喰霊-廻- (しなー)
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第1章 魂流転-たましいのるてん-
第1話 -プロローグ-


喰霊-零-二次創作 喰霊-廻-(がれい-めぐり-)

 

 

 

「喰霊-零-」、という物語をご存知であろうか?

 

 2008年ごろに放送されたアニメであり、人の世に死の穢れを撒く存在を退治する使命を背負った、2人の退魔師姉妹を描いた作品である。

 

 見た目麗しい退魔師姉妹が怨霊を日本刀を用いて軽快に切り裂いていく退魔アクションアニメであるのだが、その内容の深さや重さ、そして公式サイトまで使った大々的なドッキリなどで一時期かなりの注目を集めた。

 

 特に皆が主人公だと思っており、尚且つ公式サイトでも主人公として紹介されていた「防衛省特殊災害対策室第四課」のメンバーが1話で全員お陀仏したのは非常に話題となった。たぶん視聴していた人達は皆閉口してしまったのではないだろうか。何が起きたのか全く分からずじまいで1話が終わってしまい、視聴をやめてしまった人が多いと聞く。そんな皆が閉口してどうすればいいかわからなくなっている最中に公式サイトが切り替わり、1話終了時点では現在のホームページとなっていたという話題性たっぷりの演出がなされた。

 

 また時折「百合アニメ」として名前が挙がることがある作品でもある。確かに姉妹でポッキーゲームをしたり、入浴しているシーンがあるためそういわれているのだと推測されるが、実は全く百合アニメではなくむしろ鬱アニメに分類されるアニメであるので、もし百合を期待してこれから視聴する方はご注意願いたい。

 

 「喰霊-零-」は原作である「喰霊」の二年前を描いた作品で、この物語の続きは原作を読めば知ることができる。ただ、珍しくアニメ化が成功した作品であり、尚且つアニメが原作を超えたとまで言われる作品であるため、世界観や登場人物も同じ地続きの作品であるとはいえどもアニメの続きを得るために原作を読むと「拍子抜けした」となる人が多い。

 

 クオリティと話題性とは裏腹にあまり知名度があるわけではなく、アニメ好きを豪語する輩にこの物語の存在を尋ねたとしても知っている人はあまりいないだろう。あまり知名度のないまさに知る人ぞ知るアニメといった作品だが、その所謂「知っている」人の中ではかなりの高評価を得ている作品である。

 

 バイアスの掛かった視点から言わせてもらうならば実際に名作と言える出来であることは疑いようがない。神作といって過言ではない作品である。しかし残念ながら知名度はあまりない。まことに残念である。遺憾の念を禁じ得ない。

 

 さて、この物語の特徴だが、まず救いようのない「悲劇」であるということが挙げられる。

 

 この物語において「救い」は一切ない(・・・・)

 

 過言ではない。本当に一切ないのだ。

 

 序盤では不幸ではありながらも幸せに満ち足りた日常の風景、各々が各々の過去を抱えながらも乗り越えながら前に進む希望ともいうべき風景が描写される。

 

 主人公である諌山黄泉は怨霊に両親を殺されながらも諌山家に養女として迎え入れられ、そこで神童とも言うべき才覚を発揮して養子でありながら諌山家を任されるほどの人物となり、もう一人の主人公である土宮神楽は母を小学生にして失いながらも諌山黄泉や周囲の存在に支えられて普通の少女として、そして退魔師としても成長していく。

 

 そんな二人とその周囲を序盤は映し出している。非常に暖かく、そこに悲劇の影は存在しない。

 

 

 しかし中盤以降、序盤であった明るい雰囲気やおふざけは一切無くなっていく。黄泉が養子でありながら諌山の名を継ぐことから綻びが始まり、諌山が諌山を殺しさらに別の諌山が諌山を殺し……といったように負の連鎖が続いていき、最後にはすべてが崩壊する。

 

 ここでそれらを語りつくすことは不可能であるので避けるが、この物語においては本当に混じりけのない純粋な愛情すら人の心を壊すのに作用する。

 

 紆余曲折あってようやく掴んだ婚約者との甘いひと時が養父を殺す。

 その死が黄泉から「諌山」と婚約者を奪う。

「信じてる」、その一言が壊れかけの心への止めとなる。

 

 序盤の明るい展開はほぼ全てが絶望への非常に優秀な水先案内人となるのだ。

 

 原作である「喰霊」にてある程度皆救われるとはいえ、あまりに残酷で辛すぎる展開である。

 

 あまりに酷くて、あまりに惨い。

 

 辛辣で、絶望的だ。

 

 皮肉にも、だからこそこの作品は面白い。

 

 悲劇であるが故に姉妹の愛が光輝きこの作品の魅力を駆り立てる。

 

 悲惨であることがこの作品を名作足らしめているのである。

 

 

―――だけど。

 

 その悲劇を喜劇に変えたいと思うのは作品を汚すことになるのだろうか。

 

 その結末を誰もが認めるハッピーエンドに塗り替えたいと思うのは作品に対する侮辱なのだろうか。

 

 きっと。それは侮辱なのだろう。

 

 完成された物語に手を加えたいという気持ち、それは受け取り側の恣意的な願望であり、つまりは自分勝手な我儘なのだから。

 

 だが、それがどうした。

 

 たとえ原作(喰霊)で一通りの完結を見せていたとしても。

 

 たとえその完結が納得のいくものであったとしても。

 

―――俺は、それ以上を求めてやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは、そんな悲劇の世界に二度目の生を受けた(オリ主)の物語。






 

 喰霊-廻-をご覧いただき、ありがとうございます。
 後半に行くにつれて文字数が加速度的に増えていくのでご注意ください。


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第2話 -転生-

 (オリ主)の話をするとしよう。

 

 俺は生まれ変わりってやつを経験した人間、いわゆる転生者ってやつだ。

 

 前世では大学生をしていた。

 

 些か以上には名前の知れた大学に通い、日々を惰性を貪りながらのんべんだらりと過ごしてしていたのだが、ある日を境にそれが一変。突如として悪性の腫瘍にやられて涅槃へと旅立つこととなってしまった。

 

 末期癌だった。

 

 痛みも何もなく、だるいからという理由で病院で検査を受けたら白血球の数がおかしいとのことであれよあれよという間に精密検査へと連れていかれ。

 

 思考が追い付かぬままにさんざん検査された挙句、そこで下された結論は「余命三か月」の宣告だった。

 

 訳がわからなかった。

 

 末期癌なんてそこらの知らない奴らがかかってる病気だったし、ましてやそれで自分が死ぬなんて想像もつかなかったから理解が全く追いついていなかったのだ。

 

 死ぬ直前までこれは何かの冗談だって本気で思ってしまっていたぐらいに俺は錯乱していた。

 

 22だった。たった22で俺はこの世を去ったのだ。

 

 親に大した孝行もできず、ろくでなしの金食い虫の息子のまま俺は他界した。

 

 悔しかった。俺は家族になんの恩も返せていなかったし、なんの貢献もできていなかったのだ。

 

 ただ無作為に勉強して、普通に遊んで、それで死んだ。

 

 人生に意味がなかったなんて言わない。だらだら過ごしていたとしても少なくとも俺は俺の生き様に絶対的な誇りと自信を持っていた。惰性を貪っていたといえどもそれは人並み以上に努力はした上での物だ。後悔なんて一切していなかった。

 

―――でも、それでも。

 

 俺は明確に誰かの為になるような人生を送りたかった。自分の為だけじゃなく、誰かを救ってあげられるようなそんな力を持った格好いい人間になることを俺は望んでた。

 

 だから俺は死ぬ間際にこう願った。

 

―――あわよくば、次は誰かの為になる人生を。

 

 

 

 果たして、それは叶ってしまった。

 

 俺は世界に二度目の生を受けたのだ。それも、生前かなり愛好していた喰霊-零-の世界にである。

 

 それに気づいたのは3歳あたりの頃。

 

 前世の記憶持ちなおかげで幼少のころから大人に匹敵する程度の知識を有していた俺は、暇さえあれば父親の書庫で本を読み漁ることで有り余る退屈を消費していた。

 

 俺が生まれ変わった先は俺がいた時代よりも20年以上逆行している世界で、携帯、いわゆるガラパゴス携帯すらろくに発達しておらず、娯楽がそれよりほかに無かったのである。

 

 鈍器みたいな携帯を皆が持ち歩いている時代だったから携帯ゲーム機があるかどうかも怪しかったし。もしかするとカラーじゃないゲーム小僧はあったのかもしれないけど、どのみちこの家には存在しなかった。

 

 それに古風なお家柄のせいで家にある電化製品はテレビと白物家電が限界っていうレベルだからゲームが存在しても買わせてもらえないだろう。

 

 テレビを見ていても怒られるんだよな、この家。

 

 だから俺の娯楽は外で運動をするかそれとも活字の世界に浸るしかなかった。

 

 

 幸いにして書籍はかなりあった。両親、特に親父が読書家だったのだ。

 

 だが、そんな硬派な父親がライトノベルや漫画などの俺が好むジャンルの本などを所有している筈も無く。

 

 書庫に並ぶ蔵書は殆どが何かしらの専門書だったりバリバリの純文学。

 

 しかしそれしかこのとてつもない暇を潰す手段は無い。

 

 そういう訳で俺はわずか3歳にして漢字たっぷり専門用語たっぷりな本などに没頭する奇抜な子供になってしまった。

 

 本当に暇だったのだ。それをしていないと蟻が行列を成して巣に向かっていくのを眺めているぐらいしかやることが無かった。

 

 一応両親が幼児向けの教育本を買ってきてくれていたが、そんなの一回読んだら飽きる。

 

 最初はもの珍しさに母親と一緒に読んだりもしたものだが、飽きるのに2日とかからなかった。寧ろ1日読み続けてた俺がどうかしてる。 

 

 今世で本を読む事しかやることが無かったから仕方なくそれで我慢しているというだけで、前世の環境にいた頃の俺なら本しか読めないなんて状況に陥ったら絶対に発狂してる。

 

 考えても見てほしい。ゲームもスマホもタブレットも何もかもある状態でやることは読書。

 

 そんなの耐えられる訳がない。

 

 本は好きだが、代替物がある状況においてそれを優先するかと言われると首を傾げざるを得ない。

 

 そんなこんなで俺としてはただ退屈をつぶす為にやっていただけなのだが、それを見た周囲から「天才児」だの「あの子は神童だ」などと的外れなことを言われるようになってしまった。

 

 中身は元大学生なのだから当たり前ではあるのだが、確かに俺も外見が3歳のガキが経済学とか法学の理解を必要とする文章に向かい合っていたら天才とか鬼才とかの評価を下すに違いない。

 

 正直気持ち悪いと思うレベルだ。

 

 それはさておき、この家の書庫にはたまーにだが出版社を通して世の中に流通しているような本ではなさげな論述本があったりする。いわゆる私家版という奴だろうか?どこを見ても出版会社が書いていないのだ。

 

 そして大抵その手の本は怨霊だのなんだのと訳が分からないことが延々連ねられていて、そしてその中にこんなことが書いてある物があった。

 

―――土宮家は代々最強の霊獣喰霊白叡をその身に宿す家系であり―――

 

 

 土宮、霊獣、喰霊、白叡。

 

 

 非常に耳に覚えがある言葉たちだ。

 

 それにそのフレーズは何度も聞いた覚えがある。

 

 あまり書物内では言及されていなかったが、この後には「白叡を押さえつける為に封印加工された殺生石を用いており、また白叡を使役して危険な戦地に赴くことが多い為に、土宮家の人間は短命になりがちである」などの言葉が続くのであろう。

 

 最初見たときは喰霊-零-という作品のある別世界を疑った。

 

 実は両親か家政婦の方々が俺の同志で、酒を酌み交わしながら二晩くらいは語れそうな方々なのかと一瞬期待もしたものだ。

 同志がいるかもっていう反応は阿呆の極みだが、アニメに来たなんて考えないのは当然の反応だと思う。

 

 まさか自分が輪廻転生してアニメの世界に生まれ変わるなど信じられないだろう。

 

 瞬間的にその可能性を思いついただけでも随分ライトな文学に思考が染まっている証拠になる。

 

 

 

 最初は認められず、なんども推敲を重ねてそれを検討しなおした。

 

 だが、その度に「わざわざ(・・・・)作られたアカデミカルな文章にアニメの内容をそんなにこと細かく書くことがあるだろうか」という疑問が沸いてくる。

 

 それを専門にしている大学生の卒論とかならまだしも、俺が読んだそれはある程度の権威らしき人物が書いた、しかも一般公開向けではない専門書なのである。

 

 例えるならそこらによく売っている「わかりやすい経済学」とかそんな感じの本だ。

 

 経済学の部分が魑魅魍魎とかに変わったと考えてくれれば問題ない。

 

 

 

 だが用心深い性格な俺はそんな疑問を抱きながらもまだそれを根拠に断定することはしなかった。

 

 

 俺が喰霊-零-の世界に生まれ変わったと確証を持ったのは、父親から自分の家についての説明を受けたときだった。

 

 どうやら俺の一族は退魔士(・・・)の家系であり、土宮の分家(・・・・・)らしい事を父親は俺に語って聞かせた。そして俺の一族である小野寺の一族は土宮と同じく帝家の分家である諌山(・・)などの分家と共に代々土宮をサポートしているのだと。そして土宮には神楽(・・)という俺よりも2つ小さい女の子が居るのだということを俺に聞かせた。

 

 さすがにこれを聞いて喰霊-零-に関係がある世界であることを疑うことはできなかった。

 

 俺は喰霊-零-の世界に生まれ変わったのだと、そこでようやく思い知った。

 

 普通ならこんな話は3歳の赤子になんぞしないそうだ。だが俺の知能がどうやら高いらしいと当たりをつけていたうちの両親は試しに聞かせてみたらしいのだ。

 

 確かにこんな話、3歳児にする話じゃない。

 

 アンパ〇マンだの妖怪ウォ○チだのを見せて喜ばせているような年齢だろうが、神童とか呼ばれていたせいで退魔のエリート教育に親を走らせてしまったようだ。

 

 その話を聞かされた次の週からはさっそく鍛錬が始まった。

 

 

 3歳なんて普通なら遊びたい盛りで修行なんてくそくらえな年齢だろうが、

 

 

 

 

 

―――好都合だ。

 

 

 幼いうちに努力しておく価値を俺は知っている。三つ子の魂百までじゃないが、この時期の子供のポテンシャルが異常なことを俺は知っている。

 

 ここが喰霊の世界なのだとしたら、そこに生まれ落ちる悲劇を俺が変えてやる。全てとは言わずとも、俺が可能な限りで喜劇に変えてやる。

 

 死ぬ直前に臨んだ、誰かの為になるような格好いい人生を、この世界で送ってやる。

 

 その為の努力を怪しまれないだけの環境ができた。

 

 なら、俺はその意思を貫き通す。

 

 

 

 

 3歳の春、小野寺凜(オレ)はそう誓ったのだった。

 

 










実はこれ作品自体まだ投稿する予定なかったんですが、設定のミスで投稿しちゃってました。
お気に入りに登録されて初めてそれに気づく体たらく。
とりあえずいったん公開しちゃったのでこのまま投稿しようかとは思います。
中の人最近多忙なので不定期な可能性高いですけど。
そしてお気に入りありがとうございます。
狂喜乱舞する程度にはうれしいです。

評価とかいただけると励みになりますので、よろしければ評価いただけると幸いです。


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第3話 -退魔師の修行-

 怨霊退治の修行とやらはむやみやたらに厳しかった。

 

 

 父親曰く、「霊力はある程度血筋によって決まってしまうからお前は武術を極めろ」とのことで、学校のない日は朝起きて寝るまで一日中柔術だの合気道だの剣術だのをやらされ続けたり、「知識とは重荷にならぬ武器である。よって頭が割れるほどに勉学に励め」と言われて離れに閉じ込められて勉強させられたりもした。

 

 平日は帰ってきたら母の監視付きで宿題を速攻終わらせて、父が帰ってくるまでかなり高度なお勉強をさせられて、父が帰ってくるなり道場に連れていかれて文字通り吐くまでしごかれる。

 

 休日は父親の予定が空いていれば山籠もりをさせられ、サバイバルや山での戦い方の指導をみっちり叩き込まれる。

 

 父も母もいない時には知らないおっさんが指導しに来たりもした。

 

 

 

 

 ……えっと。ちょっとパパンとママンや、スパルタ過ぎないですかね?

 

 

 

 前世の記憶持ちである俺としてはパパンの言いたいこともわかるし、こんな家系に生まれてしまった以上これより苦しいことなんかたくさんあるのだから幼き頃から苦労をして強くなりなさいというママンのいうことも十分に理解できる。

 

 2人からある程度優秀な息子に対する超絶な期待と、それだからこそ尚更早死にしてほしくないっていう心配が降りかかってるのは非常に納得できるんだ。

 

 納得はできるんだよ。確かに。

 

 でもさ、普通に考えてみてよ。

 

 パパン、ママン。僕まだ10歳にすらなってないんですよ?

 

 teenなageにすら達してないんですよあなた方の息子さん?

 

 遊ぶことが仕事とまで言われる年代の子供に彼らはいったい何をやらせているんだと常々思ってしまうのも仕方がない。

 

 前世の目標を達成するために自ずから志願してはいるものの、正直毎日修行から逃げ出したくてたまらない、どうも小野寺です。

 

 これ多分この体に宿ってる人格が俺じゃなくて普通の子供だったなら虐待として逮捕されてもおかしくないと思うな俺。

 

 離れに閉じ込めて勉強させるとか普通に監禁ですわよママン。

 

 この前親父のいい蹴りがみぞおちに入って本気で立てなくなってるっていうのに「この程度で倒れるとは何事だ!立てぃ!」とか言われて無理やり立たせられたときは「あぁこいつマジでぶっ殺すぞ」とか思ってしまったわよパパン。

 

 4倍とか体重差あるやつのけりがまともに入って「この程度」ってなんだよ。

 

 紀ちゃんだって黄泉の拳がまともに入ったときはうずくまってたんだぞ。

 

 

 

 

―――まあ、それでも本当に俺に「死んでほしくない」って思ってる気持ちがひしひしと伝わってくるからこんな厳しい修行も悪くないかなーなんて思ってはいるんだけどね。

 

 

 でも神楽はよくこんな厳しい修行に耐えてたよな。さすがにここまで基地外ではないとは思うけど、それでも大概だろう。退魔士一族ブラックすぎワロタ。

 

 

 

 

 ちなみに原作キャラとの絡みは今のところ殆どない。

 

 黄泉とか冥姉さんとかとの絡みはなく、分家会議とやらで親父に付いていった時に雅楽さんと神楽ちゃんと一言二言をしただけである。

 

 この頃はまだ神楽ちゃんのお母さんが死んでいないから、雅楽さんが分家を纏めているためちょっと喋ることができたのだ。

 

 とはいえ分家の中でも結構低い地位にいるらしい小野寺家と、分家どころか総本山たる土宮に婿入りした雅楽さんとではあまり話す時間が取れず、残念ながら交流を深めることはできなかった。

 

 ただどうやら俺は少々有名らしく、雅楽さんに名前を知ってもらえていたので今後関わることができるかもしれない。

 

 まだ親父から許可が出ていないので、怨霊を退治したことはまだ殆ど無いのになぜ知られていたのかは謎であるが。

 

 ……個人的には幼少時は冥と関わる機会が最も多いのではないかと想像していたのだが、当てが外れたようだ。

 

 諌山冥と話すのを楽しみにしていた節があるので残念である。

 

 もう少ししたら分家会議にも出てくるのだろうか?

 

 諌山奈落が分家の取りまとめ役になったときは諌山幽の後ろにいたはずだし、俺よりも2つ年上のはずだからそろそろ出てきてもおかしくはないだろう。

 

 とはいえ親父は「分家会議になど出ている暇があったら鍛錬をせよ」っていう脳筋な考えの持ち主なので出てきても会えない可能性が高いのだが。

 

 

 

 はてさて。そんなこんなで光陰矢の如しとはよく言ったもので(別に無作為に過ごしてはいないが)、流れるようなスピードで月日は過ぎて行った。

 

 

 

 

 

 そして俺が中学1年生になったころの事だ。

 

 

―――駄々をこねてようやく連れて行ってもらえた分家会議で、面白い話を耳にした。

 

 




次話で原作キャラとの絡み入ります。
凛が中1⇔神楽小5⇔黄泉中2⇔喰霊-零-の3年前。
さて、そこで聞く面白い話ねえ。


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第4話 -邂逅-

「殺生石ねぇ……」

 

 

 分家会議が終了した後。池にあった座りやすそうな石でくつろぎながら俺は呟いた。

 

 殺生石。

 

 この喰霊-零-という物語を作り上げ、そして破壊した存在。

 

 「九尾の狐の魂の欠片」であるそれは、作中に全部で10個存在する。

 

 この中で喰霊-零-に登場するのはたったの2個(正確には白叡の中にあるもの、三途河が分裂させて与えたものも含めて4個)である。

 

 殺生石は使えば非常に強大な霊力を得られる代物であり、体の成長を一時的に抑制したり、日常生活を送ることすら困難なほどの怪我を完治したり、切断された腕を再生させたりなどの異常なまでの恩恵を受けることができるが、当然ながらその力を得るためには大きなデメリットがあり、その力を使うと心の闇の部分が増幅され、負の感情に魂が蝕まれてしまい、最終的には精神も肉体も崩壊した自分の負の感情のみに基づいて行動する悪霊となってしまうという欠点がある。

 

 自分の負の感情。つまりは醜い嫉妬や欲望などが増幅され続け、しかもその願望などを遂行するための理性のタガをこの石は消し去ってしまうのだ。

 

 自分の欲望のためならばどのような手段をとることも全く厭わなくなる。

 

 それこそ、殺人でさえもこの石は正当化してしまう。

 

 この石の力は本当に絶大であり、そのうちのたった1個。たった1個の存在のせいでこの物語は崩壊へと歩を進めさせられてしまった。

 

 まあ、ざっくばらんにこの石を解説するならば某作品でいう四魂の玉をマイナス方面に強化した存在と言えるだろう。

 

 そんなかわいいものではないというのが俺の本音ではあるが。

 

 

 

 

 ともあれ俺がこの世に生を受けてから13年。随分と時間がたったものだ。

 

 最近ようやくクラウドだのスマホだのがない生活にも慣れて、固定電話で連絡を取り合うのが自分の中の常識になってきた。

 

 そのせいと毎日が忙しすぎるせいで忘れかけていたが、俺が中1になっているということは土宮神楽は今小学校5年生、諌山黄泉は中学2年生になっているということなのだ。

 

 つまりこの時間軸は原作(喰霊)が始まる5年前となってしまっているのである。

 

 原作の五年前、それは喰霊-零-3話時点(・・・・・・・・・)と時期がぴったり重なる。

 

 

 

 要するに、悪霊との戦いで土宮 舞(神楽の母)が死ぬのが今年なのだ。

 

 

 

 気づけたからよかったものの、うっかりしていた。

 

 影が薄かったためにおぼろげな人も多いかとは思うが、喰霊-零-の三年前の時点で土宮神楽の母親は死んでいるのだ。

 

 むしろそれがあの物語のスタートである。

 

 

「問題は、それがいつなのかだな」 

 

 投げられた石がぽちゃんと静かな音を立てて池に沈んでいく。

 

 この時間軸のことについてはほとんど喰霊-零-内でも原作内でも言及されていない。

 

 いつ起こるのかについては本当にこの時間軸であるという情報しかない。

 

 それに加えて敵の規模はどうなのかとか、あのメンバーがそろっていてなぜ土宮舞は死んだのかとか、そこら辺も全く語られていないのだ。

 

 白叡を持った土宮舞に体術で諌山黄泉を圧倒した土宮雅楽、そして今この段階でも神童と呼ばれて一目置かれている諌山黄泉が居て、それでもなおかつ土宮舞は死んでいる。あまり考えていなかったが、これは少々まずい。

 

 諌山黄泉は後から駆け付けた可能性が高いし、敵も予測出来てはいる。

 

 喰霊-零-ファン共通の敵である三途河だろう。

 

 たとえ殺生石があってもあいつさえ死んでいればあの悲劇は起きなかった。原作で九尾を利用して蘇らせた自分の母親に刺されて死んだときは、申し訳ないがガッツポーズをしてしまった程にはあいつが嫌いだ。

 

 あのマザコンが嫌いという意見に共感してくれる人は多いのではないだろうか。

 

 それはさておき、三途河は少なくとも土宮神楽の両親を退けている。

 

 恐らくは退魔士の中でもトップクラスに入ると推測される二人を、だ。

 

 それになんの対策もなしに向かっていくのは愚の骨頂である。

 

 そのため久々に開かれた分家会議で何か情報を得られないかと思って、親父と大喧嘩してまで参加したのだ。

 

 文字通り骨が折れる戦いだった。親父の。

 

 

 残念ながら親父の骨を折ってまで参加した分家会議であったが、三途河に直接的に繋がる情報は得ることができなかった。まあ当然ではあるが。

 

 ただ「殺生石」という名詞と、最近霊力場が不安定だという情報は手に入れた。

 

 この二つは面白い情報だ。

 

 一見大したことがないように感じるこの「霊力場が不安定」という言葉は、ニアリーイコールで「殺生石が関係している」と解釈できるため、間接的にではあるが三途河に繋がる情報として推理することができるのだ。

 

 もしかすると、悲劇の開始が近いのかもしれない。

 

 この情報を得ることができただけでも親父の肋骨を折ってしまった分の代価は受け取ることができたといって過言ではない。

 

 

「ただなあ」

 

 いくら三途河に繋がるかもしれない情報を手に入れたとしても、俺が一人参戦した程度では戦況が変わらない可能性がある。多分だが、今の俺では三途河には敵わない。

 

 17歳時点の諌山黄泉と18歳時点の諌山冥を楽々処理している相手だ。その時点の3年前と言えども、今の俺じゃ勝てないだろう。使いたい技術があっても、行いたい動きがあっても未成熟な今の俺の体では残念ながら自分が思い描くパフォーマンスにははるか遠く及ばない。

 

 喰霊-零-時点の諌山勢を今の俺が退けられるかと問われたら正直結構厳しい。逃げ切れば勝ちという条件付きの撤退戦でならば何とかなるか、といった感じだろうか。3年後とかなら三途河を含めて話は全く別になると思うんだが……。

 

 どうしたものか。

 

 一応13年間三途河を倒すためだけに戦術とか練ってきたし、そのための動きも練習はしてきてはいるのだが。

 

 ぽちゃん、ぽちゃんと次々に投げ入れられる石。

 

 せめて、協力者が居れば―――

 

 

 

 「―――小野寺凛さんですね」

 

 

 池に石を投げ入れていると、後ろから凜とした声がかけられた。

 

 ダジャレとかそんなものではなく、本当に優雅な声。

 

 その声につられて思わず振り向く。

 

 白銀の長髪に、透き通るように白い肌、そしてルビーを思わせる赤い瞳。桜の着物を纏い、背中に一本芯でも入っているかのような美しい姿勢で俺の後ろに立っている少女。

 

 喰霊-零-では殺生石に一番最初に取り憑かれ、そして諌山を崩壊させた張本人。黄泉に家督を奪われ、その恨みから怨霊となってしまったある意味悲劇の人。

 

 

 「諌山、冥?」

 

 

 

 諌山冥がそこには立っていた。

 

 








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絡みとも言えないなこれ。
1話あたりの文字数を二倍くらいにしようか悩み中です。
私執筆速度遅くて。
ぽちっと評価してくれたりすると更新早くなります←


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第5話 -諫山の令嬢-

 

 

 

 

 

 諌山冥。喰霊-零-における敵キャラの一人。

 

 現諌山の党首である諌山奈落(黄泉の父親)の弟、諌山幽の娘。

 

 諌山奈落には実子がいないため、諌山の血を継ぐ実質的な継承権1位の跡継ぎであるはずなのに、諫山奈落の気まぐれのせいで養女(・・)である諌山黄泉に家督を奪われた人である。

 

 正常な状態では家督の件について「黄泉さんが死ねば家督は私のもの。この業界で家督を継ぐことは早いか遅いかでしかないのです」と発言している。

 

 つまり退魔士は死亡率が高く、黄泉もそのうちさっさと死ぬのだから、自分が家督を継ぐのは時間の問題。自分が家督を継いだようなものなのだから気にする必要はないと言っているのだ。

 

 もしかすると自分が黄泉を殺すから、といった意味なのかもしれないと解釈は出来るが、時折正気に戻った際の発言から推測するとこんな意味だと思われる。

 

 一見それ(家督)に大した拘りはないかの如く見えた。

 

 だが殺生石を体に埋め込まれてからはその主張が一変。

 

 諌山奈落をその手にかけて殺すと遺書を書き換えて家督を自分のものに変更。諌山家に代々伝わる宝刀である獅子王を黄泉から無理やり奪い取る。

 

 それだけに留まらず黄泉が住んでいた部屋をも自分のものとして奪い取り、黄泉から徹底的に「諫山」と居場所を奪い去ってしまうのだ。

 

 諫山黄泉の命の恩人たる諫山奈落。黄泉の親が怨霊に殺された際に救ってくれたのが奈落で、その後の面倒すら見てくれて、そして実の子ではない黄泉に「諫山」と諫山の象徴とも言える宝刀「獅子王」を託したという。

 

 

 そんな奈落も、獅子王も。

 

 黄泉の諫山における全てと言っても過言ではないそれらを冥は奪い去った。

 

 そして最後にはその胸に秘めた思いを爆発させて黄泉を殺そうとするが、殺生石との相性の悪さなどの要因が重なって返り討ちに遭い、二度と帰らぬ人となる。

 

 この人の説明をするとすればそんなところだろうか。

 

 黄泉をダークサイドに落とした原因となった最も大きなファクターたる存在である。

 

 この人が殺生石を得ることがなかったならば、あの世界はあそこまで崩れなかった。

 

 ただ、石を得てから時々正気に戻った際に、「私は一体何をしているんだ」と後悔どころか自分の行為に理解不能さを示していたため、もし石を得ていなければあんな事態にはならなかったのではないだろうか。

 石を得ずともどこかで爆発していたかもしれないが、それでも石と、何より最悪なのが三途河の野郎である。

 

 この人に殺生石を渡したのも、黄泉に殺生石を渡したのも、あのマザコンであって、 この人もまた被害者の1人だと俺は考えている。

 

 やった行為は許されるべきことではないが、まず最初に憎まれるべきは三途河であって、その次にこの人だ。

 

 多分視聴者もこの人に嫌悪を抱く人は少ないのではないだろうか。

 

 

 

 

 俺は目の前に立つ諌山冥を見据える。

 

 その美しいふるまいと立ち姿からは気品と確かな知性が感じられ、そんな愚行を犯すような人には決して見えない。ただ想定してたより息をのむような美人であるだけである。

 

 だが、この人の内面には自分が思っている以上の黄泉に対する嫉妬と妬みの感情が渦巻いていて、放っておけばそれを爆発させてしまう。

 

 この人を止めなければ、この物語に救済はないのだ。

 

「直接お会いするのは初めてですね。初めまして、諌山冥と申します」

 

 綺麗にお辞儀をする諌山冥。

 

「こちらこそ初めまして。小野寺凜と申します」

 

 年上に名乗られた上にお辞儀までされて黙っているわけにはいかないので俺は慌てて立ち上がりお辞儀を返す。10歳そこらのガキとは思えぬほど固くなってしまったが、とりあえず名乗り返す。

 

 いつか会いたいと思っていた人ではあるが、まさか向こうから接触してくるとは。機会を窺っていたのだが、機会がほとんどなかったために今日の接触は諦めていたので少々面喰ってしまったのが正直なところである。

 

「噂はかねがねお聞きしています。一度お話ししたいと思っておりました」

 

 クスッと15とは思えない妖艶な笑みを冥は浮かべる。前世の頃からしてみると15なんてまだまだ子供といった感想を抱いたものだが、13の現在からしてみると非常に大人に見えて仕方がない。

 

 子供のころは女性のほうが成長が早いと聞くし、このころの2歳差というのものはかなり大きい差だ。

 

 ぶっちゃけこの二言三言だけで自分が押されているのが否めない。

 

 鍛錬とかを積んでいても性根がヘタレなのはあまり変わっていなかったりする。

 

「色々伺っております。なんでも一人でカテゴリBを2体相手に立ち回ったとか、退魔士歴代でも類を見ないような鬼才の持ち主であるとか。小野寺の期待の星なんて呼ばれてたりもしましたね」

 

「……そんな噂をされてるんですか、俺?なんていうか、それは買い被りが過ぎますよ。そんな大層なもんじゃないですよ」

 

「ご存じないのですね。退魔士の中では有名な話です。あの黄泉ですら凌ぐ神童なのではないか、と」

 

 そんな噂をされていたのか俺。フリーで退魔士やってたし、あんまりこっちの業界の人と絡む機会がなかったからそんなことを噂されているとは全く知らなかった。

 

 ちょっと嬉しい反面、面と向かってそういうことを言われるとなんて反応すればいいかわかんなくて背中がむず痒い。

 

 そんな俺の反応を見て悠然と微笑んでるし。余計むずがゆい。くそう。

 

「……親父のスパルタ教育のおかげですよ」

 

 つい少々ぶっきらぼうに返してしまう。年上の美人なお姉さんにからかわれて格好つけようとする背伸びをした中学生かよ俺は。

 

 ……寸分違わずその通りだった。少なくとも見た目上は。精神も肉体に引っ張られでもしてんのかね?

 

「……挨拶まわりとかもう大丈夫なんですか?さっきまで諌山さんと色々回ってたみたいですけど」

 

「ええ。もう大抵は済みましたので。後は特に何をするでもないのでお父様に預けてしまおうかと。それに、それを言うなら凛さんこそでしょう?お父上に付いて回っているようには見えませんでしたが」

 

「……おっしゃる通りで」

 

 よく見てらっしゃる。実はこういった場で大切な日本の儀式である「挨拶回り」を今日俺は一切やってないのだ。

 

 中学1年生だからで許されることではあると思うが、それでも親の後ろにくっ付いて自己紹介ぐらいはするのが普通な光景だろうなーとは思っているのだが。

 

「貴方は今この業界において時の人。見られていないことの方が難しいでしょう。珍しく"小野寺凛"が来たということで分家一同楽しみにしておられたのに、お話が出来ないとの事で皆様残念そうにしていらっしゃいました」

 

 クスッというよりはフッといった擬音がつきそうな微笑。ほんとにこの人の笑みは掴みどころがないな。

 

 ……それにしても皆に注目なんてされてないだろうと思ってここに来たのに、なんでこの人に見つかったと思ったらそういう事か。

 

 どうやら結構注目されているようだ。やるじゃないか俺。

 

 が、男として武力で皆の感心を得ることが出来たのは嬉しい反面、それのせいで三途河に注目されてしまいそうで多少怖い。

 

 黄泉とか完全にあいつに目をつけられていたし、原作の主人公の名前ですら覚えてるような奴だ。

 

 皆を殺生石から救おうとして動いてるうちに俺が殺生石にやられてしまっては元も子もない。

 

 ミイラ取りがミイラにならないように警戒はしておこう。

 

 

 それはそうとして、そんな一躍時の人として世間様に名前が躍り出ているらしい俺氏こと小野寺凛が何故挨拶回りをしていないのか。

 

その理由を話すと多少長くなるのだが、一言でその原因をまとめるとするなら

 

 

「いやぁ、皆さんには悪いんですけど、俺今親父と喧嘩してまして」

 

 

こうである。俺氏、だだいまパパンと絶賛喧嘩中なのである。

 

 

「分家会議に出たいってごねたら少々怒られてしまいまして。ヒートアップした俺も『親父から1本取ったら分家会議に出させろ』なんて事を言い始めてしまって……」

 

 それに更に激高した父親がその申し出をまさかの快諾。母親が監督を努める中、恐らく過去最大級の親子喧嘩が勃発したのである。

 

「あぁ、それで小野寺殿の立ち振る舞いに違和感があったのですね。肋骨を傷めている人間の動きでしたので、どうされたのかとは思っていました」

 

「……随分と目敏いですね。ええ、ちょっと白熱し過ぎて思わぬラッキーパンチを父親の肋骨にぶち込んでしまいましてね。分家会議の2日前だというのに我が父は心臓側の肋骨を3本折る重症ですよ」

 

 実際はちょっと違うのだが、いいのをぶち込んでしまって父親を重体に追いやってしまったのは事実である。

 

「その結果顔を合わせ難くなってしまってて。なんとか要求は呑ませてここには来れたんですけど、一緒に挨拶回りをする気にはちょっとなれなくて1人で黄昏てた訳です」

 

 行きの車とか終始無言だった。

 一応昨日謝ったんだけど、それでもやっぱお互いに気まずいものだ。

 

 まさかの親父が客として来店してきたキャバ嬢でももっとしゃべるんじゃないの?っていうぐらいにはシュールな空間だった。

 

 その割を食った運転手さん、まじでごめんなさい。

 

「……なるほど。小野寺殿がけがを負うとは相当に白熱したのでしょう」

 

「正直かなり。俺、何回か死を覚悟しましたもの」

 

「それはそれは。小野寺殿も大人げないのですね」

 

「ええ。そうなんですよね。ガキ相手にあそこまでムキになるとは思ってもみませんでしたよ」

 

 顔面に後ろ回し蹴りとか飛んできたときは鳥肌が立ったものだ。

 

 膝蹴りが顔をかすめた時なんかは走馬燈が見えるかと思った。

 

 俺がそう付け足すと、今度こそ本当に可笑しそうに(・・・・・・)、それでいていつものように妖艶に、目の前の彼女は笑った。

 

 

 「でも、貴方は無傷(・・・・・)

 

 

 そうぽつりと漏らすと、諌山冥は優雅にそして唐突に一礼をして踵を返した。

 

 

 「それでは(わたくし)はこれで。またお会いしましょう、小野寺凛さん」

 

 こちらを振り向かずにそうつぶやくと、華麗な足取りで諌山冥は歩き出した。

 

 その視線の先には諌山幽。

 

 後ろを一回も振り向いていないのにその存在を把握する技量には感服するしかない。

 

 本当に掴めない人だ。何を考えているんだかがよくわからない。

 

 

 

 「―――」

 

 「―――え?」

 

 

 ふと、諌山冥は顔を半分だけ向けて、何かを小さくつぶやいた。

 

 歪な笑みを、口元に残しながら。

 

  

 

 

 

 

 ……なんと言ったか全く聞き取ることができなかった。

 

 だから、これは俺の聞き違いなのかもしれない。

 

 でも、去り際に彼女は

 

 

 

 ―――期待しています。

 

 

 黒い笑みの下で、そう呟いた気がした。

 




私結構ミスが多くて、更新されたてだと文章がややぐだってるときあるかもです。今回もちょい大幅に改稿しました。一応時間たってから読み直しを着て書き直ししてたりするので、何か明らかに変なのとかあったら連絡頂けると助かります。


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第6話 -ガラケー-

 諌山冥との接触から2週間程たったころのことだ。

 

 

 

 事態が大きく動き始めた。 

 

 

 恐らく、この特異点の異常さに気が付けたのは、そしてこれからも気が付くのは俺だけだろう。

 

 この表現だと少々正確ではないな。正確に言うなら、この特異点の異常な観測が三途河(・・・)によるものだと気が付くことができたのは俺だけだろう。

 

 原作知識を持っているからこそ気づけた観測点の異常。

 

 カテゴリーAに匹敵する怨霊が、カテゴリーBの怨霊の群れとはかなり離れた場所に1体出現し、そして精鋭部隊がそこに到着した時にそこにいたのはカテゴリーAではなく、カテゴリーDの軍団であったという事件がつい最近に起きたのだ。

 

 カテゴリーDを精鋭班が全滅させたときにはカテゴリーAの反応が完全に消失したため、観測班が何らかの原因のせいで霊力分布の把握を間違えてしまったのだろうと結論付けられたその事件。

 

 何故か上層部ですら勘違いとの結論で納得してしまったらしいのだが、俺はそれを見た瞬間に衝撃が走った。

 

 これは、喰霊-零-で三途河が実際に一度使った手段に酷似しているのだ。

 

 自らを囮として使用し周囲の注目を一気に集めさせることで戦力を攪乱させ、増援を目標に近づけないようにしてから何らかの目的を達成する。

 

 今回のやり方は、その方法と手口がかなり似通っている気がするのだ。

 

 観測班の間違いとか言い始めている輩がいるようだが、カテゴリDが全部倒された瞬間に三途河が消えればそれで簡単にこの前の状況は満たすことができる。

 

 恐らく向かった精鋭たちはそこにカテゴリーDに紛れてカテゴリーAが居た事に気づいていないのだろう。

 

 そのため(多分だけど)そいつらが観測班のせいにしているんじゃないだろうか。ちょっと精鋭で腕に覚えなんかがあったりするから三途河が居た事に気づいていない事に気づいていないのだろう。そして精鋭として派遣されてる輩だし、上の覚えもいいだろうから上もホイホイ信じてしまったんじゃないのか?

 

 少々無理はあるかもしれないがそこそこには納得できる推論だろう。

 

 ちなみにカテゴリーとは文字通り分類である。この業界においては怨霊を4つの区分に分類して呼称している。

 

 カテゴリーDは人間を基とする怨霊、つまりはゾンビのようなものを指す。

 カテゴリーCは比較的脅威とならないレベルの低級怨霊を指す。

 カテゴリーBは脅威となるレベルの怨霊を指す。

 カテゴリーAはかなりの脅威となるレベルの上級怨霊を指す。

 

 カテゴリーBレベルで霊感無しのそれなりに鍛えている軍隊を壊滅させられるレベルと考えてもらって差し支えない。霊感がないとはいえ、それを補うゴーグルと特殊武装が支給されている軍隊がである。

 

 だがそれでもカテゴリーBの中でも上位のほうになってくるとそのレベルの軍隊ではほぼ間違いなく太刀打ちできなくなってくる。ここから先は霊感持ちで特殊な訓練などを受けた部隊などでなければ対応ができなくなってくるのだ。ちなみに土宮神楽は(上位のものかどうかはわからないが)カテゴリーBを居合抜きで一刀両断していた。あれは今の俺からしても素直に称賛できるレベルだ。あんなの中学2年の女子がやっていいレベルの技じゃない。

 

 さらにカテゴリーAなんかになってしまうと上位のカテゴリーBを討伐した部隊を、1分かからないなんてレベルではなく殲滅してしまうほどの実力を持つ。諌山黄泉が怨霊化したとき、カテゴリーAに分類されたのだが、彼女はカテゴリーBとの戦闘中に軽口を叩き始める余裕を持っているほどなので、カテゴリーAの実力はお察しというやつだろう。

 

 

 

 

 ともあれ、その霊力分布図に異常があるとの報告を受けた時には俺も速攻で動こうとしたのだが、その戦いにおいては大した障害が発生しなかったらしく、俺が駆けつけるまでもなく除霊は完了してしまっていた。

 

 今回は何事もなかったからよかったものの、これが喰霊-零-で神楽の母親が亡くなるその瞬間だったと考えると、ぞっとする。例え俺が三途河を倒せるだけの力を持っているとの仮定したとしても、地理的な条件のせいでその現場まで急行できなければ何の意味もないのだ。誰も救えない。ただの力の持ち腐れである。

 

 

 

 あの襲撃の際のヒントは二つ。

 

 

 時間は夜であるということ。これは喰霊-零-で神楽の両親が家を出た時の描写からも、神楽の母がやられて雅楽の腕に抱かれているシーンからも推測が可能だ。

 

 また、神楽に「すぐに帰ってくるからね」と声をかけた際に神楽の服装が寝間着ではなかったため、恐らくは22時よりは前であるとも推測される。

 

 そして、土宮家の党首とその伴侶が直々に動いていることからその案件はかなり巨大なもの。

 少なくとも、カテゴリーBでもかなり巨大なものを投入してくると考えられる。しかも複数。またはカテゴリーBを各地に配置して戦力を分散し、土宮の二人を誘い込める状況を作り出してから三途河が登場するなどの可能性も考慮に入れる必要がある。

 

 さまざまなことを考慮に入れて迅速にかつ緻密にそして大胆に動かなければならない。

 

 

 色々と意識しているつもりであったが、それでも尚甘かった。紙の霊力分布図なんかで情報を逐一調べてるなんて悠長なことを言っていられる状況ではなかったのだ。

 

 

 そう考えた俺は、

 

 

「―――という訳で携帯が欲しいんだ」

 

 

 親におねだりをすることにした。

 

 

 喰霊-零-の知識は当然伏せて話した。

 正直スマホに比べちゃうと断然性能が劣るガラケーにほとんど魅力を感じてはいないのだが、それでも携帯があれば懸念がいくつか解消されるので親に熱弁中である。

 

 金銭的にはお勤めの稼ぎがあるので問題はないはずだが、何よりこの時代で中学生が携帯電話を持つなんてことはほとんどないのに加えて、そもそも親世代があまり携帯なんて持っている時代じゃないというのが大きい。一応普及はしているのだが、古風な親だと見向きもしないのだ。あと数年もしたら必ず一人一台持つようになるというのに。

 

 

「さっきお父さんが子供にはまだ早いって言ったけど、そもそもこの業界で大人も子供もないと思うんだよね。俺なんか中学生だけどそこらの大人よりか前線に立って切り込んでるし、周りの中学生に比べて寝る時間も圧倒的に遅いし。俺の生活のレベルってどちらかといえば大人よりでしょ?それに倫理的問題で俺がそれを持つのが早いって主張はさ、たぶんだけど俺の安全面とかを気にしての話だよね?それなら尚の事持つべきだと思うんだよ」

 

 

 案の定お前にはまだ早いと切り返してきた父にはこう返し、

 

 

「あんまお母さんにはなじみがないかもしれないんだけどさ、携帯電話ってすごい便利なんだよ。さっき話した霊力分布図の最新版がすぐに手に入るってメリットだけじゃなくてもしかして任務中に何かしらの問題が起きた時にもすぐに連絡が取りあえるし、なによりすぐに安否の確認ができるんだ。これがあればお母さんが俺が任務から無事に帰るのを確認するまで眠らないなんてことはなくて済むんだよね」

 

 

 メリットがわかってなかった母親にはこう返す。なんてかわいくないガキなんだって指摘は無しで頼む。自覚しかないから。こんな子供やだわ。

 

 ちなみに携帯とは関係がないけど、肋骨の件で親父とはすぐ仲直りしました。結構あっさり解決してたり。

 むしろ問題は母親のほうで、愛しのパパンを思い切り怪我させた息子さんにしばらくご立腹のご様子でした。いや、正当な試合でのケガなんだから俺に責任はないだろって思ったりもしたんだけどさ。どうやら察するに最近俺も安定した収入源になってきたから2人目を計画していたらしく、それが潰されちゃったので少々虫の居所が悪かったみたいです。

 

 今はむしろ昼間もべたべたできるから機嫌いいんですよママン。うちの母親は美人だけど結構アホの子要素たっぷりだったりする。

 

 

 そんなこんなで

 

 

「凛。利便性はよく理解したが、それでもやはり有害なものがあると聞くからそれが心配だ」

 

 

 との親父の心配には

 

「フィルタリング機能っていうのがあって、お父さんが許したものしか見れないように設定できるみたいだよ」

 

 フィルタリングをあたかも知らないかのように推奨し、

 

「そうねぇ。知れば知るほどいいものそうねぇ。いっそ私たちも買ってしまおうかしら」

 

 と某斜塔なんて目じゃないくらいには購入に傾いてる母親には

 

「家族で入ると家族割りでやすくなるんだ!」

 

 とお前どこの営業マンだと突っ込みたくなるような口説き文句をぶつけておいた。

 

 ダメ押しで

 

「お母さんがおなか痛くなって動けなくなったとしても、携帯があればすぐに救急車を呼べたりするかもしれない!」

 

 と何かを連想させるワードも押し込み、親の快諾を勝ち取った。快諾とは言えないかもだけど。

 

 

 結果として翌日俺は携帯を手に入れることに成功した。久々のガラケーで、しかも下手をすると開閉式じゃなかったかもしれないという年代の携帯には何やら不思議な感動があった。

 

 ちなみにフィルタリングはがっつりかけられました。親父ェ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――そしてその2週間後。

 

 

 カテゴリーAの誤報なんてみんなが頭の片隅に置いて忘却してしまっていたころ。

 

 

 その時は、やってきた。

 

 













話ほとんど進んでないのに長くなったな。
私学生なので平日の更新は不定期になりますね。
土日は定期的に更新(予定)です←


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第7話 -開始の狼煙-

※かなりの自己解釈を含みますのでご注意ください。


 「―――来たか」

 

 

 携帯を買ってからおよそ二週間後。

 

 ついにその時がやってきた。

 

 

 カテゴリーBの同時大量出現。

 

 俺が想定していたほぼ最悪と言って過言ではない状況の爆誕である。

 

 今俺の手元に来た霊力図を見る限り、少なくとも4か所にカテゴリーBが出現している。そして恐らくその付近には大量のカテゴリーCとかDも存在しているだろう。

 

 上位に属する怨霊は下位に属する怨霊を呼び覚ます。これはかなりのでかい戦争になることは間違いない。

 

 

 一人でも多くの戦力に参戦してもらいたかったため、出来れば親父にも出てほしかったのだが、流石に一か月とかそこらじゃ骨は治癒しなかった。

 

 自分の行動が自分の足を引っ張る最悪の形だ。

 

 もっと手加減をちゃんとして戦っておけばよかった。

 

 

 

 だが、もはや後悔している暇はない。

 ここから先はたとえ一分たりとも無駄には出来ないのだ。その一分が誰かを殺す。

 固形の栄養食を液状の栄養食で流し込み、戦闘用の服に着替えると母親と父親にこの戦場に参戦することを伝えた。

 

 親父たちも俺が行くであろうことは何となく察してくれていたらしく、予想に反してあっさりと参戦の許可を貰うことが出来た。ここで多少ごねるだろうと思っていたので嬉しい誤算だ。

 

 いつもお役目に行く際に使う車を一台借り受けると、屋敷内の使用人に運転者を依頼してそれに乗り込む。

 

 こういう時に自分がハンドルを握れないのは非常に不便だ。運転手をまさかお役目のど真ん中に連れていくわけにはいかないし、法定速度をガン無視した速度で走らせることもさせられる訳がない。行く場所も逐一指示しなければならないし、とっさの判断で道を変更するなどの小回りが利かなくなる。

 

 年齢の壁は非常に面倒臭いものだ。

 

 心の中で舌打ちを一つぶちかましながらも、俺は車を走らせるべき場所を思考する。

 

 

 カテゴリーBが現れたのは少なくとも4か所。観測班が間違えたことを俺は見たことがないので4つで間違いはないだろう。今のところは(・・・・・)

 

 その4つにも大小が存在する。北東に存在する特異点が一番大きく、南西に存在する特異点がその次に大きい。北西、南東に存在する特異点事態はその二つに比べて相対的に小さくなっている。絶対的な視点から見ればそれでも異常な大きさではあるが。

 

 その中で俺が行くべき場所はどこか。これは簡単だ。

 

 

「北東の特異点に向かってください」

 

 一番デカい所に決まっている。

 

 一番強大なところに腕のある退魔士は投入される。土宮家が投入される戦場は間違いなく北東の特異点だ。戦力バランスを考えた上で諌山黄泉は恐らく南西に投入されるだろう。

 

「え?坊ちゃん、確か坊ちゃんは南東の特異点が担当じゃあ……」

 

「その指示は無視します。確かに南東を担当するように指示は来てますが、俺はフリーですから自分の意思で判断して動きます。出してください」

 

「いやしかし、北東は異常なほどの特異点ですし、土宮殿が担当されるとの話も聞いています。そこにわざわざ坊ちゃんが出向かなくても大丈夫なのでは?」

 

「かもしれません。ですが、俺は北東に向かいます。金田さん、車を出してください」

 

「いや、しかし―――」

 

「―――出せ(・・)

 

 

 年上に対して命令をするなど言語道断だ。でも、金田さんには悪いがこんな下らん問答で貴重な時間を消費している余裕なんてない。お願いが聞き入れられないのならば命令をするまでだ。

 

「……は、はい」

 

 普段使用人に対して横暴な態度などとったことの無い俺がいきなり命令口調を使ったから驚いたのか、慌ててアクセルを踏む金田さん。うちの車はなかなか速度が出るので、加速の勢いでシートに押し付けられる。普段は絶対こんな運転をしない人だが、焦ったのだろう。

 

「特異点までできる限り飛ばしてください。有料道路を使った方がいい場合は当然小野寺で全額持ちますので迷わずに使ってください。お願いします」

 

 その指示に金田さんがうなずいたのを確認すると俺は携帯を手に取る。

 

 電話帳など参照しなくとも緊急事態に備えて電話番号の暗記は既に終わらせた。

 

 迷うことなくとある電話番号をダイヤルする。

 

 1コール、2コール。3コール目でお目当ての人物は電話に出た。

 

『―――はい』

 

「こんばんは諌山冥(・・・)さん。小野寺です。今お電話よろしいですか?」

 

 

 

 俺は、諌山冥に電話を掛けた。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

『小野寺凛?何故この番号を?』

 

 さも不思議そうに諌山冥は訪ねてくる。それも当たり前だろう。彼女は俺に連絡先を教えていない(・・・・・・・・・・・・・・・)のだから。

 

「そのことについてはお詫びします。勝手にプライベートな情報を得てしまい申し訳ございません。ただ、緊急で相談したいことがあるので今は不問に付してくれると助かります」

 

 この時代は携帯があまり広く浸透しておらず、中高生で持っているなどほんの一握りの時代だ。しかもまだ連絡網に電話番号を載せることが普通な、個人情報保護の概念があまり浸透していない時分なのだ。

 

 特に、あまりメディアに詳しくない世代の人間は特にその管理が甘い。そして個人情報の取り扱いは身内内のみしか閲覧しないような状況においてその甘さは極まる。

 

 だから分家会議の資料(・・・・・・・)に個人の連絡先を載せてしまったりするのだ。現代からすれば誰でも目を通せる所に置いてある出席者名簿に住所、電話番号、携帯電話番号を書いているなど言語道断であるが、ここら辺がやはり古き時代なのだろう。管理がゆるゆるだった。

 

 諌山冥の電話番号もそれで普通に手に入ってしまった。ちなみに諌山黄泉の連絡先もあったりする。

 

 分家会議にはそのためもあって参加したのだが、あっさり手に入りすぎて拍子抜けした。この方法が不可能だった場合直接諌山冥の固定電話にダイヤルして聞き出そうかとしていたのだが、そんな恥ずかしいことをせずに終わらせることが出来て助かった。ちなみに挨拶周りをしなかったのは電話番号を入手するためでもあったりする。親父との喧嘩で唯一得をした部分だ。

 

 

『……わかりました。今は問わないでおきましょう。それで、緊急の要件とは?』

 

「ご理解ありがとうございます。冥さん、今回の招集には応じますか?」

  

『ええ。北西の特異点を担当しろとの命ですのでそれに従おうと思います』

 

「そうですか。――-冥さん。無理を言っているのはわかっていますが、それ無視して北東に来てもらえないですか(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)?」

 

 これが、今回俺が考えた策の一つ。

 

 

 ―――諌山冥を、俺の戦力として駆り出す。

 

 

『……北東には土宮殿と他にも優秀な方々が参加なさると聞いています。我々が新たに参加する必要はないかと思いますが、理由をお聞かせ願えますか?』

 

 諌山冥のいう通りだ。正直、北東は誰が行かずとも問題ない。なぜならそこには土宮(・・)が居るからだ。俺が参加したら流石に強大な特異点といえど確実にオーバーキル。それなのに俺は諌山冥までも駆り出そうとしている。

 

 それはなぜか。それは、

 

「恐らく、北東付近にカテゴリーAが出現します」

 

 

 今回のこの異常事態。ほぼ間違いなく三途河が起こしたものと見て問題はない。あいつがカテゴリーBを呼び起こしたのだ。

 

 それじゃあこんな事をわざわざするその意図は何か。

 

 あいつの最大の行動動機は九尾を復活させて母親を蘇らせること、この一点に尽きる。そのためには九尾の力を引き継ぐ後継者の存在が不可欠であり、その後継者を探し出すために殺生石を皆にばらまいているのだ。

 

 つまりは今回の襲撃もその為だと考えられる。そしてその標的になるのが土宮舞、神楽の母親だ。神楽の母親を九尾の後継者候補として殺生石を与えようと目論んでいるのである。 

 

 そのためにはどうするか。簡単だ。土宮と1体1に近い状況で戦い、敗北させればいいのだ。諌山黄泉や諌山冥のように。

 

 戦場に、土宮なら確実に負けることはないが、それ以外の退魔士だと除霊が難しいレベルの怨霊を配置し、戦わせる。そしてある程度片付いた段階でその付近に三途河自ら登場すればいい。そうなれば土宮はすぐにでもそちらに急行しなければならないだろう。ほかの戦場にAクラスが乱入すれば壊滅待ったなしであるからだ。

 

 土宮がカテゴリーAの討伐に向かうとどうなるか。その戦場にはカテゴリーAには対応できないが、その戦場ならば食い止めることができるレベルの退魔士が残ることとなる。つまりは土宮だけをおびき寄せることができる。

 

「はっきり言って、冥さんを納得させられるような決定的な証拠はありません。ただ、信じてくれと言うしか」

 

 問題は諌山冥を納得させるような情報が存在しないこと。三途河が主犯だと俺が知っているのは何故かという話だし、そもそもそれをばらしても納得してくれるとは思えない。

 

 残念ながら、俺にはこの人を確実に動かす手段はないのだ。

 

 

『俄かには信じがたい話ですね。確かに私はフリーであり北西を担当しなければならない義務はありません。しかしながら貴方の推論は担当を依頼された北西を投げ出してまで北東に向かう理由にはなりません』 

 

「……そうですよね。無理を言ってるのは俺もわかってます」

 

 奥歯を噛み締める。こんなふざけたお願いで動いてくれるのは、それこそ絶対的な信頼をおいているような相手だけだろう。特に、理知的な相手であればあるほどそれは顕著だ。 

 

 ……分の悪い賭けだとわかってはいたがやはり動いてはくれないか。

 

 確実性は低くなるが、北東には俺一人で―――

 

 

 

 

 

『ただ、その仮説は北東に向かわない理由にも成り得ません』

 

 

「―――え?」

 

 

『残念ながらその仮説を全面的に信用をする訳にも行きませんが、北西部を片付け次第そちらへ向かう動機づけくらいにはなります。手早くこちらを片付けてそちらに向かいましょう』

 

 呆けている俺の耳に、相変わらず老成した、年の割には大人びた声がスピーカーを通して伝わってくる。

 

『なぜ貴方がその情報を知っているのかはわかりません。ですが、貴方の事は信じましょう。―――それでは。ご武運を』

 

 

 

 

 

 ツーツーと無機質な電子音が鳴り響く。

 

 諌山冥の協力を得て、思わず俺はガッツポーズを決めていた。諌山冥の協力を得れたのは大きい。可能性はかなり低いのではないかと予測していたが、これまたいい意味で予測が外れてくれた。

 

 これでまた、救済に近づいた。

 

 

「金田さん、もっと飛ばしてください」

 

 指示通りに踏み込まれるアクセル。

 

 さっき法定速度を無視して走らせることなどとかなんとか俺が言っていた気がするが気のせいだ。あまり対策室に借りは作りたくないのでやりたくはないが、いざとなれば環境省を通して警察に口を利いてもらえば済む。権力とは使うためにあるものだ。

 

 法定速度は余裕で超過しているため、風景がかなりの速度で流れていく。

 

―――条件は整った。

 

 あとは、俺が実行するだけだ。

 

 初めてのお勤めでもなかったほどに緊張しているのがわかる。

 

 焦るな、ビビるな。

 

 俺なら出来る。

 

 

 

―――やってやるさ。

 

 

 流れていく風景を見つめながら、俺はそう呟いた。

 

 




あまり話がすすまんなあw
あとまともに絡んでるのが冥だけな件について。
よろしければ評価とかいただけると幸いです。


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第8話 -神童の初陣-

※まあ当然ながら自己解釈多数ですよね。ここのシーン、原作で詳細に述べてくれないかね。そーしたら書きやすいのに。


 

 

 

 

 諌山冥との電話の後、しばらく車を走らせて北東のスポットへと到着した俺は、直接戦線には参戦せずに裏方に回って怨霊と戦いを繰り広げていた。

 

 カテゴリーBと戦闘を繰り広げる本隊をサポートすべく、低級の怨霊の息の根を刈り取っていたのだ。

 

 俺がこの戦場で意識すべきポイントは3つ。

 

 あまり消耗しないこと、三途河に見つからないこと、土宮さん達の危機に間に合うこと。

 

 消耗してしまって結局俺も殺されましたーなんて事態になったら本末転倒なんてレベルじゃない。俺の目的はこの戦場を支えるなんて些細な(・・・)事ではないのだ。

 

 土宮さん達の危機に間に合わないなんて事態も決して起こしてはならない。部隊の補助なんて微細な事に囚われて結局土宮舞を助けられませんでした、なんて結末を辿るのならここに俺がいる意味がない。そんな恥ずべき事態を生じさせるくらいならば何もせずに家で寝てたほうがましだ。

 

 また、三途河に目をつけられてしまっては俺の想定が崩れる。俺の実力を加味した上で土宮舞に殺生石を与える計画を立てられては困るのだ。

 

 正直これに関しては俺が「神童」なんて呼ばれている時点でちょっと不味いかもしれない。

 

 一般に強者と呼ばれる部類の人間はリサーチを決して怠らない。だからこそ強者であり、強者は強者たるのである。その調査の段階で俺の名前が引っかからないなんてことは無いだろう。

 

 俺が望むのは、俺の存在を考慮に入れてはいるが、それでも特別な対策を打ち出そうとするほどではないと三途河が考えている状況。

 

 まぁ正直特別目をつけられていたとしても戦略はフレキシブルに変えられる。俺に注目されるのはかなり不味いが、そうなったらそうなったで腹を括るしかない。

 

 だが、やはりそれでも俺の存在が三途河に意識されない事に越したことはないのだ。

 

 なので極力目立たないように、しかし確実に仲間への被害は出さないように気を配りながら怨霊を駆逐し、本隊の行動を支援する必要がある。

 

 見つかると持ち場を指示されたりとかで面倒なので、本隊にすら存在をばれないように森の中をうまく立ち回り、比較的面倒そうな雑魚を選んで除霊して回っていた。

 

 最初の方は全く問題なかった。 

 

 少数の敵を最小限の存在感と的確なタイミングで駆除するなんて、森での動きに慣れている俺にとっては容易い作業だったからだ。

 

 だが、

 

 

 

―――数が多くなってきた。

 

 

 

 目の前に現れたカテゴリーCを一刀両断しながら俺は思う。

 

 新たに目の前に登場する蛇のようなカテゴリーCを地面と垂直に振り下ろした刀で切り裂くと、返す刀で俺の右に存在した怨霊2体をまとめて薙ぎ払う。

 

 更に左手の刃でカテゴリーDの頭を跳ね飛ばすと、足に巻き付こうとしていたC級を踏み潰した。

 

 ここの一連の流れまで2秒も経っていない。その僅かな時間で4体以上の怨霊を屠っている。そして俺は先ほどからそれを結構長く、しかも連続で行っている。流石にちょくちょく休憩を挟んで退治しているとはいえ、俺が退治している数は結構なもんだ。それだというのに怨霊はちょろちょろと湧いてきて、本陣のほうに向かおうとしたり俺に襲い掛かってきたりする。

 

 内心で舌打ちをしつつも、カテゴリーD、つまりはゾンビの群れに突っ込むと霊力で両手に作り出した刃で回転しながらそいつらを切り裂いていく。ゾンビどもから漏れる断末魔のような声に気味の悪さを感じながらもその中心に近い地点で無双する。

 

 

「ああ、面倒くせぇ!」

 

 手に纏わせた霊力の刃で雑魚共の体を切り裂く。

 

 北東に合流して陰から怨霊を退治し初めて大体30分かそこら辺りから、次第に怨霊の数がおかしくなり始めた。

 

 現に今も俺がばれない様にかつ的確なフォローをしてやろうなんて甘っちょろい考えで処理しきれる量を軽く超えている。

 

 1匹たりとも逃がすものかとの心構えでフォローしているつもりだが、それでも実は結構な数殺し損ねて前線に送り出してしまっている始末。

 

 そろそろ俺1人の力では限界が近づいてきた。

 

 

 認めたくはないが、俺には特別な才能がない。

 

 才能に加えて、土宮神楽のように最強の霊獣を持っているわけでも、諌山黄泉のように霊獣が宿った宝刀を持っているわけでもない。

 

 転生したはいいものの俺にチート能力など全く付加されず、幼児期を効率的に使えるという事(これはこれで結構チートなのかもしれないが)ぐらいしか特典と呼べるものは存在しなかった。ちょっとは俺TUEEEEE!出来るような力があってもいいんじゃないかとは思ったのだが、現実とは残酷だ。前世でわかってたけどさ。

 

 だけど、俺にも唯一許された異能の力がある。

 

 それは小野寺に伝わる、霊力を物質化して使用する異能。

 

 俺はこれをもっぱら手に刃の形で纏わせることで使用している。応用が利くのがこの異能のメリットで、足に纏わせれば硬いものも蹴ることが出来るし、悪路で戦わなければならない時もこれを上手く使用すれば最高の足場を作り出して戦えたりするので、非常に便利な能力である。

 

 結構チート臭く感じるやも知れないが、俺はこれ以外に霊術を(才能的な問題で)使えないのと、いかんせんこの能力、乱紅蓮や白叡のような多対一で映える火力にはならないのだ。

 

 恐らくだが、零距離であるなら一撃で乱紅蓮だって沈められる火力はあるし、相手にもよるが、少数対一の接近戦なら応用の仕方ではイニシアチブを握ることも容易い。

 

 だが、今の状況のように雑魚多数VS俺一人みたいな状況では広範囲を一気にカバーできる能力ではないため、かなり苦戦せざるを得なくなる。小野寺のこの能力は近距離かつ少数を相手するのに最も適した能力なのである。

 

 広範囲での火力が俺にはない。だから、いくら雑魚で屠るのに一秒かからないような奴らでも数が増加されると対処しきれない。

 

 ちなみに親父の肋骨を壊したのはこの能力だ。コーティングした拳で殴ったらあっさり折れてしまった。

 

 

 

 ともあれ、四方八方を取り囲む雑魚共のせいで思ったような行動が出来なくなってしまってきていた。

 

 隠密かつ的確なフォローなんて楽観的過ぎる考えは10分以上前には塵と化している。

 

 まだ大丈夫だが、これ以上増加されると土宮舞を救出するのに手間取る可能性が高くなる。

 

 さっきも言ったが、俺には多対一の戦闘における殲滅力は殆どないのだ。白叡とかなら一瞬なんだろうが、俺だとかなり時間を要してしまう。

 

 

(これはもう、撤退すべきだな)

 

 

 正直。俺がこいつらを倒しつくさなければならない義理は無い。別にこいつらを逃したとしても現在カテゴリーBと戦闘を行っているのはそこそこの選りすぐりのメンバーたちだ。この程度のイレギュラーにはすぐ対応してくるだろう。

 

 カテゴリーCに属する雑魚共とはいえども、カテゴリーBと対峙している方々にこいつらを押し付けるのは心苦しいが……

 

 

―――多分、そろそろだ。

 

 

 また、カテゴリーCが増加してきた。確かにさっきまでも相当数存在したが、間違いなく増加している。

 

 広範囲の殲滅能力を持っていないとはいえ、こいつらの相手をしているのは一応神童だとかなんとかと噂されているガキだ。そして今襲い掛かってきているのはそんなガキが全く処理しきれなくなるほどの大群である。

 

 自分の力に自惚れているだけかもしれないし、俺の想定が甘いのかもしれない。

 

 それでも、これ以上の大群がお出ましになるとはとてもじゃないが考えにくい。この大群を俺と土宮が抜けた北東のメンバーが退治しきるのに一体どれだけかかるんだよって量だ。下手したら夜が明ける。

 

 

 

 目の前の一体をぶった切ると、俺に追いすがろうとする雑魚共は無視して森を駆け抜ける。

 

 喰霊-零-でも、特に大規模な被害が出たとは述べられていなかった。

 

 つまりそれはこの大群を俺抜きですべて壊滅させたということになる。

 

 もしかすると三途河が俺の存在込みで量を調節している可能性も否定しきれないが、カテゴリーC程度に後れを取るほど甘い部隊ではないだろう。

 

 

 それならもうこいつらを全部無視して、土宮さんがいる近くに合流した方が―――

 

 

 その時、ブルルルと携帯が軽快に震え始めた。

 

―――来た!

 

 俺の携帯は、携帯のバイブレーションの違いによって誰からメールが来たのかを把握するように設定を行っている。この携帯の震え方はパターン2、つまり霊力分布図の緊急的な配信だ。

 

 そこに映されていたのは俺の想定した通りの情報。

 

 カテゴリーAが、北東地域の更に北東(・・・・)に姿を現した。

 

「ビンゴだ!」 

 

 

 走る速度を上げる。目標地点へ向けて、全速力を出して駆けていく。

 

 俺は車が入れる限界の都合上、北東ブロックの南部分で雑魚を狩っていた。徐々に北上してはいたのだが、それでも雑魚に足を取られて思った通りに北上できていなかったのだ。

 

 だが、もう雑魚などどうでもいい。

 

 霊力を用いて足場を作り出し、俺が最適に走れるよう自分でアシストしながら爆走する。

 

 

「負傷者はいったん退け!」

 

「土宮殿が戻るまでここを死守するぞ!」

 

「カテゴリーCの大群が押し寄せてくるぞ!さっき指示した通りのフォーメーションに切り替えろ!」

 

 

 南部分から突っ切る都合上、どうしても途中で激戦区を通り過ぎなければならない。

 

 遠く前方の橋に見えるのは火車の後ろ姿。カテゴリーBの代表格とも言える怨霊にかなり苦戦しているようで、怪我人もちらほら見受けられる。

 

 普通なら回り道をして速度を優先するべきだが、生憎大河川に掛かるこの橋こそが最大の近道であり、ここを通るのが最短の道筋。

 

 それを橋の向こうのに渡らせまいと退魔士のメンバーが足止めしているようだ。聞こえた声からすると対岸より先に土宮さん達がいるということは確実だ。

 

 

 

 

「―――邪魔だ」

 

 

 火車に後ろから近づくと、その後ろ足をすれ違いざまに切り飛ばす。

 

 驚いたように声をあげ、倒れこむ火車と、何が起こったかわからず呆然としている部隊の脇を瞬速とも言える速度で走り抜ける。

 

「小野寺の息子!?」

 

「今あのチビ、火車をやったのか!?おい待て、どこへ行く!」

 

 

 後ろからかかる静止の声もシカトする。

 

 

―――こんな些末なことに時間を掛けてられない。

 

 

 走る。駆ける(はしる)翔ける(はしる)

 

 

 

 戦場は、目の前だ。

 

 

 

 




今回短めです。
たぶん次の話がかなり長くなりますね。
VS三途河、お楽しみに。

ぐたった文になってたので改稿しました。
友達が来る前の数時間で書き起こしたのでクオリティがさがってましたね。多少は良くなったかと。


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第9話 -そんなに急いで何処に行くんだい?-

 腹の底から、何かが上がってくる。

 

 恐らく、これは「不快」という感情なのだろう。

 

 

 

 土宮両親が居るであろう所まで走り続けていると、唐突に気分が悪くなり始めた。

 

 高熱が出ただとか、頭痛がするとかなどの行動に支障をきたすようなタイプの気分の悪さではなく、精神的な、ムカムカするなどといったような気分の悪さだ。

 

 胸糞悪いとでもいうのだろうか。

 

 それが、唐突に湧き上がってきたのだ。

 

 過去類を見ないほどには気色の悪いこの感情。とめどなく溢れながらも、しかし粘ついて俺から離れていかない。

 

 悪感情のゲルに心を浸されたかのような、そんな感覚。

 

 

 

 気持ち悪い。

 

 耐えられないほどでは当然ないが、吐く気なら、今すぐにでも吐けそうだ。

 

 酒を飲んだわけでも、ノロウイルスにやられているわけでもないのに、只々感情の良し悪しだけでここまでの吐き気が催されるのは初めてだ。

 

 これはなんだ?俺が三途河を恐れているという事なのだろうか?そんなに俺はあいつにビビッているということなのか?

 

 

 

 こみ上げる嘔吐感を堪えながら尚走る。

 

 本当になんなんだこの異物感は。

 

 正体不明の気持ち悪さってのが、一番気味が悪い。恐らくだが、この原因がわかればこの不快感は取り除かれる。

 

 

 

 ただ、精神的には不快ではあるのだが、さっきから殆ど敵がいないので肉体面では非常に快適だ。

 

 ついちょっと前の雑魚退治が嘘であるかのように敵がいない。先ほどまでの雑魚は俺が見ていた夢なのかと考えてしまうほどだ。 

 

 閑散としていて、物音もなくて、とても静かな空間が広がっている。

 

 あれだけのカテゴリーCをあっち側に配置したせいで、ここには配置しきれなかったということだろうか?

 

 まぁ流石にあれだけの怨霊をあっちに置いたのだ。こっち側は手薄になるのも仕方がないだろう。流石にあの雑魚も打ち止めになって―――

 

 

―――いや、ちょっと待て。

 

 

 あまりに思考が楽観的になりすぎている。

 

 楽観的どころの話ではない。もはやご都合主義のレベルだ。日和見主義と言っても過言ではない。

 

 自分が望む状況に、自分の仮説にとって有利な方向に、自分の思考を誘導してしまっている。

 

 こんな静寂、話をするのにピッタリじゃないか。

 

 

……俺が殺していたカテゴリーCはどんな奴らが多かった?

 

 俺の周りに、俺を狙って存在していたカテゴリーCはどんなのがいた?

 

 確か。いや、そんな曖昧な言葉を使わずとも鮮明に覚えている。

 

 

 それは、俺が殺していたカテゴリーCは、

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――そんなに急いで何処に行くんだい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青い蝶が舞う。

 

 美しい青と黒のコントラスト。

 

 喰霊-零-の絶望の象徴。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――蟲が殆どだったはずだ(・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「驚いたよ。まさか僕の蟲があそこまで簡単に倒されちゃうなんてさ。結構な数を配置したつもりだったんだけど、流石は神童ってところかい?」

 

 

 目の前の少年は不敵に笑う。

 

 男にしては長い白髪に、ワイシャツの上に羽織った赤いベスト。そして、その周りを舞う青と黒のコントラストが美しい大量の蝶。

 

 喰霊-零-最大の敵であり、ある意味ではこの物語の生みの親。

 

 三途河カズヒロ。

 

 あのすべての悲劇のトリガーたる存在。神楽の母を殺し、諌山冥を魔道に導き、諌山黄泉をカテゴリーAへと堕とした張本人にして全ての元凶。

 

 

 思わず息を飲む。

 

 土宮さん達ではなく、真っ先に俺を狙ってくるとは。

 

 

 

 

 見た目だけはぞっとするほどに美しい蝶を侍らせながら、不敵に木の幹に座ってこちらを見下ろす三途河。

 

 その光景だけならば夜の木々から漏れる月の光に照らされた幻想的な光景に、美少年が佇んで居るだけ。俺の目に移っているのは絵になる程の、ただただ美しい情景だろう。

 

 だが、俺を蝕む不快感は止まらない。むしろ、さっきよりも断然強くなっている。

 

 まるで悪感情という概念をヘドロにして俺の心にへばり付かせているみたいだ。

 

 動かない、いや動けないでいる俺を見下ろして、こいつ(三途河)は何を思っているのだろうか。

 

 

 一応、このパターンは考えてあった。俺とこいつが、一対一で向かい会うというシチュエーション。それを考えないほど、俺は愚かではないつもりだ。

 

 そして一応ここからの行動も考えてはある。

 

 だが、何故こいつはここに、俺の元に現れた?

 

 俺が邪魔だったから?俺の戦力が、土宮舞に殺生石を与えようとする行為の妨げになると考えたから?

 

 それなら次にこいつがやる行動は決まってる。俺を行動不能にしようと自らでかかってくるか、先ほどみたいに物量攻めを仕掛けてくるかのどちらかだ。

 

 情けない話ではあるが、前者なら逃げ回っていればいい。森での動きには自信があるから別動隊がこちらに駆けつけるまで逃げ切ってやる自信はある。それに多分そのうち諌山冥も合流するし、守ろうとしている相手を当てにするのも馬鹿げた話ではあるが、土宮の二人が合流すれば間違いなく形勢は逆転する。

 

 土宮舞を守りながらと言えども、三途河の能力を知っている人間が一人と、それ以外にも実力者が二人も居る状況では流石の三途河も撤退せざるを得ないだろう。

 

 それに後者だったとするならさっさと全部駆除するなりして土宮の二人に合流すればいい。出される量によっては辛いところがあるが、それでも何とかなる。

 

 

「そこまでやるなんて想像もつかなかったよ。もう少し配置しておけばよかったかな。―――いや、君にはどのみち無意味かな」

 

 とん、という軽い音を立てて地面に降り立ってくる三途河。

 

―――だが、俺の目の前に現れた理由がそれではなかったとしたら?

 

 俺の目の前に現れた理由が、俺が邪魔だからではないとしたら?

 

 

 

 俺と同じくらいの背丈に、俺と同じくらいの外見年齢。確か、13歳という設定だったはずだ。しかし殺生石による霊力補助と、原作を読んでもよく分かっていない巫蠱術と、黄泉を串刺しにした棒手裏剣のスキルは確かなものであり、その力は外見年齢と決して比例するわけではない。

 

 全くもって油断ができない相手だ。こいつと戦ってどうなるのか全く分からない。

 

 棒手裏剣はどうでもいいにせよ、巫蠱術と呼ばれる蟲を使う術式に関しては全くもって情報がない。

 

「―――それにしてもあっちを無視してこちら側に走ってくるなんて、もしかしてこの騒ぎの元凶である(カテゴリーA)を探しにきてくれたのかい?それとも―――」

 

 すっと片目にかかっていた髪を上げる。

 

 鈍いルビーのような。しかしそれよりも禍々しい色をしたそれ。

 

 殺生石。九尾の狐の魂の欠片。純粋な妖力の塊。

 

 三途河の目の代わりに埋め込まれているそれは、想像していたよりも遥かに恐ろしくて、何よりも不快で仕方がなかった(・・・・・・・・・・)

 

「―――この石(殺生石)をお探しなのかい?」

 

 それを見た瞬間、俺のこの得体のしれない気持ち悪さは頂点を極めた。

 

 これだ(・・・)この石だ(・・・・)

 

 さっきから俺に不快な思いをさせてくれていたのは、この石だ。三途河の目に埋まっている、その存在が俺をどうしようもなく不安にさせる。

 

 

 

「おや、驚かないのかい?もしかして元凶がこれで、僕がこれを持ってるって知ってたのかな?」

 

 

 

―――ああ。知ってるさ。知っているに決まっている。多分、一生忘れることなんてないだろうさ。

 

 それこそ例え、死んだとしても(・・・・・・・)

 

 

「僕はね、探しているんだ。この石を持つのにふさわしい存在を」

 

 

 三途河、なぜお前はここに現れた?

 

 俺が邪魔なら、単に雑魚で足止めでもするなり、不意打ちで攻撃を仕掛けてくるなり方法はいくらでもあったはずだ。

 

 それなのに、なぜ俺の目の前に現れた?

 

―――そんなの決まってる。

 

 こいつ自身も言ったように、こいつの行動原理は殺生石にふさわしい人間を探し出すことだ。 

 

 それを利用して、母親を生き返らせることだ。

 

 その為には殺生石を使うに値する憎悪と、欲望を持った人間を選ぶ必要がある。そして、それは正直誰でもいいのだ。

 

 そこから導き出される結論は一つ。彼女たちが候補者として確定していると思って、正直考えてもいなかったが、

 

 

「小野寺凛。果たして君はこれを持つにふさわしい存在かな?」

 

 

 

 

 

 

―――俺が、その担い手候補になったってことだ。

 

 










前回、「今回は長くなります」っていったな。
あれは嘘だ。
てかそもそも前回短くないし。むしろ長い分類だし。

まじめな話、多分次回が長いです。
話の長さも、更新までも←


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第10話 -VS 三途河-

遅くなりました。
PC復活したので投稿です。


 迫りくる蟲を切り伏せ、バックステップで大きく後退する。

 

 巫蠱術。それは蟲を操る秘術。

 

 

 目の前のガキ―とはいえ一応俺と同年代なのだが―はそれの使い手である。

 

 喰霊-零-においてはあまりそれを示す表現が成されておらず、原作を読むことでようやくこの少年が蟲使いである事を知る事ができる。

 

 蝶がその能力から来ている事を知っている人は恐らく少ないだろう。

 

 とはいえその事を知っていたからといって詳細な事が理解できるわけでもない。せいぜいこいつが蝶使いじゃなくて蟲使いなのだということがわかる程度だ。

 

 その中には三途河を乗せて空を飛べる蟲がいることや、切ると毒を放出する蟲がいることが描写されてはいるが、その他にどれだけいるのかとか、どんな能力があるかなどは窺い知ることが出来ない。

 

 要するに、三途河の実力が垣間見える程度で、それの詳細を把握できないのである。

 

 諌山黄泉の婚約者である飯綱紀之によると、かなり上位の霊力者であるとのことだが、喰霊-零-のころとは打って変わって言動に信憑性の持てない喰霊時代の彼の言であるため、信じていいのかどうか正直怪しい。ただ彼も彼でかなりの能力者であるはずなため、やはり三途河は上位に食い込む存在なのではないだろうか。

 

 飛んでくる棒手裏剣を何個か掴み取り、投げ返してから円を描くように移動する。

 

 今の良く掴み取れたな俺、なんて少々場違いな感情を抱きながらも、目線を決して三途河からは外さない。

 

 俺が投げた手裏剣を颯爽と避ける三途河。

 

 喰霊-零-において諫山黄泉や諫山冥を倒した実力は定かなのだろう。俺が評価するのもなんだが、的確に嫌なところに攻撃を配置してくる厭らしさはとても13歳とは思えない程だ。

 

 関係ないけど、黄泉の身体を殺生石で愛撫したのは忘れてないからな俺。

 

 殺生石をわざわざ口に咥えて黄泉の身体をなぞる必要はあったの?ないよね?

 

 そんなことを考えていると、顔面すれすれを飛んでいく棒手裏剣。

 

 っと、危ない。思考が変な方向にずれてしまっている。こんなことを考えてる状況じゃないんだった。

 

 お返しとばかりに霊力で練り上げた小刀を投擲する。三途河はさらっと木の陰に隠れてそれをやり過ごすと、お返しとばかりに死角から蛇のようなムカデのような蟲を放ってくる。

 

―――上手いな。

 

 右手に作り出した刀でそれを貫くと、刀身はそいつの身体に残したまま俺の手から刃を切り離し、再度新しいものを作成する。

 

 これは蟲を切った際に毒ガスが出てくるのを防ぐためにやっている行動だ。飯綱紀之は三途河戦において、蟲を切断した時の体液を身体に浴びて目をやられている。

 

 三途河との距離は3m弱。通常接近戦しかしない俺としては異例の戦法で、中距離以上のレンジが苦手な俺としてはこの距離を保ちながら戦うのはあまり得策ではない。相手にイニシアチブをとられてしまう可能性が高いからだ。

 

 だが、それでも俺はこの距離を保たざるを得ないのだ。

 

「へぇ、随分用心深いんだね。噂で聞くよりも随分大人しい戦法をとっているみたいだ。もっと勇猛果敢に攻めてくる印象だったんだけど、そんな及び腰でいいのかい?」

 

「……うるさいな。そんなに口を開いている暇があったら俺に有効打の一発でも入れてみたらどうだ、変態義眼野郎?」

 

 再度飛んでくる棒手裏剣を俺も木を盾にしながら回避する。こいつと戦うのが森の中という障害物の多い地点で非常に助かった。遠距離攻撃は天然の盾が楽に防いでくれる。敵の接近に気が付きにくいという難点もあるが、森に慣れている俺にとってはメリットの方が遥かに大きい。事実、本気をだしてはいないのだろうが、それでも三途河が若干攻めあぐねているのがわかる。

 

 それに、俺はある理由から極力こいつには触れたくないのだ。だから接近戦に持ち込むのなら手数を少なく、一撃一撃を致命的なものに絞りたい。

 

「おや、初めて口を開いてくれたと思ったら安い挑発かい?逃げ回って挑発なんて芸がないよ、小野寺凛」

 

「蟲使ってこそこそやってる野郎に言われたくはないね。そんな気持ち悪いもの使ってないで男なら正々堂々と自分の肉体を使って勝負挑んで来たらどうだ?」

 

「それこそ君が言えた義理じゃないんじゃないかな?こそこそ逃げながら戦ってるのはどっちだい?」

 

「黙れ国木田。お前は良家の令嬢を追いかけて北高にでも入学しやがれ」

 

 国木田?と不思議な顔でつぶやきながら首を傾げる三途河を尻目に俺は木々の間に紛れる。あいつがどうやって俺を補足しているのかは知らない。たぶん蟲とか使って俺を補足しているんだろうし、それなら正直撒きようがないが、もし視覚情報に頼って俺を補足しているのならば今ので俺を見失ったはずだ。

 

 木に足場を作って上へ駆け上がる。

 

 親父にハワイで、ではないが、親父に森での動き方や戦い方は嫌というほどに教わった。訓練はマジで大変だった。文字通り骨が折れるような訓練をしたことだってある。

 

 いかに三途河が強かろうが、地の利という点では負けるつもりはない。

 

  

「鬼ごっこの次はかくれんぼかい?テンプレート過ぎて本当に芸がないよ。君は―――」

 

 余裕の表情で俺を探していた三途河は、はっとした顔で後ろを振り向く。

 

 恐らく、その目に映るのは右手の刀を左腰の辺りで居合のように構えている俺の姿。俺の目に映るのは単純に驚愕している三途河の表情。

 

 これをできるのは一度きり。だから、ここで決める。

 

 居合抜き。俺は土宮神楽や諌山黄泉のような純粋な日本刀を使用している訳ではないため、鞘走りを利用した一撃をお見舞いできるわけではないのだが、それに近しいことは出来る。

 

 流石の反応速度というべきか、三途河は両手をもってしてガードに移ろうとする。

 

 俺の行動に気がついてから、その防御までの反応は賞賛すべきものだ。

 

 だが、遅い。

 

 殺す気で繰り出した一閃が三途河の顔面を切り裂く。

 

 カテゴリーBの足ですら両断する威力をもった斬撃よりも力を込めた一撃が、三途河の顔面へと降り注いだ。

 

 

 舞い散る血飛沫。

 

 気の弱い一般人がこれをみたら確実に気を失うであろう量のそれ。

 

 普通ならば致命傷クラスのその一撃。

 

 だが、

 

 

 

「―――糞が!」

 

 俺は急いでその場から飛び退いた。

 

 それの一瞬後にその場所を襲う攻撃力の高そうな多量の蟲。

 

 そして一瞬遅れて飛んでくる。棒手裏剣。蟲は躱せても棒手裏剣を回避するのは困難だった。

 

 左手の二の腕に突き刺さり、右の脇腹をそれは掠めていった。

 

 

 

 

 

 

 外した。見事に外してしまった。

 

 思わず感情を表に出してしまう。完全に失敗した。

 

 

「これは一本取られたな。見事だよ小野寺凛。何度も言った言葉かもしれないけど、まさかここまでだとは想像もしてなかった」

 

 顔面を抑えながらそう呟く三途河。

 

 普通なら顔面を抑えている手からはとめどなく血が溢れている筈だ。当然だ。俺の今の一撃は確実に骨まで断ち切ったのだから。

 

 だが、そんなことは微塵もない。

 

 それどころか、飛び散ったはずの血すらどこかに消えている。

 

―――糞が。

 

 再度、同じ言葉を今度は胸中で呟く。

 

 ふざけている。あの野郎、あのタイミングで躱しやがった。

 

 先ほどの俺の一撃は、あいつの顔面の殺生石を狙ったもの。

 

 それどころか殺生石ごと三途河の頭をぶった切るつもりだった。

 

 だが、躱された。

 

 せめて殺生石に当たって、それが砕けるか俺が回収できさえすればそれはそれでよかった。あとはそれを俺が持って逃げて、こいつを土宮さん達とフルボッコにすればいいのだから。

 

 だが、当たらなかった。直前でやつが首をひねったのだ。

 

 その結果俺の刃は三途河の左の頬骨と多少の前髪を切り落としただけに終わってしまった。

 

 普通なら、それは致命的な一撃といっていいのかもしれない。顔面の頬骨を切断されるような一撃を受けて平然としていられる奴なんかいるわけないし、そこから流れる血は膨大だ。必ず行動に支障が出る。

 

 だけど、こいつらは別なのだ。殺生石持ちは、普通の人間と同類として考えてはならない。

 

「もしかして今の一撃は殺生石を狙ったのかい?惜しかったね、あと一歩足りなかったみたいだ」

 

 そういいながら顔面から手を外す。そこにあったのは元の端正な顔立ち。そこには一切血の跡などなく、切ったはずの髪までもが修復されている。 

 

「君はこれのいい担い手になりそうだ。さっきは芸がないなんていったけど、その人を傷つける事に迷いのない精神に、その実力。これを扱うに十分だ」

 

 そういって三途河は不敵に笑う。嗤う。

 

「だけど、まだこれを扱うには早いみたいだ。君には憎悪が足りない。今ので分かったけど、君にはこの石に対する嫌悪はあっても、この世の何かに対する憎悪や明確な欲望がない。やっぱりまだ子供だからなのかな、これを扱うに値する技量はあってもそれを扱うエネルギーが足りない」

 

 

 青い蝶が舞う。 

 

「だから残念だけどまだこれは君には渡せない。君がもっと自分の欲望を育てて、本当の憎しみに気が付いたとき、僕はこれを君に渡そう」

 

 ひらひらと三途河に撒き付いていく青い蝶。

 

 蝶は喰霊-零-において絶望の象徴だった。それが現れるときは必ず誰かが不幸になる。必ずそこには三途河が現れる。

 

 つまり、今こいつは、

 

「てめぇ、逃げんのか!」

 

「逃げるなんて心外だな。ただ僕と君は今会うべき時ではなかった、それだけのことだよ」

 

「訳わかんねえ臭いセリフ吐いてんじゃねえよ!」

 

 二の腕に突き刺さった棒手裏剣を投げつける。青い蝶の出現と共にこいつは現れて消えていく。

 

 つまりこいつは今この場から離れるつもりだ。

 

 逃がすわけにはいかない。

 

 棒手裏剣は蟲で防がれた。痛みを主張する脇腹や二の腕を精神力で諫め、俺は全力で走り出す。

 

 先ほどの後退でかなり距離をとってしまった。10m以上は離れてしまっただろう。

 

「君が憎しみをその身に背負ったとき、また僕は来ることにするよ。どんなことをすれば君は憎しみを背負ってくれるかな?」

 

 迫りくる蟲をなぎ倒す。返り血に毒を含む蟲がいるかもしれないので、刃をつぶした刀で殴打しながら三途河への距離を縮める。

 

 5m、4m、3m。距離が縮まっていく。

 

「この戦場にいる人間にこれを渡してみようか。君は何もできずに、その人間はこの石(殺生石)に呑まれる」

 

「―――三途河ァァァァァ!!!!!」

 

 

 

 

 左の刃で三途河を切り裂く。

 

 だが、返ってきた手ごたえは空気の抵抗と、数匹の羽虫が切れる感覚だけ。

 

 そこに居たはずの三途河はいつの間にか消え去り、残ったのは人型の蝶の群れだけだった。

 

 

 

「君は守れなかった。君ならば守れたはずなのに、さっき僕を殺せなかったせいで誰かが犠牲になってしまった。こんなシナリオはどうだろう?君はどんな感情に染まってくれるかな」

 

 サラウンド的に、どこからか声が響く。

 

 幻想的に蝶が空へと上がって行く。それはつまり、俺は三途河に逃げられたということ。

 

「待てよ!まだてめぇを殺してねえぞ!」

 

「殺すと言われて待つ人間も珍しいんじゃないかい?それにさっき言っただろう、僕は逃げるんじゃないさ」

 

 どこから音が響いているのか。

 

 そして、あいつはどうやって蝶に化けて逃げたのか。

 

 喰霊-零-でも土宮雅楽に独鈷を投げられたときに同じ逃げ方をしていた。あの時も今回も、そんな時間はなかったはずなのに。

 

「――さっきの一撃は貸しにしておくよ。いつか利子をつけて返して貰おうかな。その時を楽しみにしているよ」

 

 

 そう残して、三途河は完全にこの付近から姿を消した。

 

 間違いない。少なくともこの場からは消失した。

 

 なぜわかるか。それは、戦闘中もずっと付随していたあの感覚がさっぱり消え去ったから。原因がわかったために多少すっきりしてはいたが、それでもやはり不気味だったそれが完全に消え去ったのだ。

 

「ちっくしょう!!」

 

 思い切り木を殴りつける。

 

 殺す気はあった。いや、むしろ防戦に出るつもりは正直あまり無かった。

 

 あそこでとるべきだったベストの戦略は土宮家、もしくは諌山黄泉の合流を待つまで耐えきることではあるが、俺が狙われていた以上、攻めに出てもあまり問題はなかった。

 

 結局は俺が殺されなければいいわけであるし、攻めに出ていれば俺にだけ意識を割いてくれる。俺を狙っているというのならば尚更だ。ほかの存在に気をとられる理由が薄くなる。

 

 だが、攻めに出るのなら極力攻撃を受けずに、一太刀で決めなければならなかった。

 

 諌山冥戦で、あいつは他人の欲望を見透かす能力を持っていた。

 

 多分その条件は蝶に触れるか、あいつに直接触れられること。だから極力接近はしたくなかった。

 

 もしかして俺がそれに適切じゃないとか言われたら、援軍が来る前に殺される可能性があると踏んだからである。

 

―――殺そうとしてくれた方が、どれだけマシだったことか。

 

 ガサリと、木の葉に何かが触れる音がする。

 

 それは蟲が俺を包囲する音。

 

「……最悪だ。攻撃をもらった上に逃げられて、尚且つここから動けないだって?」

 

―――最低だ。最低の結果だ。

 

 今なら、三途河も俺に殺生石がまだ早いなんて言わないのではないのだろうか。

 

 そこに見えるのは先ほど戦ったよりも少ないが、それでも異常な量の蟲たち。

 

 恐らく三途河の蟲もいるだろうが、殺生石に惹かれて野生の怨霊も混ざってきたのだろう。

 

 30分。いや、もっとか?

 

 これを処理しきるのに俺の力でかかる時間。早めに見積もってこんなもんだろう。

 

 

 ifにはなんの意味もないが、もし俺に与えられた特典が喰霊白叡だったのなら。

 

 こんな雑魚共、片付けるのに数分とかからなかったのに。

 

 歴史にも、現実世界にもifは存在しないが、もし俺に広域殲滅型の能力が与えられていたのなら。

 

 この状況を覆すのに、なんの障害も無かったのに。

 

 

 俺は失敗した。脇腹の傷はあまり深くないが、二の腕の傷は決して浅くない。

 

 それに体力もかなり消耗している。

 

 これでは三途河と戦りあう前のようなパフォーマンスは出来そうにない。

 

 ただでさえ頭で思う動きに身体がついてきていないのだ。それに加えてケガをしている?

 

 馬鹿か。不可能に決まっている。

 

 

 きっと。ガキが調子に乗った結果なのだろう。

 

 自分が持つ物以上の幸福を望んで、自分がしてきた努力以上のことを望んで。

 

 何が「君には憎悪がない」だよ。

 

 何が「君には明確な欲望がない」だよ。

 

 

―――あるじゃないか。こんなに明確な欲望が。喰霊-零-を壊した、お前(三途河)に対する憎しみが。

 

 

 空を舞うタイプのカテゴリーCが俺にタックルをかましてきた。

 

 なんてことのないその攻撃だが、俺は躱しきれずに尻餅をついてしまった。

 

「しまっ!!」

 

 木の幹に強かに打ち付けられる。

 

 肺の空気が逆流し、一瞬息ができなくなってしまう。

 

  

 身構えていなかったためになかなかダメージが通ってしまった。

 

 一瞬ぼやける視界。

 

 そして、戦場において一瞬とは無限に等しい。

 

 逆説的な話だが、その一瞬を制したものが、相手の隙という一瞬の無限を得る。

 

 その瞬間は確かに刹那ではあるが、その刹那を求めて、その一瞬のために技を繰り出す戦場においてはその一瞬の長さは無限と同義なのだ。

 

 その間はなんの抵抗すらなくこちらには無数の行動の選択肢がある。

 

 それに対して相手には殆どなんの選択肢もない。とれるとしても苦し紛れの回避か、なけなしの行動だけだ。

 

 

 今この瞬間、その相手(・・)というのは俺だった。

 

 

 カテゴリーCは好機とばかりにその鋭利な牙を俺に晒しながら飛びついてくる。

 

 そしてその相手(・・)に出来るのは些細な抵抗のみ。

 

 

 その刹那の間に、俺は何とか刃を構える。

 

 だが引き伸ばされたその一瞬の中で俺は悟る。遅い。遅すぎる。

 

 この一撃では、こいつ(カテゴリーC)の一撃を完璧に防げない。

 

 

 

 

―――戦場における一瞬とは悠久だ。

 

 

 

 

 その中で俺たちは自分の敗北と勝利を確信し、その瞬間を予見し、経験する。

 

―――畜生。

 

 俺は自分の敗北を確信する。

 

 俺はこんな何でもないようなカテゴリーCに殺されて死ぬのだ。 

 

 そして予見する。

 

 あの大したことのない牙で、この一生を噛み砕かれるのだ。

 

 そして経験する。

 

 その一撃を、俺の生が儚く消えゆくその瞬間を―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――遅くなりました」

 

 

 サンッと不思議な音を立ててカテゴリーCは斬り裂かれる。

 

 圧倒的に鋭利な刃物で、流れるような華麗さで一瞬にして切り裂かれる。

 

 

 

 

 

 

―――戦場における一瞬とは永遠だ。

 

 

 

 俺は生涯その光景を忘れることは無いだろう。

 

 桜色の着物に、紺の袴。

 

 そして、暗闇に映える、輝く銀の髪。

 

 美麗な銀が、周りの魑魅魍魎を薙ぎ払っていく。

 

 美しかった。ただただ美麗で、優雅だった。

 

 

 

 

 

「これは貸しにしておきます。さあ、お立ちなさい小野寺凛。貴方はこのような所で倒れるような男ではないでしょう?」

 

 そういって手を差し出してくる。

 

 担当箇所の殲滅は終わったのだろうか。

 

 

「……ええ。でっかくツケといてください。倍なんてもんじゃないくらいにしてお返ししますよ」

 

 今日はよく借りを作ってしまう日だ。一日で2人に借りを作ってしまった。

 

 俺は差し出された手を取って立ち上がる。

 

「ありがとうございます。ここに来てくれたことも含めれば借り2つですかね?」

 

「ええ。それを倍にして返してくれるのでしょう?」

 

「それ以上で、お返ししますよ」

 

 

 暗闇にも映える銀の髪を持つ美少女。

 

 仕込み傘ともなっている薙刀を自由自在に操るフリーの退魔士。

 

 

 

 

 

「―――諌山冥さん」

 

 

 

 諌山冥が、そこにはいた。

 

 

 

 



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第11話 -共闘-

 凄い。そんな幼稚な感想しか出てこない程度に、俺は感動していた。

 

 斬撃が舞うのに合わせて、カテゴリーCが次々に切り刻まれていく。

 

 舞う銀。それにつられる様にして舞う俺の刃。

 

 俺の刃が舞踏を終えると、出来た隙をカバーするように冥がその薙刀を空へと奔らせる。

 

 凄い。

 

小学生並の感想で申し訳ないが、再度思う。

 

俺の語彙力ではこの状況を表す単語がこれ以外に見つからないのだ。

 

 

 

 立ち回りの最中に冥と視線が交差する。

 

その目が何を主張しているのかは分かりかねるが、その目線と手に持つ獲物の角度から判断して首を倒す。

 

 するとそこに寸分の狂いもなく薙刀が突き出され、俺の背後にいたカテゴリーCを討伐していく。

 

 俺も最小の動きで冥の後ろへと回り込むと、その背後を狙っていたカテゴリーCを薙ぎ払い、冥と背中合わせの形となる。

 

これの繰り返しだ。

 

 この連携には寸分の隙も無い。

 

 一旦両者共に背中合わせの形となると、同じタイミングでそこから飛び出し、群れを切り払いはじめ、どちらかが囲まれたタイミングでどちらかが駆けつけて再び背中合わせの形となる。

 

 2人いることにより出来る、180度の壁を克服した戦法。

 

 人間の限界である180度を超えた、半円型ではない円型の殺傷範囲。

 

 

 

 まさか、実力のある人間との共闘が、ここまで効率のいいものだったとは。

 

 背後のカバーを完全に任せることが出来る人間がいることで、自分が気を配らなければならない範囲がかなり削減され、殆ど前方のみに意識を傾けることが出来るようになるのだ。

 

 そのため、今まで出来なかった攻め方が可能となり、攻めの効率が格段に上昇する。

 

 2倍ではなく、その効率は2乗。

 

 乗数的な伸び方ではなく、その効率は指数関数的に爆発していく。

 

 

 これならば、こいつらを片付けるのに10分とかからないのではないかとまで思う。

 

いや、実際10分かかる事は無いだろう。このペースならもっと早く片付く可能性が高い。

 

 

 こうやって1度連携を体験してみると、今まで他人との共闘を避けてきたことが勿体ないことだったのかもしれないと思えてくる。

 

 流石に冥程の実力者とはいかずとも、それなりに出来る人間数人と俺で組んでいれば、もっと効率よく狩れた怨霊もいたのかもしれない。

 

 後ろを任せることが出来る。

 

 流石に冥クラスの存在に後ろを任せる機会はそうそう無いが、それがどれだけ効率の良くて、安心できるものなのか。それを今日初めて知った。

 

「まだまだ粗削りですが、流石ですね。私に合わせられることも含めてとても中学1年生の動きとは思えません」

 

「ありがとうございます。でもこっちのセリフですよ、それ。まさか俺に初見から合わせられる人が居るなんて思ってもいなかった」

 

 再び背中合わせの形となりながら軽口の応酬を行う。

 

 ちなみにこれは本心だ。俺の動きは多分かなりトリッキーなのでこうまで俺が動きやすいようにフォローしてくれるとは思ってもみなかった。

 

 それに正直息が切れてきた俺としては度々こうやって小休憩を挟んでくれるのはありがたい。

 

 三途河戦は俺が思っていた以上に精神と身体に負担がかかっていたようで、想定よりも遥かに消耗が激しかったのだ。

 

自分がここまで疲弊しているとは気づいていなかった。

 

これでは奴を倒す前に自分の意識外で体力切れを起こすことも有り得そうで怖い。

 

 

「確かにその小回りが良く利く身体に特化した体術に合わせるのは少々骨が折れますね」

 

「ちょ、それ遠回しにチビって言ってますよね?」

 

 確かに俺、貴女より身長10cm以上低いけれども。140cmプラスアルファしかまだないけれども。確かに同年代に比べていささか以上に小さいかもだけどまだ中1だし、伸び幅なんて無限に存在している筈だ。

 

 

 くすっと笑う冥。

 

 ……この微笑とか、この連携の気の利き方とかを見ていると、とてもダークサイドに堕ちた人間には見えないんだけどな。

 

 ほんと、ただ魅力的な人なだけである。

 

「それでは参りましょうか。思ったよりも効率よく狩れているので、狩りきるまでそれほど時間はかからないでしょう」

 

「そうですね。こいつらさっさと枯らしてあのバカ殺しに行かないと」

 

「あのバカ?……先ほどまでここで戦っていた特異点らしき妖力のことですか?」

 

「ええ。殺生石もってやがりますので間違っても埋め込まれたりしないでくださいね。俺、貴女を殺したくはないので」

 

 そう言って俺は駆け出す。 

 

 殺生石、と驚いた様子で呟く冥。だが今はそれに気を配っている場合ではないと判断したのか、それについて俺に疑問を投げかけることなく、敵の殲滅に向かった。

 

 

 

 その後、5分ほどかけて殆どのカテゴリーCを討伐した。

 

 何体討伐したかなど覚えていない。

 

 どちらかというと冥との共闘を如何に効率よくするかずっと思考しながら討伐をしており、敵を切るというより冥に合わせることをメインに戦っていたので、数など意識していなかった。

 

 ただただとんでもない数を討伐していることだけは覚えている。

 

 周りに築かれるのはカテゴリーCの死体の山。

 

 

 これを一言で表すのならば死屍累々という四字熟語が最も適切なのだろう。

 

 息切れを隠せず、膝に手をついて呼吸を整えてしまう。

 

 流石にそろそろ体力が辛い。スタート地点の討伐から始まって、そのあとのマラソンに三途河戦、そしてこれだ。

 

 これで息切れ一つせずに立っていられるような奴は化物だ。

 

相対的に見ればこの年でこの体力量は異常かもしれないが、少なくとも絶対的に見て化物ではない。

 

 近くで残党がいないかを確認している冥は息切れなどしていないように見える。

 

多分俺とは純粋な運動量が違うからだろう。

 

もし俺と同じ運動量に、この出血を加えたなら話はかなり変わってくるだろう。多分。

 

「終わったようですね。お怪我は?」

 

確認をし終え、諫山冥が近づいてくる。

 

その言葉を聞いて、改めて自分を見返す。戦闘中はアドレナリンが出ていて気づけないことが多々あるが、終わってみると存外酷い怪我をしていたなんて事象は案外あるものだ。

 

痛みを訴える箇所は2つ。

 

左腕と右の脇腹だ。つまり三途河にやられた傷だけ。それ以外にはそれといった傷は見当たらない。

 

「見ての通りカテゴリーAにやられたケガだけですよ。まだ消毒とかはしてないですけど、止血は済んでます」

 

 小野寺の能力を使えば止血も出来るのだ。患部に直接霊力を巻き付けて止血することで直接圧迫が可能になる。

 

 こういった応用力を見ても非常に優れた能力であり、なかなかチート臭いところはあるのだが、残念ながらそうは問屋が卸さないのがこの世の中である。

 

 この能力、霊力を固体として外界に放出することが出来るのだが、選べるのはその形状だけであり、硬度は選ぶことが出来ない。

 

 この能力の熟練度により硬度を変化させるなどの応用が利くには利くのだが、硬度を鉄からダイアモンドレベルに変化させるとかその程度の柔軟性しか持っていないため、何かやわらかい物質が必要な場合はまったく不要の産物となる。

 

 止血で使うものといえばガーゼに包帯辺りが鉄則ではあるが、そんな便利なものこの能力では作り出せない。

 

 止血をするときは、鉄の硬度を持つ不思議な物体で身体を巻き付けるようにして押さえつけるくらいしかできないのだ。

 

 霊力を巻き付ける形で二の腕の止血を行っているが、ぶっちゃけこれは腕にフィットした鋼鉄の輪っかを無理やり外部からつけるようなものであるので、非常に痛い。

 

 キツキツの鉄の輪っかをつけた状態で動き回るとどうなるかご存知だろうか?下手をしたら皮がずりむける。

 

 流石に純粋なそれではないのでそこまでではないが、これだけの運動量を重ねるとやはり止血のためのそれが痛みを訴える要因となるのは避けられない。

 

 とはいえこの痛みを我慢せずに出血の多さで動きが鈍ってしまい結果殺されました、なんてことにならないように一応止血はしてる。けっこー痛いけど。

 

「止血……その黄色い腕輪が……。包帯はお持ちではないんですか?」

 

「そんな高尚なもの持ち合わせてないですね、残念ながら。正直いつも”一撃も貰わない”つもりでここ(戦場)に来てるので持ち歩かないことにしてるんですよ。それにこの能力もありますし」

 

 こんこん、と二度輪っかをたたく。

 

「さて。ゆっくりしている時間はあんまないですし、そろそろ行きますか。カテゴリーAが本隊なんかと合流されたら厄介なことになりますし。できれば冥さんには―――」

 

「お待ちください。その傷、消毒はまだなのですね?」

 

 そろそろ土宮舞と三途河が合流していてもおかしくはない時間である。急がないと危ないのだが、なぜか冥さんに行動を止められた。

 

「その止血を解いていただけますか?そんな応急処置では出せる力も出せません」

 

 ?となりながらも言われるがままに止血を解く俺。

 

 すると失礼、と前置きしつつ華麗に薙刀を振るう冥さん。サン、という軽快な斬撃音が響いて薙刀が振るわれる。ちょ、姉さま?

 

突然薙刀をふるわれたので、正直結構ビビってしまった。

 

 反射的に避けようとするが、流石にここでいきなり害を加えてくるとは考えにくいのでその一閃を見送る。

 

流石に「止血です」とか言って腕を切り落とされるなんてことは無いだろう。

 

つかその場合寧ろ出血増えるし。

 

 すると見事にパサリと切れる俺の二の腕部分の服。彼女は俺の服だけを薙刀で切り裂いたらしい。

 

 文章にすると簡単に聞こえるが、実際にこれをやろうとしたら意味が分からないほどの技術が必要となる。

 

 包丁を考えてみるといい。あんな短い刃物で、あんなに対象との距離が近い刃物であっても我々は頻繁に手を切る。それを薙刀なんて対象との距離が掴みにくい得物で皮膚を切らずに服だけを切り裂くのだ。それがどれだけの難易度かなんて想像に難くないだろう。感心する技術力だ。

 

 

 俺の袖が切れたのを確認すると、冥さんはその切れた部分に両手をかけて俺の袖部分を引きちぎった。

 

「!?」

 

 思わず驚愕の表情を浮かべる俺。

 

さっきから驚きっぱなしだが、仕方無いだろう。

 

ちょ、大胆ですねお姉さま。

 

 治療の為とはわかっていながらも、ぶっちゃけ少々ドキドキしてしまう。

 

 こんな俺を批判する奴は恐らく、いや、絶対にいないと断言する。多分いるとしたらそれは女だけだ。

 

 こんな美人にこんなにも大胆な治療をされて喜ばない男などいるものか、いや、いない(反語)

 

 

 

 

 だがまじめな話、俺はかなり今驚いていた。

 

 連携の件もそうだが、この人がこれほど他人に気を使える人間だと想像もしていなかったからだ。

 

 ますますこの人が堕ちることが現実味を欠いてきた。この人を、あの糞石(・・・・)は堕とすのか。

 

 

 

「……腱は外れているようですが、なかなか酷い傷ですね。痛みます。我慢してください」

 

 驚いている俺を尻目に、ガーゼに消毒液を含ませ、それを傷口に当てる冥さん。

 

 とんでもない激痛が傷口を襲う。

 

 棒手裏剣でぶっ刺された時はアドレナリンが大量放出されていたし、綺麗に刺さったからか激痛ではあったものの耐えられないほどの痛みを感じたという訳ではなかった。

 

 だが今は気分が沈静化している。それに加えてここ一年は殆どケガなどする機会に恵まれず、痛みに対する耐性など消え去ってしまっていたために思わず悲鳴を上げそうになる。

 

 痛い。単純にかなり痛い。

 

 腕の治療を驚くべき速度で終えた冥さんが、俺の服を捲って脇腹の治療もしてくれているという普通なら俺得な状況であるにも関わらず、そんなことを意識することが出来ない程度には激痛だった。

 

「……こういうのも失礼かもしれませんが、安心しました。貴方でも年相応の顔をなさるのですね」

 

 俺の苦痛にゆがむ顔を見ながら、膝立ちで俺にそういう冥さん。腹に関しても俺が激痛に耐えている間に殆ど終わりかけている。本日何回目の驚きか知らないが、またしても驚くべき技術だ。

 

「貴方と話していると自分と同年代以上の人と話している感覚に囚われてしまう時があります。なので、安心しました。……さて、終了しました」

 

 いや、年相応の顔って。むしろ俺の場合は年不相応の顔の方が年相応の顔なわけであって、むしろ年相応の顔してたらそれは年不相応の顔っていうか……。

 

 なんとも気恥ずかしい。薄まってきた激痛を、今度は気恥ずかしさが上回ってきた。

 

「……年相応って、貴女もまだ中学生じゃないですか。それはともあれありがとうございます、さっきよりも大分動きやすいです」

 

 なんとなく一発お返ししておく。

 

 ……年相応とか言われてしまった理由が自分で分かってしまったかもしれない。

 

「それはよかったです。これからの行動に支障があってはなりませんから。このことに注意して次回からは応急処置の道具くらいは持ち歩くよう心掛けるとよろしいかと」

 

 俺の手当てを終えた冥さんは薙刀を手に取ると、黄泉に戦い方の批判をした時と同じような口調でそう言う。

 

 ……確かにいままで一発も親父とか以外からは貰ったことがなかったが、これからは必要になるかもしれない。

 

 先人の言うことは聞いておこう。人生的には俺が先輩だが、退魔士としてのキャリアはあっちが遥かに上なのだから。

 

 次回から簡易の緊急セットくらいは持ち歩いておこう。そんなことを思っていると、さらに声がかかった。 

 

「あと、私は中学生ではありませんよ」

 

「へ?」

 

 思わず耳を疑う。

 

 あれ?公式設定ではこの人は喰霊-零-時点で18歳だったはずだ。

 

 つまり今は15。

 

 ちょうど中学3年生の筈だが……。

 

 そこで一つの可能性に思い至る。それは、

 

「私は早生まれなのです」

 

 早生まれで18歳。

 

 喰霊-零-時点でフリー。なるほど、そーゆーことか。

 

 つまりはもうあの時点で彼女は高校を卒業していたということか。道理で公式サイトにもJKの表記がなかったわけだ。もうあの時点でアルバイトのようなものではなく退魔士として活動していたということか。

 

「……なるほど。結構年離れてたんですね俺ら」

 

 実際の年齢と、学校の年齢とは実は乖離が激しい。

 

 単純な年齢差は2歳ではあるが、実質の年齢差は3歳。子供の1年とは大人の一年と比べ物にならない程度にはでかいものである。

 

 意外な事実に驚きつつも、俺は思考を切り替えていく。

 

 さて、おふざけの時間はここまでだ。

 

 

「冥さん。至れり尽くせりで色々して貰っておいて申し訳ないんですが、更に2つお願いがあります」

 

 先ほどとは打って変わって真剣な表情をして冥に向き直る。

 

 この人が来てくれたのは非常にありがたい。

 

 正直途中から来ることを計算に入れ忘れていたほどだ。

 

 だが、それでもやはり懸念事項とは存在するものである。

 

 絶対なんてことはこの世の中になかなか存在しない。今回においても、この戦力で失敗することなど往々にしてあるのだ。

 

「一つはカテゴリーAを追って欲しいこと。俺にけがを負わせたそいつが今回のこの事件の主犯です。そいつを片付ければ今回のこの騒動は解決します」

 

 それどころかもし三途河を討伐することに成功した場合、あの悲劇が起こらなくなる可能性が高い。玉藻御前、つまりは一代前の九尾の使い手の影響により、思わぬところで綻びが出てしまう可能性も存在するが、それでもあの悲劇だけは起こらない。

 

「そしてもう1つは、カテゴリーAと出くわしたとしても決して戦わないでください(・・・・・・・・・・・・)。撤退して俺に即座に連絡を入れて貰えると助かります」

 

 この人が来てくれたことは非常に嬉しい。だが、既にこの人の内面にはドス黒い憎悪の波が渦巻いているだろう。

 

 それを、あのバカ(三途河)に付け狙われてはたまったもんではない。

 

 それこそ予期せぬ原作崩壊が起こってしまう。

 

 

「これだけして貰って更にお願いするのが無粋なのは分かっています。それでも尚お願いしたい。どうか、俺の指示に従って貰えないでしょうか?」

 

 根拠もないお願いを聞いてもらって、命を救ってもらって、手当てまでして貰って尚お願いをしようというのだ。恩知らずと言われても仕方がない程だ。

 

 でも、これがこの人を救う方法でもあるのだ。

 

 俺が居れば守れる。自惚れではなく、あいつの戦法を一番知っているのが俺だからだ。

 

 その赤い瞳でじっと俺を見返す冥さん。

 

 何を思考しているのだろうか。もしかしたら俺が間者の可能性も考慮に入れているのかもしれない。俺だったらそうするかもしれない。自分をこいつはおびき寄せ、何かに利用するつもりだと。

 

 だが、そんなつもりは毛頭ない。

 

 気圧されてしまいそうなその眼光に真正面から向き合う。

 

 原作知識を知っているからなんてより馬鹿げた事を言うことなど出来やしない。一番確度のある情報が、一番確度の無い情報になるとはなんて皮肉だろうか。

 

 ただ、俺は彼女に信じてもらうしかないのだ。

 

 

「……わかりました。1度貴方を信用してこちらまでやってきたのですから、最後まで信用いたしましょう」

 

 そう言って冥さんは踵を返す。

 

 恐らく彼女なりの何かしらの推論があったのだろう。

 

 その結果俺が信じて貰えたのか、それとも信じたと言っているだけなのかは分からない。

 

 だが不思議にも俺には確証があった。この人はプライド的にそんな嘘はつかないだろうと。

 

「本当に、何から何までありがとうございます。奴は棒手裏剣と巫蠱術の使い手です。殺生石にも気を配ってくださいね。この借りは、必ず」

 

「ええ、楽しみにしております。それではご武運を」

 

  

 それだけ残すと、高校生女子が出すとは思えない速度で森へ冥さんは消えていく。

 

 

 

―――本当に、堕としたくないな。

 

 

 正直、黄泉と神楽を救うことが第一であり、この人の救済は二の次に考えていた所がある。

 

 この人が救済されることではなく、あの姉妹が救済されることが俺の望みだったからだ。

 

 だが、一つまた願望が加わってしまった。

 

 この人も救いたい。

 

 この身に余る、大きすぎる願いなのかもしれない。

 

 大きすぎる欲望はその身を亡ぼすとはよく言われることである。

 

 全てを望むなど、ガキのやることだ。

 

 大人は現実との軋轢を考えて選択をせざるを得ない。

 

 でも、今の俺はガキだ。

 

 とある作品ではガキには無限の可能性が宿っていると述べられていたこともある。

 

 

「よかったな三途河。俺はどうやら殺生石にふさわしいらしいぞ」

 

 

 矮小な自分の無限の可能性とやらに掛け金を全部懸けて最高のリターンを得る。

 

 そんな馬鹿げた欲望を抱く卑小な人間こそ、古来悪魔が食い物にしてきた典型的な存在だろう。

 

 

 しかし、ガキにはそれがあるのも事実だ。

 

 

 今どこに土宮がいるのかは分からない。三途河と戦っている最中になかなか移動したため、自分の場所を一時的に見失っている状況だ。

 

 そんな中で、三途河を再度探し出すのは非常に困難だ。

 

―――だが、恐らく殺生石が場所を教えてくれるだろう。

 

 あのへばりつくような、ヘドロのような感覚。殺生石同士の共振のようなものかもしれない。

 

 

 

 もし俺がチートとやらを与えられたのだとしたら、あの感覚こそがそれだろう。

 

 

 諌山冥が走り出した方向とは逆の方向に走り出す。

 

 

 

 

 必ず、負の連鎖の1チェーン目を、断ち切る。





冥の誕生日と、学校の存在は勝手に設定しました。年齢は公式サイトより引用です。
あと気づいた方がいるかもしれませんが、主人公の年齢を一つ上げました。
これは黄泉と1つ違いにしようと考えてたので、「黄泉が高1。んじゃあ中3だな」って考えて年齢を逆算したのですが、そもそも黄泉が高1じゃなかったって言う。
高2でしたね。しくった……。喰霊-零-好きとしてありえぬミスをしておりました……。
一応修正したつもりではありますが、直ってない所があったらお知らせください。

神楽 11歳 小学五年生
りん 13歳 中学1年生
黄泉 14歳 中学2年生

に今の時系列だとなります。


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第12話 -土宮舞防錆戦-

 

 

「貴様がこの騒動の原因か?」

 

 

 威厳のある声が、静寂の支配する森の中に響く。

 

 土宮雅楽。喰霊-零-における土宮家27代目当主。

 

 土宮神楽の3倍では済まない程の胸板に2倍はある肩幅。

 

 現時点では妻の土宮舞が26代目当主を務めているために分家の長として分家を取りまとめているが、舞が死んで白叡をついでからの風格はまさに当主と呼ぶに相応しいものであった。

 

「ええ、その通りです。僕がこの騒動の中心ですよ。思わぬトラブルがあったせいで会いに来るのが遅れてしまい申し訳ございません」

 

 森の奥から中性的な、蠱惑的な響きを持った声が響く。

 

 三途河カズヒロ。先ほどまで凜と戦闘を行っていた少年。

 

 殺生石の研究を行っていた三途河教授の息子であり、バチカンで殺生石の騒動に巻き込まれて死んだと思われていた存在である。

 

 死んだと目されていたが、その実殺生石を集める戦いの幹事役に任命されており、各地に争いをまき散らす災害となっている少年。

 

 その姿を見て、その言を聞いて雅楽は眉を顰める。

 

「遅れただと?我々に会いに来るのが目的だったとでもいうのか」

 

「その通りですよ土宮雅楽さん。貴方と奥様に会うために僕はわざわざこんなところまで足を運んだのです」

 

 その背に美しい蝶を侍らせながらそう返す三途河。

 

「怨霊風情が私たちに何の用だ」

 

「怨霊とは酷いなあ。僕はまだ人間だっていうのに」

 

「御託はいい。もう一度聞く、私たちに何の用だ」

 

 有無を言わさぬ声とはこのような声を言うのだろう。

 

 迫力に満ち、受けた側が思わず委縮してしまいそうな重みのある声。

 

 流石は土宮の伴侶に選ばれるだけの人間なのだろう。

 

 そんじょそこらの退魔士とは纏っているオーラの質が違う。

 

 だが、それを受けて尚、三途河はその態度を崩さない。

 

 いつも通りの飄々とした、人を取って食ったような態度を維持したままである。

 

「随分とせっかちだ。もう少し余裕をもってもよろしいのでは?……僕は相応しい人間を探しているんですよ。この石を扱うに値する、そんな存在を」

 

 その長い髪を手で払い退ける三途河。

 

 殺生石。九尾の狐の魂のかけら。

 

 その中でも特殊な、封印加工のされていない文字通り原石。

 

 雅楽にはその石に見覚えがあった。

 

 

「殺生石だと?なぜ貴様がそんな物を」

 

 殺生石、それは喰霊白叡を使用するのにも使われる。

 

 莫大な力を持つ霊獣である白叡を使役するためには個人の持つ霊力だけでは足りず、殺生石による霊力のブーストが必要なのである。

 

 よって代々土宮は喰霊白叡の継承とともに殺生石も受け継いできた。

 

 今は雅楽の妻である土宮舞がそれを所有している。

 

 

「入手した過程なんてどうでもいいでしょう?あなた方の務めは死をもたらす存在である僕を狩ることであって、真実の究明ではないのだから」

 

 そういって三途河は不敵な笑みを浮かべる。

 

 確かにその通りだ、と雅楽は思う。

 

 そして、それは自分の妻も同じだったようだ。

 

「そうね。貴方が誰だろうが、どうやってその石を入手したかなんてどうでもいい。人の世に死の穢れを撒くものを退治するのが私たちの使命なんだから」

 

 そういって、前に躍り出る。

 

 一目で高級とわかる桜色の着物を着た女性。

 

 土宮神楽が成長して髪を伸ばせばこのような風貌になるのだろうか。

 

 背中まで伸びた黒髪に、左耳に光る赤い石。

 

 土宮神楽の母にして、土宮家現26代目当主。

 

「―――喰霊開放」

 

 両手で印を組む。土宮雅楽も、土宮神楽も行っていた、白叡を呼び出すための儀式。

 

 最強の霊獣たる白叡を、自らの魂から解放するための形式。

 

 

 

「白叡!!!」

 

  

 土宮舞。

 

 喰霊-零-においてはこの戦いで命を落とす存在。

 

 小野寺凜の救済対象。

 

 その存在が、今、三途河との闘いに挑もうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 喰霊白叡は最強の霊獣である。

 

 これは喰霊-零-、喰霊を通して延々と語られてきた話である。

 

 その膨大過ぎる霊力を押さえつけるために土宮の人間は自分の魂と白叡の魂を一体化し、殺生石による霊力ブーストを使用して使役する。

 

 だが、アニメを見たり原作を見た限りだと、多分このような印象を抱く方が多いのではないだろうか。

 

 ぶっちゃけ白叡弱くない?と。

 

 原作では鎌鼬に攻撃をガンガン避けられていたし、印が組めなくなると白叡を呼び出せなくなるなどの弊害が色々あった。

 

 それになにより白叡と魂がリンクしているため、白叡の食らったダメージはそのまま術者に跳ね返るのだ。

 

 アニメ版だとそれで土宮雅楽は黄泉に決定打を打つ機会を与える隙を作ることとなってしまった。

 

 しかもそれを持っているせいで危険なお役目にはガンガン駆り出されるなど危険度がかなり高い。

 

 どちらかというとそれを持つメリットよりもデメリットの方が大きい気がする。

 

 俺もつい最近まではそう思っていた。

 

 転生してからはや13年。ずっとそう思ってきたのだが、まさに今日その意識が変わった。

 

 

 

 圧巻だった。

 

 新幹線が目の前を通過した時のような音を立てて、喰霊白叡が通過する。

 

 風をうならせるほどの速度で、その長い体躯を空間へと滑らせ、そのままカテゴリーCへと喰らいついていく喰霊白叡。

 

 一瞬でそこに存在していたカテゴリーCを排除すると、驚異的な速度で三途河に迫り、喰らいつくそうとその口を開く。

 

 

 その行動の一つ一つが豪快で、その一つ一つが美しい。

 

 とある作品で、とある地上最強の生物がこのように述べていた。

 

百聞は一見に如かず。そして百見は一触に如かず。

 

こうして白叡の雄々しさに触れていると、その言葉の意味がしみ込んでくるようだ。

 

 

 自惚れのようではあるが、俺をしてそこまで言わしめる喰霊白叡。

 

 だが、それをもってしても戦況は良いものだとは言い難かった。

 

 

「くっ……!!」

 

 喰らいつかせた白叡を躱され、しかも追い打ちとばかりに白叡に攻撃を受ける土宮舞。

 

 首の下のあたりだろうか?そこを棒手裏剣が掠めている。

 

 何度か述べたが、白叡のダメージは土宮舞にそのまま跳ね返る。土宮舞を攻撃せずとも白叡にダメージを与えれば、間接的であるはずなのに直接的に攻撃したのと同じことになるのだ、

 

 

「フンッ!」

 

 気合いの入った掛け声と共に雅楽から三途河に投げつけられる独鈷。メジャーリーガーも真っ青な速度で投げつけられたそれだが、三途河には通用しない。

 

 あっさりとそれを避け、俺の時のように新たな蟲を繰り出してくる。

 

 どれだけあいつには引き出しがあるのだろうか。

 

 同年代だとは思えない技の数。元々才覚がかなりあることは窺い知れるが、それでもその事実だけでは説明がつかない程の技量。

 

 高々13やそこらのガキがこの2人を相手にして対等以上に立ち回るなど意味不明の領域だ。

 

 俺がここに着いたのは数十秒前。正直あの感覚を頼りにここにたどり着けるか不安であったため、辿り着けない可能性も考えて諌山冥と別れたのだが、杞憂だったようだ。寧ろ一緒に来たほうが良かったかもしれない。

 

 俺がたどり着くまでにどんなやり取りがあって、どんな攻防が繰り広げられていたのかは全く分からないが、それでもこの2人が追い詰められていて、このままでは喰霊-零-と同じ状況になることは予想に難くない。

 

―――毒にやられているのか?

 

 戦場に飛び出して行く前に戦況を観察する。

 

 嫌に動きが鈍い。

 

 喰霊-零-において神童と呼ばれており、殺生石の補助を受けているはずの黄泉をほぼ体術のみで圧倒するほどの腕の持ち主である土宮雅楽。それなのに、その動きは別人と言っていいほどに鈍ってしまっている。

 

 今の動きだと、諌山黄泉を圧倒するどころか圧倒されそうだ。

 

 三途河の技量に加えて、これが原因かもしれない。零においても殆ど傷がないように見える2人が瀕死(片方は実際に死亡)の状態だったことから、もしかすると内部からの破壊によってこの二人はやられてしまったという線も考えられる。

 

 三途河が巫蠱術使いであるなんて情報が彼らには欠如している。

 

 それが無ければあの不意打ちの毒に対応など出来やしまい。

 

 だがそれより何より酷いのは土宮舞だ。

 

 先ほどまで気丈にも白叡を操っていた彼女ではあるが、その操り方はとても優雅とは言い難い。

 

 喰霊白叡を扱っているものの、地面に座り込みながらようやっと操っているという状態だ。

 

 出血があまりに酷すぎる。腕が切断されているとか、風穴が空いているとかそんな目立った外傷はないが、地面に滴った血を見る限り、相当な出血をしている。

 

 白叡を介しての裂傷が直にフィードバックされてしまっているのだろう。恐らく、あの着物の下はズタボロになっている。

 

 出血は体力と体温をどんどん奪っていく。血液量の低下は生命力の低下とほぼ同義だ。一気に血を失った時に限られた事ではあるが、下手をしたらショック死だってしかねない。

 

 

 

 

「最強の霊獣を従える最強の家系とやらも大したことはないんですね。どうしたんです?人の世に死の穢れをまくものを退治するのがあなた方の使命なんでしょう?」

 

「そうだな。そして俺の使命でもある」

 

 丁度奇襲をかけやすい位置にやってきてくれた三途河に後ろから切りかかる。

 

 こいつの真後ろに位置する繁みから飛び出しての一撃。

 

 本当ならもっと機を狙って仕掛けたかったものだが、もはやそんな悠長なことを言ってられない。

 

 またしても頭を狙った一閃を繰り出す。

 

 左耳から右耳にかけて切断してやろうと思い刃を振るったのだが、どうやら予め予測していたようで、俺の攻撃は簡単に避けられてしまった。

 

 俺の一撃はようやくこいつの髪にかする程度。 ……なんとなくわかってはいたが、やっぱり気づいてやがったか。

 

 即席にしては上手い奇襲だとは思ったのだが、残念ながらそれは目の前の男には通用せずに奇襲は失敗に終わる。

 

 そのまま肉薄してあわよくばミンチにしてやろうと連撃を繰り出すが、悉く躱され、尚且つ反撃に棒手裏剣を投擲されてしまい、その数の多さにいったん後退を選ぶこととなった。

 

 ちなみにこの棒手裏剣はあいつの妖力だか霊力で作り出されたものだ。弾切れを狙うなんてことは殺生石がある以上不可能だろう。

 

 

 

「早かったじゃないか小野寺凜。あの蟲たちはどうしたんだい?」

 

 やはり予期していたのか、一ミリの焦りもなくそう聞いてくる三途河。

 

 多分蟲を使ったんだろう。それか俺の隠密がまだまだか、そのどっちかか、その両方だ。

 

「一匹残らず駆除してやったよ。この世に死の穢れをまく存在を退治するのが俺の使命なんでね」

 

 小指で耳をほじりながらそう答える。

 

小学生レベルの幼稚な挑発。

 

 だが、こいつが挑発に乗ってくれれば御の字である。先ほど冥さんに連絡は済ませておいた。

 

 恐らくそう時間がかからずにこっちに到着するだろう。流石の三途河も俺たち四人を相手に戦い抜くことは困難なはずだ。

 

時間を稼ぐのと俺の勝利の確率が上がるのはほぼ同値。

 

必要十分条件はそれにより満たされる。

 

「君は挑発が好きだね。もしかして何か時間稼ぎでもしたい理由があるのかい?」

 

「んなもんあるか。お前なんぞ円周率を諳んじる片手間で遊んでやれるさ」

 

 ふぅーと指先に息を吹きかける。自分がやられたら地味にイラつく行動を的確にとっていく。

 

 ちょっと図星をつかれて動揺した心を隠すためにやった行動でもあったりする。

 

「……小野寺凜、か?」

 

 目の前の存在を見据えていると、後ろから声がかかった。

 

 荒い息を吐く雅楽さんに、片腕を抑えながら地面に蹲る土宮舞さん。

 

「お久しぶりです、雅楽さん。それに土宮さんはお会いするのは初めてですね」

 

 半身になって二人に挨拶をする。

 

 土宮雅楽。神楽の父で、27代目当主。

 

 分家会議では話ができなかったため、話すのはかなり久しぶりとなる。

 

 そして土宮舞。

 

 土宮神楽の母親。現土宮家当主。

 

 俺が、今回救いたい人。

 

 実は今まで会話をする機会がなかったため、顔合わせは実質初めてとなる。

 

「助太刀しますよ。不要かもしれないですけど、戦力は多いに越したことはないでしょう?」  

 

 有無を言わせぬように自信たっぷりにそう告げる。

 

 こういった時に大事なのは無駄な自信だ。遠慮があったとかで相手が悩んでいる場合でも、無駄に自信に溢れた物言いをすれば相手も頼みやすい。

 

「……感謝します。神童の実力、頼らせて貰いますよ」

 

 左手を抑えながらそう呟く土宮舞さん。

 

 ……左手も負傷しているのか。あの感じだと、折れてはいなくても罅くらいは入っているかもしれない。

 

 改めて三途河を見据える。

 

 そこにあるのは余裕の笑み。勝利を確信している絶対者の表情だ。

 

 手負いなら、俺ら三人を相手にしても勝てるという自信があるのだろうか。

 

「お二人は下がっていてください。こいつは俺が相手します」

 

 この二人は俺以上に傷が深い。

 

 俺が、やるしかないだろう。

 

「待たせたな三途河。死ぬ前の準備運動は済ませたか?」

 

「その挑発は面白いよ小野寺凛。君こそ絶望する準備は出来たかい?」

 

 再び対峙しあう俺と三途河。

 

 コンディションは正直良くない。冥さんに治療をして貰ったといえどもそれで傷が完治するわけでもなければ痛みが消えるわけでもない。

 

 それに対して奴はかなり涼しい顔だ。まだまだ余裕がある証拠だろう。俺と土宮家との三連戦だというのに随分タフなことだ。

 

「行くぞ糞野郎」

 

「来なよ神童」

 

 

 そう言葉を交わして、俺たちは再度衝突した。

 

 

 




本当ならここで黄泉を出す予定だったんだけど、出そうとすると軽く一万字超えるので分割。喜べ黄泉好きの諸君。
次回黄泉お姉ちゃん回です。


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第13話 -もう一人の神童-

「どうしたんだい、今回はやけに積極的だね。噂に違わぬ勇猛果敢ぶりだ。それが本来の君なのかな?」

 

「随分余裕ぶってるけど、無駄口叩いてる暇あるのか?あんま喋ると強がりに聞こえて情けないぞ?」

 

「それを言うなら君もだろう?さっき森で戦ってる時よりも随分口数が多いみたいだ。それはつまりそういうことなんだろう?」

 

 

 軽口を叩き合いながら交戦を続ける俺と三途河。

 

 

 俺は三途河に一瞬も休む暇なく攻撃を叩き込み続ける。

 

 時間を稼げば援軍が来る可能性が高いと考えて、時間稼ぎのためにしつこくしつこく粘り強く攻撃し続けているのだ。

 

 迫りくる蟲は刃を潰した刀で叩き潰し、飛んでくる棒手裏剣は身体を反らすことで回避する。

 

 どんな仕組みかはわからないが、こいつは時間を与えると直ぐに蝶となって消え去る術を使い始める。

 

 時間稼ぎをしなければならないのに加えて、あの瞬間移動の仕組みがどうなっているのかわからない以上、俺は連撃を続けざるを得ない。あれを発動する時間すら与えないように連撃を与え続けるしかないのだ。

 

 後ろに休ませなければいけない人間がいる状況であるため、さっきのような戦法もとることができない事がそれに拍車をかける。

 

 だが―――

 

 俺は脇目で土宮舞を見る。

 

 出血の量が本当に酷い。

 

 正直、時間稼ぎなんて、悠長な事を言ってられる状況じゃないかもしれない。

 

 

 

「しつこい男だね君は。あんまりしつこいと嫌われ―――」

 

「喋ってる暇あんのか!?」

 

 だから俺は、勝負に出た。

 

 再度飛んできた棒手裏剣を、避けずに受け止める(・・・・・・・・・)

 

 流石に驚愕の表情を示す三途河。

 

 牽制として放ったのは分かっている。だからそれが当たっても大したダメージにはならない事も分かっている。

 

 この機会を狙って、事前に小野寺の霊力で身体の要所をコーティングしておいたのだ。多少動きは鈍くなるが一発なら棒手裏剣を受け止めることができる筈だ。

 

 それでも当然ながら、攻撃をかなりの近距離で受けているため、100%ダメージをカットなど出来る訳がない。

 

 装甲を貫通して体に刃物が突き刺さる感覚。鋭い痛みが身体を駆け巡る。

 

 だが、浅い。その悉くが俺の骨まで届くことなく筋肉で全て遮断される。

 

 その痛みを噛み殺し、即座に装甲を解除する。これで、動きやすくなった。

 

―――ここだ。

 

 意を決して、三途河の顔面へ掌底をぶち込む。

 

 手のひらに伝わる鈍い感触。弾けるように揺さぶられる三途河の頭。

 

 入った(・・・)

 

 そのまま顔面に蹴りをぶち込む。再度ヒット。恐らく、この時点で俺は三途河に与えたダメージという観点で喰霊世界の全ての人間を超えたのではないだろうか?

 

 後退して逃げようとする三途河の顎に後ろ回し蹴りを叩き込む。

 

 鈍いながら鋭い音を立ててまたしてもヒットする左足。左足に固いものの芯を捉えた時特有の感覚が跳ね返ってくる。

 

 内心ガッツポーズをとる。綺麗に入った。

 

 人間には様々な急所がある。

 

 目玉、心臓、男なら金的。上げ出したらきりがない。

 

 だが、その中でも特に弱い部分と言ったら一つしかない。

 

 脳みそだ。そこだけはどうやっても鍛えられないし、そこを攻撃されれば確実に死に至る。流石の殺生石といえどもそこの修復には時間がかかるだろう。

 

 だから俺は脳震盪を狙っていた。

 

 顎を強く打撃されると頭蓋の中で脳がシェイクされ、一定時間ではあるが脳機能を麻痺させることが出来るのだ。

 

 その結果、足に来る。

 

 カクンと三途河の膝が落ちる。

 

 運動機能が低下するので普通に立っていることすら不可能になるのだ。

 

 

 絶好のチャンス。

 

 俺は攻撃の体制を整えており、三途河がその膝を地につけている。

 

 俺は足に刃を纏わせ、三途河を殺すべく蹴りを繰り出そうとする。

 

 だがやはりと言うべきか、そうは問屋が卸さなかった。

 

 

 致命の一撃をかまそうとする直前、俺が見たのは三途河が握る何か(・・)

 

 それ(・・)が何かは分からない。いや、その形をした物全体の総称は分かっているのだ先ほどまで、コイツが頻繁に使っていた物だから。

 

もしかしたらそれは無視してもいいような、むしろ無視すべきで俺の行動の阻害になどならないような些細な抵抗だったのかもしれない。

 

 だが、それ(・・)を見た俺は転がるように緊急回避を行った。

 

 これまた何故かはわからないが、それに俺は言いしれない恐怖を感じてしまったのである。

 

 それと同時に破裂する(・・・・)その何か。

 

 赤黒い液体が大量に噴出し、辺りを赤黒く染めた。

 

紅と言うにはあまりにも醜く、暗く黒すぎる液体。

 

その爆発源を中心として、それは辺り1面にばらまかれた。

 

「この糞野郎!自爆テロかよ!どこぞの過激派かてめえは!!」

 

俺の目の前の地面が音を立てて溶けていく。まるで某宇宙人の体液のようにそれは地面を溶かして地中へと進んでいく。

 

もし。あと5cm、ほんの5cmでも身体が前にあったのならば。俺の身体は今頃見るも無残に溶け爛れていた事だろう。

 

 叫ばずにはいられない。こんなの本当に自爆テロだ。

 

 

 その赤黒い液体が触れた所はたちまち溶け出し、三途河もろとも溶かしていく。

 

地面を溶かすほどの強酸だ。こんな物が自然界にあるとは思えないという程にその酸は強力であった。

 

 当然、その中心にいた奴はその被害の影響を一番に受けている。描写するのも避けられる惨状。その光景に俺は少々吐き気を催してしまう。 

 

 俺から逃げるために、自分の肉体を犠牲にした。

 

 酸性の血液を持つ蟲を爆発させて、自分ごと被弾させて俺から逃れた。

 

 ……なんつう奴だ。

 

 その気化した空気にすら効果があるのか、上空の木々も枯れ始める。

 

「……この蟲は使いたくなかったんだけどな。使わされるなんて今日一番の驚きだよ」

 

 だが、殺生石の回復力はその酸の威力すら上回る。

 

 普通の人間である俺が近づけないのをいいことに、見るも無残な姿となっていた三途河の傷はみるみる間に修復していく。

 

 残った酸でまだやられているものの、それすら回復していき、ほとんど布きれ同然になった服以外は30秒もしないうちに再生してしまう。

 

 ……チート過ぎる。こんなのもう回復なんて呼べるレベルじゃない。

 

 復元とかそのレベルだ。

 

「服もボロボロだ。お気に入りの一着だったのにどうしてくれるんだい?」

 

「着付けが逆の着物で良ければ俺がプレゼントしてやるよ!」

 

 

 三途河に遠距離で攻撃を仕掛けようと短剣を作り出す。

 

 ここで、1つ勘違いをされてしまっては困るので、念のために述べておこう。

 

 俺がここまで三途河に対して先手を打って行けているのはこの13年間、俺がこいつを倒すためだけにといっても過言ではない鍛錬を積み、戦略を練ってきたからである。

 

 だから俺はこいつに対して優位に立てる。

 

 もし土宮雅楽や諌山黄泉などが俺と同レベルのこいつに対する知識を保有していて、尚且つそれに対する策を練ってきたのならば俺以上に上手く立ち回れる可能性が高い。

 

 俺が彼女らに対して持っているアドバンテージはただ一つ。こいつの事を知っているというだけなのだ。

 

 ならその知識を伝えればいいのではないかと思うだろうが、それをやって信じてくれる人が何人いるかという話だ。

 

 諌山冥ならば信じてくれるかもしれないが、多分彼女だけだろうし、それにその知識の確度が不確かな状態における戦闘など、知識を持っていないのに等しい。

 

 だから極力こいつとは一対一ではなく、誰かとこいつが戦っているときに乱入したいのだ。

 

 その場ならば持てる知識を発揮しても疑われることなどない。なぜなら三途河がそれを行使しているから。それを見た推論を述べていると解釈され、そしてある程度実力の知れた味方の推論を疑う愚か者はなかなかいない。

 

 つまり事前に半信半疑以下の確度の低い情報を流した状態で戦わせるより、戦闘中に確度の高い情報を流して戦わせるほうが勝率が高くなるのだ。俺が戦うと想定している人間のなかで即席の情報に対応できずに死ぬような力不足の存在はいないし、そっちのほうが確実である。

 

 グループを組んで戦う時も、戦力の高さと勝率は、俺を抜きにしては恐らく相関しない。

 

 俺という三途河専門の存在がいて初めて戦闘の領域に乗れるのである。

 

 極端にいってしまうと、三途河に対する知識が無い状態の「土宮舞、土宮雅楽、土宮神楽(中2時点と仮定する)の3人」で戦うよりも現時点の「小野寺凛、諌山黄泉、諌山冥」で戦うほうが勝率が高いのだ。戦力としては圧倒的に前者が勝っているのにも関わらず、である。

 

 流石に前の3人でも切ったら毒を噴き出す蟲がいるだとか、腹に薙刀を突き刺しても死なないだとかの知識無く戦うことは困難だろう。

 

 だが逆に俺と同等の知識を全員が有している、またはそのグループにいる誰か一人でも有している場合、俺の存在は不要となる。戦術によっては組み込んで貰えるかもしれないが、俺に要求されるのはあくまで「三途河に対する絶対的な知識」であり、必ずしも「俺の戦力」ではないのである。

 

 

 

 何度も言うが、俺にはそこまでの才能はない。

 

 せいぜいあったとしても努力が人並みに反映されるという人並みの才能ぐらいだ。

 

 だから、この圧倒は別にズルをしているとか、俺が強すぎるから出来ているという訳ではないのだ。

 

 ただ俺の13年間の努力が正確に反映されていて、それが実際に三途河に届いているというだけである。

 

 

 

 

 

―――だから、想定外のことをやられると俺は弱い。

 

 

 

 

「―――いいのかい、そんなに僕ばかりに気を取られていて?」

 

「はぁ?」

 

 

 

 

 

「ぁあああああ゛あ゛あ゛!!!」

 

「ぐうっ!!」

 

 

 

 突然の悲鳴に思わず後ろを振り向く。

 

 そこにあったのは衝撃の光景。

 

 土宮舞は苦悶の表情を浮かべ、苦悶の声を上げながら地面に倒れ込んでいた。

 

 先ほどまで妻を守るようにしてその前に威風堂々と構えていた土宮雅楽は、額に脂汗を滲ませながら片膝を地面につけて胸を抑えていた。

 

 両者ともに共通するのはその出血。

 

 雅楽はともかく、土宮舞に関しては先ほどよりも酷い量の血液を垂れ流していた。傍目でもあれでは生命の危機があるレベルの出血なのが見て取れる。

 

―――何が起きてやがる!?

 

 先程まで何ともなかった2人が、急に苦しみだし、悶えている。

 

 確かに傷は酷かったし、放置していいレベルではなかった。

 

 だからといっていきなり苦しみ出すほどの物じゃ―――

 

 そこまで考えてある思考にたどり着く。

 

 遅効性の毒。

 

 こいつが、あの2人を苦しめていたであろう要因は毒じゃなかったか―――

 

「よそ見をしたね、小野寺凛」

 

 その声にはっとなり、俺は前を向く。

 

 しまった。いくら謎の悲鳴に気を取られたからとはいえ、戦闘中に後ろを振り向いてしまった。

 

 三途河の手に握られた棒手裏剣。

 

 戦闘における一瞬とは無限に等しいと俺は前に述べた。その一瞬を巡って俺達は技術を身に着け、戦略を学ぶ。

 

 だが、その一瞬を俺は自ら提供してしまった。(おの)ずからではなく、(みずか)ら進んでその永遠を与えてしまった。

 

 よりによって、こいつに。

 

 

「っくぁぁぁ!!」 

 

 俺の左の二の腕に深く突き刺さる棒手裏剣。どうやら反射的に身体をずらしたようで骨に突き刺さることは無かったようだが、それは俺の上腕二頭筋を外側から斜めに貫いた。

 

 丁度先ほどつけられた傷と交差するかのようにそれは俺に突き刺さる。

 

 諌山冥に治療をして貰っていたときとも比べ物にならないほどの激痛。ポーカーフェイスなど保っていられず、顔が歪む。

 

「ふう、やっと一撃が入ったね。苦労させてくれるよ」 

 

 そのまま三途河は俺の顎目掛けて掌底を繰り出す。

 

 当然こんな状況下においてそれを避けきることなどできるはずもない。モロに入るその一撃。

 

 脳震盪。

 

 それは頭蓋骨の中で脳が揺さぶられることによっておこる現象。

 

 綺麗に顎を打撃されたときに、それは頻繁に起こる。先ほど俺が三途河に対して使った戦法だ。

 

 それを、綺麗にやり返された。

 

 足に全くと言っていいほど力が入らなくなり、思わず地面にへたり込む。

 

 ……ふざけんな。遅効性の毒なんて誰がこの状況で思いつくんだよ。

 

 揺れる視界の中、奥歯が割れるほどに強く歯を噛みしめる。

 

「守るべき対象がいるというのは辛いものだね、小野寺凛。守るべきものがある人間は強いっていうけど、それは精神面での話だ。現実世界において戦闘中に守らなければならない人間がいる場合、その人間の行動、思考はかなり制限される。戦闘中でも常に気を配らなければならないのは守るべき対象であり、戦う相手ではないのだから」

 

 生まれたての小鹿のように足を震わせ、立ち上がれなくなっている俺の横を悠然と、堂々と素通りしていく。

 

「……ま、待て」

 

 視界がグラグラ揺れているせいで言葉もままならない。一気に形勢が逆転した。

 

 脳震盪は何も相手の足を崩すだけの技ではない。

 

 脳を揺さぶるわけであるから、首の鍛え方によっては意識を失う、下手すれば一発で廃人になる可能性だってあるのだ。

 

 そんな視界に映るのは三途河が土宮舞に向けて歩いていく後ろ姿。

 

―――やめろ。

 

 何をする気かなんてすぐに分かってしまう。

 

―――やめてくれ。

 

 先ほどまでとは打って変わって、無様に、みっともなく、芋虫のように地面を這いずり回る。

 

 奴の歩く速度など大したものでは無い筈なのに、全く追いつけない。

 

「君はそこで見ているといい。さぁ、これが君の力が及ば無かった結果だ。君の無力が招いた結末だ」  

 

 倒れこんでいる土宮舞のそばに行ってしゃがみ込むと、その髪をつかんで持ち上げる。

 

 女性の命である髪をぞんざいに扱う行為自体に憤りを感じるが、それ以上に土宮舞の容体が気になった。

 

 どうやら息はしているようだが、髪を掴まれても少し痛そうにするだけで殆ど反応がない。

 

「随分弱っているみたいだ。すぐにでも病院につれて行かないと死んでしまうかもしれないね。―――生きたいかい、土宮舞?」

 

 弱弱しい反応を返す土宮舞にそう問いかける。

 

 死にかけだが、まだ生きるという欲望はあるか、と。

 

 ここで死ぬことに未練はないか、と。

 

「貴女には確か娘がいたはずだ。まだ小学生の可愛い娘が。そんな娘を残して貴女は死ぬのかい?そんな娘をおいて貴女は居なくなってしまうのかい?」

 

 蠱惑的にそう囁く。

 

 神楽を残して死ぬことに心残りはないかと。

 

 娘を一人にして本当にいいのかと。

 

「―――でもね、この石なら叶えてあげられる。この石なら貴女の想いを受け止めてくれる。まだ貴女は生きられるんだ」

 

 赤い光が森の闇を照らす。絶望の光。だが、物語(喰霊-零-)の始まりの光。

 

 殺生石、それが三途河の手には握られていた。

 

 三途河と息も絶え絶えの土宮舞の視線が交差する。

 

 一見土宮舞は気丈に振る舞っているように見える。

 

 死に体な状態でも三途河を睨み付けているし、少なくともその瞳には強い意志が感じられるようには見えた。

 

 だが、その目に映る意思を三途河はどう解釈したのだろうか。

 

 その瞳を見ると三途河は薄い笑みを浮かべ、その手に掴んでいる髪を離した。

 

「小野寺凛、君はどう思う?」

 

 ゆっくりと立ち上がり、彼女の上に手をかざす。

 

 そこから漏れるのは赤い光。始まりと終わりである混沌の光。

 

―――やめろ。頼むからやめてくれ。

 

 本当にふざけるな。こんなにも簡単に形勢が逆転してたまるものか。

 

 さっきまで俺はあいつを追い詰めていたのに。

 

 あと一歩で俺はあいつを殺せていたのに。

 

 これだけ努力して、死ぬ気で鍛錬して、ここまで来たのに。

 

 今の俺には、地面をもがいて滑稽に這うことしかできなかった。

 

 

「彼女はこの石の担い手になってくれるかな?」

 

「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

 

 

 

 

 ゆっくりとその手を開いていく。

 

 嫌にゆっくりと、俺を嬲るかの如く。

 

 

 

 

 赤い石が光を増し、存在感をあらわにする。

 

 

 

 その手はついに開き切られ、土宮舞へとその石が落ち―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「乱紅蓮!咆哮波!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 金色の光が視界を埋め尽くす。

 

 それは、彼女の代名詞とも言える攻撃。

 

 画面越しに何度も見た金色の閃光が、土宮舞の上空を奔っていく。

 

 

 咆哮波。諌山家に伝わる宝刀「獅子王」に宿りし霊獣である”(乱紅蓮)”が放つ技。

 

 

 

 

 

「これはこれは。もう一人の神童まで登場するなんて流石に予想外だよ」

 

「この騒動の原因はお前だな、怨霊」

 

 

 柄の異常に長い、黒い刀身の日本刀を構える黒髪の美少女。

 

 どうやったかは知らないが、咆哮波を避けて森の奥に退避している三途河。

 

 その三途河に鋭い眼光と切っ先を向けている黒い制服の少女。

 

 

 

 俺が、何を賭してでも、それこそ命を賭してでも救いたいと本気で願った悲劇のヒロイン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――諌山黄泉に俺は危機を救われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「土宮殿に、小野寺凛?貴様がこれをやったのか、怨霊」

 

「そうだよ。ちょっと手こずったけど、ご覧の通りさ」

 

 両手を広げて、まるで自分の作品を自慢するかのようにこの現状を作ったのは自分だとアピールする三途河。

 

 それに警戒した様子を見せる黄泉。

 

 当然だろう。土宮家二人に俺まで倒れているのだ。警戒しないほうが不自然というものである。

 

 油断なく辺りを見渡す黄泉。その視線は土宮舞で一旦止まる。

 

 恐らくは黄泉も土宮舞の出血量が危ない領域にあることを看破したのだろう。

 

「乱紅蓮!」

 

 小手先調べとばかりに黄泉は鵺を三途河に向かわせる。

 

 鵺の恐ろしいところは白叡と違い基本的に自立的な行動が可能で、術者と離れた場所であっても戦闘が可能であることだ。

 

 しかもその戦闘力は相当高く、一応エリートである筈の環境省超自然災害対策室の3人と互角以上に戦い、そのうちの一人は死亡している程だ。

 

 しかも鵺が攻撃を受けても術者にダメージがフィードバックされることはなく、ただ鵺がダメージを追うだけであってなんの害もない。

 

 正直、白叡の力を見た後であっても、俺なら鵺を選ぶ。

 

 喰霊-零-において冥が執着したのが手に取るように分かるほどだ。

 

 三途河のようなカテゴリーAを相手にしたり、土宮神楽のような規格外な存在を相手にすると見劣りすると推測されるが、それでも十分チートなレベル。

 

 もしこの世界でチートを選べたのならば鵺を俺は選択していたかもしれない。

 

 

 

 だがやはり、それだけの力を持っていても三途河相手だと攻めあぐねるらしい。

 

 

「はあぁぁぁぁ!」

 

 宝刀獅子王が一閃し、3体のカテゴリーCを斬り伏せる。黄泉はそのまま乱紅蓮と共に三途河に接近しようとするが、三途河は土宮さん達にその矛先を合わせることでそれを回避する。

 

 蟲をばらまかれ、土宮の二人を狙われては黄泉、乱紅蓮ともに積極的に攻めに出られず、防戦に回らざるを得ない。

 

 攻めに出れば土宮さん達を狙われ、守りに出れば当然攻められない。

 

 そんな膠着状態が続いていた。

 

「ちょっと消耗してきたし、この状況で2対1はちょっと不利かな?」

 

 言葉とは裏腹に今だ余裕の表情でそう呟く三途河。

 

 俺の時とはあいつの戦闘スタイルが違う。余裕そうであっても言葉通り乱紅蓮と黄泉の2対1の状況は望ましくないということだろうか。

 

 だが、撤退をしないということはまだ土宮は狙われているということだ。

 

 どうにかして乱紅蓮と黄泉を排除する方法を考えているのだろう。

 

―――これは好機だ。

 

 なんども千載一遇と呼べるはずのチャンスを逃している俺が言っても説得力がないかもしれない。

 

 でも、もうこれしか後がないんだ。

 

 多分喰霊-零-では三途河と諌山黄泉はこの時点で顔を合わせていない。奴が残した残党を駆けつけた諌山黄泉が片付けただけの筈だ。

 

 このまま戦っては諌山黄泉が負ける可能性がある。

 

 もう欲張らない。撤退させればそれでいい。

 

 

 もしかすると撤退させることすら欲張っているのかもしれない。

 

 

 

 けど、あの少女(土宮神楽)のためにも、俺はやるしかない。 

 

 

「3対1だよ、三途河。神童2人に宝刀の霊獣1匹だ」 

 

 生まれたての小鹿の方がましなんじゃないかってレベルで足を震わせながら立ち上がる。

 

 視界が揺れる、吐き気がする。今すぐ地面にぶっ倒れたい。

 

 まだほんの少ししか脳震盪の影響は抜けきっていない。

 

 誰もが今の俺の姿を見たらパンチドランカー状態になっていることを一目で看破するだろう。

 

 それこそ中学生(三途河)にだって一目でばれる。

 

「それは面白いジョークだね。今際の際にユーモアのセンスが上がったのかい?」

 

「誰が臨終しかけだって?あれがジョークに聞こえるなんてお前こそさっきの酸で耳が溶けたまんまなんじゃねえの?」

 

 相変わらずの軽口。だが、今回に至っては三途河の言が完全に正しい。

 

「無理をするな小野寺凛!ここは私が引き受ける、休んでいろ!」

 

 諌山黄泉からも声がかけられる。

 

 そりゃそうだ。こんなフラフラな状態の奴に参戦されても困るだけだ。守るべき三人目が出来てしまい、さっきの俺よりも酷い状況になる。

 

「舐めないでくださいよ諌山黄泉さん。俺だって神童だのなんだのって呼ばれてるんですよ?このくらいなんともありませんって」

 

 なんとも無いわけが無いが、虚勢を張る。

 

 座っていようが動いていようが回復速度の変化なんて微々たるもんだろう。

 

 話しているうちに本当に僅かながら体調も戻りつつあるし、あと2分くらい稼げれば土宮さん達の盾ぐらいにはなれる筈だ。

 

 だが、そんな俺の様子は三途河にとって非常に愉快なものに映るらしい。

 

 ”笑っている”と完全に分かる薄笑を浮かべながら俺を見ている。

 

 本当に憎たらしいくらいに飄々としていやがる。

 

 普通の人間が相手なら既に二回は俺の勝利で勝負がついているというのに、悉くその勝負を振り出しに戻されている。

 

 今回は振り出しに戻されたどころか一回チェックまでかけられた始末。

 

 今もまだチェックがかかっている状態だ。そして、あいつの言う通り現状は実質2対1だ。その上2対1ならば退ける実力があるのは土宮戦で実証済みだ。

 

 それを分かっているからこそあいつはあれだけの余裕を持っている。

 

 

 

「諌山黄泉の言う通りだ。君はもはや戦力には成り得ないことを自覚するといい。それに戦況が例え2対1から変化したとしたって何も変わらないさ」

 

 本気でそう思っているのか、自信に満ち溢れた物言いである。

 

 その雰囲気に黄泉が警戒を高めているのがわかる。

 

 油断なく、それでいて恐れることなくカテゴリーAに相対するその姿は、とてもじゃないが中学生には見えない。だが、それでもこいつを前にすると役者不足の感が否めないのだ。

 

 ……殺生石とはここまで強力なものだったのか。

 

 今日発見する新たな真実だ。こいつの厄介さと相乗効果を発揮してとんでもない代物になっている。

 

 歯がみする。―――頼むから、早く治ってくれ。

 

 

 

投了(リザイン)するといい、小野寺凛。3対1であろうとこの状況は覆らな―――」 

 

 

 

「では4対1ならどうでしょう」

 

 

 三途河が喋っている最中に、空から銀が煌めく。

 

 三途河がいたところに振り下ろされる一閃。

 

 それを生み出したのは先ほどまで一緒に戦っていて見慣れた薙刀。

 

 

 

「冥さん!」

 

「冥姉さん!?」

 

 なぜ貴女がここに?といった様子で驚いた声を上げる黄泉。こんな状況でいうのも非常に馬鹿な話ではあるが、ドッキリを仕掛けられた人間のような顔をしていて正直面白かった。

 

 多分、俺も黄泉の立場だったら同じような顔で、同じような驚き方をする自信がある。

 

 ……それよりも、来てくれた。その事実に安堵する。

 

 戦場において、戦力となる人間が1人いるのといないのでは状況が全く別だ。

 

 三途河は2対1でも3対1でも変わらないと言っていたが、そんなことはない。

 

 さっき経験したばかりだが、戦いとは指数のようなものだ。

 

 雑魚ならいざ知らず、強敵を相手にするとき、その厄介さは数の増加に伴って指数関数的に増えていくと考えて差し支えない。

  

「初めましてですねカテゴリーA。ここまでの惨劇を作るとは流石、といったところでしょうか」

 

 静かな、しかし通る声でそう三途河に話しかける冥さん。

 

 黄泉もそうだったが、不思議と迫力のある声だ。

 

 諌山の女の度胸はどうなっているのだろう。冥も黄泉もカテゴリーAを前にして一歩も引いていない。

 

 

「……これはこれは。諌山の令嬢まで出てくるなんて。もしかして今日の一連の妨害は君の策略なのかい、小野寺凛?」 

 

 俺は答えない。策略とかじゃなくて偶然が重なっている部分がかなり多いからだ。

 

 だけど俺は泰然としてにやりと笑みを浮かべる。

 

 そう取ってくれるならそう取って貰いたい。勘違いしてくれるなら御の字だからだ。

 

 

「さて、こっちは揃った訳だが、お前はどうだ?ずっと一人みたいだけど仲間とか呼んでもいいんだぞ?」

 

「……君の言う通り僕の耳は酸でやられていたみたいだね。やっぱり君の減らず口は全然おもしろくないよ」

 

 そう言って身に蝶を纏い始める三途河。

 

「目的が果たせず残念だけど、今日は帰ることにするよ。流石に諌山冥まで参戦されると勝ち目はないからね」

 

 あまり残念そうではなく三途河はそう告げる。

 

 ……本当に担い手候補が俺に移ったということだろうか。

 

 土宮舞はただの実験体であり、俺の憎悪とやらを増幅させるためのものだったと言うことなのだろうか。

 

「逃がすと思っているのですか?」

 

 逃げようとしている三途河に、一歩詰め寄る諌山冥。

 

 普通ならばそれに続いて切りかかろうとするところではあるが、俺は冥さんを手で制した。

 

 多分、俺が回復してこの二人に続いて参戦できれば、簡単とはいかないが間違いなく片付くだろう。

 

 俺一人でもある程度まで詰められる相手だ。いわんや俺たちをや、である。

 

 だけど、多分もうタイムアウトだ。

 

 あと5分早く合流できていれば一緒に戦っていたかもしれないが、これ以上は土宮舞が持たない。

 

 正直かなり、いや、自分を自分で切り裂いてやりたい程度には悔しいが、逃げてくれるというのなら逃がしたほうがいい。戦うのはこの場においては得策じゃない。

 

「それじゃあ今回はサヨナラだ。君がこの石に選ばれた時にまた会いに来るよ」

 

「そのまま蒸発してくれると俺としては嬉しいんだけどな」 

 

 

 

 俺の声が届いたかどうかは分からない。

 

 だが、少なくともその願いは聞き入れられることはないだろう。

 

 

 青い蝶が空へと昇っていく。

 

 まるで魂が浄化され、天に召されるが如く。

 

 そんな上等で高尚なものなんかじゃないのに、その光景は恐ろしく綺麗だ。

 

 

 その場から殺生石の気配が完全に消え去る。それは三途河が完全にこの場から去ったことを意味する。

 

 カクンと膝が折れる。

 

 脳震盪のダメージとはそんなに簡単に抜けるものではない。軽いものならすぐ抜けるかもしれないが、今回のは三途河に狙って起こされたものだ。そんなすぐ抜けるような軽いものではない。

 

 気を張っていたから耐えられていたが、気が抜けるともう無理だ。立っていられない。

 

「小野寺凛!?」

 

 急に崩れ落ちた俺を見て黄泉が駆け寄ってくる。

 

 冥さんもこっちに向かってきているのが見受けられた。

 

 しかし、俺は二人を手で制すと、土宮さん達の方を指し示した。

 

「大丈夫、軽い脳震盪ですから。それよりも土宮さんをお願いします」

 

 

 本当なら俺がやるべき仕事なんだろうが、俺はもう動けない。

 

 申し訳ないが頼るしかないだろう。

 

「土宮殿、土宮殿!」 

 

 土宮舞を気つけする諌山黄泉と、雅楽を介抱する諌山冥。

 

 血まみれで息も絶え絶えの土宮舞。

 

 僅かながらも胸が上下している所を見ると、どうやら生きてはいるようである。

 

 雅楽は冥の問いかけに答えるだけの力はあるようだ。

 

 喰霊-零-のように、諌山黄泉が現場に着いた瞬間には雅楽に白叡の譲渡を終えていたなんて状況にはならなかったらしい。

 

 つまりは、俺は土宮舞を救えたのだろう。

 

 

―――だが、こんなのが本当に救ったと言えるのだろうか。

 

 命があるとは言えあの出血量だ。

 

 障害が残る可能性が極めて高い。

 

 

 仲がよろしくない筈の義従姉妹(黄泉と冥)が協力して土宮舞の出血を抑えるために止血を始めている。

 

 

 偉そうなことをさんざん言っておいて、俺は何も出来なかったのだ。

 

 

 

 

 

 そう思いながら、俺は意識を手放した。

 

 

 

 

 









驚異的に長くなったな。
これにて1章は終了でございます。ここまで読んでくれた方、本当にありがとうございます。
キャラ同士の絡みのssやろうかとおもって活動報告で投票やってるので、是非ご覧ください。




舞の容態については二章に入ってから詳しく述べますが、生きております。ご安心ください。

ただ、凜が述べた通り出血が多すぎるので色々あります。
多分、「あれ?救済ってそーゆーのでも救済って定義しちゃう?」
みたいな感じになるかと。

まあでもちょっとシリアスチックになってもこの物語はアレなんで最終的にはアレなんですよ(指示語を使いまくる現代人の鏡)。まあ救済なんでお察しですよね。

……そして三途河強くしすぎた感が。
でも多分喰霊-零-でもこのぐらいの強さはある気がします。

そして黄泉の口調ムズカC。
あのひと戦闘中だと口調変わるじゃないですか。
声も変わりますし。


あと、8以下の評価の場合は一言コメント頂けると助かります。


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第2章 想零-おもいこぼれ-
第1話 -戦いの終わりと対策室-


「―――君がやったことは所詮独りよがりの偽善。君以外のだれ一人として救われることのない、無意味な唯の自己満足に過ぎない」

 

 

 

 

 暗い世界で、少年が言う。

 

 

 

 

「―――どうだい?これがこれが願いを成就できないということだ。君の行為が、無意味に終わったということだ」

 

 

 

 

 自分と周りとの境界線が曖昧な世界で、何が他人で何が自分なのかわからない世界で、唯一はっきりと形づけられた存在が、白い少年が俺に問いかける。

 

 

 

 その身に蝶を宿して。

 

 

 

 赤い石の瞳をのぞかせながら、俺に問い続ける。

 

 

 

 

「―――君の13年間はこのために存在したというのに、今日の為に努力をしてきたというのに、それは全部意味のないこと、つまり君の生は無駄だったんだ」

 

 

 

 

 無駄だったのだと、俺は何も出来なかったと、そう告げてくる。

 

 俺がやったことなど何もない。お前に出来たことなど何もなかったのだと。

 

 

 

「わかるかい、小野寺凛?君は何かできると勝手に思い込んで、君なら何かを果たせると思い込んで、あの場を無意味にかき回しただけに過ぎない」

 

 

 

 

 頼むから、言わないでくれと思うことを。

 

 

 自分の存在を揺らがすようなことを。

 

 

 その存在は容赦なくえぐり取ってくる。

 

 

 

 

 

 

 

――――君は彼女(土宮舞)を救えなかった。

 

 

 

 

 

 

「っ!?」

 

 揺さぶられるような感覚とともに、俺は目を覚ました。

 

 暗い海に沈んでいたような感覚から一気に浮上し、境界線が溶けて何もかも曖昧だった世界から俺の意識は覚醒していく。 

 

 目に映る低い天井に、背中から伝わる連続的な振動。

 

 エンジンが駆動する、よく耳に慣れた音。

 

―――車、か?

 

 どうやら俺は車に乗せられているらしい。

 

 仰向けの状態で、俺は寝かされていた。

 

 ……一体どうなっているのだろう。

 

 覚醒はしたものの、今だはっきりとはしない俺の思考。

 

 諌山冥が駆けつけてくれたところまでははっきりと覚えている。そして諌山の義姉妹が土宮舞を治療していたのも。だが、そこ辺りから記憶が曖昧だ。恐らく、そこいらで気絶でもしたのだろう。

 

 車特有の振動が俺を揺さぶる。

 

 体に伝わる揺れが心地よい。なかなかよさげなサスペンションを使っているのだろう、などと変なところに思考が行ってしまう。

 

 だがシートの感触とか、足を曲げて居るとはいえ横になれるくらいなのだから、どうやら俺の家の車ではないようだ。一体俺はなぜこんな所に居るのだろうか。

 

 ぼうっとしたまま、揺れに身を任せる。

 

「目が覚めた?」

 

 心地よい揺れに、もう一度眠りについてしまおうかとしていると、俺の上から声がかけられた。

 

 三途河との戦闘中に何度か聞いた声。だが、戦闘中のように荒々しくなく、非常に柔らかで母性に満ちた温かい声。

 

「諌山黄泉、さん?」

 

 諌山奈落の義理の娘であり、諌山冥の義理の妹。

 

 現在宝刀獅子王を任され、喰霊-零-時点では家督の継承権ナンバー1.

