はじまりの空は青く (ななみん)
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はじまりの空は青く

 山の都イシュガルドの夜は存外寒い。酒場、忘れられた騎士亭の中層、客を気遣って暖炉に火をともし始めるマスターを眺めながら、エスティニアンはテーブルの一つに腰掛ける。時間は夕刻。今日は非番で、隣に座る彼もまた、同じく休日とのことである。

「本当に奢ってくれるとは。驚いたよ」

 短い黒髪に、青い瞳、エスティニアンと同じ神殿騎士であり、同年代の彼は端正な顔立ちをしている……俗にいう優男は、顔に違わず微笑みを向けてきた。

 ふん。鼻を鳴らし、エスティニアンは戻ってきたマスターに手を上げる。

「仮りを作りっぱなしというのは、性に合わないのでな」

 正直なところ。彼が何故自分に寄ってきたのか、エスティニアンは理解出来ないでいた。その理由の一つを、エスティニアンが人を連れてくるなんて、と驚くマスターが代弁した。

「ましてや、お偉いさんを連れてくるとは」

 耳打ちしてきた相手に、エスティニアンは苦い顔で笑う。

 実のところ。男のことをエスティニアンは良く知らない――神殿騎士になってからは特に、ひたすら槍の腕を磨くことしか頭になかったこともある。ただ、周囲が男を呼ぶところを見る限り、彼が爵位持ちであろうことだけは推測できた。

 神殿騎士が貴族である事は不思議ではない……不思議どころか、イシュガルドは貴族社会、上層部は四大名家と称される貴族達で占められている。むしろ自分のような者の方が少数派であり、故に物珍しさで興味が湧いたのだろう、とエスティニアンは溜め息を吐いた。

(ただ。今回は少しばかり厄介そうだ……)

 いくら己の腕磨きに没頭していたとはいえ、彼と同じように自分へと何人か寄ってきた事はエスティニアンも把握している。単なる気まぐれか、周囲へのアピールか……理由は様々にしろ、鬱陶しく適当にあしらえばすぐに離れていった――槍の師曰わく、時には媚びを売る事も近道、と諭された事もあったが、明らかに相手を見下している奴らと馴れ合うつもりなど、エスティニアンには到底考えられない。もちろん、熱い眼差しでメニューを見つめる彼も同じ理由であれば、決して例外ではない。

 自分の友になると自称した男とて。

(名前。何だったか)

 確か、師の名前に似ていた気がする……後ろで一つ括りにした白髪をいじるエスティニアンの隣で、男は口を開いた。

「アイメリクだ」

 思考を読まれ、エスティニアンは思わず肩を竦める。男は――アイメリクは苦笑し、顔に出やすいタイプなのだな、と形良い眉をくっと上げる。

「全く。数日前、共に倒したドラゴンの名前は覚えていて、共に戦った味方の名前を忘れるなんて。君は本当に変わっている」

 昨日報告書を一緒に書かされただろうに。呆れるようにアイメリクは肩を上下させる。

 人の顔を覚えるのは苦手でな、と適当に言い訳し、エスティニアンは改めて先日の礼を述べた。

「あの時は、本当に世話をかけた」

 返してくれるのだろう? アイメリクは笑って、メニューの一角を指差した。安酒を示す相手の側で腕を組み、後ろへとぐっと背中を倒す。

「金は持ってきた。遠慮など結構ですよ」

 勘に触ったのであれば謝る。感心しているマスターを睨むエスティニアンの側で、アイメリクは頭を下げる。

「……こういった酒は、飲んだことがなくて」

 貴族ともなれば、格が違うのでしょうな。質素な服の下、上等な布を見ている相手に嫌味を言われながらも、アイメリクの態度は変わらない。

「いや……お世話になっている養父が、いわゆる酒豪で。度々付き合わされるのだが、名も教えてくれぬまま、恐ろしい度数のものをそのまま」

 つまり、まともな酒を飲んだ事がないため、どれを選んで良いのか分からない。指した酒は、オススメと書いてあったから――青い顔で俯くアイメリクに、エスティニアンは吹き出した。

