ナーベがんばる! (こりぶりん)
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第一部 カルネ村へ
第一話:カルネ村と帝国の騎士



 長編SSというものに初めて手をつけたのですが、どんな反応が返ってくるのか既にドキドキがとまりません。
 もし反応する価値すらないと思われたらと思うと胃に穴が空きそうです。
 全てのSS作者様に改めて尊敬を捧ぐ。




 全てが変わってしまったその日も、朝は何事も変わりなく始まった。

 

 カルネ村はトブの大森林の側に位置する開拓村である。その村に生まれ育って16年を迎える普通の村娘、エンリ・エモットの一日は水汲みから始まる。

 一日の消費に必要な家の大瓶を満たすためには、中身が満たされた状態でエンリがギリギリ持てる水瓶を抱えて3往復する必要がある。結構な重労働ではあるが、毎日の日課のためそれほど苦痛ではない。そうして今日も行きは軽い水瓶を小脇に抱え、軽い足取りで井戸に向かった。

 

 水瓶を抱えた帰り道、争う音と悲鳴が聞こえた。自分の家の方向から。水瓶を放り出して駆けつけたエンリが見たのは、悲鳴を上げてうずくまる隣人に突き立てられる剣。

 重装備に身を固めた騎士風の出で立ちをした屈強な男達が、村を襲っていた。

 エンリは怯えながら走り、家に逃げ込んだ。エンリの家族はまだ無事で、家の中で震えていた。エンリと入れ違うのを気遣って家から出ることを躊躇ったのだ。もはや一刻の猶予もなく、両親と妹の手を取り逃げ出した。逃げだそうとした。

 だが、まさにそのとき戸口から完全武装した騎士が押し入ってきたのである。バハルス帝国の紋章をつけた隣国の騎士であると思われた。近年、バハルス帝国はリ・エスティーゼ王国を侵略する意思を明らかにし、毎年のように戦争を仕掛けている。だがそれは、国家同士の取り決めをある程度守った会戦という形で行われていた筈であり、このように国境付近辺境の開拓村を略奪・焼き討ちするよな直接的な暴挙に出ることはこれまで無かったのだが。

 結局それは今まで帝国が本腰を入れていなかっただけのことだったのだろうか。そのような呑気な述解をする暇があるはずもなく。父親が家族を庇って騎士に飛びかかり、早く逃げろと叫んだ。

 躊躇は一瞬、後ろ髪を引かれる思いで母娘は父親が稼いだ僅かな時間を頼りに逃げ出した。だがその思いもむなしく、次は母親が娘をかばって逃げろと示す番が来た。

 エンリは泣きながら妹の手を引いて走った。だが、村の外れまで走ったところで、追いかけてきた二人の騎士達に追い詰められた。破れかぶれになって、騎士の頭を手の骨が砕けるほど殴った。ただし兜の上からなので大した痛打にもならず、村娘に殴られるという屈辱に激高した騎士に背中を切りつけられて倒れた。エンリは死を覚悟しつつも、せめて己の体が盾となれと、妹を抱きしめた。

 

がさり。

 

 茂みをかき分けて出てきた足音に、今まさにエンリ・エモットに剣を振り下ろそうとしていた騎士は手を止め視線を上げた。

 何故かそのまま硬直した騎士を前に、エンリは振り返ると、同じように硬直した。

 

 一言で言うなら絶世の美女だった。赤茶けたマントを着込んだ旅装の下には佩刀していることが窺え、全体の印象は冒険者と言ったところだが、首から上が完全に場違いである。烏の濡れ羽色の艶やかな漆黒の髪は、頭の後ろで無造作に纏められており、白磁の肌とのコントラストがその美貌を引き立てている。目の下に隈がありやややつれた様子なのと仏頂面としか表現しようのない表情が玉に瑕だが、それを差し引いても余りある切れ長の瞳と筋の通った鼻、桜色の可憐な唇は貴族の姫君と言った方が相応しく、それだけにちぐはぐな印象を拭えない。

 それだけ言うと、まるで美女に見とれて固まってしまったように受け取られかねないが、騎士達の名誉のために言うならばそれだけが問題ではなかった。まさに今、ただの村人をなぶり殺しにしている最中の騎士に名誉というものがあるのかは知らないが。

 

 謎の美女の後ろから、まるで付き従うかのように現れたのは人に倍する巨躯を持つ強大な魔獣であった。

 金属の輝きを放つ白銀の毛並み。深い叡智を湛えた泉の如き黒い瞳。手足の爪はナイフよりも鋭く、全身の動きは力強い。緑の鱗に覆われた尻尾は長く先は鋭く、しゅるしゅると音をあげながら鞭のようにしなっている。

 その全身から発せられる強大な気配は、敵として対峙すれば命が危ういと感じさせるに十分なものであった。故にエモット姉妹も、それを襲わんとしていた騎士達も我知らず息を呑み硬直したのであった。

 

 美女がちらりとこちらを一瞥すると、エンリは砕けた拳の痛みも、背中を切られた傷の痛みも忘れ息を止めた。

 

「綺麗……」

 

 今まさに殺されようとしている場面であるにしてはあまりに呑気な感想である。エンリも今言うべき言葉はもっと別のものであるとすぐに気づいて言い直す。

 

「た、助けて……」

 

 だがどうだろう、謎の美女の目つきの冷たいこと。残酷な目であった。養豚場のブタ……ではなく、役目を終えて絞められる老いた農耕馬でも見るかのような冷たい目だとエンリは思ったが(エンリに養豚場などという代物の知識はなかったので)、実際にはそれほど暖かい目ではなかった。

 普通の人間が屠殺場のブタを見るときにはかわいそうだけど仕方ない、という心の働きがあるものだが、その目にそういった意味の関心はなかった。どちらかといえば蟻同士の戦争を見かけたときに人間が抱くであろう感情に近かったであろう。つまり、その美女にはエンリ・エモットがこれから辿る運命になんらの興味もなかったのである。

 

 ともあれ向き合っていたエンリにはそのことがなんとなくでも察せられたのだが、そうでもなかったのは騎士達であった。美女がなんらかの反応を示すより先に、もはや逃げることあたわないであろうエンリとネムを放置して新たな闖入者の方に向き直る。

 

「貴様……何者だ!?後ろの魔物はまさか使役しているのか!?」

 

「村人には見えんが……薬草採取に来た冒険者と言ったところか。フン、運が悪かったな」

 

 強面の台詞を口にして剣を向けるが、その顔色は悪く額には汗が浮いており、緊張の色が隠せない。さもあろう、佇む白銀の魔獣から発せられる強者のオーラは、素人の村娘にすぎないエンリの目から見てさえ騎士達を片手で片付けることが容易であろうと推察するに十分であった。

 

「姫……これは結局何事なのでござるか?」

 

 その台詞を後ろの魔獣が発したらしいことを理解するのに数秒の時を要した。騎士達の顔色がはっきりと青くなる。

 言葉を操る魔獣は例外なく強大である。勿論姿を見ただけで実力の程はうかがい知れていたのだが、もはや二つの事実がどうしようもなく明らかであった。すなわち、後ろの魔獣は騎士達二人では手に負えないこと、魔獣が手前の美女に使役されていることである。一人がもう片方に目配せすると、もう一人が頷いて角笛を取り出した。

 応援を呼ぶために取り出した角笛を口に当てようとしたところ、初めて美女がその口を開く。

 

「知らない、興味ないわ。そこのお前達、何の用か知らないけど……」

 

 鈴を転がすような声は外見に負けず劣らず美しかったが、その内容はひどくぞんざいであった。かかってくるなら容赦はしないと告げる美女のゴミを見る目つきに、騎士の頭に血が上る。

 

「くそ、ちょっと強い魔獣を連れてるからって調子に乗りやがって……!!」

 

「おいよせ、実際あの魔獣はただ者じゃないぞ!数を集めて取り囲め!」

 

 逃げるべきだと訴えかけてくる本能の呼びかけから目を背け、騎士の一人が今度こそ角笛を吹き鳴らそうと口に当てる。それに反応して美女が片手を上げた。

 

<魔法の矢>(マジック・アロー)

 

 呪文が唱えられると同時に浮かび上がる6個の光球を目にし、騎士達が驚愕に目を剥く。

 

「馬鹿な……!!」

 

 魔獣使い(ビーストテイマー)ではなく魔法詠唱者(マジック・キャスター)。一度に2個出れば一流の証と言われる<魔法の矢>(マジック・アロー)の弾が6発。

 魔獣使い(ビーストテイマー)ならばスキルによって己より強い魔獣を従えることができるかもしれない。二人の騎士は当然そうだと思い込んでいた。正確には思いたかっただけかもしれない。手前の美女が魔獣より恐ろしい化け物じみた強さである可能性など考えたくもなかったのである。

 

 仲良く3発ずつ。反応する間もなく騎士達に殺到した無属性エネルギーの球体は着弾して破裂し、その肉体の一部と共に生命を奪い取った。

 

 二人の騎士だった者達がその場に崩れ落ちると、息詰まるような沈黙がその場を支配する。

 

「ぐ……ううっ……!!」

 

 とりあえずわかりやすい危地を脱したからか、エンリは自分が傷だらけであることを思い出すと、それを待っていたかのように忘れていた痛みがぶりかえしてきた。砕けた拳と切られた背中。たまらずその場で体をくの字に折る。

 

「お姉ちゃん…!!」

 

 妹のネムが目に涙を浮かべて取り縋る。相変わらず美女は胡乱な目つきで興味なさげに姉妹の様子を眺めていたが、意外にも後ろの魔獣の方が声をかけてきた。

 

「うむむ、大丈夫でござるかお嬢さん?見たところ酷い怪我でござるが……」

 

 酷い怪我なのに大丈夫なわけはないと思うが、そのような皮肉めいた感情が浮かぶよりも先に魔獣が人間の身を案じることへの驚きが走る。が、痛みに悶えるエンリに言葉を返す余裕はない。

 

「ハムスケ、余計なことを……」

 

「姫、そうはおっしゃいますが……そもそも姫は情報を集めるために他の人間を捜していたのでござろう?ここで出会ったのも何かの縁、この娘達を助けて話を聞けばいいのではござらんか」

 

 ハムスケというのが魔獣の名前らしかった。それにしてもこの魔獣の姿形、どこかで聞き覚えがあるような気がする。痛みに朦朧とする頭の中で、エンリに閃くものがあった。

 

「森の……、賢王?」

 

 その言葉を耳にし、魔獣――ハムスケの顔がほころんだように見えた。

 

「それがしのことを存じておられるか、それは重畳!いかにも、それがし、周囲の魔物や人間達には森の賢王と呼ばれておったでござる!ただし!」

 

 今は姫にハムスケという名を頂いた身故、そう呼んで欲しいでござる。そう結ぶハムスケの姿もぼやけてきた。先ほどまで全身を貫いていた痛みが鈍い。まずい状況だ。そこにハムスケに姫と呼ばれた女性が近づいてきた。

 

「ふん……まあ、ハムスケの言うことにも一理はあるわね。見せなさい、回復魔法の心得はないから応急処置しかできないけれど……」

 

 どうやら手当をしてくれる気になったらしい。エンリは残った力を振り絞って礼を言う。

 

「……ありがと……ざいます……貴女の……お名前……」

 

 謎の美女は形の良い眉を顰めると、少し考えてから口を開いた。

 

「……私の名前はガンマ。通りすがりの魔法詠唱者(マジック・キャスター)よ」

 

 ナザリック地下大墳墓を守護する戦闘メイド(プレアデス)が三女、ナーベラル・ガンマは姓だけを名乗ると、仏頂面で唇を引き結んだ。

 

 

 

 




タイトル詐欺①
 主役はナーベラル・ガンマですが、「ナーベ」はでません( ´∀`)
 チーム漆黒を期待した人がもし居たらすみません。
タイトル詐欺②
 このSSの真タイトルは「ハムスケがんばる」じゃないかと言う気がしてます。
 だいたいナーベちゃんがポンコツコミュ症のせいです( ´∀`)
出ない人たちについて
 真ヒロイン以下ナザリックの面々は、万一出るとすればこのSSが終わるときです。
 はたしてこんなSSが受け入れられるのか胃が痛くなってきました( ´∀`)



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第二話:プロローグ(二日前)

 時系列が前後します。
 タイトル通り、こっちが本当のプロローグなんですが。
 考えすぎかもですが、これを第1話にもってきた場合、自分が読者ならブラバしてそれっきりかなと疑心暗鬼になったので、もう少し全体の雰囲気が伝わりそう(キャッチー)なシーンを先出ししておきました。

 ひらたく言うと鬱回注意。



<伝言>(メッセージ):モモンガ様 …… T.O.(応答なし)

 

<伝言>(メッセージ):セバス・チャン様 …… T.O.(応答なし)

 

<伝言>(メッセージ):アルベド様 …… T.O.(応答なし)

 

<伝言>(メッセージ):デミウルゴス様 …… T.O.(応答なし)

 

<伝言>(メッセージ):ユリ・アルファ …… T.O.(応答なし)

 

<伝言>(メッセージ):ルプスレギナ・ベータ …… T.O.(応答なし)

 

<伝言>(メッセージ):シズ・デルタ …… T.O.(応答なし)

 

<伝言>(メッセージ):ソリュシャン・イプシロン …… T.O.(応答なし)

 

<伝言>(メッセージ):エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ …… T.O.(応答なし)

 

<伝言>(メッセージ):シャルティア・ブラッドフォールン様 …… T.O.(応答なし)

 

<伝言>(メッセージ):アウラ・ベラ・フィオーラ様 …… T.O.(応答なし)

 

<伝言>(メッセージ):マーレ・ベロ・フィオーレ様 …… T.O.(応答なし)

 

<伝言>(メッセージ):コキュートス様 …… T.O.(応答なし)

 

……T.O.(応答なし)

……T.O.(応答なし)

……T.O.(応答なし)T.O.(応答なし)T.O.(応答なし)

 

 

 ナーベラル・ガンマが瞼を開くと、鬱蒼と茂った木々のシルエットから僅かに覗く隙間に差し込む星明かりがその目に映った。

 

(また魔力切れ……)

 

 積もった落ち葉の上に仰向けに倒れ込んでいたナーベラルは、億劫そうに体を起こす。MP枯渇による気絶は決して心地の良い眠りではない。覚醒するや再び気絶するのを何度も繰り返しているとあれば尚更だ。頭の奥に二日酔いの如き鈍痛を覚える。気怠さと気持ち悪さを振り払ってよろよろと立ち上がる。

 気絶から回復した時点で、MPはある程度戻っている。ナーベラルは無意識に再度<伝言>(メッセージ)を繰り返そうとし……ふと袖口に目を落とした。

 

「あ……泥……」

 

 己が身につけているメイド服が、屋外で何度も寝転がったことで泥だらけになっており、草だの枯れ葉だのがこびりついている。

 至高の御方がデザインし、創造されたメイド服は、屋内で過ごすためのもので、このような場所で風雨に晒して汚すことを良しとするはずがない。ナーベラルは野外活動を想定した旅装に装備をスイッチした。たちまちその身にまとったメイド服は消え失せ、代わりに簡素な旅人用の服とマントに切り替わる。頭のホワイトブリムも飾り紐に変わっている。

 

「モモンガ様ぁ……何処にいらっしゃるのです……?」

 

 これで至高の御方にいただいたメイド服を汚さずに済む、と思ったのも束の間、そのこと自体が己の仕える偉大なる主の連想へと繋がりその口からは呻きが漏れた。

 ナザリック地下大墳墓で過ごした日々が夢の中のように霞みがかっている。思い出せる最後の記憶もいつもと特に変わりはなかった筈だ。いや、違いはあったのか。偉大なる至高の御方はいつもとやや異なる面持ちで自分たちを玉座の間に控えさせた。そのまま待機を命じられたところまでは記憶にあるが、その先がはっきりしない。

 なぜ自分はこのような何処とも知れぬ深い森の中に独りきりなのだ?

 

「まさか……捨て……うぐっ!!」

 

 全てを捧げた主に不要品として廃棄された。可能性として思い浮かべるだけでも、その想像の効果は激烈であった。ナーベラルは頭の芯に凍えるような恐怖、そして胸の奥にむかつきを覚え、その場にうずくまって胃液を吐いた。涙と唾液がこぼれ落ちる。胃液すら尽きてえずきしかでなくなっても、その体勢のまま荒い息を繰り返す。

 

(これは……考えては駄目だ……()()()()しまう)

 

 何もそうだと決まったわけではない。胸の内に巣くった恐ろしい想像を振り払う。正確には振り払おうとしたが一度浮かんだその考えは心の奥底に確かな根を張り、目をそらすのがやっとであった。

 その恐怖から逃れるべく思考を巡らせる。先程から<伝言>(メッセージ)が誰にも通じない。思いつく限りの全ての名前を試した。主、至高の御方々、姉妹、守護者、メイド、領域守護者、etc……その全てがT.O.(応答なし)による時間切れ。このようなことは初めてである。信じられなかった。何かの間違いであると思って何度も繰り返した。MP枯渇で気絶してもなお繰り返した。が結果は変わらなかった。

 

(考えられるのは……連絡の取れる範囲に相手が居ない……?)

 

 <伝言>(メッセージ)の有効距離や効果範囲など考えたこともなかったが、距離が離れればいつかは繋がらなくなるのかも知れない。その仮説があっているとすれば、自分は他の皆から遙か遠く離れたところに居ることになる。思いつく名前……自分が知っている名前は全て試した。

 

(つまり……独りきり?本当に?)

 

 ナーベラルは僅かな星明かりを透かすように左右を見回した。その喉からはかすれた呼吸音が漏れ、あえぐように口は開かれている。

 

「う……うわあああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 堪らず叫んだ。叫びながら両手を振り回し、木を、地面を、岩を、手の届いたものを手当たり次第に殴りつける。額を木の幹に叩きつける。鈍い痛みが走り血が滲むまで何度でも繰り返す。腕が上がらなくなるまで滅茶苦茶に振り回すと、沈黙が降りて荒い呼吸音のみがその場に響いた。

 何かを求めるかのように手を前にさしのべると、よろめくように数歩踏み出す。正確には出そうとしたが、もはや腕は上がらず体は前方につんのめり、そのまま地面にへたり込んだ。その体ががくがくと震えだし、両腕を己の肩に回して自身を抱きしめる。

 

「モモンガ様……セバス様……ユリ姉様……お願い……誰か……返事をして……」

 

 その頬を涙が伝い、胸元にこぼれ落ちた。その喉から嗚咽が漏れる。

 

 

 どれほどの時間が経過したであろうか、ナーベラルはいつの間にか伏せられていた顔を上げた。泣き腫らした目は赤く充血し、その下には隈ができているが、それでもなおその美しさは損なわれていない。

 ゆらりと立ち上がる。幽鬼の如きその様は、美人であるからこそ一層恐怖をかきたてるものがある。夜道に独りで出会ったならば、大の男でも悲鳴を上げて逃げ出すだろう。

 

「帰らないと……」

 

 その唇から呟きが漏れる。ナザリック地下大墳墓に、忠誠を捧げた至高の御方の下に帰らなくてはならない。主も、上司も、仲間も、みんなが心配しているだろう。きっとそうだ。そうでない可能性なんて知らない。

 

「ご心配をおかけして申し訳ありません……すぐに帰りますのでお許しください……」

 

 ナザリック地下大墳墓に帰還する。その為に必要な手順を考える。現在位置の確認。地図の入手。目的地の確認。情報の取得。それらの手順に必要なことは、まずここが何処か理解して居るであろう原住生物を探すことだ。

 この際えり好みはしていられない。エルフでも。ゴブリンでも。リザードマンでも。……人間でも。意思疎通のできる知性体を探して、まずは情報を得ることだ。

 ナーベラルはふらふらとよろめきながら歩き出した。木立を分け入りその姿が森の奥へと消える。

 

 ナーベラル・ガンマがカルネ村に現れる二日前の出来事であった。

 

 

 

 




 辛気くさい話で恐縮ですが、NPCが一人で放り出されたらまあこんなものかなと。あとこれからの立ち居振る舞いが原作の人物造形と乖離して見えてきた場合への予防線。
 ナーベちゃんが人間を下等生物(ムシケラ)呼ばわりして憚らず、名前もろくに覚えないのって、アインズ様と一緒であることに甘えてる部分が大きいと思います。残りの部分はポンコツだからかもですが( ´∀`)

あと<伝言>(メッセージ)の仕様についてはこのSSの根幹に関わる独自設定が入っておりますのでご了承ください。


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第三話:森の賢王(前日)

 今のところ高評価を頂いており、ありがたい限りです。
 このSSは皆様の応援に支えられてできております。今後ともよろしくお願いします。



 あてもなく森の中を彷徨うナーベラルは、やがて一つの事実に気がついた。

 

「動物の類を見かけないわね……それとも森ってこういうものなのかしら……」

 

 昆虫や小鳥の類はそれなりに生息しているようだが、もう少し大型の動物を見かけない。栗鼠や鼠といった小動物の姿すらない。

 ナーベラル・ガンマは偉大なる主に創造されてから全ての人生を、ナザリック地下大墳墓に籠もって過ごしてきた。故にこれが異常事態であるのかどうかがわからない。野生動物を見かけないのは異常なのか、森に動物が居ないのは当たり前なのか、普通は居るけどこの森林が特殊な環境でここではそれが当たり前なのか。

 判断がつかぬまま、ナーベラルは一つ思いついて呪文を唱える。

 

<兎の耳>(ラビッツ・イヤー)

 

 ナーベラルの頭の上から可愛らしい兎の耳がぴょこんと生えた。魔法で生成されたその耳は決して飾りではなく、周囲の音を増幅してナーベラルに伝えてくれる。彼女は知らぬことではあるが、<ユグドラシル>ではネタ枠でありながら実用性を兼ね備えているとの評判で人気の高い魔法であった。

 

「周囲に大型生物の気配は……なし。犬猫サイズの小動物がいるようにも感じられないのはやはりおかしくないかしら……?」

 

 兎の耳をぴこぴこと可愛く揺らしながら首をかしげるナーベラル。その瞬間、その顔が急にきっと引き締まった。

 

「何か……大型の生物が近づいてくる!」

 

 明白にこちらを目指している、それもかなり速い。正味な話、あまり良い予感がしない。とりあえず悪い予想が当たった場合に備えて、足場くらいは確保しておかなくてはならない。そう考えてナーベラルは樹木の類から距離を取る。木々の密集地帯から離れて、丈の短い草のみが生えるちょっとした広場に移動する。ここならそれなりの立ち回りができるであろう。

 

<鎧強化>(リーン・フォースアーマー)」「<盾壁>(シールドウォール)」「<打撃力強化>(ストライキング)

 

 念のために強化魔法を自身に施すと、接近する気配に備える。ざざざ、と草木を掻き分けながら疾走してくるそれが姿を現すまで残り数秒。

 

「!?」

 

 ところが。それが木々の奥から姿を現すより早く、ナーベラルを衝撃が襲った。空気を切り裂く鋭い音に反応するより早く、がつんと鈍い音がして頭部に衝撃が走る。ハンマーで殴られたかのような衝撃であったが、防御魔法と高いレベルによって二重三重に守られたナーベラルにダメージを与えるには至らない。それでも体勢は崩れ、ナーベラルが地面に転がる。回る視界と額の痛みに顔を顰めながらも、転がった勢いで体を回転させ、そのまま素早く立ち上がって姿勢を立てなおす。

 

「今のは……鞭!?」

 

 位置を把握していたことが逆に徒となったか、敵の攻撃がもつ予想外の射程を前に不意を突かれた形になった。目にも留まらぬ速さで襲ってきた攻撃の軌道からかろうじて判断すると、敵の攻撃はよくしなる鞭状の形状であったように思われる。

 

「むむむ、異な手応えでござる!ただ者ではござらんな!」

 

 そのような声が聞こえ、ナーベラルは目を瞬いた。このようなところで会話ができる相手に出会えるとはまるで思っていなかったが、早くも当座の目的は達成されたことになる。

 

「ふむ……?それがし、今まで出会ったことはないでござるが……そのウサ耳、ひょっとすると噂に聞く獣人という奴でござるかお主?」

 

 などと言いながら茂みを通り抜けて姿を現したのは、白銀の毛並みを持った屈強な魔獣であった。高い知性を窺わせる叡智を湛えた漆黒の瞳。人間に倍する力強い巨躯。強者としての風格を身にまとった、強大な存在であることが明らかであった。

 ただし、ナーベラルにしてみれば、自分よりは弱いだろうと思われた。言ってしまえば巨大なジャンガリアンハムスターでしかなかったのだが、生憎ハムスターという生物に関する知識は彼女にはない。

 

「この耳は魔法で出した作り物よ……いきなり突っ込んできて出会い頭に一発とは、随分と手荒い歓迎ね」

 

 ちょうど効果時間が切れて兎の耳が消えると、魔獣は目を丸くした。まあ元々丸いのだが。

 

「なんと、魔法詠唱者(マジック・キャスター)でありながら、それがしの初撃を受けて傷を受けた様子もないとは……やはりただ者ではないでござる」

 

 ハムスターはそう言うと、長く尖った尻尾を撫でた。自在に動くらしい尻尾は、蛇が鎌首をもたげるかのように先端をナーベラルに向けてひゅんひゅんと風切り音を出している。先ほどの一撃がこれによるものだとすると、予想以上に速く、予想外に伸びきたる。ナーベラルは警戒心を強めて獣を睨んだ。

 

「それがしは森の賢王と呼ばれて怖れられる、この辺り一帯のヌシでござる。お主はそれがしの縄張りを侵した侵入者ということになるでござるな」

 

 そういって得意そうなドヤ顔を見せつける自称森の賢王を見てちょっとうざいなと思いつつ、ナーベラルは納得したかのように頷いた。

 

「なるほど、だからこの辺りには野生動物が居なかったのね。お前の縄張りだから?」

 

「いかにも。それがし、縄張りへの侵入者は見逃さないでござる。最近はそれがしの異名も広まったとみえて、侵入者が出ることもめっきり減ったでござるが……それを承知で現れる者は、やはり腕に覚えのある強者であったでござるな」

 

 そういって感心したかのように頷く森の賢王。いちいち動作が人間くさい。

 

「いや、そんなこと言われても……ここがお前の縄張りだとか知らなかったし……」

 

 困惑したナーベの声に、森の賢王は目を見張る。

 

「なんと、それはまことでござるか!それがしの武名もまだまだということでござるか……まあ、お主を血祭りに上げて、その分更に名を上げるとするでござる!さあ、命のやりとりをするでござる!」

 

 自分を知らないと言われ、森の賢王はちょっとしょぼんとしたようだが、すぐに立ち直って勝負、勝負と囃し立てだした。

 

「……うぜぇ……」

 

 見たところナーベラルより強いとは思えないケダモノが、身の程知らずにもナーベラルを殺してやると息巻いているのである。ナーベラルは少しの呆れと多くの苛立ちを覚えて、思わず声を漏らした。今までおくびにも出さなかったが、MP枯渇の後遺症である頭痛と目眩は現在もなおナーベラルを苛んでいる。外部から殴られた痛みと内部から湧き出る痛みが混じり合い、二日酔いの朝より酷い気分だ。それを思えば調子に乗った小動物がまとわりついてくるこの状況に怒りが湧いてくる。

 

「いいわ、そんなに死にたければ一撃で冥土に送ってあげる!<二重詠唱最強化(ツイン・マキシマイズマジック)……」

 

 選択したのは慣れ親しんだ電撃属性の高位魔法、<連鎖する龍雷>(チェイン・ドラゴンライトニング)。ナーベラルの見立てではオーバーキルもいいところだが、調子に乗った森の賢王の態度が悪い方に癇に障ったのと、とにかくさっさと片付けたいという疲労状況がそれを選択させた。

 

「参ったでござる!それがしの負けでござる!」

 

「……はあ!?」

 

 ところが、ナーベラルの両手に放電しながらふくれあがる魔力の塊を目にした瞬間、森の賢王は即座に仰向けに寝転がった。柔らかな白銀の体毛に包まれた腹を無防備に晒すその体勢は、無条件降伏を示す動物のそれである。あまりにも見事な変わり身の速さに、ナーベラルも思わず毒気を抜かれてその手に集まった魔力が霧散した。

 

「降伏するので命だけは助けて欲しいでござる!この通りでござる!」

 

 全身の毛を逆立てて震えながら命乞いしてくる。腐っても野生の獣、命の危機を鋭敏に察知する本能の働きは流石というところか。そのような感覚は生まれて初めて覚えたであろうに、即座に身をゆだねる思い切りの良さにも迷いがない。

 

「……はあ。なんだか気がそがれたわ」

 

 ナーベラルは完全に気が抜けた様子で緊張を解いた。見事な変わり身に毒気を抜かれたこともあるが、そもそもは意思疎通できる知性体を探していたということを思い出したのである。会話ができるのならこの獣が相手でもいけない理由はない。

 

「いいわ、身の程をわきまえたのなら助けてあげる。命はとらないから私の質問に答えなさい」

 

「本当でござるか!ありがとうでござる!命を助けていただいた恩、忠義を以てお返しするでござるよ!なんでも聞いて欲しいでござる!」

 

 

「……はぁ~」

 

 わりと本気で呆れたナーベラルは、大きくため息をつく。その様子を目にし、森の賢王はしょんぼりと身を縮こまらせた。

 

「す、すまぬでござるよ姫。それがし生まれてからずっと、この森で独りきりでござったゆえ……」

 

 何でも聞いていい(ただし答えがわかるとは言ってない)。

 簡単に言うとそういうことであった。ナーベラルのもっとも知りたい情報……ナザリック地下大墳墓とアインズ・ウール・ゴウンに関する知識をこの獣が持っているなどということは流石に期待していなかったが、それ以外の情報も森の賢王は大して持っていなかった。それもさもありなん、己の縄張りを守って暮らす森の賢王が、その外に何があるかなどという知識を持っているはずもなかったのである。ただしそのことについて責めるのはナーベラルにブーメランとなって返ってくるのであまり強くも言えない。

 総合すれば、森の賢王が持っている情報は己の支配地域であるこの大森林の南部に関するものがほぼ全てで、西は蛇、東は巨人の勢力圏であるということがそれに付け加わる程度であった。

 

「思ったよりはるかに役に立たないわね……ところでその姫ってなによ」

 

「す、すまぬでござる……姫はそれがしが忠義を捧げた御身である故、精一杯の忠誠を込めて姫と呼ばせて欲しいでござる!」

 

「あっそう……まあ気安く名前を呼ばれるのもそれはそれでむかつくしまあいいわ」

 

「それはそれとして、姫の御名前はなんというのでござる?みだりに呼んだりはしないので教えて欲しいでござる」

 

「ナーベラル。ナーベラル・ガンマよ。別に覚えなくていいわ」

 

「冷たいことを言わないで欲しいでござる!御名前、確かに心に刻み込み申した!ところで姫、名前と言えば……」

 

 自分は今まで森の賢王とだけ呼ばれてきた、それで不便を感じたことはない。しかし、仕えるべき主を頂いた記念に、できれば名前が欲しい。

 森の賢王はそう言って小首を傾げると、つぶらな瞳でナーベラルを上目遣いに見つめてきた。ナーベラルはちょっと困ったように顎に指を当てて考え込む。

 

「名前、名前ね……」

 

 そのまま目を閉じて少し唸るが、思案が固まらずすぐに目を開けた。

 

「……とりあえず保留、考えておくわ。さっきから頭が痛くて考えがまとまらない。お前、どこか休める所に案内しなさい」

 

「合点でござる!それがしの寝床に案内するので、ついてきてほしいでござる!……それともお疲れならそれがしの背に乗るとよいでござる!」

 

 森の賢王は喜色を浮かべてそう言うと、ナーベラルの前にぺたんと伏せた。頭痛が酷くなってきて(先ほど更に魔力を浪費したせいだ)、問答するのも面倒になったナーベラルは、黙って森の賢王の背に体を預けると、その豊かな毛並みにしがみついた。

 

「では、出発でござる。それがしも落とさないよう気をつけるでござるが、できるだけしっかり掴まっていてほしいでござるよ」

 

 そう言ってゆっくりと歩き出す。その背はお世辞にも騎乗に適した形状とは言い難く、かなり意識的にしがみつく必要はあったが、覚悟したほど乗り心地は悪くもなかった。

 森の賢王が自分の住処と言って案内した場所は、岩肌に空いた横穴、つまり小さな洞窟であった。

 

「むさ苦しいところで申し訳ないでござるが、それがしの寝床で体を休めて欲しいでござる」

 

 洞窟の中にはおおまかにいって二つのものがあった。落ち葉や草を集めて敷き詰めた寝床と、採集してきた食料の保管場所である。まあ保管と言っても冷暗所にそのまま寝かせてある程度のものだが。

 それに文句を言うような状況でもない。ナーベラルは勧められるままに寝床の上にその体を横たえると、森の賢王がそっとそれに寄り添うのを感じながら目を閉じた。

 

 

 




 ナーベちゃんの使う魔法は、適度にオリジナルを混ぜていきます。実際に習得してそうな感じの魔法にする前提で。
 原作で確定してる魔法だけに絞ると私の筆力では厳しすぎる( ´∀`)



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第四話:モモンガ様、でしゃばる

 
 モモンガ様が居ないのに「森の賢王」が「ハムスケ」と呼ばれるのはおかしい?
 逆に考えるんだ、モモンガ様を無理矢理出せばいいさって考えるんだ( ´∀`)

 ……出てきたらSSが終わると言ったな。スマン、ありゃウソだった。



「そういえば、ペットを飼い始めました」

 

 ティーポットからカップにお茶を注ぎながら、ナーベラルはそう言った。

 

「ほう、ペットか……」

 

 くつろいだ様子で長椅子に腰掛ける至高の御方の懐かしきお声が、脳の奥を蕩けさせる。ナザリック地下大墳墓の永遠なる支配者、モモンガはカップを受け取ると、口元に持って行ってまずは香りを楽しみ、()()()()()()()()

 

「うむ、美味いぞナーベラル。さすがはナザリックに仕えるメイドだ。おっと、これは手前味噌というものかな?」

 

「勿体ないお言葉、光栄の極みです」

 

 上機嫌でハハハ、と笑うモモンガ。

 至高の御方に褒めていただいた、それを自覚するだけで、ナーベラルの鼓動は早鐘を打ち、頬は上気して桜色に染まる。しかしここで取り乱すのは完璧なメイドには程遠い。当然のような顔をして控えるべき。そう思いながらも声が上ずるのは避けられない。一礼して顔を伏せ、呼吸を整える。

 

「それで、ペットだったな。どんな動物だ?教えてくれるかナーベラル」

 

 モモンガ様の頼みに応えるのに否やはない。ナーベラルは即座に説明しようとすると、森の賢王のイメージがほやほやと浮かんできた。まるで水晶の画面(クリスタル・モニター)でも唱えたかのようだ。

 モモンガはそれが当然のように頷きながら画面をのぞき込むと、ほうとひとつ頷いた。

 

「成る程……ジャンガリアンハムスターだな。<リアル>でもとても人気のペットだぞ。なかなか可愛らしいではないか」

 

 機嫌良く微笑むモモンガ。あれ、でもこの尻尾は何だ……?などと呟きながら映像をくるくる回して、森の賢王の姿を愛でる。

 

「このように迫力のある魔獣をかわいらしいとは、さすがはモモンガ様ですね……」

 

 人より大きな巨躯に鋭い爪を持ち、深い知性を湛えた魔獣の姿を見て、ナーベラルは思わずため息をついた。自分が降した時は、本調子ではなかったとはいえ、出会い頭に一発貰うなどなかなか苦労したのだが。いと高き創造主にしてみれば、このような獣はかわいらしい小動物に過ぎないということなのだ。

 

「ふふ、つぶらな瞳が愛くるしいではないか……?それで、名前はなんというのだ?」

 

 その奥に叡智の光を宿した力強い瞳を持って、かわいらしいと言ってのける至高の御方にナーベラルは敬服しつつ答える。

 

「それが、森の賢王と呼ばれていたらしいのですが、名前を持たぬからつけて欲しいというのです。まだこれだという名前を思いついてないのですが……」

 

「まだ名付けていない?それはいかんな。ペットを名付けるのは飼い主の責務だ」

 

「も、申し訳ございません!」

 

 重々しく頷くモモンガの叱責を受け、ナーベラルの顔が羞恥に染まる。半泣きで頭を深々と下げるナーベラルを目にし、逆にモモンガの方が慌て出した。

 

「す、すまぬナーベラル。そこまで深刻な話ではないのだ。ただ、ペットと親愛を深めるのに名付けるのは基本だぞ、とかその程度の他愛ない世間話に過ぎぬ」

 

 下げた頭がちょうどいい位置に来たので、モモンガは骨しかない手をポンとナーベラルの頭の上にのせ、優しげな手つきで撫でる。たちまちナーベラルの顔が先ほどとは別の意味で真っ赤に染まり、白い肌が林檎のように耳まで赤くなった。

 

「ふむ、黒髪ロングは日本人のロマン、か……このように美しい髪を見ればさもありなん、ですね弐式炎雷さん……」

 

 そう呟いてナーベラルの艶やかな黒髪を手櫛で梳くと、ナーベラルの全身を快感が電流のように走り抜けた。腰砕けになるのを必死にこらえて、蕩けた声を出す。

 

「も、モモンガ様ぁ……」

 

「うん?ああ、少し物思いにふけっていたようだ、済まぬ。そうだな、もし良かったらだが……そいつの名前を何か提案しようか?私が出しゃばっては不快に思われるかな……」

 

「とんでもない!!モモンガ様御自ら御名を下賜されるなど、畜生には過ぎた栄誉でございます!そのような望外のお慈悲にもし文句を漏らすようなことがあれば、私がシメてやります!!」

 

 反射的に森の賢王が生意気そうな顔でハッと鼻で笑う様子を想像し、ナーベラルが怒り心頭に叫ぶと、モモンガは「お、おう」と呟くと気圧されたように体を引き、椅子に座り直した。そのまま手を顎に当てて沈思する。

 

「そうだな……ハムスケ……やや安直か……それとも大福……すくすく犬福……」

 

 幾つか案を示してどれがいいと思う、とモモンガが問いかけると、ナーベラルは少し考えてから答えた。

 

「ではハムスケと。この響きが彼奴に実によく似合っています」

 

「そうかそうか、ではそうするとよい。役に立てたようで良かったぞ」

 

 再び上機嫌に頷くモモンガに、ナーベラルは平伏した。

 

「かような些事にお知恵を頂き、誠に感謝いたします。ハムスケもきっと喜ぶことでしょう」

 

「うん、うん、それはよかった。ハムスケと仲良くするのだぞ」

 

「はい、モモンガ様!」

 

 

 ナーベラルが目を開くと、薄暗い洞窟の天井、剥き出しの岩肌が視界に飛び込んできた。森の賢王が案内した自分の寝床である。

 

「……夢……」

 

 隣では布団兼抱き枕にしていた白銀の獣がいびきをかいている。意識が覚醒すると共に、現状認識が自身の中に流れ込んでくる。仕えるべき至高の御方も忠義を分かち合った仲間の姿も今はなく、何処とも知れぬ深き森の中に己独り。知らずナーベラルは我が身を抱きしめて身震いした。

 

「……ん~、もう朝でござるか……?」

 

 ナーベラルの身動きに釣られたのか、森の賢王が目を開ける。二、三度瞬きをすると、ナーベラルを見て身を起こした。

 

「ひ、姫、何事でござる?寒いのでござるか!?」

 

 体操座りで膝小僧を抱え込み、震えるナーベラルに戸惑った声をかける。

 

「……うるさい」

 

「姫……泣いておられるのでござるか?」

 

「うるさいったら。ちょっと静かにしてて」

 

「……わかったでござる」

 

 そう答えると、森の賢王は無言で震えるナーベラルの背後からそっと身を寄せた。白銀の毛並みに半身を包まれるとナーベラルは一瞬身を竦ませるが、何も言わずに体を預ける。

 

 

 

「……お前の名前、決まったわ。今日からお前はハムスケよ」

 

 沈黙のまましばしの時を過ごした後、ナーベラルがそう告げると。森の賢王はその意味を理解して顔を綻ばせた。

 

「ハムスケと!それは良き名にござるな。感謝の極みでござる!」

 

 そのまま立ち上がると、全身で喜びを表すべく歓喜のダンスとでも言いたげなステップを踏んで踊り回った。

 

「このハムスケ、姫に一層の忠義を尽くすでござるよ!」

 

 森の賢王――改めハムスケは、最後にそう言うとナーベラルの頭に顎を乗せて寄りかかった。「重いわこのケダモノが」ナーベラルがそう言って頭にチョップを食らわせると、ハムスケは相好を崩した。

 

「あいたっ!……少しは元気が出てきたようでござるな姫!ハムスケも嬉しゅうござる!」

 

「……うるさい。一息ついたら食事にして、その後出発するわよ。お前が名前負けの役立たずだから、他の知性体を探さないとね」

 

 そう言って憎まれ口を叩くナーベラルの頬は、僅かに桜色に染まっていた。

 

 一人と一匹で黙々と森の恵みを咀嚼する。ハムスケは大量に貯め込んであったドングリのような木の実類を次から次へと口に放り込んでいるが、それはちょっと遠慮したいので、ナーベラルはもう少し甘みのある果実類を貰って食べることにした。

 

「それで、ハムスケ。あんたの縄張りの中にはまあ誰も住めなかったんだろうけど。縄張りの近辺で、知的生物の集落みたいなものに心当たりはないかしら」

 

 ナーベラルがそう聞くと、ハムスケは首を傾げた。

 

「うん?知的生物とは具体的になんのことでござる?」

 

「わかりやすくいうと、会話ができる相手のことよ。例えばゴブリンとか、エルフとか……人間とか」

 

 この期に及んで躊躇いながら口にした人間、という言葉でハムスケははたと手を打った。

 

「ああ、人間でござるか。ええと……確かそれがしの縄張りの南端付近をうろちょろしてることがたまにあるでござる。おそらくその先に暮らしてる所があるのではござらんか」

 

「……そう。じゃあ、そこに行ってみようかしら。案内してくれる?」

 

「お任せくださいでござる!姫のお役に立つことはそれがしの喜びでござる!」

 

 昨日の今日でたいした忠誠心である。それほど懐かれるようなことをした覚えはないのだがなあ、とナーベラルは思うのだが、まあ特に不都合はないだろう。忠義を尽くすフリをして寝首を掻こうとしているのでも無い限り。このケダモノがそれほど頭が回るようには見えないし問題ない。

 

「では案内するでござる!ささ、背にどうぞ」

 

 そう言って目の前に伏せるハムスケを避けると、ナーベラルは洞窟の外に出た。

 

「うーん……そんなに乗り心地がいいわけでもないし、やめておくわ。行くわよ」

 

 そんなー、と涙目になるハムスケを促して歩き出す。

 この日、ナーベラルとハムスケは、森を抜けた先にあるカルネ村を訪れることになる。

 

 

 




 設定上そうなるのが自然とは言っても。二次創作でハムスケに別の名前をつけるなんて暴挙に出るくらいなら、どれほど強引だろうがモモンガ様に名付けさせる。
 そういう訳で夢の内容を真面目に考察する意味はない、イイネ?



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第五話:再びカルネ村

 
 ポーションがないとエンリが普通に重傷なんですけどどうしましょうね。
 モモンガ様が居ないからね、仕方ないね( ´∀`)



 ここで話はナーベラルがカルネ村に姿を現した時点に戻る。

 

 魔力系魔法詠唱者であるナーベラルには当然、治癒の魔法は使えない。

 意識の混濁しているエンリを抱き起こすと、とりあえず止血をして包帯代わりの布を体に巻き付けた。

 

「お、お姉ちゃん大丈夫なの……?」

 

 妹のネムがおろおろしながら問いかけてくるのを鬱陶しそうに一瞥すると、ナーベラルは思ったことを正直に答える。

 

「とりあえず止血はしたけど、あまり良くない状況ね。治癒薬(ポーション)でもあれば良かったんだけど……」

 

 それを聞いたネムがはっと顔を上げる。

 

「お、お家に戻れば薬草があるよ……!!」

 

 トブの大森林で採取される薬草は、カルネ村の特産品であり、貴重な現金の獲得手段である。故にどこの家庭でも、量の多寡はあれど売るための薬草を貯蔵しているし、エモット家は都市の薬師とつきあいがあるため、積極的に採集に出ていた。

 そういった事情を説明したわけではないが、とにかく家に薬草があると言ったネムの表情は暗い。自分たちを殺そうとして襲いかかってきた騎士達から逃げてきたのだ。家に戻れば当然そいつらに見つかるだろう。

 それを聞いたナーベラルはエンリを抱えて立ち上がった。

 

「……そう。じゃあ家に行きましょう、案内して。ハムスケ、こいつを運びなさい」

 

「姫は人使いが荒いでござるなあ……自分で掴まってくれるならともかく、その娘子(むすめご)を抱えるには二足歩行せねばならぬでござるよ……」

 

「口答えするな、ほら早くしなさい」

 

 その台詞はハムスケとネムの両方に向けられたものであるらしかった。ハムスケがナーベラルからエンリを受け取り、器用に二足で立ち上がるのを尻目に、ネムは前に立っておそるおそる歩き出す。正直な話、家に戻るのは恐ろしくてたまらなかったが、姉を失うのはもっと恐ろしかった。震える足に力を込めて歩き出そう……

 

「……遅い」

 

 としたが、叶わなかった。ネムは自分の体が持ち上げられるのを感じると、気づけばナーベラルの腕の中に収まっていた。

 

「どっちへ行けばいいの?」

 

「あ、あっち……」

 

 ナーベラルがネムを抱えたまま走り出すと、ハムスケが感心したように頷いた。

 

「成る程、姫はそちらの童を抱えるために娘子をこちらに渡したのでござったか!感服つかまつった!察しが悪くて申し訳ござりませぬ!」

 

 エンリを渡したのは面倒だったからで、ネムを抱えたのは子供の足の遅さに苛ついたからだったのだが、特に訂正する必要も認められなかったのでナーベラルはハムスケをちらりと見るにとどめ、沈黙を守った。

 

 

「あそこが家だよ……!!」

 

 襲撃者の存在に怯えるネムの声は自然とささやく程度に落ち込んでいたが、そんなことは意に介すべくも無い。ナーベラルは左脇に童女を抱え込んだまま無造作にずんずんとエモット家であった建築物に歩み寄っていく。ネムが思わず身を竦ませるのにも気にとめるそぶりはない。

 ナーベラルが無鉄砲に行動しているわけではなく、<兎の耳>(ラビッツ・イヤー)の呪文によって頭の上から生えた可愛らしいウサギの耳が索敵を済ませているのである。ネムの位置からはそれを見ることが叶わなかったが、もし目にしていれば可愛いと叫んでいたかもしれない。

 

 抱えていたネムを下ろし、エンリを受け取ると、ナーベラルはどう考えても戸口をくぐることができないハムスケに周囲の警戒を命じて家に入った。

 二人を出迎えたのは血の匂いと、乱雑に破壊された家具、そして死体であった。エンリとネムの父親である。家を襲撃してきた騎士達は父親を殺すと、残りの家族を取り逃がした腹いせに周囲の家具に八つ当たりし、そして立ち去ったものだと思われた。まあそれらの行為は全てベリュースという男の手によって行われたのだが、二人にそのようなことを知る由もない。

 父親の死体を目にして動揺するネムを、ナーベラルが急かした。

 

「……私にはここにある薬草の使い方がわからないんだけど。お前はわかるのかしら?」

 

 普通に考えて、ネムのような幼子が薬草の処置を任されるようなことはない。煎じたり潰したり、そういう作業の手伝いは慣れたものだが、何をどう使うかなどとネムが把握しているはずもなかった。

 焦ってしどろもどろになるネムを救ったのは姉のエンリであった。朦朧状態から一時的に意識を取り戻すと、手当の方法をナーベラルに自分で説明したのである。ちゃんとした薬師が薬草から生成した治癒薬(ポーション)には比ぶべくもないが、薬草の効能をある程度把握して傷口を処置することで、何もしないよりは遙かにましな状態となる。普通の村人ならその程度の処置も難しかったかもしれないが、エンリの一家は都市の薬師と交流が深いため、一般人よりは薬草に詳しかった。

 

「……改めて、ありがとうございましたガンマ様。おかげで命を拾ったようです」

 

 傷を癒し痛みを和らげる薬草で傷口を処置し、意識をはっきりさせる香草を嗅いでなんとか判断力をとりもどしたエンリは、ナーベラルに深々と頭を下げた。先ほどは姓しか名乗らなかったが、言った分は覚えていたようだ。

 姓しか言わなかったのは、人間如きにフルネームを教えるのも何となく気にくわなかったといういささか子供じみた考えであったが、人間に気安く名前で呼ばれる筋もないしこのままガンマで通そう。ナーベラルはそう考えるとエンリに頷いてみせた。

 

「まあ、まだ何も解決してないけどね。……外も騒がしいようだし」

 

 ぶっちゃけた話、ハムスケのようなデカブツが突っ立っていれば否応なしに目立つ。外で待たせていれば、この村を襲撃中の騎士共の目がどれだけ節穴だったとしても気づかざるを得ないだろう。

 

「お前達はここに居なさい。ちょっと外を掃除してくるから」

 

 怯える姉妹達にそう告げる。頷いた後父親の遺体にとりすがる姉妹を尻目に、ナーベラルは家の外に出た。振り返ったハムスケが何か言うよりも早く、武器を構えて半包囲していた騎士達の群れを手早く掃除する。

 

「……そういえばハムスケ。あんたは生き物の気配とかわかるの?」

 

「おお、頼ってもらえて光栄でござる!そうですな……この辺りの生き物は皆、あっちの方に固まっているでござるな」

 

 ハムスケがそういって村の中央方向を指し示す。おそらくは狩りの獲物のように、騎士達が村人の生き残りを追い込んでいるものと思われた。

 家の中に声をかけてエモット姉妹を呼び出すと、後ろからついてくるように命じる。

 

 

 なんだか雲行きが怪しくなってきた。

 

 ロンデス・ディ・クランプは胸中でそう呟く。

 決まり切った手順で、もう慣れた仕事の筈だった。これまで繰り返してきたように、村人を追い立ててまとめ、わざと生き延びさせる数名を残して殺し、家屋を焼き払う。

 命令であり任務である。嫌悪も罪悪感もない。人間らしい感性は擦り切れて、するべき仕事を為すと考えるだけ。欠伸すら出せそうなくらいだ。

 

 ところがこの村では何かアクシデントがあったらしい。家々を確認して回っていたリリク達と連絡が取れなくなった。探しに行ったエリオン達が戻ってこない。ベリュース隊長は爪を噛みながらあの馬鹿共はどこで油を売っているのだ、何が起こったと喚き散らしている。それはロンデスも知りたいところだが、今村人達の生き残りが60余名に対し、それを包囲している仲間の数は10名。これ以上減らすと、囲みの厚さにやや不安が出てくる。仮に村人に意図せず逃げられても、弓兵が伏せてあるので心配は要らない筈だが。

 

 ロンデスはまだ知らない。

 同じ部隊でまだ生きているのはもはやこの場にいる彼らだけであることを。

 正直言えばこのまま逃げ出したい気持ちがむくむくと膨らんで来ていたが、ただの勘で逃げ出すことが許されるはずもない。本能と理性のせめぎ合いに煩悶とするロンデスの目に、高速で突進してくる巨大な獣の姿が映った。

 

「な……!!」

 

 なんだあれは、と警告の叫びを発する暇もなく、突っ込んできた魔獣――ハムスケの体当たりを食らい、ロンデスは自分の視界が回転するのを感じた。ベリュース隊長のあっけにとられた顔が遙か下を流れていく。

 これは死んだな。ロンデスは他人事のように思った。完全武装した騎士をこれだけ吹き飛ばすとはどんな力だ。ろくでもない仕事に手を染めた以上、ろくでもない死に方をする覚悟はあるつもりだった。まとまりを欠いた思考が千々に流れる中、ロンデスは地面にたたきつけられるのを感じ、そのまま意識を失った。

 

 

 

 フルプレートに身を固めた騎士が水平に飛んでいく様など、およそ目にする機会はない。その場に居た騎士の中で腕と人望が一番あったロンデスが空を飛ぶのを、他の騎士達は唖然とした顔で眺めた。

 ロンデスが立っていた場所に目をやれば、彼を空高く打ち上げた白銀の魔獣の姿がある。戦意に燃えた瞳が次の獲物を見定めるように一人の騎士を睨み付けた。

 

「ひ、ひぃっ」

 

 とっさに逃げ出すことを選択できたその騎士の判断は怯懦由来のものであったかもしれないが、判断内容としては上々であったと言える。だが、仲間も上官も任務も武器も、全て放り出して逃げようとしたその騎士は三歩で倒れた。

 

「……!?」

 

 尻尾である。ハムスケの長く鋭い尻尾が狙い澄ましたように鎧の隙間から頸部を貫いたのだ。騎士は二、三度短く痙攣すると、尻尾が引き抜かれると同時に息絶えた。

 

「ひっ」

 

 ハムスケが次はどいつにしようかなという顔で品定めを始めると、一人の男が声を上げた。

 

「きっ、きさまら!俺を守れ!あの化け物を囲むんだ!」

 

 内容はともかく、この状況で声を上げられたことは驚嘆に値する。ベリュース隊長は人望と品格と実力に欠けた男であることが隊員達の間の定説であったが、意外と土壇場でのクソ度胸は持っていたのかも知れない。

 隊長を守りたいという意欲は沸かないが、包囲して攻撃するのは理に適った対応ではある。隊員達は阿吽の呼吸でハムスケを四方から包囲するように動き出した。

 

「ぎゃああああああ!!」

 

 そうする間にもハムスケがその前肢で騎士の一人を引っぱたくと、その兜が綺麗に一回転した。中身は直視したくない惨状になっているのだが、鎧の上からでは異常のわからぬまま騎士がその場に崩れ落ちる。

 一人の貴重な犠牲が稼いだ時間で、騎士達はハムスケを取り囲んだ。暗黙の了解で役割分担が決まる。すなわち、魔獣の正面に位置するものは防御に徹し、側面~背面から攻撃を仕掛けるのだ。

 果たして始めから防御(パリィ)に徹した正面の騎士は、ハムスケの次の攻撃――鋭い爪による一撃を剣で受け止めることに成功した。ハムスケの圧倒的な膂力を前に押し倒されそうになるが、斜めに傾いた体を踏ん張って叫ぶ。

 

「い、今だ!」

 

 その声に呼応して三人の騎士が背後と側面からあるいは斬りつけ、あるいは突き立てようとする。

 

 がきん。

 

 ハムスケの体から聞こえたのは鋼と鋼がぶつかる音に似ていた。見た目には白く柔らかな毛並みの全てが、金属の硬さと強さを備えている天然の金属鎧であったのだ。

 そんなのありかよ。そう叫ぼうとした騎士が足首に違和感を覚え、足下を見ると。

 ハムスケの尻尾が己の足首に巻き付いていた。

 

「ひぁああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 視界が回転し、騎士は己がハムスケの尻尾の力だけで中空に吊り上げられたことを理解する。暴れる暇もなく、その体が振り回されて大きく旋回した。

 

「ぐぇっ」

 

 遠心力を存分に受けて加速した騎士の体は、そのままハムスケの前方で防御していた騎士に向かって叩きつけられ、二人は望まずして熱烈な抱擁を交わすことになった。双方の鎧兜がへこんでひしゃげ、鈍い音を立てて骨が砕ける音がする。

 抱きつかれた方はそれで人生から解放されたが、掴まれた方の苦難はそこでは終わらなかった。鎧の中身が絶命していることに委細構わず、再び尻尾が唸りを上げると、そのまま周囲をなぎ払ったのだ。

 騎士の死体そのものを鈍器として叩きつける。左後方に位置した一人は上から下へのモーメントを受けて地面にべしゃりと張り付き、そのまま下から上へのひねりを加えて殴られた右後方の一人は抗すること能わず宙を舞った。

 

 これで残りは三人。未だかすり傷ひとつ負わぬハムスケがじろっと次の獲物に焦点を合わせると、睨まれた男――ベリュース隊長はすくみ上がった。

 

「ひ、た、たしゅけて、おねがいします!こうふくしましゅ!おかねあげましゅ!」

 

 馬鹿じゃないのか。生き残りの残り二人は期せずして同じ思いを抱いた。魔獣に金を払うと命乞いをして何になるのか。恐怖の余り呂律が回ってないこともあわせ、滑稽きわまりない。そのように思っていたが、意外や魔獣が反応を示したのである。

 

「……ふむ?降伏するでござるか?」

 

 喋る魔獣に驚愕する暇もなく。生き残った三人は顔を見合わせると、すぐさま激しく首を振って首肯した。あまりの激しさに脳みそがシェイクされるのではないかと心配になるほどであった。ハムスケはふむ、と首を傾げると呟く。

 

「まあ、生死は問わぬとの仰せでござるからなあ。お主達、武器を捨ててそこに跪くでござる。もうすぐ姫が到着なさるので、その時処遇を伺うでござるよ」

 

 投げ捨てられたロングソードのたてる無機質な音がそれに答えた。

 

 

「……羽虫をいちいち潰して回るのも飽きてきたわね」

 

 唐突にそんなことを言い出したナーベラルの顔を、エンリはぎょっとした顔で思わず見つめた。相変わらず見入ってしまいそうな程綺麗な顔だが、言うことにいちいち棘がある。まさか飽きたから助けるのを止めたといいだすつもりではなかろうか、そう思っているとナーベラルが言葉を続ける。

 

「ハムスケ、残りはこの先の広場にいる10匹で終わりなのね?あんたが先に行って蹴散らしてきなさい。生死はどうでもいいわ」

 

「合点承知でござる姫!このハムスケの勇姿にご期待あれ!」

 

 ハムスケは気合い十分と言った体で、何処で覚えたのか敬礼の真似事っぽいポーズをとると恐るべき速度で村の中央へ突進していった。程なく悲鳴と剣戟の音が響いてくる。

 ナーベラルはエンリ達を一瞥すると、何も言わずにゆっくりと歩いていく。肩くらい貸してくれないかと思わなくもないが、伏兵を警戒するなら論外であることもわかる。ゆっくり歩いているのが自分たちに対するせめてもの配慮なのだろうか。エンリはそうも思うが、まあ別にナーベラルにそんなつもりは特にない。

 広場に入ると、ちょっとした数の人間が出迎えた。広場の奥に村人達と思われる平服姿の老若男女が60名くらい。そこかしこにハムスケが仕留めたであろう騎士の死体が7体。ドヤ顔でふんぞり返っているハムスケの側に跪いている騎士達が3人。

 

「おお、姫!今終わったところでござるよ!この者らは降伏したいそうでござるが、いかがなさるか?」

 

 いちはやく気づいたハムスケが振り向いて声を掛けると、その場にいた全員の視線がナーベラルに集中した。息を呑んで見守る中、ナーベラルは後ろを振り返って告げる。

 

「……念のためお前達は近寄らずにそこで待ってなさい」

 

「は、はい」

 

 村人の中から「エンリ!ネム!無事だったのか!」という声が上がったが、特に反応するでもなくナーベラルはハムスケの側に歩み寄る。

 

「あ……あなた様がその魔獣の主ですか?私ども降伏いたします!なんでもしますので、命ばかりはお助けを……」

 

 生き残りの騎士達でもひときわ人相の悪い男が卑屈にすり寄ってきた。適当に命乞いをしようとしたものの、そのままナーベラルの美貌に見とれて沈黙する。

 なんでもするなら命を差し出せ……などとは言わず、ナーベラルは面倒そうに告げる。

 

「そう。じゃあ、まず鎧と服を脱ぎなさい。下着はまあいいわ」

 

 武装解除するなら裸にすべきであるが、見苦しいものを見せられるのはご免だ。そんなナーベラルの要求に、慌てて鎧を外し、服を脱いで下履き一枚になったむさ苦しい男三人を地面に四つん這いで伏せさせると、生き残りの村人達に声をかける。

 

「あなた達、ロープか何か持ってないかしら?」

 

 

 ナーベラルは受け取ったロープで三人の裸の男を後ろ手に縛り上げると、怯えた様子で様子を窺う村人達に声をかけた。

 

「さて……これでひとまず安全は確保されたと思うけど」

 

「あ、あなた様はいったい……」

 

 村長だろうか、代表者らしき中年の男性が問いかける。

 

「通りすがりの魔法詠唱者(マジック・キャスター)よ。なんというか、なりゆきで巻き込まれたから自分の身を守るついでにあなた達を助けに来たわ」

 

「おお……」

 

 村人達の間に安堵のざわめきが広がるが、不安の色は消えない。

 だがナーベラルはそんなことを気にはしない。

 

「それで、聞きたいことがあるのよ色々と。どこか話をできるところはないかしら?ああ、ハムスケ……そこの魔獣はおとなしくさせておくから心配は要らないわ」

 

 村人達からの不安と懐疑の視線を全く意に介することもなく、自分の要求を端的に告げたのだった。

 

 

 




 ハムスケがんばった( ´∀`)

12/4誤字修正。
1/23誤字修正。


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第六話:王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ

 
 感想を見てるとハムスケの胃を心配してる方が多かったですが。
 ……このSSで一番胃がヤバイのは、間違いなく今回登場するこの人です( ´∀`)



 ナーベラルは村長の家に案内されると、改めて言われる礼の言葉を軽く聞き流して自分の要求を口にする。

 

「単なる成り行きです、気にしないで結構。そんなことより村長、『ナザリック地下大墳墓』か『グレンベラ沼沢地』という地名に聞き覚えはあるかしら?」

 

「……いえ、残念ながら」

 

「では『アインズ・ウール・ゴウン』という言葉には?」

 

「……いえ、聞いたことはございません。お役に立てず申し訳ない」

 

 村長が申し訳なさそうに頭を下げると、ナーベラルは知らず張り詰めていた緊張を解いて息を吐いた。

 

「いや、知らぬものは仕方がないわ。では教えて貰いたいのだけど……」

 

 ここは何処かという質問に始まって、思いつく範囲で情報を集めていく。村長もできる限りの協力をする。

 

 

 途中葬儀のための休憩を挟み、ナーベラルがこの世界の(普通の村人が知る範囲での)常識をある程度手に入れる頃には、太陽が西に差し掛かっていた。

 

「すると、ガンマ様は転移の魔法の実験に失敗して気がついたら見知らぬ土地に飛ばされていたということですか」

 

「ええ、まあ。そういうことになるわね」

 

 ナーベラルがない知恵を絞って考えた、他人に説明するためのカバーストーリーがその説明であった。自分がある程度優れた魔法詠唱者(マジック・キャスター)であることと、この周辺世界に対する常識を一切持っていないことに対する理由付けが盛り込まれている。そもそも推察するしかない真の状況にも、当たらずとも遠からずではないだろうか。転移したかさせられたか、その程度の違いしかないのかもしれない。

 

「それで、これからどうなさるのです?」

 

「勿論、長期的には故郷に帰るため、地理を調べる必要があるのだけど……当座のところは、今晩泊めてもらえないかしら」

 

 ナーベラルがそう口にすると、村長は相好を崩した。

 

「そうですか、勿論結構です。どこでも好きなところに何日でも滞在してください」

 

 冷静に考えると少し安請け合いな台詞の気がする。もし仮にナーベラルが適当な村人を捕まえてお前の家に泊めろと言い出したらどうするのだろうか。まあ、命の恩人のささやかな頼みを拒否するような村人はいないかもしれないが。

 

 そのとき、ノックの音もそこそこに、村人が不安そうにドアを開けて覗き込んできた。

 

「あの、すいません、ガンマ様。お連れの……森の賢王殿が、この村に近づいてくる集団がいるので姫様を呼んでくれと」

 

「へえ?」

 

 本人はハムスケと呼んで欲しいんじゃないかなあと思いつつ、ナーベラルは立ち上がった。そのまま外に出てハムスケの下へ歩いていく。

 

「おお、姫、お呼び立てして申し訳ないでござる。実は馬に乗った騎兵らしき集団が、こちらに近づいてくるでござる。その数20余」

 

 賢さについては期待はずれだったが、それ以外の面ではまあまあ拾いものだったかも知れないな、このペット。ナーベラルがそんなことを考えているとは露知らず、ハムスケは状況を説明する。

 

「な、何者でしょうか……」

 

 後ろをついてきた村長夫婦が不安そうに辺りを見回すと、ナーベラルは自分の考えを口にした。

 

「まあ、良い方向に考えれば治安維持に派遣された国の兵隊かも知れないけど、悪ければあいつらの別働隊かもね」

 

「ひっ……」

 

「やれやれ、一夜の宿の安全を確保するのも一苦労か……」

 

 そう呟くと、ナーベラルは村長に村人を1箇所に集めるように指示し、ハムスケに護衛を命じた。

 

「それは承知でござるが……姫はどうするのでござる?」

 

「私はその辺に隠れるわ」

 

 そいつらが敵なら奇襲で始末する。そう言うとナーベラルはフードを被って顔を隠した。そして<伝言>(メッセージ)の魔法をかけ、ハムスケに対して通信経路(パス)を繋ぐ。

 

<ハムスケ、聞こえる?>

 

「ヒェッ!?あれ、今の、姫でござるか?なんか頭の中に直接声が響いたような不思議な感じでござるが……」

 

 通信経路(パス)を通じて呼びかけるとハムスケがびくんと震えてきょろきょろと辺りを見回す。<伝言>(メッセージ)の魔法は正常に働いているようだ。そのことを判断したナーベラルの胸の奥に痛みが走る。別に<伝言>(メッセージ)の魔法に不具合が発生したから仲間達に連絡が取れないとか、そのような可能性に期待していたつもりはないのだが……今はそんなことを考えているべき状況ではない。

 

<魔法であんたとの間に通信経路(パス)を繋いだわ。これで離れた距離からでも悟られずに会話ができる。あんたも口に出さずに返事をしてみなさい>

 

<ほおー、これも魔法でござるか。流石は姫、便利な魔法を知っているですなあ>

 

「上出来、そんな感じで大丈夫よ。ハムスケ、連中がいきなり襲いかかってこなかった場合は、敵かどうかを判断するまでこちらからは手を出すな。その判断は、村長、あんたに任せるわ」

 

<了解したでござる>

 

「へっ?は、はい!」

 

 急に話をふられて驚いた村長がへどもどとしながら答える。

 

「いきなり斬りかかられてもハムスケが守るけど、まあ危険には違いない。とにかく時間を稼いで、危ないと思ったら距離をとるように」

 

 そう言い残し、ナーベラルは外を見回すと木立の奥に駆け込んだ。一度完全に身を潜めてから、<不可視>(インジビリティ)の幻術を自身にかけ、村人が集まった村長の家に視線が通る位置を検討する。一度隠れたのは、場慣れしてない村人達に伏兵がいると視線でばれては困るからである。

 

 

 生き残りの村人は殆どが村長の家に入り、村長以下数名とハムスケが外に残った。

 

「まあこのハムスケ、たいていの相手に後れを取るつもりはござらん。大船に乗ったつもりで安心して欲しいでござる!」

 

「は、はあ、確かに森の賢王ならばたいていの人間より強いでしょうが」

 

 ドヤ顔で胸を反らすハムスケを見て、村長は少し怯えが収まる。恐ろしげで強大な魔獣でも、味方であり会話ができるのであれば頼もしいものである。

 

 やがて道の先から駆けてくる騎兵の姿が見えてきた。その出で立ちには統一性が無く、よく言えば襲撃してきた連中の仲間には見えないが、かといって王国正規兵にも見えない。ありていにいうと戦時中は傭兵、戦争が無ければ野盗になるような、ごろつきの集団に見える。

 村長達に緊張が走ったが、それと同様に戦士達も警戒を強めていた。勿論、村長達の脇に控えるハムスケの存在を受けてのことである。彼らはハムスケを警戒しつつ、ある程度の距離をとって村長達の前に整列してみせた。

 

「――私は、リ・エスティーゼ王国、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。この近隣を荒らしまわっている帝国の騎士たちを討伐するために王のご命令を受け、村々を回っているものである」

 

 明らかに一人突出した雰囲気を持つリーダーらしき男が進み出ると、そう名乗った。

 

「ほう、王国戦士長!……村長殿、それは何者でござるか?あとそこもとを油断させるための虚言である可能性はあるでござるか?」

 

 自分がというよりは、隠れて聞いているナーベラルの為に村長に質問するハムスケ。正確には現在も<伝言>(メッセージ)の魔法で繋がっている、ナーベラルの意向を受けての発言であった。魔獣が喋ったのを耳にし、戦士達の間に緊張が高まる。思わず腰の剣に手を掛ける者までいた。

 

「は、はい……行商人たちに話を聞いたことがある程度ですが、かつて王国の御前試合で優勝を果たした人物で、王直属の精鋭兵士たちを指揮する方だとか……」

 

「それで、本物でござるか?」

 

「いえ、直接目にするのはこれが初めてなので、私にはなんとも……」

 

「ふむむ、困ったでござるなあ……こういう場合は、偽の身分を名乗ることでなにか利益があるのかを考えるべきでござるが……」

 

 目の前でこいつ本物かよ?という問答をされるのはまあかなり失礼な行為にあたるだろうが、戦士長を名乗る男には気を悪くした様子はなかった。自分たちが怪しく見えるというのも無理はないとの思いがある。王より貸し与えられた、王国秘蔵の装備を置いてこざるを得なかったこの状況ではなおさらだ。

 

「失礼、お疑いのところ申し訳ないが……この村の村長だな?そちらの魔獣は何者だ?所々焼かれた跡があるが、この村は既に襲撃を受けたのか?これはどういった状況なんだ?」

 

 ガゼフの疑問は当然のものである。こっそり指示を聞いているハムスケがひくひくと鼻を鳴らしながら答えた。

 

「それがしの名はハムスケ。人間には森の賢王と名乗った方が通りがいいでござるな」

 

「森の賢王!!トブの大森林南部の支配者か……!!だが、それが何故この村に?」

 

 ガゼフはハムスケの名乗りを聞くと、森の賢王であればその偉容も納得であるとばかりに頷いた。

 

「少々事情があって、この村が襲われているところに通りかかって助けに入ることになったでござるよ」

 

 その言葉に、困惑したかのような空気が戦士団に広がった。いったい何の事情があれば魔獣が人間の争いごとに首を突っ込むことになるのだ?

 勿論、ガゼフにもその疑念は絶えない。内心は混迷を極めていたが、村人達をかばって立っている様子に嘘はない。焼き討ちがあった模様にもかかわらず大勢の村人が生き残っていることからもその言は嘘ではないだろうし、そもそも魔獣がそのような嘘をつく意味がそれこそない。

 そのように思ってとりあえず礼を述べるために馬を下りたところ、ハムスケから制止の声がかかった。

 

「おっと、それ以上は近づくなでござる。それがしの事情は説明した故、今度はそこもとの番でござる。それがしはお主が名乗ったとおりの者であるか判断することができぬ故、敵意がないことを示す気があるのならば、そこの隅にでも武器を置いて下がるでござるよ」

 

 ガゼフの動きが止まり、その顔が困ったようにゆがんだ。

 

「……言い分は分かるが。この剣は我らが王より頂いたもの、これを王のご命令なく外すことはできない相談だ」

 

 その返答を聞くと、ぴくぴくと耳を動かして上を見上げたハムスケは前足を地面に下ろし、獣としての姿勢を取った。

 

「ふーん、そうでござるか。じゃあ死ぬでいいとござるよ」

 

 ぶわっと風が巻き起こったかのようであった。身構えて殺気を露わにした森の賢王を前に、ガゼフ以外の戦士達がたまらず抜刀し、馬が怯えて後足立ちにいなないた。

 慌てたのは村長である。

 

「ちょ、ちょっとガンマ様!それはあまりに短絡的に過ぎます!!」

 

()()()()だと?」

 

 突如現れた謎の人名にガゼフが身構えると、ハムスケが思わず殺気を解き、顔に前足を当て嘆息した。

 

「あちゃ~……ばらしちゃっては困るでござるよ村長殿。姫、どうするでござる?え、まどろっこしいから出てくるでござるか」

 

「……伝言(メッセージ)での通信か?つまり、魔法詠唱者(マジック・キャスター)が隠れていたのか……!!」

 

 不意打ちで隙を突く算段だったに違いない、思ったより強かな連中である。そんなことより何故俺たちは助けに来たはずの村で殺し合いをしそうな羽目に陥っているのだ、そう考えるガゼフ達に、背後から声がかかった。

 

「フン、お膳立てが台無しね……」

 

「!?」

 

 <不可視>(インジビリティ)の幻術を解除し、突如として背後に現れたナーベラルに、戦士達が驚きと共に一斉に振り返って剣を向ける。

 

「その声……女か!?」

 

 フードを下ろしたマント姿で容姿は窺い知れないが、その声は紛れもなく若い女のものである。ついでに言えば声を聞いただけでフードに隠された顔の美しさを弥が上にも想像させた。

 

「まあいいわ、殆ど雑魚ばっかりみたいだから剣持ってたって何もできないでしょうし。初めまして……ストロガノフ殿?私はガンマ、通りすがりの魔法詠唱者(マジック・キャスター)で、そこのハムスケの飼い主で、成り行きでたまたまこの村を救った者よ」

 

 名前は間違えているし、ひとかどのプライドを持った職業戦士達を雑魚扱いである。本人に自覚は全くないが、意図せずしてかなり挑発的な言動であった。これでもナーベラル当人的には、随分と譲歩してやった私って優しいとすら思っているのである。雑魚呼ばわりされた戦士達が気色ばむのを手で押さえると、ガゼフはせめてもの害意がないことを示すつもりで両手を広げて歩み寄った。

 

「この村を救って頂き、感謝の言葉もない」

 

 いきなり名前を呼び間違えられたこともまるで気にせず、ゆっくりと、深々と頭を下げる。後ろの戦士達がざわつく。

 王国戦士長という高い地位の者が、どこの馬の骨ともしれない流れ者の魔法詠唱者(マジック・キャスター)に頭を下げる。ガゼフの人柄を物語る光景であり、村人と部下の戦士達は感銘を受けたようであるが、残念ながらナーベラルとハムスケにはその意味が通じない。興味なさげに一瞥をくれただけであり、その様子がまた後ろの戦士達の不興を買った。

 

「ガンマ殿は……冒険者なのかな?たまたま通りすがってこの村を救うことになったと?」

 

 ガゼフ自身は気にした風もなく、どうにか友好的に話を続けようとしたが、その台詞は意外な反応をもたらした。

 

「冒険者?そういやあいつらもそんなことを言ってたけど……冒険者って何?」

 

 ガゼフは耳を疑った。この世界の人類社会に暮らす者で、冒険者の存在を快く思わない者はまあそれなりにいる。が、存在自体を知らない者などありえるだろうか、いや、ない。ガゼフの中の警戒心が跳ね上がる。

 

「ガンマ殿……あなたは何者なのだ?失礼だが、そのフードをとってもらえまいか?」

 

 フードの下には人外の化け物の顔が隠れているかも知れない。そんな考えにとらわれる程、冒険者を知らないという発言には衝撃があった。ナーベラルはふん、と鼻を鳴らして冷笑する。

 

「自分たちが剣を置くのは嫌だけど、私にはフードをとるよう命令するってわけ?……お断りよ、何様かしらね」

 

 王国戦士長の地位など歯牙にも掛けぬといったその態度に、本人よりも後ろの戦士達の敵意がますます強まった。村長達は顔を白くして脂汗を浮かべる。元々抜刀して剣を向けた状態なのだ、すわ一触即発かという緊張が高まったとき、のほほんとした声がそれを打ち破った。

 

「しかし姫、さっきまでは顔を隠してなどいなかったではござらんか。今それを隠すことにどんな意味があるのでござる?」

 

「……意味は、ないわ別に。こいつらの態度が癇に障るから唯々諾々と従いたくないだけよ」

 

「ははは、意外と子供っぽいところもあるのでござるなあ」

 

 ハムスケの呑気な台詞に気をそがれたのか、ナーベラルから戦意が抜けた。ハムスケに仲裁された形になり、ガゼフは内心森の賢王に感謝する。ナーベラルは忌々しげに舌打ちすると、フードに手を掛けて後ろに払った。豊かな黒髪が外にあふれ出るのを頭を振って整える。

 絶世の美女。そうとしか言えないナーベラルの美貌を直視し、歴戦の戦士達が口を半開きにして固まった。ガゼフも例外ではない。

 

「……これでいいのかしら?さっきも言ったけど、こちらの要求は拒否する癖に自分の要求は通すとか、本当に口で言うほど感謝してるのかしらね」

 

 仏頂面でそんなことを言うナーベラルに、ガゼフはどうにか再起動すると再び深く頭を下げる。

 

「それについては申し訳ないと思っている、どうか信じていただきたい……」

 

「あの、戦士長殿。ガンマ様はその、転移魔法の実験に失敗して流されてきた迷子の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だそうで、おそらくは非常に遠方の地から現れたものではないかと。色々なことを御存知ないのもそれが原因では……」

 

 村長からフォローが入り、ナーベラルは内心でガッツポーズをとった。頭を絞って考えた言い訳が無事役に立ちそうである。よくやった私。

 そのような内心も知らず、ガゼフは得心したかのように頷いた。

 

「……転移魔法の実験とは!ガンマ殿は優れた魔法詠唱者(マジック・キャスター)であられるのだな……ひょっとしたら海を越えた別の大陸から来られたのかもしれないな。それなら冒険者組合が存在しなくても不思議はない」

 

「そう、それであなたにも聞きたいのだけど……」

 

 言い訳が功を奏し、自然な話の流れになったので、地位のある人物ならその辺の村人よりは地理情勢にもう少し詳しいだろうと、ナーベラルは問いかけたが、生憎ガゼフもナザリック地下大墳墓およびアインズ・ウール・ゴウンについては知らないと答えた。申し訳なさそうに頭を下げるガゼフを見て、ナーベラルは息をつく。そう簡単に解決すると思っているわけではなかったが、やはり先は長そうだ。

 そのような思いにふけるナーベラルに、ハムスケが声をかけた。

 

「ところで姫、なんだか別口でこの村を包囲しようとしている連中がいるでござるが、いかがいたすでござる?」

 

 その発言を受け、ナーベラルを除いたその場の全員がぎょっとしたように辺りを見回した。だが周囲に特に異変は起こっていない。ナーベラルは頭をかいて嘆息した。

 

「また問題?なによもう、次から次へと……」

 

 カルネ村の最も長い日はまだ終わりを迎えていない。

 

 

 




 ナーベちゃんの導火線が短すぎてガゼフがヤバイ( ´∀`)
 ハムスケ「それがしが守護(まも)らねばならぬッッ!!」

2/23 固有名詞修正。



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第七話:陽光聖典ニグン・グリッド・ルーイン

 
 ニグン=サン
 多くのオーバーロードSSで1面ボスを務める名やられ役。
 (エタるSSでもここまでは到達できるケースが多いため)二次創作で最も多く殺される御方。
 バラエティに富んだ多彩な運命が待ち受ける2面ボスと違って基本的に死亡一択な点も硬派。



「なるほど……確かにいるな」

 

 物陰に隠れて村の外の様子を窺っていると、やがて等間隔でゆっくりと村に向かって距離を詰めてくる複数の人影が現れた。目視できるより遙かに早くその気配をつかんでいた森の賢王の気配察知能力にガゼフは舌を巻く。

 武器すら持たぬ軽装に、側に侍らせた翼の生えた人間型モンスター……天使の存在。おそらくは近づいてくる連中の大部分、もしくは全員が優れた魔法詠唱者(マジック・キャスター)であると思われた。

 

「一流の魔法詠唱者(マジック・キャスター)をこれだけ揃えることができるとなると、相手は限られてくるな……天使を連れているところを見ると、スレイン法国の特務部隊、噂に聞く六色聖典という奴か……?」

 

 ガゼフが警戒しながら広場に戻ると、ナーベラルが下着一枚で後ろ手に縛られた裸の男を建物から引きずり出してきたところだった。

 

「ガンマ殿、その男は?」

 

「この村を襲った盗賊の親玉よ。村長の話ではばはるす帝国とやらの騎士に見えたそうだけどね」

 

 ナーベラルはちらりとガゼフに目をやって答えると、すぐに向き直ってベリュースの顔を覗き込んだ。ちなみにベリュースだけを連れてきたのは、こいつが一番口が軽そうだったからである。仲間が側にいない方が口の滑りもいいだろうとの期待で一人だけ連れてきたのだ。

 

「さて……なんでもするって言ったわよね?私の質問に答えて貰うわよ」

 

「ひっ……」

 

 ベリュースの顔に玉の汗が浮かぶ。基本的に馬鹿な男だが、このタイミングで呼び出されたことの意味くらいは想像がつくらしい。

 

「今この村を包囲しようとしている連中……あんたの知り合い?」

 

「……」

 

 ベリュースは今までの人生で経験したことが無いほど真剣に悩み、沈黙の中に打算を巡らした。ここで真実を喋ったことが知れれば特務聖典の連中の逆鱗に触れ、粛清されるのは想像に難くない。だが嘘をついてこの場を切り抜けることが可能か……?

 

「……私、あまり気が長い方じゃないの。喋る口はあと二つあるってことについてよく考えてみた方がいいんじゃないかしら?」

 

 ナーベラルが険のある顔で手のひらをベリュースの顔につきつけると、ベリュースの自制心はあっさりと決壊した。喋れば後で殺されるが、喋らなければここで殺される。自分が生き延びるためには、全て喋るしかない。その上で、そのことがばれずにガゼフ達が全員殺されるか……もしくは陽光聖典の連中が敗北することを期待するしかない。

 

 ベリュースは堰を切ったようにぺらぺらと喋り出した。スレイン法国の特務部隊、陽光聖典によるガゼフ・ストロノーフ抹殺計画の全容を。バハルス帝国の騎士に偽装した自分たち――彼ら自身は陽光聖典所属ではなく、協力を命じられた一般の諜報工作部隊である――が、国境近辺の開拓村を焼き討ちして獲物を釣り出す。同時に王国の宮廷に工作をしかけ、戦士長を周辺国家最強たらしめている王国秘蔵の宝具を剥ぎ取る。釣り出されてのこのことやってきた獲物を、まずはわざと生き残らせた村人の保護をさせて人数を削る。装備と部下を削り取られた無防備な戦士長を、陽光聖典が包囲して討ち取る。大雑把に言えばそのような計画である。

 ナーベラルは涼しい顔で、一方ガゼフは険しい顔で沈黙を守っている。まあ自分を陥れるためだけに今回の襲撃が起こったと言われれば怒りも湧いてくるであろう。

 

「こ、ここまで喋ったんですから、私は助けてくれるんですよねえ~?」

 

 沈黙の重さに耐えきれずベリュースが口を開くと、ナーベラルは肩をすくめた。

 

「別に約束したってわけでもないけれど、お前の命になんか興味はないし……私は何もしないわよ?お前達の身柄はそこのストロガノフに引き渡すつもりだから、あちらに頼めば?」

 

「そ、そんな!それでは話が違う!」

 

 王国の法で裁かれることになれば、まあどう考えても死罪は免れ得ない。なにしろ開拓民の大量虐殺犯である。ベリュースは救いを求めてガゼフを見上げると、憤懣やるかたないと言ったガゼフの怒気が籠もった眼光に射貫かれて身を縮こまらせる。ガゼフの怒りに触れたのであれば、それ以前にここで切り捨てられてもおかしくない状況であった。

 

「……安心しろ、ここでは殺すまい。お前達は王国の法できっちりと裁いて貰う」

 

 実際は複雑怪奇な宮廷内部の政治情勢に絡み、なんらかの取引で解放されないとも限らない。それでも王と王国への忠誠が、私情でここで裁くことをよしとしなかった。そう言い捨てると、震えるベリュースを尻目にガゼフはナーベラルへ向き直った。

 

「ガンマ殿」

 

 ナーベラルがガゼフを見る。

 

「良ければ雇われないか?」

 

 無表情にこちらを見つめるナーベラルに内心気圧されながら続ける。

 

「報酬は望まれる額を約束しよう」

 

「嫌よ」

 

「……ではそちらの森の賢王を貸してはくれまいか」

 

「ですってハムスケ。あんたはどうしたい?」

 

「それがしは姫にお仕えする身、姫が行かないのであれば特に興味はござらん」

 

「そうか……では王国の法を用いて強制徴収というのはどうだ?」

 

 助勢がなければ希望はない、そのようなガゼフの焦りが生んだ脅しの言葉であったが、明らかにそれは失策であった。ナーベラルはそれを聞くと、堪えきれないようにくっくっと笑い出す。

 

「法……法ね……随分と笑わせてくれる」

 

 ナーベラルの顔に浮かんだ冷笑に、ガゼフは思わず一歩退いた。

 

「なめるなよ下等生物(ガガンボ)。私が従う法はアインズ・ウール・ゴウンに集う至高の御方が定めたものだけだ。なんだったら陽光聖典とやらの代わりに私がお前を殺してやろうか?」

 

「……申し訳ない、失言だった。貴女を雇うのは諦めるとしよう」

 

 己の失策を悟り、また感謝していたはずの人物にそのような態度をとったことを恥ずかしくも思ってガゼフは即座に頭を下げ謝罪した。

 ナーベラルが黙ってガゼフの頭を見つめていると、ハムスケがぽつりと呟く。

 

「……なんだか、少しかわいそうでござるな」

 

 それを聞いたナーベラルがハムスケをじろりと睨むと、ハムスケは首をすくめてあらぬ方を向いた。ナーベラルは暫くの黙考の後、がりがりと頭を掻いてため息をついた。その口から意外な言葉が飛び出す。

 

「……雇われるのはごめん被るが、加勢はしてやってもいいわ」

 

 その言葉を聞き、ガゼフが弾かれたように顔を上げる。

 

「……つまり、どういうことですかな?」

 

「負けた場合に命運を共にする形であんたらの部隊に組み込まれるのは嫌だ、って意味よ。近づいてくる連中の強さは未知数なんだから、戦ったら敵わない可能性もあるでしょう?」

 

 ナーベラルはそう言うと、しかつめらしく腕を組んだ。

 まだ十分な情報を集め終えていないため、カルネ村の村人達には用事が残っていると言える。彼らを見捨てて新たな情報源を探すくらいなら、ここで助けておいた方が余程手っ取り早いであろう。

 

「でもまあ、あいつらがあんたを殺した後この村を放置して引き上げるとも思えない。私としては、ここまで結構な手間暇かけて助けた連中を殺されるのも面白くはない。だから、あなた達が連中と戦うのを見て、手に負えそうなら加勢してあげてもいいわ」

 

 逆に敵いそうもなかったら尻尾を巻いて逃げ出す、そのようなナーベラルの言をうけ、ガゼフは難しい顔で考え込む。

 正直、勝ち目は薄い。目の前のガンマが優れた魔法詠唱者(マジック・キャスター)であろうとも、スレイン法国の六色聖典という訓練された集団を相手に個人で戦うのは厳しいだろう。ましてや、負けそうなら逃げるという腰の引けた状態では。

 とはいえ、脅して無理矢理戦列に加えようなどというのはそもそも愚の骨頂だったのだ。彼女の怒りに触れれば最悪後ろから撃たれる可能性すらある。現実的に見て、ガゼフともカルネ村とも関係のない彼女が協力してくれる路線としては、この辺りが限界と言っても過言ではない。

 つまり、実質的にガンマが加勢してくれることはないだろう。本人的には黙って逃げればいい話である。ここまで譲歩を引き出せただけでも幸運であったと言える。

 

「わかった、それではどうかよろしくお願いする、ガンマ殿……もしできればだが、貴女が敵いそうにないと見て逃げるときは、村人達も一緒に逃がしてやって貰えないか」

 

 ナーベラルはそれを聞くと、形の良い眉を顰めた。

 

「面倒な注文をするわね……まあ、考えておくわ」

 

「感謝する、ガンマ殿……」

 

 ガゼフはガントレットを外すと手を出して、ナーベラルのそれに重ねた。両手で握りしめ、心情を吐露する。

 

「とにかく無辜の民を暴虐から守ってくれたこと、本当に感謝する!もし生きて戻れたら、その時は必ず礼をさせていただこう」

 

 ナーベラルの白く細く、荒事などまるで知らぬかのように美しい手にいささか顔を赤らめながらの台詞となった為、単に謝意を示したというには別種の目的があったように見えてしまいかねなかったが、そうしてガゼフは重ねて礼を述べた。

 

 

 ナーベラル・ガンマはガゼフが死地に飛び込んでいくのを冷静に観察する。人間であればその覚悟と決意に満ちた気迫に感動するところかも知れないが、ナーベラルにそのような感傷はない。

 ガゼフにはああ言ったものの、ナーベラルは自分が逃げ出す羽目になる可能性はほとんどないと見ていた。勿論、村々を焼き討ちしていた工作部隊と、本命を仕留めるための決戦部隊とでは練度が異なるであろうが、基礎となる能力が低すぎて、たとえ決戦部隊が工作隊に倍する強さであっても問題にはならない。

 

 とはいえ油断は禁物、どのような隠し球があるかも知れないのである。せっかく奇襲を仕掛けるのだ、初撃で戦局を決定づけるべきである。村人からのヒアリングの結果、あまり高い位階の魔法を使うと悪目立ちするかもしれない、という発想はナーベラルにもある。そして切り札は常に持つべし、晒すときは更に奥の手を伏せておけという創造主の教え。この世界でこれまでに戦った雑魚の強さ。それらを勘案し、第三位階までの魔法をメインに行使、第五位階の龍雷(ドラゴン・ライトニング)を大技として切る札に想定しておく。それ以上は本当に追い詰められたときの隠し札だ。

 

「姫、相手の連中は全員ガゼフ殿の包囲網に集中したでござる。伏兵はもう居ないでござるな」

 

 ハムスケがフンフンと鼻をひくつかせて言った。野生生物らしく気配の察知に長けた森の賢王は、人間種で言えば野伏(レンジャー)のような役割を果たしてくれる。ハムスケの想定レベルを考えれば、その気配察知をすり抜けて隠れる技量は相手にはない。

 そう思いながらもナーベラルは戦局を観察する。相手の主力は第三位階の魔法で召喚した炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)。それを(タンク)とし、召喚主が攻撃魔法でガゼフ達を追い込んでいく戦術。

 

「ふん……散開したままにしておけばいいものを、集結したな。始まってしまえば逃がす心配はないし、包囲が薄ければ破られる心配があるものね。王国側に魔法詠唱者(マジック・キャスター)が居ないと見て油断したわね、こちらには好都合だけど」

 

 スレイン法国の連中は固まることで壁役の天使の数を節約し、浮いた人数を攻撃役(アタッカー)に振り分けている。これはこれで合理的な戦術である、相手に範囲攻撃の手段がなければだが。

 

「ハムスケ、頃合いを見て私が仕掛けるわ。その後は打ち合わせ通りに」

 

「了解でござる姫。今度こそそれがしの勇姿をご覧になっていただけるでござるな」

 

 そう言う間にも、ガゼフ達の部隊から戦闘不能者が脱落していく。元々20名しか居ないのだ。動ける者は容易く残り10名を割った。今のところ止めを刺すより戦闘を優先しているので大部分はまだ息があるだろうが、このままでは放っておいても死ぬだろう。

 それに対してスレイン法国の部隊は45名、敵に倍する数を持つ上その数を1人も減らしていない。

 まあ次の一手で大部分は失われるわけだけどね。ナーベラルは内心で下等生物(ダニ)共のあがきを嘲笑う。

 

<魔法二重化(ツインマジック)()下位魔法蓄積>(レッサー・マジックアキュリレイション)

 

 ナーベラルの目の前に二つの魔法陣が浮かび上がった。ナーベラルはその片方に手のひらを当てると、さらに呪文を唱える。

 

<二重最強化(ツインマキシマイズマジック)()電撃球>(エレクトロ・スフィア)

 

 魔法陣に魔法が込められ、その輝きが増す。

 

<二重最強化(ツインマキシマイズマジック)()電撃球>(エレクトロ・スフィア)

 

 間髪入れず、もう片方に同じ魔法を込める。ナーベラルは唇をつり上げて酷薄な笑みを浮かべる。

 

「さて……準備完了、行くわよハムスケ。<二重最強化(ツインマキシマイズマジック)()電撃球>(エレクトロ・スフィア)、そして<解放>(リリース)

 

 ナーベラルの両手に青白く放電する白色の球体が膨れあがる。同時に魔法陣からも同じ球体が生み出され、その数は合計6つ。

 次の瞬間、放電する光の玉が6つ、集結したスレイン法国の部隊に襲いかかった。

 

 

 スレイン法国の特務部隊、陽光聖典。亜人を抹殺することを主な任務とする、卓越した神官戦士の集団である。

 その隊長、ニグン・グリッド・ルーインは内心安堵の息をついた。普段とはやや毛色の異なる任務、「王国最強の戦士、ガゼフ・ストロノーフの抹殺」という任務の完了が見えてきたためだ。

 獲物は罠にかかった。ガゼフほどの男が予想できなかったとも思えないが、愚かにも僅かな村人を救うために何も考えずに踏み込んできた。勿論、そうするであろうとの確信があったからこそ考案された必殺の罠である。ガゼフが冷静に村人を切り捨てられるような人物であれば、そもそもこのような罠が考案されることはなかったであろう。

 そう考えると皮肉なものだ、ニグンは嘲笑する。取りこぼされる無辜の民を救いたい、と思うガゼフの願い、そう願ったこと自体が無辜の民を釣り餌とする必殺の罠を考案させたのだから。とんだ道化である。上に立つ、とは切り捨てる覚悟を持つということだ。全ての人類を救うことなどできないのだから、救える命を取捨選択する。その覚悟がないまま綺麗事を言うガゼフは、その愚かさを己の死でもって証明するのだ。

 

 ニグンは己が召喚した天使の性質から、己の天使を参戦させず、戦闘指揮をとるため直接攻撃にも参加していない。戦闘の大勢は決し、埒もないことを考える余裕すらあったが、そのようなことを考えている間にも、部下の手によってガゼフの戦士団はその数を減らし、立っているのは本人を含めて5人となった。倒れている人間もまだ死んでは居ないだろうが、止めを刺すのは決着後でよい。

 ガゼフの動きも大分鈍くなってきた。そろそろ大詰めである。ニグンは声を上げて注意を促す。

 

「だいぶ弱ってきたが、油断するな。波状攻撃の陣形を崩さず、間断なく攻め立てろ。天使を失ったものは最優先で再召喚、そうでないものは適宜援護射撃に入れ」

 

「「はっ!」」

 

 部下達の返事には余裕があり、対するガゼフ達の姿には疲労の色が濃い。損耗は相手が7割、こちらは0。後は冷静に「詰む」だけだ。

 そんなニグンに対し、ガゼフが吠える。王国の民を守るため、自分は負けるわけには行かないのだと。ニグンはその熱にあてられず、冷ややかに言い放つ。

 

「叶いもしない夢物語を掲げた挙げ句、部下を犬死にさせる愚者がよくも吠えたものだ。お前がそのような馬鹿であるからこのような罠が張られたことが分からんのか?つまりお前の浅はかな理想が、今ここの村人を殺しているのだぞ」

 

 そう言ってニグンは頬の傷に触れる。そこにはその傷を負わせた相手への怒りが籠もっている。いわば今の台詞をニグンに言わせたのは八つ当たりであり、そう思ったニグンは苦笑する。その程度の余裕は今や十分あるとは言え、無駄なことをしたものだと。

 ガゼフは怒りを込めてそんなニグンをにらみつけた。どれだけ悔しくても、自分たちがここで全滅するのは避けられない。後は加勢を諦めたであろうガンマが村人を連れて逃げてくれることを祈るしかない。

 

 そう思って残った力を振り絞り、その手に持った剣を握りしめた瞬間。

 彼方から飛んできた6発の光球が陽光聖典の隊列に突っ込み、着弾と同時に膨れあがって放電しながら炸裂した。夕闇の草原をまばゆい白色光が白く染め上げる。

 

「……は?」

 

 一般的に知られる効果範囲から見て、倍以上の広範囲に電撃をまき散らした電撃球(エレクトロ・スフィア)1発につき平均5名、集結していたことが徒となり、合計で31名の陽光聖典隊員が一瞬にして刈り取られた。

 ガゼフもニグンも愕然として思考が止まる。一方は勝利を確信していたが故に、もう一方は敗北を覚悟していたが故に。それをくつがえす事態の激変に頭が追いつかないのである。

 

 (伏兵!?)(馬鹿な)(魔法詠唱者(マジック・キャスター)の一部隊)(第三位階魔法)(王国に居るはずはない)(ガゼフの戦士団しか来ていないはず)

 

 千々に乱れた思考が頭の中を飛び交う中、それでもニグンは指揮官として対応を呼びかけようとした。そこに草原を掻き分けて走り込んでくる巨大な魔獣の姿。

 

「この辺りでよいでござるな。<全種族魅了>(チャームスピーシーズ)!」

 

 魔獣の体に刻まれた紋様が光を放つと、そちらに向き直った生き残りの隊員達の体がぐでっと弛緩した。ニグン本人も何とも言えない甘い感覚に襲われるが、踏ん張って耐える。

 

「この感覚……魅了の魔法か!!厄介な!!皆!正気の者は隣の者の精神を回復させよ!!」

 

「もう遅い……<二重最強化(ツインマキシマイズマジック)()電撃球>(エレクトロ・スフィア)

 

 魔獣の背後に立った人影が涼やかな声を発すると、その手のひらから二つの光の玉が生まれ、陶然として棒立ちになった生き残りに襲いかかる。着弾して炸裂した電撃球(エレクトロ・スフィア)がきっちり10名の命を刈り取る。

 その光景を目にし、僅かな生き残りが正気に戻った。慌てて各自構えをとろうとするが、更なる追撃が襲いかかった。

 

「むん!でござる!」

 

 ハムスケの雄叫びと共に、その爪が一人を切り伏せ、尻尾が一人を貫く。その間にもナーベラルが一人を切り伏せ、気がつけばニグンは生き残りが己一人となっているのを自覚した。

 

「こんな……馬鹿な……!!」

 

「ストロガノフ!!お代わりは封じたわ、踏ん張りなさい!!」

 

 ナーベラルが叫ぶと、ガゼフがはっと顔を上げ、周囲の隊員達から歓声が上がった。もはや生き残りはニグンと召喚済みの天使だけ。完全に決まったと思われた趨勢が瞬く間にひっくり返された、鮮やかな逆転劇であった。

 

「……!!監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)よ、我を守れっ」

 

 部下達が召喚した天使達は最後の命令に従ってガゼフ達に襲いかかる。が、明らかに士気が倍増し意気軒昂となったガゼフ達に蹴散らされるのも時間の問題。そして謎の伏兵たる魔法詠唱者(マジック・キャスター)。とにかく時間を稼いで、切り札を使わねば。

 そう思って己の天使に守護を命じる。これによってガゼフ達を襲う天使達に対する援護ができなくなり、稼げる時間が更に減るが、伏兵を防いでもらわねばならない故仕方ない。そうして取り出したニグンの切り札を、ナーベラルは見咎めた。

 

(魔封じの水晶……!!)

 

 あれを自由にさせるわけには行かない、そう決断したナーベラルの行動は速かった。

 

<次元の移動>(ディメンジョナル・ムーブ)

 

 盾にした監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)の背後で魔封じの水晶を手に掲げたニグンの目の前に、立ちふさがるはずの天使を無視して剣を振りかぶったナーベラルの姿が出現する。あまりのことに目を見開くニグンに一言も発させず、そのまま袈裟懸けに切り下ろす。

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)であるが、特殊なビルドのために戦士(ファイター)としてのクラスを1レベル修めたナーベラルの斬撃は、総合レベルの高さに支えられた身体能力と相まって、この世界では一流の戦士のそれにも匹敵する。白く冷たい鋼の刃が鎖骨を断ち割って肩から己の体にめり込んでいくのをニグンは絶望と共に感じとった。

 

「馬鹿な……お前は何者なんだ……こんなことがあっちゃいけないんだ……神よ……」

 

 支離滅裂ながらもそれだけ言えたのは大したものであったが、そこでニグンは血を吐いて倒れ伏した。それに構う暇はないので、ナーベラルはその手に握られた魔封じの水晶を素早く拾い上げると、ハムスケと対峙する監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)に向き直った。

 

「こいつは他の天使より一回り強そうね……」

 

 無論ナーベラルの敵では無いが、第三位階の魔法では少し出力が足りないかも知れない。そう考えるナーベラルにガゼフが声を掛けた。

 

「ガンマ殿、間もなく助太刀に入るのでもう少し堪えてくれ!」

 

「こちらはいいから残りの天使を片付けなさい!!」

 

 助けに入るという台詞に少々……いや、かなり気を悪くして、ナーベラルはガゼフに叫び返す。ガゼフの加勢など要るものかとばかりに、このままこいつを速攻で片付けて終わりにすることを決意する。

 

「ハムスケ!下がれ!<二重最強化(ツインマキシマイズマジック)()龍雷>(ドラゴン・ライトニング)

 

 一声かけてハムスケが素早く距離をとるのを確認し、第五位階の攻撃魔法を唱える。

 まるでのたうつ龍の如く荒れ狂う稲光がナーベラルの肩口から手の先に纏わり付いたと見るや、次の瞬間中空を走って監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)に殺到した。監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)は一匹目の龍に食いつかれて武器を取り落とし体勢を崩すと、二匹目の龍に腸を食い破られて光の粒子となり霧散した。

 その様子をこちらも残敵を掃討してナーベラルの方に向き直ったガゼフは呆然と眺める。今のは自分が知る第三位階の魔法<雷撃>(ライトニング)ではない。つまりそれ以上の……?

