織田信奈の野望 〜和泉立志伝〜 (トリックマスク)
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謀反編
和泉という家筋
和泉家ーーーーー
私の聞くところによると、和泉家は日本神話で出てくる最上位の神様(?)である天照大神と契りを交わした一族の末裔らしい。
その証拠に我が和泉家の血を引く者は代々体の何処かに『天照大神』の姿でもあった狼の特徴が出ている。例えば獣のような耳が生えていたり、尻尾が生えていたり、犬歯が異常に発達していたり、鼻が効いたり・・・。とにかく純粋な人の形では無い。
そしてその和泉家の血筋は21世紀に入った現在でも続いていて、私がその血筋の末端であったりする。
私の名前は和泉 桜(いずみ さくら)。
京都の私立高校に通う普通じゃない女子高生で、理由は前述の通り。しかも私は天照大神の血が濃く出ているのか狼耳は出るし、犬歯は鋭いし、尻尾もあるし、目は紅いし、鼻も異常に効くし、犬派だし。とにかく人間じゃない。
そのため帽子は生活に欠かせないし、スカートや短いズボンは尻尾を隠せないのでNG。口は八重歯と誤魔化せるけど、紅い目は割と気味が悪いと評判。
本当に稀に良く思う。
「なんでこんな家に生まれて来たのだろう・・・」
基本的に隠し事が多い為に友達は出来ないし、学校では一人ぼっち。時には虐められた時もあった。そして秘密が暴露たりしたら化け物扱いされて転校。
友達と言えば犬くらいだ。血筋と関係があるのか知らないけど、どんな犬にも敬意を払われる。
「はぁ・・・」
そんな私はこの日もこの人生で数百回目のため息を吐きながら帰宅の路に就いていた。
そんな中・・・。
「キャンキャン!」
どこからか仔犬の鳴き声が聞こえた。しかし周りを見回しても仔犬の姿なんて見えない。
どこだろう?
「キャン!」
するともう一度、今度は上から聞こえた。
見上げてみるとそこそこ高い街路樹の枝に柴犬の子供がぶら下がっていた。いや、表現が違った。落ちかけていた。
「え?ちょ!ヤバイ!!」
気が付くと私は走り出して子犬の落下予測地点に向かっていた。
あの子犬も運が悪いのか、ぶら下がっているのは車道にまで伸びた枝。しかも高さも7m程はあるし、何より交通量も多い。
「(死んでしまう・・・っ!)」
その思いだけが私の中にあった。
遂に耐えきれず落ちてしまう仔犬。私はさも野球のヘッドスライディングのように飛び込んで仔犬をキャッチ・・・・・・した!
ギリギリで仔犬は硬いアスファルトに叩きつけられずに私の手のひらに弾かれて「キャン!」と声を挙げながら草むらに着地する。
「よかった・・・」
そう思った瞬間。
私の視界に入ったのはけたたましい警笛を鳴らしながら走ってくる大型トラックだった。
ここは車道。そして距離にして5m程の距離の大型トラック。
後は簡単にどうなるか分かった。
ビチャァッ!