「酒が嫌いなら。何故、俺に奢れなどと言った?」

「嫌いではない」

 それに。目を細めながら、アイメリクは差し出された赤い水面を眺める。

「友とは、こうやって酒を酌み交わすものなのだろう?」

「……」

 これだから貴族は。エスティニアンは小さく呟くが、アイメリクの問いに言葉で返さなかった。優雅に小指を立て、ゆっくり酒を味わう相手を笑いながら、全く同じものが入ったグラスを傾けた。

(嘘かホンモノか)

 変わった貴族様もいらしたものだ。心中に捨てた感想は、赤く燃える炎の中で、薪と共に爆ぜた。

 

 

 

 

 

 陽は沈み、ランプと燭台が織りなす景観が見られるようになった頃。自分の酒の好みをメモするアイメリクを、エスティニアンは睨む。

(おかしい)

 マスターに頼み、伝票を確認したエスティニアンは、再度同じ感想を心中で漏らす。

(……全く顔色が変わらないだと)

 時間にして二時間弱。二人合わせてかれこれ十種類以上の酒と量を飲んでいるが、アイメリクの様子に全く変化が読み取れない、とエスティニアンは眉を顰める。人それぞれなれど、一定量の酒を飲めば変化が現れるというもの――笑みが増え饒舌になる者もいれば、少しの事で腹を立てるようになる者もいる。体質で頬が赤みを帯びる者もいれば、青い顔をしてトイレに駆け込む者もいる。だが、アイメリクはいずれにも該当しない、ように見えると口を結ぶ。

 女性に受けの良い顔で微笑み、好奇心旺盛な瞳でエスティニアンにあれこれ質問してくる。内容や指摘は的確で、賛否あれど、ブレが無い……飲み始めから全く崩れぬ様に、エスティニアンは驚きを隠せない。

「……。おかしい」

 何かおかしなことを言っただろうか? 目を丸くするアイメリクに、エスティニアンはグラスを叩きつけた。

「強過ぎる」

「数日前の一件で、確かに腕に自信が出きたとは思うが」

 腰に手を当てるアイメリクに心底呆れながら、エスティニアンは睨む。

「……良いぜ。表へ出ろ。お前の自信、叩き潰してやる」

 冗談、と眉を下げるアイメリクをエスティニアンは尚も睨む。これでも酔っているのだと肩を竦め、第一、とアイメリクはグラスの残りを飲み干す。

「君の腕には到底勝てまい」

「エスティニアンだ」

 エスティニアンを見ていた青い瞳が丸くなり、アイメリクは突然吹き出した。先程から見せる彼に似つかわしくない、大きな声――周囲の視線を全く気にかけることはなく、笑いながら突っ伏すアイメリクに、エスティニアンは面食らう。

「なっ、何がおかしい?!」

 エスティニアンのグラスを手に取り、アイメリクは中身を呷った。

「いや。全くもって悪かったよ、エスティニアン」

「…………」

 今日はこれくらいにしよう。店員に水を注文し、アイメリクは溶けゆく氷を静かに見つめる。

「色々あってね。酒と薬には、耐性がついてしまったようだ」

 暖炉の炎が揺らめく部屋で、二人の顔が照らされる。各々無表情のまま、赤く濡れた片手へと息を吐く。今日は人の入りが少ないのか、やけに響く木々の軋む音が静かな空気の方角へと流れ落ちる。

 やがて、やってきた水入りの瓶を手に取り、アイメリクは新しいグラスに注ぎ始める。

「酒とは面白い物だな。時に人を無防備にさせる」

「此処だと、呑まれる奴も多い」

 戦時下なら、下層民ならなおのこと。透明の液体の中でぶつかり合う氷上をぼうっと観察しながら、エスティニアンは目を伏せる。刹那、下層へ続く階段から怒鳴り声が響いた。グラスを磨いていた手を止め、マスターは客達に気を遣いながら駆けていく。彼を追うようにアイメリクが立ち上がるが、ワインボトルを目の前へ突きつけられた。

