大学部誌の保管庫 (三樹知久)
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雑食
おにぎりひとつくださいな


江戸時代辺りじゃないかな


 暗い、何も見えない穴の中。荒い息遣いが聞こえる。手に触れる冷たい肌。これはもう息をしていない。手で触れた顔の形は、多分六助だ。後、何人この穴に残っているだろうか。こんなにも腕が細いのに、体が重い。真っ暗だけど、重いからどっちが上かはわかる。

 上は、大人たちが岩で塞いでしまった。暗くて、狭くて、息苦しくて、腹が減る。

 この穴にいるのは先に親が死んだ子供だ。

 時間の感覚もなくしたぼくらの息が、一つ一つ止まってゆく。

 

 ##

 

 原因は飢饉か疫病か。

 名目は人身御供か口減らしか。

 渇ききった田に痩せ細った死体が折り重なる。この世の地獄に、大人たちの結論は子殺しだった。穴の底に投げ込まれてゆく子供を想う者はない。誰も彼も、どうせ死ぬ。

 

 ##

 

 六助も死んだ、兵一も死んだ、次郎も死んだ、八重葉も死んだ、勘太も死んだ。聞こえる息は自分だけになった。自分の顔を手で触って確かめる。

 この顔、誰だっけ?

 六助も死んだ、兵一も死んだ、次郎も死んだ、八重葉も死んだ、勘太も死んだ。

 この穴、何人入れられたっけ?

 今生きてる「これ」は……誰だ?

 だめだ…………。眠い。

 腹が減るという感覚さえ、もうよくわからない。何も見えないし、何も聞こえない。自分の息も聞こえない。

 あれ? 息、止まってる?

 

 ##

 

 次第に岩で塞いだ穴は増えた。が、途中から穴にまだ生きている子供を投げ込むようになった。もう、穴を岩で塞いで墓標の代わりにする膂力も、新しい穴を掘る余裕もなかった。

 とうとう、死体と死体になる予定の者を捨てる穴もなくなった。村から逃げだす者達もいた。彼等の噂さえ村には戻らなかった。

 そうして、為す術なく飢饉の中その村は滅んだ。他の村では同胞すら喰ったことを鑑みれば、この村はまだ幸いだった。

 

 ##

 

 気付くと岩に腰掛けていた。自分がどの岩の下にいたのか、曖昧だ。こんなにも腹が減っているのに、体中に力がみなぎっていた。

 ここではない、どこかへ行きたいと思った。

 気付くと空にいた。吾等(あれら)が空を飛べるのだと気付いてからは何処へだって行けた。

 あんまりにも腹が減ったので、草でも食べようかと思った。穴に入る前は草も生えてなかった。手を差し伸べたら、突然イナゴの大群がやってきて草を台無しにした。

 山に行こう、木の皮ぐらいは残っているかもしれない。山は山火事が起きて台無しになった。

 何を食べようとしても横から掻っ攫われていった。

 お腹……空いた。

 

 ##

 

 飢饉が過ぎ去り十年ほどが経過した。人々は傷跡を抱えながらも前へ進んでいた。滅んだ村の土地を腐らせる訳にはいかないと領主が開墾のしなおしを命じた。

 開墾は困難を極めた。あの飢饉を生き残った村々をイナゴの群れが襲い、山へ逃げ込んだ人々を山火事が止めを刺した。

 残されていた井戸には人骨が詰まり水は腐っていた。田の跡を掘り返す度に人骨が鍬の邪魔をした。

 人々は一連の困難の元を祟りと呼んだ。

 

 ##

 

 何かを食べたいと思わなくなった。何も口にしていないのに腹が減らない。鼠が蔵を食い破る音を聞くと、頬が緩んだ。燃え盛る村を見ると力が湧いた、イナゴの群れが何かを台無しにする度に、口に涎が溢れた。

 頭のなかに響く。大人たちが怯える聲(こえ)。子供たちの嗤い聲。もっと欲しい。もっと聲が欲しい。聲が溢れると、何も口にしてないのに、抱締められるように安らいだ。疲れた時は岩に腰掛け聲を聞く。岩から染み出してくる嗤い聲、空から降ってくる嘆き聲。聞いてるだけで力が湧く。

 腹が減っていないのに、手を差し伸べる先は変わらない。けれど求めるものは変わった。喰おうなんて思わない。あれが台無しになればいい。

 もっと、もっと、もっと……もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっと……。

 聲を!

 

 ##

 

 あまりに祟り祟りと人々が騒ぐので、領主は旅の僧でも歩き巫女でも構わない、これを鎮められる者に褒美を出す。と、お触れを出した。

 褒美を目的にした生臭聖職者共が、次から次へと押し寄せた。どいつもこいつも服を着た白骨になって、歩いて帰ってきた。

 ある旅人が、廃村を尋ねた。

 祟りは止まった。その時村で何が起きたのかは、旅人以外誰も知らないが、旅人は開拓団に何も語らず褒美も受け取らずに立ち去った。

 

 ##

 

 聲に不快な雑音が混じり始めた。退治? 除霊? 鎮魂? 何を言っているのだろう。

 まず酒臭いボロ布をまとった坊主が来た。あれは俺達にくれとイナゴが言うので、くれてやった。来た道を逃げ帰る坊主を空から追って眺めた。まず腕の骨が見え始め、頬の骨が見え始め、腹から臓腑をはみ出させながら悲鳴を上げて走りゆく。村に辿り着いた頃には服を着た白骨になって、がしゃりと崩れ落ちた。それからいろんな奴が来て、覚悟しろだの往生しろだの訳のわからないことを言う。

 あるときは最初のようにイナゴが欲しがった。あるときは鼠が欲しがった。いろんな奴が、喰っていいかを吾等に聞いた。わざわざ許しを欲しがる理由がわからなかったが、喰われる奴の聲は心地いいので許し続けた。

 あるとき旅人がやってきた。おっとうを、おっかあを、それと聞き覚えのあるたくさんの名前。叫びながら村を歩きまわる。

 イナゴに問うた、何故食いたいと言わない、言えば許すのに。

 イナゴは答えた、あれは正真正銘貴方のためのものだ。

 鼠に問うた、吾等のためと言われても、腹が減らないのならいらないだろう。

 鼠は答えた。今に分かりますと。

 旅人は吾等の腰掛ける岩の前に来た。

 ここにいるのか、旅人が問うた。

 その聲はいつも天から降ってくるものとも、岩から染み出すものとも違った。

 その聲にどれほどの意思が込められているかはわかったので答えてやった、誰を探している。

 次郎に六助、勘太に兵一、そしてもっともっと大勢探している。

 やはり聞き覚えのある名だった。

 俺がわかるか、平吉だ。

 その名にも聞き覚えがあった。が、馴染みはなかった。

 どの岩の下に誰がいるんだ、平吉が問うた。

 もう覚えていない、誰と問うのも意味は無い。誰も吾等の名なぞ呼ばないし知りもしない。吾等は吾等だ。

 もう分けられないのか、平吉が問うた。

 岩の下の聲たちが勢だ、吾等が一だ。

 名を決めて教えてくれ、平吉が言った。俺がお前を覚えておくしお前の名を呼ぶ。

 呼びたいように呼べ。吾等を吾にしてくれるのだろう? 

「いわせ」

 岩の精にして岩の下の勢。

 名を貰った途端、聲が聞こえなくなった。

 あれ程いたイナゴも鼠も姿を消した。

 そして腹が減った。腹の音が鳴る。平吉も鳴らしていた。

 平吉は握り飯を一つ吾に差し出した。

 食い終わった後。来るかと問われたので答えた、お前がまた来い。吾は此処とこいつらを守る。

 

 ##

 

 祟りが起きなくなった後、急激に開墾は進んだ。領主の夢枕にいわせと名乗る土地神が現れ、子供達の弔いと、社の建立を求めた。

 老境に差し掛かった旅人が再び村を尋ねると、豊作の祭りが催されていた。未だ神主のいなかった社に、いわせ自らが、その旅人を指名した。




 おなかが減るのは辛いですね。
 ちなみにいわせさん豊作について何もしてません。所詮は怨霊の寄せ集め、位が高くなっても祟り神です。あの子が働かないことが豊作に繋がります。平吉の子孫あたりに穀潰し言われながらも平和に暮らすんじゃないですかね。

ラブコメラノベ化待ったなし!!(あるわけない


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おばあさまのあしあと

御伽噺は好きです。大好きです。
でもディズニーは嫌いです。
断章のグリムが好きです。


 赤ずきんのお母さんが言いました。

「赤ずきん、最近森に狼が出るそうだから森のおばあさまに気をつけるよう伝えておくれ、ついでにこのパンも届けてあげてね」

 森のおばあさんは占いで雨の時期を教えてくれたり、魔法で病気の治し方を教えてくれるとてもいい人です。

 赤ずきんはおばあさんと仲が良かったので、

「うん、わかった」

 そう言って籠を持って出かけて行きました。

 出かけていった赤ずきんがちょうど森へ入った頃、灰色の汚い毛並みをした狼が赤ずきんを見つけて呟きました。

「あぁ? 柔らかそうなガキがいやがるな」

 狼は一計を案じて森の奥へ向かって行きました。

 赤ずきんが森の奥まで言った頃、赤ずきんに声をかけた者がいました。

「やあ、こんな森の奥まで来たら危ないぞ」

 声を掛けたのは狩人さんの格好をした男の人ですが、よそ者のようで赤ずきんには見覚えがありません。猟師さんはヒゲダルマでどこから髪の毛でどこからヒゲかわかりません。お髭の中から見える歯はとても白くてとても尖ってて綺麗です。

 赤ずきんは猟師さんに言いました。

「森のおばあさまへパンを届けに行くの」

 猟師は鼻をひくひくさせ、

「いい匂いだね、焼きたてかい?」

 と聞きました。

「ええそうよ、おかあさんのパンはむらでも評判がいいの」

「そうかい、実はおじさんもおばあさまに用事があるんだけれど、案内してもらってもいいかな?」

 赤ずきんと猟師さんは途中の花畑を見て言いました。

「このお花とても綺麗ね、ここで花束を作っておばあさまに届けたいわ」

「とても喜ぶだろうね、けれどパンが冷めてしまうよ、熱々は無理でも温かいうちに届けたいじゃないか。おじさんがパンを届けてこよう、何かあったらこの笛で呼ぶんだよ」

 赤ずきんから残りの道を聞いた猟師さんは風の様に消えてしまいました。

「とても足が早いのね。これなら笛があれば安心ね」

 ところ変わって、おばあさまのお家に汚い狼がやってきていました。

「このドアうっとうしいなぁ」

 汚い狼は頭が良くないので壊してしまいます。

 汚い狼が中に入ると……誰もいません。

「ここ魔女の家じゃなかったか? 空っぽなら好都合だな」

 ただ留守なだけかもしれませんが汚い狼は頭が良くないのでこの家で獲物を待つことにしました。

 しばらくすると、

「随分斬新なドアだな」

 寝惚けたことを言いながら家に入ってきたのはヒゲダルマの猟師さんです。

 壊れてしまって開けっ放しのドアから堂々と猟師さんはお家へ入ります。お家の中を見回してもおばあさんはどこにもいないようです。

「あまり散らかっていない、狼がここでババァを襲った訳じゃなさそうだ」

 何やら猟師さんの言葉遣いが怖くなってきました。目つきも悪くなってきます。目付きの悪いままお家の奥を見ると膨らんで誰かが寝てそうなベッドがあるではありませんか。

 猟師さんが鼻をひくひくさせながら言いました。

「ババァじゃねぇな。でろ」

「バレちゃあしょうがねぇ! 硬くてまずそうだがてめぇからいただきだぁ!」

 言われた途端に布団の中から汚い毛並みの狼が飛び出して、猟師さんに襲いかかります。

 けれども猟師さんは狼の上あごを右手で、下あごを左手で掴んで狼を捕まえてしまいました。

「若造が、相手は選べ」

 猟師さんが恐ろしい唸り声を上げながら姿を変えてゆくではありませんか。もじゃもじゃだったヒゲがサラサラになってゆき、爪は尖り腕も毛が生え、鼻が前に突き出てゆきます。いつの間にやら全身が黒く美しい毛並みに包まれます。

 なんと猟師さんも狼だったのです。

 狼に変わった猟師さんは汚い狼をビリビリ破くように引き裂き、尻尾と背中と頭のある上あご側とお腹と足のある下あご側の真っ二つにしてしまいました。

「やはり腹の中にもババァはいないか」

 引き裂いた汚い狼の中を一応確認しますが何かいるはずもなく、

「つまり逃げられたわけだ」

 どうやらこの綺麗な狼さんはおばあさんに恨みがあるようです。

「今度こそ元の毛並みの狼に戻れると思ったら……」

 どうやら黒い毛並みや人に化ける力は欲しくもないのに無理やりされたようです。

 おばあさんお家をアチラコチラを探しまわって手がかりを探す猟師さんの姿に戻った狼さん。なんだかんだ言って人の手は使いやすいようです。

 狼さんが色々家の捜していると置き手紙を見つけました。けれども狼さんは字が読めません。仕方なく赤ずきんの笛か赤ずきんがおばあさんの家に来るのを待つことにしました。

 しばらくすると赤ずきんがやってきて、

「な……なにこれ」

 壊れたドアに荒らされた部屋、真っ二つの狼。

 お家からは猟師さんが出てきて、

「待ってたよ、わるいね。どうにもこの狼が暴れてさ」

 そう言って引き裂かれた狼を指さしました。どうやら家が荒らされてるのも全部こいつのせいにするようです。

「ところで赤ずきん、置き手紙があったよ。声に出して読んでおくれよ、おじさん字が読めないんだ」

 だいぶ恥ずかしいことを言ってますが、所詮は狼です。手紙にはこうありました。

『私の家を訪ねてくれたのはきっと赤ずきんでしょう。そうだと思ってこの手紙は書いておきます。厄介なお客さんがきそうなのでお引越しをすることにしました。教えた魔法や占いはもう出来ますね? 私の代わりにむらのみんなを助ける魔女になってお母さんとついでに多分ヒゲダルマの猟師さんが目の前にいるでしょうから彼を召使にして三人で仲良く暮らしなさい』

「は?」

 と気の抜けた声を出した猟師さんを無視して赤ずきんは手紙を読み進めます。

『あと、その猟師さんにはちゃんと髭を剃るようにと穏やかな言葉遣いは似合ってないからやめるように言っておきなさい』

「あのババァ!!」

 たしかにこっちの言葉遣いのが似合っています。

「じゃ、かえろっか」

「俺を連れて帰る前提で話を進めるんじゃない」

 しかし、赤ずきんは何かを思いついたようで、先ほど猟師さんからもらった笛を思いっきり吹きます。

 音が出ませんでした。なのに、

「ぐがぁああああああ!」

 どれだけ遠くにいても助けを求めれば聞こえる不思議な笛です。こんなに近くで吹かれたらそうなりますよね。でもどうして音がしないのに猟師さんは耳を抑えているのでしょう。

 赤ずきんはもう二、三回おもいっきり吹きました。気絶してしまった猟師さんを魔法で両手にすっぽり収まりそうな子狐に変えて連れ帰りました。

 それから猟師さんは狼になって強い爪と牙でむらを守ったり、人になってむらのお手伝いをしたり、子狐になって赤ずきんのかごに入ってお使いについていったりして暮らしました。

 ただ、人になったときの姿は赤ずきんの魔法でヒゲもなくスラリとしたお兄さんにされてしまいました。強くて怖そうだった猟師さんの姿を気に入っていた彼は大層落ち込んだそうです。

 めでたしめでたし

 




二度と童話パロなんてやらない。と決めたはずなんだけどなー
笛は当然犬笛ですね。犬笛なんて難しそうな道具童話で出しちゃいけない。
一度も姿を表さないのに黒幕のような存在感のババァ。コイツ絶対強い。


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すべての夢見る若人に告げる

やらないって決めたはずなんだけどなー(棒



 欠伸とともに、竿を上げる。小魚が一匹上がる。こんなものでは小さな子供の食事にさえ数匹いるだろう。

 片手だけで魚を掴み数度振っただけで針を抜き、どれだけ跳ねても水に届かないような所に無造作に小魚を置く。小魚を掴んだ右手はあぐらをかいた足の間にだらりと投げ出され、左手で再び竿を振った。

 浮きが沈んだり流れたり浮き上がったりを繰り返す。よらよらとした動きも長い目で見れば規則性がある。川の流水がゆらゆらと浮きを弄ぶ。

 使われている竿はその辺の枝で、糸は髪の毛数本を結んだ頼りないものだ。

 くるりと渦を巻くように浮きが沈む。規則と違う動きに対し、さっと竿を上げる。また一匹。先ほどと同じように針を外す。

 小魚がこんもりと山を積み上げる頃。上流から桃が流れてきた。あぐらをかいて背を曲げた釣り人と比べられる程度の大きさの桃。ごろごろりと川底を転がる。皮は傷だらけで、食えるようには見えない。

 釣り人はそんな桃を見て。薄気味悪いから手を出さなかった。

 明日一日分の魚を釣り上げ魚籠に詰め、川岸から立ち去る。

 魚ばかりでは味気ない。釣り人改め山人として山菜を採りながら帰ることにしたようだ。道すがらには茸も菜もある。

 夢中になってとっているうちに山人はおかしな事に気付く。この山には季節がない。秋の七草も春の七草もあれば栗もある。茸だってここまで無節操には生えはしない。

 いつの間にか道を外れたようでここはどこだろうと不安に思っていると竹林に出た。ますますおかしい。この山に竹は生えていなかったはずだ。

 山でおかしな事に会った時には頂上を目指すものと相場が決まっている。

 凸凹している山というものは下を目指したところで沢や崖に当たったり方角が狂ったりとろくな事がないものだ。

 しかし、頂上なら必ず登山道があるはずでそれを下ればいい。

 せっかくなので筍を掘りながら竹林の中をえっちらおっちら登っていると、光る竹があった。

 やはり山のナニカに自分は化かされていたのかと、その見るからに怪しいのを無視して山人は頂上を目指した。

 どうにか、頂上に辿り着いた山人は登山道を見つけて山を下り始める。

 その途中に傘をかぶった六地蔵が並んでいた。地蔵に供えられた団子はどれも泥団子ばかり。泥では供えになりはしないだろうが、地蔵はきっと泥の団子で飢えを凌ぐ苦行の最中なのだなと何の悪意もなく見当違いに早合点して、そのまま立ち去った。

 まだまだ山を下ってゆくと、老婆が大きな岩を背負って歩いていた。大きな葛籠にゃ大判小判、大判小判……。

 何やら不気味なことを呟いている。あの岩をお宝の山だと思い込んでいるようだ。しかし、そんなものを担いで歩いていたら何時かは潰れてしまう。

 声をかけてみるが老婆は完全に気が狂っており、スズメのたからもんは渡さねえだど。と、まるで話を聞きゃしないどころか老婆とは思えぬ力で岩を持ち上げ山人の頭めがけて振り回す始末。

 仕方なく山道を下りながら老婆から逃げ出す。あれは化かされたのではなく悪いことでもして祟られたんだろうと諦めることにした。

 山を下り切るといつの間にやら浜辺についていた。

 どこかで子供の囃子声がする。どうやら何かを虐めているようだ。

 見てみれば、亀がのろまのろまと虐められている。やめさせようと思う……のだが、先ほどのばあさんを見捨てた自分にあれを咎める資格はあるのだろうか? そんな見当違いの早合点と後味の悪い気分とともに立ち去った。

 ようやく、家に帰り着く。釣ってきた魚の殆どを捌いて肝を取り、家の中で吊るして干す。本当なら日向で干してお日さんの恵みがほしいがそんなことをすれば鳥や猫に取られてしまう。

 次に茸と山菜を干す。こちらは日向に干しても好き好んでとる生き物はいない。干した野菜は煮ると体にいい。

 保存食を作っているうちに日が沈む。

 そろそろ夕食にしようと、干さなかった分を鍋に入れてよく煮る。

 夏だろうと冬だろうと煮るに勝る夕食はない。

 夕食を終えたら体に入れた力を無駄にせず早く寝る。

「いつになったら空から天女ふってくんのかなー」

 意味のない独り言をつぶやいてそのまま眠った。




 チャンスは何処にでも転がってるって偉い人は言った。
 チャンスを掴もうともせずに下らないこと言って時間を無駄にしてるやつを若者というのだそうで。
 お前のことだぞ去年の俺、来年の俺。
 自覚すると首吊りたくなるね。
 この話は一応ルート分岐があって、桃を拾えば中から桃乃と名乗る美少女が出て竹林では当然かぐや姫、二人が山で道案内するのでババアに会わずにすんで、乙姫フラグも立つという……。
 ハーレムルートですね、チャンスは大事にしましょう。


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赤が似合うあなたが好き

これを書いてる時期、水木しげ子さんと結ばれましたというラノベを読んでブチ切れてた覚えがある
まずヒロインの名前に惹かれて買ったのだがあまり多くは語りたくない
で、赤い糸を題材になんか書いてやろうと思い立ったけどあれだけブチ切れときながら
本職の作家にはそれでもかなわんのだと絶望しながら原稿提出しました


 人はそれぞれの人生の主人公という言葉があるけど、それは真実だろう。そこは認めよう。けれど、それが名作になるとは誰も言ってないと思うし、言った奴がいるなら、そいつを僕は軽蔑する。

 

 僕の両親は赤い糸が繋がっている。両親が糸で繋がっているわけじゃない。それぞれ別の男女と糸が繋がっている。

 

 夏休みはまだ終わっていない。登校日でもないのに生徒たちが呼び出され、全校集会が始まる。校長先生が重々しい口調で悲しそうな顔をしている。サッカー部のキャプテンがこの夏刺されて死んだ。これを聞いて喜ぶ男子は僅かながらいた。そんなだからモテないのだとは誰も突っ込まなかった。これを聞いて嘆く女子は多くいた。彼は学校のヒーローだった。学校中の教師も生徒もそのニュースに驚いた。けれど、僕はああやっぱり、と思った。ついでに犯人の心当たりがあった。五人ほど。あの五人なら誰がやってもおかしくないし何時かやると思っていた。ただしその五人は仲がいいわけでもない。むしろいがみ合っていた。五人の女子全員と彼は赤い糸で繋がっていた。

 

 アダ名で呼び合う悪友っぽい男女も赤い糸で繋がっている。保健室の先生は歴史の先生と繋がっている。赤い糸の条件は知らない。運命か両想いかそれとももっと生々しいのか。確かめようがない。僕には一本も繋がっていないから。

 

 帰り道、電柱に止まってセミを捕ろうとしている子供を見た。多分小学生。あんな子供からでも赤い糸は伸びている。繋がっている相手はどんな人物で、どんなふうにこの少年の人生に関わるのか。すぐに僕は考えるのをやめた。

 

 誰の人生にも影響を与えない人生とは果たしてどんな人生だろう。きっとその物語は例えようもなく駄作で、その主人公は誰の人生の脇役にも登場しないのだろう。両親の人生に子として登場はしているだろうけど、それはもしかしたら端役かも知れない。何しろ両親がそれぞれ別に赤い糸が繋がっているぐらいだから。

 あの二人にとって家庭が重要な物である保証はどこにもない。

 

 夏休みが終わって最初の日。転入生が黒板の前で自己紹介をしている。男子が喜んでいる所を見るときっと美人の女子なのだろう。

 僕にはそれが赤い糸巻きにしか見えなかった。糸巻きがもぞもぞと蠢いて、名を名乗るさまは悪夢のようだ。糸巻きからズボリと腕が生え、チョークを受け取って名前を書く。

 赤坂志保というらしい。僕の脳内では赤糸さんに決定だ。

 席は、五月に中退した奴の席に決まった。僕の隣だ。よりによって端役の中の端役の隣に転校生である。何かの間違いじゃないかと思ったけれど、隣の隣に学級委員がいたのを思い出す。転校生の人生にクラスメートとして影響をあたえるのは端役の仕事じゃないらしい。今日も世界は正しく回っている。主役は主役らしく、端役は端役らしく、滞り無く回っている。

 

 どうやら彼女の物語はとても展開が早いようだ。完全下校時刻に図書室を追い出された僕は、下駄箱で右往左往している彼女を見た。革靴を隠されたらしい。転校初日にしていじめ勃発だ。当然それを助けたりするのは隣の隣の席にいる主役の仕事なので僕は出来るだけ影を薄くして帰った。まさか本当に話しかけられないとは思わなかったけど。

 

 帰り道、本屋で幻覚や頭痛についての本を漁る。

 いがみ合っていたはずの五人の女子が喫茶店で一堂に会するのを見た。相変わらず雰囲気最悪なのが店の脇を通り過ぎるだけでわかる。ただ、テラス席であんな腹黒サミット開かれたら店の人可哀想だな。彼は死んだというのにそれぞれ五人とも未だに糸が伸びている。まさか死体に繋がっているわけか……。

 

 仲がいい両親と夕食の団欒。ものすごく胃が痛くなる。演技上手いなとしか思わなくなった。時々フォークや箸の先端に惹かれる。目を抉ってしまえばいいのだと、そう思うのに痛みが怖くて出来やしない。

 

 理科室に行くとき、彼女が階段でふらついた。目の前を波打つ赤を、とっさに掴んだ。

『こんな硬い革靴履いていたら足を痛めてしまう。スニーカーを送っておこう。色は白が志保ちゃんには一番似合うだろう。新しい部屋の住所も下駄箱も教室の席も分かっているし、これからも色々なプレゼントを続けよう』

 一瞬何か身に覚えのない光景が見えた。周りの生徒達が僕を見ている。

「お前、今何を掴んだ?」

 え? 転びそうになった彼女は怪我一つなく体勢を立て直している。端役の僕がなにか特別なことをして彼女が助かった?

 頭を掻き毟りたい衝動に駆られ、そのまま僕はその場を逃げ出した。

 何をしているのだろう、これでは僕が何かしたと言っているようなものだ。適当に虫がいたとか言えばよかったのに。まだまだ蚊は元気じゃないか。しかし、糸は掴めたのか。

 長年これと付き合っていたけど試したことはなかった。あのイメージは何だったのだろう。あんなイメージが見えるものが愛とか恋とかに関わっているとは思いたくない。

 きっと愛の力というのは色で言えば黒とピンクのマーブルで、プラスかマイナスかで言えばマイナスなのだろう。そう確信出来るだけの悍ましさがあのイメージにはあった。

 教室に戻ったが、さっきの事は忘れ去られたようだ。誰も話しかけてこない。

 彼女から伸びている糸が、僕の机の上を通っていた。さっきの事もあるので触りたくないが万一があってはいけないので掴んでどかそうとして、

『革靴を卓袱台に置き、話しかけながらお茶漬けを食べる。志保ちゃんは一体どんな料理が得意だろうか。あまりお手伝いはしていない娘のようだから将来が心配だね』

 また、あのイメージ。傍迷惑な親切と、気持ち悪い執着のイメージ。一瞬吐き気が来る。

 そして、隣の彼女と目があった。糸で巻かれた上半身。その上端に近い場所から目出し穴が覗いている。

「知ってますか? それ、片想いの時だけに見えるんですよ」

 僕は彼女に声を掛けられていない。僕は端役で、美人(おそらく)の転校生と人に言えない共通の悩みなんかない。主役は主役らしく、端役は端役らしく。それが正しい劇だ。

 だから、僕は今日も一人でお弁当を食べる。

 あのイメージの中で感じたお茶漬けの味を思い出して吐き気が限界になった。便所飯は気分悪くなった時すぐに吐けるからありがたい。

 放課後、彼女は一つ目のイメージで見た白いスニーカーを下駄箱から取り出してゴミ箱に捨てた。代わりに折りたためる室内スリッパで帰っていった。

 糸を掴んだ時のイメージ。他の糸もあんな感じなのだろうか。端役の僕にその機会があるとは思えないけど、恋とか愛が本当にピンクと黒のマーブルだとしたら……。

 丁度、比較対象が五本浮いていた。

『彼を殺したのは誰? 誰誰誰? 仇はどこ? こいつらのうちの誰か? それとも?

 彼は他のクズとは格が違うのになんであんな簡単に死んでしまったの? あきらアキラ晶あきらアキラアキアキアキアキ……』

 やめとけばよかった。五本とも内容はさして変わらない。口調や見ている光景の角度、一人称。わずかに違いはあったけど五人分。同じ人物についてひたすらプロモーションビデオを見た気分だ。どれもこれも映画に出てくる狂人そのままで、それでも一歩引くだけ茶漬け野郎よりマシに見えた。

 そう、一歩引いている。不思議なことに、あの五人は誰もサッカー部のキャプテンを襲っていないらしい。生命も貞操も奪ってはいない。全員が全員を疑い合いながら探偵を雇ったり自力で足を使ったりしていた。

 前に校長先生のお話からずっと、あの五人を疑っていたことを公言はしていない。けれど、心のなかで謝った。

 そういえば、一人だけ彼女を妙に疑っていた。学園のヒーローと転入生。絵になる図だろうけど彼女と彼は顔を合わす前に死に別れた。キャプテンは転校生が来ることを知っていたらしいけど、疑う根拠それだけだったりする? 恐ろしい事を考えているものだ。

 

 結局愛の力はマイナスの力だったらしい。

 ならば、糸で繋がっていない両親が表向き円満なのもマイナスの力がないからだろうか?

 夕食中メロドラマを流す、この食卓。僕はすぐにドラマからも思考からも意識を切り離して、豚カツを頬張った。

 

 朝、教室を見回すとクラスメートの悪友コンビの赤い糸が消えていた。けれど周りは二人を囲んで何かを祝っている。とうとうくっついたかとかそんな言葉も聞こえた。

 また、机に糸が掛かっている。彼女は僕の表情と手をじっと見つめている。なんてことはないのだ。彼女は僕を見ていない。気のせいだ。早く糸をどかして席に着こう。

『怪我しそうになった志保ちゃんを助けた?

 その後逃げ出した? 挙句の果てには友達一人もいない上に便所飯がデフォルトのモブ野郎が志保ちゃんに話しかけられた?

 転校先でのいい気になっているイケメンは親密になる前に始末したけど、まさかあんな伏兵がいたなんて。早くあのモブも始末しよう。階段から落ちそうになったのを助けたことは評価しよう。トランクに詰めてどっかの屋上から落として殺そう。薬で眠らせてからやれば苦しみは一切無いだろう』

 は? え? ちょ、マジ?

「大変ですね。私、実はストーカーに悩んで転校したんです。スタンガン予備ありますから持ちます?」

 僕は端役だから余計な事に関わらない。きっと僕が死んでも誰も気付かない。苦しみはない方法を模索しているらしい。

 ……なら、それでいいのではなかろうか。

「いいよ、どうせこれは何も僕に関係しない幻覚なんだから」

 僕はその日初めて教室で声を出した。みんな悪友コンビを祝うのに夢中で誰も気付かなかった。彼女以外は。

「そうですか」

 と、彼女の目出し穴の向こうの目は僅かに細くなった。

 

 それから数日何事もない。夕食はいつもどおり仲良し夫婦を見せつけられる。父が職場の後輩について、母はパート先の上司について、それぞれ言い寄られて迷惑だと愚痴を叩き合っていた。言い寄られて迷惑という事は一方通行という事で片想いということで……この家は……。両親はついでだからお前もなんか愚痴を言えと言ってきたけれど僕は適当に成績についてしか言えなかった。そして僕は両親に繋がる糸を握った。

 

 どうやら僕は両親について疑うばかりで何も知らなかったらしい。悩みが一つ解決したのに死にたいという鬱々しい気分がまるで晴れなかった。件のストーカーはまだ来ないのだろうか。

 

 朝、学校へ行く途中財布を落としたと声を掛けられる。振り返った時口元に布を被せられた。

 

 眩しさで目が覚める。おかしい。僕は彼女につきまとっていた茶漬け野郎に襲われて死んだはずじゃないのか。

 トランクの中で体育座りをしていた体は強張っている。

「囮捜査って知っていますか?」

 眩しさに目が慣れた時、聞き慣れた隣の席の声と初めて見る顔。

「一人目の時は失敗して助けることも解決もできなかったんですが、今回はうまくいきました。ご協力感謝します」

 クラスの男子が喜ぶのもよく分かる。彼女は確かに美人だった。けれど糸じゃない赤に彩られている。

「それ、返り血?」

「はい、そこに転がってる男の血です」

 茶漬け野郎……こんな顔だったのか。これが死んだから思いは消えて糸も消えた。らしい。

「体が軽い、糸がないとこんなに楽なんですね。塵も積もればといいますし、あんな細い糸でもああ集まるとキツイですね」

 茶漬け野郎に刺さっているナイフを引き抜き彼女は言う。

「演技で付き合ってる振りをすれば糸とは無縁でいられると思いませんか?」

「お断りします、せっかく美人でよりどりみどりなんですし、僕のような端役じゃなく、主役とメロドラマしてください」

 何を言っているんだ僕は、まず通報だろ。殺人現場だぞ。ここ山の中で彼女はこれを埋めている真っ最中だぞ、逃げて通報だろ。

「端役だからいいんじゃないですか、誰にも取られませんし、どうせ何もかも初めてでしょう? 私もそうですし」

 そうして僕はキスされて、自分が単純で当たり前の端役男子であると思い知った。

「あれ、また糸……。早く主役になってくださいね、その頃にはこの糸も消えてますよ」

「片想いの糸が消える、それって僕が君を諦めるってことかな?」

 彼女は何故か呆れ果てた目をした。

 




バカテスのFFF団っていわゆるモブですよね
学校に女子がいなければ脇役にもアドバイスする親友役にもなれない
そう、登場すら出来ないのだ!! モブ以下だ。 男子校は地獄だぜふーっはっはー


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腕が痺れるほど

男が器用なら告って話が始まり、女が器用なら……キープ物語
男が不器用ならラッキースケベ系(ラノベ風)
女の子が不器用なら……ラブコメ
違うっけ?