 

「はは……」

 

 安堵と共に全身を襲う疲労と倦怠感により、ガゼフはその場にへたり込んだ。比較的無事な部下の一人が駆け寄って来る。

 

「戦士長!大丈夫ですか!」

 

「ああ、平気だ……気にするな。それより皆の怪我の具合を確認して応急手当てしろ。カルネ村に帰投する。信じられんことだが、我々は助かったんだ」

 

 その言葉に周囲から歓声が上がり、ガゼフは目を閉じてガンマに感謝した。

 

 

 




 ニグンさんと最高位天使(笑)の活躍?ねぇよそんなもん( ´∀`)
 勿論ナーベラルの創造主の教えは、高位階の魔法行使を多少なりとも自重させておきたかったがための捏造です( ´∀`)
 本人の発想だけで自重はしなさそうなんだけど、それをやられると収拾がつかなくなっちゃうんで……

1/6 誤字修正。



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第八話:後始末

 
 しまった、ベリュース隊長が生き残ってしまったぞ!人間の盾(ヒューマン・シールド)にでもしてニグンさんの怒りと共にしめやかに爆発四散させる予定だったのに、なんかそんな流れじゃなくなっちゃった……
 まあこの先は粛々と連行されて二度と出てこない予定です( ´∀`)



 ガゼフ達とナーベラルが痛む体を引きずってカルネ村に帰還すると、心配そうな村長がほっとしたように駆け寄ってきた。

 

「ガゼフ様、ガンマ様!ご無事で!!」

 

 大事ないと村長をなだめ、家の中から様子を窺う怯えた村人達に、今度こそ全ての安全が確保されたことを告げると、爆発的な歓喜が周囲に広がった。

 ガゼフ・ストロノーフは先程の戦いで傷だらけであり、酷使した筋肉が悲鳴を上げて立っているのも辛い状況であったが、今その全身を満たしているのは満足感であった。

 

(多くの命を取りこぼしてきたが……今こうして確かに救えた者達がいる)

 

 もっとも、それが己の力や信念によって成し遂げられた成果でなく、通りすがりの気まぐれな救世主におんぶに抱っこされて出た結果であることを思えば、笑ってばかりも居られないが。

 

(ガンマ殿……いったい何者なのだ……)

 

 仏頂面で隣に佇む美女を一瞥する。目の下にできた隈がやつれた様子を示しているが、そんなことが一切気にならないほど美しい。ガゼフも宮廷に出仕する立場上、王宮で多くの美姫達を目にする機会があったが、目の前の美女に匹敵するほどの美貌の持ち主は一人しか心当たりが無かった。

 まあその美貌はどうでもいい。先の戦いに乱入してきたときの魔法の実力。一人で放ったとは信じられないほど雨あられと降り注いだ電撃球(エレクトロ・スフィア)、そして最後に見せた凄まじい雷撃。あれは以前見た雷撃(ライトニング)とは及びもつかない。つまり第四位階以上の魔法であるとしか思えない。王都に戻ったら詳しい知人に確認せねばならない。

 重要なのは、本人の言を信じるならば、それほどの魔法詠唱者(マジック・キャスター)が完全なフリーランスの状態であるということだ。

 

(もし王国に取り込むことが叶えば、帝国との戦争について大きな力となることは確実。特に現人類最高の魔法使いと名高い、帝国の宮廷魔術師フールーダ・パラダインに対する牽制となることが期待できる……)

 

 そうすれば、終わりの見えない泥沼に否応なく引きずり込まれている帝国との戦争についても、それを抜け出す希望が見えてくる。

 だが、問題も数多くある。大局の見えない大貴族の横槍が懸念されることもそうだが、何より本人の凄まじいまでの偏屈さである。

 

(国や王位といったものに何の敬意も払ってなかったあの様子を貫かれるとすると、そのままではとても王宮にはあげられん。国王陛下に個人的に会わせるならまだしも、あのような態度では大貴族どもを間違いなく激怒させる)

 

 拝謁させた挙げ句貴族共を怒らせた結果どうなるか。下手すれば宮廷が壊滅するかも知れない。そう考えて身震いしたガゼフを、怪訝そうにナーベラルが見やった。

 

「……寒いの?そんなに気温は低くないと思うけど、血を失いすぎたせいかしらね……」

 

「いや、なんでもない、大丈夫だガンマ殿。ご心配には及ばぬ」

 

 ガゼフが否定すると、ナーベラルは元々大した興味もなかったのでそっけなく頷いて目をそらした。

 

(なにぶんにも、ことは慎重に進めなくてはならないな。まずはこのか細い縁をどうにか保つところからか……)

 

 

 翌朝。

 カルネ村特産の薬草で手当を済ませたガゼフ達一行は、村の広場に馬を揃えて整列していた。

 先頭にたつガゼフの顔は青あざと腫れによって不格好なボールのようになっている。後ろの部下達も多かれ少なかれ似たようなものだ。だが死者は出なかった。そのことが何よりも嬉しい。

 

「ガンマ殿、本当にお世話になった。私や部下の命が今あるのも全て貴女のおかげだ、この感謝の気持ちは言葉で言い表せぬ程だ」

 

 そう言ってナーベラルに頭を下げると、後ろの部下達も一斉にそれにならった。そこにナーベラルの不遜な態度に対する怒りは既に無く、命の恩人に対する深い敬意が籠もっている。

 無言でそれを見つめるナーベラルに、顔を上げたガゼフが語りかける。

 

「それでだガンマ殿。もし良ければ王都に来て貰えないか?今は任務中で感謝の気持ちを表すための財貨も持たぬが、そこまで来ていただければ必ず謝礼はするし、国王陛下からの恩賞も下賜されるのだが……」

 

「お礼をする側が、される側を、呼びつけるってわけ?相変わらずねえ」

 

 フンと鼻で笑って否定するナーベラルを、そういった反応を予想していたガゼフは苦笑で迎えた。

 

「そのように言われては言葉もない。ではもし王都に来られる機会があった時は、必ずや私の館に寄って頂きたい。全ての感謝を込めて歓迎させて頂く」

 

「まあ覚えておくわ。そんな機会があるか知らないけど」

 

 気のなさそうにいらえを返すナーベラルに、ガゼフは更に畳みかける。

 

「無論、来なければ謝礼はしないなどと恩知らずなことを言うつもりはない。ガンマ殿はこれからどうされるのだ?例えばもしこの村に留まるのであれば、急ぎここまで褒賞を届けさせようと思っているが……」

 

 報酬を支払ってどうにか縁を繋ぎたいという目的もあるし、ナーベラルの行方を探る目的もある。ガゼフの声には自然と熱が籠もった。対するナーベラルはどこまでも冷めたものである。

 

「そうね……ハムスケの扱いも考えなければいけないし、数日はこの村に留まるわ。追い出されなければだけど」

 

 数日。それはあまりにも短い。追い出すなどととんでもない、いつまででもごゆるりとお過ごしくださいと叫ぶ村長の声を聞き流しながら、ガゼフは頭の中で日数を計算する。最寄りの城塞都市エ・ランテルまで2日。そこから王都まで2日。自由になる財貨を全力でかき集めてとって返すとして、復路には同じか、荷物の分それ以上の時間がかかる。

 

「謝礼を持って再びこの村に戻ってくるまで……2週間、どうにか待って頂けないだろうか」

 

 必死の思いで頼み込むガゼフに、ナーベラルは気のない態度で肩をすくめて返した。

 

「……待ち合わせの約束をする気はないわ。私が報酬を欲しがってるわけじゃない。あんたがお礼をしたいんだったら、何時、何処で、幾ら払うかまで含めてお前の本気を測ってやる」

 

「……了解した。可能な限り急ぐとしよう」

 

 この偏屈な天の邪鬼をこれ以上押すべきではない、そう判断したガゼフは固い声で引き下がると、部隊を二つに分けた。徒歩の囚人3人と証拠となる装備品、一部の死体などを護送する本隊を置いて、ガゼフ達数名が急ぎ先行することにしたのである。

 

「ガンマ殿、この度は本当に感謝している!いずれまた会おう!」

 

 最後に振り返ってガゼフはそう叫ぶと、一礼して馬を走らせた。比較的元気の残っている数名がそれに続く。

 怪我が重く騎乗が辛い大部分の部下達が残ったが、それも無言でガンマの方に一礼すると、紐で繋がれた虜囚達を促して歩き出した。ちなみに流石にもう服は着ている。

 それを見送ると、ナーベラルは同じく見送りに出ていた村人達の方に振り返った。

 

「さて……ああ頼まれたことだし、もう少し泊めてもらえるかしら?」

 

「は、はいガンマ様!何日でもご滞在ください!」

 

 昨夜の宿を提供したエンリが緊張した面持ちで答えた。村長の家はガゼフ以下の怪我人達が魚河岸のマグロの如く転がっていたので、女同士、直接助けた縁もあってエモット家に泊まったのである。両親を一日にして奪われた悲しみを誤魔化すにもちょうどいいだろう、と村長が考えたこともある。

 

「さて、これからどうしようかしらね……」

 

 まあ数日はこの村に滞在する。一日では聞き取れなかった話とかもあるだろうし、世間の情報を集めることも続けよう。冒険者とかいうのが何かも確認しておかねば、知らないのがありえないレベルの話だったらしいし。

 後はハムスケの処遇を決めねばならない。例えば馬と同じような家畜扱いで連れ回せるものなのだろうか?これも村長に聞くとして、駄目なら置いていくことも考えなくてはならないが、ハムスケが泣きわめいたりしないだろうか。鬱陶しい。

 そして地図。この世界では地図というものは貴重品であり、正確な地図は王侯貴族や大商人が秘匿している大層な財産らしい。

 

「あ、しまった……だったら報酬に地図を要求しても良かったんじゃないかしら……」

 

 まあいい、こちらから要求した場合は再会を約束せねばならないのだ。どのみち戦士長がグレンベラ沼沢地の場所に心当たりがないと言った以上、王国でもっとも正確な地図を貰ったとしてもその場所は書いてないだろう。

 

「ハムスケ、少し森に行くわよ」

 

「承知でござる姫!よければそれがしの背にお乗りくだされ!」

 

 ハムスケの縄張りの外まで行って、戦闘実験がてら少し野生モンスターの強さでも見てみようか。そんなことを考えながらナーベラルが声をかけると、ハムスケが張り切って目の前に伏せた。

 

「ちょっとどんな体勢をとればいいか微妙なのよねお前の背中って……」

 

 そんなことを言いながらもその背に乗ってしがみつくと、ハムスケが走り出した。

 その背で揺られながら、ナーベラルは至高の主と仲間について思いを馳せた。

 

 

 




 勝ったッ!第一部完ッ!!
 ここまで続けられただけでも奇跡です。感無量です。
 引き続きおつきあいくだされば幸いです( ´∀`)

 ただし第二部開始までは少々お時間頂きます。
 投稿しながら更に先の話を書き進めるのが意外と難しい。
 自分を追い込むために期限切っとくか……一週間後開始予定にしときます。

2/23 固有名詞修正。


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第二部 エ・ランテルへ
第九話:グやグや汝を如何せん


 
 やべえ、思ったよりストックが貯まらねえぞ……
 でも初っぱなから延期なんてエタるフラグ立てたくないので見切り発車( ´∀`)
 このSSの半分は皆様の応援でできております( ´∀`)



 ネム・エモットの朝は早い。

 と言っても、開拓村の一日などと言うものは日の出と共に始まり日没とともに終わるのが普通であり、ネムの生活もそれに即したものになっているというだけのことだが。

 この数日で体が慣れたのか、日の出前に目を開けたネムは、抱きしめていたナーベラルの頭をそっと離す。

 

 あの日以来、再び一人で眠れなくなった。自分がもう子供ではないと言いたがる年頃のネムは、一人で眠ることだってできるようになっていたのだが、それができなくなった。あの惨劇の記憶によって。

 両親はもういない。姉は怪我をしており迷惑を掛けられない。そこでネムが選んだ相談相手は、(無謀にも)ナーベラルであった。姉に迷惑をかけたくないから恩人に手間をかけるというネムの選択は、姉が知れば目を剥いて窘める類のものであったが。

 実際にとった行動も大胆きわまりないものであった。一人で寝ようとして眠れず、起き出して何処に行くかを考え、ナーベラルの部屋を訪れたネムは。ナーベラルが寝ているのを見ると、いそいそとその寝床に潜り込んだのである。

 しかし、一緒に寝てみて分かったのだが。ナーベラルの方が寝ている間は余程酷い様子であった。魘される。涙を流す。跳ね起きる。起きたように見えて隣の闖入者に気づく様子すらなく、倒れ込むように再び眠る。逆にそんな様子を見たネムは、己の恐怖が形を潜め、ナーベラルのことを可哀想に思うようになった。隣で魘されるナーベラルの頭をそっと抱きしめると、心なしか彼女が落ち着いたような気がした。

 翌朝目を覚ましたナーベラルと目があったときの反応はちょっとした見物だった。目を瞬いてからごしごしとこすり、近視の人間が遠くを見るときのように目を細める。どうも目の前の状況が夢を見ているわけではないらしいと納得するのも束の間、「……何やってんの?」とだけようやく口に出した。

 ネムがはにかんで「えへへ、添い寝」とだけ答えると。眉を顰めて目を泳がせ、百面相を経由し、酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせた挙げ句、何も言えずに黙り込んだ。

 それ以来、ネムは彼女の寝床に潜り込んで寝ている。その頭を抱きしめながら。

 ナーベラルを残して寝床からそっと抜け出ると、台所に向かう。

 

「おはよう、お姉ちゃん」

 

「ん、おはよう、ネム」

 

 台所には既にエンリが起き出していた。その右手は包帯でくるまれ、肩から吊られている。手の骨が砕けた姉に家事をすることはできない。命の恩人のナーベラルにやらせるなどとんでもない。だからネムが朝食を作るのである。勿論、一人でやらせるのは心配なので、後ろでエンリが見守りながらだが。本当を言えばエンリだって、今までは母の補助でしかなかったのに。

 ネムの身長では一抱えもある水瓶を抱きしめて井戸に向かう。釣瓶を井戸の底に投げ入れ、ネムが両手、エンリが左手を添えて二人で引っ張っていると、背後からぺたぺたと足音が近づいてくる。

 

「やあお二人さん、おはようでござる。それがしも手伝うでござるよ」

 

「おはようハムスケ。ありがとー」

 

 ハムスケがやってきて、ひょいひょいと水をくみ出してくれる。戸口まで水瓶を運んでくれるので、残りは二人で抱えて大瓶に水を注いでいく。ハムスケがいなかったらかなり辛い作業になっただろう。

 慣れない手つきで火を起こし、危なっかしい手つきで野菜を刻んで鍋に放り込み、煮込んでいく。スープを作っている内に、近所から料理のお裾分けが届く。これは、村全体の恩人であるナーベラルの世話を、たまたま滞在先に定めたエモット姉妹だけに任せるわけには行かないという村長の意向があって、近隣住民が持ち回りで食事を差し入れてくれるのである。これは同時に、子供と怪我人の二人になってしまったエモット姉妹への援助にもなっているあたり、村長の気遣いを感じられたエンリは感謝している。ナーベラルがそこまで考えて滞在先を決めたのかは分からないが。

 

 食事の準備ができる頃、匂いに釣られてかは定かではないが、ナーベラルが起き出してくる。毎朝いつも何事かぶつぶつと呟いているのは、どうやら何かの習慣らしい。ネムが耳を澄ませてみたときは、「セージ」と「モモ」だけがどうにか聞き取れたので、植物の名称を呟いているのだろうか。

 

「おはよーございます、ガンマ様」

 

「おはようございます、ガンマ様。食事の準備ができていますので、どうぞ」

 

「……ん」

 

 二人が挨拶すると、ナーベラルは軽く頷いて席に着き、黙々と食事が始まる。表情にも態度にも愛想が欠落したナーベラルは常に仏頂面だが、それにも慣れてきたのか、同じ仏頂面にも多少の感情の機微を感じる気がしてきた。少なくとも、常にただ不機嫌であるというわけでもないらしい。

 食事が終わってからのナーベラルの行動は気まぐれに基づいており、日によって様々である。村の中にいるときは、村人を捕まえてはなにがしか質問することが多い。迷い人であるナーベラルは、村人なら常識で知っていることを知らないため、知識を得る必要があるということらしい。そうでなければ、ハムスケを伴ってトブの大森林の奥へと出かけていく。そこで何をしているかはネムには想像もつかない。たまに野生動物を狩って持ってきてくれることもある。だからと言って狩人の仕事をしているわけではないようだが。

 

 本来エンリとネム……というより、エモット家にはやらなければならない仕事が山積しているが、それは子供と怪我人が回せる代物ではもはやない。それでも何もしないわけには行かないので、追いつかないながら麦畑の手入れをしたり、菜園の世話をしたり、薬草を潰して保管したり、思いつく限りの仕事をすることになる。

 その日の午前中は畑の雑草取りに費やされた。太陽が中天に差し掛かった頃、家に戻って昼食を取る。ナーベラルが戻ってくるとは限らないが、わざわざ予定を告げたりはしないので、彼女が居る居ないに関わらず、彼女の為に昼食は届けられる。その日は戻ってこなかったので、二人で食事を頂いた。

 

 午後は家の中で過ごした。家の中でもやることは幾らでもあるが、その殆どは今のエンリには実行が難しいものである。故に拙いながらも家仕事をネムに教えたり、数少ないできることとして物品の整理をしたりして過ごす。

 姉が難しい顔をして考え込んでいるのをネムは気づいている。残った麦袋の数を数えたり、僅かに貯蓄された銅貨の枚数を確認したり、そんな時にエンリは焦りと緊張を孕んだ顔で唸っている。ネムはそんな姉の助けになりたいと思うのだが、何をすれば助けられるのか分からない自分がもどかしい。だからせめて、自分は姉の言うことをよく聞くいい子で居なくてはならない。

 

 

「どうも調子狂うわね……」

 

 トブの大森林奥深く。ハムスケに騎乗して探索するナーベラルは、不本意そうに呟いた。いつのまにかネムのことを思い浮かべていた自身を意外に思ったのだ。

 あの子供は、こちらが邪険にしてもめげずに纏わり付いてくる。怒ってみせればその場は引くが、それで懲りると言うことがない。ある朝、目を覚ましたらネムの顔が眼前にあったときには死ぬほど驚いた。なぜあの時怒って叩き出さなかったのか、自分でもよくわからない。

 

 そのように物思いに耽っていると、ハムスケから声が掛かった。

 

「姫、そろそろ『東の巨人』の縄張りでござる」

 

「そう、わかったわ」

 

 現在二人はトブの大森林東部に君臨する『東の巨人』の下に向かっていた。目的は無論、情報収集である。別に情報を集める対象の知性体を、人間に限定する必要はないのだ。

 

「ま、未練だけどね……」

 

 とはいっても、ハムスケもそうだったように、遺憾ながら人間以外の亜人や魔獣が、人間レベルでの地理情勢を把握していることはまずない。彼らのコミュニティは概して狭く、その外に対する情勢が入ることは普通はないのだ。

 ならばナーベラルが求める情報とは何か。それはつまり、仲間の所在あるいはその痕跡であった。<伝言>(メッセージ)が繋がらないというだけでは諦めきれず、かつて自分が出現したトブの大森林の何処かに、ナザリックに仕えるシモベ達の一人くらいは同じように転移してきてはいないだろうか。一縷の可能性を確認するため、ナーベラルは少なくとも『西の魔蛇』と『東の巨人』は訪ねてみようと思っていた。大森林をくまなく踏破する程暇ではないが、何か異常があれば、その地域の支配者の下には情報が集まるだろう。

 

「ふむむ、姫、十匹以上の大型生物が、この先に集まっているのを感じるでござる。もしかして東の巨人かもしれんでござるな」

 

 『南の大魔獣』ことハムスケの探知能力は有効範囲がべらぼうに広い。単騎で大森林南部を支配していたのは伊達ではないのである。たちまち某かの反応を拾ってきたのを促し、二人は気配の主の下へ駆けていった。

 

 木々の切れ目となるちょっとした広場に、三種の生き物が集まっていた。

 まずは妖巨人(トロール)が六体。殆どが毛皮で作った服を身に纏い、棍棒で武装している。その中で異彩を放つのは、歪ながらも皮鎧と言えるだけの武装に仕上げた鎧を身につけ、ぬらぬらと液体の滴る巨大な大剣を引っ提げたトロールであった。他の者と比べてひときわ力強い体躯を持ち、ひときわ凶悪な面構えで、見るからにリーダー格であると思われる。

 そして人食い大鬼(オーガ)が十体。腰布を巻き付けただけの軽装で、手には申し訳程度に棒切れを持っている。トロールの後ろ側を囲むように佇んでおり、明らかにトロールに従えられていることが伺えた。

 その集団に対峙するのは僅かに一体。蛇の胴体に人間の上半身をもつ異形種、ナーガであった。その上半身は枯れ木の如き老人のものであるが、怜悧な眼光には油断のならない光を宿し、一筋縄では行かないものを感じさせる。

 気配を隠すでもなく堂々と近づいていくナーベラル達に、最初に反応したのはナーガであった。横手から近づくナーベラル達の姿を認めると相好を崩し、嗄れた笑い声がその口から漏れ出てきた。

 

「ホ、ホ、ホ!なんとまあ、お主はもしかして『南の大魔獣』ではないか?……縄張りへの侵入者を問答無用で殺す魔獣と交渉は難しいかと思うておったが、まさか向こうから出向いてくれるとは、これは幸先がよいわい!」

 

 大仰な身振りで手を広げると、ナーガはトロールの方を向いて言った。

 

「どうだグよ、こうして大森林の三巨頭が揃ったことこそ神々の采配というものではないか?ワシの話に耳を傾ける気になったのではないかな?」

 

「ぐぬぬ……」

 

(なんだか、勝手に盛り上がっているでござるな)

 

(そうね、西の魔蛇が一緒にいたのは好都合だけど、なにしてるのかしら)

 

 登場しただけで勝手にヒートアップした場に水を差すのもなんとなく憚られ。二人がヒソヒソ話をしていると、トロールがナーベラルを指さした。

 

「おい!南の魔獣!お前の背中のそいつはなんだ!おやつか!?」

 

 ご指名である。ナーベラルは挨拶しようと思ってとりあえずハムスケの背から飛び降りた。

 

「ええと、初めまして東の巨人さん?私は……」

 

 この時のナーベラルの所作は、率直に言って人間に相対したときより礼儀正しかったのだが、その態度は正しく報われなかった。

 

「お前に喋る許可は与えていないぞチビ!」

 

 ナーベラルの言葉を遮ってそう叫んだトロールに、ナーベラルの眉根が寄せられた。ハムスケが思わず一歩下がる。

 

「それともそうか、それは手土産というやつか!東の地を統べる王への挨拶に手土産をもってくるとはなかなか感心なことだ!いいだろう、食ってやってもいいぞ!ニンゲンは身がちっこくて食いでがないが、肉が柔くて美味いのだ!そいつみたいに毛の長いのは特にだ!」

 

 どうやらそのトロールは女性の肉の方が好みらしかった。ハムスケが不機嫌そうに一声唸って言葉を返す。

 

「違うでござる東の巨人殿。姫はそれがしの御主君様であるが故、手土産に献上するつもりはござらぬ」

 

「ほう」「なんだと!」

 

 思わずといった様子でナーガが相槌をうち、トロールは驚いて仰け反ると。次には甲高い声で笑い出した。

 

「……こいつは傑作だ!ニンゲン如きゴミに従うとは!!『南の大魔獣』がこのグ様に肩を並べる存在だと警戒していたのが馬鹿みたいだ!」

 

 ごくり。ハムスケは唾を飲み込むと、二歩下がった。

 無論、目の前のトロールを怖れたのではなく、横に立つ人物の精神温度が一度下がったのを察知したからである。

 

「……あなたの名前はグ、というのかしら?」

 

「そうだ!偉大で勇猛な名前だ!特別にお前も名乗ることを許してやるぞ!そしてこのグ様の血肉となれることを光栄に思うがいい!」

 

「……私はガンマ。ただの魔法詠唱者(マジック・キャスター)よ」

 

「ほう!ニンゲンにしてはそこそこ勇敢な名前ではないか!むろん俺のような力強い名前には及ばないがな!!」

 

 一応。とりようによっては褒めているようにも聞こえなくはなかった為、ナーベラルは困惑に眉根を寄せてハムスケに問いかけた。

 

「ねえハムスケ」

 

「なんでござる姫?」

 

「私にはあいつの言ってることの意味がわからないんだけど。勇敢な名前ってどういうこと?姓名判断かなにか、そういう風習でもあるの?」

 

「さて、それがしにもなんとも……」

 

「こやつらは長き名前を勇気なき証とみなすんじゃよ、魔法詠唱者(マジック・キャスター)

 

 そこに口を挟んできたのはナーガであった。ナーベラルがナーガの方を見やると、上半身の老人が一礼した。

 

「お初にお目に掛かる、ガンマ殿。ワシの名はリュラリュース・スペニア・アイ・インダルン。『西の魔蛇』として知られておる」

 

「これはご丁寧にどうも。あなたの名前は随分と長いようだけど……」

 

 ナーベラルが思わず漏らした感想に、リュラリュースは呵々と大笑した。

 

「むろん、ワシの名前はヤツに言わせれば臆病極まる情けない名前じゃよ!……名前というものの用途から考えると、個体を識別するための符号を短くすることが許されるのは一種の権勢の証である、と言えなくもないな。ま、それはいい。それより……」

 

 リュラリュースが本題に入ろうとするのをナーベラルは手で制した。今の話でどうしても気になるところがあったのである。

 

「ねえグさん」

 

「なんだ!早く食って欲しいのか?」

 

「……私が本当はもっと長いフルネームを有していると言ったら、あなたはどうするの?」

 

 その言葉に虚を突かれたように、トロールは一瞬考え込んだ。そして、歯をむき出して唸りを上げた。

 

「つまり、この俺を謀ろうとして勇敢な名前のフリをしたということか!なんたることだ!臆病な名前に相応しい臆病者の振る舞いだ!でも安心しろ!俺の血肉になって勇敢さのなんたるかを知るがいい!」

 

「……そう、やはりそうなるのね……」

 

 ナーベラルが低く呟くと、ハムスケが三歩目を下がり、一気にがばとその場に身を伏せた。リュラリュースが訝しげにその様子を見やる。

 

「……至高の御方に賜った名前を侮辱した罪、万死に値する」

 

「ああん!?」

 

<二重最強化(ツインマキシマイズマジック)()連鎖する龍雷>(チェイン・ドラゴン・ライトニング)

 

 

 会議は揉めに揉めた。

 問題は二点。一点は全滅した陽光聖典の穴をどのように埋めるかであったが、これはもはやピースの足りないジグソーパズルを完成させろと言うような無茶である。予備役と新人未満のヒヨコで数だけ補っても、死人が増えるだけなのだ。経験豊富な指揮官が居なくなったのが何より辛い。この穴を埋めるのには十年で足りるかどうか。そして十年あれば人類はどれだけ衰退させられることだろうか。

 もう一点は陽光聖典を全滅させたその犯人の処遇である。陽光聖典を送り出した直接の上司である生の神官長が珍しく感情を露わにして報復、及び奪取された魔封じの水晶の奪還を主張したが、勿論これは時期尚早であった。

 

「陽光聖典を全滅させるような相手ならばもはや漆黒聖典をぶつけるしかないが、漆黒聖典は御存知の通り任務中だ。であれば、その意見を通すには彼の者こそが破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)の化身であるという証明をして頂くしかないと思われますが如何か」

 

 冷静さを保った死の神官長の言葉を前に、生の神官長は唇を噛んで黙り込んだ。

 

「彼の者がスレイン法国(我々)に敵対的であるという判断を下すのは時期尚早です。結局のところ、中立の人間がたまたま居合わせたとすれば、王国側に味方しようと思うのはそれほど不思議なことではありません。更に言うなれば、通りすがりの目撃者を口封じしようとして返り討ちにあっただけという線も考えられる。いや、いや、結構、目撃者を出さないというのは既定路線ですから、陽光聖典が馬鹿な真似をしたと非難するつもりはありません。そういきり立たないで頂きたい」

 

 結局は動揺していると言うことだろう、情緒不安定で落ち着かない生の神官長をなだめていると、ノックの音がした。神官長会議中にわざわざ割り込んでくるのであれば、重要な報告であるだろう。入室を許可された神官が渡したメモに目を通すと、土の神官長の顔がこわばった。

 

「これは、なかなか……新しい情報が入りましたのでお聞きください。かの魔法詠唱者(マジック・キャスター)ですが、目的は不明ながら現在はトブの大森林深部を彷徨いてモンスター退治に勤しんでいるというのは報告書を回した通りですが……」

 

 いったん言葉を切ると、土の神官長はごくりと唾を飲み込み、緊張で乾いた唇を舐めて湿らせた。

 

「彼の者が奪い取った魔封じの水晶をキーに、ウチの巫女姫が負荷に耐えうる範囲で断続的に監視を続けておりますが、この度運良く戦闘行為を目撃することに成功したようです。そのとき行使した魔法は()()()()()()

 

 落とされた爆弾の衝撃で場がざわめく。

 

「無論、魔封じの水晶を起動した、という話ではありません。ともあれ、この一件を以ても、彼の者を無意味に敵視することの危険性は分かって頂けるものと考えます」

 

「ですな。大森林でモンスター退治というのもいまいち意味が不明ですが、少なくとも人類の害にはなりませんし、一応間接的には益になる行為でしょう」

 

「漆黒聖典をぶつけたとて、討ち取るまでに犠牲が出る危険性が大きすぎますな。陽光聖典無き今、漆黒聖典まで傷を負えばそれこそ人類の一大事。むしろその者、法国に取り込めば益となりましょうぞ」

 

「ま、それも皮算用めいてはいますが……とりあえずは今少し、彼の者のスタンスを様子見するというのが妥当な線でしょうか」

 

「ですな」「賛成」「異議なし」

 

 皆の意見が固まってきたところを見計らって、死の神官長が場を仕切りに掛かった。

 

「では、引き続き監視のみにとどめるということで異論のある方は?……居ないようですな。では次の議題……」

 

 

 




 ・長い名前を馬鹿にする
 ・自信過剰で傲慢
 ・相手の実力を見抜けない
 合わせて数え役満、歩く死亡フラグ。ナザリックNPCなら滅殺あるのみ。
 決してナーベちゃんだけが短気ってわけじゃないのですよ( ´∀`)



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第十話:枯れ木の森と封印の魔樹

 
 前回のあらすじ:
 グは……こなみじんになって死んだ



 ――黒が、広がっていた。

 大地を覆っていた丈の短い下草は残らず真っ黒に焼け焦げて、剥き出しの地面が露出している。

 『東の巨人』こと、グを含む六体の妖巨人(トロール)とその手下であった十体の人食い大鬼(オーガ)がかつてこの世に存在した痕跡は、その真っ黒な炭の中に紛れ込んでいる、僅かに炭が堆積した部分に過ぎなかった。それも、すぐに風が吹き散らかして、かつてグというトロールがこの世にいた痕跡は何処にもなくなるのだ。

 

「……で、あんた達はなにやってんの?」

 

 ナーベラルが後ろを振り向くと、仰向けに寝転んで腹を見せ服従のポーズをとる森の賢王ことハムスケ、そして五体投地のポーズをとって地面に這いつくばるリュラリュースの姿があった。彼らが何故そのような体勢でいるのかピンとこず、ナーベラルは困惑したように問いかける。

 

「……はっ!!お、終わったでござるか姫。いやはや、なんだかとってもトラウマが刺激されて気がついたらつい……このハムスケ、変わらぬ忠誠を捧げます故、見捨てないで欲しいでござる!」

 

「……いだいなるおかた。わがちゅうせいをおうけとりください」

 

 その言葉を聞いてようやくナーベラルにも得心がいった。要は、先程使った<連鎖する龍雷>(チェイン・ドラゴン・ライトニング)を見てびびったというだけのことらしい。ナーベラルはフッと息をつくと、微笑んでいった。

 

「別に、そんな態度取らなくても。取って食ったりはしないわよ」

 

 その言葉を聞いてますます平伏するリュラリュースに、少々困ったものだと思いつつもナーベラルは言葉を重ねた。

 

「それで、少し聞いてもいいかしら?」

 

「はっ、なんなりと。このリュラリュースめに分かることであればなんでも答えさせて頂きます」

 

「そう、それじゃあ……先程の会話から思い起こすと……あなた達『西の魔蛇』と『東の巨人』は、ここで会談をしていたのかしら?それも、できればハムスケ……『南の大魔獣』を加えたいと思っていた?」

 

「ははっ。いかにも仰せの通りでございます。もっとも、グのヤツめはあの通りの脳味噌足らずで御座います故、ワシがこの大森林の三大と呼ばれて怖れられる者達を集めて会談をしようと試みておりました。南の大魔獣は縄張りへの侵入者を問答無用で殺す話の通じないヤツと認識しておりましたので、まずは東の巨人に話を通そうと、ヤツの縄張りを訪れていたところに貴方様がやってきたのです」

 

「成る程……それで、その目的は?」

 

「枯れ木の森、の調査でございます」

 

 大森林の真ん中から見て北から東寄りに、森の木々が残らず枯れた殺風景な一帯がある。枯れた森の中に生物が棲む余地はなく、この枯れた木々は特に西と東の魔獣の縄張りを分割する国境線とも言える緩衝地帯となっていた。リュラリュースは己の支配領域を東に広げたいとは思っていなかったので特に気にも留めていなかったのだが……

 

「近年、枯れ木の森の方からとても嫌な気配を感じるようになりまして」

 

「嫌な気配、ねえ」

 

「はい。部下もグのヤツもそのような気配は感じぬ、気のせいではないかという反応でしたが……南の、いやハムスケ殿、お主はどうだ?あるいはガンマ様はどう思います?ワシが魔法を使うからそういう気配を感じたのだとすれば、偉大なる魔法詠唱者(マジック・キャスター)である貴方様なら何か感じられるかも知れません」

 

 リュラリュースがそう言って枯れ木の森の方向に指を向けると、ハムスケとナーベラルは目を細めてそちらの方向を透かし見た。

 

「……なんだか、嫌な感じの匂いがするでござるな。言われてみればという程度の僅かなものでござるが」

 

「……魔力の流れに微かな違和感があるわ。あなたが感じていたのもこの気配かもしれないわね」

 

 二人の反応を聞いて、リュラリュースは安心したかのように頷いた。

 

「おお、二人とも流石ですな。ワシの気が弱くなっただけと言われずに済んでよかったですわい。それでですな。他人の同意が得られなかろうとなんだろうと、これでも大森林の西を支配する身ですから、部下を調査に向かわせたのです。そして分かったことは二つだけ。一つは、枯れ木の森が近年段々と広がっていること。もう一つは、枯れ木の森の奥に足を踏み入れて帰れた者はいないこと」

 

「ふむ……」

 

「そもそも枯れ木の森という存在が異常なのですわい。水が枯れた様子も土が痩せた様子もないのに木が枯れていくなどと……しかもそれが広がりを見せている。これは放置すれば万が一にはこの大森林全体を枯らしてしまうのかもしれんと、ワシはこの大森林の実力者を集めて原因を調査する計画を立てました。その手始めにグのヤツに交渉を持ちかけたのですが、あいにくあやつはアホですから、そんなもの自分が一人で見てきてやると言って聞かず……困り果てていたところに貴方様が来た次第」

 

「木を枯らす存在、ね……」

 

 好んで木々の養分を吸い取るような存在に心当たりはない。が、至高の御方や守護者ならば(そうする目的は思いつかないが)できない相談でもない。とにかく確認してみる手だろう、ここは。

 そのように考えてナーベラルはもう一つの質問をする。

 

「あと、最近あなたより遙かに強い存在を見かけなかったかしら?」

 

「貴方様以外でですか?ならばワシの知る範囲では見かけておりませんなあ」

 

「そう、ならいいわ」

 

 西は目撃情報なし。南もなし。東は……巨人がさっきまで生きていたという事実が、ナザリックのシモベと出会っていないことを意味するのでなし。

 

「後はやはり、その枯れ木の森を偵察してみるべきか……」

 

「おお、それでは」

 

「行ってみようじゃないの、その枯れ木の森に」

 

 

 鬱蒼と茂る大森林の中、まるで人の手でも入ったかのようにぽっかりと木々が抜け落ちた広場がある。そこで小休止をとり、一人と二匹が枯れ木の森へと向かおうとした時。

 

「ね、ねえ君達。そっちは危ないから行かない方がいいよ」

 

「!?」

 

 背後から突如として掛けられた声に、ナーベラルは仰天して振り返ると身構えた。最近はハムスケが索敵してくれるのに慣れきって、このように不意を突かれることがなかったためかなり慌てている。

 

「わ、わ、待って待って!私に敵意はないから、落ち着いてくれないかな」

 

「……森精霊(ドライアード)?」

 

 いつの間にか背後に現れていたのは、年経た古木に宿ると言われる精霊の一種、森精霊(ドライアード)であった。葉っぱの服を身に纏った小人といった外見だ。

 

「これは驚きでござる、それがし今の今まで全く気づかなかったでござるよ」

 

「あはは、それは無理ないかな……私は精霊だから、隠れてこっそり君たちに近づいてきたんじゃなくて、ここで実体化しただけだもの。初めまして人間さん、私はピニスン・ポール・ペルリア。君の言うとおり、この奥の木に宿ったドライアードだよ」

 

「……初めまして、ピニスン。私はガンマ、この獣がハムスケで、そこの蛇がリュラリュースよ」

 

「……随分変わった組み合わせだねえ!……でも彼らも人間じゃないのとつるんでたし、むしろ都合がいいか……」

 

 後ろの方は聞かせるつもりでもなさげにぶつぶつと呟くピニスンに、ナーベラルは訝しそうな顔をした。

 

「それでピニスン、私たちはこの先の枯れ木の森を偵察に行こうとしていたんだけど、そこに何があるのかあなたは知っているということかしら?」

 

「うん、そうだよ!そのことで君達にお願いがあって来たんだ!」

 

 ピニスンと名乗った森精霊(ドライアード)は語った。

 この先、枯れ木の森の中心部には、遙かな昔空から落ちてきた強大なモンスターの一匹が封じられているという。世界を滅ぼす力を持つと言われる封印された魔樹、歪んだトレント。そいつの名はザイトルクワエ。

 落ちてきた後世界を荒らし回ったモンスター達は、強大なる竜王達の力によって退けられた。そのうちの一匹であるザイトルクワエは、この森の奥深くに封印されながらも、傷ついた体を癒しつつ復活の時を待って力を蓄えているという。

 枯れ木の森は、そいつが傷を癒すために周囲の養分を吸い取った結果できた。ピニスンの耳には今も奴の犠牲となって食われた木々達の悲鳴が残っている。

 

「それでさ、そいつの傷もいよいよ完全に癒えてきたと見えて、復活は間近なんだ。明日か、そのまた明日か……正確なところまでは何とも言えないけど、とにかくいつ復活してもおかしくない状態なんだよ。君達だって、なんらかの異常を察知したから調べに来たんでしょ?」

 

「へえ、そんなことがね……」

 

 そこまではっきりしているならナザリックとはまるで関係ないだろう。残念に思う気持ちを押し隠して、ナーベラルはハムスケに問いかけた。

 

「ハムスケ、あんたその話知ってた?」

 

「いや、それがしはさっぱり聞いたこともない話でござる」

 

 見敵必殺を旨とする南の大魔獣では、誰かから話を聞いたこともあるまい。リュラリュースが重々しく腕を組んで頷いた。

 

「成る程……ワシもそのような話は初耳ですが、かつて北部に住んでいたダークエルフ達が逃げ出したのも、あるいはそやつの脅威から逃げ出したということですかなあ」

 

「たぶんね。私は森のダークエルフ達とは結構いい関係を築いていたんだけど。いつの間にかみんな居なくなっちゃったね」

 

「それで、ペルリア殿。お前さんは察するところ、ガンマ様に用があるのであろう?ワシが遣わした部下がドライアードに止められて戻ってきたなんて話はなかったからな、お前さんは人間の姿を見て近寄ってきた訳じゃ」

 

「うん、そう、そうだよ!それにしても……へえー、なんか最近モンスターがわざわざ食われに行くのをよく見かけると思ってたら、あれは君の部下だったのか……」

 

 ピニスンは語った。

 ザイトルクワエは長き時を封印されて過ごすうち、本体は眠りにつきながらも、枝分かれだか株分けだか知らないが、時々その一部が分裂して目覚め、暴れることがあるという。

 

「それでさ、前にそいつの分裂体が暴れたときは、七人の人間達がばしっとやっつけてくれたんだよ!ええと、若いのが三人、年老いたのが一人、巨人が一人、有翼人が一人、ドワーフが一人。で、その時約束してくれたんだ、いつか本体が目覚めたときは、自分たちに知らせてくれ。そしたら彼らがあいつを退治してくれるってさ!」

 

 目を輝かせて語るピニスンに、ナーベラルは嘆息した。

 

「また安請け合いをしたものね……それがいつのことか知らないけど、ひょっとしたらそいつらもう全員墓の下って可能性もあるんじゃないのそれ」

 

「ですなあ。ワシもそこそこ長く生きておるつもりですが、枯れ木の森でトレントが暴れたという話を聞いたことはありません。ドライアードの時間感覚はかなり希薄ですから、結構な年月が経っておる可能性は高いですぞ」

 

「それで、察するに、ペルリア殿のお願いは、その七人組に魔樹が目覚めそうだから来てくれと連絡をとってほしいということでござるか」

 

「そう、その通りなんだけど……ええ~?そ、それってどういうこと?」

 

 明らかに事情を理解していないピニスンに、ナーベラルは噛んで含めるように丁寧に説明する。

 

「人間にはね、寿命ってものがあって。ドライアードのあなたに比べるとあっという間に死んでしまうのよ。その約束をしたのがいつか分かる?」

 

「え……えーとうーんと……太陽がいっぱいいーっぱい昇ったくらい前」

 

「そう……つまり詳しくは分からないのね。一応言っておくと、太陽が三千回くらい昇ると人間は大分年老いるわ。彼らのうち老人は死んでもおかしくないくらいね。それが五回も繰り返されれば、普通の人間は皆老いて死ぬの」

 

「三千……一万五千……」

 

 指を折りながらあうあうと唸るピニスンを、ナーベラルは困ったように眺めた。

 

「さて、こちらの用事はもう済んでしまったわけだけど。この子をどうしたものかしらね……」

 

「ふむ、そうでござるな……ペルリア殿、もしその七人組と連絡が取れないまま魔樹とやらが目覚めた場合は、どうなるでござるか?」

 

「え?う、うん、そうだね……ザイトルクワエが目覚めて暴れ出せば、こちらから連絡しなくても、彼らなり、あるいは竜王達の誰かなりが気づいて止めに来るんじゃないかな。だから、実際にはそうそう世界が滅びることまではないと思うけど……」

 

 ハムスケの問いかけに考え込んだピニスンは、そこで目を伏せた。

 

「でも、その前に私の本体はザイトルクワエに食べられちゃうだろうね。うう、まだ若いのに死にたくないよお……」

 

「……この森にあなたのようなドライアードは、あとどれくらい居るのかしら?」

 

「え、うん、今現在、この大森林にドライアードは私一人だけだよ」

 

 それを聞いてナーベラルは少し考え込むと言った。

 

「時間を稼げば竜王かなにか、とにかく強いのが来てくれるのね?……後はそいつが、実際どれくらい強いのか、か……」

 

「何か考えがあるのですかガンマ様?」

 

 リュラリュースが問いかけると、ナーベラルは腕を組んで眉根を寄せた。

 

「ないこともないけど、今現在目覚めてないのよね……別に私がそいつに用があるわけじゃなし、待つのもなんだし、かといってわざわざ起こすのも……」

 

「姫、そういうこと言うと目覚めるのでは……」

 

 その時、ハムスケの言葉に呼応するかのように地響きが起こった。

 

 

 




 フラグについて言及するのもまたフラグ( ´∀`)

 なんだか言っておかなければいけない気がしてきたので言いますが
 ナーベちゃんは異形種ギルドのNPCなので、出会った相手が人外だと
 (人間に対するより)三割増しで友好的な態度をとるという脳内設定があります。
 ピニスンとかに妙に優しくね?と思われたとしたらまあそういうことです( ´∀`)



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第十一話:ザイトルクワエと三十七番目の兵法

 
 前回のあらすじ:
 魔樹「ドーモ、ナーベラル=サン。ザイトルクワエです」

 この状況下で出し惜しみする理由がないんで第八位階魔法の設定を創作しました。
 捏造設定がじりじりと増えていく( ´∀`)



 枯れ木の森に天を貫く柱がそびえ立っていた。その数は六本。長さを考えるのも馬鹿馬鹿しいサイズの、木の枝めいた触手であった。それが繋がる元はそれらの触手の中央にせり上がってきた巨大な大木。ただしその木の幹には、邪悪な光を宿す目玉と、鋭い牙の並んだ口がついているのだ。歪んだトレント。ザイトルクワエの本体であった。

 その口から咆吼が吐き出され、周囲の大気を奮わせる。遠雷の如きその轟きは、森中の生物を酷く怯えさせた。

 

「あ、ああ、あわわわ……ほ、ほほほ、本体が蘇っちゃったよお……あ、あああ、あんなのなんてぇ……」

 

「ほら、目覚めちゃったでござる……それにしてもでかいでござるな……」

 

「うむむ、本体の高さはおよそ百メートル。そしてその三倍はありそうな触手が六本か……なんとも途方もないスケールじゃな……おお、触手が周りの枯れ木を引っこ抜いて食い始めましたぞ。起き抜けの腹ごなしですかな」

 

 慌てるピニスンと、どこか呑気に感想をもらす二匹の魔獣。ナーベラルは難しい顔をして唸った。

 

「うーん……思ったよりまずいわね。とても勝てそうにないわ」

 

「だだだだだだよねえ!?すぐにここから逃げよう君達、あんなに凄いなんてこれっぽっちも思ってなかったよ!!もう私たちにできることなんて何一つないんだよ!!」

 

 両手を振り回して叫ぶピニスンを、ナーベラルは呆れ顔で見る。

 

「そもそもあなたが逃げられないから困ってるんでしょうに。それで、あなたの本体の位置はどこかしら」

 

「へ?あ、あの辺……だよ」

 

「ふむ、南側か……スケール比から言うと大した距離もないし、あまり猶予はないわね。ハムスケ、リュラリュース。あなた達はこの子と一緒にいなさい」

 

 ピニスンが指さした方向を確認すると、ナーベラルはハムスケの方を見てそう命じた。ハムスケが心配そうに答える。

 

「了解したでござるが……姫はどうするのでござる?」

 

「あいつを少し誘導してみるわ。東側に回って攻撃を仕掛け、注意を引きつけて釣り出してやる」

 

「危険ではないですかガンマ様?貴方様の強さは疑うべくもありませんが、ご自分でも勝てそうにないと言ったばかりではありませんか」

 

「釣り出すのなら反対側の方がよいのではござらんか?どうして北じゃないのでござる?」

 

「……万一あいつの知性が想定より原始的だった場合、攻撃を仕掛けられた方角を単に嫌がって反対側に移動する可能性もあるからよ。釣れれば東、そうでなければ西に移動して貰えば、ピニスンの本体には近づいてこないことになるでしょ……竜王とやらが事態に気づくくらいの時間は稼げるかも知れない」

 

 そう言って体を翻したナーベラルの背に向けて、ピニスンが声を掛けた。

 

「あっ、あのっ、なんでそこまでしてくれるのかわからないけど……ありがとう。気をつけてね」

 

 ナーベラルは肩越しに振り返って微笑んだ。

 

「まあ、成り行きよ。……<転移>(テレポーテーション)

 

 その瞬間、ナーベラルの姿がその場から掻き消え、本人の予告通り、ザイトルクワエ東側の遙か上空に出現した。大地に向かって自由落下を始める中、全身に風を受けながら落ち着いて次の呪文を唱える。

 

「――<飛行>(フライ)

 

 徐々に落下速度がおち、ナーベラルの体は空中で静止した。高度およそ百五十メートル、ザイトルクワエを見下ろす位置である。まあこの高さでも触手の射程圏内ではあるのだが。

 

「――さて、やりますか」

 

 現在ザイトルクワエは特にナーベラルに意識を向けては居ない。気づいていないのではない。脅威と認識していないので注意を払っていないのだ。人間で言うなれば、道の端をアリが歩いていたって気にも留めないのと同じことである。

 ナーベラルの両手に魔力が溢れ、轟々と風が唸りを上げて集まっていく。その時ようやく、ザイトルクワエの目がナーベラルの方を向いた。逆巻く魔力の暴風が、トレントの注意を喚起したのである。

 

<二重最強化(ツインマキシマイズマジック)()吼え猛る竜巻>(レイジングトルネード)

 

 ナーベラルが自身の持ちうる最大火力――第八位階の攻撃魔法を解放する。狙いはザイトルクワエの触手の一本。

 そして、天を切り裂く風の柱が発生した。

 

 ユグドラシル時代。第八位階魔法<吼え猛る竜巻>(レイジングトルネード)は真空の刃を発生させて範囲内のものに風属性の斬撃ダメージを与える攻撃データの処理に過ぎなかった。だがしかし、この世界に現実化したことで、想定を超える威力の物理現象としてその攻撃が結実する。

 ザイトルクワエの左側に配置した右回転の竜巻、そして右側に配置した左回転の竜巻。風の刃が回転しながらぶつかり合うその中心は、全てを巻き込み破砕する刃のローラ-!二つの竜巻の間に生じる真空状態の圧倒的破壊空間はまさに歯車的砂嵐の小宇宙!!

 ザイトルクワエがその回転圧力にビビッたかどうかはさておいて、狙い定めたその触手の一本は、二つの竜巻が生み出した破壊空間に引き寄せられ、吸い込まれ、切り刻まれ、破砕され。そしてついには切断された。ザイトルクワエがたまらず咆吼をあげた。痛みに喘ぐ悲鳴である。

 

 ザイトルクワエはその時初めて、己に痛みを与えた魔法詠唱者(マジック・キャスター)を認識し、脅威と見なし、怒りを覚えた。

 ザイトルクワエが再び咆吼する。今度の叫びは悲鳴ではなく、ちょこざいな敵を殺してやらんとする怒りの叫びである。その邪悪な目玉が、ナーベラルに焦点を合わせた。

 

「効いてはいるけど、堪えてはいないわね……まあ注意は引けたか」

 

 ナーベラルはそう呟くと、飛行速度に注意を払ってゆっくりと後方に下がり始めた。その彼女に向かって、ハエ叩きで潰すが如く、唸りを上げた触手が叩きつけられる。その攻撃は当然予測して居たため、ナーベラルは<飛行>(フライ)の制御をコントロールして速度を上げ、旋回して軽々とよける。そのまま触手は勢いを保って地面に激突し、大地を揺らした。森の各所で生き物の押し殺したざわめきが上がる。

 

<魔法最強化(マキシマイズマジック)()龍雷>(ドラゴン・ライトニング)

 

 これ以降は飛行の制御と、万一の場合の回避に重点を置くため、大技は控えて小技で牽制していくことになる。ナーベラルが魔法を放つと、雷撃がザイトルクワエの体表に吸い込まれるように着弾し、その表皮を焦がした。ザイトルクワエは不快そうに身じろぎすると、その口から弾丸を吐き出した。

 人間の子供ほどにも大きな、種の弾丸である。機関銃のようにばらまかれた高速で飛来する種の弾丸を、ナーベラルは余裕を持って回避する。なにぶん、距離があるため、見てから余裕でよけられる。

 ザイトルクワエもそれは感じたのか、じりじりと遠ざかりながら牽制を繰り返すナーベラルに再度怒りの咆吼を挙げると、根元の地面がぐらぐらと揺れだした。魔樹の根が地面から引き抜かれ、うねりながらゆっくりと動き出す。

 

 

 ――スレイン法国、土の神殿。

 ノックすら忘れ、息も絶え絶えに駆け込んできた老婆、土神官副長の姿を目にするや。ただ事ではないことを察した土の神官長はマナー違反を咎めることも忘れ、椅子を蹴立てて立ち上がった。

 

「どうした、何事だ!!例の魔法詠唱者(マジック・キャスター)に動きがあったか!」

 

 現在土の神殿の最優先業務は陽光聖典を壊滅せしめた謎の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の監視であり、特に目の前の副長と土の巫女姫はつきっきりで休息と魔法儀式の執行を繰り返している。その副長が慌てて知らせに来ることと言えば、当然その魔法詠唱者(マジック・キャスター)の動向のことに他ならない。

 

「はぁ、はぁ……し、神官長、魔封じの水晶が、起動……されました」

 

 息を切らしながらその場にへたりこんで、やっとのことで絞り出した副長の言葉を聞き、神官長の顔色が変わる。

 

「なんだと!!状況はどうだ!相手は、あるいは目的は!?」

 

 魔封じの水晶に封じられた召喚魔法で呼び出されるのは威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)、かつて魔神の一体を単騎で滅ぼした、都市の殲滅すら容易とする恐るべき存在だ。

 魔封じの水晶が使われてしまったことは予想外であり、手痛い被害である。だからさっさと取り戻すべきだったのだと主張する生の神官長の姿が目に見えるようだ。確かにその損失は大きなものではあるが、問題はそこではない。なぜ今、このタイミングで魔封じの水晶を起動したのか。その目的の方が重要だ。

 

「は、は、目的は、一目瞭然でございます、相手は、途方もなく巨大な植物型モンスター、推定では、竜王クラス、最悪そのくらいの強さ、の可能性が、ぜぇ、ぜぇ」

 

「なん……だと……」

 

 土の神官長は絶句した。思わず停止しかけた思考を慌てて切り替え、早急に必要な対応について頭の中で検討する。

 

「わかった、そなたはここで少し息を整えるがいい。落ち着いたらトブの大森林にそのような強大なモンスターの発生記録があるかどうか、過去の文献をあたってくれ」

 

 副長にそう命じると、神官長はお付きの神官に顎をしゃくった。

 

「すぐに各神官長に連絡を。臨時で神官長会議を開く、場所は土の神殿の聖域だ。何?お前も聞いていただろう、男子禁制などとの戯言をこの期に及んでほざく気か?わかったらすぐに行って手配しろ!……お前は死の神官長に別の言伝を頼む。内容は漆黒聖典に第一種警戒態勢をとらせて貰いたい……いや、少し待て、書いて渡そう」

 

 命令を受けた部下の神官達が青い顔で散っていくのを見送ると、土の神官長は冷や汗を流しながら黙り込んだ。副長が息を整えようとする荒い音だけが室内を満たす。

 

「なんたることだ……あるいはこれこそが破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)の再臨だと解釈された予言の内容なのか……?」

 

 

「おお、動き出したでござる……さすがは姫、ここまでは作戦通りの展開でござるな」

 

 ザイトルクワエとナーベラルの戦いを遠くから見守る中、ハムスケが呟いた。

 

「あ、あの人凄いねえ……!たぶん約束の七人より強いんじゃないかって気がするよ!でもあんなに凄い人でもあの魔樹には敵わないって言ってるんだよね……だったらあの七人を探してきて貰っても駄目なのかな……はあ、本当に世界は大丈夫なんだろうか……」

 

 ピニスンが感動と心配をミックスさせてため息をつくと、リュラリュースが答える。

 

「さて、世界がそれで終わるというのならそれはしょうがないことじゃろうて。そうならずに済んだ場合にお主だけ死ぬのはかわいそうだからと、ガンマ様が助力してくれたことを忘れるでないぞ」

 

「しかし、注意を引きつけたのはよいでござるが、ここからどうするつもりでござるかなあ……下手に逃げるとあのトレントがその後どうするかわからないでござるが」

 

 その時、ナーベラルを中心に、白い閃光が膨れあがった。太陽がもう一つ出現したかのような輝きが周囲を白く染め上げる。

 

「うおっまぶしっ」

 

「え、何これどうしたの!?……あれ、なんだか羽のオバケが居る」

 

 閃光が収まると、腕の生えた光り輝く翼の集合体としか言いようのないクリーチャーが宙に浮いていた。見守るハムスケ達にその名前を知る術はないが、それこそが威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)。第七位階魔法を使いこなすスレイン法国秘蔵の天使族モンスターである。その手に持った笏が掲げられると、天から光の柱が降ってきた。

 青白い輝きを放つ清浄な光の柱に飲まれ、ザイトルクワエが苦悶の叫びを上げる。

 

 <善なる極撃>(ホーリースマイト)。相手のカルマ値に応じてダメージボーナスが加えられる第七位階魔法であったが、ザイトルクワエにはそれほど痛打を与えたようには見えなかった。相手がタフ過ぎて堪えていないというのもあるが、異次元の本能で生きる生物というのは、カルマ的に言えば邪悪と言うよりは中立寄りであるのだろう。

 それでもザイトルクワエの怒りを買うには十分な威力があったようで、たちまち触手が、種の弾丸が、輝く翼のクリーチャーに襲いかかる。威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)は緩慢な動きで防御と回避を繰り返しながらゆっくりと東方に後退していく。それはさながら、先程までナーベラルが行っていた釣りの引き継ぎであった。

 

「……どうやらあの翼野郎に誘導を引き継がせてその間に姿をくらまそうという算段なのじゃろうな。本人は何処に行ったのやら」

 

「……ここよ、今戻ったわ」

 

 その時ハムスケ達の下にナーベラルが<転移>(テレポーテーション)で帰還した。

 

「あ、お帰りなさいでござる姫。あのモンスターはなんでござるか?」

 

「あれは威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)。魔封じの水晶に封じられていた魔法で召喚した天使族のモンスターよ。あいつの背中に隠れて転移してきたから、後はあいつに任せるわ。生存優先で召喚時間いっぱいまで釣り出しを続けるよう命令してあるから、そこそこ持つでしょあの様子なら」

 

「なんか凄いマジックアイテムをぽんと使われた気がするんですけどッ!!?どどどどうしよう、私そんな凄いものに見合うお礼なんてできないよよよ」

 

 威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を追いかけて遠ざかっていくザイトルクワエを横目にひたすら慌てて挙動不審になるピニスンの頭を、ナーベラルは優しく撫でていった。

 

「……気にしなくていいわ、ただの拾いものだし」

 

「そんなマジックアイテムがその辺に落っこちてるわけがあるかっ!?」

 

 思わず絶叫したものの、ピニスンはそれで大人しくなった。頭を撫でられるままうーうー唸る。

 

「そんなことより、ちゃんとあいつを退治できる竜王だかなんだかが来てくれることを祈っておきなさい」

 

「うん、ありがとう……ついでにもう一つお願いしてもいいかな……」

 

 ピニスンが唸るのを止めてナーベラルを見上げると、ナーベラルは微笑んで首を傾げる。

 

「なにかしら。約束の七人を探してきて欲しいって話?悪いけど……」

 

「ううん、それはもういいや。君の方が強いよたぶん。だからあの七人を探しても無駄になるだろうね。そうじゃなくて、これを受け取って」

 

 ピニスンはそういうと、彼女の小柄な体には一抱えもある植物の種子を差し出した。

 

「種……ね。もしかして、これはあなたの?」

 

「うん、私の本体の種。私の力を精一杯込めた特別なやつだよ。これを持っていって、私が行けないくらい何処か遠くで育ててくれたら嬉しいな。もしザイトルクワエが気まぐれを起こしてこっちに戻ってきてもさ。それを育ててくれたら私の生命は繋がっていくと思うから……」

 

「むほぉーっ、生物として種の存続に努めるのは当然でござるなあ!それがしも子供を作らねば……!」

 

 なにかのスイッチを刺激したらしく、横からはしゃぎ出すハムスケをチョップで黙らせると、ナーベラルは種を受け取って懐にしまった。

 

「わかったわ、これは何処かで育てましょう。じゃあ私たちはもう行くけど」

 

「うん、ごめんねろくなお礼もできなくて。本当にありがとう……!」

 

 ハムスケに飛び乗って去っていく一人と二匹を、ピニスンはいつまでも手を振りながら見送ったのであった。

 

 

 




 Q.ザイトルクワエに勝てる要素ないけどどうすんの?
 A.たたかわない。ヽ(´・ω・`)ノマルナゲー
 いい話風に〆たけど、レイドボスをトレインしてから逐電とかかなりのDQN( ´∀`)
 
蛇足解説:ナーベラルの使用する最強の魔法について
 
 1.ナーベラル・ガンマはエア・エレメンタリストであるため、他属性の八位階魔法を使用した場合、下手をするとその威力は七位階魔法<連鎖する龍雷>(チェイン・ドラゴン・ライトニング)に劣る。
  よって、最強の魔法は風属性でなければならない。
 2.風属性の中でも電撃系の攻撃魔法については、三位階<雷撃>(ライトニング)、五位階<龍雷>(ドラゴン・ライトニング)、七位階<連鎖する龍雷>(チェイン・ドラゴン・ライトニング)の存在が原作で確認されている。
  この状況で電撃系の最上位魔法が第九位階でなかったとしたら、ユグドラシル開発チームの美意識を疑わざるを得ない。
 3.上記2点の考察から、ナーベラルが現時点で使用しうる最強の攻撃魔法は、電撃系ではない風属性の攻撃ということになる。(余談になるが、原作でレベルアップする初のNPCになって第九位階の雷撃魔法を放ってくれることを作者は超期待している)
 故に、考えられる攻撃としては、真空波、竜巻、かまいたちなどが挙げられる。
 ここまでは結構真面目な考察です。
 ……神○嵐については、そこまで考えた後に、ヤリタクナッタダケーです( ´∀`)



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第十二話:リザードマンの村と帝国のワーカー

 
 前回のあらすじ:
 「よいか威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)
  我々はインペリアルクロスという陣形で戦う。
  保護対象のピニスンが後衛、
  両脇をハムスケとリュラリュースが固める。
  お前は私の前に立つ。
  お前のポジションが一番危険だ。
  覚悟して我々が逃げる時間を稼げ。」

 作者の都合により一方的に悪役を割り振られた登場人物のプライバシー保護のため、一部人名を伏せてお送りします( ´∀`)



 ザリュース・シャシャは蜥蜴人(リザードマン)の英雄である。

 ”緑爪”(グリーン・クロー)族で最強との声も名高い戦士であり、その手に握られた凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)、部族の至宝である魔法の剣を前にして恐れを覚えぬ蜥蜴人(リザードマン)は存在しないであろう。

 強さだけではない。旅人として広めた見聞によって魚の養殖という概念を蜥蜴人(リザードマン)にもたらし、種族の食糧問題を解決に導きつつあるその功績を認めない蜥蜴人(リザードマン)はもはや居ない。苦労して軌道に乗せた養殖の技術を惜しげもなく他部族にも提供し、今や湿地帯の各所に蜥蜴人(リザードマン)が作った生け簀の中で魚が泳ぐ姿が見られる。

 

 ザリュースの人生(蜥蜴生?)は順風満帆と言っても良かったであろう。外の世界を見たいという蜥蜴人(リザードマン)としては酔狂に属する願いは、養殖技術の伝播という誰も文句のつけようのない成果を上げて実を結んだ。そして恋。異端者である旅人に恋だの番だの縁はない、と斜に構えていたら、他所の部族――”朱の瞳”(レッド・アイ)族の族長代理に一目惚れした。養殖の技術について広めるために他部族を訪問していた矢先のことである。

 

 ”朱の瞳”(レッド・アイ)族の族長代理、クルシュ・ルール―は白子(アルビノ)蜥蜴人(リザードマン)であった。一般的な蜥蜴人(リザードマン)の目から見れば奇病でしかないその白い鱗を、ザリュースは美しいと思ったのだ。頭で考えるより早く求愛し、我に返って一度取り消し、あたふたするその様は無様と言っても過言ではなかったが、クルシュにはそこまで不評ではなかった。彼女もアルビノの自分には縁がないものと諦めていた恋愛の可能性が降って沸いたことにあたふたしていたので。

 

 そこから始まる不器用な恋物語は大部分を割愛する。だいたいザリュースが養殖場の視察だの技術の伝授だの、理由をつけてクルシュを呼び出し、二人で逢瀬を重ねていたと思えばよい。最初は緊張を孕んでいた二人の中も、数を重ねるにつれてだんだん打ち解けてきていた。立場上の諸問題はあれど、二人がいずれ番うのは確実に思われた。

 

 だが、今二人は追い詰められていた。

 お互いの微妙な立場から、人目を避けて密会していたのが仇となった。二人だけで外にいるところを、襲われたのだ。

 ザリュースの体の各所には切り裂かれた傷が走り、断ち割られた鱗の中から血が流れ出している。凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)を構えたその姿に力はなく、息は荒い。

 目の前に立つ人間の仕業である。

 蜥蜴人(リザードマン)には人間の造形や表情の細かい見分けはつかないが、その男は人間が見れば冷酷な目つき、酷薄な表情をした気位の高そうな人物と評されたであろう。口元を歪めてザリュースを嘲る笑みを浮かべ、見下している。

 

「クルシュを……離せ……!!」

 

 男の後方には耳を切り落とされた森妖精(エルフ)の女が三人程所在なげに佇んでおり、クルシュはその足下に転がされていた。その白い鱗を、両の手足から流れ出す血が赤く染めている。身動きとれぬよう、男が手足を傷つけたのだ。

 

「トカゲ風情が人間様に偉そうな口をきくんじゃありませんよ、無礼ですね……無論、お断りします。せっかく捕まえた獲物を逃がす道理がないでしょう?認められないなら実力でどうぞ?そのご大層な剣……さぞかし腕には覚えがあるのでしょう?」

 

 男の口から嘲りが漏れた。ザリュースは牙を食いしばる。無論、それができるならとっくにそうしている。残念ながら男の強さはザリュースを上回る。不意を突かれた初撃からずっと、手も足も出ないままである。挙げ句には余裕を持って嬲られている始末であった。

 

「しかし、見た目はクソですが、トカゲ如きには勿体ないマジックアイテムのようですね……せっかくですので貰っておいてあげましょう」

 

 凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)を握りしめるザリュースの手に力が入る。剣技で敵わぬならば魔法の武器の力に活路を見いだしたいところだが、森妖精(エルフ)の女が唱えた冷気属性防御(プロテクションエナジー・コールド)の魔法により、男の冷気に対する耐性は大きく上がっている。凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)の刀身から漂う冷気を隠せる筈もなく、対策をとられるのは致し方ないところではあるが、もはやその力がどれほど通じるかもわからない。

 

「おのれ……何が目的でこのような非道な真似をする?」

 

 せめて策を練る時間を、との思いが口撃での時間稼ぎを試みさせた。人間の男はそんな狙いは分かっていますよ、と言わんばかりながら、あえてそれに乗って嘲弄してみせる。何をしようと無駄なことだ、との自信の表れである。

 

「害虫を叩きつぶしたからと言って非道と言われる筋合いはありませんが……まあ、蜥蜴人(リザードマン)を捕まえてきてほしいとの依頼がありましてね。酔狂な話ながら食用だそうなので、肉の柔い子供を何匹か見繕おうと思ったのですが、せっかく珍しいアルビノを見かけたので、ついでにね」

 

「外道め……」

 

 ザリュースの呻きを聞き、男は心地よさそうに笑みを浮かべる。

 

「ふふ、トカゲに何を言われようと堪えませんね。というか、私の圧倒的な力にねじ伏せられて罵倒するしかないその様は、想像よりも気持ちがいいですよ。もっと負け犬の遠吠えを聞かせてください」

 

 悦に入った様子でくっくっと笑う男と、それを傷ついた体で睨み付けるのがやっとのザリュース。状況を打開する策はまるで見えなかったが、変化は意外なところから訪れた。

 

「……そこで何をしている?」

 

 突如横から投げかけられた声に驚いて男が振り返る。自己陶酔に酔いしれすぎて、周囲への注意が疎かになった結果、新たな闖入者に気づくことができなかったのだ。

 トブの大森林を抜けて湿地帯の端に姿を現したナーベラルの美貌に目を奪われ、男は絶句する。ザリュースも息を呑んだ。ザリュースに人間の美醜は殆どわからないが、ナーベラルの後ろをついてきた魔獣――ハムスケの強大さは明らかであったからだ。目の前の男より強いかも知れない、そうザリュースは思った。

 

「貴方は……何者です?プレートが見あたらない……私が知らないということは、王国のワーカーですか?」

 

 我に返った男が発した問いに、ナーベラルは黙して答えない。質問に質問を返すことに呆れたか、苛立っているのかも知れない。男の方も焦れた様子で声を荒げる。

 

「見ての通り、トカゲを狩っているところですよ。貴方もワーカーならば、他人の仕事を邪魔するようなルール知らずではないでしょう?」

 

「……狩ってどうするの?」

 

「……依頼ですので私がどうこうするわけではありません。ゲテモノ好きの貴族が居ましてね、蜥蜴人(リザードマン)の肝が不老長寿に効く薬効を持つと信じているらしいのですよ。このように珍しいアルビノともなれば、追加報酬も期待できます」

 

「……そんなことを信じてるの?」

 

 不思議そうに首を傾げたナーベラルに、男は肩をすくめて答える。

 

「まさか。しかし私にとって重要なのは、事実ではなく、依頼主の払いがいいということのみですので。……そろそろ納得してくれましたかね?美人に免じて友好的に接しているつもりですが、それにも限度というものはありますよ」

 

「……わかったわ」

 

「それは重畳。では良い旅を」

 

「あんたが潰しても構わない下等生物(ミジンコ)だってことがね」

 

「!?」

 

 そう言うや、ナーベラルの右の掌から放たれた<雷撃>(ライトニング)が、蜥蜴人(リザードマン)を見張っていた森妖精(エルフ)のうち二人をなぎ倒した。左の掌から放たれた<雷撃>(ライトニング)は、男を狙っていたのだが。

 ナーベラルが蜥蜴人(リザードマン)の味方をする気だと理解した瞬間、男の取った行動は生き残るためには最も賢いものであったと言える。すなわち、武技によって加速された身体能力を全開にして、自分に向かってきた雷撃を大きく身を捻ってどうにか躱すと、すかさず傷ついたクルシュの下に飛び下がったのである。行動が後ろ向きなのは、男が持つ魔法詠唱者(マジック・キャスター)への苦手意識によるところが大きい。純粋な剣技であれば王国戦士長をも上回るとのプライドに満ちあふれていたため、ナーベラルが戦士としての行動をとれば斬りかかっていたであろう。

 

 

「動くな!動いたらこのトカゲを殺す!」

 

「……下等生物(プラナリア)に相応しいゲスい振る舞いね……」

 

 そう言いつつも、舌打ちして一応動きを止めたナーベラル。男が生き残った森妖精(エルフ)の奴隷に電撃系の防御魔法を掛けさせるのを睨み付ける。

 

「……それでどうする気かしら?その蜥蜴人(リザードマン)を殺したら次の瞬間あんた達を皆殺しにしてやるけど。そもそも私はただの通りすがりで、その子とは縁もゆかりもない。私の不利になるような脅しが効くと思わないことね」

 

「……通りすがりなら偽善者面で首を突っ込まないで欲しいものですね」

 

 そう悪態をつきながらも、男はナーベラルの言葉に本気を感じ取ってこの先の展開に頭を抱えた。彼女が蜥蜴人(リザードマン)の命を救うことに拘るのなら、その命で脅しつつ撤退を図るのだが、これでは妥協点が探れない。

 

「待て……待ってくれ、頼む、クルシュを殺させないでくれ……」

 

 だが、容赦の感じられないナーベラルの言葉にびびったのは男だけではなく、ザリュースもであった。ナーベラルはザリュースを一瞥すると、めんどくさそうに頭を掻いた。

 

「論点を整理しましょう」

 

「え?」

 

「まず、あいつに連れ去られたらその……クルシュさん?は生きたまま捌かれて、変態野郎のディナーで躍り食いされる」

 

 誰もそこまでは言っていない。

 

「一方、あいつの言うとおりにしているだけでは、あいつは決してクルシュを解放しない。人質に取ったまま安全圏まで逃げ延びたら、そのまま連れ去るでしょうね。取引とか約束とか、そういった行為の通じる相手じゃないわ」

 

 そう口にして、ナーベラルは重々しく頷いてみせた。

 

「つまり、クルシュを助けるには、今あいつを殺さないと駄目ってことよ。クルシュが殺される前にね」

 

「そ、そうか?」

 

 ザリュースが痛む頭を巡らしてその理屈に穴があるか考えていたところ、人間の男の方が激高した様子で拳を振り上げた。

 

「ふざけるな!殺すぞ!本気だぞ!?おい、貴様も命乞いかなにかしろ雌トカゲ!!」

 

「……私に構わずこいつを倒して!生かして帰せば皆の災いになるわ!」

 

 ナーベラルも言ったように、この場を生かされたところで、そもそも食卓に乗せる予定で拉致されようとしているのである。冷静に考えれば自分を見捨ててでも男を倒せというのはそれほどおかしな理屈ではない。しかし、ヒロイックな台詞を叫ぶクルシュに男はますますいきり立った。

 

「この、クソトカゲがあ!!」

 

 男が叫んでクルシュを蹴りつけようとするより前に、ナーベラルが反応した。

 

「あらそう、了解したわ」

 

「「えっ」」

 

 それで懸案は解決したとばかりに両手に雷を生み出すナーベラル。膨れあがる魔力の塊を見て、ワーカーの男は(この女、本気(マジ)だ)と冷や汗を流し、決断を迫られる。

 逡巡は一瞬。傷ついて動けぬクルシュを水辺に向けて放り出すや、一目散に遁走を図った男を目にし、ナーベラルは手に集めた魔力を霧散させると、投げ捨てられたクルシュを追って湖に飛び込んだ。如何に蜥蜴人(リザードマン)が泳ぎが達者でも、手足の腱を斬られて泳げるとは思えない。

 

 ナーベラルがその細身からは想像し難い膂力でクルシュを抱えて岸に上がると、人間の男と森妖精(エルフ)の女の姿はもはやどこにも見えず、感電した死体が二つ、その場に残されるのみであった。

 

「チッ、生き汚い下等生物(ダニ)が……まあいい、蜥蜴人(リザードマン)は助けられたのだからとりあえずはよしとしましょう」

 

 ナーベラルは舌打ちして悪態をつくと、気を取り直して片膝をつくザリュースの方へ向き直った。

 

「それで、貴方は大丈夫なのかしら?」

 

「あ、ああ……危地を救って頂き、かたじけない。俺は”緑爪”(グリーン・クロー)族のザリュース。あなたが抱えているのが”朱の瞳”(レッド・アイ)族のクルシュだ」

 

「そう。私は……ガンマ。通りすがりの魔法詠唱者(マジック・キャスター)よ」

 

 ナーベラルはそう言うと、二人の蜥蜴人(リザードマン)を集落まで送り届け、驚いて飛んできた族長の謝辞を適当に流すと、自分の方から聞きたいことを聞く。ナザリック地下大墳墓という場所について心当たりはないか、あるいは最近、見慣れぬ途方もない強者に出会ったりしてないか。満足のいく回答は得られなかったが、申し訳なさそうに頭を下げる蜥蜴人(リザードマン)達に気にするなと手を振って、彼女は再びトブの大森林へと姿を消した。

 

 

 巨大なトレントがその根を引っこ抜いて森の木々をなぎ倒しながら進んだ跡は、トブの大森林の奥深くまで続いていた。トレントの巨体と重量に無理矢理押しのけられた森の木々は、圧倒的な力によって文字通り根こそぎ引き抜かれ、左右に横倒しになっている。トレントの根がうねくりながら進んでいった剥き出しの地面は、さながら耕耘機で耕された後のように地肌が掻き回され、森の中とは思えぬ道の様相を呈していた。

 

 そのトレントがのたくった跡を、東から西へ、森の外から中へと、辿っていくように足を進める一人の男が居た。

 若い男である。射干玉の長い髪を鎧の下に押し込んだ美男子で、その顔立ちには幼さが残っている。完全装備の重装であるが、その足取りは軽く、静かで、迷いはない。

 

「――ここが起点、か。あのデカブツが目覚めたのはこの辺りで間違いなさそうだな」

 

 スレイン法国が秘する人類最強の戦士集団、漆黒聖典。その第一席次、つまり隊長を務める男はそう呟くと、周囲を見回す。

 隊長は現在一人であった。残りのメンバーは憔悴しきった傾城傾国(ケイ・セケ・コゥク)の使用者を護衛して先に下がらせてある。隊長がここに来た理由はひとつ、突如としてトブの大森林に現れた謎のトレントが何者か、破滅の竜王との関係はあるのか、あるいはあの魔樹こそが占星千里が予知した災厄の当人であるのか。そうした手がかりになるような何かを求めてのことであった。

 

「とはいっても、そのように都合の良い手がかりがそうそう見つかるとも思えないな……これは……!!」

 

 隊長が独りごちながら森の奥に分け入っていくと、その目の前に直径数十メートルに及ぼうかという巨大なクレーターが姿を現した。ナーベラルの第八位階魔法が効果範囲の木々を、地面を、あらゆるものを消し飛ばしてえぐり取った剥き出しの大穴である。

 

「なんらかの攻撃魔法による破壊の跡、か……?おそらくは彼の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の仕業か……これほどの魔法を行使しながらもあのトレントに抗すべくも無く、威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を捨て駒に逃げ出すしかなかったとは。やはりあのトレントこそが破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)なのだろうか」

 

 隊長は考える。漆黒聖典のメンバーですら、これほどの魔法を食らって生きていられる者は片手の指で数えられる程度だろう。彼の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の実力は、少なくとも漆黒聖典の上位に匹敵し、戦闘すれば多数の死傷者が出ることは避けられない。これは神官長達に報告すべき情報だ。

 そして魔封じの水晶が使用されてしまった今、彼の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の座標を特定するためにマーキングされたアイテムが存在しない。つまり現時点での彼の者の居場所は特定不能である。特務聖典の全員に要注意人物としてその死ぬほど目立つ人相を通達済みではあるが、彼女が次に何をするつもりなのかは完全に相手の出方待ちとなった。

 

「そもそも、陽光聖典のことさえ横に置けば、これまでの行動も一応人類の味方をしようとしているように見えなくも無い……あのデカブツとやり合ってるところになりゆきで接触できれば良かったんだけど、それは言っても詮無いか……」

 

 上層部も下手な接触をすることの危険性は十二分に承知しているため、こちらからの接触は現時点では固く禁じられている。

 

「トレントが目覚めたと思われる場所にもめぼしいものは特になし、と。……引き上げますか……」

 

 そう呟くと、漆黒聖典第一席次の男は踵を返し、森の外へと歩み去った。

 

 

「クソ、クソ、クソ、糞、くそ、クソがあぁああああああああ!!」

 

「ひ、ひいっ、お許しください!ぶたないで!」

 

 ワーカーの男が怒りに任せて唯一生き残った森妖精(エルフ)の顔を殴りつけると、森妖精(エルフ)は悲鳴を上げてその場にうずくまった。男の狂乱は収まる様子を見せず、森妖精(エルフ)の髪を掴んで引っ張り起こすと尚も殴り、もんどりうって倒れた彼女にそのまま馬乗りになって更に殴りつける。

 無論、完全な八つ当たりである。何かの失敗を咎める訳ですらなく、ただただ男は血管のねじ切れそうな怒りを発散するためだけに、森妖精(エルフ)の奴隷がぐったりと動かなくなるまで殴り続けた。

 

「ハァ、ハァ……ちっ、やりすぎましたか」

 

 顔面が変形したかと見紛うほど女性に暴行をはたらいて、男はようやく大人しくなった。少なくとも表面上は。

 だが内部には今も尽きぬ怒りが渦巻いている。眼球の毛細血管が切れて視界が赤く染まるほどだ。依頼の失敗。依頼主からの信用の失墜。ワーカー間における評判の下落。おまけに高価な技能持ち奴隷の森妖精(エルフ)を二名失い、残り一名も失いかねない状況だ。森妖精(エルフ)の命など惜しくもないが、他人に殺されたとなると話は別であるし、まとめて買い直すとなれば膨大な出費となる。

 

「あの女……!絶対許せません!抵抗できなくなるまで殴りつけて犯してやりたい……!!」

 

 威勢のいい口先とは裏腹に、男の声には力がない。短い攻防の中でも、ナーベラルが一流の魔法詠唱者(マジック・キャスター)であることは十分に見て取れた。そして男は魔法詠唱者(マジック・キャスター)に対する苦手意識がある。剣技であれば、自分こそが世界一の存在である、少なくとも将来的には。そういう自負があり、プライドがあり、積み重ねてきた自信がある。相手が戦士なら、傲慢なまでのプライドに懸けて自分の剣技で打ち倒そうとしただろう。だが、魔法に対しては。

 男は砕けるかと思うほど奥歯を噛みしめ、今回の依頼遂行に拘泥するのは危険であるとの結論を受け入れた。あの女にはいずれどうにかして思い知らせてやる。だが今は危険だ。一瞬で奴隷を二人殺してみせたあの手際に、奴隷を失った状態のまま策もなく再戦を挑んで勝てる目算は立たない。

 

 男は水袋を一口呷ると、残りを森妖精(エルフ)にぶちまけた。

 

「立ちなさい、グズが。移動しますよ」

 

「ひ、は、はい、ただいま」

 

 森妖精(エルフ)が主観的には慌てて、客観的にはよろよろと立ち上がる。男はその足を蹴りつけながら帰還の途についた。ナーベラルへの復讐を胸に誓いながら。

 

 

 




 露骨な伏線回( ´∀`)
 大森林探索パート終わりー。人間社会に戻るよ!

 三行で分かる省略されたザイトルクワエ戦の中身
 隊長「おのれデカブツめ……このままでは部下に犠牲が……やむを得ん、お願いします先生!」
 カイレ「どうれ。傾城傾国(れいじゅ)を持って命ずる……自害せよ、ザイトルクワエ(ランサー)
 ザイトルクワエ「サヨナラー!!」

1/3 リザードマンの後始末のみ最低限の修正。
   ハムスケについては手つかず。
1/23誤字修正。



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第十三話:ンフィーレア・バレアレと漆黒の剣

 
 前回のあらすじ:
 「リュラリュースは置いてきた。修行はしたがハッキリ言って邪m……、もといこの先の戦いにはついてこれそうもない」



「皆さん、見えてきましたよ。あれがカルネ村です」

 

 なだらかな丘陵を越えて、遙か広がるトブの大森林。その切れ目からそれほど離れていないところに広がる麦畑。その畑の向こうに、村落の存在を主張する家々が見えてきた。

 口を開いたのはンフィーレア・バレアレ。目を覆い隠すほどの長い前髪が特徴の、内気そうな少年であった。一見どこにでも居そうな坊やだが、こう見えて家業を手伝う優れた薬師であり、何よりもその異能(タレント)は城塞都市エ・ランテルでも知らぬものの無いほど有名かつ有用なものであったため、エ・ランテルで一番の薬師と名高い祖母と一緒にちょっとした有名人となっている。

 

「最低でも水の補給はできますね。あとは保存食でない食料を分けて貰えるといいですねえ」

 

 相槌を打ったのは護衛を務める冒険者パーティー「漆黒の剣」のリーダー、ペテル・モークである。ありふれた金髪碧眼に目立つ特徴はないが整った顔を持つ、落ち着いた雰囲気の戦士である。今回、定期的にトブの大森林の薬草を採取に来ているンフィーレアの護衛として雇われた、(シルバー)ランクの冒険者であった。

 

「そうだな。やっぱり保存食ばっかだと飽きるもんな。ンフィーレア君の友人ならご馳走してくれるだろ?お相伴にあずかろうぜ」

 

「こらルクルット、図々しいですよ」

 

 皮装備で軽装に纏めた細身の金髪が野伏(レンジャー)のルクルット・ボルブ、それをたしなめたのが年若い茶髪の少年、魔法詠唱者(マジック・キャスター)のニニャである。これに森祭司(ドルイド)のダイン・ウッドワンダーを加えた4人が、チーム「漆黒の剣」の全構成員であった。

 

「まあ、気持ちは分かるのである!温かい食事は精神を温めてくれるのである」

 

 ダインがそう言うと、仲間達の皮算用に苦笑しながらペテルが問うた。

 

「まあそれはおいて、ンフィーレアさん、これからどうするんです?その友人の家を訪ねるんですか?」

 

「んー、そうですねえ。とりあえずカルネ村を拠点にできれば数日滞在して積載限界まで薬草を集めたいので……村に入ったらエンリの家に挨拶して、荷物を置かせて貰って……まだ日も高いですし、できれば今日から採取に入りたいですね」

 

 ンフィーレアが今後の予定を口に出すと、一行は頷いた。そんな中、ルクルットがンフィーレアに近寄る。

 

「どうかしましたかルクルットさん?」

 

「で、そのエンリって娘……好きなのかなやっぱ?」

 

 ニヤニヤしながら問いかけるルクルットの台詞にむせるンフィーレア。周りを見ると、ペテルはニコニコしているし、ニニャは我関せずと言った顔。ダインは困ったものであるといった様子で、助けが入る様子はない。

 カルネ村に入るまで、からかい半分の尋問は続いた。

 

 

「んー……なんか変な雰囲気だな?」

 

 とくに見咎められることもなくカルネ村に入り、周囲を見回してルクルットがぼやいた。ペテルもやや落ち着かなげに首を傾げる。

 

「なんというか……活気が感じられませんねえ。開拓村だしこんなものかもしれませんが……どうですンフィーレアさん?」

 

 問われたンフィーレアは険しい顔をした。

 

「いえ、今日の雰囲気は僕が知ってるカルネ村より寂しいですね。第一外に出ている人をここまで見かけないのは……記憶違いかも知れませんが、家の数が減っているようにも感じられます。なにかあったのかもしれません」

 

 麦畑で農作業をしている人は居たから、無人というわけではないが。居住区の方には人の姿がほぼ見あたらない。

 

「とにかく、エンリの家に向かいます。何か事情があるならそこでわかるでしょう」

 

 心中わき上がる不安を自覚すると、ンフィーレアは護衛の四人を促して馬を進める。すぐに目的の家が見えてきた。とりあえず記憶通りの家が残っていることに僅かな安堵を覚える。

 ンフィーレアは馬から下りると手綱をペテルに任せ、ドアをノックした。

 

「おじさん、おばさん、バレアレです!エンリ、ネム!居ないのか!?」

 

 やきもきしながら待っていると、中から足音が近づいてきて、ドアが開いた。

 

「……へ?」

 

「……どちら様?」

 

 知人の家から見知らぬ美女が出てくるという予想外の出来事に不意を突かれ、ンフィーレアは完全に硬直した。

 小脇に鉢植えを抱えたまま、ドアを開けて顔を出したナーベラルは、そんなンフィーレアの顔をじろじろと無遠慮に眺めた。そのまま前髪に隠れた瞳を透かそうとするかのように覗き込む。

 

(……ち、近い!近いって!!)

 

 美女の顔の接近にのぼせ上がって茹で蛸のようになったンフィーレアは、それでもなんとか声を絞り出した。

 

「あのっ、こちら、エモットさんの家ですよね?僕は、その、エ・ランテルの薬師でンフィーレア・バレアレと言うのですが、エモットさんはご在宅ではないのでしょうか?」

 

 その台詞にナーベラルは首を傾げた。

 

「なるほど、あんたがそろそろ来る筈だから治療薬(ポーション)を分けて貰うって言ってた知り合いの薬師か。エンリなら墓参りに行ってるわよ。もうすぐ戻ると思うけど……」

 

 その言葉の内容が頭に入ってくるにつれ、ンフィーレアの顔が緊張を孕む。

 

治療薬(ポーション)?墓参り?それに貴女は……」

 

「あー、そういうの面倒だからパス。墓に行って本人に聞くか、戻ってくるのを待って本人に聞いて頂戴」

 

 ナーベラルはひらひらと手を振ると、墓の方向を指さした。

 

「ただし、私はあなた達を家に上げるつもりはないからそのつもりで」

 

 推定知人の知人、でしかない以上それは当然のことであると思い、ンフィーレアは頷いた。こちらを無表情に見つめるナーベラルに背を向けてペテル達の下に向かう。

 

「な、なあンフィーレア君。君の話には出てこなかったと思うんだけど、あの凄え美人、誰?それともまさかあの娘がエンリちゃんなの?」

 

 そもそも容姿が王国民の系統ではないため違うだろうとは思いつつ問いかけるルクルット。普段はその生き様をぶれないなあなどと感心する余裕があったが、今はそれどころでは無かったためンフィーレアの反応は固かった。

 

「……いえ、あの人とは僕も初対面です。すみません、エンリに会いに行ってくるので、ここで馬を見てて貰えますか」

 

 硬い声に含まれた焦りの調子に、ルクルットの笑みが引っ込んだ。ペテルが了解の意を告げると、ンフィーレアは小走りに村の奥へと駆けだした。

 

「何事であるか……?」

 

「わかりませんが、何かあったことは確実ですよね。どうしましょう、あのお姉さんずっとこっちを見てますけど……挨拶とかします?」

 

 睨みつけるという程ではないが、じっと四人を無表情に観察してくる様子のナーベラルに、ニニャが居心地悪そうに身じろぎした。

 

「そうですね……まだ紹介もして貰ってないわけですけど、でもンフィーレアさんも知らない方だと言ってましたよね……つまり相手はエモット家のお客さん?なわけで、ちょっと反応に困りますね……」

 

 難しい顔をして考え込むペテル。どのみち荷物は置かねばならないのだが。そうする間に、ルクルットが飄々とナーベラルに近寄っていく。

 

「あ、おい、ちょっと待……」

 

「こういう時は頼りになりますねえある意味……」

 

 ニコニコしながら近寄ってくるルクルットを、ナーベラルは無表情に観察する。存在感からするにたいした強さではないので特に警戒はせず、黙って見守っていると、ルクルットは片手を上げて挨拶した。

 

「初めまして!結婚してください!」

 

 ナーベラルの顔が困惑に歪む。残りの三人が腰砕けになるのが見えた。

 

「あ、違った!初めまして!俺はルクルット・ボルブ、おつきあいを前提に結婚してください!あれ?違うな、結婚を前提に付き合ってください!」

 

 ナーベラルの視線の温度がだんだんと下がっていくが、全く気にする様子はない。

 

「それで、美しき姫君、貴女の御名前を伺う栄誉を俺に与えてくださいませんか」

 

 この下等生物(ウジ虫)殺してもいいかなあ。半ば現実逃避気味にそんなことを考えているとも知らず、ルクルットはあれこれと語りかける。立て板に水とばかりにしゃべりまくるルクルットにタイミングを逸したナーベラルが反応できずにいると、ルクルットがふいに真顔になって飛び下がった。

 

「うおっ!?」

 

「姫、どうしたのでござる?」

 

 納屋から庭に出てきたハムスケが覗き込んでいた。「漆黒の剣」の四人は、その圧倒的な存在感を前に抜刀はしないものの、完全に身構えている。

 

「ああ、なんでもないわハムスケ。お客さんらしいんだけど……今確認のためにエンリを呼びに行ってる」

 

「ふむ、成る程。それがしができることはなさそうでござるな。あ、戻ってきたでござるよ」

 

 鼻をひくひくさせてハムスケが顔を横に向ける。一同がつられてその方向を見ると、エンリに肩を貸したンフィーレアと、その横にネムが連れだって歩いてくるのが見えた。

 

 

「僕からもお礼を言わせてくださいガンマさん。大事な……友人のエンリ達を助けて頂き、本当にありがとうございました」

 

 エモット家の中で簡単に紹介をすませると、ンフィーレアはナーベラルに深々と頭をさげた。ナーベラルが気のない様子で生返事を返すのもそこそこに、ンフィーレアは護衛の四人に告げる。

 

「そういうわけで、今日はエンリに治療薬(ポーション)を調合してあげたいので、薬草の採取は明日からとさせてください」

 

「了解しました。……私たちはどこに泊まればいいんでしょうか?」

 

 そう言うや早く、こんなことならもっとちゃんとした道具を持ってくるんだった、などと呟きながら荷物をひっくり返し始めたンフィーレアに代わり、エンリがペテルの質問に答える。

 

「……よろしければ、家にお泊まりください。寝具の数は足りませんが、部屋は空いていますし」

 

 家人の数が減ったから。暗にそう言って顔を暗くするエンリに、何とも言えない表情でペテル達は気まずげに顔を見合わせた。

 

「それがお嫌なら、空きの家も今は結構ありますので、それを借りられるように村長と交渉してもらっても結構ですけど……」

 

「いや、大丈夫です、屋根と壁があれば十分な待遇ですよ。冒険者ですから野宿も慣れたものですしね」

 

「お馬さんハムスケを怖がったりしないかなあ?」

 

 そこにネムが口をはさんだ。今現在納屋は家に入れないハムスケのねぐらである。人間の冒険者ですら見ただけでびびるハムスケと、馬が一緒に寝られるだろうかというその指摘はなかなかもっともではあった。

 

「心配してくれてありがとうである!慣れるまで<沈静化>(サニティ)の魔法をかけておけば大丈夫だと思うである」

 

 ダインが微笑んでネムの頭を撫でると、ネムはくすぐったそうにした。

 

「ガンマ様、ハムスケはお馬さん食べちゃったりしないよね?」

 

「本人が聞いたら泣きそうな台詞ねそれ……言葉がわかるんだから駄目と言えば食べないわよ……(たぶん)」

 

 やや呆れた表情で返すナーベラルに、ネムは「えへへ」と笑って誤魔化す。

 

 ンフィーレアがエモット姉妹と治癒薬(ポーション)を作りに行くと、何か話しかけられる前にナーベラルは立ち上がってふらっと外に出た。ルクルットが声をかけるよりも早く、ハムスケに飛び乗って瞬く間に視界の外へ消える。

 

「うわぁ……」

 

「嫌われましたねルクルット。まあ無理もありませんが」

 

 今から仲良くなってやると意気込んでいたのを見事に躱され、がっくりと肩を落とすルクルットを、ペテルがぽんぽんと叩く。

 

「しかし……なんだかとんでもないことになってたんですね。王国戦士長の暗殺とか、正直スケールが大きすぎてぴんときませんよ」

 

「うむ、下々の方までそんな話は流れてこないであるな……毎年起こっている帝国との小競り合いが、いよいよ本腰が入ってくるということであるか……?」

 

「冒険者は徴兵されませんから、私たちには直接の関係はないですけど、万が一戦争の結果エ・ランテルまで領土が帝国に切り取られたりすれば、関係ないじゃ済まないですね」

 

「いずれにしても、結局うまいメシどころじゃなくなったのは確かだな……エンリちゃん手を怪我してたし、今までどうしてたんだろな?ガンマちゃんが手料理作ってくれるんだったら嬉しいけど」

 

 話のスケールを卑近に戻したルクルットに、ニニャが呆れ気味に告げる。

 

「仮にそうだったとしても、ガンマさんが私たちの分まで作ってくれるとは思えませんね……誰かさんのせいで凄い隔意をもたれたみたいですし」

 

「……そう言うなよニニャ。嫌われるなら無関心よりは一歩前進さ」

 

「その前向きさは見習いたいものであるな実際」

 

 感心したように頷くダイン。

 

「しかし、何者なんですかねガンマさんって。なかなかそうは見えませんけど、凄い魔法詠唱者(マジック・キャスター)なんですよね」

 

 ペテルが改めて言うと、一同頷く。

 

「戦士長に加勢して暗殺を防ぐのに一役買ったと言われても正直ぴんと来ないですけど……」

 

 ニニャが首を傾げる。実際は一人で全員を蹴散らしたのだが、そこまでの情報は村人達に伝わっていない。

 

「あの森の賢王を従えているのを見れば、その実力は明らかであるな」

 

 ダインがハムスケの容貌を思い描きながら言うと、ルクルットが同意した。

 

「そうだな。もし俺たちが野外で遭遇してたら殺されるしかないような凄い奴だったな森の賢王。えーと、ハムスケだったか今は。噂通り……いやそれ以上の威圧感だった」

 

「それを簡単に生け捕りにして制圧する実力があるってことですからね……凄いなあ。できれば仲良くなって魔法のこととか聞きたいなあ……」

 

「そうできたらいいですね。ニニャが実力を上げてくれれば、「漆黒の剣」の実力の向上に直結しますし、なんとか仲良くなれないか考えてみましょうか。その為にルクルット……」

 

 あまり不躾なアプローチでガンマさんをこれ以上刺激しないように、そう言われたルクルットは不承不承頷いた。

 

「あーあ、あんなに美人なのにな……貴族のお屋敷で座ってるだけでも許されそうな姫君なのに、どこでそんなに強くなったんだか」

 

 一同は話をそこで切り上げると、馬を納屋に繋いで荷物を下ろし、簡単ではあるが滞在の準備を始めた。

 

 

 




 そんな期待をする人は居ないと思いますが、ルクルットにチャンスは【ありません】。
 このSSでナーベちゃんが誰かとカップリングする可能性は0%です( ´∀`)
 ……あ、でも小数点以下切り捨て表示のため、モモンガ様相手に覚醒すれば気が遠くなるほど低い確率だが(ry



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第十四話:エンリとンフィー

 
 前回のあらすじ:
ンフィー「親方!幼なじみの家から知らない美女が!!」



 翌日の朝食は久しぶりにエンリが自分の手で作った。

 

 ある程度治ってきていたとはいえ、一晩で手を動かせるようになる程の治癒薬(ポーション)の出来にダインが感心して言った。

 

「流石、エ・ランテル一と名高い薬師の孫であるな!」

 

「ちゃんとした道具さえ持ってきていれば全快させてあげられたんですけどね……」

 

 誇るどころか悔しそうに返すンフィーレアに、エンリが声を掛ける。

 

「ん、でも背中の痛みも殆ど無くなったし、ほぼ全快だよ!ありがとう、ンフィー!」

 

 そういってンフィーレアの両手をとると、たちまちンフィーレアの顔が真っ赤になった。そんな様子を微笑ましく見つめるペテルにダイン。ニニャは全く自重も懲りもせずにナーベラルに粉をかけるルクルットの尻をつねるのに忙しかった。ナーベラルには完全にシカトされていたが。

 

 日が昇りきった頃、ンフィーレアと護衛の四人は本来の目的である薬草の採取に出立した。見送るエンリとネムに手を振りながらペテルが言った。

 

「そういえばンフィーレアさん」

 

「なんでしょう?」

 

「これまでの採取ツアーでは、森の賢王の縄張りに踏み込まないように気をつけてたんですよね?」

 

「当然そうですが、それが……」

 

 そこまで言って自分でも気づきンフィーレアははっとする。現在、森の賢王はエンリの家の納屋でごろ寝している。

 

「今の森の賢王が縄張りに入ったからと言って侵入者を殺しに来るとは思えない、これってもしかしてチャンスなのではないでしょうか?」

 

「であるな、今まで人の手で荒らされていない群生地などを見つけることもできるかもしれないである!」

 

 ダインの同意に、ンフィーレアは難しい顔をして考え込む。

 

「たしかに、それはそうなのですが……」

 

「何か問題がありますか?」

 

 ニニャが不思議そうに問う。

 

「理屈はそうなのですが、なにぶん、森の賢王の縄張り内部に関する知識はないですからね僕たちは……薬草の群生地を探すところから手探りでは、普段と比べて効率が良いかも微妙なところです」

 

「なるほど、それもそうですね……だったらえーと、ハムスケさんに案内して貰うこととかできたらよかったですね」

 

 ニニャの述解に、ンフィーレアは苦笑いする。

 

「確かにそうなったら理想ですが、なかなか難しいですねそれは……エンリの話だと、ガンマさんってなんというか、とても難しい人のようですし」

 

「まあつれない女の子だよな-。俺がこんなに一生懸命なのに梨の礫なんだもん」

 

 口を挟むルクルットを、ニニャはジト目でにらみつけた。

 

「ルクルットにつれないのは明らかに別の理由だと思いますけどね。ちゃんと警戒しててくださいよ。森の賢王の領域だからってモンスターが居ない訳じゃ……な……い……」

 

 台詞の途中でだんだん強ばった顔になり考え込むニニャを、ンフィーレアが不思議そうに見つめた。

 

「どうしましたニニャさん?何か気になることが?」

 

「いえ、その……すいません、少し考えを纏めさせてください」

 

 そう言って自分の思考に沈み込むニニャ。ンフィーレアはとりあえず他の面子に振り返っていった。

 

「まあとりあえずはいつも行っている地点で採集し、新しい場所については別途考えましょう。それこそ本当にガンマさんに交渉して見るのも手だとは思いますしね……」

 

 ルクルットの手が上がり、ンフィーレアの言葉を遮った。その真剣な表情を見て、ンフィーレアは疑問の声を飲み込む。ペテルとダインが武器に手を掛けた。

 

「……屍臭がする」

 

 

 ゴミ捨て場。

 

 ルクルットの先導に従って辿り着いた光景を目にした一同の第一印象はそれであった。なだらかな斜面の上から下に、ゴミを放り投げて積み上げればこのような光景ができあがるかもしれない。

 ただしそのゴミは死体であった。ゴブリン、オーガ、トロル、etc……街道や森で出没するとされる多種多様なモンスターの死骸が、うずたかく積み上げられて屍臭を放っている。古いものは腐りかけて腐臭を発しているが、真新しいものが多く、骨まで進んだものは全くないようだ。

 

「これはいったい……?」

 

 息を呑んだペテルがあえぐように言葉を発する。それに答えられる者はいなかったが、ニニャがぽつりと呟いた。

 

「……森の賢王の仕業でしょうか?」

 

「そうだな……あそこのモンスター達、どいつもこいつも爪や牙で引き裂かれたような傷か、体に空いた穴が致命傷みたいだ。人間の仕業ならこうはならないし、討伐証明部位も回収されてない」

 

 ルクルットが死体の様子を観察して同意する。

 

「森の賢王は元々縄張りへの侵入者を許さないと聞くであるが……ここは縄張りの外ではないのか?」

 

「ガンマさんに従えられて縄張りが変化したとか……」

 

 考え込む一同は、森の奥から聞こえる茂みを掻き分ける音にはっとして身構えた。

 

 木々の間から現れたのはハムスケであった。口元に新鮮なゴブリンの死骸を加えており、斜面の上から下に向けてそれをペッと吐き出すと、ゴブリンの死体は元々あった山にぶつかってぐしゃりと潰れ、死体の山の新たなパーツとなる。

 それを見届けると、ハムスケは不思議そうに一行を振り返る。

 

「これはお客人方……ひょんなところで会うでござるな。ここには面白いものはないと思うでござるが」

 

 森の奥でも、ナーベラルが居なくても、特に変わらず友好的な態度をとったハムスケを見て、一行は緊張をゆるめた。ンフィーレアがおそるおそる問いかける。

 

「ハムスケ……さん、お一人なんですか?これはあなたが?」

 

「うん?姫が村でなにかやってるときは、それがしは自由行動である故、一人でござるな。これというのがその死体の山のことなら、それがしがここしばらくの間に狩った獲物でござるよ。食ってもまずい奴はこうしてまとめて捨てておくのでござる」

 

 美味い奴は食べるらしい。今度はペテルが疑問を口にした。

 

「狩ったというのは……縄張りの侵入者ということですかね?今のあなたの縄張りは、カルネ村近辺であるということですか?」

 

「それはちょっと違うでござるなあ。それがしの今の縄張りは……言うなら姫の周囲でござるが故。それに、こいつらちょっと妙なのでござるよ」

 

 ハムスケは言う。自分の武名が高まったと見え、近年はある程度の知性をもったモンスターや人間はおろか、野生生物でも自分の縄張りを侵す者はめったに見なくなっていたのだが、近頃森が騒がしい。森の中を不穏な空気が蔓延し、住人が怯え逃げ惑っている。

 

「それがしがかつての縄張りを事実上放棄したというのもあるでござるが……それが知れ渡るような間もない時点で――具体的には姫にお仕えすることになった翌々日くらいにはもう、縄張りとか関係なしにそれがしの知覚範囲に入ってくる者が出始めたでござるよ。(……今にして思えば、全部あのトレントのせいでござろうが)」

 

 それも、侵入者というよりは、そこがどこであるかに構う余裕もなく逃げる途中のモンスターが多かったらしい。

 

「それで、姫のお手を煩わすのもいかがなものかと思うでござるが故、このように自由時間にちょくちょくとこちらに向かってくるモンスターを狩っていたら……気づいたらこれだけたまっていたでござるな。厳密に言えば、こいつらの中で村まで来そうだったのは一割くらいだと思うでござるが、いつもの癖で近くに来た奴はついつい狩ってしまったでござる」

 

 そう言うとハムスケはドヤ顔で胸を反らした。漆黒の剣一同とンフィーレアは不安そうな顔を見合わせる。

 

「つまり……森の賢王の縄張りが無くなって、生態系が大きく乱れた?」

 

「ハムスケさんの話だと、縄張りが無くなったこととは関係なく森が不穏だってことですよね?今までの常識が通用しなくなっているというか……」

 

 そこでずっと考え込んでいたニニャが顔を上げた。

 

「そうか……防壁がなくなったんだ……」

 

 思わず全員が注視する中、ニニャはンフィーレアを真っ直ぐ見据えていった。

 

「ンフィーレアさん」

 

「は、はい」

 

「エンリさんのことが好きなんですよね?だったらこのまま嫁に貰ってエ・ランテルに連れて帰るべきです」

 

「は、はいいいいいいいいい!?」

 

 

 カルネ村を含む近辺の開拓村は、森の賢王の縄張りを天然の防壁として利用することで安全が保たれていた。縄張りにモンスターが近寄らないので、その近くにもモンスターが寄ることはほとんどない。それで物理的な柵も壁もなしで、安全な暮らしを謳歌することができたのである。先の陽光聖典の襲撃事変では、そのことが徒となってあまりにあっさりと帝国騎士(に偽装したスレイン法国工作員)に蹂躙される羽目に陥ったのだが。

 

 カルネ村の未来は明るくない、村を訪れエンリに大方の事情を聞いたときからニニャは心の底でそう感じていた。過半数の命をナーベラルに救われたものの、大勢のまだ若い働き手が奪われたのもまた事実。今年の収穫は激減するだろう。そこに普段と変わらぬ税を取られ、残った僅かな働き手を徴兵されたら。

 

「今年も行われるであろう、帝国との戦から帰ってきた男達が目にするのは、無残な廃墟と化したカルネ村の残骸かも知れませんね」

 

 そう言うニニャに、顔を青くして沈黙するンフィーレア。

 

「しかしニニャ、そういう事情であれば少なくとも租税は減免等の措置が期待できるのでは……」

 

「減免?あいつらがそんなことをするものか」

 

 形ばかりの疑念を呈したペテルを冷たい目で見据えると、ニニャは言い放った。大貴族に家族を蹂躙された過去を知る漆黒の剣の一同は沈黙する。

 

「それにまあ、ちょっと話が脱線しましたけど、それですら希望的観測なんです。そこの死体の山を見てください。ハムスケさんが居なくなったら、瞬く間にあの村はモンスターに飲み込まれますよ?」

 

 気を取り直したニニャがそう言い直すと、一同は積み上げられたモンスターの死体に目をやり納得した。柵すらなく、森の賢王という防壁に安住してモンスター退治の経験もろくになく、また男手も大きく減ったカルネ村が、モンスターの襲撃に耐えられるはずがない。その意見は納得のいくものがあった。

 

「次に来るときにはもう、カルネ村は放棄された廃墟になってる可能性が高いです。だからンフィーレアさん、エンリさんを死なせたくないなら」

 

 嫁に貰って連れて帰ってください。再びそう結ぶニニャに、ンフィーレアは真剣な表情で頷いた。

 

「ご忠告、感謝します。僕では思い至らなかったかもしれません。ただ……それは他の村人達は見捨てろという話ですか?」

 

 逡巡の籠もった声に、ニニャは冷静に見解を述べる。

 

「……エ・ランテル暮らしで薬屋のンフィーレアさんは知っていますか?王国法では農民の耕作地放棄は重罪なんですよ?開拓地もその例外ではありません。見つかったが最後、農奴より過酷な強制労働所として名高い、鉱山送りになります」

 

 ンフィーレアがぎょっとして立ちすくむ。

 

「ただ、婚姻による転居はその例外となり得ます。その場合保護者が居なくなるので、ネムちゃんが付いてくることも認められる筈です。僕が言いたいのは、救える分だけでも救ったらどうですかという話です。

 勿論、カルネ村の危険な状況を皆さんに伝えるのは大いに結構です。権力者の慈悲というやつを大盤振る舞いして貰いたいものですね是非とも」

 

 そう言って憎々しげに口元を歪めるニニャを、心配そうに見つめる他の三人。過去に何かあったことを察し、ンフィーレアは黙り込んだ。

 

「ところでハムスケさん……念のために確認しておきたいのですが、これからもカルネ村を守ってくれたりは……しないですよね?」

 

 一応という感じでハムスケに問いかけると、ハムスケは首を傾げた。

 

「はて、それがしは『人間の村を守って』いたことは今までもこれからも別にないでござるよ?姫が滞在する間は露払いも吝かではないでござるが、姫の出立時にはお供する所存ゆえ、その要望に応えるのは無理でござるな」

 

「ですよね……」

 

 ナーベラルがいつまでカルネ村に滞在するつもりだろうか考えかけて、ンフィーレアは目をそらすのをやめにした。いつかは告白したいと思っていたのだ。それが今になるだけのことだ。

 

「決めました。エンリに告白して結婚します。その為に薬草は今回持てるだけ根こそぎ持ち帰ります。ハムスケさん、あなたの縄張りを案内して貰えませんか?」

 

「フム?姫のご許可があれば吝かではないでござ……」

 

「案内して貰えますね?」

 

「アッハイ」

 

 真顔で詰め寄るンフィーレアに、ハムスケは気圧されたように頷いた。人が変わったかのような迫力をかもしだすンフィーレアを見て漆黒の剣の一同は瞠目する。

 

「さすが、恋する男は迫力が違うな……」

 

「それをいうなら乙女ではないであるか?」

 

「乙女でもどのみち意味は通じないですよ……」

 

 好き放題な感想を述べる一同を促して、ンフィーレアはハムスケの案内の下、貴重な薬草を大量に収穫してカルネ村に帰った。ルクルットの提案でちゃっかりと山積みの死体から討伐証明部位も回収してある。無論、戻ってから事情を説明するつもりではあるが。

 

 

「あら?ハムスケ、そいつらと一緒だったの?」

 

「うむ、なんだか途中で一緒に行動することになってしまったでござる……」

 

 一行が帰宅したとき、ちょうどエモット姉妹とナーベラルは家の外にいた。エモット姉妹は菜園から野菜を収穫しており、ナーベラルは鉢植えから出た双葉の芽に水をやっているところのようだった。足音に気づいたナーベラルが顔を上げてハムスケに声を掛けると、ハムスケがなんだか困惑したかのようにどことなく疲れた顔で答える。そんな光景を横目に、ンフィーレアは大股でエンリに歩み寄る。こういうのは勢いが肝心なのだ。タイミングを見計らっててもそんなものは永遠に来ない。

 

「……ど、どうかしたのンフィー?」

 

 友人のただならぬ様子に気圧されて、エンリは半歩下がる。そんなエンリの目の前に立つと、ンフィーレアはその両手をとると自分の両手をそれに重ねて握りしめた。

 

「エンリ」

 

「う、うん」

 

「……好きだ。僕と結婚してくれ」

 

「はい?」

 

 その言葉はエンリの耳を右から左へ通り抜け……意味を理解すると同時に耳朶が熱くなるのを自覚した。目の前には真剣そのものの友人の顔。普段は前髪の奥に隠れている瞳は、決意をたたえて静かな輝きを放っている。正直ちょっとかっこいい、そんな風にエンリは思った。

 

「え、あの、その、でも、こんな所、みんな見て」

 

 混乱の余り口から出る言葉は混迷を極めたが、ンフィーレアの顔は揺るがない。実際、衆目を集めているのは間違いないのだ。ンフィーレアが連れてきた護衛の冒険者は真面目くさった顔つきでこちらを見守っている。隣ではネムが握り拳を口元に寄せてドキドキ……、いや、ワクワクしているのが見える。ハムスケの表情は人間よりわかりづらいが、どことなく切なげにも興味深そうに成り行きを窺っている。そして、ナーベラル。大概不機嫌そうな仏頂面を貼り付けている彼女が、なんだか面白いものでも見たかのようなその表情は、今までエンリに見せたことがないものであった。

 

(うう~、は、恥ずかしい……!!)

