのランス様だぞ。そんな大きめのイカマンなど俺様の敵ではない!!」

 ランスが偉そうに言う。

「あーあー、分かった分かった。あんたらが法螺吹きなのは分かったから、さっさと帰ってくれ」

 もうランスと話すのが嫌になったのか、老人が厄介払いをするように手の平の裏をランスたちに向けて上下に振って言った。

 

 蘭はランスを漁協の外に連れ出して言った。

「ねえ、カンラの街に戻って、あの魔法使いの女の子に協力を頼んでみない? 彼女、強いんでしょ?」

「何? 志津香をか? 必要ないだろ? ちょっと大きめのイカマン程度」

 ランスは眉を顰めて言った。

「二十メートルはちょっと大きめの範疇に入らないわよ。それに、魔法攻撃が出来る人が少しでも多い方がいいわ。きっとイカには鈴女ちゃんの手裏剣攻撃も効かないし……」

 その時、シィルも珍しく意見を述べた。

「あの……、ランス様。マリアさんも誘ってみてはいかがでしょう? きっと力になると思います」

「よし分かった。お前たちがそこまで言うなら、カンラの町とラジールの街に行って、志津香とマリアを呼んでくるぞ」

 そう言ってランス達は早速、ジフテリアを出発した。

 

 とりあえず、ジフテリアの町からカンラの街へ向かう。街道を歩いて、アイスの街を通過する頃には、もう日は暮れかけ辺りは薄暗くなっていた。今は季節的には暖かい時期だが、日が暮れると少し肌寒い。さらに歩き続け、カンラの街の宿に到着した頃には、もう真っ暗になっていた。

「はぁ……、疲れた」

 蘭がため息をついて、ロビーのソファーに腰を下ろした。鈴女とシィルも蘭にならって座った。ランスはカウンターにチェックインの手続きをしに行った。と思ったら、ランスが戻ってきて、猫にするようにシィルの首根っこを掴んで立ち上がらせた。

「おい」

 ランスが呼ぶと、シィルは苦笑いを浮かべて「はい?」と返事をした。

「なぜ、俺様がチェックインの手続きをしている」

「はい」

「はい、じゃない。よく考えたらチェックインの手続きなど奴隷の仕事ではないのか?」

「えーっと……」

 シィルは首を傾げて、可愛げのあるポーズを取った。

「えーっと、じゃない! 俺様はここで座って待ってるから、早く行って来い!」

「は……はい~!」

 返事をすると、シィルは駆け足でカウンターに向かった。

「ふう……、しょうがない奴隷だ……」

 ランスはソファーに深く腰を下ろして、足を組んで言った。蘭はそんなランスをじっと見ていた。シィルとランスとの出会い、シィルがランスの奴隷になった経緯、そんなことはシィルから聞いていた。でも、ランスがシィルのことを女性としてどう思っているのか、それは分からなかった。多分、特別な好意を持っているんだろうとは予想がつくが。

「ねぇ、ランス……」

 蘭が、ランスを呼んだ。

「ん? なんだ?」

 ランスが首を動かして、蘭の方を見る。

「あの……、シィルちゃんのことは……」

 聞こうとした時、ちょうど玄関のドアがバタンと音を立てて開いて、濃紺の三角帽子に、緑髪の見覚えのある女性が入って来た。

彼女は、ランス達の姿を見て、びっくりしたような顔をした。

「あら……、あんた達まだいたの?」

 嫌がっているような、喜んでいるような微妙な声調でそう言う。

「おう、志津香、帰って来たか。いや、朝からジフテリアの町まで行って戻ってきたところなんだがな」

 志津香は「はぁ」と気の抜けたような返事をした。

「海にちょっと大きめのイカマンのような怪物が出るらしくてゼスに行けんのだ。協力してくれ」

「は?」

 志津香はランスの言っていることがよく分からない様子だ。眉間に皺を寄せて、ランスの顔を見る。

「何言ってるの? ちょっと大きめのイカマン? そんなんあんた達でやっつけりゃいいでしょ」

 ランスが口をへの字に結んで、首を横に振る。

「それがな、そうもいかんのだ。どうやらえらい強いイカマンらしい」

「えらい強いイカマン? イカマンなんて強くてもたかが知れてるでしょ。大王イカマンなの?」

「いんや、大王イカマンじゃあない」

 ランスはまたも否定する。

「あんたが何を言ってるのかよく分からないわ」

 そこへ、シィルが戻ってきた。

「あ、志津香さん」

 志津香がシィルを見て、にっこりと笑う。

「あ、シィルちゃん。元気だった?」

「はい、志津香さんも元気そうで何よりです」

 志津香はふと、視線を蘭と鈴女の方にやった。

「そういえば、今日は別の娘も連れてるのね。これからみんなで食堂に行きましょうか? 一緒に食事でもしながら話がしたいわ。ランスの言っていることも要領を得ないし……」

「いいですね、行きましょう。私も志津香さんとお話がしたいです」

 シィルが嬉しそうに言った。そんなシィルにランスが後ろからゲンコツを一つ落とした。「お前が決めるな!」

「きゃっ……、ランス様、ごめんなさい」

「ふぅ、本当に子供なんだから」

 そんな二人の様子を見て、志津香が呆れ顔で言った。

 

 食堂は宿の一階にある。木目の壁に、木のテーブル、掃除のしっかりと行き届いた、なかなか雰囲気の良いレストランだ。

ランス達と志津香は卓に着き、薄いメニューをパラパラとめくった。

「食事代はもちろんあんたの奢りよね?」

 志津香が、メニューに目をやりながら言った。

「は? なぜそうなるのだ?」

 ランスが不服そうに言う。

「私みたいな可愛い女の子と一緒にご飯が食べれるんだからそれぐらいしてもいいんじゃない?」

「俺様は毎日可愛い女の子と一緒にご飯を食べているぞ」

 志津香が、顔を上げて、シィルと、蘭と、鈴女を順番に見た。

「……そのようね」

 そして、再びメニューに目をやった。

「私はぷにゅるんにするわ」

「俺様はまふまふだ」

「それじゃあ私は、うはぁんにします」

 志津香とランスとシィルは、注文が決まった。蘭は頭を抱えている。「やっぱり大陸の料理ってよく分からないわ……」

「鈴女は忍びステーキにするでござる。にんにん」

 鈴女も注文が決まった。あとは蘭だけだ。

「じゃあ、私もシィルちゃんと同じうはぁんにする。うん」

 蘭もよく分からない決意を持って、注文を決めた。

「ウェイターさん?」志津香が呼ぶと、ハニーのウェイターが注文を聞きに来た。志津香が注文を伝えて、ハニーのウェイターは奥に入って行った。

「で……?」

 志津香がランスの方を見てそう言った。

「ん?」

 ランスが志津香を見て言った。

「この娘たちは誰なの? いい加減、紹介しなさいよ」

「ああ、こいつらは俺様の供だ。JAPANから連れてきた」

「連れてきた……、ってあんた、相変わらず無茶するわね。家の人は心配してないの?」

「知らん」

「知らん、って……」

 ランスが志津香に追求されているのを見て、蘭と鈴女が口を開いた。

「あ、あの……、私、自分で付いて来たんです。大陸に来てみたくて……」

「にゃははは。鈴女もそうでござるよ。心配する人もいないでござる」

「あら? 言葉通じるじゃない」

 志津香はどうやら、JAPANの人間と話すのが初めてだったらしい。言葉が通じることが意外だったらしく、驚いていた。

「それにしても、大陸に来たいだけだったら、よりによってこの男と一緒に来なくてもいいじゃない。あなたたち、この男がどういう奴か分かってるの? 騙されちゃ駄目よ」

 志津香のこの言葉を聞いて、蘭がちょっとむっとした。

「騙されるって、どういうことですか?」

 蘭が鋭い口調で尋ねた。

「この男はね、女と見るやすぐに手を出す鬼畜なの。今までにこの男の毒牙にかかって泣かされた女の数は、両手両足じゃ数え切れないほどよ。あなたたちもそうなる前に、この男とは早く手を切って、離れた方がいいわ」