後に残ったのは血だらけの現場と、動かない私の肉体だった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
時は戦国、世は群雄割拠。
十年にも及ぶ応仁の乱は京の都を灰にして、中央政権だった室町幕府の求心力を大幅に衰退させた。
既に各地の大名達は各々の大義や野望を掲げて、自らの領地を広げる戦乱を繰り広げている。
そんな中で我が和泉家は織田の尾張と今川の三河に挟まれた鳴海の国(三河湾周辺の新興国)の保持が精一杯だった上に、当主であった和泉 信輝様がご子孫を残さずに死去してしまった。
とうとう当主不在となった和泉家は自然崩壊して、家臣達は織田に降伏するか今川に降伏するかでかなり揉めたいた。
「して、本多忠勝殿はどうお考えか?」
信輝様不在の軍議の間で私は今川派の家臣に決断を迫られていた。
私は・・・この家を裏切りたくない。この家を捨てたくない。
でも既に当主は死んで、家柄も形骸化してしまっている。私は・・・・・・
「私は、いま・・・」
そこまで言いかけた時だった。ドタドタと足音を立てて伝令の侍大将が軍議の間に入ってくる。
「大変です!城下の者達が、現神様が出たと騒いでいます!」
「「「なんだとっ!!」」」
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鳴海の町
「ここ・・・どこ?」
気が付くと私は草原のど真ん中で倒れていた。
天国じゃなさそうだし、地獄でもなさそう。見たこと無いからわかんないけど。
ちょっとまって・・・
「なんで生きてるんだろう?」
私は起き上がって体をチェック。五体満足、耳もある、犬歯もそのまま、服は・・・汚れの無い学校の制服。そして側には通学カバンの茶色いリュックと愛用の大きめの帽子が落ちていた。
顔も触って見たけど大して変化無し。リュックから携帯鏡を取り出して見て見ても顔は変形もしていないし、血で汚れてもいない。
あんな大きいトラックに跳ねられたら骨折はすると思うし、頭蓋骨陥没とか粉砕とかあってもおかしくないと思ったけど・・・。
「全く事故の形跡が無い・・・」
リュックの中身を見ても筆記用具は無事だし、携帯や電子辞書の画面も割れてない。
どういうこと?
さらに私はここがどこなのか携帯でマップを開こうとするけど圏外で、携帯の時間も00:00のままカウントされない。
「と、とにかく歩こう!人がいない訳じゃ無いし!」
そう言って自分を元気つけて私はリュックを背負って歩き出すのだった。
幸いな事が私は鼻が利く、つまり人間の匂いを追うことが出来るという事だった。まさかこの体が役に立つとは思わなかった。
「道・・・?」
暫く歩いただろうか、程なくして私は舗装されていない土剥き出しの道に出た。
違和感を覚える。道は車が走ったような痕跡は無いし、何か動物の足跡が沢山ある。それに辺りを見回しても民家一つ無いし、何気に動物の糞が道の脇に固められてて臭い。
「・・・?」
鼻が利きすぎるのか、糞が臭すぎるのか。とにかく私には強烈な匂いのせいで声も出せずに私は道に沿ってとりあえず進むのだった。
踏まないように足元に気をつけなきゃ。
「電線も無い、線路も無い、アスファルトも標識もガードレールも無い。緑いっぱいの草原や森はある。犬はまだ会ってない・・・」
結局人造物を見ることなく私は未舗装の道を歩き続け、1時間程した頃だろうか。私はやっと町を見つける事が出来たのだった。
しかし・・・
「・・・木造剥き出しの長屋、後ろに見えるのはお城?」
現代ではまず見ない、江戸時代か戦国時代の街並みがそこにあった。
ますます分からなくなってきた・・・。
よく見ると人々は皆和服だし、中には帯刀したチョンマゲもいる。
「・・・とりあえず、情報を集めなきゃ」
そう思って私は街へと向かい、行き交う人々にここは何処で今は何時なのかを聞き出す事にした。
しかしこれがまた勇気のいる作業で、しかも人々は私の服装が珍しいのか物色する視線が痛い。
「やっぱり江戸時代か戦国時代なのかなぁ?」
周りを見てそんな不安が広がる。
トラックに引かれて映画撮影の現場にいましたなんて訳無いだろうし、だとしたら私が考えているのはタイムスリップとか別世界に転生とか・・・。そんな小説や漫画の設定のような事を考えていた。
「茶屋・・・」
とふと目線に入ったのは茶屋、現代で言う喫茶店のような店・・・だったと思う。
とにかく人が集まる所で、もしかしたら何か情報が得られるかもしれない。ていうか場所と月日ぐらい絶対に分かる。
そう思って私は茶屋に入るのだった。
「ん?お嬢ちゃん、見ない顔に服装だな。旅の者かい?」
と入るなり穏やかに店主が話しかけて来る。
「ええっと、そんな所です」
「そうかい。で、何か食べるかい?」
そう言って店主は皿を取り出す。
団子も魅力的だけど今は色々聞き出さないと・・・!