後輩「寝言は寝て言え」


 針を爪の間に刺す、その後で熱したほうが効率はいい。質問は案件とは関係のない、それでいてすぐに嘘かどうかわかる家族の話題がいい。嘘をつくなら痛点に針を追加してゆく。ありとあらゆる質問に意味があり、順番も決めてマニュアル化することで聞き漏らしを防ぐ。一人の人間を完全に書類化し、最後は処分する。

 先祖代々受け継いできた。私のお祖父さんの代で途絶えた。ううん、私の代で途絶えた。

 お父さんが家業を継ぐのを嫌がって表の職についた。お祖父さんを後見人兼師匠として、私は四歳でアグリィー家を継いだ。判子を兼ねた当主の証の指輪は思ったより軽かった。

 私がこの世界について甘かったからお祖父さんは死んだ。

 世界で一番平和な国だから。お父さんはそう言って私を日本に送り出した。

 

 ##

 イライラする。生まれた時から地下牢以外の世界を知らない姉にもそれに意見しない姉の母にも親父にしなだれかかる俺の母にも……。

 イライラする。毎晩毎晩どんな仕事か知らねえが、血の匂いをさせて帰ってくる親父。親父が命ずる飯はいつだって焼き魚だ。塩の加減火加減一緒に焼く香草。俺が最初に覚えこまされた料理。調理実習で初めて自覚したが俺が一番うまく作れて人が喜ぶ料理。俺には豚の餌にしか見えない。

 イライラする。ゴミ捨て場からエロ本拾ったといって盛り上がるクラスメート。それに嫌悪感を示しながらも男子の好みを気にする女子。汚らしい。

 イライラする。生まれつき白い髪。誰も彼もが奇異の目で見る。親すら俺を異なる半端と名付けた。異端(ことば)こんな名前初見で誰が読めるのか。

 

 ##

 人との関わり方がわからない。仕事相手はいつも大人だったし、お金のやり取りと書類のやり取りしかわからない。

 何より日本語は難しい。最初に覚えた日本語はごめんなさい。

 ごめんなさいってほんとうに謝罪の意味なんだろうか? 事あるごとに言えといわれる。

 よそ者でごめんなさい。

 髪が長くてごめんなさい。

 髪の色が違ってごめんなさい。

 言葉では色々なものにごめんなさいというけれど頭のなかにはいつだってお祖父さんの死に様があった。

 ああいう世界にいたんだ。誰も彼もが簡単に殺される世界。

 日本は平和だけど大差ない。過労死は会社による労働者への虐殺だ。虐待は親から子への虐殺だ。

 この平和な国でどれだけの人が死を覚悟して死ぬことができるんだろう。

 仕事相手の言い訳はいつだって同じだ。「もう殺してくれ」

 彼等は死には文句を言わない。ただ苦痛が怖いだけだ。

 拷問吏の仕事部屋に送られるというのは心も体も助からないということだ。だから、よほど覚悟のない下っ端でもない限り命については私がアグリィーを名乗った時点で諦める。

 この国はどうだろう。不特定多数に不特定多数が痛みと死をばらまいているのにそれが自分に降りかかるなんて毛程も思ってない。

 こんな無自覚の悪意に殺されるのは嫌だ。

 もっと明確な殺意で、殺すことの意味を知った人がはっきりと殺す意志を持って、私に殺意を向けてくれないかな……。

 

 ##

 今日の朝も焼き魚。イライラが募る。

 親父の念願のモノが来たらしく、今夜は赤飯を炊けと言われた。地下で英才教育を受けた姉はその行為を準備の整った肉体で疑問なく受け入れて、肉欲に咽び泣くのだろう。

 ああ……他人になりたい。

 血、精汁、愛液、汗、胃液、腸液、唾液……。

 体液のなんと臭く汚らしいことか。ヌルヌルとして、ベタベタしている。自分もまたこれを詰めた肉袋にすぎないことを思うと、ガソリンを浴びてマッチを擦りたくなる。

 駄目だ……。こんな一時の感情で死んで堪るか。俺は必ず自由になってみせる。

 俺が自由になったとき家事係のいないこの家はどうなるだろう。その時を思うと、唇が歪む。そんなちっぽけな復讐で満足できる自分の矮小さにもまたイライラする。

 授業が終わり、掃除当番を押し付けられた。まあ、いつものことだ。俺は掃除を徹底的にするから俺と同じ班の連中はいつしか掃除をサボり逃げ出すようになった。今日は月曜だから教室の掃除。机の脚にこべり付いた埃、それを擦り付けられて汚れた床。窓のサッシも酷い有様だ。俺が掃除当番の班でないときは他の班は何をしているんだろうか。まさか箒で掃くだけが掃除だとでも思ってるのか。

 終わった時には五時を過ぎている。

 フードを被りランドセルを背負う。校舎を出るとき、花壇の影からたどたどしい声が聞こえた。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 嘲笑う声もする。原始的な暴力の音が響く。俺には関係ない。俺は今日は餅米と小豆を買わなきゃならないんだ。

「ごめんなさい以外の日本語知らねえのかよ」

 蹲っている誰かを三人がかりで蹴っているのが見えた。

「なにやってんだか」

 呟いたつもりはなかったが、こちらに気付かれてしまった。

「お、潔癖症の異端くんじゃねえの。掃除終わったの?」

「今日は弁当こぼしたバカがいなかったからな」

 そのまま立ち去って、校庭に差し掛かった頃だった。

 人ごみで名前を呼ばれたことがあるだろうか、雑踏の中騒音の中でも自分と関わりの深い言葉は耳に自然と滑りこむ。

 嘲笑と暴力の音の中でもその言葉は俺の耳に食い込んできた。

「髪が黒くない奴って妙なのばっかだよな」

「黒髪以外は日本から出ていきゃいいのにな」

 なぜだか右手が重い。

 口元が笑みの形に歪む。

 右手を横薙ぎに振った。いつのまにか誰かを蹴っている奴らの内一番近い奴の側頭部をレンガで殴りつけていた。このレンガいつ拾ったんだっけ。

「          」

 何を叫んだのか覚えていない。

 意識を失い一人目が倒れた。二人目が異常に気づく前に脳天に叩きこむ。

「いってぇ!!」

 三人目には気付かれてしまった。

「何しやがんだ!!」

 確かに、なにしてるんだ? 俺。

 腕でガードしようが顔面に当たろうが皮膚が切れようが知ったこっちゃない。ひたすらレンガを振った。

「うあっ、がっ、ぎぃ、も、もうやめ――ひぃ!!」

 なぜか爽快感があって、例えようもなく楽しい。確実に返り血がへばりついてくるのに、逆に自分が何かを削ぎ落して軽くなっていく。

「ヒヒッヒッハハッウヒハハハハッ」

 これは誰の声だろう。楽しそうな笑い声。

 いつの間にか命乞いが聞こえなくなっていた。

 腕が痺れている。遠心力で血液が軽く逆流している。毛細血管が切れたんだろうか、腕がむくんでいた。

 息が切れる。腕が熱い。

 一応三人とも息はあった。逃げるように立ち去った。

 家に帰り着いてすぐランドセルを投げ捨て、風呂場で吐いた。こべり付いた返り血が気持ち悪くて仕方なかった。汚物の匂いの中、服も脱がずにシャワーを浴びた。ひたすら顔を洗う。

 鏡の中の自分はフードを被り忘れていた。

 フードを被らずに通学路を通った事実に気づいた後、遅れて買い物を忘れたことにも気づいた。

 親父には当然殴られた。軽くなった腹の中に、また何か澱のように溜まっていった。

 

 ##

「ごめんなさい以外の日本語知らねえのかよ」

 いつもどおりごめんなさいと言い続ける。謝らなきゃならないことなんて何かあったかな。何もないな。

 けれど暴力は止まらない。でも、なんて中途半端でつまらない暴力だろう。

 顔はやめとこうだとか、反応を楽しもうだとか、なんて下らないんだろう。

 早く終わらないかな、お腹すいた。

「お、潔癖症の異端くんじゃねえの。掃除終わったの?」

 私を蹴っている誰かがフードをかぶった人に声をかけた。

「今日は弁当こぼしたバカがいなかったからな」

 その人は私に好奇心すら抱かずに立ち去った。その後も暴力は続く。

 反応を楽しみたいのならもっと鳩尾や鼻を狙えばいいのに、屈服させたいなら骨格を通して五体の自由を奪えばいい。

 中途半端で目的がわからない暴力に対し、私はただ言われたとおりごめんなさいを繰り返す。けれど余計に興奮する彼等は暴力を止めない。

 いつ終わるんだろう、これ。

「髪が黒くない奴って妙なのばっかだよな」

「黒髪以外は日本から出ていきゃいいのにな」

 私もこんなヌルい国来たくなかった。

 言い返す気力もない。直後、

「髪の色がどうしたぁ!?」

 レンガが頭を吹っ飛ばすように振り抜かれた。そのまま振り下ろすように二撃目。どうにか気づいた三人目は腕で防いだ。多分防がないほうが傷は浅くすんだ。

「生まれも育ちも日本だよ!? 文句あるか!!? キラキラネームを影で嘲笑ってんだろ!? 何が潔癖症だよ!! きたねえモンはきたねえだろうが!!」

 その人の行為から正義感なんてものは全く感じられなかった。何が琴線に触れたのか、自分が罵声を浴びたように怒り狂っている。

 ひたすらに振り下ろされるレンガ、フードが脱げて振り乱される髪は真っ白だった。顔は怒りに満ちた攻撃的で惚れ惚れするような笑顔。

 これだ……これこそが暴力だ。私がお仕事で学んだような技巧もなく、みんなが私にするような中途半端じゃない。遠慮も容赦も手加減もない。手段や目的なんかどうだっていい。この暴力が手段でこの暴力が目的だ。

 お仕事で多くの人の表情と本音を見た私には手に取るように分かった。この人はどうしようもなく幼稚で、弱くて、抱え込む人だ。きっと普段は不満を貯めこみイライラするばかりでこんなこと絶対できない人だ。

 私が思ったとおり無駄に防御なんかした三人目が一番重症を負わされた。顔の形は原型がなく胸のあたりの凹みから肋骨は少なくとも四本折れてる。手の甲の骨もかなりやばい。

 けれど、私の見立てのとおりならそろそろだ。ほら、逃げ出した。

 私は落ちていたレンガを拾い職員室に行き、私が犯人だと告げてから現場に先生たちを案内した。

 私は施設に送られることになった。

 これでいい、あの人には不満に満ちた普段を今までどおり生きてもらわなきゃならない。そうしてあの人はもう一度これが出来るだけのイライラを募らせてもらうんだ。

 あの人自身が理解してない激情じゃダメだ。あの人に憎まれて蔑まれて恨まれて、あの人の全てを独り占めにして、そしてあの人は突発的なだれでもいい暴力じゃなくて、明確な殺意でその激情を私に振り下ろす。鈍器かな、刃物かな、首を絞められるのもいいな。

 私がいた世界でもこの国でも変わらない。誰も彼もが殺されて死ぬ。なら、私はあの人に殺されたい。

 

 ##

 あれから数週間経つがあの事件について俺に対して追求はない。先に潰された二人は俺の顔を見ていなかったし、三人目はトラウマがひどくて入院した先で布団かぶってガチガチ震えてるという噂を聞いた。で、証言できる人間は一人もいないらしい。

 犯人は隣のクラスの転校生ということになり、そいつは施設に送られた。

 俺はこの家から自由になるチャンスをフイにしたなどと思っているくせに、真犯人を名乗り出る度胸もなかった。ホッとしていた。殺さずにすんだことにホッとしていた。

 ただ、最近親父の機嫌がいい。新しく準備が整った人形にご満悦らしい。

 当然それを産んだ姉貴のお袋も御寵愛を受け、逆に俺のお袋の機嫌が悪くなってきた。最近、お袋が家事を担当し始めた。下手糞でしょっちゅう俺にやり方を聞く。この家にいる理由作りのつもりだろうか。家事を担当する人間が変わったせいか親父の不満の捌け口もそっちになった。

 ほんとうに有難い、肉人形には足を向けて寝られない。ま、地下室に足向けて寝れる体勢のが珍しいが。

 なんにせよ宿題や勉強に集中できる時間が増えるのはいいことだ。もっと勉強しよう。寮制の学校へ行けばここから逃げれる。中学は間に合わないが高校くらいなら……。

 昼休み、食事の時間。俺は初めて朝買ったパンを昼食にした。

 自分で作った弁当のほうが美味い。が、時間の節約にはなる。

「最近ガリ勉だねーおベント作るのもやめちゃったんだ」

 弁当をこぼさないし、エロ本談義に加わるわけでもない。掃除当番の班も違うからコイツが押し付ける側か押し付けられる側かは知らない。イライラの原因にならない数少ないクラスメート。

 ただ、話す理由はないし俺はコイツの名前を覚えてない。

「最近イキイキしてない? 逆じゃない? ガリ勉が勉強以外に楽しいこと見つけるならわかるけど、今までボケーッとしてたのがガリ勉になってイキイキって」

 前言撤回コイツもイライラする。

「もともと君成績良かったじゃん、これ以上何のために勉強すんの?」

「自分の為」

「お手本みたいな回答だね」

「……お前名前なんだっけ?」

「今七月だぜ?」

 影宮大吾、このうっとおしいのはそう名乗った。

 影宮といえばあの三人目が入院してる病院じゃなかったろうか。

「でさ、ここだけの話いじめ反逆事件、荒島、君だろ?」

 小声で爆弾発言。近所の総合私立病院は影宮であってたらしい。

「君、実はいいやつ?」

 こいつバカなんじゃないだろうか。

「いいヤツなら名乗りでるだろ、ストレス解消にありがたく使わせてもらっただけだ」

 なんで通報しないんだ。する必要がないからだろうか。

「あいつ退院したよ。明日には学校に来る。で、サンドバックがいなくなった腹いせを君にする」

 コイツの意図が全くわからない。

「それ俺に伝えてどうすんだ?」

「他クラスの問題に口出しする気はなかったけどこのクラスに類が及ぶなら話は別だ。学級委員を頼っていいんだぜ?

つー訳で今日僕のところに泊まってきなよ」

「お前学級委員だったのか」

「どんだけ周りに興味ないのさ」

 丁重にお断りする。一日二日泊まったり行き帰り守ってもらった程度でそういう執念はどうにもならない。

 翌日の朝に案の定俺は囲まれた。

「要件はわかってるな? 荒じ――」

 俺の苗字荒島を言いかけて、ふっ飛ばされた。

 大吾のバカが竹刀持ってる。こいつ何しにきたんだ。

「知ってると思うけど僕は近所の剣道場に通ってる」

 初耳なんだが、竹刀持ってるってことは事実なんだろう。

「レンガとこれどっちがマシかな?」

 残り二人がふっとばされたヤツおいて逃げ出した。あまりの超展開に脳がついて行かない。

「君を先生や警察にチクろうなんて思わない、ああいう連中だって僕が追い払おう、君がまた以前のように塞ぎこむくらいなら僕に相談してほしい」

 何言い出す気なんだ? なんだか気持ち悪いぞコイツ。

「だから僕に勉強を教えてくれ」

 …………こんどこそ思考が完全に停止した。

「最近のイキイキし始めた君なら聞いてくれると思ったんだが……だめかい?」

「クッ……アッハッハッハハハハ」

「な、なんで笑うんだよ荒島」

 コイツ意味わからん。が、悪い気はしない。

 聞けば病院を継げと煩い父を振りきり剣道に集中するために寮制の学校へ行きたいのだとか。

 家族がうっとおしいから寮制へ行きたい。思わぬ所で同志を得た。

 

 ##

 なんて偶然だろう。成人してから探偵でも雇ってあの人を探す気でいたのに、あの人がここにいる。

 十五歳を過ぎて、中高一貫寮制の学校で高等部からの中途入学に合格した。

 振り分けられたクラスには白い頭のあの人がいた。そういえば最初の授業の全員の自己紹介で初めてあの人の名前を聞いた。荒島異端。

 異端……世間に馴染めずイライラを募らせていたあの人にピッタリの名前だった筈なのに……。何故かあの人は全然イライラしていない。

「大吾くん?」

「どうした異端、嫌に他人行儀じゃないか」

「俺の弁当箱がカラなんだが?」

「また腕を上げたね!!」

 腹立たしいことにそいつは親指をグッとして即座に背を向け逃走した。

「待てやコラ弁当ドロボー!!」

 どうやら体力に大きな隔たりがあるようで全く追いつけそうにない。

 異端って体力ないんだ……。

 そんなことより大吾って言ったっけ……アイツのせいかな。異端が普通の人になっている。

 大吾が後ろを振り向きコインを投げた。

「五百円あれば足りるよね?」

「その前に一発殴らせろやぁ!!」

 結局追っかけっこは昼休みを半分消費した。で、二人で学食に向かってった。異端は息も絶え絶えに大吾に背負われていた。

 クラスのみんなはその様子を微笑ましいものでも見るように見ていた。中等部の頃からの名物コンビらしい。

「やっぱ体力差と性格から異端くん誘い受けかな?」

「あ~大吾くん優しいから強気になれない分ベッドで仕返しかー」

 なんか怖い会話が聞こえた気がする。あの人達とは距離を置こう。

 貯めこむ不満がないのか言葉遣いと見た目以外はまるで別人になってしまったあの人。ただただ眺めた。どうすればいいのか検討もつかない。

 また別の日の昼休み。今日は異端の弁当箱は無事だったようで、一人で食べ始めていた。奴は購買へパンを買いに行ったようだけど、異端は戻るのを待ったりしない。そんなマイペースさにところどころ昔の面影を感じる。

「箸、進んでないね?」

 前の座席からするはずのない声。その席の主は今日は学食でラーメンを食べているはずだ。

「いつも眺めてるけど、眺めるだけでいいのかい? アイツ良い奴だから横から攫われちゃうぜ?」

 聞き捨てならないセリフだ。前に顔を向けると大吾がいた。

「なんのようですか?」

「ちょっとした確認かな。自意識過剰かもしれないけどジロジロ眺められていい気はしないからね、僕と彼のどっちを眺めてるのかってとこ」

「もうわかってるんでしょう?」

「ああ、アイツに春がくるのはいいことだと思うよ」

 白々しい上に見当違いだ。私はあの人の恋人になりたいわけじゃない。

 けれど、話すきっかけというか、距離を縮めるにはいいかもしれない。

 

 ##

 結局、大吾のバカはスポーツ特待で今の学校に受かった。俺の努力はなんだったんだか……。人に教えると効率が良くなるようで俺は予定より早く特待が狙える学力を手に入れた。中学からは二人揃ってイカれた家庭から脱出なわけだ。

 勉強に集中して家事をやめた頃の食費等を鑑みて、寮に入ってから自炊を再開した。大失敗だった。

「出て行け」

「え!? まだどんぶり二杯しか食べてないよ!?」

 まず、この部屋で朝飯食うのが当たり前と思うんじゃねえ。最大限の皮肉を込め、コイツの主菜は焼鮭だ。

「うん、塩味美味しい」

 俺が焼き魚を嫌う理由を知らないコイツには嫌味にもならなかった。

「こんなに美味しいのにどうして異端はわざわざ目玉焼き?」

「食いながらしゃべるな、この無神経」

 口の中のものを飲み込んだようでまた何か喋ろうとするので先に一言言ってやる。

「朝練いいのか?」

 一瞬時計を見てから、

「どわあああ!!」

 毎朝毎朝なんでこんなに叫べるかね。

 朝早くに登校するのは俺も同じだ。朝っぱらから教室の掃除したりすると内申にいい。

 進学してからのほうが体力的にきつい生活を送っているが、気だるさをあまり感じない。昔は一日に何度もシャワーを浴びたくなったが、今は一日一度の入浴で済ませている。生活圏内に嫌な臭いが漂わないのも助かる。

 進学してから良い事づくめだ。潔癖症呼ばわりされることもなくなった。フードを被らなくても気にならなくなった。そもそも制服なのでフードなんか被れない。

 中等部は平和に過ぎた。

 体育祭は散々だった。五段階評価で二の俺をリレーに出すって勝つ気ないんだろうか? 高等部に上がってからも体育祭はあるんだよな……畜生。

 文化祭は思い出したくない。ヘンゼルとグレーテルの魔女をやらされた。

 よくよく考えればだいぶ学生というか青春を満喫してるような気がする。

 高等部からは大学受験に向けて本腰入れるか。

 

 ##

 六月になった。雨よりも空気のジメジメが気に障る季節。あの日もジメジメした空気の中血の匂いに包まれていたな。

 最近異端が放課後の掃除の班分けに関わらず掃除をするようになった。教室の汚れが気に障るみたい。弁当箱も食べ終わったらすぐに洗うようになった。歯軋りが増えた。爪切りを持ち歩くようになった。掃除の時使い捨てのゴム手袋を使うようになった。

 そして何より目つきがあの頃に近くなった。大吾は異端を心配しているけれどお門違いだ。異端はああいう表情の方がいい。

 手紙を下駄箱に入れておいた。教室でも少し騒ぎになってしまった。付き纏われるのを面倒に思って必ず断りに来るはず。待ち合わせは放課後に学食の裏。

 ほら、来た……。

「チッ、気持ちわりぃ……」

 私の顔を見るなり小声でそういった。不快感と不機嫌を隠そうともしない。その圧倒的な悪意にゾクゾクする。

「何の用だ?」

「エレナ・アグリィーといいます。あなたが欲しいんです、付き合ってくだ――」

「断る。そういうのに興味はない」

 そう言うと思った。中学の時一度そうやって断ってるのも知ってる。

「はっきりと断ったからな」

 口元に手をやりながら確認するようにそう言った。一刻も早くここから立ち去りたいんだろう。相変わらず臆病で儚い人だ。

 返事を待たずに立ち去ってしまう。何もかも予定通り。その背中にスタンガンを押し当てた。

 

 ##

 高等部に入ってからどうにも調子が悪い。

 自意識過剰かとは思ったが視線を感じる。舐めるような不快な視線。冷や汗が滲みシャワーが恋しくなる。その視線が誰なのかわからない。どこからなのかもわからない。

 あいつには相談できない。あいつは羨ましいなどと笑うだろうから。不快で不安で、イライラする。

「異端、掃除ばかりしていていいのかい、寮の部屋に戻って勉強しないと」

「ああ、そうだな……」

 気がつくと床の小さな汚れを雑巾で拭いていた。わざわざ床用と窓用と台拭きまで掃除用具箱に分けられている。中等部の頃は布は布として共用していたはずだ。何かがおかしい。

 ついでに部活を終えた大吾が寮に向かわず教室にいることもおかしい。

 夜、魘されて目が覚める。家族の夢じゃない。夢に出ればあれも悪夢だな。内容はよくわからない。具体的にできない、文章化できない。目が覚めたらまず台所に向かう。吐く。

「異端、それ醤油だよ」

「げ……」

 俺は目玉焼きにはソース派だ。何故なら醤油は食パンにあわない。ソースを少しかけて食パンに乗せて食う。

 ぼんやりしている間に醤油は皿に注がれる。醤油差しの中身が半分になってしまった。

 大吾に指摘された時には手遅れだった。苦虫を噛み潰すような心地で朝食を終える。大吾の朝練がないため、俺自身出る時間を読み違えた。少し遅い、朝の掃除をする時間はないだろう。

 梅雨の季節だ。カビが増え、洗濯物は乾かず、憂鬱極まりない季節。ジューン・ブライドに憧れる少女漫画に毒された連中はさっさと家事をする立場になってこの季節を噛み締めて欲しいものだ。

 下駄箱に手紙が入っている。古風で奇特な奴だ。ハートのシールで封がされている。今すぐ破り捨てたい。内容は簡素で放課後学食裏でとのみある。真っ黄色の便箋にボールペンで書かれた特徴の無い字。用はなんだよ。内容は確認した、捨てよう。ゴミ箱に入れる直前後ろから頭を叩かれた。

「何考えてんの」

 大吾だった。

「内容は確認したし、こんな恥ずかしい色の紙、メモにも使えない」

「人の気持ちがこもってるんだよ?」

「おそらく気持ちは待ち合わせ場所で判明する」

 手紙を見せてやる。微妙な表情だ。これは確かにコメントしづらいだろう。

「今度こそ異端に春がくるのかな」

「春ならお前の頭で年中間に合ってる」

「ナチュラルにひどくないか?」

「お前にタカられてるメシ代はもっとひどい」

 軽口を叩き合いながら教室へ向かう。教室に一歩入った瞬間からあの視線を感じる。

 教室には既にだいぶ集まっており、今日は遅かったな、と声をかけられる。適当に応対しながら席につく。視線に苛立ちながら時間がすぎるのを待つ。

「異端、君はすごく良い奴だと思う」

 俺の顔を覗き込みながら妙に真剣な顔で言う。

「唐突にどうした」

「家事や料理が上手なのはきっと気遣いができるからだと思うし、勉強を教えるのもうまいのを僕は知ってる。いつも教室を清潔に保ってくれるし、成績のために努力だってしてる」

「腐ったものを食わせた覚えはないぞ、拾い食いでもしたか?」

 真面目に心配だ、どうしたコイツ。

「だからさ、もっと笑えよ。君のような奴が悪い人生送るはずないし、世間ってそういうものだと僕は思いたい」

「あ、おう……」

 どうにも対応に困る。教室の端の方で女子が二人卒倒したがあの二人はいつものことなので誰も気にしない。なら俺が気にする。

「おい、保健委員。あの二人どうにかしとけよ」

 よし、話題逸れたな。

「だからそのラブレターの主はきっと幸せだろうなぁ。こんな理想的な主夫そういないぜ?」

 コイツは教室のど真ん中で何を言い出す。

「前々から思ってたが実はお前俺で遊んでるだろ」

 教室中が騒ぎになり質問攻めに合う寸前でホームルーム。

 助かった。質問されても答えられる事が何もない。手紙がシンプルすぎるうえラブレターと確定したわけでもない。

 放課後になると俺は教室を追い出された。待ち合わせ場所には元から行く気だからまず掃除をさせろ。おい、掃除させろ。

 待ち合わせ場所には金髪ロングの女がいた。同じクラスの奴だ。一言も話したことがなく、コイツと接点はない。名前だって覚えてない。教室以外で見かけた覚えもない。

 だが、目を見た瞬間、口を吐いて出た。

「チッ、気持ちわりぃ……」

 理解した。コイツだ。この視線だ。吐き気がして、魘されて、潔癖症まで再発しかけたのは全部コイツのせいだ。

 今すぐにでも背を向けて逃げ出したい。

「何の用だ?」

「エレナ・アグリィーといいます。あなたが欲しいんです、付き合ってくだ――」

 即答。コイツだけはゴメンだ。

「断る。そういうのに興味はない」

 吐き気すら感じる。口元を押さえる。まだ食道で止まってる。

「はっきりと断ったからな」

 一刻も早くここから離れよう。しっかりと告げ、返事も待たず背を向けた。

 突然、衝撃が全身を襲った。

 

 ##

 あの人はまだ目を覚まさない。覚ました所で何もできないけど。

 縄跳びが二本あれば人はベッドに括れる。まず手は一つに縛ってから柱に固定する。脚は開かせてそれぞれの柱に固定する。膝を曲げる余裕は与えない。肘を曲げる余裕も与えない。当然服は全部脱がせる。

 準備は終わったのだから起きてもらおう。この人が嫌う物はわかっている。

 とりあえずまずへそを舐めた。

「う……あぁ!?」

 目が覚めた。この人は体液が嫌い。肉体的な拷問は使えない。健康で五体満足でなきゃ人殺しなんてできない。

 おへそはなかなか美味しかった。次は……顔。

「何の真似だ?」

「怒る?」

「怒らない奴がいると思うか?」

「まだたりない」

 もっと理不尽にもっと汚く……。ストレスを。

 

 ##

 あれから何日だろう? この部屋には時計もないし奴は学校以外でもこの部屋を長時間空ける。顔中が汚い、シャワーを浴びたい。シシャモ、ユッケ、キス、タラ……焼き魚ばかり食わされる。ギャグ漫画じみた責めだが本当にきつい。

 目的も終わりも見えない。何しろ何も言わない。色々なことをして俺の表情を見てはただまだ足りないまだ足りないそう呟く。ここまでイカレた真似をして何が足りないのか。

 憎い……あの女が憎い。体中を舐められ、カエルに体を這いずられ、バケツ一杯のゴキブリをぶちまけられる。

 吐き気がこみ上げる。吐く訳にはいかない。仰向けのまま吐けば窒息する。

 汚物は口から出るものも下から出るものも垂れ流しを強要される。唾液を拭き取りたい。風呂に入りたい。何よりこの部屋は埃っぽくて汚い。臭い、臭い、臭い。

 叫ぼうが喚こうが状況は変わらない。

 

 ##

 実は縄跳びには小さな切れ目を入れてある。ご飯には薬を盛ってある。感覚を鋭敏化させる薬。不快感は増すし、逆に何もない時間は鋭敏な感覚が時間を引き伸ばす。

 性的なことが嫌いなのも知ってた。異端の指の上に跨った。

 キモチヨカッタ。

 一応下半身も口に含んだけど何も変わらない。不能だったみたい。肉体や健康状態はまだ問題ないし、体質やホルモンバランスも問題ない。原因はトラウマ。

 舐めてるだけでこの人の不快指数の上昇には役立つから定期的に継続。出来れば童貞も奪っておきたかった。

 まだかな……まだ足りないのかな?

 私はその時を請い願う。後もう少し、後もう少しであの人が帰ってくる。あの時の異端が帰ってくるんだ。

 その顰めた顔が狂気に満ちた笑顔に変わる時が待ち遠しい。何もない時間。待ち遠しい時間とはなんと長いのだろう。あの人もきっとこんな気分なんだろう。私よりももっともっと待ち遠しいのだろう。

 唾液と愛液と汚物に塗れたこの人を腕が痺れるほど抱きしめる。

 

 ##

 藻掻く、足掻く。最近物事を言語で考えていない。深く物事を考えられない。

 逃げなければならない。逃げなければならない。

 汚い、臭い、憎い、汚い、臭い、憎い。

 ぶちり。

 手が、動いた。

「ァハ? ヒヒッ!」

 足も、動く。ベッドの上に立つ。見えなかった床が見える。様々な鈍器が置かれていた。金槌や金属バット木製バット、レンガもある。

 ドアが開く。奴が俺を見た。

「おかえりなさい」

 意識が爆発した。

 足元にあったものをとりあえず握り、振り下ろす。

「「あああああああああ」」

 叫ぶ、号ぶ、泣く、哭く、笑う、嗤う、歌う、詠う、踊る、躍る、壊す、毀す……。

 体が遅い。音が遅い。何もかもが遅い。

 腕が痺れる。腕が止まらない。心臓が手首にあるんじゃないかと思うぐらい脈を打つ。いや心臓があるのは頭だ。こんなにも鼓動を感じる。血が雪崩れ込んでくるのを感じる。

 逃げなければ、それに思い当たるまで時間が必要だった。

 疲労で動けず息を切らせながら、倒れこんだ体を無理やり引きずるように動いた。ドアノブに手をかけるために立たなければならない。

 外は雨が降っていた。

 ありとあらゆる汚物が流されてゆく。だが、雨ごときで足りるはずがない。

 シャワーを浴びたい。体を洗いたい。いっそ皮膚を張り替えてしまいたい。

 ここはどこだろう。学園の寮だ。俺の部屋はどこだ……。

 部屋に辿り着いた。シャワーのバルブを回す。体を洗う気力はない。眠い……。

 

 ##

 痛い、殴られたすべての場所が心臓のように脈を打つ。今私は全身が脈打っている。全身が一つの心臓なのか全身に心臓が増えたのか。

 ただ言えるのは、幸せだったこと。そして失敗したこと。

 あの人にはどれほどの時に感じられただろう。日にちの感覚など擦り切れてしまっただろう。

 けれど、たったの五日じゃあ足りなかった。切れ目も、もう少し小さめにして縄が解けるのを遅くするべきだった。薬ももっと多く盛るべきだった。

 私はまだ生きている。とりあえず顔に包帯巻いて病院行こう。階段から落ちたって言えばいいや。

 

 ##

 目が覚める。体は動く。体を洗う。

 ちゃぶ台の上に畳まれた制服と鞄があった。デジタルの目覚まし時計が日曜日を告げていた。

 あれから六日経っていた。あれほどの時間が過ぎたのにたったそれだけ。風呂場でシャワーをどれだけ出しっぱなしだったか覚えていない。おそらく五日程度あの部屋にいた。

 月曜日に学校へ行くと包帯を巻いた女が俺の席に座っていた。今から掃除するはずの床へゲロをぶちまけた。

 意識が遠のく中で、やはり俺は殺さずにすんだことに安堵した。

 




 この小説汚い。自分でもそう思う。
 監禁中はだいぶキング・クリムゾンしました。でないとこの話十八禁になっちゃうんで。大学生の新入生歓迎冊子だから十八歳以上しか読まないらしいけど部の方針だから仕方ないね。


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浴衣美人と花見をする話

理想のシチュは何ですか?