 

「……僕は君が好きだ。君は僕のことをどう思うか、聞かせて欲しい」

 

 内心悶絶するエンリに、ンフィーレアが畳みかけた。ルクルットがよし、その調子だと呟いてガッツポーズするのが見える。そりゃ見てる方は大層な見物ですよね、そんな思考が頭をよぎる。

 

(それにしたって……なんだってこんな急に……)

 

 そこまで考えて、すっとエンリの中に冷静な思考が入ってきた。何があったか?勿論、村の惨状を見たからに決まっている。エンリだって、これから妹と二人でどうやって生きていけばいいのか、内心では途方に暮れていたのだ。普通ならば、このような辺境の村では孤児の類は周囲の大人が何くれと無く手助けをしてくれるものだが、そんな余裕のある大人が今のこの村のどこに居る?

 ンフィーレアに、バレアレ家に嫁入りする。その先をエンリは想像する。バレアレ家はエ・ランテルでも指折りの薬屋を営んでいる。エンリだって、自分の方から薬草を卸しに訪れたことがあり、それは立派な店構えであった。家の奥に引っ込んで家事だけしたとしてさえも、エンリを養うくらいの収入はあるだろう。それに、ンフィーレアがたびたび親切に教えてくれるので、薬草の扱いはカルネ村でも一番よく知っている。あれは薬草をよい状態で手に入れたくて、収集作業を営む自分たちに教育しているのだと思っていたが、もしかして自分と仲良くしたかったのだろうか。それはともかく、薬草を加工して治癒薬(ポーション)を作るのなら、途中までは今でも手伝えるはずだ。その先を教えて貰って一緒に治癒薬(ポーション)作りにいそしむことだってできる。

 そしてネム。あの日以来すっかりやんちゃ加減がなりを潜め、「いい子」になってしまった不幸な妹も、バレアレ家であれば問題なく面倒を見られる。将来はなりたいものになることだってできるかも知れない。

 

「エンリ……?」

 

 黙り込んで考え事を巡らすエンリに焦れたのか、不安そうにンフィーレアが問いかける。エンリは体の表面が熱いのとは裏腹に、冷めた頭で目の前の少年のことを考えた。親切にしてくれる大切な友人、そのような認識に過ぎなかったが、彼はどうであるか。

 顔立ちは線の細い美形だ、好意的に言えば。世間一般でどう見られるかはともかく、十分に好ましい顔立ちである。将来性は非常に安心感がある。エ・ランテルでも有名な祖母の指導の下、この年で既に薬師として頭角を現しているくらいだ。あとよくわからないけど、なんだか凄い生まれつきの異能(タレント)を持っているそうだ。

 客観的に言ってかなり良物件じゃないか。かくも打算的に考える自分自身をなんだか浅ましいと自嘲しつつ、エンリはンフィーレアという友人をどう思っていたか考える。

 

(ンフィーは私が好き。私は……私もンフィーのことは好ましく思っている。なんだ、単純なことじゃない)

 

「ンフィー……ありがとう、嬉しいわ。私をお嫁さんにしてくれる?」

 

 口を開いてそう告げると、ンフィーレアの顔がぱっと明るくなる。後ろで漆黒の剣がガッツポーズをとったり、ネムが頬に手を当ててきゃーきゃー言うのが見えたが、まあ余計なものは頭から追い出す。

 

「エンリ……」

 

「ンフィー……」

 

 ンフィーレアが両手を外してエンリの顔に添える。ンフィーレアの顔がだんだん近づいてくると、エンリはそっと目を閉じた。

 

 そうして二人は幸せなキスをした。

 

 

 

 




 最初はハムスケじゃなくてナーベラルが守る理由をあれこれ考えてみたのですが……下手にこじつけると不自然過ぎて断念、ナーベちゃんマジ冷血生物。パレイン系第七惑星人並。
 こんなこともあろうかとハムスケつけといたんだしまあいいか( ´∀`)

 王国法云々は「二次設定」です。元ネタは農民の移住の禁なんで、まあそういうルールがあってもおかしくはないよねということでどうかひとつ。



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第十五話:カルネ村の行く末と王国戦士長

 
 前回のあらすじ:
 覇王じゃないから普通に押し倒せるよ!
 やったねンフィーレア!

 書いてるうちにナーベちゃんが悪ノリした。今は反省している。



 それからのエモット家は、慌ただしい騒ぎとなった。

 引っ越しのための荷造り。この家には住人が残らないため、必要な物は残らず持っていくことになる。ただし、向こうに既にある物は置いていく。その為、エンリとンフィーレアはあれこれと相談しながら必要な物を決めた。

 大型の家財道具は不要、寝具などもエ・ランテルで買ってしまえばいいじゃないか、そういうことになったが、それでもそれなりの荷物にはなる。エモット家に馬はなく、ンフィーレアの連れてきた馬は薬草を運搬せねばならない。

 解決策は意外なところからもたらされた。

 

「荷車を用意すれば、ハムスケに引かせるわ」

 

 だから、私をエ・ランテルに案内しなさい。そのようにナーベラルが申し出たのだ。漆黒の剣の面子がわっと喜ぶのを、特にルクルットを嫌そうにナーベラルは一瞥したが、それで申し出が取り下げられることはなかった。

 案内するだけで騎獣と(凄腕の)護衛がつく。そのような美味しい話を断る理由はない。ンフィーレアは快諾したが、エンリがやや困ったように問いかけた。

 

「私たちにはありがたい申し出なので嬉しいのですが……そもそもガンマ様は戦士長様が来るのをお待ちになっていたのではありませんか?」

 

 それを聞いたナーベラルは不思議そうに首を傾げた。

 

「ん……?あー、別にストロガノフとは何か約束した訳じゃないし、いいのよ別にあんなもんほっとけば。元々きっかけを待ってぐずぐずしてたみたいなものだし、大森林でやりたかったことは終わってるし。あなた達が引っ越すというのならそれもいい機会なんでしょうね」

 

 仮にも王国の重鎮、国王の懐刀たる戦士長に対する意識の軽さに、ンフィーレアと漆黒の剣の面々は目を剥いた。エンリは今更なので驚いたりしなかったが。完全にびびったンフィーレアが出立をもう少し先に延ばしましょうかと言いかけるのを睨んで黙らせる。ナーベラルの方には、ここでこれ以上ぐずぐずする理由はないのである。都市から都市、国から国、そのように放浪して情報を集めねばならない。カルネ村で得た情報でその為の計画はだいたい整った。まずはエ・ランテルにて冒険者とやらに登録するのである。

 

 

 出立の日。朝焼けが収まって太陽が昇りきった早朝、ンフィーレアの一行はカルネ村を出発する準備を整えた。

 この日ばかりは村人も仕事の手を止め、命の恩人と大事な隣人の門出を総出で見送るために集まっている。そんなわけで、出立は家の前ではなく、中央広場で挨拶を済ませてからということになった。そんな人々を、ンフィーレアは内心後ろめたい思いで見渡す。

 結局村の危険を皆には話せなかった。考えてもみて欲しい、「周囲のモンスターを威圧してた強い人は僕たちが連れていくので、その後はこの村が危険に晒されますからがんばってくださいね。僕らには関係ないですけど無事をお祈りしてます」などと、どんな顔で告げろと言うのか?ナーベラルなら平然と告げるだろうが、生憎彼女にはそもそもそれらの事態に対する認識がない。「漆黒の剣」の面子も沈黙を守った。生死をかけた冒険を過ごした中で、冒険者はできないことに対する割り切りが早いのだ。彼らは依頼主の恋人、まもなく嫁を事前に救ったことで十分満足していた。

 

 ンフィーレアが乗ってきた荷馬車には薬草が満載されており、御者台には行きと同じくンフィーレアが乗る。それに追加でエンリが乗ることになった。エンリは最初驚いて拒否したが、皆がニヤニヤしながら荷物の量を調節したりして言い訳を潰していくので諦めて開き直ることにした。

 もう一方、エモット家の納屋から引っ張り出してきた荷馬車にはエンリの嫁入り道具、僅かな引っ越し用の家財道具が置かれ、余ったスペースには薬草が積み込まれている。形だけの御者台にはナーベラルとネムが座る。ハムスケが引くので形だけであり、御者をこなす気などさらさらないが。ネムを乗せてくれることにエンリは礼を述べたが、なんのことはない、ネムを歩かせたら全体の速度が子供の足基準になるのを思ってうんざりしただけである。少なくともナーベラル本人は、自分が判断した理由をそのように思っている。

 ハムスケは馬のように荷馬車に固定されず、自分の意思で荷馬車を引いて、必要に応じて連結を解除して自由に行動できるようになっている。意思疎通のできる魔獣ならではの措置である。そんなハムスケは、今はンフィーレアの馬に道中よろしく頼むでござると挨拶していた。馬の方も一声いなないてハムスケの顔を舐めたあたり、数日寝食を共にするうちに友情が芽生えたらしい。

 

「ガンマ様、今まで本当にありがとうございました」

 

「……あなた達もこれから大変だろうけど、まあ頑張ってね」

 

 これが最後と頭を下げる村長に、ナーベラルは(彼女にしては)礼節のある言葉を返した。その内容を聞いてンフィーレアはぎくりとする。カルネ村をこれから襲う困難を、ナーベラルが認識している様子はこれまでなかったので、おそらく本当に社交辞令なのだろうが……

 今からでも言うべきだろうか。言って罵声と共に見送られれば満足なのか。そのように煩悶とするンフィーレア。ンフィーレアが逡巡する間にも、エンリとネムが村人との別離の挨拶を済ませていく。

 そうしていよいよ出立という運びになったとき、ハムスケが鼻をヒクヒクさせて後足立ちになった。

 

「フム……お早いおつきでござるな。姫、ガゼフ殿が来たようでござる」

 

「……へえ?」

 

 一同がその言葉に釣られて遠方を透かし見ると、やがて土煙を蹴立てて疾駆する三騎の騎影が見えてきた。

 中央の馬に騎乗するは王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。その卓越した乗馬技術で、左右の騎手なしの馬を併走させている。その装備は、腰に差した剣と皮鎧のみであり、以前訪れたときより更に簡素な物となっているが、これは限界まで重量を減らす目的があると見える。右の馬には、小柄な人間ならば入りそうな大きさの頭陀袋が鞍の上にくくりつけられて揺られている。左の馬は空であり、これはおそらく替え馬であるだろう。馬を交代で休ませながら、強行軍を重ねてここまできたものと思われた。

 

 一同が見守る中、ガゼフは広場の端まで馬を進ませると、手綱を引いて立ち止まった。一同の様子を見渡して、荒い息をつきながらにっと笑う。

 

「どうやら……ぎりぎり間に合ったようだな。お久しぶりだ、ガンマ殿」

 

「そうね、ストロガノフ。……随分と早かったじゃない?」

 

 口の端を僅かにつり上げ、面白そうに告げるナーベラルの声を聞き、ガゼフの笑みが深くなった。

 

 手品の種は単純、ガゼフは王都まで帰還していないのである。

 最寄りの城塞都市エ・ランテルは国王の直轄領である。故に貴族派閥に弱みを握られることなく動くことが可能となる。

 ガゼフはエ・ランテルで補給を受けると、自分に付いてきた僅かな部下に報告を託して王都に送り出し、徒歩でエ・ランテルを目指して移動中の残りの部下の受け入れ態勢を指示して一息つくと、エ・ランテルの都市長パナソレイの下へ向かった。

 

 エ・ランテルを治める都市長パナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイアは、ぶくぶくと肥え太っただらしない体に薄くなってハゲかけた髪を持つ、有り体に言えば物語に出てくる悪徳商人や大臣を具現化したような外見の人物である。

 しかしその中身については、怜悧で知的な油断のならない実力者であることをガゼフは知っている。故に、ガンマという魔法詠唱者(マジック・キャスター)の重要性を、ガゼフの報告を受けて即座に理解し、ガゼフが王の名で(勝手に)申し込んだ借金の申し込みを快諾した。

 

 エ・ランテルの運営資金から一時的に立て替えるだけとは言っても、大金を動かすにはそれなりに準備がかかる。ガゼフとパナソレイは協力して身の回りの貴重品を引っかき回してよさげなものをかき集め、どのくらいの量が相応しいのか考えつつも馬で運ぶことを考慮した限界まで、頭陀袋に宝石類と貴金属を押し込んだ。ガゼフとてアホではない、ナーベラルが宝飾品で着飾って喜ぶような人間だとは思っていないが、何が好みか分からないのも事実なので貴重品を適当に選んだだけである。

 そうこうするうちにに現金の準備が整って、最後に金貨を詰め込んで、取り急ぎ戦士長の命を救った恩賞一丁上がりである。自分用、荷物用、替え馬の三頭立てを用意させると、休憩もそこそこに昼夜を選ばず馬を駆ってカルネ村まで舞い戻った。もちろん、結局は馬の方が潰れてしまうため、随所で休息はとっているのだが。

 

「……できる限り急がせて貰った。その甲斐はどうやらあったようで嬉しいよ。こちらが急いでまとめてきた先日の件の謝礼になる。どうか受け取って欲しい」

 

 ガゼフはそう言って、一抱えもある頭陀袋を馬の鞍から外すと、ナーベラルに手渡した。下手な人間より重い、少なくともネムよりは重い金貨の詰まった袋を受け取るや、ナーベラルはその重さに顔をしかめて地面に袋をぞんざいに投げ出した。袋の口からこぼれる金貨の輝きに、村人や「漆黒の剣」の面々が眩しげに瞠目する。

 そのまま袋の中身をあらためて、金貨の詰まった小袋を選んでひょいひょいと手元に放り込む。手品のように消えていく金貨の袋を、目をぱちくりさせてネムが興味深げに眺め、ガゼフの表情が険しくなった。

 

(……空間収納の魔法か?……これはますます目が離せないな……)

 

 そんなガゼフの様子にも頓着せず、ナーベラルは金貨の袋だけを取り出すと、立ち上がってカルネ村の住民達の方に顎をしゃくった。

 

「残りは要らないからあなた達にあげるわ」

 

「へっ!?」

 

 驚いたのは村人達である。目を白黒させながらもその瞳に欲望の輝きが灯るのを皮肉げに見やると、ナーベラルは言葉を続けた。

 

「その金で新天地でも目指して、新しい人生を始めなさい」

 

 その言葉に愕然とした一同の視線が集まる。

 

「私たちが居なくなったらこの村は滅びるでしょう?だから、その前に引っ越せばって言ってるのよ」

 

 ンフィーレアは呆然とした。村の危機に気づいた様子を見せなかったナーベラルは、実はそんなことはとっくに分かっていて、こうして救済案を提示してみせた。やっぱり凄い人だったんだと内心の尊敬を新たにする。

 忸怩たる思いに恥じ入るンフィーレアには、戦士長が今来なければどうなっていたかに気づく冷静さは残っていない。ハムスケから話を聞いたナーベラルは、村の運命を知ってはいたが気にもとめていなかったので、実際には放置して立ち去る寸前だった。

 

 

 ナーベラルがその頭陀袋の中身を検めた時の感想は。

 

(なに、このガラクタ……)

 

 というものであった。補足するならば、ナザリック地下大墳墓の金品財宝を知るナーベラルにしてみれば、手渡された金銀宝飾の類がほとんどゴミにしか見えなかったのである。ナーベラルから見ればおよそ無価値にしか見えない見窄らしい装飾品類を、それでも一応<魔法探知>(ディテクト・マジック)でチェックし、魔法を付与された装備品がないことを確認すると、それで興味はほとんど無くなった。

 

(こんなガラス玉で水増しするとは、ストロガノフも存外みみっちい奴ね……)

 

 口に出したらガゼフが絶句すること間違いなしの失礼な感想を抱きつつ、ナーベラルは自分に必要なものを考える。貨幣は要るだろう、さすがに。そう思ってひょいひょいと金貨の袋を選んで収納(インベントリ)の中に放り込んでいく。残りのナザリック基準で見れば無価値な品物(ガラクタ)をどうするか考えて、すぐにこんなもの要らないという結論に落ち着く。容量に余裕はあるが無限ではないし、そもそも整理の邪魔になる。

 この時ナーベラルには、これらの金品類が貨幣に換算すれば自分がしまい込んだ金貨の量より遙かに高値がつくという事実は想像の埒外である。彼女にとってガラクタでもこの世界ではそうではないかもしれないという発想はない。

 

(ま、余程慌てて詰め込んできたんでしょうし、間に合ったことくらいは評価してやってもいいか)

 

 そんなことを考えていると、彼女はカルネ村の住人達が随分とガラクタに目を奪われているらしいことに気がついた。こんなものが欲しいとは物好きな連中だが、ストロガノフに突っ返してなにかいいことがあるわけでもないし、欲しいならくれてやれと思って声を掛けると感動して平伏する。ちょっと気分が良くなったので、そういえばで思い出した村の運命について忠告すると、想像もしていなかったのか村人達の間に驚愕が広がった。逃げればいいじゃないと口にしたら村長達は感涙にむせんだが、そこで戦士長が沈痛な顔で口を挟んできた。

 

「待たれよ。ガンマ殿が報酬をどのように使おうと当然それは当方が口を挟むところではないが……住民がこの村を放棄するのは認められない……」

 

 その言葉を聞いて村人達がはっとする。耕作地の放棄を禁じた王国法については、文盲の者にまで口を酸っぱくしてさんざん言い含められて来た経緯がある。その存在はすぐに思い出された。

 それらの事情の説明を受けたナーベラル、なぜか楽しそうに口元をつり上げる。その顔に浮かべた冷笑は、もし長姉(ユリ)が目撃すれば「またこの子は悪いとこばっかり(ルプー)に影響を受けて……」などと嘆息すること請け合いの、酷薄な笑みである。

 

「へえ~?良かったわね皆、王国戦士長さんはあなた達に死んでほしいんですってよ」

 

 言いながら性悪な笑みを浮かべて見やるのは声を掛けた村人達ではなくガゼフの方。ガゼフが苦悩に顔を強ばらせるのを見て楽しんでいるのは明白である。ろくでもない話だ。村長が困り顔で問いかける。

 

「戦士長……王国法については私どもも当然存じておりますが、それはこのような場合にも適用されるものなのでしょうか?」

 

 ガゼフは苦い顔をして声を絞り出す。

 

「例外となる可能性がないとは言わないが、それは勝手に移住したのを後から追認されるようなものではない。まずは状況を説明した請願を出し、それが認められてからという手順を踏まねば……」

 

「それで認可を待ってる間にこの村は廃墟になるってわけね」

 

 くっくっと笑いながら揶揄するナーベラルを、ガゼフは惨めな顔で見返した。その様子を、いろいろな意味で呆然としながら眺めることしかできない「漆黒の剣」とンフィーレア。エンリとネムはわりと慣れた。

 

 結局、悶着の末。

 移住が許可されるにせよ、あるいは村が抱える危機になんらかの援助がされるにせよ。行政側がなんらかの動きをもたらすまでは、ガゼフの裁量でカルネ村を警護することになった。取り急ぎ、部下を村に呼び寄せるまでは、王国戦士長が手ずから一人でモンスターの間引きを務める。自分の権限でなんとしてでも村の窮状はなんとかする、決して悪いようにはしないと述べるガゼフに、仰天してひたすら恐縮する村人達をなだめつつ、ガゼフは思考を巡らせる。

 

(予想外の事態なのは認めるが……差し引きで考えれば、そうマイナスでもあるまい)

 

 ガゼフにとって、現時点での最重要項目はナーベラルの動きである。彼女の興味を引けたし、趣味嗜好の一端を垣間見たと思えば、自分が暫くカルネ村に拘束されることなど安い物である。

 

(笑顔も見れた。些か悪趣味ではあるが……それだけ気を許してきたと考えてもいいのではなかろうか)

 

 とりあえず縁を繋ぐことには成功した。後はこれをどうにかうまく育てねばならない。ガゼフは珍しくニヤニヤしながらまあお仕事頑張ってねと告げてきたナーベラルに、部下とパナソレイに対する手紙を託した。ついでにナーベラルの身元に関する推薦状もつけておく。嫌そうな顔をしたらンフィーレアに頼み直すつもりだったが、機嫌が良かったのか、ナーベラルは大人しく受け取って手元にしまう。

 

(それに、こう言ってはなんだが、意外と情に篤い所もあるのかもしれん。正面から情に訴えるのもあるいはありかもしれんな……)

 

 勘違いではあるが、ナーベラルの心理の動きを全く無視して、受け取った報酬の大半を気前よく村人達に分け与えたことに着目すればそういう解釈になる。ガゼフにその間違いを正す術はない。

 力一杯手を振りながら叫ぶ村人達と共に、ガゼフは一行が出立するのを見送った。ここからが正念場であるが、ガゼフにしてみれば近隣のゴブリン退治など、気負うにも値しない。ここ数日は骨休め気分で村の警護に勤めるとしよう。

 

 その後、部下が到着するまでたった一人、二十四時間体制の警護任務を鼻歌交じりで務め上げた王国戦士長は、()カルネ村住民の伝説となるのだが、それはまた別の話である。

 

 

 会議室を退出した彼の顔は余程こわばっていたらしい。

 

「どったのー?随分コワイ顔しちゃって。イケメンが台無しだよ?」

 

 いつものように会議をサボった番外席次から、いつもとは違う声がかけられ、彼は思わず頬から顎をなで回した。

 

「いえ、ちょっと難題を申しつけられまして……陽光聖典の立て直しのために、指揮官として漆黒聖典から人を貸して欲しいと命じられました」

 

「ほおー」

 

 優れた指揮官は兵士の能力を何倍にも引き上げ、その逆もまたしかり。予備役と新人未満の弱兵から立て直しを図らざるを得ない陽光聖典が、せめて優れた指揮官の下で兵の育成を図りたいと思う意図は分かる。

 ただ、漆黒聖典は英雄級の存在の集まりと言えば聞こえは良いが、それが意味するところは優れた「個」が肩を並べて行動しているだけであり、また厳選した少数精鋭であることもあって、部隊の指揮がどれほどとれるかには疑問が残る。正直、ニグン・グリッド・ルーイン程の優れた指揮官となれる者はメンバーには居ないのではないかと彼は思っている。

 無論それでも、残った陽光聖典の中から選ぶよりは余程ましではあるのだろう。

 

「それで、ただでさえ少ない面子を削られて不満なわけだ」

 

「いえ、必要なことであるのは理解しています」

 

 陽光聖典と漆黒聖典は、例えるなら車輪の両輪である。実力者の厳選に厳選を重ねて強敵を狩る漆黒聖典と、訓練を重ねた熟練兵を集めて数多い脅威を間引く陽光聖典。どちらが欠けても、人類の守護という目的は叶わない。漆黒聖典だけが健在でも、彼らが亜人を狩って回るわけには行かないのだ。メンバー一人一人が十人に分身でもしない限り手が足りなさすぎる。

 

 故に陽光聖典に手を貸すことに異存はない。異存はないが、欠けたメンバーの穴をどのようにカバーするかは頭が痛い。

 そのように説明すると、番外席次の少女はけらけらと笑って言った。

 

「なんだ、そんなことか。簡単じゃん、減った分は増やせばいい」

 

「……簡単に仰いますが、漆黒聖典の面子が務まるような人がどこに余っているというのです?国内の実力者は根こそぎ集結済みでしょうに」

 

 そう言いながら、隊長は自分が口にした言葉で、相手が次に何を言い出すのか予想がついた。国内に人は居ない、ならば。

 

「あの子に責任とってもらって漆黒聖典に入れるのよー。どう、簡単でしょ?」

 

「あの子というのは、かの魔法詠唱者(マジック・キャスター)のことですか」

 

 予想通りの言葉に苦笑が漏れる。

 

「そ。あなたは隊長だから抜けようがないし……あなた以外だったら、誰が抜けたってその子が代わりに入ればお釣りが来るでしょ?ほら解決した」

 

「いやいや、ちょっと待って、そりゃあ確かにそうなれば心配要らないでしょうよ。でも、彼女をどうやって仲間にするかがまるごとすっぽ抜けてるじゃないですか!」

 

 彼が文句を言うと、番外席次は唇を吊り上げて艶然と微笑んだ。

 

「なんだ、そんなこともわかんないの?」

 

「わかりませんよ!って……あるんですか、何かアイデアが?彼女の為人すら分からないのに!?」

 

「あるよー」

 

 番外席次はそう言うと、ちょいちょいと指で隊長を招いた。隊長が顔を近づけると、艶やかな唇を彼の耳にそっと寄せて囁く。

 

「ちょっと行って捕まえてきてさ。あなたが()()()ちゃえばいいじゃん」

 

 その言葉に思わずむせる。

 

「そりゃ性格は知らないけどさ。絶世の美女なんでしょ?強くて美人。結婚相手の三大条件のうち二つを満たしてる、お得!あなただってイケメンで強いから、向こうにもお得。特務聖典の穴も埋まってみんなハッピー!」

 

「……ちなみに残り一つの条件はなにかお伺いしても?」

 

「ん、まあ……性格?私は強さ以外の条件はいらないけど、世間に迎合して条件を増やすならそんなもんでしょ」

 

 そう言って小首を傾げる少女に、隊長はため息をついて言った。

 

「……まあ、冗談としてはなかなかでしたよ」

 

「冗談じゃないよ-。この目が冗談に見える?」

 

 そう言って彼の顔を覗き込んだ彼女の目が予想以上に本気で、隊長は困惑を覚えた。

 

「……なにが狙いなんです?」

 

「……あなたたちの子供よ。あなたじゃ私には届かない。その子も私には届かない。でも二人の血を掛け合わせたら?あるいは面白いことが起こるかも知れない」

 

 隊長はその言葉で得心した、なんとも彼女らしい発想だと思ったからだ。受け入れるかどうかは全く別の話だが。

 

「普通の相手と結婚したって、神人の血は薄まるばかり、まれに覚醒したところであなたに近づくのがせいぜいでしょう。でも、異なる二つの英雄の血が混ぜ合わさればさ?」

 

 少女は芝居がかった仕草で両手を広げた。

 

「知ることができるかもしれない、敗北の味を」

 

 だから、元気な男の子を産ませて頂戴、私に勝てた暁にはその種を貰わきゃいけないからね。漆黒聖典番外席次”絶死絶命”はそう言ってニヤリと笑った。

 

 




 ナーベラルのこうかんどが1あがった!
 (NEXT→1/9999:レベルアップすると名前を間違えて覚えていたことに気がつきます)

 番外さんの顔が板垣顔で刷り込まれてる読者は決して私だけではないと信じていますが……
 気がついたら頭の中で松本梢江と姫川勉が会話してました( ´∀`)
 このままバキワールドがスレイン法国を侵食していった日には、漆黒聖典の次回登場シーンが全選手入場になってしまうかもしれません。まあ登場予定自体ないけど( ´∀`)
 
 あ、繰り返しになりますがこのSSにおけるナーベちゃんのカップリング可能性は0%で(ry



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第十六話:エ・ランテルと冒険者組合

 
 前回のあらすじ:
 番外「ナーベラル(あの子)を仲間にしたい?捕まえて乱暴すればいいでしょう!エロ同人みたいに!」
 隊長(駄目だこいつ……早くなんとかしないと……)



 エ・ランテルまで徒歩の足に合わせて一日、道中は何事もなく過ぎると、一行は城塞都市が見える場所まで辿り着いた。

 入門審査を受ける列の最後尾に並ぶと、順番待ちの人々の視線が一気に集中した。

 

 ハムスケがとにかく目立つのである。怯えたように身を竦ませながらも、大人しく荷馬車を引いている姿に目を丸くする人々の視線を受け、ハムスケは得意そうに胸を反らした。

 

「フフン、やはりそれがしの威容は周囲の耳目を捉えて離さぬようでござるな!」

 

 ハムスケが喋るのを聞き、周囲のざわめきが大きくなる。

 

「……鬱陶しいから静かにしてなさい。あんまり騒いで入門拒否されたらどうする気よ」

 

 御者台に座ったナーベラルが叱りつける。いつの間にやらフードを被っているのは、ルクルットのアプローチに余程辟易したのか、顔を隠すことに決めたらしい。

 

 ハムスケはしゅんとした顔で黙りこんだが、それで静かにはならなかった。行列の中の馬が騒ぎ出したためである。行商人やら騎兵やら、馬の持ち主が必死になだめているが、いったん怯えた馬はなかなか落ち着かず、恐怖が伝染して大混乱の前触れの様相を呈してきた。

 程なく詰め所から門衛の兵士らしき人間が走り出て、こちらに駆けてくるのをナーベラルは無表情に眺める。

 

「あのっ、あなた方は先に処置させて頂きますので、こちらにおいで頂けますか」

 

 門番もハムスケに圧倒されているのか、露骨に下手に出てくる。行列の長さに内心うんざりしていたナーベラルはあらそうとハムスケに声をかけようとしたところ、隣で彼女にしがみついていたネムが言った。

 

「あれ、でもみんな待ってるんでしょ?順番抜かしちゃっていいのかなあ」

 

「構いませんね皆さんッ!?」

 

 門番が即座に振り返って叫ぶと、列の前方から構わねえよ、頼むから早く行ってくれといった主旨の叫びが上がる。主に馬の首を抱えて必死に落ち着かせようとしている連中から切実に。それを聞いて、ナーベラルはネムの頭を撫でた。

 

「ですって、行きましょうか。エンリ、行くわよ」

 

 そんなわけで、ナーベラルとハムスケ、ンフィーレアとエモット姉妹、「漆黒の剣」の四人が先に詰め所へ案内されていくのを、列の人々は興味と安堵を込めて見送った。

 

 

 とはいえ詰め所の中は八人を迎え入れるには狭かった。

 椅子の数も足りないため、座っているのはンフィーレアとエンリ、ナーベラルのみで、ネムはナーベラルの膝の上に収まり、「漆黒の剣」の四名はその後ろに控えている。ハムスケは入らないので、外で待機である。

 

「えーと……では始めますか。バレアレさん」

 

「はい、ンフィーレア・バレアレです。トブの大森林に薬草採取に行ってきた帰りです」

 

 その返答に、門衛の兵士は頭を掻いた。定期的にこうして薬草採取に行くンフィーレアとは顔馴染みだし、先日出て行ったのも勿論覚えている。ただし。

 

「ンフィーレアさん。行きより随分人数が増えてませんか?」

 

「そうですね。順番にご説明しましょうか」

 

「是非お願いします。ああ、ンフィーレアさんと護衛の四名の方については結構ですよ。私も覚えておりますので」

 

「はい、ではまずこちらがエンリ・エモット。トブの大森林近郊のカルネ村の村民です。この度はうちに嫁入りするために連れてきました」

 

「エンリです。よろしくお願いします」

 

 そういって頭を下げるエンリを見やって、兵士の顔がぴくりと動いた。何か警戒したというわけではなく、エンリとンフィーレアがごく自然に恋人繋ぎで手を繋いでいることに気づいたためである。リア充爆発しろ。

 

「そして、エンリの妹のネムです。エモット家は先日両親が亡くなったため、エンリが居なくなれば保護者が居なくなってしまいます。ですので、うちで引き取るために一緒に来ました」

 

「ネムです。よろしくおねがいします」

 

 明らかに姉の真似をしてであろう、ぺこりと頭を下げるネムを見て、兵士の顔が緩む。

 

「フム、成る程……ここまでは特におかしな所はないですな。後はそちらの方ですが……まずフードを取って貰えますか」

 

「手配されている犯罪者などを確認しなければなりませんからね。ガンマさん、お願いします」

 

 ンフィーレアが補足説明を付け加えてナーベラルにお願いする。丁寧に説明しないとヘソを曲げる可能性が高いと判断してのフォローである。ナーベラルもそれで納得したのか、フードを後ろに払った。

 

「……」

 

 ナーベラルの美貌に見とれ、詰め所の兵士達が完全に沈黙する。

 

「……何か?」

 

「あ、いえ、すみません。えーと、お名前と出身からお願いします」

 

「はい、彼女の名前はガンマ、旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)です。出身地については僕たちが聞いたことがない遠方ということです」

 

 (デフォルトが煽り口調の)ナーベラルが直接応答すると絶対こじれるから応答は自分たちに任せてくれ、あらかじめンフィーレアはそう頼んである。ナーベラルは面倒ごとがそれで済むなら、とあっさり了承したので、打ち合わせに従ってンフィーレアが説明を始めた。

 

「遠方から来た旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)?それはなんとも……」

 

 胡散臭い話だな、という台詞は飲み込んだ。魔法詠唱者(マジック・キャスター)を無意味に怒らせたくはないし、手配されている犯罪者でないのは明らかだ。ならば触らぬ神に祟りなし、である。

 

「それであと、あの大きな魔獣はなんなのですか?」

 

「あの魔獣はハムスケさんと言いまして、ええと、森の賢王と言った方がわかりやすいですね。今はこちらのガンマさんが使役しています」

 

「森の賢王……!!」

 

 兵士達は顔を見合わせて緊張した。トブの大森林南部に跳梁跋扈する伝説級の魔獣のことは、エ・ランテルでも広く知られている。それをあっさり使役しているというこの魔法詠唱者(マジック・キャスター)は、やはりただ者ではないということだ。

 

「で、次はエ・ランテル訪問の目的ですね。ガンマさんはえー、冒険者組合に登録するために来ました。ハムスケさんを連れて歩くには、組合で魔獣登録をするのが最も手っ取り早い方法ですので。そのまま冒険者として身を立てようと思っている……ってことでいいですよね、ガンマさん」

 

 ナーベラルは無言で頷く。兵士はそれを見て考え込んだ。

 

「うむむ……つまりまだ組合に登録した冒険者ではないと……」

 

 兵士達はぼそぼそと小声で打ち合わせる。

 

「それで、あの方呼ぶんですか?」

 

 あの方とは、魔術師組合から派遣されている魔法詠唱者(マジック・キャスター)で、ただの兵士では分からないマジックアイテムなどの検査に協力してくれることになっている。

 

「うーん……呼んでどうするんだ?森の賢王を従えるほどの魔法詠唱者(マジック・キャスター)なら、魔法のアイテムくらいそりゃ持ってるだろうし、なんか見つかったとして、それでどうするんだ?没収させろとでも言うのか?」

 

「いやそんな、まさか!」

 

 登録した冒険者であれば、管理責任は組合の方にあるとしてスルーするのだが、流れ者の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が現れるという事態はこの兵士達にとって初めての事態であり、どうしたものか悩む。兵士はうんうん唸った挙げ句、ナーベラルに声を掛けた。

 

「それで、ガンマさん……なんというか、あなたの身元を保証してくれるような何かをお持ちでないですか?」

 

 その言葉にナーベラルは首を傾げた。確認するようにンフィーレアの方を向くが、ンフィーレアは慌てて首を横に振る。

 

「困りましたね。門番の方が警戒するのは分かりますけど、身元の保証を求めて冒険者組合に登録したいのに、保証がないから入れないというのはちょっと……」

 

「ガンマ様、王国戦士長様から何か貰ってないですかそういうの?」

 

 エンリが口を挟むと、兵士達がその言葉に驚く。

 

「あの、王国戦士長というと、あのガゼフ・ストロノーフ殿ですか!?お知り合いで?」

 

「ええ、そのストロガノフよ。貰ったのは金貨だけ……そういえば手紙があったわね」

 

 ナーベラルは手元から手紙を取り出すと、机の上に放り投げた。兵士が緊張した面持ちでそれをそっと取り上げる。

 

「こちらが王国戦士長からエ・ランテル都市長パナソレイ宛で……こちらは麾下の部隊への連絡事項か……紋章と封蝋は本物っぽい……いや、待て、なにか挟まってる」

 

 兵士が手紙の間に挟まった紙を取り出して広げると、王国戦士長直筆の覚え書きが出てきた。曰く、ガンマなる魔法詠唱者(マジック・キャスター)、自分の恩人であり、悪い人物ではないことを自分が保証するので便宜を図ってやって欲しい云々……

 

「入れないならしょうがない……このまま王都に行くから、その手紙代わりに届けといてくれるかしら」

 

「あ、い、いえ!とんでもない!お通ししますのでご自分でお願いします!こちらの紙には戦士長からのあなたに対する保証が入っておりましたので……」

 

 これ以上絡むのは自分たちの分を越えている。そう判断した兵士はそれ以上の誰何を取りやめて一行を通すことにした。厳密に言えばナーベラルについては通行料を徴収すべきだったのだが、完全にそんなことは頭から飛んでいる。

 

「さて、とりあえず私はハムスケを組合に登録に行くけど……」

 

 あんたらはどうするの、との言にまずエンリが答える。

 

「うちの荷物はハムスケさんに引いて貰ってますから、私たちも組合にご一緒します」

 

「あ、なら僕も一緒に行きます。そのまま「漆黒の剣」の皆さんのクエスト完了手続きをしましょう」

 

 ンフィーレアがそう言うと、ペテルが口をはさんだ。

 

「いいんですか?完了は荷下ろしが終わってからになるというお話でしたが?」

 

「いえ、これまでご一緒して、その辺は信用していますよ。だいたい、追加報酬を受け取らずに去るってことも無いでしょうしね。先に済ませてしまいましょう」

 

「それはどうも、ありがとうございます」

 

 ペテルはそう言って一礼し、みんなでぞろぞろと組合に行くことになった。

 

 

 ナーベラルはドン引きしていた。

 目の前に向かい合わせで座っている、目を血走らせて荒い息をつく受付嬢にである。

 どうしてこうなった。

 

 冒険者組合への登録は、現役の冒険者と同行したこともあって手順良く進んでいった。魔獣の登録には対象の人相書きが必要だと言うことで、ハムスケを担当者に預ける。金を払えば魔法ですぐ済むらしいが、どうせならスケッチしている間に、初登録時に受講が必要となる講習を受ければいいじゃないという流れになった。

 

 それで、受付で欠伸をかみ殺しながら事務仕事をしていた受付嬢に、小部屋へと案内された。講習というのはそこで行われるらしい。別にどこでもできるのだという話ではあるのだが。

 そして彼女の口からあふれ出る説明の濁流。無表情に長ったらしい説明を吐き出し終えて、どうだと言わんばかりにこちらを見上げてきた受付嬢に。

 

「つまり、組合が報酬を中抜きしているけどそれは必要な手数料ですよってことね。冒険者組合の実態が依頼人と冒険者の関係を仲介する斡旋組織である以上、当然の話ね。二割で人件費から依頼の下調べまで賄えるのならまあよくやってると言えるのではないかしら」

 

 そう言って聞いた内容をまとめてみた瞬間、彼女の顔つきが変わった。いや、顔つきは相変わらずにこやかな事務笑顔だったが、中の人の雰囲気が変わった。やる気が出たとでも言えばいいのだろうか。そして再び吐き出される言葉の濁流。

 違約金の発生する流れ、冒険者とは切っても切れない関係にあるモンスターの難度という概念、身分証明となるプレートのランクに対する説明。ひとつ聞き終えてまとめるたびに、受付嬢の目つきが険しくなっていくのを、ナーベラルは人間ってこんな変な生物だっけと考えながら見守った。

 

「――以上で講習は終了になりますが、何か質問はありますか?」

 

「いえ、特にないわ」

 

 全ての内容を説明し終え、何故か歯ぎしりしながら自分を睨み付ける受付嬢に内心ドン引きしながらナーベラルが答えると、受付嬢は表情筋から力を抜いてふう、と息をついた。これまでの作り笑顔とは異なる柔らかな表情で手元から小さなプレートがついたネックレスを取り出す。

 

「それでは、こちらが登録したての冒険者に与えられる(カッパー)のプレートになります、どうぞライバルさん」

 

 ライバル?唐突に出てきた意図の読めない単語に、ナーベラルは内心首を傾げたが、ツッコむのは止めにした。第六感が深入りするなと警鐘を鳴らしている。

 ナーベラルはプレートを受け取ろうとしたが、受付嬢が鎖の部分から手を離さない。訝しげな視線を向けると、彼女はコホンと咳をして髪の毛をなでつけた。

 

「ところでラ……ガンマさん」

 

「なにかしら」

 

 どうやら言い間違えただけのようだ。どう言い間違えたらガンマがライバルになるのは不明だが、おそらくきっとそうなのだ。

 

「これは確認なのですが、魔法詠唱者(マジック・キャスター)なんですよね?」

 

「ええ」

 

 登録情報の聞き取り時に、魔法詠唱者(マジック・キャスター)だと言ったら、代筆を頼んでおいて!?と驚かれた。「この国の」文字は読み書きできないと言ったらなんだか勝手に納得していたが。

 

「組合の決まり事では高位の魔法が行使できる場合は無条件でランクが上がることになっております。無論魔法の行使を実演して頂く必要がございますが、どうしますか?」

 

 ナーベラルは少し考えて答える。

 

「……それは明日でもできるかしら?人を待たせているのだけど」

 

「勿論です。それでは本日はとりあえずこの(カッパー)プレートをお持ちください。明日とは言わず、行使魔法の証明については受付で申し込んで頂ければいつでも受け付けております」

 

 受付嬢がにこやかに答える。良かった、明日は別の(・・)受付嬢に頼もう。ナーベラルはそう考えてプレートを引っ張るが、まだ離してくれない。

 

「もう一つ、最後に良いことを教えてあげます」

 

 

 冒険者組合に来る人間の素性は大きく分類すると、依頼を出す側と受ける側に分けられる。そのうち受ける方――冒険者がたむろするためのスペースとして、募集されるクエストが貼り出される掲示板を境に丸机や椅子が並べられた空間が確保されている。臨時に組んだチームでの打ち合わせや、あるいはチーム結成の為の面接などをここで行うこともできる。

 依頼者向けのスペースは別途確保されており、小会議室を出たナーベラルがそちらに向かおうとすると、それを邪魔するかのようにスッと足が突き出された。ナーベラルがちらりと視線を向けて確認すると、一様に嫌らしい薄笑いを浮かべた下等生物(ヤブカ)が四匹、群れているのが目に入る。さらにはその様子を観察してくる複数の視線。

 

(成る程、こういうことね……)

 

 受付嬢が親切にも教えてくれたのは、(カッパー)プレートの新人が講習を終えて出てきたら、十中八九先達の洗礼(・・)があるだろうということであった。

 

『品のいい話じゃないんですけど、そもそもお上品な業界とは言い難いですしね。チンピラでも実力があれば重宝される世界ですし、そういうものなんだということを新人に思い知ってもらう意味でも、冒険者同士の間で完結する限りにおいて黙認されています。周囲の先輩達に、新人の能力傾向を見定める機会にもなりますし、そこからチームにスカウトされることも多いんですよ』

 

 ナーベラルは受付嬢の台詞を思い出す。

 

『理想的な対応としては、素手で上手にあしらってください。私のラ――あなたならきっと大丈夫だとは思いますが。武器や魔法の使用は厳禁です、処罰対象……プレートの剥奪もありえます。え、相手が抜いたら?あはは、そんなことはまずありえませんけど、それは組合が黙認してる範囲を明らかに逸脱しますので、相手の方が処罰対象ですね。町中で刃物を振り回してる強盗を見かけたのと同じ扱いで結構ですよ。そんなことありえませんけど』

 

「どうしたぁ?何か言いたいことがあるのかい新人さん?」

 

 (アイアン)プレートを首に下げた男が下卑た声で話しかけてくるのを、ナーベラルは無感動に眺める。

 

(えーと、素手であしらえばいいんだっけ)

 

 そうして。ナーベラルは差し出された男の足の甲を踏み潰した(・・・・・)

 一瞬の沈黙。

 次の瞬間、男の上げた絶叫に、周囲の視線が集中した。

 

 普通に考えれば、足の甲まで覆われたグリーブを履いているのに、踏んづけられたくらいでそのような悲鳴を上げる道理はない。実際には装甲板が変形してめり込むほどの衝撃を受けたその男は、普通にグリーブを脱ぐこともできなくなり、粉砕骨折した足の骨に伝わる衝撃に泣きわめきながらグリーブを破壊して取り外す羽目に陥ることとなったのだが。だが、それは彼らの中ではかなりマシな末路であった。

 

 まさかそのようなことが起きたとは思わず、そういう方向性の演技で行くものと早合点した連れの男達がナーベラルに文句をつけるために立ち上がろうとする。立ち上がろうとした男の一人が次の瞬間目にしたものは、握り拳を思いきり振りかぶったナーベラルの姿であった。

 見え見えのテレフォンパンチながら恐るべき速度で放たれたその鉄拳に全く反応できず、ナーベラルの拳が男の顔面に文字通りめり込んだ(・・・・・)。ギャグ漫画ならぽこんと音を立てて戻ったかもしれないが、そうでない以上それはちょっとしたスプラッタである。鼻骨・頬骨・上顎辺りの骨を陥没させられてもんどりうった男は吹っ飛んで転がり、そのまま痙攣して動かなくなる。回復魔法を掛けなければ再起不能間違いなしの惨状であった。そして男に高価な高位魔法を依頼するための持ち合わせはない。

 

「て、てめぇ……!!」

 

 二人目が犠牲になっている間に立ち上がることに成功した三人目の男が叫ぼうとしたところに振り返ると、間髪入れずにナーベラルは男に蹴りを叩き込む。別に狙い澄ましたわけではないのだが、位置関係の妙から丁度男の股間に吸い込まれたナーベラルのキックは、ハムスケ風にいうならば「生物として合格するチャンス」を永遠に奪い去った。白目をむいた男が泡を吹いて崩れ落ちる。

 

「ひ、ひぃっ……!」

 

 後に周囲の目撃者は語った。確かに抜いた(・・・)のはあの男が先だった。ただし、それはどう見ても恐怖に駆られてのことだったと。

 ほぼ一瞬のうちにメンバーの三人を戦闘不能に追い込まれたチームのリーダーは、ナーベラルの視線を受けて恐慌状態に陥り、混乱のうちに選択したのは愛剣の手応えに縋ることだった。ただしそれは、最も愚かな行為だったと言える。

 リーダーが抜刀したのを受け、驚愕の光景に唖然としていた周囲のうち幾人かが反応を見せる。だがそれも、あまりにも手遅れだった。

 

(抜いた……つまり、加減しなくていいってことよね)

 

 そう考えたナーベラルがリーダーを指さす。リーダーが何か反応するより前に、ナーベラルの唇から呪文が紡がれる。

 

<風刃>(エア・スラッシュ)

 

 その瞬間ナーベラルの指先から生み出された風の刃が男の首筋に向かって走り、頸動脈を綺麗に切断する。ぽかんとした男の首から鮮血が噴水のように噴き出し、壁と床と机と椅子と、比較的近くに座って呆然としていた冒険者の衣服に赤いシミを作った。

 

 最後の男がその場に倒れ伏すと、地獄のような沈黙が場を満たした。

 その場の誰もが衝撃の展開に思考力を奪われ、次の行動を起こせずにいる中、ナーベラルの後方からミシミシと床板を踏みしめる音がした。

 後ろからライバルのお手並みを拝見しようと見物を決め込んでいた受付嬢が、顔面を真っ青にさせ、口をぱくぱく開閉させながらよろめくように歩み寄ってくるのを見ると、ナーベラルは振り返って言った。

 

「あら、さっきはどうも。……おかげでうまく対応できた(・・・・・・・・・・・・)わ」

 

 その言葉に愕然とした周囲の視線が受付嬢に集中する。驚愕の視線でハリネズミのように全身を串刺しにされた受付嬢は、ナーベラルを見、その場に転がる男達を見。酸欠の金魚のように口を開閉させ、ぷるぷると身震いしてから絶叫した。

 

「ひ、ひ……人聞きの悪いことを言うなぁあああああああ――――――――――!!」

 

 

 




 ナーベラルが一人で来たならあの人を出張させざるを得ない。
 ちょっと順調に成長しすぎかなと思うんでポンコツ成分を投入( ´∀`)

12/22 誤字修正。


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第十七話:冒険者組合長とテンプレ展開の後始末

 
 前回のあらすじ:ヒャッハーッ!異世界転移テンプレだー!
 ポンコツ娘「上手に捌けたわ!」(ドヤァ)
 受付嬢「」



 ハムスケが通行人の耳目を集めながら組合に行くと、まずはハムスケを登録することになった。担当の組合員が何故かダブル・バイセップスだのサイドチェストだの珍妙なポージングを決めてドヤ顔するハムスケに困惑しながらスケッチを行う間、ナーベラルは冒険者登録に伴う基本事項の講習を受けるため受付嬢に連れられて別室に消えた。ンフィーレアと「漆黒の剣」の面々はクエストの完了手続きと、(ハムスケが討伐した)モンスターの討伐証明部位を提出して討伐報酬の申請を行うことになった。

 

 余ったエンリとネムは、ンフィーレアに小会議室に案内され、その中で適当に時間を潰しつつ待つことになった。この部屋はクエスト発注者なら無料で借りられるようになっている。まあ、エンリはともかく、ネムはエ・ランテルを訪れるのが初めてのため、目にする物全てが珍しい様子で周囲をきょろきょろ見回している。暇つぶしに困ると言うことはないだろう。

 

 程なく、ノックの音もそこそこに、ンフィーレアと漆黒の剣の四人が連れ立って入室してきた。

 

「やあ、エンリ、ネム。お待たせ」

 

 そう言ってみんなでぞろぞろとテーブルにつく。

 

「いやー、今回は結構な臨時収入になりそうだな」

 

「そうですね……でも、いいんですかね?討伐報酬の八割は本来ハムスケさんが倒した魔物のものだし、追加報酬だってハムスケさんの案内で貴重な薬草が収集できた訳ですし……」

 

 嬉しそうにほくほく顔のルクルットが言うと、ニニャが後ろめたそうに応じる。漆黒の剣が討伐したモンスターは行きに街道で出会った小鬼(ゴブリン)十匹と人食い大鬼(オーガ)三匹であったが、ハムスケがカルネ村で適当に狩っていたモンスターが加わって討伐報酬はその三倍に達する見込みであった。

 更に、ハムスケの案内で今まで侵入者が例外なく殺されていた人跡未踏の森の賢王の縄張り内を歩き回り、貴重な薬草類を大量に入手できたンフィーレアが喜んで追加報酬を約束した経緯がある。

 これらの事情を考えれば、棚ボタで臨時収入が降って沸いたような物で、ニニャがいささか後ろめたくなる気持ちもわからないではない。

 

「ニニャは小市m……律儀ですね。正直に話をして、折半で構わないって許可を貰ったんだから、蒸し返す方がガンマさんだって鬱陶しがるでしょうに」

 

「まあ、そこがニニャのいいところである!」

 

 モンスターを討伐すると組合から報奨金が出る、ハムスケが殺した死体をただ放置しておくのは勿体ない――そう聞いたナーベラルの反応は、実に淡泊だった。「ふーん、じゃああなた達が持ってっていいわよ。私まだ冒険者じゃないし」流石にそれはないだろうと思ったペテル達と問答した結果、情報料と剥ぎ取りの手間賃ということで折半でいいという話になった。

 

「だいたいハムスケが倒したモンスターの報奨金全部貰ったとしても、ガンマちゃんにしてみれば端金だろ-?そりゃ気前も良くなるって。くれるって言うんだから貰っとけばいいのに」

 

「まあ、金貨の詰まった袋を受け取ってましたからね……いつかはあんな報酬を受け取れる冒険者になりたいものです」

 

「それはそうですけど、最低限守るべき仁義というものはあります。そこを忘れたら冒険者なんて単なるゴロツキですよ」

 

「ふふ、ニニャらしいであるな」

 

 そのとき、彼方からくぐもった悲鳴のような音が響いてきた。精神的外傷(トラウマ)を刺激されたエモット姉妹が思わずびくりと身体を震わせる。不安そうに抱きついてくるネムを抱きしめて、エンリが言った。

 

「い、今のはなんでしょう……?」

 

「さあ、悲鳴のようにも聞こえましたが……こんなところで?」

 

 ニニャが不思議そうに周囲を見回す。屋内の狭い小部屋なので、外の様子はちょっと分からない。

 すると、今度は人間の、女性の叫び声のようなものが聞こえてきた。ネムがエンリを抱きしめる腕に力が入る。妹の頭を撫でてなだめつつも、エンリ自身も不安の色を隠せない。

 

「叫び声、ですよね今の……」

 

「どうも、何か騒ぎがあったみたいだな」

 

 ルクルットが相槌を打つと、ダインも無言で頷いた。

 

「ちょっと外の様子を見てきます。みんなはここでバレアレさん達と居てくれ」

 

 ペテルはそう言って席を立つと、何が起こったのか確かめるために部屋の外へ出ると周囲を見回した。依頼募集掲示板の方に人だかりができているのが見え、そちらに向かおうとすると慌てた様子の組合職員に止められた。

 

「すいませんが、今少し取り込み中でして、この先はご遠慮願います」

 

「……?私は見ての通りの冒険者ですが、依頼票の確認をしに行くことすらできないんですか?」

 

 戸惑った顔で問いかけるペテルに、職員は額の汗を拭きながら焦った声で言う。

 

「いえ、とにかく、今は、駄目です。すぐに片付けますので少々お待ちください」

 

「片付ける……?大体、向こうにも私と同じ冒険者が大勢居るじゃないですか。彼らと私では何か違いがあるのですか?」

 

「いえ、その、駄目なものは駄目でして、本当にすぐ済みますので、どうか」

 

 道理の通らないことを言っているのは相手の方だが、ひたすら焦って挙動不審になったその様子を見ると、まるで自分が虐めているように思えてくる。ペテルは職員への追及を諦めて、周囲の様子を窺った。

 

(わずかに血の匂い、必死で清掃する職員、不安そうなざわめき……乱闘騒ぎが流血沙汰にまで及んだというところか……?)

 

 ペテルはいったん部屋の中に戻ると、何が起こったのかと聞かれて答えた。

 

「組合側がおおっぴらにしたくないみたいでよくわからないんですが、どうも流血沙汰が起こったらしいですね。血の気の多い奴が多い業界ですから、喧嘩も決して珍しくはないのですが……血を見る羽目になることはめったにないんですけどねえ」

 

 今急いで後始末して場を取り繕おうとしているみたいですから、騒ぎ自体は沈静化してる筈なんでもう少し様子を見ましょうか、そういってペテルは席に着いた。

 

 

 

「――状況は大体分かった。周囲の目撃証言とも一致し、疑問の余地はない」

 

 たくましい体格をもち、歴戦の戦士の風格を漂わせる壮年の男性はそう言ってため息をついた。彼の名はプルトン・アインザック。エ・ランテルの冒険者組合支部で組合長を務める、いわば組合の代表だ。

 執務席をはさんで反対に立つのはナーベラル。応接用の長椅子に受付嬢が寝かされている。彼女は先程、事情聴取中にオーバーヒートを起こしてダウンした。

 

「そう、それは結構ね。だったらもう行ってもいいかしら、人を待たせているのだけど」

 

 そう言って首を傾げるナーベラルを、アインザックは忌々しげに睨み付ける。フードを下ろした時には衝撃で言葉を失った程の美貌も、今この状況下では憎たらしさすら感じるのだ。

 

「今私が感じているやるせなさを、君に伝える方法があればなあと思わずには居られんよ。なんというか、こう……もう少し手心は加えられなかったのか?」

 

 冒険者の慣習の範囲内でちょっかいをかけてきた四人組に対し、一人一撃ずつ素手で反撃を加えていった。最後の一人が武器を抜いたから、魔法で応戦して殺した。

 表面上の筋は通っているように見えるが、目撃者の証言や感想を聞き取る限り実際の状況とはかなりの落差がある。落差はあるが、それをもって彼女の過失と言える程のものではない。結果、彼女の行動を咎められないことに対しもやもやしたものがアインザックの胸を掻き回す。それがお前に良心はないのか、とでも言いたそうな質問となって口から飛び出した。

 

「冒険者というのはモンスター退治の専門家と聞いていたのだけど……まさか、あんなに貧弱だとは思わなかったわ」

 

 ちなみに嘘である。ナーベラルは既に、この世界の人間がどれほど貧弱な存在であるか十分に知っている。

 だが、アインザックにそれを指摘することはできない。魔法詠唱者(マジック・キャスター)が一発ひっぱたいたら再起不能になる戦士とかお笑いぐさだ。そのように言われれば返す言葉もない。

 

「……だが、四人目はどうなのだ。何も殺さずとも、君の実力なら簡単に無力化できたのではないか?」

 

「……抜刀した時点で殺し合いでしょう。生け捕りにしようと舐めてかかった挙げ句、反撃で殺されるようなリスクを負わなければいけない理由があるのかしら」

 

 その返答を聞いて、アインザックは話が通じないというか、相手が正論という名の建前を並べる以外のことをする気がないのを理解した。右手で頭髪をぐしゃぐしゃと掻き回すと、再び大きなため息をついて言う。

 

「わかった、とりあえず今日のところは帰って貰って結構だ。だが勘違いするなよ?私は納得したわけではないからな。この件はよく検討し直してから蒸し返されることもあり得ると覚えておいて貰おう」

 

「……わかった、覚えておくわ」

 

 ちっとも覚えておく気がなさそうな態度でナーベラルが答え、踵を返して退出する。アインザックは三度ため息をつくと、がつんと机に額を押し当てて突っ伏した。

 

「……よかれと思って黙認されてきた慣習も、こうなると問題にすべきなのか……」

 

 ちなみにこの日以降、エ・ランテル冒険者組合における新人冒険者への「洗礼」は、禁止するまでもなく完全に廃れることとなる。やろうとする奴が居なくなったためだ。悪習ながら、新人にとって良い経験になるということも事実であったため、そのことがこれ以降の新人にとって手放しで良いことであるとは言い切れなかったのだが。

 

 

 ナーベラルが組合長の執務室を退出し、今度は誰にも邪魔されないどころか、どこぞの預言者の如く人混みを自然に分かれさせながら歩いていく。受付でンフィーレアの借りた部屋の位置を確認すると、そこに向かって到着するなりノックした。「どうぞ」との声を受けてドアを開き、中に入る。連れの全員が揃っているのが目に入った。ただしハムスケを除く。

 

「終わったわ」

 

「お疲れ様です、ガンマさん。……さっき何か奥で騒ぎがあったみたいなんですけど、何が起こったか御存知ですか?」

 

 ペテルがそう口にすると、ナーベラルは少し考えてから答えた。

 

「さあ、別に変わったこと(・・・・・・)はなかったけど」

 

 後日、噂を耳にした漆黒の剣の面子がドン引きすることになるのだが、この時の彼女に嘘を吐いたつもりはない。

 

「そうですか……あれ、(カッパー)プレートなんですか?」

 

 ナーベラルの手に提げられた銅製の認識票(ドッグタグ)を目にし、ンフィーレアが不思議そうに言った。

 第三位階の魔法詠唱者(マジック・キャスター)であればそれだけで白金(プラチナ)ランクが保証される。ペテル達が冒険者組合への登録の話をした際、そういう話が出ていたはずだったので、(カッパー)のプレートであることに疑問を覚えたのだ。

 

「ああ、それは明日にしたわ。そういう手続きって何かと煩雑で、時間のかかるものでしょ。もう日暮れなのに、これからあんたの家まで行って荷物下ろして、それから宿探しとか、下手したら泊まれないじゃない」

 

 ナーベラルの予想では、組合全体が蜂の巣をつついたような騒ぎになる筈であった。それを聞いたエンリが意外そうに呟く。

 

「ちゃんと荷下ろしまでつきあってくれるつもりなんだ……」

 

 ナーベラルがじろっとエンリを見ると、エンリはさっと目を逸らした。ンフィーレアはそれをかばうように慌てて口を開く。

 

「そんな、ガンマさんはうちに泊まって貰って結構ですよ?なんといってもエンリとネムの命の恩人なんですから、エ・ランテルに居る間ずっと滞在してくれて構いません」

 

 それを聞くと、少し間を置いてナーベラルはぽつりと呟いた。

 

「……あなたの家。壁は厚いのかしら?」

 

「え?普通だと思いますが、それはどういう……」

 

 意味ありげにンフィーレアとエンリを交互に目配せして見せたナーベラルの仕草に、何を言われているのか理解するにつれ二人の顔がだんだん真っ赤に染まっていく。

 

「ガ、ガガガガガンマさんっ!?」

 

「……冗談よ」

 

 まさかナーベラルにそんな冗談を言われるとは思っても見なかったンフィーレアの声がひっくり返る。「え、それってどういうこと?」と問いかけるネムの頭をぐしゃぐしゃと掻き回しながら「な、なんでもない!何でもないのよ!」と叫ぶエンリ。それを見てナーベラルの頬が少し、ほんの少しだけ緩んだ。

 

「結婚しよ」

 

 それを見たルクルットが思わず呟いたが、ナーベラルはそれを完全に無視した。

 

 

 組合の外に出てハムスケと合流した一行が、ンフィーレアの家に到着した頃には完全に日が暮れ、宵闇が広がっていた。魔法の明かりを灯したランタンで暗闇を追い払うと、馬とハムスケを納屋に案内し、みんなで薬草を貯蔵庫に下ろしていく。

 

「おばあちゃんは居ないのかな?今回は大事な話があるんだけど……」

 

 ンフィーレアが不思議そうに呟く。自分の作業に没頭して聞こえてないのかもしれないし、こんな時間だがまだ出かけているのかもしれない。高齢とは言えまだまだ元気なので、そういう心配は要らないとは思うが。大事な報告をするのに心の準備が必要なので、居ないならそれでいいのかもしれない。

 

「とりあえず、果実水が母屋に冷やしてありますので、皆さん飲んでいってください」

 

 そう声を掛けて一同を母屋に案内しようとすると、向こう側から扉が開いた。

 

「はーい。お帰りなさーい」

 

 肩口の上で短めに切り揃えられた金髪の女が言った。可愛らしいと言ってもいい顔立ちだが、どこか不安を感じさせるようなねっとりとした目つきでンフィーレアを見る。

 

「待ってたんだよー?」

 

 元漆黒聖典第九席次の女戦士――クレマンティーヌは露出の大きいスケイルメイルをちゃらちゃらと鳴らしながら、そう言って唇の端をにいいっと吊り上げ、不気味な笑みを浮かべた。

 

 




 さあクレマン……ゲフンゲフン、ンフィーレアの運命や如何に!(棒)

 あれおかしいな……デレの方も一段階進めとこうと思っただけなのに、直前のイベントと合わせるとサイコパスっぷりが強調されるだけに思えてきたぞ( ´∀`)



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第十八話:クレマンティーヌとカジット

 
 クレマンティーヌ
 原作ではガチのキチガイで度し難い悪役なのだが……アニメ化で獲得したコアな人気という名の翼を持って、ニグン=サンが捕らわれた触より酷い逃れられない死の運命からあっさり飛び立って見せたマルチ芸人。
 性根をたたき直されて改心したり、修行して強くなったり、金的でお手軽にレベルアップしたり、ヒロインになったり、若返って性奴隷になったり、猫耳生やして萌え路線を追求したり、別の人生を追体験する力を持った主人公になったりとその人生は波瀾万丈であり、運命の分岐本数はオーバーロード二次界隈で間違いなくトップ。今も新規路線の開拓に余念がないと思われる。
 ……ただしこのSSでの扱いは極めてシンプル。

 前回のあらすじ:
アインザック「おかしいだろ!?異世界転移テンプレだというならチンピラをもっと綺麗にあしらって、周囲の賞賛の視線が集まる中私が実力を見込んでミスリル辺りに推薦しようかと言ったら相手の方が目立ちたくないから今は遠慮しとくとかそういう……!!」
ガゼフ「まあまあ胃薬どうぞ^^」



 最初に反応したのはナーベラルだった。

 ンフィーレアの襟首をひっつかみ、猫の子のように軽々と後ろに投げつける。ぐぇっと悲鳴を上げながら飛んできたンフィーレアを、ペテルが慌てて抱き留めた。

 

「が、ガンマさん?」

 

「逃げろ!さっさと!!」

 

 そのまま抜刀して構えるナーベラルを見て、クレマンティーヌは笑みを深くする。

 

「んー、いい反応じゃん(カッパー)にしては。顔もめっちゃ好み。すっげえ壊したくなっちゃう。手足もいで(はらわた)引きずり出して口に詰め込んだらその綺麗な顔にどんな絶望が広がるのかおねーさん見てみたいなー」

 

 そう言いながらスティレットを取り出すクレマンティーヌを目にし、ようやく事態を把握した漆黒の剣の面々も慌てて武器を構える。

 

「邪魔よ!足手まといを連れて失せろ!」

 

 だがナーベラルが一喝すると、漆黒の剣の面子は緊張した視線を交わし合った。狭い屋内ということもあり、数が必ずしも有利になるとは限らない。そして三人の非戦闘員という弱点を抱えてはハンデになる。つまり、ここは従うが上策との判断で、ペテル達はンフィーレア達を囲んで外に向かう。わりとどうでもいいが、「漆黒の剣」自体が足手まといだと言わなかったあたり、ナーベラルも少しは丸くなっているのかもしれない。

 

「んん、変なの?(シルバー)(カッパー)に従ってるよ」

 

 クレマンティーヌは怪訝そうな顔をしたが、すぐににんまりと笑った。

 

「でもねえ……ざーんねんでしたー」

 

 ペテル達が向かった先の扉から、病的に白くミイラのように細い魔法詠唱者(マジック・キャスター)が姿を見せる。

 カジット・デイル・バダンテール。秘密結社ズーラーノーンの幹部「十二高弟」の一人である。ンフィーレアの異能(タレント)に目をつけて、それを悪用すべく攫いに来たのであった。

 

「……遊ぶのは程ほどにしろ。獲物を捕らえて次の段階に移行せねばならん」

 

 ナーベラルは舌打ちすると、立て続けに魔法を起動する。<鎧強化>(リーン・フォースアーマー)<盾壁>(シールドウォール)<打撃力強化>(ストライキング)<韋駄天>(ヘイスト)、……それを目にしたクレマンティーヌは、腹を抱えて笑い出した。

 

「きゃはっ、何それ何それ!?剣持って自分に強化魔法とか、魔法剣士ってやつのつもり!?駄目だ、笑い死ぬ!今年一番のジョークだわぁくひひひひ!!」

 

 それを目にしたカジットがため息をつく。クレマンティーヌのムラっ気は今に始まったことではない。かくなる上は自分が手早く目の前で立ちすくんでいる雑魚を処理し、対象を確保するしかないだろう。

 クレマンティーヌが笑うのにもそれなりの道理がある。普通、戦士が強化魔法をかけようと思うなら仲間に頼む。強化魔法を習得するくらいならその分も戦士としての修練を積み、能力強化系の武技を習得する方が余程お得だ。

 だがまあ。勿論魔法剣士なんてものになった覚えのないナーベラルにはその嘲笑は響かない。勝手に決めつけて勝手に笑って、滑稽なことである。

 

「<疾風走破><超回避><能力向上>……これで強化魔法で詰めた差分くらいはまた開いたよぉ?ねぇどんな気持ち……おおっと」

 

 戯れ言を無視してナーベラルが切り込むと、クレマンティーヌは真面目な顔に戻って応戦する。あるいは受けて、あるいは躱す。クレマンティーヌがニヤニヤ笑う。

 

「おおっ?意外、剣捌きはまだまだ素人だけど、(カッパー)とは思えない身体能力だねぇ。ま、私には及ばんけどさあ。残念だねえ、魔法の分も修行してれば、私の領域まで近づけたかもよ?」

 

 クレマンティーヌが反撃する。繰り出される鋭い突きの数々を、剣で逸らし、避ける。避けきれなかった一撃が魔法の鎧に止められる。二撃、三撃……ナーベラルの体から血が噴き出す。かすり傷だ、今のところは。ナーベラルの技術というよりは、相手が手を抜いている――遊んでいるのが感じられる。

 現状は芳しくない。狭いし、近い。何重もの意味で攻撃魔法の行使が躊躇われる。かといって純粋な剣技では、ナーベラルの技量は相手に及ばない。格下とは言っても、クレマンティーヌのレベルはナーベラルの三分の一よりは強い位置に達している。これまで見た中で言うと、王国戦士長に匹敵するだろう。つまり、近接戦闘の技量は遠く及ばず、身体能力でも下回るナーベラルには本来接近戦での勝ち目はないということだ。現状余裕ぶって遊んでいるが、そうこうしてるうちにも漆黒の剣の面々が現在進行形で蹴散らされつつある。時間がない。

 

<ハムスケ!まだ!?>

 

「お待たせでござる姫!!ハムスケ、推参!!!」

 

 その時、<伝言>(メッセージ)で呼びつけたハムスケが、ナーベラルの指示に従い、表に通じるドアを周りの壁ごとぶち抜いて突っ込んできた。

 

「なっ……」

 

 突然の乱入に虚を突かれたカジットが、背後から吹っ飛んできたドアを躱すこともできず押し潰される。実際に潰れはしないだろうが、それは明確な隙だ。といっても、ナーベラルが以心伝心なのはハムスケだけ、漆黒の剣側も驚愕するし、既に負わされた怪我でとっさに反応できない。身を寄せ合って震えている一般人三名は尚更である。

 だからナーベラルは魔法を行使する。

 

「……!させっか、よ!!」

 

 クレマンティーヌは甘くない。ナーベラルが魔法を行使する気配に素早く反応すると、余裕の態度をかなぐり捨てて必殺の突きを繰り出す。カジットがピンチであると見て、遊び心を放り出したのだ。これは勿論麗しい友情などではなく、今ここで、儀式の完成前にカジットが害されるのはクレマンティーヌとて困るのである。カジットには盛大な花火を上げて貰って、せいぜい目くらましになって貰わねばならないのだ。

 それに対するナーベラル、とっさに空いた左手でクレマンティーヌの突きを受け止めた。細身のスティレットが手のひらを貫通する。上がる血しぶきに顔色も変えず、刺さったスティレットを握り込むと、右手の剣を投げ捨てるや空いた右手を後方――()()()()()突きつける。

 

<魔法最強化(マキシマイズマジック)()空圧波>(エアロ・バースト)

 

「「「うおあああああああ!?」」」

 

 叩きつけられた空気圧の塊が爆裂し、室内に突風を巻き起こす。局地的に巻き起こった暴風が、棚に並べられた薬草の箱・壺・瓶といった貯蔵品をなぎ倒し、カジットに倒れ込んだドアの残骸を押さえつけ、そして漆黒の剣の面々とンフィーレア達を文字通り吹き飛ばし、あるいは転がして、家の外まで押し出した。屋内にこだました皆の悲鳴が、屋外に遠ざかっていく。

 直接当てないように一応気を遣ったとは言え、味方に攻撃魔法をぶちかますという大胆極まる策で、足手まといを敵から引きはがすことに成功した。別に味方に被害が出てもいいじゃないと思ったからかどうかは、ナーベラル本人の胸の裡にしまいこまれた。

 

「ハムスケ!」

 

「合点!!」

 

 それと同時に、四肢を踏ん張って突風に耐えるハムスケの尻尾が鋭く伸び、クレマンティーヌはとっさの判断でナーベラルに刺さったスティレットを手放して飛び下がった。スティレットに封じられた魔法による追撃も、スティレット自体の確保も潔く諦めての判断は、流石に歴戦の戦士である。

 

「なんだこいつは……!!」

 

 敵の援軍として現れた屈強な魔獣を生半可な敵ではないと判断し、クレマンティーヌは遊び心を完全に投げ捨てる。ナーベラルが投げ捨てた剣を素早く拾い、もう一本のスティレットと併せて大小二刀流の構えを取る。

 

「へぇ、特に魔法とかはかかってなさそうだけど、中々の……いや、凄え業物じゃん?どこで手に入れたのさこんなもん」

 

「ハムスケ、牽制!!」

 

「お任せあれでござる!」

 

 しかしこの時既にナーベラルの眼中にクレマンティーヌの姿はない。時間稼ぎを任されたハムスケは、(棚がなぎ倒されて多少は広くなったとは言え)狭い屋内で器用に尻尾で攻撃し、クレマンティーヌを後退させる。その間に、ナーベラルは<次元の移動>(ディメンジョナル・ムーブ)で、ようやくドアを押しのけて体勢を整えたカジットの背後に現れた。

 

「しまっ……!!カジッちゃん後ろ!!」

 

 クレマンティーヌの絶叫にカジットが身をよじると同時、ナーベラルは左手から引き抜いたスティレットをカジットの胸に突き立てた。

 

「が……」

 

 大層な背景も、悲惨な過去も、遠大な大望も知られることなく。

 こうしてカジット・デイル・バダンデールは漆黒の剣(銀プレート)に多少の怪我を負わせたことだけを戦果に、呆気なく死んだ。

 

「くそ、てめぇこの……!!」

 

 クレマンティーヌの口から罵声が漏れる。目的を果たすことなくカジットが死んだ瞬間、彼女の計画はおしゃかになったのだ。カジットがエ・ランテルを死の都市に変え、その混乱で追っ手を撒く。彼女の目算などその程度の、大雑把な代わりにいくらでも融通が利く筈のものであったのに。

 

「第三位階……!!魔法剣士気取りの馬鹿、じゃない……!!」

 

 馬鹿は私の方か、と呻くクレマンティーヌ。目の前の女は一流半の戦士などではない。一流の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。魔法詠唱者(マジック・キャスター)は間合いを詰められると弱い。クレマンティーヌ流に言えば「スッと行ってドス」で終わりだ、先程のカジットのように。故に一流の魔法詠唱者(マジック・キャスター)は、当然接近されたときの対策を持っている。大概は<飛行>(フライ)<次元の移動>(ディメンジョナル・ムーブ)でとにかく距離を取る、といった手順のパターン化だが……

 戦士としてみれば一流に届かぬ雑魚。そう思った人物の剣技が、実は魔法詠唱者(マジック・キャスター)の護身術に過ぎなかったとしたら、その人物の魔法の腕はどれほどのものなのか。クレマンティーヌの背筋を悪寒が駆け抜け、恥も外聞も後先も捨てて一目散に逃げるべきだ、との直感が浮かぶ。

 だが既に手遅れだ。距離は離れ、前衛(ハムスケ)を挟み、足手まといは逃がした。ナーベラルは後三手で決めるとの目算を立てる。

 

<二重最強化(ツインマキシマイズマジック)()魔法の矢>(マジック・アロー)

 

「ちょ、おま」

 

 次の瞬間ナーベラルの頭上に浮かび上がった十二発の光弾を目にし、クレマンティーヌが口を大きく開いて愕然とする。

 

(<流水加速>!いや、くそ、この魔法は……!!)

 

 反射的に武技で加速し、回避性能を向上させたクレマンティーヌであったが、<魔法の矢>(マジック・アロー)で生み出された光球は、物理的手段では防御も回避も不可能な必中攻撃である。

 その分一発あたりの威力は軽く、クレマンティーヌ程の手練れであれば耐えることは容易い筈であった。しかし、片方毎に六発ずつ、両の足首に重ねるように着弾して炸裂した光弾は。反射的に回避行動をとりつつも、痛みに備えて歯を食いしばった彼女の覚悟を凌駕する激痛を与え、バランスを崩したクレマンティーヌはそのまま床面に転がった。

 苦悶に顔を歪めながらも、慌てて上体を起こしたクレマンティーヌが立ち上がるよりも早く、ナーベラルの追撃が彼女を襲う。

 

<範囲拡大化(ワイデンマジック)()電撃網>(ライトニング・バインド)

 

 ナーベラルの右手から放たれた光の網が、床に伏したクレマンティーヌの視界を埋め尽くす。その綱の一本一本が、電撃で構成された雷の網である。麻痺の追加効果には抵抗したものの、クレマンティーヌの体が反り返り、その顔が激痛に歪む。

 

「これでお終い……<二重最強化(ツインマキシマイズマジック)()龍雷>(ドラゴン・ライトニング)

 

 己に殺到する二頭の雷の龍を目にし、網に絡め取られて動くことも敵わぬクレマンティーヌが最期に浮かべたのは絶望の表情であった。

 

 

 打ち身と擦り傷に悶絶しながらンフィーレアがどうにか立ち上がり、エンリとネムに手を貸して立ち上がらせたところ、その眩い輝きが宵闇を切り裂いて周囲を白く染め上げた。

 同じくボロボロになりながらも立ち上がったペテルの先導で、壊れた壁から家の中をおそるおそる覗き込んだ一同は。

 

(やっべ、これやりすぎたかもしれん)

 

 足下に襲撃者の死体を転がして。いつもの仏頂面ながらもどこか焦りを感じさせるナーベラルが、(主にナーベラルの魔法で)惨憺たる有様になった倉庫内をおろおろと見回しているのを目撃することになった。

 

 

 




 ・倉庫の壁とドア……全面補修
 ・貯蔵品の薬草……拾い集めれば半分以上無事
 ・棚と梱包材……買い直し
 ・ンフィーレアの命……プライスレス( ´∀`)

12/25
魔法の矢って回避不可能じゃね、
という指摘を頂いた気がしたので戦闘内容を少々修正。
1/3
脱字修正。



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第十九話:後始末と昇格

 
 前回のあらすじ:
 死の宝珠「我々の出番はキャンセルされました」
 不死者の軍勢「(´・ω・`)ソンナー」



 その後は大騒ぎになった。

 大規模な破壊音にまず野次馬、ついで衛兵が駆けつけてきて、事情を聴取されることとなり、ンフィーレア達は対応に追われた。

 一人の例外もなく怪我人だらけだったので、衛兵は簡単な状況――つまり、ンフィーレア達が被害者であることを確認すると、本格的な調査は明日にするから怪我の手当をするように言ってくれたので、ンフィーレアの治癒薬(ポーション)とダインの回復魔法で簡単な手当を施していると、ようやく祖母のリイジー・バレアレが帰宅した。

 無論、今日ばかりは遅くなって運が良かったと言わざるを得ない。普通に自室に籠もって錬金術に励んでいたら、再会した時は死体になっていた公算が高い、あのキチ女(クレマンティーヌ)を思い起こしながらンフィーレアはそう考える。

 

 店は控えめに言って大損害を受けた。倉庫の薬草が半分駄目になり(あの惨状で半分助かったのは僥倖ではある)、棚・箱・壺・瓶などの家具と容器がほぼ全損。倉庫の壁は(ハムスケに)粉砕され、ドアも歪んで買い直した方が早い有様である。

 さしものナーベラルが、少し気まずそうに「……悪かったわね」と一言謝罪をしたところ、リイジーは笑ってこう言った。

 

「なんの、孫を助けてくれた恩人に、そんなことで非難するような恩知らずじゃないよわしは。お前さんだって酷い怪我じゃないか、手段を選ぶ余裕もなかったんじゃろ?」

 

 はてさて、本当に余裕がなかったのかどうかはナーベラルのみぞ知る。ンフィーレアにも気にしないでいいですよと言われたので、左手に巻いた包帯から薬草の匂いを漂わせながら、彼女は頷いてそれきり黙った。ちなみにそれ以外のかすり傷はダインが癒してくれた。

 非戦闘員三人の打ち身は本当は手当も要らない程度の軽傷で済んだものの、漆黒の剣の面子はカジットに負わされた怪我で結構ボロボロである。店がこんな大損害を受けた状態で追加報酬を貰っていいものか、例によってニニャが疑問を呈したが、それとこれとは無関係だし、むしろ巻き込んで申し訳なかったから是非受け取ってくれとンフィーレアが言い、リイジーも同意したのでそういうことになった。

 漆黒の剣がその場を辞して宿に戻ると。

 

「さて、そちらの娘っこはどうしたのかね?」

 

 とうとう来るべき質問が来て、ンフィーレアが緊張に唾を飲み込んだ。心配そうな眼差しのエンリに頷いて見せると、息を整える。

 

「おばあちゃんにも話はしたことあるでしょ、彼女がカルネ村に住んでたエモット家のエンリと、妹のネムだよ。カルネ村でも先日ちょっとした大事件があって、ご両親が亡くなってしまったんだ」

 

「なんと……それは気の毒になあ」

 

 リイジーが哀悼の意を表すると、エンリは謝意を返した。

 

「そこを助けてくれたのがガンマさんで、彼女が居なければみんな殺されてたかもしれないんだ。それで……おばあちゃん、僕はエンリを嫁に迎えたい。その為に連れて帰ってきたんだ」

 

 意を決してンフィーレアが言うと、リイジーは孫とその恋人の顔を順番に見て沈黙し、やがて破顔して頷いた。

 

「ん、そうか……エンリさんや、孫のことを宜しく頼むよ」

 

「は、はいっ」

 

 エンリは緊張しながら答えたが、話はとんとん拍子で進んだ。孤児になってしまうネムを家で引き取ることも、全員の恩人のナーベラルを泊めることも、鷹揚に受け入れるリイジー。

 

「さてさて、賑やかになるのう。部屋が足りるかな」

 

 そう言いながらも、楽しそうに受け入れ準備を整えていく。明日にはちゃんとするにしても、家具や寝具の都合で、今晩は新規の三人が客間で寝ることになった。

 ちなみに穴が空いた倉庫にはハムスケを配置した。寝ながらでも警戒できるので不寝番にはもってこいというわけである。

 

 

 翌日。家の修理に家具の手配、緊急の仕入れとやることが山積みで大わらわのバレアレ家を出ると、ナーベラルはまず役所に向かった。

 フードを下ろした胡散臭い(カッパー)の冒険者に訝しげな視線を向けて何かご用ですかと問う受付嬢に、ガゼフから預かった手紙を二通放る。受け取った受付嬢が宛名と差出人を見て目を白黒させるのに目もくれず振り返ると、慌てた調子で呼び止める声をガン無視してその場を後にした。彼女的にはこれで頼まれた仕事を済ませたことになる。

 

 次に向かったのは冒険者組合である。昨夜の事件について、事情を聴取するために呼び出されて居たのだ。

 組合のエントランスをくぐると、ガタン、という音がした。ナーベラルが音のした方を見ると、正面カウンターに座っていた受付嬢が椅子を蹴立てて立ち上がったところだった。どうもその顔には見覚えがある。

 昨日の受付嬢がカウンターに「離席中」の札を立て、応対中だった(・・・・・・)冒険者がぽかんと口を開けて固まるのに目もくれず、のしのしと自分の方に歩いてくるのを、ナーベラルはあっけにとられて見つめる。

 

「いらっしゃいませガンマさん、お待ちしておりました」

 

「いや、うん、その……いいの、あれ?」

 

 奥から出てきた同僚らしき女性が離席札を戻して、硬直したままの冒険者に頭を下げて応対を引き継ぐ様子を指さしてナーベラルがそう言うと、受付嬢は頬をぷくーと膨らませる。

 

「何か勘違いなされてるようですけど。あなたが来たら私が全ての業務を放り出して対応する、というのは、むしろ私の方が頭を下げて頼み込まれたんですよ。いやー、怖がられてますねえガンマさん。ま、当然だと思いますけどね」

 

「そ、そうなの……」

 

 なんと言って良い物やらわからずに、とりあえず相槌だけうつと、受付嬢はやさぐれた目つきでナーベラルを睨め付けた。

 

「そういうわけで、今後エ・ランテル冒険者組合では、基本的にこの私、イシュペン・ロンブルがあなたの専任担当となります。そんな制度別にないんですけどね、ええ。どーぞよろしく」

 

 そう言うとイシュペンはナーベラルの右手をとって両手で握りしめ、ぶんぶんと上下に振り回した。しばらく振り回すと満足したのか手を離し、やさぐれた目つきのままで営業スマイルを浮かべる。

 

「ご用件は伺っております。あの後もまた騒ぎを起こしたんですって?凄いですねえー。皆様会議室で今か今かとガンマさんをお待ちになってますよ。あ、会議室の場所は分かります?」

 

 分かるわけがない。ナーベラルが首を横に振ると、イシュペンがよっしゃと呟いて小さく握り拳を作る。

 

「それではご案内しますので、どうぞ付いてきてくださいね」

 

 そのようにイシュペンに案内されるがまま、上層の会議室に辿り着いた。ドアを開けて横に退いたイシュペンが一礼するのを横目に扉をくぐる。

 中にいたのは三人の人物であった。エ・ランテルにおける冒険者組合支部長のプルトン・アインザック、同じく魔術師組合支部長のテオ・ラケシル、そして都市長パナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイア。いずれもこの都市を代表する重鎮である。そのことがナーベラルになんらかの感動をもたらすことはないのだが。彼女が勧められるままに椅子に腰を下ろし、少し躊躇ってからフードを取ると、対峙した三人のうち初対面の二人から感嘆のため息が漏れる。ナーベラルの美貌に圧倒されたのだ。いちいち描写するのも面倒なほど繰り返されてきた様式美である。

 

「よく来てくれた、まずは礼を言わせて貰いたい」

 

 気を取り直してパナソレイが口を開く。どういうことかと、問いかけるナーベラルの視線に答えて、言葉を続ける。

 

「昨夜バレアレ家を襲った二人組の男女だが――男の方は、所持品から邪教集団『ズーラーノーン』の幹部だったことが判明している。目的は今となっては推測するしかないが……ンフィーレア・バレアレ君の希少な異能(タレント)を悪用するつもりであったことは想像に難くない。そしてそれは、当然この都市に大混乱をもたらす類のものであったろう。それを未然に防いでくれたことへの感謝を示すのは当然のことだ」

 

 そこでいったん言葉を切ったパナソレイに続き、次はアインザックが頭を下げた。

 

「私からも礼を言わせてくれ給え。女の方は、その、全身が焼け焦げていたこともあって素性が明らかになってはいないのだが。やつの所持品――大量にさげられていた冒険者プレートの数々は、うちの組合の方で行方不明とされていた冒険者達の末路を教えてくれることになった。エ・ランテル支部に限っても、この十年の間で消息不明とされていた組合員の半数もの死亡が確認できたことになる。残りは王国各所からはては帝国まで照会することになるだろうが……とにかく、女の方はとんでもなく腕が立って頭がイカれた殺人鬼だったということだ」

 

 ふーん、と気のない返事をするナーベラル、ふと思いついたように疑問を口にした。

 

「へえそう……ところで、昨日のことはもう良いのかしら?」

 

 正直ナーベラルがそれを覚えていたことだけでも感心であるが、無論それを褒めてくれるような人物はここにはいない。なんのことかと顔を見合わせるパナソレイとラケシルを横目に、アインザックは苦り切った顔をした。

 

「ああ、それはもういい、いいんだ……元々理屈は通った話なのだし、こうして君が抜群に腕の立つ実力者であることが示された以上、蒸し返してまでケチをつける程の価値はない」

 

 顔に疑問符を貼り付けた残り二人のために、アインザックは昨日冒険者組合で起こった流血沙汰についてごく簡単に説明する。血なまぐさい話にやや鼻白むパナソレイ。間をつなぐかのように最後はラケシルが口を開いた。

 

「……ところで、その女が下げていたプレートにはミスリルどころかオリハルコンまであったそうだ。無論、どのような罠にかけたかは定かではないが……こう言っては失礼だが、(カッパー)プレートの手に負える相手ではなかったと言わざるを得ない。まあ、今の話からすれば君の実力は(カッパー)に収まるものではないということらしいが……本当に君が撃退したのかね?」

 

 その言葉を耳にしたパナソレイが、かなり慌てた調子でラケシルを窘めた。その様子に訝しげな視線を向けたアインザックが不思議そうに問う。

 

「都市長殿はなにかお心当たりがおありのようですが――お知り合いですか?」

 

「いや、会うのはこれが初めてなのだが。……ガンマ君、ガゼフ君から話は聞いているよ、君のことは」

 

「あら……ストロガノフの知り合い?」

 

 そういえば手紙の宛先と同じ名前だった気がする。これはナーベラルの認識がぞんざいだというのもあるが、彼女はこの世界の文字が読めないため、その名前を耳にしたのはガゼフが説明した一度きりだったのでまあ仕方ないと言える。

 

「ラケシル君、別に驚くべきことは何も無い。彼女こそは王国戦士長の窮地を救った旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)で、おそらく第四位階以上の魔法の使い手だ」

 

 その台詞にアインザックとラケシルが目を剥いた。ラケシルの方は思わず椅子を蹴立てて立ち上がってしまい、周囲の視線に我に返ると咳払いをして椅子を直し席に着く。

 

「都市長、それはどういう……?」

 

「ちょうどいい、これはラケシル君に確認したかったことなのだが。第三位階にある<雷撃>(ライトニング)と言う攻撃魔法の上位版には、どのような魔法があるのかね?」

 

 わりとナーベラルを無視して話が進む。そんな打ち合わせは彼女が来る前に済ませておけばよかろうものだが、彼女は黙って聞いている。ラケシルが驚愕を顔に張り付かせたまま答えた。

 

<雷撃>(ライトニング)と同系列になる上位の攻撃魔法と言えば……第五位階に<龍雷>(ドラゴン・ライトニング)というものがある筈ですが……まさか、彼女が?」

 

「うん、正確には私もわからないのだがね。戦士長殿の話では、彼女が<雷撃>(ライトニング)ではあり得ない程強力な、雷の攻撃魔法を使ったということなのだ」

 

 そこでパナソレイはナーベラルを見、どうなのかねと聞いた。残り二人の凝視が体に突き刺さるのを気にとめた風もなくナーベラルは答える。

 

「そうね、あのとき使ったのは第五位階魔法の<龍雷>(ドラゴン・ライトニング)で合っているわ。それで……」

 

 ナーベラルは驚愕に目を見開くアインザックの方に首を傾げてみせた。

 

「昨日の講習では、魔法詠唱者(マジック・キャスター)は使える魔法に応じてランクが上がると聞いたし、知り合いの話でも、第三位階の魔法が使えるとそれだけで白金(プラチナ)のプレートが保証されるということなのだけれど……では第五位階の魔法に対しては何のプレートが貰えるのかしら?」

 

 

 都市を代表する重鎮三名が眼前のナーベラルそっちのけで顔をつきあわせて話し合った結果。

 ナーベラルには暫定でオリハルコンのプレートが支給されることとなった。

 

「五位階魔法を実戦で使いこなせるというのであれば間違いなくアダマンタイト級なんだが……済まんな、ウチの都市には元々ミスリルまでの冒険者しか居ないので、アダマンタイトの現物も用意されては居らぬのだ」

 

 オリハルコンがあっただけでも僥倖だ、とアインザックは言う。どのみち、アダマンタイトの認定をウチの支部だけでやってしまうとそれはそれで色々面倒なことになるので、王都の本部に問い合わせるからブツと人が到着するまで待って欲しい。それまでは暫定オリハルコンということで我慢してくれ。そう言ったアインザックに、ナーベラルは鷹揚に頷いた。

 

 そして金銭が用意される。昨夜の事件は何かの依頼を受けた結果というわけではないし、漆黒の剣の被害は護衛依頼の範疇で済まされる話なので、とくに報酬が発生すると言うことは本来無い。しかしズーラーノーンの幹部を仕留めたともなれば、賞金首と同じ扱いで報酬が支払われるし、なによりその戦利品が問題であった。

 

「通常は、このような犯罪者を返り討ちにしたのであればその装備品は倒した君が受け取る権利があるが、一つ問題になるマジックアイテムがあってね。知性をもったアイテムで、所持者の意識に干渉するきわめて厄介な代物なので、これを君に渡すわけにはいかない。強制買い取りとして代金を払わせて貰うからそれで了解してほしい」

 

 形だけは申し訳なさそうにそう言ったラケシルに、ナーベラルはこれまた鷹揚に頷いた。奴がどんなアイテムを持っていてどのように悪用するつもりだったかなどに興味はない。買い上げるというならそれでいいのである。

 

 慎重に距離を測りつつご機嫌伺いをしてくるパナソレイを適当にあしらってその場を辞すると、ナーベラルは残りの戦利品を受け取りに行った。とはいっても、受け取ったのは魔法付与を検知した二本のスティレットとサークレットのみで、残りの装備は言い値で下取りに出した。買い叩かれていたとしても知ったことではない。金には困ってないし、かさばるものは邪魔なのである。

 

 一階に降りたナーベラルがロビーに姿を現すと、すぐにその場の注目が一身に集まった。

 昨日の騒ぎに居合わせた者も多く、そこかしこから緊張をはらんだ囁き声が聞こえてくる。「あいつが例の……」「魔女……」「おい、プレートが変わってるぞ……」などと、好き勝手な台詞が飛び交う。

 見慣れぬ新顔の冒険者が首から提げた、この都市には一人も存在しないオリハルコンのプレート。この上もなく目立つのに十分な条件であった。依頼票が貼り出された掲示板の前に歩み寄ると、まるで打ち合わせたかのように人垣がさっと分かれる。

 

(……読めん……)

 

 ナーベラルが内心そんなことを考えているとは露知らず、周囲の好奇の視線が僅かでも素性を探ろうと彼女の全身を這い回る。そんなものを気には留めないが、文字が読めないのは今後問題となって来るであろう。

 今後の行動について考えながら、特に何の依頼票を剥がすでもなくその場を後にしたナーベラルの姿が消えるや、あいつは何者なんだ、といった調子の喧噪とざわめきが周囲に広がっていく。

 暫定オリハルコン級冒険者ガンマの名前がエ・ランテルを吹き荒れるのには今少しの時間が必要であった。

 

 




 第二部、これにて終了!
 ここまでお読みくださりありがとうございました。
 第三部については……例によって準備が芳しくないし、一週間インターバル入れたらもう年末じゃないかー。予定としては正月明けですね( ´∀`)



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第三部 王都へ
第二十話:手がかりを持つ男


 
 お待たせ致しました。第三部開幕します。

 これまでのあらすじ:
 ユグドラシル世界からトブの大森林に独りぼっちで転移してきたナーベラルが、森の賢王ことハムスケを拾ってカルネ村と王国戦士長を救い、エ・ランテルに移動して冒険者組合に登録しオリハルコンまで昇格した。現在はンフィーレア・バレアレの家に居候して冒険者としてソロ活動中。
 ……真面目に書いてもおもしろみがないな!( ´∀`)シカシネタガナイ



 ナーベラルが目を開くと、視界一杯に幼女の薄い胸が飛び込んできた。

 拠点をエ・ランテルに移しても相変わらずネムがベッドに潜り込んでくるのは変わらない。変わったのはネムがそこまで早起きしなくても良くなったため、ナーベラルが起きる時間まで寝ていることだろうか。

 しかし、自分が居ない時はどうしているのだろう……そんなことを考えながらネムの様子を見つめていると、彼女がぱちりと目を開けて言った。

 

「えへへ、おはよう、ガンマ様」

 

「……おはよう」

 

 ナーベラルも起きているのを確認すると、じゃあ私は朝の支度手伝ってくるねーとネムは寝床をするりと抜け出した。少女の体温で暖められた寝床の温もりを名残惜しげに撫でると、ナーベラルは上体を起こして伸びをする。

 

 

 

 バレアレ家に嫁入りして、エンリの生活は向上した。商売人ではなく職人側に過剰に偏ったどんぶり勘定の無造作な商売の癖に、確かな実力に裏打ちされたバレアレ製治癒薬(ポーション)の売り上げは非常に好調で、結果としてバレアレ家は富裕層と言っても過言ではない設備を整えていたのである。もっとも、家人がそれに見合わぬ不規則な生活で、徹夜も朝食抜きも珍しくないと知ったときは苦言を呈し、無理にでも夫と義祖母に朝食を食べさせることを決意したが。

 農家の娘としての習慣で朝早くに目を覚まし、農村時代とは比べものにならないほど潤沢な食材に目を回しながら朝食の仕込みをしていると、妹が起き出してくる。寝ていても良いと言っても手伝いをしたがるので、一緒に朝食の支度を調える。

 

 やがてナーベラルが起き出してくるのに挨拶する。ナーベラルがハムスケの朝食を持って納屋に向かうのを横目に、エンリはンフィーレアを、ネムはリイジーを起こしに行く。皆で朝食を済ますと、ネムがナーベラルを見上げていった。

 

「ガンマ様ー、今日もご本読んでくれるー?」

 

「……いいわよ」

 

「だ、大丈夫ですかガンマ様?ご迷惑ならそう言って貰わないとこの子調子に乗っちゃいますよ?」

 

 おろおろと口を挟んだエンリにネムがんべっと舌を出す。

 

「お姉ちゃんは黙っててー。本当は嫌なのに言い出せないような人じゃないでしょガンマ様」

 

 それはそうなのだが、口にするにはやや際どい内容であったかも知れない。エンリがはらはらと見守る中、ナーベラルは億劫そうに言葉を紡ぐ。

 

「……いいんだって、私も読み書きを覚えてる途中なんだから」

 

 現在ナーベラルはこの世界の文字を勉強中である。ネムと一緒に教会の日曜学校に参加して、多大な注目を集めながら神父の話に耳を傾ける。義務教育もない世界のこと、一念発起した大人が参加するのも決して珍しくはないのだが、周りは大体子供である。姉ちゃんスゲー美人だな嫁に貰ってやってもいいぞ、あの板なんだ?冒険者プレートだすげー、でも何製だ?見たこと無いぞ、金でも白金でもミスリルでもないしひょっとしてあれがオリハルコン?うひょーなどと纏わり付いて騒ぐガキ共のあしらいに辟易しながら真面目に勉強し、ネムに教材を買ってやるという名目で絵本を数冊購入して帰宅した。ちなみに活版印刷技術の発展していないこの王国で本というのは無茶苦茶高級品であり、子供向けの絵本なんて代物は貴族の子女くらいしか目にすることはない。

 ネムは現在、午前中はお勉強の時間となっていて、家業の手伝いは午後からだ。本人は普通に働くことを希望したが、家の手伝いをしたいなら読み書き算数をお勉強しなくちゃねと言ったンフィーレアの計らいで、昼までは日曜学校で習ったことのおさらい、昼からは手伝いをさせて貰うことになった。手伝わせられない難しい作業は夜半~午前に済ませて、午後にはネムとエンリの教導を行うというダダ甘の対応である。

 それはともかく、そういう訳で午前中に読み書きの勉強をするのだが、ナーベラルが居るときはネムは一緒にやりたがる。一緒にお勉強しようとも、教えてあげるとも言わず、ただご本読んでと頼むのはネムなりの作戦である。それが功を奏したかどうか、ナーベラルがそのお願いを断ったことはない。

 

 その日も昼までネムと一緒に読み書きの勉強をした後、昼食を済ませたナーベラルはハムスケを連れてバレアレ家を後にした。

 

 

「……げぇっ」

 

 ナーベラルがいつもの如く冒険者組合のエントランスをくぐると、いつもとは違う声がした。ナーベラルはその声の主を確認し、少し意外そうな顔をする。

 声の主は組合の受付嬢で、イシュペンという娘のものだった。その手の反応は慣れたものだったが、良くも悪くもナーベラルに慣らされた彼女がナーベラルの姿を見ただけでそのような反応をすることは普通無い。

 

「何かあったの?」

 

 慌てた様子で――離席札すら出さずに――ナーベラルの下へ小走りに駆け寄って来るイシュペンにそう声をかけると、受付嬢は焦った調子で言葉を発した。

 

「あー、えーとですね……なんとも間が悪いというか……」

 

「すると、そちらの御方がガンマ様ですかい?へへへ、丁度いいや」

 

 そこに、イシュペンが応対中だったらしい客が、もみ手をしながら近寄ってきた。

 貧相な体つきをした、赤ら鼻の小男であった。身なりは不相応に上等な仕立てだが、それと反比例するかのように品性の乏しい立ち居振る舞いをしている。

 

「実はですね、あなたがお探しという例の大墳墓の情報をですね、提供できるかと思いやして。へへへ」

 

「何ですって……」

 

 ナーベラルの表情がこわばり、イシュペンがあちゃーという感じで頭に手を当てた。ナーベラルの袖をくいくいと引っ張って、隅に連れて行くと小声でひそひそと囁く。

 

「あのですね、ガンマさん、アレは駄目ですよ」

 

「駄目?何が?」

 

 分かってなさそうに返すナーベラルを見て、やっぱりなあと思いながらイシュペンはため息をつく。目の前の女性はその実力とは裏腹に、非常に世間ずれしていないところがあるのだ。イシュペンが心配になるほどに。

 

「一目見ればわかりますよ、百%嘘です、口から出任せです。適当なこと吹き込んで謝礼を騙し取れればラッキー、くらいに思ってるアホです。正直、今更そんなアホが出てくるのはどれだけ情弱なんだって話ですけど」

 

 

 事の起こりは、ナーベラルが依頼者となって組合に出した情報提供の依頼に始まる。そのような募集が可能かどうかナーベラルに訊ねられたイシュペンは、渋い顔をして唸った。

 

「ええ?うーん、その、できるかできないかで言えばできますけど。でもそれはちょっと……」

 

「できるならやってください。お願いします」

 

 丁寧に頭を下げて頼み込むナーベラルに仰天して、イシュペンはそれが彼女にとって譲れない問題であることを理解した。不承不承ながら手続きを取って募集掲示板に張り出された依頼文は次のようなものである。

 

”ナザリック地下大墳墓ないしアインズ・ウール・ゴウンに関する情報求む。内容に応じて金貨一枚~千枚までの謝礼を用意しております”

 

 貼り出された依頼文を見た冒険者達の間にざわめきが広がる。金貨千枚と言えば目もくらむような大金である。おいアインズなんちゃらってなんだ、お前知ってる?いや知らね、それに墓って、この辺にそんなもんあったか。そのような囁きが冒険者の間で飛び交うのを耳にし、依頼票を張り出したイシュペンは心配そうにため息をついた。正直、この先の展開が思いやられたためである。

 

 翌日。組合を訪れるや案内された二十余名の「情報提供者」と引き合わされ、ナーベラルは顔をぱあっと輝かせた。半分は勘違いや誤情報だとしても、これだけいれば有力な手がかりが見つかるかも知れない、そう思ったのである。

 だがしかし、ナーベラルは人間の愚かさと浅ましさを見くびっていた。順番に面談を始めて最初から三人、簡単な質疑応答で容易くボロを出した詐欺師達がナーベラルにぶっとばされて沈黙すると、残りの面子が明らかに浮き足立った。急用を思い出したなどとわめいて逃げ出そうとする幾人かを、逃げた奴から殺すと脅して黙らせると、残りの全員が我先を争うように土下座した。

 要するに、その場に居る全員が、口先八丁でナーベラルから金貨数枚でも騙し取れれば御の字と考えてやってきた詐欺師の群れである、平伏して口々に許しを請う自称情報提供者達の言葉からそれを思い知らされると、彼女は激怒した。

 

「何事だッ!?……」

 

 室内でぶちかまされた<龍雷>(ドラゴン・ライトニング)がもたらした轟音と振動に仰天して駆けつけた組合長のアインザックが目にした光景は、大会議室中央に散らばる焼け焦げた椅子の残骸と炭化した複数の死体らしき襤褸、その周囲で腰を抜かして失禁する十名近くの生き残り。部屋の隅にころがって悶絶する三人の人間と、部屋の端に憤怒の表情も激しく佇むナーベラル、それにすがりついて制止するイシュペンであった。

 

「……何、なんか用?」

 

 入ってきたアインザックを見るその眼光の凄まじさに、組合長は思わず一歩後ずさる。たちどころに悟ったのは、登録初日から数々の問題を発生させてきたナーベラルが、それでありながら今まで本気で怒ったことなどなかったこと、そして今回こそは間違いなく彼女の逆鱗に触れたのだということである。

 内心にうずまく戦慄と恐怖を押し殺して事情を確認したアインザックは、腹部に発生するちくちくとした痛みを感じながら嘆息した。

 

「……わかった、今回ここまでのことは君の責任は問うまい。だが今生き残っているこの馬鹿共を殺すのは勘弁してくれ。こいつらはまあしかるべき罪でしかるべき所に突き出すことにする。後、こいつらに払えるとも思えないし、壊した設備の弁償はお願いする」

 

 ナーベラルは憤懣やるかたないという表情ながら、沈黙の内に頷いた。内心安堵する組合長に金貨を渡して退出する。その日は一目散にバレアレ家に帰宅すると、不思議そうなネムを抱き枕に抱え込んでふて寝した。

 

「あーあ……だからやめとけって言ったんですけどねえ」

 

 惨劇の現場に居合わせた癖にまるで堪えてない様子でぼやくイシュペンを、アインザックは情けなさそうな顔で眺めた。彼女も寄ってたかってナーベラルの担当を押しつけられた結果、色々とネジが外れてしまったのかも知れない。

 

「そう思うならもっとちゃんと止めてくれないか……どうするんだこれ……」

 

 最近常時携帯するようになった胃薬をまさぐりながらアインザックがそう言うと、イシュペンは肩をすくめた。

 

「組合のルールに則った依頼を止める理由はありませんよ、組合長。あんな内容じゃこうなることは火を見るよりも明らかだったんで忠告はしたんですけど、ガンマさんあれだけ切羽詰まった様子じゃあとても聞く耳持ちませんて。ま、これでガンマさんを引っかけようなんて馬鹿は居なくなるんじゃないですか?」

 

「そう、そうだな……街に巣くうペテン師が掃除されて良かった、くらいに思っておいた方が幸せだな……」

 

 既に疲れ果てた表情で胃薬を呷るアインザック。二人の会話の通り、この日ナーベラルの悪名が一層高まると共に、募集依頼に応じる情報提供者もぱったりと姿を消した。その筈だった。

 

 

「案内できる、ですって……?」

 

 ザックと名乗った貧相な男の台詞に、同席したイシュペンが目を丸くする。これは新しい展開である。

 

「……どこにあるの、かしら」

 

 固く握りしめた手の震えを押さえつけながら、ナーベラルはその声を絞り出す。隣に座ったイシュペンがそっとその背中をさする。それに気づいた風もなく、ザックはうへへと下卑た笑いを浮かべた。

 

「細かいことは話せませんがね、まだ。ここから数日もあれば行ける森の奥深くを抜けた先、とだけ今は言っておきましょうか」

 

 ええー。イシュペンが思わず呆れ顔を作る。作り話にしても、いくらなんでもそれはないだろう。そう思って隣を見ると、真剣な顔で頷くナーベラルを見て目を見張った。

 

(ちょっとちょっと、ガンマさん、だから言ったじゃないですか、出任せだって。沼地の畔に建ってるっていう、あなたに聞いた話と明らかに矛盾してますよ今の台詞?)