「えっと、その、無粋な事を聞くのですが・・・ここは何処なんでしょう?」
「え?お嬢ちゃん、自分が旅をしている場所も知らないのかい?」
と店内は爆笑に包まれる。
「ここは鳴海の国。尾張と三河に挟まれた小さな国さ、そしてこの町は鳴海城城下町だ」
尾張と三河の間に国なんて無かった気がするけど・・・。
「ありがとうございます!あと、今は何時でしょうか?」
「お嬢ちゃん大丈夫かい?今は永禄元年・・・じゃなかった、永禄2年の1月12日だろ」
また店で爆笑が起こる。恥ずかしい、恥ずかしすぎて死にたい。恥ずか死する!
「そ、そそそそ、その!ありがとうございました!」
あまりの恥ずかしさに私はテンパって勢い良くお辞儀をして店を後にしようとするが、パサという音と共に頭が少し軽くなる。
これって・・・
「あ、え?ひゃぁ!えっと!」
ヤバイ!ヤバイヤバイヤバイ!!
見られてる!店が一気に静まり返って、皆の動きが時間を止めたみたいに一切動かなくなってる!
「あわわわわ!失礼しました!」
急いで店を出ようと半泣きになりながら扉を開けて飛び出すが、何かにズボンが引っかかって転けてしまう。
「ふぎゃぁ!」
バリバリと扉を破って私は情けない事に耳を曝け出したまま外へ出てしまうのだった。しかもズボンがズレて長くてフサフサした尻尾も露出してしまう。
「ううっ!」
過去の記憶が蘇る。化け物、気持ち悪い、来ないで、怖い・・・、今までに言われた事のある暴言が頭を過る。
思わず蹲って耳を塞いで目を閉じる。怖い・・・。
「・・・あれ?」
しかしいつまで経っても暴言や石や物は飛んでこず、未だ周りは静かだった。
何も無い?何で?
そう思いつつ恐る恐る目を開けてみると・・・。
「・・・えぇ!?」
私を中心に町中の人々が全員三つ指を付いていた。
「ええぇぇぇぇぇっ!?」
どういう事態か、正直飲み込めなかった。
そんな中・・・。
「すまん、通るぞ!」
頭を下げる住民達の間を掻き分けて、鎧を着た少女がやってくる。
「現神(あらかみ)様・・・?」
そう呟いた少女は私の体を上から下まで何かを見定めるように見回し、考え込んでいた。
「ふむ、しばしご同行願おう」
そう言って少女は私の手を取って城へと連れて行くのだった。
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不穏の種
「お前は誰だ?」
そう聞かれて自分が何者か答えるのは簡単だと思う。氏名を明かして、場合によっては免許証や保険証といった身分証明証をドヤ顔で見せつけたら済む話だ。
でもその身分証明証が存在しない時代、例えば戦国時代ならどうだろうか?しかも自分はこの時代に来たばっかり。どうやって証明しろと?
そんなトンデモな場面に私は直面していた。
「貴女は一体何処からって来たのだ?」
私は例の鎧姿の少女に鳴海城という城に連行され尋問を受けていた。
「私は・・・その・・・」
目を泳がせながら私は言葉を濁す。果たして私は『未来から来ました』と正直に言うべきか、それとも適当に誤魔化すべきか。
しかし状況は悪く、私を取り囲む武将達の中には「今川か小田の草(現代で言うスパイ)ではないか?」と疑い、刀に手を掛けている者もいる。下手打つとこれ切られるんじゃないかな?
まだ死にたくないしなぁ・・・。
「私は・・・未来から。今から400年程先の西暦2015年から来ました」
私は決めた。とにかく本当の事を話そう。
とりあえず現代より扱いが酷い訳じゃない(現代では化け物扱い、この時代では神様扱い)。当たって砕けろと言うじゃないか!