 

 夜中に腹を空かせた時のコンビニの存在はありがたいものだ。いい時代だ。

 腹が減ったからコンビニへ向かったはずなのにいざ店に入ると目移りするもので、気付けば籠にビール数本とチーズ鱈を入れたまま立ち読みをしている自分に呆れる。せめて夜食も入れておこう。カップ焼きそばでいいか。

 立ち読みでだいぶ時間を使ったのか、午前二時の道では街灯に照らされる吐息が白い。熱くなったり涼しくなったり嵐が来たりとろくでもない季節が終わるとあっという間に冷え込む。けれども世間は未だに秋を主張し、雪やクリスマスがCMに出るのはもう少し先だ。

 途中で公園を通り過ぎる。子供の頃御近所で花見をしたこの公園も遊ぶ子供がいなくなって寂しい場所になった。桜の木も花を付けなくなったので花見ももうやらない。枯れかけているのではなく枯れている。朽ちるのを待つだけで、虫も寄らない木。吸い上げる命は欠片もない。そんな枯れ木だ。子供の頃にはあれだけ大きな樹に見えたのに、枝が落ち幹も削れたそれは、自分の身よりは大きいがそれだけだった。

 枯れ木の横を通り過ぎるとき、何かが視界にちらついた。

 ひらひらくるくると、回りながら落ちる花弁。

 それは、壮観な光景だった。枝も幹もぼろぼろで朽ちるのを待つだけの枯れ木に付く、黒い花。夜の暗さで黒く見えるわけではない、街頭に照らされたそれは間違いなく黒い。

 風に巻き上げられるように黒い花びらが舞う。

「あたたかいですね、この寒さにはありがたいです」

 不意に、後ろから手を掴まれた。

 瞬間、壮観で不可思議だった光景が悍ましいものに見えた。

 色も形も何一つ変わっていないのに、何故こんなにも恐ろしいのだろう。

 決まっている、後ろだ。後ろの声だ。

「満開ですよね。咲くときはいつもこうです、八分咲きも九分咲きもありません。私の自慢です」

 とても穏やかで親しみを感じる声なのに、怖くて仕方がない。

 何故コイツは、この光景を自慢する。

 この光景が自分の物であるかのような、自慢話。

 手を引かれ、向き直る。後ろにいたのは女だった。

 腰より下の後ろ髪。色は黒い。瞑目したままの顔。季節外れの水色の浴衣。

 立ち姿は美しいが、その全てが違和感に満ちている。

 ただただ、悍ましい。

「指のような小枝が折れ落ちて、腕のような大枝ばかりが残ってますよね」

 女はまだこの木の話を語りたりないようで、にこやかに口を開く。

「太く尖って、落ちてきたら恐ろしいですね」

 そんな現実的な危険より、目の前にいる幻想が怖い。

「とても恐ろしいんです、とても痛いんです」

 突然女が吐いた。血の匂いが撒き散らされるが、その黒くて粘性のある液体が血であるはずがない。腹にもいつの間にか向こう側が見通せるような穴がぽっかりと開いていた。

「肥料あげ……たり、樹に効……く薬を買ってきた……り、頑張ってた……んですけ……どね」

 閉じられていた目を見開き、黒を吐き出しながらも全く笑顔を崩さないまま、恍惚とした目で語り続ける。

「見てください、この綺麗な華」

 目からも黒が垂れ流され始める。

 むせ返るような血の香りが花の匂いをかき消してゆく。

 握られたままの手が痛くなってきた。節くれだった枝で手指を挟まれているように痛い。

 腕を強く引かれ、体制を崩される。そのまま強く抱締められた。

 この女の体中から血の匂いがする。

「ねえ、私の桜、自慢なんです。綺麗でしょう?」

 耳元で水音の混じった声で囁かれる。

 ごぽりどぷりと重い水音は絶えない。

 抱き締める力が強くなる。骨が軋み、肉が圧される。

 痛い。とても痛い。

 ばきりと音がした。骨の音じゃない。上だ。上からした。

「でも、もっと綺麗になって欲しいんです」

 痛みに喘ぎながら、上を見る。

 太い枯れ枝の先が、剣の切っ先のようにこちらを向いていた。

 もう一度ばきりと音がして、右眼に激痛を感じて、すぐに左目も見えなくなった。

 痛みも血の匂いも恐怖ももうなかった。




 命が命を貪るさまは美しい。小学生の頃枯れかけた樹の下に生い茂る雑草を見てそう思った。
 命が上から下へ流れているように見えて、写生大会では毎年それを描いた。生まれながらに絵が致命的に下手だった私は毎度毎度それが何を描いたものかは理解してもらえませんでした。
 冬虫夏草がセミの長い幼虫時代を台無しにする、コマユバチが青虫を食い破り青虫が蛹になるために使われるはずの糸を横取りして蛹になる、ネコ科の大型肉食獣の獲物に向かって疾駆する筋肉と骨格の躍動、喉笛を噛み裂かれたシマウマの虚ろな目、動物番組で見たシャチに襲われたペンギンの皮だけで水中を漂う残骸。
 この青い星に蠢く有象無象のなんと美しいことか。決してそれは輝いてなんかいませんし仲良しこよしでもありません。
 けれど、美しいではありませんか。
 逆に、命のない物が命を貪るさまは喩えようもなく悍ましい。
 ゾンビ映画、機械の反乱を描いたSFでの犠牲者達、幽霊に祟られる者の怯える顔。
 命が生きるためでなく私利私欲が命を貪るさまは喩えようもなく汚らわしい。
 テロ、汚職から生まれた悲惨な事故、殺人事件、スナッフムービー。
 けれど私は、美しさからも、悍ましさからも、汚らしさからも、目が離せない節操のない人間なのです。
 枯れ木もまた、命のないものです。けれども書いていて愉しかったです。


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邪気眼と副音声

超能力とそれを管理する秘密結社という設定で一つ書けといわれた冊子での原稿。

その冊子に出された全ての原稿は世界設定を同一としていてお互いの作品のキャラを使うこともありとされましたが私はやらなかった。
そこまで器用じゃないからです。


「フッ……朝だ……今日も俺の存在を太陽が祝福する……輝け鏡よ、太陽こそ俺が鏡とするにふさわしい……フフ、フハハ、ハーハッハッハッハ――キャー!!」

 今日も俺の朝は、厨二病を発症した残念な姉貴を目覚ましに、正しい目覚ましを叩き付けることから始まる。姉貴は今日も無駄に頑丈だ。これで後頭部命中は……何回目だっけ?

 まあいい、朝の日課その二へ移ろう。

「まず、一人称が〈俺〉の女なんか創作上ですらもうそろそろ絶滅する。私と言えなんて言わないからせめてボクと言ってくれ」

 俺にはボクっ娘趣味はないのでこの条件もかなり不本意だ。

 先ほど投げつけた目覚まし時計が示す時刻はまだ余裕がある。まずは素っ裸のくせにカーテンあけて高笑いしていたという事実に説教だ。厨二病だけでなく露出癖まであるとはもう情けない。

「露出? 何を血迷っている、鏡の前で全裸なのは当たり前だ。そうでなくては隅々まで己を確認できないではないか」

 血迷っているのはお前だ、太陽眺めて自己が確認できるわけがない。待っているのは目に青い残像が残るアレだ。

「いろいろと文句はあるけど今朝のところはもういい。俺は朝飯を用意してくる」

「お前はいつも風の如く忙しないな。俺の様に堂々とした態度で、おい姉の話を聞け」

 話をする前に服を着ろ。

 バカをほったらかして台所へ向かう。昨夜のうちに炊いておいた米があるから今日は楽だ。とっとと目玉焼き焼いて、大根おろして、三枚の皿にそれぞれ盛り付ける。目玉焼きを吐き出して空になったフライパンをおたまで全力でぶっ叩く。

 このガァン!! という音ともに、麻葉家の朝食は始まる……といいなぁ。

 毎度のことながら姉貴も親父も出てこない。不登校の姉貴はともかく遅刻したいのか親父は? いやいや、不登校は免罪符にならない。

 姉貴の部屋を見れば、ジャックナイフを研ぐ銃刀法違反者がいた。姉貴だった。部屋から蹴り出し食卓へ向かうよう命じる。

 親父の部屋を見れば、イヤホンしてラジオ体操する中年がいた。親父だった。

 ご丁寧にもこの動きは第二だ。これもまた姉貴と同じ対応ですませる。

「「「いただきます」」」

 一家団欒なんてうちにはない。まあ俺のせいなんだけど。

 今日も無言のまま朝食を終え、無言のままの親父から昼食代を受け取る。

 これでやっと寝間着から制服に着替えたり洗顔したりと、本来なら朝起きてまずするべきである当たり前の朝の用意をすることができる。順序が逆なのは姉貴のせいだ。あの目覚まし時計は一度として俺を起こしたことはない。常にあれの高笑いが俺の朝だ。

 でも仕方ないのだろう、親父が口数少なくなったのも、姉貴が厨二病発症して不登校なのも、俺のせいだからな。

 

##

 

 はっきり言って、俺は姉貴の不登校にあまり偉そうなことは言えないし言ってない。なにしろ学校に到着してまず訪れるのは屋上だ。鞄を枕にそのまま遅い二度寝。

 目を覚ますとそろそろ三限目だ。流石に教室に向かおう。

 教室に入ったところで誰一人俺に話しかけないし俺をいないものとして扱う。 

 違うな、こいつらにとって事実俺はいないのだろう。誰一人として俺に意識を向けていない。向けていないふりをしてるんじゃなく向けてない。

 授業中に教室に入ってくれば異物としてギョッとはされるだろうが長続きはしないだろう。休み時間ならなおのこと。

 けれど、うるさい。うるさい。うるさい。うるさい……。

「でさーアイツチョー受ける」

『私今流行最先端!! ふー!!!』

「まじでー今度テレビ見てみるわ」

『もう知ってんだよ情報おせーなー。こんなのと付き合ってるアタシちょーやさしい』

「…………ぶつぶつぶつぶつ」

『火薬…萌、電車とかよさげかな……』

「アイツついに北高にケンカ売ったらしいぜ」

『どうせボコられるくせに何やってんだか』

「シャーねーんじゃね? 最近北高ちょーしのってたし」

『お前はどっちの味方だよこの金魚の糞が』

ああ、今日も副音声は快調だ。リアルの声に覆いかぶさるように本音が聞こえる。いわば声を出してる相手限定のテレパス。そんな、いらないものが俺にはあった。

 

##

 

 昔はもうちょっとマシだった。

具体的にはP2機関とやらが現れるまではマシだった。

 いや、マシというよりその頃俺達には何も起こっていなかった。

 誰にだってあるだろ? 視線のズレ、声のうわずり、表情の変化。なんでか知らないが、俺には嘘が読めた。いや、聞こえた。

 でも誰だってあるだろ? 相手が嘘を吐いてるかどうか判断する力なんてさ、でなきゃ駆け引きなんてこの世に存在しない。問題は、俺のソレが正答率百パーだったってことだ。

 サンタは居「ない」、閻魔も居「ない」、コウノトリは赤子を連れて来「ない」。ここまでならただ幻想を信じないひねたガキだ。が、隣のおっさんは妻に誠実なんてことは「ない」、交番のおじさんは違反切符の判断基準に賄賂を使わないなんてことは「ない」。この世は「ない」で満ちていた。 

 同じころ姉貴は長靴をはいた猫を読み、非常に腹が立ったそうだ。嘘吐きは嫌いだ、とよく言っていた。今も昔も姉貴には「ない」がなかったように思う。

 

##

 

 学校からの帰り道、朝の冷蔵庫の中身を思い出し今日はスーパーに寄って帰ることにする。おお、キャベツと鶏肉が安い。助かる助かる。

 ん? 何やらカラフルな広告が目に入る。壁に貼ってある広告にはここの入り口付近でヒーローショーがあると書いてあった。しかもそろそろ始まってしまう。さっさと退却して晩飯の用意をしたいのだがレジが混んでいる。そして何よりおばさん方の今日もお綺麗ですわ等の美辞麗句と、それに伴うド汚い本音の副音声が鼓膜と神経をガリガリと削ってゆく。

 ああ、うるさい。嘘吐きや、お世辞が悪いとは言わない。それで世界は回っている。おかしいのは俺のほうで、落伍者は俺のほうだ。

 P2機関とやらは俺を人類の進化の可能性の一つだとか抜かした。だとすれば人類は社会性の生物でありながら社会性を捨て自滅しようとしてるんじゃないだろうか? 

 やっとこさレジを終え、スーパーを出た時には遅かった。

 すでに赤タイツにヘルメットのヒーローが黒タイツの戦闘員を殴るふりをしていた。これぐらいならどこのヒーローショーでも見られる光景だ。ただ、俺が懸念してるのはそこじゃない。

「手ぬるいぞ!! ラスレッド!! グラトニーイエローとプライドブルーはどうした!! 悪を!! 偽善者を許すな!! 貴様達はヒーローだろう!!」

 ナレーターよりもうるさい。あの女は不登校ではあるが、正確にはひきこもりではなかった。はた迷惑な話だ。しかしいやな名前のヒーローだな、全部で七人いそうだ。そしてどう考えても悪役側につけられる名前だ。

「そうだ! ストレートだ! キックだ! そして金的を叩き込めえー!! うぼぉあ!」

 卵が一つもったいないが仕方ない。顔面に命中、目標の沈黙を確認。

 服で顔を拭くために裾をたくし上げる姉貴は南半球丸出しだ。あのバカノーブラじゃねえか!!

 次の戯言を吐き始める前に姉貴を捕獲。そのまま連行。一歩遅ければ汚れた服を捨て、上半身裸でヒーローの応援を再開するとこだった。あぶないあぶない。

 さぁ、説教の時間だ。

 

##

 

 姉貴に関して特徴的と言えば日曜朝の行動だ。七時二十五分に叩き起こしてくる。そしてテレビの前で正座だ。そのまま三人だったり五人とプラスワンだったりする某色付きタイツとヘルメットのヒーロー達やバッタの改造人間から連なる某バイクのりのヒーローみて、なぜかそのあとに続く女児向けものが始まる前にテレビを切る。うん……今も昔も姉貴はヒーロー大好きだったな。

 そして、鈍いのか鋭いのか判断に苦しむが、俺が大人たちに疎まれていることを察し(原因は分からなかったようだ)、ヒーローになって俺を守るとか何とか言ってたっけ? ばかばかしい話だ。

 

##

 

 晩飯は鶏肉のみそ炒め。賞味期限の怪しい味噌を一気に使い切るため副菜も味噌尽くし。姉貴も親父も何の疑問もなく箸を進めている。あー穏やかな食卓。幸せだなー。幸せってなんだっけ? 

 ああそうだ。こういう日常を、あって当たり前のものに感謝すらしないでいられることを幸せというのだろう。

 姉貴はちょっと機嫌が悪いようで行儀悪くコメをかっ込んでいる。ヒーローショーで必殺技が見れなかったのが気に食わんらしい。

 ああ、面倒くさい女だ。というか趣味が幼児すぎる。これで厨二病の中学三年生だぜ? 信じらんねー。他人だったらいい歳こいてみっともないで済むけど身内だぜ、身内。

 仕方ない明日のデザートの予定だったが奥の手を出すか。もう固まっている頃だ。

 冷蔵庫から取り出すはマグカップ。それを皿の上で逆さにしてコンとたたいて揺らすと……。

「プ、プリンごときで俺のご機嫌をとる気か? 俺の今宵の怒りを甘く見るな」

『く、卑怯な! だが姉としての威厳を保たなければ!』

 珍しく姉貴から副音声がした。普段姉貴はどんなアホな厨二台詞だろうと本心から言うので副音声がリアルの声とステレオ同調して区別がつかなくなるんだがな。つーか威厳あると思ってたのかこいつ。

 だがまだだ、生クリーム追加。

「うがぁ!!」

『甘味などに屈するものか!!』

 本性出しな。さくらんぼ追加。

「プリャアアアアアア!」

 陥落!! これで後はほっときゃ機嫌よく部屋に戻って、いつも通り夜の儀式とか意味不明なことをして遊ぶだろう。

 部屋に戻って宿題を……出来なかった。

 誰にも番号を教えていない、ポイントカードでしかない携帯が、けたたましく鳴り響いていた。

 

##

 

 原因は俺にあった。言い訳や悪あがきをするならきっかけは俺じゃなかった。

 ある日、そいつは一人で訪ねてきた。喪服じみた真っ黒なスーツ。仮面にしか見えない笑顔。

 そいつはP2機関の石橋と名乗った。一目見てまずこの男が嫌いだ。そう思った。

 そんなのと父が二人きりで話すという。盗み聞きしないわけがない。

 なぜおれはあの時姉貴を止めなかったんだろう。

 悔やむことにも嘆くことにも、たぶん意味はないのだろう。

 石橋の話は一から十まで荒唐無稽で無茶苦茶だった。

 P2機関の役目、目的、超能力の実在、過激派の横暴。

 奴曰く、能力は先天性のものであり生まれつき才能が開花するかどうかは決まっている。大抵は、心身の発達とともに能力は複雑化し、強力なものになる。ごくまれに身体的ショックや精神的なショックなどで一気に開花する者もいるが、もともと能力の因子を持つが能力が全く目覚めていない者に限られ、そういった者を拉致してショックを与える研究すらP2機関の過激派は手を出しているらしい。

 組織内での能力者に対する見解の相違によって幾度となく起こったというクーデター。人類の進化の可能性と語る者、人類の文明を覆す危険なものであると語る者。

 そして、俺と姉貴どちらかが能力者の因子を持つということ。

 荒唐無稽にもほどがある。俺はこの男が間違いなく頭のおかしいズレた奴だと思った。何しろこんな戯言を並べ立ててるくせに一つも嘘が、「ない」がないのだ。本心で言ってるなら相当やばい奴だ。まともに話を聞く必要なんざないはず。

 なのに親父は問うた。

「私の子のどちらが、能力者なんだ?」

 

##

 

 携帯からは聞きたくもない声がした。

「お久しぶりですね、叩いて渡りましょう慎重に、石橋です」

『まずはフレンドリー、まずはフレンドリー』

 副音声にいちいち返事などしていられない。副音声がここまで激しくなった中学入学あたりからリアルの声だけに反応する癖をつけるまでは会話すらまともに出来なかった。

「アンタと直接話したことはないんだし親父に電話かけたほうがよかったんじゃないか?」

「いえいえ、もう中学生なんですし進路について考える時期ですよ?」

『というよりあんな能力者ではない父親に用はない』

「要件は? とうとう俺と姉貴のどっちを拉致るか決定されたのか?」

 まぁ間違いなく俺だろう。

「拉致だなんて人聞きの悪い。説得ですよ、説得」

 副音声がリアルと同調した。本心らしい。

「説得? 正気か?」

「いえね? 過激派にあなたの存在を隠すのが限界になってきましてこのままいくとあなたにとってあまりいい結果になりません」

『奴らに捕まり拉致監禁コースに入ればそのまま一生を地下で終えるとこになるだろう。その上円熟期に入った強力な能力者を味方にするチャンスを失う。彼にとっても我々にとっても痛い損失だ』

 さすがにこれは見過ごせない。いや、聞き過ごせない。

「つまり、能力の弱かったガキの頃の俺はどうなろうと知ったこっちゃなかったわけだ」

「おや? うまく会話が通じていないんでしょうか? 私に対し少し穿った見方をしすぎでは?」

『電話越しにも能力は有効。敵の暗号を傍受した際に解読の必要がなくなるわけだ』

「俺はまだそっちに行くとも言ってないのにもう利用法の模索か?」

 まずい、副音声に会話が引っ張られてゆく。

「経過観察と称しあなたを保護しなかった事を我々は後悔すらしています。その能力のためにつらい思いをしてきたのでは?」

 副音声が来ない。本心で言っている。余計質が悪いな、まるで狂信者のようだ。

 

##

 

 親父の問いに石橋ははぐらかしたようなことを言った

「お答えできません。職務規定に触れれば私は消されてしまいます。何よりあなた、自分の子のどちらかが化け物であると知って、差別しない自信はありますか? 人として……親として」

 親父がテーブルを殴った。

「帰ってくれ」

「そうします。私が受けた上からの命令は経過観察であって保護ではありませんから」

 俺はこの時初めて副音声を聞いた。保護の辺り、間違いなくはっきりと、『拉致』と聞こえた。

 姉貴はP2機関を悪の組織と断じ、それからスプーン曲げの本や黒魔術、悪魔召喚の本を読みふけるようになった。P2機関といずれ戦うために。正直後者二つのジャンルは役に立つとは思えなかったんだがな。

 

##

 

「つらいというよりにがいな」

「はい?」

「辛みというか痛みというか、急激に何かが壊れたり誰かに俺の能力がバレて迫害されたりとかはなかったが……重く……沈み込んでくる。俺の人生を確実に蝕んでゆく。そんな感覚だ」

 俺は何を言っている。よりにもよってなんでこいつにこんな弱音を吐く。違うだろう、こいつは恨み節を叩き付けるべき相手だろうに。

 イライラしてきたので電話を切る。こんな奴にまともな応対などいるものか。

 俺は宿題と家計簿で忙しい。う~む味噌を賞味期限ぎりぎりまで粘ったおかげか、食費がちょい浮いている。来月贅沢しようなどとは決して考えない。貯蓄だ。

 

##

 

 親父は多分わかっていた、化け物がどっちなのか。俺の嘘を聞き分ける特技がどういった意味を持つのか、俺がこれからどういった存在になるのかに気付き、それを案じ俺自身に俺の能力を気付かせまいとしているようだった。

 そんな親父の思いやりとは裏腹に、意識を相手の話に集中して、やっと単語の裏側が聞ける程度から始まった副音声は徐々に化け物じみてきた。

 今じゃ小声で何言ってるかわからない声にも副音声が入る。どれだけの人数の中でもどの副音声が誰なのかはっきりとわかる。それに伴って、人の声に対してだけは聴覚が研ぎ澄まされていった。蚊の羽音にも気付かない癖に、陰口には自分が対象でなくとも誰より早く気付くようになった。

 教室にいながらにして女子トイレの陰口が聞こえたこともあった。

 確か生徒会長が女なんだよな。でもって創作上にしかいないような人気者だったそうだ。まあ廊下ですれ違った時の副音声で知ったが陰口の内容は大体正解だった。

 人って見かけによらねーよな、良くも悪くも。

 

##

 

 深夜を過ぎ宿題も終わっている。どうせ授業になんざでないくせに明日の教科書を鞄に詰め込んだ。

 だが、眠れない。

 副音声がうるさいわけじゃない。ただただイラついて、睡魔を弾き飛ばしてしまう。

 ちょっと運動でもしてぐったりすれば眠れるんじゃないだろうか。

 よし、ジョギングだ。体育なんて中学入ってから一度も出てないしな。ジャージ何処やったっけ? おお、あったあった。ジョギングってなんか健康管理とか意識したパンピーっぽいな。日課にしよう。

 しゅっぱ~つ。

 ……ジョギングしながら俺は酷く自己嫌悪に襲われた。

 なんとなく夜はいいななどと思ってしまったのだ。なんと厨二臭い。いや実年齢中二ですけども。

 だって仕方ないだろ。みんな寝静まって人の声なんて全くしないんだから。人の声がなければ副音声だってしないのだという事。逆に言えば人の声がわずかでもある限り俺に平穏はない。学校の屋上でもここまで静かになることはなかったように思う。

 町内を一周し、心地よい疲労感とともに帰宅しようとしたが、

「…………」

『ターゲットを確認、確保する』

 かすかな呼吸音に副音声が入った。いやいや、家から出て結構たってますから。え、マジでたった今見つけたの? もしかしてこいつ等案外無能?

 過激派とか穏健派とか縦浜ベイスターズの順位ぐらいどうでもいい。こいつらにだけは捕まりたくねー。

 しかしどうしよう。俺耳以外は完全にパンピーだしな……。

 

##

 

 静かな日々と言えば……たった一度だけ、静かな日々が欲しくて鼓膜をシャーペンで突き刺したことがある。

 それはもう惚れ惚れするくらい静かな静かな世界だった。

 だというのに、姉貴も親父もめちゃくちゃに怒り狂って俺に説教をかました。

 それ以来親父はイヤホンをして、本当に必要な時に筆談をするぐらいにしか俺と意思疎通をしなくなった。俺と姉貴を差別したくないからと、そう紙に書いて姉貴にも筆談をするようになった。当然食事中は箸を持ってるので無言無筆だ。

 姉貴はヒーローへの憧れがどう昂じたのか知らんが副音声がほとんどしなくなり、狂人一歩手前な厨二病を発症してしまった。

 後にも先にも姉貴が俺に説教する側に回ったのはそれだけだ。

 ただ、鼓膜が本調子でなかった俺はその説教の内容を知らない。

 

##

 

 俺の副音声はいろんな超能力関係のくだらないSFの本によるとかなり高性能なようだ。呼吸音の位置が理屈とかじゃなく感覚でわかる。正確なメートル表記で表すことはできないが自分の周りが巨大な虫かごなら奴がその虫かごのどのあたりにいるかが自分が虫かごの外にいるようにはっきりとわかる。当然逃げるのも余裕……とはいかない、体力の問題がある。

 それに無線を使う声。暗号で話す声。更に別の呼吸音。虫かごの中にどんどんと点が増える。元々そこにいたのに気付けなかった妖精か害虫のようだ。

 囲まれてるな……抜けれそうな方向へ動けば動くほど家から遠ざかってゆく。

 公衆電話を発見、ひとまず自宅にすぐ逃げるように電話を……繋がらない。誰も出ないとかじゃなく繋がらない。電話機を壊された? 家にもすでに手が回ってる? 浮浪者確定? いや結構前から世捨て人する以上自分の将来の姿として諦めてたけど、せめて自分が行方不明になるのは中卒からって思ってたんだが。

 それどころか憧れの世捨て人ライフのためにはこいつらから逃げ切らなければならない。ははっ笑えるなこれ。浮浪者にすらなれねーのかよ。折角ジョギングして心地よい疲労が体に溜まったっていうのにまたイラついてきた。叩き付けるように受話器を置き、ドアを開けた瞬間電話が鳴った。ここ公衆電話ですけど……。ま、奴だろうな。

「清く正しい穏健派、石橋でーす」

「お前状況わかってるか?」

 やはり奴だった。なんかテンションがおかしい。

「そりゃーもう、あなたも私も風前の灯ですね。あなたの勧誘に失敗すると責任の取らされ方がやばいんで」

『状況わかってないのはお前だ。なぜ狙われてると知ってジョギングに行く』

「やっぱお前穏健派じゃないだろ?」

「まっさかー。今この町に潜入してるP2機関で銃持ってないの私ぐらいですよ?」

 つまり唯一の味方は認めたくないがこいつのみでしかもこいつは戦力にならないわけだ。終わったな、俺。

「で、策はあるのか?」

「少なくとももうあなたに選択肢はない訳ですし、既にあなたが行方不明になっても怪しまれないような筋書きはあります。というか既に私の上司がやらかしちゃいました」

『こいつを死んだことにして隠す、手段はいつも通りだ』

 いつも通り? 何か嫌な予感がするが何をしたんだ?

「やらかした?」

「あなたの家が放火犯の被害に遭いました、その火事の中であなたは死にます。死体のダミーもしっかりおうちの中に」

 これがいつも通りだと!? どこが穏健派だ、昔思った通りだ。こいつらめちゃくちゃだ。

 電話ボックスを飛び出す。囲まれてる事が頭から抜け落ちる。早く戻らなければ。耳をすませろ、奴らの網目を縫え。

『ターゲットが動いた。何やら混乱している』

 はっはっはっはっはっはっはっは

『相手は危険度の低い受信系統の能力だが油断するな』

 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ

『こちら12番、ターゲットをスカウトしようとする裏切り者と接触、交戦中』

 息が、切れる。

『12番の援護は最寄りの人員2名とする。作戦を続行せよ』

 普段からオートで入ってくる情報の何倍もの情報を聞き流すのではなく聞き取る。利用する。脳が沸騰しそうだ。

 ただただ熱い。暑い。もっとだもっと走れ、もっと聴覚を研ぎ澄ませろ。

 もっと!!

 向こうの方で大きな何かが燃えてるのが分かる。その辺りだけ空が赤い。

「…………!!」

『何考えてるんだ!? あんな火の中に飛び込んだらどうなると思う!?』

かすかな叫び声が聞こえる。

「……!!」

『子供を守れない親がどれほど無念だと思う!?』

 初めて聞く親父の副音声。

「…………!!」

『弟ひとり救えずに英雄なぞ目指せるか!!』

 ああ、あのバカはこんな状況でも相変わらずなんだな。

 もうすこしで二人に心配いらないと言ってやれるんだ。何事もなかったように、冷蔵庫の中身どうしようとか明日の朝飯何が食いたいかとか、そんな他愛もない話ができるんだ。

 だから……

「そこどけ、石橋」

「あのですね、ここであなたが家族に接触して生存がばれたらこっちの気遣い台無しなわけで」

『どうする、仲間は現在交戦中。一対一? 無理だろ。相手は超高度の能力者』

「そこをどけ、石橋」

「一応穏健派名乗ってるので手荒な真似はしたくありません」

『こいつの逃走経路から連中にこいつの能力の規模がバレ始めている。連中は捕獲から処分に計画を切り替えてもおかしくない』

「どけ……はぁ、はぁ……石橋」

「何よりあなたはもう限界のはずです」

『昼間より能力の活性化が激しい、処理能力を限界まで使用しているうえに脳のストッパーがまともに働いていない』

 囲みがもうぐちゃぐちゃなのがわかる。

 聞こえてくる副音声に怒号が増え始める。戦闘は酷くなってきている。

『斬られた!』

『サイレンサー付きだ油断するな!』

『麻酔銃じゃない! 実弾だ!』

 騒ぎの中火事の野次馬が増え始めるのが分かる。もうずいぶんとこのあたりの住民は目を覚ましてしまったようだ。

 副音声が混線する。声の取捨選択ができない。少し耳を広げすぎたのか、聞き逃せない。次から次へと脳に入り込んでくる。

 暑い。ジャージなんか着てられない。脱いで、丸めて投げつける。

「目隠しのつもりですか?」

『無駄なことを』

 空中で広がるジャージに向けて落ちてた小さめの煉瓦を投げた。

「うがぁ!!」

 命中確認。そういや俺、目覚まし時計といい、生卵といい的当ては得意なんだ。

 やっと、家が見えた。叫ぶ。親父がこっちを見て、姉貴が俺に気付く。

 おいおい、姉貴が泣いてるのなんて初めて見た。

 そして、足に、衝撃を感じた。

 撃たれた? 