 

 そして環境省超自然対策室の現エース。

 

 そんな彼女がここに居るということは、ここはもしかして……。

 

 ズキン、と鋭い痛みが俺の左腕に突き刺さる。

 

 三途河にやられた腕。二回の人生において、筋肉を何らかの物質が貫通していく経験をするのは初めての体験だった。

 

 熱とともに激しい痛みを訴える左腕。包帯が新しくなっている。恐らく、諌山黄泉か誰かがやってくれたのだろう。

 

 痛みを無視して俺は起き上がる。この内装は見覚えがある。確かアニメの3話とか4話で、お勤めに行くときに黄泉と神楽が乗っていたはずだ。

 

「おう、目が覚めたか。病院まであと少しだ。痛むだろうがあと少しで着くからもうちょい我慢してくれ」

 

「環境省……」

 

 運転席からも声がかかる。

 

 ハンドルを握るスーツ姿の筋骨隆々のモヒカン男。

 

 岩端晃司。環境省超自然対策室のレギュラーメンバーであり、喰霊-零-、喰霊ともに出演している存在。

 

 海外で傭兵をやっていたようなので戦闘能力は折り紙付きなのだろうが、霊力があまり高くないらしく除霊に関してはそこまで活躍している描写はないが、何か交渉事や問題が起きた際には前面に立って処理をしている対策室の代表的な立ち位置にいる男である。

 

 これで確証を持った。なぜだかは知らないが。俺はどうやら環境省超自然対策室の所有している車に乗っているらしい。

 

 軍用といって差し支えのないあのバカでかいジープ。細い道なんか通ったら横をこすってしまいそうな程。これで脇道とか通れるのだろうかと思っていたのを覚えている。

 

 

「お、噂の天才少年とやらがお目覚めか?」

 

 その助手席からも声が響く。

 

「俺の名前は桜庭一樹。環境省の退治屋だ。よろしく頼むぜ、小野寺の息子さん」

 

 こちらを振り返って人のよさそうな笑みを浮かべるスーツの男。

 

 桜庭一樹。諌山黄泉の許婚である飯綱紀之の親友。

 

 確か原作時点で18歳であり、この人も対策室のエージェントとして環境省で勤務している。ただ、この人は岩端晃司とは全く異なり、原作には登場しない、喰霊-零-オリジナルキャラクターである。

 

 喰霊-零-においては対策室のムードメーカーとして周りの関係を調和させるのに一役買っていたが、最終局面あたりで怨霊化した黄泉によって心臓を一突きされ、二度と帰らぬ人となってしまうという悲惨な運命をたどることとなる。

 

 そういや、この人も死ぬんだった。ラジオとか聞いてると毎週出てくるから何となく生きているような錯覚に陥るのだが、その実結構悲惨な死を遂げていたりするのだ。

 

 まあ、でも黄泉を救えばそのままこの人も救われるからあまりこの人については考えなくてもいいのではないかと思って少々軽視しているのは否めない。

 

 軽視というと誤解が生じるか。軽視している訳じゃなくて三途河なり冥さんなりの事の発端となる出来事を潰せばば芋蔓式に問題が解決できるので特に深くは考えていないということだ。

 

 

「……助けていただいたということでよろしいでしょうか?すみません、ありがとうございます。助かりました」

 

 礼を言っておく。なんで救急車とかじゃなくてこれで運ばれていたのかはよくわからないが、どのみちあの後は救急車なりなんなりを使わなければ移動など不可能で会っただろうから助かった。

 

「どういたしまして。君、あの戦いの後すぐに気絶しちゃったのよ。本当なら救急車を呼ぶつもりだったんだけど、重傷者から先に運ばれていったから数が足りなかったみたいでね。動ける環境省(うち)が今運んでるってわけ」

 

 そう諌山黄泉は説明する。

 

 なるほど、あれだけの大規模な戦いだった訳だし、事情を知っていてうちら(退魔士)を受け入れられる病院なんて数が知れてるだろうから比較的軽症な俺は普通の車で運ばれているという訳か。

 

 普通ならかなりの重症なんだけどね、これ。

 

「改めまして、諌山黄泉よ。知っててくれたみたいだけど一応ちゃんと話すのはこれが初めてだしね。よろしくね、小野寺凛君」

 

「よろしくおねがいします。改めまして皆さん、俺は小野寺凛です。助けてもらってありがとうございます」

 

 自己紹介をしてきた諌山黄泉と、対策室のメンバーにそう返す。

 

 なんというか、感動である。アニメでずっと見ていたこのメンバー達とこうして会話をできるとは。

 

 少しジーンと来ていると、俺の頭に一つの疑問が発生した。

 

 ……あれ、メンバーって確か。

 

「ナブーも初めまして」

 

「ナブーも初めましてにょんにょん」

 

「うおぉ!?」

 

 後ろから響いたバスボイスに思わず飛び上がる。

 

 ノリとかお約束とかなんかを意識したわけじゃなくて、結構本気でビビって飛び上がってしまった。

 

 ナブー兄弟。

 

 この二人も対策室のエージェントだ。

 

 原作には一人だけナブーが存在していたのだが、アニメにて実はナブーは双子の兄弟であるという設定がねじ込まれ、まさかのナブーが二人登場しているという状況になる。

 

 某喋り方が特徴的な声優が2人の中の人をやっており、しかもアドリブを入れまくるためネタキャラとして非常に目立っていた二人である。

 

 大口径の銃を難なくぶっぱなしながら敵を殲滅していくのだが、残念ながら最終話の直前辺りでその片方が乱紅蓮にやられて致命傷を負い、これまた死んでしまう。

 

 原作から入った人だとナブーと桜庭一樹に関してはその結末を予期できてしまった人が居るのではないだろうか。

 

 

 

 ……それにしてもかなりビビった。

 

 この二人の存在を忘却してしまっていたのに加え、今が夜なのと意識がまだあんまはっきりしていないせいもあって後ろに二人も座っていたことに全く気が付かなかったのだ。

 

 

「驚かせたみたいで悪いな。そいつらはナブー。どっちかが兄のナブーで、どっちかが弟のナブーだ。どこぞのシャーマンの生まれらしくてな、一緒の名前を付ける習慣があるらしい」 

 

「「ナブー」」   

 

 ほぼアニメままの会話がなされる。確か土宮神楽が初めてこの二人に会った時もこのような会話がなされていたはずだ。

 

「は、初めまして。小野寺凛です」

 

 挨拶を返すものの少々ぎこちなくなってしまう。

 

 そんな俺をみて桜庭一樹が笑っており、諌山黄泉は微笑んでいる。

 

 ……またしてもむずがゆい。くそう。気恥ずかしさで首の後ろがチリチリする。 

 

 

「んんっ。それで早速質問で申し訳ないんですが、土宮殿はどうなったのかご存じですか?あの出血量だとかなり危ない状況だったのではないかと思うのですが」

 

 話題とこの空気を変えるためにも俺はそう質問する。

 

 それに、意識が覚醒してからずっと気になっていたことであるのだ。

 

 あの後、三途河に逃走を許した後、俺はすぐに気を失ってしまったらしい。

 

 あの後、一体どうなったのだろうか。俺が命をかけて救いたかったあの人物は、一体今どうなっているのだろうか。

 

 そのため諌山の義従姉妹(しまい)が手当てをしていたということ以外は何も情報を持っていない。

 

 土宮舞はどうなっているのか。今病院に運ばれているのだろうか。

 

 

 

「ああ、土宮の当主なら一命はとりとめているらしい。だが状況はかなり深刻らしい。うちの飯綱が同伴しているんだが、意識レベル300で今は外界の刺激に対して全く反応しなくなっているらしい。脳に与えられたダメージが大きいらしく、正直目を覚ますかどうか怪しいレベルだそうだ」

 

「土宮雅楽さんは問題はないみたい。私たちも詳しい状況を確認しに向かっているところだからあまり詳細には知らないんだけどね」     

 

 そう岩端さんと黄泉は答える。

 

 生きている。それは非常に嬉しいことだ。

 

 だが、やはりそうなってしまったか。

 

 奥歯を噛みしめる。

 

 人間の身体において、血液がなぜ重要なのか朧気ながらでもいいからご存知だろうか。

 

 医者では無いし、医学を嗜んでいる訳でもなかったから所詮は書物で読んだお遊びレベルの知識しかない。

 

 それでも血液の大事さぐらいは知っている。

 

 血液は酸素を体中に運ぶ役割を担っている。我々が呼吸をして得られた酸素は肺を通して血液で運搬され、体中に運ばれていくのは皆常識として知る所だ。

 

 だから酸素があっても血液が流れなければ体には酸素が行き渡らない。

 

 そして、体の中で最も酸素を使う部位をご存じだろうか。

 

 それは頭、つまりは脳みそである。

 

 つまり出血が多量になってくると頭に血液が回ることがなくなる可能性が高くなってくる。正確には回ったとしてもその量が足りなくなる。

 

 我々が人工呼吸をして酸素を送り込み、心臓マッサージでその酸素を身体に運ぶことで延命措置をとるのは脳死を防ぐためであり、酸素を含んだ血液が身体を回ることを維持する為にやるのだ。

 

 当然これ以外にも意味はあるのだが、一番優先されることは脳が死ぬのを防ぐこと。

 

 脳は5分以上血液が循環しない場合、徐々に死に始める。たかだか5分やそこら血液を流さなかった程度で脳とは容易く死んでしまぅものなのだ。

 

 そして、多量の出血はそれと同じで脳にダメージを与える。血液の供給量が低下するということは脳への酸素供給量も低下するということであるから、脳にダメージを与える可能性が高まるのだ。

 

「意識不明、ですか」

 

 意識不明の重体。予測はしていたことだ。

 

 あれだけの出血量。こうなるんじゃないかとは思っていた。予想は出来ていたんだ。

 

 だけど、

 

―――これは、辛いな。

 

 助けることができたという事実は嬉しい。俺の意志が、喰霊-零-(あの世界)に罅を入れたということだから。

 

 俺が彼女を助けることが出来て、その命を救った。

 

 ……だが同時に、俺は彼女に生き地獄を味わわせることとなるかもしれないということだ。

 

 

「ああ。救急車に乗った辺りから意識が無かったらしい。ともあれもう病院までは目と鼻の先だ。今回の場合誰が悪いってわけじゃないんだ、あんまり気を落とさないでとりあえず詳しくはお医者様に聞いてみようぜ」

 

「そうね。小野寺君もそんなに気負わないで。貴方のせいじゃないんだから」

 

 一転して暗くなった俺を見て、二人は俺の心境を察したのだろう。

 

 桜庭一樹は俺に諭すようにして声を掛け、諌山黄泉は泣いている子供あやすかのようにして肩に手を置いてそう声をかけてくる。

 

 誰が悪いって訳じゃない、貴方のせいじゃない、か。

 

 確かにその通りなんだろう。

 

 土宮雅楽が負傷したのも、土宮舞が意識不明の重体なのも、正直俺のせいじゃない。

 

 むしろ俺は彼女らを救う大きな一因となっていたのだ。常識的に考えるのならば俺は褒められこそすれ責められる筋合いなど全くない。手放しで称賛されてしかるべきだ。

 

 そう。普通に考えれば(・・・・・・・・)

 

 だが残念ながら俺は全く普通ではない。

 

 普通じゃ、ないのだ。

 

「……ありがとうございます。そうですね、とりあえずは病院で詳しく話を聞きましょうか」

 

 笑顔を浮かべたつもりだが、表情は取り繕えていただろうか。

 

 確かに俺のせいではない。

 

 それに命は救った。

 

 死ぬべきだった命を救ったのだ。

 

 

 

―――だが、こんなのが本当に救いと言えるのか?

 

 岩端晃司は多少ぼかして発言していたが、それでもこう言った。

 

 意識を取り戻すか怪しいと。

 

 つまりそれはどういうことだ?

 

 それは何を意味する?

 

 つまりそれは土宮舞は意識が無いままに生きながらえることになるということだ。

 

 喰霊-零-の知識を持っていて、その未来を変えるために13年間遊ぶことなど殆ど放棄して鍛錬に没頭してきた。

 

 こっちに来てから得た知識と、前から持っていた知識を磨き続け、この世界を救うための戦略を頭の中でずっと練り続けた。

 

 13年間、この日の為にと言っても過言では無い程に努力に打ち込んできたのだ。

 

―――それで、このざまか。

 

 

「着いたぞ。飯綱からの情報だと土宮舞はICUに運ばれているらしい」

 

 小さなブレーキ音を立てて車が停止する。

 

 昔から、病院はあまり好きではなかった。

 

 あの消毒液の匂いが何故か俺に死を連想させてきて嫌だったからだ。

 

 でも、今日を境にはっきりと嫌いな場所になってしまいそうだ。

 

「小野寺のご子息、君はどうする?君の傷もかなり酷い。ICUに来る前に治療を受けてくることをお勧めするが」

 

「いえ、大丈夫です。これでも俺治癒能力はかなり高いので」

 

 普通なら治療を真っ先に受けるべきであるというのに、わざわざこんなことを聞いてきたということは岩端さんは俺が治療なんてそっちのけでICUに行くと言い出すことを予想していたのだろう。

 

 傷は痛むし、正直、行くことに気が引ける。

 

 でも、それでも俺はこの現実と真っ先に向き合わなければならないと、そう感じたのだ。

 

 

 

 

 

 

――――君は彼女(土宮舞)を救えなかった。

 

 

 

 

 

 痛みと眠気と疲労で朦朧としているせいなのか。

 

 病院に向かう道中。

 

 車に乗りながらも歩きながらも。

 

 

 夢で見た三途河の声が延々リフレインしていた。

 

 

 

 

 

 



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第2話 -遷延性意識障害-

 

 

 

 

 

 植物状態、という言葉をご存じだろうか。

 

 正式名称は遷延性意識障害(せんえんせいいしきしょうがい)と言うらしい。

 

 俺もあまり詳しくはないのだが、これは世界中で報告されている症例であり、大脳の広範囲が壊死または損傷することにより発症するという。

 

 生命活動に必要な臓器、脳の器官は生き残っているが、大脳が作動していないために意識は無く人としての通常の活動を行うことが出来ない状態にある。

 

 つまりは生きてはいるが意識不明のかなり重い状態ということである。

 

 生きてはいるのだが、自発的な呼吸などの生命維持活動以外は何一つすることが出来ず、意思疎通をすることは勿論、排泄なども他力でしか行うことが出来ない。

 

 これになってしまった場合そのまま意識を回復せずに他界してしまうことも珍しくはないという。

 

 

 

 そして、土宮舞がなったのもこれだった。

 

 

 

 正確にはまだ植物状態であると定義をすることは出来ない。

 

 あまりよく話を聞いていなかったためにおぼろげであるのだが、どうやら植物状態であると認定するのには一定の条件下で三か月の経過を待つ必要があるらしいからだ。

 

 

 だが、医者の見立てだと土宮舞が今後3か月以内に目を覚ます可能性は限りなく低いらしい。

 

 それどころか、今後一切目を覚まさない可能性すらあるらしい。

 

 つまりは事実上の植物状態。

 

 ほぼ間違いなくこのまま半永久的に眠ったままの状態となってしまうだろうとのことだ。

 

 

「土宮舞さんはもう目を覚まさないということでしょうか」

 

「残念ながら。彼女が今後目を覚ます可能性はかなり低いと言わざるを得ません。先ほども申し上げましたが、一般に言う”植物状態”であるととっていただいて構わないかと」

 

 静かに、目の前の医者はそう告げる。

 

「それに何故か奇跡的に喰霊白叡が暴走をしておらず一命をとりとめていますが、恐らくはかなり危うい均衡の上に白叡の暴走は抑えられています。現状不思議にも安定してはいますが、今後何らかの弾みで白叡が暴走し土宮さんの命を奪う可能性が往々にしてございます。非常に酷なことを申し上げるようですが、お別れの覚悟をしておいたほうがよろしいかと」

 

 残酷で、しかしそれが真実なのだろうと分かってしまうようなそんな内容を、滔々と、淡々と告げてくる。

 

 ……意外だった。普通医者はこんなに断定した物言いをしてこないものだと思っていたので、ここまでハッキリと土宮舞の容体についての予測をしてくるとは思いもしなかった。

 

「……成程。この件、土宮雅楽殿にはお伝え済みですか?」

 

「はい。旦那さんは意識もはっきりとしておられ、また本人も容態について聞くことを希望したので既にお伝えしてあります」

 

「そうですか。ありがとうございます」

 

 そう言って、俺は席を立った。

 

 はっきりと事実を述べてくれる医者でよかった。おかげで、現状をしっかり割り切ることが出来た。

 

 同席していた、諌山黄泉と岩端晃司が俺を振り向く。

 

 気は済んだのか?とそう聞いている目だった。

 

 それに微笑み返して俺は病室を出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「小野寺凛君」

 

 病室を出て少し歩いていると、後ろから唐突に声が掛けられた。

 

 威厳を感じさせる野太い声。

 

 それは先ほど戦場でも多少ながら聞いた声だ。

 

「お久しぶり、というのは正しくは無さそうですね。先ほどぶりです雅楽さん」

 

 土宮雅楽。喰霊-零-における土宮家27代目当主であり、土宮神楽の父親。土宮舞の夫。

 

 先ほど三途河との戦闘で毒に苦しめられて臥せっていた人だ。

 

 直接話すのは2回目か3回目だったような気がする。分家会議にはあまり連れて行ってもらえてないし、そこでも話す機会なんてほとんど無かったし。 

 

 思考を新たにして雅楽さんに目を向ける。

 

 平然とした様子で佇んでいるが、先ほどの光景がフラッシュバックして思わず身体を見渡してしまった。

 

 ……怪我は大丈夫なのだろうか。

 

 あの時見た限りではかなりの出血量だったように思えたのだが。

 

 喰霊-零-でも土宮舞から継承した白叡を支配下に置くための儀式とやらを行っていた記憶があるが、それも戦いからそこまで期間が空いていなかった筈だ。

 

 仮に今無理をして超然とした様子を振る舞っているのだとしても既に出歩くことが出来るのは見た目通りというべきか相当にタフである。

 

「怪我なら心配せずとも大丈夫だ。もともとそこまで酷い怪我ではない故、止血と輸血を済ませれば行動にそこまでの支障はない」

 

「それならよかったです。でもくれぐれもご自愛くださいね」

 

 無理をしていないなら良いが、あの傷は酷くないなどとは決して言うことの出来ないような物だった。

 

 是非ともお大事にして欲しいものだ。

 

 正直俺が同じ傷を負ったらこんなに早く出歩けるようになる気がしない。

 

 出歩けるようになるまで少なくともあと2、3日はかかるのではないかと思う。

 

 ……鍛え方が違うのだろうか。

 

「うむ。ところで、家内の件なのだが」

 

 家内の件。思わず身構える。

 

 土宮舞の話。

 

 俺を訪れた用事は当然これだろうと予測していたが、それでもやはり身構えてしまうものだ。

 

 だが、何を言われるのかと反射的に身構えた俺に対して土宮雅楽がとった行動は”礼”だった。

 

 土宮の当主代理とも言える存在が、100年を優に超える歴史を持つ家の現当主とも言える存在が、わざわざ俺を訪ねてきて深々と頭を下げた。

 

 齢15にも満たないようなガキに、その3倍は生きているであろう大の男が、腰を90度に曲げて頭を下げたのである。

 

「君のおかげで家内は一命を取り留めた。心より礼を言う」

 

 見事と言わざるを得ない頭の下げ方だった。

 

 これ程までに美しく、そして誠意のこもった礼というものを俺は経験したことが無いかもしれない。

 

「……頭を上げてください。俺は大したことはしていませんよ。むしろ、俺は貴方の奥方を救えなかった」

 

「それは違う。君が居てくれなければ家内は、下手をすれば私も死んでいた。我々が、私の妻が助かったのは偏に君の力があったからだ。本当に礼を言う」

 

 ハッキリと言ってしまうと、この人からはお礼を言われるのではないかと予測はしていた。

 

 俺が本当に望む形ではないとはいえ、俺はこの人の配偶者を救う一助となった男なのだから。

 

―――だけど、ここまで誠意の籠った、感謝しか感じられない礼をされるとは。

 

 不意に目頭が熱くなる。

 

 この一瞬で、たったこの一言だけで。

 

 俺の行為が、俺の決意が。

 

 俺の生が、俺の努力が。

 

 それら全てが、報われた気がした。 

 

「ありがとうございます、そう言っていただけると俺も報われますよ。……そろそろ夜も明けます。いくらお身体が丈夫とはいえこれ以上は流石にお身体に障ります。そろそろお休みください」

 

「うむ、そうしよう。……それにしても、君は幼い頃から年に合わない言動をするな。土宮の使命を継ぐ存在が、あの子ではなく君のような男の子であったならば……。いや、そんなことを言っても詮無きことか」 

   

 その言葉に、喰霊-零-のこの人が死ぬシーンを思い出す。

 

 土宮神楽に対するこの人の接し方はかなり厳しかったらしい。いや、現に今もこの人は土宮神楽に対して厳格な父親として接しているのだろう。

 

 10歳にも満たないような幼い頃から修行漬けの日々を強要し、修行以外ではほとんど口を利かないという、父と娘というよりかは教官と幼子のような関係。

 

 それがこの人が自分の娘(土宮神楽)との間に築いている関係である。

 

 しかしそれは神楽を愛していなかったからという訳では決してない。むしろその逆で、愛していたからこそ厳しくなってしまった。

 

 愛していたからこそ愛娘に死んで欲しくなくて幼い頃から辛い鍛錬を課していたそうだ。

 

 この事実が発覚し、神楽と仲直りするのは喰霊-零-11話時点。この人が命を落とす間際のことである。

 

 

 

「小野寺殿もこのような立派な息子を持ってさぞお喜びであろう。……両親の期待に恥じることなく精進せよ」 

 

「はい。お休みなさい」

 

 そう言い残すと、俺の脇を通って去っていく。

 

 ……ガタイも相まってか、威圧感のある人だ。

 

 俺は前世の記憶があるからいいものの、もし記憶なしの俺の親があの人で、幼い頃から修行漬けにして来たらと考えると少々耐え難い。いや、正直少々どころか普通に耐えられないと思う。

 

 

―――何はともあれ、雅楽さんのおかげで結構吹っ切れた。

 

 俺は一旦後悔し始めるとかなり尾を引くタイプの人間なのだが、以外にもすんなりと自分の心情に決着をつけることが出来たみたいだ。

 

 当然それでも心に残る物はある。多分これからしばらくはそれが残り続けるだろう。

 

「でも、あれだけ感謝されたらな」

 

 当然心残りや後悔の念はいくらでもある。

 

 でも、そんな俺の負の感情をあらかた取っ払ってくれるほどには感謝の念が伝わる礼だった。

 

 俺のやったことは無駄では無かった。

 

 あれだけの礼をされてくよくよしていたらそれは雅楽さんに()礼というものだ。

 

「さて、俺も帰るか」

 

 もうほとんど夜明け前とかそこらの時間帯じゃないだろうか。随分と遅くなってしまった。

 

 こんな時間だが、金田さんはまだ迎えに来てくれるだろうか。

 

 多分心配性なママンが俺の帰りまで誰かしら使用人の方を寝かせてない筈だから多分大丈夫だとは思うんだが。

 

 もしかしたら対策室から連絡が行ってるかもしれないが、俺からは連絡も入れてないし、多分すっげー心配してるだろう。

 

 玄関の前でオロオロしてて親父と使用人の人達が母親を寝かしつかそうとして四苦八苦している姿がありありと目に浮かんでくる。

 

 連絡しないとなんて思いながら携帯を取り出そうとすると、俺の左腕にとてつもない痛みが走った。

 

「ふひっ―――――」

 

「どこ行こうとしてるのよ君。ていうか何その声」

 

 左腕に突如として走る衝撃的な痛みに、患部を抑えて蹲る俺。

 

 声にならない声をあげながらその痛みの元凶となったであろうものをちらりと見る。

 

 俺の目に映るのはそんな俺の反応を見てケラケラ笑う黒髪長髪の制服美少女。

 

「何しやがるんですか……!!」

 

 俺は涙声になりながら、愉快そうにしている中2女子に非難の声を浴びせる。

 

 無邪気な笑みで俺のリアクションを笑う諌山黄泉。

 

 その笑みは確かに可憐でとてつもなく可愛らしい。

 

 思わず「飯綱から俺に乗り換えちゃいなよhey you」といって口説いてしまいたくなる程度には可愛い。

 

 だが、そんなに可愛くてもやっていいことと悪いことがある。

 

 こ、このアマ、今裏拳で人が怪我してる所小突きやがった……!!

 

「あっはははは!そのリアクション最高、100点!……いやね、あの後君がいなくなったから追いかけてきたのよ。そしたら土宮殿と会話してたから終わるまで待ってたんだけど、治療もせずに帰ろうとしてるから声を掛けたってわけ」

 

 蹲る俺の脇にしゃがみ込んで追撃の突っつき攻撃を繰り出してくる諌山黄泉。

 

 声を掛けるだけじゃなくて同時に物理的攻撃も仕掛けてきてやがる。

 

 ま、待て。マジで待てお前。それ、ほ、本当に洒落にならんダメージなんだって。

 

「ここか、ここがいいのか」

 

「ば、おま、マジでやめろ!洒落にならんですって!ほんとにやめて!」

 

 ほーれほれとか言いながら連撃を繰り出してくる。

 

 この業界に居る以上、この少女もある程度の怪我はしたことがある筈だ。

 

 それすなわち熱を持った状態の患部の痛みを知っているということ。

 

 ちょっと指を切ってしまって熱を持ってしまった状態くらいは誰しもが経験したことがあるだろう。

 

 だが、この業界で体験するような痛みはそんなちゃっちい傷の痛みの比じゃない。

 

 それなのにこの少女はその部分を徹底的に攻撃してきやがるのだ。笑みを浮かべながら。

 

 こ、こいつ、生粋のサディストか!?

 

「こんな怪我放置してどこ行こうっていうのよ君は。どうしようもないくらい土宮殿の様子を見に行きたそうだったから特別にあの時は見逃したけど、当然君も入院に決まってるでしょ」

 

 そういいながらも突っつくのはやめない隣の悪魔。

 

 そんな怪我をしてる奴にこんなことをしているこの女がよく言うものだ。

 

 攻撃される度に思わず声が漏れてしまう。

 

 この少女と艶っぽい声を出せるようなことが出来るのならば大歓迎なのだが、こんな死にかけのカエルのような醜い声を一方的に俺のみが出している状況など断固としてお断りだ。

 

 誰得だよ。いや、少なくとも隣のデーモンは楽しんでやがるのか。

 

 ひと突き毎に身体がびくびくと跳ね上がる。痛みのあまりろくな抵抗もできない。

 

 ……この時俺は心に決めた。こいつ、いつか絶対に泣かすと。

 

 確かに原作(喰霊-零-)とかでもお茶目な印象はそこかしこに散らばっていたが、お茶目で済まされんぞこれは……!

 

 のたうち回る俺を見てひとしきり笑い終えたのか、諌山黄泉は立ち上がって俺に手を差し出してくる。

 

「消毒とか止血とかはしっかりしたからもう血は流れてないだろうけど、もしかしたら縫合とかするんだから帰れる訳ないじゃない。さ、行こ。うち(対策室)で病室は抑えてあるから」

 

「く、くう」

 

 

 確かにその通りなので何も言い返せない俺氏。

 

 なんで俺は帰ろうとしてたのか。自分も母親に負けず劣らずのアホの子気質があることは自覚していたが、これはもはやあほの子とかで説明がつくレベルではないぞ。

 

 得た多少の満足感で自分の怪我忘れるとか今更ながら凄い恥ずかしくなってきた。

 

 これもきっと三途河のせいだ。あいつの掌底で一時的におかしくなってしまっているのだ。そう思うことにしよう。

 

 

 病室確保しといてくれたとかこうやってわざわざ迎えに来てくれたとかは凄いありがたいんだがわざわざダメージを与える必要はあったのだろうか、という切に主張したい思いは押しとどめて、差し伸べられた手をとって立ち上がる。

 

 

「……うん、表情もよくなった。土宮殿と話す前まで死にそうな顔してたからちょっと不安だったんだけど、もう大丈夫そうね。それじゃあ行きましょ」 

 

 そのまま俺を引っ張っていく諌山黄泉。

 

 お年頃の女子だというのに男子と手を繋ぐのに抵抗がないとは大したものである。

 

 一方手をつながれているお年頃の男の子である俺こと小野寺凛も、普通なら気恥ずかしさを感じるのだろう。

 

 だが、その手を握って思う。

 

―――剣だこだ。

 

 俺が握っている手は女子中学生らしく滑々としていて若々しい手とは対照的なそれだった。

 

 剣をどれだけ振るってきたかが一瞬で分かるほどに固くそしてしなやかな手。

 

 それは、年頃の乙女がしていい手では決してなかった。

 

 

 

 

 

 あの諌山黄泉と手を繋げているという感動よりも、その手から伝わる生々しい程の努力の量に、俺は想いを馳せてしまったのだった。

 



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第3話 -お見舞いと土宮神楽-

※今回も後で改稿入ると思います。






 

 表情(・・)のない少女だ。

 

 それが、俺が初めて土宮神楽を見たときの感想だった。

 

 

 

 

 

「……母を助けて頂き、ありがとうございました」

 

 俺が彼女を初めて見たのは分家会議で土宮邸に向かった時だ。

 

 話したのは二言三言だし、僅かな時間ではあったが、雅楽さんの隣に付き添っている土宮神楽の表情を見ることが出来たのである。

 

 表情(かお)の無い少女だ。

 

 何となく、そう思った。

 

 恐らく俺の言う”表情の無い”と一般に言う”表情の無い”は意味合いが異なるのだろう。

  

 彼女は笑顔も見せたし緊張しているような表情も見せていた。

 

 だから、普通の人が見たらただのシャイな少女ぐらいにしか思わないはずだ。

 

 だけど、俺には目が笑っていないように見えた。

 

 俺が知っている彼女など、言い方は悪いが所詮は人間が描いたニセモノのヒトだ。

 

 逆説的ではあるが所詮は二次元世界に存在するだけの存在しない(・・・・・)人間だ。

 

 だから俺のその直感など役に立たないガラクタ以下の価値しかないのかもしれない。

 

 だが、それでも俺はこの子には”表情が無い”と思ってしまったのだ。

 

 確かに一縷の信憑性も無いような、そんな直感なのかもしれない。

 

 でも、目が笑っていないような気がしたのだ。

 

 母親が生きているというのに、喰霊-零-の彼女とはそれが違った。

 

 その表情があまりに喰霊-零-と食い違っていたように感じたのだ。

 

 でも、さっきも言った通りこれは俺の頼りない直感に頼った判断であるのだから、俺も深くは考えなかったのだが……。

 

 

「父上が言っておりました。貴方が居なければ自分も母も死んでいたと」 

 

 

 でも今彼女の表情を見てそれは確証に変わりつつあった。

 

 俺のベッドの横で俺に礼をいう土宮神楽。

 

 綺麗な表情で、綺麗な声で、綺麗なふるまいをして俺に礼を言う。

 

 だが、その顔に浮かぶ表情は全くない。

 

 本当に無色だ。瞳に()が全く存在しない。

 

 

 

 人の目には様々な()が浮かぶものだ。

 

 例えば、三途河戦に向かう前の俺の目には決意の色が浮かんでいただろう。

 

 昨日の諌山黄泉の瞳には喜色の色と邪悪な色が浮かんでいたように見えた。

 

 だが、この子にはそれが無い。

 

 いや、正確にはこの発言は正しくない。

 

 あるとしたらそれは諦めの色。諦めというよりは達観と言い換えたほうが適切だろうか。

 

 そんな色が浮かんでいるのだ。

 

 気持ちが追いついていないだけなのかもしれないが、現時点では悲しみの色ですら浮かんでいないように感じる。

 

 ただ単に親に言われたことを淡々とやっているだけの、そんなプログラムを実行するだけの機械のような印象。

 

 それがこの子から伝わるイメージだ。

 

「そういってくれて凄い嬉しいんだけど、俺は殆ど何もしてないよ。大したことなんかしてないからさ。……そうだ、諌山黄泉っていう変なお姉ちゃんにはあった?あと諌山冥っていう綺麗なお姉ちゃん。あの二人が俺も含めて助けてくれた人達だからさ、後でちょっとお話してきなよ」 

 

 出来る限り優しい笑顔でそう語り掛ける。

 

 表情が無いとは言ったが、それはあくまでも現時点での印象に過ぎない。

 

 別にこの子は感情が無いわけじゃなくて、自分の境遇と現状に思考が追いついていないだけだと俺は思うのだ。

 

 だから驚いたことには驚いたが、別にそれ自体はそこまで気にすることではない。

 

 零では諌山黄泉との絡みでこの子の感情というものは段々と形成されていくのだから。

 

「……冥さんとはまだです。先に貴方にご挨拶しろと黄泉さんが」

 

「ドSな方とはもう話したのか。雅楽さんの病室行く的な発言してたしその時にでも話したのかな。冥さんには機会がある時にでも一言お礼言っておくといいかもね」

 

「……わかりました。申し訳ありませんが、これより鍛錬がありますので失礼します」

 

 ぺこりと頭を下げる土宮神楽。

 

 ……丁寧なのはいいんだけど、諌山黄泉にはこの子最初の方からタメ語じゃなかったっけ?

 

 俺警戒されてんのかなとか思いつつ笑顔で送り出す。

 

 物凄くよそよそしい反応にほんの少し傷ついたのは内緒である。

 

 黄泉の時もよそよそしかったのはよそよそしかったが、それ以上によそよそしかった気がする。

 

 なんていうか謝る理由が無いのに謝らざるを得ない状況のあんまり優秀ではないサラリーマン的な。

 

 うん、例えが分かり辛い。

 

「っていうかこれから鍛錬?」

 

 土宮神楽の姿が見えなくなってからポロリと呟く。

 

 聞き逃すところだったけど、確かに今神楽ちゃんは「鍛錬をするので失礼」みたいなことを言った筈だ。

 

 お母さんが倒れてるようなこんな状態で鍛錬?

 

 こんな状況でか?

 

 普通ならずっと付き添いで病院に居るのが普通な気がするんだが……。

 

 お母さんが意識不明の重体になっている状態で小学校6年生の女の子が鍛錬に集中できるわけが無いだろう。

 

 というよりさせる意味が分からない。

 

 うちの母親なんて対策室から連絡が入った瞬間にすっ飛んできて今は宿泊用具を取りに戻っているというのに。おかげであんまり寝れてない。

 

 下手をすれば親父も朝までお泊りコースだ。

 

 過剰なんじゃなくてこんな年齢のガキ共に対する反応としてはこっちが普通だ。

 

 こんな時に鍛錬をさせる親なんて常識的に考えて間違っている。

 

 ……雅楽さんの指示なんだろうが、雅楽さんはちょっとどころか大いに土宮神楽(自分の娘)の愛し方を間違えてしまってるみたいだ。

 

 確かに喰霊-零-3話時点の神楽ちゃんも生まれてしまいますよそりゃ。

 

 表情が無いって直感も当たりなのかもしれない。少なくとも俺なら表情はなくなると思う。もしかすると感情もなくなるやもしれない。

 

 

 俺の親父は結構キチガイな程に厳しいが、それは俺が親父が出す程度の試練ならば易々とこなしてしまうということを何回か初期のころにやってしまったために段々ハードルが上がっていってしまった為なのだ。

 

 決して最初から阿呆みたいなレベルを要求された訳ではないのである。

 

 階段を2段飛ばしとかで昇って行った結果、要求される水準が訳の分からないものになっていたというだけである。

 

 予想外に優秀な息子が生まれて有頂天になってしまったのだ。

 

 俺が出来ない子供であるとか、弱音を吐いたりしたらここまでの水準になどなってはいなかった筈だ。

 

 恐らく一般的な小野寺のレベルの教育に乗っ取って俺は育成されただろう。

 

 いや、最終的に小野寺蓮司(俺の親父)がキチガイなのには変わらないんだけどね。

 

 いくら期待以上だったからって普通の大人が音を上げる訓練をやらせてリバースしてる息子を叱るような奴はまともじゃないと思う。

 

 訓練中はずっと「こいついつかぶっ飛ばす」と思ってました。先日予期せずしてそれが叶ってしまったのは記憶に新しい。

 

 

 それに対して土宮さんの娘は俺のようなイレギュラーではない。あくまであの人の娘はその年齢しか生きていない可憐な少女であって、俺のように年齢の三倍近く精神年齢が発達した人間ではないのだ。その点を考慮するとあまりにも厳しすぎる。

 

 確かに土宮神楽のスペックは俺なんかより遥かに優れたものがあることは欠片も疑いようがないが、それでもあんなに小さな女の子が役に立つのかもよくわからない鍛錬なんぞを好き好んでやるとは思えない。

 

 教育とは洗脳に等しいとはよく言われることであるが、”退魔士の代表的な名前を持つ家系なのだから強くあれ”と教え続けることもそれに近しいものがあると思う。

 

 事実諌山黄泉にその思考を偏屈であるとバッサリと否定されていた。

 

 とりあえず重要だと刷り込ませるだけ刷り込ませて自分の意思を持たせずに鍛錬に打ち込ませる。

 

 流石にここまで酷い教育や訓練の仕方では無いとは思いたいが、かなり近しい所まで近似出来ているのではないだろうか。

 

 そんな教育をされて親に逆らおうなんて気持ちが起きるわけないしな。

 

 逆らえる環境にいるのならば人間はストレスを感じにくいものだ。

 

 いくら練習がきついからって父親のお茶に下剤仕込んで復讐するなんて俺みたいなことを彼女が出来る訳がないし、そもそもそんなことをやって自分の親父をからかうなんて考えが起こらないだろう。

 

 それこそ諌山黄泉にその考え方をぶっ壊されるまでは。

 

 まあ退魔士なんだしそのくらいのことは皆やってるかもしれないけど、それでもちょっといき過ぎな気がするんだよな俺としては。

 

 

「やっほー。お見舞いきったよーん」

 

 そんなことを思っているといきなり響いた声。

 

 ズコンと鈍い音を立てて病室の扉が開かれる。

 

 ……なんだお前その威力は。

 

 とてもお見舞いに来た人間がやるような力加減の扉の開け方では無かった。

 

「何しに来たの君……?」

 

「お見舞いって言ったじゃない。それとも何かしら、凜は私のお見舞いじゃ不満?」

 

 多分この時点で誰が来たかを理解できない人間はいないだろうが、そこに現れたのは諌山黄泉。

 

 宝刀獅子王を携え無遠慮に病室へと乗り込んでくる。

 

 昨日散々俺の傷口を抉ってくれた糞アマである。

 

「不満っていうか昨日散々話したのになんでまた来るのさ。俺としてはしばらく会わなくていいんだけど。それに学校は?」

 

「うわー棘あるー。可愛くないなー凜は。学校って今何時だと思ってるのよ、もうとっくに終わってる時間」

 

「え?……あーもうそんな時間か。親の対応とか見舞客の対応で忙しかったからわかんなかった」

 

 自分が思ってた以上に客が来たので結構びっくりした。

 

 変な知らないおっさんとかに俺の活躍がいかに凄かったかみたいなことを延々語られたりとか、したり顔で俺のことを自慢し始めるおっさんを白い目で見つめるのとか、果てには縁談を進めてきた馬鹿の対応とかが大変だった。

 

 てめえら何俺の行動を自分の手柄のように思い込んでるんだとか、そもそも見舞いに来たくせになんで俺に負担掛けてんだよとか、どうして知らないおっさんから勧められた縁談を速攻で断ったら不満げな顔をしやがるんだよとか結構イライラしてしまったのは内緒である。

 

 大人の汚さというかなんというか裏側みたいなのを垣間見た瞬間でした。

 

 対して寝てないのに本当に疲れたよ。今日は眠りこけることにする。

 

 

 

 ……だけど、本当に面倒だったのは親への対応だった。

 

 親父はすげえ優しくてしっかりしてたんだけど、問題は天才的アホの子、小野寺千景(我が母親)(ちかげ)である。

 

 本当に大変だった。俺と親父を疲労困憊にさせるほどには大変だった。

 

 親父のファインプレーでとりあえず今は家に帰らせているが、帰ってなかったら今頃俺は病院で暴れていたかもしれない。

 

 

 号泣しながらポカポカ攻撃を繰り出して来たのとかはどうでもいいんだ。

 

 一撃一撃が俺にとっては致命傷なので一撃ごとに命が削られていく感覚を味わってしまったがそれは別にいいのだ。

 

 

 問題なのは「もう危ないことはさせません!」とか言ってほかの見舞客が来ているにも関わらず俺にべったりだったことだ。

 

 どこにそんな力があるのか分からないほどの力で俺にしがみついており、全く外せないし、親父とか俺が離れろと言っても全く聞かないのである。

 

 恐らく結構偉いであろう人が来てるのに俺に抱き着いたままお話をするわ、縁談の話の時とかその縁談相手の女の子を獣のような声で威嚇し始めるなど親父の胃が心配になることを次々にやり始めたのだ。

 

 お判りだろうか。自分の上司らしき人間が息子を見舞いに来たのにも関わらず、自分の妻が挨拶もせずに息子に抱き着いているのだ。しかも縁談にはうなり声をあげて威嚇し始める始末。

 

 心の底から親父を気の毒に思ってしまった。正直俺もかなり冷や汗が流れてた。

 

 息子の俺がまさかのフォローに回るというね。

 

 見舞いとかいう名目で俺に唾付けに来た奴らを俺が無下に出来なかったのはこれが理由である。

 

 普通ならもっとドライに対応するところなのだが、結構丁寧に対応せざるを得なかった。

 

 縁談だけは一瞬で断ったけど。可愛い子だったけど今はそんな暇ないのです。

 

 

 

 ……ちなみにだが、実は「小野寺」なのは母の家系であり(・・・・・・・)親父の家系ではない(・・・・・・・・・)のである。

 

 つまり親父は婿養子であって本来なら当主ではない筈なのだが、子が千景(俺の母)しかいなかった俺の祖父母は我が子のあまりの天然さに小野寺存続の危険を認識。

 

 俺の母と仲が良く、尚且つ有望株であった俺の父をくっつけさせて小野寺当主に仕立て上げたのである。

 

 その目論見は大成功と言える。しかもこんな息子も生まれちゃった訳だし。

 

 うちの母は努力家で退魔士訓練もかなり頑張っていたのだが、残念ながら結果はお察し。

 

 でもその性格とその雰囲気の為に祖父母からも退魔士の方々から蔑視されるどころかとても温かい目で微笑ましく見守られるというある意味伝説の存在なのだ。 

 

 なのでそのエピソードとか母の性格を知る人は笑って済ませてくれてはいた。

 

 キレた爺も一人いたが、それが今回の唯一の救いだったかもしれない。

 

 

「というより自分で言っておいてなんなんだけど学校行ったの?あの後に?」

 

「勿論。対策室の車でちょっと仮眠をとってそのまま向かったの。授業は寝ちゃったけどね」

 

 カラカラ笑う黄泉。

 

 ちなみにタメ語なのは昨日それでいいと言われたからである。名前も呼び捨てだ。

 

「随分タフだな……。こんな所に来てないで家帰って寝たほうがいいんじゃないの?」

 

「大丈夫、私は昨日君みたいに動いてないからね。そこまで疲れてないのよ」

 

 はいっとペットボトルのお茶を投げてくる黄泉。

 

 お見舞い品のつもりらしい。

 

「凜は……疲れてるみたいね。お母さんの件、噂には聞いてたけどまさかあそこまでとは思わなかったわ」

 

「……噂になってんのかようちの母親」

 

「最近は君のせいで特にね。君が注目されるとその親にも当然目が行くから。うちのお義父さん(諌山奈落)も噂してたもの」

 

「そうだったのか……。今回ので更にそれを広めちゃったかもな……」

 

「いいじゃない面白いお母さんで」

 

 ケラケラ笑う黄泉。

 

 ……そういえばこの子には両親が居ないんだったな。

 

「んで、対策室のエース様がわざわざ俺の所にお越しになった理由は?本当に俺のことを見舞いに来てくれただけなわけ?」 

 

 話題を変える為に尋ねる。

 

 昨日「日を改めてまた来る」的なことを言っていたし、もしかするとそれなのだろうかと考えたというのもある。

 

 ぶっちゃけ昨日昨日とさっきから言っているが実際は今日の朝のことだから日も改まってないし、改まっていたとしても翌日に来るのはどうかとは思うが。

 

「そうね。君も疲れてるだろうしサクッと来た理由を言っちゃいましょうか。……実はね、ちょっと君とお話をしたいって人が居るのよ。あんな出来事の次の日だから遠慮しましょうってその人は言ってたんだけど、丁度いいしと思って連れてきたのよ」

 

 俺に会いたい人?

 

 ……疲れてはいるけどちょっと気になるな。

 

「どうかな?君が辛いようなら本当に日を改めるけど……」

 

「別に問題ないよ。もう来てるのその人」

 

「うん、それじゃあ呼ぶね。――大丈夫だそうです。お入りください」

 

 その声に合わせて開かれる病室の扉。

 

 その向こうに居た存在に「おふっ」と声を漏らしてしまう。

 

 ……そうだ、この人達を忘れてた。

 

「失礼します」

 

「あらあらごめんなさいね。怪我をしてて大変なのに。黄泉ちゃんがこの機会にお話しちゃったほうがタイミングがいいって言うから」

 

 キリっとした声を発するスーツ姿の短髪の女性に、車いすに座る妖艶な声をした長髪の女性。

 

 原作では死んではいないが両者ともに黄泉に徹底的にやられ、片や幼児退行をしてしまう、珍しく喰霊-零-オリジナルキャラクターなのに生き残ったほぼ唯一といっていい存在。

 

 二階堂桐に神宮司菖蒲。

 

 

 対策室室長補佐に、環境省超自然対策室の代表である室長。

 

 実質対策室のTOP2。

 

 

 

 それが、俺の病室に現れた。 

 



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第4話 -勧誘-

 神宮司菖蒲。

 

 喰霊-零-における超自然対策室の室長であり、あの組織のあの支部のリーダー的存在である。

 

 つまりは喰霊-零-登場陣の上司たる女性だ。

 

 俺は対策室メンバーとは今の今まで絡みが無かったためにこの人との顔合わせは今回が初めてとなる。

 

「体調は大丈夫かしら?カテゴリーAに結構手酷くやられちゃったって聞いたけど?」

 

「お気遣いいただきありがとうございます。こう見えてそこまで酷い傷じゃないので問題ありませんよ」

 

「それは良かったわ。ご両親が悲しむような酷い怪我じゃなくて。カテゴリーAに相対してそれだけの怪我で済むなんて流石神童なのかしら?」

 

 右頬に手を当てながら妖艶に微笑む神宮司菖蒲。

 

 穏やかな大人の女性といった微笑み。

 

 この艶やかさは諌山黄泉や諌山冥ではまだ出せないだろうと思わせる笑みである。

 

 喰霊-零-時点の冥さんとかなら出しているのかもしれないけど。

 

 

 ……それにしても神童って言葉が少々鬱陶しくなってきた。

 

 初対面の人とか実力を見せた人とかが次に出すのは必ずこの言葉。

 

 先の戦いで俺の戦闘能力が知れ渡ってしまったためか、この言葉をかなりの回数聞くようになったのだ。

 

 縁談を持ちかけてきた相手も俺の機嫌を取るためにやっていたのかかなりの頻度で連発していたし、見舞客の九割がその言葉を持ち出していた。

 

 最初の方はむず痒いだけで実のところ嬉しかったのだが、もう言われ過ぎて対応するのが面倒臭いレベルになってしまっているのが実情である。

 

「ええ。もし後遺症が残る怪我をされたら退魔士業界にとって痛手になりますからその程度の怪我で済んだのは喜ばしいことです」

 

「ちょっと桐ちゃん」

 

 無表情で本音をサラッと漏らす二階堂桐を困った笑顔で神宮司菖蒲は諫める。

 

 どこぞの防衛省で見た光景だ。

 

 本当にこの人は言葉に飾りが無いな。

 

 知ってはいたつもりだったが、ここまでストレートな言葉を投げかけてくるとは思わなかった。

 

「ごめんなさいねー。決して悪気があるわけじゃないのよ」

 

「いえいえ、お気になさらず。俺としては寧ろ直球で言って貰ったほうが楽です」

 

 これは本音である。

 

 下心しかない人達に心にもない心配をされるほうが正直面倒だった。

 

 それなら心配の句を何分も述べるよりも入ってきた瞬間に本題を切り出してくれた方がこちらとしても何の後腐れも無くて楽だ。

 

 ……まあそんな訳にもいかないのが大人の世界だって分かってはいるんだけどさ。

 

「早速ですが、本題に入ってもよろしいでしょうか?我々としても貴方としても長い前口上など望んではいないでしょうから」

 

「桐ちゃん。……でもそうね。前置きが長くなりすぎても意味ないし、本題に入っちゃいましょうか」

 

 ポンと手を打つ環境省超自然対策室の室長様。

 

 そして俺を見舞う気なんて一切ないとはっきりわかってしまう二階堂桐。

 

 ……なんか俺二階堂桐とは気があいそうだなーなんてちょっと見当違いなことを思ってしまった。

 

 それにしても本題、か。

 

 予測は出来ている。

 

 この人は一体どこの組織の存在で、その立ち位置はどこで、そして日を改めてわざわざ俺を訪ねる予定だったのだ。

 

 ということはつまり―――

 

「小野寺凛君、貴方対策室(うち)に来ない?」

 

 勧誘しか、ないよなあ。

 

「貴方の戦力や置かれている状況などを総合的に考慮して判断しました。貴方ならば対策室でも十二分に即戦力になれるかと」 

 

対策室(うち)としては君みたいな将来ある有望な人材にはぜひ来てほしいのよね。最近霊力場も不安定だし、今回みたいにカテゴリーAが現れるケースがもう無いとは言い切れないでしょう?だから戦力を増強しておきたいのよね」

 

「小野寺蓮司殿には以前から打診していましたが断られてしまっていましたので。本人に直談判できないかと考えていた所、今回諌山黄泉が機会を作ってくれたので訪れたという訳です」

 

「そうなの。元々声は掛けよう掛けようとは思っていたんだけどご両親の反発が凄くて凄くて。話す機会が無かったから会ってくれて嬉しいわ。どうかしら?フリーでやるよりは安定して収入が入るし、今回みたいに色々とフォローしてあげることが出来るようになるけど……」

 

 対策室から打診が来ていたのは知っていた。

 

 親父からもその話は聞いていたし、入ったほうが色々と都合がいいのは分かっていたのだが、今回みたいに自由に動きやすいようにと入らないようにしていたのだ。

 

 それに理由はあまり良く知らないけどうちの母親が猛反発していたから親父も俺の対策室入りを進める気にはならなかったらしい。

 

 多分だけど一度そのお誘いを俺が断ったから対策室入りを嫌がっているものだと勘違いして親父に圧力をかけていたのだろう。

 

 うちの母親は教育を抜かせば俺に非常に甘く、そしてうちの親父は母親の言には逆らえないのである。

 

 尻に敷かれているとはちょっと違うのだが、親父は母親のお願いを断れないのだ。

 

 かなり優しい人で怒鳴り声など上げられた覚えがない程にホンワカとしているのだが、なんか知らないが嫌に押しが強い。

 

 なんと言えばいいのだろう、何でもない言葉で別にこっちが言うことを聞く必要は無いのだが妙に聞いてあげたくなってしまうというか……。流石は小野寺の正式な後継者と言った所……なのだろうか。

 

 なので俺の一家では俺がそこまで反対をしていないにも関わらず「対策室入りお断り」の風潮が芽生えてしまい勧誘は片っ端から拒否していたとのことだ。

 

 そのため俺に取り次がれる前に両親がすべてその依頼を断ってしまっていてよくは知らないが、実のところ東北だの九州だのの対策室からもスカウトが来ていたとかって話を昨日黄泉が言っていた気がする。

 

「……対策室入りですか。背中を任せられる存在が居るっていうのもかなり魅力的ですし、今回助けていただいた恩もありますし考えたい所なんですが……。それは今日すぐに答えを返さなければならない訳じゃないですよね?」

 

「ええ、勿論よ。今日はゆっくりしたいでしょうし、急がなくていいわ」

 

「ゆっくり考える必要があるかは疑問ですが。普通の退魔士なら対策室で働くことはメリットが多いですし断る理由はないかと」

 

「もう桐ちゃん」

  

 再度ズバッと物事を言う二階堂桐を諫める神宮司菖蒲。

 

 やはり物事をズバズバ言うところなんかは共感できるのだが、この人が仕事上の部下に居たりしたら胃が痛くなりそうだ。

 

 よくもまぁ神宮寺室長は平然とした顔をしていられるものだ。俺相手ならともかく防衛省のお偉いさん方相手に啖呵切っても平然と嗜めるだけだったからなこの人。

 

「でもそうねぇ。正直フリーでやるよりも対策室でやった方が警察への口利きとかで行動が楽になるし、メリットが大きくないかしら?もしかしてフリーにこだわる理由があるのかしら」

 

 二階堂桐を嗜める体をとりながらその実グイグイと攻め込んでくる神宮寺室長。

 

 ……もしかしてこれを狙って二階堂桐を助手に置いているのだろうかこの人。

 

「いえ、特にはありませんが……。俺はあまり縛られるのが好きじゃないのでフリーの方が楽なんですよね」

 

「そう。確かに機関に属していると今までみたいには自由には動けないものね。でもこれから先ずっとフリーでやっていくのは辛くないかしら?縄張り争いみたいな個人ではどうしようもない問題に遭遇することはあるでしょうし、今回みたいな高位の怨霊と戦うときに一人だと背中を預けられる相手が居ない場合命を落としちゃう可能性だってあるじゃない?」

 

「ええ、その点に関しては承知しているつもりですよ。現に今回もそちらの諌山黄泉さんに助けられていますし」

 

 それに協力者が居てくれると助かると考えて今回諌山冥に協力を依頼したのだ。

 

 俺は一人で何でも解決できてしまうような化物じみた能力を持っているわけではないし、協力者や組織の存在の大切さなどいくらでも知っているつもりだ。

 

「黄泉ちゃんも凜君の対策室入りを推薦してくれてるし、本当に考えてみてもらえないかしら?凜君他の地方の対策室からも引っ張られてるから東京支部(うち)で確保しておきたいっていうのも本音なんだけど」

 

「推薦……?」

 

 ちらりと黄泉を見る。

 

 昨日とは一転してふわりとしたお姉さん的な笑みを浮かべる黄泉。

 

 いつも俺が画面越しに見ていた笑み。神楽へと向けていたような優しい笑みであった。

 

 黄泉に実力を見せたことはまだ無い筈だが、何やら対策室に俺を推薦してくれたらしい。

 

 何故俺を推薦したのだろう。諌山黄泉に俺の実力を直に知られる機会なんてあっただろうか?

 

 ……イジる対象を増やそうとしたわけではないですよねお姉さま。

 

「内部からの推薦もあることですし是非ご検討を。……室長、そろそろ」

 

「そうね、ご両親が帰ってきたら大変ですし私達はそろそろお暇しようかしら」

 

 ポンと手を打つ室長。

 

 確かにうちの両親(特に母親)が帰ってくると俺の対策室入りが不可能になる確率が高いからな。

 

 多分もう少しで帰ってくるし、タイミング的にはドンピシャだ。

 

「もう少しお話ししたかったけど仕方ないわね。それじゃあ小野寺凛君また今度お会いしましょう。いい返事を期待してるわ」

 

「失礼します」 

 

「私もお暇するわ。まったねー。また来るわん」

 

 そう言い残してそそくさと去っていく三人。

 

 俺の病室に来てから帰るまで僅か2分やそこら滞在していたかどうかというレベルだ。

 

 ……嵐のような勢いだったな。

 

 弾丸のように人の病室に入ってきて弾丸のように去っていきやがった。

 

 勧誘はしたかったけれども俺の母親には会いたくなかったのだろう。

 

 

 打って変わって静かになる俺の病室。

 

 多分5分もすれば母親が帰ってくるので再度五月蠅くなるのだが、一時の静寂が俺の部屋を満たしていく。

 

 ……対策室入りか。

 

 来客対応の為に起き上がらせていた身体をベッドへと横たえる。

 

 対策室入りは考えていたことではあった。

 

 警察への手回しとか、そういった権力系統へのサポートが半端じゃないし、さっきも言った通り仲間が作れる。

 

 背中を任せられる相手というものは本当にいいものだ。

 

 しかも背中を任せるどころか俺がすっぽりと守られてしまうほどの実力者が二人もいるような組織が環境省超自然対策室である。

 

 神童諌山黄泉とその神童を作中で少なくとも三回は負かしている土宮神楽が属する機関だ。

 

 もはや戦力的に気持ち悪い。

 

 おぞましいと言い換えてもいいかもしれない。

 

 そういうのも考慮すると、正直入ったほうがメリットが大きいのだ。

 

 原作(喰霊)の時代も俺は生き抜く予定だし、フリーでいるよりも対策室に勤務して敵勢力と真っ向勝負したほうが戦いやすい。

 

 対策室も得ていないような情報を探り出して推理しながら先回りして行動するのって非常に面倒くさいのだ。

 

 今回はたまたま情報を得ることが出来たが、下手をすれば寝てる間に全部終わってましたーなんてことが起きかねない。

 

 というよりは俺の怠惰な性格的に普通にあり得る。

 

 ターミネーターじゃあるまいし人間が24時間常に気を張っているなど不可能だ。

 

 それに俺は神楽ちゃんたちが敵にやられるのを良しとしないし、そもそも土宮舞が現在死んでいない時点で多少ながら「喰霊-零-」からも「喰霊」からもこの世界はずれ始めている。

 

 今後の俺の行動次第では全く別の世界になる可能性が極めて高い。

 

 もし仮に俺が三途河のクソガキを殺せたとするなら、俺が知っている喰霊ワールドは完璧に消滅する。

 

 「諌山黄泉が生きて」いて「対策室メンバーが全員健在」で「九尾を蘇らせる幹事役」が存在しない喰霊の世界が誕生するのである。

 

 うん。全く先が予想できない。

 

 原作知識の一体何パーセントくらいが使えるんだろうねその世界で。

 

 正直俺の頭だとそんな状況でどう動けばいいかを一人で得られる情報で判断するのは難しいと思う。

 

 土宮舞のことを助けられたのは一応フリーで指令を無視できたからではあるが、同時に助けることが出来たのは対策室のおかげでもある。

 

 ……どうするべきか。

 

 フリーであるメリットは自由に動けるということだけではあるのだが、その自由に動けるということが何よりも大きい。

 

 だが今後フリーで動けることが絶対不可欠の条件として立ちはだかる場面があるかというと……。

 

 そんなことを考えていると、廊下からバタバタバタとはしたない音が響いてきた。

 

 病人が寝ている部屋に面する廊下をダッシュする音である。

 

 ……気が動転してんなぁ。

 

 いつもは礼儀正しくて落ち着いた人なのだが。

 

「凜!戻ってきたよ!」

 

 先ほどの黄泉が扉を開けた時以上の音を響かせて開かれる病室の扉。

 

 廊下から全速力でダッシュしてくる音が聞こえていたのでそんなに驚きはしなかったですがそれでも驚いてしまうものですよママン。

 

 外では看護婦に謝っている親父の声が聞こえてくる。

 

 苦労人だなパパン。肋骨はまだ完治していないというのに。

 

 これ、俺病室を追い出されたりしないだろうか。

 

「凜、寂しかったでしょう!今日は離れな……」

 

 持ってきた荷物を放り出して俺に抱き着こうとしてきた母親がぴたりと動きを停止する。

 

 自信満々で定期テストを受け取ったのに赤点だった時の俺の友人みたいな静止だった。

 

 一体どうしたというのか。

 

「……女の匂いがする」

 

 くるるると喉を鳴らして威嚇しながら病室を見渡し始める我が母。

 

 ……我が母親は犬か何かなのだろうか。

 

「凜、またお見合いの相談でも来たの!?誰!?どこの家!?それも三人か四人くらい来てるよね!?」

 

 人数まで当てやがった。

 

 和服に身を包んだ小柄な身体を機敏に揺らしながら病室内で警戒体制をとる母。

 

 156しかない小柄な身体も相まって小動物みたいである。

 

 まだうちの母は29歳だし結構美人なので見る人が見れば可愛らしいのかもしれないが、俺から見るとただ恥ずかしいだけなのでまじやめてほしい。

 

 ちなみに俺は母が16歳の時の子供だ。

 

 それを知ったとき現在44歳の親父を犯罪者を見るような目で見てしまった俺は悪くないだろう。

 

 だが祖父母と母は懐妊を知って大喜び。

 

 母は円満退社ならぬ円満退学で高校を中退したらしい。

 

 高校を卒業するよりも親父と添い遂げることを選ぶとは流石である。

 

 結婚式に同級生を呼んだらしいが、一部男子はうちの親父を親の敵を見るような目で見ていたとかなんとか。

 

「りーん。そういえば一つ言い忘れてたんだけど……」

 

 そんな中諌山黄泉が再度俺の病室に顔を出す。

 

 不思議そうな顔をして病室を見渡している。

 

 恐らく看護師に謝るうちの親父を見たのではないのだろうか。

 

 だが、いくらなんでもタイミングが悪すぎるぞお前。

 

 きゅっと母の目が諌山黄泉に向く。

 

 そして同時に黄泉の視線もうちの親へと向かい、しばし視線が交差する。

 

 ……まずい、母親のあれは敵を見つけた小動物の目だ。

 

「凜を狙ってるのはおまえかーーー!」 

 

「え、ちょっと、きゃ!!」

 

「やめろ馬鹿母!!」

 

 止める間もなく黄泉にタックルをかますうちの母親(アホの子)

 

 猫に突っ込んでいくネズミみたいなタックルだった。

 

「おまえかおまえなのかぁ!」

 

「ちょっと小野寺さん!?やめ、ちょっと!」

 

 いつもの母親とは思えない程の機敏さで黄泉からマウントを奪う。

 

 神童からマウントを取るとは恐るべき女だ。

 

 ……とかいってる場合じゃなかった。

 

「おいマジで恥ずかしいからやめろこの阿呆!」

 

「おみゃえなのかーー!」

 

「凜君!ちょっとこの人どうにかして!」

 

 マウントをとって攻撃を仕掛ける母親に顔面をわしづかみにして止める諌山黄泉。

 

 騒ぎを聞きつけて駆けつける親父と点滴を気にしながら母親を引き離す俺。

 

 なんとも非常にカオスな空間だった。

 

 

 

 

 事の顛末としては母が看護婦長に怒られ、黄泉に俺と親父で謝らせ、俺が母親を本気で怒ってしまいになった。

 

 ……本当にお恥ずかしい限りだ。

 

 看護婦長に怒られている間自分が怒られているかのような錯覚に陥ってしまったよ。

 

 とりあえず今日は親は泊まらずに帰ることになった。

 

 どうやら親父と看護婦長の配慮らしい。

 

 ……あんたデキ男だよ親父。

 

 この前犯罪者を見るかのような目で見てしまってごめんよ。

 

 

 

 

「ああ疲れた……」

 

 親も他の見舞客も帰りきり、ようやく寝れると思ってベッドに寝転がる。

 

 ひっじょーに疲れた。

 

 流石に反省したのか母親は借りてきた猫のように大人しくなったのは良かったのだが、そのせいか来客が激増した。

 

 どうやら親父が有望株だったというのは本当だったらしく、来客が半端じゃなかった。

 

 親戚回りが毎年面倒だなーとは思っていたがそれでも俺を連れて行っていたのは本当に仲が良い親戚だけだったらしく、遠い親戚とかも一気に来たので俺の時間の殆どが来客対応に回されてしまったのだ。

 

……まじで面倒くさかった。もうしばらくはおっさんおばさんの顔を見たくない。

 

 病院は消灯時間になり、すでに電源は落とされている。

 

 だからもう来客は来る筈がないと思っていたのだが……。

 

 

 こんこんと控えめなノックがされる。

 

 消灯時間はとっくに過ぎているのに一体誰だよ……。

 

「はい、どうぞ」

 

 こんな時間に来るくらいだから一緒に入院している誰かだろうと考えて入室を許可する。

 

 不用心かとも思ったが、流石に三途河とかが来るとは考え辛いし、もし何かしらの敵ならここまで来られた時点で負けだ。

 

 今更警戒したって遅い。

 

「―――失礼します」

 

 静かに扉が開かれる。

 

 そして静かに現れる美しい銀の髪を持つ桜の着物を着た女性。

 

―――諌山冥?

 

 そこに佇むは諌山冥。

 

 先日共闘をお願いした人。

 

 だから敵ではない。

 

 敵ではない、筈なのだが。

 

 

 その手に握られるのは先日見慣れた彼女の得物。

 

 喰霊-零-において彼女自身の命を奪った武器。

 

 薙刀。

 

 それが、彼女の手には握られていた。

 

 

 



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第5話 -内通者-

 ゆらりと薙刀が揺れる。

 

 その銀色は先の共闘において何度も見た。

 

 俺のように敵をぶった切るスタイルとは異なり、舞うような華麗さで敵を切り裂く鋭い太刀筋。

 

 舞踏と言って差し支えの無い動きから繰り出される銀の薙刀。

 

 その舞とも呼べる太刀筋はぞっとするほどに、つい嫉妬してしまう程に華麗で美麗だった。

 

 撫でるように、鞣すように、それでいて鎌鼬の如くその銀は敵を切り裂く。

 

 見とれるほどに美しいその舞踏。

 

 俺の命を救ってくれたあの剣戟。

 

 俺に共闘の素晴らしさを伝えてくれたその剣閃が、今俺に向こうとしていた。

 

「こんばんは、諌山冥さん。こんな夜更け近くにわざわざようこそ」

 

「こんばんは、小野寺凛。そんな夜更け近くに起きていてくれて感謝します」

 

「いえいえ。そんなことよりもこんな夜更け近くに随分物騒ですね」

 

「ご存知でしょうか。物騒なことをするのはそんな夜更けと相場が決まっているものです」

 

 銀が俺に向けられる。

 

 あの戦闘において何よりも頼りになったその薙刀が、一転して俺の喉笛を掻き切らんと喉仏の辺りに添えられる。

 

 抵抗する余裕など無かった。

 

 大して寝ていないことによる疲労と痛み止めなどの薬による何となくの身体の不調、それに加えてかなりの腕前を持つ退魔士による一瞬の踏み込み。

 

 この状況でそれを回避することが出来たのならばそれこそそいつは神童と呼べる存在だ。

 

 少なくとも俺には些細な抵抗をする気力を見せることぐらいしか出来なかった。

 

「確か貴方には貸しがあったはずですね。そのうちの一つをここで使わせて貰います。

……動かないでください。このような公の施設で血を流させたくはありません」

 

 空気も裂いてしまうのではないかと錯覚してしまうような刃先が首元に添えられる。

 

 諌山冥に借りていたそれは4つ程あったはずだ。

 

 命を救ってもらった際に借りたそれを、命を奪いかねない状況で返さなければいけないとは何たる皮肉だろうか。

 

 

「……私が聞きたいことの見当はついていますね?」

 

 静かにそう問われる。

 

 聞きたいこと。それの見当は粗方ついている。

 

 それについて質問されることや疑われることくらいは想定していたのだが、まさか薙刀を持ってこられるとは思いもしなかった。

 

「……俺のスリーサイズとかですかね。それならちょっと前の健康診断を見てもらえればすぐわかる……!!」

 

 先程までは押し付けられてはいなかった刃が、首の皮に押し付けられる。

 

 その刃を通して冷気が俺の肌へと浸透し始める。

 

 額に伝う一筋の汗。

 

 ……まずいな、これ脅しじゃない。いざとなればこの人、本気で俺の首落とすつもりだ。 

 

「小野寺凛。私がそういった冗談を好むタイプに見えますか?」

 

「……見えないですかね」

 

「ええ。その通りです。ならば貴方がするべきことはそのつまらない冗談を吐くことではないとも分かるでしょう?」

 

 更に強く刃が押し付けられる。

 

 触れているだけでとてつもなく鋭利だと分かるその刃先。

 

 首の皮が切れていないことが不思議だ。

 

 包丁とかならいざ知らず、ここまでの切れ味を持つ得物に触れていてその部分が切れていないなんて普通では考えられない。

 

 刃物は引かないと切れないとはよく言われるが、それは所詮二流の切れ味を持つ刃物の話だ。

 

 宝刀獅子王や舞蹴のような一流の退魔刀やそれに準ずるレベルの退魔刀ともなれば人の皮程度触れただけで切断するなど容易い。

 

 事実黄泉は桜庭一樹を殺すシーンにおいて獅子王を軽くなぞらせるだけで金属にすら傷を与えていた。

 

 それなのに俺の皮が切れていないということは。

 

 諌山冥が絶妙な手加減を加えて俺の皮を斬らないようにしているということに他ならない。

 

「……別に、俺はあの事件の黒幕と繋がってなんかいませんよ」

 

 弁解を始める。

 

 俺の状態が万全だったとして、いや十二全に戦える状態だったとして、それでもこの状態から抜け出すことは不可能だ。

 

 僅かに動けば首の皮が切れる状態とは即ち僅かに力を入れられれば首が切られる状態に他ならない。

 

「説得力がありませんね。それでは何故私にあのような指示を?北東に向かうように指示を出せたのです?」

 

「……以前にもカテゴリーAが出現したという報告があったのを覚えていらっしゃいますかね?それと発生状況が似ていたのでもしかするとと思ったんですよ。南西と北東以外の特異点に存在する奴らなんて雑魚ばっかりでしたし、外れても問題はないかなと判断しまして。それに仮に俺が内通者なのだとしたら敵の位置を教える意味がないと思いますが」

 

「確かに貴方の言うことは一理あります。ですが、私が向かった際に居たのは貴方と貴方なら対処しきれる量のカテゴリーCのみ。ピンチを演じる(・・・・・・・)にはふさわしい状況かと」

 

 諌山冥は無表情で佇む。

 

 諌山冥が浮かべている表情は決して仲間に向けて浮かべるタイプの表情ではない。

 

 あくまで俺を敵である疑いが濃厚な存在だと見て、ただただいつ処刑を断行するかを測りかねているといった、そんな表情だ。

 

 それに相対している俺は一体どんな表情になっているのだろう。

 

 ……まさか三途河の放ったカテゴリーCに襲われている状況がこんな形で自分を追い込むなんて誰が想像出来るというのか。

 

「……内通者である疑いを消すために自演したって言いたいんですか貴女は」

 

「ええ。あくまでも可能性の話ですが。カテゴリーAがあの場所に現れて次に土宮殿の所に向かったのも怪我を装う為の準備だったとも考えることが出来ます」

 

「……随分手の込んだ面倒くさいことを俺はやるんですね。そんなことをして俺にメリットが無い気がするんですけど」

 

 前に出そうになった俺を的確に刃を用いて押しとどめてくる諌山冥。

 

「最終的な目標が何であるかに依ります。もし貴方達の目的が土宮のお二人の打倒だとするならば確かにメリットはありません。それに貴方が彼女たちを身を挺して守る意味も確かにありません」

 

 だったらなんでと言おうとした俺を視線と刃で再度封じてくる。

 

 動いたら切ると言ったのを忘れたのかと言わんばかりの牽制であった。

 

「ですが今回のこの一連の事件が伏線であり、本格的な第二波(・・・・・・・)があるのだと考えれば殆ど全て辻褄が合います。……意味がお分かりですね?」

 

「……今回の戦いで功績を上げ尚且つ負傷した俺は内通者の疑いをまんまと免れ、そしてその功績から重要なポジションを任される可能性が高くなる。重要なポジションに居るということはその存在が作戦にとって要であるということ。その要が抜けたとき、作戦とは下手をすれば立て直しすら不可能なほどに瓦解していく」

 

 思考を回す。

 

 そう、ましてや―――

 

「―――そのポジションの人間が裏切者だった場合、一瞬で壊滅する恐れさえあります」

 

 ぐうの音も出ない。

 

 ハッキリ言ってしまうなら、この人が言っているのはあくまでも想像の範疇を超えない、根拠も何もないただの推測なのだ。

 

 俺を内通者だと断定する物的証拠も何もない推測から発展させたただの推理をもって俺と相対している状態であり、俺が内通者だと認めない限りは俺を裁くことなど出来やしない。

 

 俺の自白なしに俺を追い詰めることなど不可能なのだ。

 

 あくまでそう考えれば辻褄が合っているというだけのただの妄想の産物なのである。

 

 机上でただ状況証拠から尤もらしい推論を導き出しているにすぎない。

 

 だが、それでも俺はそれを完璧に否定することが出来ない。

 

 その妄想を否定するだけの物的証拠が何もないのである。

 

 あくまでこの推論はこの人が状況証拠から組み立てたものであり、物的証拠や確たる状況証拠から組み立てたものでは決してない。

 

 出発地点が物的証拠ならばその論理的矛盾を追及することは訳が無いのだが、始まりが状況証拠であるが故に否定をすることが難しい。

 

 ”ナイフから指紋が検出された”という前提から議論が出発したのならば「指紋が自分の物ではない」などの矛盾を突けばいい。だが”犯行が行われた時間帯に付近にいたから怪しい”という前提から議論が発展して、尚且つ本当にその時間帯にその場所に居た場合、否定のしようがないだろう。

 

 今回のケースは明らかに後者だ。

 

 俺は無実であるのにそれを証明してやることが出来ないのである。

 

 無意識のうちに歯噛みしてしまう。

 

 非常に面倒な事態になった。

 

 冷静な瞳でこちらを見据えてくる諌山冥に対してこちらも毅然とした態度で見据え返す。

 

 その瞳の奥ではどのような思考が回っているのだろうか。

 

 しばし視線が交差する。

 

 一瞬でも力が緩むかと思ったのだが、突きつけられた薙刀は的確に俺の動きを封じ続けていた。

 

 病院特有の夜の静けさがいつも以上に鮮明に感じられる。

 

 点滴の音ですら聞こえてくるのではないかと思うほどの静寂。

 

 刃物を押し付けられている緊張から流れる冷や汗。

 

 それを壊したのは諌山冥の方だった。

 

「……意外ですね。否定をしないのですか?」

 

 これは本心で聞いているのだろうと思わしき声が漏れる。

 

 刃物を押し付けられ内通者を疑われながらも弁解をされないのは流石に意外だったのだろう。

 

「……水掛け論って言葉をご存知ですか。意味は異なりますが焼け石に水って諺でもいいです」

 

「これ以上議論を交わしても無駄、と言いたいのでしょうか。私を納得させられるだけの根拠がないと」

 

「ええ。でもそれは貴女もでしょう?貴女の議論は相当に尤もらしい。だけどもし貴女の議論が正しかったとして、それを立証するためには俺の自白が必要不可欠だ。貴女の憶測では俺の有罪は決して立証できない」

 

 先に述べた通り、どうせ俺が何を言った所で俺の不利な状況は覆らない。

 

 それに尤もらしいことを何か考えて述べている最中に疑いを深めるようなことがあっては本末転倒だ。

 

 なら、俺がすべきことはもう殆ど無い。

 

 この人の言葉を否定してもよかったが、この人が期待しているのは醜く弁解する俺では無い筈だ。

 

 再び交差する視線。

 

 次はどんな問答が来るのかと身構えていた俺に諌山冥がとった行動はその薙刀を下ろすことだった。

 

「……え?」

 

 このタイミングで薙刀を下ろされるとは考えていなかった為に瞬間的に呆ける俺。

 

 一体どうしたのだろうかなどと考えた瞬間、俺の視界は回転した。

 

「……いっ!!!」

 

 怪我をしている左腕に走る衝撃。

 

 同時に胸囲にかけて感じる圧迫感。

 

 何が起こって―――

 

 ふと揺れていた視界が戻ると、そこにあったのは先ほどまで首筋に当てられていた銀色。

 

 文字通り目と鼻の先に諌山冥の握る薙刀が突きつけられていた。

 

 状況が全く掴めないながらも、恐怖に息を飲む。

 

 只でさえ刃物とは人間に恐怖を与えるものだ。

 

 殺傷を目的としていない日用品として使われる刃物でさえ人は恐怖心を覚える。

 

 それが向けられていると感じるだけでも人の精神は極度のストレスにさらされ、肉体的ダメージだけではなく耐えがたい精神的ダメージを受けることもある。

 

 訓練を積んでいる人間であってもいざ対峙してみると恐怖から十全の力を発揮できないなんてことは往々にしてあるものだ。

 

 だというのに気が付いたら目と鼻の先に殺傷を目的とする刃物が存在するというのは想像に絶する恐怖だ。

 

 しかも直前まで極度のストレスにさらされた状態からのこれとなると最早拷問に近い精神的ダメージである。

 

 思わず出そうになった声を飲み込む。

 

 目の前に突き出される刃。

 

 そしてそれを持って俺の上に跨る諌山冥。

 

―――押し倒されてるのか。

 

 ようやく状況の把握が完了した。

 

 喰霊-零-の8話で諌山冥が諌山黄泉にされたのと同じ状態、それを俺は諌山冥にされているのだ。

 

 脱出を試みようと本気で足掻くが、左腕の怪我の痛みのせいで力を発揮できずに振りほどくことが出来ない。

 

 足の力は腕の力の三倍あるという。

 

 その三倍の力で拘束されてしまってはいくら相手が女であろうと脱出は不可能だ。

 

 鋭い痛みを訴える左腕を無視して力を籠め続ける。が、足は一向に離れる気配がない。

 

 特殊な性癖の人間ならばこのシチュエーションに喜ぶのかもしれないが、冗談じゃない。

 

 いくら女性とはいえその全体重と脚力が肺を圧迫した息もまともに出来ないような状況で眼前には簡単に命など狩られてしまう程鋭利な刃物がぶら下げられているのだ。

 

 いざ実際にそのシチュエーションに遭遇すると焦りと恐怖と苦しみしか感じ取ることしか出来ない。

 

 正直に言って抜け出す気ならばいつでも抜け出すことは出来るのだ。

 

 俺の能力は対人戦においてはなかなかに規格外だ。チートとまではいかないがそれに近しいものはある。

 

 小野寺の霊力を物質化する異能は例外こそあれ基本的に体中のどこからでも発生させることが出来る。

 

 それは今俺と諌山冥が接触している部分からでも能力を使用できるということであり、零距離の筈なのに太腿をナイフで刺すといったようなことが出来るのである。

 

 つまるところ俺が殺す気なら寝技は基本的に通用しない。

 

 掴み技程度の接触だと能力を発動させる間もなくしてやられてしまうが、寝技のように接触時間が長い技は能力を発動させるのに必要な時間がたっぷりあるため俺には通用しない。

 

 だから失敗したら俺が死ぬという恐怖と、この人が確実に大怪我をするという事実を除けば脱出事態は可能である。

 

 だが、一応抵抗するなというお願いをされているというのにまさかそんなことが出来るわけが無い。

 

 恩を仇で返すのは俺のプライドが許さないのである。

 

「……再度問いましょう。貴方は内通者ですか」

 

 違う、と声を上げる。

 

 自分で聞いていても余裕のない声だと分かってしまうほどに切羽詰まった声。

 

 当然諌山冥にもそれは伝わっているだろう。

 

 だが、俺にかかる力は一切緩むことはない。

 

「では、我々退魔士の敵と呼べる存在ですか?」

 

 それも違う、と俺は答える。

 

 寧ろ俺は退魔士の悲劇を止めるために活動してきているのだ。

 

 だがそれを説明することなど不可能だし、したところで疑いが深まるのがオチだ。

 

 前世持ちというならばまだしもこの世界の結末を知っているなんて言った所で一笑に付されるに決まっている。

 

 かちゃりと薙刀が音をたてる。

 

「……正直私としては貴方が内通者であろうとそうでなかろうとどうでもいいのです。もしそうなら粛清をすれば済むだけのこと。別段騒ぎ立てることではありません」

 

 滔々と今までこの人が俺にした行為をすべて否定するかのような発言を述べる。

 

……どうでもいいだって?

 

 

 思考を回転させる。

 

 俺がもし内通者だった場合、確かに粛清をすれば済むことではある。だがそれは粛清が出来ればの話であり、万が一間に合わなかった場合取り返しのつかないことになる。

 

 だからこの人はここに現れてこうして俺を問い詰めているはずなのだ。

 

 だが、それはどうでもいいといった。

 

 堂々巡りになるが、もし俺が内通者ならば排除すればいいから、と。

 

 ……本当にそうだろうか。

 

 何となくだが、本当の理由が別にある気がする。

 

 そう、例えば

 

―――対策室が全滅をしたとしても、むしろそれはそれで不利益では無いとか。

 

 その思考に辿り着いて俺ははっとした。

 

 

 この人の行動原理はなんだ?

 

 喰霊-零-において、この人はなんの象徴として描かれていた?

 

 

 俺の顔を見て、俺が何かをひらめいたことを察したのだろうか。

 

 俺の目を意志の籠った目で見つめ返してくる。

 

 そうだ。この人は別に対策室が壊滅したとしても問題が無いと言えば無いのだ。

 

 なぜならばそこには諌山黄泉が居る(・・・・・・・)のだから。

 

 

 ……正直に言って、この人が諌山黄泉が簡単に殺されるような存在だと思っているとは考え難い。

 

 会話を交わしたのは本当に僅かな時間であるが、この人には確かな知性がある。

 

 知性的なこの人が俺と黄泉の実力を知った上でそれ(壊滅)を本気で狙っているとはどうしても思えない。

 

 だが、多分これもこの人の本音の一つだ。

 

 壊滅したとしてもその過程で黄泉が消えるならばそれはそれで好都合なのも恐らくだが事実なのだ。

 

 

「貴方は黄泉に並んでこの業界の期待の新星。誰もが貴方を注目し期待している。……そして、それは私も同じ」

 

 もしもの話ですが、と前置きをして諌山冥は続ける。

 

「―――もし私が誰が産んだ子よりも遥かに優秀な子供を産んだとしたら。もしその子が今後の退魔士業界を背負っていける程の人材であったとするならば。……世論とはどう動くのでしょうね」

 

 言っていることの意味が分からず再度呆けていると不意に外される薙刀。

 

 目の前にあった銀が俺の目の前から外され、諌山冥もそうとだけ言って静かに俺の上から降りていく。

 

 当然だが無くなる圧迫感と圧迫により生じる痛み。

 

 ……嫌にあっさり俺の上からどいたな。

 

 静かにベッドから降りていく諌山冥。

 

 その姿からは俺を警戒しているだとか、俺を驚異に思っているだとかの感情は見受けられない。

 

 一体今ので何がしたかったのか。

 

 わざわざ俺を押し倒して脅迫したにしてはあっけない幕切れだ。

 

 そんな疑問を持ちながらも久方ぶりに一息をつく。

 

 ようやく人心地が付いた感じがする。

 

 緊張から病室の出口に歩いていく諌山冥。

 

 内通者とやらの疑いを掛けた相手に対して堂々と背中を見せるとは随分無防備というかなんというか。

 

 あっさり俺の上からどいたことといい、もしかしてこの人は途中から俺が内通者では無いと確信に近いものを持っていたのかもしれない。

 

 俺が戦闘になったとして大した脅威ではないと判断された可能性も否定は出来ないが。

 

 

「……そういえばまだ貸しがありましたね。この際に使わせてもらいましょう。一つ、今日のことは他言無用でお願いします。それともう一つ、……もし今後対策室入りを打診される機会があればその申し出を受けてください」

 

 気持ちを整えている俺に、扉に手を掛けながら諌山冥はそう告げてくる。

 

 諌山冥がここを訪れたことは他言無用であり、尚且つ対策室の勧誘は受け入れろと。

 

 ……どういうことだ。

 

 病院に剣を引っ提げてやってきたわけだし他言無用は分かるのだが、対策室入りを引き受けろとは一体どんな意図があってのことなのだろうか。

 

 命を救ってもらった対価として提示された条件だ、いまいち理解は出来ないが飲まないわけにはいかないため首を縦に振る。

 

「……嘘は言わない殿方であると信じています。それでは、お大事に」

 

 何故かふっと微笑む。

 

 先程まで薙刀を突きつけていた人間に対して浮かべるような類の物ではないだろうそれはと思わせる表情だった。

 

 そのまま俺に一瞥くれると音もなく病室から出て行ってしまった。

 

 ……マジでなんだっていうんだ一体。

 

 どさりと音をたてる程の勢いでベッドへと倒れ込む。

 

 色々展開が急過ぎて脳みそが追いついていかない。

 

 つまりはどういうことなんだ?

 

 押し倒される前までの会話の流れは理解できたが、その直後辺りから会話についていけなくなってしまった。

 

 世論だの対策室入りだのには何の意味があるのだろうか。

 

 当然、予測ぐらいはついている。

 

 それも出来ないような馬鹿ではないとの自負はある。

 

 だが、本当にそうなのだろうか。

 

 その隠喩を、その隠喩通りに解釈すべきなのだろうか。

 

 根拠のないただの勘ではあるが、俺はそう思わない。

 

 あの人のことだ。その通りに取るのは無理がある――――

 

 ぐわんと視界が揺れる。先程諌山冥に押し倒された時のような物理的な揺れではなく、脳が回転しなくなった時に来るあれである。

 

 ダメだ、眠い。

 

 今の一連の意味合いを理解しようと頭を働かせるが、緊張から解放されたせいか突如として猛烈な眠気が襲ってきたのだった。

 

 徹夜明けでアルコールが入った状態並みの睡魔。

 

 今日はあまり寝れていなかったし、この睡魔に抗うことはかなり辛そうである。

 

―――明日考えればいいや。

 

 そっと瞳を閉じる。

 

 そもそも抗う必要などないのだ。怪我人は余計な事を考えずにさっさと眠る。それに限る。

 

 失敗する受験生のような、そんな考えを抱きながら俺はまどろみの中に落ちていくのだった。

 

 

 

 




 

 冥さんとの絡みって書くのに神経使うんですよね。
 凜と絡ませるのは実は三途河が一番楽だったりする。


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第6話 -血筋-

※ ちょっと諫山について癖があると取られかねない解釈があります。
 ご注意くださいませ。
※あと結構凛君は辛口なのでそれもご注意を


 さて、それでは昨日の状況をおさらいしようか。

 

 一夜明けた朝。

 

 病院で出されるクソ不味い食事と、意外と心配性であることが発覚したうちの親父の対応を終えた俺はベットの中で一人思考にふけっていた。

 

 自分が守ってやれる状況で俺が傷つくのならば問題が無いらしいのだが、自分の目が届く範囲外で俺が傷つくのはどうしても嫌なんだそうだ。

 

 直接的にそう話したわけではないが、父の言い分を要約するとそんな感じだった。

 

 ……本当にうちのお父さんは出来た人だ。

 

 心の中ですら思わず親父じゃなくてお父さんと呼んでしまう程だった。

 

 

 さて、脱線したが昨日の一連の出来事についてだ。

 

 諌山冥が俺を内通者であると疑っていたことはどうでもいい。

 

 いや、どうでもよくは無いのだが、こっちは理解が簡単なのでわざわざ再度確認するまでもない。

 

 俺が三途河の行動を先読みしたせいで俺が三途河の内通者だと疑われた、この一文で説明終了である。

 

 特段思考しなければならないことは特にない。

 

 強いて思考するならば、今後諌山冥が俺を操る手段としてこれを脅迫材料に使用してくる可能性があるということくらいだろか。

 

 いくら証拠が無いとは言え、対策室の中で阿呆な方々の心理状態を煽るくらいなら出来る仮説であるので軽々しく無視をすることは出来ない。

 

 が、再度言うとそれはどうでもいいのだ。

 

 問題は押し倒されてからの問答だ。

 

 まず押し倒されたことに関してだが、あれは俺に嘘を吐かせないためにやったと考えて間違いない。

 

 基本的に下に居るものは上に対して不利に働くし、上に何かが存在するということは非常に強い圧力となるのである。

 

 これは戦闘にも言えることであるし、上司や部下などの単語から推測できるように世間一般にも言えることだ。

 

 あの状況において諌山冥は俺の上に陣取っていたが、あれは俺に対してかなり強い精神的負荷をかける要因となっていた。

 

 少なくとも俺はあの状況下で嘘を吐けるような心理状態では無かったと言っていいだろう。

 

 ほぼ確実に諌山冥はそれを狙っていた。

 

 あの状況下で精神的苦痛を感じないのはよほどの馬鹿(ドM)か自分の命などどうでもいいと思っている自殺志願者くらいだろう。

 

 他にもそういった人種はいるかもしれないが、俺は決してそういった人種ではない。

 

 そしてこの人が言った、俺が内通者かどうかどうでもいいという言葉。

 

 これは語る必要はないだろう。

 

 俺が内通者なら諌山黄泉を殺す可能性があるから放置すれば家督が諌山冥の物となる確率が高く、内通者でないなら本当に問題はないのだ。

 

 

そして対策室入りの件だが、あれも簡単だろう。

 

多分あの人は対策室に自分の影響が及ぶ駒が欲しいのだ。

 

俺が有能に進化しようが、無能のまま成長してしまおうが、俺が対策室にいるのには変わらない。

 

つまり内部から多少操ることや、情報収集が可能になる。

 

 

 ここまでは正直どうでも良い。

 

大して深く考える必要なんぞないだろう。

 

疑問点はここからだ。

 

 諌山冥が俺に向かって言った、「期待している」と。

 

 そして子供の話に世論という言葉。

 

 ”―――もし私が誰が産んだ子よりも遥かに優秀な子供を産んだとしたら。もしその子が今後の退魔士業界を背負っていける程の人材であったとするならば。……世論とはどう動くのでしょうね”

 

 と諌山冥は言った。

 

 ”誰が産んだ子よりも優秀な子供”と言っているが、この比較対象は明らかだろう。

 

 つまりは諌山黄泉が産む子供よりも自分が産んだ子供の方が優秀だったとしたら、とそう言っているのである。

 

 そして次に言った世論という言葉。

 

 これは退魔士業界全体、業界の中でも特に諌山の家督について噂などをする人間達の意見を隠喩した言葉だと解釈して間違いない。

 

 要するに、「自分が諌山黄泉よりも優秀な子供を産んだ場合、世間の評価はどうなるだろうか。もしかするとその世間の評価とその圧力によっては自分の子供に家督が来るのではないか」と言いたいのだと解釈出来る。

 

 例え自分の物とならなくても自分の直系に継承権が来るのではないかと、そう暗喩しているのだ。

 

 それこそこの人が作中で言っていた「遅いか早いか」の問題になるのだ。

 

 子供に家督を継がせれば摂関政治のような実質自分がトップとなった状態で諌山を統べれるわけだし。

 

 ……面倒なことだ。

 

 殊に家督だの権力だのの継承といった、所謂「力」の問題は本当に面倒くさい。

 

 それは容易に人を狂わせそして追い込む。

 

 喰霊-零-においても家督問題に真の決着がついていたのならあそこまでの悲劇はなかった筈だ。

 

 少なくとも諌山冥が諌山奈落を殺す理由は無くなるし、諌山黄泉を恨む理由は無くなる。

 

 そこのしがらみと軋轢は家督が原因でしかないのだから。

 

 せめて諌山黄泉か諌山冥のどちらかが男だったらと思わざるを得ない。

 

 諌山冥が男だった場合黄泉のもとに婿として出せばいい訳だし、諌山黄泉が男だった場合も諌山冥を嫁に出せばいい。

 

 家督で争っているとはいえ、諌山冥は伴侶が家督を継いでいる状態で文句を言うような女性(ひと)ではないだろう。

 

 違う可能性もあるが、少なくとも俺はそう考えている。

 

 ちなみに俺としては奈落さんが黄泉を諌山の跡取りとしたことに関しては異論を唱える立場の人間だ。

 

 賛否両論あるだろうが、俺は血筋を重んじる人間であるため、諌山黄泉に家督を継がせて「諌山の跡取りが諌山の直系ではない」という状況を作り出してしまうことに疑問を感じざるを得ないのだ。

 

 確かに子を成せなかった諌山奈落にとって諌山黄泉は本当に大切な存在だったのだろう。

 

 それこそ目に入れても痛くないような、本当の子供以上に大切な存在であったことは想像に難くない。

 

 そして諌山黄泉と飯綱紀之の子供が諌山を継いでいくわけだが、その子供もほぼ間違いなく優秀になるだろう。

 

 あの二人の子供がポンコツだなど、そっちのほうが想像するのが辛いというものだ。

 

 けれども、その子供は正確な意味において「諌山」ではない。

 

 飯綱と黄泉(・・)の子供であって、諌山(・・)の血を継ぐ存在ではないのだ。

 

 この意見には賛否があることが分かっている。

 

 そして俺がこれから救済においてやろうとしている行動も今述べた俺の考えとは反するものだ。

 

 だがそれでも俺は諌山奈落が諌山黄泉に家督を譲ると決意したことは理解が出来ない。

 

 正確に言うならば理解は出来るが納得が出来ないと言ったところだろうか。

 

 言いたいことは分かるが心で認めることが出来ないというジレンマ状態だ。

 

 

 まぁそれはいい。

 

 さっきまでの俺の主張とは異なるので混乱するかもしれないが、俺としても諫山黄泉に諫山は継いでもらう予定だ。

 

 諫山冥がどう抵抗しようが殺し合いだのなんだのに発展しない限りは俺が介入するつもりはないので、とりあえずこの議論は置いておこう。

 

 さて、最後に全てまとめて解釈をしてみよう。

 

 つまり諫山冥は「諫山黄泉よりも優秀な子を生んでその子に家督を継がせる」つもりなのではないかと解釈出来る。

 

 優秀な子を産めば世間がその子に諫山を継がせないことを良しとしないだろうと、世間の圧力もあってその子に家督が譲られるかもしれないと、そう言っているのだ。

 

 そして、その子を産む為の伴侶として俺に期待をしている、と。

 

 彼女の発言を繋げて考えればこうとしか取ることは出来ない筈だ。

 

 諫山黄泉を超える為に貴方の子を産みたいと、そういう意味に捉えるのが妥当だろう。

 

 つまりはプロポーズみたいなものだ。

 

 馬鹿正直に考えれば俺は諫山冥に求婚されたのである。

 

 だがこのセリフは良い感じの雰囲気になっている男女間でかわされたセリフではない。

 

 これを言ったのは諫山冥であることを考慮に入れた上で思考しなければならないことを忘れてはならない。

 

 それを考慮に入れた上でもそのように簡単に考えてしまうのは正直愚の骨頂だろう。

 

 1回それを期待してしまった俺が言うのもなんだが、それは可能性として排除すべき解釈だと考えている。

 

 なぜならば、はっきり言って諫山冥が俺に恋愛的な好意を抱いているとは考えられないからである。

 

 せいぜいあるとしてもそれは「人としての好意」程度の筈だ。下手をすると「戦力的価値」としてしか、つまりは日本刀などの武器よりは上ぐらいにしか俺の魅力を感じられてない可能性すらあるのだ。

 

 あの母と父の子供である俺はなかなかどうして悪くない面構えをしているつもりではあるが、だからといってあの人がそんな物程度に惹かれたと考えるのはそれこそ無理がある。

 

 あくまでも俺の感想なので外れている可能性もある訳だが、戦力と顔とを考慮してみたとしても数回しか合っていない年下のガキが攻略出来るような簡単な女性ではないように思える。

 

 つまりあれは単なるプロポーズではない。

 

 意味合いはこうの方が近い筈だ。

 

”私は家督を諦めていない。優秀な子を産めば世間の意見は変わってくる筈だが、お前はその子を成す遺伝子として期待出来る。さて、お前は私の子を成す資格があるかな”

 

 

 つまりは「優秀な貴方と子を成したいです」っていうわけではなく「私と子を成せるほど優秀な人材になれるといいね」と言った完全に上からのニュアンスである。

 

 一見同じ意味に見えるこの発言だが、実は意味合いが全く違う。後者の意味をよくよく考えると、もし俺が男として不能だとか、諫山冥が期待したような実力を手に入れられなかったとかいった場合、俺は諫山冥からバッサリ見限られるということである。

 

 その過程の下だと俺は優秀な人材では無くなってしまったということだからだ。多分だがその場合、俺は諌山冥に見向きもされなくなる。

 

 あくまでも現時点であの人が選ぶ優秀な遺伝子候補No.1に光り輝いているのが俺って訳だ。

 

 ……嬉しくねぇー。

 

 神宮司菖蒲に会いに行くために病院をうろついているのだが、うろつきながら切に思う。

 

 ……まじで嬉しくねぇー。

 

 諌山冥から本気で求婚をされているのならば正直嬉しいが、ほぼ間違いなく俺の解釈が正しい。

 

 俺の評価は気になる異性ではなく、現時点で最も使えそうな道具というだけのことだ。

 

 再度言おう、嬉しくない。

 

 美人と添い遂げられる可能性があるのに嬉しくないなんて不思議な感覚だ。

 

 

 

 ……まあぶっちゃけるとあの人が本気で子を利用して諌山を乗っ取ろうとしているとも考えにくいのでここまでの議論は怪しい所ではあるのだが。

 

 不自然な解釈ではあるが”期待している”と”子を成す”発言が全く別の文脈で発せられた言葉である可能性も僅かながら存在するし、実はそんなに深く考える必要なんてないお話だったのかもしれない。

 

 人の上に跨って脅迫してくるような状況で冗談をかましてくるとは俺は思ってないけどね。

 

 点滴の器具を左手で携えながら対策室の面々を探す。

 

 途中まではベッドの中で思考にふけっていたのだが、途中からじっとしているのが面倒になって院内を探索し始めたのだ。

 

  一応諫山冥と交わした約束の中で「対策室入りをする」というものがあったため、それを遂行するつもりなのである。

 

 もとより対策室入りは少々揺れていたためちょうどいい機会であったと思うことにしたのだ。

 

「あら凛じゃない。どうしたの?」

 

「お、丁度いいところに」

 

 廊下を歩いていると丁度良く自販機でジュースを買っている諫山黄泉と遭遇した。 

  

 現在の時間は午後4時半。

 

 中学生なら部活に勤しんでいるあたりの時間だろうからいても全くおかしくは無いか。

 

「ちょっと対策室の人達に用があってさ。出来れば室長に会いたかったんだけど黄泉に伝言を……って神楽ちゃん?」

 

 承諾の旨を伝えてもらおうと黄泉に話しかけると、その影に小柄な少女が佇んでいるのが目に入った。

 

 俺が言った通りその少女の名は土宮神楽。

 

 喰霊-零-では主役の1人であり、喰霊においてはヒロインである少女だ。

 

 昨日俺の部屋に来てくれたのは記憶に新しい。

 

「なんで2人が一緒にいるんだ?」

 

「あら?凛くんは私達が2人でいちゃいけないっていうのかしらん?」

 

「いやそういうわけじゃ無いんだけどさ」

 

 そういう訳では無いのだが、なんとなーく違和感がある。

 

 

 土宮神楽の言葉が正しいならば昨日のうちに諫山黄泉とは既に面識があった筈であり、諫山黄泉のコミュニケーション能力も鑑みれば特段不自然なことでもないだろう。

 

 史実通りに動いていたのならばこの2人が面識を持つのはもっと後、少なくとも土宮舞の葬式の日であり昨日今日では無い筈なので違和感が生じているのかもしれない。

 

「……まあそれは置いといて。神宮寺室長にさ、対策室入りの件お受けしますって伝えといてもらえる?俺と両親からもキチンと伝えるけど一応ね」

 

「お、対策室に入ってくれるのね。歓迎するぞー少年!それにしても随分決断が早いのね。もうちょっとかかるかなーなんて思ってたんだけど」

 

「もともと検討はしてたしいい機会かなーなんて思ってさ。自由に動けなくなるのは面倒だけど確かに神宮寺室長とかの言う通りだしさ」

 

 あとすげーきっかけもあったし。

 

「それはよかったわ。凛が入ってくれれば随分心強いし、私としても同年代の話し相手が増えて嬉しいしね。よろしくね、凛」

 

「うん、よろしく」

 

 すっと差し出される右手。

 

 それを俺は握り返す。

 

 病院の廊下で握手を交わす病服の男と竹刀袋をぶら下げた女子中学生、そしてそれを無機質な目で見つめる女子小学生。

 

 背中を任せられる新たな仲間が誕生した感動すべき瞬間だったのかもしれないが、残念ながら傍目から見たらシュールなんだろうなーこれなんて思ってしまっている俺だった。

 

「あ、そうだ。私も私で結局この前は凛のお母さんに邪魔されて言えなかったことあるのよね」

 

 ポンと手を打ち思いついたように話す諫山黄泉。

 

 そしてフラッシュバックする母親のあの姿。

 

 思わず顔を覆ってしまいたくなる。

 

「……本当にその節は失礼を」

 

「あのくらい別にいいわよ。面白かったし」

 

 カラカラと笑う諫山黄泉。

 

いつもは流石にあんなに阿呆なことはしない人なんだけどな……。

 

 「そう言ってもらえると助かるよ。……それで?話したいことって?」

 

 「わざわざ言う必要もないかなーとは思ったんだけど、土宮殿を助けた第一人者に声をかけないのもアレかなーと思ってね。……この子、ウチ(諫山)で預かることにしたの」

 

 左手で土宮神楽を指差す黄泉。

 

 そしてペコリと頭をさげる土宮神楽。

 

 預かる、つまりは諫山で土宮神楽を世話するということだ。

 

 即ちアニメ(喰霊-零-)と同じくこの2人が義姉妹になり、義姉妹として一緒に暮らすということである。

 

 おお、とうとうその話が出てきたか。

 

 だが先程の諫山黄泉の台詞ではないが、随分早いように思える。

 

 いつかは出てくると思っていたが、俺の推測ではこの話が出てくるのはもう少しあとだろうと思っていたのだ。

 

「お母さんがその、あんな状態だし、雅楽殿も今後のことでいろいろと大変だろうから私達でお世話を引き受けることになったの」

 

「……成る程ね。確かに神楽ちゃんの年で自分の面倒を全部見なきゃならないのは大変すぎるもんな」

 

 あたかも知らないを装ってそう返す。

 

 まさか昨日の今日で諫山黄泉が土宮神楽を預かることになろうとは。

 

 ほぼ間違いなく昨日2人が接触したことが原因だろう。

 

 姉御気質のある黄泉はあんな状態の神楽ちゃんを見て何もしないというわけにはいかなくなったのだろうな。

 

 俺の行動が逆にアニメ通りにシナリオを進めるとは皮肉なものである。

 

「私達これから神楽ちゃんの引越しの準備なのよ。土宮さん達が検査から戻って来たらここを発つつもり。凛はまだ当分入院かしら?」

 

「俺は後2日もすれば退院だよ。普通より経過が良いからかなり早まったってさ」

 

 腕をぶっ刺されて5日やそこらで退院するなんて普通ありえないだろうが、傷口が鋭利だったとか俺の回復力が高いだとか、俺が駄々をこねたとかで退院が結構早まったのだ。

 

「そ。なら前線復帰もすぐかしら。対策室で待ってるわよん。それじゃあねー……ほら神楽ちゃんも」

 

「……さようなら」

 

 手を振って去っていく義姉妹(ふたり)

 

 ふたりの後ろ姿に、いつもテレビ越しで見ていた2人の背中だぶる。

 

 強烈に感じる既視感。

 

 まだ2人は姉妹と言えるような仲ではなく、黄泉も神楽ちゃんに思いっきり気を使っている状態だ。

 

 神楽、ではなく神楽ちゃんと呼んでいるような状態だし、土宮神楽に至っては殆ど黄泉に心を開いてなどいない。

 

 だが、その2人の姿は俺が見ていたあの2人の姿と重なって見えたのである。

 

 ……次に会うのはいつになるかわからないけど、次に会う時にはあの仲睦まじい2人に変化していることだろう。

 

 そんな2人に会うのが非常に楽しみだ。

 

 用事は既に済んだので俺は踵を返す。

 

 これから先、不安事項はかなりの数存在する。

 

 三途河は勿論のこと呪禁道とかみたいな第三者の立場の敵勢力にも気をつけなければならないし、諫山冥に関する心配事も追加されてしまった。

 

 悲劇が起こるパターンを考え始めると俺の頭では考え尽くせない程度には存在してくる。

 

 だが、土宮神楽もこれから前に向かって歩き出すわけだし、俺がネガティブになっていても仕方がないだろう。

 

 

 とりあえずは俺が今できること、つまりは療養から始めようか。

 

 そう思い、病室へと歩を進めたのであった。

 

 

 

 

 

 

 



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第7話 -土宮家での稽古-

 板張りの床を踏み鳴らす音が響く。

 

 武道経験者ならば聞き覚えがあるであろうそれ。

 

 

 

 

 

 

 震脚が床を踏み鳴らすあの音。

 

 それが断続的ではなく連続的に鳴り響く。

 

「ぬんっ!!」

 

 恐るべき速度と威力で掌底が繰り出される。

 

 生半可な防御や回避などではあっさりと貫通されてしまう程のそれ。

 

 それを手で優しく触れて受け流すことで自分にダメージを負わされることを防ぐ。

 

 二流の存在であるならばこの回避で隙を見せていただろう。

 

 だが相手は超一流とも呼ぶべき存在。

 

 この程度では崩れるどころか焦ることすらなく次の一撃を放ってくる。

 

 攻撃を受ける側としては一撃一撃が必殺の威力であるというのに、それを恒久的とも思える長さで繰り出して来るのだ。

 

 いくら模擬戦とはいえども応えるものがある。

 

 そんな一瞬の隙をついたのか意識の外から非常に鋭い一撃が降り注いだ。

 

「……っ!!」

 

 ほぼまともに掌底が胸部に入る。

 

 それに伴い強制的に外へと吐き出される肺の空気。

 

 あまりの衝撃と出て行ってしまった空気のせいで一気に暗転しかける意識。

 

――――っざっけんな。

 

 一撃を喰らった程度でリザインすることになってたまるかと、飛ばしかけた意識をどうにか根性で保ってカウンターとばかりにフックを繰り出す。

 

 攻撃がヒットしたあとの硬直の為か一瞬といえども動けなくなっていた相手にそれは直撃する。

 

 肋骨と肋骨の狭間。そして腹筋の少々上。鳩尾、そこに打撃は完全に直撃した。

 

「ぐぅ……!」

 

 漏れる苦声。

 

 鳩尾は人体の急所の一つだ。

 

 腹筋を鍛えればある程度はカバーできるとはいえ、それでも苦痛を与える急所であることには変わりはない。

 

 そこを突かれては流石の化け物的な実力を持つ存在であろうとも苦悶の声を漏らさずにはいられないのであろう。

 

 だが、それでも与ダメージを考えるのであればこちらが圧倒的に不利だ。

 

 鳩尾に一撃入れたとはいえ、体格差が激しすぎる。体重で言えば当方と先方で2倍以上も違うのだ。

 

 いくら被弾部位が胸筋に守られた胸部であったとはいえ、そんな相手から与えられた一撃が重くない訳がない。

 

 弱点に一撃入れたことを考慮したとしてもそれを補ってなお余りある被ダメージ。

 

 一瞬たりとも気を抜くことが出来ない一進一退の攻防が続く。

 

 つくづく思う。

 

 あと体重がほんの10キロ重ければ、あと身長がほんの10cm高ければ、それだけで威力のある攻撃が生まれるというのに。

 

ーーー体格差って本当に不利だ。

 

 その一撃以外、お互いに有効打を入れられずに訓練は終了した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その歳でその実力。大したものだ」

 

 タオルで汗を拭く俺に、土宮雅楽がそう話しかけてくる。

 

 俺が今いるここは土宮家の修練場。

 

 退魔士最強一族と言われている土宮本家に俺はお邪魔しているのだ。

 

「いえ、俺なんか他の方々に比べればまだまだですよ。諫山黄泉や各支部の室長候補に選ばれるような人材には到底及びません」

 

 俺と結構な死闘を繰り広げていたと思うのだが、しれっとした顔をしてこちらを見つめる土宮雅楽。そこに先程までの激闘の疲労の痕跡は残っていないかのように見える。

 

 やはりこれが実力の差というやつなのだろうか。なかなかに良い試合をしていたように思えたのだが、実は結構手加減をされていたのかもしれない。

 

「謙遜することは無い。お主は神童の名に恥じぬ実力を持ち合わせている。このまま弛まず精進していけばいずれ大成するであろう」

 

「退魔士最強と言われているお方にそう言ってもらえると励みになりますね。みんなの期待に恥じぬよう実力をつけていくつもりですよ」

 

 雅楽さんから差し出されたお茶を礼を言って受け取り、腹を下すことも厭わずにそれを一気に流し込む。

 

 火照った身体に冷たいお茶が一気に下って行く感覚。

 

 あー美味い。このために俺は生きているのでは無いだろうかというほどには美味い。

 

 ……これが小麦色の、アルコールが入った炭酸飲料だったならばもっと心と身体に染み渡るのだろうなとあの液体に思いを馳せることを禁じ得ない。

 

 俺はまだ未成年なので残念ながら我慢するしかないのが辛すぎる。ぶっちゃけるとばれなきゃ犯罪じゃないので、つーか俺が飲んでも別に俺が罰せられるわけでもないので飲む気ならいくらでも飲めるのだが、俺の体の健やかなる成長を妨げるわけにはいかないとの一心で我慢している。

 

 某ゴールデンブリッジのハンバーガーだって、カップラーメンとか化学調味料が入った系統も基本的には食べないようにしてるのにまさか飲酒で健やかな成長を妨げるわけにはいくまい。

 

 軒先に隣り合って座る俺と土宮雅楽。

 

 普通なら中々ありえない組み合わせであり、あまり考えられない図であるのだが、今現在俺たちは奇跡のコラボレーションを成し遂げていた。

 

「時に凛。……対策室での神楽の様子はどうだ」 

 

 わざわざお代わりを注いでくれた雅楽さんがおずおずといった様子で俺に尋ねてくる。

 

 ……ははぁ。この人が手ずからお茶を注いでくれるなんてと驚いていたのだが、なるほど、これが聞きたかったのか。年上にこんなことを言うのは失礼だとは分かってはいるが、随分と可愛らしいことをするじゃないか。

 

「元気にやってるみたいですよ。俺は来週から正式配属で頻繁に顔を出せてないので直には見てないんですが、諫山黄泉から聞いてる限り楽しくやっているみたいです」

 

「……そうか」

 

 そう言って思案顔で黙り込む雅楽さん。

 

 その顔はいかにも我が子を心配する親って感じの顔で俺は思わずクスリとしてしまった。

 

 喰霊-零-11話にて和解した時、この人は土宮神楽に対して「お前を愛しているが故にどう接していいかわからなかった」と述べている。

 

 喰霊-零-を途中までしか見ていない人だと、この人のことを「刀の入った鞘で神楽を折檻したクソ野郎」ぐらいにしか思ってないみたいだが(俺の友達に至っては最終話まで観てもその反応だったので笑ってしまったが)、この人は実は神楽を深く愛しており、ただその愛を正直に伝えることが出来ない不器用な人であるだけなのだ。

 

「結構厳しく接していたみたいですけど、やっぱり神楽ちゃんが心配ですか?」

 

 性格が悪いのは重々承知だが、それでもやはり聞いてしまう。

 

 一度聞いておきたかったセリフでもあったため、いい機会だと思ったのだ。

 

 雅楽さんに分かったかどうかは知らないが、かなり意地悪な響きを持った言葉だったと自分でも思う程には性格の悪い言葉であった。

 

 諫山黄泉の性格が移ったのかもしれない。……こんなことを言うと諫山黄泉ファンに殺されそうではあるが。

 

「……うむ」

 

 そんな俺のからかいに雅楽さんが返した言葉は不器用ながらも本心の溢れた一言であった。

 

「……神楽には辛い思いをさせたとは思っている。幼い頃から鍛錬、鍛錬の日々。幼い少女にあの毎日はさぞかし苦行の日々であったことだろう」

 

 ポロリと零れる独白。

 

 ……この独白が聞くことが出来るのは喰霊-零-ではこの人が死にかけた時のこと。

 

 恐らくだが神楽本人には素直になれずとも、俺のような第三者にならば思いの丈を話しやすかったのだろう。

 

「お主の言う通りだ。私は神楽に厳しい父親として写っていただろう。だが、それ以外に愛し方を知らなかった。死んでほしくないからこそ、厳しく接することしか出来なかったのだ」

 

 厳しく接していたのはあくまでも愛していたから。

 

 そしてそうする以外に自分の愛を伝える方法を知らなかったのだと。

 

「……思う時がある。なぜあの子は私の元に生まれて来てしまったのかと。普通の、争いなど知らぬような世界になぜ生まれて来てくれなかったのかと。短命が運命づけられた、そんな一族に何故生まれて来てしまったのだろうと」

 

 そう土宮雅楽は言葉を漏らす。

 

 愛している。我が子を愛しているが故に、生まれて来て欲しくなかった。

 

 そんな二律背反。それをたまに抱いてしまうことがあるのだと告白する。分からなくはない。産まれて来ることは喜ばしいことだが、同時に産まれてきたからこそ退魔士の使命を背負わなければならないのだから。 卵が先か、鶏が先かと同じ議論。永遠に答えの出ない命題だ。

 

「あの子は幼い。この宿命を負うには早すぎる。……だが、土宮に生まれた以上そんな悠長なことは言っていられまい。否が応にもあの子は禍に巻き込まれる運命にある」

 

 土宮は実のところ裏の(・・)家系である。

 

 アニメでは最前線に立って神楽が切り込んで行っていたことからあまり意識はされていなかったかとは思うが、実は土宮は一般的な退魔士とも多少違う位置にいる。

 

 公の祭事には関わることなく、裏に回って荒事を担当する。

 

 その荒事に必須となる「力」である喰霊白叡を維持継承するために捧げられた人柱。

 

 それが土宮だ。

 

 故に土宮には必ず荒事が付きまとう。しかも表の最大の家系である「帝」家の裏ともなる家系だ。その荒事のレベルは並大抵のものではない。

 

 そしてそれを一番よく分かっているのは現土宮であるこの人と、今もまだ病院で眠り続けたままの純土宮である土宮舞だ。

 

 それを理解している人の口から発せられる言葉には、俺のような15年も生きていないような若輩者には無い重みがある。

 

「……あの子を頼む。妻が倒れている今、私はあやつの傍に居てやることが難しい」

 

 お役目に就く人間は多忙だ。それにも増してこの人は土宮であり、そして喰霊白叡を持つ現当主は今動けない状態にある。

 

 それこそ、わが娘を守ってやれないほどには。

 

「……任せてください。レディーの1人や2人の人生程度、俺が支えてみせましょう」 

 

 少々恰好をつけてそう答える。

 

 頼られたのは意外だった。遠回しに娘のことを聞いてくるかな程度に考えていたのだが、まさか俺相手に内心を吐露して、尚且つ頼むとまで言われるとは。

 

 元より、俺の目的はこの世界(喰霊-零-)を救済すること。  

 

 だから、その願いを聞き入れることに何の躊躇いも無い。

 

 むしろ、その程度のことは、言われずともやるつもりだったくらいだ。

 

「……頼む」

 

「任されました」

 

 お茶の入った茶碗を持ちながら、眼前に広がる池を眺めながら雅楽さんはそう返す。

 

 俺も同様に真正面を見据えて雅楽さんを見ないでそう答える。

 

 普通なら顔も見ずに会話を、しかもお願いをする会話で相手の目を見ないなど言語道断なのだろう。

 

 だけど、この場だけはこれが正しい。

 

 この会話の仕方で正解なのだ。 

 

 穏やかな風が流れる。

 

 もう夏は通り過ぎて秋どころか冬に差し掛かっている季節。

 

 それにしては温暖な、温もりのある風。

 

 あと二年と半分だ。

 

 穏やかな風を受けながら、俺はそう思う。

 

 早まる可能性も往々にしてあるが、喰霊-零-の開始まで二年半まで接近した。

 

 土宮神楽は無事諌山黄泉と義姉妹となり、普通の少女らしくなったということだ。

 

―――さて、俺も頑張りますかね。

 

 寝てしまいそうな程気持ちのいい風だが、せっかくの機会をふいにするわけにはいかない。

 

 立ち上がって伸びをする。

 

 実は今日俺がここにいるのは親父を通してこの人から呼び出されたためなのだ。

 

 元々手合わせをお願いしていたのだが、中々この人の都合が合わず、ずっと保留になっていた予定が今日ようやく施行されたといった感じなのである。

 

「さて、土宮殿。一服も済んだところでもう一戦お願いします」

 

 雅楽さんからすればこの話の方がメインで、俺との鍛錬はサブであったのかもしれないが、俺からすればこっちがメインだ。

 

 確かに結構へとへとだが、親父のしごきに耐え抜いてきた俺の体力は鍛えている大人にも引けをとらない自信がある。この程度で終わらせるつもりは毛頭ない。

 

 それに―――

 

「依頼料がまだなので、これで払っていただこうかなーなんて思いまして。来週から国家の狗に成り下がるとはいえ、いまはまだフリーなので依頼人から代金を徴収しないといけないんですよ」

 

 茶化してそう言う。

 

 我ながらふざけた発言であるとは思うが、シリアスは苦手なのだ。

 

 道化を演じて、笑いを取ってやろうじゃないか。

 

「……それも、そうだな」

 

 土宮雅楽はふっと薄く笑って立ち上がる。

 

 どうやら俺のジョークを解してくれたらしい。

 

 道場に向かって歩き始めた土宮雅楽に付き添って俺も道場へと向かう。

 

 言葉もなく向かい合うと、俺と土宮雅楽は組み手を再開するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……ちなみに余談ではあるが、全く疲れを見せないかのように振る舞う土宮雅楽から、俺は一本も取ることが出来ずにぼこぼこにされてその日を終えたのであった。

 

 アーメン。

 

 

 




活動報告は締め切りました!
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第8話 -神童 vs 神童1-

 

 

 知られていないことではあるが、環境省超自然災害対策室の地下にはかなり巨大な修練場がある。

 

 さすがは国直轄の施設というべきであろうか。非常にしっかりとした環境が整っており、人目に触れてはならない俺たちの家業の修練を積むならば最適と言ってもいいかもしれない。

 

 原作の神楽がここを使った際には二頭の白叡を遠慮なくぶん回しても大丈夫であったほどだ。相当にこの修練場は広い。

 

 そんな立派で素晴らしい修練場の中で、武器を構えているのは俺と諫山黄泉のたった2人だけだった。

 

 その場を満たしているのは、動けば切れてしまいそうな程張り詰めた空気と僅かに響く息遣いだけ。

 

 先程まで鍛錬に打ち込んでいた環境省の人間も、俺たちに場所を譲って俺たちを見守っている。

 

 俺もそうだが、諫山黄泉も木刀を正眼に構えたまま微動だにすらしない。

 

 肌を通して伝わる相手(神童)の実力。こうやって正面に立って武器を構えているだけなのに、やはりその名は伊達じゃないのだとありありと伝わってくる。ただ対峙をしているだけなのに、俺の精神力は一刻一刻と削られていっている。

 

ーーー冗談だろ……。

 

 冷や汗が流れる。身体中の感覚器官が鋭敏になっている状態で、汗が背中を流れていくのがとてつもなく気持ちが悪い。

 

 諫山黄泉が強いなんてこと、そんなこと分かりきっていた。彼女が規格外の存在であることはきちんと把握できていたつもりだ。

 

 だが、知っているだけでは意味がない。知っていることと教えることは別物だという諺があるが、その通りだ。諺とは意味が多少異なるが、諫山黄泉の強さを知識で知っていることと、身体で体感していることとでは全くもって別物だ。とある最強生物も言っていたが、百聞は一見に如かず、百見は一触に如かず、なのだ。

 

「それじゃルールの確認ね。終了条件は一方がギブアップするか、若しくは戦闘不能と判断された時。審判である私の終了判定も終了条件に含みましょうか」

 

 ポンと手を打つ神宮寺菖蒲。どうやら、この人が審判を務めてくれるらしい。

 

 対策室のほとんどの人間が知らない事ではあるが、実はこの人は現役だ。下手な実力者にレフリーを任せるよりもよっぽど安心だろう。

 

「外部からの助っ人も何もなし。一対一のいわゆるタイマン、ってやつね。それじゃあ、準備はいいかしら?」

 

 その言葉に、俺たちは同時に頷く。

 

 準備なんてとっくにできているに決まっている。むしろ、お互いにいつ始められるのかうずうずしているほどだ。

 

 緊張が高まってくる。

 

 ーーー何故だろう。この前土宮雅楽とやりあった時よりも、カテゴリーBを二対相手に立ち回った時よりも、そして三途河とやりあった時よりも緊張している。緊張で心臓が張り裂けてしまいそうだ。

 

 諫山黄泉はどうなのだろうか。彼女も、俺と同様に緊張してくれているのだろうか。

 

 ーーーいや、多分してなどいないだろう。こんな張り詰めた緊張を持っているのは俺だけのはずだ。ずっとそんな風に在りたいと思い続けてきた、ずっと憧れていた女性(ひと)とこれから戦うのは俺だけなのだから。

 

「泣いても笑っても待った無しの一本勝負。噂に名高い神童と神童の対決なんて夢のカードね。……それじゃ、始めて」

 

 始めの号令がかかる。予想していたよりは呆気なく、さらりとした号令だった。

 

 だが、俺達は違った。ダムが決壊するかの如く、途方もないエネルギーを持った爆薬が炸裂するかの如く。

 

 俺たち(神童と神童)はぶつかり合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「神童vs神童。みんなは見てみたくない?」

 

 始まりは、諫山黄泉のそんな一言だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「改めまして小野寺凛です。不束者なため今後ご迷惑をおかけすることもあると存じますが、弛まず精進していく所存ですので何卒ご指導ご鞭撻の程よろしくお願い致します」

 

 社会人でもあんまりやらないんじゃないの?って位には無駄に丁寧な挨拶とともに頭を下げる。

 

 ここは環境省の超自然災害対策室。喰霊-零-並びに喰霊を見ていた人達ならば耳にタコが出来る程にはその名前を聞いたであろうお国直轄の秘密機関である。色々とやりたいことがあったりしたためスカウトを受けてから6ヶ月ほど加入を待ってもらっていたのだが、その6ヶ月がとうとう経過し、本日より正式に配属となった次第だ。

 

 それにしても堅っ苦しい挨拶になってしまった。俺としては「ご存知の通り小野寺凛です、これからよろしくお願いします」ぐらいで済ませようと思ってたのだが、親父に「子供とはいえ、お前はキチンとした挨拶が出来るのだから出来ることはやっておけ」と言われたので一応キチンとやってみたのだ。恥ずかしいけど。

 

 頭を上げるとそこに並んでいるのはアニメで見慣れた面々。諫山黄泉を始めとして、神宮寺菖蒲、二階堂桐、岩端晃司、ナブー兄弟など対策室のエージェントメンバーが全員集結していた。

 

 ……俺はこのメンバーの中に入ってこれから活動するのか。ちょっと感激する。画面越しに憧れながら観ていたメンバーたちと同等の立場でこれから活動する事ができるのだ。フリーの身分も捨てがたかったが、それ以上にこの人達と活動できるのは喜ばしいかもしれない。

 

「あらあら、ずいぶん丁寧な挨拶ね。その歳でそれだけの挨拶が出来るなんて凛ちゃんは偉いわね」

 

「そうですね。その歳でそれなりの言葉遣いができるのは将来性が見込めます。少々薄気味悪くもありますが」

 

「もう桐ちゃんったら」

 

 始まる恒例のコント。無礼を働き嗜めるという予定調和。

 

 ってか室長、さり気なくアンタも俺のこと馬鹿にしてません?偉いね偉いねされるような歳じゃあ流石にないんですけれども……。

 

「その歳でそんな言葉遣いが出来りゃ大したもんだ。改めて岩端晃司だ。よろしくな凛」

 

「同じく桜庭だ。改めてよろしくな」

 

 握手を求めて来た2人に俺も握手を返す。

 

 飯綱紀之とは黄泉に連行された際などにちょいちょい会っているが、この2人とはかなり久々だ。正式に対策室入りをするって表明しに来た時も会えなかったし、多分あの病院以来じゃ無いだろうか。

 

「よろしくお願いします。そしてナブーさんもお久しぶりですね」

 

「「ナブー」」

 

 ナブー兄弟とも握手を交わす。この人達も病院以来だ。つーかぶっちゃけこの人達と仕事以外で会うという発想が俺にはなかった。

 

「よ、凛。調子はどうだ?」

 

「どうも。最近成長痛が酷くて悩んでます」

 

 気さくに飯綱紀之が話しかけてくる。……ふむ。相変わらずイラつくくらいにはイケメンである。あの日、病院で会うことは叶わなかったが、先程も言った通りこの人とは何回か接触している。黄泉を抜かせばこの人と絡んでいる回数はナンバーワンだ。さっぱりとした性格だし、気さくなにーちゃんといった感じで絡み易いのだ。

 

 余談だが、2人で歩いているとまあまあな頻度で女の人が話しかけてきたりする。全部が全部飯綱紀之目的で、ですけれども。

 

「そろそろ伸びてきて身長越すんで待っててくださいよ。……それと、神楽ちゃんもお久しぶりだね」

 

「こんにちは」

 

 ペコリと頭を下げる神楽ちゃん。久々に話すからか少々こわばってはいるが、以前の病院のように全く表情が無いといったようなことは無く、先程から黄泉とじゃれ合っていたりなどしながら笑顔を見せていた。

 

 流石は諫山黄泉。アニメと同様に神楽ちゃんの心的な傷をしっかりと取っ払ってくれたようだ。それは俺には間違いなくできない行動で、それが出来る諫山黄泉には正直嫉妬する。ちなみに対策室入りを6ヶ月も待ってもらっていたのは俺が下手に介入して心的外傷が治らないみたいなふざけた現象を起こさないための配慮でもあったりする。女の子の心境を理解して慰めてあげるといった行動は俺には難しすぎます。

 

 まさか俺1人の介入でそんなこと起こりようも無いとは思うが、万が一を起こさないための俺の措置だ。それに本当にやりたいこともあったからちょうど良かったのだ。

 

  ……それにしても。

 

「神楽ちゃんも病院以来だよね。……えっと、その、大きくなったね」

 

 忘れもしない。俺とこの子があったのは6ヶ月前。妖艶さとかといった色では無く、表情を意味する色を全く浮かべていなかったこの子との出会いがファーストコンタクトである。

 

 その時俺はこの子よりも多少以上に背が高かった筈だ。ベッドで上半身のみ起き上がらせた状況であったとはいえ、身長には敏感な俺だ、見間違いようなどあるまい。

 

 だが、今は違う。目線の高さが俺より少し低いかな?というくらいまでに迫っているのだ。

 

 一般に、女の子の方が男よりも成長が早いと言われている。だから、小学生高学年や中学の前半だと男の方が身長が低いということは往々にしてあるのだが、年下の女の子に抜かされそうである。思わず心の中で唸らざるを得ない。下手したら今年度中に身長抜かされんぞ俺。

 

「凛はチビだからな。ほら神楽、笑ってやるといいぞ」

 

「平均よりも小さいよな凛って。クラスでも一番前とかじゃないのか?」

 

「……ふふ、意外と小っちゃいんだね凛ちゃんって。なんか可愛いかも」

 

「可愛いはやめろ可愛いは」

 

 飯綱紀之と桜庭一樹の煽りに乗じて俺を馬鹿にしてくる土宮神楽。

 

 まじでやめてくれ。女子に俺が言われたくない単語のトップクラスに位置するのがそれなんだ。

 

「何、気にすることはないさ。男は身長じゃねえよ。腕っ節と度胸がありゃ充分だ」

 

「それに小っちゃいと可愛くていいじゃない。私は好きよ」

 

 俺をかばうつもりがあったのかなかったのか。本人達にしてみればフォローになってたのかもしれないが、全くもってフォローになって無かった。

 

 180cmを優に超える大男に言われたくないし、そもそもその口調だとお前はチビって認めてんじゃねえかよっていうね。

 

 そして室長、可愛いはやめろと言ったばっかなんですが。あなたが好きかどうかは関係がないのですよお姉さん。 

 

「ねえねえ凛ちゃんって身長何センチ?」

 

 ずいっと近づきながらそう聞いてくる神楽ちゃん。

 

 病院の時の殊勝さはいずこへ行ってしまったのか、最早遠慮とか、気遣いとかが感じられない。悪戯な笑みを浮かべている。

 

 警戒を解いてくれたのなら別に万々歳なんだけどさ。俺のトークテクとかじゃなくて身長ネタで親密になると言うのは俺の心境的にあまりよろしくないなーとか思ってしまう。

 

「……ひゃ、150cmですけれども」

 

「ということは凛は146、7くらいかしらん?平均身長よりも結構小さいわね」

 

「あー!負けたー!」

 

 読んだサバは(諫山黄泉)にあっさり食われてしまったらしい。まさかの一瞬でばれた。

 

 いやまあ身長をごまかして言う人って大抵は2〜3cmサバを読んで報告するから推測するのは容易ではあるんだけどさ。

 

 それを皮切りにして身長の話で盛り上がり始める対策室の面々。

 

 俺は小さい頃から身体が大きくてな、とか今170超えてますだのといった人間の表面を数値化した憎むべき指標について其処彼処で会話が成される。

 

 ……今日って俺の就任祝いなはずだよな?祝われている気が全くしないのだけれども。

 

 むしろ貶されている気がするまである。遺憾の念を禁じ得ないぞこれは。

 

「凛ちゃんって前から何番目?」

 

「よし神楽。お説教してあげるからあっち行こうか」

 

 などといったようなおふざけたっぷりの会話の応酬で、俺の就任祝いとやらは一通り終了したのであった。

 

 

 

 

 諫山黄泉から例の一言が出たのはその後である。

 

 俺も大体みんなと話し終わったし、そろそろみんなも業務に戻ろうかとしていた時のことだ。

 

 諫山黄泉がレクリエーションがまだ残っていると言い始めたのである。

 

 最近成長痛らしき鈍痛が酷くて訓練もあまりしていないから俺は十分暇なのだが、流石にこれ以上公務員を拘束する訳にはいくまい。

 

 それに周りの面々を見る限り殆どがレクをやることを知らなかったみたいだし、どうせ大した企画じゃないんだろうと思い、そう実際に口にしようとした所、諫山黄泉と目が合った。

 

 その瞬間ゾクリと身体が震えた。

 

 その目は柔和だ。非常に優しく、何時ものように頼れるお姉さんのように一見見える。

 

 だが、その目の奥が笑っていなかった。敵を見据えたような、そんな目をしているのだ。

 

 ……なぜ俺をそんな目で見る。

 

 切にそう思う。まるで俺と今から事を構えるかのような剣呑な目をしてやがるじゃないか。

 

  どうしたものかと周りを見渡すと、周りの奴らは納得がいったという顔で諫山黄泉を見ていた。その場でついて行けてないのは多分俺くらいだったのだ。どうやらみんな黄泉の表情を見て黄泉の意図にすぐ気づいたらしい。流石はずっと黄泉と共に行動をしてきた面々なのだろう。

 

 ……どういうことだってばよ。

 

 俺はどう振る舞うのが正解なんだろう、是非とも説明が欲しいものだ。置いてけぼりっていうのはあまり精神衛生上よろしく無い。

 

 それに空気を読むのにはあまり自信は無いが、読もうとしない程に愚かであるつもりは無いのだ。

 

 さてどうしたものかともう一度黄泉の目を見て、そこで漸く俺もその意図に気がついた。

 

 なんてこった。こいつは俺と事を構えるかのような(・・・・・)目をしていたわけじゃなくて、本当に俺と事を構えるつもりの目をしているんだと。

 

 思わず「本気?」と聞いてしまった俺に対して、強い調子で「勿論」と返してくる黄泉。 

 

「一回戦ってみたかったし、確かめたいこともあるから丁度良いのよね」

 

「確かめたいこと?」

 

「そ、確かめたいこと」

 

 それって何、と聞こうとした俺に先んじて諫山黄泉は口を開く。

 

 別に割り込んで黙らせるような意図は無かったのだろうが、黄泉に黙らされたような形となる。

 

「レクリエーションとしては丁度良いでしょ。この時間なら地下の修練場も多分空いてるし、ただ何もせずに凛を返しちゃうのも悪いじゃない?」

 

 それに、と諫山黄泉は続ける。

 

「ーーー神童vs神童。みんなは見てみたくない?」

 

 その一言に、頷かない者など1人も居なかった。

 



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第9話 -神童 vs 神童2-

 喰霊白叡を操っても問題が無いほどに広い修練場の中で、主だった音を鳴らしているのはたったの2人。

 

 諫山黄泉と小野寺凛。一般に神童や天才と呼ばれている2人の少年少女である。

 

「はぁぁぁぁ!!」

 

 諫山黄泉の鋭い気合いと共にそれ同様鋭い剣閃が小野寺凛へと降り注ぐ。

 

 常人なら反応すら出来ずに御陀仏してしまう程の一撃。だがそんな攻撃もこの2人の戦いにおいては小手調のための一撃に過ぎない。初撃以上に鋭い斬撃が次いで繰り出されるが、それらは全て相手を仕留めるためではなく実力を測るためのもの。繰り出す方は躱される前提で、繰り出される方は躱し切る前提でその一瞬を過ごす。

 

「あいつら本当に中学生かよ」

 

「ああ、なんだよあの動き。しんじらんねえ」

 

「バケモンだろ……」

 

 固体と固体が激しくぶつかり合う音が鳴り響く中、そんな声が其処彼処から聞こえてくる。

 

「どう思う?アレにお前勝てるか?」

 

「馬鹿言うな。勝てるわけがねえだろうが」 

 

 先程までこの訓練施設で鍛錬に勤しんでいた環境省の面々もその鍛錬を止めて2人の戦いに見入ってしまい、そんな声を思わず漏らしているのだ。

 

 仮にも特殊機関で戦闘要員として働いている人間をしてこう言わしめることからも2人の実力は推し量れよう。荒事を生業とする大人から見ても「神童」の戦いは格が違うのだ。

 

「それにしてもやっぱ諫山って凄いんだな」

 

「本当にその通りだな。小野寺のガキンチョも十分化け物だが、諫山はそれ以上だ」

 

「やっぱ神童っても諫山黄泉の方が上なのか?」

 

 ガキン、という木刀と霊力で出来た物質が奏でるとは思えないような音を立てて諫山黄泉と小野寺凛は鍔迫り合う。

 

 素人が見れば一見互角に見えるその戦いだが、実のところ優勢なのは諫山黄泉だ。どちらもまだ一度も攻撃を食らってはいないのだが、攻撃に出るか守りに出るかのイニシアチブを完全に諫山黄泉が握っており、小野寺凛は自らが望むような攻防を満足に繰り広げることが出来ていない。

 

 内心で舌打ちを1つ。勝っている瞬発力と筋力を用いて諫山黄泉を鍔迫り合いの状態から弾きとばし、一旦距離をとって仕切り直す。

 

―――流石だな。

 

 素直に感心する。舐めていたわけじゃ無いし、侮っていたわけでも当然無い。だが、頭の中でその実力が下方修正されていたのは事実なのだろう。流石にこれ程までに攻めきれないとは思わなかった。

 

 負け惜しみや言い訳では無く、凛は十全の力で戦っているとは言い難い。最近の身体の不調のせいで訓練を一週間近くしていなかったのは事実だし、それを抜かしてもフルスロットルと言うには程遠い力しか出していないからである。だが、それは諫山黄泉も同じ。彼女もまた凛と同じで全くもってその力の全貌を見せてはいない。

 

―――黄泉の本気に、果たして俺は勝てるのか。

 

 対峙し始めてから冷汗が止まらない。背中に張り付くシャツがたまらなく不快だ。だが、そんなことを気にしていられる余裕なんて存在しない。

 

 鍔迫り合いで押し勝って距離を離した次の瞬間には諌山黄泉は自分の眼前に迫っている。それをいなして距離を離したかと思えば再度目の前に現れる。

 

 取り付く島も、息をつく暇も無い。

 

 首を刈るべくして斜めに振り下ろされる刃を半歩下がって躱し、カウンターに回し蹴りをお見舞いするがそれもあっさり後退されて避けられてしまう。

 

 それどころかカウンターにカウンターを合わされて、木刀の柄の部分を用いた打撃を一撃貰ってしまった。

 

「っぐ……!」

 

 本日の初ヒット。それを諌山黄泉が奪っていった。

 

「どうした小野寺凛!お前の実力はその程度か!?」

 

 平常とは異なる猛々しい声で黄泉はそう発破を掛けると共に、諌山黄泉はその剣戟の速度を上げていく。

 

 2人が試合を始めておおよそ2分。軽々しく聞こえる2分という単語だが、案外2分とは長いものである。チャンバラを本気で2分間やってみるとわかるが、たった2分間であるのに体力の消耗は持久走を走る時以上だ。普通の人間ならば2分も木刀を合わせ続けていれば疲労困憊で立てなくなってしまうことは想像に難くない。

 

 だが、諌山黄泉にとってはここからが本番だった。小手先だけの試合から、本気の決闘に。自らに存在するギアを一気にトップまで持っていく。

 

 その急激な速度の上昇に小野寺凛の顔が驚きに染まる。多分、まだ自分が様子見の攻撃を繰り出すと予想していたのだろうなと黄泉は考える。

 

 驚いている間にみぞおちに掌底を一撃。木刀を使うと見せかけての一撃であったため綺麗に入ったという訳ではなかったが、それでも防御をされることなくその掌底は小野寺凛のみぞおちに吸い込まれた。

 

 くぐもった声が漏れる。なかなかに深い一撃。並みの退魔士ならこの一撃で沈むか決定的な隙を見せてくれるのだろうが、と黄泉は思う。だが、いくらこちらがイニシアチブを握っているとはいえど相手は並みでは無い。掌底を食らって前かがみになっていたことをいいことに、そのまま前転を行って黄泉の木刀での追撃からも視界から一瞬で逃れてしまった。

 

―――なんてアクロバティックな……!

 

 今の一撃で勝敗が決定されるとは思っていないが、まさかあのようなアクロバティックな動きで逃げられるとも思っていない。普段なら猿かお前はなどと突っ込みを入れていた所だろう。

 

 即座に後ろを振り向き、それと共に木刀を振り下ろす。

 

 それにドンピシャなタイミングで合わされる凛の刃。お互いがお互いに一瞬遅かったら相手の攻撃を受けてしまっていたであろうタイミングであった。

 

 正直な話、もっと楽に戦えると思っていたんだけどなあと黄泉は思う。過小評価していたわけでは無く、単にここまで自分に追い縋ってくる存在を想像できなかったのである。

 

 この試合で何度目かわからない鍔迫り合いが起こる。凛は距離をとって仕切り直しを図りたい様子であったが、黄泉は好機とばかりに接近戦に持ち込む。

 

 自身のトップスピードでの攻撃。捌き切ることの出来る存在は退魔士に何人居るだろうか。少なくとも一人居ることだけは分かったが、その数は両手の指で足りてしまうのではないかと黄泉は思う。

 

 小野寺凛の一撃は重い。そして速くその手数も多い。だからまともに打ち合えば諌山黄泉といえども力負けしてしまうことは必至だ。様子見で打ち合っていた時よりも全力を出し始めてからのほうがそれはより顕著になった。でも、

 

―――技量ならば、私が上だ。

 

 最小の力で、目の前の暴力をやり過ごす。柔よく剛を制すとはよく言ったものだ。凛の圧倒的攻撃力を攻撃の中心をずらすことで防ぎきると、僅かながら出来た隙に突きを叩き込む。

 

 突きは一見地味で大したことの無いように見える攻撃かもしれないが、実の所その威力は凶悪である。中学以下の剣道で使用が禁止されている点を鑑みれば理解がしやすいであろう。加えて、突きは点での攻撃である為、出が早く非常に避けづらいという長所を持つ。槍の方が剣より強いとよく言われるのは、リーチに加えてこの突きの要素が大きな要因である。

 

 完全に決まったかのように思えたその一撃だが、返ってきたのは鈍い手応え。コンクリートに突きを繰り出してしまったかのような、そんな感触が木刀を通して黄泉に伝わる。これは決して人体に当たった感触ではない。では何に、と思い目をやるとそこにあったのは戦闘中常に目にしていた鈍い金色の塊。それが突きを繰り出した小野寺凛の脇腹を覆うようにして存在していた。

 

 小野寺の「霊力を物質化する異能」で作られた壁。それを鎧みたいに脇腹に纏って黄泉の一撃を防いだのである。

 

 誘われた、と気がつくのに殆ど時間は必要なかった。

 

 弾かれたようにその場から飛び退く諫山黄泉。小野寺凛はあの攻防において自分が敗北することを予見して、それを逆手にとって反撃を繰り出すつもりなのだと一瞬で理解したのである。

 

 体勢を整えるために少しでも距離をと思いバックステップを行うが、何かにそれは阻害されてしまう。背中に触れていて、後退を阻止する壁のような何か。背後にある為に目視は出来ていないが、これも例の能力の応用だろう。本当に厄介な使い方をしてくる男だ。

 

 咄嗟に防御の構えを取る。木刀の峰に手を添えて衝撃に備える。果たして、次の瞬間に伝わる強大な衝撃。そのままダンプカーにはねられた人間の如く弾き飛ばされる。

 

「……っっっ!!」

 

 地面に激突しそうになったが、上手く受け身を使い衝撃を分散させることで体勢を立て直した。

 

 流石に3メートルも4メートルも飛ばされたなんてことはないが、それでも体勢が崩れていたとはいえあの身体でよくもまあ人間1人を弾き飛ばせるものだと感心してしまう。

 

 上手く受け身を取ることが出来た為か、回し蹴りを刀で受けた部分以外は大したダメージも無く再び木刀を構える。

 

「どうした黄泉?お前の実力はそんなものか?」

 

 先程自分が放った言葉を小野寺凛に返される。

 

「あら、こっちの防御を抜いたことなんてまだ無い癖にどの口が言うのかしら、それ?」

 

 軽口には軽口で応酬する。

 

「よく言うよ。地面で華麗にローリングしてた人の言葉とは思えないな」

 

「それこそ鳩尾に華麗な一撃を貰った人の言葉とは思えないわね」

 

 お互いに軽口を言い合いながらも相手から集中は一瞬たりとも外さない。外せば、外した方の負けはその時点で確定するからだ。

 

 小野寺凛はまだ理性的だ。実の所「今のをなんで防御出来るんだよ」などと内心で本気で愚痴を言ってはいるが、それでも目の前の男は冷静さを欠いてはいない。軽口を叩き合いながら黄泉はそう分析する。小野寺凛にまだ(・・)異常は見受けられない。 

 

 木刀を握る手に力を入れる。

 

 諫山黄泉には確かめたいことがあった。小野寺凛の父である蓮司が自分に話してくれたある1つの話。それを諫山黄泉は確かめたかった。

 

 いや、正確にはちょっと違う。

 

 本当は1度戦ってみたかったのだ。本気の小野寺凛と。

 

(出し惜しみなんて、させてあげると思ってる?)

 

 腰を落として剣を構える。自分(わたし)を相手に出し惜しみなんてしている余裕があるならやってみろ。そんな余裕、すぐに切り裂いてやる。

 

 こちとら伊達に神童なんて呼ばれてないのだ。

 

―――かかってらっしゃい小野寺凛。貴方の全力(・・)を潰してあげる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 身体の奥底からとある感情が湧き出てくる。長い間へばりついて落ちなかったヘドロがキレイに溶けて落ちていくかのような感覚。しかし一方で抑えきれない程に激しく、自らを内側から破りさってしまいそうな、そんな感覚。恐らくこれを人は歓喜と呼ぶのだろう。

 

 正直に言おう。俺は諫山黄泉よりもけっこー強い自信はあった。

 

 負けるかもとか何とか言っていたとは思うが、それでも俺が間違いなく優位に立てると思っていたし、乱紅蓮無しで追い込まれるとは正直思っていなかった。

 

 だが、この女は正真正銘の規格外(化け物)だった。

 

 なんだかんだ10回やったら9回位は勝てるだろうと思っていたのがおこがましいレベルだ。5回勝てれば十二分。認めたくはないが諫山黄泉は俺より格上だ。1週間まともに体を動かしていなかったなんて言い訳が通じない程には諫山黄泉の方が俺よりも強い。

 

 俺がまともに攻撃を与えられたのは先の防御の上から回し蹴りを叩き込んだ一撃ぐらいで、それ以外に俺からの有効打は存在しない。その一撃だって有効打には程遠いから実質有効打は無いに等しい。 

 

 先程の一撃からおおよそ5分が経過したがペースは完全に黄泉に握られっぱなしだ。加えて不意打ちで繰り出してくる体術を新たに数発ほど頂いてしまっている。鳩尾とか顎みたいな急所には攻撃を頂いていないが、片手の指は超える程度に肩や足などのちょっとした所に貰ってしまっている。

 

 事実ではあるが、周りから見たとしてもこの攻防は「終始諫山黄泉の優勢」に見えているであろう。

 

 そう。つまりは小野寺凛の劣勢。でも、だから。

 

 ―――だからこそ、この感情(歓喜)がどうしようもない。

 

 匂わせてすらいなかったかもしれないが、俺には戦闘狂の気がある。

 

 自分から志願したくせに思いのほか修練が辛すぎて投げ出したくなった時に「闘いとは楽しい物だ」と自分で自分に刷り込ませていたことが恐らくは全ての元凶であったのだと思う。 

 

 親父にその傾向を指摘されてからは協力して貰いながらそれを抑えるように努力していたのだが、それでもこれは自分に根付かせてしまった性質とも言える部分なので、忘れ去るだとか改善するなどということはやはり不可能だった。精々「隠す」という選択肢を取ることしか出来なかった。

 

 なのでこの病気とも言える症状は時折姿を現す。

 

 分家会議の時に親父と喧嘩したという話をしたのは覚えているだろうか?そして俺が親父の肋を数本お陀仏にしてしまったという話も。

 

 実はそれもこの病気が原因だ。親父も俺もヒートアップしていたのはしていたのだが、それでも親父ぐらいなら怪我を負わせずに完封程度楽勝だ。ちょっと苦戦するフリ(・・)なんかのオプションも一つオマケに付けてあげたっていい。

 

 だが分家会議にどうしても行きたかった俺は結構本気で親父に切れており、感情のコントロールが効かせられず手加減無用のボディーブローをぶち込んでしまったのだ。しかもご丁寧に霊力でしっかりコーティングした拳で、である。親父だったから良かったものの、あれがもし目の前の少女とか同年代の男子とかだったらやばかった。間違いなく内蔵にまで到達してる一撃だった。

 

 あれが一旦始まると本当に酷い。ギリギリの攻防がとんでもなく楽しくなるし、傷つくのも傷つけるのも何とも思わなくなる。

 

 闘っていると、どうしても「闘っている」という極限の実感が欲しくなる。生の実感に近しいかもしれないが、とにかくぎりぎりの攻防が本当に楽しくなってしまうのだ。

 

 それはともあれ、身に余る扱いきれない力など在るだけ無駄だ。そんな危険な制御できない力など使わない方がマシだと思い、隠して表に出さないようにしていたのだが―――

 

―――これは、駄目だ。

 

 こんなの抑え切れる訳が無い。一手間違えれば俺は敗北し、相手は当然勝利する。全力を出して相手したとしても勝つどころか負けないようにすることが精一杯。そんなぎりぎりの状況で自分を押さえることなんか出来やしない。

 

 それに先程から諌山黄泉の剣は非常に蠱惑的だ。俺に全力を出せと、受けきってやるから全部出し切ってみろと、そう言っているようにしか見えないのだ。

 

 戦闘開始から5分以上。本当は小手調べの時点から黄泉と自分の実力差には気が付いていた。多少打ち合えばその実力差など伺い知れるのだから。

 

 5分以上ずっとだ。これだけの天才(ビジョ)を相手に我慢し続けてきたのだ。

 

 13年間ずっとだ。目の前の神童(ビジョ)と戦う想像をしなかった日は無かったのだ。

 

 

 親父曰く、病気が発動すると「表情と目の色が変わる」んだそうだ。

 

 表情は物理的な意味で、目の色は比喩的な意味で。

 

 俺は今どんな顔をしているんだろうか。自分では見えないからわからないけど、多分(わら)ってるんだと思う。

 

 目の色はどうだろうか。多分、これも狂気に染まってるんじゃないだろうか。

 

 

 タガを外し(本気を出)ても諌山黄泉には届かないのだろうと思う。多分直ぐに対応されてしまうのだろう。それだけの才と実力が諌山黄泉にはある。

 

 でも、こいつには本気(狂気)でぶつかってみたい。俺の持てる全てをぶつけて、あわよくば地面に這いつくばらせたい。

 

 

 

 

 だから、もう我慢(遠慮)は終わりだ。

 

 これだけの才能(ゴチソウ)を前にして我慢(配慮)なんてしていられるか。

 

 

 戦いの前に以上に感じていた緊張は、全力を出せることに対しての緊張だったのだろうか。

 

 もはや何度目になるかわからない衝突。

 

 その衝突を、俺は初めて制した。

 

 

 

 




一人称いったり三人称いったりしてるのはご愛敬。雰囲気で察してください。

なげー。二分割だし。5000字くらいでバトル終わるのかと思ったしさ。びっくりだよ。
ちなみに引っ張ったんだし、次話で凛君俺TUEEEEE!!出来るの?とか思うかもしれないんですが、ぶっちゃけそこまでかっこいい活躍は出来ないです。つーかむしろ「ちょ、おま、ふざけんなよ」って感じの展開になる?かと。次話は凛君の評価下がるかも。お気をつけて。


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第10話 -神童 vs 神童3-

 黄泉が競り合いで負けた事は何度かあった。

 

 それはしかし当然の事であると言える。なにせ相手は黄泉よりも力のある相手だ。黄泉の方が背が高いといえどもそんなものは鍛えている男に対してあまりメリットにならない。

 

 だが、今のように駆け引きを含めた勝負で押し切られたのは初めてだった。

 

 あまりにも荒々しい一撃で木刀が弾かれた。黄泉を狙った攻撃では無く、木刀をたたき折らんとするかのような攻撃。後先を考えずにとりあえず全力で剣を振ってみましたとでも言い出しそうなそんな一撃。

 

 今までの凛の攻撃の組み立て方は「無骨ながらも論理立てて作られた」ものであったため、訳がわからない荒々しい攻撃に一瞬理解が飛んで競り合いを制されてしまったのである。

 

 とはいえそんな大雑把な一撃が戦況に大きく影響を与える訳も無く。何度か黄泉の刀を大きく弾いた程度で直ぐに仕切り直される。

 

(……やけくそにでもなった?それならちょっと拍子抜けかも)

 

 突然大雑把になった攻撃を黄泉はそう分析する。確かに無駄に力の籠った攻撃は当たらずともそれ自体が大きな脅威となるが、無駄に力の籠った攻撃なんて早々に当たるものじゃない。そんなものは戦い慣れしていない素人が怖がる類の攻撃であってプロが警戒するような攻撃では無いのだ。

 

(?)

 

 内心拍子抜けしている黄泉の目に映ったのは様子の変わった小野寺凛。外見上特に変わった様子は見受けられないが、今さっきほんのちょこっとだけ気持ちの悪い笑みを浮かべたような気がしたのだ。ギリギリの試合などが面白くて笑ってしまう人はたまにいると聞くが、少なくとも黄泉はお目にかかったことが無い。

 

 もしかしてこれが小野寺殿が言っていた凛の……などと思案していると、凛が動いた。

 

 重戦士のような重い攻撃を繰り出す割には相変わらず軽快なステップ。このスピードと攻撃の重みのアンバランスさが小野寺凛の何よりの武器かもしれないと黄泉は思う。軽快な身の動きに騙されて適当な防御を行ってしまえば凛の思うツボだ。ガードごとやられてお終いだろう。

 

 ただ攻撃のパターンは随分と単調だ。一度癖とそのアンバランスさに慣れてしまえば捌き切るのはそう難しいことでは無い。

 

 さて、次は何をしてくるのか。過去の行動パターンと組み合わせて小野寺凛の次の手を予測していると、彼のとった行動はシンプルだが今までに一度も取らなかった選択肢だった。

 

「っっっ!」

 

 苦悶の声を上げながらそれを間一髪のところで回避する。

 

 顔面を狙った一撃。下手をすれば死んでいたかもしれない程のそれが黄泉の顔の横すれすれを通過していく。

 

 模擬戦には暗黙の了解とも呼べるルールが存在する。それは模擬戦は模擬戦であって本番の殺し合いじゃないんだから相手が本当に死にそうな攻撃とか、例えば顔面みたいな所を本気で狙わないようにしようね、というものである。

 

 暗黙の了解であるため守る必要などは実はないのだが、非殺傷系の武器を使用するのもこれの一環であるし、これを守らずして模擬戦をやってなんかいたら直ぐに死傷者が発生してしまうだろう。

 

 だから基本狙うとしてもフェイントに含ませるとかその程度に止めるのだが、凛の攻撃はほぼ殺しにかかっていると解釈されておかしくない、というよりはそうとしか解釈しようのない一撃だった。

 

 それが続けて何撃も繰り出される。一撃一撃が下手をすれば致命の一撃に成り得る物を何度もである。

 

 これには流石の黄泉も防戦一方になってしまう。

 

 首、頭、顔、あとは意識が逸れがちになる爪先等の末端部分。そんな通常ならば配慮をして攻撃など行わない部分を積極的に狙ってくるのだ。

 

 正直な話、黄泉も先程から際どい所を狙ってはいた。小野寺凛が「黄泉の剣が蠱惑的だ」と思ったのは恐らくはそれが原因だろう。

 

 だが、小野寺凛の物は違う。黄泉のように極力弱めに攻撃するだとか極力避けやすいように配置するだとかの遠慮や配慮は一切ないのだ。「黄泉ならばこれでも死なないだろう」と、「自分の攻撃くらい軽く受け止めてくれるだろう」との、信頼に基づいた、実戦同様の相手を殺すための攻撃を全力で躊躇いなく繰り出してくる。

 

 非常にやりづらい相手だと黄泉は思う。恐らく自分が凛を殺す気で切りかかったとしても目の前の相手の厄介さの豹変ぶりには到底及ばないに違いない。

 

―――こいつの戦闘スタイルは徹底的に実戦向きなのか。

 

 自分や神楽は正統派(どこでもつよく)で、小野寺凛は比較的特化型(ときとばしょによる)なのだ。素の状態でも充分に強いが、多分真剣を持たせた戦場でならもっとこの厄介さと強さが跳ね上がる。無論、今よりも。

 

 再び黄泉の顔スレスレを凛の刃が通り過ぎていく。警戒の幅が広がっているため単純なフェイントですら脅威となっている時に再びの顔面狙いには肝を冷やさざるを得ない。今のは気を抜いていたら結構危なかった。

 

 危険を感じ凛との距離を離そうとする。一旦データがしっかり揃うまでは凛のペースに流されてしまっては危険であるとの判断からだ。だがそれは後頭部にかかる圧力によって阻止されてしまう。

 

(髪!?)

 

 髪を掴まれている。そう理解した瞬間には目の前に凛の膝が迫って来ていた。

 

 髪を掴んでの膝蹴り。後頭部をしっかりホールドされてしまっていることから避けるのは非常に困難だし、そして同様の理由で衝撃の逃がしようがない凶悪なそれ。倫理的に完全にアウトなことを除けば非常に効果的で決定力の高い技である。

 

 大抵はここで勝負が決まるのかもしれないが、そんな凶悪な一撃が目の前に迫っていても諌山黄泉は冷静だった。

 

 黄泉が選択したのはただ防御するでも回避するでもなく、凛の膝に木刀の柄を合わせて迎撃するという攻撃。頭を守るように腕で顔を覆いながらも的確に反撃を繰り出す。

 

 ゴンという木刀から伝わる鈍い響き。骨に木刀が食い込んだ感触。流石に衝撃を殺し切ることは不可能で腕と頭に多少鈍い痛みが走るが、それでもほぼ完璧に膝のダメージを抑えきった。どう考えても黄泉に不利すぎる状況だが、とっさの対応力でその窮地を無効化するどころか手酷い一撃を与えることにも成功する。

 

 

 間髪入れずに黄泉はタックルを繰り出す。膝への思わぬ反撃を貰い硬直していた凛はそれをモロにくらってしまい先程の黄泉以上の距離を吹き飛ばされてしまう。

 

 はっきりとは確認していないが木刀の柄が入ったのは小野寺凛の膝小僧部分。骨が壊れる系統の音はしなかったから骨折はしていないだろうが、それでもこの戦闘において左膝は死んだも同然だ。関節部分に衝撃を受けると関節の稼働時に耐えがたい痛みが走る。それを無視して戦闘を行うなど不可能に近い。そしてそんなダメージを与えたということは普通ならそれは黄泉の勝ちを意味している。

 

 だが目の前の男はそれでも立ち上がり、尚突撃してくる。普通なら生じている筈の痛みを完全に無視して、どこか楽し気な雰囲気を醸し出しながら切りかかってくる。

 

 それに周りの観客が凍り付くのがわかる。恐らく小野寺凛の様子が周りにも伝わったのであろうと黄泉は推測する。

 

―――小野寺殿が言ってたのはこれね。

 

 まるで怪我を負った獣が背水の陣で敵に向かうような、そんな一種の狂った状態に凛がなることがあると小野寺殿から聞いたことがある。最近は滅多に無くなったがそれでも時折その鱗片を見せることがあるのだという。

 

黄泉にとって凛は弟のような存在だが、その人格については常に飄々としていて冷静な奴といった、おおよそ年下にはあまり使わない評価を下している。大人っぽく常に落ち着いているため冷静さを欠いた彼を黄泉は見たことがなかった。

 

 だから、見てみたかったのだ。あの凛が本当にそんなになるのか。そしてそれが本当なら1度戦ってみたかった。あの小野寺殿をして手がつけられないと言わしめる彼と。

 

 

 鍔迫り合いの最中、凛の左脚に負担がかかるように力を調整する。右脚よりも少し後ろにある左脚に体重がかかるように少しだけ力を入れて刀を押し込む。

 

 すると面白いようにカクンと落ちる左の膝。狂犬の如く痛みを無視して突撃しているといえども身体の異常それ自体は無視することが出来ない。精神論で超越できるのは精々が痛みまでであり、欠陥を埋めることは出来やしないのだ。

 

 凛としては激痛に耐えて力を入れたことだろう。もしかすると痛みに耐えているなどという高等な感覚は失われているのかもしれないが、とにかく左足で踏ん張ろうとしたことだろう。でもそれを身体が許さなかった。脳から行く命令を膝が受け止めきれなかったのだ。

 

 崩れる膝に伴って胸のちょうど目の前辺りに落ちてきた凛の顔を掌底で殴り飛ばす。渾身の一撃とも言えるいい出来の掌底。膝を抜かせば今日の一番のヒット。周りからは大きな歓声が上がる。今日一番の盛り上がりを周りが見せるほどの強烈な一撃であったということだろう。

 

 決定打にふさわしい打撃だったが目の前の異常者にとってはただのチャンスに成り下がってしまったらしい。掌底を繰り出した後のほんの僅かな硬直時間に手首を掴まれ関節を極められる。

 

「いった……!」

 

 完全に極められている右手首の関節。今の凛ならば即座に折ってもおかしくはなかったのだが、凛のダメージが甚大であったことと体勢がかなり不安定であったことが影響しているのか極められただけに止まっている。

 

 右手首に走るあの特有の痛みに黄泉は顔を顰める。思わずその痛みに呻くが、決められただけでまだ折られていないことを冷静に分析すると、痛みを押し殺して空いている左手でもう一度凛に掌底を放った。

 

「っぶ!!」

 

 凛の丁度鼻っ柱にそれは直撃する。本日二度目の顔面へのクリーンヒット。加えてそれは振動を内部に伝えやすい掌底という形でどちらも直撃している。軽い脳震盪でも起こしているのだろう。黄泉の右手首にかかっていた圧力が軽くなる。

 

 それを振りほどくとさらに追撃を加えるべく黄泉は刀を構える。流石にやりすぎだと思うかもしれないが、狂犬相手にはオーバーキルこそふさわしい。やってやりすぎる位で丁度良いのだ。

 

 その証拠に目の前の男はまだ戦うつもりらしい。

 

 一歩前に出ようとした黄泉の目の前すれすれをかぎ爪状の何かが通過していく。明らかに眼球を狙った一撃。あと一歩前にいたら目玉を持っていかれていたかもしれないと黄泉は肝を冷やす。女の髪を掴んだり、骨を折ろうとしてみたり、更には眼球を平然と抉ろうとしたりなど何時もの彼からは想像がつかない所業だ。おおよそ躊躇いや遠慮といったものが欠如している。

 

……成程、確かにこれは手が付けられない。

 

 まだ容赦がないだとか卑怯だとかいうのなら対処のしようはいくらでもあるが、目の前の男はそれだけではなく非常に楽しそうにしているのだ。満面の笑みを浮かべているとか、へんな笑い声をあげている訳ではないが、目が笑っている。表情は殆ど変化がないのだが、今俺は楽しんでいますと目が雄弁に主張しているのである。傷つけて傷つけられてを愉悦として享受している。

 

 そういった精神崩壊者を打倒するのは非常に面倒臭い。こういった手合いは気絶か殺害などの戦闘不能状態でしか止めることができないからだ。

 

―――なら、こっちもいっそ。

 

 一歩引いて腰を落とす。もはや遠慮なく戦闘不能にさせてもらおう。

 

 繰り出すのは全力の突き。狙うのは鳩尾。刀の扱いに熟練した玄人が本気で鳩尾に突きを入れるなど危険すぎて言語道断ではあるが、黄泉は躊躇わずにそう決断した。

 

 用意する突きは二発。フェイントの一突きと本命の一突き。一発目をわざと外して次で決める。

 

 まず一突きを体制を立て直している凛の身体の中心から少しずれた所に置く。おおよそ心臓の辺りに配置されたそれは黄泉の狙い通り躱されて空を切るようにする。次いで一突き。こちらが本命だ。躱された刃を直ぐに巻き戻し、即座に一撃目以上の突きを鳩尾に配置し戦闘不能にさせる。

 

 実戦(宝刀獅子王)を想定しているのか小野寺凛は木刀の刃による攻撃を一撃たりとも貰ってはいない。相当に木刀での攻撃を警戒している。そのためもしかすると今回も普通に避けられるかもしれないが、その時はその時だ。とにかく小野寺凛を沈めてやる。

 

 黄泉の雰囲気が張り詰める。模擬戦を開始してからずっと張り詰めた空気を放ってはいたが、今纏っている雰囲気はそれの比ではない。試合ではなく殺し合いで纏うようなそんな雰囲気。少なくとも模擬戦でやりあう時の雰囲気ではなくなっていた。

 

 周囲が固唾を飲んで見守る中。黄泉が一歩踏み出して―――

 

 

 

「そこまで!!両者、武器を収めなさい!!」

 

 

 

 神宮司菖蒲(審判)の号令が響き渡る。

 

 平常とは異った迫力のある声。穏やかな何時もの声からは想像もつかないその迫力に、諌山黄泉だけではなく会場も小野寺凛ですら動きを止めた。

 

 シン、と響き渡る静寂。2人が戦う音がうるさいくらいに響いていた修練場は打って変わってしじまに支配される。

 

「試合はそこまでです。これ以上は取り返しのつかない状況が起こる可能性があると判断しました」

 

「2人とも、特に凛ちゃんはやりすぎよ。これは殺し合いじゃなくて模擬戦なのわかってる?」

 

 優しく、しかし嗜める雰囲気を持つ声。それに凛はすみませんと言いながら頭を下げる。

 

「あら、凛。正気に戻ったの?」

 

「……ええいうるさい。俺は何時でも正気だよ」

 

「黄泉ちゃんもよ。年下がオイタをしないように注意するのが年上の役目よ」

 

 すいませんと黄泉も室長に謝罪をする。

 

「それでは皆さんはこれより通常業務に移行してください。それと小野寺凛と諌山黄泉の二名は医務室へ」

 

「後で黄泉ちゃんは私の所にまで顔をだしてちょうだい。はいそれじゃ皆解散解散」

 

 諌山黄泉と飯綱紀之の喧嘩を一瞬で止めた女は伊達じゃないなと凛は思う。その場に居なければ理解できない類のものではあるが、流石は20代で室長を務めているだけはあると感じさせる仕切り能力。

 

 パンパンと二つ手を打つと野次馬をしていた環境省の面々は黄泉と凛に一言掛けると散り散りになって訓練に戻っていく。

 

―――これは引き分けになるのかしら?

 

 そう内心で独り言ちる。多分あのまま続けていたら黄泉が勝利していただろう。それに自分は凛の実力も見れたし、確かめたいことも確かめられため満足と言えば満足なのだが、周りはどうなのだろうか。

 

 少々険悪な雰囲気を纏った桜庭一樹と飯綱紀之に医務室に運ばれる凛を見ながら黄泉はそう思ったのであった。

 

 

 

 皆が固唾をのんで見守っていた神童VS神童の戦い。

 

 暫く環境省の一部の中で話のネタに上がることとなるこの一戦は、審判の試合中止の一言で中断されるというなんとも中途半端な形で終了した。 




※あとがきが長いとクレームが来たので見直した所、確かに長かった。弁護人が仕事を辞めるレベル。大事なあとがき以外は活動報告に移行しましたので、補完したい方はどうぞそちらをご覧ください。
でも残念ながら今回もあとがき長いというwさーせんw

型月用語で言うなら凛はどちらかというと普通のセイバータイプ以上に戦える異常な「アサシン」って感じで、黄泉神楽は最優であるクラスの中でも更に最優の「セイバー」タイプって感じです。凜は普通の所で戦ってもえげつなく強いですが(今回負けてるんでそう思えないかもですが)、樹海とかみたいな普通の人が戦いにくいような所で戦うとなかなかえげつなくなります。
とはいえ彼女らも樹海でかなりの応用力を見せていたのでどっこいどっこいかもしれませんがw。


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第11話 -才能-

※ちょいと暗い話です。でも、誰もが一度感じる葛藤を描いてみました。また、今回は結構うじうじしていますが、凜はこういったのでメンタルが壊れる精神弱い系主人公ではないと断言だけしておきます。それを踏まえた上でお読みください。

また、活動報告にて重要なお知らせをしておりますので参照ください。


 黄泉との手合わせから3ヶ月近くが経過した。

 

 既に季節は冬へと移行し、街中の空気は3ヶ月前とは異なり凍てつくような冷たさとなっている。

 

 あの戦いの後俺は飯綱紀之と桜庭一樹に付き添われて医務室へと向かったのだが、2人の雰囲気はお世辞にも良いものとは言えず、「ああこれ何か言われるなー」と思っていると案の定医務室にて「お前は何をやっているんだ」と2人がかりで説教をされてしまった。2人とも結構冷静にお説教をしているつもりだったのだろうが、案外目はマジで切れている様子でぶっちゃけちょっと怖かった。特に飯綱紀之。殴られるんじゃないかとヒヤヒヤしたものだ。

 

 そしてそのお説教している2人を遅れて医務室にやってきた諫山黄泉がお説教するというなんともよくわからないカオスな状況が生じた。諫山黄泉曰く「私達の戦いになんで貴方が口を出すのか。お互いの了解の上でやったのだから問題ないだろう」とのことで、飯綱紀之曰く「了解しているのとこれとは話が違う。いくらなんでもあれ程の危険を見過ごすことは出来ない」とのこと。凄まじく平行線の議論が2人の間で成された。

 

 そのまま2人はヒートアップ。アニメの5話みたいな調子で口論が始まってしまったのをまさかの(全ての元凶)が仲裁に入るというこれまたカオス過ぎる状況。最終的に俺が皆に謝罪をして何とか和解。俺の評価は下がったかもしれないが決定的な溝は作らずに何とかその場は収まったので落とし所としては悪く無いだろう。

 

 俺は病院でレントゲンやCTなどの検査を受ける為に搬送され、黄泉は対して攻撃をもらっていない為にそのまま医務室での治療で通常任務へと戻っていった。因みに俺は何処も怪我してませんでした。同伴してくれた桜庭一樹と見知らぬお姉さんから「どんな身体してんだよお前(意訳)」との喜んで良いものなのかどうか分かり辛いお言葉を頂きました。ありがとうございます。

 

 身体には異常が無いとのことだったので、一応安静にしておけという医者の言葉は無視して次の日もお勤めに向かい、皆に化物を見るかのような目で見られたのは言うまでも無い。多分岩端晃司とかが俺の立場だったならそんなことは言われないのだろうが、俺みたいな150cmも無いチビが黄泉にあそこまでやられて次の日にピンピンしているのが信じられなかったのだろう。実際にそんな感じの言葉も言われたし。

 

 そんな事を思い返しながら俺は教室の机で頬杖をつく。

 

 対策室に正式に加入して3ヶ月経ったわけだが、あの黄泉との手合わせが評価されたのか俺は最初から実戦投入されている。神楽は喰霊-零-の初期の時点では殆ど前線で活躍はしていなかった訳だが、俺の場合は最初から黄泉と並んで前線投入だ。神楽はあまり良い顔をしていなかったが、多分実力と、あと何より年齢を考慮してのことだろうなーと俺は納得している。流石にその歳にしてはかなり腕が立つといえども小学生を実戦投入は憚られるのもあるのだろう。実力も今の神楽だと正直物足りないし。

 

「いいか、関係代名詞というのは簡単に言えば先行詞を説明する為の物でーーー」 

 

 その言葉ではっと我に帰る。いっけね、思いっきり惚けてたわ。

 

 今は午前11時頃。学校での授業の真っ最中だ。

 

 それにしても関係代名詞か。確かあれって中学3年とかで初めて出る分野じゃなかったっけ?などと授業を半分聞き流しながらそう考える。

 

 俺が居るのは結構レベルがお高めの私立の特進クラス。他の中学よりも進歩が早くてもなんらおかしくはないのだがそれにしても進みすぎだろうと思ってしまう。まあそれでもこのクラスの大半がこの授業に軽くついて行っているのだからこのクラスのレベルの高さはお察しだろう。

 

 ちなみに俺のこの学校での順位は2位。3位以下に落ちたことは無いのだが1位になったことも殆どない。

 

 最近神楽を見ていても思うが、この世の中はとにかく理不尽だと思わざるを得ない。

 

 才能、という壁がこの世には存在する。それは凡人ではいくら抗っても超えることのできない壁であり、正当な方法では迫ることしかできない絶対的な溝である。

 

 多分俺にはある程度の才能はあったのだろう。前世でも本気でやれば大体の事は出来たし、本気でやらずともある程度の所まではクリアすることが出来た。でも本気になってやればやる程、自分の上には更に上がいてそいつらに迫れこそすれども抜かすことは出来ないと痛感させられる。努力すればする程、その壁(才能)とは高く高く自分の前に立ちはだかる。

 

 この生においても、俺は才能があると言ってもいい。才能が無い無い言ってはいたが、なんだかんだあの天才(諫山黄泉)にいい勝負が出来るのだから。あの後も何度か模擬戦をして貰ったりもしたが、勝率は4割弱くらいで推移している。だから俺には黄泉ほどのそれは無いものの戦闘における才能は確実にあるのだと思う。

 

 でも、やっぱりその程度なのだ。幼い頃から死ぬ気で鍛錬してきたというのに、それを嘲笑うかのように才能で超えて行く奴らが普通に存在するのがこのクソッタレな世界だ。

 

 俺はこの世界で勉学にもしっかり励んでいる。仮にも前世では一流と呼ばれる大学に通っていた身である。このレベルの高い進学校といえどもその授業のレベルはまだおままごとに等しい。大学生からしてみれば中学の勉強なんてそのレベルだ。

 

 だけど俺は1位を取れていない。結構本気で対策して勉強を怠っていないのに、この学校でトップなのは俺じゃない。

 

 ちらりと流し目で斜め後ろを覗き見る。そこに居るのはメガネをかけた所謂ガリ勉と呼ばれそうな一人の男子。安達諒。俺が足搔いても超えられていない高い高い壁。理不尽だと思わざるを得ない。こちらには有り得ない程のアドバンテージがあるというのに、そんなもの無いかのように俺の上をポンポン行ってしまうのだ。

 

 そして、俺が最近そんな思いを特に抱くのは、土宮神楽だ。

 

 ーーーいや違うな。正確にはこんな思いを強く抱き始めた原因(・・)が土宮神楽だ。安達も大概ではあるが神楽程にこの世の理不尽を俺に抱かせる存在はいないだろう。

 

 神楽のポテンシャルは異常だ。

 

 黄泉はまだ気がついていないようではあるが、最近化物みたいな速度で腕を上げてきている。今はまだ片手間にゲームでもしながら捌いてあげましょうといったレベルではあるが、もう3ヶ月もすればそんな余裕木っ端微塵になっているだろう。少なくとも俺が神楽と同じ年齢の時に神楽とやりあって勝てる自信があるかと言われれば正直無い。というか喰霊-零-の時点(大体2年後)になったら俺は神楽に完敗する未来さえ見える。

 

 それも当たり前ではある。俺が正面からやって負け越している神童(諫山黄泉)を神楽は正面から少なくとも3度完封しているのだから。一回は黄泉の突きを刀の鞘にしまい込んで押さえ込み、もう一回は確実に首を落とせていた状況で寸止めをして、そして最後には真正面から突撃して殺している。 

 

 だから俺が敵わなくても仕方がないのかもしれない。才能が違うのだ。それに俺がやるべき事は彼女たちの悲劇を食い止めることであり、別に彼女たちに武力で勝つことではないのだ。そう理解しているつもりだった。いや、つもりだったというよりも普通に理解している。俺が敵わなくなるだろうことも納得している。でも。

 

ーーーそれでも、妬ましい。

 

 正直嫉妬してしまう。羨ましくてたまらない。

 

 これだけの努力を、文字通り血の滲むような努力をしたとしても届かないその才能。持って生まれた、神から授けられた贈り物(才能)。「gift」には「才能」との訳が当てはめられる場合があるが、正にその通りだと思う。もはやあれは人智を超えたものだ。少なくとも、凡人(おれ)では追いつけない。

 

 分かってはいけないことだと理解しているのだが、今なら殺生石で堕ちた黄泉の気持ちがはっきりとわかってしまう。

 

 三途河によって黄泉は悪霊に堕とされたわけだが、その際ハッキリと神楽の才能に嫉妬していた。私に無いものを、私では手に入れられないものを持っていると述べていた。

 

 結局最後は神楽への嫉妬心よりも神楽への愛情が圧倒的に勝り、その何よりも尊い思いが殺生石の力を捻じ曲げて神楽に殺されるわけだが、それでも黄泉が神楽のその才能に対して妬みを持っていたのは本当なのだ。事実、原作(喰霊)において黄泉はそう白状している。

 

 そして、そんな黄泉の気持ちを俺はありありと理解できる。言い方は悪いが、あんな化け物(真の天才)をすぐ隣で毎日毎日見続けるのだ。俺なら正直気が狂ってしまいそうだ。

 

 神楽は可愛い。本当にいい子で、絶対に喰霊-零-みたいな悲劇を体験などさせたくないと心から思う。それに俺も今ではあいつを妹みたいに思っているし、神楽も本当の兄ちゃんみたいに慕ってくれているのがわかる。だからこそ、そんな可愛い可愛い神楽が俺を追い越していくのが悔しくて悔しくてたまらないのだ。

 

 ……息子に越される親父の気持ちってこんな感じなんだろうか。オイディプスコンプレックスじゃないけど、父親と息子が一定の年齢にまで達するとぎくしゃくするそれを今俺は神楽に感じているのかもしれない。

 

 

 ……いくら何でもしみったれた話になり過ぎたな。

 

 これ以上俺の醜い嫉妬心を垂れ流しても生産的じゃないだろう。ちょっとは明るい話にでも持って行こうか。

 

 さっき俺は神楽を妹みたいに思っていると言ったが、実は俺には実の妹ができました。

 

 当然まだ生まれてはいないが、おめでたというやつだ。どうやら既に六か月目らしい。

 

 最近母親の腹回りがどうにもたくましくなってきた感が仕方なく、正直にその思いをぶちまけた所、なんとおめでたであったと言う訳だ。

 

 なんとなくで俺にはサプライズにしていて、いつ俺が気が付くか両親で楽しみにしていたそうだ。それを「まじかー」と言って聞き流しながら、六か月目ってことは親父のアバラが完全に治ってしばらくしたあたりかな、等と逆算をしていた親孝行な俺もいたりする。

 

 エコー検査もしてきたらしく、ほぼ間違いなく女の子だとのことだ。14週目あたりからわかるらしいから六か月目の子供なら間違いはないだろう。6ヶ月目の赤ちゃんってことはあと数か月で生まれてくるくらいには大きくなっている訳だし、エコーで間違えるとは思いにくい。

 

 楽しみだ。俺の妹ということで世間の相当なプレッシャーをかけてしまう可能性があるが、その分俺は可愛がってあげようじゃないか。

 

 早く生まれてこないかな、なんて思っていると携帯が震え始める。仕事用のそれではなく、個人用のそれが震えていた。

 

―――誰だ?こんな時間に。

 

 基本的にメルマガなどに登録をしていないため、メールが来るとしたらほぼ確実に知り合いからだ。だが、この時間に携帯をやっているやつなど居るのだろうか?