「未来・・・だと!?」
私の発言で武将達はざわつき、鎧姿の少女も目を白黒させる。
「私は和泉 桜。見ての通り『化け物』、一族の血か遺伝子か知らないけどね」
そう言って私は口を指で広げて犬歯を見せる。狼の様な耳と尻尾に歯、そして紅い目。どれも普通の人間には無い要素だ。
私は尻尾をパタパタと振りながら鎧姿の少女を見つめる。ちなみに尻尾を振るのは私の興奮した時の癖だ。
「嘘を申すな!貴様、今川の草だろうに!」
私の衝撃的なカミングアウトで静まったこの空気を打ち破るように後ろから男性の声が響く。
振り返ると既に抜刀した中年の武将が息を荒立ててこっちを睨んでいた。
「現神様を装う不届き者め!成敗してくれるわっ!」
「止めろ!平八郎!」
と今度は鎧姿の少女が声を挙げる。するとどうだろう、平八郎と呼ばれた武将はこっちに殺気を向けながら刀を鞘に納めて再び座る。
やっぱりあの少女がここのボスなのか。
「続けてくれ」
と少女。私の話を信じるのだろうか?
「私は気が付くとこの町から離れた平原にいた。何故かなんて知らない」
「では貴女が本当に未来から来たという証拠はあるのでしょうか?」
証明ね、正直言って私の知っている歴史と同じ歴史を辿るとは限らないし、未来を教えても確認のしようがない。
「証明なんて無い。ただ私は未来の武器の作り方、効率の良い稲作の方法、高度な建築方法を知っている」
私の持っている電子辞書がだけど。
「それに私が本当に未来人では無い証明なんて出来ない。そして私は未来の技術を知っている」
悪魔の証明。
私は未来の技術を知っている(電子書籍を持っている)、これ一つで私は『未来人である』という一つの証明となる。しかし私を『未来人でない』と証明するには私の持っている技術を覆す技術が必要な上に私が未来に存在しない証明もしないといけない。これは『不可能』に限りなく近い状態で、人はこれを『不可能』と判断する。つまり私は『未来人でない』という証明を『出来ない』のである。
身近な事例なら満員電車での痴漢の証明とかがあるけど、これを話し始めたらキリが無くなるので辞めておこう。
「ふふふ、未来の和泉家は面白い事を言うのですね」
「進化しているんだよ」
トンチとか屁理屈とも言うのだけど。
私の答えに満足したのか、鎧姿の少女は少し笑いながら立ち上がって私の所にやってくる。
そして私の目の前で三つ指を付いて。
「今までのご無礼お許し下さい。貴女は和泉家の人間、現神様でありました」
「へ?」
我ながら間抜けな返事だ。
でも確かに唐突すぎて私は何が起こったのか理解出来ていなかった。
私はこの少女を論破してしまったのだ。
「私は本多忠勝。第43代和泉家当主の和泉 信輝様から名代役を仰せつかりました者でござります」
本多忠勝・・・って!この娘が本多忠勝!?女の子じゃん!!
私の知っている歴史では本多忠勝って男だったと思うのだけど・・・。それに徳川家所属だった気もするし。
「私はこの時を持ちまして、代44代和泉家当主である和泉 桜様に主権を返上する次第でございます」
「ちょ、ちょっと待って!」
いくらなんでも急展開過ぎない?
そもそも私はこの時代の人間じゃないし、大名だなんて出来る訳が無い!
それに彼女が納得しても、他の武将が納得しないでしょう!?さっきの平八郎さんとか平八郎さんとか平八郎さんとか。
「忠勝殿!私は反対です!このような馬の骨も分からんような者を当主にするなど・・・っ!」
って早速怒ってるし。しかも賛同する武将も多数、ヤバくない?