 すっころびながら振り返ると、俺を撃ったらしい奴が野次馬の中に消えそいつの副音声も途絶える。別の奴に殺られた様だ。

 人ごみの中でなら倒れこんでも介抱するふりをして回収できる。うまいやり方だ。俺もおそらくそうされるだろう。

 

##

 

 まず一言言っとくと俺はこの仕事と立場に納得している。地下室からあまり出ないのは確かだが監禁されてるわけではなく、出入りも自由。

 最近は自分で調理することもなくなり買い食いばかりだ。

 今も仕事場で握り飯を食っている。目の前にいる襤褸雑巾のような女はもう三日ほど泥水しか飲んでない。

 両手の親指を切り落とされた。歯をすべて抜かれ、一本一本丁寧に逆向きに挿し直された。瞼は裏返されたまま額に縫い付けられた。鼻の孔ははさみで切られて一つにされた。膝の皿は割られ二度と立てない状態にされた。貨物用のフックに背中の皮膚を引掛けられた。体重を支えられない足に体重がかかるように、フックにも体重がかかるように、全身に疲労と苦痛をまんべんなく与えられるように、計算された高さに吊り下げられた。

 それでもこの女は今まで何があったんだとか、ずっと心配していただとか、こんなところで何をしているんだとか、どうでもいいことしか言わなかった。副音声も似たり寄ったりだ。

 最近俺の所属するこの組織には新しい派閥ができた。開放派と呼ばれている。

 連中の目的は能力者、P2機関の情報の一般公開とそれによる一般人と能力者とP2機関の三者平等。

 一般公開されれば非人道的なことは行えないだろうという事や、能力者の人権などといった主張。おおよそ秘密組織向けでない人格者の集まりなようだが、バカだろこいつ等。

 化け物がまともに暮らせるわけがないのにな。人権があろうが家族が居ようが学校に通おうが関係ない。もちろん化け物であることが周りにバレてなくても結果は同じだ。化け物は自分が化け物であることに耐えられないんだからな。

 今俺の能力がもっとも有効に生かせるお仕事で襤褸雑巾にされているのは開放派の下っ端なようだ。

 どう見ても馬鹿だ。

 もはやまともに発音することすら怪しい状態だが、言葉なんざ必要ない。声さえあればいい。

「ああ……うう……」

『あの死体が偽物だと知っていた。あの時野次馬の中にお前がいたのを見た。ずっと探していたんだ。』

「おお……うぁ」

『無事で……良かった』

 かろうじて聞き出せた副音声は最初の方のそれだけだ。

 そのあと組織の情報や次の計画についての情報を得るため次の拷問に入るが、こいつは何も知らされてないようだ。捨て駒らしい。開放派が聞いて呆れる。

 今じゃ呼吸音しか口から出さないし、肝心の副音声はうわごとばかり。壊れちまったらしい。

 ま、それも予定通りだ。俺は絞り機だ。ジュースを作るとき、果実の形がどうなるか気にする奴はいない。

 ただ今回は果汁が全く入ってなかったようだ。

 そろそろ次の捕虜の相手に移らなきゃならない。

 注射器で薬品を入れて女を処分し、独房を出る。

 振り返ると、口から泡を吹き、白目を剥きながら女が口を動かした。

 さ、よ、な、ら。

 音が出なれば副音声はしない。だが多分これで正解だと思う。

 事切れたのを確認し次の部屋へ向かうと、そこにはまたも見知った顔。

「よう、お前はこっちの派閥裏切ったって聞いたときにゃあ驚いたもんだが、何か良心の呵責にでもあったか?」

「お久しぶりですね、石橋です。昨夜も女性の叫び声がすごくて眠れませんでしたよ? お楽しみだったんですか?」

「俺はシスコンじゃない」

「またまた~リョナ趣味は組織内じゃ有名なんですから誤魔化さなくていいんですよ? 一つ性癖がバレたら芋づる式に次から次へと」

「黙れ」

 言葉遣いに差がある程度で副音声も全く同じことを言っている。俺が機関に入ってからこいつはずっとそうだ。曰く仲間に建前は使いたくないだとよ。

 くーだらね。

「それに私は女性の叫びとしか言ってませんよ? 他にも拷問吏の方はいらっしゃいますし、女性の捕虜もあの方だけではないでしょう?」

「黙れ」

「黙っていいんですか? あなたの能力は言葉の裏を聞く能力じゃないですか。職務怠慢と言われてしまいますよ? もっとお喋り――ぐはぁっ」

 両肩のあるツボに刺さった針を突くとそれだけで痛みで思考が埋まるのか副音声も含めて静かになる。

「なぁ石橋」

「な……なんで……しょう?」

「この仕事の俺のセリフじゃねえがよ、ここまでやったら立派な過激派だよな?」

「ふふっ」

「なにがおかしい?」

「ご存じないんですか? この世界にヒーローなんていないんですよ?」

「よーく知ってるよ、おかげさまで」

 ヒーローがいたら囚われのヒロインには拷問が始まる前に助けが来て、俺はとっくに退治されてるだろうからな。

 




 今回のお話はまず厨二病の誰かとそれに溜息を吐く、能力者ってのが始まりでした。これなら必死で能力欲しがってる厨二病超みじめじゃね? いいギャグに……なりませんでしたね。非常に鬱い展開になってしまいました。
 ギャグなんてかけるかー!!
 姉貴の気違いっぷりは書いてて非常に楽しかったです。
 話のイメージとしてはすでに壊れている日常をどうにか繋ぎ止めようとする哀れな少年に止めを刺そう!! ですね。
 日常の崩壊系の中でも完成度は低いと自覚してるんですが、それでも後悔の余地もない既に終わってしまっている物語を書いてみたかったんです。
 ノベルゲームで言うと既にバッドエンド確定済みな感じ。
 ここから先は選択肢なんかないぜ!!
 ちなみに、麻葉君の同僚の話では姉貴の拷問中と石橋の拷問中凄くイキイキしてたそうですよ? 復讐に生きるシスコンとかまんま厨二病じゃないか。


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ギャンブルデッド

SFバトル書けなんていうから……


 ある殺人事件の被害者の遺族がこう言った。

「何故、憎い犯人が首吊り如きで死ぬのか」

 ある死刑反対論者がこう言った。

「死刑は判決が下りた時点でその人間の人生が終わり、希望を奪うものである。囚人の人権と人格の尊厳を守るために死刑は廃止すべきなのだ」

 ある殺人事件の被害者の遺族がこう言った。

「何故、奴らの末路をこの目で見れないのか」

 ある死刑反対論者がこう言った。

「公務員たちに精神的な苦痛と殺人を強いる死刑は廃止すべきだ」

 死刑囚に希望を与え、より残虐な死に方をさせ、公務員たちの手を煩わせない方法。

「もとより奴らは世間から外れた悪意のために隔離された存在だ。その悪意をぶつけ合えば惨たらしく死んでくれるだろう」

 誰かがそう言った。

「ただ殺し合わせるだけでは人道に反する」

 誰かがそう言った。これへの反論として試作兵器の実験が挙げられた。結果を言えばより非人道的な殺し合いをさせることになった。

 最初にその制度が施行された時、結局生存者はいなかった。与えられた試作兵器は小型のコイルガン。電磁石によって圧縮した弾丸を磁力で撃つものだった。従来の弾丸よりはるかに重く硬い弾丸は、ホローポイント弾よりもあっさりと肉を抉った。その悪意と殺意は致命傷を負ってなお獲物を狩ることをやめなかった。指先が動くなら引き金は引けるのだ。後には肉を抉られた死刑囚のみが残った。

 次にその制度が施行された時終わるまで長い日数を要した。支給された武器が近接戦闘用だったからだ。

 ただ、遺族たちが望んだ惨たらしい死は実現された。死体の大半はずたずたに引き裂かれ、食料の支給がなかったことがそれに拍車をかけた。

 その制度は死刑囚相互処刑制度と書類には記されている。

 ある時は海の底の廃棄が決定した研究所。ある時は海の僻地の無人島。世界中から死刑囚が集められ、それは行われる。

 生き残った一名はその隔絶された場所を流刑地として生存を許可される。

 しかし、それは建前に過ぎず、過去二十六回執行されたこの制度において生存者が出たのはわずか二回。

 さらにこの制度には時間制限があり、一週間後に生存者が二名以上なら何らかの方法で殲滅される。この殲滅もまた大抵の場合は執行されず、その規約が効力を発したのは過去二十六回中五回。

 残り十九回は相討ちによる全滅に終わった。

 それほどまでにこの制度に参加する者達は類稀なる悪意を持っていた。

 トトカルチョすら横行するそれを人はギャンブルデッドと呼んだ。

 ネット上で公開される殺し合い。ローマのコロシアムよりも惨たらしく、非理性的。

 そのゲームの余りの過酷さとそれを公開することで恐怖を煽り、重犯罪は減った。

 しかし、その恐怖すらものともしない狂気に満ちた者たちが現れる。これにより凶悪な殺人事件やテロが数少ない死刑判決者を占めるようになった。メンバーの凶悪化と少数化によりその傾向は回を重ねるごとに激しくなった。

 海のどこかの無人島で、第二十七回死刑囚相互処刑制度が始まろうとしていた。

 その日その島の上空で爆撃機が飛びまわっていた。今回の参加人数はまたも過去最少数。この制度の運営者はこのままいけば重犯罪の撲滅も夢ではないなどと世迷言を演説した。

 日の出とともに爆撃機の腹が開き、人が降下する。この時点ですでに死刑の執行は始まっている。降下に使われるのは試作兵器の推進器付きのパラシュート。操縦方法などまともに教えるはずもない。パラシュートが開いたところで、島に着陸できなければそのまま溺れ死ぬ。

 島に着陸できた生存者は四十名。この時点で三割が脱落した。

 そして、このうち島に設置されている兵器を手に入れて本戦に進めるのはわずか八名。食料の支給はない。残りの三十二名を奪い合う戦いになるだろう。

 こうして、第二十七回死刑囚相互処刑制度は執行された。

 これから七日間で、三十九人か四十人が死ぬ。

 これは既に決定事項だ。

 

##囚人四十名 

 

 島の北端の海岸でパラシュートに圧し掛かられるようにして浅い息をする男がいた。

 額の右側にはA-087とある。囚人番号だ。彼らは脳の一部に細工を受け自分の名前を知らない。

 海岸の砂場は見開きがよすぎる。開幕直後ですべての執行人が丸腰とはいえここにいることにメリットはない。早々にA-087はそこから立ち去る。

 ただ、そのポケットには拾った石があった。ないよりはましだ。

 森の中をしばらく進むと樹にパラシュートが引っ掻かった運の悪い者がいた。

 救助という選択肢は当然ない。そもそも、パラシュートのワイヤーが首に絡まりその命は長くないだろう。樹に登って男の元に向かう間すらその命は持たないだろうことを見て取って、反撃がないことに安心し木を登る。

 何度も重ねるがこの制度に食料の項目はそもそもない。食料は現地調達だ。

 木の下に横たえられた亡骸の額にはG-900とあった。

 木の枝をへし折り亡骸に突き刺す。ぐりぐりと抉り肉を裂く、引きちぎる。

 わずかな腹筋を口に入れたA-087の感想は、

「血の味しかしない」

 だった。

 

##囚人三十七名死者三名

 

 島の中心より少しばかり北東へ向かったあたり、

「ちくしょう、しょっぱなからハンデ背負っちまった」

 右の肘と手首の間に関節が増えた男がいた。額にはY-541。垂れ下がった腕が揺れるのを恐れて動くことすらしない。樹の幹を背にただ座り込んでいる。

 木々に覆われた影の中で、自分を殺しに来るであろう他の参加者を待つ。

 現れた男は、

「死にたいか? 死にたくないか?」

 あまりにもこの場に合わない言葉を吐いた。殺し合いをするためのこの島で相手の意思を伺う。男の額にはD-784とある。

「アンタバカか? どうせ七日後には全滅だろうが」

Y-541が返した。これだけの言葉を発するだけで疲労困憊なようだ。痛みはたやすく体力を奪う。

「そんなの島の外でも変わらないだろ、七日後だろうと七十年後だろうと人は死ぬ、必ずな。そのうえで、お前は生きたいか?」

 やはりこの男は場違いだ、まるで悟りきったような表情と言葉。

「死にたくない、少なくともまだあがきたい、だが価値はあるのか? 今生きのこる価値は、お前が俺を殺さない価値は」

「いや? 命に価値があるとは思ってないが」

「じゃあなんで助けるんだよ」

「生きたいとあがく人間が大好きで、諦めた人間が嫌いだから」

 言いながら手近な枝を折り、Y-541の服を脱がせて破く。お手本のような骨折の応急処置がテキパキと完了する。

「何者だ?」

 D-784は答えた。

「医者だ、大嫌いな安楽死希望者を望みどおりにした。殺した奴にも救った奴にも感謝された。まるで嬉しくなかったよ」

「安心した、この島に来るに相応しい糞野郎だな」

「当たり前だろ」

 応急処置を終え、二人はその場を後にした。

「これからどうする?」

「適当なところで裏切るよ、ドクター」

 この島に相応しくない、いい笑顔。

「まぁ生き残るのは一人だし」

 見たい動物が見れた動物園の子供のような表情で答えた。

 

##囚人三十六名死者四名

 

 島のどこかに、棺桶のようなものが立っている。黒すぎるほどに黒く、片面は平面、片面は半筒状。それは一ヶ所ではなく、八ヶ所に設置されていた。

 一人の男がそのうちの一つをみつけた。額にはK-326。

 無人島の森の中にあるはずのない未来的なイメージの人工物。

 不気味、奇怪、好奇、様々な感情の入り混じる表情ではあるが今より状況が悪くなることはないと判断したのか、それの半筒状の側に手を触れた。ウォン、と機械の起動音がした。静かな音ではあるが、無骨なエンジン音や爆発音ではない。もっと洗練された未知の何かが動き始める音。

 ばかりと半筒状の側が左右に開き中から金属でできた骨格標本のようなものが現れる。実際の骨格よりも複雑で、難解で、そして何より悪趣味だった。金属は一繋ぎになっておらず薄い金属片で構成されていた。それは一枚一枚が鋭い刃になっていた。

 多くの刃が一本の骨を一塊の骨を表現していた。頭蓋骨に至っては薄く、鋭く、細く針で出来たスケイルメイルのようだった。

 意志を持つかのように目の前の男の肩を掴み、それを後ろに向けた。

 何が起きたのか理解できていない男は一瞬後に正気を取り戻すが既に作業は始まっていた。

 さく、と軽い音からそれは始まった。次に、

「うぐぁ」

 と痛みに呻く声。無数の刃が次から次へと背中と尻と後頭部に突き刺さってゆく。全身の背面を刃が凌辱する。腕も足も例外ではない。人が着ぐるみを着るように、刃の怪物は人間を着こんでゆく。

 空洞でへたっている着ぐるみと違い、それには中身が既に入っているという点だった。

 皮膚の内側、筋肉の内側へとそれは潜り込み、骨格を覆ってゆく。重要な血管を避けながらも皮膚と筋肉には一切の容赦はない。

 凌辱と呼んでもまだ足りないほどの仕打ちを受けた男は吐血は一滴たりともなかった。肺も胃も内臓には一切傷を受けていないからだ。

 それが体内に収納され切った後力なく膝をついたK-326に後ろから無数のワイヤーが襲い掛かった。一瞬で繭の様に梱包され、そのまま刃の怪物を生み出した棺へと飲み込まれていった。

 棺が扉の様に無慈悲に閉じる。その後その棺の平面の片面に

『Inside Armor Model Tyrant Rex』

 と、

『Sleep Mode』

 この二つが交互に点滅表示されていた。

 

##囚人三十五名執行人一名死者四名

 

 島のどこかでまた別の棺があった。

 右腕に骨折の応急処置をされた男がそれの前で呆然としていた。

「な……何が起きた?」

 答える者はいない。

「ドクター!? 大丈夫か? おい、出てこい!」

 ドクターと呼ばれたおそらく唯一この島で名前を持っていた男は棺の中で人型殲滅兵器として待機状態にある。 

 もとより人体に搭載されていなかった体内の部位を音声や指などの予備動作なしに自由に扱えるように脳の運動野を拡張され、代わりに臓器制御野を失う。肺の呼吸も心臓の鼓動ももはや体内に潜り込んだ怪物に供えられた生命維持システムなしにはままならない。

 骨格を包み込んだ刃の装甲は筋肉の代わりに肉体を動かす。元の筋力も肉体のダメージも無視する人知を超えた戦士。

 生体部分と金属部分が組み合わさって初めて一つの生物であり兵器。

 そういう存在がその棺には眠っている。

 途方に暮れる男を尻目にゲームの戦況は進んでゆく。

『Inside Armor Model Forest Hopper』

 そして、

『Sleep Mode』

 の二つの交互点滅表示が、

『Reboot』

 のみの点滅表示に変わった。同時に島中に放送が流れる。

「ただいま、今回の死刑囚相互処刑制度に使用される試作兵器、内部駆動装甲(インサイドアーマー)が全て解放されました。よって、八名の本戦参加者が決定いたしました。兵器所持者の待機状態を解除します」

 観音開きに棺が開いた。兵器となった元人間が問うた。

「諦めるのか」

 Y-541は答えない。しかしその表情に覇気も意思も見られない。

 腕を折ったとしても兵器さえ手に入れば勝機はあったろう。しかし兵器は全て先に奪われ、しかも奪取のしようのない体内にその兵器はある。

「そうか、お前も安楽死組か……」

 D-784の腕から刃が皮膚と筋肉を切り裂いて現れる。痛みはないようだ。筋を切り裂いているというのに指も未だ動いている。

 D-784。否、内部駆動装甲ForestHopperがあっけなくY-541の首を切り落とした。

 

##囚人二十三名執行人八名死者九名

 

 一晩が過ぎた頃だ。

 島の中心部近くは現在最も過酷な戦場だった。兵器所持者はそれぞれ自分の性能を確かめながら死刑囚たちを狩っていた。そしてついに兵器所持者同士が出会ってしまった。

 島のどこかで森の木々が切り倒されてゆく。金属の足が地面を踏み荒し、倒れた樹を蹴り砕く。

「るおおおぉおぉおお!!」

 咆哮を上げるその姿は本来の内部駆動装甲の基本機能である装甲の一部表出とは一線を画すものだった。

 大量の脚部装甲が同時に表出し、金属の足を作り上げていた。膝から下は元が人間の足に収まっていたとは思えない形状をしている。爪先側に三本、踵側に一本の太い怪物じみた爪。

 背中もまた表出した装甲が背びれの様になっている。尻には金属製の長くしなやかな尾。

 前屈姿勢を保ち、尾で周りの木々を切り倒し切り開いた地面を強靭な足が駆け抜ける。

 方向も破壊対象も気まぐれに、目につくものを蹂躙し、前方を征服する。

 それは金属で再現された暴君竜。内部駆動装甲TyrantRex。

 既に五人の囚人を踏み潰したが暴君は満足していない。

「どこだぁ!! 挑戦者ぁ!」

 それどころか暴君はやっとみつけた歯応えのある相手を見失い苛立っていた。

 その相手は木の枝を跳びまわり、どんな角度であろうが垂直に立って見せた。ありとあらゆる角度から斬撃を浴びせてきた。暴君と似た爪付きの足をしていたが、そのイメージは暴君の尾に近かった。しなやかで軽やかに跳ね回る。

 ForestHopperとTyrantRexの戦いは膠着状態に入っていた。

 前屈姿勢を保ち背面に装甲を集中させた暴君が跳躍者の止まり木を次から次へと切り倒す。

 その度に跳躍者は攻撃を仕掛けるが、その背面装甲と姿勢に阻まれ臓器に致命傷を与えることができない。

 しかし、たがいに装甲を表出させた傷口は開いたままで血が垂れ流しだ。

 互いに一刻も早く敵を倒して装甲を収納し、内部駆動装甲の生命維持機能で傷口を修復しなければならない状態にあった。

 その戦いはあっけなく第三者の手によって終わった。突如地面が盛り上がり、金属でできた巨大な爪付きの手が突き出された。それは暴君の腹を抉った。

 地雷の直撃すら足の裏で受け止められたはずの暴君は走行時のバランスをとるため前屈姿勢を保ち背面に装甲を集中させた。反面、腹部の装甲が薄かった。地面からの攻撃は踏んだ時に爆発する地雷のみだと思い込んだ開発者のミスだ。

 試作兵器はこんなミスと犠牲によって改良されてゆく。次に開発される暴君竜にこの奇襲は通用しないだろう。

 しかし、今この土竜の爪は無敵の暴君の腹を抉り、内部駆動装甲の生命維持と脳との同調を担当するメインCPUを破壊しつくした。

 この制度の運営側の誰もが優勝候補とした暴君竜が兵器所持者を一人も倒せずに沈んだ。

 ネットで公開されるこのゲームで賭けをしていた者たちがその大番狂わせに興奮した。

 土竜も興奮していたのか致命的なミスを犯した。地面から出てしまったのだ。

 土竜は地中をスムーズに進むために骨格保護用の内部装甲が充実していた。地面に潜んで奇襲を行うことを主とする戦闘は攻撃を受けることを想定されておらず、暴君の腹よりもその装甲は薄い。武器は地面を掘り奇襲をかける爪のみ。

 そんな状態で森の中で顔を出せば、跳躍者の餌食になるよりほかになかった。

 相手の生命維持機能がどれほどなのか読めない為に、内部駆動装甲装着者同士の戦いは死体を徹底的に破壊することで終わる。

 地面から顔を出したモグラは猛禽の餌食と相場が決まっていた。ただ、跳躍者には翼はない。

「俺も今回は足掻く側なんでね、生まれて初めて自分が好きになれそうだ。好きなだけ恨んでくれ」

 跳躍者は次の獲物を探し始めた。

 

##囚人十五名執行人六名死者十九名

 

 今回使用された兵器はあまりに強力で、所持者とそれ以外の戦力差はあまりにも大きかった。一週間の時間制限はもはや何の意味もなく、二日目の夜にしてほとんどの参加者は絶望していた。A-087もそんな絶望した者の一人だった。木の枝に衣服を引き裂いた紐で石を括り付け棍棒を作ったA-087はただの囚人相手なら無敵だった。

木々の葉だろうと蟲だろうと食えるものは何でも食った。常に食いながら歩いていた。

 隠れ潜みながら歩き回り、男は棺を見つける。男はこれまでにも棺を見つけていたがどちらも開放済みで平面側には、『Dead』

 とのみ表示されていた。その棺が土竜と暴君のものだったことに男は気付いていなかった。

 みつけた三つ目の棺は、

『Charge Mode』

 と記されていた。

内部駆動装甲は機械である。装着者の生体部分の動力は食事によって賄われるが、機械部分はこの棺によってチャージする。

 外気の酸素と水素によって燃料電池発電を行い棺内の充電池に溜め込まれこれを使う。

 さらに棺が破壊されればエネルギーの節約のために内部駆動装甲側がどこにいても関係なく生命維持以外の全ての機能が停止する。

 これほどの兵器の装着者が反逆した際のストッパーとしてもこの棺は重要な意味を持つ。

 男はこのChargeModeの表示からそこまで深くは読めなかったものの、この棺が実は装着者の生命線であることは理解した。

 しかも目の前の棺は無人だ。これに攻撃を加えても島のどこかで狩りにいそしむ装着者に気付かれない。そう思った男はニタリとおぞましい笑みを浮かべながら棍棒を振り下ろす。

 装着者の充電中であるスリープモードでは強固な防御力を誇る棺だが無人のチャージモードではストッパーとしての意味を持たせるため外側からでも簡単に開くことができその内部は脆い。

 ガンガンと棍棒を何度も振り下ろすとギシギシと軋みながら棺が観音開きに開いた。内部の重要そうな器具を狙って棍棒を振り下ろす。

「てめぇ!! ぶち殺してや――」

 棺の危機を察知し戻ってきた装着者。空中を滑空する機能があるらしくその声は上空から聞こえた。

 が、途中で止まったセリフが物語っている。すでにこの装着者は脱落した。

 ドサリと地面に重たいものが落ちる音がする。

その声と音に振り返った男は嬉しそうに楽しそうに狂ったように笑った。

「ははっ、あはははっあははっあははははははは」

 生命維持モードに入った無抵抗の装着者を殺すのは素手で絞め殺すだけでも充分だった。

「勝ったぞ!! 化け物に!! 人間が勝った!! ざまぁみろ! 兵器が! 人間様に、使う側に勝てるわけねぇだろうが!!」

 興奮のままに笑い、肉を引き剝がし喰らう。血の味しかしないとぼやいていた肉を最高級の御馳走のように嬉しそうに、しかし下品に食らう。手で肉を掴むことすらしない。その腹から直接口をつけ肉を喰らう。

「ああ、俺は今生きている!! こうしちゃいられねぇ他の棺を壊しにいかねぇと」

 ゲフリとげっぷを漏らし血みどろになった体を拭きもせずにA-087は立ち去った。

 そして一日が経過するまでにさらに一つ棺の破壊に成功した。

 

##囚人七名執行人四名死者二十九名

 

 A-087が最初の棺を破壊して二日が経過した。装着者が棺の重要性を理解し好き勝手な狩りをやめるようになった。

 装着者は自分の棺の近くに陣取り囚人同士は徒党を組む。

 既に丸一日人数の変化が止まっている。

 最初の棺破壊者として囚人達のリーダーに祭り上げられたA-087とその腰巾着どもは前に破壊した棺の持ち主を発見して肉として消費して以来何も食っていない。

 残り三日の制限時間で決着をつけれるか? 既に腐り始めた死体を食い体調を崩すものまで現れる。

 飢えていた。島に潜む全ての参加者が飢えていた。

 装着者の一人が痺れを切らした。

「かかってきたらどうだぁ!! お前らはもう俺たちを殺す手段を持っているのだろう!? 来ないなら、俺が行く!!」

 痺れを切らせた装着者は全身から細いワイヤーを吐き出した。

 内部駆動装甲で唯一刃でなく金属製の絲で骨格を包んでいる。骨格だけでなく皮膚のすぐ内側にもその絲は及び暴君竜の背面装甲に次ぐ強固さと、最も汎用性の高い表出装甲を併せ持つ。彼が待機状態にあるとき棺にはこうあった。

『Inside Armor Model Spider』

 絲が周りの樹に絡みつき、いとも簡単にへし折った。へし折られた樹を持ち上げて投げ飛ばす。手当たり次第にでたらめにあらゆる方向に樹を投げ飛ばす。

「隠れてねぇで出てこいよぉ!」

 蜘蛛が挑発をかける。囚人はいる。呼吸音がする。人数も位置もわからないが確かに獲物はいる。

 一歩一歩周りを伺いながら棺から離れる。

 投げ飛ばした樹が十を超えた時、囚人達が立ち上がる。蜘蛛からは棺を挟んだ絶好の位置だった。走り出した人数は二人。どちらかが死んでも確実に棺を壊すつもりでいる。

しかし、まだ距離が近すぎた。蜘蛛の絲は人間が走るよりも早かった。

 瞬時に絲が二人を絡め捕り、そのまま締め上げた。

どこまでも細く強靭な絲は獲物を捕らえるというより、粘土を絲で切り裂く方が表現として適切だった。元が人間であったなどと思いたくもないような挽肉のみが残った。

 

##囚人四名執行人三名死者三十三名

 

 さらに二日が経ち、ついに脱水での死者が出た。人は飢えには強いが乾きには弱い。二週間食わずにいられるといわれているが、飲まずにいられるのは三日が限度だ。樹液、葉の汁、殺した囚人の血液。あらゆる水分を啜るがこの無人島の気温が汗を奪ってゆく。

 しかし、この最終日のみで残りの一人になるのは絶望的と言っていい。周りが死ぬのを待ってなどいられなかった。装着者全員がついに棺の防衛をやめる。

 第二十七回死刑囚相互処刑制度最後の日が始まった。

 囚人たちは残りの四名の戦力を一つの棺にのみ向けていた。もはや残り一人に生き残る気などなかった。

 ただ、怪物を倒したい。血が飲みたい。肉が食いたい。それだけだった。その先にある生き残りまで意識を向ける余裕がなかった。食えればいい、飲めればいい、今死ななければそれでいい。

 四人が同時に別方向から棺に飛びかかる。

「「「「うぉおおおおお!!」」」」

 運の悪いことに狙われていた装着者は最弱の内部駆動装甲。

 もっとも初期に開発され、一部表出装甲のみで暴君竜のような特殊装甲も跳躍者のような運動性能も土竜のような隠密性も蜘蛛のような万能性もなかった。

『Inside Armor Model Scull』

 ただの髑髏。

 だがそれでも人間よりは性能は高い。負けるはずがない。

 そう思った。

 四人がそれぞれまるで違う方向から棺のみを狙う。手の平から表出させた刃が一人目を叩き斬る。

 二人目を切ろうとすれば一歩躱され樹の幹で受けられた。切れ味もまた最弱だった。他の内部駆動装甲なら樹木ごと両断できたはずだった。

 ついに棺にたどり着かれる。攻撃が始まる。一番棺から遠い二人目を無視して棺に向かうと後ろから石をぶつけられる。

 棺にたどり着いていた三人目を右肩から左脇腹へ抜けるように斬る。

 後ろを振り返り、先ほど石をぶつけてきた二人目を見る。いつのまに近づいていていたのか距離に猶予がない。後ろから足を斬り落とす。胴体が地面に落ちる前に股間から脳天へと斬った。

 最後の一人が既に棺を開いていた。その棍棒が振り下ろされれば髑髏は生命維持モードに入る。

「人間様なめるなぁ!!」

 A-087の振り下ろした棍棒が棺を機能停止させた。髑髏のモードが切り替わり始める

 が、間に合った。髑髏の刃がA-087の腹を抉った。

 A-087もまだ諦めてなどいない。もう一度振り下ろした棍棒は棺の発電ユニットを刺激した。

 棺が発電用に外気から集めていた水素がショートした火花で燃え上がり、二人とも消し飛んだ。

 

##囚人零名執行人二名死者三十八名

 

 島に残された最後の二人は互いに互いを探していた。残り時間は少ない。朝日が差し始めている。日が昇り切ったときがタイムリミットだ。上空に爆撃機が待機していた。わざわざ現れたという事は装着者であろうがなかろうが殺しきれる火力を積んでいるのだろう。

 もはや一時間すら残されていない。

「みつけた」

 先に敵をみつけたのは跳躍者だった。蜘蛛は絲をクモのように扱い森の空中を走り回っていた。

 隙を伺う時間は残されていない。一刻も早く先手を取らなければならない。

「生きたいか!?」

 だというのに跳躍者は問うた。声を出し自分がいることを蜘蛛に示したのだ。

「あたりめぇだぁ!!」

 蜘蛛が答える。

「ならば足掻け。俺は足掻く人間が大好きだ!!」

 跳躍者が挑発する。

「何上から目線で物言ってんだぁ!!」

 蜘蛛が吼えた。

 最後の戦いが始まる。

 やはり戦いは拮抗した。わずかな強度の差ではあったがその細さはほんのわずかな差で断ち切られてしまう。

 跳躍者が跳ぶたびに蜘蛛の絲は断たれた。絡め取ろうとしても、罠として使っても絲は切られた。しかし、跳躍者の攻撃は蜘蛛をかすりもしない。絲で空中を自在な方向に走れる蜘蛛は跳躍すれば方向転換が利かない跳躍者の攻撃を凌いでいる。刃を表出させてない部位を狙って絲を当て、最速の内部駆動装甲たるフォレストホッパーをどうにか減速させていた。

 出した絲は次から次へと斬られて手を失ってゆくスパイダー。攻撃を当てれず逆にカウンターをかすめられるホッパー。

 互いに消耗しながらの千日手のような戦いには時間制限がある。それはホッパーの貧血でもなければスパイダーの糸が尽きた時でもない。

 日が昇り切った時、その輝かしい円が水面から出切った時。その時生存者が一人でないならば。爆撃機の腹が開き、最新式のナパームが島を焼き尽くす。

 互いに足掻いていた。生きていた。生きようとしていた。死刑囚どもが、今まで殺した命に全く敬意を払わなかった二人が、

「足掻くじゃないか! 絲繰師!!」

 敬意を払っていた。

「足掻いてんのはてめぇだよぉ!! 一発も当てれてねぇだろうがぁ!!」

 心から敬意を払っていた。

 目の前にいる生き物に自分を殺そうとする者を楽しんでいた。

 目の前にいる生き物に勝ち、殺したいと全力で感じていた。

「おまえ、なんで死刑囚になった?」

 どちらかがどちらかに問うた。

「さぁ、もうどうでもいいな」

 どちらかがどちらかに答えた。

 刃が振るわれる。絲が繰られる。戦いは続く。

 

##囚人零名執行人二名死者三十八名

 

 日の出とともに爆撃機の腹が、開いた。

 投下されたナパームの炎は、朝日よりも眩しかった。

 この制度においてこの規約が執行されたのは六回目だった。

 やはり今回も全滅した。こうして今回の死刑囚相互処刑制度、すなわち第二十七回は終了した。

 

##囚人零名執行人零名死者四十名

 

 次の死刑囚相互処刑制度、第二十八回は五年後。

 次に使われる兵器はまだ誰も知らない。

 どのような死刑囚が参加するのかも誰も知らない。

 それはつまりこの五年でどんな凶悪犯罪が起こるのか誰も知らないという事でもある。

 誰かがこう言った。

「全ての人間の脳に脳波の発信機を付け、犯罪を犯す前に止めれたらどんなにいいだろう」




 元はこれ体の外にまとわりつくロボットアーマーでした。いやいや、設定の話じゃなく作中世界における開発段階の話。
 元は老人介護用のロボットで自分で動けるように着てもらうロボットだったんですね。
 ですが老人さんなぜかこのロボットを拒みます。何故かというと一人で歩きたい要介護老人たちは気遣われたくないんです。
 だから体の外にロボットをつけてこれがないと歩けません。と宣伝しながら歩くのは苦痛でしかなかったのでしょう。
 この点は、
「ロボットスーツで歩けるようになったら使うか」
 って私の母が私のひぃじいさん、つまり母が母の爺さんに聞いたときに、
「気遣われたくないからいらない」
と答えたという話を聞いて考えました。
 で、ここからがこの作中世界の科学者の頭のおかしいところで、じゃあ体内に入れようぜって話になったんですね。
 この話弟に読ませたら頭おかしいのはお前だと言われました。
 まあ作中世界がおかしいってことは書いた奴つまり思いついた奴がヤバいってことですもんね。うん、認めます。


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今日からは

こういう強がりさんを抱き締めて撫でくりまわして匂い嗅ぎたい


 職員室でその子は教師に色々な事を問われていた。問われることは殆どその少女が教室で普段受けている仕打ちについてだ。少女の渾名はお化けだった。少女は受ける仕打ちに文句を言ったことはなかった。