「……私に出来る事は、無いのだろうか」

「無い。理想を翳すのは結構なことだが、かえって迷惑だ」

 アイメリクが強く握りしめるボトルは、先程までエスティニアンが口にしていた若いワイン。澄んだ赤色からのぼる香りは強いがすぐに抜け、安酒相応の甘みと酸味が口の中で尾を引いている。時間が経つにつれ双方の味が混じりあい、独特の苦みが舌の上に残る。後味によって非常に好みが分れる代物だが、エスティニアンは水を飲むことで上書きした。

 ボトルを握る手に力が入る。手入れはされているが、剣と弓を持つ手特有の胼胝が垣間見れる武人の……貴族らしからぬ手に、底から響く声が降りる。

「理想を掲げる事が、そんなに迷惑な事なのか?」

 エスティニアンは答えない。未だに残る甘みに息を吐き、グラスに水を注ぐ。小さな氷が浮いていく側で、アイメリクは青い瞳を前髪の陰に隠す。

「誰かが声を上げねば……いや、上げてきたのだろうが潰されてきたのだろう。だが、無駄だからと始めから諦めることなど、私には出来ない。誰かが苦しんでいるのに、自分が出来る事をしないで見過ごすことなど――」

「……」

 足が動いたアイメリクの肩を掴み、エスティニアンは相手を強引に座らせた。小さく舌打ちした口で盛大な溜め息を吐き、高い天井を仰ぐ。妙に乾いた喉から出てきた言葉は、己の心へも切りつけた。

「お前みたいな奴が多くいれば、皆が救われるのかもしれんな」

「…………、そうだな。すまない」

 熱くなり過ぎていたようだ。アイメリクは少量残っているワインボトルを置き、エスティニアンに頭を下げた。

 構わない。社交辞令のように返したエスティニアンを、アイメリクはしばし見つめる。やがて懐に手を伸ばし、熱いものを宿した目で相手の隣へ椅子を持ってきた。

 少し見てくれないだろうか――エスティニアンの前に差し出された数枚の紙には、びっしりと文字が並んでいた。はっきり言って、非番の時にまで文字の羅列を見たくないとエスティニアンは思ったが、有無を言わさぬ威圧で書類を机に広げ、解説を始めたアイメリクに押し切られた。

「神殿騎士団内を中心とした、イシュガルド全体の改革案を書き連ねてみた物だ。一枚目が現状の問題点、二枚目から三枚目は考察――」

 故郷を奪ったドラゴンを殺す以外に興味が無いエスティニアンにとって、相手の目標など本当にどうでも良かった。ただ一つだけ、エスティニアンが惹かれた事を除いて。

 今まで理想を語ってきた同年代の貴族は、指の数を超える程度には目にしてきた。しかし――周囲が理解できるかはともかくとして、具体的な案を数枚の紙に纏め上げ提示した者は、アイメリクしか知らない。その意気込みと度胸にエスティニアンは感心した。

(ここまでの馬鹿は。初めて見た)

 しかし。いかんせん、話す相手を間違えている。ひたすらに熱く語るアイメリクを横に、エスティニアンはぼうっと文字の羅列を眺める。やがて、終わったのだろう、アイメリクは息をつき姿勢を正した。

「――と、以上だ。エスティニアンの見解を聞きたい」

「……」

 成程。酷く呆れた様子を前面に押し出し、エスティニアンは首を振る。

「全く分からん」

 聞いていたのか? 訝しむアイメリクを、エスティニアンはきっと睨む。

「聞くも何も。お前は人に理解させる気はあるのか?!」

 紙を叩き付け、エスティニアンは怒鳴った。

「まず、飲みに来た席で仕事の話を切り出す神経が分からん――いや、百歩譲ってそれは見逃してやる。にしてもだ」

 皆がみな、アイメリクのように頭が良い訳ではない。ましてや伝統を重んじ変化を嫌う閉鎖的なイシュガルドの気質、若く斬新な提案がすんなり受け入れられるとは到底思えない。故に少しずつ周囲の理解を得ていく形をとるのだろうが、先程アイメリクが話したものは酷く一方的なものである。理路整然過ぎるが故のとっつきにくさから始まり、聞き慣れぬ難解な単語や神殿騎士団内独自の用語の多用、理解していると思われる内容が省略されている事により、話の前後を把握するために受け手は理解にかなりの時間を要する。