 

 ひそひそと囁きかけると、ナーベラルがイシュペンの方に視線を向けた。

 

「……今はそうでないかもしれない、そう考えるだけの理由はあるのよ。あなたには言ってないけど……」

 

 呟くように言うナーベラル。イシュペンは痛ましげな表情を浮かべて沈黙した。彼女は専任担当という関係上、ナーベラルから最も詳しく(といっても勿論、大した秘密は明かされては居ない)ナザリック地下大墳墓について話を聞き出している。ナザリックが存在したという大きな沼沢地がエ・ランテル近郊にあるなどという話は聞いたこともない。ナーベラルがそのようなことを言う理由は聞かされていないが、イシュペンの見るところ、ナーベラルは別に理性的な判断の結果、目の前の小男の話を信用した訳ではない。

 信用したいのだ。僅かな可能性にすがりつきたいほどに。そうさせる彼女の焦燥を思えばイシュペンの胸は痛むし、現実的な問題としても、それが裏切られたときの怒りの激しさを思えば今のうちに止めなければとも思う。

 

「いずれにしても、案内してくれるというのだから、して貰えばいいじゃない。……同行しておいて嘘を教えるとか、そこまで後先想像できないわけではないでしょう?」

 

 ナーベラルがそう言うと、ザックは笑みを深くする。

 

「へへ、そうでやしょ。それで、報酬の件なんですが……あっしも見ての通りの貧乏人なものですから、経費として前金を幾らか頂きたいんですがねえ」

 

 そら来たー!!イシュペンが絶叫を飲み込んで心の中で叫ぶ。これで狙いは分かった、前金だけガメてとんずらする気だこいつー!!そう思ってナーベラルの袖をちょいちょいと引く。ナーベラルはちらりと彼女に視線を返すと頷いた。

 

「……経費込みで前金は金貨百枚、ただしこれは出発当日の朝に渡すわ。それで準備ができないというのであれば、必要な物を私に要求して貰えればこちらで現物を手配します。そして、ナザリック地下大墳墓を確認できれば、その時点で更に謝礼として金貨九百枚を支払います。これでどうかしら」

 

 どうかしらとの言葉はイシュペンの方にも向けられている。それでいいです、とばかりにイシュペンは頷いてみせた。それなら前金を持ち逃げする余地はない。さて目の前のこいつがどんな言い訳を口走るか楽しみだ、そう考えて意地の悪そうな顔でザックを見つめる。ところがザックの口からは意外な返答が飛び出した。

 

「へへ、それで結構でさ。出発は明日以降、そちらさんの都合の良い日の朝ということでお願いしやす。後ひとつお願いがあるんですがね、馬が怯えるんでお連れの高名な魔獣……森の賢王でしたっけ、そいつには遠慮して貰いたいですわ。足はこっちが用意しますんで、そのくらいの手持ちはありますんでね」

 

 イシュペンが驚愕の表情を貼り付けて固まる中、ナーベラルは分かったわと頷いた。出発は明日の朝でお願いするというと、ザックはへへへと頷いて、なら急いで準備しますんでこれでと退出を願い出た。

 ザックとナーベラル達が小会議室の外に出ると、ザックが五体満足で出てきたことに対し、ロビーにたむろしていた冒険者達の驚愕の視線が突き刺さった。おいマジかよなんだそれ、かーっ、誰か五体満足に賭けた奴いるか?いるわけねえだろそんな奴、これで流れだなちくしょう結構自信あったんだけどなあ、そのようなざわめきが冒険者達の間を駆け抜ける。

 

「あの、どういうことかはちょっと分かりませんけど……あまり期待しすぎないでくださいねガンマさん、後で傷つくのはあなたなんですから……」

 

 狐に摘まれたような表情ながら、心配そうに声をかけたイシュペンに、ナーベラルは緊張を孕んだ硬い表情で頷いた。

 

 その日の晩、夕食の席で明日から数日空けると言ったナーベラルに、同卓した一同は頷いた。依頼を受けたナーベラルが数日戻らないことは特に珍しくない。だが彼女が次に口にした台詞に、エンリは耳を疑うことになる。

 

「……それで、今日は一緒に寝ましょうかネム」

 

 いちいち頼まなくても勝手に潜り込んでくるのだが、ナーベラルの方からこのようなことを言い出すのは初めてである。そのことすら知らないエンリがえ、あれ?と挙動不審気味に左右を見回す。ネムの方はそんなことはお構いなしにちょっと首を傾げると、にっこりと笑っていった。

 

「うん、勿論いいよガンマ様!」

 

 そして夜、今夜ばかりは堂々とナーベラルの後について部屋に入ったネム、一緒に床についたナーベラルの様子を注意深く窺う。年齢にしては聡い少女は、ナーベラルがいつもと違うことを言い出した背景にはそれなりの事情があることを察し、彼女の上気した頬と緊張に硬くなった四肢の強張りからナーベラルが極度の不安に神経を尖らせていることをその洞察力で見て取った。

 

「……だいじょうぶだよ、ガンマ様。落ち着いて、ね」

 

 そう囁いてナーベラルの頭を抱え込む。その頭を優しく撫でて抱きしめると、ナーベラルは無言であったが、やがておそるおそるその両手が彼女の腰を抱き返すのを感じ取ってネムは微笑んだ。

 そうして少女の温もりを肌に感じながら、ナーベラルは浅い微睡みの中に誘い込まれていった。

 

 

 




 ナーベラルのデレとツン。ただし相手は異なる。
 今回出てきたナーベちゃんの凶行はかなり際どい問題なんだけど、組合長が胃に過負荷をかけながら頑張ってもみ消したので、表向きは罪に問われない形にまでなっております( ´∀`)
 彼女は人間を見下してるけど、弱っちい下等生物だから下に見てるだけで、人類の底知れない悪意というものにはまるで免疫がありませんという解釈。
 さーて、ナーベちゃんは無事ナザリック地下大墳墓に帰還できるのかー?(棒)



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第二十一話:死を撒かれる剣団

 
前回のあらすじ:
 ザック「ナザリック地下大墳墓?知ってますよ、へへへ」
 怪しさ大爆発だーッ!!



 翌朝、朝食を済ませたナーベラルは手を振るネムとエンリに見送られ。ハムスケを連れて冒険者組合敷地内の広場に到着した。

 

「へへ、お早うござんす……うおっ」

 

 広場に二頭立ての馬車を停めて待っていたザックがナーベラルの姿に気づくと挨拶し、ハムスケを見て仰け反った。

 

「ちょいと、ガンマ様、話がちがいやせんか?」

 

 思わず眉を顰めてナーベラルに抗議すると、彼女は問題ないわと返す。

 

「ハムスケは外までは一緒に行くけど、門を出たら放すわ。私が居ない間、ずっと納屋に押し込めておくのは可哀想だから外で過ごさせるの。それは別に問題ないでしょう?」

 

「は、はあ……まあ、それなら、いいんですけどね」

 

 ザックが少し逡巡しながらも不承不承頷くと、ハムスケがその顔を覗き込んだ。思わずびびって一歩下がるザックに、ハムスケが朗らかに挨拶する。

 

「聞いての通り、それがしは別行動でお邪魔はしません故、姫のことをよろしく頼むでござるよザック殿!」

 

「へ、へえ。まあ、お任せください」

 

 ザックはそう言うと馬車の扉を開けようとしたが、ナーベラルはそれを止めた。どうせ門をくぐるときに降りることになるのだから、それまではハムスケと歩くと言うナーベラルに、ザックは鷹揚に頷くと御者台に乗って手綱をとった。その様子を見ていたイシュペンがナーベラルに囁く。

 

「ではガンマさん、くれぐれもお気をつけて。……あまり短慮なことはしないでくださいね?」

 

「ん、わかったわ」

 

 上の空で機械的に相槌を返すナーベラルに、イシュペンは嘆息した。こりゃ駄目だ、なるようにしかならんね。

 

 エ・ランテルの正門をくぐって外に出ると、宣言通りハムスケと別れたナーベラルは馬車に乗り込んだ。名残惜しそうに前肢を振るハムスケに片手を振って応じると、手元から金貨を百枚より分けておいた小袋を取り出してザックに渡す。

 

「……約束の前金よ。後はよろしく頼むわ」

 

「へへ、どうも。お任せくだせえ」

 

 目をぎらつかせて金貨を押し頂いたザック、後生大事に懐にしまい込んだ。ナーベラルが馬車に乗り込んで扉を閉めるのを確認すると、手綱を取って動き出す。

 石畳から伝わる僅かな振動に揺られながら、ナーベラルは脈打つ心臓の鼓動を鎮めようと、目を閉じて深呼吸した。

 

 

 街道をゆっくりと進んでいく馬車の前方、右手に広がる森の中からむさ苦しい男達が十人余り、わらわらと出てきて馬車を取り囲む。威嚇された馬が驚いて竿立ちになるのを鎮めてその場に馬車を停めると、ザックは手綱を切って素早く御者台から飛び降りた。

 粗末だがよく手入れされた武器防具に身を固めた、見るからに荒事を専門とする男達である。半包囲して獲物をどうするだの、順番はどうするだの口々に囃し立てて下卑た笑みを浮かべる男達の中、真剣な顔で様子を窺うリーダーと思しき男に目配せすると、ザックは男達の間を抜けてその背後に紛れ込んだ。

 

 男達は傭兵団「死を撒く剣団」の構成員である。傭兵団と言っても、言い換えれば武装したごろつきの集団であり、戦争が無ければたちまち野盗と化す、あるいは戦争があったところで本当に危険な帝国との合戦にはせ参じたりはしない、まあそういった連中である。ザックの立場を簡単に説明すると、彼は街に潜伏して衛兵による討伐の動きをそれとなく探って知らせる連絡役としての役目と、あるいは今回のように無知な獲物を言葉巧みに誘い込んで釣り出す工作員としての役目を持っていた。農夫上がりで腕のとろい小男にも務まる下っ端の作業である。

 今回とびきりの姫君を誘い出すことに成功した、そのような報告を受けて男達の気勢は嫌が応にも高まっている。手に持った武器を振り回して威嚇すると、中から本物の美女が出てきて男達は息を呑んだ。美しく艶やかな長い黒髪、切れ長の瞳に桜色の唇。異国人めいた風貌と、寝不足なのか目に隈があるのは気になるが、否、そんなことはどうでも良いほどの絶世の美女である。興奮に鼻息を荒くした男達は、ナーベラルが貴族の姫君と言うには不自然な格好をしていることには意識が向かない。

 ナーベラルの美貌に圧倒されて固まった男達を不機嫌そうに睨み付けると、彼女は冷たい声で男達に告げた。

 

「なにあんたら。……私は忙しいんだけど、邪魔するなら容赦しないわよ」

 

 険のある声にも男達は怯まない。状況をよく理解できていないが故の傲慢か、あるいは内心の震えを押し隠すための強がりと見た男達が下品に笑う。

 

「へへっ、そう怯えるなよお嬢ちゃん。すぐにひぃひぃ言わせてやっからよ」

 

 そう言ってナーベラルに近づき腕を取ろうとした男の、その顔面にナーベラルの裏拳がめり込んだ。首が半回転程捻れて吹っ飛ぶ男の姿に驚愕する間もなく、他の男達の目を奪ったのは裏拳を放ったナーベラルが身を捻った際の回転でふわりと浮いた、首から提げたネックレス。その先に輝くオリハルコンのプレートであった。

 

「冒険者……!!それもあれは……何のプレートだ!?」

 

 男達もオリハルコンなどという希少金属は目にしたことがない。だがその輝きは銅鉄銀などであるはずもなく、黄金と見紛うその輝きが高位の冒険者であることを示しているのは明らかだった。

 

「おい、これはどういうことだ……居ない!?」

 

 貴族の姫君と聞いて来てみたら中からとんだ化け物が出てきた、となれば采配した男に事情を問いただしたくなるのは当然であるが、リーダーが振り返った先に、背後に隠れたはずのザックの姿はない。

 

<二重最強化(ツインマキシマイズマジック)()電撃球>(エレクトロ・スフィア)

 

 男がザックの行方を目で追う間にも、ただの一撃で仲間の荒くれ者達は壊滅の憂き目に遭っていた。ナーベラルがなるべく多数を巻き込むように放った魔法の範囲から逃れられた男達は僅かにリーダーともう一人のみ。もう一人の方が武器を放り出して背を向けて逃げ出し、背中から電撃を食らって引っ繰り返るのを呆然と見ながら、リーダーの胸に去来するのは一つの思い。

 

(あの野郎、まさか……俺たちをハメやがったのか!?)

 

 そんな思いが掠めるのも束の間、ナーベラルに命乞いをしようとして口を開いたリーダーは、「待ってくれ」のまの字も口にする間もなく<雷撃>(ライトニング)の直撃を食らって地面に転がった。

 

「……ふん、下等生物(ゲジゲジ)共が鬱陶しい。……ザック?ゴロツキは片付けたわよ、無事?ザック!?」

 

 ナーベラルは周囲を見回してザックの名を呼ぶが、待てど暮らせどそれに応える声はなかった。ふむ、と呟いて彼女は別の魔法を起動する。

 

 

(へへ……大成功、うまくいったぜこん畜生ざまあ見ろ!)

 

 その頃、胸中で喝采を上げながら森の中を疾走する男の姿があった。品性のない貧相な赤ら鼻の小男、つまりザックである。いつの間にか背負われた背負い袋の中には、携帯用の保存食と水袋、そして毛布代わりのマントが詰められている。荷物の重さに汗をかきながら、それでもできるだけ急いで、かつ慎重に森の深くへと分け入っていく。

 

 ナーベラルが組合に出した依頼とそれに群がった馬鹿共の末路について噂を耳にしたとき、ザックの頭に一つの天啓が訪れた。この閃きこそは神が俺にもたらした唯一のチャンスかもしれん、ここは一世一代の大勝負をかける時だ、そのように思ったザックは、おのが思いつきによって周りの全てを罠にかけるべく思案を巡らせた。

 このように書くと大層なことのように聞こえるだろうが、ザックの思いつきとは至極単純。同行して案内するという名目でナーベラルを油断させて前金をせしめ、一方では「死を撒く剣団」の方に獲物が釣れたと連絡して襲わせる。ナーベラルが傭兵団を蹴散らしている隙に前金を持って姿をくらます。たったそれだけであった。

 家族を捨てて逃げ出してきたザックにエ・ランテルへの未練はなく、小銭で使い倒されるだけの「死を撒く剣団」にも帰属意識はない。ザックにとって金貨百枚とはそれだけで人生を買える(・・・・・・)金額であった。故にザックは躊躇わない。たかが(・・・)金貨百枚で、これまで世話になってきた傭兵団を容易く捨て値で売りに出した。

 ザックの頭には残っていない。この先森に潜んで遠くの都市に辿り着くまでモンスターに襲われるかもしれない危険も、あるいはそれこそ別の野盗に遭遇するかもしれない危険も。流れ着いた先の都市で、貧相なチンピラが金貨を出したらそれだけで衛兵に目をつけられるであろうことも、たかが金貨百枚で、流れの浮浪者が安定した生活基盤を築くことができるのかも。ただただ懐を暖める金貨の輝きに目を輝かせ、荒い息で森の中を駆けていく。

 

「おーい、待つでござるよザック殿ー」

 

「ひぃっ!!?」

 

 だから。森を掻き分けて走る自分の前に、横から突然現れて併走して来た白い魔獣――ハムスケが声をかけたとき、ザックは心底仰天した。

 

「あ、だいじょうぶでござるよザック殿。それがしでござる、ハムスケでござる。絡んできたチンピラは退治したそうでござるから、もう安心でござるよ。姫が心配しているでござるから、すぐに戻るでござる」

 

 自分をただのモンスターと思って驚いたのだろうか、そのように思ったハムスケが安心させるように声をかける。

 ナーベラルの指示に従い、街道を大きく外れた森の中を馬の索敵範囲外からこっそり付いてきていたのだ。ザックの説明を真に受けて、馬を怯えさせなければいいんでしょうと考えての指示である。そんなことは知らないザックが意気揚々と一目散に逃げ込んだ森の中、ナーベラルから<伝言>(メッセージ)による連絡を受けて、「盗賊にびびって一人で逃げ出した案内人」の保護(・・)に来たのであった。

 

「ザック殿のような人間が一人でこのような森に踏み込むのは危険でござるよ。なに、ザック殿は姫にとっても大事な案内人、姫の側にいれば万一のこともないでござる」

 

 まさにそこが致命的な問題なのだが、当然ハムスケにそのことを知る由はない。腰を抜かしていやいやをするかのように首を振るザックを見て、ハムスケは困ったなあという顔をした。

 

「それではちょっと失礼するでござるよザック殿。なに、すぐに着く故我慢して欲しいでござる」

 

 そう言うやハムスケはザックの襟首をひょいとくわえ込むと、そのまま四足歩行で森の中を駆け出した。障害物しかない木々の中を高速で疾駆するハムスケの眼前は、さながらジェットコースター、スリル満点の光景をもたらす。ザックの口から漏れ出る悲鳴を後方に垂れ流しながら、ハムスケは森を抜けてナーベラルの下に帰還した。

 

「ああ、よかった、無事だったのね」

 

 ハムスケが口に加えたザックを目にするや、ナーベラルはにっこりと微笑んだ。普段の仏頂面に比べて十倍は魅力的なその笑顔にも目を奪われる余裕すらなく、先程までの恐怖とこれからの恐怖に目を剥き荒い息をつくザックに、彼女はにこやかに語りかける。

 

「絡んできた盗賊共は蹴散らしたけど、なんだか馬車を壊されちゃったようね」

 

 地面に下ろされたザックの目に、十体の黒焦げた襤褸の塊と、首があり得ない角度までねじ曲がった死体が映る。その姿を己の末路と重ね合わせて身震いしたザックにナーベラルが声をかけた。

 

「怖がらなくてももう大丈夫よ、でもごめんなさいね心配かけて。それで、この先の案内なんだけど。どうせ森の中に入るって話だったわよね。ここで馬車は捨てましょう」

 

 もりのなか、とオウム返しに呟くザックに、ナーベラルは続けて語る。

 

「そう、森の中よ。変な邪魔も入ったし、悪いけどもう我慢できないわ。この先どういう段取りをしてたかは知らないけど、馬車も壊れたしここからは私に合わせて貰いましょう」

 

 そう言うや、ナーベラルはザックの襟首をひっつかむと<飛行>(フライ)の魔法を唱えて空中に飛び上がった。ハムスケが地表で前肢を振って見送る中、ぐんぐんと高度を上げて滞空した先はおよそ高度百メートル。眼下に遙か森を見下ろして、ザックが息を呑んで喘ぎ、掠れた悲鳴が喉から漏れる。

 

「教えて頂戴、森を抜けた先ってどっちに行けばいいのかしら?」

 

 ナーベラルがザックの耳元に唇を寄せて囁いた。これがベッドの上であれば、鼻をくすぐる甘い香りと耳にしみ入る心地よい声にさぞ酔いしれたであろうが、生憎寒風吹きすさぶ高空での出来事であり、ザックは息をすることも忘れて硬直する。

 ところでザックにナザリック地下大墳墓の架空の位置を一から創作するような想像力はない。詳細をぼかしてとはいえ、ナーベラルにその位置を説明した時に頭にあったのは、傭兵団「死を撒く剣団」のアジトの場所であった。

 焦れたようにもう一度催促したナーベラルに、半ば思考を停止したザックが震える声でその場所を説明する。その説明を受けたナーベラルが森を飛び越し、抜けた先に広がる剥き出しの石が突き立つカルスト地形の上空から地表を睥睨した。

 

「説明された場所が見えてきたわ。……この先は?」

 

 ザックが緊張に息を飲み込む。この先はもう先延ばしも誤魔化しも利かず、ナーベラルの片手につり下げられたこの状態で首尾良く逃げ出す奇跡など望むべくも無かった。

 

「……あそこのすり鉢状になった窪地の斜面に、ぽっかりと穴が空いてるのが見えますかい?」

 

「ええ、見えるわ。それがどうかしたのかしら」

 

 不思議そうなナーベラルの声に、緊張に震える声を絞り出してザックは続ける。

 

「あの中が俺たちのアジトになってます」

 

「……?」

 

 意味を図りかねてか、完全に沈黙して応えないナーベラル。ザックはがたがたと全身を震わせながら叫んだ。

 

「ごめんなさい、嘘なんです!!金は返します!謝ります!許してくだせえ!!どうか命ばかりは!!」

 

 その言葉を耳にし、その意味が染みこんでくるに至り、ナーベラルの顔から表情が抜け落ちる。黙して語らぬナーベラルの様子に恐怖を覚えたザックが惑乱しながら命乞いを叫ぶのもどこか遠くの出来事のように感じる。そして、錯乱してじたばたと暴れるザックの襟首が、衝撃に脱力したナーベラルの、力が抜けた指からすっぽ抜けた。

 

「「あっ」」

 

 奇しくも同じ台詞を口にするナーベラルとザック。ザックが悲鳴を上げながら地面に落下していくのを、ナーベラルは口を開けて見送った。

 

 

 上空から聞こえてきた悲鳴に、「死を撒く剣団」のアジトで見張り番を務めていた二人の男が自然と上方を見上げるや否や、落下してきたそれがアジトの入り口前に着弾し、べしゃりと潰れて熟したトマトを投げつけたかのような光景が広がった。

 

「……!?」

 

 見張りの二人が緊張を孕んだ顔を見合わせる。もはや赤いペンキをぶちまけたとしか見えないそれも、よく見れば服らしき赤く染まった布地が見える。そしてむせかえるように濃厚な広がりゆく血の匂い。

 

「……空から、人が落ちてきた……?」

 

 とりあえず異常事態である。見張りの一人がもう一人にバリケードに隠れて警戒するよう促すと、自分は右手に剣を抜き左手に肩から外した警報用の鈴を提げて、そろりそろりと周囲を警戒しながらにじり寄っていく。

 すると、上空から人が降りてきた。<飛行>(フライ)の魔法で高度を完全に制御されたその人影は、先の落下物とは違って十分に速度を緩めた上で、ふわりと地面に降り立った。

 

「……」

 

 表情の抜け落ちた顔で落下した死体を眺めるナーベラルの美貌に、見張りの二人が反応を忘れてしばし呆ける。ナーベラルが無感動に足先で潰れた死体をひっくり返すと、見張りの方は我に返って咄嗟に鈴を鳴らした。

 

魔法詠唱者(マジック・キャスター)……!!」

 

 それも<飛行>(フライ)を使える手練れである。状況は微妙だが、いきなり襲いかかられればそのまま殺されることもあり得る。見張りが振り回した鈴がガランガランと大きな音を立てて響き、その音にナーベラルは目線を見張りの方に向けた。

 

「ああ、ごめんなさい騒がせて……すぐ去るから勘弁して」

 

 その口から出た意外な言葉に見張りの二人は驚きに動きを止める。てっきり自分たちのアジトを捜索に来たと思ったナーベラルの目的が分からなくなったからだ。が、すぐに、一人で(?)来た今回は位置だけ確認して、後で襲撃するつもりかと合点する。

 

「おっとそういうわけには行かねえな姉ちゃん」

 

「ここの場所を見られたからには生かして帰せねえぜ」

 

 内心の緊張を押し殺し、増援が早く来ることを願いながら武器を構えてナーベラルを左右から挟撃できるように挟み込む。万一の場合は、片方が倒されている間にもう片方が斬りかかることができる。そんな事態に陥って欲しくはないが、そういう状況を警戒して相手が躊躇してくれることを狙っての位置取りだ。

 

「別に私はあなた達に用はないのだけれど……」

 

 そういうナーベラルの眼光に、怒りの炎が揺らめくのを男達は見た。

 

「今、虫の居所が悪いのよ。憂さ晴らしに付き合ってくれるというのなら、相手するわ」

 

 その時地響きを上げて、森の向こうから白銀の巨獣が突進して来る音を耳にし、見張りの意識が瞬間そちらに奪われる。次の瞬間、抜刀して切り込んだナーベラルの剣に、見張りの片方が一太刀で切り倒された。

 

「なっ……!!」

 

 今度はナーベラルの方に気を取られたもう一人の眼前に、突進してきたハムスケが迫る。はっとした男が体勢を整える間もなく、ハムスケはそのまま男に体当たりをぶちかまして男は水平に吹っ飛んでいき、洞窟の入り口に作られた丸太のバリケードに突っ込んでそれを盛大にへし折った。

 

「お待たせでござる姫!お帰りでござるか?」

 

 そう言って敬礼するハムスケをちらりと見ると、ナーベラルは洞窟の奥からがちゃがちゃと音を鳴らして走り出てくる男達の方に視線を戻した。

 

「そのつもりだったけど……なんかあちらさんが用があるみたいね」

 

 

 




 タイトルが既にネタバレ。
 ちなみにナーベちゃんは落っことす瞬間まで素でやってます。全部分かった上で追い詰めてるようにも見えるけど天然です( ´∀`)

1/5 文章表現の微修正。
1/23 誤字修正。


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第二十二話:ブレイン・アングラウス

 
 前回のあらすじ:
 「親分!空から小汚いおっさんが!」
 「ほっとけそんなもん」



「襲撃か」

 

 彼方から響いてくる人間が走り回る音と悲鳴を耳にし、ブレイン・アングラウスは丹念に手入れをしているところだった愛刀を最後に布で拭うと、慎重に鞘に納めた。

 鍛えられて絞り込まれた細身の体躯を持つ長身の男である。伸びた部分を無造作に切っただけのざんばら髪はぼさぼさで、顎にはマメな手入れを怠った証の無精髭が覗いている。だがその身のこなしはしなやかで優美な野生の獣のそれ、歴戦の雰囲気を漂わせる精悍な男性であった。

 

「大勢で攻めてきたにしては音と気配が薄いな……手練れの冒険者による強襲か?」

 

 独りごちながらも、ブレインは落ち着いて鎖帷子(チェインシャツ)を着込むと、刀を腰に吊るし、ポーションの入ったポーチをベルトに引っかけて戦闘態勢を整える。

 

「あ、ブレインさん!敵襲です!」

 

 ブレインが個室扱いの横穴から外に出ると、ちょうど入り口から奥に向かって駆けてきた男が顔を綻ばせた。ブレインは苦笑すると、仲間に声をかけてなだめる。

 

「落ち着け、それは見りゃ分かる。どんな奴らだ?人数は?装備は?」

 

「は、はい、敵は一人と一匹、おっそろしく強い魔獣とおっそろしく強い魔法詠唱者(マジック・キャスター)の女です。もう入り口に詰めてた連中は半壊状態で、俺は奥の連中に注意を知らせに……」

 

魔法詠唱者(マジック・キャスター)に、使役魔獣ね……」

 

 そいつは厄介だ、そうブレインは呟くと、男にはこのまま奥の連中と合流して警戒するように伝える。ほっとしたような男が小走りで奥に駆け込んでいくのを眺め、ブレインは最大限に準備を整えることにする。腕の立つ魔法詠唱者(マジック・キャスター)が相手となれば、慎重になりすぎると言うことはない。

 立て続けに呷った二本のポーションがもたらす魔法の効能は<下級筋力増大>(レッサー・ストレングス)<下級敏捷力増大>(レッサー・デクスタリティ)、これで元々極限まで鍛え込まれたブレインの身体能力は更に増大する。無論、普段とは違うレベルの肉体の動きに反応がついていかないなどという間抜けは晒さぬよう、十分な訓練を重ねた上でだ。

 そしてこちらの方がより重要、ブレインが身につけた二つの魔法のアイテムに込められた魔法を起動させる。

 瞳の首飾り(ネックレス・オブ・アイ)に込められた魔法は、ブレインの視界を奪うあらゆる状態異常や光学現象から彼を保護してくれる優れものだ。魔法詠唱者(マジック・キャスター)となればどのような目くらましを使ってくるかも分からぬ以上、この首飾りの力が頼りになる。

 更に魔法注入の指輪(リング・オブ・マジックバインド)に込められた魔法は<下位属性防御>(レッサー・プロテクションエナジー)、あらゆる属性ダメージの軽減効果を持ち、これも相手が攻撃魔法の使い手となればおおいにあてにできる。先見の明を自画自賛しつつ、ブレインは今己にできる最大のコンディションを整え、自身が一時的にとはいえ人類最強の戦士となったことを確信した。

 

「それにしても、女ね……噂に聞く蒼の薔薇、なら五人パーティーで来るはずだし、何者なのかね」

 

 それらの作業をこなしながら、そのような呟きを漏らすブレインに気の弛みはない。相手が魔法詠唱者(マジック・キャスター)ならそもそも性別など関係ない。女性どころか老婆にすら肝を冷やす羽目に陥ったこともある、魔法というのはそれだけ強力な代物なのだ。

 歩を進めるに従い、ブレインの鼻に焦げたような匂いが微かに漂ってきた。人の脂が焼ける匂いだ、ブレインは口元を歪めてそう考える。すると魔法詠唱者(マジック・キャスター)の得意な攻撃魔法は、火か、あるいは雷と見える。防御魔法の効果で一撃耐えて間合いを詰められれば勝ちの目は十分あると言えるが、それを許してくれる相手だろうか……?

 

 

「おいおい……マジかよ、なんだアレ……」

 

 だがしかし、入り口に辿り着いたブレインが目にした光景は、彼の想像を遙かに超えていた。

 残り五人となった入り口の警備番が、絶望に破れかぶれとなって踊りかかる。それに対峙する魔法詠唱者(マジック・キャスター)は、遠目にもわかる絶世の美女だったが、流石にそれに見とれていられるほど暇な状況ではない。

 ともかく彼女の両手から二条の電光が迸ると、電撃に打ち抜かれた二人が焼け焦げて崩れ落ちる。単体相手に一発ずつ<雷撃>(ライトニング)を放つなど、魔法に明るくないブレインですら呆れるほどに贅沢な魔法の使い方だ。そして彼女の前に立つ白銀の巨大な魔獣が、鋭い爪を備えた前肢で一人を切り伏せ、独立した意思を持つかのように自在に動く尻尾が一人を叩き伏せた。残った一人が運良く女性まで辿り着くことに成功し、へっぴり腰で斬りかかるが、女性はその剣閃を無造作に身を捻って容易く躱すと、捻った勢いで回転する腕を折りたたみ、相手の顔面にそのまま肘を叩き込んだ。鼻を潰され前歯を折られて転がる男が痛みに悲鳴を上げるより早く、そのまま男の首に振り下ろされた彼女の踵が鈍い音を立てて頸椎をへし折った。

 

 それらの様子を壁の影から窺いながらブレインは戦慄した。

 まずあの魔獣がまずい。佇むだけで滲み出る存在感は、彼が目標とする王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフを彷彿とさせる。魔法の絡まない白兵戦の強さを測るのは彼の得意分野だ、そもそもあの魔獣が単体でブレインと互角に戦えるのは間違いない。

 そして魔法詠唱者(マジック・キャスター)の攻撃魔法。先程の光景から推察するなら得意分野は雷の攻撃魔法、その意味では<下位属性防御>(レッサー・プロテクションエナジー)の効果は非常に有効だが。先程景気よく撒き散らした電撃と、周りに転がる死体のうち焼け焦げたものの数を数えれば、彼女が<雷撃>(ライトニング)を何十発でも連発できるのは想像に難くない。彼女が余程場慣れしてない素人上がりでも無い限り、先程のあれで打ち止めになった可能性を期待するのは馬鹿げている。つまり、彼女の下に走り寄るまでに、最低二発の<雷撃>(ライトニング)がとんでくると言うことだ。それに耐えることができることに賭けるほど、ブレインは命を安売りするつもりはない。

 さらに、魔獣を躱し、攻撃魔法に耐えたところで、先程の彼女の身のこなしは下手な戦士顔負けである。おそらくだが「死を撒く剣団」でも殆どの連中が相手にもならないレベルの白兵戦の強さを持っているのではないだろうか。

 前衛を守る強大な魔獣、馬鹿げた火力の攻撃魔法、そして本人の近接戦闘能力。これら三つの困難を躱して彼女を打倒する術があるか、ブレインが物陰で頭を悩ませていると。白銀の魔獣の眼がぎょろりと彼の潜む壁の影を向いた。それに釣られるように女性の視線がこちらを見据えてくる。

 

(ヤバイ!!)

 

 次の瞬間洞窟の壁を抉った<雷撃>(ライトニング)の一撃を、ブレインが躱せたのは決して偶然だけが理由ではない。歴戦の戦士として磨き抜かれた生き抜くための勘、極限まで鍛え込まれ、魔法で更に強化された身体能力、わずか三メートルとはいえ周囲の状況を自在に知覚する武技<領域>。それらの効果が相乗的に噛み合わさって、最初の<雷撃>(ライトニング)を転がりながら避けたブレインは、そのまま一回転して素早く起き上がると脱兎の如く駆けだした。次の瞬間背筋を走り抜ける悪寒に従い、横っ飛びに転がったその脇を<雷撃>(ライトニング)が走り抜ける。先程と同様、転がりながら立ち上がると、そのまま前方に倒れ込むように前のめりになり、背中の上を走り抜けた三本目の<雷撃>(ライトニング)に目もくれず、地に伏せるほどの前傾姿勢からまるでクラウチングスタートのようにダッシュして洞窟の奥に駆け込んで消えた。

 

 三度の攻撃魔法を躱してみせたブレインの神回避に、ナーベラルは逆に感心したように呟いた。

 

「……へえ。こんな所にも少しはできる奴がいるじゃない」

 

 

(ヤバイ!ヤバイ!ヤバすぎる!!)

 

 先程視線が交錯したその一瞬、ナーベラルから向けられた視線の底知れない冷たさに、ブレインは内心チビりそうな程ビビッた。例えるなら凍えるような凍土の厚い氷のその下に、煮え立つマグマにも似た押さえ込まれた憤怒が沸き立っているのを感じた。何をそれほど激情に駆られているのかは定かではないが、もはやアレが話の通じる相手だとはブレインには思えなかった。実のところそれがただの八つ当たりであり、しかもこちら側が必要もないのに藪をつついて蛇を出したと知ったらブレインはなんと感じたであろうか。

 

(――逃げるか)

 

 そんなことは知らないブレインは、自分にとって当然の判断を下した。勝てないなら逃げる、命が惜しければ当たり前の摂理だ。まず生き延びることが最優先、最後に勝っていれば途中で逃げることに恥など無い、それが騎士道とは無縁の生き汚い傭兵モドキ、ブレイン・アングラウスの信条だ。ガゼフ・ストロノーフならそんな風には生きられないのかも知れないが。

 そもそもあの魔法詠唱者(マジック・キャスター)と敵対したい、戦っていつか勝ちたいなどとはちっとも思えない自分がいることにブレインは気づいた。御前試合で後の王国戦士長ガゼフ・ストロノーフと立ち会い、そして敗れた時は悔しさに枕を涙でぬらし、敗北の汚辱をいつか濯ぐことを誓って今日まで強さを求めて生きてきたのだが。

 やはり優れた魔法詠唱者(マジック・キャスター)は存在自体が反則だ、王国でその地位が低いのは国内で魔法詠唱者(マジック・キャスター)を気取る青びょうたんどもにろくなのが居ないからでしかないのだろう、そのように埒もないことを考えながら、ブレインは仲間が待ち構える最奥の広間が見えてきたのに気づき、少し歩調を緩めて速度を落とした。クロスボウを構えて待ち伏せる味方に誤射されないよう、声をかけながら小走りに広間に入る。

 

「ブレイン!」「ブレインさん!」

 

 聞き覚えのある声にクロスボウの引き金から指を放した男達の歓声が上がる。ブレインが張られたロープを乗り越えバリケードに歩み寄るのを見て、傭兵達がバリケードを開けようと歩み寄るのをブレインは片手で制した。

 

「ぬか喜びさせて悪いが――まだ終わってない。途方もない強敵だ、俺一人じゃ勝てん。ここで迎え撃つから準備してくれ」

 

 その言葉に男達は瞬く間に緊張を取り戻し、ブレインが慎重にバリケードを乗り越えてくるのを見ながらクロスボウを構え直す。傭兵団の頭――団長が、自分の方に歩み寄ってきたブレインに緊張に滲む声をかける。

 

「ブレイン、お前が単騎で戦うのを諦めるほどの強敵か。厄介だな」

 

「諦めたのは一人でやることだけじゃねえけどな」

 

「ん?」

 

 聞かせるつもりのない呟きは、団長には届かなかった。首を傾げる団長に、ブレインは広間の更に奥、倉庫として使われている小部屋に向けて顎をしゃくった。

 

「今のうちに打ち合わせと行こう。あそこで二人で話したい」

 

 その言葉に団長は微かに嫌な予感を覚えながらも。頷くと周囲に警戒を怠らないよう声をかけて、すぐ戻ると言い残し奥の倉庫に引っ込んだ。

 薄暗く狭いスペースに、木の箱や麻の袋が乱雑に積み上げられたまさに倉庫としかいいようのない小部屋だった。先に倉庫の真ん中まで入っていき、こちらを振り返ったブレインに、団長は不安そうな声をかける。

 

「おい、まさか……」

 

「そのまさかだ。上に来てるのは正真正銘のバケモンだ、俺たちに勝ち目はない。逃げよう」

 

 この倉庫内の壁の後ろに、土壁に偽装されているが実際は横穴に板を張って上に土を僅かに盛っただけの隠し扉、外への脱出口が隠されている。団長とブレインの二人だけが知る秘密の抜け穴だ。念を入れたことに、逃げ出した後壁を崩して土砂で埋め立て、追跡を防ぐことができるようになっている。

 

「おい、じゃあ荷物は……いや、あいつらはどうするんだ。みんなでここから逃げるのか?」

 

 うすうす予想していたとはいえ、驚愕の提案に衝撃冷めやらぬ団長が狼狽えた声を出す。対するブレインの声音は何処までも冷め切っていた。

 

「時間が無い、荷物は諦めろ。今身に着けている物全てが持ち出せる唯一の財産だ。あいつらは……俺たちが逃げる時間稼ぎになって貰う。あいつらが殺られてる間に抜け出して壁を崩せば、あの女が入り口に戻って出てくるまでに相当な距離が稼げる筈だ」

 

 冷徹極まりないブレインの提案内容に、団長は戦慄する。そこまで怖れる相手なのかと。それと同時に、抑えがたい疑念が胸中に渦を巻く。

 

「なあ……そこまでしなくちゃならない相手なのか?みんなでかかれば倒せるんじゃないか?あるいはあいつらの何人か、それこそ全員を使い潰すハメになっても構わない、あいつらを盾にしてお前がその魔法詠唱者(マジック・キャスター)に斬りかかる隙を作れれば……」

 

 団長にそう言わせたのは未練である。ここまでそれなりに順調に傭兵団の団長として築き上げて来た地位、そして盗賊稼業でかき集めてきた財産。それをある日突然放り出して着の身着のまま身一つで逃げ出そうと言われたのだ、はいそうですかと簡単に捨てるには執着がありすぎた。

 だが団長とブレインの間には、絶望的なまでの温度差が横たわっていた。すなわちブレインはナーベラルをその目で見たが、団長は見ていないのである。生命一つを拾えれば御の字だと悟った男と、捨てたくない財産に未だ固執する男。冷めた目つきで沈黙するブレインに、団長は猫なで声で囁きかけた。

 

「なあ、それでどうにかしてくれよ。お前に高い給金を払ってきたのはこんな時の為なんだ、仕掛けもせずに逃げ出すとか臆病が過ぎるじゃねえか」

 

 挑発を交えてブレインの意気を上げようと、それでも声を抑えて話しかける団長に、ブレインは黙して応えない。団長はだんだん苛ついてくるのを感じ、押さえながらも声を荒げて言った。

 

「そうかよ、腰抜けめ。お前みてえな臆病者があのガゼフ・ストロノーフに勝とうとか、つまんない夢見てんじゃねえよ。大体……」

 

 その先を口にすることは団長はできなかった。団長の太く鍛えられた首にぷつりと赤い線が走ると、その頭がずるずるとずれてごとんと下に滑り落ちる。頭を失った身体が首の断面から血を噴き出しながらその場に倒れると、あくまでも冷静にブレインは刀を一振りして血糊を飛ばし、懐の布で刀身を丁寧に拭った。

 

「……あんたを誘ったのはこれでも一応雇われた義理を感じてのことだったが。まあ、そんなに死にたいなら一人でやってくれ。俺は死にたくないから逃げさせて貰うよ」

 

 もはや一人でやることもできなくなった団長に皮肉気な声を浴びせると、ブレインは奥の壁の土を払って隠し扉を剥き出しにした。粗末な木の板を外して小さな横穴に身を滑り込ませる直前、肩越しに後ろを振り向いて呟いた。

 

「あばよ、お前ら。これまで結構楽しかったぜ。……いつか地獄で会おう」

 

 ブレインが横穴に身体を滑り込ませると、程なくどさどさっと土が崩れてくる音がして横穴の奥から小部屋の中まで土砂が溢れ出た。

 

 

「今だ、撃て!」

 

 大将格の二人が未だに奥の倉庫から戻ってこないことを疑問に思う間もなく、襲撃者が広間に近づいてくる足音を聞きつけた四十名の傭兵達は、とりあえず謎の襲撃者を迎撃する必要に迫られ、当座の指揮をその場で比較的地位も高く人望があった小隊長クラスの男に任せると、彼の号令のもと、無造作に広間の入り口に姿を現したナーベラルに三十六丁のクロスボウが斉射を浴びせた。四十丁でないのは全員に行き渡るには微妙に数が足りなかったためだ。

 それでも放たれた矢の数は傭兵達に勝利を確信させるに十分、次の瞬間矢襖でイガグリのようになったナーベラルとハムスケの姿を彼らは幻視した。

 

 だが勿論、現実はそう甘くなかった。ナーベラルが選択した防御魔法はエア・エレメンタリストに相応しく周囲に強風のバリアを張る<矢避けの風壁>(ミサイル・プロテクション)、彼女たちに向かって放たれた三十六本の矢は全てその軌道を明後日の方向に逸らされて入り口周囲の壁と床に空しく突き刺さった。

 

<二重最強化(ツインマキシマイズマジック)()電撃球>(エレクトロ・スフィア)

 

 目の前の出来事に驚愕する暇もなく襲い来るナーベラルの反撃。膨れあがった白色の雷光球が放電しながら炸裂し、バリケードに半分身体を隠した傭兵達の命を容易く刈り取っていく。

 

<二重最強化(ツインマキシマイズマジック)()電撃球>(エレクトロ・スフィア)

 

 最初の一撃で十二人の傭兵が絶命し、そのことに驚愕する暇もなく、またクロスボウに新たな矢をつがえる余裕などあるはずもなく。続けてナーベラルの両手から生み出された二つの雷光球が無造作に放り出されると、先程と同じように着弾した先で放電しながら膨れあがって炸裂し、周囲を白く染め上げながら更に九人の命を刈り取った。

 

「ひっ……」

 

 ここにいたってようやく、リーダー代理を含めた傭兵達は、自分たちが何を敵に回してしまったかをおぼろげながらも悟って恐怖した。

 射撃戦になればこちらは狭い入り口に十字砲火を浴びせるだけ、対する相手は散開して陣地に身を伏せるこちらに痛打を加えることはできない。そんな教科書通りのお題目には何の意味もない。こちらの攻撃は全て防がれ、相手の攻撃は容易くこちらを殺す。戦いと呼ぶのもおこがましい一方的な殺戮が始まったのだ。

 

<二重最強化(ツインマキシマイズマジック)()電撃球>(エレクトロ・スフィア)

 

 そのように考える間にもナーベラルの両手から三度目の雷光球が生み出され、適当に投げつけられて無造作に十名の命を刈り取った。

 もはや戦意を維持できる筈が無かった。リーダー代理が剣を鞘ごと外して投げ捨てると(数が足りないので、指揮をとる彼はクロスボウを遠慮していたため)、瞬く間に残り九名まで数を減らした男達が即座にその意を悟って、クロスボウやら剣やら、身につけた武器をその場に投げ出して平伏した。

 

「こっ、降参する!この通りだ、なんでもするから命だけは助けてくれ!」

 

 リーダー代理がそう叫ぶと、生き残った残り八人の男達も追随して口々に命乞いを叫んだ。ナーベラルはそんな彼らの姿を一瞬手を止めて見たが、どこまでも冷たいその視線にリーダー代理が背筋に氷水を差し込まれたような悪寒に身を震わせたのに対して、被せるようにこう言った。

 

「嫌よ、そっちから仕掛けてきておいて随分と虫の良い。あなた達がこの世でできる最後の仕事は、私のストレス解消に付き合うことだけよ」

 

「そんなっ、それは……!!」

 

 彼女がそう言いだす事情はさっぱり分からなかったが、憂さ晴らしに死ねと言うその台詞があまりにも酷いというのはその場で平伏していた全員の総意と言って良かったであろう。平伏して地べたにこすりつけていた額を上げて口々に抗議の意を叫ぼうとした生き残りの傭兵達に、無慈悲なナーベラルの宣告が投げつけられる。

 

<二重最強化(ツインマキシマイズマジック)()電撃球>(エレクトロ・スフィア)

 

 そうして、「死を撒く剣団」最後の生き残り達は、何が悪かったのか後悔する間もなくその人生に幕を下ろした。

 

 

「この部屋から血の匂いと外の風を感じるでござるよ」

 

 そう言ったハムスケの言葉に従い、ナーベラルがその倉庫を覗くと、部屋の中央には首を落とされた屈強な男の新鮮な死体があった。

 

「仲間割れでもしたのかしら」

 

 心底どうでもよさそうに呟きながら、ナーベラルは団長の死体を足で引っ繰り返した。だがしかし、その行為には特に何の意味もないことに気がつき視線を外すと、奥の方から新鮮な空気の流れを感じる。

 荷物の影に回ると、壁に空いた小さな横穴から土砂が溢れ、その隙間をぬって流れ込んでくるのは明らかに外の空気だった。

 

「脱出口か……ご丁寧に後を追えないように塞いじゃって。そういえばあのすばしっこい奴をさっきの部屋で見なかった気がするし、あいつがここから逃げたのかしら。ま、どうでもいいか」

 

 ここに巣くっていた連中が何者なのかすら知らないし、別に彼らを全滅させたい理由があったわけでもない。本当にどうでもよかったので、ナーベラルは足下に転がる死体のことも、逃げたかも知れないすばしっこい奴(ブレイン)のことも、三歩踏み出すうちに忘却の彼方に放り込んだ。

 

「あとは……向こうの方に、幾つか生き物の気配を感じるでござるな。他にはもう生きてる生物はこの洞窟にはいないと思うでござる」

 

 まことに役に立つペットであった。ハムスケの言葉に従い、ナーベラルがそちらの方向に向かうと、わざわざ丁寧に取り付けられたらしい頑丈な樫の扉が見えてきた。

 

「……外から錠が下ろせるようになっているわね。つまり、牢屋か……」

 

 ナーベラルがハムスケをちらりと見ると、了解したハムスケが閂にかけられた南京錠をぐいっと引きちぎった。ナーベラルが閂を外して扉を開けると、中にいた四人の女性の怯えた視線が彼女に集中する。

 年齢層に幅はあるが、いずれも年若い女性だった。一人はネムとさほど変わらない程度の童女、二人はエンリと同年代の少女、そして一人はやや薹が立ちかけているが、まだまだ魅力的な大人の女性であった。全員が下着同然の薄着だが、この部屋自体は暖房に気を遣われており、風邪を引かせるような意図はなさそうだ。そして、彼女たちの一人一人が、その右手首と右足首を、一本のやや短めの鎖で繋がれていた。こうすると普段の動作に支障はあまりないものの、全力で走ることができなくなる。明らかに逃亡を阻止するための処置だった。全員の身なりがこんな所に押し込められているにしては小綺麗なのは、目的を考えれば当然のことであった。コトが終わったら次の男達が萎えないよう身ぎれいにしておくことを申しつけられているのだろう。

 入ってきたナーベラルの姿を目にすると、女達はその美しさに圧倒されて息を呑んだ後、明らかに安堵した。入ってきたのが女性だったため、緊張が緩んだのだ。

 

「あの、あなたは……いったい……?」

 

 ナーベラルはどうしたものかと考えながら頭を掻くと、ため息をついた。

 

「私は……まあ、ただの通りすがりよ」

 

 あまりにも説得力を欠いた説明に、少女達は不安そうに視線を見交わした。

 

「あのっ、ここを塒にしていた盗賊達が居たはずですが、それは……」

 

「……そいつらは全滅したわ。私は降りかかってきた火の粉を払っただけだけど。あなた達はまあ……どう見てもあいつらの仲間じゃなさそうだし、特に危害を加えるつもりはないわ」

 

 やや婉曲に自分が皆殺しにした、と告げるナーベラルに、少女達は不安と期待が入り交じった視線を交わし合う。

 

「あ、あのっ、もしそれが本当なら……助けて頂けませんか!?この鎖を外して、近くの街までご一緒させて頂くだけでも構わないんですけど」

 

 えー。即答はしなかったものの、明らかに面倒くさそうな顔をしたナーベラルの表情を見た少女達がたじろぐ中、救いの手が入った。

 

「まあまあ姫、よいではござらんか。お嬢さん達、それがしの下まで来るでござるよ、順番に鎖を切って進ぜるが故」

 

 洞窟自体はかなり広かったが、個々の狭い部屋までは入れないため外から顔を突っ込んで突如口を挟んだハムスケの姿に、少女達がびくりと身を竦ませる。

 

「ああ、心配ないわ。こいつは私のペットだから。じゃあハムスケ、とりあえずこいつらの面倒は任せるわよ」

 

「承知でござる、姫!」

 

 そう言うとハムスケはおそるおそる近づいた四人の女性の鎖をとりあえず真ん中で切断し、さっさと立ち去りたがったナーベラルを宥めながら少女達に鍵を探させて手枷足枷を完全に外すと、傭兵達の私物からマントと服、それに靴を適当に見繕わせて出立の準備を整えた。

 

「お待たせでござる姫!」

 

「そう、じゃあ帰りましょうか」

 

 

 




 やだ……ブレインさん超クレバー( ´∀`)
 シャルティアちゃんに心折られてないので、あくまでも冷静に遁走しました。
 流れで生存ルートに入ったけど、別に今後の使い道を計画されての話ではない件。
 原作みたいに粉々になるまで心砕かれてもいないし、この先どうやって強さを求めて生きていくのか、ブレインさんの明日はどっちだ。

1/6 矢の本数のミス修正。
1/18 誤字修正。



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第二十三話:紫電の魔女

 
 前回のあらすじ:
 傭兵団「先生、お願いします!」
 ブレイン「どうれ……言われなくてもスタコラサッサだぜえ~!」



 途中、アジトの内部を荒れ狂った破壊の跡と多くの死体を目撃した女性達に驚かれたり、怖れられたり、尊敬されたり。四者四様の視線を集めながら一切意に介することもなく、ナーベラルが四人の女性とハムスケを引き連れてぞろぞろとアジトから外に出ると、入り口前の広場に転がる十数人分の死体を慎重に調べていたらしい六人の冒険者達と目があった。

 

「何者だ!?……ん、そのプレートはもしかして……!!」

 

 冒険者達のうち三人は前衛職の男性だった。鱗鎧(スケイル・アーマー)とラージシールドに身を固め、資金が許す範囲で重装型の戦士としての体裁を整えている。

 もう一人、その横には帯鎧(バンデッド・アーマー)を着込んだ軽装型の赤毛の女戦士。後衛に下がって守られているのは杖を持った魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)と、神官衣を羽織った信仰系魔法詠唱者(マジック・キャスター)だった。斥候職の姿が見あたらないが、そこそこバランスのとれたパーティーであると言える。

 

 アジトから出てきたナーベラルの姿に身構えたものの、ナーベラルが首から提げたプレート、後ろに控えるハムスケ、さらにその背後に守られた四人の女性に順番に目をやると、冒険者達は顔を見合わせてひそひそと内緒話を始めた。

 やがて、赤毛の女戦士が一同を代表するように一歩前に出て問いかけた。

 

「もしかして、ガンマさんでいらっしゃいますか?」

 

「そうだけど。会ったことが有ったかしら?悪いけどこちらには見覚えがないわ」

 

 不思議そうに問うナーベラルに、赤毛の女戦士は苦笑した。

 

「いえ、直接言葉を交わしたことはありません。だけどエ・ランテルの冒険者であなたを知らない人は居ませんよガンマさん。紫電……っと、なんといっても都市唯一のオリハルコン級冒険者で、絶世の美女としても有名人なんですから」

 

 そういうものか、ナーベラルは曖昧に頷いた。オリハルコン級と聞いた背後の視線が驚愕を孕み、怯えから畏怖混じりの尊敬へと統合されていくのを感じる。それもどうでもいいが。

 

「あ、申し遅れましてすいません。私はブリタと言って、普段は街道の警備絡みの依頼をこなす鉄級冒険者です。今回、この近辺で野盗の類の仕業と思われる被害が頻発していることを受け、盗賊団の塒がこの周辺にあるのではないかとして偵察任務を引き受けました。それで、森の中を探索していたところ……たまたまなんらかの騒ぎが起こっていることを聞きつけて、この洞窟まで辿り着いたのです。で、まあ、見ての通りの惨状ですから、何が起こったのか死体を調べていたところ、ガンマさんが出てきたわけでして……」

 

 ブリタがそう言うと、ナーベラルは既に興味を無くした顔で無造作に言い放った。

 

「ふーん。まあそいつらならついさっき全滅したわよ」

 

 他人事のようにそう言うと、冒険者達から驚愕の視線が注がれる。ブリタがパクパクと口を開閉させると、気を取り直してひとつ咳払いをした。

 

「それはつまり、あなたが全滅させたということですよね?何かのご依頼で?」

 

「いえ、別に。……別件で前を通りかかったら、たぶん塒の場所を目撃されたのが気に入らなかったんでしょうね、襲いかかってきたから返り討ちにしただけよ」

 

 はあー。なんでもないことのように言うナーベラルに、流石はオリハルコン級冒険者であるとの感心と称賛の視線が注がれる。そして、ブリタが頭を下げた。

 

「それはなんというか、ありがとうございました。私たちの任務的にも、近隣の住民としても助かりました。僭越ながら代表してお礼を申し上げます」

 

「別に良いわよ。成り行きだし……」

 

 そう言うとナーベラルは、閃いたとばかりに後ろを見やった。

 

「あ、そうだ、お礼というならこいつらの面倒を見てやってくれないかしら。私たちは疲れてるからできればさっさと帰りたいのよ」

 

「その方達は……」

 

「盗賊共のアジトに捕まっていたお嬢さん方でござる。そのままにしておくのも忍びないので一緒につれて参ったでござるよ」

 

「それは……はい、わかりました。お引き受けさせて頂きます。本来は拠点を発見した後に野盗達を釣り出して罠にかける予定だったんですが、その分の仕事がまるまる浮きますしね」

 

 ブリタはハムスケの説明だけで、女性達がどのような目に遭わされてきたのか察したのだろう、同性として一瞬痛ましげな表情を浮かべたが、すぐに気を取り直してそう言った。ナーベラルはそれを聞いて満足そうに頷く。

 

「じゃあよろしく。そういうわけだから、後はこいつらに面倒を見て貰いなさい」

 

 後ろを振り向いてそう声をかけると、一番幼い少女がとてとてと駆け寄ってきて、ナーベラルが反応する間もなく抱きついた。困惑に顔を顰めるナーベラルをぎゅうっと抱きしめて、震える声を絞り出す。

 

「あのっ、ガンマさま、本当に、ありがとうございました」

 

「ありがとうございました、あなたは命の恩人です」

 

「ガンマ様のことは一生忘れません」

 

「本当に助かりました。しかも仇までとって頂いて……お礼の申し上げようもございません」

 

 それに釣られるように、残りの女性達も口々にお礼を述べて深々と頭を下げる。ナーベラルは困惑したまま無意識に右手を伸ばすと、抱きつく少女の頭をわしわしと撫でた。

 そうして少女をゆっくりと引きはがし。何故か悄然としてとぼとぼとその場を立ち去るナーベラルとハムスケを、六人の冒険者と四人の女性はその姿が森の中に消えるまで見送った。

 

「あれが、”紫電の魔女”(ライトニング・ウィッチ)か……いやはや、なんとも凄いもんだね」

 

 ”紫電の魔女”(ライトニング・ウィッチ)。電撃系の攻撃魔法を無造作に振るって死と災厄を撒き散らすナーベラルの行いを怖れた、エ・ランテルの冒険者達がこっそり彼女に奉った二つ名である。その成立過程ゆえにあまりいい意味で使われては居らず、本人に直接言う度胸がある者は殆ど居ない……先程のブリタのように。大抵は畏怖を込めて密かに呼ぶときに使われる。

 

「そうね、でも正直助かったわ。今回の作戦だって怪我人多数、死者もやむなしって規模の合戦になる覚悟だったもの。それを依頼でもないのに片手間で解決するとか、正直憧れちゃうなあ冒険者として……」

 

「ま、お前……俺たちには無理だけどよそんなこと。英雄ってのはああいう人のことを言うんだぜきっと」

 

「そうそう、まあ、凡人には凡人の仕事があるってこと。英雄が些末事に煩わされずに済むよう露払いをするのも大事だってことだ」

 

 口々にナーベラルを褒め称えた冒険者達は、羨望の眼差しを込めて空を見上げたのだった。

 

 

 一応依頼人としてクエストを募集した形になるので、事の次第は報告せねばならない。エ・ランテルに帰還したナーベラルは、塞ぎ込んだ顔でイシュペンに顛末をかいつまんで話した。イシュペンは顔を引きつらせてぼやく。

 

「それはまた、なんともはや……お疲れ様でした、ガンマさん。ではクエストは未完了と言うことで処理しますが……引き続き依頼を出されますか?」

 

「……当然よ。見つからなかった以上、取り下げる理由はないわ」

 

「ですよね、やっぱり。……ガンマさん、これは提案なんですけど、私たちの方で情報提供者を選別させて頂けませんか?」

 

「選別?」

 

 イシュペンは頷いた。

 

「今のままでは正直ガンマさんが心配です。いちいち期待して裏切られて傷つくのは見てられません(そして巻き添えで破壊される周囲もたまったもんじゃないです)。だから、あまりにも見込みがないのは、こちらで篩い落とさせていただけないかと。……正直、流石にもうあんなのは現れないんじゃないかと思いますけどね」

 

「どうやって判断するの?」

 

 ナーベラルが問うと、イシュペンは人差し指を立てて言った。

 

「そこはご協力をお願いしたいのですが。ガンマさん、あなたがその、ナザリック地下大墳墓とアインズ・ウール・ゴウンを本当に知っているなら当然知っているはずの質問とその答えを私に教えてください。もし自称情報提供者が今後現れたときには、私がその質問内容を確認して、答えられた場合のみあなたに連絡します、そういう形でどうでしょうか?」

 

 ナーベラルは考え込む。確かに、正直、今回のように揺さぶられ続けるのはしんどい。希望と絶望の狭間で踊らされることは、この上ない痛みを彼女にもたらし、己の裡に燃え上がった怒りの炎が鎮火した後には虚無感が残った。目の前の受付嬢がわかりやすい嘘だけでも捌いてくれるというのなら、任せてもいいのかもしれない。

 

「……わかったわ、それでお願いします。ただ質問内容は少し考えさせて」

 

「了解しました、ありがとうございます」

 

 イシュペンはホッとした顔で頷いた。初日の騒ぎでもうあんな馬鹿は現れないと思い、油断して後手に回ったが、これでナーベラルが無駄に傷ついて無駄に暴れるのを止められると思ったのだ。ナーベラルの破壊行為を掣肘したいのは確かだったが、彼女のことを心配しているのもまた事実であった。

 

 

「そういえばガンマさん。あなたはチームは作らないんですかあー?」

 

 ネムに慰められながらふて寝した翌日、組合を訪れて早速ナーベラルに話しかけてきたイシュペンがそんなことを言い出した。ナーベラルと最初に関わったばっかりに、専任担当なる存在しない役職を周囲から押しつけられて以降、躁鬱の波が激しくなった彼女ではあるが、今日はやさぐれモードのようだった。だがやけっぱち半分とは言え、物怖じせずにナーベラルと接することができる受付嬢は組合全体でイシュペンただ一人のため、適材適所ではあるのだろう。

 

「チーム、ね……」

 

「いくらガンマさんが無類の強さを誇るアダマンタイト級相当の冒険者でも、魔法詠唱者(マジック・キャスター)がソロで活動とかおかしいですよやっぱり。パーティーを組んだことはないんですか?」

 

 イシュペンがこのようなことを言い出したのも気まぐれではない。そもそもこの会話は未だ十分な読み書きができないナーベラルの為に適切なクエストを見繕ってやるためのものなのだが、ナーベラルが如何に強かろうと、一人で活動する限り紹介できる依頼もまた限られてくる。せめて前衛を置くべきではなかろうか。彼女の言い分はそのような感じになる。

 

「そう、ね……かつては六人、もしくは七人パーティーでの行動が基本だったわ」

 

「へえ、それは凄いですね」

 

 遠くを見るようにして口にしたナーベラルの言葉を受け、イシュペンが感心したように頷く。人数が多いほど、有機的な連携を維持するのが難しくなる。六人で連携行動をとれるなら、それは余程息のあった仲間達が居たと言うことだ。

 

「今は……おっとと」

 

 イシュペンは既に聞きかじったナーベラルの事情を思い起こしながら、みんな心配してるでしょうねという月並みな言葉は飲み込んだ。ナーベラルがそれだけ取扱注意の繊細な表情をしていたのだ。

 

「だったらやはり、仲間を捜した方が良くないです?」

 

 代わりに口にしたのはそんな言葉。ナーベラルは少し考え込むと、頷いていった。

 

「……そうね、でも雑魚とつるむ気はないわ」

 

 正確には、どれだけ腕が立とうと一つ所に腰を落ち着けて活動するようなチームに入りたくはないのだが、そこまで説明する気もないのでとりあえずそう言うと。イシュペンはやさぐれた目に輝きを取り戻して言った。

 

「なるほど、それもそうですよね!私が一肌脱ぎましょうライバルさん!」

 

 止めてお願い。反射的に出かかったその台詞を危うく喉元で押しとどめると、ナーベラルは胡乱な目つきでイシュペンを凝視する。イシュペンはその視線を受け止めると、ウインクして親指を立てた。

 

「我がエ・ランテルで最高ランクの冒険者チームを紹介しますので、一緒に仕事をしてみてはいかがです?」

 

 

 エ・ランテル冒険者組合の組合長を務める、プルトン・アインザックは、イシュペン・ロンブル嬢に対して些か申し訳ない気持ちがあった。

 ガンマという実質アダマンタイト級の実力を持つ型破りな魔法詠唱者(マジック・キャスター)と、たまたま(・・・・)最初に応対してしまったばかりに、周囲から寄ってたかって”紫電の魔女”(ライトニング・ウィッチ)の専任担当などという役回りを押しつけられ。表面上は明るく振る舞っていたが、躁鬱の波が激しくなったのはその時からであり、ネジが外れてしまったかと心配になるほど彼女自身も喫驚な言動をし出すにあたって、アインザックは心の中でロンブル嬢に対して申し訳ないと何度も謝ったものである。済まぬが誰かがやらねばならぬことだ、被害が君だけで済むならそれに越したことはないと。よくよく考えてみれば謝っているようで謝っていないが、とにかく彼は彼女に対して借りがある、そう考えていた物と理解して貰いたい。

 

「それではまあ、組合の依頼として決済はするがね。……大丈夫なのかね、本当に」

 

 だから。そのロンブル嬢が躁状態でハイになって持ち込んできた企画に、ついうんと言ってしまったのである。あのガンマが関わっているというだけで却下したい気持ちがむくむくと湧き起こってくるのを押さえることはできなかったが、ガンマの専任担当を押しつけておきながら、ガンマ絡みというだけで提案を却下されてはロンブル嬢が浮かばれない。

 それで渋々ながらもあくまで冷静に、理性的に判断した上で、まあロンブル嬢の企画がそれなりの妥当性があることを認めた上で、内心の不安を押し殺しながら認可の印をポンと押した。押してしまった。その上でなお未練がましく不安な台詞が口をついたのは、管理職たるアインザックの悲哀と言えよう。

 

「大丈夫です!別に上手く行かなくても現状が維持されるだけですし、首尾良く行けば、このエ・ランテル初のオリハルコン級冒険者チームが誕生するんですよ!ワクワクしませんか?」

 

 躁状態特有のハイテンションで叫ぶロンブル嬢を窘めつつ、アインザックはため息をつく。手元の企画書には、「オリハルコン級冒険者ガンマの為のチームメンバー選抜試験」と書かれた題字が踊っていた。

 

 

 




 こうしてハムスケが頑張った結果、名声が高まっていくのであった。
 しかしおかしいな……プロットの時点ではアインザックさんの胃がここまでダメージを受ける予定はなかったんだけどな?ガゼフと違って( ´∀`)

・二つ名について
 とりあえず○○の魔女にしよう→提案されたやつがあったな、風雷の魔女……ルビどうしよう?→(審議中)いまいちしっくりくるルビが思いつかないので見送り。
 ルビから考えてみよう→得意魔法からライトニング・ウィッチにしよう→どんな単語を当てはめる?→そういえば紫電って鋭い眼光(目つきが悪い)って意味があったな、よしこれで行こう!
 こんな感じ。提案してくれた人達ありがとうございました( ´∀`)ソシテゴメンネ



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第二十四話:イグヴァルジのゆううつ

 
前回のあらすじ:
 ブリタ「あれが”人間台風”(ヒューマノイド・タイフーン)か……憧れちゃうな冒険者として」
 仲間達「おい、やめろ馬鹿。その二つ名は早くも終了ですね」



 組合からミスリル級冒険者チーム『クラルグラ』に対する指名依頼があると聞き、己の名前を売り込むチャンスであると大いに張り切ったリーダーのイグヴァルジが、内容の説明を受けるために案内された会議室に入ると。何故か席に座っているナーベラルが視界に飛び込んできて、イグヴァルジは眉を顰めた。

 

「……おい”紫電の魔女”(ライトニング・ウィッチ)、なんで貴様がここに居るんだ?今から俺たち『クラルグラ』に対する組合の指名依頼の説明があるんだ、部外者は出ていって貰おうか」

 

 ナーベラルに対する隔意を隠そうとするそぶりすらなく、余人が本人には言いよどむ二つ名で呼びかけるその様は、”紫電の魔女”(ライトニング・ウィッチ)がエ・ランテルに轟かせている悪名の内容を思えば、蛮勇と言って良いレベルの勇敢さとは言えた。まあ、周りが勝手に憚っているだけで、ナーベラル本人がその二つ名になんらかの反応を示したことは無いのだが。

 

「大丈夫ですよイグヴァルジさん!ガンマさんは部外者じゃなくて当事者ですから!」

 

 なんという名前だったか、やたらハイになった様子で叫ぶ受付嬢に若干引きつつ、イグヴァルジはその発言内容を吟味して顔を顰める。

 

「おいおい、それはつまり、今度の依頼はこの魔女と共同作戦ってことか?勘弁して貰いたいもんだね。どんな内容かは知らないが、ウチのチームだけで大概のことはこなせる自信はあるんだぜ?」

 

 このイグヴァルジには夢がある。いずれはオリハルコン、さらにはアダマンタイトという英雄の領域に辿り着き、かの十三英雄、世界を救った英雄達と肩を並べる存在にまで上り詰めるという夢だ。

 誰もが子供の頃一度は憧れる詩人の英雄譚(サーガ)に謡われる英傑達――逆に言えば、大人になるにつれそれらの憧れはいずれしぼんで消えてしまうものではあるのだが、その憧れを捨てず、夢へと向かう原動力へと変えて己の心を燃やし続けるイグヴァルジは、確かに希有な存在ではあった。

 そしてだからこそ、自分たちが夢見て、血反吐を吐きながら必死の鍛錬と命をかけた冒険を繰り返し、一段ずつ徐々に昇ってとうとうミスリル級という十分に非凡な領域まで辿り着いた階段を。銅級として登録した翌日にもう、一気に彼を上回るオリハルコン級に、彼の存在を無造作にひょいと飛び越えていったナーベラルの存在を認められる筈がなかったのである。

 それも何か巨大な功績をあげたというわけですらなく、第五位階の魔法を使えるという()()()()()()()で、アダマンタイトまでが確約された存在など許せるものでは無かった。「それだけのこと」がどれだけのことであるかは、この時点でのイグヴァルジには本当の意味では分からない。

 

 ともかく、そういうわけでナーベラルへの敵意と嫉妬を隠そうともしないイグヴァルジの態度は、非常に大人げないものとなったが、ナーベラルもイシュペンも、まるで意に介した様子が無かった。お前の意向など知ったことかというその態度は、さらにイグヴァルジの神経を逆撫でする効果しか生まなかったのだが。

 

「するってえと何か!?そこのお偉い魔女様が、俺たちがそいつの盾になるのに相応しい実力があるか確かめる為の共同依頼だってか!?へっ、馬鹿馬鹿しいやってられっか!!」

 

 そして、依頼内容の説明を受けたイグヴァルジは激高して吐き捨てた。彼の表現にはやや悪意があるがその内容に虚偽はない。ナーベラルがパーティを組むメンバーを探すために、とりあえずエ・ランテルでは最高峰であるミスリル級チームと一緒に仕事をしてその実力を検分して貰おう、端的に言えばイシュペンの立てた企画はそのような物であったので。

 椅子を蹴立てて立ち上がったイグヴァルジを、イシュペンが誰何した。

 

「おや、どうしたのですイグヴァルジさん、どちらに行かれるので?」

 

「はっ、今言っただろ、やってられっかこんな依頼!帰らせて貰うぜ!」

 

 嫌悪を露わにして吐き捨てるイグヴァルジの様子にも慌てることなく、イシュペンは頷いた。そしてわざとらしいほどに大真面目な顔を作って、皮肉げな声をかける。

 

「成る程、まあ分際を弁えるのも生き残るには重要な秘訣ですからね。……『クラルグラ』は実力に自信がないから辞退、と」

 

「んだと……?」

 

 そう言って手元のメモになにやら書き込む。あまりにも安い挑発であった。安い挑発ではあったが、イグヴァルジにもそれを流せないだけの理由がある。

 ともかくも組合からの指名依頼なのである。それを目の前の受付嬢に、自信がないから断るそうですなどと上に報告された日には、今後の組合からの評価が一段下に落ちかねないことを意味する。ましてや、今の口ぶりでは、『天狼』と『虹』にも同様の依頼をすることは確実、そうなった暁には『クラルグラ』が他の二チームよりも下であると見られることにもなりかねない。

 イグヴァルジは歯ぎしりして立ち止まると、踵を返してどかっ、とばかりに音を立てて席に戻った。

 

「……そんな風に思われるのは心外だ。いいだろう、その安い挑発に乗ってやる」

 

「そうですか?ありがとうございます。では詳細を詰めますが……」

 

 とぼけたように笑うと、イシュペンはイグヴァルジとの打ち合わせを始め、依頼の詳細を詰めていった。会話を終えたイグヴァルジが憤懣やるかたない様子で足音も荒く退出するのを見送り、それまで一言も発せず黙っていたナーベラルがぽつりと呟く。

 

「……この依頼が首尾良く行ってあいつらがその実力を示したとしたら。今の男のチームに混ぜて貰えってことなのよね、あなたの提案って」

 

「そうですよー?」

 

 そう言ってウインクするイシュペンを見て、ナーベラルは呆れたようにため息をついて言った。

 

「なんかこう、なにもかも間違ってるという気がするんだけど……まあいいわ、やるだけやってみましょう」

 

 

 エ・ランテルには、外周部の西側区画を丸ごと使った巨大な共同墓地がある。

 今回の依頼では、その墓地の巡回警備を行って貰う。イシュペンはそう言った。

 墓地の死体が時偶アンデッド化してゾンビやスケルトンが出ることはあるが、基本的にそのような低級モンスターの退治は鉄級程度の冒険者の仕事である。あるいはある程度経験を積んだ銅級でもなんとかなるかもしれない。逆に言えば、上はせいぜい銀級までの仕事であった。普通ならば。

 当然己がミスリル級冒険者であることに誇りを持っているイグヴァルジは反発したが、詳しい説明を受けてある程度納得した。

 最近、スケルトンやゾンビの発生が増加傾向にあり、時折その上位種の発生が報告されることすらある。スケルトンやゾンビでも、連戦させられれば鉄級冒険者では危険だし、上位種が出れば尚更だ。

 

「組合長に忠告されたんですけどね、拙い連携はパーティーの長所を殺す。互いの実力を確かめながら行動するような状況であれば、ランクは割り引いて考えておいた方が良い、間違ってもミスリル級が普段やるような依頼を出すなよ、ということですので、まあ、皆さんの実力は今回金~白金程度として考えまして。

 低位アンデッドと連戦するだけなら銀から金、これになんらかの強いアンデッドと遭遇した場合の保険を考慮。更にできればアンデッドの異常発生について、なんらかの原因を調査してくれると嬉しいなあということで金から白金程度の難易度になると考えております」

 

 一晩墓地の巡回を行い、高い確率で遭遇するであろうスケルトンやゾンビを殲滅する。それと並行して、アンデッドの発生原因を増加させるような異常がないか調査する。まとめるとそういう話だ。

 イグヴァルジは張り切った。フォレストストーカーである彼が本来得意とするフィールドは野外であったが、想定モンスターは低位アンデッドであるし、その程度のハンデは問題にならぬ。高位階魔法が使えるというだけででかい面をする小娘に目に物見せてやると奮起した。

 しかし。

 

(おかしいだろ、これ!どうなってるんだ!!)

 

 イグヴァルジは内心でそう叫んだ。

 巡回は三度、宵の口と真夜中、そして明け方に行われる。

 その初回である宵の口、相も変わらずナーベラルに対する敵意を隠そうともしないイグヴァルジは、「俺たちが先行する。お前は後ろから付いてこい、邪魔すんじゃねえぞ」などと、依頼の趣旨を全く無視した協調性の欠片もない台詞をナーベラルに投げつけた。ナーベラルの美貌に見惚れていた『クラルグラ』のメンバーである他の三人を小突いて隊列を組むと、四人で先に歩き出した。ただし、ナーベラルに露骨な敵意を向けるのはリーダー一人、他の三人はウチのリーダーがすみませんねという態度でぺこぺこ彼女に頭を下げたり、片手を上げて拝む真似をして謝罪の意を示したり。チームメンバーのそのような態度はイグヴァルジの反発心を一層刺激していたのだが、いずれにせよナーベラルにはどうでもよかった。隣に立つハムスケを促して大人しく『クラルグラ』の後方について歩き出す。

 変化は唐突であった。

 片手に永続光(コンティニュアル・ライト)が付与されたカンテラをかざし、もう片方に抜き身の剣を下げながら警戒態勢で一行が進んでいくと、突如『クラルグラ』の後方から白く眩い雷光が前方に飛んでいき、周囲を一瞬白く照らした。

 ナーベラルの放った<雷撃>(ライトニング)である。イグヴァルジが「いきなりなにしやがる」とわめく暇もなく、前方からぶすぶすと煙を上げた動死体(ゾンビ)がよろよろと出てきて倒れ込み、動きを止める。

 イグヴァルジは慌ててチームの斥候職を務める盗賊(シーフ)の顔を見るが、彼は戸惑った顔で首を横に振るだけだった。ナーベラルが魔法を放って仕留めるまで、彼は全くゾンビの存在に気づいていなかったのだ。ゾンビが彼の索敵範囲に入るより、ナーベラルが魔法を放つ方が早かったということだ。

 それを皮切りに。ナーベラルがぽんぽんと<雷撃>(ライトニング)を唱えるたびに、一行の遙か前方、あるいは巡回ルートを大きく外れた奥の方、スケルトンが、ゾンビが、攻撃魔法で殲滅されていく。『クラルグラ』のメンバーは、それをぽかんとした顔で眺めていることしかできない。

 これは勿論、ハムスケのおかげである。圧倒的なレベル差を考えれば、ナーベラル本人の索敵能力ですら『クラルグラ』の盗賊(シーフ)に匹敵するものはあるのだが、ハムスケのそれは人類の到達領域を遙かに凌駕する。<伝言>(メッセージ)でリアルタイムにハムスケと繋がったナーベラルは、ハムスケがその広大な探知能力で墓地に蠢くアンデッドを見つけた瞬間攻撃態勢に入り、結果として『クラルグラ』が見つける暇も、近寄る暇もなくアンデッドを撃破し続けることとなった。

 

(おかしいだろ、くそ……)

 

 結局何もさせて貰えないまま、『クラルグラ』とナーベラルは一回目の巡回を終えて墓守の詰め所に戻った。チームメンバーがおっかなびっくり称賛の台詞をナーベラルに投げかけ、彼女がめんどくさそうに応対するのを苦虫を噛みつぶした顔で見守る。ここで敵意丸出しの口出しをすれば、自分が惨めになるだけだ。

 そのまま真夜中まで休憩となり、ナーベラルはハムスケにもたれ掛かって目を閉じた。『クラルグラ』のメンバーなんて居ませんよとでも言わんばかりの無防備さだが、実際には白銀の魔獣が彼女を守ってくれるとの目算もあるのだろう。チームメンバーが適当にくつろぎながらもちらちらと彼女の姿に目をやってため息をつくのを、イグヴァルジは面白くない顔で眺める。実際、くそ、どれだけ彼女のことが気に入らなくても、絶世の美女であることは認めざるを得ない。冒険者じゃなくて娼館に居れば良かったのに。いや、実際にあんなのが娼館にいたとしたら、どっかの金持ちが速攻で身請けしていくだろうけど。

 

 そして二回目、真夜中の巡回。

 先程と同様の隊列を組んで『クラルグラ』は先行するも、やはり先程と同様の結果となった。イグヴァルジが血眼になり、目を皿のようにして闇の奥を見透かそうとする端から、闇夜を切り裂く雷光が飛んでいき、その度にアンデッドが爆散するのである。時折上位種が混じっているような気もしたが、そんなことはもはや関係がなかった。

 

(こんなの絶対おかしいだろ!)

 

 イグヴァルジは歯ぎしりしながら内心で叫んだ。あまりにも悔しく、惨めだった。『クラルグラ』のメンバーの中にはもはや弛緩した空気すら流れているのが信じられなかった。お前らにプライドはないのか、そう叫びたい。特にお株を奪われっぱなしの盗賊(シーフ)の男を睨み付ける。お前はこの中で一番、自分の無能さを真正面から突きつけられているのに、なんでそんなにへらへら笑っていられるのだ!?

 イグヴァルジが懊悩とする間にも、モグラ叩きを遊ぶかのように気楽な巡回が終わり、詰め所に戻ってメンバーがナーベラルを囲んで談笑する。本人は非常に鬱陶しそうにしているが。メンバーの表情に彼女に対する尊敬と憧れが広がっていくのを見て取り、イグヴァルジは歯ぎしりした。自分が毛嫌いしているから、というだけではない。確かに今の光景を見たら、尊敬したくなるのはわからないでもない、イグヴァルジとて。だが、それだけでいいはずがないだろう?そう叫びたかった。

 ここでも先程と同様、ハムスケにもたれたナーベラルが無防備な寝顔を晒し(実際には黙想しているだけなのだが)、先程より露骨にチームメンバーがその姿に見入る様子を尻目にイグヴァルジは懊悩した。巡回はあと一回、どうすれば『クラルグラ』の面目を守ることができるだろうか。チームメンバーは英雄の尻にひっついてサーガを記録する吟遊詩人にでもなったつもりか知らないが、このまま何もしないで終わってはミスリル級プレートの名が泣くというものである。

 そこでイグヴァルジの頭に閃くものがあった。そういえば、今回の依頼はただのアンデッド退治では無かった筈。異常な状況に目を奪われて意識の外だったが、確かに二回の巡回でナーベラルが撃破したアンデッドの数は、平時であればそれだけで数ヶ月分と言っても過言ではない異常な数だ。その原因、とっかかりだけでも見つけられれば、幾分かの面目は立つし、下級アンデッドなんて雑魚を蹴散らしていい気になってる魔女に冒険者のなんたるかについて目に物見せてやることができるというものである。イグヴァルジはそうして一人決意した。見ているがいい、雑魚を蹴散らすだけが冒険者の能でないということを示してやる。

 

 そして三回目、明け方の巡回。

 出発前にメンバーの頬を(精神的に)引っぱたいて活を入れるイグヴァルジ。曰く、お前ら物見遊山に来たのかよ、このままいいところを全部あいつに取られて子供のお使いで終わる気か、『クラルグラ』の名が泣くぞ……弛緩していたメンバーの表情がはっとして気合いを取り戻すのを満足げに眺める。よし、それでこそ『クラルグラ』のメンバーだ。それで現実問題、何かできることはあるのかと問うたメンバーに、待ってましたとばかりに重々しく頷いてみせる。アンデッド退治をあの女にやられちまうのはもうしょうがない、俺たちは今まで培ってきた経験を活かして、この異常事態の原因になりそうな違和感を探そうぜ。その言葉に一同成る程と頷く。男達の円陣ミーティングが終わるのをつまらなさそうに待っていたナーベラルに一声かけると、隊列を組んで出発した。

 だがしかし。

 闇夜を透かして墓地の異常を探すというのも、口で言うほど簡単なことではない。とはいえ気合いを入れて、カンテラを高くかざしながらのろのろと、明らかに先の二回より鈍った速度で進んでいく『クラルグラ』の一行を、彼らの背後からナーベラルは頭に疑問符を浮かべて眺めていたが。唐突にその顔が隣に控えるハムスケの方を向いた。

 

「あ゛……?」

 

 イグヴァルジが背後の様子に違和感を覚えたときには、既にナーベラルはハムスケを連れて巡回ルートを外れた奥の方に分け入っていくところだった。イグヴァルジも大概協調性を示してこなかったが、彼女の方も協調性のなさにかけては負けていない。そんなもので張り合ってどうする気だ、という点はともかくとして。

 

「あ、おい、待て、何勝手なことしてやがる……!!」

 

 イグヴァルジの呼びかけにも何処吹く風、ずんずんと奥へ奥へと進んでいくナーベラル。不安そうにメンバーが顔を見合わせる。

 

「なあ、リーダー、どうする……?」

 

「どうするってお前……」

 

 イグヴァルジは沈黙した。今現在、勝手な行動を始めたのはナーベラルである。即席とは言え、チームの和を乱しスタンドプレーに走った馬鹿を置いていったところで、誰にも咎められる筋合いはない。

 だがしかし。そのような正論を幾ら言ってみても、今夜の主役がナーベラルであるのは誰の目にも明らかである。このまま彼女を放置して普通に巡回を終えても依頼としては不都合はないが、その場合『クラルグラ』として得られる物は何も無いだろう。逆に彼女が向かった先には、ルートを外れるだけの理由を持つ何かがある可能性は高い。そう考えざるを得ないだけの実績を今夜示してきたのだ。

 結果、急遽隊列を変更し、ナーベラルとハムスケの後ろを男達四人がぞろぞろとついて行く構図ができあがった。付いてくるイグヴァルジ達をちらりと肩越しに視線をくれ、どうでもよさげに無言で振り返るナーベラルの態度に苛々しながらも、イグヴァルジ達は墓地の最奥にある霊廟の前まで来た。

 

「明かり……?」

 

 ここまで来ればイグヴァルジ達の目にも異常は明らか、霊廟の奥から僅かな明かりが漏れていて、怪しいことこの上ない。が、盗賊(シーフ)に合図してセオリー通りの偵察に入ろうとしたイグヴァルジ達の所作に一切関知せず、無造作に霊廟に近づいていくナーベラルを見て、『クラルグラ』の一行は口を開けて固まった。

 霊廟の奥には怪しすぎる格好で怪しげな祭壇を囲み、怪しい儀式に励む男達が居た。彼らの格好を読者にわかりやすく説明するなら、黒染めのKKK(クー・クラックス・クラン)と言った風体である。真正面から無頓着に霊廟に入っていったナーベラルの姿を当然見咎め、連中は騒ぎ出した。

 

「何者だ、怪しい奴め!」

 

 黒頭巾の一人が自分たちのことを棚に上げてそう宣うと、別の一人からこんな声が上がる。

 

「おい、あの女、ひょっとしてカジット様の仇じゃ……!」

 

「待て、それって噂の”紫電の魔女”(ライトニング・ウィッチ)のことか!?」

 

 男達は邪教集団「ズーラーノーン」の構成員で、ナーベラルがエ・ランテルに到着したその日に返り討ちにした”十二高弟”カジット・デイル・バダンテールの直弟子達であった。貴重なマジックアイテムもろとも大将を失ってなお、未練がましくエ・ランテルに死の螺旋を発生させる計画に拘って、夜な夜な邪悪な儀式に励んでいたのである。まあ、努力も空しく、カジットと死の宝珠を失った弟子達の力では、低位アンデッドの発生確率を上げるのがせいぜいであったのだが。それでも、全く対応せずに放置されていれば、エ・ランテルの巨大な墓地をゾンビとスケルトンで埋め尽くして小規模な死の螺旋モドキ程度の現象は発生させ得たかも知れない。

 それはともかく、侵入者の正体に思い当たって明らかに浮き足立ったズーラーノーンの連中に対し、ナーベラルが遠慮する理由は一切ない。逡巡しながらも慌てて彼女の後を追って霊廟に入ってきたイグヴァルジ達は見た。

 

<集団標的(マス・ターゲティング)()龍雷>(ドラゴン・ライトニング)

 

 ナーベラルの腕から迸った白く輝く光の竜が、放電しながら中空を走ってズーラーノーンの構成員達を一人残らず飲み込むその様を。人肉の焦げる嫌な匂いを撒き散らしながら黒ずくめの男達が踊るように反り返った後、次々とその場に倒れていく。

 己の頬を暖かい液体が伝っていくのを感じ、その光景に見とれていたイグヴァルジははっとした。<龍雷>(ドラゴン・ライトニング)などという代物でも、大安売りだとばかりにあちこちで放ちまくっているナーベラルであったが、彼がその魔法を目にするのは初めてだったのだ。

 

「ああ、くそ、畜生、違う俺は、泣いてなんか」

 

 しどろもどろに慌てるイグヴァルジの肩を、メンバーの一人がポンと叩いて言った。

 

「……わかるよリーダー。感動したんだろ?俺だってそうさ、目の前の光景はそう、お伽噺の英雄譚だまるで」

 

 違う。そう言いたかったが、イグヴァルジが感動したのは否定しがたい事実だった。彼女があの魔法を放つその様こそは、子供の頃に憧れ、想像した英雄達の物語そのものだったのである。ハムスケが頭陀袋の中から猿轡をかまされ後ろ手に縛られた裸の子供を拾い上げる。ハムスケに呼びかけられて、チームの回復役を務める神官の男がおっと、やっと俺にもできることがありそうだと言い残して駆けていくのを、イグヴァルジは滲んだ視界で見送った。自分がどのような顔をしているのかもう分からなかった。

 

 

 




 ナーベ「……歯でも痛いの?」←そんな顔だったらしい。
 ここでまさかのイグヴァルジスポット回( ´∀`)
 次回、きれいなイグヴァルジさんの姿が!