 

 机の下で隠しながら携帯を開く。差出人は安達と……諌山冥?

 

 安達のは取りあえず無視して諌山冥のメールを開く。なんであの人が俺にメールを寄越すんだ?

 諌山冥からメールが来るとか珍しい。珍しいっていうか人生初だ。俺からもメールなんかしたことないし。数か月前に電話でメアドを交換して空メールを送ったとき以来初のメールである。

 

 内容は……『今日お会いできますか』。シンプルな一文だ。

 

 病院での一件を思い出して思わず警戒する。あれだけの事があって尚且つ警戒も何もしないのはただの馬鹿だ。度胸があるのと蛮勇であることは別物だ。ぶっちゃけ美人のお誘いだから期待もするけど、それ以上に俺の第六感が警鐘を鳴らす。なんだ、何用なんだ。

 

 取りあえず『大丈夫ですよ』との趣旨のメールを丁寧な文章で記入すると送信する。正直な所かなり警戒しているのだが、それ以上に一体何用なのかが気になる。流石に校舎裏に連れ込まれてリンチされるみたいな展開はないだろうが……。

 

 そういえば安達からもメールが来ていたなと、脳のリソースは諌山冥のメールに全振りしながら安達のメールも開く。実は安達と俺は結構仲が良く、よく一緒に教師の授業をディスったり勉強の話をしたりしている。一見ガリ勉眼鏡君なのだが話してみると非常に愉快で毒のある面白いやつなのだ、安達は。

 

 そんな安達からのメールの内容もこれまたシンプルだった。ただ一言。『前を見ろ』

 

 前を見ろ?一体そりゃなんだと思い前を見ると―――

 

「よう小野寺。俺の授業で青空に現を抜かしてみたり堂々とメールをしたりするとは随分度胸があるじゃないか」

 

 英語教師かつ俺の担任の岡崎が俺の斜め前まで接近していた。

 

 ……迂闊なり小野寺凜。女とのメールに気を取られてこんな一般人の接近に気が付かないとは。

 

 俺は安達のほうを振り向く。意地の悪い笑顔を浮かべながら俺に手を振っている安達。……あの野郎。教師が俺に目をつけてることに気が付いて、わざわざ俺に携帯弄らせるためにわざわざメールしやがったな。

 

「いいご身分じゃないか学年2位。そんなに俺の授業はつまらなかったか?」

 

「……いえ、決してそういう訳では……」

 

「ふうん?その割には違うことにご執心だったみたいだけどな?……よし、いいだろう。小野寺、なにか一文関係代名詞を使った文章を作って皆の前で解説してみろ。それが面白いものだったら許してやる」

 

 そう言って俺にチョークを差し出してくる岡崎担任。この教師は頻繁にこういうことをやるのだ。生徒を授業に巻き込んで一方通行ではない授業。なのでこの人の授業は結構面白いのだが……。

 

 厭らしい笑みを浮かべている安達を睨む。あの野郎……。

 

―――そう言えば関係代名詞と言えば。

 

 チョークを受け取って俺は教卓へと出ていく。このクラスでは結構みんながこれをやっているので誰かが颯爽と黒板前に行ったとしても誰も何とも思わない為、結構気楽に黒板の前に立てる。と言うよりもむしろ「あいつは何発表するのかなー」と俺と安達は注目されてる側なので、むしろ指名されたら行かないことの方が恥ずかしい位だ。

 

 黒板の前に立ち、目の前に広がる緑の板に俺は英文を書き込んでいく。多分、俺が一番好きな英文。文字通り死んでも忘れなかった一文だ。

 

 ”Will you kill someone you love, because of love?”

 

 この一文を知っている人は居るだろうか?恐らく、この世界には俺だけだ。

 

 これは喰霊-零-のキャッチフレーズとでも呼ぶべきもの。喰霊-零-を見たことがある人ならば一度は目にしたことがあるのではないだろうか。

 

「これはちょっと難しい英文なんですが、先行詞someoneをyou loveが関係代名詞節になって説明してて―――」

 

 そんな感じで説明を始める。

 

 これの直訳は”愛の為に、貴方は貴方が愛する人を殺すだろうか?”といった所。なんの捻りもない直訳だとこんな感じになるだろう。

 

 でも公式の訳はこうだ。

 

 ”愛するものを愛を信じて殺せるか”

 

 この作品(喰霊-零-)を端的に表した一文ではないかと思う。

 

 この作品のすべてが、この英文には凝縮されている。

 

「―――というのがこの英文の訳になります。少々逐語訳からすると無理がある解釈ですが、なかなかかっこいい訳になってるんじゃないかと……」

 

 思わず熱弁してしまった俺は、なんの反応もない教室の面々を見てはっと我に返る。

 

―――これは引かれているのだろうか。

 

 こうやって誰かが何かしらのかっこいい文を探して和訳するのは一週間に一度は行われている儀式だが、柄にもなく熱弁してしまった。クラスの一部は真顔でノートを取っていて、一部は少々なんとも言えない顔をしていて、安達は爆笑している。

 

 なんか今更になって首筋が熱くなってきた。

 

「……先生、実はさっき安達君とメールしていました。ごめんなさい」

 

「凜!てめえ!」

 

 この気恥ずかしさは、安達で晴らそうと思う。

 

 そんな大人げない一幕で英語の授業は終了した。

 

 



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第12話 -三森峠1-

※活動報告にて今後の更新についての重要な報告をしておりますので、今後の更新について気になる方は是非ご覧ください。


「なあ凜。その相手って本当にそんな美人なの?」

 

「ええいやかましい。お前確か今日塾だろ?俺になんぞ付き合ってたら遅刻するだろうが」

 

「あんな親の安心を得る為だけにあるような無益な施設に俺が行く必要があるとでも?行かなくたって俺にはなんら支障ないさ。それよりもお前の彼女の話しよーぜー」

 

「うっとおしい!彼女じゃないし、誰のせいで携帯没収されたと思ってんだ馬鹿野郎!」

 

 そんな会話をしながら校門を目指す俺と安達。

 

 あの後、つまりは俺が喰霊-零-のキャッチフレーズを喜々として語った後、俺は個人用の携帯を没収された挙句放課後に岡崎先生に呼び出しを食らってしまった。

 

 そこには俺が堂々と密告(誤字ではない)をした相手である安達も同席しており、俺ら2人は岡崎の話に20分以上付き合わされ、ようやく今になって解放されたと言う訳である。

 

 岡崎も別に俺らの事を怒っているという訳ではなく、職員会議までの30分くらいの空いた時間がどうしようもなく暇になるだろうと予測して、丁度いいから話し相手として俺らを呼び出したらしい。俺らはあいつに体よく使われたということだ。あの担任はたまーにそういった常識外れたことをやらかしてくる人間なのだ。

 

 それで携帯を使っていた理由を弁明しろとのことだったので正直に「女の人と待ち合わせの約束をしてました」と答えると案の定岡崎と安達が盛り上がり始め、根掘り葉掘り聞かれている内に結構時間が経ってしまった。仕事携帯で連絡を取れたので問題は無かったが、あの阿呆2人の相手をしていたせいで約束の時間に遅れそうになってしまっている。遅れられるのはいいが遅れるのが我慢ならない俺としては言語道断な事態である。

 

 ちなみに個人用携帯はしっかりと返して貰っている。最初は回収しなきゃいけない規則だからなどと返却を渋っていた岡崎だったが、俺と安達が「理事長室行くか―」とほぼ同時に言い始めると岡崎の態度が一変。快くではないが携帯を返却してくれた。

 

 殆どやったことなどないが、俺と安達は理事長の超お気に入りの2人なので泣きつけば携帯程度何とかなることを俺らも岡崎も知っているのだ。理事長と仲の悪いこの教師は「ろくな大人にならないなお前らは」などと笑いって悪態をつきながら返却してくれたという訳である。持つべき物は人脈であるとは良く言ったものだ。多分この言葉を言った人の考えからはずれた使い方であるとは思うけど。

 

「俺としては凜にそんな俺にも教えないような女性がいるって事が知れただけでも携帯を没収された甲斐があったけどね。話聞く限りじゃ神楽ちゃんとか黄泉さんとはそんな関係じゃないんだろ?」

 

「冥さんともそんな関係であるわけじゃないけどな。つうかお前ってそういう話題に興味示すタイプの人間だったっけ?どっちかっていうと『恋愛なんて精神病の一種だ』とか言い始めそうなタイプだと思ってたんだけど」

 

「ん?俺は恋愛には興味津々だよ?話したこと無かったっけ?……極論を言えば生殖の為に異性は異性に惹かれる訳だけどさ、俺はそれだけじゃないと思うんだよね。各人には各人の魅力がある。一方ではAさんに惹かれる男も居れば、もう一方では全く興味がない男も居る。俺はね、凜。そんな人の魅力の違いに惹かれているんだ。だから俺はお前が惹かれているその女の人のことを知ってみたいのさ」

 

 ……また小難しい事を。

 

 安達(こいつ)はしょっちゅうこんな小難しいことを俺に投げかけてくる。俺以外と喋る時は歳相応の会話をして普通の交友関係を保っているのだが、俺と喋る時は頻繁にこんな話をしてくるのだ。

 

「だから別にあの人はそんな関係の女性ではないんだけどな……」

 

 あの人に俺が惹かれているのは事実だが、だからといってそれが恋とかに繋がっている訳ではない。あくまで単に惹かれているというだけだ。

 

 それに、惹かれているという次元で考えるなら俺はこいつにも惹かれている。

 

 中学生とは思えない思考をして、中学生とは思えない不思議なカリスマを持っているコイツにも。

 

「ふぅん?まーお前はあまり嘘つかない人間だし信じてやろうか。……あの黒塗りのクラウン、そうじゃないの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お久しぶりです。急な呼び出しに応じて頂きありがとうございます」

 

 金を持ってますよと雄弁に主張しているかのような黒塗りの車から降りてきた冥さんはそう言って俺に礼をする。

 

 相も変わらず優雅な仕草。流石は怪我人を薙刀で強襲している場面においても優雅さを失わない女性だ。振る舞いに俺にはない「品」を感じる。

 

……それにしても。

 

「おい凛、なんだこの意味わからんレベルの美人は。俺、お前に本気で殺意芽生えそうなのはこれが初めてだぞ」

 

「いうな安達。見慣れぬセーラー服姿に俺も結構今ドギマギしてんだよ」

 

 セーラー服の諫山冥とはこれまた珍しい。周囲に若干ながらも人だかりが出来ているのが至極納得なレベルだ。

 

 俺たちは挨拶に挨拶で返す事もせず、そんな下らない事を本人の目の前で言い始める。

 

「……そちらの方は?」

 

 そんな不躾な、男子高校生あたりが教室の隅でし始めそうな話題を堂々と目の前で交わし始めた俺たちにそう聞いてくる冥さん。

 

 いつも通りの無表情だが、若干そこに侮蔑の色が見えるのは俺の気のせいであると願いたい。

 

「どうも初めまして。凛の友達をやらせていただいてる安達って言います。以後お見知り置きを」

 

 俺に怨嗟の視線を向けていた安達は一転して人懐っこい笑みを浮かべて冥さんに向き直る。

 

 流石は将来外交官になろうと志している男だ。今回の場合完全に先ほどの会話を聞かれている筈なので全くもって取り繕えてはいないのだが、それでも表情を偽りペルソナを身につける事に関しては天才的な素質を感じる。

 

 そんな人をなんの裏表もなさそうな笑顔で蹴落とす事の出来る男の挨拶に冥さんは会釈と名乗りだけ返すと俺にジトリとした視線を向けてきた。……ごめんなさいね、変なの連れてきちゃて。

 

「……へえ。諌山さんか。つまりは凛の隠し事関連の人だ」

 

 ぼそっと呟く安達。

 

 隠し事。それはお勤めの事を指している。こいつは霊感がゼロなのでお勤めについて話したことなど一切ないのだが、俺がお婆ちゃんが危篤との嘘で何度も学校を抜け出したりした時などから俺が何かしらの変な事に関わっていると推測されてしまっているのだ。

 

 俺としても別に隠しているつもりは無いのだが、彼氏に殺されて死んだばかりの怨念たっぷりの女性の霊が肩に取り付いていても全く何も感じていないこいつに俺らの仕事を説明することは困難だろうと考えて教えていないのである。

 

 あの時は大変だった。呪い殺そうと怨念を振りまきまくっている霊が憑いているのにこの男は全く何も感じずにファミレスに入ろうとし始めるのだから。なんとかアドリブを効かせて除霊したからいいものの、あのままだったらこいつかもしくはファミレスの誰かが間違いなく死んでいた。

 

 流石にあのレベルの悪霊なら霊感の無い輩でもまず間違いなくぶっ倒れる程には気分が悪くなる筈なのだが……。多才なこの男ではあるが霊的な資質はどうやら壊滅的であるらしい。

 

「それじゃ俺はこれで失礼しますね。あんまりお話は出来なかったですけど、非常に有意義な時間でした」

 

 特に冥さんに会って何をするでもなく、目の前の男はそれじゃあねーなどと軽い言葉を残して颯爽と去っていく。

 

「いやお前、本当に冥さんを見たかっただけなのかよ!」 

 

 思わず突っ込んでしまう。いきなり校門で大声を張り上げた俺は周囲の人間からすると多分相当奇妙な男に映ったであろうが、それでも俺の反応は至極当然のものであるだろう。

 

 本当にただ見たかっただけでわざわざ俺に着いて来たのかあの阿呆は。

 

 何故かダッシュで俺たちから距離を離していく安達。相変わらずガリ勉気質の癖に足が速い野郎だ。

 

 はーと深く息を吐く。これからが用事の本番だというのになんか無性に疲れた。

 

「……コントは終わりましたか?」

 

 そして横からかけられる、平常と比較するとやや温度が低いように感じられるそんな一言。気持ちは非常にわかるのだが、俺も一応被害者なので許して貰いたいものである。

 

「大団円とはいかなかったみたいですけどね。でも観客の反応は上々みたいです」

 

 元より何人かの生徒が集まってざわめいたのはざわめいていたが、俺が校門に辿り着いた時よりも周囲のざわめきが大きくなってきている。

 

 白銀の髪に百合の髪飾りをつけたセーラー服美人が校門に黒塗りクラウンを背に立っているのだ。野次馬根性丸出しの中学生が遠巻きにでも集まってしまうのは仕方が無いことだろう。多分普通なら俺もクラスの男子とそっち側に参戦している。

 

 特に今は下校時間である。部活で外周を走る生徒なども校門に集まってきているし、時間帯も相まって少々賑やかになってしまっているのだ。

 

「……それではアンコールを受ける前に退場いたしましょうか。こちらに」

 

 開けられるクラウンの後部ドア。言わずもがな乗れということだろう。

 

「……送迎付きとは恐れ入りますね。ここ最近ブレイクし始めたばっかりだっていうのに」

 

 それに従いクラウンに乗り込む。

 

 それと同時にまたしても騒めきが大きくなってきた周囲の喧騒を振り切るかの如くドアが閉められる。 

 

 すると途端にしなくなる周りの声。流石は高級車に分類される車だ。俺が知るものより数段バージョンが古いとは言えどもその質は半端では無い。

 

 俺たちが乗り込んだことを確認すると、俺たちを乗せた車はゆっくりと発進していく。

 

 ああ、後ろで騒いでるクラスメイトらしき人物達に週明けなんて説明しようか、などと考えている俺を他所に、俺たちを乗せた車は何処とも知らぬ目的地へと出発したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こうして顔を合わせるのは分家会議以来ですね。環境省に正式に配属になったと聞きましたが」

 

「ええ、あなたの言う通りに申し出は受けましたのでね。3ヶ月程前から環境省でバイトさせて貰ってますよ」

 

 動作しているとは思えない程に静かな車内で、これまた静かな声で諫山冥が話しかけてくる。

 

 この人と前回に会ったのは数ヶ月前にあった分家会議以来だ。その時も俺が分家会議で一同を相手に一方的に喋り倒していただけで、この人とは直接会話していないため、こうやって腰を落ち着けて話すのはあの時の病院以来となる。

 

「バイトの身分には不相応な程に活躍していらっしゃるとも聞いております。それに、あの黄泉に対しても引き分けたとか」

 

「……環境省内じゃなくて外部にも広まってるんですね。俺とあいつの試合。引き分けじゃなくて負け戦なのであんまり広まってるのはいい気分じゃないですね」

 

 予想はしていたが、やはり外部にもその情報は伝わっているのか。

 

 ただ観客がいるってだけの個人的な模擬戦であって、別に公式の場での戦闘じゃないっていうのに。……いや、対策室のトップが審判を務めてくれている時点で最早公式か?

 

 それはともあれ、言葉通り、その話題に触れられるのはあまり愉快な気持ちではない。あの戦いに関しては広めて欲しくないというのが俺の実情だ。

 

「それよりも俺相手に世間話は結構ですよ。それより今回俺はなんで呼び出されたのかお聞きしたいんですけども。まさか俺の顔が見たいから呼び出したなんて理由な訳がないでしょう?」

 

 だから多少強引にだが話題を変える。少々冷たく人でなしの発言かもしれないが、俺はそう諌山冥に尋ねた。

 

「……貴方のお顔が見たかった、という理由ではいけませんか?」

 

 クスっと明らかにこちらをからかった笑みを浮かべながらそう返してくる冥さん。

 

 明らかにからかわれているとわかるその発言。瞳に浮かぶのは明らかないたずらの色。

 

 けどそれでも尚破壊力がある。

 

 ……こういう自分の価値というか、自分で可能なことをしっかりと把握しているタイプの女性は本当に厄介だ。こう言えば俺が今みたいに正直タジタジになる程度には自分に魅力があると分かっているのだ。そういった類の女性は俺には手に負えない。

 

「俺が、そんな冗談を好むタイプに見えますか?」

 

「少なくとも、命がかかった場面でスリーサイズを答えようとする程度には」

 

 諌山冥の発言を元にした皮肉めいた言葉に、俺の発言を利用してこれまた皮肉めいた言葉が返される。

 

 普段は皮肉の応酬なんて安達ぐらいにしかやらないものなのだが、どうもこの人や三途河を相手にすると皮肉の一つや二つを言いたくなってしまう。

 

 ……俺はこの人を敵として見ているのだろうか?

 

 お互いに病院でのやり取りを引用しながらそう言葉の応酬をしていると、ふっと本当に一瞬であったが可笑しそうに冥さんは笑う。

 

 この人相手に油断をしてはならないとそう思ってはいるのだが、その笑みに少々ドキリとしてしまった。

 

 俺と会話している時は頻繁に「良くない」類の笑みを浮かべているこの女性であるが、その笑みは普通に年相応の可愛らしいものであったように思えたのである。

 

「冗談です。今回は私ではなく父が貴方とお話したいと」

 

「幽さんが?」

 

 こんな笑みを浮かべてればいくらこの人でも可愛らしいと感じられるのに。なんてことを思っていると、そんな女性の口から出てきたのは意外な名前であった。

 

 諫山幽。諫山冥の父で、諫山黄泉の義父である諫山奈落の実の弟。お勤めから逃げ出した為に継承権は無いに等しいが、本来ならば諫山黄泉、諫山冥を差し置いて継承権1位である筈の男。

 

 零では奈落が諫山冥により殺された後、その地位を継いで諫山と分家を統括する立場に成り上がったが、殺生石を持った黄泉に殺されてその命を落としたある意味悲劇的な人間だ。

 

 諫山奈落が死んだ後に黄泉のいない場で遺言状を開けたり、たまたま黄泉が電話に出れなかった事を強く責め始めたり、自分(諫山幽)はお勤めから逃げた癖に黄泉が奈落を守れなかったことを詰り家督を奪い去ったりなどとなかなか屑な人間なので俺としては同情をするつもりは全く無いのだが。

 

 あの物語(喰霊-零-)において、「家督に対するこだわりを最も持つ人物は?」と問われれば大抵の人間が諫山冥の名前を挙げるであろう。事実殺生石に呑まれたと言えども諫山奈落を殺して家督を自分に仕向けるように操作したのだから、そう思われてもなんら不思議ではない。

 

 だが、俺としては家督に対する異常な執念を見せたのは実の所あの男(諌山幽)なのかも知れないと考えていたりする。

 

 お勤めから逃げた癖に奈落の死後に悠々と分家の代表を務めようとしていた所や、「諌山黄泉に家督を継ぐ」という話を聞いていたにも関わらずに「諌山冥が改竄した遺書」の内容を鵜呑みにした所など、其処彼処に彼の欲望というか、意地の汚さが見て取れるのだ。

 

 それに、一般的にくだらん利権や自分の社会的地位なんてものにしがみつく愚か者は大概が歳食った男だと相場が決まっているものだ。

 

 それで、そんな男が俺と話がしたいとのことだ。それも俺の親とか環境省とかを通さずに俺個人に直接である。

 

 ……嫌な予感しかしないんだけど。

 

「……どういうことです?なんであの人が?」

 

「私も詳しくは存じません。詳しくは父から」

 

 そう言って薄く笑う諫山冥。

 

「……帰ってもいいですか?」

 

 結構本心からそう言ってみる。

 

 汚い大人のやることなんてこれまた相場が決まっているものだ。どうせ子供には分からないように会話を誘導して自然と俺を自分の味方にしてしまおうと画策しているのだろう。

 

 自分で言うのもなんだが、例え控えめに評価したとしても俺には今の時点から囲い込んでおくに値する程度の価値は存在する。

 

 もし例のくだらなくは無いがそれでもやはりくだらないと言わざるを得ない類の争いに俺が巻き込まれるのだとしたら今回のお呼び出しはそれが目的に違いない。

 

「それは御自由に。これは私のお願いであって決して強制では無いのですから」

 

 俺の帰っていいかとの質問に諫山冥はそう返す。

 

 それなら本気で帰ってやろうかと思い心を揺らす俺に、「ーーーですが」と制止が入る。

 

「貴方は女性のお願いを断るような殿方ではないと思っております」

 

 

 

 ……ほんと、だからこういう女性は苦手なんだよ。

 

 武術じゃなくて話術の専門家にでもこんな女性との会話の仕方でも習いに行こうかなんて馬鹿なことを考えてしまった俺なのであった。

 

 

 








活動報告ダイジェスト
今後更新は激減します。
詳しくは活動報告にて。


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第13話 -三森峠2-

遅くなりました。
自己解釈は相変わらずてんこ盛りですので、注意してお読みください。
冥の部分思いっきり変えました。まだ家督継ぐ話されてない頃ですわこれ。指摘ありがとうございます!


 夕日が綺麗に西の窓から降り注ぎ、辺りをオレンジ色に染め上げる。

 

 どこか哀愁を漂わせ、あるはずのないノスタルジアを感じさせてくるその光。

 

 一日の終わりを告げる刹那の時間にのみ見せるその色は人の心を引き付ける不思議な魅力がある。

 

 写真や絵画の題材によく使われていることからわかるように、その光で染め上げられた景色とは非常に幻想的で、そして何より美しい。 

 

「おお、よく来た。さあ座りなさい」

 

「どうもご丁寧に。ありがとうございます」

 

 そんな景色の中、俺は大した興味もないおっさん(諌山幽)と対峙していた。 

 

 ……(諌山冥)とならばいざ知らず、なぜこんなおっさんとこんなにムードがある部屋で対峙しなきゃならんのだ。

 

 口から出てきそうだったそんな不満を差し出されたお茶を流し込むことで文字通り流し込む。

 

 普通ならば目上の人間がそれに口をつけるまで出されたものを飲んではならないものであるが、そんなのは無視だ無視。

 

 諌山幽。名目家督継承権ナンバーワンである男。実質だと最下位ではあるが、奈落には実子も配偶者も居ないために本当なら奈落亡き後に諌山を継ぐべきなのはこの男である。

 

 流し込んだお茶を目の前の盆に静かに置いて幽へと視線を向ける。

 

 仏頂面な、とてもじゃないがわざわざお近づきにはなりたくないような雰囲気を纏った男だ。喰霊-零-での黄泉への仕打ちとかを見ていたから余計そう思うのかもしれないが、とにかく俺としては極力絡みたくなかった人間である。

 

「そう固くせんでもよい。自宅と思って寛ぎなさい」 

 

「ありがとうございます」

 

 とは言え緊張してしまうものですよ、などと営業スマイルを振りまきながら返す俺。

 

 自分の精神年齢を隠すためにガキのふりをすることを13年近くもやってきた俺である。このくらいの営業スマイルは朝飯前だ。

 

 中学生にもなれば所謂「ませた」餓鬼が出始める時期だ。最近は本性を出すようにはしているが、まさかこんな所で我慢して演じてきた餓鬼の所作が役に立つとは。

 

「急に呼び出して申し訳なかったな。分家会議などではあまり話す機会がなかったからな。一度面と向かって話してみたいと思っていたのだ」

 

「光栄です。実を言うと俺も少々(・・)お話をしてみたいなと思っていましたので」 

 

 鏡で自分を見たらさぞかし気持ち悪いんだろうなーと思うような笑みを浮かべながらそんなことを返す俺。

 

 ちなみにこれは多少本心だ。出来れば絡みたくないような人種ではあったが、あの悲劇の立役者の一人であるこの男と話してみたかったのは嘘ではない。多分将来敵対する人間であるとしても、その人となりを知っておいて損はないと考えていたのである。

 

 そのまま俺たちは他愛もない会話を交わす。

 

 俺の対策室での活躍などをよいしょするような幽の発言に謙遜した態度を取ったり、その流れで冥さんをよいしょし返したり、学校でのことを聞かれてまたよいしょされたり……。そんななんの生産性もないただのお互いのご機嫌取りを延々30分以上も浮かべたくもないような笑みを浮かべながら続けさせられる。

 

 こんなくだらない会話は病院での来客対応でさんざん慣れたと言えば慣れたのでそこは問題ないのだが……。問題はこの会話の流れがまるっきり病院にやってきたやつらの会話と同じということなのだ。

 

 やはり、俺を囲い込む気なのだろうか。

 

 行きの車の中で考えていたことが現実になるかもしれない。

 

 そのまま再び雑談に移り、しばらくの間営業スマイルを浮かべながら会話を続ける。個人的にさっさと帰って明日の休みを満喫するために親に課されている宿題的なものをさっさと終わらせたいんだけどな……などと思いながらも我慢して対談に応じていた。

 

「時に凛。お前がこの前分家会議で話していた件なのだが……」

 

 そんなことを考えながら話していたため、話の流れが突如変わったことに気が付けず一瞬呆けてしまう。

 

「分家会議で話してたこと?」

 

 思わず聞き返す。唐突な話題変換に一瞬何のことかわからなくなったが、記憶を辿ってみて即座に思い出す。

 

 多分だけど殺生石について俺が分家会議で語った件だ。

 

 結構前、土宮舞が意識不明になったあの事件の後辺りに1回分家会議が開かれたのである。土宮舞が意識不明のため、土宮雅楽が臨時の土宮当主になり、そして諫山奈落が分家の取りまとめ役を土宮雅楽から引き継ぐことを分家に通達する会議だ。アニメ本編でも僅かながらそのシーンがあったのを覚えている人もいるのではないだろうか。

 

 その際に黄泉の義理の親父であり分家のまとめ役に就任した奈落さんがまさかの俺にスピーチを強要。立役者である俺が出席しているのに何も喋らせないで帰すわけにはいくまいという謎理論からだったが、まぁわからないでもないので親父の顔を立てるという意味で一応それを受けることにしたのだ。

 

 とはいえ俺に喋る内容があるかと言われれば特にあるわけでもなく。個人的にあれは負け戦だと思ってるしな。なのだが別に特段喋ることなどなかった俺はここぞとばかりに殺生石の存在と三途河の存在を力説。その二つの驚異を皆に知らしめるために熱弁させていただいたのである。

 

 親父のあの引き攣った顔を俺はしばらく忘れないだろう。

 

「殺生石の話だ。力説していたお前が忘れているとは何事だ」

 

「お恥ずかしながら分家会議の前後は色々ゴタゴタがあったもので忘れてました」

 

 貴方の娘さんもそのゴタゴタの1つなんですけどね、とお茶を啜りながら嫌味を心の中で吐いておくことは忘れない。

 

「それでその話がどうしましたか?」

 

「うむ。実はそれに関して面白い話を聞いたのでな」

 

 ぴく、と お茶に伸ばしていた手が止まる。

 

「それらしき物が作用しているのではないかと思われる事象を発見したとの報告が入ってな。冥に調査に向かわせようかと思っておるのだ」

 

「待ってください。対策室にも入ってきていないような情報ですよね、それ。あの石に関しては深いとこまで関わらせて貰ってますけど、そんな情報聞いたことないですよ俺は」

 

「我々独自の情報網から知りえた情報だ。お前ら対策室にそれが渡っていなくても欠片も不思議ではあるまい」

 

 悠然とした態度でそう返す幽。この表情本当なのか嘘なのか見破ることは不可能だ。

 

 室長(お偉いさん)は一体どういう了見かはわからないのだが、かなり深い所まで業務とかに俺を関わらせてくれている。中学生に知らせていいのそれ?って所まで教えてくれるので俺がヒヤヒヤしてる程に触れさせて貰ってるのだが、それでも殺生石の話なんて聞いたことは殆どない。触れるにしても伝承が出てくるくらいだ。

 

 当然俺みたいな下っ端には知らせていない情報など山のようにある筈だが、殺生石に関して下手したら対策室で最も詳しい男である俺に関連情報を知らせないとは考えにくい。

 

 喰霊本編に出てきた天狗レベルのような下手につつくと国家機密に触れるレベルの危ない話なら知らされない可能性が大いにあるが、それはそれでそんな情報を正当な諫山でもないこの人が持っているとは考えにくいのである。

 

 ぶっちゃけ怪しい。

 

 正直に言ってしまって信じるに全く値しない程だ。俺を懐柔するための何らかの策なのではないかと疑ってしまう程には信じられない。

 

「いえ。はっきり申し上げますがかなり不思議です。その情報源を是非教えてもらいたいものですね」

 

 正直に述べる。対策室の内部に入ると分かることだが、対策室の情報網は本当に広い。残酷な話だが対策室に頼らずして心霊業界の最新情報を得ることは不可能に近いのが現状である。

 

 もっとITの発達した、例えばSNSだとかが全盛期の時代ならばいざ知らず、現在は中学生で携帯を所持しているのはクラスでも1人や2人いるかどうかといった時代だ。そんな時代に個人が情報戦で国の組織に勝てるわけがない。

 

 それこそ、内偵でもいない限りは。

 

「いくらお前にであってもそれは無理な相談というやつだ。単純に考えて教えられるわけがあるまい」

 

「そこは死守なさると。これから仕事を依頼する(・・・・・・・・・・・)相手にも教えられないネットワークですか。これはまた興味がそそられますね」 

 

 俺の言葉に本当に僅かながらギクリとする諫山幽。

 

「流石、勘がいいな。だがそれでもだ。情報の秘匿の大切さは大人になればお前もそのうちわかるだろう。パートナー契約を結ぼうともおいそれと渡すわけにはいかんな」

 

 そのまま流れをつかめるかと思ったが流石は老獪というべきか。すぐに動揺などなかったかのように通常運転に戻ってくる。

 

 ここらはやはり年の功なのだろうか。安達のような対人交渉術の素質を持った奴ならこの老獪以上に上手く隠すのだろうが、俺は核心を突かれた時とかにポーカーフェイスを保っていられる自信はない。

 

 最近常々思うが、俺の領域は腹芸とかじゃなくて戦闘だ。直接的な戦闘、その中でも徒手空拳は非常に自信のある分野ではあるが、それ以上にアサシン的なスキルは対策室のだれを選んでも大差で勝利できる自信がある。

 

 俺としては暗殺的な戦い方よりも武士的なというか、直接正面から堂々と戦う方が好みなのであまりやりたくはないのだが……。他の退魔師と比べて優れている部分なら強化せざるを得まい。

 

 さて、脱線してしまった。話を戻そう。

 

 要するにこのおっさんはこの殺生石のヤマで俺を利用したいのだ。今後、俺自身を利用したいのか、俺の背後にいる何か(小野寺や環境省)を利用したいのかはわからないが、とにかく今回の件は俺を使いたいのである。

 

 今回はその打診だろうと思ってちょっとカマをかけてみたらポロリしてくれたというわけだ。

 

「ちなみにその確度はどうなんです?対策室の犬(お役所仕事人)に副業を依頼するほど信頼度の高い情報であるとは思えませんけど」

 

「信頼のおける情報筋だ。怠りある報告はしてこないと確信している」

 

「……ずいぶん信頼してるんですね。まあそこはどうでもいいです。情報の確度はともかく、対策室の外(フリー)で仕事を受ける以上報酬はいただきますが?」

 

「そんなことわかっておる。難度に応じた報酬を渡そう」

 

 別に報酬もどうでもいいのだが、ふっかけた額請求してやろうかなどと思ってしまう俺はきっと性格が悪いのだろう。

 

……成功報酬として冥さんを嫁にくださいとか言ったらさぞかし愉快なことになるかもな、とか考えながら表情は崩さず諌山幽と相対する。

 

 受けるべきか、受けないべきか。普通ならこんな怪しい話即座に断るべきだと思うのだが、今回に限ってはそうとも限らないから困るのだ。

 

「なるほど。その情報を得たのはいつ頃なんです?」

 

「昨日の晩だ。だから今日お前を呼んだのだ」

 

 昨日の晩に報告があって今日俺を呼ぶのはまあ妥当か。ここはあまり考える必要はないだろう。

 

「ではなぜその情報を俺に?対策室に直接伝えたほうが良かったのでは?」

 

「対策室でも得ていないような情報をなぜ得ていると懐疑的なお前がそれを言うのか?あの新米室長に届けたとしてお前と同じかそれ以下の反応しか帰って来ないのは目に見えている」

 

 ブーメランとはまさしくこれを言うのだろう。……確かにその通りだ。環境省の末端の俺ですらこれだけ懐疑的なのだ。新米とはいえあの敏腕な室長がそれをやすやすと信じるとは思えない。

 

「では最後に一つ。なぜ俺に依頼を?」

 

「腕の立つ使いやすい人材だったからだ。それに冥の希望でもある」

 

 冥さんの名前が出てくるとは。てっきりこのおっさんの独断とかなのかと思っていたのだが、冥さんも一枚噛んでいるらしい。諫山幽も諫山冥もお互いがお互いの思惑を知りえているのかどうかわからないが、ともかく俺は親子二代に渡り利用されそうになっているらしい。

 

 面白い。いいだろう、それに乗ってやろうじゃないか。

 

「わかりました。その依頼、お受けしましょう」

 

 おお、受けてくれるかなどと言いながら一見人のよさそうな笑みを浮かべる諌山幽。求められた握手に俺は快く応じることで改めて承諾の意を示す。この人の笑みの向こう側には一体どんな思惑があるかは読み取れない。

 

「ただし、条件があります」

 

「何?」

 

 握手の力を弱め放そうとした諌山幽の手を力強く握りしめ、流石にぎょっとした顔をする目の前の男と強制的に握手をしている状態へと持っていく。

 

 強い力で握られ、白くなる諌山幽の右手。お勤めから逃げたとはいえ成人男性であるためになかなか力は強い。が、黄泉や岩端さんをして筋力お化けと言わしめる俺の力には遠く及ばない。

 

 いきなりの俺の行動に戸惑った顔をしている諌山幽へとにっこりと微笑みかける。

 

「調査には明日の早朝より向かいます。そして冥さん以外にも何人か同伴させるんでしょうから、その人たちの指揮権はすべて俺にください」

 

 さりげなく握手をやめようとする諌山幽を逃すまいと更に力を籠める。痛くはない程度に、しかし絶対に逃げられない程度にその手を固定する。

 

人間は圧倒的な力だとか、圧倒的なカリスマだとか、そういったものに弱い傾向にある。いや、傾向という言葉では語感がかなり弱いかもしれない。

 

 人間は自分をはるか超えた暴力や、予想できないような行動などには弱く出来ている。それらは思考という枠組みから外れているために思考が通用しない理不尽なものであるが故に人はそれにさらされた時、非常に脆くなるのである。

 

「俺に与える指揮権は一つだけでいいです。俺が”逃げろ”と指示をしたら、冥さんを含めて俺以外の全員が即座にその場を離れること。これを徹底させてください。よろしいですね?」

 

 有無を言わさぬ調子でそう言い切る。

 

 諌山幽が縦に頷いたのを確認すると、俺は最大級の微笑みを浮かべたままその手を離す。

 

 今回はこのような荒っぽい形を取ったが、ガキだとなめてかかってくるような大人には武力に限らず実力の違いを見せてやることが実は重要だ。相手が小物であるならば、例えば学歴だとかなんらかの資格だとかのような肩書きでも有効だったりする。

 

 ちなみに握手で印象付けようとするアメリカの政治家のようなこの握手のやり方を教えてくれたのは親父である。小野寺は裏の世界で地位が高くないので結構この方法が重宝するのだそうだ。

 

 そして諫山幽は小悪党のレベルだ。警戒はしていたが、実の所警戒すべきなのはこの人の娘であってこの人自身ではない。残酷だが、それが殺し合いの世界(お勤め)から逃げた人間と、前線で命を張っている人間の差だ。

 

 それはこの程度の脅しで多少ビビッていることからも確かだろう。欲望と人の器とは必ずしも相関するものではない。

 

「では、そのようにお願いします。……ああ、親と対策室には俺から話をつけておきますのでご心配なく。連絡がありましたら冥さんを経由してお願いします」

 

「あ、ああ。わかった」

 

 俺の意図がわからないらしく、戸惑いを隠せていない諫山幽を尻目に俺はすっと立ち上がる。面白いくらいに上手く決まった。若干拍子抜けな間は否めないが、ちょっとすっきりした。

 

 さて、本題も終わったんだろうしこれ以上ここにいるインセンティブは皆無だ。この人が小悪党のレベルであるとはいえ正直腹芸を続けるのは面倒だ。

 

 苦手分野にわざわざ立ち入っていく必要は毛頭ない。さっさと立ち去ることにしよう。

 

「お茶ご馳走様でした。それでは失礼しますね」

 

 一言だけそうかけて、後ろの襖に一暼くれてから俺は諫山幽のいる部屋を後にしたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはりそうでなくては」

 

 凜が目線を向けたその先の襖の奥に諌山冥は控えていた。

 

 静かで落ち着いたはずなのに、どこか獰猛な笑み。そんな笑みを諫山冥は浮かべる。おもしろい、とその目が雄弁に語っている。

 

 この話を持ち掛けてきたのは父であった。

 

 カテゴリーBにしては異常に活性化した、通常とは異なる反応があると報告をしてきた情報提供者が居るから、それを利用して対策室に貸しを作れないかという提案だった。

 

 だから諌山冥は小野寺凛を推した。

 

 小野寺凛の実力は評価に値する。それが諌山冥の凜に対する感想だ。小野寺凜が諌山冥を認めているのと同じように、諌山冥も凜を認めていた。

 

 この案件が本当に殺生石が絡んだものであったとしても彼がいれば問題がないだろうとの判断である。もとより諌山幽も声をかけようとしていたようだし、冥としても小野寺凜と行動しておきたい理由があったので都合がよかったのだ。

 

 

 

 この業界において「神童」の名を授かっているのは現時点では二人しかいない。

 

 諌山黄泉と小野寺凛。

 

 共に環境省超自然災害対策室に勤める期待のルーキー二人組である。この二人の言動はこの二人が想像している以上に周囲から注目されている。

 

 その二人でも「神童」と言われれば名が挙がるのはまず諌山黄泉のほうだ。平安時代から伝わる朽ちぬ名刀である宝刀獅子王を扱い、養子でありながら諌山の宝刀を継いだ彼女の話題は尽きることがない。

 

 だが、本当に話題性があるのは実の所小野寺凛のほうだ。

 

 無名の一家から生まれた期待の星。トンビが鷹を生むより偉大なことだと騒がれていたのが記憶に新しい。

 

 退魔師業界は人員不足であるが、それでも、いやむしろそれだからこそだろうか。伝統や経歴を重んじるところがあり、そう簡単には新参者が認められるような業界ではない。確かに人員不足であるために歓迎される部分はあるが、由緒正しい血筋が優先されてしまうのは否定できない。

 

 でも、小野寺凛は違った。有名な一家でもないのに、一代で退魔師の中心人物にまで到達してみせた。あの小さな体で、話題の全てをさらって行ったのだ。

 

―――自分は、そんな風に噂されることは無かった。

 

 努力をした。家名もある。でも、自分はそこまで話題にならなかった。

 

 

 嫉妬をしたのを覚えている。その才覚に、その境遇に。

 

 そして同時に憧れたのも覚えている。その実力に、その環境に。

 

 

───家督を継ぐのは恐らく黄泉だ。

 

そう冥は確信していた。直接断言をされたことはないが、諫山奈落がそう匂わせたことは何度かある。

 

それに、家督を譲る気もないただの少女に宝刀獅子王など継がせるわけがないだろう。

 

多分黄泉が家督を継ぐと確信に近いものを抱いても、別に感慨は湧かなかった。諌山黄泉が死ねば家督は自分のものなのだから、所詮順番の問題。早いか遅いかでしかないとそう考えていた。だから、別にわざわざ急ぐ必要などないだろうと。

 

 だけど、あの奇跡(小野寺凛)に憧れてしまった。何も無いところから這い上がって、それでいてトップに降臨する彼に。

 

 このステレオタイプな思考に固まった世界で、それをぶち壊す存在が現れたのだ。それに、不思議にも惹かれてしまった。

 

 正直に言って、諌山冥は小野寺凛を尊敬している。年下であり退魔師としても後輩ではあるがそれでも小野寺凛に憧れを抱いている。

 

当主の座を奪い取りたいと考えるなど、叔父様の決めたであろう考えに、自分のような小娘が異を唱えるなど許されないことだ。でも、憧れてしまったのだ。そして思ってしまったのだ。自分も、と。

 

 高慢な考えであることはわかっている。だけど自分にとって価値のある存在か、それを今回で精査してやる。自分の為に利用できるものは全て利用してやる。例えそれがリスペクトの対象であったとしても例外ではない。

 

―――期待しています。

 

 そう心の中で唱え、諌山冥は小野寺凜を見送る為に立ち上がったのであった。

 

 

 




凜が依頼を受けた理由については次話にて。
改稿入れるので、暇な方は二日に一遍くらいみてやってください。
幽との会話がむずくて。


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第14話 -三森峠3-

遅くなりました。


「……何か言うことは?」

 

「ほんっとうに申し訳ございませんでした!」

 

 雲ひとつ無い、穏やかな日差しが徐々に冬から春に近づきつつあることを示唆している気持ちの良い朝。思わず運動不足の人間でも散歩に行きたくなる程度には気持ちの良い心安らぐ朝方。そんな朝方に俺は諫山冥に頭を下げていた。

 

 90度に近いほど体を折り曲げて謝罪する俺の姿はそれはもう見事なものだっただろうと思う。自分で言うのも何だが、これまでに無いほどに完璧な謝罪であった。

 

「確か朝一番での出発を希望されたのは貴方だったように記憶しているのですが」

 

「奇遇ですね。俺にも同じような記憶があります」

 

 頭を下げたままそう返す。……ぐうの音も出ない。諫山幽に朝一で出発しますと告げたのはまさしく俺だからだ。諌山幽に啖呵を切った本人が忘れるわけがなかろうというものだ。

 

 ……さて、なぜ俺が諫山冥に謝罪をしているのか。

 

 理由は至極単純で、俺がまさかの寝坊をしたのである。昨日あの後冥さんと時間の打ち合わせをしてそのまま帰ったのだが、時間をこちらから指定したにもかかわらず諌山冥を乗せた黒塗りのクラウン2台が俺の家の前にやってきた時点で俺は完全爆睡中。インターホンに対応した母親が慌てて俺を起こしに来るまで眠りこけてしまっていたという訳だ。

 

 ……言い訳をさせてもらうと昨日は珍しく親父と母親が酒盛りをしていたので一緒にちょいと遅くまで団欒をしていたのである。妊娠をしてからは胎児に影響を与えないようにと全く酒を飲んでいなかったうちの母親だが、昨日は珍しくお酒を嗜んでいたので付き合ってあげたという訳だ。

 

 母親はお酒が大好きであり、よく晩酌をするタイプの人間だったのだが、よくよく考えてみればここ6ヶ月くらいはお酒を飲んでいるのを全く見たことが無かった。1週間に1度少量の飲酒をする程度なら胎児にそこまで悪影響を与えないらしいが、それでも胎児の事を考えて一切飲まないことにしていたらしい。ウイスキーを「ちょっとだけ」とか言いながら半分空けてしまう女がよくもまあ6ヶ月も我慢したものだと思う。

 

 だが昨日はちょうど結婚記念日であったことと、ちょうど俺がシェーカーとショートグラスを結婚記念日のプレゼントにあげたことが相まって6ヶ月ぶりに飲むことにしたのだという。

 

 本当ならカクテルを作ってあげて少し話したら寝ようかと思っていたのだが、作ってあげたギムレットをチビチビと美味しそうに飲んでいるのを見て微笑ましくなり、思ったよりも長い時間付き合ってしまったのである。母親は一杯で終わりにしていたが、親父は継続して飲んでいたので母と一緒にお酌などをして団欒していたのだ。

 

 俺は飲んでいない訳だけれど、遅くまで起きていたせいで時間通りに起きられず現在絶賛叱られ中である。親孝行をしていたのでぜひとも許していただきたいものである。

 

「……お乗りください。殺生石の反応はまだ移動していないそうですが、いつ動き出すか全くわかりませんから」 

 

「……はい」

 

 時間には結構几帳面な俺なのだが、遅刻をしてしまうとは。俺は基本15分前行動をモットーにしており、遅刻をすることなどほとんどないのだが諌山冥には遅刻する系の時間にだらしない男だと思われてしまったことだろう。

 

 ……こういう普段ならやらないような行為とか、ちょっとした掛け違いみたいなのをたまたましちゃったせいで喰霊-零-(あの世界)って壊れていったんだよなーとふと思う。黄泉が携帯の電源を切ったシーンもそうだし、神楽が黄泉に対して「黄泉はそんなことしない」なんて言葉をかけたこともそうだ。

 

 本当に些細な、一見何の問題も無いような行動が人を壊し、殺していったのだ。あの世界は本当に一から十まで救いがないよななどと思いながら車に乗り込んだのだが、そこでふととある思考にたどり着く。

 

 これが、誰かの死に繋がるかもしれないのか。流石にこの依頼に遅れた程度で誰かが死ぬだなんてそんな馬鹿な話があろうはずもないが、それでもこれから先思いもよらない落とし穴がある可能性がある。

 

 遅刻をしたのが俺じゃなくて諌山黄泉とデートの約束をしている飯綱紀之あたりだったら最悪だ。遅刻という行為がもはや対人地雷(クレイモア)じゃなくて対戦車地雷を踏み抜いていくにも等しい行為となってしまう。

 

 喰霊-零-(この作品)は名作であるのだが、徹底的に救いがない。希望は全て絶望に、愛は全て憎しみへと殺生石というフィルターを通じて変換されてしまうのだ。前者が濃厚であればあるほど後者も同様に深まっていく。

 

 元より認識をしていたつもりではあったが、改めてそれを認識して少々うんざりしてしまう。ほぼほぼあの馬鹿(三途河)のせいではあるのだが、それでも言わざるを得ない。本当になんてくそったれな世界なんだここは。

 

「そういえば対策室にはこの件を伝えてあるのですか?」

 

 自分がやろうとしている仕事の難易度に思いを馳せていると隣から声がかかる。

 

「伝えてありますよ。鼻で笑われましたけど」

 

 その声を聞いて思考を今目の前にある仕事に戻す。アルバイトの身とはいえ一応環境省に所属する人間なので環境省にもしっかりと今日のことを報告しておかねばなるまいと思い、本部に伝達をするだけはしたのだ。

 

 結果として鼻で笑われたけど。

 

 室長に取り次いでくれた男に散々バカにされた。曰く、「環境省が把握していない情報をお前は信じるのか?」だの「学生は暇でいいね」とのこと。俺も疑問に思ってた正論ではあるけど、結構本気でイラッとしました、はい。

 

 そして細かいことだが俺は学生ではなく生徒であると訂正しておこう。

 

「正直俺も半信半疑ですからね。信じてるか信じてないかで言われれば圧倒的に後者ですし。その信頼できるソースとやらっていうのは一体どこのどいつなんです?」

 

「詳しくは私も。ただ、凄腕の情報屋という話は聞いております」

 

「凄腕の情報屋ですか」

 

 非常に胡散臭いと言わざるを得ない。そんな凄腕の情報屋、何故喰霊-零-で名前を聞いていないのか。もしかすると本当に存在するのかもしれないが、アニメを見る限り霊力観測班でその役割は完結していたように思える。 

 

「昨日から相変わらず胡散臭い、とでもいいたそうな表情ですね。疑問だったのですがそれなら何故この依頼を受けたのです?受ける意味がわからないのですが」

 

 そう尋ねてくる。この疑問はもっともだ。俺はこれだけ懐疑的であるにも関わらずこの依頼を受けているのだから、そう思うのは至極全うな疑問である。

 

 確かに俺はこの情報を疑っている。ぶっちゃけると99%外れだろうとは思っているのだ。諌山幽がなんらかの策を用意して俺を嵌めようとしているのか、それとも諌山幽自体が嵌められてこの情報を流されているのかどうかはわからない。もしかするとその凄腕の情報屋とやらの単純なミスかもしれないし、こいつら家族ぐるみのなにかしらの罠かもしれない。

 

 だが、それでも俺はここにいる。受けるメリットなどほとんど皆無と思えるようなもののために以上、そこには確固たる理由がある。

 

「……言っても怒らないって約束してくれます?」

 

「……はい?」

 

 言葉通りといった表情を浮かべる諌山冥。

 

 別に俺の推測について話すことに俺自身は抵抗がないのだ。別に国家機密に触れるような内容であるわけでも無いし。だが、その推測の内容が内容なだけにそれをこの人達に話すのは抵抗がある。

 

 横顔に視線を感じる。話せ、ということだろうか。美人の視線を独り占めしていると考えれば嬉しくなくはないが、それが熱っぽい視線ではなくジトっとした視線であるなら話が別だ。むしろ美人であるからこそ「あ、見ないで貰っていいですか」と言いたくなってしまう。

 

「この前のカテゴリーA覚えてますか?俺が分家会議で散々語った三途河ってやつです」

 

「青い蝶を携えた白髪(はくはつ)の少年でしょう?特徴的だったので印象に残っています」

 

「失礼なことながら、実はその凄腕の情報屋っていうのが三途河じゃないかと疑っているんですよね」 

 

 前にも考えたことではあるが、この世界は既に俺の知っている喰霊-零-の世界ではない。土宮舞が生きていて、そして何より俺が居る。しかも自分で言うのもなんだが、そのイレギュラーたる俺は物語の中核というか、結構がっつり主要な立ち位置にいちゃったりする。居るだけでアウトな存在が、物語に参入してそれをひっかきまわしているのである。

 

 そんな状態で、あの阿呆(三途河)が正史通りの動きをするとは欠片も思えない。それこそ直接俺の家族にちょっかいをかけてきたりだとか、原作ではなかったが神楽を介してこちらにダメージを与えてくるかもしれない。そして、低いとはいえ今回の一件も三途河が介入している可能性がある。

 

 可能性は低い。だが、俺に口止めすることなくこの情報を渡したことを考えるとどうも諌山幽が嘘をついているとは考えにくいのだ。ならばどこを疑うか。そうなると情報の()()()が最も疑わしいのである。

 

「対策室の情報網は本当に広いです。やはりどうしても一介の情報筋程度が対策室にも入ってないような情報を手に入れられるとは考えにくい。それこそ事の当事者でもない限り殆ど不可能と言って差し支えないでしょう」

 

 飯綱紀之のような凄腕の退魔師がフリーになって各地を練り歩き、ローカルな所に眠っている情報を掘り起こしてきたというのなら話は別だが、今のところそんな実力のある人間の話は聞いたことがない。それに原作でも殺生石の目覚めに即座に対応していたのは神楽を筆頭とした環境省のメンバーだ。ローカルな心霊現象ならまだしも大規模な災害に関してお上に敵う存在がいるはずがない。

 

「……どういうことでしょうか?」

 

「あくまでも推測にすぎませんが、端的に言えば貴方達が三途河に騙されてるんじゃないかということです。三途河と直接会った貴女はその情報屋のことを詳しくはご存知ではないのでしょう?なら騙されてるのは諌山幽さんか情報屋から情報を貰って幽さんに伝えた誰かです」

 

 あくまでも俺の仮説がその通りならですが、と言っておくのも忘れない。内部に裏切り者がいる可能性もあるが、それは無視していいだろう。

 

「もしくは貴女方が俺を嵌めようと画策しているか、本当に勘違いかの三つが考えられますね。俺の予想としては話した順番にしたがって確率が高くなっていきます」

 

 冥さんの視線が俺に突き刺さる。正直この論を展開するのは怖かったため冥さんのご尊顔を拝見することが叶わずにいるのだが、直視などせずとも視線の温度が下がったことだけは分かった。お前らの話は信じてないよ、と遠回しに断言しているのに加えてお前ら俺を嵌めようとしてない?と聞いているのだから正直当たり前ではあるけど。

 

「……なるほど。とにかく私達が貴方に信頼されてないことだけはわかりました」

 

「いえいえ、信頼はしていますよ」

 

 信用はしてないですけど、と心の中で付け加える。隣に座っている人は戦力として期待できるけど、正直味方としては全く信用ならんのです。……俺ちょっとこの人を警戒しすぎかな?

 

「我々を無能と言ってみたり、背中を刺されるのではないかとおっしゃった口でよく言いますね」

 

「いやまぁ確かにそう言ったも同然ではあるんですけど……」

 

 クスッと冷たい微笑を1つ。こっちは何とも言えぬ苦笑を1つ。こうなるのがわかりきっていたため俺としては言いたくなかったのである。

 

「……正直に言って」

 

 お前ら騙されてるんだよ、そうじゃなければ俺を嵌めようとしてるだろと俺は述べたに等しいので、何かしら弁解をすべきなのかそれとも普通に話しかけるべきなのか考えあぐねていると、意外なことに諌山冥が先に口を開いた。

 

「貴方のその案は心持が良いものではありません。もっと言ってしまえば癪に障ります」

 

「それは、そうでしょうね」

 

 癪に障る、と冥さんは発言した。当然、俺も決して快く思ってくれるだろうなんて考えてはいない。むしろこれを言う相手が黄泉だったなら裏拳の一発は覚悟しておかなければならないような内容であるとは思っている。

 

 ……しかしそれにしては冥さんの態度は飄々としている。確かに冷たい態度ではあるが、それもいつもと比べて多少は冷たいかな?という程度。岩端さんとかならこの変化には間違いなく気づけないレベルの変化だ。

 

「貴方を陥れようと考えている、騙されている、などと思われるのは心外です。腹立たしくもあります。……しかし、実は私も同意見なのです」

 

「同意見、ですか?」

  

 

 態度に関する疑問を抱いていると、諌山冥は実のところ俺と同意見であると告白する。

 

 同意見である、ということはこの人も今回の件は殺生石が絡んでいる確率が低いと断定しているということだ。いや、それだけじゃないな。三途河が絡んでいる可能性も考慮しているということでもある。まさか俺が陥れられるということに対して同意見だと言っているわけはあるまい。

 

「ええ。貴方と同じく今回の一件はおそらく当家の勘違いで済まされる可能性が高いと踏んでいます。情報は父が掴んできたもの。私が手に入れたものではありません」

 

「だろうとは思いますけど。それならなんでわざわざ俺を同行させてまで向かうんです?控えめに言ってしまって意味がないと思うんですけど」

 

「そうですね。無駄な行為である可能性は否めません。殺生石に関してならば恐らくは徒労に終わるでしょう」

 

 そういって自分の手を見やる諌山冥。諌山奈落の臓腑を抉り出したその右手。女性らしい美しい手だが、同時に武人として立派な手でもあった。

 

「ですが、今回は行くところが行くところですので護衛がいても悪くないだろうと判断しました」

 

「そういえば詳しい行先を聞いてなかったですね。どこに行くんです?」

 

 昨日はプレゼントを買いに行こうと思ってたからパタパタとしていたのだ。東北に向かうということで朝出発にしようとは決めていたのだが、具体的には殆ど何も話していなかった。

 

三森峠(さんもりとうげ)です」

 

「げっ」

 

 しれっと答える諌山冥に、俺は思わず変な声をあげてしまう。

 

 三森峠をご存知だろうか?東北の福島県にある、通には有名な心霊スポットの一つである。旧三森峠とでも呼称するのが正しいのだろうか。昔はそこに県道が通っていたのだが、現在は新たな道路が走っているために封鎖されており、通常の方法では入ることが出来なくなっている。

 

 もし行きたい方がいれば是非行ってみるといいだろう。ネットで検索すれば入り方は簡単に調べることが出来る。多分霊感のない方には殆どなにも害はなく、夜に行ったとしても「あー走り屋うるさいなー」とか「郡山の夜景綺麗じゃないか」くらいにしか思えないはずだ。意外に車通りも多いし、旧道に入ったとしても大半の人には何も起こらないだろう。

 

 だが、霊感のある人間にとっては別だ。実はあそこは本物の心霊スポットである。俺も文献を読んだだけであって身を持って体験しているわけではないのだが、あそこは結構ヤバい系統に入る。カテゴリーで分類するならばBの下位~中位くらいだろうか。並みの退魔師なら太刀打ちできないレベルだ。

 

「三森峠って戦闘系というよりは精神系に負荷をかけてくる怨霊が多いとこですよね。片っ端から除霊してもいいなら楽なんですけど、あそこそれが効かないタイプのスポットですし……。俺そういうタイプの心霊スポット苦手なんですよね」

 

「それに、首なしライダーが出るという噂もあります。並みならば命を落としてもおかしくはないでしょう」

 

 再度変な声を漏らしてしまう俺。心霊スポットが環境省(俺達)に除霊されることなくなぜ放置されているのかをご存知だろうか?

 

 答えは簡単。除霊してもまた集まるからだ。

 

 心霊スポットには心霊スポットになった所以がある。某結核の病院なんかはそれが原因なのだが、そこにいた元来の霊を払っても払っても次から次へと新しいのが参入してくるのだ。しかも下手に除霊なんかをしようとすると逆に上位の怨霊なんかが集まり始めたりしてしまうのだ。

 

 三森峠もそれに漏れない。首なしライダーなんかが出てきたり、物理的に攻撃して来たら対処するしかないのだが、向こうが物理的な手段に出ない限りは基本的に手出しをしないほうがいいのだ。下手にカテゴリーCを払ってカテゴリーBが登場されてはきりがない。

 

 俺は戦える相手ならば怖くはない。カテゴリーDなんかただの肉の塊だし、カテゴリーB、Cだってただの雑魚だ。だが、精神的にじわじわ攻めてくるタイプで、しかも除霊できないといったケースは苦手だ。冗談に聞こえるかもしれないが、俺はホラー映画とかがあまり得意ではない。三森峠はホラー映画タイプなので正直行きたくはないというのが本音だ。

 

 完全に心霊スポットを壊滅してあげればいいんじゃないか?という声が聞こえてきそうだが、完全に心霊スポットじゃなくするにはそれこそ建物を壊して更地にして祈祷でもしてやるしかなく、かなりのコストがかかる。

 

 そしてコストの問題となるとどうなるか。地方自治体がやるか国がやるかでもめ始めるのだ。国は「地方がやれ」と主張し、地方は「国がやれよ」と言い始める。両者ともにお金など出したくないに決まっているので、「害がないなら放置しよう。封鎖だけはしとこうか」といった形になり、心霊スポットは放置されることとなる。

 

 それに、そもそもの問題として、心霊スポットをつぶしていくにはあまりに俺達の数が足りない。慢性的な人手不足のこの業界で、そんな所に気を配ってなどいられないのだ。

 

「……苦手なのですか?」

 

「ええ。とっても」

 

 多分俺はかなり嫌な表情を浮かべているだろう。

 

「この業界にいれば慣れるものと思っていましたが」

 

「慣れても根本っていうのは変えられないものだと俺は思ってます。俺は生来あまり度胸のあるほうじゃないんですよね……」

 

 憂鬱気な俺の様子に、冥さんがクスリと笑うのがわかった。笑われるのは心外ではあるが、笑われておかしくないことを言っているのでまあ仕方がない。

 

―――三森峠か。

 

 正直、結構憂鬱ではある。殴れない相手というのはとにかく面倒だ。

 

 溜息をつきながらふと前を見ると見えてくる緑色の看板。そこにウインカーを出して車が入っていく。首都高か。車に乗る人なら皆知っていることだろうが、高速道路の看板は緑色だ。都内に住んでいれば大量に見るのであまりそんな意識はしていないかもしれないけど。

 

 相変わらず静かな音を立てて車がぼったくり高速道路に入っていく。土曜の朝であるということもあるのだろう。下りは案外すいており、首都高にしてはよく流れているようだった。

 

―――そういや、到着まで冥さんと何を話そう。

 

 遅刻や行先に思いをはせてばかりで、隣の人との会話の内容を全く考えていなかった。

 

 三時間も俺は話が出来るのだろうかと不安になりながら、俺たちは東北へと向かったのであった。




次回はうまくいけばGWです。
無理なら下手すると六月以降になります。


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第15話 -三森峠4-

「……なん、ですかこれ」

 

「……これは。ここまでとは想像もしていませんでした」

 

 眼前に広がるのは昼間とは思えないほどに暗く、澱んだ空気。循環という言葉を忘れてしまったかのように空気は重く閉鎖的で、圧迫的だった。

 

 三森峠旧道。数十年前に使用が中止され、閉鎖された道路。

 

 体を冷や汗がつたう。そこらじゅうから強い怨念を持った霊の視線をひしひしと体に感じる。もはやそれは物質的な圧力を持っているかのように俺達二人にのしかかってくる。

 

 低級の霊の視線程度なんてことはないのだが、怨嗟のこもった上級の霊の視線となると話は別で、その視線や存在には現実世界への影響が伴い始める。自殺に選ばれるような場所というのは大抵そういった霊が存在し、その影響を受けて此岸から彼岸へと誘われていることが多い。

 

 ……普通ならそんな存在が一体いる程度で十分危険なのに、ここは何体いるのかすら予想がつかない。気候としては非常にのどかで、過ごしやすい気温のはずなのに、本能的に危険を察知してかそれは流れていく。

 

「……ここって災害指定レベルのスポットじゃないですよね?確かに色々噂はありますけど、対策室じゃ話題にもならないようなスポットだったと思うんですけど」

 

「私もそう記憶しています。決してこんなに危険なスポットではなかったはずです」

 

 先程まで車内では気楽な雰囲気を見せてくれていた冥さんも完全に警戒態勢へと移行している。

 

 チラリと冥さんの左腕に目をやる。先程からしきりに抑えたり離したりを繰り返したりして鳥肌を押さえ込んでいる。

 

 こういった場には弱く無いと言っていた冥さんですらここの異常な霊気にはあてられてしまっているようだ。

 

 確かに、この道は少々不気味ではある。

 

 使われなくなって久しいせいで草木が道路にまで生い茂り、ガードレールは錆びてしまい、アスファルトも割れたり汚れたりして一種のそういったスポットになりえるくらいの雰囲気はある。

 

 だが、これだけの異様さを放つ理由にはならない。

 

 カテゴリーDが大量発生しているようなスポットでも、死んだ人間の霊が地縛霊として絡みついた土地であろうとここまでの雰囲気を出すことは稀有だ。少なくとも昼間からこれほどの霊圧を放つスポットは全くないといっても過言じゃない。

 

「これは確実に何かありますね。殺生石で無いにせよ、カテゴリー上位の怨霊か、どっかしらの阿呆な機関が絡んでいると考えて間違い無いでしょう」

 

「人払いの結界の中にこれだけの怨霊を集めているのですからそれは間違いないと思います。しかしそれを一体誰が……」 

 

 そのまま思考に浸る諫山冥。

 

 人払いの結界。それがこの三森峠旧道を覆うように仕掛けてあった。

 

 アニメや漫画でよく見るそれだが、当然のようにこの世界にも存在した。「人の目が向かなく」なったり、「近くにあっても」認知できなくなったりと特異点の隠蔽、人の意識を避ける事に重点を置く術式だ。

 

 この三森峠旧道にもそれが仕掛けてあり、恐らくこれのせいで特異点たる存在がいるにも関わらず対策室は見逃してしまっていたのだろう。とはいえ、今のところ中から見てみても強大な特異点は観測されていないので俺たちが出動することになるかどうかはいまいちなところではあるが。

 

 ちなみにこの人払いの術式はなかなか高度なものであり、使える者は少数であること、費用対効果が低いことなどから殆ど用いられることはない。

 

 ……逆に今用いられているということはそれだけの効果が認められることが行われているということだけどな。

 

「……何が起こってるんだ?これはいくら何でも異常だ。こんな心霊スポット、任務でも見た事が―――」

 

「―――お待ちください」

 

 何気なく一歩を踏み出そうとしたところ、諫山冥に袖を掴まれて止められる。意外にも強い力で引き止められて少々驚く俺を、諫山冥は真剣な顔をして見つめてくる。

 

「どうしました?」

 

「この辺りに何か感じませんか?」

 

「この辺りですか?」

 

 ぐるっと景色を見渡す。が、特に変わったことや異常な点はパッと見では見当たらない。むしろ異常な事しかなくてどれを言っているのかわからないレベルだ。

 

「……特に何も。むしろ異常ではない事が見当たらないくらいです」

 

「……そうですか。少々違和感を覚えたものでして」

 

 そう言ってその端正な顔を俯かせて再度思考に入る諫山冥。

 

 違和感か。そんなものあるだろうか。何度も言ってはいるが、むしろ異常な事ばかりだ。違和感しかこの空間には満ちていない。

 

 こんな森のような道路で違和感を探すのはまさに森に隠された木を探すようなもの―――

 

 そこでハッと気づく。ちょっとまて、おかしくないか。

 

「冥さん、俺たち20分は歩いてますよね?」

 

「ええ、車を降りてから22分が経過しています」

 

「やっぱり。冥さん。三森峠で()()()()って言われてるのはどこだかご存知ですか?」

 

 その言葉で諫山冥はハッとした顔をして俺の真後ろを見る。三森峠なんていうマイナーなスポット、普通は皆知らないレベルだ。名前のみならず更にそれの詳細なんて覚えている奴普通はいやしない。俺のような専門家もたまたまとある縁で三森峠を調べたという程度であったため、単純な事を忘れていた。

 

「―――トンネル、でしたね」

 

「ええ、流石です冥さん」

 

 そう、本来ならこのスポットは()()()()()()()()()()()という話がマイナーに有名なのだ。

 

 だが、歩き続けて10分以上。俺達はそのトンネルとやらをまだ拝んではいない。

 

 いや、実際は違う。俺はゆっくりと後ろを振り向く。

 

 そこにあるのは如何にも幽霊が出ますといった風貌のトンネル。ツタが絡み、明らかに古び朽ちているその外観。さっきまでずっと俺たちの目の前にあったこのトンネル。別にトンネルを覆うようにツタが生えていて見つかりにくかったとか、場所的に目に入りにくかったとかではない。

 

 ずっと目に入っていた。このトンネルを、俺たちは何度も目にしていた。だが、俺達は()()()()()()()()()()()

 

 こんないかにもなトンネルを、何故か俺たちは思考の外へと追いやっていたのである。

 

 誰だか知らないが、俺達でも気が付かないような人払いの結界を貼るなんてやってくれやがる。これが怨霊の仕業だとしたら黄泉とかクラスに厄介な相手じゃないのか?

 

 それほどの怨霊が住み着いているのならばこのスポットがこれほどの魔境と化してしまっているのもうなづける。

 

 トンネルに向かって歩いていく俺達。人払いの結界の中に、それ以上のクオリティの人払いの結界が張ってあるとは流石に予想もしていなかった。

 

「ちょっと見てきます。申し訳ないんですが、呼ぶまでここで待機しててください」

 

 そう告げて人払いの結界に触れる。人払いの結界は人の意識をそれが張ってあるものから逸らすためのものだが、何らかの理由でそれが一度認知されてしまうと途端に効果が薄くなるという欠点がある。俺と冥さんはそれを認知したために人払いの結界は最早意味のないものとなってしまっているという訳だ。

 

 そのまま結界内に押し入っていく。トンネルの入り口手前に張られたそれは潜り抜けるだけでも相当に上級な一品で、詳しく解析などしなくても十二分に相手の力量が伝わってくる。

 

 術のレベルから言えば黄泉とか紀さんクラスじゃなきゃこんなのは張ることが出来ないだろう。詳細に分析したわけじゃないからあまり大それたことは言えないが、この結界、ただ人払いをするだけの効果を狙っているんじゃないように感じる。なんというか、人払いの効果以外にももう一個くらい効果が入っているような気がするのだ。

 

―――本当に、誰が張ったんだ?これ。

 

 あまりに高性能な結界だ。俺と冥さんが認知をそらされるレベルだし、それ以外にも何かしらの機能を持っている。加えて外にはこれよりも大規模な結界が展開されている。この結界の展開が個人の仕業と思うのは中々難しいのではないか?などと思いながら一歩を踏み出したとき、身体の芯のほうから以前にも体験したことのある感覚が這い上がってきた。

 

 

 ヘドロが心臓に纏わりつくかのような、ゲルの海で溺れるかのような、ドロドロとしていて剥がれることのない不快な感覚。本能的に近づきたくないとそう身体が、心が主張しているかのようなそんな感覚。

 

 これを俺は体感したことがある。

 

 あの夜に。あの森で。半年以上前、神楽の母を助けきれなかった時に。

 

 俺はここでようやく結界が二重になっていた意味、二つ目の結界に施されたもう一つの機能の意味を理解する。()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

「―――おや、誰かと思ったらまた君かい?つくづく僕の邪魔をしに現れるね君は」

 

 

 

 

 

 見慣れてしまった黒と青のコントラスト。その後ろに佇み悠然と笑みをたたえている、白い髪をした美少年。

 

 半年以上も前にあった時と全く変わらない姿。

 

 時間を切り取って保存しているかのように、あの時と全く変わらない。その外見も、憎たらしさも。

 

「……三途河」

 

 三途河カズヒロが、トンネルの奥から現れた。

 

------------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

 

 

「久しぶりだね小野寺凜。驚いたよ、見違えたじゃないか」

 

「そういうお前は見違えないな。成長という概念をママのお腹にでも落としてきたか?」

 

「やれやれ、前言を撤回させてもらおうかな。減らず口とジョークのセンスは全く成長していないみたいだ」

 

 やれやれと口に出しながら皮肉気に首を振る三途河。

 

 ……一番可能性が低かったんだけどなぁ、お前の出現は。

 

 こいつが出てくることは予測が出来ていた。というよりも真っ先にその可能性(こいつの出現)を考えてしまったくらいだ。しかしながら同時にその可能性は低いと考えてもいたのは本当だ。

 

 ここが魔境になってたり、異常に高度な結界が張ってあった時点でこいつの出現可能性が上がったのは確かではあるけれども、こいつは出てこないのではないかと予想していた。

 

 なぜなら()()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 殺生石は一種の独特の魔力というか、独特の雰囲気を持っている。諌山黄泉が諌山冥に感じたような、霊力に敏感な人間であるなら何か違和感を感じる要素がある。

 

 そして、俺はその違和感を感じる能力が殊更に高い。

 

 何故だかはよくわからないが、近づくと身体が拒否反応を示し始める。それは嫌悪感であったり鳥肌であったりするが、どうやら俺は殺生石センサーとして超一流であるらしく、身体や精神の不調という形で殺生石の存在を感じることが出来るのだ。

 

 それは封印処理のされた石でも問題がないらしく、土宮舞がICUから一般病棟に移された際も、病室の具体的な位置を知らないにも関わらず病室までたどり着けたほどだ。

 

「安心しろよ三途河。俺のジョークも今日で聞き納めだよ」

 

 両腕に霊力を纏わせて具現化する。金色の刃。この前はこいつに届かなかった。でも、今回は届かせる。

 

「気が早いなあ君は。もう少しおしゃべりを楽しもうという気概はないのかい?」

 

「ないね。怨霊と会話をしてやる必要がどこにある?」

 

 刃を出したまま、三途河に近づいていく。

 

 濃厚に感じる石の霊力。この二つ目の結界をくぐった瞬間からその気配を雄弁に語り始めていた。

 

 あの石の放つ霊力は膨大だ。例え一瞬の出現だったとしてもその反応は外界に瞬時に察知され、特異点として認知される。俺のセンサーは流石にそこまでの長距離で感知できる精度はないが、それでもこの森くらいなら感知できるはずだった。

 

 だが、俺は全く感知できなかった。

 

 目の前に居る赤ジャケットを油断なく睨みつける。一気に近づくのではなく、あくまでもゆっくりと距離を詰めていく。確かにそこに殺生石がある。……いや、正確にはそれだけじゃない気がするが、とにかくこの空間には一個以上のそれがある。

 

―――殺生石の気配も抑え込む結界ねえ。

 

 二つ目の結界に感じた何らかの機能。恐らくそれは殺生石の気配を抑え込むものだと推測できる。そんな結界聞いたこともないが、封印処理を大規模な結界を蓋のように用いて行ったみたいな感じなのだろう。こいつがしていたのはそれの実験だろうか。 

 

 じりじりと歩み寄る。出来ることなら一気に距離を詰めてさっくり切ってやりたいものだが、こいつのことだ。こいつが居る暗いトンネルの中に何を仕掛けているかわからない。迂闊な考えで一気に近づいて地雷が炸裂するなんてことがあったら死んでも死にきれない。

 

「……へぇ。また一段と腕を上げたみたいだね。身のこなしだけで十分わかるよ。個人的な興味なんだけど、君のその力への欲求はなんなんだい?君ほどのそれを抱いている人間にはなかなか会ったことがないよ」

 

「さてね。男なら誰しも一度は世界最強って言葉に憧れるらしいぞ?それじゃないか?」

 

「あながちウソに聞こえないから判断に困るね。どうだろう?この石を使えばそれも夢じゃないかもしれないよ、小野寺凜」

 

「残念ながらチートってやつはあまり好きじゃないんだよな、俺」

 

 徐々に距離が詰まっていく。左右の壁に虫の存在……確認できず。地面及びに天井……異常は確認できず。

 

 細心の注意を払いながら、尚且つ警戒をしていないかのように振る舞いながら攻撃のチャンスを狙う。正直、ここでこいつを殺せるとは思っていない。トンネルみたいな遮蔽物がない空間での戦いは黄泉とか神楽のほうが向いているし、こいつに十二分に攻撃の準備のための時間や撤退のための時間を与えてしまっている。

 

 だが、僅かでも殺せる可能性があるのならばやらなくてはならない。こいつは生きている限り、俺達にも人の世にも害を成す存在なのだから。

 

 

「それは残念だ。君とこの石は相性が悪そうではあるけど、間違いなく君には担い手の資質がある。君がこの石に魅入られるのを楽しみにしているよ」

 

「残念だけどそれは無理だろうな。石に魅入られてる頃にはお前はきっと彼岸で両親とよろしくやってるだろうさ」

 

 その言葉に僅かながら三途河の表情が動いたのがわかった。こいつの行動原理は母親の復活。やはり両親のワードには反応しやすいのだろう。

 

「……相変わらずよく回る舌だね」

 

「そりゃどうも」

 

 武装はどうだ?いつも通りだろうか。通り過ぎた所からも蟲の気配はどうか。蟲に強襲される可能性は排除しなければならない。

 

 前方にほとんどのリソースを裂きながらも、後ろも決して警戒を怠らない。……本当に、巫蠱術って厄介すぎるよな。

 

「それにしても、いい仕事だ。流石は名家のお嬢さんだと思わないかい?」

 

「……はぁ?お前、何言って―――」

 

「―――ご苦労様、諌山冥。本当にいい仕事だよ」

 

 ちょっと待て。なんでその名前が今お前の口から出て―――?

 

「っっつ!!」

 

 どういうことか問いただそうとしたところ、三途河の言葉に続いて、鼓膜に直撃し、かつ腹の底に響くような轟音が鳴り響いた。次いで響き始める、コンクリートで出来たものが破壊され、質量のあるそれが地面へと降り注ぐ轟音。直撃したら一瞬で命が刈り取られる程の重量を持ったそれが次々に降り注いでくる。

 

―――くそが!!!

 

 俺は諌山冥に嵌められたのか?そう考える暇もなく鳴り響く破裂音に内臓を震わせるかのような重低音。見なくても何が起きたかわかる。トンネルが爆破されたのだ。

 

 後ろを一瞬確認する。三途河から意識を逸らすことは自殺行為に等しいが、後ろを確認しないことも同様だ。

 

 一瞬ながらしっかりとトンネルの様子を観察する。次々と崩れてくるトンネルのコンクリート部分。だが、幸いと言えばいいのか、爆破されたのは本当に入り口の付近だったらしい。崩れてきているのは全体ではなく、入り口付近のみ。流石に300m以上あるトンネルが今ので全部壊れるとは思えない。

 

「―――!!」

 

 瓦礫を回避しながら三途河へとダッシュする。

 

「相変わらずいい反応だね。でも、少し遅いかな」

 

 遅くはない。三途河のいる位置は瓦礫が落ちてきておらず、俺は降り注ぐ瓦礫に一個も当たらずに、こいつの身体を切り裂いたのだから。

 

 だが、遅い。

 

 続く崩壊の音。そして伝わる空を切った手ごたえ。人型の青い蝶が周りを舞うなか、俺は舌打ちをしながら後ろを振り向く。

 

「やってくれる……」

 

 そこにあるのは完全に埋まってしまった入り口。既に諌山冥の姿は見えない。

 

 ……よく生き残れたものだ。俺が先ほどまでいた辺りは瓦礫と土砂で殆ど埋められてしまっている。それに伴って太陽光が遮られ、トンネルはたちまち暗くなる。

 

『君なら生き残ってくれると思ったよ。期待を裏切らないね』

 

「……ぬかせ」

 

 崩れたのは入り口付近だけ。だが、ここもいつまで持つのかわからない。もしかしたらこの先も崩れずに耐え続けるのかもしれないし、次の瞬間にも崩れるのかもしれない。恐らく、こいつが作業だかをするために確保しておいたのだろうが。救いは何故か僅かながらも稼働している電灯があるということだ。懐中電灯を持ってきているにはきているが、それ一つではこの状況では流石に心もとない。

 

『残念だけど、それ(火薬)を使っちゃった以上、ここの隠蔽はもう不可能みたいだ。それに、()()()の制御もね』

 

 その声に合わせて、突如として鳴り響くバイクの音。

 

『三竦みになりながら君と戦うのは避けたいからね。君の相手はそいつに任せることにするよ』

 

 そういって、蝶は何処かへ消えていく。

 

 俺と同じく、出口は塞がれているはずなのに、そんなことは関係ないと言わんばかりに何処かへ消えてしまう。そしてそれと共に消える不快感。それは殺生石が消えた、つまり三途河が消えたことを指している。

 

「……デッドエンドってやつか?」

 

 だが、全てではない。心臓に楔でも撃ち込まれているかのような、身体の芯を乗っ取られてしまうかのような違和感はまだ消えきっていない。

 

 軽快なバイクの音とともにそいつは姿を表す。

 

 首なしライダー。このスポットで見かけられたという怨霊。一種の都市伝説。

 

 ……面倒なやつを残してくれたもんだな。

 

 その胸に光るは赤い石。絶望の象徴たる九尾の狐の魂の破片。

 

 あいつがここで何をしていたのかはわからない。大方、ろくでもないことをしていたであろうことはわかる。そして、一つ確実に言えることは、

 

「……ふざけんなよマジで」

 

 殺生石付きの怨霊を、この視界も足場も悪い中で俺は相手しなければならないということだった。

 




※ちなみ、三森峠は本当に存在するスポットです。ですが、現在、三森峠のトンネルは埋められており、完全に見えない状態になっております。なので三森峠に行ったとしてもこのトンネルは見ることが出来ません。


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第16話 -三森峠5-

「小野寺凛!!」

 

 鼓膜を破壊するかのような轟音が響く中、届かないとわかりながらも私は思わず手を伸ばし、声を張り上げてしまう。

 

 一瞬のうちに音を立てて崩れていくトンネル。かなりの質量を持った建造物が、人為的な爆発によってその形を無残にも変えていくその瞬間は、何処か感動すらも覚えるほどの光景だった。

 

 轟音とともに入口は埋まりきってしまい、表から目視しただけではどこからどこまでが壊れてどこまでが無事なのか全くわからない。

 

───これでは、流石の彼も……。

 

 損壊の程度はわからない。彼のことだ。飄々とした態度でひょっこりと現れてくるのかもしれない。

 

 だが、明らかに人1人を殺すには十二分な量の火薬が使われていたように見える。トンネルの何m地点まで崩れているのかはわからないが、それでも入口が完全に埋まってしまうほどの崩落である。無傷で切り抜けている可能性はかなり低いと言わざるを得ないだろう。

 

 ……反対側からならば合流が可能だろうか。

 

 そう考えるが、その可能性は低いと即座に否定する。

 

 あの怨霊には私も直に目にした転移の術式がある。あの少年がどのような目的をもって爆破をしたのかはわからないが、もし私があの少年の立場ならばトンネルの両側を爆破するだろう。自分だけは脱出方法を確保したうえで相手には逃げられない状況を作る。そんな美味しい条件があるのならばそれをしないという選択肢は存在しないだろう。

 

 あの一撃で小野寺凜を殺そうとしていた場合は反対側を爆破する理由はないが……。

 

 逡巡する。明らかに目の前の土砂を撤去して彼に合うことは不可能だ。かといって反対側に回り込むのも至難の業だ。隧道が通るような山を越えていくなど、体を鍛えているとはいえかなりの負担を伴う。場合によっては物理的に不可能だし、反対側にたどり着く前に遭難する可能性だって無くはない。

 

 三森峠の隧道は300m程だと聞く。その程度の距離ならば問題はないだろうか。

 

―――とりあえず別動隊に連絡を取らなければ。

 

 ここまで事態が大きくなってしまえばもはや環境省にも出動を要請しなければならない。いや、今の崩落でトンネルに張ってあった結界は壊れたようだから、もしかするともう出動の用意をしているかもしれない。

 

 それに、彼を助けるのならば私一人ではもうどうにもならない。

 

 それが歯がゆくて仕方ない。今一番近くにいるのは私であるのにも関わらず、一番彼に近い私は彼を助けることが一切できないのだ。

 

 強く唇を噛んでしまう。獅子王が、鵺が居たのならば。もし黄泉だったのならばこの状況を切り抜けられるのだろうか。黄泉ならば、この状況を覆すことが出来るのだろうか。

 

 ……いけない。こんなことを考えている場合ではないというのに。

 

 とりあえずまずは電話だ。この旧道に入った段階で小野寺凜と携帯ならば利用可能なことを確認している。まずは別動隊に―――

 

 振り向きざまに薙刀を横に払う。同時に舞い散る美しさを感じさせる黒と青の蝶達。

 

「へぇ、いい腕だ。流石は正統な諌山の一族ってところかな?」

 

「……何用ですか」

 

 正眼に薙刀を構える。

 

 現れたのは三途河カズヒロ。巫蠱術の家系であり、バチカンで殺生石を研究していた三途河教授の実の息子。一年程前にバチカンで爆発事故に巻き込まれ死亡されたものと考えられていたが、その息子であるこの少年は生き残っていたらしい。

 

 全て小野寺凜から聞いた情報ではあるが、一部自身が持っていた知識と照らし合わせても間違いはなかった。

 

 この少年が何故私の前に現れるのか。私に用が出来たのか、それとも……。

 

「小野寺凜はどうしたのです」

 

 薙刀に込める力を強める。

 

 まさか、ではあると思う。だが、最悪の事態が考えられる程度には今回の状況は酷い。

 

「彼かい?……まったく、彼はゴキブリのような男だよ。君もそう思わないかい?」

 

「質問には明確に答えなさい。彼をどうしたのです?」

 

「安心しなよ。別に何もしてないさ。残念なことに傷一つ負ってなかったみたいだからね。上手く気を引けたみたいだったし、瀕死くらいには出来るかなと思ったんだけどな」

 

 やれやれとジェスチャー付きで首を振る目の前の少年。

 

 ……別に何もしていなくはないだろうと思うが、どうやら彼は無事らしい。あの崩落で無傷だとは流石と言わざるを得ないだろう。

 

「トンネル内にカテゴリーB相当の怨霊も残してきてるんだけど、あのレベルだとあの化け物には通用しないだろうね。助けに行かずとも問題はないんじゃないかな」

 

「……目的はなんです?」

 

「今日ここにいる目的かい?それとも小野寺凛を閉じ込めた目的かな。後者なら簡単だよ。リスクヘッジってやつさ。彼を自由にしておくと何をされるかわかったもんじゃないし、ヘタを打てば直ぐに殺されちゃいそうだからね」

 

 飄々とした態度をしてそういう目の前の少年。平然と振舞っているが、何処か嬉しげな様子が漂っているのは気のせいなのだろうか。

 

「ここにいる目的は貴女と会話がしてみたかったのさ。僕はね、これに相応しい人材を探しているんだよ。この石の担い手に相応しい存在をね」

 

 そういって、少年はその白い髪をかき上げる。

 

 殺生石。九尾の狐の魂の欠片だと伝え聞くそれ。話では何度も聞いたことがあるし、存在することも当然知っていたが、これほど近くでまじまじとそれを見るのは今回が初めてかもしれない。

 

 油断なく薙刀を構え続ける。少年の姿をしていても、土宮のお二方に小野寺凜を退けている驚異的な存在だ。小野寺凜も、この少年には注意しろと散々車の中で述べていた。

 

「その担い手とやらを探し出してどうするのです?」

 

「話をしてみたいとは言ったけど、残念ながらそこまで答えてあげる義理はないかな」

 

「それではここで何をしているのです?なぜここに?」

 

「それに関しては僕のほうが気になるな。ねえ、共犯者さん?」

 

「……っ!!」

 

 柄を握る力が強くなる。

 

「……本当に、厄介なことをしてくれましたね」

 

「それについては悪い事をしたね。謝罪するよ。それに感謝もしなきゃね。あの一瞬の硬直がなければ僕は彼に切り殺されていたかもしれないから」

 

 小野寺凜の戦闘態勢に移行してからの振る舞いは見事の一言だった。成長した体躯をいかんなく利用し、一分の隙も見せないで歩んでいくその体捌きには見習うべき点があると素直に思わされた。

 

 だが、それは一瞬崩れた。他でもない、私の名前を利用されたことによって。

 

「後ろから刺されることを警戒したのかな。一瞬だけど本当に慌ててたよね彼」

 

「……外道が!」

 

 警戒は解かずに切りかかる。非常に不快だった。

 

「君も彼と同じでせっかちなんだね。もう少しゆっくりお話をしようという気概はないのかい?」

 

 そう軽口を叩きながら私が切りかかるのをさらりと避けると、代わりと言わんばかりに棒手裏剣を無数に降り注いでくる。

 

 ……彼の言っていた通り厄介な相手だ。

 

 バック転などを組み合わせながら射撃の点を絞らせないように後ろに下がる事で私もそれを回避する。こういった細かいもので襲い来る攻撃は1つ1つの威力こそ低いものの、防御する事は至難の技だ。回避する事が極力望ましい。

 

「流石だね。その美しい動きを見ていたくはあるけど、今日はお話をしに来ただけだから、よかったらその矛を収めてくれないかな?」

 

「黙りなさい。怨霊と交わす言葉などありません」

 

「つれないな。本当に君たちは馬鹿正直というかなんというか。もっと柔軟な思考を持ってもいいと思うよ」

 

 意外にも品のある動きで、後ろにある岩に腰掛ける少年。

 

 ……本当に、話をしに来ただけだというのだろうか。

 

「貴女は小野寺凛とどういう関係なのかな?仕事上のパートナー?それとも恋人同士なのかい?」

 

「何故そんな事を問うのです」

 

「質問には明確に答えろと言ったのは貴女だろう?でもそうだね。単純な興味、かな」

 

「信じられるとでも?」

 

「信じる信じないは君の勝手さ。僕はただ君がどう思っているのかを知りたいだけだからね」

 

「……仕事上の付き合いというだけです」

 

「……へぇ。そんなんだね」

 

 意味ありげにそう呟く白髪の少年。

 ……別に今の質問になど答える義理はなかった。しかし相手の話が気になってしまったのと、別に話しても問題ないと感じたためにそう答えたのだ。

 

「ならもう一個質問をいいかい?———もし貴女が死んだとして、彼はどんな反応をすると思う?」

 

 その言葉を聞いた瞬間に、私は彼からさらに距離をとる。

 

 声は普通に届くけれど、攻撃はほぼ間違いなく届かない距離まで迷うことなく即座に後退する。

 

 そんな私を見てクスリと微笑む目の前の少年(カテゴリーA)。普通ならば癪にさわる表情と行動なのだが、情けないことに今は何よりも不気味さと身の危険が勝った。

 

「誤解しないでほしいな。貴女を殺すって意味で言ったわけじゃなくて、ただの興味さ。言っただろう?僕は君と話したいだけなのさ」

 

 相変わらず飄々としてそう言うカテゴリーA。……信じられるとでも思っているのだろうか。殺気こそ感じられなかったものの、その台詞は「私を殺す」と言っているようなものだ。私が死んだ後の、小野寺凛の様子に興味があるのだと。

 

 周りの異常なまでの圧迫感も相まって背中を冷や汗が伝う。この少年の目的がわからない。何を思い、何を目指しているのか。

 

 小野寺凛も何を考えているか読みにくい男ではあるが、この少年はそれ以上だ。比較的扱いやすい小野寺凛とは違って、ただただ不気味で、意味がわからない。

 

「……私が死んだ後の小野寺凛の心情など知りませんし、元より死ぬつもりもありません」

 

「答えになっていないという意味で模範的な回答だね。僕も見習うべきかな」

 

 いちいち癪にさわる言い方をするのを好む男だ。彼には失礼に当たるかもしれないが、肝心なことは徹底的にはぐらかす所とかこういった所は小野寺凛と多少に通っているかもしれないと思ってしまう。

 

 ……いや、間違いなく彼とこの少年はどこか似通っている。具体的にそれを上げることが出来ないが、本当に感覚の話ではあるのだが、共通点があるのは間違いない。

 

 善性という点では明らかにかけ離れているはずなのに。

 

「彼なら悲しむのかな。―――いや、間違いなく悲しむだろうね。貴女かどうかに関わらず人の死には思うところのある人間だろう」

 

「……本当に、何が目的なのです」

 

 人間は理解できないものに恐怖を覚えるという。この場合、私にとってそれは目の前の得体のしれない何かだった。

 

 彼は私と会話をしていない。当然、彼が語り掛けてきているのは私だ。言葉が向いている先は諌山冥で間違いないだろう。

 

 だが、その意識は私に向いていない。彼の興味は私ではなく、私を通した誰か。私を通して誰かを見ているかのように感じる。そしてそれは恐らく―――

 

 

 

「―――諫山冥。諫山幽の娘であり、諫山の正統な血筋を引く存在。現在高等学校の第一学年に所属し、優秀な学業成績、落ち着いた物腰から周囲に一目置かれる存在。退魔師としての実力も折り紙付きであり、同年代で並ぶものは殆どいない程の武を誇る」

 

 私を映していなかったカテゴリーAの目に私が映る。

 

 瞬時に理解する。今、この化け物の興味は私に移行したのだと。

 

「しかしながら現在獅子王を継続しているのは諫山奈落の義理の娘である諫山黄泉であり、諫山を継承できる可能性は低い……。

 

ーーー可哀想に。正当な血筋なのにそれを継承できないなんて悔しいよね。不公平だと、そう思わないかい?」

 

 手に力が入る。

 

 明らかな挑発。安い挑発だ。

 

 だが、安かろうがそれは効果的だ。

 

 諌山を私が継ぐのか、黄泉が継ぐのかはまだ分からない。でも、獅子王を持っているのは私ではない。

 

 本当に嫌な男だ、いや、最低な男だ。こうして私がどう反応するのか、私の程度を観察しているのだろう。

 

 安い挑発に反応することなく、泰然として、目の前の化け物を睨みつける。あくまでも退魔師として、カテゴリーAと相対する。

 

 正直、今すぐに飛び出して行って切り裂いてしまいたいと思う気持ちはある。強い憤りもある。だが、この程度の挑発に乗るのは絶対に嫌だ。そんなもので取り乱す自分こそ嫌だ。

 

 (諌山冥)は、そんな安い女ではない。

 

 私は断固として平然とした、退魔師としての視線を。三途河カズヒロは今までと変わらない、こちらを試すかのような視線をぶつけ合う。

 

 どれくらい睨み合っていたのだろうか。実質的には1分と経過していないのだろう。しかしながら体感的には非常に長いその視線の交差。

 

「……なるほどね。うん、わかったよ。全く、彼は本当に厄介な男だな」

 

 それを破ったのは少年だった。

 

「少し予想外だ。……試してみる価値はあるけど、リスクが大きいかな。また会おう、諌山冥。今日は話せて楽しかったよ」

 

「……逃げるのですか?」

 

「有体に言えばそうだね。無いとは思うけど、彼に脱出されて襲われたら面倒だ。もともと戦闘の意思はなかったわけだし、もうやるべきことは済ませたからね」

 

 その言葉と共に少年の身体を蝶が覆い始める。

 

「おや?止めないのかい?てっきりやすやすとは逃げさせてくれないものかと思ってたんだけど」

 

「……癪ですが、それよりも優先すべきことがありますので」

 

「正しい判断だね。流石だよ」

 

「皮肉にしか聞こえませんね。それ以上減らず口をたたくようならば優先順位を変えますが?」

 

「それは面倒だ。矛先が変わる前にさっさと退散することにしようかな」

 

 蝶が空に流れていく。木々の合間を縫って羽ばたいていく蝶に目を取られているうちに、いつの間にか三途河カズヒロは姿を消してしまっていた。

 

 ……相変わらず末恐ろしい術の腕だ。以前見た時も思ったが、到底13、14あたりの少年が行使できるような難度ではないように思える。

 

 これが、殺生石の力なのだろうか。

 

 それと共に三森峠事態を覆っていた巨大な結界も霧散する。伴って、異常なまでの緊張感と圧迫感を生んでいた霊たちの気配が本当に少しだが薄れた気がする。

 

 三途河カズヒロが消失したのを確認して、思わず肩に入っていた力が抜けていく。土宮殿をも撃退したカテゴリーAと相対していたのだから不思議ではないが、思っていた以上に自分は緊張状態にあったらしい。ほっと人心地がついた。

 

 ……とは言えここは今なお災害クラスのスポットであり、カテゴリーAが消えたからと言って気を抜くことなどできやしないのがつらいところなのだが。

 

 おそらく、今頃対策室は大騒ぎだろう。人払いの結界が消滅して、この特異点が向こうに感知された筈だ。そのうち対策室も出張ってくるであろう。

 

「……ともかく連絡をしなければ」

 

 携帯で別動隊の人間に連絡を取る。彼らがここに入ってきてしまうと霊に中てられる可能性が高いので待機を命じ、父上にも連絡を入れるように指示を出す。

 

 まさか本当にこんな大事に巻き込まれるとは。父上から命を下された時にはこれほどの事態が起きるとは想像すらしていなかった。

 

「……はぁ」

 

 思わず溜息を一つ。優雅に振舞うよう常日頃から心がけてはいるが、異常なまでも霊の圧力に今なおさらされ続け、カテゴリーAには遭遇かつ相対し、果てには共犯者の設定を植え付けられてしまったのだ。流石にこのくらいは許されるであろう。

 

 電話が来ていることを知らせるために震え始める携帯。

 

 応答しようと思い表示された名前を見ると、そこに表示されていたのは小野寺凜の四文字。

 

 再度心の中で溜息を一つはいて応答する。

 

 ―――さて、どう説明したものだろうか。

 

「……もしもし」

 

『もしもし、冥さんですか?俺です、小野寺です』

 

 裏切り者だと疑われた彼が裏切り者じゃなくて、裏切り者じゃないかと疑った私こそが裏切り者。いったいどんな皮肉だろうか。

 

 そんな過去の自分の言動に皮肉を覚えながら、私は説明を始めるのだった。

 

------------------------------------------------------------

 

 

「さて、と」

 

 地面に落ちた殺生石を拾い上げる。

 

 相変わらず憎たらしいほどに紅い輝きを放つ石だ。綺麗ではあるのだが、触れるのも躊躇われる程にどうしようもない嫌悪感を感じてしまう。

 

 首なしライダーとの戦闘は本当にあっけなく終了した。

 

 バイクで向かって来て大鉈を振るうだけの脳筋タイプの相手だったので、見えないように霊力でスロープを作ってあげて空に浮かせた後、本体を切り裂いて終了だった。

 

 まだ現時点の神楽と戦ったほうが面白味を感じるぞと敵の弱さに愚痴を言いたくなる程度にはつまらなかった。敵が弱いことに越したことはないのだが、もう少し手ごたえが欲しかったというか。

 

 殺生石を得たからと言ってカテゴリーBの下位の存在が劇的に強くなるなんてことはあまり無いみたいである。

 

 そもそも原作では弍村剣介が一刀両断の下に片づけていたりしたのだ。流石に岩端さんとかカズさんとか今の神楽だと単独撃破は不可能だろうが、俺や黄泉クラスならさしたる問題では無いことがはっきりわかった。

 

 問題なのは俺とか黄泉が殺生石で堕ちてしまった時なのだろう。当然一概には言えないので注意が必要だが。

 

「さて、後はどうやって出るかだな……」

 

 ぐるりと周囲を見渡す。

 

 反対側も完全に崩落。入り口も当然崩落。こんな小さなトンネルに抜け道だとかそんなものがあるわけもなく。

 

 八方ふさがりとはまさにこのことだ。

 

 ……このくらいの瓦礫ならアレ(・・)で吹っ飛ばせるか?いや、まだ練習中だし、ミスって腕飛ばしたりしたら元も子もないな。それに下手に瓦礫を吹っ飛ばしたら崩れてきそうだ。

 

 俺には繊細さというものがないからどちらにしてもやめておいたほうがいい。

 

 はぁーと溜息をつく。異常なまでも霊の圧力に今もさらされ続け、あの馬鹿(三途河)には遭遇かつ相対し、果てにはトンネルに閉じ込められてしまったのだ。溜息の十や二十くらいつきたかろうというものだ。

 

「……冥さんに電話するか」

 

 ポケットの中から電話を取り出す。俺が無傷なので当然ではあるのだが、何らかの拍子に壊れたりはしていないようで安心した。

 

「もしもし、冥さんですか?俺です、小野寺です」

 

 少々長いコールの後冥さんにつながる。

 

「はい。俺も無事です。ええ。ケガ一つ無く。……先程の件?」

 

 先ほどの件。三途河と冥さんが共犯であるということを三途河が示唆した件のことだろう。

 

「あぁ、三途河が言ってたやつですね。それに関しては後で話しましょう。それよりもこれからですが―――」 

 

 ひとまずその件は置いておいて話を進める。

 

 ぶっちゃけると俺は冥さんが共犯だとは思っていないのだ。

 

 理由としては二つある。

 

 一つ目はもし共犯だったとして、この一連の流れが何を目的としているのか全くわからないし、俺を殺すことが目的なのだとしたら、いくらなんでも俺を殺せるチャンスを無駄にしすぎである。

 

 そしてもう一個の理由だが、あの崩落の際、俺が一瞬後ろを振り向いたときに冥さんの姿も俺には見えていたのだ。

 

 あの瓦礫が降る中、必死の形相で俺に向かって手を伸ばし、何かを叫んでいる姿が。

 

 少なくともあれは演技だとは思いにくい。少なくとも俺は一度も見たことのない表情と焦りようだった。共犯者だったのなら動じずに、むしろ得物を向けていたりしてもおかしくはないだろう。

 

 あれが演技だとは考えられない。と、いうよりは()()()()()()()()というのが本音なのだが、それを抜きにして考慮しても、あれは俺の隙を作るための三途河のブラフだろう。

 

 まんまと引っかかって硬直してしまった自分が情けないが、今更後悔しても後の祭りだ。流石にあのタイミングで言われたらその可能性に頭が支配されてしまったとしても仕方ないだろうと考えて割り切ることにする。

 

「はい、とりあえず俺は対策室に連絡しようと思います。……外の結界はもう剥がれてるんですか?説明が省けますし、好都合ですね」

 

 ちょっと安心する。もし結界があったままなら、環境省にとっては異常だとみなされてないところに来てくれと言い続けなければないのだ。何かしらの環境省にとって不都合なことを俺が手引きしていると思われても仕方がないシチュエーションが爆誕してしまう。

 

「ええ。そうですね、申し訳ないんですが近くで待機しておいてもらったほうがいいですね。気が滅入る環境だとは思いますがよろしくお願いします」

 

 そういって電話を切る。

 

 冥さんはどうやら無事らしい。三途河がなにかちょっかいを出していたらかなりまずい状況なのではと考えていたのだが、どうやらその心配はないらしい。三途河の目的がなんだかは知らないが、とりあえずはこれで問題ない。

 

「―――もしもし。環境省超自然対策室の小野寺です。室長にお取次ぎ願えますか?」

 

 続いて対策室にも電話を掛ける。今日は休日だが、仕事があるとかで室長が出勤しているはずだ。昨日電話した時に確認したから間違いないし、それにこれ(殺生石)があるのだ。多分、黄泉とかも今頃緊急招集されてるんだろう。

 

「室長ですか?小野寺です。……はい。その件です。それでご相談があるんですが―――」

 

 全く、三途河の野郎も面倒くさいことをしやがる。

 

 このトンネルを出るまでにどれほどかかるのだろうか。

 

 先ほど電気も止まってしまい、今俺にある明かりは携帯電話だけだ。

 

 ……暗いところ苦手なんだよなぁ、俺。

 

 霊の圧迫感はまだ緩まっていない。元凶だと思われる三途河が消えたとはいえ、もう一つの元凶である殺生石が俺の手元にはある。

 

 それにつられて俺にさっきから低級の霊が近づいてきているのがわかるし、この状況は対策室が来てくれるまで好転しないだろう。

 

―――頼みますから早く来てください対策室の皆様。

 

 電話をしながらそう願い続ける俺であった。




この下りはあと一話続きます。
凜の戦闘シーンは次話をお待ちください。


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第17話 -三森峠6-

「あのー冥さん。本当にすみませんでした」

 

「……」

 

「出来心だったと言いますか。ちょっと慌てる冥さんが珍しくてついついやってしまったといいますか……。とにかくごめんなさい!」

 

「……」

 

 諫山冥に腰を90度に曲げて深々と頭を下げる俺。

 

 そして今までのようにお巫山戯ではなく、本当にごみを見るかのような目をした後に顔を逸らして意図的に俺の言葉を無視してくる諌山冥。

 

「いい?神楽。あれが屑男ってやつよ。あーゆーのを彼氏にしないように気を付けるのよ」

 

「わかったよ黄泉。凜ちゃんみたいなのは絶対に彼氏にしない!」

 

「おいてめぇら、聞こえてんぞ!」

 

 謝罪をスルーされる俺を遠目から見ながらおちょくってくる神楽と黄泉、それを笑って見ている対策室の面々。

 

 思い返して欲しいのだが、ここは災害クラスにも認定されかねないほどの異常な土地である。こんな災害クラスの環境で女の機嫌をとってる俺が一番言えたことではないのだが、そんなとんでもない環境の中でよくもまあそんな冗談を言い、そして笑っていられるものだ。

 

 さて。なぜこんなカオスな事態になっているのか。事は2時間ほど前にさかのぼる。

 

 トンネルに閉じ込められ、諌山冥と通話した後のこと。

 

 俺は室長に直接連絡を取り、今後の対応について提案と意見交換をしたのだが、その結果として東京からもあの対策室の面々が派遣されるということと、東北からも俺を救助するために小隊を派遣するよう手配するとのことだった。

 

 東京から福島までは高速道路を使用しても三時間近くかかってしまう。緊急事態ということで飛ばしてくるのはくるのだろうが、それでも車には限界がある。

 

 防衛省のようにヘリを持っているというのならば話は別なのだが、残念ながらまだ特戦の方々とは絡みが殆どない。

 

 実は俺と黄泉は個人的に絡みがあったり無かったりするのだが、環境省がお願いして動いてくれるような状況でも関係でも無いので空の便は使用できない。

 

 ……ちなみに、防衛省の特戦4課についてなのだが、今の所誰かが死んだという情報は俺の元に入ってきていない。

 

 俺が三途河に干渉したために歴史が改変されたのか、それとも史実通りに動いていてこれから殺されるのかは俺には判別できない。もしかしたらもうあの未来は回避されているのかもしれないし、これから起こるのかもしれない。

 

 話が脱線した。話を戻そう。

 

 つまり対策室の面々が来るまでの間の時間で東北支部の近いやつらが俺を助けに来てくれるらしいので我慢しててね、ということだった。

 

 するとその言葉の通り暗闇に1時間拘束される程度で済み、東北支部の方々が俺を救出してくれた。

 

 俺の能力で手伝ったということを抜きにしてもトンネルをこれ以上崩落させないように俺を救出する手際は見事の一言だった。

 

 その後、福島支部の代表の人と情報の共有と周囲への対処について協議し、流石にこの人数でこれに対応するのは危険すぎるということで対策室が来るまでは待機という結論に達した。

 

 というのも日が徐々に傾きつつあり、明らかに結界が解ける前よりも脅威度が増しているのだ。本当なら今すぐにでも行動を起こすべきなのだが、派遣されてきた人たちはどちらかというとバックアップ要員寄りで、戦闘専門要員が到着するのは対策室よりも遅くなるとのことだったのだ。

 

 お役所仕事め……と愚痴を言いたくなるかもしれないが、これは仕方がないことであり、この業界は慢性的な人手不足なのだ。北関東に東京から俺たちが派遣されて退治に行っていることからもその様子は伺えるだろう。いわんや東北をや、というやつである。

 

 それに俺自体も若干疲れていたのだ。前後左右が全くわからない程に暗い洞窟の中で50体以上の怨霊を切り伏せたり追い払ったりしていたのだ。

 

 先程三途河が張っていた結界の要領を真似ながら殺生石を霊力でコーティングするという難題に挑戦しながらだったので余計疲労が溜まってしまった。

 

 ちなみにどうやら結構いい感じで再現できたらしく、殺生石の妖力の7~8割くらいは抑えられるコーティングが完成した。俺の殺生石不快感センサーがこんなところで役に立つとは思わなかった。

 

 さて、そして本題なのだが、東北の担当者と会話を終え、俺は諫山冥の元に向かったのである。

 

 俺としては諫山冥を疑ってなどいなかったし、退魔士としては失格であるが彼女のことを信じてしまいたかったので、特になんとも思ってなかったのだが、どうやら冥さんは思うところがあったようで態度が随分としおらしかったのである。不覚にもキュンとしてしまった。

 

 俺が普通に話すだけで、本当に僅かな差ではあるが慌てた様子を見せ、冥さんからの話題の切り出しもどこかたどたどしかったのである。

 

 ……そんな冥さんの様子は、控えめに言ってもすごく可愛らしかった。黄泉や神楽にドキリとさせられることは正直かなりあるのだが、いつも泰然としている女性が年相応の顔を見せた瞬間に俺はどうやら萌えてしまうらしく、結構胸が高鳴ってしまったのだ。

 

 そして俺はそんな冥さんをもう少し見ていたいなーと思い、悪いことだと思いながらも冥さんをからかいにいってしまったのだ。

 

 「そっか。騙されて、たのか……」、「冥さんを信じてたんだけどな……」などとギリギリ(アウト)なところを攻め続け、冥さんがしおらしい反応を見せるのを眺めて楽しんでいたのである。

 

 正直自分でもクズだとは思うが、それでもやりたくなってしまったのだ。それだけ珍しく、楽しい反応であったということだ。詳しくは勿体無いから語るまい。俺の記憶にのみ残しておこう。

 

 そんな冥さんの反応(俺への弁解でそんな反応を見せてくれるとは意外だった)を堪能すると、最後に「まぁ実は最初から疑ってませんでしたけど」とカミングアウト。

 

 ポカンとする彼女にそう思った経緯とかをサラッと説明するとその表情が(おもむろ)に冷たいものに変化。絶対零度よりも下の温度ってあるんじゃないの?と思わせるような目を俺に向けて口を聞いてくれなくなったのである。    

 

 以上が事の顛末だ。

 

 先程から何回か謝りに行ってるのだが、その度に完膚なきまでに玉砕し、後から到着した神楽達にも罵りを受けているというわけだ。

 

「こころおれそう」

 

「あ、また無視されて戻ってきた」

 

「あちゃー凛も結構凹んでるわね」

 

 言葉通り、なかなか心が折れそうだ。かわいい反応が見れたのでぶっちゃけ悔いも後悔もないが、人生でも五本の指に入るくらいには反省している。

 

「……はぁ。結構マジで心が叫びたがってますよ俺は」

 

「自業自得じゃない。女心を弄ぶから手痛いしっぺ返しをくらうのよ」

 

「凜ちゃんの女たらし!男の屑!」

 

「……女たらしに関しては否定させてもらうが、それ以外は否定できないな」

 

 項垂れる俺。それにしても神楽。最近俺に対して随分容赦が無くなってきたじゃないか。

 

 そんなコントみたいなことをやっていると、管狐を用いて偵察を行っていた紀さんが戻って来た。カズさんや岩端さんも一緒で、近くの調査は一通り終えたものとみられる。

 

「よ、女たらし。機嫌は取れたのか?」

 

「いや、紀之。あっち見てみろよ。諌山嬢の様子を見る限り見事に玉砕してるみたいだぞ」

 

「やめてやれ二人とも。遊びに来たんじゃないんだ。……黄泉、凜。辺りを調査させてきたが、どうやらこいつは結構厄介みたいだな。いかんせん数が多い。一体一体はそこまでだが、特にあっちのほうがやばいな」

 

 俺を茶化してくる紀さんとカズさんはとりあえずおいておいて、岩端さんが状況の説明を始める。

 

 特に反応が強いのは小山の向こう、つまりは俺たちが居たトンネルの奥だろうとの事だった。俺が先程カテゴリーBを討伐したから、上位の怨霊に触発されて新たな霊が引き寄せられるといったことはないだろうが、完全に日が落ちるまでに討伐しないと流石に危険かもしれない。

 

 ちなみに今回来ているのはいつもの対策室のメンバーだ。室長と桐さんはいつも通り本部にてバックアップ要員であり、ナブーさんはさっきから微動だにせず銃を構えているため会話には参加して来ていないが、ちゃんと車の付近に待機している。

 

「そこに関しちゃあ俺らだとどうしようもねぇな。凛と黄泉、頼めるか?」

 

 なかなか小山の向こうの敵は手強いらしく、面倒そうな顔をしながら桜庭一樹が俺らにそう投げかける。それに首肯する俺と黄泉。まあ戦力的に当然の配役だ。

 

「よし、それじゃあ俺らは周辺の奴らをやるか。諌山の令嬢。アンタにも加勢を頼みたいんだが、頼まれてくれるか?」

 

 俺と黄泉が頷いたのを確認すると、冥さんにも話を振る岩端さん。なんというか、対策室の誰も諌山冥には話しかけるのを躊躇っていたので、岩端さんのこういう気づかいはありがたい。

 

 こういう時に空気をぶち壊してくれるのは室長なのだが、今日は司令塔として本部に残っているからここには当然居るはずもなく、皆彼女を持て余していたのである。俺なんか取り付く島もないしな。

 

 Good Job、岩端さん。ホモだけど。

 

 その言葉にこちらを向き、絶対零度の視線を俺に向けてから僅かに思考する冥さん。俺にそんな目を向けなくても……という言葉は置いておいて、討伐に参加してくれるのだろうか?

 

 今回の件って実は「お前の言ってることは出鱈目だ」と環境省が諌山分家を馬鹿にし、「行くなら勝手に行ってね」と放置した挙句、実は諌山が正しくて環境省が間違っていたという結構とんでもない(面白い)事態なのだ。

 

 しかもその事態の中心にあったのは殺生石。結果的に俺が殺生石を手に入れることが出来たとはいえ、環境省の責任問題?というか、とにかく批判されたら面倒なことになる。こんな重大な現場を放置しておいて、しかもそれに対して的確に上がってきていた報告を一蹴してた訳だし。

 

 まあぶっちゃけ俺が同行していた時点で「いや、だから環境省の人間も派遣したじゃないですか」と言い逃れはできるのだが。

 

「……いいでしょう。指示はお任せします」

 

 だが、諌山冥は参加してくれるらしい。後からなんやかんやといちゃもんをつけて色々要求してくることはあるかもしれないが、ともかく頼もしい戦力が増えたことは望ましい。

 

 諫山冥の言葉をもって全員の戦闘準備が完了する。拠点防衛の役割ではあるとはいえ神楽も舞蹴12号をその胸に抱え、やる気満々だ。

 

「黄泉、指揮は誰がとるんだ?」

 

「指揮は私がとるわ。異論はない?」

 

「ないよ。信頼してる」

 

「そ。ありがと」

 

 その短いやり取りを皮切りに、黄泉の調子が変わる。

 

 宝刀獅子王。諌山家に伝わる、霊獣鵺をその身に宿した一振り。平安時代から存在すると言われており、実物を使わせてもらったことがあるが、まさに至高の一振りという言葉がふさわしい。

 

 それを携える黒髪の乙女。15歳とは思えない凛としたその立ち振る舞いは圧巻の一言である。

 

「乱紅蓮!!!」

 

 そして、その一振りを雄々しき一言と共に抜き放つ。

 

 現れる異形の霊獣、鵺。

 

 諌山の当主が代々受け継ぐ宝刀に宿りし諌山の代名詞ともいえる霊獣が、その名を継ぐに最も能う少女の横に並び立つ。

 

「私が先行する。対策室は各自散開。東北支部の護衛のために紀之と神楽はここに残って。冥姉さんは遊撃を、凜は私の援護をお願い」

 

 年端も行かない少女とは思えぬそのオーラ。俺たちは黄泉の下した判断に迷うことなく了解し、その通りに従っていく。

 

「行くわよ凜。鵺に掴まって」

 

「了解。行こうか」

 

 鵺に掴まる。思ったよりは柔らかい毛の感触が手に伝わってくる。その下にある身体は鋼のように固く、全身凶器という言葉がぴったりな存在なのに、意外にもその体毛は柔らかくふんわりとしているのに以前は驚いたものだ。

 

 鵺が高く飛び上がる。

 

 向かうは小山の向こう。あの崩れたトンネルの先だ。

 

「飛ばすわよ!しっかり掴まって!」

 

「りょーかい!」

 

 ぐんぐんスピードを上げていく鵺。

 

 やはり霊獣とは便利なものだ。人の力では到達できない所まで軽々と到達できてしまうのだから。

 

 ……俺も何か霊獣使役しようかな。

 

 そんなことを考えてしまうのであった。

 

 

------------------------------------------------------------

 

 剣閃が走る。

 

 一閃、二閃。そして振り向きざまにもう一閃。

 

 その勢いを殺すことなく足元に踏み台を作り出し、それを蹴って飛び上がる。

 

 空に浮かぶ女性の怨霊を切り飛ばし、木の枝を蹴って速度をつけ、回転切りの要領で下に居たカテゴリーCを切断する。

 

―――いい調子だ。

 

 体の調子は悪くない。黄泉との一戦の頃に比べるとむしろ好調といってもいいだろう。

 

 最近ようやく身長が伸びてきて、前世の身長に近づきつつある。150後半に乗ってきたので、あと10センチ強身長が伸びれば前世と殆ど同じ身長に到達だ。

 

 そして、前世の身長に近づくことによって、ようやく俺の型が見えてきた。俺がずっとイメージしてきた身体の動かし方にようやく身体が、戦い方が追いついてきたのである。

 

 俺の一閃とは異なり優雅さを兼ね備えた黄泉の一閃が俺の背中を狙っていた男の怨霊の頭を飛ばす。そこに出来た隙をついて襲いかかるカテゴリーDを今度は俺が切り殺す。

 

 そして即座に俺たちは反転して背中合わせに怨霊達と対峙する。

 

 我ながら息のぴったりあった連携攻撃だと思う。離れたら近づいて互いを補完し、近づいたら離れて各自撃破を的確なタイミングで繰り返すことにより隙のない攻撃を繰り出している。恐らく、この界隈で俺と黄泉ほど連携のとれたコンビは居ないに違いない。

 

 ふう、とひと息入れる。

 

 相当に数が多い。先程から5分近く戦っているがなかなか数が減らずに此方へと襲いかかってくるのだ。確かにこれは銃器を扱うカズさんとか岩端さんとかだとちょっときついかもしれない。

 

「どうしたの凛?もうお疲れかしら?」

 

「ぬかせ。まだまだ疲れてないさ。なんせ俺は体力お化けなもんでね」

 

 お互いにしばしの休憩を入れる。戦いというのは不思議なもので、自分がいくら万全だと思いながら戦っていても疲労がいつの間にか蓄積してしまうのだ。

 

 これだけ長く命のやり取りというものを経験していても自分の体力がいつ枯渇するのかがはっきりと知覚できず、何故か気が付くと息も絶え絶えということがあったりするのだ。特にこのような四面楚歌な状況での乱戦では猶更である。

 

 それをわかっている俺と黄泉はこうして休憩を挟んでいるという訳だ。

 

「でも流石に少し気疲れはしてきたな。ずっと気を張り詰めっぱなしだったし」

 

 トンネルといい、冥さんへの謝罪といい、この状況といい、気を抜けない状況が三連発で続いているのだ。タフな精神を持つと自負している俺でも流石にしんどいものがある。

 

「凜は意外と怖がりだものね。また神楽と三人でホラー映画鑑賞する?」

 

「いや、あれはもうやめとこう。お前らの悲鳴で俺の心臓が持たない。あれが一番怖いんだよ」

 

 実は以前こいつの家でホラー映画を見たことがあるのだが、俺がホラー系の映画を苦手としているというのもあるのだが、それ以上に神楽と黄泉の叫び声が一番怖かった。

 

 おまいうではあるが、お前ら退魔師の癖になんでそんなホラー映画にビビってんだよと言いたくなってしまったものだ。

 

「仕方ないじゃない女の子なんだから。怖い映画を見たら悲鳴の一つもあげたくなるわよ」

 

「うっわあざと。か弱い女子アピールとか。かわいさアピール狙ってる?……ごめんなさい謝るから蹴らないで」

 

「次は諌山の宝刀が裁きを下しに行くから」

 

 ほんとにデリカシーの無い男ね、等とつぶやく後ろの少女。

 

 ……デリカシーが無いとかこいつには言われたくないものだ。

 

 人がホラー映画見てビクッとなっているところを動画で撮影して奈落さんに見せびらかしてみたり、対策室でテレビに繋いで大音量で流して俺の尊厳を削り取ってくれた癖によく言う。

 

 ……そういえば。

 

「そういや黄泉、頭痛大丈夫なのか?一昨日対策室でカズさんと三人で話してた時も痛いって言ってたし、さっきも頭痛いとか言ってたじゃんか」

 

「うん、大丈夫。今はもう平気。じゃなきゃこんな前線に出てないわよ」

 

「本当だな?黄泉は無理するところあるからな。信じるぞ?」

 

「ありがと。……よし、休憩もいい感じで終わったし、そろそろ行くわよ!」

 

 その言葉を皮切りに俺たちは戦場へと飛び出す。

 

 そのタイミングも同時で、やはり俺と黄泉のコンビはなかなかのものなのではないかと思ってしまう。

 

 黄泉としても俺とはなかなか組みやすいらしく、度々お褒めの言葉をいただいたりしているので、実際にも俺らのコンビはそこそこなのだろう。

 

―――だけど、なんか違うんだよなあ。

 

 俺としても組みやすいし、実力があるから背中を任せても何の不安もないのだが、どこか違和感がある。黄泉はなんら違和感を抱いていないみたいだが、俺は多少抱いている。なんというか、喉に刺さった小骨は取れた筈なのに刺さっているような感覚とでもいうのだろうか。

 

 とりあえず要するに、諌山冥とコンビを組んだ時程、コンビによる相乗効果があまり感じられないのだ。多分俺と黄泉の戦い方が違うせいなのだろうが、あの指数関数的に効率が上がっていくかのような不思議な感覚を黄泉とは体験したことがない。

 

 多分、黄泉の対となれるのは土宮神楽のみなのだろう。俺では勤まらない。

 

 そんなことを考えながらも怨霊をバッタバッタと切り伏せていると、頬を鋭い風が撫でた。

 

―――風?

 

 即座に後ろを振り向く。

 

 それと同じタイミングで襲い掛かってくる鋭い爪のような刃。この形、この速度、そしてこの風。こいつはどこかで見たことがある。そう、原作の―――

 

「黄泉!鎌鼬だ!気をつけろ!」

 

 舌打ちを一つ。

 

 鎌鼬。原作(喰霊)で土宮神楽を多少苦しめたカテゴリーB。特徴はその素早い動きと、白叡を切り裂くことの出来る鋭い爪。

 

 平生ならばなんら問題のない敵なのだが、この森の乱戦の中に出てこられると結構厄介だ。

 

 三森峠旧道は長らく人の手が入っていないことにより、昔は道路であったところが土に覆われそこから木が生えたり雑草が生えたりなどでもはや森と化している。道路が残っている部分もあるのだが、俺と黄泉が入り込んでいったのは森の中だ。

 

 そして森の中で戦う際に気をつけることは多々あるが、その一つに相手を見失わないということがある。

 

 平地でもそれは同様なのだが、森は下手をすると直ぐに頭上を取られてしまう。それどころか森の中での戦闘は()()()()()()()()()()()()()奇襲が可能であるということだ。前面、側面、背面、先ほど言った頭上など、四方八方に死角が存在する。

 

 そんな中で速度も速く跳躍も得意な存在と遭遇したらどうなるか。

 

 答えは簡単だ。かなり苦戦する。

 

 後ろから湧いてきた怨霊を踏み潰すと、鎌鼬を追うべく速度を上げる。

 

 俺は森での戦闘が得意だ。絶対的に見れば平地での戦闘が一番好きで得意だが、ほかの人の苦手度合いなどを考慮に入れて相対的に見てみると森やビル街などの遮蔽物がある所の戦闘が一番得意になる。

 

 だから俺にとっては鎌鼬如き大した弊害にはならないのだが、この敵があふれている環境が大した弊害ではない弊害を大きな弊害へと成長させる。

 

 そしてそこまで森の中での戦闘に慣れていない黄泉にとってそれは殊更大きいものとなる。

 

 木を蹴って鎌鼬を追いかける。途中で相対した敵も難なく切り捨てながら、小野寺の術を利用して速度を上げていく。

 

「……やっぱ早いな」

 

 そこそこ全速力で追いかけてはいるのだが、やはり人間の限界というべきか、鎌鼬の速度には追い付かない。

 

 それどころか向こうには追尾するこちらに反撃を加えてくる余裕さえあるのだ。

 

 俺も木々を蹴って対抗してはいるが、相手のほうが遥かにトリッキーに俺を攻め立ててくる。直進していたと思えばいきなり左折をかまして俺の側面に回り込むとそこから更に攻撃を加えてきたりなど、正直追い付けない。

 

 こいつ一体に照準を絞れれば全く話は別なのだが、糞怨霊共が鬱陶しくてそれもかなわない。

 

 性能と環境。この二つの観点で俺は今鎌鼬に負けている。速度でも負けているし、立ち回りの軽さでも負けている。

 

―――けど。

 

 あえて俺は速度を落とす。

 

 そしてそれと同時に鎌鼬も俺の視界から消失する。

 

 森でのタブー、それは相手を見失うこと。俺は今、相手を完全に見失った。視界にも、聴覚でも鎌鼬をとらえることが出来ていない。

 

 ()()

 

 それは相手も同じこと。先ほどまでと同じペースで追いかけてきていた相手が、突如速度を減速する。そこに生まれるのは緩急の差。

 

 そしてそれは速度が早ければ早いほどに効果的となる。

 

「いらっしゃいませ」 

 

 俺の目の前に()姿()()()()()現れる鎌鼬。

 

 化け物には人間を凌駕する性能があるが、人間にはその性能を凌駕する戦略や戦術がある。

 

 既にこいつの動きのパターンは見切った。先程の動きだとこいつは俺の背後を取って攻撃してくるつもりだったのだろう。だから、あえて速度を下げてその後ろを取って見せた。

 

 いくら速かろうが動きを見切ってしまえばそんなもの何の脅威にもならない。力ばかりある人間が、合気道を極めた人間に勝てないのと同じことだ。

 

 慌てた様子でこちらから逃走しようとする鎌鼬。その速度は流石のもので俺では致命傷になるような攻撃を与えることは少々リスキーだ。

 

 だから、俺はその背中を軽く押してあげるだけでいい。

 

 導くように、本当に軽く。

 

「―――ナイスアシスト」

 

 なにも俺が止めを刺すことはない。

 

 なんせ、ここには()()いるのだから。

 

 鎌鼬がバランスを崩して向かった先は黒髪の乙女が待ち受ける死のエリア。

 

 その長い刀身をその鞘に納め、抜き放たれるのを今か今かと待ち受けている宝刀が存在する死の領域。

 

 黄泉は宝刀獅子王を、その刀身を鞘の中へと収めていた。

 

 鞘走りの抵抗を利用してその剣閃の速度と鋭さを増幅させる、日本刀にのみ許された抜刀術。それを俺たちは居合いと呼ぶ。

 

 音速にも迫る刃が一閃する。

 

 恐ろしい程の速さを持った黒鉄の刃が、空間を走り抜ける。

 

 その刃が届かない俺ですら両断されてしまいそうな鋭い一撃。

 

 その一撃が、鎌鼬をその鋭い爪のような刃ごと斬り裂いた。

 

「……いい一撃だ」

 

 黄泉が刃を振り切ったその領域に一瞬遅れて俺が着地する。もし一瞬黄泉が振るのを遅めたか俺が一瞬早かったならば俺は完全に黄泉によって両断されていた。

 

 そんなシビアな連携をドンピシャでやってのける。こんなコンビ、今のところ俺達以外にはいないだろう。

 

「凜こそよくあんなの誘導できたわね。私には無理ね」

 

「黄泉こそよく合わせてくるよ。相当に凄い居合だったぞ」

 

 黄泉から差し出された手を取って膝をついた状態から立ち上がる。

 

 黄泉はそう俺を褒めながらも、俺ならばできて当然とそう思っている。俺も、黄泉ならあのタイミングで合わせてくれることを疑っていない。

 

 互いに、あの空中でのとんでもない速度の戦いのなかでの一瞬のアイコンタクトでタイミングを合わせてくれると確信しているのだ。

 

 ……いい信頼関係だと思う。黄泉とは想像以上のコンビネーションが発揮できている。

 

―――でも、まだ足りない。

 

 黄泉とのコンビネーションは想定以上だが、これで終わりじゃない。まだ俺達には先がある。

 

「さて、手強いのもやったことだし、掃除といきますか」

 

「そうね。細かいのは纏めて処分しちゃいましょうか」

 

 そう言って鵺を近くに呼び寄せる黄泉。

 

 先ほどよりも開けた所に出たので一掃するつもりなのだろう。

 

「乱紅蓮、咆哮波!」

 

 黄色い閃光が怨霊たちの群れに穴を開けていく。

 

 障害物などないかのように突き進んでいくそれは、非常に頼もしく、非常に神々しい。つくづく味方でよかったと思う次第だ。

 

―――やっぱり俺も霊獣欲しいな。

 

 乱紅蓮が作った怨霊の穴を走り抜けながら、俺はそう思うのだった。

 




ようやく凜の戦闘をかけた。
恐らくはあと一話で2章は終わりかな?


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第18話 -三森峠7-

※章完結記念ss書きますので、活動報告にて是非投票ください。

お待たせいたしました。
今までのあらすじ書いておくので、忘れた人は一読すると理解しやすくなるかと思います。

凜と冥、諌山幽より指令を受け三森峠へ⇒非常に危険な雰囲気。結界をくぐると三途河に遭遇、凜生き埋めに⇒なんとか脱出。対策室とも合流し、掃討戦へ⇒今話


「結界用意!霊力に余裕がある人は結界の発動に力を貸して!……ほら凛!貴方はまだ余裕あるでしょ。また玉砕したからってやる気なくさないの」

 

 またしても諌山冥に謝罪をスルーされ、ハートブレイクな俺の襟首を細腕からは想像できない力で掴むと、無理やり結界を張るポイントに引きずり込んでいく黄泉。

 

 精神的にも肉体的にもなかなかの疲労がきているものなのだが、どうやら目の前の少女は俺の休憩を許してはくれないらしい。

 

 鎌鼬を倒してからおおよそ2時間程が経過した。

 

 休み休みあの後も戦闘を行っていたのだが、流石に疲労が溜まってきたことと、害となるような霊はほぼほぼ全て駆逐が完了したためにベースキャンプに俺と黄泉は戻ってきた。

 

 俺達以外のメンバーもあたりの霊達をあらかた掃討しており、一休みしたのちに最後の大詰めとして霊を寄せ付けなくする為の結界を張ることとなったのである。

 

 その休憩時間に冥さんに再度謝りに行ったのだが、すっと顔を自然に逸らされて終わってしまった。

 

 ……いやあ、流石にもう許してくれてもいいんじゃないですかね、冥さん。

 

 さて、話を戻すか。

 

 その結界とやらを張るために霊力の強い何人かが選抜され、結界の要となる剣に霊力を注ぐこととなった。最後に紀さんがそれを起点に結界を張って終了だ。

 

 俺は小野寺に生まれた弊害で術自体は全くもって使えないのだが、霊力だけならお化けクラス(黄泉談)にあるので霊力タンクとして駆り出されたという訳だ。

 

 ちなみにだが、俺の霊力量は相当なもので、黄泉をして羨ましいと言わしめたほどである。

 

 だがそこは俺である。霊力チートでウハウハなんていったヌルゲーなことにはならなかった。

 

 俺の戦闘スタイルと小野寺の術自体はかなり相性が良く、応用も利くし使い勝手は良いし中々気に入っているのだが、小野寺の術は霊力消費が驚くほどに少ない。全力で霊力を使った所で全くと言って良いほどに消費されないのだ。

 

 霊力を惜しみなく使うとの前提のもとで、とあるケースを想定してみよう。

 

 俺が全力で黄泉と戦って、その後に雅楽さんと本気でやりあって、その後で今回の戦闘を経るというありえないケースだ。ここでは俺の体力が持たないだろうとか、不可能だろうそんなことといった議論はシカトする。あくまで想定である。

 

 そんなケースを想定して見たとしても、その戦闘で俺が使うであろう霊力は、俺が持つ霊力の2割に達するかどうかといったほどである。

 

 残りの8割以上は使われずに残ってしまう。どんなに頑張って使って戦闘をしたとしてもその数値は消費されずに残ってしまう。

 

 つまりは宝の持ち腐れ。これだけ大量の霊力を持っているにもかかわらずそれが全く活かせていないのである。

 

 ならもっと消費するスタイルで戦えば良いじゃんとの声が聞こえそうだが、別に消費量を多くした所で術式の力が上がる訳でもないし、むしろバランスというものが大事なので術式が弱体化するなんてことも往々にしてある。

 

 それに不動明王結界術のような霊力を食う技が小野寺にある訳でもないし、いたずらに消費量を増やしても何のメリットもないのである。

 

 せめて「霊力の半分は持っていかれるけど、威力が絶大な奥義」みたいなのがあったら良かったのだが、そんなものなどありはしなかった。

 

 もしかするとこれ(霊力量)が俺が生まれ変わるときに貰ったチートなのかもしれないが、活かせないのでは何の意味もない。霊力は人に譲渡できないし、本当に宝の持ち腐れである。舞蹴とか使えば活かせるかもしれないが、今更このスタイルを変えるつもりもないし、ぶっちゃけ火力不足を感じたことはないから問題はないのだ。

 

 とりあえず黄泉に言われた通りに霊力を封剣へと移していく。こういった時に霊力タンクなる俺は役に立つ。

 

 まあ、喰霊-零-の時系列じゃ殆ど役に立つ機会はないのだが。

 

「それじゃ紀之。お願い」

 

「ええ?俺かよ」

 

「紀之貴方凛以上に疲れてないでしょ?それに張れるの貴方ぐらいしか今いないじゃない」

 

「ええーお前が張ればいいだろう?」

 

「私はもうヘトヘトなの。霊力も結構使っちゃったし」

 

 軽口を叩いてる黄泉だが、その実かなり疲れていることを俺は知っている。

 

 戦闘の最中何度も法術を使っていたし、乱紅蓮に咆哮波を撃たせるのだって黄泉の霊力を使うのだ。何時間も車に揺られてここまで来て、その上前線で働いたのである。そりゃいくら黄泉でも疲れるだろう。

 

 面倒臭そうにへいへい、と言いながらも何やら唱え始める紀さん。

 

 文句を言うふりをしながらも何だかんだそれを理解しているのだろう。

 

 ……それにしてもこの人、本当に力はあるくせにいつも本気出さないよな。全力でやりあったことは一回もないのだが、軽く手合わせをした時に感じたあの人の槍術は相当なものだった。

 

 正直に言うと手を抜いている状態でも、手合わせをしてみればその人の底というものは測れたりする。正確な「数値」みたいなものを出すことは不可能だが、なんとなく勝てるなーとか、誰よりも弱いなーということは大雑把に測ることができるのだ。

 

 流石に黄泉レベルとは言わないが、それでもそのクラスとも戦えるレベルの腕があることは何となくわかった。管狐だとか、法術を使った戦闘がこの人の持ち味であるため、総合的な実力を考えると黄泉でも相当苦労するレベルではないだろうか。

 

 長ったらしい詠唱を飯綱紀之は躓くこと無くスラスラと述べていく。

 

 前にも述べたことがあるとは思うが、俺は法術を()()使()()()()。喰霊-零-では使っているシーンが見れなかったとは思うが、喰霊では不動明王結界術と言ったような攻撃のための法術が戦闘において使われたりする。

 

 特に上位の怨霊と戦う時は黄泉でさえ活用したりしているし、原作では飯綱紀之も乱紅蓮の咆哮波を水を利用した術で相殺したりもしている。

 

 けど、俺はそれを一切使えない。それはおそらく俺の才能が全て小野寺の霊力に振られているためだ。

 

 何と言えばいいのだろうか。

 

 例えば、車を動かすにはガソリンをエンジンに入れる必要があるわけだが、そのエンジンは重油から生成されている。

 

 皆は自分が持つ重油(霊力)を生成してガソリンを作り、それによってエンジン(法術)を駆動させることが出来るのだが、一方で俺は重油(霊力)を生成して()()()()()()()()()()()

 

 軽油や重油(燃料)を車のエンジンに入れても動かないのと一緒で、俺は霊力(重油)は持っていてもガソリンに出来ないから法術(エンジン)を使うことが出来ないという訳だ。

 

 重油に直接火をつけて使っているのが俺で、ガソリンを作ってエンジンを駆動させているのが一般の方々であるというイメージを抱いていただければ全く問題ない。

 

 神々しい光とともに結界が作動する。

 

 注ぎ込んだ量と詠唱から判断するに中々上位の結界を作動させたようだ。

 

「……よし、と。黄泉、終わったぞ」

 

「ありがと紀之。一先ずはこれで安心かしら?」

 

「多分な。特異点も消えてるみたいだし、よっぽどのことが無い限り大丈夫だろう」

 

 そう言って伸びをする飯綱紀之。

 

 確かにもう安心だろう。ここがこんな異常になったのはあの馬鹿が殺生石なんてものを持ち込んだからだ。この糞石さえなければ全く問題はないのだから。

 

 ……ってそう言えば。

 

「黄泉ちょいこっち来てもらっていい?ついでにノリさんもお願いします。……忘れてたんだけど、はい。一応リーダー黄泉だし渡しておくよ」

 

 ポケットから先程拾ったあの石を取り出す。室長には報告済みなので別に黄泉に渡す必要はないかもしれないが、一応命令権は黄泉にあるのでホウレンソウはしておこうと思ったのである。

 

「?なにこれ?」

 

「殺生石」

 

 いきなり俺の霊力が直方体の形に固められた箱を渡されてキョトンとしていたが、何気なしに放った言葉にぎょっとした顔をする黄泉と紀さん。

 

「殺生石!?」

 

「ちょっと待ちなさい凛。これが殺生石ってどういうこと!?」

 

「俺の霊力で上手くコーティングしてあるから分かりにくいけど、その中にあの赤い石が入ってる。多分怨霊が寄ってこない程度には妖力を抑えてあるから問題はないと思うぞ」

 

「いや、そういうことじゃなくて!」

 

「長くなるから簡単に話すと、三途河って覚えてるか?あのカテゴリーA。あいつが洞窟の中でそれの実験をしてたみたいだったから、それを俺が奪ったって感じ」

 

 これがあいつにとって誤算だったのかそれとも狙い通りだったのかはわからないが、取り敢えず一個奪ってやった。

 

 恐らくではあるが、これはあいつが分裂させたものじゃなくて新規の一品だろう。ハッキリとした根拠はないが、三途河の目に埋まっていた殺生石の大きさが以前と変わっていないような気がしたのだ。

 

 それに殺生石自体の入手難易度はそこまで高くない。埋まっている場所さえわかってしまえば入手は簡単だ。

 

「そんな身構えなくても大丈夫ですよ紀さん。結構厳重にコーティングしてありますし、間違いなく害はないですから」

 

「とはいえ普通身構えるよ……。この件室長には報告してあるのか?」

 

「もちのろんです。取り敢えず持ち帰って来てくれって言われてます」

 

 ついでに言うと対策室以外のメンバーには極力持っていることを知らせるなと言われてたりもする。 

 

「対策室以外には内緒で頼みます。あそこに座ってる百合の花の令嬢はその例外になるんでしょうけど、まだ話してなかったりします」

 

「……わかったわ。取り敢えず今この場で知ってるのは私達だけ?」

 

「そそ。この3人だけ」

 

 多分冥さんはその例外になるとは思う。対策室以外には極力話すなとのことだったので積極的に話すつもりはないが、何かしらの事情があれば一応耳には入れておこうとは思っている。

 

「ならそれは凛が持っておいてくれないか?戦力的にも安心だし、どうやら俺達よりもそれについての知識が深いみたいだしな」

 

「わかりました。俺はいいですけど、黄泉もそれでいい?」

 

「ええ。私としてもそっちの方が安心かも」 

 

「りょーかい。詳細は車の中で話すよ。他のメンバーにもその時に」

 

 ぽいっと手に持っていたコップを放り投げる。

 

 環境破壊がどうのこうのと言われる前に釘を刺しておくが、このコップは俺が霊力で作ったものなので環境破壊には当たらない。なんせ消そうと思えばいつでも消せるのだから。

 

「本当に便利よねその能力。羨ましいわ」

 

「そうか?俺としては黄泉達の方が羨ましいけどな」

 

「隣の芝生は何とやらってやつかしら?でも前も言ってたけど、凛は刃こぼれとか研ぎを意識して戦ったことないんでしょう?」

 

「うん。それはかなりのメリットだな。刃こぼれとか意識するの面倒くさくて退魔刀使ってないっていうのもあるし」

 

 宝刀獅子王や舞蹴などは非常に頑丈で切れ味も通常の日本刀に比べれば落ちにくいが、あくまで比べてである。粗雑に使えばすぐ折れるし、刃こぼれなどしょっちゅう起きることだろう。

 

 俺は全く繊細なタイプの人間ではないので、日本刀のような武器を使用して戦うのは性格に合わないのである。使うとしたらクレイモアとかの方が切れ味を重視しなくていい分好みだ。

 

「他の法術を使えないから一概には言えないけど、凛の能力はアウトドアとかでも凄い役に立ちそうだな」

 

「一般人と行った時は使えないですけど、1人で篭る時とかはかなり使えますよ。テーブルから椅子、食器までなんでもござれって感じです」

 

 応用は効く能力なのである。これで普通の法術も使えてたらなかなかチートだったのに、世界とは残酷である。

 

「……さて、やるべきことも終わったし、そろそろ撤収するか。もう真っ暗になってきた」

 

 まだ17時ではあるのだが、流石は冬といったところだ。ほぼ完全に日が傾いている。

 

 俺達退魔士は夜に活動することが多いため夜目を鍛えてはいるのだが、それでも流石に昼間と夜とでは昼間の方が戦いやすく、夜はなるべく避けたいのが本音だ。

 

「そうね。神楽も疲れちゃったみたいだし時間的にもちょうどいいわね。………それで凛はどっちに乗っていくのかしらん?」

 

「どっちって?2台で来てるのか?」

 

「そうじゃなくて」

 

 そういって南の方角を指差す黄泉。つられて見るとそこにはコップを持って岩に腰掛けて休む諌山冥の姿が。

 

 ……そうだった。俺、行きはあの人達の家の車で来たんだった。

 

「10分後には出発するからそれまでに決めておいてね。私は神楽の面倒見てくるから」

 

 じゃねーと言い残してノリさんと共に船を漕ぎ始めている神楽の元へと歩いて行く黄泉。

 

 そう言えばその問題が残っていたなーと若干憂鬱に思う俺。黄泉からは言外に向こうに乗ってけと言われているような気がするし、向こうに乗って行こうかと思うのだが許してもらってないし、こっちに乗って行ったら乗って行ったで冥さんから更に嫌われそうだし。

 

 なんというジレンマ。殺生石を確保してしかもこの場所の鎮圧に一役以上は買った俺を多少は労ってくれても良いのではないだろうか。

 

「……もっかいアタックしてくるか」

 

 気が重いながら、再度冥さんに許しを請いに行く俺であった。

 




二章の最終話になります。
次話より三章に突入、いよいよ時系列が喰霊-零-に追いつきます。
非常に重要な章になりますのでお楽しみに。
三章完結は年内を予定しております。


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間話1 -黄泉からみた小野寺凛-

 諌山黄泉は神童である。

 

 これは退魔士業界のどの一人を抽出して意見を聞いたとしても恐らくは揺るぐことはないであろう事実であり、誰もが認める真実であろう。

 

 両親が殺されているという悲劇的な状況にも負けずに必死に己を磨き続けてその実力で諌山の名を勝ち取った少女であり、普通の人間ならば心を閉ざし他人を拒絶してもおかしくないような境遇でも他人に思いやりを持つことの出来る精神的にも優れた少女だ。

 

 仮にこれを認める者がいないとすれば、自分の実力を過信した愚か者か、彼我の差を弁えることの出来ない阿呆に違いない。

 

 どのみち愚か者であることには変わりがなく、まともな思考を持った人間であるならばその事実を否定することなどできやしない程に諌山黄泉とは優れた存在であった。

 

 同年代で黄泉に敵う人物など存在せず、各支部の室長候補ですら黄泉に比べれば数段劣る。

 

 将来の最高戦力とまで言われている、室長候補に選ばれるような名の知れた家系の人間であっても諌山黄泉には及ばないのだ。一般の退魔士など話にならない。

 

 断っておくと、諌山黄泉には「各支部の室長クラスですら自分の相手にならない」といった高慢ちきな考えは存在しない。各支部の室長となど会ったことが無い訳だし、そもそもそんな己惚れた考えを抱くような少女でもない。

 

 ただ、冷静に戦績などを比較すると同年代で自分に並ぶような存在が居ないということを理性的に理解していただけである。実力としてもその通りである、という諌山黄泉では感知出来ない事実も存在するが。

 

 だが、そんな諌山黄泉にも気になるような戦力が一般の退魔士の家系から現れた。

 

 その気になる戦力の名は小野寺凜。若干13歳にしてカテゴリーB2体と大立ち回りを演じたという、常識的に考えれば相当にふざけた少年だ。

 

 小野寺とはそこまで有名な一家ではない。

 

 表の世界との繋がりが強いという話は聞いたことがある。地主としての活動や様々な事業を通して資金を稼いでおり、金銭面での退魔士業界への援助が強いことが一部で知られているが、土宮のように武で名前を馳せているわけでも帝家のように退魔士の代表の家系として知られているわけではない。

 

 霊力が特殊であり、通常の退魔士が使えるような霊術は殆ど使えないといったようなマイナスの面を聞くことが相対的に多いだけであって、特段目立った一家では無かった。

 

 しかし、小野寺凜が出て来てからはその評価と知名度が一変したと言っても過言ではない。

 

 今や霊術を使えない落ちこぼれの家系といったマイナスの評価はほとんど聞かない。退魔士の間でも諌山黄泉の次くらいには上がってくる好意的な話題であり、今ではもはや小野寺を知らない者のほうが珍しい程である。

 

 数年前から噂には聞こえていた。小野寺の息子が優秀らしいという話は諫山黄泉の話題の1/10くらいの頻度で上がっていたから自然と耳に入っていたのだ。

 

 しかしながらその程度の情報なら他支部の室長候補でも同じ、いや、東京に居ながら他支部の室長候補と同じ程度の情報量ということはハッキリ言って劣っているということ。

 

 なので正直あまり気にしていなかったのだが、ここ最近の噂の爆発をきっかけとして多少興味を持ち始めたのだ。

 

 けれど小野寺凛はあまり表舞台に出て来ず、またフリーで活動していた為に対策室のエージェントである黄泉とは殆ど絡む機会が無かった。

 

 初めて2人が接点を持ったのは先日の大規模招集の時。今現在、お互いに知らぬものはいない「時の人」でありながらも接触はそれが初めてのことであった。

 

 初めて小野寺凜と接触したとき、小野寺凜はボロボロの状態であった。

 

 黄泉が後から経緯を聞いてみると土宮舞、雅楽を追い詰めたカテゴリーA相当の怨霊に一人で大立ち回りを演じ、尚且つ相当なダメージまで与えたということだ。確かに小野寺凜もボロボロであったが、カテゴリーAの服装もボロボロであったことを黄泉は覚えている。

 

 黄泉に並ぶ神童と言われているだけはあるのだろう。あのカテゴリーAを相手にダメージを通したというのだから大したものだ。称賛に値する評価であろうと黄泉は思う。少なくとも、あの得体のしれない相手に自分は攻めきれなかった。

 

 戦ってみたら負けるかもしれない。負けるつもりはさらさら無いが、先日初対面を果たした際、それが可能性として考えられるくらいの実力があることに諌山黄泉は気が付いていた。

 

 

 そんな神童と呼ばれる背の小さな少年であるが、話してみるとその見た目の幼さとは裏腹に大人びていてしっかりとした印象を受けた。

 

 中学生男子とは思えない程に理性的な受け答えをするし、中学生特有の大人に目覚めてきて調子に乗り始めた感じが全くない。所謂「粋がった小僧」という印象が殆どしないのである。まるで、大人の男性と話をしているかのような錯覚に陥ることさえある。

 

 不思議な少年だった。強くて、大人びてはいるが、時折年相応の反応を見せる。年相応の反応をからかうと本気で落ち込むのが面白い。

 

 諌山黄泉にとって、小野寺凜は突如出てきたライバルというよりも「出来た弟」のような感覚の存在であった。

 

「―――あ、もしもし凜?今時間いい?」

 

 スリーコールで相手は電話に出る。

 

 その相手は小野寺凜。対策室には「この期間は俺が居ない方がいいんだよね」という謎の発言を残してまだ正式参入をしていないため、公には絡んでいないが、時折個人的に連絡を取っているのである。

 

「今この前一緒にご飯食べた子とまた一緒にいるんだけどさ、近くに居るなら凜もどう?……そうそう。凜も呼ぼうって言われちゃって」

 

 小野寺凜は異性になかなか人気がある。諌山黄泉としては弟みたいな存在といった評価から上がることはまず無いのだが、顔だちは悪くないし、運動神経もよく尚且つ紳士的な対応をするため女子受けが意外と悪くないのだ。

 

 とは言え実はそのモテるというのもマスコット的な人気であって、男性としての人気では無かったりする。「顔だちの整った可愛らしい男の子」であり、「恋愛対象」として人気がある訳では無い。凜本人もそれを自覚しており、黄泉が相談を受けたこともある。

 

 今回は以前に街で黄泉が凜を食事に誘った時に偶然一緒になった友達が、凜を誘えと言ってきたために電話を掛けたといった次第である。

 

「……土宮殿と稽古中?ああ、この前そう言えば言ってたわね。りょーかい、また今度誘うわ」

 

 残念なことに丁度土宮雅楽と稽古をしている最中であったらしい。普段なら無理をしてでも来いと言う黄泉であったが、流石に今回ばかりは無理難題を押し付けることはできなかった。

 

 来れないことを伝えると、一緒に居る友達からブーイングが上がる。

 

 恋愛にませてきてそちらの方面に興味津々なお年頃の少女だ。貴重なイケメン枠が埋まらなかったことがそこそこ本気で不満なのであろう。

 

 諌山黄泉は私のせいじゃないわよーなどと茶化しながらそれを巧みに躱す。 

 

 

 

 あの事件から6か月近くが経過した。

 

 その間に土宮舞の目は覚めることがなく、正式に植物状態であるとの結果が下されたが、あの戦いにおいて味方に死者は一人も出なかった。

 

 カテゴリーAに敗北を喫した退魔士業界の唯一の勝利点。

 

 それに甚だしく貢献した少年が、もうじき環境省に正式配置される。

 

 謎の空白期間や両親の抵抗などの紆余曲折はあったものの、正式に小野寺凜が対策室のメンバー入りをするのである。

 

 

 最近諌山黄泉には可愛い義妹(神楽)が出来た。

 

 最初は心を開いてくれなかったが、今やもう一緒に寝たりご飯を作ったりなど本当の姉妹のように仲良しだ。

 

 それに、今度はからかいがいのある弟みたいな存在が加わる。

 

 

 

―――ちょっと楽しみかも。

 

 3人で仲良く遊ぶ姿などを想像して、諌山黄泉は静かに微笑むのであった。

 

 

 

 

 

 




過去に要望があったので書いてみました。
ちなみにこれはアンケートした奴とは別物です。ご安心ください。あれはあれでまた書きます(2章終了後)
大人状態の冥姉さんとの絡みは諸事情により3章途中か終わった後ですね。


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間話2 -そのプレゼントは誰のもの?-

更新できない分のお茶を濁していくスタイル。
間章でございます。
喰霊-零-時点のお話です。黄泉は高2で、凜が高校1年生になっております。
いつかやると言っていた黄泉と凜のssでございます。


Time: at GA-REI-ZERO(Three years have passed since GA-REI-MEGURI 2nd chapter)

 

 

 

「凛、ちょっと買い物付き合ってよ」

 

「ん?俺?」

 

 穏やかな昼下がり。猫なんかは喜んで軒先で眠りこける以外に何をするのだろうかと思うほどには気持ちいいそんな昼のひと時。対策室に顔を出したはいいものの今日の都内はいたって平和そのものであり、やることが何もないため神楽に勉強を教えていたりしたのだが、唐突に黄泉からそう持ち掛けられた。

 

「そう、俺。ちょっと一緒に来てもらいたい所があるのよねん」

 

「俺なのね。いーよ、どうせ暇だし喜んで付き合おうじゃないか。でも今日紀さんも暇だって言ってたけど俺でいいのか?」

 

「まーまー。ズべコベ言わずについてきなさいよ。アイスクリームくらいなら奢ったげるから」

 

「なら私も行くー!」

 

 現代文を黙々と解いていた神楽が私もと手を挙げる。今手掛けている問題が終わるまではおしゃべり禁止と言い含めてあったのだが、アイスクリームの誘惑には勝てなかったらしい。

 

「こら神楽。終わるまではしゃべるなっていっただろ?」

 

「現代文よりアイスクリームのほうが大事だよ凜ちゃん!現代文はなくても生きていけるけど、アイスクリームがなければ人は生きていけないのです!」

 

 それを言うなら逆だ、逆。などと突っ込みながら俺は立ち上がる。生きる上で中学レベルの現代文読解能力は必須だぞ、神楽。

 

 買い物というとどこら辺に行くのだろうか。俺はほとんど行かないけど、ここら辺からだと銀座が近い。とはいえ銀座なんてなかなか女子高生がいけるような雰囲気の町ではないだろう。となると虎ノ門まで歩いて銀座線に乗って渋谷あたりだろうか。渋谷も俺はあまり行かないのだけれども

 

 俺に続いて神楽も立ち上がる。もはや現代文のことなど忘却の彼方のようだ。俺の言いつけを境界の彼方へやってしまうような悪い子には、土宮殿に告げ口するというプレゼントをくれてやろうじゃないか。そんなことを考えながら環境省を出る準備をしていると、黄泉から意外な言葉がかけられた。

 

「ちょっと待って。神楽は今日はお留守番してて。凜だけ着いて来て貰えるかしら?」

 

「「え?」」

 

 俺と神楽の声がハモる。

 

「何、本当に俺だけに用事なの?」

 

「そー。だから悪いけど今回は神楽はお留守番」

 

「えー私も行きたーい!」

 

 ぶーぶーむすくれる神楽。現代文をやらない悪い子だが、その気持ちは理解できる。

 

「神楽はまだ宿題残ってるでしょ?ちゃんと今のうちにやっておかないと後々後悔するわよー」

 

「そんなぁー」

 

 ちょっと本気でむすくれる神楽。非常にかわいらしく、俺ならば一瞬で意思を変えてしまいそうではあるが、目の前のお姉さまはその程度で決定を覆す気はないらしい。

 

 なんだろ、俺だけに用事って。二人でご飯を食べたりすることは別に少なくはないが、こうやって二人で買い物に誘われるのは殆ど無い。昔多少あったかな?という程度である。

 

「とにかく神楽はお留守番ー。凛、行くわよ」

 

「ぶー」

 

 今だに文句たらたらな神楽を尻目に颯爽と対策室を出ていく黄泉。黄泉が神楽を放置していくなど非常に珍しい。後ろで俺にも恨み言を言っている神楽には悪いが、目的が気になるのでぜひともついていかせてもらおうじゃないか。

 

 

 

 

 

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「んで?何さ俺を誘った理由」

 

「んーちょっとねー」

 

 地下鉄銀座線。新橋、銀座、渋谷などの主要部を繋ぐ地下鉄であり、俺も前世では非常にお世話になった線である。夜や通勤の時間帯には非常に混むが、この昼下がりには利用客がそこまで多くないために閑散としている。

 

 そんな電車を利用して渋谷にでも行くのかと思いきや俺と黄泉は銀座を目指して東京の街を二人で歩いていた。

 

 霞が関にある環境省はアクセスが中々悪くなく、電車を使わずとも銀座や日比谷、新橋などリッチな層が行くゾーンに歩いていくことが出来るため、歩いて向かうことにしたのである。

 

「言いにくいんだけどさ、また女の子紹介とかじゃないだろうな?それなら俺帰りたいんだけども。……あれ嬉しいか嬉しくないかで問われれば嬉しいんだけどさ、ぶっちゃけ君が連れてくる子ってオラオラ系と言いますか、俺あまり好みじゃないんですよ」

 

「凜を紹介してくれって子多いんだから仕方ないじゃない。それに紹介してくれっていう女の子ってそういう子が必然的に多いし、私の友好関係を保つためにも犠牲になってちょうだいな」

 

 ケラケラ笑いながらそう言う黄泉。……美人の周りには美人が集まりやすい傾向にあるのは誰もが経験して理解していることだろう。黄泉もその例に漏れず、紹介してくる子は中々お顔立ちの整った子が多いのだが、これまた経験上理解していることだとは思うが、そういう子って結構我が強いのだ。

 

 女子のコミュニティというのは男子のコミュニティなんて比べ物にならないほどに複雑で残酷であると聞く。俺が誘いを断ってばかりだと黄泉に響くかなーと思って極力断らないようにしているのだが、正直面倒なのである。

 

「今回は違うわよ。本当に買い物に付き合ってもらうだけ」

 

「それなら別にいいんだけどさ」

 

 なんとなく理由の部分をはぐらかされたような気がしないでもないが、はぐらかせる話題を提供してしまったのはこちらなので何とも言えない。

 

「凛はお淑やかな女性が好きだものねー。大和撫子的というよりかは理知的というか」

 

「自信持ちすぎ系美人があまり好きではないというだけなんだけど……まぁそれは否定しない。どちらかというとクールな人が好みかな、多分」

 

「冥姉さんみたいな?」

 

 ドキリとする。

 

「……なんでその名前出てくるんだよ。安達といいお前といい、なんで俺があの人に惚れてる設定なわけ?」

 

「あら、違うの?」

 

 明らかに確証を持って話しているとわかる顔色の黄泉。この状態の彼女に何を言っても無駄だと経験上わかってはいるが、それでも一応否定はしておこう。

 

「違います」

 

「ふーん。なかなか満更でもなさ気な反応だったのは突っ込まないほうがいいのかしら?」

 

 悪戯小僧のような、そんな笑みを浮かべる黄泉。俺をからかう時の安達と同じ表情で、確かにかわいらしい表情なのだがアイアンクローを決めてしまいたくなった。殺されかねないからやらないけれども。

 

「よく一緒に出掛けてるって話も安達君から聞いてるわよん。怪しいなあ」

 

「安達……。てかそれよりもお前と神楽は安達と連絡とるのまじやめてくれよ」

 

 安達と神楽、黄泉はまさかのメル友だ。少し前に冥さんと夏祭りに参加したのだが、その際にメル友である事実が発覚した。

 

 ガラの悪い輩に絡まれたと思ったらそれは悪ふざけした安達率いる不良集団であり、少し教育をしてあげた後に何故俺たちがここにいることを知っているのかを問い詰めた所、神楽から聞いたと安達はポロリ。

 

 更に問い詰めた所、偶然街で美少女二人組に話しかけられたと思ったらそれが黄泉と神楽であり、何やらわけのわからないことを言っていたがせっかくだからとそこでアドレスを聞いたのだという。

 

 後日二人に確認したところ「悪霊を肩に乗せたまま漫画を読んで笑い転げている少年がいたから心配になって声をかけた」との事だった。安達には神楽と黄泉の写真を見せたことがあるし、俺も安達の話はよくしていたのでそれを足掛かりに仲良くなったのであろう。

 

「えー安達君いい子だし、紀之も気に入ってるみたいだから別にいいじゃない。凜の面白い情報もいっぱいくれるし」

 

「げ、あいつ紀さんとも仲良くしてんの?本当にコネづくりに余念のない奴だな」

 

 流石は外交官志望。省庁間でも横のつながりを持っておこうという腹積もりか。

 

「ってそうだ。結局なんで銀座行くわけ?」

 

「ちょっとね。選ぶの手伝ってほしいのよ」

 

 ふいっと俺とは逆の方向を向いてそっけなくそう答える黄泉。

 

「選ぶ?何、お前の服か何か?俺にファッションのセンス無いのは黄泉のよく知るところだと思うんだけど」

 

「半分正解。服を選ぶっていうのは間違ってないわ。私のじゃないけどね」

 

「あー神楽にプレゼントか何かか。だから神楽を置いてきたのか」

 

 納得する。それなら神楽を置いてきたのは納得だ。本人の前でプレゼントを選ぶのも案外楽しかったりするが、やっぱりプレゼントは本人にはサプライズで選んでそして送るのが一番楽しい。

 

 神楽にプレゼントなら俺も張り切って……って、ん?今半分って言ったよな?