 心当たりがあるのか、アイメリクは反論なく俯く。相手を横目に、少し言い過ぎたか、と思うこともあり、エスティニアンは幾つか気になった用語を質問してみた。

 アイメリクは真摯に受け答えするも、やがてむっとした表情でエスティニアンを睨む。

「神殿騎士団内の組織を全く理解していないのは、さすがに呆れる。自分のために、もう少し勉強するべきだ」

「う゛っ。そんなことはどうでも良いだろ」

「どうでも良い、だと――君は、神殿騎士として恥ずかしくないのか?!」

 その後。理論と感情が散らかる二人の争いは、様々な分野へ飛び火した。騎士の在り方から礼儀作法、槍や剣の振り方からチョコボの騎乗した際の捌き、等々。先程飲んだ酒肴の好き嫌い……そこまで話題が巡って来たところで、二人はようやく押し黙る。氷が消失している各々のグラスを啜り、舌に当たる温い水で冷静さを取り戻す。

「全く。酒とは」

「面白い物だ」

 一方は顔を上げ、一方はグラスを眺める。視線こそ交わる事がないが、二人は共に微笑んだ。炎から広がる熱が冷たい床を走る部屋で、対の双眸は若い星のように輝く。

「アイメリク」

 エスティニアンはグラスを置き、インクが滲んだ論文を持ち主の胸へ押し付ける。

「お前の考えとやら、少しは分かった。だが」

 アイメリクの型良い眉が上がり、エスティニアンの表情も自然と険しくなる。

「それを示すということは。現政権……神殿騎士団トップの総長や、実権を握っている教皇、脇を固めるお偉方に喧嘩を売る覚悟はあるんだろうな?」

 一瞬アイメリクは驚いた様子で目を丸くし、哀愁漂う小さな声で独りごちた。

「そうか……私は、あの人にも」

 誰のことだ? エスティニアンは呟くが、聞こえなかったのだろう、相手は答える事はなかった。

 喧嘩を売るようなことはしない。紙の皺を丁寧に伸ばしながら、アイメリクは微笑って否定する。

「国をより良い方向へと変えたい、それだけだ」

 ただ。一呼吸置き、アイメリクは紙を仕舞った胸を強く押さえる。奇妙なまでの気迫が、エスティニアンの心へ深く刻む。

「必要とあらば……教皇猊下に奏上する覚悟は、出来ているつもりだ」

 それが、喧嘩を売るということなのだが。手を振るエスティニアンに、アイメリクの頬が紅潮する。

「これまでに。民を守るべき為政者達の横暴で、弱い者が路上で死に、無能な指揮官のせいで勝てる戦も勝てず強者が何人無駄死にした」

 横領、賄賂、冤罪……イシュガルド全体の一握りである貴族に富は寡占され、彼らの計謀によって下層民は巻き込まれ、人生を狂わされる。千年以上同じ事が続く社会、下から這い上がる術は無いに等しく、生まれによって人生が大きく左右されるといっても過言ではない。たとえ機会を掴んだとしても、彼らの台頭を良しとしない者が金と知識と権力にものをいわせて全力で蹴落とす。あるいは軍人であれば、途方もなく勝ち目の無い戦に彼らを送り、負けた原因を遺体へとなすりつける。そして今日も全く変化のない構造が続き、終わらぬドラゴン族との戦いと、遺体の数だけ悲しみと憎しみが積もっていく。

  後どれ程の死人が出れば、この連鎖が終わるのか――慟哭にも近いアイメリクの呟きに、エスティニアンは目を伏せる。自分にとって、彼の話す事は正に他人事である、が、屋敷でぬくぬくと育ってきた貴族の子息にしては奇妙な性格をしている、と手を組む。おそらくは、貴族といえどかなり下級の家で、神殿騎士となる以前は苦労をしてきたのだろう。いつ自分が落とされるか分からぬ現状で、近しい人間が落とされる様を……時には、蹴落としてきたのかもしれない。