「あのな、言いたかないけど教育委員会の耳に入ったら先生路頭に迷うんだわ。いい加減何か相談するとか抵抗するとかしてくれるとありがたいんだが」

 溜息を吐きながら総白髪の白衣の男が問う。

「多数決なんですからそれでいいじゃないですか」

 少女が痣だらけの顔のまま、なんでもないことのように微笑んだ。

 溜息を吐いた時に下を向いていた教師が何かに気付いた。少女の上履きが赤い。泥水が染み込んだような滲み出る水分。少女がこれまで歩いてきたはずの床に目を向けると、上履きの独特の波状の足跡。どれも赤い。

「あー……霧峰。上履き脱いでみ?」

 上履きを脱いで現れた膝下までの靴下は元は白かった筈だ。けれど足首の踵から先がベッタリと赤い。赤が染み出す要因はそこにあった。靴に入れられた画鋲が、靴下を突き破って踵や足の親指の付け根などに突き刺さっていた。

「あ、またやられてる。上履き買い直すのもったいないのにな」

 少女の表情は全く変わらない。やられていた片方の靴下だけを脱ぎ、ポケットにねじ込む。教師に顔を向け、また先程までのように微笑う。

「絆創膏いるか?」

「お化けにそんなもの必要ありません」

 まるで近所の野良猫に話しかけるような気安く穏やかな声で、裸足のままの左足を床に向けた。高いままの椅子では足は床に着かずゆらゆらと自然に揺れる。

「もういいですよね」

 それは質問ではなかった。確認でもない。宣言だった。とん、と椅子から降りてその場を立ち去る。職員室の扉脇のゴミ箱に両方の上履きと靴下を入れた。そうして、両方共裸足になって霧峰と呼ばれた女子児童は立ち去っていった。

 ランドセルの肩紐は下の金具が壊れているので背負えない。だから霧峰は引き摺って登下校する。開けた下駄箱に中身が入っていない。彼女にとってはいつもの事だ。これで九月に入ってから三度目の裸足下校。

「あーあ、靴全滅したなんて父さんに言ったら……めんどくさ」

 下校途中にある下水の臭いのするドブ川。靴はそこにあった。紐もマジックテープも使われていない安物。靴裏のゴムも波打ってるだけの申し訳程度の滑り止め。どこも緑とも茶とも形容できない淀んだ泥色に染まっている。

「全滅。あれはどう洗っても復帰できない」

 すみやかに諦めをつけ立ち去る。どうせいつものことだ。家についても、鍵はない。ドアは開かない。ドアにもたれかかるように座り込み、ランドセルの中にある残しておいた食パンをもそもそと齧り始めた。父が帰るのは大抵の場合九時以降。

 帰ってきた父は娘になんの感情も籠っていない目を向け、無言のまま鍵を開けた。

 玄関を閉めると同時に少女の頬に拳が襲い掛かる。玄関から続く廊下を二回バウンドするほどの重い一撃。

「靴はどうした」

 静かに問う。あれだけの拳を放った後だというのに感情の籠もらなさは変わらぬまま。

「なくした、大丈夫明日からは靴下はくから」

 もう一発。今度は背中へ踏みつけるような下段蹴り。

「無駄な恥をかくなと何度も言ってるだろう」

 少女はようやく感情を露わにする。ただ、その感情も方向がずれている。御伽噺の狐のように微笑んで、

「恥だと思うのならいなかったことにすればよかったのに」

 口元だけだった偽物のような微笑みが、満面の笑みに変わる。目元が弛み、口が開き、まるで殴られたことが嘘だったかのように当たり前に立ち上がる。

「ねえ父さん? 母さんはどんな人だったの? 無口で臆病で腕っ節だけは強い父さんが必死になった女の人でしょう? こんな疫病神を産むような人だったの?」

 畳み掛けるように謳うように、娘は父を追い詰める。父は、質問には一切答えずに部屋に戻る。

「靴の予備は明日買い足しておくね、父さん」

 その背に普通の親子のような話題を口にした。

 明日の食卓には朝食代と夕食代とは別に紙幣が置かれることになる。

 

 ##

 

 絵本で外国のじゃんけんについて読んだとき、私は全てに納得した。象と人間と蟻。象は人間を踏み潰す。人間は蟻を踏み潰す。蟻は象の耳に潜り込む。象は体が大きすぎて耳から蟻を出せずに痒みに耐える。王様と平民と奴隷と似てるようで違う。奴隷は王様を殺せるけど、蟻は象を殺せない。一番強いものに一番弱いものが勝つ。そんなはずはないのだ。ただ、蟻は象にちょっかいをかけることが許されているだけ。その鼻を奮えば蟻は群れや行列どころか巣まで失う。でも、蟻なんて象にはどうでもいいから何もしない。クラスの皆も父さんもそうだ。自分をどうこうできない相手に目くじらを立てる理由はない。

 だから私は、多数決と先生を誤魔化して、蟻であることを受け入れられない皆をほったらかす。

 その絵本を読むまでは、体力と時間の無駄だから私を殴るのはやめるように言った。けれどその絵本を読んでからはちょっかいを掛けたくて仕方ない、可哀想な人達を放っておくことにした。それは小学校に入るよりもずっと前だった。

 

 ##

 

 十月になった。最初の水曜日。朝のホームルーム。担任の白髪に白衣で猫背の酷い教師が教室に入ってきた。その時後ろから付いて来る児童がいた。その歩く姿は自信に満ちて、そこらの大人より力強い。担任からチョークを受け取り自己紹介を始めるのかと思ったら、黒板の前で飛び跳ねるようにして大きく「参上」の二文字を黒板全体を使って書いた。教壇どころか教卓の上に手を使わずに跳び乗り、腕を組む。クラスメート全員を見回しながら、ガラスが振るえるほどに吼える。

「天乃多助! お前らの敵だ! 以上!」

 子供らしい意味不明な自己紹介を終えた。

 席は一番後ろの窓側に決まった。その席の目の前に彼女はいた。椅子に画鋲を仕掛けられ、尻に刺さっていた画鋲に気付いたのは、後ろの席に座った彼が先だった。

 歯を食いしばるわけでも、体の一部が震えるわけでもない。まるで痛みを堪える様子がないまま、画鋲に体重をかけていた。

「気に入んねえな」

 天乃は呟いた。

 三限目の体育、グラウンドの場所が足らず、晴れていたというのに彼等の組は体育館と相成った。

「ガードアッパー!」

 ドッジボールとは思えない掛け声が響く。天乃の声だ。アッパーでボールを跳ね上げ、二歩ほど下がって捕る。

「死ね! モブ共!」

 ボールの威力に怯え、避ける敵チームの中に一人、ぼんやりと突っ立てるままの女子がいた。霧峰は一番内野の後ろで天井を眺めていた。二、三人固まった児童が震えて避けた後の空間を通り過ぎたボールはその女子の顔面にぶち当たった。その女子は痛がりもせず文句一つ言わずに外野に出ようとした所を担任に止められる。

「顔面セーフって言いてえ所だが、お前が行くのは保健室だ。バカたれ」

 霧峰の口元は鼻血で真っ赤になっていた。

 いつものようになんでもないという微笑みを浮かべ、体操服の裾を犬歯で引き千切る。

「おーい、何やってんだ。体操服って高いんだぞ。またお父ちゃんに怒られちまうぞ」

 引き千切った体操服の布を鼻に詰め、

「いつものことです。普段着ならばポケットにティッシュもあったんですが、仕方ありません。このまま参加します」

 そう言って参加といった癖に外野で体育座りをした。

 天乃が後ろを振り返り、

「悪いな」

 と一言告げた。

 その隙に天乃のチームが一人ボールを食らう。それを見た天乃が再び叫ぶ。この少年は何かにつけて声と態度がでかい。

「モブなんざ狙ってんじゃねえ! まずは俺だろうが!」

 これが僅かとはいえ背を向けた者のセリフだろうか。

「転校初日のこの際だ! はっきり言っとく! 俺は父さんのおかげで引っ越しが多い。十二月には俺はいなくなる! 今までのクラスメートと同じように来年にはお前等の顔も名前も忘れる! 俺に覚えられたきゃかかってこい! モブから脇役に昇格だ!」

 その宣言は思いっきり元気盛りの男子を挑発した。外野からも内野からも集中砲火を浴びる中、ゲーム展開が遅いのでと担任がボールを二つに増やす。それでもまだ天乃は堂々と戦い抜く。三つに増えて四十二秒後。得意のアッパーで二つボールを跳ね上げ二歩下がる。上を向いてボールを待ち構えた時、敵の内野から外野にボールがパスされ、すかさず標的に向かって放たれる。無防備な背中をボールが捉えた。

「あっはっはっは」

 外野に向かって歩きながら天乃は笑っていた。自分にボールを当てた霧峰を指差し、

「今当てた奴! 脇役昇格! 勘違いするな! 主人公はこの俺だ!」

 その宣言通りあっという間に彼は内野に戻った。が、そこで授業時間が終わってしまう。内野の人数で勝負を決めることになり、ワンマンプレーの過ぎた天乃の側が負けた。

 

 ##

 

 今日の給食もいつも通り私の分のお肉は配られない。あとでこっそり先生が私にハンバーグをくれるのもいつも通りだ。先生は給食より自作のお弁当のほうがいいらしい。なんでわざわざ給食費払うのかを聞いたら、

「一食多いと生徒が取り合うだろ? 競争バンザイってな。だが、最低限自分の分は受け取っとけよ?」

 そう言ってその日の給食の唐揚げを使われていない爪楊枝で私の口に捩じ込んだ。

 そもそもお肉は好きじゃないから取られても文句はないし先生が無理やり口に捩じ込むのもそういうことだ。けれどその日はこのクラスのいつもを知らない人が私の隣にいる。給食の時の並びに机を動かすと天乃君は私の隣の席になる。

「気に入んねえ」

 そう呟いて立ち上がり、私のハンバーグを掛けてじゃんけんをしている男子達に空になったシチューの食缶を叩き付けた。

「バックアタックッ!」

「何すんだ!」

 男子がだいぶ怒っている。当たり前だ。もう少し新入りの分ってものを弁えたほうがいいと思うけれどそんな暇は彼には無いらしい。

 問答無用とばかりに四人を凶器攻撃で容赦なく蹴散らしてる所を真後ろから先生が出席簿で、

「バックアタックセカンドォ!」

 と、黙らせた。

「何すんだよ先生」

 そのセリフはさっき君も言われていた。先生はもう片方の手に爪楊枝を携えていた。その先にはサイコロステーキ。

「いじめが許せなかったんですねー、偉いからこれ食っとけ」

 叫んで口が開いてる天乃君に捩じ込む。

「気に食わねえ事とかは帰りのホームルームで皆で話し合おうな? あと、足りねえ奴は先生の分の給食食っていいぞー。俺はいつも通り弁当あるから」

 そう言って先生も黒板の横のデスクに戻ってしまった。先生はデスクのほうが教卓よりお好みらしくプリントやビデオを使った授業が多い。チョークは喉を痛めるからホワイトボード実装ハヨとかいつも言ってる。

 昼休み先生が私を呼ぶ。やっぱりサイコロステーキは私が食べる事になった。

 帰りのホームルームで天乃君が言うことは、給食のことだけではなかった。

「まず一つ。朝の画鋲雑魚モブは誰だ」

 え、見られてたんだ。あー話し長くなりそうだなー。

「霧峰ー? 画鋲って何のこった? 上履きか? 椅子か?」

 先生に聞かれたら答えるしかない。面倒だけど。

「椅子です」

「毎年毎年俺ばっか問題あるクラス回しやがって……」

 私の答えを聞いているのかいないのか先生がなにか愚痴っている。

「言わねえなら一人一人画鋲でケツぶっ刺すからパンツ脱げモブ共」

 天乃君それはちょっと恥ずかしいんじゃないかな。やめてあげたほうがいいよ。

「話し合いだといっただろうが、バカ主人公。でだ、まずってことはもう一つあるんだろ?」

 天乃君は苛つきながらも答える。私を指さして

「こいつ脇役。で、お前等モブ」

 また訳の分からない事を言い出す。

「分っからねえかな? こいつは我慢してるんだよ。お前等モブが可哀想だから」

 それを聞いた瞬間この人が蟻じゃないらしいと気付いた。この人はどうやらあのじゃんけんで人間に当たるらしい。人間は、たしかに主人公かもしれない。じゃあ、脇役でお化けで象の私は……悪役かな?

 結局その話し合いは何も解決せず、下校の時間を迎えた。

 

 ##

 

 それから天乃多助も苛められる側に含まれるようになった。画鋲を仕掛けられようと教科書を隠されようと彼は敵を嘲笑った。

 モブが主人公に嫉妬するのは仕方のない事らしい。彼が転入してから数週間後の下校時だった。途中まで帰り道が同じだった苛められっ子二人は並んで歩いていた。まず少女が先に口を開いた。

「私を庇って何か得あるの?」

 と、自分の味方をしたために虐げられる勝ち気な少年に問う。

「あ? 馬鹿かお前。得しかねえよ。モブ共が俺を目の敵にすればするほど俺は目立つ。奴等は俺が転校しても俺を覚えておいて悔しがる。それに、痛くねえとしても面倒は避けたいだろ?」

 少女の顔も少年の顔も痣だらけだった。それまで笑顔だった少年は突然真剣な表情になって。

「来週にはもう俺いねえから」

 そう言った。ぱたりと、握り締められていたランドセルの肩紐が地面に落ちた。それまで短い小学校生活でクラスメートが数人転校していったこともあるだろうに、彼女は愕然とした表情をしていた。

「だからよ、人の殴り方覚えとけ」

 そう言って分かれ道に駆け込んだ。木曜日の事だった。

 

 ##

 

 天乃君が行ってしまう。それは転校初日のドッジボールの時から分かっていたことだった。とてもこの現実を受け入れてはいけないような気がしたけれど、どうすればいいのか分からなかった。明日が金曜日で、来週にはいないということは明日が最後ということになる。どうしようかどうしたいのか眠ってしまうまで答えは出なかった。

 朝が来て、テーブルには晩御飯代と朝御飯代が置かれていて父さんはもう家にいない。いつものことだけれど。来週からは何かが変わるような気がしていた。

 学校について上履きを履く前に一度中を見る。天乃君が口酸っぱくして言ってたし、とそこまで考えてだいぶ自分が天乃君に影響されて変わって来ていることに気が付いた。

 ああそうか。私は天乃君に自分は大丈夫だと言いたいんだ。今日の帰り道に言おう。それが最後だから。

 

 ##

 

 その日の殴り合いは廊下で起きていた。三人に囲まれても天乃は平気で殴り返している。段々と喧嘩しながら廊下での立ち位置がズレてゆく。

 そこに、

「おはよう」

 と挨拶で邪魔が入った。丁度階段を登ってきた霧峰だった。

「よそ見すんな化け物夫婦!」

 一瞬動きの止まった天乃に四人目が襲いかかった。助走をつけたドロップキック。そのまま、天乃と霧峰は二人共転がり落ちていった。踊り場まで落ちた時、一際大きくごきりと嫌な音がした。霧峰が肩を揺すっても声を掛けても天乃は起き上がらなかった。

 

 ##

 

 何が大丈夫なものか。人が一人死ぬほど何度も階段に叩き付けられたのに私は傷一つない。そんな筈はない、私は庇われたんだ。お化けなのに象なのに人間に庇われたんだ。でもおかしいよね。蹴ったのは蟻だ。私を庇ったからといって蟻が天乃君を殺せる筈がないんだ。私を庇えるほど強い天乃君はいつも主人公を名乗っていたけれど人間じゃないのかもしれない。私はお化けなのは確かだけれど象ではなかったのかもしれない。主人公、英雄、お化け、悪役。そして最後に天乃君が言われた化け物という言葉。頭の中でグルグルと回ってゆく。

 そうして、気付いてしまった。じゃんけんじゃなかったんだ。三竦みなのはあってるけどそうじゃなかったんだ。まず英雄と化け物と人間がいる。化け物は人間を食う。英雄が化け物を倒す。用済みになった英雄は人間に追い払われるんだ。英雄だった天乃君は化け物の私を退治しなかったから用済みになってしまったんだ。お化けなんて可愛らしい呼ばれ方してるからこんなことになった。あいつらを蟻だと思って、自分が一番強い象だなんて思っていたからこんなことになったんだ。

 私が間違えた。ちゃんと化け物は化け物らしくあいつらを殴ればよかったんだ。

 化け物に女の子なんて似合わない。スカートは全部捨てよう。父さんに怒られるけどしばらくは着回せるし少しづつ増やそう。髪も短く切ろう。これは……自分でも出来る。元々ボロっちかったし赤のランドセルは捨てよう。代わりに遠足で使うリュックでいい。鏡を見る。何故かまだ何もしてないのに昨日までとは自分の目付きが違う気がした。

 

 ##

 

 土日の間に天乃家は引っ越し向こうで少年の葬儀は行われた。担任も懲戒免職で姿を消した。それから月火水木金が過ぎても、もう一人階段から転がり落ちた少女は学校に姿を見せなかった。家にも彼女は帰らなかったらしい。

 月曜日の朝。見慣れない生徒が現れた。黒いシャツに黒いズボン。黒いジャンパー。持っているのはランドセルではなく、リュックサックだった。奇妙な持ち方だった。肩紐の下側が千切れていて肩紐を掴んで引き摺る。それもまた黒。喪服の再現のようだ。

 顔は痣だらけ、首には紐を巻きつけた後のような痣。髪は短く適当に切られてザンバラ頭。目付きは鋭く常に睨みを利かせた目。

 その児童は先週一週間丸ごと行方しれずだった女子の席に座った。

 一人の生徒が女子とも男子とも分からぬ無言のそれに声を掛ける。

「おい、おま」

 正しくは掛けようとした。椅子が投げられた。怯んだ隙に駆け寄り股間に膝を叩き込んだ。悶絶するそれにもう一撃、顎にアッパー。

 崩れ落ちた彼を踏みつけながら周りを見渡す。黒が初めて口を開く。

「誰だなんて聞くなよ? さっき自分の席に座ったんだから」

 獣が唸るような低い声。もう一人勇気ある生徒がその肩を掴もうとして、顔面に肘を打ち込まれた。追撃ちを掛けようとした拳が逸れ、壁に当たる。どがき、と大きな音がして僅かに壁が揺れた。壁から拳を離した時、肘と手首の間がぶらりと重力に従って曲がった。

「クソが、もう折れてやがる。凶器の使い方でも覚えるか」

 そう呟いて先ほど投げた椅子を掴み自分の席に戻った。もう誰も彼女だった筈のそれに声を掛けなかった。

「霧峰夜空。お化け改め、化け物です。どうぞよろしく」

 ホームルームにやってきた初めて会う担任にそう名乗った。




匂い嗅いだ後頬骨砕けるまで殴られるのがワンセット


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幼気な戦場

子供向け目指しました!!

後輩「諦めてください」


 あいつと初めて会ったのが何時かは覚えてない。気づいたらいた。社宅っていうのに暮らしてて、親が同じ会社に勤めてて同じ年頃。公園デビューは一日違いであっちが先だったと親に聞いた。

 

##

 木々に満ちた薄暗い森。穴の下から悪口が響いている。

 スカタンだのおたんこなすだの負け犬の遠吠えにしか聞こえない。

「キョウヘイ、ハンドル回せ」

「あいよー」

 キリキリカラカラと金属音がして落ち葉に隠されたロープが立ち上がってゆく。ロープは四本あってどれも穴の中に繋がっている。ロープが上に向かってぴんと張り、落とし穴の底に仕掛けられた網を引き上げる。網に捉えられた泥だらけの少年、確か六年生だ。できるだけ芝居がけた口調を心がけ、バカにした感じで。

「木田町のリーダー。ごたーいめーん」

 前線を任せていたリュウジも戻ってきている。三人で描いた旗を持って帰ってきた。これをこの負け犬に見せればおしまいだ。

「ケンター、旗あったぜ。俺等の勝ちだ」

 八月三十一日、夏休み最終日。学校の裏山での陣取り合戦はあと一チームを残して俺に制圧された。

 

 大人たちが世の中物騒になったからと五月蝿いので集団登校がお決まりだ。二学期初日はまだまだ暑いし夏休みの目標は達成できなかったしで気分が上がってこない。

 ホジフィルム社の雨坪社宅四号館一階角部屋、四の一〇四号室のドアをガンガン叩く。

「わぁってるよ! 今着替えてんだから待ってくれ!!」

 相変わらずリュウジは朝に弱い。そしてこの音を合図に上の方でドアが開く音がする。四〇四号室のキョウヘイだ。階段をダカダカと駆け下りる音が響き、姿が見えたところで目の前のドアが開いた。

「「おっはよう!!」」

 俺とキョウヘイは朝から元気な方だ。気分は良くないけれど、挨拶ぐらいはしっかりと。

「まだねみー……」

 リュウジは紙パックの牛乳とアンパンを握って出てきたが、

「ランドセルどうした?」

「あ……先公園行っててくれ」

 キョウヘイに指摘されてドアの中に戻った。

 社宅に備え付けられた公園。申し訳程度のフェンスと滑り台とブランコだけの寂しい公園。あいつがいた頃はあと二つ遊具があったけど撤去された。ここがこの社宅の集団登校の集合場所。既にチビ達が集まってきている。女子は一人もいない。おそらく五年生が連れてった。男子は四年が最高学年だ。

 あいつらの前で暗い顔は出来ない。

「おはよう諸君。昨日は君たちの活躍でまたも雨坪社宅連合の勝利に終わった。残りあと一チーム、もう俺達を弱小だなんて言う奴はどこにもいない。関本バス停チームを潰して俺達が裏山を統一する!!」

 チビ達が口々に任せて! とか、もちろん! と威勢の良い声とともに頷く。

 遅れてリュウジが口元にあんこをつけてやってくる。

「あちいしねみいのにチビ達元気だな、なんかあったか?」

「もう君教室で二度寝したほうがいいね」

 キョウヘイがジト目になってため息を吐いた。

 

 二学期の始業式、校長が問題を起こして四年とも変わったが毎年話の内容は変わらない。文部科学省できっと原稿が配られてるんだ。舞台の袖からオーバーオールにポニーテールの女子が現れる。

「転校生を紹介します、崇矢真さんです。今日から四年二組の」

 あとはよく覚えてない。俺達は立ったままでも寝れる。マコト……ねー。

 

##

 あいつの名前はタカヤ。何かにつけてあいつに勝った試しがない。セミ取りだろうがかけっこだろうがあいつが勝った。

 蝉の声の五月蝿い夏の日だった。二人で木登りをしてた。木に抱きつくようにしがみついていると腕がなにかくすぐったかった。

「ケンタ!! 手!!」

 ものすごい剣幕で叫ぶタカヤに従い腕を見る。幹の向こうで、腕を毛虫に這われていた。

「うひゃ!!」

 真っ逆さまに落ちて、背中を思いっきり打った。

 その後気づいたら病院にいて、俺はあいつに引き摺られて帰ったらしい。

 

##

 国算音社。四つ終わって昼休み。

 給食をかっこんで三人集まる。行き先は図書室。机に地図を広げる。一枚目は大量のペケ印と数箇所の丸印の書かれた地図。潰したチームの基地は罰印。赤丸の雨坪の基地。その中には倒したチームを配下にして再利用してる基地もある。青丸の関本の基地。あっちにも倒したチームの再利用基地がある。むしろ向こうの方が使ってる基地の総数は多い。戦力も相応のはず。

 もう一枚はアルファベットと大量の楕円の書かれた地図。もう一枚と比べるとペケ印の位置にアルファベットが書かれている。

「こうしてみるとトラップエリア増えたな、人手回るのか?」

 キョウヘイが首を傾げ頭を掻く。

「そこをどーにかすんのがお前の仕事だろ、どうせ前線で役に立たないし立つ気もお前ないんだから」

 リュウジが聞き用によっては失礼な物言いをするがこいつはいつもこうだから俺等二人は今更気にしない。

「三人とも何してんの?」

 後ろから女の声がする。

「女の子には関係のないことだよ、怪我とかした時女子か男子かって結構先生は気にするしうるさいからね。だからあっちで折り紙でもしてなよマコトさん」

「関係あるかどうかはぼくが決めるよ、えっと……」

「キョウヘイ、そっちのがリュウジ、ペン持って難しい顔してるのがケンタ。もういいよね?」

 時々キョウヘイは目つきが悪くなる。ちょうど今のように。

「うん、ごめんね」

 マコト……ああ転校生か。一瞬目が合って、何故か睨まれたような気がした。

「悪役みたいな悪巧み……」

 去り際になにか呟いたらしいが、あとの二人は聞こえなかったようだ。

「下見はこんなもんか。とにかく俺は青丸目指して突撃すりゃいーわけか」

 前線はリュウジに任せる。いつも通りだ。

「僕はこの赤丸で待機してトランシーバーとハサミを握ればいいんだね」

 キョウヘイは一番前線から遠い基地でトラップの管理。いつも通りだ。

「最前線に一番近い戦場の中心になるこの赤丸。ここは俺が担当する」

 本陣に俺。ここに旗が立つ。楕円とアルファベットに囲まれた中心。いつも通りだ。

 

##

 一番古い記憶で既にタカヤはブレーキを持ってなかった。蝉の声に混じって誰かの泣き声がした。

 転んで金髪に学ランの人のズボンにアイスをつけてしまって、その子が怒鳴られていた。親を出せとか弁償しろとか言ってたような気がする。ちょっと目を話した隙にタカヤはゴミ箱から空き缶を取り出しその金ピカ後頭部にぶつけた。

「大人が弱いものいじめしてんじゃねーよ! クソヤロー!!」

 背丈が違いすぎて大きな金髪の手は俺達に届かない。すり抜けるようにして泣いている子の手を掴む。

「逃げるよ! 君も!」

 泣きじゃくるそいつは、キョウヘイと名乗った。隣にいたブレーキのぶっ壊れた怖いもの知らずは

「ボクはタカヤ×××」

「ながいね、どっちが名前?」

「ながいかな? じゃあタカヤでいいよ」

「ボクはケンタ」

「ふたりとも、ありがと」

「ボクはヒーローになるからね、当然さ」

 既にタカヤはそんなことを言ってた。

 

##

 放課後、グラウンドの真ん中に旗を立てる。俺達三人で描いた雨坪連合の旗。日の丸の白を黒く塗り、白を雨坪の文字状に残した旗。

 関本の連中が五分遅れでやって来る。奴らの旗はドクロに関本と書いただけの単純な旗。

 二つの旗が揃ってる今の状況を写真に残す。これでお互いの今回の戦争に使う旗は決まった。すり替えもごまかしも効かない。

 ドクロを受け取り日の丸を渡す。

「またあとで裏山で会おう、弱小」

「卒業前に引退させてやる」

 関本も六年を持たないチームだ。最上学年は五年。やれる。今までで一番でかい戦争だ。だが、楽な戦争だと思った。

 今までとは違う、一対一の総力戦。別チームの奇襲はない。と言うか奇襲と戦争妨害は俺らの専売特許だ。

 

 段ボールで作られた壁。ブルーシートの天井。タイヤと縄梯子の床。生きたブナの樹の柱。

 落とし穴。吊るしタイヤの振り子。ボンドを塗ったビニールテープ。

 ここが俺達の戦場だ。

 三年生にガチャガチャで手に入れたトランシーバーを配る。これの総数は、地図の赤丸の数。それぞれに基地を任せる。いつもどおりだ。一番やりやすい戦いでいつもどおりに潰す。

 

##

 タカヤのうちの引っ越しが決まった。キョウヘイも俺もタカヤも泣きじゃくっている。幼稚園の年長の三月のことで、来月からみんなランドセルを背負って同じ学校に行くんだと思っていた矢先だった。

 泣きじゃくりながらもあいつはヒーローになって一番有名な人になるから探しに来いとかハチャメチャなことを言っていた。

 あいつのいない卒園式が終わって、公園の四人で乗れるデッカイゴンドラのブランコみたいのに腰掛けながら考えた。

 ヒーローになったアイツに勝つにはどうするか。ヒーローに必要な物はなにか。ヒーローと再会するにはどうするか。

 ヒーローには悪役が必要で、勝つかどうかはやらなきゃわからない。

 この時出した結論が俺の小学校生活を決定づける。

 

##

 今回の戦争前に俺達は本陣を裏山の頂上付近に移していた。トラップは転がし安く、敵は登るだけで疲れる。

 南に側のどでかい木が敵の基地で一番でかい本陣となるがそこに俺たちの旗があるとは限らない。

「どこから攻めようか?」

 キョウヘイの目付きがまた悪くなる。ついでに口元も歪む。ハサミ握りしめてる時はいつもこうだ。

「近えとこから潰しゃあいいだろ、連中ダンボールが主流なんだろ? 三年どころか二年でも潰せるお粗末基地だぜ?」

 リュウジの言い分は最もだが、お粗末な基地ってことは材料があればいくらでも増設できるってことになる。旗は基地以外の場所に隠すのはご法度だが基地を増やしちゃいけないわけじゃない。

「チビ達に双眼鏡とレシーバで持たせて回らせる、地図のコピーも持たせろ」

 今回一二年生達は投卵兵としてじゃなく、偵察がメインだ。

「知ってのとおり敵の基地は大量。その数三十を越してるのが最新情報だが、おそらく更に増えてる」

「地図以外の位置にある基地を狙うんだね」

 増設されたということは増設する必要があった。つまり今回の敵の作戦の要のはず。そこを少数精鋭で同時強襲する。

「防衛はキョウヘイに任せる。今回は俺も前線に回る、守備の上での囮はチビにやらせろ」

 どこまでが前線になるかわからない混戦になるだろう。敵の目を引く人材は多く確保する。

「強襲が二班、偵察が個人行動、防衛一班。計四つの指揮系統でいく」

「じゃ、作戦スタートだな、強襲A班は貰ってくぜ」

 リュウジと三年生二人がコレまで本陣に使ってたいつもの基地へ向かう。戦地の中心に近いあそこはトランシーバーの受信が一番安定する。

「俺はB班、行くぞ」

 こっちは三年生三人。

「ケンタ、A地点とB地点の間に増設基地。リュウジは既に別の場所に向かってるから」

 早速戦闘開始か。

 

 虫取り網に石ころをいれて地面に振り下ろす。バレバレの落とし穴が衝撃に負けて崩れる。石ころを捨て即座に敵兵に網を被せて落とし穴に引き落とす。

「そいつ確保しておけ」

 三年生に指示を出し、そのまま基地に接近。ダンボールの壁を蹴る。中に兵士は……いない。

 今確保した一兵だけ? つまりこの基地も囮か。コレで囮の基地は二つ目。

『ケンタ、リュウジがすでに増設基地を五つ潰してるけどどれも一兵だけだったって』

 キョウヘイからの通信ではっきりした。増設基地から狙うという作戦を読まれている。

「リュウジの班を三年二人とリュウジ単体に分けろ、増設強襲を二班という体制を保って騙されてるふりを続ける」

『了解』

「通信のとおりだ、俺達B班は既存基地の殲滅に移る」

「わかった!!」

 三年生の声は威勢がいい。まだまだバテてないようだ。

 次の基地への移動中に敵襲。障害物競争で使われそうな広い網が降ってくる。

「こんな中途半端な位置でトラップだと!?」

 が、俺には通じない。キョウヘイの作ったトラップはまず俺を実験台にしている。枝葉の音が不自然すぎてバレバレだ。

 網の四方はわざわざ人が握った状態で降りてきている。掛かった相手を即確保しようとする姿勢は立派だが、結果としてバレやすい奇襲は意味が無い。

「俺はこいつらを片付ける、諸君はこの先の基地への奇襲を続行」

 四人相手か……こういうのはリュウジの役なんだがな……。

 投げ縄を操る四人から逃げ回りながらトラップエリアへ誘導する。トランシーバーのスイッチをON。

「07D!!」

『あいよー』

 トランシーバーの向こうからハサミの音がした。ロープで吊り下げられたタイヤが七つ。振り子になってすっ飛んでくる。基地の中まで仕掛けを固定したロープを伸ばし、ハサミ一つで遠距離から起動できる。ロープをスムーズに動かす滑車がいくつかいるが、キョウヘイのお気に入りだ。怯んだ相手を虫取り網で引き倒す。倒れた先には落とし穴。即座にブルーシートで塞いで無人確保。後三人はそのまま使うトラップは違う物、違う地点、同じ手で片付けた。

 

 はぐれた班員と連絡がつかない。今頃捕虜だろうか。単独で確保と基地潰しを繰り返す。

『ケンタ!! リュウジがやられた!』

 は? チャンネル争いで中学生の兄貴と相撲とってるリュウジが? 前線最強のあいつが? 何が起きたんだ。

『どの地点だ!!』

『09C!!! 前回の戦争の敵本拠地!!』

 リュウジがやられたってことは最大戦力がそこにいるわけだ。

 舐めやがって……、何の対策もなく基地そのままだと!?