 その言葉を聞いたとき、蘭はカチンときて分別を忘れた。そして、立ち上がって反論をし始めた。

「そんなことない! ランスはそんな人じゃないわ! ランスは確かに女好きで、浮気者だけど、……すごく優しくって、勇敢で……。私も最初は何度も泣いたけど……、でも、ランスがいてくれなかったら、私絶対、もっと最悪なことになってた! ランスがいてくれたから、私は今こうしていられるの! 私、今、幸せよ……。あなただってそうじゃないの? ランスにひどいことされたかもしれないけど、ランスがいたおかげで良かったこともあるんじゃないの……?」

 蘭はすごい剣幕で志津香を責め立てたかと思えば、話が終わる頃には、嗚咽して泣き出してしまっていた。志津香はばつが悪そうな顔をしていたが、蘭のこの行動に一番驚いていたのは、実はランスだった。

「お……、おい……」

 ランスが蘭のことを心配して、声をかける。

「……っ、……すん」

 蘭は、まだ俯いて涙を流している。

「わ……、悪い、お前たち、先に食べててくれ」

 シィルと志津香は無言で頷いた。鈴女は心配そうな顔で蘭を見ていた。

 ランスは、蘭を連れて、食堂を出た。ロビーを横切り、カウンターのすぐ横の階段を上り、鍵を使って客室のドアを開けた。泣いている蘭をベッドに座らせ、ランス自身もその傍らに寄り添って座る。

「…………」

 ランスは無言で、蘭の背中をさすった。蘭はじきに泣き止んで、消え入りそうな声でランスに言った。

「ランス……、ありがと……」

 ランスは何も言わず、蘭を抱きしめた。

 

 ランスと蘭が食堂に戻ると、他の者は既に食事を終えていた。女三人で楽しそうに話をしていたが、こちらを気にして静かになった。ランスと蘭は席に着いて、冷めてしまった「まふまふ」と、「うはぁん」を口にする。蘭の頬に残る涙の跡を見て、志津香の胸が少し傷んだ。

「あの……、ランス様……」

 シィルが沈黙を破った。

「なんだ?」

 ランスが視線を動かしもせず聞く。

「志津香さん……、協力してくれるそうです。良かったですね……」

「そうか」

 興味なさげに返事をした。

 

 食事を終え、女の子たちはランスの言葉を待つ。なんだか、いつものランスとは雰囲気が違うことを感じて、皆緊張していた。

「ふぅ、うまい飯だったな。俺様の好みにジャストマッチングだ」

「……」

 ランスが何か言っても、皆ピリピリとして黙っている。ランスもさすがに、場の妙な緊張感に気付いた。そして言った。

「なんだ、お前たち。なんで黙ってるんだ? そうか。さてはお前たち、今日は誰が俺様に抱かれるのかと、そればかり考えて気が気じゃないんだろう。残念だったな。今日は俺様は一人で寝る。お前たちは志津香の部屋も使って、女の子同士で楽しくパジャマパーティーでもしているといい。がはは、今日は歩きすぎて疲れた。俺様はもう寝るぞ。じゃあな」

 ランスはそう言って、席を立って食堂を出て行ってしまった。後に残された女の子たちは、テーブルに座ったまま、話をし始めた。まず、志津香が蘭に謝罪をした。

「ごめんなさい……。あなたの気持ちを考えていなかったわ」

「ううん……。志津香さんも、私のことを思って言ってくれたことだから……」

 蘭はそう言って、笑顔を見せた。

 続けて、志津香がシィルに言う。

「ねぇ……、なんかランスってちょっと雰囲気変わったんじゃない……?」

「そ……、そうでしょうか……?」

 シィルは慌ててそう言った。実際のところ、シィルも少しランスが変わったことを感じていた。しかし、いつもランスと一緒にいるシィルにとっては、ランスが時間や経験を経るごとに変わっていくのは当然のことであるし、今に始まったことではないため、それほど気にはしていなかった。自分以外の女の子を連れて旅をするのも、今回が初めてという訳ではない。むしろ、頻繁にあることである。ただ、蘭と出会ってからのランスは、ちょっと今までと違う、ということは薄々ながら感じていた。

「ううん……。気のせいね、きっと。アイツがそんなに簡単に変わるはずがないわ」

 シィルが黙っていると、志津香はそう吐き捨てるように言った。

「とにかく、今日はアイツの邪魔も入らないみたいだし、部屋でお酒でも飲みながら、女の子同士で楽しく過ごしましょう。私も新しく知り合った娘達と仲良くしたいし」

 志津香が提案した。

「うん」

「にんにん」

 蘭と鈴女も、その提案に賛成した。シィルはにっこりと笑って、

「それじゃ、私お酒買ってきます」と言った。

 

 ランスの部屋の隣でうるさくすると大変なことになるわよ、と志津香が言うので、四人はパジャマに着替えた後に、志津香の部屋に集まった。志津香の部屋には、ベッドや洋服や日用品などが一通り置かれていた。しばらく生活するのには困らない程度に、物が置かれていた。

「悪いわね。散らかってて。人が来るなんて思わなかったから……」

 志津香は出しっぱなしになっていた下着や靴下を片付けながら言った。

「ううん、そんなことないです」

「鈴女の部屋よりはずっと綺麗でござるよ。にんにん」

 志津香が片付けを終えると、シィルがグラスを人数分用意して、買って来たお酒のボトルを開けて全員に注いだ。

「カンパーイ!」

 そうして、女の子達同士のパーティーが始まった。

「ねぇ、聞きたいんだけど、あの男のどこが良いの?」

 開口一番、志津香が蘭に聞いた。女の子同士が集うと、やはり話題は男のことになるらしい。それがたとえ、ランスのような男のことであっても。

「え? だって……、強いし、優しいじゃないですか」

 蘭が応えて言った。

「優しい? あの男が? 百歩譲って強いのは認めるけど、優しいのはないわ」

「そんなことないです。ランスは態度には出さないけど、いつも私のこと気にしてくれてるし。すごく大切にしてくれてる……」

 蘭はそう答えた。この時、シィルが蘭の後半の言葉に、口には出さなかったが、少しの不安と、苛立ちの感情を覚えた。

「はぁ……。こりゃ、よく洗脳されてるわね」

 蘭は志津香にそう言われても、怒る気にはならなかった。むしろ、志津香のはっきりとした物言いに、心地良さを感じた。洗脳……。確かに、自分はランスに洗脳されているかもしれない。でも、相手を好きになるということ、恋というものが、そういうものだとしたならば、それでも良いのではないかと感じた。

 今度は、志津香が鈴女の方を見て尋ねた。

「それで、あなたは何でランスに付いてきたの?」

 鈴女は答えた。

「それは、ランスに付いてると楽しいことが一杯あるからでござるな」

「楽しいこと……、あるかしら……?」

 志津香が、目を細めて視線を宙空に漂わせ、何やら回想に浸るような表情をした。

「無いわ……」

 鈴女が苦笑いをして言った。

「まあ、いいではござらんか。鈴女にとっては、JAPANから大陸に来て色々珍しい物を見られるだけでも楽しいでござるよ」

「そういうもんかしら」

 志津香は納得したようだった。

 その後、志津香はシィルのそばに寄り、「シィルちゃんも大変ね」というようなことを一言二言交わした。そして、再び、蘭の方を見て言った。

「あなたは、ちょっと重症みたいね」

「な……、なんですか……?」

 蘭は、志津香の言葉に悪意を感じたわけでは無かったが、ちょっと嫌なことを言われたような気がした。

「ううん……、でも、よく考えた方がいいわよ」

 蘭は、またむっとした。でも、さっき食堂でしたみたいに、怒る気にはなれなかった。

 ふいに、早雲のことを思い出した。早雲と付き合っていた時は、周りからこんなふうに言われることは絶対に無かった。周囲の者は、皆、早雲のことを褒め、素晴らしい、羨ましい、いつ結婚するのですか、などと言った。蘭はそれに対して、謙遜をしたり、お礼なんかを言って対応をしていたのだが、いつの頃からか、そのことに妙なつまらなさを感じていたりした。確かに、早雲は素晴らしい人だし、良家の家柄同士の結婚だし、羨ましがられるのも、悪い気分ではなかった。でも、何か大切なものが欠落しているような気持ちをいつも抱いていた。その気持ちを埋めようとして、早雲にいろいろと意地悪を言ったり、甘えてみたりしたけれど、ついには、埋めることは出来なかった。