 周囲に敵しかいない状況下で、よくも他人のためにという考えでいられるものだ、とエスティニアンは心中で笑う。同時に、聖人に通ずるものに苛立ちを抱き、グラスに入った水を呷る。

「なら。お前が上に立てば、出来るというのか?」

 薄く笑った相手に、アイメリクは断言する。

「出来るか、ではない。誰もやらないのだから、私がやるまでだ」

 口だけは立派なものだ。そんな嘲笑の一つでも言うつもりだったが、エスティニアンは結局口にはしなかった。

 青い瞳は、エスティニアンを向いてはいない。若干冷たさの残るグラスを握りしめる、濡れた手の上、降りた前髪の奥で暖炉から揺らめく炎が水面に映る。

 馬鹿が付くほど真剣に、誰しもが愚かだというものに立ち向かう者を笑うような甲斐性を、エスティニアンは持ち合わせていない。

 何故なら――

「知ったことか」

 酷く鋭い視線で睨まれるが、エスティニアンは一切訂正しない。

「俺には全く興味が無いんでね」

 一匹のドラゴン……ニーズヘッグを殺せれば十分。熱い息を押し止め、エスティニアンは追撃する。

「ああ。戦争の元凶たる奴を――ニーズヘッグを倒せば済む話なのか、とかいう馬鹿な事は尋ねてくれるな。俺は国を良くしたいんじゃない、奴に復讐したいんだ」

 もちろん。再度何か言いたげに口を開くアイメリクの首元に、エスティニアンは指を突き立てる。

「それを含めて、問題はそう単純ではない。頭のいいアンタになら嫌なほど分かっているだろ。だから、理解者を一人でも多く求めて俺のようなやつにまで寄ってきた、違うか」

「……」

 アイメリクに協力する気はない。同志を集めるなら他を当たってくれ。大袈裟に肩を動かし、エスティニアンは首に手を当てる。

「だが――」

 ばっさり斬ったはずが、思わず出てしまった言葉。訂正するか、否か……結局後者を選んだ自身を嗤いながら、エスティニアンは後方で結んでいる髪留めを外す。

「お前が偉くなったら、利用してやらんこともないぞ」

 目を瞬かせるアイメリクの正面で、エスティニアンの長く白い髪が降りる。

「俺をニーズヘッグの目の前へ連れてってくれるんなら、尻尾を振ってやる。ということだ」

 きゅっと髪を結び直したエスティニアンの正面で、呆けていたアイメリクは再び大声で笑い出した。ボトルを置き、テーブルの下で腹を抱えながら、机に肘を突くエスティニアンに向かって呟く。

「やはり君も、私と一緒の類で安心した」

 ひとしきり笑った後。アイメリクはグラスに水を注ぎ、一気に飲み干した。

「全く。エスティニアンは面白いな」

 君に目を付けた自分も鼻が高いよ。苦々しく顔を歪ませるエスティニアンとは対照的に、アイメリクは大きく胸を張った。

「構わない。それで目的が達成されるのであれば、好きなだけ利用してくれ。友に利用されるという経験も、なかなか出来るものでもないだろうしな」

「まだ言うか」

 しかし。嘲笑がみえる顔で、アイメリクはエスティニアンを見下げる。

「言ってくれるじゃないか。私が神殿騎士団総長になった暁には、誰も無駄死になどさせるつもりはない。一匹のドラゴンを命からがら倒す程度の腕の者を、わざわざ死地へ送るとでも?」

「ぐっ……こいつ」

「良くも悪くも、私は至って慎重だ。それこそ君が、十数年前ニーズヘッグと対等に渡りあったという現「蒼の竜騎士」程の実力を持っていたとしても、勝算の無い戦に送り出すことなどしない。ともかく」