『その地点のトラップは起動できるか?』

『もうホイールを全投入した、後は君の仕事だ』

 段ボールで出来た二階建ての一戸建て。そんなふざけた基地の壁にタイヤが九つ突き刺さっていた。タマゴを投げ込んでくる敵兵の眼をごまかしている内に市役所から五時を告げる夕焼け小焼けがなる。

 リミットだ。この鐘がなったら親に帰れと言われている子供は多い。ほとんどのチームがこの時間以降は停戦としている。俺たち以外は。大人の都合何かしったことか。

 敵兵が停戦を呼びかけ射撃をやめた。当然突撃。穴だらけの壁を打ち抜き、俺達の旗が向こう側の無傷の壁にかかっている。その下に縛られた捕虜が転がっていた。

 

 ズボリと音がして、浮遊感があった。不自然なほどでかい基地は基地の中にまでトラップを仕掛けるためだったらしい。

「ねえ、コレ。ボクが直接取ってきたんだ」

 女の声がした。戦場ではするはずのない女の声が。図書室で聞いた声だ。

 目の前に、キョウヘイが守ってたはずの奴らの旗が広がった。

「ヒーローに会うには悪役になるのが一番だよね、卑怯な手段で勝つのは楽しかった?」

「誰から聞いた?」

「キョウから」

 その呼び方は三年以上耳にしていない。

目の前から旗がどき、見覚えのある笑顔があった。

 俺はまたこいつに勝てなかった。




 今作は子供向け目指しました。大人の作った門限とか集団下校とか始業式のお説教とか。よくわからないめんどくさいものに縛られながら力いっぱい遊んでた小学校時代が懐かしいです。
 ってか、だいぶ人物脚色してますがやってる遊びは私の小学校時代そのまんまです。私の地区のリーダーはこの話のオチと同じ手で討ち死にしました。
 ちなみに私はキョウヘイポジです。
 子供向けなんで怪我させるようなガチバトル書けませんでした。その為書きたかったシーンが全然書けず苦労しました。せめてバットぐらい振り回させたかった。


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もったいないおばけの左爪

締め切りに追われて駄作になったものや未完成になった原稿しか残ってない
そろそろいろいろ申し訳ない気分


 どこもかしこも真っ白で、眩しくて仕方ない。目が痛い。閉じてしまおうか。眠くて眠くて仕方ない。体の内側が熱く皮膚が焼かれるようだ。左手の感覚がない。そもそもどれが脚でどれが腕だったろうか。

 皮膚のすぐ外は冷たくて。焼かれている体を包み込んでいる。ここはとても心地が良い。このまま眠れれば明日の目覚めはきっと爽快だろう。

 左手の感覚がない。あるわけない。だって左手は今右手で掴んで失くさないようにしている。こんなに冷え切っているんだ。冷凍保存してるようなものだ。病院に行ったら繋がるだろう。でも、ここはもう病院なのではなかろうか。白くて、寝心地が良い。考えても仕方ない。寝よう。

 

 ##

 

 目が覚めるとまわりが暗い。屋根が高く三角に尖っているのが内側からでもわかる天井。梁が組まれて、その上には直接屋根の裏側が見えている。自分がいるのは布団の中だ。微かな光源は蝋燭らしい。体中が鈍く痛い。起き上がろうとしても全く言う事を聞かない体を諦め、もう一眠りしようとした時だった。

「おぉ、目が覚めたか」

 浴衣を着た狼が喋った。いや、狼は胡座をかくことが出来る形をしていただろうか。

 見てみれば手足も毛皮に覆われている。

「腹は減ってる……わけねえな。あれだけ食ったしな」

 他にも狼はいろいろこちらを気遣うようなことを言ってたが、意識がまた遠のいていった。

 

 ##

 

 次に見えたのは白い天井と白いシーツに覆われた体。ここは病院なのか? だいぶしっかりしたベッド。口元はチューブの付いた煩わしいマスク。何か事故にでもあったんだろうか、よく覚えていない。

 途方に暮れていると声を掛けられる。

「目が覚めたようだね、崎谷君」

 白衣を着た初老の男。スライド式のドアを開いて病室に入ってきた。崎谷……それが私の名? よくわからない。

「食欲はあるかね?」

 首を横に振る。喋ろうとしても頭も体の感覚もはっきりしない。何日眠っていたかは知らないがとりあえず腹は減っていなかった。

「じゃあ今日も引き続いて点滴と行こうか」

 そういえば左腕が動かない。固定されていたらしい。点滴ってテープとガーゼで十分止めれると思うんだが……まあいいか。

 左手首の先は包帯に覆われていた。思春期の青年がやるような指を分けるテーピングじゃない。全体をまるごと巻かれて固定されていて、鍋掴みのような手になっている。

 日が沈んでゆくとともに意識ははっきりしていった。食事を摂るわけでもないが食堂に向かう。ああいう場所には多分テレビか何かあるだろう。せめて今日の日付ぐらい知っておきたい。

 食堂に入った時、一斉に座っていた人がこちらを見る。ジロジロと見られていい気はしない。テレビは二月四日を示していた。

 そして、ニュースに私の顔が写った。

『遭難者唯一の生存者意識回復』

 ニュースによると私の生存は歓迎されてないらしい。発見された遺体に歯型が残っていたのだそうだ。私がその歯型に一致するのだとか。

 ニュースを見ていると頭を強く殴られたように目眩がする。眼の奥がチカチカする。けれど、誰かがこれを見なければならないと囁いているような気がした。

 テレビのコメンテーターが私をバケモノと呼んでいる。そういう言い方は良くないとか極限状態の恐ろしさとか色々言っている。最後に印象に残ったのは、歯型の話。

 私と一致する歯型以外にも見つかっている。しかしその歯型は日本にいないはずの狼の歯型だった。……らしい。

 狼……そう、絶滅したはずで私も図鑑でしか見たことはないのに、何故か狼という獣についてよく知っているような気がした。学名や習性とかのお勉強の話ではない。何を知っているのかすらわからないか知っているはずだという声が頭から消えない。

 包帯に包まれた左手首が痒くて仕方なかった。

 

 ##

 

 大学病院の研究室で一人の男が悩んでいた。これを発表していいのか?

 学会の笑い者にされるかもしれない。

 そもそも頭がオカシイと思われて自分が入院するかもしれない。けれども彼は書いた。写真を残した。映像を撮った。患者に必要だから?

 違う。自分が研究者だからだ。目の前に理解出来ない事があるなら理解しようとするのが研究者だと彼は思っていた。オカルトを全面否定することは出来ない。証拠がないからだ。否定も肯定もせず、ただ調べ続ける。それが自分のあり方だと男は思っていた。けれど、ここには証拠がある。仮説と実証の隙間にオカルトがあって、証拠がなければ何も語れない科学ではオカルトを永遠に論破できない。

 では、証拠の見つかってしまったオカルトはオカルトでいられるのだろうか?

 肯定しなければならない。あんなにも荒唐無稽な存在を。人を喰うかもしれないモノを。

 彼の目の前にはホルマリン漬けにされた手首があった。凍傷で千切れた後寒さで錯乱したのか囓られている。歯型が様々な所に付き、骨まで露出している。鑑定も一致した。傷口もDNAもだ。では、あの患者の左手首に繋がるアレは何だというのだ?

 アレの毛のDNAさえ鑑定は一致してしまった。人間に鉤爪などあるものか、毛皮だってあるはずない。アレは本当に人間なのか?

 

 ##

 

 段々と記憶が戻ってきた。私は親戚七人と初日の出を見に冬の雪山へ行った筈だ。自殺行為ではないはずだった。案内人もいたし崖登りをするつもりもなかった。困難ではあるがそれは超えられる範囲であり一つのアトラクションでしかないはずだった。

 初日の出を見て、帰り道。そこからがどこか曖昧だった。目を閉じ思い出そうとしてもいろいろなものが白で占められてゆく。意識が白かったのか景色が白かったのかさえ曖昧だ。

 日数は教えてもらえないのだが、寝たきりであった私にはリハビリが必要だった。けれど、リハビリには点滴の針を入れたままという訳にはいかない。食事を再開しなければならない。食堂でニュースを見ながら昼食を摂らされていた。スプーンの動きはとても鈍い。目が覚めてから食欲は全く湧いてこない。特に食堂の中、人前で食事をするなんて論外だ。

 テレビの内容はグルメ番組だった

 食事で動く唇がとても忌まわしくみだらに思えた。他の生命を自分に取り入れ自分の為に消費する卑しい行為は何故隠すこともなく、グルメなどという言葉でテレビに取り上げられているのだろうか。

 まるで遭難したついでに価値観の違う並行世界に迷い込んだかのようだった。

 看護師に顔色が悪いと言われてしまった。未だ食欲がわかないので点滴に戻してもらえるか問うたがどうやらダメなようだ。結局、出された食事の半分を腹に収め、ギブアップを認めてもらうのに二時間かかった。

 すぐに便所で吐いた。翌日血糖値の検査に引っかかって錠剤食に切り替えられた。

 とうとう病院側の防御と監視の抜け道が見つかったらしい。私の病室に見知らぬ女がメモ帳とマイクを持って待ち構えていた。

「崎谷九一さんですね?」

 我ながら妙な名前だ。女は本西と名乗り、雑誌名を幾つか出す。

 女はこちらの返事も聞かずに自己紹介や名刺を渡したりと慌ただしく上半身を動かして、

「では早速インタビューに移らせてもらいます」

 まだ私は名前を名乗ってないし返事もしてないのに捲し立てるように用件を始めてゆく。では早速じゃないでしょうに。

「雪山は過酷な状況だったようですが生還についての心境は?」

マスコミという奴はきっと『言論の自由』が魔法の呪文とでも思っているのだろう。

 遺族への感情……遺族私じゃないか。

「雪山では日本にいないはずの生物を見かけませんでしたか? 彼等の死因は本当に凍死だったのですか?」

 死んだ親戚や家族のことをうだうだ言われて、頭がくらくらする。何度も言わせないでくれ。私は何も覚えてない。あの日あの場所で何があったかは俺に聞いてくれ。

「うるせえな!!」

 ふと、目が醒める。入院用の頑丈なベッドがひしゃげて潰れていて、それに腰掛けていた女は失禁していた。このベッド古くなっていたんだろうか? 私は今夜何処で寝ればよいのだろう?

 

 ##

 

 何時か見た天井。ああこれは夢だ。現代建築の象徴の真四角でまっしろな部屋で私は眠っているはずだ。屋根の高い三角の天井。雪国の工夫。ここは見覚えがある。蝋燭の灯がチラチラと建物の色々なところにゆらめき、私と彼の間には囲炉裏がある。

「よお、久しぶりだな」

 そう言って話しかけてくる彼にも見覚えがあった。狼を無理やり人型にして着物を着せたようなその姿。

「体は丁寧に扱ってくれよ? 今回叩き付けたのが左だったからよかったようなものを」

 どういう意味だろうか。叩き付ける? よくわからない。

「これから何が起ころうがどれだけお前が悩もうが俺はお前の味方だ。お前の不利になるようなことはしないさ、まあお前は嫌がるだろうが」

 彼が味方を名乗ったとき何故かとても違和感があった。味方なんて生易しい存在だったろうか? もっと近くてもっと疎ましくて……なんだっけ?

「俺がお前に話しかけるのも元はあり得なかった。まあ、これもお前の我儘のせいだ。我慢してくれ。それはそうとあまり腹を空かせすぎるなよ」

 空腹は全く感じないし、栄養剤は受け取ってる。問題はないはずだ。

 

 ##

 

 ある女が自室で羞恥心と闘いながらもテレビで自分の写るビデオを確認していた。

 自分が写ってるのはもう無視だ。カメラの置き方を間違えたらしい。

 マスコミは昨今の世間ではマスゴミと呼ばれる。殺人事件や猟奇事件が起きてそれを調べあげるまでが自分の役目だと彼女は思っている。

 しかし、ニュースとして取り上げられるかどうかは事件の猟奇性や残虐性では左右されない。ヤクザの組長がめった刺しにされても一日話題になるだけでその後特集は組まれない。

 けれど、そのへんの女子高生がナイフで一刺しの損傷の少なく陵辱もされてない死体が見つかれば大騒ぎだ。そして結局犯人が異常だから、アニメとゲームと漫画のせいということで片付く。

 結局、自分が恨まれてるとは思っていない視聴者たちは殺された側の粗探しをまず求め、ホコリが出なければとりあえず世間一般で少数派に位置する者の所為にする。

 自分がああいう目に遭う心当りがないから隣にいるかもしれない異常者に怯える。目を背けるためのスケープゴートがアニメやゲーム。彼女は思う、自分達の仕事は調べる所までだ。だから、マスコミをマスゴミにするのは視聴者の方だと彼女は思う。そんな彼女でもその光景は信じたくなかった。視聴者のように目を背けたかった。

 あの男は包帯に巻かれている、怪我をしている筈の左手を振り下ろしただけでベッドを潰してみせた。その振り下ろした腕のシーンを何度も何度も繰り返す。

 その直後には自分の恥が映っている。繰り返す度にそれを見る。振り下ろした時に翻った左の袖と包帯の間。そこには腕毛とは程遠い、毛並みともいうべき物があった。色は男の髪とは違って、灰色だった。灰色の毛並みは、男の喉元にもあった。びっしりと生えていた毛並みは男が我に返ると同時に塗り潰されるように人の皮膚に戻っていった。

 

 ##

 

 最近病院の食事係が愚痴っている。噂話もよく聞くようになった。もったいないお化けの噂。現代科学の結晶である病院で何をアホな話をしているのか。もったいないオバケは生ごみがお好みらしい。

 青いポリバケツを漁る毛むくじゃらの左手、ノースリーブだそうだ。

 外出許可を貰っている入院患者はコンビニの廃棄弁当の話まで持ちだしていた。賞味期限が切れたからなんだというのだろう。私には関係ないな、食べないんだから。養分は錠剤で足りていても胃袋の機能はあるはず

 何故だか左手首が痒い。目を覚ましてから時々痒くなる。包帯はまだ取ってはならないのだろうか? 入浴も未だ許可が出ない。

 ところで、昼の食堂のテレビニュースは淫行教師を必死で叩いていた。私には彼が悪い事をしたようには全く見えなかった。次代を繋ぎ金まで渡している。責任感あるオトナの対応だし教師は未婚だった。高校三年ともなれば既に子宮も整っているだろうに教師は異常性欲者と呼ばれていた。

 次代を繋ぎ社会に貢献する行為が罪深く隠しておくべきとされる理由がよくわからない。私にはあの行為の光景よりもこの前のグルメ番組のレポーターのほうが卑しく見えた。

 錠剤を受け取り水で流しこむ。ストレスの薬、鎮痛剤、エトセトラ。

 

 ##

 

 一匹見たら三十匹いると思え。Gの話ではない。マスコミの話だ。昼食を終え病室に戻ると別のがいた。ナースコールボタンで丁重にお帰りいただく。

「一人だけ生き残ってそれについての心境は何かないんですか!?」

 ドアの向こうから聞こえた質問に、目眩がした。そうだ、そもそも私は生き残りたくなんかなかったのだ。

 

 ##

 

 もったいないオバケの正体は十中八九予想がついていた。彼が空腹を訴えないわけだ。もう猶予はない。論文とか言ってる場合じゃない。自殺していただこう。錠剤食の彼は睡眠薬も支給されている。同じ種類を点滴に混ぜれば医療ミスにはならない。

 点滴袋を準備して廊下に出た時。体の右側に激痛が走った。

「悪いなあ、死には敏感でよ。なにせ死にたくねえからな。ついでに、夜食もいただくか」

 

 また、いつもの天井。

「よ、死にたがり」

 狼はいつも左前の浴衣姿で左手を胸元に突っ込んでいる。

「死にたいわけじゃない」

 ここしばらく夜寝る度に狼の家を訪ねている。

「生きるか死ぬかオンかオフしかないんだぜ? 生きたくないなら死にたいってことにならねえか? 共倒れは勘弁なんでな」

 毎度毎度饒舌な割に肝心なことは何も教えてくれない。というか何についての話をしているかさえわからない。

「それにあんなちゃちい錠剤で足りると思うのか? もっとまともなもん食え。俺を出張らせたくないだろう? 俺もあまりしょっちゅう出かけたくねえしな」

突然、狼が何かに殴られたように跳ね飛ばされた。ここには自分とあいつしかいない。

 見えない何かがいる……のか?

 自分自身見えない何かに引っ張られる感覚があった。

 

 ##

 

 目が醒めると警棒をもったコンビニ店員が俺を睨んでいる。

「残飯だからって無断で食っていいわけじゃねえぞ!? こら犬っころ!!」

 人間には人権とか生きる権利とかぬかす癖に人間は人じゃないものに厳しい。そもそもどこまでが人間かだって時代に拠って宗教に拠って肌の色に拠って色々変わったもんだ。俺が腹減るのは何も悪くねえ。

 左手の指が動くことに気付いた。包帯がとれている。そこには毛皮に覆われた懐かしい手があった。灰色の毛並みに鋭い爪。爪は指の上側からじゃなく先端の中心から生えていた。

 血の臭いがする。後頭部が痛い。血の匂いは指先からした。

 使い方は分かっている。爪は鋭く毛皮は広く。振り下ろされる警棒を掴み、へし折る。そのまま左を薙ぐように振った。

 奴の腕が輪切りになって地面にこぼれる。

「ひ、うあああああ!!」

 左しか使えないのは不便だが仕方ない。まだ牙も右も俺にはないんだ。

 

 ##

 

 朝、目が醒めると病室が変わっていた。窓に鉄格子が付きドアは鋼鉄製。そして、警官が私の表情を伺っている。

「この近くのコンビニのバイト店員とここの医者が殺された」

 警官が凄みを込めた声で私に告げる。次に聞かれるのは刑事ドラマを見たことがあれば誰にでも分かった。

「昨夜、何処で何をしていた」

 そう、アリバイのお話だ。こっちが聞きたい。何故部屋が変わってるのかと返す。

「ふざけるな!! 死体からお前の歯型が出てるんだよ!!」

 馬鹿言っちゃいけない。人間の筋力じゃ絶対できない状態にぶっ壊したんだ。俺だって容疑者には入らないはずだ。ああそれとも俺は人間じゃなくて日本にいないはずの怪物なのかね?

「歯型なんか3Dプリンターでも作れるじゃありませんか」

 今何か思考に靄がかかった気がする。それにしてもどうしてみんなそっとしておいてくれないのだろう。私は遭難についても死んだ者についても、何も知らないというのに。どうしてみんな、私が知ってる前提で追い詰めるのだろう。考えたくない、知りたくない、食べたくない、関わりたくない、……もう、いらない。

(本当か?)

 もう疲れた。警察がなにか喚いているけど聞こえない。左手首がいつも痒かった。それが腕を伝って痒みが広がってゆく。包帯が破ける音がして、

 

 ##

 

 いつかの天井。またここだ。

「おいおい、いい加減にしろよ」

 また狼は私に説教をする。

「折角色々配慮してるのにお前がバラすの? マジで?」

 いい加減にして欲しいのはこちらだ。どうして皆私に問う、私を責める。

「そうだな、お前は何も悪くねえよ。ただ死にたくなかっただけで、その後自分が怖くなっただけだ」

 狼が初めて左腕を袂から出した。狼には左手首がなかった。それどころか左手首から糸が解けるように消えてゆく。消えてゆく体が未だそこにあるかのように浴衣は膨らんだまま。

「お前はあの時手段を選ばなかった、イキモノとして当然のことをした。お前は自分を責め、自分を恐れ、俺を作った」

 イキタイ?

「ああ、お前が食いたくないのも、考えたくないのも、全部俺が持ってったからだ」

 狼はもう左腕がまるごと解けてしまった。胸元から下へ、腹、脇、脚……。

「お前が望んでいなくとも俺が望む。俺は生きたい。どんなことがあっても何が何でも生きたい。お前が捨てれば捨てるほど俺はそれを拾う」

 私はそんな必死になれない、なりたくない。私はただただ疲れているんだ。もう何も考えたくない。

「なあ、これがほんとうに最後だぜ? いいのか?」

 狼は宙に首が浮いてるだけになった。狼は未だに私を気遣う。早く体を乗っ取りたかっただろうに。私はもうイキたくない。

「俺は生きたいし行きたい。じゃあな」

 狼が完全に目の前から消えて、それまで見えない体に支えられて着られているようだった和服がバサリと地面に落ちた。

 

 ##

 

 包帯の千切れた左手を振り下ろしたら警察は黙った。鋼鉄製のドアは右足で蹴り潰した。悲鳴を上げた看護師の喉笛を噛み付き振り回す。鉄格子のない窓をぶち抜き俺はもったいないお化けになった。

 しょぼい噂を立てられたもんだぜ。




せっかくの狼男モノなのにバトルさせてなかった。不覚……。
 
 話に分岐作れる人ってすごく羨ましいです。私絶対無理ですわ。
 話作るときは大概一人の人生考えてそこからエピソード切り取ってくるんで分岐もクソももう選択肢は選び終えてるんですよねー。そもそも選択肢のある人生ってなに? 親戚にがんじがらめにされて私の人生選択肢なんて殆どありませんぜ。
 既に年末と正月の予定が決まってるんだぜ。どうせまた酔っぱらいの介護なんだぜ。チビ達のおもりなんだぜ。つうかあのガキどもはお守りより重りがいる。てんてんばらばらに走り回るわ障子破るは階段から落ちるわ、もういやだ。


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自分のための利益

http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=4903606
この作品はサークルのアカウントで別所にも投稿されています。
あちらに評価を頂いても私は把握できませんのでご容赦ください。

……前話にもある通りこっからの雑食は駄作だらけです


 僕の住んでいた孤児院には定年があった。職員の話ではない。孤児の側に定年がある。女子は二十五歳まで。男子は十五歳まで。僕はそれをずっと幼い時から知っていた。

 隣のベッドで眠っていた兄が部屋にやってきた職員に注射された。兄は目を覚まさないまま職員に担がれていって、二度と帰らなかった。僕は寝た振りをしていた。それから大勢の兄姉が消えて、大勢の弟妹が入ってきた。

 後三日で僕も十五歳になる時、僕は職員に聞いてみた。どうして十五歳なのか、女子の猶予は何故か。職員は得意気にどうせ逃げられないのだからと全てを教えてくれた。あの時、人身売買組織とか風俗とか臓器とか娼婦と男娼の寿命の違い、文字の読み方すら教えず家事と敬語を叩き込むあの孤児院で育った僕には難しい話だったけれど、今の俺にはよく分かる。というか、俺もめでたくアンダーグラウンドだ。切り売りするのは自分の命だけだが儲けはあいつらよりあるはずだ。なにせ手間暇掛からない。

 

 僕はせっかく教わった土下座とか、お掃除とかご奉仕とかをすることもなくリサイクルに回されるのが嫌だった。けれど、お前達は尊師様の利益となるのだと言われて育った僕には、自分が育つのに必要だった費用についてよく言われていた。だから、仕方ないと定年の二日前までは思っていた。

 どうやら僕はリサイクルに回しても使われない、タイミングよく怪我や病気の人がいなく僕の体はしばらく保存されるが間に合わず剥製として売られるだろうと言う話が夜中に職員室から聞こえてきた時もバラバラにされるよりは僕を欲しがってくれる方がいいかなと思っていた。その時、赤字という言葉が聞こえた。それまで受け入れていた全てがガラリと変わった。それは受け入れられない。尊師様には会ったことも声を聞いたこともないけれど、利益にならないのは嫌だ。育ててくれた誰かへの感謝を示す事が出来ないのは嫌だとその晩夜通し泣きながら気付いてしまった。あの晩寝た振りをしたのは何故だったか。僕は死にたくなかったのだと。嫌だけれど仕方ない、せめて意味がありますようにと思っていた。意味が無いと言われて、死にたくないだけが残った。今でも死にたくないと、それだけで仕事をしている。死にたくないなら仕事をやめればいいはずなのだが何処の国へ行っても俺の元には前職と関わる仕事が入ってくる。そうやって前職と言いたくても言えない日々が続く。

 

 家事を任されている僕等はマッチの場所を知っていた。灯油の場所も知っていた。買い出し袋の場所にはリュックサックもあった。そうして僕は定年前日、育った場所に火を付けた。リュックサックには日持ちのする缶詰を詰め込み、姉達と弟妹達(定年が早いので兄はその時いなかった)を見捨てた。僕が利益を生まない無駄ならば他の皆もそうなればいいと思ったからだ。初めて見る金網の外を歩いて行き、缶詰が尽きれば、道端で土下座した。繰り返すうちに土下座より路地裏でご奉仕する方が、利益が出ると気付いた。今思えば、投げ売りもいいとこだったな、安い物には安い気遣いしかしない。掛けた金の分だけ思い入れを移すのが世間って奴だ。毎日切れ痔だったのも当然だ。

 

 ある時、珍しく仕事場がベッドの上だった。真っ白いシーツなんて孤児院でも見たことがなかった。ドアをドンドンと強く叩く音はよく憶えている。ドアを蹴破った覆面の人たちが客を撃って、神の名を叫びながら慌ただしく出て行こうとした。お客を殺されて途方に暮れていた僕は連れてってと口走った。名前を名乗るとそれは名前ではなく番号だと言われ、異教徒の犠牲者を救うのも神の教えだと言って彼等は僕を縛って担いで運んだ。

 運ばれた先の地下室で、椅子に縛られた人が鞭打たれていた。何の偶然か僕はその人に見覚えがあった。何度も何度も鞭打たれながら尊師様の名を唱え、助けを求めていた。

 異教徒に助けなどない、尊師はただのペテン師だ。そう繰り返しながら尊師の居場所を吐くように命じる。鞭打っていたのは背の高い女の人だった。迷彩柄の服を着て髪の短い人だった。鞭打つように指示した人に皆敬語を使っているのに女の人だけは敬語を使わなかった。軽い口調でもなく、穏やかにもう無駄だ、洗脳が深い。と言った。

 鞭打たれていた人が今から殺されるとわかった僕は皆に僕はその人を知っていると言った。女の人はならば、入隊試験を兼ねよう。洗脳の度合いも一目で分かる。そう言って拳銃を二つ取り出して両方共一発ずつ弾を込めた。一つを僕に渡して、即座に女の人は僕の後ろに回った。もう一つの銃が渡された。僕の後頭部に銃口を突きつけながら言った。それが全ての始まり。その日まで俺は誰かの利益に身を任せる人形に過ぎなかった。

 

「好きな様に使うといい、お前が斃した分だけお前の利益になる」

 目の前には僕に掃除を教えてくれた人が椅子に縛られている。腕が震える、あの時台無しになればいいと思ったけれど嫌いだったわけでもない人がいる。僕の利益と女の人の利益が同じでなければすぐさま僕は死ぬだろう。僕の利益とはなんだろう、どうして死にたくなかったのだろう。何もかもがグチャグチャでよくわからない。縛られた人は僕の顔がわからないらしい。

「脅して殺人をさせるようならお前らのほうが邪教徒だ」

 息も絶え絶えに叫んでいる。僕に掃除とご奉仕を教えた人は僕のことを君と呼んだ。逃げろとかも言い出す。どう見ても無理じゃないか。

「生憎私は雇われで、彼等の宗教に興味はない。そちらがこちらより多く払えばよかっただけの話。こちらに付いた方が利益はあっただけだ。躊躇いが長いな、十、九」

 もう時間がない、腕の震えは止まらない。あの人の顔を見たくない。僕は目を瞑ったまま、引き金を引く。銃声は一発しかしない、僕は利益を得た。目を瞑ったまま、あの人の呻き声や叫び声が聞こえなくなったことに気付く。

「私のことは師匠と呼べ」

 女の人はそう言って、銃を奪い取って片付ける。弾は右目に当たっていた。

「あと、一人称は俺に改めろ。この業界舐められたら終わりだ」

 

「師匠は僕を助けたことでどれだけの利益を得ますか?」

 利益がないなら僕をこうして弟子に取るはずがないので聞いてみた。

「無い、私が利益を得るのは仕事を受けるときと片す時だけだ。お前もそうなる」

 では、僕はどのように誰かの利益になるのか。尊師を裏切った僕はどういうルートで売られるのか聞いた時、

「勘違いしているようだがお前が努力しようとどう死のうとお前が利益を生むのは一人分だ。お前を殺した敵兵がその分だけ利益を得る。お前がどう磨こうとお前が死ねばただの傭兵一人分の死体でしか無い。そして、それを受け取る奴もその戦場で殺した大勢を一人一人覚えはしないだろう。お前が誰かの特別となって利益を生むことはない」

 その言葉は今までの僕の誰かの利益になるための生き方の真逆を言った。

 そして師匠は僕に再び銃を握らせ、遠くにぶら下げた訓練用の的へ自分の銃を向けた。師匠が引き金を引く。だいぶ遠いけれど見間違えるはずがない。弾は的の右上の端っこ。

「師匠?」

「黙って見ていろ」

 次に当たったのは先程の穴のすぐ隣。次もまたその隣、次も次もその次も。そうやって的の端っこまで、穴が並んだ。ぷつりと紙で出来た的は千切れて宙を舞った。

「僅かにずらすだけの連続射撃、ミシン穴とこの技術を呼称する。複数の標的を狙うのと違って狙い直すのではなく角度と距離を意識する必要がある。銃に慣れるにはこれが一番だ。これが出来るようになる頃にはお前の利益は仕事によってのみ生まれる。そして受け取るのは他人ではなくお前だ」

 銃はとても重い。腕をピンとまっすぐに伸ばしていると余計に重く感じた。心臓が動いているから体は常に振動する。振動を少しでも減らすためには呼吸を止める。肩の上下の動きが抑制される。呼吸を止めると目が霞む。その前に撃つ。連続射撃を命じられたので呼吸を再開せず撃ち切る。拳銃から十五発弾が出て、練習用の的の採点円が丸く切り取られた。とても難しい。

「直線になりませんでした、師匠」

「ミシン目自体は出来ている。弾倉を入れ替えろ。次は構えてから二秒以内に」

 呼吸を止めるタイミングを掴むのにはあまりに少ない持ち時間。これが出来るまで僕は四日かかった。その頃には銃の重さにも慣れてミシン目は直線になった。

「とんでもない化け物を拾った」

 師匠はボソリと呟いたけれど僕にはよく聞こえていた。

 

「次の訓練はこれだ、地面に落ちる前に撃て」

 師匠が空き缶を投げる。僕は両手持ちの狙撃銃でそれを撃つ。段々と一度に投げられる缶は増える。

「動くものを手早く連続で狙う。実戦で立ち止まる敵兵はいない。単独で行動する敵兵もいないと思っていい」

 一つ投げられた。成功。二つ投げられた。成功。三つ。成功。四つ成功。五つ失敗。失敗。失敗。失敗。成功。六つ投げられた。成功。

「そろそろ弾倉の数が限界で同時に撃てなくなるはずだ……そもそも一日目でここまで撃つとは思ってなかったが」

 七つ。成功。八つ、一発足りない。薬室に一発仕込んで弾倉を替える。成功。

「……これ以上は無理です師匠」

「これ以上を想定した訓練じゃない。……一日で終わらせることも想定していない」

 師匠は時々妙な目で僕を見る。その日から朝起きたらミシン目三枚と缶七つを二セット。これを日課にするようになった。基本ここの食事は三色ベジタブルの缶詰なので缶は尽きない。戒律は大事らしい。尊師たちは戒律を守っていたけれど僕は信者じゃなく商品なのでお肉はたくさん食べさせられた。懐かしい限りだけれどあそこを出てからお肉一度も食べてない。そろそろ三色を食べ続けるのは限界を感じる。

「ここの食生活は今までの職場の中では上位に入る。まず毎日食事が支給される方が珍しい。お前は今まで飽食していたからもっと減らせ」

 師匠の容赦の無さは留まることを知らない。

 

 日付を数えるのをやめ、ご奉仕に向かない筋肉質な体になった頃。昼の訓練の途中で外が騒がしくなってきた。

 見覚えのある顔が窓の外に並んでいる。皆火傷の痕がある。あの顔じゃあ商品にはならなかっただろう。

「腹に爆弾巻いているだろうな。ヘッドショットだけで終わらせろ」

 それから丸一日中射撃を続け、見覚えのある顔が尽きても行列は止まらない。あそこあんなに人貯めこんでたのか。師匠はとっくに狙撃を諦め爆弾は爆弾で処理するものだと言わんばかりにグレネードランチャーを乱射する。

 僕が撃てば撃つだけ僕は利益を得ると師匠は言ったけれど、僕に利益をくれる人達の顔を僕は次から次へと忘れていく。僕もああなっていたのだろうか、あそこにいる昔の僕等は疑問も恐怖もないまま手を繋いで倒れたものを引き摺りながら前進して、散る。

 師匠も僕も無言のまま、ただ撃った。日が沈む頃。ようやく静かになった。僕等以外にも雇われていた傭兵も皆疲れきっている。どれだけ楽勝で勝てて当たり前でも射撃は疲れるものだ。

 

 一段落ついて報酬を受け取り、その土地を去る時。師匠は言った。

「何人撃ったか覚えてるか?」

 僕は覚えていなかった。これでは自分の得た利益がわからない。彼等は僕の利益になったはずなのに僕はその利益を数えることすら出来ないのだ。

「そんなものだ。これで誰かの利益になるなんてもう思わないだろ?」

 そう言って師匠は初めて笑った。僕が誰かに利益になる事について懲りるのはまだまだかかる。その笑顔を見て僕はそう思った。

「ところでな、私がミシン目を二秒直線で出来るようになるのに一月半かかった、いい拾いもんをしたよ」




 もっと絶望感ある戦局を書くはずだった。戦争モノは相変わらず苦手だ。
 ちなみに、私は自分の為にも他人の為にもならないことをして時間を無駄にしてます。
 一刻も早く死ねばいいと思います。腕の良い通り魔絶賛募集中。麻酔要りません。

当時のあとがきをそのまま掲載

締め切りに追われるとすぐこういうこと言い出すんだから


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龍の書き記した道

ちなみに私の所属してたサークル名は文芸部ではなくSF研究会です

SF書けよといわれて出たのがこれ


 バスが森を行く。バス停を通過する度にバス停は小汚くなっていった。

 傷心旅行は田舎に限る。それも冗談みたいな秘境。観光地にはなってないが温泉はあるらしい。

 突然、視界がめちゃくちゃに揺れる。バスが横転し、ガラスが飛散る。バスの外からこの世のものとは思えない咆哮が響いた。

 おいおい、たった一人とはいえ一応乗客なんだから見捨てていくなよ。と、文句混じりに助けを求めようとして、直後に鱗の吐いた巨大な脚を見た。

 例えるなら鳥の足だ。鉤爪の付いた三本指と後ろ向きの鉤爪付きのもう一本。申し訳程度の太さの鳥の足と比べるとそれはサイズ比だけでは説明がつかないほどに太い。

「生きてるうちに見られるなんて!!」

 運転手の声がした。そのすぐ後に絶叫、骨がひしゃげる音肉が裂ける音。そして血の雨が視界を染めた。

 ずしりずしりと巨大な音が遠ざかってゆく。それが足音で、自分は安全圏だと気付くのに大きな時間を要した。

 

##

 

 なんだあれなんだあれなんだあれ!!