「さて、そろそろお開きにしましょうか」

 志津香が手を叩きながら言った。蘭はほろ酔い気分になりながら、ランスのことを考えたり、JAPANのことを話したり、志津香に大陸のことを聞いたり、それなりに楽しい時間を過ごしていたが、時間はとうに三時を回っていた。もう寝ないと、明日が辛い。

 あくびをしながら自室に戻る。シィルは、志津香と一緒に寝ると言って、志津香の部屋に残った。

 ドアを開け、部屋の明かりを点ける必要もなく、ベッドに横になる。目覚まし時計をセットして、布団にくるまった。壁の向こうから、ランスの寝息が聞こえた。この壁の向こうにランスがいるんだと思うと、温かい気持ちがした。ランスの寝息を聞きながら眠りにつくのも、悪くない気がした。

 

 目が覚めると、時計の針は十時を回っていた。「寝坊した!」と思った。悪い癖だが、目覚まし時計が鳴っても、全然起きれなかった。鈴女は当然、もう部屋の中にいなかった。蘭は、急いで顔を洗って、服を着替えると、部屋を出て一階に下りた。

 ロビーには誰もおらず、食堂に行くと、当然のことながら、皆もう揃っていた。朝食も終えたようで、飲み物を飲みながら、雑談に興じていた。

「ごめんなさい! 寝坊しちゃった」

 蘭は、そう言って頭を下げて謝った。

「別にいいぞ。今日はラジールに行って、戻ってくるだけだからな」

 ランスはそう言ってくれたが、蘭は自分の寝坊癖が恥ずかしくてしょうがなかった。特に、志津香の前でだけは、自分の駄目なところを見せたくなかった。

「鈴女は起こそうと思ったけど、ランスが起こさなくていいと言ったでござる」

 蘭は顔を真っ赤にしながら、一人で朝食を食べた。食べている間も、全然落ち着かなかった。

 蘭の食事が終わると、一行は、ラジールに向けて出発した。ラジールは歩いてもそんなに遠くない。話しながら歩いていたら、すぐに着いてしまった。

 秘密工場は、ラジールの街外れにあった。小さな工場であったが、中には所狭しと機械が並んでいて、稼動音がすごかった。工場の中を見回したけれど、マリアの姿は見当たらなかった。研究者風の女の子がいたので、ちょっと呼んで聞いてみた。

「マリア所長なら、ついさっき出て行ったばかりですよ」

「どこへ行った?」

「さあ……。分かりません」

 彼女によると、マリアは必要な時に出て行って、すぐに帰ってくることもあれば、数日経っても帰ってこないこともあるらしい。蘭は責任を感じて、

「ごめんなさい。私がちゃんと早く起きてれば……」と謝った。

 ランスが蘭の頭にゲンコツを落とした。

「謝るな。お前のせいじゃない」

 蘭は少し驚いたが、すぐに何だか嬉しくなった。「いたーい」と口では言ってみるものの、全然痛くはなくて、むしろ温かみを感じた。やっと、シィルと対等になれたような気がした。

 シィルはそれを見て、えも言えぬ不安を感じたが、頭を振ってかき消した。志津香が眉を顰めた。

 

 とりあえず、どこかに行ってしまったというマリアを探すことにする。まだそんなに遠くには行っていないはずだ。街の中で誰かに聞けば分かるかもしれない。

 研究所を出て、最初に見つけた若い男に声をかけた。耳にピアスなんかを付けた、チャラチャラした男だ。

「おい」

「はい」

 若い男は、呼びかけると意外にも良い返事をした。

「マリアはどこだ?」

「マリア?」

「青い髪の毛に赤いリボン、眼鏡をかけた作業着の女だ」

 そう特徴を伝えると、この男はすぐに分かったらしく、ぽんと手を叩いた。

「この研究所の所長をしてるあの娘ですね。彼女なら、街の方へ行きましたよ。多分、魔池(マッチ)を買いに行ったんじゃないですか」

 男に魔池屋の場所を教えてもらい、そこに向かった。魔池屋は、街の中心のほど近くにあった。街の中心には円形の広場と、AL教団の教会がある。銀行や、役所などもあり、その一角に魔池屋があった。石造りの白い強固そうな建物だ。丸太を組んで作ったドアを開け、中に入った。マリアがいた。

「あっ、ランス」

 マリアはすぐにランス達に気付いた。驚いて、手に持っていた魔池を落っことしそうになる。

「いつ大陸に帰って来たの? JAPANにいると思ってた」

「ああ、つい三日ぐらい前に帰って来たばかりだ」

 ランスが言うと、マリアは嬉しそうな顔をした。

「嬉しいよ。私に会いに来てくれたの?」

 

 狭い魔池屋の店内で立ち話をしているのも何なので、近くの食堂に移動した。時間も丁度お昼時だ。日当たりの良い、カントリー調の明るい店で、店内は多くのお客で賑わっていた。

「何よ。志津香もいるじゃない」

 卓に付くと、マリアが志津香を見つけて言った。

「不本意だけどね」

 志津香はウェイターからメニューを受け取りながら、そう答えた。

「あら、知らない娘も連れてる。いつものことだけど」

 マリアが蘭と鈴女を見てそう言った。蘭と鈴女はマリアと目が合って、自己紹介を始めた。

「初めまして。私、南条蘭といいます。JAPANから来ました」

「にょほほ。鈴女でござるよ。JAPANの忍者でござる」

 マリアはさすがに博学なようで、JAPANの人間と言葉が通じることに驚きもせず、自らも自己紹介をして返した。

「私はマリア=カスタード。研究者をしているの。よろしくね」

 マリアはニコッと笑った。蘭と鈴女も笑顔を返す。

「それで本題だがな……」

 ランスは、マリアにゼスに行きたいこと、海に怪物が出てゼスに行けないこと、怪物退治に協力してほしいこと、を語り始めた。

 

「うん、いいわよ」

 マリアは快く承諾してくれた。

「ちょうど、開発したばかりの新型チューリップ5号をテストしたいと思っていたところだし。そんな大きな怪物相手だったら最高の研究対象だわ」

「ははは」

 マリアの言葉に、皆大笑いしたが、蘭は心の中で「この人、ちょっと怖い……」と思った。

 

 マリアをパーティに加えて、ラジールの街を出発した。街道を西へ真っ直ぐ進むと、カンラの街が見えてきた。時間はもう黄昏時だ。今夜もまた、カンラの街の宿に宿泊する。ここに泊まるのは、もう三度目だ。蘭は、この宿を仰ぎ見ながら、ここのことは一生忘れないだろう、と思った。ランスの優しさを感じた宿だ。

「それじゃ私、鍵をもらってきます!」

 シィルがカウンターに駆けて行った。

「どっこいしょっと」

 ランスが掛け声をかけてロビーのソファーに座った。あまりにも深く腰を下ろしたため、ソファーがギッという音を立てた。志津香とマリアは、立ち話に興じていた。「カスタム」という単語が頻繁に出て来ていた。鈴女を見たら、彼女もこっちに気付いて、目が合った。にっこりと笑いかけた。鈴女もにこっと笑った。ランスが何やら、真剣な表情をして考え込んでいる様子だった。

「ランス、何考えてるの?」

 蘭が、ランスに声をかけた。ランスは蘭をチラッと見て言った。

「いや……、今日は誰を抱こうかと思ってな……」

「またそれ……」

 蘭は脱力して肩を落とした。

「なんだ、抱いて欲しいのか?」

「別に……」

「素直じゃないな」

 蘭は目を細めてランスを見た。軽蔑の意を含んだ目だ。

「あんたに恋人と言われて騙された私が馬鹿だったわ……」

「……」

 ランスは黙った。

 

 シィルが鍵を受け取って戻って来ると、皆それぞれの部屋に入って行った。ランスが一人部屋、志津香とマリアが相部屋、シィルと蘭と鈴女がもう一つの相部屋だ。長旅でくたびれた服を脱ぎ、洗濯をする。部屋に干して、ポルトガルで買った新しい洋服に着替えた。シィルが水色のワンピース、蘭が紺のワンピース、鈴女は、黒と赤の映える紅葉の描かれた和柄の浴衣だ。