 相応の実力をつけ、尻尾を振る相手を間違えないことだ。少なくとも、現段階では相手を間違えている――目を細めながら座り直すアイメリクに、そうかい、とエスティニアンは腕を組む。

「なら訂正だ。お前が権力を振りかざす前に、奴を殺ってやるさ」

 まずは「蒼の竜騎士」でもぶっ倒してくるとしよう。意気込んだエスティニアンだったが、マスターに肩を叩かれ伝票を受け取る。相手が指で示す先、夜が濃い景色に息をつき、お開きとするか、と手にある数字に目を通す。

「……」

 無表情で、エスティニアンは自身の財布を取り出す。

「アイメリク」

 輝きのない目で紙幣と硬貨をつぶさに数え、伝票を再度確認し、そっと目を瞑った。

「水代だけ、貸してくれ」

 目を合わせようとしないエスティニアンから視線を逸らし、アイメリクは返答した。

「断る。生憎、友人にもお金を貸さない主義なのでね」

 

 

 

 

 

 空が白み始めた明け方。師が経営する道場にやってきたエスティニアンに、ヒューラン族の男が声を掛けてきた。

「やけに早いじゃないか。……どうした? 昨日は飲みに行った後、槍を新調したんじゃなかったのか?」

 色々あってな。目を擦り、伸びをするエスティニアンの手に槍は無い。

「アルベリクには関係ない事だ」

「何だ? まさか、友人に有り金全部巻き上げられたのか?」

 揶揄のある口調で問うアルベリクを無視し、エスティニアンは部屋の片隅にある武具置き場へと歩いて行く。無言で背を向ける門弟に目を丸くし、アルベリクは眉を下げた。

「……否定はしない、か」

 友人がいないようだったから安心したよ。笑いながらカーテンを開けていくアルベリクに舌打ちし、エスティニアンは槍を持つ。

「古いやつを貰うぞ。どうせすぐ壊れるから構わんだろ」

 エスティニアン。先程とは打って変わって低い声で、アルベリクは窘めるようにエスティニアンを見据える。

「今日は寝た方が良い」

「アンタが寝言なんて、珍しいこともあるもんだ」

「私はこう見えて忙しいんだ。徹夜明けの酔っ払いの面倒なんて御免でね」

 入口からやって来た門弟達に手を振り、アルベリクは備品の点検を行う。弟子の誰かにやらせればいいものを、とエスティニアンは息を吐くも、槍を置いて手伝い始める。

「……寝られなかったんだよ」

 アイメリクと別れ、無事家路に着いたエスティニアンだったが、疲れた身体をベッドに預けるも、全く寝る事が出来なかった。酒のせいか、あるいは――身体が熱く、顔を洗うも冷水を飲むも全く効果がなく、結局朝まで窓の外を眺めながら過ごした。月明かりがやけに眩しい中、槍も買い損ねたこともあって鍛錬する気にもなれず、隅で埃を被っていた神殿騎士の心得という本を適当に読みながら。

 分かったわかった。心底面倒な顔でアルベリクは立ち上がり、槍を相手に渡す。

「相手をしてやるから、早くかかって来い。ただし私に負けたら、おとなしく寝るように」

「偉そうな口を」

「お前にだけは言われたくない。まあ、私に膝を付かせてから幾らでも聞いてやる」

 当然。穂先を相手へ向け、エスティニアンはゆっくりと構える。

「まずはアンタをぶっ倒して。さっさとニーズヘッグを殺してやるよ」

 あいつの世話にはなりたくないんでな。握る手に力を込め、エスティニアンは床を蹴った。

 振り上げた槍は音を立て、今日もこの場に剣戟が響きわたる。巻き上がる塵が落ちる事、数回。アルベリクの真下で、エスティニアンの身体は転がっていた。見下げる相手に口を結ぶも、白髪が広がるエスティニアンの心は妙に清々しい。

 窓から見える空は蒼く、上がる息は熱い。壊した古い槍の感触が残る中、今日のはじまりを告げる風を焼き付けるように、エスティニアンは瞼を閉じた。



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