 あの巨大な脚は何だ、運転手はどこへ行った? ひたすら走る。バスが進んでいた方角、切り払われた山道。この先にはバス停があるはず。バス停があるなら村だってあるはず。

 遠くの方でまた足音がする。このまま走っていていいのだろうか、あの巨大な何かはこっちに気付いただろうか、ひたすらにさっきまで感じなかった恐怖が頭を掻き毟っていた。

 心臓が重い、肺が熱い、脳が脈打つ。

 明かりが見えて、意識が遠のいた。

 

「よう兄ちゃん、何があった?」

 目が覚めると老人がいて、俺は布団の中だった。

「鱗の……化け物」

「ほう、鱗。龍神様にあったのかお前、バケモノだなんて言っちゃいけねっぞ? バチあたりもんめ」

 見知らぬ老人が次から次へと見舞いに来た。どいつもこいつも嬉しそうにしている。見知らぬ人の見舞いに来て何が嬉しいんだこの方々。

「なにか目出度いことでもあったのですか?」

「龍神様がお見えになったんだろう? 祭りに決まってるじゃないか」

 龍神様? こいつら何言ってるんだ?

「見たんだろう? バスの運転手が龍神様に選ばれるのを」

 認めたくなかったし理解したくなかったが、龍神様とやらはアレのことらしい。

 人が死んだというのに何を喜んでるんだ? 言うに事欠いて祭だと? 

 せっかくの旅行だがこの村にいてはいけないような気がした。

「そういや名前聞いてなかったな、俺はこの村の村長の三枝ってもんだが」

「二谷」

 名乗った瞬間また老人が嬉しそうな顔になる。

「いやー運命ってあるもんだな、お前さん祭りの参加決定だ」

 こんな背の曲がった爺に運命とか言われた。泣きたい。

 眠気が抑えられず、また意識が薄れてゆく。

 

##

 

「龍神様が出るなんて俺らのガキの頃以来じゃねーか?」

「あの時の祭りでは三枝のじーさんが選ばれたんだっけか」

「運転手は運が良かったなー」

「それはそうとあの兄ちゃん二谷っていうんだって?」

「そうそう、偶然なわけねーよな」

「今度の祭りは龍かな? 隠しかな?」

「どーだろーなー」

 

##

 

 窓の外では既に何かの舞が始まっていた。人が龍と聞いて思い浮かべるであろう様々な姿のパターンのキグルミが相撲をとっている。ようにしか見えない。

 キグルミは相撲を取り、その周りには手のひらサイズの人形が置かれている。

 キグルミが人形を食う様を称えるような古めかしい詩。

「二谷、目が覚めたか、ようやく祭りの本番だ」

 縛られ神輿に乗せられた俺を三枝が見ていた。何がそんなに楽しいのか。

 神輿は山へ向かう。

 やめろ、奴が出たらどうする。

 横転したバスの横を通り過ぎたあたりから道を外れる。

 その足跡おかしいと思わないのか?

 参道もないのに掃除の行き届いてることが一目でわかるきれいな神社。

 神輿はその境内に置かれた。

 龍のキグルミが踊っている。人形が踏み潰される。黒い布で隠される人形。龍のキグルミ。

 舞を見ているうちに段々とわかってきた。これは生贄と神隠しの寓意の舞だ。

 あのバケモノが来た元の場所へ消えるのが神隠しで、来る前に食われるのが生贄なのだろう。

 足音が聞こえる。

 

 ズズーン。

 

 間違いなくそれは自然現象の音じゃない。吐息の音も動物園でも聞けないほどに大きく荒々しい。

 

 ズズーン。

 

 確実に近づいているのに踊りをやめない。

 足が、木を踏み潰した。

 飛びかかってくる巨大な顎。

 

##

 

 気づくと見知らぬ所にいた。死んだのか? 建物の中だろうか? あの世にしてはメカメカしい印象を受ける。

 縛られたままの自分を自覚して、あの世ではないと確信した。

 ならこれは何なんだ?

『御機嫌よう、クルー』

 電子音声だ。目の前にあった身の丈ほどの大画面に唇が移りそれが喋り出す。

「ここはどこであんたは何だ?」

『私は実験番号TT02、のサポートAI。基本事項を把握していないということはあなたはクルーではない』

 無機質な声が神経を逆撫でする。

「お察しのとおりだよ、できれば解いてくれると助かる」

『その前にあなたには私についての基本事項を把握してクルーとしての資格を得ていただかねばならない。私はタイム・トラベラー02。この船のCPUに搭載されている』

「船?」

 潜水艦だろうか? それともここは船室だろうか? 俺の知ってる船とは空と海と揺れとともにあるものだが。

「私の任務は暴走した時航空エンジンの制御を試み続け、且つ転移した原生生物の回収及び帰還である」

 いつこの説明が終わって自由の身になるんだ?

「つまり俺も帰れるのか?」

『答えはノーだ、暴走したエンジンは意図せず起動を起こしランダムに周囲の生物を転移させ意図した駆動においては誤差約百年から百五十年が予測されるだろう』

「は?」

『年月の概念も知能もない原生生物はこの環境へ帰還できれば概ね問題無い。しかし、あなたは違うのでは?』

 こいつが何を言ってるかようやく分かった。ここはタイムマシンの中らしい。ってことは原生生物は龍神のことな訳だ。そして龍神とは……。

『私の行為は平成の中盤辺りまでは神隠し及び多神教の顕現として扱われる』

 ああそれは見てきた。

『しかしさらに時代が進んだ時私の行為は観測を受けるだろう。しかし人類は私の行為を自然現象として認識し、研究し私が作られる、もはやこの世界において原因と結果は捻れてしまっている』

 段々何を言ってるのかわからなくなってきた。早口になってゆく02の無機質な声。ただ開いたり閉じたりするだけの適当な動きの唇の映像。

 頭がおかしくなりそうだ。

『私を元に私の前号は作られる。更にそれを元に私すなわち02が製造され、ようやく実験が行われる。結果は失敗。先ほど説明した私の任務はその際事故死したクルーの最後の命令である、私はより後に入力された命令を実行する。よって新しく私の現状を把握しクルーとなったあなたの命令を要求する』

 つまり、狂ったタイムマシンがこれから何をするか決めろと言われたのか。

「事故が起きたって言ったな、お前の頭は大丈夫なのか?」

『暴走を起こしたのはCPUではなくエンジンだ』

「帰れないって言ったよな」

『イエス。あなたを正確に元の時代に返すことはできない。前後百年程度の誤差は覚悟して欲しい』

「お前がここにいるから未来のお前が事故を起こすんだよな、お前を破壊する方法は?」

『あなたがその質問をすることは僥倖だが、あなたは重要な選択を迫られる』

 そりゃあこの船壊したら俺は帰れないものな、せめてエンジンとやらだけでも壊して俺はこの船で人生を終えるってのもありなんだが。

『この船には自爆機構が積まれている。しかし外部からの操作や実験妨害に対抗し、内部のエンター入力によってしかそれは起動しない。この船と運命を共にするクルーが最低一人必要となる』

 え?

「よってあなたが取るべき選択は二つ、誤差百年の帰り道か、ここで即座に爆死かだ」

 は?

『更に帰還する場合、機密保持のためにあなたの記憶を消去するが、どの程度の記憶損傷となるかは不確定だ』

 おい?

『しかし、元の時代への帰還が事実上不可能な以上記憶喪失の放浪者となったほうがどこかの集落に溶け込みやすいのではなかろうか』

 なんでこんな勝手なことを言われているのだろうか。俺の人生どこで間違ったんだろう。死ぬか、俺じゃなくなって見知らぬ土地かの二択。つまり、「俺」は間違いなくここで消えるわけだ。

『さあ、現状最後のクルーよ、私に命令を』

 

##

 

 名前以外の記憶のない私を村の人達は快く受け入れてくれた。この村では時々あることなんだそうだ。神隠しや記憶のない異邦人。そして、龍神様。

 私がこの村で平和に暮らせるのはきっと龍神様のお導きなのだろう。

 山の中で私を拾った村長に世話になりながら薪を拾う生活が五年ほど続くうち村長の娘と仲良くなった。

「儂の祖父もお前さんのようなよそもんだった。遠慮はいらない。娘と村を頼む次の村長はお前さんだ」

 

 ##

 

 ここ最近神隠しが続いておる。娘の婿も消えてしまった。そろそろ代替わりのつもりだったがもうしばらく踏ん張らねばならんらしい。せめて孫の顔は見たいものだ。

 孫は娘婿が三枝と名付けた。だというのにその名を呼ぶこともなくいなくなってしまった。

 神隠しもまた龍神に選ばれた者だ。目出度いはずなのになぜこんなにもやりきれないのか。

 村の皆が喜び踊るさまがどうしてみていて辛いのだろう。

 儂は結局よそ者ということなのだろうか。

 

##

 

 神隠しが収まって数年が立つ。この村では珍しく、妻に先立たれた老人となった。

 大抵は爺が先に死ぬものだ。

 まだ頑張らにゃならんわ、孫に村を任せられるようになるまでは頑張りたい。

「じー、栗拾いいこー」

「おー、まだまだ三枝には負けられんなー」

 いつの間にか栗拾いが薪拾いになってキノコ集めになっていった。

 

 ズズーン。

 

 懐かしい足音がする。あれ? 龍神様に儂はお目見えしたことがないのになぜこの足音を知っとんだ?

 

 ズズーン。

 

 目出度いことだ、また誰かが選ばれるのだろう。目出度い事なのに何故か胃がキリキリと痛む。

 

 ズズーン。

 

 足音が近づいてくる。

 

 ズズーン。

 

「じー、この音なーに?」

「よく覚えておきなさい、もうすぐ村の守り神に会えるからな」

 

 ズズーン。

 

「龍神様?」

「ああ、そうだ。すっごく大きくって強い神様なんだ」

 

 ズズーン。

 

 やりきれないこともあった。ままならないこともあった。

 が、龍神の顎の向こうには楽園があるのだ。

 儂も選ばれたのだ。

 

 ありがたや、ありがたや。




これはひどい。字数も内容もひどい。反省会待ったなし。


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後継ぎなどいらないくせに

そろそろこの保管庫もおしまいかな

土を掘る音が好きです。落とし穴を掘る音が好きです。ロケット団が好きです。


 杉の木の皮は逆剥けを重ねたようになっていて、素手でもペリペリと剥がすことができる。その剥がした皮程度が狭い小屋の暖炉にはちょうどいい。暖炉は火を部屋の中に晒すことで成立する暖房器具だ。よく燃えて長持ちする薪は火を見張り続けなくてはならないため私には少々辛い。そもそも眠っている時が一番楽だし、眠ってさえいれば私は寒さも暑さも関係ない。曇った夜空に星は映らず、雲と空の協会は見つからずただただ薄暗い新月の夜。ざくりざくりと硬い地面を穿つ音がして、私は仕事がやってきたことを知る。

 

 旅の途中男が偶然訪れた村で、葬式が行われていた。雨の晴れかけた夕暮れ、弔われてゆく娘は駆け落ちから戻ってきたばかりだったという。男にはすぐ分かった。この葬列の誰が親で、娘は何故死んだのか。身なりの良い口髭の男とその妻が悲しそうな演技をしていた。清々したと、恥を片付けられたとそう言っているのが男には聞こえているかのようだった。慣れない土地での病で逝った? 笑わせる。堕胎のついでの間違いだろう? 葬列の目の前を横切りながら男はそう嘯いて投石で追われた。げたげた笑いながら男は立ち去ったふりをした。

 墓地は杉の木の人造林で囲まれ霧が晴れない。まっすぐに伸びる杉の木が乱立するさまは遠目には壁のように見える。日が沈めば杉の木たちが村の明かりを阻み、今夜のような新月は墓地から色彩を奪う。

 ひとつ全ては金のため、ふたつ全ては天下の周り物、みっつ全ての権威を削ぎ落とせ。

 鼻歌を歌いながら男はツルハシを操る。でかい獲物が眠ってると知っている時ほど愉快な仕事はない。新月の夜、色彩のない世界で目は蘭々と光をはらむ。

「なにをしているんです?」

 抑揚はないが清らかで、それでいて空寒い、枯れ果てた老婆のようにも花も恥じらうような年頃のようにも聞こえる声がした。

「カネになるもんが地面の下に埋まってんだぜ? 天下の周り物がこんなトコに留まっていいわきゃねえだろ?」

「立ち去りなさい」

 声の主は女物の喪服を着ていた。右手のランプがゆらゆらと乱暴に扱われながら世界に色彩を戻す。ベールで顔は覆われ、わずかに覗く紫色の唇のみ。足音もなく衣擦れの音すらなく、素足のまま近づいてゆく。

「死人本人は文句言わねえぜ? 疎まれた娘の墓だ、生者も文句言わねえし」

 光をはらんだ目が細く歪む。それが笑顔だとわかるにはまだ両者の距離は遠すぎて、ランプに与えられる色彩が男に届いていなかった。ざくりざくりと土を掘り返す音は静かな会話の中でも途切れない。

「私が文句を言います、立ち去りなさい」

 再度の警告と同時、べきりと土以外の音がした。木で出来た夕暮れに埋められたばかりの真新しい棺にツルハシが突き刺さる。

「安心しろよ、死体に興味はねえから。副葬品だけ相場の半額で叩き売って、ついでにこの娘の親の家系を曰く付きにしてやんのさ」

 色彩が戻った男は焦げ茶色のボロ布をマントのように羽織っていた。

 棺の中にはネックレスを掛けられたまだ幼さの残る顔。唇だけが生者の様に瑞々しい。

 堕胎に失敗して毒で死んだにしては腹が平らになっていた。副葬品はネックレスだけではない。指輪や化粧品、手鏡。あちらへ逝っても困らないように。そんな気遣いの見える副葬品を選んだのは母親なのだろう。

「カッ、死人は気遣いされても知ったこっちゃねーっての」

「弔いは生者への慰めです、死者はあなたの言う通り何も感じない」

「弔いするような奴は棺の中を確認しねえよ、結局此処にあるだけ無駄だろう?」

 平行線な言い合いが止む。赤子の声がした。腹が平らになっていたのは中身が出ていたからだ。

 赤子の声に驚いた隙に喪服は盗賊からツルハシを奪う。それをそのまま棺から這いずり出てきた赤子めがけて振り下ろした。胴体を貫き、その大半が抉れて失われる。残っているのは手足と首のみ。

「何してる? ってか俺の商売道具に血をつけるなよ」

 責められる側だった盗賊が喪服を睨みながら問うた。

「この地に安寧があると生者に思わせるのが私の役目、死人の腹から生まれる生者はいない。この子も此処に留まってもらう。彼女の親もその為に彼女に薬を飲ませたはずだ」

 悪びれもなく、喪服は答える。

「此処で穴を掘るのは常に埋める為であって、掘り出すためじゃない。あなたも此処に埋まってもらう」

「しゃーねえな」

 右手にランプを下げたまま、左手一本でツルハシを戦斧のように振り回す。音もなく軽々と振るわれるツルハシを躱し、マントに身を包む。二撃目がマントを貫いた時、そこに盗賊はいない。

「何事にも例外はある。あんたが生者の癖に此処に留まるように」

 声は後ろからした。振り返ると盗賊は胴体の風穴の為にひしゃげてしまった赤子を抱えている。ひしゃげた体は手足の方向すらバラバラだ。

 が、それは動いた。赤子は自分の体に何が起きてるのか理解していないだろう。何一つ恐れることはないというように笑っている。

「例外はある、胴が潰れても死なない怪物とかな」

 盗賊は三撃目を躱さなかった。ツルハシが鼻面を貫く。無事な顎は減らず口をやめない。

「そもそも死なない奴は生きてるといえるか? 生きても死んでもいない例外とか」

 赤子の風穴がみるみるうちに塞がり手足の向きが戻ってゆく。

「例外同士仲良くしてやれよ。いやー悪かった。この副葬品はそのガキへの遺産であるべきだ。あーばよ」

 赤子の傷が完全に塞がると同時に、盗賊の姿は掻き消えた。宙に残された赤子が地面に落ちる前に、喪服はそれを抱き止めた。

「例外……仲良く……」

 気付けばツルハシもそこに既に無く、副葬品は無事なままの棺の上の地面に丁寧に積まれていた。何かに化かされたように、盗賊の痕跡はない。

「仲良く?……例外」

 喪服が言われたことをぼんやりと繰り返しながら赤子をあやしていた。

 

 物心ついた時には此処にいた。墓場に積もる落ち葉を片付けたり、葬儀の手伝いをしたり。墓暴きを殺して仲間入りさせたり。生者と死者についての話も誰かに教わったわけじゃなく、生活の中でそう思っただけだ。例外なんて考えもしなかった。けれど、よくよく思い出すと物心ついた時から背丈も姿も変わっていない私も例外なのではないか。対してこの赤子は急所の位置が違うだけで例外ではないらしい。なにせ食事を求める。

 

 杉の木で作られたログハウスで猫が居眠りしていた。それにじゃれつくようにして、赤子が襲いかかる。しがみつき、その脇腹に噛み付く。ずず、と何かを啜る音がする。猫がひしゃげ潰れ、皮と骨ばかりになってゆく。肋骨の下に臓器はもはや収まっていない。急速に干からびてゆきながら猫は呻き声を上げ続ける。声が止まると同時に、猫は塵と化して宙に消えた。赤子はただきゃっきゃと笑っていた。

 出会いからしてその赤子は狂っていた。あれは間違いなく人ではない。きゃっきゃと笑いながらその赤子は何にでも噛み付いた。既に吸うような中身も水分もないであろう薪や、墓地を囲む木々、喪服に食事として与えられた小麦粉の絞り汁は器に噛み付いて塵に変えながら飲み干した。獲物を塵にする度に赤子は育っていく。体のサイズではない、出来ることが増えてゆく。猫を塵にした時から木登りをするようになった。鼠を何十匹と与えているうちに色彩のない夜を高速で這いずり回るようになった。鳩を啜った時、脚を翼に変え逆さのまま羽ばたき飛んだ。

 食事を与えているといえばそうかもしれない。極力赤子を外へ出さず獲物になりうる物は家の中で放すようにした。

 怪物の赤子は育ってゆく。あどけない笑顔で、手当たりしだいに食い散らかす。それが少年と呼ばれる大きさになった頃、背中に跨がられてすすられたイノシシが干からびきらずに生き残った。

 

 まるで生まれる前から自分のものだったかのようにこいつの背は馴染む。まるで首輪でもつけたかのように。僕はそれが自分にできると知っていた。吸い尽くす事も、生かして従えることも。濃い霧の中を駆けてゆくとこいつの毛並みも僕の髪も僕の頬もじっとりと濡れてゆく。墓場を囲うフェンスの脇に僕の家はある。更にそのフェンスを囲むように杉の木が立ち並ぶ。杉の木の隙間を霧が埋める。視界は白く濁っているけれどこいつがいれば何も恐れる必要はない。蹄が地面を蹴る音は力強く、白を突き破って現れる樹の幹を躱しながら減速せずに林を突っ切る。イノシシから降りて目の前のドアを開く。

「母さん、仕事だ。領主がくたばったってさ」

「そう、じゃあ棺桶を作るところから」

 定期的に木を切り倒し、乾かしてある。これを四角い木材にしてかすがいと蝶番でまとめる。棺づくりはこんなにも簡単だ。どちらかと言うと材料の確保のほうが面倒くさい。霧の深い杉林の中では材木が乾かずカビる。そうして棺づくりを瞬時に終え、担いでイノシシに跨る。母さんは先に墓地で待つ。

 村の中を走ると誰も出てこない。死に関わる者と関わると余計なものを招くだとか何とか。よくわからない。領主の屋敷に向かうとみんな普段の母さんと似たような黒い服で僕を迎える。ここの領主は一人娘を病で亡くした後、婿養子をとって後継に育てたらしい。

 この屋敷のみんなは僕の顔を見てはっとした。何か驚くようなことでもあるのだろうか。メイドたちがヒソヒソとお嬢様に瓜二つとかあとは目と髪の色だけだとか言っている。昔死んだお嬢様がどんな顔だったにせよ男の僕と瓜二つというのはいい気がしない。他人の空似に決まっている。

 死人を表口で扱ってはならない。だから裏口から訪ね裏口から運び出す。家族や使用人達が馬車に乗ってついてくる。霧の杉林を抜け、金網の切れ目の門を開く。母さんは既に穴を掘り始めていた。本来農具であり命を育む手伝いをするはずの鍬で、固くて雑草もない痩せた土地を掘り返す。その間僕はスコップを洗う。前に使った時もちゃんと洗ってその後しまったから汚れ一つ無いスコップだけれども決まりの一部だ。もう一本汚れたままのスコップで母さんが掘り返した土をひとつの山にする。

 掘り終えた穴に棺を納め、きれいなスコップを遺族に渡す。まず次期領主の婿養子。さっき作った山から一掬いして、棺に土をかける。次は先立たれた領主の妻。一掬いして、かける。他にも数人の血縁とメイドたち。この間ただ一人を除いて無言のままだ。その一人が僕の母さんだ。墓穴の目の前に建てられた、まだ名前を掘られていない墓標。それに後ろから縋り付いて哭き真似をする。涙は一粒も流れないし、ベールで隠れた顔を気にする者もない。無言の中哭き声が響いている。死者に未練を見せてはならないから埋めている本人達は必死に涙を堪えている。その代わりを務めるように母さんは哭き続ける。

 穴が埋まりきって棺の体積分、土が余る。哭き真似をやめる母さんに代わって段々と堪え切れなくなった遺族たちが泣き始める。

「まだです、埋め終えていません。死者に泣き声が聞こえます」

 母さんは遺族たちを制し、僕にスコップを渡した。

「お祖父様にご挨拶」

 ああ、他人の空似じゃなかったのか。昔言われた堕胎をミスった父とはこの領主の事だったらしい。けれど僕は首を横に振って、スコップを受け取らなかった。母さんは僅かに首を傾げたけれど、僕に生みの母はいない。だから祖父もいない。いるのは母さんと僕を掘り返したという盗賊だけだ。

 僕等の仕事は一度終わりだ。僕等はここを離れ、遺族が泣いたり思い出話をする時間を与える。今夜一晩。それが終わればまた一日仕事が待っている。墓石に名を刻む。やり直しが効かない上に時間の掛かる仕事が待っている。

 僕等は生きていない。だから変わらない。死者が出ても出なくても。僕等はここで仕事をするだけ。




ヤマ無しオチ無しイミ無しと三本柱揃ってしまった。
ここまで描写ばかりに拘って、設定や伏線ブン投げたのも初めてだ。
三題噺なんかするんじゃなかった。

ちなみに出たお題は
盗掘屋 杉の木 首輪
でした。杉の木しか使ってないような気が……きのせいきのせい


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ファンタジー系
今日も明日も明後日も


連載ではないが世界設定は同一という
キノの旅に近い作品形式を目指したらしい
こういうのを身の程知らずといいます


 早朝定時、夜間自己分析(スリープデバッグ)終了。再起動(リブート)。

 本日の実行スケジュール確認。

 条件追加、項目、天候。

 命令の取捨選択のパターンに変更発生。

「今日は洗濯日和だなーっと」

 条件追加、項目、時刻。定時条件命令の実行。

「そろそろ朝飯を御用意しますかね」

 後方より生体反応接近。対象を確認。

「ボルクさん、今日の分の牛乳が届きましたよ」

 下位個体の一を確認。表情のパターンを補正。パターン微笑の七。言語入力を確認。反応パターンを実行。

「ああ、ナナリー。ちょうどよかった、今日はヨーグルトを切らしてたからな」

 条件追加、項目、物資。

 命令の取捨選択のパターンに変更発生。

 追記実行。下位個体への命令。

「さて、今朝はちっと贅沢にパンケーキといくか、ほれナナリー、お前も働け」

「牛乳運びの重労働したばっかりなんすけど!?」

「働け」

「はい……」

 

 ##

 

 壁も天井も紫に塗りたくられ、敷かれたカーペットも度合いは違うがやはり紫だ。そんな、高級感漂わないズレた内装の土地だけは高そうな館。名をカストロフォビア邸。

 その館の台所でソレは料理に勤しんでいた。顔の上半分は目出し穴のない鉄の仮面に覆われ、左の手首には蛇口のついた腕輪、服装は燕尾服。その姿は執事に見えないこともないが、たった二つの異物があまりにも冒涜的だった。

 パンケーキの生地を作る途中で、コップを取り出す。手首の蛇口をひねるとどぽりと重たい水音と共に血が溢れた。コップの八分目あたりで蛇口を閉め、小匙で一杯掬う。それを生地に混ぜ込み、もう二三回泡だて器で撹ぜたあとフライパンに流す。

 後ろで野菜を切っていた赤毛のポニーテールにメイド服の少女がコップに手を伸ばす。

 あと一歩で届くという時にその額に右の手刀が打ち込まれる。

「ナナリー、ソレはぼっちゃんのお目覚めの白湯だ」

 ソレに入っているのは水でもなければ白くもないが、目的として最も近い表現なのだろう。

「もう四日も飲んでないっすよ!?」

「わかってる、飲みたいサイズのコップを出せ」

 遠慮も容赦もなくナナリーと呼ばれた少女はビール用のジョッキを差し出した。

 左手の蛇口のコックがまた捻られた。

 

 ##

 

 紫色のシーツの天幕付きベッド、天幕から垂れ下がる青紫色の薄いレース。

 その中で眠るあどけない少年の肌と髪は限りなく白。

「ぼっちゃん、御目覚めの時間で御座います」

 もぞりと幼い体をくねらせて、寝転んだまま伸びをした。

「うぅ……あぁ」

 白い少年を起こしに来た執事は血の注がれたコップを取り出す。更にそのコップの口元を少しばかり手で扇ぐ。

「うむ……おはよう、ボルク。食欲をそそるいい匂いがする」

 幼子が寝起きでぐずるような声を上げ、僅かに頭を揺らした。すぐに正気を取り戻しその姿に似つかわしくない尊大な口調で、その姿に似つかわしい清らかな声を出す。

「はい、御早う御座います、ぼっちゃん。まずは御目覚めの一杯を」

 コップを握らずに手のひらに乗せて取りやすい高さで差し出す。

「ぼっちゃん、それをお飲みになったら御着替えです」

「どうせ着せるのもお前の仕事だろ?」

 上半身だけを起こして、枕にもたれかかりながらコップを受け取ると、ドロリと粘性の高い赤を一息に飲み干し、手のひらにコップを返した。

 床に素足のまま立つ少年の背丈は執事の鳩尾あたりに留まる。着替えは滞り無く進み、そして終わった。

 

 ##

 

 二十人が一度に着席できそうな長テーブルに椅子は一つだけ。テーブルの端から端まで皿が並べられている。

 皿に乗っているのは大半が肉だ。ディナーのコースのメインディッシュとして出されそうなものばかりが並ぶ。

 しかし、ただひとつの椅子に腰掛ける少年の目の前にすらフォークもナイフも置かれていない。

「朝食としては僅かに及第点に足りないかな」

 これだけの量を目の前にして少年はまだまだ食えると言わんばかりの言葉を口にした。

「朝は時間との戦いですし、日によって配達物も物資も変わりますので」

「言い訳のつもりか?」

 体躯に見合わない鋭い視線も目隠しをされた執事には通じない。

「いえ、私はぼっちゃんの命令通りに動くしか能がございませんので、不測の対処に御不満ならば私への命令とパターンの追記を進言致します」

 主である少年に対し真正面からお前が無能ならその傀儡も無能に決まってると言ってのけるが、その表情は清らかな笑みのままだ。

「まあいい、喰うか」

 憮然とした表情で執事の不備の追求を諦める。

 両腕を大きく広げたまま、口も大きく開く。口の端が裂け、耳まで到達する。裂け目は耳の下を通り首の横へ、そのままシャツの中へと消える。シャツが内側から破け、脇の下を通って胴体前面全てが下顎となったのが現れる。大きく開き下に向いた下顎から肉が一枚離れた。

 舌だ。にちにちと不気味に脈打ちながら少年の全身の体積を超える勢いで舌は伸びていく。

 それが料理を次から次へと巻き取り、すべての料理に到達し、ずるんと僅かな粘液を皿に残して幼い肢体に一瞬で収められた。

 口がみるみるうちに閉じ、化け物じみた姿が上半身を露わにした少年の姿に還った。それでも胴体全てが口になった名残はあるようで、ゴリゴリと咀嚼する音と共に全身が波打つ。波打つ度に破けて散った服が床から掻き消え、うっすらと透けるようなシャツが見え始め、そのシャツは蠢く度に存在感を濃くしてゆく。最後にゴクリと飲み込む音がしてその蠢きは終わり、同時に衣服も完全に元通りになっていた。

 胴体がまるごと口となったというのに飲み込んだそれはどこへ向かうのか。明らかに少年の体積より大きかった舌と同じ場所に入ったのだろうがそれは一体少年の体からどこへどう繋がっているのだろうか。

「量はともかく、味は良かった」

 見た目通りのあどけない笑顔で言う。

「恐縮です」

 答えてから手を二度叩く。

「あいさー!! デザートっす!!」

 皿を両手で持ったメイドが扉を蹴破って現れた。

 皿の上には蜂蜜のかかったパンケーキ。

「ナナリー、フォークとナイフはどうしました?」

 部下相手であっても主の前ではその口調と態度は崩さない。話す相手の立場ではなく公私で口調を変えるように組まれているらしい。

「忘れたんで素手で食ってください」

 単純な者の笑顔は眩い。そんな笑顔に容赦なく手刀が叩き込まれるが、その一撃は届くはずのない椅子に座った主の物だった。伸びた腕は蛇が鎌首をもたげるようにメイドの喉笛を狙う。

「望みどおり素手で喰ってやるからそこを動くな」

「食器とってきまーっす」

 即答して皿を持ったまま逃げ出した。

「ぼっちゃん、アレの解雇を進言致します。役に立ちません」

「不便を楽しめ、お前の仮面と同じだ」

 ナナリーが戻ってきた時、パンケーキは半分減っていた。

「いい感じに役立たずで不便だな、折檻は任せるぞ、ボルク」

「はい、ぼっちゃん」

 

 ##

 

「あの性悪執事……。そもそもね、あーんなうまそーなもん我慢しろってのが鬼畜なんですよね。むしろ半分残したことを褒めてほしい」

 使用人として破綻しきった発言をしながらもその声の主は一応言いつけられた仕事をこなす。モップを握りしめ、絨毯を押しのけた床を磨く。

 窓の外は太陽から光が降り注いでいる。

その向こうではシーツやテーブルクロス等が干されている。どれも濃度や彩度は違えど紫色だ。そんな光景を日陰から窓を斜めに見つめ、カーテンを閉じて日陰を増やしてから窓の前の掃除に移る。