 

「……違うわよ」

 

 再度ふいっとそっぽを向く黄泉。先ほどとは違って今度は頬に朱がさしており、照れていますよと表情が雄弁に語っている。

 

 神楽を置いていく。服を選ぶ。紀さんには声をかけない。

 

 ……ははぁ。成程成程。

 

「紀さんにプレゼントか」

 

 ぼそっと呟くと更に頬の朱色が増す黄泉。

 

「あらあら?頬が赤いですよ黄泉さん。もしかして照れてます?」

 

「うるさいわね。あいつにプレゼントとか贈るの初めてなのよ!」

 

 夜にわざわざ着物に着替えて男の前に現れたり、公園で堂々とキスをしたりするほうが俺的にはハードルが高い気がするんだが、随分とまあ初心な反応である。

 

「確かに黄泉が紀さんにプレゼント渡していた記憶ってないな。今回はなんで?」

 

「ほら、アイツ誕生日近いじゃない?だからせっかくだからと思って」

 

 誕生日、そういえばそうだった。去年のこの時期に神楽が対策室を飾り付けてお祝いしてた記憶がふと浮かんでくる。後始末をしたのがほとんど俺だったのでよく覚えている。

 

 神楽の奴が張り切りすぎたせいで片づけは中々に大変だった。これを本当に一人でやったのか?ってくらいには力の入った飾り付けだったし、おまけに両面テープで壁に色んなものを固定してくれたため壁紙を傷つけないように剥がすのがとてつもなく大変だったのだ。それを一人でやってあげてしまう俺は本当に愚かというかなんというか。

 

「そういえば紀さんそろそろだっけか。でも今まで上げてなかったのになんで今更?」

 

 ふと疑問に思ったので正直にぶつけてみる。諌山黄泉から飯綱紀之へのプレゼント選びに手伝えるなんて原作ファンの俺からしてみれば感無量だし、その行為自体素晴らしいものだとは思うが、今まであげてなかったというのに突如プレゼントするというのには少々違和感がある。

 

 確かに18歳の誕生日ではあるけど、そこまで記念すべき歳でもないだろう。

 

 というよりも今までプレゼントとかをしてなかったことのほうが俺的には驚きではあるが。

 

「……凜も知ってると思うけど、婚約が正式に決まったのって今年じゃない?」

 

 その俺の言葉に頬は少々赤いままながらも多少真面目な顔になって言葉を紡ぎ始める。

 

「私と紀之は結構喧嘩もするしそりが合わない部分もあるんだけど、それでもやっぱり婚約って形で正式にアイツと将来を共にすることになったのは事実だし、やっぱり正直嬉しいことだから」

 

 だから、その記念にね。と微笑みながらそう述べる。

 

 その時黄泉が浮かべていた表情は完全に恋する少女のそれで。ああ、この笑顔を向けられる男はなんて幸せなのだろうと本気で嫉妬をしてしまいそうになるくらいには可憐で、思わず見とれてしまう程に綺麗だった。

 

―――これは、妬ましいね。

 

 その幸せ者(飯綱紀之)の顔を思い浮かべて苦笑する。綺麗な女性というのはげに恐ろしきものだ。あんな笑顔見せられたら人の(もの)だとわかってても魅せられてしまうじゃないか。

 

「……もしこのプレゼントを茶化して受けとったら紀さんぶっ飛ばす」

 

「え?」

 

「なんでもないよ。それじゃあどこで買い物するのかわからないけど、お望み通り着せ替え人形になってやろうじゃないですか」

 

 俺と紀さんの体格はよく似ているから、多分俺はそのために連れてこられたのだろう。スーツを着用させられたことから、もしかしたらネクタイとかも買ってあげるのかもしれない。

 

―――ほんと、羨ましいね。

 

 そんなことを思いながら黄泉と俺は目的の店まで歩いていくのだった。




ちなみに続編というか買い物シーンも需要があればやりますので、報告くださいませ。


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間話3 -オペレーションPFN-

本編じゃなくて申し訳ない。まだ就活が終わらず、書き溜めを投稿。
以前の黄泉凜の続きです。
面白い意見を言ってくださった方が居たので投稿しました。

※作中に出てくるやつをこんな使い方しちゃダメですからね。彼らは特殊な訓練を受けていますから。


「こちらデルタワン。配置についた。送れ」

 

『こちらデルタツー、配置完了だよ凜ちゃん』

 

『同じくこちらデルタスリー、配置オッケーだぜ』

 

『デルタフォー配置についた』

 

『デルタファイブも配置についたにょんにょん』

 

『……デルタシックスも準備完了っす。……やっぱ凜さん、これまずいんじ―――』

 

「了解。各員そのまま待機。フォックスとヘルの動向に気を配れ。オーバー」

 

 そう言って無線を切る。

 

 よし。流石は裏の人間だ。こういった些事でもしっかりと指示通りに動いてくれる。

 

 俺たちが居るのは日比谷公園。喰霊-零-を見ていた人ならば5話の黄泉と紀之のシーンを、東京住みで行ったことがある人ならばまさにそこを思い浮かべていただければ問題ない。

 

 麗らかな日の光が差す日比谷公園で、俺達環境省のメンバーはまさしく喰霊-零-の5話とほぼ同じこと(のぞき)をしていた。

 

『こちらアルファワンよ。みんな、配置についたみたいね。いい?絶対にフォックスとヘルに同時に気付かれちゃだめよ。あくまでも私達の目的は二人を別々にサポートすること。そこをしっかり忘れないで』

 

『……室長。これ本当にやるんですか?流石に無粋すぎるかと思うのですが……』

 

『桐ちゃん、これは対策室のチームワークがより一層強固になるための一つの試練なの。それを私達一同で見守っているのよ。決して無粋じゃないわ』

 

『……』

 

 無線越しに聞こえてくる室長と二階堂桐の会話。

 

 桐さんは作戦の説明時から乗り気ではなかったが、やはりと言うべきか室長は相も変わらずノリノリである。

 

 皆様もうお分かりだとは思うが、アルファワンが室長で、デルタの番号が若い順に俺、神楽、桜庭一樹、ナブー兄弟、剣輔だ。

 

 岩端さんは「男女の仲に俺らが介入すべきじゃない」といって参加してくれなかった。

 

 ちなみに剣輔は無理やり参加させた。神楽が。

 

 そしてフォックスが飯綱紀之、ヘルが諌山黄泉である。ちなみに全て命名は神楽である。

 

「……てか神楽。俺の名前無線で言ったら何の意味もないだろうに。なんのためのコードネームだよ」

 

「ごめんごめん。つい」

 

「ったく。お前が考えたコードネームなのにお前が無視するなよ」

 

 全く、などと悪態をつきながら双眼鏡をのぞき込む俺。そこに映るは黒髪の乙女。

 

 諌山黄泉。神童と呼ばれ退魔師界の期待をほぼその一身に背負う少女。

 

 大の大人でも敵わないその剣技に、卓越した法術。どんな怨霊にも一歩も引くことなく真正面から向き合って戦うその姿は正に退魔師の鏡であり、敵対させたものを恐怖させる雄々しき存在だ。

 

 この業界で彼女の横に並ぶことが出来るのは五人といないと言われる、化け物少女。

 

 しかし、俺の双眼鏡にはそんな神童の姿は映し出されてなどいなかった。

 

 綺麗にラッピングされた小包を傍らに置き、なにやらそわそわしながら、包装されたものに目をやったり座り方を細めに変えたりしている一人の少女。頬を朱に染めながら手鏡を取り出して髪を手串で梳いてみたり、最近練習中のメイクを確かめたりしている、可愛らしい女の子が俺の双眼鏡には映し出されていた。

 

―――誰だお前。

 

 大人が手を焼く怨霊を一刀両断にする雄々しき少女の姿も、俺や神楽を揶揄う悪戯っ子としての黄泉もそこには存在していなかった。

 

 そこにいるのは一人の恋する乙女。一人の男に自分のプレゼントを渡すためにベンチに座る、緊張に身体をこわばらせているただの乙女だった。

 

「凜ちゃん凜ちゃん。黄泉すごい緊張してるね」

 

「ああ。あんな黄泉俺は少なくとも見たことがないぞ。剣輔が思い止まるのも無理はないレベルだな」

 

「私も見たことないかも。……これは決戦だね、凜ちゃん」

 

「だな、神楽。……ってかアイツってこんなに初心だったっけ?」

 

 喰霊-零-とかだと夜中に和服を着て抜け出して普通にキスとかしてた気がしたんだけど。若干喰霊-零-の記憶が欠落してきてるとはいえそこははっきり覚えてるんだが……。

 

 とても公園で夕方に彼氏とキスしてたような少女には見えない。

 

 これも俺が介入した影響とかだったり?精神年齢が高めの男子が近くにいるから少々原作(喰霊-零-)黄泉よりも少女らしく育ってるとか。

 

 ……もしそうなら、少し嬉しいかもしれない。

 

『こちらデルタスリー(桜庭一樹)。フォックスのお出ましだ。デルタワン()、ヘルの様子はどうだ?オーバー』

 

「……おでましか。ヘルの様子に異常なし。そのまま気づかれずに誘導されたし。デルタシックス(弐村剣輔)。さっき渡したやつ、ちゃんと譲渡できたか?オーバー」

 

『……言われた通りやりましたけど、あれあの子には危ないんじゃ……?』

 

「大丈夫。言ってなかったけど、あの子もサクラだから。ちゃんと躾けてある」

 

 ……よし、なかなかいい調子だ。

 

 俺たちは現在、日比谷公園にてそれぞれ待機している。

 

 黄泉の正面には俺と神楽。その付近に弐村剣輔。

 

 そして外の俺の家の車にナブーさん2人。そしてちょっとした高台に桜庭一樹だ。

 

 俺と神楽は、喰霊-零-5話時点で神楽と桜庭一樹が居るところに居る。

 

『こちらアルファワン(室長)よ。……みんな、準備はいいわね?―――それじゃあオペレーションPFN(Present for Noriyuki)開始よ』

 

 その掛け声で俺たちの作戦が開始した。

 

 それにしてももっといい作戦名はなかったのだろうか。

 

------------------------------------------------------------

 

「よ。お前から呼び出しがかかるなんて珍しいな」

 

「の、紀之」

 

 自然な動作で、飯綱紀之は諌山黄泉の横に腰掛ける。

 

 プレゼントに気が付いた様子もなく、ただただ黄泉の呼び出しに対して珍しいと思っているだけな様子である。

 

「今日は天気がいいな。こんな天気だとついつい仕事中に寝たくなる」

 

「そう、ね」

 

 ファーなんて言いながら欠伸をする紀さんに対して、黄泉は非常に硬い。本当に俺の椅子にいがぐりを仕込んでくれたりするいつものアイツは何処に行ったのだと小一時間くらい問い詰めたいものだ。

 

『こちらデルタスリー(桜庭)。一般人の誘導に成功。エリアにはあの二人と彼らだけだ、安心してやれるぜデルタワン』

 

「デルタワン了解!ナイスです!」 

 

 流石桜庭さん!仕事が出来すぎる。

 

 喰霊-零-だとさっくり死んだし、中の人のせいかあまり優秀には見えなかった桜庭さんだが、その実多方面に優秀である。戦闘に関してはあまり目立たないが、指示を出したりなどの能力は光るものがある。

 

 スコープ越しに二人を見ながら、ベンチにつけてある盗聴器から会話を盗聴する。

 

 ちなみに、あのベンチは室長に掛け合って日比谷公園の管理団体に許可を取ってもらい、俺が一晩で取り付けた。なので二人が座っているベンチは昨日まであそこになかったりする。

 

 ちなみに日比谷公園にはとある存在が眠っているため環境省が裏の権限を持っており、意見を通すことはたやすかった。詳しくは原作(喰霊)の二巻を参照するといいだろう。

 

 その後二分ほど黄泉がぎこちなく返し、紀さんが困惑するという代り映えの無い会話が続いていたのだが、突如として黄泉が動いた。

 

「なぁ黄泉。お前どうしたんだ?調子悪いなら今日はもう―――」

 

「の、紀之!」

 

 ズバッという効果音が適切なのではないかと思うほどの勢いで立ち上がる黄泉。

 

 スコープ越しに除いている俺が驚く程の勢いだったため、隣に座っていた紀さんはそれ以上だったらしく、若干のけぞっている。

 

 顔を赤くして、若干下を向きながら、ツンデレ特有のあの「正直になりたいけどなれなくて言葉が出てこない状態の、何処か何故か悔しそうに見える表情」をする黄泉。

 

 そこまで来て初めて紀さんも黄泉がなにやら包装しているものを持っていることに気が付いたらしい。

 

「……はい、これ、プレゼント。その、誕生日、おめでとう」

 

 そう言って黄泉は綺麗に、しかし不器用に包装されたプレゼントを差し出す。

 

 本当に真っ赤な顔で、少しプルプル震えながら、包装紙をわざわざ買って自分でラッピングまでしているそれを飯綱紀之へとプレゼントする。

 

 誰が見ても一瞬で本気のプレゼントだと理解できる光景。これを義理だと思えるのならば、そいつは俺直々にサイコパス認定してやろうと思える程にはマジな雰囲気だった。

 

 いやプレゼント一つでそんな必死になるなよと言いたくなるが、それは飲み込んでおこう。

 

 それはさておき、あんなものを渡されては男冥利に尽きるというものだが、―――さあ、どう出る飯綱紀之。

 

『デルタスリーよりデルタワンへ。トリガーをアンロックしろ。これは親友としての勘だが、あいつ、お前が想定している行動起こすぞ』

 

「了解。トリガーをアンロックする」

 

 ついていた安全装置を外す。

 

それに伴って俺もスコープをのぞき込む。 

 

 そこにはどう返せばいいか分からなくなって困惑している飯綱紀之が映っている。

 

 現在の俺と同様にあまりにも殊勝な黄泉に対する対応をしかねているのだろう。

 

 だが、その困惑も長くは続かない。

 

「凜ちゃん。紀ちゃん確実に照れてるねあれ」

 

「ああ。確実に照れて、あ、顔紅くなった」

 

「……二人とも初心だねえ。あ!」

 

 双眼鏡を覗いた神楽が声を上げる。

 

 そして困ったあの男が次にすることは何かというと、経験上それは茶化すことだ。

 

 案の定その表情は照れの表情から悪だくみをするガキのような表情へと変化する。

 

 ……さればよ。

 

 あの男はこういったことに慣れているかと思いきや、以外にも本気で来られた時にどうしていいかわからなくなるタイプの人間なのだ。

 

 だからこういった人目を気にしてしまいそうな場所でプレゼントを渡すのはやめておけと黄泉に行ったのだが、見守ってて欲しいと言われたために仕方なく俺たちはこうしているという訳なのだが……。

 

『デルタワン、やれ』

 

『了解』

 

 飯綱紀之が口を開こうとする。たぶんその口から出てくるのは茶化しの一言だ。

 

 だから俺はそれを阻止する。

 

 スコープの中心に飯綱紀之を捉える。風は問題ない。誤射の心配もない。よし、行ける。

 

発射(ファイア)

 

「いだぁ!!」

 

 飯綱紀之のこめかみに俺がスナイパーライフルのモデルガンから放ったBB弾が炸裂する。

 

 こいつは最近買った、お気に入りの一品だ。精神年齢で言えば30なんぞ優に超えているはずなのだが、やはりこういったものに対する憧れだとか、そういった感情は男である以上拭うことはできないらしい。

 

 そしてこの相棒で狙撃した後は直ぐに後退し、二人の視界から入らない位置へと移動する。

 

「おい誰だ今の!」

 

 飯綱紀之が大声を出しながらあたりを見回す。その反応速度は流石というべきだが、残念ながら遅い。俺と神楽は既に死角に入っている。

 

 そしてその代わりに彼の視界に入るのは―――

 

「逃げろー!」

 

「逃げろぉー!」

 

「このガキども!待ちやがれ!」

 

 エアガンを持っている小学校三年生のお子様二人だ。先程剣輔に渡させた物がこれ(エアガン)である。この子たちも先ほど言った通りサクラである。

 

 俺と神楽に速攻で目がいかないようにそれっぽいデコイを配置したという訳だ。この子たちには目の前のお兄さんが怒り始めたら本気で外に止めてある車にダッシュするように言いつけてある。

 

 もともと仲がいい子たちだし、頭も悪くないのでしっかりやってくれるだろう。成功報酬としてエアガンとチョコレートを約束してるし。

 

 相当に痛かったのか走って追いかけようとする紀さんではあるが、お互いの距離は50メートル以上空いている。

 

 それに彼らは昔俺が直々に短距離走を教えてあげていた短距離で学年上位の子達だし、人の目を撒くための逃走ルートは作って(・・・)おいた。そう簡単には距離は詰められない。

 

「こちらデルタワン。チルドレンが手筈通りに退避した。回収を頼む」

 

デルタフォー(ナブー)了解』

 

『了解なのんのん』

 

 相変わらず訳の分からない男なナブーさんであるが、回収はこれで問題ないだろう。

 

 あとはこの子たちを金輪際紀さんに会わせなければ問題ない。

 

「くそ!足の速いガキ共だ!」

 

「紀之!大丈夫?」

 

「あぁ。問題ないよ。人に向けて銃を撃つなんてどんな教育をされてるんだあいつらは!」

 

 さーせん、と心の中で謝罪をしながらも、ライフルを所定の位置へと戻して二人を観察しなおす。

 

 冤罪を被ったあの二人にも心の中で謝罪しておく。まあそれ以上のリターンは与えているので問題はないでしょう。

 

「あー赤くなってるじゃない。今度会ったらちゃんとお説教しないと」

 

「親も呼び出して説教してやりたいくらいだ」

 

「そうね。しっかり怒ってあげないと。……ハンカチ濡らしてくる。ちょっと待ってて」

 

 そう言って立ち上がる黄泉。流石の女子力である。現代の女性に見習わせた……いや、なんでもない。現代は直ぐに炎上する世知辛い時代だ。あまり迂闊なことは言うまい。

 

「いや、いいよ黄泉。大したことないから」

 

 それを手で制する紀さん。もっと激高しているかと思いきや意外と冷静だ。

 

 ……これは、ちょっとプランから外れてきてるな。

 

「こちらデルタワンより本部へ。対象に想定通りの反応なし。しかしプランはこのまま続行する。送れ」

 

『本部アルファワン了解よ。気を付けて』

 

 ……なんとまあ。プランから若干外れてきた。

 

 

 

 実は今回の一件、黄泉に「ちょっと、協力してほしいかも」と言われたために俺は手を貸していたりする。

 

 そう、元々は黄泉の依頼なのである。どこまで初心なのやらこの少女は。二人でデートとか今でもしてるくせに何が恥ずかしいんだとかいう突っ込みは無粋だからやめておこう。

 

 だが、()()()()()()()()。断ったのである。

 

『デルタワン、どうする?お前がヘルにだけ姿を見せるのは難しそうだぞこれ』

 

「……そうですね。剣輔、あの子供たちをこっちに戻してくれるか?ハーゲンダッツが付くとでも言っておいてくれ」

 

『……了解。連れて来ます』

 

 本来の筋書きだとこうだった。

 

 俺が紀さんをショットして、紀さんが本気でガキどもを追いかける。そして紀さんだけ居なくなった所で俺が姿を現し、黄泉を落ち着かせて再度チャレンジさせる、という流れだったのだ。

 

 サプライズでやろうかなーとなんとなく考えていたのと、一旦断っておきながらやっぱり心配で来てしまった、という設定のほうが黄泉の安心度が上がるのではないかと考えたのだ。

 

 そして紀さんが追いかけて走っていった子供の先には素振りをする剣輔が待機。

 

 この公園でこいつ(弐村剣輔)はいつも素振りをしているのでほぼ間違いなく怪しまれないだろうとの算段だ。

 

 ……怪しまれたら剣輔に犠牲になってもらおう。アーメン。

 

 そして剣輔と合流すれば絶対に剣輔と紀さんは間違いなく話すことになる。そこでの会話から黄泉が如何にそのプレゼントに力を入れて選んでいたかを上手い感じで伝える算段であった。

 

 流石にそれが伝われば茶化すことなどないだろうとの室長の言である。

 

 そのために室長にも協力を仰ぎ、無線を通して不自然にならないような会話を剣輔に指示させる予定だったのだが、その予定が崩れてしまった。

 

 元々俺が神楽にエアガンの自慢をしていた時に思いついた糞みたいなアイディアだったので、まさか採用されるとは思ってもいなかったのだが……。まぁそんなおふざけ90%でできた糞みたいな作戦なので破綻は仕方あるまい。

 

「いや、でも赤くなってるし……」

 

「本当にいいよ。それよりも。……黄泉、これ、ありがとな。嬉しいよ」

 

「!?」

 

 ベンチに置かれたプレゼントを手に取り、微笑む紀さん。そしてそれをみてまた顔を赤くする黄泉。

 

 とはいえ、やることになった以上は全力で元の流れに戻して作戦を続行するしかあるまい。

 

 さて、また射撃の体制に……ん?んん!?

 

『おおおおお!作戦は成功!繰り返す、作戦は成功!』

 

「ええ!?ここで成功すんの!?」

 

「凜ちゃん、なんか成功してるけどこの後どうするの!?」

 

『え、成功したんスか?だってまだ―――』

 

 本気で驚いて騒ぎまくる俺達。

 

 今は計画がフェイズスリーまであるとすればフェイズワンの段階。残りのフェイズを経ることなく作戦が終了することになってしまいパニックに陥っているのだ。

 

 なんだよこめかみを撃ち抜かれて解決するって。いや、まじでなんだよ。ここで終わるのかよ。 

 

『こちらアルファツー(二階堂桐)。まずは落ち着いてください。デルタワン、状況の報告を』

 

「こちらデルタワン。その、エアガンでこめかみを正確に撃ち抜いた所、作戦の目的が全て終了いたしました。作戦成功です。オーバー」

 

『……はい?』

 

 流石の二階堂桐も困惑しているようだ。それはそうだろう。今回のこれこそ、現実は小説より奇なりというやつなのだから。

 

 再度スコープを除く。

 

 映るのは恥ずかしさ半分、嬉しさ半分の何とも言えない顔を浮かべた神童と呼ばれているはずの少女。思い人にプレゼントをしっかり渡せて、尚且つありがとうと言ってもらえたのはいいが、どんな表情を浮かべていいのかわからなくなっているのだろう。

 

 うむ。控えめに言って可愛らしい。

 

 控えることなくいうのならばN○Rというジャンルを開拓したくなってしまう程である。……いや、流石に控えなさすぎか。

 

「ああ!凜ちゃん!あれ!」

 

 一瞬彼方に行きそうになってしまった思考を戻す。

 

 何故か知らないが異常な程にキラキラと目を輝かせながら神楽が黄泉たちを指さす。

 

 つられてみるとそこに映っていたのは非常にかわいらしい表情を浮かべる黄泉の頬に触れる男の手。

 

 何を隠そう飯綱紀之の手だ。その無骨ながらも綺麗な手が、黄泉の顔を上へ上へと誘っていく。

 

「あっ」

 

 優しく黄泉の顔が誘われ、自然と黄泉の顔が紀さんの方向を向く。

 

 そして近づいていく黄泉の唇と男の唇の距離。

 

 黄泉も抵抗を見せる気配などなく、むしろその顔は今まで以上に魅力的でそして扇情的で―――

 

「……剣輔」

 

 確かに女の子にはロマンティックな状況なのかもしれない。イケメンな恋人の手に誘われて、身を任せてキスをする。

 

 ……成程。確かに神楽が目を輝かせるのはわかる。

 

『……ガキたちはもう配置につけてます。いつでもどうぞ』

 

「……カズさん」

 

『……やれ。許す』

 

 だが、残念ながら俺達男にとっては全くそんなことはなかった。

 

 むしろ、その逆だ。

 

「ちょっと、凜ちゃん?何を―――」

 

発射(ファイア)

 

 その日、二発目の弾丸が飯綱紀之のこめかみへと見事直撃した。

 

------------------------------------------------------------

 

 

「全く、凜ちゃんには困ったものね。しっかりお灸を据えてあげないと。いいところを邪魔しちゃ駄目じゃない。ねえ桐ちゃん」

 

「……いえ、それを言うならばまずおもちゃのエアガンで狙撃をする作戦を許可すること自体問題だと思うのですが」

 

 それもそうねーと二階堂桐の言葉を受け流す神宮寺菖蒲。

 

あれ(エアガン)が原因でより仲に亀裂が入ったらどうするつもりだったのですか?」

 

「それは無いと思うわよ。桐ちゃんも気付いているでしょう?」

 

「……それは、そうですが」

 

 確かに、その通りではあるかもしれないと二階堂桐は思考する。

 

 事実、あの二人の仲はもう―――

 

「それに、今回のプレゼントもあんなに神経質になる必要なんて無かったのよ。一旦雰囲気が悪くなったように見えても、あの二人は自力ですぐ元に戻るんだから」

 

 そうつぶやく神宮寺菖蒲。何処か憂いを浮かべたその表情は何を思っているのだろうか。

 

「……だからといってエアガンで射撃する理由づけにはならないと思いますが」

 

「相変わらず手厳しいわね桐ちゃんは。そうね、楽しんでたことは否定しないわ」

 

「室長……」

 

 はあ、と溜息をつく二階堂桐。絶対的な指揮能力を発揮する傍らで、こういったおふざけもする。そういう人間なのである、この神宮司菖蒲という人間は。

 

「それじゃあ凜ちゃんにはしっかりとお灸を据えてあげないと。桐ちゃん、ここに凜ちゃんを呼んでもらえるかしら?」

 

「了解しました。無線を聞く限り桜庭一樹と弐村剣輔も賛同していたように見えますが、いかがいたしますか」

 

「そうね。まとめてお説教しちゃいましょうか」

 

 

 その後、その部屋に入っていった男達三人は口々に「反省はしている。後悔はしていない」と述べたとの事である。

 




※プレゼントは革靴とネクタイの設定です。


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第3章 縁歪-ゆかりひずみ-
第1話 -原作開始-


次の話は直ぐに更新します。
喰霊-零-にようやく追いつきました。
今後は喰霊-零-のパロ+アルファ(こっちがメイン)を行っていきます。
※ちなみにこのシーンは原作準拠です。私が考えたシーンじゃないので原作未読の方はご注意を。


第3章 縁歪-ゆかりひずみ-

 

「ねー美紅(みく)。英語の宿題みーせて」

 

「え?宿題でてたの?」

 

「えぁ?」

 

「教えてくれればよかったのに。私風邪で昨日休んでたから」

 

「―――はぁ!!そっか!やっばぁー!どうしよう美紅をあてにしてたのにぃ。……はっ」

 

 意識がまどろみに沈んでいる。

 

 うたたねとは気持ちの良いもので、私は非常にその感覚が好きだ。いつ寝たかも、どんな体勢で寝たかも意識しないうちに意識が消失している。そんな制御できない感覚に今現在私も身を委ねていた。

 

 うとうとして非常に気持ちがよく、周りの言葉など一切耳に入らないそんな状態。

 

 しかしその気持ちの良い状態は一人のクラスメイトによって打ち砕かれる。

 

「ねー土宮!」

 

「……?」

 

 声をかけられるのと同時に、意識が覚醒する。

 

 どうやら自分は頬杖をついて寝ていたらしい。今は休憩時間。みんなが交流を深める時間だ。

 

 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。夜遅くまでのお勤めに朝早い学校のせいで疲労が溜まってしまっていたのだろう。休み時間の僅かな間だというのに船をこいでしまっていた。

 

 その時間は10分程度しかないけれど、中学生にはものすごく大事な時間だ。その10分で教師の悪口やコイバナ、果てには喧嘩まで起きるのだから。

 

 声につられて前を見る。

 

 柳瀬千鶴(やなせちづる)。クラス内でも目立つ活発な少女で、私のクラスメイトである。

 

「英語の宿題、やった?」

 

「えっ?うん、まあ」

 

「ほんとう!?ねぇ、借りて良い?」

 

「うん、いいよ」

 

「やった!サンキュー!」

 

 相変わらず活発な少女だなーと私は思う。

 

 これは決して悪い意味などではなく、本当にいい意味での感想だ。明るくて、もしかすると図々しいととられかねない態度なのに、あまり絡んだことのない私でも全く嫌な感じを覚えない。

 

 そして、その感情は正しかった。

 

 この時の私は知る由もないけど、柳瀬千鶴、将来の私がヤッチと呼ぶようになる目の前の少女は、私のかけがえのない友達となっていくのだから。

 

「土宮さん、私も」

 

「あ、うん」

 

 次いで私に話しかけてきたのは真鍋美紅(まなべみく)。おっとりとした性格の、男子に非常にもてそうな雰囲気を持つ少女で、将来の私にとってかけがえのない友人になる1人だ。

 

 でも、将来かけがえのない友達になると言ってもまだ私達の関係はぎこちない。

 

 正確に言えば私があまりこと2人のことを知らなくて、どう接していいかよく分からないのだ。クラスが一緒と言っても殆ど話したことがなかったのだから。

 

 携帯が、メールの受信を知らせるために振動を始める。

 

 震えたらとりあえず携帯を見るというのは現代人にとって最早条件反射に等しい。何かしらの振動に起こされたのならば十中八九の人間が携帯へと目を向けるだろう。

 

 それは私も例に漏れない。2人と話している最中ではあったが、携帯へと目線を向ける。

 

―――メールだ。

 

「何?メール?」

 

 柳瀬千鶴がそう尋ねてくる。

 

「うん。病院から」

 

「土宮のお母さん、入院してんだっけ?」

 

「ごめんね、お家、色々と大変なのに」

 

「ううん。あ、行かないと。ノートは置いといてくれれば良いから」

 

 柳瀬千鶴の疑問も、真鍋美紅の気遣いの言葉も意識半分に私は立ち上がる。

 

 携帯を手に取る。

 

 送り主が誰だろうかなどと考えるまでもない。この時間帯に連絡を送ってくる存在など対策室以外にありはしないのだから。

 

「じゃあ」

 

 身から離さずに持ち歩いている舞蹴十二号を手にとって教室を出て行く。

 

 お勤めの招集だ。私が生徒だと言えどこの招集は何よりも優先される。

 

 急いで私は教室を出て行く。だから、

 

「慌ただしいなぁ」

 

「大変だねえ」

 

そんな会話がされていたことを私は知らない。

 

------------------------------------------------------------

 

 

「―――先生。病院からメールで、母の容態が」

 

「ああ、行ってあげなさい。お大事に」

 

 休み時間の喧騒が漂う教室から抜け出し、廊下で会った担任の先生にそう伝える。

 

 これで何度目だろうか。もう覚えてはいないが、少なくとも片手の指は超えていた気がする。

 

「いつも、すみません」

 

 届いていなくても、扉の向こうへ行ってしまった先生にそう頭を下げる。

 

 仕方ないことだと割り切ってはいるが、根が優しい神楽は一抹の罪悪感を覚えてしまう。

 

 とはいえそんな大相なものではない。黄泉などと馬鹿なことを話していれば直ぐにでも消えてしまうような些細なものだ。例えるならば友達のペンを借りたまま家に帰ってしまった程度だろうか。

 

 顔を上げる。多分今浮かんでいるのは自信のある笑み。お勤めに向かう自分を誇らしく思っている笑みだ。

 

―――こういうの、凜ちゃんとかはむしろラッキーくらいに思ってそうだよね。

 

 対策室の準エースである少年の顔を思い浮かべる。言葉にしたことはないが、学校に行くのが面倒くさいと言っている凛ちゃんのことだ。ほぼ間違いなく喜んでいるだろう。

 

 扉越しに先生に頭を下げた後、校門に向かって急いで向かう。

 

 メールの内容はお母さんの容体が悪くなったというもの。

 

 今も母親が入院しているため来るたびに一瞬身構えてしまうが、これは当然の如く招集コードだ。学校などに居る際に抜け出せる口実を作るためのもの。

 

 

「授業中に悪いな、神楽」

 

「もー。毎回先生に嘘ついてくるの気が引けるよ」

 

 ジープの扉を開けてそんな会話をする。このメールが到着したということはもう対策室はここに集まっているということであり、校門の外に待機してくれているのだ。

 

「寝てたでしょ?」

 

「―――え?」

 

「涎の跡付いてるよ」

 

「えっ!?」

 

 ピロリーン、とシャッターが切られる音がする。

 

 日本の携帯についている、取り外しの出来ないその音。海外だと取り外しができるが、日本では不可能で必ず音がなる―――

 

 と、そんなことに思いを馳せている場合ではなかった。凜ちゃんが語るウンチクはなかなか面白いからよくせがんで聞くことがあるけど、こんなところで出てくる必要はないのに。

 

「―――あはははは!」

 

 愉快そうな笑い声が響く。落ち着いているのにどこか無邪気な義姉の声。

 

 私にとってはもう本当の姉と言っても過言ではない黄泉の声。普段なら落ち着く声だけど、今回はほんの少しだけ不満が生まれる。

 

 心底楽しそうな声を出しながら私に向けて携帯を見せてくる黄泉。

 

 そこに映っているのは間抜けな顔を晒してよだれを拭っている私。

 

 ……撮られるならもっと可愛い顔をしている時に撮って欲しかった。

 

「……もう!」

 

「私の神楽の寝顔コレクションがまた1つー」

 

「消して、そんなコレクション!」

 

 そんな会話を黄泉としながら、車は目的地へと進んでいくのだった。

 

------------------------------------------------------------

 

「ーーーやっべ、感動した」

 

 車が出発してから数十秒後、意味のわからない言葉を発しながら後部座席からひょこりと1人の男が起き上がってきた。

 

「あら凛。起きてたの?目的地に着くまで寝てるとか言ってなかった?」

 

「それも魅力的なんだけど、それ以上に魅力的なことがあってね」

 

 8人乗りのジープの最後列に寝そべっていた男の名前は小野寺凛。私のお兄ちゃん的存在だ。

 

 私や大半の対策室の女性の恋心センサーには掠りもしないけど(黄泉は悪くないとは言っていた気がする)、頭も良くて強くて格好よくて優しい、理想のお兄ちゃんを体現したような存在だ。

 

 今みたいに意味のわからないことを時折いうが、とにかくいいお兄ちゃんである。

 

 なにやら感動しているみたいだけれど、凛ちゃんがよくわからない行動や言動をするのはしばしばあるので放置しておこうと思う。

 

 そういえば私が小学五年生の頃、黄泉にお母さんの姿を重ねて泣いてしまい、黄泉が気を利かせてお勤めに連れて行ってくれた際にも同じことを言っていたような気がする。

 

「凛、食べる?ポッキーあるけど」

 

「あ、欲しい。ありがとう」

 

「黄泉ー!私も!」

 

 何故か凛ちゃんは2本、そして私は一本を抜き取り、口に運ぶ。

 

 軽快な音を立てて折れるお菓子の枝。この音と、食感がたまらないのです。

 

「なんか最近、超自然災害増えてない?」

 

「うん、ちょっと悪霊の出現多いかな」

 

「しばらく、静かだったのにな」

 

 ポッキーを食べながら黄泉に質問をすると、助手席から声が返ってきた。

 

 かずちゃん。本名を桜庭一樹という。

 

 軽薄な感じのする男性だけど、そんなことは無く、頼りになる男の人だ。

 

 戦闘力では凛ちゃんや紀ちゃんに引けを取るけど、まとめる力などでは引けを取らない、とは黄泉の言だ。

 

「この増え方は3年ぶりぐらいか」

 

「……!3年」

 

 かずちゃんにとっては何気ない一言だったのだろう。あくまで事実を言ったに過ぎないのだから。

 

 でも、私にとってその3年という数字は非常に大きな意味を持つ。

 

 ーーーだって、お母さんが昏睡状態に入ったのが3年前なのだから。

 

「ポッキー最後もーらい!」

 

 お母さんのことを思い出して暗くなっていると、横から黄泉がポッキーの最後の一本を奪い去って行った。

 

「あ、ずるーい!」

 

「早い者勝ちー」

 

 そう言って私の目の前でポッキーをプラプラさせる黄泉。

 

 最後の一本とは非常に大事なものだ。それをさらっと奪っていくのは非常に許せない。

 

 ……むう。なら。

 

「……あむ!」

 

「あっ!」

 

「早い者勝ちー」

 

 先手必勝である。先手とは言えないかもしれないけど、とりあえず先に口にしたものが勝ちなのです!

 

 ちょっと勝ち誇ってポッキーをぶらぶらさせる。作戦勝ち(正確には違う)をしたのが嬉しかったのだ。

 

 そうやって勝ち誇っていると、負けず嫌いな黄泉は私がくわえているポッキーの反対側にかじりついてきた。

 

「おお!?」

 

 後ろの座席で凛ちゃんが何やら声を上げているが、それは今関係ない。

 

 黄泉にこのポッキーがとられてしまうことの方が重大な問題なのだ。

 

 お互いに睨み合ったままポッキーを両端から噛み砕いていく。

 

 長いポッキーが両端から少しずつ少しずつ削れていく。

 

 ひと噛みひと噛みはそんなに距離を縮めるものではない。むしろのんびりとしていてあまり進まないくらいだ。

 

 ーーーだけど、ポッキーっていうのは1人で食べるにはちょうどいい長さだけど、2人で食べるには当然短くて。

 

 顔が赤くなるのがわかる。

 

 これはいわゆるポッキーゲームというやつだ。女の子と男の子でやって、唇が触れ合うまでどちらが先に根を上げずに耐えきれるかを楽しむチキンレース。

 

 そう、つまりは今目の前に黄泉の顔がある訳で。

 

 ニヤリ、と黄泉の顔が歪む。顔を真っ赤にしている私とは対照的に余裕綽々な顔をして、それどころかむしろその表情は楽しんでいるようでーーー

 

 そのまま黄泉は私の唇に黄泉の唇を押し付けて体ごと倒れこんでくる。

 

 つまりはキスをしながら黄泉は私に倒れこんで来たわけであって。そう、大事なことだから二回言うけれど黄泉は私にキスをしながら倒れこんできたわけであって。

 

 抗議の声を上げようとするが唇がふさがれているため発声ができない。

 

 正直に言うと別に嫌なわけではないのだが、それでもキスをされているという状況は流石に恥ずかしい。

 

 いくら相手が黄泉と言えどもキスをされて平然としている私ではないのだ。

 

「ほへほへ(ほれほれー)」

 

「あっははは!いやっ」

 

「良いではないか良いではないかー」

 

「やめてーくすぐったいー!」

 

「嫌よ嫌よも好きのうちー」

 

「もう、黄泉のエロオヤジ!」

 

 多少の抵抗を見せる私に、それでもスキンシップを取ってくる黄泉。

 

 やめってったら黄泉。もう、全く子供なんだから。

 

 そう思いつつも黄泉の過剰とも言えるスキンシップを全く嫌がっていない自分がいる。

 

 ほんとうにお姉ちゃんがいたらこんな感じなのだろうか。私は一人っ子だからわからないけど、もし血の繋がったお姉ちゃんがいたのならば黄泉みたいなお姉ちゃんがいいなと、そう思う。

 

 ちょっと今回のスキンシップは過剰だけれども。

 

「おおっ!おおーー!……っぐおあ!!」 

 

「こっちみんな、変態」

 

 そしてそんな私達を凝視しているかずちゃんに黄泉の強烈な蹴りが入る。鼻っ面に決まったいい一撃。かずちゃんでなければ鼻の骨を心配するほどだった。

 

 ……全く、かずちゃんはスケベなんだから。

 

 車内でいちゃいちゃしていた私達が悪く、かずちゃんが見ちゃうのは仕方ないのかもしれないけど、それでもやはり恥ずかしいものは恥ずかしいのです。

 

「今日は悪かったな。2人とも授業中だっていうのに」

 

 そう岩端さんが声をかけてくる。

 

 別に岩端さんが悪いわけでもないのに、こうやって声をかけてくれるのはこの人が凄い大人である点の1つだと思う。

 

 凛ちゃんも頻繁に「ただ一点を除けば文句無しで尊敬できる社会人」だと言っている。

 

「気にしないで」

 

「これも私達の使命だもん」

 

「お前ら!おっさんは見ても良いのかよ!」

 

「岩端さんはそっちだから」

 

「そっちだし」

 

「そっちなら良いのかよ……」

 

 そう、ホモであるという一点を除けば理想的な大人なのだ。ホモであるという一点を除けば、だけど。

 

「おい桜庭ぁ!」

 

「んぁ?」

 

 岩端さんが声を張ってかずちゃんを呼ぶ。

 

 かずちゃんの姿勢は助手席から私達の席に向かって乗り出しており、運転中の車でする姿勢としては非常に危ない姿勢だ。

 

 それを注意されると思って身構えたかずちゃん。でも、岩端さんの興味はそこには無くてーーー

 

「お前、ーーー良いケツしてんな」

 

「いぃ!?お、俺を!そういう目で見るなぁ!!!」

 

 かずちゃんの絶叫が響く。

 

 岩端さんがどこまで本気で言っているのかはわからないが、かずちゃんが不幸な目に合わないで済むことを祈っておこう。

 

 私と黄泉が微笑ましい顔でかずちゃんと岩端さんのコントを見ていると、ティロリンと軽快な音が後部座席から響く。

 

 そしてそれに続く「あっ……」というやってしまった感を孕む男の声。

 

 黄泉と私は同時に後部座席を振り向く。

 

 そこにいたのはやってしまったという顔を浮かべる男。

 

 手に持つは携帯。写真の保存も動画の記録もなんでもござれな文明の利器。

 

「神楽、確保!」

 

了解(ラジャー)ー!」

 

「ちょ、待って!」

 

 意図を理解した私達は凛ちゃんの手からその携帯を即座に奪い取るのだった。




このシーンが、喰霊_零_は百合アニメだと言われる所以だったりします。


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第2話 -サービスショット-

しばらくは原作準拠になります。
なので更新は早い、かな?
そのうちにがっつり流れが外れるので、外れるまでの平和をお楽しみに。

※そういえば活動報告で希望ss書くやつ募集してます。
暇な人は覗いて、そして一声くれてやってください。


「んー黄泉、やっぱりこれロックかかってるよー。どうする?壊しちゃう?」

 

「その必要は無いわ。パスワードは200810だから」

 

「わかった!入れてみる!」

 

「ちょっと待って。なんで黄泉お前俺のパスワード知ってんのさ?」

 

 神楽からポッキーの箱で一発貰った頬を押さえながらも抱いてしまった疑問を口に出さざるを得ない。

 

 なんでこいつ(黄泉)は俺のパスワードを知っているのか。当てずっぽうで言ったわけでもなく、実際に当たってるし。

 

「開いた!……うわあ、しっかり録画してある。凛ちゃんのむっつりスケベ」

 

「盗撮とか最低ね凛。見損なったから今度私と神楽をパンケーキ屋に連れて行きなさい」

 

「黄泉それ良いアイディア!青山に美味しいところあるって聞いたー!」

 

「ちょっと待てよお前ら!俺には鼻の骨が心配になるような一撃を加えておいて、凛にはそれで済ませんのかよ!」

 

 まだ多少赤い鼻を押さえながらそう抗議するカズさん。

 

 アニメで見ていた通り見事な蹴りだったため、相当痛かったのだろう。心中と痛みはお察しするが、これが人徳というやつだと上から目線で指摘をしておくのも忘れない。

 

 ……しかし見事に失敗してしまった。

 

 覚えのある人もいるだろうが、このシーンは3話のラストと、4話の冒頭での一幕だ。一般に想定される喰霊-零-の時系列に、そこにようやく追いついた。

 

 俺も高校一年生となり、神楽も中学二年生になっている時点で喰霊-零-の時系列に追いついたことはわかっていたのだが、俺が知る喰霊-零-のこの時間の始まりはこのポッキーの一幕なのだ。

 

 そのため喰霊-零-に完全に時間が追いつき、尚且つ印象深いシーンのリプレイを間近で見られることに感動し、思わず動画に撮ってしまったのである。

 

 当然ポッキーゲームからの百合百合展開もしっかり動画に収めていたので、後で見返すために大事に保管しようとしていたのだが、最後の最後に下手を踏んでしまった。

 

 何かしらの大きな音が鳴るまで録画停止のボタンを押すのは待とうと思っていたのだが、岩端さんとカズさんの下りで笑ってしまい、ついつい停止ボタンを押してしまったのだ。

 

 日本の携帯は盗撮防止機能として録画開始、停止時には音がなるためその音がある程度静かな空間にものの見事に木霊。

 

 勘の良いこの2人から携帯を隠しきれず、まさかの黄泉達にばれてしまった。

 

「凛ちゃんの携帯華蓮(かれん)ちゃんの写真ばっかり。相変わらずのシスコンだね」

 

「おい待て神楽。動画の削除は当然のこととして携帯を渡したが、他のデータフォルダを見て良いとは言ってないぞ」

 

「神楽。そこじゃなくてもっと下の方のファイルとか、色々って名前がついてるフォルダとか探すと良いわよ。あとはブックマークとか」

 

「まてぇええええ!まてこら黄泉!クリークだ!それ以上俺の聖域(sanctuary)に侵入するというのならば聖戦(ジハード)も辞さない!」

 

 戦争だ。それ以上侵略を続けるというのならば俺としても断固抵抗せざるを得ない。

 

「凛ちゃんのスケベ。あ、間違ってカメラ起動しちゃった」

 

 昔の携帯特有の、カメラが開く瞬間のカチッという微かな音。それが俺の携帯から響く。

 

「おいおい。ほんとにあんま変な弄り方はしてくれんなよ?」

 

「ごめんなさーい。間違っちゃった。すぐ消すから……そうだ!」

 

 ひらめいた!という顔をする神楽。

 

 俺の携帯を持って何を閃いてやがるのか。誰かにメールでも送り付ける気でもしてやがるのだろうか。

 

「……よーみ!」

 

 カシャッとシャッター音が響く。

 

 インカメに切り替えられたそれは、所謂自撮りという写真の撮り方で黄泉と神楽のツーショットをその枠内に収めて───

 

 って、んん!? これは!?

 

「おおお!」

 

「凛ちゃんどうしたのそんな大声上げて。黄泉黄泉、赤外線起動してー」

 

「あら、いいショットじゃない。私受信するー」

 

 な、なんということだ。

 

 これはあの伝説のショット。最終話まで見た人ならばこの写真を知らないとは死んでも言わせない2人のツーショット。

 

 何故かポッキーゲームの前に撮ってないなーとか思っていたのだが、まさか俺の携帯を使ってここで回収されるとは。

 

「後で私にも送ってね。……はい、凛ちゃん。さっきの動画じゃなくてこの写メで我慢しなさい」

 

 無邪気な笑顔を浮かべて俺に携帯を渡してくる神楽。

 

「お、おう」

 

 ちょっと感動しており、少しどもってしまう俺。

 

 携帯を受け取ってその画像を見てみる。

 

 ポッキーを咥えていないなど、多少の絵柄の変更点はあるが、作中に見たあの画像とほぼ同じだ。

 

 何故俺の携帯で撮るんだよとか、これはくれるんだとか、そもそも黄泉は何故俺のロック番号を知ってたのかとか色々ツッコミ所はあるが、この画像をくれたことだしチャラにしよう。

 

 ……次回以降黄泉の目の前でロックを解除する時は気をつけよう。

 

 奴の動体視力はさるものだ。ロック解除時の指の動きを見切ることくらい朝飯前だろうからな。

 

「納得いかねぇ……。なんで俺は顔面キックで、凛はパンケーキ奢りで済んだ上にツーショットまで貰ってんだよ……」

 

「俺も神楽から一撃もらってるんでどっこいどっこいですよ」

 

「重みがチゲぇってぇの……」

 

「お前ら。あと1時間くらいで目的地だ。車の中だからやれることは少ないだろうが、ある程度やることやっとけよ」

 

 緩くなっていた空気を岩端さんが諌める。

 

 ホモだけど、こーゆーとこはやっぱ年長者なんだなーと思う。

 

 ほーいとだけ返事をしておいて俺は身体を伸ばし始める。

 

 車の中だし、ほんとに出来ることは少ないが、幸い大きい車ではあるので簡単な伸びくらいならできる。

 

 土蜘蛛戦に向けて俺は簡単なストレッチを始めるのだった。

 

────────────────────────

 

「お待たせ。相手は?」

 

「今、管狐で追ってる。カテゴリーB、土蜘蛛だ。今日のは特大サイズだよ」

 

 車から降りた黄泉が管狐を展開させて周囲を見張っていたノリさんに話しかける。

 

 管狐。飯綱家に伝わる霊獣であり、イタチのような姿をした可愛らしい霊獣である。

 

 管狐をミサイルのように発射して攻撃することもできるし、管狐の目線を借りて周囲を警戒することもできるなど、非常に便利な霊獣である。飯綱家の男子はこの管狐を継承し、増やしていくことを使命としているのだそうだ。

 

「鵺で一気に片付けるわ。紀之、管狐を下げて。皆、後ろはお願いね」

 

 こくりと俺らは頷く。あれだけの大物だ。

 

 俺も空中戦や遠距離戦もできなくはないが、手っ取り早く空を飛ぶ手段を持ち合わせている黄泉に任せてしまった方が楽というものである。俺も足止めとかの妨害に回ろう。

 

「また後方支援?」

 

「ん?」

 

 それに対して不満げな声を上げるのは神楽だ。

 

「……主役はるにはまだ早いわよ。舞蹴十弐号を使いこなせるようになってからね」

 

「使いこなせるもん!」

 

「そーう?じゃあ使えるところ見せて。ーーー乱紅蓮!」

 

 不満げな神楽にそう言うと、黒鉄(くろがね)の刀身を抜き放って黄泉は霊獣の名を叫ぶ。

 

 同時に現れる宝刀獅子王に宿りし霊獣である鵺。相変わらず迫力のある霊獣だ。

 

「凛、神楽と後ろはお願い。ーーー行くわよ」

 

「あいよ、行ってらっしゃい」

 

「むー。凛ちゃんに守られなくたって自衛できるのにー」

 

 そんな神楽の言葉を華麗にスルーすると、黄泉は乱紅蓮に掴まって飛び立っていく。

 

 目指すは土蜘蛛。異常なまでに強大なサイズのカテゴリーBだ。

 

「黄泉の援護に回るぞ」

 

「了解」

 

 岩端さんがそう指示し、カズさんがそれに答え、対策室の面々は俺と神楽を残して去っていく。

 

「そうふて腐れるなよ神楽。俺だって後方支援なんだし、一緒じゃないか」

 

「でも凛ちゃんは黄泉と一緒によく前線でてるよね。私は出れてないもん」

 

「一応俺は多大な実績あるからね。大きな戦いとかになったら嫌でも前線出されるんだし、今は黄泉(ベテラン)の言葉には従っておこうぜ?」

 

 ぽんぽんと頭を叩いてむすくれる神楽を宥める。

 

 俺としてはもうそろそろ神楽は前線に立たせて問題ないと思うのだが、黄泉としてはそうではないらしい。神楽の実力がついてきたとわかっていてもやはり心配なのだろう。

 

 それに、幸か不幸かこの世界には俺がいる。

 

 黄泉と同等クラスに前線で戦える奴がいるのに神楽を前に出す必要はないとか考えてそうである。……俺からも神楽を前線に出すように打診してみようかな。三途河との決戦に備えて神楽にはさっさと俺以上になってもらわなきゃいけないし。

 

「……わかった。後方で我慢する。でも次回はーーーって凛ちゃん!あれ!」

 

「ん?どうした神楽」

 

 神楽が指し示した方向を向く。

 

 その方向にあるのは橋。トンネルの前にかかる、いかにも幽霊が出そうな暗い雰囲気の橋だ。

 

 一体何を神楽は見つけたのだろうかと目を凝らすと、そこにいたのは1人の女性。黄色い服を着た、どこか陰鬱な雰囲気を醸し出す女性だ。

 

「ーーー!?一般人!?神楽、行くぞ!」

 

「了解凛ちゃん!なんでこんな所に一般人がいるの!?」

 

「その答え合わせは後だ!走るぞ!」

 

 全力で女性の元へと駈け出す俺たち2人。岩端さん達も車に乗り込んだのが見えたが、この道ならば俺たちが駆け抜けた方が速い。

 

 そうか。失念していた。

 

 流石に16年もこの世界に生きていると喰霊-零-の知識があやふやになってきてしまう。

 

 転生したことが確定した時点であのアニメの記憶を思い出せる限り全て紙に書き出したため、だいたい全部の流れは家に帰れば把握することができる。

 

 それをたまに読み返したりしているし、暗記の為にそっくりそのまま違う紙に転記したりもしているのだが、それでもたまにこういった出来事を忘れてしまうことがある。

 

 今回のお勤めではあの橋に居る人が神楽にとってなかなか重大なターニングポイントになる。結構重要なことを忘れていたものだ。

 

「しまった!」

 

 微かに黄泉の声が聞こえた気がした。

 

 横目でその方向を見ると、黄泉が切り裂いた土蜘蛛の破片が、丁度例の女の人の方向に飛んでいく所だった。

 

 人1人なら容易に潰せる大きさと質量を持った塊。そんなものがいきなり飛んできたら流石に俺だってビビる。

 

「きゃああああぁーーーーー!」

 

 黄色い服の女の人もそれは同様であったようで、叫び声をあげる。

 

 ……どんな状況の人であっても、やはり死ぬのは怖いのか。

 

 霊力を練り上げながら俺は女の人の後ろ側(・・・)へと回りこむ。そして服の首の部分を強引に引っ張り、俺の前面に防御壁を作り出しながら女の人を背にかばう。

 

 みるみるうちに距離が近づいてくる土蜘蛛の破片。

 

 防御壁を展開したとはいえこれだけの大きさと質量を持った物体がこの速度で近づいてくるのを防ぐのは危険が伴う。

 

 だが、俺はそれを悠々と見送る。ぶつかったら結構しんどい威力なはずだが、それでも俺は何もしない。そう、なぜなら、

 

「ーーーっふ!」

 

 惚れ惚れするような一閃が空を走る。

 

 それが土蜘蛛の一部を真っ二つにし、そして消滅させる。

 

「お見事」

 

 それに伴って防御壁を解除する。一応神楽がミスをした時用にと思い展開したのだが、案の定杞憂であったらしい。今の感じを見ると100回やっても1回失敗するのが奇跡なレベルだろう。大分実力がついてきた。

 

 ……半年かからないかもな。

 

 妹分の成長は誇らしく、嬉しいのだが、やはり悔しいものだ。

 

「大丈夫ですか?お怪我は」

 

 本来ならこれは神楽のセリフなのだが、俺が代わりにそう尋ねる。

 

 へたり込んでしまっていた女性に手を貸していると、神楽も大丈夫ですかと尋ねながら近寄ってくる。

 

 軽く腰が抜けてしまったらしい。あんなことがあった後だ。仕方ないだろう。俺たちの呼び掛けに頭を振って答えているだけでも大したものだ。

 

「神楽」

 

 神楽の名を呼ぶ黄泉の声。その姿をみて神楽は微笑む。

 

 本当に黄泉はエースとしての貫禄がある。そこに居るだけで人を安心させ、気持ちを楽にする。

 

 ……俺にはこんな貫禄が出せているだろうか。出せていれば嬉しいな。

 

「民間人か」

 

「今の、見えてましたよね」

 

 首を縦にふる女性。

 

「なら、話は早ええな。俺たちは環境省超自然災害対策室だ」

 

「簡単に言うと、悪霊退治の専門家よ」

 

「……悪霊?」

 

「霊感の強い人間は悪霊に狙われやすい」

 

「最悪の場合、死に切れなくて、自分が悪霊になることだってある。……あんまり、こういう場所には近づくな」

 

 カズさん、黄泉、岩端さん、ノリさんがそれぞれ説明と注意を促す。俺も何か一言加えようかと思ったのだが、言うこともないし黙っていた。全部言いたいこと言われたしね。

 

「ここで見たことは一切口外しないように。一緒に来て。誓約書を書いてもらうから。ーーーだめよ、命を粗末にしちゃ。これは預かっておくわ。いい?」

 

「ーーー!……すみません」

 

 そういって黄泉は女性の鞄から薬物の入った瓶を取り出す。

 

 あれは毒薬だろうか。睡眠薬かもしれないが、どっちにせよ入手にはそれなりの負担が伴ったはずだ。

 

 企みを暴かれた女性は諦めたように目をつむり、どこか辛そうな顔で「はい」と顔を俯かせて答えた。

 

「もうこの辺りに悪霊はいないってさ」

 

「よし、状況終了だ。引き上げるぞ」

 

 そう岩端さんが言って、女の人を引き連れてジープへと引き上げていく。

 

 あの人のことジープに乗せていくのだろうか。ナブーさん達が何で来たかは知らないが、ジープにのるなんてことはないよな?流石に3人掛けシートで筋骨隆々の男2人と席を共にするのは耐え難いぞ。

 

「あの女の人のこと、なんでわかったの?」

 

 去っていく対策室の面々を見送りながら、神楽は黄泉にそう尋ねる。

 

 なぜあの人がここにいるかの答え合わせ。それはあの人が自殺志願者だということ。死ぬ目的で、こんな危ない場所にいるということ。

 

 それを、黄泉はすぐに察知した。

 

 俺も知識を持っていなくともその回答にならすぐにたどり着けただろう。なぜなら。

 

「経験則よ。場数を踏めばわかるようになるわ。ね、凛」

 

「まあね。あの人の場合そこそこ露骨だったし。神楽もそのうちにわかるようになるよ。……それが、良いことなのかは俺にはわからないけどね」

 

 へぇーと憧れに似た視線を向けてくる神楽に対して聞こえないように呟く。

 

 つまりそれは直接的か間接的かどうかは置いておいて、人の死に多く触れる経験を積むということだ。

 

 俺のような精神年齢が30を超えている(はず)の人間がそれに触れるのならわかるのだが、黄泉も神楽も10代の女の子だ。そんな女の子があのような観察眼を持つようになることは良いことなのかは疑問だ。

 

 まあ、だからと言って神楽を無菌室において育てるようなことをするつもりはない。

 

 この家業に生まれた以上は慣れてもらうしかないし、触れてもらうしかないのだから。

 

 むしろ俺は冷酷な人間だ。割り切る場面では躊躇いなく割り切ることができる。

 

 必要とあれば手を汚せるし、残酷な決断だってすることができる。

 

 そう、例えばーーー

 

「2度は助けないよ。自殺志願のお姉さん」

 

 メリットとデメリットを天秤にかけたとして、もしそれがデメリットに傾くのならば。

 

 これから死にゆく(自殺する)ことがわかっている人間に手を差し伸べない。

 

 こんな決断もできる、そんな人間なのだから。

 




凛くんは身内以外には結構冷たかったりします。
目の前に死にそうな人がいるなら助けるけど、助けるには複雑な手順を踏まなければならない(例えば場所を突き止めて説得したり)などは絶対にしない。
身内には損得勘定抜きで動くけれど、基本は損得勘定で動く人間と解釈ください。


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第3話 -マイケル小原-

まだまだ原作準拠です。
ちょいと目新しいものがないかもしれませんが、僅かに生じている差異を見つけながら是非お楽しみください。
次回は戦闘シーンです。


「おにーちゃん!」

 

「おう!?ちょ、華蓮(かれん)!料理中はそういうことしちゃダメって教えてるだろ」

 

「おにーちゃん!」

 

「聞いちゃいないなこの子は。誰に似て……いや、分かり切ってるか」

 

 土蜘蛛を退治したその翌日早朝、俺は我が家のキッチンに立っていた。

 

 とはいえ料理が不得意な俺が作れる料理などベーコンエッグとかスクランブルエッグもどきとか温泉卵ぐらいしかないため、母に頼まれてただ鍋をかき混ぜているだけなのだが。

 

 それでも鍋を掻き回されている最中に2歳児のタックルを喰らうのは流石に危ない。

 

 鍛えているといえど2歳児ともなれば相当の重さがある。そんな重さを持って全力でぶつかられては流石にバランスを崩してしまうというものだ。非常に危ない。

 

「おなかへった」

 

「ちょっと待ってね。もうすぐ出来るからさ」

 

 ぐいぐいと俺の袖を引っ張ってくる華蓮を軽く宥める。

 

 この子は小野寺華蓮(かれん)。ほぼちょうど2年前くらいに生まれた俺の妹である。

 

 まだまだ小さくて赤ちゃんの雰囲気を残している華蓮ではあるが、自慢なことに一歳半検診で二語文をペラペラ喋るというなかなかの成長を見せている。

 

 俺があまりに言葉が早すぎたせいでそこまで騒がれてはいないが、同年代と比べれば十分に成長が早く、利口で聡明な子だ。

 

 両親の溺愛っぷりも大したもので、俺と稽古をしていても泣き声が聞こえればすぐに飛んでいき(親父)、ハンバーグとカレーとお寿司が食べたいと華蓮がごね始めた時にはそれらが全て晩餐に並び(母親)、お兄ちゃんの高校に行ってみたいとポツリ呟いたのを聞き逃さずに俺の授業参観に連れてきたり(両親)など逸話には枚挙に暇が無い。

 

 かくいう俺も夜中に泣き止まない華蓮を散歩に連れて行ったりとか、アイスが食べたいと言われたらバイクにまたがってアイスを買いに行ってしまったりと甘やかしているのだが。

 

 ともかく、両親からは無知な子供を一から育てていくという経験を一度奪ってしまっているため、自分の子供を育てる楽しみを是非とも味わってほしいと切に思う。

 

 俺みたいなイレギュラーは確かに手はかからないかもしれないが育て上げる喜びというものがないだろう。

 

 上から目線な視点になってしまうが、是非とも親として子の健やかなる成長を見守ってあげてほしい。

 

 さて、話は多少変わるが、ここまでの話を聞くと華蓮が異常に甘やかされて育っていると感じるだろう。

 

 確かに甘々なくらいには大切に育てられているが、ただ甘やかされているだけかというとそうでも無い。

 

 親父は食事のマナーとか公共でのマナーとか、そういったことにはかなり厳しいし(俺がそれを常識として守っていたために指導されたことがあまりなかった)、怒る時はきっちり怒る。華蓮が親父を嫌いになるんじゃないかと思ってしまうくらいには怒ったりする。

 

 そしてお母さんも躾には意外と厳しい。母に怒られた記憶が殆ど無いのだが(俺は親父とよく揉める)、母は笑顔で怒るタイプの人間だ。

 

 あの怒り方は結構怖い。小学校の時に親父の酒を無断で拝借したのがバレて一度本気で怒られたのだが、「なんでこんなことをやったの?」との問いを発して微笑みながら黙り込むのだ。

 

 俺たちの視線まで自分の目線を合わせて、両肩を抑え込みながら徹底的に俺たちの目を見続ける。俺たちが目を見て行いの悪かった点をしっかりと述べるまで決して離してくれないのだ。

 

 ……あの時は正直怖かった。もうこの人に怒られたく無いと本気で思ったものだ。

 

 華蓮もよくこれをやられて大泣きしている。あの年の子には怖いだろうなぁあれ。

 

 

 ……ちなみにではあるが、本当は華蓮は(れん)という名前にする予定だったらしい。

 

 りんとれんで語呂がいいとか言っていた気がする。それに、親父の名前が蓮司だから、女の子が生まれたらそこから一文字使おうとしていたらしいのだ。けれど流石に女の子らしく無い名前だよねーと母親が相談を持ちかけてきたため、「華」を加えて華蓮にすれば?と提案したところ、母親が気に入って華蓮になったというわけだ。

 

「凛、もうそろそろ火を止めても……あら華蓮おはよう。起きたの?」

 

「はよーおきたー」

 

「それじゃ顔洗わないとね。凛、鍋ありがとう。私が見ておくから華蓮を洗面所に連れてってあげてくれる?」

 

「はいよー、わかった。華蓮、行くぞー」

 

「かおあらうのやー!」

 

「やーじゃないの。ほら、行くよ」

 

 何故か顔を洗うことに抵抗感を示す華蓮を脇の下に手を入れることで持ち上げ、むりくり洗面所へと連行する。

 

 らちだーらちだーなどと叫ぶ我が妹。言葉を覚えるのが早いのは良いことだが、拉致なんて言葉を何処でいつ覚えたのだろうか。

 

「おお凛。今日は早いな。いつもギリギリまで寝ているというのに」

 

「親父おはよう。そうしたかったんだけど、お母さんに叩き起こされてね」

 

「ああおはよう。いつもこのくらいに起きるよう心掛けなさい。華蓮もおはよう」

 

「はよー」

 

「おはよう、だ華蓮。挨拶はキチンとなさい」

 

「はーい」

 

 キャッキャと楽しそうに笑い、おはよーございまーすと間延びした声で挨拶する華蓮。そのまま朝食に向かう親父にさりげなくついて行こうとする小狡い小娘を捕獲して洗面所に連れて行く。

 

 やめろーやめろーと顔を洗うことに異常な抵抗を見せる我が妹。なんだろうか。洗面所に親でも殺されたのだろうかこの子は。

 

「ほら、こんな感じに袖まくって。ほら、反対側も同じく自分でやってみ」

 

「こーう?」

 

「そうそう、上手上手。それじゃ水出して顔洗おうか」

 

 華蓮が顔を洗いやすいように段差を作ってあげる。

 

 さっきまでは顔を洗うことを拒否していたくせに、今度は嬉々として顔を洗い始める華蓮。最近何かにつけて嫌々言うようになってきたのだが、これが噂の嫌々病なのだろうか。2歳くらいの子供には良くあることだと聞くが。

 

「おにーちゃおわったー!」

 

「待ちなさい華蓮。洗い終わったら顔を拭く!」

 

 顔がビタビタのまま洗面所を走り抜けていこうとする華蓮の首の後ろを掴んで捕獲し、顔にタオルを押し付ける。

 

 タオルを押し付けられながらも嬉しそうに騒いでるあたり、こいつはわざとやってんだろうなぁこれ。

 

 絹のようなとか、珠のような肌、という表現が誇張ではないぷりぷりの肌をなかなかお高いタオルで拭いていく。

 

 確かこのタオルは雅楽さんからの贈り物だった筈だ。お祝いにとプレゼントしてもらった所をみた覚えがある。

 

「きもちー」

 

「ほら、後は自分でやる。ちゃんと拭くんだよ」

 

 あいーなどと言いながらごしごし自分の顔を拭き始める。あーそんな乱暴に拭いたら肌に悪いだろうに。

 

「おわったー」

 

「終わったらここにポイして。……そうそうよく出来ました!それじゃご飯行こうか」

 

「ごはん!」

 

 そう言っておんぶで連れて行くことをせがむ我が妹。そんな妹をおんぶして無駄に遠い食卓まで歩いて行く。

 

 背中に感じる命の重み。この子は小野寺華蓮としてしっかりとした生をこの世界に咲かせている。

 

 この子が生まれてから考えるようになったことなのだが、もし俺がこの世に生を受けていなかったら小野寺はどうなっていたのだろうか。

 

 俺の容姿の子供がそのまま生まれていたのだろうか。それとも小野寺という家自体が俺という存在を存在させる

ために用意されたものなのだろうか。

 

 正直、興味がある。まさにifの世界に生きている俺ではあるが、違うifの可能性を見てみたくなる時があるのは理解してもらえるだろう。

 

「おにーねぐせー」

 

「こら。髪を引っ張らないの」

 

 そんなあったかもしれない世界(パラレルワールド)の話に思いを馳せながら、背中の可愛い妹と食卓に向かうのだった。

 

 

 

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「あら、マイケル師匠がお見えになってるの?」

 

 対策室の室長室。

 

 一目で高級とわかる設備の数々が備えられたその部屋の主である神宮寺菖蒲はその秘書的役割を担う二階堂桐と相対していた。

 

 マイケル小原。

 

 名高き名刀である舞蹴を打った名のある刀匠であり、常にふんどし一丁の変人。そんな彼の話題が取りざたされていた。

 

「はい。しばらく獅子王を預かるそうです。それと対策室の装備もメンテナンスが必要なものはメンテナンスがしたいと」

 

 獅子王には舞蹴を打ったマイケル小原をしてほれぼれすると言わしめた程に強い霊力が宿っている。霊力の強い存在が心血注いで打ち上げた一振りには強い霊力が宿るが、獅子王はその中でも最たるもの。

 

 その刃に霊獣鵺を宿すその刀は並みの退魔刀では太刀打ちすらできやしない。

 

 しかしそんな獅子王も所詮は一振りの鋼。使えば消耗するし、うちに宿す霊力も疲弊してしまう。よって時々腕のある人間がそれを研ぎなおす必要があるのだ。

 

「そう。それじゃまとめてお願いしちゃって」

 

「まとめて、それではいざという時の装備が」

 

 その言葉に二階堂桐は一瞬たじろぐ。諌山黄泉の獅子王を研ぎなおしに出す上にメンテナンスが必要なものをまとめて提出してしまっては万が一の時に支障が出る恐れがあるのだ。

 

 そう分析した二階堂桐は反論をしようとするが、室長から返ってきた答えは意外なものであった。

 

「そろそろ彼女にも主戦力になって貰わないとね」

 

「……!それでは」

 

「実戦に勝る練習はないのよ。それに、乱ちゃんにばかり頼ってちゃ、よくないでしょ?」

 

 乱ちゃん……、と何にでもあだ名をつける室長に一瞬困った顔をしながらもその方針の有効性を理解する。

 

 彼女、つまり土宮神楽を前線に出して成長させるということである。

 

 確かにそろそろいい時期ではある。実力の程は小野寺凜からのお墨付きも得ているし、いつまでも彼らに頼ってはいられないから、彼らに代わるエースを育成しておくことは重要だ。

 

 それに特に最近のような霊気圧の状況下では何が起こるかわからない。タイミングとしてはばっちりと言えるだろう。

 

「いい機会よ。シフト調整して。それにいざとなれば凛ちゃんがなんとかしてくれるわ。彼と黄泉ちゃんをサポートに付けて神楽ちゃんを前面に出していきましょう」

 

「わかりました。調整いたします。……そう言えば、小野寺凜が勧誘すると言っていた新人の件ですが」

 

「あら。話が進んだの?彼直々の推薦となれば断る理由は私としてもないわ。桐ちゃん、暇なときに面接してあげて」

 

「承知しました。大きな問題がなければ通す方向で処理いたします。それと他支部からの例の要望の件ですが」

 

「それなら丁重にお断りしておいて。こちらとしては彼を渡すつもりはないから。過剰戦力だとか言ってたみたいだけど、言わせておいて」

 

「承知しました。そちらも対処しておきます。……それにしても、なぜあの方(マイケル師匠)はいつも裸なんですか?」

 

 事務的な会話を終え、ふと口にしたそんな二階堂桐の疑問に、答えられるものは居なかった。

 

 

 

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「相変わらず疲れるおっさんだな。凜は会うの初めてだったんだっけか?」

 

「そーっす。存在を知ってはいたんですけど、生で見ると迫力が違いますね。あれが舞蹴を打った天才的刀匠だとは信じたくないというか、ある意味では納得というか」

 

「凜ちゃん凄い絡まれてたね。なんで?」

 

「俺って黄泉とフリーを除けば唯一マイケル師匠の作った武器を使ってない退魔師じゃん?だから是非使ってみないかっていう話を延々とされてたよ」

 

 俺は戦闘スタイル的に武器は持たなくていいんですと何回も言ったのだが、マイケル師匠的にはやはり残念なことらしく、何度も何度も武器の使用を進めてきた。

 

 結局断り切れずに「俺のスタイルにあう武器なら」と言ってしまったところ、今度新武器を携えてやってきマースと言われてしまった。

 

 J-FOXみたいな意味の分からない武器を持ってこないことを祈るのみだ。あれが来たら俺は断固として反対する。あんなものは人間が背負う武器ではない。

 

「凜凄いじゃない。マイケル師匠から直々に言われるなんてそうそうない事よ」

 

「とはいってもさ。刀とか持ってこられても俺使いようが無いしって感じなんだよね。武器は俺の能力で全部調達できるし、むしろ動きにくくなるっていうか……」

 

 俺にとって最も嫌なことは戦闘スタイルが崩れることなのだ。

 

 最近は拳銃なども組み合わせても今まで通りのパフォーマンスが発揮できるような戦闘スタイルの調整に四苦八苦しているというのに新武器の導入など言語道断だ。

 

「凜ちゃんアクロバティックな動きするもんね。……それにしてもあの人よくあの格好で捕まらないね」

 

「捕まってるけどな、たまに」

 

 誰もが必ず抱くだろう疑問に、岩端さんがそう答える。

 

 環境省が口添えをして開放してあげてるのだろうか。原作ではそんな役割を弐村剣輔が担っていた気がする。

 

「しばらくお勤めはお休みだな、黄泉」

 

「別に獅子王が無くても戦えるわよ。岩端さん、退魔装備を見せて」

 

 紀さんの軽口を受けて、黄泉が残りの退魔装備を点検するために岩端さんに声をかける。

 

 殆どメンテに出したからあとはこれくらいしか残ってないぞ、と言って出してきたのは俺をして「うわあ……」と思わしめる装備群であった。

 

「女の子だとこれなんかどうだ?」

 

「それってアイロン?」

 

 岩端さんが女の子におすすめといって取り出したのは明らかにスチームアイロン以外の何物でもなかった。存在を知ってはいたが、マジでアイロンだ。退魔師になって10年以上だが、初めて見た。

 

「退魔式ナックル、"ダグラス28号"だ。霊水のスチームとナックルで悪霊を殴り倒す」

 

 うわぁーという顔の完成系を浮かべる黄泉と神楽。多分俺も同じ顔をしているだろう。

 

 っつーか28号?ダグラスの存在は知っていたが、改めて考えると色々おかしい。

 

 なんで27回も改良を加えているのか。27回も改良を加えるくらいならさっさと廃棄するか違うのにもっと力を注げよと言いたいのは俺だけだろうか。

 

「だめか。他に目ぼしい奴となると……。退魔式チェーンソー"パレ11号"。退魔式削岩機"ジャクソン33号"、退魔式ボイラー"J-FOX55号"くらいだな。どれがいい?」

 

 それぞれチェーンソー、削岩機、ボイラーの三種類を出してくる。どれもいまいちと呟いた黄泉に全面的に同意したい。ボイラーなんか神楽が言った通り重くて持てる気がしない。なんだよ岩端さんの身長クラスのボイラー背負って戦うって。未来から来たサイボーグでもない限り無理だろう。

 

「黄泉、俺が獅子王の模造刀作ろうか?流石にカテゴリーBクラスだとやばいけど、Cクラスなら問題ないの作れるぞ」

 

「ううん、これでいいわ。紀之、ちょっと付き合って」

 

 俺の提案をダグラス28号を手にして断る黄泉。

 

 俺の能力を持ってすれば獅子王と寸分違わないサイズ、形状の刀を作り出すこともできる。

 

 ただ材質が全く違うし、鍛え方も違う(というより俺の模造刀に鍛えるという概念がない)ので、重さも切れ味も強度も全く異なる一振りになってしまう。

 

 それでもダグラスよりはましかと思い提案したのだが、黄泉はダグラスを使うようである。緊急時には武器にこだわっていられないという判断からなのだろうか。

 

「ああ、いいよ……って悪い。今日は先約があるんだ」

 

「おい紀之。今さらっと俺との約束破ろうとしやがっただろ」

 

「悪かったよ一樹。……という訳でごめんな。そっちも二人で遊んで来いよ」

 

「またぁ?……わかったわ。紀之も楽しんできてね」

 

 アニメ(喰霊-零-)()()()黄泉の提案を断る紀さん。

 

 ……最近いい感じだと思ったんだが、ここは断るのか。

 

「それじゃ神楽、手伝ってもらえるかしら?凜もどう?」

 

「私はさんせー!手伝うよー!」

 

「俺も別にいいよ。親に頼まれてることあるから、それ終わったらすぐ行くよ」

 

 そう言って立ち上がる。

 

 黄泉の稽古に優先的に付き合ってあげたいのは山々なのだが、華蓮の世話で手が離せない母親の代わりに買い出しに行ってやる約束を最優先にしなければならないのだ。

 

 すぐに戻れば恐らくは間に合うだろう。さっさと行ってさっさと戻ってくるとしよう。

 

「ほんとにお兄ちゃんしてるよね凜ちゃんって。シスコンはモテないよ?」

 

「おい神楽。それ以上言うと今度からバイクの後ろに乗せてあげないぞ。……みなさんお疲れさまでーす」

 

 さっさと用事を済ますべく鞄を手に取り対策室を後にする。

 

 ……実は今日は神楽にとって一つの転換期となる出来事がある日だ。俺が対策室に今日顔を出したのはマイケル師匠が来ていたこともあるのだが、正確にはマイケル師匠が来た日に起こるこの出来事のためにやってきたのだ。

 

 カテゴリーD。怨霊となった人間の死体。つまりはゾンビ。

 

 俺や対策室の面々はカテゴリーDを殺すことは既に慣れ切っていることではあるが、神楽にとってはそうではない。

 

 人間の死体はあくまでも「人間」の死体であって、「タンパク質の塊」と割り切ることが出来ていないのが彼女の現状だ。

 

 退魔師としては残酷にそう割り切らなければならないが、それでも14の少女にはやはり辛い物があるだろう。甘やかすつもりは毛頭ないが、理解を示さないつもりも毛頭ない。

 

 それに、今日彼女の前に立ちはだかるのはあの女性だ。

 

 俺が居るせいでもしかしたらあの女性が死んでいないという可能性もあるが、それでも「人間の死体」であるカテゴリーDを切るか切らないかの葛藤を彼女が認識する日であることは間違いない。

 

 元々シフトが無くて、家でのんびりしようと思っていたのだが、さっさと帰って用事を済ませて()()()()()に付き合うとしよう。神楽がどうカテゴリーDに対処するのか見守ってやらねばなるまい。

 

 対策室の皆に一言かけると、バイクを止めてある駐車場に向かい、愛車を取り出す。

 

 1000ccの大型バイク。リミッターを解除?とかよくわからんことを祖父は言っていたが、とりあえずは300km/hぐらいなら頑張れば出せるモンスターマシンである。

 

 これは俺が16歳になってバイクの免許を取った際に祖父が買ってくれたものだ。

 

 お勤めで何かとバイクで移動したほうが早いということを紀さんから聞いていたので、免許もろともダメもとで親に打診してみたのである。

 

 するとその話を聞きつけた祖父が突如襲来。バイクが好きだという祖父の勧めでこの意味の分からんスペックのバイクを買ってしまったという訳である。

 

 バイクに詳しくない俺としては250ccくらいの小さいのでいいと言っていたのだが(普通は免許的にもそれしか乗れない)、バイクは車に比べて意外に値段がお手頃なことと、いざという時に死ぬほど飛ばせることと、なにより礼装を施しやすいという理由で大型にしたらしい。

 

 ……いざって時に飛ばせるようにって言っても300km/h出すことがあるとは思えないのだが。せいぜい出したとしても150km/h出せれば問題ないのではないだろうかという突っ込みはきっと無粋なのであろう。怨霊に突っ込んでく可能性もあるわけだし。

 

 ちなみにあんまり口外してはならないことなのだが俺は免許を二枚持っていたりする。普通は乗れない大型を乗れる理由がこれだ。

 

 バイク歴が三年になっているお勤め用のものと、俺自身の本当の免許の二種類である。

 

 なぜそんな面倒くさいことをしているかというと、俺の免許だと大型にも乗れないし、法律上の問題で誰かを後ろに乗せて走ることが出来ないためだ。

 

 一般道では一年、高速道路では三年のバイク経験年数が必要らしく、俺の免許ではどちらもクリアできない。お勤めでいざという時に誰かを後ろに乗せられないことは面倒なため、室長が色々と根回しをしてくれたのである。

 

 流石に高校の制服を着ている時は出せないが、お勤めのスタイルの時などはこちらを提示することになっている。

 

 流石は国家の暗部の力だと本気で思ったのは今回が初めてかもしれない。

 

 エンジンをかけ、バイクを起動させる。

 

 バイクにこだわりも愛着も大して持ち合わせていないのだが、やはり移動の手段としては非常に便利である。

 

「さて、さっさと済ませるか」

 

 未来を知っていたとしても、その未来は俺たちの行動によってすぐさま変化していく。

 

 未来とは固定的なものではなく、実は絶えず更に先の未来からの干渉を受けなければ定まらない可変的なものだとは某宇宙人の言だが、俺の知る未来もそれに近い。

 

 恐らくはアニメと同じことが起きるはずだ。これは確証に近いと言ってもいい。だが、万が一がある。俺が用心してあの場にいてやることが少なからず保険になるはずだ。

 

 そう思い、最近ようやく運転に慣れてきた愛車を駆動させ、目的地へと急ぐのであった。

 

 

 



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第4話 -地下鉄銀座線-

今回は内面といいますか、そこらを描いてます。
よろしければ今回の補足がありますので、是非後書きを読んでくださいませ。


 俺がカテゴリーDを初めて、いや、初めて()()を切ったのは10歳の頃だった。

 

 

 

「黄泉!」

 

「切って!」

 

「でも!」

 

 悲痛そうな神楽の声を、黄泉(センパイ)の声が一刀両断する。

 

「もう人じゃないわ!」

 

「でも、人だったんでしょ!?」

 

 元は人だったもの。その人の死体に怨霊が取り付き、身体自体が怨霊と化してしまった化け物、カテゴリーD。

 

「一度怨霊になった霊は浄化するしかないの!」

 

「だからって!」

 

「もうとっくに死んでるのよ!」

 

 正論すぎる、黄泉(神童)の言葉。その言葉には一切の間違いなど存在せず、退魔師の基準に当てはめれば100点満点()答であった。

 

 だが、幼い少女にとってはそうではない。

 

 それはあまりに残酷で、そして歪んだ(ただしい)()答であった。

 

 俺はどうだっただろうか。

 

 いや、どうだっただろうかなどと問うことすら馬鹿馬鹿しい。何故なら、今でもそれを明瞭に思い出せるのだから。

 

「切って神楽!人の世に、死の穢れ(けがれ)を撒くものを退治するのが私たちの使命よ!」 

 

「そんなの、分かってる!けど!」

 

 黄泉が賢明にカテゴリーDを殴り倒してく。ダグラス28号、アイロン型の退魔武器。

 

 優秀な装備ではある。だが、それの殲滅力が獅子王に敵うはず等なく。

 

 頭を潰すか四肢を切り落とさなければ止まらないカテゴリーDを相手にするにはあまりに役者が不足している。

 

 次第に押され始める黄泉。神楽も刀を抜かなければ既に後はない。

 

 だが、その刃を神楽が抜くことは出来なかった。それも仕方ないと言えるのかもしれない。何故なら、目の前に襲い来る存在は、人と同じ形をしているのだから。

 

 神楽は何を思っているのだろう。人だから切れない。そう思っているのだろうか。

 

 さて、では俺はどうだったのか。初めて人を切ったとき、俺は何を思ったのだったか。確かそれは。

 

 あぁ、こんなものか。

 

 というものだった。

 

 

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「買っていくのはこれで全部かな?」

 

 俺は今、家の近くにある大型スーパーに居る。環境省から出た後、少し急ぎ目で家のほうに戻り、クラスメイトに会わないであろうスーパーで買い物をしていたのだ。

 

 親からお使いとして渡された買い出しのメモに目を落とす。

 

 各種食料品に、足りなくなっていたシャンプー類。あとは母さんが欲しいと言っていた本とDVD数点程。

 

 母親特有の不思議な丸みを帯びた不思議な文字を見ながら確認していく。

 

 いかんせん量が多いので見落としがないかを慎重に判断せねばならないのだ。

 

「本もこれでいいんだよな。これ買ったし、これも買った。……よし。問題ないな」

 

 正確に一個一個を確かめて、買い漏らしがない事をきちんと確かめる。別に買い残しがあってもさしたる問題はないのだが、また買いに来るのが面倒だ。どうせ俺が駆り出されることになるわけだしな。

 

「合計で12587円になりまーす」

 

「一括で」

 

「はーい。……こちらご記入お願いしまーす」

 

「はいはい。……どうぞ」

 

「ありがとうございまーす。こちらレシートとお控えになりまーす。ありあしたー」

 

 親父から預かったカードを財布にしまい、俺は店を後にする。

 

 久々にクレジットカードを使った。クレジットカードはやはり使い勝手がよく、家族カードでは無く、自分名義の物を俺も欲しくなってしまう。前世では非常にお世話になったものだ。

 

 どうでもいいちなみに話なのだが本人以外にクレジットカードを使うのは利用規約違反らしい。これは家族カードなので問題ないが、実のところ他名義のクレカを使うのはクレカを止められてもおかしくなかったりする。

 

「さてさて。帰りますか。どのルート通っていこうかな」

 

 頭の中でこの時間の最短ルートを検索する。

 

 東京の道路は半端じゃなく入り組んでいる。それはもう地方民からしたら迷路に居るのかとでも言いたくなるような細かい道が走りまくっていたり、右に曲がると見せかけて斜めに曲がらせたりなど、慣れている人以外には苦行としか言いようのない糞みたいな作りになっている。

 

 なので正直今でも迷うことがあったりするのだが、有事の際に迷うことが無いようにこうやって頭の中で道を組み立てて通行する癖をつけているのだ。

 

 昼の時間帯ならどの道が一番早いかとか、朝はここがバス専用になっているから違う道のほうがいいとか、夜ならこの道にネズミ捕りがいるから違う道で飛ばそうとかなどである。

 

 ……とはいえこのスーパーから家は5分くらいなのだが。

 

 そんなことを考えていると、携帯が振動をし始めた。

 

 さっさと帰ることが先決なので無視してバイクにまたがると、とあることに気が付く。震えている携帯、これは私用ではなく仕事用の方の携帯だ。

 

 急ぎ取り出してそれを見る。

 

 すると添付されていたのは一枚の画像ファイル。旧銀座線新橋駅に異常な霊気圧が観測されていると示されている霊力分布図だ。

 

―――まじかよ!

 

 予想より早い。確かに霞が関から杉並区までそこそこ距離はあるし、大体20分くらいはかかるが、それでも余裕で間に合うと思っていたのだ。

 

 買い物が20分くらいだとしてここまで通算40分。多分結構飛ばしたのと買い物も急いだのでもう少し縮まってはいると思うが、大体はそのくらいだ。

 

「ここからだと一番飛ばせるルートは……」

 

 買い物のために見た目がダサくなることを耐え忍んで付けてきたバイク用の荷物入れに食品の形が崩れることなどお構いなしに買い物袋をぶち込む。

 

 メットを被り、バイクを起動させると駐車場によくいる無駄にスピードを出す馬鹿以上の速度で駐車場を駆け抜け、一時停止もすることなくドリフトみたいな形で車道へと躍り出る。

 

 いきなり飛び出してきた俺にやや後方の車からクラクションが鳴らされるが、そんなことはお構いなしだ。

 

 右手はもう絞れるだけ絞り、こんな平凡な道で出すとは思えないギアと速度で道路を駆け抜けていく。

 

 正直に言ってしまえば間に合わなくたって問題はないはずだ。

 

 前にも考えたことではあるが土宮殿が来てくれるはずなのだから。

 

 しかし、それでもやはり不安は残る。

 

 この世界に絶対は無い。それは俺も経験を通して学んでいる。万が一が起こらないという保証がないのだ。

 

 思い返せば土宮殿は今喰霊白叡を所有していないし、そして一番大きい理由だが、なによりも神楽(妹分)が心配だ。甘いと言われることはわかっているし、甘やかすつもりはないのもその通りであるが、それでも心配なのだ。

 

 黄色信号を突っ切っていく。急がなければならない。

 

 ……間に合ってくれ。

 

 そう願い、俺は最短ルートを検索しながらバイクを走らせるのであった。

 

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 そして話は冒頭へと遡る。

 

 俺が初めて人を切ったのは10歳の時だ。

 

 親父に連れて行ってもらった森で親父とはぐれてしまい、さまよっていると目の前に人が落ちてきたのだ。

 

 自殺。まさにそれだった。

 

 だが幸か不幸かその人は死ねていなかった。目の前で自殺した人が死にきれずに、尚且つ怨霊に乗っ取られかけてカテゴリーDに成りかけていたのだ。

 

 殺してくれとその人は言った。

 

 正直に言って、俺は多少の恐怖を覚えていた。

 

 でも今ならわかるが、それはそれまで生きてきてカテゴリーDを切ったこともなければ、まして人の死に直に触れようとしているのはそれが初めてだったからという訳ではない。

 

 俺が感じていたのは、ただ不気味な森の中で死にかけの人間と相対しているという、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 俺はその人を切った。

 

 殺してくれと言われてからどのくらいの時間が経っていたのか正確にはわからない。だが、少なくとも30秒以内には刃を振り下ろしていたと思う。

 

 俺は割り切れた。生きている人間といえどもすぐに死ぬし、どうせカテゴリーDになるのだと割り切れたから何の躊躇いもなく手をくだせたのだ。

 

 俺は精神が強い人間だ。

 

 それに、俺は必要とあらば手を血に染める覚悟はとっくに出来ていたのだ。

 

 神楽に初めて会った、あの日から。

 

 だから、その人に止めを刺した時にもこんな風にしか思わなかったのだと思う。

 

 あぁ、こんなものか、と。

 

 俺がこの世で切れないのは多分5人だけだ。それ以外の人間ならば、それこそ対策室の人間であったとしても必要に駆られたならば、俺は躊躇いなく殺せると断言できる。

 

 当然、自分であってもね。

 

 

 

 

 

 

 

「旧銀座線の入り口……ここか」

 

 ヘルメットのバイザーを上げて下を見やる。

 

 長い階段。封鎖されてはいるが、開けられた跡がある。黄泉たちが通った後なのだろう。

 

「……耐えてくれよ相棒」

 

 アクセルを吹かす。

 

 周りに人がいなくてよかった。

 

 居たら多分通報されるんじゃないかってことを今からするんだから。

 

 気は進まないがやるしかない。恐らくこれが最短だ。

 

「おらああああっぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 クラッチを繋げて、バイクごと俺は旧新橋駅に突っ込む。

 

 バイクが階段へと突っ込んでいくという荒唐無稽な光景。ほぼ間違いなく通報ものだろう。

 

 当然な話だが、バイクは階段を下りる用に設計されてなどいない。誰がバイクが階段を下りることを想定して作っているというのか。

 

 ……いえ、実はこのバイクはそれも想定されてるんですけどね。

 

 このボディにはちょっと特殊な仕掛けがしてある。その理由はこのバイクの名前を聞けばお分かりになるかとは思う。

 

 このバイクの名前は≪ジョーダン壱号≫。元々の名前は当然違うのだが、このバイクはマイケル師匠によって鬼改造されていたりするのである。

 

 直接マイケル師匠に話を聞いたのは今日が初めてだったのだが、これのチューニングや改造をマイケル師匠にお願いしたというのは室長から聞いていた。

 

 小野寺凜(多少無茶させられる奴)がバイクを所望していると聞いた室長は、俺の祖父に承諾を取って買ってきたバイクをマイケル師匠に流して改造を加えさせる。

 

 喰霊時代の後半の方で出てくる、「人が乗って霊力を注ぎこむだけで動かせる鎧」の開発を進めようとしていた室長の需要と、俺の供給がマッチングし、開発促進の一環として体良く利用されたという訳である。

 

 ……あの人(室長)、俺にならどんな無理をさせても大丈夫とか考えてないだろうな。

 

 あの人に「男の子なんだから」と言われると何故か納得してしまうのだが、よくよく考えるとあの人に無茶ぶりされてることが多いのは否定できない。どころかむしろされまくっている気がする俺であった。

 

 バイクに霊力を注ぎ込む。それに伴って上がる鉄の耐久度。流石にエンジンは難しいと言っていたが、それ以外のパーツは約半分くらいが置換されているそうだ。

 

 いわくつきの刀や鎧、それを鋳造してパーツに落とし込み改造する。まじあの人何者だよとか思わざるを得ないが、とにかくそれがこの無茶な行進劇を可能にさせてくれる。

 

 が、そんなチューニングも実はそこまで必要なかったりする。

 

 バイクで階段を下りながらも、俺にはあまり凹凸の衝撃が来ない。当然多少は来るが、来るとは言ってもそれは微々たるものだ。せいぜい尻が痛くなる程度。

 

 俺がバイクを欲しがった理由もここにあったりするのだが、小野寺の能力はこういう時に本当に役に立つ。

 

 頭をフルで回転させながら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 霊力で疑似的に道路を作り出しているのだ。我ながらいい発想だと思う。

 

 霊力をフルに活用して、段差を無くしながら階段を下る。一瞬でも能力の発動場所を誤ればとんでもないことになる。下手をしたら死ぬかもしれないという、そんな緊張感とともにバイクを走らせる。

 

―――改札だ!

 

 目の前に見えた昔の改札を勢いそのまま潜り抜け、またしてもドリフトの要領で線路へと躍り出る。

 

 階段が終わったのを見計らって速度とギアを上げていく。

 

 平坦な道と違って線路上は凹凸がある。流石に先程の階段程ではないがそれでも100km/h以上などだそうとしたら一瞬でハンドルを取られてお陀仏になる可能性だってある。

 

 階段ではギアを落として速度を制限していたために先ほどのようなことが出来たが、残念ながら線路上では俺の能力がバイクに追いつきそうにないため、そのまま走り抜ける。

 

 車ならまだ若葉マークの野郎がよくもまあこんな無茶な機動をするものだ。死にたがりと言われても仕方がないレベルの無茶をしているのではないだろうか。

 

 直ぐに見えてくるカテゴリーDの集団。その数は驚異的で、どこにこんな死体を隠していたのだと突っ込まざるを得ない。

 

 そしてその奥に見える黒の制服の少女と、対照的に白い制服の少女。

 

 色としては対照的だが、どちらも同じなのは今彼女たちは危機的状況に置かれているということだった。

 

「頭下げろ神楽ぁ!!」

 

 エンジンの回転数をさらに上げて速度を上げながら、普通のバイクにはないボタンを押し込む。

 

 同時に発動するタイヤの仕掛け。特戦4課が行っていた、あの礼装である。

 

「うらぁぁぁぁ!」

 

 霊力で疑似的な段差を作り出し、俺は跳躍する。

 

 俺の言葉に従ってとっさに頭を下げた神楽を確認すると、ウィリー走行のようなスタイルで元の神楽の頭があった位置にバイクの後輪を滑り込ませる。

 

 メキッという不快な音が鳴り響く。俺のバイクがカテゴリーDの頭を潰した音だ。

 

 そのまま線路に着地すると、バイクを無理やり横滑りさせ、線路の凹凸を利用して速度を殺し、ついでに黄泉を囲うようにタイヤを地面にこすりつける。

 

 それに伴って地面に疑似的な結界が張られる。低級の怨霊であり、地面を利用する怨霊ならば食い止められる、地面に張る結界。それを俺はタイヤを利用して張ったのだ。まさに特戦4課のあの人と、車椅子で神宮司菖蒲がやっていた戦法である。

 

「凜!」

 

「凜ちゃん!」

 

「無事か!?お前ら!」

 

 俺も特戦4課のようにバイクを自在に振り回して戦えるようになりたいのだが、まだいかんせん運転技術が未熟であるため、あそこまでの機動は出来そうにない。

 

 正直上出来だとは思っているが、俺には出来てここまでだ。だからバイクを停車させ、すぐさま二人に駆け寄る。

 

「ええ、ケガはないわ。凜、この場は任せてもいい?私は神楽を連れて退却する!」

 

「わかった!使えるならあれ使ってくれ」

 

 神楽に近づこうとしていた雑魚を蹴り飛ばし、黄泉にそう叫ぶ。

 

 賢明な判断だ。いくら黄泉が強いといっても神楽を守りながら戦うのは不利だ。

 

 神楽の持つ舞蹴を使えば十二分に守りながらでも戦えるとは思うが、それでも慣れない武器を使いながら黄泉が戦うよりは俺一人が気兼ねなく戦ったほうが間違いなく効率がいい。それが黄泉にはわかっているのだ。

 

 黄泉が俺の単車にまたがる。

 

 黄泉も当然バイクの免許は所持している。大型は持っていないはずだが、それでもMT方式は運転できる免許を持っていたはずだ。

 

 だが、いつもカブを運転している黄泉にしてみれば慣れない操作だ。器用な黄泉とは言え、一瞬操作に戸惑うこともあるだろう。

 

 それは普通なら全く障害にならない時間の操作確認だった。だが、戦場ではやはり長い。

 

 カテゴリーDが停止ラインを越えて黄泉に飛び掛かる。

 

 黄泉もそれは予期していたのか一瞬だけそっちに目線を向ける。流石はベテランだ。ちゃんと周りが見えている。

 

 しかし黄泉はそれを気にせずにバイクの操作に移った。今にも飛び掛かられようとしているのにも関わらず、バイクを優先したのである。

 

―――自分で言うのもなんだけど、信頼されてるね、俺。

 

 カテゴリーDが飛び掛かるのと同時に黄泉の横に躍り出る。

 

 黄泉があいつに目を向けていた時には動き出していたのだが、それは黄泉に見えていなかったはず。

 

 結果として俺は間に合ったわけではあるが、黄泉はその結果になることを完全に予想していたのだ。だから避けも撃退もしなかった。

 

 大げさに聞こえるかもしれないけれど、戦場においてその身を預けるということは相手に命を任せるに等しい。

 

 それには信頼できる実力と、信用に足る人間関係が必要だ。そして俺はそれを()()諌山黄泉から勝ち得ている。その事実に不覚ながら胸が躍る。

 

 横に腕を突き出す感じでカテゴリーDの頭を両断する。

 

 相変わらず人の骨を断つ感覚は嫌なものだ。殺すこと自体に忌避感はないとはいえ、この骨を砕く感覚には慣れそうにない。

 

 ただ、その感覚が適切に俺に響いたということは俺がカテゴリーDを適切に殺せたということを示している。

 

 本当の達人などは切った感覚など感じないレベルで刀を振るうらしいが、俺はそもそも鉈を振るっているみたいな戦法なので、その境地に至ることはないだろう。

 

「まぁ、必要なかったみたいだけど」

 

 ずるりと崩れ落ちるカテゴリーD。その背中に生えているのは金色の棒手裏剣。霊力のこもったそれは、俺の一撃以前にカテゴリーDの活動を一瞬だけ早く停止させていた。

 

「黄泉。バイクはいいし、後退するかどうかも黄泉の判断に任せるからとにかく神楽を守ってあげて。後は俺らで何とかするから」

 

 そう言って、俺が来たのとは反対方向に目を向ける。

 

「……土宮殿」

 

「お父さん……」

 

 目にするのは退魔師で最強クラスと言われる男。

 

 喰霊白叡を操る土宮舞の旦那であり、現当主代理である男。

 

 土宮雅楽。あの人が来たからにはもうこの戦場は戦場としての要件を満たさない。

 

 ……やはり来たか。

 

「神楽。舞蹴を黄泉に渡して。黄泉、神楽は任せたよ」

 

 そう言って地を蹴る。

 

 バイクも好きだが、この自分の身体を使って跳ね回っているという感覚が俺は何よりも好きだ。

 

 何にも拘束されずに、自由な感じがするから。

 

―――さて、真面目な話をしようか。

 

 実のところ、俺は今回、土宮雅楽はこの戦場に来ないと予測していた。

 

 喰霊白叡も居ない、俺も対策室に存在している。この二つの要件が出そろっていて、それでもなおここに来る理由がよくわからないからだ。

 

 俺の実力は雅楽さんからもお墨付きを貰っていたりする。それを経ての神楽を任せるという発言なのだ。

 

 それは今も変わっていない。なのに彼は現れた。

 

「史実は、変わらないってか?」

 

 思わず呟く。そう勘ぐってしまうのは仕方がないだろう。

 

 薄ら寒いものを感じる。俺が活躍してもなんの意味もない。それをこれは示しているのではないかと思わされるからだ。

 

 鬱憤を晴らすかのようにカテゴリーDを切り飛ばす。

 

 殲滅には5分とかからなかった。だが、この一戦は、俺に一抹の不安を抱かせるには十分な時間であった。

 







実はほぼほぼ凛くんの杞憂だったりします。
そして以前から書いていなかった凛くんと神楽の出会いですが、それが凛をここまで努力の狂人に仕立てあげた立役者になります。それは今後記述しようかと。
最初の出会いが病院だと思った人、甘いですぜ!そして分家会議だと思った人、それも違ったりします。
詳しくは後日にと、第1章をば(ステマ)


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第5話 -折檻-

「神楽、手を出しなさい」

 

「……はい」

 

 カテゴリーDの襲撃を乗り切った後、俺と土宮殿、そして神楽に黄泉は近くにある神社に移動していた。

 

 あれだけの数のカテゴリーDから一人の負傷者すらも出さずに乗り切った、非常に喜ばしい状況。戦果としては上々だったと言えるだろう。 

 

 普通ならば喜びの声が上がっていてもおかしくはない。俺と黄泉がセットだったことを抜きにすれば手放しで喜べる状況だ。称えられるべきことであるとは思う。

 

 だが、この空間においてはそんな祝勝ムードは一切なかった。

 

 夕暮れの赤に染まる美しい景色の中、俺と黄泉は緊張感に溢れた真剣な顔で二人のやり取りを見守っていた。

 

 鉄でコーティングされ、高々と掲げられた鞘が、齢15にも達していない乙女の手へと振り下ろされる。

 

「……うっ!!」

 

「……っ!」

 

 響く平手打ちのような、それでいてそれよりも重い音を孕む一撃。

 

 見た目や音からは想像に難いことではあるが、これは相当に手酷い一撃だ。

 

 日本刀の重さは1.5㎏が大体平均であり、プロ野球で使われている木製バットよりも0.5kgほど重い。それに鞘に入った舞蹴においてはそれよりも確実に重い。

 

 さらにはその鞘の強度も折り紙付きであり、金属バットや木製バットと殴り合ったとしても余裕で勝利することが出来るだろう。

 

 そんな破壊力を持った武器での一撃が両手の甲に振り下ろされたのだ。黄泉が思わず反応してしまっていたのも頷ける。単純な比較はできないが、言ってみれば木製バットで手を殴られるクラスのダメージだ。折檻にしては多少行き過ぎている。

 

「退魔師の家系に生まれた使命は知っているな」

 

「……はい」

 

 問い、というにはあまりにも断定系なそれ。

 

 問うつもりは元よりないのだろう。あくまでも再認識させるためのそれ。

 

 なぜなら、俺たちがそれを忘れるわけがないのだから。

 

「その責任の重さも知っているな」

 

「……はい」

 

「ならば、精進せよ」

 

 再度鞘が振り下ろされる。そして響く高いのに鈍い明らかに痛いとわかる壮絶な音。

 

 神楽が苦しそうにうめく。当然だ。俺であったとしても呻かずに耐えきる自信はあまりない。

 

 ……正直、止めようかと思った。二回目の体罰は俺からしてみれば必要のないものだと思う。

 

 こんな痛い仕置きは一発で十分だし、そもそも神楽だってこの状況になった時点で十分に反省している。それなのに追撃で仕置きを与えるのはやりすぎだと言っても過言ではないはずだ。

 

 だが、これは神楽と雅楽さんの問題だ。

 

 そこに部外者である俺が口を出すのは良いことだとは思えないし、それに神楽がどうしようもないミスをしたのは本当のことだ。

 

 あそこで敵が切れないということは黄泉を、自分を見殺しにすることに等しい。結果として俺や雅楽さんが来たから問題はなかったが、最悪の場合二人はあそこで死亡していた可能性がある。

 

 戦闘や過去に対して最良のifは考えるべきではないことが多いが、最悪のifは常に想定するべきだ。少なくとも俺はそう習ってきたしそうしてきた。

 

「土宮殿!」

 

 神楽に折檻を残し、立ち去ろうとした雅楽に思わずといった形で黄泉が声をかける。

 

 何を言おうとしたのだろうか。折檻についてか、それともついつい声をかけてしまったのだろうか。

 

「……強くなれ」

 

「えっ?」

 

「強くなれ神楽。お前が、死なぬように」

 

 それに対する返答は、神楽に対して成された。強くなれと。退魔師の使命などではなく、神楽自身が長く生きれるようにとそう返答したのだ。

 

 ……はて。こんな会話、アニメであっただろうか。強くなれは言っていた気がするが、最後の一言が俺の記憶にない。

 

 まあ喰霊-零-の記憶も結構薄れてきているし、俺の記憶違いだろう。もしかすると変わっている可能性もあるが。

 

「相変わらずスパルタですね、雅楽さんは」

 

 下を向いて反省をしている神楽にちらりと目をやってから、軽い皮肉としてそう雅楽さんに声をかける。

 

 俺の軽口に隣で黄泉と神楽が驚いているのがわかった。

 

 無礼なことだし、父の娘を思っての行いに口を出すのは無粋なことではあるが、頑固おやじに皮肉の一つでも言いたくなってしまうのはわかってもらえるのではないだろうか。

 

「……そういうお主は相変わらず無茶をするな、凜よ」

 

「いやいや、あの程度無茶には入りませんよ」

 

 バイクでの突入のことを言っているのだろう。

 

 実際は結構ビビってたりしたのだが、それは内緒である。

 

 特戦四課のバイカ―の方なんか首都高速から一般道に飛び降りるとかいう自殺行為にも等しいようなことを平然とやってのけてるぐらいだし、俺の今回の一件程度驚くには値しないでござろうというものだ。

 

「今日は助かりました。俺一人だったらどうなってたことやら」

 

「謙遜は美徳だが、行き過ぎると侮辱にもなる。お主程の実力者ならば謙遜はすべきではないぞ」

 

「黄泉ならともかく、俺はそうでもないですよ。足りない所ばかりで嫌になります。……それはそうと、華蓮の誕生日にまた色々貰っちゃったみたいでありがとうございます」

 

 華蓮は春生まれであり、つい最近誕生日だったのだが、またしてもこの人から贈り物を頂いたのだ。

 

 奥さんも入院していて、娘も離れて暮らしているというのに本当に律儀な人だ。

 

「新しい命を祝うのは当然のことだ。礼を言われる程のことではない。……守ってやるのだぞ、凜」

 

「言われなくとも。あの約束に関してもお任せください」

 

「ああ。頼んだぞ」

 

 そう言って今度こそ踵を返す雅楽さん。

 

 去っていくその姿にはやはり俺のような若輩者では追いつくことの出来ない貫禄が浮かんでおり、年月の重みを感じさせる。

 

「……凜ちゃんってお父さんと仲がいいんだね」

 

 雅楽さんが去ってからしばらくして、ポツリと神楽がそう言った。

 

「結構鍛錬に付き合ってもらってるからな。ここ数年だと神楽よりも会話数多いかもしれない」

 

 俺と雅楽さんの会話を聞いて複雑な顔をしている神楽。

 

 実の父と自分が上手くいっていないというのに、俺のほうが気楽に会話を交わしているのが何となく腑に落ちないのだろう。多分俺も逆の立場だったならば同じことを思うに違いない。

 

「あの人不器用だからなぁ。他人の方が喋りやすいんだろうよ」

 

「……そう、なのかな」

 

「思春期の娘にどう接していいかわからない、っていうか娘にどう接していいかわからない父親なんてざらだからな。案外奈落さんみたいな人のほうが稀有なのかもよ?」

 

 神楽の頭を軽くポンポンと叩いてあげる。

 

 実際娘との接し方がわからない親父さんなんてそこそこの数がいるだろう。うちの親父がどうなるか見ものだ。

 

 ……まあ、それ以上に息子との接し方がわからないという親父も一定数以上いるのが現実ではあるが。

 

「さて、もう夕暮れだし帰ろう。神楽も手、痛いだろ?」

 

「そうね、神楽の手冷やしてあげないといけないし帰りましょうか。……でも神楽。この手の痛み、忘れちゃだめよ?」

 

 神楽の手をさすりながら、黄泉はそう付け加えておくことを忘れない。

 

 いざとなれば霊術も使えたし、万が一の状況に陥る可能性は極小であったとはいえ、それでもそうなる可能性がゼロであったわけではない。

 

 退魔師は自分の命だけ背負っているわけではない。自分が死ねば自分の数倍、数十倍の命が失われる。

 

 それは上位の退魔師になればなるほど顕著になる。それが、あの土宮であるのならば猶更だ。

 

「……うん、わかった」

 

 殊勝に神楽は頷く。

 

 神楽はまだ幼い。この年の子にこんな覚悟を背負わせるのは心苦しいが、この世界に生まれた以上そうしなければこの子が死んでしまうのだ。

 

 今すぐにとは言わない。だが、割り切ってもらうしかないのだ。……相変わらず糞な世界だ。ここは。

 

「じゃあ行こうか、神楽、黄泉。……パンケーキ、食べにでも行く?」

 

 ふと思い出したいつぞやの約束。なんとなくそれを提案してみた。

 

 場にそぐわないことはわかっている。だからこそ提案してみたのだ。気遣いになっているかは怪しいが、一応俺なりの気遣いだ。

 

 そんな俺の思惑に気が付いたのだろうか。優しい心を持った目の前の少女は、ぎこちないながらも今日再会してから初めて笑みを見せてくれた。

 

 まだこの子はメンタル的に未熟なところが多い。俺や、黄泉、そして冥さんですらも精神的には大成していないのだから当たり前と言えば当たり前なのだ。

 

 だけど、この子が強いことを俺はよく知っている。未来知識としても今までの3年間でも。この子なら大丈夫。きっと苦しみながらも乗り越えてくれる。

 

「……ふぅー。よし!青山行こう青山!美味しいとこやっちから聞いた!」

 

「え?」

 

「え?」

 

 順に俺、神楽の「え」である。しばし起きる沈黙。深呼吸をしてからパン、と顔に喝を入れた後に発した神楽の一言に俺はしばし停止した。

 

「今から行くの?」

 

「いや、なんで凛ちゃんが疑問形なの?誘ったの凛ちゃんでしょ?」

 

「えっと、そうなんだが……」

 

 そうなんだが、行くのか。なかなかメンタルが図太いというかなんというか。提案したもののまさか本当に受け入れられるとは思ってなかった。

 

「私も行こうかしら。フォロー下手の凛くんのフォローに回ってあげるわん」

 

「……誰がフォロー下手だ誰が」

 

 口に手を当てながらウププと笑う黄泉。こいつが安達だったら1回ぶん殴ってやったのに残念だ。

 

「あの子なりに今日のことを割り切ろうとがんばってるのよ。ここは何も言わずにサラッと奢ってあげるのが吉ね。私は純粋に甘いものが食べたいからついて行くけど」

 

「本音少しは隠せよお前。……それはわかんだけどさ、あの1件の後に本当にパンケーキ食べに行こうとするほど気丈に振る舞えるとは思わなかったからちょっと驚いててさ。……まぁ良いことか」

 

 アニメ版よりメンタルが強い気がするのは気のせいだろうか。……いや、アニメでもあの事件の後に黄泉とノリさんをくっつけようとしてたし、気のせいか。

 

 俺のバイクの座席をバンバン叩いて俺を催促する神楽を、黄泉は温かい目線で見守る。……俺も華蓮を見てる時はこんな顔をしてるのだろうか。そうならば確かに神楽にブラコンと言われても致し方ない。

 

「凛ちゃんまた後ろ乗せてよ」

 

「ヘルメット無いからだーめ。電車でいくぞ電車で」

 

 

 

 

 ……ちなみにだが、2人で合わせて5000円分近く食べられました。俺のコーヒーと軽食代金は入っていません。

 

 1番高いヤツを容赦なく頼む2人に俺の顔が引き攣ったのは言うまでもない。アルバイトをしてるといえどもお小遣い制なのは変わらないというのに。

 

 そして、

 

「ただい……ま?」

 

「遅い」

 

「おそい」

 

 お使いで買ったものを所有していることも連絡を入れることも完全に失念しており、玄関で仁王立ちをして待っていた母と華蓮にこってり絞られたことも付け加えておこう。

 

 アーメン。

 

 

----------------------------------------------------------

 

 

 

 コンコンコン、と三回扉をノックする。

 

「お義父さん?呼びました?」

 

 扉を開けてお義父さんの部屋に入っていく。

 

 朝日のさす部屋の中でお義父さんは椅子に腰掛けていた。

 

 朝食を食べて神楽が先に出発した後、私も家を出ようかとしていたらお義父さんから呼ばれたのだ。

 

 一体なんだろうか。義父は最近よく家を空けており、あまり話せていなかったため、よく考えてみれば直接話すのは久々となる。

 

「うむ。それを開けてみなさい」

 

 そう言われ目線の先を見てみるとそこにあったのは高級そうな桐箱だった。

 

 ……なんだろうか。箱の見た目からすでにいい値段のするものであることがわかる。少し疑問に思って眺めた後、促されるままにそれを開けてみる。

 

「―――うわぁ、綺麗……!」

 

 箱を開けて目に入ったのは、女の子なら喜ばずにはいられないそんな一品だった。

 

 鮮やかでありながら落ち着いた紫色の着物。日本の伝統とも言える一品であるその衣装。それが桐箱の中には入っていた。

 

 憧れというか羨望というか、そんな喜色の色に満ちた表情を浮かべてしまう。月並みな感想にはなってしまうが、とにかく本当に綺麗で美しい一品だったのだ。

 

「妻が着ていたものだがな。よかったら着てみなさい」

 

「いいんですか?」

 

 疑問形で聞いてはいるが、声には明らかに喜びが乗ってしまう。

 

「遠慮するな。もう丈も合う頃だろう」

 

「ありがとう……!わぁーー!」

 

 着物を手に取る。綺麗なのは見た目だけではなくて、手触りもだった。

 

 手触りが綺麗というのは日本語としておかしいとは思うけれど、そう表現してしまいたくなるような手触りだったのだ。滑らかなのに生地の強さがしっかりと伝わってきて。重厚なのに手触りはしっとりとしていて。

 

 大きさをみたり、身体に少し合わせてみたりと色々してしまう。やはり戦場に身を置くものだといっても私は女の子なのだ。こんな綺麗なプレゼントを贈られたらはしゃいでしまうのは仕方ないと思う。

 

「どうだ、学校の方は」

 

「はい、変わりありません」

 

「仕事は順調か」

 

「仕事なんて。まだアルバイト扱いよ」

 

 着物に意識を取られながらもそう返答する。

 

 私や凜は神童などと呼ばれてはいるけれど、所詮はまだアルバイトとしての契約だ。

 

 私は高校を卒業したら、凜は大学を出てから対策室に正式に配属になる予定だ。

 

「対策室に新人が入るそうだな」

 

「ええ。小野寺凜の推薦で1人」

 

「ほう、凜君の推薦か。なれば実力は確かなのだろう」

 

「私はまだ手合わせをしたことはないけど、少し鍛えれば戦力になるって凜が」

 

 着物をたたんで元に戻しながら、入って来るという新人のことを思う。

 

 凜と神楽と一緒にご飯を食べに行ったときにたまたま見つけた少年だ。低級の霊を殴って除霊していた所を凜が助けて何故か勧誘していた。

 

 珍しく凜が目の色を変えていたが、何かあったのだろうか。理由を聞いてもなんでもないとしか答えてくれなかったのでわからないのだが。

 

 名前は剣輔と言ったと思う。強い霊感を持つ少年で、保有する霊力もなかなかのものだったように思える。

 

「剣道をやってたみたいで立ち振る舞いも悪くなかったし、期待はできるかもしれません」

 

「そうか。人手不足のこの業界だ。新しい芽が入ってくることは歓迎しなければならないな。黄泉、きちんと目をかけてあげなさい」

 

「はい。わかりました」

 

 なぜ凜がわざわざ勧誘したのかはわからないが、神楽も同年代の人間が増えて嬉しそうにしていたのを覚えている。

 

 神楽共々守ってあげなければならないだろう。

 

 ―――もっとも、神楽を守ってあげるなどと何時まで言えるか定かではないのだが。

 

「凜君とはうまくやっているようだな」

 

「年も近いですし、実力も近いですから色々と話が合って」

 

「そうかそうか。お主と言い、彼と言い、その歳で大したものだ。親として誇りに思うぞ」

 

「……ありがとう、ございます」

 

 少し、照れてしまう。褒められることは多々あるが、お義父さんからこうして褒められることは殆ど記憶になかったから、突然言われると、その、困ってしまう。

 

「それはそうと、対策室の紀之君との仲は良いか」

 

 しかし、その嬉しい困惑は、違う困惑で上塗りされる。

 

「黄泉話がある。飯綱家との縁談についてだ」

 

 飯綱家との縁談。紀之と私の、結婚についての話。

 

「お前も紀之君も乗り気でなかったことは知っている。このまま当人の気持ちも汲まずに話を進めてしまうのもどうかと思う。もう一度、お前の気持ちを聞いておきたい」

 

 許嫁。親が決めた結婚相手。恋愛結婚ではなくお見合い結婚でもなく、親同士が決めた男女の契りの約束。

 

 物語の中ではよくある話だ。そしてそれはロマンティックなものとして語られることが非常に多い。神楽も私と紀之のこの関係を非常にロマンティックなものだとみているみたいだ。

 

 少しばかり顔を落とす。

 

 正直な話、困惑したかしていないかで問われれば非常に困惑したというのが正しい。

 

 私はまだ17歳だ。周りが恋だ彼氏だと受かれている最中、私には婚約を約束された相手が居て、将来誰に身を捧げるのかが既に決まっている。

 

 ……紀之が諌山になるわけだから正確には誰に身を捧げられるのかが決まっているというほうが正しいのかもしれないが。

 

「―――お義父さん」

 

 立ち上がりながら、そう声をかける。

 

「お義父さんは身寄りを亡くした私を引き取って、ここまで育ててくれました。この縁談も、より親族と縁が深まるようにと私を気遣ってくれてのこと。―――反対する理由などございません」

 

 私は養子だ。正式な諌山ではなく、実の血の繋がりはない。だから、私を疎ましく思う存在がいることも知っている。

 

 だから実力のある家系である飯綱家と縁談を結び、親族の中や対外への発言力を増そうとする意図もあるのだ。

 

 綺麗ごとでは済まないのがこの世界だ。結婚一つとっても私達の自由に行かないことはよく知っている。それこそ、身をもって。

 

 でもこの縁談は本当にお義父さんが私を気遣ってくれてのこと。乗り気でなかったとお義父さんは言うが、本当に私たちが一切乗り気でなかったのならば話を進めたりなどしないだろう。

 

 だから、私は。

 

「―――この縁ありがたくいただきます」

 

 せっかくお義父さんがくれた縁だ。ありがたく頂戴しようと思う。

 

 それに、実のところお互いに満更ではないのだから。

 




パロのみさーせん。
あとちょっとで話動き始めるんで、お待ちくださいませ。


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第6話 -『お母さん』-

※そういや活動報告のss希望まだやってるんで是非お暇な方どうぞ。というより是非オナシャス。


 それを知らせたのは、一通のメールだった。

 

「神楽!乗れ!」

 

「うん!」

 

 俺の下にまで駆けてくる神楽にヘルメットを投げて渡す。学校にバイクで通学していてよかった。

 

 俺を嫌っている連中などからは「バイク通学とか調子に乗ってんのかよ」などの陰口を頂いてしまっているが、この瞬間を考えればおつりで家が買えてしまう。

 

「振り落とされんなよ……!」

 

「そんな心配はいいから早く!」

 

 右手を思いっきり捻る。

 

 こんな閑静な土地で出すにはふさわしくない音が俺のバイクから響く。大型の物はどうしても音が大きくなる。しかも俺の単車は人間大以上のものに突入しても大丈夫なようにとチューニングもされている。猶更その音は大きく響くのだ。

 

 黄色信号に躊躇わず突っ込んでいく。一応黄色は止まれの意味だったりするのだが、今回に至っては関係ない。止まったら逆に事故が起こる可能性があるのだから止まるのは寧ろ危ない。銃弾も見切れる俺の動体視力なら十分に加速しているバイクでも止まっているに等しい。それは後ろに乗っている神楽も同様だろう。だから一切ビビることなく俺に捕まっている。

 

 車の横を速度を落とさずに走り抜けていく。車からすれば危険運転の危ないバイクにしか見えていないだろうが、俺としては十二分に安全運転だ。

 

―――まじかよまじかよまじかよ!

 

 久々に喜色の笑みが抑えられない。こんなに嬉しかったのは何時以来だろう。

 

 俺は喜怒哀楽が激しい人間なので喜びの感情を覚えることなど多々あるのだが、それでもこれほど嬉しかったことなんて華蓮の誕生くらいしか思いつかない。

 

 速く、もっと早く。

 

 首都高に乗る。下道でも十分だが、ここからなら首都高に乗るのが最短ルートだ。

 

『凜ちゃん、あとどのくらい!?』

 

『後30分もかからない!』

 

 ヘルメットについている無線越しに神楽の声が響く。

 

 神楽も早く着きたくて仕方ないというのが肉声ではない機械を通した声からありありと伝わってくる。

 

『黄泉達はもう着いてるそうだ!飛ばすからしっかり捕まってろよ!』

 

『お願い!』

 

 首都高の最高速度は60km/hとかだったりする。だが、俺たちはそのゆうに二倍は出している。普通なら一発で免許停止のレベルだ。

 

 捕まらないように気をつける必要がある。ちらりと上の方に視線を向ける。オービスの場所は覚えている。後は白バイだのパトカーに捕まらないようにすれば問題ない。

 

 まあ捕まったとしても環境省の力で何とかしてもらおう。

 

 そう思い、俺は俺達御用達の病院へと急ぐのであった。

 

------------------------------------------------------------

 

「お母さん!」

 

 病室の扉を開けるには十二分すぎる力で神楽はドアを開く。

 

神楽に手を引かれて後ろをついて行っていた俺が入ろうとした時、スライド式のドアがあまりの力で開けられたため、壁に当たって跳ね返り俺が挟まれそうになった。というよりよくもまぁあの速度で跳ね返る扉より早く中に入ったなあいつ。

 

 ちらりとベットに目を向ける。

 

 そこに居るのは妙齢の女性。顔を見たのは意識がある時に一回と、お見舞いで数回。少なくとも両手の指で足りる回数しか見ていない。

 

 点滴が繋がれ、ベットから三年間動くことが出来なかった、一時は生死の狭間も彷徨った退魔師。

 

 外の景色を見ていたのだろうか。俺たちが病室に入った瞬間には上半身を起こしてベットの背もたれに寄りかかっていた。

 

 病室の前にいた対策室のメンバーに目もくれず、神楽は備え付けられたベッドへ一心不乱に駆けていく。

 

「……神楽?」

 

「そうだよお母さん!お母さん、お母さん……!」

 

 一心不乱に母を呼び続ける神楽。その目にはもう自分の母親しか入っておらず、俺が後ろにいることなど忘却の彼方だろう。

 

 それは一見緊迫して見えるが、久方ぶりに、素直に心から喜べる光景だった。

 

 

 事の起こりは一通のメールからだった。

 

 今日、俺の仕事用携帯に一通のメールが入った。

 

 重要度は最高。緊急の招集と全く同じ重要度のメールだ。

 

 もうおわかりだとは思うが、内容は1人の女性についてのもの。その生死が退魔士業界に多大な影響を与える1人の女性の容態についてのものであった。

 

 そう。土宮舞が、退魔師最強の一角に数えられる、神楽の母親が目を覚ましたのだ。

 

 三年間の眠りから、いつ喰霊白叡に内側から食い破られてもおかしくないそんな綱渡りの状況を乗り越えて、土宮舞は此岸へと戻ってきたのだ。

 

 それを見た俺達は即座に病院に集合となった。

 

 だが、一番の当事者である神楽だけは中学校の行事で都内から出ており、迎えに行く手間が発生したのだ。

 

 黄泉と俺をジープで回収してそこから神楽を迎えに行ってだとか、タクシーを呼んでちんたら来るなどよりも、俺が迎えに行ったほうが早いと考えたため、神楽と2ケツをしていたという訳だ。

 

 

 

「……神楽、神楽なのね」

 

 神楽に名前を呼ばれた土宮舞は、即座に神楽を神楽だと認識する。

 

 三年たてば別人にも変われるこの成長期の娘を、彼女は一目で当ててのけた。

 

「うん、うん!」

 

「……見違えた。大きくなったね」

 

「もう中学生になったんだよ……!大きく、なったんだよ……!」

 

 耐えきれなくなったのか、神楽は舞さんに抱き着いていく。舞さんはそんな神楽に優しい声をかけながら、その頭を愛おしげに何度も何度も撫でる。

 

 普通三年間も寝たきりの状態なら身体を動かすどころか目を開けていることすら辛いはずなのに、震えながらも手を持ち上げ、神楽の頭を優しく撫で続けている。

 

 激痛が走っているはずだ。それなのに、その手は娘を気遣うことを一切やめはしない。

 

 それと共に、神楽の目から大粒の涙が零れる。ポロポロポロポロと、壊れた蛇口のように溢れて止まらず流れ続ける。

 

「鍛錬もいっぱい頑張った……!辛くても頑張ったよ……!お母さんに負けない退魔士になろうって頑張ったの……!」

 

「……頑張ったね神楽。頑張ったんだね神楽」

 

「うん!頑張ったの……!よかった、目を覚まして……!よかった、良かったよぉ……!」

 

 もはや神楽は何を言っているのか自分でもわかっていないだろう。ただただ三年以上貯めてきた激情とも呼べるその感情が、口からとめどなく溢れて仕方がないのだろう。

 

 土宮舞の胸の中で神楽は声を上げて泣き噦る。

 

 丸3年越しの親子の会話。3年だ。3年もの間なされていなかった会話が、この病室でなされている。アニメでは決してありえなかったこの邂逅。原作でも永久に失われたこの一幕。それが今、この場で成っている。

 

 胸に熱いものがこみ上げてくる。なんて美しくて尊い光景なのだろうか。

 

 俺は踵を返す。神楽に連れられるままにやってきたとはいえ、俺はこの光景に居合わせるべきではないと判断したためだ。この一時は2人で過ごさせてあげよう。

 

 そう思って病室を出ようと扉に手を掛ける。多分対策室のメンバーもそれが理由で外で待っていたのだろうと推測する。

 

「待って」

 

 だが、空気を読んで部屋を出ようとしたその瞬間に後ろから声が掛かる。

 

「出て行かなくて大丈夫。気を使ってくれてありがとう」

 

 そう声を掛けてきたのは泣き噦る神楽の頭を撫でる土宮舞だった。

 

「失礼だけど、名前を伺ってもいいかな?あったことがあるとは思うんだけど、どうも名前が出てこなくて……」

 

「もちろん。最後に会ったのは3年前ですし、忘れるのも仕方がないですよ。お久しぶりです土宮舞さん。俺は小野寺凛と申します」

 

「……小野寺凛!あの時の少年が君なのね……!見違えた……!」

 

「3年経ってますからね。あの頃より身長も30cm近く伸びてますし、名前が出てこないのも当然かもしれませんね」

 

 そう言って俺は笑う。

 

 先程舞さんは神楽を認識するのにも一瞬時間を要したのだ。三年、その時間はあまりにも大きい。特に俺たちのような成長期に存在する人間は三年で別人とも呼べるくらいには変化するのだから。

 

 俺も神楽も3年前に比べれば成長したものだ。特に俺は中学一年の後半辺りから一気に背が伸びて170の大台を超えているから、3年越しの邂逅だと誰だか全くわからないかもしれない。

 

「そう、貴方が……。御礼を言わなきゃね。ありがとう、私の命を救ってくれて」

 

「普段なら謙遜するところですが、今回ばかりはどういたしましてと返させてもらいます。……どうやらなかなかに、褒められたことが出来たみたいだと実感できましたし」

 

 ちらりと神楽を見やる。今だに泣いて止まらない少女がそこにはいる。泣いて泣いて、思いの丈を吐き出しても止まらない少女がそこで今までの感情を爆発させている。

 

 この涙は、悲しいものでは決してない。それとは逆の、全く真逆の感情を孕む涙であり、篠突く雨が降る中で、母親の死を嘆く少女が流す涙ではないのだ。

 

「……そうね。本当に感謝してもしきれない。今はちょっと無理だけど、お礼はそのうち正式にさせてもらうね」

 

「それについてはお構いなく。今の光景以上の見返りなんて求めてないので」

 

 と、いうよりはこの光景を見れただけでお釣りがくるというものだ。

 

 俺が目的としていた悲劇の破壊。それが今成されているのだから。

 

 ようやく嗚咽が収まってきた神楽の頭を継続して撫で続ける舞さん。その顔は確かに母親で、俺達男には持てないのではないかと思わされる慈悲と優しさに溢れていた。

 

 ……胸の温まる、いつまでも見ていたい光景だ。眩しくて、そして暖かい。だけど俺はそろそろ退散するとしよう。

 

 気を使わなくてもいいと言われたものの、やはり俺はここにいるべきではない。この空間は、しばらくは神楽と彼女の二人にしておいてあげたい。

 

―――それに、これ以上居ると醜態を晒してしまいそうだ。

 

「それでは土宮殿。俺は失礼させていただきます。また今度顔を出しますね」

 

「わかったわ。また今度お話しましょう。今日は来てくれてありがとう」

 

「ええ。それでは」

 

 神楽に一瞥くれてから病室を出ていく。

 

 扉を開けると扉から少々離れた位置に対策室の面々が散らばっているのが目に入る。

 

 恐らくは病室内の会話を聞かないように少し扉から離れた位置に陣取っていたのだろう。非常識の世界に生きる人たちだが、常識はわきまえているらしい。

 

「神楽の配達ご苦労様。負担かけちゃって悪いわね」

 

「いいよいいよ。こーゆう負担を請け負うために免許取った訳だし」

 

 ひらひらと手を振る。これはちなみに本当のことだ。バイクの免許を取ったのはこういったイレギュラーみたいなことがあった際に柔軟に対応できそうだと感じたからで、まさにこのような場面を想定して取得したのだ。

 

 だから今回のことは別に負担だとも何も思っていないし、むしろ役立てて嬉しいくらいだ。

 

「そういや土宮殿っていつ目覚めたんだ?メールが来たのは今日だけど、目覚めたのは少なくとも今日じゃないよな?」

 

「いや、目覚めたのは今日だぞ。一応目覚めてからメールまではしばらく時間が空いてるが、日単位で誤差は生じてない」

 

 俺の疑問に岩端さんが答える。

 

「……それ本当ですか?にわかには信じがたいんですけど。……何か隠すような事情が?」

 

「お前にも隠すような事態があるなら、当然俺らも知ってる可能性は低いわな。何が引っかかってるんだ?」

 

「土宮殿の身体ですよ」

 

 岩端さんの言葉にそれもそうかと思いながらも俺はそう返す。

 

 突然だが、筋肉痛になったことがあるだろうか?

 

 風を引いて寝込んだ後の身体が鈍っている状態で部活に出た後とか、大学に入って運動をしなくなった後の怠け切った身体にスポッチャとか、社会人になってより衰えた身体に子供の運動会でのママさんリレーなど、久しぶりに重い運動をしたときなどによくなったりしないだろうか。

 

 当然鈍らになっていない俺の身体でも筋肉痛になることはしょっちゅうだから、鈍っている時にしか筋肉痛にならないなどということは有り得ない。が、鈍ってしまった身体で運動をすればほぼ間違いなく筋肉痛になる。

 

 その、鈍っている状態、というのがポイントだ。

 

 普通人間は身体が鈍るような状態でも歩く、寝返りを打つなどの基本動作は必ず行っている。だから体を動かすのに必要な筋肉というのは必ず使用している。

 

 だが、寝たきりの人間はどうだろう。しかも植物状態で、完全に動けない状態の人間だ。

 

 筋肉をほとんど使っていない上に、その期間も三年間。そんな状態では筋肉は衰えに衰え、見るも無残な状態になる。

 

 使っていない筋肉を使うとぽわっとした疲労が溜まり、翌日あたりに筋肉痛としてあらわれるものだが、そこまで筋肉を使用していないと通常の動作をすることにすら激痛が伴う程には衰弱している筈だ。

 

 それどころか眼球を動かすことや声を発することにさえ苦痛を感じる筈なのだ。

 

「確かに土宮殿の動作にはぎこちなさがかなりありましたけど、それでもあれが今日目覚めたばかりの人間にはとても思えない。目を開けてるのすら辛い筈なのに、そんなそぶりは多少しか見せていない。そんなことがあり得ますかね?」

 

 そう、つまりはそういうことだ。三年寝たきりの人間がいきなり娘の頭を撫でるなんて高等な技を使用できるとは俺には思えないのである。

 

 それを俺が言うと、対策室の面々は顔を見合わせて苦笑といった表情を浮かべた。

 

「それなんだがな、俺も同じこと思ったよ。ありゃ普通に考えてあり得ねえ」

 

「私も思ったわ。でも、土宮殿と私達普通の退魔師には決定的な違いがある。……わかる?」

 

「殺生石と、白叡か?」

 

「そう。お医者様の推論としてもそれしか考えられないって。有り得ないって何度も言ってたわ」

 

 殺生石。三途河が持つ破滅の結晶。現在は環境省の地下に幽閉してあるが、それとは別の石に封印加工を施されたものが土宮舞の耳にはある。

 

 その効果は自然治癒力の増加と白叡を操るために霊力の補助。

 

 そして白叡自体にも治癒能力促進の力があった、筈だ。定かではないが、原作(喰霊)の神楽がそんなことを言っていた気がする。

 

 ……まあ納得ではあるか。別に前々から舞さんが目を覚ましていたことを隠していたとしても俺に害があるとは思えないし、これで納得をしておこう。

 

「成程、納得しました。あの石なら確かにそのくらいやりかねないですね」

 

 元々のやつはぶっ飛んだ右腕を再生するくらいだし、そのくらいは訳ないのか。

 

 ちょっと無理がある気もするが、あの石ならなぁ。

 

 病室で神楽の頭を撫でていた舞さんを思い出す。あのくらいまで回復するのに通常どのくらいかかるか分からないが―――

 

 ……。

 

 ……。

 

 ……駄目だな。こうやって普通に話してれば耐えれるかななんて思ったけど、やっぱり無理みたいだ。

 

「すいません、ちょっとお手洗い行ってきます」

 

 皆に笑顔を振りまいてから対策室の面々の間をすり抜けて行く。

 

 そのまお手洗いには向かわずに、病院スタッフに殆ど使われていないスタッフオンリーの扉を抜けていく。

 

 この病院は対策室などの裏の人間が良く使う病院であり、有事に備えて全てのマップは記憶させられているため、どこに何があるかはすぐわかる。

 

 なので下手をすると病院スタッフよりも内部構造に詳しかったりするのでは?という程に色々知っており、この扉の奥にある外を経由して昇る階段には殆ど誰も出入りしないということを知っていたりするのだ。

 

 俺は当然スタッフではないからここを使うことは適わないのだが、見られなければ問題はないだろう。

 

 そこを一階分ほど上がり、踊り場のようになっている部分に腰を下ろす。これは外を経由するタイプの階段で、指してくる日差しが中々に気持ちがいい。

 

 ……はぁーと溜息のように息を吐き出す。

 

 色々と堪える光景だった。負の意味は一切ない堪えるではあるが、それでも心にはくるものだ。

 

 三年前と言えば俺と三途河が本気でぶつかったあの一件が即座に目に浮かぶ。そして血塗れで倒れる土宮舞と、その病室で無表情に佇む神楽も。

 

 むしろ一番目に浮かぶのがあの神楽の表情かもしれない。色のない、あの年頃の少女が浮かべるものではない表情が。

 

 雅楽さんから直々に感謝の言葉を貰って救われた気持ちになっても、あの表情を見た時には自分の無力さをかみしめてしまったものだ。

 

 ()()

 

 踊り場のコンクリートの壁を背もたれにしながら、完全に脱力して座り込む。

 

 ここなら、いいかな。

 

 

 

 

「―――凜」

 

「んぁ?」

 

 

 

 そう、思っていると上から声が掛けられた。

 

「トイレに行くんじゃなかったの?」

 

「さあて。そうだったっけ?」

 

「そう言ったの凜じゃない。それにここスタッフ以外立ち入り禁止よ?」

 

「それを言うなら黄泉もだろ?ここ、スタッフ以外立ち入り禁止なんだけど」

 

 膝に手を当てて、前かがみになって俺をのぞき込んでくる黄泉とそんな会話を交わす。

 

「んで?どうしたの?」

 

「ちょっとね。私も凜と同じでお手洗いに来たんじゃない?」

 

「ここに?露出狂の知人を持った覚えはないんだけどな」

 

 そう軽口を返す。

 

「私を露出狂扱いするなら凜もってことになるわね。お手洗いしに来てるわけだし」

 

「ふざけろ黄泉。俺はここに日光浴しに来ただけだよ」

 

 いつもの調子で更に軽口を返していく。

 

「―――うん、そのくらい軽口叩けるなら大丈夫そうね」

 

 ふわり、と何かに包まれるような感覚が身体を襲う。

 

 しっかりとしているけど柔らかで、男ではありえない柔軟性を持った身体にそっと抱きしめられている感覚。

 

 身体を覆われるというのは平生なら不安を感じさせるものなのだが、不思議とそんなことはなく、ざわついていた心がスッと休まっていく。

 

 いい香りがする。ああ、俺は今黄泉に抱きしめられているのか。

 

「―――泣いたら?私の胸くらいなら貸してあげるから」

 

 耳元でそう優しく囁かれる。

 

「……驚いたな。そんなに顔に出てた?」

 

 尋ね返す。ポーカーフェイスには自信があったのだが、表に出してしまっていたのだろうか。

 

「……ううん。何となく、かな」

 

「何となくで当てられるとか。どんな勘の持ち主なんだよ、黄泉は」

 

「そりゃお姉さんですから。弟分の違和感くらいすぐわかるわよ」

 

 俺の頭の後ろに回した手でポンポンと後頭部を叩いてあやしながら、優しい声色で語り掛けてくる。

 

 この安心感というか、身をゆだねたくなるようなそんな安らぎは、やっぱり女の人に特有のものなのだろう。そう考えてしまう。

 

「今回は必要なかったみたいだけどね。でも、一人で泣くのは寂しいでしょ?」

 

「まあね。今回は寂しい涙ってわけじゃないけどね」

 

「こんな美少女の胸を借りておきながら皮肉垂れないの」

 

 よしよし、と言いながら頭を撫でてくる黄泉。

 

 ……俺は赤子じゃないのだが。

 

「俺さ、多分そこまで何も思わないって思ってたんだ」

 

「うん」

 

「でも駄目だね。あんな光景見ちゃったら」

 

 神楽()が嬉し涙を流し、それを舞さん()が受け止める。喰霊-零-では、喰霊では有り得ないワンシーン。

 

 俺が、俺が(・・)作り出せたワンシーン。

 

「今までの苦労とかが報われた気がしてさ。色々そう感じる時はあったんだけど、今回は特に、ね」

 

 死ぬ気でやってきたことが、あの、赤子の神楽を見てから思い続けてそして失敗したと思ったそれが。実を結びそして今開花したのだ。

 

 俺のして来たことがこの世界線をあの世界線(喰霊-零-)から完全に切り離した。

 

―――俺は、一つ救済を成せたのだ。

 

「―――好きなだけ泣きなさい。泣き止むまで、付き合ってあげるから」

 

 俺の独白に、黄泉はその言葉で返してくる。

 

 自然と目元が湿り気を帯びる。

 

 もう、耐えられそうになかった。

 

 

 

 

 

 

 今までもこれからも、黄泉のことを恋愛対象として見ることは決してないだろう。

 

 俺の中で黄泉は紀さんとくっつくのが俺の中の決定事項のようなものであるし、どうしても憧れの人というか、そういった目線で見ていたために女性として彼女を見たことが殆どなかった。

 

 あくまでも彼女は姉としての存在で。英語のidolに近い存在であって。

 

 でも、こんなことされたら。

 

 

 少し、惚れてしまいそうになるじゃないか。

 

 

 




※原作、アニメのカップリングは崩さないというのは不変ですので、是非悶えてください。
なお、なんで黄泉が来たかについては、弟が変だから心配になっていってみたら泣きそうだったから胸を貸した程度の感じです。


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第7話 -密談-

遅くなりました。
今回長いです。
ほぼ会話回なので退屈かもですが、お付き合いくださいませ。
冥姉さんだけでいいよ!って人は下から見てった方が早いです。
※今回誤字多い可能性あるんで、誤字報告してくださる方は是非お願いします。


「―――この前ぶりかな。ある程度動けるようになったらこちらから顔を出そうと思ってたけど、また顔出して貰っちゃったね」

 

 夜遅く。夜半には達していない、病院では消灯時間を過ぎた時間帯。

 

 明かりは月の光だけで寂しく、でもどこか幻想的に彩られたそんな時間帯。非常灯と一部の空間だけが点灯していて、病人には寝ることを半ば義務付けたそんな頃合いの病室に、彼は現れた。

 

「この前ぶりです。夜分遅くに申し訳ございません。ちょっと二人でお話したい話がございまして」

 

「消灯時間も過ぎたこんな時間に二人で話したいこと?……ちょっと想像つかないけど、うん。座って」

 

 促されるままに彼は腰を下ろす。

 

 もう消灯時間は過ぎており、病室のメインの電気は落とされている。

 

 普通ならこんな時間帯に、しかも仮にも女性の部屋に訪れるのは非常識というものだろう。寝ている可能性だってあるし、そもそも普通の方法では入り込めない時間帯だ。

 

 呆れを通り越してもはや笑うしかない程の非常識な行為だろう。ナースコールを押されたとしても文句は言えないどころか当然の行為だ。

 

 この時間に私の病室を訪れたのが彼じゃなければ、の話であるが。

 

 彼のことをじっと見つめる。

 

 やや中性的で、どちらかというと小動物のような可愛らしさを孕みながらも男として十分に整った顔立ち。

 

 あの一戦で出会った時よりも遥かに高くなった身長に、男としては高いものの昔より遥かに低くなったその声。

 

 小野寺凜。あの一戦で私を助けてくれた、現在の退魔師界で最も名前の通った人物の一人。神楽の話題にもよく出てくる少年。主人からも名前が出てきたのには多少驚いたが、それだけ名実共に周囲から認められた、私の()()()()

 

 その彼が、()()()()人のいない、神楽や主人も居ない時間帯を狙ってやってきたのだ。間違いなく失礼を承知で、でも私に話があってやってきたのだ。

 

 それを、私が失礼だなどと思うはずがない。むしろその訪問を私は嬉しく思う。彼とは、一度じっくり話をしてみたかったから。

 

「お茶を出してあげられなくてごめんなさい。体が十分に動くならそうしてあげたいんだけどね」

 

「お気になさらず。こんな夜遅くに訪ねる俺が非常識ですから。それに、まだ腕を動かすのだって辛いでしょう」

 

 そう言われて自分の腕を見る。

 

 自分で言うのもおこがましい事ではあるが、ある程度張りには自信のあった肌。今やそれは以前の面影も見せず、それどころか筋肉の衰えのせいで骨が浮き出してしまい、女として自信を喪失したくなる酷さだと思う。

 

 あの一戦から目が覚めるまで主観では一瞬のことだったが、三年の月日はこうして自分の外見に客観的事実としてありありと映し出されている。

 

「……そうね。肌に張りは無くなっているし、やつれちゃってるし、神楽みたいなぴちぴちのお肌を見慣れた凜君に見せるにはお目汚しになっちゃうよね」

 

「ちょ、そういう意味で言ったんじゃないんです。すみません」

 

 少しからかってみると若干ながらも戸惑いながらそう返してくる彼。雰囲気は落ち着いていて老成してはいるのだけれど、神楽の言う通りからかいがいはある子みたいである。

 

 ……神楽、か。

 

 自分の言葉に自分の娘の顔が想起させられる。

 

 三年の月日は娘の成長という形でも私の眼前に突き付けられた。もう中学生だよ、と神楽は言った。成長した身体で私を抱きしめてきた。

 

 成長した体躯で、成長した話し方で、でも私の娘だと一目で一言でわかるその笑顔で私の前に現れてくれた。不思議な感覚だった。目の前の少女が私の愛しい娘だとわかっているのに私の知っている娘じゃないのだから。

 

「冗談冗談。実はそこまで気にしてないから」

 

「地雷踏み抜いたかと思いましたよ。……冥さんといい、どこに女の起爆剤あるか分かんないからな」

 

 笑いながらそういって、後半に何か小声でつぶやいた彼。……まだまだ身体が本調子じゃないから聞き取れなかったが、女性関連だろうか。何となく私の勘がそう告げている。

 

 追求しようかと思ったけれども、やめた。それは今度でいいから、とりあえず今は大切なことを色々話をすることにしようと思ったのだ。

 

「君って高校生にしてはしっかりしてるよね。神楽も二年後には君みたいになってるのかしら?」

 

「心配なさらずとも俺程度、あの子なら軽々と超えてくれますよ。実際、三年前よりも相当大人になっていたでしょう?」

 

「ええ。その節目に立ち会えなかったのは残念だけど、立派に育ってくれたわ。本当に、君と黄泉ちゃんには感謝しないとね」

 

 彼女のことも頭に浮かぶ。目覚めてから神楽とは一杯話をしたけど、その中でもダントツに話題に上がるのが彼女のことだった。

 

 格好良くて可愛くて。本当に頼りになるのに子供っぽくて、でもやっぱり神楽にとっての憧れのお姉ちゃんで。

 

 キラキラとした目でずっと尽きることなく語ってくれた。親である私が何故か嫉妬してしまうくらいには黄泉ちゃんに懐いていて信頼しているんだってことが本当にわかった。

 

 なんと幸せな環境で彼女は過ごして来れたのだろう。本当に、彼女には感謝してもしきれない。三年間寝ていたというのはまだ絶対的な実感がわかないけど、彼女への感謝はその実感を通り越して余りある。

 

 そして当然、君にもね。

 

「俺は大したことしてないですよ。あの子の辛い時を支えてくれてたのは主に黄泉ですから、感謝なら是非黄泉に。あいつも喜びますよ」

 

 謙遜する小野寺凜。多分この子は本気でそう思っているのだろう。

 

 でも神楽も私もそうは思っていないし、多分黄泉ちゃんもこの意見に賛同してくれるとは思う。

 

 神楽の話題に上がっていたのは圧倒的に黄泉ちゃんだけど、彼の話題も良くしていたし、妹みたいに懐いていることも本当に良く分かったのだから。

 

「自分の価値をもうちょっと知ってもいいかもね、君は。でも君の言う通りそうね。彼女(諌山黄泉)ともまだじっくりお話ししたことはないし、今度機会作ろうかな」

 

「いいと思いますよ。あいつも土宮さんと話したがってましたし。奈落さんも土宮さんが落ち着いたら伺いたいって言ってましたし、その時にでもどうです?」

 

「それいいかも!奈落さんも来てくれたけど遠慮してすぐ帰っちゃたしそれ採用!」

 

「良ければ俺から伝えておきますよ。良く黄泉の家には行きますから」

 

「へー。黄泉ちゃんの家によく行くんだ。黄泉ちゃんって飯綱家との縁談を結んだって話を聞いてるんだけど、仲がいいんだね」

 

 ちょっと驚く。仲がいいのは知っていたけど、家にまでお邪魔するような関係とは思っていなかった。

 

 そう言えば神楽が、「『紀之が居なければ考えても良いかもね』って黄泉が言ってた!」と話してくれていたような気がする。

 

 ……不思議と神楽は彼に異性としての興味が()()ないみたいだけど。年代が近い子なら結構魅力的だと思うんだけどなあ、この子。

 

「体よくこき使われてるだけですよ。言っておきますが神楽に呼び出されて送り迎えさせられたことも少なくないですからね」

 

「あらあら。それは親としてお礼と謝罪をしておかないとね」

 

 皮肉気に冗談を言う彼に思わず笑ってしまう。

 

 大人と話す時用の余所行きの話し方であるとはわかるけど、話しやすい子だ。主人が気に入っているのも頷けるなとそう思わされた。

 

「……それはそうと、さっきも少し触れましたが、お身体の方は大丈夫ですか?まだ痛むでしょう?」

 

「ええ、心配してくれてありがとう。予想の通りまだ歩いたりとか立ち上がったりは痛くて怠くて辛いけど、手を動かしたり人と話すくらいなら訳ないかな」

 

 そう言って力こぶを作るポーズをする私。

 

 ……悲しいかな、女だから男の人みたいに目に見えて盛り上がらないし、三年間のブランクもある。以前は女性なりに美しい上腕二頭筋をしていたと自負しているけど、今では誰かに触れれば折れてしまいそうなほどに細く頼りない。

 

「……流石の回復速度ですね。普通の人ならこうはいかないでしょうに」

 

白叡(シロ)も居るし、殺生石もあるからそのおかげみたいね。それでもここまで衰弱しちゃってるけど、一年もすれば復帰できるんじゃないかな」

 

 白叡には宿り主の回復を促進する力がある。それに耳についている封印加工のなされた殺生石のおかげで通常の人間では考えられないほどの回復速度で治癒が出来るのが私という人間だ。

 

 そうでなければ寝たきりの人間が起きたばかりや起きてから1週間程度でこんな流暢に話すことが出来るわけがない。

 

「三年間も寝たきりだったんですから、仕方がないでしょう。……最も、仕方がないと言っていられる状況じゃないんですけどね」

 

「ん?それはどういう―――」

 

 ぼそっと呟いた言葉を私は上手く聞き取ることが出来なかった。何度も出てくるブランク以上に彼が小さく囁いたのだろう。

 

 聞かせる気のないその一言。私は思わず聞き返えそうとしてしまう。

 

「土宮舞さん。今回はお願いがあってきました」

 

 だけどそんな私の発言を遮り、彼はそう発言する。

 

 お願い。これが今日こんな時間に私の病室を訪れた理由。

 

 本当に唐突に紡がれた、今日の本題。

 

「……お願い?今の私に?それとも土宮にかな?」

 

「両方、になるんでしょうね。借りたいのは貴女の力ですから」

 

 両方という答えはかなり意外だ。てっきり土宮としての力を貸してくれとでも言われるのだと想像していたから。

 

「復帰まで一年くらいっておっしゃったように思ったんですが?」

 

「ええ。少し長く見積もってそのくらいじゃないかな」

 

 前線に立つのと生活をするのは全然違う。生活をするなら一か月でなんとか形には出来るだろう。疲れながらでも掃除洗濯炊飯くらいならこなせるようにはなる、とは思う。

 

 でも戦闘は別だ。一年はかからないにせよ生活とは身体の使い方のケタが違う。現役と同じ動きをしようとすれば相当に鍛錬を積み直す必要がある。

 

 それがわからない彼ではない。話していて馬鹿ではないとすぐわかるし、実際にそうだろう。

 

「確かに戦闘に復帰するならそのくらいかかるでしょうね。喰霊の力があるにせよ戦闘はそんな衰弱した身体じゃとてもじゃないができるものじゃないですから」

 

 やはり、その程度は理解している。同じ戦闘に身を置くものだ。身体のなまりが如何に重要で、避けなければならないものかを理解していないわけがないのだ。

 

 でも、彼が私にしたい要求は、思わず疑問符を出してしまう程には無茶なことだった。

 

「一年。確かにそのくらいかかるでしょうが―――遅いです。4か月、いや、3か月以内で前線に復帰してもらえませんか?」

 

「成程、こんな時間に主人たちを避けてやってきた理由が少しはわかりそうなお願いだね」

 

 思わず笑ってしまう。あざけりの笑いなどではなく、色々なことを理解して、本当に面白くて笑ってしまった。

 

 復帰まで一年程と言っていた人間に、その四分の一の期間で復帰しろという目の前の少年。

 

 これが無茶でなくてなんというのだろうか。先程も述べたが、彼は戦闘に身を置くもの、しかもその最高峰に位置するものである筈だ。

 

 そんな人間がこの要求の無茶さをわかっていないわけがないのに。

 

「……どこまで最近のこの業界のことについて聞いているかはわかりませんが、今この業界はかなり不安定です。霊力場の乱れ、殺生石を持つカテゴリーAの出現……。それだけじゃない。下手したらもっと酷いことが起きるかもしれません」

 

 私が何も言()ずに黙っているとそう解説し始める。

 

 私は土宮家の当主だ。いくら衰弱しているとはいえ今の状況に無知でいることは許されない。だから近況適度は端的に神宮司さんから聞いていて多少は知っている。流石に彼よりは知らないだろうが、今のこの世界が異常だということは理解しているつもりだ。

 

「俺の推測に過ぎませんが、この異常な霊気の乱れは間違いなく殺生石が絡んでいます。最近は大きな事件もないので皆の気が緩みがちですが、だからこそ事が起きるならこの近辺じゃないかと考えています。その際に戦力は出来るだけ確保しておきたいんです」

 

「……なるほどね。君と黄泉ちゃんが居るだけでも相当な戦力だと思うんだけど、その君の予測の中だとまだ戦力が必要なの?」

 

 備えあれば患いなしということだろう。

 

 でもそれは客観視した場合明らかに過剰な備えだ。神楽がどのくらい成長したかはわからないけど、目の前の彼もいるし黄泉ちゃんもいる。

 

 それに確か諌山にはもう一人腕の立つ子が居た筈だ。主人だって現役だし、あの敵がもう一度襲ってきたとしても遅れをとるとは思い難い。

 

 戦力としては十二分。それこそ下手をしたら自衛隊相手にだっていい勝負をするだろう。総力戦になったら敗北は必至だけど、同規模の戦闘を想定したら圧勝できるビジョンしか浮かばない。

 

 過剰にも過剰。でも、この子がそんな事をわからず提案しているとはとても思えない。

 

 ……何を言うんだろう。()()()()()()()()()()()()気になって話を続けてしまう。

 

「確かに俺と黄泉がいれば大抵のことは何とかなります。それこそ対策室が敵に回る程度なら真っ向から潰して見せますよ」

 

 退魔師最強と名高い方の前でこんな大見得切るのは恥ずかしいですが、などと恥ずかしそうに笑う彼。

 

 中々たいそうな自信だが本気でそう思ってはいるのだろう。誇張していっているような様子は見られない。

 

「黄泉なんかかなり強いですよ。並みの退魔師どころか100人規模の軍隊を送ったって無理なくらいです。俺と黄泉で組んだら雅楽さんでも多分止められないです」

 

「なら猶更だよね。そのことが本当ならやっぱり過剰戦力だと思うな」

 

「止められるって話に関しては本当ですよ。誇張でも自惚れでも無いって申し訳ないですが確信してます。でも、本当だからこそ猶更あなたの協力が欲しいんですよ」

 

 そう言って一度タイミングを置く彼。

 

 ()()()()()()()、つまりは主人なら危なげなく退ける戦力があるからこそ、新たな戦力が欲しいと彼は言っているのだ。

 

 すがすがしいくらいに凄い矛盾。無駄のない無駄な動きくらい矛盾してる。

 

「……矛盾してるって思ってますよねその顔」

 

「あら、顔に出ちゃったかしら」

 

 顔に出ていたらしい。見抜かれてしまった。

 

「まあ核のない世界にするために核を持ちますって言ってるようなもんですし、そういう反応されることは予測してましたけど」

 

「その例えうまいね。凄く分かりやすいかも。……それで君が危惧してるのはなんなのかな?」

 

「殺生石です。こう言えば察していただけるんじゃないかと」

 

 かちり、と頭の中で歯車がかみ合った音がする。

 

 殺生石。九尾の狐の魂の破片。私の耳にも付いている、莫大な妖力を要する伝説級の代物。

 

 そこで私はようやく気付く。彼が何を危惧していて、私が欲しいと言ったのか。

 

「問題は俺や黄泉が敵に回った時なんですよ。有り得ないことですが、その有り得ないを有り得るにする力が殺生石にはある。……そして、敵の切り札ともいえるのがそれなんですよ」

 

 そう言って、彼ははぁーっと溜息をつくのであった。

 

 

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 退魔師最強と名高いのは伊達じゃないのだろう、と俺は理解する。

 

 あの情報だけで、完全に彼女は理解をした様子だった。彼女の顔を見る限りではあるが、多分間違いないだろう。

 

 殺生石は非常にメジャーというか、かなり知名度が高い。そしてその石を持っているこの人がその能力と副作用―使ったら理性をすっ飛ばして悪霊になる効果―について知らないわけがないからこの理解の速さは当然ともいえる。

 

「俺と黄泉の欠落を心配しなければならない程度には相手は凶悪です。もう一人こっち側の戦力に引き込めそうな女性はいますが、その人も俺からすれば心配な相手です。―――傲慢な考えですが、俺が手放しで安心できる戦力が、少なくとももう一本は欲しい」

 

 黄泉は一人で環境省の超自然部門の人間を半数殺している。たった一人で、たった一振りの刀で、だ。正直に言えば俺もそれと同等以上のことが出来ると思う。俺や黄泉からしてみれば一週間もあればそう難しい仕事ではない。

 

 現在俺が手放しで信頼できる戦力は雅楽さんと黄泉だけだ。それはあまりにも少ない。一人で軍と戦えるクラスの人間に対するカウンターがあまりにも少ない。

 

「そこで貴女の力が欲しい。退魔師随一の実力を誇り、喰霊白叡を継承している貴女の力が」

 

 そう言って真正面から土宮舞の瞳を見つめる。意志の強い瞳。やはり神楽の母親なのだとわかる輝きがある。思わず吸い込まれそうな、そんな輝き。

 

 神楽も、将来はこんな強くて綺麗な目をするようになるのだろう。それまで俺が生きているのならば是非見てみたいものだ。

 

「三年間寝ていた女に随分無茶を言うのね、命の恩人さんは」

 

 そんな言葉と共に、舞さんはクスッと妖艶に微笑みを返してくれる。苦笑というのが正しいような微笑だが、やつれたその顔であっても引き込まれそうになる程には魅力的な笑みだ。

 

 ……馬鹿なお願いをしているのはわかっている。でも、この人を逃すわけにはいかない。少なくとも、戦力にならずとも自衛が出来る程度には回復してもらわなければ。

 

「これは命の恩人さんからのお願い、ってことでいいのかな、凜君?」

 

「……」

 

 俺はそう返す。冥さんに借りを作っておきながらなんだよと言われかねないが、俺はあまり貸し借りだの恩だのという概念が好きではない。

 

 この会話は交渉などというものではない。命を救った恩人からの、暗にその恩を返せというお願いなのだ。

 

 俺も彼女もそのことを、借りを返せということを直接言葉に出して言っているわけではない。だが、お互いにお互いがそのことを理解している。俺がこの人に頼みごとをするということはつまり必然的にそうなってしまうのだと。

 

「―――いいよ、その無茶、聞いてあげようじゃない。土宮家当主としても退魔師としても三か月で前線に復帰してあげる」

 

 そのため、こんな無茶な提案が受け入れてもらえるかどうかかなり不安だったのだが、とん、と軽く胸を叩いて俺のお願いを快く土宮舞は受け入れてくれる。

 

「でもいいの?もし私が復帰したら君の敵になる可能性があって尚且つ制御が難しい人間がふえちゃうよ?……自分で言うのもなんだけど私は手強いよ」

 

「それならご心配なく。問題ありませんから」

 

 ニコリと微笑みながらそう返す。

 

 ……確かにこの人が最盛期の力を取り戻して敵に回ったら厄介なんてもんじゃない。

 

 ぶっちゃけこの人がどのくらいの強さかはわからないけど、雅楽さん以上と取って間違いないだろう。女性が異常に強い瀬川ワールドのことだからこの人が雅楽さん以下だと考える方が不自然だ。

 

 そんな相手が敵に回るなど絶望の極みだ。救えないにもほどがある。

 

 ……でも。

 

「土宮さんが復帰してようがしてまいがどのみち危険性は変わらないんですよね」

 

「……へー。ほんとに君は色々考えてるし知ってるんだね」

 

「ありがとうございます。まあこの時のために生きてきたって言っても過言ではないですから」

 

 本当に過言ではないが、この人も大概だと今この瞬間に思わされる。

 

 ……本当に敵に回したくはないものだ。手は打つが、こればかりはあの馬鹿(三途河)の出方とこの人の精神力次第と言わざるを得ないのだから。

 

「確かにこの石の原石なら()()()()()()()三年前の、いいえ、()()()()()()で復活させられるでしょうね」

 

「本当に糞忌々しいことながらその通りです。三か月後の貴女に使おうが今の貴女に使おうが忌々しいことに敵に回った貴女の脅威度は()()変わらない」

 

「わぁ本当に嫌そうな顔してるね。……そしてそれなら私が敵に回らなかったとき用に戦力として確保しておく方が効率がいいもんね」

 

「……そこまでわかってるんですか?ほんとに敵にだけは回らないでくださいね、お願いですから」

 

 なんという頭の回転の速さだと舌を巻かざるを得ない。これで脅威度が爆上げになってしまった。

 

 解説すると、どのみち脅威度が変わらないならばこの人には死ぬ気でリハビリに励んで貰った方がいいというのが俺の見解だ。

 

 この人に関して考えられるパターンとしては四つ。

 

 ①リハビリで力を戻さないし、敵にも回らない。

 ②リハビリで力を戻さないが、敵に回る。

 ③リハビリで力を戻して、敵に回る。

 ④リハビリで力を戻して、敵に回らない。

 

 そして意外かもしれないが、この中で②と③の脅威度はイコールだ。

 

 何故ならリハビリをしていようがいまいが、あの糞石は彼女を最盛期の状態に復活させて俺らの敵に回すだろうからだ。

 

 だが、リスクを考えてみてもイコールなのだ。前線に立てるまで回復してもらっても、そうじゃなくても等しく全盛期の力を持った敵になる可能性があるならば、④の可能性―戦力として活用できる可能性―にかけるのが最も賢い。

 

 俺が説明する前に理解されるのは嬉しくて嬉しくない誤算だが、流石は最強の退魔師と言ったところか。

 

「なるほどねー。やっと君の考えが全部わかったよ。私としては君こそ敵に回ってほしくないな」

 

「そう言っていただけると嬉しいですね。まあ」

 

―――その場合のカウンターが貴女、なんですけどね。

 

「ん?何か言った?」

 

「いえ、なんでもありません。とにかく、受け入れてくださってありがとうございます」

 

「いいよ。納得できる話ではあるし、じっとしてるのも嫌だからね。……でもそうだなー。こんな時間に訪ねてきてこんな重い話されて私疲れちゃった」

 

 んーと言いながら伸びをする舞さん。所々のイントネーションだとか、振る舞いが神楽に似ていて、大人の女性であるのに可愛らしいという印象を抱いてしまう。

 

 ……しかしやはりこの時間に訪れるのは失礼過ぎたな。できれば雅楽さんとか神楽の前ではあまりしたくない話だったからこの時間に来るのが確実だったのだが、失礼な事には変わりない。

 

「この話は終わりだよね?なら私が寝るまで少しおしゃべりに付き合ってくれない?」

 

「喜んで。俺でよければ」

 

 本心から答える。

 

 俺としてもこの人とは色々話をしてみたかったのだ。喰霊-零-ファンとしての俺の側面と、退魔師としての俺の側面から。

 

「それじゃ少し付き合ってもらおうかな。何か一つくらいお土産貰って寝たいからね」

 

 クフッとか言いながらまさに神楽みたいに笑う舞さん。

 

 ……意外だ。喰霊-零-での写真を見た限りだとこんなお茶目な雰囲気の人ではなくクールで理知的な人を予測していたので少々びっくりしている。

 

 これは嬉しいものだ。恥ずかしながら先日黄泉に抱きしめられながら本気で泣いてしまったというのに、自分の行為のおかげで何もわかっていなかった人物が明かされていくというのは目頭が熱くなるものだ。

 

 俺から提供できる話題は少ないが、この人の話に付き合って、俺が話せる範囲ならなんでも話そうと思う。時間ならたっぷりあるわけだし。

 

「それじゃコイバナでもしようかしら凜君」

 

「あ、時間なんで帰りますね。おやすみなさい」

 

 前言撤回。礼儀知らずと言われようともさっさと撤退することに決めた俺であった。

 

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「と、いう会話をしました」

 

「……成程。貴方が敵側なのではと疑いたくなる会話ですね」

 

「ちょ、なんでですか。寧ろ俺ってばこれ以上ないくらいに貴女の味方の立場でしょうに」

 

「味方?単なる情報提供者の間違いでは?」

 

「……うっわあほんとに協力し甲斐のない人ですね冥さんって」

 

 苦い笑みを浮かべながら、少年はそう言葉を漏らす。

 

 まあ別にいいですけど、などと言いながら少年は目の前に運ばれてきたブレンドコーヒーに口をつける。

 

 風味を最大に引き出す温度で淹れられ、口に含む前から芳醇な香りを漂わせるそれ。口に含むことでその風味が外からだけではなく内からも抜けていき、その香りはより一層濃く深くなる。

 

「飼い犬には餌をあげとかないと噛みつかれますよ?」

 

「その場合は犬とやらを飼った私がその程度の存在だったということでしょう。噛みつかれるのなら仕方ありませんね」

 

 少年、小野寺凜の体面に座る女性は、少年と同じタイミングで運ばれてきたコーヒーに口をつける。

 

 同じものを飲んでいるとは思えないほど優雅にそれを口に運ぶ、透き通るような美しい白銀の髪をした女性―――諌山冥。

 

 ティーカップを持ち上げて口に運んでいるだけなのに、何故こんなに絵になるのだろうかと小野寺凜は思う。ふと横目で違う席を見るだけでも周りから視線がちらちらと注がれているのがわかる。

 

 凜も顔立ちは整っている方だとは自負しているし、その評価は間違っていないが、凜は異性から殆ど注目されることがない。正確に言うとかっこいいねとは言われるのだが、それ以上になったことが本当に無い。

 

 何故か死にそうな雰囲気を持っている人には好意を持たれることが多く、凜が脈ありかもしれないと思う女の子は何故か半年くらいたって他界してしまったりなど、呪われていると言っても過言ではなかった。

 

 ……現実逃避はやめにしようと凜は顔を振る。

 

 おしゃれなカフェで小野寺凜の体面に座っているのは諌山冥。

 

 凜の仕事上で色々と絡むことが多い人物であり、喰霊-零-の時系列になってからも何度か凛と交流をしている人物だ。

 

「……美味しい。驚きました」

 

 その声にふと前を向くと驚きの表情を隠せずに自分の持つコーヒーを眺めている冥。あまり本当の感情を見せない彼女にしては意外な反応を見せていた。

 

「美味しいとは聞いていましたが、こんなに美味しいとは思ってもいませんでした」

 

「味をわかってくれるのは素直に嬉しいですね。ここのは本当にオススメなんですよ」

 

 その反応を見た凜も同様に感情を表に表す。

 

「ここまで美味しい所ってあんまり無くて。雰囲気もいいし、お気に入りなんですよ」

 

「確かにこれは貴方がオススメしていたのが頷けます。これはいい」

 

「でしょう?……それにして冥さんって緑茶とかしか飲まないイメージあったんですけど、コーヒーの味わかるんですね」

 

「……それは馬鹿にしているととってもよろしいですか?」

 

 諌山冥の返しに全力で否定をする小野寺凜。決してそういった意味で言ったわけではないのだが、そう取られてしまってもおかしくはないセリフではあった。

 

「まあいいです。貴方のデリカシーの無さは身をもって体験していますから」

 

「……意外に根に持つタイプですよね冥さんって」

 

 コーヒーは意外だったが、これに関しては意外にではないかと思いながらコーヒーを啜る。

 

 人並み以上に執着が強かったから喰霊-零-の一件は発生した。元来この女性は執着が強いのだろうとそう思う。

 

「意外と言えば冥さん本当に着物以外も着るんですね。制服以外だと初めて見たような気がします」

 

「常に着物という訳にもいきませんから。もっとも既に生徒の身ではありませんから何か機会がなければ滅多に着ませんが」

 

「裏のではありますけどもう社会人ですもんね。関わるのも俺らみたいなのだけでしょうから確かに必要はないのか」

 

 そう言って納得したと言わんばかりの表情を見せる小野寺凜。

 

 以前仕事で一緒になった際に学校の話題になり、「え?友達いるんですか」と言われて思わず薙刀の柄の部分でみぞおちを突いてしまったことを思い出す冥。

 

 その時にも服装の話は多少した覚えがあったので、その時のことを言っているのだろうと思う。

 

 冥は自分の服装に目を落とす。

 

 淡い水色のワンピース。冥自身はあまり意識していないが、それは色素の薄い彼女の肌と白銀の髪色と相まって普段とは違うはかなげな印象を抱かせる美少女へと彼女を仕立て上げており、彼女の平生とは異なる魅力を引き出すのに非常に大きな役割を担っていた。

 

「……私の服に関してはもういいでしょう。お願いしていた件は以上ですか?」

 

「お願いされてた件ならあれで全部ですね。特にこれ以上話すことはないです」

 

 小野寺凜には対策室から得られた情報を積極的に回してもらうようにお願いしてある。

 

 以前冥が凜の命を助けた際の貸しとやらを使って対策室に入らせたのはこのためでもあるのだ。フリーでも情報は手に入れられるが、やはり対策室のバックアップがあったほうが動きやすいのは事実だ。古い文献などはどうしても冥個人ではアクセスが難しい。

 

 そのためのパイプとして小野寺凜を利用させて貰っている。使える手駒があるというのは非常に便利なものだ。

 

 ……一筋縄ではいかない手駒ですが。と冥は思う。

 

 確かに情報源としては非常にありがたいと思っているが、集めてもらった情報から思惑を見抜かれて先回りされたことが何度かある。

 

 対策室に先んじて悪霊を狩りたいと考えている冥としては目の前の少年は貴重な情報源ではあるが、同時に面倒な相手でもあるのだ。

 

 ……まさか貰った情報から推測して先回りされるとは夢にも思ってもいなかったが、と冥は思う。

 

 流石に武勲で上回ろうとして向かった先に、その超えたい対象達がいた時には冥も内心の動揺を隠しきれなかった。

 

(……お返しという訳じゃありませんが、意味のない勘ぐりをして頂きましょう。今回集めて貰ったのは何の意味もないデータなのですから)

 

 だから、今回は全く自分が必要としていないデータを徹底的に集めてもらった。土宮舞の情報は非常に有用だったが、それ以外に彼にわざわざ集めてもらったデータは全く必要のないもの。

 

 ご丁寧に資料をわかりやすく纏めてきた凜ではあるが、実はその行為には何の意味もなく。ただ自分の邪魔をされないようにと冥が振りまいたダミーの情報だったのである。

 

 平然とした顔で凜の意味のない報告を聞いて資料も受け取り、意気揚々と資料を集めた苦労人をだましているとは思えない表情でコーヒーを嗜む冥。

 

「そうですか。毎回ありがとうございます」

 

「いえいえ。俺も勉強になりますしね」

 

 心無い礼をする冥。

 

 纏めた資料を冥に手渡し、凜は残ったコーヒーを啜る。凜も情報を提供しながら探りを入れているので冥を責めることは出来ないが、この資料を作成したりする時間を考えると多少かわいそうではあるだろう。

 

「時に冥さん。この後お時間あります?」

 

「ええ。特に予定は入っておりませんが」

 

「ならよかった。時間もちょうどいいですし、昼食いかがです?これまた美味しい所知ってまして」

 

「……そうですね。ご一緒させていただきます」

 

 そう答えて冥は立ち上がる。昼には丁度いい時間だ。今日は予定もないし、行ってもいいだろうと冥は考える。

 

「パスタなんですがいいですか?他に希望あれば色々知ってますけど」

 

「構いません。それにしてもグルメなのですね」

 

「母親が料理好きでして色々調査の名目で付き合わされるんですよ。そのおかげで多少は味がわかるようになりました」

 

 伝票を持ってレジへと向かう凜。

 

 いつの間にか伝票を持っていかれていたので伝票が無いことに冥は気が付かなかった。

 

 金額を知らせずに会計を済ませようとするのは紳士的だが、冥は伝票を見ていない。

 

 そのため会計がわからず、ちらりと凛が手にする伝票を見る。

 

 冥は別に奢って貰うつもりで来ているわけではない。

 

 奢ろうとしてくれているのは吝かじゃないし、止める方が失礼かとは思うが、流石に3つも年下の少年に払わせるのはどうかと思うのだ。それに今日は彼女にも多少負い目があったから余計だった。

 

 そこに書かれていたのは高校生が払うには多少高い金額。お小遣いでやりくりしている高校生なら致命的な物だろう。

 

 ……流石にこの額を払わせる訳にはいかないか。

 

 騙したことの罪悪感も相まって、冥はその伝票を凜からひったくるのであった。

 

 

 

 

 ちなみに、この後行った先のお店で神楽とその友達に遭遇し、色々と詮索されることになるのだがそれはまた別のお話である。





※あとがきは活動報告で行っています。
※ちなみに冥さんが敵側って言ったのは、「15そこらの少年が異常なほどに今後の戦場に考察を巡らせていて不自然」だからであって、他意はないですし、彼女自身も二章最後の三途河との一戦で彼に対する疑惑は解消しています。
※冥さんss(一章完結記念)はそろそろ書くかも。10月までには完成すると思われ。
※ちなみに二章完結記念ssはまだ募集してますので、なんかアイディアある人は記入しちゃってください。というかしてください(笑)面白いの思いついたら書き込みしちゃったひとでも再度どうぞ。


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第8話 -新入り歓迎会-

遅くなりました。
約一か月かかり申し訳ない。
ちょっと難産でした。
今回はバトル回。


「―――と、言う訳で新人の剣輔君です。俺と、実は神楽からの推薦なんで仲良くしてやってください」

 

「……どもっす」

 

 俺からの紹介で、弐村剣輔(原作主人公)はぺこりと頭を下げる。

 

 弐村剣輔。原作(喰霊)主人公であり、物語のまさに中核となる重要すぎる存在。

 

 170cmにまだ達していない体躯に、中学二年生らしく幼さの残る顔だち。少し長めの髪を顔の右側で分けて流したおしゃれな髪形をしており、端正な顔立ちと相まって10人いたら5、6人は間違いなくハンサムだと評するだろう。

 

 喰霊-零-だけを視聴した人にとってはなじみ深くなく、喰霊(原作)を見た人にとっては非常に親しみやすいキャラクターである、弐村剣輔という男。

 

 喰霊の主人公であり、後々に神楽の護衛としての役割を担うことになる原作(喰霊)の最重要キャラクターの一人だ。他にも追儺などというキャラクターに関連させて話さなければならないことがいろいろあるが、今回は省略しようと思う。

 

 性格は常にクールながらも誰かのため(特に神楽のため)には身の犠牲もいとわない熱血な性格で、冷静で落ち着いているように見えるがいざ熱くなると勇気ある行動をとれるという、いかにもな主人公じみた男である。と、いうより主人公である。

 

 寡黙ではあるが暗いというわけではなく、個性的な喰霊世界のキャラクターのせいでツッコミ役に回ることが多い。この主人公を嫌いだという読者はあまりいないのではないかと思わせるすっきりとしたキャラクターだ。

 

「ほら剣輔。お前からも挨拶」

 

「うっす。えーと……。弐村剣輔です。一応剣道やってます」

 

 振られて自己紹介を行うが、自己紹介は苦手だと言っていたのがよくわかる。俺も苦手だが、それ以上に苦手な奴が頑張って緊張しながら自己紹介をしたのだろうと一目でわかる自己紹介だった。

 

 とはいえ仕方がないだろう。

 

 隣に立つ俺はともかく、椅子に座りながらこちらに笑顔を向けている神楽に、慈愛に満ちた微笑みを湛えた美人の姉ちゃん、筋骨隆々の三人組、車椅子に座った美人さんとそれを押すクールビューティー、そして狐を乗せた謎の男にスーツの似合う短髪の男。

 

 全員が前線に立つ退魔師で、尚且つベテランと呼べる人達だ。そのうちの二人なんかは時の人と呼べるレベルで周囲の認知度が高い超有名人だ。緊張も当然といえる。

 

 実を言うと、こいつを対策室に誘うつもりは毛頭なかった。いや、正確にはほとんどなかったというのが正しい。

 

 どこで会えるのかもわからないし、今の神楽未満の戦力を対策室に勧誘したところで戦力にならないどころか、むしろ足手まといになられる可能性が高い存在なんてどうして誘う必要があるのだと思っていたからだ。

 

 だが、この前神楽の食べ歩きに付き合わされていたとき、本当にたまたま、何の偶然かと思わされたが本当に偶然にこの男が低級の霊に付きまとわれているところに遭遇した。

 

 喰霊-零-ではそんなシーンないはずなのだが、明確に殺意を持った霊に剣輔が追われていたのだ。

 

 多分あの程度ならあいつ一人で退治できたはずだし、それをわかって剣輔もその霊をスルーしていたと思われるのだが、お人好しな神楽が剣輔を助けることを提案。

 

 断る理由がとっさに浮かばなかった俺は仕方なく神楽の案に乗って剣輔を誘導し、人気のないところで除霊を行ったのだ。

 

 その結果、何故か神楽が剣輔を気に入ってしまい、万年人手不足である対策室に推薦することとなってしまった。

 

 剣輔ほどはっきり霊が見えている人はかなり稀有であり、全国を探してもそのクラスの霊能力者ならば間違いなくこちら側についているはず、というレベルなので、室長も二階堂桐も囲い込んでおきたかったらしく、あっさりとその提案が受理されることとなったのだ。

 

 これが剣輔がここにいる一連の流れである。

 

 その後、対策室の面々にも自己紹介をしてもらい、俺と神楽が剣輔と遭遇して推薦するに至った経緯を説明してひとまず顔合わせは一段落した。

 

 ナブーさんの意味不明さや、岩端さんのストライクゾーンに剣輔が乗っていることが判明したり(ちなみに俺は全くそういう対象として見られていない)、桐さんの毒舌が牙をむいたりといろいろあったが、特筆すべきところは特にないのでここは省略しておこう。

 

 彼女はいるのかとか、姉ちゃんは美人かなどという質問をして(後者は主に桜庭さんがだが)剣輔のプライベートなことを一通り聞き終わった後、剣輔の今後の扱いへと話がシフトする。

 

「それで配置なんだけど、これから剣輔には主に黄泉のバックアップありで前線に立ってもらおうかと思ってる。神楽を前面に出して、そのバックアップを剣輔にお願いしつつ俺と黄泉が更にバックアップするって感じ」

 

「そろそろ神楽を前面に出していきたいけど一人で立たせるのは不安だし、凛や私がフォローするのは過剰だろうからちょうどいいかなって。腕前もそこそこだったし、少し鍛えれば十分戦力になるわ」

 

 頑張ってね、とほほ笑む黄泉。俺は剣輔と直接やりあったことはなく、神楽と少し打ち合っていたのを見た程度なのだが、黄泉は手合わせをしたことがあるらしい。

 

 黄泉のお墨付きを得るとは流石原作(喰霊)主人公。喰霊ではそこまで実力があると記述されていないが、飯綱紀之には「筋がいい」と言われているし、何だかんだ鎌鼬や天狗、九尾などの強敵を葬っているため、センスはいいのだろう。

 

 ……やられたら黄泉や俺でもきついかなりのチート技も1個もってるしな。

 

「えー。私一人でもできるよ!」

 

「我儘言わないの。本当ならまだ前線に立つのだって私は反対なのよ?」

 

 文句を言い始めた神楽に、宥める様にそう語りかける黄泉。

 

 神楽の実力はもう十分だとは思うが、なかなかに黄泉は過保護だ。カフェでこの前色々と話したが、黄泉としてはまだ前線に立って欲しくはないらしい。

 

「凛ちゃーん。黄泉が頑固ー」

 

「諦めろ神楽。ああなったら黄泉は聞かないよ」

 

 黄泉が淹れて手渡してくれたコーヒーに口をつけながらそう告げる。

 

 さらっとこういうことをするあたり女子力が高いのだが、違う女子力(心配性なオカン的な意味)もかなり高いのか、神楽のことになるとかなり過保護になりすぎる傾向にある。

 

 俺も数度説得しているのだが、残念ながら効果はなかった。あの世界線と違って(かなり無茶させても大丈夫な男)がいるせいなのか、神楽に対して原作なんて比じゃない程慎重な性格になっているように感じる。

 

「剣ちゃんは最初から前線なのに!それなら推薦しなきゃよかった!」

 

「それはそれでどうなのよ。……てか剣輔の前線投入こそやめろと俺は言ったんだけどね」

 

 実は剣輔を前線に投入しようと言い始めたのは黄泉だ。多分俺が言い出したことだと思う人が多いと思うのだが、実は黄泉が剣輔をいきなり前線にぶち込むことを進めてきたのだ。

 

 俺も提案しようとは思っていたのだが、黄泉や俺のバックアップがつくとはいえ最初から前面に立たせるのはどうかと思いその案は却下した。しかしながら室長たちが「男の子だから大丈夫よ」との謎理論で武装する黄泉に賛成し、可哀そうにも前線投入が決定したのだ。

 

「最初から前線投入たあお前も災難だな。諌山、あんま凛と普通の男子を同列に見てやんなよ?この狂犬と同じに扱われたら普通の人間は壊れるぞ」

 

「失礼ね。いくら私だって剣輔君を凛と同列に扱ったりなんてしないわよ!……男の子の基準が凛になっちゃってるのは認めるけど」

 

「凛が基準とは剣輔君も可哀そうだ。ほどほどにしてやれよ?黄泉」

 

 カズさんと紀さんからそう釘を刺される黄泉。

 

 人のことを何だと思ってやがると言いたくなるところだが、体調を崩した黄泉と神楽のために二日くらい寝ずにお勤めをし続け、俺には黄泉たちより結構無茶な振りをしてくる室長から出勤停止命令を食らってしまう程にはワーカーホリックだし、仕方ないかもしれない。

 

「とりあえず改めてよろしくな、剣輔。何か心配事があったら俺、岩端にいつでも相談してくれ」

 

「……よろしくお願いします。正直この時点で不安なんだけど……」

 

 不安げにぼそりと呟く剣輔。

 

 正直俺としても素人を前線投入するのは不安なのだが、三途河戦に向けてさっさとこいつにも強くなってもらわなきゃならないし、多少の荒療治は必要か。

 

「それで今日は俺何をすればいいんですか?動ける服装で来いって黄泉さんから言われてるんで、ジャージは着てきてるんですけど……」

 

 その声を聴いて俺も剣輔に目線を向ける。

 

 確かにジャージ姿だ。こういった初顔合わせだし、制服でも着てくるのかと思いきや今からランニングにでも行くかのような格好だなあとの感想を抱いた覚えがある。

 

 まさか黄泉の指示とは。この後実戦訓練でもするのだろうか。六本木のあたりに低級の霊が巣食ってたはずだし、そこだろうか。 

 

「それは今から説明するわ。……室長、お願いしてあった件はどうなっていますか?」

 

「ばっちりよ黄泉ちゃん。ちゃんと確保してあるわ」

 

「30分後から貸し切れるようセッティングしてあります。今から準備をして向かえば丁度かと」

 

 ……?貸し切り?別にパーティーをやるわけではないだろうに、なんでこれまた。

 

 この後何をするつもりなんだこの女性陣たちは。俺も何も聞いてないぞ。

 

「何するつもりなわけ?」

 

「あら、凛には話してなかったっけ?新人が入ってきたらやることなんて決まってるじゃない」

 

 そう言って剣輔に微笑みかける黄泉。

 

 一見するとただの美人女子高生が中学男子に微笑みを向けているだけなのだが、その笑顔に俺はかーなーり見覚えがあった。当然、このシチュエーションにも。

 

「――そう、対策室恒例の新人歓迎会に決まってるじゃない」

 

 やはりというべきか。俺も経験したことのある展開だった。具体的には二年前ぐらいに。今でも忘れはしない。俺が狂犬とか呼ばれるようになったあの一件である。

 

 ……恒例なのかあのイベント。間違いなく前例は俺だけだが。

 

「相変わらずだな黄泉は。程々にしてやれよ?」

 

 土宮舞と同様に、俺のプランの中で全く想定していなかった嬉しい誤算の一つが剣輔だ。有効に活用できれば今後の展開が少し楽になる。

 

 鍛錬には一切手を抜かない黄泉のことだ。やりすぎることはないだろうが、下手に厳しくして剣輔が黄泉に苦手意識を持つのは避けたい。

 

 これでも俺なりに剣輔の調きょ……訓練プランは考えているんだから出来れば崩したくない。こいつに無茶させるのはもう少し先の予定なのだから。

 

「何を言っているの凛は。部外者みたいな言い方して」

 

「は?」

 

 剣輔の身を案じて黄泉にクギを刺すと、部外者面するなと逆に指摘される。

 

「凛もやるのよ、当り前じゃない。凛は剣輔君と戦ったことないでしょ?」

 

「確かにそうだけど、え?俺がそれやるの?まあ言うなら戦ってるところを見たことすらないけどさぁ」

 

 身体の出来具合などから殆どどのくらい戦えるかの予想はつくが、よく考えれば直接戦闘しているところを見たことがなかった。

 

 確かにこの機会に剣輔の詳細な実力を知っておくのは悪くないかもしれないが、当事者に了解も何もなく戦闘の準備をしているのはどういったことなのだろう。

 

「なら丁度いいじゃない。ほら、さっさと準備しちゃいましょう」

 

 女王様(黄泉) の言には逆らえないか、と思い立ち上がろうとすると、神楽と黄泉がそれぞれの得物(今回は訓練用の木刀)を持って立ち上がるのが目に入る。

 

 そしてそれに伴って「どっちが勝つかね」などと言いながら次々に部屋を出て行く対策室の面々。

 

 ……何かがおかしいぞ。

 

「ちょっと黄泉さん。俺、まだよく把握できてないんすけど、俺と凛さんが戦うんすよね?」

 

「黄泉、俺も正直展開が読めてないぞ。なんで俺と剣輔の試合なのにお前らが帯刀してんだ?」

 

 剣輔と俺のバトルであるならば、黄泉と神楽が帯刀をする必要は皆無だ。剣輔と意見が合致するのも当然だろう。

 

 その俺達の疑問に対して、黄泉と神楽は「こいつ何言ってんだ?」と言わんばかりの表情を浮かべて困惑する。

 

 いや、困惑してえのはこっちだよ、と剣輔も思っているに違いない。宴会で出し物をするのに、その出し物自体をすることを教えられていないのに等しいのだ。そんなんアドリブ力が幾らあったって無理だよ、お前ら。

 

 そんな困惑に困惑で返している俺達2人を相手に、目の前の美少女2人は朗らかに答えあわせを行った。

 

「そりゃ凛ちゃんと私はチームだもん。私が丸腰じゃ黄泉相手に辛すぎるでしょ?」

 

「凛と剣輔君、じゃなくて、”凛と神楽”と”私と剣輔君”が戦うのよ」

 

 ……チーム戦とか。ほんと、初耳です。

 

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「―――始め!」

 

「っ!」

 

 その号令と共に剣輔は凜に向かって駆けだす。

 

 剣輔と黄泉、そして神楽と小野寺凛がそれぞれチームを組み、相対している。

 

 当然剣輔、黄泉、神楽は己の武器である日本刀を模した木刀を所持しており、自らの武器と同様の形をした得物で戦闘に臨んでいる。

 

 唯一小野寺凛だけがゴム弾を使用した拳銃のみで参戦しており、戦力的に明らかに勝る凛・神楽のグループと剣輔・黄泉グループの間での差を縮める役割を担っている。

 

 この戦闘において、完全に剣輔は格下。それはこうして相対した瞬間にわかってしまった。

 

 相手は飛び道具を持っていること、自分が格下であることを踏まえて剣輔は凛に向かって駆け出した。

 

 格下が防御に回るのは不利であること、2mしか離れていないといってもそれは刀の距離ではないためにまず近づいて攻勢に出るのが先決だと考えたのである。

 

 幸い相手はホルスターから銃を抜いてすらいない。この状態なら俺が速い―――

 

「がっ……!」

 

 そう思った瞬間に胸に走る痛み。大したことはないが、それでも何かがかなりの勢いでぶつかったことが手に取るようにわかる一撃だった。

 

 少しふらついて後ろに下がる。流石に火薬が抑えられたゴム弾と言えども直撃すればそれなり以上には痛い。とっさに胸を抑えてしまう。

 

 後退する際に目に入ったのは既にホルスターから銃を取り出して俺に向けている男の姿。

 

―――いつ抜いたんだよ……!