「未来だろうと過去だろうと関係は無い。桜様は和泉家の人間だ、それに貴様は我が和泉家自体を否定するのか?」
そう言って忠勝さんが指さしたのは私の耳と尻尾。確か『天照大神』の証か何かだった気がする。伝承なんて興味無かったからあまり覚えてないけど。
「この平八郎、もう我慢なりません!帰るぞ!」
そう言って平八郎を始めとする多くの武将はぞろぞろとこの部屋から出てゆくのだった。
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初陣
「しかし、かなり厄介な事になりました」
私がこの和泉家の当主に任命(?)された会議の直後、忠勝さんはそう呟いた。
確かに平八郎と呼ばれた中年の武将(とその取り巻き達)はかなり怒って出て行ったし、謀反とか起こってもおかしく無いかもしれない。
ちなみにさっきまでこの会議に参加していた武将達の殆どは反対派で、平八郎に連なって出て行ってしまった。今この部屋にいるのは私と忠勝さんと2人の武将の4名だけ。
「そういえばまだ桜様に自己紹介しておりませんでしたね」
「え?」
唐突に忠勝さんは思い出したように言うと、残り2人の武将も連れて私の所に来る。
「名前はもう紹介しましたが、改めて。本多忠勝です、槍働きに自信がありますのでどうぞこき使って下さい」
「よ、よろしくお願いします」
忠勝さんは腰まで届くであろう長いポニーテールを揺らしながら頭を下げる。それにしても礼儀正しい人だなぁ。
「では順を追って。相馬からいこうか」
「はい」
と忠勝さんが片方の黒い着物を着た青年を呼ぶ。
顔立ちは整っていて、なおかつ身体つきも華奢なのでどこか中性的な印象を受ける。
「天城相馬(あまぎ そうま)です、気軽に相馬と呼び捨てにしてください。ここでは軍師をやっておりました」
「あ、よろしくお願いします。えっと、相馬」
「はい!」
相馬は少しの嬉しそうに返事をすると、後ろにいた青い着物を着た少女と交代する。
「・・・佐久間信盛(さくま のぶもり)。交渉が得意」
とまるでロボットのように言う。ボーカロイドでさえもっと感情的な声を出すのに・・・。
「・・・眠い。姫様、先に失礼します」
そう言うと信盛さんはフラフラと部屋を出てゆく。
なんというか、無口な人だ。
「はぁ、桜様。佐久間のアレはいつもの事なので気になされなくて大丈夫ですよ」
「は、はぁ・・・」
とまぁ、取り敢えずこれで全員か・・・。
反対派の人数はこの倍だと考えると、説得するにも戦をするにも極めて不利だ。
「して姫様、現在の状況ですが・・・」
そう言って忠勝さんは近辺の地図を広げて、私と相馬に説明を始める。
「元々この鳴海国には2つの城が存在しています。一つはこの鳴海城、そしてもう一つは東の岡崎城になります」
そう言って忠勝さんは地図にバツ印を付けて城の位置を示す。しかし地図が正確で無い(今のような正確な地図が完成するのは江戸後期に伊能忠敬が測量してから)ので見づらい。
「そういえば・・・、ちょっと待って」
「?」
そう言って私は背負ったままだったリュックから教科書を取り出す。
取り出したのは『日本地図帳・2015年度版』。A4サイズで厚さ1cmを誇るこの教科書(?)は日本全国をかなり詳しく記されている上に、鈍器としても活用出来る極めて優秀な教材だ。
「さ、桜様。これは?」
「あー、未来の地図かな?ちょっと待ってて・・・」
パラパラとページをめくって出したのは愛知県中部の地図。2015年度版だから違う所は多々あるけど、鳴海城と岡崎城の間の距離と地形ぐらいは分かる。
「むぅ、線がいっぱいで分からないです」
と忠勝さん。確かに等高線とかもびっしり描かれてるから分かりづらいよね。
相馬は何と無く読めるようで、双方の地図を交互に見比べて何か頷いていた。
「相馬は読めるのか?」
「なんとなくですが、しかし物凄く正確に描かれた地図です。姫様の時代にはこんな地図が完成しているのですね」
実際は江戸後期だから200年程先の未来になるけど、口は災いの元とも言うし無駄な発言は控えておこう。
「では話を戻します。平八郎率いる岡崎城勢は挙兵こそしていませんが、謀反と考えて間違い無いでしょう」
「謀反・・・」
その言葉で私がこの時代に来たという重さが分かってしまう。私一人の所為で一体何人の人が死んでしまうか・・・。
「そう気を病む必要はありませんよ、姫様。平八郎は居なくとも、事を成していたと僕は予想します」