「蘭さん洋服も似合ってます。鈴女さんも浴衣可愛い」

 シィルが蘭と鈴女を褒めた。

「そ……、そうかしら……」

 蘭が照れて、赤くなった。

「シィルどのも良く似合っているでござるよ」

 鈴女がシィルに言った。

「う……うん。シィルちゃんもよく似合ってる」

「えへへ」

 シィルは嬉しそうに笑った。

「……」

 蘭は、急に真剣な顔になって、黙り込んだ。そして、シィルに向けて言った。

「ねぇ……」

「え?」

「ランスのこと……、どう思ってるの?」

「……」

 シィルも辛そうな顔をして口を噤んだ。

「好きなんでしょ? 他の女とえっちして、嫌じゃないの?」

 シィルは俯いて、泣きそうになった。

「なんか、あんたがあいつに避妊の魔法をかけてるって……。そのおかげで私は妊娠しなかったけど、それって、女性に対する酷い屈辱よ。私は絶対許せないわ。私は絶対ランスを直してみせる」

「うう……」

 シィルはそのまま、泣き崩れてしまった。

 

 夜が更け、外からふくろうの鳴き声が聞こえてくるようになった。あの後、シィルが泣き止んでから、三人で食事をして、外を散歩してから、部屋に戻ってきた。外は真っ暗だったが、夜空がきれいで、皆で星座の教え合いなどをして楽しんだ。夜空を見ながら、早雲が今どこでどうしてるんだろうと、考えたりもした。もし、同じタイミングで、同じ夜空を見ていたら素敵だと思った。

 ランスは来なかった。志津香さんかマリアさんとえっちなことでもしているのかと思ったが、気にしないことにした。もし、見に行って本当にやってたら、ケンカになっちゃうから。

「あの、ドスケベ……、鬼畜……」

 と、一人呟きつつ、眠りに着いた。

「……」

 しばらくして、蘭がむくりと起き上がった。荷物カバンから、和紙の束を取り出して、式札を折り始めた。明日は、激しい戦闘になるかもしれない。シィルと鈴女の寝息が聞こえる中、ランプの薄明が、静かに彼女を照らしていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一部 完

 可愛らしい鳥の鳴き声が聞こえる。木窓から眩しい朝の太陽が差し込む。今日は、風も優しく、航海日和のいい天気だ。鈴女はいつものことだが、シィルも既に起きており、着替えも済ませていた。

「おはよう」

 蘭は伸びをして、欠伸をしながら言う。鈴女とシィルも「おはよう」と返した。

 朝起きて、蘭はまずシィルに謝った。

「シィルちゃん、ごめんね。昨日ちょっと言い過ぎた。私ちょっと苛々してたみたい」

「ううん、いいんです。蘭さんが言ってること、私も女として理解出来るから……」

 シィルは浮かぬ表情で言った。彼女も表には出さないがランスのことで悩んでいたりするのだろう。

 蘭は寝間着から陰陽服に着替えて、式札をいつもより多めに用意し、今日、おそらくあるであろう戦闘に備える。鈴女とシィルも、心なしかいつもより緊張している様子だった。

 一階に降りると、ランスが腕を組んでロビーで待っていた。志津香とマリアはその後ろで雑談を楽しんでいた。

「おう、来たか」

「うん」

 チェックアウトを済ませて、港町ジフテリアへと向かう。途中、アイスの街を通過した。空気は乾いていた。大陸の気候のことはよく分からないが、JAPANより幾分、温暖で乾燥しているようだった。

 クラーケン。ジフテリアの街の漁労長が言っていた、二十メートルを超えるという巨大なイカの怪物である。そいつを倒さないと、目的地であるゼスには行けない。なぜゼスに行く必要があるのか。それは分からないが、ランスがそこへ向かっている。たとえ理由が分からなくても、ランスが行く所に蘭は付いて行く。そして、ランスに危険が迫れば、命をかけてでも守ろうとするだろう。現に、ジフテリアからゼスへと渡る今日の航海は、命懸けなのである。いくらランス達とはいえ、海の上で、揺れる船に乗って、巨大な怪物を相手にすることは楽なことではない。それに、相手はイカの怪物である。イカのような軟体動物であれば、ランスの剣による攻撃は、ほとんど通用しないと考えるべきだ。

 

 ジフテリアに着いた。時間は、ちょうど正午というところだ。すぐに、漁協に向かった。

 漁協の事務所に着くと、前に酔っ払っていたあの漁師がまた酔っ払っていた。ふらふらになるほど酔っていたが、ランス達を見ると、すぐに酔いは覚めて、ぴしっと真っ直ぐに立って敬礼のような仕草をした。

「いや、旦那たち。今度こそやってくれるんだろ?」

「うむ」

 ランスは彼に通されて、漁協の奥。漁労長のいる部屋に入った。

「なんだ、あんたら! また来たのか!」

 漁労長は、ランス達を見て、開口一番そう言った。

「おう、俺様たちが怪物退治に来てやったぞ」

 ランスは腕を組んで威張って言う。漁労長はそれを見て、呆れたようにため息をつく。

「あのさ……、何度も言ってるけど、うちは死人出したくないんだよ。頼むから帰ってくれよ」

「なんだと、このクソ親父! 貴様が死ね!」

 ランスはそう言って、カオスをこの老人に振り下ろそうとした。シィルと蘭がランスに飛び付いて、必死で止めた。

 蘭が、ランスを抑えながら、老人に言う。

「あの……、お爺さん、私たち本当に強いんです。今から証拠をお見せしますから、一緒に外に出てください」

 

 漁労長は、蘭にそう促されて、事務所の外に出た。事務所の外は、一面の海。眼前には、大きな砂浜があった。その砂浜の上に立って、蘭は海の方をじっと見ている。漁労長は、その蘭を、訝しげな目で見ている。こんな女に、何が出来るものか、という目だ。

 蘭は、懐から、式札を数枚取り出した。それを左手の指先で軽く持ち、右手で印を結んだ。そして、ぼそぼそと呪文を唱え始める。すぐに光が蘭を包み、式札は白い光の刃となって、海の方へ飛んでいった。そして、海面にものすごいスピードで着水し、瞬間ドンという大きな音と共に、三メートルはありそうな水柱を上げた。そして、プシャーっと飛沫を上げ、水柱はかき消えていった。

 漁労長は、目を見開いて、その様子を見ていた。無理もない。彼が見たこともない、JAPANの異法だ。

「どうですか?」蘭が聞く。

「う……うん、すごいね」

 漁労長は声を震わしながらそう言った。

 そこへ追い打ちをかけるように、魔想志津香が前へ進み出る。そして、海に向けて右の手の平をかざす。

「面白いものを見せてくれてありがとう。お礼に、私も大陸の魔法を見せてあげる」

 そう言うと、志津香は集中し、手の平の先に気を集める。白い……、白いエネルギーが志津香の手にみるみるうちに溜まっていく。そして、次の瞬間一気にそれが開放される。

「白色破壊光線!」

 放たれた光線は、地平線の向こうへと飛んでいき、海の彼方で水柱を立てた。その水柱がどれほどの高さがあるかは、計り知れない。

「ふう」

 ちょっと疲れたように、志津香が息をついた。

「久しぶりに使ったからね。たまには使わないと鈍っちゃうから」

「志津香さん……、すごい……」

 蘭は遠くに上がった水柱を見ながら、そう呟いた。

 

 漁労長は、船を出すのを快諾してくれた。彼だって、船を出したくない訳ではない。出来ることなら、すぐにでもクラーケンを退治して、いつも通り漁に出られるようにしたかった。ただ、死人は出したくなかったのだ。だが、ランスパーティの力を見て、これなら安心だと思ったのだろう。いや、そこまで思ったかどうかは分からないが、少なくとも賭けてみる価値はあると思ったようだ。漁労長は、すぐに船を出すことを承知してくれた。船を操舵するのは、彼自身だ。彼も命がけなのだ。

「んじゃ、行くぞ!」

 漁労長が一声かけると、船は大海に向けて出港した。その先には、まだ見ぬ巨大な怪物、クラーケンが待ち受けている。

 

 船は小一時間ほど海を波立てて走り、ジフテリアと川中島のちょうど中間あたりの沖合に出た。この辺りまで来ると波は高く、それほど小さい訳ではないランス達が乗っている船も、ごうんごうんとよく揺れるようになってくる。

 蘭は、船に乗るのは初めてだったが、緊張のためか、それほど船酔いはしていなかった。他の皆も、それは同じのようだ。皆、いつ襲って来るか分からない怪物を警戒して、じっと海面を凝視している。ただ一人、ランスだけが、この戦闘で一番役に立たなさそうな彼だけが、王様のように船長席に座って、傲然と地平線の彼方を見つめていた。

 だが、そんなことは誰も気にしていないようだった。なぜなら、どうせこの戦闘で彼は役に立たないからだ。むしろ、やる気を出されて、ランスアタックなど放たれたらかなわない。軟体の敵に効果がないどころか、船に衝撃を与えて、沈めてしまうことも有り得る。それだけは絶対に避けないと。蘭は、そう心に誓った。

 

 バシャーン!!!