 

 痛みに耐えながら、刀を構えなおす。いつ抜いたのか全く分からなかったが、どうやら撃たれたらしいと剣輔はあたりをつける。

 

「銃相手にできる限り距離を詰めるって選択は悪くない。ただ、銃口から目をそらしちゃだめだぞ」

 

 そしてまたいつの間に接近したのかわからないうちに接近され、人の好さそうな笑みでそう語り掛けてくる凜さん。

 

 一見すればただの好青年が浮かべる笑みだが、この状況だと狩りを楽しんでいる性悪が浮かべるえげつない笑みにしか見えない。

 

「くそっ!」

 

 感情に任せて木刀を振るう。型もへったくれもないスイングのような一撃を繰り出してしまう。

 

 だが当然ながらそんな一撃が当たる訳もなく。木刀での一撃は軽々と避けられてしまう。

 

「剣輔君!」

 

 体勢を崩した剣輔に何かしようとしていた凜に向かって黄泉が肉薄する。そのまま全国の剣道有段者が泣き出すような切れのある剣技を繰り出す黄泉。

 

 武の端くれにあるものとして黄泉や神楽の剣閃は憧れるものがある。あれだけ綺麗な一撃を繰り出せるまでに俺はどれほどかかるのだろうか、と剣輔は思わずにいられなかった。

 

 その剣閃をこれまた惚れ惚れするようなステップで躱す凜。簡単そうなステップなのに何故かリズムが掴み難く、黄泉もいまいち攻め切れていないのがわかる。

 

「ちょ、神楽!ヘルプ!この装備で黄泉はまずい!」

 

 とはいえ凜の武装は拳銃一丁のみ。多少普通の拳銃より頑丈ではあるが防御に使用できるものでもなく、また小野寺の霊術も縛っているため、黄泉の攻撃を防ぐ手段はただただ後退するか回避するのみ。

 

 バックステップなどを使用してタイミングを崩したり、ペースが掴み難いステップを繰り出しているといってもそれには限界があるようで、いつもにこやかに笑っているとの評価を受けることが多い凛が、本気で焦った顔をしながら回避していた。

 

「はいよ凜ちゃん!」

 

 凜の言葉に答えて、今まで静観していた神楽が黄泉の前へ踊り出る。

 

 目には目を歯には歯を、剣には剣を。

 

「ここからは私が相手だよ!黄泉!」

 

「来たわね神楽。凜のずるっ子ー。一対一の勝負から逃げるんだー」

 

「いや拳銃相手に正々堂々を求めるなよお前は」

 

 体勢を崩している自分にすかさず剣輔が近づこうとしているのを見つけた凜は拳銃を向けることでそれを制する。

 

 乱戦において拳銃などの重火器は使い場所を選ばなければならない。何故なら味方への誤射を絶対に防がなければならないからだ。だから乱戦で銃を使うのは愚策とも言える。

 

 だが乱戦において銃が活躍することもある。絶対に味方に誤射しない自信があり、尚且つそれだけの腕が本当にあれば、乱戦において銃は意識外から突然自分の命を狙う凶器と成り得る。

 

(なら俺はあの人を止めてればいい……!)

 

 そう剣輔は判断し、銃の焦点を絞らせないように凜へ向かって走り始める。

 

 自分が神楽と凜を相手にして長く持つ可能性があるのはどちらか。普通に考えればそれは凜だ。

 

 どちらも剣輔の力が及ばない存在であることには違いないが、自身のほぼ全力を出せる得物を持った少女と、明らかな縛りが加えられた凜とを比較したら明らかに凜の方が戦いやすい。

 

 黄泉にサクッと凛を倒してもらうのが一番早い方法ではあるが、その前に神楽に倒されてしまいそうなため、こちらのほうが正しいように感じたのである。

 

 それがこの状況において本当に正しいか剣輔には判断できないが、そう考えるのが妥当だと直感的に導き出したのだ。

 

 剣輔は凜に切りかかる。非常にいい速度の一撃だが、目の前の男は下手をすると数ミリ単位の距離でその攻撃を回避する。

 

「ッ……!この!」

 

 内心で驚きながらも熱くなりながらも冷静に。自分の習ってきたことを着実に繰り出す。

 

 身体の調子は悪くない。どころかむしろ良いくらいだ。だが当然のように避けられる。

 

 鼻先を数ミリ単位で、剣輔や観客から見れば当たったと思わされる程の単位で見切られる。どこを狙ったとしても全く同じく、最大でもcmに達しないレベルの見切りを続けられる。

 

(何なんだこの人……!)

 

 自分の剣が完全に見切られて自信を無くしたためにこのようなことを思っているわけではない。小野寺凜の動きがあまりに有り得ないから剣輔はそう思ってしまった。

 

 普通剣での一撃など見切れるものではない。プロの世界ならば剣輔程度の剣を見切れる存在が居るかもしれないが、それでもミリ単位で躱せる、しかも躱し続けることが出来る人間はいないと断言できる。

 

 そんなもの、発射された銃弾を見切って回避するのとなんら遜色のないレベルだ。

 

(化け物かよ……!)

 

「……驚いた。こんなことしといてなんだけど、凄く筋が良い。二年も本気で鍛えれば化けるぞお前」

 

 本当に驚いた表情を浮かべながら凜はそうこぼす。本心からの言葉ではあったが、残念ながらそれは剣輔の耳には届かずに空に消える。

 

「けどまだ甘いな。丸腰の相手に余裕を与えてるようじゃまだまだだ」

 

 繰り出された剣輔の小手への一撃を悠々とかわすと、あらぬ方向へと銃を構える。

 

(何だ?この人は何をして―――)

 

 瞬間、剣輔は理解する。その方向は適当に狙っているわけではなく、自分の意識外にある二人の方向を向いているのだと。

 

「……黄泉さん!!」

 

 攻めの手を緩めずに声を張り上げる。間に合ったかどうかはわからない。だが声をかけないことは明らかな愚策だ。

 

 同時に響く銃声。人間には見切ることが不可能な速度でそれは空を切って飛んでいく。

 

 銃弾を人間が見切ることは可能だろうか?

 

 答えは否。動体視力を徹底的に鍛えぬいたプロ野球選手ですら相手ピッチャーが投げる球を完全に見切れるわけではないのだ。もし全て完全に見切れる選手などが居れば打率は10割に近しくなるだろう。

 

 そう、ボクシングの頂点に立つ人間や他のスポーツの最上位に位置する人間ですら、人間が生み出す速度を完全に見切ることなど不可能なのだ。

 

 それなのになぜ人間がそれらよりも遥かに速い速度を生み出す銃弾を見切ることが出来るのだろうか。そんなことは不可能だ。

 

「まあ、普通なら、って枕詞が付いちゃうんだけどね」

 

 ひゅん、と音を立てて頬を何かが掠めていくのを凜は知覚する。それと同時にほほを伝う赤く熱い液体。完全によけたつもりだったが、皮一枚分計算を誤ってしまったらしい。

 

 ぐいっと流れてくる血を拭う。剣輔には何が起こったか分かっていないだろう。神楽も完璧に理解していないかもしれない。

 

 今行われた一連の流れを瞬時に理解することができたのはこの場で凜と黄泉だけだった。

 

(―――嘘だろ?) 

 

 二人に遅れて剣輔はようやく理解する。

 

 剣輔が凜が銃を放ったはずの方向を見ると、そこには刀を振りぬいた状態の黄泉が平然と佇んでいたのだ。

 

 その佇まいはとてもゴム弾を撃ち込まれた女には見えない、と剣輔は思う。そして、同時に察した。

 

 何度目の驚愕だろうか。目の前の男(小野寺凜)が異常だと思っていたが、この女(諌山黄泉)も大概以上だ。

 

 いくら本物の銃よりも速度で劣るとはいえ、銃弾を刀ではじき返すことが人間に可能なのか―――?

 

「剣輔君ぼさっとしないの!神楽も!」

 

 黄泉の一閃に見とれていた剣輔(味方)に喝を入れ、同じく見とれていた神楽()にも発破をかけて黄泉は駆けだす。

 

「嘘!?俺!?」

 

「そうよ凜!久々に本気で戦いましょ!」

 

 黄泉は凜に切りかかる。

 

 流石というべきその太刀筋。健介よりも鋭く、速く、そして重い。

 

 剣輔の攻撃をミリ単位で躱すという神業を行っていた凜も黄泉の攻撃は本気で躱しており、ミリ単位での回避などという余裕は欠片もなく後退している。

 

「てめ!本気かよ!」

 

「言ってるじゃない。(そんなもの)捨てて本気で来なさい、凜!」

 

 無理な体制で突きを躱した凜に、黄泉の膝が炸裂する。

 

 しっかりとガードをしてはいるが、その威力にガードした手は痺れ、凜の顔が僅かに歪む。

 

 重い一撃だ。先ほど戦っていた神楽にもこんな攻撃はしないだろう。

 

 とっさの判断で銃口を黄泉に向け、間髪入れずに即座に発射する。構えてから発射までの時間を何度足し合わせれば一秒に達するだろうかと思うほどの速撃ち。

 

 狙いは完璧。距離も近いから回避も困難。

 

 避けることなど不可能だ。これを避けるなど正気の沙汰ではない。

 

 だが、目の前の少女はそれ以上のことをやってのける。

 

 ゴム弾の威力がそこまでではないこと、黄泉が持つ木刀が市販品よりは耐久性があることを利用して、木刀の刃部分でゴム弾を受け止める。

 

 対象に対して直角ではなく鈍角に接触したゴム弾は、少しの衝撃を黄泉の木刀と腕に残して本来辿るべきだった軌道を逸らされ彼方へと飛んでゆく。

 

 真剣と鉛玉ならこうはいかなかったであろう攻防戦を、本番とは全く違うシチュエーションを利用して巧みに回避する黄泉。

 

 その応用力と戦闘スキルには凜も素直に舌を巻かざるを得なかった。

 

「……流石!」

 

「どうもっ……!」

 

 次いで振り下ろされる刀を、凜は何とかして受け止めなければならなかった。

 

 バックステップを行って距離を離しながらこの一撃を放ったために体は完全に後ろに流れてしまっている。

 

 態勢を立て直して刃を避けなければならないが、それをするには時間が足りなすぎる。

 

 小野寺の術さえ使えれば直ぐにでも持ち直せるのに、と思ってしまうが、この試合中は使わないとの縛りを加えているのだ。まさかそれを破るわけにはいくまい。

 

 心なしか、先ほどよりも黄泉の一撃は遅くなっている。無理に攻撃を繰り出しているのか、何かしらを狙っているのかは定かではないが、凛にとって好都合なのは間違いがない。

 

 振り下ろされる木刀を凝視し、銃のグリップで迎え撃つ。

 

 頭から股までを一刀両断されてしまいそうな錯覚を感じさせる一撃を、真横から弾き飛ばす。グリップを合わせ、叩きつけることで自分の身体に恐るべき威力を孕んだ物体が接触するのをなんとか避ける。

 

 神業と言って差し支えないその技。その証明に、周りからも感嘆の声が漏れ聞こえる。

 

 だが、相手は神童と呼ばれる少女だ。その程度で隙を見せるはずがない。

 

 再度凛は銃を構える。手加減なんて欠片もしている暇はない。それどころか自分がされているくらいなのだから、むしろ殺しに行くくらいの心構えでなければやられてしまう。

 

―――悪いけど……!

 

 狙うはこめかみ。ゴム弾とはいえ当たれば気絶を免れない可能性の高い部分。

 

 どういう訳かわからないが、先ほどから黄泉は本気だ。本気でこちらを打倒しに来ている。ぎりぎりで避けたからいいものの、当たったら無事では済まないのではないかというコースを軽々と狙って繰り出してくるのだ。

 

 生半可な気持ちで黄泉と相対していてはダメだと凛は判断する。この一撃で沈めるくらいの気概を見せなければ大怪我をさせられる。

 

 狙いなどつける必要はない。撃ちたいと思った所に銃を持っていけば中てられる。

 

 そう思い、凛は引き金を―――

 

「甘いわね」

 

 同時に響く衝撃。見れば黄泉の木刀の柄頭が銃口部分をしっかりと抑え込んでいた。

 

「っ……!まっず……!!」

 

 しっかりと腰の入った状態で柄頭に抑え込まれる銃口。

 

 銃口部分に物が詰まった状態で銃を撃つとどうなるだろうか?答えは簡単。その詰まったものが銃弾の威力でもってしても破壊できないようなものである場合、暴発するのだ。

 

 正確には腔発(こうはつ)と呼ばれるそれ。異常高圧になった銃の筒部分が破裂したり、弾倉が炸裂したりなど、鉄の塊を破裂させるほどの威力を持つ。

 

 今回はどうか。黄泉の木刀により完全に弾の出口が塞がれている。

 

 とはいえ、このまま撃って腔発が起きる可能性は少ないだろう。100%銃口が塞がれているわけではないし、黄泉の木刀がはじかれる可能性だって十二分にあるわけだし、そもそも拳銃で腔発は滅多に起こるものではないからだ。

 

 だが、

 

「―――ふっ!」

 

 トリガーにかける指の力を弱くした瞬間、凛の手から拳銃が弾き飛ばされる。

 

 一瞬の逡巡を起こしうる程度には考慮しなければならない可能性だった。万が一それが起こったとして、こんなところでまさか手を失う必要はないのだから。

 

「そこまで!」

 

 そして、そこで試合終了のコールがかかる。

 

 無駄に広い修練場の中に、神宮司菖蒲の優しいのに威厳がある声と、小野寺凛の手から弾き飛ばされた銃が地面に叩きつけられる音だけが響き渡り、この交流戦は終了した。

 




※詳しいあとがきは活動報告にて。
剣輔君登場回なんですが、輝いてたのは黄泉という。
ちょっと急ぎ投稿なので改定はいると思います。

あと一つ
「凛って神楽とか黄泉みたいな女性陣に好意を抱かれないのはおかしい」との疑問をいただきましたが、理由があってわざわざそう書いてるので心配なさらず。


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第9話 -諫山の暗躍-

一か月以上開いてしまい申し訳ございません。
ちょっと今回は話の都合上必要な回ですが、動きとしては大きなものはないです。そして前回とかの内容を復習せずとも読める内容になってます。一応下にあらすじは入れておきますが。
内容としてはあまり深く読む必要性はないかもですが、ちょっとばかし大事な回になってます。読むのが面倒な方は最後のあたりだけでもチラ見してくださいな。

前回までのあらすじ
凛、植物状態から回復した神楽の母に戦線復帰を約束させる。その後、対策室に剣輔が加入し、新体制での発足となった。そして今回に続く。



 諌山本家。

 

 首都圏に根ざすにしては非常に広大な邸宅。30人以上を収容できる巨大な修練場や家族三人で暮らすには多すぎる部屋の数、莫大な敷地面積など、一見して裕福であることが窺えるその住屋。

 

 諌山奈落、黄泉、土宮神楽が暮らすその住居。

 

 その屋上に、諌山当主である諌山奈落は佇んでいた。 

 

「結局は家柄と力か……。素直に祝ってやりたいものだ」

 

 そう、つぶやかずにはいられない。

 

 思い出すのは先程の飯綱家との縁談についての話し合いの一件。

 

 なんの滞りもなく、なんの問題もなく進んだわけではあるが、奈落はどうしてもこの一件を手放しで喜んでやることはできなかった。

 

 飯綱家が(黄泉)と紀之との結婚を認めたのは、黄泉が諌山を継ぐというその一点に起因する。

 

 そう、黄泉が諌山の歴史と、力と、財力を継ぐ存在となるのだ。当人たちが互いにいい年齢で、互いに互いを好きあっているという事実こそあれど、それはこの婚約において全く問題にならない。

 

 諌山というネームブランドとその付随する権力。それが今回の婚約を決めたのだ。

 

 ……本当に、素直に祝ってやりたいものだと奈落は思う。流石に黄泉の様子を見ていればそこまで満更ではないことくらい奈落にも把握できている。だが、それはあくまで決められた路線にしてはのこと。

 

 本来ならばもっと黄泉に適した、黄泉が心から望む幸せの形というものがあったのではないかと、そう思わずにはいられないのは人間としての性だろう。

 

「兄上」

 

 そう、言葉には出せない後悔をしている奈落に、後ろから声がかけられた。

 

「おお!久しぶりだな、幽」

 

「はい、兄上もお変わりなく」

 

 くすんだ茶色の着物に身を包む老齢の男。諌山幽、諌山奈落の実の弟にして、名目上は相続権で一位に位置する男。そんな男が、諌山家の屋上に姿を現していた。

 

 会うのは久しぶりだ。数年、という単位が開いてしまっているかもしれない。

 

 諌山当主で、尚且つ土宮家の代わりとして分家の取りまとめを行っている立場であるため、家を出た幽とはここ数年はまともに会話をしていなかったのだ。

 

 久々の再会を喜ぶ心境と同時に、どうして幽が現れたのかとの疑問も出てくる。

 

 黄泉の縁談を確実なものとしたのは極めて最近のこと。それが周囲に知られ始めたのも最近のことだ。このタイミングで現れたということはつまり、

 

「飯綱家との縁談、伺いました」

 

「……そうか」

 

 やはりその話か、と奈落は思う。

 

 まさに今頭を悩ませていた、素直に祝ってやれない話であるが故に多少声が沈んでしまう。

 

 ……婚約とは本来、心よりの祝福と溢れんばかりの笑顔で語るべきものであるというのに、とそう思わざるを得ない。

 

「婿を取るにあたって、黄泉に諌山の家督を譲ると耳にしましたが」

 

「その通りだ」

 

「はあ!?」

 

 平静を装っていた幽が声を上げる。予想はしていたが、実現をするとは思っていなかったのだろう。そんな思惑が透けて見えるような声であった。

 

「黄泉は確かにまだ若い。だが、諌山の名に恥じぬほど立派に腕を上げた。心配はいらんだろう」

 

「しかし、黄泉は養女ですよ!?」

 

「……今更何を言っておる。後を任せるつもりがなければ、そもそも獅子王など預けたりはせん」

 

「それでは兄上は、諌山の血を継がぬものに、家督を譲るというのですか!?」

 

 その言葉に、奈落の堪忍袋の緒が切れる。

 

 自身の体重を支えていた杖を幽に向かって華麗に一閃、ニ閃する。

 

 奈落は今でこそ黄泉にお勤めを預け裏方に回っているが、かつては諌山の当主として獅子王を振るい、第一線を駆け巡っていた男である。

 

 そんな男が放つ二撃を幽が避けられよう筈もなく。防御すらできずに強かに打ち付けられた幽は無様にも尻もちをつく。

 

「幽。まさか諌山の使命を捨て、戦うことを拒んだお前が、今更家督を継ぎたいとでも言うのか」

 

 尻もちをついた幽の眼前に杖を仕向けながら、静かな怒りを込めて奈落は言葉を紡ぐ。

 

 退魔士にとってお勤めとは必ず果たさなければならない義務。特別な、凡人よりも優れた能力(霊力)を持つものとして果たさなければならない責任なのだ。

 

 そして、権利とは義務を果たすことから生まれてくる。義務を果たさずして、権利を主張することはあってはならない。

 

 だというのにこの男は諌山の人選に異を唱えたのだ。

 

「そうではありません兄上!わざわざ血筋を継がぬものに跡目を譲らずとも」

 

「くどい!」

 

 諫山幽の言葉を、諫山奈落は一蹴する。

 

 人間として国家に生まれた以上、納税の義務を必ず背負うことになる。そしてその義務を果たすことで人間は国家に守られ、国家の中で人間として生きていくことが可能になる。当然義務を果たさなければ人間ではないとの意ではないが、義務を果たさぬものに国家の庇護を受ける権利はない。

 

 それは、退魔士においても同じこと。

 

 確かに退魔士に生まれたとはいえ、普通の人間としての義務を果たしていれば普通の人間としてお勤めを果たさずに生きる権利はあるだろう。普通の、一般的な人間として生活する権利は当然ながら当人にあり、(責められることは必至ではあるが)その選択をすることを周囲が責めてはならないのだ。

 

 だから諫山幽の生き方を否定することはあってはならない。彼は自身の権利を正当に行使し、退魔士のお勤めから離れたのだから。

 

 だが、同時にそれは違う権利の放棄でもある。

 

 命を掛けてでも「人の世に死の穢れをもたらすモノ」を滅する退魔士としての義務を諫山幽は放棄した。当然だが、果たさなければならない義務(お勤め)から逃げた彼に、付与される権利などあるはずが無い。

 

 それを奈落は指摘しているのだ。一般に身を落としたのはいい。退魔士として許しがたいことではあるが、認められた権利であるからだ。

 

 それなのに、どの口が、一体何の権利があって自分の決定に今更口を出すのか。これは退魔士の問題だ。《《部外者》》が口を出すな、とそう言っているのだ。

 

「確かにお勤めを逃げたあたしは諌山の面汚しです。しかし私にも娘がおります」

 

「……!」

 

「娘の冥も諌山の名に恥じぬ腕を持っています。今一度考えなおしてください!」

 

 その言葉に、端正な顔をした姪の顔が奈落の顔を過ぎる。

 

 諫山冥。諫山幽の娘にして、諫山黄泉の義理の従姉妹。退魔師の中では名実ともに認められた数少ない実力者。

 

 実は、黄泉を引き取るまで稽古をつけてやっていたこともある。筋が良く、才があったため、黄泉を引き取って娘にするまでの間、弟の子ではあるが特別に目をかけていたのだ。

 

「それは間違っております、お父上」

 

「冥……」

 

 その少女、いや、彼女のことはもはや女性と呼ぶのが相応しいだろう。少女と呼ぶにはあまりに落ち着いていて、艶やかすぎる。その女性が静かに、美しさとしなやかさを併せ持った動きで幽の後ろから現れる。

 

 泰然とした振る舞い。冥は奈落が殴打し、転倒させた幽に寄り添い、彼を支える。

 

 それは傍から見れば怪我を負った父親を支える甲斐甲斐しい娘の姿だ。実際に、奈落の目にもそう映っている。だが、奈落はどうもそこに違和感を感じざるを得なかった。

 

「黄泉さんは退魔士の中でも一二を争う剣の腕の持ち主。母を亡くした土宮のお嬢さんのお世話まで買って出た。親族の中ではとても信頼のあるかたです」

 

 落ち着いた声で滔々と。こんな表現が似合うような調子で言葉を紡ぐ。

 

(わたくし)などを引き合いに出すのは筋違いかと。そうですよね?奈落伯父様」

 

 不敵にそう微笑む冥。一見すればただの美女が妖艶に微笑んでいるだけに過ぎない。

 

 だが、その言葉には正論であるがゆえに否定も肯定もできない嫌味な正しさがあり、その笑みには見るものを不安にさせるような、そんな色がある。隠す気のない、ナニカに満ちた裏の色が。

 

 その嫌味な正しさを持つ正論に、奈落は押し黙る。

 

 確かに黄泉は立派な娘だ。あの年齢で、あれだけできた人間などそうそうはいまい。

 

 だが、だからこそ奈落は何も言えなかった。否定も出来はしないし、肯定してもそれは冥を乏しめる結果となるからだ。

 

 奈落は目を細めて自分の姪を見る。もとより老成した子供であったが、もう完全に子供と呼ぶことは適わない。

 

 黄泉などは年相応の子供らしさを持っているものだが、冥からはそれが見当たらない。

 

 本当に、大きくなったものだ。いい意味でも、悪い意味でも。

 

 幽を助け起こす冥を見ながらそう思う。立派に育ったとも思う。……だが、早すぎる。この業界の子供たちには共通してみられる傾向だが、あまりにも老成しすぎなのだ。

 

「本当でしたらもう少しお話をしたいところですが、今日のところはここで失礼させていただきます。それでは、失礼いたします、伯父様」

 

 そうとだけ告げて、幽を連れて冥は立ち去っていく。どうやらこちらと対話するつもりはないらしい。幽のことを考えれば当然の判断だろう。あの状態で会話を続けても幽には苦痛なだけだ。

 

 正直、それは奈落としてもありがたい判断であった

 

「それにしても、やはりこういった反応は出てくるか」

 

 はあ、と去りゆく二人を眺めながらため息を一つ。

 

 想像していたことでは当然あった。

 

 過去に黄泉に獅子王を渡した時点で身内からは不平不満が出ていたのだ。

 

 黄泉(義理の娘)に家督を譲るともなればそれも一入だろう。

 

 実はそれを、抑えるための飯綱家との縁談でもあるのだ。

 

 結婚が手段で、付随するものが目的。あくまで黄泉のためであるというのに、黄泉の意思はほぼ無いものとして扱われる、そんなジレンマ。

 

「……全く。本当に、心より祝ってやりたいものだな」

 

 退魔師の諌山奈落ではなく、父親の奈落として。

 

 そんな父親の呟きは、誰の耳にも届くことなく、快晴の空へと混じり消えていった。

 

------------------------------------------------------------

 

「兄上は何を考えているのだ!諌山の血を継がぬ者に家督を譲るなど!」

 

 静かな音を立てて走行する車の後部座席で、諌山幽が吠える。

 

 退魔師の業界は古い考えに縛られた業界である。最近は人手不足が理由で新たな退魔師人口が増加しつつはあるが、家系や血筋、もしくはしきたりなどの考え方は根強く残っており、とても開かれた業界とは言えないのが退魔師業界なのだ。

 

 そして諌山幽もそんな考え方に囚われた人間の一人であった。

 

「そんなにお怒りにならなくても」

 

「冥……」

 

 一人でヒートアップしていた幽を、平生と変わらない声色で冥が嗜める。

 

 その声色は静かで、まるでこの家督の一件に関心がないかのような平坦な声であった。

 

「我々退魔師は元より長生きの難しい家系。例え私が家督を継いでも、お勤めで命を落とすようなことがあれば、結局家督は黄泉さんのもの」

 

「な、なにを言う冥!」

 

 娘の口から突如として出た“死”に関する話に幽はぎょっとした顔を浮かべる。

 

 冥がしたのはあくまで仮定の話。だが、仮定の話といえども娘が自身の死について語り始めたことに動揺してしまったのだろう。

 

「反対に、黄泉さんが死んだら、私が継ぐかもしれないのですよ」

 

「え、ええ!?」

 

「そう、早いか遅いかでしかないのです。早いか、遅いかでしか」

 

 だが、その動揺させた本人は変わらぬ顔で持論を展開する。

 

 自分が継いだとしても、それをいつまでも保持していられる保証はない。()()土宮ですら一つの事件で生死をさまようことがあるのがこの業界だ。

 

 だから自分が継いでも、黄泉が継いでも、高い確率でそれ(家督)は持ち主を失う。配偶者に継がれる可能性もあるが、子を生していないのならば配偶者ではなく、生きている諌山に移転する可能性の方が高い。

 

「それに、もしかすると生きていても保持が難しくなるかもしれません。……ご存知ですかお父上。黄泉さんには意外と敵が多いということを」

 

 次々に飛び出す娘の衝撃的な発言に、幽が目をむく暇もなく、冥は言葉を続ける。

 

「環境省での活躍は目を見張る程のもの。その名を知らない退魔師など三流では済まないでしょう。それだけあの機関における黄泉の活躍は目覚ましい」

 

 自らの手を見つめながら、静かに語る冥。

 

 脳裏に浮かぶのは三年前の一件。カテゴリーAと小野寺凛が一閃を交えたあの戦いで、乱紅蓮を携えてカテゴリーAに相対する黄泉の姿。

 

「―――ですが、それ故に疎むもの、邪魔をするものは多い。そして、不満を持つ者にとって黄泉の出自は絶好の標的になる」

 

「……」

 

「表だっては発言するものはいませんが、彼女の出自に良くない印象を抱いている人間は少なくないと聞きます。正当な血筋であるというのはそれだけで大きな力。生まれにこだわるこの世界で、血の威厳を持つことには大きな意義がある」

 

 しきたりや風習などにもうるさいこの業界だ。その中で血という後見を得ることは何よりのバックアップとなる。

 

 そして、それは自分にあり、黄泉にはないものだった。

 

「今のところ表だって黄泉さんに対する不満を言うものはいない。何故ならば彼女はまだ高校生で、家督を継いでいない。しかも継ぐことが確定していたわけでもないのです。―――ですが、どうでしょうかお父上。現当主が飯綱家との縁談という形を持って家督を黄泉に譲ることが決定した。これは大きな波紋が広がると思いませんか?」

 

 不敵に冥は微笑む。未だ理解の整っていない父に向って、諭すように、唆すように。

 

「それでも彼女に正面から対抗するものは出てこないでしょう。諌山は力のある家柄。しかも当主も類稀なる実力者なのですから。……でも、裏では違う」

 

「……なるほど。血の繋がらない人間が権力と力を持ち、自分たちの上に立っていることが気に食わないもの達の不満が出てくるのだな?」

 

「その通りですお父上。―――そして肝心のお勤めも振るわない……そんなことになったらその立場は一体どうなるのでしょうね」

 

「それは、黄泉に対する信用が揺らぐだろうな。不満も表だって出てくるようにはなるだろう。……だが、そんなことがあるのか?黄泉の腕はお前もよく知るところだろう?そんな簡単に揺らぐような実力では―――」

 

「ええ。それは事実です。多少のことでは揺らがない実力があの子にはある。でも、この世界は少なからず彼女に不利なのです」

 

 あの厄介な男が傍らにいることは彼女にとって幸運だが、それ以外の環境は奇跡的なほどに彼女に敵対的なのだ。それこそ、奇跡的なほどに不遇な環境であることには一つの証明(喰霊-零-)がある。

 

 ボタンの掛け違いがあの悪夢を引き起こしたとはいえ、その掛け違いにどうしようもない爆薬を仕込んだのは彼女の立場だと言っていい。

 

「彼女が今退魔師で最もと言って良いほどに注目されているのはその強さから。しかし、人間とは現金なものです。それ以上に強く、話題性のある存在が出てくれば、その注目は薄れ、期待は薄いものとなっていく……」

 

「強さと話題性?最近だと土宮の娘か?だがあの娘に関しても黄泉と同様のことが言えるだろう。将来など不確実なものだ。土宮神楽が諌山黄泉を上回ることがあるとは言いきれん」

 

「小野寺凛から、勝ちをもぎ取っていてもですか?」

 

「……なんだと?」

 

「彼も本気で相手をしていたわけでは無いそうですが、言い逃れようもなく綺麗な一本を取られたそうです。しかも完全な寸止めで、配慮をされた上で」

 

 となりで幽が言葉を失ったのが分かった。天才と言われてきた神楽ではあるが、黄泉と凛の影響のせいか、話題的には隠れている節があった。

 

 やはり二人が注目されているのは三年前の殺生石事件が大きかったのであろう。今の神楽と同年齢の黄泉と、今の神楽より一つ下の少年が土宮舞を守りながら敵を撤退させるというその功績が大きかった。

 

 13歳の少年が、援軍の到着までカテゴリーA、しかも最強クラスの退魔師二人を退けた存在を相手に防衛戦をやってのけたのだ。実際そこまでの長期戦ではなかったため、時間を稼げたと断言するには少々曖昧ではあるのだが、それでも十二分過ぎる功績だったのである。

 

 それに比べてしまうと神楽の功績は霞んでしまう。確かに同年代、いや、その遥か上の年代と比べたとしても優ってしまうような功績を残している。

 

 ただ、どうしても功績になるような敵を相手取るときは黄泉か凛のフォローという形で入ってしまうため、神楽個人の周囲から評価には繋がりにくい状況なのだ(直に見ている対策室のメンバーは例外であるが)。

 

 ……ちなみに冥もその功績者の一人ではあるが、この一件に関してはどうしても駆け付けた順番と戦闘の貢献度的に凛、黄泉、冥の順に話題が出てきてしまい、年齢も多少上であることもあってか、冥のことは殆ど話題にされていないのが正直なところである。

 

 そして、だからこそと冥は思う。14の時の自分では、そして今の自分でさえ敵わないであろうと思わされる男を相手に一本を取るような人間が、

 

「―――今の器のままで収まるわけがないでしょう。あれは大成する器です。誰よりも強く、他を寄せ付けることすらさせないような、そんな器に。そしてそんな大器の影に黄泉さんが隠れてしまうようなことがあるかもしれません」

 

 たった14歳であの化け物から完璧な一本を奪う。冥がそれを凛から聞いた時はどうせ遊びの一本だったのだろうと思ったのだが、どうやらそうではなかったらしい。

 

 その話をしている時に凛が目に浮かべていた色はひたすらに哀の色。冗談めかして笑いながらポーカーフェイスを使用して話してはいたが、浮かぶやるせない気持ちを目で語ってしまうことを防ぐことはできてはいなかったことを思い出す。

 

 つまりは本当に予想外だったのだ。近くで見ている彼からしても、彼女の成長は。

 

「な、なるほど。確かに驚異的で素晴らしい才能だとは思うが……。どちらにせよ、希望的観測に過ぎないだろう?それでは家督は―――」

 

「仕方ないのですよお父上。我々はもう既に希望的観測に縋るほかない。黄泉に家督が譲られると決まった時点で、私たちは諌山という主流から分かれた分流の一つでしか無くなったのですから。我々は最早敗者。そんなものが何かをわめき叫んだところで所詮それは負け犬の遠吠えにすぎません」

 

 こんなことを長々と話しながら、冥はこれで家督を得られるなどとは欠片も思ってはいない。

 

 黄泉の名声が失墜して自分が家督を継ぐ。そんな夢物語、あるわけがないのだから。

 

「そう。我々にそれを継ぐ権利は正当な手段によって奪われました。……いえ、奪われたという表現はおかしいですね。正当な手続きで正当な人間が正当に家督を継いだのですから」

 

 当主が、自分の戸籍上の娘に自分の全権を託すと宣言し、それを法律上受け取ることが認められた人間()が受諾する。

 

 そこに誰も口をはさむことも、ましてや邪魔することなど出来はしない。

 

 黄泉の代で家督を自分が受け取ることは間違いなく不可能だ。

 

「ならば、次の世代に託すというのも一考には値するかと」

 

「次の、世代?だと」

 

「私の代で家督を譲り受けることに成功するのならば問題ありませんが、現実問題それは不可能です。……ただ、子供の代ならば可能性はあるかもしれません。もし諌山の血を引く私の子が、諌山の血をひかない黄泉の子よりも優秀だったとしたら……。少し、面白いと思いませんか?」

 

 目を閉じ、あるかもしれない可能性を夢想する。

 

「先程お父上がおっしゃった通りこれも希望的観測にすぎません。あくまでこれはもしかしたらの話。……でも、悪くは無い。―――所詮この業界は()()()()()()でしかないのです。たとえ私が継がなくても子が継いだのならば……。それは、お父上がよくご存じでしょう?」

 

 子が継いだのならば、発言力のある親であればそれは親が継いだに等しい。

 

 いわゆる摂関政治のようなものだ。親が関白の位置について権利を我が物とすればいい。

 

「そして、その可能性を高めてくれそうな遺伝子は見つけました。―――実行に移してみるのも、悪くはないかもしれません」

 

 そう不敵に笑って冥は口を閉じる。幽はそんな娘に何か声を掛けた気な様子であったが、話は終わったとばかりに目を閉じて泰然と佇む冥の姿を見て追及することをやめた。

 

 冥の言うことは全て希望的観測に過ぎない。もしも、もしもの話で、具体的な対策案ではないのだ。

 

 それも当たり前だ。家督は順当に正当な後継者のもとへ正規の手続きを経て譲渡される。よって手など出しようがないのだから。

 

 不満はある。源泉のごとく湧き出てくる不満は当然ある。

 

 だが、それでも、幽は娘の希望的観測に胸を躍らせた。諌山を、諌山黄泉(血を継がぬ者)に渡したとしても、再度譲り受ければいいのだと、新しい考えを得ることが出来たからだ。

 

 満足気に幽は車のシートに体を預ける。上質な皮とスプリングが幽の背中を包み込んでゆったりと受け止める。そのクッション性は流石高級車というべきだろう。それが今日は特に心地よく感じられた。

 

 だからだろう。幽は、娘が静かに呟いた、最も本心から出た言葉を聞き流してしまった。 

 

―――でも、それ以上に。()()()()()はいつでも起こるものですから。

 

 そう、静謐に呟かれた言葉を。

 






最後の二行が今作での冥のスタンスになります。
解釈はご自由に(自由にする余地もないかもですが)


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第10話 -原作5話-

「ただいまー……」

 

「にーちゃ!お帰り!」

 

「おっと。ただいま、華蓮。まだ起きてたのか」

 

 夜の11時。24時間表記だと23時。

 

 昼間学校を早退してお勤めに向かい、そのまま3件連続で各地の特異点を沈めてきたのだが、その沈めた特異点の難易度や、地理的な関係から時間がかかってしまい、こんな時間に帰宅することになってしまったのだ。

 

 今回は黄泉と神楽はお休みで、俺と岩端さんのツートップであとは所謂下っ端の方々(言い方は悪いが)を引き連れて鎮圧に向かった。

 

 俺は対策室の息のかかった高校に通っていることもあり、神楽や黄泉よりも学校側に融通が利きやすい。

 

 加えて成績も悪くないため、休んでも問題ないだろうと室長が判断し、駆り出される回数と頻度が神楽たちより結構多いのだ。

 

 あの女狐は俺には結構無茶を言ってきやがるし、今回も俺一人で何とかなるような内容であったために二人には待機をしてもらって俺だけ出動したのだ。

 

 ……それにしても最近出動が多すぎる。

 

 特に俺が出勤する時に難しい案件が重なりすぎなのだ。前々から思っていたことだが、俺はとことん運がないらしい。せめて人並みにラックが欲しいものだ。

 

「にーちゃ、あそぼ」

 

「こら華蓮。もう寝なきゃダメだろ。明日起きれなくなるぞ」

 

 俺が玄関をくぐるなりタックルをかましてきて俺にしがみついたままになっている華蓮にそう言う。

 

 こんな時間まで起きているとは珍しい。長く起きていても大体8時には完全に意識をシャットダウンしているのが普通だというのに、こんな時間まで起きているなんてなかなかないことだ。

 

「おかえりなさい、凛。今日も遅かったのね」

 

「ただいま。結構面倒な案件で長くなっちゃったよ」

 

 華蓮の遊んで攻撃を華麗にスルーしていると、台所から母親が現れた。

 

 華蓮に合わせて大体いつも早く寝ているのだが、俺が帰ってこないときはこうやって毎回起きて待っていてくれているのだ。

 

 寝てていいと何度も言っているのだが、毎回ご飯を温めて待っていてくれる。

 

 ……うちの母親は時折張り倒してしまいたくなるくらいのアホの子になることがあるのだが、それを抜かせばとんでもなくできた母親である。アホの子ではあるが。

 

「ご飯どうする?残してあるけど」

 

「食べる食べる。晩飯食べたのは食べたんだけど、腹減っちゃった」

 

 腰に抱き着いて宙ぶらりんになっている華蓮を引き連れて台所に向かう。普通なら居間で食べるところだが、この時間だし、何時も遅くなった時は台所で食べているのだ。

 

 うちは金持ちだし、台所もちゃんとご飯を食べれるスペースがあるので、そこら辺は地主であることに感謝したい。

 

「そういやなんで華蓮この時間まで起きてんの?お母さんが起きてるから寝てない感じ?」

 

「違う違う。今日鈴木さんの所に遊びに行ったんだけど、そこで疲れて昼間たっぷり寝ちゃったの。それで今目が冴えてるみたい」

 

「あーなるほど。鈴木さん好きだもんね、華蓮」

 

 腰に抱き着いて離れない華蓮のほっぺをこねくり回しながら母と会話をする。

 

 ……なんと柔らかくしっとりとした肌なのだろう。神楽のほっぺとかも柔らかくてすべすべなのだが、この赤子の肌はレベルが違う。この世の神秘と言ってもいいだろう。いつまでもこねくり回したくなってしまう。

 

 ちなみに鈴木さんは近所のおじいちゃんのことだ。孫が、というより子供自体がいないらしく、華蓮のことを凄い可愛がってくれるのだ。

 

 俺も小さいころは結構可愛がってもらったものであるが、やっぱり孫くらいの女の子はお爺ちゃんにとって特別なのだろう。ものっそい可愛がってもらっている。華蓮も懐いているし、信頼できるご近所さんである。

 

「凛、どのくらい食べる?夜遅いし、少なめにしようか?」

 

「いや、大盛りでお願いします」

 

 コンビニのおにぎりなどで晩飯を補給した程度で俺の消費エネルギーが補えるはずもなく、俺は今お腹がペコペコなのだ。深夜帯に大量に食べるのは体に非常に悪いとわかってはいるが、大食漢な俺としては食べない方が体に悪い。

 

「にーちゃ!バイク乗りたい!」

 

「だーめ。夜遅いし、まだ危ないからダメ」

 

「じゃ絵本!」

 

「バイクはあっさり引き下がるんだな。いいよ、ご飯食べ終わったら読んであげる。俺の部屋おいで」

 

 中学までは両親と一緒に寝ていたものだが、高校に入ってからはようやく個室が与えられて、そこで寝るようになった。

 

 俺が、というより母親が俺離れできていなかったのだが、親父と俺の説得もあって、高校になってからようやく一人で就寝できるようになったのだ。

 

 華蓮は母と一緒に寝ているのだが、時折俺の布団に潜り込んでくるときがある。今回も多分そうなるだろう。

 

「そういや親父は?もうおねむ?」

 

「おねむって。明日早いみたいでもう寝てるよ。10時くらいまでは凛のこと待ってたんだけどね」

 

 そういってカレーをくるくるかき混ぜる母親。

 

 結構この人だけが過保護かと思いきや、親父も親父で過保護なのだ。自分が息子を痛めつける分には自分の管轄だから問題ないらしいが、自分の目の届かないところで傷つくのがどうしても嫌らしい。

 

 本当に俺は今世でも親に恵まれたものだ。

 

 親父とは結構喧嘩もするが、やはりいい親である。

 

「にーちゃ絵本」

 

「華蓮ちょっと待ってね。ご飯まだ食べてないんだ俺」

 

「ホントに華蓮はお兄ちゃんっ子ね。……そうだ凛、お風呂まだでしょ?華蓮もまだだったりするから、一緒に入れてあげてくれない?」

 

「あいよ。ってかまだお風呂入ってなかったのか」

 

「凛が帰ってくるまで入らないってダダこねちゃって。だからお願いね」

 

 本当に愛いやつである。お風呂用の絵本が多量にあったはずなのでそれを読んであげよう。

 

 ……ちなみにその絵本は黄泉からの寄贈だったりする。時折俺の家に遊びに来た際に、華蓮が泣きながら帰らないでと駄々をこねるのでお風呂に入れてお茶を濁してくれたりしているのだ。

 

 奴自身も楽しんでいるらしく、俺の家に来るときに防水の絵本を結構買ってくるために俺の家には相当な絵本の蓄積がある。

 

 風呂上がりの黒髪美少女を眺めることができるという役得環境下にあるわけだが、こればかりは華蓮に感謝してもしきれない。

 

 安達にこの話をしたときはコンパスが飛んできたくらいだ。黄泉が俺を完全に弟枠として見ていないことを嘆かなければならないというオプション付きではあるため、手放しで喜べはしないのだが。

 

「食べ終わったらゆっくりあったまってきなさい。今お風呂温めてくるから」

 

「ありがと。んじゃいただきます」

 

 目の前に運ばれてきたカレーに意気揚々と俺はスプーンをつける。

 

 我が家のカレーはルーを使わずにスパイスを使って作っているため、非常においしい。下手な店に行くよりも母親のカレーを食べる方がおいしかったりするのだ。

 

 ……料理のうまい母親を持って俺は幸せ者である。

 

「ひとくちちょうだい!」

 

「これは辛いからダメ。もう夜遅いんだから我慢しなさい」

 

 おねだりしてくる華蓮をかわしつつ、カレーを口に運ぶ。

 

 ……幸せである。口の中から幸福感があふれてくるとはこのことだ。

 

 家族の作った料理ながら最高の評価を下し、舌鼓を打ちながらそれを味わい、沸かされた風呂に華蓮と入って、俺は今日一日を終えたのであった。

 

------------------------------------------------------------

 

「ういーっす。ってあれ?いい匂いがする」

 

 とある日。俺が対策室の扉をくぐると、女性らしい何とも香しい匂いが俺の鼻に届いてきた。

 

 デパートなどでよくある香水コーナーの香り。俺は香水の匂いが結構好きなタイプの人間であるため、この匂いは非常に心地の良いものだった。

 

「ほら、凛ちゃんも言ってる!それに、ナブーさんの鼻は誤魔化せないよー」

 

 おや?と思う。神楽が黄泉を壁際に追い詰め、じとっとした目で黄泉に迫っている。

 

 それに黄泉からするいつもとは違ういい匂い。いつもどうしてそんなにいい匂いがするのかよくわからないほど女の子らしいいい匂いを漂わせている黄泉ではあるが、今回はそれに混ざって人工的ないい匂いもしている。

 

 ……ははぁ。これはあれだ。あの一幕だ。平和の象徴的なあれだ。

 

「……んぅ。……これ、さっき買ったの」

 

 神楽の追及に、年相応の少女らしく恥じらいながら、さっき買ったという香水を取り出す黄泉。

 

 なかなかセンスがいい香りの香水を買ったものだ。厭味ったらしくなく、それでいてしっかり主張するそんな香り。うん、俺的にはポイントが高い。

 

 俺としてはもうそこで追及を終えてもいいのでは?と思ったのだが、神楽の追及はそれで終わらない。

 

「な、なによ!」

 

 香水をカミングアウトした黄泉により顔を近づけてそのじとっとした視線を強く黄泉に向ける。

 

「……睫毛。いつもより長くなってる」

 

「……!いいじゃない!私だってお化粧くらいするわよ!」

 

「わかった!今日は紀ちゃんとデートだ!」

 

「違います!そんな予定はありません!」

 

 神楽の指摘に真っ赤になりながらも反論する黄泉。

 

 ……なんと微笑ましき光景だろう。おっさん臭い感想ではあるが、これぞお洒落を覚えたての思春期女子の会話といったところだ。

 

「ちーっす」

 

「あ、紀ちゃん!」

 

 なんともまあ女子高生と女子中学生らしい会話。そんな微笑ましい光景が繰り広げられている中、それをぶち壊す予定の、最高に空気の読めない男が入ってきた。

 

「……あれ?くっさくないか?」

 

「……!!」

 

 とても信じられないレベルの爆弾発言。

 

 顔を赤くして視線を紀さんからそむける黄泉。どんな感情が渦巻いているのか一瞬ではわからないが、少なくとも羞恥とその他もろもろの感情が入っているだろう表情だった。

 

「なんだこれ。化粧くさ」

 

 空気が死んだ。それはそれは見事なまでに。死を直接見ることのできる魔眼であってもここまで見事に空気を死なせることなど出来やしないだろうという程の空気の死に方であった。

 

 広辞苑に《飯綱紀之:空気が読めない男の意》として乗せたくなるほどの空気の読めなさ。まさに空気が読めない男の中の男。いや、あのタイミングで入ってきて空気を読むのは結構むずかしいから、間の悪い男の中の男とでも言うべきだろうか。

 

 俺は人生を二回歩んでいて、合計すると40年近くなるわけだが、ここまで空気が凍った瞬間は経験したことがなかった。

 

「あ、ああ、それ私!ほら!これ!」

 

 やるときはやる子、土宮神楽がすかさずフォローに入る。

 

 ……皆、言われずともわかっていた。黄泉が化粧をしてきたのはこの空気殺し(エアーブレイカー)の為であったことを。

 

 それを誰よりわかっていた神楽は即座に姉のフォローに入ったのだ。

 

 しかも神楽がその匂いをまとっていないことがばれない様に自分にスリープッシュくらいそのコロンを吹きかけるという気の利きようだ。

 

 ……出来る子すぎる。この瞬間、俺は知っている展開ながら神楽に心よりの賛辞を心の中で送っていた。

 

「なんだ神楽か。仕事場なんだからそんなもん持ち込むなよ」

 

 苦笑いをしながら神楽にそういう紀さん……いや、紀之。この際このダメ男に敬称なんぞいるものか。

 

 神楽のナイスフォローに気を取られてはいたが、ふと見るとコーヒーメーカーの近くになんともいえぬ無表情で近づいていた黄泉が、紀之の言葉に一瞬むっとした表情を見せる。

 

 ……そらあ神楽がフォローしてくれたっていっても言われてるのは自分のことなのだからいらっとも来るだろう。

 

 その黄泉の様子に、ビクッとしてしまったのは内緒である。

 

「うちの家系は鼻が敏感だからさ」

 

「は、はーい」

 

 ただ自然と煽るだけではなく、管狐がくしゃみを一発するという煽りオプション付きだ。この男は本当にダメな野郎だと俺の中で株がストップ安となった。

 

 神楽はコーヒーを入れている黄泉の方をチラチラと伺いながら何とも言えぬ表情になっている。……というより、神楽だけじゃなくてここにいる対策室の面々が全員そんな表情となっていた。

 

 神楽が一番きょどってはいるが、俺も似たようなものだろう。

 

「神楽、香水の使い方しらないだろ」

 

「ふぇい!?」

 

「あんまり付けすぎると、子供がはしゃいでいるみたいでみっともないぞ」

 

 こいつ狙ってやってんじゃないだろうなと思う程的確に煽っていく飯綱紀之。

 

 イラッとした黄泉の表情に神楽は冷や汗を流し、俺たち男衆は見ていられず下を向いてしまう。

 

「霧の中を潜るだけでいいんだ。あんまり付けすぎると、厚化粧のおばさんみたいな匂いになっちまうからな」

 

 はっはっはと高笑いする飯綱紀之。

 

 煽り検定一級の資格を俺直々に認定してあげたい。

 

 何高らかに笑ってやがんだてめえは……!というのが何やらアツアツのコーヒーを準備している黄泉に気が付かず、神楽の頭を撫でている男に対する俺たち対策室の面々の総意であった。

 

 朗らかな、なんの邪気もないような天真爛漫な笑み。

 

 多分この男は本当になんの悪気もないのだろう。香水をつけているのは神楽だと本気で思っているし、アドバイスも的確なものをユーモアを交えてしてあげたと思っているに違いない。

 

 だが、当然そんなユーモアは当事者(黄泉)にとって面白いものであるはずもなく。

 

 そのとんでもない熱さを、発する大量の湯気が高らかに主張する黒い液体が、満面の笑みに降り注がれた。

 

「うおわっちい!!!!あちゃちゃちゃちゃちゃ!!!うお、っくお……!」

 

「ごめん、こぼした」

 

((((うっわぁ……。でも同情出来ねえ))))

 

 地面を転がる紀之を、まるでごみでも見るかのような視線を向けながら見下ろす黄泉を見て、俺たち対策室の面々は寸分たがわずにそう心で呟いた。

 

 その惨状を目の前で見ていた神楽に至っては顔面蒼白になってしまっている。俺らも顔面蒼白とはいわずとも全員同じような表情をしていた。

 

「うそつけぇ!お前なんか俺に恨みでもあるのか!」

 

「別に」

 

 絶対零度以下の温度ってあるんじゃないの?と思わせるそんな心の底から凍ってしまいそうな黄泉の声。

 

 カテゴリーBを三体相手取った時よりも俺の体が震えているのは気のせいではないだろう。

 

「何もないのに人にコーヒーかけるのか、お前は!」

 

 何もなくないからコーヒーをかけられているわけだが。

 

 そしてこの愚かな男はコーヒーをかけられた腹いせとばかりに、止せばいいのに気が付いた真実(パンドラの箱)に足を踏み入れていく。

 

「……っくう。……ん?なんだ、これお前の匂いかよ」

 

「……!!」

 

「自分で匂いまき散らしといて、神楽のせいにするなよ」

 

「してないわよ!」

 

 うむ、確かにしていない。

 

 いつの間にかコーヒーの被害から逃げてきた管狐を頭に乗せておろおろしている少女が勝手にやったことだ。

 

「でも、厚化粧してるのはホントだろ?」

 

「……!」

 

 黄泉が手に持った何かを飯綱紀之に放る。

 

「おっと」

 

 しかし相手は仮にも一流クラスに位置する退魔師。その程度の攻撃、食らうことなどなく軽く受け止めて見せる。

 

 ……受け止めない方が良かったかもしれないけどね。

 

「……あったま来た……!」

 

 投げつけられたコーヒーミルクを握りつぶしてしまったことによって、顔と掌がべっとべとになってしまった飯綱紀之が喧嘩腰にそう発言する。

 

「頭に来たら、なんだって言うの?」

 

「あー?なんだと思う?」

 

 悪のヒロインとして飯を食っていけそうな声色と視線で乱紅蓮を召喚する黄泉に、猛りながら管狐を大量に召喚する紀之。

 

 両方とも悪役としてやっていけそうな迫力だ。

 

 流石の俺もあの間に割って入って喧嘩を止めたくはない。ぶっちゃけ怖い。

 

「凛ちゃん、なんとかしてよー!」

 

「無理を言うな神楽。俺も怖いんだ」

 

 いつの間にか俺の後ろに避難していた神楽がそう無茶ぶりをしてくる。

 

 こいつは俺に死ねと言っているのだろうか。この間に入るとかムリゲーすぎるだろ。三途河を二体相手取る方が可愛いような雰囲気だというのに。

 

 それにどちらかというと俺は黄泉側なので、参戦したら紀之vs俺と黄泉という構図になるだろう。そんなことになったら環境省のこの建物はぶっ壊れてしまうに違いない。

 

 俺がいることなど流れにはなんの影響もないと雄弁に主張するかのごとく、喰霊-零-と同じ流れで火花を散らす二人。

 

 ……こええ。特に黄泉の目が怖すぎる。あれは人を殺せる目だ。俺が言うんだから間違いない。下手したら紀之死ぬぞこれ。

 

 アニメを見ていてもかなりの緊迫感ではあったが、現実はこんな緊迫してやがったのかと思わざるを得ない。誰も動けなかったのが納得だ。

 

 一触即発の雰囲気が流れる。東西冷戦なんて目じゃない緊迫感だ。

 

 多分数秒のことだったとは思うのだが、見ているこっちからするともっと長く感じられた。

 

 これは俺が犠牲になるしかないか?などと緊張していたからだろう。

 

「はいはい。事務所で霊獣を出さない。二人とも乱ちゃんとチビちゃん仕舞って仕舞って」

 

「神宮司室長ー!」

 

「「ナブー……」」

 

 いつも無茶ぶりをしてくる室長が、何よりも神々しく見えたのであった。




五話は個人的にすごい好きなシーンです。


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第11話 -運命と偶然-

遅くなりました。
対策室の話の続き、ではなかったりします。

前回までのあらすじ

土宮舞にリハビリの約束を交わし、剣輔も仲間となった。
しかし黄泉と紀之の喧嘩は激しくなる一方。室長の仲介で収まったはいいものの……。




『凛、そっちはどうだ?』

 

「ばっちりですよ。観測地点としては上々ですね」

 

『りょーかい。それじゃあ、そこでしばらく待機しててくれ』

 

「承知しましたー。……本部の方、何度も言ってますけど、これ本当に俺必要あります?カズさん達だけで大丈夫でしょ」

 

『本部二階堂です。結論から言うと、あなたの離脱は認められません。万が一にも二人が本気で戦闘を始めたとき、止められるのは貴方だけなのですから』

 

「いや、そう言いますけど、そんな喧嘩しないでしょうに……。まさか桐さん、自分が恥ずかしい役回りをするのに、俺が待機なのはおかしいとか、そんな意味不明理論で道連れ作ってるわけじゃないでしょうね?」

 

『……ターゲットが来ます。私語は慎むべきかと』

 

「な、てめえ!冗談で言ったのに図星なのかよ!スリーサイズばらすぞコラァ!」

 

『!!小野寺凛、何故貴方が知って―――』

 

『二人ともうるさい!作戦中なんだから静かにしてよ!』

 

 無線越しに聞こえる二階堂桐の声に対して断固たる抗議を送っていると、神楽からの怒声が入る。

 

 無線の声は一方通行であるはずなので、なぜ神楽の声が入ったのか不思議ではあるのだが、ともかく怒られてしまったからには一度黙るしかない。

 

 ……ここまでで大部分の方がお気付きかとは思うが、現在喰霊-零-の五話でお馴染みの紀之と黄泉をくっつけよう大作戦の真っ最中である。

 

 昼下がりの公園。生徒や学生なら学校が終わって友達と遊びに行き始めるような、そんな時間帯。そんな中で俺たちは二人の恋愛事情に口どころか色々余計なものまでだすという蛇足にも蛇足過ぎる行為を行っている。

 

 おおむね原作どおりに進んではいるが、あえて違いを述べるならば、まず神楽が一発目に黄泉を襲う役として指定したのが俺であることと、この場に俺が居ることだろうか。

 

 そんなささいな変化くらいで、大きな流れの変化は存在しない。少々拍子抜けなくらいだ。

 

 なので原作以上の流れは見られないだろうと、今回は趣味の喫茶店巡りをすべく作戦の参加を拒否したのだが、神楽と何故か二階堂のせいで参加することになってしまったのだ。

 

 ・・・・・・桐さんのスリーサイズは本気でばらす所存である。俺と桐さんは結構仲が良かったりするが、まさかほんとにあんな幼稚な理由で作戦に加えられていたとは。

 

 どうせあの二人は俺らの介入がなくてもうまくやるのだから、今回の作戦がまるごと蛇足だ。それなのに訳のわからない理由で俺を使ってくれた桐さんには報いを受けてもらおう。いつも室長と共に無茶ぶりをしてくることのお返しをここでしてもなんら問題はあるまい。

 

 

 ……さて、そろそろ開始時刻か。

 

 先程からしっかりと紀さんの姿は目に入っている。原作通り、絶対座りにくいであろう椅子?に腰かけて本を読んでいる。絶対尻の骨が痛くなると思うし、あんなん格好つける以外に座る意味がないと思うのは俺だけだろうか。

 

「―――それじゃあ、作戦開始よ」

 

「二階堂桐、でます」

 

 無線越しに響く二人の声。ちらりと目線を向けると着飾った桐さんが紀さんのところへと歩いていくのが目に入る。

 

 うむ、全くもって原作通りだ。

 

 片手に持った缶コーヒーをすすりながら、少し離れたベンチに座ってその光景をぼんやりと眺める。

 

 今回俺に与えられている役割は遊撃。二人にばれないように臨機応変に動いて何らかの事態に対応をしろとのことだ。

 

 とはいえ原作でも遊撃が必要な場面などなかったし、いざとなったら神楽が飛んでいって泣き真似をしてくれるだろう。つまりは今回俺の出番は無し。

 

 本来なら何かあったときに動かなければならないのだろうが、別に俺が動かなければならないような状況は起きないとわかっているのだから気楽な役である。

 

「……本でも読むか」

 

 持ってきているカバンから本を取り出す。

 

 最近黄泉から勧められた、頭を空っぽにして読める系の恋愛携帯小説ものを借りて読んでいるのだが、これがなかなかに面白いのだ。

 

 スイーツ(笑)などといってよくバカにしていたものだが、流石女子高生の間で爆発的な人気を有しているだけはあるのだろう。

 

 時間の無駄だったと思わされるものも多数あるが、物によっては普通に感動させられて黄泉と語ることもしばしばだ。携帯小説は捨てたものではない。馬鹿にしている大人たちにも是非読んでほしいものだ。先入観で面白さと価値を決めてしまう輩も多いだろうが。

 

 ちなみにだが、黄泉がこういったものを読んでいたのは多少意外だった。

 

 神童だのなんだのと言われていてもやはり彼女は女子高生なのだなあと思わされた。そして、大人たちは彼女に年相応以上の姿を求めすぎているのだと、その瞬間に自覚させられた。

 

 自覚させられたと言っていることからわかるとは思うが、実の所それは俺も一緒で、これだけ近くにいるのに、彼女に理想像を重ね合わせてしまっていたのだ。

 

 彼女は確かに立派な人間だが、これは俺が反省すべきことだと思う。彼女はあくまでティーンの女の子で、完成された大人ではないのだ。頭ではわかっていたつもりだが、意識できていなかった。

 

「ま、それはいいか」

 

 俺の前ではあいつも年相応の振る舞いをするし、ほかの大人と違って俺はあいつにそこまで大きな期待を抱いていないからな。

 

 あいつが堕落すれば大人達は掌を返すだろう。当然、そうならない様に支えることが俺の使命ともいえることだが、別に堕落してしまったとしても俺の立場は変わらない。相変わらずあいつの味方でいるつもりだ。あいつがどんな選択をしようとも、俺は友達として、同僚として、そして弟的な立場からあいつを支えようと思っている。

 

「どこまで読んだっけ。確か妹が衝撃発言をして母親にぶっ叩かれたところまでだったか?」

 

 神楽の馬鹿が俺の栞を移動するという地味にむかつく悪戯をしてくるせいで、どこまで読んだかわからなくなってしまった。

 

 内容として覚えているのはそこら辺までだ。そんな文字列がある所を追ってページをめくっていると、体にピリッとした感覚が走った。

 

「……!?」

 

 体に走る不思議な感覚。別に痺れたという訳でもないし、ましてや電流を流されたわけでもない。

 

 気が付けたのは本当にたまたま。どこもおかしくないのに、なにやら感じる不思議な違和感。それがこの電流みたいな感覚の正体だ。

 

 俺は普通の人間に比べて、いや、黄泉たちに比べても感覚がだいぶ鋭敏だ。彼女らが気が付けないような匂いやその他諸々に気が付くことが出来たりする。

 

 それは経験の多さによることも多いのだが、今回は俺であっても、多分このベンチに座って本を読もうとしなければ気が付けなかったろう。

 

 そしてそれに加えてこれは多分―――

 

「これってあの時の……」

 

 本を置いて俺は立ち上がる。

 

 見覚えがある。いや、見覚えという言葉はおかしいか。

 

 感じ覚えとでも言えばいいのだろうか。この感覚、二つあるこの違和感を俺は覚えている。

 

 一つは何度も、つい最近も室長たちとの実験で味わっている感覚。

 

 そしてもう一つは、何年か前、冥さんと一緒に三森峠に行った時に感じた違和感。目の前にあるのに見つからない、意識できないという違和感だ。

 

 目をいったん閉じてから、ベンチの後ろの空間を眺め見る。

 

 ()()()()()()()()()()()()なんて別にいつも気にしないが、今回は殊更意識をしていなかった。 

 

「―――やあ。来てくれると思ったよ。なんでそう思ったのかは僕もわからないんだけどね」

 

「……三途河」

 

 そう、ベンチの後ろには、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 だが、俺は全くそれを意識できていなかった。知識で知っていたし、目撃しているはずなのだが、それでも改めて意識しなければ気が付けなかったのだ。

 

 俺が、黄泉をして「野生動物」とまで言わしめる感覚を持つこの俺がである。

 

 ベンチに腰掛ける白髪の少年。これだけ目立つ人物を俺は見落としていたのだ。

 

 俺に向けているのは背だが、それでもこの存在感と、違和感が俺にこいつが誰なのかを明確に教えてくれる。

 

 俺に背を向けた状態でベンチに座っていたのは、俺の思った通りの人物。

 

 三途河カズヒロ。俺が、なんとしてでも殺すべき対象。

 

「おっと、そんなに殺気立たないでくれよ。君と会うからには武装をせざるを得ないけど、本当に戦う気はないんだ。それに、こんな昼間から目立つようなことをするつもりかい?」

 

「別に俺は構わないぞ。ここは環境省のお膝元だ。なにかあっても揉み消してくれるさ」

 

「君は本当に一貫してるんだね。無抵抗の相手を切ろうとすることに抵抗はないのかい?」

 

「愚問だな三途河。武士道だの騎士道だのからはかけ離れた存在なんだよ、俺は」

 

 そういいながらも俺は殺気を納める。

 

 怖じ気づいたとか、そういうわけでは決してない。本音を言うならば今すぐにでもこいつに切りかかって殺してやりたい。

 

 こいつは明確に俺の敵だ。俺の大切な人の親を殺しかけ、それに留まらず俺の周りに手を出そうとしている。

 

 それを決して許すわけにはいかない。俺はこいつを殺して平穏な日常を保たねばならないのだ。

 

「……ホント、今すぐ切りかかりたいのが本音なんだが」

 

「配慮痛み入るよ。君に飛び掛かられて無事でいられる保証はないからね」

 

「……よく言うぜ。こんだけ罠しかけといてぬけぬけと」

 あたりを見渡す。何故さっきまでの俺は気が付かなかったのだろうと思わされる程多量にある、ぱっと見ただけでもわかるかなり危険な霊的罠。

 

 下手をすれば十では済まない数が仕掛けられている。慣れている人間なら、ここに飛び込むのがいかに危険か一瞬で察知できるだろう。

 

 ……三途河がすぐ近くにいるとはいえ、流石の俺もここに飛び込んでどうなるか予想がつかない。

 

 一発で決められればいいが、外した時のリスクが高すぎる。細心の注意を払って飛び込んだとしても無事で済む確率は相当低いはずだ。

 

 ……それに、今回で言えば俺はこいつに成すすべなく殺されていてもおかしくはなかったのだ。

 

 完全に背後を取られていて、しかし気が付かずに本を読みだし始める。俺が敵なら速攻で首を刈っている。こいつとしてそれが俺を排除するには一番早い方法だろう。

 

 ……だが、こいつはそうしなかった。つまりそれは俺を害す意図がないということ。

 

 襲っても危険ならば話ぐらいは聞いてやる方が合理的だ。

 

 本音なら黄泉たちを呼んで総力戦をやりたいところだが、この罠の感じだと対策室にどれだけ被害が出るかわからない。解除するために今日は徹夜かもしれないな。

 

「随分と物騒なものを用意してやがる。これ、準備に相当時間かけたろ?」

 

「それはもう。君みたいな狂犬相手には細心の注意を払わなきゃいけないから本当に時間がかかったよ。……意識阻害をそうも簡単に外してくるとはね。発動させてくれすらしないんだから骨折り損のくたびれ儲けってやつだ」 

 

「こんだけあからさまに仕掛けといてよく言えたもんだ」

 

 罠に気が付いたことに意外そうな顔をしている三途河ではあるが、これに気が付けないことの方が異常だ。

 

 徹底的に鍛えているとはいえ、剣輔だとまだこれに気が付くのは辛い。しかし神楽や黄泉なら一瞬で看破できるレベルだ。 

 

「……それで?何の用だ?」

 

 すっと目を細め、なにがあってもいいように重心を調節しながら、ゆったりとベンチに腰掛ける白髪の少年を凝視する。

 

「こんな対策室のお膝元にわざわざこんな時間に現れたんだ。それ相応のまともな話を持ってきたんだろうな?」

 

「それはもう。君にとってこれがまともな話になるかどうかはともかくとして、僕からは一つ真面目な話をさせてもらうつもりだよ」

 

 そう言って優雅に足を組む。13歳やそこらの外見だというのに、その落ち着きようと、こいつが持つ不思議な迫力のせいでどこか様になっているのが妙に癪だ。

 

「良かったら座ったらどうだい?今更ベンチに座ることを警戒したところで遅いだろう?」

 

「……癪だが、そうさせてもらうよ」

 

 俺もベンチに腰掛ける。念のために霊力を使用して背中を守りつつ、背面合わせにならない様にベンチに座った。

 

「うん、これでゆっくりお話が出来るね。……ああ、その無線は使ってくれてもいいけど、出来れば話が終わってからにして欲しいかな」

 

「別にいいが、お前本当に何を話しに来たんだ……?」

 

「気になるかい?まあ気になるだろうね。そんな中悪いんだけど、本題に入る前に余計な話をさせて貰おうかな。……小野寺凛、君も疑問に思ったと思うんだけど、なんで僕はこんなところで、こんな時間に君を待っていたと思う?」

 

「……は?」

 

 本題に入るのかと思いきや、いきなり投げかけられる三途河からの質問。

 

 相変わらず回りくどい奴だ。だが、確かにそれは気になっていたところではある。

 

 三途河の言う“こんな所”、それはつまり日比谷公園のことをさす。

 

 日比谷公園は直ぐ近くに環境省があり、俺たち対策室のお膝元と言って過言ではないような場所だ。

 

 霊的な設備も多量にあるし(今回はそれを逆手に取られてもいるようだが)、何より俺たちが直ぐに出向くことが可能な立地だ。

 

 今日に至っては対策室メンバーがほぼほぼ勢ぞろいだ。俺と黄泉が二人がかりなら倒せない敵を考える方が難しいし、神楽と、研修中とはいえ剣輔、そしてほかのメンバーも控えてる。

 

 そんな所で俺を待ち構えるというのはいささか不自然だ。それなら帰り道の暗がりとかで待っていた方が効率的というものだろう。

 

「不快なことに君に二回も完全に破られてしまっている認識阻害の術なんだけど、あれは二つの場所において特に強く作用するんだ。一つは未知の土地。想像しやすいと思うけど、何があって何がないのか全くわからないような場所だとこの術は最高のパフォーマンスを発揮する。それこそベテランでも一瞬で看破するのは無理だろうね」

 

「……二年くらい前にそれは身をもって体験させてもらったよ。それで?二つ目は?」

 

「二つ目は意外な場所さ。それは、自分にとって特に親しい、仕掛けられるのがあり得ないと認知している場所においてかなり強く作用するんだ。例えば君で言うこことかね。……人間はあり得ないと思うことに対しては認知が薄くなる。この法則が君たちにも適用されるのか確かめたかったんだけど、どうやら皆に当てはまるみたいだね」

 

 くすっと笑う三途河。正直イラッと来たが、態度と雰囲気には出さずにおとなしく話を聞く。

 

 俺は一般の退魔師が使えるような霊術に疎い。必死に勉強してはいるが、実際に使いながら学ぶのと、座学のみで学ぶのは知識の習得率が全く違う。

 

 だからこの術式の特徴、難度などは知っていても、実際に実感をもって効果を知っているわけでは無いのだ。

 

 ブラフの可能性もあるが、今の所黄泉から説明を受けたものとほとんど一致しているし、ただ単に実験していたというだけなのだろう。

 

 ……俺や対策室が使われたのは甚だ遺憾ではあるが。

 

「現に君以外はこれに気が付いていない。粒揃いの対策室のメンバーでさえこれなんだ。むしろ君が何で気が付けたかが一番の疑問だよ」

 

「お前の術の組み方が甘かったんだろ」

 

「君の背後を取れるような術式の組み方がかい?それならこの世の術式は九割九分九厘が塵芥のようなものになってしまうね」

 

 そう言われると多少反論しにくい。茶化したものの、こいつの腕は癪なことに、甚だ遺憾ながら身をもって知っている。

 

 こいつの言う通り、なぜ俺が気が付けたのか疑問だ。

 

「……ん?というかそれならなんでお前わざわざ人払いの結界を用意して俺のこと待ってたんだ?」

 

 一つ疑問が浮かんだので隠さずに投げかける。

 

 俺のことを待っていたのなら、そもそも人払いの結界を仕掛けること自体おかしい。気づいてもらうことと人払いの結界を張ることは矛盾しかしていないのだから。

 

 俺と話がしたいのなら、殺されるかもしれないが、どこかに呼び出した方が確実だ。気が付かれない可能性が異常に高いこんな状況を作り出して待っているなんて非効率的すぎるし、正気の沙汰には思えない。

 

「殺生石に脳細胞まで侵されたか?行動が矛盾しすぎだろ」

 

「そうだね。殺生石のくだりは無視するとして、君の疑問はもっともだ」

 

「なら何故?」

 

「……少し、思うところがあってね。君に賭けてみたのさ」

 

 そう答える三途河。

 

 警戒を解かぬまま後ろをちらりと見る。

 

 殺しにかかってくる可能性がある男が背中越しにいるとは思えないほど無警戒な状態で椅子に腰かけ、その顔には憂いとも取れるような不思議な表情を浮かべている。

 

「実はここで今日の本題にもつながるんだ。……今日から三日間、同じ術式をここで張ってみて、それで君に会えたらこの話をしようと思っていたんだ。会えなかったら仕方がない。もし会えたなら、それは偶然じゃないと思ってね」

 

 お互いに振り向いた状態で視線が交差する。

 

 こいつと俺が会ったのは偶然だ。俺がこのベンチに座らなければ会えていなかったわけだし、そもそも俺は日比谷公園にあまり来ない。黄泉と紀さんの作戦に参加しなければここに来ることなど無かったのだ。

 

 だから、偶然。あくまでもこれは偶然なのだ。

 

 だが……

 

「君と僕の間では偶然で済ませるには少しおかしすぎることが多いのは自覚しているだろう?三年前のあの戦いで、君はなんで生きているんだい?間違いなく殺せると踏んだ量のカテゴリーCを僕は君に放ったし、事実死にかけたろう?それに、なんであれだけ距離が離れたところから僕を見つけられたんだい?土宮と交戦中だったとはいえ、あの広大な森の中だ。土地勘もない暗い森の中を走って()()()()目的地に辿り着くなんてあり得ないと僕は思うな」

 

 暗い森、慣れない土地。確かにその通りだ。いくら森に慣れているとはいえ、あの暗い森の中を俺は躊躇わずに駆け抜けることが出来た。それは偏に殺生石の反応を辿ることが出来たからだ。

 

「疑問に思っているのはまだあるよ。二年くらい前かな。あの隧道にどうして君は現れたんだい?都道府県は日本に47 個もあるんだ。しかも心霊スポットに限れば都道府県の数なんて目じゃないくらいに跳ね上がる。それにあそこは正確には君たち東京の対策室の人間が派遣される範囲外のはずだろう?なぜ、君はあそこに現れた?何故僕と遭遇できた?」

 

 こいつ(三途河)にしては珍しく、少し興奮気味の声音で捲し立ててくる。

 

 同意してやるのは何となく嫌だが、それでもその疑問点には同意せざるを得ない。

 

 一個一個の出来事なら偶然で済まされる。だが、その偶然が起こり得る確率が低すぎる事象が俺とこいつの間では重なりすぎている。

 

「でもまだ僕は確証を持てなかった。可能性は限りなく低いけれども、これだけならただの偶然で片付いてしまうからね。……だから、ここで君を待つことにしたんだ。誰に言うこともなく、人払いの結界を張ってね。……結果はどうだい?君は僕に気が付いた。何のヒントもなく、僕を探り当てたんだ」

 

「……それで?」

 

「せっかちだな君は。まぁいいや、結論から言おうか。―――君と僕の邂逅は偶然じゃない。多分、これらは全て必然なんだ」

 

 そう言い切る。

 

 俺たちは必然的に、何かの意思に導かれるように出会っているのだと、そう言っているのだろう。

 

「僕は確信したよ。いずれ訪れる大きな転換点において僕らは必ず対峙することになる。恐らくは、いや、間違いなく敵同士としてね」

 

 そう言って三途河は一呼吸を置く。

 

 先程から無線に色々と会話が入ってきているが、全く頭に入ってこない。

 

「僕の敵役は君で、君の敵役が僕なんだ。君の存在が生んだ影響が僕の、僕が生んだ影響が全て君の敵になる。そしてそれは驚くほど脅威的な存在になる。僕としてはできれば戦いたくは無いんだ」

 

 だから、と三途河は続ける。

 

「―――確認がしたいんだ。小野寺凛、君は僕の敵かい?」

 

「愚問だな。俺は明確にお前の敵だよ」

 

「そうだね。君は僕の敵だ。……でもそれは、僕が君の周りには一切手を出さないと約束したとしてもかい?」

 

「……!!」 

 

 一瞬、言葉に詰まる。

 

「君は僕と近しい人間じゃないかと思ってるんだ。君は基本的に自分の周り以外はどうでもいいと思っている。……違うかな?」

 

 違くない。似ていると言われるのは心外だが、そこに関しては間違った推測ではない。

 

 家族や対策室の面々。学校で一緒の仲の良い奴ら。基本的に俺はそいつら以外は死のうが苦しもうが大して気にしない。

 

 流石に目の前で死にそうになっていたらためらいなく助けるが、殺害予告を出された見ず知らずの人間を助けてやるお人好しではないのだ。

 

「目的の為なら人を殺めることも厭わない……。君はそんな人間だろう?なら、この僕の話は魅力的に映るはずだ」

 

 それも両方間違ってはいない。事実魅力的かそうでないかと言われれば前者だし、平和のために俺はこいつを何度も殺めようとしている。

 

「この前提の上でもう一度聞かせて貰おうかな。―――小野寺凛。君は、僕の敵かい?」

 

 蠱惑的な、人を惑わすような優しい音色で、三途河は俺に語り掛けてくる。

 

 脳髄に溶け込むかのような、優しく、そしてどこか不気味な響きを持った囁き。

 

―――どちらなのだろう。

 

 警戒を保ちながらも目を閉じ、思考の奥へと潜っていく。

 

 ただ、騙そうとしているのか、それとも本気なのか。

 

 刹那の瞬間にあらゆる可能性をはじき出し続ける。

 

 本当か嘘か。その信憑性、ほかの可能性、その可能性における俺の対応。

 

 希望的観測も、絶望的観測も、現実的観測も全て頭の中に叩き出して並べてゆく。

 

 はっきり言ってしまおう。こいつの話は俺にとってある程度魅力的だ。

 

 こいつが本当に黄泉達を狙わないというのならば、それだけで俺の存在意義は果たされたに近い。

 

 俺がこいつからこの提案を引き出せたということは、こいつが俺に対して負けを認めたということと同義。これを承諾した時点で俺はこいつに対する勝者となる。

 

 ある意味で三途河を倒すことに成功したということだ。

 

 だが、

 

「――それでも俺はお前の敵だよ、三途河」

 

 頭の中でいろんなことを計算した。多分、可能性はほぼほぼ網羅したし、それに対する俺の対応なども全て考えつくせたと思う。

 

 でも、やはりこいつは俺の敵になる運命からは逃れられない。

 

 こいつが生きている限り、どうあってもこいつが生み出す災害と俺たちは必ず相対することになる筈だ。

 

 そう、こいつの交渉は実の所何の意味もなさない。

 

 多分こいつは本気で言っている。本気で、俺達と敵対する気はないのだと、そう言っているのだ。

 

 だが、それは所詮一時的なものに過ぎない。もしこいつが俺達を標的にせずに目標を達成したとしよう。

 

 それすなわち九尾が復活しているということ。そして、九尾クラスの大災害が相手ならば、俺達が出ていかないでいられるわけがない。

 

 つまりはどのみち俺達はこいつのせいで苦しめられることになる。こいつが直接俺達に手を出さなくても、俺達は間接的に被害を受けることになるのだ。

 

 そう。こいつが母親のことを諦めない限り、先の条件は交渉の材料足りえないのだ。

 

「……やっぱり、君はそっちを選ぶんだね」

 

「ああ。九尾の後継者を探すって目的も捨てるなら見逃してやってもいいぜ」

 

「それは無理な相談だね。なにせそれが僕の生きる意味なんだから」

 

 そう言って三途河は立ち上がる。

 

「交渉は決裂だね。君に狙われるのは出来れば避けたかったんだけど、仕方ないか」

 

「おい、俺の周りに手を出したら殺すぞ」

 

「それも無理な相談だ。君の周りには石に適応するだけの素質がある人間が多すぎる。……君も含めてね。最近、()()()()()()()ようじゃないか。焦燥、嫉妬……いい感情だね。三年前の君では持ち合わせていなかった、負の感情だ」

 

「お前、何を言って―――」

 

「―――人除けの結界はね、応用すればこういう風にも使えるみたいなんだ」

 

 ふと、気が付く。

 

 元々木の色をしていたはずのベンチ。それが青黒くなっている。これは一体どうなって―――

 

「な―――!?」

 

 頭が理解をすると同時に、間髪入れずにベンチから距離を取る。

 

 それは、見覚えのある生物だった。

 

 俺が座っていたベンチをびっしりと覆う青と黒のコントラストが美しい蝶々。

 

 俺は絶句する。いつの間に仕掛けられていたのか。

 

 思考をかき乱されながらも、一部では冷静に俺がされたことの分析を行う。

 

 人除けの結界、応用。確かにこいつはそう言っていた。

 

 ……。

 

 まさか、こいつ……!

 

「そうだよ。最初から仕込ませて貰ってたんだ。仰々しいほどの罠も、これを隠すためのフェイクさ」

 

 思わず歯を噛みしめてしまう。やられた。こいつの方が数枚上手だった。

 

 今回、この公園に仕掛けられたトラップの数々。それは確かに俺を食い止めるための意味もあるのだろう。

 

 だが、真の目的はそれでは無かった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()から認識を逸らすために、過剰なまでの罠を用意したのだ。

 

 俺は罠と、後ろのこいつに意識を割き続けなければならない。

 

 加えて話される内容が内容だ。()()()()()()()()()()()()意識があまり回らなかった。

 

 せいぜいが背中の防御くらいだ。自分の甘さに反吐が出る。

 

「……五感全部に阻害をかける術なんて聞いたことないぞ」

 

「僕が作ったからね。巫蠱術による微量の毒と、術式の組み合わせで出来るんだ。唯一の弱点としては、この蝶の読心能力を使うには今みたいに認知阻害を解除しなければ不可能ってことぐらいかな」

 

 飄々と言ってのける三途河。

 

 ……大した野郎だ。こんな術を使える奴を、俺は三人と知らない。

 

 擬態を解かれて自由となった蝶達は三途河に付き従うように、守るように周りを飛び始める。

 

 それが、どうも俺を煽っているかのように見えて苛立ちを加速する。

 

「交渉が成功したならこの術は解かないで済んだんだけどね。……はあ。また一つ手札を切っちゃったな」

 

 さも残念そうに言う三途河。

 

 本当に残念なのかもしれないが、それよりもこちらの敗北感の方が圧倒的に強い。

 

 ……まあいい。過程は0点だが、結果としてはオーライだ。

 

 黄泉に死ぬほど特訓させられたのが功を奏して、術式の特徴は掴んだ。これでこいつの認知阻害の術はあらかた攻略した。これは次回以降不利な状況を回避できる要素になる。

 

「じゃあね小野寺凛。残念だけど、君は正面から相手取ることにするよ」

 

「ああじゃあな三途河。今日は見逃してやるよ」

 

 と、いうか罠の関係上、逃げるというのなら見逃すしかないのだが。

 

 蝶に包まれたかと思うと、相変わらず訳が分からないうちに消えていく三途河。

 

 ……これだけはどうやっているのかがわからない。阻害と違ってこれは殆ど原理が理解できないから、巫蠱術の方の技なのだろうか。

 

 これは対策を取っておかないとダメな術式なんだけどなあ。いかんせん巫蠱術に関する資料が少なすぎて、俺達でも巫蠱術は対策出来ていないのが現状なのだ。

 

―――焦燥と嫉妬、ね。

 

 恐らくは紀さんが投げを食らったのであろう。アヒルが潰されたときに出すような声がインカム越しに聞こえてくる。

 

 その声を聴いて、この茶番劇が終わったことを察知し、俺はインカムに向かって話しかけるのであった。

 

「こちら遊撃隊より全員へ。日比谷公園にて解除に半日以上はかかりそうな霊的罠を発見。支給ポイントDまで急行されたし。……お二人の一件も終わったことですし、これからは残業デートとしゃれこみましょうか」

 

 

 

 

------------------------------------------------------------

 

 月光で照らされた建物の上で、銀が輝く。

 

 煌めく銀。その奔流は、流麗と表現するのが適切な美しさを持っており、そして同時に苛烈と表現すべき激しさも持ち合わせながらカテゴリーCを切り裂いていった。

 

 万人が洗練されていると疑いを持たないその剣筋。

 

 その美しい剣技を振るった女性、諌山冥は、静かに建物の屋上へと降り立った。

 

 地上20m近くはある建物の屋上。そこに彼女は階段で登るでも、エレベーターで昇るでもなく降り立ったのであった。

 

 今回の依頼は低級の怨霊の駆除。簡単な依頼だった。こんなもの、最近対策室に入った新人だって出来るだろうと冥は思う。

 

 一息入れる。戦いの後に一呼吸を入れるのは、大体の武人ならばやる動作の一つであった。

 

「月が、綺麗ですね」

 

 屋上から月を眺めて、唐突にそう呟いてしまった。

 

 今日は月がきれいだ。いつも見る夜空より、はるかに輝いて見える。

 

 それは、恐らく自分の心境も反映されているのだろう。この、晴れ晴れとした心境が。

 

 I love you.をこう訳したのは夏目漱石だったか。

 

―――なら、私はどんな英文を月が綺麗だと訳したのだろう。

 

 直ぐには思いつかないが、わかることが一つだけある。

 

 それはきっと、美しくない文章だ。

 

「感謝します、小野寺凛。貴方のおかげで舞台は整った」

 

 そう言って冥は妖艶に笑う。

 

 見るものを破滅に導くような、艶やかで艶めかしい笑み。何も彼女を知らない男がこれを見たのならば、その艶に一瞬で心奪われるだろう笑みを、冥は浮かべる。

 

 瞳の奥に狂気の色をチラつかせながら、冥は笑う。

 

 この為に二年近くも小野寺凛を利用してきた。

 

 彼との時間が楽しくなかったと言えば嘘になる。それを目当てに会っていたのもあるのだから。

 

 だが、真の目的はただ一つ。このような戦場を見つけること。好条件の揃った、自分が起因となって起きた事件であることがばれないような場所を探し当てること。

 

「結果がどうなるのかは私にもわからない。このカードを切ったら、一体どうなるのでしょう?」

 

 自分の指を見ながら、そう呟く。 

 

 本当に冥にはこの先の展開が読めていない。

 

 一つだけ確実に言えるのは、このカードを切ることで対策室も、そして自分でさえもかなりリスキーな目に遭うということだけ。

 

 ただ、土宮雅楽不在の一か月後に合わせてカードを切るのだから、恐らく最も重い役割は、()()の相手は黄泉に任される。

 

 小野寺凛を見て嫉妬した。

 

 諌山黄泉を見て憎悪した。

 

 自分より若くて、経験も少ないはずなのに、自分よりも上にいる。

 

 だからこの戦場で、この死線で、自分の価値を証明する。二人より上だと。そして、あわよくば。

 

「さあ、ゲームをしましょう。―――黄泉。運が悪ければ、ここで死んでもよろしくてよ?」

 

 月光が照らす都会の街並みの中で。

 

 一つの陰謀が、動き始めた。

 

 




一万時超えたぜ。
だから長くなるのだよ。更新スパンが。
一話一話の切り方ってすごい難しい。


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第12話 -温泉旅行?-

ほのぼの?してますが、時系列的には11話の直ぐ後で、物語に関わるやつです。
少し長いので分割にしてます。
恐らくは最後クラスの貴重なほのぼの話です(もう少し後あたりからシリアスしかないもので)。
ここから続く少しの平和な時間をお楽しみください。
……ああ、こういう話ばかり書いていたい。


 

「……はぁ、っはぁ」

 

 暑い日差しが降り注ぐ浜辺。

 

 空と海の境目がわからなくなるような、そんな澄んだ水平線を生み出せるほどに綺麗な海。

 

 海の上を独特の鳴き声を上げながら海鳥が舞い、穏やかな波が耳に心地よいヒーリングサウンドを奏でている。

 

 恋人や友人と来るならば間違いなく絶好のロケーション。由比ヶ浜など目ではない環境が俺たちの前には広がっていた。

 

 もっとも、

 

「はい、それじゃあ休憩終わりよ。若いんだからこれくらいでへばってちゃだめよ。それじゃ桐ちゃん、次のセット行きましょうか」

 

「かしこまりました。……次は一度その服装のまま遠泳をしていただきます。向こうに目印を用意しましたので、そこに置いてある自分のネームプレートを取得後、こちらまで帰還、その後先程と同じメニューを再度こなしてください」

 

(((正気かよ……!)))

 

 今の俺達にそれを楽しむ余裕など欠片もないのだが。

 

------------------------------------------------------------

 

 発端は俺と黄泉、神楽と剣輔の終業式が重なったことだった。

 

「あれ?凛さんも金曜終業式なんすか?」

 

「そうだよ。剣輔の学校も金曜日なのか。神楽たちはどうなんだろ。海の日の後に終業式なのかな」

 

「いや、違うみたいです。少なくとも神楽は俺と同じでした」

 

「ほー。奇遇だな、ということは俺ら四人、全員終業式が一緒らしい。……剣輔、終業式の後暇?最近忙しかったし、二人を誘ってどっか遊び行こう。たまには俺ら四人がシフトに穴空けても罰は当たらないさ」

 

 ぺらぺらとシフト表をめくりながら剣輔と言葉を交わす。

 

 今対策室にいるのはなんと俺と剣輔だけだ。

 

 室長は会議とやらで朝から不在、ほかのメンバーは休みだったり、一服休憩だったりで偶然俺ら二人になっているのだ。

 

 なので剣輔と男子トークを繰り広げていたのだが、その際に夏休みの話になり、今の会話に至るという訳だ。

 

「俺はいいっすけど……。……大丈夫なんすか?俺ら四人で抜けて」

 

「いいんだよ。最近出勤かなり多いし、このくらい許されるだろ。……そうだ。俺車の免許取ったし、皆で遠出するのも悪くないな」

 

 ピン、と名案が思い浮かぶ。

 

 最近ようやく車の免許も取ったのだ。以前取った偽造免許(by 国家権力)で運転できるのはバイクの大型のみだったので、とりあえずは普通車のMTを取得してきた。

 

 教習所に通わずとも偽造はできたのだが、やはり車は取り回しが難しいということもあって、対策室の息のかかったところで正当に免許を取らされたため時間がかかってしまった。

 

「剣輔、次の日とかも空けれる?車出すから泊りがけで何処か行こうよ」

 

「俺は空いてます。……室長に許可取れますかね」

 

「大丈夫だと信じてる。後は黄泉と神楽にも予定を確認してみよう」

 

 その後、対策室にやってきた神楽と黄泉と合流し、この計画を話したところ、二人も乗り気で参戦希望を出してきた。

 

 奈落さんにも許可がとれて、剣輔と俺も親から許可が出たので、あとは室長の許可のみ、という段階で丁度良く室長が帰還。

 

 休み希望の件と、このことを包み隠さず話したところ

 

「あら、いいじゃない。遊ぶのも学生の本文よね」

 

 と以外にも快諾の意思を示してくれた。

 

 この時点で何か考えがありそうだなと俺は推測していたのだが、3人は盛り上がり、それじゃあどこ行く?と話していると、室長から待ったの声がかかる。

 

 やはりなと思いつつも室長の方向を振り返ると、そこにあるのはいつもの通りの一見人畜無害な笑顔。

 

 そうして今回俺たちが乗ることとなったプランを提示してくるのだった。

 

「皆、4泊5日で宿代、ご飯代付き。更には全日お給料まででちゃう、海の見える素敵な温泉旅館のプランがあるんだけど、興味ないかしら?」

 

 

 

 

 そして、話は冒頭に戻る。

 

 まあ当然そんなうまい話なんてそうそうあるものではなく。

 

 聞いてみるとそこまで悪くないプランだったし、最高に美味しい話なんてないと分かったうえで受けたのは受けたのだが、それにしてもエグ過ぎる。

 

 俺らが室長から聞いたその()()()()()の内容はこうだ。

 

 とある所に一軒の温泉旅館があった。その旅館は夏の時期が稼ぎ時で、丁度夏休みが始まって一週間かそこらからが稼ぎのピークになるらしい。

 

 しかし近年はそううまくいっていない。問題が発生したのだ。

 

 その問題というのは海にいる悪霊とそこからわたってきて館に住み着いてしまった悪霊の存在だ。

 

 夏になると何故か活発になるそれに数年前から悩まされており、今年も例にもれずポルターガイストや、確かめるために海に潜りに行った人が溺れさせられかけるということが発生しているらしい。

 

 その問題となる怨霊を駆除してくれれば無料で宿泊させてくれてプラス報酬も支払うとのこと。

 

 正直、そこそこ破格の条件だ。この時期なのに客が数組しかいないため、そんな条件を出してきたみたいだ。

 

 俺たちが活動するには貸し切りが一番都合がいいため、無料でいいとは言われたが、流石に料金を支払って貸し切りにし、今に至るというわけだ。

 

 一応正式な対策室への依頼となるわけであるから、室長が経費で落としてくれたのだ。これ以上この異常現象が続くと経営に危機的なダメージを与えると考えて俺たちに依頼してくれたらしいが、ほんとジャストなタイミングだったな。

 

 出現頻度もそこまで多くないとのことなので、余裕をもって4泊を設定した。俺達の霊力に惹かれて出てくるだろうからそんなに要らないとは思うが、念の為だ。

 

 まあ、つまるところ俺達は仕事という名目でこの海へと来ているのだ。正直剣輔一人で何とかなりそうな案件なので、実質慰安旅行みたいなものだ。

 

 が、流石に経費で落としてきているので遊ぶだけという訳にもいかず、同行してきた(二日で東京に戻るらしいが)室長と二階堂桐、岩端さんの指導の元、地獄のトレーニングに勤しんでいるという訳だ。

 

「……っつ、これ、死ぬ」

 

 暑さのピークである14時をだいぶ過ぎてはいるものの、夏の暑さはその時間帯を過ぎたからと言って容赦してくれるものではない。

 

 内容の異常さと、この暑さで俺もかなり参ってしまっている。

 

「お疲れ様です。一日目の訓練はこれにて終了となります。あとは夕飯まで各自、自由にお過ごしください」

 

「そう、させて、貰います」

 

 酸素が足りなくて視界がぐるぐる回っている。

 

 胃が中のものをぶちまけたいと雄弁に主張してくるが、その主張をなんとか突っぱねて息を整える。

 

 どうやら俺が一着らしい。黄泉と神楽が死にそうな顔をして走っており、剣輔は波打ち際にぶっ倒れている。

 

 ここまでで一度も吐いていないのは俺ぐらいで、他に訓練に参加したメンバーはほぼほぼ軒並みどこかしら美しい砂浜を汚してしまっている。

 

 ……並みのトレーニングでは顔色一つ変えないあの黄泉ですら顔を青くして岩陰に走っていったくらいだ。このトレーニングのきつさがわかるというものだ。

 

 あとで訓練非参加メンバーが綺麗にするとのことだ。頑張ってくれ、俺はしばらく動きたくない。

 

 砂浜でのトレーニングは砂が足の踏ん張る力を吸収してしまうために通常のトレーニングよりも体力を消費する。

 

 だが一方で体を壊すような衝撃も通常より軽減されるため、通常よりハードな訓練を行うことが可能であったりするのだ。

 

 そのせいでこの死屍累々な状態なわけであるが。

 

「おうお疲れ。相変わらず化け物じみた体力だな。SEALsでもやっていけそうなレベルだ」

 

「……いわはたさん」

 

 設置したビーチパラソルのお陰で日陰になっている砂浜に座り込みながら意識を回復させていた俺のもとに、筋骨隆々のそれこそ米軍に居そうな男がやってくる。

 

「どうだ?俺が考えた特殊メニューは。米軍でやっていると言われるメニューに俺なりのアレンジを加えてみたんだ。お前は黄泉達よりも多めに設定しておいたし、効いたろ?」

 

「……アンタがこれ、の発案者か。悪いことは、言わないから、死んでくれ」

 

「ハッハッハ!!そんな軽口を叩けるくらいならまだお前はいけそうだな。明日はもっときつくしておくぞ」

 

「割と本気で死んでくれないですか」

 

 結構ガチめに敵意を飛ばしてしまう。

 

 何故かわからないが、俺だけ訓練中にやたら注意されたり、走らされる距離が長いのに目標タイムは同じだったり、遠泳で取ってくるネームプレートの位置が遠かったりしていたのだが、こいつが原因か。

 

「真面目な話、それだけ喋れるならもっと追い込めるさ。見ろ。剣輔は遠泳中に溺れて俺らが救出したし、黄泉も神楽も前が見えてるか怪しいような状態で走ってる」

 

「まあ、確かに」

 

「それに比べてお前はまだ元気がある。冗談抜きでまだ無茶が出来るってことだ」

 

「流石にぶっ倒れますよ、俺」

 

「いや、それでいい。むしろ今日お前がぶっ倒れなかったのが不思議なレベルだ。剣輔で言えばこの2つ前のプランをクリアできれば、神楽は一個前、お前ら2人は完走できれば十分ってのを想定して組んだんだ。超えてきてるのが想定外だ」

 

「……へー。確かに剣輔が遠泳前までついてきたのは俺も意外でしたけど。それで剣輔は大丈夫なんですか?」

 

「問題ない。溺れてすぐに救出したからな。気絶するまで自分を追い込めるとは大した奴だよ」

 

「神楽の前で恰好つけたいみたいですよ。ま、それを加味しても大した奴だけど」

 

 剣輔は無事らしい。波打ち際に倒されてたからそういうことなんだろうとは思ったが、やはり溺れたか、剣輔。

 

「後は自由行動だからゆっくり休むといい。夜にはお勤めがあるからあまり疲れることはするなよ」

 

「げ、俺らお勤めもすんのかよ」

 

「当たり前だ。今日と明日は精神と肉体を使い切るものと思うといい」

 

「……俺ら独自でプラン組めばよかったかな」

 

 俺の予定としてはこのあと水着に着替えて海を満喫しようなんて思っていたのだが、この体力じゃ無理だ。

 

 こんな状態で泳いだら剣輔の二の舞だ。間違いなく足辺りがつって全員溺れる。

 

 何度目になるかわからないが、改めて息を整える。

 

 ようやく吐き気が落ち着いてきた。呼吸も正常なものに戻りつつあるし、山場は乗り越えたと言っていいだろう。

 

「まあそう言うな。……お、黄泉が戻ってきたな。凛に5分ビハインドか」

 

「……っ」

 

「お疲れ黄泉……ってうおい!」

 

 俺が完走し終えてから五分後。

 

 黄泉が走り切ったらしく、こちらに向かってきたのだが、俺たちの所にたどり着くや否や電池が切れたようにぶっ倒れたのだ。

 

 間一髪で抱えることに成功し、地面への激突は免れた。こういった役割は俺じゃなく紀さんなんじゃないのかと砂浜を見るが、当然今回のこれに参加していないあの男が居るはずもなく。

 

 ……何が家の都合だよ。参加すればよかったのに。そしてこの訓練でぶっ倒れればよかったのに。

 

「おい黄泉、大丈夫か?」

 

「だい、じょうぶ、に、みえる?」

 

「いえ。お辛いのは察しておりますよ、閣下。……地面に寝かすぞー」

 

「あり、がと」

 

 俺のバックを枕代わりにして黄泉をビーチパラソルの影の中にゆっくり横たえる。

 

 Tシャツにハーフパンツで、息を荒げながら仰向けに横たわっている黄泉は控えめに言ってかなり扇情的だ。しかし俺はこいつの弟的ポジション。まさかそんな目線を向けるわけにはいかず、その煩悩をぐっと抑えて黄泉を凝視する。

 

 ……ごめん、抑えきれてなかったわ。いや、これは仕方ないよね。誰でも見るよ。

 

「りん、かぐらまだ、はしってるの?」

 

「ああ。今にも倒れそうだけどまだ走ってるみたいだな。剣輔は遠泳中にドロップアウトだってさ」 

 

「そう。……あんたは、あいかわらずばけものね」

 

「そんなことは無いさ。一応俺は男だからね」

 

 息も絶え絶えだろうに黄泉が話しかけてくる。

 

 無理をするなと言いたいところだが、話している方が楽なのかもしれない。

 

「黄泉、何か飲み物持ってこようか?」

 

「いわはたさん、おねがい。冷たいのがいい」

 

「わかった。凛、お前にも持って来るが、何がいい?」

 

「炭酸飲みたいな俺」

 

「流石に炭酸はやめておけ。スポーツドリンク持ってくるから待ってろ」

 

 そう言って歩いていく岩端さん。

 

 運動した後の炭酸は至高の一品なのだが、残念ながら認めてはもらえなかったようだ。

 

 コーラとか一気に飲むの最高なのになあ。

 

「……ほんとなんでりんはそんな元気なのよ。貴方私よりもきょりはしってるわよね?」

 

「みたいだな。っても俺も死にそうだぞ。晩飯を食える気がしない」

 

「ごはんの話とかやめてよ……はきそう」

 

 俺は身長と体重の割には多食いなのだが、この調子では夕飯をあまり食える気がしない。ここの料理はネットを見る限りかなり評価が高かったので期待していたのだが……。食わずに部屋に戻って爆睡してやろうかと思ってるくらいである。

 

「ねえ凛」

 

「なんだ黄泉」

 

「……凛は、なんでつよくなりたいの?」

 

「俺の目の届く範囲の人間を守りたいからかな」

 

「めの届くはんいね。それ以外は?」

 

「退魔師としては失格だろうけど、俺は自分の周りが守れれば他はどうでもいい。俺はそれ以上を求めれるような人間じゃないからさ。……いきなりどうしたの?」

 

「なんとなく、かな。こんな厳しい訓練を受けて、なんとなく聞きたくなっちゃった。……凛ははっきりとした目的があるのね」

 

「黄泉は無いのか?」

 

「あるわ。……でも、凛みたいに建前も何も抜きで言える自信はないかな」

 

 そう言ってこちらに笑いかける黄泉。

 

 ……黄泉が真面目な話題を振ってくることは結構ある。

 

 というより黄泉とは相当に色々真面目な話をしているつもりだ。

 

 だが、こいつがここまで踏み込んでくることはあまりなかった。なんというか、この生死観?だとか仕事観?という部分に関しては議論をしてきたことが無かったのだ。

 

「今日の夜、時間ある?ちょっと話したいことがあるのよね」

 

「空けとくよ。万が一寝てたらたたき起こしてくれていいぞ」

 

「わかった。……ちょっと私寝るからよろしくね」

 

「おー。安心して気を失うと良い」

 

「ありがと。ごめん、もう無理。お休み」

 

 俺の荷物を枕に、今まで話していたのが嘘のように一瞬で本当に寝始める(気絶する?)黄泉。

 

 ……限界だったのだろう。これを見ると確かに俺はまだ余裕があるのかもしれない。

 

「……えっと、すんません。いまどういう状況なんですか?」

 

 黄泉が眠りに落ちたのを見守っていると、いつの間に起きたのやら、剣輔がよろよろ歩きながらこちらに接近してきていた。

 

「おお、剣輔。ようやくお目覚めか」

 

「はい。……まじで今どうなってるんすか?気が付いたら砂浜に寝てて、一応聞いたら室長達にはもう休んでいいとは言われたんですけど……。海に入ったことすら覚えてなくて」

 

「……そこから覚えてないのか。剣輔は遠泳の辺りで溺れたらしいぞ。俺も周りを見てる余裕なかったからそれに関しては岩端さんに聞くといい」

 

「……そうなんすね。後で聞いときます」

 

「何はともあれ、とりあえず休めよ。夜も夜でお勤めあるみたいだし」

 

「……夜も。キツすぎでしょ……。……凛さんは相変わらず平気そうですね」

 

「黄泉にも言われたけど、全然平気ではないよ。今だって吐き気と戦ってるし、何時間かしないと飯は喉を通る気がしないしな。気を失って休めてた分、剣輔の方が体調的には楽なんじゃないか?」

 

「それを加味してもですよ。俺の二倍近くは走ってる筈なのに……あ、神楽」

 

 剣輔を俺の左側(黄泉の反対側)に座らせて話していると、ついに神楽がゴールしたらしい。

 

 室長達から拍手を受けた後、ふらふらの状態でこちらへと向かってくる。

 

「今にもぶっ倒れそうだなあいつ」

 

「……あれを見ると早々に気絶したのが情けなく思えてきます」

 

 黄泉もそうだったが、とてもじゃないが乙女がしていい顔とは言えない顔だ。

 

 筆舌を尽くすことは容易であるのだが、尽くすべきではないというか、尽くしたくないというか。

 

 普段の生活で剣輔のことを多少意識している感はあるように思えたのだが、どうやら現在はそんなことに気を使っている余裕はないらしい。

 

「……お、神楽も戻ってきたのか。お前ら、飲み物持ってきたぞ」

 

 ゾンビのような足取りの神楽が、俺らがいるビーチパラソルの元に辿り着くのと同時辺りに岩端さんが飲み物を携えて戻ってきた。

 

 計四本。炭酸は持ってきてくれなかったようで全部スポドリだが、人数分用意してくるあたり流石気が利く。

 

「……みず!」

 

 すると、それまで死にそうだった神楽が突然目を輝かせて起動しなおし、岩端さんからペットボトルの一本を奪い去る。

 

「あ」

 

「ちょ」

 

「神楽待―――」

 

 俺、剣輔、岩端さんが同時にほぼ同じような反応をするも、神楽の方が一瞬早かった。

 

 スポーツ後の水分補給は最高に美味い。

 

 ここが天国かと思えるほどそれは美味しくて心地よい。辛い訓練も、あの瞬間に報われたようになるのだから不思議だ。

 

 だから今回も相当美味いはずだ。30℃を超える炎天下の中で走り回っていたのだし、猶更である。

 

 神楽はそれを腰に手を当てて一気に煽る。

 

 それはもうビールのCMかよってくらい喉を鳴らしてそれを飲んでいく。

 

 確かに美味い。それに体が欲しているのもわかる。

 

 だが、これだけきっつい鍛錬の後に、大したインターバルもおかずにそんな一気に飲み物を飲んだら―――

 

「うっ……!」

 

「剣輔!袋だ!」

 

「はい!袋、袋……!あった!ほら、神楽!」

 

「うええええ……」

 

 リバースするに決まってる。こんだけのタフワークの後は心肺を落ち着けてからゆっくり飲まなきゃダメなことぐらい知っている筈なのに、本能的な欲求には逆らえなかったらしい。

 

 ……まあここら辺はほぼ貸し切りになっている砂浜だし、地面にリバらせてもよかったか。

 

 いや、やっぱ汚さない様に袋被せて正解かな。マナーの問題として、俺たちが汚すわけには……ってんん!?

 

「おい剣輔ぇぇぇ!それ俺の!俺の着替え入ってる袋!」

 

「え?あ、ホントだ、すんません!」

 

「うええええ……」

 

「神楽、やめろ!ストップ!そこじゃなくて砂浜に出せ!」

 

「凛、もう諦めろ。一度やられた以上もう手遅れだ」

 

「……凛、うるさい。寝れないじゃない」

 

 ギャーギャーわめく俺と剣輔。そして落ち着いた様子で笑っている岩端さんに、俺にケチをつけてくる黄泉。

 

 いや、これは許してくれよ。

 

 そして笑ってんなよおっさん。

 

 

 

 真夏の絶好のロケーションを誇る温泉旅館。

 

 理想を体現したかのようなスポットで、俺たちの昼は神楽のリバースで幕を閉じたのであった。

 

 

 

 ……ちなみにこの後、剣輔に旅館に売っている新しい水着を買わせに行ったのは言うまでもない。





この旅館の話があと2話くらい続きます。
ちなみに終業式が終わって、それから直ぐ向かってきて、3時間くらい訓練をして、今が夕方ぐらいの設定です。


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第13話 -温泉旅行?2-

どうも。
今回は比較的早かった?と思います。

今回は物語進まないので、どちらかというと間話に近いです。

……すまん、黄泉と凛が二人で話すとこまでいかなかった。三話でこの話終わらす予定だったのに、拡張されそうだ。次は出来る限り早めに更新します。


「……わぁぁ!美味しそー!」

 

「黄泉、黄泉!これ凄いね!」

 

「……」

 

「……」

 

 目の前に置かれた、視覚的にも嗅覚的にも、恐らくは味覚的にも超一流であろう数々の料理。

 

 氷の上に飾られた、マグロを始めとする鮮やかな刺身。後ですき焼きにでもするのだろうか、人目で高いとわかる皿の上に置かれた白と赤のコントラストが美しい霜降り牛肉。名称はわからないが、各種の野菜などを使用して作られた小鉢。

 

 一見しただけで美しい。美しく盛られた料理はそれだけで圧倒的な存在感があり、料理を食しようとする人間の食欲を激しく喚起させる。

 

 女子高生や女子中学生にとってこれは嬉しいだろう。可愛いものや綺麗なものに目がないお年頃の女子にとってこれはクリティカルな筈だ。

 

 例に漏れずキャッキャとはしゃぐ黄泉と神楽。

 

 それが女子でなくて男子の場合であっても、これだけの料理を目にすれば食べ盛りなわけだから相当に喜ぶ。俺も最初この料理を見たときは感動したものだ。

 

 だが、それとは対照的に無言で目の前に盛られた茶碗を凝視する俺と剣輔。

 

 対岸に居る女性陣と、彼岸の俺らのテンションの差がとんでもなかった。

 

「それでは食前酒をお注ぎいたします。……未成年のお客様はオレンジジュースで失礼しますね」

 

「えー食前酒飲んでみたかったー」

 

「確かにねー。でも私達はまだ我慢しましょ?」

 

 ぶーとむすくれる神楽の頭を撫でて黄泉が宥める。確かに俺も久々に飲みたかった。まともに飲むのなんて16年ご無沙汰だし、久々に飲みたいなあ。

 

 ちなみに目の前の2人と室長、桐、いわはたさんは既に浴衣を着ており、俺と剣輔はいつでも動ける服装をしている。

 

 女性陣の浴衣は素晴らしい。

 

 神楽や黄泉はいつもの若々しく瑞々しい魅力が、浴衣によって少し大人びたものに変化しており、神楽の火照った顔、浴衣特有の無防備な首元が何とも扇情的であるし、黄泉は長い髪を後ろで結い上げて纏めており、そのうなじが何ともそそる。

 

 桐も何時ものクールで近寄り難いイメージがその衣装によって一気に緩和され、ウォールマリアの如くそびえ立っていた拒絶の壁が低く薄くなり、隠されていた女性らしい柔らかさとしなやかさを惜しげもなく披露している。

 

 スレンダーな感じに見えていたが、浴衣を着ると女らしいラインが強調されて少しドキッとしてしまう。この人とは悪友的な感じなのであまり意識したことはないが、女性なのだなと思わされる。

 

 そして極めつけは神宮寺菖蒲である。

 

 神楽や黄泉達にはないダイナマイトなボディ。古い表現だが、いわゆるボンキュッボンと呼ばれるボディが、小娘衆とは違って逆に浴衣で少し隠され、しかし逆に覆い隠されてもなお主張するそれが逆に蠱惑的に映るという逆説的な妖艶さを体現している。

 

 やべぇ大人の女性だ……などと精神年齢的には40近い筈なのに思ってしまった。……何だかんだ精神は肉体の方に引っ張られている感じがあるから、精神年齢40歳とはとても言い難いんだけどね。

 

 さて、そんな魅力的な女性陣を軽く紹介したわけだが、こんな軽い紹介になったのは現在の俺と剣輔に全くと言っていいほどに余裕が無いからである。

 

 本当なら一人頭原稿用紙5枚以上は語れる自信があるが、今はそちらを凝視している余裕が全く無い。本当に俺らはこれを食べなければならないのだろうか。

 

「剣ちゃん、残したら罰ゲームだからね」

 

「当然凛もよ。頑張ってね?」

 

「ま、若い男なんだからそれくらい食えるだろ」

 

「そうねぇ、2人ともいっぱい食べておっきくならないと」

 

「同感です。貴方達は少々細過ぎます。もう少し太くなるべきかと」

 

 俺と剣輔以外の全対策室メンバーが順々にそう言ってきやがる。他人事だからか全員軽い。

 

「なぁ剣輔。男だからこれくらい余裕だろって発言、セクハラとして訴えられないかな?」

 

「凛さん、もう諦めましょう……」

 

 俺のむなしい抵抗はあっさりと剣輔によって棄却される。

 

 目の前に置かれた、日本昔話も真っ青なご飯が盛られた茶碗。茶碗を飛び出してなお余りあるその量は、食欲ではなく恐怖すら抱かせる。

 

 食いきれる気がしない。旅館のご飯は白米だけじゃなくておかずやメインが豊富にあるというのに、白米だけで()()()()()2合はある。普段なら我慢すれば食える量だが、今である。多少戻ってきたとはいえ、食欲の無い今にこれはもはや拷問だ。

 

 あの地獄の訓練のあと、旅館に戻った俺らはひと風呂浴びて、部屋に戻ったのだが、そこに黄泉と神楽が襲来。

 

 浴衣姿に着替えていたのでドギマギしながらも招き入れると、今夜のお勤めを掛けてトランプ勝負をしようと提案されたのだ。

 

 ぶっちゃけ本当にここの霊は弱い。正直俺らが来ずとも全く問題のないレベルであり、一般人ならば殺されてしまう可能性が往々にしてあるのは事実だが、敵対するとなったらまず間違いなく剣輔一人でもオーバーキルだ。

 

 なので別にお勤めをする人数が少なくなっても問題はないだろうと、トランプで勝負をして負けた二人がお勤め当番をするという提案を快諾。様々なゲームを行って、トータルで負けが多かった下位2名をお勤め当番にすることになった。

 

 結果はお察しの通り俺と剣輔の敗北。途中までは一位だったりしたのだが、トータルで見た際、黄泉に僅差で負けてしまったのだ。お分かりとは思うが剣輔は堂々の4位である。

 

 流石に俺と言えどもこの訓練の後にお勤めをするのは肉体的にきつ過ぎる。神楽と黄泉が来る前に一時間くらい寝たので眠気は結構収まっているのだが、芯に隠れていた疲労感がどっと出てきてしまったのだ。

 

 それは剣輔も同じらしく、避けられるものならお勤めは避けたかったらしい。 

 

 なのでお勤めをかけてリベンジマッチを挑んだのだが、タダで受けるのは無理だとのことで、対価として罰ゲームを要求されたのだ。

 

 そして、その罰ゲームというのがこれ(山盛りご飯)なのだ。食い切れる気がしねー。

 

 ……ちなみにだが、俺と剣輔がお勤め用の服を着てここにきていることからわかるように、俺らは二回目の戦いにも敗北している。とことん運がない俺と剣輔であった。

 

「……なんで女将さんまで乗り気なんだよ。普通こんなのやられたら怒る側の人間だろあの人」

 

「……喜々として盛ってましたね」

 

 女将さんがご飯を盛ってくれたのだが、その際に神楽が山盛りご飯のことを伝えていたらしい。どんな伝え方をしたのかはわからないが、俺と剣輔の元には平均的な男性が食べそうな量の三倍くらいのご飯が届けられた。

 

 ふつう彼女は止める側の人間だろうに、剣輔が言う通り、喜々としてこのご飯を盛り始めたのだ。……あの笑顔、worthlessと言ってしまいたくなるような憎たらしい笑顔だった。

 

 その後、皆の茶碗にもご飯が盛られたのだが、全員分が行き渡ってもまだ飯盒にはご飯が残っていることが判明。

 

 すると女将さんが「あら、まだ残ってるわ」とかいいながら俺たちの日本昔話盛りご飯に米を追加。元々気が違っていらっしゃる量があったというのに、飯盒が空になるまで更に追加してくれやがったのだ。

 

 俺と剣輔は再度絶句。料理をみて顔を綻ばせてはしゃぐ黄泉と神楽とは対照的に無表情になるのを止められなかったという訳である。

 

「それじゃあいい時間だし、食べちゃいましょうか。神楽ちゃん、いただきますお願いできるかしら?」

 

「はーい!」

 

 相変わらずどこか妖艶な声で室長が神楽へと指令を出す。

 

 是非とも執行されないで頂きたい。これを食べきれなかった場合の罰ゲームが恋バナだというのだから絶対に嫌だ。最近神楽の追及がしつこいし、絶対にそれは避けたい。

 

 ……更に言うと、なんで罰ゲームに罰ゲームがついているのかはお察しである。三度目の正直なんてものは無かった、それだけだ。

 

「それじゃあ皆!一緒に行くよー!せーの!」

 

「「「いただきます」」」

 

 

 

 

 

「りーん。そっちまだそっちにあるわよー」

 

「わ、わかってるよ……」

 

「剣輔君、太刀筋が甘くなってる。それで固いの切ったら折れちゃうよ?」

 

「……この状況で勘弁してくださいって」

 

 息も絶え絶えになりながら、俺と剣輔は屋敷裏の悪霊を退治する。

 

 時刻は午後8時くらい。あのご飯をなんとか食べきって、吐き気が収まったあたりでとうとうお勤めに駆り出されたのである。本心としては行きたくなかったのだが、仕事である以上仕方ない。

 

 ちなみに黄泉は暇だからと言って着いてきた。

 

 まあ木に腰かけているだけで何もしてくれていないので全く役に立っていないんだが。

 

「黄泉、いるなら手伝ってくれよ……。流石に俺もきついんだけど」

 

「あら?小野寺さん家の凛君は約束を違える男の子だったのかしら?そういうのお姉さん感心しなーい」

 

「……うざすぎる」

 

 悲鳴を上げる体に鞭打って、大人一人以上の重さがある岩をどかす。

 

 岩は持ちやすいように加工されているはずもないから、普通に同じ重さの何かを持ち上げるよりもかなり重く感じる。この体では辛すぎて涙が出そうだ。

 

 ずん、と地面が揺れたと錯覚するような音が響く。ほんとによく持てるよな俺。筋トレ系統は殆どしていないというのに。クンフーというやつが溜まってるのか。

 

「良く持てるわねそれ。やっぱ凛と剣輔君のペアで正解じゃないの?」

 

「黄泉と神楽が悪霊を一手に引き受けてくれればもっと楽になるよ。……さて。どうやら五つ目にしてようやく当たりみたいだぞ、黄泉」

 

 ため息をつきながら岩の下を見る。

 

 そこにあったのは何者かの遺骨。骨に詳しい訳ではないからあまり語ることはできないが、これが人のものであることは間違いようがなかった。

 

「……っつ!骨っすか」

 

「……ああ。これか原因は。思ったより凄いのに当たっちまったな。精々が付喪神か動物の死霊あたりだと踏んでたんだけど」

 

「まさか人骨とはね。……この旅館には悪いけど、大事になっちゃうかもね。報道である程度誤魔化してもらえるように頼んでみるしかないわね」

 

 ふう、と黄泉も息を吐く。

 

 まさかの人骨。白骨化しているということは、相当長い時間が経過しているはずだが、幽霊事件が始まったのはここ最近だという。

 

 つまりこの白骨はここに埋められてから数年しかたっていないはずなのに、白骨化している。

 

 ここの土には微生物が多いのか、他の所で白骨化させられてここに埋めなおされたのかはわからないが、この人骨が幽霊事件の引き金であることはまず間違いがない。

 

「強い残留思念だな。いつぞやの三森峠みたいだ」

 

「三森峠?……それはわかんないっすけど、なんていうか、立ってるだけでクラクラしてきます」

 

「中てられるなよ。これは並じゃないぞ」

 

 剣輔が頭を押さえている。霊感の強い人間にこれは結構辛い。俺でさえこの強さに驚いているくらいなのだ。

 

「この人、相当酷い目に遭ったのか?あの岩って何気に霊石だろ?それでも抑えられてなかったってことだもんな」

 

「……霊石、ああ、あの良く札とかが貼ってある」

 

「そ。埋めたやつが狙ったのかたまたまなのか知らないけど、ともかくあれは霊の成仏に効果がある代物ではあったんだよね。全く効いてなかったみたいだけど」

 

 死後、人の怨念がこの世に残るということがたまにある。

 

 それがカテゴリーDだったり、Cだったり、時にはA、Bにもなったりするわけだが、人の怨念が残るということは良くないことであり、怪奇現象の引き金になったりする。

 

 そしてその怨念は一度その土地にしがみ付くと時間経過では消えることがなくなり、その地に根付いた強力な霊となって生きている人間を襲い始める。

 

 これを一般に地縛霊といい、俺たちが浄化すべき対象だ。

 

 今回はあの石に霊的な要素が含まれていたためそこまでの悪化はしないで済んでいるが、これがとんでもなく危険な逸品であることには間違いがない。さっさと浄化してしまおう。

 

「サクッと浄化しますか。……こういう思念系は苦手なんだよな浄化するの」

 

 小野寺の術はなんというか、結構脳筋よりの術が多い。

 

 霊力を物質化してそれで怨霊をぶった切るわけであり、なんといえばいいのだろうか、相手の心を癒して成仏させるのを促す系統の術式は一切ない。

 

 というより霊力を物質化することと、その応用くらいしか術が使えないポンコツ一家なので今まで退魔師の中で序列が非常に低かったのだが。

 

 なのでこういった、明確にぶった切れるだとかぶっ壊せるといった形の無いものを相手取るときに非常に苦労する。

 

 思念の一部に霊力を流して、無理やり成仏させるというか、言葉では少々説明しにくい方法をとって除霊するしかない。ほかの退魔師みたいに陣を張って成仏の念仏を唱えるとかは出来ないのだ。

 

「剣輔、お前やってみる?俺がやってもいいんだけど、多分剣輔のほうがこういうのは適任なんだよね」

 

「……俺っすか?俺もどちらかというと思念系は苦手というか……」

 

「まだ術は練習中だもんな。でも何事も経験だし、俺よりはましだからやってみようか」

 

「……了解っす」

 

 そういって剣輔は印を組む。

 

 神楽や黄泉達から術については結構教わっているみたいだが、いかんせんメインはやはり刀の特訓になっているため、剣輔もあまり術は得意ではない。

 

 正直神楽も術に関しては黄泉に大幅に劣るし、なんだかんだ術をしっかり使いこなせるメンバーというと黄泉と紀さんくらいであったりはするのだが。

 

 だが練習にはちょうどいいかと思い、剣輔に除霊の役を譲ろうとすると、何故か黄泉から待ったの声が掛かった。

 

「待って。それ、私がやるわ」

 

「黄泉が?俺らとしては助かるけど、どうして?」

 

 今まで気に腰かけて適当な指示しかしてこなかった黄泉が、急に真面目な顔になって俺らを制止する。

 

 そんな突然の行動に俺も剣輔も疑問を持つ。突然どうしたというのだろうか。

 

「……やっぱりわからない?」

 

「わからない?わからないって何が?これが危ない物だってことはひしひしと伝わってくるけど」

 

 つまりはわかりませんという回答をする。正直何を言いたいのかがわからない。

 

 すると、俺が黄泉の言いたいことに気が付いていないことに心底驚いた顔をする黄泉。驚いた顔も可愛いが、なしてそんな驚いた顔をするのだろうか。

 

「剣輔君も凛と同じ?」

 

「そうですね。黄泉さんが何にわからないかって言ってるのかがわからないです」

 

「そっかー。二人ともってなると、やっぱりそうなんだ」

 

 剣輔にも尋ねて、再度訳の分からないことをいう黄泉。

 

 ……こいつがこの場面で意味のないことを言うとは思えないから、ちょっと整理してみよう。 

 

 よくよく考えれば黄泉の行動は実際何かに気が付いて行動していたようなところがある。

 

 罰ゲームで俺らがお勤めに行くことになったと思ったらわざわざ着いてきたし、着いてくる黄泉を見て着いてくるといった神楽を何故か置いてくるし、少々行動としては不可解だ。

 

 そして黄泉の指示通りに探すと地中から見つかった骨。わからないのという発言。

 

 ふむ。改めて考えてもよくわからんな。

 

「何?これ黄泉が地中に隠した骨だったりするのか?」

 

「ちがうわよ馬鹿。……これ、女の子の骨よ。それも、神楽に近いくらいの」

 

「「!?」」

 

 俺と剣輔が同時に驚愕の表情を浮かべる。

 

 体格的に結構小柄だなというのはわかる。でもそんな骨博士でもあるまい俺たちが、この暗い中で見えているだけの骨からその情報を推理できるとはなかなか思えない。

 

 しかし、黄泉の口調はかなり断定的で、結構な確証を持っているように聞こえる。

 

「間違いないのかそれ?確かに骨の形を見る限り女性かなとは思うけど、俺に確証はないな」

 

「間違いないわ。……それも、男に対して凄い恨みを持ってる。多分、()()()()()()をされて殺されたんだと思う」

 

 そういうこと。つまりはそういうことだろう。

 

 当然断言はしないが、若い女性でそういうことと言えば大体解答は一つだ。そして、女性が最も怨霊と化しやすい原因でもある。

 

「……わかるんですか?」

 

「うん。何ていうか、凄い胸が痛いのよ。それに、男に対する憎悪みたいなのが感染してきそうになるくらい強くて、心が弱い子なら中てられて凛達に襲い掛かってるかもしれないくらい」

 

 そんなにか、と俺は驚く。

 

 黄泉がこういうくらいだ。相当に中てられる程の怨念なんだろう。

 

「だから神楽は置いてきたの。あの子が中てられるなんて想像できないけど、一応ね。……なんとなくこんな感じの子が埋まってるんじゃないかって来た時から思ってたけど、悪い予想が当たっちゃった」

 

「……成程。その黄泉の勘は多分あたってるんだろうな。それを考えると辻褄が合うことがある」

 

「……辻褄っすか?」

 

「ああ」

 

 例えば、と切り出す。

 

「この旅館、出るときと出ない時があるって言ってたよな?だから俺らは4泊もすることになったわけだが、なぜ波があるんだろう」

 

「この子?の気分次第ってことじゃないんすか?それか霊感がある客が騒いだだけとか」

 

「それ適当に言った?実は多分だけど、前半こそが正解なんだよね。……ここのメインの客層は家族連れとかの、しかもある程度余裕のある層だったりする。そうなると年齢層は必然的に高くなってくるし、若いのが来るといっても親子連れだろ?間違っても学生みたいな輩は殆ど来ないような所だ」

 

 旅行サイトだとか、料理の質や、女将の質を見て分かったが、ここはやはりそこそこいいお値段がしてしまう宿だ。

 

 金欠の馬鹿大学生(俺もその層だったが)などが来れるような所では決してない。

 

 だが、たまーにだが、かきいれ時に突然のキャンセルが発生した際などに、素泊まり(ご飯無しで宿泊のみ)のプランを掲載したりすることがあったりする。

 

 ここも、一週間のうちで一日あるか無いかぐらいだとは思うが、それをやっていたことがあるみたいだ。

 

 女将さん曰く若い人が来ると賑やかでいいとのことだったのだが……。

 

「だから普通は何も起こらない。親子やおじいさんなんかこの子の対象じゃないからな。でも、たまに来る大学生みたいな男だけの若い層はどうだ?素泊まりなんかのプランでたまたま泊れたその年齢層なんてこの子に加害を加えた層にピッタリ当てはまるんじゃないか?」

 

 今まで被害が限定されていたのは、霊石の下に封じられていたことがでかいはずだ。

 

 だが、それ以上にこの子の憎悪の対象は、若い男。

 

 今屋敷にいる面々なら間違いなく俺が対象だし、若い男が数人で来ていたらそれこそ絶好のカモなんじゃないだろう。

 

「だから被害にばらつきがあったって考えるのが自然だろうな。霊感がある客がいたという可能性もあるけど、それは正直どうでもいいことだ。……んで多分だけど、殺されたのも夏なんだろうな。夏の時期にだけ活性化するみたいだし」

 

「そうね。一番思いが強くなる夏の時期だけ、この岩じゃ封じきれなかったんでしょうね。だから表に出てきて被害を出していた」

 

「そしてそんな被害を出しているうちに地縛霊もどきになってしまって、一種の心霊スポットを作り上げてしまったわけだ。……この旅館からすればとんだとばっちりだな」

 

「なんで発生源がここにあるのに海のほうにまで霊が出るって話があるのか不思議だったんだけど、この子とは直接的には無関係だったわけね。この子が霊力場を作り出しちゃって、それで住みついた違う霊が二次災害的に被害を起こしてたのね」

 

「……はぁ。原因を潰せば一発かと思ってたんだが、これは残念ながらそうはならないらしい。剣輔、あと一時間半くらいは延長戦覚悟しておけよ」

 

「……うす。てか良くそんな推理がぱっと浮かびますね」

 

「こんなの推理とも何とも呼べないよ。ただの予測だし、今回に関しては俺でも全く分からなかったからな」

 

 遺骨に目を落とす。

 

 正直地縛霊になった存在に感慨を抱くことは殆どない。いつも作業のように除霊しているし、いちいち共感していたらこんな家業やってられないからだ。

 

 でも、もし黄泉の言うことが本当なら。神楽くらいの女の子がこんな目にあうというのには少し心が痛む。

 

「それじゃあ黄泉、この子は任せてもいいか?」

 

「うん。というよりも任せてくれないと困るわね」

 

「了解。頼んだ。……よし、行くぞ剣輔。楽しい楽しい海水浴だ」

 

 遺骨の前に膝をついた黄泉を見届けて、俺と剣輔は砂浜のほうにへと歩いていく。

 

 根本は黄泉に任せれば問題ないだろう。

 

 ああいった霊を鎮めることに関しては黄泉の右に出る者を俺は一人も知らない。俺があいつに絶対に勝てないと思わされることの一つだ。あれだけはどうやっても敵う気がしない。

 

 ……さて、ぶった切ることしか能のない男どもは残党狩りといきますか。

 





次回!
温泉!枕投げ!凛黄泉トーク回!になります。


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第14話 -温泉旅行?3-

 響く水の音。

 

 水滴が水面へと滴り落ち、ぽちゃんと音を奏でる。その音は不思議なことにどんな楽器が奏でる音よりも心を落ち着かせる響きがある。

 

 ゆらゆらとく揺る湯気。この暑い夏の日にもはっきり見えるそれは、湯の温度の高さを雄弁に主張していた。

 

「黄泉ー。結局原因ってなんだったの?」

 

「んー。あんまり良くないものかな」

 

 ふう、と言いながら黄泉は背中にある石に全体重を任せ、上を見上げる。

 

 そこに広がるのは夏の大三角が美しく輝く夜空。

 

 見上げれば吸い込まれてしまいそうな、自分と空との境界線が曖昧になってしまうような、そんな幻想的な空が頭上には広がっている。

 

「良くないもの?」

 

「うん、良くないもの。女の子の骨だったみたい」

 

「人の骨だったの!?……随分すごいの埋まってたんだね」

 

「びっくりしたわよー。その処理とかで室長たちは今大忙しみたい」

 

「人の骨が見つかったらそうだよね……。凛ちゃん達は?手伝ってるの?」

 

「凛達はもう戻ってるわよ。多分私たちと同じく今頃お風呂はいってるんじゃないかしら?」

 

 白くしなやかで美しい二の腕に温泉の湯をすくって掛けながら黄泉は答える。

 

 黄泉と神楽が居るのは部屋に備え付けられた露天風呂。

 

 高級層に属するこの旅館は部屋のグレードによっては露天風呂がついており、大浴場とは別に露天風呂を堪能することが出来るのだ。

 

 訓練が終わった後に大浴場のほうには既に入っているため、今回は部屋のお風呂を堪能しているという訳である。

 

「二人とも汗だくだったもんね。黄泉もだったけど」

 

「あの二人ほどじゃないけどね。夜なのに最近暑すぎー」

 

 ふー生き返るーなどと言いながら湯につかる黄泉に神楽がババ臭いとの突っ込みを入れる。

 

 石に両肘を載せながら足を組み、ふいーなどと言っている姿は確かに少女らしくない。凛が見たら神楽と同じように突っ込みを入れるだろう。もし見たのならば凛の辞世の言葉がそれになってしまうかもしれないが。

 

「私は何もしなくていいの?みんな働いてたのになにもしてないのは……」

 

「いいのよ。後の処理は大人たちに全部任せましょ。私たちはよくやったわ」

 

「でも私何もしてないよ?」

 

「いいのよ、面倒くさいのは男どもと大人に任せておけば。私も大したことはしてないしね」 

 

 そういって黄泉は神楽の頭をポンポンと叩く。

 

「……そうだね!凛ちゃんには無茶させてもいいし」

 

「そうそう。凛は手荒く扱ってもそうそう壊れやしないから。……ちょっと最近頑張りすぎだから心配だけどね」

 

 爆笑する二人。仮にも対策室で準エースと呼ばれ、全国に名前を轟かせ、防衛省の第四課の女性に銃を突きつけられるほど警戒されているはずの男が、この二人にとっては仲の良い男子生徒くらいの感覚でしかないのである。

 

 黄泉のうなじから滴が一つ滴り落ちる。それは音を立てることはなかったが、水面に微小な波をたたせて消えていく。

 

 諌山黄泉の身体には傷一つない。全身、白くてきめ細やかな肌であり、とても戦闘に身を置いているとは思えないほどの身体をしている。

 

 そして、それは土宮神楽も同様である。黄泉ほど白くはないにせよ、傷一つない健康的な肌。

 

 温泉で美しく映える、水着になっても恥ずかしくないそれを二人は持っている。

 

 だが、それは異常なことだ。

 

 表の世界において美徳となる美しい肌。シミ一つない銀雪の如き肌を持つことは女性として何よりの誉れであり、年老いてなお女性が追い求めるものである。

 

 しかし退魔師の世界において、女性がそれを維持することはほぼ不可能と言っていい。戦闘に身を置くものが、怪我による傷で肌を汚さないなど普通はあり得ない。どんな天才であっても、跡の残る怪我をすることは避けえないのだ。

 

 現に、小野寺凛の身体には多量の傷跡がある。その一つ一つは小さいものであるにせよ、跡が残るような怪我を彼は何度も負っている。鍛錬中しかり、戦闘中しかり。

 

 そうであるのに、この二人は殆ど傷がないのだ。

 

 傷を負うにしても治るものであるような軽いものばかりで、小野寺凛のように身体に残るものはほとんどない。

 

 男女の意識差があるにしても、身体の傷の差が大きすぎる。

 

 これを凛は才能の差であると考えている。

 

 究極まで努力を突き詰めた凡人(小野寺凛)と、努力を一切怠らない天才(諌山黄泉と土宮神楽)の違いであると考えているのだ。

 

 辿り着いた強さには簡単に測れるような優劣も貴賤もない。だが、確固たる差はある。そこに至るまでの過程で生じていた要因という差が。そしてそれが、才能なのだ。

 

「そろそろあがろっか。長く入っちゃったし、あの二人もとっくに上がってるでしょ」

 

「そだねー。夏だし暑いし、そろそろいいかも」

 

 チャポンと静かな音を奏でて黄泉は温泉から上がる。

 

「そうしましょ。そうだ神楽、冷蔵庫に凛が買ってきてくれたアイスがあるの。それを食べながら最後浸かりま―――」

 

「―――あれ?鍵かかってない。開けといてくれたのか」

 

 その声を聴いて、黄泉の足が止まる。

 

 露天風呂を出ると脱衣所があり、そこを超えたところに当然黄泉たちが寝泊まりする部屋がある。

 

 そしてその部屋と外界とをつなぐパスは一枚の扉であり、家であれば玄関に値する重要な防御壁である。通常ならば文字通りキーアイテムを使用しなければ潜り抜けることは能わない、乙女にとっては男子の数百倍以上も価値のある一品である。

 

「黄泉ー。入るぞー」

 

 その防御壁を潜り抜けた先は当然黄泉たちの部屋であり、そこに襖などの仕切りがあるといえどもそれは紙にも等しい防御力しか持ちえない、外敵の侵入を拒むにはほぼほぼ無用の代物しか存在しない。

 

 ガラッと音を立てて開かれる襖。

 

 今日は貸し切りだからと扉に鍵をかけていなかったのが災いした。まさか身内に伏兵がいるとは流石の黄泉も想定していなかったのだ。

 

 開かれた襖の奥にある凛の目と、脱衣所の奥にある黄泉の目が、二人の視線が交差する。

 

 彼のほうは状況を把握し切れていないらしく、目をぱちくりとさせている。

 

 なかなか珍しい表情だが今はそんなことを考えている場合ではない。

 

 温泉を上がったばかりの人間の恰好をご存知だろうか?浴衣、などと答える人間には、ちゃんと日本語を読めと説教をかましてしまっても問題ないくらいには解が明確な問であり、もし間違えた人間がいるのならばその人間は入浴の仕方自体が間違っているのだろう。

 

 そう、脱衣所で体を拭いたためにタオルを纏っているといえども、その防御力は外敵の侵入を許した後の襖のそれに等しく。決して年頃の少女が晒していいものでは無いのだ。

 

 凛の顔が雄弁に状況を理解したと主張する。凛の頭の回転の良さ、機転の利き具合は黄泉も神楽も一目置いている。本人曰くイメトレとケーススタディの積み重ねだと豪語しているが、それを差し置いても称賛に値するものがある。

 

 彼は重要な選択肢を間違えずに、そして即座に弾き出すだけの知性と能力がある。それは事実であり、黄泉はそれを何回も目にしてきていた。

 

 だから、彼が目を見開いてこちらを凝視してきたことは、彼が考える最適な選択肢なのだろう。

 

 まるで知識をフル稼働して数学の問題に向き合う理系学生みたいな本気の顔である。絶対にミスできない一球を待ち構える高校球児のような面構えでもあった。

 

 そう、彼は選択したのだ。黄泉を凝視するという選択を。

 

 それならば黄泉は全力で答えるしかなかった。

 

 彼が見るしなやかな肢体から繰り出される最高速かつ最大威力の横蹴りを、開き直ってスケベ心を隠そうともしない弟分の顔面に容赦なくぶち込んであげたのだった。

 

 

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「……知らない天井だ」

 

 顔面(特に鼻)と後頭部にサンドイッチされた痛みにたまらなくなった俺はぱちくりと目を開く。

 

 ……本当に知らない天井だった。旅館の天井なのだから当たり前なのだが。

 

 むくりと起き上がる。視界に移るのは何やら枕投げをして遊んでいる黄泉、神楽、剣輔の姿。

 

 ここは黄泉と神楽の部屋か……?はて、なんで俺はここでぶっ倒れてたのだろうか。

 

「あ、どエロ小僧がやっと起きた」

 

「凛ちゃんのエロおやじ!」

 

「……あれで普通に起きるとかアンタ人間すか?」

 

 寝起きの俺に三者からのありがたいお言葉が突き刺さる。

 

 そうだ思い出した。

 

 黄泉が部屋で少し遊ぼうというから風呂を浴びてから黄泉の部屋を訪れたのだ。そしたら鍵が開いているからてっきりあけておいてくれたものだと勘違いしてそのまま入っていくとバスタオル一枚の黄泉に遭遇。

 

 一瞬戸惑ったが目を逸らしては失礼だと思い正面から受け止めたところ見事な一撃を顔面に喰らったのだった。

 

 ……しかし見事なプロポーションだった。脱いだら凄いとはわかってはいたが、さればよ。あの蹴りを喰らうに値する褒美だったといえる。そして紀さんへのヘイトはより一層高まった。

 

 ちなみにであるが、多分冥さんの方が大きい。服の上からの目算なので何とも言えないが。

 

「あったまくらくらする。鼻の奥血なまぐさいし」

 

「あのぐらいで済んで感謝しなさい。獅子王の切れ味を体験させてあげても良かったのよ?」

 

「……お心遣い痛み入ります、閣下」

 

 獅子王での制裁は勘弁願いたい。

 

 俺は一通り武器は使えるのだが、実は一回獅子王を使わせてもらったことがある。

 

 その霊力の迸るさまと切れ味は圧巻の一言であり、斬鉄剣をこの俺ですらできてしまった。安物の日本刀とかだと俺は斬鉄なんてできやしないのだが、獅子王は別格だった。そんなものでなます切りにされた日にはマグロの気持ちがわかるなんてものではない。ぜひとも避けたいものだ。

 

 ちなみに黄泉は安物の日本刀で斬鉄をしてました。あれを見たときは素直に感動してしまった。拍手とは自然と出てくるものなのだと初めて知ったし、こいつに喧嘩は極力売らないほうがいいとも知った。

 

「……で、今は何やってんの?あの七渡しも十捨ても何もない戦略性のかけらもない糞大富豪から枕投げにチェンジしたの?」

 

「……凛ちゃん負けたこと相当根に持ってるんだね。そう、枕投げ!さっきまで99やってたんだけどね」

 

「99?はて、やった覚えがあるような」

 

「それはそうでしょ。千景さんから教えてもらったんだから」

 

 神楽の答えを引き継いで、黄泉が答える。

 

 そうか、あの一部の大学生御用達の基地外ゲームか。そういえば母親に以前教えたことがあった。

 

 手持ちのカードを一枚ずつ出していって、フィールドにある数を足し合わせて99になったら負けという簡単なゲームなのだが、絵札にはそれぞれ効果があったり、足し算を間違えた瞬間に一気飲みなどの制約が加わり始めると、単純なこのゲームが次第に難しくなっていき、最終的には自分が飲まないよう相手を陥れていくゲームへと変貌していく。

 

 このルールも母親に教えたら嬉々として父親を潰していた。大して肝臓の強くない我が父に、鯨飲という言葉がふさわしいほどに酒を飲む母親とではどちらが潰れるのが先かなど火を見るより明らかであった。

 

「あのゲームか。三人だと回り早すぎて決着つきにくいだろ」

 

「だから枕投げにシフトしたのよ。人もいないから騒いでも怒られないし」

 

「俺が寝てたんですがそれは」

 

「あんたのは自業自得でしょ。むしろあれだけで済ませてあげた私の温情に感謝なさい」

 

「……ありがたいことで。でも枕投げって三人でやっても大して面白くないだろうに」

 

 この枕投げというゲームはなかなか大人数でやるからこそ面白味が増すのだ。

 

 どこから飛んでくるかわからない枕を意識しながら、自分は狩りの相手を探して相手を探す。それに気を取られているうちにぶつけられて……などというのは少なくとも4人以上じゃないとな。

 

「どれ。俺も参加してやるか。中学の頃、枕投げの帝王として名を馳せていた俺の実力を見せてやろう」

 

 首の骨を鳴らしながら俺は立ち上がる。

 

 ちなみにこのあだ名はマジだ。枕にあまりに当たらな過ぎて最終的には11対1とかになった。……流石にそれは負けたけどね。11方向から来たらさすがに回避はつらいし、掴んで投げ返すのも無しだったし。

 

「隙あり!」

 

「おっと」

 

 参戦を表明した途端に飛んでくる神楽の枕。

 

 俺と剣輔の部屋からも持ってきたのだろうか?全体の枕の数がおかしい。

 

「むう。やっぱり避けるね凛ちゃんは」

 

「当たり前だ。つうか参戦確定する前に攻撃してくるのはどうなんですかね神楽さん……って黄泉もかよ!」

 

 飛んて来た黄泉の枕を掴み、黄泉に投げ返す。すると違う方向から飛んでくる枕。剣輔である。

 

 それを紙一重で避けるとまたしても神楽から飛来する枕。

 

「ちょっと待て!3対1かよ!」

 

「体力お化けのあんたを倒すにはこのぐらいしないとね!」

 

「覚悟!」

 

「すんません凛さん!」

 

「剣輔、てめえまで!いいだろう!相手になってやろうじゃないか!」

 

 足元に落ちている枕をドア前にいる神楽に向かって放り投げる。

 

 枕を投げる体制をとっていた神楽にはクリーンヒットするタイミングだ。ジャストタイミング、流石俺。

 

 ついでに剣輔から投げられていた枕を俺の右側に位置する黄泉に向かってその勢いを殺さずに流して投げつけ、枕で黄泉の枕を相殺すると足元の枕を蹴り上げて黄泉に投げつける。

 

 枕で視界を奪っての枕だ。なかなか避けれるものではなく、黄泉にクリーンヒットする。

 

「ぶっ!やっぱやるわねこの男は!」

 

「甘いぜお前ら!この程度で俺に勝とうなんて10年早い!」

 

 明らかに疲れを見せている剣輔にノールックで一発当て、黄泉にしたのと同じ戦法で神楽に攻撃を加える。

 

 なんだかんだ言って俺も乗り気である。精神年齢がそろそろ40歳に近づいてきているというのに何をしているんだか俺は。

 

 神楽のほうを見ずに剣輔からの一撃を回転することで神楽へと受け流し、しゃがむことで黄泉の一撃を回避する。

 

 流石退魔師トップクラスの身体能力を持つ二人であり、パスなども巧みに使って攻撃してくるが、なんでもありのこのルールだと甘すぎる。こんなものじゃ俺に一撃を加えるなど不可能だ。

 

「まじで当たんねえ……!」

 

「ほんと身体能力に関してはキチガイね!」

 

「黄泉!パス!」

 

 三人同時にパスを出して、ランダムな奴が自分の手元にあったものをなげ、そうしなかった奴がパスを受け取って俺に投げてくるなどのとんでもないコンビネーションを見せてくれたが、俺には残念ながら通用しない。

 

 単純な身体能力なら俺はこの三人に圧倒できる自信があるし、事実そうだ。そこに剣術とか霊術が加わってくると全く話は別物になるのだが、ともかくこの戦場において最強は俺であり、絶対は俺だ。

 

 まるで某漫画の赤髪キャプテンにでもなった気分だ。

 

「おらおら!そんなんで俺を狩ろうってか!?頭が高いぞ!」

 

「神楽!接近戦よ!」

 

「黄泉さんパスです!」

 

「零距離なら……!」

 

 そんな俺たちの楽しい枕投げは、俺の投げた枕が、あまりに騒がしいからと覗きに来た二階堂女史の顔面に炸裂するまで続けられたのであった。

 




次話、黄泉との対談です。


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第15話 -広縁にて-

恐らくあと一話くらいで旅館編終わります。
この話が1番この旅館編でしたかった話です。
色々推測してくれるとうれしいですね。
勘がいい方なら何をするかわかるかもしれません。

※ジンジャーエールって酔えるんだよ!本当だよ!


「……二階堂の野郎、ここぞとばかりに説教かましやがって」

 

「あははは!相当怒ってたもんね!おっかしー!」

 

「黄泉てめぇ……。全員で俺を指さしやがって……」

 

 二階堂桐に俺の投げた渾身の枕が炸裂し、全員が俺に責任を押し付けた後、俺は二階堂桐による説教を喰らっていた。

 

 実は俺と二階堂桐は仲が悪くないのだが(というよりも黄泉よりも俺のほうが親しいくらいだ)、なんというか、優等生とその悪友みたいな関係なのだ。そのため、俺が不真面目なことをすると彼女は徹底的に注意してくる。

 

 しかも奴は立場的には俺の上司に当たる。それを振りかざされたら逆らう訳にもいかない。

 

「神楽たちは……寝てるのか。剣輔の隣で寝るとか無防備すぎるだろこいつ」

 

 二階堂桐と室長の部屋で俺だけ説教を受けてから黄泉たちの部屋に戻ってきたのだが、その間に神楽と剣輔は敷かれていた布団の上で爆睡していた。

 

 仮にも剣輔という男がいるというのに、その隣の布団で爆睡をしている神楽はもうちょっと危機感を持ったほうがいいかもしれない。

 

「安心しきっちゃってまあ。それとも剣輔になら襲われてもいいって意思表示なのか?……いやそれはないか」

 

 自分で言ってても馬鹿らしい。少々疲れて思考回路がおかしくなっているのかもしれない。

 

「黄泉。二人寝てるし電気消してあげよう。だからさっき言ってた話とやらって広縁のほうでいいか?」

 

「というよりそっちのほうがいいかな。先行って待ってて。飲み物持ってくる」

 

 黄泉に促されて俺は広縁へと向かう。

 

 広縁という単語は、もしかすると全く耳慣れない単語かもしれない。だが、殆どの人が目にしたことはあるだろう。

 

 よく旅館の窓側の部屋とか言われる、机と椅子が置いてあって窓側に位置する小さなスペースだ。

 

 この旅館の部屋自体がかなり広いのでこのスペースも広々としてはいるのだが、メインのスペースからちょっとだけ離れた、何というか日常とは別の世界にいるのだなと思わされるそんなスペースである。

 

 それが広縁。俺が旅館の中でもトップクラスに好きな空間である。

 

 冷蔵庫が開く音の後にパチン、と音がして部屋の電気が落とされる。

 

 一瞬目がその暗さに順応できず真っ暗になるが、夜に慣れている俺の目はすぐに適応を初めて月明りを拾い始める。

 

 暗いのに青白く、月の光によって照らされる室内。その光量は太陽に比べれば明らかに劣るものなのに、その美麗さは太陽に比べて欠片も見劣りするものではない。

 

 夜を映えさせる、そして夜に映える月の明かり。とても神秘的な空間が出来上がっていた。

 

「お待たせー」

 

 やっぱりここいい旅館だななどと思っていると、缶を二つ携えて黄泉がやってくる。

 

 月の光に照らされて美しく流れる黒い髪。肌自体が光を放っているのかと錯覚するほどに白く、この暗闇でも秀麗に映るその白い肌。

 

 見慣れない浴衣姿にあいまって、思わずそれにドキッとしてしまった。

 

 普段は見慣れてしまっているという贅沢な状態が続いているからあまり何も思わなくなってきたが、こうして月の光に照らされていると、やはり黄泉は非常に美しい女性なのだと再認識させられる。

 

「はい、凛」

 

「おっと。ありがと黄泉」

 

 黄泉からパスされて受け取った缶。当然難なくキャッチしたが、なんとなくいつも見ている類の飲み物とは違う違和感を感じたため、それを見つめる。

 

 ……白地の塗装に、黒やら赤やら金やらで装飾された缶。非常に見覚えがある。前世とか、我が家の冷蔵庫とかで。

 

「……なんでこんなもん持ってんのさ」

 

 あまり言及することは伏せるが、間違いなくこの中身は新歓時期の大学生が初めて飲んで二度と飲むまいと誓いを立てられる率トップ3には必ず君臨するであろう、小麦色をした炭酸水であった。

 

「岩端さんの部屋からちょろっと。お勤めする前に冷やしておいたのよ。キンキンじゃないとおいしくないんでしょ、これ?」

 

「いやまあそうだけど……」

 

 私は飲んだことないんだけどね。初体験ってやつ、などと言いながら缶を上から下から眺める黄泉。

 

 恐らくはそれが珍しいのだろう。それに悪いことをするのにちょっぴり興奮してもいるのだろう。黄泉は少しうきうきしていた。

 

「大事な話とやらをしようって時にこんなもの入れようって?」

 

「大事な話だからよ。……浮かれさせてくれるんでしょ、これ?素面で話すの、ちょっと抵抗あるから」

 

 苦笑しながら俺が話すと、笑いながらもどこか真剣な瞳でそう呟く黄泉。

 

 これは最近の黄泉がよく見せる表情だ。覚悟を決めた表情というのだろうか。

 

「取り合えず飲みましょ?そのために持ってきたんだし」

 

「……そうだね。とりあえず飲もうか」

 

 かしゅっとあの独特の音を立てて缶が開く。……この音だ。この音ですよ。

 

 椅子で対面に座って、微笑みあいながら缶を軽くぶつける。

 

 みんなよくやる乾杯の合図。高いバーとかだとやらないが、やっぱり俺はこれをやってから飲むのがしっくりくる。

 

「っはー!やっぱ旨い!」

 

「……苦っ!」

 

 乾杯をしてそれを煽った俺たち二人の顔はそれぞれ両極に位置していた。

 

 こりゃうまい!みたいな顔をしている俺と、うえーっといった顔をしている黄泉。俺もそうだったよわかるわかる。やっぱ初めてだったらそうなるよね。

 

「これは味を楽しんじゃダメなんだよ。舌で味わうんじゃなくて喉越しを楽しむんだ」

 

「それは聞いたことあるけど、やっぱ苦いわね。……でも案外悪くないかも」

 

 再度ぐいっと呷る黄泉。

 

 初めてにしてその感想がでるとは驚きだ。俺なんか半年以上も経過してようやくわかってきたというのに。

 

 黄泉はいつも結構白い顔をしているし、もしかしたらお酒が結構強い勢なのかもしれない。

 

「あんまり一気に行くなよ?初めてなんだから加減わかんないだろうし」

 

「わかってる。それよりなんで凛はそんな詳しいのよ」

 

「俺はね。ほら、大人だから」

 

「私より年下のくせによく言うわ」

 

 精神年齢は多分上だからなあと思いつつそれを俺も呷る。

 

 この銘柄は特に俺好みの銘柄だ。好んで飲む人じゃないとわからないかもしれないが、この炭酸水にもメーカーごとの味というものがある。この種類は非常に辛いのだ。それが、良い。

 

「不思議な感覚ね。なんかふわふわする」

 

「これが気持ちいいんだけどね。疲れてると本当に一気に回るからゆっくり飲んだほうがいいぞ」

 

「うん。お義父さんが良く縁側とかで飲んでるのもわかるかも。またお酌をしてあげようかな」

 

「黄泉のお酌を受けられるとか……。普通に値段つけられそうだな。奈落さんが羨ましいね」

 

「ばーか。そんな適当なことまた言って。大人になったらお酌ぐらいいつでもしてあげるわよ」

 

「それは楽しみだ。大人になるのが楽しみだね。……そういやうち親にもまたしてあげてよ。この前凄い喜んでたからさ」

 

 黄泉と神楽はどうやら俺の妹がかなり気に入ったらしく、時折愛でにくるのだ。それ以外にも親父と奈落さんが親しくなったらしく、一回だけ家族ぐるみで来たことがあるのだ。

 

 その時は俺もびっくりしたもだ。そしてその際に俺の両親にお酌をしてくれたのだ。

 

 華蓮が黄泉たちの真似をして親父と奈落さんに注ぎまくっていたのは笑った。注ぐたびにありがとうと言われるのが嬉しかったのか、空けるのを徳利を持ちながらすぐそばで待って、ほぼ半強制的に空けさせるのだ。

 

 その無垢さと可愛らしさに親父たちも断り切れず飲み続けざるを得なくなったのは笑った。

 

「あーあの時ね。うん、またお邪魔しようかな。凛のお父さんには悪いことしちゃったけど」

 

「いや、いいよ。親父の自業自得だから。あの後親父布団にぶっ倒れてたよ、飲み過ぎたってさ」

 

「あれは仕方がないわよねー。私も断り切れる自信ないもん」

 

 ケラケラと笑う俺たち。

 

「また来なよ。母さんも料理教えるの楽しそうにしてたし」

 

「千景さん料理上手いものね。……ほんと、凛は良い両親持ったわね」

 

 そう言って少し陰りのある笑みを見せる黄泉。

 

 黄泉の両親は黄泉が幼いころに悪霊に殺された。だから、本当の両親が生きている俺が少し羨ましいのかもしれない。

 

「……黄泉は両親のこと、ほとんど覚えてないんだっけ?」

 

「うん。私そのとき本当に小さかったから」

 

「……奈落さんが助けてくれたんだよな」

 

「なんとか私だけ、ね」

 

 実はこの話を直接聞いたことはないが、間接的になら聞いたことはある。退魔師の中では有名だし、喰霊-零-を通してもこの話は聞いたことがあるからだ。

 

「……凛、私の両親ってどんな人だったのかしらね。千景さんみたいに元気に笑う人たちだったのかな」

 

「どうだろうなぁ。うちの母さんみたいのだったら今頃黄泉の気苦労は絶えないぞ?……でもそうだな。黄泉を見てる限り、立派な人たちだったと思うよ」

 

 そう、微笑みながら告げる。

 

 これは本心からの言葉だ。黄泉が奈落さんによって育てられたといっても、もともとの両親が素晴らしい人たちだったからこそ黄泉はここまで立派な人間になったのだろう。

 

「立派な人、か。なんでそう思うの?」

 

「黄泉に対する俺の印象がそうだからかな。あんまり深い意図はないよ」

 

「……そう、立派、か。ねえ凛。今日の昼に私聞いたわよね、『なんで凛は強くなりたいの』って」

 

「あの時か。うん、聞かれた。聞き返しもしたな」

 

 ビーチパラソルの下で倒れながら黄泉はそう聞いてきた。そして尋ね返したとき、建前抜きで言える自信はないと発言していた。

 

「それがどうかした?」

 

「うん。色々強くなりたい理由はあるけど、私はお義父さんに恩返しがしたい。強くなって諌山を継いで、立派な諌山になりたい。だから、強くなりたいの」

 

 ぐっと缶を握りしめながら俺を見据えてそう述べる黄泉。

 

 ……俺としては文句のつけようもない回答だと思う。建前抜きでは言えないとか言っていたからてっきり金と名誉のためとかでも来るのかと身構えていた分拍子抜けだった。

 

「それが強くなりたい理由?建前だって言われてもなんら問題ない理由じゃないか。別にそんな改まって言うことでもないような気がするけど」

 

「普通の退魔師なら、この世の汚れを払うため、とか、世のため人のためって答えるのが模範解答なのよ。……立派に聞こえるかもしれないけど、実は私の回答は私利私欲に溢れてる。とてもじゃないけど公の場所では言えないわ」

 

「……そう言われてみればそうだな。確かに次期諌山当主が述べるには”キレイゴト”が足りないか」

 

 この世の不浄に、この世を守るために命を賭してでも立ち向かうのが俺たちの使命だ。それが退魔師に生まれた以上避けられない定めであり、退魔師として生きる以上何よりも優先されるべき義務だ。

 

 そう、俺たちは見知らぬ人間のために、この世界の平穏を維持するために陰ながら命を懸けなければならない。それが存在意義であって存在理由なのだから。

 

 だから綺麗な言葉には聞こえるが、黄泉の言葉は実は退魔師としては失格なのだろう。

 

 公の場でそんな発言をしたら非難が殺到することは間違いない。そしてその非難は実は正しい。

 

 だって俺たちは世界を守ることが使命で、そのために強くなることが義務なのだから。

 

「俺としては立派に感じるけど、確かに公の場じゃ建前抜きには言えないな。この世の中、キレイゴトだけじゃやっていけないけど、キレイゴト抜きでやっていくには黄泉の立場は立派過ぎるか」

 

「……本当に凛のそういうところ好きよ。私たちが言えないことを言いきっちゃうとことか」

 

 黄泉は苦笑する。

 

 生まれてこのかたこの道で生きている黄泉にとって、いや、生まれてからずっとこの道にいる人間は、俺のいう”キレイゴト”を使命として教え続けられてきた。

 

 そのため俺のような発言をすることには強い抵抗があるのだ。教育は洗脳とほぼほぼ同じだ。例え俺と同じことを思ったとしても、刷り込まれた常識があたかもそれを悪いことであるかのように意識させる。

 

「私も凛と同じように思っちゃうこともあるけど、そんなはっきり言えないわ。周りを守りたいから強くなりたいんだって。他の人じゃなくて、大事な周りの人だけ守れればいいなんて」

 

「……俺はちょっと特殊だから真似はしなくていいと思うよ。でもいくら退魔師として生きてるからって、世界のために自分の命はあるみたいな自己犠牲の精神に迎合しなくてもいいとは思うぞ?」

 

 目の前の少女は気高い退魔師だ。

 

 幼いころから自分を殺し、理想となる退魔師を目指して日々文字通り血のにじむような特訓を繰り返してきたのだ。その努力は並大抵のものではない。それを俺は身をもって知っている。

 

 しかも黄泉は俺のように思考のベースを平和な世界で育てていない。俺のベースにある思考はあくまでも前世の親元で培ったものだ。だから退魔師の使命なんて……と平然と言ってのけるが、この子はそうじゃない。

 

 神童。俺のようなズル(生まれ変わり)無しで、この世界の常識の元でその名を正当に勝ち取ってきているのだ。

 

 純正の、俺のような混ざり気のない正統な退魔師。それが諌山黄泉だ。

 

 彼女は自己犠牲の精神、つまりは退魔師が持つ気高い精神を純粋に引き継いでいる少女なのだ。何だかんだその思考は退魔師のものに基づいている。

 

 多分俺が退魔師の価値観を手放しで賛成できないのと同じように、黄泉も俺みたいな考え方に染まることはできないだろう。

 

「一つ言わせてもらうと、そう思う黄泉や俺がおかしいんじゃなくて、正直退魔師の価値観自体がおかしいんだよ」

 

 考えても見てほしい。自分たちが小学生だの中学生だのの時、自分は何をしていただろうか。

 

 教室の友達と喧嘩してみたり、恋愛に現を抜かしていたり、受験勉強をしたり。所詮自分一人とかの人生に関わることしかやっていなかっただろう。

 

 それがこと退魔師になると、分数の計算をしているころから真剣を振るい、死と隣り合わせで暮らし、微分積分を学ぶ年齢には許婚がいて大学にも行かずに家の当主となることが決まっていたりするのだ。

 

「黄泉みたいな女の子が運命を決められて、その年で生き死にを一身に背負う。それをさも崇高なことかのように教えて、逃げ出すことが悪かのように刷り込んでいく……。ふっつう有り得ないって」

 

 缶をぐっと呷る。確かに崇高で立派な使命だと思う。でも、その使命は人を、年端もいかぬ子供を縛っているという視点を忘れてはいけない。

 

「もっと気楽にしていいと思うよ、黄泉は。少し頑張りすぎだもん。この命は俺らのものなんだから、俺らが使いたいように使えばいい。しがらみなんかに囚われるのはもっと後でいいさ。もうちょっと我儘に生きてみたら?俺も付き合うし」

 

「……我儘に、か。そうね。それもいいかもしれない」

 

 黄泉は缶を静かに揺らす。

 

 少し赤くなりながらも理性は保った様子で、ゆっくりと目を閉じる黄泉。何かを思案するとき、余計な情報をシャットダウンするために人間は目を閉じる。

 

 恐らく黄泉は今思案しているのだろう。何を話すつもりなのかはわからない。でも、多分俺にしか話せない内容なのだろうなというのはわかる。

 

「……私ね、ずっと考えてた」

 

 黄泉が意を決したようにゆっくりと目を開け、そして静かに口を開く。

 

「私自身のこと、家督のこと。幼いなりに諌山を継ぐってどういうことか、昔の私もずっと考えてたの。獅子王を継承するって、養子の私が諌山を継ぐってどういうことなんだろうって」

 

 その言葉を聞いて思い出されるのは喰霊-零-の物語。諌山に終始したといっても過言ではないあの物語。

 

「わかってきたのは結構最近になってからかな。三年くらい前にはある程度私の中で形が出来てたと思う」

 

「三年……」

 

 丁度、喰霊-零-が始まるくらいの頃合いだ。俺と黄泉が出会ったあたりでもある。

 

「お義父さんのために諌山を継ごうって。お義父さんのために立派な諌山になろうってそう思ってた。期待に応えよう、期待通りになろうってそればっかり考えてたかも」

 

 俺は何も言わずにその言葉を聞き続ける。相槌も打たずに、真正面から受け止め続ける。

 

「それで私は楽しかったし、それでいいと思ってた。鍛錬も期待も辛かったけど、それで私は満足してた。……でも、私は神楽に出会った。大切な、本当に大切な私の()に。……そして、貴方に巡り合ったの」

 

「……俺?」

 

 思わず言葉が出てしまう。

 

 神楽の名前が出てくるのはわかる。でもここで何故俺の名前が出てくるのだろうか。

 

 ぽかんとしている俺が面白かったのか、黄泉はからからと笑うと一口缶を含んで、そしてゆっくりと続ける。

 

「うん。貴方に。……凛、神楽って本当にかわいいの。本当に、本当に大切で、そして愛おしい」

 

 母が娘を見るような、そんな慈愛に満ちた表情を黄泉は浮かべる。

 

「あの子と暮らして、いつの間にかあの子は私の何よりも大きな存在になってた。あの子をすべての不幸から守りたい。あの子をすべての災いから守りたい。あの子を傷つけるもの、あの子を危険にさらすもの、あの子に災いをもたらすもの、そのすべてを消し去りたいって本当に思った」

 

「……!!」

 

「そう思い始めたのがあの子を預かってから半年くらいかな。たった半年であの子は私の大部分を占めるようになってたの。そしてその頃よね、凛が対策室に入ってきたのは」

 

 驚いている俺に、さらに黄泉は述べる。

 

「神童とか呼ばれてたから最初はどんな化け物なのかと思ってたけど、会ってみれば話しやすいし礼儀正しいし、それに本当に強かった。私以上の実力者がいるなんて正直本当に想像してなかった。……本当に弟みたいにかわいかったし、最近は男らしくて少しドキッとすることもあった」

 

 赤くなってきた顔を自覚してきたのか、どこか恥ずかしそうにしながら黄泉は再度缶を呷る。

 

「そして最近の貴方を見ていて思ったの。―――あぁ、貴方にならあの子を、後を任せられるって」

 

「……黄泉?お前何を言って」

 

「ごめん、凛、最後まで聞いて。……それに貴方は自由だった。退魔師という鎖に縛られながらも飄々と生きていて、しがらみなんて知らないって態度で生きていて。……それでね、もう一回考え直してみたの。本当に私はこのままでいいのかなって。お義父さんに恩はあるけど、それでも私の人生なんだからもう一度よく自分のことを考えてみようって」

 

「それって……」

 

 俺が、さっき提案した内容だ。

 

 ちょっとは我儘に生きろと俺は言った。言外には諌山を継がなくてもいいんじゃないかと、実はそんなニュアンスもほんのちょっとだけ込めていたりする。

 

 ともかく、諌山に、家督に縛られ過ぎるなという意味だったのだ。

 

「そう。凛が言ってくれたこと実はもうしてるの。我儘に自分勝手に色々考えて生きようとしてみて、それでたどり着いたのがさっき凛に話したこと」

 

 だけど余計なお世話だったみたいだ。黄泉はとっくにそうしていたのだから。

 

「やっぱり私は諌山を継ぎたい。()()()()への恩返しっていうのも当然あるわ。でもそれ以上に私が諌山を継ぎたい。だって私は、()()黄泉だから」

 

「……それが黄泉の選択なんだな」

 

「うん。混ざり気はあるのかもしれないけど、それでもこれが私の答え。これしか私に道はないのかもしれない。でも私はこの道がいいの」

 

 黄泉はそう断言する。力強い瞳で、一点の曇りもない眼差しでそう断定する。

 

 正直に言って、気押されてしまった。

 

 自分より小さくてか細い女の子の言葉なのに、こちらを脅そうだとか威嚇するだとかそんな気は一切ない言葉であるのに、その思いにその決意に俺は圧倒されてしまったのだ。

 

 すごいと、小学生並みの感想だが、心の底からそう思った。

 

「……凄いな。正直同い年とは思えないよ」

 

「それはどちらかというとこっちのセリフなんだけどね。ねえ凛、貴方はさっき我儘に付き合ってくれるって言ってくれたわよね?」

 

「あ、ああ。言ったけど」

 

「それを踏まえてなんだけど、貴方に聞きたい事と、お願いしたいことがあるの」

 

「聞きたい事とお願い?」

 

「そう。聞きたいこととお願い。……正直、ふざけた提案になるとは思う。それでも、聞いてくれる?」

 

 手に持っていた缶を飲み干して、黄泉は俺に向き直る。

 

「いいよ。聞こうか」

 

 これだけ真剣に言われて、答えないわけにはいかないだろう。

 

 黄泉が飲み終えたため、俺も一気に缶を呷る。予想外に黄泉がハイペースだった。

 

 もっと進んでないものかと思ってたが、やはり正常な状態だと話しにくいことだったからなのだろう。進んでいるペースが速かった。

 

 少しぬるくなってしまったそれを飲んでいると、黄泉から質問が飛んでくる。

 

「―――凛って冥姉さんのこと好きよね?」

 

「グフっ!ゴハゴハ!」

 

 炭酸飲料が俺の喉を逆流する。

 

 急いで飲んでいたため、思いっきり気管に入ってしまった。人生でもトップクラスにまずい入り方をしたかもしれない。

 

「っつ、黄泉お前いきなりなんだよ!真面目な話するかと思いきや―――」

 

 なんていう変化球。この場面で聞いてくるとは。

 

 俺はてっきり真面目な話をする前に黄泉がジャブを打ってきたのかと思って黄泉を見た。

 

 だが、そんなことはなく。黄泉はいたって真剣な表情で俺を見ていたのだった。

 

「……黄泉?」

 

「ごめん凛。これ、真面目な話なの。答えにくいとは思うけど、答えてもらえる?」

 

 最近こいつや神楽から冥さんの件で弄られることが多い。だからふざけただけだと思っていたのに。

 

 黄泉の目を見る限りそんな気配はない。先ほどからしている、決意を秘めた表情から全く変わっていないのだ。

 

 少し目を閉じる。どう答えるべきか、本気で悩んだからだ。

 

 なぜこのタイミングでその質問が来るのか。それも含めて俺の頭の中で思考する。嘘をつくべきか正直に言うべきか。そう答えたらどう黄泉が反応するのか。そもそも黄泉の意図は何なのか。

 

 10秒くらいはそうしていたと思う。だけど黄泉の意図も質問がこのタイミングでくる意味もすべて叩き出せたわけではなかった。はっきり言えば考えても考えても、黄泉が何を言いたいのかわからなくなるだけだった。

 

 ただ思考の中でわかったというか、そうすべきだろうと考え付いたのは一つだけある。

 

 誠実(ほんき)には誠実(まこと)で返すべきだという、当たり前のことだけだった。

 

「―――ああ、好きだよ。お察しの通り、俺はあの人に惚れてる」

 

「うん、ありがとう。それが聞きたかったの」

 

 黄泉は俺の白状を微笑みをもって迎え入れた。

 

 当然だが、そこにドッキリ成功みたいなからかいの色はない。正直に話してくれたことへの感謝の念があるようにしか見えなかった。

 

「正直に答えてくれてありがとう。それじゃあもう一個質問させて。

 

―――ねえ凛。私が我儘を言ったら、貴方はどこまで聞いてくれる?」

 

 少し笑いながら、でも静かに、しかし明瞭にそう尋ねてくる。

 

 思わず「お金次第かな」なんてふざけたくなるような質問ではある。が、当然黄泉の目はいたって真剣で、そう答えるのは明らかにお門違いだ。

 

「―――どこまでも。黄泉が本気で望むなら」

 

 だから黄泉の問いに即答する。

 

 俺は、三途河とのあの一戦で黄泉にも命を救われている。その恩義も感じているから、こうやって即答したというのもある。でも、それ以上に―――

 

 これだけ本気で覚悟を決めた女の願いを、聞いてやらない男がこの世にいるはずがなかった。

 

 もはや諌山黄泉という存在は、俺にとってアニメの中の存在ではない。目の前にいる、自分の命にでも変えてでも守りたいと本気で思えるようになった、大切な存在なのだ。

 

 俺の即答を聞いて黄泉は微笑む。

 

「ありがとう。本当に貴方には感謝してもしきれないわね」

 

「それが俺の存在意義でもあるから。それで?お願いっていうのは?」

 

「……うん。お願いっていうのは―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本気なんだな?」

 

「うん」

 

「もう一回聞くぞ。本気なんだな?」

 

「本気よ。多分遠くないうちに、()()なると思う。だからその時はよろしく、凛」

 

「わかった。そうなった時はお前の言葉に従うよ。俺は一切手出ししないし、何もしない。それでいいんだな?」

 

「うん。本当にそれだけでいいわ。()()()のことも、貴方になら任せられるから」

 

「……わかった。全部、引き受けてやるよ」

 

 ありがとう、と言いながら黄泉は椅子から立ち上がる。

 

 少し酔っているのだろう。足取りがいつもより若干おぼつかなかった。

 

 広縁の窓ガラスから差し込む美しい月明かりが、黄泉の全身を照らす。

 

「これ、持ってきて正解だったわ。ちゃんと全部凛に話せたんだから。―――それじゃさっき言ったとおりにお願いね」

 

 机の上に置かれた缶をもてあそびながら、そう言って少し赤くなった黄泉がこちらを振り向く。

 

 月下美人という花がある。

 

 非常に美しい花で、朝になると萎んでしまう、美人薄命を体現したかのような花だ。

 

 『はかない美』『艶やかな美人』『秘めた情熱』『強い意志』などの花言葉があるそうで、一回だけ母親とその花を見たことがある。

 

 何故この花を思い浮かべたのか全く分からない。偶然かもしれないし、必然だったのかもしれない。

 

 ただ―――

 

「―――諌山の運命、貴方に託します」

 

 月光の下にある黄泉の顔は、ぞっとするほどに美しかった。

 



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第16話 -凛の不調-

おっそくなりました!
卒業旅行やら就職やらでかけず、なんと三か月。
とにかくすんません!
次の話もすぐ更新します。
そして旅館編もう一話やるといいましたが、無くなりました。


 

 

「……緊急招集か」

 

 鳴り響く音が、久々にいい夢を見ていた俺を眠りから覚醒へといざなう。

 

 気持ちの良い睡眠を妨げてくれたのは俺の仕事用携帯から鳴り響く着信音。ここ最近はあまり音が鳴っていなかったのだが、久々の鳴動だ。

 

 携帯をとって時間を見る。……午前6:18分。早朝と呼ぶにふさわしい時間。できればもっと寝ていたかった。俺はどちらかといわずとも夜型の人間なのだ。

 

「うげ、メールも三通来てるじゃん。俺気が付いて無かったのか」

 

 メールが計三通と、電話が一本かかってきている。俺が起こされたのはこの電話だが、その前に三通も呼び出しのメールが来ていたらしい。

 

「……はい。小野寺です。ええ、今起きました。……拾ってくれるんですね、わかりました。すぐ用意します」

 

 二階堂からかかってきていた電話を切る。その後、着替えをしようとのそりと俺は布団から起き上がろうとして、それに失敗する。

 

「……?」

 

 どうも腕に力が入らない。というよりも体全体に全く力が入らないのだ。まるで筋トレを死ぬほど行った一時間後のような、そんな不思議な感触。俺は筋トレをほとんどしないのでこんなになっていることなどめったにないのだが……。

 

―――もしかして、風邪か? 