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第二十五話:イグヴァルジのしんせつ

 
前回のあらすじ:
 イグヴァルジ「こんなの絶対おかしいよ!」
 ナーベラル 「もうお前らには頼らない」



 城塞都市エ・ランテルの下町、中流~下層階級の住民が足を伸ばす飲食街。

 その中ではそこそこ高級、都市全体で見れば中堅所の居酒屋のカウンター。

 浴びるように酒を飲む一人の男が居た。

 

「お客さん、その辺にしておいた方が……」

 

「あ゛ー?」

 

 酔いに濁った目を店主に向けるその男の名はイグヴァルジ。つい先日までエ・ランテルでは最高ランクだったミスリル級冒険者チーム『クラルグラ』のリーダーであった。今はそうではない。エ・ランテルで最も有名な冒険者は、ミスリルのその上、オリハルコン級であるのだから。しかもすぐにアダマンタイト昇格間違いなしという噂つきである。

 

「ヒック。いいじゃねえかよ、俺がどれだけ呑んだって。俺は酒が飲みたい、あんたは酒が売りたい。支払いの心配はこの通り無用だし、周囲に迷惑もかけないとなれば、これはもう上客と言っていいんじゃねえか?」

 

 そう言うと金の詰まった財布を見せびらかして、酔っぱらいの癖に理路整然と主張する。確かに今日の彼は彼自身の言い分で判断する限りにおいては上客である。普段はもう少し陽気だがもう少し柄の悪い酒を飲み、女給の評判がいまいちになる程度には店員に絡んだりもするというのに、今日はひたすら一人でちびちびと塩を舐めながら、陰気に酒を流し込むだけなのだ。それが逆に不気味であるし、第一傍から見ていて心配になる深酒である。

 

「いやでもお客さん。いくらなんでも身体に悪いですよ。上客って言うなら身体を壊さずに明日も来てくれるお客さんこそが上客ってもんです」

 

「うるへー、理屈並べやがって……」

 

 自分は理屈を並べた癖に他人に言われるとこの言いぐさである。そう言って酒をさらに呷る姿はやはり酔っぱらいであった。

 

 

 ズーラーノーンの残党を蹴散らした後、そのまま夜が明け空が白んでくるのを待ち。

 一行は(イグヴァルジ以外は)意気揚々と、そのまま開店直後の組合へ報告に戻った。昨日から行方不明の娘の捜索を、朝一番で依頼しに来ていた母親が我が子の姿を見つけて驚喜し、危うく生け贄にされるところだったとの事情を聞いて、ナーベラルの手を掴んで振り回しながら涙ぐんで礼を言う。淡々と応答するナーベラルに、事情を聞き及んだ周囲から尊敬の眼差しが集まるのを横目に、イグヴァルジは苛立ちを募らせていた。

 

「では、依頼はこれで終了です。お疲れ様でした」

 

「じゃあ、これで解散ということで。……ご苦労様」

 

「……待てよ」

 

 イシュペンがクエストの完了を宣言し、それを受けて臨時パーティーを解散しようとしたナーベラルに、イグヴァルジが声をかける。一同の視線がイグヴァルジに集中する。

 

「……何か?」

 

「……アンデッドは壊滅させた、原因も解決した。そりゃあ、依頼はこの上もない大成功だったろうよ」

 

 俺たちが居ても居なくてもな、小さな声で付け加えるイグヴァルジに、周囲の視線が困惑に変わる。リーダー、そんなに落ち込まなくてもさ、そう言いかける仲間を手で制すると、イグヴァルジは言った。

 

「それでよ、もう一つの件はどうなったんだよ」

 

「もう一つ?」

 

 首を傾げるナーベラルに、一層苛立ちながらイグヴァルジは叫ぶ。

 

「お前が、俺たちの実力を見定めるって奴だよ!あれはお前の中でどういう結論になったんだ!?」

 

 その言葉を聞き、『クラルグラ』のメンバーが気まずそうな顔を見合わせた。そんな、わかりきったことをあえて聞かなくてもいいだろうに。

 

「……ああ、その話ね。もういいわ、()()()()()()から」

 

「何が分かったってんだよ!!」

 

 イグヴァルジは吼えた。自分でも何をそんなに拘るのかわからぬままに。

 

「昨晩お前に分かったのは、ウチのチームの盗賊(シーフ)の能力がてめぇの遙か下ってことだけじゃねえか!俺たちは何を示す機会も貰ってねえ!機会さえありゃ……くそ、畜生ッ!!」

 

 リーダーに名指しで無能を指摘され、盗賊(シーフ)が流石に少し傷ついた顔をする。その台詞を聞いてナーベラルは少し考えた後、言った。

 

「……そうかもしれないわね、まあ。それで、あなたはどうしたいの?」

 

 どうしたいのか。そう問われてイグヴァルジは一瞬、虚を突かれたような顔をした。だがすぐに、気を取り直して叫んだ。

 

「……訓練場で俺と立ち会え!!『クラルグラ』の面子は決して馬鹿にできない実力を持っている、お前にそれを見せてやる!!」

 

 叫んだイグヴァルジ自身ですら酷い話だと思ったのだから、周りから失笑が漏れたのも無理はなかった。戦士が魔法詠唱者(マジック・キャスター)に一対一で試合をしろというのは、それだけで酷い話である。タイマンというだけでも後衛職に不利なのに、試合となれば加減の利かない攻撃魔法は制限を課さざるを得ない。ハンデキャップをつけて俺の自己満足につきあえ、そう言ったに等しい内容だった。

 だがしかし、ナーベラルは鷹揚に頷いてみせた。

 

「……まあ、今回はこちらから頼んだわけだし。それであなたが満足するのなら」

 

 彼女の言葉に、むしろ周囲がざわめいた。どういうことだおい、わからんけど『クラルグラ』の面子を立ててやりたいとかじゃね?馬鹿、あの魔女がそんなタマかよ、じゃあどういうことだよ、俺が知るかよ、花を持たせた上で前衛として雇いたいんじゃね、うーんどうだろうなあ……好き勝手な推測が飛び交う中、申し込みを受け入れられたことにイグヴァルジ自身が驚きながらも組合の訓練場に移動する。

 

 冒険者組合には冒険者としての訓練を行う訓練所が設置されている。講師に戦闘の心得を伝授して貰うのは有料だが、空いているスペースを使う分には、先客が居なければ自由に使える。そんな一角に、木剣を持ったイグヴァルジとナーベラルが向かい合う。

 

「では得物は木剣、寸止めルールで。立会人の判定ないしは当事者の降伏を以て決着とします。わざと止めなかったなどの悪質な反則行為は冒険者ランクの降格処分とします。それでよろしいか」

 

 話を聞いて、興味津々と言った様子で、立会人を無料で引き受けた訓練所の教官の言葉に、二人は黙って頷いた。

 

「では、始め」

 

 勝負は一合で決着した。開始の合図を聞くや真っ直ぐ踏み込んで上段から切り込んだイグヴァルジの木剣に、同じく合わせるように上段から切り込んだナーベラルの木剣が重なって、横向きのベクトルを打ち込まれたイグヴァルジの剣閃がナーベラルの横をすり抜けていった。舌打ちしたイグヴァルジが木剣を引き戻すよりも速く、ナーベラルが切り返した木剣の先端がイグヴァルジの喉笛の直前でぴたりと止まる。

 

「それまで!」

 

 周囲のどよめきが大きくなる。おいおいマジかよ、魔法詠唱者(マジック・キャスター)が剣の試合で勝っちまったぞ、どういうことだ、知らね、でも『クラルグラ』のリーダーが案外たいしたことないとか?いやそれ魔女が聞いたら怒るだろ、でもまあ確かに……

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)に剣の試合を申し込んで、しかも負けたイグヴァルジの評価に大きな疑問符がついたのは間違いない。だがもう彼はそんなことはどうでもよかった。

 

「まだだ!こんな棒切れで何が分かる!寸止めじゃなければ避けれてたんだ!クソッ、畜生……!!」

 

 子供の言い訳より酷いその言いぐさを聞いて、周囲の視線が冷たくなった。チームメンバーの視線も、心配から呆れの方に比重が大きくなっていく。

 だが、ナーベラルは笑わなかった。その台詞を聞くと、首を傾げて言った。

 

「……では、刃を潰した鉄剣で寸止めなしなら満足するのかしら?」

 

 その言葉を聞いた周囲がびびる。おい止せよそれもう試合じゃなくて殺し合いだろ、それで上手いこといったつもりか馬鹿、なんで魔女が絡むとこうスプラッタな展開になるんだ?、お前むしろそれ期待してただろ、いいじゃないか見物する分には血生臭いほど面白いぜ……

 ナーベラルに挑発する意図は全くなかったが、そこまで言われて言い出しっぺのイグヴァルジが引けるはずもない。渋い顔をして止めにかかる教官を押し切って、寸止めなしの異例な立ち会いが始まった。

 

 結果については語るまでもない。己の剣を明後日の方向に弾き飛ばされ、肩口から袈裟懸けに鉄の棒を打ち下ろされて鎖骨を砕かれたイグヴァルジは虚しく地面に転がった。地に伏して痛みに悶えるイグヴァルジを、その側にかがみ込んだナーベラルが見下ろして言った。

 

「……満足できたかしら。これでも駄目なら次は真剣でやる?」

 

 淡々と告げられるその台詞に、周囲が恐れをもって沈黙する中。ナーベラルの瞳を覗き込んだイグヴァルジは、彼女に彼を貶めてやろうとか、懲らしめてやろうとか、そういった負の感情を持った意図が一切無いことを見て取った。そこにあるのは、路傍の石ころを見つめるときが如く、興味なさげで無感動な瞳だった。イグヴァルジが何をわめき立てようとも、彼女にとって彼は道ばたに転がる小石に等しい存在だったのだ。

 イグヴァルジは己が何をそんなに拘っていたのかようやく理解した。彼はナーベラルが、己が子供の頃から夢見てきた英雄に等しい存在であると心の底ではとっくに認めていた。そんな彼女が、イグヴァルジのことを役に立たない有象無象と同じだと見なす、そのことが耐え難かったのだ。いつか自身が英雄になることを夢見る少年は、その英雄に今は届かずともせめて、見込みがある奴だ、そのように思われたかった。

 だが現実は違った。彼がいつかなれると信じて英雄を目指し積み重ねてきた研鑽は、本物には容易く踏みつぶされる程度のささやかな子供のお遊びに過ぎなかった。まあ百歩譲って、これから血の小便を出し尽くして地獄をくぐり抜ける修行を重ねればいつか剣技が追いつくとしよう。それで、魔法詠唱者(マジック・キャスター)としての差分はどうやって埋めればいいというのだろうか。

 子供の頃見た夢を決して捨てなかった少年は、そうして今、本物に至るまでの高さを思い知ってしまった。

 

 

「……頭痛ぇ……」

 

 イグヴァルジが目を覚ますと、なぜか繁華街の路地裏、ゴミ捨て場の生ゴミの中に身体を転がしている自分自身を発見した。まさにテンプレを地でいく酔っぱらいの末路である。己のものと思しき嘔吐物がそこかしこにぶちまけられて、生ゴミと合わせて耐え難い臭いを発している。

 

 あの後仲間の神官に折れた鎖骨を癒して貰ったイグヴァルジは、周囲の軽蔑の視線に委細構わず、その表情を見た仲間の心配の声も無視して、幽鬼のごとき足取りでその場を消えた。手持ちの金をありったけ持って酒場に現れ、ひたすら浴びるように酒を飲んだ。ひたすら暗い一人酒を酒場の親父に心配されたことはかろうじて覚えていたが、そこから先の記憶はない。まあ、記憶するまでのこともない、追い出されて、河岸を変えて飲み続け、吐きながら歩き回って、とうとうぶっ倒れたのだろう。財布の袋を検めると、昨日ひっつかんで出てきた所持金のうち半分は残っている。ということは泥酔した酔っぱらいの銭をかすめ取る物盗りすら現れず、きちんと代金は払ってきたということだ。何も問題はない。イグヴァルジは突き刺さる朝日のまぶしさに目を細めた。ぶるり、と身震いする。毛布も掛けずに野宿できるような時期ではない。酷い風邪をひいてもおかしくない有様だった。

 だが、なにもかもどうでもよかった。自分の健康も、貯めた財産も、傷ついた威厳も、地に落ちた周囲の評判も。子供の頃の夢が決して叶わない、現実を知ってしまったそのことに比べれば。

 

「……もうやめよう、冒険者なんて……実家に帰って畑でも買い取るか、あるいは街で商売でも始めるか。その程度の金は貯まってた筈だ……」

 

 そうしてその日、ミスリル級冒険者チーム『クラルグラ』はリーダーの引退を以て解散した。これは決してイグヴァルジの心が他の面子より弱かったからではない。むしろ逆である。他のメンバーは、早々にナーベラルが自分たちとは別世界の住人だと、己に見切りをつけてしまっていたのだ。あの人は凄い、でも自分はああはなれない、自分たちはこのままミスリル級冒険者として引退まで過ごすのが精々だと。それを認められず、最後までナーベラルの高さに食らいつこうとしたイグヴァルジただ一人が、落下した時の高さに耐えきれず心が折れてしまったのである。

 

 そして、同様に『天狼』と『虹』がオリハルコン級冒険者ガンマとの共同依頼を実施した結果。イグヴァルジほど劇的ではなかったものの、限界を悟ったり心が折れたりした脱退者が『天狼』から二名、『虹』から一名発生し、解散した『クラルグラ』の残りメンバーはその抜けた穴を補填するために二手に分かれて合流することとなる。

 ――以上が、エ・ランテルで怖れられた”紫電の魔女”(ライトニング・ウィッチ)の伝説の一つ、「ミスリル潰し」の顛末である。

 

 こうしてエ・ランテルのミスリル級冒険者チームは二つに減った。

 その報告を受けた受付嬢が「あっれー?」と冷や汗を流しながらこめかみを掻き、組合長が胃を押さえながら倒れたのはまた別の話である。

 

 

 




 親切だと思った?残念、心折でした-!
 ってバレバレですね、すんません。この仕込みのために前回から漢字を開いておいたんだけど、どちらにしても冒頭酒場の時点で丸わかりだっていう。

 イグヴァルジさんの不幸は大体、「分不相応の夢を抱いてる」所に集約されると思うんで、これで幸せになれるよ!やったね!
 ……え、きれいなイグヴァルジさんはどこ行ったって?
 なったじゃないですか、燃え尽きて真っ白な灰(きれい)に( ´∀`)



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第二十六話:幕間陰謀劇

 
 前回のあらすじ:
 「組合長!エ・ランテルのミスリル級冒険者チームの数が二つに減りました!」
 「なん……だと……?」
 もうやめてナーベ!アインザックの胃のライフはとっくにゼロよ!( ´∀`)



「ねえみんな、エ・ランテルに突然現れた、オリハルコン級冒険者ガンマの名前を聞いたことはある?」

 

 そう口にしたのは生命力に満ちあふれた若く美しい女性であった。彼女の名はラキュース・アルベイン・デイル・アインドラ。れっきとした王国貴族の令嬢でありながら神官戦士としてアダマンタイト級冒険者の座にまで上り詰めた、文字通りのお転婆娘である。

 

「ああ、聞いてるぜ。俺たちの稼業じゃ同業者に対する情報は速えんだ、まさかこの中に知らない奴はいないだろ?」

 

 そう答えたのは全身を筋肉の鎧で固めた巨漢の女性、”胸じゃなくて大胸筋”ことガガーラン。アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』のメイン盾を務める、脳筋の戦士だ。

 

「そうだな、注目すべき同業者の情報を集めていないとなれば、それこそ『蒼の薔薇』のメンバーとして失格だろう。……第五位階の魔法を使いこなす魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)だと聞いている」

 

「おっ?そうだな、ちびすけにはそこが気になるよな。初めてお前のライバルになれるかもしれない奴が現れたんだもんな!」

 

 楽しそうに茶化すガガーランに、「やかましいこのゴリラ!」と悪態をついたのは漆黒のローブで全身をすっぽりと覆い隠し、仮面をつけて顔すら隠した小柄な魔法詠唱者(マジック・キャスター)――イビルアイである。

 

「”黄金”に匹敵する絶世の美女と聞いた。是非一度会ってみたい」

 

 身体にフィットする黒装束に身を包んだ女性、忍者のティアがそう言った。それを聞いたラキュースが苦笑する。

 

「本当に、あなた達は自分の興味に忠実ねえ……あ、でもそうするとティナは?」

 

 格好風体も、顔立ちも、ティアと瓜二つの女性が、名前を呼ばれて反応した。ティアとは姉妹であり、同じく忍者であるティナは平坦な口調で告げる。

 

「……私はその”紫電の魔女”(ライトニング・ウィッチ)がとんでもない問題児だと聞いた、ボス」

 

 彼女ら五名こそは、王国が誇るアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』の構成メンバーであった。

 

「そうだなあ……どこまで本当かわかんねえけど、先輩を再起不能にしたとか、自分をぺてんにかけようとした連中を皆殺しにしたとか、街中でも平気で魔法をぶっ放すとか、冗談みたいな話ばっか聞こえて来やがる」

 

 ちなみにガガーランの聞いた話は大体あってる。イビルアイがラキュースの方に仮面を向けて言った。

 

「それで、ラキュース。そのガンマがどうしたというのだ?エ・ランテルで活動する冒険者ならそうそう私たちに関わることもなさそうだが……」

 

 その疑問に、ラキュースは頭をガリガリと掻いて答える。

 

「来るのよ」

 

「何だって?」

 

「その子、王都に来るのよ。確かに滅茶苦茶腕が立つらしいんだけど、同時にガガーランが言ったとおりの超特大問題児だから、アダマンタイトに上げるのにはよく審査しなきゃいけないって組合が判断したみたいでね。それで、審査を私たちに手伝えってさ」

 

「OH……」

 

 ティアとティナが呆れたような声を出し、ガガーランが顔を顰める。イビルアイは少し考えるそぶりをしたが、やがて疑問を発した。

 

「審査って、何を判断すればいいんだ?」

 

「そうね……とりあえず、私たちに面談させるつもりだって言ってたから、彼女の実力の確認と、一緒に行動して人品品格立ち居振る舞いにどんな問題があるのか調べろってところかしら」

 

「もしかして、俺らに混ぜる為に引き合わせるつもりなんじゃねえの?エ・ランテルじゃ釣り合う腕の奴が居なくてやむなくソロ活動してるって聞いたぜ?」

 

 ガガーランが思いついた疑問を口に出すと、ラキュースは頷いた。

 

「そうね、明言されなかったけど、そういう想定は選択肢として考えているでしょうね。女性なんだから、入れるとしたら『朱の雫』ではなく私たちということになるんですから。まあ、それも実力と性格を確かめてからの話だけれどね。私たちと上手くやっていけそうにないなら、どれほど強くても断るしかないわけだし」

 

「まあ、色々な意味で興味深い人物なのは確かだ。せっかく会いに来ると言うんだ、精々好奇心を満たさせて貰おうか」

 

 そう言ってイビルアイがまとめると、一同は深く頷いた。

 

 

「王都から呼び出しが来た」

 

 開口一番そう告げたアインザックに、ナーベラルは首を傾げた。組合受付で、組合長から話があると告げられて来てみればすぐこれである。何の話だろうか。

 

「君のアダマンタイト級への昇格の件だよ。理屈の上では第五位階魔法を使える冒険者ならそれだけでアダマンタイト級だとは言ったがね、実際にそうやって昇格した前例のないことではあるし、向こうとしてもまあ、審査などしたいのだろうね。王都に来て、とりあえず『蒼の薔薇』と面談して欲しいという話だ」

 

「蒼の薔薇」

 

 オウム返しに呟くナーベラルの様子を見てピンと来たのは隣に座ったイシュペン嬢であった。目を輝かせて身を乗り出すと、人差し指を立てて口を開く。

 

「おや、まさかご存じないので、ガンマさん?これはいけませんねえ、王国に二つしかないアダマンタイト級冒険者チームの一つ、『蒼の薔薇』を知らないとは!構成メンバーが全員女性の華やかなパーティーですよ」

 

 そうなのか。ナーベラルが曖昧に頷くと、アインザックが言葉を引き取った。

 

「やれやれ、ロンブル君に台詞を取られてしまったな。……ともあれ、君のパーティーメンバーの問題もそこで解決するかもしれん」

 

「その……蒼の薔薇が、私をメンバーとして受け入れてくれると?」

 

「確約はできんがね、蒼の薔薇と面談しろというのはつまり、本部としてそういう狙いがあると思っていいだろう。君をいつまでもソロで活動させるのは王国としても大きな損失だからね。もっとも、ただ受け入れてくれる訳ではない、当然試験があると思うべきだな」

 

 アインザックが厳めしい表情を作って大仰に宣告する。

 

「試験?」

 

「そうさ、試験だよ。先日君がウチのミスリル級チームの面々を散々な目に遭わせてくれたように、今度は君が蒼の薔薇から実力を試される番というわけさハハハ。……おっと、うん、皮肉の通じる相手ではなかったな、今の言葉は忘れてくれたまえ」

 

 ナーベラルが退出すると、アインザックは胸をなで下ろした。

 

「アダマンタイト級冒険者ともなれば、それに相応しい仕事をたかだか一都市が賄えるものでもない。どこに拠点を置くにせよ、王国全土に派遣されることになるだろうね。そして首尾良く蒼の薔薇に迎え入れられれば、その拠点は当然王都リ・エスティーゼというわけだ。……やれやれ、やっと肩の荷が下りそうだよ」

 

 そう言って愛おしげに最近少し贅肉を落とすことに成功した(心労で痩せた)腹回りをなで回す。こう書くとまるで妊娠しているように思われるかも知れないが、苦労をかけ通しの胃袋を労っただけである。

 これまで散々ナーベラルの存在に心労を重ねてきた組合長である。「組合長、それフラグですよ」という台詞を飲み込むだけの情けが、イシュペン・ロンブル嬢にも存在した。

 

 

 

 バレアレ家に戻ってアダマンタイト級の昇格試験を受けるために王都に行く、そう言うと家人は皆喜んだ。

 

「ガンマ殿なら間違いなくアダマンタイト級に合格できるじゃろ、めでたいことじゃて」

 

 そう言ったのはリイジーであった。ンフィーレアの方も、笑顔を浮かべて言った。

 

「おめでとうございます!餞別に一番いいポーションを作りますから、是非持って行ってくださいね!」

 

「前祝いしましょう!今夜はごちそう作りますよ」

 

 エンリがそう続けると、最後にネムは目に涙を溜めてこう言った。

 

「ガンマ様、遠くに行っちゃうの?」

 

 こら、おめでたいことなのよ、と姉が叱りつけると、ネムはこくりと頷いた。

 

「うん、わかってるよ。お祝いしなくちゃって。……でも、もう会えないのかなあ?って思っちゃって……」

 

 ナーベラルは幾分か躊躇ってから、ネムの頭に手を乗せてわしわしと撫でた。

 

「……まあ、またいつか会えるわよ。いい子にしてれば」

 

「する!いい子にしてるから、またいつか帰ってきてね!」

 

 そう言ってひしとしがみつくネムを、ナーベラルは困ったように撫で続けた。翌朝、バレアレ家の家人に見送られる中、「さよなら」ではなく「……またね」と言ったナーベラルに、ネムは満面の笑顔で応えたものである。

 こうしてナーベラルはハムスケ一匹を供に王都へ向かった。

 

 

「――ふむ、そなたの話、大変に興味深い。聞かせてくれて、嬉しく思うぞ」

 

 バハルス帝国の皇帝、”鮮血帝”の異名で知られる唯一絶対の専制君主、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスがそう口にすると、声をかけられた若い男は額から汗を流しながらははっ、お役に立てて光栄でございますと頭を下げた。己の腕一本が頼りのワーカー稼業、帝国皇帝がなんのその。普段はそう嘯いているその男も、実際に謁見した皇帝の圧倒的な存在感には、ただただ恐れ入って平伏するばかりであった。

 

 ここはバハルス帝国の首都アーウィンタール、その中心に位置する皇帝の居城。その中でもジルクニフが最も長い時間を過ごしてきた、皇帝執務室である。寝る間も惜しんで各種の改革に邁進する皇帝は、寝室よりも執務室に居る時間の方が長いともっぱらの噂であった。

 その部屋に、七名の人間が居た。一人は部屋の主、帝国皇帝のジルクニフ。一人はその眼前で平伏する、木っ端ワーカーの青年。そして一人、帝国にその人有りと謡われた人類最強の大魔法詠唱者(マジック・キャスター)”三重魔法詠唱者”(トライアッド)ことフールーダ・パラダイン。残りは皇帝の護衛を務める近衛騎士である。

 

「黒髪黒目の異国風の顔立ちをした絶世の美女で、白銀の巨大な魔獣を従え、<雷撃>(ライトニング)を自在に操る魔法詠唱者(マジック・キャスター)……どう聞いても王国に最近突如として現れたというオリハルコン級冒険者ガンマ、のことで間違いないと思わないかじい?」

 

 ジルクニフが親しげに枯れ木のような老人に話しかけると、フールーダは己の豊かな白髭をしごいて答えた。

 

「そうですな陛下。そこまで共通点があれば別人と考える方が愚かでしょう。……報告ではその魔法詠唱者(マジック・キャスター)、第五位階の魔法を自在に操ることでオリハルコンの位をポンと貰ったとか。実に興味深いですな」

 

 フールーダが社交辞令とは全く異なる、好奇心が溢れて零れそうな強い眼光で天井を見上げた。彼の直弟子でも最高で第四位階の魔法までしか習得していない。第五位階の魔法をおおっぴらに切り札として喧伝するのなら、あるいは更なる奥の手を隠しているのではないか?そう想像するだけで心が躍る。無論、逆に五位階魔法を使いこなすというわざとらしい宣伝がブラフの可能性もある。だが、これは多くの目撃情報から可能性が薄いと思われた。

 

「しかし、第五位階の魔法を使うからというのであれば、アダマンタイト級の方が相応しいのでないか?そんな奴は我が国でもじい以外に居ないだろう?」

 

「そこはそれ、ポッと出の流れ者が、登録後即アダマンタイトでは他の冒険者も面白くないでしょうからな。そういった周囲の感情に配慮して、とりあえずワンクッション置くことにしたのでしょう」

 

「ふーん、そういうものか。ウチは実力本位だから、そういうことに文句は言わせないんだがな」

 

 帝国の最重要人物二名が、自分の頭上を飛び越して親しげに会話をするその様を、平伏するワーカーの男は脂汗を流しながら早く終わってくれと祈った。この場の圧力は、男には刺激が強すぎる。

 そもそも何故こんなことになったのかと言えば、全てはあの女のせいだ。あの女――あの時はお互い名乗りもしなかったが、今であれば皇帝とフールーダの会話から、その名前がガンマであると分かる。ともかく、そのガンマに邪魔されて依頼を失敗し、道具として使っていた森妖精(エルフ)の奴隷二人も失った。正直言えば大損害で、信頼を裏切られてぷんすかする依頼主に違約金を支払うにも困窮し、結局何が起こってどうなったのかを恥を忍んで話さざるを得なかった。すると話を聞いた大貴族、尚も言い訳を並べようとする男を制して思案顔になり……それなりの待機時間はあったものの、あれよあれよという間に皇城へと呼び出しがかかったという訳であった。

 皇帝がなんぼのもんじゃいと虚勢を張りながら、内心びくびくものの男がおっかなびっくり登城して見れば、下にも置かぬ歓待ぶり。目に見る物全てに圧倒されながら己の恥を晒して詳しい話を白状し、皇帝達から興味津々の反応を受けて今に至る。

 

「ほら、陛下。興が乗るのも結構ですが、そこの彼が困っておりますぞ」

 

「おお、済まんな。話に熱が入ってそなたの処遇を忘れておった、許して欲しい」

 

「ゆ、許すなどと、そのような……」

 

 フールーダが彼のことを思い出してくれて内心ではやっと話が進むと喜んだが、そのようなことはおくびにも出さずますます平伏する。ジルクニフがパンと手を叩いて隣の近衛騎士に合図をすると、騎士が兜を縦に振って頷き、背後に置かれていたらしい盆を重々しく抱えて持ってきた。その上に踊るのは、山と積まれた帝国金貨である。息を呑んでその輝きを見つめる男に、ジルクニフが優しげな声をかけた。

 

「――金貨千枚ある。そなたの話への報酬だ、受け取るがいい」

 

「へ、ま、まさかそのような?」

 

 無論、騎士がそれを手に取った時点でもしかしたらという期待はあったが、たかが恥ずかしい失敗談を開陳しただけで金貨千枚とは破格の報酬である。これを受け取れば、男のワーカーとしての立て直しにもどうにか光明が見えるというものだ。

 

「そなたの話にはそれだけの価値がある、そう私が判断したのだ。遠慮は要らぬぞ?」

 

「へ、は、は、では、ありがたく」

 

 緊張の余り殆ど過呼吸になりかけながらも、男がどうにか震える手を卓上の金貨に伸ばす。その指が金貨の山に触れるか触れないかというところで、皇帝が声をかけた。

 

「――そうそう、ところで、念を押しておきたいのだが」

 

「は、はいっ!?」

 

 びくりと首を竦めて飛び上がった男を、愉快そうな目つきで眺めると、ジルクニフは言った。

 

「そのガンマなる魔法詠唱者(マジック・キャスター)のことは、以後帝室の預かりとする。具体的に言うと、今の話を聞いた上では、そなたには当然そのガンマに対する遺恨があるだろうが、それは全て忘れろ、そういうことだ。わかるな?」

 

 分かったら金貨を受け取るがいい。そのように述べたジルクニフの言葉を理解するにつれ、男の頭は真っ白になった。要するに、目の前の報酬には以後こちらの言うとおりにして貰うぞという意味もあるらしい。とはいえ、ガンマにしてやられたことを忘れろと言われているだけなのだから、問題にもならない条件である、普通ならば。

 だが、男はもはや普通ではなかった……その胸にうずまくガンマへの復讐心という炎の勢いという意味で言うならば。男はしばし沈黙し、汗を流しながら苦悶の表情で唸りを上げると、震える手を無理矢理に握り込んだ。

 

「怖れながら、できませぬ」

 

「ほう?」

 

 その言葉に近衛騎士が一歩踏み出しかけるのを手で制すると、ジルクニフはむしろ面白そうに相槌を打った。先程まで恐れ入って平伏するばかりだった木っ端ワーカーが、皇帝の言葉に逆らったのだ、逆に興味が湧いてくる。

 

「何故だ?千枚では不服か?駆け引きが望みならもっと積んでも良いぞ?」

 

「いえ、千枚が万枚でも。金の問題ではございません、この私めのプライドの問題であります故。あの女にしてやられ、馬鹿にされたままでは、この先一生私めは前を向いて生きていくことができませぬ。故に、あの女はいつか必ず見返してやります。それがどのような方法になるかはまだ分かりませぬが、この金を受け取ったばかりにそれが叶わぬということにでもなれば、後悔してもしきれませぬ」

 

 それを聞いてジルクニフは、愉快そうに笑った。

 

「プライドか!それは何とも、頼もしいことだ。良かろう、先程の言葉は取り消そう。その金貨のうち、百枚を取って下がるが良い。それがそなたの話に対する、余計な条件のつかぬ純粋な報酬だ。それでどうだ?」

 

 それを聞いて男は深々と平伏し、厚い絨毯に額ずけた。

 

「――ご厚情、感謝致します」

 

「よいよい、私の言葉に逆らってみせるなど、面白いものが見れた。なかなか在野にも、まだまだ気骨のある者はいるものよな。おい、バジウッド。彼を外まで送ってやれ」

 

「はっ」

 

 そうして近衛騎士の一人が頷くのを聞き、男は瞠目した。するとこの男が、帝国最強と名高い、帝国四騎士の筆頭、”雷光”バジウッド・ペシュメルか。王国最強の男ガゼフ・ストロノーフと同じく、男がいつか越えてやるつもりの目標の一人である。そのような男が自分を案内するという。この場合、外まで送るというのは、中で余計なことをしないよう見張っておけという意味をもつ。つまり自分は、帝国四騎士をつけて見張らねばならぬほどの男か。実際はそんなわけがないことは男も分かっては居るのだが、その想像は男の気分を少しだけ良くする効果があった。

 男が機嫌良く退出すると、ジルクニフは上機嫌に鼻歌など口ずさみだした。フールーダが重々しい声をかける。

 

「陛下、よろしいので?」

 

「うん?分かっている癖にじいは心配性だな。本当、魔法絡みのことになるといちいち執念深い。……幾つだと思う?私は二だ」

 

「そこまでの器には見えませんでしたな。私は一だと思います」

 

「そうか?あれだけの大口を叩いたんだ、さぞかし自信があるんだろう?まあ、私にはよくわからんがね」

 

 そのようなことから始まって雑談をしているうちに、やがてバジウッドが一抱えもある箱を抱きかかえて戻ってきた。

 

「戻ったか、ご苦労だった」

 

 ジルクニフが声をかけるとバジウッドは無言で一礼し、箱を押し頂いて片膝をついた。

 

「それで、何合だった?」

 

 ジルクニフがわくわくする子供のような顔で問いかけると、バジウッドは姿勢を変えずに答える。

 

「零でございます、陛下」

 

 その言葉を聞いてがっかりした顔をしたジルクニフは、呆れたように嘆息した。

 

「なんだ、実質アダマンタイト級の冒険者に張り合おうというのに、口ほどにもない奴だなあ!じい、どちらも外れたな!」

 

「そうでございますな、まあ別に問題はありませんが」

 

「そうだな、その辺はどうでもいいな。重要なのは、ガンマ殿が首尾良く帝国を訪問してくれた暁に、万が一にも不愉快な思いをさせることがあっては本末転倒だ、というところだからな!」

 

「そういう意味では断ってくれてようございましたな。監視をつける手間が省けましたからな」

 

「全くその通りだな!おい、一応確認させてくれ。あまり見たいものでもないけどな」

 

 ジルクニフの言葉に従い、バジウッドが箱の蓋を持ち上げる。

 その中では、敷き詰められた塩の上に無造作に乗せられた、まだ温もりを残した先程のワーカーの生首が、恨めしげに虚空を眺めていた。

 

 

 




 十二話で張った露骨な伏線の回収。
 ……えっ、これで予定通りですよ? ひょっとして、直接リベンジするチャンスが貰えるとでも思ってたんですかエルなんとかさん( ´∀`)?

1/9 朱の雫の名称間違い修正。
  ……エルなんとかさんはもっと強い筈って指摘受けたんですけど、修正は保留( ´∀`)
  別に直さなくてもいい気が……
1/23 誤字修正。


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第二十七話:蒼の薔薇

 
 前回のあらすじ:
 イビルアイ「……注目すべき同業者の情報を集めていないとなれば、それこそ『蒼の薔薇』のメンバーとして失格だろうな」
 ナーベラル「『蒼の薔薇』?……なにそれ」



 ナーベラルが王都を訪れて無事入門し、とりあえず組合に挨拶に向かうと、受付で『蒼の薔薇』の面子と会談してくるように言われた。

 説明された道順に従って、ハムスケが注目を集めながら大通りを歩いていく。通行人の驚嘆と畏怖の視線を一身に集めるハムスケは、まんざらでもなさそうだ。鼻をぴくぴく膨らませながら心持ち顔をつんと上げて格好をつけるハムスケを、どうでもよさそうに隣を歩くナーベラルは一瞥した。

 やがて、横手に一つの冒険者向けの宿屋が見えてきた。広大な敷地には宿泊施設、馬小屋、日々の鍛錬に使えそうな広さの庭がある。外観は調和を考え抜かれた美しいデザインであり、透き通ったガラスが嵌め込まれた窓から僅かに見える内装もまた見事な調度品が揃えられているのが窺える。「冒険者向け」という前提条件を抜きにしてすら王都における最高級と言えるこの宿屋が、アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』の王都における活動拠点であった。

 

「うひょー、見てくださいでござる姫、この宿屋の入り口大きいでござるなあ!これならそれがしでもくぐれそうでござるよ!」

 

 ハムスケが宿屋の門構えを見てはしゃぐのを、ナーベラルは窘めた。

 

「落ち着きなさい、門番が怯えているわ。……あなたが物理的に入れる、ということは必ずしもルール的に入って良い、ということには繋がらないのだから少し待ちなさい、聞いてみるから」

 

 彼女の言葉通り、入り口の左右に立つ警備兵は二人とも、ハムスケの威容に完全にびびって腰の剣に手をかけていた。ナーベラルはその様子を無視して警備兵に声をかける。

 

「……エ・ランテルから来たオリハルコン級冒険者のガンマだけど、この中に『蒼の薔薇』の人は居るかしら」

 

 その言葉を聞いて、警備兵は腰の剣から手を放して居住まいを正した。ナーベラルの首から下がったプレートをちらりと一瞥して答える。

 

「あっ、はい、承っております。皆様お待ちですのでどうぞお入りください」

 

 ナーベラルが扉を開けると、一階部分を丸ごと使った広い酒場兼食堂が視界に飛び込んでくる。その中に居た冒険者達の視線が彼女に集中する。その数は広さに対して多いとは言えず、むしろ少ない。そのことは、このような場所を定宿にできる上位の冒険者の少なさを示していると言えた。

 『蒼の薔薇』が座っている場所はすぐに見当がついた。獣の群れに一匹魚が混じり込んだような強烈な違和感を放つ者が一人いる。そいつが座っているテーブルの五人がそうだろう。人数も聞いたとおりだ。だが、ナーベラルはとりあえずそのことを無視し、給仕の娘に声をかけて捕まえる。

 

「ねえ、ハムスケ……そこにいる魔獣のことなんだけど」

 

「あっ、はい、使役魔獣ですか?ご安心ください、当館では、様々な使役魔獣に対応できるよう、厩舎の設備も充実しております!」

 

「あ、そうじゃなくて……本人はこっちに入って見たがってるんだけど、この食堂に入れても良いかしら」

 

「は……?」

 

 お決まりの口上で対応しようとしたらしいウェイトレスは、予想外の台詞を受けて固まった。思わず入り口の方に視線をやると、大人しく扉の向こうから鼻先だけを戸口に突っ込んで中の様子を窺うハムスケと目が合った。

 

「お願いでござるよー。それがしもたまにはこういう建物の中に入ってみたいのでござる」

 

「シャ、シャベッタアアアアア!?」

 

 視線が合ったのでとりあえず、ハムスケがお願いしてみると、ウェイトレスは仰天して飛び上がった。彼女は人語を操るほどの高等な魔獣を見たことがなかったのだ。

 

「えっと、あの、その、困ります、いえ……」

 

 マニュアルを外れた事態に途端にしどろもどろになったウェイトレスをどうしたものか、という目つきで眺めるナーベラル。するとその時、背後から救いの手が入った。

 

「私からもお願いできないかしら」

 

 ナーベラルが肩越しに目をやると、先程目をつけたテーブルに座っていたうちの一人、金髪の淑女がいつのまにか背後に歩いてきていた。

 

「初めましてガンマさん。『蒼の薔薇』のリーダーのラキュース・アルベイン・デイル・アインドラです。……ねえ、今から私たちはオリハルコン級冒険者のガンマさんと面談しなくてはならないの。彼女が普段からあの魔獣を連れ回しているんだったら、あの子も一緒に居てくれた方が私たちにとっても都合が良いんだけど、駄目かしら?」

 

「えっ、あう、その……」

 

 結局ウェイトレスはあえなく撃沈し、もっと上の役職の人間と話した結果、とりあえず食堂には入れていいこととなった。

 

「ありがとうでござるラキュース殿!このハムスケ、感謝を捧げるでござるよ!」

 

「あら、ハムスケさんと言うの。よろしく」

 

 そう言いながら、ラキュースは二人をテーブルに案内する。勧められるままに着席すると、六人掛けのテーブルに、左右を忍者娘に挟まれて、対面にはラキュース、相手の左右にはガガーランとイビルアイという席順となった。ハムスケはテーブルの横に身体を丸めて伏せる。

 

「じゃあ、簡単に紹介するわね。私がリーダーのラキュース、信仰系魔法詠唱者(マジック・キャスター)の神官です。こっちのごついのが戦士のガガーラン、そっちのちっこい仮面があなたと同じ魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)のイビルアイです。あなたの左右に座っているのが忍者のティアとティナ。どうぞよろしく」

 

「よ……よろしく……?」

 

 立て続けに人名を流し込まれて、目を白黒させるナーベラル。ミッフィー顔できょろきょろ左右を見回すが、さっぱり顔と名前が一致しない。内心パニックになりかけて、左右から忍者姉妹がべたべたと触ってくるのにも反応する余裕がない。

 

「えいー」

 

「あっ、こら失礼でしょ……!?」

 

 そうしてると隣のティアがナーベラルのフードを引っぺがし、蒼の薔薇の一同が中から現れた美貌に息を呑んだ。同性でも感嘆で釘付けになる彼女の美しさに圧倒されて、一同が思わず黙り込む。その間にどうにか内心を立て直したナーベラルが息をつく。

 

「……とっくに知っているようだけど、魔法詠唱者(マジック・キャスター)のガンマよ。そこのがハムスケ。えーと、昔は『森の賢王』と呼ばれていたらしいわ」

 

「森の賢王……トブの大森林にその名を轟かせたという、伝説の魔獣か……!!」

 

 『森の賢王』の武名も、遠く離れた王都まではあまり届いていなかったらしく、反応を示したのはイビルアイ一人だった。

 

「知っているのかイビルアイ!!」

 

「……トブの大森林に昔から居る魔獣で、ただ一匹で大森林の南部を支配し侵入者を皆殺しにするその強さは類を見ないほどのものらしい。昔と言っても、二百年前にはそんなモンスターは居なかったという話もあるがな」

 

「へえー。そんな魔獣をどうしてお前さんが連れているんだ?テイムしたのか?」

 

「……森の中で喧嘩を売られたから、ぶちのめしたら懐かれたのよ」

 

 大分端折って答えたナーベラルの答えに、一同が感心したような眼差しを向ける。おどけた態度だが、ハムスケの存在感はこれでなかなか圧倒的である。ラキュースの目から見ても相当強大な魔獣であると思われた。それをおそらく一人でぶちのめしたとさらっと言ってのけるナーベラルの実力は底知れない。

 

「では、自己紹介も済んだところで。面談をすると言いましたが、私たちとしてはあまり堅苦しいものにすることは望みません。あなたが王都に来た歓迎会も兼ねて、一緒に食事をしながら親睦を深めたいと思います。歓迎会なので代金は奢らせて頂くわ」

 

 気を取り直してラキュースがそう言って手を叩くと、一同が頷く。そして懇親会が始まった。

 

 

「……どうだった?」

 

 ナーベラルがその場を立ち去った後に、ラキュースが水を向けると、まずガガーランが答えた。

 

「そうだな……70点」

 

「あら、意外と辛口ね?普通のオリハルコン級ならそんなものかもしれないけど、私にはその程度だとは思えなかったけれど……」

 

 ラキュースが首を捻ると、ガガーランがそれに答えた。

 

「置物として見りゃ100点だが、どうにもあの辛気くさい不幸面はいけねえな。総合的に見りゃあ、リーダーの方が上だろう」

 

「うん、あの女絶対マグロ。おそらくベッドの上ならボスの方がよっぽど激しく……痛てっ」

 

 ガガーランの言葉に重々しく頷いて追随しようとしたティアの頭に、顔を真っ赤にしたラキュースの拳骨が落ちる。

 

「誰が女性としての評価をしろなんて言ったのよ!!」

 

 喚くラキュースをまあまあと宥めるティナ。ガガーランがにやりと笑って言った。

 

「ま、冗談はさておき。……80点」

 

「ん、冗談抜きでそれ?とうとう脳味噌まで筋肉に汚染?」

 

 不思議そうに首を傾げたティナに、ガガーランはチッチッと指を振る。

 

「慌てんなって。俺に魔法詠唱者(マジック・キャスター)としての実力なんて分かるわけねえだろ。俺があの娘を戦士職として評価したらって話だ」

 

「それって、ちょっと……!?」

 

 その言葉が持つ重大性に、ラキュースが腰を浮かす。

 

「そうだ、あの娘そうとうヤベえぞ?例えば俺が首尾良く接近戦に持ち込んでも、俺の全力攻撃を凌いで再び距離を離すことも十分できるだろうな。そもそもあのハムスケって魔獣もヤベえ。あいつだけでも俺が勝てるかどうかわからんのに、あの娘はそれを生け捕りにできるだけの実力があるってことだからな」

 

「……つまり、使役(テイム)系の特殊スキルを使ったのでも無い限り、ガガーランを使役するのも容易い、ということか」

 

 ティアが引き取ると、その言い草にガガーランが顔を顰める。ラキュースは、これまで沈黙を守る仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)に顔を向けた。

 

「じゃあイビルアイ、あなたから見てどうだった?同職としての意見を聞かせて貰いたいわ」

 

「……わからん」

 

 肩すかしの言いぐさに抗議しようとするラキュースを制してイビルアイは言葉を続ける。

 

「落ち着け。私に実力を読み切らせないというそれだけでも、既に私と同格の力があるという可能性が高いということだ。アダマンタイト級冒険者イビルアイ、ではなくこの私(・・・)とな」

 

 第三者が聞けば意味不明な言い草であったが、その言葉に周囲の全員が緊張した顔つきになる。冷や汗を流しながら、ラキュースが呟く。

 

「あなたにそこまで言わせるとはね……私たちの手に負えるのかしらあの子」

 

 そう言いながらも、気を取り直してラキュースは話題を変える。

 

「じゃあ実力以外の面はどうだった?何か気づいたことや思ったことがあったら何でも言って頂戴」

 

「ふむ……人格は30点だな。おおまけにまけて」

 

 すかさず言い放ったイビルアイの台詞に一同が苦笑する。酷い言い草だが同感だ、そんな顔つきであった。

 

「……名前覚えるの苦手そう。私たちを呼ぶとき、いちいち言い淀んでた」

 

「そういえばそうね。まあ、私たちが覚える名前は二つで、向こうは五つなんだから不公平ではあるのだけど……」

 

「ふん、だが仮にも魔法詠唱者(マジック・キャスター)が、たかだか人の名前五つ程度も覚えられんとは情けない話だな」

 

 ティナの台詞を受けてラキュースがとりあえず擁護したのを、イビルアイがばっさりと切り捨てる。

 だが実態はもっと酷かった。ティナが「言い淀む」と表現した、ナーベラルが蒼の薔薇の面子を呼ぶ前の僅かな空白。それは、彼女が<伝言>(メッセージ)ハムスケに名前を聞く(カンニングする)間の時間だったのである。

 

「まあともかく、私たちの印象だけでは組合も納得しないでしょうからそれなりの依頼を一度一緒にこなさないといけない訳だけれど……この分なら相当の難易度でも大丈夫そうね」

 

「そうだな、一緒にクエストをやればまた別の問題も見えてくるかもしれん。とにかく次になんか依頼を受ける際に連れてくって感じになるか」

 

 ラキュースがそうまとめると、ガガーランが応じて締めくくりとなった。

 

 

 宿屋を出たナーベラルは一人で通りを歩いていく。

 ハムスケはそのまま宿屋に部屋を取って置いてきた。ラキュースがお願いしたためである。

 

「ハムスケさんのことなんだけど……できればあまりむやみに街中を連れ回さないで欲しいのだけれど。王都だから貴族の馬車とかも珍しくないし、そういう相手の馬を怯えさせて事故になったりすると結構なトラブルの元になるから。お願い」

 

 そう言った彼女の台詞を、とりあえず今は受け入れた形である。アダマンタイト級に昇格するまではあまり露骨に逆らわない方が良い、ナーベラルにもその程度の打算はある。まあ、だからといってずっと馬小屋に閉じ込めておくのは可哀想なので、首尾良く昇格したら連れ回してやろうとは思っているのだが。

 

 ナーベラルが目的地に着くと、その屋敷の呼び鈴を鳴らした。程なく扉が開き、品の良さそうな白髪の老人が顔を出す。

 

「はい、どちら様でしょうか?」

 

「……ストロガノフは居るかしら?」

 

 その台詞に老人は眉を顰めた。ナーベラルが言ったその名前が、おそらくこの屋敷の主人であるガゼフ・ストロノーフのことを示しているであろうことは彼にも理解できる。だが、敬愛する主人の名前を無造作に間違えられることを許せる程、老人に忠誠心は不足していなかった。目の前のフードも取らない無礼者を内心で敵認定する。

 

「……そのような方は当屋敷にはおりません。場所をお間違えではないでしょうか?」

 

 とりあえず名前を間違えるのは論外だ、という意思を込めてそのように返答し、目の前の怪しい女に冷たい視線を注ぐ。ナーベラルはその返答を聞いて、不思議そうに首を傾げた。

 

「おかしいわね、確かに王国戦士長の屋敷の場所を聞いた筈だけど……?まあいいわ、別に大した用じゃないし。邪魔したわね、それじゃ」

 

 そう言ってナーベラルは踵を返す。そのあっさりした態度は予想外だったため、老人は内心若干慌てた。彼女がガゼフ・ストロノーフを訊ねてきたのは間違いない、名前を間違えたくらいのことで家令が追い返してしまって本当によいものか今更不安になったためだ。ガゼフは現在本当に不在なので、呼んでくることもできない。

 

「あのっ、あなたのお名前は……?」

 

「……? ガンマよ」

 

 なんで場所を間違えているのに名前を確認するのだろう、そう思って怪訝な顔をするナーベラルに、それ以上言葉をかけることもできず。老人はナーベラルが歩み去るのをそわそわと見送った。

 後程、ことの顛末を恐る恐る報告されたガゼフはこの老人を叱ったものか、あらかじめ言い含めておかなかった自分の迂闊さを呪うべきか、それとも妙に臆したりせず名前の間違いを訂正しておかなかったのが悪いのか、胃を痛めながら悩むことになる。

 

 

「……ここ、どこかしら」

 

 ナーベラルの額を汗が一筋、流れ落ちた。ガゼフの家から追い払われた後、見かけた店の売り物などを確認しながら気の向くままに散策していたナーベラルは、いつしか己が自身の現在位置を見失ったことに遅まきながら気がついた。

 薄汚れた狭い路地の様子を見渡すに、かなり治安の悪い区画に来てしまったらしい。別にそんなことを問題にするナーベラルではないが、彼女がとった宿は明らかに王都でも最も治安の良い場所である。そこまでどうやって帰ったものやら。

 最悪の場合、<飛行>(フライ)で飛び上がれば簡単に帰還することが可能である。だがまあ、それは最後の手段だ。街中でむやみに魔法を行使することがまずいこと自体はナーベラルも認識はしている。必要であれば歯牙にもかけないことだが、迷子になって帰り道が分からないので空を飛びました、ではいかにも外聞が悪い。昇格審査にだって影響するかもしれない。

 せめて、そうするにしても夜陰に紛れてこっそりやるべきだ。日が落ちるまでは適当に道を探そう。そう結論を出すと、ナーベラルは適当にその辺を彷徨い始めた。あてずっぽうで通りを進み、角を曲がる。最悪いつでも帰れると思えば気楽なものである。無造作に道を進んでいくと……ふと、進行方向の先にある、窓がなく背の高い建物が目に留まった。大きな鉄の扉が今丁度、開け放たれている。

 中から大きい布袋が外に放り出され、どさりと音を立てて落ちたその袋はぐにゃりと形を変えて地面にへばりついた。

 

 

 




「馬鹿め、アインザック(の胃)は死んだわ!次は貴様の(胃の)番だガゼフ!!」( ´∀`)



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第二十八話:”幻魔”のサキュロント

 
前回のあらすじ:
【悲報】ナーベちゃんの人名記憶力はハムスケ以下【ポンコツ】



 ナーベラルがその布袋の中身に興味を持ったのは、単純な理由である。

 ナーベラルが無造作に歩み寄り、扉の中を覗くと、外から見える範囲には誰も見えなかった。少なくともこの袋をさっき投げ捨てた人物がいる筈だが、そいつは一度奥に引っ込んだらしかった。

 わずかにもぞもぞと動く布袋の口が僅かに裂けた。ナーベラルがその側にしゃがみ込み、その裂け目の左右を掴んで引っ張ると、びりびりと音を立てて裂け目が大きく開いた。

 

 中から出てきたのは人間だった。

 生気の殆ど残っていない、死にかけの半裸の女性である。栄養失調で痩せ細り、青い瞳は濁りきっていて意識があるかも怪しい。その顔はおそらくは殴打によって腫れ上がった結果、ボールのように膨らんでいる。枯れ木のような皮膚には内出血を窺わせる無数の斑点が浮き上がっていた。

 

(ふむ……?)

 

 常人なら眉を顰め目を背けるその惨状も、ナーベラルの情動を揺さぶるようなことは一切無い。ただ、彼女は不思議だった。彼女の知識では、人間というものは普通同族をこのような目に遭わせた挙げ句ゴミのように捨てたりはしない筈である。であれば、今ここにこの女性を放り出したのは、もしかして人間ではないのでは――?

 

「おい、なにしてんだてめえ」

 

 そのような期待(・・)はあっさり外れた。どすの利いた低い声に呼びかけられたナーベラルが顔を上げると、明らかに暴力に携わる系統の粗野な男が、彼女を見下ろしていた。

 

「おい、おい、おい。何を見てんだ?」

 

 ナーベラルがじっとその男を観察すると、顔に古傷の走るその男は不快そうに身じろぎし、敵意を顔に浮かべた。どこから見ても人間にしか見えない。

 もしかしてこの男が彼女の観察眼を欺くほどの擬態能力に優れた異形種である可能性はあるだろうか――ナーベラルがそのように馬鹿なことを考えているとは知る由もない男はこれ見よがしに舌打ちすると、顎をしゃくる。

 

「失せな、今なら見逃してやる」

 

 まあいい、人間なら特に用はない。さっさと立ち去って帰ろう。そう思ってナーベラルが立ち上がろうとした瞬間、うち捨てられていた女性の腕が僅かに動き、その指先に触れたナーベラルのマントを握りしめた。決して強い力ではなかったが、ナーベラルが立ち上がる動きとマントを固定する動きに引っ張られて、彼女の被ったフードが半分ずれた。

 

「お……?」

 

 露わになったナーベラルの美貌を目撃した男が口をぽかんと開けて固まる。ナーベラルが女性の手をぺしんと払ってフードを被り直し、背を向けて歩み去ろうとしたところでその顔が好色な笑みで歪んだ。

 

「おい、ちょっとまてよ姉ちゃん」

 

 後ろから小走りに駆け寄ってナーベラルの腕を掴む。ナーベラルは鬱陶しそうにその手をばしっとはたく。

 ……唐突に思われるかも知れないが、ナーベラルとて日々成長しているのである。何が言いたいかというとつまり、この時の彼女の力加減は完璧だった。今まで彼女の無慈悲な暴力に晒されてきた被害者達がその様を目撃すれば、どうしてもっと早くその力加減を身につけてくれなかったんだ!と叫ぶに違いないくらい完璧だった。

 故に、その男が、はたかれた腕を押さえて「ぎゃあああああ痛ええええええええ骨折したああああああああああ」などと大声で叫びながら身をよじった時には、酷く驚いたのである。

 

「え、あれ、嘘……?」

 

 ナーベラルは混乱した。完璧だった筈の力加減が間違っていたのだろうか。それともやはり、この男が実は人間の振りをしたバードマンなのだろうか、埒もないことをぼんやりと思い浮かべながら痛みを訴えてその場にうずくまるその男を困惑して眺める。

 そうしていると、建物の中からさらに二人の男が走り出てきた。痛みに叫ぶ男と素早くアイコンタクトを交わし、即座に状況を理解する。

 

「おうおう、姉ちゃん、困ったことをしてくれたな」

 

「こいつはこれでもウチの稼ぎ頭でな。その腕で一日に金貨百枚を稼ぎ出すんだ。それをあーあー、骨折させちまってよ。こいつは治るまでの損害を弁償して貰わなきゃな」

 

 口々にそのようなことを言い立てる。

 

「安心しなよ、手持ちがなくても身体で払って貰うからよ……」

 

 そう言ってナーベラルの顔を確認すべく、未だ混乱冷めやらぬ彼女のフードを引っぺがした。その中から現れた彼女の素顔を見て、二人の男が口を開ける。たちまちその顔に好色な笑みが浮かぶ。このまま彼女に言いがかりの借金を背負わせて娼館に沈めてやる。その際に「技術指導」をたっぷりとしてやろう、そのような身勝手な期待に思わず股間が膨らんだ。

 ところでようやく状況が正しく理解できてきたナーベラル、その顔が怒りに染まった。要するに自分は謀られたらしい。目の前で囀るこの下等生物(ウジ虫)共に。

 だから、なにやら身勝手なことを喚きながら再度ナーベラルの腕を掴もうと手を伸ばしてきたその男に言い放った。

 

「汚い手で触るな、この下等生物(コウガイビル)が」

 

「ん?」

 

 そうして、今度こそは遠慮無く全力で男の手をはたき落とす。

 

「……!!」

 

 鈍い音と共に、男は関節が一個増えた自分の腕をぽかんと口を開けて見つめる。その顔にだんだんと脂汗が浮き、血の気が引き、涙が溢れ出てくるのをナーベラルは冷淡に観察する。

 

「ぎゃああああぁ痛えええええええぇ俺の腕ええええええ!!」

 

 その叫びは先程の男の叫びとよく似ていたが、今度は本物の痛みをともなっている。演技抜きで転げ回る男の姿を、もはや演技を忘れた最初の男と残りの男は唖然として見つめた。

 ナーベラルが古傷の男をじろりと見ると、男ははっとして立ち上がり、反射的にポケットに収めたナイフを抜いて構えた。その腕が完全に無事なことを改めて確認したナーベラルの目がスッと細まる。その表情に寒気を感じ、自身の行動の正しさに確信が持てなくなりながらも、男は残り一人に向けて叫ぶ。

 

「おい、大至急応援を呼んでこい!」

 

 もう一人ががくがくと頷いて足を縺れさせながら建物の中に消えるのを、ナーベラルはため息をついて見送った。一匹出たら三十匹は平気で増えるのが下等生物(ムシケラ)の特徴だ、放っておくと面倒なことになるかもしれないが……

 

「お、おい、このアマ、見ての通りだ、すぐに十人からの応援が出てくるぞ。降伏するなら今のうちだぜ、今なら命は助けてやらあ」

 

 震える声で寝言を言うこちらを始末するのが先か。ナーベラルが無造作に歩み寄ると、男の虚勢はあっさり剥がれ、両手に握りしめたナイフがまるで吸血鬼を追い払う十字架かなにかであるかのように、前方に突き出して掲げながら後ろに下がる。男の背中に入り口扉の枠が当たり、そこで男の後退は止まった。がくがく震えて二重に分身して見えるナイフの先端を、ナーベラルはひょいと指で摘む。男が涙目で手に力を加えて握りしめるが、捻りを加えながら後方に引っ張ると容易くすっぽ抜ける。ナーベラルがそのまま後方にナイフを放り投げると、男が「あ……」と声を上げ、切なそうに放物線を描いて後方の地面に飛んでいくナイフを見つめた。

 次の瞬間、男の下腹部にナーベラルのつま先が突き刺さり、男は血反吐を吐き散らしながら建物の中に突っ込んで家具と衝突し、動かなくなる。ナーベラルが男に続いて扉をくぐり、中を覗くと、そこは何かの店のロビーのようにも見えた。そこそこ広めの空間に、正面奥には現在無人のカウンター、その前には客が待機できるような粗末な長椅子が並んでいる。なんの店かは彼女にはよく分からなかったが。

 そんなことを考えている間に、血相を変えて手に武器を引っ提げた男達がばたばたと奥から現れ、そこに立つナーベラルを見ると喚きながら武器を構えて広がった。やっぱり面倒なことになったか、ナーベラルは内心嘆息する。

 さて、この下等生物(ナメクジ)共をどうしてくれようか。

 

 

「助けてください、サキュロントさんッ!!」

 

「ああん?」

 

 ノックすら無しに店の従業員がドアを開け放って駆け込んできたとき、その男はちょうど達した(・・・)ところであった。目の前の女体がびくんびくんとやばそうな痙攣を起こすのを見てため息をつく。

 

「あ~あ~、いきなりびっくりさせるから加減を間違えちまったじゃねえか。これは俺のせいじゃねえから処分代は払わんぞ?」

 

 そう言って、女の首から手を放す。その首には男の指の跡がくっきりと残っており、女は白目をむき、口から泡を吹いて痙攣していた。

 

「は、はいっ、すみませんっ、お代は頂きません!それどころじゃないんです!」

 

「ふん……今日の俺はただの客なんだがな、それで何事だ?」

 

 男の名はサキュロント。王国の裏社会を支配する犯罪組織『八本指』の戦闘部隊『六腕』の一員に名を連ねる、暴力のプロである。『六腕』と言えば表社会でのアダマンタイト級冒険者に匹敵すると怖れられる、裏社会の頂点に立つ存在であった。

 そのように裏社会のトップに数えられる男であれば、もっと高級な娼館で高級な娼婦をいくらでも抱くことができる。ただし、行為の結果相手を殺してしまっても問題なく対応してくれるのは『八本指』の肝いりでそういう需要を満たすために作られた、この店くらいのものである。サキュロントは己の欲求を遠慮無く解放するため、時折このように客として訪れていた。

 

「それがっ、変な女が店先で暴れて居まして、恐ろしく強くて歯が立たないんです!代金は後で必ず正規の料金を支払いますから、どうか撃退していただけませんか!?」

 

「ま、正規の料金が支払われるなら俺も臨時業務を請け負うのに吝かじゃないがね……あと今日の料金は店持ちな」

 

 さりげなく支払い分を上乗せして、サキュロントはいそいそと着衣を整える。余裕たっぷりの態度で店のロビーに出て行くと、その光景が視界に飛び込んできた。

 

「おうおう、こりゃ派手に暴れてくれたなあ」

 

 『八本指』の庇護下にあるため実質摘発される心配はないとはいえ、道理に外れた商売を行っている後ろ暗い店である。そのような店につきものの、荒事に対応できる強面の従業員達が、ロビーのあちらこちらに吹き飛ばされて周囲の家具を破壊している惨状が見えた。

 サキュロントの声を聞き、中央に立っていたナーベラルが振り向くと、サキュロントはヒューッと口笛を吹いた。

 

「こりゃなんともマブいお嬢さんだ。いったいこんなところで何やってんの?」

 

「……私が聞きたいわそれは。なんで歩いてただけで絡まれなければならないんだか……」

 

 そう言って首を振るナーベラルの様子に、サキュロントはふむと顎に手を当てて考える。最近八本指の拠点を叩いて回っている小癪な連中が居るのは連絡を受けているが、目の前の女はそれに関係があるだろうか。まあ、麻薬関係の施設を重点的に攻撃していた連中がいきなり違法娼館にターゲットを変えるというのも考えにくい、単なる偶然だろうか……?

 

「どちらにしてもお嬢ちゃんはやり過ぎた。ここからはこの”幻魔”のサキュロント様が相手になるぜ。なに、殺しゃしねーから安心しな。お嬢ちゃんなら客取らせればここの内装を全取っ替えする分くらいはすぐ稼げるからよ、両手足の腱を切って飼ってやるよ」

 

 サキュロントが嘯くと、ナーベラルの顔が嫌悪に歪む。

 

「……全く、なんでこう下等生物(ベニコメツキ)の言うことはどいつもこいつも似たようなものになるのかしらね。いいわ、そんなに死にたいなら殺してあげる」

 

 その時ようやく、サキュロントはナーベラルの首元にぶら下がったプレートに気がついた。眉根を寄せ目線を険しくしてナーベラルを睨み付ける。

 

「オリハルコンプレート……!!貴様、やはり依頼でここを潰しに来たのか!?」

 

 そうと分かれば遠慮は無用。また、裏社会のアダマンタイト級たる六腕とは言えども、オリハルコン級冒険者は決して油断できる相手ではない。サキュロントは慢心を捨てて油断無く身構える。ここは最初から全力で一気に決める。

 

<多重残像>(マルチプルヴィジョン)

 

 その魔法の発動と共に、サキュロントが六人に分身した。

 ナーベラルがぽかんと口を開く。その表情を、彼女が驚愕に固まったものと理解したサキュロントはにやりと笑う。

 

「……無論、五体は俺の幻術が作り出した幻の虚像だ。だが、貴様にどれが本体か分かるかな!?」

 

 余裕を取り戻してそうせせら笑うと、六人のサキュロントが滑るように動いていき、ナーベラルを包囲するように間合いを詰めていく。そのまま一撃で戦闘能力を奪い、じっくりと背後関係を吐かせてやる。そのようにもくろむサキュロントを見て、ナーベラルは呆れた声を上げた。

 

「……あなた、馬鹿でしょう?」

 

「何だと?」

 

 その言葉の意味を斟酌するより先に、ナーベラルが動いた。

 

<魔法無詠唱化(サイレントマジック)()次元の移動>(ディメンジョナル・ムーブ)

 

 サキュロントの幻影が前後左右から一斉に剣を振り下ろす直前、ナーベラルの姿がその場から掻き消える。サキュロントの剣は幻も実体も、共に虚しく空を切った。ロビーの片隅に転移したナーベラルは、先程まで彼女が立っていた位置に剣を突き立てて重なりあうサキュロント達に素早く向き直る。

 

「な……魔法詠唱者(マジック・キャスター)だと!?」

 

 サキュロントが驚愕に目を見開く。ナーベラルの武装はこの世界の典型的な魔法詠唱者(マジック・キャスター)からは程遠く、従業員達も全員素手で再起不能レベルまで吹き飛ばされていたため、ナーベラルが魔法詠唱者(マジック・キャスター)だとは今の今まで思ってもみなかったのだ。

 慌てて六人のサキュロントが散開する。まとまっていては範囲攻撃で一網打尽だ、幻影など何の意味もない。対魔法詠唱者(マジック・キャスター)を想定した戦術を一刻も早く組み直さなくてはならない。

 だがそんなサキュロントの焦りを嘲笑うかのように、ナーベラルが魔法を唱える。

 

<生命感知>(ディテクト・ライフ)

 

 六人のサキュロントの顔面から血の気が引いた。その魔法の効果は当然サキュロントもよく知っている。彼の戦闘スタイルの天敵(・・)の一つとして。

 <多重残像>(マルチプルヴィジョン)は光学的には完璧な虚像を作りだし、術者の状態変化――ちょっとした傷や汚れすらリアルタイムで更新可能である。つまり外部情報の大部分を視覚に頼った人間という種には極めて有効な幻覚だ。

 しかし、視覚によらない情報を誤魔化す能力はその魔法にはない。例えば聴覚や嗅覚を欺くことはできず、ある種の達人であれば僅かな足音から本体を察知されるようなことも十分ありえる。そして魔法的な検知にもまた一切無力であり、それを誤魔化すには別の魔法が必要となる。ただ、幻術師(イリュージョニスト)軽戦士(フェンサー)、二足の草鞋を履いたサキュロントにそれほど上位の魔法は使えない。ナーベラルの視線が壁の端に張り付いたサキュロントの本体をきっちり捕らえるのを、全身から冷や汗を流しながらサキュロントは見つめた。

 

「おい、ちょっと待……」

 

<二重最強化(ツインマキシマイズマジック)()龍雷>(ドラゴン・ライトニング)

 

 ナーベラルが放った雷でできた二頭の竜が、サキュロントの本体を飲み込み、彼の命を壁もろとも吹き飛ばした。盛大な破砕音を上げて壁に大穴が空き、焼け焦げたサキュロントの残骸を瓦礫の山に飲み込む。同様に黒こげになり白目をむいたサキュロントの幻影が棒立ちになり、蝋燭の火を吹き消したかのように掻き消えた。

 

「さて、こいつで終わりかしら。……ホント、なにやってるんだか……これ以上面倒なことになる前にさっさと帰りましょう」

 

 そうぼやいたナーベラルは誰かに見られる前に引き上げようとするが、既に手遅れだった。外に出たナーベラルを出迎えたのは、逃げ腰でおっかなびっくり娼館を包囲する衛兵達と、さらにそれを遠巻きに見守る大勢の野次馬達だったのである。どうやら騒ぎが起こったどこかの時点で、従業員の誰かが通報したものと思われた。

 

 

 




 ナーベちゃんによるお前ら人間じゃねえ認定。
 ただしニュアンスは一般のそれとかなり異なる模様( ´∀`)
 そしてサキュロントさんの性癖を捏造した。だが私は謝らない( ´∀`)

 1/13 誤字修正。


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第二十九話:セイギのミカタ

 
 前回のあらすじ:
 王大人「ツアレニーニャ・ベイロン、死亡確認!」



「すいません『蒼の薔薇』の皆様!緊急事態です!オリハルコン級冒険者がスラム街の店先で暴れております!私共の手には負えませんので緊急で捕縛にご協力お願いできないでしょうか!」

 

 駆け寄って来るなり開口一番告げられた、その要請を耳にして、『蒼の薔薇』のリーダーであるラキュースは口に含んだカフェ・シェケラートを盛大に噴き出した。対面に座っていた忍者姉妹が自分たちにかかった飛沫に顔を顰める。

 

「ボス、汚い」

 

 ラキュースは激しく咽せながら水を一口飲み、気分を落ち着かせると口元をハンケチで拭ってから言った。

 

「え、ええ、ごめんなさい。……了解しました、とりあえず現場に急行します」

 

 立ち上がって使者の男にそう告げると、素早く装備を調える。他の四人もそれ以上無駄口を叩かず、同様に準備を済ませた。

 

「オリハルコン級冒険者って……あいつのことだよなやっぱり……」

 

「そうだな、そもそも昨日までは街中で暴れるような冒険者など王都には居なかった」

 

 揃って宿屋の外に歩き出しながら、ガガーランが漏らした呟きにイビルアイが答える。ラキュースは焦れたように頭髪を掻き回し、淑女には相応しくない唸り声を上げた。

 

「到着初日から一般人と暴力沙汰とか、問題児ってレベルじゃないじゃない!くそ、組合め、危険物をほいほいと押しつけやがって……!!」

 

「へいボス、口調が乱れてる」「淑女に似つかわしくない」

 

「いいわよ口調なんてどうでも!とにかく急ぐわよ、お願いするわイビルアイ」

 

「……わかった」

 

 

 『蒼の薔薇』の一行が現場に到着すると、かなりの距離を置いて建物を取り囲む衛兵達と、それを苛々した顔で睨むナーベラルの姿が視界に入ってきた。狭い道のこと、入り口近くの衛兵は大分近い距離に立たざるを得ないが、露骨なまでに腰が引けている。衛兵の方から何かすることはとてもできまい。つまりこれは、いつナーベラルがキレるか、という時間の問題であった。幸い、致命的に破局する前にラキュース達の到着が間に合ったのだが。

 

「これは何事ですか!?」

 

 更に遠巻きにして様子を窺う野次馬を掻き分け、衛兵達に頷きながらラキュース達が最前線に進み出ると、ナーベラルの視線がラキュースを捉えた。その剣呑な眼光に、ラキュースが思わず唾を飲み込む。

 

「み、見ての通りだ!その女が店に殴り込んできて、従業員の大部分と一部の客を皆殺しにしちまった!そこの壁だって魔法で吹き飛ばされたんだ!早くそのテロリストを始末してくれ!!」

 

 『蒼の薔薇』の到着に気を大きくしたのか、衛兵達の背中に隠れた店の従業員らしき人相の悪い男が声を高くした。ラキュースがその男の方を見、壁に空いた大穴を見、そしてナーベラルの方に目線を戻すと、彼女が険悪な表情で口を開く。

 

「……何、やる気?」

 

 その言葉にガガーランと忍者姉妹が武器に手をかけたが、ラキュースが彼女たちの前に手を突き出してそれを制する。

 

「いいのかリーダー?」

 

「短絡的に動くには彼女はあまりにも厄介な相手だわ。みんなもそういう評価だったでしょう?まずは状況を確認しなくては」

 

 ラキュースはガガーランにそう囁くと、ナーベラルに問いかけた。

 

「ガンマさん」

 

「……何?」

 

「仮にもオリハルコン級冒険者が理由もなくこのような凶行に走ったとは信じたくありません。まずはあなたの言い分を聞かせてくれないかしら」

 

 その言葉を聞き、ナーベラルが反応するより早く従業員の男が激高して喚き立てる。

 

「ふざけるな、さっさと殺せ!テロリストの口上に耳を貸すな!それとも組合は身内の犯罪を庇う気なのか!?」

 

 その叫びに含まれた、一見怒り心頭という様子の裏に潜む僅かな焦り。それを感じ取ってラキュースは内心眉を顰める。目の前で思案顔のナーベラルに言葉を重ねる。

 

「言い分がないのであれば、そこの彼の言うとおりあなたはただのテロリスト、ということになってしまうわ。それでもいいのですか?いいと言うなら、冒険者の名誉を守るため、あなたを処分しなくてはなりません。よくないのなら理由を聞かせてください」

 

「理由ね……」

 

 ナーベラルは首を捻って、そもそも何が発端だったのか考える。少しの間を置いて、最初に起こったことを思い出した。

 

それ(・・)のせいよ」

 

 そう言ってナーベラルが、扉の影に転がった布袋を指さすと、「うっ」と衛兵の影から呻きが上がった。蒼の薔薇の面々は顔を見合わせると、なにやら後ろで喚き立てる男の声を完全に無視して、ナーベラルの前を通ってその袋の周囲にかがみ込む。

 

「こりゃ酷えな……」

 

「まだかろうじて息はあるようだが……おい、ラキュース!?」

 

 ガガーランが呻き、イビルアイが冷静に観察するその女性の惨状を目にした瞬間、ラキュースの頭は真っ白になった。

 

<小治癒>(マイナー・ヒーリング)

 

 全く後先を考えず、回復魔法を女性にかける。組合員が無償で回復魔法をかけるのを禁ずるという規則は、たとえばラキュースがこの女性に支払えるはずもない代金を無利子無期限で貸し付ければ見逃して貰える程杜撰な仕組みではない。治癒魔法による治療は神殿の縄張りに踏み込むため、なあなあで済ませられる問題ではないからだ。彼女がアダマンタイト級冒険者で、かつ王国貴族の令嬢でなければ、とっくにワーカー落ちしていたに違いない短絡的な行動であった。

 

「……みんな」

 

 そのラキュースが低い声を出すと、蒼の薔薇の一同が彼女の近くに耳を寄せた。

 

「私はあの子の味方をするわ。……異論のある人は今のうちに言って」

 

 その言葉を聞いて、ガガーランがやっぱりな、というように肩をすくめる。

 

「そう言うんじゃないかと思ったぜ。リーダーの好きなようにしな」

 

「……私も構わん。成る程、このようなものを見せられては女性として堪忍袋の緒が切れても不思議はあるまい」

 

 イビルアイも頷き、忍者姉妹はそれほど感情的にはならないものの、「ボスの言うとおりにする」と言って首肯した。ラキュースは一同を見回して満足そうに頷くと、にっこり笑って宣言した。

 

「みんなありがとう。では私たち『蒼の薔薇』は、今現在からガンマさんの味方をします」

 

 ラキュースはそう言って立ち上がると、明らかに雰囲気が変わったのを不思議そうな目で眺めていたナーベラルに歩み寄った。

 

「ガンマさん!」

 

「は、はい?」

 

 ラキュースの瞳の奥に燃え上がる炎に気圧されて、ナーベラルが一歩下がった。ラキュースはそんな様子に委細構わず、彼女の両手をとって自分の両手に包み込み、固く握りしめる。

 

「到着早々不愉快な思いをさせてごめんなさい!この事態は私たち、王都住民の不徳の致すところです。でも安心してね、私たちが知った以上、決して悪いようにはしませんから!」

 

「……?」

 

 完全に予想外の台詞に、疑問符を頭の上に浮かべて硬直するナーベラル。そんな彼女の肩を、近づいたガガーランが抱き寄せて抱え込んだ。ばんばんと彼女の背中を叩いて言う。

 

「お前、済ました顔して意外と熱いヤツだったんだな!30点とか言って悪いな!後は俺らに任せとけ!」

 

「……私も謝罪しよう。正直君のことを誤解していたようだ」

 

「!?」「!?」

 

 そう言って頭を下げるイビルアイ。何が起こっているのかさっぱりわからず、目を白黒させながら、きょろきょろと左右を見回して困惑するナーベラル。そんな彼女の両腕に、左右から忍者姉妹が抱きついて「ひゅーひゅー」「そこに痺れる憧れるー」などと囃し立てる。

 

「ふ、ふざけるな!組織ぐるみで犯罪を庇うというならもはや組合とてただでは済まんぞ!!」

 

 そんな様子を当然看過できなかったのは従業員の男である。そのように叫ぶも、ラキュースの苛烈な視線に晒されてうっと言葉に詰まる。

 

「彼女の犯罪を庇うのではありません、あなたの犯罪を見逃す気がないだけです。……衛兵、その男を捕らえなさい。違法営業の現行犯としてこの娼館を摘発します」

 

「なっ……!!」

 

 絶句した男を、とりあえずという感じで半ば思考停止した衛兵達が取り押さえた。そのまま衛兵達を指示して、ラキュース達が建物の中を捜索する。中で発見された、サキュロントが縊り殺した娼婦の死体や、明らかに非人道的で変態的な数々のプレイに晒される娼婦達の現場を押さえ、『蒼の薔薇』の一同は鬼畜の所行に怒りを新たにし、ナーベラルへの称賛を高めた。そのまま息も絶え絶えの娼婦達を保護し、非人道的な享楽に興じていた裸の男達を捕縛させる。

 

 この娼館は『八本指』の強力な保護下にあり、普通ならば摘発されることはあり得ない。だが、『八本指』の保護は、あくまでも裏からこっそり手回しされたものであり、違法行為を公然と適法にすることを可能とする物では無い。

 例えば市民の告発を握りつぶすとか、官吏の捜査を闇に葬るとか、そのような形で公的機関の動きに掣肘を加えることはできるし、当然のように今までそのようにして何度も法の正義が執行されるのを邪魔してきた。だが、こうして大々的に衆目にさらされてしまえば、その場の形だけでも法に従って行動するのを止められる性質のような物では無い。

 ラキュースの指示に従って、遠巻きにしていた野次馬の間に、忍者姉妹がこっそりとたぶんに美化された状況をばらまくと、野次馬達の間から称賛に満ちた歓声が上がる。民衆を味方につけておけば、後々自分たちを切り捨て処分するのもやりにくくなることが期待できるというイビルアイの強かな入れ知恵に基づく工作だ。

 

 こうして。危うく「到着初日に民間の施設を襲撃して破壊したテロリスト」扱いになる寸前だったナーベラルの評判は、「到着早々、奴隷売買に連なる薄汚れた行為で攫ってきた娼婦に非人道的な扱いを強いる違法な娼館の営業を発見し、殺されかけた娼婦に同情してこれを叩きつぶした正義の冒険者」として世間には認知され。

 オリハルコン級冒険者ガンマ、それに協力した『蒼の薔薇』、そして冒険者組合の王都における評判を高める結果となったのである。

 

 

 闇夜に溶け込むように怪しげな一団が居た。

 摘発された娼館の、全ての物品が証拠物件として運び出された、そのがらんどうの空間に開け放たれた扉を前にして、五人の男女が集まっている。

 筋骨たくましい屈強な男、見目麗しい優男、薄衣を纏った女、姿形をローブの奥に完全に隠した人影、そして全身鎧(フルプレート)の者である。

 

 本来ここに居るはずの見張りの兵士達は、彼らの闇の権力が手を回した結果遠ざけられている。

 

「ふざけた話だ。本来この娼館が落とされたところで、もはや斜陽産業である奴隷売買が痛手を受けても『八本指』自体の痛手にはならぬ。俺たちには本来たいした関係を持たぬ話だというのに……」

 

 そう言った巌のような男は”闘鬼(とうき)”のゼロ。『六腕』のボスであり、つまり王国裏社会の頂点に立つ戦闘者だ。

 

「ふふ、それが、たまたま?サキュロントのお馬鹿がオフを過ごしていて巻き込まれたばっかりに、私たちの方まで変な飛び火が来るとはねえ」

 

 そう言って笑った薄衣の女は”踊る三日月刀(シミター)”のエドストレーム。同じく『六腕』の一員であり、五本の剣を自在に操る常人離れした才能の持ち主である。

 

「負けるくらいなら逃げていれば……いや、助けを求められておいて逃げ出したらそれはそれで『六腕』の名に傷がつくか。いずれにせよ、奴が負けて死んだせいで、我々『六腕』の面子は大きく傷つけられたというわけだ。忌々しい話だがな」

 

 全身鎧(フルプレート)の男がそう言った。彼の名は”空間斬”のペシュリアン。空間を切り裂くとも言われる「見えない斬撃」が異名の由来である。

 

「それも、よりにもよってたかがオリハルコン級の冒険者一人にな……!!せめてアダマンタイト級冒険者チームのフルメンバーに追い込まれた、というのであればまだ言い訳も利くというものだが、オリハルコン級冒険者と一対一(サシ)でやり合って一方的に殺されたとか、ふん、これで『六腕』がアダマンタイトに相当する、という評判に疑問符がついたのは間違いない。死んでなければ俺が殺してやりたいくらいだ」

 

 軽薄そうな優男が、その雰囲気に見合わぬ怒りを湛えて吐き捨てた。”千殺”マルムヴィスト、刺突に特化した暗殺者であり、強力な毒を使いこなす危険な男である。

 

「……まあ待て、俺に考えがある」

 

 最後の一人、裾の部分が炎を象った深紅の糸で縁取られた黒いローブの中にその姿を隠した人影がそう言うと、全員の視線がそれに集まった。

 

「……何か考えがあるのか。聞こう」

 

 ゼロが頷いて続きを促すと、それに頷きを返して人影は言った。

 

「一石二鳥の案だ。……俺が思うに、サキュロントのような雑魚を栄光ある『六腕』に入れておくから今回のような問題が起こる、違うか?そこでまず確認したいのだが、この中にサキュロントの馬鹿の仇を討ってやりたい、そのように思っている奴は居るか?」

 

 フードの影が周囲を見渡すと、沈黙と苦笑を持って迎えられた。男は頷いて続きを口にする。

 

「……フフ、当たり前だが居ないようだな、結構。ならば言おう、そのガンマという魔法詠唱者(マジック・キャスター)を、奴の後釜として『六腕』に迎え入れてはどうだ?聞けば、その女、アダマンタイト級に上がるために王都へ来たそうではないか。ならば今オリハルコンだからと言ってその強さに疑問はあるまい。……『六腕』のサキュロントを破ったからガンマをその地位に迎え入れた、そういう形になれば『六腕』の面目は傷つくまい?」

 

 それを耳にした一同に納得と当惑の入り交じった雰囲気が広がる。ペシュリアンが疑問を口にした。

 

「確かに、そいつが仲間になれば後釜の問題は解決するし、『六腕』メンバーが倒された問題も、倒した当人が新しいメンバーになったということであれば一々ケチをつける奴もいないだろう。おまけに表の顔がアダマンタイト級冒険者の『六腕』メンバーと言うのも、実現すれば実に使い手がありそうだ。……だが、仲間になるかなその女?」

 

「……世間では義憤に燃えた正義の味方、ということになってはいるが、俺の見るところ、今回の一件は不幸な遭遇戦だ、という気がするな。いずれにせよ、駄目なら改めて叩き潰せばよい。とりあえず俺が勧誘の為に接触する、そういう段取りでどうだ?同じ魔法詠唱者(マジック・キャスター)として価値観を共有しているだろうし、『六腕』に所属するメリットを呈示してやれるだろう」

 

 それを聞いて、今度はエドストレームが首を傾げた。

 

「まあ、一理あるけど。でもあなたで大丈夫なの?はっきり言って、別の問題があるでしょうあなたには」

 

 そうすると、ローブの男より先にマルムヴィストが答える。

 

「その問題は、ある意味ではデイバーノックこそが適任だろう。奴のような存在すら『六腕』に居るという事実は脅しが効くだろうし、第一うんと頷かれた後でこんな化け物が仲間にいるなんて聞いてない、やっぱり抜けるなどと騒がれる方が鬱陶しいからな。ならば前もって教えておくのも手だろうよ」

 

 一同が大体納得した雰囲気になったところで、ゼロがまとめに入る。

 

「……ふん、大体の方針は決まったようだな。では、とりあえずの交渉、任せたぞデイバーノック」

 

「おお、任された」

 

 そう言うと、『六腕』が一人、”不死王”デイバーノックは、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の証たるフードの奥に覗く骸骨の頭、その虚ろな眼窩の中に揺らめく赤い光を燃え上がらせて静かに笑った。

 

 

 




 仲間から死体蹴りされるサキュロントさん可哀想……( ´∀`)
 とりあえずこの場は命を拾ったツアレさんですが、ナーベちゃんに関わる気は一切無い……というか、セバスが居ないから彼女にそれほど明るい未来はないです。ラキュースが最低限の保護をしてくれるけど、まず現地技術で堕胎せにゃならんしなあ。



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第三十話:”不死王”デイバーノック

 
前回のあらすじ:
エドストレーム「サキュロントがやられたようだな…」
マルムヴィスト「ククク…奴は六腕の中でも最弱…」
ペシュリアン「オリハルコン級冒険者ごときに負けるとは六腕の面汚しよ…」



「まことに申し訳なかった、許して頂きたい……!」

 

 王国戦士長のガゼフがそう言って深々と頭を下げると、周囲の大して多くもない客の視線がそのテーブルに集中した。

 冒険者向けとしては王都で最高級であり、格式も高い宿屋の一階、食堂である。ガゼフの対面に座るのはナーベラル。テーブルの横にハムスケが丸まっている。

 

「いや、別にいいわよ気にしてないから。大した用があった訳じゃないし」

 

 そう言ってナーベラルが砂糖を入れた紅茶をスプーンでぐりぐりとかき混ぜるのを、ガゼフは緊張に強ばった顔で恐る恐る窺った。ガゼフに女性の心の機微を読むことなど得手である筈が無く、ましてや相手はナーベラルである。彼女の台詞が額面通りのものなのか、軽々には決められぬ。

 何をしているのかというと、家令の老人にこわごわ打ち明けられて、ナーベラルの王都及び自分の屋敷への来訪を知り仰天したガゼフが、なんとか自分の業務にきりをつけてようやく捻出した時間で、王都におけるナーベラルの滞在先となった宿屋を訪問して、「不幸な行き違い」について平身低頭謝罪をしているところであった。

 

「いや、あのような大口を叩いておいてこの不始末、なんとお詫びしてよいやら分からぬ。せめてもの詫びにお茶でも奢らせてくれ」

 

 実際のところ、本当にナーベラルは気にも留めていない。こうしてガゼフが飛んでくるまでは、家を間違えたと思ったままだった。だが疑心暗鬼に捕らわれたガゼフの耳には、彼女の台詞全てが裏の意味を含んで聞こえる。「王都に来た際は私の館に寄っていただければ歓迎させていただく」という主旨の台詞を言っておいて、実際に遊びに行ったらすげなく追い返された、では彼女の機嫌をどれほど損ねたことやら、戦々恐々としているのだ。「気にしてない」という言葉が、「歓迎してくれるって言った癖に」と翻訳されて聞こえてくる程である。

 

「まあ、奢ってくれるというならありがたく頂くけど。私まだここのメニュー半分くらいしか読めないのよね」

 

 その言葉にガゼフはがばと体を起こし、ハンドベルを鳴らすと飛んで来たウェイトレスに質問して、お勧めの甘味を追加注文する。その様子を半眼で眺めていたナーベラル、テーブル脇で丸まったハムスケに声をかけた。

 

「あんたも何か頼んだら?ストロガノフが奢ってくれるそうよ」

 

「まことでござるか!ありがとうでござるガゼフ殿!」

 

 そう言ってハムスケが、おっかなびっくり応対するウェイトレスと相談しながら興味を引かれたものを注文する。とりあえず、奢らせて貰えたことにほっとしたガゼフが一息つくと、気を取り直して言った。

 

「それでだ、もし良ければ改めてガンマ殿を私の屋敷に招待させていただきたい。エ・ランテルではあの時の少年の家に居候していたと聞くし、なんなら王都では私の屋敷に滞在して貰っても構わないが……」

 

 思いつくままに喋りながら、今の提案が傍から見てどのように聞こえるか今更ながら思い当たったガゼフはやや顔を赤らめる。これではまるで……

 

「別に興味ないわ。あのご老人も私のこと嫌ってるんでしょう?そんなところに行っても気詰まりするだけだろうし……」

 

 今のガゼフにとっては当然、この台詞も「あの失礼なジジイはちゃんと躾けておいたんだろうな、ああん?」という風に翻訳されて聞こえる。ガゼフはハンカチで汗を拭い、乾いた笑みを浮かべた。

 

「ハ、ハ、なんともお恥ずかしい……ウチの者にはよく言い含めておいたから、勘弁してやって頂きたい」

 

 人の良い家令の老人がよかれと思ってやったことをどう窘めるか。頭から叱りつけるのも躊躇われたガゼフがとった選択は、「ストロガノフと呼ぶのは彼女にとってニックネームみたいなもので、悪気は無いんだ、だからそう反発しないでやってくれ」という些か事実とは異なる説明であったが、反省を促すつもりが客人を追い払ってしまったことにびくびくしていた老人は深々と頷いたものである。

 

「別に、歓迎して貰いたくて行った訳じゃないのよ本当に。そんなことより……」

 

 ナーベラルの眼光に真面目なものが宿り、ガゼフが居住まいを正す。

 

「用事なら今ここでだって済むわ。王都に戻ってからならまた別の話が聞けるかも知れないと思って行ってみたのよ。……何か新しく分かったことはないかしら?」

 

 その言葉を耳にして、ガゼフは彼女の用事が何だったのかを正しく理解した。彼も王都に戻って以降、聞き込んだり、調べたり、調べさせたりはしたのだが、結果は芳しく無かった。彼女の捜し物に関する手がかりは、文献にも、伝承にも、一切出ては来なかった。ガゼフは色よい報告ができないことを無念に思いながら答える。

 

「残念だが、今まで調べた限りにおいて新しい事実は出てきていない……」

 

「……そう。まあ、そんなに期待していたわけじゃないけどね……」

 

 そう言いながらも、あからさまに落ち込んだ様子で紅茶を一口飲むナーベラル。

 その様子を離れた所から眺める視線が二対あった。

 

「なあ……あれは何をやってるんだ?」

 

 声の主はガガーラン。貴族の令嬢としての生活もあるラキュースが王城に出掛けているときは、拠点であるこの宿で適当に暇を潰しているしかない。

 

「私が知るものか。なんでも、戦士長はガンマに以前命を救われたそうだが……こないだ帝国が国境付近の開拓村に焼き討ちを仕掛けてきて、戦士長に出動命令がくだった事件だ」

 

 答えたのはイビルアイ。忍者姉妹はどこへともなくふらりと姿を消したり現したりするが、この二人は基本的に宿屋で暇をかこっているのであった。

 

「もっとも、その情報も表向きのもので、裏では色々と工作があったみたいだがな……法国も一枚噛んでいたらしいという噂も聞く。……どうした、そんな顔をして?」

 

 興味津々の視線で二人の様子を見つめ、悪戯っぽい顔をするガガーランの様子を不審に思ったイビルアイが問うと、彼女はニヤリと笑って答えた。

 

「そーだな……なんだか、デートして口説いてるみたいだなって思ってさ!」

 

 必要以上に大声で放たれたその台詞に、戦士長の肩ががくんとずりおち、周囲の客がうんうんと頷いた。ナーベラルはきょとんとした視線を寄越しただけで特に反応はしなかったが。

 その日以降、「王国戦士長は”紫電の魔女”(ライトニング・ウィッチ)に懸想して日夜口説いている」という噂がまことしやかに囁かれるようになる。

 

 

 ナーベラルがハムスケを引き連れて通りを歩いていく。

 ハムスケを連れているのは、ラキュースの要望によるものである。先日の事件で前後関係を精査して聞き取った彼女が、ハムスケを連れていることによって引き起こされる可能性があるささやかなトラブルより、ナーベラルが単独行動することによって引き起こされるトラブルの方が遙かに深刻であるという事実に思い当たったため、急遽意見を180°反転させて、ハムスケを連れて歩いてくれとお願いしたのである。森の賢王が後ろにいれば、お馬鹿なチンピラが因縁をつけによってくる可能性は激減する筈だった。

 ところが。

 

「姫、なんだかさっきから付いてくる連中が居るでござる」

 

 ハムスケが小声でそう言うのを聞き、ナーベラルはフムと首を傾げた。尾行されているらしい。誰が、何のために?ラキュースの言うとおり、ハムスケの姿を見てなお近づいてくるような猛者はその辺のチンピラには居ないだろう。ならばそれよりは剣呑な何かであると思われる。

 延々と付いてこられるのも鬱陶しいし、先に相手をしようか。そのように考えて、ナーベラルはわざと人気のない路地へと入り込んでいく。人混みに紛れられなくなったにも拘らず、姿を隠す様子もなく一定の距離を保って付いてくる三人の人影を、ナーベラルはやや不審げな視線をもって振り返った。

 

「……何の用かしら?こんな所まで付いてきておいて、たまたま道順が一緒だっただけ、とは言わないわよねまさか」

 

 三人の男はいずれも筋骨逞しい屈強な男で、荒事を専門にする暴力従事者特有の雰囲気を漂わせていた。ただ、その出で立ちとは裏腹に、無表情な顔で意思を感じさせない声色でこう告げる。

 

「――オリハルコン級冒険者、ガンマ。”不死王”様がお前に話があるとのことだ。我々に付いてきて貰おうか」

 

 その言葉を聞き、ナーベラルの心臓がどくん、と一際強く脈打った。

 ”不死王”――ナーベラルが男達の言葉に従い、大人しく付いて歩き出したのは、ひとえにその言葉がもつ響き、それが否が応でも連想させる尊き御方を思い起こしてのことである。

 そんな筈はない。至高の御方が自分に用があるのなら、このような下等生物(アメンボ)共を使いに寄越す必要など無いのだ。妙な期待を抱くのは止めろ、馬鹿を見るだけだぞ――ナーベラルの理性はそのような警鐘を鳴らしているが、そのような正論で彼女の心臓が早鐘のように脈打つのを止めることはできない。緊張に胸を高鳴らせながら、ナーベラルは男達について人気のない路地を奥へ奥へと入り込んで行き、窓の無い分厚い壁を持つ建物へと案内された。

 

「――この中で”不死王”様がお待ちだ。入れ」

 

 そう言って開けられた扉の中は、殺風景なだだっ広い広間であった。薄暗いその奥に、黒いローブに身を包んだ人影が静かに佇んでいる。それを目にした瞬間、ナーベラルの目が失望に彩られた。

 

死者の大魔法使い(エルダーリッチ)……」

 

 まあわかってた、彼女は脱力しながらそうぼやく。そのようなナーベラルの様子を不審そうに見ながら、ローブの男は地の底から響くような声を発した。

 

「お初にお目にかかる、ガンマ殿。俺の名は”不死王”デイバーノック、『六腕』の一人と言えば分かって貰えるかな――」

 

 失望したのはこちらの勝手、怒りを持つのはまだ早い。そう必死に自分に言い聞かせていたナーベラルは、その台詞を聞いて胡乱そうに問いかけた。

 

「ろくわん?何それ?」

 

 この反応は予想外だったのか、デイバーノックが顎をかくんと落とす。沈黙が二人と一匹の間を満たす。

 

「……先日、”幻魔”のサキュロントを殺しただろう?おっと、そんなに不思議そうな顔をして首を捻るな、とぼけているわけではなさそうだな……もしかして覚えていないのか?幻術使いの軽戦士(フェンサー)だ」

 

 その説明を聞き、ナーベラルはようやくあーあーと手を打った。

 

「あー、あの、なんか分身する奴。そういえばそんなような名前だった気がするけど……なに、あなたあいつの仲間なの?仇討ち?」

 

 自分を殺した相手に名前すら覚えて貰っていないサキュロントに、初めて若干ながら同情を覚えつつ、デイバーノックは首を横に振った。

 

「そうではない。あのような雑魚を殺されたことに遺恨はない。それよりガンマ。ここに来たばかりのお前は知らないのかもしれんが、この王都、ひいては王国を闇から牛耳る裏社会の巨大組織を『八本指』という。その中でも戦闘用の実戦部隊の最高峰チームを『六腕』と呼び、あの男や俺はそこに所属している戦闘のプロだ」

 

「はあ」

 

 気の抜けた相槌を打つナーベラルに毒気を抜かれた気分になりながらも、気を取り直してデイバーノックは続ける。

 

「先日の事件……世間ではお前が正義の味方だという風潮にまとまっているが、その評判はお前がエ・ランテルで撒き散らしてきた”紫電の魔女”(ライトニング・ウィッチ)のそれとは一致しない。おそらくあの時起こったのは不幸な遭遇戦、別にお前にこの世に正義をもたらそうという意図などない、違うか?」

 

「……まあ、違わないけど」

 

 その答えを聞き、デイバーノックは満足そうに頷いた。

 

「ならば結構、俺の申し出は単純明快だ。お前、奴の代わりに『六腕』に入れ。悪くないぞ、八本指は。力を持つもの、より強い力を求めるものにとって最高の組織だ。強い力を持つマジックアイテムだって手に入る。このローブ、指輪、オーブ……まだまだあるぞ、これら全てがマジックアイテムだ!どう……どうした、何がおかしい?」

 

「……別に、なんでもないわ」

 

 強いマジックアイテム(・・・・・・・・・・)と言いながら見せびらかされたそれらを目にし、つい笑ってしまったナーベラルは唇を噛んで真面目な表情を作った。……まだ、決裂するには早い。

 

「……まあいい、それでどうだ?返答は如何に?」

 

 そういうデイバーノックをナーベラルはじっと見つめていたが、やがて口を開いた。

 

「……返答の前に、聞きたいことがあるわ」

 

「なんだ、言ってみるが良い」

 

「……この王都に、あなたのような異形種は他にいるのかしら?王都の裏社会(アンダーグラウンド)では、あなたのような異形種達で構成されたコミュニティがあったりするの?」

 

 心拍数を上げながら緊張した顔で放たれた質問をどのように解釈したか、デイバーノックは呵々と笑った。

 

「なんだ、王都の闇に俺のような怪物が他に潜んでいないか気になるか?意外と見た目相応の可愛らしいところもあるのだな!安心するがいい、王都の影に棲む人外の怪物は俺の知る限り他には居らぬ。居るというのなら俺が教えて欲しいくらいだぞ」

 

 当然、見当違いの解釈に基づいたその回答は、ナーベラルの期待するものでは無かった。彼女ははあとため息をつくと、他に聞きたいことがあるかどうか考え、もうないと結論する。だから彼女は、深呼吸を一つして、答えを待つ眼前の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に今の自分の正直な気持ちを吐き出した。

 

「巫山戯るなこの下等アンデッドめ、紛らわしい二つ名を名乗りやがって……そのように大層な二つ名を名乗って良いのは至高の御方だけよ、この愚物が!!」

 

 ナーベラルの怒りを正面から受けたデイバーノックは、一瞬沈黙した。彼女の台詞の真意は半分も分からなかったが、己が酷く侮辱されたことだけはよく分かった。デイバーノックは虚ろな眼窩の奥に憤怒の炎を燃え上がらせて、震える声を押し出した。

 

「決裂か……よかろう、そんなに死にたいのならこの”不死王”デイバーノック様が貴様を殺してやる。サキュロントを退けたくらいでいい気になるなよ、人間。奴が『六腕』の座につけたのは他にマシなのが居なかったが故のお情けだ、本物の『六腕』の実力を思い知らせてやる!」

 

 その言葉をナーベラルはハッと鼻で笑う。

 

「お前こそいい気になるなよこの下等アンデッドが。お前如き俗物には過度なその二つ名、お前が使うことで不愉快になることが二度と無い様、その身体を粉々に吹っ飛ばしてやるわ!……ハムスケ、あんたは表の連中を片付けて邪魔が入らないようにしなさい!」

 

「合点承知!」

 

 ハムスケが身を翻して入り口の方に駆けていくと、戦いが始まった。

 

<火球>(ファイヤーボール)

 

<電撃球>(エレクトロ・スフィア)

 

 デイバーノックの手から生み出された火の玉と、ナーベラルの手から生み出された電撃球が、お互いの中間地点でぶつかり、爆発を巻き起こす。同位階の魔法がぶつかり合ったため、完全に相殺された形だ。

 

「どうした、第五位階の魔法を使うという触れ込みはハッタリか!?……まあ、詠唱時間や連射性能を考えれば、ハッタリでなくともそうそう使えんだろうがな!」

 

 デイバーノックは不敵に笑うと、その手から<火球>(ファイヤーボール)を生み出す。ナーベラルが同様に<電撃球>(エレクトロ・スフィア)を放ち、先程と同様に中間で相殺された。

 

「ふふん、撃ち合いが望みか?……いいだろう、思い知らせてやる。ただの人間に、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)たるこの俺が、どれほどの<火球>(ファイヤーボール)を連発できるかをな。そして<電撃球>(エレクトロ・スフィア)を撃てなくなった時が貴様の最期だ、この俺を侮辱したことを後悔しながら黒こげになれ!」

 

 そうして<火球>(ファイヤーボール)<電撃球>(エレクトロ・スフィア)の撃ち合いが始まった。

 デイバーノックはほくそ笑む。先程の宣言通り、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)である彼は、普通の人間が考えられないほどの回数、<火球>(ファイヤーボール)を放つことができる。

 しかし――

 

 

 

 いったい何発<火球>(ファイヤーボール)を撃ち、それと同数の<電撃球>(エレクトロ・スフィア)を撃ち返されただろうか。三十から先は数えることも忘れたが、百発を超えたかも知れぬ。デイバーノックは呼吸をしない筈の己の身体が、荒い息をつくような錯覚に襲われた。疲労しているのだ。疲労しない筈のアンデッドが、精神を削られた結果、同様の状態に陥っている。

 繰り返された爆発により、部屋の中はサウナのように熱気で満ちている。その中を平然と佇み、未だ余裕そうに両手に電撃を弄ばせているあの女はいったい何なのだ、デイバーノックの頭蓋の端をちらりと恐怖が掠める。

 

「……もう、終わりかしら?」

 

 ナーベラルが嘲笑を浮かべて言う。台詞の内容より、こちらを見下すその笑みに反骨を刺激され、デイバーノックが手を前に突き出す。

 

「なんの、まだまだ――」

 

 ところが、身体は意志に従わなかった。デイバーノックが意志を込めて魔法を発動しようとしても、突き出した骨の手からは、もはや何も出ない。とうとう魔力が尽きる寸前まで<火球>(ファイヤーボール)をばらまいたのだ。これ以上無理矢理魔法を唱えれば気絶する。そのことが分かっているから身体が言うことを聞かないのだ。

 

「馬鹿な――」

 

 魔法を唱え続ければ魔力はいつか尽きる、それは当たり前だ。信じられないのは、目の前の女が、未だ余裕綽々でその両手に電撃を纏っていることだ。ただの人間が、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)である自分より、魔力が多いなどと、そんなことが有る筈がない、有って良い筈が無い。

 

「別に、さっさと始末しても良かったんだけど。自分が如何に身の程知らずな二つ名を名乗っていたのか、少しは思い知らせてやろうと思ってね、射撃戦に付き合ってあげたの。どう、魔力が尽きた気分は?自分が雑魚だって思い知らされた気分は?」

 

 デイバーノックは屈辱に喘いだ。この生意気な女に目に物見せてやりたかったが、もはや彼にできることは少ない。

 

「流石に熱くなってきたし、そろそろ終わりにしましょうか」

 

 涼しげな顔でそのようなことをしゃあしゃあと言い放つナーベラルの隙を窺う。奴が自分に止めを刺したと思ったその時がチャンスだ。そう思って腹に力を溜める。

 

「――なんてね。私だって知ってるわよ、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が電気に高い耐性を持っていることくらい。お前が追い詰められてる癖に妙に余裕そうなのも、そのせいでしょう?私が電撃魔法で止めを刺しに来ると思ってるから、それに耐えて隙をつけるなんて夢を見てる」

 

 だから、そう言ってナーベラルが手から放電を消した時、デイバーノックは慌てた。自分の狙いを読まれていたことに。だが、あの女の得手は電気属性の筈、それに耐性を持つ自分をなんとする?