と相馬がフォローしてくれるが、私が引き金である事には変わりない。
「とにかくこのままでは他家に隙を与えるだけです、一刻も早く岡崎城を落としましょう。現在の鳴海城の兵力は1万程、それに対して岡崎城側は7千程です。合戦に持ち込めば必ず勝てるでしょう」
そう言って忠勝さんは地図の上に囲碁の石を鳴海城に10個、岡崎城に7個を置く。
「問題は合戦に勝てるか・・・という事ですね」
と真剣な声で相馬。
確かに兵力差は相手も知っているのだからそれなりの対策を練って来ると思う、兵力差は3千程だから奇襲をかければ一気に形勢は逆転してしまうだろう。
「相手は奇襲で来る・・・だったら、こっちも奇襲してやろう!」
「え!?奇襲・・・ですか?」
忠勝さんが驚いたように声を挙げる。確かに奇襲してこようとしている敵を奇襲するなんて前代未聞だろう。
「私と忠勝さんを囮にして、相馬と信盛さんで出て来た敵を叩く。これは賭けになるけど、上手く決まったら一気に有利に立てる」
「しかしそれでは桜様が危険に・・・!」
「忠勝さん。この謀反は私がここに来たから起こったんです。だったら、私がこの謀反を鎮圧しないといけないんです」
「しかし・・・」
私の身を案じて忠勝さんが反論してくれるが、徐々に押されて口数が減ってゆく。
「大丈夫、必ず上手くやれます!忠勝さん、私を信じて下さい」
「・・・っ!桜様、必ず無事でこの戦を終えて下さい!」
しばらく考えた後、忠勝さんは不安の色を隠せないままそう言って部屋を出てゆく。
「相馬、戦の準備を」
「はい!」
大丈夫、私はやれる。
そう思いながら私は初めての合戦に臨もうとしていた。
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戦の常
「今です!矢を射って!」
私の号令と共に弓矢を持った足軽達が矢を放ち、敵陣に矢の雨を降らせる。そして敵が混乱しているうちに槍隊に突撃させて戦線を切り開いていく。
鳴海城から東南へ少し離れた刈谷という所で私は合戦をしていた。
「無駄に追わないで!今は私達はこの敵を抑えておくだけで十分です!」
境川という川を挟んでの戦い。私は相馬と佐久間さんを敵陣への強襲、忠勝さんに岡崎城の攻略をお願いし、私はたった2千に兵を率いて5千はいるだろう敵軍と戦っていた。
「姫様!敵が撤退します、いかがなさいますか?」
そんな中、侍大将の報告と同時に敵軍が少しずつ引いていく。まだ戦いは始まったばかり、いくらなんでも撤退にしては早すぎるけど・・・。
「大変です!境川上流に敵別働隊を発見!こちらへ向かって来ます!」
「しまった!」
私の部隊で別働隊と本隊の両方を相手は・・・難しい。
ここは撤退するべきか、無駄に兵を失う訳にはいかないし・・・。
「引きます!早く鳴海城まで引いて下さい!」
ドドドと地面が微かに揺れるような感覚を受けながら私は必死に指示するが・・・。
「和泉 桜、その首貰いに参ったぁ!」
「くっ!」
時すでに遅し。陣は崩れて別働隊が乱入し、私は乱戦の中で慣れない刀を抜いた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
噴き出すアドレナリンで興奮しながら私は小刀で敵兵に斬りつける。当然ながら紅い血が吹き出し、敵兵は力なく倒れる。
殺した。今私は人を一人殺した・・・。
「あ・・・え・・・?」
手には紅い血が付いて、まだ斬りつけた時の感触が残っている。
初めて犯した『殺人』に私は恐怖していたのだった。でもそんな時間なんてある訳が無く・・・。
「もらったぁ!」
後ろからそんな声がしたかと思うと、背中に冷たい感触が走る。
そして遅れて痛みが走って私はようやく理解する。
「(斬られた・・・!?)」
紅い雫が背中を濡らしながら私はその場に倒れたのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「忠勝様、城門が開きました!突入します!」
「分かった!皆のもの、進めぇ!!」
岡崎城の城門前。私こと本多忠勝は攻城戦を繰り広げていた。
既に城門は壊されて、後は本丸を落とすだけになった。
後の事を考えたらこの岡崎城は出来るだけ傷を付けたくない、そう思った私は何度か降伏を勧告してみたが返事は無かった。
「火は付けるな!できる限りこの城を無傷で手に入れるのだ!」
早く落として桜様に合流しなければ・・・。そう思うと、次第に指示が荒くなってしまう。
ああもう!戦いに集中しないと!