 

 二度目の起き上がりチャレンジに失敗したことで、ようやくその不調の原因に気が付く。

 

 ああこれ、なんで力入らないのかと思ったら、かなりの高熱でてるんだわ。

 

「にー!起きた!?」

 

 どっどっどっど!などと元気な足音を響かせながら俺の部屋に突入してくる花蓮。

 

 まだ母親も起きていない時間であるために華蓮も起きていないはずなのだが、先ほどのアラームで俺が起きたことに気が付いたのだろう。

 

「……おはよーかれん」

 

「おはよ!」

 

 扉を開けた勢いそのままに突撃してきた華蓮を受け止めようとするが、残念ながら受け止めきれずにベッドに倒れこむ。

 

 それが面白かったのか華蓮はきゃっきゃとはしゃいでいるが、俺の体に触れていて何か異変に気が付いたのか、馬乗りになりながら不思議な顔をして尋ねてきた。

 

「にーなんかあつい。どうしたの?」

 

「あーやっぱり熱いか。ごめん華蓮、体温計持ってきてくれる?あのぴぴぴってなるやつ」

 

「あーい!」

 

 これまたとてつもない音を響かせながら救急箱へと走っていく華蓮。あいつの朝の元気には時折圧倒されるが、今はそれがなんとも頼もしい。

 

「おはよう、凛。緊急招集か?」

 

「おはよー。親父はいっつも朝早いね。なんで遺伝しなかったんだろそれ。……そ、丸の内に異常だってさ」

 

 華蓮の騒ぎや俺の携帯で気が付いた親父が部屋に入ってくる。我が家は母親が朝に弱く、親父が朝に異常に強いため、早朝のお勤めの場合は大体親父が起きているのだ。

 

「丸の内か。それならば早急に対応せねばならんな」

 

「放置してたら経済的打撃やばそうだもんなあ」

 

「にー!持ってきたー!」

 

 布団から起き上がらずに親父と会話していると、俺のお使いを見事に果たした華蓮が体温計をもって駆けてくる。

 

 愛い妹である。

 

「ありがと華蓮」

 

「どういたしまして!」

 

「……体温計?凛、熱があるのか?お前が?」

 

 体温計を持ってきてくれた華蓮の頭を撫でていると、親父が信じられないものを見るかのような目でこちらを見てきた。

 

「なんだよその反応。俺だって風邪の一つや二つくらい……ってあれ?」

 

 熱で朧げな頭の中、風邪の記憶を探すが見当たらない。そういや俺、今世で風邪をひいたことあったか……?

 

「確かに熱っぽいなって思ったことはあるけど……、鍛錬休んだことはないし、というより華蓮の熱を測る以外で体温計を触った記憶がないぞ」

 

「お前は多少の体調不良なら平気な顔をして鍛錬に参加しているからな。そんなお前が体温計を握るとは相当なのだろう。今日は休みなさい。私から対策室に連絡しておこう」

 

「にー!風邪のときはねる!」

 

「いや、流石にこの緊急事態には参戦しないとまずいかな。学校は休むとしてもこれは参加するよ。……華蓮、わるいんだけどあのちゅーってする奴持ってきてもらっていい?あと黄色い箱の食べ物」

 

「あい!」

 

 華蓮に某10秒飯と栄養の塊スティックを要望すると、さっさと起き上がって服を着替え、華蓮が持ってきてくれた体温計をわきに挟む。

 

 検診とかで体温測らされたとき以外は確かにほとんど使った記憶がないなこれ。体調悪いなーとか思っても普通に過ごしてればすぐ治るし……。ケガして寝込んだりはあったけれども。

 

「凛、無茶はするなよ。お前が出ていくことは大事だが、それよりもお前が死なず戦い続けることのほうが重要なのだから」

 

「わかってるよ。でも結構きつくても後方で指示くらいなら出せると思うし、多分もう迎え来るよ。……って言ってる間にもう来たね」

 

 俺の部屋の窓から外を見ていると、門の前にジープらしき車が止まったのが見えた。

 

 間違いなく対策室だ。二階堂も既に対策室の面々が俺の家に向かっていると言っていたし、時間的にも適合する。

 

「親父さ、学校に休むって連絡しておいてもらえない?流石にお勤め後に学校行く余裕はないわ」

 

「わかった。お前は頑固だからお勤めに行くなと言ってもどうせ行くのだろうから止めはせん。ただ、無理はするな」

 

「わかってるわかってる。今回は後方支援に徹するよ。……おっと計測完了か」

 

 ぴぴぴとあの独特な音を鳴らす体温計を脇から取り出す。子供の頃とか、SNSでネタにできる大学生の頃なんかは熱を出すと面白かったものだが、社会人なんかはどうなんだろう。会社を休めると喜ぶのだろうか。それともこの調子で会社に行かなければならないと嘆くのだろうか。

 

「げ」

 

「にーどうしたの?」

 

「人生初記録だわ。やべえこれ」

 

 体温計を華蓮に手渡す。前世を踏まえてもこれだけの高熱にはお目にかかったことが殆どない。

 

「40度!?凛、これは普通の風邪ではない。大事を取って休みなさい」

 

「ごめん、無理だ親父。正直俺も辛いしそうしようかなとは思うんだけどさ、今回ちょっと気になることがあるから抜けるわけにはいかないんだよね」

 

 ふらつく身体を律しながら俺は玄関へと向かう。

 

 平熱が37度近い俺ではあるが、40度は流石につらい。このまま布団に倒れて華蓮の看病ごっこを堪能したいのはやまやまだが、今日はちょっと抜けられないのだ。

 

「……止めてもお前は聞かないのだろうな。わかった、行ってきなさい。だが、それを移す可能性があるのだから対策室の方々と行動するのはよしなさい。うちから一台車を出させよう」

 

「……許可してくれるんだ?うん、ありがとー。流石にその言葉には従うよ」

 

「うむ、そうしなさい。母さんには上手く伝えておくからお前も帰ってきたら合わせるのだぞ。その状態でお勤めに行ったと知れたらどれだけ不機嫌になるか……」

 

「うっ……。母さんのこと忘れてたわ……。お勤めから帰ってきたら一気に具合悪くなったで通しておいて」

 

「わかった。そう伝えておこう」

 

 華蓮に聞こえないように親父と打ち合わせをする。こんな状態でお勤めに行ったなんて知れたら大変だ。三日くらいは多分不機嫌になる。

 

「よし。行ってきます。学校に休むって連絡はお願いね」

 

「それは任せなさい。気を付けて行ってくるのだぞ」

 

「にーちゃ!いってらっしゃい!」

 

「いってきます、華蓮。帰ってきたら看病よろしくね」

 

「あいー!」

 

 びしっと敬礼する華蓮と、このバカ息子はといった表情を隠そうともしない親父。

 

 ……心配かけますねおやっさん。母親への対応もうまく頼みますよ。

 




実はこの話はすぐ書き終わったんですが、次の山彦が難産で……。アニメを文章に起こすのって凄い難しいんですよ……。
次もなる早で更新します。
オリジナルエピソードのが書きやすい……。


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第17話 -山彦-

この話が難産だった。
アニメを文章に起こすことの難しさよ。


 乾いた音が二つ響く。パン、パンという、両の手をたたき合わせた時に生じる音。

 

 黄泉が手をたたいて鳴らしたのは二回。よって鳴り響く音は二回のみのはずだが、黄泉への返礼のように追加で二回、音が鳴り響く。

 

 遠くから、時間差をつけて音が跳ね返ってくる。

 

 小さいころに山などでやったことがあるだろうか。周りには何もない、向こうに山しかない音が良く通る状況で、山に向かって叫び、音が跳ね返ってくるのを楽しむという遊びだ。

 

 やったことのある人は少ないかもしれない。だが、この音が跳ね返ってくる現象の名前ぐらいは誰でも知っているだろう。

 

 そう、山彦である。

 

 そして喰霊-零-の世界においては、それと同様の名を持つカテゴリーBが存在する。

 

「ここらへんじゃないみたいだね、黄泉」

 

「……うん。そうね」

 

 カテゴリーB、山彦。まさに山彦から名前が付けられた怨霊である。

 

 黄泉たちはまだその怨霊がこの丸の内周辺の通信障害の原因であることを知ってはいないが、黄泉と神楽は不自然に音が反響されるという異常な現象を利用して、カテゴリーBの位置を探し出そうと試みているのだ。

 

 だが、なかなか上手く探ることが出来ていない。まだ対象までの距離があることが先程の音の反射からうかがえる。つまりそれは自分たちの近くに敵がいないということで、別の場所を探索する必要がある。

 

「岩端さんたちのほうかな?」

 

「他行ってみましょ、神楽。……ほんと、こういう五感をフル活用する時にこそ凛が居てくれればって思うわね」

 

「……だよね。でも熱出しちゃってるわけだし、頼れな……っ!待って黄泉!近いよ!」

 

 突如神楽の携帯に入る最新の霊力分布図。

 

 それはまさに自分たちのすぐ近くに特異点が生じていることを示しており、その証拠に神楽の出した声が乱反射する。

 

 口に人差し指を当てて静かにするよう促す黄泉と、敵がいる状況でうかつにも大きめの声を出したことを恥じる神楽。しかしそのおかげで近くに敵がいることは確定した。

 

 あたりを見渡す。

 

 一見した限りではどこにも敵はいない。ただ朝の閑静なオフィス街が広がっているだけである。

 

―――さて、どこにいるのかしら。

 

「!?」

 

「こらー!何やってんだー!!」

 

 カテゴリーBに備えて腰を低くしていると、突如後ろから鳴り響くクラクション。ライトと盛大な音量にさらされて、黄泉と神楽は同時に後ろを向く。

 

 そこには後ろから近付いてきた、中型のトラックが一台。道路の真ん中で仁王立ちするという、事情を知らなければ間違いなく馬鹿な女子学生に見える行動をしている神楽と黄泉に腹を立ててクラクションを鳴らしている。

 

 その雰囲気から間違いなく関係者ではなく一般人。顔も見たことがないしまず間違いない。区画封鎖をしているはずであったが、どうやらトラックが紛れ込んでしまったようだ。

 

(とりあえずここから退避させないと―――)

 

 一般人に怪我をさせる訳にはいかない。そう思い避難誘導しようとするが―――

 

「……何!?耳をふさいで!」

 

 クラクションがその区画中に反響する。360度でサラウンドしているかのような、理解を超えた反響の仕方をして、異常なまでの騒音を生み出す。

 

 それは単に音が跳ね返ってきたなどのちゃちなものでは無い。

 

 反響し増幅された音は、実際に物理的な衝撃を伴って黄泉たちを襲う。

 

 増幅された音によって割れる高層ビルの窓ガラス。車のクラクション程度の音で割れるわけがない頑丈なそれが、何重にも増幅された音の衝撃に負けた結果、天空から降りしきる凶器となって襲い来る。

 

「―――乱紅蓮!」

 

 耳をふさいでうずくまりかけている神楽とは対照的に、黄泉は上を見上げて乱紅蓮を呼び出す。

 

 上から襲い来る衝撃波と、ガラス片を乱紅蓮に受けさせることで回避する。

 

 果たして、次の瞬間に襲い来る衝撃とガラス片。その衝撃にトラックの屋根はひしゃげ、フレームは歪み、フロントガラスは飛び散る。

 

 黄泉たちにも襲い来る衝撃。しかしそれは間一髪で乱紅蓮が負担し、黄泉たちには何の被害も生じていない。一瞬遅かったらと二人の乙女の柔肌はずたずたに切り裂かれていたであろう奇跡的なタイミング。

 

 黄泉がこれを防ぐ手段を擁していたからこそいいものの、防衛手段を持たない神楽やほかのメンバーだったら、間違いなく致命的な損傷を負っていただろう。

 

「……あれは。カテゴリーB、山彦」

 

 黄泉は目を細めて先を見据える。

 

 そこに立つのはピエロのような、死神のような風貌の怨霊、山彦。今回の通信障害の原因と思われる怨霊である。

 

「あれが通信障害の原因?」

 

「交互に波状攻撃よ。いい?」

 

「おっけーポッキー!」

 

 わざわざ目の前に登場してくれたのならありがたい。遠慮なく倒させてもらうことにしようと、黄泉は攻撃を加える。

 

 一撃で両断しようとして放った斬撃。とても女子高生が放つとは思えないような鋭さを持つ一撃であり、大の大人でもこれをまともに受けることが出来る人間は稀有中の稀有である。

 

 だが、そんな鋭い一撃は、予想外の方法によってせき止められる。

 

「……何!?」

 

『……何!?』

 

 黄泉の表情が驚愕に染まる。浮かべるのは信じられないものを見た人間の表情。

 

 それも当然である。山彦が()()()()()姿()に変化し、それを受け止めたのだから。自分と違わぬ太刀筋で、自分と全く同じ姿かたちで、驚愕の表情と声も模倣しながら黄泉の一撃を山彦は受け止めたのだ。

 

「避けて!」

 

 そこに、神楽の波状攻撃が炸裂する。

 

 舞蹴拾弐号の圧縮空気を利用した、切断力を三倍まで高めた居合い。原作(喰霊)では弐村剣輔が使っても鎌鼬を鎌ごと一刀両断するほどの威力を見せたそれ。

 

 だが、それも黄泉と同様にして防がれる。

 

「……そんな!」

 

『……そんな!』

 

 寸分たがわぬ模倣。

 

「下がって!乱紅蓮、咆哮波!」

 

 正体不明の模倣に、このまま馬鹿正直に向かっていくのは分が悪いと判断したのか、黄泉が乱紅蓮による攻撃を加える。

 

 咆哮波は霊獣鵺が放つ、高密度の霊力波である。遠距離からの一撃であることに加え、それは鵺に特有の一撃。簡単に模倣は出来ないだろうと判断してそれを放ったのだが―――

 

「まさか!?」

 

 山彦が元の姿に一瞬戻り、黄色の閃光を吸収したかのような様子を見せる。

 

 それを見て、黄泉は山彦が何をしようとしているのか一瞬で察する。

 

 果たして、跳ね返される閃光。それはアスファルトをえぐりながら直進し、横に回避した黄泉のすれすれを通過していく。

 

 とっさに横に転がったが、当然黄泉は無傷。転がるときに多少どこか擦ったかもしれないが、咆哮波を跳ね返されてもその程度で済んでいる。

 

「黄泉!?」

 

「大丈夫!山彦を追って!」

 

 体勢を立て直しながら、そう神楽に指示する。

 

 その声にこたえて、神楽は跳躍する。ただ跳躍するだけではなく、その人間離れした跳躍力を、舞蹴の空圧によるサポートでさらに強化し、高く高く跳躍し、屋上へと降り立った。

 

(―――居た!)

 

 逃げた山彦を追って屋上に降り立つと、間髪入れずに切りかかる。

 

 先ほど山彦が見せた不思議な特性。こちらの姿、動き、そして技量までも写し取る驚異的な模倣。あれを使わせる前に切り伏せようと考えて切りかかったのだが、山彦は即座に神楽の姿、動きを写し取る。

 

「―――この!」

 

『―――この!』

 

「真似しないでよ!」

 

『真似しないでよ!』

 

 剣戟も、声色も。戦闘スタイルですらそっくりそのまま真似る山彦。

 

 振り下ろされる刀には刀で、振るわれる鞘には鞘で。ことごとくを本当に神楽がするかのように防いでいく。

 

 数瞬の会合。剣戟の逢瀬。まるで実力が伯仲したものの攻防。

 

 それを制したのは()()()()()()

 

「……っ!」

 

 互いの一撃が交差する。

 

 結果、神楽の左足に刻まれる裂傷。一筋の、命には決して至らない軽い傷だが、その痛みに神楽は思わず膝を崩してへ垂れ込んでしまう。

 

 そして同時に()()()()()()。神楽の一撃が、山彦を切り裂いたのだ。完膚なきまでに、真っ二つに。体を真っ二つに切り取られ、山彦は儚く脆く消え去っていく。

 

「大丈夫、神楽?」

 

「……黄泉。うん、平気。ちょっと力が抜けちゃっただけだから」

 

 へたり込んでいる神楽の元に、乱紅蓮に捕まってやってきた黄泉が声をかける。

 

「よかった。遅くなってごめん」

 

「ううん。大丈夫。下はどうなってるの?」

 

「岩端さんたちに任せてきたわ。凛が見当たらないのが不安なんだけど、それ以外は大丈夫そうね」

 

「凛ちゃんいないの?まさかやられてたりしないよね……?」

 

「凛に限ってそれはないといいたいけど、今は状況が状況だものね。私たちもさっさと切り上げ―――神楽!」

 

「!!」

 

 穏やかな雰囲気から一変。背中合わせに黄泉と神楽は刀を構える。

 

 気を抜いていた、と言わざるを得ない。二人の視界に移るのは十数の、下手をしたら数十にも達する数の山彦。

 

「間違えて私切らないでよ?」

 

「黄泉~!」

 

 茶化すように言う黄泉と、本気で心配そうな声を上げる神楽。

 

 余裕を見せてはいるものの、絶望的な状況だ。四方八方を自分たちと同じ見た目の、同士討ちの危険性が一気に跳ね上がる存在に囲まれている状態。しかもその一つ一つが技量までもある程度再現してきているとなるとその脅威度は言わずもがなである。

 

 どうしたものかと黄泉は考える。正面から突破するのはあまりにリスキーだ。たった一体の山彦を打倒するのに神楽がケガを負っている。それが二体いるだけでも脅威であるのに、目の前の数は文字通り桁違いなのだ。正面突破は無謀というほかないだろう。

 

 数瞬の逡巡。どこかに突破口があるはずだ。どこだ、どこに突破口が―――

 

「黄泉!咆哮波を!」

 

「……!乱紅蓮、咆哮波!」

 

 その言葉の意図を正確に、そして即座に理解した黄泉は、瞬時に頭上へと咆哮波を放たせる。

 

 空を貫く金色の光。当たれば鉄板ですらも貫通するであろう威力のそれが、一直線に雲へと向かって奔っていく。

 

 先程山彦に向けて放ったものよりも威力が高く、そして方向も全く異なるその一撃。先ほどは跳ね返されてしまった一撃だが、

 

 それに伴い辺りに押し寄せる霊的、物理的な衝撃。圧倒的霊気を有するそれはその場の霊気の乱れを引き起こし、山彦が模倣するのに必要であった霊的環境をたやすく破壊する。

 

 山彦は鏡のように相手を模倣し、そして鏡のように霊力を跳ね返したりもする。それによって黄泉と神楽はどうしようもない状況に落とされかけた。

 

 山彦のそれは場の霊力に作用しておこなわれていると言われている。場の霊力を使って自身を鏡写しにしたり、また相手の攻撃を鏡のごとく返したりするのだ。

 

 霊力場とは基本的に安定したものであり、滅多なことでは変動しえない。例えば小野寺凛が本気で暴れたとしても、諌山家の道場の霊力場を変化させることは難しい。小野寺凛の能力が特殊であることも多分に影響しているが、ともかく霊力場の変化とはそうそう起きるものでは無いのだ。

 

 だが、当然例外もある。

 

 場を崩す目的での大量の霊力の使用や、圧倒的な霊力の使用、例えば乱紅蓮の咆哮波をそれ目的に使用したり大掛かりな法術などの高密度の霊力を使用すれば、ほんの一時的にではあるが霊力場を乱すことが出来る。

 

 殺生石のように東京全域クラスの範囲を乱すことなどできはしないし、霊力観測班には感知できないような本当に微弱な変化ではあるが、それでも一時的に立体駐車場の屋上の霊力を乱すことくらいならば造作もない。

 

 それを狙って、黄泉は咆哮波を放った。山彦に直接当てようとした先程の一撃とは違って真上に、霊力場を壊すことだけを考えての一撃を空へと放ったのだ。

 

 咆哮波が辺りの霊力場を急速に変化させる。そして霊場が一時的に崩されたことによって山彦の模倣が不安定となり、黄泉と神楽を忠実に再現していたその姿は、本体、黄泉、神楽と様々に姿を変えていく。

 

 寸分たがわぬ模倣が崩れる。乱戦になれば一瞬で本物と偽物の区別がつかなくなった先ほどまでとは明らかに異なり、偽物と本物の違いが明確になった。

 

 その時間はほんの一瞬。だが、たとえ一瞬であってもそれをこの二人がみすみす見逃すはずがない。

 

「「はぁぁぁぁぁぁぁ!!」」

 

 互いを見失わぬように背中合わせになりながら山彦へと斬撃をお見舞いする。

 

 一瞬でもその連携が崩れれば互いの斬撃を邪魔するような綱渡りのタイミングの攻撃。それを二人は神がかりな連携をもって成し遂げる。

 

 その間わずか5秒弱。5秒に満たない時間で、数十居た山彦は灰燼に帰した。

 

 退治されたことを示すかのように、山彦が黒い影となって消え失せる。カテゴリーDなどのいわゆる動物を基にした怨霊は討伐後も形が残ることがあるが、基本的に怨霊とは霊力でできた肉体のない存在だ。そのため討伐すれば形は残らずに世界へと還元される。山彦もその例にもれず跡形もなく消え去った。

 

 顔を見合わせて笑いあう黄泉と神楽。苦難を乗り越え、安堵する二人に、美しく響く静かな、銀鈴の奏でるような凛として冷たい音で冷や水が如き冷たい声が届けられる。

 

「―――ご苦労さま」

 

「……冥姉さん」

 

「お久しぶりです」

 

 戦いを終えて安堵する二人に声をかけたのは諌山冥。

 

 諌山黄泉の義理の従姉にして退魔師でも有数の実力者。フリーでありながらも他県にまで名を轟かせるその腕前は、地方に点在する各支部の室長候補生達を凌ぐといわれるほど。

 

「冥さんもこの敵を追ってたんですか?」

 

 緊張した面持ちの黄泉とは異なり、明るい顔をした神楽が尋ねる。

 

 丸の内に通信障害が起きるなど。始業時間になってしまったら日本経済に与える影響は計り知れない。この事態が起こった時点で、株の下落はほぼ確定しているが、始業時間を超えても障害が残っていたら被害はそんなものでは無い。

 

 生じる時間にもよるが、下手をすれば世界の経済にも打撃を与えかねないような被害をもたらすであろう。それだけ東京の丸の内とは重要な地点なのだ。

 

 よってそれだけ重大な事態に、この女性が動かないとは思えない。情報を聞きつけて動いたのであろう。

 

 それを見越しての神楽の世間話にも近い問であったが、返ってきた答えは全く違うベクトルからのものであった。

 

「―――戦いを拝見しました。無駄が多いようですね」

 

「……!?」

 

「山彦が複数で行動する習性があるのはわかっていること」

 

「……すみません」

 

「もっと考えれば、街の被害も抑えられたかもしれません。より精進を」

 

 黄泉と神楽の戦いに対してダメ出しを加える。冷たく厳しい指摘ではあるが、同時に正しく正確な指摘。

 

 山彦が厄介であるのは確かだが、それでもその習性は有名なもの。それを応用して使えなかったのは明らかに黄泉と神楽の過失であり、改善すべき点であることは間違いがないのだ。

 

 その指摘に対して下を向いて唇をかむ黄泉と、何故か多少驚いた顔をして呆けている神楽。その正しい指摘に言い返す言葉もなく黄泉はなんとも言えない感情を抱くが、神楽はそのような指摘をされて面食らっているのだろうか。

 

 そんな二人を尻目に冥は鵺へと近づき、どこか愛おし気に、白い指がその逞しくも滑らかな毛を撫でる。

 

「―――鵺。諌山家に伝わる霊獣。その強い力は資質の優れたものが適切に扱わねば腐らせてしまう。霊獣を相続する家系にあるからと言って、継承する資格はありませんよ」

 

「……っ」

 

 黄泉が唇をかみしめる。その通り過ぎて、反論ができなかったからだ。

 

「ぐうの音も出ない正論ですね。俺が言われたら泣きそうです」

 

 ふと、諌山冥の後ろから声が届く。

 

「……凛」

 

「凛ちゃん!」

 

「よ。遅くなって悪いな黄泉、神楽。怪我は……あるみたいだな。大丈夫か?」

 

 ごほごほとせき込みながら現れる小野寺凛。

 

 柔らかそうな黒髪に、その髪の持ち主らしく柔和で小動物的な整った顔立ち。

 

 背は黄泉や冥よりも10cm以上高く、体の線は細いもののしっかり鍛えられており、その立ち振る舞いや歩き方は16歳と思えないほどに洗練されている。

 

「随分な重役出勤ですね。もう対象は除霊されていますよ」

 

「……うげ、俺に飛び火しますか」

 

 冷たいまなざしを向ける冥に、素でいやそうな顔をする凛。

 

 自分自身がこの戦場において全く役に立っていないことを自覚しているため、冥の言葉は耳が痛いのである。

 

「飛び火、という言い方はおかしいでしょう?事実、貴方は責められるに値するほどのことをしているのですから」

 

「うっ……。ごもっともで……。本当に正論ってやつは……」

 

 咳込みながら、母親に叱られるこどもみたいな顔をする凛。

 

 正論に反論するのは非常に難しいものだ。赤信号は決してわたるべきではない、という正論に対して、反論ができないことを考えれば非常にわかりやすいだろう。

 

「察するに体調がすぐれないようですが、この業界においてそれは所詮言い訳。貴方の双肩に並みの退魔師では背負えない重責がかかっていることを理解すべきです」

 

「……すみません。一応理解はしてるんですけどね」

 

 少なくとも、凛が死ねば周りの誰かが必ず死ぬことは確定している。

 

 数の大小は定かでないが、凛の死は周囲の死への十分条件になりうるのだ。

 

 自覚はしているが、それだけだ。このシビアな世界ではその自覚を実行に移せなければ何の意味もない。

 

「ならいっそう精進を。貴方の力でできる範囲はこんなものではないでしょう?」

 

 そういって冥は車のフロントガラスを二度軽く叩く。そこにあるのはほぼ無傷の車体。原作(喰霊-零-)では損傷していたはずの車たちはそこに存在しなかった。

 

「……そう言えば車が壊れてないわね。凛、貴方がやってくれたの?」

 

「うん。ちょいちょいと衝撃避けを車の上にね。咄嗟だったから一撃しか防げないような強度の奴しか作れなかったけど」

 

 せき込みながらそう答える凛。

 

 凛は車の上に小野寺の霊力で薄い防御壁を作り、それに咆哮波による衝撃を代替させたのだ。

 

 本来なら咆哮波による衝撃は車をひしゃげさせるほどのものであり、大破と言って全く過言ではない状態におかれるはずだったのだが、多少傷がついたり凹む程度で済まされている。

 

 屋上にたどり着いたのが丁度咆哮波を放とうとしている瞬間であり、一瞬しか霊力を練ることができなかったので完璧には防ぎきれなかったが、最小限には抑えることができた。

 

 証拠隠滅のために動いている班としても大助かりであろう。自分たちとしても報告が楽になる。

 

「便利なものですね、小野寺の霊術は」

 

「不便なところも多々ありますけどね。こういう場面ではどんな術よりも役に立ちます」

 

 ほぼほぼ無傷の車を見やる。

 

 原作(喰霊-零-)では車はひしゃげ、フロントガラスどころかバンパーにもダメージが残っているような車があったというのに、多少被害が出た程度で防ぎきっている。

 

 他の霊術を使えないという制約はあるが、やはり便利な能力だ。自分に母親程の霊力の扱いのセンスがあればもっと様々なことができたであろうに。

 

「……ともあれ、敵も片付いたことですし、そろそろ帰りましょうか。俺、早く帰って寝たいです」

 

 時刻は7:20。まだ学校が始まる時間ではないし、街に繰り出すにしても早い時間ではあるが、体調的に辛いものがある。

 

 流石にそろそろ凛としても辛くなってきた。インフルエンザクラスの熱を出しながら走り回り、霊術も使用しているのだ。それで平然としていられるのは創作物の中の人間くらいだろう。

 

「そうね。長居してもどうなるってわけじゃないし、神楽の手当てもしないとだから早く帰りましょうか」

 

「うん。切り口がきれいだから大丈夫だろうけど、跡が残らないようにしないと。凛ちゃんは栄養とってしっかり寝るんだよ?」

 

「わかってる。お粥でも食べてゆっくり寝かせてもらうよ」

 

 いわれずとも、布団に倒れれば即座に就寝できる自信がある。風邪の時はいくら寝ても寝たりないものだ。

 

 さて帰ろうかと欠伸をしながら一歩を踏み出すと同時に、凛が膝から崩れ落ちる。

 

 べちゃっと受け身もろくに取れずに地面に倒れ伏せる凛。運動神経お化けとも呼ばれる凛からすればありえない光景に、冥ですら目を見開いて驚きの表情を受かべる。

 

「凛!」

 

「凛ちゃん!」

 

 普段の姿からは想像もつかない凛の元に、神楽と黄泉は急いで駆け寄る。

 

「うわ熱い!これ普通じゃないよ黄泉!」

 

「……そうね。こんな熱で戦場に出てくるって本当に貴方は馬鹿ね」

 

「……馬鹿とは失礼だな。けど、否定はできないかも」

 

 地面に両手をついて立ち上がる凛。その両腕はぷるぷると震えていて、相当に辛いのだということがわかる。

 

「……見ていられませんね。黄泉、鵺を。彼を下まで運びましょう。私が彼に肩を貸します」

 

 立ち上がろうとする凛の腕を首に回して背負う形で掬い上げる冥。

 

 その光景に黄泉は一瞬あっけにとられるが、直ぐに持ち直し、乱紅蓮に指示を出す。

 

「乱紅蓮、しゃがみなさい。……冥姉さん、どうぞ」

 

「ありがとうございます。本当に、困った男ですね、貴方は」

 

 鵺に掴まりながら呆れた視線を凛に向ける冥。

 

「面目ないです。でも今日はどうしてもこなくちゃならない理由がありまして……」

 

「自らと他人の命を危険にさらしてもですか?随分と高尚な理由ですね」

 

「それを言われると弱いんですけど……」

 

「冥姉さん、凛。しっかり掴まってください。神楽も掴まって。出るわよ」

 

「うん!」

 

「頼むわ黄泉」

 

 その言葉と同時に、乱紅蓮は空へと昇っていく。

 

 空を翔る霊獣、鵺。その圧倒的な体躯と能力は、味方であれば本当に心強いものだ。

 

「まったく、本当に」

 

 その背中で、ぽつりと冥が言葉を漏らす。

 

「―――()()()()()()()()()()()()()()。なんて運の悪い男なのでしょうか」

 

 そしてクスリとほほ笑む。見るものを魅了する、黒い笑顔で。

 

「―――楽しみですね。その時は、すぐそこに」

 

 そう呟いた冥の言葉は、乱紅蓮が起こす風の流れに遮られ、誰にも届くことはなかったのだった。




たぶんのちに文章の訂正入ります。
こうしたほうがいいんでね?って表現とか、どんどんくれるとうれしいです。


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第18話 -原作6話-

ども、しなーです。
遅くなりました。まあ社会人なんで多めに見てやってください←

話進まないですね……。
ただ、クライマックスには入りつつありますので、続編を期待してやってください。


「ダメ……来ないで……」

 

 刃が震える。

 

 カタカタカタカタと、音を鳴らして鋼が揺れる。

 

 隠しきれない心の動揺を、刀身の震えが雄弁に主張する。

 

 瞳が揺れる。呼吸が乱れる。

 

 苦しくて、視野が狭まる。見えているはずで、すべて視界には収まっているはずなのに。

 

 それでもその世界を見たくなくて、否定したくて。

 

「お願い……やめて……」

 

 ヒールの音が一歩一歩近づいてくる。こつ、こつと、ゆっくり、明確な殺意を持って歩み寄ってくる。

 

 腕を切られているというのに、痛みなど全く感じさせないゆったりとした歩み。

 

 普通に日常を生活するかのような歩みで距離を詰めてくる。

 

 それもそのはずだ。心の乱れを全身で表す少女が相対しているのはカテゴリーD。怨霊化した人間の死体。怨霊に操られた、もはや人間ではない()()なのだから。

 

 それに対して神楽は、足を、瞳を、刃を震わせて相対している。

 

 退魔師ならばどんな相手であろうと、毅然として刃を向けなければならない。

 

 どんな状況で、どんな場面で、どんな相手であろうと。向けるべきものは駆逐の意思であり、決して動揺であってはならない。退魔師が背負うのは人類の命であり、それを守る責任なのだから。

 

 だが、そうは言っても制御しきれないのが人の感情というものだ。

 

 感情があるが故に、感じてしまう心があるが故に人は喜び、楽しみ、そして苦しみ、悩むのだ。

 

「先生……っ」

 

 今宵、退魔師(しょうじょ)の心は、カテゴリーDと化した恩師を前にして、揺れ動いていた。

 

 

------------------------------------------------------------

 

「そう、冥ちゃんが手伝ってくれたの。彼女うちに欲しいのよね。桐ちゃん、唾つけといてくれる?」

 

 環境省。言わずとも知れた国の機関であり、超自然災害対策室が置かれている省庁のうちの一つ。

 

 その室長室で、神宮寺菖蒲と二階堂桐は相対して会話をしていた。

 

「断られました」

 

「あら、もうフラれたの?」

 

「当面はフリーで活動したいそうです。恐らく立場的に諌山黄泉と同じ現場はやりにくいのではないかと思います」

 

 淡々と答える二階堂桐。的確に情報を集め、的確に返していく姿はとても十代の少女とは思えない。

 

「それもそうね。他には?」

 

「人間を由来とする怨霊、カテゴリーDの出現件数が、依然増加する傾向にあります。……各個に点在しているうちは祟る力も小さく、問題はありませんでしたが、最近では局地的に集中して心霊災害の原因となるケースが増えています」

 

「悪い気が集中すると、周りの悪霊や怨霊を呼び寄せ、さらに悪い気が集中する。……最初に呼び寄せた原因は()()かしら」

 

「恐らくはそうでしょう。……小野寺凛がアレを見つけて居なかったらと考えると少々恐ろしいものを感じます」

 

「……そうね。最近使い倒しちゃってもいるし、感謝しなくちゃね」

 

 人の心を狂わせる赤い石、殺生石。九尾の狐の魂の欠片。それを手にしたものは無限の霊力を得ることが出来るといわれる、ある意味では夢の石。

 

 それを見つけたのは小野寺凛だった。

 

「もう彼に諜報員はつけていないのよね?」

 

「はい、既に。彼も諜報員に気が付いていましたし、彼に付けていることを諌山黄泉にもバレて止めるよう打診されていましたから。それに、今更付ける意味があるとは思えません」

 

「同感ね。あの頃ならいざ知らず、今となってはもう疑う必要はないもの」

 

 神宮寺菖蒲が手にもっていた()()()()()()資料を机に落とす。

 

 そこに書かれていた名前は小野寺凛。対策室のエースの一人。

 

「大人って嫌なものね。身内でも疑わなきゃいけないんだもの」

 

「それだけ彼の公式初陣での成果が異常であったということです。我々が気にする必要はないかと」

 

 面識がないはずの三途河カズヒロの名前を知っていて、土宮の二人が敗北した相手と互角以上に渡り合い、秘密情報であるはずの殺生石について知りすぎている。

 

 あくまでも偶然と小野寺凛は述べたが、怪しすぎる。

 

 全てがこの命がけの世界で、対策室が彼を疑うには十二分だった。

 

「それに室長は最初から彼を疑ってはいなかったでしょう?」

 

「あら、よくわかったわね。……だって彼嘘つけないタイプの人間じゃない?疑うほうが難しいわ」

 

 くすっとほほ笑む神宮寺菖蒲。

 

「話がずれちゃったわね。話を戻しましょうか」

 

「はい。カテゴリーDですが、前回の事件を受けて、当面のカテゴリーDの処理は土宮神楽を除くチームに振り分けていますが、いずれは彼女にも分担してもらわねばと」

 

「そうね。でも当分かかりそうね」

 

「はい」

 

 土宮雅楽も討伐に参加した、旧銀座線新橋駅での戦闘。

 

 そこで神楽はカテゴリーDを切る事ができず、自らの身を危険に晒すという失態を見せてしまった。

 

 退魔師がカテゴリーDを切れないなど、本来ならあってはならない。あり得ないレベルの失態だ。下手をすれば、もう任務を任されなくなる可能性だって浮上してくる。

 

 だが、神楽はまだ14歳だ。子供を前線に立たせる異常な世界であっても、流石に神楽の年齢は考慮されたのだ。

 

 しかしながら、それも時間の問題だ。神楽が退魔師である以上、カテゴリーDを切れないなどという甘えたことは言っていられない。

 

 今の異常な霊現象を考慮する限り、近い未来、神楽もカテゴリーDの討伐を担当しなければならなくなることは明確である。

 

「黄泉ちゃんがいいお姉ちゃん過ぎたかしら」

 

「……神楽は優しくていい子に育ちすぎました」

 

「二人は本当にいい関係なのにね。……堅気の人間なら」

 

 堅気の人間なら。つまりは退魔師ではなく一般の、この世界を知らない普通の姉妹なら。

 

 二人の関係は理想的な姉妹で、羨まれる程のものだ。

 

 しかし、それがこの世界で必ずしも良いものであるとは限らない。強い縁は何より強い力であると同時に、何よりも強い鎖でもあるのだ。

 

「我々の仕事では、時として命取りとなります」

 

 呟かれた二階堂桐の言葉には、そんな重みが含まれていた。 

------------------------------------------------------------

 

―――霊獣を相続する家系にあるからと言って、継承する資格があるとは限りませんよ。

 

「厳しいよなー、冥さん」

 

 今朝、冥さんに言われたことを私は思い出す。

 

 山彦に苦戦していた私たちにかけられた痛烈な言葉。

 

 黄泉に対して向けられていたことはわかっている。でも、あの言葉は私にも直接関係するものだ。

 

 喰霊白叡。土宮家が代々宿してきた、最強の霊獣。

 

 霊獣を相続する家系にあるのは、鵺を継ぐ黄泉だけじゃなくて私もなのだ。

 

 正直、重さで言えば私のほうが上かもしれない。まだ、実感が出来ていないのが正直なところではあるけど。

 

「土宮ー!」

 

「?」

 

 突然名前を呼ばれて、考え事をしていた私の意識はプールで元気に泳ぐ二人の友人へと向けられる。

 

 柳瀬千鶴と真鍋美紅。水泳部に所属する、私のクラスメイト。

 

「土宮も泳ごうよ!昼休み終わっちゃうよ?」

 

「私、水泳部じゃないし―」

 

「いいじゃん!別に!」

 

「私たちだって自主練だし」

 

「怪我だってしてるしぃー」

 

「……塩素消毒になるかもよっ!」

 

「わっ!」

 

 突然、やっちが私に向って水を被せてくる。

 

 こっちは制服で、向こうは水着。だというのに容赦のない水かけで全身はびちゃびちゃだ。

 

「やったなぁ!このお!」

 

 やられてやられっぱなしというわけにはいかない。こちらもバタ足で応戦!

 

 もう全身も傷口もびちょびちょだけど、そんなのかまうもんか!

 

 そこから始まるかけてかけられての応戦。その瞬間は、退魔師の使命なんて忘れられるぐらい、楽しくて、貴重な時間だった。

 

------------------------------------------------------------

 

「もう、ガーゼびしょびしょじゃない。気を付けないと化膿するわよ?」

 

「……すみません」

 

「ばーか」

 

「誰のせいよ!」

 

「保健室で騒がない!」

 

「「はーい」」

 

 この状況を作り出した張本人だというのに、私を煽ってきたやっち。そんなやっちとやりとりをしていると、保健室の先生からお咎めを受けてしまう。

 

「それにしても、どうしたのこの傷?」

 

「えっと、ガラス、わっちゃって」

 

 私の傷を見た先生が、当然の疑問を口にする。

 

 太ももの表部分にぱっくりとした切り傷が刻まれているのだ。

 

 この業界にいると感覚がマヒしてしまうけど、普通の女子高生がこんな怪我するなんて普通は有り得ない。

 

 いや、それどころか男子高校生だって流血沙汰になるような怪我、普通ならしないのだ。

 

 それなのにこんなおっきな切り傷を私は負っている。普通の感覚からすれば異常なほど大きな傷を。

 

 まさか自分を模倣した敵に切られましたーなんて言えるわけもない。右斜め上を見ながらガラス片で切ったととりあえずの嘘をつく。

 

「気をつけなさい、女の子なんだから」

 

「はぁい」

 

 とりあえずは誤魔化せたようで安心する。

 

「ガラスって言えば今朝のニュースでビルの窓がいっぺんに割れる事件があったって」

 

「それ知ってる!テロ攻撃かなぁ」

 

「不思議な話で、その事件のあと、今までなかなか治らなかった通信障害がピタッと収まったんですって」

 

「通信障害?」

 

「丸の内のオフィス街であの通信障害がずっと続いてたら株とか取引きとかが滞って、恐ろしい額の経済損失になってたそうよ」

 

 黄泉と凛ちゃんも言ってたことだ。

 

 通信障害って言葉は軽く見られることが多いけど、実はそんなことない。丸の内なんて一等地でそれが起こったら考えたくもないぐらいの額が発生するだろうって熱にうなされながら言っていたのを覚えている。

 

「そしたら景気に影響して、みんなのお小遣いも減っちゃってたかもね」

 

「えーまじでー!よかったー!」

 

 そう言って安堵するやっち。とても口には出せないけれど、それを解決したのが自分たちだと考えると凄い誇らしい。

 

「はい、おしまい。今度から気を付けてね」

 

「……ありがとう、先生」

 

 あったかい感じのする人だと、私は思った。

 

 お母さんみたいで、何か胸が温かい。

 

「何にやにやしてるのぉ、土宮」

 

「え、ニヤニヤなんてしてないよ」

 

「わかった、美鈴先生に包帯巻いてもらって嬉しいんだ」

 

「土宮、年上好きだから」

 

「あら嬉しい」

 

 どうやらほおが緩んでしまっていたらしい私を、畳みかけるように三人が煽ってくる。

 

「もう、なんでそうなるのよ!」

 

 私の叫びに呼応するかのようにチャイムが鳴り響く。

 

 もう、みんなったら勝手に言ってくれちゃって!

 

「ほら、もう帰らないと、午後の授業が始まるわよ」

 

「やっば!また遊びに来るねー!」

 

「もう、遊びに来るところじゃないわよー。あ、土宮さん、包帯が気になったらいらっしゃい。何時でも変えてあげるから」

 

「はい、ありがとうございました!」

 

 そういって、授業に向って走っていく私たち。

 

 その時は欠片も思っていなかった。

 

 忘れていた。知っていたはずなのに。楽しい時なんて一瞬でなくなるって。絶望は、常に希望に寄り添っているってことを知っていたはずなのに。 

 

 だから、思いもしなかった。

 

 当たり前に続くと思ったこの時間が、先生と話すことのできた、最後の時間なんだってことを。

 

------------------------------------------------------------

 

「……きっつい」

 

 ぼやける頭で、天井を眺めやる。

 

 今は午後5時ごろ。みんな学校が終わって、帰宅している時間帯。

 

 そんな時間帯に、俺は布団の中でもがき苦しんでいた。

 

「……凛。熱、一向に下がらないじゃない。やっぱり入院したほうがいいんじゃないの?」

 

「……そう、な。このまま下がらなかったらそうするしかないか。なんだこれ、本当に普通じゃないぞ」

 

 41℃。インフルエンザでも出ないような、そんな高熱。

 

 それに俺は侵されていた。

 

「呪術の気配は、全くない。それは黄泉も、同意してくれた。ということは、これは、純粋に、体調の異変?でも有り得るのか?こんな高熱。インフルでも、麻疹でも、水疱瘡でも何でもない。だっていうのに、この熱って……」

 

「千景さん、おかゆ作ってきました。凛の容態は?」

 

「黄泉ちゃんありがとう!……良くないみたい。救急車を呼んだほうがいいかもしれない」

 

「そうですね……。凛がここまで動けないなんて普通じゃない。私たちの知らない呪術?でも私達が関知できないなんて、そんなことあるはずが……」

 

「俺も、さっきからずっと、体内の気を探ってるけど、呪術の気配は感じられない。かといって、普通の風邪って断言するには、熱が、高すぎるな……。一過性ならいいんだけど……」

 

 息も絶え絶えに答える。

 

 現在は午後の2時。一応俺の家にはかかりつけの医者がいるので、わざわざ呼び寄せて検診をしてもらったのだが、結果はわからずじまい。

 

 血液検査やらインフルエンザの検査など心当たりのあるものは一通り検査したのだが、全く持って原因がわからない。

 

 結論としてはただの風邪。それに落ち着いてしまった。

 

 だがただの風邪で40℃を超えるなど普通はありえない。可能性として他に考えられるのは呪術、つまりは第三者による呪いだ。

 

 なので対策室に連絡して、黄泉を始めとする呪術に明るい人間を呼んでもらって解析も試してみた。

 

 しかしそれも該当せず。少し前まで雅楽さんにも手伝ってもらって解析したりしたのだが、それでも何も見つからなかった。

 

「千景さん、これ以上熱があがるなら迷わず救急車を。この電話番号に連絡すればお抱えの病院に繋がります」

 

「ありがとう黄泉ちゃん……!本当に何から何まで……」

 

「いえ、当然のことをしているまでですから。……凛、これ以上熱が上がったら本当に救急車呼ばなきゃだめよ?」

 

「わかってる。ただ、呪術の線が、捨てきれない以上、俺の家以上に安全なとこは、ないからな。病院に移るのは、少しリスキーだ」

 

 しゃべるのも辛いが、俺はそう答える。

 

 正直言って俺も病院に移りたいのだ。

 

 この熱だと下手したらぽっくり死ぬ可能性を捨てきれない。まじめな話、この熱だと生殖関係にも影響が出る可能性もあるし、脳などに障害が残る可能性だってある。

 

 40℃を超えてくると流石に俺としても怖い。それにとんでもなく辛い。

 

「……流石に心配ね。凛、もし呪術の反応があるだとか、違和感を感じたら私にすぐ連絡するのよ?いい?」

 

「りょーかい。そうするわ」

 

 頭がグラグラする。息苦しいし、喉も痛いし、踏んだり蹴ったりだ。

 

「凛、おかゆ食べれる?痛いところは?水は大丈夫?」

 

「ちょ、母さん、落ち着いてくれ」

 

 オロオロしながら俺のそばを離れずつきっきりで看病してくれる母親。

 

 非常にありがたいし嬉しいのだが、少し焦り過ぎである。……とはいえ40℃超えの熱が出ていたら流石に家の母親じゃなくても焦るか。

 

「……ほんと、杞憂なら、いいんだけど」

 

 呪術の解析ついでに黄泉が作ってくれた粥。母親が食べさせようとお椀に持ってくれている。

 

 ……幸いなことにこれだけの熱がありながらも食欲はあり、腹も減っていたのでありがたい。

 

 母親が食べさせてくれようとするのをやんわり断り、盛られた粥を受け取って食べ始める。

 

「お、凄い美味い」

 

「そう、それは良かった。作ったかいがあるわね」

 

 粥を勢い良く食べる俺を見て黄泉がそう言う。非常に美味しい。梅干しが入っているのも梅干し愛好家の俺としてはポイントが高い。

 

「その熱でよくそんなに食べれるわね。相変わらず化け物染みた体してるけど、無理はしちゃだめよ?」

 

 前かがみになって黄泉がそう言ってくる。

 

「そうよ凛!胃腸も弱ってるんだからゆっくり食べないと!」

 

 母親も便乗して色々言ってくるが、食べれるときに食べておいたほうがいいに決まっている。

 

 幸い、食欲はかなりある。

 

 これだけの熱を出しながら不思議なものだが、それはやはり身体を鍛えていたからというのが大きいのだろう。

 

 これだけ丹念に鍛え上げた身体だ。胃腸の強さも並ではないというわけだ。

 

「……おかわりちょうだい」

 

「うわ、もう食べたの。よそってくるから待ってて」

 

「黄泉ちゃん何から何までありがとうね。黄泉ちゃん、私も手伝うね」

 

 落ち着いた動作で俺の部屋を出ていく黄泉と、パタパタと落ち着きなく俺の部屋を出ていく母親。

 

 黄泉のオカン力が凄すぎて、うちの母親がまるで娘のようである。

 

 身長もまあ黄泉のほうが高いんだけどさ。

 

「あー喉いたい」

 

 本当に節々も辛いし、身体が辛い。

 

 しかし、よく山彦相手に、無事だったもんだ。

 

 この体調で行ったんだから、かなりの負傷を覚悟をしていたのだが、幸いなことに無傷で済んだ。

 

「出来ればこの次の戦いにも参加したかったけど、流石に無理があるな」

 

 せき込みながら、そう独り言つ。

 

 この次。つまりは神楽のカテゴリーDを初めて切る機会となる戦闘。

 

 この世界は俺の知る喰霊-零-からはとうに乖離している。

 

 そのため、あの保険医の先生を駆除するイベントが起きるかどうかは全くもってわからない。

 

 もしかしたら起きないのかもしれない。

 

 だが、神楽は傷を負った。

 

 それに神楽の友人関係は喰霊-零-と変わりがないらしい。

 

「ということはあの事件も起こる可能性が高いというわけだ」

 

 重い頭で思考する。

 

 友人関係も、展開も大差がない。つまりは起こる可能性が非常に高いということだ。

 

 そして神楽の一件が起こるということは……。

 

()()も、多分今日なんだよな」

 

 瞼に白銀の女性を思い浮かべる。

 

 諌山冥。黄泉の義従姉にして、俺の想い人。

 

 この世界に生まれて軽く10年以上が経過している。

 

 そうなのにまだ脳裏に蠢く映像がある。

 

 その映像が実現されるとしたらまさに今日。神楽が試練を乗り越える、まさに今日なのだ。

 

「―――頼むから、()ちてくれるなよ諌山冥」

 

 心から願う。

 

 なんだってこんな日に俺はこんな状態なのだ。

 

 正直、もう身体は動かない。戦場に出たら防衛省の一般兵にだって勝てるか怪しい所だ。

 

 力を持ったというのに、寝ていることしかできないなんて。

 

 拳を握り締める。力が入らないこの手がなんと情けないことか。

 

 力を有しながら無力を噛みしめるという矛盾を抱えながら、俺は黄泉が持ってきてくれた粥をほうばったのであった。

 

 



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第19話 -神楽とカテゴリーD-

遅くなりました。
剣輔君は原作(喰霊)主人公なのでお忘れの方ご注意。
……話が進まないなぁ。


「黄泉―。凛ちゃんはー?」

 

「少し見ないうちに寝たみたい。いまは寝息立てて寝てるわ」

 

 小野寺凛の家。私のうちや神楽の家のような裏の名家というだけではなく、表の名家でもある小野寺家。敷地も建物も広大で、とても4人で住むには相応しくないような広さの建物。

 

 家政婦や使用人も住んでいることから建物が余っているということはないみたいだが、それを補って余りある広さ。私たちの家も人のことは正直言えないが、流石の財力と言わざるを得ないだろう。

 

 そんな凛の家に、私達はお邪魔していた。

 

「もう寝ちゃったのかー。黄泉は学校早退して来てたんだよね?」

 

「うん、対策室の意向でね。熱も異常だし、もしかしたらってことで対策室から招集がかかったの」

 

「私達にも声をかけてくれればよかったのに」

 

「神楽達はまだ義務教育だから」

 

「関係ないよー!」

 

 ぶーっと膨れる神楽。最近腕に自信が出てきたのか、よく実戦でも前に立ちたいということが多くなってきた。

 

 いい心がけだけど、少し危ない。凛なんかはどんどん前に立たせてやれというけど、私は反対だ。

 

 確かに神楽は目覚ましい成長をしている。私もそれは理解しているし、その成長速度は私たちを越してしまうかもしれないと危惧するほどだ。

 

 けど、まだ精神的に成長しきっていない。

 

 変に達観しているこの熱出し男みたいになれとは言わないけれど、もう少し落ち着けるようになるべきだと思う。それにはもっと後ろで経験を積んでもらわないと。

 

「……ねえ黄泉、私って役に立ってる?」

 

「え?」

 

 憤慨したかと思ったら、一転して落ち込み始める神楽。

 

 どうしたというのだろう。

 

「何言ってるのよ今更」

 

 神楽の活躍はめざましい。凛をしてふざけた才能だと言わしめるほどだ。私もそれは感じているし、事実、将来退魔師を担っていくのはこの子だろう。

 

 それくらいのスペックを持っていて、それくらいの才能がある。

 

―――この子は伸びしろの塊だ。

 

 それこそ正直―――認めたくはないけど正直な話、私や凛を置いて成長していくだろう。

 

 だから、まだ凛や私程の戦績がないからと言って落ち込むことはないのに……。

 

「もしかして今朝冥姉さんに言われたこと気にしてるの?」

 

 そこでふと思い浮かぶことがあった。今朝の冥姉さんの言葉だ。

 

 正論で、何も言い返すことが出来なかった。今朝の言葉。平然とした顔をしていたから気にしていないかと思っていたのだけど、あの時は実感がわかなかっただけなのだろう。

 

「大丈夫よ。あれは神楽が気にすることじゃないから」

 

 あれは間違いなく私に宛てた言葉。

 

 私が、気にするべき言葉なのだ。

 

 にっこり笑って、神楽に微笑みかける。あの言葉は私の胸に重い楔を打ち込んだけど、そんなことはおくびにも出さないように。

 

「黄泉さん、氷枕作ってきました。……って凛さん寝たんですね」

 

 ちょうどいいタイミングで剣輔君が入ってくる。

 

 弐村剣輔。凛と神楽が偶然スカウトしてきた期待の新人。

 

 本当にいいタイミングで入ってきてくれた。これでこの話題を転換することが出来る。

 

「寝ちゃったみたい。作ってもらって悪いけど、要らなくなっちゃった」

 

「ウス。ここら辺に置いときます」

 

 そういって氷枕を棚の上に置く剣輔君。

 

 剣道をやっていたという彼は非常に筋がいい。凛とよくマンツーマンで訓練をしているみたいだけど、戦い方は私や神楽とまったく同じなため、よく教えてあげるのだ。

 

 そのおかげか最近はめきめき力を伸ばして、今は神楽の補助役として安心して任務を任せることが出来るようになってきた。

 

 カテゴリーDを切ることにもあまり抵抗が無いらしく、神楽が切るべきそれはもっぱら凛か剣輔君が受け持つことになっている。

 

 霊力も強く、神楽は非常に得難い存在を獲得してきてくれたものだ。

 

「凛ちゃん大丈夫かなぁ……」

 

「多分大丈夫だろ。この人化物みたいに身体強いし」

 

 そういいながら空いたコップなどを回収する剣輔君。

 

 気の利く男の子だ。大人びているし、背伸びをしたがる中学生男子とはとても思えない。

 

「なんか、軽いね剣ちゃん」

 

「軽いっていうか、正直本当にこの人がダメになるのを想像できないっていうか……。まあそういう意味では軽いのか……?」

 

「いや疑問形で言われても」

 

「とにかく、この人なら大丈夫だと思うぞ。心配ではあるけど」

 

 ぽりぽりと頬を書きながらそう答える剣輔君。

 

 それは私としても同感だ。

 

 凛の熱は下手をしたら人の命を奪いかねないほどに高い。それこそあと1、2℃上がるだけで本当に命に関わる。

 

 それくらいの危機的状況だけど、この男が死ぬとはとても思えない。何となくそう思うのだ。

 

 ……そう、思いたいだけなのかもしれないけど。

 

「黄泉ちゃーん。それにお二人とも―。送りの車用意したよー」

 

「千景さん、わざわざありがとうございます」

 

 がらりと襖が空いて凛のお母さんが入ってくる。

 

 とても二児の母とは思えない若々しい女性。若々しいというよりは幼いといったほうが適切かもしれない。

 

 身長も神楽と同じくらいで可愛らしいし、顔立ちも女性というよりは女の子と言ってしまったほうが適切な表現になる。

 

 いつも着物を着ているからそれでなんとなく大人びて見えるけど、セーラー服とかを着たら大学生辺りがコスプレをしているくらいにしか見えないかもしれない。

 

 ……この人が高校一年生の時の子供が凛。そう考えると、凛がしばしば「うちの親父は犯罪者だから」という意味も多少わかってしまうというものだ。

 

「剣輔君も乗ってって。金田に送らせるから」

 

「ありがとうございます。……あの、すみません。さっきから誰も触れてくれてなかったんですけど、華蓮ちゃんが足から離れてくれないんですが」

 

 そう言われて剣輔君の足を見ると、ズボンをがっちりと握りしめて離さない華蓮ちゃんがそこには居た。

 

 神楽も私も気が付いていたのだけど、華蓮ちゃんが誰かしらから離れないのはいつもの事なので、ついついスルーしてしまっていた。

 

「けんちゃんまだいる」

 

「いや、俺明日もあるし……」

 

「……」

 

 無言で剣輔君を見つめる華蓮ちゃん。

 

 あの透明な眼に捕まるとどうしようも無くなってしまうのだ。私も神楽もそれで何度華蓮ちゃんが寝るまで付き合ってしまったことか。

 

 ……あの子は将来魔性の女になる資質を秘めていると思う。

 

「それじゃ千景さん、私たちは失礼しますね」

 

「千景さんじゃーねー!」

 

「ちょ、お前ら!見捨てんなよ!」

 

 結局この日は剣輔君を掴んで離さない華蓮ちゃんが寝るまで皆で楽しく遊んでしまった。

 

 

 そして、神楽にとっての試練の日は、そんな穏やかな一日の次の日だった。

 

 

------------------------------------------------------------

 

『本部より各移動へ。都内各所においてカテゴリーC多数出現中。各個に警戒。発見次第除霊措置されたし』

 

「次から次へうじゃうじゃと!一体どうなってんだ今日は!?」

 

 銃の炸裂する音が響く。

 

 薬莢が地面をたたき、硝煙の匂いが日常を満たし、非日常へと染め上げる。

 

 桜庭一騎は思う。一体これで何度目の発砲だろうか。少なくとも、10や20では済まない数、引き金を引いている。

 

 それでも一向に数が減らない。次々に湧き出て、次々に集まってくる。

 

「こっちは一掃した!次はどこだ!」

 

 別の場所では飯綱則之が携帯に向って叫び、指示を仰ぐ。

 

 傍らには馬の死骸が二つ。

 

 形があるものがそれというだけで、実際にはその何十倍の数の怨霊を葬っている。

 

 対策室が総出でも駆除が間に合わないような異常事態。

 

 雑魚な怨霊とはいえ、大量に集まればそれは脅威となる。

 

 都内各地。

 

 都内は狭い。東北などに比べれば一体何分の一であろうか。

 

 地方と比べて敷地は断然狭い東京都内ではあるが、その雑多さ故、デットスペースが無数に存在する。

 

 人の目の届かない、暗い場所。そしてそんな場所にこそ怨霊は出現する。

 

 東京は狭いというが、実は人間が移動するには十二分に広い。

 

 そんな都内が今、怨霊であふれかえっていた。

 

 

------------------------------------------------------------

 

『神楽、そっちは?』

 

「カテゴリーCがたくさん!でもどうしてこんないっぺんに!』

 

『わからないわ。……とにかく、三人で手分けして除霊しましょう!一人で平気?』

 

「うん」

 

『じゃ、後で』

 

 ピッという音で電話が切れる。

 

 黄泉もカズちゃんも紀ちゃんもさっきから引っ切り無しに戦っている。

 

 それだというのに一向にカテゴリーCが減る気配が感じられない。

 

「異常だよ、こんなの……」

 

 倒しても倒しても溢れ出てくる。人の思念は無限だから、怨霊が生まれるのは確かに無限に生まれるけど、それにしたって普通はこんな数が出てくることは有り得ない。

 

 災害現場とか、よっぽど強い心霊スポットなら話は別なんだけど……

 

「……次は」

 

 黄泉と通話を終えた携帯に視線を落とす。

 

 次の霊力分布に強い冷気が示されているのは私の学校。

 

 ……私の学校!?

 

「急がないと……!」

 

 今はもう夕暮れだ。18時を過ぎ、部活動中の生徒も既に帰宅しているだろう。

 

 だが、一部の生徒や先生は残っているかもしれない。

 

 危険だろうという思考は常にしていて問題ないけど、大丈夫だろうという思考は決してしてはいけない。

 

 舞蹴を携え、私は自分の学校へと走り出した。

 

 

------------------------------------------------------------

 

 

「もうやっち。外真っ暗だよー」

 

「あとちょっとで1分切れそうだったのになー」

 

 シャワーを浴びながら、雑談する少女たち。

 

 時刻は19時近く。夏が近づき暑くなってきたこの時期であっても既に外は暗く、彼女たちは夜の学校の中にいた。

 

「簡単に切れたら苦労しないよー」

 

 おとなしそうな、穏やかな声で話す少女は真鍋美紅。土宮神楽のクラスメイトだ。

 

 茶髪の快活そうな少女は柳瀬千鶴。同じく土宮神楽のクラスメイトで、真鍋美紅同様水泳部に所属している。

 

 二人とも水泳部の練習が終わった後も居残りをして練習をしており、この時間になっているのだ。

 

「あ、切れた」

 

「え?」

 

「いったー!誰よパッチン留め落としたのー!」

 

 柳瀬千鶴が徐に足を上げる。

 

 パッチン留めを勢いよく踏んでしまったらしい足からは少なくない量の血が出ており、それが地面を赤く染めていた。

 

「大丈夫?直ぐ消毒したほうがいいよ」

 

「いったーい!美紅、保健室いこ保健室!」

 

 更衣室で軽い手当てをして、二人は夜の学校を歩き出す。

 

「もう皆帰っちゃってるよ。保健室、先生いないんじゃない?」

 

「いーよ絆創膏あれば」

 

「鍵しまってたら?」

 

「あ」

 

「もう」

 

 そう掛け合いをして微笑み合う二人。

 

「なんかさ、夜の学校ってなんか出そうで怖いよねー」

 

「やめてー」

 

「良くあるじゃん、昔自殺した生徒の霊が出るとかー」

 

「やーめーてー。……あれ?やっち、足、傷開いてる」

 

「え?」

 

 そういわれ、柳瀬千鶴が下を見るとそこにあったのは大きな血だまり。

 

 確かに柳瀬千鶴の傷も浅くはなかったが、流石にこれほどの大きな血だまりを作るような出血は無い。

 

 ではこれは?と思い廊下を見やると、そこあったのは点々と続く血の跡。

 

 それは次第に大きさを増していき、ある1点へとたどり着く。

 

 男が倒れている血だまりへと。

 

「え……」

 

 二人は困惑する。

 

 一体何が起きているのか。

 

 これだけ大量の血を一般人が見ることは極めて珍しい。加えてそこに人が倒れている、などという状況、望んだとしても中々お目にかかれるものでは無い。

 

 人間が未知のものに相対したとき、最初に起こる現象は停止だ。

 

 認知が出来ないことによって思考が停止し、伴って体も動かなくなる。

 

 だが、人間の脳は優秀であり、情報の処理を一瞬行えなくなったように見えても、実は水面下で理解を進めている。

 

 そして、その脳が起きていることに対しての答えを導き出すと、そこには感情が生まれてくる。

 

 感情。つまりは喜び、悲しみ、怒り、そして恐怖などだ。

 

 そして今回、二人の脳が同時に導き出した回答は、恐怖を導き出すにふさわしいものであった。

 

「「……!」」

 

 二人は一目散に廊下を駆け出していく。

 

 曲がり角の暗闇から、自分たちの知る恩師の姿が現れたことにも気が付かずに。

 

------------------------------------------------------------

 

 

「見失った……?それとも狙いを誤ったか……?」

 

 夜の埠頭。

 

 頼れるものは街頭だけという薄暗い闇の中で、白銀の髪を持つ女性が佇んでいる。

 

 諌山冥。諌山の正当な後継者にして、同世代の退魔師の中でも随一の腕前を持つ女性。

 

 桃色の着物に、白銀の髪。

 

 百合をあしらった長髪は、処女雪のような、見るものを全て虜にするような美しさを誇る。

 

(明らかに反応があったはずなのに……)

 

 怪しい冷気の流れを追ってきたはずなのに、その気配は無くなってしまっている。

 

 気のせいだったのだろうか。だが、確かにこの位置に怪しい気配があったはずだ。

 

 そう考え、歩き出そうとした諌山冥に後ろから言葉がかけられる。 

 

「おや?今日は貴女一人なのかい?てっきり小野寺凛が付いているものと思っていたんだけど」

 

 振り向きざまに一閃。

 

 手ごたえを感じられるはずの一撃だったのだが、その一撃は空を切り、冥の眼前には霧散していく人型の蝶しか映らない。

 

「いきなり攻撃とは酷いな。死んじゃったらどうするんだい?」

 

「三途河カズヒロ……」

 

「名前を覚えてもらっていて光栄だよ、諌山冥。調子はどうだい?」

 

 赤のベストに白のシャツ。

 

 美しくも不気味な蝶を携えた、白髪の少年。

 

 諌山冥の視線の先に居たのは案の定というべきか、現在退魔師の一部の界隈では有名な名となっている少年、三途河カズヒロだった。

 

 冥はぎゅっと薙刀を握り締める。

 

 冥のプライドはこれを認めることを良しとはしないが、実は冥はこの男が苦手だった。

 

 何を考えているのか全く分からず、飄々としているこの少年になんとも言い難い苦手意識を抱いてしまう。

 

「今日は彼と一緒じゃないんだね。彼なら真っ先に僕の所に来るだろうと踏んでいたんだけど、あてが外れたかな」

 

「……私たちは常に一緒にいるわけではありませんが」

 

「あぁ、そういう意味じゃないよ。彼はストーカーみたいに僕の行く先に出没するから、今回も出てくるんじゃないかって思っただけさ」

 

 飄々とそう答える三途河。

 

 少し早とちりをしてしまったようだ。

 

 確かに聞く限り小野寺凛と三途河カズヒロの遭遇率は異常に高い。最初は冥も凛がこの少年と内通しているのではないかと疑ったものだ。

 

「ずいぶん固執しているのですね」

 

 三森峠での応酬で、この少年が小野寺凛に強い興味を持っているということを知った。

 

 その興味が退魔師としてなのか、殺生石の担い手としてなのか。どちらかは判断が付きかねるが、ともかくこの少年の興味の対象になるなど碌なことでは無い。

 

「別に固執しているわけじゃないさ。貴女たち退魔師の中で一番気になっているのは否定しないけどね」

 

「では、あなた方の関係は?ただの退魔師と怨霊にしては随分と仲がよろしいようですが」

 

「ただの退魔師とその敵対者だよ。訂正を入れるなら僕が怨霊ではないってことぐらいかな」

 

 嘘だと冥は思う。固執していないというには強い興味を持ちすぎている。

 

―――私を殺した後の反応を知りたがるなんて、固執以外のなんだというのだ。

 

「何故彼なのです」

 

「面白いから、って答えで満足してもらえるかい?」

 

「真面目に話す気は無い、と」

 

「嘘は言ってないつもりだよ。……でもそうだね。貴女が満足する答えを一つ返しておくなら」

 

 明らかにまともに答える気が無い三途河が、意味ありげに一拍置いて、

 

「多分、僕と彼の関係は貴女が思っているより大分複雑なものなんだ。あくまでも僕の想像だけど、彼と僕の間には普通じゃ説明できない類の力が働いてる」

 

 そう述べる。

 

 その回答に冥は言葉を失う。驚いたというよりは理解が出来なかったためだ。

 

「……普通じゃ説明できない?」

 

「そうだね。例えばこの石みたいな、人間じゃどうしようもできない力かな。あくまでも僕の予想に過ぎないから、あまり話したくはなかったんだけどね」

 

「私がそれを信じると?」

 

「不真面目な回答に聞こえたのなら勘弁して貰いたいな。これでも本当に真面目に回答したつもりなんだ」

 

 胸に手を当て、気取った仕草でそう答える三途河。

 

 諌山冥は閉口する。目の前の少年が、本気で言っているのかそれともふざけて言っているのかが全く分からなかったからだ。

 

 不気味な少年だと本当に思う。得体のしれない相手というものがここまで気味の悪いものであるとは思わなかった。

 

「こちらからも質問をいいかい?ここに小野寺凛が来ていないということは、彼は各地の掃討に当たっているのかな?」

 

「現在療養中だと聞きます」

 

「療養中?」

 

「ええ、私はそう聞いています」

 

 そう回答する。

 

 敵に身内が弱っているとう情報を流すのはどうかとも思うが、小野寺凛が風邪をひいて倒れているという情報は別に秘匿も隠ぺいもされていない。退魔師のネットワークが少しでもあればわかることだ。

 

 この少年にそれがあるかわからないが、この少年には隠しても意味が無いだろう。それに、実は本人から隠ぺいはしなくていいという伝言を受け取ってもいるのだから、わざわざ隠す理由もない。

 

「珍しいこともあるものだね。怪我でもしたのかい?」

 

「風邪だと聞いています」

 

「風邪だって?それは面白い冗句だね。今年聞いた中でも一番かもしれないよ」

 

 心底意外だという顔で驚く三途河カズヒロ。

 

「……そんなに驚くことでもないでしょう」

 

 驚くことではないと言いつつも心の中では少しばかり同意してしまう。冥も三途河と同じく、凛が倒れる姿を想像できていなかったからだ。

 

「そうかい?なんとなく彼がダウンしている姿が想像できなくてね」

 

 不敵な笑みを常に浮かべている彼にしては珍しく、くつくつと可笑しそうに笑う。

 

 普通の人間なら倒れるような怪我を負いながら平然と戦闘を続けるような男だ。確かに風邪ごときに負ける姿が信じがたいのは同意できる。

 

 同意は出来るし、共感もできるが、

 

「単刀直入に聞きます。何が目的ですか」

 

 この男と話していたいとはとても思えない。

 

 聞きたいことが無いわけではないが、それを聞いたところでまともに答えるとは思わないし、実りがあるとも思えない。

 

「相変わらずせっかちだね。もう少し余裕を持ってもいいんじゃないかい?」

 

「これだけの災害をまき散らしている元凶が何を言っているのです」

 

「正確には僕じゃなくて殺生石が元凶だけどね。……とはいえ君達退魔師からすれば同じことか」

 

 かちゃり、と音を立てて薙刀が再度構えられる。

 

 これ以上無駄に話すつもりはない。さっさと要件を言えという意思表示。

 

 刃は時として言葉よりも雄弁である。常に敵対という指向性を帯びてしまっているが、その方向に関してだけは他の何よりもわかりやすい言語となる。

 

「目的なんてないさ。―――ただ、何となくここに惹かれただけなんだ。だからさっきの質問に対する答えを僕は持ち合わせていない」

 

 感慨深げに、左目の石に触れる三途河。

 

「そう、何となくなんだ。だたそれだけなんだよ」

 

「何を言っているのです?」

 

 冥は本気で首をかしげる。また誤魔化そうとしているのか。だが、この少年の誤魔化し方にしてはユーモアが無い。

 

「さあ。僕にもよくわからないんだ。僕は何を言っているのだろうね」

 

「成程。まともに答えるつもりはないのですね」

 

「そういう訳じゃないんだけどな。でも信じてくれないのも仕方がないね。理屈で説明できないものは人を納得させるに値する説得力を付加できないからね」

 

 どこか楽しんだ表情を浮かべる三途河。

 

 わからないと言いながらも、その感覚を、その未知さを楽しんでいる、そんな表情だった。

 

「……!!待て!」

 

 突如、前触れもなく諌山冥は三途河に対して切りかかる。

 

 一瞬で距離を詰め、横一文字に薙刀を振るう。華麗で美麗な一閃。

 

 得体のしれない相手が故に迂闊な接近戦は挑みたくなかったが、仕方がない。

 

 完全に獲ったと思わされるようなタイミングの一撃。並みならば気が付かぬうちにあの世行の鋭い一撃。

 

 だが、

 

「逃げるのですか!」 

 

『逃げるんじゃないさ。帰るだけだよ』

 

 切られて人型に二つに分かれた青い光の蝶が空を舞う。死の調を思わせる不気味でありながら見惚れるほど美しいその蝶々。

 

  切り裂いたそれには実体がなく。華麗に舞うそれはつまり、冥の一撃が当たらなかったことを雄弁に語っていた。

 

 逃げる気配を感じたために切りかかったが、どうやら一歩遅かったようだ。

 

「ちょこまかと……!」

 

『今回は普通にお暇するよ。これ以上ここにいても知りたいことが知れるわけでも無いみたいだし、本当に用事があったわけじゃないからね』

 

 また同じ言葉を繰り返す。用事があってきたわけではないと。

 

 ふざけるな、と冥は思う。用事がなくこれだけの災害を巻き起こすなど、まともでは無い。

 

 まともでは無いのは十二分に知っていたが、それにしても馬鹿げている。

 

「待て!」

 

『待てと言われて、と返すのはあまりに芸が無いかな?―――じゃあね諌山冥』

 

 その言葉とともに、蝶が空へと完全に舞っていく。伴って消える不思議な圧力。

 

「……逃げたか」

 

 冥は三途河が完全にこの場から去ったことを確信して構えていた薙刀をおろす。

 

 何もせずに消えていった。つまりは本当に、なんの用事もなくここに現れたというのだろうか。

 

 拍子抜けしながらもふう、と一息ついて、近くの石に座り込む。

 

 途端に感じるヒヤリとする服の感覚。知らずのうちに冷や汗をかいていたことに今更ながら気が付く。

 

 どうやら自分は自分で思っている以上に緊張をしていたらしい。

 

 ()()()()()()()()とどこか冥の本能に近い部分が警鐘を鳴らしているかのようだった。

 

(出来れば、あまり相対したくはないですね)

 

 認めたくはないが、諌山冥は何処かあの少年に苦手意識があることを自覚していた。

 

 土宮家の当主を下している少年だ。勝てないなどと言うつもりは毛頭ないが、相対しないに越したことはない。

 

 あのまま戦闘になっていたら、下手をすると計画が頓挫するところだった。

 

 しっとりと汗をかいた自分の手のひらを見つめる。

 

 計画はもう実行段階に来ている。

 

 自分の計画だとばれないよう細心の注意を払った。事が起きても自分の仕業だとは絶対に気が付かれない自信がある。

 

 あとは目覚めるのを待つだけでいい。もっとも、あと一週間も猶予はないだろうが。

 

「このタイミングで倒れるとは、運が無いですね」

 

 ぽつりと、冥が呟いた言葉。それは暗闇のしじまへと浸透し、煙が霧散するかの如く闇の中へと消えていった。

 



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第20話 -神楽とカテゴリーD 2-

遅くなりました。
次の話はうまくいけば今日中に投稿します。


「はぁ、はぁ……」

 

息が上がる。

 

別に100m走を何度もしたわけでも、それこそ25mプールを何度も泳いだわけではない。

 

すでにその疲れはある程度癒えている。水泳で鍛えた体は数十分も前の疲労で息を切らしたりはしない。

 

だというのに。

 

荒い呼吸が止まらない。

 

止めようとしても、止めなくてはいけないとわかっていても収まってなどくれない。

 

汗が滲む。体が震える。

 

「みく、怖いよ……」

 

「やっち……」

 

ロッカーの中。水着姿の二人は体を寄せて震えていた。

 

こつ、こつと迫るハイヒールの足音。それは死神の足音のごとく一歩一歩近づいてくる。

 

いつもは強気な真鍋美久も、この状況では借りてきた猫のように、いや、その猫にすら追い詰められるネズミのように震え、怯えていた。

 

しかしそれは仕方がないことだ。

 

彼女たちは特別な訓練を受けた人間ではない。

 

恐怖に耐える訓練も、自分を抑える訓練も何もしていない。神楽や黄泉のように、このような緊急の事態に備えて来た人間ではないのだ。

 

彼女たちがしてきたことなど部活動で単に体を鍛えることぐらい。だというのにこの状態で冷静にしていろという方が無理な話である。

 

足音が近づいてくる。

 

人間の耳は優秀なもので、両方の耳が正常に聞こえているならばその音がどの方向か、どのくらいの距離なのかをある程度把握することができる。

 

特に静寂に満ちた空間では顕著であり、そしてそれが二人をかえって苦しめる事となっていた。

 

「……!!」

 

二人は息を飲む。その音が自分たちの隠れているロッカーの本当に近くで止まったのだ。

 

すぐ近く。もしかすると目の前にいるかもしれない。

 

そんな恐怖に怯えながら二人は息を殺してロッカーの中で互いに抱きあう。

 

抱き合うことしばし。

 

祈りが通じたのか、その足音は自分たちの方から離れていった。

 

ほっと息をつく。

 

死の恐怖から開放された二人は冷や汗を流しながらも体の力を抜く。

 

助かった。そう思った瞬間、

 

「「きゃあぁぁぁぁぁ!!」」

 

ガンガンとロッカーが叩かれる。

 

異常なまでの轟音がロッカー内に響く。

 

殴られているのはロッカーなのにまるで自分たちが叩かれているような錯覚に陥る。

 

怖いという感情すら浮かばない。

 

感情を理解する暇もない。できることと言えばただただ自分を守ろうと必死に体を丸くすることだった。

 

何度も何度も鉄パイプがロッカーに叩きつけられる。まるでロッカーごと潰して来るかのように、何度も何度も。

 

「―――ふっ!」

 

いつまで続くかもわからないような地獄。

 

それから二人を救ったのは、どこか聞き慣れた少女の声と、鉄パイプと何か有機物が床に叩きつけられる音だった。

 

------------------------------------------------------------

「―――ふっ!」

 

 舞蹴を一閃させる。

 

 もう息を吐くように行えるようになった動作。最初は重かった舞蹴も、今や既に私の一部と言っても過言ではないくらいになっている。

 

 そんな舞蹴を一閃させれば、カテゴリーDの腕くらい断つことは容易だ。それこそ目をつぶってだってできる自信がある。

 

 このままもう一太刀を浴びせればそれで終わる。

 

 女の子が入っているロッカーを叩き続けていた凶悪なカテゴリーDを除霊することができるのだ。

 

 ただ刃を振るう、それだけで解決する簡単なこと。

 

 そう、簡単なこと。簡単なことなのに。

 

 

「ダメ……来ないで……」

 

 刃が震える。

 

 カタカタカタカタと、音を鳴らして鋼が揺れる。

 

 隠しきれない心の動揺を、刀身の震えが雄弁に主張する。

 

 瞳が揺れる。呼吸が乱れる。

 

 苦しくて、視野が狭まる。見えているはずで、すべて視界には収まっているはずなのに。

 

 それでもその世界を見たくなくて、否定したくて。

 

「お願い……やめて……」

 

 ヒールの音が一歩一歩近づいてくる。こつ、こつと、ゆっくり、私に向って明確な殺意を持って歩み寄ってくる。

 

 腕を切られているというのに、痛みなど全く感じさせないゆったりとした歩み。

 

 普通に日常を生活するかのような歩みで距離を詰めてくる。

 

 それもそのはず。私が相対しているのはカテゴリーD。怨霊化した人間の死体。怨霊に操られた、もはや人間ではない《《モノ》》なのだから。

 

 退魔師ならばどんな相手であろうと、毅然として刃を向けなければならないことはわかっている。いつも言われているし、心がけてもいる。

 

 どんな状況で、どんな場面で、どんな相手であろうと。向けるべきものは駆逐の意思であり、決して動揺であってはならない。退魔師が背負うのは人類の命であり、それを守る責任なのだから。

 

 だが、そうは言っても、わかっていても―――。

 

「先生……っ」

 

 簡単に割り切れる訳がない。

 

 だって。私の目の前で動いている《《モノ》》は。

 

 私がこの手で腕を切り落としたカテゴリーDは。

 

 私の、好きになった先生なのだから。

 

 足が後退する。後ろに一歩、二歩と下がっていってしまう。

 

 ダメだ。下がってはダメだ。でも、でも。

 

「……人の世に、死の穢れを撒くものを退治するのが私たちの使命。人の世に死の穢れを撒くものを退治するのが私たちの使命」

 

 念仏のように唱える。

 

 助けて。誰か助けて。

 

「人の世に死の穢れを撒くものを退治するのが私たちの使命。人の世に死の穢れを撒くものを退治するのが私たちの使命」

 

 嘘だ、いやだ。なんで、どうして。

 

 動揺で足が震えているのがはっきりとわかる。

 

 たぶん、瞳も揺れ動いているだろう。はたから見れば異常なまでに震えているに違いない。

 

 気丈に振舞おうとしたけど、とても無理だ。

 

 こんなの、耐えられない。斬れる訳がないよ……。

 

 助けて、助けて。黄泉、凛ちゃん……!

 

 正直、どうにかなってしまいそうだった。

 

 でも、退魔師として磨いてきた経験というのは非常に優秀で、同時に残酷だった。

 

「―――うぁぁぁぁぁぁ!」

 

 刀が一閃する。

 

 この緊張状態からは申し分のない一撃。たぶんこの状況下でなら満点解答のそれだった。

 

 私にとっての満点解答。それはつまり相手にとっては致命的なことで。

 

「……っう」

 

 綺麗なまでに真っ二つになった先生の姿。

 

 それを私の体は、拒絶した。

 

 胃の中のものが逆流する。受け入れたくない現実を吐き出すかのように、溢れ、零れていく。

 

 まるで体のすべてがしぼりだされるかのような、そんな感覚。

 

―――痛い。痛いよ……。

 

 斬ったのは私なのに。手にかけたのは私なのに。

 

 私の心は、まるで私自身が両断されたかのように痛みを主張していた。

 

------------------------------------------------------------

 

「神楽!!……くそ、遅かったか……!!」

 

 血が各所に飛び散る廊下を走り、俺は神楽のいる教室に飛び込む。

 

 都内各所に発生したカテゴリーD、Cの群れ。

 

 本当にとんでもない量が発生しており、俺もその制圧に参加していた。

 

 低級の怨霊ばかりであったため駆除にそこまで労力を要しはしなかったが、その量が異常であり、対策室では手が回らないという状況であった。

 

 なので新米である俺も一人で持ち場を持たされて駆除していた。なかなかソロで除霊を任されることは少ないのだが、それだけ人材が不足しているということなのだろう。

 

 俺の持ち場が片付いたので次の指令を求めて携帯を開くと、一つ気になる霊力分布図が送られてきていた。

 

 それは一つの中学校。よく名前を聞いたことのある、聞き覚えのある中学校だ。

 

 その名前を見た瞬間俺は走っていた。俺の持ち場からも近いし、何よりもそこは神楽の学校だったのだ。

 

 なんで走ったのかは俺にもよくわからないけど、なんとなく嫌な予感がしたのだ。

 

 果たして、その嫌な予感は当たってしまった。

 

 教室に飛び込むと同時に感じる酷い血の臭い。

 

 この臭いだけはどれだけ経験を積んでも、どれだけ強くなっても慣れることが出来そうにない。

 

「神楽、神楽!大丈夫か!」

 

「けん、ちゃん」

 

 呆然とした顔をしながらも神楽はこちらを振り向く。

 

 へたり込む神楽の前にあるのは生命を失ったことが一瞬でわかる―――元々死んでいたのだからこの表現が適切なのかはわからないが―――女性の死体だった。

 

 まだ自分には難しいような綺麗な切り口で一刀のもとに両断されている、女性の死体。

 

 カテゴリーD、怨霊化した人間の死体。それがここにあるということは。

 

 それを神楽が切ったということだ。

 

「けん、ちゃん、けんちゃん!」

 

 俺がぼけっとしていると、神楽が俺に抱き着いてくる。

 

 飛び込む、という表現が一番適切な勢いで、生まれたての小鹿のように震えながら。

 

「……神楽」

 

「けんちゃん!けんちゃん……!」

 

 痛いぐらいの力で俺の腕をつかみながら、俺の胸に頭を埋めて涙を流す。

 

 まるで幼い少女のように、まるで無力な少女のように。

 

 退魔師土宮神楽ではなく、一人の少女が俺の胸の中で泣いていた。

 

―――今まで、神楽はカテゴリーDを切れなかった。

 

 俺とかからすればあんなものそこらの物体と変わらないのだが、神楽からすればそうではなかったらしい。

 

 彼女にとって、あれは人間だったのだろう。決して、簡単に切れる《《モノ》》ではなかったのだ。

 

 そして―――

 

(神楽、お前が《《斬った》》のってもしかして……)

 

 抱きしめてあげようと思い手を背中に回そうとすると、後ろからキィ、という音が聞こえてくる。

 

「……!!」

 

 とっさに首だけで後ろを振り向く。

 

 瞬間的に頭に浮かんだのは怨霊の残党。この異常事態だ。まだ怨霊が潜んでいても全くおかしくはない。

 

 そう思い戦闘態勢に移行しようとしたのだが、そこにいたのは駆逐すべき怨霊ではなく、水着姿の一般人だった。

 

「……先生」

 

 そう行って立ち尽くす彼女らが出てきたのはボコボコにされたロッカーだった。

 

 なぜドアが開いたのか不思議なほどにボコボコにされたそれから、二人の女の子が出てきたらしい。

 

「一般人……?えっと、君らは……」

 

「土宮……?」

 

 理解できない、といった顔でこちらを眺める二人の少女。

 

 その二人の視線は神楽に向けられている。

 

 名前を知っている、ということは恐らく知り合いなのだろう。

 

「神楽の知り合い……か?」

 

「そう、だけど。何で土宮がここにいるんだよ……」

 

「えーっと……」

 

「先生はどうなってるんだよ……なんで土宮が剣なんかもってんの……?」

 

「えっと、それは。とにかく少し落ち着いてくれ」

 

 茶髪の女の子が話しかけてくるが、俺はあまり口が上手い方じゃないため、しどろもどろになってしまう。

 

 こんな時に桜庭さんとか岩端さんとかがいてくれたら楽なのに。

 

「事情はもう少し後でくる人達が説明するから、ちょっとだけ今は待ってくれないか?」

 

「待ってって、そんな」

 

「理解が追いついてないのはわかる。でも少し落ち着いてくれ。……いや、落ち着ける状況じゃないっていうのはわかるんだけどさ」

 

「この状況で落ち着けって……?そもそもあんた誰なんだよ?」

 

「俺はなんていうか、神楽の仕事仲間?みたいなもんで……、とにかく、君たちが危ない目にあうことはもうないから安心してほしい」

 

 首だけを女の子たちの方に向けながらなだめるという不思議なことをやりながら神楽の背中をたたいてあげる。

 

 本当になんでこんな時にあの人(凛さん)は倒れてやがる……。こーゆーのはあんたの仕事だろうに。

 

 

 

 そのあとも色々と言葉を投げかけてくる女の子をなだめながら、到着してきた桜庭さんたちに説得は任せ、何とかこの場は凌ぐことができた。

 

 ただ、神楽と女の子二人の間にできた溝は、なかなか埋まりそうにない。そんな、印象を抱かせた。

 

------------------------------------------------------------

 

「―――誰だ」

 

 熱で朦朧とする頭と意識の中、俺は部屋の隅に向かってそう問いかける。

 

 部屋の中には誰もいない。居るのは本当に俺だけだ。

 

 だが、何かが確実に存在する。何故かわからないが俺にはそれがわかる。

 

 殺生石に近づいたときのような、そんな不快感が俺の中に存在している。その感覚が告げる。

 

―――俺にとって良くないものがこの部屋にいると。

 

『ほう、気がつくのか。やはりお前はこの世界の中でも異物のようだ』

 

 ふわりと、意識が歪むかのごとく。まるで最初からそこにいたみたいに突然白髪の、白スーツをまとった筋骨隆々の老人が部屋に現れる。

 

 180は優に超える長身に、土宮殿クラスの体格。非常に威圧感のある男だが、正直今回そんなことはどうでもいい。

 

 明らかに人間ではないことがすぐわかるだとか、そんなことも正直どうでもいい。

 

 それよりも、

 

「土地神……?」

 

『お前と私は初対面のはずだが、それもわかるのか。本当に貴様は規格外の人間なのだな』

 

 なぜ、土地神が俺の前に姿を現す。

 

 土地神。それは()()()()で最終巻付近で登場した存在。

 

 こいつは決して喰霊-零-の中の登場人物ではない。漫画の、喰霊-零-の数年後を描いた作品の終盤で登場するキャラクターなのだ。

 

 こいつは最終版の剣輔達の前に姿を現し、世界の終わりに関する重要な情報を教える役目を持った存在だ。

 

 それが、今俺の目の前に現れている。これは、一体どういうことだ。何故こいつが俺の眼の前に居る。

 

 本気で理解が追いつかない。何故、こいつが……?

 

 こいつは喰霊-零-の時間軸で出てきていいわけがないというのに。

 

「なんであんたが……?」

 

『本当なら現れるつもりはなかったのだがな。個人的にお前に興味があって今日は現れた』

 

「興味があって、だって?」

 

 本気で困惑する。

 

 黄泉の粥のおかげか熱が多少下がってきたとはいえ、まだ39℃を超えている。

 

 そんな頭で思考し続けるが、本当にこの男が俺の目の前にいることに疑問しかわかないのだ。

 

「神とやらがなんで俺に興味を持つ?それにあんたの登場は……」

 

 もっと、後のはずだ。

 

 そう言いかけた言葉をのむ。

 

『そう邪険にするな。今日は別にお前にとって悪い話をしに来たわけではないのだ』

 

「悪いけど、何故か知らないけど俺はあんたに()()()()()()()を抱いてる。邪険にするなって方が無理だな」

 

『嫌悪感?お前と私は初対面のはずだが。……いや、成程。そういうことか』

 

「……なんで納得するんだ?よくわからないがとにかく、残念ながら俺はあんたに良いイメージを抱けないらしい」

 

『ふむ。それもお前の自己防御の術なのだろうな。ますます興味深い』

 

 顎に手を当て、そう呟く土地神。

 

「自己防御……?」

 

『あくまで推測だがな。お前は我々神をして解明のできない謎の多い存在だ。私が語ることもあくまで推測に過ぎん』

 

 戦闘は非常に頭を使う。一瞬にして生死が入り乱れるその瞬間を的確に把握しなければならないのだから、勉強なんて比ではないくらいに頭を使う。

 

 だから俺も頭を使うことには慣れているつもりだったが、こいつの言葉は殆どが理解できない。

 

 本気でこいつは何を言っている……?

 

『訳が分からない、といった顔だな、小野寺凛』

 

「当たり前だ。ここで訳が分かる人間がいるか」

 

『それもそうだな。だが、こう言えば察しがつくのではないか?―――この世界に生まれるはずのない異分子(イレギュラー)よ』

 

 理解が出来ていない俺に向けて。

 

 理解が出来ていないまま目の前の男はそう告げたのだった。



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第21話 -小野寺の真実-

今回は回答編。賛否別れるかも。



「……は?」

 

 自分の口から出たとは思えないほどの間抜けな声。それが耳についてようやく、自分がその声を出したことに気が付く。

 

 イレギュラーとこいつはそういった。この世界に生まれるはずのないイレギュラーと。

 

 思わず瞬間的に言葉を失う。

 

 そして、次の瞬間にはこいつが言っていたことの意味を理解する。

 

「……!!」

 

『察したか。―――仮にも我々は神だ。お前がどういった存在なのかということぐらい、当然に把握している』

 

 絶句する。多分おれの今の顔は黄泉辺りに見られたら笑われ、バカにされること間違いなしだろう。

 

 それほどまでに衝撃を受けている。

 

 つまり、こいつは知っているということだ。

 

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「……知ってやがんのか」

 

『当たり前だ。―――我々は神。この世界の秩序と法を司る存在なのだから』

 

「……」

 

 再度絶句する。

 

 まさか、こんなこと想像すらしていなかったのだ。当然だろう。まさか、ばれているとは。

 

「……それで?そんな法と秩序の番人さんが俺の目の前に現れて何をするって?弱ったところを闇討ちか?」

 

 なんとかいつもの調子でそう語り掛ける。

 

 熱と動揺で万全ではないが、体裁ぐらいは整っているだろう。そういう訓練は常にしてきている。

 

『先程も言っただろう?そう邪険にするなと。私は単純にお前に興味があってきたのだ、小野寺凛』

 

 ……。興味があって、か。

 

 そんな言葉を使う輩にいい思い出がない。三途河しかり三途河しかり三途河しかり。碌な目にあわされた記憶がないのだが。

 

『お前がイレギュラー的な存在であることを我々は把握している。―――だが、何故お前が生まれたのか、何故お前が存在しているのか、我々には全く分からない。存在してはいけない存在であるお前がなぜ我々の世界に生まれ落ちたのか、全くわからないのだ。だから、お前に興味がある』

 

 淡々と語る神。

 

「万能の神様でもわからないことがあるんだな」

 

『我々神は万能ではない。私もまたシステムの一部にすぎん。だからお前に尋ねに来たのだが、お前も自分の出生についてはわからぬのであろう?』

 

「……まあな。むしろ俺も知りたいくらいだよ」

 

 これは本心だ。

 

 なぜ俺がこの世界に生まれ落ちたのか。誰がこの世界に連れてきたのか。

 

 偶然なのか、それとも誰かの意思が介入していたのか。

 

 俺の想像ではこの世界の神々が引っ張ってきた可能性が一番高かったのだが……どうやら、違うらしい。

 

「……俺の予想だとあんたらが俺を引っ張ってきたものだと思ってたんだけどな」

 

『それだけは無いと断言しよう。むしろ我々はお前にとっての敵対者だ。そう分類できる位置にいるのだから』

 

「敵対者、ね。邪険にするなと言った割には邪険にされる口実与えてんじゃないの?」

 

『我々、と言っただろう。私単体としてはお前に敵意は持ち合わせておらん。私の役割はあくまで選択を見守ることだ』

 

 ……こいつは土地神と名乗っていはいるが、こいつもまたシステムの一部。

 

 人間が定義する神とは乖離している。この世界に全知全能の神というのは存在しない。

 

 世界自体の意思みたいなものは当然存在する。例えば、九尾のシステムも世界の意思だ。人間の憎悪が限界点を突破すれば、その憎悪を世界がくみ取り、人間を滅ぼす。

 

 世界の浄化システムが九尾。世界が自分を守るためのシステムだ。

 

『世界を動物に例えればお前はこの世界という生物の中に生まれてしまった癌だ。よって世界はお前の存在を許せない。許してはならない。認めてしまえば世界自体が危ういことになりかねない』

 

「癌、ね」

 

『言い得て妙だろう?何故、何時できるか全くわからないものだというのに、取り除かなければ死に至るのだから。それが、この世界にとってのお前なのだ、小野寺凛よ』

 

「……俺は世界を壊すつもりも、壊すような実力もないけど?」

 

『本当にそう言えるのか?この世界が辿るべきであった運命と、お前が描いた筋書。一体どれだけ乖離している?』

 

「……」

 

 この世界は元の運命、つまりは奈落さんも冥さんも、舞さんも黄泉も死ぬあの世界からは随分と乖離している。

 

 この世界に漂う憎しみは、発露されるまでもなく、その大本自体が存在しなくなっている。かく言う、俺がつぶしたのだ。

 

 確かに、その観点に立てば俺はこの世界を壊していると言えなくはない。むしろ、俺が世界を作り上げてしまっているとも言える。

 

『我々からすればお前は異物だ。体内にあるだけで煩わしく、不快に感じる存在だ。それが運命を捻じ曲げているなど到底許せることではない。存在だけで有罪なのに、さらに罪を重ねているのだから』

 

「そりゃあ悪かったな。でも異物を排除しようともせず放置してたのはあんたらだろ?俺が癌だというのなら、早期対処が病には一番効果的だって知らなかったか?」

 

 多少バカにしたように笑いながら俺はそう言う。

 

 有害と言う割にはこいつらは何の対策も講じていない。害だというのなら切除するなりなんなりすればいい。

 

「それこそ生まれた時に不慮の事故かなんか起こすとか、そうじゃなくたって色々方法は考えられるだろうに。そうだな、例えば五体不満足に生まれ変わらせたり、例えば―――」

 

 そこまで言ったところで俺は話すのを中断する。

 

 いや、()()()()()()()()()話を中断させられたという方が正しい。

 

 話しながら、俺は一つの仮説に行き当たった。

 

『例えば、どうした?』

 

「おい、てめぇ。まさか……」

 

―――その仮説から、決して一つの仮説ではない、相当数の仮説が生まれてくる。

 

『ほう、流石に理解が早いな。お前が言いたいのはこうか?例えば、―――持って生まれた才能を使えないようにしてしまう、とかな』

 

 目の前が真っ白になるような錯覚にとらわれる。

 

 まさに、図星だったからだ。

 

『お前のその霊力量、人間の身には過ぎるものだ。今の退魔師で、いや、歴代の退魔師でもそれだけの化け物染みた霊力を持つ者など居やしない』

 

 世界が俺に対してなんの干渉も介入もしてきていないものだと、そう勘違いしていた。

 

 だが違う。本当は―――

 

『生まれた時からお前はこの世界に嫌われている。最も過酷な、最も成長の見込めない状態に落とされているのだ、小野寺凛。―――世界の抑止力は、お前の存在を決して認めはしない』

 

 

 俺は、()()()()()()()()()()、世界に干渉され続けていたのだ。

 

 

------------------------------------------------------------

 

『貴様も気が付いているだろう?貴様の中に眠るその霊力の桁違いさを』

 

「……あぁ」

 

『一般の家庭にお前を産み落としてもその霊力だ。間違いなく過去最高の退魔師として貴様は大成したであろう。どんな不遇な過程にあっても、お前の潜在能力ならば確実に貴様は最強の退魔師を名乗ることを許されたはずだ』

 

「……」

 

『だからお前は小野寺に生まれた。身体の才も大してなく、お前が何故か持つその霊力も完全に殺し切る唯一の家系である小野寺にな』

 

「……そういう、ことか」

 

 俺は以前、この霊力量が生まれ持って手に入ったチートなのではないかとそう考えたことがある。

 

 なぜならばこの霊力量は異常だ。黄泉5人分でも軽く足りないだけの量があると、黄泉に本気で僻まれたことだってあるぐらいなのだ。

 

 だが、小野寺の術式にはそんな大層な霊力があっても文字通り何の役にも立たない。

 

 なんせ、小野寺の霊力は本当に霊力を消費しない。俺は生まれてこの方、戦闘において持てる霊力の一割を消費したことすらない。

 

 それは俺が特別だとかそういう意味ではない。

 

 小野寺の術の性質上、膨大な霊力とは本当に()()()()()()()なのだ。

 

「一般家庭も含めて、ほかのどの家系と比べても一番俺の才能を活かせないのがここ小野寺だった……そういうことだな?」

 

『その通りだ。……お前が五体満足の赤子として生まれることは世界が気が付く前に決定していた。その上で受け皿に干渉するとなると、その候補は一つしかなかった。そう、()()()()()()()()()()なのだ』

 

 ピースが繋がる。

 

 俺は、小野寺として生を受けたことを非常に良かったと思っている。本当に両親にも環境にも恵まれたし、可愛い妹だってできた。

 

 もう一度生まれなおすとしてもここに生まれたい。そのぐらいにこの家族に俺は愛着を抱いている。

 

 ……だが。

 

 俺の才能的には。俺が退魔師として生きていく上では。最低の、宿り先だったということだ。

 

『それだけではない。お前が言う、早期対処など我々はいくらでも手を打っている』

 

 例えば、とこいつは続ける。

 

『お前は人生で異性から言い寄られたことがあるか?』

 

「……それ、この話に関係あんのか?」

 

『無いと思うか?』

 

「……何回かあるよ。それ以外は無いな」

 

『ふむ。それで?その子はどうなった』

 

「……あんたは俺の恋愛相談をしに来たのか?まぁ真面目に答えるとその子達はもう―――っ!!」

 

 そこまで言って俺は気が付く。

 

「―――おいてめぇら!まさか……!!」

 

 実は俺に言い寄ってくれた女の子達は数人いる。いや、数人って言い方は失礼に当たるか。

 

 俺に言い寄ってくれた、告白してくれた女の子は2人、いる。

 

 両方とも可愛い子で、好みのタイプであったことを覚えている。でも。

 

 もう既にこの世にはいないのだ。

 

 一人は告白の返事を待ってくれている間に交通事故で。一人は癌に侵されて助からない状態で告白してくれた。

 

 二人とは殆ど面識がなかったし、俺はその時余裕がなくて二人の気持ちにこたえることもできなかったが、普通に考えて異常だ。

 

 俺に告白をした女の子が死んでいるのだ。それも二人。

 

 こんなの、偶然とは思えない。

 

 殺しやがった。そう思って土地神を本気で睨みつけるが、土地神は首を振って否定する。

 

『落ち着け。我々が直接手を下したわけではない。原因と結果が逆なのだ。お前に告白をしたから死んだ、のではなく、死ぬ運命にあったからお前に恋心を抱けた、というのが正しい』

 

「……は、ぁ?」

 

 さっきから思考が追いつかない事ばかりだ。とてもじゃないが理解が追いつかない。

 

「死にかけじゃないと俺に惚れられないって?吊り橋効果のことでも言ってんのか?」

 

『全く違う。―――小野寺凛。種を滅ぼすにはどうすればいいと思う?』

 

「種を、滅ぼす?」

 

 またしても唐突な問いかけ。だが、おそらく今までの流れ的に意味はあるのだろう。

 

 思考を再度巡らせる。

 

 熱は既にどこかに行ってしまった。39℃を超えていることは間違いないが、今はそんなこと気にしている余裕がない。

 

「……俺が思うに、種族を滅ぼす方法は大きく分けて二つ考えられる」

 

 一本指を立てる。

 

「一つは真正面からの虐殺。その種という種を手段を問わずその代ですべて駆逐することだ」

 

 正直に言ってほぼほぼ不可能なことではあるが、殺しつくすと考えた時に間違いなく選択肢の一つにはなり得る。

 

「方法はなんでもいい。核をぶち込むもよし、毒を使うもよし。可能なら一人ひとり肉弾戦で潰していく、なんていうのもありだ」

 

 他にも内輪もめを誘発する、なんていうのもありだ。人間に限った方法ではあるが、一網打尽にすることもできる。

 

―――だが、これよりも確実な方法がある。

 

 行うことができればという枕詞は当然必要だが、どんな種でも、どんなに強い体や優れた知性を持つ種であろうとも間違いなく殺しつくすことのできる方法が。

 

 二つ目は、と言って指をさらに一本立てる。

 

「二つ目は種の保存を不可能にすること。つまりは子孫を残せなくすることだ」

 

 これは正直、かなり効く。

 

 相当なロングスパンで考えなければならないが、種を残せなくしてしまえば、その種はいずれ死に絶える。

 

 最後の世代なるものが誕生してしまうのだから、その世代が死に絶えればあとは自ずと消えさっていく。

 

 そして―――

 

「……そういうことか。結果と原因が逆転してる……。確かにその通りだ。これだろ、お前の聞きたかった回答は」

 

『聡明だな。その通りだ、小野寺凛』 

 

 ぱちぱちと拍手をしてくるのが本気で頭にくる。

 

 やつとしては感心しているらしいが、俺としては面白くない。本気で面白くないのだ。

 

『お前は異物だ。世界にとっての敵だ。―――そんな存在がこの世界に子を成せる訳があるまい』

 

 世界から嫌われた、世界の抑止力に阻まれた人間が、その世界で根を下ろせる訳がない。

 

 つまり、俺はこの世界で子を成すことができない。

 

 俺が異性から性的な興味を抱かれていないのはそれが原因だ。

 

 女性は強い男に惹かれる。それは優秀な遺伝子を自分の子孫として残したいからだという。

 

 俺の顔面がいかに整っていて、頭も悪くなくて、腕っぷしが強くても。いかに一見優秀そうに見えても。例え俺の遺伝子がいかに優秀でも。

 

―――俺と子を成すことは、世界の抑止力が許さないのだ。 

 

『よって我々が手を下さずともお前はそのうち最後の一人となる。この世界にとっての異物は、お前からすれば一生と感じる年月であろうと、我々からすれば一瞬と感じる時間のうちに消えてなくなるのだ』

 

 ……理解したよ。死ぬ運命にある女の子は別に俺が世界の抑止力に苛まれていようが何だろうが関係ないもんな。その子は死ぬんだ。抑止力なんかからは解放されてるだろうよ。

 

 だから、告白してくれた。好きになってくれたのだろう。

 

 発想の転換だが、多分俺に()()()()()興味を持ってくれている人間は死の運命にあると考えても悪くなさそうだ。

 

 ……聞いて回りたくはないけどな。

 

『他にも抑止力はお前に色々と重荷を課している』

 

「……あ?」

 

『疑問に思ったことはないか?お前の努力量で何故その程度の実力しか得ていない?何故お前は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?……全ての答えはそこにある』

 

 思ったことは何度もある。血反吐吐くような努力をしても黄泉に及ばないこともあった。神楽にもぬかされそうになっている。

 

 そして、戦闘になんてほぼ一切参加していない母親に俺は術の使い方で負けている。それも、結構圧倒的に。

 

 それを俺は才能の一言で片づけていた。そして、それは諦めなどでもなく、客観的な事実からそう判断していた。

 

 だが―――

 

「……つまりてめぇらは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、―――まさかそういいたいのか?」

 

『そういうことだ』

 

「―――クソ野郎がぁ!!!」

 

 血が、沸騰する。全身の血が一瞬にして蒸発するかの如く熱を持ち、体を駆け巡る。

 

 俺はベッドから飛び上がり、目の前の男に切りかかる。

 

『無駄だ。お前では私は殺せん』

 

「ふざけんな!俺が、どんな思いで!どんな覚悟でここまで来たと思ってやがる!!それをてめえら如きの勝手な都合で奪ってやがっただと!?ふざけんじゃねぇ!!」

 

 俺の攻撃は何度も何度も空を切る。

 

 切っているはずなのに、確実に刃はこの男に当たっているのに、すり抜けて完全に当たらない。

 

「てめえらにとって害だのなんだのと!そんなの俺が知ったことか!!てめぇらのただのエゴだろうが!!」

 

 当たらない。いや、当たるはずがない。

 

『止めろ。お前ならわかっているはずだ』

 

「……っつ!!クソが!」

 

 こいつは高位の存在。九尾や天狗と同じ、特殊な条件が揃わなければ倒すことは不可能な次元の存在なのだ。

 

 本気で、近くにあった椅子を蹴り飛ばす。

 

 ごん、というしっかりとした感触が骨まで響いてくる。

 

 壁にとてつもない勢いでぶつかり、騒音を立てて壊れる椅子。物に当たるなどガキのやることだが、今回ばかりはどうしても抑えきれなかった。

 

『落ち着いたか?』

 

「……落ち着いてると思うか?」

 

『とても思えんな。だが、言っただろう。私個人としてはお前に敵意はないのだ』

 

「お前が俺に敵意を持っているかどうかは正直どうでもいい。今の俺の興味は、お前らをどうやったら倒せるのかってとこに向いてる」

 

『面白いことを言う男だ。―――なら、まずはお前の対となる存在を倒さねばな』

 

「対、だと?」

 

『そうだ。対となる存在。それを倒せば世界に対する反逆ともなるだろう』

 

 少し、怒りが冷めてくる。

 

『この世界は最も自然にお前を排除する方法として、お前に対となる存在を宛がった。お前を最も自然に殺すため、そのためだけに。それが何か、お前には心当たりがあるのではないか?』

 

―――君と僕の邂逅は偶然じゃない。多分、これらは全て必然なんだ。

 

 遺憾ながら美しいと評するのがふさわしい、そんな声が俺の耳の中でリフレーンする。

 

―――僕は確信したよ。いずれ訪れる大きな転換点において僕らは必ず対峙することになる。恐らくは、いや、間違いなく敵同士としてね。

 

 あの公園で。あの時に三途河が話した内容。

 

―――僕の敵役は君で、君の敵役が僕なんだ。

 

「三途河、カズヒロ……!」

 

 そう。あいつは確かに言っていた。

 

 あいつも確証は得ていない様子だった。それを確かめるためにあいつは俺を待っていたのだから。

 

 だが、それでも薄々あいつは気が付いていた。俺の敵が自分で、自分の敵が俺なのだと。

 

『世界が選んだお前の敵、それがあの少年だ。お前とあの少年の間にどういう因果があるのかはわからんが、それが最も自然だと世界が判断したのだろう』

 

 もっとも、彼自身その自覚は無い筈だがと土地神は言う。

 

 ……納得がいった。

 

 世界の抑止力とやらは俺ではなくあいつにどうやら味方をしているらしい。

 

 俺という異分子が現れたおかげで土宮舞を救うことができたが、あいつの術の実力は異常の一言に尽きる。

 

 いくら殺生石のバックアップを得ていると言えども、13のガキが使えるような術ではないことを多々やらかしている。

 

 それが、()()()()()()()()()もあってのことというのなら納得だ。つまりはあいつに成長補正のチートがかかっているのだ。こっちは成長鈍化のデバフが付いているというのに。

 

 ……くそったれ。この世界はとことん俺に楽をさせてはくれないらしい。 

 

『世界は理に反しない方法で異物を排除する。例えば交通事故や風邪、不慮の事故などだ』

 

「……おい、まだあんのか。もうお腹いっぱいだぞ」

 

『今回のお前の症状も、世界の抑止力によるものだ』

 

「……この熱も、か」

 

 ベッドに戻りながら、そう返答する。

 

 こいつの話を聞きながら、そうじゃないかとは思っていたのだ。

 

『お前は既にこの世界で一個の生命として確立しつつある。それも普通の人間や退魔師などより遥かに深く強く。そんな存在を排除するのは並大抵の抑止力では不可能だ』

 

「……それで?」

 

『直接体調を害するなど普通は理に反すると言われてもおかしくはない。成長の阻害とは異なり、はっきり目に見えるレベルの干渉だからな。世界としてももうなりふり構っていられる段階ではなくなってきたのだ。―――これからは、お前を排除するために手段を選ばないだろう』

 

「……でもあいにくこの程度じゃ死にそうには無いけど?」

 

『その熱はあくまでも今後のための伏線だろう。お前を殺すために最も自然な状態を作るためのな』

 

「へぇ。随分と親切なんだな。敵側の俺に対してさ」

 

『何度も言わせるな。私はお前を別に敵視しているわけではない』

 

 三途河が俺の対。

 

 まるで原作(喰霊)の神楽と黄泉のようだ。

 

 思わず笑ってしまう。

 

 だけど、かなり納得がいった。

 

 恐らく俺の持つ狂戦士としての一面。あれも世界からの抑圧とやらを避けるために俺の防衛本能が作り出したものなのかもしれない。

 

 訓練中に不慮の事故で、なんていうことを避けるために。

 

 それに―――

 

「あんたとか殺生石に対して嫌な感じがするのも仮説が立てられた。多分、俺の体が警告してるんだろうな。俺を殺すものに近づくなってさ」

 

 多分、間違いないだろう。俺の防衛本能が近づくことを拒否しているのだ。

 

『ほう。そんなものを感じていたのか。やはりお前は規格外なのだな。ますます興味が湧いた』

 

「そりゃどうも。規格を決めてる側に言われても正直嬉しくはないけどな」

 

 少し調子を取り戻してきて、軽口をたたく余裕が出てきた。

 

「それで?こんだけ親切に色々教えてくれたわけだけど、あんたは見返りとして俺に何を求めるんだ?まさか本当に親切心で教えてくれたってわけじゃないだろ?」

 

 神とやらに俺は良い印象を持っていない。それは今日の1件でより強固なものとなった。

 

『それもあるが、最初から言っているだろう。私はお前に興味があるのだ、と』

 

 興味、ね。

 

 それは何をすれば満たされるものなんだか。

 

『―――取引をしないか、小野寺凛』

 

「取引?言っとくけど、フェアな取引は求めないでくれよ?あんたらは俺から色々奪ってきたんだ。俺が答えてやる義理はないぞ」

 

『わかっている。お前にとって決して不利になるものではないと約束しよう』

 

「……聞こうか」

 

『何。そう難しい話ではない。本当に簡単な話だ。

―――試練を乗り越えて見せろ。小野寺凛よ』

 

「……」

 

『当然ただでとは言わん。―――1つだけ、お前に奇跡をやろう。一晩だけの、泡沫の奇跡だがな』

 

 

 

 

 

------------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

「……そんなことが、可能なのか?」

 

 提案された奇跡。それは俺にとって願ってもないものだった。

 

 俺の願いを叶えるためには喉から手が出るほど欲しい、そんな奇跡だ。だが、実現可能だとはとても思えない。土地神にそんな能力があるなんて聞いたことがない。

 

『可能だ。お前は言わば理にのっとった世界の抑止力に圧迫され続けているようなものだ。それを緩めてやるだけでいい』

 

「言うは易いだろうけど……。それに、あんたらは俺に直接干渉できないんだろ?そんなことしたら理とやらが……」

 

『だから、一晩だ。それだけしか私が世界の抑止力を無効化できん』

 

 一晩。ほんとに泡沫の奇跡だな。これだけはく奪しておいて、返すのは一瞬なんてな。

 

 けど、

 

「……成程。乗った。面白そうだ」

 

 乗るに決まってる。

 

「再度聞くけどデメリットは無いんだな?」

 

『約束しよう。お前は言霊を発するだけでいい』

 

 そう言うと土地神は壁に向かって歩いていく。

 

『さらばだ、小野寺凛よ。お前の選択、楽しみにしている』

 

「選択ってももう決まってるけどな。さっき言ったとおりだ。あんたの読み通りにはならないよ」

 

『期待しよう。―――そして試練を超えて()()となれ、小野寺凛よ』

 

 そう言って土地神は壁の中に消えていく。

 

 唐突に現れて唐突に消えていった。

 

 ……嵐のような時間だったな。

 

 布団に倒れこむ。話に夢中になっていたせいで体があちこち悲鳴を上げている。あれだけの熱を出しながら暴れまわったんだから当然か。

 

 どっと熱による不調も押し寄せてくる。先ほどまでの頭の冴えが嘘のようだ。

 

「―――あーだる」

 

 緊張から解放された影響か、瞼がどんどん重くなってくる。

 

 ……世界の抑止力、か。

 

 本当に俺の人生、一筋縄じゃ行かないらしい。

 

 2度目の人生って言ったらチートを得てハーレムになるのがお約束だろうに、そのどっちも世界公認で剥奪されているというのだから驚きだ。

 

「……寝るか」

 

 ゆっくり瞼を閉じる。

 

 先ほどの話を反芻しながら、意識をまどろみの中へと落としていった。

 

 

 

……ちなみに、目を覚ました後、部屋の惨状について両親から問い詰められたのは言うまでもない。




今まで何人かが疑問に思ってくれてたことの多くが明かされる回です。
初期から暖めてた設定です。早く解放したくて堪らなかった(笑)
伏線(この回答にはたどり着けないと思うけど)は結構散りばめてたので、この話を見たあとに見直してみるといいかもしれない。


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第22話 -起こる未来-

4か月越しの更新。
内容飛んでる方は是非前話から見直してください。
そして今回もちょっと内容がぶっ飛ぶので、あれ?ってならないようにご注意ください。

さあ。三章のラストスパートがかかります。
私が書きたかったこの一幕。是非お愉しみください。。


「……これは、どういうことです?」

 

 ゆっくりと降りしきる雪の間を、冥の言葉が進んでいく。

 

 疑問と困惑。そんな白とは無縁の感情が乗せられた声が、純白の雪の間を潜り抜けて眼前の二人に届く。

 

 血だらけのまま近くの岩に腰掛けている男と、雪の中でもその強さを欠片も揺るがさずに凛として佇む黒髪の乙女。

 

 冥が発したその声は、雪にさえぎられることなどなく、確かな重みをもってその二人に届けられた。

 

「見ての通りですよ、冥義姉さん。貴女の目の前には獅子王を抜いて、貴女に向けようとしている女がいる。……ただ、それだけの話です」

 

 黒髪の乙女の頭にはうっすらとではあるが雪が溜まっている。

 

 それはその場から一切動いていないことの証左。

 

 降りしきる雪の中、極寒の環境の中、身震い一つすることなく佇んでいることの何よりの証明。

 

「何故?と聞きたそうな顔ですね。……剣輔君が気づいてくれたんですよ、貴女が仕組んだこの一幕に」

 

 黒髪の乙女はそう続ける。

 

 10月にも関わらず降り注ぐ雪の中で、その寒さに震えることすらなく、ただ一途に目の前の()を見据えている。

 

「───だからこちらも仕組ませて貰いました」

 

 そこで、初めて黄泉の隣に腰掛けていた男が口を開く。

 

「……全く、やってくれますね。俺の行動を全部計算に入れてるとか……。完全にしてやられましたよ。……正直、屈辱だ」

 

 着ている防寒着はあちこちが破れ、赤い染みがそこから広がっている。

 

 防寒着の役割を果たせているのだろうかと疑問になるほどの裂傷がそこら中に走っている。

 

 そこから流れる血も、彼の体を芯まで冷やすのに何役も買って出ているであろう。

 

 だが、男も寒さなど度外視したかのように、それ以上の感情に身を焦がしていた。

 

「剣輔が気づいてくれなきゃどうなってたことか。……あと神楽にも感謝しなきゃな。あの子が居なきゃ、()()に俺は殺されてた」

 

 本気で悔しそうに、辛そうに。

 

 いつも飄々として自分の感情を見せない彼にしては珍しく、本気で感情をあらわにしている。

 

 その傷も、その寒さも。その激情の前には何の意味も示さない。

 

 そんな凛を見て黄泉は優しく微笑み、敵意を持って冥に再度顔を向ける。

 

「……冥義姉さんが、私のことを快く思っていないことは知っています。養子でありながら、諫山を継いだ私のことを」

 

 かちゃり、と刀が鳴く。

 

 名刀「獅子王」。諌山家に代々伝わる、千年もの歴史を持つ由緒正しき宝刀。幾多の敵を切り裂き、無数の修羅場を所持者と共に潜り抜けてきた伝説級の一品。

 

 それが、ゆっくりと肩の高さまで上げられていく。

 

「でも、それを引き摺って、諫山の名を背負えずに生きていくのは絶対にごめんです。だから───」

 

 一拍おいて、黄泉は紡ぐ。

 

「───勝負しましょう。私と、貴女で、諫山を賭けて」

 

 終焉をもたらす、その言葉()を。

 

 二人の関係を明確に切り裂く、何よりも鋭いその(言葉)を。

 

「ベットするのは互いの命。()()()()()()()()()()()()()()()。その結果がなんであれ、それは勝負の結果に生まれたもの。正々堂々、相手をねじ伏せて諫山を奪う。……そんな、勝負をしましょう」

 

 迷いも逡巡も躊躇いすらない。

 

 息を吐くかのように、正気の沙汰とは思えないようなセリフを黄泉は紡いでいく。

 

「……黄泉、一体貴女は何を言っているの?そんなこと、許されるわけがないでしょう?」

 

「その通りです冥義姉さん。こんな馬鹿げたこと普通は許されない」

 

 黒鉄の刀身に雪が降り注ぎ、ほんの少しではあるがその厚さを増していく。

 

 僅かばかりの幅しかない刀身に雪が積もるということは、その持ち主が欠片も動かずにその刀身を構え続けていることを表す。

 

 つまりそれは、黒鉄の刀身を持つ少女は一切揺るぐことのない意志の下でその刀身を相手に向けているということを指していた。

 

「分かっているなら尚更貴女は何を言っているの?そんなこと、あまりにも馬鹿げている。……普通じゃない。気でも狂いましたか?正気の沙汰とはとても思えません」

 

 それを理解しながらも、冥は一般論を紡ぐ。

 

 一般論とは便利なものだ。正論に近しいものがあり、その弁を受ける相手の芯が定まっていない時、相手に有無を言わさぬ力を持つ。

 

 だが。

 

「ええ。冥義姉さんの言うことは最もです。気が触れていると思われても仕方がない。……普通じゃ、ない」

 

―――それは相手が並みである場合に限る。

 

「そう、普通じゃないんですよ冥姉さん。まるで爆心地の巣をつついたかのような、対策室を総動員しなければならない程の怨霊の大量発生。しかも、絶対に守り抜かなければならない結界の一つは、私や凛が死を覚悟しなければならないレベルの戦場。……そんな状況、普通な訳がない」

 

 北海道にて行われた今回の作戦は過去最大クラスの規模を誇るものであり、対策室が東京から出ていかなければ北海道は壊滅の危機にあったといっても過言ではないものであった。

 

 九州などの遠方地を除いて、各支部の室長候補も今回は参戦しており、各々が浅くない傷を負っていると言えばその大きさもしれるであろう。

 

 現に、小野寺凛も浅くない傷を負っている。彼が相対した存在が規格外であったことを考慮に入れても、今回の一見はそれだけの大きさであったということだ。

 

 そう、そんな異常な状況なのだ。

 

「そんな異常な状況なんです。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

ーーー例え、この場で誰かが殺しあったとしても、その事実はこの異常事態により上書きされる。。

 

「……でもここには小野寺凛がいるでしょう。その()()()()はきかないでしょう」

 

 だが、諌山冥は反論する。

 

 人知れず死んでいたのならばまだしも、ここには小野寺凛が、目撃者がいるのだ。怨霊に殺されたなどという嘘は通用しなくなるからだ。

 

()()()()冥義姉さん。凛がいるからこそ死体があっても怪しまれない。凛が怨霊の仕業だと証言すれば、私たちのどちらが死んだとしても、諫山の怨恨で争ったことを互いに怪しまれることは無い」

 

 だが、諌山黄泉はそれを否定する。

 

 小野寺凛が見ている、つまり第三者が目撃しているという状況。

 

 それは事実ありのままの証言を引き出せるということでもあり、同時に虚飾に満ちた事実を作りだす人物が一人増えるということでもあるのだ。

 

 つまりは偽装工作の信憑性を高める人間が一人増えるということ。そして小野寺凛はまさに嘘の証言をするためだけにここに居るのだ。

 

「……そういう、ことですか」 

 

「ええ。そういうことです。―――そう、凛はこの場において最もフェアで、同時にアンフェアな存在なんですよ」

 

 納得した、とばかりに嘆息する冥。 そう。この場において、小野寺凛は最も矛盾をはらんだ存在なのだ。

 

 小野寺凛は諌山黄泉と約束をした。

 

 あの月の綺麗な、美しく輝くあの晩に。

 

 二人で広縁で語り合ったあの晩に。

 

―――二人の殺し合いのことを決して口外せず、勝ち残った方を支援するように、と。

 

 もし諌山冥が勝ってもその事実を公言せずに諌山冥を支え、諌山を二人の子供に託してほしいと。

 

 もし諌山黄泉が勝ったなら今まで通り諌山黄泉を支え、ともに戦ってほしいと。

 

 そう諌山黄泉は願い、小野寺凛は承諾した。

 

 それが諌山の命運を託すという言葉の意味。

 

 黄泉を贔屓することも、冥を贔屓することもなく。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()あることを望まれたのだ。

 

 だからこの場において凛は諌山黄泉と諌山冥の二人に対しては最もフェアであり、同時に()()()()()()()()()()()()()に対して最もアンフェアな存在なのだ。

 

「凛が約束を違える男ではないことは冥義姉さんも知っているでしょう?この人は私たちを裏切らない。たとえそれがどんな結果になろうとも、彼は私たちのために最善を尽くしてくれる」

 

 黄泉は小野寺凛という男が約束を違えることのない存在だと確信しているし、冥が凛に信頼を寄せていることも知っている。

 

 ここにすべての条件は整った。

 

 誰にも見られることは無く、誰にも邪魔をされることはない理想的なシチュエーション。

 

 正々堂々と、一対一で信念をぶつけることのできる状況。これ以上に二人にとって最善の状況はこれから先存在しないであろう。

 

 そう。だから。

 

「───だから、つべこべ言わずに私と勝負しろ、諫山冥。お膳立ては十二分にしてやったんだ。これ以上文句は言わせない」

 

 諌山黄泉は静かに、しかし苛烈にそう告げる。

 

 空気が震える。

 

 怒鳴り声でもなんでもない、静かでしかし明朗な声。しかしその声は威力をもって空間を震わせる。

 

「もう何も言わせない。私の道は私が決める。誰にも何も言わせてたまるものか。邪魔なんてさせてたまるものか」

 

 初めて黄泉は刀を構える。

 

 ただ突き出していただけの格好から、刀を振るうための格好に。

 

 敵意を示すためにしていたそれを、相手を殺すためのそれへと変貌させる。

 

 黒鉄の刀身を、冥に向けてゆっくり突き出す。

 

 分水嶺はとうに越えた。待つのはただの殺し合いのみ。

 

「―――構えろ諌山冥」

 

 降りしきる雪よりも冷たい、絶対零度の声。

 

 決別を意味したその声音で。聞いた誰もが震えあがる声色で。

 

「お前が諌山足らぬことを。そして私こそが諌山であることを」

 

 諌山黄泉は、 

 

「―――私の刀で教えてやる」

 

 諌山冥(彼女の敵)にそう告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

------------------------------------------------------------

 

「そうそう。これ難しく感じるんだけど、定義を理解していればそんなに難しくないんだよ。一回やり方を覚えちゃえば簡単だから、この機会に理解しちゃうといい」

 

「うん、理解したわ。ありがとう。でも、いっつも思うけど、なんでアンタこのレベルの問題解けるのよ。これ高校一年生が出来るレベル超えてるでしょ?」

 

「強いて言うなら一般の高校二年生でもいらないレベルだな。全国一桁台の化け物と競り合ってるとこういう知識が自然と増えていくんだよ」

 

 正確にはそれだけじゃなく前世の知識が大きいんだけど、とは絶対に口には出さない。

 

 環境省超自然災害対策室の一角。昼間であるが故に暇を持て余し、皆だらだらしている今この頃。

 

 ようやく一週間寝込むような風邪から復帰した俺は仕事場で黄泉に数学の問題を教えていた。

 

「つうか黄泉は大学に行かないんだろ?なんで大学行かないのにこのレベルの問題にチャレンジしてんの?流石に中間とか期末でも出ないでしょこんなレベル」

 

 黄泉に教えてほしいと言われていた他の問題に目を通しながら、俺はそう問いかける。

 

 教えてくれと言われたのはパッと見るだけでも相当な難易度を誇る問題ばかりで、ある程度の難関大学に挑戦でもしない限り縁がないような問題ばかりだ。

 

 とても普通の高校でやるような問題には見えない。というより受験生だってやらないような問題も含まれている。

 シュワルツの不等式なんて言われて知っている人間が何人いるかという話だ。多分文系の99.9%は知らないだろう。

 

「……まぁちょっとね。大学に行ってみようかなぁなんて思ってみたり」

 

「……え?大学?行こうと思ってんの?何で?」

 

 日本語的におかしいかもしれないが、少し驚愕する。

 

 黄泉が大学?なんだそれは。

 

 喰霊-零-の流れだと、高校卒業と同時に家督を継いで紀之と結婚し、この道に完全に入りなおすんじゃなかったか?

 

 ……俺の記憶が薄れている可能性も否定できないが、それでも断言できる。俺が覚えている流れで間違いなかったはずだ。

 

「あくまで行こうかなって話よ?紀之がね、言ってくれたの。行ってもいいんじゃないか?って」

 

「紀さんが?でもそれって黄泉からその話を持ち掛けたってことだろ?」

 

「まぁそうね。……どっかの誰かさんが大学に行って官僚になって私たちを支えたいなんて言うから触発されちゃったのかもね」

 

 ほら、私って成績は優秀な方だし、と黄泉。

 

 ……どっかの誰かさんって間違いなく俺じゃん。こんな所で俺の存在が影響を与えてるのか。

 

「でもさ、黄泉は高校卒業したらさっさと家督継いだ方がいいんじゃないか?」

 

 それを望むやつも多いだろうし、立場的にもそっちの方が安定するだろう。

 

 学業に現を抜かして云々、みたいな小言も言われにくくなるわけだし、別にわざわざ大学に行く必要もないだろう。

 

「俺が思うに学歴っていうのは一つのツールなんだよ。なんの実力も目的もない奴が取り合えず得ておくには最高の称号で、かつ実績だ。そしてそれが結構後々の人生で役に立つことになる。……でも、黄泉には当てはまらないだろ?」

 

 主観だが、大学を出ておくのは人生経験としてありだと俺は思う。

 

 正直堕落することが多いのが大学生活ではあるが、同時に得るものも多いのがあの世界だ。少なくとも俺はいい経験が出来たと思う。

 

 だが、それは自分の道が決まっていない人間にとっての話だ。

 

 大学でこれを本気で学びたい!ということが決まっているのならば当然大学は選択として正解だが、黄泉のように学歴なんて一切関係ない世界に生きている人間にとって、大学は足かせになる可能性がある。

 

 行ったからには単位を取らなければならないし、四年間通わなければならない。

 

 立場のある人間である黄泉にとって、それは足かせになるはずだ。有っても無くてもいい称号のために4年間を無駄にする必要は別にないだろう。

 

 特に黄泉は繊細な立場なわけだし。

 

「個人的な意見にはなるけど、行く必要あるか?俺としては行かずにさっさと家督を継ぐことをオススメするかな。黄泉には別に行くメリットがないと思う。退魔師と大学の両立ってキツいだろ?」

 

「それはわかってるんだけどね。でも、今も女子高生と退魔師の両立をしてるわけだし変わらないでしょ?」

 

「……まぁそれは確かに」

 

「それに、凛はやるつもりなんでしょう?なら将来の退魔師筆頭として負けてられないかなってね」

 

 穏やかに、しかし少々凄みのある笑みを浮かべる黄泉。

 

 この笑みは俺に対して黄泉が時々向ける笑みだ。

 

 恐らくは対等に見てくれているという事なのだろう。しばしば俺に友好的でありながら敵意も含めた目線を飛ばしてくるのだ。まさに今回のように。

 

「まぁあと一年以上あるわけだし、ゆっくり考えるわ。教えてくれてありがとね。また聞くー」

 

 そういって参考書を閉じる黄泉。

 

 ……ゆっくり考えるとか言いつつその本気の入れ具合は明らかに答えが決まっているよな。なんて野暮なツッコミは俺の胸にしまっておこう。

 

「そういえばさ」

 

「ん?」

 

「室長候補たちが今度東京に集まるって話知ってる?」

 

「え?マジで?」

 

 この業界でも俺は情報通な方だと自負しているが、その情報は今初めて聞いた。

 

 室長候補。それは対策室の各支部においてトップをはる事を有望視されている人材のことだ。

 

 室長候補たちは喰霊-零-には登場せず、原作である喰霊において登場した存在だ。なので室長候補なんて言われてもピンと来ない人が多いだろう。

 

 その実力は折り紙付きであり、俺と黄泉でも結構苦戦するレベルではある。つまり一般の退魔師に比べれば化け物クラスの若者たちだ。

 

「俺って一応室長候補のはずだよな。何にも聞いてないんだけど」

 

「私だって聞いたの昨日だもん。急遽決まったらしいわよ」

 

「あー。殺生石だなんだって結構あったもんな。その元凶も俺に直接コンタクトとってきてるわけだし、そりゃあってもおかしくはないか」

 

 ちなみに、俺と黄泉も次期室長候補であったりする。

 

 何か万が一が無ければ神宮司室長が引き続き室長を続けるが、万が一があった場合、引退した不死子ちゃんの次に役目が回って来る予定なのが俺ら二人だ。

 

 そして恐らく優先度が高いのは俺だ。周りからは黄泉が有力視されているが、室長が俺に色々教えてくれてるのも含めると、多分俺になるだろう。

 

 黄泉は立場が重い人間だし、前線に立つことこそ求められる役割だ。

 

 一方で俺は家督のしがらみなんてないし、実力的にも家柄的にも非常に扱いやすい人材なのだ。

 

 だからあくまでも俺の予想ではあるが、本当に万が一があった場合なるのは俺だろう。そう予測している。

 

「凛は各支部の室長候補にあったことあるんだっけ?」

 

「帝君は何回か。それ以外は一回だけぐらいかな。正直殆ど知らない」

 

 ちなみに「帝」とは退魔師会でもかなり有名な家系であり、あの土宮と対を成す家系だ。

 

 土宮が裏の実力者だとすると、帝は表の実力者。

 

 歴史の表に出て事象を解決するのが帝家で、裏方で荒事を担うのが土宮だ。本当にやばいくらいの事が表立って起こった時、俺たちは帝家の指示を仰ぐこともあるらしい。

 

「正直室長候補って面倒なんだよなぁ。なまじ実力があるからプライド高いし」

 

 室長は結構この業界で力を持っているため、当然それに選ばれるような退魔師は非常に腕がたつし、頭も切れる奴らが多い。

 

 流石に黄泉と比べれば数段落ちるにせよ、神童と言われてなんら遜色のない若者たちだ。

 

 こっちが友好的に接しようとしてるのに、そっけなくされたり喧嘩腰で来られたりすることが有ったりもしたので、正直あまりいい感情は抱いていないのだ。

 

「そういうこと言わないの。丁度一か月後の土曜日に会合が開かれるんだって。わかってるとは思うけど凛も呼ばれてるわよ」

 

「それはわかってるけどさ……。どうせメインで話すの俺なんだろ?」

 

「そこまでは聞いてないけど、可能性は高いわね」

 

 はぁ、と溜息をつく。

 

 わざわざ東京に人を集めてまで話すような内容何て特にないんだけどな。

 

「とにかくわかった。今度その会合があることだけは覚えておくよ」

 

「よろしくお願いね。私としても凛が居ると結構助かるから」

 

「あいよー」

 

 首を鳴らしながら黄泉にそう返答する。

 

 実を言うと俺の体調はまだ万全ではない。

 

 のどの痛みだとか吐き気は既に治まったものの、あの高熱は時折再発し、訓練もままならない状況だ。

 

 今は平熱だが、体の切れはいつもの半分にも達していないし、いつあの高熱が再発するかわからない。

 

 世界の抑止力とやらが原因なのであれば、恐らくこれは何度でも再発する。

 

 何かしらのターニングポイントを乗り越えない限り、俺にとって最悪な形で何度も降りかかるのだろう。

 

 黄泉には体の調子が万全でないことを悟らせないようにはしているが、喰霊-零-時点の黄泉よりも明らかにスペックが高くなっているこの黄泉がどこまで騙されてくれているのかが不明だ。

 

 気が付いていて黙っていてくれる可能性も往々にしてあるし、俺がそれに感づいているということも考慮して対応している可能性もある。

 

 神楽もなんだかしれないけどやたら鋭いし、剣輔も絶対原作(喰霊)より有能だ。

 

 ……嬉しいことのはずなんだが、素直に喜べない。いや、本当に素直に喜ぶべきことなんだけどな。

 

「さてと。私今日実は非番だし、お暇するわね。勉強教えてくれてありがとー」

 

「お前非番だったのか。まあいつでも聞いてくれ。わかる範囲で教えるよ」

 

 手をプラプラさせながら「お疲れさまでーす」と言って出ていく黄泉。

 

 何気なく話した室長候補が東京に訪れるという話。

 

 それが後に重大な出来事を引き起こすきっかけに使われるとは、この時の俺は想像もしていなかったのだった。

 



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第23話 -東京の室長候補生-

お待たせしました。


「お代わりください」

 

「はいはい。ホントによく食べるわね凛は」

 

「はっはっは!男の子がよく食べることはいいことだ。凛、本当に遠慮せずにどんどん食べなさい」

 

「すみません奈落さん。お言葉に甘えていただきます。……ん、ありがと」

 

 そう言って俺は黄泉から差し出されたお椀を受け取る。

 

 ここは諌山邸。皆さんがよくご存じの、家主が惨殺されたあの諌山邸である。

 

 そこで俺と剣輔は晩飯をごちそうになっていた。

 

「美味い美味い」

 

「……まだ食うんすか、凛さん」

 

「うむ。まだまだ行ける」

 

「ホントに凛ちゃんってご飯美味しそうに食べるよね。なんか見てて気持ちいいぐらい」

 

「そう?ま、二人のご飯が美味いからだよそれは。こんなに美味いのはなかなかないぞ」

 

 料理に舌鼓を打ちながら白米をかきこんでいると、神楽からそう言われたので本当に思っていることを返す。

 

 確かに俺はご飯を美味しそうに食べる方だとは思うが、それ以上に二人の手料理のクオリティが半端じゃないのだ。

 

「天ぷらはサクサクで脂っこくないからいくらでも食べれるし、生姜焼きだって焼き加減と味付けが絶妙だし、ご飯だってこれ土鍋で炊いてるんだろ?そりゃ箸が止まらなくなるって」

 

「何言ってるのよ凛は。褒めてくれるのは嬉しいけど、千景さんの料理には及ばないわよ」

 

「凛ちゃんのお母さん料理上手いもんねー」

 

 そう言いながらも満更ではなさげな顔をする獅子王系女子と舞蹴系女子。わかりやすい。

 

「おかわり」

 

「……もう四杯目よ?相変わらずたべるわね。燃費が悪いってのは本当なのね」

 

「そう思うだろ?明らかに動いた以上のカロリー摂取してるはずなのに太りも何もしないんだから不思議だ」

 

「女子からすれば羨ましい限りだけどね。はい、凛。剣輔君も食べる?」

 

「……じゃあ最後一杯だけください」

 

 嬉々として茶碗を受け取る俺と、少し青ざめながら茶碗を受け取る剣輔。

 

 剣輔も俺達のしごきでカロリーを消費しているからか、平均よりは随分食べる方だが、俺のペースに合わせて食べるのは流石に無理があったらしい。詰め込み方を間違えれば吐きそうだなこいつ。

 

 吐きそうになるなら食べなければいいんじゃ……?という声が聞こえてきそうだが、実はそうもいかないのだ。と、いうのも俺たちと一緒の卓に座っている奈落さんにある。

 

「剣輔君もいい食べっぷりだ!強くなるためには食らわねばな。さぁ、どんどん食べなさい」

 

 そう言っておかずを俺と剣輔の方にどんどん寄せてくる奈落さん。

 

 どうやら俺達の食べっぷりが気持ちよかったらしく、食事が始まった辺りからやけに上機嫌でどんどん食事を勧めてくるのだ。

 

 地元に帰った時の「やたらご飯やお菓子を食べさせたがるじいちゃんばあちゃん」を思い浮かべた人が居るだろうが、まさにそれだ。

 

 ここまで嬉しそうにご飯を勧められると正直かなり断りづらいのだ。なんというか、断ったら申し訳なくなくなってしまうというかね。

 

 端正な顔一面に「もうやべぇ……」という言葉が表れている剣輔を見ているのは愉快だが、流石に可哀想なので先ほどから密やかに剣輔のおかずを奪って手伝いをしてやっていたりする。

 

 実は、退魔師業界は意外と男が少ない。

 

 正確に言うと、一人で前線を張れるような強い霊力を持った男というのは本当に稀有で、東京という大都市ですら俺と剣輔ぐらいしか居ないのだ。

 

 そのためなのか何故なのか知らないが、結構俺と剣輔は各方面の老齢の方々から目を掛けてもらっており、正直結構良くしてもらっている。

 

 奈落さんもその一人であり、今回も何故か突然晩御飯に誘われたという訳だ。

 

 やっぱり昔気質な所がある退魔師の老人達としては男の子というのは扱いやすく、女の子よりは親近感があるのだろう。

 

 「男だから」の一言で無茶をさせても大丈夫なのが男だしな。正直俺としても「神楽と剣輔のどちらをやばい状況に対応させるか」と考えた時に、実力という点を度外視すれば剣輔を推すだろう。

 

(強いのは本当に女ばっかだからなぁこの世界)

 

 強い男も居るにはいるが、結構パッとしない。各支部の室長候補も強いことは強いけど、その室長候補達も女の割合が高かったりする。

 

 一人で戦況を変えられるような、黄泉みたいなのはそれこそ俺ぐらいしか居ない訳だ。

 

 

 

 

 ちなみにだが、何故俺が黄泉の家でご相伴に預かっているのか、疑問に思った方も居るだろう。

 

 それを説明するには、話を数時間ほど前に戻さなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

「―――と、いう訳で今回の臨時集会は東京の虎ノ門にて行われることになりました。予想しているかとは思いますが、対策室からは諌山黄泉、小野寺凛に代表として参加してもらいます」

 

 16時頃、少し日が暮れて、夜を迎えようとしているぐらいの時間帯。

 

 茜が差す対策室の仕事場に、俺達は全員で席に着き、二階堂桐の言葉を静かに聞いていた。

 

「各支部の室長クラスが一堂に介する今回の会議は非常に重大で、重要なものになります。そのため警備も非常に厳重になり、諌山黄泉、小野寺凛以外の全対策室メンバーにも警備役として出勤が義務付けられています」

 

「開催は合計で三日間なんだけど、皆には連日出勤してもらわなきゃいけないの。休みの人も居たのに、ごめんなさいね」

 

 内容は先日黄泉と少し話していた「室長候補」が一堂に介するという会議の話。俺が参加を渋っていた一件である。

 

 まさか本当に招集されるとは……。本当に俺あいつらみたいなの苦手なんだよ……。

 

「建前上、今回室長候補が召集された理由は先日より発生している異常気象についての情報収集、意見交換が目的だとされています」

 

「本当に建前上なのよねぇ。本当の目的は別にあるんじゃないかしら」

 

 そういってチラリと俺を見る室長。

 

 その視線に気が付いた黄泉も俺をチラリと見てくる。

 

「二人の勧誘、ですか」

 

「そう。可能性は凄く高いわ。現に今の段階でもかなりの数の支部からスカウトが来てるのよ。黄泉ちゃんが居るのに凛ちゃんまで在籍させておく必要があるのか、って」

 

 悩まし気な表情をして手を頬に当てる室長。

 

 室長が断固として突っぱねているため俺は少ししか聞いていないのだが、俺をスカウトしたいという輩は一定数存在するようなのだ。

 

 この業界はどこも人手不足だ。剣輔のような一般人上がりの退魔師が出てくるなんて、それこそ一年に数人居るかどうかくらいで、基本は退魔師の一族からしか退魔師は誕生しない。

 

 だと言うのに東京には非常に恵まれた人材が集結している。

 

 諌山黄泉を筆頭として、俺、神楽、冥さんが東京には居る。そして最近だと剣輔まで対策室に加わった。

 

 アニメとかだと全然描写されていなかったが、退魔師の世界は縄張り意識が結構あり、「その縄張りが如何に力を持っているか」みたいなことを重視する老害が少なくない。

 

 そのため東京にそれだけの戦力が居るのは不公平だ、という言葉とともに俺や剣輔をスカウトして自分の縄張りを強化しようとしている奴らが居たりするのだ。

 

 黄泉や神楽は家というバックがあるが、俺のような弱小退魔師一家で独身の男や、剣輔のようにそもそも退魔師一家じゃない奴は引き抜きがしやすい。

 

 だから俺達にはよく声がかかるらしい。そして俺が三途河の一件などで名を上げ、土宮、諌山とも深い交流がある、なんてことが知られてからは酷いという。

 

 そしてその俺が直々に指導し、最近頭角を見せてきた剣輔もその対象になりつつある。

 

 つまるところ今回の会議の目的は、当然情報収集もあるのだろうが「俺や剣輔に唾を付けておく」のが一番の可能性なのではないかと室長は推測しているわけだ。

 

「可能性無くは無いんだよなぁ。三年前に俺が入院した時なんか結婚の斡旋凄かったし」

 

「私が千景さんに押し倒されたときね。あの時は面白かったわー」

 

「当事者としては結構笑いごとじゃないんだけどね……。それで室長。”室長候補”って名前で表に出すのはどっちにするんですか?」

 

「凛ちゃんね。ウチとしても引き抜かれるのはごめんだから、売約済みって示しておこうかしらね」

 

「いい考えですけど、諌山家としては大丈夫なんですか?順当に行けば黄泉が室長になるのが妥当ですし、周りの反発とかもあるんじゃ?」

 

 室長の考えとしては俺を室長候補として前面に出すことで、「小野寺凛は渡す気が無い」と雄弁に主張するということなのだ。

 

 室長候補とまで名乗らせた奴を引き抜く、というのは少し考えにくい。例えるならば「婚約予定です!」と言っているカップルの一人を奪うみたいなもんだからだ。

 

 正直良い考えだけど、この古臭い業界では問題が生じる。

 

 将来の室長候補として挙げられているのは俺と黄泉であり、俺達内輪の間では俺だろうと言われているのだが、対外的にはそうではない。

 

 家柄のある奴が継ぐべき、という考えに基づいて行動してる輩が多いこの世界では「諌山がトップに立つべき」と考える奴が非常に多いわけだ。

 

 土宮は表に立つことの無い家系だから室長には据えられることがないが、諌山はその点問題ない。

 

 実力もあり、家柄もある。おまけに頭も切れて容姿まで整ってるから、上に据えておくのには最高の物件であり、周囲もそれを望んでいるらしい。

 

「大人の世界って面倒くさいんだね」

 

「”名称一つ”で揉めるのが大人の世界ってもんだ。神楽もこの先そういうのに巻き込まれてくだろうよ」

 

「一樹の言う通りだ。神楽も次第に慣れてかなきゃな。それで黄泉。この話、奈落さんには当然まだなんだろ?」

 

「うん、まだね。少し話したことぐらいはあるんだけど……。出来るだけ早く話さないといけないわね」

 

 うーんと唸る黄泉。

 

「凛、今日って時間ある?早い方がいいと思うし、今日話せないかお義父さんに聞いてみる」

 

「おーけー。問題ないよ」

 

 特に問題は無かったので、了承の意を伝えると、廊下に出て通話を始める黄泉。

 

 黄泉も俺も、たぶん奈落さんも”室長候補”なんて名前に拘りは無いのだが、神楽や一樹さん達が言う通り、大人の世界は面倒くさいのだ。

 

「しかし退魔師界隈もきな臭くなってきたな。嫌な予感がするぜ」

 

「そーですよね。何か最近おかしいっていうか……。俺も感じてたんですけど、岩端さんも感じてたんですね」

 

「ああ。霊力分布の異常といい、三年前からおかしくなってきてるな。何か大きいことが起きなきゃいいんだが」

 

 三年前。喰霊-零-の開始の時間帯だ。

 

 やばいことが起こるのは記憶で知っているが、何となくそれ以外の不安感がぬぐえない。

 

 あまりに喰霊-零-の流れから外れすぎてて正直もうよくわからん。三途河も喰霊-零-以上に暗躍してるし、本当に何が起こっても不思議じゃない世界になってきやがった。

 

「とにかく諌山黄泉、小野寺凛のお二人は身の振り方に注意してください。良くも悪くも、最近の退魔師界隈は貴方方二人を中心に回りすぎています」

 

「誰かの思惑ならあっぱれよね。何をするにしても異常なほど貴方達の名前が出るんだもの。仕組んでやっているとしたら天才だわ」

 

 おっとりとした声で室長が言ったその言葉。その言葉に俺は頭をハンマーでぶち抜かれたような衝撃を受ける。

 

 ……その通りだ。これがもし三途河辺りが仕組んでいるとしたら恐ろしい。

 

 本当に最近、俺と黄泉の名前が挙がる率が異常になっている。何をするにしても俺と黄泉の名前が各地で出ており、明らかに以前よりも俺たちの名前が広く知られるようになっている。

 

 俺達の功績を褒めたたえるような内容が大半であったために全く気に留めていなかったが―――寧ろ俺に関しては喜んでいた節があるが――― もしかすると少しまずい状況かもしれない。

 

 もしここで俺達が、何かとんでもない失敗でもやらかしたとしたら。それこそ、対策室で人死にでも出したとするならどうなるだろうか。

 

 バブルとは、弾けるからこそバブルなのだ。上がって上がって上がり続けた評判なんて、落ちるのは一瞬だ。

 

 もしそれを狙って誰かが色々流布しているとしたら結構厄介な――――

 

「凛、お義父さん今日は大丈夫だって。話ついでにご飯でもどうかだって」

 

 黄泉の登場と、話しかけられたことで俺の思考が中断される。

 

 いけないいけない。また考え込んでしまっていた。

 

 こんなの考えても仕方ないことだし、俺らが失敗しなければ何の問題もない。考えすぎだろうと思考を纏める。

 

 どうも最近色々と考え込みすぎてパンクしそうになってしまう嫌いがある。神様とやらに会った一件以来、神経質になりすぎているようだ。

 

「決まりね。ちなみに剣輔君も誘われてるんだけど、来ない?お義父さんが一回じっくり話してみたいんだって」

 

「俺もっすか?いや、俺は別に誘われる理由もないですし……」

 

「いーじゃん!剣ちゃんも来ようよ!」

 

 黄泉の家に行くことを快諾すると、どうやら剣輔も誘われたらしい。

 

 女の子の家に、しかも退魔師界隈でも有名なおっさんからの誘いとあって渋る剣輔の肩を、神楽が勢いよく揺さぶる。

 

 剣輔を色々と気にかけている神楽のことだ。剣輔には是非来てほしいことだろう。

 

「いーじゃん剣輔。俺も行くんだし一緒に行こうぜ。どうせ家帰っても飯作るの剣輔なんだろ?」

 

「……まぁそうなんすけど。なんつーか、奈落さんって俺あんま接点ないですし、緊張するっていうか」

 

「気にすることはないわよ。怒ると凄い怖いけど、基本好々爺然とした人だから」

 

「……怒ると怖いんすね」

 

 何となく気乗りがしていない剣輔を、俺と黄泉も援護射撃をして来るように促す。

 

 奈落さんとしてはその「室長候補」の名前程度の話し合いが目的ではなく、単に俺らと話したかったのだろう。結果として俺と剣輔は奈落さんの誘いに乗って黄泉の家に行くことになったという訳だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お主がその名を名乗ることは別に問題なかろう。何かあれば私の名前を出せばよい。私も少し動いておこう」

 

「ありがとうございます。それじゃお言葉に甘えさせてもらいますね」

 

 夕食後。五人で例の件について話していたのだが、あっさりと結論が出てしまった。

 

「ちょっとお義父さん。そんな簡単に決めていいことなの?」

 

「問題は無かろう。それに、黄泉、お前も凛が室長になることに反対してはいないのだろう?」

 

「うん。それはそうなんだけど……」

 

「黄泉。お前の心配はよくわかる。だが、ここはお義父さんに任せておきなさい。既にこの身はお前のように前線に立つことは叶わないが、矢除けぐらいになることは出来る」

 

「お義父さん……」

 

 貫録をもって言い切る奈落さん。

 

「今回ぐらいは私に甘えなさい。最近の黄泉は立派すぎて私の仕事が無かったからな。私としても張り切りがいがあるというものだ」

 

 はっはっはと高らかに笑う。

 

 ……安心感が違うなぁ。流石は死線を潜り抜けた大人、といったところか。この人なら任せても全く問題は無いだろうという安心感が半端じゃない。

 

 喰霊-零-もこの人が死んでからだからなぁ、一気に物語が動いたのって。

 

 逆に言えばこの人が存命だったら、あそこまで物語がこじれにこじれることはなかっただろう。

 

「どうぞもう一杯」

 

「おお、すまんな。頂こう」

 

 空になったお猪口に徳利から日本酒を注ぐ。

 

 俺も一口頂きたい衝動に駆られまくっているが、我慢だ我慢。

 

「時に凛。蓮司殿は元気か?」

 

「ええ、変わりありませんよ。最近は表の仕事が忙しくてあまり一緒に稽古は出来ていませんが」

 

 最近はめっきり親父と訓練をする機会が減ってしまった。この頃はもっぱら剣輔や黄泉達と訓練をしている。この後も道場を借りて一緒に鍛錬する予定だ。

 

「そうかそうか。最近顔を見ていなかったものでな。元気なら何よりだ。華蓮ちゃんはいくつになったのだ?」

 

「今年で2歳になります。元気いっぱいで大変ですよ」

 

 昨日も朝の5時にたたき起こされて遊びに付き合わされてしまった。おかげで寝不足だが、怒ったり断ったり出来ない俺はきっとシスコンなのだろう。

 

「それは良いことだ。小さな子が元気だと我々年寄りも元気になる」

 

 そう言って親戚のおじいちゃんが孫を見つめるときのような表情を浮かべる奈落さん。

 

 ……この人子供居ないし、華蓮とか凄く可愛く見えるんだろうなぁ。なんて思ってしまう。

 

 実際に非常にこの人には良くしてもらっている。誕生日にはプレゼントをくれたりもするし、各方面から甘やかされている俺の妹は幸せ者だ。

 

「私も生きているうちに孫の顔を是非拝みたいものだ。……黄泉、紀之君との子供はいつ見れるのだ?」

 

「ちょ、お義父さん!?」

 

 なんて思っていたら奈落さんがいきなり黄泉に爆弾をぶちかます。

 

 普段はこんなぶっこみ方をしない奈落さんだが、今日は酔っているのだろう。「お父さんが娘にしてはならない質問ランキング」のトップクラスに入るようなことを満面の笑みで聞き始めた。

 

 普段はしないような質問をされたためか、顔を真っ赤にして叫ぶ黄泉。

 

「それは俺も気になるな」

 

「私も気になる」

 

 顔を真っ赤にしている黄泉が面白かったため、俺がからかいのために追撃をかますと、神楽も即座に乗ってきた。

 

 流石我が妹分。素晴らしい追随だ。

 

「はっはっは!そう恥ずかしがるな黄泉よ。子供はいずれ出来るものなのだ。老い先が短い身として、楽しみにしてしまうのも仕方がないだろう」

 

「そういう問題じゃないわよ!」

 

「どうぞ奈落さんもう一杯」

 

「凛!悪乗りして飲ませない!」

 

 結構娘にする発言としてはアウト中のアウトだろうが、黄泉なら問題ないだろう。

 

 これは面白いと思って追加で飲ませて口の回りを良くしようと考えたのだが、残念ながら黄泉に怒られてしまった。

 

「おお、そう言えば聞くのを忘れていた。剣輔君、お主は神楽は付き合っているのか?」

 

「……っぶ!!」

 

「ちょっと奈落さん!?」

 

 飲んでいたお茶を吹き出す剣輔と、対象が移り変わって焦り始める神楽。

 

「良く剣輔君の話題を耳にするものでな。もしかしたらそうなのかと思っていたのだ」

 

「夕飯の時とかよく話してるものねー。あれ?この前一緒に買い物にも行ったんだっけ?」

 

「飛び火してきた!ちょっと、黄泉もやめてよね!」

 

 ここぞとばかりに一転攻勢に出る黄泉と、責められる側に回ってしまい、わちゃわちゃし始める神楽。

 

「そう言えばこの前も―――」

 

「わー!わー!もういいから!もういいから!!」

 

 そんな感じで、奈落さんの暴走は続き、果てには俺にまで飛び火して全員が全員火傷を負ってこの夜は終了した。

 

 とは言え皆楽しそうにしており、笑いが絶えない夜であったが。

 

 

 

 さてさて。そんな一幕があったせいで先ほどの「誰かが意図的に俺らの名声を高めているのでは?」という思考は意識の片隅へと追いやられてしまった。

 

 楽しい時間に違和感は駆逐されてしまったわけだ。

 

 どこか違和感を感じていたにもかかわらず、俺はその違和感を完全に気のせいと割り切って処理し、それ以上考えることはなかった。

 

 

 

―――数週間後、この時考えた内容を徹底して突き詰めておけばよかったと、絶望の淵で後悔することになるとも知らずに。

 

 




なんか毎回意味深な回になってしまって申し訳ないですね。
しばらくは肩ひじ張って読んでいただく回が多いかも。


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第24話 -全国室長候補会議-

おそく!なり!ました!
仕事係替えがあって大変で(笑)

原作(喰霊)キャラが出てきますが、知らない人はそこまで重要じゃないオリキャラが出てきたぐらいに考えてこの話は見てやってください。そんな重要なキャラクターではないです。


「それでは定刻になりましたので会議を始めたいと思います。司会進行は僭越ながら私、二階堂桐が務めさせていただきます」

 

 仰々しい、正に閣僚の会議なんかで使われるような円型のテーブルが設置された、無駄に金がかかっていることが一目でわかる設えの部屋。

 

 その部屋の司会進行が立つスペースに立つ二階堂桐が、凛とした声で忌々しいことに会議の始まりを告げる。

 

「まずは皆様、多忙の中お集りいただきまして誠にありがとうございます。室長である神宮寺に代わりましてまずは私から御礼を申し上げます」

 

 そういって二階堂桐は頭を下げる。とても10代の少女とは思えぬ落ち着きだ。俺も歳不相応に落ち着いているとの自覚はあるが、あいつは別格というかなんというか。

 

 そのまま会議特有の長ったらしい口上をサラッと述べ、一人一人に挨拶を促す二階堂女史。キャリアウーマン感が半端ないな。

 

 ……嫁の貰い手には苦労しそうだ。カズさん辺りが貰ってあげればいいのに。

 

 なんてあほなことを考えている俺が居るのは虎ノ門の一等地に立つ某ビルの最上階の方にある会議室だ。

 

 スーツをビシッと着込み「いくらかかってんだこれ?」と思うほど座り心地の良い椅子に腰を掛けて二階堂桐の司会進行を見守っている。

 

―――なんせ今日は全国室長候補会議。

 

 先日行われると言われていたそれに俺は参加をしているわけだ。

 

 ったく、めんどっちい。一応表面上は真面目に受けている様子を装っているが、正直帰りたくてたまらない。

 

 世間話とかをしたくなかったので、開催時間マジでギリギリに会議室に入っていったのが功を奏して試合前のジャブとかを喰らうことはなかったが、「こいつ遅くね?」みたいな視線が凄い痛かった。

 

 特に二階堂桐からは蔑みの目をはっきりと向けられたのが記憶に新しい。会議が終わったら説教を覚悟しなくてはならないだろう。

 

「……帝綜左衛門だ。よろしく頼む」

 

 室長候補が一人一人(と言ってもそんな数はいないのだが)挨拶をする中、ひと際目立つ男が挨拶をはじめ、一瞬で終わらせた。

 

 おお、帝綜左衛門だ。

 

 少し長めの白髪に、知的な眼鏡。冷たい系の美貌が好みな女性にはたまらないクールで知性的かつ端正な顔立ち。

 

 すらっとした長身と身のこなしは、無駄なく体を鍛えていることが伺える。これは一部の層の女性に人気でたまらないだろうなぁとか考えてしまう。

 

 帝惣佐衛門。漫画のほうの喰霊に出てくる主要人物で、喰霊の世界ではちかい将来関東支部の室長に就任する男だ。

 

 とは言え喰霊-零-だけをみていたひとだといっさいピンと来ない人物だろう。喰霊-零-には一切出てこないキャラクターだし。簡単に言うとこの男は、退魔師会で一番クラスに偉い家系の後継ぎ君だ。土宮より権力のある家の跡取りだと考えてくれればそれでいい。

 

 東京支部、つまりは関東の室長は俺が継ぐという話になってはいるが、将来的に関西支部のトップになるのはこの男だ。

 

 今は神宮司室長が関東支部の室長を務めているが、その前までは帝不死子(原作(喰霊)では峰不死子と名乗っているが)が関東支部の室長を務めていた。

 

 そう、つまりは帝家が西と東を牛耳っていた訳だ。現在はトップが変わったと言えど、帝の影響力が無いわけではない。土宮はもちろん、諌山、飯綱なども帝の分家だ。大体の退魔師の大本が帝であり、それだけ影響力もあるという訳だ。

 

 ちなみに小野寺はくっそ遠いが分家である。結構遠いのが小野寺の地位が低かった理由の一つだったりする(メインは強い退魔師がいなかったことだけど)。

 

「―――次に諌山黄泉さん。よろしくお願いいたします」

 

「はい」

 

 帝君の挨拶が終わった後、黄泉に振られる。

 

「諌山黄泉です。あまり東京を出る機会が無く、初めてお会いする方が多いですが、これを機によろしくお願いいたします」

 

 綺麗な声と綺麗なお辞儀で挨拶を終える黄泉。ちなみに黄泉はいつもの制服だ。

 

 黄泉が挨拶をすると同時に、黄泉に一斉に視線が向けられる。

 

 俺や黄泉はそこまで露出が多くない方の人間だし、関東圏以外にあまり顔が広くない存在だ。

 

 だから初めて見る諌山の養女に皆興味津々なのであろうことが伺える。

 

 ここに集っているのは各支部の現室長、そして室長候補。あとは付随で数人ずつといった感じの精鋭が多いため、物珍しさにざわざわするということはなかったが、皆がこれ程注目するのは帝に続いて二人目だ。

 

 あまりにも距離が近いから意識できていない面もあるのだが、諌山の名は全国の退魔師の中で知らないものが居ないほどには有名なのだ。

 

 退魔師を名乗る者ならば絶対に名を知っている退魔師の家系というのが数個ある。

 

 一つが帝。表世界でも名の知られた退魔師の顔とも言える一家。

 

 もう一つが土宮。最強の退魔師の家系として知られる、武力でその地位を築き上げた一家。

 

 この二つを知らない人間は潜りだろうと言われても仕方がないレベル感だ。普通の退魔師ならまず間違いなく知っている。

 

 そして、諌山とは実はそれに準ずるレベルで出てくる家系なのだ。

 

 なんでそんなに有名なのかは俺も詳しくないのだが、黄泉の強さもその一因であるし、多分宝刀獅子王の存在も大きい。

 

 あの一振りは本当に稀有な一品だ。所有者の欲目もあるのだろうが、黄泉をして「これを超える刀を私は想像できない」と言わしめる刀で、千年の歴史の中で朽ちず折れず欠けてすらいない。あれはそんな奇跡の一振なのだ。

 

 それを使うということはすなわち千年の歴史を背負うということ。そしてそれを認められている家系が諌山なのだ。そりゃ有名にもなるだろう。

 

 なんてことを考えていると黄泉が話し終えた。

 

 次は誰だ……と思って周りを見渡すと、俺以外は全員挨拶を終えていることに気がつく。……え?俺トリなの?