 

<二重最強化(ツインマキシマイズマジック)()空圧波>(エアロバースト)

 

 次の瞬間、左右から自分を挟み込むように叩きつけてきた空気圧の衝撃に、デイバーノックは己の身体がばらばらに吹っ飛ぶのを感じ――永遠に意識を失った。

 

 デイバーノックの身体を構成する骨が粉々に砕け、そのまま煙のように消滅する。装備していたマジックアイテムが周囲に散らばるのを確認すると、ナーベラルは額に浮かぶ汗を拭って息をついた。

 

「ふぅ、流石に少し疲れたわね。あの世で己の増上慢を後悔するくらいの思いを味わわせてやれてればいいんだけど。……ハムスケ、行くわよ!ああ、こっちに来なくてもいいわ、熱いから。私の方から行くから外で待ってなさい」

 

 そうしてマジックアイテムを一応回収したナーベラルがその場を去ると、”不死王”デイバーノックがこの世に存在していた痕跡はもはやどこにも無くなったのだった。

 

 

 




 ”不死王”デイバーノック
 「異形種」である、ただこの事実一つで、王都に棲む全知性体の中で最もナーベラル・ガンマの初期好感度を稼ぐことができる筈だった幸運児。
 ただし、それと同時に、ナザリックNPC一温厚な男であるセバスですら不快感を示す二つ名のせいで、完璧な死亡フラグを登場時点で内包している不幸な人。
 名乗った瞬間フラグを立てるその様は、麻雀で言えば天和。

 エルダーリッチ関連の強さを調べてたらイグヴァ=41さんのとこに「冷気と電気に対する完全耐性」を発見。危ねえ、いつものように<龍雷>(ドラゴン・ライトニング)で始末するところだったぜ……( ´∀`)

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第三十一話:闇夜の激突

 
 ”闘鬼(とうき)”ゼロ
 まずクレマンティーヌ以降まで辿り着けるSS自体が多くなく、さらにバラエティ豊かな運命がクレマンティーヌを襲う頃には、SS毎の独自設定が引き起こしたバタフライ効果がその先の展開を統一させないため、共通3ボスなどとはとても言えないマイナーキャラまで堕してしまった出落ち芸人。
 そもそも『六腕』自体が、しかし芸で笑いをとりに行く噛ませ集団のため、強キャラのイメージがまるでなくボスとしての格が感じられないその背中には哀愁すら漂う。

 前回のあらすじ:
 ”不死王”……あっ……(察し)



 その依頼は、最初から奇妙だった。

 そもそも、アダマンタイト級への昇格試験として『蒼の薔薇』を試験官とした適当な依頼が舞い込むのを待っている身であるナーベラルを、単独で指定する指名依頼が来るという時点で既におかしい。組合に確認しても、言を左右にして今はそちらを優先して貰いたいと言う。どうにもなんだか、相当なごり押しがあったらしい。背後に、横紙破りな大貴族の関与を窺わせた。半分くらいは当事者の、ラキュース達が首を捻るのを尻目にナーベラルは黙ってその依頼を受諾した。

 王都リ・エスティーゼにも墓地はある。帝国との合戦における戦死者を受け入れるために馬鹿げた広さを確保した城塞都市エ・ランテルのそれとは比ぶべくもないが、それでも一区画を丸ごと使った広大な、人気のない寂れた区画である。依頼内容は墓地の異常の調査。なんともあやふやな内容であり、異常というのが下位アンデッドの発生なら、せいぜい銀ランクの依頼ではないのか?そのような疑問を皮肉をこめて発するも、受付嬢はしどろもどろになって口ごもるばかり。下っ端を苛めてもしょうがないので、程ほどで勘弁してやることにする。

 

 夜半、ナーベラルとハムスケが月明かりの中躊躇いもなく、すたすたとその墓地を歩いていく。なんだか前もこんな依頼を引き受けた気がするなあと思いつつ、十分に奥深くへ到達したところで歩みを止めた。

 

「――それで、あんた達が墓場の幽霊、ってことでいいのかしら?」

 

 その言葉を受け、闇の中から四人の男女がナーベラル達を取り囲むように姿を現した。『六腕』のメンバーである。前方からゼロ、後方にマルムヴィスト、右側にエドストレーム、左側にペシュリアン。

 

「……気づいていたか」

 

「こんな怪しい依頼をごり押しされる時点で何かあると思うわよ普通。で、こんな所に招待して、どういうつもりかしら?せっかく受けてあげたんだから、目的くらいは教えて欲しいわね」

 

 ナーベラルの言葉に、ゼロが唸り声を上げた。

 

「念のために確認しておこうか。俺たちは『八本指』の戦闘部隊、『六腕』のメンバーだ。……先日貴様が立て続けに討ち取ったサキュロントとデイバーノックの同僚だ」

 

「へえ。あの……なんか分身する奴と、図々しい骸骨の。それで?あの骸骨野郎は仇討ちなんて柄じゃないとか言ってたけど、あんた達もそうなの?」

 

「まあ、仇討ちと言うニュアンスではないのは確かだが……アダマンタイト級の実力を標榜する我々が、貴様一人に二人までを倒されたのだ。もはや貴様を生かしておいては、俺たちの面子が保てん。ここで死んで貰おう」

 

「四人がかりなら勝てるとでも?……おめでたいわね」

 

「フン、強がりを!行くぞ!」

 

 ゼロの言葉に、四人がそれぞれの武器を構えた。まだ間合いは遠いが、じりじりと慎重にナーベラルに近づこうとしている。勿論、ナーベラルが魔法を使えば、即座に全速で間合いを詰めてくるだろう。

 

(ちょっと面倒ね……)

 

 ナーベラルは内心少し迷った。勝ち筋は簡単、上空に転移して墓地毎<吼え猛る竜巻>(レイジングトルネード)で消し飛ばしてやれば一瞬でカタがつく。まあそこまでの隠し札を切る状況ではないので、上空に滞空して攻撃魔法の雨を降らせてやるのでもいい。だがそれをするには隣のハムスケが邪魔である。ハムスケを逃がそうにも、四方を囲まれている現状、どちらに逃がしたものか。

 とりあえず弱そうな奴の方向に突破させようか、そのように考えてハムスケに指示しようとした刹那、ハムスケの方が囁いた。

 

「姫、後ろの方に新手が出てきたでござる」

 

「ん?」

 

 『六腕』というからには六人だろう。二人倒して、ここに四人。これで全員の筈である。手下を伏せていたにしても、何故一方だけなのか、そのような疑念を抱きながらナーベラルが振り返って後方を見ると。

 

「そこまでよッ!!」

 

「「「「……『蒼の薔薇』ッ!!」」」」

 

 六腕メンバーが唱和したように、後方からその場に駆け込んできたのは、『蒼の薔薇』の面々であった。先頭に立つラキュースが、ナーベラルににこりと笑いかける。

 

「もう大丈夫ですっ、ガンマさん!私たち『蒼の薔薇』、義によってガンマさんに助太刀致します!」

 

「しまった、謀られたかッ……!?」

 

 ゼロが呻く。四対二から四対七へ、これで人数差は逆転した。この状況を、ナーベラルを撒き餌に、自分たちがまんまと誘き出されたものと理解したのである。しかし。

 

「え、ちょっとなにそれ……別に頼んだ覚えはないんだけど……」

 

 ナーベラルのとぼけた反応に、肩すかしになる。つまりどういうことだ、ゼロが訝しげに状況を見守る中。

 

「水くさいですよガンマさんッ!!私たちの仲じゃあないですか!!」

 

 友好的とは言い難いナーベラルの反応に委細構わず、暑苦しい台詞を叫ぶラキュース。

 

「……あの依頼は露骨におかしかったからな。私たちも独自に調べさせて貰った。そうしたら『八本指』が裏から手を回して貴族を動かした、という所までは推測がついたんでな、証拠はないが。お前が狙われている、と判断して駆けつけたというわけだ」

 

 イビルアイがそう言うと、ガガーランが言葉を重ねる。

 

「相変わらずつれねぇ奴だな!一人で『六腕』とやりあってたと聞いた時には驚いたぜ!一人で抱え込んでないでちったぁ俺らも頼ってくれりゃあいいのによ!」

 

 一人で抱え込むも何も、ナーベラルにそんなものとことを構えた覚えはないのだから仕方がない。『六腕』の名称自体はあの骸骨野郎(デイバーノック)がなんかそんなようなことを言っていた気がするが、あの時は他に気を回すことがたくさんあったし、不届き者に対する怒りで頭がいっぱいで、他のことはすぐに忘れたのだ。

 

「一人で王都の闇と戦ってたとか、格好良すぎて濡れる」「ひゅーひゅー」

 

 忍者姉妹が囃し立てると、ナーベラルは困惑するように呻いた。

 

「いや、その、あなた達なにか誤解してない?」

 

「なーに、そんなに照れるなよ!恥ずかしがり屋さんだなカワイコちゃん!」

 

 だが『蒼の薔薇』の面々は全く聞く耳を持ってくれない。彼女たちの中では既に結論の出ていることらしい。そもそも誤解されていたとして、それを解く必要があるのだろうか。別にいいような気もしてきた……どうでも。

 

「いずれにせよ……ガンマさんに面目を潰されて焦りましたね、『六腕』。普段は裏から手を回した汚い権力で守られているあなた達も、今この場においては単なる襲撃者です」

 

 ラキュースが『六腕』に対して高らかに宣言すると、ゼロの顔が歪む。イビルアイがそれに言葉を重ねる。

 

「偽の依頼で冒険者を誘き出し、罠に嵌めようとしたとなれば、もはや言い訳の利かない状況だ。お前達をこの場で潰しても、誰に憚ることもない。覚悟しろ」

 

 その言葉が皮切りとなり、決戦が始まった。

 

<飛行>(フライ)

 

 イビルアイがふわりと空中に浮かび上がると、マルムヴィストの頭上を越えて飛んでいこうとする。囲みの中にいるナーベラル達に合流するつもりだ、そう悟ったマルムヴィストが何か対応するよりも速く、彼目がけて刺突戦鎚(ウォーピック)が振り下ろされる。慌てて躱したマルムヴィストが立っていた地面を、轟音を立てて刺突戦鎚(ウォーピック)がえぐり取る。

 

「おっと、邪魔はさせねえ。お前の相手はこの俺だ」

 

 突進してきたガガーランがそう言ってにやりと笑うと、マルムヴィストはやむなくレイピアを構えて目の前の敵に集中した。

 

 

 

 マルムヴィストの頭上を飛び越えたイビルアイは、そのまま真っ直ぐ飛んで、ハムスケをお供にゼロと睨み合うナーベラルの横にすとんと降り立つ。

 ナーベラルの視線が一瞬横にそれ、イビルアイを確認する。彼女の意識がそれたその一瞬、ゼロの身体がゆらりと揺れた。

 

「……!?いかん、<水晶防壁>(クリスタル・ウォール)!」

 

 イビルアイが魔法を唱えると、ナーベラルの前方に水晶の壁が出現する。その瞬間、どん、と轟音を発して地面が揺れ、生まれたばかりの水晶の壁に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。ゼロが大地を蹴り、高速で突っ込んできたのだ。

 

「姫!」

 

 水晶の壁に阻まれて突進が止まったゼロを、ハムスケが横から斬りつける。ゼロは素早く大地を蹴って距離を取り、その爪の範囲から逃れ出た。舌打ちをして構え直す。

 

「今のは少し危なかったわ。一応礼を言っておきます…………イビルアイ」

 

「いや、今のは私がお前の気を逸らしたせいもある、礼には及ばない」

 

 ナーベラルが軽く黙礼すると、イビルアイは手を振って応えた。その間もゼロの動きから目を離さない。

 

「そう。……にしても、思ったより結構なスピードを出すわね。近接戦闘で相手をするのは少々危険かもしれない」

 

「そうだな、その通りだ。私に作戦がある。……後ろはガガーラン、右にはラキュースが向かった。その魔獣……ハムスケを、左のあいつに回してくれるか?」

 

「前衛を外せと?……ああ、そういうこと、了解したわ。ハムスケ、左の全身鎧(フルプレート)をお願い。前のアイツはこっちで片付けるわ」

 

「了解したでござる姫!ご武運を!」

 

 ハムスケがナーベラルの指示に元気良く答えると、がしゃがしゃと鎧を鳴らして走ってくるペシュリアンの方に駆けていく。それを見たゼロが、野太い唸り声を上げた。

 

「前衛を外して魔法詠唱者(マジック・キャスター)二人だと……舐めているのか貴様ら!?」

 

 その言葉を聞き、ナーベラルが口の端を吊り上げて笑う。

 

「別に舐めてなんかいないわ、むしろその逆よ。万が一、ハムスケに怪我でもさせられたら困るもの。どうする気かはすぐ分かるでしょう」

 

 そうしてナーベラルはイビルアイと視線を交わし、一つ頷いて呪文を唱えた。

 

<飛行>(フライ)

 

 次の瞬間、起こった光景に、ゼロが目を剥いた。

 

 

 

 エドストレームは自身の方に駆け寄ってきたラキュースと睨み合う。エドストレームの周囲には五本の三日月刀(シミター)が、そしてラキュースの背後には六本の黄金の剣がそれぞれ浮かび上がっている。

 奇しくも似たような戦闘スタイルだ。一見そう思えるが、内実は大きく異なる。エドストレームは考える。ラキュースの持つマジックアイテム「浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)」は攻防の手数を増やし、射出して遠距離攻撃もできる優れものだ。数もこちらより一本多く、一見ラキュースが有利に見えるが。

 実際にはそうでもない。浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)は、ラキュースが唱えるコマンドに従って、攻撃・防御・投擲のそれぞれ極めて単調な動作を行うことしかできない。対するエドストレームは、彼女自身の極めて類い希な空間認識能力と脳の柔軟性により、舞踊(ダンス)の付与された五本の三日月刀(シミター)をまるで己の手足のように自在に操ることができる。切り結んで行けば、その差はすぐに如実に現れてくるだろう。全ての浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)を叩き落として、立て直す暇もなく剣の結界に飲み込んでやる。

 

「全弾射出!」

 

 彼女がそのように決心して隙を窺う中、ラキュースが焦れたように叫ぶと、彼女の肩の周囲で滞空する六本の剣全てが垂直に浮き上がり、こちらに向かって飛んできた。エドストレームはほくそ笑む。馬鹿め、持久戦の不利を悟って数で押し切るつもりだろうが、それは悪手だ。そうしたいならせめてラキュース本人も一緒に斬りかかってこなければ話にならない。舞踊(ダンス)で操る五本の三日月刀(シミター)と、自分の手に握られた三日月刀(シミター)で六本。一合で全ての浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)を叩き落とす。後はラキュース本人をなますに刻んでやろう。

 

「はぁっ!」

 

 彼女の決意の通り、ただの一合で真っ直ぐ射出された浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)が全て叩き落とされ、虚しく地面に転がった。恐るべきは全ての三日月刀(シミター)を自在に操ってみせたエドストレームの処理能力である。

 しかし、その一合でラキュースには十分であった。エドストレームはなぜラキュース本人が斬りかかって来なかったのか、もう少し考えるべきだったのである。

 

「はあああああああ!」

 

 ラキュースが吼える。その声に呼応するように、その手に持った漆黒の剣の刀身に浮かぶ星々の輝きが巨大になり、刀身そのものが巨大に膨れあがった。

 

「超技! 暗黒刃超弩級衝撃波(ダークブレードメガインパクト)ォオ!!」

 

 叫びとともに魔剣キリネイラムを横に薙ぎ払う。叫ぶ必要はないが効果は絶大だ。その前方に漆黒の無属性エネルギーが膨れあがり、爆発して悲鳴を上げる間もなくエドストレームを飲み込んだ。

 

「完・勝!」

 

 ラキュースはキリネイラムを振り抜いた姿勢のまま、高らかに勝利を宣言した。

 

 

 

 ”空間斬”ペシュリアンは、目の前に駆けてきた白銀の魔獣と対峙する。

 油断はない。目の前の強大な魔獣は、ボスに匹敵するかも知れない強者の気配を漂わせている。油断のできようはずが無かった。

 だが焦りもない。彼の魔技は、知らずに対応することは極めて困難な初見殺しである。いくら屈強とは言えど、獣に破れるとは考えられない。

 一メートルの鞘から抜き放つ一閃で、三メートル先の目標を両断する魔技、”空間斬”――その秘密は、特殊な材質でできた剣にある。ウルミと呼ばれるその剣は、柔らかい鉄でできた長い剣であり、よく曲がりよくくねる。その刃を極限まで細く薄く削った斬糸剣、振るわれたその剣の軌道はもはや金属でできた鞭と言った方が正確だ。高速で振るわれる鞭の先端は、音速に達するとも言われる。ペシュリアンは、彼の獲物がただの剣と思って構えた多数の敵を、何が起こったかも分からぬままに切り伏せてきた。今回もそうなるものと思われた。

 

 ところで、鞭のような軌道を描く攻撃と言えば。我々はもう一つ、そのように描写された攻撃を見たことが有るはずである。

 そう、ハムスケの尻尾である。

 鋼の硬さを持つ鱗に覆われた、鞭の如くよくしなりよく伸びる、鋭く尖ったその尻尾は、それに加えてハムスケの意志で自在に動くのだ。

 ペシュリアンが必殺の意志を持って抜き放った”空間斬”の一撃は、ハムスケの身体へと到達するその前に、途中で伸びてきたハムスケの尻尾とぶつかって甲高い音を上げ……そのままくるくると巻き付いたハムスケの尻尾に絡め取られた。

 

「な……!!」

 

 兜の奥でペシュリアンの目が驚愕に見開かれる。ハムスケは自分の顔の横で尻尾に絡め取られた斬糸剣をまじまじと凝視すると、驚愕のため息をついた。

 

「ふわぁ~、びっくりしたでござる。世の中には中々変わった武器があるでござるなあ」

 

 そう言いながらハムスケが尻尾をぐいっと引っ張る。ペシュリアンはこのままでは自身の武器が奪われてしまう、そうはさせじと剣を持つ手にぐっと力を込めた。

 だが、それは悪手であった。むしろ彼はさっさと手を放し、副武器の短刀なりなんなりに持ち替えるべきであったのだ。人間では太刀打ちできぬ膂力で武器を引っ張られたペシュリアンは、剣を放そうとしなかったが故に上方に身体を引っ張られてたたらを踏む。そしてそれは、致命的な隙であった。

 

「えい、でござる」

 

 ぺきん。ハムスケがその前肢で、眼前に引っ張られてきたペシュリアンの頭を引っぱたくと。彼の顔は百八十度回転して後ろを向いた。ペシュリアンの身体から力が抜け、剣の柄から手がすっぽ抜ける。そのまま崩れ落ちるペシュリアンにもはや注意を払わず、ハムスケは前肢で尻尾に絡んだ斬糸剣をつかみ取った。

 

「へえー、見れば見るほど面白い武器でござるなあ。おっ、ぐにょぐにょ動いてなんだか気持ち悪いくらいでござる!」

 

 

 

「畜生!三対一とか卑怯だろ!!」

 

 マルムヴィストは叫んだ。既に彼の身体は大小各種の傷でズタボロである。彼が喚いた悲鳴の通り、正面にガガーランを抱えたまま、側背面からティアとティナが投げつけてくるクナイを捌ききれず、そこかしこに手傷を負っていた。

 

「へっ、何言ってやがんでえ。四人がかりで一人を襲おうとしてた癖によ」

 

 ガガーランが不敵に笑う。彼女の言う通りだ。ルールに則った試合で無い以上、数を揃えられなかった方が悪いのだ。

 

「正確には一人と一匹。忘れたらハムスケが怒る」

 

「それでも四対二だから意味は通じるー」

 

 ティアとティナが口々に茶化す。本来ガガーランで手一杯のマルムヴィストに、背後からクナイを投げつけるだけの簡単なお仕事ゆえ、既に余裕綽々である。

 

「ま、三対一で楽してるってのは確かだからな!さっさと片付けて他所の加勢に入るか!」

 

 ガガーランが気合いを入れると、暴風と化した刺突戦鎚(ウォーピック)が次々と振り回され、マルムヴィストは痛む身体に鞭打って必死でその一撃を躱す。

 

「ガガーラン。張り切りすぎはよくない」

 

「そいつは毒使い。かすり傷で致命傷なんだから、焦らず仕留めるべき。攻撃は私たちに任せて、回避に専念しててもいいくらい」

 

「っと、そういうわけにも行かねえなぁ!」

 

 忍者姉妹が注意を喚起するが、その言葉でガガーランはますます奮起する。そんな相手の様子を、絶望に染まった目でマルムヴィストは虚しく睨み付ける。

 その後のことは語るまでもない。奮戦虚しく、相手にかすり傷ひとつ負わせることもできないまま、マルムヴィストはクナイで動きを止められたところに刺突戦鎚(ウォーピック)の渾身の一撃を食らって吹き飛んだ。

 

 

 

「糞が!!」

 

 ゼロが雄叫びを上げて、ナーベラルとイビルアイを殺気の籠もった視線で睨み付ける。彼女たちの姿は、空中十メートルの高さで静止していた。<飛行>(フライ)の魔法で空中に浮かび上がっているのだ。

 <飛行>(フライ)の魔法を維持しつつ、空中から攻撃魔法を撃ち下ろしてくる熟練の魔法詠唱者(マジック・キャスター)。しかもそれが二人。もはや眼前に繰り広げられる光景は、戦闘ではなく狩りの様相を呈してきていた。

 

<雷撃>(ライトニング)

 

<結晶散弾>(シャード・バックショット)

 

「ぐぬうううう!!」

 

 ナーベラルが放った攻撃魔法を、超人的な反射神経で横っ飛びに躱す、その隙にイビルアイの攻撃魔法が襲い来る。あるいはその逆。単純だが強力な連携に、ゼロの体力はみるみる削り取られていく。

 

「破ぁああああーッ!!」

 

 ゼロが裂帛の気合いを込めて己の拳から握り拳大の気の塊を撃ち出す。モンクである彼が唯一使える飛び道具であるが、攻撃魔法と遠距離で撃ち合うにはそれはあまりにも頼りがない。イビルアイを狙ったその弾は、彼女の飛行制御により容易く回避される。

 

(しかし、この女とんでもなく精密な制御をこなすな……ちょっと真似できそうにない)

 

 <飛行>(フライ)を使う魔法詠唱者(マジック・キャスター)として、イビルアイが訓練したのはひたすら距離を取る動きだけに意識を割くという戦術だ。流石に攻撃魔法を撃ちながら複雑な動きはできない。だが、隣に浮かぶナーベラルは、遙かに複雑な軌道を描きながら自在に攻撃魔法を放っているように見える。どんな訓練をしたらあのように動けるのか、イビルアイにはちょっと想像がつかなかった。

 

「けえええええええええええーッ!!」

 

 そうする間にも、ゼロが今度は憤怒の叫びを上げ、高く高く跳躍する。大砲から放たれた砲弾の如き勢いで、地面を蹴り砕いて空中にいるナーベラルに殺到する。

 

「まあ、大した跳躍力だけど――」

 

 ナーベラルは慌てない。どれだけ高く跳んだところで、飛行ではなく跳躍だ。空中で位置を制御することはできず、素早く距離を取って遠ざかった彼女をゼロは歯ぎしりして見送った。所詮はやぶれかぶれの一撃であった。

 

「翼もないのに安易に跳ぶな、ってね。そら、<水晶騎士槍>(クリスタル・ランス)

 

 イビルアイが皮肉げに言って放った攻撃魔法に、またも体力を削り取られる。ゼロの顔が屈辱に醜く歪むが、彼のスキルでは空中にいる彼女たちに対抗する方法はない。詰んでいる。

 

「まあ、そろそろ飽きてきたし。もう終わりにしましょうか?」

 

 ナーベラルがそう声をかけると、イビルアイは頷いた。

 

「そうだな、構わんよ。だが、できれば生け捕りにしたいな。この依頼が罠だったと、証言がとれた方が盤石だ」

 

「そう?それじゃあ加減してみるわ」

 

 そう言うと、ナーベラルは両手に電撃を生み出した。

 

<魔法二重化(ツインマジック)()龍雷>(ドラゴン・ライトニング)

 

 敢えて最強化されなかった二頭の雷の龍が、タイミングをずらしてゼロに襲いかかる。地面を爆発するほど蹴り込んで跳び下がり、一頭を躱したゼロの身体を、二頭目の竜が追いすがって飲み込んだ。

 

「が……あ……!!」

 

 それがとどめとなり、ゼロが白目を剥いて地面にどうと倒れる。

 ナーベラルが地面に降り立つと、イビルアイもそれに続いて降り立った。

 

「五位階魔法の二重起動とは……たいしたものだ」

 

 それには答えず、ナーベラルはゼロを見下ろして言った。

 

「どうやらなんとか息はあるようね。……他の所も片付いたみたいだし、これでお終いか」

 

 それがそのまま、決着の言葉となった。

 

 

 




 やっぱり雑魚だったよ……ごめんなさい(六腕の)みんな……( ´∀`)
 多対多のバトルを書けないかと思ったんだけど難しいですね本当に。結局一匹ずつ撃破されるシーンの詰め合わせになってしまった。

 1/17 ナーベラルとイビルアイの滞空高度を五mではちょっと低いんじゃね、という指摘があったので十mに変更してみる。
 重要な点は二つで、身体強化したゼロがかろうじて飛びかかれる高度であることと、それをナーベラルが見てから回避余裕でしたになるだけの猶予があること。
 確かに五mだと鍛え込んだ戦士職なら楽々跳べそうな感じはするので、十mならゼロさんの面目も少しは立つんじゃないかな( ´∀`)?



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第三十二話:審問会

 
 前回のあらすじ:
 ハムスケ「姫……さすがに戦闘中に名前を聞いてくるのは止めにして欲しいでござる……」
 ナーベ「……悪かったわ」
 気づいた人お見事でした( ´∀`)



「暴力装置の切り札を失った『八本指』は、その影響力を大きく弱体化させることとなるでしょう!これで王都の秩序は安寧に向けて大きく前進します。……全てあなたのおかげです、感謝しますガンマさん!」

 

 そう言って思い切りハグされ、ナーベラルはジト目でラキュースを押しのけた。

 

「ああんっ」

 

「暑苦しいから離れて。そういうのいいから」

 

「そうだ、ボスばかりずるいぞー」「私たちも混ぜろー」「お?よっしゃよっしゃ!」

 

 しかし、そのまま忍者姉妹とガガーランにもみくちゃにされて辟易とする彼女の様子を、イビルアイだけは一歩下がって観察する。別に他意はなく、そういうことができない性格だというだけのことだが。

 

「落ち着けラキュース。『八本指』の支配力に大きなヒビが入ったのは間違いないが、必ずしもそれが平和を導くとは限らん。……裏社会の秩序が乱れて、チンピラ同士の抗争が激化し治安が悪くなると言うことも有りうるぞ。……おっと、失礼。『六腕』を倒したのが間違いだと言いたいわけではないので気を悪くしないでくれ」

 

「……別にどうでもいいんだけど。もう帰っていい?」

 

「あ、ちょっと待ってガンマさん」

 

 淡泊な反応しか返さないナーベラルにもめげず、ラキュースが声をかけた。ナーベラルが何の用だ、という視線をやると、笑顔で応える。

 

「昇格試験の一環として、適当なクエストをご一緒させて頂くという予定でしたが……今回肩を並べて戦ったわけですし、ガンマさんの実力とお人柄も確認できましたし。わざわざ改めてクエストを受ける必要もないかと思います。組合には合格と報告しておきますね。……最初は随分とつんけんした人だなあと思っていましたが、誤解でした」

 

「……今まさに誤解してる気がするんだけど?」

 

 勝手に進んでいく話に、思わず突っ込みを入れたナーベラルの背中を、ガガーランがばんばんと叩く。

 

「照れるな照れるな!ま、後始末は俺らがやっといてやるからよ、今日のところは帰って休んでいいぜ」

 

「……我々の試験を合格したとなれば、昇格は事実上確定したと思っていいだろう。残るは煩雑な事務手続きくらいで、後は時間の問題だ。身の振り方を考えておくといい」

 

 イビルアイの言葉に頷きを返し、ナーベラルはハムスケを連れてその場を去った。

 だが、事態はイビルアイの予想通りには進まなかった。

 

 

「審問会?なんだそれは?」

 

 その単語の持つ耳慣れない響きに、イビルアイが眉を顰めた。もっとも、仮面の下で起こった表情の変化は誰にも見えないのだが。単語を発したラキュースの方も首を捻る。

 

「うーん、なんだかよくわからないのよね私にも……みんなだって、アダマンタイト級冒険者として認められる際に面接みたいなものはしたでしょう?それと似たようなものだとは思う……たぶん」

 

「だが、面接なら面接と言えばいいじゃねーか。なんだってそんな仰々しい言い方にするんだ?」

 

「そうだな……なんというか、その言葉には、ガンマに対する否定的なニュアンスを感じざるを得ない。またろくでもないことになりそうだ」

 

 ガガーランとイビルアイが口々に言う所感に、ラキュースも同意する。

 

「そうね……それで、その審問会とかいうのに、私たち『蒼の薔薇』も同席を求められているわ。一応私たちが彼女の審査をした、という筋から言えば、それほど不自然なことではないんだけど……」

 

「ボス。私たちも行くのか?」「サボりたいー」

 

 それを聞き、話を黙って聞いていた忍者姉妹が口を挟んだ。ラキュースは姉妹の方に向き直ると、首を振る。

 

「『蒼の薔薇』には全員参加して欲しいそうよ。私たちの審査内容自体を検証したいのかもしれないわね」

 

「ふん、あるいは……いざというときにガンマを取り押さえろ、そういう意図があるんじゃないか?彼女が実際に暴れるかどうかはともかくとして、そういう事態を恐れるような展開にする気があると見える。……荒れるな、こいつは」

 

 イビルアイがそう言うと、他の面々は緊張した面持ちで頷いた。

 

 

 ハムスケを外に置いて冒険者組合の中に入ったナーベラルが、案内された会議室のドアをくぐると、室内にいた人間の視線が彼女に集中する。その視線を平然と受け流し――意外な顔ぶれに、彼女の眉がぴくんと寄せられた。

 正面奥には組合の幹部らしき五名の男性が居る。わざわざ高座に座って見下ろして居るのは、権威を主張する意図か、はたまたこちらを威圧するつもりか。左手には無理矢理顔馴染みにさせられた、やたらと馴れ馴れしい『蒼の薔薇』が勢揃いしている。ラキュースが小さく手を振ってきたのを、やや困惑を覚えながら無視する。この状況で反応することを期待しては居ないだろう。そして、右手には何故か王国戦士長とその部下が三名。彼らに共通するのは、冒険者組合の中で過ごすにはいかにも物々しいその装備である。流石に完全装備ではないが、今すぐ戦いを始められそうな出で立ちだ。そのことを見てとったナーベラルの頬が、僅かに吊り上がる。

 

「――掛け給え、ガンマ君」

 

 正面奥にふんぞり返っている一際偉そうな中年の男性が、そう言って着席を促した。ナーベラルは大人しく勧められた椅子に座る。奥の連中から見て正面に相対する、言うなれば被告席である。

 

「では始めようか。確認しておこう、本日今から行われる審問会の議題は、オリハルコン級冒険者ガンマが、アダマンタイト級冒険者に昇格するに相応しい人物か。それを見極めるためのものだ」

 

 一同が頷くのを見渡すと、男性が続けて声を発する。

 

「まずは簡単に済む方から行くとしよう。ガンマ君の実力についてだが……先日起こった偽依頼の件で、『蒼の薔薇』の諸君によりその実力は確かに見届けられたとの報告を受けている。……組合が確認して責任を持つべき依頼内容に不備どころか嘘があったというのは大問題で、ガンマ君には非常に申し訳ないことになったが、そのことは本日の本題ではないので置いておくとしよう。まあとにかく、ガンマ君の実力はアダマンタイトに上がる基準を満たしている、というよりは……現役のアダマンタイト級冒険者と比べても何ら遜色のないものだ、それで間違いないね?」

 

 最後の台詞をラキュースに投げかけると、彼女は頷いて発言した。

 

「はい、間違い有りません。ガンマさんの実力は私たち『蒼の薔薇』のメンバーと比較しても、同等ないしはそれ以上の強さを持っていると宣言します」

 

 それを聞き、壇上の幹部連中がひそひそとざわめいた。ガゼフも、さもありなんとばかりに頷いている。ざわめきを抑えるように手を振ると、男が再び口を開く。

 

「――結構、実力については疑う余地はないものとする。問題はここからだ」

 

 男が咳払いをし、喉を湿して仕切り直す。全員の注目を集めながら、芝居がかった大仰な身振りでしゃべり出した。

 

「アダマンタイト級冒険者。それは、人類の切り札ともいうべき、英雄的存在だ。というより、組合が公に認めた英雄そのものであり、世界に巣くう凶悪なモンスターの脅威から人類を庇護する守護者だ。凶悪なモンスターを退ける実力が求められるのは勿論だが、それだけではアダマンタイトは務まらぬ。人類の守護者、英雄譚に謡い上げられるに相応しい人格が求められるのだ」

 

「副組合長、それにつきましては――」

 

 ラキュースが思わず立ち上がって口を挟みかけるのを、男は手で制した。彼女が不承不承座り直すのを見て口を開く。

 

「アインドラ君の報告では、ガンマ君は少々(・・)過激なところはあるが、己の正義に従って悪を断罪する苛烈な人物だ、そういう風に聞いている。だが、彼女がエ・ランテルで冒険者登録して以後に起こした、殺人まで含む数々の騒ぎを見るに……それで済ますのは些か苦しくはないかね?」

 

 そう言って、今度はラキュースに返答を促した。ラキュースは立ち上がると、言葉を選びながら口を開く。

 

「確かに、エ・ランテルでの評判は芳しくないようですが……殺しについても、基本的に相手が犯罪者だったり、防衛行為であったりと、ガンマさんは罪には問われていない筈ですが。逆に、そうでなければ今ここに居られるはずがないですしね。彼女の潤沢な正義感が悪い方に噛み合ってしまったものだと思われます。

 一方、王都での評判はかなり人気が高いと言っても過言ではありません。王国最大の犯罪組織、『八本指』の『六腕』を潰して王都の治安回復に一役買ったヒーローです。別にこれらの差異は、彼女の二面性を示すものではありません。苛烈な断罪者、という性格の表と裏ですわ」

 

 いったい自分は彼女にこうも擁護されるようなどんなことをしたのだろう。ナーベラルは不思議に思いながら聞いていたが、その言葉を聞いた男は不快そうに口元を歪めた。

 

「ヒーローと言うがね……本来、冒険者の本分はモンスターの脅威から人間を守ることにある。人間同士のトラブルに首を突っ込んで英雄気取りするのが本当に相応しい行為かどうか、よく考えて貰いたいものだ。……もっとも、その点については君も相当なお転婆だ。似たもの同士、気が合うというところなのかな」

 

 そう言ってラキュースをじろりと睨み付けると、彼女はさっと目を逸らす。そんな男性の様子を、向かいに座ったガゼフが難しい顔で観察しているが、そのことに気づく者は居なかった。

 

「……コホン、話が逸れたようだ。では別の方向から検討してみよう。アダマンタイト級冒険者という者は、モンスターの脅威から人類を守る盾だ。だが、ガンマ君にそのように振る舞う覚悟があるかは、疑念が残ると言わざるを得ない」

 

 勿論、ナーベラルにそのような覚悟はおろか意志すらない。だが、どうもそれは印象論的な話ではないようだった。男が合図すると、一人の男が入ってきた。一見冒険者風だが、戦士と言うにはやや線の細い優男である。

 

「お……私のことを覚えていますか、ガンマ殿?」

 

 やたらと気障ったらしい身振りでそのように述べた男の台詞を受け、ナーベラルは彼の顔をまじまじと観察した。しかし、幾ら考えても見覚えがない。

 

「いえ、覚えてないわ。誰あなた?」

 

「とぼけるおつもりですか、結構、ならば思い出させてあげましょう!あれはもう一月以上前、私がトブの大森林に依頼で向かったときのことでした……」

 

 男は組合に所属しない冒険者――ワーカーである。トブの大森林近縁の湿地帯で蜥蜴人(リザードマン)と遭遇し、争いになったとき、通りかかった魔法詠唱者(マジック・キャスター)があろうことか蜥蜴人(リザードマン)側に加勢したせいで、パーティーは半壊、大切な仲間を二人失った挙げ句命からがら逃げ出してきた、男はそう語った。

 

「その時は名前も知りませんでしたが……王都に来たガンマ殿のお姿を拝見して驚きましたよ、彼女こそはあの時私たちを殺しにかかってきた魔法詠唱者(マジック・キャスター)だったのですから!」

 

 その言葉を聞いて、どことなく腑に落ちない様子でナーベラルは頷く。

 

「ああ、あなたあの時の雑魚?そんな面だったっけ?……あなたの顔は覚えてないけど、そういうことが有ったのはまあ確かね。でも、私の記憶ではあなた達が善良な蜥蜴人(リザードマン)を追いかけ回し……」

 

 だが、自身の見解を述べようとしたナーベラルの台詞は、壇上の男に途中で遮られた。

 

「ストップ、待ち給え!細かい状況については結構、他に証人も居ない以上、お互いの主張が水掛け論になるのは火を見るよりも明らかだ。とにかく、ガンマ君、君は蜥蜴人(リザードマン)と人間の争いを見て蜥蜴人(リザードマン)側に加勢したことは認めるわけだ」

 

「……まあ、そうね。私はあの時、まだ冒険者ではなかったのだけれど」

 

 台詞を打ち切られたことにややぶすっとしながらも、ナーベラルが口を挟むと、男は余裕をもって頷き返す。

 

「無論、登録する前の行動について、某かの責任を問うというつもりはないとも。相手も冒険者ではなくワーカーに過ぎんしな。ただ、ガンマ君の行動規範を判断するのに適切と思われる事例を紹介しただけだよ私としては。他に何か言いたいことはあるかね?」

 

「……そうね、じゃあ一つだけ」

 

 ナーベラルはそう言うと、首から下がっていたプレートを外して前方に放り投げる。オリハルコンの薄い板は綺麗な放物線を描いて、壇上の男が思わず差し出した掌の上にぽとりと収まった。がたん、と右手から音が聞こえた。ガゼフが目を剥いて身じろぎし、椅子が音を立てたのだ。それにちらりと目線をやったが、特に構わずナーベラルは言葉を続ける。

 

「ご丁寧にも、なんだか色々と気を回してくれたようだけど……私が冒険者組合に登録したのも、昇格しようと思ったのも。自身の行動範囲を広げるためであって、規則やら規範やらに縛られるためじゃないわ。それが気に入らないならプレート(そんなもの)はいつでも返してあげる。アダマンタイトに交換するなり、そのまま戻すなり、あるいは取り上げるなり。あとはあなた達のお好きにどうぞ」

 

 言い放った彼女の台詞を耳にし、壇上の男は気圧されたようによろめいた。水差しの水を一口飲んで、咳払いをする。

 

「そ、そうかね。ま、まあ、君の意見は参考にさせて頂くとしよう。……さて!」

 

 男は背後で耳を傾けていた四人の方を振り返って言った。

 

「この通り、気になる部分は本人の確認をとれた。我々は別室で審議するので、着いてきて頂きたい。……審議中は、休憩とするので、楽にして貰って結構だ」

 

 五人の男達が証言者のワーカーを伴ってぞろぞろと退室すると、ナーベラルはしらけた気分で椅子にもたれ掛かった。この茶番の行く末は何処にあるのやら。すると、ガゼフが無言で立ち上がり、ナーベラルに目礼して退室する。それをなんとはなしに見送ったナーベラルは、後頭部に熱烈な視線が突き刺さってくるのを感じた気がして振り返った。

 

「……シイタケ?」

 

 ラキュースの瞳がキラキラと輝いていた。彼女はゆっくりと椅子から立ち上がると、ずずい、と身を乗り出すようにナーベラルの眼前ににじり寄る。ナーベラルが気圧されて後ろに下がろうとし、椅子の前足が浮いて斜めに傾いた。

 

「ガンマさん」

 

「な、何?」

 

「先程遮られた話、もう一度聞かせてくれないかしら。蜥蜴人(リザードマン)に加勢した時の状況について、何か言おうとしてたでしょう?」

 

「え、ええ……大した話じゃないわ、あのクソ野郎が依頼人の食卓に蜥蜴人(リザードマン)の活け作りを並べる為、集落の外に出た蜥蜴人(リザードマン)を捕まえて攫おうとしていたから助けた、それだけの話よ?」

 

「成る程……そういう事情が……」

 

 ラキュースはナーベラルの両手を自分の手で包み込むと、キラキラした瞳で彼女の顔を覗き込んだ。鼻と鼻がくっつきそうなくらい顔が近づき、焦ったナーベラルが後ずさろうとするも、がっちりと掴んだその手を放してくれない。

 

「私、感動しました」

 

「え?」

 

 ラキュースは亜人との共生派である。スレイン法国では亜人は人類の存続を脅かす潜在敵という認識であり、国民にそのような認識を叩き込む教育体制が整っているためそんな価値観は根絶されているが、王国では、国家として亜人に対するスタンスは決まっていない。敵と見なす者、下に見下す者、良き隣人と考える者……様々な考えがあり、その考えを表明することを特に怖れる必要はない。

 そんな中、ラキュースは亜人の存在を敵性生物としてひとくくりにせず、少なくとも一部の友好的な種族とは人類と共存して仲良くやっていけると考えるグループに属し、敵と見なして迫害する者を実力で黙らせる武闘派であった。具体的には、亜人の村を焼き討ちしようとしたスレイン法国の秘密部隊とやり合ってそれを撃退したことがある程である。その時の指揮官には顔に手酷い傷を負わせてやった。

 故に、彼女にとって、亜人であるということに捕らわれず、殺されそう、攫われそうになっていたから助けたというナーベラルの言葉は、自身と志を同じくする仲間が現れたように思われたのだ。それも、ラキュースに出会う遙か前、冒険者に登録する以前の話であるから、『蒼の薔薇』に迎合して意見を合わせて見せただけということはあり得ない。

 

「やっぱりガンマさんはちょっと(・・・・)過激だけど根は優しい人ね!亜人と共存して仲良くしよう、と考える同志が居てとても嬉しいわ!」

 

「いや、ちょっと、それ誤解……」

 

「組合が何を企んでるかはわからないけど、私たちはあなたの味方だから!安心してね!」

 

 相変わらず人の話を聞かずに盛り上がるラキュースの様子に、ナーベラルはため息をついた。

 

 

 




 会話Nagee……
 オリイベントは筆力が問われる上に実際難産。
 せっせと仕込んできた伏線回収も脳内で組んだときよりなんだか淡泊にまとまっちゃった。
 ……もっと丁々発止のやりとりを演出したかった筈なんだがうーんこの( ´∀`)

 1/17 原作で王都の組合長が四十代の女性として出てたという指摘のため
    組合長→副組合長に変更。



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第三十三話:アダマンタイト

 
前回のあらすじ:
 エルなんとか(偽)「あれ、私の出番これだけですか?」
 ……あれだけ大仰に伏線張っといてねえ( ´∀`)?

 エルなんとか(偽)
 ・本物は帝都で殺された
 ・帝国のワーカーが王国の組合に何しに来てるんだ
 ・ナーベちゃんに見覚えがなく違和感バリバリ
 これだけ揃ってれば誰かが用意した偽物だって分かるだろうと思ったのに読者の皆さんを混乱させちゃったようでなんだかすいません。
 やはり、本来であれば大きなヒントになるはずの本人の違和感が、例え本物を見たとしても同様に「全く見覚えがない」と言うであろうことがネックだったか……( ´∀`)




 ノックの音もそこそこに、呼ばれもしない王国戦士長が入室してきたのを受け。この場に入る五人のリーダーである副組合長は、闖入者の姿を確認すると顔を顰めた。

 

「何用ですかな、戦士長殿?審議中は大人しく待って頂きたかったものですな。そもそもあなたをお呼びしたのは、審議の結果がガンマ君にとって不本意なものとなった場合、万一彼女が暴れ出すようなことがあればそれを取り押さえて貰いたいからであって、特に戦士長殿の識見を求めたりする予定はないのですが」

 

 ガゼフはその言葉を聞くと、じろりと男を睨み付ける。静かな迫力を湛えたその眼光に、男がうっと口ごもった。

 

「不本意な結果になれば暴れ出すかも知れない、か……その言い草からして十分ガンマ殿に失礼だが、まあそれはいい」

 

 ガゼフはその場に居る五人の顔を順に見回した。王国戦士長の眼力の前に、目を逸らしたりオドオドしたり、平静では居られない男達を十分に睨み付けてから言葉を続ける。

 

「率直に言おう。今回のよくわからぬ審問会とやら……その裏には多くの思惑が絡んでいる。嫉妬や縄張り意識など、個人レベルでの悪感情についてはまあどうでもいい。組織レベルでの思惑としては、単純に面目と手足を潰された『八本指』の報復感情が挙げられるだろう。八本指自身、というよりは『八本指』を便利に使い、代わりに便利に使われていた大貴族連中の余計なことをしやがってという恨みだな。……まあ、これも大した問題にはならぬ」

 

 ガゼフは一度言葉を切り、呼吸を整えた。口をもごもごさせて反論しようとした一人を視線で黙らせる。

 

「問題は、バハルス帝国の関与だ。今回の件、ガンマ殿と我が国の関係に対する、帝国の離間策が絡んでいると私は睨んでいる」

 

「なっ、なにか証拠があってそのような讒言を口にしているのか戦士長……殿……」

 

 口を挟んできた男を睨み付けると、その言葉は尻すぼみになって消えた。

 

「証拠はない。だから君らのうち誰がどいつに動かされて今の状況ができているかは問わない。だが覚えておくがいい、君達が直接接触した相手は大貴族の意を受けたとりまき連中のそのまた使い走りで、君達としては貴族の覚えがめでたくなればいいと思った程度の話かもしれないが、その大貴族を動かしているのはもっと厄介な代物だ……今回の話、対応を間違えれば王国が滅ぶ。国を滅ぼすに相応しい代価を受け取っての行動か、よく考えることだ」

 

「そんな、滅ぼすなどと、大袈裟な……」

 

 副組合長がなんとかその声を絞り出すと、ガゼフは男に視線を固定した。

 

「わかってないようなら説明してやる。彼女の先程の台詞は覚えているか?この会議の結果が気に入らなければいつでも冒険者なんてやめてやる、そう言ったな。彼女のことを多少は知っている私から見れば、あれはハッタリなどではない、間違いなく本気だ。……亜人に対して好意的な彼女が、王国の冒険者組合を辞めて、その先はどうすると思う?」

 

「う……」

 

 その言葉に一同が呻いた。この近隣で人間が居住するのに向いた国家は三つ。王国、帝国、法国である。他に竜王国や聖王国、都市国家連合なども存在するが、規模や距離、周辺に抱えた脅威など、各種問題を抱えており選択肢としては一段落ちる。

 スレイン法国は亜人を殲滅対象と見なしているため、亜人に味方するナーベラルが向かう先としては考えにくい。すなわち、王国を出奔するとなれば、行き先としてまず挙がる国家は。

 

「帝国……」

 

「そうだ。スレイン法国は選択肢としてまずあり得ない。王国の冒険者組合に見切りをつければ、彼女の行く先は帝国だ。なにもアプローチがなければワーカーになるかもしれないが……まずそうはなるまい。第五位階の魔法を使いこなす魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ、帝国魔法省が放っておかないだろうな」

 

 ガゼフはつかつかと室内のテーブルに歩み寄ると、両手を勢いよく卓上に叩きつけた。明らかな威圧行為に、室内の五人の男が首を竦める。

 

「もし、なにかの間違いで彼女が帝国軍に混じって戦場に出てくるようなことがあれば……次のカッツェ平原での合戦は、例年のような一当てして終わりの小競り合いにはならぬ。始まった瞬間、王国軍が総崩れして、その後の帝国軍の追撃を含めれば万単位の死者が出るだろう。すなわち、王国の破滅だ」

 

「……そ、それで?結局何が言いたいのですか?だから、国家からは完全に独立した組織である冒険者組合の判断に干渉しようとでも?後悔することになりますぞ?」

 

 ガゼフの威圧に負けず、副組合長が不快感を示すことができたのは、彼の台詞通り、国際的な巨大組織である冒険者組合の運営に一国家が脅迫まがいの口出しをしてきたことへの反発による。その言葉を聞いて、ガゼフは不敵に笑った。

 

「後悔か……こちらは今言ったとおり、王国が滅ぶかどうかの瀬戸際まで追い込まれている。どう転ぼうとこれ以上失うものなど無い。……覚えておけ、本当に冒険者組合が自身の理念に従ってガンマ殿を冒険者として不適格だと見なすというのなら、それはそれで仕方がない。ただし、今回このまま帝国の陰謀に乗っかって彼女を王国から追い払った場合は……それこそが組合に対する大いなる干渉の結果ではないか、独立した組織が聞いて呆れる。その時にはしでかしたことの責任の重さを思い知らせてやる、覚悟しておいて貰おう」

 

 言いたいことを一方的に言い放ち、最後に居合わせた一同の顔ぶれを殺気の籠もった視線で一撫ですると。ガゼフはそれ以上何も言わず、静かに退室した。

 残された男達は、きょろきょろと落ち尽きなくお互いの顔を見合わせる。互いの顔に浮かんだ動揺と困惑を認め、気まずげな沈黙がその場を満たした。

 

 

 ナーベラルが椅子にもたれ掛かって欠伸をかみ殺していると、会議室のドアが開いて五人の男達がぞろぞろと入ってくる。ようやく結論がでたのか、随分と待たせるものだ……そのように思いながら彼らの様子を眺める。四人の男達は悄然とした顔で元いた場所に着席し、副組合長が固い動きでナーベラルの前まで歩いてきた。

 

「……それで?結論はどうなったの?」

 

 ナーベラルの方から問いかけてみたが、男は黙して答えない。ラキュースが立ち上がって発言を求めた。

 

「副組合長、先程の話の流れ……ガンマさんが亜人の味方をしたから冒険者に相応しくない、そのような論法には私たちも抗議したい点がおおいにあります。もしそれが組合としての総意であるなら、私たち『蒼の薔薇』としても黙ってはいられません――」

 

 言いつのろうとするラキュースを手で制すると、副組合長は力なく首を横に振った。自分の方を眺めていたナーベラルと視線が合うと、硬い表情で手に持ったプレートを彼女に差し出す。

 

「……我々冒険者組合は、ガンマ君をアダマンタイト級冒険者として認める。今後は人類の守護者たる自覚を持って、英雄に相応しい立ち居振る舞いを期待する」

 

 仰々しく始まった割にあっけなく終わったな、ナーベラルはそのアダマンタイト製の薄い板を受け取りながらそう思う。右手で露骨にほっとした顔をしているストロガノフが何か口利きでもしたのだろうか。

 

 ぎこちない動きで組合の幹部達が退出すると、アダマンタイトのプレートを指先でくるくる回して遊んでいるナーベラルの下に『蒼の薔薇』の面々がやってきた。

 

「アダマンタイトへの昇格、まずはおめでとうございます」

 

「……どうも」

 

 ラキュースの祝福に、型どおりの礼を返すナーベラル。ラキュースがチームメンバーの顔を振り返り、ひとつ頷き合うと言った。

 

「それで、これからどうするつもりかしら?……もし、あなたが私たち『蒼の薔薇』への参入を希望するのであれば、私たちは歓迎する用意があるけれど」

 

 ナーベラルはその言葉を聞くと、少し考え込んだ。固唾を呑んで見守るラキュース達のうち、イビルアイの仮面をまっすぐ見据えて口を開く。

 

「……あなたとだったら組んでもいいか、と思わなくもないのだけれど。私はあなたと違って、足手まといのお守りをする趣味はないわ」

 

 かなり侮辱的な台詞ではあったが、その言葉を聞いて蒼の薔薇の面々の胸に去来したのは、やはりなという思いであった。イビルアイと他のメンバーの間に存在する断絶した実力差を、彼女には見抜かれていたらしい。

 

「そうか、それは光栄だ。……そして残念だ。私にとって彼女たちは大事な――」

 

「ただし!」

 

 イビルアイの返答を途中で遮るようにして、ナーベラルは叫んだ。誰とも目を合わせないように明後日の方向に視線をやって続ける。

 

「ソロでやるにも限界はあるし、他にマシな相手が居ないのも事実だし……とりあえずはクエスト毎に臨時パーティーを組む、そういう形でならまあ……」

 

 その言葉を聞いて、蒼の薔薇の面々が破顔した。ガガーランがにやけ顔でナーベラルの背中を叩く。

 

「なんでえ、いちいち面倒くせえ奴だな!魔法詠唱者(マジック・キャスター)ってのはこんな奴ばっかりなのか、なあイビルアイ!?」

 

「……私に聞くな。まあそういうことならいいだろう、宜しく頼むとしよう」

 

「そうね、わかったわガンマさん!これからよろしくお願いしますね!」

 

「よろー」「よろー」

 

 口々に挨拶する蒼の薔薇の面々に、ナーベラルは頭を掻いた。そのまま歓迎会をしようという話になるが、ナーベラルに用があるというガゼフに呼び止められて、なら先に宿に行って準備をしておこうという流れになった。

 

 外に出ると、ラキュースがイビルアイに声を掛ける。

 

「……でも、よかったのかしらイビルアイ。あなたと二人で組んだら、ひょっとしなくても今の『蒼の薔薇』より強いチームになった可能性が高いと思うけど……」

 

「それは論外だ。私が蒼の薔薇に入るのは、あのばばぁとの約束だからな。……第一、彼女が私の正体(・・)を知ってなお受け入れてくれるとは限らんだろう」

 

「まあ、それについては、それなりに可能性はあるんじゃないのか?亜人に対しても寛容だってわかったし、逆よりはさ」

 

 ガガーランの台詞に、イビルアイは頷く。

 

「まあ、逆よりは可能性があるがな。所詮は可能性だ、そうそう試せるものでもない。……それに、だからこそ、私を受け入れてくれたお前達には感謝しているんだ。実力差以上に、仲間だと思っている。だから簡単には別れたくない」

 

 自分で言って恥ずかしくなったのか、明後日の方向を見ながらそう言うイビルアイの様子を、忍者姉妹が評していった。

 

「なんかそのポーズ、デジャヴを感じる」「似たもの同士」

 

「言われてみれば確かにそうだな。魔法詠唱者(マジック・キャスター)ってのはちびすけみたいに面倒な性格してないとなれないのかおい?」

 

「やかましい、それより彼女を歓迎する準備をするんだろう、さっさと行くぞ!」

 

 そうして、蒼の薔薇の面々はわいわいと騒ぎ立てながらその場を去った。

 

 

 蒼の薔薇が退出し、共に来ていた部下達も先に下がらせると、ガゼフとナーベラルの二人のみが会議室に残る。

 

「――で、何の用かしらストロガノフ?できれば手短にお願いしたいところなんだけど」

 

 ナーベラルがそう声を掛けても尚、ガゼフは躊躇っていたが。しばしの沈黙の後、意を決したかのように重い口を開いた。

 

「とりあえずはアダマンタイト級への昇格、おめでとう存ずるガンマ殿。昇格したばかりの貴女にこのようなことを聞くのはなんだが……先程口にしていた冒険者としての地位に未練も執着もないという台詞、冒険者として最高位に上がってもなお変わりはないだろうか?」

 

 その言葉を聞き、ナーベラルが首を傾げる。

 

「何、そんなことが聞きたかったの?変なことを気にする奴ねえ。まあいいわ、その答えはYESよ。冒険者に登録したのは単なる手段、そうするだけの理由があれば、いつでも捨ててやるわこんなもの」

 

 そう言って指先に絡んだ鎖をくるくると回す。彼女の指先で回転するプレートを、眼を細めて見つめた後、ガゼフは更に言葉を重ねた。

 

「そうか……では、単刀直入に申し上げる。ガンマ殿……貴女を我が国の王宮に宮廷魔術師として迎え入れたい。受けていただけないだろうか」

 

「嫌よ」

 

 まさに即答である。重い口を開いてようやく口にしたガゼフの頼みを即座にばっさり切り捨てたナーベラルは、胡乱そうに目の前の男を眺めた。

 

「何かと思ったらそんなこと考えてたわけ、なんとも暇人ねえ。あなただって私の目的は知ってるでしょう?この国の宮廷なんかに興味はない……」

 

 ナーベラルは言葉を途中で切った。目の前の男が床に手をつくと、続いて額を床につけて深々と土下座したからである。

 

「そこを曲げてお願いする。なんとか受けていただけまいか。この通りだ」

 

「……」

 

 ナーベラルは冷ややかに土下座して頼み込むガゼフを見つめていたが、やがてガゼフの目の前まで歩み寄ると、腰に手を当てて上体を倒し、頭を床につけたガゼフの耳元にその唇をそっと寄せた。

 

「あなたのことは人間にしてはそう嫌いでもないんだけれど、ストロガノフ。……でも、自分がそうやって頭を地面にへばりつけることが、私に対してなんらかの価値をもつと決めつけてるところ。そういうところはちょっと好きになれないわ」

 

 それ以上声を掛けず、また何も言わせず。

 ナーベラルがハムスケを連れて組合の建物から歩き去るまで。ガゼフは無言で床に手をついたままの姿勢から動かなかった。

 

 

 




 実際は受け入れてくれるどころか正体を明かした方が好感度が上がるらしい。

 これにて第三部完ー。長々とおつきあいくださりありがとうございました。
 今後とも見捨てずにおつきあいくだされば幸いです( ´∀`)

 第四部は……ここから完全オリ展開なのに大丈夫かな、いや違う、宣言することで自分を追い込むのだ。1/23開始予定。
 ……やっぱ1/24にするかも()。とにかく1週間後にまた!

 1/17 原作で王都の組合長が四十代の女性として出てたという指摘のため
    組合長→副組合長に変更。
    近隣諸国についての表現を少々修正。



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第四部 アインズ・ウール・ゴウン
第三十四話:蒼の薔薇+1


 
 お待たせ致しました。第四部です。
 最低ラインは越えたのでたぶん大丈夫だとは思うけど……万一変なところで止まったらスミマセン( ´∀`)
 
これまでのあらすじ:

エントリーNo.1 王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ
 この世界で初めてナーベラルに唾をつけた信義と忠義の男。
 王国最強の実力と戦士長の地位を引っ提げ、
 宮廷魔術師の座を持ってナーベラルに言い寄るも、すげなくあしらわれる。

エントリーNo.2 漆黒聖典第一席次
 神人の力に覚醒した人類最強に近い生物。
 番外席次にナーベラルの嫁取りをけしかけられるも、
 一貫して部下を使って遠くから見守るだけの由緒正しいストーカー。

エントリーNo.3 (シルバー)級レンジャー ルクルット・ボルブ
 単なる銀級冒険者チーム「漆黒の剣」の斥候。
 他の面子に比べて大分見劣りするが、
 どれほど冷たく突き放されてもめげない愛が取り柄の愚直な(ラブ)アタッカー。

エントリーNo.4 ”不死王”デイバーノック
 王国を闇から牛耳る裏組織『八本指』の実戦最強部隊『六腕』の一人だった(過去形)。
 エルダーリッチという本来ならナーベラルの好感度を最も稼ぎやすい種族であったが、
 ナザリック一温厚なセバスですら嫌悪で顔を顰める二つ名のために瞬ころされて故人。
 もともと死んでたけどな!

エントリーNo.5 ???←newcomer!

 なよ竹のナーベ姫から出された無理難題は、ナザリック地下大墳墓を探してこいというものただ一つ!はっきり言って叶えて貰ってから詐欺る気満々だ!ナーベ姫は執拗な求婚者のアプローチを躱して無事月の都(ナザリック)に帰還することができるのか?



 鬱蒼と茂る森の際に伸びる街道を六人の人間と一匹の獣が警戒しながら進んでいく。

 人間は全員女性。王国が誇るアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』の五人と、ナーベラルである。先頭にはガガーランとラキュースが立ち、その後ろにイビルアイとナーベラル。その左右をティアとティナが挟んで、殿をハムスケが務める隊形であった。

 

 彼女たちは現在アダマンタイト級の討伐依頼の遂行中である。事の起こりは、城塞都市エ・ランテル近郊で近隣のモンスターを間引いていた銀級冒険者チームが、住人の多くが石化して壊滅したゴブリンの集落を発見したことに始まる。街道周辺に生物を石化するモンスターが潜んでいる、その報は一目散にエ・ランテルに駆け込んで急を知らせた冒険者により組合にもたらされ、直ちにミスリル級冒険者チームによる偵察隊の編成と、王都の冒険者組合本部に対するアダマンタイト級の出動準備要請が発せられた。

 ミスリル級冒険者チーム『天狼』の偵察内容を分析した結果、想定されるモンスターはギガント・バジリスク。石化の魔眼と猛毒の体液を持ち、ミスリルに匹敵する硬度を持つ皮膚で覆われた恐るべき魔獣であった。冒険者組合による認定難度は83。熟練のオリハルコン級冒険者チームならかろうじて勝負になる程度の相手であり、アダマンタイト級の相手としても全く不足はない。もう一つのアダマンタイト級冒険者チーム『朱の雫』は別件で出払っており、『蒼の薔薇』に指名が入ることとなった。リーダーのラキュースは討伐対象を聞いて緊張に張り詰めた顔で頷き、いつものように半部外者のナーベラルに協力を要請した。

 

 ナーベラル……アダマンタイト級冒険者ガンマの立場は、現在微妙な位置にある。本人は『蒼の薔薇』に所属したつもりはないと言い張っているが、まあ現実的には彼女たちと組むしかない状況も多々あるわけで。よく知らない人間からはナーベラルが『蒼の薔薇』に加入したものと思われているし、逆によく知る人間からは『蒼の薔薇』に所属していない、という彼女の台詞自体が一種の照れ隠しであり、正式に加入するのも時間の問題だと思われていた。まあ、要するに、世間的には『蒼の薔薇』のメンバーが六人に増え、アダマンタイト級冒険者チームの実力は益々盤石になったと思われているのであった。

 ともあれいつもの如く参加を了承したナーベラルとペットのハムスケを加え、蒼の薔薇の一行は石化したゴブリンが見つかった集落跡に移動した。現場に残った痕跡から集落を襲った怪物は森の中に入っていったものと思われ、まずは街道の安全を確保するため近辺の状況を確認しようと街道に沿って移動中である。

 すると、殿を務めるハムスケがひくひくと鼻を鳴らして言った。

 

「姫、皆の衆……森の際に何か居るでござるよ」

 

 ハムスケの索敵能力は相変わらずの異常射程と看破性能を誇り、盗賊系職業として忍者姉妹が勝負を挑むも、「負けた、完敗」「強すぎ、ずるい」と完全にシャッポを脱ぐ程、人類とは実力差が開いている。故に、自身には何も感じられずとも、彼女の言葉をいちいち疑う者はこの場に居ない。その言葉を聞いた一同の顔に緊張が走り、ガガーランが握る刺突戦鎚(ウォーピック)の柄が僅かに持ち上がり、ラキュースが持つ魔剣キリネイラムを握る手に力がこもった。忍者姉妹もクナイを抜いて片手にぶら下げる。

 

「……見つけたわ。あそこ、木の幹に巻き付いている」

 

 そう言ってナーベラルが数十メートル先の木々をすっと指さす。前に立つ二人も横目にその指先を確認し、全員の視線がそこに集まった。

 ごくり。誰かが息を呑む音がした。

 そいつは、その長大な体躯を木の幹に巻き付けながら、静かにこちらを観察していた。巻き付いているために正確なところは測りづらいが、頭部の大きさからして全長は十メートルを超えるものと思われる。全身を覆う鱗は明るい緑から暗い緑と、金属めいた光沢を放ちつつも微かな身震いに合わせて色を変えていく。その胴体の長大さは蛇のそれだが、八本の足が生えた様は蜥蜴とも思わせる。頭部には王冠にも似たトサカを持ち、何よりも睨んだ相手を石化させると言われる邪悪な眼。

 それが、ギガント・バジリスク。その巨体を木々の間に同化させながら、ひっそりと街道の様子を静かに見つめるその様は、対峙した蒼の薔薇の面々に不気味な身震いをもたらした。

 

「――作戦通り行くわよ。<抵抗力強化>(メジャー・レジスタンス)

 

 ラキュースが、呪文を唱えてガガーランの肩に触れた。まずは魔眼殺し(ゲイズ・ベイン)の鎧を持ち、石化の視線を怖れる必要のない彼女がギガント・バジリスクの注意を引きつける。ただし猛毒の体液にも警戒が必要なため、抵抗力の強化は必須であった。

 

「おっしゃああああああああああああ!!」

 

 ガガーランが雄叫びを上げて駆け出すと、ギガント・バジリスクのカメレオンじみた目玉がぎょろりとそちらを向いた。魔眼を無効化できるのは彼女だけのため、他のメンバーから注意を逸らすためには突出せざるを得ない。だがそれは彼女の孤立も意味する。

 石化の視線を封じたところで、ミスリルの鎧にすら匹敵する固く分厚い皮膚を持ち、いざ傷つければ噴き出す返り血が即死級の猛毒をもつギガント・バジリスクは、接近戦を挑むには危険すぎる相手である。石化の視線を怖れてガガーランを孤立させれば、彼女の方が返り討ちに遭いかねない。

 だがそれも無用の心配であった。突進していくガガーランの後方から、二人の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が前方に手をかざす。

 

「<砂の領域(サンドフィールド)()対個(ワン)>」

 

 イビルアイが唱えた行動阻害魔法により、ギガント・バジリスクの周囲を砂嵐が包み込む。アース・エレメンタリストである彼女の得意分野は土属性、砂を纏わり付かせて相手の行動を阻害する彼女特製のオリジナル魔法である。

 もっともこの場合重要なのは、行動阻害そのものよりも、相手の視界を塞ぐことである。これで石化の魔眼が誰かに振るわれる可能性は完全に排除された。

 

<魔法抵抗難度強化(ペネトレートマジック)()溺死>(ドラウンド)

 

 それに遅れること数秒、困惑の鳴き声を上げたギガント・バジリスクにナーベラルの魔法が襲いかかる。格上の術者に、ご丁寧にも抵抗難度を強化されて仕掛けられた魔法の抵抗に失敗したギガント・バジリスクの肺を水が満たす。

 砂嵐に塞がれて見えないながらも、魔獣の驚愕は明らかだった。悲鳴を上げようとするも肺を満たした水によってそれは叶わず、口からごぼりと水が溢れる。驚きと混乱の中のたうつ身体が木から解け、落下して地面に激突する。その巨大な身体がのたうちくねるが、そんなことには何の意味もなかった。抵抗に失敗すれば、手遅れになる前に術者を殺さない限り溺死あるのみの凶悪な魔法である。

 ギガント・バジリスクがその身体をぴんと伸ばし、やがて巨体から力と命が抜け落ちていくのを、蒼の薔薇の一同は戦慄を込めて見守った。

 

「……死んだようでござるな」

 

 ハムスケがそう言うのに合わせ、一同から緊張が抜ける。構えを解いてぞろぞろと未だ僅かな痙攣を続けるギガント・バジリスクの死体の前に集まった。

 

「あのギガント・バジリスクを一撃とは……本当にとんでもないわね、ガンマさんの魔法は。頼もしい限りだわ」

 

 ラキュースがそう言うと、一同は深く頷いた。ガガーランが肩を竦めて声を掛ける。

 

「お前一人でも片付いたんじゃねーかこの分じゃあ?俺たちは要らなかったな」

 

 卑下して見せた彼女をナーベラルはちらりと見ると、静かに首を横に振った。

 

「いや、抵抗(レジスト)する自信はあったとは言え……絶対はないわ。ギガント・バジリスクの初手を引きつけて貰えたことと、石化を回復できる信仰系魔法詠唱者(マジック・キャスター)が居てくれたことは助かった」

 

「そーかよ。お前さんが世辞や慰めを言うような奴じゃねーと知らなきゃ謙遜も度が過ぎると思うところだがな……ありがたく受け取っとくわその評価も」

 

 慰めめいたナーベラルの言葉を聞いてガガーランが苦笑する。

 

「……イビルアイの魔法も中々のものだった。あの調子で魔眼を封じていれば、私抜きで戦っても倒せたんじゃないかしら。見たことのない魔法だったけど……」

 

 ナーベラルがそのように水を向けると、イビルアイが心持ち胸を反らしていった。

 

「ふふ、驚いたか?あれは私のオリジナルなんだ」

 

「へえ……」

 

 ナーベラルの声に確かな感心が含まれたのを感じ、イビルアイの胸がそっくり返る。

 

「おいおい、幾ら反らしたって、ない胸があるようには見えねーぜ?」

 

「……!!ふざけるな、この大胸筋女!貧乳はステータスだ、希少価値なんだよ!大体知ってるんだぞ!お前だってアンダーがでかすぎるせいでカップは大したことないだろうが!!」

 

 茶化すガガーランに激怒して、意味不明の反論を叫ぶイビルアイ。蒼の薔薇の面々に笑いが広がる。

 

「ガガーランはいい、盾職の役目を果たした」

「ボスもいい、万一の回復役として控えてた」

「索敵はハムスケにとられて」「私たち何もしてない……」

 

 笑いが収まると、忍者姉妹がそのように落ち込んでみせる。それはたぶんにおどけた調子であったが、その中に隠れた微妙に深刻な気持ちを感じ取ってラキュースが真面目な顔になる。

 

「私たちだって実質何もしてないようなものだから、二人だけで落ち込むことはないわよ?……困ったわね、イビルアイとガンマさんのおかげで、随分なまっちゃいそうだわ私たち」

 

 お守りをするのはご免だ、そのように言ったのはナーベラルの方であったが。あるいは自分たちの方こそが、己の意地にかけて足手まといはご免だ、そのように思うべきであったのかも知れぬ。

 

「ま、とにかく、証明部位を回収して帰りましょうか。ギガント・バジリスクの討伐証明部位は眼球だったわよね」

 

 気を取り直し、そう言って剥ぎ取りナイフを取り出したラキュースに、ハムスケが口を挟む。

 

「ふむ、その目玉も確かに禍々しくて迫力十分でござるが……どうせならカブトごと持ち帰るでござるよ。その方が姫の武功をよく証明できるでござる。身体全体は流石に重いでござるが、首だけならそれがしにとっては余裕で運べるでござる故」

 

「そう?確かに頭ごとの方が色々と都合はよさそうね。……じゃあ、お願いしようかしら」

 

 ラキュースが頷くと、ハムスケがその鋭い爪でギガント・バジリスクの首を切断しようとしたので、呆れたナーベラルが止めた。

 

「馬鹿ね、そいつの体液は猛毒なんだから爪で切り裂くのは止めておきなさい」

 

 そう言って風の刃で魔獣の首を切り落とす。溢れる猛毒の体液に顔を顰めながら血が抜けるのを待ち、布に包んでハムスケが口に咥えた。

 

「じゃあ、エ・ランテルに帰還しましょう」

 

 

「いやあー、ギガント・バジリスクの頭部をこんなに完全な形で持ち帰るとは驚きです!おかげで初めてギガント・バジリスクがどんな怪物かわかりましたよ。さすがは私のライバルです!」

 

 エ・ランテルに帰還して組合に報告すると、ギガント・バジリスクの頭部を差し出された受付嬢はそう言って感心した。

 石化の凝視を防ぐなら、まずその魔眼に集中攻撃して潰すのは攻略上の常道である。そういう意味で言えば、まっさきに潰されるその眼球を討伐証明部位に指定する組合は意地が悪い。勿論、組合としてもその目玉こそがギガント・バジリスクが危険視される原因なのだから、その魔眼を潰したことを証明して欲しいと思うのは当然だとの言い分はあるのだが。

 

「うむ、王都でも相変わらずの活躍のようだね、感心なことだ」

 

 なぜか胃の辺りを撫でながら、重々しく頷いてみせる組合長のアインザック。できれば会いたくなかったと顔に書いてあるが、難度83の凶悪なモンスターを討伐して貰っておいて顔も出さない、そういうわけには行かないのだ組合長としては。

 そんな様子を見ながら、エ・ランテルでの評判が悪名先行なのはやっぱりそれだけのことをしでかしたんだろうなあ、と密かに得心する蒼の薔薇の一同であった。

 

 ともあれ、感心する受付嬢と組合長の指示によって、ギガント・バジリスクの頭部は冒険者組合の前に高々と掲げられた。この采配には、『蒼の薔薇』の功績を称える目的と、組合としての功績を周囲に喧伝する目的、そして周辺住民にこの通り、危険な魔物は討ち取りましたよと証明して安心させる目的がある。せっかく頭部ごと持ち帰ってくれたのだから有効活用しなくては、とイシュペン嬢は宣った。

 

 組合前に掲げられたおどろおどろしいギガント・バジリスクの生首に、たちまちのうちに人だかりが遠巻きにできる。なんとも恐ろしげな魔獣だと戦慄するざわめきと、それを仕留めてきた蒼の薔薇を称賛する囁き声が周囲を走る。

 

「ガンマさん、お久しぶりですね。あなたが仕留めてくださったんですか!」

 

 すると、人混みの中からそのような声がかかり、ナーベラルがはたと振り向いた。視界に飛び込んできたのは銀のプレートを下げた軽装の戦士である。

 

「あー、あー……久しぶりね。えーと……」

 

「姫、ペテル殿でござる。漆黒の剣の」

 

 ハムスケが耳打ちして、「そう、それ、ペテル」と手を打つナーベラルを、銀級冒険者チーム「漆黒の剣」のリーダー、ペテルは苦笑して眺めた。石化したゴブリンの集落を発見したのは彼らなのであった。

 

「あっという間にアダマンタイトですからね、登録前にたまたま関わっただけの銀級冒険者なんて覚えて無くても無理はないですよ」

 

 ペテルが自虐的にそういうのに構わず。ナーベラルはきょろきょろと周囲を見回した。

 

「……あのチャラいのも居るの?」

 

「いるぜ、ガンマちゃーん!」

 

 ペテルが答えるより早く、ナーベラルの背後から抱きつこうとして飛びついてきたルクルットをさっと躱す。ルクルットが笑顔を崩さずに言った。

 

「ああん、相変わらずつれねーなあガンマちゃん!」

 

「ルクルット、女性にいきなり抱きつくのはちょっと失礼では済みませんよ……!」

 

「というかアダマンタイト級冒険者にそんな真似ができる度胸に驚くのである」

 

「あら、あなた達」

 

「お久しぶりでござる、ルクルット殿、ニニャ殿、ダイン殿!息災そうでなによりでござる!」

 

 ハムスケが機先を制してさっさと名前を呼ぶ。どうせナーベラルに聞かれるだろうと予想しての処置であった。ナーベラルが心中ああ、そんな名前だったっけと頷く中、漆黒の剣の面々とハムスケが旧交を温め始める。

 

「ガンマさんのお知り合いかしら?」

 

 そこに興味津々のラキュースが飛び込んできて、漆黒の剣の面々は眩しそうに眼を細め、背筋を伸ばして居住まいを正した。目の前にいる六人と一匹こそは、王国冒険者の頂点に立つアダマンタイト級冒険者のうち、女性陣が勢揃いした姿なのだから。ついでに言えば、リーダーのラキュースが持つ大剣こそは、彼らがいつか手にすることを夢見た「漆黒の剣」の現物なのである。憧れの視線が向くのも自然と言えよう。

 

「はい、ガンマさんとは大森林近くの開拓村、カルネ村に行ったときに知り合いまして……」

 

 緊張でガチガチになったペテルが開陳するナーベラルとの出会いの話を、興味津々でかぶりつく蒼の薔薇の一同。話しかけてくるルクルットの浮ついた台詞を聞き流しながら、ナーベラルはその様子を横目で見た。

 

「あなたは気にならないの?蒼の薔薇の面々も、結構な美人揃いだと思うけど……」

 

「ん?勿論彼女たちも美人揃いさ!あの魔法詠唱者(マジック・キャスター)の子だって、仮面の下はカワイコちゃんに違いない!でも今の俺はガンマちゃん一筋だから!」

 

「……聞いた私が馬鹿だったわ」

 

 むしろ話しかけてしまったことを後悔しつつ、ナーベラルはルクルットとの会話を打ち切った。漆黒の剣の面々にまあ適当に頑張りなさいと声をかけ、手を振って別れようとしたところ、ニニャに呼び止められる。

 

「あの、ガンマさん……ずっとお礼を言いたかったんです、本当にありがとうございました」

 

「……?」

 

 首を傾げるナーベラルに、ニニャは説明した。ナーベラルが王都で助けた娼婦の中に、ニニャが幼い頃貴族に連れ去られ、ずっと行方を捜していた姉が居たのだと。現在はニニャが引き取って、エ・ランテルで療養中だという。

 ずきん。

 ニニャの言葉に、ナーベラルの胸が軋みをあげた。目を閉じればすぐにでも思い浮かべられる、姉達と妹達の顔。

 

「まだ他人に会うことも怖がるような状況ですが……生きて再会できたのはあなたのおかげです、本当に……ありが……」

 

 感極まって涙を流すニニャ、貰い泣きをする漆黒の剣とハムスケ、それに蒼の薔薇の一部の面々。ナーベラルは曖昧に相槌をうって、今度こそ別れを告げた。逃げるように。

 

「さて……せっかくエ・ランテルまで来たことだし、私は知り合いの家に寄っていくわ。泊まっていくからここで臨時パーティーは解散ということでよろしく」

 

 ニニャの話を聞いたからか、人恋しい気持ちがむくむくと湧き起こってくる。気づけばナーベラルはそんな台詞を口に出していた。

 

「へえ……私たちもご一緒しては駄目ですか?」

 

 ラキュースの反応を予測していたのか、ナーベラルは即座に首を横に振る。

 

「駄目よ。流石に人数が多すぎるし……貴族のご令嬢が泊まるなんて言ったら家主が引っ繰り返っちゃうわ」

 

 まあ、正直に言うとそろそろ鬱陶しかったので口実に使っただけではある。ナーベラルは名残惜しそうに手を振るラキュース達と別れると、バレアレ家に足を運んだ。

 

 

「いらっしゃいませ……あっ、ガンマ様!!お帰りなさい!!」

 

 とりあえず店の入り口から中に入ると、元気良く挨拶してきたネムが顔を輝かせた。その声につられて顔を上げたエンリがにっこりと微笑む。

 

「まあ、ガンマ様……お久しぶりです!そしてアダマンタイト級への昇格、おめでとうございます」

 

「……久しぶりね」

 

 ナーベラルはそう言って、飛びついてきたネムの頭を撫でた。彼女の身体を離すまいとするかのようにぎゅっと抱きしめながらネムが叫ぶ。

 

「ね、ね、今日は泊まっていってくれるんでしょ!?」

 

「……まあ、一応泊めてくれるならそうするつもりだったけど」

 

「ガンマ様に対して閉じる門はうちにはありません。遠慮無くどうぞ」

 

「やったぁ!お話聞かせてね!」

 

 ナーベラルの言葉にエンリが即座に反応し、ネムがはしゃいで飛び上がる。その後ンフィーレアやリイジーとも挨拶し、ギガント・バジリスクの生首を見物にいって興奮したネムを宥めたり、ハムスケの上にのってはしゃぐネムを宥めたり、夕食時にこれは私が作ったの、味はどうかなとそわそわするネムを宥めたり、お風呂にも寝床にも当然のようについてくるネムを宥めたりしてその日は床についた。

 

 

 




 気がつけば章開始時はネムのターン。

 そういや軽い気持ちで原作再現してしまった<溺死>(ドラウンド)だけど、このSSでのルール的に周囲に見せていい札だったのだろうか……原作では特に隠す必要ない状況だったからなあ。
 えーと、抵抗失敗から即死しない時点で<死>(デス)よりだいぶ格落ちする魔法だよな。<死>(デス)が八位階だから、二枚落ちさせても六位階くらいと推定される……のか?ま、まあ、奥の手をちょっとくらい見せてもいいというくらいには打ち解けてきた状況だと思ってくだしあ( ´∀`)

1/25 表現の微修正。



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第三十五話:帝国から来た男

 
前回のあらすじ:
トーケル「完全オリ展開と言いながらドラマCDからネタ出しした挙げ句、
     私たちの存在をなかったことにする非道に抗議する!」
アンドレ「トーケル坊ちゃんの八面六臂の活躍が聴けるのは
     特装版6巻付属のドラマCDだけですぞおぉぉぉぉッ!(ダイマ)」
※何を持って活躍とするかは個人の主観により差があります。



 一泊だけして王都に戻ろうと思っていたのに、気がついたら二泊してしまった。単独行動の気楽な身分がなせる業であったが、げに恐るべきはネムの上目遣いによるお願い攻撃である。エンリが窘めなかったら三泊していたやもしれぬ。

 とはいえ特に急ぐべき理由があるわけでもない。ナーベラルは内心反省しつつも、『蒼の薔薇』の方は普通にエ・ランテルで一泊後、普通に翌朝王都へとって返したことを確認。それを聞いた宿屋で伝言を受け取ると自分もまた王都へと向かった。

 

 ハムスケを連れて宿屋のエントランスをくぐると、その姿にいち早く気づいためざとい筋肉ダルマが手を挙げて彼女を呼んだ。ナーベラルがそちらを見ると、いつもの二人――ガガーランとイビルアイの他に、もう一人男性が座っているのがその目に映った。

 まだ少年の面影を色濃く残した若者である。短く刈り込まれた金髪、よく日焼けした肌に鍛え込まれた筋肉。となりのゴリラには敵わないが、一般人にしてはよく鍛えられていると言えよう。兵士見習いか何かだろうか。

 

「よーう、丁度いいところに来た!ちょっとこっちに来てくれよ!」

 

 蒼の薔薇の面々のうちでも最も馴れ馴れしいガガーランは、わりとどうでもいいことでも遠慮無く構ってくるため、まあ大した用事ではないのだろう。だとしても挨拶くらいはしておいてもいいか、そのように考えたナーベラルが彼女たちが座るテーブルに向かう。

 

「……そちらの彼は、初めて見る顔……よね?」

 

 会うのが二度目になる人物に初めましてと挨拶した回数が、既に片手の指では収まらないため、ナーベラルの台詞はその語尾が疑問形になった。それを聞いたガガーランが苦笑して答える。

 

「ああ、安心しろよ。お前と会うのは初めてだ。こいつは童貞、ラナー王女のお付きだ」

 

「……クライムです、ガガーランさん。変な紹介は止めてください」

 

 顔を赤らめながら、若者はクライムと名乗った。

 

「私はガンマ、こっちがハムスケ」

 

「よろしくでござるクライム殿!」

 

 ナーベラルが端的に名乗り、ハムスケがずいっと迫ると、クライムは魔獣の威容に圧倒されて仰け反った。

 

「よ、よろしくお願いしますガンマ様、ハムスケ様」

 

「それで、何の用かしら」

 

「おう、それそれ。まずはそのフードとってくれ」

 

 言うが早いか、ガガーランが無遠慮にナーベラルのフードを引っ張って中身を晒した。クライムが息を呑む。

 

「……?」

 

 不審そうにガガーランを見つめるナーベラルを置いて、ガガーランはニヤニヤとクライムに語りかける。

 

「どうだ、実物を見た感想はよぉ?」

 

「……『美醜というものは人それぞれ、私にとってラナー様よりも美しい方はおりません』だったかな」

 

 イビルアイのその言葉にクライムが顔を真っ赤にする。察するに今の台詞は彼が言った内容なのだろう。要はこの若者をからかって遊んでいるらしい、いい大人が二人して。

 

「た、確かにガンマ様も大変お美しい方ですが、その、私は……」

 

「そんなに照れちゃって、説得力ねえぜー?」

 

 まあ、ラナー王女をこの世で一番の美人と考えているからと言っても、他の美人に照れたり反応したりしていけない理由はない。この二人にそんなことがわからない道理はないのだろうが、目の前の小僧にそれを指摘する程の余裕はなさそうである。

 こんな茶番に付き合わされる為に呼ばれたのかと思うとため息が出る。もう行こうと声を発しかけたナーベラルに、クライムの方が声をかけた。

 

「あっ、あの、ガンマ様。お願いがあるのですが」

 

「……何?」

 

 先程自分とは初対面だと言っていたが、会うなりお願いとは意外と図太い奴なのだろうか。ナーベラルがそう感じる間にも、クライムは姿勢を正して頭を下げた。

 

「ガンマ様の偉業に対しては、私もラナー様も大変感謝しているのです。お呼び立てするのは申し訳ないのですが、一度ラナー様にお会い頂けないでしょうか」

 

「おい、童貞……」

 

 ガガーランが口を挟むのに構わず、ナーベラルは即答した。

 

「興味ないわ」

 

「しかし……!!」

 

 尚も言葉を言い募ろうとしたクライムの表情が硬直し、脂汗がぷつぷつとその額に浮き出てきた。ナーベラルの知覚は、隣に座るイビルアイが彼のブーツを踏み潰しているその様子をはっきりとらえている。あれはなかなか痛そうだ。

 

「よせ。お前が出しゃばる話ではない」

 

 端的に言ったイビルアイの言葉に、涙目でクライムがどうにか頷いた。

 

「で、では、少し魔法についてご教授願えないでしょうか。イビルアイ様と同格の魔法詠唱者(マジック・キャスター)であられるガンマ様のお話を聞かせて頂ければ……」

 

 めげずにそのようなことを言い出した根性は称賛に値する。なにがなんでも強くなりたい、そのようながむしゃらな思いが言わせた言葉であったろうか。だが、ナーベラルの反応はそっけなかった。

 

「……生憎、子守の趣味はないわ。イビルアイ(そいつ)が匙を投げたのなら、私が教えてやるようなことはないでしょう」

 

 子供扱いされたクライムの眉がぎゅっと寄せられる。些かの抗議を込めた目つきでナーベラルを睨み付けようとしたその瞬間。

 クライムの顔が硬直して真っ赤になり、再び額には脂汗、目尻に涙が浮かんできた。原因も先程と同じ――イビルアイが彼の足を踏み潰したのである。ただし、先程は足の甲だったが、今回は小指をピンポイントに打ち抜いている。

 

「言っても聞かない奴のことを馬鹿という。……貴様がそうではないと思っていたのは私の買い被りだったのか?」

 

 無言で悶絶するクライムにはそれ以上構わず、イビルアイはナーベラルの方を向いて言った。

 

「……手間をかけたな、もういいぞ」

 

「……そう、じゃあまた」

 

 何の茶番だこれは、と思いつつもそう言い残すと、ナーベラルは宿屋の受付に声をかけて荷物を預け、冒険者組合に顔を出すために外へ出た。ガガーランとイビルアイが、クライムに慰めだか説教だか、話をしているようだったが特に興味はない。

 

 組合の受付で何か変わったことがあるか聞くと、受付嬢はこう答えた。

 

「はい。ちょうど、ガンマ様への指名依頼のため面談をご希望の方がいらっしゃるのですが……お会いになって頂けますか?」

 

 

 豪華ではあるが決して派手ではない――調和を考え抜かれた調度で統一された上品な部屋。窓際のテーブルで二人の淑女が談笑している。

 一人はこの部屋の主。その輝くような美貌をもって”黄金”の名で称される美少女、ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ。リ・エスティーゼ王国の第三王女である。

 

「それで?ガンマ様が一撃でギガント・バジリスクを仕留めてしまったというの!?凄いわラキュース!それはどのような魔法だったのかしら?」

 

 ラナーがその顔に無邪気な笑みを浮かべて催促すると、向かいに座るもう一人――アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』のリーダー、ラキュースは苦笑した。

 

「それはちょっと……話せないわ。仲間の手の内を勝手に晒すとか、冒険者の信義にもとるもの。……正直ちょっと、現時点でも話しすぎたくらいね。それもこれも、ラナーがあんまり催促するからよ」

 

「むうー、ケチ」

 

 ラナーが無邪気に頬を膨らませるのを、微笑ましくラキュースは見守った。二人とも簡素なドレス姿で、テーブルの上にはティーポットとカップが二つ。友人同士で過ごす嫋やかなお茶会と言った様相だ。

 

「気になるかしら?ガンマさんのことが」

 

「それは勿論!だって、わたしなんて、ガンマ様に『六腕』を退治して頂いたお礼だって言えてないのよ!?それもこれも、あなたがガンマ様を連れてきてくれないから!私だって会ってみたいのに!」

 

「それを私に言われてもねえ」

 

 ぶんぶんと手を振り回して抗議するラナーを、どうどうと窘めながらラキュースは困惑する。ため息をつきながら、慎重に言葉を選ぶ。

 

「あなたがガンマさんに興味がある程には、ガンマさんはあなたに興味を持っていないわ。心外なことかもしれないけど。それに、言ったでしょう、ここに連れてくるには問題のある性格だって」

 

「……私はタメ口でも気にしないわよ?」

 

「あなたが気にしなくても、周囲はそういう訳にはいかないのよ。そもそも、この部屋に来るまでに大貴族の誰かとすれ違ったりした日にはどうなるやら……」

 

 ラキュースがいかにナーベラルに友好的でも、彼女を王宮に連れてくるという想像は身震いするものがある。彼女の方が来たがればまあ譲歩を求めることもできるが、無理に頼んで連れて来たいとはとても思えない。

 

「それに、彼女はあれで結構忙しいのよ。目的もなく王宮に遊びに来るような暇はないわね」

 

「えっ?……お仲間のガガーランとイビルアイは宿屋でごろごろするしかすることが無いって言ってなかったかしら。何がそんなに忙しいの?」

 

 ラキュースの台詞にラナーが首を傾げる。

 

「……捜し物があるみたいでね、暇を見つけては王国全土を旅行してるわ。時には『蒼の薔薇(ウチ)』の誘いを断ってでも。もうすぐ王国内のめぼしい箇所は回り終えるから、そうなったら帝国に行くかもしれないと言ってたわね」

 

「……帝国に?」

 

 その言葉を聞いてラナーの声が心持ち低くなった。そんな彼女の様子を不思議そうにちらりと見ると、ラキュースは言葉を続ける。

 

「ええ。私たちとしては、ガンマさんが帝国に向かう気になる前に、できるだけ良い関係を築いておきたいのだけれど……そのまま帝国に活動拠点を移すのでなく、気が済んだら戻ってきてくれるようにね。できればその前に貴女と会わせてあげたいとも思うのだけれどねえ」

 

「そう……」

 

 

 

 お茶会が終わり、ラキュースが退室すると、ラナーの顔から表情がすっと抜け落ちた。まるで能面のような、目にする者が居れば怖気を感じる無表情で呟く。

 

「……できれば本人に会って判断してみたかったけれど、無理そうね。時間の猶予はもうあまりないようだし、仕方ないか……」

 

 そのまま目を閉じると、考え事に集中し始める。他に誰も居ない彼女の居室を、彼女の指がトントンと机を叩く、小刻みなリズムが満たしていった。

 

 

 紆余曲折はあれど、ガンマなる冒険者は最終的にアダマンタイト級へと昇格し、『蒼の薔薇』と活動を開始した――その報告を聞いて、バハルス帝国の皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスが残念に思わなかったと言えばそれは嘘になる。

 だが、ジルクニフとしては、十分に目的を果たしたと思っていた。要はアダマンタイト級冒険者ガンマが、王国と密接な関係を築くのを阻止できれば良かったのである。自分の昇格に妙な横槍が入った時点で彼女も面白くは無かった筈、それが王国貴族が手を回した結果と聞けば王国への不信感が芽生えるのは至極当然であろう。この場合、理由は馬鹿馬鹿しい程のこじつけの方がむしろ良いのである。無論、その王国貴族を裏から動かしたのが帝国であることは、露見しないように細心の注意を払ってある。

 とりあえず彼女と王国の間に楔を打ち込むことには成功した。王国を見限るところまでは行かなかったが、普通にアダマンタイト級冒険者として活動される分には帝国にとって困ることもない。そのうち我が国を訪問してくれる可能性だってある、その時にはまた別の手で勧誘を試みればよい。

 

「まあ、まだ我が国まで来てくれそうにないのは残念だったが、とりあえずの成果としては上々だろう、じい……?」

 

 だが、その男はジルクニフのようには思わなかったのである。

 

「……も……」

 

 人類最強の魔法使いにしてバハルス帝国の主席宮廷魔導師、帝国皇帝の頼れる後見人。”三重詠唱者”(トライアッド)フールーダ・パラダインは、ジルクニフの呼びかけに応えたのかどうか、うつむき加減にその身をわなわなと震わせた。

 

「……も?どうした、じい。気分が悪いのか?」

 

 ただならぬ雰囲気の老人の様子を見て、心配そうにジルクニフが問いかける。すわ発作でも起こしたのか、その心配は外れではあったがある意味では当たりでもあった。

 

「もう我慢できませんぞおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 フールーダが吼える。漫画的誇張表現をするなら、目と口から怪光線を発しながら叫んだ。大気がびりびりと震え、耳をつんざく轟音を近場で聞かされたジルクニフが仰け反って尻餅をつく。護衛を務める近衛騎士達が兜の上から耳を押さえてうずくまる。

 

「じ、じい?」

 

「陛下」

 

 フールーダはいつもの彼が如き、きりっとした表情でジルクニフを見つめる。だがフールーダを見慣れたジルクニフには、目の前の老人がこれまで自分が見たことのない顔をしていることが分かった。

 

「ガンマ殿の招聘に失敗したのは残念でした。……かくなる上は、こちらから会いに行こうと思います」

 

「へ?」

 

 ジルクニフの顔に疑問符が浮かぶ。

 

「そ、それはどういう意味だじい?外交使節団でも派遣しようとか、そういう話か?生憎、王国とはこちらから仕掛けた戦争の真っ最中な訳だが……」

 

「わかっております。和平交渉でもないのに使節団など論外の状況ですな」

 

 フールーダはしかつめらしく頷いて見せた。その顔をまじまじと見つめるジルクニフに向かって、厳かに宣言する。

 

「ですから、こっそり行ってこっそり会って参ります」

 

「フールーダぁあああああああああッ!?」

 

 ジルクニフが絶叫する。眼前に立つスパークする魔導馬鹿が、間違いなく本気なのが分かったからだ。その目の奥に爛々と燃える執念の炎は、エルダーリッチもかくやという渇望の光を湛えている。

 思えばフールーダは大人しかった。あれほど執着した魔導の深淵へ辿り着く手がかり、あるいは同志となるやもしれぬ人物の情報を前に、あくまで冷静沈着に彼女を帝国へ招く策を立てて見せた。

 ジルクニフは疑わなかった。その態度は、帝国の重鎮、魔法省の責任者としては当然かくあるべきものであったので。フールーダが公人として私情を抑えた態度で振る舞うことは当たり前だと、疑問にすら思わなかった。だが、老人の心の底では、激情の炎が燃えさかっていたのである。己の策がうまく嵌れば、行き場を失ったナーベラルが帝国に向かうだろう、そのことだけを心の支えにしておのが欲望を抑えつけていただけだったのだ。

 そして今、その箍は外れた。あとは激情を解放するだけだ。

 

「おおい、誰かある!!じいを取り押さえろ!!」

 

「フールーダ様、ご乱心!!」「殿中でござる!殿中でござる!」「アイエエエエエエ!?」

 

 

 

 無論、本気になった人類最強の大魔法使いを、たかだか帝国の近衛騎士ごときが取り押さえられる道理はない。倒れた机、散乱した書類、壊れた椅子……燦々たる有様になった皇帝執務室の様子を見ながら、ジルクニフは悟りを開いたかの如き表情で、侍女に入れさせた紅茶を口元に持って行った。ただし表情は解脱者のそれであっても、カップに注がれた紅茶の水面にはさざ波が立っている。ジルクニフは内心の動揺を押し隠して、敢えて笑ってみせた。

 

「ま、まあ、じいのことだからな。我々に止められる相手ではないのと同様、王国の連中の手に負える相手じゃない。魔法を使えば、本人が言っていたとおり、見つからないようにこっそり国境を越えて潜入することも簡単だろう。あとは、ガンマ殿と上手く交渉してくれれば、もしかしたら連れて帰ってくるということだってありうる。はは、は……」

 

 空虚な笑い声が執務室に響き、ジルクニフはその寒々しさに身震いをした。もはや彼にできることは、祈ることだけであった。

 

 

 




 帝国には行かないけど実質帝国編なんですよ、ここから。

1/25 誤字修正。



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第三十六話:王都の怪人

 
 ……全国一千万のフールーダファンの皆様、申し訳ありません。
 でもちょっと考えてみてください。
 まず原作のフールーダ×アインズ様の邂逅シーンを思い浮かべてください。
 いや、原作だと未遂だな、某レロレロSSの方がいいのか。
 次にそのシーンのアインズ様をナーベちゃんと交換してみてください。
 ……おわかりいただけただろうか( ´∀`)
 
前回のあらすじ:
 フールーダ「常識は投げ捨てるもの……ユクゾッ」



 ナーベラルが案内された部屋に入ると、中で待っていた老人が出迎えるために立ち上がり――そのまま停止した。

 全体的に白い老人であった。腰まで届く豊かな髭も、衰えを知らぬ髪も白い。身につけた服まで白いローブである。

 

「……?」

 

 ナーベラルは眉を顰める。突然静止した老人の様子がおかしいというのもあるが、その老人は他にも不審なところがあった。その顔がよくわからないのだ。ぱっと見に異常はないのだが、ひとたび目線を切ればその顔が思い出せないようになっている。

 

(……認識阻害の幻術?しかし何故?)

 

 一般人は違和感すら覚えまい。ナーベラルはその老人がどうやら顔を覚えられたくない事情があるらしいと推察した。

 それにつけても……先程より彫像の如く静止して動かぬ老人の様子は異様である。まさかこのタイミングで心臓発作でも起こしたのではあるまいか。ナーベラルが脈でも取ってみるべきかと考えたその刹那、老人が身じろぎした。とりあえず生きてはいるらしい。

 

 突如、その老人の頬を涙が流れ落ち、ナーベラルはぎょっとした。なんだこの情緒不安定な生物は、病気か何かなのか。そのように疑い、目を凝らして老人の様子を窺う。

 

「――ようやく、まことの魔法詠唱者(マジック・キャスター)に巡り会い申した」

 

「……はい?」

 

 ようやく口を開いたと思ったら、名乗るでもなく口にしたのはそんな言葉。老人は困惑するナーベラルに向けて、膝をついて拝礼した。

 

「無頼の月日――今は悔ゆるのみ。……今日(こんにち)ただいまより、師弟の礼をとらせて頂きたく」

 

「……」

 

 あまりの展開に、口を半開きにして硬直するナーベラル。老人は膝をついたままじりじりと彼女の膝元ににじりよると、下から彼女の顔を見上げていった。

 

「……平たく言うと、弟子にしてくだされ師よ」

 

「えっ……やだ」

 

 反射的に断れたのは上出来にして、彼女にしてみれば当然の反応であったが、老人は酷くショックを受けたようだった。

 

「そ、そんな!何故です師よ!」

 

「いや、いきなりそんなこと言われたら断るでしょ普通!というか、断ってるのに師呼ばわりするな!」

 

 思わず突っ込んだナーベラルの足下に、老人は縋り付いた。

 

「そこをなんとか、お願いします!このフールーダ・パラダイン、魔導の深淵を覗かんと研鑽すること二百余年、貴方様程の魔法詠唱者(マジック・キャスター)に初めて巡り会い申した!貴方様の教えをこの老骨にお授けくだされ!なんでも差し上げます!お金でも、命でも……魂さえも、全て!」

 

 くわっと見開かれた目は充血し、異様な表情で迫りくるその老人はフールーダと名乗った。鬼気迫る老人の様子にドン引きしたナーベラルは思わず仰け反ったが、彼女の足は今やフールーダにがっちりとホールドされており、距離を取ることすら叶わない。

 

「お願いします!師よ、いと深き御方よ!」

 

 了承の返事が貰えないことに業を煮やしてか、フールーダは己が縋り付いたナーベラルの足にキスをした。そのままペロペロと彼女の靴を、足を舐め回し始める。

 

「お願いします!何卒!」

 

「~~!!」

 

 這いつくばって靴を舐めると言えば聞こえは良い(?)のだが。

 血走った目をしたジジイがうら若い女性の足先を舐め回すその様は、まごうかたなき変態であった。ナーベラルの全身が総毛立つ。

 

「や……やめなさい気色悪い!!」

 

 当然の台詞である。リアル世界なら何処に出しても恥ずかしくない、いや何処に出すのも恥ずかしい事案そのものである。それも女性側の過剰反応ではない、本物の変態行為だ。ナーベラルはたまらず足を振ってフールーダを振り払い、仰け反ったところに思い切り平手打ちをぶちかます。だが主観的には思い切りのつもりであったその平手、彼女の本来の膂力ならば、か弱い老人の頸骨をぺきょりとへし折ることも容易い筈だったのだが。あまりの気持ち悪さに身をよじりながら不自然な体勢で繰り出したそのビンタは、フールーダの顔面にヒットしたものの老人の予想以上の首の力に止められた。

 

「スゴクよい!よいビンタですな!!手首のスナップといい、腰の入れ方といい……こういう元気なビンタを繰り出せるなら、さぞかし魔法も素晴らしいでしょうな!」

 

「ひっ……」

 

 ビンタと魔法になんの関係があるというのか。フールーダは吹き出る鼻血を拭こうともせず、ニヤリと笑うとそう言ってペロリとナーベラルの平手を舐め回した。手の平に伝わるそのおぞましい感触に、彼女は嫌悪と恐怖を感じてその喉からかすれた悲鳴が漏れた。ナーベラル・ガンマがこの世界に来て以来初めて、現住生物に恐怖を覚えた瞬間である。

 

「きっ……消え失せろぉおおお!!<二重最強化(ツインマキシマイズマジック)()龍雷>(ドラゴン・ライトニング)!!!」

 

 不気味な笑い声を上げながらじりじりと躙り寄る老人のその姿に。恐怖のあまり、ナーベラルは絶叫と共に場所も時も弁えず、<龍雷>(ドラゴン・ライトニング)をぶっ放した。

 

「……やったか!?」

 

 ゆらゆら蠢く老人をそのあぎとにくわえ込み、轟音と共に炸裂する二頭の雷の龍。たまらず吹っ飛んだフールーダの姿に、気を取り直して喜色を浮かべるナーベラル、思わず迂闊な台詞を口走った。

 しかし、勿論フラグは回収されるものである。何事もなかったように、それこそ傷一つ無く。バネ仕掛けの人形のように不自然なまでに勢いよく立ち上がったフールーダを見て、ナーベラルは青ざめた。

 

「フフッ……フハハハハ、素晴らしいですぞ師よぉ!実践授業というわけですな!!まずは小手調べに第五位階の魔法、確かに見せて頂きました!!

 次こそはその更に上を、是非見せてくだされ!ハリー!ハリーハリー!ハリーハリーハリー!」

 

 ケラケラと高笑いするフールーダの姿から、一歩、二歩と後ずさるナーベラル。その背に部屋の扉が当たったのを感じると、後ろ手にドアノブをまさぐって捻りを加え、ドアを押し開けてよろめくように廊下に飛び出した。何事かを叫ぶフールーダの声に背を向けて、轟音に集まってきた衆目に目もくれず。手っ取り早く廊下の窓から外に飛び出し、身も世もなく逃げ出した。

 

 

 ナーベラルが守衛の番人を押しのける勢いで宿屋の扉を勢いよく開くと、中にいた客の視線が彼女に集中した。

 

「お、おいどうしたんだガンマ――」

 

 『蒼の薔薇』の席にはクライムという小僧の姿は消え、忍者姉妹が増えて差し引き四人になっていたが、そんなことにはいっさい構う余裕もなく。ただならぬ様子の彼女に不審そうな声をかけたガガーランの台詞も完全に無視をして宿屋の受付に突進し、部屋の鍵を受け取ると自室に駆け込んだ。

 震える指で扉を閉め錠を下ろし、焦りのあまりぽろぽろと何度も取り落としながら荷物をまとめる。同時に<伝言>(メッセージ)でハムスケに呼びかけた。

 

 コンコン。

 

 荒い息をつきながら震える手で鞄の口を閉じると、ノックの音がした。その音を耳にしたナーベラル、びくりと身を震わせるやずざざ、とドアの反対側に後ずさって窓際に背中を張り付ける。

 

「おい、ガンマ、私だ。イビルアイだ。ただ事ではない様子だったが、何があったのだ?」

 

 聞き覚えのあるくぐもった女声に、ナーベラルは少しだけ落ち着きを取り戻した。ずるずると壁際にへたり込んで腰を落とすと、震える声を絞り出す。

 

「――そこにいるのはあなただけ?」

 

「うん?無論ガガーランとティア、ティナも居るぞ。とにかくお前のことが心配で、皆で様子を見に来たんだ。開けてくれないか?」

 

「……他に変な奴は居ないかしら?」

 

「変な奴?……なんのことかはわからんが、ここに居るのは私たち四人だけだ。できれば入れてくれると嬉しいのだが」

 

 とりあえずは、彼女たちと一緒に居た方が安全かも知れない。そう考えたナーベラルがドアを開けようと立ち上がろうとしたその時。彼女は背後から吹き付ける異様な気配に気づいた。みしみしと軋みを上げる窓ガラスのその音に気づいてしまった。

 ああ、なんということだろう、窓に!窓に!

 

 窓に老人が張り付いていた。

 

 三階の(・・・)窓の外からべったりと、手の平と頬とおでこをガラスに押しつけ。荒い息で口の周りを曇らせつつも、血走った目で部屋の中のナーベラルを凝視していた。

 

「はぁ~、はぁ~。見ぃ~つ~け~た~ぁああ~。ククク……逃がしませんぞぉ、師よぉおおおおお」

 

「ひぃっ」

 

 ナーベラルの喉からかすれた悲鳴が漏れる。立ち上がることも忘れ、今度は壁際から遠ざかろうとわたわたと後ずさる。

 

 がしゃん。

 

 部屋の中から聞こえてきたガラスの破砕音に、外に立っていた蒼の薔薇の四人は緊張した顔を見合わせる。何かが起こったのは明らかであった、もはや躊躇する猶予はない。互いにアイコンタクトを交わすと、ガガーランが力任せに部屋の扉をぶち破った。

 そしてガガーランを先頭に、部屋の中になだれ込んだ一同が目にした光景は。

 

 尻餅をついてへたりこむナーベラルの、足下に覆い被さってその足に抱きつく、血走った目で荒い息をつく老人の姿であった。

 

「(溢れんばかりの強さを現す)長さといい、(身体の隅々まで行き渡る鋭さを備えた)細さといい、(練り込まれたオーラの引き)締まり具合……最高じゃぁ……」

 

 そう言うと、恍惚とした笑みを浮かべてナーベラルのふくらはぎにほおずりをする。彼女の全身を怖気が貫き、二の腕と背中に鳥肌が立った。

 

「き……きゃあああああああああああぁ――――――――――――――――!!」

 

 後日、その時の様子を思い返した忍者娘は言ったものである。

 

「あの声と表情だけでご飯三杯は行ける。あんなに可愛く鳴けると知っていればもっと真面目にアプローチしておくべきだったかもしれない」

 

 一応言っておくと、フールーダの言葉は全て、彼のタレントによって見えている、ナーベラルが放つ魔力のオーラの様子を論評して言った台詞である。同じタレントを持つ者がこの場に居れば、あるいはそのことに気がついたかもしれない。だが現実としてそのようなタレント持ちはこの場に居らず、興奮の極地に達しながら若い女性の足に抱きついて頬ずりを繰り返す目をぎらつかせた老人のその姿は。

 

(へ……変態だ――――――――――!?)

 

 としか言いようがなかった。

 

「たっ……助けてモモンガ様ぁああああああ―――――――!?」

 

<無詠唱最強化(マキシマイズ・サイレントマジック)()連鎖する龍雷>(チェイン・ドラゴン・ライトニング)

 

 悲鳴を上げながら、詠唱する余裕もない為無詠唱でぶちかまされた第七位階の攻撃魔法を目にし、イビルアイが仮面の下で大きく口を開けて固まった。

 

(え、あれ?今のって……)

 

 詠唱が聞こえなかったので今ひとつ確信は持てないのだが、<龍雷>(ドラゴン・ライトニング)じゃなくなかった?

 イビルアイがそのように惑乱する間にも、部屋の内装を木っ端微塵に粉砕した攻撃魔法に巻き込まれながら、何事もなかったかのように起き上がってくるフールーダを目にし、彼女の思考は驚愕で停止した。

 

「フフ、フハハ、素晴らしい!素晴らしいですぞ師よ!その調子でもっとお願い致しますぞ!!」

 

 こんなこともあろうかと……一体どのような展開を予想していたのやら定かではないが、フールーダは入念な準備の一環として<電気属性無効化>(エネルギーイミュニティ・エレクトリシティ)を始めとする数々の防御魔法を用意してきていたらしい。その可能性に思い至ることすらできないほど慌てたナーベラル、無傷で迫る怪人を眼前にしてひっとしゃっくりのような悲鳴を小さく漏らすと、尻餅をついたまま後ずさりつつ、次の魔法を唱えた。

 

<転移>(テレポーテーション)

 

 瞬間、彼女の姿が部屋から掻き消える。フールーダは目を見開くと、きょろきょろと左右を見回しながら一声叫んだ。

 

「ま、待ってくだされ!もっと……もっと見せてくだされ!」

 

 その叫びに答える者は、当然ながら居なかった。フールーダはしばらくきょろきょろと名残惜しげに周囲を見回していたが、部屋の隅で完全に固まった蒼の薔薇の四人を完全に無視して呟いた。

 

「フフフ……第六位階の転移魔法とは、まことに良いものを見せて頂き申した。待っていてくだされ、必ずやお探し申し上げますぞ師よ……フハ、フハハハハハハ!」

 

 呟きは高笑いへと変わり、その身体がふわりと浮き上がるとガラスが粉々に砕けた窓枠をくぐって外へと飛び立っていく。不気味な哄笑を撒き散らしながら空の彼方へ消える老人の影を呆然として見送った蒼の薔薇の一同は、沈黙と共にその場に立ち尽くした。

 

「……なんだったんだ、ありゃあ」

 

 ガガーランがうめき声を上げると、イビルアイがびくんと身じろぎする。

 

「いや、馬鹿な、そんなまさか。でも……」

 

 ぶつぶつと呟くその様子を不審に思って、ティナが彼女の仮面を覗き込む。

 

「イビルアイ。心当たりが?」

 

「いや、知っているという訳じゃないんだが……もしかして、あの変態……」

 

 帝国の、フールーダ・パラダインじゃないのか?

 そのように言ったイビルアイの台詞を、一同は一笑に付した。

 まさか、そんな馬鹿な話があるはずがない。あってたまるか。彼女たちの気持ちをまとめるとそのようになる。

 

 王都の空を高笑いを上げながら飛び回る不気味な老人。その姿は幽霊さながらの白一色で、なぜかその人相は誰にも分からない――その日、世間を騒がせた「王都の怪人」の名前は、数日の間王都の住民の噂における主役を張ることとなる。

 

 

 




 第十位階超:我が神ペロペロォ……
 ならば第八位階ならこれくらいかな、という線を追求したつもり←

 ……無敵のアインズ様でも裸足で逃げ出すフールーダが、ナーベちゃんの手に負えるイメージが全く浮かばなかった( ´∀`)
 もうネタ方向に突っ走るしかないと開き直った結果、混ぜすぎ危険で読者に優しくない仕様のフールーダがえらいことに。

1/28 誤字報告適用。感謝!



