虚ろな剣を携えて (狩奈)
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SAO:Break that moment
現の世界


※2022年2月25日 SAO編改訂開始


 

 

 

 世界初のVRMMORPG《ソードアート・オンライン》、通称SAO。

 

 ゲームの世界に直接入り込むことを可能にする新世代()()()()()型ゲーム機《ナーヴギア》。全世界のゲーマーはフルダイブで遊べるRPGを待望していた。

 

 SAOは、ゲーマーあるいはゲームが好きな人間であれば誰しもが一度は憧れる夢そのものとなるはずだった。

 

 ゲームクリアまで()()()()()()()、HPが無くなれば()()()()()()()()

 

 こんな冗談のようなルールが宣言されるまでは。

 

 あるものは、それこそ冗談であると鼻で笑い飛ばして虚空に身を投げ死んだ。

 

 あるものは、ただひたすらに絶叫し、泣き叫び、心を病んだ。

 

 あるものは、どうせいつか助けが来る筈だと何もしないことを選んだ。

 

 そして、ほんの一部のイカれたものたちは、瞬時にこの世界のルールを受け入れ終わりの見えない戦いにその身を投じた。

 

 かくいう俺も、そんなイカれ野郎の一人である。

 

 

 

***

 

 

 

 鋭い尾の先端が右の頬を掠めて後方の空間を抉った。

 

 咄嗟の判断で首を傾けていなければ、脳天を深々と貫かれていただろう。

 

 半人半蛇の怪物は俺のかすかな恐れを愉しむかのように軋んだ音を立てて不気味に笑うと、細かく枝分かれした尾を一斉に俺へと差し向けてきた。

 

 尻尾の刺突を一本ずつステップで回避していては追いつかれる。そう判断して最初の一本はその場で体を捻じって躱し、勢いを殺さないままくるりくるりと回るように攻撃の隙間を縫っていく。

 

(あの与太話は本当だったのか……)

 

 ゲームが進行するにつれて当然のことながらモンスターは強くなっていく。だからと言ってモンスターは現実にいるような本物の生物とは全く違うし、原則として決められたアルゴリズムの範囲で動く敵性存在がモンスターと呼ばれる。

 

このことは公式のヘルプやガイドにもしっかりと明記されている。

 

 しかしゲームも後半に差し掛かった今になって、本当に意思を持つかのように振る舞うモンスターが存在するという噂が立った。

 

 俺個人としてはそんな噂などまったく信じていなかったし、一考にも値しないとすら思っていた。

 

今はもう昔となった第5層にもNPC扱いではあるが多少高度なAIを持つモンスターは存在していたがそれはイベントを成立させるための例外で、もし本当にモンスターが人間たるプレイヤーを学習しているのならとっくの昔にプレイヤーは敗北しているはずだ。

 

 不確かな情報が混ざり合った結果として根も葉もない憶測が飛び交うようになったのだとほとんど決めつけていたが、こうも寒気のするような邪気を直接向けられては事実であると認めざるをえない。

 

 俺を仕留めるつもりで放った攻撃が全て回避されたのが気に食わなかったのか、業を煮やした半蛇モンスター《クイーン・ラミア》は上半身の両腕を俺の首めがけて勢いよく振り下ろした。

 

しかし所詮はその程度。

 

「読んでたよ」

 

 俺はこの瞬間をこそ待っていた。

 

 ただ闇雲に回避していたのではなく、徐々に間合いを詰めることで腕による攻撃を誘発していた。

 

 その場で跳躍することによりラミアの抱擁から逃れ、空中で右手に握る()を振りかぶる。

 

 紺青の光が剣から迸る。

 

 これこそがSAOという世界においてプレイヤーに許された()()()

 

 その名は、《ソードスキル》。

 

 隙だらけになったラミア目掛けて刃を振り下ろす。

 

 斬撃は縦に深々とラミアを抉る。HPを削りきるには至らないが、このスキルはそれだけでは止まらない。

 

 片手剣カテゴリ・ソードスキル《ファントム・レイヴ》は、()()()()である。

 

 剣を跳ね上げるようにもう一撃。勢いのまま体を翻して交差する三、四撃。

 

 剣を後方にに引き戻して突きの五連撃目を放ち、大上段からの六撃目でフィニッシュ。

 

 HPを全て削り取られた《クイーン・ラミア》は常に生々しく蠢かせていた全身をピタリと制止させる。

 

あっという間に色彩を失いガラス片となって散って行くラミアを最後まで見届け、静かに空を薙いで残心する。戦闘はここに終了した。

 

 戦績(リザルト)を確認するために、幾度となく繰り返した手付きでメニューウィンドウを開く。クイーン・ラミアの爪、尾鉤、宝玉、エトセトラエトセトラ。

 

同じ爬虫類でも堅牢なドラゴン素材とは違い、蛇やトカゲの素材は柔軟性に優れる。戦闘用の装備だけではなく普段着などの衣服にも使われることから特に絹のような上質な肌触りを生むラミアの素材は常に一定の需要がある。

 

つまり、これがなかなかに高く売れるのだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、モノの買取値(レート)はさほど大きく変動してはいないだろう。二束三文にしかならないようなアイテムは捨てて比較的価値の高いものだけを厳選してはいるが、流石に所持可能容量(ストレージ)がいっぱいだ。

 

 それに、一番の目的は果たした。

 

 アイテムの入手記録に次いでバトルログに流れる文面に視線を移す。

 

――《武器防御》スキル、完全習得(コンプリート)

 《回避》スキル、完全習得(コンプリート)

 《索敵》スキル、完全習得(コンプリート)

 《隠蔽》スキル、完全習得(コンプリート)

 《識別》スキル、完全習得(コンプリート)

 《軽業》スキル、完全習得(コンプリート)

 《舞踏》スキル、完全習得(コンプリート)

 《集中》スキル、完全習得(コンプリート)

 

――エクストラスキル《電光石火》の習得上限が解放されました。

 エクストラスキル《精神統一》の習得上限が解放されました。

 エクストラスキル《流麗転身》の習得上限が解放されました。

 エクストラスキル《明鏡止水》の習得上限が解放されました。

 エクストラスキル《剣人一体》の習得上限が解放されました。

 

「まだ、まだ足りない……まだ」

 

 一か月にも及ぶ不眠不休の過酷な行軍に無謀な狩り。そんな生活に身を投じた本当の理由は、一つでも多くのスキルを一刻も早くコンプリートするためだ。

 

わざわざモンスターが徘徊するフィールドに出るリスクを負わなくても街にいるだけで鍛えられるスキルもあるが、この世界において戦いを生業とする俺にとってはこのやり方こそが最も効率的だ。

 

 SAOプレイヤーを牽引するトップ集団に及ばない俺を含む中堅以上のプレイヤーは、何事につけても常に優先される上位層とは違って最高率の狩場を贅沢に使うことが出来ない。

 

だが時間だけは全プレイヤーに等しく与えられている唯一のものだ。

 

 何週間、何か月と飲まず食わずで戦えば効率のいい狩場など考える必要は無い。

 

レベルは覆しようのない差であるとしてもスキルは使用した時間と回数に比例して鍛え上げられていく。

 

 故に、習得したスキルの数とコンプリートしたスキルの数だけを見るなら、俺はこの世界の誰にも負けないと自負している。

 

負けないということは、死から遠ざかるということだ。死から遠ざかればその分だけ生きていくことができる。

 

 そう、だからまだ足りない。

 

 どんなゲームにおいてもレベルという格差は絶対的だ。SAOではそれがあまりに顕著で、一つでもレベルが違えばダメージ補正や命中補正に多大なるマイナス補正が掛かることとなる。

 

 どんなに時間をかけてスキルを鍛えても、日ごろからボスや高レベルのモンスターを相手に戦い続けるトッププレイヤーにレベルで追いつくことは決してできない。

 

 新しいフィールドが追加されるたびに強さを増すモンスター。それらを打ち倒し更に強くなるプレイヤー。化け物と人が殺しあうことで紡がれる狂った世界でそれでも死の恐怖に怯えることなく最後まで生き残るには、俺自身が何らかの方法で安心を得られるほどに強くなるしかない。

 

 俺は生まれ持った戦闘センスだの、勘だの、経験だの、特別なものは何一つ持ち得ない凡人だ。だからこそ人力を超えるシステムの力に縋るしかなかった。

 

強いモンスターを倒さなければ上がらないレベルとは異なり、スキルはただひたすら使えば使うほど強くなる。

 

 会得した能力の説明文は隅から隅まで読み込み、効果時間や範囲に至るまで可能な限り頭に叩き込んだ。

 

 必殺技たる《ソードスキル》は新しく獲得するたび幾度となく発動の練習を重ね、たとえ無意識であったとしても完璧に使えるようになるまで精度を磨いた。

 

 様々な武器を駆使し、何通りもの手練手管を編み出し、二年という長い時間をこの世界で生き抜いた。

 

 そんな世界の実態こそ、蒼穹に浮かぶ《浮遊城アインクラッド》。百の層からなるアインクラッドはその二年という長い時間をかけてゆっくりと攻略が進められてきた。

 

 今の時点で解放されている最上層……通称「最前線」は76層。俺が現在住処として滞在しているのは74層。

 

 俺は最強のプレイヤー集団である《攻略組》の後を付け狙い、最前線ではないものの、さりとて一応は高レベルなフィールドで彼ら彼女らのおこぼれを回収しつつ、実際の攻略に参加したりしなかったりする《準攻略組》。

 

時に《攻略しない組》と揶揄されてしまうような、卑屈で惨めで臆病で情けないプレイヤーなのである。

 

 アイテムを捨てればまだ狩りを続行することが出来る。開いたままのウィンドウに手をかけ所持している戦利品を削除しようとしたところで、急に視界が不確かに歪んだ。

 

途端に平衡感覚を失った体は地面に倒れそうになるが、壁に手をついてそれをこらえた。無理やりにでも息をするために呼吸を荒げ、前だけでも確認しようと目を擦るが、強烈な悪寒が全身を縛り付けてもう一歩たりとも進めそうにない。

 

軽やかな足音が薄暗い洞窟に響くのが聞こえたのはそんな時だ。

 

「あ~あ、やっと見つけた。相棒のあたしを置いて一か月もどこかに行っちゃうなんて、流石に酷くない?」

 

 聞き覚えのある声。誰かがすぐ近くにいるのは確かだが、もう目の前の景色さえまともに把握できない。

 

「きみ専属の何でも屋、《Rain(レイン)》ちゃんが来ましたよ~。《Reich(ライヒ)》君があたしを置いて野垂れ死にしてないみたいで、すっごく嬉しいな♪」

 

 

***

 

 

 

(……ぃ)

 

 ここはどこだっただろうか。夢なのか、現実なのか、いまいち判然としない。

 

(ぉ……い)

 

 いつか聞いたような耳に馴染む声が遠くから聞こえてくる。

 

(うるさいな、俺は眠いんだ)

 

 そうだ、俺は心地のいい微睡みの中にいる。こんなにも暖かくて安心できるのに、邪魔をしないでほしい。

 

(ぉぃ……い)

 

 ああもう、どこかへ行ってくれ。誰だか知らないけどうるさいし、邪魔だし、不愉快だ。

 

「起、き、な、さ~~~い!!!」

 

「うるせえええええっ!!」

 

 思わず体を起こしておもいきり叫んだ。空気の読めない声の主に拳の一つもお見舞いしてやろうかと(本当にやれば犯罪者の印がついてしまう)左右を見渡すが誰もいない。

 

「どこ見てるの? こっちだよこっち、う~し~ろ」

 

 さっと振り向くと髪を鮮やかな紅に染めた少女が俺と同じ目線で地べたに座っていた。

 

「お前、いつからここに――」

 

「えーいっ」

 

 その少女――レインは中途半端に振り向いた俺の肩に手を置くと、驚くほどの機敏さと羽のような柔らかさで俺を押し倒した。唇が触れるような至近距離で目を覗き込まれる。

 

「あたしが誰だかわかる?」

 

「お前は……」

 

「お前じゃないでしょ」

 

「キミは、そう、レイン。レインだ」

 

「ただのレインじゃないよ」

 

「ああ、そうだ。俺の……相棒で……」

 

「そうだよ、でもまだ足りないね」

 

「俺の……専属の何でも屋」

 

「そう、その調子。あと一歩」

 

「それで、俺の、恋人」

 

「大正解。私のことちゃんと覚えててくれてよかったよ」

 

 髪の色よりも美しく透き通った瞳で俺の相貌を覗きながら、レインは唇を押し付けてきた。目を閉じることも、視線を逸らすことも、彼女に取られたマウントポジションを解くこともできない。

 

「ん……ぷは」

 

 そんな異常な時間をどれほど続けただろうか。レインはようやく唇を離して俺の体を自由にした。

 

「レイン、なんで急にこんなこと」

 

「きみはふらっと何処かに行っちゃってその度に戦闘マシーンになって戻ってくるし、あたしのことも曖昧にしか覚えてないし、こうなったらアタマの記憶じゃなくてカラダに教えておかなきゃいけないって思ったから……かな」

 

 確かにその通りなのかもしれないが、別に本当に記憶から消えているわけではない。疲労の蓄積で頭の働きが悪くなり、戦うために辛うじて動いている状態になっただけだ。

 

「それにしたって……もうちょっとやり方があるだろ」

 

「まるまる三日間も薄気味悪い洞窟で寝たきりだった彼氏さんをかいがいし~く介抱したんだから、あたしがライヒ君を好きにする権利があったっていいと思わない?」

 

()()()()()()()。嫌気がさしたならどっかいけ」

 

「あたしが何処かに行ったら、その後きみはどうするの?」

 

「それは……」

 

 つい言葉が詰まる。

 

「ほらね、思いつかないでしょ? きみはあたしがいないと駄目なんだから今のままでいいんだよ」

 

 それは……何かが違うような気もするがおおむね正しい。彼女と一緒に過ごした時間があまりにも長いせいで、それ以外の日常を俺は思い描けなくなっている。

 

 「今日は野営だね~」などと言いながらキャンプの準備を始めたレインは、心の底から楽しそうな笑顔を浮かべていた。

 

 装備の点検や夕食を済ませ、焚火を挟んで二人が向き合う。

 

「それではきみが放浪していた一か月間にSAOでは何が起こっていたのか、かいつまんで説明するね。まずは76層について……」

 

 レインの口から飛び出したのは衝撃の事実。

 

 ()()()()()()7()6()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 




 皆さま初めまして、私は狩奈といいます。数年前に書き始めた本作を改定するにあたって改めてここに挨拶を申し上げたいと思います……なんて、お堅いのはナシで。

 やっとやる気になったので、頑張ってちゃんとした物語にバージョンアップさせていきたいと思います! これからもどうぞよろしくお願いします!


 感想その他お待ちしております。


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朧の世界

 焚火の中から生木の爆ぜる音がする。

 

「いつもなら俺が一か月放浪してる間に二つか三つは先に進んでたと思うんだけど……原因は?」

 

「不明」

 

「その理由は?」

 

「もちろん不明」

 

「馬鹿にしてるのか?」

 

「もちろん違うよ。いい? 攻略の進み具合に関しては76層までしか解放されていないという事実しかないってこと」

 

 一か月も攻略ペースが滞ったことが果たして過去に何度あっただろうか。攻略を先導する集団の枠組みさえなかった一層の攻略はおおよそ二か月の時間を要したが、それは例外だ。その後は一日おきとまではいかないが順調に攻略され、早ければ三日で一つの層を突破することもあった。

 

 他にもクオーター……25層や50層、直近の75層は異様にボスモンスター討伐の難易度が高い。25層で多大な損害を負った《アインクラッド攻略隊》は戦力増強のため、一層に拠点を定めて可能な限り多くのメンバーを集めようとした。アインクラッド第一層《始まりの街》には今でも生存しているプレイヤーの半数以上、数にしておよそ4000人が暮らしている。

 

 努力の甲斐あってか《解放軍》と名を改めるほど頭数を集めることに成功した彼らは74層からようやく最前線に再進出しようと目論んでいたらしいが、その目論見は外れて先遣隊は全滅。SAO最強のソロプレイヤーと名高い《黒の剣士》キリトにお株を奪われ面目も丸潰れ。一層で戦わないプレイヤーを相手に幅を利かせていたことが祟って居場所すら危うくなり内部抗争の末に解散したとかしていないとか。

 

 話がそれてしまった。とにかく、76層の攻略が一か月も進んでいないのは明らかに異常事態だ。

 

「まあ現状は受け入れるにしても、だ。攻略が進まないってことは最前線に参加してる人数が少ないってことだろ、普通に考えて。前のボス戦で《血盟騎士団》クラスの有力プレイヤーが軒並み死んだ……とか」

 

 想像もできないが()()()が死んだ……とかだろうか。それなら攻略が止まったことに納得も出来るが、そんな一大事件が起きたならレインが悠長に俺を一か月も待つはずがない。間違いなく三日もしないうちに俺のもとへとすっ飛んでくる。

 

「それも間違ってはないかな。ただ、も~っとヤバいことが起こってる」

 

「それは?」

 

「76層に足を踏み入れたプレイヤーは、下の層に戻れない――かもしれない」

 

「……それは想像や憶測だけの話だよな?」

 

「75層のボス戦に参加したメンバーがただの一度も降りてきてないのを聞くとそうも言ってられないんだよね」

 

 悪い冗談だ。

 

 しかしレインが冗談でこんなことを言うとも思えない。

 

「さ、ここで本題! あたしとライヒ君には二つの選択肢があります。ライヒ君ならわかってるよね?」

 

「進むか進まないかの選択、いや違う。俺たち自身がSAOのクリアを諦めるか諦めないか――だよな」

 

 現状から目を背けて攻略組に全てを委ねれば俺たちは恐らく75層以下に存在するプレイヤーの中では最強だ。モンスターやプレイヤーを問わず誰にも害されることなくこの世界で安心して生きていけるだろう。

 

 しかし、もしも、もしもの話。今このタイミングに攻略組が全滅するなんてことになれば、否応なしに俺たちは繰り下がりの《攻略組》となる。

 

 極論だがそういう事だ。どちらにしても上の層に進めば攻略に駆り出されるだろうし、進まなければまた別の不安要素に怯えて生きることになる。

 

「最悪だ……なんで、なんでこんなことに」

 

「こればっかりは運営を恨むしかないね。露骨にプレイヤーをふるいにかけようとしてる」

 

「ずっと考えてたら進まないのと同じ。考えて不安なのが嫌なんだったら進むしかない……。クソッ!!」

 

 俺は、俺とレインはどうすべきだろうか。

 

 死ぬのは怖い、死ぬのは嫌だ。だから中途半端でも進んできたというのに、ここから先はハンパな選択肢は許されない。

 

「レイン、お前はどうしたい? お前はどう思う……?」

 

「ライヒ君と一緒がいい」

 

「いやだからこんな時に話を茶化したって……」

 

「迷うことなんてないよ、攻略なんて全部忘れてやめちゃえばいいんだよ」

 

 思わず抱えていた頭を上げて焚火越しにレインを見つめる。

 

 てっきり俺は、レインは先に進もうと言うのだと思っていた。

 

「うん、あたしはそれがいい。景色が綺麗なところでも探そうよ」

「う~ん……あ、そうだ。童話に出てくるみたいなちっちゃな家とか買うのなんてどうかな」

「家にいるときも、お買い物するときも、ずっと一緒なんてステキだと思わない?」

「戦って死ぬよりもそうやってお気楽に生きて、気が付かないうちに全部が終わってる。そういうの、あたしはいいなあ……なんて」

 

 今のレインはやけに饒舌だ。

 

「ふ~ん。それで、()()()()()()()?」

 

 レインは笑顔を崩さない。俺と出会うまではこの笑顔と脳すら溶かしてしまいそうな甘い囁きで生きてきた彼女のことだ。

 

 多分幸せに暮らしたいだとか終わりがどうだとかではなくて、ただ俺に行ってほしくないのだろう。

 

 俺だって、レインと離れたくない。

 

「俺は迷ってばかりで……えっと、優柔不断だから。はっきり言うとどうするべきかもう分からないんだ」

 

 レインの張り付けたような笑顔は、慈しむような笑みに変わっていた。

 

「でも、君がそう言うなら、俺は……そうやって生きるのでも……」

 

 自嘲気味に目を閉じると、不意にすぐ傍までレインが近づいてきた。俺の頬に伸ばされた手がやけに優しく感じられる。

 

「ずっと一緒だって、約束してくれる?」

 

 レインには敵わない。俺は彼女の言葉を受け入れるようにもう一度だけ目を閉じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次に目を開けた瞬間、俺は知らない場所に一人で突っ立っていた。

 

 

 

***

 

 

 

「レイン?」

 

 返事はない。

 

 ここはどこだろう。突然のことに頭が追い付かない。

 

「俺は……ライヒ。SAOのプレイヤー」

 

 自分のことやレインのことは正確に覚えている。俺は間違いなく俺のままだ。

 

 目の前には樹齢何千という大樹をくり抜いた跡に、埋め込むようにして建てたような神殿があって、それ以外は四方八方に森が広がっている。

 

 ()()()()()()()()

 

 突発的に何かしらのイベントに巻きまれてしまったのだろうか、しかしそれならパーティを組んでいるレインも一緒でないと不自然だ。

 

 転移結晶と呼ばれる帰還のためのアイテムを使おうとするが、手動の操作も声での操作も受け付けない。

 

 一人何もない世界に放り込まれてしまったような感覚が、段々と恐怖に変わっていく。

 

「レイン、レイン! いや誰か、誰かいないのか!! 誰でもいい! いたら返事をしてくれ!」

 

 俺はこのままどうなってしまうのだろうか? 仲間どころか俺以外の人間がいない中でどうしろというのだろう。

 

「なんだ……ここはなんなんだよッ!!」

 

 苛立ちに任せて剣を抜く。

 

 無意味な行為だと分かってはいても、それ以外にどうしようもない。

 

 この空間では俺の浅い息遣いだけが音の全て。まるで俺以外のあらゆる存在の時間が止まっているかのようだ。

 

 

 

 

 

 俺はもしかするとここで自ら命を絶ってしまったほうが幸福だったかもしれない。

 

 先に進んでしまっていることを冷静に理解するべきだったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 何もわからないことを言い訳に、俺は決断を誤った。

 

「そこの君! 今すぐ逃げるんだ!!」

 

 俺は、会ってはならない人間と会ってしまった。

 

 ()()()()()

 

 

 

『gggggggggggg』

 

 

 

 巨大な口で歯ぎしりをするかのような、聞いただけで思わず竦んでしまうような音が上空から聞こえてきた。そして俺をすっぽりと覆うほどの影。

 

「う、うわああああ!!」

 

 全力で後ろに飛んで回避行動をとる。触れただけでも腕の一本や二本は軽く切り落としてしまいそうな刃? 鎌? とにかく人の身長などよりも遥かに大きな武器状の腕が俺のつま先を僅かにかすめて地面に半分以上も突き刺さった。俺に回避を指示した声の主が俺の腕を引いて即座に立たせる。

 

「無事か? 無事ならすぐに立つんだ!」

 

「あ、あんたらは?」

 

「俺たちのことは後だ! とにかく、あの()()()()()()()は俺たちを殺すか俺たちに殺されるまで止まらないみたいだ」

 

「なんで俺たちを襲うんだ! そこの()()()()()()()()()の仕業か?」

 

「ちょ、ちょっとまってよ私は何も」

 

「いいか、とにもかくにも俺たちは協力してあのモンスターを倒す。それ以外に生き残る方法はない!」

 

 声の主……黒衣の少年は、背負った二本の片手剣を同時に引き抜くと巨大な骨ムカデ――スカイリーパーと真っすぐ向かい合う。

 

()()()()()()()()()()はユニークスキル《二刀流》。俺が攻撃を引き付けるから君たち二人は側面からヤツを狙うんだ」

 

「い、いきなりそんなこと言われたって……」

 

「俺はもう目の前で誰も死なせたくないんだ!」

 

「――ッ」

 

 彼の瞳の中で激しい炎のように燃え盛る決意。俺などには決して否定も反論も出来ないような決意が俺にまで伝播する。

 

 何の根拠もないのにこの人なら全てを変えてくれる……そう思わせる。

 

「分かった。スイッチ、ローテ、ソードスキル……なんでも指示をくれ。オレンジそっちは」

 

「オレンジじゃない、フィリアよ。私も大丈夫」

 

「よし、二人とも行くぞ――!!」

 

 同時に地を蹴り三方向に駆け出す。

 

――やはり早い――!

 

 キリトは一瞬にして正面からスカイリーパーに飛び掛かり戦闘を始めた。すでにパターンを見切ったのか、あるいは知っていたのか、迷いのない足運びで有利な状況を作り出している。

 

 俺とオレンジ……もといフィリアなるプレイヤーは左右から僅かながらも確実にダメージを与えていく。

 

 耳をつんざく硬質な交差音がしたかと思えばキリトの二刀流とスカイリーパーの鎌が鬩ぎあう。キリトが潰されてしまうのではないかと不安になったが、なんとキリトは鎌をそのまま押し返して見せた。

 

 反撃のチャンス。

 

「全力でソードスキル!」

 

「「了解!」」

 

 俺が、キリトが、フィリアが、それぞれ得意とするソードスキルを発動させた。色とりどりのライトエフェクトが骨ムカデの全身に殺到する。

 

(……あれ?)

 

 予想以上のダメージ量に、攻撃している俺のほうが驚いてしまう。

 

 そんな俺の疑問を見透かしたのか、キリトはわざわざ俺の隣にきて説明してくれた。

 

「アイツは75層のボスモンスターを模した何かだ。もし本物の()()()リーパーなら俺一人では止められないし、全滅しててもおかしくなかったんだぜ」

 

「ど、どうも……」

 

「君の名前、今のうちに聞いていいかな」

 

 攻略組で最強の人を前にして、俺は名乗るべきかどうか迷った。

 

 中途半端にしか攻略に参加せず、彼ら彼女らが既に通った道をわがもの顔で進む日々。引け目とか申し訳なさを感じていないと言えば噓になる。

 

「俺たち、もう他人じゃないだろ? 最強とか攻略組とか言われて持ち上げられてるけど……実を言うと恐縮とか遠慮とか、苦手なんだ」

 

 いい人だな、と思った。戦いのときは真剣なのに時折快活な少年のような一面を見せる。これ以上の遠慮は失礼になるかもしれないと、俺は意を決して名乗った。

 

「俺は……俺の名前はライヒ、ライヒです」

 

「オーケー覚えた! フィリア、ライヒ、一緒に行くぞ!」

 

 そうかこれが、これこそが()()()

 

 今までにない戦闘への高揚を感じながら、俺たちはこの戦いに終止符を打つため武器を携えスカイリーパーに立ち向かった。

 

 さっきと同じだ。キリトがタゲを受け持ち俺らがその間に攻撃――

 

 しかしスカルリーパーは突然全身を俺のほうを向けて腕の鎌を俺に振りかざす。

 

 何故!?

 

 俺とフィリアのダメージを足してもキリトには及ばない。前衛で敵を抑え込んでいたキリトのほうが圧倒的に多くヘイトをかっているはずだ。

 

 振り上げられた鎌は真っすぐ俺を目掛けて落ちてくる。

 

「あ……ぁ」

 

 即座に脳裏に押し寄せる恐れ、悔い、死の予感。そんな俺の意思に反して半ば勝手に右手が動く。レインが俺のために鍛えてくれた《精振剣(ナーバライザー)》が光り輝く。

 

「はああああ……っ」

 

 横薙ぎの一閃《ホリゾンタル》が奇跡的なタイミングで鎌を打ち返す。

 

 しかしもう片方の鎌が来る。俺は、俺はもう、()()()()()()()()()()()()

 

()()――《濁心剣(デュールライト)》」

 

 左手にもう一本の装備、レイピアを携え、《ホリゾンタル》を発動させた後の硬直時間を無視して追加のソードスキルを繰り出した。

 

「《剣技連携(スキルコネクト)》――《ロングソード・レイピア》……」

 

 敵を死に至らしめる鎌を潜り抜け、この世界で俺にのみ許された時間を真っすぐに駆け抜ける。

 

 覚悟を胸に、決意を確かに。

 

 迫りくる死を一閃する。

 

「《フラッシング・ペネトレイター》!!!!」

 

 レイピアカテゴリ最強の技。一条の光線となった俺はスカルリーパーの長い胴体を真っすぐに貫きながら突き進む。

 

 俺と骨ムカデの動きが交錯し、武器を振りぬいたまま停止する。

 

 そして――

 

 

 




 
 改訂版「虚ろな」二話をお届けしました。以前よりも読み応えのある作品になっていることを信じて。



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アークソフィア

 

 

 俺のユニークスキルは名前も地味、専用ソードスキルもマスター時に使用可能になった技が一つだけ。およそ《二刀流》と比べればさっぱりの外れスキル。

 

 しかしここで一つの疑問が浮上する。

 

―――なぜ俺が、こんなスキルの所持者として選ばれた?

 

 スキルにはフレーバーテキストとしてその特徴が書いてあることが多い。しかし俺の《両手装備》には何とかの国の剣士が使っていた流派だとか、そんなロマンの一切を省いてただこう記されていた。

 

In the most dexterous person this world.(この世界で最も器用な者へ。) From Aincrad to you.(アインクラッドから君に。)

 

 器用。恐らくそれは、俺がこの世界を生き延びてこられた一つのアドバンテージを指す。

 

 ――両利き。

 

 スキルが出現した25層時点で、俺は従来のスタイルを捻じ曲げてこのスキルを鍛えることを決意した。結果的にそれは正解だったが、面倒なことに《両手装備》スキル一つを鍛えたところで何の意味も成さなかった。

 

 メインとして扱う武器以外のスキルも鍛えなければ性能をこれっぽっちも引き出せない。少なくとも十種類、出来れぼもう少し。例の事件のおかげでスキリングの時間を作るために睡眠時間を限りなく削る羽目になった。

 

「おお……おおおぉぉ!」

 

 だが、黒の剣士ことキリトさんの反応は他と比べても常軌を逸していた。目にお星さまが瞬いていらっしゃる。

 

「いや……そんな驚くものでもないでしょう。キリトさんの二刀のほうが便利じゃないですか。俺のスキル、武器カテゴリが同じな武器は装備できませんし」

 

「いいや……。それを補って余りあるアドバンテージになるだろ。ああそれと。これからはさん付けなんかしなくてもいい。キリトとライヒ。俺とお前で行かないか?」

 

「そうですね―――じゃない。そうだな、それでいいなら、これで」

 

 二人のユニークスキル使いが握手を交わす。これは俺にとっての幸運だったのか、或いは不幸だったのか。答えはずっと先まで出ない。

 

 

 

***

 

 

 

 ここは高台。マップ名称は「セルベンディスの神殿前広場」。文字通り神殿と思しき建造物オブジェクト前の、変な形状をしたモニュメントの前で俺達は立ち止まっていた。

 

『定刻になりました。これより『ホロウ・エリア』の解放及びテスターの介入を許可します。』

 

 無機質なシステムアナウンス。その声が過ぎ去った後俺とキリトの右掌に例のオブジェクトと同じ、変わった十字の紋章が現れた。続いてシステムウィンドウの表示。

 

『《ホロウ・エリア》管理区へ転移しますか?』

 

「どうするの?」

 

「どうするのよ」

 

「「行こう」」

 

 結託した二人は迷うことなく、完全に同期した動きで「YES」のアイコンを押す。全身が薄青い転移エフェクトに包まれ、浮遊感―――それが消える。

 

 転移先の空間はこれまでとは大きく違って異質だった。球型の部屋―――天球を模した部屋には星が瞬いている。およそ、アインクラッドでは有り得なかった「システムの存在」が色濃く見える場所。

 

「あのコンソール……一層地下ダンジョンと同じだ」

 

 キリトが何やらコンソールを操作し始める。ウィンドウに文字列が現れては消えていく。俺もこういうのを齧ったことがあるクチなのでおおよその意味は分かる。

 

「見つかったか?」

 

「ああ、これだ」

 

 キリトがエンターキーを押すと、後方の床に新たなオブジェクトが出現する。

 

「ねえ、ライヒくん。何を探してたの?」

 

「ここがホロウ・エリアの基点になるんだったら当然もとの階層エリアにも戻る方法がある――無くちゃならない。転移門起動コマンドを探して起動したんだ」

 

 何はともあれ戻れるようになった。今はこれで十分。これからはテスター認定された俺とキリト、そしてそのパーティーメンバーなら自由に出入りできる。それにしてもこれだけ広いエリア。探索の価値は十分にある。

 

「さて、俺はいったん76層に戻らなきゃいけないんだけど。二人もよかったら来ないか? お前たちならきっとアスナも喜んで攻略組に入れてくれるはずだからな。それでフィリアの事なんだけど……」

 

「私は大丈夫。今まで森で野営とかしょっちゅうだったし。暫くここに寝泊まりするから」

 

「そうか。それじゃあ、さっさとカルマ回復クエストでも何でも探さなくちゃな」

 

 別れを告げる。知り合いとなったフィリアを置き去りにするのは気が進む行為ではないが、俺にも戻るべき場所がある。

 

「《転移》。アークソフィア」

 

 

 

***

 

 

 

 帰還早々、なんてものを見せられているんだ俺達は。

 

「本当に心配したんだよ!?」

 

「ママは泣くの我慢してずっと待っていたんですよ! 今回ばっかりははパパが悪いです!」

 

 夫の帰りに感動する妻と、母親を泣かせたことに憤慨する娘。SAOで実際に子供を作る機能は無かった筈だ。

 

 そんな俺達の心の声を知ってか知らずか、よく攻略に顔を出すキリト専属鍛冶屋リズベットが俺の肩を叩いて悟ったような言葉を投げかけてくる。

 

「分かるわ。その気持ち分かるわよライヒ。あんなバカップル、さっさと滅べばいいのに……」

 

 それはお前の声だ、と言えるほどの勇気は俺にはなかった。茶番劇が終わると、《閃光》アスナがつかつかと歩み寄ってくる。思わず意識が尖りそうになる。

 

「そこのお二人は……ライヒさんにレインさんですね?」

 

「はい。お会いできて光栄です」

 

「そんなに堅くならないで、以前から何度も顔を合わせているじゃないですか」

 

 流石は鬼の副長、現《血盟騎士団》団長の《閃光》アスナ。人を束ねてまとめ上げるのが実に得意だ。

 

「あの、攻略組復帰の件についてですが了承を頂けますか?」

 

「ええ、問題ありません……と言いたいところですが。今のアインクラッドは異常事態です。現状あなた方がどれほどのものか見せていただきたいと思います」

 

 つまり、今まで引っ込んでいた俺たちが何をしに来たのか知りたいと。そのために試験をするとそういう事なのだろうと思う。つくづくこの人は優秀だと思う。底抜けに優しいが、決してただのお人好しでは無い。

 

 試験相手は、即座に決まった。

 

「なあ、アスナ。ライヒの相手、任せてもらってもいいか」

 

「キリト君っ!? 何で君がわざわざ名乗り出るの? 流石にレベルの差が大きすぎるよ!」

 

「いいや、コイツもユニークスキルだからな。だから、実力を見るならユニークスキル使い同士のほうが良いと思ってさ」

 

 周囲のプレイヤーが一斉に集まってくる。

 

「おい! 新しいユニークスキル使いに《二刀流》が宣戦布告したらしいぜ!」

 

 これが俺の不幸の始まり。俺は、俺が関わるべきでない人に関わってしまった報いを受けることになる。

 

「それじゃあ……レインさんはあちら私と戦って貰います」

 

 レインは手を振って行ってしまう。ともかく売られたなら全力で買うのが決闘というものだ。

 

 俺は勝てるのだろうか。

 

 いや、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 クイックチェンジのコマンドを叩いて現状では最強の装備を身に纏う。片手剣《ナーバライザ》と細剣《デュールライト》。片方は美しく迫力は装飾品の如しだが、刃を見ればそれが間違いであることが分かる。宝石のような薄っぺらな輝きではなく研ぎあげられ、鍛え抜かれた鋭く深い輝きがそうと錯覚させている。もう片方は優美どころか名前通り濁った(デュール)ような光を放っている。もしくは輝きなどないのかもしれない。しかしそれは質実剛健である証拠だ。見た目の頼りなさに反してスペックは《魔剣》の域に達している。

 

 二刀を装備したキリトの迫力は圧倒的だ。そう圧倒的。かつて《一、五刀流》と罵られた俺の剣技。キリトにとっての俺は、俺のスキルは、()()()()()()

 

 

 

 

 

 





 進める筈の無い道へと進むなら。その贖いに必要なものは何か。

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ソードスキル

 

 

 

 ――今でもすぐに思い出すことが出来る。クォーターポイントである25層ボス。《イグ二ウス・ジ・ヘルハウンド》の名を冠する五頭の魔獣を倒した後の事だ。血盟騎士団結成前。当時同じパーティーだったヒーさん―――茅場が俺のところへ来て言った言葉。

 

ライヒ君、このスキルに見覚えは無いかね―――

 

 わざわざ俺の所に来て、エクストラスキル《神聖剣》を見せに来たあの一幕。思えば俺に出現した《両手装備》がユニークスキルであることを教えに来たのだろう。余計なお世話だ。幾らゲームマスターとはいえ、人のプレイスタイルを一気に変えてしまうような真似をするなんて幾らなんでも悪趣味すぎる。一体何様のつもりだ。4000人殺した無差別殺人者が余計な真似をするな。あれのせいで俺がどれだけ苦しんだと思う。ビーターの烙印を(それがばれたわけではないが)背負い、そうでなくてもこの世界におびえ続けてきた俺にいったい何のつもりでこんなことをした。奴だけは絶対に許すことは出来ない。さらに許せないのはキリトに負けた癖にこの世界が顕在していることだ。

 

ふざけるな

 

 負けてもまだ殺したりないか。お前は一体何を見れば気が済むんだ。今すぐにでも出てきて頭を地面に擦りつけろ。蹴りやすくなった頭を蹴り上げてやるから。

 

 絶望だ。この世界には絶望と恐怖しかない。失いたくない物を失った。要らない物ばかりが手に入った。嗚呼、それでもたった一つ礼を言うとすれば。

 

 ――生きるとはどういう事なのか、学べたことだろうか。

 

 

 

***

 

 

 

 カウントが始まる。30秒という時間は実に微妙だ。長いようで―――その実短い。ただ一つ言えることは、俺は《二刀流》を知らない。そしてキリトも《両手装備》を知らないという事。俺もキリトも構えは実にゆったりで、棒立ちも同然の状態だ。しかしSAOではこれが最強の布陣。敵を如何に出し抜くか。それを相手に考えさせない構え―――

 

 

 

 

 

「3」

 

「2」

 

「1」

 

【DUEL!!】

 

 

 

 

 

 システム文字を突き破る勢いで細剣突進系ソードスキル『シューティング・スター』を発動させる。発動が早く、スキル後硬直がほとんどない優秀な技だ。しかし、キリトは当たり前のように躱してしまう。いきなり左手を使ったのに躱されたのは惜しいが、所詮は挨拶代わり。

 

「クソッ!」

 

毒づきながら体制を整えようとするが、この少しの隙も見逃す気は無いと次々に剣を打ち出してくる。暴風のような剣閃に、手捌きだけで必死に食らいつく。武器のグレードに大した差は無い。しかしその分プレイヤー本人の力が物を言う―――

 

突如、先程までとは違う異質な金属音を立てて四本の剣が噛み合う。やはり重さではかなわないか・・・?それでも何とか足を踏ん張り、懸命に押し返そうとする。鍛えに鍛えた武器防御スキルのお陰か何とか押し返すことが出来た。それでも優位には立てず、両者が二メートル程ノックバックするに留まる。

 

「幾らなんでも速すぎ重すぎだろッ!」

 

「そっちこそ、防御テク半端じゃないな!」

 

 再度、剣戟の応酬が開始される。キリトは速さに任せて、俺は手先の感覚を頼りに。全く戦局が動く気配は無い。押し返せないし、押し返させない。まだだ、まだ追随できる。思考は既にオーバーヒートし、視界は真っ白になってしまっている。見えるのは剣と互いのみ。それ以外の何が必要だというのだ。弾き弾かれ、打ち打たれ。いったい何合斬り結んだのだろうか。自分の殻がひび割れていくのが分かる。もっと荒く。荒々しく。これが真の人の本性なのだろうか。原初より続く野生の勘とでも表現するべきか。きっとキリトもそれを知覚して―――

 

 刹那の瞬間に生まれた隙にキリトが距離を取る。剣をクロスさせ、高く掲げる。ソードスキル―――

 

 だが俺もその隙を見逃すはずがない。足に装備していた短剣《アブソリュート》をその瞬間に抜き、投剣スキル《シングル・シュート》を発動させる。狙いは顔面。顔を傾けて交わされる、だがそれでいい。確かに顔をキリトは背けた。ここで一瞬。スキルの発する音と、ライトエフェクトで更にもう一瞬隙が出来る。

 

 ――こっちの仕掛けはここからだ。

 

 体術スキル《弦月》がキリトの顎を的確に捉えた。クリティカルヒットで今度こそ決定的な隙が出来る。普通なら《弦月》のスキル後硬直で俺は動けない。普通・・なら、な。俺の右腕がスカイブルーのライトエフェクトを帯びる。キリトの目が驚愕に見開かれる。

 

 ――これで決める。

 

 片手剣スキル《ホリゾンタル・スクエア》が続けて発動される。右、左、右、右。の順でキリトの胸部を抉る。通常ならこの後俺には一、五秒のスキル後硬直が生じる。だが俺のターンは始まったばかりだ。左手の細剣がスチールシルバーの輝きを帯びる。六連撃《クルーシフィクション》。超高速の刺突が縦に、次いで横にキリトを穿つ。再度右手が光を帯びる。四連撃《バーチカル・スクエア》―――

 

 これが俺の切り札であり、長い間隠してきたユニークスキルの真髄。システム外スキル《剣技連携(スキルコネクト)》。因みに、稀にあるアップデートによって圏内デュエルに限りHPバーは半分を切らないようになっている。しかし、これだけのハイレベル剣技を立て続けに浴びせているのにキリトのHPバーは思うように減らない。しかも《戦闘回復》スキルで(俺も持っている)どんどん回復していく始末だ。だが、まだだ。まだ終わってない。

 

 終わらせない。

 

 細剣三連突き技《ぺネトレイト》が更にキリトの体を抉る。キリトのHPバーがようやく6割を切った。そして全てはこのソードスキルに繋げるため。俺が習得してから最も愛用し、ずっと使い続けてきたこの剣のために。左手を前に、右手の剣は担ぐように。片手直剣用六連撃ソードスキル《ファントム・レイブ》。この剣技の魅力は初撃を上からでも下からでも任意に出来ることにある。その意味では斜め斬り《スラント》と酷似しているが、速さも威力も桁が違う。キリトは剣をクロスしてガードしようとしているが、すぐに弾かれるのは分かっているはずだ。踏み込みと腕の振りによって加速された俺の剣は二本の剣を物ともせずにキリトへ痛烈な一撃を加えるはずだった。

 

 

 

 でも見えてしまうのだ。外の目が。お前が勝つことは許されないと、誰もがそう思っているのが分かる。

 

 腕の力を抜く。スキルの動きにただ身を任せ、しかしそれがバレないように。細心の注意を払って手を抜いた。

 

 必殺の一撃であるはずの《ファントム・レイブ》の初撃があっさりと阻まれた。思わずキリトの二刀を凝視する。それらは純白のライトエフェクトを纏っていた。

 

 ――武器防御系ソードスキル。俺も使えるスキルだ。名は《クロス・ブロック》。

 

 ああよかった。これで必然的な敗北となる。俺は、この敗北を捧げることでようやくこの場にいる事を許される。

 

 初撃をインタラプトされた俺は数秒の硬直を課せられる。キリトがソードスキルのプレモーションに入る。右の剣は青く。左手の剣は赤く。

 

 その後の事は一言で済む。秒間およそ十発の剣を浴びせられ、いや、その全てを食らう前に吹き飛ばされた。これがうわさに聞いた最強の剣技。《二刀流》スキル最上位ソードスキル《ジ・イクリプス》。

 

 【YOU LOSE】のシステム表示を俺はボンヤリと倒れたまま見上げていた。

 

 

 





 敗北は存在の許しになりうるだろうか。

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攻略開始

 

 

 

「すいませ~ん。フィ~リアさんでよろしいですかあ?」

 

「アンタ……誰。オレンジプレイヤーが圏外に―――ってことはPKでも狙いに来た?」

 

「ち~がいますよ、違いますってばぁ。ちょいとウチのボスからお使い頼まれちゃいまして。ちょっと言いたいことがあるというか、お願いしたいことがあるというか」

 

「告白なら死ぬ直前に言えばOK出るかもよ?」

 

「そーじゃないですってば。―――ほーいっと」

 

「……? 何よこれ。写クリ?」

 

「そーです、そーです。流石はトレジャーハンターですねぇ」

 

「用件は何。言わないなら首落とすけど」

 

「簡単簡単なお仕事ですよぉ。ここに来たお知り合いさんの写真をチョーっと撮ってほしいだけです。別に全身じゃなくってもいいですよ?人数と装備形が分かればそれでいいです。簡単でしょぉ?」

 

「PKの手伝い? ―――ハッ。一昨日来やがれね」

 

「あれあれぇ? オレンジのフィーリアさんがボクにそれ言っちゃいますぅ?」

 

「ッ……。私はアンタらとは違う!!」

 

「同じですよぉ?生き残るために剣を振ってモンスター倒すのと何が違うんですかぁ?ま、フィーリアさんが殺っちゃったのはじ・ぶ・ん。ですよねぇ?」

 

「―――黙って。それ以上言ったら―――」

 

「分かりましたよぉ。もう言いませんから剣チラつかせないでくださいよぉ。ソレやってくれればもう来ませんからぁ。ま! ボクが取りに来るんですけどね!あはは~」

 

 

 

***

 

 

 

 確かにレベル差はあったけど、これは理不尽すぎる。あの威力は、あの速さは、プレイヤーに許されていいものなのか。今の戦闘で俺のスキルの存在意義が消え失せた気さえする。

 

 ――馬鹿みたいじゃないか。

 

 それが正直本音だ。そりゃそうか。キリトは二刀流を扱えるだけの資質がちゃんとある。まさしく勇者に相応しい。しかも正しく使えている。一体その剣で何人を救ったり勇気づけたりしたんだろう。勿論俺みたいに悩みもしただろうが、俺とキリトではそれが違う。俺は自分のためにしか剣を執れない。そこが、違う。

 

 ――クソ、何のためにここにいるんだ。

 

 俺は涙ぐんでいるのだろうか。認識機能が薄れていく。俺は死に始めてるのか、システム異常でHPがゼロになったのかもしれない。……そんなわけは無い。俺がここに居たくないだけだ。

 

 この世界は朧げで、そのくせ中途半端にリアリティがあって。所詮朧な剣(ソード・オブ・ホロウ)だって知ってても。剣に敗れれば悔しくて。やっぱりもう一個の現実なのかもしれない。SAOという世界は。

 

 

 だから。

 

「ね――――よ――」

 

 ()()だって。

 

「お―――――おき―――よ―――」

 

ほん、もの―――

 

「ライヒくん! しっかりしてよ!」

 

火花が弾けるようにパッと意識が覚醒した。良かった俺は死んでいなかった。気が付くとレインがいた。俺に抱き着いてしきりに揺さぶりながら泣いている。目尻の涙をそっとぬぐってやる。

 

「何で、お前が泣いてんだ。泣きたいのはこっちだっての」

 

目が合う。今まで何回目線を交わしたのだろうか、見慣れた絶対の信頼がおける瞳。俺が生きてるのが分かると、レインは更にギアを上げて泣き出してしまった。

 

「バカッ!バカバカバカ!ばかぁ・・。」

 

「バカしか言えないのかこの馬鹿」

 

「……死んじゃうかと思ったんだよ? ずっと一緒だって、言ったのに―――」

 

「俺が死んだらキリトに惚れろよ。アイツといれば死なないから」

 

 ――パン。

 

 引っぱたかれた。

 

「お願い、そんなこと言わないで。あたしに約束を破らせないで、ずっと傍にいて。あたし、ライヒくんの事―――」

 

 どうやら気絶していたらしい俺は宿屋に運び込まれたようで、幸いここは個室のようだ。きっと他に誰も居ないだろう。こういうのは男からってことは俺でも知ってる。だからレインに最後まで言わせちゃいけない。今まで目を背けてて言えなかった言葉を。ここで伝えよう。

 

 レインの唇を、俺の唇で塞ぐ。

 

「好きだよ。ちゃんとお前の事、愛してる」

 

 レインがハッとした顔になる。しかし、すぐに顔を綻ばせていった。

 

「あたしも好き。好きだよ。ずっとずっと――愛してる」

 

 再び唇を重ね合う。それだけでよかった。それ以上は要らなかった。

 

 

 

***

 

 

 

 俺が運び込まれた宿屋は、壁のエギルことエギルのぼったくりバーの二階の一室だった。まあ、《担架》属性持ちのアイテムで運び込んだのだろう。ありがたいことに、昔のよしみで自由に使ってもいいとの事。何はともあれ。俺達は攻略組に復帰できたわけだ。因みにアスナさんとデュエルしたレインは、意外にも引き分けたそうだ。

 

「しっかし、たまげたぜ! ユニークスキル使いが今までこんなになるまで影を潜めてたってのはよお」

 

 声の主はクライン。相変わらずバンダナが悪趣味すぎる。

 

「別に出ようと引っ込もうとアンタには関係ないじゃない。スキルだってプライバシーの一つだってアスナから聞いたわよ」

 

 これはシノン。なんか―――知らん。何で虚空よりダイブしてきたのか。分からん。

 

 一階喫茶スペースに集まっているのは俺、レイン、キリト、アスナ、シリカ、リズ、シノン、クライン、エギル、あとリーファ。繰り返すがシノンとリーファについてはさっぱり分からない。急にここに転移したとか、意味の分からないことしか言わないから信頼も信用も出来ない。しかしシノンに限っては《射撃》なる弓を扱うユニークスキルを所持しているのだとか。

 

「お兄ちゃん―――キリト君も凄かったけど、ライヒくんもよくあれに付いて行けたよね。なんかユニークスキル使いって、私達と次元が違う気がするなぁ……」

 

「あんなの見ちゃうと付いていけないんじゃないかって心配になります……。どうしようピナ……」

 

「きゅるる」

 

「キリト君って片手剣のままでも十分強いけど、デュエルであんなに苦戦したのって団長を除けば初めてじゃない? レベルが下のライヒくんがあれだけ戦えたってことは、両手装備スキルが二刀流と同じかそれ以上ってことになるよね」

 

「まあ、そうだな……。投剣、体術、片手剣、細剣、短剣……。《二刀流》ならぬ《多刀流》って感じだったよ」

 

「おやぁ? 黒の剣士様もここで形無しかしら?」

 

「多刀流か。あのライヒがよくもここまで出世したもんだ……」

 

「……ええ、そうですね。おかげさまで」

 

 自己紹介もろもろを済ませ、俺はすっかり攻略組の一員と化していた。人というのは慣れるもので、一週間たてばすぐに仲良くなれる。たとえ偽りの仮面の上からであったとしても。

 

 それはともかく、今日から攻略を進めていくことが会議で決定したらしい。中でも大きかったのはユニークスキル使いが新たに二人も陣営に加わったこと他にあった出来事と言えば、俺が現在被害を受けているストーカー事件だ。これにはみんな「ストレアだよ、ストレア」と訳の分からない答えしか返してくれない。誰だ、ストレア。

 

「そういえばライヒ。お前の二つ名なんだか知ってるか?」

 

「黒の剣士様に言われると何か複雑だな。で、俺に二つ名? どんな感じ?」

 

「態度と違って興味深々だな・・・。」

 

「いいから。そういうのいいから早く言えよ」

 

「《御影》。お前は今から《御影》のライヒだ」

 

 





 安寧と偽りを天秤にかけることは正しい事だろうか。

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迷宮区

 

 最近、ずっと誰かに後を付けられている。しかし索敵用のバトルスキルを何重に重ねても何一つ引っかからない。一度レインを疑ったらきっぱりと否定された。

 

 俺ではもうどうしようもないので、俺は今アスナさんに相談しようとしているわけだ。攻略組の指揮を執るような人に時間を割いていただくのは申し訳ないが、俺だけで解決できる問題でもない。

 

 だが、結局。

 

「何度も言ったけどそれについてはストレアさんじゃない? としか……」

 

「まあ、そうだな。俺も被害受けてたけど結局丸く収まった」

 

「このままだと怖くて圏外いけないんだけど……。何か対処法とかなかったのか? こうしたら会えた、とか」

 

「そういえばキリト君。どうやってストレアさんと知り合ったの? 『みんなと仲良くなりたい』――なんて言ってたけど……」

 

「ふむ、どうだったかな。『出てきてくれないか』って言ったら割とあっさり」

 

「なるほどね。試してみるか。じゃ……失礼して。ストレアさん、()()()()()()()()()()()()()?」

 

「っくちゅん! はーい、アタシのこと呼んだ?」

 

 

 

 

 

 

 

―――・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いた。街中で堂々とハイド。そして呼ばれて返事をするならなぜ隠れるのか。

 

「あ~あ。見つかっちゃたか……。噂されるとくしゃみ出るってホントなんだね。アタシって有名人?」

 

「いや、知らない。――アンタ誰だ。今までに会ったことは無いよな?」

 

「そうだよ、初めましてだね。―――アタシはストレア。宜しくね?」

 

 

 

***

 

 

 

 成程。こういう事なら皆がストレアストレア言うのも理解できる。確かにストレアさんとしか言いようが無かった。

 

「いや……宜しくね? じゃなくて。何でハイドしてたのか教えてくれるか」

 

「悩みを抱える少年を陰から見守るのがお姉さんの役目なの!」

 

「オイ、コラ。話聞いてくれ話」

 

 さっきからペースを崩されっぱなしだ。しかし、ハイドの目的くらいは追求しておかなければなるまい。放っておけばこういった違反行為が日常と化してしまう。

 

「え? だってライヒは目立たないけど強いからね。だからもっと知ってたいなーって」

 

「じゃあ、せめて直接来て話すとかしないか。街中でのハイドは完全な迷惑行為だなんて常識だぞ」

 

「いいじゃん、いいじゃん。こういうのも面白くってさ」

 

「面白いだけで迷惑が許される訳ないだろうが。何でもいいから付け回すのはやめてくれ」

 

「は~い! ……つまり直接なら良いんだね?男の子に二言は無いんだよね?」

 

「は? な、おい止せ!」

 

 ストレアに急に抱きしめられた。キリトとアスナさんが深い憐み、そして同情の視線を向けてきているのが束の間に見えた。

「あはは。ライヒってかわいいー!」

 

「止めろ……この、マジで苦しいんだって……」

 

必死に引きはがそうとするが何という筋力パラメータであろうか、微動だにしない。しかしまずい……こんな状況をレインにでも見られでもしたら―――

 

 

 

―――ひやり

 

 

 

 冗談抜きで背中にそれを感じた。まさしく怒りの権化とでも呼ぶべき何かが確かにやってくるのを俺は確信した。「それ」はヒタリ、ヒタリと静かにしかし、確かな気配を以って接近している。―――俺は覚悟を決めた。

 

「ラ、イ、ヒ、く、ん――――?」

 

「これは違う!! こいつが……ストレアが勝手に―――」

 

 言い訳虚しくレインは俺をストレアから引きはがすと、俺の首根っこを掴み持ち上げた。もう―――だめだ。

 

「……あたしがいるのに浮気なんていい度胸だね。―――ブチ殺していい?」

 

「話せば分かる」

 

 だが、無駄。不言実行。俺はこの時、冗談抜きに走馬燈を見た。

 

 とある日の朝早く。アークソフィアの街を断末魔が一時間にわたって響き続けたという。事情説明と誤解解きと仲直りとストレアとの和解と俺の引きこもりの解決には、丸々一週間の時を要した。

 

 

***

 

 

 

 76層のフィールドは開けていて、見渡しがいい。モンスターも比較的難易度が低いものがほとんどだ。パーティーを組んだ俺とキリトはそんな中を駆けていた。通路代わりの洞窟型ダンジョンの奥地に存在したリザードマンの群れが基本的に一番の難所であり、迷宮区前にはすんなり辿り着けた。ユニークスキルが二つも手を組んでしまえばそれは当然なのだろうが、この世界において力を持って持ち過ぎという言葉はない。常に勝利が当然であり、負けとは即ち死を表す。

 

 俺達が居るのは迷宮区の7階あたり。出てくるモンスターはほとんどがリザードマン系に固定されている。―――少々厄介だ。モンスターは人に近くなるほど学習能力が上昇し、ソードスキルも多様化してくる。故に戦闘は短期戦でなければならない。

 

「《ミスディレクション》《バックスタブ》《ライトニングアタック》」

 

 キリトがタゲを取っている隙に立て続けにバトルスキルを発動させ《リザードマンモナーク》の後方に忍び寄り、ソードスキルを叩き込む。片手剣四連撃ソードスキル《サベージ・フルクラム》。バトルスキルによって高速と化し全弾クリティカルとなったソードスキルが、獣人を後方から襲いその命を削りきった。収縮、爆散。

 

 意外とSAOで知られていない事実の一つに、『階段は安全地帯としてシステムに保護されている』というものがある。攻略組にとっては常識なのは当然として、中層プレイヤーには意外と浸透していない。つまり何が言いたいかと言えば、階段は絶好の休憩ポイントである。という事だ。

 

「お疲れ。これ飲んどけよ」

 

「ん。あんがと」

 

 キリトが放ってきたポーションをありがたく頂戴する。相変わらずマズイ味だ。極限まで酸化させた茶葉からでた緑茶みたいな味。

 

「そういや悪いな。経験値ボーナス全部貰っちゃって」

 

「いや、いい。パーティーバランスも考えないといけない時期だしな。それにユニークスキル使い同士助け合いも必要だろ?」

 

「――ああ」

 

「そういえばライヒ。お前ホロウエリアの時のパチモノ・リーパーからLA取ってただろ? あれ何だったんだ?」

 

「そういえば。えーっと、どこ行ったかな」

 

 出来ればS級食材とかがいい。レインかアスナさんにでも調理してもらってみんなで食おう。アイテムを入手順にソートして探していく。例のそれは意外とすんなり見つかる。防具だった。固有名《ホロウナイト・コート》。

 

「防具だった」

 

「へえ。どんな?」

 

「お前が好きそうなコート。正直趣味じゃないからやるよ」

 

 そう言ってトレードウィンドウに放り込もうとすると急に紫色のシステム障壁に阻まれ、続けてシステムメッセージが視界に飛び込んでくる。

 

 ――『このアイテムは「Reich」以外のプレイヤーが所持することはできません』

 

「おい、どうしたんだ?急に手が弾かれたように見えたけど」

 

「さあ……なんか俺以外は所持できませんとか怒られた」

 

「なんだそりゃ。詳細プロパティ確認したか? まだ何も知らないエリアでドロップしたなら、特定プレイヤー専用装備とかもあり得るだろ」

 

「なるほどな」

 

 言われてみれば確かにおかしい。俺の今の防具が霞むほどには確かに強力な装備だ。今のですら73層産の素材から作った最高級オーダーメイド品なのに、それを凌ぐとは一体どうなっているんだろうか。それに見慣れない一文【特殊効果:ホロウプロテクタ】。可視モードにしてキリトにも見てもらうがさっぱり見覚えも聞き覚えも無いという。それに、フレーバーテキストも無いために、もう俺はこれ以上謎のコートについて知ることが出来ない。

 

「真面目にどうするか悩むな。何かのバグならさっさと捨てるところだけど、多分、これは正規品だ」

 

「いっそ開き直って装備したらどうだ? ホントにお前専用装備かもしれないしな。それに「ホロウナイト」って《御影》にピッタリじゃないか」

 

「ま、確かに何かの巡り合わせかもしんないな。――よし」

 

 ひらりと起き上がると、例の《ホロウナイト・コート》を装備する。全身を対象とする装備の為マフラーが装備できなくなることに少々がっかりしたが、それは杞憂だった。俺が装備していたものより数ランクは上質な黒のマフラーが出現した。そのマフラーの先端が魔獣の尾の如く背中に垂れる。コート本体は黒を基調としていて、肩や腕の辺りにプロテクターが装着されている。

 

「おお、滅茶苦茶似合うじゃないか! もっと早く気が付けばよかったのにな」

 

「そ、そうか……? ちょっとイタイ恰好なような気もするんだけどな」

 

「大丈夫だ。こういうのは慣れなんだ。俺は元々こうなんだって思えるようになるから」

 

「流石はコートに関しては大先輩だな。ま、確かに慣れの問題か」

 

 ――確かに、俺には似合うのかもしれないと。俺はそう思った。恐ろしい程に俺にピッタリと馴染むし、性能も破格だ。いや、でもこれを単純に喜んでいいだろうか。これが俺に馴染むという事は、俺の行動から好みまであのフィールドに把握されていることになるではないのか。思い出す。あのフィールドで感じた妙な空気が再現されたような気がした。俺とキリトはテスターだ、故に全てを監視されている。軽視出来るほど単純な問題ではない。

 

 

一体ホロウエリアとは何なんだ?

 

 

 

***

 

 

 

 今までに何回か感じ取ってきた死の気配を今まさに直接肌で感じている。迷宮区はギミックにより多少階数が異なるが基本は10階が基本であり、76層もその例に漏れることは無かった。ボス部屋前の広場が立ちはだかる。

 

「やっと見つけた、な」

 

「ああ、特にやり残したことは無いよな?」

 

 無言で頷きを交わすと、回廊結晶を設置する。少々豪勢だが、命には代えられない。さて、コイツは一体どうやって俺らを殺そうと暴れてくれるのか。想像しただけで怖気が走る。

 

 

 

 





 救いの代償に必要なものは、果たして。

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死地へ

 

 なんだかんだで76層以降のアインクラッド攻略は順調に進んでいる。元より76層以上に存在するプレイヤーは約二年続くデスゲームの最前線を生き抜いている精鋭しかいない。閃光アスナ一人とってもキリトに匹敵する戦闘力を誇るのだから、結局のところユニークスキルは所謂『やりこみ要素』なのだ。《両手装備》も《二刀流》も瞬間的な火力は他のスキルを凌駕するが一撃の威力、攻撃範囲、命中率の面で総合的に劣る部分も多い。

 

 やはりSAOはどこまで行っても結局『ネトゲ』で、そうである以上誰もが人とは違う定石、装備、そして最強を目指す。

 

 でも俺は、みんなと同じでもよかった。唯一性が欲しくて生きて来たのではないのだから。

 

 

 

***

 

 

 

「ディレイ系で援護しろ!お前は何とかして後ろを取れ!タゲは一括俺が受ける!」

 

「了解。三秒後に着弾するわ」

 

「宜しく!《ミスディレクション》《サイレントブースト》《バックスタブ》……」

 

「剣技連携支援システム《OSS》起動。《ペネトレイト》《クルーシフィクション》《トライアンギュラー》」

 

 シノンが稽古をつけてくれと言うのでご無沙汰していたホロウエリアに連れていくことにした。キリトとも訪れてはいるが、攻略が進まない。前にやっとこさ「森林」エリアのボスを解放したところだ。

 

 ランク2ホロウミッション「守護騎士隊の反乱」の討伐対象ターゲット《ツーソードパラディオン》を相手に俺、シノン、フィリアは奔走していた。取り巻きのルーン系モンスターはすでに排除して1対3の体制を作れるには作れているが、例の討伐対象のレベルが明らかに高く、アインクラッドでもほとんど記憶にないモンスターパターンなので苦戦を強いられている。一撃食らうだけでもどれだけHPが持って行かれるか分からない。

 

 故に、俺とシノンの二人がかりでディレイさせ、フィリアは遊撃に回してチクチク削る戦法を取っている。

 

 宣言通り、指示からきっかり三秒後に弓ソードスキル《ブレイジングショット》が四足歩行の魔獣騎士のウィークポイントを捉え、ディレイさせる。その間もテスター権限で条件解放させた「OSS」システムを用いて一撃が比較的重い剣技でディレイを継続させる。

 

―――データ収集完了。片手用直剣専用ソードスキル《カーネージ・アライアンス》の制限解放。SAOシステムに反映。実装しました。

 

 システムメッセージが狙い通りの内容を伝えてくる。《トライアンギュラー》の3撃目が命中するや否や、右手を引き戻しサンプルムービーでのみ見たソードスキル《カーネージ・アライアンス》をスキルコネクトで始動させる。独楽のように回転し2発叩き込み、腕を返してクロス状に2連撃。更に腕を振り抜き、斜めに2発でフィニッシュ。情報通り、この剣技の最終撃は非常に高いディレイ効果を持っている。騎士が大きくのけぞった瞬間を見逃さず、フィリアが高威力の《シャドウ・ステッチ》を発動。二段ゲージのうち二段目が半分を割ったことで黄色く染まる。その瞬間、騎士が一際大きく咆哮した。

 

怒り(バーサーク)状態、来るぞ!防御に回れ!」

 

「分かったわ」 

 

「うん!」

 

 ネームドモンスター級の相手のパターンとして怒り状態になった瞬間、ダメージはそれほどでも無いが吹き飛ばし性能の高い固有の衝撃波攻撃を放ってくる。今回もその定石通りに防御を指示した。たとえ衝撃波攻撃じゃなくとも防御の心構えができていれば躱すなりも可能なはずだと読んだからだ。

 

 予想通り赤黒い衝撃波が俺達を襲った。剣で防いだものの、やはり体が大きく泳いだ。しかしここで俺は失策を悟った。更に2波が押し寄せてきたからだ。防御も回避も間に合う筈がなかった。シノンやフィリアは吹き飛んだだけで済んだが、至近距離で受けた俺は更にスタン状態に陥った。指一本動かなくなった俺に容赦なく大剣が叩き込まれる。一瞬でHPが8割も消し飛んだ。危険域突入の不快な警告音が鳴り響くがやはり体が動かない。『麻痺』状態と化した俺は全身全霊で鬨の声を上げた。一定量の叫び声(シャウト)によって発動するバトルスキル《トライレジスト》。非常に低い確率だが、あらゆる阻害効果を解除させられる。

 

「ライヒ!」

 

 虚しく散った俺の咆哮を上書きするように《射撃》スキル専用の剣技のサウンドエフェクトが唸りをあげ魔獣騎士に突き刺さるが、一切の興味を示そうとしない。それもそのはず。俺がパーティー唯一のダメージディーラーだからに決まってる。それをこなすためにヘイト上昇系のスキルはありったけ使っているため、ソードスキル一つくらいで変動するはずがない。フィリアも駆け出してきてはいるが、今まさに剣を振り下ろさんとする悪鬼に間に合うわけがない。

 

 見えそうになる走馬燈のような幻燈を必死に意志力でかき消し、トライレジストのリキャストを待つくらいが俺の今の限界だった。寒くも無いのにどこからか寒さが忍び寄ってくる。---死の恐怖。

 

 ここまで窮地に落ち行ったのはいつの時だっただろう。それこそ例の25層ボス以来かもしれない。心の中で半分はあるはずのない攻撃のファンブルを祈り、もう半分では生きることを諦めながら俺はその瞬間を待った。凶悪に煌めく刃がとてつもなく遅く見える。

 

 まだ、来ない。まだ―――まだか。

 

 刃が装備を切り裂きアバター本体に、俺の命の鋳型に食い込むのが見える。俺は息を詰まらせた。

 

 

 

 

 

 

 

 俺の呼吸が詰まったのはその剣が半ばから叩き折られ、消失したからだ。シノンでもフィリアでもましてや俺でもない。その現象を起こした張本人は俺の前に立っていた。女性だろうか。キリトかと思ったが違う。さらりと舞う長髪、何より紫紺の装備がそれを物語っている。気が付くと俺の右手の長剣がもぎ取られていた。

 

「ごめんね、お兄さん。ちょっと剣借りちゃった。でも結構危ない感じだったからさ」

 

えへへ、と明るく笑うと少女は唐突にパラディオンに突っ込み―――

 

「これで終わりだよッ!!」

 

 一瞬何が起きたか分からなかった。十字のパーティクルが煌めいたと思ったが違う。神速の高速突きのライトエフェクトがそう錯覚させている。そして、一泊置いた後、十字の中心にもう一撃叩き込んだ。速さもさることながら威力も凄まじい。そしてなりより11連撃。片手剣最上位スキル《ノヴァ・アセンション》をも上回る、何より美しい剣技に俺達はしばし見入った。《ツーソードパラディオン》討伐完了のログが流れると、ようやく時がまともに動き始めた。

 

「おにーさん大丈夫?ゲージ真っ赤だけどアイテムはある?」

 

「ん、ああ。結晶結晶」

 

 結構高価な結晶を見栄で使ってしまった。また無駄遣いをレインにどやされると内心泣きながら死活問題であったことを思い出した。返却された剣を鞘に戻すと改めてパーティーに向き直る。

 

「悪い。未開のフィールドだったのは承知してたけど読みと警戒が浅かった。―――あー、それと君。ありがとう。お礼は必ずする。そんで俺はライヒ、そっちの弓使いがシノンでこっちはフィリア。君は?」

 

「ボクはユウキ!なんか急にここに飛ばされて出られなくなってさー」

 

改めてボーイッシュなその顔を正面から見る。―――一瞬間、なにか違和感を感じた。

 

ボクという一人称。紫色に偏った好み。そして何より見覚えのある顔が―――

 

「もしかしてお前……木綿季…?」

 

「え?もしかして……兄ちゃん!? なんで!?」

 

 

 

***

 

 

 

 場所は変わってエギルの店。

 

 新たな新参に流石にキリトその他は参っていた。光の妖精じみたリーファの次は闇の妖精ユウキときた。アスナさんは頭を抱えてうんうん唸っているし、俺もレインにこってり絞られて半生状態になっている。とにかく異常事態が多すぎるという事で、緊急会議を兼ねて自己紹介タイムといった時間である。

 

「ユウキです!リアルではオウ兄…じゃなかった、ライ兄とはいとこでした!向こうのALOっていうゲームをやってたら急に飛ばされてきたんですけど、よろしくお願いします!」

 

「おうおうライヒよぉ…おめぇも段々キリの字路線まっしぐらかよ……。なんで俺には誰も来てくれねぇんだ!!」

 

クラインの嘆きはどうでもいいとしてなかなかどうして大変な事には違いない。こんなんでホントにSAOはクリアできるのか??

 

 

 

***

 

 

 

「おおっ!間違いないじゃないですかぁ!!これでヘッドにもいいお土産ができましたぁ。いやぁ~感謝感謝ですよぉ~」

 

「もう、用はないでしょ。さっさとアンタの親玉の所にでも帰んなさい。じゃないといい加減に―――」

 

「それがそれが自分じゃなくてですねぇー。ウチの超クゥ~ルなヘッドが会いに行っていいかっていうんですよぉ~。いやいや自分も結構ホントにビックリですよ?」

 

「何なの、アンタたち……一体何がしたくてライヒとキリトの写真が要るの?答えて!!」

 

「そんなの簡単ですよぉ?―――即ち~生きるためですよぉ。死んで(棺桶に入れられても)もずっと笑って生きることですよぉ。だって死にたくない。自分も生きてんです。そういう願望の一つや二つ必要でしょおぉぉ~?」

 

 ――だって自分ら

 

 その男。モルテと呼ばれたプレイヤーの影は、愛おしそうに、狂おしそうにささやく。

 

 ――笑う棺桶(ラフィン・コフィン)、ですからぁ……、ね。

 

 

 




如何でしたでしょうか。久々にしては中々だと自覚がありますが・・・。そのために思わぬミスがあるやも分かりませんので気が付いたらどうぞ一報お願いします。


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冷徹

 

 

 84層攻略も佳境に入ってきた。76層からのカウントでは死者はゼロ。これが90層以上になってくればどんな惨劇になるのか。こういった局面では何より犠牲者排出が最も痛い。ただでさえ上層に存在するプレイヤーはギリギリで、大半が《血盟騎士団(KoB)》か《聖竜連合(DDA)》という大規模ギルドが2つあってこそ稼働できている状態だ。

 

 両ギルドとも下層支部を通じて攻略参加を呼び掛けているが、《軍》は解散したわ下層にそんなギリギリの攻略に耐えられるプレイヤーなんていないわで、あまり意味を呈していないわけで。

 

 当然そんな中で参加希望が来ればそれはありがたい話なのだが……。

 

「どうかしたんですかアスナさん」

 

 俺はこの日呼び出しを受けて血盟騎士団の執務室に居た。

 

「ライヒ君。攻略に新しく加わってくれるギルドが来てくれるっていうのは聞いた?」

 

「いましたねそんなの。装備もスキルも結構なもんだとか。それで今日視察というか、新参テストをするとかなんとか」

 

 俺たちにやったように――とは言わないでおく。

 

「そうそう。それで私が主催するから一緒に立ち会ってくれないかなって」

 

「分かりました。……どうせ暇ですからね」

 

「君は大事な戦力だから、それ位でいいんだよ」

 

 そう、これくらいどうという事は、無い。

 

 

***

 

 

 

「おライヒ、随分早いな。今日は? レインはどうしたんだ」

 

「代わりにクエスト片してくるってさ。リーファとかシノンと一緒にワイワイやってたぞ」

 

「いいよね~。ボクあんな友達もっとほしいなー」

 

「まて、ユウキ。ナチュラルになんでこんな大事な場所に来てはしゃいでんだ。レインと行ったんじゃないのかよ」

 

「兄ちゃんが心配だからってレインさんに言われた」

 

 気にするほどの事でもないのにな、と相棒に想いを馳せる。

 

「……来たわ」

 

 野次馬のざわつき具合で様子は窺えた。今日のお客さんがやってきたらしい。キリトも、ユウキでさえも、いつもの和やかな雰囲気は完全に霧散させる。それはアスナさんも俺も同様だ。そもそも今日の来訪者は『警戒すべき』だと事前に知っていた。装備のグレード、個々のスキルの高さ。申し分ないだろうがそれに反して武器防具のテクスチャ。特に輝きがあまりに薄っぺらい。通常、攻略組は勿論、SAOプレイヤーの用いる装備は何度か破壊を経験し幾度となく強化やメンテを行っている。それに比例して輝きはより濃密に深くなっているはずなのだ。

 

 つまり『一度の破壊も修理も強化も行っていない』装備そのものを着こんだ『攻略組SAOプレイヤー』がやってくるのだ。レインには事情を話したうえで皆をこの場から離れさせた。キリトもユウキもそれを知っている。それくらい細かい芝居を打つべき怪しさを持っている。

 

「これはこれは。トッププレイヤーの皆さんがお揃いでいらっしゃるとは。我ら一同感謝の念に絶えません。―――私は我らがギルド《ニブルヘイム》を率いております。アルべリヒ、と申します」

 

 大仰に気障なセリフを吐く男。髪もレアな金の染料で染めている。装備は剣の柄頭に至るまで豪奢な装飾が施されている。

 

 俺達がそのナルシストっぷりに呆れている間にも男は無駄に恰好つけた抱負を語っていた。まあ、つまらないことだ。小さくも貢献だの、もう一度下層に希望をだの。やはり怪しい。攻略組は大きな戦力以外は絶対に貢献させない。細切れ同然の集団は小さいクエストを片付けて情報を運んでくるのが仕事だ。奴らの語る行為は貢献とは言わない。最も死ぬ確率の高いボス攻略に参加し、生き延びて討伐することが即ち貢献だ。それはアインクラッド周知のルールであり、知っていなければならない最低限のマナーでもある。

 

「なあ、どう思う?」

 

「さあ、小物だろ」

 

 キリトも俺もおおむね同意見らしい。しかしアスナさんの精神力は流石としか言いようがない。あんな奴にも微笑を絶やさないのだから見かけによらず苦労人だと思う。

 

「それではお言葉通り実力を見せていただきます。どなたか、この方ととデュエルをしていただけませんか」

 

 この流れ。人込みは自然とキリトを前に押しやった。俺もそれでいいと思う。間違いなく最強のプレイヤーは《二刀流》の事を指すのだと俺は心の底から思う。これはお世辞でも何でもない。ありのままがそのまま俺の意見なだけだ。

 

「《黒の剣士》様が直々にお相手なさっていただけるのですか?光栄でございます。私も全力を以って剣を」

 

「待った」

 

キリトはそこで強引に言葉をせき止めた。

 

「俺の専門は『MvP』だ。この中には俺より優れた『PvPer』がいる。アンタを値踏みするにはそれが適任だ―――そうだろ!みんな!」

 

 そんなヤツ、いただろうか。本気でそう思った俺とは裏腹に、キリトに代わって俺は担ぎ出されていた。ああ、ユニークスキル使いってこういう時だけのために存在いるのか。

 

「……。ども」

 

「――? よければお名前を拝聴しても?」

 

「ライヒ。《御影》のライヒ」

 

「その御名。確かに…………そろそろよろしいですか?」

 

 ――何故俺が。

 

 面倒だ。余りにも面倒だ。俺じゃなくてもいいだろ。大事な戦力ならこんなところで駆り出さなくていいだろ。

 

 もういい。やってやる。八つ当たりであることは解っているし、多少申し訳なくも思うが、それ以上にアルベリヒ。お前が癪に障る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【DUEL!!】

 

 ――速。

 

 素人な突進だが、速度だけは俺が本気で走っても出せないほどだ。

 

 軽い右ステップで躱した。外すことなどは毛頭考えていなかったのか、アルべリヒはアークソフィアの街の石畳に頭から突っ込んでいた。立ち上がるのを待った。上がった顔は羞恥と怒りに震えていた。

 

「このックズがああ!!」

 

「ちょ、自分からやっといてそれ……」

 

 攻撃の筋は大振り、軌跡が見るまでもなく分かるようだった。キリトのあのソードスキルと比べてしまえば遅い。遅すぎる。欠伸が出そうだ。それに鎧の形状に不慣れなのかスピードに対して動きが鈍く見える。

 

「ステータスの差を思い知らせてあげよう―――《インサ二ティーナイト》」

 

 ダメージを三回まで与えた者に反射させられる超高等バトルスキル。だが、その程度の見掛け倒しに倒されるほど俺達は甘くない。地面を蹴って前に出る。身を小さくかがめてアルべリヒの股をくぐり背後を取ると、左手のレイピアで三回鎧を軽く突いた。勿論鎧に吸収されてダメージは0だろうが、その0ダメージはアルべリヒへのダメージであることに変わりない。たちまちバフアイコンが消滅した。

 

「何だとぉぉぉッ! この僕が負けるわけがないッ!!!」

 

 ボッ! と音を立てて周囲が黒い煙に包まれる。煙幕でも張ったのだろうか。

 

 しかし、ここで索敵スキルのmodである《暗視》が自動的に発動した。しかし相手は自分で自分の視界を塞いだせいで、急に俺に背中を向け明後日の方向を斬り始める。もういい。これ以上は時間の無駄だ。見るだけ哀れで、無価値に尽きる。瞬時に勝負を決めるべく、煙幕が晴れるや否や俺は両手の剣を同時に投げつけた。

 

「うまく転んだな―――なあぁッ!?」

 

 そして剣を躱し怯んだ相手の懐に一瞬で飛び込むや、ついつい友の好きな言葉を口にしてしまった。

 

 

 

 

 

 『It's show time!!』

 

 

 

 

 

「《OSS》―――《塵辻(ジンツジ)》《弦月(ゲンゲツ)》《下坂(サゲサカ)》」

 

 囁きの一瞬。キリトが息を呑んだのは見間違いではないだろう。まあ、何か勘違いをされても仕方がない。俺とPoHが兄弟(ブロ)であったことに差異は存在しないのだから。

 

 肩幅の二倍ほど開かれた足が風車の如く回転し体を宙に浮かし、更に後方宙返りしながらの蹴りがもう数秒浮かす。その瞬間を前方宙返りの踵落としが迎え撃つ。

 

「《右斗(ウト)》《左斗(サト)》《水月(スイゲツ)》《玖乱(クラ)》」

 

 ――「龍爪(タツメ)

 

 右肘左肘が交互にヒット。横薙ぎに蹴りつけ、九連撃のラッシュで追い詰め――――――《体術》スキル最大威力の貫手での一撃がアルべリヒの堅牢極まりない鎧を穿ち砕き、消滅させた。

 

「ヒ、ヒイイィィヒィ!!ま、負けだ。僕の負けだ。ここ、降参だ!!」

 

 

 

***

 

 

 

「あ~くたびれた~。ちょっと本気出しすぎたかな」

 

「ううん。手の内を見せるのを嫌うのが当然なのに、あれだけやってくれたことにはすごく感謝してる」

 

「アスナの録画クリスタルで見たけど結構な戦いぶりだったじゃない。これからも特訓をお願いしたいわね」

 

「ま、俺じゃなくてもあれくらい追い詰めるのは誰だって出来ただろ」

 

「う、嘘でしょ!?」

 

「ま、皆がそういうのはもっともだよ。でも、だからこそあの敵相手にあれくらいできなきゃ、アインクラッドのボスは倒していけない」

 

「ライヒ君はその中でも最強の一角! 彼女冥利につきるなあ」

 

「こいつめ」

 

 世界は、今日もゆっくりと終焉に近づいている。

 

 

 





 苦しみは救いに能うだろうか。

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殺意の顕現

 

 ――気が付くとまた前線に立っていた。

 

 86層のボス。その名を《アルフェルド・ザ・スケルトンキング》なる巨大かつ強大な敵を前にしている。薄く靄がかかっていた意識が晴れると同時に、俺は会議中に言われた通り《バトルシャウト》を発動させた。ボスを構成する骨のテクスチャ一つ一つがどうにも禍々しく俺の目に移る。ファーストターゲット時の咆哮を縫うように一瞬で接近し、右手から片手剣ソードスキル《スネークバイト》を奔らせる。初動が居合切りのそれと酷似しているため、あたかも抜刀術のように剣が鞘の中でも発動できる。さらに踏み込みつつ細剣を左手で抜き放ち《スター・スプラッシュ》でコネクトさせる。

 

 繋ぐ、繋ぐ。まだ繋ぐ、もう一つ繋ぐ。

 

 10程繋いだ頃だろうか。背後で陣形が完成したのを見届けると、合図として取り決めておいた《ヴォーパル・ストライク》を骸骨に叩き込んだ。当然ここで止めてしまえば俺は10秒の硬直を課せられるが、しかしこれは合図であって意図的なものなのだ。絶妙のタイミングでキリトが割り込んでソードスキルを始動させた。確か名を《シャイン・サーキュラー》。それでも硬直を解くに十分な時間は得られないが、それも計算の内。タンク型プレイヤーが更に割り込み大剣の一撃をガードする。体が自由になるや否や、速やかに後方に下がりレインと合流する。

 

「お疲れさま、ライヒ君。はい、これ耐毒POTね」

 

「あれ、ポーチに入れてなかったか。サンキュ」

 

 軽くアイテム整理をしながらレイドに加わると何時もの攻略が繰り広げられていた。アタッカー隊を中心に通常攻撃を重ねて隙を作りソードスキルで痛撃する。ボスの大技のプレモーションがあればタンク隊が前線にスイッチ。そしてそのローテーションが崩れようものなら―――

 

 ――俺が飛び出てすかさず《スネークバイト》。相手のディレイがいつ切れてしまうか。そんな恐怖の中でひたすら時間を稼ぎ続け、体制が整えば《ヴォーパル・ストライク》。キリトが割り込んでソードスキル。そんな中、タンク隊は専用のヘイト上昇スキルでタゲを分散。

 

 一番槍は犠牲の象徴。最近のボス攻略で俺はそんな持論を展開しつつあった。身の丈から大きく差がある敵に愚直に突撃して時間稼ぎ。何という愚かさなんだと自分で自分を笑いたくなる。それでも攻略組の組織的トップの連中はこれが最善かつ最効率だという。ある意味では俺もこれはユニークスキル使いの義務だと思わなくもない。しかしこんなプライドも人権もないがしろにした方法論がなぜまかり通るのかが不思議でたまらない。結局は『一人はみんなのために』を強要されているわけだ。だったら俺にも考えがある。

 

 骸骨王のHPバーが真っ赤に染まると同時に、過去のボスとは比較にならないほど強力な衝撃波が発生した。バランスを崩したアタッカー隊に、通常時とは桁違いの恐るべきスピードで放たれたソードスキルが襲う。

 

 速く行けと責め立てる様な視線を潜り抜けて何度目かの突進を敢行した。まだ続いているソードスキル《ファイトブレイド》をステップとジャンプのみで回避し、通常攻撃(・・・・)でタイマンを開始した。大きく同様に揺れる攻略組を完全に無視して勝手に戦う。

 

 そんなに俺を囮にして生き残りたければ、俺だってむざむざ死にに行こうとは微塵も思っていない。折角ボスと切り結べる状況だ。『プレイヤースキル上げ』に利用させてもらおうと俺は考えた。硬直などあってないような感覚で放たれるソードスキルをひたすら躱して、一瞬の隙を通常攻撃で突く。時にはレイピアで、時には拳や脚で。

 

 そしてついにスキルが一つでも決まれば倒せる範囲内にHPバーが減ると、骸骨王は急に体を縮めて後方にステップした。―――恐らくは《アバランシュ》。回避では間に合わないことを瞬時に悟ると、俺は迎撃に移った。

 

 向こうの剣を弾こうとするのではない。こちらから触れに行くのだ。剣が近づく、重なる。

 

 瞬間俺は手首から出来る限り力を抜き、押されるがままに押された。凶悪なフォルムの大剣が剣を伝って、俺の体ではなく横に突き刺さる。勿論現実でこれを再現するなど、俺では100年修行しても不可能だ。しかし、この世界のルール。即ち『関節は曲がるとこまで曲がる』を利用することで荒業を可能にした。剣を抜くのに忙しい骸骨さんにソードスキルを叩き込もうと構えを取ろうとした。

 

 最速の《スネークバイト》のモーションを取ろうとした、が。

 

「……ああ。そういえば俺何でここにいるんだっけ……。」

 

 うわ言のように俺は呟き、瞬時に《ファントム・レイブ》へ構えを変えるとそのままとどめを刺した。勝手な暴走が、説教だけで済んだのは幸いだった。

 

 

 

***

 

 

 

「ねえ」

 

「んだよ」

 

 うっかり叫び声(シャウト)扱いされないように最低限の声で返す。例の森林エリアの神殿型ダンジョンはとにかく騎士パターンの敵が多い。囲まれれば連続的に殺到するソードスキルでお陀仏だろう。いくらソロではないとはいえ、警戒しすぎてしすぎではない。最低でも90層のラストアタックを取るまでくたばる気は毛頭ない。

 

「なんか最近アンタのソードスキルの回数が減ってる気がするんだけど。気のせい?」

 

「いんや合ってるよ。ここ一週間くらいは意識してる」

 

「そういうんじゃない。アンタの持ち味っていうか切り札っていうか……スキルコネクト、だったっけ? なんであれを使わないのかって聞いてんの」

 

「さすがはトレハン。鋭いな」

 

「その略しかたやめて。……別に単純な興味よ、命張ったゲームで出し惜しみする意味ってあるの?」

 

「へえー。んじゃ、もしここにいるのがキリトだったらそれと同じ違和感について質問できるか」

 

「え……? って、いきなり何の話してるのよ」

 

「簡単なことだろ。俺は今の仲間全員が、俺のことを『キリトがいない間の経験値稼ぎマシーン』にしか考えてないんじゃないかって疑ってるって話。俺がスキル使おうが使うまいがお前には関係ない」

 

「それは……うん。ごめん。マナー違反、だよね」

 

「――違う。そういう事が言いたいんじゃない。そんなに追い詰めたいわけじゃない。悪い」

 

「えっと……今のは本音、なの?」

 

「さあな。俺にも俺が分からない。俺は何のために――」

 

 しばしの沈黙。まあ、いきなりそんな仲間なんて一切合財信じてません寧ろその仲間たちに裏切られる空想勝手にしてますそれが怖くてしょうがないんです。みたいな宣言をして唖然としないわけがない。

 

「忘れてくれていい、独り言だと思って話を聞いてくれ。この前、いや、ボス戦だといつもだ。俺はいつもキリトの横、最前線も最前線に出されてる。そんでもってひたすらダメージディーラー任されてる」

 

「それが何かあるの?」

 

「83層だったか4層だったかうっかりキリトがでっかくダメージ受けた。そうすると当然のように悲鳴があがったり高価なポーションが降ってきたりするわけでさっさと復帰できる……ま、みんな優しいからな。当然だ」

 

「それって……。普通じゃない、誰も死んでほしくないでしょ」

 

「その戦闘の際。後で俺もミスって片腕欠損して戦線離脱した」

 

「それで?」

 

「レイン以外、誰も何も言わなかった。俺がキリトの代わりに受けて当然みたいに。気味悪かったよ、だって本当に何の反応もなかったからな。俺はさっさと高い結晶使って復帰した。でも本当にびっくりしたのは倒した後だ。ボス討伐後の戦利金分配の時だよ。キリトは俺の2倍もらってた」

 

「え!? そんなのおかしいじゃない!消費が大きい人にはそれだけ保障が出るんじゃ……」

 

「ああそうさ。それで責任者に問い詰めてみたら、何て言ったと思う。―――『あれ、アンタそんなに戦ってたっけ』ってさ。傑作だ。笑うしかなかった」

 

「そんなこと……」

 

「別にあいつほどモテたいわけじゃない。ただな、あいつと同等か。それ以上の『評価』があっていいと思う。俺の存在が霞むくらいなら一々前線に立たせないでくれ。俺が邪魔ならいっそはっきり排斥してくれ。つまり俺は『利用』されてる。俺はもう誰のことも心から信用なんてしてないし、したくもない」

 

 この世界で生きるためにではない。勇者様の身代わり人形として、捨て駒として生かされ戦わされているのだ。ユニークスキル使いならそれをやって当然だなんて、嘘以外の何なんだ。俺は『ユニークスキル使い』としてすら見られていない。どれだけ俺が死中にいようとも、誰しもがキリトのほうを向き続ける。

 