 

 突如、船の舳先がぐわあっと浮いた。そのまま沈められるのではないかと思うほどの浮き方だった。舳先の下に、件の怪物がいることは明らかだった。

(間に合わない!)

 蘭は、式神を出して、舳先の下にいる怪物に攻撃をしようとしたが、呪文を唱えているような余裕は無かった。

 

 ドーン!!!

 

 爆発音がした。そして、舳先が元の位置に戻った。どうやら、怪物が離脱したようだ。

「間に合ったようね」

 志津香が、後ろでそう呟いた。どうやら、さっきの攻撃を繰り出したのは、志津香だったらしい。

「火爆破。大陸の魔法も、なかなか便利でしょう?」

 蘭は、素直に「すごい」と思った。なんで、ランスの友達はみんなこんなに凄いんだろう。志津香が凄いのに、なぜかランスが凄いような気がした。

「さっきの魔法、今のうちに出しておきなさい。すぐに来るわよ」

 志津香がそう言った。蘭は、黙って頷き、すぐに式札を出して、右手で印を結んだ。そして呪文を唱える。

 怪物は本当にすぐに来た。今度は、船尾が持ち上がる。前からの攻撃は失敗したので、今度は後ろから攻撃して沈めようという腹のようだ。

 そうはいかない! 蘭は、ちょうど出した白い精霊を、船尾にいる怪物に向かわせる。ここからは見えないが、白い精霊は、怪物に接触すると、手を光の刃に変えて攻撃する。高熱の魔法の刃なので、軟体の怪物相手にも効くはずだ。

 

 ズバシャッ!!!

 

 身が切れる音がした。それとともに、再び怪物が離脱する。再び船尾は元の位置に戻る。怪物は大きな波を立てながら、船を離れていく。

「逃がさないわよ!」

 マリアが、新型のチューリップを構えた。そして引き金を引く。ドン!! このサイズの銃身にはありえない、大砲のような音がした。空気が震えて、鼓膜が痺れた。怪物に命中して、巨大な火柱を上げた。怪物はのたうち回って、海面から飛び跳ねた。

 ものすごい大きさだった。二十メートルなんてものではない。その二倍はあるのではないかという大きさだった。太陽がその巨体を照らして、こちらに大きな影を作った。その瞬間、背後に、巨大なエネルギーが凝縮していくのを感じた。

「白色……」

 背筋がゾッとする。目の前の空に浮かぶ、あの巨体など、大したことが無いと思えるような、恐ろしいほど膨大なエネルギー。

「破壊光線!!!」

 瞬間、白い光線が、怪物の体を貫通し、太陽にまで到達するのではないかと思うほど彼方まで伸びていった。光線は、怪物の全身の組織を伝うように、まんべんなく広がっていき、そして、最後には、爆発した。怪物は、プスプスという音を立てながら、バシャーンと大きな水飛沫を上げて着水すると、海底深くに沈んでいった。

 しばらく、海面をじっと見ていた。怪物が、また上がって来るのではないかと。

しかし、いつまで待っても、怪物は上がってこなかった。死体は確認していないが、とりあえず、倒したということにしていいのではないか、と漁労長が言った。蘭たちは、飛び上がって、ハイタッチをしたりして、歓声を上げた。

 

「志津香さん、すごいです!」

 蘭が、志津香の手を取って言う。

「ま、こんなもんかしらね。あなたも十分すごいわよ」

 志津香はクールに髪をかきあげてから言った。

「俺様の出番が無かったな」

 そこへ、ランスが割り込んできた。

「こんな船の上でランスアタックなんて使われたらかなわないからね」

 志津香がそう言った。蘭は、やっぱりそれを心配していたのは私だけじゃなかったのか、と思った。

「ふふふ、ところでな。あの怪物がちゃんと死んだかどうか知りたくないか?」

 ランスが、不敵な笑みを浮かべた。

 

「あの怪物は……、死んだ」

 カオスが言った。

 どうやら、あの怪物は、魔人の使徒だったようだ。どんな魔人かは、カオスも知らないようだった。

「全く新しい……、未知の魔人かもしれん」

 カオスが真剣な顔をして言う。

 いずれにせよ、魔人が使徒を使って、人間の海上の交通を封鎖する。普通ではない事態だ、と思った。ランスがゼスに急いでいる理由も、これに関連しているのかもしれない。

 

 とにかく、ランス達一行は、ゼスの港町テープに到着した。辺りはもう、真っ暗だった。灯台の明かりが、遠くに見えた。空気は、少し湿っていた。雨が降るかもしれない。

 早めに宿を探して、漁労長とともに夕食を摂った。

「いやー、本当に助かりました。有難うございました」

 漁労長は、何度も何度も頭を下げて、そう礼を言っていた。ランスはその都度、「うむ」「うむ」と言って、偉そうに頷いていた。こいつは何もしていないんだけれど。

 その日は身体がたくさん潮風に当たって、じめじめして気持ち悪かったので、早めにシャワーを浴びて布団に入った。目を瞑ったあと、あの船の上での戦闘がまざまざと思い出されてきた。ぐわあっと船を持ち上げられた感覚が蘇ってきた。本当に、死ななくて良かった。

 志津香さん。あの人は凄い。マリアさん。この人も凄い。シィルちゃんも凄いし、鈴女ちゃんも凄い。ランスの友達は、みんな本当に凄い人達ばかりだ。これからも、こんな凄い人達と出会っていくんだろうか。

 そう考えると、怖いような、ワクワクするような、不思議な気持ちになった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二部 第一章

 翌日は朝から雨だった。宿の外に出ると、軒先からしとしとと水が垂れていた。空はどんよりと曇っていて、雨が止みそうな気配は全く無かった。今日は旅はお休みだろう。

 ロビーに戻ると、ランスが宿の受付のカウンターに身を乗り出して、宿の主と何やら話をしているらしかった。蘭は、話の内容がよく聞こえるように、ランスの横に移動した。

「ここに魔法電話はあるか?」

「ありませんよ。そんなものは役所か警察にしか無いんじゃないですか」

「そうか、邪魔したな」

 ランスは話を終え、そのまま宿の外に出ようとした。蘭はそんなランスを呼び止めた。

「なんだ? 付いて来たいなら付いて来い」

 ランスがそう言ったので、付いて行くことにした。

 宿で借りた、魔法素材の傘を差して、石畳の街路を歩く。道の脇には白煉瓦造りの堅牢そうな建物がずらりと並んでいた。ふと、JAPANの木造の住宅建築が懐かしくなった。

 ランスは街の中心に向かって、ずんずんと歩いて行った。行き先は分かっていた。役所か警察所である。どこの街でも、それらは街の中心部にある。

 通りが放射状に伸びている円形の広場があって、そのすぐそばに、堅牢な大陸風建築の中でも一際大きな建築物があった。テープの役所である。

 ランスはその中に入って、女性の案内係に言った。

「魔法電話はあるか?」

 案内係は答えた。

「ございますが……。あの……、一般の方ですよね?」

「俺様に向かって一般の方とはなんだ」

 ランスがそう言うと、案内係は慌てて「は、はぁ」と返事をして、上司らしき中年の男に相談をしに行ったようだった。しばらくして、その中年の男がこちらに歩いて来て言った。

「あの、一般の方ではないんですね?」

「一般の方ではない」

 ランスは自信満々にそう言った。その物言いに、その男は納得したようで、

「それで、どちらの方におかけになられるんですか?」と尋ねた。

「千鶴子のところだ」

「ち……、千鶴子!?」

 中年の男は、明らかに驚いた顔をした。もし眼鏡をかけていたら、大いにずれていたところだろう。

「四天王筆頭の、山田千鶴子様ですか?」

「そうだ」

「そ……、それであなた様は千鶴子様とどのようなご関係で……?」

「さっきから、ごちゃごちゃ煩いな。ランスからと言えば分かる。早く通せ」

「は……、はい!」

 その男は、はっきりと周章狼狽していたが、あまりのランスの迫力に押されて、魔法電話の担当を呼び出した。そして、ランスという方が千鶴子様と通話がしたいようだということを伝えた。魔法電話の担当も、目をパチクリさせて驚いていたが、言われたとおり通信をかけ始めた。