雑念を振り払って私は槍を持って城内へと突入するのだった。
「我こそは本多忠勝なり!死にたい奴から出て来なさい!」
扉を蹴り開けて廊下に突入。雑兵を穿ちながら目指すは城代のいる軍議の間。大体の籠城戦では大将は城の中心である軍議の間で指揮を取っている場合が多い。
「どこだ?軍議の間はどこだ?」
一つ一つの襖を蹴り破って確認するが、中々中央部にありつけない。
「いたぞ!忠勝だ!」
「うわぁっ!」
敵の怒号と共に矢が飛んで来る。とっさに今は蹴る破った襖に飛び込まなかったら死んでた・・・。
「何かするんですか!?殺す気ですか!?」
いや、よく考えたら殺す気ですよね。じゃないと戦なんてしないですもんね。
「このっ!」
飛来する矢を槍で払って、弓矢を射る敵兵に接近する。
そして大きく振り払って弓兵達をなぎ払う。
「早く落とさないと・・・」
焦っていた私は直ぐに他の部屋を見て回って城代を探し回った。
そんな時だった。
「忠勝どの!早馬です!」
部下の侍大将が慌てて私の所に駆け寄ってくる。
「内容は?」
「はい!刈谷にて敵将の首を相馬隊が討ち取りました!これを受けて岡崎城の兵達が逃亡を始めています」
なるほど、よかった。もう岡崎城が落ちるのも時間の問題だし、相馬達が討ち取ったという事は桜様も無事だろう。
「あともう一件。姫様が・・・」
胸を撫で下ろしていた私に侍大将が表情を暗くして告げる。
「姫様が重傷を負い、鳴海城まで撤退されました」
「なんだって・・・?そんな・・・」
思わず私は槍を落とし、侍大将からの報告に愕然としてしまうのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
青い空、緑の草原。
私がこの時代にきた時と似ている情景だ。
「ここは?」
ただ違うのは足軽や武将達が同じ方向に歩いている。私一人では無かったという事だ。
それに歩いているのは和泉家の旗を持った人ばかり、どういう事だ?
「なんだみゃぁ?どうして姫様がこんな所におるんだみゃぁ?」
ふと後ろから声が掛かる。
振り向くと痩せこけたような風刺のおっさんがいた。装備からして足軽だ。
「貴方は?ここは!?」
「わしは藤吉郎、木下藤吉郎じゃ」
藤吉郎・・・、後の豊臣秀吉じゃん!でも何で?秀吉って織田家じゃないの!?
「ここは戦で無念にも死んでしまった者が黄泉へ向かう道。わしも運が無かったみゃぁ」
「そんな・・・」
私は死んだの?何も出来ずに・・・。
「わしは自分の夢を坊主に託したみゃぁ、もう悔いも無念も無いみゃぁ。でも姫様は違うみゃぁ」
そう言って藤吉郎さんは私の頭を撫でる。
「今でも思い出すみゃぁ。針を売りに茶屋に寄ったら姫様が現れて、そんでこの戦でわしの隊を指揮していたのが姫様だったみゃぁ。見事な采配だった」
「そんな・・・、私は・・・」
私はこの人を死なせてしまった。そう思うと涙が出てくる。
「もっと姫様に仕える事が出来なかったのが残念だみゃぁ」
「藤吉郎さん!私は・・・私は別働隊に気づけなかった、だから貴方たちを殺してしまった・・・」
「違うみゃぁ。勝ち負けは戦の常よ、今回がたまたま運が悪かっただけだみゃぁ」
そんなに簡単な事じゃない。私が勝っていたら・・・藤吉郎さんは生きていたんじゃ・・・。
「さて、わしは逝くのじゃ。姫様、妹によろしく言っておいてくれだみゃぁ」
「え?」
そう言うと藤吉郎さんは私の胸を押して、向こうへと歩いていった。
私は草原にぽっかり空いた穴に吸い込まれるようにただ落下していた。
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