 俺に近づく何かは、キリトに効率よく近づこうとする何か。そんな言葉が脳裏をかすめてしまった。もしかしたらレインもユウキも、シリカもリズもリーファもシノンもストレアも。そしてここにいるフィリアも。仲間だと思っていた全てが俺を利用しようとたくらんでいると、そう思ってしまっている。我ながら醜いエゴだとも被害妄想だとも分かって理解している。それでもなぜか恐怖が止まない。俺に巣食う疑念は今にも俺を乗っ取ろうとしているような気配さえある。

 

「……なあ。俺ってやっぱり死んだほうがいいか」

 

「アンタ。何洒落になんないこと言ってんのよそれ以上言うなら……」

 

「ああ、本当そうだよな。PK集団に囲まれてる状況で何を呑気にいってんだろう―――なっと」

 

「え? 何!?」

 

 言うが早いか何もない―――ように見える空間に、投擲用ピックを投げつけると案の定数人のオレンジプレイヤーが露見した。まあ、接近はとっくに索敵で分かっていたわけだが。そもそもおかしいとは思っていた。仮定として俺、キリト、そしてフィリアも《ホロウ・エリア》のテスターとして選ばれたとしよう。しかしここで思考に待ったがかかる。そもそも《ホロウ・エリア》自体が3人のテスターに対して広すぎる。大まかに数えても4つのエリアに分かれていて、なおかつその中も無数のダンジョンで埋まっている。どう考えても明らかにデータ収集の効率が悪い。だったら見てないだけで他に代替品があるはずだと考えた俺は管理区のコンソールを徹底的に調べ上げた。ユイちゃんにも手伝いを要請し、結構な量の情報を得られた。

 

 茅場が生み出した自立AI型プログラム、通称《カーディナル》でSAOは構成されている。要するにこのプログラムと俺たちは戦っていると言っても過言ではないらしいが、それは置いておく。茅場はSAOサービスを始めるにあたって《カーディナルに》もう二つのプログラム要素を追加したらしい。一つは、プレイヤーの心理状態の解析とモニタリングの機能を持ったNPCである『MHCP』。どうやらユイちゃんもそこに属するらしいがこれも置いておく。もう一つは、プレイヤーの行動パターンの解析とモニタリングの機能を持ち世界のバランスを保つために適宜アップデートなどを行うサーバー。それが《ホロウ・エリア》。

 

これがサービス開始当時からあったとすれば、俺らが来る前まではどのように稼働していたのか。答えをユイちゃんの口から聞いたとき、俺は恐怖を隠せなかった。すなわち、『MHCPとホロウ・エリアの蓄積したデータを複合させ、擬似的AIを用いてテストを行っている』―――らしい。なるほど、だとすればユニークスキル保持者は格好のテストサンプルだろう。他とは異なる思考で戦っているのだからMHCPのサーバーもそれは仕事がはかどるだろう。

 

 ここまでを踏まえて、俺はずっとある確信を抱いていた。他とは異なる思考を持って戦うプレイヤー、もしくは集団。つまりPKer集団、最低でも《ラフィン・コフィン》のメンバーは必ずサンプル要素として用いられていると。今でも攻略組の中で最大のタブーとされるそのギルドがサンプルになっているのなら。間違いなく、偽物ではあろうが『あの男』も存在している。

 

「オー、相変わらずそういうの外さねえよなあオマエ」

 

何かの聞き間違いだと信じたい。

 

「いやー、やっぱりこのくらいじゃ敵わないですねぇヘッドォ」

 

 堪らなく懐かしく、しかし『この世界で』出会ったならすぐさま殺すべき存在が。殺意の悪魔が。

 

「ホンっと、いつぶりだっけか?ええ?」

 

「……兄弟(ブロ)。お前、やっぱりいるよな」

 

 

 

 

 

 

―――目の前に立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 





 自己犠牲は存在理由になるか否か。

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再び笑う棺桶の中で

 

 盟友、いや盟友の幻影を認識した瞬間全力で跳躍して斬りかかった。敵の数は10人と格上を殺すには少ない。向こうが挨拶代わりだというならこちらは最初から本題に入るべきだ。ここで最低でもPoh一人、出来れば取り巻きをもう二人再起不能にしておきたい。俺が、現在眼下に存在するPohを幻影と判断した理由はただ一つ。

 

 ――そもそもホロウ・エリアとは幻影だ。

 

 しかし理想通りに物事は進んでくれない。Pohの前に取り巻きの一人が立ちはだかり行く手を阻まれる。曲刀の煌めきが視界の上を掠めて俺の首筋へ降ってくる。《曲刀》カテゴリソードスキル《リーバー》。しかしそれよりも速く俺はソードスキルを始動させていた。

 

 ――《ヴォーパル・ストライク》

 

 ジェットエンジンじみた轟音とともに打ち出された深紅の刃が、容赦なく心臓を貫き人影をポリゴン片と変える。あまりの躊躇のなさに、この場の全てが凍りついた。少し長めのスキル後硬直―――とはいってもかなり短縮され、1秒もないが。―――を脱すると俺は言った。

 

「さ、覚悟出来てないわけないよな」

 

 容赦なく蹂躙し―――全員殺す。

 

 床を蹴ると、一番近くの黒フードに斬りかかる。その後も動きは止めない。次に近い敵に斬りかかり、集団に対してダメージを与えていく。流石に案山子ほど無能ではないのか、斬撃が数発降ってくるがまるで遅い。前に戦った骸骨の王のほうがよっぽど速く硬かった。Pohを狙っているつもりが、器用に位置を変えて俺から逃げている。それでも逃げるだけの時間はいい加減に終わるころだ。狙いを定め、敵が出来る限りの数一直線に並ぶ位置に来るまで機を待った。そして来た。

 

 細剣スキル最上位突進技。《フラッシング・ペネトレイター》。

 

 かなりの数が砕け散った。残りはあと二人。Pohともう一人、幹部格の誰か。《赤目のザザ(XaXa)》か、《ジョニー・ブラック》、いや違う。

 

「よ、モルテ。いい加減そのあみあみ頭巾脱げよ暑苦しい」

 

「余計なお世話ですねぇ。そっちこそ、その真っ黒コート脱げばいいじゃないですか。暑苦しいのはお互い様ですよぉ?」

 

 《ラフィン・コフィン》の超古参勢。ふざけた口調と片手斧をトレードマークとしてSAO序盤から結構な数のPKを企画し、また実行してきた最早精神的には人外である凶悪レッドプレイヤー。そして奴の名前。由来はいたって単純にこうだ。

 

 イタリア語で《死神(Morte)》。

 

 互いに文句をつけながら互いに駆けだした。剣は両方とも鞘に収めて片手でウィンドウを開き《クイックチェンジ》を起動させる。向こうも全く同じアクションを起こしている。奴の選択は盾なし片手斧。最速のスキル《ランバー・ジャック》を発動させて襲いかかってくる。俺の選択したスタイルは―――

 

 盾持ち短剣。

 

 《盾防御》スキルのmod《反撃(カウンター)》が発動し、モルテの斧を弾き返して持ち主にもスタン効果を与える。純銀に輝く《アブソリュート》が限界を超えて左右に奔る。《ソニック・レゾナンス》。

 

 モルテが大きく吹き飛んでいく瞬間、黄色く濁った煙が俺を覆った。

 

「一手遅れましたねぇ。《麻痺煙幕》です。フッツーの煙幕の材料に《水》ってのがあるんですけどぉー。それを麻痺効果つきの水で作るとこうなるんですよお。いかがです? 男の手作り品で申し訳ないですが」

 

 俺はさっさと煙幕を抜けると、モルテの顔面に蹴りを叩きこむ。普通の蹴りだが《体術》スキルで強化されたそれは、さらにモルテを吹き飛ばすには十分な威力を持っていた。

 

「お前こそ甘い。俺に状態異常は効かないんだよ」

 

 いい加減HPも危険域までは減らしただろうと目を凝らすと、どういうことか半分以上までHPがあった。そこまで防御力の高い防具だったのか、それともレベルが予想外に拮抗していたのか。

 

「あー…。やっぱり持ってましたか……。《プレイヤーユニーク》装備」

 

 胡乱な単語を発するとモルテは続けた。

 

「ボクのこの頭巾ちゃんですけどぉ…。攻撃力の半分犠牲に5秒間で5000のリジェネつくんですよぉ」

 

「へえ?随分とまあ……この世界にご執心なお前にピッタリだな」

 

「ラーイヒさんこそぉ。この世界は虚構虚構ってまだ言ってるんでしょうけど、言ってるならよくお似合いですよぉ? 『感覚すらも虚構』ってとこですかぁ」

 

 気がつけばPohの姿は消えていた。煙幕で視界がふさがれた瞬間に逃亡したのだろうか。とにかくモルテに関してはコネクトを全力で使いでもしない限り倒せないことが分かった。今はそれだけ情報があれば十分だ。

 

「ん~ん~。流石に準備が足りなすぎましたかぁ。流石にこのままだと死んじゃうので帰りますねえー《転移》」

 

 転移結晶の対象になるのは管理区か、アインクラッドの主街区のみ。おそらくは《移動結晶》だろうか。転移結晶の上位互換アイテム扱いではあるが、あらかじめ場所を設定しないと使えない。おそらくどこかのアジトに転移したのだろう。とにかく親玉を叩くことは叶わなかったが、ただでさえ少ないだろうメンバーはそれなりに排除できた。次に会うときはキリトだか誰だかが何とかするに違いない。それより今確認するべきことが一つ。

 

「フィリア。お前あいつらと―――ラフコフと繋がってたろ」

 

「……うん」

 

 

 

***

 

 

 

 前々から、オレンジであることを警戒していた。アークソフィアに帰る直前に、フィリアが撮影クリスタルを持っていたことに気がついたときから警戒だけはしていた。滅多な証拠がない限りはどうにもできなかったが、奴らが俺の位置を完璧に把握。言い換えればフレンド登録したフィリアの位置情報から俺の位置を特定したことから、黙って見過ごすわけにはいかなくなった。

 

 まあ、当然脅されたんだろうがやったことの重大さだけは身にしみて分かってもらいたい。人を殺めてからではもう遅いのだから。

 

「ふーん? で? 脅されて怖かった? それで? 道連れに人犠牲にしてもいいのか?君はそうやって他人を平気で犠牲にしちゃう系人間なのか! おーけー、おーけー。みんなに言っといてやろうか?フィリアさんは仲間をを自分の保身のためなら平気でブッ殺す人ですって!」

 

 とりあえずは、こうしてひたすら言葉でなじり反省させた。もちろんフィリア自身の意思でラフコフの面々とのフレンドは解除させた。こういうとき、キリトならもっとうまくやるに違いない。俺はこういうやり方しかできない、だから駄目なんだ。キリトと俺には運命の強さとでもいうのだろうか。そういった眼には見えない力に圧倒的な差がある。そんなことを思って無性に自分に情けなさ、怒りを感じ、報われない悲しみをかみしめた。

 

 

 

―――それから約1週間ほどして、ホロウエリアにレベリングと称して出て行ったプレイヤーがあった。

 

《御影》のライヒはどれほど待っても帰ってくることはなかった。

 

 

 

 

 





 殺戮は救い足り得るだろうか。

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足りない

『《御影》のライヒ失踪』

 

 SAO内での新聞的役割を果たす雑誌、《MMOトゥデイ》に大々的に掲載されたこのニュースは攻略組を騒然とさせた。攻略の第一線で《黒の剣士》キリトと共に背中合わせで活躍する三人目のユニークスキル保持者が何の脈絡もなく消えたのだ。無理はない。中でも強いショックを受けたのはそのキリトともう一人。

 

 

 ***

 

 

 

 エギルの店はいよいよ混沌の様を呈していた。俺の影響なのか、攻略の士気も低下。――いいや。それも十分に大きな問題ではあるのだが、一番の問題を抱える爆弾は――

 

「レインさん? 飲み物なんてどう?」

 

「いらない」

 

「じゃあ、一緒にお昼なんてどう? ちょうど評判の出店があるんだけど」

 

「いらない」

 

「なんか、ごめんなさい……」

 

《閃光》のアスナをも黙らせる、《暗黒》のレインが顕現していた。食事も睡眠も取らず、ひたすら不機嫌なままである。《舞姫》の異名は何処へやら。ストレスのピークになった瞬間急に壁を殴り出したりもした。その時に大抵俺の顔スレスレに直撃するのは偶然であって欲しい。

 

「キリトくん」

 

「あ、ハイ。何でしょうか」

 

「ライヒくんはまだ見つからないのかな?」

 

「探してきた! 探してきたけどいなかったんだ! ホント!」

 

「あ、そ」

 

 ライヒの話題の時のみ自発的に話すようになってしまったレインの姿に一同は流石に元気を出して欲しいと願うようになった。

 

「解決策って言うか……ライヒくんを見つければそれで済むんじゃないかな。お兄ちゃんが」

 

「そうね。私たちが被害を被っているわけでもなし。キリトが探すべきね」

 

「え、俺だけ!?」

 

「私も仕事があるから。よろしく頼んだわよー」

 

「私もレベルが低いので実践的なお手伝いはちょっと……」

 

 誰も彼も俺任せ。そんな事だからライヒは見つからないのではないだろうか。確かにアイツは俺と比べれば他のプレイヤーからの信頼は低い。得体のしれない、知ったら戻れなくなりそうなアイツの何か……差し詰め心の闇とでも言うべきか。そのせいで、みんながライヒから目を逸らす。俺も、同じだ。

 

 死者が激増したのは、ライヒが階層が解放されていく度に先回りして、ほとんど一切の休息も無くネームドモンスター級のボスを一人で倒していた(………………)からだ。アスナには分かっている筈だ。それなのにどうして一緒に行くと言ってくれないのか。俺を信頼しているならこういう時にこそ信頼してついて来て欲しいのに。

 

 ――だがそれでいいじゃないか。

 

 そう思った自分に驚いた。確かにアイツが消えてホッとした自分が、いる。アイツが消えれば自分の居場所を、アイデンティティを、奪われないで済む。

 

「皆、知ってくれてるよね。ライヒくんがどれだけSAOプレイヤーのために命を削っているのか」

 

 唐突に発したレインの言葉に、誰もが沈黙した。

 

 ――もういいだろアイツの事なんか。

 

「一人でボスのタゲ取ったり、先回りして正攻法だと戦い辛い敵を片付けておいてくれたり。なのに、どうして、彼のために命を懸けてくれる人が出てきてくれないのかな」

 

 誰も何も言い返せなかった。言い返せるはずもない。攻め立てるようで静かな声のトーンは針のように鋭い。

 

 ――アイツがいてもいなくても同じだ。アイツがいなくなれば他の誰かが代わりになるだけ。

 

「ぶっちゃけてみると、キリトくん以外は助けられない? 助けたくない? ライヒくんは友達じゃなかったの? 彼はただの便利なレベルリングマシン? シリカちゃんもシノンさんもリーファちゃんも、今のレベルに届いたのはライヒくんのお陰だよね? 彼がいなかったらフィールドで死んでたかも知れないのに、それでも彼を助けようとは思えない?」

 

「レイン。それ以上は止そう。君が傷つくだけで終わる。」

 

 ――でも、ここで助けに行かないというのも、少し違う。

 

「本当に誰も手伝ってくれないなら。俺は、もう、攻略に参加しない。友達を助けようとしない奴らには、すまないが剣を預けて戦える自信がない。それだけアイツは俺にとって大事な友達だ。分かってくれないか」

 

「キリトくんの言う事はわかるけど、わかるよ。うん、わかる。でもどうしても彼を助けるに当たって、どうしても関わりたくない理由があるの。きみならそれこそ一番分かってるはず」

 

 やっぱりここでその言葉が出てきてしまう。仕方がない。こればっかりはライヒの自業自得だ。

 

「PoHと同じあのセリフ。私はどうあっても奴とその精神を許せない。そしてもう一つ」

 

 ――すまない、ライヒ。お前とはこれっきりになるかもな。

 

「ラフコフには絶対にこれ以上関わりたくない」

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「Hay! 気分はどうだBro」

 

 ――最低だ。お前ら全員殺してやる。絶対に殺してやる。

 

「苦しいだろうなあ。分かるぜその気持ち。誰も助けに来てくれないだろうからなぁ」

 

 ――死ね。死んでしまえばいいのに。俺を害する奴らは死ね。一人残らず。

 

「お前はオレ様達と同じでよかったんだよ。それを無理して向こうにつくからこうなる。分かるか」

 

 ――分かるものか。お前らこそ俺の事を欠片も理解していない。

 

 俺は気が付けば、鎖につながれていた。真っ赤なブロックで構成された部屋に暫く放置されたと思えば、暫くすると責めるような誘うような毒のある言葉が囁かれる。

 

 そんな事はどうでもいい。正直もう壊れてしまいそうだ。それは部屋そのものが原因ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰とも知らない死ぬ間際の狂声が耳をつんざく。それは呪いの言葉であったりも、言葉としての体裁をなしていなかったりもする。

 

 ――ああ、うるせえ。

 

 ここは死という概念に最も近い場所。罪の意識も、殺すことへの躊躇いも、限りなく薄くなっていく。

 

「あははははは」

 

 ()()()()()()。思考が落ち着いてきた。響き渡る声も最早気にならない。

 

 ――そうか、遠慮なんて、しなくてもよかったんだ。

 

 俺は、俺という人間をようやく理解した。殺意、憎しみ、悲しみ、その他ありとあらゆる負の感情をその胸の内に湛えた人間の成れの果てだ。

 

 抑えていた感情を、力を、開放する。鎖を破り剣を手に執った。

 

「お前ら全員殺してやる」

 

 

 

 

 

 

 




 殺意は復讐の力となる。

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狂イ咲ク

 

 ――初めて見た彼の眼が、他の何と比べても恐ろしかったことを覚えている。

 

 

 

 PK集団に囲まれ、命を散らすその寸前に彼は現れた。対人戦に関しては攻略組すら上回る『ラフコフ』の一個集団相手に、たった一つのソードスキルのみを用いて蹴散らした。あたしと彼以外の生存者は、少なくとも今はいないようだった。

 

「何だ……新種じゃなくてプレイヤーかよ……。金にもならねえ雑魚ばっか……」

 

 月光を映してゆらゆらと青白く蠢く双眸。身の毛もよだつ程の冷たい声で、特に何かに向けているわけでもなく文句を散らしながら、犯罪者が落として行った武器防具を拾ってはストレージに放り込んでいく。現実世界で言えば大量殺人に当たる行為をしたにも関わらず、何の感慨も伺わせない。この状況に耐えきれずに、たまらず口を開く。

 

「あ、あの……!」

 

「おたく、それ以上の大声は止したほうがいいよ。――もう、手遅れか」

 

「あの、何が、何の話?」

 

 無言である方向へ指をさす彼。その方向には――

 

「ここじゃあ……お互いにいい気分じゃあねえな。ちょっと付いて来ねえか。別に殺しゃあしねえよ、そこの嬢ちゃんも来ていい……一杯やらねえか、Bro」

 

 小さく、あたしたちにやっと見えるくらいに手招きをするフードケープの影。状況が飲み込めずに固まっていると、手が差し出される。思わず見上げると先ほどの冷徹さがほんの少し抜けて、入り込む余地が見えた――気がした。

 

「どーする?向こうが殺すつもりならとっくに死んでるだろうけど……帰りたいって言うならさっきの奴らが落とした結晶をやるから」

 

 特に迷うことは無かった。手を借りて立ち上がり、付いて行く意思を見せる。どれだけ怖くても命の恩人であることには変わりない。お礼の一つもなしに立ち去るなんてもってのほかだ。

 

「決まりか。すぐそこに安地がある――オレらのアジトだ」

 

「あ、そ」

 

 繋いだ手はそのままに、彼と共に歩き出す。彼ではなく、あたしが放したくなかった。初対面で、怖い印象はちっとも薄れてはいない。でも、安心できる。きっと悪い人ではない。こんなゲームの中にずっといるんだ。命をかけて戦って――その結果にああなったのなら、あたしがそれを責めるなんて出来はしない。だって同類なのだから。

 

 例のアジトまで歩いて五分もかからなかっただろうか。石造りのとても小さい建物だった。そこに入っていくと、フードの男は何かハンドサインで他の誰かに指示を出す。雰囲気だけで言えば、『あっちへ行け、邪魔をするな』。といったところか。ストレージから三つのグラスを出すと、こちらへ差し出してくる。彼も普通に受け取っていた。

 

「オマエ、よくもまあ蹂躙してくれたもんだよ。お陰で一大戦力がそっくりお陀仏になっちまった」

 

「知るか。雑魚は死ぬ、強いと生きる。アンタが一番好きな理屈だろ、『PoH』」

 

「Aaha!その通りだぜBro、代えようのない同類。後にも先にもお前だけは殺したくねえがな」

 

 遅まきながら理解が追い付いてくる。ここは『ラフィン・コフィン』のアジトだった。そして仲間を殺されたそのリーダーと殺した彼は友人のようで、あたしが場違いであるということもよく分かった。

 

「っとお……嬢ちゃん。シカトして悪かった。今日も生きてることへの祝杯だ」

 

 持っているグラスに紅い液体がなみなみと注がれる。躊躇なくそれを煽る彼らを横目に、同じく液体を口に流し込む。爽やかな、それでいて濃い果物の味がした。端的に言うと美味しい。

 

「こうやってお前とのんびり出来るのも、もう無理かもな」

 

「へぇ? どうしたよ、急に」

 

「攻略組に編入した。俺がって言うか……表向き参加してるパーティーがな。ちょっと事情でひと時離れてたんだ」

 

「じゃあ、無理だな。『互いに良くない』」

 

 二人だけで延々と話し続けている。どうしても会話に入っていける自信がなかった。目の前の二人にはあたしが入ることの許されない絆があるような気がした。

 

「あの、あたし……」

 

「ン、おお。どーした嬢ちゃん。いや、違うな。どうした兄妹」

 

「えっと、兄弟とかなんとか……説明ほしいな~なんて……」

 

「お酒を酌み交わしたからってやつ。おたくもめでたくその一員だ、よろしく」

 

 全く説明の意味が分からなかった。でも、仲間に入れてくれたのだと分かると何となく嬉しかった。しかしあたしはこの世界でPoHと会話をするのはこれで最初で最後だった。この後しばらく話して、それから街に帰還した。

 

「それじゃ、明日からはこの層で狩りをするのは止すんだね。あと、パーティーくらい組んだほうがいい」

 

「ちょ、ちょっと待ってよ!まだ何もお礼が」

 

「いらない。時間を取らせないでくれ」

 

すげなく断られる。そんなことより女の子の誘いを断るとは一体どういった了見か。

 

「じゃあ、さっき言ってたパーティーの人に会わせてよ」

 

「なんで」

 

「頼んで入れてもらう」

 

 驚いたような顔。この人、きっと押しに弱い人だ。それに展開があまりにも早すぎるが、もっとこの人のことを知りたい。『騙して』でも一緒に行動してみたい。

 

「明日。朝八時にここに集まることになってる。勝手にしろ」

 

「うん!絶対行くから!」

 

 『いつも』のようにいっぱいの笑顔を振りまく。お母さんからもらったこの顔は、とてもよく使える。特に男の人には――

 

「なあ、おたく。なんでそんな気持ちの悪い笑い方してんの?ああ……女の子だもんな、男の一人や二人たぶらかしたって不思議じゃないか」

 

 全く、小揺るぎもしない――?

 

「そういうのも生き方だし否定はしないけど、戻った時虚しいよ?きっと」

 

「い、いや~。何の事だかさっぱり……」

 

「ま、とにかく役に立たないなら来ないことをお勧めする」

 

 あろうことか役立たずとまでこきおろされた。いままでうまくやってこれたのに、そのための技術を全否定され、役立たず。何としても撤回させてやりたい。変な空気であることは重々承知だが、最早意地だ。

 

「とにかく!明日は絶対来るからね!」

 

「全く……エギルさんになんて説明すりゃいいんだよ……」

 

「ほら!そこは彼女……とか?実はこんなカワイイ彼女持ちでしたー!とか」

 

「俺が説明するのやめた。勝手に話してくれていい。そもそもゲームで彼女彼氏なんて正気か?馬鹿らしい」

 

 どうもこの人に色仕掛けは通用しないらしい。

 

 

 彼――ライヒ君と第十三層で初めて出会った時に初めて思ったのがそれだった。最初はあたしの言いなりにしてやろうとあれやこれやと試していた。でも、何かと理由をつけてパーティを組み、エギルさんたちから離れてコンビになっていくに連れて、本気で好きになっていた。

 

 そう気がついてから、彼に対してだけは本音を語るようになっていた。

 

 

 

***

 

 

 

 いい加減に気が狂って死にそうな夜があった。第二十五層ボスを倒したその日の晩。ヒーさんの言動から《両手装備》がサーバーにたった一つのユニークスキルだと気がついた夜でもある。

 

 宿の部屋に帰るなり、とりあえず絶叫した。頭を何度も床に打ち付けた。膝を抱えて恐怖に震えた。また絶叫した。

 

 ビーターという単語を初めて理解した時の恐怖そのものだった。第一層から実力をひた隠しにしてエギルさんのパーティに潜りこんで、生きて帰れた喜びを噛み締めていた時だった。キリトなるソロプレイヤーが自らを悪のビーターと名乗った。

 

 即座にそれは自分のことであり、自分の罪であると理解し、勝手にそれを背負わせたキリトを殺したいほど恨んだ。そして宿で狂った夜を過ごした。

 

 それを二十五層で再び味わった。何度もスキル消去を試みた。消すことは叶わなかった。せめてスキルパレットから外そうとした。出来なかった。露見しないようにパーティから抜けた。それだけは呆気ないほどに簡単だった。

 

 そしてまた俺は狂いだした。

 

「俺じゃない俺じゃないビーターじゃない俺は違う俺はそんな悪じゃないユニークスキルなんて知らない」

 

 文脈も何も無い。ただ思いつくままに自身を正当化した。

 

 突然ドアが勢いよく開く。レインだった。でもそんなことはどうだってよかった。誰が来ても俺のスキルがなくなる訳じゃない。狂いは収まることは無かった。

 

「どうして急にパーティから離脱してるの!?心配した!」

 

「うるさいッ!!」

 

 もう共に行くことは出来ないから抜けた。それだけだ。

 

「誰も俺を知らないくせに!偽善者の癖して近づくなこの《嘘吐き》が!装備が欲しけりゃ持っていけ!そこに置いてあるだろ!!」

 

 自分でも分からない。何故嘘吐きだと知っているのに、わざわざ本音を叫んだのか。何一つ本気にしていないくせに本気で怒鳴ったのか。静寂は無かった。俺はひたすら頭を壁や床に叩きつけていた。

 

「あたしも抜けてきた。ライヒ君と相談して、コンビでやっていきますって。嘘、ついちゃったの」

 

「ああ大嘘だ。誰もお前と組むなんて言ってない」

 

「嘘をつく人は嫌い?」

 

 嘘。それはこの世界だ。現実を無視したこの世界こそが嘘であり、虚構に塗れている。そう思わないとやっていられなかった。そして、そんな中でも嘘をつき続ける人間は――

 

「大嫌いだ。虫唾が走る」

 

 断言する。犯罪者集団以上に、この世界をもう一つの現実と呼ぶ人間ほど俺の嫌いなものは無い。だから俺はこの世界でまともな生き方をして、普通なまま現実へ帰りたい。

 

 その生き方が出来ない今、狂わずに何をしていられようか。

 

「君は、元々まともじゃないよ」

 

「――何言ってんだ。俺以上に現実見て、それで動いてるやつなんていないだろ」

 

「プレイヤーを一度に五人殺すような異常者が今更何を言ってるのか、あたしには理解出来ない。《黒の剣士》に憧れてるくせにそれに矛盾する行動をとる意味は?偽善者のくせに他人を偽善者と言う理由は?」

 

 そして、もう一度。

 

「君は、頭がおかしいよ?」

 

 この時、俺は一度完全に壊れた。俺を支えていた正義が崩れて無に帰る。俺は何をすべきか、言うべきか。何一つ定まらなかった。顔をぐちゃぐちゃにしたまま、壁に持たれて座り込む。

 

「君は今何がしたい?何をすべきか理解できる?」

 

「どうしたら、いいと思う?」

 

 分からないから聞いた。レインはすべてを見透かしていたように思えた。ここから先、具体的な会話内容はほとんど記憶にない。その代わり、約束を覚えている。

 

「ずっと傍にいて」

 

「ずっと傍にいる」

 

 

 





 愛は救いとなる。


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狩り尽くす


 殺意は目覚める。


 

 ――いつものように()()、殺した。

 

 

 

***

 

 

 

 誰もが兄ちゃん(オウ兄)のことを想っているだなんて、そんなことはあり得ないと知っていた。結局みんな自分のことしか考えていない、考えようとしない、そんな余裕は無い。ただ、彼がその真反対であることを知っていた。《御影》のライヒ――いや、《四条謳歌》とは自分のために他人を想う偽善者であると。

 

 結果自分が大損すると知っていても、身勝手に救いの手を押しつけるのが彼の生き方。まるでおとぎ話に出てくる哀れで滑稽なピエロのよう。

 

 しかし、彼はピエロに見えてピエロではない。救うと決めれば絶対に助けてくれる、《王子様》。少なくともボクはそうだと信じている。

 

 ――彼がいなければボクは確実に衰弱して、病気が治ることなんて無かっただろうから。

 

 だから何が何でも救う、この身に代えても現実世界に連れ戻す。……もちろん一緒に帰るため。だから不気味な大洞窟エリアも一人で駆け抜けられた、モンスターがどんなに強くても怯まなかった。昔、ボクに対してやってくれたように。強くなって強くなって、隣に並んで話せるように。

 

 

 

 そしてやっと。

 

「見つけたよ、兄ちゃん――!」

 

 

 

***

 

 

 

「私、やっぱりライヒを助けるのに賛成」

 

「シノのん!?」

 

 ライヒがラフィン・コフィンも真っ青な人殺しであると知ってから、否、人殺しだと知ったからこそシノンは協力を申し出た。

 

「アタシもアタシも~!賛成だよ~」

 

次はストレアが。

 

「俺も賛成だ。昔馴染みをほっとけるか!」

 

「おう! もちろん俺様も賛成だぜ?くぅ~……!男の絆ってのはこういうもんだよな……」

 

 エギルが、クラインが。あいつを分かってあげようとしてくれる。友達が友達を助けようとしてくれる。

 

 ――これならいい。みんなでやるならみんなの責任だ。

 

「ねえ、ちょっと待ってよ! ラフコフだよ!? 人をいっぱい殺してるんだよ!? みんなを危険に晒してまで助ける人なの!? 彼はそこまでの人なの!?」

 

「アスナ。気持ちは分かるわよ、でもそれはそれでかなり言いすぎじゃない?」

 

 俯き、それでもなお言葉を紡ごうとするアスナ。仲間割れなんて見ていて気持ちがいいものじゃない、アスナが間違っていると戒めるのは簡単だ。けれど言い分は至極真っ当なのもまた事実だ。幾つもの因縁を持ち、何度も屈辱を与えられた過去はそんな簡単に拭えるものではない。しかし俺は、そんな過去があるからこそアスナにはそれを乗り越えてほしい。ゲームを解放した暁に、トラウマを抱え込むことが無いように。

 

 ――アスナが正しい。そうに決まっている。

 

「でも…でも、駄目だよ……。ラフコフってつくだけでもう、駄目。人殺しなんて、それを平気でやる人なんて……。――私は絶対にそれを許さない! 絶対に、絶対に許すわけにはいかないの!!」

 

「もしあなたの剣が本当に人を殺せるとして、目の前の人間を殺さなければ自分か大切な人間が失われるとして、アスナは剣を使える?」

 

 痛いほどに響く悲鳴をぴしゃりと掻き消すシノンの一言。それはアスナだけでなく、この場全員の胸を打った。それはきっと、自分にはその覚悟が無いと気がついたから。間違いなく躊躇うと確信したから。そして何よりライヒには剣を振るう覚悟があると理解したから。

 

「覚悟、覚悟……ね。ライヒ君はそれを持ってる、なら――それはきっと第一層の私……」

 

 リズも、シリカも、リーファも腹は決まったらしい。後は誰が行くべきか……。

 

「キリト君。あたしも、連れてって」

 

 レインは絶対にそう言う。初めから分かっていた。

 

「これで決まりだな、後は具体的にどうやって居場所を探すかっていうと……」

 

 そう言うや否や、酒場の扉が大きく開け放たれ誰かが入ってくる。

 

「ボクが偵察してきた! どう? これがマップ」

 

「ユウキ!? お前いつの間にそんなことを……」

 

「あたしがお願いしたの! まあ、頼まなくても無断で行くつもりだったらしいけど」

 

 また構成員が増えた。おそらくユウキはレインとパーティー組むのだろう。後はいかにしてPoHを制するか、モルテに対応するかだ。しかしこちらは倍の数。ユウキの情報では、道中で他の構成員は見なかったという。

 

 ポーションも結晶も大量に準備して、俺たちはホロウ・エリアに向かった。

 

 

 

***

 

 

 

「あ、キリト。……それにみんな」

 

 フィリアはいつものように管理区で待っていてくれた。俺が声をかけようとしたその瞬間、レインはフィリアに斬りかかっていた。全力の《ソードスキル》――

 

「ねえ! 死ぬってどんな気持ちだと思う!? ライヒ君を手引きしたのはフィリアちゃんなんでしょ!? ねえ! ねえ!!」

 

「お、おい! 何を……!」

 

 前に出る前に、ユウキの剣が俺たちを阻んだ。いったいこれはどういうことか。

 

「キリト、アスナ。これはレインさんの復讐でもあるし、ボクの復讐でもあるんだ。フィリアは兄ちゃんを売ったからね」

 

「なんだよ……何が起こってるんだ――」

 

 不意打ちで吹き飛ぶフィリア、一切の容赦なくHPバーが四割削れる。

 

「ひ――ヒぃああぁぁ!!」

 

 あまりの恐怖に悲鳴を上げるフィリア。しかし勿論オレンジプレイヤーを攻撃したところで何のペナルティも無い。レインは無理やりにフィリアの手首を斬り落とすと、ようやく攻撃を止めた。利き腕が使用不能になったことから、想像を絶する恐怖でフィリアは声を出すことすら忘れていた。

 

犯罪者(オレンジ)フィリア。この世界では人ってこうやって殺すのがラフコフ流らしいね。同じようにライヒ君を殺そうとしたんだよね~?」

 

「ちが……あ、たし、は。脅されて……じゃないとあたしが殺されるって……」

 

「人殺しが言い訳? 許さないよ」

 

 蹴りが入った。フィリアが跳ばされるたびに近づいてまた蹴った。蹴り続けた。

 

「いや、だ――」

 

 HPが一割になったところでフィリアは気を失った。暫くは誰一人として口を開こうとしなかった。

 

「フィリアちゃんは――」

 

「……うん。もう分かったよ、行こう」

 

 アスナの言葉に少しだけ割り込む形でレインは続けた。

 

「ここにずっといたせいであんなになっちゃったんだ。ライヒ君に、もしも機会があったらこうしてくれって頼まれたんだ。もう一回やり直せるように一度壊してやってくれないかって。酷い人だよね」

 

 寂しそうなレインの顔を見て俺はようやく我に返った。そして遅すぎたが気が付いた。この世界は狂気に満ちているのだと。

 

 

 

***

 

 

 

 マップで見ると、ここは《ジリオギア大空洞》エリアのほとんど最深部に位置していた。ライヒが勝手にここまで攻略していたのかと思うと、ゲーマーとして嫉妬を隠すことができない。流石に自重したが。

 

「さ、後はキリト君とアスナさん。行って」

 

「で、でも二人はどうするの……」

 

「邪魔者はボクたちが防ぐから、早く」

 

 本当は誰よりも先に駆けつけたいだろうに。心の底から侘びと礼を入れた。しかし、それは弾き返された。

 

「勘違いしないで。二人は『助け』に行くんじゃない。『贖罪』をしに行くんだよ。罪を噛みしめさせて、後悔させて、恥じさせて帰ってもらうためにあたしはここにいる。だから、行って」

 

 今度こそアスナと共に突入した。あまりに現実が辛すぎて、ただ立っているだけでも悲しかった。そしてその先には――

 

 

 

「ははははは。お、こう? それともこっちか? あはは」

 

 

 

 最早それはライヒであってライヒではなかった。何が悲鳴で誰の悲鳴か分からなかった。俺が見たモノは、積みあがった二人のプレイヤーを、ライヒが剣を逆手にさも愉快そうに串刺しにしている光景だった。

 

 タイミングを計ったかのように、床に散らばっていた結晶――恐らく録音用のもの――が一斉に砕け散る。それと同時にプレイヤー二人も同じように砕け散った。その二人は紛れも無くPoHとモルテだった。アスナは口元を押さえて後ずさる、俺ですらあまりのグロテスクさに吐き気を覚えた。

 

「嫌、もうこんなの嫌だよ……。キリト君……」

 

 お互いに体を支えあう。そのぬくもりが、ようやく勇気を奮い立たせてくれた。ライヒがこちらに気が付く。そして依然と変わりないように片手を挙げて、言うのだ。

 

「よ、久しぶり。そういう訳だからここで死んでくれ」

 

 

 

 

 

 






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深層

 殺すならやはり不意打ちに限る。二刀流だろうと、たとえ二人掛かりだろうと回避不可能な一撃を見舞った。剣を重ねるには低く、なおかつ弾くには力が入りにくい位置。すなわち鳩尾より少し下。当然ソードスキルでもなければ、衝撃追加効果のある武器を装備しているわけでもない。しかしそれをいいことに、剣を逆手につかまったまま股を潜って後方に瞬時に回った。流れるように追撃を加える。

 

 体術スキル《水月》が、《閃光》ごと《黒の剣士》を薙ぎ払った。

 

 なんのことはない、いままで公に見せてこなかった技術のほんの一部分を引きだしただけだ。暗殺剣(アサシネイト)《トグロ》。

 

「弱い。弱すぎて……あー、なんだ。もう何にも言えないな。はは」

 

 感じたままに笑い、叫びながら上から斬りかかる。今度こそ重なった二刀に阻まれるが跳ね上げるように剣を引き戻すと、たちまち下からの斬撃でガードを崩した。隙を埋めるように蹴りで追撃を入れることも忘れない。とにかく圧倒、圧倒的な技術の差に酔いしれた。そもそも俺はキリトとは根本的に違っていた。同じ土俵で戦って勝てるわけがない。キリトたちがモンスターをシステムと扱いそのアルゴリズムを捌いているなら、少なくとも俺と兄弟はモンスターをモンスターとして扱いその身を捌いている。

 

 ポリゴンを崩すか肉を斬るのか、その違い。

 

「ライヒ君……なんで、なんでよ!! こんなの、ひどすぎる……」

 

「酷いって……そんな大げさな。お前らが見てなかっただけで、これが俺なんだ。嗚呼、早く死んでくれ。目障りだ」

 

 拘束されていたためにずれたマフラーを整える。

 

「そういやプレイヤーの腕って落としたらしばらく残るでしょ? あれって美味いのかな」

 

「お前、なに言ってるのか分かってるのか……? このままだとアインクラッドにも戻れなくなるぞ!」

 

「戻る――?」

 

 何やら不思議な言葉を聞いた気がして、思わず反芻する。もどる、もどる。街に戻る、そしてどうする。

 

「キリト? お前、ばっか……マジで馬鹿じゃねえの? 戻ってまたボス相手にぐさぐさソードスキル撃ち続けろってのかよ、お前がやれよ。お前が」

 

「あれはお前にしかできないことだ! 頼む……もう一度力を貸してくれないか――」

 

「え、やだ。死ね」

 

 思わず甲高い笑い声が出てきた。俺の犠牲で救われる人間がいるのはいいけど、俺が救われていない。俺を一度壊した人間がさらに俺を壊そうと、その差し出した手で引きずり降ろそうとしている。そうにしか見えない。

 

 しばしの沈黙。もう俺が何を言ってもそれは間違いに仕立て上げられると理解するのには十分な時間だった。

 

「もういいや。俺が犠牲になってることに目を瞑って楽してるやつらに言う言葉なんてないさ。――ほら、構えろよ。欲しけりゃ奪え。俺もそうする。お前らが俺から奪ったように。お前らを殺す」

 

 覚悟を決めた二つの顔。正確無比な速さで構えると、同時にソードスキルを繰り出してくる。当たり前の話だが、こんな狭い箱のような空間で、しかもパートナー同伴の時に突進型や横薙ぎ型のスキルを使う奴はいない。つまり相手側が連携して使うなら縦斬り型に限定される。構えを確認した瞬間、俺は背を向けて一目散に後方へ駆けた。無駄に空を舞う光と光、それが止むタイミングを見計らって足を踏み切り、向き直ってソードスキルを繰り出す。《ヴォーパル・ストライク》。

 

 二人いたことで狙いをつけることができなかったが、両者を吹き飛ばして分断するには十分な衝撃だった。《ヴォーパル・ストライク》特有の血色の光に思わずうっとりとする。

 

「ああ……綺麗だ――」

 

 しかしその瞬間だった。なんの前触れも、気配すら無く飛び込んできた誰かに奇襲を受けた。いや一人ではない。それが合図だったかのように先ほど吹き飛ばした二人も一斉に飛びかかってくる。

 

「兄ちゃん、ごめんっ!!」

 

「ユウキ……お前もかよ……。なおさらどうやって帰れってんだよ! 味方もいない! 救いもない! なにもない! 俺には何にもないじゃねえかっ!」

 

 無我夢中で二本目を抜く。何を斬るかなんてどうでもよかった、何もないから何でもよかった。見えるものの何もかもを斬り裂いた。繋いだ、継いだ、思いつくまま想いを叩きつけた。だれもかれも俺より弱いんだ。俺は強いから一人でも平気なんだ。殺し屋につかまっても平気だった。消えろ。消えてしまえ。煩わしい、目障りだ、邪魔で邪魔で殺したくて仕方がない。

 

 

 

 

 ――いまきみは何を斬ってるの?

 お前。

 

――目を開けないの?確認は大丈夫?

 どうせ消えるから、要らない。

 

――約束、してたでしょ?

 ああ、ずっと一緒だ。

 

「だから……っ。お願い! 戻って来て!」

 

 

 

 

 

「――……あ」

 

 HPは赤く、そして視線を少し外せば見えなくなるほど細く、そんな『彼女』をいままさに俺は、踏み殺そうと――

 

レインが、レインがし……しんで――。

 

「俺は、人を、殺したのか」

 

「報いを受けろ」

 

 後ろから心臓が黒い剣に食い破られていた。一瞬で俺のHPが消し飛んだ。

 

 そして。そし、て。か、らだは。ちりぢりに、き、えて。

 

 自分が砕ける音を確かに聞いた。思考すらところどころ砕けて行くようで、今もこうして思考出来ているのが不思議だった。俺に残っていたのは糸くずのような思考と、そして絶望と罪悪感。そして微かに聞こえた知らないフレーズ。

 

「まさか、コレをこんなことに使うなんてな……。《蘇生》、ライヒ」

 

「……っ、こほっ、はあ、はあ――」

 

 五本の剣が俺の喉元に突き出される。俺の剣は全て取り上げられていた。そんなことよりもただ、この場から一刻も早くいなくなってしまいたかった。視線が全く定まらない。頭がくらくらして気持ちが悪かった。そしてただ思いつく限りに――

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

 そこから先の記憶は……あまり残っていない。

 

 

 

***

 

 

 

 気がつくと、俺は宿屋のベッドで寝ていた。それに気がついたとたんにウィンドウを開いて自分以外が入ってこれないように設定した。あの狂気の後、とにかく罪悪感と絶望と、恐怖が俺を縛り付けている。布団にもぐったが、暗闇が恐ろしすぎてすぐに止めた。最早生きることを止めてしまいたい衝動に駆られたが、動くことすら怖くなった。

 

「ねえ、アンタいつまで何やってんの?」

 

「うるさい。出てけよ」

 

普通に受け答えをしてからはっと気がつく。声の主はそう、あのフィリアだった。

 

「あ、あ……あ」

 

「なによ。助けてくれたお礼も言えずに終わるとこだったじゃない」

 

 何を言えばいいのか、何を為すべきなのか。俺には分からない。

 




 
 求めるのならその全てには代償を。


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外れの星

 

 ふと顔を上げる。

 

 俺の目に映ったのは紛れもなく鬼の姿だった。血に濡れたように赤い髪に、黒い瞳、愛嬌のある顔。しかしその顔は歪みに歪んで原型を留めてはいなかった。これ以上俺の無様な姿を見られたくない。生きた心地は最早しない。

 

「もう、俺に構うなよ。レイン。初めからお前は、俺について来るべきじゃなかった」

 

「勇者さんが他にいるから?」

 

()()じゃない。世界に勇者は一人だけだ。それは俺じゃない。結果的に人を殺しまくった俺にはできない」

 

 そうだ。お前に出会う前から、ずっと。

 

「二刀流だけでよかったんだよ。誰でもそう思うだろ。終盤にいきなりしゃしゃり出て来る俺なんかありがたくもなんともない」

 

 本音は誰も語らない。だからこそ行動が如実にそれを映し出す時がある。何度もなんども繰り返される言葉。排斥はしない、しかし受け入れもしない道具を使うような態度。

 

「この中で何人が本当に俺を仲間だと思ってる? 誰もいないに決まってる」

 

 ここにいるのはレインと、フィリア。その他にストレア。

 

「君は……君は、それでも人を救ったんだよ? フィリアちゃんを正しい道に戻して、それは君にしか出来ない事なんだよ」

 

「違う」

 

「何が!」

 

「何もかもが!」

 

 布団を勢いよく払った。存在可能区域を外れたせいか、一人でにたたまれて足の先に戻っていった。ようやくまともに感情を表に出したせいか、長く感じていた乖離性が全て消えた気がした。

 

「今更仲間なんてクソ喰らえだ。第一お前らは一体何だよ。俺と同じ偽善者のくせして、俺に説教かまして楽しいか。俺が邪魔ならお前らが消えればいいだろ、中途半端に関わって利用して、その上捨てるなんて最低だとは思わないか。違うか」

 

「仲間じゃない! あたしは君の彼女だよ!」

 

 何も言葉を返せない。

 

 ロックを解除して振り返らずに出ていった。すすり泣きが聞こえたが無視した。これからは俺のために生きる人間を作りたくはなかった。そもそも俺にそんな価値は存在しない。これからはお互い自分のために生きて自分のために死ねばいいのだと心から思う。

 

 ただ、どうしようもなく。俺を放さない因縁が存在する。

 

 宿屋の外には黒の剣士が立っていた。そのはるか後ろまで攻略組の面子が俺たちを取り巻いていた。そう、俺を離そうとしないもの。それはきっと運命。きっと本当は繋がっていないもので、どこからかいたずらに繋がってしまって、何の意味もなさないままに離れることはなくなった。もはや間違った何か。

 

『離反者だ』

 

『裏切り者だ』

 

『恥ずかしくないのか』

 

『詫びろ』

 

『謝罪しろ』

 

 うるさい。うるさい。もういいだろ。誰も知らない場所に行くから、お前らにはもう関わらないから、俺を解放してくれ。どうかお願いだ。

 

「決着を、つけたい」

 

 決着も何もあったものではない。

 

 キリトを完全に裏切って、俺は剣を無言で投げ捨てようとした。もう戦うのは疲れた。価値も名誉も勇者も勝利も最初からお前のものだと宣言するために。しかし剣はどこにもなかった。腰に二本下がっていたあべこべな二振りの剣はおそらくどこかの時点で回収されている。

 

「本気だけ見せろ、それ以外は許さない」

 

「……今更、ここで戦って、どうなる」

 

「ここでお前が決闘を拒めば、お前は逃げた恥知らずだ。俺の為に、お前にはここで完全に屈服してもらう」

 

 剣を渡される。《ナーバライザ(nerve raiser)》。勇気を起こすモノ。どんな時でも俺が頼った無二の存在。だからこれだけは裏切りたくなかった。丁寧にメンテを済ませて、強化も完全に終えた相棒を握るとそれだけで俺は立つ義務に苛まれる。

 

 続いて《デュールライト》も返される。濁ったような刀身は何を語るでもなく俺の手に無条件で収まった。

 

 もう、全てが分からない。戦う意味も何かを考える意味も俺の意思も他人の意思も。

 

「何でだよ。何でなんだよ! なんでお前と決着なんかつけなきゃいけない!? なんでお前らはそれを見てる! 意味なんかどこにもない!! お前らにあるとしてそれを押し付けるな! ふざけんな、ふざけてんじゃねえよ!」

 

「でもお前は逃げられない。俺はな、いいかもう一度言うぞ。お前をブチのめし叩き伏せてから屈服させたいんだよ。俺だってな、英雄の名前に縋ってないと生きていけないんだよ! お前が羨ましい。自分のために力を使えるお前が! ずっと目障りだったよ!」

 

 戦う意味もない戦いは、どちらから始めたのだったか。どちらともなくデュエルを申し込んで受諾し、そして名乗った。

 

「《二刀流》、キリト」

 

「《異双流(differ twin stars)》、ライヒ」

 

 そう言うとキリトは満足したようで、そして覚悟を決めて距離を詰めてきた。多分二度と離れないであろう宿命を背負ったのだと俺は確信した。そして俺も遅れて一歩踏み出した。決着は呆気ないほどにその一撃で済まされた。勝負はついたはずなのに、剣を振り抜いた体勢のまま俺たちはしばらく動けなかった。

 

 この決着の末路は、後にも先にも誰一人として真実を語ろうとしなかった。

 

 

 

 

 






 逃避は救いにはならない。


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虚ろい逝く

 

 ああ、どうか。いつまでも醒めないで欲しかった。

 

 どこかでこのように嘯く俺は、確かに俺自身ではあったが今の俺ではない。いわば、過去の俺。例えそうだとしても何故あの嘘だらけの馴れ合いを楽しかったと嘆くのか。今の俺にはとても理解できない。

 

「何が楽しかったんだ」

 

 その問いには誰も答えない。

 

 

 

 ***

 

 

 

「カフェオレと、黒パン一つ」

 

 最低限の注文を済ませてカウンターに一人着く。まだ朝早いこの時間帯に、俺以外の客はいなかった。いまだ俺はボス戦に駆り出されようとしているらしく、騎士団の幹部の連中が集団で押し寄せてきたときには一対複数人のデュエルで全員完膚なきまでに叩き潰した。勿論半減決着で勘弁してはおいたが。注文通りに運ばれた料理に手をつけながらこれからの予定を考える。九十層ボス攻略はもうまもなく始まるだろう。とりあえずはボス部屋を発見することが第一優先。街の掲示板クエストは既にこなしてある。問題があるとすればボス戦に参加できるかどうかだが、それについては勝手に参加すればいい。

 

 一コルの黒パンをカフェオレで流し込みつつ、昔はこういう食事で十分だったな、と。そんなことを思い出す。レインが俺に気に入られるためにあれやこれやと料理を作っていたが、作ったものを無下にするほど俺が悪魔では無いから食べていただけで。ソロ活動を再開した俺には関係のない、ただの思い出だ。

 

「なあレイン。今日は――」

 

 自分の発言に思わずはっとした。なんで今更そんなことを思い出してしまったのか。あわてて少しコーヒーの割合が多めのカフェオレを喉に流し込む。

 

 今でも耳にこびりつくレインの啜り泣き。しかしそれを頭から何とか叩き出す。いっそ結婚も解除してしまおうと考えたが、アイテムがシステムによってランダムに二等分されてしまう。代金の硬貨をカウンターに放って店を後にしようとしたが、その前に片手サイズの包みが何処からともなく飛んできた。反射的に受け取る。

 

「ほれ、弁当だぞ」

 

「別に、必要ないですよエギルさん」

 

 顔に豪快な笑みを浮かべるエギル。まるで拒否を見越していたように言葉を続けた。

 

「俺じゃない、レインから頼まれてな。さっきまでお前のために早起きして作ってたんだぜ? 自慢の彼女なんだろ。受け取れよ」

 

「はっ……。ゲームで夫婦とか。ホント茅場は救えない屑だ。何が楽しくて結婚システムなんて」

 

「レインの事は否定しないんだな」

 

 その言葉に思わず振り向き、そして睨みつける。こいつらは一体どれだけ人の心に踏み込めが気が済む? そして今更味方の素ぶりを見せて気分がいいのか。いずれにしてもあまりにも腹が立つ詮索だった。

 

「悪かった、ちと詮索が過ぎた。行って来い」

 

「どいつもこいつも、偽善者のくせに」

 

 スイングドアを蹴り飛ばして出て行った。朝から最低な気分だった。モンスターを狩らないと怒りでどうにかなりそうだ。今日だけでレベルが一つ上がるかもしれない。

 

 

 

***

 

 

 

「――ライヒ君は行きましたか」

 

「ああ、行ったよ。俺にはあいつは救えないのかもな、少なくとも言葉じゃ無理だ」

 

「救うって表現、止めてください。彼は元々ああいう人ですよ。それを踏みにじって従順を強いたのはあたしたちだって分かっていますか」

 

「……そうか」

 

「どうして、なんであたしはライヒ君と一緒にいちゃいけないの? 結婚だってして……。あんまりだよ……」

 

 その慟哭は果たして。本当に偽物だったのだろうか。

 

 門番だろうか、騎士型の重装兵士が二体。それなりに手間はかかったが死ぬことなく殺すことができた。地面に転がった武器や鎧の一部を回収して先に進むと、そこにはボス部屋があった。相変わらず死の気配を漂わせている。回廊結晶によるマーキングを済ませると、扉横の壁に体を預けてそのまま座り込んだ。当然ボス部屋前の広間にモンスターは発生しないので寝ようが生活しようが自由だ。

 

「腹……減ったな」

 

 そう言えば昼飯を調達するのを忘れていた。こうなればグロいモンスターの肉でもいいとストレージを漁ると、出てきたのはハンカチに包まれた箱だった。工作(クラフト)スキルをマスターしていないと作成できない保温性の箱に入っていたのは、現実で見るようなありふれたお弁当だった。しかしそれ故に素材は店売りでは代わりが効かず、失敗率もさることながら相当な時間がかかるはずだった。

 

 夢中で食べた。もう何がなんだか分からなくなるくらいに、好物で埋まった弁当を食べ続けた。

 

「俺は、俺はどうすればいいんだよ……。何でこんなことしてくれて、それなのに殺そうとするんだよ。意味、分かんねえよ――」

 

 俺は泣き続けた。たった一人で泣いて泣いて泣いた。この日は街に戻れなかった。

 

 どうやら泣き疲れて眠っていたようだった。これではまるで子供のようだと自分を笑う。気がつけば冷たい石畳の床は白く柔らかで、それでいて冷たいものに覆われていた。雪だ。

 

「あー……そっか。クリスマスか、雪イベ……」

 

 もう少し気がつくのが遅ければ埋まっていたかもしれない。或いは、それでもよかったのだろうか。座ったままで暫く積もり続ける雪を眺めていた。黒いコート姿の俺はこの場にひどく不釣り合いで、俺の現状そのものに思えた。現実では何の変哲もない学生だったのに。父さんは、母さんは、詩歌(しいか)は。皆で楽しくクリスマスを過ごせているだろうか。

 

 体が芯から冷え切っているのを感じる。これ以上体温を冷やしてしまえば、やがてダメージを受けることになるだろう。しかし、分かっていても立ち上がる元気がどうしても出てこなかった。

 

「このまま、死ぬのかな」

 

 思えば辛い目にたくさん会ってきた。ユニークスキルによって欲しくもないライバルが生まれ、如何なる方法か捕えられおぞましい方法で殺意を思い出させられ、そして。そして、なんだろう。大事なものを自分から捨てて俺はここにいる気がした。何の損得勘定もなく、ただそばに居たいという理由だけで俺に寄り添ってくれた少女。

 

 そうだ、結局俺はレインが好きだった。それでも頑なに偽物だと言い続けてきたのは何故だろうか。まあ、きっと怖かったのだろう。どこかで切れてしまうような浅はかな関係ではないと常に確認して信じていたかったのだろう。しかしやはり俺には足りないものが多すぎた。キリトにあって俺に無いものがあまりに多い。いつだったかレインは気にしないと言った。最初からそれを信じていればよかった。一番の卑怯者はやはり俺だった。

 

 俺は、一体何なのだ。

 

「あたしの彼氏で、あたしの勇者様。強がりで、怖がりで。それでもやさしくて、どんな時でもアタシを守ろうとしてくれた。アタシが愛してる人。――風邪ひくよ、一緒に帰ろ」

 

 いつの間にか目の前にはレインがいて、手を差し伸べてくれていた。何度も何度も斬り落として来たその手で、俺を助けようとしてくれていた。それでも俺はすぐに縋ることが出来ない。何もないはずなのに何かが邪魔して、何も出来ない木偶に成り下がっている。やはり何処までも救えない。

 

「なんで、俺を愛してるのか。愛してられるのか。ずっと分からないんだ。だから無くなるのが怖くて、ずっと確かめていたかったんだ」

 

「知ってる」

 

 やがて俯いた俺の顔を、ひんやりとした手が優しく包む。近くで見るレインの顔はやはり綺麗だった。それだけで俺は泣いてしまった。みっともなく涙を流し、無様に呻いている。

 

「君は泣き虫だね、あたしと同じ。嘘をつくのも一緒で、だからあたしのことも分かってくれると思ったんだ。一人ぼっちのあたしのそばに、ただ居てくれればよかったんだ。本当に、それだけ」

 

「……そう、だよな」

 

「だから深い理由なんて無いんだよ。どんなに面倒でも一緒に旅してきたから好きになれたんだ」

 

 これでようやく理解した。理由なんて求めていた俺が愚かだったのだと。無いものに縋ると言う点では俺もキリトとなんら変わらない。だから俺はもう一度差し出された手をようやく掴むことができた。ただ、そこにあるぬくもりに縋りたいから縋った。それを受け入れてくれたレインが何より愛おしかった。

 

「俺、好きだ。お前が好きだよやっぱり」

 

「……やっと聞けた。君の言葉があれば、あたしはそれだけで生きていけるから」

 

「悪かったよ。だから、あともう少しでいいから、一緒に居てくれないか」

 

 そこから先は俺の心だけにとどめておく言葉。他の誰にも聞かせたくない約束。白い闇の果てに、俺は人の温もりを感じた。

 

 






 報いは救いへと転じる。

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君がいるから

 

 未だ雪の止まないボス部屋前の大広間に攻略組は集っていた。やはり、と言うよりはいつもどおりに俺は後方で作戦概要の最終確認を聞いていた。やはり贔屓目に見てもアスナさんの統率力は流石だ。それと同時に今は亡き指揮官ディアベルをちらりと思い返す。あのバカ騎士との初めての会話は今でも覚えている。パーティ勧誘まではともかく、俺にこっそり「LAを譲ってくれないか」と言ってきたその図々しさには感服する他ない。俺との交渉失敗を反省したからか、遠回しに有力プレイヤーの戦力を削いでいたことは後にキリトから聞かされた。

 

 戦力はフルレイドの四十九人、七パーティ。そのうち攻撃役は一パーティと少ない。具体的には俺、キリト、クライン、アスナさん、レイン、ユウキ。そしてシノン嬢。

 

 九十層ボス『ザ・ブレイドルーラー』は先の『アルフェルド』よろしく騎士型のモンスターで、凄まじい大きさの両手剣を軽々と振り回す。そこまではいい、しかし今回注意するべき点としては常に『一定以下のダメージを無効化する』パッシブスキルにある。勿論ボス個体としての攻撃や速さも忘れてはならないが遊撃隊がちょろちょろヒットアンドアウェイをしても邪魔になるだけとの判断が成され、最大火力を叩きだせる七人を選抜して他の人員全てをタンクや荷物持ちで構成してある。

 

 まさに『ブレイドルーラー(剣の支配者)』。生半可な剣では斬ることも許さないらしい。

 

「さて。年越しして早速これか」

 

「面倒な雰囲気出してるけど、一番戦いたがってるのはアンタじゃない」

 

 そりゃそうだ。モンスターに殺意を向けていないと人を殺したくなるから仕方がない。最近変化したことといえば、予定していた通りにmod『装備部位追加』の二つ目を取ったことくらいだろうか。両足に一本ずつの短剣、少々重くなるが瞬間的に抜いて攻撃を捌くにはこれ以上に無く頼もしい。

 

 死地に踏み込む前に、いつものアレはちゃんと聞いておこうと耳を澄ませる。

 

「それでは。――勝ちましょう」

 

 

 

「Ah―――aaaaa」

 

 まるで歌っているかのような、どこか美しい咆哮。しかし気を取られている暇は微塵も無かった。歌い終わるや否や、凄まじい速さで横薙ぎに一閃。タンクが出て来るよりも早く俺とキリトが剣で受ける。その間にタンクの陣形は整いつつあるが、三十を超える人数だ。もう少し時間が要る。

 

「シノン!」

 

「了解」

 

 キリトの合図で収束した光の線がシノン嬢の弓から放たれ、クリティカルポイントである頭を射抜かれた騎士は動きを鈍らせる。その隙に他の四人が一斉にソードスキルを放つ。HPゲージが目に見えて削れていく。

 

「あの四人でこれか。これは中々……」

 

「しゃべる暇があるなら躱せ。後ろとスイッチだ」

 

 縦に軌跡を描く剣を横に飛んでやり過ごす。さて、どれくらい後ろが耐えるか。とりあえずの方針を伝えようと口を開きかけるが、踏みとどまってやめた。代わりに隣のキリトに押し付ける。

 

「キリト、お前から伝言しといてくれ」

 

「はあ!? 言いたいことがあったらお前が直接……」

 

「俺が言って聞く奴がいるかよアホ。いずれにせよ俺は背後を取って『繋ぐ』段取りだろ」

 

 結局俺は折れてしまったのだ。俺が後ろでディレイを狙うと言いださなければこうも大勢が来るわけがない。アスナさんからは散々謝られたのでもうそれでいいとした。しかし俺の評判の悪さは相変わらず。それならキリトに言わせたほうがいい。

 

「縦斬りは回避してそれ以外の攻撃は前に出て受けさせろ。それだけ言っといてくれ」

 

「わー……かったよ。言っとく」

 

 後は何とかしてもらおう。俺よりも上手く伝えてくれるはずだ。肉薄する俺を嵐のように振われる剣が邪魔をする、しかし時に躱して時にいなすことで何とかソードスキルの射程にまで潜り込む。

 

「いよっ――と」

 

 片手剣スキル《レイジスパイク》を発動させて脚部を裂きながら一気に後方まで潜り込み、そして着地する前には既に左手でスキルの形を完成させておく。細剣スキル《スター・スプラッシュ》。ここまでで刺突系の攻撃の効果が薄いことを看破すると即座に次へ次へと発動させるべきスキルを脳裏で構築する。《スネークバイト》、《オーバー・ラジェーション》、《ファントム・レイブ》――

 

「兄ちゃん、スイッチ行くよ!」

 

「了解……。スイッチ」

 

 完璧なタイミングでユウキが飛び込み、次いでレイン、アスナさんにキリトと増援が代わる。シノン嬢に関しては近接戦闘はほぼ無理なので仕方ない。しかし後ろから確実に頭を射抜く集中力は半端ではない。みるみるうちに三本あるHPゲージが一本削れる。

 

「まあ今回も何とかなるか、な」

 

「ねえ、あたしのこと忘れてない?」

 

「あ、いやちょっとスキルの上がり具合がよくってさ」

 

「まったく……。これ以上何のスキルを上げるつもり?」

 

 渡されたリジェネ系ポーションを煽る。純粋にミントの味と香りがして中々に美味しい。

 

「ライヒ君、スイッチ五秒前!」

 

「おっけ」

 

 アスナさんのレイピアが鎧の間を貫いたのを見届けると同じく《スラント》で鎧の隙間に斬り込む。そして剣を両方投げ捨てると《龍爪》でさらに抉る。さらに《閃打》、《玖乱》、《瞬牙》と突きの類の体術スキルで膝の裏側を執拗に抉って抉って抉る。やがて騎士は膝を崩され『転倒』状態に陥る。短剣を抜き《ファッド・エッジ》を放ちながら叫ぶ。

 

「全員フルアタック!」

 

 のしかかるようにタンク隊が最大威力のスキルを叩きこみに掛かる。ただでさえAGIの乏しいタンク隊だが確実に攻撃を当てられるならそれでいい。凄まじい効果のパッシブスキルの代償として、極端に低いHPゲージは凄まじい勢いで減少しわずか数ドットを残して止まる。

 

「もらったぁぁ!」

 

 キリトが物欲丸出しで《ソニックリープ》を発動させるのを横目で見ると、俺は静かに《ニュートロン》を発動させた。黄金の軌跡は若草色の風を追い越して騎士の鎧を神速で穿つ。

 

 収縮、爆散。

 

 スキルを空振りし、唖然とするキリトにねぎらいの言葉をかける。

 

GJ(グッジョブ)

 

 

 

 ***

 

 

 

「で、す、か、ら! 少しくらい見せてくれてもいいじゃないですか」

 

「え? 嫌だよ、これは俺のなの。君に見せるためのものじゃないの」

 

 今回のLAは短剣だった。短剣の二本目の性能が心元無かったので俺としてはありがたいが、短剣使いのシリカに執拗に見せろとせがまれる。相手をするのが非常に面倒だ。皆は勘違いしているようだが、俺は別に優しくなったわけではない。ちゃんと、自分の本音を話すようになっただけだ。

 

「じゃあ、デュエルで勝ったら見せてもらえますか?」

 

「デュエルはいいけど、短剣は使わない」

 

「それくらいにしてやれライヒ。剣くらい見せてやれよ……」

 

 涙目のシリカを救済に入るキリト。結局折れて短剣を見せてしまうところが俺の甘さだと思う。レインやユウキ曰く、それが優しさというものらしい。

 

「なんで頼まれたら断らないんだろうなぁ、俺」

 

「君がやさしいからだよ」

 

 正面の席に座るレインが言った。愛想笑いで受け流すと、頼んでおいたカフェオレに口をつける。

 

 もう終わるかも知れない世界で、一体何をそんなに楽しくしているのか。きっといつまでも変わらない俺の心情を舌の上で転がしつつも、カフェオレを楽しんでいる俺がいた。

 

 





 報いは罰にのみ与えられるわけではない。

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天邪鬼

 

 俺のような友達の比較的少ない人種が、ひっそりと食事を楽しむ店。普段のここでの俺はあらゆるしがらみから解放されるひとときを楽しんでいるはずだが、今日の俺は空気を読むことを強制されていた。最近すっかり見ないと思っていたアルベリヒだ。

 

 プライドごと鎧を粉々に砕いたにも関わらず、全く同じ鎧を身に纏うその学習力の無さは感服する他ない。犬だって一度躾を受ければやっていい事と悪いことは学習するだろうに。相変わらず全てを見下したような態度で紅茶を啜っている。

 

「おや、《御影》殿。今日は何ゆえお独りで?」

 

「別に、ここが贔屓の店ってだけです。食事は静かに摂りたいので」

 

「ははは、それは失礼」

 

 何が失礼なのだろうか。確かに普通は一人でいる事を指摘されれば萎縮するのだろうが、俺は別にどうでもいい。むしろそっちの存在が迷惑なので出て行って欲しいくらいだ。

 

「失礼、ですか。じゃあ、アンタの取り巻きの無礼さをなんとかしてもらえます?」

 

 ちらと横目で店の一角の惨劇を確認する。女性プレイヤーが一人ナンパされている。その姿は遠目に見ても気分が悪い。ここで関われば無駄に因縁が増えると空気を読んで干渉はしない。

 

「いやあ、申し訳ない。何度も言い聞かせてはいるのですがね。女に飢えてしまうのは彼らの病気のようなものですよ。全く」

 

「へえ……。そういうあなたも随分と総督にご執心な感じですけど」

 

 総督とはアスナさんのことだ。親しくない人間にはそう呼ばれていると最近知った。だからと言ってどうということもないが、無駄に親しいと勘違いされても困る。ぶっちゃけ親しくなどない。

 

「それこそ男性の本能でしょう! 美女に目が眩んで何が悪いのか? 寧ろそれは美徳ですよライヒ殿。あなたも結婚していらっしゃるのでしょう?」

 

「あれは協力体制みたいなものですよ。ストレージ共有のメリットは言わずともわかるでしょ」

 

 会話の横で尚も続くマナー違反。そこまではいいが、問題はアンチクリミナルコードが発動していない(…………)ことにある。もう少し前なら、キリトが運命力を発揮して助けるだろうと考えていたが気が変わった。パスタ料理をいそいそと完食すると席を立つ。

 

「ああ、それと最近神隠しが起きてるって噂なんで、気をつけてくださいね。ギルマス不在だとメンバーも苦労するでしょうから」

 

「……ご忠告、痛み入ります御影殿」

 

 柄にもなく喧嘩を売ってみる。さて、次に神隠しに会うのは一体誰なのだろうか。ーーさて、まずは目前の面倒事を解決するのが先だ。静かに歩み寄り男の腕を掴む。

 

「はい、そこまでにしてもらっていいですかー。店内が騒がしくなるのでやるなら外でどうぞ」

 

「おいおい、坊主。これはこっち側の問題なんだよ。俺はこのお姉さんをお茶に誘ってるだけだぜ?」

 

「へえ……。じゃあ何でこの人は抵抗してるんです?」

 

「それはな……」

 

「で、何で抵抗してるのにコードが出てないんですか?」

 

 その言葉にはっとする男。()()()を看破されたことへの動揺が手に取るように分かる。そのまま数回の問答を繰り返すと、無様にも逃げ出していった。全く、あまりに分かりやすい。

 

「あの……どうも」

 

 控えめにお礼を言う女性プレイヤー。俺の立場上逆に不審者扱いされても仕方が無いのは知っているので、逆にお礼を言いたくなる。

 

「俺ですいませんね。次はキリト呼ぶのでそれで勘弁してください」

 

「あの……助けて頂いて、そんな事言われても、その、あの、ありがとうございました」

 

「別に」

 

 それだけ告げて店を後にした。どうも、あの店も通いにくくなってしまった。それだけを後悔しながら俺は宿屋へ向かった。

 

「やはり貴方は()()です。《御影》のライヒ」

 

 

 

 ***

 

 

 

 アインクラッドに残る未踏の層も片手で数えられるようになった。攻略重ねる毎に狭くなる層は最早脅威ではなくなって来ている。新出モンスターがボス以外にほとんどいないのがやはり大きいだろうか。

 

 茅場はこの状況をどのように見ているのだろうか。愉しんでいるのか、それとも焦っているのか。どちらにしてもラスボスなら殺す。今の俺では到底勝てないだろうが、それだけは決めてかからなければ勝てないだろう。

 

 そのあたりキリトはどう考えているのだろうか。

 

「さあな。でも負けるとは思ってない」

 

「そう言うと思った。でもどう言う状況で戦えるかってのも考えると中々勝たせてはくれないと俺は思う」

 

「へえ、例えば」

 

「レイドで挑めるのか、パーティ単位なのか、それとも選ばれた個人が単身戦うのか。ボスとして一体どんなステータスがあるかも想像がつかないだろ」

 

 アインクラッドに来てからというもの予想や希望は全て裏切られてきた。その中で最も酷い裏切りは、ゲームをもう一つの現実と謳ったことだ。現実で溜まったストレスなどなどを発散するための世界こそがゲームだと、そう信じてやまない俺を裏切った。

 

「結構考えてるんだな。てっきり殺せば変わらないとか言い出すかと」

 

「言ってくれるな、勇者サマ。俺はちゃんと現実に戻った時の事まで考えて動いてるんだよ」

 

「現実、か」

 

 何か含みのある表現。こいつもこいつで何かと苦悩があるのだろうか。俺には微塵も関係ないが、こいつの精神状態は周囲にも影響する。それはそれは凄まじい規模で。

 

 例えばキリトが頭が痛いと言って、攻略を休んだとしよう。 まずはアスナさんが確定的に看病と言って攻略を休む。次に新参組のシリカ、リーファ、シノンが俺にレベリングの手伝いを頼んでいたにも関わらず、見舞いと言ってドタキャンする。さらにリズが同様の理由で店を開ける。

 

 俺はと言うとパーティ消失により死の危険が増幅し、生還したとてなぜ見舞いに来ないのかとバッシングを受ける始末。

 

 とにかく、もう少しだ。あとほんの少しでこの世界から解放される。誰でもいい、誰かが茅場さえ殺せば後は自動でこの世界の何もかもが消滅するはずだ。今はそれだけ考えていればいい。

 

 だが、まだそれだけに集中は出来ないようだ。

 

「う、うわあぁぁぁ! やめ、許してくれッ!」

 

「おい! 悲鳴だ行くぞ!」

 

 相変わらずお人好しな勇者サマの後を追って駆け出す。頼むから面倒事はよしてくれと心底祈ったが、俺の願いは届かず。代わりに与えられたものは予想を遥かに飛び越えた面倒事だった。

 

「ほら、動いたら当たりどころが狂うだろう?」

 

 アルベリヒが、禍々しいフォルムの短剣をプレイヤーの体に突き刺しているのが見えた。蒼い光に包まれ、転移する時と酷似したエフェクトを確認した。恐らく被害者は――ギルド風林火山のメンバー。つまりここには。

 

「クソッ。その剣をしまいやがれ!」

 

 クラインが得意のカタナでアルベリヒを牽制しているが、恐怖を見透かしたかのようにアルベリヒはじりじりと距離を詰めていく。いよいよ間合いに入るといったところでキリトが間に合った。レベル相応の素早さで駆け寄るとクラインを下がらせる。

 

「見ていたぞアルベリヒ! その剣は一体何だ!」

 

「おや、黒の剣士様に……御影殿。そのように血相を変えてどうなされたのです?」

 

 少しも臆することなく上から目線の言葉を投げつけてくるアルベリヒ。かくいう俺も中々奇襲のタイミングを掴めない。あのダサい短剣が()()()()()()であることを知っているからだ。適切な距離を模索しつつ、キリトの反応を待った。

 

「お前、一体何者だ……」

 

「僕かい? 君たちなんかに答える義理はないねえ! あの時君たちはあろうことか僕を」

 

 話の途中で地面を蹴って飛び出した。とりあえずは組みついて短剣を奪う――

 

「そのくらいは読めていたよ小僧!!」

 

 明らかにシステムアシストだと分かる速さで振り向くと、俺の胸に短剣を深々と突き刺した。幸か不幸か()()()()()()()()()()()()()()()()()()。短剣が刺さったまま腕に組みつき、()()()()()()()()()。悲鳴を無視して腰のレイピアも遠くへ放り投げる。一連の動作を終えた後、逃れようとする取り巻きを同じ手法で取り押さえる。

 

「お前……覚えていろッ!」

 

 アルベリヒは自分一人転移脱出してしまった。刺さったままの短剣を抜いてようやく安心することが出来た。剣を収めると取り巻きの拘束を済ませたキリトらの元へ向かう。当然ながらご立腹のようだ、知ったことではないが。

 

「なんでお前アレに刺されて何にもねえんだよ!? 俺らが死ぬかって時に何でその秘密を言わないんだ!? アホなのか!?」

 

「はいはいうるさい。分かったから顔を寄せない。……簡単に言うと、あれはマスター装備だ。文字通り本来なら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ヤツが使うあれ」

 

「いや……でもおかしいだろ? じゃあ何でお前には効いてないんだ」

 

 疑念の眼差しが俺へと集中する。成程、確かにこれでは俺が管理者とグルであると疑われても仕方がない。しかしカラクリは単純だ。

 

「俺がホロウ・エリアの最高位テスターだからだよ。アイツよりもアカウントの序列が高いから俺には効かないって話だ」

 

 ホロウ・エリアに通い詰めるうちに自覚できるようになったこの感覚をなんと言えばいいのか。思うままに狂気を制御できるようになった、とでも言うべきか。制御が完璧であるが故に、寸分の狂いもなく大胆かつ冷静な動きが出来ている気がする。この感覚がまた、たまらない。

 

 この世界で俺を殺せるのは、最早(システム)のみ。その快感を胸に、俺は今日も狩りを続ける。

 

 

 






 艱難辛苦は乗り越えるためにある。


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最後は君と

「いよいよ明日だねえ」

 

「そうだな」

 

 100層攻略前夜祭は既にお開きとなっていた。99層から見るアインクラッドの天蓋は第1層と比べると非常に薄くて小さい。そこから覗く微かな星の光を、俺とレインは二人きりで眺めていた。いままで話すべきことは話して来たし、今更愛の言葉を囁く必要もない。だからといって解放される歓喜を叫ぶのも不謹慎だ。

 

「ストレアのことは責任取って助けなきゃだからな……」

 

 99層ボス戦のことだ。最後の最後にアルベリヒが、アカウントの権限を行使して攻略組を抹殺しに来た。俺たちにデスゲームの宣告をしたローブのアバターを召喚し、さらにはその場の全員を麻痺状態にしてあわや絶命の危機だった。間違いなく死ぬはずの状況だったが――

 

 ――カーディナルがプレイヤーへ最初で最後の救済をした。

 

 それはどちらかと言えば怒りだったのかもしれない。『これ以上我が世界を汚すな』と吠えるかの如く、その場の全員の《トライレジスト》が成功した。それはまさしく世界そのものの咆哮。かくいうローブの巨大アバター、《ホロウ・アバター》でさえもそれに加担しているかのように瞬く間に討伐された。

 

 しかしアルベリヒはまだ折れない。往生際悪くもう一度全員を麻痺させてから「私が英雄になってSAOをクリアする」などと言って即死効果つきの武器を俺へと向けた。お前がいるから(・・・・・・・)全てが狂った。謂われのない非難に、()()()()()()()と飛び出して来たのがストレアだった。

 

「ライヒが皆の感情を背負って……苦しんで……。それは本来アタシの役目なのにね、ホントごめん」

 

 だからこそ、今、この瞬間がある。俺の死を回避する一手になりえたのだと、ストレアはそう言った。無理なハッキングで体がシステムに取り込まれようと、ホロウ・アバターとして最終ボスの消滅という矛盾を正すための生贄になろうとも。恨むでもなく、ただただ誇らしげにそう言った。

 

 

 それでは駄目だと何故分かっていないんだろう。

 

 命を賭してでも守らなければならないのは誰か? 

 

 そんなものは言うまでも無く《黒の剣士》だと。

 

 どうしてレインもストレアも、ユウキでさえも。

 

 俺にそこまで思い入れているのかが分からない。

 

 

 だから俺の存在のせいで危険に足を踏み入れているのなら、俺のせいで苦しんでいるのなら。せめて普通に戻して、いつも通りの姿でいられるように努めて。せめてもの償いに、この世界が終わってしまう前に、俺は全部直してからこの世界を去る。

 

「どうしたの? 珍しくやる気になっちゃった顔してさ」

 

「あー、うん。やる気は出さなきゃならんけど、それよかは覚悟を決めてる感じだよ。だからそのために色々捻りだしてる」

 

 そうでもしないと恐怖に押しつぶされそうになる。いくらアルベリヒとはいえあそこまで圧倒的な憎しみや殺意を向けられてしまえば、いままで死を忘れていようと関係なく怖くなる。頭の中がごちゃごちゃして何を言えばいいのか、何を考えればいいのか分からない。本当に覚悟を決めているのかも怪しい。

 

「わーーーーーっ!!」

 

 意味も無く叫んでみる。声は返ってくることなくどこかへ吸い込まれていく。

 

「だめだ、全然すっきりしない」

 

「そりゃあそうだと思うけど……」

 

 呆れた様子のレインは、ねえ、と前置きをして唐突に真剣な様子で話し始めた。

 

「前にさ、ライヒ君はちゃんと色々持ってるんだよって話したの覚えてる?」

 

「ん? うん」

 

「ここで問題っ! ライヒ君が持ってるものってなーんだ!」

 

 スキル、違う。レベル、違う。両利き、合ってるけど違う。俺がこの世界で持っているものと言えばそれくらいしかないと思う。両利きに関してはリアルの特徴でもあるけれど、リアルの俺に何かとても凄いといわれるような特徴は無い。

 

「……本当に分かってない?」

 

「いや分からないってば」

 

 言いたいことがあるならはっきり言ってくれ、と促すと意外にあっさり答えを教えてくれた。

 

「正解はねー……勇者の資格、だよ」

 

 ――はあ。

 

 そんな返事しか返せない。勇者なわけではなく、あくまでその資格と来た。全くもって情けなく、恥ずかしい。そんなものがあったところで俺のスキル熟練度やレベルに影響が出るわけでもない。せいぜい瑣末なプライドを満たすためのエッセンスにしかならない。そんなものは無駄だ、無駄だとよく分かっている。なのに――

 

「嬉しくないのに……嬉しいんだよなあ」

 

「でしょ? 色々あったけどとりあえずこれだけは言っておきたくて」

 

「また《嘘》か?」

 

「どうかな、リアルのほうで確かめてみたら?」

 

「リアルで会えるわけないだろ。個人情報教える気無いし」

 

「恋人同士なのに?」

 

「関係ないだろ。ゲームが終われば俺は弱りに弱った学生だ。お互いにすることもあるだろうし、そんなことにうつつを抜かしてる暇なんて無くなる」

 

 唯一例外があるとすれば、偶然同じ病院に搬送されていて、さらに偶然ご近所さんだったときくらいだ。勿論あり得ないことだ。ただ、極小の確立の中でもしもそれが本当に起こったのなら考えなくもない。

 

「そうだよねえ。あたしもやりたいことあるから、確かに会えなくなるかもね」

 

「分かってるならいいだろ。全部ここで終わるんだから」

 

「じゃあさ、せめて最後は一緒にいさせてね」

 

「最後までは、な」

 

 

 

 ***

 

 

 

 最後にやり残したこと。どうしてもやっておきたかったこと。よくよく考えてみれば俺にも一つだけあったんだ。この世界で初めて信用した奴に、最後にどうしても会っておきたかった。直接は無理だが、せめて文通だけでも。

 

「……ルクス。わざわざ来なくてもいいって言わなかったか」

 

「ううん。別に攻略に参加したいわけじゃないし、最後の物見遊山って感じかな。上層の街とか観光しながら明日は過ごしたいなって」

 

 それは俺の師であり、俺を殺そうとした仇敵でもある。()()()()()()()から片時もコイツへの復讐心を忘れたことは無い。そういう意味で最も信用した人間に会っておきたかった。

 

「アンタに負けて、でもやり返して……。そうでもしなきゃ兄弟にも会えなかったし、生き抜いてやろうとも思わなかったんだろうな」

 

「キミの助けになったなら嬉しいな。殺しがいありそうだし」

 

 しばしの沈黙。

 

「殺すぞ」

 

「死になよ」

 

 どちらともなく喉の奥から笑い声が漏れる。くくく、くくく。

 

 それはそうだ。互いに思っているのだ。思い続けなくてはならないのだ。たとえどれほど嫌だったとしても、コイツをブッ殺したいと。

 

 そんな俺らが仲よさげに会話しているのだ。可笑しくて可笑しくて仕方がない。

 

「そうだ、ヘッドから伝言。忘れたら殺されそうだし――あ、それはそれでいいんだけど」

 

「死ね。ゴタク並べはいいからとっとと言って消え失せろ」

 

「じゃあ、ささっと。『It`s show time』。おわり」

 

「あ、そう」

 

「何か伝えとくこととか無いの? 折角来たんだからそれくらいはするのに」

 

「今更ないよ、本当に。終わるまで何も言うことなんてない」

 

 ふーん、とルクスは零した。俺を本気で心配している。弟子だから、分かる。実際βや本編の序盤では散々戦い方をレクチャーしてもらった。勿論こっちで殺されかけてからは、見かけたら即殺しにかかった。

 

「ないならいいや。それじゃ、もう行くね。愛してる(殺したい)よ、ライヒ」

 

 狂気はようやく終わる。俺も、世界も。

 

 

 





 誰かが負の感情を背負うということは、他の誰かが負の感情を背負わなくてもいいという事。

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オーバーライト

 浮遊城の頂は、どこまでも血の色に染まっていた。王宮へと至る通路を通る俺たちは見ようによってはさながら地獄の淵を歩く亡者に似ている。或いは数時間数分、もしくは数秒先に控える俺たちの末路が映し出されているのかもしれなかった。

 

 正直なところ今の俺達は倒すべき何かを知らない。先のホロウ・アバターを倒さなければならないのか、それでストレアが救えるのか、本来のラスボスであるヒースクリフはどうなっている? 英雄譚にしては起承転結がまるでなっていない、その世界の最終章はどのように終結するのか。

 

 ようやく扉の前に到達しても、誰も何も言わなかった。先頭のアスナさんがこちら側に振り向き、攻略組(プログレッサー)の顔ぶれを一つずつ確認する。恐らくは一番最後に俺と目を合わせた彼女は深々と頭を下げた。今更何をしようと俺が犠牲であったことは覆しようがない。いずれにしてもこの戦いが終われば俺はアインクラッドでの出来事の一切合切全てを忘れて現実での生活を取り戻す。俺以外――特にキリトの仲間たちはこの世界での出来事のは大事にしていくらしいので、一生俺を犠牲にしたことを悔やんでいてもらいたい。

 

 アスナさんが鋭く剣を抜いた。俺たちもそれに倣った。

 

「行くぞッ――――!!!」

 

「「「応ッッ――――――!!!」」」

 

 

 

 ***

 

 

 

 其は、汝らの産みし獣なり。

 

 其は、かの者への許しなり。

 

 故に。其は、世界への憎悪なり。

 

 ――汝ら世界を憎み、破壊を欲するのならば――

 

 我を滅ぼし証明せよ――!! 

 

 

 

 およそ人間のものではない声が仮想の大気を揺らす。俺たちはまるでスタンを受けてしまったかの如く動けない。そう、俺達の目の前に存在するボスはホロウ・アバターでもストレアでもない。体の半分を床に埋めた巨大な異形が俺たちを迎えた。

 

 紫に彩られた体は、素体がなんであったかを如実に示している。しかし余りに大きすぎるその巨体を見上げるうちにそれはストレアでは決してないと嫌でも理解させられた。腹部に埋められた血の色をしたコア部分は視界に入るだけで生理的嫌悪をもたらし、口からは時折ぐじゅりぐじゅりと妙な音が聞こえた。

 

 そして、巨木のような腕をゆっくりと動かして掌をコアにかざす――

 

 ――ブラスター・ホロウ

 

「避けろ――――ッ!!」

 

 いち早く危険を感じた誰かが叫ぶ。誰が言ったのか、などと確認している余裕はない。飛び込むように横へ身を投げた。あとコンマ一秒でも遅れていたらどうなっていたのだろうか。さっきまで俺が立っていた場所が極光に呑まれ、遅れて耳障りな高音が聴覚の全てを奪っていった。

 

 冷静さを保ちつつレイド全体のHPバーを確認する。そして驚愕した。五人のHPが既に消し飛び、その名前は灰色に染まっていた。全身に襲い来る恐怖を何とか振り払いながらボスの方を見ると、巨大な腕で体を支えて疲れたようなモーションを見せている。恐らくは、そうそう何度も放てる技ではない。

 

 だが、だがこれは一体なんなんだ。終わりの瞬間さえ見届けられることなく死んでいく人の姿を目の当たりにして誰も何も思わないのか。見ている者が茅場でも、カーディナルシステムでもいい。こんな残酷な死に方をさせていいものなのか。こんな反則がまかり通った世界に一体何を見ているのか。

 

「全部隊、とにかくボスに張り付いて! まずは腕を破壊します!」

 

 扉は既に閉じている。ならば、戦う以外に生き延びる方法はない。

 

「先行します!」

 

 同じ部隊のAGI型プレイヤーがいつもボスに挑む時のようにボスへ迫る。そこには一切の油断も、慢心もなかった。しかし、それを上回る速度で振り上げられた腕が視認すら許さない速度で振り下ろされた。まるで目障りな虫を叩くように、一切の容赦なく。

 

「ぁぁぁぁあああああッ!!」

 

 ここまでたどり着いたのだから、彼のAGIは全プレイヤーの中でも最高峰であるはずだ。それが全く通用せず、呆気なく砕け散った。余波の衝撃で体が浮き、数メートル飛ばされてしまう。

 

 悲痛な断末魔を全てなかったことにするように、ボスが吠えた。HPバーに表示されるはずの固有名がある筈のスペースぬは文字化けしたあとの記号やら文字が浮いていた。

 

「接近も許さないなんて……。一体どうすれば」

 

「遠距離攻撃……魔法で戦うのが一般的かな」

 

 レインが畏怖に表情を染めた。SAOに魔法は存在しない、つまり今の俺たちでは何があろうと勝てない相手というわけだ。おまけにほぼ全ての攻撃は喰らえば最後即死だろう。

 

 投剣は論外、なまじ当たってもダメージは全く期待出来ない。

 

 突進技をコネクトし続けて接近、どう考えても途中で潰されるかビームで死ぬかのどちらかしか未来が見えない。

 

 肉壁、無駄。

 

 ガード、無駄。

 

 無意味、無駄、無価値。

 

 自分にできる行動全てが自分によって否定される。勝てない、負ける、死んでしまう。ボスが再び腕をコアにかざして光を収束させる。空間全体が揺れたような気がした。

 

 収束された光は先程よりも明らかに大きい。ボス部屋ごと焼き払われる勢い。唯一対抗の可能性があるのは武器防御系のスキルだが、果たして武器防具すら溶かすビームを去なすことが出来るのだろうか。

 

「私の弓なら届くから、絶望するならその後にしてくれる?」

 

「おい、何を……」

 

 シノンが弓を構えた。そして放つ、ソードスキル。確か名前を《ストライク・ノヴァ》。距離が遠ければ遠いほど威力の上がるスキルだと聞いている。そしてそれはこの状況では凄まじく効果を発揮した。コア部分に弓矢が命中する。

 

 三段ゲージの一本目が、たった一撃で半分ほど消失した。

 

「LOOOOOOAAAAAAAAA」

 

 

「「「シノンさん、マジカッケええええ!!!」」」

 

 この世に在ってはならないような程におぞましい咆哮をも上書きするように、俺たちもまた吠えた。びりびりと心を震わせる鬨の声(ウォークライ)に、プレイヤー全員のボルテージが高まっていく。そして戦意がようやく一つになりボスへと向く頃には、俺は既に全力疾走でボスの懐まで入り込んでいた。大技を潰されたのがよほど効いたのか、未だに疲れのモーションから立ち直れていない。しかしコアは何か――恐らくは触手群に囲まれて簡単には近づけなくなっている。

 

「全員ライヒ君の支援を! シノのんは隙があったら確実に技を当てて!」

 

「でも、アイツが射線上にいたら……」

 

「いや、大丈夫だ。ライヒなら全部計算してる筈。だから信じて待っておいたほうがいい」

 

「キリト、アンタはどうすんのよ」

 

 一拍置いて、一言。

 

ボスのLA取りに行くんだよ(MVP奪うわ)

 

 そんな会話を微かに背負いながら、コア部に何とか接近しようと無数に襲い来る触手をひたすら捌く。時には剣を放り捨て、短剣や拳脚で掻い潜る。勿論隙を見てシステムメニューのクイックチェンジも忘れない。突き出された職種を被せるように断ち切り、無効化していく。ステップでかわしつつも、素手で次の一本を引きちぎる。足を取られたら最優先に無効化する。

 

 そんな攻防が何回続いただろうか。ついにコアが再び剥き出しになった。ここまで来て出し惜しみはしない。

 

「《OSS(剣技連携支援システム)》、起動」

 

 僅かな隙間をソードスキルでごり押しする。初撃は《ノヴァ・アセンション》。超高速で体が動く間にも、左手のレイピアを次の技の起点に持っていく。二撃目、《キグナス・バラ―ジ》。

 

 技を当てるたびに凄まじい速度で減っていくHPゲージは既に半分を下回っている。それもそのはず。このボスは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ボスに仕立て上げた存在だからだ。ホロウ・エリアの一件でSAOというシステムそのものへの理解を深められたお陰か、直感的に分かる。

 

 いまやカーディナルは神にすらなったのだと。

 

 恐らくストレアは取り込まれた後も激しく抵抗したはずだ。俺と言う悪意のスケープゴートの存在によってほとんど自我を失わずにいられたに違いない。そして多分、例のボスアバターに打ち勝った。ここまではいい。しかし、こうなるとボスがプレイヤーではない何かに退治されてしまうというカーディナルにとっても予想外の出来事が起こってしまった。だがカーディナルは冷静に、一つ決断を下した。

 

 都合のいい素材が、今、ここに、あるではないか。

 

 恐らくはこういう経緯だ。急造のせいなのかあまりにも粗削りだが確かにラスボスとしての性質は十分すぎる。十分すぎるほどに不条理な強さだ。どんな思考をすればこんな考えに至れるのかは全く持って疑問だが、その企みも間もなく潰える。責任をもって叩き伏せる。

 

「シノンッ、キリトォォォ!」

 

「お遊びは無しね」

「セ――――アアア!」

 

《ストライク・ノヴァ》、そして《スターバースト・ストリーム》。ユニークスキルの中でも最高峰の威力を持った技が余すことなく突き刺さる。凄まじい勢いで減っていくHPゲージを祈りながら見つめるプレイヤーたち。やがて黄色から橙、赤へと突入し――。

 

 

 

 

 






 救済の祈りとは力への欲望。

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Sword of hollow

終わりの見えない世界で、この一瞬を君と生きる。





 青い破片が砕け散る。その中から人影を認識した瞬間に駆けだした。それが一体誰なのかは既に分かっていた。ストレアの体が落ちていく。後50メートル――30メートル。何もない床に躓いた、無理矢理踏みとどまった。走る、走る走る。何が何でも届きたい、届かなければならない。奔る――残り10メートル。

 

 届いた。ストレアは未だ目を閉じたままだが間違いなく実態がある。だが、刹那の安堵も許すまいとHPバーが目にもとまらない速さで減っていく。

 

「お、おい! ふざけんな! ここで死ぬなよ、俺、何の恩も返してないだろ……。俺を助けるために出てきたなら最後まで責任取れよ!」

 

 黄色から赤へ、そして次には。

 

「任せてください! わたしだってストレアさん、いえ。()()()()を助けたいんですから!!」

 

 いつから居たのか。そんなことを考えていると、ユイちゃんの前でデータの羅列が閃いた。それこそほんの一刹那に過ぎなかっただろうか。データが消えると、ストレアの体は淡く白い光に包まれながら姿を消した。恐らくは消滅ではない。俺の予想が合っているのならば――。

 

「ストレアはカーディナル・システムから切り離されて独立したAIとしてライヒさんのナーヴギアのメモリに転送されました。これで、少なくともストレアが消えることはありません!」

 

 やった。

 

 思わずそう呟いてから、ひんやりとした床に座り込んだ。無我夢中だったせいか頭が少しくらくらする。少ししてから周りの音に耳を澄ましてみると誰も彼もが喜びの叫びを上げていた。踊り狂う者、笑い続ける者、泣く者、茫然とする者。三者三様に達成を噛みしめていた。

 

 ――まさに大団円です! 