 

「それでは小野寺凛。挨拶を」

 

 若干他の人にするよりも若干等閑な振り方で俺の番を告げてくる二階堂。

 

 いや、若干じゃないな。完全に俺だけ呼び捨てだし、他の参加者の時と違って書類見ながら対応してやがるし、相当等閑だなあの野郎。

 

 席配置で気が付くべきだったが、最初から俺をトリに持ってく予定だったなこの野郎。普通ホスト側が最初に挨拶するもんじゃないのかよ。

 

 この前たまたま激写した、休日にちょっとオシャレして美味しそうにスイーツ食べてた二階堂桐の画像を対策室内で回覧してやる。絶対だ、絶対にだ。

 

 まぁいいか。皆無難な挨拶しかしてないし、俺も適当でいいだろ。と思い立ち上がると、一斉に俺に突き刺さる視線。

 

 銃口向けられても動じず悠々と対処できるぐらいには度胸があると自負しているが、こうもまじまじみられると流石に緊張してしまう。

 

「関東支部室長候補の小野寺凛です。何度かお会いした方もいらっしゃいますが、諌山黄泉と同じく殆どが初めましてになりますね」

 

 緊張を表に出さないように努めながら、ぐるりと顔を見渡してそう言う。

 

 帝さんは何回か、他の室長候補+αには一回だけ会ったことがあるが、それ以外はほぼ初対面だ。

 

 結構昔にこんな感じの会議に親父と一緒に参加したことがあるから、向こうが俺の顔を知っている可能性は当然あるけど、直接話したことはない。

 

 会ったっていっても数年前だし、ほぼ初対面に等しい感じであるからほぼほぼ皆さん初対面みたいな感じなんだけどね。

 

 名乗ると、黄泉と同じく辺りが少しざわつく。そして一度会ったことのある奴らは驚いたという表情を隠しもせずに俺を見てくる。あの綜左衛門君さえその表情なのが面白い。

 

「本日より三日間よろしくお願いいたします」

 

 何となく違和感を感じつつも、さっさと挨拶を終わらせて切り上げ、取り合えず無視して着席すしたのだが、大体みんな「本当にこいつが?」みたいな顔をしている。

 

 はて。そんな顔をされる理由は大してないのだが。これで俺が華奢な美少女だった、とか言ったらその反応もわかるんだけどさ。

 

 何故そんな驚いた顔をしているのか……と思っていると、「……あれがあのガキだと?見違えたな」みたいな声がちらほら聞こえてきた。

 

 ……ああ。なるほど。そういうことね。

 

 俺はここ一年ぐらいで身長が20㎝ぐらいは伸びたので、昔の知り合いに会うと相当驚かれるのだが、まさに驚いている人たちはそれなのだろう。

 

 ……あそこに座ってる服部嬢よりもチビだったからな俺。同世代の女の子と比べてもチンチクリンだった小僧が、今や成人男性の平均を上回る背丈を持つ立派な青年になっているのだ。確かに俺でも驚くな。

 

「男子三日会わざれば……か」

 

 驚きながら俺を見てくる帝綜左衛門。

 

 三日ではないけど、それぐらい劇的な変化だったということだろう。

 

 ちなみにだが、帝綜左衛門は年齢的に俺の一つ上で、つまりは黄泉と同い年である。

 

 見た目的には俺よりもかなり大人びており、前回会った時も身長差が20㎝以上あったのだが、ようやく並べた。男として悔しいものがあったので、胸のすく思いである。

 

「―――さて、自己紹介も終わりましたので、これより今次会議の議題に移っていきたいと思います。」

 

 普通だと自己紹介の後に簡単だがしっかり調べ上げた経歴を二階堂が付け加えて自己紹介を終わらす感じなんだが、ホスト側ということもあってか、俺と黄泉のそれは一言二言説明するだけで省略された。

 

 二階堂が俺と黄泉の経歴を読み上げても同じ課に属してるわけだし、「身内自慢かー?なんだかなー」ってなることを考慮してなのだろう。気を使いすぎな老害を相手にするにはこういった配慮が大事だったりする。 

 

 ……それに多分俺と黄泉の経歴って圧倒的だから、読み上げると本当に嫌味になる可能性あるしな。

 

 さて、そろそろ意識を切り替えるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言おう。

 

 そんな大きな波乱は特になく終わったが、はっきり言って、会議はかなり面倒だった。

 

「―――以上で、今次会議を終了します。お疲れさまでした。明日、明後日は直接事件のあった現場に赴きますので、本日はゆっくり休んでください。尚、本日19時より当ビル30階”源氏の間”にて立食パーティーを開催しております。つきましては皆様の懇親を深めるべくこぞって参加頂きたく―――」

 

 淡々と二階堂が会議の終わりを告げ、どうやら予定されているらしい懇親会の開催を告知している。

 

 平然とした顔を装ってはいるが、正直疲れた。

 

 純粋な疑問を解消するべく質問してきた人達が大半だったけど、こちらの揚げ足を取るべく質問をしてくる奴らも居て精神的疲労が半端ない。

 

 帝さんは何故か俺に対して友好的なのでそこまでドギツイ質問はしてこなかった。室長候補の渕間君と服部ちゃんは相変わらず少し突っかかってきたけど、まぁそれはまだいい。

 

 問題が帝の爺ちゃん(西側の現室長だ)とかその他室長とかだ。時折俺と黄泉を見定めるかのように質問を投げかけてきていたし、多分実際に目的としてはそれだった。好々爺然とした笑みを浮かべながらやりやがるあのジジイ。

 

 さて、どう考えるか……なんてことを考えていたら現室長がやんわりと牽制してくれたり、実は今日さり気なく参加していた奈落さんが庇ってくれたりもした。

 

 とは言えメインで質問攻めにはされてたのは俺らだから、毎回毎回フォローしてくれたってわけじゃないんだけどね。

 

「あー疲れた」

 

 俺たち身内以外の全員が退室し、これまた金がかかっているであろう扉が閉まったのを確認すると、そう吐露する。いやはや本当に疲れた疲れた。

 

「完全に私たちを試しに来てたわねあの人達」

 

「このために室長候補会議っていう体裁にしたんだろうな。そうすりゃ俺や黄泉に質問をしたってなんらおかしくないからな」

 

 上手いことやりやがる。()()()()()()()()()()()か。

 

 ……値踏みしやがって。

 

「だが、見事だった。よくやったな二人とも」

 

「お義父さん」

 

「どうもです、奈落さん」

 

 黄泉と二人で話していると、少し離れた位置に座っていた奈落さんが俺たちの前までやってきた。

 

「しかし凛は少し上手くやりすぎたな。恐らくだが、服部家からはいい意味で完全にマークされてしまっただろうな」

 

「……あーやっぱりですか」

 

 がっはっはと豪快に笑う奈落さん。

 

 今回、この会議に当たっては室長と黄泉、そして二階堂も交えて何度も何度も打ち合わせを重ねたのだ。

 

 事が事だし、間違っても室長候補辺りが殺生石に呑まれてなんぞ欲しくはないので、この会議で伝えられる最大限のことを正確に伝えるために結構頑張った。

 

 想定される質問も全部考えたし、その返しも考えて臨んだ訳だが……。

 

「成程。ちょっとやりすぎたか」

 

「少しは隙を見せてもよかったかもしれんな。帝の現当主殿も相当に興味をお持ちのようだ。もしかすると縁談が持ち込まれてもおかしくはないだろう。綜左衛門君の妹も参加しているようだしな」

 

「え?京子ちゃん来てるんですか?」

 

 項垂れから一転。がばっと起き上がる俺。

 

「ふむ?興味があるのか?」

 

「異性としてではないですが、ちょっと。前回会った時からどのくらい成長してるのか少し楽しみで」

 

 原作(喰霊)を読んでいる人しかわからない人物だが、帝京子という女の子がいる。帝綜左衛門の妹で、原作(喰霊)では神楽たちと共に最後のほうまで一緒に行動した女の子だ。

 

 ファンの一人としては結構会うのを楽しみにしていたので、なかなか感慨深かったのを覚えている。

 

「そっか。凛はあったことあるんだもんね」

 

「うん。帝さんとは違って一回だけだけど」

 

 親父に連れていかれた会議みたいなので一回だけ会ったことがあったハズだ。帝さんの両親が亡くなったばっかの時だったから、あまり話しかけられなかったけど。

 

「お話し中の所失礼いたします。お疲れさまでした。お二人にはこの後懇親会に参加していただきますので、準備をお願い致します」

 

 そんな会話をしていると現れる二階堂。

 

 三時間にも及ぶ長丁場だったにもかかわらず、疲労の色を一切見せていないのは流石と言わざるを得ないだろう。

 

「……懇親会って聞いてないんだけど俺」

 

「言ってませんから」

 

「てめ!最近俺の扱い等閑だよね!?明らか適当になってないか!?」

 

「気のせいです。前もって言っていた通り、諌山黄泉にはドレスを用意してあります。小野寺凛はそのままの服装で結構ですので、1900に必ず集合してください。時間厳守です」

 

「へいへい。でも懇親会って何するんです?普通に立食でお話するだけ?」

 

「その通りです」

 

「不参加って選択肢はなしなの?」

 

「当然です」

 

「出来れば出たくないんだけど」

 

「不可能です」

 

 本心から訴えてみるが、目の前のターミネーターは表情一つ変えずに俺の意見を突っぱねる。

 

 ……くっそこの21歳彼氏なし女め。絶対この前のパフェ食ってる写真は流出させてやる。

 

「ちなみに奈落さんは参加するんですか?」

 

「一応参加する予定だ。私が居るだけでも多少は抑止力になるだろうからな。本当なら土宮殿にも出てもらいたかったのだが……」

 

 実はの話をすると、奈落さんは今回の会議に呼ばれた人間ではない。あくまで呼ばれているのは対策室の人間であり、そこを引退した奈落さんには関係のない話だったのだが、どうにかしてねじ込んだらしい。

 

 黄泉の家で話した際に「私も動こう」とは言ってくれていたのだが、その内容の一つがこれだ。

 

 他にも明日行われるという大人だけの会議とやらに土宮雅楽殿を巻き込んだり、他にも色々動いてくれているらしい。「最近お義父さんが生き生きしてて面白い」とは黄泉の言だ。

 

「いえ、十分ですよ。お気持ちだけでありがたいです」

 

「む、そうか。何かあったら遠慮せず頼ってくれて構わないから、覚えておくといい」

 

「ありがとうございます」

 

 微笑ながら頭を撫でてくる奈落さん。

 

 ……でけぇなあ。背丈的には同じだし、武力で言ったら既に比べるまでもないというのに、なんというか、敵わないなーって思わされて、そしてそれが嫌じゃないっていう不思議。

 

 やっぱ大人なんだよなぁ。こういう所が。

 

 そして奈落さんに完全に孫扱いされている俺であった。

 

「さて、そろそろ向かうとするか。黄泉は着替えがあるのだろう?それに凛も乾杯という大役を任されているのだ。身なりをもう一度整えなおしなさい」

 

「え?」

 

「ん?」

 

「あっ」

 

 上からそれぞれ困惑する俺、意外そうな顔をする奈落さん、やべっという顔をする黄泉。一言、というよりもはや一文字なのだが、そこに込められたそれぞれの思いが一瞬でわかるというものだ。

 

「おい二階堂。なんだって?」

 

「……」

 

「目をそらすな目を」

 

「……」

 

 無言で目をそらす二階堂に、役職の差も忘れてタメ語でにじりよる。……この野郎。絶対この前スリーサイズばらしたことを根に持ってやがる。

 

 黄泉に目を向けるも、あちゃー見たいな顔をして笑っている。

 

 再度無言で二階堂の端正な顔立ちに睨みを利かせる俺。そして携帯を弄りながらそれを完全に無視する二階堂。

 

 三十秒ぐらいの硬直が続く。この女、明らかに俺に対しての遠慮が無くなってやがる。

 

 そんな硬直を破ったのは、今までニコニコしながら俺たちのやり取りを見ていた室長だった。

 

「言ってなかったけど、乾杯の音頭は凛ちゃんに任せることになってるの。よろしくね」

 

 妖艶な笑みで、頬に手を当てながらそう告げる室長。

 

 ……いや、よろしくね、じゃないんですけど。

 

 

 

 

 ちなみにであるが、室長会議が終わり、色々ゴタゴタが終わったその後。

 

 二階堂桐の女の子らしい一面を切り取った珍しい写真が、何者かによって対策室中にばらまかれたのは当然ながら言うまでもないことであった。

 



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第25話 -全国室長候補会議_打ち上げ-

遅くなりました。
本日あと一話更新します。次の話は戦闘回になります。


 見るものを一瞬で魅了させる、細部までこだわりぬかれて作られた美麗なシャンデリア。

 

 そこからもたらされる普段とは一味違う光はその空間をまるで普通の空間とは別物であるかのように装飾し、現実と創作の世界との境界を曖昧にさせるかのように錯覚させる。

 

 中央に美しく並べられたテーブルには純白のテーブルクロスが一ミリの皴もなくかけられており、その上には芸術作品と見間違うほどの料理が整然と並べられている。

 

 その周りを歩くのはこれまた美しい服装に身を包んだ老若男女。普段は絶対に着ないような人に見せるためだけの服装でテーブルの周りに集っている。

 

 まさに映画などでよく見る舞踏会。それを想像してもらえれば問題ない。

 

 時刻は20:00。二階堂が言っていた通りにマジで俺が乾杯の音頭をやらされた懇親会が始まってから1時間が経過した。

 

「……戦闘より疲れるわこれ」

 

 懇親会には先の会議に参加しなかった人間達も大量に参加しており、正確な数は把握していないが、それこそ100名は軽く超える人数がこの会場に集っている。

 

 その中でも俺たち室長候補は主役級なので常に誰かしらから声をかけられて話し相手になってやらなければならず、俺もようやく一時間ほどたって解放されたというわけだ。

 

 俺は生前(というのも語弊があるが)、社会人を経験しておらず、こういったオフィシャルな場には全然耐性がないので非常に疲れる。

 

 ……これを日常の飲み会とかでやっているのか社会人は。疲れるよな本当に。

 

 手にしたノンアルをちびちびと口に運ぶ。

 

 飲めればまだよかったのだが、こんなフォーマルな場所で流石に飲むわけにもいかず、常駐のバーテンにノンアルのおしゃれなのを作ってもらって飲んでいるというわけだ。

 

「随分お疲れだな、小野寺」

 

「……はい?ってああ、服部嬢」

 

 疲れて端の方のところに避難していると、少々面倒なのに絡まれる俺。

 

 近づいて来たのは黒いゴスロリ風ドレスの、多分喰霊-零-だけをみている人は本当に関りがないであろう茶髪の美人。

 

 室長候補の一人で、この人は服部忍。北海道支部の室長候補だ。

 

 まぁ茶髪のナイスバディなねぇちゃんが話しかけてきたという訳だ。

 

「こういう場所には慣れていないのだな」

 

「まぁねぇ。あんま経験しないじゃん?黄泉とかはうまく立ち回ってるみたいだけどさ」

 

「女だというのもあるのだろう。麗しい見た目だけで老齢の男の評価など上に振り切れるものだ」

 

「確かに」

 

 わかるわかると頷く俺。

 

「俺が話しても受けないネタが黄泉だと受ける……なんてことは普通にありそう」

 

「逆にお前が話した方が納得させやすい話もあるが、そういった意味では我々の方がやりやすいのかもしれんな」

 

 そう言って手にした飲み物を一口口に運ぶ服部嬢。

 

 黄泉しかり冥さんしかりなのだが、美しい女性って飲み物を飲むだけで絵になるのだからずるいと思う。美人税は導入されてもいいんじゃ……?

 

 ……というよりこの人が俺に話しかけてくるなんて珍しい。

 

 室長候補は原作(喰霊)で示されていただけでも4人だが、実はもっといる。

 

 あくまで候補なので、表立って候補と言われている奴以外にも何人かはいるわけだ。

 

 この人は正当に候補として周りに認められている人間の一人で、多分順当に行けば北海道の室長になることは間違いないだろう。

 

 俺が嫌う面倒な室長候補達というのは、()()()()()室長候補達であって、この人達は比較的理解がある方だ。

 

 まぁこの人も自分の実力に一切の疑問を持っておらず我が強いので、ぶっちゃけ面倒なのは面倒なんだけどね。

 

「それにしても見違えたな小野寺。あのチンチクリンに抜かされているとは思わなかったぞ」

 

「男子三日会わざれば、っていうだろ?そういう服部嬢も随分綺麗になってたからビックリしたよ」

 

「良く言う」

 

「お世辞ではないんだけどね。それにしても珍しいじゃん。服部嬢から俺に話しかけてくるなんてさ」

 

「祖母にそそのかされてな。見ろ。若人同士の会話を楽しそうに眺めている」

 

 そう言われてチラリと視線を向けると、数人で談笑しながらもこちらに視線を飛ばしてくる老婆が一人。服部嬢の祖母、つまりは北海道の現室長だった。

 

「……縁談持ち込んでたのって服部嬢の所もだったっけ」

 

「そういうことだ。今日のお前の振舞いを見て本気で欲しくなったらしい」

 

「また面倒な……」

 

「縁談を申し込んでいる乙女を前にして面倒とは中々言ってくれる」

 

「そんな無表情で言われてもな。もう少し表情筋を鍛えて出直してこい」

 

 お嫁は欲しいけど、婿に行く気は一切ないんだよ俺……。

 

 そして服部嬢は本当に表情が変わらないので、冥さん以上にその心情が読みにくいから、一体どんな意図でこの話をしてきているのかも分からず、非常にやりづらい。

 

 ちなみにだが、服部という名前から想像できた人もいるだろうが、服部は所謂忍者の家系だ。

 

 服部半蔵の名前を知っている人間は非常に多いだろう。この服部家はその一門というか直系であり、代々忍術を引き継いできている家系なのだ。

 

 一度その技を見たことがあるが、正にNinjaといった感じだ。影分身してみたりクナイを大量に分裂させてみたり。相対することになったら苦戦はしないだろうがだいぶ面倒な戦いになることは間違いない。

 

 俺が霊術を使えるようになったとしたら是非習得してみたい術のトップクラスにランクインする。

 

 ちなみに最下位は巫蠱術な。アレは絶対に習得しない。きもいもん。

 

「今度忍術教えてよ。多分俺のスタイルに結構合うと思うんだよね」

 

「馬鹿か貴様は。門外不出だ」

 

「成程。婿入りすれば教えてもらえるってことか」

 

「下るか?服部に」

 

「それこそ馬鹿言え。俺は嫁さんを取るつもりなんだよ」

 

 冗談めかしては居るが、正直忍術には興味がある。

 

 俺のスタイルと忍術って相当にドンピシャリだと思うんだよな。体に暗器を隠し持つ必要のない、最高の隠密になれる気がする。

 

 その後も少し服部嬢と談笑する。

 

 原作(喰霊)だといきなり登場して静流という女の子の指を切り落とした印象しか無いから、こうして話ができるのは少々新鮮だ。意外に普通に話せる姉ちゃんらしい。

 

「……凛さん、さっき言われたの持ってきたんすけど」

 

 服部嬢と(楽しくはないけど)それなりに会話を弾ませて色々話していると、丁度話題が尽きかけたか尽きかけていないかぐらいのタイミングで剣輔と黄泉が飲み物を携えてやってきた。

 

 服部嬢に絡まれるちょっと前、飲み物が無くなりかけていたので取りに行こうとしたら、剣輔が気を利かせて持ってきてくれたのだ。絡まれる数分前ぐらいだったはずだから、タイミングを見計らって会話に入ってきてくれたのだろう。

 

「大丈夫。丁度会話もひと段落したところだし」

 

 こいこいと手招きして、俺の隣、つまりは服部嬢から遠い位置に黄泉と剣輔を誘う。

 

 何というか、やらないとは思うんだけど、こいつら室長候補って隙あらばこちらに攻撃をかましてくるような雰囲気を纏ってるからあんまり近寄らせたくないんだよね。

 

 ちなみに神楽はいい年のおじさま方と楽しく談笑している。なかなか年上キラーな娘様であることよ。

 

 と、そんなことを思いながら俺は剣輔を服部嬢に紹介する。

 

「知ってると思うけど諌山黄泉。そしてこちら弐村剣輔。うちの新入りで将来のうちの筆頭候補」

 

「諌山黄泉です。あまりお話できてなかったわね」 

 

「……ども、弐村剣輔です」

 

「服部だ。……そうか、新たに入った退魔師とはお前のことか」

 

 ほう、といった様子で、俺と話している時よりか興味深そうな顔で剣輔を見る服部嬢。

 

「何?剣輔の名前って北海道まで響いてるの?正直意外なんだけど」

 

「男の退魔師が新たに入ってくるなど何年ぶりだかわからないからな。話題ぐらいには上がっている」

 

「確かにバイトとはいえ一般組からこっちに入ってきた人間って数えるぐらいしかいないもんな。ナブーさんとか岩端さんとかも一応そうだけどさ」

 

 ここ数年で俺が知る限りだと本当に剣輔ぐらいな気がする。

 

 一応俺もフリーから対策室入りしたと考えれば新人なのかもしれないけど、俺の一家は元々退魔師の家系だ。

 

 剣輔みたいに本当に純粋な一般家庭からこっちに足を踏み入れた人間なんて、ここ十年くらいに区切ってみても右手の指で十二分に足りる数しかいないはずだ。 

 

「言っとくけど、北海道にはあげないからな」

 

「別に欲しいなどとは一言も言っていない。くれるというのならば喜んで貰うが」

 

 そう言って再度剣輔を見る服部嬢。

 

「……お?意外と高評価?」

 

 ボソッと呟いてしまう俺。

 

 確かに剣輔のことは非常に熱心に鍛えているし、色々親身になって指導しているのは事実だ。そして剣輔もかなりの気概を持ってそれについてきている。

 

 多分それは少し前に一度、神楽が結構危ない目にあったことが起因しているのだろう。

 

 これは黄泉や雅楽さんにはひた隠しにしている事実なので、知っているのは俺と神楽と剣輔の三人だけであるが、とにかく一度本当にやばい状況になったことがあるのだ。

 

 実際は問題なかったし、かすり傷ひとつすら負わなかったのだが、あの場に居たのが神楽一人であったのならば大怪我くらいは負っていただろう。それだけの出来事だった。

 

 実力は抜群であるし、センスも光るものしかない。使命に対しても前向きだし、あの若さで自分の立場を十二分にわきまえている。

 

 だが、神楽は未だにカテゴリーDの呪縛から逃れられていない。特に、あの教師を斬ってからはそれが顕著になってしまった。

 

 少し前にあったお勤めで、格下のただのクソ雑魚相手に体が動かなくなってしまったのだ。

 

 正直あれは俺も予想外だった。剣輔にサポートをさせていたから問題なかったものの、一人だったらどうなっていたことやら。

 

 そんな神楽を見て多分剣輔は色々思う所があったのだろう。それからは訓練に対する熱の入れようが明らかに変わった。

 

 俺よりスパルタなんじゃ?という程の黄泉のしごきにも食らいついて行っているし、将来が楽しみではあるのだが……。

 

「退魔師界に居る若い男で、骨のあるやつなど両手の指で充分に足りる。その男はそこに入っている。ただそれだけのことだ」

 

「……へー」

 

 まさか室長候補から認められるくらいになっているとは。

 

「神楽と並んでうちの期待のルーキーですから」

 

 ちょっと誇らしげに黄泉がそう言う。俺より黄泉のほうが完全に戦闘スタイルが似通っているので、技術関連は大体黄泉が指導しているので、弟子が褒められたみたいな感じで非常に嬉しいのだろう。

 

 黄泉が多少どや顔をしているのを華麗にスルーすると、服部嬢は剣輔へと改めて目線を向ける。

 

 相変わらずその無表情は何を考えているのか全く分からないが、意外にも興味を持っていることは確かだった。

 

「弐村剣輔。もしお前が北海道に来るというのなら歓迎しよう。検討しておけ」

 

 剣輔に対して何を言うのか、と思いきや、意外や意外。それは勧誘のお言葉だった。

 

 そうとだけ言って、その場から立ち去っていく服部嬢。

 

 歩く姿と立ち振る舞いで大体相手の実力がわかるというのは俺の持論だが、成程、自分に自信があるのが納得なぐらいの実力は持ち合わせているらしい。

 

「……えっと、今の何なんですかね」

 

「……さてねぇ。少なくとも俺や黄泉より剣輔に興味を持って帰っていったのは確からしいよ」

 

「ホントね。私なんて一言ぐらいしか会話してないわよ」

 

 失礼しちゃうとばかりに頬を膨らませる黄泉。

 

「あいつはああいう奴だからな。帝さん曰く興味がないことには一切興味を示さないらしい」

 

「剣輔君には興味津々だったみたいだけどね」

 

「それなんだよなぁ。相変わらず不思議な女だ」

 

 腕を組みながら少し唸る俺。黄泉や俺に噛みついてくる奴が居るとすれば服部嬢ともう一人辺りが濃厚だと思っていたのだが、予想が外れたらしい。

 

「まぁどうでもいいか。剣輔は絶対にやらないし」

 

「そうね。剣輔君が抜けられたら困るわ」

 

「……あの少し恥ずかしいんでやめてもらってもいいっすか」

 

 恥ずかしそうに照れた様子を見せる剣輔。満更でもなさげな様子だが、確かにこんなにべた褒めされたら普通に恥ずかしいわな。

 

 その後もわざわざ剣輔を褒めて黄泉と二人で後輩をからかっていると、二階堂のアナウンスが響き、このパーティーの終わりを告げ始めた。

 

 しかしまぁ、退屈なパーティーだったな本当に。

 

 本当ならもっと室長候補の輩と話をしてみようと思ったのだが、老害どもに捕まって話す時間もほとんどなかったし、飯も大して食えなかったし。

 

 帰りに剣輔でも誘ってラーメンでも食って帰ろう。そうしよう。

 

 そんなことを思っていると二階堂桐とばっちり目が合った。

 

 

 

「では、閉会の音頭も小野寺凛にお願いしようと思います」

 

「いい加減にしろよお前」

 

 

 

 

 流石に今回のは冗談だったらしく、帝さんが締めの挨拶をすることとなった。

 

 二階堂は一度締める必要があるな、やっぱり。

 

 

 



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第26話 -合同訓練1-

もう一話あります。


「やっぱすげえなあいつら。バケモンだ」

 

「なんでこの運動量で平然としてんだよ……」

 

 

 あまり知られていないことではあるが、環境省の地下には広大な面積を誇る修練場が存在する。

 

 喰霊白叡を振り回しても問題がないほどの面積、と言えばその大きさが知れるだろう。地下にあるとは思えない巨大施設であり、退魔師用に作られた訓練施設なのである。

 

 そこに、昨夜のパーティーで集められた人間がほぼ一堂に会し、合同で訓練を行っていた。

 

「ふう、結構ハードじゃんこれ」

 

「本当にね。汗かいちゃった」

 

「神楽と剣輔も参加すればよかったのに」

 

「仕方ないでしょ、家の用事なんだから」

 

 ほぼ一堂に会している、と言えど、その場に立っているのはわずか数名。

 

 所謂各対策室の室長候補と呼ばれる6人のみであった。

 

 皆訓練の途中で倒れ、動けなくなっていく中で、その六人だけは平然と訓練をこなし、ついに6人になった段階でもまだ余裕を残していることが伺える。

 

「シャトルラン的な感じなのかね?これ。帝さんは何か知ってる?」

 

「俺も分からん。ホスト側のお前が知らないのに俺が知っているわけがないだろう」

 

 関東支部の室長候補である小野寺凛が、関西支部の室長候補である帝綜左衛門に話しかける。

 

 180cmに達する長身に、程よく鍛えられた肉体。眼鏡の奥の切れ長の目には鋭さがありありと映し出されており、意思の強さが伺える。

 

 帝綜左衛門。原作(喰霊)では非常な位置にいるキャラクターで、第二の主人公と言っても過言ではない立ち位置に居る人間でもある。

 

 過去に共闘した際に帝が凛の実力に一目置いており、凛も自分に対して敵対するような人間で無ければ友好的に接する人間であるため、二人の仲はほかの室長候補と比べて非常に良好であった。

 

 気の置けない友人がする会話のように二人は話しているが、倒れている連中が息も絶え絶えで話すこともままならない状態であることを考慮すればどれだけ異常なことだかがわかるであろう。

 

「確かにそれはそうか。……誰が先に倒れていくかみたいな訓練だったらここらで倒れておこうかな」

 

 体調も悪いし、とつぶやく凛。体調が悪いという割にはピンピンしている凛であるが、事実その体は微熱にさいなまれており、万全というにはほど遠い状態であった。

 

「大丈夫?もう休んだら?」

 

「そうすっかなー。今日あんまり動きたくないし……」

 

 凛の体調の悪さにいち早く気が付いていた諌山黄泉が、凛に休むことを提案する。

 

 ハーフパンツにTシャツというラフな格好をしている黄泉。しかしその美貌とプロポーションによってそのラフな格好ですらもファッションのようになっており、やはり美人税は投入するべきだと凛に本気で思わせる。

 

「なら早く帰って休むといい。別にここで無理をする必要もないだろう」

 

 黄泉の気遣いに、帝綜左衛門が同意を示す。

 

 その反応に、凛は「意外だ」という感想を抱いた。

 

 原作(喰霊)での帝綜左衛門は比較的理解のある男だ。新米である弐村剣輔にも通常運転で接するし、室長になってからも神楽たちの行動に理解を示しており、対策室でありながら対策室と対立することもある。

 

 しかしそれは原作(喰霊)スタート時点の帝綜左衛門であれば、である。

 

 史実の通りであれば現在の帝綜左衛門は両親を亡くして数年しか経っておらず、とことん自分を追い詰めている機械のように冷たい男であるはずなのだ。

 

 てっきり諫められるかと思っていたので、原作(喰霊)を知る凛にとっては非常に意外であったのだ。

 

「そうしようかな。それじゃ皆様、お疲れ様です」

 

 そう言って手をひらひらとさせながら訓練場を出ていく凛。

 

 体調が悪いのは本当のことだ。この程度の訓練ならば普通にこなすことはできるが、無理をしなければならないことは確かであり、できることならば先に帰りたい。

 

 もう参加者の大半がギブアップしていることだし、訓練も終わりだろう。そう考えて訓練場を後にする。

 

 つもりだったのだが、

 

「おい待てよ。何勝手に帰ろうとしてやがんだ」

 

「ん?」 

 

 後ろから声がかかる。明らかに敵対心を含んだ、不機嫌な声。

 

 そこに居たのは筋骨隆々の、190cmはあろうという大男。九州・四国地方の対策室の室長候補である、狭間慶太であった。

 

 原作では冷酷な退魔師として登場し、どちらかと言えば剣輔たちの敵側の人間として描かれる立場だ。

 

 ただその弓の腕は確かであり、帝をして「見晴らしのいい戦場では敵対したくない」と言わしめるほどの腕前を持つ。

 

 実際に原作(喰霊)で剣輔たちと対峙した際にはその圧倒的な弓の腕と戦闘技術で剣輔たちを瞬く間に追い詰めたほどだ。

 

「まだ終わりじゃねえだろうが。テメェの一存で決められることなのかよ」

 

「いいんじゃない?指示無いし」

 

 そう言って、凛は上をみる。訓練場の音声を司る部屋のガラスの向こうには先程まで訓練の指示を出していた室長たちが何もせずに佇んでいる。

 

 狭間は室長候補の中では比較的凛に絡んでくる部類の人間だ。

 

 流石に凛が一番嫌う「なんちゃって室長候補」達ほどのうざさではないが、あまり得意な人間でもないというのが事実である。

 

「は、どうせ自信がねえんだろ。そんなヒョロイ体じゃこのきっつい訓練に耐えられるわけねぇもんなぁ、小野寺」

 

「そうかもな。確かに辛いもんな」

 

 そんじゃ、と手を振りながら再度訓練室を退室しようとする凛。こういう輩は絡まないに限る。そう判断して訓練室を後にしようとしたのだが―――

 

 ふと重なる自分と誰かの影。照明によって作り出されたそれが重なるということは、非常に近い位置に自分と誰かが居るということ。

 

 そしてそれはつまり―――

 

 一瞬前まで凛が居た空間に、丸太のように太い腕が恐ろしい速さを持って通過する。

 

 空気が押し出されるかのような、そんな錯覚。それだけの威力のパンチが凛に向かって繰り出されていた。

 

「あぶなっ!」

 

 言葉の割には軽々と避けた凛ではあったが、もし直撃すればそれは痛いでは済まされなかったであろう。

 

 凡人であれば良くて大怪我、下手をすれば死に至るほどの威力。加減というものを知らない一撃であった。

 

「ほお。いい動きじゃねえか。伊達に余裕ぶってねぇってことだ」

 

「……少し肝が冷えたじゃねぇか。いきなりなんなんだよお前」

 

 腰を落として構える凛。

 

「喧嘩売ってんなら買うぞ狭間」

 

「いいねぇ。好戦的なのは嫌いじゃない。ちょうどてめえとはやってみたいと思ってたんだ」

 

 バキバキと関節を鳴らす狭間。

 

「お前の獲物は弓だったよな?待っててやるから用意しろよ」

 

「優しいこって。別に俺はステゴロでも構わねぇんだぜ?」

 

「言うじゃんか。でもな、俺相手に素手で挑むのは勇敢じゃなくて蛮勇っていうんだ。一般常識だから覚えておくといい」

 

「そのギャグ、腹が捩れるほど面白いじゃねえか。ヒョロヒョロのガキでもギャグのセンスは一流みたいだな」

 

 一触即発。まさにその言葉がふさわしい状態。

 

 倒れている退魔師たちもその雰囲気を察したのだろう。なんだなんだとばかりに視線を向けている。

 

 凛が一歩踏み出す。ステゴロで良いと言うのだ。弓の名手だか何だか知らないが、素手で俺に勝てると思っているのならば思い上がりも甚だしいことを教えてやろう。

 

 そう思い、狭間から繰り出された一撃にカウンターでもぶち込んでやろうかと考えた瞬間、咄嗟に凛は横に向かって飛びぬいていた。

 

「は?」

 

 とは、狭間の言葉である。それはそうだろう。殴ろうとしていた相手がいきなり居なくなり、そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 一瞬遅れて伝わる衝撃。投げられたと気が付いた瞬間には受け身を取っていたため痛みはないが、二つの意味の衝撃が狭間を襲う。

 

「はい、二人ともそこまで。体調悪いって言ってるのに喧嘩の売買しないの」

 

 理解が追いつく前に、そんな声が鼓膜を震わせる。その振動が音として脳に伝わり、脳がその意味を理解し終えるが、状況の理解は追いついていなかった。

 

 やれやれみたいな感じで頭を振っている小野寺凛は理解しているのだろうと、地面に寝かされながらそう思う。

 

「てめぇ、俺のこと投げやがったのか」

 

「正解。よくできました」

 

 ようやく事態を理解した狭間が声の方向に顔を向けると、華麗過ぎる一本背負いをかました黄泉が、お姉さんらしい表情を浮かべながらそう告げる。

 

 二人がぶつかる瞬間、一瞬で距離を詰めた黄泉が二人の間に割り込んでいったのだ。

 

 それが分かった凛は被害を被る前に距離を取り、距離を取り損ねた狭間がターゲットとなって華麗な一本を決められてしまったわけである。

 

 手を離し、狭間から少し距離を取る黄泉。行ったのは神業と言っても差し支えのないそれであるというのに、まるで散歩でもしているような軽い歩みだ。

 

「凛は体調悪いみたいだから、やめてあげてね。申し訳ないけど」

 

「んなもんが理由になんのかよ。体調管理も俺らの仕事だろうが」

 

「それはそうなんだけど……」

 

 んー、と困った表情を浮かべる黄泉。聞き分けのない弟に対して諭す姉みたいな表情だと凛は思う。

 

 実際はそんな可愛いものではないが、黄泉からすれば大して変わらないのだろう。

 

「それならアンタが相手してくれんのかよ。俺は別にそれでもかまわねぇぜ?」

 

「おい狭間。そろそろいい加減に―――」

 

「帝の坊ちゃんは黙ってな。これは俺らの問題なんだよ」

 

 うーんと、少し悩んだ顔を見せる黄泉。普通に考えて交流の場として設けられたここで喧嘩をすることが良い事なわけが無いのだ。

 

 帝の言葉ならあるいはと思ったが、諫める帝の言葉も狭間には届かないらしい。

 

 室長候補の中で一番年上の二人の制止も聞かないとなれば、もはや上の連中に頼るしかないだろう。

 

 そう思い、黄泉は室長たちが集まっている部屋を見やる。そこには当然その衝突を止めてくれる大人たちが居るはずなのだが……。

 

「やっちまえってよ、黄泉」

 

「あの人たちは……」

 

 頭痛を耐えるかのように眉間に手を当てる黄泉。

 

 親指を立てている神宮司室長を始め、皆楽しそうに椅子から乗り出してこちらを見ているのだ。

 

 唯一のストッパーである二階堂桐も室長連中全員を相手にするのは流石に骨が折れるのだろう。今の諌山黄泉と同じような顔をしていた。

 

「だってよテメェら。どうするよ、なんなら二人がかりでも構わねえぜ?」

 

 室長たちも興味があるのだろう。自分の部下が他と比べてどれ程の力を持っているのかに。

 

 そしてそれは室長候補達も同様であった。凛は勿論、黄泉ですら興味がないと言ったらハッキリと嘘になる。

 

―――やるしかないかな。

 

 近くに落ちていた木刀を拾い上げ、感触を確かめる。どうやら壊れてはいないらしい。十分に使えるだろう。

 

「二人でもいいってよ、黄泉」

 

「あら男前。……とは言っても流石に2対1はね」

 

「まぁそうだよな。じゃんけんにでもする?」

 

 達観したやる気ではあるが、黄泉も既に戦闘態勢に入っている。

 

 しかし凛としてもチンチクリンだのヒョロヒョロだのと馬鹿にしてくる奴をぶっ飛ばしてやりたいという気持ちに溢れており、正直自分がやりたいのだが……などと思っていると、思わぬ人物が横から入ってきた。

 

「私が入ろう」

 

「服部嬢?」

 

「私が入れば2対2だ。数としては丁度いい」

 

 そういって狭間の隣に並び立つ服部。昨夜話した感触としてはそれほど好戦的な人間だとは思っていなかったのだが……。

 

 そう思い凛がチラリと上を見ると、服部の祖母がどうやらけしかけたらしいことがわかる。

 

 縁談の件と言い、面倒なバアさんだと内心で悪態をつく。

 

 上を見る限り帝の祖父も孫の参戦を楽しみにしていたみたいだが、当の帝綜左衛門自体にやる気がないのでそれは叶わなかったらしい。

 

 東北の室長、室長候補は静かなものだ。静観に徹している。

 

「私が小野寺とやろう。貴様と小野寺をやり合わせたらどんな事態に発展するかわからん」

 

「いいぜ。でも終わった後あいつが立ってたら俺にやらせろよ」

 

「善処しよう」

 

 先程三人で争っているときに取りに行っていたのだろう。狭間に向かって彼の獲物を放る服部嬢。

 

「気が利くじゃねぇか」

 

「分かっているとは思うが舐めてかかるな」

 

「は!勢い余って殺さねぇように気を付けるさ」

 

「そうか、貴様はあの二人の戦闘を見たことがないのだったな」

 

「だから何だってんだ。―――相手が神童だろうがなんだろうが俺のやることに変わりはねぇ。ただ目の前の敵をぶちのめす、それだけだ」

 

「吠え面をかかないことだけ祈っておこう」

 

 そう言ってそれぞれの相手の対面に立つ二人。それぞれ自分の獲物を構え、戦闘準備は万端らしい。

 

「黄泉、お前倒されるの前提みたいだぞ」

 

「そうみたい。私が倒されたら敵討ってね?」

 

「それ、俺からも頼んでおくわ。―――それじゃ」

 

 やろうか。

 

 その四文字の言葉をきっかけに、4人はぶつかり合った。



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第27話 -合同訓練2-

 トンファーという武器がある。柄を握りこむと腕の側面に沿って棒が伸び、腕を保護するような形を形成している武器である。

 

 それで相手の攻撃を受けることも出来るし、ヌンチャクのように使い相手を打撃することも出来る少々不思議な武器で、凛の経験上、退魔師でそれを使っている人間は殆どいなかった。使うにしても例外中の例外ぐらいなもので、ふざけて遊ぶ以外にそれと対峙したことは一度もなかった。

 

 そして、凛の目の前に居る相手は、その例外だった。

 

「……本当にやりにくいな!」

 

 トンファーのような形をした不思議な形状のブレード。トンファーの打撃部がそのまま刃に置き換わったと言えば想像に易いかもしれない。

 

 確か叉刃拐なる武器が、前世のゲーム世界では存在したと凛は記憶している。服部が使用しているのはまさにそういった形の武器だ。

 

 服部忍は相手の懐に忍び込み、その独特な形状の武器でもってほぼゼロ距離から両断する戦法を得意としていた。

 

 黄泉や神楽よりも圧倒的に敵との距離が近くなる凛の戦法。しかし服部の戦法はそれよりも遥かに相手との距離が近い。

 

 自分以上に距離を詰めて戦う相手には初めて遭遇したため、凛は正直なところかなり対処に苦労していた。  

 

 攻撃が見えない。

 

 懐に潜り込み繰り広げられる攻撃は、余りに自分との距離が近すぎるが故に自分の体で隠れて一瞬見えなくなることがある。

 

 しかもご丁寧にわざわざそれを狙って攻撃を繰り広げてくるのだから厄介なことこの上ない。

 

「うお!」

 

 ついに、服部の一撃が凛の頬をかすめる。

 

 潰した刃で尚且つ凛が回避をしていたこともあり、ほんの少し肌を掠める程度の一撃ではあったが、同時に肝を冷やすには十分な攻撃でもある。

 

 模擬戦であるはずなのだが、明らかにこちらを殺しに来るつもりの斬撃だ、と凛は思う。

 

 狙う所があまりにえげつなすぎる。首筋、顔面、金的等々、普通狙わないよねそんなところ?と言いたくなるようなところも平然と抉りにくるのだ。

 

 不思議な歩法で懐にもぐりこんでくる服部。どうもタイミングが掴みにくく、いつも間にか攻撃範囲に入られてしまっているのだ。

 

―――本当に厄介だな。

 

 抉るように繰り出される斬撃。黄泉や神楽のようにある程度の距離から攻撃を繰り出してくるのではなく、ほぼゼロ距離から繰り出される斬撃は、目で認知してから動くのでは遅すぎる。

 

 手でそれを弾き、距離を離す。

 

 機動力では明らかに凛が上だ。服部が詰めようとしても凛が離す方が早い。

 

 などと思っていると黒い物体がノーモーションで飛んでくる。目と首を狙ったその一撃は凛をして本気でヒヤッとさせられるものだった。

 

 何とかそれーーー忍者道具の一つである苦無ーーーを弾き落とすと、既に服部は攻撃範囲に入ってしまっている。先程から距離を離してもすぐに潜り込まれる。

 

 まだ回避できているが、このままだと完全にジリ貧だ。

 

 反撃に出るかどうか。それを凛が迷っていると、突如として目の前の女の姿がぶれた。

 

 目の錯覚か?そう思った瞬間には周囲を10人以上の女に囲まれていた。

 

「へぇ!これが服部の術か!」

 

 少し、感動する。

 

 影分身、という概念があるが、これはそんな優しいものではない。

 

 本当に10人以上の人間に周囲を囲まれている。そう錯覚してしまうほどのものだ。

 

 いや、実際に凛でなければそう錯覚していたに違いない。

 

「お見事」

 

「それはどうも」

 

 心からの賞賛をこともなげにいなす服部。

 

 それは賞賛を賞賛とも思っていない証拠。つまりはその程度のこと、自分には当たり前だと思っている証拠であった。

 

―――成程。原作(喰霊)で神楽達が苦戦する訳だ。

 

 前後左右全てを敵に囲まれているというのは非常に精神的に追い詰められるものだ。

 

 10方向から同時に繰り出される攻撃。しかしその9つは偽物だ。だが、女性の術の出来は素晴らしい。偽物だと思ってもそれを信じ切ることができない。そのレベルまで昇華されている。

 

 賞賛に値する技術だ。そう凛は思う。

 

 だが、

 

「本物みっけ」

 

「―――ほう」

 

 服部の攻撃は見事に空を切る。事も無げに躱される。

 

「見事だ小野寺」

 

「それはどうも」

 

 先ほどの返しと同様の言葉で返す。同様の意味と、自負を込めて。

 

「が、甘い」

 

「え?……ってあらま」

 

 ダアンと、物体が地面に叩きつけられる音が響く。質量があり、弾力もある物体が地面に叩きつけられた音。

 

 つまりは小野寺凛が服部嬢に投げられ、地面に叩きつけられたことを示していた。

 

「……体術も得意なんだね、服部嬢は」

 

「体術は一通り修めている。当然の嗜みだ」

 

 凛は眼前に突き付けられた模造刀を見やる。その先には美しく整ってはいるが、無表情の女の顔がある。

 

 下から見ると人間の顔というのは不細工に映ることがあるものだが、これだけ美しい顔立ちをしているとその法則は当てはまらないらしい。

 

 周りから歓声が上がる。凛の敗北、つまりは服部の勝利に、周りが沸いているのだ。

 

 地面に叩きつけられ、尚且つマウントポジションを取られている状況だ。

 

 両手が自由な状態でのマウントであるとは言え、上を取られた瞬間、それは敗北であると言って問題ない。

 

 上と下。どちらが有利かなど、火を見るよりも明らかだ。子供でも分かる話である。

 

 だから周りはその瞬間に勝ちを確信し、大いに沸いたのだ。

 

「マウント取られるとは思ってなかったな」

 

「無様なまでの取られ方だ。いや、むしろ見事なまでというべきか?」

 

「どっちも嫌だな。取られたことに変わりはないから」

 

 周りが沸いているのとは対照的に、小野寺凛は涼し気な顔をしている。凛の上に跨る服部も同様に、冷静な表情で凛を見つめている。

 

「さて。マウントを取ったことだし、本来ならお前には降伏を進めたいところだが……」

 

「まぁ普通ならそうだよね。でもさ服部嬢」

 

 ポタリ、と汗が地面へと落ちる。

 

 それはマウントを取られて焦りだした凛が流した冷や汗―――ではない。

 

 それよりも高い位置から落ちたものだ。

 

「―――()()()()()()()()()?」

 

「……」

 

 服部が無言になる。いや、無言にならざるを得ない。

 

 服部の体に力が入る。

 

 いや、入るという表現はおかしい。涼し気な顔で凛を見下ろしている服部ではあるが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 先ほどから眼前に突き付けている模造刀を凛に叩きつけようと全力で力を込め続けているが、その刃はピクリとも動かない。

 

 どころかマウントを解除しようと体を動かそうとしても全身が全く動かないのだ。流石に模造刀を握る指や足の指程度なら動かせるが、それ以外の部分は一切動かない。

 

「いいこと教えておいてあげるけどさ」

 

「……なんだ」

 

「対戦形式で練習するときって、東京の対策室で俺に体術で挑んでくる奴は一人も居ないんだよ」

 

「……ほう」

 

「黄泉も結構体術凄いんだけどさ、俺とやるときは絶対に使わないわけ。それは何故かというと、俺が強いってのもあるんだけど、それ以上にさ」

 

 ニヤリと、マウントを取られている者とは思えない余裕の顔で笑う凛。

 

「俺にゼロ距離勝負を挑むのって、自殺と一緒なんだよね」

 

「……成程。狭間は貴様とあのままやり合わなくて正解だったようだ」

 

 今だに力を込め続けているが、ピクリとも動かない全身。鎖で全身を縛られたかのような感覚。いや、実際縛られているのだろう。体中が不思議な感触の物体に巻き付けられ、固定されているのが分かる。

 

「俺は俺が触れている物体なら俺の霊力を這わせることができてさ。頑張れば触れてなくてもできるのはできるんだけど、流石にここまで細かい作業は触れないと無理なんだよね。逆に言えば触れれば可能ってことなんだけど」

 

 まるで体が動かない。恐ろしい精度の術。投げたあの一瞬でここまでのことをされたとはとても信じがたい、と服部は思う。

 

 だが現状されているのだ。この男の実力、言い分を認めるしかない。

 

「ぶっちゃけると投げられたのは意外だったけどね。もうちょっと楽に勝てるかと思ってた」

 

「……言ってくれる」

 

 その言葉もどこまで本当なのか分からない。だが、悔しいことにほぼ事実なのだろう。

 

 出なければここまで綺麗に敗北する筈がない。

 

「―――化物。言われ慣れてきた言葉だが、自分が使いたくなるとはな」

 

 悔しさはあるが、ここまで格上だったと分かれば諦めにも似た感情すら浮かんでくるというものだ。

 

 表情には一切出さないが、もちろん腸は煮えくり返るような熱さに苛まれている。

 

 当然だ。自分の実力に一切の疑問を持たず、絶対の自信を持っていたというのにこの様だ。屈辱で死にそうな程である。

 

 だが、どこか納得している自分も居ることに服部は気が付いていた。神童という言葉は、伊達ではなかったということなのだろう。自分たちは、そんな呼称で呼ばれたことなどないのだから。

 

「俺にとってその称号は誉め言葉だからどんどん使ってくれていいぞ」

 

「変人だな。普通は蔑称と認識するだろう」

 

「まぁね。でも化物クラスに強いって意味なら恰好いいじゃん?」

 

「ふん。―――完敗だな。私の負けだ、小野寺」

 

 そういって冷笑を浮かべる服部。見方によっては恐ろしい笑みに映るそれであるが、勝者である凛から見れば単純に綺麗な、美しい笑みだった。

 

「ところで小野寺」

 

「どうした服部嬢」

 

「いつまで拘束しているつもりだ。速く解け」

 

「……いや、俺もそうしようかと思ったんだけど、問題があってだな」

 

「問題だと?」

 

「動けない美人が俺に跨ってる状況って結構悪くないなーと」

 

「……」

 

「冗談だから!そんな怖い顔すんなって!」

 

 でも黄泉とあいつの試合が終わるまで待ってくれ、と言って服部の下から這い出る凛。

 

 上体を少し起こした状態で両手を使って這い出る絵面はとても勝者とは思えぬほど滑稽ではあったが、困惑に溢れている周りにとっては問題にならなかったらしい。

 

「……最後に一つ聞かせろ小野寺」

 

「なに?」

 

「お前は―――いや、やっぱりやめておこう」

 

 口に出そうと思った言葉を、服部は飲み込む。

 

 敗者がこれ以上喋るのはただ恥を上塗りするだけだ。

 

 だから、小野寺凛が1度も攻撃に移らなかったことは、防御にリソースを回したせいなのだろうと、納得させることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っく!しつけぇな!」

 

「―――ふっ!」

 

 飛んでくる霊力で構成された弓矢を、黄泉は恐ろしい精度の剣戟で切り払う。

 

 二刀を持って三つを切り伏せる。霊力で出来たそれは、より強い霊力をまとった木刀で斬られることで形を保つことが難しくなり、空に霧散する。

 

 都度十数回。黄泉が近づいては狭間が離れながら弓を射て、それを黄泉が切り落として再度近づく、という流れが繰り返されていた。

 

「うーん。やっぱり木刀じゃ上手くいかないなぁ」

 

 木刀で肩をポンポンと叩きながら相手に聞こえないようにそう呟く黄泉。

 

 相手の弓の腕前は対したものだ。黄泉が近づこうとすると、体勢的に一番打ち込んでほしくない所に一番いやなタイミングで打ち込んでくるし、その速度も見事だ。

 

 精度、速度、タイミング。どれも一級品。達人の域に足を踏み入れていると言って過言ではないだろう。

 

―――どうしようかしら。本気でやるつもりはないんだけどなぁ。

 

 あくまで腕試し。黄泉はこの試合をそう考えていた。

 

 正直に言って、本気で踏み込めば間違いなく勝てるだろうと黄泉は思う。

 

 本当に狭間の腕は素晴らしい。ただ口が悪い男と言うだけではないということを身をもって思い知らされる。同じ退魔師として尊敬するし、そこまでの研鑽に敬意を抱かずには居られなくなった。

 

 正直本当に敵に回したく無い相手だと思う。黄泉を殺さないよう細心の注意を払ってこれなのだから、もっと広いフィールドで、曲射も含めて全力でやられたら苦戦することは間違いない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 負けるビジョンが欠片も浮かばない、と黄泉は思う。

 

 勝てるビジョンが具体的に浮かぶのかと言われれば決してそうでは無いのだが、凛や神楽と模擬戦をしているときのような、ギリギリの緊張感がないのだ。

 

 二人と手合わせをしている最中には頻繁に「これを間違えたら絶対に負ける」という感覚に肝を冷やされる。

 

 事実そこで選択をミスすれば自分が本当に不利になるし、実際にほぼほぼ負ける。

 

 でも、今はそうでは無いのだ。本当にびっくりするぐらいに肝が冷えない。

 

 多分、どこをどうしても勝てるだろう、としか思えない自分に戸惑ってすらいた。

 

 相手が全力を出せない環境なのは承知の上だ。

 

 しかし、それでもである。本気を出せないというのならば自分も乱紅蓮を出せていないし、条件で言えば対等だ。

 

「随分と余裕じゃねぇかのか?」

 

「そんなことは無いわよ。攻めあぐねてるのは貴方が一番感じてるでしょう?」

 

 とは言え、実際攻めあぐねているのも事実だ。

 

 どうしたものか、と黄泉は思う。

 

 やる気になればやれるけど、正直やりたくはない。相手には相当失礼な考えではあるけれど、温存しておきたいのだ。

 

「なら突破できるよう攻め込んできたらどうだ?呆けてないでよ」

 

「……あなたがそうさせてくれてないんじゃない」

 

 再度、黄泉が踏み込む。

 

 瞬足という表現がピッタリのそれ。一般の退魔師であるのならば接近されたという事実しか認知できずに体を滅多打ちにされていることだろう。

 

 だが、相手は一般の退魔師ではない。この世界に二人といない、弓の名手なのだ。

 

 ノーモーションからの速射。溜めの時間など殆どなかったというのに、黄泉にとって最も嫌なタイミングで繰り出される。

 

 これに当たらないようにするには足を止めるしかない。幾度と繰り返されたやり取りをなぞるかのように黄泉は矢を切り払う。

 

「面白いぐらいにあっさり切り払ってくれんじゃねぇか」

 

「そっちこそ面白いぐらいに嫌なところに撃ってくれるじゃない、の!」

 

 再度接近する黄泉。同じように接近するだけでは先程までの繰り返しと全く一緒だ。つまりは接近を阻まれて足を止める。その繰り返しになる。

 

 そうすれば不利なのは黄泉だ。

 

 動く距離を最小限に、ただ弓を射ればいい者と、長い距離を刀を振り回しながら詰めるもの。どっちが疲れるかなど明確にもほどがあるだろう。

 

 だから一応、そのための布石は一応打ってきた。

 

 ただ。

 

 チラリと後ろをみる。そこには腕を組んでこちらの試合を眺める凛の姿があり、マウントの体制のまま固まっている服部忍の姿もあった。

 

 どうやらいつの間にか戦闘を終わらせてこちらの戦闘を観察しているらしい。

 

―――出来ればこれ、凛には見せたくなかったんだけどなぁ。

 

 そんなことを思いながら、一気に自分の速度をトップに上げる。今までは抑えていたそれを、ほんの一瞬だけ開放する。

 

 自分がやっていたのを真似て、最近凛がよく使う戦法だ。直前までワザと自分の速度を抑えて戦い、イザという時にほんの一瞬だけ速度を上げてやる。

 

 するとどうだろうか。面白いぐらいに相手は引っかかってくれるのだ。

 

 果たして、それは目の前の相手でも同じだったらしい。

 

 普通ならば単純な緩急など室長候補に効きやしない。凛にやられても自分が対処しきれるのと同様だ。

 

 だが、この戦法は非常に奥が深い。単純であるがゆえに、人間の認知を使った手段であるがゆえに、簡単に対処できるものではないのだ。

 

 狭間の目が驚愕に見開かれる。単純に驚いたのだろう。その速度の速さに。

 

 黄泉は徐々に、狭間には認知されないように()()()()()()()()()戦っていた。

 

 この緩急をつけるやり方の狙いは単純に一瞬だけ力を開放することで意表をつくことにことにある。

 

 だが、()()()()()()()()()()

 

 自分が望むように、自分の望むタイミングで相手が攻撃をしてくるように意識を調整してやるぐらいしてやらないと美しくない。ただ緩急をつけるぐらいなら、素人にだって出来るのだから。

 

 数メートルあった距離が、文字通り一瞬で詰まる。

 

 やられた側である狭間としてはどうしようもないだろう。第三者の視点から見ているギャラリーでさえ、その移動を目で追うことすら出来なかったのだから。

 

 弓を構える暇すらない。完全に弓に手をかける前の状態で、黄泉に接近を許す狭間。

 

 誰もが黄泉の勝ちを確信した瞬間、黄泉が突如停止する。

 

 それだけではない。少しよろけながら、喉元に手を添えて二歩、ふらつきながら後ずさりをした。

 

「……あっぶねぇな。今のは本気で肝が冷えたぜ」

 

 僅かに冷や汗を流しながら、狭間慶太はそうつぶやく。

 

 そしてその呟きが終わると同時に、カーンと、何か固い物体が壁に跳ね返り、地面へと落ちる音が響く。

 

 数度バウンドした後、球体の形をとるそれは他の球体がそうなるようにコロコロと転がり、訓練場の地面を伝っていく。

 

 それは偶然にも凛の足元へとたどり着く。銀色の、直径一センチほどの物体。多分、だれでもこの存在は知っているだろう。

 

「―――指弾か」 

 

 足元に転がるパチンコ玉を拾い上げ、そう呟く。

 

 指弾。簡単に言えば指の僅かな動作で物体を弾き、相手にそれをぶつける技術である。

 

 一見地味であり大したことのないように見えるその技術であるが、使うものが使えばかなり脅威であり、急所を狙えば相手の動きを充分な時間止めることも出来る。

 

 決定打になることは非常に少ない一撃であるが、()()()()()()()()()()()()として使うには非常に有効な一撃。

 

 それを狭間は放ったのだ。あのとっさの状況で、恐らくは2射。

 

 凛の足元に転がってきた分と、黄泉の喉元に。

 

「危なかったが、残念だったな。その程度の接近に対処する方法は身に着けてんだ」

 

 ゆっくりと黄泉の元へと歩みを進める狭間。

 

 俯いて足を止めている黄泉は、後退すらしようとしない。ただただ狭間が近づくのを許している。

 

―――流石だ、と凛は思う。あの一瞬でとっさの判断。あんなもの中々出来るものではない。

 

 正直に言うのならば、凛ですらあの一瞬だったのならば反応しきれたかは自信がない。

 

 狭間は完璧に、黄泉の一番嫌なところに嫌なタイミングで弓を射ていたように見えたが、多分それは誘導されてのことだ。

 

 あれだけ綺麗に嵌められて、あの瞬間のカウンターは見事だと言わざるを得ない。自分なら下手をすればあれで終わっていた可能性もある。

 

 流石は室長候補と呼ばれるだけはある。口先と態度だけの男ではないらしい。

 

「おい、小野寺。ちょっとそこで待ってろ。こっちを片づけたら次はテメェだ」

 

 凛へと顔を向けて、好戦的な表情を浮かべる狭間。

 

 そこには凛と戦いたくて仕方がないという感情が満ち溢れており、凛としてもそれだけ好戦的な感情を向けられるのは悪い気分はしなかった。

 

 認めたくはないが、凛は戦闘狂の気質がある。売られた喧嘩は買ってやりたくなってしまうのだ。

 

「いや、別にいいんだけどさ」

 

「あ?けどなんだよ」

 

「なんていうか、その。言いにくいんだけど、多分片付かないと思うぞ?いや、ある意味では片付くのか」

 

「はぁ?」

 

 そう言われた狭間は、諌山黄泉へと視線を戻す。

 

 すると、平然とした表情で、少し前かがみになった状況で狭間を見上げている黄泉とばっちりと視線が絡み合う。

 

 じーっと、真顔で狭間の顔を見つめている黄泉。それを狭間も見返してしまう。

 

 所謂上目遣いに近い表情。別に甘えているわけでも媚を売っている訳でもないため、目が潤んだり頬が上気しているわけでもないが、その角度は黄泉の顔立ちの美しさをより際立てるものだった。

 

 綺麗な顔立ちをしてやがる、と狭間は戦闘中にも関わらず思ってしまう。絶世の美少女とは聞いていたが、成程、その下馬評通りだとそう思う。

 

 それと同時に、とてつもない違和感に襲われる。どうしようもない違和感。体の芯のほうが警鐘を鳴らす。

 

 なんだ、どこに自分は違和感を感じて―――

 

「な……!」

 

 思考に浸っていたのは一秒にも満たない時間であったであろう。

 

 違和感の正体に気が付いた時にはもう遅い。

 

 喉元にパチンコ玉をぶち込まれた女が、あんな平然とした顔をしているわけがないと、遅すぎる結論にたどり着いた瞬間には既に手から弓は弾き飛ばされていた。

 

「いったー。手の平に痣できちゃったじゃない」

 

 いつの間に振り切ったのだろうか。剣を振り切った体勢から、ゆっくりと自然体に戻ると黄泉はそう呟く。

 

 握りこまれた左手を開くと、そこにあったのは銀色の玉。凛が拾い上げたものと全く一緒のものだ。

 

「あの一瞬でキャッチしてたのかよ……。ホントに性格悪いねお前は」

 

 狭間に一礼をしてから背を向けて凛のもとに歩き出した黄泉に向かって、凛が声をかける。

 

「あら。あんな体勢で女の子を縛り付けてる鬼畜男には言われたくないわね」

 

「後ろから襲い掛かられると怖いからな。忍者ってほら、暗殺得意だし」

 

「忍者より暗殺得意な男に言われてもって話よね」

 

 ぽいっと手に持っていたパチンコ玉を放り投げる黄泉。

 

 あの一瞬で、黄泉は投じられた指弾を防ぐことに成功していたのだ。

 

 流石に威力があったため足は止めざるを得なかったが、掌にぶつかった程度では当然決定打になどなりえるわけがない。   

 

「で、どうする?2体1になってるけど、タイマンでもいいぞ。やるなら拾えよ、それ」

 

 目の前で呆然と佇む大男にそう問いかける。

 

 やるなら付き合うぜ、と好戦的に微笑む凛。

 

 それを見て狭間は一瞬憤怒に顔を歪めるが、額に手を当て、首を横に数度振る。苦々し気な表情を浮かべてはいるが、どうやら襲い掛かってくるということは無いらしい。

 

「……負けだ。無様に足掻いてこれ以上恥はかきたくねぇ」

 

「……へぇ」

 

 てっきり素手でも殴り掛かってくるかと予想してたのにな、と凛は思う。

 

 弓を拾ったら拾ったでその瞬間に特攻をかけようと画策していた凛にとってはその回答は意外も意外だった。

 

 ……そのためにさり気なく霊力で地面に弓を固定していたというのに。

 

 凛の予想に反してそうとだけ言うと、背中を向けて狭間はさっさと訓練場から出ていく。

 

 負けは負けだが、無様に足掻くよりああして出ていく方が確かに男らしい。恥を考えるのならば最適の回答だっただろう。

 

「はいはい、それじゃあ余興も終わったことだし、訓練も終わりにしようかしらね」

 

「余興っつったか室長」

 

 いつの間にかスピーカー越しに指示を出すのではなく、訓練場に降りてきていた室長を睨みつけるが、相も変わらずその柔和な笑みで流されてしまう。

 

 実年齢ならば凛と同じくらいであるというのに、掴みどころがない。流石はドロドロした大人の世界を生き抜いてきた猛者なだけはあるのだろう。

 

「では、これにて合同訓練を終わります。本日はこの後予定がございませんので、各自散開してください。お疲れさまでした」

 

 二階堂が頭を下げ、皆も一斉に頭を下げる。

 

 自然と拍手が起き、それが静まった後は三々五々でみな訓練場を後にしていく。

 

「ふう、疲れたな」

 

「ご苦労様だったな、凛」

 

「ども。流石に疲れるなあの超人を相手にするのは」

 

 流れていく人を見やりながら、近づいて来た帝にそう話しかける凛。

 

「余裕を残している癖によく言う」

 

「んなことないって。帝さんはよかったの?俺とか黄泉と戦わなくて」

 

「興味はあるが、別に見せびらかして誇るものでもないからな、強さは」

 

 そういって自嘲気味に笑うと、帝も踵を返して出口へと向かっていく。

 

 不思議な笑みだ、と凛は思う。そして笑み以上に強さに彼が拘っていないことにも改めて驚きを感じる。

 

「時系列だと完全に強さにとらわれてる時期なんだけどなぁ。まだ追儺に会ってないだろうし」

 

 彼が両親を亡くした呪縛から解放された要因は追儺というキャラクターにある。帝同様原作(喰霊)にしか出ないキャラクターで、彼女との出会いで徐々に彼は変わっていくハズなのだが……。

 

「随分流れが変わり過ぎてマジ分かんねぇ。地雷がどこに埋まってるのかいよいよわかんないぞこれ……」

 

 誰にも聞こえないように呟きながら内心頭をかきむしる。

 

 自分の体調とかいう爆弾も抱えさせられているし、生まれながらのデバフチートまでかかってると来た。

 

―――ま、考えていても仕方ないし帰るか。

 

 凛も皆と同様に出口へと向かっていく。今だとシャワーが混んでいるだろうから、対策室に備え付けのほうを使おう、などと考えていると、またしても後ろから声がかけられる。

 

「小野寺」

 

「何?どしたの服部嬢……って、あっ」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「……とりあえず土下座でいいですか?」

 

 

 

 ちなみにこの後、狭間以外の室長候補同士で食事に行ったのだが、終始服部には口を聞いてもらえなかったらしい。

 

 

 

 



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第28話 -裏で動くもの-

遅くなりました(最早罪悪感無し)。
後で加筆修正入るので、明日の15時以降に見ると文章がちょっと洗練されているかもしれません。


「―――?なんだい、これは」

 

 明るい暖色の光に満ちた、地上300メートルの世界。

 

 赤と白で構成された巨大な鉄柱で組み上げられた、煌々と輝きオレンジに染まる東京のシンボル。

 

 東京タワー。その鉄骨の上に、三途河カズヒロは一人佇んでいた。

 

「カテゴリーAクラスの反応だけど、一体これは?」

 

 ズクン、と疼く殺生石。

 

 共鳴ではないが、圧倒的な力の本流に反応しているのだろう。今まで体験したことがないような反応を殺生石が示している。

 

「間違いなくこれを行ったのは僕じゃない。殺生石ですらない。ということは僕以外の第三者が僕の知らない何かを呼び起こしたっていうことだ。僕の埒外で、僕の想定外のことをしてくれる人間がいるみたいだ。……これは面白い」

 

 三途河にも特定出来てはいないが、この近くの何処かで、圧倒的な存在の封印が解放されそうになっている。

 

 彼が気が付けたのも本当に偶然。たまたまここに上って、たまたま気を研ぎ澄ませていたら気が付けただけなのだ。

 

 三途河はこと策略を立てることに関しては相当な腕の持ち主であると自負している。

 

 霊力分布を思い通りに操ることも、ばれずに色々とやる方法も当然熟知しているし、恐らくは彼以上にそれに長けた存在は稀有である。

 

 だが、今回の異常は、その彼が行ったことでは決してない。

 

 厳重な警備を潜り抜け、霊力分布の目を掻い潜り、とてつもない技量を以て名も知らぬ第三者はそれをやってのけたのだ。

 

「誰がやったんだろうね。でも正直やる人間なんて限られてるか。大方、小野寺凛辺りだろう。何を思ってやったのかは知らないけど」

 

 自分に対する布石としてやってくるぐらいのことはありそうだと三途河は思う。

 

 退魔師会には数多くの英傑が存在する。

 

 土宮雅楽は当然そうであるし、以前退魔師として名を馳せた諌山奈落、そしてその義娘である諌山黄泉など、並みの怨霊では太刀打ちすらできない人物達だ。

 

 その中でも三途河が最も警戒しているのは小野寺凛だ。

 

 実力の面で言うのなら土宮雅楽には到底劣るし、諌山黄泉のほうが脅威になる可能性が非常に高い。

 

 退魔師の中でも最強クラスに位置していることは間違いないが、それは自分がこれほど彼を警戒する決定的な理由には到底なり得ない。

 

 多分、この警戒は本能的な物なのだ。

 

 自分の生物としての危機を察知する能力が、あの男を警戒しているのだろう。

 

「さて。今回のこの爆弾を彼がどう処理するつもりなのかは知らないけど、その前に細工させて貰おうかな。面白いことになりそうだ」

 

 これを仕掛けたのはもしかしたら彼ではないのかもしれないが、それは些事に過ぎない。

 

 三途河としてはどうでもいいのだ。誰が死のうが、誰が企もうが、彼の目標に立ちふさがる障壁にさえならなければ、誰が仕掛けたかなどそれは彼にとってどうでもいいことなのだ。

 

 寧ろこれで小野寺凛辺りが大怪我でも負ってくれれば自分の目標達成がぐっと近づくのだから、好都合とも言えるかもしれない。

 

 事を仕組んだ人間に先回りしようとし、その場を移動しようとしたとき、それは三途河の鼓膜を震わせた。

 

 カン、という乾いた音。

 

 鉄の板に木がぶつかり、静かに奏でられた音。

 

 おおよそこの場にはふさわしくない、自然には絶対に発生し得ないその音。

 

 それは人の存在を、自分以外の他者の存在が、この地上300mの地点にあることを表していた。

 

 

 

「―――お久しぶりだね。元気にしてた?」

 

 

 

 柔和な、まるで旧友にでも話しかけるかのような、親しみさえ感じさせる声が鼓膜を震わせる。

 

 少女のような、しかしそれでいて大人の艶やかさを存分に含んだ、美しい声。三途河がそれを聞くのは、人生でこれが二回目だった。

 

「―――これはこれは。貴女が訪れてくるとは、正直欠片も思っていませんでしたよ」

 

 信じられない、と言った表情を隠しきれず、三途河は少し目を見開く。

 

 そこに居たのは病院で寝ているはずの女。

 

 自分が、退魔師としての人生に引導を渡してあげたはずの女性。

 

「お久しぶりです、土宮舞さん。いつぞやの夜以来ですね」

 

「そうだね。少し元気になったから、きちゃった。三年振りかしらね。君は全く変わってないみたいだけど」

 

 ほー、などと言いながら三途河を凝視する土宮舞。

 

 とても元病人とは思えない身のこなしであり、あれだけの重症を負い、床に数年も伏せていた人間とは思えない。

 

 14歳の娘を生んだとは到底思えない若々しい美貌。大人特有の妖艶さを放ちながらも、子供のようなあどけなさを内包した、ある意味矛盾したその美しさ。

 

 そこに、衰弱の色は感じられない。寧ろ逆だ。生気と活気に満ち溢れている。

 

「あの時は随分深い傷を負っていたようですが、お体の方はもう大丈夫なので?」

 

「お陰様で。シロちゃんが頑張ってくれたみたい」

 

 皮肉にも動じる様子はない。

 

 単純な振る舞いにこそ体調の異変と言うものは如実にあらわれるものだが、土宮舞を見る限りその兆候は一切見られない。

 

「こんな所で会うなんて奇遇だよね。君もお散歩?」

 

「僕は本当に散歩みたいなものですよ。それよりも、貴女がここに居る理由のほうが気になりますね。お尋ねしても?」

 

「散歩がてら歩いていたら、東京タワーの上にカテゴリーAが住み着いてたみたいだったから、退治しておこうかなーと思って」

 

「とんだ偶然があったものですね。さぞかし探すのに苦労されたことでしょう」

 

「一か月は追い回したからね。苦労したと言えば苦労したかな。良かったら君も協力してくれない?」

 

「遠慮します。と、そう言ったら?」

 

「その時は仕方ないかな。生まれてこのかた、奴さん達に遠慮されなかったことなんて一回もなかったしね」

 

 カラカラと笑う土宮舞。

 

「その時は、一方的に虐殺するだけだから安心して」

 

「それはそれは安心ですね。天下の退魔師様に掛かっては討伐など一瞬でしょう。枕を高くして眠れるというものです」

 

 もし、狙われている立場でなければ、の話ですが。と三途河は続ける。

 

「それで、僕の協力無しで目的は果たせそうですか?正直、随分と無謀なようにも感じますが」

 

「全然大丈夫かな。相手の怨霊には無謀の意味を懇切丁寧に教えてあげるつもりだし」

 

「それは怖い」

 

 余裕の態度を崩さず、微笑を浮かべながらそう発言する三途河。

 

 絶対に負けることなどないと確信している笑み。

 

「これから僕は行かなければならない所があるのですが、そちらを優先しても?」

 

「優先してくれてもいいけど、できるかな?多分すぐ終わっちゃうよ?」

 

「随分な余裕は結構ですが、錯誤から来た余裕であっては意味も無い―――」

 

 音は、無かった。

 

「凛君には悪いけど、ここで終わってもらうね。狩れる時に狩っておかないと。君は生かしておいちゃいけない人間だから」

 

 いつの間に準備したのか。

 

 土宮舞の手には美しい蒼の槍が握られており、その槍は槍本来の役割を存分に果たし、三途河の腹を深々と刺し貫いていた。

 

 神速。恐らくは黄泉や凛ですら反応できないであろう速度。

 

「……これは驚いた。まさか僕が反応すらできないなんて、流石に予想外でしたよ」

 

「これでも現役時代より大分落ちちゃってるんだけどね。三年は大きかったなぁ」

 

 余裕の表情で話し合う二人。

 

 とても片方が槍で貫き、もう片方が貫かれているようには見えない。

 

「……やっぱりこれくらいじゃ死なないんだね、君は」

 

 刺し貫いた槍に力を込めながら、土宮舞はそう呟く。

 

 腕が痛くなるほどの力を込めているが、槍はびくともしない。

 

 三年前と全く同じ展開だ。

 

 いくらこちらが攻撃しても、まるで水を相手に戦っているような、空気に対して攻撃をしているような、そんな感覚。

 

 押せば押すほどこちらが不利になる。そんな理不尽さ。

 

 故に負けた。

 

 何をしても、どんな攻撃をしても殆ど効かない。

 

 加えてそれに驚いている間に毒を食らってしまった。初手の段階で前回は負けが決まっていたのだ。

 

「カテゴリーAの討伐とやらにお力添えできず申し訳ありません」

 

「皮肉屋なんだね、君は。でも大丈夫。少し考えてあるから」

 

 考え?と三途河が尋ねようとした瞬間、土宮舞が槍から手を離す。

 

 戦闘中に得物を手から離す。それが如何に愚かなことか、戦闘に携わるものならば皆等しく熟知している。

 

 正当な理由なく得物を手放すなど、殺してくださいとでも言っているような物だ。

 

 それも特に実力の分かっていない、もしかしたら格上かもしれない相手に対してそれを行うなど、愚の骨頂。

 

 愚かという言葉では表現できない程のあきれた行動だ。

 

 何をして、と言おうとした瞬間、腹部をとてつもない衝撃が襲った。

 

「がっ……!」

 

「これは効くんだね。成程成程」

 

 思わず片膝をついてしまう。

 

 とてつもない衝撃と痛み。

 

 殺生石で強化されている影響か、槍で貫かれる程度であれば痛みを感じるも問題がない程度に治まるのだが、これは別次元だ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 想像を絶する痛み。

 

 殺生石による回復が進んでいるためこの程度で済んでいるが、そうでなければ一瞬でお陀仏だろう。

 

 こんな気違いにも程がある攻撃を人間に仕掛けるとは正気の沙汰とは思えない。

 

「くっ……!」

 

 飛びかける意識を何とか保ち、反撃に虫を飛ばす。

 

 即座に展開できる中では最高クラスの殺傷能力を持つそれ。

 

 色も黒く、大きさもそこまでではなく、しかも数が居るため、この夜の闇の中では対処は至難。

 

 この場においては最適解に最も近い攻撃。諌山黄泉ならばここで落ちていてもおかしくはない、そんな攻撃だったが……。

 

「白叡。喰らって」

 

 事も無げにあしらわれる。

 

 どころか自分までも喰らおうとその口を開けて迫ってくる最強の霊獣。

 

 とてもじゃないがあれに食われては殺生石でも復活することは難しい。かみ砕かれて、そのまま涅槃行きは確定だろう。

 

 愚策だとは分かっていたが、命からがら東京タワーから飛び降りる。

 

 新幹線と見間違えるような速度で迫りくるそれを、近場の鉄骨に飛び移ることで何とか回避する。

 

 正直、奇跡とも言えるような回避だったと三途河は思う。

 

 あそこで自分の人生が終わっていても何ら不思議では無かった。というより、多分普通なら終わっていただろう。

 

「……随分なことをしてくれる人だ」

 

 ゴホッ、と血を吐きながらも三途河は二本の足で立ち上がる。

 

 今のは完全に自分のミスだ。

 

 あの手法で攻撃を仕掛けてくるとはとても予測できていなかったが、一発目を譲ってしまったのは確か。

 

 多分、攻撃が見えていたとしても、自分はわざとあの一撃を受けていただろう。

 

「あちゃー。今ので仕留めるつもりだったんだけどな。ここまで距離離されちゃうときっと逃げられちゃうね」

 

「きっとそうでしょうね。この距離なら、何をしても逃げ切れる自信がありますよ」

 

 普通の家の一階と二階程度の距離。

 

 それが上下に空いただけでも普通は距離を詰めることなど不可能であるのに、今回は鉄骨が入り乱れる東京タワーの上だ。

 

 二人のように戦闘で使用されるためになど一切設計されていないことに加え、地上よりも遥かに強い風圧で移動が制限されてしまう。

 

 今日はかなり風が凪いでいるためそこまで支障にはならないが、確実に邪魔にはなる。

 

 いくら土宮舞が上を取っており、比較的優位な立場にいるとは言え、三途河相手ならば攻め切れない決定的な要因になり得るだろう。

 

「ねぇ三途河君」

 

「なんでしょう」

 

「―――邪魔、しないでね」

 

 およそ敵に向けるとは思えないような微笑み。

 

 柔和で、温厚なそれではあるが、確かな威圧と圧力が込められていた。

 

「邪魔、とは」

 

「独り言を聞いちゃってたからね。気が付いてるんでしょ?あの()()に」

 

 爆弾。それは先程まで三途河が邪魔をしに行こうと考えていたもの。

 

 恐らくは封印されたカテゴリーA。三途河も知らない何か。

 

「多分あれの目覚めは必要なものだから、変な細工をしないで上げてほしいんだよね」

 

「……必要?あれが?」

 

「そう。多分だけどね」

 

 退魔師の発言とはとても思えない。

  

 必要と、そう言った。変な細工をしないでほしいとも。

 

 別に三途河はあれを目覚めさせようとしているわけではない。

 

 少々手を加えて、引っ掻き回してやろうと、そう思っているだけなのだ。

 

 そして土宮舞が言ったのは、その細工を止めるように、とだけ。

 

 今なら再封印出来るかもしれないというのに、それを阻止するような発言を一切していないのだ。

 

「気が付いていて復活を止めようとしない……。これは貴女が?」

 

「私ではないかな。下手人は知ってるけどね」

 

 さらりとでる爆弾発言。掘れば掘るほど炸裂する女だ、と三途河は思う。

 

 ますます意味が分からない。

 

「多分あの封印の感じだと明日には破裂すると思うんだよね。そういう意味では君を見つけたのが今日でよかったかも。退治しきれなかったけど、もし邪魔をするつもりならどこまででも追い回してあげる」

 

「流石にそれは遠慮しておきましょう。少々気が狂った退魔師の方につけられた傷がまだ痛むのでね」

 

「気が狂ったとは失礼な。アイディアを出していたのは彼なのに」

 

「実行したのは貴女でしょう。正気の沙汰ではできませんよ、あんな攻撃」

 

 未だ痛みの治まらない腹を抑えながら、三途河は術式を組み立てる。

 

 当然、逃げの一手しか選択肢には存在しない。

 

 あれだけのダメージを負ってこの程度で済んでいるのは流石の殺生石と言わざるを得ないが、それでもこれ以上のダメージは流石に負いたくない。

 

 自分はこの石を持つにふさわしい人間を見極める裁定者なのだ。

 

 決してこの石に取り込まれ、九尾の依り代になってはならないのだから。

 

「やっぱり逃げるんだ。ここで退治されてくれない?痛い思いはさせないから」

 

「遠慮しておきましょう。また腹に風穴をあけられてはたまったものじゃありませんから」

 

 蝶が舞う。

 

「逃げる前に一つお聞きしたいのですが」

 

「何?」

 

「その下手人とは、誰なのです?」

 

 これは純粋に興味があった。

 

 既に逃げる準備は整っている。

 

 今ならば喰霊白叡で噛み千切られようが、爆破槍で貫かれようが、無傷で逃げ切ることが出来る。

 

 だから、その疑問を純粋にぶつけてみたのだ。

 

「んー。それは内緒かなぁ。一つ言うなら凛君の仕業ではないかな。むしろ被害者になると思う。それも盛大に」

 

「へぇ。彼以外にそんな馬鹿なことをしでかす人間がいたとは驚きです」

 

「私も少し驚いたかな。違う用件で気になって付け回していたら偶然見つけちゃったんだけどね」

 

「もう一つ。何故止めないのです?あれが暴走したら多くの死人がでるでしょう。だと言うのに……」

 

「それは大丈夫。多分出ないように彼女も計算してるから」

 

「……成程。下手人は女性、と」

 

「あら。少し口を滑らせすぎちゃった」

 

 あははーと笑う土宮舞。

 

「もう一回言うけど、邪魔はダメだよ?彼女の、そしてその被害者達のためにならないから」

 

「そうですね。事の顛末も気になりますし、今回は傍観者でいるとしましょう。―――それでは、またいずれ会う時まで」

 

 蝶が霧散する。

 

 青白い光となって消えていく美しい蝶々達。

 

 そしてそれが全て消え去った後には、何も残ってはいない。

 

 人と言う質量が、魔法でも見ているかのように消え失せて、無くなってしまった。

 

「お、消えた。初めて見たけど、一体どんな術式なんだろう。……確かに、天才よね」

 

 消えていく三途河を見ながら、土宮舞は独り言つ。

 

 天才だと、本気で思う。

 

 もし彼が退魔師側に居たのならば、全国の退魔師の中でもトップクラスに位置するものになっていただろう。

 

 こと術の才能で言うのなら、諌山黄泉をも凌ぐかもしれない。

 

 玉の世代って奴かしら、などと思いながら、土宮舞はその場にへたり込む。

 

「流石に緊張したなー」

 

 噴き出してくる汗。余裕を気取ってはいたが、一度殺されかけた相手だ。

 

 一流の退魔師である土宮舞でも、流石に極度の緊張状態にあったのだ。

 

「身体も全然完璧じゃないし、結構無謀だったかも」

 

 はぁーと安堵のため息をつきながら、東京の街を見下ろす。

 

 ……明日にはこの街の外れの方で大規模な戦闘が起きる。

 

 それもかなりの規模の、かなりのものが、だ。

 

 その下手人も発生時間もすべてわかっていて、でも自分は何も行動はしない。

 

 ことが起きてからは動くつもりではあるが、それまでは何もしないと決めているのだ。

 

「私がここまでしてあげたんだから、上手くやってほしいなぁ」

 

 その下手人は、土宮舞がこうして自分の行動を把握しているとは欠片も思ってはいない。

 

 あくまでこの行動は土宮舞による、土宮舞の勝手な行動なのだ。

 

「―――踏ん張りどころだよ、黄泉ちゃん。負けないでね」

 

 文字通り暗躍する土宮舞の独り言は、東京のシンボルに照らされる街の闇の中へと消えていった。

 



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第29話 -異変の始まり-

遅くなりました。


 自分の行動は矛盾している。

 

 下駄を鳴らして歩きながら、常々抱いていた思いを再度自分の中で反芻する。

 

 自分のやろうとしていることはパンドラの箱を開けるが如き所業だ。

 

 行えば必ず自分たちは厄災に見舞われることになる。未曽有の、経験したこともないようなそれになることは間違いがない。

 

 間違いなく、誰かが命を落とす。

 

 そしてそれは彼も例外ではない。いや、違う。()()()()()()()()()()

 

 彼は間違いなく前線に立たされる。それも最重要な、戦局を確実に左右するような場面に必ず彼は登場する。

 

 他の誰でもない、それこそ私ですらない戦況に、彼はあの女と共に投入されざるを得ないだろう。

 

 だからこそ例外ではない。むしろ彼こそが例外ではない。

 

 

 でも、死んでほしくないと、思っている自分がいる。もしかすると死ぬかもしれないと考えると、何故か心がずきりと痛むのだ。

 

 多分それは、今私がこうして彼と合流するべく歩みを進めていることにも関連しているのだろう。

 

 今着ている浴衣は元々私が所有していたものではない。わざわざこの日のために設えた、特別な一品なのだ。

 

 髪だっていつものようにただ流しているだけではなく、セットして貰った、私にとっては特別なもの。

 

―――何故だろう。彼のことを考えると、自分が自分でなくなってしまうかのような、諌山冥でなくなるかのような、そんな、不思議な感覚に見舞われる。

 

 この理由を、本当に私は理解していないのだろうか。

 

 いや、間違いなく理解している。私はそこまで愚かではなく馬鹿でもないのだから。

 

 でも、それでも私は愚かで馬鹿なのだろう。

 

 だって、そんな彼を、自らの手で殺めかねない行動を、わざわざ起こしているのだから。

 

 頬が熱くなる。秋の祭りにはふさわしくない、不思議な火照り。それを引き起こす感情は、多分。多分、その一つだけなのだろう。

 

 でも、頭と心の一部は依然として冷たいままだ。胸が高鳴り、どこか抑えきれない感情に身を任せようとしてしまう自分が居ても、それの外で彼を殺める算段をしている自分が、間違いなく存在する。

 

 矛盾している。

 

 再度、そう思う。

 

 最低なことをするのだと、そう分かっている。

 

―――でも。

 

「嗚呼。私はこれ程までにも―――」

 

 好いている男を殺めてでも、それでも私は。

 

 

 

―――諌山に、なりたいのだ。

 

 

 

 

 

 

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 異変が起きたのは、室長候補が集合して、3日目の昼のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 室長候補会議。そう銘打たれたそれだが、実際には俺らは主役ではない。

 

 実際には上の奴らの腹の探り合いに、人材の引き抜き、その他諸々の大人の事情こそがこの会議を占める最も大きな要素であって、俺らが必要だったのは初日ぐらいなもんだ。

 

 一応開催期間は三日ではあったが、三日目ともなれば俺らに大人が課す課題などもう存在しない。

 

 午前中に有った合同訓練が終われば後は自由行動だったので、室長候補筆頭6人でファミレスにきていたわけだが……。

 

「おい誰だ俺の辛味チキンをタバスコ漬けにしてくれた馬鹿は」

 

 ちょっとトイレに行くために席を離れたところ、俺のチキンがタバスコの中に沈殿していた。

 

「貴方が”これ辛味チキンっていう割に辛味がないよな……”って言ってたから服部さんが気を利かせてくれたのよ」

 

「まじで要らん気の利かせ方だなおい。なにこれ俺が食べるの?」

 

「おいおい逃げんなよ小野寺?せっかくのプレゼントなんだ、味わってくえよ」

 

「小学生かお前らは……」

 

 そう言って席に着く俺。

 

 まあ結局その後、狭間と俺でそれは平らげたわけだが(狭間には煽って一つ食べさせた)、服部嬢は俺にどれだけの恨みを持っていたというのだろうか。

 

 俺がやったことと言えば体を霊術で隅々まで縛り上げて動けなくして少しその状況を堪能して放置しただけだろうに。

 

 ……いや、完全アウトか。

 

 黄泉の罠に気が付かず、辛味チキンで完全にやられた味覚と痛覚を冷めたコーヒーで元に戻そうとして危うく糖尿病になりかけてみたり、帝さんが気を利かせて持ってきてくれた水を飲んだりしていると、俺の携帯が振動した。

 

 震えたのは仕事用の携帯だから、いつもの定時の霊力分布図報告だろうと思い、携帯を見る。

 

「……?なんだこれ、機械ぶっ壊れたのか?」

 

「なに?どうしたの?」

 

 いぶかしげに携帯をのぞき込む俺を見て、これまたいぶかし気に俺の携帯をのぞき込む黄泉。

 

「いやこれ見ろよ。霊力分布図が半端ないことになっててさ」

 

 そう言って俺は机の上に携帯を置き、皆が見やすい位置に調整する。

 

 最新の霊力分布図が届いたわけなのだが、これがどうもおかしい。

 

 なので黄泉に見せるついでについでに皆にも見せようと角度を調整する。

 

「この辺り。多分栃木の山奥かな。これは異常じゃないか?流石に」

 

 画面を指さしながら説明を始める。

 

 栃木の地理にはあまり詳しくはないが、多分これは山の方だろう。街中では間違いなくない。

 

「俺の経験上、とある霊気の流れって確実にいいことがないんだよ。具体的に言えばカテゴリーAクラスの怨霊の出現を示唆してると言ってもいい。つうか正直間違いない」

 

「凛の霊力分布予想は結構精度が高いものね。それで?」

 

「んでその空気の流れっていうのがまさにこれなんだけど……」

 

 そう言って画面を指さす。

 

 1か所。俺の指は1か所を指さしている。だが、皆の視線は俺の指を見た後、即座に違う場所へと移り変わっていく。

 

「……随分質の悪い冗談だな」

 

「だろ、帝さん。だから俺も機械の故障を正直疑ってるんだけどさ」

 

 ポリポリと頭を掻きながら、服部嬢のほうにも目を向ける。

 

 昨日謝り倒して、ようやく喋ってくれるようになった服部嬢。俺を見るときは中々ごみを見るような目で見てくれやがるのだが、今は非常に真剣に俺の携帯をガン見している。

 

「おい小野寺。その画像は間違いなく上から送られてきたやつなのかよ」

 

「そこは安心してくれ狭間。正真正銘霊力班から送られてきた正確無比なやつだよ。……いや、むしろ安心できないのか?」

 

 うーんと、俺は唸る。

 

 常識を疑うことには結構定評のある俺なのだが、流石に俺の中の常識がこの情報のおかしさを丁寧に説明してくれている。

 

 幾らなんでもこれはおかしすぎる。流石に観測班の間違いだろうとは思うんだけど……。

 

「まぁそうよね。だってこの写真が正しいとするなら―――」

 

 黄泉の指が、俺の画面をなぞる。

 

 一か所ではなく、準繰りと二か所、三か所とスポットを指さし、最後に一か所を指さして止まる。

 

 室長候補達が何とも言えない顔になる。多分おれの顔もそうなっていることだろう。

 

 だって、この写真が本当に正しいなら―――

 

()()()()()A()()()()()()()()4()()()()()()()ってことになるじゃない」

 

 そう。そういうことになるのだ。

 

 霊力分布図が示している異常は4つ。

 

 台形みたいな形をした異常値が示されているのだ。

 

「そうなんだよなぁ。幾らなんでもこれは有り得ないとは思うんだけどさ……」

 

「観測班の精度が悪い時なんていくらでもあるが、流石にこれは見過ごせないな」

 

 俺の言葉に、帝さんが同意を示す。

 

 流石にここまでの異常値、はいそうですかと見逃すわけには絶対にいかない。

 

 この霊力分布図は霊感が強いが戦闘能力の高くない女性達が、特殊な機械の上で瞑想をすることによって作られているため、その女性たちの調子いかんによっては狂うことも多々あるのだ。

 

 だが、流石にこれを狂ってないなんて言うのは難しいし、でも狂ってるって断定するにはちょっと勇気がいる。

 

 まあでもこれはあり得ないよな、と言おうとした瞬間、今まさに俺が持っていた携帯に着信が入る。

 

 一瞬にして張り詰める空気。

 

 電話の仕向け人は二階堂桐。緊急の用事があるときしか俺に電話をかけてこない、そんな女からの着信である。

 

 さっきまで俺のコーヒーに角砂糖をありったけ投入して遊んでいた黄泉も、俺の辛味チキンが漬かるぐらいにタバスコを振りかけて提供してきた服部嬢も、鋭い目で俺を注視し始める。

 

 室長候補の面々とアイコンタクトを交わしてから、数コールおいて俺は電話に出る。

 

「……もしもし」

 

『小野寺凛、今どこに居ますか?』

 

「渋谷のファミレスですが」

 

 簡潔に答えて、携帯の音声をスピーカーに切り替える。多分この話は、俺達全員で共有しておいてなんの問題もない。というより共有しなければならない話に違いない。

 

『他の室長候補達もそこに?』

 

「ええ。東京観光させてあげようと思って。会議に出たメンバーは全員います」

 

『好都合です。皆にも伝達を』

 

「分かりました。……ちなみになんですが、霊力分布図は見ましたよ」

 

『なら話は早いですね。―――その件です』

 

 その声を聴いて、俺を除いた全員がほぼ同時に立ち上がる。

 

「会計を済ませてくるわ。皆は外に行ってタクシーを捕まえてきて」

 

「分かった。捕まえた順に先に行っているぞ」

 

「よろしくね、帝さん」

 

 流石は室長候補達というべきか。二階堂が何かを指示する前にもう勝手に動いている。

 

 ……少し行動が早すぎる気もするが。俺まだ話聞き終わってないんだけど。

 

『本当に話が早くて何よりです。緊急招集になります。各自最速で対策室まで集合を』

 

「了解。すぐ向かいます」

 

 電話を切ると、会計を黄泉に任せて俺も外に向かう。

 

 突如立ち上がってそそくさと退散する美男美女の集団に対してめっちゃ視線が集まっているが、俺以外のメンバーは気にせずさっさとファミレスを出ていく。

 

「小野寺。どこから乗るのが一番早い?」

 

「乗るなら反対車線からの方が早いから、向こうに渡って乗ってくれ」

 

 スクランブル交差点の対角を指さしながら、指示する。確か環境省に行くならあっちの方が近いはずだ。

 

「俺は黄泉と行くから、四人は先行ってて。すぐ追いつく」

 

「分かった。何かあったら連絡をくれ」

 

「遅れんなよ小野寺」

 

 帝さんはそう言い残して、女性陣二人は無言でスクランブル交差点を渡っていく。

 

 浅黒いタンクトップ筋肉野郎に、白髪の長身イケメン、そして異様に小さい醤油顔の女に、ゴスロリの美人が四人揃うと流石に渋谷でも多少浮くらしい。

 

 渋谷と言えば日本屈指の変な奴らが集まる所であるはずなのに、一際目立っていた。

 

「……流石はアニメキャラ」

 

 そんなことを呟きながら、俺は先ほどの霊力分布図について熟考する。

 

 アレは間違いなく、カテゴリーAの反応だ。一緒に分析した仲である二階堂が俺に電話をかけてきた辺りからも、それが間違いじゃない可能性をありありと示してくれている。

 

 背中を冷たい汗が伝っていく。気が付けば、両の手を強く固く握りしめてもいた。

 

 緊張しているのだろうか。いや、多分俺は恐怖しているのだ。

 

 カテゴリーAクラスが4体。そんな未曾有の事態、過去にあっただろうか。

 

 下手をすれば、日本が終わる。

 

 流石に九尾の狐や天狗、阿修羅とか天変地異クラスのレベルではないだろうが、それでもカテゴリーBとは桁が違うだろうレベルの可能性が高い。

 

 気を引き締めていかないと、死ぬ。

 

「凛、お待たせ!」

 

「来たか。んじゃ行くぞ」

 

 畳みかけてきたと、そう考えるべきだろう。

 

 恐らくは奴の全力。これが、最後だ。

 

―――最終決戦って訳か?三途河。

 

 頭の中で奴に対する対策を全力で組み立てる。あいつならどう動くか、それに対して俺がどうするべきか。

 

 俺は、それに特化すればいい。

 

 タクシーを待つ間、それを俺は考え続ける。足りない頭で、必死に考え続ける。

 

 

 

 それが、圧倒的な間違いだと、気が付かずに。

 

 

 



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第30話 -餓者髑髏1-

「遅くなりました」

 

 他の室長候補達に少しだけ遅れて、俺と黄泉は二階堂に指示された会議室にたどり着く。

 

 学校形式に机が整えられている会議室。

 

 この前会議に参加していた全員が集められているとみて間違いないだろう。100人規模で人が入る会議室がほぼほぼ全部埋まっている。

 

 各対策室の室長に、室長候補達。そしてその連れの一般退魔師に、事務員まで。

 

 うちのメンバーはカズさんとかナブーさん含めて全員居るのと、……あれ?

 

「冥さん?」

 

「遅かったですね」

 

 最前列の方に見知った白金の髪を持つ女性が座っていたので、隣に腰かけてみると案の定冥さんだった。

 

「何で冥さんがここに……って聞くだけ野暮ですね。冥さんまで導入されるいよいよの状況ってだけのことだ」

 

「そう取っていただいて問題ないかと。……それにしても貴方達二人は随分と遅かったのですね。会議の開始が随分遅延したものですが」

 

「ちょっと気になることがありましてね。この戦闘で必要になるかもしれないものだったので、ちょっとばかし調べ物をね」

 

 まぁ、空振りに終わったんだけど。流石に日比谷公園の封印が緩められているなんてことは無かったらしい。

 

 遠くに目を向けさせて足元をドカン、なんてことやってくるかと思ったんだけど、違ったみたいだ。

 

 俺なら多分やるんだけどなぁ。今回は当てが外れたらしい。

 

「それでは、全員が揃ったところで会議を進行したいと思います」

 

 俺と冥さんの雑談が終わった辺りで二階堂桐が会議をスタートさせる。 

 

「結論から申し上げます。栃木県北西部にカテゴリーAクラスに匹敵する怨霊が4体確認されました」

 

 淡々としながら、しかし通る声で二階堂桐はそう告げ、前方にある巨大なスクリーンに一枚の霊力分布図を映し出す。

 

 そこに映っていたのは先程まで俺達が見ていたものから一歩状況が()()された最新版の霊力分布図だ。

 

 途端にざわめき始める会議室。常に冷静であることが望まれるエージェント達ですらこの驚きようだ。この霊力分布図に映し出された怪異現象は、この退魔師界トップクラスの人間達をして異常だと言わしめる状況だということを示している。

 

 俺を挟んで冥さんと反対側に座る黄泉の表情ですら、明らかに以前より暗くなっていると言えばわかりやすいだろうか。

 

 流石にざわめきが収まらない。

 

 俺が事前に説明をしていた候補生たちは比較的落ち着いているようだが、今情報を知ったばかりの人間はとても冷静ではいられないのだろう。

 

「……カテゴリーAクラスっていうことは、カテゴリーAとは異なるとの認識でもいいんでしょうか?」

 

 ざわめきが収まらない中、俺が率先して質問をする。

 

 動揺していたいのは俺も同じだが、それよりも今は少しでも有益な情報を引き出す必要がある。

 

「その通りです。ただし、条件付きではカテゴリーAに昇格致します。こちらをご覧ください」

 

 その問いに対して答えるのは二階堂桐。あらかじめその疑問に対する回答は用意してあったのだろう。手早く画面を切り替えていく。

 

 二階堂の言葉に従って、画面を見やると、そこには一体の見なれぬ怨霊が写っていた。

 

「カテゴリーB、”餓者髑髏(がしゃどくろ)”。これが今回、皆さんのお相手になります」

 

 そこに映されているのは中世の浮世絵に描かれた、人の5倍ぐらいはあろうという体躯を持つ骸骨であった。

 

 一応俺らは一般教養みたいな感じで有名な怨霊の名前、一般に伝わる姿形、特徴程度なら頭に入れている。

 

 その上で俺は結構マイナーな所まで怨霊を知っている自信がある。同じく室長候補達もそうなのだろう。

 

 だから、どうしても気になってしまい、二階堂の話を遮って質問を重ねる。

 

餓者髑髏(がしゃどくろ)だって?いや、ちょっと待ってくれ」

 

「何でしょうか帝綜左衛門さん」

 

「話を遮って申し訳ない。だが、餓者髑髏(がしゃどくろ)とは()()()の怨霊だったかと思うのですが」

 

「しかも昭和中期とかそこらよね、確か。元となったのはその絵らしいけど」

 

 帝さんの質問に、黄泉が補足を加える。

 

 餓者髑髏(がしゃどくろ)。名前は聞いたことがある。

 

 確か昭和中期に創作された、近代の怨霊と言う奴だ。

 

 怨霊というのは基本的に有名であればあるほど強い傾向にある。

 

 例えば天狗。阿修羅。九尾の狐や八岐大蛇なんかもそうだ。

 

 一般人にも認識されてしまうような怨霊というのはそれだけ力が強いことの証明であり、一般に伝説として残っているようなものはほぼほぼカテゴリーAになると認識していただいて問題ないだろう。

 

 時折一般人には認知されていなくてもとてつもない強さを誇る怨霊なんかも居たりはするが、正直結構稀だ。

 

 認知度=強さと、そう考えてもらって大丈夫なのが怨霊というものなのだが……。

 

「そんな最近作られたような怨霊がカテゴリーB?確かにとても考えにくいわね」

 

「それだよなぁ。そしてそもそも創作上の怨霊がなんでそんな山奥で発生するんだって話なんだよな」

 

 そもそも論、こいつは所詮創作の化け物なのだ。

 

 確かに創作から化物が生まれることは無くはない。事実念の籠った絵からなんかは普通に鬼が生まれることはあるし、他にも現代の映画に出てくるような化け物が、自殺スポットには現れたりすることもある。

 

 一回普通の怨霊退治だと思ってたら貞子に遭遇した時は流石の俺も叫びそうになった。

 

 人間の思念は形を成すことがあるのだ。だから餓者髑髏(がしゃどくろ)が生まれていてもおかしくはないのだが……。

 

「皆様の疑問は尤もかと。それにお答えできる資料がございます。こちらをご覧ください」

 

 二階堂桐の言葉と共に、再度画面が切り替わる。

 

「先程まで我々も餓者髑髏(がしゃどくろ)が創作上の怨霊だと考えておりましたが、それは事実ではございませんでした。……餓者髑髏(がしゃどくろ)には、元となった怨霊が存在しました」

 

 絵が切り替わる。そこに映っていたのは……

 

「カテゴリーA、”無限髑髏”。これを覚醒させないようにしていただくことが、今回の皆様の使命になります」

 

 浮世絵の一面を埋め尽くすかの如く描かれた、餓者髑髏(がしゃどくろ)の群れであった。

 

 

------------------------------------------------------------

 

 

 

 再度周囲がざわつく中、成程、と俺は納得する。

 

 無限髑髏は一般には知名度が非常に低いが、きちんと勉強している退魔師の中では結構知名度がある方の怨霊だ。

 

 多分勤勉な退魔師なら一、二回ぐらいは名前を聞くんじゃないだろうか。

 

 ガチもガチなカテゴリーA。危険度で言えば天狗や阿修羅なんかの伝説級の存在にこそ及ばないものの、普通に災害クラスの怨霊である。

 

 その危険性は何よりもその「数」にある。

 

 伝承によると、本当に「無限」に湧いてくるとのことなのだ。

 

 次から次へと、文字通り限り無く湧き続ける。だからこそ無限髑髏と、そう呼ばれるのだ。

 

 成程。その無限髑髏の正体は、大量の餓者髑髏だったという訳だ。これは笑えない。

 

「現在封印が破れたことが確認できている無限髑髏の一部、つまり餓者髑髏は4体。そしてこれが今回、皆様に討伐・封印していただきたい相手になります」

 

 またしても説明と共に画像が切り替わる。先程の霊力分布図だ。

 

「ご承知の通り、この赤点が餓者髑髏の位置を示しています。そしてこの4点からほぼ等距離にあるこちらの地点に無限髑髏の封印が存在します」

 

 レーザーポインターで示された地点に目をやる。

 

 地図上は何もない所だが、恐らくは何か封印の起点になるものでも存在するのだろう。

 

 そしてその封印が壊された瞬間、その漏れ出た4体だけじゃなく、その奥に隠された全部が湧き出して出てくると。

 

「この地点に存在する祠。これを壊された瞬間、……いえ、ここに一体でも餓者髑髏が到着した瞬間、我々の敗北は確定すると考えてください」

 

 一切の甘さのない声で二階堂桐が断定する。

 

 そこに餓者髑髏を到達させてしまっているってことは、つまるところ討伐班が負けてるということを意味する。多分相対することになるのは俺達室長候補だ。

 

 そして負けているということは間違いなく死んでるということだろう。

 

 ほぼほぼ俺達超自然災害対策室の最高戦力が敗北する。つまり、俺達人類の敗北に近しい。

 

 実際はほかのメンバーが対応するだろうから即座に負け、という訳ではないが、それぐらいの責任が俺達にはのしかかっていると考えるべきだろう。

 

「質問。その内の一体でも結界にたどり着いたら終わりなんだろ?ならこんなとこで呑気に会議している暇なんてねぇんじゃねぇのか?」

 

 そんなことを考えていると、筋骨隆々の弓矢男が質問を繰り出す。

 

 確かに、こんなことをやっている場合じゃないかもしれない。場合によっては俺とかみたいな機動力に優れたやつがさっさと向かうべきじゃ……。

 

「ご安心を。脚の速いエージェントが足止めに成功しており、我々が出なければならないデッドラインまでは少なくとも半日の確保に成功しています」

 

 しかしその杞憂は二階堂によって否定される。どうやら手は打ってあるらしい。

 

 ……流石の手腕だ。原作(喰霊)時点でも二階堂桐が居れば、陰陽道からの襲撃等に対しても多少はマシな結末を迎えることが出来たのではないだろうか。

 

「餓者髑髏以外の敵は?」

 

「カテゴリーCが多々。計測するのも馬鹿らしい規模になります。室長候補以外のメンバーは全員、カテゴリーCの討伐に当たっていただきます」

 

「計測するのも馬鹿らしいって……。ホントにこれ、災害クラスの事件じゃないですか」

 

 下手を打てばこれは本当に国家だとか、政府に動いてもらわなければならないようなレベルの”災害”だ。

 

 俺たちの対応がマズければ、本当に国が終わりかねない。

 

「向かうメンバーは?」

 

「現在ここにいる戦闘員は全てになります。我々本部機能はこちらに残ることになりますが」

 

 くるりと後ろを振り向く。

 

 事務員等を除けば……大体50人か。こりゃあ大規模な戦いになりそうだ。

 

「それでは配置を発表します。まず緊急時の指揮役に―――」

 

 二階堂が堂々たる態度で配置を発表し始める。

 

 緊急時の指揮官として帝さん、次点で俺と黄泉が指名されたこと以外は特に特筆すべきところは無いが、どうやらこの戦い、冥さんも参戦するようである。

 

「冥さんも出るんですね」

 

「ええ。それだけの事態だということでしょう。……小耳に挟んだ話ですが、正直な所、餓者髑髏よりも単純なカテゴリーC以下の数のほうが問題かもしれないとのことです」

 

「……カテゴリーC以下が?一体何が起こってるんですか栃木の山奥で」

 

 ……ホントに何が起こってるんだ、栃木の山奥で。

 

 きな臭い。カテゴリーAクラスの封印が突発的に解けることは正直無いことではない。いや、ほぼほぼ無いんだが、どうやら10年に一度ぐらいはあり得るらしいのだ。

 

 俺の親父もその掃討戦に参加したことがある的な話をしていたし、あり得ないことではないのだろう。

 

 けど、俺は一つの確証的な考えを持っていた。

 

 会議に参加する前にも考えたが、この戦いには三途河が絡んでいる。

 

 間違いない、いや、ほぼ100%だろう。こんな未曾有の事態、奴が絡んでいないなんてことが俺には想像がつかない。

 

 最終決戦を仕掛けてきたと考えて対応をするべきだ。もし本部の命令に背くことになったとしても、俺は奴の一歩先を考えて行動しなければならない。

 

「出発は1400になります。それまで各自戦闘準備を整えてください」

 

「「「「了解」」」」

 

 二階堂桐の言葉に、俺達は三々五々準備を整えるべく立ち上がる。

 

 ……何人、救えるかな今回は。

 

------------------------------------------------------------

 

「んじゃ行きますよ。しっかりシートベルト締めてくださいね」

 

「……貴方確かまだ16歳でしたよね?運転できるのですか……?」

 

「大丈夫です。大型まで運転できる免許持ってますんで」

 

 黒塗りのクラウンを滑らかに発進させ、俺は首都高速へと車を進めて行く。

 

 次第に冬の様相を呈しつつある風に吹かれる窓ガラスを眺めながら、ウインカーを点灯して首都高へと合流する。

 

 今俺達が乗っているのは対策室保有の魔改造クラウンだ。栃木へと向かう対策室のジープの後ろを追いかけているという状態だ。

 

「ホントに凛ちゃんって多才だよね。いつ練習したの?車の運転なんて」

 

「前世、かな?」

 

「そうやってまた適当こく」

 

 助手席に諌山冥、後ろに神楽、黄泉、剣輔という異色のメンバーをそろえたクラウンが、100km/hに到達する。

 

 流石3.5リッターエンジン。加速が半端ない。

 

「……本当に随分手馴れてますね」

 

 珍しく本当に心配そうな顔をした冥さんが、俺の偽造免許証を見ながらそう呟く。

 

 安心してください。大型トラックまで運転できる、国が偽造を認めてる最強の偽造免許証ですから。

 

「一応大型も俺練習してるんですよね。イザって時運転できるように」

 

「アンタの想定するイザって時ってホントなんなんすか」

 

 呆れたような声が剣輔から降り注いでくる。最近俺に対する当たりがきつくなってきたのを俺は見逃してないからね。

 

「バイクならわかるけどねぇ。流石に私も車の免許までは取ってないわ」

 

「でも車は運転出来て損は無いと思うぞ。こういう機会もあることだしさ」

 

 追い越し車線に入ったジープの後ろを、同じく追い越し車線に入ることで追尾する。

 

 そこに見えるのは堂々たる恰好で運転する岩端さんと、紀さんカズさん。そして室長候補のあいつらだ。

 

 今回はかなり急な出動だったせいで、車の確保が正直上手くいかなかったのだ。

 

 何やってんだよお上……って感じではあるが、これだけ大規模な作戦なんて中々無い訳だし、仕方ない部分もあるのだろう。

 

 二時間もすれば適切な準備は整うとのことではあったが、それでは遅いということで急遽俺がドライバーに選出されたという訳である。

 

「……」

 

 神楽たちは俺の運転で旅館まで行っているので、俺の運転の腕は知っているのだが、助手席に乗る冥さんは俺の運転の腕など知る訳もないので、かなり不安そうな表情だ。

 

 珍しい表情なので眼福である。

 

 冥さんも運転が出来た筈だが、今回は対策室の車なので俺が運転させてもらっているのだ。

 

 本当は緊急時のことも考えてバイクで行きたかったのだが、行きの交通状況に問題がないことは確認済みなので、今回は車で向かっている。

 

「……大体二時間か。結構遠いな」

 

「……事故を起こさないでくださいね」

 

 さっきからちょいちょい心配そうなコメントを入れてくる冥さん。

 

 案外この人、子供とか出来たら過保護になるタイプなのかもしれないな、なんて思いながら俺は高速を流し続けるのであった。

 

 



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第31話 -餓者髑髏2-

遅くなりました。


 後ろから迫っていたカテゴリーCを、一瞥もくれることなく一刀のもとに切り伏せる。

 

 腕に伝わる固い感覚。これは正に人の骨を断ち切った時の感触だ。

 

 あばらから脊髄までを斜めに両断されたことでバランスを崩され、動けなくなった骸骨を見やると、念のために骨盤を踏み砕く。

 

 足に伝わる、何度経験しても慣れることのない不気味な感覚。その悍ましさに感じ入る物があり少し止まっていると、隙と勘違いしてカテゴリーCが攻撃してくる。

 

 そのまま攻撃してきた骸骨の腕をつかんでそのまま握り潰し、回し蹴りを放って胴体と頭をさよならさせた後、倒れたそいつの体を霊力で固定してから神楽達の元へと集合する。

 

「―――凛ちゃん!」

 

「凛さん!」

 

「大丈夫か神楽!」

 

 舞蹴13号の火薬補助により骸骨を縦に両断した神楽に、舞蹴12号の空圧を利用して骸骨を斜めに両断する剣輔。

 

 二人は俺の接近を感知すると、互いに互いの死角を埋めるべく背中合わせになるよう移動し、カテゴリーCへと相対する。

 

「異常だよこんなの……!これが無限髑髏って奴なの……!?」

 

「神楽それは多分違う。これは本当に普通のカテゴリーC、な筈だ」

 

「俺も剣輔の言う通りだと思う。こいつら自体はそんな驚異じゃないから、多分だけどこれはあくまでただの雑魚だ」

 

 目の前に広がるのは恐ろしい数のカテゴリーC。

 

 100体は間違いなくいるだろう。殺しても殺してもキリがない。

 

 このガラクタ共が。俺は、お前らなんかを相手にしている暇はないというのに。

 

「……まだ湧いてきそうだね」

 

「……湧いてくるだろうな」

 

 先程壊した骸骨を見やる。そこにあるのは俺の一撃によって斜めに切断された白骨の残骸、であるはずなのだが、もう既にその位置には何もない。

 

 奴らは地面に埋まるようにして回収され、その内何処からともなくリスポーンしてくる。

 

 現に先程俺が地面に霊力で縫い付けた奴もいつの間にか居なくなっており、どこかに回収されてしまっている。

 

 原理は分からない。だが、確実に言えることは、やつらは地面に回収され、多分数分後にはまた地中から這いずりだしてくるのだ。

 

「無限湧きかよ……。レベル上げには最適かもしれないけどさ」

 

「RPGとかならですけどね。現実世界ではノーセンキュー過ぎますよ……」

 

 レベルアップして能力値が上昇するRPGならいいが、ここは現実世界だ。無限にリスポーンされても体力が無くなり筋力も次第に弱まってくるだけで、当日中の成長になんぞ繋がる筈がない。

 

「……どうしたものやら」

 

 本来の俺の役割は餓者髑髏(がしゃどくろ)のお相手をしてやることだ。

 

 俺、黄泉、服部、そして冥さんには一体ずつ餓者髑髏(がしゃどくろ)のお相手が割り振られており、その護衛としてそれぞれ神楽、帝さん、狭間、白鳥川(東北支部の室長候補)が割り振られていたのだ。

 

 ちなみに人選の意図は正直よくわからないことと、帝さんが護衛役となっているのは指揮役を任されているからであり、実力云々の話ではないことだけは断っておく。

 

 ともかく、俺の相手は餓者髑髏(がしゃどくろ)。体調3m近くの、タイラントのような化物骸骨のお相手である筈なのだが……。

 

「エージェント達の避難は済んだんだよな?」

 

「はい、俺がやっておきました」

 

「優秀優秀。お前は成長したなぁ……」

 

 弟分の成長に思わず目頭が熱くなる俺。最近俺は剣輔に指導してあげる回数が少なくなってしまっていたのだが、随分成長してくれているらしい。

 

 まぁ、最近の黄泉が剣輔にする扱き方があまりに厳しすぎるな―と思っていたのだが、どうやら黄泉もガンガン成長していく剣輔を見るのが楽しくなったのだろう。それにしても厳しいとは思うけど。

 

 話が逸れた。

 

 ともかく、俺は本来ここに居るべきではないのだが、ここを受け持っていたエージェント達から「明らかに異常である」との通信が入り、剣輔を直行させた所、この現場の異常性が発覚。

 

 それを皮切りに続々と各地から異常報告が入り、室長候補達も本来の役割以外の部分で動かなければならなくなっている状況なのだ。

 

 ここを任されていたエージェントは意識不明の重体。あと数分剣輔が遅かったら間違いなく死んでいた。

 

 現在支給されている無線は入り乱れまくっており、指示を出すことも聞くことも叶わない程カオスな状況が生まれてしまっている。

 

「……やってくれるじゃん三途河」

 

 無線が混線しているのはマジで痛い。

 

 俺と本部、そして帝さんを筆頭とする室長候補には特別な回線を与えられているので俺らが話し合いをする分には全く問題が無いのだが、問題はそれ以外のメンツなのだ。

 

 下の方の方々が今回一気に混乱に陥ってしまっている。

 

 一応きちんと訓練を受けた人間なんだからもっとしっかりしてくれ……とは思うが、生命の危機に瀕するとそうもいかないのが人間というものだ。

 

「どうすっかなー」 

 

 一応本部の指示では、戦況が判明するまでこの場に留まり、剣輔と神楽のサポートをすること。別途指示があればすぐにするのでいつでも動けるようにしておくこと、とのことだが……。

 

 正直俺の判断としてはさっさと俺辺りをフリーにして、餓者髑髏(がしゃどくろ)をぶっ殺してしまった方が良いと思う。

 

 先に敵のデカいのを倒しきっちゃえば、その分後が楽になるのだ。カテゴリーCで消耗しきった後にカテゴリーAと喧嘩するなんて考えたくもない。

 

 でもなぁ。この数を相手に大立ち回りが出来て尚且つ指示もこなせる奴なんて俺か黄泉ぐらいしか思いつかないし……。

 

「凛さん」

 

「どした?剣輔」

 

 そんなことを考えていると、剣輔が俺に話しかけてくる。

 

 軽い感じで俺は返したのだが、そこに居たのは思いつめた顔の剣輔。

 

 少々思いつめた、何かを決意したような男の顔で、じっと俺を見据えてくる。

 

 突然そんな顔をされるとは思っていなかったので、俺は少々面食らってしまう。一体どうしたというのだろうか。

 

「……ここの怨霊なんですけど」

 

「おう」

 

「俺に、任せて貰えませんかね」

 

 舞蹴を構えながらそう話す剣輔。

 

 そこには強い決意と、意思があるのが見て取れる。

 

 本気も本気。剣輔は本気でこの数を一人で相手にしようと考えているのだろう。

 

 俺の能力を応用し、近付いて来た骸骨の頭蓋骨を握りつぶす。そのまま崩れ落ちる骸骨の背骨らしき所を掴み、骸骨が密集している部分に本気で放り投げる。

 

 鈍い音を立てて崩れ落ちていく骸骨共。

 

 常時100体近くの怨霊に襲われ、ほぼほぼ無限に近いリスポーン。骸骨一体一体の動きが鈍いとは言え、奴らは数の暴力に頼って俺達をじわりじわりと追い詰めてくる。

 

「……下手すりゃ無限リスポーンだぞ、これ」

 

「ええ、分かってます」

 

 思考する。本部とも連絡が取りにくい現在、俺の意見は上の意見とほぼ同義だ。

 

 つまりはここを任せるのも、任せないのも、俺の一声で決定してしまう。

 

 そう、そしてそれは俺の決定で剣輔を殺してしまう可能性があろうということでもある。ここで剣輔が死ぬか生きるか。それはもしかすると、今からの俺の一言にかかっているのだ。

 

 決断が速いことに定評のある俺だが、流石に悩む。どうしたものか、と決めあぐねていると、剣輔が静かに語りだす。

 

「さっき凛さんが踏み砕いた骸骨、まだリスポンしてないんすよ」

 

「ん?」

 

「そして凛さんが今握りつぶして投げた奴、俺が二分ぐらい前に袈裟切りにした奴です」

 

「……剣輔、お前」

 

「他にも今体を組み立ててるあそこの奴、来たばっかの時に神楽が峰打ちで脊髄を折ったやつですし、今神楽が切り捨てた奴はさっき俺が足を切った奴です」

 

 そう言って、俺と神楽よりも一歩先に出る剣輔。

 

「ある程度法則性は見えてきました。だから大丈夫です」

 

「……」

 

「凛さんには役割がある。ならここは俺に任せてください。そう簡単に死ぬつもりは無いんで」

 

 全部、見てたのか。俺は素直に驚いてしまう。

 

 この乱戦の状況で、この数の髑髏を仮説を立てて検証を行いながら戦っていたのか。

 

 正直俺もそれはやっていた。頭を砕いたり骨盤を砕いたりしたのはリスポンの法則性を手繰るためだし、色々仮説検証しながら戦ってはいたが、それはあくまで自分が倒した相手のみの話だ。

 

 しかし剣輔は、この乱戦の中で自分だけではなく味方が倒した相手まで分析しながら戦い抜いていたのだ。

 

 素晴らしいと、そう言わざるを得ない。 

 

 俺に、神楽に向けられる背中。そこに感じられるのは自身の力に対する自信と自負。ちょっと前に対策室に入ってきた若造などではなく、一人の退魔師としての確かな誇りがそこにはあった。

 

「―――分かった。任せる」

 

「ありがとうございます」

 

 だから、俺も任せた。

 

 ()()()()退()()()が、後のことは任させてくれと打診をしてきたのだ。そんなの、認めないわけにはいかないだろう。

 

「行くぞ神楽。ついて来い」

 

「……うん。剣ちゃん、無理はしないでね」

 

「大丈夫。限界は弁えてる」

 

 そう言うと剣輔は走り出す。俺達から髑髏を引き離すように誘導し、そして屠りやすくなるよう計算して髑髏を誘う。

 

「行くぞ」

 

「うん」

 

 剣輔の背中を見やって、俺達は駆け出す。

 

 ……本当に成長したものだ。ちょっと目頭が熱くなる。

 

 弐村剣輔。原作(喰霊)の主人公であり、土宮神楽の守り手としての役割を負った人間。この世界では神楽がたまたま発見して、神楽が勧誘したことでこっちの世界に入ってきた中学生だ。

 

 正直ある程度の役割は任せる予定でいたし、原作(喰霊)の主人公なんだからある程度期待できるだろう……なんて少々本人には言えない打算があったのだが、予想以上だ。

 

 ……頑張れよ。

 

 そう思い、俺と神楽はカテゴリーBの元へと走り抜けるのであった。

 

 

------------------------------------------------------------

 

 

「―――ふっ!」

 

 舞蹴の空圧を使い、目の前の骸を斜めに両断する。

 

 殆ど手ごたえ無く骨を通り抜ける刃。自分でも感心する程の一閃ではあったが、剣輔は油断なく剣を構え、残りの敵に相対する。

 

 100を優に超える骸骨の群れ。1人で討伐するにはあまりに数が多すぎる。

 

 無謀も無謀。実際にここに居たエージェントは三人がかりでもこの群れに敗北し、剣輔たちがここに来ていなかったら間違いなく死を免れ得なかっただろう。

 

 それだけの戦場。一般の世界に居ればSPとして間違いなく名を馳せるであろうエージェントが三人がかりで殺されかかるような恐るべき戦場。

 

 その中で剣輔は、1人で大立ち回りを演じていた。

 

「はぁ……!はぁ……!」

 

 凛と神楽が立ち去ってから凡そ10分は経過しただろうか。

 

 無線は今だに混乱を極めており、戦況は全く読むことが出来ない。

 

 無線の混乱を防ぐため、特殊な電波を使って室長達と直接繋がることの出来る回線は室長候補以上以外に教えられていない。というよりも機材自体が違うらしい。

 

 そして基本一般の退魔師に割り振られたチャンネルは、何故かほぼほぼ接続することが出来ない。まるで、ジャミングをされているかのように無線が通じないのだ。

 

 人為的な物を疑ってしまう程の無線の混乱。だから現在の凛の位置を剣輔は把握することが出来ていない。

 

―――けどまぁ、あの人なら間違いなく目的地までたどり着いただろう。

 

 そう剣輔は思考し、頭を振る。

 

 まず今考えるべきは自分の目の前のことだ。

 

 すっと目を細め、目の前の光景を見つめる。

 

 そこにあるのは相も変わらず骸骨の山。ゆったりとした動きで、しかしこちらを殺すために遠慮なく的確に距離を詰めてくる殺人骸だ。

 

 剣輔の視界の端の方で、骸骨が一体、地中から湧き出てくる。

 

 リスポーン機能。この骸骨達は倒しても倒しても再生されて湧き上がってくる。

 

 無限湧き。その恐ろしさは体力という概念を持つ生物であれば、説明等されずとも理解が可能だろう。

 

 多分、エージェントもこれにやられたのだろうと剣輔は思う。

 

 倒しても倒しても湧き上がってくる。そんな恐怖、普通の人間の精神では耐えることの出来ない。

 

 そんな終わりの無い恐怖に耐えることが出来るのは、諌山黄泉や小野寺凛のような精神力が化物の域に属する人間ぐらいだろう。

 

 だが、と心の中で独り言ち、剣輔を殺そうと得物を振り下ろしてくる骸骨を見事な動きで躱すと、新たにリスポーンをしてくる骸骨の元へと走り抜ける。

 

 その道中で二体の骸骨を二刀の太刀筋を持って切り捨て、凛を真似てリスポーンしてくる骸骨を踏み砕く。

 

 凛のように術を使って物理攻撃力を上げている訳ではないが、靴に軽い鉄板を仕込んでいる剣輔の足は、容易に人間の骨の中で最高の硬度を持つといわれる頭蓋を粉砕する。

 

 脚に響く鈍い感覚。こればかりは何度やってもなれることは無いだろうと凛がよく言っているが、それは全面的に同感できる。これの感触に慣れることは絶対に無いだろう。

 

 こんなことを何十回とエージェントは繰り返し、疲労し、やられたのだろうか。

 

 一撃を貰ってしまい、血の流れる額をぬぐうと足元で砕けた頭蓋を見る。

 

―――いい加減、タネは分かってきた。

 

 諌山黄泉との訓練で、聞いたことがある。

 

 どんな怨霊にも、基本的には依り代となる()()が存在すると。

 

 それが人への恨みのような形の無いものでも良いし、社のような形ある依り代でも何でもいいが、とにかく依り代となる存在がほぼほぼあるのだと。

 

 大体は討伐すればその依り代ごと消えてしまうので、その依り代の存在が認識されることは極めて少ない。

 

 だが。

 

「……見つけた」

 

 これだけの規模の災害を起こすような怨霊の場合は別だ。

 

 殺しても殺しても復活する。そんな永久機関のような怨霊がなんの依り代も無くこの世に存在できるはずがないのだ。

 

 剣輔が踏み砕いた骸骨の数はおおよそ10体。この森自体の広さが相当なものであるため、10体で法則性が掴めるか、そもそもそこに法則性があるか自体が危うかったのだが、今回はそれが吉と転んでくれたらしい。

 

 この髑髏達、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 キン、という甲高い音が響く。

 

 虫の音しか響かない森の中で、その異質な音は明瞭に軽やかに響き渡る。

 

 それは金属が金属を断ち切った音。剣輔の舞蹴が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だった。

 

 三重に巻き付けられていた銀の鎖と、それに付けられていた木の札。見事なまでに二つに断ち切られたそれは、自然の法則に従って地面へと落下する。

 

 それにワンテンポ遅れて響き渡る、骨が固い地面へと叩きつけられた音。しかもそれは一つ二つではない。

 

 何百、いや、何千ものそれが地面に叩きつけられる、そんな音が剣輔の鼓膜を震わせる。

 

 相手にしていた髑髏が崩れ落ちる。剣輔の視界で一つ残らず、重力に負けて地面へとその重さを直に伝え、その動きを完全に停止する。

 

「……終わったか」

 

 緊張から解放されたからか、剣輔は霊樹を背にしたまま崩れ落ちる。

 

 汗腺という汗腺からにじみ出る汗を拭いながら、剣輔は背にした霊樹を見やる。

 

 数百年は間違いなく生きているであろう松の木。その幹の太さは自分の胴体などでは比較にならない太さであり、その生命力の強さを雄弁に高らかに語っていた。 

 

「これが依り代か……」

 

 裏拳で異常なまでに太い幹を叩く。

 

 どうやらこれが媒介となっていたらしい。この霊樹が霊脈から力を引き上げ、無限に骸骨がリスポンするように仕向けられていたのだろう。

 

 誰が組んだ術式なのだろうか。少なくとも、昔の高名な術者が組んだのだろう。

 

 ……凄い技量だと、剣輔は感心する。少なくとも自分には出来そうにはない。

 

 そして多分小野寺凛にも出来ないのだろう。小野寺凛は尊敬に値する先輩ではあるが、こと術の行使に関しては素人以下だ。あれだけ知識と実践のレベルに差がある人間もそうはいないだろう。

 

 一息つこうとして、ふと鎖を見やる。

 

 綺麗な銀色の鎖に、付属する綺麗な絵馬。この二つがこの霊樹の力を活かすための媒介だったようだが……。

 

「―――?」

 

 何処か、違和感を感じる。

 

 なんかこれ、凄い違和感が―――

 

 

 

 

「意外でした。まさか貴方が自力で生き残るとは」

 

 

 

 

 完全に思考が鎖に飛んでいたため、その声に反応するのが一瞬遅れてしまう。

 

 寝起きに冷や水を浴びせられたかのような感覚。脊髄に氷を差し込まれたかのようなそんな感覚と共に、意識が芯まで一気に覚醒する。

 

「諫山、冥―――?」

 

「一対一で話すのは初めてですね、弐村剣輔。以後お見知りおきを」

 

 夜の闇の中で、月の光を浴びて立っている銀嶺の乙女。

 

 そこに立っていたのは、入口付近で離散し、現在カテゴリーBの相手をしているはずの、諌山冥であった。



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第32話 -餓者髑髏3-

「なんで、アンタがここに?持ち場があるはずじゃ……」

 

「心配には及びません。私の持ち場は既に片付いています」

 

「はぁ……?」

 

 月明かりに浮かぶ銀嶺の乙女。

 

 その美しさは世の男を魅了し、恋に落とすのに欠片も不足の無い綺麗さであったが、剣輔にとっては一分の隙も無い警戒要因であった。

 

 特にその語った内容。それに対して、剣輔は俄かに信じがたいと言った表情を浮かべる。

 

「……あの人達が苦戦してたこの戦場で、あんたが?」

 

 この戦場は、諌山黄泉、小野寺凛が苦戦している戦場なのだ。

 

 頭に入れた地図と異なる地形。想定よりも遥かに多いカテゴリーCの数。繋がらない無線と不可能な意思疎通。

 

 今まで剣輔が参加してきた中でも最悪のシチュエーションだ。その戦場を、一人で切り抜けてきたというのだろうか。

 

 そんな剣輔の視線を受けて、諌山冥は少々物言いたげな表情を浮かべるが、すぐにいつも通りの表情になって剣輔に答えを返す。

 

「そこは小野寺凛の未熟さが表れているのでしょう。この先私たちの上に立つのなら、あの五体程度、容易に屠る器を見せてもらいたいものです」

 

 そう冷静に切り捨てる諌山冥。

 

 少々評価が厳しすぎるのでは?とは思うが、言ったところで面倒なことになるだけなので剣輔は口をつぐむ。

 

 剣輔としては正直諌山冥が得意とは言い難い。

 

 というより正直な所、神楽から聞いている話等を総合すれば苦手だというのが正直なところだ。

 

 出来ればこの疲弊状態で話したいと思うような相手ではないのだが―――。

 

 どこか、剣輔は違和感を覚える。

 

 疲れている今の頭ではスグにその違和感を見つけることが出来ない。しかしながら、どこかが決定的に違うような―――。

 

「ところで、これはあなたが壊したのですか?」

 

 そう言って、諌山冥は剣輔の近くに転がる鉄縄を手に取る。

 

 剣輔が断ち切る前まではリスポンの手助けを、いや、ほぼほぼその元凶であったとも言える鉄縄。

 

 それは先程剣輔が難なく切断した物だ。これの存在に気が付けていなければ剣輔は恐らくはここで命を落とす結果になっていただろう。

 

「そうだけど……」

 

「……成程。相当な修練の跡が垣間見える綺麗な太刀筋でしたので」

 

 珍しく賞賛を投げかけながら、鉄縄を放り投げる冥。

 

 じゃらっと音を立てて地面に崩れる鉄縄。さり気なく剣輔は、斬鉄を成功させているのだ。

 

 対策室に入って一年未満の新人が、これだけの綺麗な太刀筋でこの厚さの鉄を切り裂いたことは賞賛に値するであろう。

 

「……どうも」

 

 どうやら文句ではなくお褒めの言葉を掛けられたらしいと気が付いた剣輔は、少々気恥ずかしくなりながら、投げ捨てられた縄を手に取る。

 

 あの時は必死だったので気が付かなかったが、さり気なく自分は斬鉄を成功させた。

 

 練習などしたことは一切ないが、これまでの鍛錬の成果がここに出ているのだろう。舞蹴に一つの刃こぼれも無く、この霊的な仕掛けを両断することが出来たのだ。多少は自分を誇ってもいいだろう。

 

 なんとなく、自分が切断した鎖を手に取る。

 

 術というのは、術者の癖が出るものらしい。剣輔はどちらかというと感覚で術を掴んでいる方なので、理論でそれを説明することは能わないのだが、その癖なるものの存在があることぐらいはきちんと理解できているつもりであった。

 

 何故かわからないが、()()()()()。流石に個人を完全に特定するのは無理だが、これが誰のものっぽいということぐらいは何となくだがわかるのだ。

 

 それが何故かは剣輔にもよくわかっていない。神楽に訊いても「?」という顔をされるし、凛に関しては聞くまでもない。

 

 自分の気のせいかもしれないからあまり大々的には触れ回っていないのだ。

 

 しかしそれを思い出してなんとなく、ホントに何となくそれを手に取ってみたのだが―――

 

「―――は?」

 

 切断した鎖を手に取った剣輔は、()()()()()()()()呆けた顔で硬直する。

 

 ぱっと思い出せないが、この感覚絶対にどっかで……。

 

 いやどっかどころか―――

 

「―――何を呆けているのです?早く立ちなさい」

 

 少々飛んでいた意識が、上から降り注ぐ冷たい声でハッと意識が現実に回帰する。

 

「休憩は済んだでしょう?この戦場では戦力はいくらあっても足りません。さっさと立ちなさい」

 

「……うす」

 

 ややビクビクしながら剣輔は立ち上がる。

 

 ……この女性を相手に堂々と振舞える同年代は凛ぐらいなのではないだろうか。

 

 神楽も苦手意識を持っているようだし、黄泉は言うまでもない。

 

 そう考えるとやっぱりあの人は変態だななどと思いながらも、先程の鎖にチラリと目をやる。

 

 ……あの感覚は。

 

「次の持ち場が指示されていないのなら私が指示します。付いてきなさい」

 

「……」

 

 外部の人間の指示に従うべきか良く分からないが、諌山冥は室長候補に並ぶ強者であることには間違いがない。

 

 加えて、正直に言ってしまえば剣輔にはこの後どう振舞うべきかの判断が付かない。戦況も把握しきれていないし、近くに道標があるのならばとりあえずは従っておこう。

 

 少しは休憩も取れた。凛たちも既に目的地へと到達していることだろうとそう考え、剣輔は諌山冥に従うことを選択する。

 

 胸に僅かな違和感を残しながら、先ほどの術が()()()()()いつも使う術に似ていたことを認識しながらも、剣輔は冥の後を歩いていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――対策室より室長候補生へ入電。緊急事態発生。持ち場の制圧が完了した候補生は至急本部へ急行されたし。繰り返す。緊急事態発生。持ち場の制圧が完了した候補生は至急本部へ急行されたし』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

------------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

「一応対策室から最初に渡された地図だとここら辺なんだけどな」

 

「なんか見当たらないよねー」

 

 携帯が示すGPSの位置と、事前に渡された地図の位置を比較しながら俺はそう呟く。

 

 現在神楽と俺がいるのはカテゴリーB、餓者髑髏(がしゃどくろ)が存在する筈だと言われていたスポットだ。

 

 俺は森での行動には少々自信がある。幼少のころから親父には鍛えられてきたし、自衛隊の訓練に混ぜてもらったりなどもしていたので、正直対策室でもトップクラスな自信はある。

 

 なので正直俺がルートを間違えたのだとは思いにくいのだが、指定された場所に来てもターゲットの姿が一切見えないのだ。

 

「間違えたのか……?」

 

「……でもGPSもここだって示してるし、霊力分布図と合わせてみてもすぐ近くのはずだよね?」

 

 あり得ないという感慨を込めて呟いた言葉に、神楽が反応する。

 

 ここまでの道のり、森での戦闘を黄泉に鍛えこまれた神楽も全く同じ回答を導き出していたのだ。

 

「そうなんだよなぁ。気配もするし、それにあれも残ってるから間違いないはずなんだが……」

 

 ちらっと、左側にある無残な死体を見やる。

 

 ここに最初に入ったエージェントは、残念ながら既に亡骸になっていた。

 

 相当に鋭利な刃物にて切断されたのだろう。左肩から右腰に掛けて一刀両断。正直見るも無残な姿で仏になってしまったようだ。

 

 だが、このエージェントは相当に優秀な方だったようだ。

 

 命を賭してでもカテゴリーBを閉じ込めるべく、四方に結界を形成していたのだ。

 

 正直この程度の結界ならカテゴリーBを閉じ込めるには役者が不足しているが、それでもこの場所からカテゴリーBが動いたのかどうかの判断基準ぐらいにはなる。

 

 そう。この仏になってしまったエージェントが張った結界、()()()()()()()()()()()

 

「だから絶対に近くに居るはずなんだが……」

 

「居ないんだよね……」

 

 結界内を隅々まで探してみたのだ。でも居ない。マジで摩訶不思議過ぎて理解が及ばない。

 

「……可能性としてはこのエージェントが発動場所を間違えたとか?」

 

「それは違うと思う。この結界、発動場所を間違えられるようなものじゃないもん」

 

「成程なぁ。ということはカテゴリーBが居なくなってから発動したとか?」

 

「……可能性としてはそれが一番高いのかなぁ」

 

 最早一般の術に関しては俺よりも断然詳しくなった神楽に教えを乞いながら一つ一つ疑問を消していく。

 

「これ、やっぱりくぐり抜けたらその痕跡的な物ってわかるんだよな?」

 

「それは間違いないと思う。強引に潜り抜けようとしたら壊れちゃうから」

 

「成程なー」

 

 うーんと唸りながら腕組みをする。

 

 先程仏さんに触れたところ、既に冷たくなってしまっていた。

 

 つまりこの仏さんは切られてから相当の時間が経っているということだ。

 

 そう考えると一番可能性が高いのは、術を発動させたのがカテゴリーBがその結界の範囲を超えた後、っていう可能性だろうか。

 

 ……ん?でも。

 

「なぁ神楽」

 

「何、凛ちゃん」

 

「……こういうのって、術者の死後に発動するってあり得るのか?」

 

「ううん。これに関してはちゃんと術者が印を組んで発動させないとだめ―――凛ちゃん!後ろ!」

 

 気が付けたのは、本当に偶然だった。

 

 爆発的な瞬発力を以て、前方に転がるように倒れる俺。

 

 神楽の声が響いた瞬間には、既に俺は前に向かって本気で飛びのいていたのだ。

 

 もうこれは反射の域だ。考えてからの行動では絶対に出せない圧倒的な速度。しかしそれでもわずかに間に合わなかったらしい。

 

 背中を撫でる冷たく鋭い感触。

 

 まとっていた鎖帷子をも両断し、薄皮一枚程の薄さではあるが俺の背中の肌を右肩から左腰に掛けて恐ろしい鋭さの刃が渡っていく感覚。

 

 一瞬遅れて、地面に着地する感覚と、背中に火を注がれたかの如き灼熱が走る。

 

 薄皮一枚だが、完全に切られた。それが背中を支配する熱さが物語る。

 

「―――凛ちゃん!」

 

「大丈夫だ!それよりも構えろ!」

 

 上手く受け身を取ったため即座に態勢を立て直すと、俺は神楽にそう指示を飛ばす。

 

 その指示よりも前に構えを取っていた神楽は、俺の隣に並び立つと、目の前の敵を仰ぎ見る。

 

「……大きいね」

 

「三メートルはあるか。何処に隠れてやがったんだ、こんな化物」

 

 俺も手に刃を作り出し、油断なく目の前を見据える。

 

 そこに居るのは普通ではありえない体躯の骸骨。三メートル近い長身に、ちょっとした丸太のように太い骨。

 

 鋭利な長身の太刀を美しいフォームで構え、俺と神楽の前に突然姿を現した化物骸骨。

 

 餓者髑髏(がしゃどくろ)。今回のターゲットの内の一匹だ。

 

 ……でも本当にどっから現れやがった?

 

 俺と神楽。一応退魔師の中でも図抜けた能力を持つ俺ら二人が欠片も気が付けなかったのだ。そんなこと、有り得るのか――――?

 

 そう思った瞬間、相手が踏み込んでくる。

 

 中々に鋭く、巧い踏み込み。

 

 3メートル以上あった巨体が、俺を両断しようとその距離を先方の適切な所まで一瞬にして詰めてくる。

 

 こいつが何処に居たのかという疑問点をとにかく飲み込み、理解が追い付かず混乱する思考を強制的に戦闘用に切り替えトップギアまで持っていく。

 

「―――見えた」

 

 鍛え上げた動体視力を用いて相手の斬撃を完璧に見極め、敵の太刀に俺の刃を合わせる。

 

 

 流石に馬鹿力で有名な俺と言えども、先ほど見た骸骨程の大きさの化け物の攻撃をまともに受けるのは危険すぎる。

 

 そのため程々に力を受け止めると、刃の角度を調整し、敵の刃を滑らせるようにして受け流す。

 

 その防ぎ方を知らなかったのか、太刀を地面にめり込ませて体勢を大きく崩す目の前の骸骨。

 

 その隙を見逃さず、足のすねに刃を作り出して目の前にある右腕を本気で蹴り飛ばす。

 

 俺の狙い通り蹴りは敵の右手の尺骨の部分にヒットしたものの、俺の体勢が崩れていたせいで力が乗りきらず、ミシッという音がして刃が少し食い込む程度で終わってしまう。

 

 舌打ちを一つ。本来なら今ので叩き切ってやりたかったのだが、そうはいかなかったらしい。

 

 叩き折る目的で蹴りを放てばよかったと多少後悔しながらも俺は追撃に出る。

 

 左足に作り出した刃をすぐに解除すると後退しようとする相手よりもはるかに速い速度で懐に潜り込み、その巨大な肋骨に向けて掌底を繰り出す。

 

 本来なら体格差故に中たる訳が無い位置にある肋骨ではあるが、今は剣を振り切りった後の体勢だ。この体勢であればギリギリ届く。

 

 骨が砕ける鈍い音。肋骨の一番下の部分に上手く体重と勢いの乗った掌底をぶち込むことに成功する。

 

 クリーンヒット。一本の肋骨を砕くことに成功する。

 

 綺麗に決まった一撃ではあるが、この巨体に対しては些細な一撃である可能性が高い。

 

 もう一撃と思い、攻撃を繰り出そうとするが、流石は痛覚を感じない化け物と言った所か。

 

 こちらの攻撃のダメージなど無かったかのように、砕いた肋骨側の腕で俺に肘鉄を落としてくる。

 

 普通の人間なら痛みで絶対にできないであろうそれを、痛覚の無い化け物は平然とやってくるから質が悪い。

 

 掌底を放った直後で、即座に動くことの出来ない俺は、腕に盾を作り出して両手を以てその肘鉄を食い止める。

 

―――重い。

 

 骨だけの体のどこにこんな力があるのだと文句を言いたくなるほどの重い一撃。

 

 両の手がびりびりと痺れ、膝が多少落ちるものの、その一撃自体を食い止めることには成功する。

 

 その一撃を受け止めながら、チラリと横目で敵の得物を見る。

 

 その刃渡りの長さから今の位置にいる俺に危害を与えることの出来る取り回し方はないと判断。

 

 肘を力任せにパリィを行うことを選択せず、押しつぶしにかかってくる骸骨の肘を受け止め続ける。

 

「―――ふっ!」

 

 俺の意を汲み、神楽が餓者髑髏(がしゃどくろ)へと踏み込む。

 

 居合抜きによる鋭い一撃。見事な一撃だが、それを餓者髑髏(がしゃどくろ)はガタイに見合わぬ機敏な動きで回避し、神楽から距離を離そうとする。

 

 だが、神楽の一撃を避けたということは、俺に対して加えていた肘鉄による攻撃を中断したということだ。

 

 つまりそれは俺がフリーになったことを指している。

 

 居合直後で硬直が生まれている神楽に代わり、俺が飛び上がる。

 

 狙うは頭蓋。一撃で砕いてこいつの討伐を終わらせる。

 

 助走をつけ、餓者髑髏(がしゃどくろ)の頭の位置まで飛び上がった俺は、空中で体を捻り回転による力を加えることで頭蓋をたたき割るのに十分な一撃を繰り出す。

 

 自らの持つ膂力を遺憾なく発揮し、振り下ろされる俺の刃。

 

 ダンプカーによる一撃とまで黄泉に評された俺の一撃は奴の頭蓋に命中することなく、それ以上の膂力を持つ骸骨の大太刀により遮られる。

 

 鈍い音を立ててぶつかり合う俺と餓者髑髏(がしゃどくろ)の大太刀。

 

 一瞬だけ拮抗する俺と餓者髑髏(がしゃどくろ)

 

 だが空中に居てそのうち落下するものと、地面に根を張り攻撃に耐えるもののどちらの力が有利かなんて、火を見るよりも明らかだ。

 

 つまり二メートル以上の跳躍をして繰り出した俺の一撃は、力比べという勝負に持ち込まれた段階で失敗したことを示している。

 

 だが。

 

 俺はそのまま()()()()()()()()()によって作り出した棒を掴み、地面から約三メートルの地点で体操選手も真っ青な体幹と筋力を発揮し、骸骨の顔面にドロップキックをお見舞いする。

 

 同時にその下では神楽も同様に飛び上がり、高難度の技である空中での居合抜きによる切断を狙う。

 

 正直に言って完璧なタイミング。

 

 今の居合も、俺の虚を突いたこの攻撃も、相当に洗練された連携だったと自負できる。

 

 最初の神楽の居合からここまで、相当にドンピシャな連携が出来たと胸を張って言うことが出来るのだが……。

 

「強いな」

 

「強いね」

 

 ドロップキックをお見舞いし、無事に地面に降り立った俺の言葉に、同じく着地した神楽が間髪入れずに同意を示す。

 

―――強い。そう言わざるを得ない。

 

 結局俺のドロップキックは奴の顔面にきっちりと炸裂した。狙った部位である鼻骨の辺りにしっかりとぶつけることが出来た。

 

 奴の鼻骨を砕くことには成功したし、3メートルあるような化け物からしっかりとノックバックを取ることにも成功するという、我ながら人外ムーブに成功したものだ。

 

 それに加えて神楽の居合も見事命中。空中で繰り出す居合なんて俺には絶対できないし、外すビジョンしか見えないのだが、それを神楽は脛骨、つまりはふくらはぎあたりの骨に中てることには成功したのだ。

 

 一応俺達が狙っていた攻撃はほぼ命中。中てることが目的であるのならば100点満点の攻撃だったのだが……。

 

―――だが、甘い。入り方がいくらなんでも甘すぎる。

 

 俺は奴の頭蓋全部を砕くもしくは頭蓋を首から外してやるつもりで二撃を繰り出したのだが、一撃は見事に受け止められ、もう一撃は上手い具合に衝撃を逃がされてしまった。

 

 そして神楽も神楽で、比較的切りやすい膝関節を切断するつもりで攻撃を繰り出したのだが、居合を脛骨で受けられたせいで切断には至らず。ダメージは与えることに成功したものの、僅か数センチ刃を骨に食い込ませるだけで終わってしまった。

 

「……図体のデカさと見た目の割にはテクニシャンじゃんか」

 

「……同感。なんか凛ちゃんを相手にしてるみたい」

 

 それは褒めてんのかけなしてんのかどっちなんだ、と突っ込みたくなる気持ちを抑え、改めて餓者髑髏(がしゃどくろ)へと向き合う。

 

 本当に強い。

 

 流石にこのレベルのは特別だろうけど、確かにこれに近いレベルの奴が無限に湧いてきたら、カテゴリーA認定間違いなしだ。

 

 つーか普通に日本が終わると思う。

 

 正直勝てないビジョンは見えないが、こいつとの戦いは間違いなく長期戦になる。

 

 さてどうしたもんか。

 

 ちょっと前に髑髏に囲まれた時も同じようなこと思ったな―などと思いながら頭の中で戦略を組み立てる。

 

 次は―――― 

 

『―――対策室より室長候補生へ入電。緊急事態発生。持ち場の制圧が完了した候補生は至急本部へ急行されたし。繰り返す。緊急事態発生。持ち場の制圧が―――』

 

「―――は?」

 

 戦略を考え、神楽に指示を出そうと思っていると、室長候補用の無線に二階堂からの通信が入る。

 

 思わず頭を一瞬空っぽにしてしまう俺。

 

 緊急事態と言えば俺が今直面しているのも緊急事態ではあるのだが……。

 

 だが、その後に続いてきた言葉は、流石の俺でも勘弁してくれと思ってしまうようなものであった。

 

『―――新たな餓者髑髏(がしゃどくろ)が更に一体、出現しました』

 

 

 



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第33話 -餓者髑髏4-

遅くなりました。


 

「……追加でもう一体だって?……まじふざけんなよ」

 

「追加でもう一体?……めんどうだねぇ」

 

 でかい図体を捻って繰り出してきた刺突を俺はギリギリで回避する。

 

 意識を取られていたせいで少々危ないタイミングでの回避となってしまうが、傷つくどころか掠りさえせずに回避することに成功する。

 

 ……たまに、刺突は点の攻撃であるため回避しやすいだろうと勘違いする人間がいるが、逆であると声高らかに主張したい。突きを正確に回避できる人間は相当に腕が立つ。

 

 退魔師の大半は黄泉の刺突に晒されたら気が付く間もなくお陀仏することは間違いない。室長候補の人間だってまっとうに回避できるか怪しいものだ。

 

『応答が可能な室長候補は応答してください。小野寺凛、応答できますか?どうぞ』

 

 次の一手を考えながら回避を続けていると、俺にメンションのついた無線が入る。

 

「はいはい!何でございましょうか!オーバー!」

 

『現状の報告と、集合の可否を』

 

「現状神楽と共にカテゴリーBと交戦中!いつ集合出来るかは即答しかねる!オーバー!」

 

『……戦闘中?大丈夫なのですか?どうぞ』

 

「大丈夫だ!でもこれ以上人員は絶対によこさないでくれ!無駄な死人が出るぞ!オーバー!」

 

『―――了解しました。……時に小野寺凛。先程指示した戦場の制圧は終わったと認識してよろしいですか?どうぞ』

 

「悪い二階堂!剣輔に任せてきた!」

 

『―――な!?あなたは何をして―――!!』

 

「すまん!文句と処罰についてなら後で聞く!後は制圧に入るから違う奴に状況聴いてくれ!オーバー!」

 

 無線機から手を放し、神楽に切りかかっていた餓者髑髏の背骨に本気の後ろ回し蹴りを繰り出す。

 

 だが奴はまるで後ろに目があるかの如く、俺の一撃を肘で受け止めてくる。

 

 ゴキィという鈍い音。俺は足を霊力でコーティングしているためダメージゼロだが、もしかすると向こうにはダメージが入ったかもしれない。

 

 が、相手は怨霊だ。痛覚も存在しなければ自分の体に対するリミッターなんぞありはしない。その部位を壊しきれなければ有効打撃が入ったとは言えない。

 

 俺の攻撃を受け止めたその隙を狙い、キィン、と神楽の白銀の刀身が美しい鳴き声を上げる。

 

 次いで落ちるやつのあばら骨。その断面は見事というしかない美しさで、恐らくは黄泉ぐらいしかマネできるものはいないだろう技術に育っていることがうかがえる。少なくとも俺にこの美しい断面を作ることは無理だ。

 

 だが、そんな美しい一閃も決定打にならなければ意味がない。

 

 神楽は恐らく奴の腕を切断しようと狙ったのだろうが、こいつはその一撃を軽々と回避する。

 

「……めんどくせぇ。こいつ生前は結構な剣豪だったんじゃないか?」

 

「同感。今のままじゃ短期決戦とはいかなそう」

 

 何度ついたかわからないため息を俺はついてしまう。

 

 正直に言って、俺はまだ本調子ではない。

 

 というよりかはちょっと前に患った「世界からの妨害」とやらによる後遺症ががっつり残っているので、バリバリに体調不良だ。とても戦闘に来ていいような体調ではない。

 

 ちょっと前に服部嬢とやりあった時もあんまり動きたくなくてあんな感じの決着に持ち込んだっていうのに、こんな強い奴とやりあうことになるとは……。

 

 出来れば体力を温存したいので本気でやりたくはないんだが……。

 

 俺の想定としては、こいつら4体はモブに近い感じで、カテゴリーB火車ぐらいの勢いで簡単に除霊できると踏んでいた。

 

 そして俺が命をかけなければいけないのは本体。そう、今だ目覚めていないカテゴリーBの軍団にこそ対処しなければいけないんじゃないかと踏んでいたのだが……。

 

「こいつでこんな強いってことは……。流石に本当に覚悟しなきゃかもな……」

 

 本体は、いや、無限に湧いてくるという髑髏の強さは正直計り知れないものになる。

 

 それこそこいつレベルが無限に湧き出して来るなら対策室の敗北はほぼほぼ確定だ。というより日本の敗北が確定すると言っても過言ではないだろう。

 

 戦闘においては刹那の時を如何に支配できるかが命だ。一瞬の判断と動きがそのまま生死に直結するし、そこを如何に奪い合えるかを争うのが俺らクラスの戦闘と言っても過言じゃないだろう。

 

 加えて体力もガッツリ落ちてしまっている。体力も落ちてて尚且つ体が十全に動かない今の体調では、無限に湧いてくるこいつらを相手にしての生存は望めない。というより不可能だ。

 

 まじでこんな糞な怨霊、なんでこんな土地に眠ってんだよ……。

 

―――最悪、俺が人身御供になることも考えるか。

 

 絶対にやりたくはない。やりたくはないが、いざとなったら覚悟しなければならないだろう。

 

 人身御供による命を賭した術の威力は、普通のそれと比べ物に等ならない。思いと命の詰まった術は、例え一般人だろうがカテゴリーAを封印できる可能性だって秘めている。

 

 一般人だろうがそれなのだ。況や俺たちをや、というやつである。

 

 そして俺の霊力は黄泉の軽く10倍はあるのだ。俺一人の魂と霊力を犠牲にすれば一つの都市ぐらいは簡単に壊滅させられるだろう。

 

 最悪それを活かせば、このくらいなら容易く……。

 

「ねぇ凛ちゃん」

 

「どうした神楽」

 

「なんか変なこと考えてない?」

 

 最悪のケースを考え始める俺に、不機嫌そうな神楽の声が降り注ぐ。

 

 その言葉にギクリとさせられる。

 

 横目で神楽の方を見ると、油断なく構えながら、相当に不満げな顔でジトっとした流し目を俺に送っている妹分姿が視界に入る。

 

 この馬鹿兄は……とでも言いたげな視線。結構本気で呆れている顔だ。

 

 その顔も可愛らしいのだが、その出来の悪い兄を見るような目はやめろ。

 

「そういうのホントに分かるんだからね」

 

「……」

 

「聞いてる?」

 

「……聞いてる聞いてる」

 

 最近、この子はやたらと鋭い。

 

 黄泉なんかは俺に全幅の信頼を置いてくれているみたいで、俺のやることを否定することはめったにないのだが、この子とついでに言えば剣輔も別だ。

 

 俺が体を張って何かやろうとしたり、ちょっと無理しようとしたりすると必ず気が付くのだ。

 

 俺のその思考の間を狙って踏み込んでくるカテゴリーB。

 

 その速度は驚異的ではあるが、命を危惧するようなレベルのものではない。

 

 振るわれた巨大な日本刀を両の手でしっかりと受け止める。

 

 確かにこいつの技量は脅威に値するものではあるが、だんだんこいつの癖というか、コツは掴めてきた。

 

 神楽もそうなのだろう。後退したカテゴリーBを見て刀の構えを解いている辺りから、よっぽどの油断をしない限り負けはないという確信を抱いているのが覗える。

 

「全く。そんなに私たちって頼りにならない?凛ちゃんって何処か黄泉の力ですら信じてない所あるもんね」

 

「……いや、そんなことは」

 

「あるよ。だって毎回一番危険な所は凛ちゃんがしっかり持っていくもん」

 

 カテゴリーBの攻撃を互いに捌きながら後退していると、神楽が再度ジト目を送ってくる。

 

「大事な所は絶対に自分以外には任せない。大局を左右する場面に登場するのはいっつも凛ちゃんだけ。―――それって、人を信頼しているって言えるの?」

 

 ギクッとさせられる。

 

 それは確かに、その通りだったからだ。

 

「ほら、図星って顔した!」

 

「ぐっ……!でも確かにそうかもしれん」

 

 俺は確かに()()()()()()()()()()()()()

 

 勘違いして欲しくないのだが、この二人の能力を信用していないという訳では決してない。

 

 むしろこの二人の能力――特に神楽の――には、可能性という意味で俺以上の信用を置いてすらいる。

 

 だが。この二人が三途河の毒牙に掛からないという保証がこの世界には一切ないのだ。

 

 日常生活を送っていたとしてもその懸念は尽きないというのに、戦場なんて不確定要素の塊の場で、彼女たちにヤバい部分を任せるのはどうしても俺の根っこの部分が許してくれないのだ。

 

 万が一。日本人らしい考え方なのかもしれないが、どうしてもそれを考えてしまうのだ。

 

「危ないことをさせたくないっていうのは分かるよ凛ちゃん。私だって、黄泉にも凛ちゃんにも剣ちゃんにも、危ないことして欲しくないもん」

 

「……」

 

「でも、少しは信用してほしいかな」

 

 そう言って神楽が微笑む。

 

 思わずドキッとしてしまう程に綺麗で、慈愛に満ちた美しい笑み。

 

 その表情に、俺はとてつもない驚愕を覚える。その表情は俺が知る神楽より大分大人びていて、俺が知る神楽とは少しかけ離れて見えて……。

 

 だからきっと、避けることが出来なかったのであろう。

 

 その笑みに意識を取られていると、俺の腹部にとてつもない衝撃が走る。

 

 腹が爆発したと錯覚するほどの、まるで腹で爆弾が炸裂したと勘違いするほどの、そんな衝撃。

 

 咄嗟に術を使って腹を守り、尚且つ反射的に後ろに飛んだためにダメージは最小限で済んだが、それでも完全に無防備だった俺の体を少々吹っ飛ばすには十分な威力が込められていた。

 

 ほんの一瞬だけ息が足りなくなり、息が止まりながらも受け身を取って地面を転がる俺。

 

 餓者髑髏は不動の態勢を維持していた。

 

 流石に俺があの木偶の棒の攻撃をこれほど無様に喰らうとは考えられない。

 

 そしてそれ以外の外的要因。例えば第三者の介入の可能性もゼロだ。あの場に居たのは俺と神楽と餓者髑髏のみ。それは間違いがない。

 

 ……ということは。

 

 受け身をしっかり取り、いつでも戦闘を可能な態勢に戻った俺の目に映ったのは、明らかに俺を害したであろう美しい少女が、俺を蹴り飛ばした姿でたたずんでいる姿であった。

 

「……っ!ってめ、神楽!何しやがる!」

 

 あの野郎、マジで何しやがる!強制的に押し出された息を回復させ、神楽を睨みつける俺。

 

 とっさに術でガードしたとはいえ、直撃は直撃だ。痛みはあるし、苦しくもあるのだが、すぐに立ち上がるぐらいは朝飯前だ。

 

 およそ女子とは思えない威力の蹴りをかましてくれやがった神楽に一言物申すために元々俺がいた位置まで戻ろうと歩みを進める。

 

 俺から飛んで転がったために少し距離は離れたが、こんな距離などあって無いような物だ。俺はなんのけなしに目の前に貼られた結界を潜り抜けようとして――――

 

「ノウマク サンマンダ バザラダン カン ソワカ」

 

「!!」

 

 印を組んだ神楽が真言と共に術を行使する。

 

 術の行使には基本的には印と詠唱が必要だ。俺のように全く必要ないやつらもいるが、基本的には言霊を唱え、印を組む。

 

 だが、術を発動するのに必要な媒体が違ければ、同じ詠唱と同じ構えから、真言を唱えたということぐらいしか俺には分からないのだ。

 

「……神楽、お前」

 

「いい結界だったから利用させて貰っちゃった。流石の凛ちゃんもこれは破れないでしょ?」

 

 俺の歩みを、目の前に貼られた結界に阻害される。

 

 この結界は、俺達の前にこの餓者髑髏と戦ったエージェントが張ったもので、内側から外側への移動を阻害する効果があったものだったはずだ。

 

 餓者髑髏がその結界内に居ることを俺達はそれで察知したわけだが……。

 

「ちょっと書き換えちゃった。私が解くか、死ぬまでこの結界内には誰も入れないし、この結界からは誰も出れない」

 

「馬鹿!何やってやがるお前!」

 

 ぶち破ってやろうと目の前の結界に後ろ回し蹴りをぶち込む。

 

 人の頭ぐらいならミンチに出来る程の威力で繰り出したのだが、その結界は一切びくともしない。

 

 先ほども語ったが、人身御供にはカテゴリーAをも抑えることもできるような代物だ。そしてこの結界は、あのエージェントが自分の命の際に発動させた、意図したか意図せずかはわからないが、人身御供となって発生した結界だ。

 

 

 そんなものを、俺が蹴り程度で破れる筈がない。

 

 蹴りを入れた俺の足がジンジンと痛む。

 

 多分俺の攻撃の中で一番攻撃力の高い攻撃は今の一撃だ。これを超える攻撃力の攻撃となると一つしかないのだが、まだ未完成だし、そもそもそれでも恐らくは―――いや、間違いなく壊すことなどできやしない。

 

「行って凛ちゃん。本部には凛ちゃんが必要だよ。それに、私が負けないことはさっきまでの戦いでわかったでしょ?」

 

「それは!そうだけど!」

 

「大丈夫だよ凛ちゃん。―――私、強いから」

 

「神楽―――!」

 

 そう言い残すと、神楽は餓者髑髏へと切りかかる。

 

 踏み込んで間合いを詰め、そして刃を振るう。その一連の動きは見事の一言で、惚れ惚れする程の美しさだ。

 

 その一連の流れの美しさが、神楽の実力を如実に示していて、俺が神楽の提案を断る理由が無いことを雄弁に語っていた。

 

「……剣輔といいお前といい。俺の目の外で勝手に成長してやがって」

 

 自分の言葉に、自分に対する嘲笑が込み上げてくる。

 

 嫉妬、妬み。圧倒的な勢いで下から突き上げてくるこいつらに対して、かすかという言葉では弱すぎるほどに抱いてしまっている感情。

 

 それを今も抱いてしまっている自分を認めたくなくて、そしてそれを言葉にして認めたのが恥ずかしくてたまらなかったからだ。

 

「―――神楽。ここは任せていいんだな?」

 

「―――勿論。手伝えるなら手伝ってもいいけど?」

 

 挑発的な笑み。自分の張った結界を、俺が壊せるわけがないと、手助けなんて出来るわけがないと確証を持っているからこそ抱けたであろうその不敵な表情。

 

 ……生意気に育っちゃってくれてまぁ。

 

 ……剣輔といいお前といい。ほんと仕方ないやつ等だ。

 

 わかったよ。

 

「任せたぞ、神楽」

 

「OKポッキー!」

 

 そんな締まらない掛け声を背に、俺は中央へと走り出す。

 

 自分の位置が正直そんなに把握できていないが、俺の位置感覚が向こうに走れば問題ないはずだと告げている。

 

 全力で走りながら、後ろを振り向く。

 

 目に映るのは、戦闘のエキスパートであるエージェントがあっさり死ぬ程のとんでもない戦場だというのに、のんきに片手を俺に向かって振っている土宮神楽の姿。

 

―――ほんとまぁ、生意気に育ってくれちゃって。

 

 カチッと、無線を対策室に向けて接続する。

 

 ……まともに事情を説明するのは非常に面倒だな。

 

 現場一個を剣輔に投げて、ここも神楽に丸投げする。

 

 いくら向こうから言い出したこととは言え、ちょっとばかし正直に告げるのは気が引ける。

 

 少々逡巡してから、俺は対策室に言葉を投げかける。

 

 嘘には、ならないだろう。

 

 

 

 

「小野寺凛より対策室。()()()()()B()()()()()()。事後処理に土宮神楽を残し、今より合流する」

 

 

 

 






毎回似たような締め方になって申し訳ない。

次回、神楽覚醒。


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第34話 -餓者髑髏5-

遅くなりすぎました。


―――ずっと、読めなかった。

 

 

 頭の中で様々なことを考えながら、圧倒的な膂力を誇る餓者髑髏の攻撃を舞蹴を使って上手く受け流す。

 

 三メートルを超える巨躯から繰り出される一撃は、ただ振るわれるだけでも十分な脅威だ。

 

 格闘技において階級が厳密に分かれていることからも分かる通り、質量で勝ることは、それだけで戦闘において優位に立つことを意味する。

 

 この巨体から繰り出される一撃をまともに受けては身体も舞蹴も到底耐えることは出来ない。

 

 あの一撃を真正面から受け止めるなど、神楽どころか筋骨隆々の男どもにだって自殺行為に等しい。

 

 何度か小野寺凛が行ってはいたが、普通あれを真正面から受け止めるなんて普通の人間がやっていい行為では決してないのだ。

 

 神楽がやれば間違いなく舞蹴が砕け、体も両断されてしまう。

 

 だから神楽はその攻撃を受け流す。まともに受けることは諦め、力の流れをこちらで操作してやることで暴力から自分の身を守る。

 

 まるで、”ぬるっ”という効果音が聞こえてきそうなほど滑らかに、そして自然に力の流れを受け流す神楽。

 

 力というものは、大きくなればなるほど制御を失った時の暴走が激しいものだ。

 

 歩いている時よりも、自転車に乗っているときのほうが、自転車に乗っている時よりもバイクに乘っているときのほうが、何かアクシデントがあった時に被害が大きくなることからも容易に想像がつくだろう。

 

 そして目の前の化け物の膂力は、バイクどころか新幹線並みであった。

 

 戦闘における一瞬。それを制するために神楽たちは技を磨き、研鑽し続ける。その一瞬が、命の灯を断つには十二分過ぎる一瞬であるからだ。

 

 目の前のカテゴリーBが晒したのは、一瞬と言うなどとてもとても烏滸がましいほどの時間。人間相手であろうが、人間相手でなかろうが決定打を入れるには十分な時間であった。

 

 しかし神楽は、力を受け流しきられて無防備となった我謝髑髏に凛のそれを真似て後ろ回し蹴りを放った。

 

 クリティカルヒット。完璧なタイミングで、完璧な態勢で、放った神楽に全く衝撃が感じられない程キレイに、完璧な威力を相手にのみ伝えきった状態でヒットさせることに成功した。

 

 人間なら間違いなく悶絶物の一撃。いや、身体を鍛えていない一般人であれば当たり所次第では簡単に命を落としかねないほどの一撃であった。

 

 恐らくは女子中学生から繰り出されるとは思えない程のキレと質量を持った一撃。

 

 だが、

 

「効くわけないよね……」

 

 そんな一撃であっても餓者髑髏には一切動じない。

 

 神楽が持ちうる力をすべて込めた極限の一撃など、その身に受けた覚えはないとばかりに反撃を繰り出してくる。

 

―――やっぱり、私と凛ちゃんは全く違うんだ。

 

 相手が繰り出した反撃は、神楽の攻撃の影響などありはしなかったかのように、普段と何ら変わらなく繰り出される。

 

 体勢を崩すこともひるむことも一切なく、そよ風に吹かれたが如き反応でその剣閃は繰り出されるのだ。

 

 わかっていたことではあったが、神楽と凛では一発一発の重みが、威力が全く違う。

 

 体重が60kg台の筋肉質の男と、40kgに届くかも怪しい女子中学生とでは、その威力が違うことは自明の理だ。

 

 神楽が凛と同じようなことをするなんて出来るわけがない。

 

 小野寺凛ならば餓者髑髏を揺らがせていた一撃でも、土宮神楽では僅かに揺らがせることすら出来ない。

 

―――はっきり言ってズルいと、神楽は思う。

 

 あれだけの膂力があって、身体能力があれば、自分は誰にも負けはしないのではないかと、本当にそう思っている。

 

 多分黄泉だってそう思っているだろう。霊力による補助のおかげで男女関係ない膂力を生み出すことの出来る退魔師であっても、根本となる部分が強いに越したことはない。その根本を鍛えるべく、自分たちは常に鍛錬を行っているのだから。

 

 そしてその強さにおいて、彼のその強度は目を見張るものがある。それこそ、身体能力における男女の差を明確に意識してしまうほどには。

 

 自分は女で、彼は特別な男なのだ。そこの壁を超えることはできない。

 

 必死になって真似ようと、何度も何度も模倣した。携帯で動画を取って、それを何度も見返したりもしてみた。

 

 だが、神楽にあの動きを真似は出来なかった。模倣しようとして出来上がったのは、ただただ身体を壊すだけで似たり寄ったりの、中途半端で不出来な紛い物が出来るだけだった。

 

 何故小野寺凛はそれが出来て、自分にはどうしてそれが出来ないのかと何度も何度も考えていた。

 

 でも、そんなの当たり前だったのだ。

 

 あの動きは彼の異常なまでの身体能力と、異常なまでの反復練習に基づいている。(身体能力)が違う神楽に、同じことが出来る筈もなかったのだ。

 

 全身の力を抜き、神楽は戦闘中に相応しくないとも思えるような脱力状態に入る。

 

 彼我の差は、悔しいがハッキリと理解した。いや、元から理解していた。

 

 自分には小野寺凛の動きを完全に真似することなど当然できやしない。

 

 その筋肉の絶対量があまりに違い過ぎる。埋めようがない、圧倒的な筋力差と体格差が存在するのだから。真似ようとしても体が壊れるだけだ。

 

 凛が一度の跳躍で行ける所を、神楽は二度の跳躍で行わなければならない。

 

 小野寺凛が僅かな力みで行える行為を、神楽はより強く力まねば行えないのだ。

 

―――ならば、それを真似して、自分に合う形で変換してやればどうだろう?

 

 より繊細に、より"簡単"に。

 

 小野寺凛の動きの欠点(無駄)を排除し、より()()()型へ落とし込めばどうだろう?