「は……、はい、そうなんです。ランスという方が。ええ、テープにいます。は……、はい分かりました。替わります」

 担当者は魔法電話をこちらに持ってきて、「どうぞ」と言ってランスに手渡した。ランスはそれを受け取って、電話の相手と話し始める。

「おう、ランスだ。ゼスに着いたぞ」

 魔法電話から、女性の声が聞こえた。気高い、美人そうな女性の声だった。

「ランス! ずいぶん早かったわね。陸路で来たんでしょう?」

「いや、海路だ。船に乗ってきた」

「船……? 今は怪物が出てるからって、ゼスへの定期便は出ていないはずだけど」

「ああ、だからその怪物を倒してきた」

「……さすがね。とにかく来てくれて良かったわ。明日、そこまで馬車を迎えに出します。昼前には着くと思うから、宿で待ってて」

「うむ」

「いいわね。じゃ、よろしく頼むわよ」

 電話はそれで切れた。ランスは魔法電話を置いて、外に出た。

 

 外に出てしばらく歩くと、濡れている石畳の路上に、人がうつ伏せになって倒れていた。若い、魔法使いの女らしかった。蘭は、倒れている女の脇に寄り添って、声をかけた。

「あの……、大丈夫ですか?」

 しかし、返事はなかった。ひっくり返して仰向けにしてみると、既に死んでいた。外傷があった。胸を一突きにされていた。胸部から腹部にかけて、血まみれになっていた。

 一体、何が……。そう思って、顔を上げると、まだ数人の、同じような遺体が転がっていた。

「ランス!」

 蘭は、ランスの名を呼んだが、ランスは聞こえていないかのように、そのまま宿に向かって歩いて行った。蘭も、ランスの後を追った。

 

 宿の前に着くと、入口の手前でランスが蘭に言った。

「お前、今夜、俺様の部屋に来いよ」

「ええっ!」

 蘭は、いきなりのこの申し出に驚いた。

「なんだ? 嫌か?」

「そ、そうじゃないけど……」

「なら来い」

「はい、分かりました……」

 そんな会話を交わして、宿の中に入った。ロビーでは、シィルと鈴女と志津香とマリアが、ソファーに座って、アルコール類を飲みながら談笑していた。彼女らの様子を見て、外のあれは何だったんだろう、と改めて考えた。ランスは何か知っているんだろうか。

 志津香が、こちらに気付いて言った。

「あ、蘭ちゃん。あなたもここに来て一緒に飲みなさいよ。ランス……、は来なくてもいいわ」

「ちっ」

 ランスは舌打ちをした。が、そんなに気にしてはいないらしい。そのまま、ロビーの階段を上がって、自室に入って行った。確かに、彼にこういう女だらけの談笑の場は似合わない。

「私とマリアは、明日別れるから」

 志津香が唐突に言った。理由を聞くと、特にランスと行動を共にする必要は無いし、せっかくゼスに来てるから、用事を済ませたいということだった。マリアはゼスで、質の高い魔池と、魔法製品を買ったらすぐにラジールに帰るつもりのようだ。

「それじゃ、あいつが何を考えてるか分からないけど、頑張ってね」

 志津香は、そう別れを告げた。きっと、明日の朝早くに出るつもりなのだろう。「また会えるか」という問いに、「さあ。でも、また会いたいわね」とクールに答えてくれた。

 

 夜になって、皆が寝静まってから、ランスの部屋に向かった。廊下は、ローソクのぼんやりした明かりに照らされていた。ランスの部屋のドアの前に立って、静かにノックをした。ガチャ。ドアが開いた。ランスが中から出てきた。

「おう、遅かったな」

「ごめん、女の子同士の話が長引いちゃって」

「そうか」

 ランスは興味無さそうに言って、蘭を部屋の中に招き入れた。

「それじゃ、早速するぞ」

 ランスはそう言って、蘭を後ろから抱きしめる。

「んっ……」

 後ろから抱きしめられて、こそばゆさを感じた蘭は、恥ずかしそうな声を出した。

「ねぇ……」

 蘭はランスに聞く。

「あの二人の女の子達とはしたの?」

「今回の旅でか?」

 ランスは蘭に聞き返した。

「うん、今回の旅で」

 対象を今回の旅に絞ったのは、自分に出会う前のランスが他の誰とそういうことをしようと、それは私には関係がないと、思ったからだ。

「ん……、マリアとは……した。志津香とは……しなかった」

「どうして?」

 蘭が、ランスの顔を撫でながら聞く。時々ランスも、可愛らしい顔をする時がある。

「志津香はどうしても嫌がったからな」

 ランスはそう答えた。

 そうなのだ。ランスは嫌がる女の子相手には、意外と無理強いしないところがある。でも、ランスが求めると、すぐに足を開いてしまう女の子がいる。これもまた、問題なのだ。

「そっか」

 蘭はそう言って、ランスの下半身に顔をうずめた。そして、ランスの太腿に愛おしそうに頬ずりをする。

「ありがと」

 突然礼を言われたランスが、不思議そうな顔で「どうして?」と言った。

「正直に話してくれたから」

 その日は、ランスの隣で夜を明かした。

 

 窓から射し込む光が顔を照らし、眩しくなって目を開けると、すぐ目の前にランスの顔があった。結構、愛らしい顔をしていた。唇に軽くキスをして、起き上がった。寝間着を来て、自室に戻ってからちゃんとした服に着替えた。顔を洗って歯を磨いていると、横から、「おはようございます」という声が聞こえた。振り向くと、シィルが立っていた。

「あ、シィルちゃん、おはよう」

「蘭さん、よく眠れましたか?」

「うん」

 笑顔で会話を交わす。彼女は、昨日私がランスと寝たことを知っているだろう。だけれども、それを気にしている素振りは全く見せない。もはや慣れてしまったのか、それとも、そういう性格なのか。

「志津香さんとマリアさんは、もう行ってしまわれたみたいですよ」

「そう」

 と聞いてから、昨日のあの若い女の魔法使いたちが路上で死んでいた凄惨な光景を思い出した。止めるべきだっただろうか、と今更になって考えた。しかし、あの時私はあれが何だったのか全く分からなかったし、ランスは知っていたようだが、聞くのが憚られた。しまった。彼女たちに伝えておくべきだった、と後悔したが、彼女たちのレベルなら大丈夫だろう、と自分を納得させた。

「それと、ゼスの首都、ラグナロックアークから、迎えの馬車が来ています」

 

 その馬車は、金ピカの装飾が施された、まるで王様が乗るような、豪華な馬車だった。2頭で一台の車を引く、屋根付きのキャリッジタイプの馬車だ。蘭が近付くと、使いの者が下りて来て、丁寧にお辞儀をした。

「少し早目に着いてしまったのです。どうか、ごゆっくり準備をお済ませください」

 そんなことを言って、また御者席に戻っていった。

 

 しばらく待っていると、ランスが下りて来た。鈴女とシィルも一緒だった。

「お、時間通りに馬車が来ているな。よしよし」

 みんなで馬車に乗り込んだ。馬車は四人で乗ってもゆったり座れるほど広かった。揺れも少なかった。やっぱり馬車の旅は楽だと思った。

 馬車は港町テープから南に下って、途中、シィルが実家だという家の前を通って、オールドゼスへ。オールドゼスからは、一転北上して、弾倉の塔。

 その「弾倉の塔」を通る時に、御者が、「この塔はあなた方もよくご存知のマジック・ザ・ガンジー様が管理されている塔です」と教えてくれた。

 マジック・ザ・ガンジー……。

 私もよく知っている。JAPANで一緒に戦った仲間だ。確か、地底の怪物、オロチと戦った時に、重傷を負って、同じゼス出身のウルザ・プラナアイスと共に、JAPANの病院に入院しているとか。全治数ヶ月と聞いていたけど……。蘭は、そんなことを思い出して、御者にそれとなく聞いてみた。