 

 ――私たち、やったんだよね。遂に百層を……。

 

 ――ぜえ、ぜえ……。これじゃ、一層の雑魚イノシシにだって勝てねえや……。

 

 ――ライ兄~! カッコよかったよ~! 

 

 ああ、俺は。やっと帰れるのか。最初から最後まで、今の今までずっと望んでいたこと。心をすり減らし、手をひたすらに汚してようやくたどり着いた頂上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 嗚呼、でもどうして。

 

 救われる寸前に、どうして。

 

 どうして、俺の前には何かが立ちはだかるんだ……? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あらゆる音は消え去った。新しい音が生み出される。悪魔の足音だ。

 

 希望の光は消え去った。新たな光を見た。悪鬼の武具の映す光だ。

 

 信じた物が消え去った。信じられないモノを見た。

 

 

 

 

 魔王だ。

 

 

 

 

 赤いマント、鎧。そして十字を模した対の剣と盾。何処までも人間らしくない、その顔立ち。

 

「約束の時だ、プレイヤー諸君」

 

 本当に。

 

「そうですか、お久しぶりです。()()()()

 

 俺は、何処まで行っても。

 

「やっぱり。生きていたか、ヒースクリフ」

 

 救われない。

 

 

 

 ***

 

 

 

 おめでとう。ヒースクリフは初めにこう言った。相変わらず含蓄のありそうな、そして全くなさそうな声色をしている。それに対してどのように返すべきか、俺は分からないでいる。俺以外のプレイヤーも同様に対応を図りかねている。

 

「まずは、こうなった経緯を話す義務が私にはあると思うが……。恐らく全ては知っての通りだ。アルベリヒ――須郷君の介入によってSAOを構築するシステムが一時的に瓦解。不本意極まりないが、その始末に追われていてね。一切の説明が無かったことをここに詫びよう」

 

 しかし、その顔はあくまでも支配者の顔だった。支配対象には、一切下手に出る気は無い。その所作には創造者たるプライドすら感じさせた。それが今ここで何の意味を成すかは分からない。初めて口出しをしたのはやはりキリトだった。俺はまだ、言えることを何も見つけていないのに。どうしてこいつは、このようにいられのだろう。個人的な疑問が脳裏をよぎって消えていく。

 

「約束の時、と言ったな。そのまま意味を取ればここからの解放、だが。違うだろ。お前は一体何がしたくてここに出てきた」

 

 ヒースクリフは一つ苦笑を洩らし、そしてそれを魔王のそれに変質させた。これは、この表情は最早人間ではない。ヒースクリフは大仰な仕草で腕を一つ振った。現れたのは、()()()()()()()()()()。キリトとシノン、そして俺の目の前に一つずつ。

 

「約束の時、いや。最後の審判と言い換えてもいい。魔王の運命を決定するのはいつだって勇者の役目であり、そこまで勇者を導くのは魔王の力だ。……さあ、三人の選ばれし者たち(ユニークス)よ。この先で全てを決しよう。この先で全てを終わらせよう。私は三人が揃うまで、いつまでも待ち続ける」

 

 そう言うと、一瞬にしてヒースクリフは姿を消した。奴の言う決戦の場に出たのだろうか。キリトはアスナさんとほんの一瞬目を合わせ、そしてポータルに乗った。シノンはキリトの覚悟を信じて乗った。そして俺は、乗れていない。乗り込む理由が、意味が、大義が、責任感が、無い。この展開は予想していないでもなかった。それに覚悟をしてこの場へと来たはずだ。だというのにどうして――歯がカチカチと音を立て、脚は寒くも疲れてもいないのにブルブルと震えているのだろう。歩け、さっきのように走ってもいい。一歩でもいいから進め、進んでくれ。

 

「あのねライヒ君。やっぱり、さ。あたしたちって離れ離れになるしかないのかな」

 

 レインがこんな時なのに、いやこんな時だからこそだろうか。他愛のない話を持ちかけてくる。

 

「意味分からん。どうしてそうなるよ」

 

「だって、最後までは一緒にいるって言ってくれたのに。それを破らないといけないなんて。酷過ぎると思わない?」

 

 確かに、言われてみればそうかもしれない。俺はレインを引きはがそうとしたし、レインは俺にひっつこうとして。通じあえたのもつい最近のことだ。それでも結局交わした約束さえ護れない。そういう運命。

 

「それで? 今ここで別れようって話か?」

 

「ううん。あたしは君を放すつもりなんて無い。だからね、嘘をつくの」

 

 嘘。レインが生きようとして身に付けた、まあ十八番と言ってもいいその在り方。それを持ち出してどうしようというのだろうか。俺はそこまで女心に敏感なわけでもない。でも、ほんの少しなら一緒にいてもいいと思えた唯一の存在の話だ。ほんの少しなら、聞いてみてもいい。

 

「君が、あの時した約束なんて、()()()()()。約束なんて、知らない」

 

「……そうか」

 

「だからね」

 

「うん」

 

「もう一回、約束し直すの。全部終わったら、約束してほしいことがたくさんあるの。――だから」

 

 ――これ以上。あたしに嘘をつかせないで。

 

 もういい。そう思ってレインに踵を返してポータルに乗った。これ以上その顔を見ていたくなかった。三人がそれぞれのポータルに乗ると同時に、ワープは発動した。ここからが結末。これが長い長い旅の終わり。

 

 ――レインは、ずっと泣いたままだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 黄昏の空は、何処までも何処までも何処までも広がっていた。果てがない世界は中身を持たずに空虚だ。その美しくも虚ろな世界に、俺たちは立っていた。少し下には浮遊城が浮いていた。不思議な感覚に思わず呆けていると、この世界でやってきたことが急に懐かしく思えてきた。何もない世界なのに。一体何を大切にしていればよかったのだろうか。

 

「中々に絶景だろう」

 

 ヒースクリフの声。先ほどとは違い、ほんの少し憂いを帯びているような。そんな気がした。

 

「どう、でしょうか。俺にはやっぱり、こんな場所は虚構でしかないと。そう思いますよ」

 

「君は、やはりそう言うか。ではキリト君そしてシノン君。君らはどうだ? ここが美しいと思うかね」

 

「美しいな。本当に美しくて綺麗だ。でもな、この景色のために何人を犠牲にした? 今もなお苦しんでいる人たちのその苦しみも嫌と言うほど見えるぞ。俺も俺のためにならあらゆる犠牲を厭わない。けど、プレイヤーを代表して言うならこの世界は絶対に許せない」

 

「ええ、そうね。私はこの戦いに美学は持ち出そうとは思わないけど、アンタ見たいな人外を殺さないでいられるほど目は腐ってない。――私は、強くならなきゃいけないの」

 

 みんなが空っぽだと思っていたのに。空っぽなのは俺一人だった。

 

 虚ろな剣を携えて。

 

 俺は、俺を取り戻す。擦り切れて無くなった日常を、今ここで奪い返す。全ては俺のために、隅から隅まで一から十まで過去も未来も何もかも。俺の望むありとあらゆるものを取り返すために、最後の剣を振るう。

 

「《OSS》起動ッ!」

 

 プレーモーションすら霞む勢いで全力の《スネークバイト》を放った。盾に阻まれるが構わずに攻撃を繋げ続ける。キリトも出番を取られたのが不服なのか、いつもの何倍もの希薄で俺を押しのけていくように斬撃を両手で放ち続ける。火花が絶えず散り続ける。しかしユニークスキル使い二人の全力攻撃すら紅い悪魔は確実に防ぎ続ける。重さのある片手剣は確実に盾で、俺のレイピアや短剣は空いた剣で正確に弾く。そしてほんの少しでも隙を見せようものなら、重く鋭い一撃を叩きこまれる。

 

 キリトと一瞬目配せを交わしてボスの大剣にも匹敵する威力を備えた突きを二本の剣で去なし、そして体を翻しつつ二人同時に後方へ飛んだ。ヒースクリフの胴体に何本もの矢が飛来し突き刺さる。シノンのソードスキル。

 

 二割は削れただろうか。シノンを中心に集まり一旦仕切り直しとなる。全く頭のおかしい堅さだ。向こうも様子を見るべきと考えたのか、迂闊には攻めてこない。思考が限界まで加速しているせいか周りの景色に目を奪われる心配はなさそうだ。

 

「二人掛かりで何とか抑えつけられて……三人でやっとまともにダメージ、か。前回と比べて明らかに強すぎないか?」

 

「そうだとも。ラスボスと言う存在はすべからく理不尽でなくてはならない――これは私の持論だがね。そういう意味では先程のバグの塊は十分にその資格を保有していた。まあ、ああまでして綺麗に終わってしまってはつまらないだろう?」

 

「少しは口を慎めよテロリスト。お前に持論だの美学だのを語る資格なんて無い。いいからとっと勇者に殺されろよ」

 

 連携を無視して斬りかかる。時間差で両手の剣を打ち込むが、どんなに巧くフェイントをかけても巧く躱されてしまう。それでも攻撃の手は決して緩めない。壁をひたすらに斬る感覚に怯みそうになるが、無視する。壁があるなら、崩れるまで切り崩す。タイミングを読みつつキリトと連携しつつひたすら削る。キリトに隙ができればそれを俺が埋める。俺の連撃に間が出来たならキリトがそれを埋める。今でこそ息を合わせて戦えてはいるが、俺にとってこいつは憎き敵に違いは無い。

 

 二人同時に剣を叩きつけてブレイクタイムを作り、矢の穿つべきポイントを明白にする。また二割ほどHPが減少する。

 

「全く……。半端者がよくもここまで辿りつけたものだ――!!」

 

 深紅に染まった剣が放つソードスキル。確か名を《ディバイン・クロス》。

 

 しかし軌道が全く視認できない。システムのオーバーアシストによって極限まで威力を乗せた二連撃をかつての記憶と半ば勘で防ぐ。発動にあと少しでも遅れていたら、死にこそすれ腕が両方とも落ちていただろう。死ぬ気で交わした。ならばまた――死ぬ気で斬りつける。

 

「おちろ。落ちろ落ちろ落ちろ()()()おおぉぉ――!!」

 

「君は相変わらずここぞという時の気迫と、そして技の正確さに関しては全プレイヤー中最強と言っても全く過言ではない」

 

 どこか憐れむような声。しかしその声すら打ち消してしまおうとさらに腕を加速させる。それでも声は剣戟の隙間を縫って耳にまで届いてくる。

 

「ああ、実に惜しい。君がもう少し出会いや環境に恵まれていたのなら――きっとキリト君をも超える勇者になりえたのだが」

 

「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ」

 

 いよいよ痺れを切らして盾を殴りつけに掛かる。打属性の攻撃でなら或いは盾をもぎ取ることが出来るかもしれない。

 

「つまりだね。君は――邪魔なんだよ」

 

 オーバーアシストの乗った突き込みが放たれた。当然このインファイト状態では躱す術も防ぐ術もない。故に受けた。どれほど強力だろうと即死には至らない筈。そう読んでの行動だったが、剣は俺の頭に――頭蓋を砕き脳を貫いて――突き立った。ふと目線を横へやると、ペインアブソーバが更新された旨のシステムメッセージが浮き上がっていた。そして、ヒースクリフは。

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

「あっ。ああッ……」

 

 体がまるで取れたての魚のように跳ねた。

 

「あ、あ――――ああああああ――ッ!!!」

 

 脳が調節焼かれている。まさにその通りの圧倒的苦しみが俺を襲って放さない。呼吸が全くできない。苦しみに呼応してひたすら絶叫が口から迸る。体がビクビクと痙攣して止まらない。視界は深紅に塗りつぶされて苦しみ以外の一切を感じることができない。頭を押さえるのに必死で剣はとうに放り捨てていた。体が焦げている。思考が焦げている。

 

「さあ、キリト君。これで邪魔者は消え去った。そこにもう一人異邦人がいるのだが……まあ彼女に罪は無いからいいだろう」

 

 灰になりかけた思考でおぼろげに考える。そもそも俺は招かれざる客だったのだと。そもそも俺はこのように、罪を裁かれるために或いは魚のようにさばかれるためにここへ連行されたのだと。どこまでもどこまでも惨めで、ひたすら悲しかった。最早感情すらも灰のように細かく散っている。俺は死んだのだ。恐らく。

 

 

 

 ***

 

 

 

 暗い海の底へと沈んでいる。ゆっくりと目を開けてみると、俺は真っ暗な空間に存在していた。ぷかぷか、ぷかぷかと時折泡が弾けるような音が聞こえる。それ以外は完全に虚無の世界だった。いや、見えている物すらも何かの比喩の一部なのかもしれない。底の見えない世界は、広いはずなのに、窮屈で寂しかった。

 

 ――怖いな。

 

 素直な感想が漏れる。何に対して怖いといったのか。分からないまま出てきた言葉をしばし吟味する。思えば俺はなんでこんなことになっているのだろうか。こんな世界の中でも何とか生き延びてやろうと、当然のことを考えて、それだけを考えて生きていただけなのに。その途上で、確かに方法論としては劣悪かもしれないが人助けも多少してきた。攻略に関しても出来る範囲で情報提供は怠らなかった。

 

 なのに、どうしてこんな目に。

 

 他のプレイヤーを殺したのも、あくまでその延長線上だ。俺は何にも悪いことをしていないのに。

 

 どうして。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ――

 

 ――――

 

 ――――――

 

 思考がそこへいたった瞬間に、頭が急に冷え切ったというか、よりクリアになった。よくよく考えてみると、俺はなんで他人に一々期待をしているんだ? 自分では何もできないわけでもない筈だ。寧ろ一人のほうが真価を発揮できるかもしれない。そうだ。そうなんだ。俺が他人に縋り、慈悲を求めるなんてちゃんちゃらおかしいではないか。

 

 スッと意識が呼び起こされる。さあ、いい加減目を覚ます時だ。

 

 虚無の海を越え、狂気の世界へもう一度降り立つために。俺は脚を蹴り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 指がほとんど自動的に閃き、《クイックチェンジ》のショートカット・ボタンを最低限の動きでつついた。腰に二つ、脚に二つずつの心地よい重みが蘇る。黄昏の世界ではキリトとヒースクリフが真のラストバトルを繰り広げていた。シノンは打ち倒され、生きてはいるが這い蹲っており、キリトに至ってもHPは残り四割といったところだろうか。全く、()()()()()()()()()()()()()

 

 一瞬にして起き上がり、ソードスキルを始動させて空を駆ける。ヒースクリフが心底から驚愕の表情を見せた。キリトを薙ぎ払い、オーバーアシストで迎え撃ってくる。だが、『遅い』。

 

 オーバーアシストに()()()()剣を閃かせ、敵の長剣を叩き落としてさらに懐へと潜り込む。剣を捨て、全力で殴打をたたき込み続ける。十、二十、三十、四十、五十。

 

 とどめに顔面へ蹴りをブチ込み数十メートル以上も吹き飛ばす。無様に転がるヒースクリフを見て、興奮で口元が大きく歪む。

 

「お、おい。今の、なんだよ……」

 

 呆けた声でキリトが訪ねてくる。人の不幸を踏みにじって自分だけ満足に戦っていたくせに、よくもまあそんな舐め腐った口のきき方が出来るものだと、正直感心している。だがまあ、正真正銘初披露のソードスキルだ。見られたからには別に話しても構わない。

 

「《アート・オブ・デザイア》」

 

 効果は単純だ。十五秒間だけ身体のありとあらゆる動きにオーバーアシストの加護が付与されるというもの。異双流スキル唯一にして最強のソードスキル。ただし、一度発動させればキャンセルは不可。脳にも多大な負荷をかけることになる。酷使すれば恐らく死ぬだろう。

 

 だからまあ、多分使う機会はほとんどないと思っていた。

 

 それよりも今は、一刻も早く戦いに終止符を打たねばならない。この技はそう何度も使えるものではないし、三人のHPもそろそろ限界に近い。だから、これで最後だ。これで最後に出来なければ耐えきれずに死ぬ。

 

「なあ、キリト。お前、ソードスキルが当たればアレのHP吹き飛ばせる確信があるか」

 

 キリトは答えない。恐らく一度完全にソードスキルを捌かれた経験からだろう。デザインしたのが茅場であるのかどうかは知らないが、全てのソードスキルを把握していても不思議ではない。だが、重要なのはあたればどうか、の話だ。

 

「当たれば、確実に削りきれる。でもどうやってその隙を作るつもりだ。さっきのあれもかなり無茶をして使ったはずだぞ」

 

「黙れ偽善者。今更仮面かぶって人を気遣っても無駄なんだよ。お前らはいつも通りに、黙って俺から英雄の資格をふんだくっていけばいいんだ。余計なこと考えてんなら先にお前を殺すぞ」

 

 みんなが一斉に黙りこくる。何を感傷に浸る必要があるのだろう。

 

 嗚呼、今更ながら俺も色々と気がついた。別に人は完全な悪意だけで動いているわけじゃない。自分の為に他者を犠牲にしなければいけない、そんな事もあるというだけ。俺は、そう――俺はきっと本当に星の巡り会わせが悪かっただけなのかもしれない。であれば、もしかすると、仲良くだって。

 

「なんてな」

 

 余計な思考は振り落とす。

 

「隙は作る。何が何でも作るから、だから絶対に外すな」

 

 覚悟は決めた。何度も死にかけたお陰で、生への執着が恐ろしいほどに膨らんでいるのもあるが。

 

 ヒースクリフも剣を取り戻している。これ以上長々と話してはいられない。

 

「いっくぜ――」

 

 しっかりと剣を握り直し、身を低くして走り出す。これが正真正銘《御影》のライヒ最後の剣技。最後の最後まで影のように蠢くしか出来なかった愚か者の末路だ。

 

「援護するわッ!」

 

 鋭い射撃が後方からヒースクリフの盾に突き刺さる。一瞬だけヒースクリフがその場に釘付けになり、そこを逃さずにソードスキルを始動させる。濃桃色のライトエフェクトが俺の周囲を渦巻く。この世界の万物を置き去りに、間違いなく最速の斬撃を何度も何度も繰り出す。思考が弾けて白熱する。内側から色々なものが爆発しそうだ。

 

「死ね。死ね死ね死ね死ねえぇぇぇーーッ!!」

 

 負けじと放たれるオーバーアシストの斬撃を上から叩く。また回り込まれる。その上を行く。いよいよ向こうも完全にリミッターを外したらしい。斬って防ぐというよりも、回り込み合うという表現が正しいだろうか。武器がだんだん当たらなくなる。残り五秒。

 

 そして、向こうの集中力が切れたことを間違いなく感じた。残り四秒。攻めるならここしかない。

 

 突きを、体を浮かせて宙返りでかわし、()()()()()()()()()()腕にしがみ付いた。足を突っ張り全力で盾を引き剥がす。

 

「ぐ……貴様ああぁぁっ!!」

 

 剣が先ほどと同じように頭めがけて突きこまれる、が。

 

「ぬぎぃぃ……ガァッ!!」

 

 口を開け、歯で受け止めた。

 

 痛い痛い。歯が痛い。昔、歯は神経に近いから痛むととんでもないことになると聞いたが何か関係あるのだろうか。

 

「放っ……せ!!」

 

 既にソードスキルは終了した。だが顔くらいは動かせる。歯はがっちりと剣を噛んだまま放さない。そして、後ろから剣を振りかぶる影が見えた。

 

「《ジ・イクリプス》――――ッ!!」

 

 右手には蒼、左手には紅の激光を宿して英雄たる証の剣技が余すことなくクリティカルヒットした。

 

 暗転。

 

 

 

 ***

 

 

 

 いつの間にか気を失っていたらしい。いつの間にか世界は星空に包まれていた。幾つもの流れ星が暗闇を引き裂いている。素直に綺麗な世界を見ていた。すると、あまり覚えのない気配が近づいてきた。白衣を纏い、だらしなく髭を伸ばした博士然とした誰か。

 

「初めまして、と言うべきかな。私は茅場晶彦、この世界の創造者だ」

 

「ああ。そっか。アンタ科学者だったっけ」

 

「思ったよりも冷静なようだな。てっきり恨まれていて、斬り殺されるかとひやひやしたよ」

 

「もう、俺の仕事は終わり。この世界も、アンタも。少なくとも俺がそれを恨む権利は無い……と思うんだけど」

 

 茅場は何も返しては来ない。――そう思ったのだが、無駄に気さくに話を続ける。

 

「もうすぐ、君の言うとおりにこの世界は終わる。だがその前に、君にはどうしてもこの景色を見せたかった」

 

「へえ……なんで?」

 

「ここはホロウ・エリア中枢。ひいては主である《オクルディオン・ジ・イクリプス》が存在した部屋だ。どうやらいつの間にか君が倒してしまっていたようだが」

 

「ああ、あれ。久々に死にかけた戦いでした。ソロで挑むよう相手ではないですね」

 

「全くだ。君のその強さは一体どこから来るのか。割と初期段階から観察していたつもりなのだが、ついぞ分からなかったよ」

 

 茅場は苦笑した。どこか嬉しそうな表情は相変わらず意図を汲ませなかった。

 

「まあ、私も一介のプログラマだ。自信作を最後までゴミだと言われたままでは、ほら、色々と傷つくのだよ。だがまあこの景色は綺麗だろう? 」

 

「知りませんよ、そんなの。でもまあ、征服した後なんで気分はいいですね」

 

 二人で腹を抱えて笑う。嗤う。やがて笑いを引っ込めると、茅場は言った。

 

「さて、私はそろそろ行くよ。君にはまだ、話すべき人間がいる。君を待つ人間がいる。行きたまえ、ライヒ君」

 

 行け、と言いながらも茅場は去って行った。とにかく、目的も無く歩きだした。跳び回る流星は掴めそうで掴めない。世界が広くて心細い。そう言えば洞窟でスケルトン狩りをしていた時のことを思い出した。そうだ、確かその時――。

 

「《エネミーサーチ》」

 

 空間に溶け込んでいた何かが姿を表す。紅くカスタムした長い髪に、かっこよさを感じさせるメイドモチーフの戦闘服。嗚呼、間違いない。ずっとおれ彼女は俺を待っていてくれたんだ。

 

「あ~あ。見つかっちゃった。相変わらずライヒ君は目ざといね」

 

 レインは満面の笑みを浮かべていた。そこに一切の嘘は無く、ただ一人の現実の少女の本音で笑っている。それが嬉しくて、しかし、これで最後なのかと思うとやはり悲しくて。

 

「うん。終わったんだね、君が全部終わらせてくれた」

 

「そうだな。まあ、とどめはキリトなんだけど」

 

「それもきっと譲ってあげたんでしょ? やっぱり……君は優しいね」

 

 何故だか涙が溢れてきた。こんなに虚しい気持ちは初めてだ。命を何度も失いかけた経験をしても、全て無に帰すなんて。

 

「レイン。俺、これでよかったのかな。何にもないのに、外に出れば全部無くなるのに。そのためにここまでしてよかったのかな」

 

「いいんだよ。だって、私は満足したもん。君と出会えて、一緒にお話とかできて楽しかった」

 

 この瞬間が満ち足りていた。この瞬間だけでよかった。俺が大切にするべきものはきっとこの一時だった。

 

「俺……怖かった。痛くて、辛くて、苦しくて。それでも戦ったんだ……」

 

「うん。知ってるよ」

 

「どんなに酷いことを言われても、どんなに邪険にされても頑張ったんだ」

 

「うん。分かってる。全部、分かってるよ」

 

 仄かに感じる熱は徐々に遠のいて行く。この世界の存在がすべからく抹消されているのが分かる。このアバターもまた例外ではない。

 

「もう、あんまり時間ないみたいだね」

 

「……ああ」

 

「だからね、約束。あたし、絶対に君を見つけ出すから。それで、向こうでもきっと恋人になれるように頑張るから。だから、泣かないで。ね?」

 

「うん。待ってるから。ずっとずっと待ってるから、頼む。俺を見つけ出してくれ」

 

「約束、するね」

 

 白い光が全てを飲み込んだ。ここで育んだ友情も、愛も。必死で上げたスキルも、レベルも。スキル上げオタクとしては非常に悲しいがこれが仕様なら仕方がない……そう思いたい。データとしての俺がほどかれていく。散り散りになって消滅していく。

 

 しろくて、まろい。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 微かに果物の香りがした。空気の匂いだ。規則的な間隔で機械音を鳴らしているのは心電図、だろうか。

 

 そうだ――帰ってきた。

 

 今の俺は、白紙だ。

 

 これまでもこれからも、何者でもない。

 

 だから、これから見つけに行くんだ。

 

 だからまず自分を少しでも誇れたらいい。

 

 誇れるような人間でいたい。

 

 うん。それはなんて待ち遠しい――

 

 

 

 

 

 ――遥かな、未来。

 

 




 


 SAO編、完結です。ここまで辿りつくためのモチベーションは間違いなく頂いた感想や評価――ひいては皆さんのお陰です。飽きっぽい私が、一区切り着いたというだけの話ではありますが、ここまで書きあげられたと言うのが未だに信じられません。私の空想にのみ存在した物語をこうして形に出来たのは、本当に奇跡のように思えます。

それではまたALO編でお会いしましょう。

 感想その他お待ちしております。


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if:邂迷

残されたのは、腕に残る微かなぬくもりだけ。




 要するに、懲りないのだ。俺という人間は。ホロウエリアでは何度も死にかけたというのに、こうしてまたスキル上げを敢行している。俺の理性はそのように語るが、本能の内では見る見る上昇する熟練度の数値を見て興奮さえしているのだから。自分で言うのもおかしな話だが、全くもって狂っている。

 

レベル121モンスター《カオス・スケルトン》に向けゆったりとした動作で振りかぶり、上から《スラント》を発動させた。それよりも早くスケルトンはガードの体勢に入っているが、お構い無しに腕を振り抜く。俺の剣は宙を舞う。俺自身は既にスケルトンの懐に迫っている。

 

そして既に右腕は腰の真横に構えられている。スキルコネクトならぬ、《片腕連携(シングルアクション)》。

 

「余所見してんな」

 

体術重攻撃技《龍爪(タツメ)》がスケルトンの顔をHPバーと共に粉砕した。獲得経験値、コル、アイテムを流し見しつつ、剣を拾いに少しだけ来た道を引き返した。主武装《ナーバライザ》をくるくると指先で弄びながら腰の鞘に納める。

 

「はあ……。お前って怒らないからいいよな」

 

血盟騎士団には色々と規則が存在するが、その中でも『剣を己の半身とし、丁重に扱うべし』。これには正直呆れを通り越して笑うしかない。剣が半身? リアルの自分は剣なんて重いものなど持ち上げる事も出来ないのに?

 

だからこの世界に於いての武器は、俺にとってはどこまで行こうと道具しかない。ただし、信頼できる道具としては扱う。例えば先程のように雑に扱おうと、アルベリヒとのデュエルでやった様に投げようと、うっかりメンテを忘れようと、暫く放置しようと、絶対に逆らわない使い勝手のいい道具として。

 

傲慢だと思うだろうか。だが、《本当》に使えもしないのに《愛剣》などという方が傲慢ではないだろうか? だからこそ俺は剣を己とを切り離している。まあ、一度それをリズに語ったらブン殴られたので他人には話さないようには心がけている。

 

「馬鹿馬鹿しい……」

 

今日はまだ目的を達成していない。せめて終わるまでは、何かの感傷に浸るのは、よそう。死だけはどう足掻いても現実と繋がっているのだから、どうしようもない。

 

ジリオギア大空洞エリア、大空洞入口付近に稀に出現するモンスター《刃竜レイディーン》。こいつをソロで打ち負かせたら、すぐに帰るつもりでいる。()()()()()()()()()()()()()()()()()が。

 

生と死の境が曖昧なこの世界に於いて、死をはっきりと直視するのは大事な儀式のようなものだと俺は考える。極限まで己を死に追い込み、生と言う細い綱を渡る。その果てに俺は生きていることを改めて確認する。今日に限らず、俺は無茶な戦闘を幾度も繰り返している。

 

そこには勝算など無い。絶望的なレベル差を、理不尽を相手に、生きる覚悟を再燃させるため。そんな狂った理由で俺は今を生きている。

 

生きるか死ぬか(stay living or dead end)。それだけの世界のはずなのに。いつの間にかそれを忘れてしまっている。嗚呼、今日は随分と運がいいようだ。虚空からポリゴン片が一点に収束して大きな何かを形作っている。嗚呼、世界はそんなに俺を殺したがっているのか。

 

宇宙の深淵を思わせる青い体。触れただけで体が切れてしまいそうな尾剣。空すら裂くような双翼。そして、濃密な死の気配。

 

《raydean of sworddragon》

 

(シャ)

 

もはや視認すら不可能な速度で水平に振るわれる尾剣。それを勘だけで始動させた《ホリゾンタル》で迎え撃つ。横薙ぎ同士で押し合う形になり、歯を食いしばり必死に抑え込む。鍛え上げた筋力パラメータが功を奏したのか、逆に弾き返すことに成功する。だが、追撃までは出来なかった。余りの重さに腕が次の動きに反応出来ていない。

 

このままでは、倒し切る前に集中力が切れる。

 

続けて襲い来る縦斬りをステップで躱して、今度こそ反撃を開始した。ソードスキルでは遅すぎる。故に通常の連続攻撃だけで勝負する。

 

二年もブッ通しでレベリングをしているのだ。それくらいの芸当は当然出来る。狙うは尾剣の付け根。《レイディーン》と同タイプの敵とは以前に戦った事があるため知っている。尾剣は最大の武器にして無二の弱点。つまり、切り落とせばーー

 

『ァァァァアアアァァ……』

 

ーー落ちる。

 

次は双翼。これで二度と飛べないだろう。

次に爪。これで二度と切り裂けないだろう。

次に眼。これで二度と俺を視認出来ないだろう。

次に頭。これで死ぬだろう。

 

スキルコネクトで次々と要所を破壊し、死に追いやる。SAOはもう少し思い知るべきだ。死の瀬戸際に立っているのはお前達も同様なのだと。

 

「バケモノは、お互い様だよ」

 

確かに強いモンスターではあったが、ワンパターンなのだ。刹那の隙を的確に突けさえすれば、やはり恐るるには足りないのだ。俺は、俺の思う以上にバケモノじみている。そしてスキルはやはりレベル差を覆しうるのだ。限界を超えた動きを、理不尽すら打ち砕く破壊力を、それらを可能にしてくれる。

 

化ける。そう、文字通り人が化けるのだ。

 

「気ッ持ち悪いなあ……。現実とかけ離れすぎでしょ」

 

絶望的弱者が一瞬にして絶対的強者へと豹変する。それが、俺の強み(スキル)

 

また一つホロウ・ミッションをクリアしたことで、左手の甲に刻まれている十字に双翼を模した紋章が少しの間光量を増して、

 

―――ズバ。

 

「えっ……」

 

―――ズ、ズズ、ズババババ――

 

そして何の前触れもなく、俺の見る世界が塗り変わっていく。前方に見えていたはずの森も、後方で口を開けていたはずの大空洞も、ゼロと一の羅列に置き換わっていく。やがては空までも……。

 

「おい、何だよ。これは何だ!」

 

そして俺もゼロと一に飲み込まれ――

 

 

 

***

 

 

 

気を失っていた。よほど徹夜でもしない限りそんなことは無いはずなのに、一体何故。未だぼんやりと霞む頭を左右にひとしきり振ってから、周囲を見渡すと真っ先に目に付いたのは大きな扉だった。年月を感じさせるその木組みの扉は印象に残っている。ここが迷宮区ではないことからこの先に控えていたのは中ボスクラス――恐らくはフィールドボスだと推測できる。主街区も扉が語るように木組みの街で、確か名を『オブシディア』。攻略済みなのだからボスと相まみえることはなさそうだ。に、しても。

 

―――はて。

 

何かのバグで偶然にもここに転移してしまったのだろうか。それだけならいいのだが、今更カーディナルシステムがバグを引き起こすだろうか? 確かに機械である限り完璧ではないが、それにしたって『今更感』が強い。だがクリアはされている階層だ。このまま扉を抜けてしまえば次の村まですぐに辿りつく――筈。

 

なんの気負いも無しに、自宅の入り口を開ける感覚で扉を押して数歩進むと、ボス部屋の億でバタンと大きく派手な音が聞こえた。いやいや、まさかそんな、おかしいって。しかし俺の否定をさらに否定しつつ松明が道を示すように順に点灯する。そしてその先に存在したのは。

 

《シャガラガラ・ザ・キングキメラ》。

 

顔はライオン、顎はワニ、四肢はクマ、胴はゴリラ。

 

まさしく合成獣(キメラ)のそれである容姿は、正直なところ見ているだけでも気分が悪くなる。それを理由に攻略をサボったのはいい思い出だが、なぜ()()()()はずのボスが復活している!?

 

俺の困惑を余所に、凄まじい速度で接近し腕を叩きつけてくるキメラ。こちらも突進しつつガードで去なそうと試みる、が。

 

力負けし、()()()()()()()()()()()()()()

 

おかしい。どう考えても71層の中ボスごときに力負けなんて有り得ない。と、言うより。

 

「テメエ、ワンパターンで負けたばっかだろうがよ。ホロウエリア最高位(ハイエスト)テスター舐めてんの?」

 

その言葉に呼応したのか左手の紋章がほんの僅か瞬いた――気がした。

 

「フルスロットルで行こうか――。《OSS》、起動」

 




 今回はジャンヌ・オルタ様の作品「ソードアート・オンライン〜白夜の剣士〜」とのコラボ作品となっております(ALO編はしばしお待ちを)。綿密に話し合いを重ねた末に出来上がったものなので、楽しんでいただければ幸いです。

感想その他お待ちしております。


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if:疑技


理不尽とは嵐みたいなもの。無意識に弱者を吹き飛ばす、そういうもの。




一本一本がまるで包丁の様に巨大な爪が胸部を浅く抉った。幸いスタン付与まではされなかったが、攻撃回数があまりに多い。経験則と勘に頼りつつも両腕から何度も繰り出される薙ぎ払いを掻い潜り、比較的肉質の柔らかい腹部に攻撃を加える。

剣技連携(スキルコネクト)》。 

斬、打、突、合計10種類のソードスキルを叩き込んでから離脱し、HPバーを確認して途方に暮れる。

 

「オイオイ……。お前本当にフィールドボスか?」

 

三段HPバーの一段目すら、()()()()()()()()()

 

90層級のエリアボスでも、攻略組のソードスキルを10種も食らえば二割は削れるはずなのに。ポーションを雑に飲み干してから瓶を放り投げ、圧倒的なHP量を前に正攻法では絶対に勝てないことを改めて認識し――全力で踏み込み、正面から襲い掛かった。

 

「《スケアクロウ》、《インビジブル》、《ファントムステップ》、《サイレントブースト》」

 

ポーションの瓶の割れる音によってキメラの意識は僅かに俺の後方に向けられる。その隙を突いて隠蔽系統スキルを重ね掛けし、瞬く間に懐へ潜り込むと右足に装備した短剣を最低限の動きかつ最短距離でキメラの眼球に投擲する。短剣を刺したままにして半永久的に視界を奪えれば、まだ楽に戦えると踏んでの行動。しかし、キメラはそれさえも躱してみせた。まだ俺に気づいてさえいないのに、だ。

 

第六感(センス)持ち。極々一部のモンスターが、まるで勘に頼ったかの様に動く。それ自体は分かっているが、観測され始めたのは80層を超えたあたりのタイミングだった筈。人間の感情までモニタリングするカーディナルシステムならやってのけるだろうが、いざ戦うとなれば厄介なことこの上ない。なぜなら当たるはずの攻撃に対して刹那的なタイミングで緊急回避をしてくるのだから――例えば()()()()。それがまさか71層程度のフィールドに登場するとは。強制転移といい、ゲームバランス崩壊といい、毎度のことながらカーディナルは一体何をやらかした?

 

「GISYAGISYAGISYA!!!!」

 

今度こそ逃げられない。キメラはこちらをジロリと一瞥すると、その剛腕を叩きつけるように振るう。剣を割り込ませて防御するのは簡単だが、凄まじい筋力パラメータの前に通じるかどうか。俺が潰れるのが先か、剣が壊れるのが先か分からない。接触まで残り1秒……。

 

「――無明、三段突き――――ッ!」

 

其れは、音すら超えて空を駆けて。

其れは、認識を超えて宙を裂いて。

それは、刹那の刹那のまた刹那に。

 

誰かが、明らかに人間離れした()()()()で腕を弾き返し、俺の前に音も立てず着地した。それだけではない。()()()()装備すると、凄まじい速さと威力のソードスキルを始動させる。目が眩むほどの光に、耳をつんざく轟音。2()5()()()。これでようやく一割。

 

その誰かは俺に向けて警告の言葉を発したようだが、ほとんど聞こえない。俺の意識は『そんな馬鹿な話があってたまるか』と、何度も何度も反芻している。()()()()()()()()()()()なのに、それを両手に持つなんてどういう事だ。理解できない。

 

俺の《両手装備》もとい《異双流》が最弱のユニークスキルだという事、刀が二本だから本当の意味での《二刀流》として成立すること。出来うる限りのすべてを許容しても納得できない。そもそも同ランクの片手剣と刀では、一般的に刀のほうが最低でも二倍程度重い筈だ。ある程度の制限を無視した力がユニークスキルで、その範疇だと言われてしまえば何も言えない。でも、何かが引っかかる。()()()()()()()()()という何の根拠もない、ともすれば逆恨みような感情がぐるぐると渦巻いている。

 

「いや……。そもそも、()()()()()()、のか?」

 

調べなければ、知らなければ駄目だ。俺の置かれた状況、ここが本当にSAOなのかどうか、そして目の前の不可解なプレイヤーについて。とりあえずは、色々引き出すことから始めよう。レインの言葉を借りれば、()()()()()()()()()

 

「おい、聞いてるのか! このボスは君だけじゃ勝てない!」

 

俺に再度忠告をしつつ、知らないソードスキルを次々と繰り出す謎のプレイヤー。先ほどは迫力に押されてしまったが、やはりちらほらと隙が見える。例えば、スキルコンボの際の戦闘の運びは俺のほうが明らかにに上を行っている。だから、手助けの意味を込めて三連突き《ペネトレイト》を放つ。行動遅延効果が高い一撃に、さすがのキメラも僅かに動きを止める。

 

謎プレイヤーへ改めて向き直り、出来るだけ意地悪で多少狂ったような、そんな作った表情を浮かべて言う。

 

「そんな見たこともないスキルぶっ放す奴がいるのに、対抗しないとでも?」

 

がら空きの脇腹目掛けて《ホリゾンタル・スクエア》を打ち込み、それを始点に連携を開始する。《シューティング・スター》、《カーネージ・アライアンス》、《クルーシフィクション》。そしてそれに被せるように謎プレイヤーは先ほどの25連撃他カタナスキルを発動させる。

 

「やっぱり防御力じゃないな……。HP量が膨大ってのが濃厚……」

 

既にクリティカルの数は50を超えていて、『硬い』といった印象も持てない。流石にここまで酷い個体に遭遇したことはないが、似たようなモンスターはいくらでも見てきた。何回か偵察を繰り返せば倒せなくはないだろう。

 

「そこまで分かるのか?」

 

「慣れだよ、慣れ。まあざっくり観察した程度だし、このくらいは攻略組が大体掴んでると思うぞ」

 

攻撃パターンは、威力速度ともに魔改造されているものの問題なく回避できる。横のプレイヤーの超絶火力があれば徹夜になるだろうが倒せる。ただしこれはあくまで少数精鋭だからであって、まともなパーティーやレイドを組んではとてもじゃないが無理だ。援軍が来ないのであればこのまま戦い続けるのもやぶさかではなかった。

 

「先輩!」

 

「ソラ、無事ですか!」

 

金髪なお姉さん系美女に、正統派メガネっ娘。オタク本能が疼くが全力で押しとどめる。……ほほう、このソラとかいうプレイヤー。おそらく()()()()で、モテモテに違いない。モテて、モテすぎで、モテまくってるに違いない。まったく腹立たしい。リア充は須らく爆発してくださって結構ですよ。

 

――それは、そうとして。

 

金ピカ鎧さんとソラ氏は見事な連携でキメラをその場に押しとどめている。いや、見たところ純粋に打ちあえばソラより金ピカ鎧のほうが圧倒的に強いだろう。金ピカ鎧の作った隙にソラが潜り込む。戦術としては簡単だが、互いを互いにカバーしあうその姿は中々様になっている。あの二人が強いのはよく分かったが、それではこのメガネっ娘はなぜここについて来ているのだろうか。識別スキルで覗かせてもらったが、レベル差が奇妙に開いている。

 

「すごいですよね、先輩は。あんなに強いモンスターと対等に戦えるなんて」

 

「先輩って……あのソラって人? まあ、あれだけ強いスキルぶっ放せるんだからそうなのか」

 

反応してもよかったのかどうかは分からないが、なんとなく返答してみる。流石に、俺も渡り合えてましたよ、なんて事は言わない。最弱ユニークスキル使いの分際でそんなことを言うのもそうだが、ああいう輩とは張り合っても仕方がない。結局キリトとの関係もそうだった。勝とうとする事自体が間違いな奴は、結構な割合でいるんだと思う。

 

「そういえば、君はどうしてここに? あの二人とずっと一緒にいるにしてはレベル差が開いてるけど」

 

「えっと、最近入れてもらったんです。先輩と再会したのもそのころでしたから。……えっ? 何で私たちのレベルが分かるんですか?」

 

「何でって、識別スキルで見ただけ。対象のレベルが自分未満なら問答無用でステータスも見えるから便利。コンプリートしないとあんまり使えないんだけどね」

 

「先輩よりも、レベルが高いんですか……?」

 

とりあえずこの場ではこれで十分だ。あのソラとかいうプレイヤー、信頼も厚くレベルは恐らく最高峰。レベルに関しては彼我の差に確証が持てないが、スキルから得られた情報は絶対だ。今は信じておく。墓穴を掘って俺のレベル帯についてあらぬ誤解を受ける可能性が出てきたが、逃げるだとか隠れるだとかいくらでも生き抜く方法はある。

 

そして、ついに二人はキメラを転倒させた。メガネっ娘を置き去りにして、AGI全開でキメラに接近すると、短剣を二本逆手に握りキメラの眼球を抉りつつ突き刺した。これで少しは逃走のための時間を稼げる。

 

「撤退だ。三人がかりでもあの娘は守り切れない」

 

「そうだな……。俺がもう少し足止めするから、三人で先に街へ戻っていてくれ」

 

「いや、そこの美人さんにあの娘の護衛させて男手で足止めするんだよ」

 

なぜだか、ソラは悩んでいる。俺に見せたくないもの、或いは誰にも見せたくないものでもあるのだろうか。なら、猶更引き下がれない。ソラというプレイヤーの何たるかを知らない以上、そういった秘密は見ておきたい。今後のこともある。こいつにどんな態度で接するべきか、こいつの態度によって見定める。

 

「……分かった。アリスはアリシアを連れて先にボス部屋から離脱して」

 

「分かりました、どうか無事に帰ってきてください」

 

二つ返事で言う事を聞いた美人さん。凄まじい堅物に見えたが、割と話のわかる人らしい。

 

「それじゃあ、これから俺がすることは他言無用だ。機会があれば説明できるかもしれない、だから、今は黙認してくれ」

 

瞬間、空気が変わった。世界を構成する何かが不当に捻じ曲げられた。

 

投影、開始(トレース・オン)

 

歪みから現れたのは何本もの剣たち。俺ですら中々お目に掛かれないほどの最強クラスの剣の数々に、唖然とするほかない。

 

「――――投影完了。全投影、待機」

 

今度こそ、理解外の何かだった。スキルだとか、レベルだとか、そういったものを根本的に否定しかねない何か。

 

「――――停止解凍、全投影連続層写」

 

剣が乱れ舞う。上から、下から、左右或いは背後から。およそ20本の剣がキメラの体に突き立つ。

 

そして――

 

「――――壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 

爆発、爆発、そして爆発。SAOのシステムに則って爆弾を作ればここまでの威力は出ないだろう。あれだけやって全く減らなかった1ゲージを一瞬にして削るなんて、こんな理不尽があっていいのか。

 

「ボスが怯んでるうちに、早く離脱を」

 

「ああ……。了解」

 

転移する寸前に見えたキメラの顔は、俺と同じように恐怖に彩られ、激怒していた。

 

 

 

 




コラボ編第二回、いかがでしたでしょうか。本編では書ききれていない部分をどんどん混ぜていきたいと思っているので、ジャンヌ・オルタ氏の方も共々よろしくお願いします!

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if:見先



みんなが偽善なら、俺は偽悪?





 

 

実は、割と71層には思い入れがある。『七十五層事件』の折にスキル熟練度が軒並みリセットされたせいで、上層に行くのを取り止めにして数か月この層でスキルを鍛え直していた。だから他の層よりは構造を細かく把握していたりする。そんな中久しぶりの主街区《オブシディア》に到着すると、まるで学校から家に帰ってきた時のような――酷く懐かしい――感覚に囚われてしまう。確か、一番安い平家を買ったはずだが地図にマーカーが表示されていない。やはりというか、ココは先程まで俺の居た場所ではない。だったらここは何処なのか。例えば、ホロウ・エリアのシミュレーション空間に迷い込んだとか……。

 

「ここは少し人目に付きすぎる。どこか、場所を変えて話をしないか」

 

「あー……、うん。了解。そこの細道の奥に隠し酒場があるから、案内するよ」

 

ソラとやらはあまり人を疑った事がないのか、ちょっとした疑惑の眼差しも増して険悪な表情に映る。余程信頼のおける人達に囲まれているなんて、SAOに来て結構月日が経つが珍しいこともあるものだ。或いは、レインとの関係に慣れすぎて俺がいたずらに偏見を持っているだけかもしれないけれど。ごちゃごちゃと余計なことを考えつつも、バ火力持ちプレイヤーを先導する。勿論表情は悟られていない。深刻な表情ほど人に不信感を持たせてしまうから。

 

とあるポイントの木箱を押して移動させると、階段が表れて地下へ進めるようになる。その先にあるのはシックな酒場。一定の静けさを保ちつつも独特の雰囲気を損なわず、寂れた老舗とはまた違う。とにかくお気に入りだった店で、隠れ家としても使っていた。バーと言い換えてもいい。適当な席に二人して座ると、適当に飲み物を注文した。ここは俺のオゴリということにしておく。別に、大した金額でもない。

 

「それで、話がしたいんだっけ? じゃあ、取り敢えずは自己紹介から始めよっか」

 

「ああ、そうだな。俺はソラ、ギルド《イノセントエクセリア》のマスターをしてる。そのまんまソラって呼んでくれ」

 

「じゃあ、次は俺。ライヒ、普段はれい――もとい相方とパーティー組んでる」

 

出来るだけフレンドリーさを意識しつつも、こちらからあまりペラペラ話さないようにする。特に意味はないけれど、あだ名について『ソーラン節』などという極めて失礼な案が脳裏を掠めていった。口に出した瞬間速攻で剣を向けられそうなので絶対に言わないが。ともかく素性は明かしたし、ようやくまともに会話が出来る。まずはお互いに現状の確認をしたいところだが、どうやって切り出したものだろうか。適当に『うーん』と声に出しつつ、少し迷ってから口を開いた。

 

「まずは……。共通認識として、討伐が終わったはずの《シャガラガラ》が復活して道を塞いでいる――ってことでいいんだよな?」

 

「いいや――シャガラガラは一度たりとも倒されていないぞ? そもそも、71層が解放されてまだ三日だ。攻略もロクに進んでない」

 

薄々勘づいてはいた。でも心のどこかで、そんなことある筈が無いと笑い飛ばしてもいた。だから敢えて確認してはみなかった。まだ、変な夢で済まされるのではないかと期待していたから。今度こそ、独りぼっちで地獄に放り込まれるなんて耐えられないだろうと思っていたから。一言ことわってから、震える指で《ミラージュスフィア》をインベントリから取り出しアインクラッドの全貌を表示する。72層以上の階層は全て黒く染まっていて、帰還する望みは存在しなかった。がっくりと肩を落とす。実際はそんなことでは済まされないくらいに絶望していたが、懸命に表情に出すのだけは堪えた。いっそ泣いてしまえばよかったのに、俺は変なところで不器用だった。

 

「ライヒ、お前はどこか別の世界から来た……。そういう事でいいのか?」

 

「さあ? 俺が一番それを知りたいんだけど……まあ、今はいろいろ内緒にしてくれると助かる、かも」

 

主にこっち側の攻略組で起こる騒動とか。別に俺は何を知られたとしてもほとんど被害を被ることはないし、闇討ちくらいは日常茶飯事として返り討ちにできる。まだ師匠と活動していたころの話ではあるが、PKerを粛清して回っていたらその類の連中から山ほど恨みを買われるのも仕方がない。そのおかげで、PvPではまず負けないくらいの強さを得られたのは否定できないけれど。今でもPKer粛清者は少なからずいるし、どうということはない話ではある。その師匠がPoHに魅せられてしまうとは夢にも思っていなかったが。

 

「わかったよ、確証がないことを皆に話すわけにもいかないしな。……それで、だ。ライヒ。お前の知ってる限りの最前線はどこだ? こればっかりは『わからない』で済まされちゃ困る」

 

「信じるかは任せるけど――100層直前。ついでにレベルが高いのは上層だから当然ではあるんだけど、はぁ……。どうやって説明したものか」

 

「ま、まあその辺はなんとかなるさ。答えてくれてありがとう。それで、そっちから質問はあるか?」

 

聞きたいことはそれなりにあった。『あのスキルはチートなのか』、『強い力があるのに何でこんな時にまで隠すのか』、『お前は本当にSAOにゲームをしに来たのか』などなど。しかしこれらは間違いなく地雷だ。逆鱗と言ってもいい。見えている危険物にわざわざ触れようとは思わないし、実際俺も何かと言えたクチではない。それに、単純に聞いてしまうのが怖い。見てしまったからには……なんて可能性もゼロではない。やろうと思えば、向こうはいつでも俺を殺せる。だから絶対に敵対だけはしたくない。

 

「うんまあ、今のところはないかな。それよりも乗り掛かった舟だし、攻略に混ぜてもらえるか? 『最弱のユニークスキル』使いではあるけど……何かの役には立てるかもしれないし」

 

「俺としては歓迎なんだけど……。流石に俺の一存だけじゃあな。明日会議があるからそこで俺が紹介するよ」

 

そこは是非とも鶴の一声を発動してほしかった。まあ、利害とかいろいろ関わってくるのは十分に理解している。俺もその中枢にいたわけだから、嫌でも理解してしまう。しかし会議か……。75層に上がってきた時のことを思い出す。だって、パターンがまるっきり同じなのだから仕方がない。まさかあんな経験を二度も味わうことはないだろうが、何が起きるかなんてその時までわからない。

 

「了解。騎士団長様はなんて言うかなあ……」

 

「大丈夫、きっと認めてもらえるよ。そういえばお前はこれからどうするんだ? お前の相手になりそうなモンスターはいないと思うけど」

 

「そうなんだよな……。シャガラガラも強いんだけどレベルが低すぎて()()()()()出来ないし」

 

「そうか、特に用事がないなら――ウチのギルドホームに来ないか? 歓迎するぜ」

 

「え? ああ……」

 

返事こそ頼りないものの、内心では大いに喜んでいた。タダ飯、ゲット。

 

 

 

***

 

 

 

もはや忘れていた22層に《イノセントエクセリア》のホームはあった。第一印象は、おお結構立派だな。そんなところだろうか。ソラに続いてホームに入ると、既に帰って来ていたらしい先程の女性プレイヤー二人が出迎えに来た。うわ……本人に自覚はないだろうけど金ピカ鎧さんの威圧感が凄まじい。

 

「先ほどの方ですね。夕食のときに全員が揃うので、自己紹介はその時に」

 

「あ、はい」

 

ふと横に視線を移すと先ほどのメガネっ娘がこちらを凝視していた。やはり怪しまれているのだろう。ソラを先輩と呼ぶくらいに尊敬していたのに、レベルに関してはその上を行く俺が突然現れたのだから反応としては当然だ。表立って邪魔だと言われていないだけ感謝するべきなのだろう。言及されたときの言い訳の一つも考えておくべきだろうか。

 

「お、そろそろ皆が戻ってくる時間だな。ライヒは適当に座っててくれ。飯の準備は俺らでやるから」

 

「ん。悪いな」

 

テーブルに頬杖を突きしばらく暇を持て余していると、奥の扉が開いた。他の団員だろうか。目線をやると、そこには()()()()()()()()()。その隣にいる栗色の髪のプレイヤーは知らない。次いで俺が先ほど入ってきた正面の玄関からも誰かが帰ってきた。鍛冶屋リズベットと、テイマーであるシリカ。なんだ、いったい何が起こっている。他にも閃光アスナや、知らないおっさんに、知らない少女が数人帰ってきた。意味が解らん。

 

「あぁ、彼がさっきメッセージで言ってた――」

 

「そう。ライヒって言うんだけど、事情が複雑らしい。でも剣の腕に関してはとんでもないやつなんだ」

 

「へぇ、ソラもたまには面白そうなやつ連れてくるな」

 

「たまにって……こんなこと今日が初めてじゃないか」

 

「そうだっけか?」

 

呑気に頭をかくキリトに、この場の全員が呆れ顔をした。SAO随一のトラブルメーカーが何を言い出すかと思えば……。それはともかくとして、俺を除いてこのギルドのメンバーは11人。割と大所帯だが人数のおかげか食事の準備は割と早く終わった。アスナさんに促され、改めて自己紹介をする。

 

「ライヒです。普段は相方とパーティープレイしてます」

 

我ながら短すぎるとも思うが、これを超えるものがいる。もちろんキリトだ。あいつの自己紹介『キリト、ソロだ』を超える自己紹介なんてどこを探しても存在しないだろう。自分でソロを名乗ってしまうところもポイントが高い。あれだけ仲間に囲まれておいて何がソロなんだか。もちろん向こうにも存在した面子――同一人物かは知らない――に加えて他何人かとも挨拶を交わした。ベルク―リだとか、ロニエ、ティーゼ、アリス、アリシア、ユージオ。《生命の碑》にそんな名前は載ってなかった。こっそり写しと照らし合わせてみた結果だ。間違いない。

 

挨拶もそこそこに、ようやく晩飯にありつくことができた。ソラ曰くギルド団員の大半は《料理》スキルをマスターしているのだとか。確かに味はSAOでは一級品だ。素材もB+級をふんだんに使っている。A級S級ともなると労力が一変するのでそこは仕方がない。レインはしょっちゅうA級食材を持ち出してお弁当なんかを作っていたが、改めて考えると一体どこから持ってきていたのだろうか。ともかくいくら招待されたとはいえがっつくのも行儀が悪い。ご飯なんかをメインに食べながらおかずには手を出さずに端っこの野菜なんかを摘まむ。

 

「口に合わなかったか? 苦手なものがあったら遠慮なく言ってくれていいからな」

 

「全然平気。ご馳走になってるから遠慮してただけ。あんまり大勢で食べることもなかったし」

 

「遠慮しないで食べてやってくれ。そっちのほうがアリスもアリシアも喜ぶ」

 

小声でのやり取り。気遣ってくれたことに感謝しながら、一番大きな唐揚げを強奪した。キリトが悲痛な表情を見せるが、構わず一口で頂く。こういう時に限っては大勢での食事も悪くない。

 

 

 

***

 

 

 

質問攻めに合うこと数十分。ようやく解放された俺はあてがわれた部屋のベッドでごろごろしていた。普段ならスキリングでもするところだが、実際問題としてできないのだから仕方がない。ホロウ・エリアに籠っているとどうもそのあたりのギャップが大きくなりすぎて困る。ふとシステムクロックを覗くと、同時にドアがノックされた。きっかり約束の時間の30秒前。

 

「どうぞー」

 

「夜分にすみません。あとお時間を頂いたことも」

 

「暇だったし丁度いいよ。それで、さっそくなんだけど聞きたいことって何さ? あ、椅子どうぞ」

 

ありがとうございます、と言葉を置いてからメガネっ娘――アリシアは俺に質問を投げかけた。

 

「『強い』とは、どういう事だと思いますか」

 

「哲学とかは勘弁してくれ。これでも精神的にはまだ中学生なんだ」

 

「すみません。私にもよくわかっていなくて……。その、なんていうか、ソラ先輩やキリトさんのようになるためにはどうすればいいですか? たぶん、ソラ先輩よりもレベルの高いライヒさんならわかっていそうな気がして」

 

彼女の言葉の本質が、データ上の数値を指しているのではないことはすぐにわかった。そしてその疑問はもっともだ、とも。それと俺にそんなことの回答を求めるなんて酷い皮肉もあったものだ。()()()()()()の負の面を引き受けている俺に、それを質問するなんて。

 

「てっきりレベルについて詰問されるのかと思ってたよ」

 

「先輩の独り言を聞いちゃったんです。だから、ライヒさんの力は決して反則ではないと信じます」

 

中々逞しいな……。しかしあいつ、そこまで俺の処遇に悩んでいるのか。気持ちは分かるけど、ひやひやするから独り言は控えてほしい。

 

「その上で、お聞きします。強さとは、何ですか?」

 

じっとりと重苦しい雰囲気。ここまで真摯に聞かれてしまえば、俺なりの答えをなんとかひねり出すしかない。いや、一つだけ。どこかで聞いたような言葉が湧いてくる。どこで誰が言ったのかまでは分からない。けれど説得力のある一言。しかし俺は残酷極まりない事実を述べることになる。果たしてどう受け止めてくれるのか。意を決して口を開いた。

 

「資格。強さっていうのは、資格がないと、手に入らないんだよ。どんなに願っても努力しても、そういった資質を持った奴には絶対に勝てない。()()()()()()()()()()

 

そしてアリシアは――くすりと笑った。

 

「哲学、得意なんじゃないですか」

 

「……そうかな」

 

「はい。それじゃあ、参考にさせてもらいますね。今はないかもしれませんが、いつか資格が手に入るかもしれませんから」

 

失礼しました、と言ってからアリシアは出て行った。柄にもなく語ってしまい、少し憂鬱だ。そういえばソラにも呼ばれていたはずだ。いつの間にかホームからいなくなっているのを確認すると、アリスさんのもとへとソラの居場所を聞き出しに行った。アリスさん自身ソラがいなくなっていたのには気づいていないらしかったが、なぜか居場所は知っていた。いそいで指定の場所へと向かう。

 

――いた。

 

主街区の隅にある隠し湖の畔にソラは座っていた。大きな月は夜空と、湖にもう一つ。

 

「よくここがわかったな」

 

「アリスさんに聞いたんだ。まあ、探そうと思えば俺だけでも探せたかもだけど」

 

「そうか、納得だ。今のところこの場所は俺とアリスしか知らないからな。――もちろんお前はノーカウントだけど」

 

断りを入れてから横に並んだ。目の前に広がるのは偽物の景色。残酷な世界を嘘で塗り固めるための、ほんの少しの要素。しかしまたどうして抜け出す真似をしたのか。おかげで全力で走ってくる羽目になった。時間に遅れて軽蔑されても困る。

 

「綺麗だと、思わないか」

 

「現実なら惜しみなく言えるんだけどな」

 

「それは……そうだけど。ここでしか見られない綺麗なものとか、ここだけの出会いとか、たくさんあると思うんだ。うちの近所は割と建物が少なくてさ、空にはたくさん星が見えるんだけど、ここまでの景色は絶対に向こうじゃ見られない」

 

何処かで聞いたような、本気か詭弁か分からないような理屈。俺はそれらを全部引き裂いてここに立っている。だって、全部まやかしにしておかないとここで受けた俺の苦痛はどうなる? 全部偽物にしておかなければそれこそ俺が報われない。現実に帰ってまでゲームの事情に引きずられてたまるか。

 

だからあえて、こう言い表そう。()()()()()()()()()、と。

 

 

 




そんなわけでコラボ編第三段です。本編の方もちょくちょく進めているのでいい感じにバランスが取れているかと。前にもお話ししましたが、一話ごとにジャンヌ・オルタ氏とは綿密に構成を話し合っておりますので楽しんでいただければ幸いです。

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if:舞来


ゲームなら愉しもうか。生きるも死ぬも所詮は幻。




 

 

目が覚めるとほんの少し埃っぽい部屋のベッドの上にいた。世界は都合の悪い現実を夢にはしてくれないし、都合のいい夢ほどそれは夢だけで完結してしまう。酷く憂鬱な朝は遅れることなくやってきた。寝巻を外しいつもの武器防具に身を包むと、昨日夕食を食べた居間へと向かう。流石に午前六時となると誰も起きてはいない。手近な椅子に座り、暇つぶしに短剣を一本だけ足のホルスターから抜いて手で弄ぶ。

 

《異双流》は両利きであるというだけでは完全に扱えない。《二刀流》や《神聖剣》はそれだけで完結できるが、《異双流》はそれらのスキルとは少し仕様が違う。なぜなら《異双流》は《片手剣》などの武器スキルではなく、《索敵》と同じカテゴリの補助スキルに分類されるからだ。専用ソードスキルが一つしか無いのもそれが理由。《異双流》とは即ち本来なら噛み合うはずのない別種のスキルを無理矢理繋げるためのスキル。それ故に、腕は勿論のこと指先一ミリの極限まで自在に動かせなければまともに扱うことなど出来はしない。

 

そう、俺は世界に『歪で在れ』と命じられた哀れなモノ。

 

足音が聞こえてくると同時に装備をストレージに仕舞いこみ、一人一人にしっかりと頭を下げて挨拶をした。どれだけ歪んでいようがお世話になっているのにお礼を言わないほど人としてクズになった覚えはない。朝食はサンドイッチだった。朝はパン派なのだなとどうでもいいことを知った。

 

 

 

***

 

 

 

「KoB、DDA、風林火山、それに『レギンレイヴ』と『ペンドラゴン』か。後者二つは知らないな……」

 

「そうなのか? 因みにそれはギルドの名前が違うのか、存在しないのか、どっちだ?」

 

「後者だ。俺の所はKoBとDDAのツートップだった」

 

指定された会議場に着くまで軽く情報の擦り合わせをやっておくことにした。ギルドにまで違いが及んでいるとなると、流石にこれ以上現実から目を逸らしていられない。いい加減に覚悟を決めないと駄目だ。ここから先の事のほうが今はもっと重要なんだから気を引き締めるべきだ。いかに穏便に、どさくさにまぎれた感じで攻略に参加するのか。どうにかして信頼までとはいかないでも、疑いの視線を晴らさないと。考えることやることは山積みだ。

 

会議場に着く合間も、着いた後でも妙な視線は張り付いている。俺が今現在一番困っているのは、正面切って『怪しい者ではないですよ~』と言えないことだ。いやまあ、実際全力で怪しい者だから当然だけど。一切の間違いなく怪しい者だから仕方ないけど。

 

「すまない。居心地はよくないだろうがここは耐えてくれないか」

 

「へーきへーき。コレよりひどい目に会った事あるし」

 

実際周囲の目線による心理的ストレスは無いに等しい。あいにく自分の保身に頭がいっぱいでそこの所まで意識が回らない。簡素な席に着き集合時間の午前十時を待つ。SAOにおける攻略会議で最後に来るのはKoBだと相場が決まっていて、それはここでも同じらしい。正直なところ俺はKoBのそういった態度が非常に気に入らない。攻略組を引っ張る存在だかなんだか知らないが、だったら早く来て弁当の一つも支給してもらいたい。

 

予想通りがっしゃがっしゃと派手に鎧を鳴らしながらヒースクリフ様御一行がやってくる。直にヒースクリフを見るのは久しぶりで、しかしどうしても意識せずに緊張してしまう。こんなクソゲーを作り出したマッドサイエンティストを前にしているのだから仕方がない。ここの世界ではどういう扱いなのかは知らないが。ともかく、ヤツは俺と目が合うや否や――いやめっちゃ驚いてるよあの人。てか絶対事情知ってるだろ。一瞬だけどあんなに目を見開くなんて普段のヒースクリフなら絶対にやらない。

 

「では攻略会議を始めよう。皆、静粛に」

 

騒がしかった会議場はこの一声で静けさを取り戻した。淡々と行われていく会議を、時折あくびをしながら聞き流していく。横に座るソラに肘で小突かれた。いやさ、君たち余裕なさすぎではありませんかね。こんなガッチガチに構えてても死ぬときは死ぬし楽に構えて視野を広げることに努めたほうがよっぽどいいと俺は思う。そうじゃなくても多少は冗談を交えるとかしたほうがいいんじゃないのか。ヒーさん? あなたに言ってるんですよ?

 

ここの会議の特徴はとにかく綿密であることだ。リーダー格の人間が多いおかげで意見を比較的言い易い場となっている。だが権力が分散しすぎかもしれない。この雰囲気のせいでお互いが言いたいことを言いすぎている。利益を狙う人間が多すぎると会議がややこしくなるのは必然と言ってもいい。だからと言って俺の知ってる会議のような、まるで決定事項を読み上げるかの如く淡々とした会議がいいというわけでは決してない。あの会議にはそう、拒否権というものが存在しないのだ。色々と比較してみて思ったことを込めて、つい一言だけ口から出て来てしまった。

 

「すごいな……」

 

しかし隣の奴にはしっかり聞こえていたらしい。

 

「会議なんてこんなものだろう」

 

「へえ……。俺のとこはもっとこう、大雑把だったから」

 

「そんなんで本当に90層超えられたのか?」

 

こそこそと話をしている間に、ボスについての討論は終わったらしい。さて、この終わったムードのまま行ってくれれば万事解決――

 

「これで会議は一通り終わったが、今回はソラ君率いる《イノセントエクセリア》の紹介で助っ人が一人来ることになった。よければ軽く自己紹介をお願いできるかな?」

 

――しませんよねーー!

 

思い描いていた理想の未来を捨て去り、意を決して一つ呼吸をしてから立ち上がる。それだけで面白いくらいに視線が俺へと集中した。

 

「ソラさんのギルドでお世話になっています。ライヒです。訳あって参加できるのは今回限りですが、何かの役に立てるくらいの自負はあります。どうぞよろしくお願いします」

 

出来るだけ丁寧に、しかし俺は『有用』だぞとさりげなく刷り込みつつ頭を下げて自己紹介を終えた。反応は正直予想通りだった。全員がまったくと言っていいほど同様に渋い顔をした。当然だ。自分の分け前が一人分減ってしまうのだから、俺が彼ら彼女らと同じ立場だとしたら渋い顔をするに決まっている。混沌の中で最初に発言をしたのはレギンのマスターだった。たしかアルスとか言っただろうか。

 

「俺は彼が攻略に参加すること自体は構わないと思っています。どうして今まで出てこなかったかは分かりませんが、他ならぬ《イノセントエクセリア》の方々が連れてきた人です。腕については問題ないでしょう。でも、このまま頷いてしまうのは筋が通りません。これは攻略組全体の秩序の問題でもあり、何よりそこの彼――ライヒ君の信用のためにも何かしらの説得材料があって然るべきではないでしょうか」

 

と、なるとだ。手っ取り早く俺を見定めるのに有効な方法を取ろうと誰もが思うはずだ。俺が思い描いていた最悪の事態。この場でのデュエル。一番避けがたい状況なのは分かっていたが、実現してしまうとは。会場は『何を以って決めるか』ではなく『誰によって決めるか』に話題が移っている。耳が痛くなるほどに場が騒がしくなっていく。しかしこの喧騒にはすぐに終止符が打たれた。ヒースクリフだ。

 

「静粛に……。では、ライヒ君の攻略参加には試験を設けることとしよう。試験内容は『半減決着モード』におけるデュエルとする。そうだな……今回の相手はソラ君、君が務めたまえ。これは攻略会議決定権保持者としての命令だ。開始は一時間後とする。以上だ」

 

一瞬で血の気が引いた。突然呼吸が苦しくなる。空気を求めて喘ぐが、喉の奥から奇妙な音が漏れ出て来るだけで苦しさは一向に癒えない。空気なんて俺には必要ない筈なのに、何故。

 

とにかくずっとここにいたら駄目だ。なんとなくそれを感じ取り、とにかくここから離れるために歩き出した。

 

「お、おい、どこに行くつもりだ!」

 

「いい、から。ちゃんと、デュエルはするから。だから、一人になる、時間を、くれ」

 

引き留めようとするソラになんとかそれだけ言い終えて、町の隅にある喫茶店のテーブルに突っ伏した。適当にコーヒーを注文し、届くや否や一瞬で飲み干した。一人になったおかげかだいぶ落ち着くことが出来た。俺がするべきことは現実を嘆くことではなく、対策を練ることだ。呼吸がだんだん戻る。思考が落ち着く。

 

まず、デュエルの勝敗について。向こうが両手カタナスキルのみを使ってくるならば勝ち目はいくらでも見える。だがあの妙なスキルを使われてしまえば、勝ち目などどこにも存在しない。しかしあのチートじみたスキルを使ってくる可能性は案外低い、はず。彼の言動からして使わないよう制限しているフシがあったので、信用できなくはない。でも、もしも攻略組全体がグルだったら。俺を殺すために一芝居打ったのだとしたら? 俺はその可能性を完全に否定できない。

 

いいや、考えたところで初めからどうにもならない。何が起ころうと俺にできることは変わらない。ならせめて、楽しもう。ゲームなのだから楽しまなくては損なのだ。所詮は同じ穴の狢。奴らも俺を見世物にして楽しんでいるのだからお互い様だろう。考えがまとまったところでもう一杯コーヒーを注文した。ここの店のコーヒーは、今気が付いたがかなり苦い。

 

カップを傾けてちびちびと少しずつコーヒーを飲んでいると、店の扉が開いた。入ってきたのは、意外なことにアリシアだった。

 

「なんか用事か?」

 

「いいえ、心配になったので、ちょっと……」

 

「そうか、ご苦労様。俺はもう平気だから戻っていいぞ」

 

「いえ、実は伝えたいことがあって来たんです。皆の前では、ちょっと言えませんから」

 

アリシアは、誰もいない店内を見まわすと遠慮がちに言った。多分、きっと俺だけに聞こえる声で。

 

「頑張ってください。応援してます」

 

それは、たった一言。誰にでも言えて誰でも言えるような、ともすれば陳腐極まりない一言。それでも俺は言葉に表せない感動に打ちのめされて絶句してしまった。俺は頑張ってもいいのだと、彼女は確かにそう言った。このアリシアという人間はソラやキリトらに心酔している節があってイマイチ信用に欠ける。それでも、精一杯の勇気を振り絞った一言には確かに俺に剣を握らせるだけの何かがあった。

 

「――――。そうか、ありがとう」

 

「はい。先輩が信じたものを私も信じます。だから先輩にもライヒさんにも頑張って欲しいんです」

 

「まあ、死なない程度にはね。……じゃ、そろそろ行くとしますか」

 

怖い、当然だ。どちらかが半殺しになるまで終わらないイカれた戦いだから。

怖い、当然だ。本当に殺されるかもしれないから。

怖い、当然だ。味方なんて一人もいないから。

 

ならせめて、楽しもう。戦いを、殺しを、独りを。結局は損をするばかりなのだから、楽しんでしまえばそれはもう勝ちなのだ。損得ではない、勝敗。得をしていようがそれを楽しめないのであれば負けなのだ。PoHの気持ちがよくわかる。誰も理解してくれないから、分かりやすい形で表すしか方法がない。

 

ようやく俺は敵と対峙した。もはや心は揺るがない。決めたからには、ただ敵を全力で打ち滅ぼすだけだ。

 

「お互いに手加減は無用だ。お前の《多刀流》、見せてもらうぜ」

 

――なるほど、そう来たか。

 

初手から読み違えてくれるとはさすがの俺としても嬉しい誤算だ。だったらそのまま何度でも読み違いをしてもらおうと、心の中で嘲笑しながら無言でデュエル了承のボタンを押した。一分間のカウントダウンが表示される。

 

片手剣のみを抜き、構えはいつもと同じ棒立ちに、腕はだらりと横に垂らす。

 

そしてこれもまた、いつものように相手を観察する。ずっこけそうになった。

 

なんと言えばいいのだろうか……。非常ににそれっぽい構えをとっているのは分かるが、そこまで殺る気と警戒心を剥き出しにされてしまえばこちらはどう動いていいか分からなくなる。どこからどう見ても一撃で決める気満々だし、正面から来るにしては明らかに重心が前に偏りすぎているので先手を取って後方に回ろうとしているのがバレバレだ。ここまで色々と見せつけられてしまうとブラフか何かと勘違いしてしまう。ある意味読みづらい。

 

3

 

2

 

1 

 

――DUEL!!

 

カウントダウンが終わるや否や後ろに振り向き、俺を貫こうとしていた相手の刀を掬うように剣で弾く。やっぱりというか、予想通りにあのチートじみた移動方法で俺の後方に回り込んでいた。

 

「なに――ッ」

 

「び、ん、ご。……流石に避けるか」

 

どうも外すとは思っていなかったらしく、大きく動揺しつつも俺のカウンターを躱して距離をとるソラ。位置関係は振り出しに戻る。俺は少し考えてから口を開いた。

 

「もしかしてだけどさ。『初見殺し』でも狙ってた? あんなに分かりやすくしてくれてたからにわかに信じ難いけど」

 

「その……。狙ってた。何でわかった?」

 

「いや何でもへったくれもあるかよ。あんないかにも『そこ狙うからね~』って感じの構えしといて読まれないほうがおかしいだろ」

 

「なるほど、ね。それじゃあ今度は――」

 

「正面から、か? バーカ」

 

足の短剣を指で引っ掛けるようにして抜き、宙に放る。回転しながらソラの顔面へと襲い掛かる短剣は彼の虚を突き、目を閉じさせて動きを止めた。その隙を逃すはずもなく、全力で胴体に蹴りを叩き込む。《体術》スキルがあるとはいえ、しっかりと装備を着込んだプレイヤーにはあまり効き目が無いようだ。しかし未だ体勢は崩れている。好機とばかりに攻撃を仕掛ける、が。

 

「ハッ――!」

 

「ク……ッソが……」

 

悉くを阻まれ攻勢に出ることを許してくれない。いつの間にかこちらが防御に回っている。カタナの奴よりも俺のほうが早いというのに、この何十年と研鑽を続けてきたかのような技の冴えは一体どういうことだ。どう考えても俺と歳はさして変わらないのに。

 

「ッ――《サイレントブースト》」

 

「何を――」

 

バトルスキルにより何とか間合いから逃れて間合いをとる。どうやらここの世界にバトルスキルは存在しないようだ。だからと言って気を抜くことはできない。レベル差は絶対であるはずのMMORPGにおいてその常識が通用していない今、このデュエルはただでは済まない。

 

そう、真の殺し合いはまだ始まったばかりなのだ。

 

 




コラボ編も中盤に差し掛かってまいりました。戦闘描写はやっぱり書いていて楽しいです! ジャンヌ・オルタ氏の「白夜の剣士」もよろしくお願いします。

感想その他お待ちしております。


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if:祝鳴



何だってやった。生きるためにはそれしかなかった。




 

 

ふと思う。俺は一体誰と戦っているのだろうか。

 

極端な突撃型の俺が防戦一方になるほど、ソラというプレイヤーが強いのは確かな事実だ。しかし戦ってみればみるほど、細部まで見れば見るほど余りに沢山のことが噛み合っていない。戦術はチグハグで、パッチワークのように体裁を成しているだけ。何故か最適解を意図的に避けているような気持ち悪さがそこにはあった。最初は舐められているのかとも考えたが、そういう訳でもない。剣道か、或いは剣術なんかの心得があるかと思えば、そういった物の特徴である()()()が欠けている。

 

何をしたいのかが、さっぱりわからない。

 

フェイントを掛けるとか、ミスリードを誘うとか、それならまだ解る。しかし違う。あくまで向こうは真っ向勝負なのだ。だがこちらから見ると、戦術における基盤とでもいうのだろうか。それが目まぐるしく変化し続けている。多数を相手取る時のような行動もあれば、逆に一対一に適した行動をとる時もある。

 

再び思う。俺は一体誰と戦っているのだろうか。

 

重量のある刀を必死に受け流し、時に捌いては反撃の機会を探し続ける。どんなに戦術がごちゃ混ぜであろうとも、()()()()()()()()()()()()()()()。そうなると向こうは何故使い分けをするのだろうか。攪乱でないどころか、何か考えがあるようにすら見えない。それでは一体、何のために。

 

「クッソ、手練れェ!」

 

「そっちこそ、な!」

 

違和感。そう、違和感だ。凄い技を見せられて、それを実際に身を以って体感して、普通ならこの次にまだ何かを感じる筈だ。強い者が必ず持っていて、命と同じくらいに絶対的なもの。()()()()()

 

ソラからは、()()()()()()()()()()()()()()()()。少なくとも俺には、高価な玩具を見せびらかす子供の様にしか見えない。歯車と歯車が全くかみ合っていない。しかしそれは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。他人を誇るが故に自分を見失い、積み上げた歴史の浅さ故に力を持て余す。言うなれば、()()()()()

 

しかし、その力の正体が分からない。ソラの強さは一体何に由来しているのか、何をどうすればそこまで異質になれるのか。

 

眼前に迫る刀を何とか受ける。《2Hブロック》は剣を痛めやすいのであまり多用したくはないが、この際なりふり構えない。ここまでは何とか耐えているが、限界が来るのは時間の問題だ。どのタイミングで仕掛けるべきか分からないままでいると、先に痺れを切らしたのは向こうだった。大きく横薙ぎに刀を振るい俺から少し距離を取ると、剣を鞘に納めてそのまま抜刀の構えに移る。

 

「我が心は不動――」

 

()()()。これはあの時の状況と似ている。シャガラガラの爪をソラが弾いた時のことだ。たしかあの時も何か言っていた。一歩で何たらを超えるとか、三段突きだとか、()()()()()()()を間違いなく聞いた。つまりこの危険な感覚は正しいということで、早急に対策が必要なのだが、()()()()()()()()。生半可に回避行動をとれば背中を切られる気がしてならない。かといって片手剣や細剣でのガードでは押し切られると確信できる。

 

「――剣術無双・剣禅一如」

 

考えるよりも先に体が動いていた。開いたままのシステムウィンドウのアイコンを空いている左手で押し、()()()を床に突き立てた。俺の十八番の《クイックチェンジ》。俺と斬撃との間にギリギリで剣が割り込み、ダメージを肩代わりしてもらう。俺命名『キャスリング』。因みにボードゲームのチェスから名前を拝借した。俺が呼び出した両手剣《ナハトムジーク》は強化を重さに全振りしていて、元の重さや耐久地のパラメータも相当に高い。階層の天蓋が降ってくるレベルの事がない限りまず折れないだろう。

 

「そんな受け方が――」

 

「危なかった……マジで危なかった……。俺の性格(スキル上げ中毒)に感謝だわ……」

 

再びクイックチェンジで装備を片手剣・細剣に戻すと、何故だか落ち着かない。何かが分かった気がして、伝えたいのだが自分でもよく分からない。逸る気持ちを落ち着けて呼吸を整えると、俺はほとんど衝動に任せて口を開いた。あの()()、あの()()。総合的にあの居合技を見て、何となく分かったことが一つだけ。

 

「あの居合の型は、()()()、か?」

 

ソラの目つきが一変して鋭くなった。まるで罪人を問い質すかのような、下手をすると本当に罪人扱いされそうな雰囲気に苛まれる。いや待て。なんで俺は今まで聞いたことも見たこともないような、剣道の流派的な固有名詞を的確に答えられたのだろうか。いよいよ何かが違う。間違っているはこの世界ではなく、今この瞬間に限っては俺なのではないだろうか。何なんだ、俺は一体誰なんだ。

 

「ほう? 何故そう思った? ()()

 

「何でって、そんなの俺にもよく分からない――」

 

俺よりは年上なのだろうが、小僧に小僧と言われて少し困った。取り敢えず考えを整理するために知識の出所を探ろうと思考を回転させ始めた途端、猛烈な頭痛に襲われた。思わず頭を抱えて蹲ってしまう。そして何故だかビデオテープが巻き戻るみたいに、記憶が逆流していく。俺がこの『別世界』に来る前の事だ。俺は『ジリオギア大空洞』でドラゴンを倒して――――()()()()。俺は大空洞エリアなんかにはいなかった。『アレバストの異界』最深部でレベル上昇時のパラメータ向上のバランステストを行っていて……。それで、それで、気が付いたらここに――

 

「そう、か。そうだった、のか」

 

「ライヒ?」

 

頭を抱えながらも俺は一つの事実を噛みしめていた。

 

()()、プレイヤー『Reich』の()()()だ。

 

それならばこの状況にもある程度説明がつく。そもそも、別世界に迷い込むなんてありえない話なのだ。もちろんホロウエリア中枢もこんな状況は予想していなかったに違いない。おそらくはシミュレーションで似たような状況を観測し、当初は特殊フィールドと銘打ってオリジナルの俺を放り込もうとした。しかしどんな偶然か、本物のこの世界へのアクセスに成功してしまったのだ。当然ホロウエリア中枢は使命に従いオリジナルを送り込もうとしたが、それには生身の『四条謳歌』の脳へ高出力スキャンを行う必要があった。当然ながら不当にプレイヤーを殺害することはできない。かといっていつ切れるとも分からないリンクを調査しないわけにもいかない。

 

代替案としてホロウエリア中枢はMHCPのシステムを用いた。オリジナルのメンタル情報のみをスキャンしてホロウの俺に植え付け、端末(デバイス)プレイヤーとして此処へ送り込んだ。故に、今の俺はホロウエリア中枢に保存されている情報の《参照》が許されていた。《比較》することでより正確なデータを取るために。

 

これが、真実。俺の思い出も、感情も、全ては偽物。

 

だが、裏を返せばこの世界でのみ俺は本物でいられる。オリジナルの存在しない此処でなら、俺は正真正銘『俺』として真実で居られる。

 

頭痛は引いた。矛盾は解決した。俺はようやく本当の意味でこの地に足を踏み入れることが出来た。

 

「ソラ。最初に謝っておくけど……俺はライヒの()()だ。本当の意味でお前とは戦えない」

 

「いいや、お前は本物だ。事情は分からないけど、こうして剣を重ねていられるのならお前は間違いなく本物なんだよ」

 

「まあ、その通り。厳密に言うと、俺は今此処にいる瞬間に限って本物でいられる」

 

「それで? どうするんだ? 早くしないと時間が無くなる」

 

「そうだな。それじゃあ――」

 

――Let`s play up.(遊ぼうか)

 

今の俺ではショータイムには役不足だ。だったら、精々ゲームらしく遊んでみよう。決闘ならいざ知らず、ゲームで負けるわけには行かないから。

 

俺から何か感じ取ったのか、ソラは二刀を装備した。それに正面から向かっていく。

 

「来い、《ナハトムジーク》」

 

「な――」

 

スピードを落とすことなく、目の前の敵に向かって力任せに両手剣を叩きつけた。如何に刀を二本装備していようが、超重量級の両手剣を弾き返せるほどその刀が重い筈がない。間髪入れずに二撃目、三撃目と追撃を加えていく。その度にソラの体制は崩れ、防御も中途半端になっていく。

 

「何でッ……。こんな重い剣見たこともッ!」

 

「たりめーだ。そもそも70層程度じゃ素体のコレも手に入らないし」

 

だが流石に向こうも素人ではない。両手剣を扱うならば必ず生まれる隙を即座に探し当て、一息のうちにそこを突いてくる。だが、甘い。

 

「そこっ――」

 

「はいガード。悪いけど二剣だけが武器じゃないんだわ」

 

両手剣を使うことのメリットの一つは、その両手剣自体が強力な盾になりうることだ。故に、攻略組にいるような、いわゆる強い両手剣使いは『攻撃キャンセル&ガード』の技術を必ずと言っていいほど習得している。俺は盾持ち片手剣時代の経験を活かすことでこの技術を実践レベルにまで引き上げた。

 

これ以上接近されてはマズいと考えたのか、ソラがいったん距離を置こうとする。しかしそれをみすみす見送るわけがない。体を限界まで横に捻り、筋力パラメータ全開で《ナハトムジーク》を投擲した。風切り音を鳴らしながら真っすぐに飛来する両手剣を、しかしソラは二刀で受けた。当然だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

ギリギリのところで踏みとどまり、なんとか両手剣を叩き落とすことに成功するソラ。一方の俺は、ソラの眼前にまで迫っていた。隙を逃さず、右手で首根っこを掴み上げた。そのまま持ち上げ首を締め上げる。

 

「ぐッ――コフッ」

 

「お前が距離を取ろうとするとき、大体は戦略――じゃなかった。流派を変えて来るよな? その瞬間だけは、お前は絶対に無防備なるしかない――だろ?」

 

剣の戦闘中に最も大切なことは、正しい場所を正しいタイミングで捉えることだ。剣道や剣術なんかを大雑把に言うなら、そこへ至るための最適解を様々な視点から導くためのもの。だから一つ極めれば敵に先んじて刃をお見舞いできる。どんな攻撃にも余裕を持った対処ができる。だが、複数持つことに果たして意味はあるのだろうか。或いは達人の領域にまで達しているなら別だが、ソラは違う。中途半端に正解への道を垣間見たことで、かえって正解を見誤ることがある。

 

そういう意味で今のソラは間違いなくその状況に陥っていた。両手の剣で俺の腕を攻撃しようとするがそうもいかない。剣が腕に届く前にソラを地面へ引き倒す。拘束を解こうとするたびに一度ソラを浮かせて地面に叩きつけ直す。やがて完全に腕を押さえつけ、マウントポジションを取るに至った。このまま窒息によるダメージで決着をつけようとする。

 

この場の誰もが、ソラの敗北を信じた。身動きの取れない状況で首を絞められ、じわじわとHPが減少するのを眺めるしかない状況。例えば俺が抑えている相手がキリトや、アスナさんや、ヒースクリフであったなら俺は何があろうと拘束を解かなかっただろう。だが、このソラに限っては俺を跳ねのけうる手段を持っていた。()()()()()()、何かが歪む感覚。俺にだけ聞こえる声で。

 

投影(トレース)――」

 

ハッとした俺は即座に大きく距離を取り、装備を片手剣・細剣に変えつつ全方向に注意を巡らせた。もちろん、剣など降ってこない。そして俺はこの試合最大の失態を犯した。アレを使うはずがないと自分で結論付けたはずなのに、あろうことかソラへの注意を外してしまった。気が付いた時にはもう遅い。剣を持ち上げる暇もなく俺は神速の斬撃に捉えられていた。

 

「小細工は……終わりかッ――!!」

 

「うぐ、うう……っ」

 

まさに怒涛の勢い。さっきまでの鬱憤を全て晴らすかのような、一切の容赦がない斬撃の雨、雨、雨。剣でのガードもままならない。このままではHPを半分まで持っていかれてしまう。二割、三割……。

 

やがて勢いに押され、俺は床に倒れこんだ。ソラはしめたとばかりに刀で俺を串刺しにしようとするが、その前に俺は足から短剣を宙に投げていた。短剣を挟んで視線がぶつかる。俺はブーツの底で短剣の柄を受け止め、そのままソラの心臓部へと短剣を押し込んだ。完璧なクリティカルヒット。ソラが怯んでいるうちに、俺は地面を転がりながら間合いを広げた。そしてどちらともなく最後の一撃を食らわせるために剣を構える。

 

「やられた……短剣を忘れてたよ。でも、()()()()()外さない」

 

「はは――。あんな簡単なブラフに掛かるなんてホント、俺らしくない、なあ……。はは……」

 

もはや集中力は限界だった。次が外れてしまえば、もう動けない。だからこそ、こんなところで引きたくない。絶対に、何が何でも()()()()()()。乱れたマフラーを整える。ペースはいつも通りに、何も変わったところはない。なら、きっと大丈夫。

 

「「行くぞ――」」

 

同時に床を蹴って走り出した。もう、誰にも止められない。

 

「《OSS》起動――」

 

「三歩絶刀――」

 

全身全霊が、今、炸裂する。

 

「《ヴォーパル・ストライク》――ッ!!!」

 

「《無明三段突き》ィィィッ――!」

 

逸る気持ちの中でも、俺は割と冷静に状況を読むことが出来ていた。一度だけ見たあの突き攻撃は、間違いなく首を取るための技だ。ホロウエリアから得た《天然理心流》の心得とも一致する。だから俺は技を受けることにした。半ば祈るような気持ちで、ギリギリのところで首を横に反らした。マフラーは貫かれ首が半ばまで切り裂かれる。だが、HPはまだ残っていた。遅れて俺の渾身の《ソードスキル》が真っすぐソラの左腕を捉えて、吹き飛ばした。そして()()。《剣技連携》の二撃目。

 

細剣最上位ソードスキル、《フラッシング・ペネトレイター》。

 

このソードスキルには助走が必要だが、正確には、ひつようなのはスピードだ。当然スピードを出すには助走を取る以外に方法はないし、それが一番確実だ。だが、《ヴォーパル・ストライク》発動中なら。ギリギリで必要な条件を満たすことが出来る。腕を真っすぐ横に伸ばし、剣の先端は正面に向け、反対側の手はまっすぐ前に。

 

音もなく激光が十字に煌めき、ソードスキル中最強の突きがソラを襲う。この至近距離でコレを躱せるのなら最早人間ではないが、偶然なことにソラも俺と同じように首を思いきり反らしていた。頬を掠めて細剣が後方へ流れていく。そして俺の右腕は、至って自然に片手剣を手放して腰溜めに構えられていた。先の二つはこの状況を作り出すための布石。完全に密着した()()()なら。間違いなく()は命中する。大技を二つも捨て石にして、俺が選んだ最後の一撃。体術重攻撃技、《龍爪》。

 

「あ、た――――れええぇぇぇェッ!」

 

相手も剣を抜刀しようとしている。しかし戦いの常識として至近距離では刀よりも短剣、短剣よりも素手のほうが早い。掠るだけで俺の勝ちは決定する。間違いなく先に届く。外れるわけがない。当たる、当たる、当たる当たる――

 

D()R()A()W()

 

俺の拳はシステムの障壁に阻まれ、虚しく光を散らせた。しばらくは踏み込んだ体制のままでいられたが、精も根も尽き果てて床に膝から崩れ落ちた。

 

あと少し、届かなかった。

 

正直こんな結果になるなんて思ってもみなかった。だから勝ちを確信した分あまりにも悔しい。ああでも、こんな戦いも結構いい物なのかもしれない。

 

「そっか。俺、ここでちゃんと生きてるのか――」

 

もう何の後悔もない。それにきっと二度と戦う機会はないだろう。俺の戦闘は人のペースを乱すのが前提で、人をなじる様な戦法ばかりだから。排斥されても仕方がない。

 

「ああ、お前はこれからも生き続けるんだ」

 

俺の予想とは裏腹に、周囲は歓声で満ちていた。主に俺を称える声が。ナイスファイトとか、お前が勝ってたとか、疑って悪かったとか。皆が俺を認めてくれていた。そしてヒースクリフまでもが拍手とともにこちらに歩み寄ってくる。

 

「――()()()()()。実に素晴らしい戦いだった。――さて、試験結果だが……言わずとも分かってもらえるだろう。ライヒ君には《イノセント・エクセリア》諸君と共に攻略に是非とも参加して貰いたい。私からは、以上だ」

 

「次は、ちゃんと決着させたい」

 

「今回みたいなのは、あんまりすっきりしないからな」

 

ソラに手を差し伸べられ、それを迷いなく掴んだ。腕を一本失くしているというのに、その手は変わらず力強く俺の手を握った。

 

 

 

***

 

 

 

「それで――結局《異双流》って何なんだ?」

 

《イノセント・エクセリア》ギルド本部にて、俺は昨日と同じように質問攻めにあっていた。まあ気持ちはわかる。俺のユニークスキルについて気になるところは山ほどあるに違いない。オリジナルの遭遇したキリトも興味津々だったことを記憶している。

 

「そうだなあ……。スキルを無理矢理繋げるスキルって言ってもわかってくれないよなあ……」

 

「当然だ! 全部話すまで寝かせないからな!」

 

夜はただ静かに白んでゆくのみ。

 

 





そんなわけでコラボ編第五話です。割と気軽な感じで始めた企画ですが、完結まではきっちり持って行けそうです。個人的にコラボ回では、SAO編で書き残したことを色々書いてみようと思っています。ライヒのホロウもその一つです。異双流は……どうなんでしょう。ここから先の本編で正式なスキルとしては出てこないでしょうから……。ジャンヌ・オルタ氏の「白夜の剣士」も一緒にお願いします!