 

 少ない力で、少ない労力で。

 

 より彼の動きを良いものにして洗練(模倣)してあげれば。

 

 自分でも彼のあれを真似ることができるのではないだろうか。

 

「―――違う」

 

 右腕に僅かばかりの衝撃と、一瞬遅れて熱さが襲いくる。

 

 どうやら足さばきに意識を集中するあまり、避け損なったらしい。

 

 制服と、薄皮が切られてしまった。

 

「痛いけど、大丈夫。刀は振れる」

 

 薄皮一枚。血は多少出るが、そんなもの簡単に無視できる。そんなことや()()()()()()()()()、今は集中すべきことがある。

 

「―――これも違う」

 

 餓者髑髏とすれ違いざまに刃を振るう。

 

 本来なら手首を切り落としてやろうと思っていたのだが、少々踏み込みが浅かった。その一閃は餓者髑髏が被っていたボロボロの篭手のようなものを切り裂くに留まった。

 

「―――こうでもない。違う」

 

 次いで餓者髑髏の肋が切断される。それに数瞬遅れて襲いくる足の痛み。

 

 どうやら踏み込みする際に少々力みすぎたらしい。足が折れたとか、捻挫をしたということはないけれど、少し高いところから着地した時のような鈍い痛みが足に響く。踏み込み過ぎた。

 

 でも、少しわかってきた。

 

 小野寺凛によるあのタイミング、呼吸、テンポ。相手の意識外から放たれる、対処のしようの無いあの速さ。

 

 でもどこか()()()()()()()()()()()あの速さ。

 

 今までは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、自分は小野寺凛の動きを再現することが出来ていなかっただけだったのだ。

 

 イメージとは全く違う踏み込みの距離。

 

 小野寺凛を基調とした剣閃とは違うが故に自分の想像から1テンポ以上遅れて振られる舞蹴。

 

 けど、自分には最もぴったりな速度のそれ。

 

「―――ああ、こういうことだったんだ」

 

 模倣なんて、そんなレベルの低いことなどしなくて良い。

 

 簡単なことだったのだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 トン、と、地面をける音を立てたかどうかすら怪しい軽やかさで、神楽は相手との距離を詰める。

 

 羽毛が舞うような軽やかさで、しかし猫のようなしなやかな速さで、認知すら許さずに相手の懐に入り込む。

 

 神楽の目の前にあるのは、相手が自分を殺すことの出来る位置に入り込んだことに間抜けにも気が付いていない骸骨の姿。

 

 先程まで神楽と凛の二人がかりで討伐しようとして、悉くその攻撃を防がれていた髑髏。

 

 一太刀でこの世とおさらばするかもしれない。そんな状況に自分が居ることを自覚できていない弱者。

 

 軽く、本当に軽く舞蹴を振るう。

 

 何万回、何十万回も繰り返してきたその動作。

 

 手まめができても、それが潰れようとも。女子として美しくない手のひらになろうとも、何度も何度も同じ動作を来り返してきた。

 

 その中で、時折自分に出来る最高の一太刀を感じるときがある。

 

 自分に出来る今の一番の動きはこれだと、はっきり認識できる。そんな一太刀が、刀を振るっていれば必ず一度は訪れるものだ。

 

 そして今の一太刀は、神楽が今まで感じていた理想の一太刀の悉くを凌駕するものであった。

 

 豆腐に刃を通したかの如く、両断される餓者髑髏の尺骨。

 

 世界がそのままズレたのかと錯覚するほど滑らかに、その先端は地面へとその質量を主張するべく落ちていく。

 

 餓者髑髏の目には一体どう映ったのであろうか。

 

 それがもし人間であったのなら、どのような顔を浮かべたのだろうか。

 

 ……もし、小野寺凛が今の踏み込みをみたら、どう思うだろうか。

 

 きっとその表情は、驚愕に違いない。

 

 踏み込んだ神楽に対し、数瞬も遅れて餓者髑髏は後退を選択する。

 

 選択としては間違いなく正解であろう。このままその位置に留まっていたのならば、待っているのは明確な死なのだから。 

 

 だが、その後退という選択は、ついぞ叶うことなどありはしなかった。

 

 後退しようとして、餓者髑髏の右足が滑る。

 

 ()()()()()()()()()()()()()、足が空滑りしたのだ。

 

 無様な音を立てて地面へとしりもちをついて倒れこむ餓者髑髏。片方の手首が切断されているため、まともな受け身を取ることは叶わず、人間でいう臀部を強かに地面に打ち付ける。

 

 硬い石に当たりその骨が削れ、衝撃によって脆くなっていた部分が砕け、骨が周囲に散らばる。

 

 立とうと骨で構成された体を動かしても一切動けず、自分の負けを認識すらできていない弱者のような、そんな無様な姿。

 

 それに比べ、"美しい"と、神楽は思った。

 

 自分の今の一太刀を何よりも美しいと。凛の技術を昇華させて、より高次元で融合させて放った自分の一太刀は、今までの人生で見た太刀筋の中で最も美しい物だと感じたのだ。

 

 呆けるように自分の太刀を眺める神楽を、倒れ動けない餓者髑髏は見やる。

 

 瞳も何もないその頭部。果たしてその眼孔で神楽を捉えているのか、それは定かではない。

 

 だが、1つだけ確かなことがあるとすれば。

 

 今餓者髑髏が眼前に捉えている存在は。

 彼にとって、少女の姿をした、美しく可憐な死神であったということだ。

 

 再度、音もなく舞蹴が振られる。

 

 大腿骨は人の持つ骨の中でも最も太い骨だ。その切断は当然容易ではない。

 

 例えば素人に日本一切れる日本刀を持たせた所でその半分も断ち切ること等能わないであろう。

 

 しかも相手は常人の2倍以上の背丈を誇る化け物骸骨である。その骨の太さは単純に2倍では収まらないことは推して量れるであろう。

 

 神楽の刃は抵抗という概念が無いかの如く餓者髑髏の大腿骨を撫で、容易に切断する。

 

 続いて数閃、銀色の刃が空間を凪ぐ。

 

 それに合わせ、元よりその形として世界に存在していたかの如く、骨が餓者髑髏より切り離される。 

 

「舞蹴師匠には悪いけど、この火薬、もう要らなくなっちゃった」

 

 この戦いにおいてついぞ使うことの無い、そして使わる予定もないカートリッジを見ながら、神楽はそう呟く。

 

 神楽の膂力の無さを補うべく、火薬による補助で刃の切り返し、威力の増幅を図った武器が舞蹴13号である。アニメにおいて黄泉との戦いやその前哨戦で多様されたその火薬だが、最早今の神楽には無用の長物と化してしまった。

 

 カチャ、という音をたて、舞蹴の刃がその宿主()に収納される。

 

 そしてそれと同時に響く、骨が硬い地面に崩れ落ちる不快な音。連鎖的にそれは響き、数秒の後に終焉を迎える。

 

 流し目でその音の発生源を見やる神楽。

 

 そこにあるのは、切り刻まれ、最早動くための体裁を成していない骨のフラグメント。自身が切り刻み、スクラップにした存在だった。

 

「凛ちゃんはやっぱすごいなぁ。真似しようと思ったけど、結局自分のやり方でしかできなかった……」

 

 そう独り言つ神楽。やはり肉体的な才能、努力の差は大きいと。小野寺凛に対しての賞賛の言葉。それを無意識のうちに神楽の口は発していた。

 

 それは本心からの言葉であることの何よりの証左。小野寺凛を敬愛し、尊敬しているから起こりうる、尊い言葉。

 

 そして神楽は、敵であった餓者髑髏に対しても、成仏出来るようにと念仏を唱え、その行く末へと思いを馳せる。

 

 いくら敵であったとしても、弔うべき死者には変わりない。心を込めて、成仏出来るよう、言葉を紡ぐ。

 

 本心からの、心の底からの賞賛と、そして哀れみ。

 

―――しかしながら、その純粋さこそ、に実は一番悲惨で、残酷なものであるのだ。

 

 兄とも言える存在である小野寺凛が戦う戦場へと、あっさりと終えてしまった勝利の余韻を携えながら、神楽はゆったりと歩き出す。

 

 

 

―――既にその実力が、小野寺凛を超えつつあるという残酷さを、幸か不幸か、欠片も理解せぬままに。

 

 

 





※本作品はハッピーエンドです。が、多少欝要素ぐらいはあったりなかったり。


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第35話 -餓者髑髏6-

エタってない、エタってないんだ!
すみません、遅くなりました。

前回のあらすじをかんたんに述べておくと、

強大な力を持つカテゴリーBが4体も湧いてしまった戦場に室長候補生たちと乗り込んだ小野寺凛。チーム分けで凛、弐村剣輔、土宮神楽の3人で行動することになったが、途中で異常発生したカテゴリーCに遭遇。その処理を後輩に任せてカテゴリーBと対峙したが、相手にしたカテゴリーBは結構強く、体力を温存したい凛にとっては面倒な相手であった。しかしながら神楽がその相手を一人で引き受けることを進言。その言葉を信じ戦場を離脱。凛は本部へと向かう。そして神楽はその凛の期待以上の覚醒を果たし、カテゴリーBをまるで雑魚を相手するかのごとく両断したのであった。

ってところです。ご参考にどうぞ。


「ああもう、うざったい!」

 

 道中に現れるカテゴリーCを叩き切りながら、俺は道なき道を爆走していく。

 

 これが整備された綺麗な道であればとっくの昔に着いているのだが、整備のされていない森というのは中々に走りにくい。斜面は急だし、木で迷いやすいし、正直あんまりこの手の道は走り回りたくないのだが、得てして怨霊というのはこういった薄暗い森の中とかで出やすいのだ。

 

 しかも道中でちょいちょいカテゴリーCが湧いてくるので思ったようには速度を出すことが出来ていない。  

 

 餓者髑髏の霊気にでも当てられて周りから集まってきているのだろうか。本当にやめてほしい。

 

 超人的な速度で木々を避けながら同時にカテゴリーCも討伐するという離れ業をこなしながら移動していると、少々焦り気味の二階堂からプライベート回線で無線が入ってきた。

 

『小野寺凛へ!どのぐらいでこちらへ来れますか?』

 

「二階堂……?個人チャンネルで連絡ってどうしたんです?おおよそ5分とかそのぐらいで到着できるかとは思いますが……。オーバー」

 

『状況が変わりました。5分と言わず今すぐ来てください』

 

「ちょっとそれは無理がありますけど……どうしたんです?」

 

 二階堂桐は非常に真面目で、仕事のできる女だ。結構誤解されがちだが、二階堂桐はマニュアル通りのお仕事がお上手!みたいな印象を抱く人が多いらしいが、マニュアル通りの仕事は当然のこととして、マニュアル外の仕事に関しても卒なくこなし室長の信頼を勝ち得ている、本当に出来るタイプの人間である。

 

 そんな人間が、今マニュアルでは基本的に禁止されているプライベート回線を使って連絡してきたのだ。おそらくその内容はよっぽどのことなのであろう。

 

 そう思って次の言葉を待ったのだが、その回答は俺が予想していたのの10倍は酷いものであった。

 

『……諌山黄泉が、負傷しました』

 

「―――了解。2分で行く」

 

 全身に血をめぐらせる。体力の温存を考えて全速力で飛ばすことはしていなかったが、もうこの際そんなことは言っていられない。

 

 かなり消耗するが、仕方ない。

 

 木に霊力で取っ手を作り出すと、それを握って木を駆け上がる。ある程度の高さまで駆け上がったら、近くにある手頃な太さの幹に飛び移り、ターザンもかくやという動きで木から木へと飛び移っていく。

 

 3次元的な動きが大きく要求されるため、非常に難度も高く、非常に疲れる動きではあるし、正直一歩ミスると地面へ真っ逆さまでかなり危険だ。落ちるようなヘマをする程度の温い鍛え方はしていないが、世界の抑止力とやらの後遺症が残っており、ここ数日は正直体調が万全ではない。でももはや形振りかまっていられない。

 

 体力の消耗その一点を完全に俺は無視すると、最短ルートを辿るべく、霊力と体力を全力で使用しながら木々の間を駆け抜けるのであった。

 

 

 

 

「―――帝さん、そっちはどう?」

 

 そしてその室長候補用の無線で黄泉は自分のパートナーとして動いていた帝に連絡を取る。

 

『任せてもらったのに悪いが、まだ片付いて居ない!早く終わらせて向かう』

 

「私こそ任せて本部に合流してごめん。よろしく」

 

 戦闘中であることが無線越しに伝わってきたので、急ぎ無線を切る。

 

 元々黄泉は退魔師の表の家系である帝家の長男、帝綜左衛門と共に行動をしていた。

 

 だが、カテゴリーBが新たに出現したということで、黄泉は先んじて本部に戻り、そのカテゴリーBに対応していたのだ。本部に対策室のメンバーを待たせていたとは言え、何かあったときに自分がいた方が間違いないだろうと判断したからだ。

 

「……帝さんに任せて正解だったわね」

 

 果たして、その判断は正しかった。

 

 対策室本部は、想定以上の事態に遭遇したことにより、混乱状態にあると言っても過言ではなかった。

 

「管狐で監視させてるからここらはまだ大丈夫だ!戦闘が可能な者以外は今すぐ下がれ!」

 

「紀之!とりあえずさっきの奴らは全員避難完了だ!」

 

「わかった!―――室長!ほかの室長候補はまだですか!」

 

『冥ちゃんと剣輔くんが合流予定だったけど、冥ちゃんを遊撃として加藤くんの部隊の支援に回してるわ。剣ちゃんは上村君の部隊に回してるわ。あと、凛ちゃんが向かっているそうよ。それまで絶対に持ちこたえて』

 

 突如現れた新たなカテゴリーB。その登場により、本部の状況は一変した。

 

 現れるはずもない、予想もできない場所からカテゴリーBが現れた……これはまだいい。怨霊というのはそれこそ本当にどこから現れるかわからないものだ。喰霊-零-の2話で数寄屋橋付近にいきなりカテゴリーDが湧きまくったような、あれほどの規模の出現はかなりのレアケースだが、不意打ちで数体が湧いてくる程度のことは多々ある話である。

 

 だが、新たなカテゴリーBは本当に神出鬼没なのだ。

 

「次は上村達の部隊がやられたらしい!あそこって東北のちびっ子の補佐につけてたチームだろ!?距離が離れすぎてる!俺たちが出たほうがいいんじゃないのか、黄泉!」

 

「落ち着いて。私達が焦っても仕方ないわ」

 

「黄泉の言う通りだ。幸いこの本部は張った結界に守られてる。本部との直通無線以外ろくに使えないこの状況だ、まずは全体を素早く把握したほうがいい」

 

 また一部隊、被害が出た。先ほど出たチームからは、黄泉であっても移動には10分~15分はかかるであろう距離だというのに、新たに強襲されたらしい。

 

―――一体どうやって移動してるの?

 

 この戦場を、あのカテゴリーBは縦横無尽に駆け回っている。

 

 地下か、頭上か、はたまた別の何かか。この謎を解かない限り、犠牲者がより多く生まれることは間違いがない。

 

「わかってるけどよお!これじゃ一方的に狩られるだけで時間の無駄にしかならねぇぞ!?」

 

 状況の把握に努めろという岩端の言葉を受けた桜庭は、本部に張られた極小の結界の外でカテゴリーCの群れを退治しながらそう吠える。

 

 時間の無駄にしかならない。確かにその通りではあるかもしれない。

 

 相手の場所も何もかもわからず、ただただ防衛に回るだけでは、確かに時間稼ぎにしかならない。こちらの実力者に打って出させて、相手の特性を把握。出来れば撃破してしまうのが望ましいだろう。

 

「わかってる。でも、凜が来るまでは時間稼ぎに徹して。そうしたら、私が打って出るから」

 

「わぁーったよ!じゃあ凜の野郎が早く来ることを願っておきますかね!」

 

 今すぐ打って出てもいい。だが、この本部には戦闘続行は間違いなく不可能な負傷者達が10人近く集まっている。

 

 結界が張ってあるから安心であるとはいえ、できる限り本部には黄泉に近しい実力のものを最低でも一人残しておかなければ、再度緊急事態が起こった場合が不安だ。

 

「紀之!上村さんのところの被害状況は?」

 

「死傷者ゼロ、負傷者3!うち戦闘続行不可能1だ!剣輔が間に合ったらしい!」

 

「やるじゃないあの子!上村部隊とは無線通じるのよね?」

 

「ああ。あの部隊とは通信できるみたいだ!だが加藤さんの部隊は通じない!」

 

 黄泉との会話以外にも各種仕事を確実にこなしながら、そう答える飯綱紀之。喰霊-零-ではヘタレの印象しか抱かれていない可能性が高い彼ではあるが、実のところ非常に優秀なエージェントの一人だ。

 

 黄泉や凛には劣る所があるといえども、その才は諫山の子孫を残すに値すると判断されただけの事はあり、原作の喰霊では怨霊化された黄泉からも一目置かれるほどに実力が確かな人物であることは確かなのだ。

 

 流石私の婚約者、などと思いながら、再度地図と現場へと目を移し、現状の把握を最優先に行う。

 

 2部隊の距離は直線距離でおおよそ2kmは離れている。歩いて向かえば30分程度の距離なのでそんなに離れてもいない距離だが、ここは森の中だ。地図上の距離と実際の距離などズレにズレまくる。

 

 陸路で移動する場合、その移動には地図上の距離を移動する際にかかる時間の数倍の時間がかかると思ってもらって問題がないのが山や森という地なのだが、明らかに怨霊はそれを遥かに凌駕する速度で移動している。

 

 そうなるとそのカテゴリーBは何らかの手段を使って陸路以外の手段を使って移動しているのだろう。空を飛んだか、地下を潜ったか、あるいはその他のなにかか。

 

 そう思い、本部内を歩きながら再度地図を見ると、ふと頭にひらめくものがあった。 

 

「あれ―――?確かここにも、ここにも―――」

 

 そうなると確かこの本部にも同じものがあったような気がする。

 

 そう思いふと顔を上げると―――

 

「―――な!」

 

 間近に居た対策室のエージェントの後ろで、()()()()()()()B()()()()()()()()()()()()()()()

 

 エージェントの足から吹き出る鮮血。足が落とされたわけではなかったが、それでも十二分にひどすぎる血の量だ。切られた箇所によっては危ないかもしれない。

 

 刹那にも満たないはずの時間。その時間の間に、黄泉の体は自然と動いていた。獅子王を抜く時間すらない。

 

 いつの間に、そう考えることすら不可能なほどの時間の中。そんな中で黄泉が取った行動というのは至ってシンプルだった。

 

 突き飛ばす。獅子王で防御したのでは間違いなく間に合わない。だから、今まさに再度襲われようとしているエージェントを突き飛ばす。力の限り、自分の持てる力をすべて発揮して突き飛ばす。それだけだった。

 

 ドン、という鈍い衝撃が腕に走るのと同時に、ザクッという音すら感じさせぬ斬撃が黄泉の二の腕を走り抜ける。

 

 突き飛ばしたのと同時に切り裂かれる黄泉の左の二の腕。切られたというその事実は、痛みよりも先に熱さを以て黄泉の脳へ叩きつけられた。

 

「―――あああっ」

 

「黄泉!!」

 

「諫山!?」

 

 次いで襲いくる鋭い痛み。筋肉を切り裂かれたその痛みは、とても言葉にして記述することすらできないほど酷いものだ。

 

 黄泉の悲鳴に、事態を即座に把握する回りの対策室の面々。だが、一瞬以上遅い。すでに黄泉は切られてしまった。

 

 さしもの黄泉であっても地面に膝をついてしまう。鍛えていて、痛みに慣れている黄泉といえども痛みに耐えきれる限界というものは当然存在する。覚悟して受けた痛みであれば問題なく受け止めきれても、不意打ちの一撃による痛みはそうはいかないものだ。

 

 だが、その痛みに負け続けることを良しとした場合、次の瞬間に死んでしまうのが戦場というものだ。

 

 痛みに脳を焼かれながらも、刹那に満たない時間で黄泉は自分の状況を把握する。

 

 自分の目の前に居るのは2m程の巨躯の骸骨。手にはやたら長い日本刀を持ち合わせており、今まさにそれで自分を突き刺そうと引き絞っている状況だ。

 

―――突きか。

 

 突きは黄泉も頻繁に使う技術であり、その回避の難しさや脅威は重々承知している。だが、どこに突きが繰り出されるのかがはっきりわかるのであれば、その回避は面で攻めてくる攻撃よりも遥かに簡単だ。

 

 果たして、黄泉を貫かんとその刃は黄泉の顔めがけてまっすぐに繰り出される。

 

 それを黄泉は前に転がり込むように地面に倒れることにより回避する。チッという音から、多少自分の後ろ髪が持っていかれたことを理解しながら、地面に倒れ込む。

 

 その衝撃が左腕の怪我を刺激する。痛い。だが、痛みにかまっている暇はない。倒れ込んだ状態のまま、そのまま前転するかのように転がり、体をひねって反転させて地面へと足裏を着地させる。

 

「―――っつ」

 

 一連の動作により刺激された怪我が、熱と痛みを持って雄弁にその深さを主張してくる。できることなら今すぐ倒れ込んでしまいたいものだが、それをぐっと踏ん張り、目の前の敵を見やる。

 

 帝とともに黄泉が戦った餓者髑髏は体長が3m近くある巨大な髑髏であったが、この髑髏はどうやらそれよりもかなり小さいサイズの髑髏らしい。全体的に華奢で、その分すばしっこそうなイメージだ。

 

 再度斬りかかろうとしてくる餓者髑髏。それを避けようと足に力を入れたところで、誰かに後ろに引っ張られる。

 

 急かつ力強く引っ張られたため思わずたたらを踏みそうになるが、そのよろけは圧倒的に力強い腕によって抑制され、強く抱きとめられる。

 

「―――大丈夫か、黄泉」

 

「―――紀之」

 

 そう後ろから声をかけられる。顔は見れていないが、それでも当然わかる。ふわっと香る、あの香り。どこかまだ子供なのに、自分にはない男を感じさせるような、そんな匂い。

 

「―――どりゃぁぁぁああ!」

 

 そして、自分が抱きとめられている相手が紀之であると認識したのと同時に、弾けるように吹っ飛ぶ餓者髑髏。

 

 まるで自動車にでもはねられたのかと言わんばかりに転がりまわるように吹っ飛んでいく餓者髑髏。

 

 見事な飛び蹴りだ。スーツを着ている上からでもわかるほど鍛えられた肉体を持っていることがわかるとはいえ、餓者髑髏よりも一回り二回りも小さい青年によって放たれたそれは、2m近くあるはずの餓者髑髏の二の腕あたりに炸裂し、その巨体を見事に吹き飛ばす。

 

 鍛えている人間であっても、まともにこれを食らったら、命はないかもしれない。そんな強力な一撃が餓者髑髏を捉える。

 

 だが、浅い。

 

「桜庭さん!浅い!」

 

「わかってる!あの野郎、あの状況で衝撃逃しやがった!」

 

 いい感じに決まったかのように見えた飛び蹴りではあるが、足が当たる瞬間、餓者髑髏は飛び退く形で衝撃を逃していた。その証拠に、骨が折れたような音は一切響かず、ただ骨が地面にあたって転がる音が響いているだけだ。

 

 相手は人間ではなく怨霊。ダメージを与えた所で止まってくれるわけでも怯んでくれるわけでもない。この手の怨霊を倒すためには完全粉砕以外にはないのだ。

 

 とはいえ見事な飛び蹴りを披露したのは桜庭一樹。対策室のお兄さん的なポジションに居る男である。

 

「大丈夫か、黄泉」

 

「大丈夫、ではないかも。多分、刀はこの戦闘で握れないと思う」

 

 遅れて駆けつけてきた岩端の言葉に、そう返す黄泉。正確に言えば、刀は握れるし、おそらく振ることもできるだろう。だが、この怪我だ。握れて振れたとして、その速度は素人にも劣るし、鍔迫り合いになったとしても一秒も耐えることはとてもじゃないができやしない。

 

「すみません、黄泉さん。俺をかばってくれたばかりに……」

 

「気にしないでください。貴方にあの場で死なれるより何百倍もいい」

 

 先程黄泉が助けたエージェントが怪我をした足を引きずりながら黄泉へと謝罪を行うが、黄泉はそれを一蹴する。命あってこそのこの業界なのだ。

 

「とりあえず飯綱は二人を連れて下がれ。ここは桜庭と俺が引き受ける」

 

「あのデカブツ相手にどこまでやれるかはわかんねぇが、足止めぐらいなら俺らで十分だ。早く諫山を治療してやれ」

 

「わかった、気をつけてくれ。そいつ、並じゃない」

 

「んなこたぁ分かってるよ。持ちこたえててやるから、さっさと諫山を治療してこっち手伝えよ」

 

「言うじゃないか桜庭。飯綱が戻ってくるまでにおっ死ぬなよ?」

 

「抜かせおっさん。おっさんこそ瞬殺されんなよ?」

 

 ドリルと、カバン型の退魔武器を構えながら、岩端は目の前のカテゴリーBを悠然と見やる。

 

―――恐らくだが、相当強い。

 

 霊気がひしひしと体を叩いてくる幻覚に襲われる。この感覚は、黄泉や凛を相手にしたときに感じるそれに非常に類似している。

 

「ごめん、二人とも。……お願いね」

 

「任された。あと凛にも言っておいてくれ。道草食ってねぇで早く来いってな」

 

 音もなく、カテゴリーBが斬りかかる。目の前に立ちはだかる桜庭たちではなく、黄泉たちに向けて放たれた斬撃を、岩端はドリルにて受け止める。

 

「おらおらおら!何怪我人狙ってんだ!お前の相手は俺らだっつ―の!」

 

 一瞬だけ動きが停滞した餓者髑髏に向けて、桜庭は勢いよくカバン型の退魔武器を振り回す。

 

 それを難なく避け、再び岩端に斬りかかるカテゴリーB。その動きは無駄がなく、それだけでもこのカテゴリーBが強いことがうかがえる。

 

「―――っ」

 

 ズキリと、左腕が痛みを訴えてくる。

 

 そんなに深くはない。これで二度と刀が握れないような怪我を負ってしまったとかなら話は別だが、この程度の怪我であればそんなに治癒まで時間はかからない。

 

 だが、この戦場においてこの傷は致命的だ。

 

 黄泉が刀を握れなくなる。自分が死ねば何十何百という人間が命を落とす。そう土宮神楽は教育を受けてきたらしいが、それは黄泉も同様だ。

 

 自分が戦えなくなる。それで敗北が決まる可能性だってある。それだけの重大な立場にあることは理解していたはずだというのに。

 

―――失態だ。

 

 後ろで自分の代わりに戦ってくれている二人に背を向け、紀之には見られないようにしながらも、黄泉は割れんばかりの力で歯を食いしばり、その戦場を後にした。

 



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第36話 -餓者髑髏7-

遅くなりました。


「大丈夫か、黄泉!」

 

「凛……」

 

「凛!来てくれたか!」

 

 邪魔な枝を切り落とし、へし折り、木の幹を足場としながら、森を駆け抜ける。

 

 体力の消耗なんてもんは全く考えずに鬱蒼とした森をチンパンジーよろしく動き回ること数分。

 

 ようやっとの思いで俺は対策室の現場本部に到着した。

 

 テント張りの建物の中に入ると、そこに居たのは、椅子に座り蹲る黄泉と、黄泉に寄り添い兼護衛をしている紀さん。そしてメディックの方々だ。

 

「悪い遅くなった。出血は……大分酷そうだな」

 

 止血に使っているタオルを見て大体の出血量を把握する。……これは大分酷い。確実にメディックの方々に縫って貰わなければならないだろう。

 

「いや、問題ない。出血が酷いように見えるが、今は処置がほとんど終わってるから大分落ち着いてる。最後は病院でやってもらわなきゃならないだろうが、もう大丈夫だ」

 

「それを聞いて安心しましたよ……。……痛むか?黄泉」

 

「麻酔効いてきたから大丈夫。明日以降が酷そうだけどね」

 

「よかった。お前が死んだんじゃないかと思ってヒヤヒヤしたよ俺は」

 

 ふーっと胸をなでおろす。このレベルの災害であれば無線から聞いたことを頼りにして実際に現場に行ってみたら、数分の間に事態が急転して全く違う事態が起こってました!なんてこと珍しくもないから、本当に安心した。

 

 一分前まで話してた人が、次の瞬間には死んでいる。そんなのが起こっても全く不思議じゃないのが、この喰霊-零-の世界だ。あいも変わらず15,16ぐらいのガキが生き残るにはつらすぎる世界線である。

 

 現在カテゴリーBとは岩端さんと桜庭さんが戦って足止めをしてくれていること、黄泉の怪我の処置内容などについてさらっと紀さんと確認していると、黄泉のか細い声が耳に入る。

 

「……ごめん、へましちゃった」

 

 黄泉らしからぬ、元気さと自信に満ち溢れていないその声。

 

 紀さんから聞いた傷の深さだと、とてもじゃないが戦闘に耐えうるようなものではない。むしろ戦場に出てこられたら足手まといだと言いたくなるぐらいにはその傷は深く、出てくると言ったら殴ってでも止めてやろうと思うぐらいの深手だ。

 

 そんな傷を、この現場の筆頭担当者である自分が負ってしまったことに強い負い目があるのだろう。

 

 そんな心情がありありと伝わってくる声色であった。

 

「気にするな。後は俺が全部やるから、今は紀さんの言う事聞いて大人しくしてろ。絶対になんとかしてやる」

 

 本心9割、ハッタリ1割。黄泉を安心させる意図も混ぜつつ、そう言って微笑んでから俺は戦闘態勢に入る。

 

 近くにあった机に上着を脱いで無造作に置く。この季節に夜の森で上着を脱ぐのは少々寒いが、アップは十分に済ませてきているので、むしろこんなものがあっても無駄だ。

 

 黄泉があの糞ガキの息のかかっているであろうこの戦場でリタイアするのは非常に怖い一面もあるが、逆を返せば本部で紀さんとかに守られながら待機しててくれるということでもある。

 

 よくわからん森の中でいつの間にか堕ちられてるよりかは、俺の目の届く範囲で守ってもらっている方が心の衛生上良いという考え方もある。

 

 戦力である黄泉が抜けるのは対策室として痛手だが、喰霊-零-の時とは違って、この戦場にはそこそこ頼りになる戦力が結構居る。

 

 神楽も俺がもう一目置くほどに強くなっているし、他の室長候補たちもそこそこの戦力だ。服部嬢とは直に手合わせしたし、他の室長候補たちの戦いぶりも見たが、あいつらはこの戦場でくたばるようなタマではない。

 

 さっさと本部に戻って本部の警護にあたってもらおう。

 

 その他は全部、俺がやればいいだけだ。

 

「……そういうの言うの、本当なら年上の私の役目のはずなんだけどね。ほんと、憎らしいぐらい頼りになる弟分」

 

「誇りに思ってくれていいぞ。それを育てたのはお姉ちゃん(諌山黄泉)だ」

 

「それは、そうなのかもしれないけど……。大丈夫なの?まだ体調万全じゃないんでしょ?」

 

「体調は悪いけど、今の黄泉に刀を握ってもらうよりかは大分マシだよ」

 

 確かにまだまだ万全ではないが、右の腕を切り裂かれた黄泉が戦場に立つのの1000倍はマシだ。

 

 無い握力で刀握って獅子王が俺の方に飛んできても困るしな、と茶化すと、ほんっと憎たらしいやつねアンタはと言いながらも黄泉は起き上がらせていた上半身からふっと力を抜く。

 

 そしてそのまま目をつぶり、黄泉を支えるようにしていた紀さんに全力で体重を預ける。

 任せてくれた、ということだろう。

 

 自分で言うのもなんだが、俺が今信を置いてもらっているのはあの()()()()だという事実に、体の芯がジワリと熱を持つ。

 

 対策室のエースで、神楽の姉ちゃんで、死してなお俺が憧れた、あの神童にこうして無条件で信頼してもらえている。

 

 その事実と現実をこうして目の当たりにすると、何度経験しても本当に心が震えるものがある。

 

「何度も言うけど、後は任しとけ」

 

 バキッ、バキッと各関節を鳴らしてアップする。

 

 さっき全力で本部まで走っていたから結構体力を消耗した筈であるのに、謎の活力が体の芯から湧いてきて、心なし体が軽くなる。

 

 神楽たちと一緒に戦ってたときは大分セーブして動いてたからまだ体力には余裕があるのも事実だけど、それでもかのクラスのカテゴリーBと接戦を繰り広げていたのだから体力は相当に使っているのも事実。

 

 だというのに黄泉の所作一つでこれだけ活力が湧いてくるって、人体というのは本当に不思議だ。

 

―――さて、では行くか。

 

「紀さん、奴さんは今どこに?」

 

「南の方だ。こういう形で利用するのもあれだが、黄泉の血を辿ればたどり着くはずだ。今は一樹と岩端さんが黄泉を負傷させたカテゴリーBを相手取ってる。助けに行ってやってくれ」

 

「……ちょっと、それやばいじゃないですか!」

 

 待て待て待て。桜庭さんと岩畠さんがカテゴリーB相手取ってるだって!?

 

 あの二人は全然前線を張れるぐらいの実力あるし、仕事もバチバチにできるしで信頼してはいるんだが、微妙に不安なんだよな……。失礼だけどさ。

 

「任せたぞ」

 

「任せたわね、凛」

 

「あんたら呑気に言っちゃって……!報連相は徹底しろとあれほど……!了解です!」

 

 何故か悠々と構えている二人に力強く頷くと、俺は戦場へと向けて駆け出していく。

 

 頼むから無事でいてくれよあの二人……!

 

 

 

------------------------------------------------------------

 

 

 

「ふっざけんなオッサン!こいつこんなに強えなんて聞いてねぇぞ!」

 

「それだけ吠えられるんならまだ大丈夫そうだな桜庭ァ!おらまずは黙って体動しやがれ!」

 

 2m超えの大骸骨が変幻自在に飛び回り、予測不能な攻撃を仕掛け続ける中、短髪の青年が叫び、モヒカンの大男がそれに答える。

 

 短髪の青年―――桜庭一樹は、振り下ろされた強大な日本刀を自身の得物であるカバン式の退魔宝具で受け止めると、即座にそれを銃撃モードへと切り替え、元々スカスカなその体を、より蜂の巣に近づけるべくトリガーを引き絞る。

 

 ……はずが、とても骨だけで構成されたその巨躯からは想定もできないような速度で餓者髑髏はしゃがみ込んで桜庭の視界から消えると、華麗な動作で足払いを行い、桜庭の銃撃を空へと誘い、直撃を回避する。

 

―――なんつー動きしてんだ!

 

 虚を取られ仰向けに体勢を崩されながらも、銃弾を誤って発射してしまい自分や味方に弾が当たることが無いようトリガーから手を離し、桜庭は尻もちと同時に心の中で何度目かわからない悪態をつく。

 

 道中で現れていたカテゴリーCは、正直大したことはなかった。そこいらによくいるような、吹けば飛ぶようなカテゴリーCといった所だったのだが、眼の前のこいつは別格だ。本当に強い。強すぎると言ってもいい。

 

「おぉおおお――――!!!」

 

 体勢を崩した桜庭に攻撃を行おうとしていた餓者髑髏。だが、自分の間合いに入ってきた大男を回避するため、その矛先をそちらへと向け直す。

 

 耳障りな甲高い音を立てて回転する巨大なドリルが、これまた巨大な体から餓者髑髏へと振り下ろされる。

 

 速度も重さも得物の質も、全てが即死級のその一撃。だが、餓者髑髏はそれを全く脅威であるとなど感じていないのであろう。

 

 その一撃を、人間であれば筋肉や皮膚などが削がれるであろう紙一重の見切りで回避し、煽るようにくるくるとその体を翻す。

 

―――舐めやがって。

 

 そう思いながらも油断なく徒手空拳の要領でドリルを振り抜き、一歩一歩餓者髑髏を攻め立てる。

 

 攻めて、攻めて、相手に攻撃のスキなど与えない。

 

 起き上がった桜庭一樹も加わり、二重の方位で前から後ろから横から上から様々な角度から攻め立て続ける。

 

 だが、当たらない。カスリすらしない。

 

 岩端晃司は軍隊(正確には傭兵だが)上がりの戦闘のプロである。

 

 霊能力者としての実力は正直低レベルではあるが、こと肉弾戦に至っては並の退魔師以上の実力があることは、その肉体を見ても明らかであろう。

 

「……っが!!」

 

 不意をついてその鍛え抜かれた肉体を、圧倒的な鋭さを持った打撃が撃ち抜く。鳩尾。奥に神経の詰まった、人間の急所の一つだ。

 

 怨霊にその証明を求めても甲斐無きことではあるが、どこに一体退魔師随一の筋肉量を誇る岩端の腹筋の鎧を貫けるだけの膂力があるのか。

 

 横隔膜まで届いたその衝撃は、岩端から呼吸を奪い、視界すらも一瞬明転させる。

 

 たかが一瞬、されど一瞬。戦闘中の一秒は、世界に存在するどの一秒よりも長いとは小野寺凛の言葉であるが、まさにその通りだと刹那の間に岩端は思考する。

 

 攻めに転じていたはずの自分が、気がついた瞬間には、まさに相手が首を落とそうとしているその瞬間を目撃している。

 

 一瞬意識を飛ばしただけでこの有様だ。ドリルを振り抜いたところまでは鮮明に覚えているというのに、どうして自分がこうなっているのか全くわからない。

 

 わかるのは今自分が死にかけているという事実と、その事実を引き起こしたであろう腹の鈍痛だけだ。

 

 自分の命の灯火は、その鉄が振り抜かれれば消えてしまう。そんな状況に追い込まれた岩端の頭上を、重みのある何かが通り抜ける。

 

 メキッという骨に何らかのダメージが入る音。そしてノックバックする光景が目に入る。

 

 今まで圧倒的優位に立ち、こちらを苦しめ続けていた怨霊が、その状態を仰け反らせて、明らかに隙を晒している。これとない好機。

 

 そして、その状態を作り出した男がその好機を見逃すはずがなかった。

 

 ノックバックから一瞬で復帰し、その男を刀を持たぬ手で近寄らせまいと振り抜いた餓者髑髏。明らかな苦し紛れの一撃。甘く、拙い。

 

 それを難なく避けると、簡単に刀を振れない位置まで肉薄し、カポエイラの要領で蹴りをかます。またしても響く骨に何かしらのダメージが入る音。

 

 キレイに決まった、そう思える一撃だったが、当たってから体勢を立て直した小野寺凛は明らかに苦い顔をしている。

 

 決めきれなかった、そう如実に語っている顔だ。

 

「……こいつも明らかに強いな。……大丈夫かおっさんども!」

 

「だーれーがーおっさんだ!俺はまだ10代だ!」

 

「助かったぜ凛。危うく三途の川を渡るところだった」

 

 今だ痛みを主張する鳩尾を擦りながら、小野寺凛の近くへと寄っていく岩端。そして桜庭一樹。

 

「間に合って何より。怪我は大丈夫?」

 

「俺もおっさんも問題ねぇ。さっきキツイの一発もらってたみたいだけどな」

 

「人のこと言えるのか桜庭ァ。お前こそ痔が裂けてケツが4つに割れそうなきれいな尻もちついてたじゃないか」 

 

「俺は痔じゃねぇ!勝手なキャラ設定すんな!」

 

「はは、そんな減らず口叩けるってことは怪我もなさそうだね。良かった良かった」

 

 カポエイラで地面に着いた手についた土をパンパンと払い落としながら、小野寺凛は笑う。

 

 少し土や、軽く擦り切れて汚れたスーツ。だが、致命傷になりそうな大きな傷はない。ひとまずは安心してよさそうだ。

 

「結構強そうだな、あれ」

 

「大分強いぞ。お前の姉貴分ほどじゃないがな」

 

「おっさんにケツ狙われるよりはマシだが、俺はもう相手したくないね。命がいくつあっても足りそうにねぇ」

 

 減らず口を叩きながらも油断なく目の前の相手を見据える三人。

 

「お前が来たってことは任せていいのか?凛」

 

「いいよ。そのために来たんだし。それより本部に戻って警備固めてあげてよ。黄泉抜けちゃうわけだし」

 

「ありがとよ。お言葉に甘えてそうすることにする。俺らじゃ正直役者が不足してたんだ」

 

「任された。……ま、俺じゃ役不足かもだけどね」

 

「相変わらず可愛くねぇガキだなお前は。だけどその減らず口が頼もしいぜ。任せたぜ、凛」

 

 あいよ、と答えて拳骨と拳骨を軽く合わせる凛と桜庭。

 

「テントに黄泉と紀さんがいる。今の指揮系統どうなってるか正直俺もわかってないから、紀さんから聞いて」

 

「わかった。死ぬなよ、凛」

 

 そう言って走り抜けていった桜庭と岩端。走り抜けていく姿を見ても、大した外傷はないらしい。 

 

「……僥倖僥倖。こいつ相手に怪我なしって相当すごいよおっさんたち」

 

 何様だ!と桜庭一樹あたりからツッコミが来そうな発言をしながら、背中が見えなくなるまで二人を見届ける凛。

 

 その凛がそれを見届けるのを律義に待っていたのだろうか。

 

 凛がその視線を二人から外し、餓者髑髏に目線を戻すと、餓者髑髏はゆっくりと刀を構え始める。 

 

「……へぇ。意外と武人なのかね、あんたら」

 

 合わせて、凛も構える。

 

 怨霊如きにスポーツマンシップや、武士道を求めるのはお門違いでしかないと思っている凛だが、こいつらにはもしかしたらそれに近しいものがあるのだろうか。

 

 前のカテゴリーBでも思ったことだが、もしかしたらこいつらはそこそこ有名な武人だったのかもしれない。そしてその中でも、こいつは先程戦ったカテゴリーBよりも強そうな気配がぷんぷんする。

 

 体力は十分。気力は十二分。相手にも不足なし。

 

―――さて、できれば俺が役不足であってほしいものだ。 

 

 そう思いながら、足に霊力を乗せて地面を蹴り、カテゴリーBへと小野寺凛は肉薄した。




次回以降、月イチ更新目指します。


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第37話 -餓者髑髏8-

第30?話~前回までのさっくりとしたのあらすじ。
不要な方は読み飛ばしてください。


超強いカテゴリーBが4対出現。
そいつらが一体でも封印石に達してしまうと、髑髏が無限に湧いてくる「カテゴリーA無限髑髏」が出てきてしまうため、その現場に急行する凛達。

その現場において剣輔が一人前の退魔師として成長したり、神楽がその圧倒的な才能で、高みの領域に踏み入れる中、ベースキャンプにいる黄泉が新たに出現した5体目のカテゴリーBにより負傷させられてしまう。

黄泉が負傷したベースキャンプに到着する凛。
黄泉とこの場を何とかするという約束を交わすと、桜庭と岩端が抑えてくれていたカテゴリーBとの戦闘を引き受けるのであった。


 初手を切ったのは小野寺凛だった。

 

 強く踏み込んだ一撃。躊躇いも迷いも一切なく餓者髑髏の懐に潜り込むと、戦闘服に仕込んであった退魔ナイフを取り出して餓者髑髏に接近戦を申し込む。

 

 踏み込んで来た凛に対して、獅子王よりも長い日本刀を振り下ろしてくる餓者髑髏。

 

 鋭く、恐怖すら感じさせる鮮やかな太刀筋だが、そんなものは姉と妹のそれで見飽きている。

 

 折れなければ良いの精神で、ナイフ2本をつかってその太刀筋を受け流す。重い一撃だが、想定の範囲内だ。

 

 器用に2本のナイフを操りながら、太刀の圏内へ圏内へと接近を試みる。

 

 今回凛は、いつもの霊力を使った斬撃ではなく、退魔武器を用いたCQCに似た戦い方を選んだ。

 

 その選択をした理由はいくつかあるが、最も大きい理由としてはこちらの方が「斬撃に対処しながら、打撃攻撃がスムーズに行いやすい」というものがある。

 

 今日だけでも幾度となくこの骸骨共と鎬を削り合ってきたが、こいつらを確実に粉砕するのならば、間違いなく凛は打撃のほうがやりやすい。

 

 というのも、凛の作り出す刃は、黄泉や神楽が使う日本刀等とは刃の出来が当然ながら全く異なる。

 

 例えば黄泉が使う獅子王は、1000年経ても尚使える強靭な玉鋼を、名匠が「切る」ことを追求して鍛え上げ、さらにその刃を徹底的に磨き上げたものだ。

 

 神楽が持つ舞蹴12号も、流石に獅子王ほどの年季は無いにせよ、恐ろしく強靭な玉鋼を舞蹴師匠が鍛え上げ、そして研磨した「切る」為にある一振である。

 

 対して凛が使う刃は、その場その場で凛が即興で作り出している霊力の刃だ。ただただ「刃の如く」霊力を鋭く練り上げた、刃物の贋作に過ぎない。

 

 切れることには切れるが、「切れるように鍛え上げられた玉鋼」の切れ味には勝てるわけもない。

 

 セラミックの包丁が切れるとは言っても、名匠が打ち上げた鋼に敵わないのと同じようなものだ。

 

 骸骨のサイズが通常の人間サイズであれば、叩き切ってしまうのも、打撃で砕くのもそう差異はないが、神楽と共闘したときのような大型の骸骨となると話は別だ。間違いなく打撃の方が良い。

 

 そしてこいつは神楽と共闘した髑髏よりも大分小さいサイズではあるが、斬撃で対応するよりは打撃のほうが有利。そう凛は判断した。

 

―――手始めに。

 

 一瞬だけ、速度のギアを上げる。踏み込みのタイミングと、その強さを上げ、1テンポ速く深いところまで踏み込んで行く。

 

 凛が戦闘中によく行う歩法。凡な相手であればこれでその懐まで潜り込ませてくれるものだが、残念ながらこの相手は凡ではない。

 

 あっさりとその緩急に対応してくると凛を懐に入れまいと体勢を切り替え、刀で反撃さえ行ってくる。

 

(反応が早い。思ったとおり、あっちのよりか大分強いか―――?)

 

 思った以上に懐に入ることが叶わず、何度もナイフと刀の応戦が続く。より速度を上げて手数を増やすが、相手もその速度を上げて巧みに対応してくる。

 

 神楽と共闘した髑髏のほうは(二人がかりということもあるが)攻撃を当てることには成功していたのだが、この髑髏には最初の飛び蹴り以降攻撃が当たっていない。

 

 桜庭、岩端との戦闘も凛は少し見ていたが、全体的にこちらの怨霊のほうがこちらの攻撃に対する反応が良い気がするのだ。

 

 神楽と戦った際のカテゴリーBは、その巨体と妙な巧さもあって苦戦した所ではあるが、()()()()()()()()

 

 なるほど。こいつによる被害報告が多々出るわけだ、と凛は納得する。このレベルに対応できるのはやはり室長候補レベルじゃなければ難しいだろう。

 

 厳しい言い方にはなるが、このレベルになってくると対策室の面々では役者が不足してしまうだろう。

 

 ただ―――。

 

「よかった。俺は役不足だった」

 

 凛はしようとしていた攻撃の、踏み込みの速度を目では判別できないレベルで緩める。しばらく相対していれば疑問を感じるかもしれない、程度の軽度な速度の変更。

 

 相手に感じさせない僅かな変化。しかしその変化こそ、戦局を左右する一石となる。

 

 そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 凛が飛び込んでいたであろうタイミングに完全に合わせて振るわれる、獅子王よりも巨大な刀。

 

 恐るべき速度と練度だが、それが切るのが空間だけでは、小野寺凛にとって何も脅威になりはしない。 

 

 そしてその刀が振り抜かれた瞬間に踏み込みを終えた小野寺凛が、餓者髑髏の目の前で悠然と構えを取る。

 

「―――ここ」

 

 刀を振り切った状態の下がった相手の顔面に、凛は風も唸るような威力の貫手を繰り出す。

 

 速度も威力も全く申し分の無い一撃。まるで体調不良の身体から繰り出されたとは思えない、文字通り殺人級のそれ。

 

 しかもおまけに貫手が伸び切る寸前に霊力で作られた刃が相手の頭蓋を貫通させるべく指先から鋭く伸びるオプション付き。

 

 ただでさえタイミングをずらされている上に、この餓者髑髏との戦闘では初となる凛の霊力行使。

 

 貫手を避けようと思った瞬間に、一度も見たことのない数センチの誤差が発生し、自分の頭蓋を割りに来る。そんなもの、避けられるわけがない。

 

 この技は、殺してはいけない相手には使えない搦め手の一つ。だが、小野寺凛はこの手の()()()()()()()()()ならば役に立つ戦闘技術を無数に持ち合わせている。

 

 殺しても良い対人戦など、小野寺凛は今の所経験したことは一度もない。退魔師としてその手の経験を積むということは、仲間うちに怨霊に落ちた人間が発生したという事だからだ。

 

 幸いにも、小野寺凛にはその経験がない。そして、願わくばこれからも、と、常に願いながら凛は戦い続けている。

 

 元より下手な格闘家ならば反応すらさせずに葬れる程の威力と速度を持ったその一撃。

 

 驚異的な強さを誇るカテゴリーBであっても、完全に設計されたタイミングで放たれた一撃など、避けられる筈もない。果たして、その一撃は避けられず、小野寺凛の狙い通りにその霊力は頭蓋を貫通した。

 

 頭蓋を霊力が貫く鈍い音が、指先の骨を通して身体に響いてくる。

 

 そしてほぼ同時に凛の腕に伝わる横方向への力のベクトル。餓者髑髏が回避行動を行おうとしたところに霊力を突き刺したため、その力が伝わってきたのだろう。

 

 だが、捕まえたのだ。―――離さない。

 

 凛はそれの抵抗を許さず、貫手の体勢のままガッチリと繋ぎ止める。

 

 頭蓋にはっきりと霊力が貫通した状態。人間ならばこれで終わっていた。だが、相手は脳味噌など疾うに腐り落ちている骸骨(化け物)だ。指先程度の太さの針が頭蓋を貫通する程度、行動の支障にすらなりはしない。

 

 それを証明するかの如く、凛を排除すべくもがき始める餓者髑髏。この髑髏を倒すには粉砕するか、魂のレベルで除霊してやるしか方法はない。

 

 恐らくは2m超えの巨体。前傾姿勢がかなり深いタイプの相手のため、パッと見ではさほど大きくは見えないが、概算で凛よりも軽く30cmも大きいその身体は、ただ振り回すだけでも圧倒的な力を生み出す。

 

 パワーという観点において、大きさは何よりのアドバンテージだ。大きさがあるだけで小さいものよりも優位に立つことができる。

 

 つまるところ、餓者髑髏はただ頭を振り回すだけで目の前の小さな退魔師ごとき吹き飛ばすことが可能であるということだ。

 

 それが大きさ。力。自然の摂理。人間では越えられないそのライン。

 

 それを存分に使い切り、小さな男を吹き飛ばす。

 

 ……つもりだった。

 

「膂力任せは神楽との奴で見飽きたよ」

 

 どころか、振り回されたのは餓者髑髏のほうだった。

 

 より圧倒的な力で引きつけられ、地面に向かって頭が引き寄せられる。

 

 当然ながらそれを成した下手人は小野寺凛だ。

 

 突き刺した針状の霊力を、鉤爪状に変化させて頭蓋に食い込ませ、相手の力が完全に乗り切る前に思いっきり凛が攻撃しやすい位置へと誘導したのだ。

 

 ちょうど蹴りやすいところに頭が下がってきた所へ本気の膝を打ち込む。しかも、膝蹴りの威力が逃げないよう、蹴りのインパクトが抜ける先に霊力で壁を設置し、足と壁でプレスするようにして蹴りを放つ。

 

 ゴキッという骨が折れるどころではない、硬いものが砕け散る音が静かな夜の森に響き渡る。

 

 まるで粉砕機で圧倒的な強度の物体を砕き潰したかのような、そんな圧倒的な轟音。

 

―――クリーンヒット。

 

 本日ナンバーワンの一撃が餓者髑髏の頭蓋を粉砕する。

 

 文字通り、粉砕。バラバラに、一部は粉のごとく破壊することに成功する。

 

 人間相手にやったとしたならば、頭部がミンチにでもなっていただろうか。

 

 これも模擬戦では絶対に使えない技だ。初めて実戦で試みた技ではあるが、人に使うにはあまりに危険すぎる。

 

 あまりに鮮やかで、スピーディーな一連の動作。餓者髑髏は自分がされた一連の流れを理解できているのだろうか。

 

 そう思い砕けゆく骨たちを眺めながらも、凛は油断しない。もう一度このまま追撃を加えるべく、体勢を整え、力を入れる。

 

 だがその瞬間、右手にかかる負荷が変わったことに、頭よりも先に身体が違和感を覚える。

 

 指先から伝わる感覚。膝で砕いた後と砕く前のその違い。それを瞬時に分析し、身体からの異変を一瞬以上の時間を要して、凛は理解する。

 

―――なるほど、軽いのか。

 

 軽すぎるのだ、右手にかかる負荷が。

 

 自分は確実に敵の頭蓋を霊力で捕まえていた。頭蓋に打った楔を、自分が頭蓋を破壊した瞬間に誤って外してしまっていただとか、そんな阿呆な真似は一切していない。

 

 だが、事実として右手にかかる負荷は軽くなっている。一体それは何故か。

 

 その原因に思い至り、髑髏の身体を見る。すると、自分が保有する頭蓋部分と、胴体部分の位置関係が()()()()()()()()()

 

―――そんなのもありなのかよ……!

 

 自分が保有する頭蓋から、頚椎から下が切り離されていく。

 

 餓者髑髏がやった行動は簡単だ。頭蓋を胴体を切り離して、相手(小野寺凛)の追撃を避けようと試みたのだ。

 

 人間には到底不可能な離れ業。だが、その離れ業は見事に成功し、小野寺凛の強制的なホールドから離脱することに成功する。

 

 関節を外して拘束を脱するという手法は古来より存在するのは存在するが、まさかここまで文字通りに関節を外す存在を見るのは流石に初めてだ、と凛はある意味で感心する。

 

 そして同時に、頭蓋を破壊されてなお自分を攻撃しようとしている怨霊をみて、一体コイツラは何を以てこちらを視認しているのかと疑問に思うが、怨霊相手にそんなことを考えても無駄だと思い直す。

 

 そもそも脳科学が進んでいるこの現代においてさえ、人間の意識がどうやって成り立っているのかを完璧に解明している人間など居やしないのだ。況や、その意識の集合体たる怨霊をや、というやつである。

 

 そして凛は身体と頭を守るようにして霊力を展開した腕を下げる。

 

 凛が疑義と感心を抱いている間に、相手は苦し紛れではあるが、その巨腕を薙ぎ払うが如く振るう体勢が出来ていたのだ。

 

 繰り出されたのは所詮体勢の崩れた一撃。さほどのダメージは無いだろうが、完璧に避けるにはやや時間が足りない。ならば衝撃を逃がしつつ受けるのが1番だろう。

 

 そう思い防御を行う小野寺凛。そして狙った通りのタイミングで襲い来る衝撃。タイミングを合わせてジャストガードすることにより、反撃の時間を一瞬でも多く作り出す。

 

 間違いなくとっさに放った一撃なのだ。荒く、重心も適切に乗っていない。

 

 だが、重い。

 

 これだけ体勢が崩れていながらも、まるで軽い重機に襲われたかのような一撃。ガードした腕がビリビリと震えるのはわかるとして、そのガードの余波が肺にまで衝撃が伝わってくる重いものだ。骨だけだと言うのにこれだけの膂力とは、あまりにも反則過ぎる。

 

 黄泉が凛に抱いているような感想を抱きながらも、視線は相手から決して外さない。

 

―――今の所は順調も順調。このままこの調子で行くとは思わないが、出来ればここで決めたい。

 

 先程頭蓋は潰した。潰したところで普通に稼働していたので、大したダメージになっているのか怪しいが、塵も積もればなんとやら、である。

 

 今の所この骸骨共は人間の限界を超えたことはそこまでやってきていない。足が取れれば地面を這いつくばるし、手をなくせばバランスが取れなくなったり、足でなんとかして攻撃しようとしてくる。

 

 つまるところ、多少例外はあるが、基本的にこの骸骨達の動きは物理法則に則っているのだ。

 

 細かいパーツだろうが一つ一つ潰していけば、次第に動きは鈍っていくはず。特に体幹に近い部分のパーツが潰せれば、相手は動けなくなる可能性が非常に高い。

 

 そしてそれは逆を返せば体幹に近い骨なら、一度捕まえれば先程までみたいにパージして逃げられる可能性は低い、ということだ。

 

 そう思い鉤爪を繰り出す。この位置ならば、間違いなく胸骨に抉りこませ、引っ掛けることが出来る。そうおもい、繰り出した一撃だったが、

 

 その攻撃は空を切る。

 

「―――んな、っは?」

 

 華麗に空を切ったその一撃。流石に当たらなかった時に備えて残心はとってあるが、それでもそのまま残心など忘れてつんのめってしまいたくなる程には、美しいにも程がある空振りだった。

 

 そしてそれは単純に凛が見当違いの攻撃をしたとか、相手が神がかった回避を見せたとか、そういった理由では決してない。

 

 いや、神がかった回避、というのはもしかしたら近しい表現なのかもしれない。

 

 何故なら。

 

「……消えやがった?」

 

 まるでそこには最初から誰も居なかったと錯覚させるほど突然と。凛が戦っていたのがまるで幻であったかのように。

 

 神隠しにあったかの如く、一瞬で凛の目の前から消えてしまったのだから。

 

 




次回、冥さん登場。
よろこべ、おまいら。

※補足
ちなみにですが、本編で触れるのを忘れていたのですが、黄泉のいるベースキャンプを抜けられると封印石みたいなものがあって、それと4体のカテゴリーBが接触すると無限髑髏が発生します。
なので実は黄泉がベースキャンプで負傷して、しかもしらない5体目が発生してたっていうのは密かにやばかったという。


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第37話 -餓者髑髏9-

遅くなりました。第3章の9話を読むと冥さんが理解しやすいかもです。

あらすじ
突如現れた5体目のカテゴリーBにより黄泉が負傷。
引継ぎを終えた凛。そのままカテゴリーBの討伐に向かうが、いい感じに追い詰めたところでカテゴリーBは消えてしまう。
本部でその対策を考える凜の元に、冥と剣輔が訪れる。


「諌山冥、戻りました」

 

「同じく弐村です。戻りました」

 

 小野寺凛がカテゴリーBを逃し、本部に帰投してから数分後。

 

 道中に現れるカテゴリーCたちを切り捨てながら鬱蒼とした木々をくぐり抜け、諌山冥と弐村剣輔は本部へとようやく帰投した。

 

 今回冥が本部に立ち寄った目的は情報収集。本部に居るであろう黄泉に詳細な情報を聞き、自分のプランがどの程度進んでいるかを確認するべく本部へと冥は帰投したのだ。

 

 それに黄泉がどこまでこの戦場を読めているのかも気になるポイントではあった。その確認も兼ねて本部にて直接話をしようと来てみたのだが、そこにいたのは予想外の人物であった。

 

「ああ剣輔……と冥さん?お疲れ様です」

 

 入り口の暖簾をくぐり抜けて冥が声をかけると、声をかけた対象である小野寺凛が、一瞬戸惑ったような顔を見せて労いの言葉をかけてくる。

 

 男らしいというよりは中性的な顔立ちに、男性としては一般的な背丈。やや細めではあるが鍛え上げられている体躯に、特殊な素材で出来ているという彼独自の戦闘服を身に纏っている。

 

 基本的に制服で戦いに赴いている諫山黄泉や土宮神楽とは異なり、小野寺凛は着替える余裕があれば戦闘に特化した服装に毎回着替えており、まさにそれが今冥の前で着ている服である。

 

 とは言え学校からの現場直行などの際には戦闘服を用意できないことが多いため、トータルの戦闘回数で考えると制服での戦闘回数の方が多い。

 

 黄泉などは制服で戦う凛を見慣れているのだが、冥としては馴染み深いのはこのスタイルの小野寺凛であった。私服を除けば、であるが。

 

 冥は改めて凛をみやる。

 

 ここで冥に会うとは思っていなかったとでも言いたげな表情。確かに、冥に与えられた役割は遊撃であるため、本部へと寄る必要は特段ない。無線で状況を把握し、指示があればその現場まで急行すればいいのだから、本部に寄らないほうが効率的には良い。

 

 しかも冥が任されていたのは他の室長候補生と同じ、カテゴリーBの討伐の任務。つまるところ、退魔師界隈でも名だたるエリートである室長候補生達でも未だに討伐出来ていない強敵との戦闘を任されていたわけである。

 

 だから、冥が本部に来るにしてもこんなにも早く来るとは予期していなかったのであろう。

 

 それは大分、癪に障るが。

 

 だが、それは小野寺凛にしても同じこと。小野寺凛の役割は冥と同じく遊撃、そしてカテゴリーBの討伐。室長候補生達の無線にてカテゴリーBの討伐に成功した旨の連絡が来ていたため、すでに小野寺凛がカテゴリーBの討伐に成功したこと自体は冥は把握していた。

 

 この短時間であの相手を、との驚きもあった。抜け道を知っている自分とは異なり、この男は正面から相対して討伐に成功したという訳だ。

 

 実際には討伐したのは小野寺凛ではなく土宮神楽であり、なおかつ凛が無線を入れた段階ではまだ神楽も討伐出来ていなかったのだが、諫山冥にはその事実を知る術など当然ない。

 

 故に諫山冥は自らの得物を強く握りしめる。それは本人も自覚していない、無意識の行動。

 

 一瞬名状しがたい感情に心が支配されそうになる。名前を付けるにはあまりに複雑で、しかし左右されるにはあまりに容易な感情。

 

 それを冥はぐっと押さえつける。今までと同様に、冷静な仮面で感情を押し殺す。それであれば、自分の目的には沿っている。ならばそれは喜ばしいこと。そして、それ以上に大切なことを自分は今やらなければならないのだから。

 

(そもそも何故彼はここに居る?)

 

 小野寺凛が今いるのは、彼が圧倒的な信を置く諌山黄泉が守っている本部だ。

 

 特段本部に居たとしても不思議ではない人間ではあるが、今回の戦力と凛の役割を考えれば現場に居るほうが効率が良い。……ということは本部でなにかあったのだろう。

 

 冥がそう思考しているうちに、小野寺凛は冥の後ろにいるもう1人の来訪者に向き合う。

 

 冥のその後ろに佇む少年、弐村剣輔。まだ未熟かつ難しい戦場を任せたこともあって、切り傷ドロなどの汚れが全身に散在しているものの、全くの軽傷で、戦闘に支障が出るような怪我は一個もない。

 

 小野寺凛は弐村剣輔に、少々難度が高いと思われる戦場を任せた。そして五体満足でこの場に、小野寺凛の前に立っているということは、無事乗り切ってみせたという訳だ。退魔師歴数ヶ月の、ルーキーが、ベテランのエージェントでも命を落としているこの戦場を。

 

「よくやった、剣輔」

 

「……うっす」

 

 冥の脇を通り抜け、剣輔の胸を軽く拳で小突く小野寺凛。少し前まで鉄仮面の如く表情が固まっていた凛の顔に、笑みという名の綻びが生じる。

 

「あの場を任せてよかった。……そんな中早速で悪いが、またこき使わせてもらうぞ」

 

「相変わらず人使いが荒いっすね……。わかりました。使ってやってください」

 

「頼らせてもらう。早速色々動いてもらうぞ」

 

 弟をみるかのような、どこか慈愛に満ちたような評定をする小野寺凛。その顔を横目で流し見て、自分には見せない顔だと思いながらも、本部の状況を視認する。

 

 一見してわかる異常は、明らかに重度の負傷者が居たであろうことがわかる大量の血痕。このベースキャンプの入り口から点々と続いているそれは、小野寺凛の後ろにある簡易ベッドで特にその存在を主張している。

 

「酷い血ですね」

 

「ええ。……結構手酷くやられまして」

 

「でもあなたの血ではない。その程度の怪我でこの出血はありえない」

 

 背中に一文字の薄い傷があるのと、恐らく擦過傷は身体のあちこちに存在するだろうか。その他にも傷を負っているかもしれないが、これだけの血を流すにはあまりにも役者が不足している。

 

 ということは怪我を負ったらひとまずこの本部で治療を受けるような人物が怪我をしたのだろう。恐らくは東京の対策室の誰かだろうと冥は当たりをつける。

 

 その中で先程歩いてくる途中に見なかった人物は……とまで考えて、ふと冥は一つの思考に至る。

 

 このテントで自分が会おうとしていた人物、それは誰だったか。

 

「まさか、黄泉が?」

 

「……正解です。黄泉が手痛く負傷しましてね。飯綱紀之とともに戦線を離脱してもらいました」

 

「……やはり」

 

 弐村剣輔への激励の後、再び穴が空くように地図を眺め続けていた小野寺凛の口から出たその言葉に、珍しく冥はそのポーカーフェイスを驚きに歪ませる。

 

 対策室の誰かが負傷したのだろうと、冥は当たりをつけていた。だがまさか、黄泉だとは。

 

 退魔師としての黄泉の腕は誰もが認めるほどの領域にあり、この程度の戦場で負傷するとはとても思えない。

 

 今回、冥がこの騒動を引き起こしたのも、黄泉の負傷を願ってのことでは無い。

 

 負傷してくれればと考えていなかったかと言われるとそれは明確に否ではあるが、諌山黄泉は大した障害もなくこの戦場を切り抜けるだろうと冥は予測していた。

 

 むしろその可能性がある戦場に立つのは小野寺凛であり、その采配を黄泉にこそさせようと思っていたのだが……

 

 冥の後ろからも息を呑む音が聞こえてくる。自分の剣の師匠とも言える人が、最も身近と言える人の1人が負傷した。その事実を突きつけられて面食らっているのだろう。

 

「ちょ、黄泉さんが離脱って、大丈夫なんすか……?」

 

「ああ。手酷くはあったが、腕を切られただけだ。数ヶ月はお勤めが出来ないだろうが、命に別状はまったくないよ」

 

「なら良かったっすけど……いや、良かったって、言えるんですかねそれ」

 

「命があるだけ儲けものだ。黄泉の話は衝撃的ではあるだろうが、とにかく今はこの戦場の平定が優先だ。話を進めよう」

 

 集まってくれ、というと、穴が空くように見ていた地図を元に、凛は現状の説明を始める。

 

 現在の人員配置、人員の状況、カテゴリーBの討伐数。得ている情報を要領よく剣輔と冥に伝えてくる。

 

(概ね、予定通りですね)

 

 凛の説明を聞きながら、冥は自分のプランと進捗を照らし合わせる。

 

 冥が支給されているイヤホンは室長候補生たちが支給されているのものと同じもので、一般の退魔師には伝わらないような情報に関しても共有できるよう、特別な調整をさせたものだ。

 

 なのでどのように室長候補生たちが動いて、現在どこの地域を担当しているか、などに関しても、共有が入ったものであれば冥は一通り理解している。

 

 当初予定していたプランと、無線で聞く戦況から推測していた進捗、そして実際の進捗にそう違いはない。概ね予想通りの展開と言ってしまって問題ないだろう。

 

 関西の室長候補生、帝は今だカテゴリーBと戦闘中。黄泉が抜けて一対一の戦闘を続けているのだろうか。こちらに関しては続報がないためまだ動きを追えていない。もしかしたら室長たちと直に連絡を取り合っている可能性はあるが、恐らくはまだ戦闘中なのだろう。

 

 戦況はおおよそ冥の読み通りに進んできている。負傷者、死者も想定の範囲内だ。自分が引き起こした事象が人の命を左右するというのは心苦しいことだが、結局は遅いか早いかだ。

 

 自分が緩めずとも、この封印は数年後には間違いなく開放されていた。何かしらの外的な要因があれば数年と言わず、明日にでも爆発していたような、致命的な綻びが生じていた結界だ。

 

 その綻びを、今自分が解いてやっただけのこと。

 

 それに、室長候補生達が居る今の方が戦力が多く、東京の退魔師だけで対応するよりも圧倒的に戦いやすい。

 

 このタイミング以上に、この結界を開放して良い時など存在しないであろう。ある意味では人の命を救ったのだ。

 

 そして、この事態を解決できる方法は既に自分が持っている。あとは少々手を加えて上げるだけだったのだが……

 

(まさか黄泉が負傷するとは……)

 

 現状冥のプランと比較して最も外れているのが、黄泉の負傷だ。それだけは冥の予定に存在しなかった。

 

 今回の冥の目的は情報収集がメイン。それと小野寺凛の補助の二つ。対策室のレベルを肌で感じ、今後自分が立ち回るための情報をえることが出来れば十分。

 

 そしてこの大騒動の花を諌山黄泉持たせない。

 

 それが出来れば尚良し。

 

 最近の対策室は、良くも悪くも小野寺凛が中心となって動く場面が増えている。

 

 退魔師というのは古い業界だ。それこそ血や家督のような、現代の若者からすればどうでも良いと思えるようなものに執着する人間は少なくない。

 

 そして、その血や家督のような論争には、性別の問題も入ってくることがある。

 

 繰り返すが、退魔師は古い業界だ。そして古い業界ということは、古い考えの男が多いということである。

 

 男尊女卑、という言葉の体現のように振る舞う者も一定数存在し、冥や黄泉のような女でありながら上に上り詰めようとするものをよく思わない者が居るのは確かだ。

 

 そして、そういった層から小野寺凛のウケは悪くない。最近有名な退魔師として名の挙がるのは女の退魔師の割合が高く、唯一とも言っていいそれに対抗できる人間が、小野寺凛だからだ。

 

 しかも、小野寺というのが大した血筋ではないというのがまたポイントが高い。諫山のような圧倒的な血筋を持つ黄泉は、ほぼ間違いなく婿を取ることが予測されている。

 

 事実、諌山黄泉が高校を卒業するのと同時に、飯綱紀之は諫山に婿入りすることがほぼ決まっている。既に婚姻を結べる年齢である黄泉が結婚していない理由は、高校を卒業するまではという黄泉の希望と、奈落の配慮の二点のみ。これもまた遅いか早いかの違いでしかない。

 

 だが、小野寺凛は違う。浮ついた話の一つも無く、どの派閥に下る等の話もほぼ一切ない。

 

 そう、つまりは、

 

(―――小野寺凛は、モノにしやすい)

 

 後ろ盾も何もない。だが、力はその後ろ盾を補って余るほどある。

 

 なら、取り込めばいい。

 

 そう考える浅慮な大人たちが蔓延る世界なのだ、この世界は。

 

 だから、小野寺凛が実績を上げる度、喜ぶ大人が一定数居る。

 

 自分のものに出来る可能性のある他人が、育ってくれることに喜ぶ愚かな人間が少なからず居るのだ。

 

 そしてそれは、自分(諫山冥)も例外ではない。

 

「―――現状はという感じです。質問は?」

 

「いえ、大丈夫です。()()()()()()()()()

 

 疲労もあるだろうに、室長達とのやり取りや、本部に時折入ってくる緊急の対応を淀みなくこなしながら説明を終えた凛からの質問に、冥はそう返す。

 

 次の一手を虎視眈々と考えながら。



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第38話 -餓者髑髏10-

エタったと思われても仕方ない更新頻度。
まことにすみませんでした。
一年以上ぶりの新話です。

前回までのあらすじは
・超大災害が起こってそれを対策室と室長候補総出動で鎮圧に向かう
・凛は神楽と行動するも、本部に異常とのことで本部へ
・黄泉がエージェントを守って負傷していた
・負傷させた原因であるカテゴリーBと凛が対戦
・しかしながら追い詰めた所で謎の瞬間移動を行われ、取り逃がす
といった感じになります。
前を覚えていない方がほとんどだとおもうので参考にしてください


「……負傷者が増えて来ましたね」

 

 続々と増えてくる負傷者を見ながら、冥はぼそっと言葉を漏らす。

 

 本部には続々と負傷者が集まってきており、冥が来た当初よりも明らかにメディックの動きが慌ただしい。これは間違いなく新しく現れたカテゴリーBの影響だと冥は分析していた。

 

「ただでさえ発生数が多かったり、治癒力が高かったりするカテゴリーCが居る中でのあのカテゴリーBですからね。死傷者が俺と神楽が見つけた一人だけなことに感謝すべきでしょうね」

 

 そんな冥の言葉を、小野寺凛が拾って返す。

 

 その言葉を受けて再度冥は負傷者達を見やる。負傷者は増えているが、よく見てみると確かに今見る限りだと死者は居ないらしい。

 

 事実、凛の元にも死に繋がる怪我をしているものは報告なされておらず、この異常な戦場にしては比較的小規模な損害で抑えられているといえる。

 

 だが、それも時間の問題だと冥は考える。そして、それは目の前の男も同じことを考えているだろう。

 

 室長候補生達がカテゴリーBを倒して合流できるのも同じく時間の問題ではあるが、それまでの時間で負傷者はどんどん増えていく。

 

 そして負傷者が増えるということは、それに割かれる人員も増えるということ。刻一刻と、こちらの余裕はなくなっていく。

 

「まず目的を整理しましょう。今回の目的はこの結界の強化。そしてそのためにはあのカテゴリーB達が邪魔です」

 

 そういって、小野寺凛が指揮を始める。今回の戦闘の目的は、現れた怨霊を全て討伐し、本部の奥に配置してある祠に再度強力な封印を施すこと。

 

 結界を壊せると推定される4体のカテゴリーB(に先程現れた一体を加えた5体)を討伐した上で、祠に結界を張り直す。それができればこちらの勝ちというシンプルなルールだ。

 

「カテゴリーBは既に二体が討伐されていて、残り3体のうち2体も時間の問題と信じましょう。ということは我々が対応するのはあのカテゴリーB一体で大丈夫。あのカテゴリーBを倒しさえすれば、我々の勝ちと言って問題ない」

 

 謎の5体目が現れたといえ、やることは変わらない。危険分子を取り除いた上で、守りを固める。やることはそれだけだ。

 

 最初に現れたカテゴリーBはそれぞれ各室長代理が対応にあたっており、鎮圧の見込みは立っている。新しく現れた1体も自分(小野寺凛)が相手をすれば問題ない。

 

 一般のエージェントがカテゴリーBを相手するのはきついものがあるが、カテゴリーCなら訓練をしっかり積んでいれば容易に討伐が可能だ。

 

 カテゴリーBの脅威さえなくなってしまえば、あとはただの殲滅戦。凜や冥などの凄腕のエージェントが居なくても何とかなる状態に持っていける。

 

 だが、と凛は思考する。

 

 多分見落としがある。それだけじゃ勝てない。

 

「けどどうするんすか?その黄泉さん切ったっていう敵、神出鬼没なんですよね?」

 

「そうだな。それが問題なんだよ……。個人的には切り込みたい所なんだが……」

 

 そして、その問題も加わってくる。そもそも新たに出てきたカテゴリーBの討伐の難易度自体がかなり高いのだ。

 

 単純な戦力もさることながら、神出鬼没過ぎる。

 

 己惚れるつもりはないが、小野寺凛は人並み以上に感覚が鋭い自信がある。だが、件のカテゴリーBは自分が戦っているその目の前で忽然と姿を消したのだ。

 

 戦っている、その目の前で、だ。

 

「目論見がなければ空振りになる可能性の方が高いでしょうね」

 

 冥の指摘に、凜はその通りだと頷く。

 

 行き当たりばったりで突入していいのは、無能が過ぎる雑兵のみだ。

 

 まともな兵士なら、ましてや人の命を預かる側にある指揮官側の人間であれば、とてもではないが何の考えもなしに戦場に踏み入ることはあってはならない。

 

「それなんですよね……空振りになった挙句後ろから刺されたとかあったら堪ったもんじゃないですし。出来れば俺はここを離れたくない」

 

 情けない話ではあるが、小野寺凛には今勝つための絵が描けていない。

 

 新たに現れたカテゴリーB。黄泉の負傷。自身の不調。そのすべてが重なり、

 

―――結果論ではあるが、完全に下手を打った。

 

 心の中でそうぼやきながら、親指の関節で眉間を叩きながらぐぬぬと唸る小野寺凛。

 

 黄泉を本部に待機させるように進言したのは小野寺凛だ。

 

 どうせ今回のこの事象も引き起こしたのは三途河の可能性がある、という恐れを小野寺凛は持っていたため、指揮系統の拠点である本部を攻めさせるわけにはいかなかったのだ。

 

 だから本部には対策室の一部のみ残して室長候補達は全員でカテゴリーBの討伐に当たるという話になった時、横から口を出して黄泉と対策室全員を無理やり推薦して本部に残した。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 凛には他の人には無い特殊な能力とでもいえるものがあり、殺生石に近づくと胸のあたりが騒ぐような、生物としての拒否反応とでもいうような、どことない違和感を胸に感じることができる。

 

 それは室長と共に諸々実験を行っており、ほぼ100発100中で当てることができるのだが、どうもこの森ではその感覚を感じることができない。

 

 三途河が以前使っていた認識阻害の術とやらを使っている可能性は否めない。

 

 あの時は確かに凛は気がつくことができていなかったため、今回もその可能性は往々にしてある。

 

 だが、なんとなくではあるが、凛は気がついていた。()()()()()()()()()()()()()

 

 つまり、黄泉を本部に置いて予備選力として待機させておく意味は、正直ほとんどなかった。

 

 それであれば本部が最初に作戦を立てていた通り、さっさとカテゴリーBを討伐していればより被害は抑えられたはずだ。

 

 もしかするとの話ではあるが、黄泉の怪我も、下手をすると人的被害も今より少なかった可能性すらある。

 

「黄泉もいない、新しく出てきたカテゴリーBへの対処もわからない。結構詰みんでるなこれ」

 

「かといって、ここで立ち止まっている時間もない。どうされるのです?」

 

「……どうしましょうね」

 

 小野寺凛にしては珍しく動揺した様子を見せる。

 

 相当行き詰っているのだろうと、冥はその仕草から判断する。

 

 小野寺凛は基本的に肝の据わった男ではあるが、時折見せる所作に小心者特有の特徴を見せることがある。

 

 データは少ないが、眉間かこめかみを叩く仕草は本当に切羽詰まっているときの小野寺凛が行う仕草であった。

 

 悩んでいる凜に近づき、凜が凝視している地図に目を落とす冥。先ほどからずっと眺めている地図。そこにしきりにマーカーを付けながら唸っているが、一向に進展はない。

 

 その横顔を流し見た後、冥は目を閉じて思考する。

 

―――現状は自分に対して著しく有利だ。想定よりも遥かに上手くいっている。

 

 正直なところ、もう少し対策室の手際を見ていたくはある。その長である神宮寺菖蒲やそのメンバー達の手腕が十分に見れたかというと、そうでもない。

 

 冥が見てみたかったのはここから。新たな敵の出現により後手に回っている状況。果たして、これを打開する機転と判断を神宮寺菖蒲たち対策室が取れるのか。

 

 それを冥は期待したのだが――――

 

(潮時、でしょうね)

 

 今回の戦場においては普通の通信機が中々うまく稼働せず、室長候補達が使っている特殊な通信機しか安定稼働できていないというエラーが発生している。

 

 これは冥も予期していなかったエラーであり、指示がうまく通らない中でこの状況を収める難易度は想像を絶する。

 

(この状況ならば対策室は十分によくやっている。実力はあると認めて問題ないでしょう。)

 

 その中でこの対応速度。諸々不手際もあるにはあるが、無視していいレベルだ。つまりこの時点での判断材料から、対策室は優秀と結論を下して問題ないと冥は評価を決定する。

 

 もう少し見ていたいのが正直なところではあるが、徒に長引かせてウルトラCが出てくるのを期待するより、この状況を利用したほうが圧倒的に冥にはメリットがある。

 

 そして何より()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「あなたが付けているこの点とこの点、何を指しているのですか?」

 

 諌山冥は小野寺凛の隣に立つと、白魚の腹のような美しい指を、地図に滑らせる。

 

 その指がたどるのは、彼の思考の歴史。凜が地図上に付けていた赤のマーカーを、冥はその意味を粗方推測していながら、あえて凜へと質問を投げかける。

 

「これですか?これは5体目のカテゴリーBに部隊が襲われた位置ですよ。俺が報告を受けているのはこの3か所です」

 

「理解しました。……では、この本部を入れれば4か所になりますね」

 

 凜の手からマーカーを奪い取り、本部にも同じマークを冥は付ける。

 

 今自分たちが居るが、まだ印の入っていなかった本部にマークが付く。

 

 点が2つしかない場合、その点が描く軌跡の可能性は無数に存在する。つまり、その点と点が描く図形の法則性を導き出すことは不可能に近い。

 

 しかしその変数()の数が増えれば、話は変わってくる。

 

「……そうか。俺が居るから忘れてましたが、この本部も襲われてる。でも、そうなるとこの形」

 

 自分の書いたマークと、冥の書いたマーク。

 

 その数は4つではあるが、凛が書いていた3つであったときよりも大分その形がはっきりと浮かび上がってくる。

 

「法則性はあるでしょうね。超常の現象と言えど、規則性が無いわけでは無い。むしろ高度に練り上げられたそれほど整合性を持つ」

 

「台形、って推測するのは流石に馬鹿が過ぎる。お約束ってのは案外正しい。この手の法則性なんて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……となると」

 

「円と推測するのが妥当でしょうね。この4点を綺麗に結ぶなら」

 

 机の上に置いてあった鉛筆を用いて、4点を通るような円を描く。

 

 4点から導き出せる形は無数にあると言えば無数にあるが、普通に考えてこの形であれば円が妥当だ。

 

 霊術はオカルト的な要素が強いのは強いが、何だかんだ言って高度なものになればなるほど円などの基本的な概念をしっかりと含有し利用しているものだ。

 

 今回もそう推測するのが妥当であろうと凛は辺りをつける。

 

「そうなると瞬間移動出来るはずのあのカテゴリーBが、何故俺たちが他のカテゴリーB達との戦闘中に介入して来なかったのかっていう疑問にも回答ができる」

 

「なぜなら、この円と室長候補生達が戦っている場所は、全く重ならない」

 

「ええ、それです。……そしてこの円が正しいとすれば、あのカテゴリーBは」

 

「この奥にある石の周りを動いているのでしょう」

 

 冥が書いた円。それは凛たちが死守しなければならない、無限髑髏の封印である石をぐるっと囲むように記されている。

 

「……可能性は高いか」

 

「そのしかめ面をここで呈しているだけよりかは、この可能性を検討する方が随分有意義かと」

 

 凛から奪った赤ペンで、円周上に×を付けていく。

 

「私がここまでくる最中、何箇所かこのバツ印で記したところにこの本部と共通するものを見かけました」

 

 ラフな形ではあるが、徐々に円形に近づいていく×印の集合体。正円というよりは楕円に近い形を描いていく。

 

「入り組んだ山の中ですから確実にこの場所とは断言できませんが、大体この辺りでしょうか。正確な円というよりは円形に並んでいると言った方が正しい状態ではありますが」

 

 知識として把握しているものではなく、今日この時点までで自分が歩いて、実際に見た箇所に丁寧に印を記載していく。

 

 冥が歩いた位置。そこに置いてあったとあるもの。それは―――

 

「―――あの小さい祠、っすか」

 

 言葉を発そうとした冥に割り込んで言葉紡いだ弐村剣輔に、諫山冥は多少の驚きを表明する。

 

 実はこの山の一部には、やたらと祠が存在する謎のエリアがある。

 

 等間隔という訳でも、同じ祠が揃っているという訳でもないが、地図上で見るとほぼ円形状に祠が並ぶ極めて小さな不思議な一角があるのだ。

 

 それはまさに自分が×を付けたところ。円周で3kmには達しないだろう、小さな範囲。

 

 確かに自分はアリバイ作りのために祠が見えるルートを歩いた。そしてその証人として都合がよかった弐村剣輔を利用したのだが……。

 

「―――。そうです。よく見ていましたね」

 

 あのとき拾って正解だった。あの時合流したのは偶然と、連れ回したのは冥の気まぐれではあったが、そう冥は結論づける。

 

 議論はほぼ諫山冥が誘導した。藁をも掴みたいほどに切羽詰っている今、恐らく自分の語る話は小野寺凛にとっては背中を後押しする有益な情報でああるはずだ。

 

 だが、この情報の信ぴょう性は、正直高くはない。

 

 メタ的に考えれば、この情報は諌山冥が持つ情報で有るがゆえに、絶対的に信ずべきものではある。

 

 だが、小野寺凛にはそれが信ずべきものであるかを確かめる術はない。

 

 故に小野寺凛は確実に悩む。何故ならばその情報が絶対的に正しいことは、小野寺凛には決してわからないからだ。

 

 だが、弐村剣輔が自発的に気が付いたことにより、冥の言葉は第三者のお墨付きを得ることとなる。

 

 結果としてその場に出ている情報は、冥が出した時と量は全く一緒だと言うのに、信憑性に雲泥の違いが発生する。

 

「推測ですが、この手の術式ではこの祠を媒介にしている可能性が高いと考えるのが妥当でしょう」

 

 確証なのだが、とは口が裂けても言わない。

 

「……なるほど。むやみやたらに模索するよりか、大分確率は高そうですね。……となるとやることは」

 

 ふむ、と口に手を当てながらつぶやいた後、バッと本部の暖簾を開けると、つかつかと歩いて行く凛。

 

 周りを見渡す。直接見た覚えは無いが、暗い森の中で弐村剣輔が発見できたぐらいのものだ。ある程度目立つものに違いないと当たりをつける。

 

 果たしてそれは本部の近くに鎮座していた。

 

「……あれか。そういやバトってた時に見た覚えあったわ」

 

 よくよく思い起こしてみると、カテゴリーBとの戦闘中、大体は自分の視界に映っていたことにようやく気がつく。

 

 つくづく浅い洞察力だと自分に辟易しながらも、恐らくカテゴリーBの媒介になっているであろう祠に近づいていく凛。

 

「凛さん?何してるんですか?」

 

 後ろから追いかけてくる弐村剣輔と、相変わらずのポーカーフェイスを保ちながら近づいてくる諫山冥。

 

 その二人には目もくれず、小野寺凛は目の前の祠に神経を全集中し手を触れる。

 

「なるほど、たしかに霊力が宿ってる。……ってことは冥さんの予想通りか」

 

 手で祠に触れてみると、たしかに霊力が宿っており、何かしらの力が働いていることがわかる。

 

 黄泉や神楽のように術が行使出来るわけではない凛ではあるが、術の存在を感じることぐらいは可能だ。

 

 あまり表立って言葉にするのははばかられるが、そこいらの道端にあるような祠や地蔵にこんな霊力は宿っていない。大概は皮を真似ただけのハリボテ。何も霊的な術は組まれていないものが殆どだ。

 

 しかしながらこの祠には術が仕込まれている。つまりこんな霊力が宿っているということは、何かしらの力が働いていることの証左。現時点で持ち合わせている情報だけで考えるなら、カテゴリーBの移動はこれを通じて行われていると考えるのが最も合理的であろう。

 

 踵に霊力を纏わせると、空手家も真っ青な美しいフォームで踵を頭よりも高く掲げる凛。

 

「ちょ、凛さん、待―――」

 

 凛を追いかけて出てきた剣輔がその行為を意図を把握し、それを制止するよりも早く、重力と筋力をフルに使用して威力を付けられた踵が祠へと叩きつけられる。

 

 雑音が轟くこの環境においても皆が振り向くほどの轟音を響かせ、カテゴリーBの媒介となっているであろう祠がバラバラに砕け散った。



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第39話 -餓者髑髏11-

前回までのあらすじ

凛を勧誘するために各地域の室長と、室長候補生が東京に集合
練習試合などを経て仲良くなった、凛と黄泉を含む室長候補生達。
しかしながらカテゴリーAクラスの霊的災害が発生。
それに対応する凛達。そしてそれに対応するうちに、事前情報に無かった敵(カテゴリーB)が登場し、仲間をそいつから守った黄泉が負傷し退場してしまう。
神出鬼没なそのカテゴリーBに後手に回る凛。
だが、剣輔と諌山冥の助力により、追い詰める方法を見つけだし、最終決戦に、諌山冥とともに望む。


 

 カテゴリーBに知性はない。

 

 正確に言うと知性を持つ個体も居るが、今回のターゲットであるカテゴリーBにはそれが存在しない。

 

 だが、それでも本能的に危機を感じて回避したり、自分の利益のために相手を襲撃したりなどの行動を起こすことは可能である。

 

 脳みそもそれに代わる器官も体に持ち合わせていないと言うのにどうやってその行動を起こしているのか?という疑問を、そもそも理不尽な存在である怨霊に対して呈するのは野暮というものである。

 

 とかく、その理不尽な存在である怨霊にも、防衛反応や使命感のようなものは存在するのだ。

 

 そして、今回怨霊が反応せざるを得なかった理由は、その前者だった。

 

「―――待たせたな、クソ野郎」

 

 ロケットが炸裂したかのような衝撃と音と共に、カテゴリーBは自分が潜んでいた祠から叩き出される。

 

 文字通り骨が削れる音をたてながら地面を転がり、近くにそびえ立っていた木にぶつかり停止するカテゴリーB。

 

 もし彼が人間であり今の一撃を生き延びることが出来るタフな力を持っていたのだとすれば、今彼は間違いなくこう考えているだろう。

 

―――自分は今、何をされた?と。

 

 人間ならば損傷とそれによる痛みで立つことすらままならないダメージを負っているだろうに、カテゴリーBは即座に立ち上がり、自らを守るべく戦闘態勢に入る。

 

 現在の自分の状況を思考する力が無くても、自らを守るように動くことは出来る。自分に襲いかかる驚異を排除するべく眼の前の敵を見据える。

 

 眼の前に映るのは一組の男女。

 

 柔和だが理知的な顔をした黒髪の男に、処女雪のごとく白い髪をもつ鋭い雰囲気の麗人の組み合わせ。

 

「……今ので決めれたのでは?」

 

「それなら楽だったんですがね。手強いですよ、こいつ」

 

 まるで世間話でもするかのような気軽さで会話をしているが、その目線は一秒たりともカテゴリーBから外れることはない。一挙手一投足見逃さないとばかりに、鋭く眼の前の存在を睨みつけている。

 

 

「――――おい、クソ骸骨」

 

 繰り返すが、このカテゴリーBには思考能力がない。脳みそ自体無いのだから、当たり前だ。

 

 再度繰り返すが、しかして危機察知能力はある。考える脳は無くとも、脅威を感じる能力は当たり前に備わっている。

 

 その本能が告げている。耳元で太鼓が鳴り響くが如く、爆薬が炸裂するかの如く、警鐘を鳴らしている。

 

俺の姉貴分(諌山黄泉)を傷つけてくれやがったんだ。―――お前の行き先は、地獄すら生ぬるいと思え」

 

―――今から自分は祓わ(ころさ)れるのだと。

 

------------------------------------------------------------

 

 示し合わすこと無く、初手には冥さんが打って出た。

 

 まるで踊るような美しさで距離を詰めると、薙刀を振るう。

 

 相当の重さがある得物だと言うのに、まるで新体操のバトンを振るうが如く軽やかに一閃、二閃と放たれる。

 

 流れるような美しい剣閃ではあるが、カテゴリーBはそれを上手くいなす。相手がカテゴリーBでなければ見事な刀裁きに称賛を送っていただろう。よくもまぁ薙刀をあれほど綺麗にいなせるものだ。

 

 刀で薙刀を対処するのは非常に難しい。薙刀もしくは槍の持つリーチというアドバンテージは攻めにおいても守りにおいても有利になる。

 

 突いてよし切って良しのメリットを、刀からは届かない範囲から存分に繰り出してくる。

 

 そしてその扱いにおいて、冥さんは俺の知る限り最上位に居る人間だ。

 

 距離を詰められる前に突いて、隙があれば切り払い、攻められれば長い柄も使って受け止める。

 

 相手の攻守のタイミングを操りながら攻撃するその戦闘スタイル。流れるようにスタンスを入れ替えて相手に攻めの隙を作らせない。

 

―――常に自分の攻撃ターン。それが諌山冥の戦い方だ。

 

(……やっぱ上手いな)

 

 カテゴリーBの動きも見ながら、諌山冥の動きも俺は注視する。薙刀と戦う時はどうすれば戦いやすいか。この流れる動きの弱点は何か。 

 

 そのすべてを頭に叩き込む。この戦いで役立てるために、そして()()()()()のために。

 

「―――フッ!」

 

 タイミング良く薙刀を横に鋭く一閃し、カテゴリーBの刀を持つ手弾く諌山冥。そのタイミングで俺は地面を蹴る。

 

 一瞬で冥さんの横を通り抜けて、体勢を崩したカテゴリーBに肉薄する。

 

 冥さんもそれに気がついたのか、半歩移動し、俺の通るであろう道を空けてくれる。

 

 それを見て、体勢を崩した状態ながらバックステップを行って俺との距離を離そうとするカテゴリーB。

 

 戦闘中は常に冥さんの後ろで視界を遮って俺の存在が目に入りにくいよう位置調整をしていた。

 

 そのためこいつの目(あるのかしらないが)からは急に俺が目の前に出てきたように見えるはずだ。

 

 懐に潜り込み、体を両断してやろうと斬撃を繰り出す。

 

 だが、右脇腹から左肩にかけて切り裂いてやろうと繰り出した一撃は、今まで一度も抜かれていなかった小太刀を抜くことにより、回避される。

 

 鍔迫り合いのような形になる小太刀と俺の手刀。

 

 膂力ならば負けはしないし、体勢的に力が入れやすいのはカテゴリーBではなく自分である。

 

 それを理解しているカテゴリーBはその拮抗をすぐに解き、膝を使った蹴りを繰り出してくる。

 

―――受けるか。

 

 重い一撃。骨からどうやってまぁこの威力が出せるんだという程のもの。それを、わざと受ける。

 

 膝が腹に入る。重く響くその打撃。並の人間じゃこれで意識が持っていかれるだろう。とてもじゃないが耐えきれるような威力ではない。

 

 まぁ、()()()()()()の話だけどね。

 

 小野寺の術式の近接戦闘能力の高さを舐めてはいけない。

 

 みぞおち付近には戦闘前から予め防御用に薄い霊力の壁を一枚含ませてある。

 

 今ので粉々になってしまったが、衝撃を十二分に逃がしてくれた。戦闘におけるダメージには全くカウントされない程度の攻撃だ。

 

 ……まぁ痛くはあったけどね。

 

 ただしもちろん痛みを受けただけの成果はある。

 

 鋭く刺さった膝蹴りに合わせ、俺はカテゴリーBの膝裏を抱きしめるように拘束する。

 

 肉のない骨であるが故に掴みづらくはあったが、動かせない程度の固定には成功し、カテゴリーBの動きが静止する。

 

「冥さん!」

 

「―――わかっています」

 

 俺の呼びかけとほぼ同タイミングで、銀の一閃が闇を切り裂く。

 

 肋骨を薙刀が撫で、ガッという音をたてて右の肋骨が切断される。

 

 先程の奇襲を除けば今回初ヒット。致命傷ではない。が、これは深めに入った。

 

 普通であればそれと同時に俺も霊力による拘束を開始する。

 

 北海道支部の室長候補生である服部嬢にしばらく口を利いてもらえなくなった技だ。霊力を体にピッタリまとわせて動きを阻害し、拘束する技だ。

 

 威力は0なのだが、一度決まってしまえば勝利が確定する程の反則技だ。服部嬢にやった時は一発で決まったのだが―――。

 

(骨だからやりづらすぎるなこいつ……)

 

 が、相手は骨。人間で練習している時のように上手く決まらず、拘束が緩くなってしまった部分が大量に出てしまう。

 

 拘束を引きちぎり()()()()()()()()()()()()()()蹴りを繰り出してくるカテゴリーB。

 

 上体をのけぞらせてそれを回避し、バック転を行って冥さんの隣に着地する。

 

 人間相手なら今ので勝ってたのに……と冥さんが嫌いそうなタラレバを心に浮かべながら、カテゴリーBに視線を戻す。

 

 ガシャン、という音を立てて地面に着地するカテゴリーB。

 

 明らかなチャンス。だが俺は襲いかかれる状況にない。バック転直後だからね。

 

 一対一なら攻めることが難しいタイミングだったが、今はありがたいことに2対1だ。冥さんが空いている。

 

 確実に決めることの出来るタイミング。そこに冥さんが滑り出る。

 

 カテゴリーBは刀を振れる体勢ではないし、反撃をするにしても薙刀のリーチを掻い潜って攻撃できる手段を目の前の餓者髑髏は持ち合わせていない。

 

 一度も刃を見せていない、腰にある小太刀も今から抜くにはあまりに遅すぎる。

 

 避けることも相当難しいはずだ。

 

 勝ったなと、そう信じて疑わなかったのだが、急に心に警鐘が鳴り響く。

 

(なん、だ……!?)

 

 確証はない。が、このまま攻めては駄目だ。何故かそれだけはわかる。

 

 恐らく脊髄反射の類だ。脳でその脅威を認識していないが、俺の身体がそれを理解している。

 

「―――危ない!」

 

「きゃっ……!」

 

 本能のままに、ぐっと冥さんを引き寄せる。

 

 急ぎであったため、首の後ろの着物を掴み、思いっきり自分の方向に向かって引っ張り抱きとめる。

 

 それに僅か遅れて、冥さんの顔があった場所を謎の物体が通り過ぎる。

 

 冥さんの顔面のスレスレを通ったそれは、後ろにあった木に突き刺さって動きを停止する。

 

 カテゴリーBから警戒を怠ること無く、それに目をやる。何かが投擲されたのはわかった。だが、近くに投擲できるようなものなどあっただろうか。

 

 そう思いながら見やると、木に突き刺さっていたのは白い歪な形の物体。一瞬理解が及ばなかったが、それは先程までずっと見ていたものだった。

 

―――さっき切られた肋かよ!

 

 ガイアじゃないんだからさ……と思いつつも、同じ立場なら自分も同じようなことはやるだろう。

 

 戦略として上手い……のかは分からないが、なるほど合理的ではある。

 

「……顔面ぐらいなら貫通してたなありゃ。冥さん、大丈夫ですか?」

 

「……ありがとうございます」

 

「緊急だったので色々すみません。服を直したら合流してください。俺が行きます」

 

 俺の腕に抱かれている冥さんが着ているのは着物タイプの服である。

 

 腰の上までスカートがあるという、普通の着物とは違ったタイプの着物であるため、通常の着物よりはあれであるが、後ろを引っ張ればそりゃそうなるよねという状況である。

 

 本来ならもう少し配慮したかったのだが、今回ばかりは許してほしい。

 

 ちなみに眼福であった、などとは欠片も思っていない。

 

 ここは戦場なのだ。そんな不純なことを考えている余裕などあるはずがない。

 

「……」

 

 1秒前までは"助けられたことにプライドが許さないと思いつつも感謝をしている"という温かい目線だったはずなのに、俺を見る目がゴミでも見るような視線に変わったのはきっと気の所為だ。

 

「……さて」

 

 冥さんに上着をかけると、俺はやおら立ち上がる。

 

 小太刀を鞘に収め、太刀を構えているカテゴリーB。警戒しているのか、追撃をする気は無いようだ。

 

 俺は首を回し、骨をゴキッゴキッと首を鳴らす。

 

 こいつは強い。が、流石にこれだけやりあえば慣れてきた。

 

―――終わらせよう。

 

 なんの捻りもなく、カテゴリーBの眼前に躍り出る。

 

 そのまま両手に作り出した刃を繰り出して叩きつけていく。一見なんの捻りも無く見えるように、乱暴に、暴力的に刃を振るう。

 

 それを綺麗に逸し弾き、上手く対処してくるカテゴリーB。

 

 インファイトを繰り出そうとすると、先程解放した小太刀を抜く動作をちらつかせることで俺の動きを止める。

 

 攻撃のパターンは豊富だし、回避は上手いし、防御も巧みだ。今まで戦った敵の中でも、間違いなく3本の指に入る強さだろう。怨霊で言えば一番かもしれない。

 

 だが、黄泉よりは遅い。

 

 カテゴリーBが繰り出してきた突きを紙一重で避けると、カウンターで俺も突きを繰り出す。

 

 その一撃は右の鎖骨の一部を抉り取り、カテゴリーBに蓄積的なダメージを与えていく。

 

 ……相変わらず人間だったら致命傷になる傷が致命傷にならないのは腹立たしい。

 

 こちらは同じ場所に一撃食らったら終わりなのに、こいつは損傷し放題だ。

 

 しかしながら朗報もある。

 

「―――へぇ。切られたとこ、効いてるんだな、お前」

 

 動きを見ていて気がついた。こいつ、明らかに最初よりも刀を振るう精度も範囲も速度も落ちてきている。

 

 とくに右側だ。明らかに先程よりも右腕の動きが悪い。

 

 骨しか無いのに動くという常識外の存在であるのに、骨が無くなると動きが悪くなるらしい。

 

 これなら、行けるな。

 

 俺に向かって刀を振り下ろそうとしているカテゴリーBに対して、俺は手に纏っていた霊力の刃をかき消す。

 

 防御手段が無くなるわけだが、問題ない。―――それ以上のことをやるのだから。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ビンゴ」

 

 本当に一秒、いやコンマ一秒ズレたら、小野寺凛が2人になるであろうシビアなタイミング。

 

 だが、カテゴリーBの持つ太刀は、俺を切り裂くこと無く俺の手の中で動きを完全に止めていた。

 

 所謂、真剣白刃取り。それをやってのけたわけである。

 

 両の手で挟んだそれを力ずくで奪い取ると、全力で横蹴りを繰り出し、餓者髑髏を思いっきり後退させる。

 

 残っている肋骨にダメージが入った感覚。もしかすると脊椎あたりにも衝撃がいっているかもしれない。

 

 よろめきながらも、何とか体勢を整えて下がろうとするカテゴリーB。

 

 逃すものかと、俺はクナイ状にした霊力を6つ程投げつける。

 

 人間であれば十分ダメージを与えられたであろうそれだが、骨の化け物相手だと決定打になどなりはしない。

 

 せいぜい骨が削れたり、大きい骨にめり込んでくれる程度。無駄な攻撃だとカテゴリーBも思っただろう。

 

 数発に至っては命中せず、後ろの地面にめり込むだけという始末。当たりすらしていない。

 

―――だが、今回は外れたほう(そちら)が本命だ。

 

 地面に突き刺さったクナイに、遠隔で霊力を込める。

 

 バックステップで軽く後退してようとしていたカテゴリーBが、壁のような何かに阻まれて後退する脚を止める。

 

 ゴン、と骨が硬いものに当たる音を響かせて、カテゴリーBの意図しない形で体が静止する。

 

 カテゴリーBの後ろにあるのは一瞬で作られた、黄色い僅かに光る、カテゴリーBが力を入れて手を振るえばスグに壊れてしまう薄い壁。

 

 小野寺の術式によって作られた、しかして一瞬動きを止めるには十二分な壁。それによってカテゴリーBは動きを一瞬ながら完全に阻まれた。

 

「いただき」

 

―――とてつもない破壊音を立てて、俺の右ストレートがカテゴリーBの顔面に突き刺さる。

 

 左の眼窩から頬骨の辺りを完全に粉砕し、拳状に陥没した頭蓋骨にめり込む俺の右拳。

 

 それは勢いそのままにカテゴリーBの後ろにある壁に炸裂する。

 

 これまた激しい音を立てて後ろの壁が砕け散る。

 

 熊にでもやられたのかという程の惨状。並の髑髏ならこれでお陀仏だろう。だがこいつは並ではない。

 

 顔面を砕かれた瞬間から、崩れた体勢でありながらも小太刀を抜いて反撃しようとしているのが横目に映る。

 

 顔面を壊し切るにはもう一撃が欲しい。だが、それを打ち込んだら俺は刀で切られる。そのトレードオフ。

 

 普通なら後退するだろう。既に十二分にダメージは与えることに成功している。

 

(まぁ、俺は普通じゃないんだけどね)

 

 俺は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 一発目ほどの威力ではなかったが、再び炸裂音が夜の森に響き渡る。

 

 もう壊れかけだった頭蓋骨は、元々の機能であった脳を守るという役割どころか、形状すら保てずに崩壊する。

 

 砕けたのは小汚い骸骨だと言うのに、その散り際が美しくて、不思議な感覚だ。

 

 してやったりと自分を褒めてやりたいのもつかの間、即座に意識を切り替える。このカテゴリーBのことだ。顔面を潰された程度じゃこいつは止まらないはず。

 

 避けようにも、人を殴るためではなく物を壊すための左ストレートを振り抜いたのだ。体勢は崩れていないにせよ、即座に回避行動に出れるほどの余裕はない。

 

 刃による鋭い痛みを覚悟する。どこだ?どこをやられる?

 

 時間が引き伸ばされたかのように思える極限の集中の中、己の負傷を覚悟していると、痛みの代わりにやってきたのは金属音だった。

 

 甲高い音を立てて、視界に割り込んできた銀色。それに堰き止められる小太刀。

 

 目だけ左側を見ると、俺に襲いかかろうとしていた刀を、後ろから差し込まれた薙刀が食い止めていた。

 

「―――貴方、本当に馬鹿なんですか……?」

 

 服を整えたらしい諌山冥が、薙刀にて小太刀を食い止めてくれたらしい。

 

 本気で困惑したような声を出すのはやめてほしいが、このサポートは非常に助かった。

 

 これなら追撃を繰り出せる。

 

 そう思い再び右手を振り抜こうとすると、ガチャ、と音を立てて、カテゴリーBの手から小太刀が滑り落ちた。

 

 次いで文字通り地面に崩れ落ちるカテゴリーB。

 

 謎の力によって繋ぎ止められていた200以上の骨達は、その力を失い、バラバラになって地面へと衝突する。。

 

 バラバラに成った骨が、砂のように崩れていき、その姿をゆっくりと消滅させていく。

 

 冥さんの方に顔を向け、アイコンタクトを取る。

 

 すると、無言で頷いく冥さん。終わったと言うことだろう。俺も、この消えていく骨からもう霊力や呪力を感じられない。

 

 ……どうやら、こいつの弱点は頭だったらしい

 

「……はー。ようやく終わりましたね」

 

「……ええ。終わりましたね」

 

 崩れ行く骨を前に棒立ちする俺に、先程渡した上着を渡してくれる冥さん。

 

 ……流石に疲れた。まるで5年くらい経過したかのような疲労感だ。さっさと帰って黄泉の容態を確認したい。

 

「こちら小野寺凛より本部へ」

 

 渡された通信機に話しかける。

 

「―――件のカテゴリーB討伐完了。本部に帰投する」

 

 希望と共に伝えたその一文。純粋に喜ばしい、それ以外の要素が無いその文言。

 

 本部もそれに沸いているのが通信機越しに確認出来る。

 

 神童、小野寺凛がまた偉業を成したのだと。そう沸く声すら聞こえてくる。

 

 人間なんて単純な物だ。その歓声と、その称号に誇らしくなる俺がいるのを、俺は欠片も否定できない。

 

 そして喜んで悪いわけがない。たった齢16の俺が成したのは、それだけの偉業なのだから。

 

 だから俺は喜ぶ。態度には出さず、静かにゆっくりとその賞賛を噛みしめる。

 

―――それが、俺達に。いや。彼女に牙を剥くとは、露知らずに。



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間話4 -大人のデート-

以前書くと言っていた凛と冥のssです。
本編じゃなくて申し訳ない!
今後、ちょっとあれなので、是非これで補完しながら本編をお楽しみください。


「―――お待たせしました」

 

 凛とした、風鈴が優しく鳴らされた時のような、澄んでいて美しく響く声が届く。

 

「少し遅れてしまいました。申し訳ありません」

 

「いえ、俺も本当に今来たところですから」

 

 ホテルにある、海抜的にも値段的にも少々お高めなバー。父が母をよく連れていくバーだそうで、俺の成人祝いに連れて来て貰ったことから足繁く通っているバーだ。

 

 そこで、俺と冥さんは待ち合わせをしていた。

 

「失礼します」

 

 淡いピンクのワンピースに、黒レースのショールを羽織った冥さんが、俺の隣に腰掛ける。

 

 あの一件以来そこそこ見るようになった私服姿ではあるが、同棲をしているわけでもないのと、私服にも和服を使用している人なので、こういった服装で来る冥さんを見ると高鳴るものがある。

 

 なので、思わずじっと見てしまう。

 

 今日は珍しく髪を一つに束ねて前に流しているようで、右隣に座る俺からはその美しいうなじがチラリと見えて非常にセクシーである。

 

 ……随分気合の入った服装だ。俺も親父が成人祝いに買ってくれた少々お高めのスーツを着てはいるが、見劣りする感があるのは気のせいだと思いたい。

 

 誘った店が店なのでマッチしているのだが、それでも人目を引くのは流石だ。名実ともにその人の隣に居れることを少し誇りに思ってしまう。

 

「……悪い気はしませんが、そう隠しもせずにジロジロとみるのは紳士としていかがなものでしょうね」

 

「すみません。次からは盗み見ます。……これ革靴だから踏むのはやめて!」

 

 バーのカウンターの下で、冥さんの右足が徐に上げられたのを察知した俺はそれを阻止すべく口を動かす。

 

 絶対に傷をつけさせるわけにはいかない。これはなんと華蓮がお年玉を貯めて買ってくれた靴なのだ。

 

 親類が結構多いからお年玉をもらえる人数がかなり多い俺と華蓮ではあるが、それにしても万単位の買い物となると相当きつい。

 

 それに金銭感覚が狂い始める大学生とは違って、華蓮はまだ7歳だ。当時は6歳だったが、その歳の子供にとって万単位での買い物なんてもうよくわからない次元の買い物だ。それこそ自分の全財産をはたいているに等しい感覚での買い物になるといってもいいだろう。

 

 だというのにあの子は俺の誕生日に満面の笑顔でこの靴をプレゼントしてくれたのだ。貯めていたお年玉を使って、わざわざ俺に、である。

 

 それ以来この靴を大事に履かせてもらっている。壊れる可能性があるお勤めには絶対に履いていかないが、こういった機会ではよく使っているのだ。ニコニコ笑いながら俺がどの靴を履くか見ている華蓮のせいで、この靴を履く機会が多くなっていることは華蓮に内緒である。

 

「……全く貴方は。そういえば注文がまだなのですね」

 

「俺も本当にさっき来たばっかりなので。冥さん何飲みます?メニュー頼みましょうか?」

 

 このバーにはメニューがない。正確にはあるが、頼まないと出てこないのだ。

 

 これは俺もびっくりした。普通出てくるものだと思っていたから、高級なバーはこんな感じなのかと感動してしまったものだ。前の生では今と同じく大学生で終わってしまったから、こういった場所に縁がなかったのだ。

 

「いえ。大丈夫です。貴方はお決まりですか?」

 

「俺はもう決まってます。マスター、ギムレットを」

 

「わかりました。いつもと同じでよろしいですか?」 

 

「ええ、お願いします。……冥さんは?」

 

「ジントニックを。ジンは甘めのもので、ライムの皮は入れずに絞っていただけますか?」

 

「承知しました」

 

 老年の渋い声を響かせて、慣れた手つきで俺たちのオーダーを用意し始める。その手つきだけで金がとれそうだなどと思ってしまうが、この料金にはこの人の技術に対する料金も入っているのだと親父から教わったことを思い出す。

 

 熟練とはそれだけで武器になる。たとえどの分野であっても、それが法の許す分野の中でのものであれば、人はそれに敬意を払い、直接的にでも間接的にでもそれは金を生み出すものだ。

 

「……ここにはよく来るのですか?」

 

「多いと月に二、三回ほどくらいですかね。母が好きなもので、わざわざここに部屋を借りてまで来たりするんですよ」

 

 結構な金持ちな我が家は、たまの贅沢にそんなことをやらかしたりする。

 

 普段は金に厳しい両親も、こと酒だとか華蓮だとか旅行だとかなると財布の紐がゆるゆるになるのだ。特にバーを嗜むような時間帯だと華蓮がおねむの時間だし、華蓮だけを置いてバーに行くのもどうかだし、という理由でわざわざホテルに泊まりに来るのだ。

 

 俺も華蓮も楽しみにしてるから何も言わないが、普通の家計からすれば豪勢すぎることをやっているという自覚はある。大学の友達からも羨ましがられたものだ。

 

 ちなみにだが、俺はこのマスターと顔見知りで、裏のことに触れない範囲まで冥さんのことを話したりもしたから、もしかしたら俺の伴侶になる女性だと気が付いているかもしれない。

 

「冥さんもこういう所にはよく来るんですか?慣れてる感じでしたけど?」

 

 俺と冥さんは交際をしているわけではあるが、実はこういったところにあまり飲みに行ったことがない。

 

 飲むにしても翌日に支障をきたさないようにレストランでちょこっとだとか、俺の財布を気にしてなのか居酒屋を提案してくることが多いのだ。

 

 それ以外にも俺が成人してからは大学やら国家総合やらの勉強だったり退魔師の仕事で忙しく、冥さんは冥さんでフリーの仕事と表の世界の付き合いなどで時間がなかなか合わないのだ。

 

 高校時代も()()あって忙しかったし、その()()のせいで様々な部門の代表的な役割をやらされており、下手に予定を入れようものなら大変なことになる。

 

 なのでこの人がお酒好きであるということと、日本酒の好みが合うこと、母親に飲み仲間としてロックオンされていることくらいは知っているのだが、それ以上となるとあまり知らないのだ。

 

 原作(喰霊)に介入なんぞしてしまった結果がこれだ。結構仕事を振ってはいるのだが、それにしても忙しい。大学生じゃなくて黄泉や剣輔みたいな社会人になっている奴らに振ればいいものをなぜ俺に振るのか。

 

 ……不死子ちゃんはマジ恨むぞあいつ。神宮司室長も同じく。

 

 そんな中、今回は珍しく二人とも予定を合わせることに成功したため、せっかくだからと予約を取ってこの店に誘ったのだ。

 

「私はあまり。何度か付き合いで連れてこられたときに教えられた飲み方をそのまま継続しているだけです」

 

「意外ですね。イメージ的にもっと来てるのかと思いました。表の付き合いか何かですか?あんま冥さんがこっちの人たちと飲みに行くイメージがわかないですし」

 

 さらっと恋人の交友関係を洗ってみるが、なかなかに想像できない。

 

「ええ。面倒ですが、年を経た人間ほど付き合いにはうるさいものでして」

 

「わかりますよそれ。表も裏も年を経た人間が面倒なのは変わりないんですよね」

 

 退魔師の業界は特に老害が鬱陶しすぎる。

 

 それに反比例して含蓄のある素晴らしい先人たちも多いから一概には言えないのだが、閉鎖されたコミュニティだからこそ表の世界より面倒なところが多いのだ。一概には言えないんだけどね。

 

「お待たせしました。こちらご注文の品になります」

 

「ありがとうございます」

 

 目の前に運ばれてくるギムレットとジントニック。

 

 俺たちは互いにそれを取ると、グラスをぶつけずに乾杯をして口に含む。

 

 強いアルコールが舌を楽しませてから喉を降りていく感覚。そして突き抜けるジンと調和したライムの風味。

 

 初めて飲んだ時は衝撃を受けたものだ。京都や東京にある一杯200円のバーで飲むそれも中々いいものだが、ここのはレベルが違う。格が違うとはこのことなのだと思い知らされたものだ。

 

 改めてその味に感動しつつも、冥さんを先ほど言われた通りガン見ではなく盗み見しておくことも忘れない。

 

 ジントニックを口に運ぶその姿は相変わらず綺麗だ。この風景を切り取れば映画のワンシーンと言われても信じられるほどに美しかった。

 

「……本当に貴方はグルメですね。この前のレストランもあの値段であるのが信じられないほどのお店でしたし、紹介していただいたラーメン屋も非常に美味でした」

 

「この店を含めて色々気に入ってもらえたようで何よりです。知っての通り食べ歩きが趣味の一つですからね。冥さんも今度また行きません?美味しい店探し」

 

「予定が合えばですが。……貴方は忙しすぎますから」

 

 そう言っていつもより冷たい、不機嫌そうな顔になる冥さん。

 

「……それに関してはマジでごめんなさい。不死子ちゃんに言って融通効かせてくれるようにはしてるんですが……」 

 

「あまり効いていないようですが」

 

 氷の笑みというのだろう。冥さんは恋ではなく氷点下に落ちてしまいそうな笑みを浮かべる。美しいんだけれどもちょっと怖い笑みである。

 

「そ、それに関してはちょっと……。時間とれるように頑張るんでホント勘弁してください」

 

「期待しておきます」

 

 時間が取れず女性と会えない物語を多々見てきた俺ではあるが、本当に自分に降りかかるとは思わなかった。それが原因で女性に怒られるシーンまで律儀に再現しなくてもいいだろうに。

 

 ……剣輔にもっと仕事振るか。

 

 こうなったら仕方ない。剣輔ももう立派な退魔師だし、前線は完全にあいつに任せて俺は引っ込んでしまおうか。よっぽどじゃないと俺が出張るまでもないだろうし。

 

 その後もチクリチクリと釘をさしてくる冥さんに戦々恐々としながらも、追加のお酒を頼んだり、おつまみを堪能したりしながら楽しく過ごしていた。

 

 ……今更だが、何故俺と冥さんが敬語で話しているのか気になる人もいると思う。事実、周りからも何度か指摘されているし、やはり奇妙に映るようだ。

 

 だが、俺と冥さんの在り方はこれなのだ。どこか不思議で、でもこの不思議さこそが心地がいい。この接し方こそが俺と冥さんが最もお互い自然で、気を抜いていられる距離感なのだ。

 

 理解してもらえないかもしれないが、この心地の良い環境をわざわざ壊すのは馬鹿らしい。冥さんとそう話して、結局この形に落ち着いている。そして、それはこれからも変わることはないだろう。それこそ、俺たちの間に子がなされたとしても。

 

 一時間程も飲んでいると少しばかり酔いが回り始め、話題も今まであったことから自然と対策室などの身近なメンバーに移っていった。

 

「そう言えば本当についさっき聞いたばかりの情報なんですが、黄泉がおめでただそうですよ。今週からあいつ前線から離れるんですよね」

 

「それはもっと早く知らされてもいい情報だと思うのですが。……それにしても二人目ですか。おめでたいですね」

 

「ちょっと舞い上がってて……いえ、なんでもないです。結構重要な情報で、外部にあんま漏らしちゃいけない情報なんで単に忘れてました。冥さんにもそのうち黄泉から連絡行くと思いますので、祝福してやってください」

 

 少し口を滑らせそうになるが、何とか耐える。漏れてるとかいう指摘は受け付けない。

 

 ただ、いつもならここぞとばかりに弄ってくる冥さんも、今回は別のことに思考を取られていたようだ。

 

「はい。素直にそれは喜ばしいことです。―――あの子が、二子の母になるのですね」

 

 そう言って感慨深げに手に持つグラスを見る冥。

 

 話を聞いたことがある。冥は幼いころの黄泉を知っていて、ある時期まで鍛錬の指導や身の回りの世話までしていてあげたこともあるのだと。

 

 親を殺されたばかりで感情をなくしてしまっていた時期の黄泉のお姉さんをしていた時期がほんの少し、一か月にも満たない時間だがあったそうなのだ。

 

 だからこそ思うところがあるのだろう。そんな義従妹(黄泉)が、そして一時は本気で向かい合った家督の敵(黄泉)が、今や立派に母親として生きているのだから。

 

「今度、俺の家でパーティーしようと思ってるんですが、冥も是非いかがですか?」

 

 一度空いた溝はそう簡単に埋まらない。二人が和解を済ませているとはいえ、割れたグラスが元通りにならない様に、その関係は完全に修復されるわけではないのだ。

 

 でも、その傷を見えなくすることなら出来る。隠蔽などといった悪い意味ではなく、例えば子供のような第三者の存在によって、新たに構築することも出来る筈なのだ。

 

「……そうですね。是非」

 

 そう言って、残ったジントニックを流し込む。

 

 5年経っても、二人の関係は少しギクシャクしたままだ。でも、明らかに改善は見せている。子供たちには悪いが、その立役者になってもらおうじゃないか。

 

 それに、黄泉(姉貴分)を祝ってあげたいのは本当だしね。

 

「……凛は」

 

「はい?」

 

「まだ、プロポーズはしてくれないのですか?」

 

 ドキリ、とする。

 

 正確には俺はこの人にプロポーズしている。それは周りも知っているし、親公認でもある。

 

 だが、まだ籍を入れていないのだ。俺は大学生で、正社員ではない。俺たちは裏の人間ではあるが、同時に表の人間でもあるのだ。

 

 この世には世間体というものがある。俺は国家総合を取得するためにまだ大学生をやっているから、環境省に正式に所属はできない。色々任されてるくせに、俺は世間から見れば経済力のない男(大学生)なのだ(裏の仕事では俺の名前が資格や経歴と同質だから色々任せてくる)。

 

 そのため俺はまだ独り身で、冥も同じく独り身だ。

 

 つまり今のは法律上で夫婦にしてくれないのか、という意味だろう。

 

 待たせてしまっているのは重々承知している。母や黄泉などはさっさと籍を入れろとせかしてくるが、俺としては全てを整えてから籍を入れたいのだ。

 

 後に苦労を掛けないように体裁は全部揃えてから貴女を迎えたい、とそう言って納得してもらったのだが……。

 

「……いえ、なんでもありません。意地の悪い質問でした」

 

 そう言って俺に微笑んだ後、冥はマスターを呼ぶ。

 

 ……嬉しいやら、答えられず悲しいやら。とにかく不意打ちの質問だった。

 

 俺には正直十分な経済力があるし、裏の世界でなら十二分な体裁もあるのだから、大学生という身分がなければとっくに結婚していておかしくはない。

 

 それを待たせているのは俺の我儘。親父は同意してくれているが、黄泉や神楽は反対しているし、冥も納得しきれていなかったということなのだろうか。

 

「マスター。バラライカをひとつ」

 

「それアルコール結構強いやつじゃ……」

 

 彼女が頼んだお酒は20-30度近くあるカクテルだった。ブランデーベースならサイドカー、ジンベースならホワイトレディと呼ばれる、つまりはかなり強いお酒を使ったカクテルなのだ。

 

「強いのは知ってますが、今日結構空けてますし、抑えた方が……」

 

 先程からロックなども嗜んでいる彼女だ。純アルコール量なら間違いなく俺より取っている。俺と飲んで潰れたことは記憶に無かったが、それでも心配になるものだ。

 

 だが、そんな俺の心配はよそに運ばれたカクテルに口をつける冥。

 

 ホワイトキュラソーで白く染められたカクテルの色のせいで、ほんのり赤みがさした肌の色がコントラストを生み出して色っぽく見えてしまう。そんな彼女に再度ドキッとさせられる。

 

 付き合って数年が経つというのに、未だ当初に感じていた魅力は色あせていない。むしろ磨かれてより洗練されている。

 

 そんな彼女を酔った勢いでじっと見つめてしまっていると、それに気づいてふっと微笑みを送ってきた。

 

 からかった顔の笑みのようでもあり、純粋な笑みのようでもあり、どことなく恥じらった感じのするような笑み。

 

 俺が好きな、彼女の笑み。

 

 この人と出会ってしばらくしてから俺にこの笑顔を向けてくれていることに気が付いたのはいつ頃だろう。俺がこの人に惹かれていることに気が付いていなかったのは、いつ頃だろうか。

 

「またジロジロと。悪い気は、しませんが」

 

「す、すいません」

 

 首筋が少し赤くなる。これはきっと酒のせいだ。そうに違いないと自分に言い聞かせる俺。

 

 気恥ずかしさを感じながら、マティーニを頼む。俺も、強いのが飲みたくなってしまったのだ。

 

「いつも通りシェイクしますか?」

 

「いえ、今回はステアでお願いします」

 

 いつもはシェイクして多少度を下げてもらうのだが、今回はステアでお願いしよう。

 

「私も同じものを」

 

 そんなことを考えていると、隣からまたしてもオーダーが響く。

 

「ちょっと、もう空けたんですか?ちょっとペース早すぎですって」

 

「美味しいのでつい」

 

 つい、で空けてしまう度数のカクテルではないはずなのだが。

 

 焼酎のストレートを飲んでいるに等しい度数だというのにこの人は……。

 

「まだ多少しか酔っていないので大丈夫です。……それに」

 

「なんです?追加はダメで―――」

 

「今日は帰らなくていいのでしょう?―――ルームキー、先程から見えています」

 

「!?」

 

 左隣から突然発せられた発言に思わず左胸の内ポケットがある部分を抑える俺。

 

 うっそ、見えてたのかよ!

 

 親がこのバーで飲んだ後は泊まるという話があったと思うが、俺もそれに倣っていい部屋を用意していたのだ。

 

 フロントには一応言伝をして、さり気無いサプライズ的な感じにするつもりだったのだ。明日の予定はないことが確認済みだし、おそらくは断らないだろうと思って用意していたのだが。

 

 外から見えない様に気を使って内ポケットに入れたし、スーツの間から見えない様にこの人の右隣を確保したというのに何たる失策。肝心な時に決まらない男とはこのこと―――

 

 ……。ん?

 

「……相変わらず人が悪い」

 

「本当に用意してくれていたのですね。誘われた場所が場所だけに予想はしていましたが」

 

 そう言ってくすっと可笑しそうに笑う冥。先程よりも深い、悪意があってでも純粋そうなどこか照れた笑み。それを浮かべて微笑みかけてくる。

 

 よくよく考えてみれば見えるはずがないのだ。ルームキーが入っているのは俺の左胸のポケットで、そしてそのルームキーはスティックについていない、家の鍵くらいのサイズのものだのだから。

 

 はあ、とため息を一つ。あの時みたいに出し抜かせてはくれないらしい。

 

―――ああもう。多分俺、この人には一生敵わないんだろうな。

 

「お待たせしました。マティーニです」

 

 コトリ、と目の前にマティーニが置かれる。カクテルの王様、No.1カクテルとも呼ばれるそれ。

 

 マスターの微笑ましそうな笑顔に気恥ずかしさを感じながら、二人で再度乾杯をするのであった。

 




甘いの書くのは苦手なんだ!
ラブラブを期待してた方はごめんなさい!このくらいが限界だ!
冥さん好きの奴ら!このくらいで勘弁してください!
冥さん好きじゃない方々!本編じゃなくてごめんなさい!
……色々想像できる内容にはなってるかなと。
多分はっきりイメージはできないでしょうが、色々予想してみてください。


※詳しい後書きは活動報告にて。黄泉のくだりも多少書きます。
※ちなみに200円バーは本当にあります。高田馬場とか新宿とか京都とか。興味ある方は活動報告お読みください。


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間話5 -ヒロインが黄泉の世界線-

これは申し訳ないですが、本編ではないです。
黄泉と凛の恋人ssです。

Twitterのフォロワー限定で先行公開していたssになります。
お題としては「もし黄泉と凛が付き合う世界線だったら」。
これに関しては一歩間違えれば普通にあり得た可能性であって、荒唐無稽ではない設定のssになります。


「ーーーお待たせ」

 

鈴の音のような、澄んでいながら喧騒の中でもよく通る声が響く。

 

夏祭り。夏の一大イベント。

 

花火が上がり、露店が出て、その賑わいは一年でも類を見ないほどの盛り上がりを見せるそんなイベントで、俺は黄泉と待ち合わせをしていた。

 

「おお、黄泉。来たのか―――」

 

何となしに後ろを振り向く。本当に何も考えずに、ただ黄泉が来たという事実のみを認識して後ろを振り向いたのだが、

 

「―――」

 

俺は思わず言葉を失ってしまう。

 

目に映ったのは当然ながら黄泉の姿。だけど、普段とは全く違う彼女の姿。

 

淡い水色の生地に、少しだけ鮮やかな赤が散りばめられた浴衣。いつもの黒に近い紺のセーラー服とは全く異なり、明るく、そして儚げな色。

 

いつもと違って自然体のまま流さずに後ろで結ってある髪は、黄泉の白い首元を暗闇へと映えさせる。

 

まるで音が消えたみたいに錯覚する。

 

喧騒がまるで聞こえない。俺と黄泉がこの世で二人きりになってしまったかのようなそんな感覚。

 

それほどまでに浴衣姿の黄泉は、これだけの喧騒の中で自分の存在を何よりも主張していて、そして何よりも綺麗だった。

 

「―――」

 

「―――もう、固まらないで何か言ってよ」

 

苦笑といった感じで黄泉が話しかけてくる。

 

「あ、ああ。悪い」

 

「あまりに綺麗で見惚れちゃった?」

 

「……ぐ」

 

「わお。嬉しいリアクション」

 

カラカラと黄泉が笑う。

 

まさにその通り過ぎて何も言い返せなかったのが非常に悔しいが、言い返しても喜ばせるだけだろう。

 

綺麗じゃないなんて返すことはできやしないんだから。

 

「縁日にゆっくり来るなんて、久しぶり」

 

「そうなのか?神楽とかと一緒に行ってるのかと思ってた」

 

「神楽がちっちゃい頃に一回だけとかかな。それ以来来てないわ」

 

「ほー。俺と似たようなもんだな。この仕事してると夜うかうか遊べないもんな」

 

「本当にね。……だから、凄い楽しみかも」

 

歩きながらそんな会話を交わす。

 

ちらちらと視線がこちらを向いているのがわかる。

 

向いているのは明らかに黄泉の方向。俺に対する視線もなくはないだろうが、割合では圧倒的に黄泉に軍配が上がる。

 

それだけ黄泉はこの縁日で映えていた。誰よりも、下手をしたら上がり続ける花火よりも黄泉は視線を釘づけにしている。

 

でも、うぬぼれじゃなければその美しさは俺に見せるために、ただ俺一人のためだけに用意されているものなのだ。

 

そう考えると胸が熱くなる。顔まで熱くなってきて、今が夏の夜であることに本気で感謝をした。

 

「凛!私あれやりたい!」

 

黄泉が指をさした先にあったのは一軒の屋台。

 

金魚すくいとそう書かれた一つの出店。

 

ぐいぐいと腕を引かれながら、俺達はそこへ歩いていく。

 

「金魚すくいか。別にいいけど、俺かなりうまいぞ?……そうだ、ならいっそ勝負する?」

 

「奇遇ね。私もこういう系統凄い上手なの。……負けた方が一つなにかお願いを聞くっていうのはどう?」

 

「……へー。いいじゃん。そうしようぜ。課金額は300円くらいまでにしとくか」

 

「網三枚分ってことね。いいじゃない。時間は三分くらいにしましょ。ぼろぼろに負かしてあげるから」

 

「随分な自信じゃないか。後でほえ面かいても知らないぞ?……すみません、網六枚貰えますか?」

 

千円札を渡して俺は網を六個貰う。

 

とたん、というわけではないがざわめき始める周囲。

 

それも納得だろう。周囲から注目されていたとんでもない黒髪の浴衣美少女が腕まくりをして金魚すくいへと挑戦しているのだ。俺でもそりゃ見るさ。

 

「勝負よ、凛。負けてほえ面かかないでよ?」

 

「ぬかせ。それより黄泉が負けて泣いちゃうことの方が俺心配だな」

 

「随分妄想が上手くなったじゃない。感心感心」

 

「妄想かどうかは身をもって知るんだな!」

 

 

 

 10分後。

 

「……なんでそんな上手いんだよ。俺以上の奴とか初めて見たわ」

 

「ふっふーん。恐れ入ったかー」

 

「はいはい恐れ入りました恐れ入りました。……くっそー。結構自信あったのにな」

 

 わたがしを売っている露店に500円を出しながら俺はそうぼやく。

 

 金魚すくいには密かながら自信があったのだが、結果は惨敗。見事なまでに無様な負け具合だった。

 

 一応弁解しておくと、俺のスキルはなかなかのものだったのだ。

 

 一般人からすげえすげえ言われるぐらいにはちゃんとすくったし、網だって1枚しか破いていない。金魚すくいのおっちゃんが青くなるぐらいにはすくって見せた。

 

 だが、黄泉はそれ以上であった。ただそれだけの話なのだ。

 

「はい、わたがし。……次は勝つからな」

 

「ん、ありがと。勝負はいつでも受けて立つわよ。結果は目に見えてるけどね」

 

 鼻歌なんかを歌いながら綿菓子の封を開ける黄泉。

 

 勝利条件として黄泉から出されたのが綿菓子をおごるというものだったので、黄泉に一つおごったのだ。

 

 まぁもとよりこの祭りのお金は全部出すつもりだったので、いずれ奢っていたとは思うけど。

 

「んー!おいしー!やっぱ綿菓子って素朴な美味しさがあるわよねー!」

 

 そう言いながら綿菓子をぱくつく黄泉。

 

 無邪気な子供のような笑みを浮かべて、対策室に居る時の黄泉とは印象が全然違う。

 

 年頃の少女の、等身大の笑み。使命を背負った一人の女としての顔ではなく、彼氏の隣を歩くただの女子高生の笑った横顔。

 

 無垢で、清廉で、そして無防備なその表情。子供のような、かわいらしい笑み。

 

 だというのに少し汗ばんだ白い首筋が夜の闇に映えていて、正直かなり艶めかしくて―――

 

 やべ、と思いバッと顔を横にそらす。

 

 女性はそういった視線にかなり敏感なのだ。特に黄泉のことだ。すぐ気づかれてもおかしくはない。

 

 ただ今のは凄く刹那の時間だったし大丈夫だろう……と思って黄泉の方を向きなおすと、ニタァーという効果音が適切な笑みを浮かべながらこちらを見ていた。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 やり過ごそうと、しばらく沈黙でその笑みに答える俺。

 

 だが、黄泉のにやにや顔はそんな俺をみて深まるだけであった。

 

「……なんだよ」

 

「なーんにもー。凛くんが私にまた見とれてくれるなんて嬉しいなーって」

 

「ば!なにを!や、んなこと……!」

 

「無いの?」

 

「……ぐっ」

 

「……ふふっ」

 

 そう言って嬉しそうな顔を浮かべる黄泉。

 

 そんな顔もとんでもなく可愛くて、また同じ轍を踏みそうになる。……くっそ。さっきから俺やられっぱなしじゃないか。

 

「凛にそんな顔してもらえるなんておしゃれした甲斐があったわね」

 

「……恥ずかしいからあんま言わないでくださいな」

 

 たぶん、夜の闇ではごまかせないぐらい顔が赤くなっていると思う。

 

 ……童貞じゃないんだから、年下の女の子にこんないいようにあしらわれるのはどうなのさ、俺。

 

 いやこの身体は童貞だし、黄泉より年下だけどさ。

 

 ……惚れた弱みってやつなのかな。

 

 そう思いながら空を仰ぎ見て、実感する。―――本気でこの子に惚れちゃってるんだなぁ。俺。

 

 そんな俺を見て楽し気に綿菓子に齧り付く黄泉。だが、よく見ると実はその頬が赤くなっているのを俺は発見してしまった。

 

 俺が見惚れてしまった程度で、本当に喜んでくれたらしい。なんて、可愛いんだろうか。

 

「―――あ、花火」

 

 そんなことを思っていると、夜空に鮮やかな閃光が走った。

 

 打ち上げ花火。鮮やかな色と共に空を走り、轟音を響かせて消え去っていく。

 

「……綺麗」

 

 ぽつりと、黄泉が呟く。

 

「うん、なんか、すごく綺麗だ」

 

 そして俺もそれに同意する。

 

 元々花火は綺麗なものだし、人の心を感動させるものだけど、今回はことさらそう感じたのだ。

 

 たぶんそれは、この子が隣に居てくれたからなのだろう。俺の隣に。こうやって。

 

 ……そう感じたら、ちょっと仕返しをしたくなってしまった。やはり男として、やられっぱなしというのは癪に障るのだ。

 

「―――黄泉」

 

「ん、何、凛?よく聞こえな―――」

 

 唐突に。恐らくは黄泉も全く予想していなかったであろうタイミングで、俺は黄泉にキスをする。

 

「―――っ!!!~~~~!!」

 

 少し暴れる黄泉を、優しく抑える。

 

 唇に触れる柔らかい感覚。でも柔らかいながらもしっかりとした弾力があって、男の唇からは想像もできないほど瑞々しい。

 

 ゆっくり顔を離していくと、さっきとは一転して顔を真っ赤にして、後ずさる黄泉。

 

「……甘い」

 

「~~~!!甘いじゃないわよこの馬鹿!!いきなりなにすんのよ!こんな人も多い所で!!」

 

 茹蛸みたいになりながらそう叫ぶ黄泉。

 

 ただ、その声も花火の音と歓声でかき消され、俺以外には届いていないが。

 

「どうせ誰も見てないよ。みんな花火に夢中になってる」

 

「~~~!そういう問題じゃ―――!!」

 

 あーもう!とか言いながらわちゃわちゃし始める黄泉。

 

 普段は俺をからかって余裕の表情をしている黄泉だけど、不意打ちには弱かったりするのだ。

 

 基本的に度胸がある子なのでどんな時も堂々としてはいるのだが、時折こんな表情と態度を見せることがある。

 

 しかしそれにしてもこれは。

 

「……マジで可愛いな」

 

「~~~~~~~っっっ!!」

 

「おう!?」

 

 聞こえないだろうと思って思わずぽつりと呟いてしまった直後、左足にとてつもない衝撃が走る。

 

 まるでハンマーか何かでぶん殴られたかのような、がくんと膝が落ちるほどの衝撃。どうやら黄泉の華麗なローキックが俺の太ももをとらえたことでこうなったらしい。

 

「いった!おま、痛いってこれは!」

 

「もう知らない!」

 

 蹴りの痛みを雄弁に主張しようとすると、そう言って黄泉はずんずんと花火会場へと向かっていく。

 

「ちょ、待て黄泉!」

 

「~~~!」

 

 左足を引きずりながら追いかける俺と、元々白い顔を真っ赤にしながら花火の会場へと歩いていく黄泉。

 

 一見するとただの喧嘩した男女に見えるだろう。だが、そんなことは一切ない。

 

 こんな感じの距離感が、俺と黄泉の距離感なのだ。

 

 こんな時間が、一生続けばいい。いや、俺が続かせて見せる。

 

 喰霊-零-みたいな運命を、伴侶となってくれる少女に歩ませる訳にはいかない。

 

 俺がこの子を救う。何を賭してでも、何を犠牲にしてでもそうすると、俺は俺に誓ったのだ。

 

 この生を全うすると決めた時に。神楽と初めて会った時に。そして、この子に俺が告白した時に。 

 

「悪いって黄泉。謝るからさ」

 

「……次やったら本気で怒るから」

 

 ぷいっと顔を背ける黄泉だが、言葉からも表情からも間違いなく本気で怒っているわけではないことがわかる。

 

「ごめんごめん」

 

「……もう」

 

 そう言って手を差し出してくる黄泉。

 

 それに応じて俺も指を絡める。

 

 手のひら越しに伝わる互いの体温。そして鼓動。

 

 やけに熱くて速かったが、それは俺も同じだろう。

 

 皮膚越しに感じる黄泉のぬくもりに心が癒されながら、俺たちは花火大会の会場へと歩みを進めたのであった。




私にしては珍しく甘さ多めになってます(当社比)
マジ最近黄泉ヒロインにしておけばよかったと心のそこから思ってます。


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間話6 -ポッキの日-

続き期待してた方まじすんません。
ツイッターで先行公開してた、ポッキーの日SSです。


「ポッキーゲームをしよう!」

 

 その神楽の一言に、ガタっという音を鳴らして俺と剣輔は椅子から立ち上がる。

 

 隣に座っていた黄泉がドン引きするほどの速さだっただろう。気持ち悪いものを見る目でガン見されているが、そんなの知ったこっちゃない。

 

「ポッキーゲーム、だと?」

 

「そう、ポッキーゲーム!皆さん!今日が何の日かご存知でしょうか!」

 

 知らないわけがない。喰霊-零-ファンならば毎年騒ぐお祭りの日。それが11月11日、ポッキーの日なのだから。

 

「と、いう訳でポッキーゲームをします!」

 

 論理もロジックも何もない神楽の発言。

 

 いつもなら茶化しながらツッコミを入れる所だが。

 

「わかった。最初は誰だ」

 

「即答!?ていうかどんだけ乗り気なのよアンタ!」

 

「いいねー凛ちゃん!」

 

 鋭い黄泉の突込みになど負けやしない。

 

 やるぞ剣輔。伝説のゲーム、ポッキーゲームだ。

 

------------------------------------------------------------

 

ROUND1:俺VS剣輔

 

 

 

 

 

「おいまてぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 

「何よ凛。音量設定間違ったラジオみたいな声ださないでよ」

 

「その突込みのセンスにはモノ申したいこと大量にあるけど、それは置いておいて!なんで俺と剣輔なんだよ!」

 

「仕方ないじゃない。一回目のくじ引きの結果なんだから」

 

「6通りある中の選択肢で最低な選択肢っすね……」

 

 げんなりした顔で言う剣輔。

 

 わかる。わかるよお前の気持ち。

 

 お前のことは嫌いじゃないし、むしろ好いてるけど、これをやりたいのお前じゃないんだわ。

 

「とはいえ、やるしかないか」

 

「っすね」

 

 チョコレートの部分を剣輔が、柄の部分を俺が咥える。

 

 男同士のポッキーゲームとか見てられないが、俺らがこれをやらないと次に繋がらない。エデンへと繋ぐためのワンシーンだと思い割り切ろう。

 

「それじゃあ位置について~よーい、ドン!」

 

「その掛け声はどうなのかしら」

 

 黄泉の突込みに同意しつつ、俺と剣輔はポッキーを互いに端から齧っていく。

 

 ……ポッキーゲームってなんだかんだ初めてやったけど、意外に距離短いんだな。

 

 距離感としてはほぼほぼキスしてるのと変わらないような距離感だ。普通の人間と話すとき、こんな顔を近くに寄せられたら俺は間違いなくそいつをぶん殴るっていう距離感だ。

 

 コリコリと少しずつ進んでいく距離。

 

 流石に剣輔とファーストキスは嫌だが、恥じらっていてはこのゲームは何も面白くない。

 

 真顔全開で推し進める俺と、流石にちょっとマズくないっスか?と言いたげな恥じらいの表情を見せる剣輔。

 

 そして

 

「黄泉……」

 

「これは、案外悪くないわね……」

 

 と多少頬を赤らめながら見ている神楽と黄泉。そして二階堂。

 

 確かに俺と剣輔は結構顔立ちが整っている方なので、まぁ見る人が見れば喜ぶかもしれない。

 

 中学生にしては凛々しく、二枚目俳優と言ったような系統の顔立ちの剣輔に、

 

 今どき人気の中性的な顔立ちである俺。まぁ分からなくはないか?

 

 けどお前ら、これで喜ぶなよ……。

 

 って二階堂!?止めないなーとか思ってたら、お前腐女子(そっち)なの、もしかして。

 

 刻一刻と縮んでいく距離。

 

 流石に俺も気恥ずかしくなってきたが、負けるわけにはいかない。

 

 さあ、後三噛でいよいよだぞ―――

 

 という所で剣輔がギブアップした。

 

「っだー!無理っす!なんでアンタ表情一切変えないんだ!」

 

 これ以上は無理!と言いながら後ろに倒れる剣輔。ふん、この程度で恥じらうとはまだまだ甘いな。

 

「あちゃーもう少しだったのに」

 

「剣ちゃんもう少し頑張ってよー!」

 

「いや無理だって……。もう少し頑張れってなんだよ……」

 

 今だ少し顔の赤い女性衆(特に神楽)から非難轟々な剣輔。

 

 とかく、この勝負、俺の勝ちで幕を閉じた。

 

------------------------------------------------------------

 

ROUND2:凛VS黄泉

 

 

 

「そう!これ!俺らはこういうの見たいの!」

 

「凛、煩い」

 

 対面に座る黄泉が俺をたしなめながらぽっきーを取り出す。

 

 黄泉の非難など知ったこっちゃない。俺が求めてるのはこういうのなんだよ。

 

「……」

 

「まぁまぁ落ち着けって紀之。あくまで遊びなんだからさ」

 

 むすっとした顔をしている紀さんと、別に俺とポッキーゲームをすることに抵抗感を示していない黄泉。そして超乗り気な俺。この対比が非常に面白い。

 

 ごめんね、紀さん。もし万が一が起こっちゃっても……事故だからさ。

 

「この状況で乗り気なあの人、ホントどんな心臓してんだよ……」

 

「凛ちゃんって時折ホントに馬鹿だよね」

 

「同感です」

 

「でも止めはしないんすね、二階堂さん」

 

「室長に止めるなと言われているので」

 

 剣輔や二階堂たちの声が向こうから聞こえてくるが、シカトだシカト。

 

 でも神楽ちゃん。最近俺に対する当たりが容赦なくなってきてないかい?

 

 ん、と言いながらポッキーを咥え、俺に向かって突き出してくる黄泉。

 

 そこに気負いとか恥じらいは一切感じられない。結構平然とした顔で、何でもないような顔でポッキーを咥えている。

 

 ……ほほう。そういう方向か。あくまで私は何にも思ってませんよー。別にアンタとキスするのぐらいなんでもないですよーって、そういう考え方か。なるほど、理解した。

 

 なら、俺もその方向で行くしかあるまい。

 

 黄泉から差し出されたチョコ側のポッキーに齧りつく。

 

 すると面前に映し出される黄泉の顔。

 

 相変わらず一分の隙も無く整っていて、惚れ惚れするほど美しい。

 

「……」

 

 紀さんからの殺気が凄いが、完全にスルーする俺。

 

 そんなことよりも目の前のバトルが優先だ。

 

 剣輔の時同様、ゆっくりと歩み(?)を進める俺たち。

 

 ポッキーの距離など、普通に食べ進めて行けば一瞬だ。

 

 ポッキーを食べるのに5分かかる!なんて人間、少なくとも俺は知らない。

 

 そう、ポッキーとはそれだけ短いものなのだ。つまりほんの少しでも俺らが食べ進めればその距離は一気に縮まる訳で。

 

 余裕たっぷりな顔でポッキーを食べ進める黄泉。顔と顔の距離はみるみるうちに縮まっていく。

 

 これには俺がちょっと恥ずかしくなってしまった。

 

 俺の予想だと、このぐらいの距離まで来たら黄泉が恥ずかしがり始めるだろうから、俺が平然とした顔で主導権を握ってやろうかと思っていたのだが、どうもおかしい。

 

 この女、全く恥ずかしがらないのだ。

 

 どころか、余裕そうな顔でこっちを挑発してきやがるまでである。

 

 ……くっそ、この女は。

 

 恥ずかしさで背中が流石にチリチリしてきたが、俺も男だ。負けるわけにはいかない。

 

 そして到頭、ポッキーゲームにおける分岐点がやってくる。

 

 こつっと、鼻と鼻がぶつかる。

 

 お互い一歩も引かない攻防。先程の剣輔はここから少し行った辺りでギブアップをしたが、果たして今回はどうだ。

 

 じっと黄泉の瞳を見やる。

 

 同じくじっと俺を見返してくる黄泉。

 

 そのまま硬直すること数秒。

 

 さて、どうしたものかと攻めあぐねていると、黄泉は優しく微笑むと顔を少し斜めにして、

 

 そのまま瞳を閉じた。

 

 これには思わず目を見開く俺。

 

 周囲がざわついたのが、震える鼓膜から伝わってくる。

 

 ポーカーフェイスを保ってきた俺だが、これには流石に度肝を抜かざるを得ない。

 

―――え?いいの?

 

 ゴクリと喉を鳴らしてしまう俺。え、これってそういうことだよね?

 

 神楽なんてキャーキャー騒いでいる。

 

 黄泉から目が離せないので見れていないけど、剣輔すら動揺しているのが感覚でわかる。

 

 そんな喧噪をモノともせず、黄泉は進行を止め、いわゆるキス顔をしながら俺の進行を待っている。

 

―――いいんだな?俺はやるときはやる男だぜ、黄泉?

 

 すっと、表情を切り替える。

 

 後で剣輔に聞いた話だが、「まるで宿敵に立ち向かう漢のような顔」を俺はしていたらしい。

 

 俺も顔を斜めにして、ポッキーへの進行を再度開始する。

 

 もはや、黄泉の顔は見えない。

 

 それだけ、俺たちの顔は、いや、唇は接近していた。

 

 その状況でも、黄泉は一切動かない。ねだるかのように、じっと俺の接近を待ちわびている。

 

 これは、行くしかない。

 

 そう決めて進行を進めた瞬間、万力の如き握力で頭をがっちりホールドされる。

 

 そのままゆっくり後ろに引きずられ、黄泉から引き離される俺。

 

 動かない頭を何とか無理くり力づくで動かすと、そこに居たのは飯綱紀之。黄泉の将来の旦那さんだった。

 

「おっとそこまでだ小野寺凛。言いたいことは、分かるな?」

 

「ウィッス」

 

 婚約者さんの顔は、満面の笑みなはずなのに、目とこめかみが全く笑ってなかったそうな。

 

 

------------------------------------------------------------

 

 

 

「ひゃーすごかったね、剣ちゃん」

 

「ホントにな」

 

 管狐が飛び交い、それを華麗によける小野寺凛を見ながら、神楽と剣輔が雑談を交わす。

 

 見事なまでの身のこなしで管狐を避ける小野寺凛の動きは素晴らしいの一言に尽きるが、2、3回くらい喰らっても罰はあたらないのではないだろうか。

 

「凛ちゃん流石だよね!あそこまで攻めるなんて!」

 

「あの人は心臓が鋼で出来てるとしか思えないな、ホントに」

 

 実際は剣輔以上の小心者ではあるが、周りからそう認知されていない辺り、彼の擬態能力が向上した証なのだろう。

 

 確かにさっきの一幕は、凛の情熱的なアタックに、黄泉が思わずオーケーをしてしまったと、そう見えなくもない状態だったのだ。

 

 だが、と剣輔は思う。

 

 それは全く以て、真実ではないのだろうと。

 

 珍しく感情的に管狐を操る紀之。それを見てこっそりと、嬉しそうに笑う黄泉。

 

―――やっぱ一番すごいの、アンタっすよ、黄泉さん。

 

 凛を利用して彼氏を手玉に取った乙女を見て、やれやれと剣輔はため息をつくのだった。



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第4章 泡沫 弾-うたかたはじけ-
第1話 ―戦いの明け―


 

「黄泉」

 

「あれ、凛?まだ集合時間前よ?随分早いじゃない」

 

 気持ちの良い木漏れ日が差す朝8時。木々の間を通り抜けた柔らかな光が、包帯で左腕を吊りながら片腕で座布団を運ぶ少女―――諌山黄泉の姿を照らす。

 

 埼玉にあるとは言え、首都圏からするとありえないサイズの庭。

 

 もうお察しかもしれないが、ここは諌山本邸。諫山奈落が管理する、諌山黄泉と土宮神楽が住んでいる、つまりは黄泉達の家である。

 

 そこに朝8時という、一般にはお邪魔になる時間にお邪魔していた。

 

「手伝えることあるかなと思ってさ。昨日奈落さんに連絡して、俺だけ先に来たんだよね」

 

「そんな。……これは私達の仕事なんだから気にしなくて良いのに」

 

「悪い。お節介が過ぎるかなとは思ったんだけどさ。神楽も家に戻ってるって聞いたし、男手があったほうがいいだろ?」

 

「申し出はありがたいけど……」

 

 最近良く見る、黄泉のなんとも言えない表情。ここ一ヶ月、この表情を黄泉は俺に対してよく見せている。

 

 黄泉の左腕を見やる。包帯で釣られたその腕は、あの時の怪我が今だに完治していないことを如実に示している。

 

―――あの事件から、既に一ヶ月が経過した。

 

 室長候補達を巻き込んでの―――恐らくは三途河に土宮舞がやられた時の戦闘以来の―――超大規模戦闘。

 

 かなりの力を持ったカテゴリーB五体を相手にして大立ち回りを演じたあの戦闘は、規模の割には最小限の被害しか出さず、蓋を開けて見てみれば俺たちの大勝利として幕を閉じた。

 

「封印を破られると餓者髑髏が無限に現れる」ため、その封印を強固にし、解けないようにすることが俺たちの目標だったわけなのだが、それも勿論達成済み。

 

 というより、詳しく調べた所、「あの五体のどれかが"封印された呪物"を取り込むこと」が無限髑髏が現れるための件だったらしく、あの五体を討った以上、もう無限髑髏が発生することはなくなった。

 

 そのため俺たちで封印を解除し、その呪物(ちなみに刀だった)を本部にて解呪し、むしろこちらの得物として取り込んだ……という、思った以上の戦果を上げることにすら成功したのだ。

 

 死傷者も出たが、二人に留まるという大成果。快勝という言葉がまさにふさわしいだろう。

 

 喜ばしい成果で、期せずして大トリを飾った形となった俺は、自分で言うのも何だが、至る所で英雄的扱いを受けた。称賛の嵐というやつである。

 

 正確には神楽もカテゴリーBを討ち取っているし、剣輔もかなりの戦果を上げているわけだし、他の室長候補たちも自分の担当したカテゴリーBはしっかり討ち取っているから戦果としては一緒なのだが、()()()()()()()()()()()()()()()B()()()()()()というのが非常にデカかったのだ。

 

―――あの時からだよな、この顔するようになったの。

 

 眼の前にいる諌山黄泉に意識を戻す。

 

 俺と目線は合わせず、やや下を向きながらバツの悪そうな顔をする黄泉。

 

 あの戦いで負った傷は深く、黄泉は一ヶ月たった今でもまだ刀を握れる状態にはない。

 

 上腕二頭筋が刀でサッパリ切られたのだ。いくら鋭利な切り口で処置も上手くいったとはいえ、一ヶ月程度で完全に治るような怪我でもない。

 

 そのため、黄泉はお勤めではあまり出なくなり、出たとしても後方でのバックアップを担当している。

 

 そして黄泉が抜けたということは、俺達が担当する仕事が増えるということである。

 

 特に俺は黄泉と同格扱いを受けているため、黄泉が担当していたようなやや高難度の仕事を受け持っており、一昔前よりもかなり忙しい状態が続いている。

 

 あの神宮寺室長と二階堂桐ですら「ちょっと休んだほうが……」と言ってくるぐらいには最近忙しい。とは言え俺は頼られるのが好きだし、ハードワークなど今更だ。この程度なんということはない。

 

 だが、

 

「……最近凛に甘えすぎてる気がする。私も、お義父さんも」

 

 ふっと笑みを浮かべてこちらを見る黄泉。

 

 ……思わず護ってやりたくなる儚げな笑み。

 

 この表情を前にして、護ってやると言えない男は、男じゃない。そんな印象をもたせる、折れてしまいそうな表情。

 

 俺だからこそ、黄泉は弱みを見せてくれている。そう考えれば、俺は約得なのかもしれない。こんな表情、紀さん以外の他の人間になんて黄泉は見せないはずだから。

 

―――だからこそ、俺は黄泉にこんな表情を浮かべて貰いたくは無かった。

 

「そんなことないさ。それに、頼られて喜ぶのが男って生き物だよ、黄泉」

 

 この言葉が正解なのか。もしかしたら突き放してやるのが正解だったのか。

 

 俺にそれはわからない。喰霊-零-を見て、黄泉や神楽の心境を推察するなんてことは散々やってきた。物語の主人公として介入して、黄泉達を救う妄想なんて、死ぬほどやってきた。

 

 だが、実際に目の前にすると、何をしたら良いかわからない。わかるのは、やっちゃだめなことぐらいだ。

 

「……」

 

「そんな顔するなって。この前高熱出してる時に見舞いに来てくれた礼だよ、礼」

 

 どんっと胸を張って「流石私の弟分。私が居ない間の留守を埋めてもらおうかしらん?」とか言ってくれれば良いのに、黄泉から返ってくるのは申し訳無さと遠慮、そして負い目だ。

 

 今の心の内を、黄泉は紀さんにも話してない。多分、神楽にもだろう。

 

 強い子だ。気丈に振る舞って隠そうとしているが、その陰を隠しきれていない。

 

 それに気づかないフリは出来ない。何故なら、黄泉は俺がそんなことに気が付かない程鈍いやつだとは思っていないからだ。

 

 けど、あえて無視をする。それを黄泉は望むから。

 

「……まったく強引よね凛は。でもありがとう。それじゃ、これもお願いして良いかしら?」

 

「任せろって」

 

 置いてある座布団を纏めてばばっと拾い上げる。大量だと確かに持ちにくいが、こんなもの鍛えている男子からすればなんの重りにもなりやしない。

 

「凛って見た目より大分パワフルよね」

 

「力仕事は得意だよ」

 

「それでいて頭脳労働も得意なんだから、貴方って結構ずるいわよね。同い年には思えない」

 

「同い年ではないけどね」

 

「そう言えば年下だった」

 

 ケラケラと笑う黄泉。そういう表情の方が、黄泉には似合う。

 

 ちなみに年下とおっしゃいますが、私、貴女の2倍以上は生きてるんですよねぇ。

 

 とは言え俺が前世で黄泉と同じ年齢のときに同じような考え方・立ち振舞い・対応が出来たかと言われれば全くの否なんだけどね。

 

「凛って見た目よりは大人っぽいし」

 

「そりゃ実年齢30超えてるからね、俺。今34歳くらいだよ」

 

「またいつもの適当言って。好きよねその件。そんなに面白くないわよん?」

 

「うわひっでぇ」

 

 俺も笑いながら、この前あった室長候補生達のことも思い出す。

 

 退魔師業界に生きる俺らの周りの子供達って、俺の前世の人間と比べてやたらと精神年齢が高い。あんま認めたくないけど、前世プラス今の経験値で、俺と黄泉達の精神年齢って同じくらいか俺がちょっと上ぐらいになっている気がする。

 

 年相応に子供な部分は当然あるが、彼らは責任に対する覚悟が違う。

 

 実際そこら辺を歩いている大人を捕まえてきて、精神年齢どっちが高いか勝負をしたら、道行く殆どの大人よりも黄泉のほうがよっぽど高いだろう。それだけ黄泉や俺がいる世界は重いのだ。

 

 そのまま、黄泉の手伝いをして、数時間後に行われるとある催しの準備を進める。

 

 数時間後に行われる催し。諫山家で俺が手伝っていることからだいたい察しが付くだろうか。

 

――そう、分家会議である。

 

 

 

 

------------------------------------------------------------

 

 

 

 

『分家会議』

 

 喰霊-零-を見ていた人でこの言葉に聞き覚えがないという人は居ないだろう。

 

 分家会議とは、土宮の分家である諫山や飯綱などの家々が一同に集まり、近々であった重要な事項に関する報告を取りまとめて行う会議であり、不定期で開催されているものである。

 

 そもそも分家とは「土宮を大本とする親戚の集まり」であるため、分家会議をよりざっくり言うと「親戚が集まって近況報告する会のかたっ苦しい版」と考えてもらえれば問題ない。

 

 一応小野寺もだーーーいぶ遠いが、土宮の分家には当たるらしい。つまり俺と神楽は実は親戚なのだ。ほぼ他人と言えるぐらいには血の繋がりは薄いけど。

 

 なので小野寺も一応分家会議には呼ばれている。基本的には当主が一同に介する場であるため、現当主である親父が一人で出ており、俺は必要に応じて(例えば三途河戦の後とかの俺の報告が必要な時などに)参加している。

 

 作中で一番最初に開かれたのは作中でいうと第3話の黄泉と神楽が出会うシーンである。

 

 あの時の分家会議の内容を要約すると

 

「土宮雅楽が盟主として分家会議を仕切っていたが、土宮舞が死亡したためお役目を継ぐこととなり、諫山奈落が分家会議のまとめ・進行役を担うこととなった。そのための顔合わせです」

 

 という報告を分家の皆に行っており、視聴者に対して地味に奈落が分家会議の取りまとめ役となったとう設定が明かされたわけだ。

 

 ちなみに第3話だと黄泉は分家会議に参加しておらず、第8話だと黄泉は分家会議に参加しているなど、諫山での黄泉の立場が数年で変わっていることも見て取れる。

 

 ここら辺、色々と細かい差異があったりして、よく見てみると面白い。

 

 そして現在、俺が生きてきたこの世界線においても、分家会議における現取りまとめは奈落さんが行っている。

 

 理由としては喰霊-零-とほぼ同じだ。

 

 土宮舞がこの世界では命を取り留めたと言えど、植物状態であったため直近までお務めの履行は不可能だった(最近ちょいちょい動いているみたいで何よりだが……)。

 

 代わりに土宮雅楽がお務めに専念しているため、喰霊-零-と同じく奈落さんに一時的に分家取りまとめの役目を任せることになっている状態だ。

 

 俺が知る限りまだ雅楽さんにその役目が戻るという話は無く、土宮舞が完全にお役目に戻った時にその話がでるのだろうとは予測している。

 

 そのため今回の分家会議も「土宮家」ではなく「諫山家」で行われており、その手伝いに馳せ参じたわけである。

 

 ただ、今回は手伝いのために諫山家に来たわけではなく、実は俺も分家会議に「参加者として」呼ばれている。発言の機会があるから、黄泉の隣に座っておけとのお達しが出ているのだ。

 

(分家会議には、紀さんだって出てないっていうのに、俺だけ出すぎじゃない?)

 

 分家会議は各家の代表が出るところなので、基本的に俺等年代は出ないのだ。例外は主催である諫山家のみで、それ以外は全員俺らの親もしくは祖父母世代のみ参加する。

 

 今回も勿論そうだ。

 

 俺にはこの前の討伐の報告などが求められているのだろう。あとは関東の退魔師が、他地域の退魔師よりも成果を上げたというのを皆で再確認するためというのもあるのだろうか。

 

 退魔師には縄張り意識みたいなものが、少なからずどころか結構強めにある。

 

 俺たちだって北海道のやつらとかに喧嘩売られたら「お?東京の退魔師馬鹿にする?やりますか?」って感じにはなるんだから、況や大人をやというやつである。

 

 今回は俺と冥さんが結構な戦果を上げたので、地味に他地域の退魔師は悔しがっているはずだ。模擬戦でも狭間と服部さんを俺と黄泉でボコしてるしね。

 

―――そういうの面倒だけど、奈落さんと黄泉の顔潰すわけにも行けないしな。

 

 俺は大学生で死んでしまったのでそういった大人の世界はわからないのだが、きっと一般の大人の世界もこうなのだろう。

 

 そんな感じでアンニュイになりながら黄泉と分家会議の準備をしていると、いつの間にか開始時間が迫ってきたらしい。

 

 無駄に早く最低限必要な準備を終わらせてしまったため、細部に神は宿る理論でやたら細かい所を掃除し始めた俺の目に、ちらほらと参加する当主の皆様が映る。

 

 それを手伝って家具のヤスリがけをしている黄泉の位置からだと当主の人たちは見えないし、しゃーない。代わりに俺が行っておこう。ヤスリがけ終わらしてほしいし。

 

「お久しぶりです」

 

「おお、小野寺の!今回は分家会議に参加するのだな」

 

「ええ。奈落さんに呼ばれてまして」

 

 黄泉がやや離れた位置にいたため、俺が先んじて挨拶をしにいく。

 

 あんまり礼儀作法とか仁義みたいなものは得意じゃなのだが、こういった社会を渡って行くには非常に大切なものだ。社内政治とかと同じで、ここらを馬鹿にしていると痛い目を見るので、やっておいて損はない。

 

「あら、小野寺さん家の!大活躍だったそうじゃない!」

 

「私も聞いたわ!縦横無尽に戦場を走り回ったとか」

 

 挨拶をしていると、追加で2人ほどやってくる当主の方がやってくる。

 

 ……おっとぉ。かるーく挨拶してさくっと戻る予定だったのに、長くなるか……これ?

 

 そのまま挨拶から立ち話に移行する俺たち。四人で円を囲むようにして立ち話が始まる。普段からちゃんと礼儀正しく「可愛がられる」年下を演じてはいるので、大人たちから俺は結構人気者なのだ。

 

「流石は当代一の才能と呼ばれるだけある。我々男退魔師の希望の星だな」

 

「いえいえ、いくらなんでも皆さん最近持ち上げすぎですよ。そんな大層なものじゃないですって」

 

「謙遜も嫌味じゃないのねぇ。どう?うちの孫をお嫁に」

 

「ははは……。ありがたいことに色々お話いただくのですが、大学卒業するまで身を固めるつもりはなくて」

 

「勉強もすごいらしいじゃない。大学はいくの?」

 

「もったいない。高校を出たら身を固めてお努めに専念すれば良いのに」

 

「環境省で仕事するなら国家総合……一種は持っておこうと思いまして。省庁なんて学歴社会ですし」

 

 予想通りというと自惚れに聞こえてしまうが、もっぱら出るのが俺の話題だった。

 

 この世界は携帯電話こそ普及しているものの、時代背景は2008年〜2009年だ。インターネットが普及してはいるものの、LINEやzoomのようなコミュニケーションツールはまだまだ出てきていない。

 

 そのため情報の伝達が現代よりも大分遅く狭くなっているため、こういった井戸端会議みたいなものは馬鹿にできないのだ。

 

 俺がこの人達とお話する機会って殆どないから(あって年一ぐらいだ)、当然俺に関する情報とかも人伝に聞いた伝聞情報が殆どなのだろう。知りたい情報が多いらしく、中々な質問攻めを食らう俺。

 

 その後も

 

「室長候補達どうだった?」

 

とか

 

「彼女いるの?」

 

 とかの若干答えにくい質問をガンガン入れてくる皆さまをのらりくらりと交わすこと数分。

 

「凛、ヤスリがけ終わったわよ。もうニス塗ってもいいんじゃないかしら―――」

 

 そろそろ開放されたいな―と思っていた俺の後ろから、黄泉の声が聞こえてくる。

 

 パタパタと音を立てて俺の方にやってきたのだが、俺の眼の前にいる三人を見て、すっと表情を変える。

 

「―――あら?皆様、到着に気が付かずすみません。本日はわざわざご足労いただき、誠にありがとうございます」

 

 俺と謎に家具のニス塗りをし始めていたわんぱく小娘な感じの黄泉とは打って変わり、諫山の令嬢モードに一瞬で切り替わり優雅に頭を下げる黄泉。

 

 高校生なのにしっかりしてるわぁ……と同じ高校生の俺が思ってしみじみしていると、眼の前の三人から返ってきた反応が予想していた感じとは大分違うものだということに気がつく。

 

 なんというか神妙な顔をして、「あぁ……」「ええ……」みたいな反応をしている。

 

……なんだその気まずい親戚にでもあったかのような反応は。雅楽さんが神楽と会った時にしてる顔と似てるぞ。母ちゃん目覚めたんだからさっさと和解しろよアイツら。

 

「……お勤めで怪我をしたというのは本当だったのね」

 

え、これ俺がフォロー入らないと行けないやつ?と思っていると、眼の前に居た一人が、ぼそっと呟く。

 

 同時に、三人が三人、不躾に黄泉の右腕を見る。じろっという効果音が当てはまりそうな視線。

 

―――そうか、実物を見るのは今日が初めてなのか。

 

 黄泉は負傷した際も基本的に見舞いを断っており、対策室の人間と身内以外で負傷したこの姿を人前に晒すのはほぼ初めてのことのはず。

 

 だからこの三人は噂でしか聞いておらず、実物を見て驚いたのであろう。

 

「……はい。お恥ずかしながら」

 

 本当に恥じ入るように顔を落とす黄泉。

 

 いや、本当に恥じ入っているのだろう。

 

 病院に見舞いに行ったときも何度も謝られたし、さっきも散々この顔をされた。黄泉の負傷は元々は黄泉のせいではなく、殺されそうなエージェントを庇った時に出来たものだ。

 

 だから俺からすれば黄泉は悪くないし、そのエージェントこそ攻められるべきだと思うのだが、このクソッタレな退魔師社会ではそうは問屋が卸さない。

 

 そして黄泉の性格も非常に真面目だ。俺がいくらフォローしようがなんだろうが、今回の負傷は自分の不徳の致すところと考え、真に反省している。

 

「お努めは参加しているのか?」

 

「……いえ。今はお休みさせていただいて、対策室の皆様に対応して頂いております」

 

「そうか。優秀な同僚を持って幸せだな。私の時代は一人お努めが出来なくなればかなりの人的被害がでたものだ」

 

「今は層が厚くていいわねぇ。私達の頃なんて今みたいな環境省のバックアップもなかったし」

 

眼の前のおばさん二人とおじさんの標的が俺から黄泉へと切り替わる。挨拶もそこそこに、繰り出されるのは昔は〜語り。俺の時代はという老人の自慢話。

 

……()()()()()()()()()()()()

 

―――失態だな。

 

とダイレクトに言葉にできないから、言外に黄泉を攻めている。

 

先程まで散在俺の話題で盛り上がっていた面々は、一切の盛り上がりをなくし、嫌な親戚の表情となって黄泉を見ている。

 

「―――お分かりかと思いますが、会場はあちらです。ご案内しましょうか?」

 

すっと前に出る形で、黄泉を庇う。

 

笑顔は絶やさず、決して無礼な態度と表情を出さないようにしながら、分家会議が行われる道場への道を促す。

 

人好きのする笑顔は浮かべているはずだが、当然浮かべている笑顔とその裏側にある言葉は全く違うものだ。

 

「……あ、あぁ。ありがとう。場所は大丈夫だ」

 

井戸端会議に参加していた一人であるおっさんが、流石に俺の意図を察したのだろう。他の二人を促し、踵を返して分家会議が行われる場所へと歩いていく。

 

その後ろを眺める俺と黄泉。

 

……胸糞悪いな。

 

怪我の心配もせず、まず一発目に言うことがあれかよ。まずは怪我は大丈夫?ぐらいの一言かけるところだろうが。

 

俺のことは褒めちぎっておいて、黄泉にはあれかよ。黄泉が居なくてここが他人の家じゃなかったら、唾でも吐いている所だ。ああいうの嫌いなんだよな俺。

 

「…………」

 

―――この世界は純血主義だ。

 

だから、黄泉が諫山家当主の座につくのを面白く思わない人間など何人もいる。

 

諫山ですら無いのに、外部の人間のくせに、気にする奴らが大量にいる。気に食わない奴らが居るのだ。

 

ふざけた話だが、もしかしてそうなのだろうか。

 

「……本当、これじゃおんぶに抱っこじゃない」

 

「え?」

 

ぼそっと、黄泉が何かを呟く。

 

が、その言葉は俺の耳に届く前にかき消えてしまう。あまりにか細くて、弱々しい声。

 

「大丈夫、なんでもないわ。―――私達もそろそろ行きましょ?」

 

いつも通りの表情を繕って、俺に微笑みかけてくる黄泉。

 

準備をしている途中にいつもの黄泉の笑顔に戻ってくれたのだが、今の一幕でまた一つ巻き戻ってしまった。

 

―――そんな表情じゃないんだよ。俺が、黄泉にしてほしい表情は。

 

その言葉を、俺は飲み込む。言葉にしてしまったら、黄泉の行為が無駄になるから。

 

「……そうだな。行こうか」

 

俺の前を歩き始める黄泉の背中に、俺は何も声をかけずついていく。

 

横に並ぶわけでもなく、後ろからゆっくりと着いて行く。

 

優しい言葉をかけてやりたい。本気で俺は黄泉に頼ってほしいし、かけられている負担を負担だなんて一ミリも思っちゃいない。

 

でも、だからこそ俺は黄泉に優しい言葉をかけられない。

 

黄泉は俺がそういう奴だって知っているから。黄泉に頼られることを望んでいるし、黄泉が望めば喜んで叶えてくれる男だって知っているから。

 

―――だからこそ、黄泉は今苦しいのだ。

 

その状況に甘んじている自分が。その状況に甘んじないといけない自分が。―――それが彼女には苦しいのだ。

 

黙って凛とした背中に着いて行く。無言で、ゆっくりと。

 

微雪がちらつく寒い朝。息が白く染まる初冬の朝に。

 

―――分家会議が始まった。



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