「ねえ、御者さん。マジックさんとか、ウルザさんってどんな人なの?」

 その二人の名を出した時、御者はとても敬意深そうな仕草をした。

「マジック様はゼス国王ラグナロックアーク・スーパー・ガンジー様の娘様です。非常に出来の良い娘様で、今は四天王の一人として、弾倉の塔を管理しておられます。政治的には各分野の役人を統べる役割を任されているようですな。ウルザ様は元はレジスタンスのリーダーだった方なのですが、非常に優秀な方で、ゼスを魔軍から守った功績が評価されて、今では四天王の一人、役職は警察長官をやっておられるようです」

 なるほど。JAPANにいる時は知らなかったけど、この二人はゼスにとってそんな重要人物だったのね、と思った。この御者は、この二人がJAPANで入院していることは知らない様子だったので、そのことは黙っておいた。

 馬車は、弾倉の塔の区域を抜けて、ついに、首都ラグナロック・アークに入った。ラグナロック・アークは、人口200万強を有する巨大な都市だ。近代設備を有する、美しい都である。馬車は、首都の賑やかな大通りを通り、中心にある議事堂へと向かっている。そこに、ランスが昨日魔法電話で話していた、千鶴子という女性が待っているのだろう。馬車の窓からは、噴水や、近代的な建築の高層住宅、自然を生活の中に取り入れるための公園、街路樹……。それらが融合した、よく整った街並みが見えた。こういう先進的な都市は、JAPANには無いものだった。

 馬車は議事堂前の馬車置き場に到着した。黒服の行儀の良い男が迎えに来ていた。その男に案内されて、議事堂の中に入る。議事堂の中は、大理石が贅沢に使われていた。大理石は美しいが、それほど優れた建材ではないと思う。重いし、加工がしにくいし。

「こちらです」

 そう通されたドアの向こうに、派手な服を着た、眼鏡をかけた女性がいた。黒髪ロングヘアーの美人だったが、着ている物があまりに派手すぎて、一瞬足が空回りしそうになった。

「ようこそ。首都ラグナロック・アークへ」

 この派手な女性はそう言った。

「挨拶はいい。さっさと本題に入ろう」

「ええ、でも自己紹介はしておくわ。私はゼス四天王筆頭の山田千鶴子。この国の政治は主に私が取り仕切っています」

 四天王筆頭……。ゼスの頂点……。そのような人が、ランスに何の用だろう、と思った。

「本題に入る前に、マジックさんとウルザさんの容態は良好のようです。最短で、あと一ヶ月もすれば退院出来ると。後遺症もありません」

「そうか、それは良かった。俺様のためにオロチと戦って大怪我をしたわけだからな。死んだり、後遺症でも残ったら大変だ」

「問題は……」

 千鶴子は、眉間に皺を寄せ、言いにくそうな顔をした。

「この二人がゼスの要職から一時的にでも離脱したことによる、ゼス国内の治安の著しい悪化……。特に、魔法使いが若い一般市民や奴隷に虐殺されるという事件が相次いでいます」

「俺もテープで見たぞ。魔法使いの女が路上で何人も死んでいた」

 蘭も、あの光景を思い出した。そうか、あれはこういうことだったのか。

「女性は、弱いから狙われやすいんでしょうね」

「だから、俺様がこうして助けに来てやったわけだ」

「ありがとう。でも、ランスにして欲しいのは、個別に魔法使いを暴漢から助けるようなことではないのです」

「どういうことだ?」

 千鶴子は、話すことを躊躇うかのように、ふうと息をついて、それから辛そうに話し始めた。

「暴漢が魔法使いを襲うのは、今に始まったことではないのです。ただ、今回の件は、暴漢がある一人のカリスマによって組織されているのです。そのカリスマの名は、シュレディンガー。オールドゼスの奴隷だった男です」

 千鶴子は再び、はあ……、と息をつく。よほど話すのが辛いのだろう。

「元々、カリスマを備えていた男のようです。長年に渡って、オールドゼスで小規模な暴動を指揮していたようです。そんな男が、突然、ゼス全土の反政府派を率いるようになり、ゼス全土で、大規模な暴動を断続的に起こすようになりました。その度に、ゼス全土で、反乱組織による魔法使いの大虐殺が繰り広げられたのです」

「あの、それで、指導部は何をしていたんですか?」

 蘭は、僭越かも知れないと思いながら、進み出て千鶴子に聞いた。もし北条家の領地でそんなことが起きたらと想像すると、とても耐えられないと思ったからだ。

「ええ、もちろん私たちも全力で対応しました。警察や治安部隊は、その監督者であるマジックとウルザの不在が主な原因で役に立ちませんでした。ですから、私や国王様が自ら軍を率いて、反乱組織の鎮圧に乗り出しました」

 蘭は、ごくり、と唾を飲み込んだ。庶民の暴動の鎮圧に軍が出動するのは余程のことだ。

「私たちの軍は、何度も反乱組織を鎮圧し、その指導者であるシュレディンガーを何度も殺しました」

「何度も?」

 その言葉に、蘭が不思議に思って聞いた。

「ええ、出撃の度に何度もです。彼は、殺しても殺しても、数日経つとすぐに蘇って、再び反乱軍を組織して、各地で魔法使いを虐殺し始めるのです。私や国王様も、自らの手で、何度も彼を殺しました。その頃から、この件には魔人が絡んでいるのではないかと思い始めたのです」

「うむ、そう考えるのが妥当だな」

 さっきから、腕を組んで大人しく話を聞いていたランスがそう言った。

「反乱の首謀者を殺すのは、体制側にとっては元々リスクが大きいものです。民衆は、圧倒的な力を持つ体制側が、非力な市民を力で抑え付けたと見なしますから。今では、何度死んでも生き返るシュレディンガーは、魔法を使えない一般市民や、奴隷階級からは、彼らを魔法使いの抑圧から解放してくれる、希望の星、救世主、あるいは神のように崇められているのが現状です」

「だろうな」

 ランスは、ぼそりとそう呟いた。簡単な話ではないようだが、彼は理解しているのだろうか。

「それで、ランスに協力を仰ぎたいのです。シュレディンガーが魔人なのかどうか、魔人であれば、その魔剣カオスで倒して頂きたい」

 千鶴子は、ランスが背負っているカオスをちらりと見て言った。

 ランスは答えた。

「分かった。元はと言えば、俺様がウルザとマジックに大怪我をさせたことが原因だ。協力はさせてもらう。だが……」

「なんでしょう?」

 蘭は、ランスがまた女でも要求するのかと思った。まさか、目の前のこの派手な女の人の躰を要求するとは思えないけれど……。

「だが、俺たちには、何も情報が無い。作戦もだ。とにかく、そのシュレディンガーとやらの居場所を教えろ」

 蘭は、ランスがやたらとまともなことを言って、しかも女を要求しなかったことに、感激した。涙が出そうになった。

「ええ、もちろんです。それらの情報は、ゼス諜報機関の方で常時把握しています」

 千鶴子はそう言って、ランスにファイルを手渡した。魔法の封が厳重に施された、分厚いファイルだった。

 

 ランス達一行は、千鶴子があらかじめ確保してくれていた宿に移動した。宿は、近代建築の高層ホテルで、今まで泊まった中で、一番豪華な施設だった。客室も、まさにスイートルームと言うに相応しい、最高級の部屋だ。

 その部屋の中で、四人集まって、作戦会議をする。

「にょほほほ、鈴女がぱっと行って暗殺して来れば万事解決でござるな」

「でも、殺してもまたすぐに生き返っちゃうんでしょう?」

「生き返ったら、また殺すでござる。生き返るのが嫌になるほど殺すでござる」

「そんな……、鈴女ちゃんも危険よ」

「あの……、ランス様」

 シィルがおずおずと声を出した。

「私、怖いです……」

 確かに、シィルはこのパーティ唯一の魔法使いで、そして、今、ゼスでは魔法使いが虐殺の対象になっているという。シィルにとっては怖いだろうし、悲しいだろう。ふと、志津香とマリアの二人のことを思い出した。あの二人は、大丈夫だろうか。

「ねえ、とにかく会ってみましょう。そのシュレディンガーという男に」

 蘭は、そう提案した。

「だが、どうやって会う?」ランスが聞く。

「私が面会を求める手紙を書きます。それを相手が読めば、会ってくれるはず。もちろん、私たちが体制派の者だということは、バレてはいけない」

「書けるのか?」ランスが疑わしそうに言った。

「書けるわよ。北条家の外交文書だって、ほとんど私が書いていたもの」

 蘭は、その日、深夜までかかって、シュレディンガーに面会を求める手紙を書き上げた。そして、それをホテルのフロント係に頼んで、郵送してもらった。

 返事が来るまでは、ここで待機である。

 