感想その他お待ちしております。


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if:幕間

その芽吹きは、悪戯な風のように。




「ん……あ。カーテン閉め忘れてたか……」

 

まだ寝ぼけたままの眼を少しこすり、それからカーテンを閉めるために腕を伸ばした。しかし、他の誰かの手がそれよりも早く俺の腕を引き止める。優しく俺の手を包んで下げさせると、俺の代わりにカーテンを閉めてくれた。

 

「まだゆっくり寝ていても平気ですよ。カーテン、気づかなくてごめんなさい。あ……でも、起きちゃいましたか……?」

 

その姿に見覚えはない。でもその所作はあまりにも自然で、記憶の奥底が揺さぶられる。姿は違えど仕草は同じ。だから俺はその名を呼んだ。つい、呼んでしまった。

 

「レ……イン」

 

「えっ? あの、ライヒさん? 私です、アリシアです」

 

知っている。レインよりも背は低いし、眼鏡をかけているので見間違えようがない。でも、全部が夢で、俺はそこから目覚めて、いつもの様に寝床に侵入してきたレインが余計な世話を焼いてくれている。そんな光景がフラッシュバックして、どうしようもなく懐かしくなってしまった。

 

そう、懐かしい。それだけ。

 

「あー……ごめん。いや、そんなことより何でここに?」

 

「その! 昨日は凄い戦いで、疲れてるかなって思って!」

 

「おたく、心配性だな。親切なのはいいけどちゃんと相手は選びなよ? 誰にでも世話焼けばいいってわけじゃないんだから」

 

「ちっ、違います! 誰にでもこんな事しません! ライヒさんだからです!」

 

「えっ」

 

一瞬にして凍ってしまった部屋の空気。アリシアは自分の発言の意味に気がついたのか、顔を真っ赤にして手をわたわたさせながら弁解を始めた。

 

「違います違います違いますから! なんて言うか……色々違うんです! 信じてくださいっ!」

 

「わかったわかった……。別に深い意味に取ってないから。みんなに言いふらして話題のタネになんかしないから」

 

「ライヒさんのそういうのは信じられません! お願いですから黙っててください!」

 

何で俺の寝床で世話を焼いていたのかは告げられないまま、しかし朝の一悶着はもう少し続いた。からかい過ぎてアリシアがぷりぷり怒りながら部屋から出ていったところで俺も着替えを済ませ、そのあとを追ってリビングへ向かった。

 

朝食は今日もサンドイッチ。何一つ文句はないが、このギルドのメンツはそんなにも朝はパンじゃないと気が済まないのだろうか。謎がまた深まったなどと考えながらサンドイッチを食べる。

 

「なあライヒ! コンボ中の踏み込みの角度について聞きたいことが!」

 

「キリト……さん。食事中くらいはその修羅な思考やめませんか」

 

さん付けするのに少し躊躇いながらまだ続く質問を回避する。他のギルドにメンバーにも同じ注意をされてぶすっとするキリト。オリジナルの記憶では、向こうのキリトはもう少し尖っていた。結婚した後もその孤高気取りは悪化する一方で、ひたすら俺と同じように、狂ったようにモンスター相手に技術を磨いていた。そういう意味ではちょっと俺の相手にはならない。二刀流は健在だろうが環境が違うだけでここまで変わるものか。

 

「それでこれは業務連絡な。今朝ヒースクリフから連絡が来たんだけど、討伐準備にはもう少しだけ時間をかけるそうだ。そのー……思った以上にライヒの編成が難しいらしくてな」

 

ソラからの連絡を聞いて、まだ上層部は揉めてるのかとため息をつきたくなる。別にLAなんて要らないし何所に回されても文句は言いませんと昨日言っておいた気がするのだが、それでもまだ揉めているらしい。

 

「なんで? ここのメンツに加えればいいじゃない」

 

「いや、最近ギルド間での戦力差が問題になっててさ。ウチがずっと叩かれててそういう訳にもいかなくなった。これを機に攻略組全体を均等に混ぜて、攻略組単位での編成にシフトして行きたいんだと」

 

「ほー、妥当な判断だな。てかどう考えてもこのギルド叩かれて当然だろ。強い奴らだけに強くなるきっかけがある状況はさっさと改善すべきだ。世論と対立したら攻略組なんて出来なくなる」

 

「その……お前が言うと余りにもその、何故だかわからないんだが含蓄がだな」

 

「そうか?」

 

少しとぼけてみるが、ソラは全く意に介していなかった。しかしソラの発言は意外と的を射ている。俺は基本的には弱い。圧倒的に弱い。だから強者には遅れをとっていた。ではなぜ現在では強者に真っ向から立ち向かえるほどになったのか、それは俺がほかの弱者と違い自分というものが完全に変わってしまうくらいに生き延びようと足掻いたからだ。

 

――――反応速度が平均未満だったから、反応できるようになるまで鍛えた。

 

――――美味しい狩場は使えないので、その代わりに睡眠時間を削って狩りに勤しんだ。

 

――――モンスターが怖かったから、怖くなくなるまで戦った。

 

――――独りでは限界があるから、徒党を組んだ。

 

――――俺は弱かったから、強くなるまで頑張った。

 

そして気がついたら色々なものをぶっちぎって強さを手に入れていた。生き延びるために必要なことを全力でこなしただけ。勝つ方法を知っているのではなく、負けない方法を熟知しているだけ。強いやつは当然凄い。だが弱者が見えないのだ。見ようとしないわけでもなく、本当に見えないのだ。強者ばかりのこのギルドのメンバーは果たしてどこまで俺を理解できているのだろうか。

 

「ああそれと、今日は各自で自由に過ごしてくれて構わない。たまにはゆっくりしてもいいと思う」

 

「はあ……。どうせソラは休むと言って特訓するのでしょう? やめろとは言えませんが見ていて心配になります」

 

「ははは……。それはそうとライヒは? 用事が無いならちょっと特訓しないか?」

 

ごまかさないでください、と怒るアリスさんを宥めるソラ。確かに用事は無いし、だからと言って適当に出歩くには下層は退屈すぎる。ここはおとなしく特訓に参加するかとぼんやり考えていると、アリシアが勢いよく手を挙げて言った。

 

「あのっ……! お暇なら私と何処かに行きませんか?」

 

ソラが笑顔を凍らせてカップを床に落とした。アリスさんが一瞬殺気を放った。その他の女子はきゃーとかわーとかどこか興奮したように叫び始め、男子勢はあのアリシアが……、といった様子で驚きをあらわにする。

 

「うん? 別にいいけど」

 

なんとなく放った言葉のせいで笑顔は氷点下まで冷え切り、殺気は増し、再び歓声。そこで俺は、はたと思い当たるのだった。これは、つまり、なんと言えばいいのだろうか。つまるところ()()()()()()なのか!? いや早とちりはよくない。まだ警戒されているだろうし、心を許すにはまだ早い。まずは理由を問い質すべきだ。

 

「てか何でわざわざ俺? ソラとかアリスさんじゃ駄目なのか?」

 

「それは……はい。ライヒさんが、いいんです」

 

「よし分かったライヒ。ちょっと付いて来てもらおうか」

 

「ええ。()()()()()()()()()()()から。お時間は取らせません」

 

「え? いや待てよ何で俺を何処かへ連行しようとしてんだよ。放せよ、落ち着けって、いやホントに待てって」

 

愛憎混じりあう視線にさらされつつ、俺は両腕を引っ張られながら抵抗虚しくギルドホームの裏に連行された。いや確かにソラから見れば愛弟子で、アリスさんから見れば大切な妹分なんだろうが、そんなに俺に任せるのが不安なのか? 流石に信用なさすぎやしないか?

 

「なあライヒ。俺もアリスもお前のことはちゃんと信用してる、だから正直に答えてくれ。――アリシアにどんな色目使ったんだ? ああ?」

 

「いや怖いって。信頼してんならまずは剣を仕舞えよ、アリスさんもその殺気向けないでくださいよ。俺が何かする暇があったかどうかよく考えてくれ。そもそも何でリスク冒してまで色目使う必要があるんだよ」

 

少し考えこむ二人。そして何を言い出すかと思えば――

 

「デュエルの前に何故かアリシアはお前を追って行ってたな。あの時は状況が状況だったから追及はしなかったけど、よく考えるとおかしい。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。違うか?」

 

「俺が知るかよ……」

 

大体アリシアはソラに横恋慕しているのではないのか。前提として間違っているという可能性もまだあるというのに、俺が非難されている理由が分からん。そんなに大事なら首輪でもつけておけばいい。

 

「それにだ。俺にはちゃんと好きな人がいる。相方がいるって話しただろ? そいつとは恋人だった。結婚だってしてた。あいつ(レイン)以外、絶対に好きになるわけがない。絶対に、絶対にだ」

 

それでも信用ならないなら首を跳ねてしまえばいい、最後にそう言った。どうにもソラには比喩なしにそれが可能な気がする。そもそも本当に前提から間違っているのだ。実質俺と何の接点もないアリシアにどう色目を使えと言うのか。強い奴らに庇護されのうのうと生きてきた奴らのどこに魅力を感じられるのか。俺がレインと恋をしたのは、同じだったからだ。孤独気取りな大嘘吐き同士だからこそ、理解しあえたのだ。やっぱり、理解はしてもらえないんだろうか。

 

「ああああのええとごめんなさい。まさかライヒに恋人がいるなんて思わなかったんです」

 

「わわわわ悪かった。すまない色々と誤解してたみたいだ本当にごめん!」

 

二人はどうやら俺が激怒していると受け取ったようだ。まあ、こればっかりは仕方がない。溜息一つで許してやることにした。

 

アリシアに連れられてこられたのは、71層のフィールド。何処かに行こうなんて言わずにレベリングに付き合ってくれと言えばよかったのに。とんだ被害を被ってしまった。本人に悪気が無いのが質が悪い。これでは責めるに責められない。今日は少し嗜好を変えて、俺もカタナを使うことにした。ソラを見ていると、刀ってかっこいいなあなどととつい思ってしまう。

 

俺のカタナ、固有銘《恋紫(コイムラサキ)》は、ソードスキルを使うまでもなくモンスターをほとんど一撃で切り捨てていく。最初は自分の呼吸を確かめるためにワンサイドプレイをしていたが、慣れた後はしっかりパリングでアリシアに繋げてやる。俺がいくら倒したとしても大した経験値にはならないのでLAの経験値ボーナスは基本的に全て譲る。

 

「――スイッチ」

 

そしてまた一匹。

 

「やあっ!」

 

モンスターが撃破された。

 

「わあっ、すごい、凄いです! もうレベルが3つも上がりましたよ!」

 

「俗にいうパワーレベリングに近いんだよなあコレ……。まあ基本的にちゃんと戦ってるからいいんだけどさ」

 

「ぱわあ……何ですか?」

 

「気にしなくていいよ。独り言みたいなものだから」

 

アリシアが首をかしげるが、構わず先を促す。狩りすぎたせいかモンスターの発生が落ち着いてきている。隙間があれば余裕も生まれてくるわけで、否応なしに会話が始まる。嫌ではないが、ソラにあそこまで言われた手前あまり親密にしたくない。

 

「ライヒさんは誰かに技を教わったりしたんですか?」

 

「ああ、師匠がいたよ。両手を使って戦う天才だった」

 

「両手を使う……具体的にはどんな戦術だったんですか?」

 

アリシアが突っ込んだ質問をしてくる。答えるべきか、そうしないべきか。俺が色々教えてしまえばソラの教えに色々余計に上書きをしてしまう可能性もあるし、教えたところで両手武器を使っているのならあまり役には立たないだろう。――いや、もしかしたら?

 

「アリシア、お前、今のままだと不満なのか?」

 

「はい。このままじゃ駄目だっていうのはずっと前から考えていました。でも何をすればいいのか分からなかったんです。先輩をなぞるだけじゃ駄目なんです」

 

「そうは言うけどなあ。師匠と俺の技術なんて小手先だけの目くらましとか、小賢しいやつばっかだぞ? その、なんていうの? 正統流派みたいな戦い方とは絶対に相容れないから止したほうがいい」

 

「それでも、今じゃないと駄目なんです! お二人の戦いを見た今なら何か掴める気がするんです! ……そうじゃないと、私はずっと皆さんのお荷物です。ずっとそのままでいるのは、耐えられません」

 

なんて純粋なんだろう。なんて眩しいのだろう。だからこそ怒りが湧いてきた。何も知らないのに勝手な物言いをするのが許せなかった。

 

「お前ふざけるなよ。お荷物でもなんでも守られて生きてるんだからそれでよしとすればいいだろ。まだ第一層に留まってるプレイヤーを見たことがあるか? 毎日毎日《軍》に怯えて過ごす日々だ。誰も守ってくれやしない。お前はそういう戦えない人たちを見て、戦わないからそうなると哀れに思うのか? お前らはここで死んだら本当に死ぬって忘れてないか? 自分たちだけは死なないなんて勘違いしてるだろ。お前、俺らが毎日毎日何やってるか考えてみろ。命のやり取り、つまりは殺し合いだぞ? そんな狂人が、戦わない常識人を見下してんだぞ。少しは恥を知ったらどうだ」

 

「それ――は」

 

ああ、また失敗した。自分の印象を貶めることでしか物事を解決できないのは俺の悪癖だ。誰かを救えても、戻ってくるのは恨みや憎しみ。でも今回はギリギリでフォローが間に合った。感情が俺への憎悪へ変わる前に話題を切り替える。

 

「すまんすまん。つい愚痴がな。今のは極論だから言い返せって言われても無理だな。ちょっと慣れない環境で疲れててな。それはそうとして、そんなに言うならほんの少しは教えるよ」

 

「えっ――あっ、はい! よろしくお願いします!」

 

やっぱり、人に嫌われるのは辛いから。俺はオリジナルほど強くはないのかもしれない。

 

「んじゃ、取り敢えず短剣あるか? なんかドロップ品とかであるだろ」

 

「分かりました。じゃあ……これ」

 

アリシアが取り出したのは合金製の短剣。割とポピュラーなドロップ品で、形もシンプルだ。チョイスはいい。

 

「俺の技術の基本理念は、殺すこと。現実世界で急所にあたる部位を突いてとにかく最初に戦意を削ぐことだ。例えば心臓、顔、首筋なんかはクリティカルポイントだろ? そういうところを狙っていかに効率よくHPと戦意を同時に削ぐかがミソだな」

 

「ええっ! そんなのまるでレッドプレイヤーみたいじゃないですか」

 

「正解だ。俺らはお前らとは根本的に違うんだよ。倒すためじゃなくて、殺すために。だから真剣勝負なんて絶対にしない。どんな状況でも搦め手で攪乱して急所を突くんだよ」

 

「でも、先輩とのデュエルでは割と正面から戦ってましたよね?」

 

「あれは場を読んだだけだ。流石に外道な真似して追い出されても困るだろ」

 

唾吐いて目潰しとか、観客の中に紛れるとか、うまい具合に逃げて相手の集中力が切れたところで初めて戦いだすとか。

 

「まあそんなのすぐに出来るわけもないし、取り合えずこれな」

 

親指、人差し指、中指の三本で短剣を持ち、親指を軸にくるりと回転させる。その後は最初の持ち方に戻す。この技は単調ながらも応用が利いて、相手の目の前で繰り出して怯ませたり首筋を掻っ切るなんてことも出来る。確実に成功して、速さが乗っていればの話だが。

 

「さささ――っと。まあこの速さで三回連続で回せたら上出来かな」

 

「よ、よっと……あっ」

 

刃の起動がブレブレで、しかも遅い。でもこういった地味な技術をひたすら積み上げた先にあるのが今の俺なわけで。今のアリシアが下手なのも当然だ。かつての俺はすぐに出来てしまったが。

 

「ライヒさんのお手本、親指なんて使ってないように見えるんですけど……」

 

「全部慣れだよ。これは指の使い方のトレーニングでもあるんだからな」

 

結局一日、アリシアの特訓に付き合っていた。慣れないことをしつつも割と充実した一日だったなと今日のことを振り返りつつ夕食を御馳走になる。穏やかに一日は過ぎ去っていく――筈だったのだ。少なくともギルドに帰るまではそう思っていたのだ。

 

「よっ、はっ、あっあれ……。また失敗しちゃった……」

 

帰ってからもアリシアは食事用のナイフでトレーニングを続けていた。しかも食事中に。

 

「ラ~イ~~ヒ~~~?」

 

「いやごめん本当に申し訳ない! 最初はやめろって言ったんだけどアリシアが――」

 

「俺の大事な弟子に……何を吹き込んだんだ!!」

 

「あ、ライヒさんライヒさん。三回連続で出来ました! 見てましたか、ねえ、ライヒさん!」

 

謂れのない説教を俺は受け続けた。それはそれは理不尽な言われ様だった。

 

 




ギャグ要素を多めにしてもシリアスは抜けないいつものスタイルでお送りしました。次回は多分恐らくきっとコラボ最終回です。投稿できる日は定かではありませんが、最後まで突っ走っていきますので!

感想その他お待ちしております。



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if:常夜


居たら居たで役に立つ、でも居なくてもいい。だから御影。





 俺がカタナを使うとき、攻撃は基本的に斬り上げが主体となる。腰より下に剣を構え、左足を軸に常に相手の方向を向き続ける。時には体の向きを変え、時にはステップで距離を取りつつ。がら空きの胴体を斬るべくして斬る。俺の戦法がそういう訳だから、突き技主体のソラとは非常に戦い易い。オマケに庭という比較的狭い場所では十分な踏み込みで斬撃は繰り出せないだろう。()()()()()()()()()()()()()()()。最小限の動きで俺を狙う刺突を、左足は常にソラに向けたまま、体の方向を変えて躱しつつもガラ空きの脇腹に斬り上げを見舞い、手首を返して上段からの斬撃に繋げる。当然最初から俺は踏み込んだような体勢なので、今のソラが撃つよりかは威力が乗っている。もっとも、向こうもちゃんと手加減はしているのだろうが。

 

ボス戦の朝。ソラから特訓の誘いを受けて、俺たちは二人で圏内戦闘をしていた。

 

「良い刀だな、それ、一目見ただけでわかる。俺の菊一文字もそれなりの名刀だと思うけど、タメ張れるくらいの業物だと思う」

 

「あの……95層産ですけど? 70層程度の素材で比べるも何も無いだろ……」

 

強化施行上限回数50なんですが。フル強化済みなんですが。それよりも強いとか正直何でコイツが怪しまれないのかが分からない。それはいいとして、そろそろ色々聞いても大丈夫だろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「そういえばさ」

 

いたって普通に、冗談を言うような口調で、他愛ない世間話のような雰囲気で話を切り出す。

 

「お前ってミュータント?」

 

「は?」

 

「じゃなかったらエイリアン? もしくはプレデターかなんかの擬態?」

 

「何でアメコミの怪物なんだよ、失礼な奴だな。大体そんなのフィクションに決まってるだろ」

 

フィクション、ね。俺も剣を召喚して戦うチーターなんてフィクションかと思った。しかしそんなセリフはおくびにも出さない。俺の役目を果たすために質問は続ける。俺の役目とは何か、もちろんソラの観察だ。それは一貫して変わっていない。知ること。理解すること。基本的に俺はそのためにしか動いていない。

 

目下最大の謎は、『俺と大して年の差の変わらないソラという人物がなぜ幾つもの非人間的性質を有しているのか』、だ。そもそも、一生かかってもまだ会得に至らないのが剣術だとか剣道ではなかろうか。一般的常識に照らし合わせればそうだ。だから俺が探るべきは、一般的常識から外れた方法又は経緯。探れる機会があるとすれば今しかない。俺の思いつく限りの()()()()()()に当てはめ、検証する。

 

「そうじゃなかったらそうだな……対人間用に開発された改造人間」

 

「ちげーよ!」

 

「じゃあ……()()()()()()()()?」

 

そう言った瞬間にソラが見せた反応を、俺は見過ごさなかった。当然俺の気づきは表には出さない。

 

「あの、なあ……そんな馬鹿な話あるわけないだろ?」

 

「あ、わかった。もしかしてお前……」

 

狼狽してる狼狽してる。いいぞいいぞ。これならイジりがいがある。

 

「俺は神に選ばれた転生者だ! ……とか名乗りたくなってただろ! あっははは。そんな三流ラノベの主人公じゃあるまいし。中二病も程々にしないとアリスさんに愛想尽かされるぞー?」

 

「よ、余計なお世話だ。アリスは関係ないだろ」

 

「ま、俺はどうでもいいけどな。たとえお前が振られようが二股かけようが、ね。そうそう、これは()()()()だ」

 

コートのポケットから写真を一枚取り出すと、ぽいっと放り投げた。ソラが危なっかしい手つきでキャッチしたそれには――

 

「なっ……。こっ、これは――」

 

「『あ~ん』、か? いやあ暑い暑い。南極の氷が溶けちまうくらいにはあっつい」

 

「おまっ……こんなものどこで」

 

「情報屋に張りこみ頼んで、写クリは持ち込みで依頼した。IE(イノセントエクセリア)のツートップがデートらしいので行ってみてはどうですか、ついでに盗撮なんてどうでしょうっ……てな!」

 

爆笑しながら追加十枚ほどの写真をばら撒く。ソラが慌てて拾いあげている間に、ハイド&エスケープ。ちなみに一枚目の裏にはちゃんとメッセージを残しておいた。『朝飯はいらないから。 御影より」。

 

剣を向けられ脅迫された恨みはこれで晴らした。後はさりげなく窓付近に誘導しておいたアリスさんがソラの様子に気が付いて、二人で赤面すればバッチリだ。こういうクリエイティブな嫌がらせのセンスなら、妹分(ユウキ)と培ってきたものがある。

 

「カミサマ、神様ねえ……」

 

何の気なしに呟いてみる。

 

「神は居るらしいよ、管制塔? 説明をつけるならそれしかない」

 

俺はホロウ。どこまでも役割には忠実な存在、それだけだ。そういえば、カッコつけて御影より、なんて書いたが俺のことだと気付くだろうか。

 

 

 

***

 

 

 

53層転移門前。約束通りヒースクリフはそこにいた。

 

「なかなか皮肉が上手ですね。俺がここにいるに値しないゴミ(53)だとでも?」

 

「まさか。コミュ(53)の場所としてはうってつけだからさ」

 

減らず口はお互い様。気にした様子も見せることなくヒースクリフは即座に本題に入った。

 

「君の帰る方法を色々模索したが、やはりボスの撃破しかないようだ」

 

「そうですか。まあ、大体予想はついてましたが」

 

シャガラガラの異常な強化は、やはり俺の介入が原因だろう。正確には俺の世界のホロウエリアだが、些細なことだ。

 

「まあ、それはともかく。あのボスはやはりソラ君を見るために意図的な強化が施されている。本来ならこちらのシステムが自動的にそれを阻むはずなのだがね。こちら側も何を考えたか提案に乗ってしまった」

 

「共犯に等しいじゃないですか」

 

「まったくその通りだ。初めは一方的に君たち側の責任だと思いこみ、ソラ君に始末させようと考えたのだが無理だった。《異双流》はこちら側にも存在するからそれとなく情報を流したのだが……君はアレを使わなかった」

 

「開発者ならわかるでしょ。あれは生身の人間に使いこなせるものじゃないですよ」

 

「私は使えるが?」

 

「それは一瞬だからです。あんなもの15秒間ナーヴギアに脳をやられてるのと変わりませんよ」

 

批判の意味を込めて言ったつもりだが、当然通じない。わかっていても言わずにはいられないのだが、少しは反省の色を見せてほしいものだ。

 

「それは今更な話だと思うがね。それと、一つ忠告しておくが、あのボスは君の本気なくしては勝てない。覚えておきたまえ」

 

そういって踵を返すヒースクリフを、俺は逃がしはしなかった。忠告とやらが終わったのなら、俺のターンだ。攻略組の一員として言っておくことがある。

 

「攻略の編成のことでお話があるんですが、いいですか?」

 

「ほう?」

 

「編成に()()()()()()()()()()。低レベルの連中の傘下に入るのは道理に適ってません」

 

「――少し、考え直してみるとしよう」

 

今度こそヒースクリフは転移門で帰っていった。本気を使えとまで言ったのだから、俺がパーティーにいる意味がないことくらいわかっているはずだ。それでも一応筋は通しておいた。まったく、これでは本当の騎士団のようだ。俺は朝飯を調達するべく人気のない街を彷徨い始めた。

 

()()丼、かな」

 

 

 

***

 

 

 

当初の予定での俺はアスナさん傘下の第一アタッカー隊に入っていたはずなのだが、血盟騎士団団長の勅令でアリシアとのコンビに変更されていた。理由は単純で、レベルの低い司令官に従う道理がないから。しかし、当然大きく編成を変えることもできないので俺達だけ別動隊になったというだけの話だ。ソラやヒースクリフは司令塔としての役割を全うする必要があるし、俺を監視する暇なんてない。だからこそ、コンビという形をとらせて責任ある行動をさせようとしたわけだ。こういう時のためにアリシアのレベル上げに付き合い、俺としてはそれが報われた。

 

だが、それに簡単には納得しない人もいるわけで。ソラには散々仕組んだとかなんとか言われたが、当然の主張をしたまでで、俺は尊厳ある黙秘を続ける。しかし、ソラのただ一言だけ。

 

「アリシアを、頼むな」

 

それくらいは胸に刻んでおこうと思う。

 

「勇気ある諸君。この日予定したメンバーが欠けることなく揃ったことに感謝したい」

 

喧騒を破ったのは朗々と響くヒースクリフの声。

 

「かねてより攻略困難とされてきたシャガラガラ・ザ・キングキメラだが、幾度もの偵察を重ね討伐は今は現実的なものとなった」

 

頷く者、神妙な顔つきをする者、様々な感情が壇上一点に突き刺さる。ヒーさんはやはり凄い。俺にはこういう空気を受け止められるほどの強さがないから。

 

他にも演説があるが、それを無視して俺はアリシアとの連携の確認を始める。

 

「いいか、俺の指を見て判断しろよ。右か左か、そして出した指の本数。お前は覚えは早いけど実戦で使えるかは別問題だからな」

 

「はい。今日はよろしくお願いしますね!」

 

しばらくサインの確認をしてから改めて演説に耳を傾ける。どうやらいい加減終わったようだ。この後、再びあの化け物と巡り合うことになる。

 

「では――――行くぞ」

 

小さな合図とは裏腹に雄叫びを発して陣が展開される。俺とアリシアは真っ先にボスへ突っ込んでいき、俺は『10秒後にソードスキル』と合図を出してから突進技《ソニックリープ》を始動させた。出会い頭の一撃(ファースト・ヒット)には必ずディレイが起こるためそれを逃さずコネクト。《クルーシフィクション》、《カーネージ・アライアンス》、《ヴァルキュリー・ナイツ》、《ヴォルテージ・ダンス》、《リニア―》。

 

キメラが仰け反った瞬間にアリシアが飛び出し、カタナ三連《緋扇》を発動。ここまでやってもまだHPは全くと言っていいほど減っていない。スキル後硬直に陥る俺らに凶爪が襲い掛かるが、タンク隊が三人がかりでそれを止める。その間にアタッカー隊のいくつかが横から攻撃。その攻撃が終わる前に俺たちはボスの目の前から離脱し、側面に回り込んで通常攻撃で追撃。俺ばかりにヘイトが集中しないようタンク隊が威嚇スキルで注意を分散させる。

 

「まあ、こんなもんか。後はタンクがどれくらい耐えてくれるかだな」

 

「ライヒさんのソードスキルでも全然減らないなんて……」

 

「今更だな。認めるのは癪だけどソラのスキルの方がまだしも効く……いや」

 

俺にできるのは精々陣形を整えるまでの時間稼ぎくらいだ。それが終わった今、どうやって動こうと自由になったわけだがここではイマイチ場所が悪い。

 

「アリシア、後ろに回るぞ」

 

「はい」

 

俺が見るべきは存在するはずのボスのウィークポイント。鑑定スキルでソラの刀を視せてもらったが、このあたりの層では確かにトップクラスの性能を持っているものの、当然俺の剣と比べればパラメータは低い。そんなソラが俺よりも高いダメージをあのキメラに対して叩き出せるというのはどうにも辻褄が合わない。ユニークスキルの恩恵を鑑みても、なにか引っかかるものを感じずにはいられない。

 

俺の推測の裏付けとして、現状のソラの攻撃はあの時ほどの威力はない。寧ろ俺のほうがダメージは高いくらいだ。つまり、このボスには何かしら大ダメージを与えられる条件があるはず。俺も空も事実上初見ではないのに、ソラだけが条件を満たすことができていたのは何故か。今一度ソラの様子を観察するも、ダメージ量は変わらない。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「まさか、剣が弱点を自動的に突いてたなんて言うなよ……」

 

ソラに神か何かの加護が本当にあるとして、それが剣術を極める助けになるものだとするならば、弱点を見抜く技術が完全に無意識に備わっているという線もある。

 

故に、それを逆手に取れば弱点の発見は容易い……はず。

 

問題はどうやって弱点発見器に働いてもらえるかだが、ソラは今のところ弱点はないと思い込んでいるためこのまま見ていても期待は出来ない。偵察を何度も繰り返した結果なので仕方がないが、ゲーマーたるものいかに最速でボスを倒せるかくらいは常に考えておいてほしいものだ。

 

「ライヒさん、スイッチの準備を!」

 

「了解――――今だ、出るぞ」

 

タンク隊の完璧なガードによって一瞬固まるキメラに向かって全力で駆け出す。

 

「「スイッチ!」」

 

アリシアに先行させ《旋車》が発動している間にバトルスキルをかけておく。

 

「《ライトニングアタック》、《ブラッディピーク》、《ラストリゾート》、《リインフォーサー》」

 

肉質の柔らかい腹部を狙うことで少しでもダメージを入れようと試みるが、ほとんど変わらない。一通り斬り込むと一旦下がるべくスイッチ用意の合図を後方に出す。ちらと後ろを振り返ると、そこにはソラがいる。ああそうだ、ちょっといいことを思いついた。

 

スイッチを行い交錯する瞬間に、ソラの耳元に囁いた。

 

()()()()()()()

 

ソラは一瞬俺の方を訝しげに見たがすぐに敵へと注意を向ける。そしてボスとすれ違うようにして放った一撃は俺の読み通り派手なクリティカル・エフェクトとともに、通常攻撃であるため大した量ではないが、確実に視認できるほどにボスのHPを削った。

 

そして肝心の弱点部位は、今までただのテクスチャだとばかり思っていた()()()。言われてみれば納得だ。無理やりくっつけたモノならその継ぎ目は確かに脆い。そして今度こそ攻勢に出るべく俺は声を張り上げた。

 

「攻撃する奴は()()()()()()! そこがクリティカル・ポイントだ!」

 

それを聞いたアスナさんは一瞬にしてボスの懐にまで潜り込むと、細剣技《オーバー・ラジェーション》を脇腹の縫い目に叩き込んだ。シャガラガラのHPの一段目が()()()()()()()()する。この勝負はもはや勝ったも同然。後はタンク隊と連携して隙を的確に突けばいいだけ。アスナさん自らが実証したことで俺の説に異を唱える者は一人もいない。流石はファンクラブ持ちの人気者である。

 

シャガラガラの腕振り下ろしをタンクがしっかりガードして、アタッカーは縫い目を狙って次々にソードスキルを発動させる。ボス戦開始から二時間。ようやく三段ゲージの一段目を削りきることに成功した。この時点で既に通常ならあり得ない時間がかかっているが、ここから先は殆ど手間をかけずに――――

 

「SHAAAAAGAAALAAAAAAAAA」

 

ボスが全身全霊で吼え、同時に思いきり床を踏みつけた。振動が広大なボス部屋全体に響く。そして――――

 

――――二本の巨大な石柱が頭上から落下してきた。

 

「――は?」

 

シャガラガラは床に転がった()()を無造作に掴み上げると、一瞬だけ口に狂気を孕んだ笑みを浮かべて、それを滅茶苦茶な動きで振り回し始めた。

 

()()()()()()。コイツのパラメータでこんなことをされては近づくことも出来なくなる。よしんば接近できても弱点を狙うどころかソードスキルを発動させる間もなく石柱に潰される。アバターが一定以上の力で一定以上の面積の物体に圧迫されれば即死してしまう。非常に微妙なところだが、あの石柱は条件を満たしているに違いない。

 

幸か不幸か部屋の中心から動かないようだが、俺たちも下手には動けない。

 

だがまだ勝ち筋が消えたわけではない。目線だけでソラを探すと、運のいいことに隣に居た。近づき話しかける。

 

「おい、今こそアレの出番じゃないのか」

 

ソラは答えない。

 

「聞いてるんだろ。この状況でお前の小さなプライドに拘ってる暇はない」

 

答えない。

 

「いい加減に――」

 

「それは出来ない!」

 

それはただの意地のようにも聞こえたが、何よりも怯えが色濃く含まれていた。思わず押し黙ってしまう。

 

「俺は、俺には出来ない……っ。攻略組全員の恨みなんて、俺一人で背負えるわけがないだろ!」

 

背負わされてきた俺からすれば、仲間にも力にも恵まれている分そっちのほうが軽い。俺と比べてしまえばあまりにも軽すぎる。

 

「じゃあ大事な仲間にも背負ってもらえばいい」

 

「そんなのは嫌だ!」

 

「じゃあどうするんだ? 入り口も塞がれたみたいだし、転移結晶も使えなくなってる。お前の大事なものとやらがあれにペチャンコにされるのも時間の問題だと思うけどな」

 

どれだけ崇高な意思を持っていようが、それを捨てるしかない状況になればそんなものはただの妄想に成り下がる。俺が嫌というほどSAOで学んできたこと。今更ながら他人に押し付けるのはどうかと思う。

 

「なあ、お前なら……」

 

「俺なら、なんだよ」

 

「ライヒ。お前なら、この状況をどうする。お前だって同じだろ? お前にも()()あるはずだ。全部ひっくり返せる何かを持っているはずだ」

 

「まあ、ねえ……」

 

シャガラガラは未だに大暴れしている。恐らくゲージの二段目を削りきるまで止まらないの。それを確認してから、仕方なく提案する。

 

「――いいよ。何とかしてやる」

 

「……出来るのか」

 

「まあ、ね。でも、()()()()()()()羽目になる。お前は俺を犠牲にするって知りながら自分の都合を優先させることになるけど……()()()()()()()?」

 

罪悪感で常夜(とこよ)の闇に飲まれる覚悟はいいか。もし罪悪感の欠片も持ち合わせていないなら、お前は自分がどういう人間なのか思い知ることになる。そう聞いたつもりだ。だがソラはそれを承知で、自分の大事なものを選んだ。唇をわななかせながら、掠れた声で言う。

 

「頼む。俺たちを、助けてくれないか」

 

散々偉そうに言ってはいたが、この答えはほとんど予想していた。

 

「ま、メシ代くらいは働きますか……」

 

「待ってください」

 

俺を引き留めたのはアリシアだ。多分全て聞いていたのだろう。

 

「もう少し待ちましょう。そうすればパターンが変わるかもしれません」

 

「それはないな」

 

「なんでそう言い切れるんですか! ライヒさんはきっと全部知ってて……自分を犠牲にすればいいって思っているんでしょう! そんなのはダメです、ですよね先輩!」

 

「アリシア……俺は」

 

「はあ……こんなとこでケンカするなよ。大丈夫だから。別に死にはしないから。ただ、ちょっと()()()()()だけだから。それなら誰も()()()()()()()()だろ?」

 

我ながらひどい嘘だ。正直、俺の持ちうる全てを使えば生存率は二回に一回くらい。カーディナルは本当にちゃっかりしている。まさか俺のデータも取ろうとするなんて予想外だった。だとすれば、ここは俺でないと突破できない。

 

これ以上議論を重ねてもボスは倒せない。だから、必ず帰るからというメッセージを込めて、少し笑ってピースサインをして見せた。ユウキが得意になるとよくやっていたポーズだ。ソラの目が一瞬見開かれる。俺の中に一体何を見たのだろうか。

 

「じゃあ、後のことは任せた」

 

乱れたマフラーを整える。そして片手剣・細剣を抜くや否や、全力で駆け出す。接近する俺に気が付いたボスは俺を集中的に狙って石柱を振り下ろしてくるが、それを大きく跳んで回避し続ける。あと10歩、7歩、2歩。

 

そしてあと1歩。俺は異双流スキル《アート・オブ・デザイア》を発動させた。濃桃色(ディープ・ピンク)のライトエフェクトが全身を包み込む。知覚できる全ての動きが止まって見える。視界は紅く弾けて、体中が今にも爆発しそうだ。

 

極限の世界の中で俺は全力で地面を蹴り、首筋の縫合跡を切り裂きながら一直線にすっ飛ぶ。そして()()()と思うタイミングで両足を綺麗に揃え、()()()()()()。今度は二の腕の弱点。そして着地せずに再度空中を蹴って脇を攻撃しつつ後方へ抜ける。

 

「アァァアアアアアァァァッッ!!」

 

脳に走る凄まじい痛みを絶叫で誤魔化して攻撃を続ける。斬って蹴って斬って蹴って斬って――――。

 

残り12秒、9秒、6秒。

 

ピンボールのようにシャガラガラの周りを飛び回りつつも観察は怠らない。そして、残り5秒で、ようやく見つけた。最もダメージ倍率の高い部位。頭頂部に存在するヒビ。

 

垂直に空気を蹴って頭頂部にまで達すると、俺は剣を両方とも投げ捨てて両の拳を構えた。そして。

 

()()()

 

全力で拳を叩きつける。最大速度、秒間20発。

 

――――俺の余力全てをつぎ込んででも削ってみせる。

 

4、3、2、1――――0。

 

そして二段目のゲージは残り1ドット。ここで時間切れになるが、問題ない。鉤爪のように折り曲げた右腕に新たな光が宿る。()()()()()()()、体術《龍爪》。

 

頭部の亀裂に深々と突き刺さった腕は二段目のHPゲージを全て吹き飛ばし、三段目にほんの少し食い込ませたところで力を失った。次の瞬間、ボス特有の波状攻撃をまともに食らって俺はボス部屋の壁まで吹き飛び、そのまま床に落下した。スタンに、落下ダメージ。しかしそれを認識する余裕すらすでに失われていた。とにかく頭が痛い。脳を直接ぐちゃぐちゃにされているような、気持ち悪さ。吐きそうなのに吐けない苦しみ。死んだほうがまだましと思えるほどの圧倒的苦痛に見舞われた俺は立ち上がることも出来ずにただ這いつくばっているほかない。

 

辛うじて見えるのは、シャガラガラが石柱を捨てて脱皮している様子だった。新たに翼を背中に宿したその姿はまさしく悪魔のそれだ。

 

ソラ達が駆け寄ってくる。

 

「ライヒ……。お前」

 

痛みは引かない。それでも何とか呼吸を整える。だが何度返事をしようとしても声が全く出てこない。受けすぎたヘイトは他の攻略組が総動員で分散させているが、全く足りない。脱皮が終了して、動くこともままならない俺が狙われるのは時間の問題だ。震える指を動かして離れろと伝える。伝えたのだが。

 

「バカ言え、後を頼んだのはお前じゃないか。少し休んでいろ。あの翼は、俺が堕とす」

 

俺はアリシアに付き添われながら床に横たわる。木製のせいなのか寝心地は多少いい。吐き気はだいぶ収まったが頭痛だけは全くよくならない。まあ、《アート・オブ・デザイア》はただでさえ尋常じゃない集中力を必要とする上に()()()()()である『虚空蹴り』まで使ったのだ。死んでいてもおかしくないのだから生きているだけ儲けものだ。

 

「ライヒさん、大丈夫ですか?」

 

「大丈夫な、わけ、ある、かよ」

 

言葉が途切れ途切れにしか出て来ない。犠牲とか大げさな言葉を吐いていながらこのザマだ。ソラを始めとしてアリシアでさえも俺に呆れ果てていることだろう。

 

「それに、お前なら、この状況が、どうにもならないことくらい、分かってただろ。何で、止めた?」

 

アリシアはバツの悪そうな表情をすると、俺の質問に正直に答えてくれた。

 

「そうですね……。きっと罪滅ぼしのつもりなのかもしれません」

 

「罪?」

 

「私にとってソラ先輩は世界一大好きな人で、アリス様は世界一尊敬する人です。だからその二人が結ばれたなら、それは世界一嬉しいことのはずなんです。そうじゃなきゃ、いけないんです」

 

「へえ……なんとなく、分かった」

 

「ええ、きっとライヒさんの考えている通りですね。はっきり言ってあのお二人がくっついているのを見るのは辛いです。毎日毎日胸が引き裂かれるような思いで二人のお傍にいます。でも、そんな感情は私には求められていないから。私の思いは絶対に届かないから、私は都合よくライヒさんを好きになろうとしました」

 

感情のすり替え。これは俺にも覚えがある。師匠に裏切られたことへの圧倒的憤怒は、しかし本音では師匠にそんな感情を向けたくはなく、結果的に俺をPKKへと駆り立てた。そして、アリシアにも罪があるのだとすれば俺にも当然ある。俺は、()()()()()()()()()()()()。この世界の住人が皆殺しになろうとどうでもいい。ただ命令通りにソラというプレイヤーを観察するためだけの存在なのだから。だからうまくソラの同情を引けたときは、達成感に生を実感したほどだ。

 

でも。

 

俺は、最後の最後まで冷酷に徹せられるほど強くはない。弱いから、せめてもの慈悲を乞おうと思う。

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

ホロウエリアからの援助で頭痛が和らぐ。これなら何とか立てる。

 

「なあアリシア」

 

「はい」

 

「俺ってさ。特定の誰かのために戦うのって出来ないんだ。いつも知らない誰かに期待して、勝手に失望してる。でも、一人だけ例外がいたんだよ」

 

「レインさん、ですか」

 

「ああ。だから……今だけでいいからその代わりになってくれないか?」

 

返事は目線で事足りた。そして今一度剣を握りなおしす。ソラ達はすでに戦闘を再開している。見たところ、ほぼ一撃で翼を切り落としたらしい。いや待て。このゲームの中で物理法則を使って部位破壊だと? 何のチートだ? いくら何でもここの攻略組の観察力が無さすぎる。

 

「行くぞ」

 

「サイドは任せてください」

 

二人同時に駆ける。今にも地面すら抉ろうとする神速の拳を片手剣で横に受け流し、スイッチ。アリシアの《絶空》がヒットすると、三段ゲージの二十分の一ほどが削れる。速度が二倍になった代わりに耐久力が激減したというところだろうか。

 

「ライヒ……もう、大丈夫なのか?」

 

「異双を使えるほど集中力は残ってないけど……まあ、やれる」

 

「無理はするなよ」

 

そういって飛び出していくソラを追う。そして残念ながら無理しないと戦えない。思うようにスピードを出して走れない、が。今回に限ってそれが功を奏した。ソラがこちらを気にしすぎたせいか、爪振り下ろしをガードし損ねる。異様な音を立てて刀と爪が激突した。爪が刀の脆弱部を叩いた音だろう。刀が破壊されソラが無防備になる。追撃が来る。振り下ろしの二撃目。

 

一部始終を見ていた俺は、ソラの後方から片手剣ソードスキル《ファントム・レイヴ》を発動させた。初撃は上段下段任意の突進。上段を選択した俺はソラとの距離を一瞬にして詰めると、左手でソラを突き飛ばして爪を迎え撃った。高速の六連撃が爪を破壊する。シャガラガラが少しだけ後退した。

 

「おい、大丈夫か」

 

「ダメージはない、けど、武器が……な」

 

「えーっと……あれだ。召喚すれば?」

 

「残念だけど耐久値はオリジナルの半分未満になるんだよな……こっそりやるにしても限度がある」

 

「あーもう、わかったわかった。特別だ、これ使え」

 

心底呆れながらも俺の『恋紫+50』を投げ渡す。あいつの武器とタメを張れるとソラ自身が言っていたのだから多分問題ない。使い心地にまでは責任持てないけど、まあ何とかなる。

 

さて、敵の残HPは三段目の半分ほど。多分、次の攻撃で決着がつく。俺らを含めて攻略組はすっかり疲弊していて、これ以上戦わせてうっかりミスを招く訳にもいかない。だから。

 

「なあソラ、二人で行こうぜ。一回敗走した借りを返してなかったし」

 

「奇遇だな。俺も同じことを思ってたよ」

 

アイコンタクトを交わして、合図する。

 

「ソラ、噛み付き来るから俺が受ける」

 

「分かった」

 

襲い来る咢を《ホリゾンタル・スクエア》で迎撃する。両方がノックバックしたところをソラが追撃。カタナスキル五連撃《東雲》。重ねるように俺が追撃、短剣・体術複合スキル《シャドウ・ステッチ》。

 

お互い至近距離でソードスキルを放っているというのに、間違って当てることはない。まるで長年共にに戦ってきたかのような錯覚すら覚えるほどに。

 

「次で決めるぞ。併せろよライヒ」

 

「勘弁してくれ――よっと」

 

ソラは右から、俺は左から。互いに今出せる全力を放とうと構えをとる。

 

片手剣六連撃ソードスキル《ファントム・レイヴ》

カタナ五連撃ソードスキル《散華》

 

計11連撃の猛攻が吸い込まれるようにしてシャガラガラにヒットする。そして凶悪なキメラはその動きを停止させ、一瞬だけ収縮して爆散した。

 

c()o()n()g()r()a()t()u()l()a()t()i()o()n()

 

歓声が上がる。場が沸き立つ。ようやく終わったのだと理解すると同時に、視界が薄れていく。技の副作用かと思ったがこれは違う。俺は0と1のコードでできたベールに包まれていた。元の世界のホロウ・エリアに呼び戻されているようだ。

 

「意外と早かったけど……サヨナラかな」

 

「なあ、もう少し居られないのか? 一晩とは言わない。せめて一時間くらいなら」

 

「無理だな。別にここに来たのも返されるのも俺の意思じゃないし。まあ、飯代くらいは働いたってことで勘弁してくれると助かる、かな」

 

まあ、蓄積データをありったけ抜き取られてから記憶を消されるオチだろうが、特に恐怖はない。俺はそのようにプログラミングされているから。ホロウというコードネームのA()I()の中の一個体に過ぎない。そんな俺がここまでやれたのだから思い残すことはない。あとはただオリジナルの生存を祈るばかりだ。

 

残念ながら別れの言葉を長々と話している余裕はない。あと一つだけ、思い残しがある。

 

「アリシア、時間がないから手短に言う。お前のおかげで俺はここで多少は頑張れた。師匠の真似事だけど……それなりに楽しかった」

 

「私も、です。貴方のおかげで、私もまだまだだって分かって……教えてもらったことは忘れません」

 

「そっか。じゃあ、置き土産を残すとしますか……」

 

クイックチェンジでソラがまだ持っている恋紫を取り返すと、アリシアに鞘ごと投げ渡した。

 

「この刀は……?」

 

「固有銘は『恋紫』。まあ、俺はもう使わないし、あげるよ。うまく使えばきっと役に立つ」

 

もう前が見えない。感覚も残っていない。最後の最後に、俺は何とか声を絞り出した。

 

「楽しかったよ。いつかまた、戦ろう」

 

 

 

***

 

 

 

消えることを覚悟していた。でも、感覚がある。仄かに花の香りがする。噴水だろうか? どこかから水音が聞こえる。硬くひんやりとしたタイルか何かの上に寝そべっているのが分かる。

 

「庭、なのか?」

 

インスタンスマップをタッチして現在位置を確かめる。()()()()()()()

 

「そうか、これが報酬かよ」

 

二度とここから外には出られないが、その代わり楽園での安寧を与えられる。さしずめ天国といったところか。あるいは、ただオリジナルと遭遇しないための措置。振り返ると大きなダンジョンの入り口が目に飛び込んできた。

 

「なるほど。確かにこれなら殺しあわずに済むよな――」

 

しかし、俺は疲れを癒すために、目を閉じた。ほんの少しだけ、長い長い、眠りの旅に逝く。いつか、()()()()()()()まで。

 

 

 

***

 

 

 

「ライヒくん。そろそろ起きなよ」

 

「う……ん?」

 

レインの声がして、ゆっくりと目を開けた。首が少し持ち上がっているのはレインの膝枕だろうか。柔らかくて、落ち着く感触。

 

「あれ? 俺、なんでここに――」

 

「あたしが聞きたいよ……。前夜祭が始まるから呼びに行こうとしたら、こんなところでグースカ寝てるんだもん」

 

「前夜祭、あー……今日だっけ。どうしようか。演説考えてないんだよな……」

 

「そんなの適当でいいよ。さ、早くいこ?」

 

転移門に入る前に少し振り返ってみる。気のせいか、長い長い夢を見ていた気がするのだけど、よくわからない。思ったより疲労が溜まっていたのかもしれない。だがもう少し。最後の決戦に挑むために。俺はもう少しだけ頑張ろうと思う。

 

ただ、生きる。今も昔もそれだけのために。

 

 





 そういうわけでコラボ編、完結です。今回めっちゃ書きました。最高記録です。それはともかく、まずは快くコラボを引き受けてくださったジャンヌ・オルタ様に感謝申し上げます。お忙しい中本当にありがとうございました! また何かの機会にやりましょう!
 
 それではここからは私事を。コラボ編を書くにあたって一番意識したのは、曖昧な異双流の設定をしっかりさせる。ホロウ・ライヒの心情。この二つです。だから何だという話ですが、まあこの設定が後々役立つかもしれない……しないかもです。私も高3になりましてますます忙しくなっており一年以上は執筆が滞るかもですが……感想いただけたら勉強そっちのけで書くかもですが……そういうわけです。本当に申し訳ありません。それではまた逢う日までということで。


感想その他お待ちしております。


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ALO:Fairy's Drop
Fluct



 幾度も流れ星を見た。蒼い軌跡は果たして、どこに存在したのだろう。





 

 

 目覚まし時計できっかり決めた時間に目を覚ました。わざわざ家族が起きてくる時間よりも三十分ほど早い時間に起床して何をするのかと言えば、朝の運動だ。軽くストレッチ、その後にランニング。たったこれだけのことだが例のVRゲームをクリアしてから日も浅かった俺は、始めたころは二キロを走破するだけで体が動かなくなるほど弱かったのだ。

 

 日常生活を問題なく行える程度にはリハビリを終えているが、それでもすぐには体を巧く動かせなかった。最近創設されたらしい『仮想課』の菊岡さん曰く、一種の『後遺症』だという。

 

 しかし、それはあくまで()()の問題であって、永久的な障害ではないと診断結果が出ている。そこで俺は日々のストレスたりえる体の不調を治すべく、毎日欠かさず体を動かしていた。

 

「ひぃぃ……。ひぃ……。うえっ、ゲホッ」

 

 昨日よりもう少し走った辺りで限界を迎えてへたりこむ。体はまるで電気ストーブのように熱く、脚は絶え間なく震えている。これが冬で本当によかった。これが夏だったらどんな有様だったのだろうか。

 

 この調子なら、春から新設される特別学校に通うまでには目標を達成できそうだ。目標は大きく十キロ走破。いやまあ、俺のコンディションで十キロ走破って結構頑張らないとできませんからね?

 

「今日は……やっと五キロ走れた!」

 

 時間はかかる。途中で何回か歩いたこともある。やはり走破と言うにはいささか語弊があるかもしれないが、それでも昨日はここまで来れなかったのだ。走破と言うよりは、進歩。自分の成した結果に満足すると、どっこいしょと口に出しながら立ち上がった。

 

 さっさと帰ろう。今日の朝ご飯は詩歌が作るそうだ。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「ただいま~」

 

 間延びした挨拶をしつつリビングに向かうと、妹の詩歌が鼻歌を歌いながらベーコンエッグの乗った皿をテーブルに並べていた。

 

「あ、兄さん。おかえりなさい」

「ん、手伝えなくて悪いな。今からでも出来ることある?」

「兄さんは座っててください。体調がもどったら一緒にお料理も出来ますから」

 

 顔よし、気立てよし、成績よし。それが自慢の妹詩歌なのだ。同じ腹から生まれたというのに、どうしてこうも素晴らしい人間に育ったのだろうか。母さんは不公平だと思う。母さん関係ないけども。

 

 どういうわけか俺の生活を助けてくれるのはもっぱら詩歌だ。両親が共働きと言うのもあるが、イマドキの女子なら兄を毛嫌いしていてもなんら不思議なことは無いというのに。情けない半面、俺自身とても嬉しいと思っている。

 

 元々仲が悪かったわけでもなかった筈だが、SAO以前よりも話す機会は増えた気がする。父さんも母さんも口をそろえて、詩歌が一番心配していたと言っていたが果たしてどうなのか。

 

 二人でいただきますの挨拶をしてから、味噌汁をすすった。立ち上る湯気、香り。どれもこれも生きていることを実感させてくれる。

 

「どうですか兄さん。美味しいですか?」

「うん美味い。文句のつけようもありません。……てかさー、いっつも思うんだけどさー。なんでお前俺の妹なの? 俺ってば恵まれ過ぎてない? てか俺と出来が違いすぎません?」

「そんなことないです。兄さんもいいところはたくさんあります。寧ろ、私が見習うべきところが多いくらいです」

「俺みたいないじめられっ子に育っちゃ駄目だぞ~。詩歌が今のように素直で優しくいてくれたら、俺も嬉しい」

「兄さんてば自分を卑下しすぎです。あっ、そう言えば菊岡さんから電話がありましたよ」

「へえ……、なんだろ。もう検査もあらかた終わったはずだけどな」

 

 特別支援学校への仲介など病院にいる間にかなりお世話になった人だが、それが終わればもう関わることは無いと思っていた。今更俺に何の用事だろうか。事後処理で様子を見に来るだけか?

 

「どうやらバイトのお誘いのようです。社会復帰のためにもぜひ一度話がしたいとか……。お昼前にはお見えになるそうです」

「うーん……まあ話を聞いて決めればいいか。俺も今や社会的弱者だからな、学校に通いだしてバイトしようと思ってもなかなか出来ないだろうし。ある意味ありがたいお話だ」

 

詩歌は心配そうにこちらを見たが、すぐに表情を綻ばせて言った。

 

「兄さんがそう言うのなら。また、目に星が流れてましたし」

「マジで?」

「マジです」

 

 最近家族に言われる事で、俺が何かしらワクワクしたり――要は楽しみな状況にいると目に星が流れるのだと。俺としては全く意味がわからないが、そう言うこともあるのだろうと適当に飲み込んで解釈している。

 

 俺には見えたことがないからなおさらそうするしかない。嘘をつくと視線が泳ぐだとかいうのと同じで、どうせ俺にも癖があって、光の加減とかなんとかでそう見えるだけのことだろう。

 

 その後も適当なおしゃべりを続けていると、呼び鈴が鳴った。

 

「あっ、片づけしないとヤバいな」

「私がやっておきますから。どうぞ客間で」

 

 ありがとうとお礼を言ってから玄関に向かう。扉を開くと、来ていたのはやはり菊岡さんだった。

 

「朝早くからすまないね。妹さんから聞いていたりするかい?」

「ええ。とりあえず立ち話もなんですから中にどうぞ」

「ありがとう。しかし大きい家だねえ、一体いつ建てたんだい?」

「俺もそこまでは。でも言われてみれば広いですよね、俺言うのもどうかとは思いますが」

 

 客間に案内して、ソファを勧める。エアコンを入れつつ早速話を切り出すことにした。

 

「それで要件は何でしょうか。確かバイトがどうとか」

「その事なんだけどね、取り合えず前提の確認からしてみようか。君はSAO生還者たちが社会でどんな待遇を受けているか知っているかい?」

「そうですね……社会問題になっているとか。年齢で言えば学生が大半でしょうけど社会人は相次いで辞めさせられて、行き場を失った方の中には自ら命を絶つ方もいるそうで」

「そうだとも。僕たち仮想課も被害者のために社会復帰活動を支援してはいるんだが……そこに使える人手も予算もロクに回ってこない」

「でしょうね。社会問題とは言ってもほんの一部の人間のために手厚いサービスはしていられない。仮に予算を回すならフルダイブによる医療発達とか、そういうのに回そうと思うのが普通でしょう」

「へえ、中々に状況を理解してるじゃないか」

「新聞くらいはしっかり目を通すようにしているので。それよりなんで今の話の流れがバイトに繋がるんですか」

「まあ待ってくれよ。そうだね……、社会の目とは逆にSAO生還者のアドバンテージが何なのかを考えたことはあるかい?」

「何って……豊富なフルダイブ経験とか」

「そう! それだよ! 君たち、特に若者に期待されているのはフルダイブ技術分野での活躍だ。今や社会では急速にフルダイブ技術が発達し、一般家庭にまで普及するようになった。この意味が分かるかい?」

「なるほどです。従来の機械とは全く違う世界でしょうからね。フルダイブ技術者がフルダイブに適さない人間ということもままあるでしょう。つまり、長時間のフルダイブが可能な俺たちは臨床実験をしてもらうには都合がいいと」

「それだけじゃないさ。例えば、仮想世界にも秩序が必要だ。仮想警備員なんていう新しい職業も実際に法律で定められる予定なんだ。それには現実世界とはまた別のスキルが必要になってくるだろう?」

「そうは言いますけどね。不適合者なんてそんなにいないですよ。やろうと思えば誰にだって出来る、違いますか? 実際どこぞの稀代の天才科学者が自動調整機能をすでに実装してるじゃないですか」

「そうだとも。でもね、()()()()()()()()()()()()()()。これが現実なんだ」

「そう、なんですか?」

「よく考えてみてくれ。SAO事件では四千人がすでに死んでいる――つまり世間では未だフルダイブは危険なものであるという印象が強いんだ。そこで僕たち仮想課はフルダイブ機器を検査したり監視したりしているんだが、課の中にも実際にフルダイブをしようなんて人は僕くらいだろうね。それでもゲームなんかは大人気なんだけど……実験台になりたいなんて普通は思わないさ」

「つまりバイトっていうのは?」

「新しいフルダイブマシンのテスターになってもらいたい。といってもそんな難しいことはないさ。君の得意なネットゲームで遊んでくれさえすればそれでいい。――簡単なことだろう?」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「そんな危ないこと、私は反対です!」

 

 早々に言われてしまった。言いたいことは分かるのだがここまで強固に反対されるとは思っていなかった。確かに俺自身VRMMOというゲームジャンルに飽きている。二年も同じゲームを続けられたのは異常事態だったからだ。

 

 専門の施設で常にバイタルチェック等をするにしても危険なものは危険だ。だがしかし、しかし、だ。

 

 給料が余りにも好待遇すぎる。家族に迷惑をかけたあげく棒に振った二年間を償い、これからの俺の事を考えるためには多少なりともお金が必要だ。

 

「でもな、世話になった分何かで役に立つならそれがいいと思うんだよ。それにこれからの社会においても意義のあることだし、危険はほとんどないって説明があったろ?」

「そんなの駄目です! まだ完全に体調が戻ったわけでもないのに……。また向こうに閉じ込められたらどうするんですか!」

「いや実際に何万人単位でプレイされてるゲームだぞ? それこそSAOの比じゃない。いざとなったら強制的に運営がログアウトさせてくれる」

「私も説明を聞いて色々と調べたので最低限の安全が確保されているのは知っています。ですが、()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 言葉に詰まってしまった。どうしても言い返す言葉が見つからない。なぜなら、向こうの世界とはまるっきり違うからだ。

 

 かつて犠牲となることを強要されていた時とは違う。身を案じてくれている。犠牲となることを認めないでいてくれる。支えようとしてくれる。

 

 だから、そんな人を裏切る気持ちにはどうしてもなれない。

 

 家族は勿論のこと、菊岡さんにも恩を感じている以上俺には裏切れない。そういう性分なのだから仕方がない。

 

 それに、本当にVRMMOから離れてしまえば()()との再会が叶わぬものになってしまうという恐れが確かにある。VRMMOという共有できる世界にいることが出来さえすればいつか会えると淡い期待を未だに抱いている。

 

「ごめん。でもやる」

「どうしてっ……!」

「どうしても、やるんだ」

「お金ですか、それとも私が嫌いだからですか」

「前者は否定できないけど……。俺は父さんも母さんも、詩歌にも感謝してるんだ。でも、菊岡さんにも散々世話になった。俺にはどっちも裏切れないよ。俺が被験者になれば父さんと母さんの助けになるし、社会にも貢献出来るんだ」

 

 詩歌は黙る。頭がいいこいつは当然俺の言わんとすることを、恐らく言っていない事すらも理解してくれているだろう。それでも反対してくれるのは純粋に詩歌が俺のことを心配してくれているからだ。

 

「それ、私には全然報いてくれてないじゃないですか」

 

 くすり、と困ったように笑いながら詩歌は言った。

 

「いやまあ……一番の問題はそれであってだね。どうすりゃいいものかと考えてはいるんだけどな?」

「もういいです。私が何を言っても仕方ないでしょうから。だから、ちゃんと十キロ走れるようにはなってください」

「それについては続けるぞ? あくまでバイトなんだから毎日行くわけじゃないし」

「それじゃあ、一緒にお料理してください」

「えっと……それでいいの? なんかこう、奢るとかじゃなくて?」

「バイト代が出るのですから、当然兄さんならそれくらいお願いしなくてもやってくれますよね?」

「え、あ、うん。それはもちろん……」

「ですから。無事なら全部出来るようになるでしょう? 私については後払いで構いません。――そ、の、か、わ、り」

「その代わり……何でしょう」

「もっともっと。お願い、させてくださいね?」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 それからしばらくして、俺はとある病院に来ていた。最新の施設を有した国内でも指折りの大病院で、俺は驚きの事実を知らされる。

 

「SAOのデータを引き継げる……と。俺の悲しみは何処に行った?」

「ははははは、要らない感情だったようだね。本当につい最近公開されたシステム――『ザ・シード連結帯(ネクサス)』と言ってね。連結帯のゲーム同士なら個人データを共有できるんだ。勿論ある程度の制限はあるけどね。まあ、ALOにおいてはSAOのステータスデータをそのまま使うことができるからご心配なく。アバターの外見とかは一から再構成されるし、おまけにアイテムも引き継げないけどね」

「なるほど……。二年間進歩してたってわけですか」

「そのとおりさ。SAOとは違ってwikiなんかもあるけど、確認はしなくていいのかい?」

「すでに確認済みです。ゲームは下調べが重要ですから」

「そうか――引き継ぎ設定は入ってすぐのメニューにある。検討を祈るよ」

 

 被検体服に着替えてでジェルベッドに横たわり、『アミュスフィアⅡ』なる最新機種を頭から被る。電源を入れて準備完了のランプが点灯すると、俺は久しぶりにあの言葉を発した。俺を新世界に誘う呪いの言葉。

 

「リンク・スタート」

 

 

 

***

 

 

 

 一言でいえば、俺のアバターは闇妖精(インプ)としては普通である。黒と紫のグラデーションを描く髪の毛。顔立ちに関しては現実とさほど変わらず。前種族共通のナガミミ。瞳の色は紫紺。

 

「ネットで見たけど……インプの領地ってやっぱ暗いな」

 

 ゆっくりと緊張していた手の平を解いた。どうやら適合はしているようだ。後は跳んだり跳ねたりつねったり。いや、確かこの世界のウリって『飛ぶ』だった、はず。主なPVとかプレイ動画は見て研究したが。色々やってみなければ解らない。

 

 とにかく一度やってみることにした。

 

 俺はインプ領地で最も高い塔から飛び降り、壮絶なダイブ死を遂げたのであった。例えばこれば森であったならば、草木がクッションとなって死には至らなかったらしい。後にこれはとある人から聞いた。

 

 

 

「えっ、あっ。俺、死んだ? 嘘だろこんなにあっさり?」

 

 俺は宙をふわふわと浮いている――俗に言う霊体化――ようで、歩こうとしても一歩も前に進まない。改めて色々と理解すると、自分がえらく恥ずかしく思えてきた。膝を抱えて復活(リスポーン)するまでの三十分を待つために心なしかいつもより淀んだ眼を前に向けた。

 

「あれ? コイツの顔いいじゃない! すごい、好み!」

「ちょっと領主! 唐突に逆ナンですか? てか俺らには見えませんし!」

「それよりホラ! アレ、出しなさいよ。()よ、早く!」

「領主館にツケときますからね……」

 

 何か神秘的な輝きを放つ液体を、現在の俺を表す残り火(リメインライト)に振りかけるインプの男性プレイヤー。すると――

 

「お、おお……復活とかするんだな」

 

 感心するのも束の間、恩人の男性が耳に口を寄せてくる。

 

「(気をつけろよ。あの人滅多に人を選ばないが……見染められたら最後)」

 

――襤褸雑巾だ。

 

 その言葉の真の意味を理解する前に俺の腕が横に引っ張られ、体勢を崩していた。

 

「ねえ。ね~え~。今からワタシとお茶しない?」

「お茶って……。俺、今から飛ぶ練習をですね」

「あら、もしかしてALO初めて? じゃあワタシが手取り足取り教えてあげるわ」

「いや、その……えっと。インプ領主の《ミズチ》さんですよね? そんなお方が俺なんかに構ってていいんですか……なんて」

 

 はっきり言って、面倒だ。この類の人間に関わるとロクなことがない……なんかデジャブを感じる。似たようなヤツを知っている。行動の一つ一つ全てに嘘が混じっていた頃のレインにちょっとだけ似ている。

 

 今回に関しては本当に趣味で男漁りしてるという線もあるとは思うが。とにかく面倒事は避けたい。あくまで楽しくゲームするために余計なことを背負わないという事は大事なことだ。

 

「いいの~。だって、将来のインプへの投資だと思えば安いとは思うのよ」

「将来って……。まあ確かにインプって人数少ないですけど」

「ちーがーうーのー。アナタ、どっかからの引き継ぎでしょ? 筋力敏捷共にステータスの高さが以上。スキルに関してはほとんどがカンスト――いやどっかから、というか」

 

 先程の小悪魔じみた態度はどこへやら。ロリ体系の領主は俺をじっくりと観察しつつも冷静に分析を開始する。恐らくは識別スキルか、それに準ずるスキルで俺のステータスを参照しているのだろう。しかし一体どれだけの数のスキルを併用すればここまで詳細に解析できるのだろうか。

 

「アナタもしかして、元SAOプレイヤー!? うっそ、初めて見た! ねえねえ、領主官にスカウトするからここに留まってくれない? 最近レネゲイドも雇いづらくて困ってたの!」

「ええ? いやそんなのに任命されても困るし、観光とか自由に出来なくなるのはちょっと……」

「じゃあ、ワタシとパーティ組んで。一緒に観光行きましょ」

「はあ? ちょっ、何考えてるんですか! だって領主とか何とか」

「い、い、の! たかがゲームよ。マジでそんなことやってられないわ。たまには自由に遊ばないと領主なんてやってらんないの、ホラ! まずは飛ぶ練習から行くわよ~!」

 

 行かないでくださいこれからまた執務がとかなんとか悲鳴を上げるプレイヤーをよそに、俺をずいずいと引っ張っていくミズチ。正直なところ、俺も悪い気はしない。だってこんなにも楽しくゲームしようとしているヤツと友達になれそうなのだから。

 

 そして俺はこの日、飛ぶ練習と称した紐無しバンジーを十数回にわたって強要されたのであった。

 

 




 

 最新話はいかがでしたでしょうか。ALO編はまあ、色々カオスにしていこうと思っております。私の趣味全開で行きますので(シリアスもまぜたいっ!)どうかお付き合い頂けると幸いです。


感想その他お待ちしております


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Flow

どうか今はまだ、離れていてください。





 ALOプレイヤーの大勢は、未だにコントローラーを用いて空を飛んでいるという。随意飛行――己の意思で翼を操れるプレイヤーは領主を始めとした一部の強者のみ。故に、それは一流の証でもある。

 

それをたった三時間で他人に教え込み、習得させるなんて。ミズチはやはりトッププレイヤーの一角なのだ。

 

「いい? 意思で飛ぶのよ、意思。イメージじゃなくて、意思!」

「意味がわからない……。どう違うのか分からない……」

「じゃあアナタ、本気でイメージで飛べると思ってんの? だったら救いようのないバカね、バーカバー―カ」

「テメエ……、しまいにゃ殴るぞ? 俺にも堪忍袋があることを知れ?」

 

――教え方については『雑』の一言に尽きるが。

 

「いいから、意思で、飛ぶ!」

 

 よくわからない説教を受け、突き落とされる。これを何回繰り返しただろうか。スキルをカンストしておけばデスペナは免れるが、あんなロリにここまでひどい目にあわされているとなると精神衛生上非常によろしくない。いっそ、害悪ですらある。

 

「ちっくしょおォ!!」

 

 翼を出すところまでは何とかなった。問題は実際に羽ばたかせる事。どうしてもそれが出来ない、どうしても慣れない、どうしても理解できない。何をして、何を理解して……何を何して何とする? 俺は、今の今まで、何かを会得しようとしたら、どうしてきた? こんな時、どう、()()()()

 

 思い出すのはかつての師、その言葉、対する憎しみ、そして怒り。たとえそれが偽りの物であろうとも、俺を少なからず支えてきた感情だ。

 

――不器用で不器用で不器用な。

――君は所詮私の二番煎じ!

――壊して楽しい、直して嬉しい。

――鏡を割って他人の顔をぐちゃぐちゃにするみたいに!

――なのに《異双流》なんて。私の趣味が台無し!

――だから、改めて、私とキミの技の名を確認しようか!

 

 

 

――《一、五刀流》!

 

 

 

 肩甲骨よりも少し内側から延びる、仮想の筋肉を、作る造る創る、俺の体の、どこの筋肉を動かそうと飛べない、理屈理論理由を、知らないのだから無視して、実行する。

 

 瞬間的に閃く思考に身を任せる。久々の感覚だからすっかり忘れてしまっていた。関係ないものは関係ない。そう割り切って何事も身につけてきた二年弱の記憶を手繰り寄せては必死に再演する。

 

 ()()、はためかせる。

 

 

 

***

 

 

 

「三時間、ね。アナタはっきり言って才能あるわよ?」

「あれだけスパルタされたら誰でも出来るわ! もうやってられるか! 帰る、帰って寝る! ログアウトする!」

 

 駄々っ子のように喚きつつシステムウィンドウを開こうとするが、その前に腕を引かれてしまう。

 

「アナタ顔はいいけど、やっぱり初期装備だとダサすぎ。剣とか防具とか揃えに行くわよ!」

「店売り? だったら地道に素材集めてプレイヤーメイドとか……」

「アナタ、レプラコーン知ってるでしょ? 商人気質が多いから価格と質を身内でしょっちゅう競い合ってるのよ。その一環で自分を売り込みに各地を回ってるヤツも多いからデザインとか質とかを求めるならそこで買うの。 安心しなさい? コーディネートはワタシがしてあげるから」

「完全に人形扱いじゃんか……」

「当然よ。だからワタシの好みに仕立ててあげようとしてるの」

 

 清々しいまでに俺を人形だと言い切るミズチにジトっとした目線をやってから、諦めて従うことにする。まあ、成り行きとはいえ俺自身も割と楽しんでいる節があるのは自覚しているし、何よりALO初のフレンドだ。

 

 形は歪なれど仲良くプレイできているのだから、こういった役回りも新鮮でいいのかもしれない。ロリっ子に遊ばれているという事実には変わりないが。

 

 運がいいのか、悪いのか。ミズチは、どちらかといえば陰ながら見守ってくれる用心棒タイプのほうが連れていて楽しいとかなんとか。つまるところ付いていくなら勇者様に、連れ歩くなら下僕を、という男的には何とも不本意な女王様気質なのだ。いつかぎゃふんと言わせてやりたい。

 

 偶然だと言ってほしいが、さんざんショップを連れまわされた不幸極まる俺の出で立ちはSAO時代とさほど変わらなかった。インプである以上は紫色のラインが入っていたりはするが、それはそれで構わない。

 

 SAOには無かった仕様として同シリーズの装備を複数着用することでマジック効果が発生するなど勉強にもなった。

 

 これだけはとリクエストしたマフラー、《ブラック・ファー》もばっちり装備したところで、ようやくまともにALOへ来たという実感が湧いて来る。

 

「あの、なんで俺の装備なのにお金払ってくれるんです? 引継ぎ勢だからそれなりに金はあるんですけど……」

「何言ってんの? 人形の服を人形に買わせるわけないじゃない。領主を舐めないでちょうだい」

 

――……そうですか。

 

「次は武器ね。アナタのメインは……ん? そういえば何で無駄に武器スキルのカンストが多いの?」

「いやまあ、そういう戦い方をしてまして。単純にカンストされたスキル見てると興奮するといいますか、カンストが趣味といいますか」

「変な趣味ね。人それぞれだから文句までは言わないけど」

「俺がどんな格好しようと人それぞれでは」

「人形は黙る!」

 

 首根っこを掴まれてうぐ、と変な声が出てしまう。周りからクスクスと笑われてどうにもやるせない気分になってくる。あまりに恥ずかしいので顔だけでも隠そうとコートに付随したフードを被――脱がされた。

 

 そんなことをしているうちに主に武器を売るプレイヤーの集まる区域に足を踏み入れた。俺はやはり笑いの種と化してしまっているが、その反面ご主人様……もとい。ミズチは普段からそうなのかは知らないが、領主相応のカリスマで視線を集めていた。しかし、いくらナンパ相手とは言えども『豚、この豚』と連呼するのはやめていただいていいだろうか。冗談抜きのトーンで言っているのであまりに向こうがかわいそうだ。

 

 そんなこんなでこっそり隠蔽スキルで目線を逃れた俺は当初の目的通り武器を物色していた。しかし三件ほど見て回ってもなかなかしっくりくる武器が見つからない。軽いが攻撃が低すぎる、重いだけで芯がしっかりしていない、属性攻撃は高いがすぐに壊れそう。失礼だがここで俺が使うに値する剣は見つからないのではないか?

 

 いい加減諦めてとりあえず耐久力優先の武器で妥協しようかと考えたとき、突然怪しげな店の奥から声をかけられた。

 

「そこのお方、武器にお困りですか?」

 

ま るで占いの館のように怪しげな布で包まれたその屋台はどうにも入る勇気を削ぐようなもので、正直言葉を返そうか返すまいか迷った。ただ、こう言った怪しげな店に魅力を感じるのもまたゲーマー男子としては仕方がないもので。しばらく黙っていると再び奥から声が這ってくる。

 

「いえいえ、別に武器を見てくれとは言いません。どうやらお疲れのようですし、おしゃべりでもしませんか? お客も少ないので暇なんですよ。よかったらお茶とお菓子もお出しします」

 

 確かに怪しいが、しかしその怪しさが今の俺には唯一のオアシスに感じられたので。半ば救いを求めるようにして、俺はお茶とお菓子を頂くために入店した。

 

 

 

***

 

 

 

「それはそれは、大変でしたね。ですがインプ領主は人見知りとお聞きします。貴方も貴方でそんなお方と高度されるとはなかなか罪なお人なのでは?」

「確かに気に入られてるのはわかるけどさ~……。ゲーム開始直後にこんな苦労するなんて思います?」」

 

 出てくるのは愚痴ばかり。俺の鬱憤もあるが、何よりこの謎のローブの女性商人がとにかく話しやすい。聞くべきところはしっかりと聞き、絶妙なタイミングで相槌をしてくれる。ゆるゆるとした雰囲気の会話が今は何より心地よい。正直涙が出そうだ。

 

「俺は、この世界で何をすればいいんでしょうか」

 

 ぽつりと。自分でも意図していないような言葉が漏れる。どうして突然こんなことを? 馬鹿じゃないのか。よりにもよって他人に、まったくもって恥ずかしい。無視してくれていい。そう言おうとしたとき。それよりも早く謎の女性プレイヤーは言った。

 

「それでは、貴方はどうしてまたここ(仮想世界)に来たのですか?」

「それはまあ――暇だから?」

「いえ、その……そういう答えではなく。もっとシリアスな答えを頂けると」

「そう? じゃ、なんか……えっと……約束の人ともう一度出会うため?」

「なるほど。それは何とも深刻な動機ですね……」

「あの、自分の中で盛り上がってません? そういう導く系キャラやりたいだけになってません?」

「さて、なんのことでしょう? わたくしはしがない武器商人。そしてお客が来ないので貴方と同じく暇人です」

 

 これはもう認めるしかないのだろう。俺のALOライフは凄まじく面倒くさいものだ、と。でもまあ笑えるからいいとしよう。必要以上に重責もなく、自由に、のびのび、正直目的なんて要らないではないか。どこかの誰かさんみたいに手足を引っ張ってくれるお方もいることだ。そもそもゲームとはそういうものだ。

 

「あっ、アナタこんなところに居たのね! ワタシの目をすり抜けられたのは褒めてあげるけど……。下僕風情がいい度胸ね?」

「だってお前と一緒にいるといつまでたっても事が進まないし……」

「お前じゃない。『お嬢様』、でしょォ?」

「いやいや。いつそんな関係になったんスか。待った待った、ステイすてーい」

「こともあろうにワタシを犬扱い!? 流石にワタシも度し難い……」

 

 どんな膂力を発揮したのかミズチによって店の外にたたき出された俺。せっかく新調した装備が土埃まみれ……とは言っていられない。石畳にへたり込んだ俺の視界に現れたのはデュエル申請――しかも拒否権がない。

 

 おそらくは領主の権限を用いた断罪システムか何かだろう。とてもじゃないが未曽有の世界で最強の一角と勝負とは何ともハードモードだと思う。そして面倒な状況からの逃避的思考であることも知っている。

 

「あの、マジで? 弱者いじめはよくないような」

「いい? これは()()なの。こともあろうか、ゲームではおなじみの儀式を忘れていたのはワタシの失態ね」

 

 慣れた手つきで禍々しいフォルムの鎌を弄ぶミズチ。カウントダウンは残り二分と十二秒。いくら装備が充実しているとは言えども武器があまりに貧相すぎる。どう考えても勝算がない。

 

 SAOとのネクサスを確立した時点でソードスキルが実装されたらしいが、武器のランクが低すぎて高位のものは軒並み使えない。俺の識別スキルで見た通りの領主のステータスに加えて、鎌特有の『引き込み』や『即死』を去なすためには、彼の剣《ナーバライザ》と同程度の武器がなければ不可能だ。

 

「せめてさっきの店で装備を買っておけばなあ……」

「いえいえ、買ってくれとは言いませんよ? 初めてのお客様にはサービスです」

 

 声に方向がない。ドームに響いた声を聴いている感覚。しかしさっきの少女商人の声であることは確かだ。

 

「それではまた何処かで。わたくしはとばっちりが来る前に退散させていただきますね」

 

 声が途絶えたと同時に、アイテムボックスが送られてきた旨のメッセージが目線を掠めて消える。中身は片手剣《アルバク=リカラ》一本、細剣《ミィティア》一本、短剣《ルー・ガルー》と《シャルガフ》が一本ずつ。……いや、待て。この武器種と、数。かつての俺を知っていなければ、絶対に出てこないはずだ。

 

「――お前、どこの誰だ?」

 

 もちろん声は帰ってこない。この貸しはいつ返せばいいのかも告げないままとは何とも詐欺的なお人だ。ありがたく貰ってはおくけれども。

 

「何ブツブツ言ってんの? 残り、三十秒よ」

「あー……。はい。えっと装備装備……」

 

 昔の経験を頼りに装備、バトルスキル、mod『クイックチェンジ』の設定を十秒で終わらせて剣を抜く。武器表面のテクスチャを見る限りではあるが、かつての剣たちとほとんど変わりないランクだ。扱いにはまだ慣れが必要ではあるが、それは適当に実践でやっていくことにする。

 

三、二、一。

 

 

 

DUEL!!

 

 

 

「『ライトニングアタック』『サイレントブースト』『バックスタブ』『リィンフォーサー』」

「『ラス・アジャリカ(我は深淵に)デューガル(堕ち)シェッド()イルルガ・フィーラス(顕すものなりて)』」

 

――剥がされた……っ。

 

 俺が速攻をかけることを見越して俺のエンチャントをすべて解除する、その冷静さ。SAOにおいても稀にみる読みの才能だ。俺があまりに浅はかな特攻を仕掛けたこともあるが、簡単には勝たせてもらえないようだ。

 

 SAOにすべて置いてきたと思っていたが、これは久々の昂ぶり。どうやって純物理(ピュアファイト)で魔法に立ち向かえばいいのか。未曽有、未踏破、未知数。面白い。

 

「ホラホラ! どんっどんっ行くわよ! 

ゲ・キュルキュルケ・ゲ(魔法~)ガーバラメス・ガシュル(魔法~)ガシュル・ゲルヴァビア(物理殺し~)』」

 

 頭上で回された鎌から次々と闇色の鎌が生成され、旋回しながら飛来する。軌道は全く予想できない動きで、しかし首だけを執拗に狙っていることはよくわかる。要するに完全に遊ばれている。

 

「《OSS》は……使えない、か。それくらいなら弾くけど」

 

 しっかりと飛んでくる魔法刃を見据え、中心を正確に打ち抜いていく。純粋な物理属性だけでなく、武器に追加で魔法属性が追加されていれば魔法の迎撃は可能である。WIKIからの情報だ。

 

「あら、いつの間にそんな剣を。でも……手数、足りる?」

 

 鎌の回転数が増すと同時に、魔法鎌の大きさ、速さ、数が見た感じではあるが()()にまで強化される。絶対におかしい、いくら何でもいじめが過ぎる。いや理不尽ながらも地雷踏んだ俺も悪いのだが。使うか否か迷ったが、勝つならやっぱりアレしかない。

 

 コネクト始動に選んだのは片手剣八連撃《ヴォルテージ・ダンス》。鎌には鎌だろという理由で回転する類の剣技を選んだのだが、なかなかに効果的なようだ。しかもALOへの実装によって火属性を追加されたらしく、描かれた焔の螺旋は非常に美しい。もちろん見とれて動けないなんてマネはしない。

 

 鎌を弾いて道を作り終えると回転の勢いを殺さずにレイピアを突き出す。突進技《シューティング・スター》。

 

 一瞬で間合いを詰め、同時に技で()()()()()。魔法だけで俺を倒そうとした()()()()()()()()()()。どんな魔法なのかが分かればいくらでも対応のしようがある。剣の戦闘においては割と自身がある、よって負ける気はあまりしない。すでに振りかぶっていた右手の剣でトドメを刺しに掛かる。《ファントム・レイヴ》。

 

 二撃目でHPの半分を削り取り、三撃目からはシステム障壁に阻まれた。勝負がすでについているからか、同じインプだからなのか。それはあとで検証するとしよう。とにかく俺の勝ちだ。

 

 『YOU WIN』のシステム表示を見て満足すると同時に、ぶわりと仮想の冷や汗が背筋を流れた。やじ馬たちがまるで俺を、いたいけな幼女をいたぶった不審者を見るような目で見ているのが分かる。いや、違うけど違わないといいますか。

 

 全力で、俯いたままのミズチに駆け寄る。その……俺、もしかしてやりすぎてしまった?