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第三十七話:法国から来た男

前回のあらすじ:
 | ', i l  /  l   イ,、-‐ーー‐--、::::,、-‐ー-、l !::i;::::::::::';::::::::::::::::::l l::::::
 | ', l イ//  l/ r'/ /-''"´ ̄ ̄ヽ `,-''"´``‐、 ヽl';::::::::::';ヽ/:::::ノ ノ::::::::::::';:
 |  ',!     l/ /::::/::::::/::::::::::l l:l      lヽ、二ニニニニニニ、-'´:';:::::::::::::';:
ヽ!          /、:/:::::;イ::_,、-'´ノ:l し u    l:!';:l ';::::/:l', ';::::::l';::::::';:::
   ___l___   /、`二//-‐''"´::l|::l       l! ';!u ';/:::l ', ';::::::l ';:::::i::::::l:
   ノ l Jヽ   レ/::/ /:イ:\/l:l l::l   u   !. l / ';:::l ', ';:::::l. ';::::l::::::l::::
    ノヌ     レ  /:l l:::::lヽ|l l:l し      !/  ';:l,、-‐、::::l ';::::l:::::
    / ヽ、_      /::l l:::::l  l\l      ヽ-'  / ';!-ー 、';::ト、';::::l:::::l:::
   ム ヒ       /::::l/l::::lニ‐-、``        / /;;;;;;;;;;;;;ヽ!   i::::l::::l
   月 ヒ      /i::/  l::l;;;;;ヽ \             i;;;;;;;;;;;;;;;;;;;l   l::l::
   ノ l ヽヽノ    /:::l/:l /;;l:!;;;;;;;;;',               ';;;;;;;;;;;;;;;;;ノ    l:l:
      ̄ ̄    /::::;ィ::l. l;;;;!;;;;;;;;;;;l            `‐--‐'´.....:::::::::!l:
   __|_ ヽヽ   /イ//l::l ヽ、;;;;;;;ノ....      し   :::::::::::::::::::::ヽ /!リ
    | ー      /::::l';!::::::::::::::::::::  u               ', i ノ
    | ヽー     /イ';::l          ’         し u.  i l  l::::::::
     |       /';:';:!,.イ   し    入               l l U l::::::
     |      /,、-'´/ し      /  ヽ、   u    し ,' ,'  l::::/:;'::
     |        /l し     _,.ノ     `フ"       ,' ,'  ,ィ::/:;'::
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   .・. ・ ・. ・     ヽ \ リ    レ  ヽ! り  レノ  `y



「嘘……だろ……?」

 

 王国に放っている諜報員から上がってきた「王都の怪人」の報告を受け、ジルクニフはたっぷり十秒間の沈黙の後、ようやっとそれだけを口にした。

 よろめきながら玉座に深く沈み込むようにへたりこみ、頭を抱える。

 フールーダ・パラダインの王都潜入は、およそ最悪の形で結実した。本人は今も尚消息不明で、王国王都近辺に潜伏中ではないかと推測される。

 

 じいを止められなかった時からこうなってもおかしくはなかったが……ジルクニフは信じていたのだ。彼が生まれた時からおそらくは死んだ後まで、変わらず枯れ木のような老人でありつづけた帝国の守護者、フールーダ・パラダインは……いくらなんでもこっそりと行って人知れず会って、ひっそりと帰還するくらいの分別はあるだろうと。

 ジルクニフは見誤った。フールーダ・パラダインの魔導に対する執念の重さ、深さ、覚悟の量を軽く見ていたのだ。頭では十分認識していたつもりだったが、実感はなかった。その結果がおよそ考えられる限り最低の馬鹿馬鹿しい事態となって現れている。

 

「……ただちに検討を始めよ。まずは王国から詰問された時に全面的に認めた場合、どのような対応を強いられることになるか。謝罪か賠償か、あるいは開き直ったらどうか」

 

 とりあえず、どんなに馬鹿馬鹿しくても起こったことには対応が必要だ。ジルクニフは秘書官達に思いつくままに指示を与える。

 

「もしくは……そうだな、例のガンマが近年突如として出現したように、『王都の怪人』もまたフールーダ・パラダインとは関係のない在野の人物であると誤魔化すことは可能か。……実現性およびその工作にかかる費用」

 

 目撃情報によると、顔だけは隠していたらしい。どれだけバレバレでも、そうであれば誤魔化すことは可能かも知れない。

 

「あるいは……あのクソジジイを切り捨ててウチとは関係ありません、とする場合に帝国が被る被害の算定。ま、これは計算するまでもなく非現実的な大損害を受けるだろうがな……」

 

 そこまで分かっていてこの台詞をジルクニフに言わせたのは、フールーダに対する怒りである。フールーダがくしゃみをすれば帝国が風邪を引く、あの老人の国家における重要性はかくのごとしであるが、どうにかお灸くらいは据えてやりたいものである。

 と、その時。内心煩悶とするジルクニフに、秘書官の一人がぽつりと言った。

 

「……そもそも、そのように後ろ向きな対応が必要なのでしょうか」

 

「ん?……どういうことだ、どんな与太話でも構わんから言ってみるが良い」

 

「はい。……フールーダ様が友好国で暴れられたのであれば、それはもう賠償が必要となるでしょうが、王国とは目下戦争中な訳で。あのフールーダ・パラダインが、とうとう自ら重い腰を上げて王国での破壊工作に乗り出した、という形にできれば、王国には威嚇になるだろうし、国内に対する格好もつくのではないかと思ったのですが……」

 

 秘書官の説明を聞くと、ジルクニフは顎に手を当てて考え込んだ。

 

「ふむ……傾聴に値する意見だ。参考にさせて貰うとしようか」

 

 鮮血帝の憂鬱は止まらない。

 

 

 一方、ナーベラルである。

 <転移>(テレポーテーション)でフールーダの前から逃げ出した後、とりあえずはハムスケと合流、その背中にしがみついたままひたすら南東へと急かした。ハムスケが疲労で音を上げると、<飛行>(フライ)を唱え、背中に担いで飛行した。そうして休む間もない強行軍を重ね、城塞都市エ・ランテルまで逃げ込んだのである。

 

 その首にぶら下がったアダマンタイトのプレートの威光を十全に振るって堂々と入門待機列に割り込み、バレアレ治癒薬店に直行すると、急な来訪に驚く家人にしばらく泊めてくれとだけ頼む。

 戸惑いながらもエンリが発したとりあえずの了承を聞くや聞かぬのうちに、飛びついてきたネムをひっつかんで、現在の彼女が一番安心できる体勢を整えて引きこもった。すなわち、背中をハムスケの毛皮に預け、腕の中にネムを抱きかかえた陣形である。

 バレアレ家の若夫婦は戸惑いのうちに互いの顔を見合わせたが、ナーベラルの挙動の節々から、彼女が人間大の何かを怖れているのを見てとると内心困惑した。あのナーベラルを怖れさせるとか、世界を滅ぼせる化け物でも現れたのだろうか。

 その疑問はネムが解決してくれた。ナーベラルの様子とハムスケの言葉から、どうも変態に襲われて精神的外傷(トラウマ)を負ったらしいと推論を立ててみせたのである。エンリとンフィーレアは彼女も女の子だったのだなあと大いに同情し、彼女の心の傷が癒えるまでそっと労ってあげようとの決意を新たにしたのであった。

 

 だがナーベラルは落ち込んでいた。

 色々抜けた面はあれど、基本的には生真面目な彼女は、自分が追い詰められた時に至高の御方に助けを求めてしまったことに自己嫌悪を覚えていたのである。己の命をかけてお守りすべき至高の御方に、逆に助けを求めるとは何事だ、そのようなことでナザリック地下大墳墓のシモベたる資格があるか……

 本人が聞けば咄嗟に出た叫びにそこまで意味を求めなくてもと一笑に付したであるだろうが、当然その言葉を発する本人の姿はなく。それでも鬱々としながら引きこもり生活を数日続ければ、それなりに気持ちに折り合いはついてくるものである。そろそろイビルアイからの<伝言>(メッセージ)に居留守を使うのはやめようかしらんなどと思いながらごろごろしていた時、エンリが来客を告げた。

 

「……あの、ガンマ様。ガンマ様を訪ねて来た方がいらっしゃるのですが、お会いになります?」

 

 客、とナーベラルは首を傾げた。

 

「……変なジジイじゃないでしょうね?」

 

 この状況下で最も気になることを半眼で問いかけると、エンリは首を横に振った。

 

「いえ、若い男の人です。ガンマ様にお会いしたことはないと言ってます。……とてもハンサムな方ですよ?」

 

「……」

 

 別に最後の言葉に釣られたわけではないが、まあとにかく会ってみることにする。彼女がのそのそと居間に這い出て、窓際のテーブルに腰掛けると、エンリが若い男を案内してきた。

 軽装だが武装した長髪の若者で、確かに美男子であった。唯一の武装である長剣を鞘ごとエンリに預けると、敵意のないことを示すように両手を広げてみせる。暗器の類を持っている可能性がないわけではないが、まあ大体丸腰になったのは確かなようであった。若者はエンリに外してくれるようお願いすると、ナーベラルに一礼して向かいの席に腰を下ろした。

 

「……初めまして、ガンマ殿。私はスレイン法国の特務部隊、漆黒聖典の隊長を務めている者です」

 

 スレイン法国。行ったことがないが、その国の人間とは一度関わったことがある。なんちゃら聖典という名称にもなんだか聞き覚えがある。ナーベラルは内心警戒を強めた。

 

「……その漆黒聖典さんが、何の用かしら」

 

「……そう警戒しなくても結構ですよ、敵対したいわけではありませんので。本日はとりあえず、お願いがあって来たのです」

 

 若者は害意が無いことを重ねて強調し、ナーベラルに頼んだ。貴女がお持ちの、叡者の額冠を返していただきたいと。ナーベラルはその言葉に首を傾げたが、形状についての説明を受け、ああと納得した表情で収納(インベントリ)に手を突っ込んだ。

 

「これのこと?」

 

「はい、まさしく。そのサークレットは元々我が国秘蔵のマジックアイテムなのですが、馬鹿な裏切り者によって奪われ持ち去られていたのです。行方を追っていましたところ、貴女がお持ちであることが判明しましたので。貴女がそれを手に入れた経緯は分かりませんが、我々に返して……いえ、お譲りいただけないでしょうか。無論、正当な対価は支払わせていただきます」

 

 ナーベラルが取り出した金属糸のサークレットを目にし、若者はそう言った。ナーベラルはふむと頷くと、ハムスケを呼ぶ。

 

「なんでござるか、姫?」

 

 ハムスケが窓の外から顔を突っ込んで部屋を覗き込むと、若者は軽く仰け反った。ナーベラルがエ・ランテルに着いた日襲ってきた女……クレマンティーヌの人相を(彼女自身はろくに覚えていなかったので)ハムスケに説明させると、若者は感じ入ったように頷いてみせた。

 

「まさしく、その女こそは私共の仲間を殺害してマジックアイテムを奪い取り逃げ出した裏切り者、クレマンティーヌに相違ないでしょう。そうですか、貴女を襲って返り討ちに……馬鹿者に相応しい末路です。それで、いかがでしょう、譲っていただけますか?」

 

 ナーベラルは頷いた。どうせ死蔵していた戦利品に過ぎないのだ、欲しいというのなら譲ること自体は構わない。

 

「おお、ありがとうございます。それで対価ですが……」

 

「対価については、条件があるわ。金銭は結構よ、代わりに調べて貰いたいことがあるの」

 

 ナーベラルが求めた対価は無論、ナザリック地下大墳墓およびアインズ・ウール・ゴウンについて。スレイン法国が持てる力全てを尽くして調査した結果を教えることである。その条件を聞いた若者は頷くと、やや躊躇った後に口を開いた。

 

「……もしかして、貴女は”ぷれいやー”なのでしょうか?」

 

「ぷれいやー?」

 

 ナーベラルが聞き返すと、隊長は首を振った。

 

「いえ、なんでもありません、気にしないでください。では取り急ぎご依頼の件について調べて参ります。ご期待に添えるかは分かりませんが……」

 

「何も見つからなかった場合には、別途交渉に応じなくもないけど。まずはちゃんと調べてきなさいよ」

 

「……畏まりました、感謝致します。それではこれにて」

 

 若者が一礼して退出すると、ナーベラルは首を傾げた。”ぷれいやー”……それは確か、至高の御方々がご自身のことを指してそう呼んでいたのではなかったか。もう少し突っ込んで聞いた方が良かったかも知れないが、それはこちらの情報を相手に晒すことも意味する。そのような駆け引きは得手ではない、どこまで晒してよいものか……少なくとも、彼がもう一度来るときまでに、聞くべきことは考えておかねば。ナーベラルはそのように考えると、骨休めの日々を終わりにすることを決意した。

 

 

 隊長がバレアレ家を辞して宿に戻ると、漆黒聖典の面々が部屋で出迎えた。

 

「どうでした?」

 

 隊員の言葉に、隊長は頷きを返す。

 

「ああ、想像以上に穏便に済みましたよ。とりあえず、”叡者の額冠”はすんなり返してくれそうです……対価は情報。こちらの台所事情も決して良くはありませんからね、買い戻しに必要な予算が浮くのは助かります」

 

 へえ、と隊員達の間に驚きが広がる。アダマンタイト級冒険者になったと言う情報を加味し、話くらいは通じる相手であるだろうとして接触する許可がようやく降りたものの、極めて剣呑な人物である可能性が高いと思われていたため、いささか拍子抜けした形である。

 

「何の情報です?」

 

「ナザリック地下大墳墓およびアインズ・ウール・ゴウンに関するどんな些細な情報でも。皆さん、聞いたことは?……ないようですね、それもそうか」

 

 ここでちらっと聞いてあっさり出てくるような情報なら、わざわざ頼み込んで調べさせたりもすまい。隊長はそう考えると、ふと思い出したように隊員の一人に目を合わせる。

 

「そういえばクアイエッセ、クレマンティーヌの奴はやはりなんらかの目的をもって彼女に襲いかかった結果、返り討ちに遭っていたそうです。エ・ランテルでは身元不明として処理されていますが、本人から人相を聞き取った限りでは間違いありません」

 

 正確にはハムスケから聞いたのだが、ややこしいので省略する。クアイエッセと呼ばれた男は感慨深げに目を閉じた。

 

「そうか……あの馬鹿め。俺が引導を渡してやりたかったが、まあ是非もないことだ」

 

 そこでやりとりを見守っていた隊員の一人、若い女性が口を挟んだ。

 

「ところで、それ以外の話はしたの?ウチに勧誘するとかしないとか、そんな話もあったんでしょ?」

 

 その言葉に隊長は頭を振った。

 

「いや、思ったよりも好感触で話ができましたのでね、余計な話を持ち出してこじれてはたまらないので今回は見送りました。まずは”叡者の額冠”を取り戻すのが最優先、その先は無事返して貰ってからの方がいいかと」

 

「へえ~……」

 

 一応それはそれで正論ではあったので、女性は表だっては相槌を打つにとどめ、へ・た・れ、とこっそり口の形を作るだけにしておいた。それを目撃した別の隊員が唇を噛みしめて噴き出すのを堪える。

 

「とにかく、彼女との約束です、まずは調べ物をして貰わなければなりません。一度帰還して報告し、裁可を仰ぎましょう」

 

 隊長がそう言うと、隊員達は揃って頷いた。

 だが結局、慎重になりすぎた彼らの動きは遅きに失したのである。

 

 

 漆黒聖典の隊長を名乗る男の訪問を機に一念発起して、三日ぶりにバレアレ家の外に出たナーベラルは、おっかなびっくり周囲を見回しながらハムスケにしがみついて冒険者組合へと向かった。いつの間にこちらへ来ていたのかと驚く受付嬢に挨拶していつもの確認……前質問を突破した情報提供者が居ないことを告げられた。まあ、そもそも情報提供者自体が居なかったというのは言わぬが花である。

 なんとはなしに掲示板を冷やかして、周囲の耳目を集めながら特になにか依頼を受けるでもなく組合の外に出る。そのままハムスケを引き連れて帰路につき、帰る前に寄り道して買い物でもしようかと考えながら歩いていると、その声が彼女の耳朶を打った。

 

「ばっ、化け物……!」

 

 それは、囁き声と言ってもいいくらいに小さな呟きであったが。

 がばと振り向いたナーベラルの目に、人形めいて整った目鼻立ちをした、魔法詠唱者(マジック・キャスター)らしき格好の美少女が、額に脂汗を浮かべ、目と瞳孔を大きく見開いて立ちすくんでいる様子が飛び込んできた。

 

 

 




 タイトルは被せたが、出演者は至ってまとも。
 ルビ用の隙間があるからAA映えしないですね。

 ……この24時間というもの、自分でも不思議なくらい胃が痛かった( ´∀`)
 ようやく落ち着いてきたというか、ギャグ回だった癖にそこで起こったことが
 これからの展開の骨子に絡んでくるから開き直る以外の手段がねえ。



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第三十八話:アルシェ・イーブ・リイル・フルト

 
前回のあらすじ:
 ナーベ「どうでもいいけど ”叡者の額冠” を手に入れていたわ!」

    そう、かんけいないね
 イア ゆずってくれ、たのむ!
    殺してでもうばいとる



(見破られた!?馬鹿な、どうやって……!?)

 

 ナーベラル・ガンマが「化け物」と呼びかけられてまず思うことと言えば。

 それは自身が二重の影(ドッペルゲンガー)であることを察知されたのか、という驚きに他ならない。

 勿論腑には落ちない。変身を強制解除させられるか、他者に変身する瞬間を目撃される以外の状況で、擬態したドッペルゲンガーの正体が見破られることは普通はない。

 それでもとりあえず、身体は勝手に反応した。一瞬の驚愕から素早く立ち直ったナーベラルは、立ちすくむ少女に即座に突進し、彼女の小さな身体を抱きかかえると大通りを抜けて路地裏に駆け込んだ。少女の身体を路地の塀に押しつけると、顔の両脇に手をついて彼女の顔を覗き込む。所謂壁ドンの体勢である。

 

「ハムスケ、周囲の警戒。仲間に注意して」

 

 ハムスケに見張りを命じると、ナーベラルは少女の尋問を開始する。

 

「……お前は何者なの?一人か?仲間は?目的は何?」

 

 かちかちと音がした。少女が歯の根が合わぬ程震えているのだ。その恐怖が本物であることは疑いの余地はない。

 

「……す、すまない、謝る。秘密にしておくから許して欲しい」

 

 震えながら言ったその台詞は、だが逆効果であった。恐怖は本物、ならばその台詞は少女がナーベラルの秘密を見破った証である。生かして帰すには危険すぎる話だ。

 即座に殺すのは短絡的に過ぎるか?だが自分に彼女の口を割らせるような尋問技術はない、それよりもさっさと始末して目撃者の出ないうちに塵一つ残さず処分すべきか。

 

「駄目よ。ここで死になさい」

 

 ナーベラルが若干迷いながらも右手を引いて手刀を形作ると、少女の顔が恐怖にこわばった。そのまま少女の喉笛を抉り――

 

「言わない!あなたが第八位階の魔法を使えることは誰にも言わないから!!」

 

「……え?」

 

 喉笛を抉り取る直前に、ナーベラルの手刀がぴたりと止まる。少女が塀に背を預けてずるずるとへたり込む。見つめ合う二人の間を沈黙が満たした。

 

「……順を追って、説明してくれるかしら。死にたくないのなら」

 

 

 アルシェ・イーブ・リイル・フルトは帝国を拠点に活動するワーカーチーム『フォーサイト』のメンバーであり、若くして第三位階の魔法を使いこなす凄腕の魔法使いである。その長い名前が示すように貴族のお嬢様であったのだが、実家が鮮血帝によって取り潰されて以降、目をかけられていた魔法学院を去り、金を稼ぐためにワーカーとなった。

 幸いチームメンバーには恵まれ、放蕩する両親の借金の返済費用と妹達の生活費を、その細腕で稼ぎ出すことができた。だが現実を見据えぬままに借金を重ね、娘に支払いをさせて恥じるところもないろくでなしの借金生産装置が家にいる限り、生活が好転する見込みなどない。返す端から借金を重ねる父親の所行により、自転車操業の返済生活は破綻する寸前であった。

 

 そんな時である。皇帝から帝城への呼び出しがかかったのは。

 

「――な、何の用なのかしらね、皇帝から呼び出されるなんて」

 

 緊張のあまり上擦った声を上げたのは半森妖精(ハーフエルフ)のイミーナである。『フォーサイト』で斥候職を務める野伏(レンジャー)で、得意な得物は弓。やや目つきが悪いものの、化粧っ気の無い整った顔立ちは十分な美貌を誇っている。胸は薄いが。

 彼女が緊張しているのは、皇帝の権威にびびっている……以上の理由がある。

 彼女が毛嫌いしていたとある同業者が、皇帝に呼び出しを受けた挙げ句不興を買って無礼討ちになったらしい――そんな噂を耳にして、堂々と快哉を叫んで乾杯し、皇帝万歳を三唱したのがつい先日の話。彼女の中で皇帝の株は鰻登りとなり、一週間はご機嫌だったので、仲間達は苦笑しながら見守ったものである。

 だが、皇帝の評価を改めた彼女にしてから、自分が無礼討ちにされる番が回ってくるかもしれないとなれば笑顔で居られよう筈もない。なにしろ、その男がいったいどうして不興を買ったのかその状況は全く分かっていないのだ。どんな行為が無礼にあたるのか知れたものでは無い。

 

「ま、まあ、普通に考えれば仕事の依頼なんじゃないのか?」

 

 『フォーサイト』のリーダーであり、チームの前衛を務める軽戦士のヘッケラン・ターマイトがそう答えた。帝国では平凡な顔立ちで、あつらえた服の下に鎖着(チェイン・シャツ)を着込み、腰には二本の剣をぶら下げている。そう言いつつも、彼も若干の不安を拭えないのだろう、普段浮かべている朗らかな表情はそこにはない。

 

「帝国の皇帝が自ら、我々のような木っ端ワーカーチームに?胡散臭すぎて涙が出てきそうですよ」

 

 口を挟んだのは、チームの回復職であり、全身鎧に身を固めた神官戦士のロバーデイク・ゴルトロンである。無骨な体格ながら爽やかな印象を与えるチームの最年長者だ。彼の顔にも当然の如き緊張が張り付いていた。

 

「ようこそ『フォーサイト』の諸君。まずは掛けて、楽にしてくれたまえ」

 

 不安の色も露わに皇帝の居室を訪れた一同を、ジルクニフは気さくな態度で出迎えた。だが無論、そんなことではフォーサイトの面々の緊張が抜けるはずもない。皇帝は笑顔で人を死刑にできる男だと、鮮血帝の異名が示している。

 

「まあ、時間も押していることだ、単刀直入に行かせて貰おう」

 

 ジルクニフは用件を語った。それはある意味では予想通り、ワーカーチーム『フォーサイト』に対する仕事の依頼であった。内容は、単身お忍びで王国に向かった帝国の宮廷魔導師、フールーダ・パラダインの追跡と動向の調査。それを聞いたフォーサイトの面々は、揃って顔色を青くする。フールーダ・パラダインの失踪などという一大事、断ればそれだけで口封じに始末されてもおかしくはない。聞いた時点で退路はとっくに断たれている。ヘッケランが震える声で質問をする。

 

「それで、その、フールーダ翁は何をしに王国へ?」

 

「うむ、直裁的に言えば、王国のアダマンタイト級冒険者ガンマ殿に会いに行くためだ。じいはバ……エヘン、魔導馬鹿だからな、彼女が優れた魔法詠唱者(マジック・キャスター)であるらしいとの噂を聞いて我慢できなくなったらしい」

 

 なんとまあ。ヘッケランとロバーデイクは思わず顔を見合わせた。そのような理由で戦争相手の国へ単身出掛ける国家の重鎮が居て良いものだろうか?良いかどうかはともかく、実際ここに居たのだから是非もない。気を取り直してイミーナが口を開く。

 

「それで、なぜ私たち『フォーサイト』をご指名になられたのです?このような言い方はなんですが、私たち程度の実力のワーカーチームなら帝都には星の数ほどあり、その中から殊更私たちを指名する理由があるとは思えませんが……」

 

 星の数は大袈裟だが、『フォーサイト』が帝都のワーカーチームでそれほど突出した存在でないのは事実である。その疑問を聞くと、ジルクニフは少しだけ楽しそうな顔をしてチッチッ、と指を振ってみせた。

 

「理由はあるのだよ、実際。それは君だ、フルト家のお嬢さん(フロイライン・フルト)

 

 そう言ってアルシェの方を指さしたので、一同が驚いて彼女の方に目をやれば、自分たちに負けず劣らずびっくりした顔の少女が其処にいるのを発見した。

 

「わ、私……?」

 

「そうだ。そもそも私が君達のことを知っている理由が、じいが急にいなくなってしまった弟子のことを気に掛ける発言を折りにつけてしていたからなのだよ」

 

「先生が、そんなことを……?」

 

 アルシェは動揺した。自分が学院を辞めたいとだけ告げたとき、事情を確認するでもなく淡々と受理され、最後に投げかけられた言葉の通り――ただの愚か者だと思われている、そのように思っていたので。

 

「そうだ。冒険者だろうとワーカーだろうと、オリハルコンだろうとアダマンタイトだろうと、相手がフールーダ・パラダインでは大して意味がない。それよりは、知己の誰かが説得する方がまだしも耳を傾ける可能性があるというものだろう?」

 

 まあ、説得はできればして貰いたいだけで、できなくても咎めはしないがね、そうジルクニフは結んだ。あくまでも依頼は所在と動向の把握である。

 

「そして、君の異能(タレント)だ。じいにだってまあ、敵国で変装するくらいの分別はあるだろう……たぶん、あると思いたい。じいと同じタレントを持つ君の力なら、身元を隠したじいの居所を探るのに大いに役立つ局面があるだろうという心算だよ」

 

 そう言うとジルクニフは近衛騎士に合図して、盆に載った金貨を持ってこさせた。どこかで見たような展開である。デジャヴという奴に違いない。

 

「まあ、手付けは……一人頭百枚として、四百枚もあれば足りるかな、どうだろう?それとも金券板の方がよかったかな?」

 

 フォーサイトの面々はぶんぶんと首を縦に振って同意を示した。どうせ断る道はないのだから前金はありがたく受け取るが、生命をチップに吊り上げ交渉をする程無謀ではない。そもそも前金の額だけで、下手な依頼の総額を軽く上回っているのだ。

 四人が差し出された盆の周囲にこわごわと集まって、おのおのの取り分の金貨を回収していくと、やがてアルシェの顔がこわばった。ジルクニフがにこやかに問いかける。

 

「どうした、何か気になることでもあったかな?……そうそう、その下敷きはサービスだ、もののついでに受け取って貰って構わんよ」

 

 アルシェは震える手で、金貨の下から出てきた()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()をつまみ上げると、それをぐしゃりと握りつぶしながら皇帝を見る。その唇がぱくぱくと開くが、言葉は出てこなかった。

 

「……そういえば、君のご家族は先程城に招待させて貰ったよ。困窮した家族の生活や、勝手に増えるかも知れない借金を気に掛けながらでは、仕事にも差し障りがあるかもしれないだろう?私の方で面倒を見ておくから、安心してくれ給え。……良かったら後で会っていくといい」

 

 そこまでするか。アルシェは己の視界がぐるぐると回り出すのを感じながらそう思った。イミーナが心配そうに肩に手を回すのを感じながら、ぐっと腹に力を込めて堪える。

 

 

 ……色々な意味で予想に反して、アルシェの家族は元気いっぱいであった。移動に多少の制限がかかっていることに妹達はやや不満そうだったが、案内された部屋だけでも目を見張るほど豪勢であり、聞き分けないほど鬱屈しているわけでもない。

 そして両親の、というか父親のいっそ清々しいほどの手の平の返しっぷりは、滑稽さを通り越して哀れみすら誘った。他人に聞こえないところで鮮血帝をあの愚か者、馬鹿者などと悪口を言うのが精一杯の反抗であった小物が、その同じ口から皇帝陛下の素晴らしさを切々と語り、陛下のためにご奉仕する機会を得られたお前は幸せ者だ、私も父親として鼻が高いなどと言い出すのである。要するに、(アルシェ)の働き次第で御家の再興が叶うとでも仄めかされたと言うわけだ。陛下に見初められたのなら玉の輿ねえ、あらあらどうしましょうなどと能天気なことを言い出す母親をいなしつつ、アルシェは内心ため息をついた。

 

 妹達に大人しく待っているように言い聞かせて家族の下を去ると、アルシェは面会が終わるのを待っていてくれた他の三人と合流した。

 

「――申し訳ない。私の所為(せい)でこんなことに巻き込んでしまった」

 

 開口一番そのような台詞を呟いたアルシェの様子に、他の三人は苦笑した。ヘッケランがぽんぽんとその小さな頭に手を乗せる。

 

「いやいや、この娘っ子はなにを言ってるんですかいなって」

 

「ですね。別にフールーダ翁の弟子であったことが何かの罪になるはずもなし、そしてあなたのタレントにはこれまで何度も助けられてきました。あなたが謝罪するようなことはなにもありませんよ?」

 

 ロバーデイクが笑いかけると、イミーナが真面目くさって腕を組んだ。

 

「それに、そもそもそんなに悪い依頼でもないじゃない?皇帝陛下は少なくとも気前は悪くなくて支払いは最高。

 別にフールーダ・パラダインと取っ組み合って取り押さえてこいっていう訳じゃなし、観光気分で王国に旅行して、かの爺様の居所を探ってこいってだけでしょ。とんでもなく割の良い仕事だわ。謝罪どころか感謝してもいいくらいよ」

 

 イミーナの台詞は事実であった。……事が済んだ後口封じに始末される危険性を考えなければ。アルシェは俯いて表情を隠した。やばくなったら逃げだそうにも、逃げるわけには行かないのだ。皇帝もわざわざ明言はしなかったが、この状況で察せないのは馬鹿だけだ。

 湿っぽい空気を振り払うように空元気を振りまいて、一同は出発の準備を整えた。皇帝の厚意により王国出身だという案内人の男を一人つけ、五人で帝都を出発する。

 旅はとんとん拍子に進んだ。帝国の領土を大過なく抜け、王国国境線の城塞都市エ・ランテルに到着した。特に見咎められることもなく門を抜け、都市に入ったところで今後の方針を確認する。

 

「城塞都市エ・ランテルは、なんでも翁が執着してる”紫電の魔女”(ライトニング・ウィッチ)が最初に出現したっていう街らしい。少し下調べをして行った方がいいんじゃないかと思うが、どうだ?」

 

 リーダーであるヘッケランのその提案に、各人は同意の頷きを返した。都市で調べ物や聞き込みをするのに危険もないだろう、ということで手分けして行動することにする。そんな内容は契約外だ、と言う案内人は宿で留守番させておいて、各員は分担に従って調査を開始した。

 そして冒険者組合の様子を見に行ったアルシェは、そのタレント持ちだけが見える魔力の暴風を感じて立ちどまり、それを目にした。

 彼女は、人間の領域に留まらぬ化け物であった。最低でも己の師が放つオーラを遙かに凌駕するその力は、物理的な圧力すら伴ってアルシェに吹き付けてくる錯覚を引き起こした。たまらずアルシェの口から呟きが漏れる。化け物、と。

 

 

「ふーん……目にした相手が何位階の魔法を行使可能か看破する異能(タレント)ねぇ……そんなものがあるとは、迂闊だったわ……」

 

 ナーベラルは頭を掻いて嘆息した。壁際にへたり込んでガタガタ震えるアルシェから、自分のタレントで貴女を見たらこれまで見たこともないほど強力な魔力を撒き散らしていたので思わず化け物って言っちゃいましたごめんなさい、という説明を聞いての台詞である。

 自分が二重の影(ドッペルゲンガー)であることがばれたわけでは無いと分かって安堵した、というのが正直なところだ。気が抜けたついでに殺す気も概ね失せた。そういう能力だ、ということであるのなら口封じする意味もあまりなさそうである。

 

「確認したいのだけれど、その異能(タレント)という能力は、この世に一つきりのユニークなものというわけではないのよね?」

 

 ナーベラルの言葉を聞くと、アルシェはこくりと頷きを返した。

 

「誰もが持っているわけではないけど、大体二百人に一人くらいの割合で持っている。被ることも当然ある。……私のタレントは、先生と同じもの」

 

 つまり、最低でもこの世に一人は同じことができる奴がいるわけである。この時点でナーベラルはアルシェを始末する気を完全に無くした。緊張を解いて姿勢を直すと、そのことに気づいたアルシェが明らかに気が抜けた様子で完全に脱力した。

 

「わかったわ。……さっきの出来事はお互い水に流すということで、あまり他言しないで貰えるかしら」

 

「絶対、誰にも、決して言わない」

 

 そう言ってアルシェが首を縦に激しく振って誓う。その様子に頷き返すと、通りを見張っていたハムスケが口を挟んできた。

 

「姫、誰かこっちに来るでござるよ。人数は二人、若い男でござる」

 

「アルシェ!……無事か!?」

 

 ハムスケの言葉に被せるように、二人の男が路地に駆け込んできた。ヘッケランとロバーデイクである。塀にもたれてへたりこむアルシェと、その前に立つナーベラルを発見するや、開口一番アルシェに呼びかけ、腰の武器に手を掛けた。後ろに控えるハムスケの存在感に緊張を隠せない様子である。

 

「……知り合い?」

 

 ナーベラルがアルシェに聞くと、彼女はこくりと頷いた。

 

「一緒に来た仲間。……落ち着いて、私は大丈夫。……私が失礼なことを言ってしまって、今和解したところだから!」

 

 そのようにアルシェが呼びかけると、二人の男はあからさまにホッとした様子で武器から手を離した。アルシェを助け起こしながらナーベラルに頭を下げ、自己紹介の挨拶をしながら手を差し出す。その手を完全に無視して挨拶も聞き流したナーベラルはアルシェに声をかけた。

 

「さて、話はついたし迎えも来たし、私はこれで」

 

「あ、ちょっと待って、ガンマ……さん。お話、したい」

 

 そう言って立ち去ろうとするのをアルシェが呼び止める。ナーベラルは怪訝そうに振り返った。

 

「名乗った覚えはないけれど……まだ何か用が?」

 

「私たちは人を探している。……最近、老人が貴女に会いに来なかったか?」

 

 ナーベラルの顔がこわばった。

 

 

 なぜだか顔を赤らめたアルシェの、控えめながらも強い要望により、一同は彼らがとった宿に移動した。冒険者向けとしては中の上、なかなかしっかりした作りの建物で、一階の食堂はオープンテラスになっている。ハムスケを連れて座れそうだったので、ナーベラルは庭に出されたテーブルに着くと、合流したイミーナに付き添われてアルシェが自室に戻るのを見送った。ハムスケがその横にちょこんと丸くなる。

 

「……そこもとらは四人パーティーなのでござるか?」

 

 手持ちの辞書に社交性という言葉が載っていないナーベラルの代わりに、ハムスケが場繋ぎの話題を出すと、ヘッケランは頷いた。

 

「ああ、俺たち『フォーサイト』は四人構成のワーカーチームなんだ。……尤も、今回は王国へ来るにあたってあてがわれた案内人が一人加わって五人連れなんだがね」

 

「ほう……その御仁はどこにおられるのでござる?」

 

 ハムスケがきょろきょろと周囲を見回すのに、ロバーデイクが声を掛ける。

 

「いえ、今は自由行動中ですからその辺で油を売っているのでしょう。頼まれたのは王都までの道案内で、エ・ランテルで道草を食うのは依頼内容に入ってないとか言ってましたね。……そこまで細かい人には見えませんでしたがねえ」

 

「エ・ランテルをうろつきたくない理由でもあるんじゃねーの?」

 

 ヘッケランが言ったその時、無表情ながらもどことなくすっきりした様子のアルシェとイミーナが部屋から出てきてテーブルに着き、改めて簡単な自己紹介をする。挨拶もそこそこにナーベラルは口を開いた。

 

「それで……あなた達はあの、古田だかフルフルだか言うジジイを探しているって?」

 

「……正しくは、フールーダ・パラダインと言う人なんですが」

 

 ロバーデイクが恐る恐る訂正すると、ナーベラルは少し考えて頷いた。

 

「そういえばそんな名前だったかもしれないわね」

 

「フールーダ・パラダインは私の先生で、帝国魔法省の最高責任者。あなたに会いに行くと言い残して帝国を抜け出していったので、依頼されて私たちが追いかけてきた。……もう会ったのか?」

 

 アルシェの質問に、ナーベラルは嫌悪の表情を浮かべた。怯えすら混じったその顔を見て、フォーサイトの一同は目を丸くする。

 

「ええ、それはもう。……待って、確かさっきあなた、自分のタレントは先生と同じものとか言っていたわよね。それってつまり、そのフールーダのこと?」

 

「うん、先生も魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)の実力を看破するタレントを持っている」

 

 アルシェが同意の頷きを返すと、ナーベラルは無意識に爪を噛んで唸った。ようやく彼の老人の奇っ怪な行動を始めとした、色々なことに得心がいったのである。

 

「成る程、そういうことかあのジジイ……」

 

 それから行われたナーベラルによる簡単な事情説明を受け、フォーサイトの一同は魂が抜かれたような顔で茫然自失することとなった。頬をつねって夢ではないことを確かめ、眉に唾をつけて化かされているのでもないことを確認する。目の前のナーベラルに冗談を言っている様子がないことを確信すると、全員の顔がげんなりとした。できれば知りたくなかった、帝国一の著名人の一大スキャンダルである。

 

「……もはや、なんと言えばいいのかわからんな……」

 

 ヘッケランがようやく絞り出した感想に、一同は同意の頷きを返した。誰もが次に取るべき態度を決めかねて、沈黙が場を満たす。

 その静寂を破ったのは一同の誰でもなかった。辛気くさい顔で黙り込んで顔をつきあわせる一同の背後から、声を掛けてきた男が居たのである。

 

「よう、皆お揃いでどうした、調べ物は済んだのかい……!?うぐ、げふ、ごほっ」

 

 一同が着いたテーブルに寄ってきて声を掛けたその精悍な男――ブレイン・アングラウスは、振り返ったナーベラルと目が合うと、手に持って囓っていた肉の串焼きを喉に詰まらせて噎せ返ったのであった。

 

 

 




 ウチのジルクニフさん芝居がかった演出が好きですね( ´∀`)
 そしてまさかのあの人の再登場。感想で帝国に向かうんじゃねって言われたのがなんだかしっくりきたのでチョイ役でワンポイント出現。(たいした活躍はしません)



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第三十九話:決戦!フールーダ・パラダイン

 
前回のあらすじ:
 ”紫電の魔女”(ライトニング・ウィッチ)の逸話(最新)……往来のど真ん中で目があった少女をかっさらって路地裏に消えた。
 用例:いい子にしてないと”紫電の魔女”(ライトニング・ウィッチ)に攫われるよ!



 ブレイン・アングラウスが如何にしてこの場に立っているかについては、箇条書きでまとめられる程度のさほど深くもない事情が存在する。

 

 ・ほとぼりを冷ますために暫く帝国にでも行くか!

 ・帝国で対人戦の腕を磨くならやっぱり闘技場でしょ?

 ・闘技場で二十人抜きを達成しておおいに名を売る

 ・皇帝陛下の目に留まり謁見して褒美を貰う

 ・王国出身だと話したらとあるワーカーチームの道案内を頼まれる

 ・久しぶりにガゼフの面も拝みたいしまあ良いかと引き受ける

 ・さらっと通過するはずだった城塞都市で想定外の邂逅を果たす ←今ココ

 

 大体こんな感じである。

 

「それで……彼が先程話した、我々の案内人を務めるブレイン・アングラウス殿です……どうしました、アングラウスさん?」

 

 無意味に頬を膨らませてみたり、変な顔を作ったり。人相の印象を変えるべく涙ぐましい努力を重ねるブレインの様子を不審に思ったロバーデイクが声を掛けると、ブレインは首を振った。

 

「いや、なんでもない。気にしないでくれ」

 

「……」

 

 その様子を無言でじっと見つめるナーベラルの視線に、ブレインは居心地悪そうに身じろぎした。案内人なんて端役には興味を持たず放っておいて欲しいものである。すると、彼のズボンの裾をちょいちょいと引っ張る感触がある。

 何事かと足下を見れば、ハムスケの爪が彼のズボンの裾を摘んで軽く引っ張っていた。

 

「!?」

 

 驚くブレインの耳元に、ハムスケが顔を寄せて囁きかける。

 

(……ブレイン殿、ブレイン殿。そのように警戒せずとも、姫は百%そこもとのことを覚えておられないので心配要らないでござるよ)

 

 小声で囁かれたその内容にブレインは激しく咽せた。逆に言えば、この魔獣はブレインのことを覚えているというわけである。

 

(そこもとに遺恨がないのであれば、それがしもわざわざ思い出させるつもりはないでござるよ。こちらとしては、特に含むところはないでござるが故)

 

(……わかった、俺も別に恨みがあるわけじゃない。宜しく頼む)

 

 なんとかブレインが返答を囁き返すと、それで満足したのかハムスケは顔を引っ込めて丸まった。その様子を不審げに見ていたナーベラルが不思議そうに問う。

 

「……知り合いなの、ハムスケ?」

 

「いや、人違いだったようでござるよ」

 

 ハムスケの返答を聞くと、ナーベラルはそっけなく頷いて興味を無くした。そんなことより遙かに重大な関心事に気を取られているのである。

 

「あなた達があのジジイの知り合いで、探しに来たというのなら……丁度良い、連れて帰って貰えないかしら。正直二度と会いたくないのよ」

 

 身体の芯までトラウマが刻み込まれてしまったらしく、彼女の顔色は既に青かった。

 逃げ出したいのは山々なれど、このまま奴がいつ再来するか怯えながら逃げ隠れるのはどうにもよくない。なんらかの決着をつけねばおちおち外も歩けない、そのように考えての悲壮な覚悟である。

 その言葉を聞いた『フォーサイト』の一同は顔を見合わせる。

 

「どうする、おい?」

 

「うん、皇帝陛下の依頼は動向と所在の把握で、説得は基本的に含まれていないという話でしたが……」

 

「でも、ガンマさんの周りに潜んでストーカーしていますって……所在を把握したことになるのかしら」

 

「一度話してみてもいいのでは。……正直自分の目で見るまで信じられそうにない」

 

 全員で頷き合うと、固唾を呑んで見守るナーベラルに向き直る。リーダーのヘッケランが代表して告げた。

 

「わかりました、とにかく説得してみますので一緒に行動しましょうか」

 

 

 四頭立ての大型馬車が、エ・ランテルからリ・エスティーゼへと向かう街道を進んでいく。

 御者台に座るのはブレイン・アングラウスだ。なんで俺がとぶつくさ言いながら、併走するハムスケに怯える四頭の馬をなだめながら手綱を操っている。

 

「お前さんが居なけりゃもっと大人しいんだろうがな、こいつらも」

 

 ブレインが隣を見て声を掛けると、ハムスケはしゅんとした様子で答えた。

 

「どうもすまんでござる。それがしが一人で引いてもよいのでござるが、そうすると後始末に困る故、勘弁してほしいでござる……」

 

「ああ、別に責めたいわけじゃない、単なる愚痴さ……っと」

 

 その時馬が、側方ではなく前方に警戒の視線を向けた。様子がおかしいことに気づいたブレインが、とっくに前方を警戒して姿勢を変えているハムスケを横目に、自身も街道の先、遙か前方を遠望する。

 

 白い老人が立っている。

 口からゾナハ病でも撒き散らしていそうな凶相(ジュビロ顔)で、ブレインの操る馬車をその視線にロックオンしている。

 

「クク、ククク……探しましたぞぉ~、師よ……!!」

 

 馬車の中に隠れていようと、フールーダ・パラダインのタレントを以てすれば、ナーベラルの強大な魔力が馬車の外にまで溢れているのは丸見えだ。あの中に彼女が乗っているのは間違いがない。

 

「おい、やっこさんおでましだぞ」

 

 一方、明らかにイカレた様子の老人にびびったブレインは、御者台から客席に向かって呼びかけた。その言葉を受けて馬車の中から四人の人影が降り立った。言わずと知れた、『フォーサイト』の面々である。彼らの様子にまるで注意を払わず、馬車の中を透かし見るように凝視する老人を見て、その異様なオーラに四人はうっと気圧された。

 

「ふ……フールーダ翁!我々は皇帝陛下の使者です!」

 

 気を取り直したヘッケランがそう叫ぶと、初めてフールーダはちらりと視線をヘッケランに寄越した。

 

「……ジルの使いだと?何用だ?」

 

 帝国皇帝をジル呼ばわりである。勿論歴代の皇帝の教育役を務めてきた「じい」ことフールーダ・パラダインであれば、時と場所によってはそのような物言いも許されるのであるだろう。ただ、今この時この場でそう口にしたのは、今の彼には皇帝陛下の威光が通用しないであろうことを強烈に窺わせた。

 

「その、翁、どうか馬鹿な真似はおやめになって、帝国にお戻りいただけないでしょうか?陛下は大層ご心配なさっておいでです」

 

 心配しているのはフールーダの身ではなく帝国の未来だが、まあそれを口にするのは野暮というものである。ロバーデイクの台詞を聞いて、フールーダは顔を歪めた。

 

「馬鹿な真似だと?」

 

 そう言ってわなわなと震えるフールーダの様子に、フォーサイトの四人はびびって後ずさる。やばい、なにか地雷を踏んだのだろうか。

 

「このフールーダにあるのは……シンプルな、たった一つの思想だけだ」

 

 静謐な表情で語り出すフールーダ。何を言い出すつもりか、ブレインも加えた五人の顔に興味が浮かぶ。

 

「たったひとつ!いつか『魔法の深淵に辿り着く』!それだけよ……それだけが私を満足させる唯一の目的よ!帝国や……!皇帝なぞ……どうでもよいのだァ―――――ッ!!」

 

「「「うわぁ……」」」

 

 次の瞬間、フールーダの口から迸った身も蓋もない絶叫に、それを耳にした五人は驚き、呆れ、引いた。皇帝にはとても報告できない内容である。というか帝国の屋台骨を支える重鎮が内心そんなことを考えているとか、知りたくなかった。暗黙のうちに、聞かなかったことにするという合意が五人の中で成立する。

 

「さあ!私は師に魔法の叡智を授けて貰わねばならんのだ!其処を退くがいいお前達!退かぬなら容赦はせぬと知れ!」

 

 ドドドドド、と擬音が上がりそうな迫力で五人を威圧するフールーダに、ブレインとフォーサイトの面々は思わず身構えるが、無論彼を害するわけにはいかないのである。どうしたものやら。

 救いの手は意外なところから入った。

 

「そこの五人は今は姫の旅の連れ故、危害を加えたら姫の不興を買うと思うでござるよ」

 

 ハムスケである。そして、その台詞はあからさまに嘘なのだった。彼ら五人が殺されたところで、ナーベラルが怒ったり悲しんだりすることはまず考えられない。が、前方で対峙するフールーダにそのことを窺い知る術はない。連れとなった五人の身を哀れんだ、ハムスケの頭脳プレーであった。

 

「む、そうか……ではお前達を躱して師の下へ辿り着くとしよう!」

 

 フールーダが腰を落として構えを取ると、ヘッケラン達の間に緊張が走った。ハムスケの機転でそうそう殺される心配はなくなったのはありがたいが、目の前の老人をどのように止めたものか。

 

「とりあえず、飛びついて取り押さえるぞ」

 

 ヘッケランがそう言って無手でタックルの構えを取ると、頷いたロバーデイク、ブレインがそれに続く。イミーナとアルシェも一応構えた。まさか弓で撃つわけにもいかない。馬車を背後に、フールーダの視線から庇うように展開する。

 

<飛行>(フライ)

 

 フールーダの足が地面から十センチばかり浮くと、そのまま前傾姿勢で地面すれすれを突進してきた。何故、と思う間もなく、まずヘッケランとロバーデイクが挟み込むように迎え撃つ。

 とん、とフールーダの足が地面を蹴る。飛行で空中に浮かぶその身体は、蹴りの反動で宙高く跳ね上がり、飛びかかった二人の手を躱して先へ進んだ。

 

「いかん!」

 

 ヘッケランとロバーデイクが素早く振り返る。まだ前方にはブレインやイミーナ、ハムスケだって居る。空中に浮かんでいるとはいえ、老人は周囲を囲まれた形になる。空中数メートルの高さを突進してくるフールーダに、タイミングを合わせてイミーナが飛びかかろうとしたその刹那、老人の身体が急停止した。タイミングをずらされてイミーナが思わずたたらを踏むと、フールーダは次の魔法を放つ。

 

<閃光>(フラッシュ)

 

「うおっ……!?」

 

 その瞬間、フールーダの全身が発光し、目も眩む眩い閃光が辺り一帯を薙ぎ払った。フールーダの一挙手一投足に集中していた五人と一匹は、完全に視界を奪われて意識が真っ白になる。

 効かない視界で思わず両腕を振り回すフォーサイトの面々だが、当然その腕が何かに触れることはない。ハムスケの尻尾が直前までフールーダが居た位置に伸びてきたのは流石と言えるが、既にその場に留まらぬフールーダは悠々と馬車へと迫る。

 

「さあ、師よ……!?」

 

 馬車の入り口に突っ込んだフールーダは、己の腰に衝撃を感じたと思った瞬間――視界が回転して気づけば地面に転がっていた。

 ブレインだ。ブレイン・アングラウスが、フールーダに飛びついたのである。彼の両眼は固く閉じられ、目尻には涙が浮かんでいる。こんな馬鹿馬鹿しいことに虎の子の魔導具を使う気になれなかった彼も、<閃光>(フラッシュ)をまともに見て目が眩んでしまったうちの一人ではあったのだが、どっこいブレインには他の面々にはない特技があった。

 <領域>の武技である。空を飛ぼうと地を潜ろうと、ナーベラルに辿り着くには馬車の入り口を通るしかない。だから、<領域>を入り口周辺で展開し、突っ込んでくるフールーダを待ち伏せたのである。ブレインも目が眩んで無力と思いこんだフールーダは、うまうまとブレインの結界の中に飛び込んで捕まえられることとなった。

 

「ええい、放せっ、放さぬかこの小僧がッ!」

 

 じたばたと暴れるフールーダだが、さすがに若く屈強なブレインに組み敷かれた状態から魔法抜きで逃れることはできない。

 

「よし、捕まえたぞ!」

 

「でかした!」

 

 ブレインが叫ぶと、僅かながらも視界が回復してきた残りの面々が目をこすり涙を浮かべながら集まってきた。もがくフールーダが思いあまって魔法を使い出す前に、アルシェがその側にしゃがみ込む。

 

「……先生、私です、アルシェ・イーブ・リイル・フルトです。覚えておられますか」

 

「……む?」

 

 アルシェの言葉を聞いたフールーダは、暴れるのを止めて真面目な顔で彼女を見返した。

 

「……誰かと思えば、アルシェではないか。このようなところで何をしているのだ?あれから魔法の研鑽は怠っては居ないだろうな?お前の才能であれば今頃は第四位階に到達していてもおかしくなかったというに、せっかくの天稟も磨かねば錆び付くばかりであるぞ?」

 

 かつての弟子を見て、幾分かの正気を取り戻したらしいフールーダの様子に一同はほっとする。これならまともに話ができるかもしれない。

 だが、その考えは甘かった。そこまで喋ったフールーダはハッとして自身の元弟子を凝視する。アルシェが応答しようとするのを遮るように叫んだ。

 

「それとも……まさか……貴様ッ、よもやこの私を差し置いて師に弟子入りを果たしたと言うのかッ!?」

 

「ちっ、違……!」

 

 アルシェが慌てて否定しようとするが、もはや聞く耳持たぬ。

 

「あのとき魔法省を辞めたるはお主からの申し出……その理由がまさか儂を超える師に巡り会ったからだったとは。はかった喃 はかってくれた喃」

 

 そう言うと、魔鬼(おに)は無念の涙を流した。アルシェが魔法学院を辞めてから今日まで二年の月日が経っている、その時系列の断絶とかはどうでもいいらしい。

 

「先生ェ……」

 

 困惑しきったアルシェが呻くようにフールーダに呼びかけるも、己の世界に入り込んで曖昧となった老人に、その声が届く様子はなかった。

 

「……一応、弟子入りを拒否された認識自体はあるのね……」

 

 その声に、がばとフールーダが顔を起こす。アルシェが振り返ると、いつのまにやら馬車から降りたナーベラルが、ハムスケの背中に隠れながら頭半分だけ覗かせてこちらを観察していた。その顔色は青く、ハムスケの毛皮をぎゅうと握りしめて恐る恐るフールーダの様子を窺うその様子はなんだか可愛らしかった。

 

「師よ……」

 

「……ねえアルシェ。そのジジイは間違いなく帝国のお偉いさん本人なのね?」

 

「うん、間違いない。……間違ってて欲しかったけど本物」

 

 フールーダの呼びかけを無視したナーベラルの質問にアルシェがげっそりとした頷きを返すと、彼女は額に手を当てて難しい顔で唸った。やがて気の進まない様子ながら、フールーダの顔を正面から見て呼びかける。

 

「……ねえ、フールーダ・パラダイン。あなたの弟子入り、条件次第では認めても良いわ」

 

 

「それでは待っていてくだされ師よ!この私の全力を尽くして、可及的速やかに!調べて参ります故!」

 

「……あーはいはい、期待してるわ」

 

 素っ気ないナーベラルの返答にもなんのその、喜色満面で東の空へ飛び去るフールーダを、一行はほっとした気分で見送った。

 ナーベラルがフールーダに出した条件はただ一つ。知識でも権力でも人脈でも魔法でも……何を使おうが構わんから、己の全力を尽くしてナザリック地下大墳墓の所在を見つけてこい、そうしたら弟子にしてやるというものであった。

 何も問題はない。これで奴が次に現れることができるのは、ナザリック地下大墳墓の所在が判明した時だけである。つまり、見つからぬうちに襲われる心配はもうないということだ。

 万一首尾良く発見してきたら是非もない、さっさと帰って、後のことは頼れる仲間達に任せてしまえばいい。まあ、ナザリックまでついてくるなら本当に弟子にしてやってもいい……かなり嫌だけど。

 これで自ら動く前に、バハルス帝国とスレイン法国、二つの国の状況を調べる算段がついた。王国は自分の足で調べているところで、一時期に比べれば随分と順調に回り出した。……順調に行った結果、見つからないときはどうしようとか、そういうことはとりあえず置いておく。

 

「……とにかく、おかげで助かったわ。恩に着る」

 

 結局話をつけたのはナーベラルであったが、彼女が一人でフールーダと相対する度胸はなかったのでその言葉に嘘はない。このまま王都に向かうナーベラルと、王国に来た目的を果たしてしまった帝国の五人は、ここで別れることとなった。

 

「……ま、まだ勝つ算段があるわけじゃなし。まだ会うには早いって言う神様のお導きなんだろうよ」

 

 知人の顔を見に行くつもりで案内を引き受けたというブレインも、そんなことを言ってフォーサイトと一緒に帝国へ戻ることにしたらしい。ハムスケに乗って王都方面へ去っていくナーベラルを五人で見送った。

 

「まあ、これで任務は完璧以上に遂行したし……ボーナスだって期待できるよな?」

 

 ヘッケランがそう言うと、ロバーデイクが深刻な顔をする。

 

「しかし、大丈夫ですかね?今回色々と、知らない方がいいことを知ってしまったような……」

 

「……心配ない」

 

 断言してみせたアルシェの言葉に、一同の注目が彼女に集まった。彼女はその視線を真っ向から受け止めると、えへんと胸を反らす。

 

「皇帝は、ガンマさんを帝国に引き入れたいと思っている。……さっき彼女は、恩に着ると言った。皇帝がガンマさんの歓心を買いたいのなら、私たちを始末するのは悪手、そのように思わせればいい」

 

「なるほど、ガンマさんに恩を売ってきたことをたっぷり色をつけて報告すれば、そのままそのことが私たちの身を守ってくれるってわけね。冴えてるじゃない、アルシェ」

 

 イミーナが感心して、アルシェの頭をなで回すと、彼女はふふんと偉そうに腕を組んだ。そんな彼女に、ヘッケランが興味本位の質問を投げかける。

 

「そういや、結局……お前のタレントに彼女はどう見えてたんだ?」

 

「秘密。絶対言えない、約束した」

 

 その質問を聞いた瞬間、即座にそう言って青い顔で激しく首を振るアルシェを、ヘッケランは苦笑して眺めた。その反応だけで、ある程度は予想がついてしまうというものである。突っ込まないのがお互いの為というものではあるが。

 

「おーし、じゃあそろそろ出発するぜ。置いて行かれたくない奴は乗り込めよー」

 

 御者台に座ったブレインがそのような声を掛けてくる。フォーサイトの一同は、顔を見合わせて頷くと、順番に馬車に乗り込んだ。

 こうして、「王都の怪人」は人知れず退治されたのである。

 

 

 




 終結までに五話かけるとは、流石は人類最強の大魔法使いだぜ……



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第四十話:急転直下

 
前回のあらすじ:
 フールーダ「……魔法(と契約)を司るという(青の月の)小神を信仰してまいりました」
 ただし双子の妹は居ない模様。



「あっ……おい!」

 

 ナーベラルが王都に入り、いつもの宿屋の門をくぐると、すぐに反応があった。食堂の席に座っていたイビルアイが椅子を蹴立てて立ち上がったのだ。すぐにでも駆け寄ってきたそうなのを制して自分からそちらにむかうと、とりあえず挨拶する。

 

「……久しぶりね」

 

「久しぶりね、じゃないだろ!<伝言>(メッセージ)くらい応答しろよ!無事か!?変なコトされなかったか!?」

 

 ぶんぶんと手を振り回し、ぴょんぴょんと跳びはねて騒ぐイビルアイ。ぺたぺたとナーベラルの頬や腕を触って異常を確認しようとするので、その手を押しのけて椅子に座る。

 

「よぉ、久しぶり。……まあなんだ、思ったよりは元気そうだな。ちびすけがあんまり騒ぐもんだから、ちっと心配しちまったぜ」

 

 ガガーランがそう言うと、イビルアイが何を言っている、私はそんなに騒いでいないぞと騒ぐのをいなして笑った。ハムスケがぺこりと頭を下げた。

 

「それは、ご心配頂いてありがとうでござる。……あの後、こちらはどうなったでござるか?」

 

「おお、それよ、結構大変だったんだぜこっち」

「そうだ、金!金返せガンマ!!」

 

 ガガーランの返答を遮るように、イビルアイが叫んで身を乗り出してきた。ナーベラルはその様子を見て首を傾げる。

 

「……あなたにお金を借りていたかしら?」

 

「……お前が逃げ出すときに跡形もなく吹っ飛ばしていった部屋の修理代と調度品、あと組合の備品!その弁償を立て替えておいたから払えと言ってるんだ」

 

 少し気を落ち着けてイビルアイが言った台詞にナーベラルは、ああと頷いて苦笑した。そういえばそんなこともあった。金額を聞いてまあなんとかなりそうだなと手持ちの金を数えていると、ガガーランがにやにやしながら声を掛けてくる。

 

「イビルアイに感謝しとけよー?こいつはそんな物言いだけど、お前さんだって被害者なのに帰りづらくなったら困るだろうって言って、お前さんが逃げ出す前の行動を追いかけて被害調べて、王都の門を普通にくぐってないこともラキュースに頼んで帳尻合わせておいたんだからよ。すっげー心配してたんだぜ」

 

 そうなのか。ナーベラルがイビルアイを見つめると、イビルアイはわたわたと動揺した挙げ句、顔を逸らした。……どうせ仮面で隠してる癖に。

 

「か、かかか勘違いするなよ!?お前だって略式には『蒼の薔薇』の一員と見られてるんだ、お前があまり無体なことをやれば我々の評判が傷つくんだ、それだけだからなっ!?」

 

「……ありがとう」

 

 その様子がなんだか微笑ましかったので、金貨十枚をおまけして渡しておく。まあ、それが適正な金額かはわからないし、伝えると金の問題にする気かとか逆に怒り出しそうな気がするのでこっそりと。イビルアイは差し出された小袋をひったくると、数えもせずに懐にしまい込んだ。

 

「ふ、ふん、わかればいいんだ、今後は尻ぬぐいさせられるこっちの身にもなって、もう少し謙虚に振る舞えよっ!?」

 

「それでよ、その……アレのことはもう平気なのか?」

 

 若干言いづらそうに声をひそめるガガーラン。イビルアイも心配そうに身を乗り出す。

 

「ん?ああ、あいつのことならもう大丈夫よ、退治したから」

 

「まさか、殺したのかッ!?」

 

 あっけらかんと答えたナーベラルの言葉を聞いて、イビルアイが飛び上がった。

 

「……いや、説得してお帰り願っただけだけど。知り合いだったの?」

 

 不審に思ったナーベラルが問うと、イビルアイはいやそう言うわけではないんだが……ともじもじする。ガガーランが説明してくれた。

 

「いやさ、ちびすけが妙なこと言うんだよ。お前さんの攻撃魔法の直撃に耐えられる人類は片手で数えられるくらいしか居ないだろう、それで男性の老人となると、それはもう帝国のフールーダ・パラダインしか居ないんじゃないかってさ」

 

 そんなわけないよな、とハハハと笑ってみせたガガーランに、ナーベラルのきょとんとした返答が彼女の耳を打った。

 

「いえ、そのフールーダ・パラダインで合ってるわよ。そう名乗ったものあのジジイ」

 

「「……マジで?」」

 

 その言葉を聞いて、ガガーランとイビルアイは完全に硬直した。

 

 

 ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは苛々していた。

 フールーダ・パラダインが無事帰還したのはいい、朗報だ。だがそのフールーダが、謝罪はおろか報告にすら姿を見せず、己の執務室に籠もって直弟子達まで総動員で、なにかしら調べ物をし出したというのはどういうことだ。

 流石に気まずいので何事もなかったように通常業務に戻るつもり……そんなことはありえない。あの老人はそんなタマではないし、謝罪を先延ばしにして良いことがあると思うほど馬鹿でもない。そもそも直弟子達まで通常業務を放り出して師匠の命令に拘束されているため、他部署から苦情が出る始末であった。

 ぎりっ。音を立てて歯ぎしりすると、側に控えた秘書官が身を竦ませた。不味い、冷静に……などと思うも、ジルクニフの怒りは収まらぬ。謝罪をしろとまでは言わないが、報告には来るべきだろう、でないとこちらが対応を決められない。

 

「おいっ、フールーダ!!いったい何がどうなっているのだ、私にも分かるように説明しろ!」

 

 業を煮やしたジルクニフが、フールーダの執務室に怒鳴り込むと。フールーダは一瞬ちらりと視線を上げてジルクニフの姿を確認すると、すぐに手にしていた書物に目を落とした。彼の机の上には付箋の挟まれた古文書が山と積まれており、部屋の中をその直弟子達が本の山を積んだり崩したり、慌ただしく走り回っている。

 

「……なんだ、ジルか。今忙しいのでな、後にしてくれ」

 

 面と向かってジルと呼ばれたのは、子供の時分の教育係時代以来のことである。ジルクニフは一瞬面食らって、しかしすぐに怒りが沸騰してくるのを感じた。

 

「ふざけるな、じい!いいか、私は怒っているのだぞ!!とにかく事情を……!!」

 

「やかましいわ、この小僧ッ子が!!いまは私があの御方に弟子入りを認めて頂けるか否かの瀬戸際なのだ、すっこんでおれッ!!!」

 

 だが、激高して放たれたジルクニフの叫びに答えたのは、彼のそれを遙かに凌駕する迫力が籠もった怒号であった。その声の凄まじさに一瞬びくりと首を竦めたジルクニフ、売り言葉に買い言葉で激怒するかと思えば、気づいてしまった。

 ジルクニフは元々人類有数の知恵者である。それだけに、フールーダが今し方叫んだ僅かな情報で、様々な事情が推察できてしまうのだ。

 

(あの御方……それは当然、じいが会いに行ったアダマンタイト級冒険者ガンマ殿のことだ。彼女にそれだけの敬称を使うと言うことは、実際に会った結果、彼女の方がじいより格上の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だったということか?)

 

 アダマンタイト級冒険者ガンマは、フールーダ・パラダインより格上の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だった。この一点でも、帝国の戦略を根幹から揺るがしかねない一大事である。

 

(そして、弟子入りを認めて貰うだと……?それはつまり、彼女がじいに出したであろうなんらかの条件をクリアすれば、ガンマ殿がじいを弟子と認め、帝国に来てその教えを教授してくれるということか?)

 

 それが本当なら、確かに皇帝どころではない一大事だ。実に身勝手極まりない短絡的な行動だったが、帝国の命運を左右する重大事を良い方向に転がす確かな実りをつかみ取ってきたことになる。……無論、ナーベラルは帝国に来る約束などしていないし、フールーダもいざとなったら帝国など放り出して彼女に付いていく気満々ではあるのだが、そこまではジルクニフには想像がつかない。

 ともあれ、フールーダの行動はジルクニフの神経を逆撫ですること極まりなかったが、それもやむなしと思えるだけの事情が類推できてしまった。フールーダ・パラダインより上位の魔法詠唱者(マジック・キャスター)ガンマを帝国に招聘する。彼がその目的のために動いているとすれば、それは確かに魔法省の雑務が滞るとか、皇帝の相手を放り出すとか、そんなことはどうでもいいくらいの最優先事項である。

 こうしてジルクニフは何も言えなくなってしまった。常識を投げ捨てた方が強いという、残酷な世間の真実である。

 彼の懊悩は、フールーダに遅れること三日、それでも強行軍を繰り返して急ぎ帝都に帰還した『フォーサイト』から詳細な報告が上がってくるまで続くこととなる。

 

 

「えっと……ごめんなさい、ちょっと意味が分からないわ」

 

 ラキュースはそう言って嘆息した。

 余人に迂闊に聞かれたくない話題なのだが、いつもだったら防音結界を張ってくれる筈のイビルアイがフリーズしたまま動かないので、しょうがないから場所を宿屋の部屋に移している。蒼の薔薇の一同とナーベラルが勢揃いしているが、当然ハムスケは置いてきた。イビルアイはベッドに座ってフリーズしたままだが、他の面子は車座に座っている。

 

「えっと、この前、突然ガンマさんに襲いかかってきたという老人が?『王都の怪人』で、正体は帝国のフールーダ・パラダインですって?」

 

 ラキュースに実感がわかないのも無理はない。蒼の薔薇のうち彼女だけはフールーダを一度も目撃していないのである。まあそれだけに、客観的な判断ができる立場にいるとも言えるが。

 

「……そう自称しただけの別人という可能性はあるのかしら?」

 

 あまりに荒唐無稽な話なので、部外者が聞いたらまず疑問に思うようなことを口にする。一同の視線がナーベラルに集まるが、彼女は肩を竦めてかぶりを振った。

 

「私に分かるわけないじゃない、そんなこと。最低でも<飛行>(フライ)が使えて、<龍雷>(ドラゴン・ライトニング)が直撃しても生きていて、帝国から追いかけて人が来る、そんな奴が他にも居るなら別人かもしれないけど」

 

 それを聞いて一同は顔を引きつらせた。そんな生物がそうそういるとも思えない。そこに、ナーベラルの追い打ちが襲い来る。

 

「ああ、そうだ、あとあいつの異能(タレント)。有名なんでしょう、フールーダ・パラダインのタレントって?少なくともあのジジイがそれと同じタレントを持っていたのは確かだわ、そうでないとアイツの行動に説明がつかないもの」

 

「成る程、タレントね……流石にそれは簡単に真似できるものじゃないよなあ……」

 

 ガガーランが重々しく相槌を打つと、一同は唸った。ティナがふっと思いついたことを呟く。

 

「ん?フールーダ・パラダインがそのタレントで確認した結果あの態度ってことは……」

 

 英雄の領域に到達している”逸脱者”フールーダ・パラダインが、人間が個人で使いうる最高位として第六位階魔法まで到達していることは彼の伝説として有名な話である。その彼がひれ伏して押しかけ弟子をしようとしていたその相手なら。

 

「……最低でも第七位階に到達している、ってこと……?」

 

 ティアが引き取ると、戦慄を込めた視線がナーベラルに集まった。薄々気づいていたこととは言え、改めてこのように直接的な証拠が出てくるとなんと言っていいものか分からない。ナーベラルは頭を掻いた。タレントなんて代物のせいで、本来明かすつもりの無かった手札が妙なところでばれてしまった。どうしたものか。

 

「……じゃあその老人がフールーダ・パラダインだったのは確定として。その彼が何をしに王国へ潜入してきたのかしら」

 

 気を取り直したラキュースが話題を変えると、一同は頭を抱えた。常識では測れない行動なので、常識的に推定することは難しいのだ。

 

「まあ、その……ガンマの顔を見に来た、としか思えないんだが」

 

 ガガーランが彼の行動を思い返してそう言うと、ラキュースが疑問の声を上げる。

 

「そんなことのために、帝国一の重要人物が、戦争中の敵国へ、お供もつけずに一人で?ありえないでしょ、いくらなんでも」

 

 繰り返すことになるが、そもそもフールーダの行動が常識に即していないので、常識にとらわれた人物が類推しても決して真実には辿り着けない。

 

「そんなこと言っても。ボスは見てないからわからないんだろうけど」

 

「あの変態がフールーダ・パラダインと言われるのがまずありえない」

 

 忍者姉妹が口を揃えてガガーランを擁護する。ラキュースは己が信じてきた常識にヒビが入る思いでため息をつく。彼の奇行とやらを一人だけ目撃せずに済んだ自分は幸運なのかどうか。

 考え込んだ一同の間に沈黙が落ちたその時、部屋の扉を遠慮がちにノックする音が聞こえてきた。

 

「どうぞ?」

 

 ラキュースが呼びかけると、従業員の女性がおそるおそる部屋の中に入ってきて、ナーベラルの姿を確認すると一礼した。

 

「王国戦士長様からの御伝言を預かっております。『お探しの手がかりを発見したかも知れない。ぬか喜びさせることになるかもしれないが、自分達では判断が難しいので、一度確認に来て欲しい』……以上でございます」

 

 

 




 素直じゃないキーノちゃんが書き易すぎる件。
 ベッタベタなツンデレに筆が乗る乗る( ´∀`)

1/31 誤字報告適用。感謝!


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第四十一話:決壊

 
前回のあらすじ:
\  /  帝国では常識に囚われては
●  ●  いけないのですね!
" ▽ "  



 ナーベラルの反応は激烈だった。

 言われた内容を咀嚼するのに一瞬を要したが、理解した瞬間がばと立ち上がり、手荷物をひっつかんで宿屋の外に突進する。別れを告げる手間すら惜しんだ早業に、伸ばしかけたラキュースの手の平が虚しく空を切った。

 

 宿屋の外に飛び出るや、駆け寄ってきたハムスケに飛び乗って、通行人の迷惑も何のその、王宮に向かって疾駆させた。初めて訪れる王宮の、正門前に駆けつけて、巨大な魔獣の突進に身構える門番の目の前でハムスケから飛び降りると、端的に用件を告げた。門番は彼女の首から下がったアダマンタイトのプレートにちらりと目をやって頷くと、しばらくお待ちくださいとだけ告げる。

 ナーベラルにとって永遠にも思われた待ち時間は実際には五分弱。可及的速やかに門番が連れてきた案内人に従って、ハムスケには大人しくしてなさいとだけ告げて門番にその世話を任せ、案内されたのは彼女一人を迎えるには大仰な大広間である。

 

 そこに一人の男が立っていた。その後ろには使用人らしき複数の人影があるが、この場で一番偉いのがその男であることは疑いようがない。

 完璧な身嗜みを整えた、まさに大貴族と言うに相応しい出で立ちの男だった。香油を塗った金髪を丁寧に撫でつけて、その怜悧な眼光はさながら獲物を睨む蛇のそれである。ほっそりとした顔立ちは全体的に整っているが、どことなく薄気味悪い印象を見る者に与えていた。服装は見るからに豪奢であり、金糸で見事な刺繍が襟元、袖口、裾周りに施されており、ボタンには小粒の宝石があしらわれている。公式の謁見にも耐える最高級の服を見事に着こなしたその男は、案内されてきたナーベラルに向けて一礼した。

 

「……これはガンマ殿。お初にお目にかかる。私はエリアス・ブラント・デイル・レエブンと言う。王国では侯爵の爵位を授かっている。以後お見知りおきを」

 

 レエブン候の丁寧な挨拶に素っ気なく頷くと、ナーベラルは周囲をきょろきょろと見回しながら問いかけた。

 

「……ストロガノフはどこ?」

 

 ぞんざいな応答に、本人よりもむしろ周囲の使用人達が気色ばんだが、レエブン候はそれを手で抑えると言った。

 

「まあ、特に時間を決めて約束したわけではないので申し訳ない。我々としても、君がこれほど早く来るとは思っていなかったのでね……戦士長は先程、他人任せにはできぬ火急の用件で出払ったところだ……おっと、そのように心配する必要はないですぞ」

 

 ガゼフが不在と聞いて焦れたように身じろぎしたナーベラルに、レエブン候はにこりと笑いかけた。朗らかと言うには程遠い不気味な笑みだったが、特に他意はないらしい、それどころかこの男にはよく似合っている笑みだった。

 

「戦士長が言付けたメッセージの内容は、私も把握している。そもそも戦士長にその内容を伝えたのも私の方からなのだ。……君は、別に戦士長に会いに来たわけではないのだろう?良ければ私の方から伝言の内容について説明させて頂くが、構わないかね?」

 

 その言葉を聞いて、ナーベラルは一も二もなく頷いた。話すのが誰であろうと、情報さえ聞ければ彼女にとってはどうでもいい。

 その様子を見て頷き返すと、レエブン候は説明を始めた。

 

「まず、これだけは把握しておいて頂きたいのだが。私たちはなにも、『ナザリック地下大墳墓を発見した』などと言った覚えはない。あくまでも、その手がかりとなるかも知れない異常事態を検知したので、君に知らせて自分で判断して貰いたいと思ったに過ぎない。ここまではいいね?」

 

「ええ、わかってるわ。違っても怒ったりしないから、勿体ぶってないで早くその内容を教えてちょうだい」

 

 焦らされて苛々する様子のナーベラルを宥めるように両手を下に向けて押さえると、レエブン候は続ける。

 

「……先日上がってきた報告によれば、王国某所にて、近隣住民が所在を認識していない謎の遺跡が突然に出現したということだ。近隣住民への聞き取り調査によれば、最低でも()()()()()()()()()()()()()()()()()()忽然と現れたとしか思えない謎の建造物が出現したということらしい」

 

 どくん。

 ナーベラルは心臓の鼓動が高まるのを感じた。固唾を呑んで続きを待つ。

 

「露骨に怪しい遺跡なので、未だ調査の手も入れてはおらず、その前に私の方まで判断を仰ぐ報告が上がって来たわけだが……その報告を受けて、私の頭に閃くものがあったのだよ。その遺跡がある日突然現れた、というのであれば、その建造物は()()()()()()()()()()()ものなのではないかとね。

 ……そういうわけで、内部に関する情報は勿論、外観すら私の方ではろくに説明ができない状況なのだが。どうかね、興味が湧いたかな?」

 

 ナーベラルは高まる鼓動を宥めながら緊張に喘いだ。とうとう十分なレベルで期待に値する情報が現れたのだ。むしろ、これまで幾ら調べても影も形も見えなかったナザリック地下大墳墓が実はどこそこにありました、と言われるよりも余程信憑性があるように思われた。

 深呼吸して必死に気を落ち着かせる彼女を、レエブン候は黙って見守る。

 

「……ええ、とても、興味があるわ。それはいったい何処なの?」

 

 やっとの思いで吐き出したナーベラルの返答に、レエブン候はうむと頷いた。

 

「お役に立てそうで重畳だ。……おい、地図を」

 

 レエブン候は使用人の一人から地図を受け取ると、テーブルの上に広げた。ナーベラルがよろめくようにそろそろと近寄ってくるのを待つ。

 ナーベラルが頭の中で自分がまだ行っていない所は何処だったか考えながらレエブン候の手元を覗き込むと、レエブン候は左手で地図の一点を指さした。

 

「……謎の遺跡の出現が報告された地点は、ここだ」

 

「ちょっと、手が邪魔でよく見えないわ。場所はわかったから指をのけて……」

 

 覗き込んだ角度が悪かったのか、レエブン候の手が邪魔で地図の何処を指しているのかいまいちわからない。ナーベラルは焦れた様子で頭を動かし、なんとかレエブン候の手元を覗き込もうとする。

 その時、広間の扉が勢いよく開け放たれた。

 

「ガンマ殿!!」

 

 飛び込んできたのは王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフであった。

 

 

 遡ること三日前。

 

「馬鹿なッ!!」

 

 リ・エスティーゼ王国最強の男が吠えた。激高のあまり放たれた怒号が空気を震わす。それほどまでに理不尽な、承服しがたい命令であった。

 

「ガンマ殿をどのような手段を使ってでも王国に迎え入れろ、それはいい。が、どうしてもそれが叶わぬ時は……」

 

 復唱することすら躊躇われるその非情な台詞を、目の前にいた男が引き取った。

 

「……ガンマなる魔法詠唱者(マジック・キャスター)を王国に取り込むこと能わざる時はその者を殺せ。手段は問わぬ、そう言ったのだ戦士長」

 

 エリアス・ブラント・デイル・レエブン侯爵。王国の大貴族で最も頭の切れる男である。たまらずガゼフは己が剣を捧げた主君を仰ぐ。

 

「陛下も……同じ考えなのですかッ!?」

 

 リ・エスティーゼ王国の現国王、ランポッサⅢ世は沈痛な面持ちで、だがはっきりと肯定の意思を込めて頷いた。

 

「うむ、その通りだ戦士長。レエブン候の論旨は単純にして明快、余に反駁の余地を許さぬ」

 

「わかりやすく順を追って話そうか戦士長?まず、我々リ・エスティーゼ王国が提供できるもので、その者の興味を引くものは無い。ここまでは合っているな?」

 

 ガゼフは同意した。ナーベラルは金銭、名誉、権威と言った人の世のしがらみにまるで興味を示さなかった。彼女が唯一欲したのは、故郷に関する手がかりのみであった。

 

「その者が唯一欲しがった、グレンベラ沼沢地に存在するナザリック地下大墳墓なる遺跡の情報であるが……手を尽くして調べさせたが、王国の領土内にそのような建造物がないのは勿論、どのような文献にもその場所に関する手がかりは見つけられなかった」

 

「であれば、放置なさいませレエブン候!ガンマ殿は人の世のしがらみに興味がありませぬ、帝国への対抗手段とできぬのは無念ながら、我々に害を及ぼすようなことはないでしょう!」

 

「はたしてそうかな?」

 

 ガゼフの言葉を浅はかと断じ、レエブン候は口元を歪めた。

 

「我々は彼女を懐柔することができぬ。では帝国も同じようにできぬと、なぜそのようなことが断言できるのだ?我々が情報をつかみにくい、帝国の反対側の辺境に存在したら?帝国の図書館に手がかりとなるような文献が存在したら?それとも、かのフールーダ・パラダインが魔法で探ることを可能としたら?」

 

「それは……」

 

 言葉に詰まるガゼフを、レエブン候が冷たく見据えた。

 

「仮に帝国がなにがしかの手がかりを提供できる、そう仮定してみようか。できぬと断言する根拠がないのなら楽観は禁物だ、違うかね?それで鮮血帝がこう言うとしよう、『やあガンマ殿、貴殿のお探しの手がかりはここにありますぞ、引き替えに次の戦で我々に協力してくれないだろうか』と。それでどうなると思う?」

 

「……」

 

 ガゼフの額を汗が伝う。

 

「君の報告を私なりに解釈すると、ガンマなにがしは王国に敬意はなく、遠慮もしがらみもない。人殺しを躊躇する理由もない。我が国の誰かに縁も恩義もない。ないないづくしだ。それに、先の審問会だったか、アダマンタイト級冒険者という地位もいつでも捨ててやると言ってのけたそうだな?つまり冒険者組合は人間同士の戦争に関与しない、そういった予防措置もその者を掣肘する鎖にはならぬということだ。おまけに、先日起こった謎の『王都の怪人』騒ぎでは、街中で攻撃魔法を無遠慮に放って周囲を破壊したとか?

 ……今年の秋にカッツェ平野に出てくる様子が目に見えるようではないかね?」

 

 それは飛躍しすぎだろう、そう言いたかったがガゼフは反論できなかった。最初の仮定、すなわち帝国が彼女の故郷の手がかりを見つけること。そこさえクリアされれば、いかにもありそうな事態だということはガゼフにすら疑いを挟む余地はなかった。

 

「では次に、その女が戦場に出てきたとしよう。何が起こると思うかね?」

 

 レエブン候はガゼフの顔を覗き込んだ。ガゼフの内心で最悪の想像が羽ばたくのを確かめるかのように。

 

「……我が国の貴族共は、魔法詠唱者(マジック・キャスター)に対する認識が甘いのは否めないところだ。事実、フールーダ・パラダインが戦場に出てきて兵隊を虐殺していったような事例はこれまでに存在しなかった。だから魔法詠唱者(マジック・キャスター)が戦場でできることなど知れている……本当にそうかな?」

 

 レエブン候は芝居がかった身振りで手を広げ、ガゼフに言い聞かせるように言葉を重ねる。

 

「フールーダ・パラダインが戦場に出てこないのは、役に立たないからか?それとも換えの利かない重鎮が戦場で万一のことがあれば困るからか?

 後者であれば、帝国側にフールーダ、そしてガンマという駒が揃えばどうなるか?……戦士長殿の報告では、スレイン法国の陽光聖典、戦闘訓練を積んだ精鋭揃いだそうだな、彼らを瞬く間に壊滅してのけたとか。そのガンマがその気になれば、王国の兵士を何人殺せるのだろうな?」

 

 レエブン候は沈黙するガゼフを見つめる。

 

「これは戦場のことだからな、そなたの見識を正式に問うているのだ。いったいガンマは、戦場で何人の首級を上げられると思う?」

 

「……王国が例年通りの運用であれば、どんなに少なく見積もっても千は下らないかと」

 

 ガゼフは今も脳裏に焼き付いている、<電撃球>(エレクトロ・スフィア)の雨を思い起こしながら苦しげに答えた。

 

「……随分と可愛らしい見積もりだな、戦士長?本当によく検討した結果かね?お主が見たことがあるのは確かに第五位階の魔法までかもしれんが、先日の騒ぎではそれ以上の魔法を使ったのではないかという話すらあるのだぞ?」

 

 レエブン候はガゼフを睨め付けると、自身の台詞におののいて身震いする。一方ガゼフは沈黙を守ったが、それに構わずレエブン候はひとつ咳払いをして先を続けた。

 

「ふん、まあ良かろう。……開戦直後にそれだけ一方的に被害を受ければ、元々徴兵されただけの一般市民だ、一瞬で瓦解するな。帝国騎兵の追撃に蹂躙されて、死者は数万に上るかもしれんな。わかるか戦士長?要するに、ガンマの扱いこそは王国の命運を左右する重大事項なのだ」

 

「……無論です」

 

 ナーベラルの扱いを間違えると王国が滅ぶ、そこに異論はない。だが結論が。

 

「我が国に所属するのなら厚く用いてくれよう、そこに至る懸案の処置は私に任せて貰って問題はない。だが、どうしてもそれが叶わぬのなら、王国の為政者としてそれを放置することは決して許されないのだ。人倫だの貸し借りだの、個人的な主義主張で(まつりごと)を損なうことはできん」

 

 ガゼフは重い表情で沈黙する。ここであっさりはいそうですかと言えるような人物であれば、そもそもスレイン法国があのような罠を張ることはなかったであろう。譲れぬ信念と王国戦士長としての責任がせめぎ合い、ガゼフの苦悩は深まった。

 

「……陛下?」

 

 それまで発言をレエブン候に任せ、沈黙を守っていたランポッサⅢ世がゆっくりと立ち上がると、ガゼフの前に歩み寄る。怪訝そうなガゼフに向けて、両の手を床につき、土下座した。

 

「陛下!?」

 

「……戦士長の苦しみ、余には察して余りある。が、そこを曲げて頼む。王国数百万の民のため、己の節を曲げてはくれぬか」

 

 剣を捧げた主の無様な姿に、さしものガゼフが狼狽した。

 

「陛下、とにかく頭をお上げください!そのようなことをされては困ります!」

 

「上げぬ。そちが頷くまでは上げられぬ。余にできることはこのようなことしかないからだ。愚かと笑うてくれ」

 

「……陛下……!!」

 

「責任は全て余が引き受ける。お主の罪は全て余のものだ。この国を滅ぼさぬ為に、そなたの協力が必要なのだ」

 

 動揺するガゼフを、レエブン候の声が打ち据える。

 

「戦士長!そなたはいつまで陛下にこのような格好を強いるつもりだ!?」

 

 まあ控えめに言っても脅迫であるが、効果は覿面であった。顔色を青くするガゼフに、レエブン候は猫なで声で語りかけた。

 

「そう難しく考えるな、戦士長。それが嫌ならなんとしてでもガンマを籠絡すればよいのだ。それさえ叶えば万事めでたし、我が国は帝国に対抗するための切り札を手に入れ、泥沼に沈みゆく窮地から脱する展望が開ける。そなたは命を救われた恩義を十全にして返すことができる。ガンマはこの異国の地で確かな足がかりを得る」

 

 詭弁だ、ガゼフは思う。彼女はそんなものを望んでなどいないだろう。手段を選ばずなど、本人を直接見ていないものの戯れ言でしかない。だがそれでも。

 険しい顔で黙り込むガゼフに、レエブン候は今度は強い調子で怒声を浴びせる。

 

「……無論、どうしても嫌ならばそなたに無理矢理剣を振らせることはできまい。その場合はそなたの王国戦士長の任を解く」

 

 ガゼフがはっとレエブン候を見ると、レエブン候は怒気を込めてガゼフを睨み付けた。

 

「王国より貸し与えられた秘蔵の装備を返すがよい。この件にカタがつくまでは、そなたの身は拘束させて貰う。血迷ってこちらの計画を漏らさんとも限らんからな。後は我々がなんとかしよう。そなたの協力抜きでは成功率が大きく下がるであろうが、そなたがそんなに王国を危険にさらしたいというのであれば仕方あるまいて」

 

 その台詞に込められた覚悟に、ガゼフは息を呑んだ。目の前の男は止まらない。自分では止めることができない。自分が協力しなかったときは、宣言通り自分抜きで実行し、返り討ちに遭って王国を滅ぼしかねない。

 ……だがそれでも。

 

「……できませぬ。陛下、どうかお考え直しを」

 

 それでも決して、譲れないものがある。ガゼフ・ストロノーフとはそのような男であった。沈痛な表情でガゼフがその言葉を喉から押し出すと、レエブン候は同じく沈痛な面持ちでため息をついた。

 

「ここまで言っても駄目か。それでは仕方ないな。……おい、戦士長を拘束せよ」

 

 その言葉に従い、レエブン候子飼いの兵士達が恐る恐るガゼフを押さえつけ、その武装を解除する。部下の手で差し出された”剃刀の刃(レイザーエッジ)”を受け取ると、レエブン候はその刀身を鞘の上から撫でて再びため息をついた。

 

「安心せよ、ガゼフ・ストロノーフ。……お主は王派閥の大事な切り札だ、このような意見の食い違いでその身分を剥奪するようなことはできぬ。しばらく身体を休めているがいい、なにもかも決着がついた後でならばそなたも諦めがつくだろう。その時には再び陛下のためにその腕を振るって貰いたいものだ」

 

「馬鹿なことを。……陛下、お考え直しください、陛下!」

 

 ガゼフは四人がかりでその場に身体を拘束されながら叫んだ。だが、ようやく頭を上げたランポッサⅢ世は、立ち上がってレエブン候と共に退室するまで、彼と目を合わせようとはしなかったのである。

 

 

「ガンマ殿!!罠だ、逃げてくれ!!」

 

「……ストロガノフ?どうしたのその格好は……」

 

 広間入り口に詰めていた兵士に二人がかりで制止されながら、強引に身体を広間にねじ込んできたガゼフの叫びを耳にし、ナーベラルが首を捻って入り口の様子を不審そうに窺った。見慣れた戦装束ではない、その辺の農民と見紛う平服には剣すら佩いておらぬ。

 

(……予定通り、完璧なタイミングだ戦士長。でかした!)

 

 だが結局、自力で拘束を抜け出し囲みを破って駆けつけたつもりの、王国戦士長の乱入も、レエブン候の手の平の上で予定されたイベントに過ぎなかったのである。ガゼフに予定外の行動をされて事態を引っかき回されることを嫌ったレエブン候が、彼の行動をコントロールし、わざと情報を流し隙を作り。ナーベラルの到着から脱出して駆けつけるまでを、いかにも戦士長が自身の力で成し遂げたように演出したのであった。

 そしてレエブン候は、ナーベラルが余所見をした隙に悠々と、背後に回した右手で背中に隠したそれを握りしめ。

 

「!?」

 

 身体に感じた灼熱の衝撃に驚いたナーベラルが視線を戻すと、自身の胸元、乳房の下に水平に刺し込まれた”剃刀の刃(レイザーエッジ)”の冷たく輝く刃が目に入ってきて。彼女はきょとんとした顔でその光景を眺めたのであった。

 

 

 




 三十三話でガゼフが並べたてた推測は、大体この人の受け売り。

 さてここから実際ストレス展開なわけだが……
 正直前回の引きの時点で疑り深い人にはバレるんじゃないかなーと思ってたんだけど。
 実際疑ってる人も居たんだけど、全体に占める純真な感想の割合にオラすっげードキドキして来たぞ( ´∀`)!
 願わくば後二話でいいから極端な行動に出るのを待ってくれると嬉しいなー……

1/31 カッツェ平野の名称ミス修正。
2/24 固有名詞修正。



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第四十二話:ハムスケ対レエブン候

 
 エリアス・ブラント・デイル・レエブン
 本来の初期プロットでボス予定だったガゼフが、土壇場でどうしても首を縦に振らなかったため、急遽路線変更して大抜擢されたシンデレラボーイ。
 彼がボスを務めるSSなんぞ、今までもこれからもまず出てこないだろう……弱すぎて話にならないから。ガゼフがやる予定だった書きかけのシーンを半端に焼き直したせいで、読者に違和感をばらまく結果になってしまいましたとさ。




 胸元に差し込まれた”剃刀の刃(レイザー・エッジ)”がゆっくりとその刀身を横から縦へと捻られるのを、ナーベラルは呆然と眺めた。灼熱の痛みが胸元で爆発するに至り、まずいと直感してその手刀を走らせるが、それは些か遅きに失した。

 ナーベラルの手が”剃刀の刃(レイザー・エッジ)”を突き入れたレエブン候の右手を打ち据えるも、レエブン候はナーベラルの胸元からその刃を引き抜くことに成功する。明後日の方向に飛んでいった剃刀の刃(レイザー・エッジ)が音を立てて床に転がり、右腕の骨が折れたことを感じながらも、刀身が引き抜かれたナーベラルの胸元から血が溢れ出るのを目にしたレエブン候はにやりと笑った。

 

 一方、刃を引き抜かせまいとしてそれに失敗したナーベラルは、それ以上レエブン候に拘泥せず、目の前の机を蹴倒したその反動でおよそ十メートルも後方に飛び下がる。が、かるく着地する予定だったその先で、足に力が入らず無様に床に転がることとなり、それでも回転しながらその身を起こした。

 

「よし、よくやったぞ戦士長!()()()()()()()()()()()()()!」

 

 レエブン候の計算された叫びがナーベラルとガゼフの耳朶を打つ。ナーベラルが愕然としてガゼフの方を見やると、二人の兵士にしがみつかれたガゼフは狼狽した。

 

「ち、違うのだガンマ殿、私はそんなつもりでは……」

 

 呆然として関与を否定するガゼフ、その狼狽につけこんで、レエブン候の部下がさらに四名彼の下に向かい、六人がかりで取り押さえた。もうこの局面における彼の出番は終わりである、後は彼女を始末するまで大人しく見ていればいい。

 レエブン候が指を鳴らすと、弓を持った兵士達があるいは物陰から姿を現し、あるいは入り口から部屋になだれ込んできた。レエブン候の指示に従い、遠巻きにナーベラルを包囲する。

 

 ナーベラルはガゼフの方を見て口を開くと、その喉からは言葉の代わりに血が溢れ出た。

 

(よし、肺を傷つけたな。これで詠唱はできまい)

 

 レエブン候が冷徹な判断を下す間にも、ナーベラルは震える手で手元に空いた黒い穴から青色の治癒薬(ポーション)を取り出すと、流血で真っ赤に染まった胸元に押し当てた。

 

治癒薬(ポーション)か……そこまで即効性を期待できる物では無いはず、このまま一気に押し切る)

 

「各員構えよ!全員は撃つな、まず半数で射よ!」

 

<魔法無詠唱化(サイレントマジック)()矢避けの風壁>(ミサイル・プロテクション)

 

 レエブン候の命令に従い、半数の兵士が矢を放つ。その刹那、ナーベラルの周囲を暴風が吹き荒れて、射かけられた全ての矢は目標を逸れて周囲に散らばった。

 

「く、まだ魔法を使うか……!各員構え直せ、警戒を怠るなよ!」

 

 レエブン候は舌打ちすると、彼女の反撃を警戒して身構える。

 

<魔法無詠唱化(サイレントマジック)()伝言>(メッセージ)

 

 一方ナーベラルが次に行ったのは、<伝言>(メッセージ)を起動してガゼフに呼びかけることであった。無詠唱化すればかろうじてまだ魔法を使うことはできる。

 

<……ストロガノフ>

 

「これは……ガンマ殿!?貴女なのか!?」

 

 ガゼフが頭の中に響く声にはっとして顔を上げる。

 

「これは違うんだ、私は彼らを止めようと……」

 

 慌てて弁解を重ねるガゼフの言葉を、ナーベラルは乱暴に遮った。

 

<そんなことはどうでもいいわ!……()()()()()の!?>

 

 その言葉に込められた悲壮さを感じ、ガゼフの顔が苦悶に歪む。

 

「……彼らが貴女をなんと言って呼びだしたのか、私は知らないのだが……貴女がお探しのものが見つかったという話は聞いていない……」

 

 その返答を聞くと、ナーベラルは沈黙した。

 やがてその頬を伝った液体を見て、ガゼフは動揺した。

 

<……なんで、放っておいてくれないの?私はただ、帰りたいだけなのに……>

 

 涙と共に、ナーベラルの気持ちがあふれ出す。ガゼフに聞かせるつもりの台詞ではなかったが、<伝言>(メッセージ)が繋がったままのガゼフには、彼女の悲しみがダイレクトに飛び込んできて、その胸を抉った。

 

<がんばったのに!……ここまでずっと、がんばってきたのに!!なんでみんな、邪魔するの!?どうして!?>

 

 期待が大きかった分、それを裏切られたことの反動もまた大きい。ナーベラルの心を絶望が侵食していく。それは一晩慰められながらふて寝すれば治る類のものであったが、今この場で戦意を維持するには致命的な心の傷だ。

 

<なんで、騙そうとするの?なんで殺そうとするの?……どいつもこいつも、嘘ばっかり。人間なんて、嫌いだ……人間なんて、大っ嫌いだ……!!>

 

「が、ガンマ殿……」

 

 彼女の悲痛な叫びに返せる言葉があろう筈もなく。ガゼフは呻いた。その会話は聞き取れぬながら、その様子を冷徹に見つめるレエブン候。別にお涙頂戴の一幕を徒に待っていてやったわけではない。彼女の反撃を警戒しながら、防御呪文の効果時間が切れるのを待っているのだ。

 見たところナーベラルの傷はそれだけで殆ど致命傷、手当さえさせなければ追い打ちをかけるまでもなく死ぬ。治癒薬(ポーション)を使ったとはいえ、どんな傷でも治す魔法の薬ではない、出血を抑えて死期を引き延ばすのがせいぜいだ。後は息絶えるまで逃がさぬことだ。たとえこのまま矢を当てることができずとも、にらみ合いを続けるだけでナーベラルは死ぬだろう。レエブン候は折れた右腕をだらりと下げて、ナーベラルの口元から断続的にあふれ出る血を見ながら冷静に考える。

 

 だが、奇妙な均衡は、窓ガラスと共に破られた。

 飛び込んできたのは白銀の魔獣、ハムスケである。

 

「姫!大丈夫でござるか!しっかりするでござる!!」

 

「森の賢王――!!」

 

 トブの大森林に棲息する伝説の魔獣の乱入に、兵士達の間に緊張が走る。レエブン候はそれを押さえつつ、虚ろな目つきで脱力するナーベラルを抱きしめて話しかけるハムスケを観察した。

 

(血の匂いを嗅ぎつけて異変を察し、駆けつけてきたか。知恵ある魔獣とはなんとも厄介な物だ……)

 

<ハムスケ……もういいわ、あんたは逃げなさい>

 

「嫌でござる!それがしは姫の僕、ここで姫を護るでござるよ!!」

 

 先程のガゼフと同じく、どうやら魔法によって声をださずに会話しているらしい。ハムスケの台詞からすれば、ナーベラルが自分を置いて逃げろといい、それを拒否したというところであろうか。そうであれば話は簡単、状況は何も変わらない。

 

「貴様らぁー!!許さんでござるッ!!!」

 

 ハムスケが吠える。その圧力に囲んだ兵士達が狼狽えたように一歩後ずさった。

 

「落ち着け、狼狽えるな!()()()()狙って射よ!」

 

 レエブン候はあくまでも冷静だった。部下達よりも、ハムスケに聞かせるために叫ばれたその指示は、ハムスケがそれを聞くやがばっとナーベラルの体に覆い被さり、己の体を盾にすることでレエブン候の目論見通りとなる。

 

 先程と同じく、半数の手から矢が放たれ、ハムスケに殺到する。だがハムスケに届くかと思われた矢は全て、見た目からは想像もつかないほど強靱な外皮によって完全に弾かれた。レエブン候は思わず舌打ちするが、これは想定の範囲内だ。

 

「再び矢をつがえて待機!()()()()射線が通り次第、各自の判断で射よ!」

 

 再びハムスケに聞かせるための命令を叫ぶ。これでハムスケは事実上その場から動けない。ハムスケが幾らガードしようと、既に意識朦朧としているナーベラルが死ぬのを待つだけでよい。

 

(むしろ、問題はガンマが死んだ後か……あの魔獣に怒りに任せて暴れられれば、多数の死者がでることは避けられまい)

 

 そう考えると、自然と顔が六人がかりで拘束されている戦士長の方を向く。が、ガゼフはもはや死人と見紛うような顔で自分の世界に閉じこもっている。このような目に遭わせておいて戦線に参加しろと言うのもまあ酷な話か。

 

(これはやはり、私の裁量でなんとかせねばならぬか……目標は、ガンマが死ぬ前に、森の賢王を殺すことか)

 

「クロスボウを持て!」

 

 レエブン候がそう叫ぶと、やがて大型のクロスボウが運び込まれてきた。人力で弦を引くことが困難なため、巻き上げ式機構がついた強力なものである。

 その間、ハムスケが何度か飛びかかろうとするが、抱え込んだナーベラルに狙いをつけて牽制されると、唸りを上げて庇い直さざるを得ず、動くに動けない。

 

「撃て!」

 

 レエブン候の命令に従い、クロスボウから矢が発射される。

 その瞬間、風切り音と共にばしんと音がし、たたき落とされた矢が床に転がった。

 

「尻尾か……!?」

 

 矢を防いだのはひゅんひゅんと音を立てて鎌首をもたげた、ハムスケの尻尾である。部下の動揺を手で押さえ、レエブン候は内心ほくそ笑む。所詮は悪足掻きに過ぎないし、能動的に防いだと言うことは、外皮で止める自信がなかったということだ。それはこちらにとって有利な情報である。やがて最初は一丁だった大型のクロスボウが、兵士達の手によって次々とその数を増やしていく。その数が五丁に達すると、レエブン候の怜悧な笑みが深くなり、ハムスケが歯ぎしりして唸りを上げた。

 

「全てのクロスボウを巻き上げて同時に射よ!奴が避けたらガンマに当たるような射線を取ることを忘れるな!弓箭兵はそのまま待機、ガンマに射線が通ったら各自の判断で撃て!」

 

 指示に従ってクロスボウが巻き上げられ始める。こんなことならクロスボウを最初から準備しておけば良かったようなものだが、計画時点では連射の遅さが致命的すぎると思って、普通の弓箭兵しか用意しなかったのである。まあそれも取り返しがつく範囲内のことだ。

 

「レエブン候、準備整いました!」

 

「よし、構え!狙いをつけよ!……撃て!」

 

 レエブン候の号令一下、五丁のクロスボウから矢が放たれる。ハムスケが必死に振り回した尻尾が唸りを上げると、一本の尻尾で二本の矢が逸らされたのは見事な物であったが、残り三本のうち二本が森の賢王の鉄板の硬さを持った外皮を貫いてその体に突き立った。最後の一本は角度が悪かったのか、体表を滑って逸れていった。

 突き立った矢から血が滲み、ハムスケが痛みに叫びを上げると、レエブン候はよし、と頷いた。クロスボウなら威力は十分、もう一・二度斉射すれば、もはや脅威とならないレベルまで森の賢王にダメージを与えることができるであろう。

 

「すぐさま次射の用意にとりかかれ!弓箭兵は待機続行!」

 

 命令に従い、兵士達がクロスボウの巻き上げにとりかかる。ハムスケはそれを、怒りと絶望の籠もったまなざしで睨み付けた。

 

「おのれこの卑怯者どもお!!……決して、決して許さんぞお!!」

 

「狼狽えるな、負け犬の遠吠えだ」

 

 憎悪の眼差しに怯える部下を一喝すると、レエブン候は内心安堵した。森の賢王が僅かでも恨みを晴らす可能性を求めるなら、今すぐナーベラルを投げ捨ててこちらに襲いかかってくることのみが唯一の道だ。だが森の賢王は、その忠義故に主を見捨てるようなことはできまい。例えその主がもはや手遅れであろうとも。……先程から彼女による魔法の援護はなく、既に意識を失っているのは間違いあるまい。

 

(その忠義、部下にも見習わせたいくらいで惜しくはあるがな……)

 

 それも結局、王国につかなかったガンマが悪い。レエブン候はその確信をもつ己に恥じるところはない。あのような魔法詠唱者(マジック・キャスター)を、野放しにすることが許される道理がない。今回の決断は、王国数百万の民の命運を預かる為政者として当然のことであった。

 

「レエブン候、準備整いました!」

 

「良し!総員構え!」

 

 レエブン候の号令により、三度クロスボウがハムスケに狙いを定める。ハムスケはもはや己にどうしようもないことを悟ったか、憤怒の眼差しで唸るのみである。

 

(さらばだガンマに森の賢王。恨むなら己自身の選択を恨むがよい)

 

 レエブン候は心の中でナーベラルとハムスケに別れを告げると、上げた左手を振り下ろして叫んだ。

 

「撃て!」

 

 そして最後の矢が、クロスボウから一斉に放たれた。

 

 

 




 三択――ひとつだけ選びなさい
 ①クールビューティーのナーベラルは突如反撃のアイデアが閃く。
 ②蒼の薔薇が来て助けてくれる。
 ③かわせない。現実は非情である。()()()()()()()()()()()()()()()()()

※とりいそぎ一点だけ
 これそういうネタであってアンケートじゃないんです……
 知らない人に勘違いさせてしまって申し訳ない。

2/2 前書きの言い訳削除。


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第四十三話:降臨

 
 前回最後に思わせぶりな文付け加えといてなんですが……
 ここはご都合主義でいいです。



「……は?」

 

 次の瞬間、レエブン候は目の前で起こったことが信じられず、瞬きを繰り返した。

 

 いつのまに、どこから現れたのか。その男はひっそりとハムスケの前に立ちふさがっていた。

 各所に飾りのついた豪奢な漆黒のローブを纏った、その姿は魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)のもの。顔には怒り顔か泣き顔を模したような、不気味な仮面。手には無骨なガントレットを身につけ、その指には赤い水の入った薬瓶が握られている。

 

 森の賢王の身体を貫くかに見えた五本の矢は、突如その前に立ちふさがったその男に代わりに突き立ち――刺さらずに、ローブの表面で止まっていた。

 一瞬の静止の後、ぽろぽろと矢が床にこぼれおちる。森の賢王の強靱な外皮すら貫いた大型クロスボウの矢が、男が纏ったローブの布一枚を貫けなかったのだ。

 

「な、いったい何が起こった……?」

 

 レエブン候は勝利の確信から突如として混乱の極みに叩き落とされる。男はそんな様子に構うこともなく、背後のハムスケと、抱きかかえられたナーベラルの方に向き直った。

 

 

「……ん、何処だここ?岩肌?山?外なのかよ、マスクつけてないぞ俺……って、なんじゃこの手は!?骨!?」

 

 山間部の裾野、周囲に人の目もない荒れ地。一体のスケルトンが一人漫才をしている。己の手を見つめて驚愕し、ぺたぺたと頭蓋骨の頬骨を触って飛び上がる。どこからともなく鏡を出すと、それに映った己の姿に仰天して硬直した。

 

「……落ち着け俺、この姿は明らかにアバターのモモンガだ。つまりユグドラシルのサービス終了手続きにトラブルがあったってことか?GMコールGMコール……って、利かねぇえええ!?……コンソール!……チャット!……システムアクセス!……強制終了!」

 

 スケルトンは、謎のジェスチャーを描いてパントマイムを繰り広げる。それはユグドラシル内部ではシステムメニューを開くためのアクション類であったのだが、この世界で何か反応を呼び覚ますことはなかった。

 

「ああ、くそっ!どういうことだ、何が起こった!?」

 

 スケルトンは地団駄を踏んで困惑と怒りの叫びを上げる。

 その身体から緑色の燐光が立ち上ると、糸が切れたようにその動揺はなりをひそめた。

 

「……ふぅ、なんだこれ。いきなりすっごく落ち着いたぞ。なんか無理矢理精神の動揺が抑圧されたみたいだ。もしかしてあれか、アンデッドだから精神作用無効化が適用されてるとでもいうつもりなのかこれは。……つまり、この肉体は、ゲームの性能に準拠した強さを持っているのか?」

 

 それからスケルトンは、立ったり座ったり、走ったり飛んだり。魔法を撃ってみたり、スキルを発動させたり。何かを確認するかのように思いつく限りの様々な行動を試し始めた。やがて十分に満足したのか、ひとつ頷くと腕を組んで考え込んだ。

 

「どうやら、この身体がユグドラシルで作成したキャラクターの性能を持っているのは間違いなさそうだ。……でもシステム的な一切合切が機能していないみたいだ。これはつまり、どういうことかと言うと……まさかな、いやでも他に説明が……マジ?」

 

 スケルトン――アインズ・ウール・ゴウンのモモンガが、最初の混乱から立ち直り、どうやら己が独りきりで、ゲームのアバターの姿と能力をもって異世界に転移したらしいということを認識したとき。次に選択した行動がそうだったのはただの気まぐれであった。

 

「この身体なら、世界の何処にでも行ける……!!」

 

 大空の彼方へ。深海の底へ。氷原の果てへ。火山の中へ。

 事実上無敵と化した、呼吸も睡眠も要らぬ、圧力にも温度にも有毒物質にも衝撃にも傷つかぬ己が身体の限界性能を試すかのように、観光気分で人跡未踏の地を踏破した。かつての仲間が恋い焦がれた大自然の驚異を全身で満喫しながら、モモンガは確かな満足感を覚えて極圏の探索を謳歌した。

 

 

 

「……いかん、このままでは人間の言葉を忘れそうだ!」

 

 大自然の神秘を堪能するのにも飽きが来た頃。自分が随分と長い間、他の生物と言葉を交わしていないことを思い出し、僅かに寂しさを覚えたモモンガはそのような独り言を漏らした。なにしろ、他の生物が存在できるはずもない極限領域ばかりを好きこのんで放浪していた為、自分以外の生物に長らく出会っていない。このままだと考えることすら忘れて、辺境民族のお伽噺に目撃談を語られるだけの怪奇現象にでもなってしまいかねなかった。

 

 モモンガは最初に自分が出現した場所に帰還すると(そこは結局、ナーベラルが出現したトブの大森林からそれほど離れてはいなかった)、趣向を変えて今度は人間社会の見物に行ってみることにした。

 必然によって己の名前をアインズ・ウール・ゴウンと定めたモモンガ改めアインズは、流れ者が就ける職業としての冒険者に興味を持つと、その実態に些か失望しながらもどのようなクエスト依頼があるのか見物していったところ、その張り紙に仰天することとなる。

 

 まず目に飛び込んできた物は「ナザリック地下大墳墓ないしはアインズ・ウール・ゴウンに関する情報提供求む。内容に応じて金貨千枚までの謝礼を用意しています」という現地語で書かれた依頼票。そこに後から付け足されたらしい張り紙に、拙い出来ながらも丁寧に描かれた手書きのアインズ・ウール・ゴウンの紋章。そして書き加えられた「王都に向かいます。プレアデスNo.3」という()()()()()()()()。思わず精神沈静化作用を働かせてしまい、周囲に訝しげな視線を向けられながら震える手でその紙を引っぺがすと、迷わず受付に向かってこの紙のことを訊ねた。

 

「ああ、それが気になりましたか?実は私共もよく分かっていないのですが。王国で一番新しいアダマンタイト級冒険者になられたガンマ様の依頼でその情報提供者を募集しておりましたのですが。彼女が王都にプレートの認定に向かわれる際、この用紙をできるだけ長期間張り出して置いてくれと少なくない代金を託して行かれました。……あなたは、情報を提供できると言うのですか?」

 

「あ、いや、俺は――」

 

 アインズが答え倦ねる間に、半眼になった受付嬢は更に言葉を重ねてきた。

 

「アインズ・ウール・ゴウンにとって最も重要な数字は幾つか御存知ですか?」

 

「……もしかして四十一のことか?」

 

 半ば反射的にそう答えてしまい、アインズはしまったかなと思ったが、それを聞いた受付嬢は手に持ったペンをぽろっと取り落とした。机の下にまで落ちていったペンに構うことなく、そのまま真剣な表情で身を乗り出してくる。

 

「あ、あのっ。あなたがその情報を御存知だというのなら、王都に行ってガンマさんに会ってあげてくださいませんか。その、本当に、必死に探しておられたんです」

 

 ナーベラル・ガンマ。ナザリック地下大墳墓に所属するNPCの名前を、実のところアインズは全て覚えているというわけではなかったが、それでも、九階層に配置された戦闘メイド姉妹(プレアデス)の名前が、姉から順にアルファ、ベータとつけてあったことくらいはさほど苦もなく思い出すことができた。プレアデスの三番目でガンマ。そこまで聞けば、見た目も、名前も自然と思い出した。

 つまりどういうことか。自分と同じプレイヤーではなく、ナザリック地下大墳墓のNPCが、自分と同じようにこの異世界に転移してきて、しかも自我に目覚めて自律行動を取っているというのか?