 三日後、シュレディンガーから返事が来た。封を開けて中を読んでみると、

「我々は同志を歓迎する。三日後、マークへ来られたし」と書いてあった。

 その手紙を千鶴子に見せた。

「マーク……。人口100万人の大都市ね」

「会いに行くだけだからな。妙な動きはするなよ」

「しないわよ。でも気を付けなさいね」

「分かっている。もし相手が一人で、魔人だったらぶった斬る。それでこの件は解決だ」

「そんなに上手くいけばいいけど……」

 

 ランス達一行は、首都を出発して、徒歩でマークに向かった。反体制派の同志として会うのであるから、金持ちの体制派のように、馬車に乗って行くわけにはいかない。それに、ランスは馬車が嫌いだ。マークは、首都から南西に進み、跳躍の塔を越えて、さらに南に行ったところにある。出発したその日の夜には、マークに着いた。ここで、約束の日までを過ごすことになる。

 約束の場所をあらかじめ視察しておくことにした。その手紙に書いてあった場所は、全く普通の民家で、その民家の正面には、えらく立派な大邸宅があった。おそらく、魔法使いの一家が住んでいるのだろう。確かに、街中でこんなに堂々と格差を見せつけられては、一般市民の高級市民(つまり魔法使い)に対する恨みが大きくなるのも分かる気がした。

 

 そして、約束の日が来た。

 手紙に書かれてあった通りの時間に、その民家に行った。呼び鈴を鳴らすと、黒い服を着た男が出てきた。とても、カリスマとは思えない、丁寧な物腰の男だった。もしかしたら、この人が本人ではないのかもしれない。

 彼は、ランス達を応接間に案内し、ソファーに座らせた。そして、自らもソファーに差し向かいに腰掛けて、

「どうも。私がシュレディンガーです」と自己紹介をした。

 意外だった。黒い服、黒い長髪、長身の細身で、柔らかい物腰、切れ長の目。確かに、大陸の人間としては、少し変わった容貌ではあるが、カリスマらしい雰囲気は無かった。

「あなた方は、魔法使いを憎いと思っているんでしょう?」

 彼は、そう言って話を始めた。

「魔法使いはですね。神の失敗作なんです。元々、神は人間に魔法などという力を与える気は無かった。しかし、悪魔が神のプログラムの邪魔をして、一部の人間に魔法という力を持たせてしまった。いわば、魔法使いは神の失敗作なんです。プログラムのバグなんです。しかし、現状は、その失敗作が、完成作である一般市民を支配している構図になっている。これを改めなくてはいけない……」

 こんなことを、延々と語り始めた。もちろん、ランス達に真面目に聞く気はない。問題は、この男が魔人かどうかだ。

「だから、私はそのために何度でも蘇る。神が私を蘇らせるのです。神が、私という存在を通じて、この世界の失敗を片付けようとしているのです。神によれば、魔法使いなど一人もいない世界、それが正しい世界なのです」

 その時、呼び鈴が鳴った。

「おっと、誰か来たようだ。少しお待ちください」

 シュレディンガーは部屋の外に出て行った。その隙に、ランスはカオスにあの男のことを聞く。カオスは言った。

「あの男……、ぶっちゃけ、魔人」

 ごくり、と生唾を飲み込む音が聞こえた。

「そうか」

 ランスがカオスの言葉を聞いて、そう呟いた。

 

 シュレディンガーが戻ってきた。ソファーに座って、さっきの続きを話し始める。

「……というわけなのです。分かりましたか?」

 この男の話は、もう全く、ランス達の耳には届いていなかった。なぜなら、この男は、人ではなく魔人なのだから。

「よく分かった」

 ランスが頷いた。

「ほっ、それは良かったです」

 シュレディンガーはそう言って、口角を上げてにっこりと微笑んだ。次の瞬間。

「貴様が魔人だってことがな!」

 ランスがカオスを握って斬りかかろうとした。途端、後ろでドカーンという激しい爆発音がした。ランス達の気が、一瞬背後に取られる。

 後ろでは、来る時に見た魔法使いの大邸宅が爆発し、見るも無残な姿になっていた。広大な土地の囲いも何もかも吹き飛ばし、家屋はほとんど黒焦げになった骨組みだけしか残っていなかった。もし中に人がいたら、絶対に生き残ってはいないだろう。

「ふふふ……、もしあなた方が来なければ、彼らが死ぬことも無かった……」

 ランス達は、その声で後ろを振り返った。そうだ、後ろには魔人がいたのだ。そこに立っていたのは、人ではない、人型の、全身が真っ黒の魔人。目もなく、顔もなく、ただ黒い物体が人の形をしている。そのような魔人だった。そして、あろうことか……、あろうことか、その魔人は、シィルを左手に抱えて、人質に取っていた。

「シィル! 貴様」

 ランスが、しまった! という顔で、魔人を睨み付けた。

「ふふ、敵であることは分かっていましたが、まさか魔剣カオスまであるとは……」

「クッ!」

 ランスは、怒りの形相で魔人を睨みつけるが、シィルを人質に取られては手を出すことが出来ない。

「残念でしたね。あなた方は私に手も足も出すことが出来ない……」

 そう言って、魔人は、恐怖に立ち尽くす蘭の身体に手を伸ばした。

 蘭は、魔人に肩を触れられて、「ひっ」と小さな声を出した。魔人はそのまま、蘭の胸を、腰を、太ももを愛撫するかのように優しく弄る。

「人間というものは、弱いものです。私がちょっと力を込めるだけで、すぐに死ぬ……」

「ゆ……、許し……」

 蘭は、あまりの恐怖に、命乞いをしそうになった。実際、生身の人間が、魔人に触れられることの恐怖は想像を絶する。これが蘭ではなく、普通の人間だったら、とっくに失禁して、発狂しているだろう。

「やめろ! 貴様!」

 ランスが我慢できなくなって、大声を出した。

「ククク、遊びはそろそろ終わり、ですか……、グフッ」

 突如、魔人が口の部分から赤い血を吐いた。そして、その場に、膝をついて倒れた。魔人の後ろには、忍刀を持った鈴女が立っていた。一緒にこの建物に入ってきたと思っていたが、いつの間にか裏に回っていたのだろう。そして、隙を見て背後からこの魔人に近づき、忍刀で一刺ししたということか。

 魔人は倒れている。それにしても、魔剣でもない普通の刃物で、魔人の肉体に傷を付けた鈴女はさすが達人だと言えるだろう。しかし、魔剣で付けたのではない傷は、魔人はすぐに癒してしまう。早目にカオスでとどめを刺さないと。

「よし、とどめを刺すぞ」

 ランスがカオスを構えた。グサッ。刺したところに、既に魔人はいなかった。上を見ると、魔人は何事も無かったかのように、直立して、不敵に笑っていた。

「クククク、本当に面白い。あんなもので私を倒したと思いましたか? 私は元々、女を人質にとって闘うような卑怯者ではなくてね。ちょうどこの忍者の方が、人質を解放するチャンスを与えてくれたので、喜んでいたところなのですよ」

 ランス達四人は、魔人を囲むような体勢を取った。しかし、全く勝てる気はしなかった。

「さて、それでは今度こそ死んでいただきましょうか」

 魔人が手を振り上げた時、突如、真っ赤な火球が応接間のガラスを破って飛び込んできた。ガシャーンと、細かいガラスの破片が部屋中に飛び散った。そして、火球はそのまま、魔人の体に直撃した。

「グ……グオオ……」

 魔人の身体が焼け焦げる匂いがする。これは、人間の魔法ではない。人間の魔法では、魔人の肉体にダメージを与えることは出来ないからだ。では……、だとすれば、これは一体……。

「久しぶりだな、ランス」

 黒い、レザーだろうか、のようなドレスを身にまとい、黒のマントを翻して、小柄な少女が割れた窓から入って来た。ランスは、彼女を見て、目を丸くした。

「お……、お前……、サテラか!?」

「元気だったか、ランス?」

 その少女の後に、白い、ホルスの魔人が中に入って来た。サテラ、と呼ばれた少女が言った。

「こいつの名前はメガラス。最速の魔人だ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。