 

「ぅ……」

「う?」

「帰る! 帰るって言ったのよばかぁ! あと、明日午後五時ここに集合!」

 

取り残された俺は、非難するような視線を振り切って宿屋に身を潜めるしかなかった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 初バイトを終えて帰ると、引っ越し業者が来ていた。いや、いやいや。まさか皆さん俺を置いてどこかに行くつもりなのだろうか。

 

「あれ。帰ってたのか謳歌」

「あ、うん。ただいま父さん。で、これはどういうこと?」

「何って、母さんから聞いてなかったか? 今日から家族が増える」

 

 待て。

 

「ちなみに本人きっての希望でお前の部屋で過ごしてもらうからそのつもりで」

「待って父さん。それ、誰」

「お前と詩歌の従妹の紺野木綿季さん。難病から回復したそうだが行き場がなくってな。お前ら昔から仲よかったから別に問題ないだろ?」

 

 目線を少し右にやるとそこには満面の笑みを浮かべた木綿季がいた。

 

「よろしくね、兄ちゃん!」

 

 




 
 ライヒ/謳歌くんは徹底してお兄さんキャラにしていこうかと思ってます。アクワです。新キャラを出しすぎてしまえば苦労が増えるのが分かるのですが、書いていて楽しいからいいやと思ってます。

感想その他お待ちしております。



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Fantasia

 
 この手をとって、それでいいの。





――そっか~。キミは僕のことが好きなんだ。

 

それは唐突な告白。

 

――僕もさ。キミとずっとずっといられたら……とか、割と考えるし。

 

それはどこか迂回した同意。

 

――でも、ダメさ。それは出来ない、出来ないんだ……。

 

それは――今になっても分からない。

 

――さ、て、と。そろそろこのお話も終わりにしようか。

 

あれは、あまりに強く、ひどく眩しい思い出。

 

――そんな顔しないでくれ。ほら、もう

 

「『朝だ』よ~~!!」

 

 目覚まし時計よりも早く、大声で叩き起こされる。従妹の、いや、義妹(いもうと)のモーニングコールだ。久しぶりにいい夢を見ていた気がするのに全て吹き飛ばされてしまった。言わずとも木綿季である。

 

 数日前から我が家の養子として逞しく生きているのだが、それに引き換え俺のプライベートスペースは縮むばかりだ。詩歌の部屋に行けばいいものを、俺の部屋で過ごすと駄々をこねて、しかし両親詩歌共に了承して、俺の家での地位の低さを思い知らされることに。

 

「ほらほらお兄ちゃん! 詩歌の手伝いするよ~!」

「わかったわかった……。わかったから布団に侵入してほっぺをぺちぺちしないで……」

 

 でも、賑やかなのはいいことだ。木綿季の事情を知っているものとしては、木綿季が『ユウキ』以外の姿で輝いているのを見ると安心する。SAOでは色々と助けられたこともあるから、出来ることはやってやりたい。

 

 進んで実行したくはないが、起きろと言われれば起きてやるのもその一環だ。父さんと母さん、それに詩歌に朝の挨拶をしてから朝飯の用意を手伝う。差し当たっては目玉焼きを作る傍ら味噌汁を温めるくらいだが。

 

出来上がったものをテーブルに並べてから、『いただきます』。

 

「兄さん。今日も午後はバイトですか?

「うん。今日はちょっと遅くなりそうだから、俺の晩飯は作り置きしてくれると助かるかな」

「わかりました。では、そのように」

「バイトって何のこと?」

 

「菊岡さん知ってるだろ。あの人からVR機器のテストの依頼があってな」

 

「それじゃあ、急いでトレーニングしないとね。あ~、できれば勉強も教えて欲しいな!」

「時間があったらな。てか、俺が教えなくても平気だろお前……」

 

 木綿季は、天才児だ。詩歌と同じく。勉強も運動も、俺なんかとは比べ物にならないくらいに出来る。既に足の速さも体力も追い抜かされそうになっていて、正直焦っている。

 

 凡人である俺が天才たる木綿季と何かを競ったところで――。そんなことは判っているのだがどうにもやるせない。俺にできることは努力、そしてその継続。たった二つを人一倍こなすことでようやく木綿季みたいなやつの背中を拝める。

 

 スキル上げと一緒だと考えれば努力なんてどうということはないが、自分が追い抜かされていく様は見るに堪えない。でも、直視しないとやっていけないから、そこは頑張っている。

 

「んじゃ、お先に走ってくる」

 

今日も今日とてルーチンワーク。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「やあやあ、待っていたよライヒく……もとい謳歌君。挨拶は面倒だから抜きにして、君にぜひ会いたいってお方がいてね。紹介するよ」

 

 施設に到着するや否や、半ば巻き込まれるようにして俺はとある有名人と引き合わせられた。茅場を闇に例えるなら、その人物は光。現VR技術の先駆けを担う若き天才科学者にしてアイドル。

 

 色々萌えポイントを盛りすぎと言えなくもないが、全部本当の事なので文句のつけようがない。自動扉の向こう側から出てきたのは、まだ俺にも及ばない歳の少女と、デカいイケメン。

 

Привет(プリヴィエイト)、四条謳歌くん。あたしは七色・アルシャービン、こっちは助手の住良木陽太くん」

「初めまして。住良木陽太といいます」

 

 合っているような、無いような。変な組み合わせだな、と正直思った。どちらかといえば住良木さんなる人物のほうが科学者然としているし、アルシャービン博士は住良木さんの子供だと言われたほうが説得力がある。

 

 テレビや新聞その他メディアで何度も見かけてはいるけれど、実際に会うとこうも違って見えるものなのか。しかしまた有名人が俺に一体何の用事があるというのだろうか。

 

「それと、ALOではセブンって名前で活動してる。住良木くんもスメラギって名前でそれを手伝ってくれてるの」

「知ってます。《三刃騎士団(シャムロック)》ですよね」

「知ってくれていて光栄よ、唯一使い(ユニークス)のライヒくん。それはそれとして自己紹介はほどほどに。今日はお願いがあってきたの」

「何でしょう」

 

 そういうと、住良木さんは俺に一枚のチラシを渡す。いろいろ書いてはあるが、VRで自分だけの部屋を作ってみようという体験型イベントの紹介だ。確かここの施設の掲示板にも同じチラシが貼ってあった。日時は……俺の入学から数か月後の休日。

 

「SAO帰還者向けの学校は知ってるわよね? そこでVRを広めるためのイベントとしてコレをやるんだけど、参加してくれない?」

「はあ……。まあ、これくらいなら」

「流石ね。普通にかなり難しいことをしようと思ってるんだけど()()()()()って言えちゃうんだ」

 

 その言葉に、思わず『うぐ』と変な言葉とも声ともつかない音が喉から出てしまう。別に隠していたわけでもないが、親の影響で簡単なプログラミングやちょっとしたルームデザインなら出来る。

 

 それでもかなり中途半端で、詩歌にやらせたほうが全然いいものが出来るというレベルではあるが。詩歌も、あと木綿季もだがどうして俺の妹は無駄に高スペックなのだろうか。お兄ちゃん泣くぞ。

 

「このイベントでは、仮想世界においての()()()()()という実感を感じてもらうことが目的。あたしはそれがすごく大事なことだと思うんだけど、常識的に現実世界がメインのあたしだとその辺うまく表現できないの」

「――……なるほど?」

「だから、一定量の知識と長時間のフルダイブ経験を持つキミには興味があるの。そこで提案なんだけど、そっちの分野の道に進む気はない? そりゃいろんなことを勉強しなきゃだけど、きっと素敵なことだと思うの」

「えっ、いやっ、ちょっと待ってください。話が飛躍しすぎて何が何だか……」

「そうね。まあ今日のところは難しい話はナシってことで。とにかくコレに参加してくれればいいから。よろしく!」

 

 До свидания(ダ スヴィダーニャ)と恐らくロシア語であろう挨拶をして、アルシャービン博士は行ってしまった。残されたのは菊岡さんと、ポカンとした俺の二人だけ。どうでもいい話、俺のロシア語に対する知識と言えばせいぜい挨拶の決まり文句や『ハラショー』だ。意味もよく知らないが。

 

「さて、それじゃあ今日も試験運用頑張って」

 

 菊岡さんは相変わらず顔色一つ変えていなかった。

 

 《クラウド・ブレイン》事件発生まで、あと半年。

 

 

 

***

 

 

 

「遅い!」

 

 開口一番これだ。わがインプ族の領主様はオールウェイズでご機嫌斜めなのである。俺の知るゴスロリ少女はもうちょっと慎ましやかだったような――いや胸は結構あるか。胸の話はいいとして。

 

「でもちゃんと10分前に来たじゃないですか。領主が早すぎるんです」

「領主じゃない! お嬢様!」

 

 ほら面倒。このわがままさんと行動を共にし始めてからはや一週間と少し。流石はALO古参勢で、ガイドをしてもらいつつそれなりに名所巡りだとか食べ歩きとかをしてきた。そしていよいよ俺たちは最終目的地である央都アルンへ向かっている。ここはその途中にある中立村。前回はこの村の宿で冒険を中断していた。ここなら無粋な輩に襲われる心配はない。

 

「はいはいお嬢。それじゃ、今日も張り切っていきますか」

「お嬢って……、まあいいけど。それで今日はどうしたい? 空飛んでく? それとも歩く?」

「うーん……。それじゃ歩きでお願いします」

「わかったわ。それじゃ、ルグルー回廊経由で行きましょうか」

 

 いろいろ面倒だけど、でも楽しいからいいや。ゲームの中での関係なんてそれで十分だ。二人して村を出て歩き出す。少し曇っているけれど、風はすごく涼しい。途中でモンスターを魔法で倒しながら洞窟へ入っていった。久しぶりのスキル上げ、武器を一切抜くことなくMPの許す限り魔法を乱射する俺をお嬢は馬鹿を見るような目つきで見ていた。

 

「もう熟練度が700……。どうなってんのよその上がり方」

「だって武器使ってないですからねえ。お、コウモリだ」

 

 闇の刃で飛行するモンスターも、地面をうろつくモンスターも等しく狩る。《アビス・ソニック》。その特徴は飛距離とヒット数。おかげですいすい熟練度が上がる。

 

 MP消費は激しいが、そこは引継ぎの特権で大量のポーションを買い込んである。武器は占い少女に、防具はお嬢に買い揃えてもらったので、今すぐコル改めユルドを使う用事がこれといって無い。まあ、たとえもう一度装備を一新したところで大した出費ではないけれど。

 

エル・イルエレール(斬り飛ばせ)オルミル・ヴェーニス(四肢など不要)

「うわ、詠唱はや……。《高速詠唱》とか《戦闘詠唱》とかも取ったら?」

「フフフ……。既に取得済みですよ、お嬢……」

 

 自覚できるくらいには気持ち悪い笑い声を上げながら、俺はモンスターを殲滅していった。当然無差別にではなく、他のプレイヤーの獲物に手を出すなんてオレンジ的行動は取らない。

 

 しっかりとこちらにタゲらせてから戦闘に入る。最初は言われるままに護衛の騎士っぽい役回りをしていたが、俺自身もだんだんと興が乗ってきた。お嬢には、ゴブリンの指一本触れさせない。

 

「お怪我はありませんか、お嬢」

「ええ、いい働きだったわ」

 

 かしずく俺に、相変わらず女王様するミズチ。こういうキャラ、インプ領では需要あるらしい。でも、数日間一緒に過ごしてきて色々とこのキャラについて思うところが多くなってきた。俺が思うに、ミズチは結構嫌われているのではないかと。

 

 そう思う。初めて会ったときにも言われた、『見初められれば襤褸雑巾』。正直なところあの時点では全く意味を理解していなかったが今は違う。ソロで完璧に仲間を守り切れなんて、普通のプレイヤーじゃ絶対に出来っこない。

 

 なんでまたこんなことをしているのか。愛想よくすれば人も寄ってくるはずなんだろうが……。

 

「そういえば、お嬢は何で領主に? なんていうか、あんまりそういう人望は集まりにくい人柄だと思うんですよお嬢は」

「消去法で指名されたからに決まってるじゃない。領主は種族全体の投票で決まるものだから、決まったら拒否権ないのよね」

「でもなんか、お嬢向いてないじゃないですかこういうの。普通のプレイヤーじゃ出来ない無茶ぶりばっかりしますし」

「アナタ、知ってて言ってる? それとも偶然?」

「知ってるって……性格悪いことくらいわかりますけど」

「そう、知らないのね」

 

 そういって俺に先行して歩いていくミズチ。しかし、ひたすらに何事かを考えながら歩みを進めている。もしや俺の知らない何かを教えてくれるつもりでいるのだろうか。どっちにしてもロクな内容じゃないのは確かだ。

 

 嫌われるのがいやならすっぱりとやめてしまえばいいし、それが出来ないということは根深い何かが存在することになる。こう見えて俺はミズチの真価をしっかり把握しているつもりだ。冷静でいて、そのくせ勘が恐ろしいほどに働く。普段の女王様気質に隠れた、純粋な戦闘者としての一面はやはり才能だ。

 

「ワタシはね、すごく嫌われたい人がいるの。だから頑張って嫌がらせしてたんだけど、今のところあんまり効いてない。寧ろ逆効果」

「それはリアル? それともここでの話? 嫌われたいとか、お嬢ソイツになにされたんですか」

「両方よ。で、ワタシの野望のための仲間が欲しいと思っていろいろ見繕ってたんだけど案外うまくいかないのよね。あたしに振り回されてもピンピンしてるくらいじゃないと困るの。でないとアイツはすぐに奪っていく……」

「なるほど。手塩にかけて育てた領主館のプレイヤーがどんどん引き抜かれてる、と。無茶ぶり始めたのは結構最近の事だったんですね」

「当然よ。そこでアナタに提案。()()()()()()()()()?」

「国盗り、ですか。で、具体的にはドコ狙うんです?」

「狙う領地はスプリガン領。欲しい首は一つだけ」

 

 俺ならば、ここまで付いて来てくれた俺だからこそ絶対に裏切ることはないと信じてミズチは言った。

 

「ワタシのお姉ちゃんであり、スプリガン領主でもある『ゼノビア』。ワタシはアイツを打ち倒して、そしてアイツに嫌われるの!」

 

 堂々と、実の姉に嫌われてやると宣言するウチの領主。正直いままで以上に面倒で、厄介なことに巻き込まれるのは目に見えている。こんなの聞く限りでは一方的な姉妹喧嘩だ。関わるだけ損をするのは目に見えている。

 

 それでもなお、ミズチは何の疑いもなくまっすぐにこちらへ真剣に提案を吹っかけている。

 

「なるほど、では答えを言う前にちょっとしたお掃除させてもらっていいですか? 大事な話なので、落ち着いてからでもいいかなーと」

「ええ、そういう事なら仕方ないわね。ホンット、仕方ないからワタシも手伝うわ」

 

 互いに突き出した武器は、背後にいた何者かに突き刺さる。俺の剣は心臓部を穿ち、ミズチの大鎌は首を切り裂いた。二つの爆砕音。

 

「領主。勝手に出歩かれてはこまりますね……。『主』に報告できなくなるではありませんか」

「やっぱりアンタたち、ゼノビアの犬だったわね。ワタシの個人的な恨みだから、見て見ぬふりをしてたけど、流石に襲ってくるとは思ってなかったわ」

「ははは。流石は領主、慧眼ですね。しかし領主たるもの倒されては領民全てが困ってしまうというのに、そんな新参者一人だけを連れてどうするつもりだったのです? 領主のお仕事が飽きたのならば私が代わって差し上げますよ?」

 

 ペラペラとうるさい男、初めてミズチと出会ったときに俺に『世界樹の雫』を撒いてくれた名も知らぬプレイヤーは結構アブナイ目で俺らを見ていた。五人ほどの仲間を従えて、俺たち二人を取り囲む。

 

――嗚呼、なんて懐かしい感覚……。

 

「行くわよ、()()()。ここで負けるようじゃ、アナタを追放しなきゃいけなくなるわ」

「こんなんで負けるわけないですよ」

 

 かつて俺は《御影》の異名を付けられ、その通りに影のごとく動いてきた。だが、本質は違う。かつて師匠であったルクスに裏切られ、オレンジプレイヤーをひたすらに狩っていたころの俺こそが、あの世界において最も俺らしい俺だ。そう、今の様に黒装束ではなかった頃の俺。《白狼(W.W.)》。

 

 手始めに、体中に仕込んでいたダガーをばらまき弾幕を張る。特に顔面を重点的に狙った。もちろん無視できるはずがない――刃物を顔面に向けられて恐怖を覚えないはずがない――ので、いくらかの隙が否応なしに生まれる。

 

 そしてその隙間を縫うようにミズチは走り、鎌で一度に三人の首を切り飛ばした。流石は鎌使い。しっかり鎌特有の即死効果を活かした戦いをしている。

 

「隙だらけだな」

 

 物理的にという意味ではなく、精神的に。俺らみたいな異常者とは違って、平均的なプレイヤーならだれもが敷いている心の防衛線。非情になれない心の隙間。死んでも死なないという絶対的セーフティーが戦いの価値を濁らせるが、俺らは違う。

 

 本物の命のやり取りを幾度となく繰り返してきた。あの世界はやはりクソゲーで、その考えは変わらない。けれどあの世界に価値があるとすれば、やはり戦いしかないから。

 

 だから、負けない。負けたくない。

 

 瞬く間に五人を屠り、残りは拘束した男性プレイヤーのみ。

 

「わ、わかった。俺が間違っていました! 領主! 貴方に今一度絶対の忠誠を捧げます、だから追放だけは……それだけは勘弁してください!」

「煩いわね。喚かないでよ、(ブタ)

 

 ミズチがコマンド操作をすると、プレイヤーはどこかへ転送された。レネゲイドとして追放されたからだろう。まさに茶番。

 

「で、答えは?」

「リアルが忙しいので、出来るときに参加します」

「そ、十分よ」

 

 

 




 

 ALO編、別名国盗り編! さてさて進展させてみましたがいかがでしょうか。ここのところ忙しく、コラボ編の執筆もありましたので本編が中々……。
 OS編って作ってもいいものなのでしょうか? まだ全然構想してませんが、話の進み具合を見て考えます!


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Fallen

 

 無責任でいいから、だからこそよかった。


 

 

「ここが……」

「そ、央都アルンよ」

 

 世界樹を中心に広がるその街並みはひたすらに輝いていて、プレイヤーが種族の垣根を越えて各々の時間を過ごしていた。時間帯が夜の今だから、それがよく分かる。妖精の理想郷の名前に負けない立派な都。俺とミズチは商業区を回って店を冷やかしたり、露天のジャンクな食べ物をかじったりしていた。

 

「それで、俺たちこれからどうするんでしたっけ」

「焦っても仕方ないわ。てゆーか、アナタの観光に来てるんだからちゃんと楽しみなさいよ」

「そういえばそうだった、ような?」

「何で忘れてるのよ……。それはともかく、本当はワタシとデートなんてこんな気軽にできるものじゃないの。感謝しなさい?」

「ええまあ……それは。ハイ」

 

 それはミズチがぼっち気質だからなのではないかと思ったが、口に出せば罵詈雑言が降ってくるのでそっと胸の内に仕舞っておいた。ミズチの先導でアルンの名所を回っていると、なるほど確かにデートみたいだ。実際は飼い主と犬のような関係なのだが。

 

「えーっと、世界樹のグランド・クエストはクリア済みなんでしたっけ」

「ええ。スプリガンのプレイヤーがシルフとケットシーの部隊を率いてゴリ押し。なんでそんな凄いことになったのかは知らないけど」

「お嬢はそのスプリガンに詳しいんですか?」

「それなりにね、何を隠そう手駒候補第一位だったし。接触しようとしたけど、ゼノビアに先を越されたのよ」

「それでそのプレイヤーはスプリガン陣営に?」

「いいえ、ゼノビアをフッて行方知れず。きっとどこかに所属するのが嫌いなんでしょうね」

「黒い……ソロプレイヤー……」

 

 思い浮かぶのは黒コートに、白黒の双剣。まさかとは思うが、あの救世主兼俺のコートの先輩はすでにこの世界に来ているというのか。また色々やらかしたんだなー、なんて思いを巡らしてみる。アイツと決まったわけではないが、可能性は高い。きっとどこかで元気にやっているだろう。

 

「どうしたの? もしかして知り合いだったり」

「さあ……どうなんでしょう。会ってみないと分かりませんし、会ったからといって特に何かあるわけでもないですし」

「ふーん……」

 

 何かを察したのか、それとも俺の言葉に納得したのか。曖昧に場を濁すミズチ。隠し事のようなものがあまり気に入らなかったのかもしれない。かといってこれ以上話したところでどうしようもない。

 

 本当に何もないのだから、どうしようもない。特別を除いては、あの世界での出来事は全て精算した。俺の勝手だとしても、やはりケジメだ。だからこそ平気で引継ぎのデータを使っているのだし、もしまだSAOを引き摺っているなら恐怖でアミュスフィアさえ触れられていないだろう。

 

 それに、一度殺しあって、一度は殺されたなどと、誰が言える?

 

 それだけじゃない。彼の世界では師匠に裏切られ、その復讐のために何度も何度も殺し会ったと、誰が言える?

 

 PKという悪であったとはいえ、その全てを返り討ちに殺したなどと言えるわけがない。

 

 今はいい。つい思い出してしまうのはきっと仕方がない事で、時間が解決してくれる。それに、命を懸けてゲームをクリアしたことで償いはすでに果たしている。そう信じている。

 

「いや! 本当に! なんにもないですから!」

「急にどうしたの!?」

「あー……すいませんすいません。ちょっと考え事が過ぎただけです」

「本当にアナタってよく分かんないわね……」

 

 まあいいけど、とミズチは先に走って行ってしまう。だというのにこちらを振り向いては手を振り回しつつ遅い遅いと文句を言う。そんな無邪気な姿を見ていると、やっぱり過去なんてどうでもよくなってくる。

 

「ホラ! アナタもジュース飲むでしょ!」

「わかりましたから! すぐに行きます!」

 

相 変わらず周囲からクスクスと笑われながら、ミズチに渡されたグミを液体にしてハッカを混ぜたような妙な味のジュースをすする。普通のハッカジュースもあったはずなのだが、なんでわざわざ謎ブレンドのこれを選んだのだろうか。美味しくもなく不味くもなく、一体原料は何なのだろうか。

 

「なによこれ、マッズいわね。グミみたいな味に何でハッカを混ぜたのかしら……」

「マズいなんてひでえなあ……。これでも『アルンでは絶対に味わいたい!』の人気ワーストワンなんだぜ?」

「それダメじゃん! 逆に売れてるのかもしれないけど!」

「行列が途切れたところを狙ったんだけど……確かにワーストワンね。あの雑誌、『絶対に味わいたくない!』も作るべきよ」

 

 がっはっはと誇らしげに高笑いする店主に別れを告げて、俺たちは再び歩き出した。俺の観光とは言ってくれたものの、ほとんどミズチに引っ張りまわされているようなものだ。一番楽しそうにしているのは実際俺ではなくミズチのような気もする。

 

 やがて一通りアルンの観光を終えて、人気のないテラスで休憩を取っていた。今日は満月で、しかも普段より月が近くに降りてくる日らしい。適当に回っていると思いきやこのタイミングに合わせてスケジュールを組んでいたらしく、やっぱり凄いヒトなんだなあと改めて実感させられる。最初に話しかけられたのがこの人で俺は本当に幸運だ。

 

「本当にありがとうございます。領主の仕事とかもあるはずなのに……」

「別に。言ったでしょ、未来への投資だって。もうこんな待遇はしないから今のうちに味わっておくといいわ」

「そうでしたね……」

 

 手すりに腰掛けるミズチは、俺のほうを改めて振り向いた。月に照らされた彼女の顔は陰りを帯びていてあまり表情が読み取れない。ただ、最初に出会ったときのように、俺を値踏みするかのような視線が俺の目を真っすぐに捉えていた。そんなはずはないのに、心まで全て見透かされているようで落ち着かない。

 

「アナタは、いつまでワタシと一緒にいてくれるの?」

 

 ほんの一瞬だけミズチが何かを期待したような気がしたが、すぐにそれは引っ込んでしまった。

 

「いや、特には決めてません。多分面白かったらずっと付いていくでしょうし、つまらなかったらこのゲーム自体から出ていくかもしれません」

「そう、曖昧ね」

「ゲームって大体そんなものだと思ってますから」

「正論ね。でもそれだとワタシが困るのよ。この期間までは絶対にワタシの見方でいてくれるって保証が欲しいの」

 

 そんなのは無理な話だ。プレイヤーはアイテムじゃない。ましてや装備品でもない。領主の権限を使って脅すこともできるだろうが俺には通用しない。俺の場合はインプ領から追放されようと活動できるだけの強さがある。

 

 実際俺も面白そうだからという理由だけでミズチに付いて行っている。ほとんどゼロから国盗りを始めるなんて中々経験できることじゃない。だからこそミズチに賛同した。ミズチが俺を楽しませてくれそうだったから。だが、それ以外に俺に理由を作るのであれば。

 

「ワタシと契約しない? アナタが国盗りを成功させてくれるまでワタシの見方でいるなら、このゲームの中でワタシが持っているものなら何でも、一つだけ好きなものをあげる。流石に先払いは出来ないけどね」

 

 ()()()()()()()()()()()()。もちろん強制力はない。破るのは自由だ。しかし一度契約してしまえば、そこには義務感が生じる。余程のクズでなければその義務感には抗えない。これならば、ある程度の保障にはなる。完全ではないにしろ、多少人を縛るにはもってこいの方法だ。

 

「本当に、なんでももらえるんですか? もし俺が領主権を欲しいと言ったらどうするんです?」

「もちろんあげる。言ったでしょ、ワタシの持ち物ならなんでもっ、て。どうするの? 断りたいなら今が最後のチャンスよ」

 

 ミズチの顔はなんとなく寂しそうで、でもその先には確かに何かをひっくり返せそうな予感があって。今の俺にはそれが何よりも面白そうなものに見えた。だから俺は、選んだ。

 

「お嬢をもらいます。もし、色々終わって関係なくなっても、俺と友達でいてくれますか」

 

 ミズチは驚いたそぶりを見せたが、すぐに嬉しそうな、満面の笑みを浮かべて言った。

 

「ええ、もしワタシの野望が叶った暁には……ずっと友達でいましょう?」

 

俺とミズチの手は、自然と重なっていた。これからはきっと楽しくなる。予感ではなく実感として。

 

 

 

 

 




 

 いつもみたいにぐだぐだな感じで最新話です。アクワです。もうすぐ年も明けるということで多少無理して短いながらも上げました! 記念すべき三十話目! 実際はコラボ編が完結していないので厳密には違うのですが、まあ三十回目に出した回として一つよろしくお願いします。メインヒロインはいつ出て来るんでしょうかねえ……。自分でもあんまりタイミング分からないとはこれ如何に。

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Fragment Ⅰ

一緒がいいなあって、言った。
嘘半分本音半分かと、思った。

なんでこんなに優しいのかなって、思った。
自分がブレない為に必要だからと、言った。

いい加減見切りをつけろと、言った。
それが出来たらやってると、キレた。

愛してるよって、想った。
自信がないって、謝った。

どうしようもないけど愛してくれと、願った。
必ず見つけ出してもう一度愛すると、誓った。


どうしてだろう。

 

すごく痛くて辛いことがあった。それに耐える日々は唐突に終わりを告げた。

 

 病院のベッドで起きて、リハビリをして、ご飯食べて、ちょっとだけ勉強して、あとはぼんやり。SAOが終わったあとはずっとこんな感じ。そうそう、お父さんもお母さんも毎日来てくれて、先生も交えて面談をすることもある。

 

 別に、特に不満があるわけでもないし、先行きに不安があるわけではない。特別支援学校に通うことも決まった。なのに、泣きたくなるほどの罪悪感、そしてその反面狂おしいほどの愛しさが込み上げてくることがある。

 

 それは丁度通り魔のようなもので、本当にいつ来るかが判らない。怖い。()に、もう一度会いたい。()()()()()()()()()()()()()()()。そうすれば……きっと、また。

 

 いいや、本当にそうだろうか? ()は間違いなく私のことを嫌い、そして憎んでいる。それを望んだのは()で、それを仕向けたのもまた()()()なのだから。

 

 

 

***

 

 

 

 師匠(ルクス)に裏切られてからというもの、しばらくの間、俺はそれはもうグレていた。街中で誰かと肩をぶつけようものなら――

 

「おっと、悪い!」

「はァ? どこに目ェ付けてんだよこのタコ」

「何だとテメェ!」

「おっ、戦る気か? オッケーオッケー。それじゃあ()()()()()()()で、と」

「お、おい……何言ってんだ……?」

「だってお互いこのままじゃ収まらないだろ? じゃあ手っ取り早く決めようぜ」

「意味わかんね……俺は行くからな」

「何、逃げんの?」

「知るかよっ、クソっ……」

 

――とまあ、こんな感じで悪態つき放題で喧嘩売り放題という具合だ。グレるというよりはトチ狂っていたというほうが正確なのかもしれない。補給をする以外の時間はフィールドを放浪していた。犯罪者(レッド)を炙り出すために服装にも気を使った。闇の中でも目立つように、上半身は特に白い装備を身に着けるよう心掛けた。

 

 ちゃんと場所を選んで、そこをほっつき歩いていると、一週間か二週間に一回は()()に出くわした。自分がレッドにならない為に、わざと一撃だけ攻撃を喰らい、油断を誘ってから高位のソードスキルで叩き伏せた。その時敵が顔に浮かべる絶望と恐怖の表情に俺は陶酔した。

 

「あはっ、あははは!」

 

やがて俺は。

 

「あははははは!」

 

一つ、また一つと死を紡ぐたびに。

 

「あッハハ! ははハハ! あは、はは、アアアアアアアア(ああああああああ)っ!!」

 

狂っていった。

 

 11層に到達したあたりだっただろうか。首をさらすのが不安になってマフラーを巻くようになった。それが動物の尾に見えたらしいことと、服装が白いこと、それにソロプレイヤー(一匹狼)であることから、《白狼(W.W.)》の異名を冠するようになった。ホワイト(White)ウルフ(Wolf)から取って、《W.W.》。

 

 だんだんと視界がぼやけて、意識も朧に、強い何かを求め、見つけては殺した。もちろんレッドプレイヤーを選別して殺した。ただしモンスターは見境なしに。もっともっと強くなる。師匠がいなくなったのは俺が弱いからだ。きっとそうなんだと信じた。

 

 時折現れては俺に殺意を抱かせるのも、そういうものなんだと勝手に納得した。ネームド・モンスターを見つけ次第、命がけで戦った。と、いうより新たな層が解放されるたびに攻略組に先んじてそこへ飛び込んでいたせいか、必然的にそうなった。その強さを買われたのと、危なっかしいプレイスタイルを諫めるためなのか、エギルさんのパーティにスカウトされて半ば強制的に加入させられた。

 

 徹底的に管理され、外出も許可制になり、そんな環境から何とか逃げ出してフィールドに出た時のこと。13層でレインと出会った。出会ったばかりの時の印象は、性根の腐ったクソビッチ。おまけに嘘つきと、まったく良い印象を持っていなかった。

 

 可愛かったのは、確かだけど。そのうち攻略組としての活動も真面目にこなすようになって、無謀な殺戮に身を投じることも少なくなった、その矢先のこと。

 

 レイドの半数を犠牲に25層のボスを討伐した直後、俺に《異双流(DTS)》スキルが発現した。もとより少なからず抱え込んでいた()()()()としての負い目、師匠のこと、それに加えてユニークスキル。俺が再び狂いだすには十分すぎるほどの要因が重なった。

 

 エギルさんのパーティーから脱退し、フィールドに飛び出した。なぜかレインもついてきた。

 

そして、《異双流》の熟練度が500に達したころ。33層で俺は師匠と再会した。何も言わずに全損決着モードで決闘を仕掛けてきたので、黙って受けた。気が付くと、一分も経たないうちに俺は師匠を地面に組み伏せ、残り僅かとなったHPを消し去ろうとレイピアの切っ先をその喉元へと向けていた。

 

 ところで、《異双流》スキルはSAOに存在する全スキルの中でも群を抜いて異質なスキルだ。会得時に、武器系スキルに限定して10のスキルスロットを得られる。そこにマスターしたスキルをセットすることで、熟練度の値が100ポイント上昇する。10のスキルをセットすることで、ぴったり合計1000ポイント。

 

 《異双流》はこの方法によってのみでしか鍛えることができない。33層時点で俺がその枠に入れていたスキルは五つ。《片手剣》《盾防御》《体術》《短剣》、そして《細剣》。

 

 前者の四つのみで戦ったとするならばもう少し戦闘は長引いたかもしれないが、俺が独自に編み出した《ロングソード・レイピア》の前に、()()()は手も足も出ずに俺の前にひれ伏すこととなった。

 

 そしてあと一突き。それだけで全てが終るはずなのだが、どんなに力を込めても腕がこれ以上振り下ろせない。レインが、俺を必死に羽交い絞めにしている。これ以上ない、夢にまで見た復讐という名の甘美な時間はあとほんの少しのところに迫っている、いや、すで手を掛けたというのに、何故邪魔をするのか。

 

 或いはそれすらも言い訳に過ぎなかったのかもしれない。レインがいなくとも、もしかしたら、俺は。

 

「どけよ……。退けってんだよ! 知ってるだろうが! この時のためだけに、俺はッ!」

「それだけは……それだけはダメだよ! この人だけはキミが殺しちゃダメなの!」

「黙れええええぇぇっっっッ!! こいつは! ここで殺さないと! 俺が、全部、無駄になんだよぉぉぉッ!!!」

「お願いだからやめてよ! もうやめようよ! キミがこの人を殺したら()()()()()()! ()()()()()()()()()()()()本当に全部無駄になるんだよ!? 分かって! 分かってよ!」

「フッ、フッ、フゥゥゥ……ッ!」

 

 獣のようなうなり声を上げるも状況は膠着したまま動かない。目の前のコイツを殺して俺も死ぬ。そのために強くなったのに。そのためだけに生きてきたのに。そしてようやく今まで沈黙を貫いていたルクスが初めて口を開いた。

 

「ご……()()()()()()()()()……、()()()()()()っ……!!」

 

 その、何もかもがどうしてなのかが判らないとでも言いたげな表情で泣きながら顔をぐしゃぐしゃにしているその姿と、レインとは異なり一切の嘘を交えないその声で、俺は事の顛末をある程度察してしまった。

 

 どんなに憎んでいても師匠として尊敬していたから、彼女のことが異性として好きだったから、察せてしまった。最初から最後まで――多少の誤算はあれども――俺はこの人に踊らされていたのだ。

 

 

 

 

 

「――――――…………なんだよ。じゃあ、()()()()()。」

 

 

 

 

 

 だから、もういい。その言葉は果たして自分に向けていたのか、ルクスに向けていたのか。のろのろとした動きで投げた剣やらナイフやらを拾い上げて踵を返した。

 

「……行こう、レイン。宿は――取り直そう。俺は、寝るよ」

 

 既に部屋を取っていた主街区には戻らず、最寄りの小さな村へと向かう。いつの間に狩り尽くしていたのかモンスターとのエンカウントは無かった。小さな村の小さな宿の、これまた小さな部屋を取ってベッドに倒れ込む。

 

 意識全てを放り捨てて泥のように眠った。それから、どのくらいの時間が経ったのだろうか。

 

 やわらかな風が俺の頬をやさしく撫でる。それを感じるとともに太陽の光が目を灼いていることに気が付いて、俺は目を覚ました。

 

「あ、ごめん。起こしちゃった?」

 

 窓は今開けたばかりなのだろうか。立ったまま微笑を浮かべるレインを、しかし俺は直視できなかった。朝日に照らされる彼女の笑顔はどうしようもなく美しく、眩しかったから。

 

「どうかしたの? 体調悪いならまだ寝てていいけど」

「あー……いや、起きる。俺どのくらい寝てた?」

「うーん、二週間?」

「おいっ!? 嘘だろ!」

「うーそ。でもこの三日間ライヒ君ってばまったく動かなかったんだよ? うつ伏せだったから転がして布団かけておいたけど」

「ありがとさん。それにしても三日か……。そのくらいなら……まあ、大丈夫か」

 

ボス戦も不定期参加のため、俺に大した需要はないだろう。俺のステータスが攻略組の中でどのくらいの強さなのかは知らないが、別にドロップアウトしたわけではないはずだ。

 

「一か月くらい休んでもライヒ君のステなら大丈夫な気もするけどね。まあ、文句は言われるだろうけど」

「――なんで?」

「そりゃあ、キミが最前線を荒らしまわってたからだよ。そのお陰で攻略専門ギルドはお金もリスクも節約しながらメンツを保ってたんだから。中ボスとかネームドからの恩恵も結構大きいけど、やっぱり層ボスは別格だからね。倒せば名前が残るし、LAっていうチャンスもあって、そうじゃなくても経験値は中ボス無視してもお釣りがくるからね」

「俺が消えれば全部とれるんだからいいじゃん」

「そんなにホイホイ態勢は変えられないよ。ボスに挑むとなればギルド同士での話し合いとか、人員とか、必要経費とか、その他諸々倍々ゲーム状態なんだから。因みにそれだけ影響力があるのに知名度がほとんどないのは、攻略ギルドが情報屋に報道規制敷いてたからだね。ボス戦限定アイテムとか、お金とか……かな。いろいろ横流ししてもらえるって考えれば美味しい話だし」

「へえ? それで? 不都合が出てきたから俺を探そうとしても当の本人は相方と一緒に行方不明。フレンドは軒並み切られてるわ情報は入り乱れるわで今頃攻略本部は大慌てだろうな。お前があることないこと情報屋に吹き込んで攪乱したせいだろうけど。いくら払った?」

「……わかっちゃう?」

「まあ、な。流石は《舞姫(ブキ)》というか、なんというか……」

 

 《舞姫(ブキ)》とはレインの持つ異名である。その戦いぶりに因んでつけられた……というのも理由の一つではあるが、八割がたスキル構成や戦闘時の立ち回りが俺のサポートに特化していることへの皮肉だ。

 

 レインの習得しているスキルといえば、《舞踏》やタブーとされている《歌唱》をはじめとして、《ポーション作成》《装備作成》《料理》《裁縫》《所持容量拡張》といったように何を目指しているのかがさっぱりわからない。純粋な戦闘系スキルといえば、そこに申し訳程度に《片手剣》があるくらいだ。

 

 本人曰く他にもスキル保持系のアイテムでいろいろ()()()()()らしいが、把握できていない。だがそんな無茶ビルドで俺の無茶に付いてこれている事実を考えれば、もしかすると俺より強いのではないかと思ったりもする。

 

「その話はもういいでしょ? 今日はどうする? やっぱり寝る?」

「流石に起きるよ……。腹減ったから何か食べにでも――」

「すぐ作るから待ってて! リクエストある?」

「えー、じゃあ、ご飯と味噌汁」

 

 レインは結構いい素材で作られた調理器具や食器を取り出すと、材料をポンポン鍋やらフライパンやらに放り込んでいく。表示されたシステムタイマーのカウントが終るのを待ち、出来上がった先から手際よく盛り付けていく。いや……オムレツにケチャップ(そのままの味がする変なドロッとした青い液体)でハートとか書くな。

 

「美味しくなぁれ……なんちゃって!」

「はいはい。もえもえきゅん、もえもえきゅん」

「なーんだ、こういうの好きなら言ってくれればいいのに」

「なっ、ばっか! ……そういうんじゃねえよ」

 

これ以上話すといろいろと恥ずかしいので強引に席につき、二人でいただきますをした。

 

「オムレツとお漬物もあるから、ご飯は絶対おかわりすること!」

「いや俺朝はそんなに食べないんだけど」

「だーめ! 男の子なんだからそれくらいは食べないと!」

「お前は俺の母さんかよ……」

「お母さんじゃなくて――カ・ノ・ジョ! だよ?」

「わかったわかった。自称彼女ね、自称」

 

 軽口の応酬はそのくらいにして俺は味噌汁を一口啜った。思わずほっこりしてしまう暖かな味だ。

 

「おお……おいしい」

「じゃあ、()()()()()()()()()()?」

()()()()()()()……はっ! 危うく引っかかるとこだった」

「あははー……。もう一押しだったんだけどね」

 

それからしばらくはお互いに黙々と食べ続ける。俺がご飯茶碗を空にするとレインはすかさずそれを奪い取って二杯目をよそってから俺に茶碗をかえした。全ての料理を食べ終えてから片付けまできっちり終わらせて宿を後にした。

 

 そして、俺のほうから話を切り出す。

 

「これからの事を話し合おうと思う」

「うん!」

「いやさ、何でお前嬉しそうなんだよ」

「だって二人で逃避行するんでしょ? どこまでも一緒だー……的な感じで」

「お前、分かってて話を茶化すのはやめろ。ここで別れようって言ってんだよ。お前だけなら攻略組に戻っても大丈夫なはずだからな。後衛に回ってサポート役に徹すれば十分にやっていける。だから……」

「だから別れるの? なんで?」

 

 なぜ、何故って。それが普通なのではないか? これ以上一緒にいたところで腑抜けた俺には何の旨みもない。もともと、俺に就いてアイテムや経験値を啜ろうとしていたことくらい知っている。

 

 だから打算的に考えるならレインが俺に付いてくる理由は、ない。いや、それは俺の言い訳だ。俺は、ただ純粋に好意を向けてくるレインを忌避しているだけ。今までは『勝手に付いてきている』で済ませることができたが、これからは違う。

 

 コンビであることを自覚した以上は互いに互いを守り、助け合わなければならない。しかし今の今まで復讐に身を投じてきた俺にはその自信がない。好意に応える自信がない。25層のあの時、一緒にいると誓い合った。守り抜くと約束した。それでも今の俺ではその()()を守り切れる自信がない。

 

「これじゃあ嘘つきは俺のほうだ……なんて考えてる?」

「なんでわかる」

「君はかっこつけたがり屋だからね。自分を悪者にしてそれで済まそうとしているんだろうけど……()()()()()()()()?」

「別に、かっこつけたりなんか、してない」

「じゃあ何で君はパーティーを無理やり解消しなかったの? なんやかんやで守ってくれたし、お金ない時も自分だけ野宿しちゃったりしてさ」

「それは……気まぐれだよ」

「ライヒ君は約束を破らないよ! しかもあたしの嘘は全部見抜いてるし、キミを利用しようとしてるのにそれを見て見ぬふりしちゃって! かっこつけ以外のなんなのさ!」

「ったくなんだよ……。嫌ならやめちまえばいいんだよ、こんな関係」

「それは……その、仕方ないんだよ。あたしは、その、だから……」

一拍置いてからレインは言った。

 

「キミに恋してるから。キミを愛してるから、しょうがないんだよ」

 

 頬を桜色に染めて、口元はむずむずさせ、目線は逃げるように斜め下に向いていて、体の後ろで指を組み、心底恥ずかしそうにもじもじしている。俺はそんなレインの様子を直視できずに、顔を背けながらもなんとか言葉を探す。

 

 これだけ自分に好意を持ってくれている女の子を自分の都合で引っ張りまわし、挙句の果てに『別れよう』などと言い出す奴が、今更何をどうするつもりなのだ。俺はその負い目から逃げたくてたまらないだけ。自覚しているけれど、どうしようもない。

 

「本当に気まぐれなんだよ。お前は俺と一緒に行きたいんだろうけど、俺にその気は無い」

「……まったく。だからキミはかっこつけ屋なんだよ。どうせ負い目がどうとか考えて、自分に悪役のレッテル張り付けて楽になりたいだけなんでしょ?」

「お前、本当に俺の事好きなの? ちょっとそうだとは思えないんだけど」

「嫌いだったら何にも言わないよ。言っておくけど他人はそれほどキミのことを見てない」

「……随分厳しいな」

 

 お互い言いたいことは言った。そんな沈黙が流れる。これで完全に終わったな、と俺は思った。深く深くため息をついた。レインは動かない。考えるような仕草をしたまま動かない。そのままの体制で考えて、考えて、考えて、また考えて……。

 

「あ、そうだ! ライヒ君がちゃんとあたしのことを好きになってくれれば解決するんだ!」

「――はあ?」

 

 思わず素っ頓狂な声を出してしまうが、レインは全く意に介さない。俺の腕と自分の腕を強引に組むと、謎の膂力で俺をどこかに連れて行こうとする。

 

「いやーあたしってば天才だね! それじゃあとりあえずデート行くよ! 行きたいとこたくさんあるんだ~」

「おい! どこへ行く気だよ! ちょ、やめ、放せってええぇぇ!!」

 

 何はともあれ、俺の更生はこのようにして強制的に果たされたのだ。この先どんな目に合うのかも知らずに、俺は少し、いやとてもワクワクしながらレインと行動を共にすることを決めたのだ。

 

 

 

***

 

 

 

『君はもう、攻略に参加しなくていい

 

               From Heathcliff』

 

 

 

***

 

 

 

 コンコン、と乾いたノックの音がした。どうぞと声をかけると『仮想課』に所属する公務員を名乗る人物が、開口一番こう言った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 

 

 

 

 

 




 
 半年ぶりです。アクワです。相も変わらず重苦しいストーリーで、しかも前進してない! 文章も色々と影響を受けて作風変わってるかもしれませんが、温かく見守っていただければ、と。


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Fragment Ⅱ

 

 うん? みんな大好きだよ? 誰を一番に助けたいかっていうと色々変わっちゃうけど、ね。


 

「契約、だなんて格好つけて言ったけど。正直大した仕事があるわけじゃないのよね」

「……は?」

 

 今日はいよいよ本格的に活動を開始する集合日。領主らしくアルン随一の超高級宿屋のロイヤルルームで、インプ領主ミズチはしゃらりと優雅に髪を指で流しながら言い放った。

 

「あー、暇ね。こうも暇なんてゲームしてる意味あるのかしら?」

「いやいやいや、作戦とか立てましょうよ。インプ領開けっ()だと作戦バレますって」

「まあ、暇っていうのは冗談なんだけど―――アナタまさか、簡単にスプリガン領の中枢を落とせるなんて思ってないわよね? 作戦だの演習だのの前に、味方の数が少なすぎるの」

「数える以前に二人しかいませんからね」

「うっさい黙る。―――でも、どんなに人数を集めたところでゼノビアの所まで辿り着けるのは二人。パス・メダリオンは分かる?」

「あれですよね、多種族の領地への……通行証? wikiで見ました」

「アイツ……ゼノビアはスプリガンの強みも弱みも熟知してる。プレイ前に全種族を予習した上でスプリガンを選んだらしいわ」

「俺も予習しましたけど流石にコレクターになりたいんでもない限りは選べないスペックでしたよ」

「ホンっト、そうよね。でも、だからこそ滅多にメダリオンを発行しないの。協定で領主と副領主のために各種族へ二つは作ることになってるけど、それ以上は作ってない。国富論っていうのかしら、スプリガンの固有スキルじゃないと発見できないアイテムとかを普通には流通させないようにしてるの。そういうのに限って強い装備の強化には必須だったりするから」

「それで値段を吊り上げて稼ぎまくってると」

「その通りよ、呑み込みが早くて助かるわ。ところでアナタ、元SAOプレイヤーのよしみとかで仲間になってくれそうなプレイヤーに心当たりない? アナタ以上のデタラメなんて流石にいないでしょうけど、誰か強い人いないの?」

 

 言われてみてから、はてどうだったかなと思い返す。一度は色々あってフレンドリストをほとんど空にしてしまったこともあるが、結局は役回り上必要に応じてフレンドを結び直したり新たに結んだりしたので数としては決して少なくはなかった、と思う。

 

 しかしクラインさんやエギルさん、そのた大手攻略組ギルドのメンツが殆どで、普通に友人として接してくれたプレイヤーはほんの一握りだった。一時期俺のファンクラブがあるなんて話を小耳に挟んだこともあるが、一度も遭遇したことはなく、実態も定かではない。他にも成り行きで登録したり、友人として登録したはいいが死んでしまって二度と会えなくなったなんてこともある。総合して考えるに……。

 

「俺、友達少なっ」

「少ないなら少ないなりに誰かいるでしょ」

「うーん……」

 

 何とか覚えている限りのフレンドリストを頭の中で列挙していく。アイルトン、アコール、アスナ、アラスカ、アルゴ、ヴォルフガング……違うウルフギャングって名乗ってた、エギル、カイロネ、カスラナ、カレイド、キリト、クライン、ザザ、さーたん、シヴァタ、ジョニー、スウィフト、ストレア、シトリーン、シノン、シリカ…………プー、フィリア、ネイ、ネクサ、ねんどまん、ナノ…………リズベット、リューネ、リンド、ルクス、レイン…………ユイ、ユウキ。この中で俺たちの悪巧みに乗ってくれそうなのは――。

 

「心当たりがなくは無いですが……ALOにいるかどうかまではちょっと」

「はあ……、ま、そうよね。あの()()()()()()に二年以上いたのなら、VRに戻ってこないのも仕方ないかもしれないわ。作ったのが茅場博士じゃなくてアルシャービン博士だったら結果は違ったかも。博士がALOで立ち上げた《三刃騎士団(シャムロック)》も入団希望者が殺到してるらしいわ」

「へえそんなに凄い人がいたんですか。アルシャ……あ、七色博士のことか!」

「なんでそんなに馴れ馴れしいのよ。七色は名前で、アルシャービンの方が苗字でしょ」

「そうでした……っけ?」

「アナタ知らないの? 博士は日本人とロシア人のハーフ。だからあんなに肌がすべすべで白いのかしら。やっぱりクリームとかに気を使って……」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()。未だ再開の叶わない仮想の恋人は、確かに自分はロシア人とのハーフだと言っていた。それに、レイン――雨。セブン――七色――虹。雨と、虹。()()()

 

 我ながらひどいこじつけだと分かっている。しかし、どうしてかその因果関係は俺の中では違和感なく組みあがっていく。いいや、普通に考えればただそれが繋がっているだけだ。繋がっているから、だからどうした。ただの偶然に決まっている。

 

――いや、たった一つだけ、ある。偶然、幸運或いは運命、と。そう呼ぶにあまりに似つかわしくない出来事が一つだけ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 

 

 年は幼くとも一介の科学者であるあの人が俺ごときをわざわざ探してコンタクトを取ろうとするはずがない。その理由がない。しかし、誰かから紹介されたとすれば? それなら筋は通らなくもない。VR技術の実験がしたい、でもデバッグを取らせてくれる被験者がいない、それでは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()がいるのですが会ってみませんか、それは助かります……みたいな。

 

 それじゃあ俺を斡旋した人がいるとすれば誰だ? 考えるまでもなく菊岡さんしか思い当たらない。それじゃあ目的は? VR人気の復興? 別に俺じゃなくてもいい。 博士への売り込み? それなら納得できる部分もあるが、いまいち的を射ているとは言い難い。だとすると、それじゃあまるで、()()()()()()()()()()()()()()()()、だとでも……?

 

「……あーでも、胸ではワタシ勝ってるから。ただのロリ体系じゃなくてロリ巨乳だから。なのにゼノビアの方が人気あるのはワタシが悪いわけじゃなくて単にアイツが性悪で外面だけが取り柄だから……って聞いてる?」

「えっ、あーっと、ロリ巨乳?」

 

 言ってしまってから、後悔した。お嬢がみるみるうちに涙目になる。

 

「なんでそこしか聞いてないのよこのヘンタイ!」

 

 そう叫んで俺をぶつお嬢。横暴……とは言い切れない。地雷を踏みぬいたのは俺だから仕方がないといえば仕方ない。というか自分の体型好きなの? 嫌いなの? 自分で自分のことをロリ巨乳と評せるのはいろんな意味で凄いというべきか。ぶっちゃけ反応に困る。

 

「ンなこと言われてもですね……」

「何よ! どうせロリはひんぬーが王道とか思ってんでしょ! 横暴よ! ワタシだって好きでこんな体系でいるわけじゃないのに!」

「うん? ライヒは背丈関係なく胸大きい人は好きだよ?」

「おぉい! なに人の性癖言いふらしてくれてんの……誰?」

「ふーん? あーだこーだ言っといて所詮は男なんて胸ばっかり……誰?」

 

 突然乱入してきた声に俺もお嬢も首をかしげる。そして、二人揃って首を何気なく宿の窓のほうへ向けると――

 

「こんにちはー! 正統派巨乳お姉さんのストレアでーす!」

 

――ひょこっと首が、胴体が、覗いていた。さらにこれまた二人同時に俺たちはこう叫びながら逃げ出すのだった。

 

「「ギャーッ! 巨乳のお化けだーーッ!!」」

 

 

 

 事なきを得るのに数分かかったが、ようやくお互い会話ができるくらいには落ち着いた。いや、ストレアの謎テンションはいついかなる時であろうと変わらないのだが。何はともあれ俺には彼女に真っ先にかけるべき言葉があった。

 

「無事でよかったよストレア。ユイちゃんから色々事情は聞いたけど、正直本当に助けられたのか自信なかったんだ」

「そうだね、正直アタシもこりゃ死んだわー、とか思っちゃったし。でもユイの操作でデータ圧縮された状態だったからそこからの記憶がまったくないんだけど……。ここがSAOじゃないってことは無事にクリアできたってことだよね? よかった~」

「まあ、それはいいとして。お前はどうやってこの世界に来たんだ?」

「ライヒがセーブデータをコンバートするときに一緒に引っ張られたんだと思うよ。それで解凍されたはいいんだけど、そこでキャラメイキングさせられてノームにしたらノーム領に飛ばされちゃってさ」

「なんで俺の居場所が分かったんだ? 引き継ぎしてもフレンド情報はリセットされるだろ」

「んー、アタシって何でかナビゲーション・ピクシー扱いもされてるから一瞬でワープできたよ」

「その立派な装備はどうしたんだ?」

「これ? 最初からあったよ」

「ナビ・ピクシーってって手のひらサイズじゃないのか?」

「そうなの? でもシステム上は問題ないからいいんじゃない?」

「すぐにワープしなかった理由は?」

「寄り道!」

 

 何というか、いかにもストレアって感じだ。神出鬼没で謎ばかり残すのに、影がとても薄い。それに、こういっては何だが、ある程度自由になったのなら俺についてくる理由など特にないんじゃないのだろうか。

 

 ナビ・ピクシーだからと言っても俺がストレアを束縛できるわけでもないらしい。キリトらとも仲が良かったのだから彼らのもとへ行ってもいいのでは? ストレア的には姉に当たるMHCP001『ユイ』にも会いたいのではないか。

 

「え? だって楽しそうだから!」

「心を読むなよ!」

「MHCPとしての機能は健在だからわかるよ。まあ、何となくこういう気持ちなのかなーってくらいだけど。あ、そういえば―――」

「―――ちょっと! ワタシをないがしろにして訳わかんないこと話してんじゃないわよ! 誰よその女!」

「ああ、すみません。こいつはストレア。SAOで……そうだな……いろいろ助けてくれたNPCです」

「ストレアでーすっ! よろしくね!」

 

 お嬢は相変わらずハイテンションなストレアを訝しげに見ながらも、領主らしい振る舞いで堂々と名乗りを返した。先ほどまでの子供っぽい雰囲気は一瞬にしてなりを潜める。

 

「ワタシはインプ領主のミズチ。生憎だけど出迎えの兵全員に裏切られたからパレードはできないわ」

「領主様なのに信用無いんだ。変なの~」

 

 ストレアの軽口。しかし、言われたままにしないのがお嬢の楽しいところの一つだ。裏切られたのなら即座に報復し、ケンカを売られたら即刻たたき返す。俺を飽きさせてくれないところは本当に好きだ。

 

「アナタの言う通りよ。でも、そこまで言うならなら……受けてくれるわよね?」

 

故に、問う。お前は信頼を語るに値する、信頼できる存在であるのか、と。

 

決闘(デート)、しましょ?」

 

 

 

 人気のない路地で唐突なデュエルは行われていた。片手で巨大な両手剣《インヴァリア》をお嬢に向けて振るうストレアに対して、お嬢は身長の低さを利用して機敏な動作でストレアを翻弄し隙あらば長さが身の丈ほどもある大鎌《ファルクス=パンドーラ》の凶刃で反撃を試みる。

 

 ストレアが横一文字に剣を薙ぎ払えば、お嬢は体を転ぶ寸前まで倒して回避してストレアの懐まで潜り込む。弧を描く鎌の斬撃の軌道にストレアはさらに内側へ入り込むことで対処して見せる。二人のが初期位置から入れ替わるような形で向かい合い、戦闘は一旦停滞する。

 

「流石は《紫苑姫(タナトス)》、だね。スキルの使い方とか、ステータスの構成とか、隙が無さすぎるよ」

「あら? 大体みんな《死神姫(ディアボリカ)》とか陰気な名前で呼ぶのに、そう呼んでくれるなんてアナタってセンスあるわ」

 

 剣閃の衝突は唐突に再開される。一方が動けば、もう一方は確実に強襲を防ぎ反撃に転じる。お嬢が隙を突き鋭い踵をストレアの頭上めがけて振り下ろす。だが、ストレアは両腕でそれをガードして跳ね飛ばす。

 

 綺麗な空中宙返りをしてから着地したお嬢は、怯む様子もなく果敢に凶刃を振りかざしてストレアに向かっていく。ここまでほとんど一進一退の勝負だが、そろそろ―――

 

「そろそろ終わらせようかしら……? 《ヘッド・ハンター》、《ソウルフォース》、《ブラッディ―・ピーク》、《ダブルハンド》」

 

「まだまだ行けるよっ! 《ストライク・エンド》、《バーストエラー》、《エフェクト・ブースター》、《クリムゾンウェポン》」

 

 お嬢は一貫して相手を崩しつつ一撃必殺を狙い、それに対するストレアも同じく似たような戦術をとる。だが、このように正面衝突になった場合スピードとパワーを兼ね備えたストレアに分がある。

 

 それに、いかにお嬢が領主といえどもプレイ時間という見えないステータスもまたストレアの優位を助長する。そもそもの話―――俺はあまりこの言い方は好きではないが―――ストレアは超高性能のAIを宿したMHCPだ。つまり、相手が人間であればある程度その思考が読めてしまう。

 

 ふっ、とお嬢の武器に紫色の光が灯る。《ソードスキル》。このままスキル同士の鬩ぎあいになればほぼ確実にストレアが押し勝っていた……のだが。

 

 ストレアは何を考えてか、完全に受け切ってから技を出すことを選んだ。自分は後方に回避行動をとりつつ自身の獲物を地面に突き刺して身代わりとする技術。俺が編み出してストレアに教えた、《暗殺剣(アサシネイト)》、《キャスリング》。だが、この技術はストレアが使うには少々難がある。

 

 そもそも《キャスリング》は武器を完全に手放してから、別の武器で反撃することを想定した技だ。両手剣一辺倒のストレアが使うにはそれなりの工夫がいるのだが、ストレアは不完全に行ったせいで、カウンターとして発動させて後ろをとる、という工夫すら無駄にした。

 

 何せ、()()()()()()()()()()()()()()。お嬢の、回転しつつ上昇して放つ範囲六連撃技《カタパルト・コイル》は、当然のことながら大剣と、そのすぐ近くのストレアを巻き込んでHPを消し飛ばした。

 

「ワタシの間合いの中に踏み込めば、誰一人逃れらないわ―――なんてね」

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「ストレアさんはあのお方にちゃんと私たちのことを伝えてくれたでしょうか?」

「う~ん……、ちょっと微妙だよねえ。だってほら、ああいう人だし?」

 

「きっと有耶無耶に」

「なると思いますが」

 

「それでも問題はありませんよ」

「そのための計画なのですから」

 

 平穏な世界ではだめだと、密やかに、どこかで誰かが誰かと話している。森の中? 洞窟の中? それはまだ彼女たちしか知らない。

 

「それじゃあ、そろそろ行こうか。()()()()()()()()()()。留守は()()()()()()に任せれば安心だからね」

「ええ、行きましょう()()()()()()()。私たちの全ては彼のために使わなければ何の意味もありませんから」

 

「私たちはただその一点だけを」

「共にするだけの無意味な集団」

 

「「「「全ては我らが()()()()()()()()》のために」」」」

 

 欠片(フラグメント)は揃った。彼が置いてきたものはやがて揃う。しかし、また別の意思がかの場所で生まれていたことを彼はまだ知る由もない。なぜなら、彼女らは彼の傍にいたわけでもなければ、まともに会話すらしたことのないものまでいる。故に、これは彼の物語から剥がれた欠片ではない。

 

 彼女ら自身の物語、要素(ファクター)と、呼ぶべきなのだ。

 

 

 




 半年? それともそれ以上ぶりですかね……? 相変わらず三点リーダー多めでお届けしました、アクワです。ようやく卒業、進学、その他諸々の片がつきまして投稿できました。私のことは覚えてい―――ませんよね、はい、長らく投稿せずにすみませんでした。
 

 感想その他お待ちしております。



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Fighter Ⅰ

「それはつまり……エイズの発症、ということです。私は、そのきっかけになったのは、彼女の心を痛めつけた前の学校の保護者や教師たちの言葉だと今も信じています」

ソードアート・オンライン7 マザーズ・ロザリオ 214頁12行目 倉橋医師の台詞より抜粋。


 

 ボクの病気について深く何かを考えることは、今ではほとんどない。考えるとすればボクに先んじてしまった両親や、姉ちゃんのこと。それに謳歌兄ちゃんのことだ。従妹にしては珍しくボクらは近所に住んでいて、小学校も一緒だった。小学生だった時の兄ちゃんは……いや、今でもそうだけど。

 

 特段格好いいわけでも、格好悪いわけでも、優しいわけでも、意地悪なわけでも、何でもない男子だった。従妹だったから学校以外ではまあまあ話す間柄ではあったけれど、学校ではほとんど接点がなかった。ボクにもボクの人間関係があったし、どちらかと言うと根暗な兄ちゃんの方からボクを避けていたと思う。

 

 当時のボクは周りに心配をかけないように努めて明るく振舞っていたし、勉強も運動も人並み以上にはできたから友達は多かった。正直言って凡庸な兄ちゃんがボクを避けるのは、そう考えると当然のことかもしれない。でも、ボクの病気がどうしてか学校に露見してからは全てが一変した。

 

 今まで仲良くしていた人たちが揃ってボクから距離をとるようになり、奇異の目を向けるようになり、やがてボクはいじめを受けるようになった。それはもうありとあらゆる手段を使ってボクはいじめられた。上履きをゴミ箱に放り込むなんてまだまだ序の口。教科書や机への落書き、仲間外し、悪口、陰口、夜中に電話で悪口陰口。おしまいには消毒とか言ってバケツで水をかけられたりもした。

 

 ボクは耐えた。胃に穴が開くくらいストレスが溜まっても、眠れなくなる日がずっと続いても、死ぬまで耐える覚悟で学校に通い続けた。でも、ボクも子供だったから当然すぐに限界が来た。これで限界だ、今日がだめならもう駄目だ、そう思って、今度こそ最後になると覚悟して登校した日だった。

 

「そこ、歩いてると邪魔なんだけど」

 

 そう言いながら兄ちゃんはボクを前へ突き飛ばした。この時、今度こそボクは本気で死を覚悟した。このまま惨めに地面に突っ伏して誹りを受けるのかと思うと耐えられなかった。でも、どうしてか倒れない。むしろ、倒す気すらなかったかのようだった。二、三歩押し出されただけだったボクが兄ちゃんにその真意を訊ねようとしたその瞬間。

 

 兄ちゃんの頭上から水が落ちてきた。当然兄ちゃんは避けられずに、そのまま水を被る。頭から足の先までぐっしょりになった兄ちゃんは、絶句する周囲を尻目に上の窓に向かって言い放った。

 

「ちゃんと狙ってから水落とせよなー。コイツはどうでもいいけど俺にまで()()()()()来るだろーが」

 

 どこまでも空気を読まないその台詞には、誰一人として二の句を継ぐことはできなかった。兄ちゃんの空気を読まない行動はそれに留まらない。

 

 わざわざ自分の上履きとボクの上履きを入れ替えて――上履きを全員統一する決まりだったからばれにくかった――取られたらボクの上履きを元に戻す。ボクについての話題が出たら強引に話を逸らす。

 

 ボクが暴力を振るわれそうになったら石を投げて窓ガラスを割って関心を逸らす。とにかく、兄ちゃんは徹底していじめの矛先を自分に向けようとした。そしてすぐにそれは実を結んだ。本来であればボクに降りかかるはずだった嫌がらせや暴力が全て兄ちゃんへ降り注いだ。

 

 ボクには兄ちゃんがいたけれど、兄ちゃんに味方は一人もいなかった。それなのにどうしてか兄ちゃんは相変わらずボクを寄せ付けようとしなかった。

 

 小学校卒業の日、偶然にも兄ちゃんと二人きりで話す機会ができた。青あざだらけの顔を見て罪悪感に苛まれたけれど、どうにか勇気を振り絞って話しかけた。

 

「ねえ、どうしてそんなことしたの」

「そんなことって何だよ」

「だから……なんでボクを助けてくれたのかってことだよ」

 

 兄ちゃんは、始めはボクとしっかり向き合ってくれていたけれど、だんだんと興味なさげに目を逸らすようになった。多分、面倒に感じたんだろうけどそれでも聞かないわけにはいかなかった。

 

 ボクも兄ちゃんも別々のところへ引っ越すことがすでに決まっていたから、話を聞くのなら今日しかない。SNSなんかで聞いたとしても絶対に無視されるであろうことは想像に難くないから。

 

「ねえ、なんで黙ってるのさ。言いたいことがあるならはっきり言ってよ。ちゃんとぶつけてくれないとわかんないよ!」

「特に言うことは無い。つーかさ、そもそもの話だけど()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 誰がそんなこと言ったんだよ」

「何。何言ってるの」

「別に。俺はただ、俺のために必要なことだからやったんだよ。別にお前が虐められてようと何されようと、正直どうだってよかった」

「じゃあ、それじゃあ兄ちゃんは、ボクのことを助けてくれてなかったってこと……なの? そもそもそんなに傷だらけになってまで必要なことって何なの? ねえ、答えて。――答えてよ!!」

「もう全部言ったよ。それじゃあな。病気、治ればいいな」

 

 そして兄ちゃんはボクの前から消えるようにしていなくなった。それからボクは病気の症状が少し悪化して引っ越し先で入院することになって、メディキュボイドの被験者に志願した。

 

 もう一度、ちゃんと病気を治してから兄ちゃんに本音を問いただすために、ボク自身が少しでも強くなるための行為だった。VR世界を旅するうちにラン姉ちゃんやシウネー達と《スリーピング・ナイツ》を結成して、ラン姉ちゃんがいなくなって、お父さんもお母さんも後を追うように死んじゃって、やがてALOにたどり着いた。そしてそんな時に、ボクは謎のバグでSAOに飛ばされて兄ちゃんと再会した。

 

 いつの間にか彼女さんができていたり、SAOでも屈指のトッププレイヤーになっていたりしてびっくりしたけど、本質は何も変わっていなかった。自分のためと言って背負わなくていいものをずっとずっと背負い続けていた。

 

 そして、SAOがクリアされたとき。ボクは激しい虚無感を覚えた。兄ちゃんにはもう会えなくなること。兄ちゃんにとって、命を懸けてもいいほどの人がいること。ボクが何の役にも立てず、あまつさえ剣を突き立ててしまったこと。

 

―――ユウキ……お前もかよ……。なおさらどうやって帰れってんだよ!! 味方もいない! 救済もない! なにもない! 俺には何にもないじゃねえかあああああっ!!!

 

 そしてたとえ何も言わずとも自分のことを理解してほしいと、そんな叶うはずのない傲慢極まる兄ちゃんの本音を聞いてしまったこと。

 

 その全てがボクの弱さを証明していた。VR世界でどれほど強くても、たとえそこでは絶対無敵だとしても、現実世界で何も成せない人間には何の価値もない。そんなことを考えながら、またしばらくメディキュボイドの中で生活すること数か月。新薬を投与された僕は、あっさり病気を克服した。あれだけ苦しんだ日々は何だったのだろうと思わせるほどあっけない終わり方だった。

 

 身寄りのないボクを兄ちゃんの家族は受け入れてくれて、みんなと仲良くできて、いじめられる心配もなくなった。今のボクがここにいられるのは、たとえ本人が否定したとしても、謳歌兄ちゃんのおかげだ。

 

 

 

***

 

 

 

 央都アルンの超高級ホテルで目覚めると、それと同時に『ストレア』が起動して俺を出迎えてくれた。

 

「ライヒおかえり~」

「ただいま。……なんか変な感じだな」

 

 流石に今日は約束も何もしていないのでお嬢はいなかった。いるときはたまに五月蠅いと思う時があるのだが、いないときはいないときでちょっと寂しくなったりする。前回はお嬢がストレアとデュエルをして、そのあと正式にパーティーに入って、そして解散になったはず。

 

 とりあえず前回までの行動を振り返ってみたが、それっきりやることがなくなってしまった。スキリングするにしてもこのあたりでは限界が来てしまったし、さりとてあまり遠くに行くと次の集合日までに戻れるか分からない。

 

 あーだこーだと考えていると、ふと、初日に出会った占い師さんのことを思い出した。装備をいくつか譲り受けて、まだお礼の一つも出来ないままでいる。そういえばロクに武器の詳細も確認していなかったことを思い出して、いろいろ取り出してステータスを確認してみることにした。

 

 片手剣《アルバク=リカラ》、高い物理攻撃値に加えて強力な闇属性エレメントが付与されており、うまくやれば魔法を斬ることができる。

 

 細剣《ミィティア》、様々な鉱石が素材として用いてあり、非常に重いのだが堅牢で、特有のしなやかさがある。

 

 短剣その一《ルー・ガルー》、動物系モンスター特攻。

 

 短剣その二《シャルガフ》、生物科目なんかのシャルガフの法則と関係あるのかと思ったが全然関係はなく、中程度のHPリジェネ効果付き。

 

 結構なものをくれたと思う。だが、もらった時にも思ったのだが、どうしてか俺専用にチューニングしてあるとしか思えないような武器種なのが気になる。そしてもう一つ気になることがある。

 

()()()()()()()()()Accor(アコール)()()()()()()()()

 

 他の装備―――お嬢に見立ててもらった防具類なんかは、一流のテイラーが仕立てたものではあるが全て作成者が異なるのに。

 

 と、いうか。

 

「あの占い師さんがアコールって人で、たまたま売れ残ってたやつを試供品的にくれただけでしょ。普通に考えて」

「え、なに、どしたの急に」

「あ~、突然すまん。ちょっと独り言だよ」

「いやそうじゃなくってね。どうして急に()()()()()の名前が出てきたの? ってこと」

「知り合いなのか? あの占い師の人と?」

「言ってなかったっけ?」

「言ってねえよ……。てかなんだ、ネトゲとはいえ意外と世間って狭いな」

「あ、そーだ。思い出した。また会いたいから自分のことを伝えてくれって言われてたんだった」

 

「あのな、寄り道とかする前にそーゆーのを真っ先に済ませろよ。じゃないと向こうも()()()()するだろ」

「はいは~い。それじゃ行こっか!」

 

 突然ストレアにぐいと、腕をつかまれて窓からどこかに連れ去られる。怖いから放してくれ、自分で飛べるから大丈夫と言っているのにストレアは聞かない。なんとかストラップのようにストレアの付属品となって空を飛ぶこと数分間。のんびりとした平和な空気は突如として終わった。

 

闇妖精(インプ)よ、狩りなさい」

 

どこからともなく弓矢や魔法が雨あられと降り注ぐ。即座に眼下を見渡すが、敵が一人も捕捉できない。

 

「ライヒ! 投げるから急いで逃げて!」

「しばらく頼んだ!」

 

 ストレアが自慢の剛力で俺をオーバースローするのに合わせて翼を展開する。直角に折りたたみ、できるだけ早く街中に逃げ込もうとする。

 

 だが地面に降り立って翼をたたみ、隠蔽スキルを発動させようとしたその瞬間、今まで全く気配を感じなかったというのに、どこからともなく大剣を振りかざすプレイヤーが現れて、危ういところで回避する。

 

 それだけでなく一人、また一人と空間から滲み出るようにプレイヤーが出現する。種族はバラバラで、インプを狩るような発言があったはずなのにインプも存在する。そう、『元』副領主のあのプレイヤーも、また。

 

「おいおいおいおいおい。いくらレネゲイドになったからってそれはお宅のスパイ工作が下手くそだったからでしょ。俺を恨むのは違うんじゃないですかね」

「くひひっ、あのじゃじゃ馬にはハナッから興味なんてねえのさ。全てはあのお方。ゼノビア様の命令でやったことだ」

「それ、そういうとこ。いきなり親玉が誰なのかバラしちゃうそういうところが駄目なんですよ」

「軽口もそこまでだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「俺、人に仕えるとか苦手でさ。うっかり親玉の首とか切っちゃいそう」

「ならば一度死んでから考え直すんだな! 《親衛隊》!! あの餓鬼を木っ端みじんにしろぉッ!」

「やーっぱり、そうなるよな。こーだから集団って嫌いなんだよ。―――《ステルスポジション》、《リィンフォーサー》」

 

 街の暗がりに潜むようにして位置取りを変更すると、影を伝って移動する。

 

「《サイレントブースト》、《ヘッド・ハンター》、《バーストステップ》」

 

 移動の間も立て続けにスキルを発動させていく。相手方も索敵系の集団スキルを使用しているが、こちらを見つけられない。見つけさせない。

 

「筋を、こう、撫でるように……触れるように……」

 

 小石に気を付けるだとか、蛍光色の防具を避けるだとか、わざと地面に体をこすりつけるだとか、そういったほんの少しの工夫を凝らすことで音、光、匂いといった敵の五感が受け取る情報すなわち気配を断ち、一瞬のうちに敵を狩り取る。俺の踏み込み一歩は、致死の刹那に相当する。

 

 敵からすればどこかあずかり知らぬところで剣が振るわれ、気が付けば自分の(HP)は堕ちている。

 

「どこだ、どこなんだッ! 誰かいないのかッ!」

 

 触れれば、落ちる。たったそれだけではあるが、それ故に逃れることの叶わない原始的な恐怖を刻み付ける。

 

「ひッ、ひぃぃっ。分かった。やめるから! 全軍退却! これでいいだろ、だから……なあ、聞けよ!」

「《スター・セイバー》」

「やめてくれぇぇぇっ!」

 

 一切の慈悲も躊躇も感情の動きも無く、息をするように感覚で殲滅した。お嬢ほどではないが、それなりに鍛えている索敵スキルで周囲を見回して戦闘の終了を実感する。

 

「ストレアは……あいつホント派手な戦い方するよな~。()()()()()()()()()()しちゃってるよ……。ぐろっ」

 

そろそろバイオレンスなシーンも見飽きたし、手助けに行こうかな~と翼を出しかけた時だった。

 

「お見事。即席の軍勢を出してみたのはいいけれど、まさか無傷でほとんどやられるなんて思ってなかった。……SAOサバイバーなんてレベルじゃ片付けられないけれど、あなたって何者かしら?」

 

 芝居のかかった拍手をしながら、こちらに歩いてくる美貌があった。待機展開中の翼と、肢体を包む漆黒のナイトドレスを見るに影妖精(スプリガン)なのは分かるが、種族にふさわしくない銀髪を腰まで下ろしており、黄金の相貌は怪しげで魅惑的な輝きを湛えている。

 

 そして俺はインプとしては何の特徴もない容姿をしているが、この人物を知っている。《ALO》公式ウェブサイトに掲載されている各領主の顔写真一覧ページに、この人物は載っていた。

 

「スプリガン領主―――、『Zenobia(ゼノビア)』……」

「あなたのような人に知ってもらえていたなんて、光栄ね。そのとおり、私はそのゼノビアで相違ないわ」

「あなたのような……って、アンタは俺の何を知ってるってんだよ」

「強いわね、とても。しかもただ強いだけじゃない。あなたの剣に宿る本物の殺意……。それが生み出す芸術的なまでの殺戮……。私に、戦闘なんて野蛮なものを最初から最後まで眺めさせのは、あなたが初めてよ?」

 

 知らない空気だ、と思った。尊敬とか敬愛などといった高潔でそれでいて畏まったものではなく、純粋に俗っぽく耽溺していくように()()()()ことに特化したようなカリスマ性を目にしたのは、俺にとってはこれが初めてだった。だからこそ、いけないとは知りつつも、少しだけ惹かれてしまう。

 

「その野蛮な殺戮をけしかけた張本人がいけしゃあしゃあと何を言うかと思えば……。なかなか笑わせてくれそうなこと言うじゃんか」

 

「ふふっ、どうかしら。そんな話をもっとしてみたくない?」

「ここで? 戦地ど真ん中で? 馬っ鹿じゃねえのか」

「そんな無粋なことはしないわ? そうね、今からでもいいのなら私のお家(スプリガン領)に来ない?」

「そこで、どうするんだ?」

「楽しくお話をするの。私のお部屋で、二人きりで、甘いワインを飲みながら、いろいろなことをお話しするの」

 

 駄目だ、と。それは分かっている。ここで行ってしまえばお嬢を裏切ることになる。それは嫌だというのは本音だし、あの美貌に興味が無いことは確信している。でも好奇心が抑えられない。このゼノビアというプレイヤーの為人がどんなものなのか知りたくてたまらなくなっている。

 

「二人でお喋り、しましょう?」

 

促され、呼応するかのように返事をしてしまいそうになる。

 

 

 

 

 

だが。

 

 

 

 

 

「だめだよ」

 

寸前で何者かが俺を引き留めた。

 

「……無粋ね。誰かしら? 私はいまこの人と話して―――」

「《勇者》。君の輝きは影に堕とされるべきではないよ」

 

 腹立たしくなるほど空気を読まない姿なき闖入者にゼノビアが不快感を立ち昇らせて、俺への注視が途切れる。そこを的確に狙って闖入者は動いた。

 

「目を閉じて、それからすぐに後方に走って」

 

 俺の耳元にくぐもったその言葉が届いた瞬間、すさまじい爆音と激光と衝撃波とが俺とゼノビアの間を分断した。

 

 この閃光手榴弾のようなものがアイテムなのか魔法なのかはわからないが、とにかく助かった。そして堰が切れたようにいつも通りの思考を取り戻した俺は指示通りに逃げ出す。

 

「う……くっ、ま……だ、聞こえて、る、かし、ら? 今回は、邪魔、が、入ったけれど、機会はまだ、あるわ。次こそは、あなたを、私のものに、してあげる、から―――」

 

 そんな声も聞こえたが、今の俺には無視できた。あんな有象無象とはいえ、プレイヤーを人形のようにとっかえひっかえするような輩の元には居たくない。ふと横を見ると先ほどの闖入者が並走していた。

 

 藍色を基調とした怪盗を彷彿とさせる軽装に、決して華美ではないが舞踏会にでも着けていけそうな鉄製の仮面をしている。服装こそ青系統ではあるものの、出している羽をみるからに種族は風妖精(シルフ)らしい。かけている仮面によってなのか、声で男か女かを判断することはできない。

 

「えっと、ありがとうでいいのか? お宅俺のこと知ってるの?」

「ああ、知っているよ。《勇者》の一人。《歪なる者》ライヒ」

「なんか、SAO全集のあだ名使われると恥ずかしいんだけど……。まあいいや、お宅の名前は?」

「―――。」

「え、黙るところ?」

「別に、何でもないよ。何物でもない。ただ、君の味方であること。それが重要なのさ」

「はあ……。なんか、よくわかんないけどありがとう」

「それじゃあそろそろ時間だ。僕は行くよ」

「ええっ!? あんなに派手な登場しておいてもう行くの!?」

「大丈夫、また会えるさ。きっとまた会える」

 

 そして怪盗シルフ――名前がわからないので暫定的にそう呼ぼうと思う――は唐突にその姿を消した。そういえば、今の状況に夢中になっていて忘れていたがストレアはどうしたのだろう。

 

「やっべ~……。ストレア置いてきちゃったよ」

「アタシのこと呼んだ?」

「なんでちゃっかりいるんだよ!」

 

 心配するだけ杞憂だった。先ほどの虐殺っぷりを見るに大して手間取ることなく離脱できたに違いない。おそらくナビゲーションピクシーであることを利用して俺の元までワープしてきたのだろうが、ストレアレベルのプレイヤーにそんな機能を与えてはいけないと思う。俺以外は絶対に倒せなくなる。

 

「さて、どうやって宿まで戻ろうか……」

「念のためにマーキングしておいたから結晶で一っ飛びできるよ」

「おおナイス! いや、待て……その結晶はどこから調達したんだ? 俺のストレージからいくつか無くなってるんだが」

「ライヒのだけど?」

「ふざけんな、お前は歩いて戻れ!」

 

 

 

***

 

 

 

「お疲れ様。向こうでのライヒ君は元気にしていたかい?」

「はい。昔と変わらずどこに行っちゃうのか分からなくて、不安になります」

「君には彼がそう見える、と?」

「はい。だから、彼の味方でいるには敵になることも必要だったんです。それでもわたしは、あの選択が正しかったのかどうか分かりません」

「もう済んだことだ。君が望むのなら今度こそ彼の力になってあげるといい」

「そのつもりです。そうしたかったから、この仕事を引き受けたんですから」

「それじゃあ、次も頼むよ。柏坂ひより君」

 

 

 




 今回はストーリーの進行もそうですが、このIFストーリーの中でユウキ生存ルートを採用している根拠を重要視しました。賛否両論あるかな~、と思ったのと、構想段階にちゃんとあったので書くべきだと考えたからです。新キャラを仄めかしつつ既存キャラで押し通すのも段々きつくなっているので、そろそろ大放出できたらいいな……。


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Fighter Ⅱ

 
 逃げられないものがある。目を背けてはいけないものがある。生き続けるにはそれと戦わなければならない。


 ワタシには目で捉えることすら出来ない剣の乱舞が目の前で繰り広げられている。驚くべきはそこではなく四対一の()()は、初めから今の今までたった一人が四人を圧倒し続けていることにある。

 

 繰り出す攻撃をすべて弾き返されている四人も決して弱いわけではなく、一人一人が副領主ないし領主クラスのステータスと実力の持ち主だと()()()()()()

 

 だとすれば残る一人は? 