 

 アインズは受付嬢に礼を言ってその場を辞すると、人気のない路地裏に潜り込んで直ちに王都へ向かった。

 王都の冒険者組合に飛び込んでアダマンタイト級冒険者ガンマの所在を訊ね、紆余曲折あって王宮に呼び出されたらしいと聞けば、戻ってくるのを待つのに耐えられず、宿に部屋を取って顔面からフェイスフラッシュを撒き散らしながら遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)でいそいそと王宮内を覗き見し、ここでもない、あそこでもないと、鏡に映った視界を操作していくうちに……衝撃的な光景が目に飛び込んできた。

 考えている暇はない。アインズは一も二もなく、<転移門>(ゲート)を開くとその黒い穴に飛び込んだ。

 

 

「お……お主は、いったい何者でござる……?」

 

 傷ついたハムスケが呻くように問いかけると、仮面の男は言葉を発した。

 

「ナーベラルを護ってくれて感謝する、名も知らぬ獣よ。俺の名はアインズ。アインズ・ウール・ゴウンという」

 

 それを聞いたレエブン候の背を氷塊が滑り落ちるような悪寒が走り抜けた。

 

(ガンマの関係者か……!?)

 

 アインズ・ウール・ゴウン。それこそはガンマが探し求めていた二つの情報の片割れではないか。ガンマは人名のような使い方をしていなかった気がするが、この際それは大した問題ではない。

 そしてナーベラルという単語。文脈からすればガンマのことだと思えるが、ガンマがそのような名で呼ばれているという情報は聞いたことがない。つまり、それ自体がガンマの知人であるという証拠である。

 

「……それがしの名はハムスケ。姫の忠実な僕でござる」

 

「姫というのはナーベラルのことだな?俺はナーベラルの……主君だ。治療をするからナーベラルをこちらに寄越してくれ」

 

「助けられるのでござるか!?姫を……姫をよろしくお願いするでござる!」

 

 主君。新たな情報が入ってくる。その間にも呑気なやりとりをしている一人と一匹の隙を窺うが、まるで隙がない。正確には、どうみても隙だらけなのに、まるで攻撃が当たる気がしない。だが、レエブン候以外の人間はそうは思わなかった様だ。

 

「う……うわああああああああああ!?」

 

 男に何をされたというわけでもないのに高まっていく緊張感に耐えきれず、弓箭兵の一人が喚きながら矢を放った。まるで先程矢が止められたことなど覚えてもいないかのようだが、心理的に追い詰められた支離滅裂な行動であり、そこまで考えてのことではない。あるいは先程の光景はたまたまであり、繰り返せばいつかは刺さるとでも思ったのか。

 それに釣られて数人の兵が追随して矢を放つと、併せて四本の矢が男の黒いローブに突きたった。ように見えた。

 

「……いちいち鬱陶しいな……それに俺以外を狙われても面倒か。<矢守りの障壁>」

 

 倒れるでもなく、出血するでもなく。仮面の男は少しだけ苛ただしげにそう言うと、確かに魔法を唱えたようだったが、対峙するレエブン候達の目には何かが起こったようには見えなかった。

 変化は、もう一度別の兵が矢を射かけた時に現れた。その兵士が一本だけ、我慢できずに放った矢は、今度は仮面の男に到達することもなく空中で不自然に停止すると、ぽろりと床に虚しく転がった。

 

「……これで無駄だと分かったろう?少し待っていろ。お前達の相手は後でしてやる」

 

「ひっ……!!」

 

 なんらの反応も見せずに仮面の男が首だけを振り返ってそう告げると、兵士達は膝が笑い出すのを押さえることができなかった。それきり呆けたように事態の推移を固唾を呑んで見守る。

 

 仮面の男――アインズは、ハムスケからナーベラルを受け取ると、片膝を突いて横抱きに抱きかかえた。吐血で真っ赤に染まった口元に、同じく真っ赤な液体を注ぎ込む。

 だが注ぎ込もうとしたその液体は、全て虚しく口元を伝ってこぼれ落ちていった。アインズは慌てず騒がず、残りの液体を今度はナーベラルの胸元、傷口にばしゃばしゃと振りかけていく。

 瞬間、ナーベラルの体、正確には胸元の傷が輝いたように見えた。レエブン候は己の目を疑う。ナーベラルの体に空いた穴が塞がっていくように見えた。あの赤い水は治癒薬(ポーション)だったのか?いや、色はともかく、あれだけ深い傷を治しきる治癒薬(ポーション)など見たことも聞いたこともない――

 

「……そういえば、えらく簡単に俺のような怪しい奴を信用したものだな?胡散臭いとは思わなかったのか」

 

 傷が治っていくのを待つ間、アインズがそのようなことを問いかけると、ハムスケは首を振って答えた。

 

「それがしの知る限り、姫がナーベラルと名乗ったのは、この世でそれがしだけでござる!であれば、その御名前を御存知の殿は、姫にとって特別な御方ということでござるよ!」

 

 その返答を聞くと、アインズは感心したように頷いた。

 

「ほう……ナーベラルも結構色々考えていたのだな。そしてそれを知るお前は、ナーベラルが最も信用していたペットということか。よし、お前も飲むがいい、ハムスケ」

 

 アインズがそう言ってどこからともなくもう一本、小瓶を取り出すと、ハムスケの口元に持って行った。ハムスケが逆らわずにその液体を飲み下すと、矢の突き立った傷口が輝くと共に、矢が内から押し出されて抜け落ち、傷一つ無い毛皮が現れた。

 

(馬鹿な――こんな馬鹿な――!!)

 

 レエブン候が内心呻く間にも、ハムスケは立ち上がって喜色を浮かべ、アインズに礼を言った。

 

「かたじけないでござる!主の主であれば我が主も同然、それがしの忠誠を受け取って欲しいでござる!」

 

「うむ、ハムスケ、お前の忠義を受け取ろう……おかしいな、傷は塞がったしそろそろ起きてもいいと思うのだが……?」

 

 そう言って、アインズはやや不安そうにナーベラルの顔を覗き込む。彼女の顔は死人のように白いまま意識は戻らず、呼吸をしているのかも不安になる程微かである。

 

「顔色が戻らないでござる!姫は本当に助かるのでござるか!?」

 

 微動だにしないナーベラルと、それを心配そうに見つめるハムスケ。それには答えず、アインズは右手の人差し指をじっと見つめる。躊躇は一瞬。

 

「案ずるな、手はまだある。……指輪よ!」

 

 右手の人差し指を高々と掲げたアインズがそのように宣言すると、ガントレットの下からでも隠しきれない光がその指から溢れ出て、彼の足下を魔法陣が包み込む。

 

俺は願う(I wish)!ナーベラルを癒せ!」

 

 そして白い閃光が、周囲を埋め尽くした。

 

「おお……姫……」

 

 眩い光が収まると、ナーベラルの顔に赤みが差した。呼吸音が聞き取れるほど大きくなり、その胸がゆっくりと上下運動を始めた。ハムスケが驚きの声を上げる。

 

「良し、こっちの効果は万全のようだな。……しっ、ナーベラルが起きそうだ」

 

 アインズは片手を振って騒ぐハムスケを静かにさせると、両腕でナーベラルを抱き起こす。ナーベラルの瞼がぴくんと動き、その瞳が露わになる。焦点の合ってなかった瞳がアインズを映すと、意識の覚醒につれて瞳の端から涙があふれ出て来た。

 

「……モモンガ様……?これは夢なのでしょうか……?」

 

()()()()()だと!?その男はアインズと名乗ったのではなかったか!?)

 

 思わず内心でツッコミの叫びを上げてしまったレエブン候だが、それを実際に声に出す蛮勇の持ち合わせはなかった。そもそも先程から指一本動かせないほどの緊張を感じていた。僅かに視線を動かし、唾を飲み込むのが精一杯である。

 

「ナーベラルよ、夢ではない、私はここにいる。……よく今まで頑張ったな」

 

「モモンガ様……モモンガ様ぁ……」

 

 ナーベラルはそれだけ言うのが精一杯、といった体で、後は嗚咽を漏らしながらアインズの胸に縋り付く。彼女の瞳からあふれ出る涙を己の胸で受け止めると、アインズはそっとナーベラルを抱きしめて、その背中を優しく撫でた。

 

 

 




 何言っても裏目になる気がするんであとは本文のみで。





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第四十四話:死都リ・エスティーゼ

 
 グレンデラ沼地?グレンベラ沼地じゃなくて?
 自分のSSを見直す→グレンベル
 ( ´∀`)
 
 それはともかく、そろそろ補完していこうかなと。
 手始めにほぼ丸ごとカットした四十四話をこっそり挿入。



 縋り付くナーベラルをその胸に抱きしめて優しげに撫でる仮面の男。

 

 その姿は明らかに隙だらけの筈なのに、レエブン候は金縛りにあったように動けなかった。馬鹿馬鹿しいと思いつつも、動けば死ぬのではないか、そのような威圧感に圧倒されて声が出ない。

 

 王国の兵士達が全く動けない中、悠々とナーベラルを抱きしめて十分に慰めたアインズは、やがてナーベラルをゆっくりと床に下ろし、自分の足で立たせた。

 

「立てるか、ナーベラル?」

 

「はい、モモンガ様……お手数をおかけして申し訳ございませんでした」

 

「うむ、ところでその名前なのだが……今はアインズ・ウール・ゴウンと名乗っているので、お前もそれに合わせてくれ」

 

「左様でございますか、畏まりました……アインズ様」

 

 そうして完全に回復したナーベラルが一礼すると、アインズはゆっくりとレエブン候の方へ向き直った。

 

「さて……ウチの娘が随分と世話になったようだな?」

 

 レエブン候は戦慄した。アインズの顔につけられた、怒り顔とも泣き顔ともとれるその不気味な仮面が明滅している。仮面の下から光が漏れ出ているかのようだ。あの仮面の下にはどんな顔があるのか、下手したら何も無いのではないか。そのようなおぞましい妄想にとらわれたレエブン候の体を怖気が走り抜ける。

 

「この、クゥ、クズ共がああああああああああ!!この俺がぁ、仲間達が、共ににいいいいいいい!!共に愛情込めて創造した娘にも等しいNPCをおおおおおおお!!よりにもよって騙し討ちぃいい!!糞がぁああ!!許せるものかぁああああああああ!!」

 

 急に狂乱と言ってもいい様子で憤怒の雄叫びを上げ、地団駄を踏むアインズを前に、レエブン候も、部下の兵士達も、恐れを感じて一歩下がった。

 その狂態は永遠に続くかとも思われた勢いがあったが、やがてそれは唐突に収まった。仮面の奥から相変わらず不気味な光をまき散らしながら、アインズは息をつく。

 

「……ふむ、醜態を晒してしまったようだな。ナーベラル、今の姿は忘れてくれ」

 

「私のためにそのように怒ってくださったこと、感激こそすれ醜態などとは。しかし、お言葉であれば忘れます」

 

 普段の傲慢さがすっかりなりを潜め、従者っぷりが板についた様子のナーベラルがそのように返答する。むしろこちらが本来の姿である、そのように思わせる自然さがあった。レエブン候は恐怖で空回りする思考を必死に働かせ、事態の打開策を考える。僅かな可能性に縋り、横目でちらりと目線をやると、戦士長が完全に覚醒した顔で、必死に恐怖を堪えている姿が見えた。彼を拘束していた六人の兵士は、自分たちの方が金縛りにあったように動けないため、もはやガゼフの動きを掣肘するものはいなかった。……打開策があるとすれば、もはやこの男に縋るしかない。なんとも図々しい話だが。

 

「さあ、楽に死ねると思うなよクズ共?」

 

 そう言って右手を前に突き出したアインズの前に、ガゼフが立ちはだかった。

 

「……なんだお前は?」

 

「……初めまして、ゴウン殿。私の名はガゼフ・ストロノーフ、王国戦士長の位を王から授かっている者だ」

 

 その答えにアインズが沈黙すると、ガゼフはその顔色を窺いながら言葉を続ける。

 

「兵士達は皆命令に従っただけ、今回のことは全てこの馬鹿な男が事態を止められなかったが故に招いたこと。どうか私一人の首で許してはいただけないだろうか」

 

 そう言って頭を下げるガゼフを、レエブン候は絶望の目で見つめる。戦士長は狂ったか、今更そんな虫のいい話が通じる物かと。

 

「駄目だな、全員死ね。……お前達が何を考えてそのような暴挙にでたのかは、想像がつく」

 

 それならば、と言葉を紡ごうとするガゼフを、アインズは手を振って止める。

 

「だから、お前らの目論見を、守りたかったであろう物を全て、俺の怒りで踏みつぶしてやる。……だがまあ、兵士達が命令に従っただけというのならば、楽には殺さんというのは撤回しよう」

 

 そう言うと、アインズは呪文を唱えた。

 

<不死者の接触>(タッチ・オブ・アンデス)

 

 ガゼフは思わず身を竦ませるが、攻撃は来なかった。その代わりに、アインズの手が黒い靄に包み込まれるのが見えた。接触型もしくは遅延発動の魔法か、ガゼフがそのように考えてアインズの一挙手一投足を警戒すべく目を見開いたとき、アインズが姿を消した。

 

「!?」

 

 注視していた筈のアインズを見失って愕然としたガゼフが周囲を見回すと、アインズが部屋の隅にレエブン候を放り出すところが目に映り、ガゼフは混乱の内に向き直る。アインズはゆっくりとガゼフの方に歩み寄りながら呟いた。

 

「これくらいでいいかな……調整が利かないというのも面倒なものだ」

 

<絶望のオーラV>

 

 そのとき、室内を真っ黒な風が吹き抜けた。実際にはそれは気のせいであり、室内の物はそよ風一つ分の影響も受けていない。精神のみに影響を与える極寒の冷気が室内を荒れ狂った結果――アインズに相対する者で生きているのは、全身を悪寒に貫かれて完全に硬直したガゼフと、予め射程外まで投げ出されたレエブン候のみとなっていた。弓矢をつがえていた兵士達は全員恐怖に顔を強ばらせて絶命し、手から離れた矢が勝手な方向へ飛んで突き立つ。

 まあ、味方のハムスケもがくがくと震えており、それをナーベラルが抱きしめてよしよしと撫でているというおまけもついてきたのだが……それは重要ではないので置いておく。

 

(なんだこれは……私は夢でも見ているのか……)

 

 気がついたら部屋の角に放り出されていたレエブン候は、もはや目の前で起こっていることに現実味を感じられなかった。突然目の前に出現したアインズに無造作に掴まれてから、体中の筋肉が液状化したかのように力が入らないのも、寝床で金縛りにあっているかのような錯覚を引き起こすのに一役買っている。夢なら早く覚めて欲しい。

 

「中位アンデッド作成――死の騎士(デスナイト)

 

 目の前で起こったことの意味が分からず呆然と立ち尽くすガゼフは、アインズの呟きに伴って中空にわき上がった黒い霞が兵士の死体に覆い被さるのを見て息を呑んだ。液状の闇がごぼごぼと音を立てながら死体の形を作り替えていき、巨大な体躯を持つ黒いアンデッドの騎士が現れるのを見て目を剥く。

 

「中位アンデッド作成――死の騎士(デスナイト)

 

 アインズが手を振るたびに死体が死の騎士(デスナイト)に作り変わっていく。ガゼフが戦慄と共に見守る中、死の騎士(デスナイト)の数が十二体を数えるに至り、ようやくその悪夢のような行為は止まった。

 

「――よし、行けお前達。精々暴れてこい」

 

 ――オオオァァァアアアア――!!

 

 死の騎士(デスナイト)達が雄叫びを上げて手に持った剣を突き上げると、がちゃがちゃと鎧を鳴らしながら走り出す。それを満足そうに見送ったアインズは、そこで初めて立ち尽くすガゼフに気がついたかのように驚きの声を上げた。

 

「ほう、お前は生き延びたのか。一応、止めようとした側ではあったみたいだしな……いいだろう、お前の命は助けてやらんでもない。大人しく隅に引っ込んでガタガタ震えていろ」

 

 だがそれを聞いて、ガゼフはゆっくりと頭を振った。部屋の床に転がった剃刀の刃(レイザー・エッジ)の下に歩み寄ると、それを拾い上げて右手に構える。その刃についたナーベラルの血を見たアインズが、再び仮面の下から不気味な光を発した。

 

「……そういうわけには行かない、私一人だけ助かることに意味はない。貴方が我が主君、国王陛下を見逃してくださるというのであれば話は別だが……」

 

「嫌だね、そんなつもりは一切無い。この国のトップと、この茶番を企んだ首魁。……最低でもその二人にだけはこの世の地獄を見せてやる。国王陛下とやらを助けたければ、お前の力で俺を止めて見せることだな」

 

 それを聞いてガゼフは覚悟を決めた。主君の命を救うには、もはやそれがどれほどか細い蜘蛛の糸であろうとも、目の前の存在を倒す以外に無いことを理解したのである。

 

「ぬぅううううううううぉおおおおおおおおおお!!!!!!」

 

 彼我の実力差は一目瞭然、なれば初手の一撃に己が持つ全てを懸ける、そのような意志で振り抜かれたガゼフの渾身の一撃。アダマンタイト級冒険者から伝授された究極の武技。

 ――否、振り抜かれようとした一撃。

 

「まあ、無理なんだがね」

 

 変化は唐突だった。

 古いビデオテープを再生したら場面が飛んだ――あるいはそのように思われるほど、次に起こった光景は脈絡がなかった。

 剃刀の刃(レイザー・エッジ)を振り抜こうとしたガゼフには、先程と同様に、目の前に居たはずのアインズが突然消えたように感じられた。剃刀の刃(レイザー・エッジ)を握る己の右腕、その手首を背後から握りしめる無骨なガントレットがある。

 いつの間にかガゼフの背後に回ったアインズが、ガゼフの腕を掴んで握りしめたのだ。万力のように締め付けられた腕に走る痛みを噛み殺し、なんとか動かそうと試みるが、その手はもはや微動だにしなかった。

 

「――麻痺」

 

 アインズの呟きと共に、ガゼフは腕どころか全身が動かなくなるのを感じた。視界が回転する。床に転がされたのだ。アインズが彼を見下ろしている。仮面の下に隠されたその表情は未だ読めない。

 

「……さて、これで理解できたかな、えーと、ガゼフ・ストロノーフ。別に今でも、お前()助けてやっても構わんのだぞ?」

 

 いかなる魔法によってか、麻痺させられて完全に動けぬガゼフはもはやまな板の上の鯉だ。生殺与奪をその手に握った上で、答えることすらできぬガゼフに問いかける。

 だが、ガゼフはもはや動かせる唯一のもの――その意志を込めた視線で、アインズを見上げた。アインズは眩しそうにその視線を受け止めた……ように見えた。仮面の下でどのような表情をしたかは定かではないのだが、確かにそのように見えたのだ。

 

「――そうか、お前の意志は受け取った。……お前のことは覚えておくよ、ガゼフ」

 

 そう言ってアインズは手を前に差し出した。

 

<心臓掌握>(グラスプ・ハート)

 

 虚空に広げた指を閉じると共に、なにか柔らかいものが潰れる感覚がアインズの手に伝わってくる。それと同時に、ガゼフが口から血を吐いた。アインズの魔法により、心臓を直に握りつぶされたのだ。生きていられるはずはなかった。

 

 ガゼフの目から光が失われていく。最期、何かを訴えかけるようにナーベラルに注がれたその眼差しは、アインズをうっとりと見つめていた彼女に気づかれることはなかった。

 

「ふう……さてと。お待たせして申し訳なかった、貴族殿。非才の身ではあるが、精一杯もてなすのでせいぜい楽しんでいってくれ」

 

 そう言って隅に転がった自分に目を向けてきたアインズの、たちの悪い冗談に笑うこともできず。脂汗を流しながら恐怖に震えることすらできないレエブン候にできることは、この悪夢が早く覚めてくれるよう、祈ることだけであった。どうか神よ、あなたに慈悲あらば、妻と息子だけでも助けてください――

 

 

 アダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』の面々は、その日突如街にあふれ出た動死体(ゾンビ)を生み出した元凶を絶つため、伝説級のアンデッド、死の騎士(デス・ナイト)との死闘を繰り広げていた。

 

 伝説に謡われる死の騎士(デス・ナイト)の難度は百を超えると言われ、アダマンタイト級冒険者だからと言って容易く勝てる相手ではない。だが、『蒼の薔薇』のリーダー、ラキュースは自分たちが団結すれば、必ず勝てるとの確信を持って戦っていた。それは自分たちの実力への自信であり、仲間達への信頼であり、特に小柄な仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の存在に対する安心感であった。

 

 戦闘は堅調に推移した。防御魔法を幾重にも重ねたガガーランは決して無理をせず、仲間達の盾となることに徹し。ティアとティナが牽制して隙を窺い、仲間が傷つけばラキュースが癒す。そして死の騎士(デス・ナイト)が隙を見せればすかさずイビルアイが攻撃魔法を叩き込んで削っていく。勿論気は抜けないが、それでも危なげなく勝利への道が見えてきた。こいつを倒せば、突如王都を襲った災厄が終わる。その筈だ。

 そして体力を削られた死の騎士(デス・ナイト)が焦りのあまり無謀な攻撃を繰り出し、逆にそれがつけ込む隙となる。

 

「これで決まりだ!食らえ<水晶騎士槍>(クリスタル・ランス)!」

 

 イビルアイの詠唱と共に生み出された水晶の槍が死の騎士(デス・ナイト)を打ち砕くかと思われたその時、それは起こった。

 

<龍雷>(ドラゴン・ライトニング)

 

 側方より放たれた飛翔する龍の形をした稲妻が、水晶の槍を弾き飛ばして拡散する。愕然とした一同が振り返ると、その場に佇む人影が一つ。

 

「貴様……ガンマ……か……?」

 

 止めを邪魔された怒りと動揺が、知り合いの顔を見た困惑に代わり、誰何の言葉は尻すぼみとなって消えた。正確に言うなら目の前の人物が、知人の魔法詠唱者(マジック・キャスター)と同一人物かは確信が持てなかったのだが。

 まず、服装が違う。いつものシンプルな冒険者の旅装ではなく、メイド服を着ている。否、メイド服に見えたが、それはメイド服を模した鎧であった。頭部のホワイトブリムと全体のシルエットがメイドを主張しているが、胴鎧と手足の具足は十分に一線級の装甲を保証していると見えた。

 そして何より、表情と雰囲気が違いすぎた。造形自体は『蒼の薔薇』の一同にも見覚えがある類い希な美貌であったが、僅かに上気した頬に、浮かべられた晴れやかな笑みには、ガガーランが「辛気くさい不幸面」と評した仏頂面は影も形もない。

 正直雰囲気が違いすぎて、双子の妹ですと冗談を言われたら信じたであろう。

 

 だが問題はそこではない。なぜ目の前の女は死の騎士(デス・ナイト)への攻撃を邪魔したのか、それが問題だ。そう思いイビルアイが改めて叫ぼうとしたとき、ナーベラルは微笑みを浮かべて言った。

 

「お邪魔して申し訳ございません、『蒼の薔薇』の皆様。お取り込み中申し訳ありませんが、現状()()()()()()()()死の騎士(デス・ナイト)を潰されるのは少し困りますので、それ以上はご遠慮願います」

 

 口調まで別人の如きかよ、と悪態をつく余裕もなく。唐突に現れて死の騎士(デス・ナイト)の味方をする、と宣言した同格のアダマンタイト級冒険者に、戦慄と困惑が一同を襲った。否、同格というのもおこがましい。一同は目の前の女性が第七位階の魔法を使えるであろうことを今や知っているのだ。

 だが、それよりも今なんと言った?死の騎士(デス・ナイト)()()()()()とか聞こえた気がしたが。

 

「てめぇこのアマ!死の騎士(デス・ナイト)の味方するとか、何考えてやがんだスカタン!」

 

 イビルアイが己の耳を疑う一方で、思わず出た様子のガガーランの怒号に怯むそぶりもなく、ナーベラルは華やかに微笑んで言葉を続ける。このような状況でなければ見とれてしまいそうな笑みだ。

 

「皆様とは肩を並べて戦った仲ですので、お探し申し上げておりました。僅かな縁でも、仲間は仲間。おろそかにしては私はともかく、アインズ様まで鼎の軽重を問われることになりかねません」

 

 誰だよ。キャッチボールをする気がないとしか思えないナーベラルの一方的な台詞に、思わず一同は顔を見合わせるが、心当たりがある様子の者は居なかった。居なかったが、その単語にはどうしようもなく聞き覚えがあった。当の本人が一度口にしていた言葉。

 

「アインズ……アインズ・ウール・ゴウン?」

 

 イビルアイが呟くと、笑みを消して無表情になったナーベラルがじろりと彼女を睨んだ。

 

「その貴き御名を呼び捨てにするような、巫山戯た真似はお控えください。……段取りを全て放棄してぶち殺したくなります」

 

 ナーベラルがその単語について彼女たちに訊ねたときは、当の本人が尊称とは考えていなかったため、この台詞は少々酷である。鼻白んで口をつぐんだイビルアイに代わり、ラキュースが叫ぶ。何もかもが違いすぎた。何事かが起こったのは明白だった。

 

「ガンマさん……一体、何があったのです!?」

 

「別に、あなたには関係ないでしょう?」

 

 しかし、ナーベラルが再び晴れやかな笑みを浮かべると、ラキュースの背中を怖気が貫いた。その笑顔は本当に綺麗だったが、それが逆に彼女の拒絶を現している気がした。いつもの仏頂面とぶっきらぼうな口調が懐かしかった。

 

「関係ないって……自分でも言ったじゃないですか、仲間だって……」

 

「そうですね……私は()仲間としての誼で、アインズ様にお願い申し上げました」

 

 ラキュースの言葉を聞いてか聞かずか。ナーベラルの人差し指が上に立てられた。

 

「そちらから攻撃してこない限りにおいて、『蒼の薔薇』の面々に対するこちらからの攻撃は控えること。勿論、先程までの分はノーカウントということで。つまり……今すぐ一目散に逃げ出せば、見逃して差し上げます」

 

「ガンマ、マジで言ってる?邪魔されなきゃ倒せるところだった」

 

 たまりかねて口を挟んだティアに、ナーベラルは気を悪くした様子もなく頷いた。

 

「勿論、これは選択ですので……そうせずに討ち死にすることがお望みであればお止め致しません。存分に己の力をお試しください」

 

 ただ、そう言ってナーベラルの中指が上に上がる。

 

「ただし、寛大なアインズ様のご慈悲により、彼我の実力差を履き違えた状態で不本意な判断を為されることがないよう、謁見してくださるとの仰せです。……<伝言>(メッセージ)

 

 そう言ってナーベラルは<伝言>(メッセージ)の魔法を起動し、何者かと会話を始めた。その隙に死の騎士(デス・ナイト)を倒せないかと窺うが、彼女の目線は会話中もイビルアイの一挙手一投足を注視している。それをかいくぐる隙はありそうになかった。

 

 そして、彼女の背後に真っ黒な裂け目が現れ。

 

 中から<死>が這い出てきた。

 

 豪奢な漆黒のローブを着込んだ死の超越者(オーバーロード)。その顔を覆う不気味な仮面程度ではとても隠しきれぬ、アインズの禍々しいオーラに、『蒼の薔薇』の一同は息を呑んでその思考を停止した。アインズが小脇に抱えた見覚えのある鎧を見て、ラキュースが叫びを上げる。

 

「その鎧は、叔父様の……!?」

 

 その悲鳴にちらりと目線をやると、アインズは抱えた鎧を宙空に現れた黒い穴に押し込んだ。穴からその手を抜き出すと、手品のように鎧はその異空間の中に消え失せ、何も持っていない手のみが現れる。アインズは満足そうに一つ頷くと、ナーベラルに語りかけた。

 

「……ちょうどいいタイミングだった、ナーベラルよ。『朱の雫』は今し方処理したし、『蒼の薔薇』はここにいる。つまり、現在王都にて死の騎士(デス・ナイト)を潰せる可能性があるのは彼女たちで最後、それで合っているな?」

 

「……仰せの通りです、アインズ様。私がこれまで見聞した限りにおいて、王国で死の騎士(デス・ナイト)に対抗できるのは、アダマンタイト級冒険者チームのみです。そして、『蒼の薔薇』の戦力の要は、イビルアイ……そこの魔法詠唱者(マジック・キャスター)です。彼女の動向さえ注意すれば、死の騎士(デス・ナイト)を打倒する手段は他のメンバーにはありません」

 

「ほう、そうか……」

 

 アインズはちらりと、自分が登場して以降、蛇に睨まれた蛙のようにガタガタ震えるだけのイビルアイを見た。その視線には別に敵意も殺気もなく、ただ単にその姿を確認したと言うだけのことだったが、イビルアイの全身を悪寒が貫き、手が汗でびっしょりと濡れるのを感じた。

 

「下位アンデッド作成・死霊(レイス)

 

 アインズの呟きに応えるように、揺らめく霊体がその場に現れる。

 

「……あの魔法詠唱者(マジック・キャスター)を見張れ。何か動きがあったら知らせるのだ」

 

 指さされたイビルアイが掠れた悲鳴を喉から漏らしてびくりと震える間にも、死霊(レイス)は心得たかのように揺らめくと、薄まって存在をその場から消した。だが、イビルアイにはまるで死神が己の動向を見張っているかのような視線を感じられ、身体の震えが止まらない。

 

「――さて、私たちは忙しいのでね、お目見えしたばかりだがこれで失礼させて貰う。ルールはナーベラルに聞いただろう?一時的とは言え、彼女が組んでいた相手だ、ただ逃げるのであれば悪いようにはすまい。ああ、そうそう、こちらからは手出ししないとは言ったが――王宮には近づかないことだ。巻き込まれても知らんぞ」

 

 一方的にしゃべり立てるアインズを前に、震えが止まらなかったのはイビルアイだけではなかった。ラキュースも、ガガーランも、ティアも、ティナも。全員が理解していた。目の前の化け物は別格だ、アレに勝てる人間が居る筈など無いと。

 

「よし、ではタウルス、行ってお前の役目を果たせ。……行くぞナーベラル、こちらに来い」

 

「はい、アインズ様。――それではご機嫌よう皆様方。悔いのない選択ができることをお祈り申し上げます」

 

 呼びかけられた死の騎士(デス・ナイト)が頷いて走り去ると、アインズはナーベラルを抱き寄せて空中に黒い穴を広げた。彼らの姿がその黒い穴に飲み込まれ、その場から誰も居なくなっても、その場に漂うのは絶望に満ちた沈黙であった。

 

「――みんな、今までお疲れ様でした。あなた達は彼の言葉に従って逃げてください」

 

 長い長い沈黙の後、そのようなことを言い出したラキュースに、ガガーランが顔を上げて問うた。

 

「って、リーダーはどうするんだよ?」

 

「……私は今から王宮に向かいます。彼のあの言い草だと、十中八九生きては帰れないでしょうからあなた達は巻き込めません。でも私は、この身体に流れる青い血にかけて、せめてラナーだけでも助けられないか、できることはやってみるつもりです」

 

 その言葉を聞いて、ガガーランはしょうがねえなあ、という風に笑った。覚悟を決めた顔だった。

 

「しゃあねえなあ、つきあうぜリーダー、地獄の底までよ」

 

「ガガーラン……」

 

 感極まった様子のラキュースと、その肩を叩くガガーラン、そしてみんなの顔を見比べる忍者姉妹。その様子を見て、イビルアイは震える声で呻いた。

 

「だ、駄目だ……行っちゃ駄目だ、死んじゃう、みんな死んでしまう……」

 

 その声を聞くと、ラキュースは微笑んでイビルアイの肩を抱き寄せた。

 

「……あなたが着いてくる必要はありませんよイビルアイ。私たちはおろか、あなたの力ですら彼らの前には一切無力であることは、先程出会っただけでも十分に思い知りました。武力が必要になる局面はこの先ないでしょう。だからあなたは、逃げてください」

 

 駄目だ。そんな問題ではない。お前達は彼らの実力を全く推し量れていないんだ。イビルアイはそう叫びたかったが、全く声が出なかった。その震える指先を彼女を置いて走り去ろうとするラキュース達に伸ばすが、その手はむなしく虚空を掴むだけであった。

 イビルアイはよろよろと数歩歩いて、肩に触れた塀に寄りかかると、ずるずると崩れ落ちて、その動きを止めた。体育座りの姿勢になって膝小僧を抱え込む。もう何も考えたくなかった。

 

 その日、王都リ・エスティーゼの最奥に位置する王城ロ・レンテ、その敷地内に聳えるヴァランシア宮殿。それら全ては一夜にして跡形もなく消失した。

 

 

 




 結局大部分は当初のままなのである。手直ししようとは試みたんだけど、それより前の展開を変えないと決めた以上小手先でいじっても意味がないのであった。まあいいや2月が終わってしまう前に晒しちゃえ。この話をカットしたせいで打ち切り臭が余計に酷くなってると思われるし、幾つか大事な情報も入ってるしね。

 そしておまけを後三話、明日からは普通に投稿するのです。でも補完なのであまり大層な話にはならねーのです。



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最終話:ナーベラル・ガンマとアインズ・ウール・ゴウン

 ナーベラルが目を開けると、敬愛する至高の御方の顔……頭蓋骨が視界一杯に飛び込んできた。

 至高の御方の腕枕で休むという望外の栄誉を受けたことを思いだし、全身を歓喜が貫いていく。

 

「……目が覚めたかナーベラル。よく眠れたか?」

 

「はい、おはようございますモ……アインズ様。申し訳ありません、アインズ様は睡眠をお取りにならないのに付き合わせてしまって……」

 

「なに、構わんよこのくらいのことは。それでお前がぐっすり休めるのなら安い物だ」

 

 アインズも、ナーベラルの要望が肉食系女子的な意味での一緒に寝てくれ、というものであれば、首を縦には振らなかったであろう。あくまで幼子が両親と一緒に寝たがるように、離れるとアインズ様が消えてしまいそうで不安なのですと言われればこそ、一晩の添い寝を首肯したのであった。その甲斐あって、ナーベラルは昨晩、この世界に転移してきて以来初めて熟睡した。至高の御方の腕に包まれた安心感の中で。

 

「それにまあ、お前の寝顔を眺めて過ごすのも……存外退屈ではなかったぞ」

 

「……お戯れを」

 

 アインズが茶目っ気を込めてそのような台詞を述べると、リップサービスの類と判断してなんとかそのように返したものの、ナーベラルは頬を染めて目を伏せた。

 実際リップサービスではあったが、それだけでもない。間近で眺める彼女の安らかな寝顔、規則正しい吐息、ゆっくりと上下する胸、甘く感じられる女性の匂い。アインズは心の底に微かにこびりついた人間の残滓が確かにざわつくのを感じて、その感触を懐かしく思いながらあっという間に一晩を過ごした。

 

 気を取り直して周囲の様子を窺うと、窓の外から惨憺たる有様になった王都の様子が飛び込んでくる。人間の気配はまるでなく、代わりに散見される、街路をうろつく動死体(ゾンビ)従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)。あちこちに散乱した物品や所々破壊された施設、そしてなによりも王都のど真ん中に空いた()()()()()()()()()()()()()()から立ち上る、街全体を覆う濃密な死の気配。

 

(うーん……やっちゃったなー……どうしようこれ)

 

 己のしでかしたことに後悔はない。娘に等しいNPCを傷つけられて、アインズの怒りは頂点に達した。同じことが百回あれば百回とも、犯人を一人残らず滅ぼすだろう。そう言う意味で悔いはない。また、アンデッドと化したこの身にとって、人間はもはや異種族である。殺したところで虫けらを踏み潰した程度の感情しかわかない。

 だが、人間鈴木悟としての僅かな残滓の部分が、これでとうとう大量虐殺犯か……百万人殺せば英雄になれるんだっけなどとくだらぬ現実逃避をしながらも、良心の呵責めいたものをちくちくと訴えているのもまた事実であった。

 

「……アインズ様?如何なさいましたか」

 

 内心では懊悩しながら、表面上はぽけーっとするアインズの様子を不審に思ってか、ナーベラルが彼の顔を覗き込むと、アインズははっとして彼女に向き直った。

 

「ああ、そうだナーベラル。手を出すがいい」

 

「畏まりました……?」

 

 両手を差し出したナーベラルの手の上に、指輪を一つそっと載せると、彼女は目を丸くした。

 

「アインズ様、これは……?」

 

維持する指輪(リング・オブ・サステナンス)だ。この指輪を身につけると、飲食と睡眠が不要となる。まあ、たまには精神の平衡を保つために寝るのも有りだが、今後はいつでも自由に寝られるとは限らぬからな。とりあえず身につけておくのだ」

 

「な、成る程……仰せの通りに」

 

 ナーベラルは指輪を指でつまみ上げると、少し躊躇ってからおそるおそる、その飾り気の一切無いシンプルな指輪を指に通した。その頬がやや上気している。

 

「まだあるぞ。これが情報探知を遮断する為の指輪、これが呼吸系干渉対策、これが精神遮蔽……」

 

「……」

 

 そうやってたくさんの指輪を渡された結果、頬の火照りはあっという間に引っ込んだが。

 

 

 王都リ・エスティーゼの東側、少し離れた原野の中にある小高い丘。その上に二人の男女が立っている。

 

「……し、信じられない……王城が、宮殿が跡形もなく消失しています」

 

 あどけなさを僅かに残した顔立ちの若者が、死都と化した都を遠望してそう言うと、連れの少女は目を見張った。

 

「まあ……なんてことなの……」

 

 少女が膝から崩れ落ちる。若者は慌ててその側に膝をつくと、一瞬躊躇った後にその鍛えられた太い手で少女の両肩を掴んだ。

 

「お気を確かに、ラナー様……あなたはもしかして、このようなことが起こる可能性を予見しておられたのですか?」

 

 少女……ラナー王女はかぶりを振った。全て予見できたわけではないが、展開によっては惨劇が王都を席巻する危険がある。言っても信じて貰えないだろうから、適当な口実でクライムを言いくるめ、念のため事前に避難して来たわけだが。

 まさか城ごと更地になるなど、誰に予想ができるというのだろうか。

 

「まさかここまでのことが起こるとは思いませんでした。……どうやら独りぼっちになってしまったようですね、わたくし」

 

「ラナー様……」

 

 クライムはその言葉を口にするのを躊躇したが、落ち込む主をそのままにはしておけないと口を開く。

 

「まだ、私がいますラナー様。私が居る限り、あなたを独りにはさせません」

 

「クライム……あなたはこの私についてきてくれますか?」

 

「は、勿論」

 

「本当に?……ラナー・ティエール・シャルドルン・ライル・ヴァイセルフではなく、あなたの目の前にいるただの少女に?」

 

「は?それは、どういう……?」

 

「簡単なことです。ラナー・ティエール・シャルドルン・ライル・ヴァイセルフは昨日、王都で死にました。今あなたの目の前にいるのはただのラナー、そういうことです」

 

 第三王女が生存していれば、首都が滅びた王国の残存勢力を糾合してまとめ直すこともまあ、できなくはないだろう。だがラナーには、王都を滅ぼした何者かが、取りこぼしを拾いに来る危険性を背負ってまで、生存を公にして滅びを約束された国の面倒を見る気はさらさらなかった。丁度いい、身分もしがらみも、面倒ごとはみんなここに捨てていってしまおう。

 ラナー王女が生きていることを知れば王都を滅ぼした何者かがとどめを刺しに来るかも知れない、そんなのはご免だから身分は捨てる。そのように説明したラナーの言葉を、クライムは反駁と説得の後、最終的には受け入れた。彼とて、遠望しただけでわかる死都の濃密な死の気配、その禍々しいオーラには怯える以外のことができなかったのだ。

 

「クライム。私を抱きしめてください」

 

「は?い、いや、それはしかし」

 

「もはやあなたと私の間に身分差は存在しません。……目の前に立つただの少女の騎士となる、その誓いの証として抱きしめてください。……駄目かしら?」

 

 クライムはごくりと唾を飲み込むと、おそるおそる少女のか細い背中にその腕を回した。少女の肩が震えているのを感じ、自分はこの方を生涯かけてお守りするのだ、その誓いを新たにする。

 そして二つのシルエットは一つとなり、少女は青年に抱きしめられたその腕の中で、口の端を釣り上げてにい、と笑った。

 

「では行きましょうか。――目標は東、帝国へ」

 

 

「なんということだ……何が起こった……?」

 

 六大神官長達が、半壊した土の神殿を前に呆然と立ち尽くしている。

 漆黒聖典からの要請により、アダマンタイト級冒険者ガンマの所在を調べるために”叡者の額冠”を探知する儀式魔術の準備に入ったのが一時間前。

 そして、()()()()()により突如土の神殿が吹き飛んだと報告が入ったのがつい先程。飛んできた神官長の目に映ったのはかろうじてガワは残るものの、無残なまでに半壊した神殿の残骸。巫女姫はおろか、副神官長及び儀式に付き添っていた多くの神官その全てが巻き込まれて生死不明である。現在全力で瓦礫の撤去作業中だが、生存は絶望視されている。

 

「もう駄目だ……人類はお終いだあ……」

 

 土の神官長がその場に崩れ落ちて嗚咽を漏らす。自らの所属する神殿とそこに集う神官達を突然奪い去られたその気持ちは察するにあまりある。そして、情報系魔法を駆使する法国の諜報戦における立役者の、土の巫女姫が失われたのはあまりにも痛い。

 

「落ち着け!気をしっかり持て!へたり込むような無様が許される状況か!」

 

 生の神官長が叱咤する。信頼する手勢の陽光聖典を壊滅させられて立ち直った経験が、落ち込む暇はないと告げさせたのだろう。土の神官長の胸元をひっつかんで無理矢理に引きずり起こす。

 

「漆黒聖典を本国に呼び戻そう」

 

 死の神官長がそう言うと、一同の視線が彼に集まった。

 

「……この災厄は何者かの攻撃が引き起こした結果である可能性がある。追撃に備えて一刻も早く漆黒聖典を警戒に当たらせねばならんだろう」

 

 その言葉を聞き一同は頷いたが、風の神官長が疑問を口にした。

 

「それでは、”叡者の額冠”はどうする?報告によればすんなり返して貰えそうだという話だったが……」

 

 死の神官長は首を振った。

 

「状況が変わった。……前後関係を考えれば、謎の爆発は”叡者の額冠”の探知に対する反撃である可能性がある。これまで何の問題もなく探知できていたのだから、より剣呑な人物へ所有者が変わった可能性を疑うべきだ。”叡者の額冠”も、国外情勢の安定も諦めねばなるまい」

 

 前線を支える二本柱の片割れ、陽光聖典は再編成中。漆黒聖典もその訓練に協力する関係上、一時的な弱体化は免れない。そして謎の攻撃に対する警戒の必要性。重要な後方支援戦力であった土の神殿の壊滅。

 これら全ての事情を勘案すれば、もはや国外のことに手を出せる状況ではない。ただいまより、スレイン法国は人類社会全体の安定化を一時完全に諦めて、国内に引きこもって戦力の立て直しに集中する。その間に国外での人類の生存圏は大きく衰退することになるだろう。特に竜王国が危ない。だがそれもやむを得ない。

 

 こうしてスレイン法国は国外情勢への干渉を一切断念し、内部に引きこもって立て直しを図ることとなる。それは、人知れず守られてきた周辺の人類国家にとっては大いなる災厄の呼び水であったが、そのことを知る者はまだ居ない。

 

 

 

「おお、姫、そして殿、お目覚めでござるか。おはようでござる」

 

「……そういえば、お前も居たんだったなあハムスケ」

 

 ナーベラルが寝ていた部屋を覗き込んでハムスケが顔を出すと、アインズは頷いた。今更ハムスケがどこをうろつこうと、この死者の都でそれを咎める者が居ようはずもない。ハムスケは狭い部屋の入り口からまるで猫の如く器用に己の身体を室内に滑り込ませると、感心する二人に向けて敬礼のポーズをとった。

 

「このハムスケ、殿にも姫と変わらぬ忠義を捧げる故……あたっ!?」

 

「愚か者。アインズ様には私に対する百倍の忠誠を誓いなさい」

 

 ポーズを決めて忠誠を誓うはずが、飼い主のナーベラルにチョップされて涙目になるハムスケ。その様子を微笑ましく眺めながら、アインズは疑問を口にした。

 

「しかし、ハムスケとはなあ……まるで私が名付けたみたいな名前だが、その名前はお前がつけたのかナーベラル?」

 

 その言葉を聞いたナーベラル、きょとんとした顔をした後、にこりと微笑んで答えた。

 

「……そうですか、やっぱり……ハムスケという名前は、アインズ様に頂いたものですよ?」

 

「え、俺?」

 

 当然、まるで身に覚えのない台詞に困惑するアインズを、ナーベラルはくすくすと笑いながら見つめたが、それ以上のことは教えてくれなかった。

 アインズはそれ以上の追及を諦め、エヘンと咳払いして気を取り直す。

 

「さて、我々のこれからの行動だが……ちなみに、お前に何か希望はあるか?」

 

「はい、アインズ様。私の唯一の希望は、アインズ様が今から何処へ行き何を為されるにせよ、私に供をさせていただきたい、それだけでございます」

 

 そうか、とアインズは頷くと、ナーベラルの頭に手を乗せて優しく撫でた。ナーベラルは目を閉じ頬を染めてその感触を受け入れる。

 

「安心せよ、お前を置いて何処かに行くことはないと誓おう。それはそれとして、今後の行動指針だが。こうして私と、お前が転移させられてきた以上、他の仲間達もまた同じように転移してきていないと断ずる理由はない」

 

「仰せの通りでございます。……ただ、私がこれまで探した限りにおいて、至高の御方やナザリックの僕達の痕跡を見つけることはできませんでした」

 

 ナーベラルが不安そうにそう言うと、アインズは手を顎に当てて考え込む。

 

「ふむ、確かに我々がここに居るからと言って、それが他の皆が同じくここに来ていることを示すわけではないが。それでもこの世界に他の皆が居ると仮定した場合、それが見つからない理由はなにが考えられる?」

 

「そうですね……私が深い森の中に飛ばされたことを気づいた時、真っ先に感じたことは、アインズ様に捨てられたのではないかという恐怖でした。アインズ様がお一人で飛ばされてきたのなら、ナザリックに残された皆は、とうとう至高の御方の最後の一人まで私たちをお見捨てになられたのではないかと思ったことでしょう」

 

「成る程、それでどうなる?」

 

「至高の御方が居なくなられては、私たちは寄る辺を失います。己の殻に閉じこもるか、最後のご命令に縋って今もナザリック地下大墳墓を守護し続けているのではないかと」

 

「ふむ……NPCはそもそも拠点の外には連れて行けなかったし、可能性はあるな。よろしい、ではまずはこの世界を虱潰しに調べて行くとしよう」

 

「はっ。……この世界、でございますか?」

 

 僅かに引っかかりを覚えてナーベラルが首を傾げると、アインズは苦笑した。

 

「なんだ、もしかして気づいていなかったか?……まあNPCでは無理もないか……この世界は、我々がかつていたナザリック地下大墳墓があった世界とは地続きでも海の向こうでも空の彼方でもない、全く異なる別の空間に存在しているのだ。故に尋常の手段で帰還することはできない」

 

「なんと……」

 

 驚きに口を開けて固まったナーベラルを、アインズは優しく見つめる。

 

「あの日あの時何が起こったのかは私も分からぬ。だがあの時ナザリックに居た私とお前がこうしてこの世界に転移してきた以上、他の皆も同じように飛ばされてきた可能性は十分ある。まずは彼らが何処かに閉じこもっていないか探すとしよう」

 

「ははっ、御心のままに。……そして、ありがとうございます」

 

「気にするな。お前が姉妹達を案ずるように、私にとってもナザリックのNPC達は我が子のようなものである」

 

 アインズは思いつくままに言葉を並べていく。

 

「それに、私の仲間達だって、ひょっとしたら居るかもしれない。……たとえば、弐式炎雷さんだってな」

 

「まことでございますか!?」

 

 創造主の名を挙げられてがばと身を乗り出したナーベラルに、アインズは落ち着くよう促した。

 

「落ち着け、正直に言うと雲を掴むような話だ。可能性はないに等しい。……でもまあ、私がここに居ること自体が一種の奇跡みたいなものだしな、夢を見るくらいはいいだろう」

 

「……左様ですか、ご無礼お許しください。……素敵な夢でございますね」

 

 深々と頭を下げてお辞儀するナーベラルにふと、アインズは昨日から気になっていた質問を投げかける。

 

「ナーベラルよ。……人間が嫌いになったか?」

 

 アインズのその問いを受け。ナーベラルははたと動きを止めた。

 

「……嫌いにはなっておりません。だって……、元々大嫌いでしたから」

 

 僅かな沈黙の後、愁いを帯びた瞳を伏せて。ナーベラル・ガンマはその唇を尖らせるとそう言った。

 

 

 十二体の死の騎士(デス・ナイト)魂喰らい(ソウルイーター)が王都の門に勢揃いしている。

 彼らに見送られて二人と一匹の人影が王都を旅立つと、生者の気配が完全に消えた王都リ・エスティーゼは濃密な死の気配に飲み込まれた。

 

 ……一夜にして王都リ・エスティーゼは滅び、アンデッドが溢れる死者の都と化したと言われる。十二騎の死の騎兵(デス・ライダー)が支配する死者達の都――()()リ・エスティーゼの産声。それは、リ・エスティーゼ王国自体の断末魔の悲鳴でもあった。

 生き残った住民の数は公式記録上はゼロ。アダマンタイト級冒険者チーム、『蒼の薔薇』および『朱の雫』の消息もそこで途絶えている。

 

 

 




 これで完結です。
 王都滅ぼすシーンをちょっとはしょりましたが、本筋は変えていません。再会して、一緒に旅立ってお仕舞いという流れです。
 ここまでお読みくださりありがとうございました。

2/7 ラナー王女のシーン追加。
  弱気になってつい削っちゃったけど、明示した伏線を回収しないのもなーということで。

2/12 リングオブサステナンスの名称間違い修正。



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Extra
after:城塞都市エ・ランテル


 
 蛇足かなとも思うのだけど、色々投げっぱなしと言うのもまあもっともなんで、
 補填としてその後の話を少しばかり。



 王都リ・エスティーゼで起こった異変の噂が、城塞都市エ・ランテルまで届くのにはそれほどの時間を必要としなかった。

 大きな街となれば当然商売絡みでの人の流れは毎日発生する。その日外から王都に訪れて、門が無人であることを不審に思った商隊の面々がおっかなびっくり中を覗き込めば、街をうろつく動死体(ゾンビ)の群れと遭遇することになる。驚き立ちすくんだ先頭集団の数名は哀れ犠牲となったものの、何故か門の外に出ようとしないゾンビ共から生き残りが這々の体で逃げ出すこと自体は簡単であった。

 リ・エスティーゼにゾンビが溢れる――その噂は人の口に乗ってあっという間に王国全土へ伝播した。根も葉もない噂と断じるにも、実際に王国の首脳陣からの連絡は途絶えている。各地を治める統治者階級の面々は困惑と焦燥に駆られて次にどうするべきかも考え倦ねる有様で、そこに暮らす一般の民草も、これからどうなるのだろうと不安な顔を見合わせて埒もない噂話を披露し合う様子であった。

 

 そして、エ・ランテルではその名を知られたバレアレ治癒薬店でも、住人達が不安な顔をつきあわせているのであった。

 

「ンフィー……これから、どうなっちゃうのかな……」

 

 不安で仕事が手につかない様子のエンリがそう呟くと、向かいに座っていたンフィーレアが顔を上げた。彼も作業が捗らない様子なのは同じである。

 

「……わからないよ。いきなり王都が滅びたとか言われても、どうすればいいのか……」

 

 ンフィーレアは奥で作業を行っている祖母の方を窺う。街が滅ぼうと国が滅ぼうと、自分に出来るのは治癒薬(ポーション)を作ることだけだ、できることをするだけさねと言ってのけた祖母は、宣告通り作業に集中している。その態度は流石だと羨ましく思うが、それが正しい態度だと思うことも出来ない。あれは老い先短い老人が今更逃げ出してもどうにもならんと達観しているだけである。本当に王都が滅びたのであれば、王国は滅茶苦茶になるだろう。このエ・ランテルとて、流民が大挙して来て治安が悪化するとか、加工品(ポーション)の原料を入手できなくなって飯の食い上げになるとか、悲観的な予想は幾らでも出来る。それに対して出来ることはあまりにも少ないのだが……ンフィーレアは覚束ない先の見通しに、重い息をついた。

 一方、エンリの方は長椅子に座り込んでいる妹の様子を窺っていた。王都にゾンビが溢れ、生きている人間が誰も残っていないらしいという噂を聞き、真っ青になって塞ぎ込んでしまったネムは、俯いて物思いに耽っている。王都にいたはずの恩人がどうなってしまったのか心配なのだろう。エンリだって、ガンマ様はもうこの世にいないのではないかと思うと胸の張り裂ける思いである。ちっとも捗らない作業を投げ出して、エンリは机を離れてネムの側に腰掛けると、そっと妹の肩を抱き寄せた。ネムの方もそれに逆らわず姉の体にしがみつくと、ぽつりと呟いた。

 

「……ガンマ様……」

 

 

 一方で、不安に頭を抱えるなどという贅沢が許されない人々も存在する。

 

「……うわぁ……」

 

 エ・ランテル冒険者組合の受付兼事務員であるイシュペン・ロンブルは、ふと目線を挙げると、目の前に積み上がった未処理案件が先程より明らかに増えているのを見て頬を歪めた。自分が仕事を片付けるより、仕事が増えるペースの方が早かった。

 原因は無論、王都での異変の報せであった。冗談と笑い飛ばすには多すぎる証言がもたらされた結果、組合長のアインザックは今後の対応について都市長らと相談に行ったきり出ずっぱり。冒険者組合としても、まず独自に裏付けをとるべきか、他都市の支部との連絡をどうするか、王都との連絡が途絶えた結果止まった案件をどうすべきか……王都の異変に関連した事項に対応を取るための人員が必要となった。

 イシュペンはその中には入っていなかったが、人員をそちらに取られた状態で普段の仕事を回さねばならない。その上で王都行きのクエストの扱い、王都から逃げ戻ってきた冒険者への対応、王都方面から来た人々がもたらすクエスト依頼……仕事の方は通常より激増したため、組合事務は戦場さながらの様相を呈し、イシュペンも目の回るような忙しさに悲鳴を上げていた。

 このままだと今日は、下手すると明日も、家に帰れない。適当なところで途中で切り上げて絶対休んでやる……忙しさにきりきりまいしながらイシュペンが胸中呪いの言葉を吐いていると、ふと声が聞こえた気がした。

 

 ――その節は世話になった、礼を言う。

 

「ん?」

 

 イシュペンが顔を上げて周囲を見回しても、自分に声をかけたと思しき人物の姿は見あたらない。疑問符を浮かべてきょろきょろするイシュペンを、サボってんじゃないわよとばかりに同僚が殺気だった視線で突き刺してくるにつけ、彼女はぶるっと身震いした。

 

「……気のせい?とうとう幻聴まで聞こえ出すなんて、これはいよいよ休憩が必要ね……」

 

 同僚が睨み付けるのも何のその、イシュペンは一息つくためにお茶を入れに立ち上がった。

 その後ろ姿を眺めて、アインズは思う。姿を見せもせずに礼を言っても所詮自己満足に過ぎないが……それでも、彼女に受けた恩はきっと返そう。

 

 

 その晩。草木も眠る丑三つ時に、寝付けぬままに枕を抱きしめて一人鬱々としていたネムは、彼女独りの筈の室内に気配を感じた気がしてぱちりと目を開けた。

 

「だあれ……?」

 

 上体を起こして周囲の様子を月明かりに透かし見れば、部屋の隅に大柄な人影が立っているように見えた。あからさまな不審者であったが、不思議と恐怖は感じなかった。予感があったのかもしれない。

 

「……今晩は、お嬢さん。怪しい者ではない……とは言えないが、まあ落ち着いてほしい」

 

 黒いローブに身を包んだ仮面の男は、口元に指を当てて静かにしてくれるようネムに示してみせると、彼の背後に隠れて居た女性の肩を掴んで前に押し出した。ネムの心臓が大きく脈打つ。暗くてよく見えなくとも、その女性には見覚えがあったのだ。

 

「ガンマ様……!!」

 

 これは夢ではないだろうか、そのように考えながらも跳ね起きて、そろそろと彼女の下に歩み寄る。その胸元に顔を埋めると、相手の体温が伝わってきた。

 ナーベラルはきゅっとしがみついてきたネムの様子を、困惑の眼差しで撫でた。半ば無意識に彼女の頭に伸ばそうとしたその手が途中で止まり、驚いたように眉根を寄せて己の手を見つめる。アインズが彼女の肩をポンと叩いて頷いてみせると、ナーベラルは躊躇いながらもネムの頭をそっと撫でた。

 

「無事だったんだね、ガンマ様……良かったぁ……」

 

 ナーベラルは黙して答えない。何を喋っていいのかわからないのだ。その様子を見てとったアインズが代わりに口を開く。

 

「……私は初めましてだな、ネム・エモット」

 

「あなたは……?」

 

 ナーベラルの胸元から顔を起こしたネムが問いかけると、アインズはガントレットに包まれた手を差し出した。

 

「私はアインズ。アインズ・ウール・ゴウンと言う。よろしく」

 

「ゴウン様……はい、よろしくお願いします」

 

 ネムは両手でアインズのガントレットを握ると、にぱっと笑った。物怖じしない子だなあなどと思いつつ、アインズは言葉を選ぶ。

 

「今宵は……挨拶に来たんだ。ナーベラルが世話になった、その礼を言いにな」

 

「……ナーベラル?」

 

 小首を傾げたネムの様子に、アインズはああ、と手を打つ。

 

「そういえば、名乗ったことはないとか言ってたんだったな。君がガンマと呼ぶ、彼女の名前。正確には、ナーベラル・ガンマというのがフルネームなんだ」

 

「ナーベラル・ガンマ……」

 

 ネムはその名前を復唱しながら、ナーベラルの顔を仰ぎ見た。ナーベラルは居心地悪そうに視線をふいと逸らす。

 

「素敵なお名前だね、ガンマ様。いえ、ナーベラル様って呼んでもいいかな?」

 

「……好きにすれば」

 

 ナーベラルが仏頂面で応じると、えへへと笑ったネムは再びナーベラルにしがみつく。

 その様子を心地よさげにアインズが眺める。彼は、弐式炎雷(なかま)がつけた名前を素敵だと褒められただけのことですら、なんとなく嬉しくなるほどにはチョロかった。

 

「ありがとう、ネム。だが今晩は、お別れを言いに来たのでもある」

 

「お別れ……?」

 

 その言葉を聞いて、ネムはアインズとナーベラルの顔を交互に見る。仮面じみたポーカーフェイスと、本物の仮面のどちらからも何かを読み取ることは出来なかった。

 

「我々はこれから遠くに旅に出る。当分は会うこともないだろう」

 

 それを聞いたネムの顔がくしゃりと歪む。だが潤んだ瞳をぱちぱちと瞬いて、必死に頭を働かせると彼女はこう言った。

 

「当分……?つまり、またいつか会えるのナーベラル様?」

 

 ナーベラルの顔を見てそう言ったが、彼女は困惑するばかりであった。それを決めるのは彼女ではない。

 

「……アインズ様?」

 

 主に助けを求めると、アインズは頷いた。

 

「ああ、そうだなネム。……いつか、また会うときが有るかも知れない。それまでは……今夜のことは泡沫の夢、だ」

 

「ゆめ?」

 

 不思議そうにアインズを見上げるネムの顔の前に、アインズは手の平をそっとかざした。

 

<記憶操作>(コントロール・アムネジア)

 

 

「――大丈夫でございますか、アインズ様?ご気分が優れないご様子ですが……」

 

「ああ、うん、大事ない、ナーベラル。思ったよりMPを消耗しただけだ」

 

 そう言いながらふらついたアインズの体を、慌てて寄り添ったナーベラルが支える。

 数分間の記憶の消去。ネムの記憶から、今晩二人に会った記憶を取り除く、ただそれだけのことで、魔法詠唱者(マジック・キャスター)としてはユグドラシルでも上位に属するアインズのMPが枯渇しかける程の消耗を強いられたのは、アインズにとっても予想外の出来事であった。そして、それは有用な情報でもある。何事も試してみるものだ、そう思っているところに、不思議そうなナーベラルが疑問の声を上げた。

 

「それにしてもわかりません。差し支えなければ、愚かな我が身にも教えて頂きたいのですが……どうせ記憶を消してしまわれるのなら、何故ネムにわざわざ会いに行こうと思われたのです?」

 

「それは……」

 

 アインズは口籠もった。ナーベラルから彼女がこの世界でどのような行動をしてきたかを聞き取った結果、本人は自覚していないようだが、エ・ランテルに多少の心残りがあるのではないかと見てとったアインズは、彼女の為に気を回して、わざわざ様子を見に来たのである。

 

 ……お前のためだよナーベラル。果たしてお前は自覚しているか?記憶を消すなら会っても意味がない、その言葉自体が、どうしようもなくあの少女の側に立った台詞であることを。お前が人間全てを大嫌いになったわけではない、そのことが確認できれば少なくとも私にとっては意味があったと言えるだろうな。

 

 だが、アインズはそのような返答を自己満足と断じて己の胸の奥にしまい込み、代わりの言葉を口にした。

 

「……まあ、ちょっとした実験だ。<記憶操作>(コントロール・アムネジア)がこの世界でどのように働くかを確認しておくことには、この先おおいに意味がある。そして、予想外に消費コストが激しいことをこの場で知れたこともまた大きい」

 

「なるほど……アインズ様のご深慮に、私如きが口を挟んだことをお許しください」

 

 それで納得した様子のナーベラルを、アインズは観察する。あの少女で実験すると言ったことに多少は反発するかとも思ったが、そのような印象は全く受けない。あくまでもアインズへの忠義が絶対で、それ以外への感情はそれに反しない範囲でのことになるという理屈だろうか。NPCがアインズに持っている忠義は、これまでの彼女の様子を見る限り、絶対的と言っても良さそうに思える。過信は禁物だが、あまり試すような真似をするのも憚られるところではある。

 

「そもそも何故記憶を消すのかも不思議でしたが……魔法の実験が目的で、たまたまネムを利用しただけでしたか」

 

「ん?……いや、記憶を消したのは一応あの少女に我々の事をぺらぺらと喋られたくないからという理由もあるのだが。王都にいた筈のお前が無事であると知れれば、何処でどう繋がって、私が王都を滅ぼしたことを推測されんとも限らんからな」

 

 ナーベラルの台詞を聞きとがめたアインズが口を挟むと、彼女は沈黙した。

 

「……あの、アインズ様」

 

「どうした?」

 

「その情報を伏せておきたいのであれば、王都で蒼の薔薇の連中を見逃して頂いたことはもしかしてまずかったのでは……」

 

「……あっ」

 

 焦った様子で口走ったナーベラルの台詞に、思わず口を開けるアインズ。二人の間に沈黙が落ちる。

 

「……申し訳ございません、この失態は我が命で……!」

 

 言うなり抜き放った剣を己の首筋に押し当てるナーベラルを、アインズは慌てて制止した。

 

「おい、馬鹿、止めろ。誰がそんなことをしろと言った。ええい、まずは剣を収めよ」

 

「ですが……」

 

 不承不承納刀したナーベラルに、アインズは語りかける。

 

「まあ、確かに考えが甘かった点はあるが……結局あの日王都から脱出した人間は居なかった、彼女たちも大人しく逃げ出しはしなかったということだろう。だから問題はない。……そもそも、出来れば今のところはまだ隠しておきたいかな、という程度の話で、ばれたらその時はその時だ。だからくだらぬ事は考えるな、いいな?」

 

「……はっ、アインズ様が仰るのであれば」

 

 それで納得した様子のナーベラルを見て、アインズは息をつく。あの時出入り口を監視させていたアインズの情報網に引っかかった脱出者は確かにいなかった。事前に逃げ出していた者でも居れば話は別だが、事前に逃げ出したのなら当然アインズの犯行を目撃することはできない。だから問題はない。筈だ。そもそも隠しておきたいのだって、今後の人類に対するスタンスをいまいち定めかねているからというだけで、ばれた結果として人類の敵になるというのであれば、その時は開き直るしかないだろう。

 そこまで考えてアインズは自嘲する。あれだけのことをしておいて、しかもそのことに蟻の巣に水を注いだ程度の罪悪感も覚えていない癖に、それでも問答無用で人類の敵になるのは嫌であるらしい、自分は。我が身に微かに残る人間性の残滓が、消滅するのを嫌がっているということだろうか。

 

「まあ……実験すると言った以上は、経過を観察することも必要だな。もう一手、打っておくとしようか。だが、今は思った以上に疲れた。今宵のところは休むとしよう……と言っても、眠れるわけではないのだがな」

 

「はっ、かしこまりましたアインズ様。お体、ご自愛くださいませ」

 

 そのように言うと、アインズはナーベラルを促して、図体がでかくてかさばるので置いてきたハムスケと合流するために彼女の潜伏場所へと立ち去った。幾ら不可視にしても体積がでかいのはどうしようもないのでやむを得ざる選択であったが、さぞかし不安に思っているだろう。

 

 

 翌朝。昨日の落ち込みようとは打って変わって元気良く姉夫婦に挨拶したネムの様子を見て、エンリとンフィーレアは思わず顔を見合わせた。

 

「ネム……?その、大丈夫?ガンマ様のことを心配してたんじゃなかったの」

 

 あるいは自分たちに心配をかけないための空元気であるだろうか、そのように思いながらエンリが問うと、ネムは屈託のない笑みを返した。

 

「うん、ガンマ様はきっと無事だよ。そんな気がするんだ。でも、なんでかな……?」

 

 我ながら不思議であったが、昨夜までネムの胸を苛んでいた不安は跡形もなく消え去っていた。何かとても大切な夢を見たような気もするが、よくは思い出せない。

 己の胸に手を当てて目を閉じた妹の姿を見て、エンリの頭には疑問符が浮かんだのだが。それに対する答えがもたらされることはなかった。まあ、ネムが自力で不安から立ち直ったのなら、それは結構なことだ。自分もガンマ様の無事を祈ろう。

 どうか、明るい明日が訪れますように。

 

 

 




 アインズ様が指揮棒を振れば容易く悪魔になるんだけど、ほんの僅かに残ったものもありますよ、みたいな話のつもり。
 あと独自設定と言えばそうなるのですが、この手の記憶操作が完全には効かないというのはまあ、定番のお約束ということで( ´∀`)



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then:帝国魔法省

 
 前話からの流れで帝国に棲むあの人の話。
 ただし本編ほどはっちゃける理由が無いんで大人しかった模様。



「……なあ、ナーベラルよ。二つばかり、聞きたいことがあるのだが……」

 

「は、はいっアインズ様。なんなりとお聞きください!」

 

 アインズはため息をつくと、目の前に転がるそれを指さした。

 

「あいつは、一体何をしているんだと思う?」

 

「はっ。私が愚考致しますところ、あの男はアインズ様に対する敬意を全身で示しているのではないかと思われます。……人間にしては、なかなか殊勝な心がけと言えるかと」

 

 ふむ。アインズは目の前に寝っ転がった白い老人を観察する。

 両手・両膝・額を部屋の床につけて平伏するその男、フールーダ・パラダインのその格好は、確かにリアル世界では五体投地と呼ばれる、拝礼の姿勢であった。

 アインズがナーベラルから聞き出した予備知識から考えれば、高位階の魔法の使い手であるアインズは、フールーダに無条件で崇められてもおかしくはないのかもしれない、まあ。そもそもそういう効果を狙って、わざわざ探知阻害の指輪を外した上で訪れたのだから。

 

「ではもう一つだが……お前は、何をしているのだ?」

 

「はっ。この男、いきなり飛びかかってくるやも知れませぬ故、アインズ様の御身を直接晒すわけには参りません!不肖の身なれど、私の体を盾にお使いください」

 

 崇めてる相手に飛びかかってくるとか、おかしくね?と、アインズは思うのだが。ナーベラルは大真面目にアインズを庇ってその前に立っているつもりらしい。その割には露骨に腰が引けていて、背後に庇った筈のアインズの体をぐいぐいと押す勢いで下がろうとしているのだが。

 

「……別に、危険はないのだろう?そんなに怖いなら無理しなくてもいいぞ?」

 

「いえ、アインズ様の御身をむざむざとあの男の魔の手に晒したとあれば、戦闘メイド(プレアデス)の名折れです!ここは私にお任せください!」

 

 悲壮な覚悟を決めてそのように言うナーベラルを、アインズは呆れたように眺めた。未だ己の体を床に投げ出したっきり微動だにしないフールーダを見て嘆息する。

 

「三つ目になってしまうが……あいつは、いつまでああしているつもりなんだ?」

 

「はっ、これも推測になってしまうのですが……アインズ様が、お声をお掛けになるまでではないかと愚考します!」

 

「そ、そーなのかー」

 

 それを聞いたアインズは、試しにフールーダに声をかけてみた。

 

「……苦しゅうない、面を上げよ」

 

 瞬間、フールーダががばと身を起こす。その動作を見てびくりと首を竦めるナーベラルの肩に手をやって動揺を鎮める間にも、老人は膝をついた姿勢に移行して、滂沱と涙を流した。

 

「おお、師よ……未だナザリック地下大墳墓を見つけることの叶わぬこの無能な弟子に、神とお引き合わせくださったことを感謝致します」

 

「……神って、おい」

 

 あらかじめ人払いはしておくように伝えさせてあるが、アインズは思わず周囲を見回した。彼にしてみれば、余人に聞かれるには恥ずかしい台詞であったが。ナーベラルが当然ですとでも言いたげに、満足そうに頷いているのを見て絶句する。

 

「魔法を司るという小神を信仰しておりました」

 

「はあ」

 

 突如語り出したフールーダに、気の抜けた相槌を返すアインズ。その様子に頓着することもなく、老人は言葉を繋いだ。

 

「しかし、貴方様がその神でないというのであれば、私の信仰心は今掻き消えました。――何故なら、本当の神が私の前に姿を見せてくださったからです」

 

「……へえ、その御方は何処にいるんだろうね」

 

 現実逃避を込めてわざとらしく周囲を見回したアインズであったが、それに委細構わず、フールーダがアインズの姿を伏し拝む。

 

「私の命、信仰、魂までも、全て貴方様のものでございます。お望みのことがあればなんなりと命じてくださいませ」

 

 そう言って膝立ちのままじりじりと躙り寄ろうとしたのだが、ナーベラルにくわっと睨まれて、残念そうに動きを止めた。……成る程、確かにちょっと引くわ。アインズは実物を見て、ようやくナーベラルの態度に納得したものである。

 

「ま、まあそれなら話は早い。フールーダよ」

 

「へへぇ」

 

 名を呼ばれ、フールーダがへつらいの笑みを浮かべた。弟子達の前では決して見せぬ表情である。誰かに阿る必要がなくなって百余年、無双の大魔導師にできる精一杯の態度であった。

 

「お前は今までナーベラル……このガンマの命に従ってナザリック地下大墳墓の所在を調査していたそうだが」

 

「はっ、仰せの通りでございますが……発見の暁には師が弟子にとってくださるという約束を励みに粉骨砕身して参りましたものの、無能非才の身では未だ朗報をもたらすには至らず、汗顔の極みでございます」

 

 膝立ちの姿勢で合った故、スムーズに土下座に移行するフールーダに、アインズはひらひらと手を振った。

 

「……よい、才や実力の問題では無かろう。元々あるかないかもわからぬものを探させていたのだからな。念のため確認しておこうか。まあ大体推測はついているだろうが……私の名はアインズ・ウール・ゴウン、お前が師と呼ぶ娘の主だ。お前が彼女に捧げた忠誠は、そのまま私に引き継がれると言うことで構わぬな?」

 

 その言葉を聞くと、フールーダはナーベラルの方を見上げて言った。

 

「……我が師にそれで異存がないのであれば、我が忠誠を受け取って頂けるのは幸福の極みでございます」

 

「……私に異存はないわ。これからはアインズ様に絶対の忠義を捧げるように」

 

「承知致しました、師よ。……ということですので、よろしくお願いします、我が神よ」

 

 神呼ばわりは止めて欲しいなあ。アインズは思ったが、それを口にするのは躊躇われた。もっと悪化しそうな気がしたからだ。

 

「……では命ずるとしよう。勤勉なお前のことだ、そろそろ一通りは帝国の情報を調べ終わったことであろう。であれば、ナザリック地下大墳墓の捜索はその優先度を下げる。そして、本来の職務に精励せよ」

 

「……どういうことですかな?」

 

 疑念の声を上げたフールーダに、アインズは説明する。

 

「どうせ他の仕事を全てほっぽり出して調べ物に邁進していたのだろう?我々はこれから独自にナザリック探索の旅に出るつもりだ。我が身が流浪の身の上であるうちは、お前を連れていくつもりはない。それよりは、帝国の重鎮としてのお前の力をあてにさせて貰いたい」

 

 手始めに、速やかに王国領に進駐し、平和裏にその領土を占領せよ……およそ予想とはかけ離れたアインズの命令に、フールーダは首を傾げた。

 

「はて、王国の首都リ・エスティーゼにただならぬ異変が起こったらしいということは、私の方にまでも報告が上がってきておりますが……」

 

「……はっきり言っておこう、王都リ・エスティーゼは滅ぼした。やったのは私だが、バレるまではできるだけ秘密にしておくように。リ・エスティーゼにはゾンビが溢れているが、街の外には出ないように命令してある。皇帝が慎重を期して様子見をしようとする可能性はそれなりに高いだろうが、その時はお前が適当に、そう、魔法で調べたとでも言って、王都の外は安全であることをアピールすれば、王国領を切り取る機会を逃すことはあるまい」

 

「なんと……!?」

 

 フールーダは口を半開きにして固まった。神の顕現としか思えぬ目の前の存在であれば、成る程それも容易いことであっただろう。疑うことはないが、驚愕に思考が追いつかない。

 

「私の望みは残された王国領が、統治者不在のまま混乱に陥る前に、帝国の手によって秩序を維持することだ。その為にお前の尽力をあてにしたいが、できるな?」

 

 アインズの意図は未だ見えぬながら、フールーダにその言葉に逆らうという選択肢は最初からない。神の望みを叶えるべく全力を尽くすことを誓う。

 

「我が神のお望みとあらば」

 

「うっ……」

 

 幸い、その台詞はドイツ語に翻訳されては聞こえなかったため、アインズは仮面の下でしかめっ面をするだけで済んだ。内心の微妙な気分を必死に沈めると、訝しげな顔のフールーダに向けて態度を取り繕う。

 

「……期待しているぞ。お前の望みはナーベラルに聞いて把握している。それはいずれ叶えてやるつもりではあるが、今現在は、帝国に居て貰いたい。今はその方が私の役に立てるはずだ」

 

「仰せのままに。ですが……」

 

 フールーダは平伏して了承の意を示しながらも、もじもじと身じろぎした。その様子を見咎めたアインズが不思議そうに訊ねる。

 

「む、なんだ、どうした?」

 

「はい、不躾なお願いなのですが……何か証をいただけないでしょうか」

 

「証?……契約書でも欲しいのか?」

 

 アインズの返答を聞くと、フールーダは首を横に振った。

 

「いえ、神の言葉を疑うなどとは。そうではなく、貴方様がこのまま立ち去られた場合、私は今日の出来事を私の妄想が生み出した夢ではないかと疑いたくなるでしょう。貴方様の存在が私の夢ではないと証立てるような品をいただければと……」

 

 その言葉を聞き、アインズはふむと考え込む。図々しい願いだなといきり立つナーベラルを宥めながらその口を開いた。

 

「そういう事なら何か見繕うか……これがいいかな、お前のこれからの働きに期待する手付けとしておこうか」

 

 フールーダの前に立って、収納(インベントリ)から取り出した指輪を差し出す。

 

「神よ、これは……?」

 

維持する指輪(リング・オブ・サステナンス)だ。この指輪を身につけると、飲食と睡眠が不要となる。職務に精励する上でも、あるいはそれと並行で魔導の研鑽をするにも、きっと役に立つことだろう。受け取るがいい」

 

「おお……感謝致します……!」

 

 フールーダは感極まった様子で、そのシンプルな指輪を受け取ると、両手に捧げ持って拝礼した。次の瞬間、一切の躊躇いもなく左手の薬指に嵌った指輪を外すと、代わりに受け取った指輪を嵌める。上気した顔でうっとりとその指輪を眺める老人を、アインズはいささか狼狽えて眺める。

 

(いや、この世界にそういう風習がないらしいのは知ってるけどさあ!たぶん今装備してる指輪のうち、優先度を考慮した上での選択なんだろうけどさあ!……なんで左手の薬指なんだよ!というか、頬を染めるな!頬ずりすんな!)

 

 内心で絶叫しつつも。危うく精神が強制的に沈静化される前に、どうにか落ち着きを取り戻したアインズは、咳払いして気を取り直した。

 

「オホン。とにかく、まあそういうことだ。我々は先程も言ったように独自に探索の旅に出るが、この国とその近隣についてはお前に任せる。時々報告を聞くために、謁見の機会を設けよう。先程ここに来たときのように、<転移門>(ゲート)の魔法を使えば、会いに来るのは容易いことだからな」

 

「ははぁっ……」

 

 

 <転移門>(ゲート)の魔法でフールーダの前から去り、元居た場所に戻る。ハムスケが駆け寄ってくるのを見ながら、アインズはふうと一息ついた。

 

「やれやれ、どうにか無事に終わったな。……確かに些か奇っ怪な爺さんだった。お前が言うほどだったかと言われれば、疑問の余地はあるが」

 

 フールーダの様子を思い起こしながらアインズはしみじみと述懐する。もっとつれない態度をとっていれば、幾らでもその奇矯な言動を見ることができたであろうが、知らぬが仏とはこのことである。ともあれ、ナーベラルがその言葉を聞いて首を捻った。

 

「そうですね……私が会った時は、もっとエキセントリックな奴だったのですが。おそらくはアインズ様のご威光の前では、さしものあやつも平伏する以外の行動がとれなかったのでしょう。流石はアインズ様です。そして、要らぬ心配をお掛けしてしまって申し訳ありませんでした」

 

 そのまま深々とお辞儀をして謝意を示すナーベラルに、アインズは構わぬと身振りで示し、寄ってきて立ち止まったハムスケの頭をわしわしと撫でた。そのままなんとなく顎の下をくすぐるようになで回すと、ハムスケが眼を細めて心地よさそうに喉を鳴らした。

 

「構わぬ、気にするな。……さて、これで仕込みも済んだし、行くとしようか」

 

 ほとぼりが冷めるまで、という言葉は飲み込んだ。ナーベラルが不思議そうに訊ねる。

 

「ところでアインズ様……あの男に下された命令には、結局どのような意図があったのでしょうか?」

 

 ――エ・ランテルの治安を維持するために、ほんの僅かに気を回しておいただけのことだ。世話になった人間も居ることだしな。つまらぬ感傷だよ。

 などとは、とても口にはできなかった。王国の治安を完膚無きまでに崩壊させた張本人がどの面下げて言う台詞だ、と自嘲したからである。マッチポンプにも程がある。

 

「まあ……布石という奴だ。ナザリック地下大墳墓が無事見つかったとき、あるいは……どうしても見つからなかったとき。その先のことも考えておかねばな……」

 

「……流石はアインズ様、そのような先のことまでお考えになっているとは、感服致しました」

 

 それで納得したようにナーベラルがお辞儀する。具体的なことは何一つ言ってないんだけど、こいつ本当に分かってるのかなあ。万事俺に任せておけば問題ないとか思ってないか?などという疑問が脳裏を掠めるが、結局彼女の望みは自分と一緒に居ることだけであるため、後はどうなろうが知ったことではないのか元々。彼女の忠誠と敬愛はそれはそれで可愛らしいのだが、悩みを分かち合える仲間というわけには行かないのだなあ。そう思ってアインズはため息をついた。

 

 

 ――その後、バハルス帝国はリ・エスティーゼ王国の領土へ侵入する。名目上は混乱の渦に叩き込まれた王国の治安回復のためであるが、当然ながら王都におらず難を逃れた残存する貴族勢力の反発を招くこととなった。そんな中、エ・ランテルの都市長パナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイアによるバハルス帝国に対する保護要請が発表されるに至り、対外的な名分を得た帝国軍は平和裏にエ・ランテルに進駐、この都市を帝国領土として庇護下に置いた。

 エ・ランテル、リ・ウロヴァール、リ・ブルムラシュール、エ・レエブル。最終的にバハルス帝国は四つの都市を王国から切り取ることに成功するが、死都リ・エスティーゼの禍々しい威容を遠望するに至り、直ちに王国全体の併合を断念したとも言われる。残る都市群は混乱の内に、あるいは近場の隣国に庇護を求め、あるいは都市国家としての独立運営を画策し、あるいは住民に見捨てられ放棄され。リ・エスティーゼ王国の領土はバウムクーヘンを切り分けるように解体されて、王国は消滅することとなった。

 

 バハルス帝国の迅速な行動には、人類最高の大魔導師フールーダ・パラダインの尽力があったと言われ、帝国皇帝はその功を多いに賞したという。その一方で、皇帝はそれとは裏腹に、フールーダ・パラダインだけに限らず、一個人の能力に過度に依存しない国家体制のデザインに取りかかることとなった。丁度その頃から噂に上るようになった、正体不明の参謀役の入れ知恵があったとも言われるが、その真偽は定かではない。

 

 




 そして二人と一匹は探索の旅に出ました。
 人類社会の状況もある程度示せたと思うんで、その後の話はこれでお終いです。
 主観的な幸福度で言えば、このSSで一番幸せになったのは間違いなくフールーダ。

 あと一話は本当のおまけとなります。



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some day:王の帰還

 
 おまけにして本当に最終話です。
 本編が終わった先、いつか、どこかのお話。
 ナザリックの転移先を始めとして、結構独自設定がありますのでご了承ください。



 ナザリック地下大墳墓。およそ墓という言葉に似つかわしくない、絢爛豪華な威容を持つ遺跡群。四十一人の至高の御方々が造りしアンデッドと異形種の楽園。

 だが、今、その巨大な建造物には、墓という名に相応しい死の雰囲気が漂っている。元々生気のある場所ではないのだが、死の気配――アンデッドの活動する雰囲気すらそこには残っていない。ひたすら、静謐な静寂の中、時が止まったかのような沈黙が其処を支配していた。

 

 中央部にそびえる一際巨大な霊廟――ナザリック地下大墳墓第一階層への入り口は、今現在完全に閉鎖されている。そんな中、霊廟表の僅かな地表部に、生い茂る雑草を刈り込む一人のメイドの姿があった。

 黒髪を結い上げた絶世の美女の名をユリ・アルファと言う。ナザリック地下大墳墓の執事長、セバス・チャンの忠実なる僕――第九階層を守護する戦闘メイド姉妹(プレアデス)の長女であった。

 九階層に配置されたはずの彼女がなぜ一人で地表にいるのか。それはナザリック地下大墳墓をある日突如として襲った異常事態に起因する。

 

 アインズ・ウール・ゴウン最後の一人にして最も慈悲深きナザリック地下大墳墓の支配者、モモンガがその姿を消した時、ナザリック地下大墳墓に仕えるシモベ達の半数以上の胸に去来したのは、とうとうこの時が来てしまったかという諦めに満ちた恐怖であった。とうとう最後の一人ですら我々をお見捨てになった、モモンガ様は他の方々が去った彼方の世界に彼らを追いかけていくことを選ばれたのかと。

 特に、モモンガに玉座の間にて最後の別れめいた儀式をされたと思しき守護者統括と執事長、その部下の戦闘メイド姉妹(プレアデス)にその思いは強く突き刺さったが……同時に、二つの異常事態が彼らの心情を絶望で塗りつぶすのを妨げた。すなわち、ナザリック地下大墳墓の周辺地形がまるで異なる場所に入れ替えられたことと、プレアデス三女――ナーベラル・ガンマの行方不明である。

 

 ナーベラルが消えたというだけなら、そして彼女がモモンガが直接創造したNPCであったならば、あるいはモモンガが彼女だけを伴って去った、そのような結論にもなったかもしれぬ。実際そのような可能性については、些かの嫉妬と共に守護者達の間で挙げられたものである。その可能性を検討した守護者統括は、やがて首を横に振った。あの最後の瞬間、ひれ伏したアルベドが空間が軋むような歪みを受けて顔を上げるまでに、モモンガ様は煙のように掻き消えた。その場に同席したナーベラルも同様である。隣に跪いていた姉妹達は、口を揃えて気がついたら彼女だけが居なかったと証言した。モモンガ様が彼女に対して特別な扱いをする様子は一切無かった、それに直接創造したNPCであるパンドラズ・アクターは未だ宝物殿に健在である。これらのことを踏まえれば、モモンガ様がナーベラルだけを特別扱いして連れ出したとは考えにくい。

 

 そして、シャルティアからもたらされた、地表部外観の地形の変化という異常。一階層から三階層までという、広さ的には最大の領域を受け持つ階層守護者である彼女が、至高の御方の気配を探して自身の守護区域を見回った際に、一階層出入り口から見える外の様子がおかしいことに気がついたのだ。報告を受けてシャルティアのやや要領を得ない説明を聞きながら――一階層担当のシャルティア以外は、統括と言えども外の様子をその目で見たことはなく、ナザリックが毒沼の畔に建っていたという知識を僅かに持っていたに過ぎない――外の様子を確認したアルベドとデミウルゴスは、ナザリック地下大墳墓自体が何らかの原因でかつてあった場所とはまるで異なる地点に転移させられた、との結論を下すに至った。

 

 この異常事態は、モモンガ様すら想定していない状況の可能性がある、最後の一人にまで見捨てられたわけではないかもしれない。その認識は、絶望に怯える守護者達が縋り付く希望の糸となった。だがしかし、そうなってなお、ナザリックの外に出て至高の御方を探しに行くべきだ、とは誰も言い出せなかった。至高の御方によって下された最後の命令は、自身の守護領域の守護である。基本的にNPCはその命令に逆らうようにはできていない。領域守護を投げ出して、守護者達だけで集まったことですら、転移してようやく自我に目覚めた彼らにとっては一大決心の必要な難事であった。

 モモンガ様がなんらかのアクシデントでナザリックとは別の場所に飛ばされたのであればいずれ必ず帰ってきてくださる、それまでナザリックを守護し続けることこそが我々の為すべきことでは、そのように言い出したデミウルゴスに、反論する声はなかった。なにしろ最後のご命令に愚直に従っていれば、事態がいつか解決するかもしれないと言うのだ。それは甘美で楽な道に思われた。

 そこにアルベドが一つの提案を出した。ナザリック地下大墳墓は存在するだけでコストがかかるものであることを、守護者統括である彼女はよく知っていた。モモンガ様が居なくなられて宝物殿の財貨にすら手をつけるのが躊躇われるどころか手をつける方法すらない。モモンガ様がいつお戻りになるかわからぬ以上、多少(・・)警備体制を変更してでも消費コストをできるだけ抑えた形で運営すべきではないだろうか?

 最後のご命令に従ってナザリック地下大墳墓を守護し続ける、そのような観点で見れば明らかに余計な提案であったし、至高の御方のご命令に逆らうともとられかねない内容であった。だが、不思議と他の守護者達からは反論の声が上がらなかった。アルベドがそのようなことを言い出した裏の意図、彼女が無意識のうちで考えたであろう恐怖を、その場の皆が共有していたからであるかもしれぬ。すなわち、彼らは()()()()()()()()()()のだ。いつ帰るとも知れぬ、至高の御方の帰還を待ち続ければ……些細な異常事態など関係なく、本当はやはり見捨てられたのだ――要らなくなったゴミをゴミ箱へぽいと捨てるように、ナザリック地下大墳墓自体が異空間に投げ捨てられたのだ――起きている限り、心の底を脅かすそのような空想と終わりのない戦いを繰り広げねばならなかったから。

 

 そうして彼らは眠りについた。夢見るままに待ち至り――辛い現実で恐怖と戦い続けることを厭い、大義名分を盾に夢の中に戯れることを選んだ。別に、誰も表だってはそのような選択をするとは口にしなかったが。

 ナザリック地下大墳墓の全NPCは冬眠し、全ての施設は休眠に入る。大墳墓全体が冬眠状態に入るその状況下でも、最低限の管理人は必要だ。すなわち、眠りについた大墳墓を警護し、侵入者が現れればそれを撃退し、手に負えなければ守護者達を目覚めさせる、そのような見張り番である。

 ユリ・アルファは、進んでその役目に志願した。まず適性の面でも彼女は適役だった。デュラハンである彼女は、アンデッドとして睡眠・飲食不要の存在である。ナザリックの消費コストを最低限に保つ上ではまことに都合が良く、交代人員を確保せずとも二十四時間体制で管理することが出来た。無論、侵入者の発見自体は警報の魔法を利用することになるのだが。

 そして、彼女が志願する理由を聞いた守護者達は、そろって納得して頷いた。曰く、同じく行方不明になっている妹のことが心配だ、あの子に何が起こったのか考える時間と手がかりを探す為に自分は起きていたい――その志願理由自体はとても納得がいくもので、特に反対する要素は無かった。こうして、ユリは眠りについたナザリック地下大墳墓にただ一人、起きて管理を行う番人となったのである。

 

 最低限の改装として、プレアデスの姉妹達は地表部に配置された。ユリは起きて、妹たちは寝てとの違いはあるが、本体一階層へと繋がる中央の霊廟を囲むように配置された四つの小さな霊廟、その中にて待機し、侵入者の規模に応じてユリが対応を判断する。一人で対応できるならそれにこしたことはない。数が多くて手が必要ならまずプレアデスを起こしてそれで対応する。それですら足りないほど強大な侵入者が来れば、その時初めて守護者達を起こすのだ。

 ユリは一人でせっせと地表部外観の手入れをしながら時を過ごした。一人ではちっとも手が追いつかないが、身体を動かすのは苦ではない。霊廟に待機しながら、至高の御方がもはやお戻りにならない可能性を考えるよりは余程楽であった。どことも知れぬ荒野の果てであったが、侵入者は時々あった。殆どは一人で容易く対処できた。侵入してきた亜人種や低級モンスターなどは、ユリ・アルファの敵ではなかった。ごく希に、数が多くて手が回らないときは妹たちを起こして対処した。それも片手の指で数えるほどのことである。守護者達まで起こす事態になったことは、今までない。

 

 

 妹はどうしているのだろう――手持ち無沙汰に霊廟の掃除をしながら、ユリは思う。月日の流れを数えるのをやめてどのくらいが経過したかはもうわからない。毟っても毟っても生えてくる雑草と、払っても落としても溜まる埃を機械的に掃除しながら、時の止まったようなこの空間で代わり映えのない日常を今日も過ごす。

 モモンガ様に何があったのかわからぬのと同様、ナーベラルに何が起こったのかもまたわからぬ。モモンガ様と共にいるのならばまだよい、むしろ羨ましいくらいだが、一人で放り出されてしくしくと泣いては居ないだろうか。

 

 その時、警報システムが侵入者を示すメッセージを送ってきた。その数は三体。やれやれ、侵入者も随分と久しぶりだ――そのようなことを考えながら、主武装であるガントレットを腕につける。その辺に棲息するモンスターか何かだろうか。

 そうして小霊廟の外に出、中央に聳える本霊廟への参道入り口に佇むその二人と一匹を視界に入れた瞬間、ユリ・アルファの思考は完全に停止した。侵入者のうち二人――細身の女性と大柄な仮面の男性、どちらの姿にも見覚えがあったからだ。その背後に控える白銀の魔獣には心当たりはなかったが。

 女性の顔がふとこちらを向き、ユリの姿を視界に入れるのを、彼女は完全に停止した思考の中、ぼんやりと眺めた。その女性――ナーベラル・ガンマは、ユリに気がつくとその顔をはっと驚きに歪め、そして目の端に涙を浮かべながらこちらに向かって突っ込んできた。

 

「ユリ姉様ぁああああああああああああああああ!!」

 

「ちょ、ナーベ、待って、そんな勢いで、首がズレる!?」

 

 全速力で突進してきて己の豊満なバストに顔を埋め、力一杯抱きついてきた妹の様子に困惑と安堵を覚えながら。顔をくしゃくしゃに歪めながら抱きついてくる妹を片手で抱きしめ返し、もう一方の手でズレ落ちそうになった首の位置を直しながらも、彼女の意識は妹の後ろからゆっくりと歩いてきた人影に釘付けだった。

 見覚えのない妙な仮面で顔を隠していても、何故か絶対支配者としてのオーラを感じられなくとも。ユリ・アルファがその御方の姿を見間違うはずはなかった。妹に抱きつかれていなければ、彼女はその場に跪いていただろう。代わりに両腕で妹の身体を抱き返し、嗚咽をあげる彼女の頭と背中をなで回しながら。目の端から零れる涙を拭おうともせず、ユリはこう言った。

 

「――お帰りなさいませ、モモンガ様。ボク……私たちの至高の御方」

 

「……ああ、ただいまユリ」

 

「姉様、モモンガ様は今はアインズ様と……」

 

 口を挟んだナーベラルの頭をぽんぽんと撫で、アインズは首を振った。

 

「いや、ナーベラル、今はそれでよい。いちいち訂正するのも面倒だ、全員が集まってから説明しよう。それで……なぜお前がここに居る?他の皆はどうしたのだ?」

 

 その言葉を聞いてユリははっとした。右手を妹の背中から外し、腰につけた魔法のベルをまさぐる。それこそは、今まで一度も起動されたことのない、ナザリック全守護者への警戒態勢を促す非常ベルだ。全員を起こして集めるには、これが一番手っ取り早いだろう。

 ユリが右手に持ったそのベルをからんからんと高らかに振ると、一瞬の沈黙を挟み、四方の霊廟からまずプレアデスの妹たちが飛び出してきた。緊張をはらんだその顔は、表で寄り集まった三人(とおまけの一匹)の姿を認めると、まずは驚愕にその目が大きく見開かれる。

 

「みんな……!!」

 

「ナーちゃん!モモンガ様!!」「姉さん!」

 

 ルプスレギナが、シズが、ソリュシャンが、エントマが。駆け寄ってきてナーベラルと抱きしめ合う。感動の再会を頷きながら見守るアインズと、目の端をそっと拭うハムスケ。

 

 次いで出てきたのは鮮血の戦乙女。中央霊廟の入り口から飛び出してきた彼女は、アインズの姿を認めた瞬間、驚愕のあまりその手にもったスポイトランスを取り落とした。からころとその場に転がるランスには目もくれず、己の身体をよろった朱い装甲をがらんがらんと外しながら震える足取りでアインズの下に歩み寄り、その足下にすがりつく。

 

「我が君……!!」

 

「シャルティア……」

 

 アインズがその頭を優しく撫でると、シャルティアは足下に縋り付いたまま涙をポロポロとこぼす。

 

 その次に出てきた蟲王(ヴァーミンロード)がやはりその手に持った四本の剣を取り落とし、よろめくようにアインズの前に這い寄り、手足を震わせながら平伏する。

 

「コキュートス……」

 

 ダークエルフの姉弟が驚愕から歓喜へとその表情を変え、アインズの下へすっ飛んできて抱きついたのを優しく抱き返す。

 

「アウラ、マーレ……」

 

 出てきた瞬間驚愕の余り棒立ちになり、すぐに外面を取り繕ったものの隠しようもなくぎくしゃくとした足取りで正面に跪く眼鏡の悪魔。

 

「……ご帰還、お待ち申し上げておりました」

 

「デミウルゴス」

 

 悪魔とほぼ同時に出てきて、軽く目を見張った後平静を装い、ゆっくりと歩み寄って、身体の震えを押し殺しながら一礼して平伏する執事。

 

「……お帰りなさいませ、御方」

 

「セバス」

 

 そして、最後に姿を現し、緊張の余りに過呼吸を起こしながら、他の守護者達を掻き分けてアインズに縋り付く純白の悪魔。

 

「モモンガ様ぁ……!!」

 

「アルベド……」

 

 そうして、ここまで出てこられる全ての守護者達が揃ったのを確認すると、アインズは彼らに向かって宣言した。

 

「――皆、心配をかけて済まなかったな。私は帰ってきた、このナザリックに」

 

 その言葉を聞き、周囲で平伏する守護者達の歓喜が爆発した。

 

 

 




 ナザリックはハッピーエンドになりました、と言いたいだけの話。それをベースに作劇上の都合を込めて話を生成しています。
 ナザリックが転移してきてないという設定にした場合、いつかは維持費切れで大墳墓崩壊→NPCたち捨てられた現実から目を逸らせなくなって絶望からの集団心中。
 それを避けるにはナザリックも転移する必要がある→他のNPC達は何してたの→外で暴れられても扱いに困るんでみんなで一人旅のアルベドになろう。引きこもること自体はそれほど不自然でもない筈だ。
 ただし二人だけが転移時に振り落とされた原因とかの設定は存在しません( ´∀`)

 これで書きたいことは書いたし、ゴタゴタで放出し損ねた分も出し終えたので、今度こそ完全に完結となります。
 ここまでおつきあいくださりありがとうございました。

2/28 ユリの台詞を微修正。


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