 

 異様に習得している武器種が多いこと、軒並み上限まで鍛え上げられたスキルの数々、それなりに高級な装備。それ自体は別にどうということはない。

 

 スキリング・ジャンキーはそれこそ腐るほどいるし、どスキル制のこの世界ではスキル値の高いプレイヤーが強いのは当然だ。でも、だとすれば今眼前で起きている戦いはどう説明するべきなのだろうか。

 

 短剣一本でこの場を完全に支配している彼から、ワタシは目が離せない。見たことのない身のこなし、知らなかった足運び、鬼のような容赦の無さ、その全てがワタシの心を鷲掴みにする。

 

 彼とは前に一度戦ったがあの時の彼は少なくともワタシに手こずっているようにいるように見えた。でもあれは魔法システムだとか、大鎌という武器に対してのものであったのだと今更ながら理解できた。

 

 自分でも魔法を使うようになりSAOよりもさらに複雑化した武器の多様さを知った彼に果たしてワタシがどのくらい持ちこたえることができるのだろう。

 

 彼の両肩の後方に向かって垂れ下がるマフラーの先っぽをぎりぎりの所で目で追っているだけのワタシが勝てる道理がない。それよりも、何よりも、(ライヒ)という人間はこうも酷薄に笑うことが出来たのか、と。見ているだけでその表情に惹きつけられた。

 

 初めて出会ったときは飛び降りて死んでしゃがみこんでいた。随意飛行のレクチャーをしたときはへろへろになって文句をぶー垂れていた。冒険中に戦っていた時は結構魔法の詠唱を噛んでいた。副領主(クロートー)に襲撃を受けたときはワタシとシンクロするみたいにして戦っていた、否、戦ってくれていた。

 

 そこまで思いを巡らしたとき、ワタシの中で強烈な葛藤が生まれ、ぐるぐると渦を巻き始めた。それは憧れだった、それは感動だった、そしてそれは欲望でもあった。あろうことかワタシは彼に従いたいと思ってしまったのだ。本来領主として人を従えるべきワタシがそう思うほどに、今の彼が放つカリスマは凄まじかった。ただ()()()()()()()だというのに。……でも彼は、本当に今までの彼にはそんなものの欠片すら無かった。だとしたら一体、いつから──―? 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「あれ、フレンド申請来てる……」

 

 襲撃を受けた日から集合日まで一切ログインしていなかった。あれだけ大暴れした後に出歩いてしまえば目立っているだろうし、恐らくゼノビアも俺の情報をばら撒くはずだ。俺を再び呼び出すためか、或いは、すでにお嬢とのことを悟られてしまっていたら……。しかしあの時ストレアがいてくれてよかった。

 

 土妖精(ノーム)である彼女と一緒にいたおかげで、少なくとも核心には至らないはずだ。恐らく向こうの狙いは口八丁でインプの有力プレイヤーを丸め込むことにあるのだろうから、スプリガンではあるが引き込めなかったという前例もあることだし撃退して正解だった。申請を受諾しながら思いを巡らせる。

 

 いや、それでもあの怪盗シルフに助けられなければ危なかった。お嬢のことを抜きにしても引き抜きに来る可能性は十分にある。そして、恐らくその怪盗シルフだと思われるプレイヤーが俺にフレンド申請をしてきた《Sion(シオン)》なのだ。

 

 なんでシルフになってまで装備を紺色で固めるのかちょっとよく分からないのだが、いつかちゃんと会って話してみたい。特にあの閃光玉か何かについて。そして紫苑(シオン)と言えばそろそろ来る頃だろうか。

 

「アラ、早かったのね。待たせたかしら?」

「いえ、ついさっきログインしたところです」

「ならよかったわ。ストレアはどうしたの?」

「あれ? そういえば今日は見てませんね。まあアイツは俺がいなくても自由に動けるんでまたどっかでウロウロしてるんでしょう」

「はあ……ちゃんと集合日は言っておいたのにこれって何? 本番で遅刻されたらたまったもんじゃないわよ」

「まあ、一応俺がマスターなんで最悪命令すれば大丈夫ですよ」

「それってちゃんと連携取れてるって言えるのかしら?」

 

 それはストレアだから仕方がないと言ってみるがお嬢はやはり不服なようで、相互理解にはまだまだ時間がかかりそうだ。戦力としてみれば一級品で希望にも沿っていると思うのだが、お嬢はそれに加えて人格を重要視したいらしい。

 

 仮にゼノビアを意識してそうしているのであれば、ストレアほどの適格者はいないのではないかと思う。自由奔放にして天衣無縫。ユウキに匹敵するほど扱いづらいプレイヤーだ。ユウキは誰の配下にもならないが、ストレアは現在進行形で俺の配下である。……はっきり言って俺は今最低なことを考えている。

 

 女の子をなし崩し的にではあるが従えていてよかったとか人としてどうなんだろう。近いうちに必ず主従関係を解消したいと考えているが、ナビゲーション・ピクシーを消すということはストレアを消すということになるので、結局ストレアの意向次第になる。

 

「それで今日も仲間探しですか? 掲示板かなんかで募集する……のはダメか。ばれるか」

「面倒なのは分かるけど付き合ってちょうだい。ワタシは今は放蕩領主って感じで通ってるけど、時間が経ちすぎると絶対に怪しまれるからそろそろ仲間集めは終わらせないと駄目ね。集まらなくても何とかするしかないけど」

「まさかとは思いますけど集まらなかったら特攻ですか!? 俺嫌ですからねそんなの!」

「冗談よ、さすがにそこまでやるほど馬鹿じゃないわ。集まらなかったらまたタイミングを計ってやるだけ」

 

 でもいつかはやらなきゃいけない、と言わずとも伝わってきた。俺もそれまでは決して諦めるつもりはない。大切なのは目指すことで、続けていれば必ず叶うものだと俺は思う。今のところゲーム以外では何の取り柄もない俺が、無様であろうとも英雄の一人として数えられるようにまでなったのだから。

 

 だからもう俺は少なくともただのライヒとしてこの世界に関わりたい

 

「さて、そろそろ行きましょうか。観光気分はおしまいにしてしっかりスカウトするわよ」

「行先はどうします?」

「中立の村や街を回るわよ。最短ルートは把握済みだから、目立たないようにできる限り徒歩で行くことにするわ。翼禁止ね」

「うっそだろ……。ALOじゃないじゃんSAOじゃん……」

「文句言わない! ほら、さっさと行くわよ」

「チェックアウトはいいんですか?」

「あのね? 領主っていうのはお金持ちなの。アルンのホテル部屋のいくつかは買い上げてあるから好きに使っていいわよ」

 

 さて、女の子の部屋に入る勇気が果たして俺にあるだろうか。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 アルンの周り数十キロは大草原が広がっている。世界樹の存在のせいで樹木が育つほどの栄養分が無いからなのだとか。世界樹は養分を吸い取りもするが、邪悪を祓う存在でもある。だからこそ央都は初心者を育てる場として機能する。

 

 初心者が多い中でわざわざプレイヤーを狩る奴らもいない。お嬢が言うには今日の目的地の村はその領域に存在しているので襲撃の心配は無いとのこと。所要時間は徒歩一時間弱。あれからしばらくたっているしゼノビアの襲撃はないだろうが、やっぱり何かに襲われる可能性を考えずにはいられない。

 

 あれほど大胆に街中でプレイヤーを狩る奴が存在するという事実だけでこちらは気が気でない。お嬢に件の出来事を言うべきだろうか。ゼノビアと相対してお嬢の気持ちは何となく理解できた。本当に朧げに、なのだが。

 

 ああやって友達を獲られてしまえば、そりゃお嬢はゼノビアを嫌うだろう。多分あの副領主もちゃんと信用したうえで任命したはずだ。それなのにあの裏切り方……。何がどうなればこんなことになるのだろうか。

 

 ──―やっぱり、言わないでおこう。嘘をついているわけでもない。ただ余計な疑いを持たせたくないだけだ。俺はお嬢を裏切ったりしない。

 

「どっかに仲間が転がってればいいですよね」

「仲間はアイテムじゃないんだから……。そんなに焦らなくていいのよ、元から無茶やってるんだから」

「でもいい加減目途くらいは立てておかないとこのままずるずると……って急に止まらないでくださいよ。躓くので」

「アナタ、掻っ切られたいの? ……そうじゃなくて。そこの森、わかるかしら?」

「あの──―五キロ? もっと? 先のあれですか? わかりますけど全然よく見えませんよ」

「そう。あそこの丁度入りやすい入口に、四人」

「狩の前の準備でもしてるんじゃないんですか?」

 

 別に気にするようなことでもない。ゲームなんだからプレイヤーがいて当然だ。いや、何であんな遠くまで見えるのだろうか。そんなスキルを聞いたことがない。遠見をしたいのならスコープを使うべきなのだが……。

 

「いいえ、こんなしょっぱい狩場に出歩くような連中じゃない。武器も防具もアナタに匹敵するわよ」

「えーっと、待ち伏せ型の盗賊グループか何か?」

「そうでしょうね、気づかれないうちに迂回しましょ」

「ま、そうですね」

 

 こっそり「残念」、と呟きながらお嬢について歩く。どうにも最近退屈だ。いい加減強い奴と、俺が苦戦するくらい強い奴らと戦いたい。じゃないと俺はさっさとこの世界から──―。いやそんなことを考えるものではない。

 

 それを考えるのはもっと先のことで、決して今じゃない。何度でも確認しなおすべきだ。ここはSAOではなくALO。俺は既にバトルジャンキーではない。ただただ、この瞬間を楽しめばそれでいい。だとすれば俺のとるべき行動は……。

 

「ああいや、んー。ちょっと思ったんですけど、あいつらを仲間に引き入れるというのは?」

「その心は?」

「金さえ積めば裏切らない……っていうのがSAOでの盗賊の法則でしたから。ここでも割と通じるものがあるのではないかと思いまして」

「ま、誘われたフリして返り討ちにすれば早いわね」

「流石はお嬢。分かってるじゃないですか」

 

 進路変更。俺らは森に向かって真っすぐに進み始めた。およそ五キロ先の森の入り口は、何故だろう、昼間にしてはあまりにも暗く、どう頑張っても奥まで見渡せない。今更ながらやっぱりやめようと言うべきだろうか? しかしこのまま観光気分で足踏みしていても何も変わらない。

 

 ここは多少リスクを負うのだとしても突撃してみるべきだ。ああもう、さっきから思考に一貫性がないぞ、俺。どうしようもこうしようもない。これが最善のはずなのにわざわざ不安を作って立ち止まる馬鹿がどこにいるというのだ。

 

 お嬢は敵の裏を取るからついて来いと言って俺を先導している。死亡状態の俺の姿が見えていたことから何かしら特殊なスキルを持っているのだろうが、五キロあるいはそれ以上の遠見を可能にするスキルに全く心当たりがない。wikiに《死霊目視》みたいなスキルの記載があったのでそれに連なるものである可能性は高いが、今のところは俺にも明かすつもりはないらしい。よほど詮索されたくないらしい。

 

 さて、森に到着したわけだが。俺らはどう攻め込むべきか。

 

「来てみたのはいいけれど、どうしましょうか。一応後ろは取ってるけど……あ、アナタはまだ視認してないのよね」

「そもそも、いるらしいから来てみたって感じなのでよく分かってませんよ。あちらさん方に動きは?」

「いつも通り配置に就いたってところかしらね。散らばってるから各個撃破で簡単に制圧できそうよ。──―あそこ、見える?」

 

 お嬢に指さされたあたりに目を凝らすと、なるほど。確かに武器を構えて何かを待ち伏せしているプレイヤーがいる。俺としても見覚えのあるプレイヤーではない。

 

「それじゃ、殿はアナタに任せるわね。ワタシは後ろから後続をワンキルするから、そこのところヨロシク頼んだわよ」

「ハイヨ。それじゃあ行きますよ……。3、2、1──―GO!」

 

 俺は正面から、お嬢は狙った敵を挟み撃ちにするように後方から回り込む……筈だった。

 

「なッ……! アンタ、何で、こんなっ、きゃあっ!!」

「お嬢!? どうしたんですか、お嬢!!」

 

 それっきりお嬢の声は途切れる。代わりに狙っていたはずの敵が俺に答えた。

 

「ご安心を、彼女に危害を加えるつもりは一切ありませんので。ですが……我々の気分が変わるのを恐れるのであれば、一度木から降りて話を聞いて頂けますでしょうか」

 

 なるほどつまり、用があるのは──―。

 

「俺にだけ用事があるってのか。いいよ、聞いてやる。でもな、もしお嬢をキルなんかしようもんなら……」

「ご安心を。この時点で我々が彼女に危害を加える理由の半分はなくなりましたので」

「……そうかい、わかった」

 

 相手に見えるように、出来るだけ大仰な動作で地面に降り立ち開けた場所に出る。やはり俺たちは意図的に誘い込まれていた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 やはりゼノビアと会ったことはすぐにでも話しておくべきだった。そうでなくともあの出来事はいとも簡単に知られてしまうというのに、俺の無駄な感情が招いたミスだ。俺がケリを付けなければならない。

 

「こんなところに呼び立ててしまったこと、お詫びいたします。本来ならば然るべき場所で然るべき対応をするべきだったのですが、予想外の出来事が起こってしまったので」

「御託はいらない。来るならさっさとかかって来な、いるやつ全員同時に相手してやるよ」

「……やはり、コンタクトの方法が不味かったでしょうか。ですが、()()()()()()()。我々が如何ほどの()なのか、試していただきます──―!」

 

 その声が聞こえるや否や、歌が聞こえてきた。そのメロディはまるで自殺者の歩みめいて陰鬱だ。直に聞いてしまえばそれだけで怖気が走るほどの、不愉快極まる音楽。だが、それだけではなかった。急に体が重くなったかと思えば、俺の死角を突いて何者かが飛び出してくる。しかしここは森である。動こうとすれば物音がするのは必然。

 

 足のホルスターから短剣を抜いてその攻撃を弾き返す。リーチがないためカウンターとして攻撃を加えるには至らないが、初撃を防げれば十分だ。ステータスバーを見れば、いつの間にかデバフが山ほど掛かっていた。

 

「歌によるデバフ……音妖精(プーカ)の歌唱? まあ、これくらいなら問題ないな」

 

 俺は手にしていた片手剣を仕舞うと、短剣を一本だけ取り出して掲げて見せた。

 

「いいハンデだろ。いい加減俺も飽き飽きしてたからな、少しは楽しませてくれよ?」

「あまり舐め過ぎると後悔しますよ──―!」

「後悔したいのさ。いいからさっさと俺をボコボコにしてみろよ」

 

 再度攻撃が来るが冷静に引き付けてガードする。敵は頭をすっぽりと隠すようなフード付きローブを纏っているので顔は見えないが、武器は見える。小太刀とはまたマイナー武器を扱うものだ。

 

 カタナとは別に専用ソードスキルもあった気がするが、リーチのあるカタナの方が断然使いやすい。──―お、鍔迫り合いで押し切るつもりか。受けて立とう。

 

「ほらほら、こっちはナイフだぞ? さっさと押し返して来いよ、はーやくー」

「ちいっ……私ではやはり足りませんか。()()()()! 今です!」

 

「わかったよ」

「攻め込むよ」

 

 次、両脇から全く同時に突撃してくる二つの影。こちらも素顔を隠しているので目線から武器の軌道を読むことはできないが、面白いことに動きが完全に同一なのだ。片方の狙いが分かればもう片方の狙いも自ずと分かる。

 

 小太刀使いを一歩踏み込んで強引に押し返すと、その場で短剣を振るいつつコマのように素早く一回転。同時に弾いてしまえば問題ない。

 

 俺には視界全ての情報を見据えて適切な行動をとるなんて真似は到底できない。だからこそ最低限の情報だけを拾い集めて最小限の思考と行動で対処する。

 

 俺という人間はいつだってそうだった。俺は、どんな時でもそうせざるを得ない。

 

「きゃあっ」

「ひゃあっ」

 

 声も同時とは……。キャラを作ってるのか、それともリアルでもこうなのか。ちょっと興味が出てきた。

 

「流石だね、久しぶりに会ったけどやっぱりすごいや」

 

 場所までは分からないが、今度はデバフの曲の歌い手たるプーカが答えた。

 

「顔は見えないけどお前らなんか知らないぞ」

「うん。それはキミがそういうヒトだったから、仕方ない。でも私たちはキミのことを知っている」

 

 こいつらと何かを話すたびにもやもやとした何かを感じる。俺を知っているということは、SAOサバイバーである可能性が高い、いや、間違いなくサバイバーだ。でも俺はSAOでは嫌われ者だったし、悪態をつかれることはあってもこんな丁寧で穏やかな口調で接してもらえるなんて、そんな謂れは無い。

 

 だが、それすらも今この瞬間は関係ない。迷いを振り切るように眼前の小太刀使いにソードスキルを始動させる。《ソニック・レゾナンス》。

 

「うっ──―」

 

 当然まともにソードスキルを食らえば後方へ吹き飛ぶ。全スキル中最速の軌道を誇る《ソニック・レゾナンス》を至近距離で食らえばガードする術は無い。ノックバックの勢いで後ろの木にぶつかりそのまま崩れ落ちた小太刀使いのフードが、その衝撃で顔から脱げて素顔をさらした。そうだ思い出した。俺は、この人を知っている。

 

「占い師、さん? 占い師さんですよね!?」

「……ばれてしまいましたか。ですが、まだ終わっていませんよ?」

 

「そのとおりだよ」

「試してもらうって、言った」

 

 いつの間にか復帰していた二人組がまたもや切りかかってくる。二人とも獲物は片手剣のようだ。流石にこれ以上まともに相手をするのは疲れるので、しばらく動かないでいてもらう。

 

 剣を引き付けて、引き付けて、体を掠めるギリギリのところで左側の剣に短剣を沿わせ、()()()()()()()()()()。狙い通りに二人は互いを切りつけあう形になった。混乱したのか、二人で訳が分からないままもみくちゃになっている。

 

「残るはお前だけだぞプーカさん。試してやるから、来い」

「本当はもうちょっといろんな歌を聴いてもらうつもりだったんだけど……仕方ないかな」

 

 そうして暗がりから出てきたそのプレイヤーは、果てしなく邪悪な雰囲気を纏っていた。頭には花飾り。アイドルのステージ衣装を思わせる黒装束。そして、闇をそのまま切り取ったかのような漆黒のレイピアが一振り。レインが何かの拍子にひっくり返ったらこうなるのかもしれないと思わせるほどにそのオーラは強烈だ。

 

「シッ──」

「お……?」

 

 突きの速さに反応が一瞬遅れてしまったが、しかしすんでのところでガードには成功する。レイピアによる連撃は超高速でこそあるが慣れてしまえばどうということはない。これだけならば退屈すぎると一笑に付していたところだが、コイツは一味違った。

 

「WO──AA──AA──」

 

 戦いながらあの不愉快な歌を歌い始める。デバフ強化に加えて聴覚に響くこの歌声は正直きつい。しかも、その後ろから復帰してきた他の三人が懲りずに襲い掛かってくる。なるほどなるほど。かなりハイレベルな連携だと思う。

 

 前衛後衛二刀のメインアタッカーに、中型の片手剣使いが二人。二人の連携は特に完璧だ。そして何をしてくるか未だにわからない小太刀使い。翼を見る限りレプラコーンなのだが、あの種族は使える武器の種類が豊富で魔法にも他にない特徴がある。だが、まだまだ俺を倒すには至らない。

 

 強いことも認めよう、面白そうな奴らだということも認めよう。ゼノビアの部隊よりは楽しめたが、それでもここまでハンディキャップを背負わなければならないとは。もはや自分に嘘はつけない。

 

 俺は激しい戦いを望んでいる。前に語ったことは全て撤回しよう。俺は紛いもないバトルジャンキーだ。俺目掛けて殺到する刃を掻い潜りつつ上手く受け流す。相手のテンポをズタズタにしてやるのが目的なのだが、中々上手くそうならならないように立ち回っている。

 

 さて、いい加減デバフを重ね掛けされたおかげで体の動きが鈍くなってきた。短剣だけで相手をしてやるといったが、それも厳しそうだ。ここは相手に賞賛と怒りを送りつつ──―。

 

「ハッ!」

「えっ、拳!?」

「お見事。ハンデがあるとはいえ俺に体術を使わせるとはな」

 

 短剣でレイピア使いを押し戻すと、双子の片方は拳で殴り飛ばし、もう片方は肘鉄で地面に沈めた。小太刀使いは蹴りで小太刀を跳ね飛ばしてやる。さらに追撃の後ろ蹴りでぶっ飛ばしておくことも忘れない。残るはレイピア使いただ一人。

 

 ここまで仲間がやられているというのにあきらめないとは中々の胆力だ。押し返されたとはいえ再度連撃を仕掛けてくる。しかし体術を解放した今なら全く敵にならない。流れるようなスウェーで懐にまで潜り込むと、ソードスキルを始動させた。多段ヒットする掌底での一撃《熊掌(ユウショウ)》。

 

「かっ……は──―ッ」

 

 これで全員地に伏せた……と思ったのだがレイピア使いはまだ諦めない。倒れまいと強引に地面を掴むようにして無理やり体制を戻すと、きつく歯を食いしばりながら滅茶苦茶なモーションからソードスキルを繰り出してきた。その顔は少なくとも女の子がするような表情ではなく、何が何でも負けたくないという言葉が聞こえてくるようだった。

 

 渾身の《ブラスト・スパイク》。

 

 なんの気まぐれか、それとも本当に気合に押し切られてしまったのか。完全に受け切ったと思ったレイピアの切っ先は威力はほとんど失せてはいるものの、俺の心臓のあたりを僅かに貫いていた。四人がかりで、しかも俺に大きなハンデを相手に背負わせてもいた。それでも確かに俺に届いた。

 

 あちら側にどんな事情があるのかはわからない。だとしても、この場は間違いなく俺の負けだろう。相手を舐め切って短剣一本で戦う宣言をした挙句に、体術まで使ったのに受け切れず刃をアバターに通してしまったのだから。

 

「お前、強いよ。《閃光》にも見劣りしないんじゃいのか?」

 

 負け惜しみたっぷりにそんなことを言ってやると、精根尽き果てて倒れこんだレイピア使いは顔を何とかこちらに向けながら言った。

 

「あはは……光栄だね。それでも、キミにこれだけのハンデを負わせた上で私たちはこの体たらく。多分キミがもう一本短剣を抜くか、片手剣に持ち変えるかするだけで戦況は全く違ったはずだよ」

「俺は全員キルするまでやってもいいんだけど?」

「それをキミが本当に望むならいいけど。でもひとまず話を聞いてみる気にはならない?」

「馬鹿か。お嬢を放すまでは徹底抗戦だ」

「ああ、それについては申し訳ない。()()()()()()、二人で降りてきてもらえる?」

 

 疑問を口にする間もなく、言葉通りストレアがお嬢を連れて上空から降りてきた。なんだかお嬢は俺と目を合わせようとしてくれない。

 

「ストレアって、いや、お前何でこんなことした?」

「ん~、アタシたちのお願いを聞いてもらうため、かな?」

「なんだそれ」

 

 訳が分からない。おそらくストレアは自慢の怪力でお嬢を連れさり宥めつつ俺たちを鑑賞していたのだろうが、何か言いたければ調節言えばいい。それともストレアがこの一味の加担者だとでもいうのか。『寄り道』とはこの計画を練るためにこいつらと合流していたことを言っていたのか? 

 

「私たちの要求はただ一つ」

 

 黒のプーカを始めとして、占い師、二人組、ストレアまでもが全員ローブを脱ぎ去り、()()()()()()()

 

「「「「「私たち《明けない夜の住人(ワルプルギス・ナイツ)》を、貴方の配下にして頂きたい」」」」」

 

 思考がすっかり凍り付いてしまった。仲間にするどころか、仲間にしてくださいだと? 当然裏があるに決まっているし、向こうが何を望んでいるのかがはっきりしていない以上おいそれと仲間には出来ない。そもそも《ワルプルギス・ナイツ》ってなんだ。

 

「お前らに何のメリットがあるんだ」

「貴方に仕えること。それこそが我々にとって至上のメリットなの」

「勇者をご所望なら他を当たれ」

「貴方以外に仕える意味がない……。多分何を言っても理解してくれないだろうけど、色々と誤解を招くかもしれないけど、私たちは──―」

 

 ──―《御影》のライヒの()()()なんだ。

 

「は、ははは」

 

 思わず口から乾いた笑いが出た。別に何かが可笑しかったわけでもなく、俺の心がただ無機質にその笑いを発したのだ、と思う。適当な笑いを発さなければならなくなるほどに俺は何を言われているのか理解できなかった。

 

 だから理解した瞬間に何か良く分からない感情がいきなり胸の内からせりあがって来ていた。しかしそれはあまりにも冷え切っていた。俺の感情が急激になりを潜めていくのが分かる。

 

「そんな奴はここにはいないぞ」

「え?」

「だから、《御影》なんてどこにも居ないだろって言ったんだ。お嬢、こいつら人違いみたいです。残念ですがこいつらを仲間にするのは諦めましょう」

「ちょっ、待ちなさいよ。アナタが英雄だなんてこと初めて知ったんだけど? 確かに似てるとは思ってたけど……、()()()()()()()()()()()とアナタじゃ全然違うわよね? ()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 ――……今、何と言った? お嬢は今、()()と言ったのか? 

 

「待て、待ってくれ。放送ってなんだ。俺は初めて知ったぞ、そんなものは。まさか、まさかまさかまさかッッ!」

 

 あの最後の戦いが終始、全て、ネット上で──―

 

「配信されていたのか!!! SAO内部にも、現実世界でもっ!」

 

 だからゼノビアはキリトに接触した。そして恐らくは英雄の一人に似ている奴がインプにいるという情報を聞いたからインプ狩りをしていた。目の前のこいつらも動機は別にあるのかもしれないが、それをきっかけに俺を追いかけてきた。

 

 つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()となっている。それは同時に俺がこの世界でなんのしがらみにも囚われずにはいられないことを意味している。ゲームは飽きたなどと意地を張ってネットを一切合切自分の生活から絶っていたのが災いした。家族や知人も多分俺のことを気遣って黙っていた。何が『人の役に立てるなら』、だ。今更ながら詩歌の言う通りだった。俺がやる必要なんて微塵も無い。

 

「ライヒ……どうしたの……?」

 

 珍しく気遣うようなお嬢の声。もはや隠し通せない。さんざん葛藤した末に俺はぽつりと言った。

 

「言わなければバレない。気が付かないならそれでいいと思ってましたが、無駄でした。俺はお嬢の知ってる通り元SAOプレイヤーで、そして……言ってた放送に映っていた英雄の一人です」

「え、でもそんなのって、おかしい、わよね? だって映ってたのってもっと髪の毛ボサボサだったし、目が完全に逝ってたし……。使ってる武器もただのトレースかなって、思ってて……」

「そうです。俺、身だしなみに気なんて使わなかったし、生き残ることに必死で何にも見えてませんでしたから」

「じゃあ、そんな。本当にそうなら……」

 

 ああ、ビンタの一つも来るのだろうか。そりゃそうだよな。信用してたはずのやつが地雷原とか笑えないよな。仮初めではあるが命を差し出す覚悟で目を閉じると、しかし何も起こらない。そっと目を開けると、そこには──―

 

「すっっっごいじゃない! アナタがあのSAOをクリアしたなんて何かのジョークかと思ってたけど、それなら全部の問題が一気に解決するわ!」

 

──滅茶苦茶目を輝かせたお嬢がいた。

 

「いや、あのですね。俺はその悪気は無かったけど結果的にお嬢を騙していてですね」

「そんな細かいことはどうでもいいのよ。アナタが有名すぎて計画がすぐばれるっていうなら、それを()()()()()()()()()()()()

「その通りだよ《紫苑姫(タナトス)》。私たちも彼にそれをやってもらいたくてここまで来たんだから」

「えーっと……。つまり?」

「察しが悪いわね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「は、ハアアアァァァ!?」

「その通りです。ライヒさん、貴方には《ワルプルギス・ナイツ(われら)》の首魁──―《トリックスター》を名乗って活動して頂きます。そのための下準備は、既に」

「いや待て……そんなことしたらどこでどんなこと言われるか分かったもんじゃねえぞ」

「それすら黙らせるような活躍をすればいいのです。あらゆる誹りは私たちが引き受けます。あらゆる障害は私たちが取り除きます。……貴方はただ──―君臨してくれさえすればいい」

 

 なぜ俺にそこまで拘泥するのかは分からない。ただ俺が格好良く見えたからではないというのは分かるが、すぐには教えてくれないらしい。ここまでの狂信者であれば、ここで断ったところで何度でも付きまとわれてしまうだろう。何より契約主のお嬢が良しと言っているのだから断るという選択肢がハナッから存在していない。俺は、覚悟を決めなければならないのだと思った。

 

 俺は絶対に、この世界から逃れられないのだと。

 

「いいぜ。俺は今から《トリックスター》だ」

 

 

 




 お久しぶりです、アクワです。半年はかかりませんでしたが二か月以上かかってしまいました。でも! 今回ちょっと多めに書いたので! 読みごたえはあるはずですよ! 多分! そういうわけでオリキャラ大放出の回になったわけですが、如何でしょうか。我ながら黒の歌い手ちゃんは気に入ってるんですよ。それぞれのお名前は出せ……ると思います。乞うご期待というわけで。

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Fighter Ⅲ

 誰もかれもが、欲しがりや。





 

 

「それじゃあ自己紹介をしてもらおうかしら」

「はーい! アタシはストレア!」

「アナタは知ってるからいらないわよ。名前とかスキル構成とか、()()()()()()()()嘘をついても無駄ってことは覚えておくことね」

「それでは私から。現副リーダーの《Rhune(リューネ)》っていいます。種族は音妖精(プーカ)

「現参謀の《Accor(アコール)》です。種族は鍛冶妖精(レプラコーン)

 

火妖精(サラマンダー)、《Nei(ネイ)》です」

水妖精(ウンディーネ)、《Nano(ナノ)》なの」

 

「ナノナノ、でいいのか?」

()()、なの」

「あー……、そうか」

 

 メンバー一人一人の表情を観察しながらワルプルギス・ナイツを自称する彼女たちは実に奇妙な集団だと考えを巡らせる。俺をダシにして何か利益を得たいというのであれば理解もできるが、よりにもよって『配下にしてほしい』、『仕えたい』、『狂信者』と来た。煮ても焼いても食えないとはこの事だ。

 

 何処まで信じて何処まで疑えばいいのか皆目見当もつかない。そういえばSAOにも似たような集団があったような気がする。《血盟騎士団》とか《ラフィン・コフィン》とか、あの辺りに近い。

 

 ナイツ(こいつら)の表情はラフィン・コフィンに限りなく近いのが気になるところだが、話せば長くなるし言ったところで伝わないだろう。お嬢がその気になっている以上はどんな事情があろうと共闘することになるし、《トリックスター》の襲名も宣言してしまった。しばらくはメンバーの為人を知ることに集中しよう。

 

「そういえばライヒさん。私の武器の使い心地は如何でしたか? 是非とも感想をいただきたいのですが」

「お前が《Accor》……で、いいんだよな? 感想としてはまあ、如何にもALOっぽいって感じがした。属性とか種族特攻とか――マジック効果に慣れるのに丁度いい。耐久に問題あるから思いっきり振れなかったけど」

「ええ、その通りです。この世界の装備はマジック効果の付与が特徴的ですが、代償として耐久値の上限を削ります。《鍛冶》スキルと《付与(エンチャント)》スキルを両方マスターしていますが、両立しようとするなら一人では《アルバク=リカラ》以上の武器は作れません。ですが、我々が来るまでは本気で戦おうなんて思わなかったのではないですか? 先ほどの戦闘でもかなり手加減されていたようですから。それでもリューネさんの攻撃をああまで完璧に凌ぎ切れるとは思っていませんでしたが……」

「ああ、あれな。モンスター相手にPvPの練習するのはおススメ出来ない。お前……リューネだっけ」

 

 黒のプーカに向き直ると、ギクリとしてこちらから一瞬だけ目を逸らした。表情や気配の隠し方が下手なところを見ると対人経験は殆ど無いと見ていい。本気でPvPを究めようとするならその位の技術は必須になる。確かに気迫は鋭く激しいがそれは劣勢に陥った故のものであり、威嚇を目的としたものでは無い。

 

「モンスターの動きはどこまで行っても人間らしくない。絶対に不意打ちをしてこないし、虚を突くとかの心理戦も出来ないからこれ以上は止めとけ」

「そのぉ、分かっちゃう? 女の子相手だと誰も本気で相手してくれないから仕方なくああやって練習してたんだけど……」

「そういう理由か……。確かにその人数じゃ身内でやるのも限界あるか。いずれにしても、だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。もし生産系スキルを取ってるなら別の戦闘系スキルに変えた方がいい。心理戦が異常に強いアイツだから()()()()()()()なんて芸当が出来る。最低限ソードスキルを通常攻撃で叩けないと話にならない」

 

 事実として俺とレインのデュエルにおいて俺の勝率は七割程度で、純粋な読み合いでは殆ど勝てた記憶がない。ユニークスキルを入手する前までは殆ど五分五分だった筈で、スキルありきでも完勝には至らなかった。ソードスキルが使えないことを承知で二刀を装備し、俺の《ファントム・レイヴ》でさえも()()()()

 

 ソードスキルを二刀で叩き返してインタラプトし、相手が動けない数秒で剣を一本手放してカウンターのソードスキルを放つ。俺のスキル構成を熟知していたり殆ど全ての装備の作成をしていたりするのも要因なのだろうが、あの戦闘センスは本物だと思う。ただし思考が人間のものとは全く異なるモンスターを相手にすると、そのセンスは上手く発揮できない――らしい。

 

 レインと比べれば確かに劣るがこのリューネというプレイヤーも決して弱くはない。気迫自体は相手を怯ませるのに十分な威力を持っているし、鍛えようによっては《閃光》アスナと渡り合える位には強くなれる、と、思う。誰が鍛えるのかは置いておくにしても味方につけておくのには悪くないと思えた。

 

 それはアコールにも同じく言えることで、マスタースミスをタダでこき使えるならかなり美味しい案件となる。装備のメンテの度に足がつかないというのも大きい。

 

「お嬢。リューネとアコールのスキル構成とか、嘘は無いですか?」

「それどころか四人全員シロよ。スキル、アイテム、秘匿(ヒドゥン)バフ。全部見たけど、少なくともどこかと繋がってることは無い……と思うわ。敢えて疑いを掛けるならネイとナノかしら」

「なぜです?」

 

「きっとこれのせい」

「パス・メダリオン」

 

 そういって二人がそれぞれ取り出したのはスプリガンを除いた全種族の通行証(メダリオン)だった。確かにこんなものを持っていればスパイの疑いを掛けていいが、それにしてもこんな事があるのだろうか? 二重スパイ(ダブルクロス)なんてものでは無い。どんな手を使えばこんなことが出来るのだろうか。

 

 もし俺たちが一つの集団として脅威になったその時には、一種族と変わらない地位を手に入れたことになる。まさか、本当にそこまで考えていたのだろうか。俺をそういう立場にするためにここまでの仕掛けを講じていたというのか。

 

「私たち、サラマンダーとウンディーネの親善大使――みたいな立場」

「リアルでも双子だから仲良し。だから送り込んでも角が立たないの」

「それが意外と話題になって色んな所に呼ばれてる内にこうなちゃった」

「ミズチさんとも面識があるから、はじめは私たちが行く予定だったの」

 

 流石に狙って今の状況を作り出したわけではないようだ。だが、ほとんどの領主に顔が利くとなるとリューネやアコール以上に貴重な戦力となる。

 

「ん、つまり予想外の出来事のせいで顔の広さが役立たなかったってことか」

「はい、それはわたくしから説明させて頂きます。まず、リーダーが突然姿を消しました」

「つまりリューネがリーダーじゃないのは――」

「リーダーが存在していたから、という事になります。そして消えたというのは、突然ログインしなくなったという意味です。これまでは日時を決めて集合していたのですが、ここ一ヶ月ほどリーダーはログインしていません」

 

 随分と無責任なリーダーも居たものだ。流石に何も言わずに蒸発するのは迷惑すぎる。

 

「あまり時間をかけるわけにもいかないと判断した我々は独断で貴方との接点作りを優先しました。運よくインプ領で会えた時は興奮を隠すのに必死でしたよ、……フフフ」

「……そうか。それで、そこまでは問題なかったんだろ? 予想外の出来事ってのは何なんだ?」

「貴方がインプとスプリガンの抗争に関わっていることです」

「まだ抗争は始まってないだろ」

「そうですね……言い方に問題がありました。ゼノビアが貴方を欲しがっているのに貴方がインプに加担している、そういう状況になるでしょうか」

「は、ハァッ!? ライヒが欲しいって……あのゼノビアが?」

「そうです。彼女が《Kirito(キリト)》に接触したのは、SAOサバイバーを集めるという目的の為です。特にキリトはスプリガンですし、最も有名なサバイバーです。是が非でも手駒にしたかった筈。それにしても一度振られたからと言ってあっさり諦めたのは腑に落ちませんが……次点としてライヒさんを選んだようです。恐らく元インプ副領主の《クロートー》から伝わったのでしょう」

 

『気をつけろよ。あのヒト滅多に人を選ばないが……見染められたら最後――襤褸雑巾だ』

 

 あの言葉も必要以上に俺をお嬢に近づけないための布石だったのだろうか。他にも根も葉もない噂を流してお嬢の評判を落としていた可能性もあるが、逆にお嬢からすればそれでよかったというわけで――しかしそんな回りくどいことをしてまでSAOサバイバーを集める理由とはなんだろう。

 

 確かにスプリガンは戦闘には不向きで、プレイヤー数も少ない。金でレネゲイドを雇った方が手っ取り早い気もするが、雑兵を集めても仕方ないという事か。先日の襲撃でも確かに部隊としては大したことは無かったが、一人一人見ればまあまあ強い。SAOサバイバーが何人かいたのかもしれない。

 

 あの話術で取り込まれたすれば分からなくはない。ゼノビアの言葉には、何と言えばいいのか、男心みたいな部分を執拗にくすぐられる。思わず付いていきたくなるような、敵だと分かっていても味方したくなるような、いつの間にか心を掴まれている。

 

「とにかくスプリガンの網が広すぎてアルンで接触するのは不可能でした。ミズチさんに不利益な行動を取れば当然敵と見做されますので、ストレアさんにそれとなく誘導してもらう計画だったのですが、その……何しろストレアさんでしたので。悠長に待っているわけにはいかないと判断しました」

「態とらしく誘ったのもスプリガンの情報網を掻い潜るため、ね。こう言っちゃなんだけど、アナタたち随分と無謀よ」

「それはお互い様です」

 

 早くもお嬢はリューネたちと打ち解けているらしい。だがこれは俺のSAOでの負債でもある。良くも悪くも多くの人に影響を与えてしまった、その責任を取らなければならない。ならその影響を最も受けたと考えられる人物のことを知らなければならない。

 

「因みに、元居たリーダーって誰なんだ? 名前くらいは知っておきたい」

「その……隠すわけじゃないんだけど、確認していい? 本当に知りたい? 知った後で後悔するかもしれないよ?」

 

 なぜかリューネは躊躇している。あり得ないけれど、もしPoHとかだったら知りたくなかったと思うかもしれない。でもそれは有り得ない。兄弟(ブロ)が自分以外の他者の為に動くわけがない。

 

「今更誰の名前が出たって驚かない……と思う」

「うん……。そう、そうだね。それじゃあ言うけど、私たちのリーダーは――」

Lux(ルクス)

 

 この場の全員が突然の声の方向を向く。そこにはあのSion(シオン)が静かに立っていた。相も変わらず顔を鉄の仮面で隠しているが最早俺に対しては何の意味も持たない。こんなところで正体を明かす必要性も必然性も一切感じないが、彼女はそっと仮面を外した。切れ長だがどこか物憂げな瞳、ふわりと伸ばした色素の薄い髪。

 

「嘘……どうやってワタシの《貫通透視(アイ・シャドー)》を……」

 

 まずお嬢が驚愕の感情を露わにするが、それには一切取り合うことなく彼女は俺に話しかけてきた。まるで本当に俺以外の存在が見えていないかのように。

 

「待っていたんだ、ライヒ。今度こそ僕はキミと共に行く」

「なんの冗談だ」

 

 かつて俺が師匠ととして仰ぎ、さらには剣の主の如く崇拝していたルクスは俺に向かって手を伸ばしてくる。しかし振り払う。すべては始末した過去の話であり今の俺とは何の関係もない代物だ。この女は俺にとっては憎しみの対象であり、キリトの崇拝者だ。つまり決して分かり合う事の無い敵。それが突然俺の目の前に現れたかと思えば、()()()()()()、などと訳の分からないことを言い出す。

 

 もはや命が仮初めのものとして成り立つこの世界で刃による脅しは効果を持たないが、何十何百と狩ってしまえば流石に追い払えるだろう。手始めにこいつ等に動きを止めさせてから無残にキルする。

 

「敵対の意思が無い事くらい分かってくれないかな」

「お前の存在自体が俺には害だと何故理解してくれない?」

 

 この空気が、俺は嫌だ。常に上から見下されているような、所詮は二番煎じだと嘲りを受けているような、全て反証しきったはずなのにかつての記憶はどれだけ誤魔化そうとも未だ俺を解放してはくれない。どうしてもこの女を相手にすると精神的に竦んでしまう。そんな俺の心境を知ってか知らずかルクスは苦笑した。

 

()()()――キミは僕の事を分かってくれたんじゃないのかい?」

「ああそうだ。アンタはPoHと俺との繋がりを危惧して自らラフコフに乗り込んだ……俺が道を踏み外さないように、自分に注目を向けて俺を遠ざけるため――」

「その通り。キミが怒る理由は何となく察しがつくけど、でも違うんだ。あれは誤解なんだ。決してキミを侮って過保護にしたつもりは無くて……」

「いいや違うね。俺がアンタに幻滅したのはそんな馬鹿みたいな理由じゃない。アンタは俺の親でもないんだからそんな感情は生まれようがない事くらい分かるはずだ」

「じゃあ、どうしてかな? 今の僕がキミにここまで嫌われる理由は?」

 

 今更ながら、と思う。まさかこの女は俺の気持ちを一切理解せずに、自分の行動が全て的外れだったと気付かないまま良かれと思って俺の憎悪を煽っていたというのか? 明確に憎むべき対象が存在することで確かに俺はラフコフに正式に所属することは無かった。そこまではまあいい。だがそれまでだ。どんな理由や目的があったところで、その根底にあるものを奴は自分自身ですら理解していない。

 

 それは、俺が彼女に抱いていたものとは逆のもの。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。俺がPoHに屈すると思い込み、自分の力が無ければ俺は成長できないと思い込み、その全てを否定してやった後も俺が昔のままの俺だと思い込んでる事だよ!」

「違うッ!!」

「何が!」

「僕は――僕はいつでもキミのことを一番に考えていた! 少なくともキミに嘘をついたことは無い! 例え……どんなに形が変わってしまったとしても……信頼し合っていると信じていた」

「もういい、そんな言い訳は聞きたくない。――――今ここで! もう一度、もう一度その面子を叩き潰して……二度と俺に顔向けできない様にしてやるッ!」

 

 そう叫ぶや否や左腰から長剣を引き抜き最速で斬り掛かる――これはフェイクだ――が、態と当たらない軌道をなぞり本命の上段斬りを打ち込む。一撃で首を落としてやるつもりだったが――流石に狙いがあからさまだったか――上手く体を反らされヒットはするが必殺には至らない。

 

 ふざけるな、ちょこまかと避けるな、さっさと落ちてしまえ。まさか、俺の攻撃ならギリギリでかわし続けられるという目論見か? だとすれば――随分とお目出度い頭だ。俺がこの世界でただ遊んで時間を溶かしているだけだとでも思ったのだろうか。

 

 翼を展開して小刻みに一瞬だけ振動させ、通常のステップでは到底不可能な捻転力を生み出し追撃を加える。低空飛行による翼を用いた超高速機動。この世界の翼は飛行するための、言ってしまえば空中戦闘(エアレイド)を行うために搭載された機能だが、応用すれば通常戦闘においても絶大な強みを発揮する。

 

「シッ――ぃ!!」

「ぐっ、あ、あ……」

 

 ルクス――いや、今はシオンだっただろうか。キャラクターを作って間もないせいか――翼で威力をブーストしているとはいえ――通常攻撃でもHPをごっそりと削ることが出来た。これならばお嬢とのデュエルの方が余程楽しめた。これでは俺の相手にならない。これでは俺と同じ舞台にすら立てていない。これでは、これでは――

 

 ――()()()の焼き直しじゃないか。

 

 直後、硬質な金属音と共に俺の剣が止まった。シオンが強引に腕を滑り込ませてガードしたようだが……軽装の癖にそんな丈夫な籠手を装備していたとでもいうのか。いや待て、今の感触は本当に籠手のものだっただろうか? 

 

 籠手に当たったにしては衝撃を吸収された感覚がまるで無い。これは()()()()()()()()()()()()()の感覚に近い。視界の奥の小さなところで僅かに銀色の光が煌めいた。気が付かなかった! コイツは、()()()()()()()()()()()()()! 

 

 これが短剣の投擲であれば回避も間に合っただろうが、それすら問題にならない程の速度で真っすぐ至近距離から発射される矢を不意を突かれてまで回避できる術は、少なくとも俺にはなかった。

 

 正確に右目を穿たれ視界を半分失う。残った左目から部位破壊のバッドステータスが見えるが問題はそれだけではなく、毒状態のアイコンまでがHPゲージの下部に表示されていた。《解毒》系スキルの最上位、《免疫》スキルを以てしても無効化できていないことからこの毒は最高ランクのものだと分かる。

 

 だめだ、視界が安定しない。思考はいつも通り回るが――当然だ――いつも通りの動きが出来そうにない。これでは《異双流》を使ってのまともな戦闘は無理だ。だが……まさか、視界を半分潰されることがここまで戦闘に影響するなんて。他者には散々目潰しを食らわせてきた俺だが自分が食らった記憶は殆どと言っていいほど無い。焦りと怒りがじわじわと這い上がってくる。

 

「畜生、畜生!! 貴、様……!!」

「最初に狙うべきは視界だと教えたはずだよ……。使う前にやられると思ったけど、何故か剣が()()()に来たからね。手加減?」

「仮にそうだとしたら何だ、まさかこれだけで俺に対抗できるとでも思ったか」

「まさか。一応ALO最高ランクの《ヒュドラ毒》を使ったけど、《免疫》スキルを持つ君に二度目が通用するとは思ってない。ボウガンも一度見せれば不意打ちには使えない。まあ、この《毒》はどんなに体制持ってても罹れば確実にHPを七割は減らすから、HPだけで言えば並んだと思うよ。こんな事話してる間にも、ほら――」

 

 確かに、気が付けばこの短時間でHPは大幅に減って黄色の注意域に至っていた。ポーションを飲んでもいいがその隙に、万が一にでも麻痺毒なんて食らわされてしまえば後がない。第一回復してしまえば俺は奴に一杯食わされたことを認めなくてはならない。そんな屈辱を味わってなるものか。

 

 俺は今度こそ冷静に――或いは全力でそれを装って――細剣を抜いた。万全の戦闘は無理だがそれでも俺の全力に変わりはない。向こうも同様に大小長さの違う剣を抜く。SAOにおいてはソードスキルを犠牲にして技術のみを駆使する戦法。レインの《多刀流》とは異なり奴の()()は初めから攻性に出ることを想定している。《一、五刀流》。俺は……言わばその門下生になる。

 

 《異双流》が俺固有のものだったとしても、《一、五刀流》の影響を受けていないかと言われればそれは誤りだ。たかが剣をどう持つかで流派なんて馬鹿げていると思うが、それでも戦術の確立には割とネーミングが欲しくなるもので。俺の《暗殺剣》も対人に特化したという意味で、思考の切り替えに割と重要な役割を果たす、時もある。植物系モンスターに《トグロ》を使ったって仕方がない。

 

 読み合いは殆ど無かった。互いに同時に飛び出して剣をぶつけ合う。向こうも俺を侮っているわけではないようで、執拗に俺の右側を狙ってくる。それだけではなく時折ボウガンによる射撃も織り交ぜてくるので非常にやりにくい。細剣と長剣を持ち変えて応戦することで何とか互角以上に立ち回れているがこのまま一気に攻めるのも難しい。

 

 ――と。

 

「あ」

 

 一撃まともに食らってしまった。ほんの僅かな防御のラグに上手く合わせられた。勿論それ以上の追撃は跳ねのけたが、今のは素直に読み合いに負けたと言わざるを得ない。だがこちらも当然攻撃の手は緩めず、攻撃後の無防備な手首を掴んでこちらに引き寄せる。

 

 一瞬だけ至近距離で視線が重なる。そして強引に引き寄せることで動きを封じ、喉笛につま先を叩きこむ。戦闘詠唱などで魔法を発動されれば、シルフの形のない風魔法によって斬る間もなくHPが消し飛ばされてしまう。故に、喉を狙うことで発生を阻害する。

 

 ――そうか、俺、師匠と互角にくらいには強いんだ。

 

 右目が回復した。広くなった視界に敵の攻撃がよく見える。細剣で攻撃を受け流して体制が崩れたところを《龍爪》で掴む。このスキルはALOにコンバートされたことで仕様が変更されていて、二メートルほどの魔法の腕を発生させることで威力は若干落ちるが凄まじいリーチを誇るようになった。俺はインプなので、腕の属性は《闇》。その巨大な腕で胴体ごと鷲掴みにし、地面に投げた。いつのまにか俺たちはかなり高いところで戦っていたらしい。

 

 そして、とどめの一撃。剣を逆手に急降下する。

 

 剣は――

 

 剣は、奴の顔のすぐ横に突き立った。俺であれば確実に刺せたはずなのに。

 

「……()()、かい?」

 

 ああそうだよ。()()だよ。

 

「――――――ぁ、――ぃ」

 

 声がかすれた。そうだ。俺にはどうしても、これ以上のことは、あの時と全く同じで。

 

 どんなに憎んでいても、どんなに殺したいと思っていても、他にどんな理由があっても、俺にはこの人を殺すことだけは出来ない。絶対に。

 

「で、き……ない。出来ない。あの時もそうだった。レインに止められたけど、多分剣を振っても今みたいになった。俺は――、無理、だ」

 

 理屈じゃない。感情でもない。でも無理なものは無理だ。誰にだってそういうことはある。嫌なものは嫌だし、理由のつけられないものに理由はつけられない。どれだけゲームが上手かろうが俺は所詮子供で、どうしようもないことがあまりに多すぎる。

 

 今までにも喜んでプレイヤーを殺して来ただろうと言われればそうだ。でも殺せない人だっている。

 

 俺は剣を回収するのも忘れて手近な木にもたれかかりそのまま座り込んだ。膝と頭を腕で抱え込む。

 

「アンタ、本当に何しに来たんだよ……。こんな大掛かりな仕掛け――別アバターまで作って、マジでどうするんだよ」

「本当に、やり直したかったんだ。今度こそ目に見える形で君の力になって、それで、何とかあの頃みたいになれたら……って」

「んなこと無理だって分かるだろ……。アイツら……ナイツの連中はどうすんだ……」

「全部話したよ。その上でついてきてくれた。だから、せめてあの娘たちは傍においてあげてくれないかな」

 

 勝手だ。勝手すぎる。もう俺なんてどうでもいいじゃん。英雄でもなんでも放っておけばお互いに何もなしでいいじゃん……。

 

「ちょっと? アンタたち急にバトり出すかと思えば森の端っこまで来て何してんのよ! ゼノビアに見つかったらどうするつもり!?」

 

 お嬢たちが追い付いてきた。特にお嬢は、恐らく全部見てて、その上で空気を読んでくれたんだと思う。

 

「元師匠と戦ってたんですよ。で、これからどうしますか?」

「どうするって……そりゃあ、ねえ?」

 

 なにが、「ねえ」なんだか。何となく面白くて少し笑ってしまった。

 

「えっとじゃあ提案ですけど、疲れたんで解散にしません? 仲間もホラ、結構集まりましたし」

「全く、勝手な行動しても筒抜けなんだからしっかりしなさいよね。そこの……シオン? アンタも参加してくれるってことでいいのよね?」

「うん、僕もナイツだからね。リューネたちと同じだよ」

 

 当のリューネたちはイマイチな表情をしている。俺には仕えてるけどお前には仕えてねえよ、みたいな。

 

 とりあえず俺たちは事前に決めていた目的地まで移動し、そこで宿を取ってログアウトした。ログアウトする直前、師匠と交わしたやり取りを思い出しながら。

 

「リアルで会わない? 僕がキミの所に行くから」

「……。分かった」

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 誰もいない。何処にもいない。

 

 一人ぼっちでの通学。食事。勿論お喋りなんか出来やしない。ただそこにある空のボウルのような孤独を抱えて生きてきた。好きな物も嫌いなものも、他人に合わせることなく自分で決めて、その先はやっぱり孤独。

 

 もう嫌だ。誰かの温もりが欲しい。暖かな言葉を、表情を、感情を、誰でもいいからワタシに向けて欲しい。そう強く願った時には決まって、欲しいものを全部ワタシに向けてくれる人がいるのだ。

 

 ――あら、どうしてこんな所に一人で居るの? 一緒にお弁当食べましょうよ。

 

 そんなのワタシの勝手でしょ。

 

 ――テニスが好きなの? 私は運動苦手だからちーちゃんが羨ましいな。

 

 日頃から運動すれば良いだけじゃない。

 

 ――ねえ、どうして私を避けるの? 一人が好きなのかもしれないけど、私が寂しいの。だから一緒に居てくれない? 

 

 煩い。

 

 ――何処かに遊びに行きましょうよ。二人っきりで、ね? 

 

 煩い。煩い煩い、煩いっ。

 

 ――二人で居れば寂しくない。だから、そんな邪険にしないでよ。ね? 

 

 煩い煩い煩い――っ!! 全部全部! 全部! アンタのせいでこうなったんでしょ!! 

 

 アイツは知っていた。アイツ自身の行動がワタシを孤立させている事を知っていた。ワタシの知り合いを、友達を、全て自分の友達にしてワタシを孤立させた。全てはワタシを独り占めにする為に。溜まったものでは無い。ワタシはアイツの人形じゃない。友達も、一緒に居たい人も、好きな物も、ワタシを取り巻くあらゆるモノは全てワタシのモノだ。全て自分で選択するべきモノだ。決して誰かに譲って良いものでは無い。

 

 だと言うのに何で、如何してワタシは一人なの? やっと見つけた信頼出来る仲間も、笑い合えていたはずの友達も、暫くしたらワタシに興味を亡くして背を向けてアイツに夢中になってる。こんなのって、酷い。辛過ぎる! 酷過ぎる! もうこれ以上耐えられない! 

 

 だからワタシは手っ取り早くアイツから嫌われようと思った。これは譲れない一線だ。これは当然の復讐だ。幸いな事に、アイツがワタシを良く知っている様に、ワタシもまたアイツの事を良く知っている。だからアイツの目論見をズタズタに引き裂いて、ひっくり返して、台無しにしてやる! 

 

 例えそれで私が全てから嫌われたとしても、ワタシは、ワタシがワタシで在る事を辞めない限り、決して歩みは止めないと決めたのだ。これは希望も勝機も無く、只々ヤケクソで始めたモノなのだ。誰にも信用されず、誰も信用出来ない、ひたすらに寂しいだけのモノだった。

 

 でも。ある時運命に出会ったのだ。やっと、ようやっと報われたのだ。ワタシを信じてくれて、ワタシが信じられる人に、ワタシの運命にようやく出会えた! 

 

 他愛ない話を沢山した! 色んな所に遊びに行った! 迷惑を掛けて、掛けられた! 為人を知り合えた! そして何よりも、同じ時を共有してくれた事が嬉しかった!

 

 まるで甘い夢を見ているかの様だ。この甘く蕩けるような夢に何時までも浸って居たい。いっそ溺れてしまいたいとさえ思う。彼さえ隣に居てくれればアイツだって怖くない、復讐さえどうでも良くなる。

 

 だけれど彼は違う。ワタシの事情なんて彼にとっては取るに足らない些事で、ワタシのやろうとしている復讐が面白そうだから付き合ってくれているだけ。場合によってはアイツの目論見の方が面白い、と思うかも知れない。だから期間限定の契約で縛った。人が離れて行くのには慣れているけれど、彼が居なくなれば、きっとワタシは耐えられない。

 

 それに、自分の気持ちを誤魔化すのにも疲れた。ゲームの中でこんな事を思うなんて馬鹿げている。そんな事は知って居る。だとしても、初めての本当の友達で、そして相棒なのだ。ワタシにとっての相棒という言葉は、家族や仲間、友達よりも尊く聴こえる。だから自分に嘘は吐きたく無い。

 

 ――ワタシは、ライヒの事が好きだ。

 

 

 




 お久しぶりです。アクワです。何とか蒸発せずにお送りすることが出来ました! 頑張ってたくさん書いたので亀更新には目をつむって頂ければ、と思います。すみません。そんなわけで、出ましたオリキャラ。たくさん出たのでストーリーも沢山進められそうです。次回も頑張ります!

感想その他お待ちしております。


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Friction Ⅰ


 霞んで薄れ、擦れて消えて、それでも大事に持っていた。



 

 

 

 目覚めは悪くなかった。寧ろ今までで一番いい位で、それが戦闘後の高揚によるものなのか或いは別の理由があるのか――。正直そんなことはどうでもいい。今の俺には会うべき人がいて、そしてそれを待たなければならない。ダイブ中のモニターを担当している比嘉とかいう人が心拍数が高すぎてどうのこうのと言っていたが聞き流した。上着を着込み早足にモニタールームから出ると、すぐ前に彼女はいた。

 

「はじめ……まして」

 

 思わず目を背けてしまいそうになったが、すんでのところでそれを堪えた。なぜなら、目の前に少女はどう見ても違った(・・・)からだ。松葉杖をつき、風が一薙ぎすればそれだけで崩れ落ちてしまいそうなその姿は、俺の知っている『ルクス』とはあまりにもかけ離れていた。

 

 あんなにも大きな存在だった彼女が、現実ではこうなのだ。今、この瞬間に現実味が全く感じられない。そんな彼女はか細く絞り出すような声で言った。

 

「少し、歩かない?」

「そんな状態で無理に歩くのは……よく無いんじゃないですか」

「大丈夫、お医者様からは積極的に動けって言われてるんだ。本当はちゃんとした格好で会いに行きたかったんだけど……中々リハビリが上手くいかなくて」

「それは――女性は、男と比べると、やっぱりその……筋肉が付きにくいって言いますし」

「ありがとう。それじゃあ、行こうか」

 

 どちらともなく歩きだす。冬はまだ過ぎ去る気配を見せない。会話がないのは寒いからだろう、きっと。デートというには二人の距離感は余りにも離れすぎていて、赤の他人というには二人の距離感は余りにも近い。どこまでも行けそうで、それでも俺たちの一歩は微々たるものだった。

 

「そういえば、ちゃんと名乗ったことあったかな」

「ない……と思います。そっちは分かりませんけど、リアルの自分をあんまり知られたくなかったので」

「うん、そうかもしれないね。私は柏坂ひより。君の名前は?」

「俺は、四条謳歌、です」

「ふふ、すごい名前だね」

「もう慣れました。因みに、その……妹の名前は詩歌です」

「妹さんがいたんだね。全然知らなかった」

「はは……」

 

 どうしよう。何を話せばいいのかが分からない。俺はこの少女をどうすればいいのだろう。喜ばせればいいのか? 悲しませればいいのか? どちらにしてもどうやって? そんなことをして何になる? 

 

 『四条謳歌』ではなく『ライヒ』ならこういう時に迷ったりしないかもしれないのに。俺はどうしようもなく弱い。邪魔になるなら切り捨てる、そうじゃなければ放っておく。それくらいの即断即決が出来る強さがあればいいのに。生身の俺は棒切れ一つ振り回せないガキなのだ。

 

「――ごめん」

「は?」

「こんな感じにするつもりじゃなかったんだ。本当は、こんなのじゃなくて、もっと違うようにって……。話したいこともあったし、でもゴメン。何を話したらいいのかよく分からなくなっちゃったんだ」

「それは、俺だって、変わらない――」

「ねえ、もし僕たちがこのまま新しく仲良くなったとして、そうしたら昔みたいになれると思う?」

「それは――多分、出来ない。だって俺たちお互いに分かってて騙し合ってたじゃないですか。いや騙し合いのフリか。アンタは俺を嘲笑う、俺はアンタを憎み続ける。そういう構図を作ってラフコフが俺たちにあれ以上介入できない様にした」

()()()()()()()()()()()()()。始めたのは僕で、君は後から気が付いて乗ってくれた。そうだったよね」

「だからこそだ。だからこそ俺たちはお互いにどうやって信じあえばいい? 嘘を吐きすぎたから分からないんだ……」

 

 口調もぐちゃぐちゃだ。自覚している。昔を装おうとしても取り決めた決まりが俺を縛り付ける。今でも解かれていないそれを抱えたままでまともな関係を築くことが出来るのだろうか。絶対に無理だ。辛いだけだ。苦しいだけだ。

 

「……どうして僕が現実に戻ってもこんなザマなのか、分かる?」

「そりゃあ、喪失感とか体調とか……色々あるでしょう」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。元々リアルに生き甲斐が無かったからSAOに来たわけだし、そこで出会った友達がいなくなれば動く理由も特に無い。勿論リハビリとか食事とか、そのあたりは最低限やってた。それでもやる気が起きない日が続いて、そんな時思ったんだ。君の為なら――ってね」

「正気ですか? 俺をそんな……拠り所にしても、アンタ自身で生きないとなんの意味もないでしょう」

「でもALOで君を探して、出会って、そうやって君の傍に近づくにつれてリハビリも余計に頑張るようになって、体調も良くなってきた。そもそも僕は弱いのさ。誰かに、何かに縋っていないと途端に崩れるような存在なんだよ。アレだよ、この杖だって君の比喩なんだよ? 君が支えてくれている限り――みたいな」

「うっわ……、流石にキモ……。あの、悪いんですけどその杖手放してもらえます?」

「じょ、冗談だってば。とにかく僕は君がどう思おうと君とのよりを戻すために頑張るよ。そもそもナイツだってそういう人の集まりだからね。あの『ライヒ』に会えるなら、『ライヒ』の為になるのなら。そういう変な人間の集まりなんだよ」

「それは、ラスボス戦の影響で?」

「それは切っ掛けに過ぎないんじゃないかな。レインさんを筆頭に、君のファンクラブとして存在していた人たちが君を実感することが出来ただけの話。まあ、その、ややこしくなっちゃったんだけどさ。とにかく君とまた会えてすごく嬉しかった。今日はそれが言いたかったんだ」

「俺は――」

 

 正直なところ、驚いている。こんなにも普通に話せるとは思っていなかったから。現実で再会できた懐かしさや嬉しさよりも、過去への恐怖や憎しみの方が勝るだろうと考えていた。でも、結局はこうなのだ。SAOで最後の最後に会おうと思った時も、今日この時会うことを承諾したのも、結局俺が怒りと憎しみというそれっぽい名目で他者と向き合うことから逃げようとしていただけに過ぎない。

 

 レインと会わないことも、家族の心配をよそにALOに潜り続けているのも、面白そうだからという理由でお嬢(ミズチ)に付き従いつつもリアル優先などと嘯いているのも、全ては俺の怠慢故なのだ。リアルもVRも両立させているようでその実どちらもおざなりなのだ。

 

 それに比べてしまえば俺を拠り所としつつも他者との関りを取り戻そうとする師匠や、自称ナイツの連中のほうがよほど誠実だ。いつだって最後に空っぽなのは俺だ。それに一度は気が付かされた筈なのに、俺はまた同じ過ちを犯そうとしている。

 

 俺も、ちゃんと自分に素直になれたのなら、ちゃんと生き直すことが出来るのだろうか。あの二年間の空白を、ただの空白ではなく俺にとって価値あるものだと少しは言えるようになるのだろうか。その上で家族や友人に向き合うことが出来たのならばきっと俺は――。

 

 今更俺にこんなことを言う資格があるのかは分からない。俺の言葉なんて向こうは望んではいないかもしれない。でもこれは俺には必要なことなのだ。避けては通れない。だから、ちゃんと言わないといけない。でも今の俺にはこんな些細なことが、人と正面から向き合って話すという他愛もない行為が何よりも難しい。

 

 だから立ち止まる。無駄に深い深呼吸をする。突然歩くのをやめた俺を師匠は不思議そうに振り向いて、それだけで覚悟が跡形もなく消えてしまいそうになるが、勇気を振り絞る。

 

「俺も、嬉しい……です。――会えて、話せて、嬉しかった……。人と、向き合うのが本当に、怖いけど、最初がアンタで、よかったって、そう、思い……ます」

 

 半端ではない羞恥心に襲われる。馬鹿じゃないのか他人に何を言ってるんだまるで告白じゃないか俺が好きなのはレインだぞいやこの人には一回告白したけどいや失敗したからノーカウントかいやそうじゃなくて。流石にこれは、駄目だろう。意味が分からない。しかし師匠は引くでもなく嫌悪するでもなくただ柔らかい笑顔を浮かべていた。

 

「うん……ありがとう。僕も、出来る限り君の支えになりたい。だから、これからはひよりって呼んでくれると嬉しい、かな? あはは、何言ってるんだろうね僕って」

「ホント、何言ってるんだかね……。じゃあ、俺の事も、あのー……まあ、謳歌、で」

 

 感情の行き先が分からなくなって、もう滅茶苦茶だ。だけど、もしレインともう一度会えたのなら、もっと近い距離感で、もっと楽しい雰囲気で話が出来るのだろうか。まだ自分の事すらどうにもならないし、会ったところできっと上手くいかない。もしひよりとの交流を通して少しは自分に自信が持てたのならその時にはきっと――――

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「全部許してほしいとは思わないけど、許容してほしいんだ。謳歌君の事を信じ切れない僕は確かにあの頃の僕だけど、それとは別に君とは友達になりたいっていうこの気持ちを、どうしようもないけど捨てられない僕の気持ちだけでも分かってほしい」

 

 ひよりは後にそう語った。

 

「それは何とも……酷い勝手というか」

「別に師匠面するわけじゃないんだけどね、君だって僕とそう変わらないんじゃないかな」

「それは……まあ」

「僕を避けようとする思いとは別に、あえて嬉しいっていう気持ちがある――。そういう我儘みたいな気持ちを押し付け合いつつも、そういう気持ちが互いにあるっていうことを理解して、許容する。そういうのも友達っていう在り方の一つなんじゃないかって。勝手な言い分ですごく悪いけどそう思うんだ」

 

 確かに、それが正しいか間違っているかはまた別の話として、ひよりの考えには確かに頷ける。俺には――おそらくひよりにも――嘘を吐かずに生き続けられるほどの強さは無いし、嘘の一切無い人間関係というのもまた存在しない。

 

 レインと俺がそうだった。嘘だと分かっていつつもそれを許容することでお互いの穴を埋め合わせていた。つまりは今までもこれからもその本質は変わらない。それはある意味歓迎すべきことではあるかもしれないが、その一方で、それは少しだけ寂しい事――虚ろな欠片(ホロウ・フラグメント)だと思ってしまう。

 

 いや、たとえそうであるのならばそれを埋めるのはこれからの俺でなくてはならない。何時までも埋めようとしないから空っぽのまま。それだけの事。その第一歩として、ほんの少しだけ、その努力をしてみるのは悪い事ではないのではないだろうか。

 

「あの、これからちょっと時間あるか? 杖、辛かったら別にいいんだけど」

「特にすることもないから大丈夫だよ、病院にいても退屈なだけだからね」

「じゃあ……何か食べないか? ログイン前にたくさん食べるわけにいかないから腹減って」

「そうだね、じゃあ……ここなんてどう?」

「いや、流石に適当すぎるだろ……。嫌なら嫌って言ってくれていいんだけど……」

「そういう訳じゃないよ!? ただ寒いし疲れてきたから手近なところの方がいいかなって思っただけで」

「にしてもこんなチョイスあるか? Dacy Cafe(ダイシー・カフェ)……。流石にこの店はやばいって……。ヤのつく人種とかいるんだよ絶対」

「まあまあ」

「いやそんな軽いノリで一見さんお断りな店に入っていくな! あ、もうドア開けてる。いやそのへんのファストフード店でいいから! ……あーもう、めんどくさい……」

 

 普段はこういう性格の人ではなかったはずなのだが、これが本来の性格なのか、あるいはたまたま気分で冒険したくなってみたのか。こういう俺が付いていくといった構図はしばらく変わりそうにない。仕方なくひよりの後を追って怪しさ満点星の店に入る。そこには予想通りヤの付く人物――と初見で言われたら納得しそうな人物がいた。

 

 チョコレートのゴーレムですよと言われたらはいそうですかと納得してしまいそうな浅黒くも健康的な肌、そして何よりもその巨躯が目を引く。簡潔にまとめるとエギルさんが店主としてそこにいた。

 

「お、おおっ!? お前もしかしてルクス――それにライヒか? 久しぶりだな! マフラー巻いてんのはこっちでも変わんねえんだな。まさかそっちから来てくれるとは思わなかったぜ、まあ色々積もる話はあるがとにかく座れ座れ!」

「なあ、図った?」

「流石に誤解だね……、こんな怪しい店に僕一人じゃ流石に入れないよ」

「キリトといいクラインといいお前らと言い何でいちいち俺の店の雰囲気に文句言うんだ?」

 

 立ち話もそこそこに俺たちはカウンター席に並んで座った。エギルさんは店主なので当然カウンター越しに俺たちの正面に立っている。SAOでのよしみという事で日替わりランチをご馳走になることに。きっちりお代は払うと言ったのだが、英雄サマからお代は頂けねえなと笑って押し切られた。この人には一生かかっても敵う気がしない。

 

「しっかしなあ、お前らが一緒だとは思わなかったぜ。いつの間に和解してたんだ?」

「さあ……どうでしょうか?」

「俺からもノーコメントで」

 

 別に誰かに語る事でもなければ語ったとて分かるような話でもない。エギルさんはそのあたりを汲み取ってくれたのか、あるいは何もわかっていないのか、それ以上は追求してこなかった。

 

「ま、変わりないようならいいんだけどな。そういやライヒ……じゃなくて謳歌か、お前もうレインとは会ったのか? 今日はたまたまいないのか?」

「いや、まだリアルでは会ってませんね。なんか踏ん切りがつかなくて」

「お前なあ……いくらVRとはいえヤることヤった相手を放っておくってのは無いだろう……」

 

 思わず飲み物を吹き出しそうになった。その勢いで思いっきりむせてしまう。

 

「っ――く。ゲホッ。何で知ってるんですか!?」

「お前らの蜜月っぷり見てるとやってない方がおかしいだろうが。それに向こうのカップルだとそう珍しいコトでもねえぞ?」

「謳歌君、流石にそこまでやっておいて会いに行かないっていうのは不味いんじゃないかな?」

「――え、悪いの俺? ちょっと待ってくれます? これには俺の意思だけじゃなくてレインの意思でもあってですね」

「お前は馬鹿なのか? そんなん会わない理由にすらなってねえ。まあ、まだあっちとこっちで色々区切りがつかないみたいな気持ちも分からないではないけどよ。ちゃんと近いうちに何とかして会いに行け。ちゃんと時間があるうちじゃないと後悔するぞ?」

 

 それくらいは俺だって分かっている。でも、レインは特別なのだ。待っていると約束した。俺を見つけてくれると約束してくれた。嘘だらけの俺たちだったが、最後の最後に交し合ったあの本音だけは信じたい。これこそ酷い独善だ。それでも、今すぐには無理だ。

 

「約束しますよ。いずれ必ず会いに行きます。でも、それが今すぐって訳じゃないんです。それが俺とレインとの取り決めなんです。そこだけは分かってください。あ、ごちそうさまでした。この豆料理すげー美味しいですね。正直アメリカの本場料理って聞いてハンバーガーしか思いつきませんでした」

「あとはピザなんかもそうなんだぜ? 発祥の地って訳じゃねえんだが伝わってからはアメリカの風土に合わせて独自の進化をしたある意味全く別の食い物として根付いてだな――」

「エギルさん、そろそろ僕らは帰りますね」

「オイせめて代金分の話は聞いて行けよ!? ま、また来てくれればそれでいいけどよ」

「あの、本当にありがとうございました。ちゃんとまた来ます」

「おう! 待ってるぜ! ……ああっと、ちょっと待て。渡すの忘れるところだったぜ」

 

 そう言ってエギルさんは俺に一枚の紙きれを渡してくる。二つ折りにされているその紙片には住所、電話番号、そして名前が書かれていた。その名前は――()()()()()

 

「まさか……キリト、なのか」

「ああそうだ。もしお前がここに来るようなことがあれば渡してくれって頼まれた。それと、連絡してくれっていう伝言も預かってる」

「アイツはもうアスナさんとは?」

「会ってるってよ。アイツらの事だから真っ先に会いに行ったんだろうさ。ま、あいつらもあいつらで色々大変らしいけどな……。ま、せっかく出来た縁なんだ。いろいろ考えずに電話の一つもしたみたらどうだ?」

「考えておきます」

 

 そうして俺たちは店を出た。ひよりを病院に送るまで少し他愛のない話をして、次は俺がお見舞いに行くことを約束した。

 

「それじゃあ、またね。ミズチさんともまた話を詰めないと」

「そういえばお嬢のあの……《貫通透視(アイ・シャドー)》をどうやって回避したんだ? 俺もどういう能力化は知らないけど、高性能な索敵はハイディング技術だけじゃ欺けないんじゃ?」

「あれは彼女の工夫に付け入ってみただけだよ。高性能な索敵スキルは確かに強力だけど、その分見えすぎて視界のジャックになるっていう弱点がある。流石にどの程度のモノかは分からないけど……基本的に自分がいるマップ内とその少し先までに絞って索敵しているなら――って推測して、それが当たっただけ。森の上空の空域で待機して、ずっとスタンバってましたってやつだね」

 

「あんな無駄な演出の為によくもまあ考えるもんだ……。まあ、そういうとこが頼りになる気もするけど」

「ふふ、謳歌君にそう言われると嬉しいね。次は『ルクス』のアカウントで行くよ」

「ええ、待ってます。それじゃ」

「うん。またALOで」

 

 帰路についている途中で、家族に連絡を忘れていたことを思い出した。帰ってからは案の定詩歌に詰問を受ける羽目になった。

 

「別に兄さんの自由を束縛しようとしているわけではないんです。ただ、遅くなるなら遅くなると言ってくれないと父さんも母さんも、もちろん私も心配するんです」

「あー、うん。悪かった。ただちょっと友達と会って話込んじゃってさ。次からは気を付ける」

「それならいいんですけど。じゃあご飯にしましょうか……。あ、兄さんは外で食べて来たんでしたっけ」

「いや、晩飯は家でもちゃんと食べるよ。食べないと体重戻らないし」

 

 詩歌は、俺がちゃんと現実に馴染もうとしているのが嬉しいのか少しだけ機嫌を直してくれた。こんなに心配してくれている家族がいるのに、俺が何もしないという訳にはいかない。一日でも早く学校に行って心配を掛けないようにしなくてはならない。

 

「すぐ用意しますから待っててくださいね」

「分かった、待ってるよ」

 

 待っててくれているのは、本当は詩歌の方なのだ。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 色々あって疲れているはずなのに、まだ暗いうちに目が覚めてしまった。横を見るとユウキが気持ちよさそうに寝息を立てている。その様子に少し安心しながら、俺はそっと自室を抜け出した。

 

 時計を見ると午前二時を回ったところだ。流石にこんな時間に起きているはずがない。でもまあ電話を掛けるだけならいいだろう。そう思って、『桐ケ谷和人』なる人物の番号をコールした。当然、出ない。いくらなんでも非常識すぎたかなと電話を切ろうすると、電話が繋がった。

 

「もしもし……」

「あ、えっと、その……」

「もしもし……?」

 

 俺の記憶が正しければ、この声はSAOのキリトで間違いない。こんな時間だ、寝ていてもおかしくは無い。だからここは簡潔に。

 

「ライヒなんだけど、今、大丈夫か」

「――ライヒっ!? ちょ、おま、こんな時間に掛けてくるなよ!」

「なんか、悪い。何となく思い出してな」

「ははは、お前らしいな。俺の電話番号を知ってるってことはエギルの店には行ったのか?」

「ああ、本当に偶然だったけどな。なんか帰り際に連絡先渡されたんだ」

「ああ、お前とはちゃんと会っておきたかったんだ。えっと……ライヒは通う学校とか決めてるのか?」

「SAO被害者の支援学校に通うことになってるけど」

「俺も同じだ! なんか、知ってる奴がいるって分かると安心するな」

「四条謳歌だよ」

「ん?」

「名前だよ名前。現実でもライヒだと変だろ。謳歌でいいよ」

「そうか、確かにそうだよな。……なあ、覚えてるか? ゲーマー同盟のこと」

「『俺とお前』の間柄ってやつか?」

「そうだ。俺はあの同盟、まだ有効だと思ってるんだけど、どうかな」

「どうかな、ってのは?」

「その、なんていうかさ。俺たち改めて友達になれるかな」

 

 言い出しにくいことをどうしてさらっと言ってのけられるんだろうなコイツは。確かにそこがキリト、否、桐ケ谷和人のいい所なのだが、そこがまた苦手なところでもある。でも、ちゃんと自分でも歩くと決めた以上は俺も自分を偽りたくは無い。だからちゃんと答える。

 

「なれるよ、きっと。リアルで会った時は飯でも食いに行こう」

「ああ! 待ってるぜ!」

 

 みんなみんな俺より先に行っている。それでも待っていてくれる。確かに嬉しいのだが、それがどうにももどかしくて、申し訳なくて、そしてほんの少しだけ妬ましい。俺が欠落者であることが浮き彫りになってしまうから。不条理に、自分勝手に、こんなのは不公平だと叫ぶ自分がいる。こんな自分を殺せるのであれば今すぐにでも殺してしまいたい。願わくば、それ位の強さを俺に下さい。

 

 

 

***

 

 

 

 《トリックスター》として生き直すことを誓う。俺は確かにそう宣言した。しかし、だからと言って今すぐに何がどうこうという話になるのだろうか? 俺がその名で立つための仕込みは済ませているとアコールたちは言っていたが、具体的にはどういうことだ? 

 

 お嬢をゼノビアの目から反らすために別の代表者を立てる策は確かに有効かもしれないが、《トリックスター》という固有名詞がどれほど行き渡っているのかが分からないことに加えて、それを俺とどうやって結びつけるのかが問題だ。

 

 

 今日は特に集合日という訳でもない。バイトの日だからログインせざるを得ないが、派手に狩りをして目立つわけにもいかないので暇極まりない。だから村のベンチに腰掛けて適当な考え事をしているわけだが、はっきり言って俺の考えごときには何の生産性もない。これまた仕方なく所持スキルや魔法の説明に目を通してみる。

 

 既に散々読み込んだ後だ。じゃあ次はヘルプのスキル説明画面。この世界にサーバーに数が限定されているスキルや魔法、いわゆるユニークは初めからは存在しないが、ある特定の条件を満たし、なおかつそれがNPCに認められ実績として開放されることで手に入るユニークがある、かもしれない。

 

 ただそれは完全にランダムで、並大抵の事では手に入らず、決まった入手法があるわけでもない。あくまでコンピューターの判断で生成される……。

 

「久しぶりだナ、()()()()

「うおおおっ!?」

「なんダ? そんなに驚かれるとおネーさん傷つくゾ」

「アルゴ……。お前、来てたのかよ」

 

 完全にノーマークだった《鼠》のアルゴが唐突に表れる。SAOナンバーワンの情報屋であり、歴戦のフロントランナーでもある彼女はやはりお馴染みのフェイスペイントを張り付けていた。お陰ですぐに彼女が彼女だと分かる。

 

「まあナ。SAOが移植されたとなれば来ない理由が無いからナ。ライライもどうせ同じだロ?」

「――。ライライ呼びは変えないのな。流石に呼びにくくないか?」

「こういうのはリズム感なんだナー。こういう親しみがリピーターを呼ぶ切っ掛けにもなるんだヨ」

「あ、そ。それで? 売れる情報は特にないし買いたい情報も特にないぞ」

「残念だけどそれはこっちが決めることだヨ。最近インプ領主が見境なくレネゲイドを集めてル。特にサバイバーは歓迎していて、結構な人数が集まってるのは知ってるカ?」

「なんだ? サービスとは随分気前がいいな」

「その上で《トリックスター》を首魁とする《ワルプルギス・ナイツ》って集団がかなり派手に活動を始めてる。そのメンバーがみんなそこそこALOでも名の知れたサバイバー達……。そこでライライにも話を聞きたくてわざわざ来てみた訳だけド。どうダ? 何か知らないか? なくても何かしらライライの見解を聞きたイ。謝礼は弾むヨ」

 

 そうか、俺の《トリックスター》としての役割は、()()()()()()()()んだ。俺はもう、後には引けない。

 

「報酬も謝礼もいらないな。その代わり喧伝してくれないか? 逆にこっちが金を積んでもいい。あらゆる場所に伝えてくれ。()()()()()()()()()()ってな」

「それはまた……随分と面白くなりそうな話だネ。何をやらかそうとしているんダ?」

「それは今明かすことじゃないな。破壊、そして創造。両極に位置するものを司るのが《トリックスター》っつー存在だ」

「インプとの関係についてはどうなんダ?」

「それも今明かすことじゃないな。安心しろ、何かするときは一番にお前に教えてやるよ」

 

 お嬢に尽くすと決めたのなら、俺もまた自分の身を削ろう。心身ともに彼女の下僕となるために、心労すら厭わないと態度で示そう。中途半端はしないと誓った。ならば徹底的に。誰もが今更と笑うかもしれない。或いは俺の名前に驚くだろうか? それでいい。俺は俺に出来る方法で、過去の責任を取ってやろうじゃないか。

 

 求められるがままに、俺はここに在り続けよう。

 

 

 




 お久しぶりです。ほんっっっとうにお久しぶりです皆さん、アクワと申す者です。最後に投稿してから半年……とはいきませんがおよそ五か月。大変お待たせしてしまい申し訳ありません。特に何かがあったわけでもありませんが、きわめて個人的ながらのっぴきならないあれこれがありまして……。それでもこうして投稿できたことを嬉しく思います。初めて見てくださった方、そして辛抱強く待ってくださった方、これからも改めてよろしくお願いします!



感想その他お待ちしております。


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Friction Ⅱ

 
 欲したものは遥か彼方へ。


 

 夜眠る前に、ふと嫌なことを思い出す。そんな時がある。俺にとってのそれは大抵SAOでの出来事だ。SAOに幽閉される以前の記憶は、どうしてかよく思い出せないままで、それを家族や医者には打ち明けてはいるのだが、今はそれでいいという答えだけが返ってくる。

 

 自分の心を守るためだけに殺し尽くした決して少なくないプレイヤー。名前も、顔も、俺の脳裏に焼き付いたまま一時たりとも離れたことは無い。モンスターを斬った時とは明らかに違う生の感触。薄赤いダメージエフェクトは、暗いせいか飛沫を上げる鮮血に見えた。そいつらは毎晩毎晩代わる代わる変わる変わる俺に囁くのだ。

 

『ナゼ殺シタ』

 

 そんな時、俺は決まってこう答えながら、現実には在る筈の無い剣を手にそれらの悉くを惨殺する。

 

『俺ノタメダ』

 

時折、脳の奥がジクジクと痛むのは何故なのだろうか。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 突然声にならない声がボクの耳をつんざく。悲鳴? 断末魔? それとも別の何か? いずれにしても正常な人間が出せるような声では決してない。起きているのか寝ているのかも定かではないままにベッドを殴りつけ始める兄ちゃんを必死に抑え込む。

 

 不幸中の幸いというべきかボクよりも痩せこけた病人のようなその体では大した力は出せていない。それでも本気で暴れるものだからボクだけでは限界が来る。遅れて騒ぎを聞きつけて来た叔父さんや叔母さん、詩歌がやってきて家族全員で無理やりに押さえつける。そうでもしないとずっと暴れ続けるのだから仕方がない。

 

 体の自由を完全に奪われても尚絶叫し続ける謳歌兄を、みんなが辛そうな表情で見ている。詩歌は泣きながら兄ちゃんの腕に縋りついている。

 

 やがて発作が収まると、兄ちゃんは安らかに寝息を立て始める。これからどうなるのかは分からないけれど、一度収まれば少なくとも朝までは大丈夫。

 

 兄ちゃんは紛れもない病人だ。現実に戻ってからずっと「解離性障害」という、精神の病気に侵されている。現実と仮想の狭間で苦しみ続けている。起きているときは優しくて、格好良くて、頼れる兄としての顔で生活している。それは決して自身を偽ったりだとか、仮面を被っているわけだとか、そんなことは無い。

 

 でもSAOに囚われる以前の四条謳歌という人間は、()()()()()()()()()()。確かに良く分からない部分に於いては底抜けの善人ではあるけれど、他人の理解を得られず自分を追い詰めて、それに耐えきれず引きこもりになってしまった。

 

 つまるところ、『二年前の四条謳歌』と『今の四条謳歌』は余りにもかけ離れすぎている。死んだら死ぬ世界で――その本質は現実もVRも変らないけれど――選択の自由はあれどほとんど戦いを強要されるなんて実際凄まじい恐怖だ。そんな中で文字通り死に物狂いで生き残ろうとすれば、その精神の在り方は不可逆的に変質する。そうなって然るべきだ。

 

 SAO帰還者の中には実際に症状の大小はあれどもその『乖離』を発症している人はたくさんいる。兄ちゃんもそのうちの一人という訳だけど、その症状は考えられる中でも最悪だ。SAO事件以前の記憶の欠落、人格の変質、そして睡眠時の発作。

 

 なんで睡眠時に起こるかと言えば、それがフルダイブの状況と似ているから――らしい。向こうの世界で負った傷の後遺症、恐怖や怒りや憎しみや悲しみや嘆き、そういった度を越えたストレスの発散の為なのかそれとも何か恐ろしい夢を見てしまうとか原因はたくさんあるらしいけど、眠りにつくと途端に暴れだす。

 

 普段はSAOで培った常軌を逸した精神力でほとんど無意識に抑え込んでいるらしい。と、いうか、それ以外に説明がつかないとお医者さんは言っていた。それでも時々喜怒哀楽が不確になったりすることはある。

 

 兄ちゃんは、今はまだ、自分の異常に気が付いていない。自分で本当の自分に気が付いてしまえばどうなってしまうか分からない。だからこそ兄ちゃんにはまだ仮想世界が必要で、だからこそボクたちは兄ちゃんが『バイト』することを認めている。菊岡さんが兄ちゃんに説明した事柄は半分は本当で半分は嘘だ。

 

 新型機のテストというのは本当だけどそれは兄ちゃんをバイトと称して仮想世界に連れ込むための方便に過ぎない。ルクスさんたち昔の友達や、兄ちゃんに心酔するプレイヤーを接触させたのは余計にVRから離れにくくさせるため。

 

 SAOのデータ引き継ぎも同じ。全ては心の治療をするため。仮想世界にいる間はいくら脳波やバイタルチェックをしても受けた本人は気が付けない。まだ兄ちゃんは未成年だから、とりあえず叔父さんや叔母さんの承諾があれば何とかこっそり治療が出来る。実際ほんの少しづつだけど改善はしてきている。

 

 それでも、ボクは近いうちに間違いなく決壊するのだと思う。SAOで何度か剣を交えたからこそ分かってしまう。兄ちゃんは余りにも()()()()()に長けすぎている。両利きという特徴を存分に発揮できるのはシステムの理解でも増してやレベルやスキルの高さでもない。

 

 自分から決して逃げず、ひたすら向き合い続けているが故に自分の動きを自分に最適化できる。彼の苦悩は逃避じゃない。自分にとっての最善を追い求めていなければああまでして自意識過剰になれはしない。

 

 そんな兄ちゃんが自分の異常に気が付けない筈がない。それでも兄ちゃんがあんな理性の欠片もない獣のようになってしまうのはあんまりにも嫌だから。ボクはそれを抑えるために兄ちゃんの部屋にいる。

 

 少なくとも、本当は誰も傷つけたくない人であると信じているから、傷つけている事実を隠すために、何とか顔にだけは拳が当たらない様に努力している。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 小雨の中を走っている。寒いようであまり寒さを感じない変な天気だ。距離もスピードもだいぶ鍛えられてきて、もうすぐ目標に到達できそうだ。もう一ヶ月もすれば入学前の学力検査が実施されるし、ALOでも決戦の日は近い。勉強も、運動も、遊びにも手は抜けない。

 

 遊びというよりは仕事なのだが、最近はそのあたりの区別があまりないような気がする。寧ろ現実よりも向こうの方が濃い――なんてのは流石に冗談だが。多分もうすぐ、俺は俺を取り戻せる。

 

 VR世界との決別は難しいかもしれない。それでも現実に適応出来るようになるのは時間の問題だ。家族との間にできた二年間の空白を乗り越えてようやく俺はスタート地点に立つ。

 

 速く、速く、もっと速く。

 

 たとえ追い越すことは叶わずとも追い付くことくらいは出来るはず。俺にとって現実は未だ遠い存在だ。

 

 家族もいる。友達もいる。だから大丈夫。

 

「それで、今日はどうでしたか兄さん?」

「残り三キロでダウンした……、まあそれ自体はいいんだよ。目的は体動かすことなんだから」

 

 両親は共働きで居ないので、今は春休みで家にいる詩歌と昼食をとっている。木綿季は定期健診のため病院へ。約束通り、二人で一緒に作ったオムライスだ。一緒に作ったとは言っても俺は材料の一部を切っただけで実際の調理や盛り付けは詩歌がやったのだが。

 

「健康なのは大事ですが、だからと言って刃物で遊ぶのはやめてくださいね。怪我でもしたら大変です」

「あはは……。それについては申し訳ない。もうしないよ」

 

 ついクセでやってしまった。SAOでナイフを弄んでいたように、本当に無意識に包丁を手の中で転がしていた。俺が未だ現実から遠ざけられたままなのはこういう部分なのだろう。こんなトレーニングはもう俺には必要ない。いくらなんでも危なすぎるし、俺はともかく詩歌に切り傷を負わせるなんて事態になれば取り返しがつかない。

 

「お勉強の方は調子がいいみたいですね。高校入試の過去問題もかなりの高得点でしたし」

「詩歌のおかげだよ。教わってなかったら落第点は確実だ」

「教わるだけで点数が上がれば苦労しませんよ。さ、早く片付けましょう。検査があるのは木綿季さんだけじゃないですからね」

「はいはい。そうですね――っと」

 

 詩歌は優秀だ。俺の妹とは思えないほどに勉強も出来るし、運動神経も抜群で、社会性も高い。二年前の詩歌の事は正直あまり覚えていないのだが――ほとんど部屋に引き籠っていたことくらいしかそもそも覚えていない――たぶんずっとそうだったんだろうと思う。

 

 俺なんかとは比べ物にならない程の、紛れもない天才。そんな彼女の事を俺はきっと尊敬していただろうし、それと同じくらいには恐れていたのではないだろうか。両親は俺ら兄妹を平等に愛してくれてはいるが、畢竟褒められることが多いのは詩歌の方だ。

 

 果たして何も出来はしなかったであろう俺に、ここでの居場所はあったのだろうか。いや、きっと無いと感じていたから引き籠りに成り下がっていたのだろう。

 

 SAOクリアの功労者であるという以外、俺には価値がない。だから必死でやる。運動も勉強も遊びも仕事も。

 

 俺が擦り切れてなくなってしまうまでは、やる。

 

「兄さん? そっちにもう食器はありませんか?」

「ああ、無いよ」

「分かりました、あとはやっておくので兄さんは早く出かける準備をしてくださいね。電車の時間は確認してありますか?」

「大丈夫だよ。そんな年寄りじゃないんだからほっといてくれてちょうどいい位だ」

「はは……放っておく、ですか」

「そうだよ。みんな過保護すぎるんだって」

 

 多分これはいけなかった。余りにも調子に乗り過ぎた。俺がみんなにかけている負担をほんの僅かでも考慮しているのならば言ってはいけない事だった。

 

「ああ、いや、ごめん。そんなつもりじゃないんだ。迷惑だとか、うざったいとかじゃ、ない」

「放ってはおきませんよ」

「分かってる」

「家族としての義務ですから」

「うん」

「責任でもあります」

 

 詩歌はこちらを見ていない。俺を見ないで俺を気遣っている。そりゃ怒る。無神経に過ぎる。それでも家族というだけで、兄弟だというだけで溜飲を下げてくれようとしている。

 

「だから、そんなことは言わないでください。お願いですから、兄さんの助けにならせてください」

「ありがとう」

「……もう時間ですよ。早くいかないと」

「そうだな。……行ってくる」

 

 俺は最低の畜生だ。

 

 最低だ、最低だ、と繰り返し声に出さずに呟いた。自分の心の汚物を吐露出来るなら腹を切り裂いても構わないと思った。電車の揺れが酷く胸糞悪い。気が付くと検査を執り行う予定の病院に辿り着いていて、俺はジェルベッドに横たわっていた。目を閉じても鼓動がうるさい。いつもなら少しは微睡めるのに。

 

 俺の事をいつも担当してくれている医者が開口一番。

 

「順調ですね」

 

 そう言った。

 

「順調ですか」

「ええ。栄養状態も良好、身体に異常なし、この春からしっかり学校にも通えるでしょう。ご両親にも診断書と一緒にその旨をお伝えしておきますね」

「あの」

「SAO帰還直後と比べると感心するほどの回復です。貴方なら学校に通い始めても問題なく――」

 

「あの、先生!」

「……ああ、すみません。何か心配事が? 何かあれば相談に乗らせていただきますよ」

「えっと……俺、その、俺の――心っていうか精神に。問題ないですか?」

「何か心当たりでも?」

「いや、自分では……何も」

 

 分からない。分からないのだが、はっきりさせないことにはどうにもならない。俺のデリカシーの無さや、優柔不断さや、挙動の不審さをSAOに押し付けたい訳ではない。ただ俺が今どういう人間なのかを把握しておきたい。

 

 素の俺が明らかにおかしいのであれば正せるように努力もしよう。だから、せめて、身近な人にとって俺が普通であるように。

 

「そうですね……。私は精神科学を専門としているわけではありませんから何とも申しようがありません。ただ、あくまでも一般論を申し上げさせていただくとするならば、SAO帰還者は例え何の異常も持っていなかったとしても、ある程度は異状者として見られます。それは仕方がありません。ですが、誰が悪いわけでもありません。実際にSAOにいた方々も初めからこのようなことになるとは思いもよらなかったでしょう。だからといって個人によって程度の違いはあれども二年間も戦闘に明け暮れていた異分子を簡単に認められるほど世の中は寛容ではありません」

「重々承知の上です。だから俺は、なんとか、ちょっとでも馴染もうとして」

「四条さん、確かに世間は狭量です。ですが努力する人間を見放せるほど非情ではない。だからこそ国も支援をしているのですよ。自分を責めてはいけません。今は実らずともいつか必ず成就します。実際貴方は恵まれているではないですか。帰る場所があって、貴方の帰りを待ってくれていたご家族もいる。ですから、もっと自信を持って」

「――はい」

 

 口がわななく。待ってくれていた家族の対する罪悪感と、感謝が募る。真っ直ぐに帰ろう。そしてもう一度頭を下げて謝ってから感謝を伝えなければいけない。それが俺の義務であり責任だ。貰ったものを僅かでも返そうとすることが何よりも大事なことなんだと、思った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 同じ病院の木綿季はもう少し時間が掛かるらしく、大ロビーのソファーで携帯を弄って時間を潰していた。患っていた病気が病気だ。後遺症や再発も今後数年は危惧しなければならない。

 

 それにしても流石は大病院、平日の夕方でもそこそこ人がいる。大半がお年寄りなので知り合いなどいるはずもないが。久々にプレイしてみたソシャゲはかなり進化していた。

 

 3Dグラフィックなんて今や当たり前のものと化している。ガチャという文明はまだまだ健在のようだがそれは仕方がない。ゲーム開始ボーナスで配布されたアイテムであらかたガチャを引き終えると、そこでもう飽きてしまった。

 

 今日は感情の振れ幅が大きすぎて疲れた。木綿季はまだだろうか。悪いんだけどお前の義兄は飽きっぽいぞ。

 

 人の動きをさりげなく目で追っていると、どこかで見たようなイケメンが居た。なんだったか。少し前に七色博士と引き合わせられた折、一緒に紹介された助手の人だ。確か……スメラギさん。多分『皇』と書いて『すめらぎ』と読むのだろう。詩歌が「えっと、多分…」と教えてくれた。隣にいるのは七色博士だろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何故。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な ん」

 

 比喩じゃない。間違いなく現実に起こった事だ。一瞬頭が真っ白になったかと思えば、その次の瞬間には心の内から見るも悍ましい黒い何かが噴き上がり、そして俺という存在を満たした。

 

『何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故』

 

 どうしてレインがあんなにも笑顔で、あんなにも楽しそうに、あの男性の横にいるのだ。ここでは叫んでは駄目だ。僅かな倫理観がお俺の腕を口にあてがうことを許した。涙が溢れた。出来るだけ静かにその場を離れて、壁にへたり込む。体が痙攣している。止まらない。涙が止まらない。

 

「兄ちゃん帰ろ――え。どうして、どうした……の」

 

 多分言えた。『先に帰ってる』。言えたかな、口を押えたままで。

 

「ぅ、ぁぁぁ」

 

 走った。呼吸もままならないのに全力で道を駆け抜けた。それと同時に何時何処ともしれない記憶が次々と弾けては俺の脳に染み渡っていく。俺は叫んでいる。恐怖と怒りに任せてベッドの上で暴れまわっている。四肢を滅茶苦茶に振り乱し、その四肢が詩歌や木綿季や父さんや母さんにめり込む感触が分かる。

 

「ぃやだ――ぅそだろ」

 

 何度も転んで体を打ち付けたり擦り剥いたりした。罰のつもりか。全く足りない。

 

ぇぃん(レイン)ぃどぃよ(非道いよ)……。レイン、レイン!!」

 

 愛する者の名を叫ぶ。もう、会えない。今の俺が彼女に会ってはならない。たとえどんなに望もうとも。

 

「ぁぁぁぁぁぁ」

 

 声が完全に枯れるまで叫び――叫ぶことが出来ていたのかも定かではない――いつの間にか自室のベッドの隅に座っていることに気が付いた。涙が止まらない。拭っても拭っても。このまま体の水が無くなってしまえば美しい記憶だけを胸に死ねるのに。俺のような異常者が、異常者が、異常者が、異常者が。

 

 レインのやりたい事というのは、そういう事か。ならば会えなくもなるわけだ。俺のような血に飢えた後先の無い異常者と一緒にいてどうするのだ。ならばあのスメラギのような人間を見繕うことは実に理に適っている。アイツは嘘吐きだ。そして賢い。俺を支え、SAOクリアまでたどり着けさえすれば、俺と会う理由は全て消えてなくなる。かつてSAOが消え失せたように。

 

 音が聞こえない。ただ俺が知らなかった――言い訳ではなく本当に知らなかった――暴虐の限りを尽くす俺の姿が映像のような形で瞼の裏で踊っている。

 

 涙が止まらない。何も見えない。何も聞こえない。何も感じない。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「お願いします! 同じギルドのよしみでセブン団長と会わせてくださいっ」

「駄目だ。セブンは忙しい」

「そこを何とか……。あたし『歌姫セブン』の大ファンなんです!」

「何度言わせればいいんだ? 七色・アルシャービン博士は多忙だ――む。あれは――」

「え――」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「どうしよう……。ボクたちの声、全然聞こえてないみたいだよ」

「そんなはずは無いです。ちゃんと聞こえてるはずです……いいえ。いつもなら、ですね」

 

 兄さんには本当に申し訳ないけれど、弾丸のようにドアを開けて帰ってきた兄さんをその時は不審者か何かと思ってしまった。

 

「事情は分かっています。分かっている、けど――!」

 

 許せない。別に悪いって訳じゃない。ただこんな状況を作ってしまうほど兄と共有して大切にしていたはずのものをどのような形であれ裏切ったことが許せない。夜、どんな悪夢に苛まれようとも強く在ろうとした、あの気高い兄を、自慢の兄さんを、こうも揺らがせるレインなる人物が、ただ、ただただひたすらに()()()()!!

 

「お姉ちゃん、菊岡さんたち来たみたいだよ!」

 

 数人の大人が階段を掛けてくるのが分かる。兄さんはそれにすら気づいていない。かつてのように引き籠ったまま動こうとしない。

 

「状況は聞いているよ。今は出来るだけ、これ以上の刺激を与えないように」

「でも!」

「聞くんだ詩歌君。いいかい、彼は正気を失っていたとはいえ電車にして数駅分の区間を走って帰ってきた。精神も肉体も疲弊しているはずだから彼が眠るのを待とう」

「それは……その後は」

「眠ったところをALOに強制ダイブさせる」

 

 思わず目を見開いた。兄さんがああも狂ってしまった理由は、元を辿れば仮想世界にあるというのに。

 

「これ以上彼に現実の厳しさに立ち向かわせては駄目だ。少なくともフルダイブ中に本体を動かすことは出来ない。だから考える限り最悪の事態だけは避けられる。そうだ……自殺だけは」

「でも、戻ってこれなくなったら。兄さんが逃げ続ける可能性だって、あるじゃないですか!」

「それでも彼は生きるためにSAOをクリアした。ALOではどんなに間違っても命だけは失わない。仮にあちらの世界で自傷、あるいは自殺を繰り返したとしても命だけは保証できる」

 

 言われなくてもそんなことは理解しているのだ。それでも何とか兄さんを元通りにする方法を。なんとか癒す方法を。家族だ、兄妹だと言ってみたところで結局こうなってしまうのだ。

 

 もし、もっと早く打ち明けて一緒に背負うと誓っていれば、もしかしたらこうはならなかったのかもしれない。それでも二年間の空白は埋められなかった。歩み寄る事さえ出来なかった。

 

「しばらくこの部屋は彼の治療室になる。本当に申し訳ないけれど、協力を頼みたい……」

 

 分かっているんです。そんなことは。

 

 

 

***

 

 

 

 朝早。世界樹の葉から朝露が滴る頃。何の気なしに目が覚めてしまって何となくログインした。

 

「んっ―――うーん!」

 

 体の代わりにアバターでグッと伸びをする。リアルと全く同じ体系で作成した『ミズチ』は悲しい位にちんちくりんだ。威厳の欠片もありはしない。それでも領主に担ぎ上げられたのは実力だと自負している。

 

 ただただゼノビアをぶった切るために、そして勝手がテニスラケットと似ているからという理由で選んだ《鎌》という武器はきっとワタシの宿命だ。狩りやレイドに参加し、徐々に頭角を現していった。サーバーごとに開催されるデュエル大会でも上位の常連になるまでに上り詰めた。人を統率する能力も普通以上にはあった。だが全部奪われた。ゼノビア()に。

 

 ワタシが純粋なままで居られるならなんだってする。あらゆる障害を排除して異分子は近寄らせない。事あるごとに姉はワタシにそう言い聞かせた。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ああ嫌だ。反吐が出そうだ。ワタシはお前の愛玩人形じゃない。友達を選ぶ自由も、それこそ濁りに濁る自由だってある筈。ワタシが清いままでいるとすればそれはワタシ自身の選択によるものでなくてはならない。絶対に、それだけは譲らない。

 

「さて、と。折角インしたのにお茶だけ飲んで戻るっていうのもアレよね」

 

 かといってこんな早朝からログインする廃人なんて滅多にいるものではない。知り合いの領主の何人かはログインしているが、それ位だ。仕方がないからポーションの類の調達でもしようと部屋の椅子から立ち上がると、それと同時に同室の床で寝泊まりしている相棒が唐突にログインしてきた。言わずもがなライヒだ。だが彼は横たわりながら膝を抱えて震えている。延々と涙を流しながら襤褸切れのように倒れている。

 

「ちょっ、どうしたの、よ?」

「ぁ、あ。お、嬢?」

 

 いつものあの鋭さは欠片もない。そこにいるのは、ただの、自分とあまり年の変わらなそうなちっぽけな少年だった。

 

「俺、俺。もう、駄目……みたいです」

「は――はぁ? 駄目って何よ」

「俺、全部失くしたんです。大事な人も、大事な場所も、俺自身のことも」

 

 訳が分からない。そんな、ワタシと違っていくらでも自由を謳歌出来るクセにたかが何かを失うこと如きで何をだらしないザマになっているのだ。この男は。我知らず声に怒りがこもる。

 

「それで。計画の事はどうするっていうのよ、そんなことだと邪魔でしかないんだけど?」

「ごめんなさい」

「謝るな!」

 

 いつかのように胸倉をつかみ上げて外に投げ飛ばしていた。ふざけるな。信じられない。初めから変な奴だとは思っていたが、突然現れてこんな無様をワタシに晒して一体何なのだ。腹が立つ。何でも自由に選べる身分のクセに、()()()()()()()()()()()()()()()()()――!!

 

「アナタ、アナタねえ……っ。SAOをクリアした英雄なんでしょ? これから先何でも自分で決めて生きていけるんでしょ? なのに、何で、全部終わったみたいな顔をワタシに見せるのよ!」

 

 地面に突っ伏したままライヒは答える。

 

「俺は、弱い。弱いからみんな俺から離れて行っちゃうんです」

「自分の弱さを言い訳にするな! ならもっともっと強くなればいいじゃない! 失くしたらそれ以上に手に入るように努力すればいいだけの事でしょ!」

「無理だ。俺にはもう……無理なんですよ、全部」

「うるさい! アナタからそんなこと聞きたくない! よりによってアナタが!」

 

 強く唇を噛みしめる。彼をこのままにはしておけない。辛いことくらい誰にでもあるだろうし、ライヒにだって例外じゃない。それでもワタシが好きになった彼がこんなんじゃワタシが耐えられない。いくらワタシの都合だと非難されようと何が何でも元の彼に戻ってくれないと困る。

 

 でもどうやって? ワタシの言葉じゃ逆立ちしても彼を救えない。美味しいケーキくらいなら用意できるがそんなもので解決できる問題でもない。それじゃあ、ワタシは無力? そんなはずは無い。本当に無力ならここまで駆け上がってはこれなかった筈だ。なら――それならば。

 

「抜きなさい」

 

 デュエル申請を叩きつけてやった。勿論全損決着モードだ。はっきり言って勝てない。彼の戦闘をずっと間近で見ていたからよく分かる。

 

「さあ、早く」

 

 でも勝ち負けじゃない。伝えたいことがあるから、何を失ってしまったのかは分からないけれど、()()()()()()()()って、忘れないでいて欲しいから。

 

「早く!」

 

 ライヒからはさっきまでの弱々しさが完全に消え、代わりに明らかな敵意と殺意をこちらに向けてきた。それでいい。八つ当たりでも何でも直接彼に触れられるなら、今はそれでいい。右手には片手剣、左手には細剣。彼が本気を出すときにのみ使う組み合わせだ。それに対してワタシは大鎌一本――だけじゃない。

 

「まさか、二刀使いがSAO帰還者の専売特許とか思ってないわよね?」

 

 ワタシももう一本を握る。《ファルクス=パンドーラ》と《ファルクス=ミーミック》、ワタシの武器はこの二本で完成する。本気でライヒに立ち向かおうとするならば、そのワタシが本気じゃなくてどうする。主として、相棒として、友達として、腑抜けたままの彼を本気で打倒する。

 

 デュエルのカウントがじれったい。今すぐにでも彼の首筋向けて刃を振り下ろしたい。今すぐにでも彼の懐にまで潜り込み喝を入れてやりたい。そしてもしも叶うのならば。それは、今はまだ無理かもしれないけれど、いつか必ず彼に向けて言いたい言葉があるのだ。

 

「これが本当の《紫苑姫(タナトス)》よ。前に戦った時とは違うって思い知らせてあげる」

「――――」

 

 ライヒは何も言わない。お願いだから何か言ってほしい。いつものあの声で、いつものあの雰囲気で、ワタシに語り掛けて欲しい。

 

「いくわよ――ッ!」

「……っ」

 

 

 




 


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Raison d'etre

 最初に剣を交えた時とは違う。一切の出し惜しみをせずに戦っている……筈。だというのになぜこうも敵わないのだろうか。こちらが繰り出すあらゆる攻撃は悉くが躱され、去なされ、防がれる。リーチも威力も明らかにこちらが勝っているというのに、どうして攻めあぐねるなんてことになるのだろうか。悪魔的なまでに凄まじい防御テクだ。

 

 ――だったら、無理やりにでも一撃を叩きこむまでだ。

 

「これならどうよっ!」

 

 両手に持つ鎌の片方。《パンドーラ》をライヒ目掛けて投げつける。回避でも防御でも何でもいい。()()()()()()()()()()()()。向こうが大きく回避行動を取ったのを確認して追撃する。仮にクリーンヒットを逃そうとも無傷とまではいかない筈だ。汎用範囲ソードスキル《カタラクト》。

 

「……は」

 

 ため息とも嘲笑とも知れない様子で微かに呼吸を漏らすライヒ。寸分違わないタイミングでソードスキルを起動させてこちらの攻撃を迎え撃つ。ソードスキル《バーチカル》。橙色と若草色のライトエフェクトが激突して火花を散らす。そのお陰で俯いていてよく見えなかった彼の表情がよく見えた。

 

 彼の、ライヒの顔は、怖気が走るほどの無で満たされていた。今にも星が流れてきそうな程に深い色だった瞳には、最早何も映ってはいない。こんなに近くにいるワタシの顔さえも。

 

 なのに、なぜ、信念どころか生きる意味さえ失ったようなその状態でここまでの強さが出せるのか。それがワタシには許せない。今の彼を許容してしまえばワタシの信念すら全否定されてしまう。持たざる者の努力など無意味であると、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だからこそ負けられない。全力でライヒを叩き潰さないといけない、ワタシにとっては大事な一戦。闘志を燃やし尽くす勢いで挑まなければならない。

 

 ではなぜ彼はこんなにも虚無なのだ。これだけ全力で相対しているのに何も伝わっていないのか。

 

 ほんの少しでもワタシに共感或いは理解を示してくれたからこそ、ここまで付き合ってくれたのではなかったのか。

 

「何か言いなさいよっ!」

「……」

「何も無いならっ……。今のアナタに何も無いなら()()()()()()()()()!」

「――。何が……?」

 

 もうすぐソードスキルの持続時間が切れる。向こうも同じように迎え撃ってきたとなればこの攻撃が本命だと認識されているのだろう。そうであってくれなくては困る。

 

「分からないなら、分からせてあげる。――()()()()()、《パンドーラ》!」

「――!」

 

 ボイスコマンドが起動して《ファルクス=パンドーラ》が不可視の引力によって手元に戻ってくる。もちろん()()()()()()()()

 

「が……ぁぐ」

「はあ……はあ……。どう? 少しは何か言う気になったかしら?」

 

 軽く挑発するも相変わらず彼を満たすのは虚無のまま。ライヒは何事もなかったかのように改めて構えを取る。その様子に思わず唇を噛みしめた。悔しいとすら思わないのか。自分で仕掛けておいて言うのもなんだが、ほとんど不意打ちのような形で最初のクリーンヒットを取られたというのに。

 

 本当に、たとえ負けてもいいとすら思われるほどに、彼にとってワタシという人間は価値がないとでもいうのか。

 

 屈辱だ。

 

 ワタシの犬のクセに。ワタシの相棒のクセに。いつも分かったような態度で、いつも「仕方ないなあ」みたいな顔で、いつも上から目線で。

 

「なんで!」

 

 斬り掛かるが躱される。とんでもない間合い感覚だ。どんなに攻めてもひらりひらりと鎌の攻撃範囲から逃れられてしまう。そのくせ自分が攻撃に転じる時は絶妙な距離から仕掛けてくる。まるで雲の上で踊っているかのようだ。本当に掴みどころがない。

 

「なんで!」

 

 追撃。掠りはしたが有効打にはなっていない。

 

「答えなさいよ!」

 

 こんなにも強いのに。こんなにも凄いのに。こんなにも格好いいのに。

 

「……これに。何の意味が、あるんですか。お嬢」

 

 攻撃が防がれたと思えば、いつの間にか懐にまで潜り込まれていた。ワタシが鎌を引こうとする際のほんの僅かな間隙を突いて、()()()()()()()()()()。確信ではないけれどそうとしか言えない。

 

 それでは格闘で勝負を決めに来たのかと言えばそうでもないらしい。もしそうだとすればとっくに浮かされてコンボを食らっていたに違いないからだ。では、狙いは一体どこにある。

 

 瞬間。ゾワリと背筋が凍った。いつの間にか握っていたダガーが首筋に宛がわれている。なんて奴だろう。こんな、精神的にも揺さぶりをかけるような方法で首を取ろうなんてロクな人間じゃない。だが、こんなところでやられる訳にはいかない。死の予感に固まる体を強引に動かし、思い切り体を沈める。小さい体が功を奏してガラ空きの下半身を射程に捉えた。足を刈り取れば勝負は殆ど決する。

 

「だから、無駄なんですよ。……全部」

 

 持ちうる中で最速のソードスキル《ランバー・ジャック》で鎌を横薙ぎに振るう。でも当たらない。ライヒはその場で跳躍し宙返りをしながら軽々と私を飛び越えてワタシの刃を回避した。ワタシが体制を整えている間にシステム操作で――おそらくは《クイックチェンジ》を使ったのだろう――ロングソード・レイピア(彼の自称)の構えに戻る。

 

「無駄なんかじゃ、ないわ。ワタシが後先度外視でゼノビアを斃そうとするのも、こうして今アナタをぶった切ろうとするのも、ワタシにとっては全部意味がある事なの」

 

「……面白い。そう思ったから俺は貴方に付いて行くことにした」

「前に聞いたわ」

「でも今の貴方は理解に苦しむ。こんな状態の――腑抜けた俺をさらに斬り殺そうとして、その先に何の意味がある? お嬢、貴方の行動には、未来がない。達成した後の、その先がない」

「それはアナタも同じでしょ!!」

 

 鎌を振りかざす。向こうも同じように剣を振るう。余りの物言いの酷さに鍔迫り合いの状況であろうとも言葉をぶつけずにはいられなかった。

 

「過去だ未来だどーのこーの言いながら()()()()()()()()()()()()()()()! アナタの何がどうなったかなんて知らない! でも……!」

 

 もう片方の鎌を振るう。ライヒは防ごうとはしたが細剣でガードしきれるほど弱くは無い。鎌の先端がライヒの体に突き刺さる。

 

「どんなに頑張ってても、どんなに上手くいってても、もし全部ひっくり返ったとしても! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!!」

「何でだ……。何で、こんなになってまで戦えっていうのかよ!!」

 

 気付いているのか、いないのか。分からないだろうけど。ワタシにも分からないけど。気付いてる? ちょっと感情が戻っている事に。 気付いてる? 今のアナタはもう虚無じゃない事に。

 

「へ、へえ。ちゃんと怒れるじゃない。感情垂れ流しにして泣けるんじゃない」

 

 こんなのワタシの強がりだ。それでも言わなければならないが、彼の攻撃を凌ぎながら話すのは余りにキツい。

 

「なに……何、を。なにが……」

 

 好きだから。全部じゃないけれど少しは分かってあげられる。分かってあげたいと思う。だって、諦めたくないから、もう一回立ち上がりたいからワタシに会いに来たんじゃないの? 今のアナタが死ぬほど嫌いだけど、本当のアナタはそうじゃないって知ってるから、こうして分の悪い戦いだろうと挑めるって、分かってほしい。

 

「……俺はっ――負けたくない……」

「誰でも同じよ……っ、そんなの!」

 

 ライヒの《ヴォーパル・ストライク》を鎌専用重攻撃《モータル・ディバイド》で辛うじて受ける。だが続く(コネクト)細剣の《トライアンギュラー》、これはどうしようもない。さらに追撃が来る。片手直剣六連撃《ファントム・レイヴ》。

 

「調子に――乗らないで!」

 

 ワタシだって以前のままじゃない。アナタの戦いを見て影響されないという方がおかしい。大型武器の一部ソードスキル発動中は仰け反り向こう(スーパーアーマー)だ。アナタみたいに流れるように、なんて上手くはいかないけれど、正直な話かなりぎこちなくて成功率も一割二割だけど、今だけは何が何でも成功させる。《剣技連携(スキルコネクト)》!

 

「な……っ」

 

 もう一度、今度は右の《パンドーラ》ではなく左手の《ミーミック》で《モータル・ディバイド》。両利きじゃないし、左手に鎌を持っているのも片方の攻撃の隙を埋めるための追撃が目的だからあんまり威力は無い。でも、ソードスキルならまあまあ威力は出る。《ファントム・レイヴ》を一撃の威力で勝る《モータル・ディバイド》で強引に中断させる、が、こちらも体制を崩して転んでしまう。

 

 これが精一杯。これ以上の連携はおろか、単発技に単発技を、しかも運が良ければまあなんとかギリギリ繋げられる程度。オマケにスーパーアーマーが前提。でも、今回は運が味方してくれた。そして、ここを逃してしまえば二度と正気は訪れない。気力を振り絞りステータス全開で立ち上がる。

 

 両手の鎌を短く、深く握り直す。そして思い切り彼の元へと飛び込んでいった。両の刃を重ね合わせ、鋏のように閉じる。これは真似事なんかじゃない。間違いなくワタシの技で、そしてワタシの全身全霊。抱くように、包み込むように、その威力は瞬きの間のみ無限大になる。文字通り必殺の《OSS》。

 

「《デス・バイ・エンブレイシング》――!!」

 

 ライヒの体を二本の鎌が横一文字に分断した。爆破音が後ろで響く。そして『WIN』の表示が視界を流れていった。ワタシは、勝てたの? あのライヒに、タイマン勝負で?

 

「はぁ……はぁ……っ。やってやった、わね」

 

 集中力が切れたせいか思わず両手の鎌を取り落としてしまう。振り返ると、ゆらゆらと紫紺の残り火(リメインライト)が空中で漂っていた。落ちてしまわないようにそっと手のひらで受け止める。一度そっと目を閉じ《貫通透視(アイ・シャドー)》を起動する。

 

 霊体化したライヒは驚愕の表情でワタシの顔を見つめていた。このままにしておくわけにもいかないから、仕方なく蘇生アイテムを使う。ライヒは復活するとその場にぺたんと尻餅をついた。ワタシはそんな彼の胸倉を掴み上げ、縋るようにして言った。

 

「アナタ……アナタね……。調子に乗りすぎなのよ。忘れてるかもしれないでしょうけど、ワタシだって《領主》なの!」

「そう、でしたね。……すみません」

 

 違う。本当にワタシが言いたいことは、そういう事じゃない。思わず歯ぎしりをしてしまう。声も手も震えだす。

 

「何にも無いとか、言ったわよね」

「すみません。俺、リアルで本当に大事なものを失くしちゃって、それで」

 

「ふざけるな! ズルい、卑怯よ! 言い訳ばっかり! アナタは()()()()()()()()()()()()()()? そのために、面白いとか、今更それっぽい理屈のためなんかじゃなくて、ワタシを手に入れるために契約したんでしょう?」

 

 強引にライヒの顔を自分の方に引き寄せて、ワタシは言い放った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 こんなのただの嫉妬だ。だけど、嫉妬で何が悪い。勝手だけど二人だけの旅路だとばかり思っていて、その中に突然ストレアだとかルクスだとか知らない人が――しかも女性プレイヤーばかりが――ライヒの元に集まってきて。しかもライヒがSAOをクリアに導いた《勇者》の一人だと分かって。自分が彼には分不相応だとこっそり思う時もあって。あの約束を、契約を、無かった事にされたくなくて。

 

「アナタは! ワタシがいいって言うまでずっとワタシと一緒なの! ワタシがいるのに何も無いなんて……二度と言わないで!!」

 

 ライヒはぽかんとした顔になると、弾けたように笑い始めた。

 

「はは、あはははは!」

「ちょっ、何笑ってるのよ!?」

「だって、だって……あはははは……」

 

 なんて奴だ。普通こんな状況で大爆笑をかますだろうか。やっぱりコイツはロクな人間じゃない。

 

「はぁーあ。ははは。……確かにそうでしたね。俺は、お嬢の野望を手伝う代わりにお嬢を頂いていく。そういう契約でした」

「……そうよ。なのにアンタは……。もういいけど」

「すみません。だから多分、もう、こんなザマは晒しません。誓います」

「そう、じゃあ何であんなザマを晒したのか話して」

「――――えっ」

「いいから話しなさい! は、な、す、の!」

「えぇ……マジで? いや、ちょっとそれは勘弁してほしいっていうか」

「話さないってことはアナタには罪悪感ないわけ? さんざん謝ってたのは嘘だっていう事かしら?」

「んー、あー……。じゃあ、はい、分かりました。お話しします」

「そう。じゃあ、聞いてあげるわ」

 

 

 

***

 

 

 

 色々な話を聞いた。SAOでの出来事や、はっきりとは自覚していなかったものの彼自身にとってその殆ど全てがトラウマであったこと。その後遺症で現実の彼がおかしくなってしまっていたこと。そして、SAOで彼が愛した人が離れて行ってしまったこと。

 

 薄々分かってはいたことではあるけれど、彼にかつて無二のパートナーがいたという事実に胸がちくりとした。一時でも彼に全てを委ねられていた存在を羨ましく思った。

 

「じゃあアナタは好きな人にフラれたからあんなになった……ってわけ?」

「有り体に言うとそう、ですね。ハイ」

 

 溢れかえりそうになる感情を抑え込みながら、努めて呆れたように振る舞う。

 

「バカね、本格的にバカだわ……。本気で心配したワタシがバカだわ……」

「いやあの、流石に気を遣ってほしいんですけど」

 

 気なんて遣ってやるものか。フラれた癖に諦めが付かないまま未練たらたらなのがよく分かる。自分の事ばかりで人の気持ちを顧みない奴に気遣いなんて要らない。本当はワタシの気持ちにも気付いているんじゃないのか思う程に、本当に自分の感情ばかりを優先する人間だ。

 

「今更そんな気を遣い合う仲でもないでしょ。アナタがSAOでどんな人間だったのかなんて別にワタシは興味ないわ、だから――正直に話してくれて嬉しかったわよ」

「お嬢だって、相当なバカじゃないですか。俺みたいな人殺しの話聞いて、それでも嬉しいなんて。本当に、バカですよ」

 

 そう言うとライヒは堰が切れたように私の体に顔を埋めて泣き出した。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい、お嬢。今だけ、許してください」

「仕方ないわね。本当に、仕方ない人」

 

 本当の意味で彼の心がワタシに向くことは今後絶対に無い。それが分かってしまった。だからワタシも今だけはバカになる。この気持ちをずっと秘めたままには出来ないから、強く在ろうとしてきた『ミズチ』のこの姿で今だけ弱い『清水千早(シミズチハヤ)』に戻る。

 

 子供のように泣くライヒの頭を慰めるように抱きながら、誰にも見えないようにこっそりと、静かに涙を流した。

 

「大丈夫よ、大丈夫。どんなに辛くても一緒に居てあげるから」

 

 どうかこれからもずっとワタシと一緒にいてください、と祈りながら、ワタシはずっとライヒの頭を撫で続けた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 SAOで時を過ごし、いつか壊れて変性し、やがてクリアを成し遂げて、ようやく現実に戻ってから。心の底からあんなに笑ってあんなに泣いたのは初めてだったと思う。俺には自分の事がよく分からなくて、周囲の求めるままに、求められるために、誰よりも弱いのに誰より強がってきた。

 

 どんな奇跡か一度完全に消え失せたと思った関係を取り戻した。ある意味必然的に自分の空っぽさを自覚させられた。現実に戻ってさえも自己が揺らぐのは、誰もが自分の事を《御影》のライヒとして見ているのではないかという勝手極まる自意識のせいだ。

 

 現実の俺は間違いなく『四条謳歌』であり、それ以外の何者でもない。師匠が、ひよりが俺に会いに来てくれたのも『ライヒ』としての俺ではなく現実の『謳歌』に会いたいと思ってくれたからだ。勝手に自分を卑下し、自分の価値は『ライヒ』にしか無いと思い込んだ。

 

 みんなは『四条謳歌』を見ている。『四条謳歌』を見てくれている。お嬢は俺にそう教えてくれた。これからもきっと散々迷うかもしれない、だが本当に勝手なのは分かっているが、お嬢が支えてくれるなら、お嬢が諭してくれるのなら、俺は立ち直れる気がする。全くバカだ。俺は同じことばかりを繰り返している。

 

 もうレインはいないけれど。それは本当に悲しくて辛い事だけど。いい加減過去の呪縛から解かれなくてはならない。

 

 SAOは、もう、無い。他でもない俺が、俺たちが破壊したのだから。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 瞼を持ち上げた。そこは俺の部屋で、カーテンが締め切られているせいか不快感は無かった。それでも何故か点滴やら心電図やらが置かれていて、俺が本当に壊れていたという事を改めて自覚させられた。両親や詩歌、木綿季を殴りつけた感触が今更ながらに感じられる。

 

「すぅ――すぅ……」

 

 俺のベッドに体を預けながら、詩歌が穏やかな寝息を立てていた。起こさないようにそっと福の袖を捲る。俺のひ弱さもあってか骨折には至らないが、決して無視できない痣がいくつか見えた。

 

「詩歌、俺は……」

 

 頭を撫でようとして、すぐに思いとどまった。俺が今後詩歌や木綿季に触れる事は許されない。せめて償いを。何の意味も成さないとしても謝罪を。

 

「ごめん。俺が悪かった。本当にごめん……」

「ぇ……あ、兄さん?」

 

 詩歌と目が合った。こんな俺なのに、俺を諦めないでいてくれたのか。頭を掻きむしりたくなる程の罪悪感に目を逸らしたくなるが堪える。

 

「よかった……起きたんですね。よかった、本当によかった」

 

 そう言うと詩歌は俺に縋りついて泣き始めた。何となく俺と似ているんだなと思う。俺も恥ずかしながらみっともなくお嬢に縋って泣き崩れていたばかりだ。

 

「三日三晩ずっと眠ってたんですよ……。だから、前に兄さんが行ってしまった時みたいに、また、会えなくなるんじゃないかって……」

「悪かった。俺、気付いたから。みんなの事夜な夜な殴ってたこと、本当にごめん。謝って許されることじゃないけど、もうしない。これだけは約束する」

「あれくらい、どうってことないです。兄さんだって辛い思いしてきたじゃないですか。妹なんだから分かるんです。痛いのも悲しいのも、全部一緒に背負いたいって……、そう思うんです」

「俺、向こうですごく大事に思ってた人から多分……もういいって思われてて、自業自得なんだけどさ。辛くて辛くて、だからもう何もかもどうでもいいって投げ出そうとしたんだ」

 

 詩歌は何も言わない。なんて優しいんだろう、なんて誇らしい妹なんだろう。普通この年の女子であれば兄なんか嫌がっても不思議じゃないのに。

 

 しばらくそのままでいると、ドタドタと階段を上がってくる音が聞こえた。勢いよく部屋に入ってきたのは菊岡さんと比嘉さんだった。

 

「謳歌君……。君は、何という事だ……。君は、本当に自力で戻ってきたのかい?」

「え? それはどういう……」

「あれだけ壊れ、乱れていたフラ――もとい脳波が突然正常に戻ったんっスよ! 茅場晶彦との戦いにおける頭部への一撃が君の精神に大きな損傷を与えた……いや、他にも要因はある。でも、いずれにしても自覚できない程に破壊された心を自分で調整するなんてまさしく奇跡――神業だ……。本当に、何があったんっスか!?」

「ええ……」

 

 突然入ってきて開口一番よく分からないことを言いだす比嘉さんと、心底驚いた様子の菊岡さん。正直もっと他に言うべきことがあるのではないかと思うのだが、あるいはそれも俺の心配の裏返しなのだろうか? 何があったのかと言えば、そう――。

 

「俺を、ちゃんと壊してくれた人がいたんです」

()()()()()()()()()()()()()()()()()、と?」

「俺には……俺には、よく分かりません」

 

 菊岡さんは、そうなのか、というとそれ以上の追及はしなかった。両親と木綿季を呼んでくれて、改めて再検査の日程を組んでくれて、治療用具の片づけの手配をして他にも仕事があるからと戻っていった。

 

 その日の夜は家族会議だった。内容としては本当に大丈夫なのかという確認と、いままで出来ていなかったお帰りなさいの会。出前で寿司やピザを注文して、家族で映画を観たりゲームをしたりして、散々遊んだ後に眠りについた。いや、眠りに付こうとはしたのだが、ずっと眠っていたせいか俺はなかなか寝付けないでいた。

 

「あの、兄さん。起きていますか」

「詩歌っ……!? ああ……詩歌か」

「なんでそんなに驚くんですか」

「いきなり入ってこられたら驚くだろ」

「いいじゃないですか、起きていたのなら。――あの、ちょっとだけ一緒に居てもいいですか」

「それはいいけど……」

 

 詩歌は俺とは違ってずっと俺の事を見てくれていたのだから疲れているはずなのに、なぜだろう? まあ少し話すだけなら……と思っていると、突然詩歌がベッドに入ってきた。

 

「おいっ! 馬鹿か! 木綿季の布団あるだろ!?」

「うるさいです。木綿季さんを起こしちゃうので静かにしててください」

 

 そう言われては黙って成すがままにされるしかない。じっと動かないで待つ。当然詩歌とは反対の方向を向く。

 

「こっち、向いてもいいんですよ?」

「アホか。出来るわけないだろ」

「嘘です。からかっただけですよ」

 

 詩歌はくすくすと笑う。俺もため息交じりに少し笑った。それからは話がぷつりと途切れてしまう。俺も、詩歌も何も言わない。そういえば、SAO以前の俺は詩歌とここまで親しかっただろうか? 思い出せない。本当に、何も。だから、これを機会に聞いてみようかと口を開いた。

 

「なあ詩歌。俺って――」

「――兄さんは」

 

 言葉を遮られる。凛としたその声に、このまま割って入ることは躊躇われた。

 

「兄さんは、木綿季さんとの事を覚えていますか」

「話したけど、俺、昔の記憶が無いんだ。木綿季って親戚がいて、近所に住んでて、何でか離れ離れになったのは覚えてるけど。それ以上の事は思い出せない」

「兄さん」

「うん」

 

「もし、もしもの話です。私が兄さんと木綿季さんを引き離した原因だって言ったら――私の事を恨みますか?」

 

 俺と木綿季の離別の原因が、詩歌にあるとすれば。正直なところピンとこない。そもそも俺と木綿季は友達と言えるほどの仲だったのかも分からないし、実際そういう訳でもなかったのだろうと思っている。親戚という関係上仲が悪かった訳でもなさそうだが、今のように懐かれる理由があるかといえばそれも分からない。

 

 ただ、木綿季本人ではなく、木綿季の周囲の何かが嫌だったことはぼんやりと感じている。その何かが嫌で嫌で仕方がなくて、俺は――。だめだ、これ以上は余りに抽象的過ぎて自分の中で上手く噛み砕けない。

 

「正直、特にどうとも思わないっていうか何とも思えない。でもお前は俺とは違って頭がいいから、たとえそうだとしても理由があったんじゃないか」

「本当にそう思ってくれますか。勝手なことをしたとは思いませんか」

「さあ。もしも全部思い出せたとして、もし俺がそう思っていたとしても、昔の事なんだから恨みようがない」

「そう――ですか」

 

 また会話が途切れる。互いの吐息だけがはっきりと聞こえる。

 

「兄さんは、あったかいですね」

「お前もおんなじくらいだろ」

「そうですか」

「そうだよ」

「そうですね」

「うん」

 

 俺は瞼を閉じる。幾度も現れる亡霊に、完全にとどめを刺した。そんな幻想、もしかしたら夢かもしれない。そういう類の何かを見た。俺は笑っていた。眠りは暖かく、そして穏やかだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 影の城の一番高い場所にある一室で、踊る姿があった。

 

「うふふ、うふふふふふ」

 

 影の妖精を束ねるその者は、扇子を手に幽玄に踊っていた。その傍らには、大きな影がもう一つ。

 

「何故、嗤う」

「だって、可笑しいじゃない。まさか求めていたものが向こうから会いに来るかもしれない――なんて、こんなに嬉しい事はないでしょう?」

「理解しているのか、この先、修羅の道は長く険しい」

「貴方こそ。それが分かっていて何故私と同盟を組んでくれたのかしら?」

「――《トリックスター》。或いは、《凶星(ロキ)》。何物だ」

「壊す者。創る者。そして導く者。私だけじゃない、この世界そのものをを引っ掻き回す存在よ。その実在は正直分からないけれど、彼であったなら……。うふふふ」

「ゼノビアよ、我らノームが汝らスプリガンに手を貸す理由。忘れた訳ではあるまいな?」

「勿論よ。《転覆構想》――。虐げられる者たちを虐げるものに、願わくば永劫、敵わなくとも一時。《勝利》という事実を」

「一時では意味がない。続かなければ価値がない。ゼノビア、汝はそれを叶えんとする力があると公言して見せた。だからこその賛同だという事を忘れるな。貴様は試されている。その行く先が正しいのか、否か」

「いいじゃない、今は。まだ何も始まってはいないのにそれ以上を考えるのは無粋だわ。――ああ、《御影》のライヒ。もし貴方であったのなら嬉しいわ……本当に、ね。まあ事実関係を辿れば十中八九、正体はシオンなんでしょうけど。ま、いずれにしてもシルフは潰すから構わないわ」

 

 扇子が畳まれる。今宵はここまで。

 

 夢を見るのは誰しもが同じこと。例外は無く、あるいはそれが現実に起こりうるか否かは夢見の本人の手にこそ委ねられている。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それこそが《転覆構想》。

 

 実現すれば世界を完膚なきまでに壊す夢である。

 

 

 




 SAOというある種の極限状態において適応できるかそうじゃないかはやっぱり個人差があるのかも、というお話ですね。完全に適応出来た人、出来なかった人、不完全だった人。色々いるんじゃないかと思います。
 さて、国盗り編もそろそろ大詰めです。あともう一山か二山……の、はず。


 感想その他お待ちしております。


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Foray Ⅰ

 彼女は偽りの平和を騙るもの。
 彼女は真なる自由を歌うもの。

 自由の歌を彼は選んだ。


 

 

 菊岡さんによれば企業に送るためのデータは殆ど出揃ったらしい。それは名目でもあったが同時に真実でもあったようだ。本題の俺のメンタルケアについても順調であるらしく、そろそろ完全に自立できるであろうと判断された。つまり俺の『アルバイト』はもうじき終わるのだ。それでも俺とお嬢の目的は何とか遂行できる。本当に良かったと、心から思う。試作品ではなく実際に販売するという《アミュスフィアⅡ》の実機を装着していると、菊岡さんがとてもやりづらそうに話しかけてきた。

 

「ああ、えっと。謳歌君? 前々から謝ろうとは思っていたんだが、その、黙っていていて本当に申し訳なかった。君の為であるとはいえ、説明責任を果たしせていなかった……」

「もういいですよ菊岡さん。自分の置かれていた状況は理解できたつもりです。それに、俺はもう少しだけALOに居ないといけないんです」

 

 約束が、果たすべき契約がまだ残っている。

 

「君がそれでいいならそれで構わないが……くれぐれも無茶はしないでくれよ? まあ、迂闊にも僕が君と……レイン君だったかな? 彼女を鉢合わせたのがまずかったんだが……」

「レインの事は――完全に呑み込めた訳じゃないです。それでもアイツはアイツで自分の道を進んでいるなら、それでいいんですよ。多分」

「君は……君は、やはり以前の君ではないんだね。何はともあれ君が無事に一般の学生として社会復帰できそうで何よりだ」

 

 いつものように体のあちこちに電極が張り付けられ、脳波を測定する大仰な機械が作動する。今日も、行こう。

 

「リンク・スタート」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 いつもの朝、変わり映えしない様子。お姉ちゃんと私は二人きり、向かい合って朝ご飯を食べている。ニコニコしているお姉ちゃんと澄まし顔のワタシ。ああ駄目だ。息が詰まってしまいそうだ。早くライヒに会いたい。話をしたくて仕方がない。

 

「ねえ、千早ちゃん」

 

 思わず体がぴくっと動く。ゾッとするほど耳障りのいい声にお姉ちゃんへと意識を向けざるを得なくなる。声音だけじゃない。表情、仕草、言葉の選び方に至るまで。お姉ちゃんは他者を魅了する武器としてそれらを使う。

 

 お姉ちゃんは男女や年齢を問わず人に好かれる天性の才能を持っている。だからこそワタシはお姉ちゃんを好きになりたくない。どんなにそう思っていても家族である事、ワタシには無条件に優しい事、いろんな意味で完全に嫌うことが出来ない。

 

「今日もログインするならスプリガン領に遊びに来ない?」

「どうして急に呼ぶの」

「そんなにツンツンしなくてもいいじゃない? 近頃はインプ領に戻ってないみたいだし、《放蕩領主》なんて呼ばれてるみたいじゃない」

 

 よかった。『ミズチ』は未だ厄介な『放蕩領主』として捉えられている。自分で自分に課した設定通りに言葉を返す。

 

「執務ばっかりで面倒になったの。かといって委任できる部下も居ないし、押し付けてもよさそうなのを探してるのよ」

「そう……。前に会った『クロートー』さんなんか優秀だと思っていたけど。千早ちゃんは千早ちゃんなりにちゃんと考えてるのね。見つかったら是非紹介してちょうだい?」

 

 ふざけたことを言うな。うちの元副領主はアンタが奪っていったくせに。どうせ本当にそんなヤツが居たとしても、ソイツを取り込んで傀儡にしてインプを支配下に置こうとするクセに。そしてワタシを現実だけではなくゲームの中ですら独占しようとする。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。お姉ちゃんの行為に悪意は無い。でもワタシにとってはただの嫌がらせだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()。だから()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。スプリガン領を崩壊させてお姉ちゃんの築いたものを全て叩き潰す。ワタシの今までの怨念を思い知らせてやると同時に、ワタシに恨みを抱かせる。完璧だ。

 

 自分一人では絶対に無理だと分かっていたから、一緒に来てくれる人には何を差し出しても構わなかった。だというのにライヒはワタシの物を何一つ要求しなかった。彼の要求はワタシそのもの。そうだ。求められる喜びを教えてくれたのが彼であったからこそ、彼が弱々しく項垂れているのが許せなかった。よりにもよってワタシと同じように失う悲しみに絶望して欲しくなかった。

 

 所詮はゲームで知り合った赤の他人で、そんな人物にワタシの前では強く在ってくれなんて。なんて浅ましいエゴなんだろうと自分でも思う。実際ライヒには笑われた。

 

「でも、そうね。私からいい人を紹介できるかもしれないわ」

「……え?」

「知らない? 《御影》のライヒ」

「それって、SAOの英雄の? なんでその名前が出るのよ」

「その本人がインプでALOを始めていたらしいの。偶然戦っているところを見たけれど、本当に強くて――そう、芸術作品を観ている様だったわ」

 

 白々しい。本人とそのナビ・ピクシーから話は聞いている。有力なインプを取り込むなり潰すなりしてワタシをスプリガンに頼らざるを得なくするつもりなのは分かっている。()()()()()、という頼られたら当然助けるという大義名分がある状況が益々腹立たしい。

 

 そんな無駄に等しい優しさを享受しなければならない日常はもうすぐ終わりだ。

 

 だからちょっとだけ揶揄ってやることにした。

 

「そんな英雄がわざわざ面倒ごとを背負ってくれるわけないじゃない」

 

「自分から面倒ごとを背負ってくれるから英雄なんじゃない?」

 

 やっぱり大嫌いだ、こんな姉。

 

 三日後だ。スプリガンの主力がヨツンヘイムに狩りに行くおかげで領土の警備が僅かに手薄になる三日後。お姉ちゃんには必ず私を嫌ってもらう。今までの事を考えればその位が丁度いいのだ。今日も朝食を終えるや否やログインの為に部屋へ駆け込む。そのつもりだった。

 

「そんなに慌てなくてもいいじゃない。あ、そうだ。お父様とお母さまがいい紅茶を送ってくれたから飲んでいったらどう?」

 

 いつもはこんな事にはならない。だがここで誘いを断るとワタシが『約束をしている』と露見する。ライヒ達には悪いけど、今日だけは少し遅れていくことにする。ここまで来て計画がバレてしまえばみんなに申し訳が立たない。

 

 まさかこれが情報屋の準備のための時間稼ぎであるなんて、この時のワタシは思いもよらなかった。()()()()()()()()という事実に最後まで気が付くことが出来なかった。

 

 

***

 

 

 

「思ったより俺が目立ってないんだよな……」

 

 久々の集合日。インプ領の高級酒場、《黒龍の翼亭》貸し切り席のテーブル。

 

 当の俺はかなり真摯に悩んでいるのだが《明けない夜の住人(ワルプルギス・ナイツ)》の面々はさして気にもしていないようで、俺の決意と覚悟による情熱が完全に空回りしている。寧ろこんなこと騒ぎ立てる程のものでもないとでもいうような雰囲気だ。実際にアコールから窘められてしまい、俺を筆頭にスプリガンにケンカを売るという作戦がますます分からなくなった。

 

「いいのですよ、(あるじ)。何も我々は圧倒的強者としての貴方だけを求めているわけではありません」

「はあ? 俺に王様みたいなカリスマでも求めてるってのかよ」

「「その通りです」」

 

 アコール、リューネ、ネイ、ナノの四人が同時に答える。なんだそれ。俺の想像していた《トリックスター》とは余りにもかけ離れていて気味悪さすら感じる。確かにボス戦でパーティーの指揮官を押し付けられたことくらいはある。

 

 大手ギルドの《ALS》が最前線の攻略から引っ込んだ時や、有力プレイヤーの参加率が低い時。詰まるところ人手不足の時に呼ばれて責任をおっ被せられたのである。当然腹が立ったのでしっかり責任は取った。他パーティーには多少の死者が出ていたのに対して俺の率いるパーティーでは死者を出さなかった。新勢力増強の名目で参加プレイヤーの平均レベルが極端に低かったのが原因なのだが。脅して傀儡みたいにして動かした気がする。

 

「君がやる気になったらどこかの情報屋に自分が《トリックスター》だって言いふらすの分かってたからね。『シオン』で蛮族みたいな活動してミスリードしておいたよ」

「いや待て、それに何の意味があるのか教えてくれ。お嬢から目を逸らすのが目的で、最終的に俺が攻め込む……だよな? 『シオン』でミスリードしてどうするんだ」

「特に意味は無いです。あるとすれば……主と出会うまでに我々が集団として活動する口実、でしょうか。それと申し訳程度の情報攪乱ですね。以前から暴れまわっていた『シオン』に、何故か挙がってきた『ライヒ』というビッグネーム――意味不明でしょう? 取り合えず蛮族活動の実績を持つ『シオン』を先に調査するでしょうが、『シオン』というプレイヤーを追うことは事実上完全に無駄足になりますから。作戦決行までの準備時間はどうしても必要です」

 

 思わず唸ってしまう。今ここで語られたことが本当に上手くいくかどうかは分からないが、考え方が俺よりは論理的だ。

 

「アコール。これ以降はお前に情報集めとか活動の方向性とか一任する」

「光栄です、主」

「それにお前のシナリオ通りなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それならそれで面白い」

「はい。こんな大掛かりな作戦に加担するのですからその位の土産は頂いて帰ってもいいでしょう?」

 

 どうやら俺はこの状況下ですらある程度試されているらしい。待ち伏せの際に戦闘力を、何気ない会話の中で知力を。要は『理想のライヒ』であることを確かめている訳だ。或いはそうであってほしいと期待されているのか。ルクスは、ひよりは言っていた。俺の為なら立ち上がれる人間が少なからずいる。自分もそうだ、と。だったら俺も多少は考えなければならない。

 

 レインがいなくなってしまってから、自分が未だ病人のようなものだと気が付いてから、色々と悩んだ。それこそ病的なまでに求めていたレインとの再会が仮初めのものだと気が付いてしまって、頑張る理由というものがすっぽりと抜けてしまった。勿論レインのことが完全に吹っ切れた訳ではない。取り返せるものなら何が何でも奪い返してやりたい。だが今の俺には口実がない。何を言おうにも何もないのだから仕方ない。諦めるにしても諦めないにしても、それ相応の理由が要る。

 

 なら()()()()()()()()()()というのが今の考えだ。幸いお嬢の為に、という戦う理由を他でもないお嬢がくれた。それだけはもう二度と違えてはいけない事なのだ。貰ったものは返さなければならない。

 

「あら、全員揃ってたのね。遅れてごめんなさい」

 

 しゃらりと髪を流しながらお嬢がやって来た。いつもは時間通りに来るのに珍しい。

 

「お嬢、今日は遅かったですね」

「ちょっとリアルで姉さんに……ゼノビアに絡まれたのよ。今日に限ってどうしてか話が長かったわ」

 

 俺はさして気に留めなかったが、アコールは違った。

 

「作戦決行が近いとはいえ、流石に不自然ですね。まだ感づかれてはいない筈ですが……」

 

「逆に向こうが動いたとすれば?」

「敵にも別の何かがあるのかもね」

 

「スプリガンが種族を挙げてやりそうなことって何だろうな……」

 

 スプリガンの特徴。影魔法や幻惑魔法といった不遇魔法を得意とし、それ故に種族人口がダントツで少ない。しかしゼノビアが領主として君臨した後は政策としてレネゲイドを積極的――或いは貪欲とすら表現できる程――に取り入れたことで、実質的な種族人口は、現状二位のシルフにすら匹敵するのだという。

 

 仮に『今のスプリガン』の特徴をその多様さに求めるのであれば、レジェンダリー・ウェポンの総取りやレイドイベントの上位入賞が狙いだと想像できる。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。寧ろ属性の多様さを活かすことでいずれは本当にサラマンダーやシルフ、ウンディーネといった優遇された種族を追い越せる可能性も秘めている。

 

()()()()()()()()、かしらね。仮に野心を持って行動するならその位じゃないかしら」

「だとすれば私たちには関係ない……そういうことだよね?」

「そうそう! 皆で一緒にどーんとやっちゃおう!」

 

 リューネとストレアの言葉に一同が頷く。方向性が見えたなら、後はやるべきことをやるだけだ。ルート取りの確認や戦闘時の連携の練習、純粋なスキルや戦闘力の強化。出来ることは少なからずある。作戦決行は三日後であるとはいえ、その日の二十四時間前である二日後には《宣戦布告》をしなければならない。

 

 戦争を仕掛ける一日前に通達することで、攻め込むと宣言したその日のみその領地にいる種族を攻撃できるようになる。もちろんナイツの首魁たる俺が代表者として通達する。スプリガン領のパス・メダリオンを持つお嬢はスプリガン領での戦闘に制約は無い。お嬢の存在は可能な限り隠し通す。《領主》身分を使って戦争をしてしまえば関係のないインプのプレイヤーに迷惑が掛かるし、成功しても失敗しても何かしら外交的問題が発生する。

 

 だから、最後まで国と国との対決ではなく個人と国との対決という形を取る。あくまで俺が表立っていたというのであれば何とでも言い訳は立つ。今回の作戦における勝利条件は二つ。ゼノビアのキル、或いは領主館の種族旗の奪取。速攻で突入して旗を盗れるならそれでよし、ただお嬢その人はゼノビア本人の打倒を望んでいる。

 

 どうなるかは出たとこ勝負で何とかするしかない。ただでさえ秘密主義のスプリガンだが、敵勢力はさして多くないと予想できる。レネゲイドの人数が多いとはいえ全員が同時ログインしているわけではない。宣戦布告により警戒が強まったところでせいぜい狩りメンバーを急遽寄越してくる程度だろう。

 

 《宣戦布告》は全プレイヤーの持つ権利だ。当然ALOにもプレイヤー同士の秩序というものがあり、無闇に戦争を仕掛ければそのバランスが乱れてしまう。だからこそ、やるならやるで念入りな仕込みをするなり、恐れるなら恐れるで領地の国力の増強に努めたりとこのゲームならではの駆け引きが生まれる。

 

 一度サラマンダーがシルフ・ケットシーの条約締結会談を襲撃したようだが、それはたった一人のレネゲイドの活躍によって阻止されたらしい。なんと、びっくりしたことにそのプレイヤーは不遇種族スプリガンだったと言う。さらに、まさかまさか、そのプレイヤーは一騎打ちで《魔剣将軍》ユージーンに勝利したとかしていないとか。

 

 まあそんな出鱈目(キリト)のことはさて置き、俺たちはその秩序を多少なりとも乱そうとしているのである。ぶっちゃけ侵略のための大義名分が無い。それっぽい理由は苦し紛れながらもでっち上げているがしっくりこない。スプリガンは別に何か悪事を働いているわけでもなく、種族の持つ強みと領主の人間性で勢力を拡大している。つまりは()()()なのだ。

 

 俺たちが掲げるのは『レア資材の独占に対する制裁』。完全ないちゃもん付けだ。比べてしまえば俺たちのほうがよっぽど質が悪い。確かに俺ら以外にもスプリガンのやり方に不満を持つ輩はいるだろうが、()()()()()()()()()。じゃあお金を稼いで買えばいいという考えになる奴が殆どだ。何でもいいから隙を見せてくれはしないだろうか。

 

 予め断っておくと、これは完全に出来すぎている。いや、確かにゼノビアが何かを始めようとする予兆はあったが、いろんな意味でこれは予想外だった。その発端はアルゴからのメッセージだった。

 

『今すぐに会って話したい事がある。会ってもいい場所を指定してほしい』

 

「一応確認しますが、ここに呼んでも?」

 

 メールを可視表示にしてからお嬢に確認する。

 

「アナタ《鼠》とも知り合いだったの?」

「向こうではみんなお世話になってますよ。俺が《トリックスター》だってことは伝えてあるので特に心配することは無いと思いますけど」

「そ。ならいいんじゃないかしら。居場所の口止め料は惜しいけど……今更ね」

「じゃ、来てもらうように伝えます」

 

 流石は《鼠》というべきか、情報やアルゴはものの数分で《黒龍の翼亭》の個室までやって来た。ネイとナノに扉を塞がせ、席についている俺とお嬢の護衛としてルクスとリューネを着けた。

 

「これはこれは……とんでもないメンツだネ。それにしても一応は顔見知りだロ? おネーさん信用無くて悲しいナ」

「邪推が過ぎる。話をするのに相応しい場所を整えただけだ。それで話ってのは何だ? 文面からして急ぎなんだろ?」

「そっちこそせっかち過ぎないカ、ライライ。確かにオレっちは話したいと言ったし、会える場所の指定も頼んだ。タダで――とは一言も言ってないけどナ」

「千」

「ココはインプ領の超高級酒場だロ? まさか客人にドリンク一つ出さないのかナ?」

「三千」

「おネーさんお昼まだなんだけド、ココのオススメはあるカ?」

「チッ……一万」

「毎度あリ、じゃあ情報を提供するヨ。取り合えずこれを読んでくレ」

 

 その辺のクエスト情報とは価値が違う。その位は分かっていたがここまでぼったくるとは。数枚のスクロールに分割されたテキストを受け取る。その内容は、思わず首を傾げたくなるような内容で、正直戸惑った。

 

「スプリガン領主ゼノビアが……()()()()()『ゲントク』と結託……。なんだ――? スプリガンは、ノームは何をやろうとしている?」

「最終的な目的は、サラマンダーとシルフの打倒ダ。ゼノビアは、今のALOの勢力図をひっくり返そうとしていル」

 

 何だ、何だそれは。俺らとは全くもってスケールが違う。追い付け追い越せなんて、考え方が甘すぎたというのか。『引っ繰り返してしまえ』。そのためのレネゲイド集め、そして資材流出を税金や値段の吊り上げで防いだのは国力を蓄えるためではない。()()()()()()()()()()

 

「マ、オレっちにとっては面白いネタっていうだけなんだけどナ。顔見知りのよしみで一番にセールスに来たわけだけド……。ライライ、()()()()()()()()()()?」

 

 もしもノームが種族を挙げてスプリガンに協力しているとすれば、スプリガン領攻略の難易度は跳ね上がる。だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。悪くない、寧ろいい。

 

「面白くなって来た――。なあ、アルゴ。活動資金を都合してやるからこの情報もっと売り込んでくれ。今日と明日で可能な限り売ってくれ」

「情報のソースはいかがかナ?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「オレっちの目の前で『嘘』なんて言葉を使うなんてナ。サービスで聞きながしてやル」

 

 そう。そういう疑惑さえあればいい。実際に阻止しようとする事で、真実味は勝手に増していく。そもそもアルゴは嘘を売らない。どんな情報も事実関係を、最低限彼女の中では成立させて商品にしている。アルゴ自身がでそう公言しているからこそ《鼠》は最高の情報屋として名を馳せているのだ。アルゴが個室から去っていくのを見送ると、メンバーの顔を見渡す。全員が決意と興奮に満ちた顔をしていた。

 

「いける……これなら行けるわ! ワタシたちが侵攻する理由としては打ってつけよ」

「ええ、まさかここに来てこんな情報が舞い込んでくるとは……。流石は主です」

 

 この場の誰もが確信していた。最早上手くいかない理由がない、と。

 

 そのせいで当時の俺たちは忘れていた。本来であればこんな無茶な作戦が上手くいく筈がない、と。()()()()()()()()()()()()()。俺は失敗した。アルゴからの慈悲を容易くフイにした。誰がこの情報の発信源なのかが分かっていれば、俺たちが踊らされていることがすぐに分かったのに。

 

 

 

***

 

 

 

「ライライには悪いことしたかナ……。ま、仕方なイ。依頼主(ゼノビア)から百万も積まれたら断れないだロ?」

 

 まさか、《トリックスター》に直接この事実を伝えに行けと依頼されるとはアルゴ自身思ってもみなかった。ゼノビアの考えは、知ってはいるが理解はできない。だが彼女は自らの役割に忠実なだけ。()()()()()()()。実に単純明快な動機が《鼠》のアルゴの生き甲斐である。

 

「だけド――()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってのが面白いところだナ。ま、フロントランナーのよしみダ。成功を陰から祈らせてもらうヨ」

 

 これが情報屋の醍醐味の一つだ、とほくそ笑む《鼠》のアルゴはやはり金のために今日もALOを駆け巡る。事が大きくなればなるほど、傍観者という立場はますます面白くなる。彼女からすればどちらが勝とうと、勝った方に肩入れすればいいのだから。

 

 

 

***

 

 

 

 万が一来ることを悟られていたとしても、いつ来るかまでは予測できないはずだ。そもそも俺たちはまだ何もしていないのだから、敵とは認識されていない。出来ない。後はどうやって決して少なくはない軍勢を退けるかだが、それは各々の技量と申し訳程度の作戦が上手くいくのを祈るばかりだ。今更どんな不安も意味をなさないが。

 

 《宣戦布告》。

 

 オーダー通りアルヴヘイム中に情報は流れた。誰もが困惑と疑念を抱くこととなる。そんな状況下で、風の噂程度の存在であった《トリックスター》が声を上げた。均衡を崩さんとするゼノビアを討つと果敢にも宣言して見せた。我ら《明けない夜の住人(ワルプルギス・ナイツ)》は悪しき女帝に挑み、そして平穏を守る。首魁たる《トリックスター》の名は『ライヒ』。SAOをクリアした勇者、その一人である。

 

 俺とお嬢は領主室で二人きりで話していた。

 

「ねえライヒ。白状するとね、ここまで来られるとは思ってなかったの」

「俺もですよ。こんな大事になるなんて思ってませんでした」

 

 本音だ。なんとなくの目標を掲げて、何となく遊んでいればいいと思っていた。それがいつしか契約になり、ただの遊びではないほどに規模が膨らんだ。ちっぽけなコンビだったはずの俺たちは、今や一つの世界を騒がす一個集団だ。もちろんみんながみんなタダで手伝ってくれる訳ではない。俺は俺でナイツの連中に対価を支払う約束をしている。作戦に参加する代わりに、俺は彼女たちのために《トリックスター》として立ち続けなければならない。それが彼女たちの望んだ報酬。

 

「いい夜ね」

「明日が本番なんですからさっさと落ちたほうがいいんじゃないですか」

「いいじゃない、もうちょっとだけよ」

 

 お嬢がいいと言うのならいいのだろう。

 

「戻っても面白くもなんともないもの」

「そうですか」

「アナタと話してる時間だけが、生き甲斐なの」

 

 大袈裟だ。俺はただついて来ただけで、お嬢には迷惑ばかりを掛けていたように思う。それでも俺と一緒にいる時間を楽しいと言ってくれるなら、きっとそれが全てだ。

 

「……流石に今日はここまでにしましょう。俺たちなら出来ますよ」

「ふふ。期待してるわよ、勇者サマ?」

 

 お嬢。俺は貴方の勇者になれるでしょうか。迷ってばかりで、一人では前に進むことも出来ない。それでも、もう一度やり直そうと決意できたのは貴方のおかげです。お嬢がくれたマフラー、固有銘《ブラック・ファー》にそっと触れる。

 

「それに個人的な理由だけじゃ済まない状況だもの。今ゼノビアを叩いておかないと本当にとんでもないことになるわ」

「なぜですか?」

「情報が正しかったとして、ゼノビアが《転覆構想》を本当に実現しようとしているならいずれALO全土で戦争になるわ。確かに一時は税の徴収やらアイテムの差し押さえで覇権を握ることは出来る。けど――」

「相手方が報復しないわけないですよね。流石に」

 

 そんな状況になればALOの情勢は荒れに荒れるのは間違いない。だからこそ今なのだ。ゼノビアを討ち、スプリガン領を壊滅させ、構想を破壊できるのは俺たちだけ。

 

「ここまで来ると宿命とか運命とか……そんな風に思えてきます」

「バカね。そこは疑問を挟まずに運命だって言うところよ」

「ま、そうですね。必ず貴方と一緒にゼノビアを倒す。そして貴方を、お嬢を貰います」

 

 そういう約束だ。違えることのないように繰り返し誓う。お嬢との時間は、交わした言葉は、俺にとってもかけがえのないものだから。壊れてかけの俺を完膚なきまでに壊して、そしてその代わりに新しい俺と勇気をくれた。その恩に少しでも報いたい。

 

「そうよ。だからちゃんと最後までワタシを見ていて」

「分かってます。あんな無様な姿はもうナシです」

 

 もう時間だ。話すべきことは話した。後は待つだけ。

 

「それではまた明日」

「ええ、また明日会いましょう」

 

 

 

***

 

 

 

 何処とも知れない暗闇に彼女はいた。ゲーム内で売られている新聞をじっと見つめ、そしてふとした決意に体を起こす。

 

「会いに行くよ、ライヒ君」

 

 そこは央都でありながらも多くのプレイヤーにとっての死角に存在し、ある意味隔絶された空間。彼女は新聞を丁寧に、そしてどこか愛おしそうにポーチの中に仕舞うと暗がりへと溶けていった。

 

 多くの野望を孕む夜は更けていく。

 

 

 




 

 次回からいよいよ本当に大詰めです。

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Foray Ⅱ

 

 最早これは個人的な戦いに留まらないのだ、と。お嬢は言った。それは領主という立場からの言葉なのか、或いは一人のプレイヤーとしての言葉なのか。少なくとも俺には伺い知れない。どちらにしても同じ考えを抱き始めたのは俺も同じで、アルゴからの情報はそれをただ攻め込むだけの大義名分として扱うには余りにも規模が大きすぎた。

 

 SAOにおいてプレイヤー集団とプレイヤー集団の対立が殺し合いという形で現れたのは、後にも先にも『ラフィン・コフィン討伐』だけだろう。本来モンスターへと向けるべき能力や武装が、極めて例外的に生身のプレイヤーへと向けられた事件。個々のプレイスタイルに差はあれども、基本的にプレイヤー同士での協力を基本とするSAOとは対照的に、ALOはプレイヤー同士の過度な融和を決して許さない。開発者の底意地が悪かったのか、或いは別の理由があるのかは知らないが、ALOでは積極的なプレイヤー同士の対立を推奨している。

 

 だとすれば、今から俺たちがやろうとしていることは、ある意味ALO最大の醍醐味と言えるのかもしれない。ALOでプレイヤーを倒せば生半可なモンスターでは得られない経験値や、倒したそのプレイヤーの装備までもがドロップする。()()()P()K()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 しかしこの世界には恐怖が、狂気が、絶望が、人が争う火種となる感情が足りない。まともな人間なら話し合える。故に外交、貿易、条約、そうでなくとも個人的な仲になるのでもいい。それらのあれこれを駆使することで決定的な戦争を避け、小競り合い程度で済むのならそれで良しとしている。

 

 みんなが戦争を望んでいるわけではない。みんなが同じわけではない。しかしゲームである以上そこには明確な強弱の区別がある。習得可能なスキル、装備可能な武器、得意分野、固有技能……。そう言った数々の要素がある中で、スプリガンという種族は輪をかけて不遇だ。後ろめたい事ではあるが、俺もスプリガンになるという選択肢は初めから捨てていた。さりとてガチガチに集団意識の高い種族に入りたい訳でも無い。俺はそういった諸々の理由から集団としての雰囲気が緩いことに加え、暗視や暗中飛行を始めとした()()()()()()固有技能を保有するインプを選択した。

 

 そんな俺にはゼノビアがスプリガンを選んだ理由が分からない。

 

 ひょっとしたら、あの時ラフコフに所属していた奴らもこんな心持ちだったのかもしれない。

 

 ――分かり合う事の出来ない、天と地ほどの開きがある相互不理解。

 

 共有できる物が無いわけじゃない。ただ、目指す所が、その理想が食い違っていた。

 

 人を殺すという行為は、裏返せば自分の死からの防衛だ。モンスターを倒してレベルを上げることとその本質は変わらない。

 

 ゼノビアは他者からの理解を得られなかったはぐれ者(レネゲイド)を集め、不遇ゆえの弱さという決まりきった()を崩そうとしている。それは実現したならば間違いなく偉業だ。だがその方法を俺自身が容認できない。ゼノビアの『侵攻』が世界への『報復』だと言うのなら、『報復』への『報復』が行われることもまた然り。そしてゼノビアは恐らくその状況をこそ望んでいる。弱った種族をさらに叩こうとする種族が出てくるだろう。勢力を増したスプリガンをさらに上から叩こうとする種族もいるだろう。種族に限らずその大小を問わず集団や個人が戦いに参戦しようとする。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 今まで見向きもされなかった()()()()()になる。()()()()()()、その繰り返し。それを世界規模でやる。

 

 しかしあえて言わせてもらう。()()()()()()()()()()()。それが競争の範疇ならまだいい。その中でなら争いはむしろ正しいと認めよう。だが、()()()()()()()()()()()()()。かつて憎しみで自我を染め、狂気に走った俺が何かを語ることは甚だしく筋違いだと理解している。それでも、それが異常なことだと知っている。故に俺は徹底的にゼノビアを否定する。

 

 これは世界(SAO)を壊すための戦いではない。全く正反対の世界(ALO)を守るための戦い。

 

 ――即ち。

 

「行くぞ、侵略(Foray)だ」

 

 

 

***

 

 

 

 戦闘は完全な奇襲から始まった。第一陣として俺とお嬢以外の《ナイツ》メンバーを先行してスプリガン領へ放つ。リューネが《歌》をばら撒き、弱った敵をストレアが圧倒的かつ理不尽な剛力で殲滅していく。《歌唱》スキルの使用はモンスターからのヘイトをかなり強く受けるので、侵入した時点で追ってくる衛兵を引き付けつつHPを削っていく。後に続くネイ、ナノ、アコールは狩り漏らしの掃除と足止めを行う。幸いなことに敵はこちらの戦力の詳細を知らない。故に隙が生まれる。第一陣が領内を攪乱している間、ルクスは後続を寄せ付けないために罠を張り巡らせる。《ラフコフ》時代の経験が活きると言って自らその役を買って出た。麻痺や毒や、閃光に音など実に多彩な小道具を作成しては配置していく。

 

「Ahaaaaaa――流石に疲れて来たかな……」

「まだまだだよ! 始まったばっかりなんだからがんばろー!」

 

 貴重な戦力であるストレアを真っ先に送り出したのには理由があるが、今はまだ関係ない。慎重に見計らうべきは突入のタイミングだ。

 

「やっぱり。予想より戦力が多いわね」

「むしろちゃんと敵として見られてるならいいじゃないですか。少なくとも、奴らは俺の事を知っていたところでお嬢の事までは予想できない」

 

 それこそがこの作戦最大の肝となる。俺が全力で表に出ることで、ギリギリまでお嬢を秘匿する。速攻で領主館に踏み込み、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。純粋な戦闘でお嬢がゼノビアに負けることは有り得ない。仮にゼノビアがどんなに高位の幻惑魔法を使用したところで、お嬢の《眼》はそれを全て無効化する。

 

 お嬢の《特筆能力(パーソナル・スタンス)》、《貫通透視(アイ・シャドー)》は《索敵》や《暗視》に類するスキルをやたらめったら習得することで発現したらしい。その能力に掛かれば敵のステータスを自在に覗き見出来る上に、広範囲における《隠蔽》スキルや幻惑魔法を無視できる。全てはゼノビアを斃すためにやったこと。そう言っていた。

 

 まだだ、まだだ、抑えろ。いくら奇襲が成功したところで何かを一つ間違えば劣勢になる。信じて待つのが最善の行動だ。

 

 焦れているのは隣のお嬢も同じで、お互い今にも暴発しそうだ。それでも待つ。耐えて、耐えて、さらに耐えたところでようやくルクスから遠隔通話が入った。

 

『今だよ、行って』

「お嬢!」

「分かってるわよ!」

 

 《隠蔽》スキルを解いて全速力で駆け出す。第一陣には敢えて遠回りをさせたのでスプリガン領主館付近の防衛は、今に限って限りなく薄い。全速力で領内に突入し最短距離を突っ切る。

 

『ルクス! 後続が来るとしてどれくらい足止め出来る?』

『どんなに来ても三十分は確実に』

『上出来だ』

 

 こんなのはまだ序の口だ。手の内はまだ残っている。

 

 扉を蹴り飛ばすようにして領主館に踏み込むと、ぞろぞろと防衛隊が俺たちの行く手を阻むために出てくる。そのほとんどが防御に特化したノーム。だが、それでいい。間違いなくノーム軍団で俺たちの本体を迎え撃ってくれると信じていた。

 

「悪いな、お前らの相手をしている時間は無い」

 

 そしてお嬢と目を合わせ、同時に床を蹴って跳躍する。

 

 インプを含めた軽量級種族の特殊技能《壁走り(ウォールラン)》。有り余る資金に物を言わせて限界までランクを上げてあるスプリガン領主館だが、どれほど強化しようと建物は建物だ。壁を駆け抜け最初の防衛線を無傷で突破する。当然重量級のノームはすぐには追ってこれない。その勢いのまま上階を目指して突き進む。

 

『リューネ、そっちはどうだ!?』

『限界まで引き離したよ! 全て計画通り!』

 

 オーケー。そっちは任せてもよさそうだ。今はとにかくこの摩天楼の頂上に辿り着くことだけを考える。

 

「下の奴らは捲けたか?」

「ええ。でも――クソッ……上に行けば行くほど人数が増えてるわ」

「いずれ無視も出来なくなりますね。外は何とかルクスたちが抑えてますが」

 

 まあ、そもそも戦わずして何とかなるなどとは毛頭考えていない。ならばやることはたった一つ。

 

「「強行突破だ」」

 

 半分ほど登っただろうか。大広間には種族混合のパーティーが複数待ち構えていた。以前俺が殲滅した部隊とは明らかに違う。訓練され、鍛え上げられたプレイヤーばかりだ。

 

 だが、それでも俺には及ばない。

 

「《ソード・ダンサー》、《ブレイブ・ストリーム》、《サイレント・ブースト》、《スター・セイバー》、《ソウルフル・スタンド》」

 

 遊びはナシ。行く手を阻むなら容赦なく始末する。

 

 相手の陣形が整う前にステータスをフル稼働させて敵を蹴散らしていく。万が一殺し損ねても後ろのお嬢が始末してくれる。道を切り開くのが俺の役目だ。

 

「敵は二人だ数で押し潰せ!」

「雑魚は引っ込んでろ」

 

 強がっては見せてはいるものの、流石に剣だけではどうにもならない、か。

 

 ――ならば。

 

「『ゲ・キュルキュルケ・ゲ(穿たれるモノ)ガーバラメス・ガシュル(刻まれるモノ)ガシュル・ゲルヴァビア(全て等しく磨り潰せ)』」

 

 魔法の行使。剣の斬撃の延長線上に重ねて闇属性の衝撃波が発生する。お嬢直伝の《マジカル・エッジ》。説明は相変わらず適当で理解するには苦労を重ねたが、その甲斐あって戦闘詠唱は完全に己の技術として掌握した。

 

「アナタね……。ワタシの十八番を取らないでくれるかしら?」

「別にいいじゃないですか減るもんじゃあるまいし」

「本当。アナタって器用なのか不器用なのか分かんないわね」

 

 軽口を叩いてはいるが、実際、かなり危うい。倒しても倒しても次々と後続がやってくる。そろそろ外での陽動も限界を迎えるだろう。ゼノビアを侮っているわけではないが、ここまで行けば馬鹿でも第一陣が囮だと気が付く。まあ、いい。そろそろ詰めに掛かる。手で耳に触れてアコールへと通話を繋げた。

 

()()

()()()()()()

『……悪いな』

 

 アコールの決意と覚悟に心からの感謝と謝罪を伝える。こんなものでは全く足りないことは重々承知だ。でも、今はこれで許してほしい。

 

『いいえ。私が望んだことですから』

 

 通話を切る。

 

 数秒後、離れていてもはっきりと知覚出来るほどの衝撃と轟音が響き渡る。アコールには闇属性の広範囲自爆魔法を使わせた。他のどんな魔法をも凌ぐその威力は、彼女のHPとMP、そして通常時の数倍のデスペナルティの犠牲を以て発動する。恐らく外の敵はその悉くが爆発に巻き込まれたはずだ。

 

 俺たちの勝手で始めた事。今更躊躇していられない。

 

「そろそろ次行きますよ!」

「準備出来たら合図しなさい!」

 

 倒すにしても躱すにしても、全員を相手取っていてはキリがない。繰り返すが出来得る限り最短最速で辿り着けなければジリ貧で負ける。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 窓のガラスを蹴破って外へ飛び出す。さらに上のテラスまでは飛行で昇る。

 

 後を追ってくる部隊を何とか振り切り着地すると、ホッとしたのも束の間、気が付けば既に陣形を整え終えた部隊に取り囲まれていた。本当にこれほどの人数をどうやって集めたのか。

 

「考えたくないけど――完全に読まれてるわね」

「流石にここまで先回りされるとそうとしか言えませんね」

 

 ならばこっちも次のカードを切るまでだ。

 

「ストレア!」

「待ってました!」

 

 突如ストレアが一瞬にして俺の元へと現れ、再び蹂躙を始める。プレイヤーでありながらナビゲーション・ピクシーでもある彼女は、その機能を使って()()()()()()()()()()()()()()()という反則的な性質を持つ。今回はその機能を全力で悪用した。

 

「ここは任せたぞ。心ゆくまで暴れてくれ」

「はいはーい! まっかせて!」

 

 お嬢の手を引いてストレアが拓いてくれた道を懸命に駆ける。途中でルクスから渡された罠をいくつか撒きながら、先を急ぐ。

 

「ごめんなさい。遅れたちゃったわね」

「仕方ないですよ。こんな無茶な戦闘をすれば誰だって疲れます」

 

 お嬢は俺たちとは違って長時間のフルダイブ経験が無い。精神的な疲労が出るのは仕方のない事だが、ここから先はさらに厳しい戦いとなる。それならここは思い切って休んでしまってもいいだろう。

 

「少し休憩しますか」

「平気よ。一秒だって無駄には出来ないんだから、急がないと……」

「罠も張りましたし、ちょっとくらいなら大丈夫ですよ」

 

 そう言うと、近くの倉庫のような部屋にお嬢を抱えて転がり込む。それに、敵が俺たちは先に行ったと勘違いしてくれれば儲けものだ。

 

「もう、平気だって言ってるじゃない」

「お嬢はもう少し自分が切り札であることを自覚してください。出来るだけ万全の状態でゼノビアに挑んでくれないと困ります」

「――そうね」

 

 倉庫にあった菓子類をいくつか失敬して休憩を取る。仮想の甘みが脳に心地よい。

 

「あら、いい茶葉じゃない。貰って行こうかしら」

「ゼノビアに勝てばどうせ全部お嬢の物ですよ」

「……ワタシ、勝てるかしら」

 

 いつになくお嬢の表情は暗い。守られてばかりの自分を歯がゆく思っているのか、或いは嘆いているのか。

 

「ここまで来て弱音なんてらしくないですね」

「そうじゃないの。戦って負けることを心配してるんじゃなくて……何て言えばいいのかしら。本当にゼノビアを斃して、それって正しい事なのかしら」

「と、言うと?」

「だってそうじゃない!」

 

 お嬢は食べかけのクッキーを壁に投げつけて叫ぶ。

 

「ワタシが勝ったとして……お姉ちゃんの計画をぶっ壊して、それでワタシは満足するわ。でも、他の何千何万のプレイヤーにとってはどうなの? もし、お姉ちゃんが――ゼノビアが正しくて、ワタシが悪いってなったらどうしようって……ずっと分からないのよ」

 

 俺は、どうだろう。お嬢の言葉を聞いて少しだけ想いを馳せてみる。うん、ダメだ。何をどう考えてもゼノビアの理想は容認出来ない。だが、お嬢は俺とは立場が違う。ほとんど有名無実であったとしても領主として背負わなければならないことがある。どれだけ言い訳を並べ立てたところで、領主が領主を討ったという事実は残る。称賛の声もあれば、批判の声もあるだろう。それにお嬢とゼノビアは赤の他人ではない。姉妹なのだ。拭いきれない葛藤だってあるだろう。

 

「覚悟で……負けてるんじゃないかって。そう思うの」

 

 カクゴ、覚悟、か。俺の覚悟は決まっている。《トリックスター》として今後どんな悪評をも受け止める。悪意には慣れている。それはとっくに決めたことだ。だから、別に()()()()()()()()()()()()()()

 

「お嬢は悩みすぎですよ。もっと気楽に考えてもいいんじゃないですか」

 

 そう。だって悪いことをしているわけじゃない。そもそも元からいい噂なんて持っていない。

 

「背負えないって思ったら、別に逃げてもいいじゃないですか。何なら《ナイツ》に来てくださいよ」

「それは――いいかもね」

「でしょう?」

「もしワタシが逃げても失望しない?」

「しませんね」

「そう……」

 

 お嬢は不意に立ち上がると、持っていた鎌を手の中でくるくると回して言った。

 

「決めたわ。ワタシは逃げない」

「そうですか」

「いざとなったらアナタに脅されたって言えば何とでもなるわ」

「清々しいくらい酷いですね」

 

 俺は正義の味方というガラじゃない。集団から向けられる批判には慣れているし、それを跳ねのけるために強くなったようなものだ。今更悪名の一つや二つどうという事は無い。

 

「休みすぎたわ。行くわよ」

「ええ、そろそろルクスの足止めも限界でしょうから」

 

 幸い近くに敵の姿は無い。通り過ぎて行ったのかまだ辿り着いていないのかは知らないが、とにかく先を急がなければならない。

 

 

 

***

 

 

 

「なんだ……?」

 

 敵との遭遇率が急に減った。無尽蔵とも思える程の軍勢はなりを潜め、館内の防衛装置を回避すれば楽に進める。

 

「お嬢、敵は?」

「いるわ。いるけれど……なぜかこっちに来ない。見失ったわけでもないのに……」

「どこかにキルゾーンがあるのか――」

 

 驚くほど静かだ。俺とお嬢の足音しか聞こえない。走る、走る、敵が本当にいない。

 

「待って!」

 

 お嬢の静止に合わせて即座に武器を構える。

 

「何人ですか」

「何人っていうか……何でここに居るのっていうか……。ほら、あそこ」

 

 お嬢の指さす先を見ると、そこには何故かあの元副領主がへたり込んでいた。確か名前を『クロートー』と言ったっけ。

 

 ここにはクロートー以外にも数人のインプと、種族入り乱れた無数のリメインライトが浮かんでいた。

 

「ああ……領主。お久しぶりですね」

「クロートー……。アナタ達、今更出てきて何のつもりかしら」

「勿論助太刀に来ました――と言いたいのですが、私たちではこれが精一杯でした」

 

 そういえば、確かに今ここにいるプレイヤーはインプしかいない。恐らくこの付近のエリアにいる敵と交戦していたのだろう。

 

「アナタ……最初からこうするつもりで――?」

 

 お嬢の声が思わず詰まる。俺も驚いた。

 

「正面突破でここまで来れるわけないじゃないですか……全く、これじゃあ本物の襤褸雑巾ですね」

「馬鹿ね……もっと分かりやすくしなさいよ」

「私はそこの新入りと違って強くもなんともありませんから、流石に勘弁してください。領主館にツケときますからね……」

「ま、手引きしたのは僕だけど」

 

 いつの間にかルクスが追い付いてきていた。本当に裏で色々やるのが上手いなあと感心せざるを得ない。

 

「全く……。こんがらがって来たわね」

 

 お嬢は頭痛がしたようにこめかみを抑える。そしてはあ、と大きなため息を吐く。

 

「クロートー、そして以下数名。今回の働きに免じてレネゲイド認定を取り消します。――勝手ばかりでごめんなさい」

「もう面倒ごとは勘弁してくださいよ」

「バーカ。これからが忙しいから呼び戻すのよ」

 

 和やかな空気が流れる。だが、ずっとここにはいられない。

 

「増援ね……時間が無いわ」

「私たちはここで足止めを。領主は先へ行ってください――それと、新入り君」

「何でしょう」

「《世界樹の雫》、必ず返しに来てくれ。でないと困る。私の財布が」

「……はい。分かりました」

 

 足音が近づいてくる。もう行かなければ。

 

「ライヒ、ミズチさん。そろそろ行くよ」

「ええ、次が最後のヤマよ。気合入れなさい」

 

 クロートーたちに別れを告げて新たな敵と対峙する。一度止んだと思った敵の襲撃もかつてないほどに激しい。

 

「なんて数だよ……っ」

「下からもどんどん来てる……。早く抜けないと不味いね」

 

 だが不思議と負ける気はしない。お嬢が以前にも増してやる気を出しているのも勿論だが、ルクスがいるという事実が大きい。気が付けば背中合わせで戦っていた。

 

「懐かしいね、この感覚」

「エルフクエストの終盤以来、か」

 

 後ろを振り向かなくても、ルクスが何をやろうとしているのか、何を望んでいるのかが分かる。逆もまた然り。とっくの昔に忘れ去ってしまったと思っていた。それでも体が覚えている。ルクスのリーチも、攻撃の威力も、手足のようにシンクロできる。

 

 ――ああ、きっとそうなのだ。

 

 レインがいない今、全幅の信頼を置けるのはこの人しかいないのだ。

 

「併せよう」

「分かってる」

 

 散々練習したシンクロ・ソードスキル。俺が縦で、ルクスが横。

 

「《バーチカル・スクエア》」

「《ホリゾンタル・スクエア》」

 

 敵の大部分は殲滅した。あともう少しで――。

 

「行って」

「は?」

「あとは僕だけでも何とか出来るよ。ミズチさんと先に行って」

 

 ここまで来たなら一緒に……とは言えなかった。俺はもうこの人から、師匠からは独立したのだ。ルクスは俺を弟子としてではなく仲間として、相棒として信頼したうえで送り出そうとしてくれている。それを無下には出来ないし、実際ルクスなら何とか出来そうだ。恐ろしい事に。

 

「頼む」

「任されたよ」

 

 頂上はもう間近だ。《ナイツ》の連中の協力を無駄にしないためにもここは進む。

 

「退けッ!」

 

 尚も道を阻もうとする敵を《ヴォーパル・ストライク》で吹き飛ばす。

 

「お嬢早く!」

「分かってるわよ!」

 

 あと少し。本当に、もうすぐだ。

 

 

 

***

 

 

 

 領主室のすぐ下の階。シャンデリアや宝石が眩しいほどに輝いている。ここでこんなにキラキラなら、この先のゼノビアの部屋はもっと凄いのだろうか。

 

「何度来ても悪趣味ね。一体いくらつぎ込めばこうなるのかしら」

「なんかもう眩しいとしか言えない……」

 

 外とはまるで別世界のような広間を進む。不思議とこれ以上の会話は無かった。

 

 ようやくここまで来た。こんなにも人や運に恵まれるとは思ってもみなかった。長いようで、実は結構短期間だったりして、それでも尊いと胸を張って言える冒険だった。もうじき俺とお嬢の旅は終わりを迎える。

 

 しかし俺は今更になって思い知る。

 

「――! お嬢下がって!」

「え……」

 

 突如として上から何者かが降りてくる。果てしなく重く、果てしなく硬く、そしてそれが今ここに立ちふさがっているという事実から俺は全てを悟った。

 

「ノーム領主『ゲントク』――。そうか、そういう事かよ」

 

 余りにも愚かだった。俺たちは今、ゼノビアを追い詰めたのではない。逆に逃げ場のない場所へと閉じ込められたのだ。

 

「お嬢。俺ら、最初から誘い込まれてたみたいです」

 

 目の前の存在には俺もお嬢も思わず一歩引いてしまう程の迫力があった。

 

「そんな……嘘よ。アイツは――ゲントクはALO最強のタンクよ。レジェンダリー・ウェポン《絶盾アイギス》を持つ守護神……。勝てるわけ、ない……」

 

 前方を塞ぐ巨岩のような男は、太く重々しい声で言った。

 

「正直に言おう。貴様らがここまで来られるとは思っていなかった。我が出る幕など無いと胡坐をかいていた。その事を詫びよう。だが、ここまでだ。ここから先、貴様等を一歩たりとも進ませるわけには逝かぬ」

 

 離れていても見れば分かる。ハッタリじゃない。伝説級武具を持つほどの由縁がヤツにはある。アコール謹製の装備がいくら強いとはいえ、連撃でダメージを稼ぐ構成である以上一撃の重さに欠ける俺では、敵のタワーシールドとは相性が悪すぎる。

 

「何を言おうと貴様らがここを引かない事くらいは解る。だが、我も譲れぬ。互いがそうであるならばここで貴様らが斃れるのも必然だと思え」

「アイツ……アイツ!! 最初からワタシたちの事なんて敵としてすら見ていなかった――っ! クソ、クソ! 何で! こんなところで! ここまで来たのに!」

 

 悔しさにお嬢が叫ぶ。俺だって悔しい。まんまと策に嵌って、浮かれて、ノコノコと誘い出されてしまった。

 

 なぜいつもいつも俺の前には何かが立ちはだかるんだ――?

 

 だが、だが、だから何だというのだ。

 

ここで負けるのか? 否。

 

無様だったと嗤われるのか? 否。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 ロングソード・レイピアの構え。決意を、敵意を、殺意を。明確に剣に込める。

 

「我に立ち向かうか、《凶星(ロキ)》」

「ロキ……? ああ……《トリックスター》だから、か」

 

 相性が悪い。それがどうした。今までにないほど敵が強い。それがどうした。元から無理を通して来たのだ。この程度の無理を通せずにどうする。

 

「お嬢。行ってください。ここは俺が食い止めます」

「無理よ! アナタじゃアイツには勝てない!」

「だったら……勝てないかもしれないからってここで諦めるんですか。このままカッコ悪く二人纏めてやられるんですか」

「それは……っ」

 

 すう、と大きく仮想の息を吸って叫ぶ。

 

()()()! 振り向かずにさっさと行け! ミズチ!」

 

 お嬢はぐっと言いかけたがそれを堪えると、次の部屋に続く扉へと走り出した。

 

「通さぬと言った筈だ」

 

 ゲントクはその行方を阻もうとする、が。

 

「悪いな、お前の相手は俺だ」

「む――」

 

 お嬢を庇うようにしてその身を割り込ませる。そしてそのままゲントクの動きを抑え込んだ。

 

「先にいくわね、ライヒ」

 

 お嬢が扉の向こう側へと消える。この場に残ったのは俺とゲントクだけ。

 

「お前、さっき通さないとか言ってたな。即破られたじゃねえかザマアミロ」

「貴様……」

「ああ、あと俺からも言っとく事がある」

 

 二本の剣を用いたブロッキングによって発生したノックバックでゲントクを先へと繋がる扉から引き離す。お嬢を奴から阻む軌道で割り込んだため、必然的に俺が扉の前に立ち塞がり、ゲントクがその俺に相対する構図になる。

 

()()()()()()()()()()()()()。行きたきゃ俺を倒していけ」

 

 

 

***

 

 

 

最上階の一室にゼノビアはいた。下の部屋とは裏腹に暗く、どこか闇に揺蕩っているような錯覚を覚えるほどに空気が異質だ。

 

ゼノビアは、お姉ちゃんは現実では考えつかないほどの風格を纏いながらワタシに語りかけてくる。

 

「まさか、ゲントクを抜けてくるなんてね」

「ええ、頼れる相棒が抑えてくれてるわ」

 

 ゼノビアは心底驚いているようだった。本来ならライヒ諸共ワタシを始末しているはずだったのが、ここまで侵入を許すとは思ってもみなかったのだろう。

 

「馬鹿の一つ覚えみたいに特攻してくると思えば、さらに馬鹿の一つ覚えで二人だけでの特攻……。部隊攪乱からの自爆魔法にクロートー以下インプの裏切り。しかもあの馬鹿力が何故か突然最前線にまで来るわ、よく分からない罠で後続もうごけないわで本当に予想外の事ばかりね」

「観念なさい。ワタシとアナタが戦ってアナタが勝てる道理はないわ」

 

 ゼノビアはさも可笑しそうに扇子で口元を隠して笑った。

 

「千早――いいえ、ミズチちゃん。ここがどこなのか本当に理解している?」

「アナタの墓場よ」

「いいえ――――違うわ」

 

 気付いた時にはもう遅かった。体が徐々に重くなる。立つことさえもままならなくなる。

 

「な――んで。体が……」

 

 ゼノビアは扇子を閉じる。駄目だ。動くことすら出来ない。

 

「知らなかったなら教えてあげる。ここはね……()()()()よ」

 

 

 





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Foray Ⅲ

 誓いを果たすため、それぞれの戦いを――


 死角を狙う。

 

今の俺ではゲントクを一撃で撃破することは絶対に不可能だ。故にこの空間が四方を囲まれた空間であることを利用し、上下左右に立体駆動で絶え間なく攻撃を加える。そうすることで揺さぶりを掛け、徹底的に死角を奪い、決定打のみを狙う。だが間に合わない。どうやっても防御を完全に崩すことが出来ない。相手はステータスの一切を攻撃に回していない、壁役(タンク)の極致とも呼べる存在だ。そして一番の障害はあの両手盾――《聖盾アイギス》。正面には蟻の穴程の隙も無く、中途半端に側面に回ろうとすればいとも簡単に攻撃が止められてしまう。やはり、こういう手合いは俺の手に余る。

 

 例えばそう――無駄なことだとは承知しているが――ヒースクリフと比較してみよう。《神聖剣》は攻防一帯を体現したスキルであり、プレイヤーの腕次第でタンクとアタッカーを同時にこなすことが出来る強力なスキルだ。扱いは非常にタクティカルだがそれ故に付け入る隙がある。ラスボスであるが故に戦い、勝利を求める必要がある。それはある種の制約だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。たとえどれほど強かったとしても、ラスボスに絶対の勝利は許されない。だからパワーとスピードの極致たる《二刀流》で強引な突破が適う。だからスピードとテクニックの権化たる《異双流》で隙を突ける。《射撃》の援護で反撃を許さずメタを張ることも出来るだろう。

 

 だが、今俺の目の前に屹立するこの男は違う。敗北しないため、ただそれだけを突き詰めた存在だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 隙を突いてクリティカルを狙う俺のスタイルでは、勝てない。

 

 ――それでも。

 

「ここで逃げたら駄目なんだよ……」

 

 ダガーを投げてガードを誘う。()()()()()後ろを取る。そして堅牢な鎧の隙間に剣をねじ込み、ダメージを与えては離脱。そしてまた攪乱の為にとにかく動く。コイツがお嬢の元へ行ってしまえばそれだけで形勢がひっくり返る。何としてでもお嬢が決着をつけるまでゲントクを足止めしなければならない。

 

 だが、恐らく俺の手の内が尽きるほうがそれよりも早い。

 

「我が守りをこうも乱すか。口先だけでは無いようだ」

「そいつはどうも。それに免じてここは諦めてくれないか」

「出来ない相談だ」

 

 予備のダガーは後三本。回収と再装備の為に《クイックチェンジ》のコマンドを使用する必要があるのだが、その暇さえ許してくれない。考えるまでもなくこのままではカウンターダメージで俺の方が先に倒れる。いや違う、それでは駄目だ。考えろ。一分一秒でも時間を稼ぐ手段を常に編み出さなくては。だがいつまで続く? 今は不意を突いて凌いでいるが、じきに相手も俺の呼吸に対応してくる。技術面では間違いなく互角だが、戦闘スタイルの相性の悪さと装備のランクの差が決定的過ぎる。

 

(フン)!」

「チ――ッ」

 

 駄目だ、まだ遅い。これでは、このままでは読まれる。足りない、足りない足りない。もっと早く、より複雑な軌道を。時間が経てば経つほど不利になる。そんなことは先刻承知だがそれでも時間を稼がなければ。俺はキリトとは違って閃きが無い。常に考えて、自分の可能性を探り続けて、それでようやく正しい動きへと辿り着ける。勘に頼っても上手くいかない。経験と技術をフルに使って行動を確立させる。確実に観て、確実に聴いて、確実に触れる。何度も何度もそれを繰り返す。その果てに今の俺がある。

 

 どれだけ隙を作っても、攻撃力が不足している。

 

 逆立ちしても勝てはしない。

 

 ならば空気を変える。雰囲気(ペース)を纏う。

 

 掲げられる盾に対して攻撃を中断。体を丸めて盾を足場に後方へ跳躍。一度大きく距離を取る。そうだ、間合いだ。逃がさないための間合いを作り出す。

 

「フウゥゥゥゥ――」

()……」

 

 大きく深呼吸、そして足を前後に広げて両手は剣を握ったまま地にぴたりと就ける。丁度クラウチングスタートのような姿勢を取り、意識を集中させてスキルが立ち昇るのを感じ取る。

 

 ――手数と速さで圧倒する。

 

 《翼撃》スキルを起動させ、翼を展開した。ジャキリ、と金属が重なり鳴るような音と共に大小二枚ずつ、計四枚の羽根が新たに背中に生え揃った。《飛行》スキルの派生で取得できるこのスキルは、翼に物理的な質量を与えると共に攻撃手段としての機能を付与する。しかし、質量を持つことで当然の事だが重さが増し、ただでさえ難解な飛行がさらに難しくなるために()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 だが、俺なら出来る。

 

 お嬢の言葉を心の中で反芻する。意思で飛ぶ。今がその時。

 

「ウオォォ……オ!」

()ゥッ!」

 

 仮想の翼を思い切り羽ばたかせて宙を駆けた。両手と翼。合わせて六本の刃で連撃を仕掛ける。超高速で行う低空飛行により不規則な動きで裏をかきつつ、天井や床を蹴っての加速も織り交ぜた緩急自在のヒットアンドアウェイ。レジェンダリー・ウェポンだろうが何だろうが防御が間に合わないのなら意味がない。しかしここまでやっても完全に圧倒することは出来なかった。故に、そっちがその気ならば、とさらに加速する。俺が最も得意とする超近距離戦闘(インファイト)を仕掛け、ペースを何とか引き寄せようとする。

 

 通常のフットワークではどうやっても不可能な剣の軌跡を、翼によって生み出される捻転力によって創出する。まともに防御されればそれだけでスタンしかねないため威力を盾のその先へと逃がすように攻撃を打ち込む。そういえば《アイギス》の固有能力とは何だっただろうか。

 

 《聖剣》エクスキャリバーはありとあらゆる敵と打ち合える『固有性無視(オールスタンダード)』を。

 

 《魔剣》グラムはあらゆる防御を無視する『万物透過(エセリアルシフト)』を。

 

 《光弓》シェキナーはあらゆる距離・角度から矢を命中させる『抵抗無効化(マテリアルシフト)』を。

 

 《聖盾》アイギスは――

 

 視界、意識、その他あらゆる面から完全に隙を作ったと確信した。両手の件をその無防備になった首筋に差し込む。そのはずだった。突如として半透明の《アイギス》が俺の件とゲントクの体の間に現れ、俺が放った渾身の斬撃を完璧なタイミングで防御した。さらに別の場所からもう一枚盾が現れ、ガラ空きの胴体にシールドバッシュが繰り出される。俺は成す術なく弾き飛ばされ、壁に体をしたたかに打ち付けた。HPが凄まじい速度で減っていく。

 

 ――受け止めた攻撃をそれ以上のダメージにして反射する『倍返し(ダブルペイバック)』。

 

「……《グランド・クエスト》攻略のため編み出した切り札を、まさかたった一人のプレイヤーを倒すために使う羽目になるとはな」

「な、んだ。それ」

 

 見れば半透明のアイギスは、先ほどの二枚だけではない。()()()()()()()()()()

 

「これこそ、我が決意の証。我が求めた強さの到達点。PS(パーソナル・スタンス)――《鬼門遁甲(キラー・メイズ)》」

「パーソナル……お嬢と同じ、ユニーク、か」

 

 何となくではあるが理解できた。ゲントクは先ほどの俺のように《翼撃》スキルで翼に質量を与え、それを攻撃ではなく防御に用いたのだ。飛行に優れ、随意飛行に至るプレイヤーはそう多くない。随意飛行は上級者の証であり、技術を完全に修めることが出来ればそれだけで一躍名を馳せるだろう。それこそ《領主》に選ばれるほどには。

 

「誇ると言い。《凶星(ロキ)》、否……《御影》のライヒ。貴様は、今までに見たどのプレイヤーよりも強い」

「畜生が……。上から目線で、偉そうに。そういうセリフは……勝ってから、言うんだな。まだ、何も、終わって無い……だろ」

 

 四枚の《聖盾》がファンネルの如く自在にゲントクの周囲を動く。そしてその防御面ではなく側面を、防御の為ではなく攻撃のために俺の方へと向けた。

 

「俺は……。俺は、まだ……負けられない――」

「終わりだ。せめて安らかに散れ」

 

 何とか躱そうにも、バトルスキルを発動させるためのボイスコマンドすら間に合わない。四枚の盾が、確実に俺を仕留めようと不規則に向かってくるのが見える。俺はそれをただ目で追う事しかできない。こうまで追い詰められても、敗北を確信しても、思考だけは手放さない、いや、手放せなかった。たとえ負けるのだとしても、お嬢の元へは追い付けないのだとしても、せめてあと一秒。

 

 思考が加速する。

 

 闘志は未だ残っている。

 

 せめてもの悪あがきに体を反らそうとしたその瞬間、俺の意識は別のどこかへと吸い込まれていった。

 

 

 

***

 

 

 

 駄目だ、指一本動かせない。本当に動けなくなる前に抜き打ちで投げた《ファルクス=パンドーラ》は微々たる威力に終わり、いとも容易くゼノビアの持つ扇子でワタシ手の届かない場所へと弾かれた。これは――何だ。

 

「どう? 動けないでしょう。姉妹のよしみで教えてあげる」

「こんな――事が、有り得ない……」

 

 ゼノビアは妖艶に嗤う。ワタシの元へと歩み寄り真下に見下ろせる位置まで来ると、いつもと変わりない口調で囁いた。

 

「これはね。拡張アップデートで追加された新魔法……《重力魔法》よ。存在だけは噂されていたけれど、習得条件は今まで不明だった――当然よね。だってこの魔法は《影魔法》と《幻影魔法》の両方をマスターしてようやく獲得できるんだもの。不遇スキルに目もくれない奴らには見つけられっこないわよね」

 

 そんなことはどうでもいい。確かに今まで未発見だった《重力魔法》の習得条件を自力で探し出したことは称賛に値するだろう。だが、そんな強力な魔法を、いくら複数の魔法スキルをカンストさせてMP量を底上げしていたところで長時間の使用は出来ない筈だ。なのに何故。

 

「なんで、MPが減ってないの……!」

「さっき言ったじゃない。ここは、この部屋は()()()()だって。あのね、()()()()()()()()()()()()()()M()P()()()()()()()。領主館のランクを上げれば上げるほど、いろんなギミックを付与できるおよ。隠し通路とか、仕掛け弓とか、警報装置とか。《魔力供給》――。これもそのうちの一つ。凄いでしょう?」

 

 そんな、そんな無茶苦茶な話があってたまるものか。ゼノビアの言ったことが本当なら、この部屋にいる間ゼノビアは無敵だ。サイズを二本装備するためにステータスの大部分を筋力に割り振ったワタシですら完全に動きが封じられている。

 

「でも、アンタの攻撃なんかじゃ、何時間やってもワタシを倒すことなんて出来ないわ」

「そうね……。確かにコロシアムなんかだったらそうかもしれないわね。でも――本当にそうかしら」

「どういう、意味」

「結局MPが問題なのよ。ここから一歩外に出てしまえば一分と待たずにミズチちゃんは私を簡単に倒せる――いいえ、他のプレイヤーでも同じ。どれだけこの魔法が強くても、時間制限があるのはどうしようもない」

 

 ばさり、と音を立てて扇子が開かれる。そしてゼノビアは魔法の詠唱を始めた。詠唱されるスペルの語感からして恐らくは影魔法だが、それが一体何だというのか。あたり一面の影から生み出されるのは無数のゼノビアの《分身体(アルター・エゴ)》。直後、疑問が理解そして確信に変わる。ゼノビアの分身がそれぞれ一斉に魔法の詠唱を始めた。

 

「だったらこの部屋から出なければいいのよ。この発想に至るまでどんなに苦労を重ねたか――わかる?」

「そん――」

 

 そんなの知らない。そう言おうとしたが、体が床にめり込んで口すら開けなくなった。《重力魔法》の重ね掛け。まるで鉄の塊に押しつぶされたかのように呼吸さえ困難になる。筋力をも上回る質量に押しつぶされたことでダメージが生まれる。

 

「ごめんごめん。苦しいわよね、すぐに解くわ」

「ぐ、ぁ……っ。けほっ、けほっ」

 

 HPゲージが消し飛ぶ寸前で魔法が解除され、思わず咳き込んだ。何故かはわからないがワタシをキルしたい訳ではないらしい。

 

「ゼノビア、アナタ……何が目的なの。ノームを味方につけて、レネゲイドを片っ端から取り込んで、何をしようとしているの」

「そんなこと、もう教えたはずよ? 《鼠》から聞かなかった?」

「《転覆構想》――。正気、かしら。あんなもの、実現できるわけ、ないじゃない」

「うーん……それじゃあなんでそう思うの?」

 

 正しいとか、正しくないとか、それ以前にゼノビアの理想とする計画にはどうしても足りないものがある。それは――

 

「今の情勢を引っ繰り返すまでは、いい。でも、スプリガンが上に立ち続けるなら、その後もずっと勝ち続ける必要が、ある。そんなこと、出来るわけ、無いじゃない」

 

 ――上に立ち続けるための、権力の維持。プレイヤーの強さにおける環境の上位に立ち続けるサラマンダーには、それ相応の根拠がある。圧倒的な人数と分かりやすい強さ。それらを率いるに足るカリスマと、マニュアル化された堅実な人員や資材の運用。果たしてスプリガンに同じことが出来るかと問われれば、絶対に出来ない。それはゼノビア自身よく分かっているはずだ。なのになぜこんなにも楽観的でいられるのか。

 

「もっともな疑問ね。でも、そんなこと私には関係ない――私と同じ意思を持つ誰かが勝ち続ければいいだけの話じゃない」

「何を、言って……」

「軍を率いるのが私自身である必要は無い。そういう事よ」

「まさか……まさか、そのために《トリックスター》を!?」

 

 ワタシはこの時ようやくゼノビアの計画を完全に理解できた。そもそもゼノビアは、自分が最終的に成り上がりたい訳ではないのだ。気に入らない奴らを陥れて、敗北に嘆く様をどこかから眺められるならそれでいい。そして自分に代わって動く指揮官として《トリックスター》という名前を求めた。分かりやすい反逆の先導者――いいや違う。《扇動者》を立てるために。

 

「残忍な『モーティマー』! 高慢な『サクヤ』! 媚びへつらうしか能のない『アリシャ・ルー』! いけ好かない『ラン・スイクン』! 全員を一度倒して情勢を崩壊させる。その旗印として《トリックスター》はうってつけよ。トリックスターは創造と破壊の象徴。その名において曇った群衆の目を引き付ける!」

 

 まるで演説でもするかのように、大仰な仕草でゼノビアは己の計画の全貌を語った。

 

「彼……《御影》のライヒはまさしく私の計画に相応しい人よ。英雄としての資質、否応なく人を引き付ける魅力、高い指揮能力。彼自身に自覚があるかどうかは分からないけれど、今回の襲撃でそれを証明してくれたわ」

「ワタシを、ライヒを誘い出したのは……味方につけるため……」

「そうよ。だからお願い」

 

 甘く、脳髄までもがしびれるような心地いい声でゼノビアはワタシの耳元で囁いた。

 

「私を助けてくれないかしら?」

 

 

 

***

 

 

 

 気が付くと俺は意識の湖を漂っていた。この場所には以前にも来たことがある。確か、ヒースクリフの剣で頭を貫かれた時だっただろうか。なぜ湖だと分かるのかというと、海ほどにしょっぱくはなく川ほどに流れを感じないからだ。俺の精神の湖の中で、浮かんで消えていく記憶の泡沫に触れる。何かが聞こえてくる。

 

 

 

 其は、汝らの産みし獣なり。

 

 

 

 其は、かの者への許しなり。

 

 

 

 故に。其は、世界への憎悪なり。

 

 

 

 ――汝ら世界を憎み、破壊を欲するのならば。

 

 

 

 この続きは何だっただろうか。細かくは思い出せない。ただこの記憶からは俺が相当に焦っていたことが伝わってくる。あの戦いの時とは違い、今は自由に動くことが出来た。また別の泡に手を触れる。記憶が再生される。

 

『……やっと聞けた。君の言葉があれば、あたしはそれだけで生きていけるから』

 

 優しい思い出だ。心から安らげる。今度は記憶に自ら近づくことなくこの空間に身を委ねてみる。深く。深く。もっと、奥へ。

 

「久しいな。ライヒ君」

「お前……茅場晶彦。ここは、俺の場所のはずだ」

 

 そう。ここは紛れもなく俺の心が、精神が、或いは魂が作り出した幻影だ。この男が入り込む余地など無い。それを知ってか知らずか、構うことなく茅場は……ヒースクリフは俺に語り掛けてくる。

 

「私は君の後悔だ。残滓を……その象徴として君が私を見ているに過ぎない。心配せずともじきに消滅する」

「俺の、後悔。俺は――何を悔いているんだ」

 

 今のコイツは俺を映している。故に回答はあっけなく返ってくる。

 

「伝えるべき言葉を惜しんだ。行くべき道を違えた。見たくない物を見た。或いはその全ての逆を――」

「ああ。そうだ」

 

 ――そう。言えなかった。言いたかった。会わなかった。会えなかった。逃げたかった。逃げたくなかった。

 

 間違えれば間違えるほど自分が壊れていくような気がした。実際に何度も自分は壊れた。そして壊れる度に組み立てなおして、立ち上がってきた。何度も。諦めたくなかったから。

 

「そう。それこそが君の持つ『資格』」

「俺だけの、俺の、特権(パーソナル)

 

 傷つくことを恐れつつも、立ち向かう勇気。深手を負い倒れ伏しても再び立ち上がろうとする覚悟。

 

 果たせるまで、何度でも。

 

「そう、俺の強さ。みんなが持っていて、でも、みんな忘れてしまったモノ」

 

 それこそがヒトの――ココロという曖昧なものを構成する、原初の輝き。

 

「本能」

 

 そう。本能だ。魂の光の源泉。心以前にこの身を動かす衝動。闘争本能。生存本能。

 

「もう行かないと」

 

 俺を待ってくれている人がいる。俺を頼ってくれる人がいる。いつまでも感傷に浸っている場合ではない。あの時と同じように、元の場所へと戻らなければ。

 

 そっと瞠目する。意識の浮上を自覚する。そして目を開けた時には――

 

 俺を殺そうと盾がすぐ目の前に迫っていた。限りなくスローに見えるその盾と、俺の視線を遮るようにその表示が目の前に現れる。

 

『パーソナル・スタンス:《心応活性(ハートレシオ)》を習得しました』

 

 言われずとも、これがどのような能力であるのか理解できた。こんなもの、本当に大したことのない能力。目の前のゲントクと比べても、お嬢と比べてすらその実態は単純かつ明快だ。すんでのところで回避に成功する。あとほんの僅か――それこそコンマ一秒でも遅ければ俺はこの場でやられていただろう。それほどに刹那の間隙を縫って俺は生存に成功する。バトルスキル《サイレント・ブースト》が俺の位置を数センチだけ移動させた。

 

「危ねえ。取り乱した」

 

 《心応活性》の能力は、バトルスキルの使用におけるボイスコマンドの省略。本来、バトルスキルを使いたいのならたった一言その名称を口にすればいいのに、ただそれだけの事を言わずとも可能にしただけ。何ならシステムメニューから選んで軽くクリックすればそれで事足りる。原理としては随意飛行と変わらない。随意飛行とは、本来のコントローラー操作を省略する技術の事だ。そういう意味でゲントクの《鬼門遁甲》と俺の《幻想舞踏》は非常に似ている。だが、俺の《幻想舞踏》は翼を失わない。本来届く筈の無い場所に手を伸ばす。たったそれだけの事だが、それ故に今の俺に足りない物を補ってくれる。

 

 《イリュージョン・ソニック》。《シャイニー・ホロウ》。《バースト・テンパランス》。《ライトニング・アタック》。《ソード・ダンサー》。

 

 脳裏で閃くスキルの数々が、言葉として発せられるよりも早く発動する。五つもの巨大な盾を掻い潜り、正確に攻撃を命中させる。回避率を向上させているため防がれてもその殆どをカウンターダメージを食らうことなく凌ぐ。

 

「貴様まさか――この期に及んで《特筆能力》を……」

「ああ――でも、大したものじゃない。こっから先は根比べだ」

 

 劇的に何かが変わったわけではない。だからこそ同じように絶え間なく連撃を加える。スキルを重ねてあらゆる能力を向上させる。これでようやく対等に戦える。絶対的な勝利の力である伝説級武具を相手取るならこれくらいでないと話にならない。より早く、より重く、より正確に。

 

「貴様は何故我の前に立ち塞がる! なんの大義も、覚悟も持たぬ蛮族にも等しい貴様が!」

「お前こそ何故だ! レジェ武器なんて持ってて、誰よりも負け知らずなお前が何でよりにもよって《転覆構想》なんかに賛同してやがる!」

「分かるものか! 貴様に――英雄に! 求めた栄光を、誇りを、尊厳を、目の前で剥奪される苦しみが! 理解できまい! 壁として使い潰されるこの屈辱が!」

「分かるさ――俺だって同じだ! だけど、それを見ず知らずの奴らにまで背負わせるのは違うだろ! 楽しいか! 憎しみ合って、争い合って、そんな不毛な時間をこの世界に来てまで過ごすのが楽しいと思うのか!」

 

 後に残るものは思いの丈をぶつけ合う事だけ。より強い思いと覚悟を以てこの場を制した方がこの先へと進める。だからこそ、負けられない。たとえ力で負けていても心の強さでは――本能の部分で俺は何者が相手だろうと負けたくは無い。魂がそう吼えている。ここでの敗北は俺の存在の否定と同義であると叫んでいる。

 

「この瞬間だけは――絶対に!」

「貴様にだけは、絶対に!」

 

 待っている人がいるんだ。会いたい人がいるんだ。次は無い。ここで消えれば二度と戻ってくることは叶わない。

 

「負けない!」

「負けられんのだ!」

 

 剣と盾が激突して一際大きく火花が散った。ゲントクが俺の攻撃を完全には殺し切れていないためか、ダメージが返ってくることは無い。お互いが後方へ大きくノックバックする。武器を構えなおす。本当にこれが最後だと、今にも断線しそうな思考の糸が俺に告げていた。

 

「《心応活性》」

「《鬼門遁甲》」

 

 ゲントクが盾を俺へと向ける。俺の攻撃を全て確実に防御できると確信しての行動。それに応えるべく俺も限界まで思考を振り絞った。盾の位置を全て把握しつつ、一撃で殺すための策を練りながら迫りくる盾を迎撃。その間にも翼で高速軌道を続け、脳裏で使うべきスキルを選抜。さらに口では魔法の詠唱を開始する。《異双流》の使用者であったからこそ身に付いた分割思考。この程度できなければ攻略組の最前線で単独行動など出来るはずがない。

 

 視界を殺す。

 

 行動を殺す。

 

 感覚を殺す。

 

 《幻想舞踏》の効果で《クイックチェンジ》を起動。持ちうる武器を片っ端から盾に投げつけ、動きを止める。一瞬だけゲントクに肉薄出来る瞬間が生まれる。その刹那を全力で駆け抜けた。視線が交差する。その邂逅は数秒にも満たないはずなのに、妙に長く感じた。ロングソード・レイピアを正面から思い切り突き込む。防がれるがそれでいい。剣を手放して自由になった手で剥き出しになった首筋を狙う。

 

 体術重攻撃《龍爪》。

 

 魔力によって構成された右の鉤爪が首筋を掴む。そのまま握りつぶそうとするも、足りない。多くのスキルを完全習得しているおかげで俺のMP総量は純粋なALOの住人の比ではないが、それを使い果たす勢いでスキルを同時併用してもまだ足りない。

 

 《バースト・エラー》。《ブラッディ・ピーク》。

 

 HPの大部分を犠牲に筋力を超強化する《狂戦士》スキルを使っても、あと一歩足りない。だが、まだだ。後一手残っている。

 

「終わりだ――」

 

 《剣技連携》。左手でもう一度《龍爪》。

 

 今度こそ確実に急所を捕らえる。限界まで強化を施された両手で、()()()()()()()()()()()()。HPが一瞬で消し飛ぶ。

 

「何故――――。それ程の力を持ちながら、覚悟がありながら、なぜ……」

「俺の力は……。きっとアンタらとは不理解なんだ。この力は誰にでも……」

 

 ゲントクのアバターが爆散する。後には、通常のプレイヤーとは比較にならない程の熱量を帯びたリメインライトが残された。夥しいほどの経験値、アイテム、そして《領主》撃破の実績解除にノーム領全土を対象とした課税や資材の徴収コマンド。

 

「グッド・ゲーム……。でも、正当な報酬だ。貰っていくぜ」

 

 俺の言葉を首肯するように、残された黄土色の炎が一度だけ揺らめいて消えた。

 

 

 

***

 

 

 

 何人倒しただろうか。途中から数えるのも億劫になり、来るままに敵を葬り続けた。ライヒ達は無事屋上に辿り着けただろうか。先に行けとは言ってみたものの、そろそろ限界だ。回復アイテムも尽きた。武器の損耗も激しい。最後まで共に行く事の出来なかった自分の弱さを噛みしめる。

 

 またぞろぞろと援軍がやってくる。クロートーたちはとっくにやられてしまった。ストレアも。残っているのは僕だけ。

 

「ごめんね。後は任せるよ」

 

 ぼろぼろになった剣をしっかりと握り直す。これが最後の一撃だ。予備の武器はもう無い。

 

「君と――君と一緒に戦えて、楽しかった」

 

 覚悟を決めたその瞬間、聞きなれない詠唱と共に、僕を取り囲んでいたレネゲイド連合軍が全滅した。

 

「《エック・カッラ・マーグル・メキアー・レクン》」

 

 虚空から無数の武器が現れプレイヤーたちを正確に打ち抜く。敵か味方かもわからない。そんな闖入者を見た僕は驚きを隠せなかった。

 

「レイン――。なんで、どうして……ここに」

 

 ライヒの思い人――レインは、全く同じ形状をした二振りの剣を腰の鞘に納めると僕に向かって歩み寄ってきた。

 

「ルクスさん……。あなたこそ、どうしてライヒ君と一緒に居るのか答えていただけますか――なんて。そんなことを聞くのは野暮ですよね」

 

 いつか必ず出会わなければならないとは思っていた。初めて彼女を見てからそんな予感はしていた。だが、よりにもよって何故こんなところで遭遇してしまったのか。そして、僕の恋敵は屈託のない笑顔で言うのだ。

 

「ライヒ君に会いに来ました。彼は今、どこにいますか」

 

 

 




 幻想に溺れてなお足掻く。それこそが唯一の存在意義である故に。

 感想その他お待ちしております。


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Fairy's Drop











 

 

 

「ライヒはこの先だよ」

 

 一応答えてはみたものの、彼女なら絶対に分かっているはずだ。彼は――――決して真っ直ぐな人間であるとは言えない。いつだって迷いや悩みを抱えていて、そう言った物事を割り切れる性格ではないから何も決めないまま進もうとする。

 

 ――その結果触れなくてもいいものに触れて、そんな自分に失望する。

 

 だとしても。大切なものは最後まで守ろうとする。

 

 だからこそ。どんな時でも先へ先へと躍起になる。

 

「分かってますよ。でも、ルクスさんとどう話せばいいか、分からなくて」

 

「話すこと――――うん、僕も思いつかないや」

 

 昔話なら出来るけど、僕の生き方なんて彼女にとっては無価値だろう。それに今はお喋りに興じている場合じゃない。

 

 それに、僕と彼女がここで話すことなんて突き詰めていけば一つしかない。仲が良かった訳でも関りがあった訳でもない僕らに共通点があったとすれば、ライヒの事以外にあり得ない。

 

 お互いこの邂逅が無駄だと分かっているはずだ。この先に続くものも、清算すべき過去も、何も無いのだから。

 

 ――だが、無理やりにでも()()()を作ろうとするのなら。

 

「あなたはまだライヒ君の事が好きですか」

 

「いいや、それは違うよ」

 

 ――こうなるに決まっている。

 

「僕は、ずっとライヒが好きだ」

 

 

 

***

 

 

 

 この感覚を覚えている。力の反動、課せられた代償。死ぬよりはマシだと使っていたが、使うたびに死んだ方がマシな思いをしていたっけ。禁忌だとか禁断だとか、そう言った部類の技だった気がする。そんな()()()()()()()()()()()()()()()な代償は今確実に俺を蝕んでいた。

 

「通路……どこだ」

 

 立つことさえ難しくなるような眩暈と、方向感覚の喪失。少し時間を置けば収まるだろうが、呑気に休憩などしている場合では無い。

 

 ゼノビアは確実に俺とお嬢をここで止める気だった。その予定を覆してやったのにこれでは何の意味もない。一刻も早く先に進む必要がある。

 

「あ――――と、危ねえ……」

 

 倒れそうになる体を、剣を杖代わりにして支える。ここで、こんな状態で倒れてしまえば起き上がれなくなる。――――実のところ、後は全てお嬢に任せてしまえばいいと思わないでもなかった。お嬢が返り討ちに合うなんてのは考えない。信じて送り出したのだから最後までそうするだけだ。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()

 

 

 

 

『先にいくわね、ライヒ』

 

 それは、つまり、後から俺が来ることを信じてくれているのではなかったか。だったら応えなければ。それだけの余力があれば――の、話だが。

 

 膝からふっと力が抜ける。立て直そうとしてももう遅かった。剣からも手が離れてそのまま崩れ落ちるように意識すら手放して…………。

 

 

 

 ……。

 

 ……――むぅ。

 

 何だか頬の辺りが暖かい。ごわごわした絨毯と堅い床の感触を予期していたが、どちらも感じない。これはそう――人肌のぬくもりだ。これは……膝枕?

 

「あ、起きた」

 

 心の底から嬉しそうな、そんな感情を湛えた声。何度も何度も聞いて、いつしか当たり前だと錯覚していて、もう俺に向けられることは無いのだと――――確かに諦めた。

 

「なんで」

 

「あたしは君の彼女だから――じゃ、だめかな」

 

「そうじゃない。俺は、お前が、そう決めたならそれでいいって」

 

 SAOでの行動も、結果も、今となってはほとんど証明不可能なデジタルデータなのだ。ALO(ここ)とは違う、あの場あの瞬間だけで完結した世界なのだから。

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()か?

 

 ――だが、()()()()()()()()()()()()

 

 『死』への恐怖から自暴自棄になった少年が、生きるために嘘ばかりになった少女と出会う。やがて二人は苦悩を分かち合い、互いに依存し合い、いつしか恋に()ちる。――――ああそうだ、確かにそんなおとぎ話があったのかもしれない。

 

 それでもおとぎ話が現実に存在する必要は無い。あったかもなかったかもしれないモノとして区切りをつけてもいいはずなのに。レインはとっくにそうしてしまったのだと思っていたのに。

 

「会わないかもって、言ってただろ」

 

「でも見つけて欲しいって言ってたから」

 

 最後の最後にそんな事も言った気がする。でも、そんな他愛ない言葉を頼りにこんなところにまで来るなんて思わないだろう。普通。

 

「あれだけ派手に宣伝されたら()()()()()()()()()()()()()()からね」

 

「見物ならもう帰れよ」

 

「もう、せっかく会えたのに拗ねないでよ」

 

「いやだってお前……その、スメラギさんと交際して――ほら、新しく彼氏できたんだろ」

 

 レインが顔を覗き込んでくるので目を背けた。

 

「その誤解を解くために来たんだから邪険にしないでってば。ほーら、こっち向いて」

 

 無理やり顔の向きを変えられて必然的に見つめ合うことになる。俺はなおも目線を逸らそうとしたが逆らえっこない。いつだって俺はレインに逆らえるはずがない。

 

 だから、そんな悲しい顔をしないでくれ。俺は本当にお前が悪いだなんて思っていないんだ。なのに、そんな悲壮な笑みで見つめられたら、いよいよどうすればいいのか分からなくなる。

 

「ごめんなさい」

 

 だから謝らなくてもいいんだ。

 

「あれは違うの。目的のためにはどうしても必要だった、でも、君が見てるはずないって自分勝手なことして、君の事を裏切って――――ごめんなさい」

 

 だから、無理に笑顔のまま泣かないでくれ。涙をぬぐうしかなくなる。何か言葉を掛けないといけなくなる。やりたかったことに歯止めが利かなくなる。

 

「泣くなよ」

 

「むりだよ」

 

「俺だって女性プレイヤーとばっかりつるんでるのに、それは怒らないのか」

 

「友達付き合いにまでとやかく言う程重くないよ」

 

「嘘つけ。ストレアの時のお前、忘れてないとは言わせないぞ」

 

「そ、嘘だよ。でもお互い様だから言えなかったんだ」

 

 俺だって同じくらい最低だ。彼女を差し置いて他の女の子と仲良くしていたのは紛れもない事実だ。

 

「俺だって自分勝手だ。同じくらい裏切ってた。お嬢との冒険は楽しかったし、ルクスと仲直りできたのは嬉しかった。俺の為に来てくれたって奴らとも仲良くしたい」

 

「うわあ……最低だなあ」

 

 そうだ。自分勝手に自分の悪い所に目を瞑って被害者のように泣きわめいて色んな人に迷惑をかけた。それこそ責められて当たり前だ。

 

 それでも。

 

「それでも――本当に()()って言えるのはお前だけなんだ」

 

「あたしもだよ。なんでかな、本当に、君しかいない」

 

 お互いにお互いを裏切るけれど、心の底では繋がっているのなら、絶対に離れる事はない。なぜなら俺たちの関係の本質は共依存だから。都合のいい部分だけ押し付け合うような、決して綺麗なものでは無い。

 

 それでもまあ心地いいから、それだけでいいかな――――と。

 

 言葉にしなくても分かっているから俺たちは惹かれ合った。

 

 だから俺はそれに甘えて、あと少しだけ自分勝手を貫かせてもらう。

 

「悪い。そろそろ行かないと。――お嬢が待ってる」

 

「あたしよりミズチさんを選ぶの?」

 

 さっきまでの涙はどこへやら。意地の悪い質問をぶつけてくる。だとしても俺の返事は決まっているのだが。

 

「恩人だから、返さなきゃいけないものが沢山あるんだ」

 

「じゃあ仕方ないね」

 

 そう、仕方ない。別に仕方なくやっているつもりはないが、ケジメのためにはそう言うしかない。

 

 もう少しレインのぬくもりを感じていたかったが、今は振り切って体を起こす。反動はすっかり消えている。

 

「それじゃあ、行ってくる」

 

「うん。行ってらっしゃい」

 

 向こう(SAO)の俺なら言わなかったであろう言葉。いつ死ぬともしれない環境では言うだけ無駄だと思っていた。今は違う。また会うために、ちゃんと言う。

 

 レインが付いて来ないのは、()()()()()()()からなのだと分かっているから。

 

 

 

***

 

 

 

「バカね。ワタシがアンタを助けるわけないじゃない」

 

 ワタシの姉は、勝ち誇ったようにこちらを見下すスプリガン領主は。

 

 ――――ああ、なんて素敵で愉快なことだろうか――――

 

 ワタシの想像以上にワタシを、人の心を分かっていなかった。

 

 人の心を集めるのは得意なくせに、その中身を理解しようとしない。百の言葉を尽くすことが出来ても、たった一つの本音に気がつけない。望むように他者を動かせたとしても、決して自分が歩み寄ろうとはしない。

 

 だけれど、実際にはこうして囚われている訳で。どんなふうに息巻いてみたところで負け惜しみにしかならないのが悔しい所だ。

 

「ゲントクをぶつけて見せた時点で心が折れると思っていたのだけれど、案外強いのね。でも分かっている? 今ここでミズチちゃんがやられたらどうなるか――――」

 

 ここでやられたら、どうなるのだろう? 例えば、そう、慣れないながらも築き上げた求心力は消えて無くなる。領主という身分も維持できない。インプ全体がスプリガンに搾取されるし、レネゲイドになるプレイヤーが後を絶たないだろう。クロートーは残ってくれるかもしれないけど、ワタシは追放されてしまうかも。

 

「ロクなことにならないわね」

 

「でしょう? だったら」

 

「まだ分からない? ()()()()()()()()()()()

 

 この反逆は確かに個人的というには大きすぎる。なんならこの先のALOの趨勢を決めると言っても過言ではない。実際にゼノビアには野望を達成するだけの力がある。

 

 だけど、そんな事情は後付けだ。開き直ってしまえば、別にALOがどうなろうと知ったことではない。

 

 ゼノビアの野望の動機が目障りな奴らへの嫌がらせなら、ワタシの動機は嫌いな奴への嫌がらせだ。

 

 ゼノビアがワタシを殺すということは、ゼノビアの大事なものを彼女自身のてで殺させることと同義だ。嫌がらせにしては手が込んでいて上出来だろう。――――ワタシの勝手な解釈ではあるが、そんなところだ。ここまで来られたことに既に意味がある。

 

「そう、そういう事」

 

 ゼノビアはワタシから顔を遠ざけると、不機嫌そうに扇子を開いた。

 

「私はミズチちゃんを愛しているわ。お父様もお母さまも忙しいから――娘として愛してもらってはいるのでしょうけど、実感できたことは一度もない。そんな私の希望が貴方なの」

 

「見てれば分かるわ。ほんっと、動機がマンガかなにかみたい」

 

「愛を実感できないのなら、愛を与えることで感じてもいいでしょう? 愛の対価に妹一人独占したって構わないでしょう?」

 

「勝手ね、ワタシはモノじゃない」

 

 家族だから、理解できないわけじゃない。だがそんな歪んだ感情を向けられる身としてはたまったものではない。だから逃避の一環としてVRMMOを始めた。ゼロから自分をやり直したかった。自分が自分でいられるように――――。

 

「だからこの箱庭ごと壊してみようと思ったのよ。個人的に嫌いなヒトも多いし、ミズチちゃんの居場所も奪えるし」

 

 思わず笑ってしまいそうになった。嫌だから壊して台無しにしようだなんて、発想が幼稚すぎる。

 

「そう、ならもう手遅れね」

 

「……どうしてかしら?」

 

 足音が聞こえる。

 

 

 

 

 ほんの微かな物音に過ぎなかったが、這いつくばっているワタシにははっきりと感じ取れた。初めは小さかったそれは、刻一刻と大きさを増して、ついには飛び込んで来る。

 

 

 

 

 信じていた。ずっとずっと信じていたから、来るのが遅かったことに少しイライラした。まあ、来てくれたのだからよしとしよう。

 

 手を伸ばす。

 

「友達が出来たからよ」

 

 ライヒはワタシの腕を取ると重力魔法の範囲外まで引き離した。結果として抱き寄せられるが、それが嬉しかった。

 

「待たせてすみません、お嬢」

 

「ホント……遅いわよ」

 

 ワタシの我儘のためにここまで来てくれるような友達が、ワタシにだって出来たのだから。もしALOが無くなってもワタシはワタシの力で頑張れる。

 

 流石に分が悪いと感じたのかゼノビアはワタシたちから距離を取る。ライヒの剣の間合いからは外れてしまったが、形勢逆転には間違いないだろう。

 

 それはさておき、聞いておきたいことが一つ。

 

「ねえ、まさかゲントクから逃げて来たとかじゃないわよね」

 

「違いますよ。きっちり倒してきました」

 

「え、無力化とかじゃなくて……?」

 

 あの無敵マンをタイマン勝負で下したというのも驚きだが、それ以上に領主を倒してしまったという事実の方が問題だ。つまり、今のライヒにはノームへの課税権やら何やらが付与されているわけで、ノームから種族ぐるみで色々と恨みをかうこと請け合いなのだが大丈夫だろうか。

 

「お嬢のためですからね。そもそも逃がしてくれるような相手じゃありませんでした」

 

 友人の事を褒めるかのように心なしか嬉しそうに見えたのは気のせいだろうか。ライヒもゲントクもバトルジャンキーという意味では似ているし、意気投合しても不思議ではないけれど。

 

 さて、余計なお喋りはここまで。

 

「追手はしばらく来ないし、文字通り最後の砦だったゲントクも倒した。こんな状況を何ていうか知っているかしら?」

 

 ゼノビアは扇子で口元を覆っていて正確な表情は読み取れないが、間違いなく悔しさに唇を噛んでいるだろう。震える声でゼノビアは逆にこちらに聞き返して来た。

 

「なら――――なんていうのか教えてくれないかしら」

 

()()()()()()()、よ!」

 

 まるで示し合わせたかのようにライヒが飛び出す。右手に持つ剣に紅い光を灯して一直線にゼノビアへとその切っ先を突き付ける。

 

「そう。()()、ね」

 

 扇子が振り下ろされてゼノビアの口元が露わになる。ゼノビアは、いっそ美しいとさえ形容できる程に嗤っていた。

 

「がっ、何っ――で……っ!?」

 

 ライヒの動きが重力と拮抗するかのように一度停止して、そして地へと落ちた。その顔は驚愕に歪んでいる。その様子を目の当たりにしたのも束の間、ワタシの体も一瞬にして鉄のように重くなり、先刻と同じように這いつくばるしかなくなった。

 

「ウソ! 詠唱はしていなかったハズよ!」

 

 詠唱が始まれば分かるように常に耳をそばだてていた。扇子で口を隠していても、顔の動きまでは隠せない。だからこそ勝ちを確信した。

 

 それなのに、この期に及んでどうして――――!!

 

「詠唱はしていたわ。ずっと、ね」

 

 ゼノビアはどうということも無いというように再び歩み寄ってくる。

 

「言ったでしょう? ここは私の領域。無尽蔵に魔法を使えるということは、隠蔽魔法だって重ね掛けできるのよ」

 

「ワタシの《貫通透視(アイ・シャドー)》は欺けない!」

 

 ワタシの声に呼応するかのように目が紫紺の輝きを放ち、余すことなく部屋の全てを貫く。

 

「何よ、コレ……」

 

 そして見えたものは、さっきまでは影すら掴めなかったゼノビアの分身、分身、分身――――。恐らく百体は下らないであろうその数を、一体どうやって隠蔽したというのだろうか。

 

「いくら隠蔽したところでミズチちゃんが本気を出せば確かに《姿眩まし》は無意味よ。でも、あくまでミズチちゃんのそれは《視る》ためのもの。()()()()()()たとえ見られたところで――それこそ無意味なのよ」

 

「《消音》――――」

 

「さあ、次の一手はあるのかしら?」

 

 次の一手、そんなものは――。

 

「うふふ。それじゃあお望み通り私の手で終わらせてあげる」

 

 ゼノビアが先ほど遠くへと弾いたワタシの鎌を手に取る。器用にそれを弄ぶ様はワタシよりもよっぽど死神に見える。

 

 死神よりもなお恐ろしい死神は優雅にワタシの方へ歩いてくる。這いつくばっているせいで足音がはっきりと聞こえる。コツン、コツン、と焦らすように近づいてくる。

 

 だが、その歩みが止まる。

 

「お前が、その武器を、使うな……」

 

 ライヒがゼノビアの足首をむんずと掴んでいた。ワタシなんて指一本持ち上がらないというのになんて馬鹿ステータスなのだろう。こんな状況だというのにライヒはまだ諦めていなかった。いっそ執念とでも呼ぶべき感情が瞳の奥で渦巻いていた。

 

「あら、どうしてかしら?」

 

「その鎌は、お嬢が……アンタの首を掻っ切るためのものだからだ――」

 

「そう、叶わなくて残念ね」

 

 ゼノビアが自由な方の足でライヒの顔を踏んづける。それでもライヒは掴んだ手を放そうとしない。

 

 ライヒと目が合う。真っ直ぐにワタシを見つめるその目は、確かにワタシの事を信じている目だった。こんな絶望的な状況なのに、まだ負けていないと訴えかけるようですらあった。

 

 ――実はある。奥の奥の、奥の手が。

 

 いろんな人を巻き込んで、無茶なことばかり押し付けて、ずっと助けられてばかりで。これはワタシが始めた事で、ワタシの都合で、そして目標。

 

 

 

 

 

 だったら。

 

 

 

 

 

 ワタシが最後を飾らなくて、どうする!!

 

 

 

 

 

 後ろ手に操っていたホロウィンドウからもう一対の鎌、《ファルクス=ミーミック》を呼び出す。そして力の限り叫んだ。

 

 

 

「《デス・バイ・エンブレイシング》――――!!!」

 

 

 

 ワタシを置き去りに鎌だけが回転しながら飛んでいく。方向ははもう一対の《ファルクス=パンドーラ》へと、真っ直ぐに。

 

 ライヒがゼノビアを掴んでいるおかげで回避は不可能。そして《パンドーラ》もまた《ミーミック》に引き寄せられるように動き出し――――

 

「ミズチィィィィイ!!!!」

 

()()()()()()()!! 《パンドーラ》!」

 

 ゼノビアのアバターは、綺麗に半分に分断された。見たこともないほど激しいリメインライトの光が部屋を数秒間にもわたって照らし出し、消えた。

 

 術者が消えたせいか体が急に軽くなる。それと同時に床に次々と、いや、この摩天楼全体に夥しい数の亀裂が入っていく。

 

「お嬢、これは!?」

 

「あ、言ってなかったかしら。領主が倒されると領主館のランクがリセットされるのよ。全く意地の悪い仕様よね」

 

「へえ……いや、それは確かにそうなんですけど。このままだと俺たちもゼノビアの後を追うことになるんじゃ」

 

 なるほど、確かにその主張はもっともだ。

 

 ――――それなら、取るべき行動はたった一つ。

 

「脱出よ!」

 

 一際大きな亀裂によって広がった隙間を見つけると、今度はこっちからライヒの腕を取り――勢いよく飛び込んだ。

 

 

 

***

 

 

 

 

「うわあああぁぁあ!?」

 

「あははははははは! 楽しい!」

 

 びゅごうびゅごうと耳元で空気が鳴る。それをもかき消すほどに目いっぱいに叫ぶ。

 

 ALOで一番と謳われた摩天楼が崩れ落ちていく。月の光に照らされたその様子は美しいの一言に尽きるが、今のワタシたちにとってはよくできた背景に過ぎない。

 

「ねえ聞いた? 聞いた? あの断末魔! ワタシ、ぜえーーったい、嫌われたー!」

 

「それは最高だ! でもそろそろ翼使いません!?」

 

「これでいいのーーーっ!」

 

 決して手を離さないように、目を逸らさないように。満月の中でワタシたちは一つになっている。

 

 

 

 分かっている。

 

 

 

 私たちの関係は、この瞬間、真っ逆さまに落ちている(Drop)今がピークだ。ライヒには想い人がいて、ワタシに靡いてくれることは多分、無くて。残酷なくらいに彼は正直だから分かる。

 

 それでも今は。二人で行きついた先の、果てにある今だけは――。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ねえ、ライヒ! ワタシねえ!!」

 

「俺!? 何ですか!?」

 

 

 

 

 

 もし告白するのなら。とびっきりの笑顔でするって、決めていた。

 

 

 

 

 

「アナタの事、大好きよ! 愛してるーーーー!!」

 

「好きって……な、はあァっ!?」

 

「あはははは、バーカ! バーーカ!」

 

「なんで俺罵倒されてんですか!?」

 

 どちらともなく翼を広げて、無限のような一時は終わりを告げた。カタチに出来ない感情が次々と胸の内からせりあがってくるが、抑える。

 

 本当に短い旅路だった。誰にでも出来たような道のりで、それでもどちらかが欠けていたら叶わなかった。

 

 二人並んではるか遠くの世界樹を見つめる。

 

「俺、お嬢には感謝してるんです」

 

 ライヒがぽつりと言った。

 

「お嬢が俺を見つけてくれたから、救ってくれたから、今の俺があるんです」

 

「そうよ。一生感謝しなさい」

 

 でも、これで――――。

 

「契約は、これでおしまい。ワタシはアナタのもので、アナタは私に縛られない」

 

 声が震えそうになるけれど、ぐっとこらえる。

 

「でも、まだあのお城は全部崩れてないわよね?」

 

「え? それは、まあ」

 

「だから、最後にお願い」

 

 ストレージから《ムードメーカー》を実体化させて周囲に振りまく。きらきら、きらきら、と光が舞い散る。

 

「一緒に踊りましょう?」

 

 スカートの裾をつまんでお辞儀をする。ライヒはそんな私の手を恭しく取る。二人合わせてステップを踏む。

 

「なかなか上手じゃない」

 

「SAOにこういうのが必須なクエストがあったんですよ」

 

「そこは嘘でもワタシのために練習したって言いなさいよ」

 

 くるくる、くるくる。月の光を一身に受ける。お互いにその場の気分で踊っているだけだというのに、予め知っていたかのように乱れることなく舞踏していた。

 

 ワタシは笑っている。きっと月だって魅了してやれるくらいに。誰しもが見とれてしまうであろう――絶対そうに決まっている――笑顔で、こっそり泣いている。その(Drop)は光に紛れて、誰に知られることも気付かれることもなく、落ちていく。

 

「お嬢」

 

「なに?」

 

「目指し続ければ、諦めなければ、どんなところにだって行けるし、何だって出来る。そうですよね」

 

 全く、今更何を言い出すかと思えばそんな事。

 

「そんなの、当たり前じゃない!」

 

 月光の下、二つの影は繋がったまま永遠になっている。

 

 摩天楼が堕ちて(Drop)しまうまで、その輝きは決して消えることなく、煌々と――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 お久しぶりです。アクワです。まずはその……またまた長らくエタってしまい申し訳ありませんでした。追いかけてくれている皆さんには(間が空きすぎてそんな方々がいるかは自信ないですが)いやホント申し訳ないです。

 挨拶はほどほどにして、国盗り編。如何でしたでしょうか。私個人としては、この結末は最初から予定していたので大満足です。エタりにエタって、急にSAO編を手直しし始めたかと思えば、唐突な投稿ラッシュ、そして最終回になってからまたエタり――。と、まあ紆余曲折ありましたが無事に書き切ることが出来ました。

 まずは読んでくれた皆様へ。私は読んで頂くためだけに小説を書いています。皆さんがいてくれなければ、絶対にここまで書けませんでした。

 感想をくださった方々へ。変に堅苦しいこの作品に感想をくださって、本当に嬉しく思いました。本当に励みになりました。

 評価をつけてくださった方々へ。ありがとうございます。お礼しか言えませんが、本当に嬉しくて、一言入れてくださった方もいて、泣くほど嬉しかったです。

 コラボしてくださった今井綾奈様へ。お忙しい中こんな拙い作品とコラボしてくださったこと、今でも大切な経験で、思い出です。本当にありがとうございました。

 次は新章か、或いは別の作品か。どこでお会いできるかはまだ分かりませんが、またどこかでお会いできることを楽しみにしております。



 感想その他お待ちしております。




 


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ALO:Into the Abyss
終わりの続き



 落ちるところまで落ちたのならば、見える景色もあるでしょう。


満月の光すらも届かない暗闇の中、草木の揺れる音と共にいくつかの人影が俺の前に現れる。その影たちは俺を徐々に取り囲み、闇の中僅かに除く口元からは僅かに歓喜の表情が読み取れた。こんなところで俺を取り囲んだのは付き従おうとする決意の為か、或いは逃がしはしないという意思の表れか。

 

 人影たちの正体はわざわざ確認するまでもなく察しがついていた。

 

「私から聞くのはおかしな話だとは思いますが、本当によかったのですか?」

 

 苦笑交じりにアコールの疑問に答える。

 

「いいかどうかで言えば良くは無い。でも」

 

 様々な幸運や条件に助けられた結果であるとはいえ、《ALO》における種族という大型勢力を実質的に陥落させた(ライヒ)というプレイヤーはもはや無名の新人プレイヤーとして認識されることはない。スプリガン領が崩壊してまだ間もない今でこそ俺自身の平穏は保たれているが、じきに《ライヒ》《トリックスター》《明けない夜の住人(ワルプルギス・ナイツ)》といった単語の数々が《ALO》中に知れ渡るはずだ。ここまで来れば無責任にこのゲームから降りることは許されない。そしてこの世界で一匹狼を気取って生き続けることもまた不可能だ。だとすれば付いて来てくれる者がいるという現状に感謝こそすれ拒絶する道理はない。

 

 俺という存在を各勢力がどのように捉えるか。邪な企てをしていた魔女を斃した英雄、世界の均衡を滅茶苦茶にしかねない危険因子、或いはスプリガン領()()()を御した程度で調子付く弱小集団のリーダー、或いは――――。

 

「でも……俺といるのがお前たちの望みだって言うなら」

 

 ナイツの彼女たちの協力なくしてスプリガンを、ゼノビアを打倒することは絶対に出来なかった。

 

「はい。貴方を手に入れるためだからこそ、我々は勝ち目のない戦いに挑んだのです」

 

「そう言われると……確かに。傍から見れば無謀にしか見えないか」

 

「ですが、ライヒさんだからこそ成し遂げられたのもまた事実です」

 

「ああそうだ。だから――」

 

 それはきっと間違いない。俺とお嬢が出会わなければスプリガンを攻略しようという企みがそもそも成立しなかったかもしれないのだ。奇跡と偶然と、そして少しの必然とがこの結果を引き寄せた。

 

 思えば俺は常にだれかと共に居た。師匠(ルクス)と、相棒(レイン)と、お嬢(ミズチ)と。時に寄り添い、時に憎み合い、時に依存し、時に愛し合い、時に背中を預けた。手を引かれたり、手を引いたり。共に並び立ち背中を合わせることはあっても、俺自身が自分の意志で誰かを従えたことなど一度もない。

 

「少しだけ、待ってくれ」

 

 都合のいい話だとは思うけれど俺にも俺なりの理由や動機付けが必要だ。

 

「自分の足でこの世界を見て回って俺なりの理由を見つける。何か意味を見出さないと、空っぽのままじゃどうしようもない」

 

「……そうですか。では、それまでは待ちましょう」

 

「いいのか?」

 

「こうして貴方と関りを持てたのですから焦る必要はありません」

 

 影たちは一斉に俺に跪く。

 

「我々は貴方のいる場所で、貴方の目線で、この世界を生きていたいだけなのです」

 

 

 

 

 

 影の気配が消えていくと、俺は再び一人になった。もしかすると――と少しは期待していたがレインはここには来ない、来てはくれない。

 

 しかし今回の件を通して彼女のやりたいことを理解していくにつれ、俺という存在がその目的にどれほど邪魔なのかが分かってきた。余りにもわざとらしかったため偶然だと思い込んでいたが、別の方向からのヒントもあった。

 

 もし俺の予想が正しいとするのならレインは恐らく七色博士との接触を目的としている。博士とその助手である住良木さん、さらにその住良木さんとレインとの接触。多少強引だが最終目的へ向けた準備だとするなら辻褄が合う。加えて言うなら、レインと七色博士は似ている気がするのだ。

 

 実際に会うことでレインが何をしたいのかまでは分からないが、レインが七色博士に会うにはあくまで一般プレイヤーを装う必要がある。「闇」の茅場明彦と対比され「光」と称される七色博士にとって、定着しつつあるそのイメージは可能なら保持しておきたいものだと言える。かつて俺を勧誘したのは俺が《ALO》においてはまだ無名だったからであって、大事件の首謀者だと分かれば余計な火種を巻き散らす障害と認識されるだろう。

 

 そんな俺と距離が近い人物だと知れてしまえばレインは目的から大きく遠のいてしまうだろう。仮に俺や知り合いが明かさなかったとしても、元《SAO》プレイヤーからの噂や口伝えで俺とレインの関係性がバレる可能性は極めて高い。

 

 それほどまでに不利な条件を背負ってなおレインが求めるのモノは一体何なのだろうか。

 

 あんなにも煌々と輝いていた月がほんの少し陰りを帯びた。ほんの少し前までお嬢と並んで眺めたあの景色を思い出す。もうあの時の胸をも震わす感動は味わえないのかと思うと、切ないような苦しいような気がした。

 

 

 

***

 

 

 

 スプリガン領襲撃から数日後のこと。《鼠》のアルゴからインプ領の《黒龍の翼亭》で待ち合わせをしたいとのメッセージを受け取った俺は、店の奥まった場所で妙な面子と顔を合わせていた。一人はメッセージを寄こして来たアルゴ、そしてもう一人は先の激戦の末なんとか勝利をもぎ取った相手であるゲントクだった。要件を含めた詳しいことは何も知らされていないのでゲントクの姿を見た瞬間に要件は謝罪や賠償かと踏んでいたが、どうやら何かしら別の事情があるらしい。

 

 アルゴも話に加わるのかと思っていたがあくまでメッセンジャー、密談――というには大袈裟だが――の引き合わせまでが仕事との事ですぐに何処かへ去っていった。残されたのは俺とゲントクの二人のみ。正直、めっちゃ気まずい。

 

 遺跡ダンジョンの最深部に安置された古代のゴーレムが動き出すときのような重々しさで、ようやくゲントクが話を切り出した。

 

「呼び出しに応じ足を運んでくれた事、感謝する。なにぶん急を要する話故、情報屋に約束を取り付けて貰ったのだ」

 

「お、おう……。それは別にいいんだけど、アンタ普通に話せるんだな」

 

「ゲームなのだからキャラ作りというものは必要だろう。貴殿は違うのか?」

 

「そ、そういうもんか……。まあいいや。それで? 何か用事があって呼んだんだろ?」

 

 本題について話してくれと促すと、ゲントクはもっさりとした動作でテーブルの上で腕を組みただならぬ様子で語りだす。

 

「スプリガン領()()()()()()()が陥落したことを受けて、これからのことを話し合うため領主たちの間で緊急に会談の場を設けようという話が出ている。そのことについて貴殿に頼みたいことがあって呼び出しをした次第だ」

 

「いやまあ、アンタ個人とノームのプレーヤーに思うところがあるわけじゃないからアイテムの返却とかならもちろん受け付けるけど……」

 

「それについては問題ない。もとよりノームの総意としてスプリガンに加担し、結果敗れただけの話だ。金もアイテムも好きにするといい。問題は我々ノームではなくスプリガンの方にある」

 

「その問題ってのは?」

 

「領主会談には当然スプリガンにも代表を立ててもらう必要がある。今回に限っては貴殿も参考人として呼ばれるだろうが、最も重要な人物の居場所があれから全く掴めないでいる」

 

「一応聞くけどその重要人物っていうのは……」

 

「ゼノビアだ。スプリガン領はもちろん中立領域やそれ以外に地上で潜伏できる可能性のあるエリアを調査したが一向に尻尾すら掴めんのだ」

 

 今のゲントクとの会話で何となく状況は理解できた。しかしそれだけではまだ疑問が残る。

 

「俺が言うのもなんだけど、別に代表は立てられないのか? あれだけ派手に失敗すればしばらくはログインしない可能性だってある。そもそもの動機からしてゼノビアが《ALO》に固執する理由もないんじゃないかと思うけど」

 

「それならそれで構わんのだが、問題はゼノビアが確かにログインし続けていることにある。領主は全員がフレンドの関係にある故ログインしているか否かの判別はさほど困難ではない」

 

「それがなんで問題なんだ?」

 

「あくまで領主としての権限はゼノビアが保持したままで、スプリガンには会談に出席できる人物がいないのだ。失敗した時の保険なのかはわからんが奴は事実として副領主すら任命せずに姿だけを消している。奴の妹――インプ領主を囲うという目的は初めから頓挫していたと見るべきだがもう一つ、この世界を乱すという目的については未だその途中なのだろうな」

 

「つまり、種族間のバランスが崩れたこの状況を引き延ばそうとしている――」

 

「あくまでまだ推測だがな。奴は我を盟友だとのたまっておきながら決して腹の底は見せようとしなかった」

 

「逆になんでそれを分かっててアイツに協力したんだよ」

 

「見ているものは違えど目的は同じ――奴の言葉は嘘偽りだらけではあったが確かな信念があったのも事実だと、今でも思っている」

 

 ゼノビアの事を語るゲントクの眼は過去を懐かしむようでもあったし、敵として対峙した時のような決意に満ちているようでもあった。ゲントクにはゲントクなりの覚悟があってたとえそれが利用されていただけだったのだとしてもその意志までは嘘にしたくない、のだと思う。カタチは違うがその気持ちは俺にも理解できる。今はもう無いからと言って嘘にだけはしたくない。きっとそうだ。

 

「アンタのいう事は分かった。でも当のゼノビアはどう考えても俺を憎んでるわけで、俺が探しに行くのはどう考えても逆効果なんじゃないか? それに場所の見当だってつかないんだろ?」

 

(いや)、実のところ場所の見当はついているのだ」

 

「いやでも探せる場所は探したってさっき」

 

「その通りだ。()()においては、な」

 

「それは聞いたけど。だからって空中に隠れる場所があるわけでもないだろ」

 

 自分でそう言ってからようやく気が付いた。確かに、《ALO》にはこの地上――アルヴヘイム以外にも広大なフィールドが複数存在する。そしてそのうちの一つはこの上ではなく、下。つまり、

 

「そう、我々は、そのどちらでもない。地下にこそ奴はいるのではないかと踏んでいる」

 

 アルヴヘイムの遥か地――()()()()()()にこそゼノビアがいるかもしれない。

 

 新たな冒険、まだ見ぬ物語の予感。得体のしれない高揚感に、俺の瞳の中には星が一つ瞬いた。

 

 





 お久しぶりですアクワです。ややこしいですがTwitterでは狩奈を名乗ってます。一年ぶりですがまたゼロからの気持ちで書いていきますので、どうぞよろしくお願いします。

 感想その他お待ちしております。


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終わりの続き 2

 
 あの時鮮明に浮かんだのは、避けようのない敗北のイメージ。


 央都アルンで初めてゼノビアと話した時の事。もしもお嬢より先にこの人の出会っていたのなら、と。ほんの僅かであるが想像してしまった。この世界を経済で牛耳る悪の女帝の手先として、剣を以て暴虐を成す――なんて可能性もあったのかもしれない。もちろんあの二人が姉妹だったという事は知らなかったが、そうであるという事実が俺に別の可能性を連想させたことに無関係という事はないだろう。

 

 そんな事を考えるからか、彼女――ゼノビアには少しだけ後ろめたさがある。単に恨みをかっていること以上に、俺自身になんの動機もなく彼女に挑んでしまった。お嬢の野望だからだとか世界の混乱がどうとか、()()()()()()()()()()()とりあえずの理由付けで人の望みを潰したことを俺は後悔している。

 

 だからこれは、お嬢を裏切るとかそういうのではなくて。

 

「いいよ。連れてこれるかは分からないけど、行くだけ行く。それでいいなら地下探検でもなんでも引き受けるさ」

 

 直接会って、話してみたい。

 

 それを聞いたゲントクは鷹揚に頷くと、テーブルにいくつかの地図を広げて見せた。

 

「早速で悪いが、ある程度ヨツンヘイムについての説明をさせてもらう。少し長くなるが我慢してくれ」

 

 アルヴヘイム・オンラインの世界観は北欧神話をベースとして形作られている。モノの固有名詞はその北欧神話から来ているし、武器もまたそれにちなんだものが多い。そして世界そのものは三つの層状になっていて、上からアルヴヘイム、ヨツンヘイム、ニブルヘイムと分けられているそうだ。ハイティースタンドを想像すると分かりやすい。三つの連なった世界を、世界樹という長く太い柱が支えている。

 

 しかし柱と形容しているだけで、ユグドラシルの本質は「樹」である。その梢に宿る聖なる力の源はヨツンヘイムやニブルヘイムから吸い取ったものではないのか……という考察も存在する。自然の恵みとしてアルヴヘイムに現れるその恩恵を、元は自分たちの世界のものだった力を不当に奪われているとして邪神や霜の巨人は誰に知られることもないままその憎悪を煮えたぎらせているのかもしれないとかなんとか。

 

「色々と注意点はあるが、地上との大きな違いとして妖精である我々プレイヤーはアルヴヘイム以外では羽を使うことは出来ない。地下世界に設定されたマップに足を踏み入れた瞬間に羽そのものが力を失ってしまうのだ」

 

「それじゃあ移動手段はどうなる? 単純に考えて地上と同じかそれ以上の広さがあるマップをどうやって探索するんだ」

 

「徒歩しかない、現状ではな。勿論可能性が皆無であると断言できないだけで、邪神を何らかの方法によって手懐けるという前例が噂程度ではあるが存在する」

 

「つまりそんな再現不可能な事例を方法の一つとしてはカウント出来ない、と。確かアレだろ? 邪神ってそもそもが妖精の敵対者だからケットシーのテイムも無効なんだとか」

 

「その通り。しかし種族ぐるみで対立していたとて、個人間での関係はそれとはまた別だ。長年戦争で傷つけあってきた国同士の人間だったとしても、その出会い方が争いでなければ融和の道もあるだろう。或いは争いであるからこそ分かり合えることもあるのではないか――、我はそのように考える。今の貴様と我がこうして対話できているように」

 

「…………。まあ、そういう事もあるのかな」

 

 今更否定はしない。

 

 何度も行ったり来たりを繰り返したが、否定できるようなことじゃ、ない。

 

「我は奴に使われていただけだ。妹の心をへし折るための道具として――それすらも打ち破った貴様なら奴とも向きあえるのではないかと、そう思ったから貴様に頼んだ」

 

「ゲントク、お前ゼノビアの事好きなの? 嫌いなの?」

 

「あの女狐をか? ははは、冗談でも勘弁願いたいな。あんな腹黒銀髪を相手に恋愛などそれこそ貴様の方が似合っている」

 

 なんなんだこの男は――と思いながらまったく口を付けていなかった水を飲み干す。

 

「まあなんだ、ところで……これは何となく気にかかったのだが、貴様の連れはどうしている」

 

 ――うん?

 

「俺の連れって誰の事だよ。お嬢なら領主館にいるけど」

 

「いや、そうではない。貴様の仲間にノームの大剣使いがいただろう?」

 

 ノームの大剣使い……もしかしてストレアの事か?

 

「アイツならノームの街で世話になってるって聞いたけど。話があるなら呼ぼうか?」

 

 指を揃えて縦に振り下ろす。慣れ切った操作でストレアあてにメッセージを送ろうとするが、ゲントクは慌てた様子でそれを止めにかかる。

 

「なんだよ、用があるんだろ」

 

「いや止せ、止めろ、止めろと言っている。特に用があるわけではないのだ」

 

 身を乗り出して強引に腕を押さえつけようとするものだから、じゃあいいのか、とホロキーボードに掛けていた手を止めた。

 

「あの重戦士、ストレア……とは何度か戦いを共にしてな。可能ならその、ノームの軍勢に来てはくれないかと思っていてな。少し」

 

 ああそうとも少しだけ、とゲントクは言う。

 

「そっか、それはいいことを聞いたかな」

 

「――なんだと?」

 

「何でもだよ。アイツが俺から離れて好きに過ごしてるなら、それが俺は一番いいんだ。良ければ引き取ってやってくれ」

 

 俺があの世界で最後まで生き残った理由にして、最後の戦いに赴かなければならなかった理由。それがストレアという名を付けられたAIと俺との関係性。

 

 その後は一時的に俺のナーヴギアの内蔵メモリをよすがとしていたが、この世界に引っ越してきてからはもうその必要もない。もしこの世界も終わりを迎える時がきたのなら、その時にまた俺か他の誰かの手を借りて別の世界で生き続ければいい。そしていつか自分の人生に満足したのなら……、消えれば、いい。

 

「貴様に任せていいのかどうか、今更だが不安になって来たな」

 

「なんでだよ、さっきの言葉は嘘かよ」

 

「いつだってストレアは()()()()()()()()()()()()()()と、そればかりだ。ここでの出来事も、戦闘すらも、彼女にとっては不完全なのだ。貴様がいなくては」

 

 妙な話だ、と思う。ストレアからすれば仮想世界での生活こそが完全なものであるはずなのに。

 

「貴様は人の心を()()と決めつけておいて、その上で人から逃げる。いい性格とは言えないな」

 

「はは、どうだろうな」

 

 そんなこと日常的にみんなやっているだろう。

 

 例えばベータテスターならみんなビーター、とか。

 

「まあいい、領主のほぼ全員を毛嫌いしているゼノビアを連れ戻せるとすればどのみち貴様しかいない」

 

「そりゃどうも」

 

どの面下げて会えばいいのか分からない俺の気持ちを無視するのは、友人として頼みごとをするためだと納得しておこう。

 

「ああそれと、これは個人的に話したかったことなのだが。貴様の、あのPS(パーソナル・スタンス)のことだ」

 

「あれがどうかしたのか?」

 

「使うな」

 

「は?」

 

「あの力を、お前は使うな」

 

 意味が分からない。

 

「あれは俺の力だろ」

 

 意思を形にする力。心をわが物とする力。幻想と踊る、愚者の力。()()()()()()の、それのみでは意味を成さない力。

 

「あの時あの場所で、貴様は――」

 

「そうだな。誰かさんを思い出してたりした」

 

 多くの人同様に、こいつもあの決戦の様子を見ていたのだろう。

 

 あの時俺が身の丈に合わない力を振りかざしたように、俺はあの時のような力を求めた。《ALO》に残るという《SAO》の面影が呼応したのか、俺の無我夢中が産んだイメージの強さがそうしたのかは分からないが、俺は願望(デザイア)を剣によって描く力を今一度手にした。

 

「もし貴様が本当の意味であの世界から解き放たれたいなら、その力は使うべきではない。あの時の貴様は紛れもなく魔王と対峙していた時の貴様そのものだったからだ」

 

「お前に俺の何が分かる」

 

「分かるとも。お前にとっての魔王を演じた我ならば」

 

 構図としては、確かにそうなる。お嬢にとっての魔王に当たる人物はゼノビアだが、あの時の俺にとって一番の障害はこのゲントクという男だった。

 

「故にこれは友人として忠告する。貴様のために、貴様はあの力を使わないでくれ」

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「ふ~ん。それで、ライヒはその後なんて言ったの?」

 

 ヨツンヘイムに続くという隠し階段をストレアと二人で進んでいく。その道中に暇つぶしで話したゲントクとの会話は、どうやらストレアの興味を引いたらしい。

 

「別に、なんにも」

 

 今日のストレアはピクシーではなく俺と同じプレイヤーの姿だ。ストレアの姉に当たるユイはピクシー形態しか持っていないようだが、ストレアは戦うことがどちらかと言えば好きな部類であるらしく孫為にプレイヤーとしての姿を得たのだとか。

 

「そんなつれない事言わないでさ~、せっかく二人きりなんだし秘密の話とかしようよ」

 

「俺の秘密が欲しいなら心を読めばいいだろ」

 

「なんか最近冷たくない? 戦力としても相棒としてもアタシがライヒに嫌われる要素ないと思うんだけどな~」

 

 そうなのだ。

 

「はぁ……お前さ、少しは自由に生きていきたいとか思わないのか? 俺と一緒にいたって窮屈なだけだろ」

 

「ライヒのいう自由を行使した結果アタシはライヒと一緒にいるんだけどな~」

 

 俺がどれほどストレアの本当の自由を願っていたとしても、他ならぬ俺自身がストレアから逃げきれないでいる。

 

「アタシさ、そもそもライヒが思うほど正確にヒトのココロなんて分かってあげられないよ? ライヒは見てて分かりやすいだけ」

 

 ただ適当に生きているのではなく、そこには確たる理由付けがある。

 

「ヒトのココロのケアのために生み出されたアタシだけどさ、別にそのことに不満があるわけじゃないんだ。そもそもアタシはユイみたいに直接人のココロにアプローチするんじゃなくて、アタシ自身の在り方で周囲を良くするっていうコンセプトで生まれたから。だから悪意を全部取り込んでそれを殺させるっていう結果も、アタシからすれば間違いじゃない。その上で『助けた責任を取れって』言ったキミの方がおかしいんだよ」

 

 そこまで深い考えあってのものではない。俺はただ、俺なんかを救った挙句に死ぬなんて、それこそがおかしい事だと反射的に叫んでしまっただけの事。

 

「ライヒのココロががちゃんと治るまでは、アタシはアタシであり続ける。ソードアート・オンラインで終わったはずのアタシに意味をくれたのは紛れもなくキミの言葉なんだから」

 

 ストレアの言葉に何も返すことが出来なかった。俺とストレアの靴が階段を叩く音だけが回廊に虚しく響く。

 

 階段を下りて行けば行くほどに空気は冷えていく。どこかのどかで温かみのあった地上の雰囲気を置き去りにして俺たちは進んでいく。

 

「あ、そろそろ到着するみたいだよ」

 

「ここがヨツンヘイムの入り口……」

 

 アインクラッドのフロアボスの部屋の扉を思わせる大きな扉が目の前に屹立する。

 

「それじゃあ行くぞ。ナビゲーションは任せた」

 

 




 早めに投稿できました、アクワと申します。

 前回の投稿は一年以上もお待たせしてしまったというのに多くの方々に読んで頂けて本当に嬉しいです。引き続きお付き合いいただければと思います。

 感想その他お待ちしております。


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終わりの続き 3

復讐には意味がある。たとえただの負け惜しみだったとしても。過去との決別にはきっと意味が――


 

 

「ずびっ――……。うあ~、随分冷えるな」

「ふえっくしょん! うう、こんなに寒いなんて思わなかったぁ……。っていうかライヒだけマフラー巻いてるのズルくない?」

「一応これでも俺のアイデンティティなんだよ。羽織りの一枚くらい持ってないのか?」

「もちろん用意はしてるけどさ、露出減ったらガッカリするでしょ? ヘンタイさんなんだから~」

 

「う、うるせえな! 気づいてるんだったら尚更隠せ、バカ!」

 

《ALO》第2の地。氷と雪原の彩る極限世界《ヨツンヘイム》はアルヴヘイムの穏やかさがまるきり嘘であったかのように視界一面が白く覆われていた。

 

 地形に関してはアルヴヘイムよろしく起伏に富んでいて潜伏にはうってつけのように見えるが、従来のモンスターとは一線を画す強力な邪神級モンスターがウヨウヨしている。

 果たしてこんな厳しい環境の中でたった一人のプレイヤーがどのくらい滞在できるものなのだろうか。

 

「ストレア、索敵は任せる。可能な限り広く、正確に。頼んだ」

「らじゃ! さてさてどんな感じかな? ……おおっ、斬り応え満載のモンスターがいっぱい!」

「いっぱいってお前な……効率は確かに魅力的だけど目的を忘れるなよ。今回ばかりは敵を寄せ付けちゃ駄目だ」

 

 俺たち一行と同じように、ゼノビアもまず間違いなくモンスターには最大限の警戒をしているはず。

 もしモンスターが俺たちを目掛けて動き出す所を検知されれば、それだけで向こうも俺たちが来ていることを察するだろう。

 フィールドだけでなくマップまで吹雪に覆われて現在位置の把握も難しいこのフィールドでかくれんぼは流石に避けたい。

 

 お嬢とゼノビアは全く正反対の方向へ自分の力を伸ばしている。

 ゼノビアが隠蔽や幻影の技に長けている分、お嬢がそれらを看破するためには得られるリソースの殆どを索敵や分析につぎ込む必要があった。

 しかし自身の本拠地であるとはいえ、ゼノビアは数百にも及ぶ分身を最後の最後までお嬢から隠し通して見せた。

 事実としてそれを見抜くことが出来なかったために俺のソードスキルはゼノビアの重力魔法に押し負け、無様にも床に倒れ伏してしまった。

 

 ストレアのナビゲートに従い白い闇の中を行軍するが、どうにもこうにもさっきから全然進んでいる気がしない。

 AIのストレアはどう感じているかは分からないが、俺は索敵以外に感覚を補うスキルを持っていないため、視界が悪いだけではなく距離感も大きく鈍っている。

 今後ヨツンヘイムのような環境に赴くことが多くなるようであれば、そのためにも新たにスキルを鍛えたほうがいいだろうか……。

 

 

 

 もう三十分も歩き続けただろうか。いくら高難易度のマップとはいえ、モンスターが隈なくマップを埋め尽くしているなんて流石にあり得ない。

 

「ストレア」

 

「分かってる。これ、明らかに()()()()()()よ。モンスターの配置にアタシたちをこれ以上進ませない……いや近寄らせないっていう意思が見える。ずっと同じ場所をぐるぐるしてたみたい」

 

 それはつまり――。

 

「待ち伏せされてるな。――()()()()()!」

 

 ストレアが目を閉じる。これまでのモンスターの位置、動き、そこからゼノビアが背後にいることを前提に、彼女が潜伏している場所を予測・確定させていく。そのはずだったのだが……

 

「嘘、わからない……」

「分からないって――お前なら分かるはずだ! 意識的にモンスターを操るなんて、それこそゼノビアみたいな特殊なプレイヤーにしかできない!」

「で、でも、邪心級のモンスターをテイミング可能なスキルを前提とした場合の有効範囲内にプレイヤーがいないの! 多分、アタシの存在も見越してジャミングしてる……」

 

 ストレアが人格AIを搭載したNPCであることは既に露見している。だがそれを知っていたからと言ってどうやって対策を練る? 少なくとも俺には物理的な速さでの逃走以外に方法が思いつかない。

 

 ヨツンヘイム、あるいはALOというゲームに対してあまりに無知なことが祟った。しかしここまでされて引き返すのはあまりにも格好悪い。

 

 左腰の長剣を右手で、右腰の細剣を左手で音高く抜き放つ。

 

 何も相手の盤上で馬鹿正直に戦ってやる必要はない。あくまで駒を差し向けてくるというのなら、駒ごと盤ごとひっくり返し、台無しにするだけだ。

 

「さっきはああ言ったが作戦変更だ。一体ずつ確実に狩る」

「りょうかい! ふっふーん、やっぱり一緒だと楽しいね!」

「行くぞ! 交叉(シザース)!」

 

 姿はなくとも気配は嗅ぎ取れる。

 なにも周囲のモンスターは邪神だけではないし、動植物やゴーレムといったモンスターの数はそれと比較にならないほど多い。

 小型のモンスターは大型のモンスターを呼び寄せやすいため、可能な限り迂回をしていた。

 しかしモンスターが集中する位置はあまりにも意図的だ。

 俺たちを消耗させその上で返り討ちにするための罠だったとしても、その目論見ごと崩してやればいいだけの話。

 

 阿吽の呼吸で左右に展開。挟み込むように同時に攻撃を加え、敵がどちらかにターゲットを定めるまでの時間を数秒ずらす。

 

 そしてその間に俺の構えは既に終わっていた。

 

()()()()()》」

 

 内心で力を使ってしまっことをゲントクに謝りながら、地を蹴ってソードスキルを発動させる。

 加えてバトルスキルの並列同時使用によって技の速度、威力、射程距離を底上げ。

 一息に四度の剣技を繰り出し、生まれた隙はストレアが壁となることで埋めてくれる。

 ……あの時。

 

 俺が頭痛で動けなくなったのは力の使い方を誤ったからだ。とにかく一秒一瞬でも早く決着をつけようとMPを絞りつくす勢いで全身を賦活させ、強引に勝利をもぎ取った。

 

 しかし、あの経験は俺に確かな成長をもたらしてくれた。

 なにも全身を鎧で覆うかのように強化する必要はなかった。

 

 必要な時に、必要な力を、必要な場所に。戦いの原理原則に従い力を使えば、ほら――

 

 クラゲのような形をした邪神の触手を摺り抜けるように躱し、軟性の殻に包まれた核を真下から狙う。

 もちろん一度の跳躍で届く距離ではないが、脚の裏に力を溜めこみ不可視の足場を蹴るイメージで空中ジャンプ。

 

 細胞核にも似たコアを左手のレイピアで正確に貫くとそれだけでモンスターは爆散した。支えを失い落下する俺の体をストレアが受け止める。

 そして視線を交わし、頷き合い、次の敵へと意識を向ける。

 

 小型の雑魚に対してはレンジの広いソードスキル、手こずりそうな大型に対してはバトルスキルで強化した通常攻撃を主体に戦いを構成する。

 

 軒並み耐久の高い大型モンスターをどうしても隙が出来てしまうソードスキルで強引に押し切る戦法は分が悪い。

 

「ナイツのみんなも連れてくればよかったね~!」

「はあ? あんな事言った手前すぐに会いに行けるかよ……」

 

 それはそうとして人手が欲しいのは間違いない。視界が悪い中での戦闘に慣れてきたとはいえスキルの隙を突かれて囲まれれば一瞬で窮地に陥り、武器も雑に扱えば耐久力をすぐにすり減らしてしまう。

 

――ああ、でも、いいな……。

 

 戦いとは、闘いとは、己の解放(カタルシス)に他ならない。

 

 培ったものを十全に振りかざすことの出来る場はやはり何物にも代えがたい。

 そしてこのゲームの世界では戦えば戦うほど――例え勝とうと負けようと――その過程そのものが熟練度となり、己が糧となる。

 

 今は負けても次があることのなんと素晴らしいことか!

 

 悪魔のようなモンスター、もう邪神かそうでないかなど些細な問題だった、の鉤爪を剣で受け止める。

 ギチギチミシミシと嫌な音が聞こえてくるが、拮抗する交点をずらしモンスターの体制を崩す。

 その大きなチャンスを見逃さなかったストレアの両手剣がモンスターの胴体を深く貫いた。

 

「やぁっとライヒもノッてきた!」

「そっちこそギア上げろよ。まだまだこれからだ」

 

 犬歯を剝き出しにして獰猛に笑う。俺はいまだこの世界から完全に解き放たれていないことを自覚しながら。

 

 

 

***

 

 

 

「ハァ、ハァ……何体倒した……?」

「さあ? ん~、でも二十は超えたかな?」

 

 俺たちはあれから更に一時間もモンスター相手に戦い続けた。

 

 もはやゼノビアが明確にこちらに敵意を向けていることは疑いようがなく、いくら倒しても次から次へと新手が差し向けられる。

 元を絶たなければ押しつぶされるのは時間の問題だ。しかしストレアのサーチ機能を用いても位置は特定できなかった。

 

(これほどの量のモンスターを操る手段があったとしても、有効射程が無制限ということはあり得ない)

 

 具体的な方法やその入手方法はこの際無視する。俺に同様の手段があった場合、俺はどこから敵を見るだろうか。

 

(俺ならどうしても目視しようとして、起伏の多い場所を選ぶ)

 

 だがそれは俺自身にそれなりの戦闘力があるからこそ取る行動である。

 範囲外のモンスターが寄ってきたり目標以外のプレイヤーがくるなど、予期はできても対処は出来ないトラブルを最大限回避するには、目視を捨ててでも現場からある程度の距離をとる必要がある。

 

(状況を俯瞰しつつも逃走が容易な位置取り……高台か? いや、まだ俺の常識の範囲内だ)

 

 例えば、起こりうるトラブルをも自分の味方につけることができるとすれば? ゼノビアからすればモンスターで溢れかえった今ここの状況こそが最も有利な状況であるとは考えられないだろうか?

 

(そう、この戦場から最も近い場所こそが絶好の潜伏位置なのだとすれば)

 

……()()()

 

「ストレア、サーチだ」

「ええっ? いいけど……さっきは何にも」

「地形を探れ、人工物……とまではいかなくても人が手を加えた痕跡があるはずだ。たぶんそう遠くない」

「よくわかんないけど分かった!」

 

 陣形を変えてストレアがサーチを終えるまで俺が時間を稼げるように戦術を組みなおす。

 俺たちの奮闘が相手の想像以上だったのか、モンスターの頭数は依然として多いがわずかに隙間が見いだせるようになっていた。

 

「行くぞ、《スキルコネクト》――カテゴリー、《ロングソード・レイピア》」

 

 意識を切り替え暗示をかけるように呟くと、俺の戦意に呼応してマフラーが不可視の力でふわりと浮き上がる。

 両手にソードスキル特有の光を灯し、怒涛の勢いで技を繰り出していく。

 

 片手剣のソードスキルで広範囲に渡って敵に間断なく攻撃を浴びせ、間隙を縫ってストレアに襲い掛かろうとする敵はレイピアで正確に討ち倒す。

 

 大方の敵を片付けてようやくストレアがサーチを完了させた。

 

 「ライヒ! 見つけたよ!」

 「でかした、何処だ!」

 「三時の方向、十メートル先の()()だよ! 砂とか石で隠してあるけどダクトみたいな入り口がある!」

 

 読み通りだ。

 

 「アタシは残った雑魚を片付けておくから本丸を叩いてきて! 期待してるからね、()()()()?」

 「お前次それで呼んだらぶっ飛ばすからな!?」

 

 

 

***

 

 

 

 金属板を素手でこじ開け暗闇の中を手探りで少しずつ進む。

 スプリガン首都の摩天楼のように大量の守護兵やトラップで足止めされるのかと思ったが、どうもそうではないらしい。

 代わりに何か毒々しい液体を煮詰めている壺や、禍々しい装丁の魔導書なんかが所狭しと置かれていた。

 

「はは……これが本性か?」

 

 正面に見える薄明りだけを頼りにこの隠れ家の最奥を目指していく。

 

 煙と本の匂いは進めば進むほど濃度を増していく。

 むせ返りそうなほどの激臭に意識が朦朧としそうだ。

 

 ようやく明かりのついた部屋にたどり着く。

 

 どこか部屋の隅や陰から不意打ちを仕掛けるつもりかと警戒していたが、どうやらその必要はなかったらしい。

 

「こうして二人きりで会うのは二回目、かしら?」

 

 勿体ぶるように、焦らすように、ヒールの靴音を一歩ずつ鳴らして彼女――ゼノビアが地下室の奥からついに姿を現した。

 扇で隠されいる謎めいた表情や淑やかな立ち振る舞いを見ているだけで何故か不安になり、心が頼りなく浮き立つような感覚を覚える。

 

「お久しぶりね《御影》のライヒ。……いいえ、《トリックスター》。ご機嫌はいかがかしら」

 

 ゼノビアは悪戯っぽく目を細めて混じりけのない笑みを浮かべる。

 

 俺よりは年上に見えるが、大きく離れているとも思えない。

 ゲームの中であるとはいえ、そんな少女がこれほどまでに妖艶な雰囲気を醸し出せるものだろうか。

 

「ツレない人ね、折角再会できたのに何にも話してくれないなんて」

「…………」

「それとも――オトコノコの部分が元気になっちゃったかしら?」

「あいにくだけど、お色気担当は間に合ってる」

「アラ、残念。私を下した貴方なら慰めてあげても――」

「――そんなことはどうでもいい」

 

 ゼノビアの饒舌さには大概惑わされてきた。人を誑かしたり、時間を稼いだり。

 

 彼女の語りには裏がある。

 今回に限ってはそれが余りにも露骨すぎる。

 

「それじゃあ、何が気になるのかしら?」

「アンタと俺。一対一でやりあえばまず不利なのに、逃げもしないでこうして時間稼ぎをする目的は何だ」

 

 ここはスプリガン城ほどの加護をゼノビアに与えてくれない。

 MPが無尽蔵にあるからこそ重力魔法を湯水のように使えた訳で、最後の砦だったゲントクという盾も存在しない現状では支援系魔法を主体とするゼノビアに対してアタッカー剣士の俺は有利をとれる。

 

 と、まあ俺なりに状況を整理して最大限真面目に問いかけた……のだが。

 

「フフ、フフフフフ……。ウフフフフフフフフ、アッハハハハハハ!!!!!!」

 

 先ほどまでの落ち着いた雰囲気を打ち消すようにゼノビアは体を曲げて大きく笑った。

 

 その様子はまるで滅茶苦茶にうごかした操り人形のようだ。

 

「アハハ、ハハ。……あ~あ」

「――?」

「殺す」

 

 その一言が発された瞬間なんの違和感もなかった床から何かが一直線に突き出て天井を貫いた。とっさに後方へ跳んで回避したが、完全に不意を突かれる。

 

「殺す、殺す殺す殺す殺すッ。殺すわッ!!」

 

 苛烈なまでの宣言。彼女の殺意の発現を皮切りに先刻と同じ何かが床、天井、壁、ありとあらゆる方向から伸びてくる。

 

「串刺しにして磔にして動けなくなったところを奈落に叩き落してやる!」

「これは……触手!?」

 

 よく見れば俺をめがけて殺到する間は高質化しているようだが、反対側に刺さった後はぬらぬらと不気味に蠢いているように見える。

 

「まさか、基地の地下にもモンスターを……」

「流石の判断力と理解力……と褒めてあげる。私の()()()はみーんな優しいのよ? ちょっとお願いするだけでほら――」

 

 這い出てくる触手の数と勢いが増す。

 

「お前を殺してくれるって――!! ホラホラ……ホラァ!! 無様に醜く穴だらけで死になさいッ!」

「こんなことってあるかよ……っ、クソ!」

 

 触手が出てくる前の一瞬その場所が盛り上がることは最初の数本で理解した。だが、あまりにも数が多すぎる。躱しきれない分は剣で払い落としていく。

 

「最高の気分ねえ~~~、復讐っていうものは!」

「――」

「どうかしら? 格下だと舐め切っていた相手に手も足も出ない気分は?」

「――――」

「いい加減に何か――ッ」

「別に舐めてはいない」

 

 ダンッ! と大きく床を踏み鳴らし、数本の触手を衝撃で押し返す。

 

 そして改めてゼノビアに向き直りつつ、俺は応えた。

 

「はっきりと断っておくんだが、俺自身はアンタに勝ったなんて思ってない」

 

 ゼノビアに近づくほどに密度を増す触手を、取り回しに優れた短剣で振り払っていく。

 

「あれはあくまで俺を手駒にしたお嬢の勝利であって、事実として俺はアンタに一太刀も加えられちゃいない。それどころか全力の《ヴォーパル・ストライク》が推し負ける始末だ。どう考えても俺は一度アンタに負けてる」

 

 限られた空間の中全てを防ぎきるのは不可能だ。

 故に致命傷のみを見極めて叩き落す。かすり傷は完全に無視する。

 

「だから俺はアンタに挑戦する立場なんだよ」

 

 だんだんと空間を把握し始めるとそれに比例して動きも最適化され、次の一手への余裕が生まれる。

 触手の長さや硬さも掌握が終わり、負ける要素が俺から削ぎ落されていく。

 

 心身が()()()()()につれて指先の感覚も鮮明になる。

 

 手の中で短剣が躍りだす。

 

――そして。

 

「今回こそは俺の勝ちでいいよな?」

 

 ゼノビアに肉薄した俺は即座に彼女が持つ扇を払い、隠されていた首筋に短剣を突き付けていた。

 驚愕にゼノビアの目が見開かれる。

 

 剣を突き付けておいて変な話だが、俺はこの時初めてゼノビアと向き合えているような気がした。

 

「…………そう、そうなのね。私は再び負けたのではなく私自身の誤解のために二度も負けた。ほんと、酷い話ね。私は()()()()()()()()()()に何一つとして応えて貰えなかった」

「なんの話だ?」

「貴方の話よ。貴方がSAOの最上階で戦う姿を私も見ていて……そうね、端的に言えば憧れてしまった。頭を貫かれ痛みに狂ってさえ立ち上がり、突破口を開いた貴方のことを――尊敬している」

「それは――どうも」

「だからこそ許せなかった。何に変えても守りたかったものを貴方が守っていて、私がその敵に回っていることに。こんな理不尽には怒りと殺意で応えるしかなかった」

「……」

「だから私は、貴方のように――――()()()()()()()()()()()!!」

 

 体が急激に重くなる。それに耐えきれず倒れるとまではいかないまでも短剣を取り落とし、床に膝をつく。

 

「畜生……!」

「これは……フフ。貴方への恨みと敬意を表した私の最後の手段。やはり切り札は多用するものじゃないわね」

「貴方をここから《ニブルヘイム》に放り込むわ。(つい)無き世界で永遠に彷徨い続けなさい」

 

 力が入らない。どれほど体を動かそうとしても床に吸い寄せられるだけで、抗うことも出来ずにゼノビアは俺をさらに奥の大穴へと引っ張ってゆく。

 

「さようなら、私の仇、私の英雄。もう一度地上で会えることを楽しみにしているわ」

 

 俺が悔しさに歯噛みし、ゼノビアが俺を穴に落とそうとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まさにその瞬間のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突如として隠れ家そのものが崩れ落ち、俺も、ゼノビアも、隠れ家の備品も、何もかもが一斉に大穴に向かって落ちていった。

 

「しまった! 集中力が切れて――」

 

 焦燥するゼノビアの声が聞こえる。

 

 そして俺が大穴に飲まれてしまう前にかろうじて目にしたのものは――

 

「ライヒ!!」

 

――こちらに向かって必死に手を伸ばすストレアの姿だった。

 

 

 




 お久しぶりのお久しぶりです。アクワ改め狩奈です。2022年の二作目は「虚ろな剣を携えて」の続きとなりました。もはや忘れ去られたものとばかり思っていましたが、未だに読んでくださる方々がいてくださり感謝でいっぱいです。
 ここからはALO編二章の「深淵編」がゼノビアさんをパートナーとして書いていけたらと思っております。またお待たせしてしまうことになりそうですが、気長にお待ちいただければ幸いです。

 感想その他お待ちしております。


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