「あーあー不便な体になったもんですねー。そうだこの体が悪い、胸が育たんのも背が伸びないのも、腹がへるのもみーんなこの体が悪い!!」

「その体が不便かどうかは置いといて、忌々しいのは確かだ。死に給え」

 壁を突き破る鋭く長い刃が少女の股から脳天へと通り過ぎた。

 左右に開いた肢体が地面に倒れる寸前に、それは無数の鼠になって崩れた。

 鼠共が互いの体を駆け上り、積み上がり、人型を成す。

 鼠色のままの人型が叫ぶ。

「乙女の股間に何ぶちこんでくれるんですかぁ!?」

 壁の向こうに消えた刃が、向こう側から壁を切り砕く。差し込む日に逃げきれなかった鼠が灰になる。

「げ、服取りにいけねーじゃん」

 肉体の再構成と着色を終えた全裸の少女に向かい合ったのは東洋の刃を携えた神父の服装の老人だった。

「ナナリー・カストロフォビアだね? 慈悲を受け取り給え」

 顔を伏せ、右手に刃を左手に首から下げた十字架を握り締め、厳かに告げる。

「カストロフォビアに会いたきゃ庭の墓でも拝んだらどうっすかい? 怪物に襲われて滅んだ貴族の館にゃ赤の他人が住まうのみっすよ?」

 皮膚の内側から、鼠に喰い破らせながら湧き出させ、体中から無数の牙と敵意を剥き出しにする。

 

 ##

 

 同時刻、執事は台所で皿を洗っていた。すすぎを終えた皿が横に積み上がる。指先は皿を撫でキュッキュと小気味のいい音で皿の清潔を示す。

 最後の皿のすすぎを終え、横に積む。

「皿洗いの次は、あなたが終わり」

 壁を砕きながら鈍器が襲い掛かる。鈍器は巨大な十字架だ。振り下ろしたのは豊満な肉体の修道女。

 首が圧し砕け、頭蓋は肋骨の中に埋もれる。衝撃で両腕が斜めに跳ね上がる。

「子孫代々に渡って末永く御使い頂ける、高級奴隷。人身売買はカウフマン人体実験場にお任せあれ」

 頭の潰れた筈の男が謳う。それは身勝手極まりない人買い達の商売文句。

「執事は人間って報告受けてたんだけれど……」

 頭の上から十字架をどかし、めり込んだ頭頂の髪を鷲掴みにして引っ張る姿はどう見ても人間ではない。

「そちらの業界では珍しい相手でもないだろう? 十字架の狗」

 頭を引き釣り出した後、ナイフやフォークを首筋に刺し込み砕けた骨の代わりにする。

 洗い終えた皿の中でも一際大きな物を左手に携え、右には肉切り包丁を握る。

「昼食の食材、及び物資の予定を変更」

 

 

 ##

 

 あの頃私は宝石箱の中のように輝かしい日々を送っていた。人は恐ろしい目に遭うと記憶が飛ぶものだというが、あの日のことはよく覚えている。逆に、あの日以降の記憶が曖昧で、目が覚めれば体に纏わり付く蛇。全身を埋め尽くす蛇の群れ。それを引き千切ってひたすら食っていた。

 伝統と一族に誇りを持つお父様。優しく美しいお母様。無機質な命令じゃなく温かい信頼で仕え続けてくれた∨-69号。内装も紫だらけの趣味の悪いものじゃなかった。

 あの夜、死なないだけの取り柄は、本物の怪物の前には四肢を切り落とされた木偶になる他の道はなく。貞淑な妻なぞ、純血喰らいの蛇の前には血の詰まった酒樽だ。人の王に軽口を叩ける程の忠言を持った男なぞ、夜の王の前では踏み砕かれる柵だった。

 その夜私は怪物の血に犯され、蛇の肉に侵された。その後のは何もかもがおぼろげだが、一つ言えるのは私は勝って自由を得たのだ。蛇を眷属に持つ怪物は、たかだか鼠に縋る少女に負けて喰われたのだ。

 その後は苦労した。とうに夜行性になった体を無理やり昼に動かし、太陽の位置と日陰の角度に気を使いながら自分のいる土地の位置と言葉を覚え、夜にこそ全力で距離を稼ぎ、ようやく辿り着いた我が家は……。見知らぬ糞ガキの城と成り果て、信じた従者は自我を捨てていた。

 ああ、恥ずかしくて昔の苗字なぞ名乗れる筈がない。

 

 ##

 

「皿洗いの次はあなたが終わり」

 条件追加、項目、外敵情報。音声及び足音から距離と位置を概算。対応のパターンを補正。

 条件追加、項目、戦闘状況。鈍器の衝突角度、重量、及び速度から腕の長さと肩の高さを概算。

 戦闘行動のパターンを補正。

 条件追加、項目、損傷状況。損傷軽微。行動のパターンを補正。計算続行。

 発言のパターンを補正。警告の九八。実行。

「子孫代々に渡って末永く御使い頂ける、高級奴隷。人身売買はカウフマン人体実験場にお任せあれ」

 情報入力音声による反応を確認。

「執事は人間って報告受けてたんだけれど……」

 情報入力、修復のパターンを実行。

 追記実行、挑発の五六。

「そちらの業界では珍しい相手でもないだろう? 十字架の狗」

 戦闘行動の取捨選択のパターンに変更発生。武装開始。

「昼食の食材、及び物資の予定の変更」

「冷蔵庫壊した覚えはないわよ!」

 条件追加、項目、音声入力。反論。却下。

 同時入力、敵対対象が追加の攻撃行動を実行。右方より鈍器接近。

「新鮮な肉は調理するなとの坊っちゃんのお達しでね」

 挙動情報を計算式に追加入力。位置情報の保持を目的に回避パターンを選択肢から一時削除。戦闘行動のパターンを補正。

 防御行動と計算を優先する。敵対対象の二回の攻撃行動から骨格の形状概算が完了。臓器位置補足。

「が、解体はさせてもらう」

 反げ――

 

 ##

 

「冷蔵庫壊した覚えはないわよ!」

 修道女が巨大な鈍器を横薙ぎに降る。肉切り包丁を逆手に握った右手の肘を跳ね上げ二の腕の内側で上向きに受ける。

「新鮮な肉は調理するなとの坊っちゃんのお達しでね」

 が、それが命中する寸前に修道女は武器を放棄した。跳ね上げた肘関節を伸ばしながら振り上げられる刃、それが振り下ろされる前に一歩距離を詰める執事。

「が、解体はさせてもらう」

 対する修道女はスリットを引き裂きながら膝を上げ、跳ぶ。顎にカウンターで飛び膝を叩き込み、上がる仮面に肘を入れる。肘に何か仕込んでいたのか金属がぶつかり合う重たい音がした。

 もう一撃。仮面が、砕けた。中から現れた精悍な顔つき、額に刻まれた製品管理番号は、∨-69。

 更に一撃。後頭部が完全に肩甲骨にめり込む。首筋に刺さっていたナイフははじけ飛ぶ。頸骨は完全に砕け折れた。

「……全然貞淑でも清貧でもねえな、豚」

 目を開くと同時に口から吐かれる今までの無感情なソレとはまるで違う悪態。

「ロリコンは神の慈悲を受けられないって知ってた?」

「そもそも神の前に行く予定がねえんだよ、残念だがお引き取りください」

 十字架の柄を握り直しもせず、踵を少し上げた独特の構えをとった。

「しっかしこれじゃあうまく前が見えねえな」

 背を大きくそらし、勢い良く戻す。骨が崩れる耳障りな音がして、彼の首は元に戻っていた。骨の代わりのナイフすら必要ない。

「化物の相手はいつものことよ、大した芸じゃないわ」

 優美に微笑んで殴りかかる。

「相性が悪かったな、打撃じゃカウフマン製は止められねえ」

 凄惨に嗤ってナイフを構えた。

 

 ##

 

 初代から六代まで仕えた間俺は一睡もしていなかった。意識が途絶えるのが何より怖かった。常に何かを考えていたかった。時間はいくらでもあるのに考えるという行為に飽きたことはなかった。考えることは常に明日のこと、家事のこと、額の刻印も仮面も使わないでいてくれた初代カストロフォビアへの恩義のこと。

 その日、俺は初めて考える事を放棄した。考えたところで実行する手足は切り落とされ、仕えるべき六代目と六代目が選んだ女性は遺体と呼ぶのも憚られる姿になった。

 お嬢様は連れ去られ、館に一人残された。手足も仕える相手もなく、考える意義もなく、床にうつ伏せのまま転がっていた。

 途方も無い退屈、灼けつくような乾き、胃袋を劈くような餓え……。

 自分がカウフマンの成功個体であることを初めて呪った。

 意識なんて無くなればいいのに……。

「その願い、叶えてやろうか?」

 懐かしい声がした。

「セルマ……ぼっちゃ……ま?」

 うつ伏せでは姿は見えない。が、この声は間違いない。初代カストロフォビアの一子、俺に仮面を付けることを反対なさった、二代目カストロフォビア。セルマ様だ、何故幼い頃の声なのだろう……。

「そうか、この姿はセルマというのか……。? 何を不思議がってる、お前が望んだ相手がお前の望みを叶えると言ってるんだ。さぁ……」

 もう俺は何も考えなくていい。

「ふむ、番号は呼びにくい。今日からボルクだ」

 

 ##

 

 この鼠の群れにとって、斬られることと傷を受けることはイコールではない。

 壁を切り砕いて日差しを増やすなどという荒業は目の前にいなかったから出来た不意打ちであり、面と向かって無尽蔵の鼠を切り捨て続けるこの局面では壁に向かうことすら難しい。

 切り捨てられた鼠は別の鼠に触れただけで溶け込まれ、また新たな鼠へと分裂する。

 限りなく気の長い戦いだが千日手ですらない。老人が疲れで動きが鈍ればこれは終わる。

「飽きた!!」

 が、鼠の声と同時に突如天井が形を保ったまま落下する。鼠の群れも、老人もまとめて一撃で平にした。落下した天井には鎖がついていてそれが引かれて再び天井は上へと戻る。

「吊り天井くらいこれだけ古い館にないはずないでしょうに」

 平らになったはずの鼠の声がした。否、鼠が一匹天井裏から床に飛び降りる。

 平らな肉と化した鼠と老人に鼠が触れただけで肉がうねり、渦を巻き、さっきの姿と比べると少しだけ背が伸びた少女がいた。

「後どれくらい食べたら、あのちび殺せるかな……念のためモチっと蓄えてから挑もーかなー」

 そしてすぐに全身を鼠に変えて散らばっていった。

 

 ##

 

 目と自我を取り戻した執事の動きは精密さも速度も劣っていた。あらゆる打撃を一発残らず甘んじて受ける。しかし、砕けた骨も潰れた臓も裂けた皮も瞬時に修復してみせる。数分が経ち、修道女の動きが一瞬止まる。次の瞬間、

「本日は大漁也ってね!」

「ひっなにこれ、いや――あぎゃああああああああ!!!……」

 どこから湧いたのか鼠の波に呑まれた。

「うえ、加齢臭の次は香水味……まっずーい」

 そしてそこには入れ替わりの手品のようにブカブカの修道服を着たナナリーがいた。

「代理知能の仮面外れたのね」

 上司に対しかける声色ではなかった。懐かしい相手にかける声はどことなく冷たい。

「お久しぶりですね、お嬢様」

 慇懃無礼な、皮肉めいた笑みの表情。親しみを込めた表情には見えない。互いに互いが記憶とズレた姿を嘆いていた。

「∨-69、この館の主は誰?」

 今にも泣き叫びそうな顔で言った。

「存じ上げません」

 飽食の顎も、目の前の少女も、指定しなかった。ひねくれた笑顔を変えもしない。

「V-69!? お前の……主は?」

 まだ堪える。なけなしの威厳を保とうとする。

「お帰りなさいませ、七代目様」

 名前は呼ばない。彼が仕えるのは、彼女個人ではなくこの館とそれを担う一族なのだから。

「分かった、仮面の予備を受け取りに行きなさい。いつか必ずアンタもあの糞ガキもあたしが真正面からぶちのめす。今のあたしに七代目を名乗る資格はない」

 そう告げて、何処からか取り出したモップを担いで背を向ける。もうしばらくメイドを続けると、まずは掃除から始めると、ただそれだけのことだ。

「いってらっしゃいませ、お嬢様。御武運を」

 執事もまた、背を向けた。もうしばらく、眠ったままの仮初の日常は続く。

 

 ##

 

「いいのか? ボルク、いつまで待たされるかわからんぞ? せっかく本物がいるのに俺でいいのか?」

 感情を交えず淡々と、抑揚も無く問う。

「ぼっちゃん、まず今の私はボルクではありません。それは私の体を代理操縦していた仮面に付けられた名前のはずです」

「拘るな、番号などという味気ない名に」

 愉快そうにかすかに笑う。

「ええ、本物のセルマ様は私の名を御伽話のブリキ人形の様で頼もしいとおっしゃいました。今の私は眠ることが恐ろしくない、お嬢様への信頼がある。確信があるのです、次、目を覚ます時――

 




以下のあとがきは部誌に投稿された際のあとがきです
だいたい2年前です

 最初は異世界系ほのぼのを書こうと思ってた。出てくる連中が人外だらけでもごちゃごちゃ日常生活っぽく家事のシーン入れればほのぼのしくなると思ってた……時期が俺にもありました。
 最近弟がハマった箱庭弾幕シューティングの二次創作みたいな感じで人外ほのぼの行けると思ってた……無理でした。
 ところで、里帰りしたら借金で売り払われて影も形もない実家。実家のあったはずの土地で鎮座する趣味の悪い秘宝館でメイド服を着て借金返す、屈辱系ストーリー(枕も陵辱もあるんだよ!!)とか萌えない?
 私だけ? そんな……こんなの絶対おかしいよ!!
 弟に相談したら
「よしわかった、そのアイデアもらい。う~☆が下克上食らって中華風メイド服着る同人誌描いてくる」
 って言って部屋から出てきません。受験生……。わけがわからないよ。

今は弟も大学生してます
よかったよかった


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泥濘は途絶えず

http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=3295726
この作品はサークルのアカウントで別所にも投稿されています。
あちらに評価を頂いても私は把握できませんのでご容赦ください。

pixivの本文検索で三樹知久とかされると羞恥で死にます


 瓦礫の上に雪が降り積もる。あちらこちらから肉の焼ける臭いと血の臭いがした。瓦礫の山の麓で、四人が焚き火を囲んでいた。それぞれ額には刺青があった。その辺に転がっている死体も大半が額に番号を持っていた。僅かに番号を持たない死体もあったがそれらはどれも武器を手に持っていたり、身なりが良かったり、果ては白衣を纏った者もいた。

「お前らはどんなふうに死んだ? 俺は腹を刺されたはずだった」

 焚き火を囲んでいた一人が他の三人に問うた。額にはL-996とあった。髪は薄茶色で、目も似たような焦げ茶色をしていた。

「瓦礫に潰された」

「首を斬られた」

「火に巻かれた」

 残りの三人はそれぞれ答えた。彼等は四者四様に自分は死んだはずだと主張していた。

「ここ、あの世だと思うか?」

 Lが再度問うた。

「死体が転がってるあの世があると思うか?」

 逆に首を斬られたと答えた者が問うた。額にはB-398とあった。金髪碧眼で御伽話の主人公のような風貌に不釣り合いな刻印だった。

「だよな」

 Lが返した。少しばかり溜息を吐き、

「じゃ、コイツはどういうことだ?」

 四人がそれぞれまた顔を見合わせた。自分たちが何故生きているのか。

「生き方を選べないなら死に方を選ぼう。そう言った奴がいたのは覚えてる」

 Bが首を傾げながら言った。

 彼等は、そしてそこらに転がっている額に番号を持った死体達は、生き方を選べない者達だった。番号で管理される商品だった。

「ああ、悪い。それ言ったの俺だ」

 凄惨な笑みを浮かべながらLが言った。

「で、死ぬことは出来ませんでしたってか、皮肉なもんだな」

 瓦礫に潰されたと答えた者も笑った。額にはN-764とあった。瞳孔が縦に長く、紅い。髪もまた紅い。その瞳孔は何かの混血を示した。この焚火も元は彼の吐いた火から起こした。

 そもそも、素材を掻き集め、強制労働させるのではなく研究材料として扱い、解剖し、投薬し、時には魔族の臓器の移植すら試した。そして、ある一定の段階に達したものを商品として出荷する。そんな施設の成れの果てがあの瓦礫の山だった。

「うし、試すか」

 Lが突然その辺に落ちていたメスで自分の首を掻き切った。血が吹き出て、少しばかり痛みにのたうち回るがその動きは衰えない。死ぬのなら出血が治まるまでには動きを止める筈だ。出血が治まるなら体にもう血は入っていない筈なのだから。出血が弱まり、止まる。そしてLは立ち上がった。手で首元を拭うと、そこには傷跡だけがあった。

「せめて断り入れてからやれ」

 青ざめた顔でBが呟いた。しかし、これで間違いなく結論は出た。

「俺達は素材じゃなく既に商品だったわけだ」

 人種が違う。年齢が違う。生まれた土地が違う。僅かな狂いは行うべき処置を大きく変えた。目指す段階とは不死。子孫代々末永くお使い頂ける高級奴隷。あの瓦礫が建物だった頃、それはこう呼ばれた。

 カウフマン奴隷収容所。研究者をしていた貴族の血は今日瓦礫と炎の中で絶えた。その血族の悲願であった確実な不死の製作法は完成しなかった。

「バレたら額の刻印で人形化されて売られてたな、運が良かった」

 Lが再び腰掛けながら言った。そしてもう一度口を開いた。

「で? これからどうする?」

「に、逃げよう。捕まったらまた売り物だ」

 それまで口を閉ざしていた最後の一人がようやく言った。額にはG-258とあった。深く暗い緑色の髪と黒い目をしていた。四人の中で一番体格は大きいのだが、表情と口調は四人の中で一番気弱そうだった。

「ならば名前がいるな。外で番号を名乗って暮らすのは色々とまずいだろうしな」

 Bが言った。そしてLに手を差し出し先ほどのメスを受け取った。

「そういうわけでだ」

 そして額の刺青をメスで切り裂き皮膚ごと剥がした。が、番号の数字だけが剥がれ頭文字は残ってしまった。

「ほら、おまえらもやれ。額を見られて番号を呼ばれたら即俺達は人形だ」

 残りの三人も剥がした。

「うまくいかねえもんだな、後やっぱむちゃくちゃいてえ」

 まずLが剥がした。やはり頭文字が残った。

「いっそ俺等の間の目印ってことで」

次にNが剥がした。わざと頭文字を残した。

「あ、それいいかも」

 GもNの言葉に頷き、頭文字を残した。

「さて、肝心の名前だ。なにせ俺達は元の名前を思い出せない」

 話を進めようとするBを、

「なぁ少しいいか?」

 Lが留めた。

「名前ってのは誰かに付けられてそして呼ばれるもんだと思う。だからここでお互い額の字から始まる名前をつけあうってのはどうだ」

 Bが少し意地の悪そうな笑みとともに答えた。

「最初からその気でいたのだがな」

 焚き火を囲んだままそれぞれの右隣へ名前を送る。まずはLがBに送る。

「バルマー。ガキの頃憧れだった御伽話の英雄の名。お前にゃ多分ピッタリだろ?」

 バルマーが、Gに送る。

「グザファン。すまんが特に意味は無い。思いついただけだ」

 グザファンが、Nに送る。

「ニトロ。たしか、火とか赤に関係する言葉だったと思う」

 一周回り、ニトロがLに送る。

「レドルフ。傷を負うほど強くなった神話の悪役、突然首を掻き切るお前にピッタリ」

「でだ、姓はどうする?」

 バルマーが三人に問うた。いつのまにやらリーダー役だ。

「そりゃ俺等は下克上したわけだから奪うのが一番だろ、カウフマン一択」

 ニトロが提案し、残りの三人も頷いた。

「じゃ、バラバラに逃げるか」

 レドルフが立ち上がった。ニトロもバルマーも立った。

「え?」

 グザファンだけが不安そうな表情で少し遅れて立った

「え? じゃない。四人で逃げて何かあったら芋蔓だ。恐らくはこれが今生の別れなわけだが何か言いたいことはあるか?」

 バルマーが顔を見回しながら問うた。

「あるぜ」

 レドルフが目付きを変え、意志の籠った表情で言った。

「俺等は今までGBLNだった、そうゴブリンだ。斬られ役ヤラレ役だった。だが、今は違う!! しかも俺等は何をされてもまた立ち上がれる。たしかにここでバラバラに逃げたらもう逢えねえかもしれねえが、それでも名を挙げることは出来る。何度やられようが諦めるな。悪名でも名誉でもいい、この世界に名を轟かし、その名を伝えることで互いの無事を伝え合おう。少なくとも俺はここでそれをお前らに誓う」

 この反乱を先導しただけのことはある、雄々しく意志に満ちた宣言だった。

「……誓う」

 バルマーが頷く。

「誓おう、いっそ競争ってのはどうだ?」

 ニトロが軽口とともに頷く。再会せねばその賭けも成立しないだろうに。

「ち、誓います」

 スケールの大きな話に怯えながらも、最後にグザファンが頷いた。

 四人がそれぞれ背を向け立ち去ってゆく。しかし、グザファンだけは何度か振り返り、焚き火を見つめていた。他の三人が夜の暗さに姿を消してゆく中、一人だけ何度も焚き火を見ていた。

 

 木々の葉が風に音をたてる。葉の隙間から指す朝日が照らすのは、ある意味自然にふさわしい光景だった。だが、よく観察すれば生命への反逆すら意味する光景だった。噎せ返るような血の臭いと、しつこいほどに粘液と肉の塊が蠢く悍ましい音がしていた。人のカタチを失った喰い残しが散らばっていた。手足はバラバラどころか脛や腿、二の腕の数が足りず、頭は割られ、胴は食い破られ臓器は殆ど無い。

 にも拘らずそれは生きていた。肉片はそれぞれ相方を求め、片方しかない目はぎょろぎょろと動いてあたりを見渡し、舌は言葉を紡ごうとしていた。

 誰かが歩いてきた。黒いローブで手先や顔を隠した人物だった。

「意識は……あるようだね」

 嗄れた老婆の声だった。何か空洞のものに反響させたような奇妙な声。

 肉塊の唇が動いた、声帯を失い、肺とも繋がっていないそれに声を出す機能はない。それでも確かにその左半分しかない首は、

「いたいのはいやだ」

 と言った。

「痛みの延長、傷の延長に死があるのさ、痛いのが怖いなら大丈夫だ。死ぬのが怖い奴はみんな生き物だ」

 ローブで隠された腕が動く。まるでちちんぷいぷいと適当な呪文でも唱えて指を回すように。ローブの中の手の動きは見えないが腕全体がそんな動きをした。肉塊が浮かんで老婆の周りに集まり回る。いくつかの肉塊が空中でへばり付き、形を取り戻す。喰われて足りなくなった部分は傷口が泡と粘液と染み出させながら再生してゆく。その再生の途中、抱え込むようにして肉塊を一塊に纏めて、手を放してまた浮かせた。

「いい拾い物をした。私のことは師匠とお呼びよ」

 老婆と肉塊が立ち去っていく。肉塊の額にはGの刺青と、皮膚を引き剥がしたような傷跡があり、深く暗い緑色の髪をしていた。

 

「昔ある男がいた。その男は人は空を飛べるのだと言って住んでた農村のみなに笑われて暮らしていた。その男は足が不自由だったが、そうなる前はロープを操る達人だった」

 本に囲まれた部屋だった。窓の向こうは暗くもう夜も更けている。蝋燭の灯の中、昔話は続く。布団はないところを見ると、寝物語として語っているわけではないようだ。

「ロープを使って木々の枝を跳びまわり、その手練手管と脚力は空をとぶハーピィにすら追い付くほどだったという。足を失って以来跳ぶことができなくなった彼は飛ぶことを目指した。彼は飛行機を作ることに成功したが重要視されたのは翼ではなくそれに使われた動力だったと言われてる」

 老婆の声だった。フードの深く袖も長いローブを羽織って顔や手先を隠していた。

 フードの内側には光は差し込まず、黒い霧のようなもののなかに、青白い眼光のようなものが二つだけ浮かんでいた。

「飛ぶなら箒使ったほうが早いのに」

「だがグザファン? お前が箒を使えるようになるまで何ヶ月あった?」

 グザファンと呼ばれた男は大柄だったがそれに似合わない子供じみた仕草で横を向いた。気弱そうな仕草で老婆を伺う様もまた怯える子供じみていた。

「断言するが彼の飛行機なら使い始めて一日も立たずに人は空を飛べる。魔力を通しやすい部品で既に物理的に術式は組まれ、術者によって性質の違う精錬魔力でなく自然界から取り出した水晶などに貯めこまれた魔力を動力としたそれを人は機械と呼んだ。魔力の扱いを学ぶという前提すらなく魔力の籠ったものを拾ってくるだけで起動できる術式……どう思う?」

 グザファンは即答した。心底イヤそうな顔をしていた。怯えがまた色濃くなる。

「兵器には最適ですね。訓練されてないその辺の孤児でも大魔術を起動でき、大量生産も簡単。動力もお手軽」

「だから、彼のいた国は滅ぼされた」

 グザファンは歴史の講義が恐ろしかった、覚えるのが苦手といった意味ではない。外の世界の広大さ、その積み上がってきた歴史が恐ろしいのだ。彼の持つ外の世界の知識はこの老婆のもとに辿り着いてから日毎に膨れ上がっていた。同時に外への怯えもまた、膨れ上がるばかりだった。

「いいかい? 何かを為してその影響は世界にどう出るかを知らなきゃあ世界に名なぞ残せやしないよ?」

 雷に怯えた孫をあやすような口調で顔のない老婆は言う。

「僕には無理です、師匠」

「何故? 友人との約束なんだろう? ともに永きを彷徨うかけがえのない友人なのだろう? いいかい? お前は何にでもなれるし何だって出来るんだ。お前が望むならね。私は永い時間を欲しがってこうして引きこもり研究を続けたがお前は運だけで私の手にしてないものを持ってるじゃないか」

 グザファンがこの家を仮住まいとするようになった最初の夜に彼は自分の境遇を全て告げていた。短い間だが確かに力と意思を見せて未来を示してくれた三人の友人についての話だ。

「名を送り、そして受け取った。ならお前も彼等と対等だ、何を恥じ何を恐れるのさ?」

「僕は彼等とは違う、僕は収容所で生まれた。攫われて来た者とも売られて来た者とも違う。父の名は知らず母の顔を知らず、鉄格子だけを見て育った。そんな僕が、どうやって世界に名を示すというのです!!」

 吐き出すように、叫ぶ。表情には恐怖と嫉妬があった。声には悲観と諦念があった。

「知ったことじゃないね、何度も言ったろう? お前が望むなら出来るのさ、望まないなら何も見えやしないよ。お前にとって力ってやつは手に入れるものじゃない使い方を知るものなのさ」

夜は明け、蝋燭は身を減らして部屋を照らし続けたが、気付けばもう蝋燭の明かりは必要なくなっていた。弟子の表情が薄い朝日で僅かに照らされた。蝋燭を片付け、別の講義を始める。

 

 怯えてばかりの彼はせっかく飛べるようになったというのにその力もあまり使いたがらない。不安定で広い空に怯えた。かといって視界の狭く邪魔者ばかりの森も苦手だ。木々の向こうに何が潜んでいるかに怯えた。

 彼が安心できるのは寝転がっている時だ。視界は前である上を向き、体は不動の大地に預け、そして目を閉じる。欲しい力、やりたいこと、恐怖に塗りつぶされた様々なことが眠気とともにどうでも良くなっていく。

「おはよう、薪集めは終わったのかい?」

 居眠りをしていた弟子にやさしい老婆の声がかけられる。ローブの中の顔が見れればきっとそれは微笑んでいるのだろう。穏やかで優しい声。

「いい御身分だね? 飛行術の練習放棄、それに兼ねられた薪集めも放棄、ついでに居眠りときたか、友との約束はどうしたい?」

 詰問するような口調ではない。泣き疲れた幼子の頭を撫でるような声。

「師匠、僕はここに残りたいと思います」

「そうかい……手伝いはいらないよ、お前の不死をくれればいい」

「え?」

 老婆の声が変わる。ローブの裾から、袖から、上から、黒い何かが染み出てくる。水のように流れ落ちるが水音はしない。地面に染みこみもせず積み重なる。

「永い時間を求めて研究を始めたと言ったね、時間はあるんだ。けれど私のそれは時間しか得られないのさ」

 ローブの袖から骨の手が現れる。黒い霧を失ったフードの中には髑髏がいる。眼窩に青白い火の玉を湛えた、人骨。ローブを脱ぎ捨てたそこに衣服はない。必要ない。ローブの中には骨しかなかった。

「見ての通り私は動く死体。死んでるんだ。けれどお前は違う。お前を拾った時からずっと羨ましかったよ? お前の体は無限に再生すると知ってはお前の体の一部から腕や足を作って私の骨の体に肉を貼り付けた。魔力で体は動かせても肉で動かすことは出来なかったよ。お前の体はいくらでも複製できるんだ。疑うなら家の地下でも見てくればいい。全部眠ってる」

 それまで聞いたことのない声で師は言う。嫉妬が、憎悪が、渇望が滲み出た黒よりも多く、濃く、声に含まれていた。口を開く髑髏に舌はなく、声は空洞を響く。

「けれどね。お前の体はいくら出来てもお前は一人なのさ、お前の体の複製は誰一人目を覚まさない。その体を斬れば再生するのに、空っぽの意識すら宿らないのさ、これ幸いとその体から骨を抜き取り、代わりに私を入れた。再生するお前の骨に追い出されたがね」

 まくし立てる声は止まらない。

「師匠?」

「けれどもね、お前が未来はいらないというなら私におくれよ? いいじゃないか、ちゃんとお前の名を名乗ってお前の代わりに友の約束を果たしてやろうじゃないか」

「なにを、言ってるんですか?」

 愚鈍で臆病な弟子は未だに気付かない、目の前にいるのが優しい振りをしていた師の本性だ。

「こんなに教えてるのにお前は欲しい力はないし使い道はないという。なんて贅沢な子だろうね? 本当に元奴隷なのかい? 閉じ込められていた憎悪も外への渇望もない!! 運だけで勝ち取った棚ぼたの自由を捨てようってのか?」

 髑髏の手が動き、弟子を襲う。火球が生まれ黒雷が迅り地からは骸が手を伸ばす。獣の躯が牙をかけ、脚に喰い込み拘束する。火球は顔を焼き、黒雷は腹を貫く。

 縋るものを失くした臆病な少年はただただそれを受けて、悲鳴をあげた。

「抵抗すらしない……だから、私はお前が嫌いなんだ」

「そう、でしたね……」

 グザファンの瞳に力が戻った。痛みを堪え、悲鳴を抑え、恐怖を隠す。指先を動かし術を生む。術式も理論も無視し、無限の命を無限の力に書き換える。魔力の効率性なぞ彼にはいらない。セオリーも禁忌も外を知らない彼には関係ない。

「痛みが怖いのはみんな生き物だと師匠は言った」

「この体になってからこっち痛覚がなくてねえ、私はもう生き物じゃないのさ!! アンタはどうだい?」

 弟子は答えない。今までの教えの中で何が必要で何がいらないかを考えていた。

『痛みが怖いのは生き物だ』

 この教えがあるから彼は抵抗する。死なない彼でも痛いのはゴメンだ。

『火山を……檻の中で生まれたお前が知るはずないね、まあいい。これだけは覚えておきな、大地は生きてるのさ。血も流れるし、その血は固まって大地の礎になる』

 大地が生きてるのだとしたら、自分とどちらが長生きするのだろう、大地も痛みを感じるのだろうか。

『お前には無限の力がある、お前にとって力は得るものじゃなく扱い方を知るものだ、何がしたいのかを明確にすると良い』

 友との約束を果たす力と恐怖の克服。とりあえずはそんなところだろうか。

『外を知りたい、恐怖を克服したい、そんな漠然としたものではいけないよ。それは目的さ、力とは手段だよ。空を飛び、敵を倒す、そのためにいるものだ』

 大地が生きてるのなら痛みを感じ恐れるのだろう、恐れる意志があるのなら、声が聞きたい。自分と同じく長生きするだろう彼はきっと、良き家族になってくれるだろうから。

 欲しい力のカタチが……決まる。指先に集めた力を大地に流す。地面が盛り上がり、無数の腕に変わる。地面が窪み、大顎が形作られる。

「御教授、ありがとうございました」

 無数の腕と敵の身の丈よりも開く大顎を携えた土塊を作ってから、ようやくグザファンは口を開いた。

「けれど僕はもう、空を飛びたいとは思いません。僕は、大地の子ですから」

「――!!――――――――!!」

 高ぶりすぎた感情が骨の声から言葉を奪った。襲う土塊は骨の紡ぐ呪文を受け、声もあげない。脚を持たず、溶けた大地を水面に見立てるようにするすると進み、巨人は拳を振るう。火球を握りつぶし、黒雷を弾き、獣の躯は砕き散らす。

「貴女が死体を名乗るなら、行く先は決まっている」

 骨が無数の腕に囚われ大顎に呑まれる。一切の抵抗を有り余る膂力が無視する。

「沼よ、棺の案内人を務めたもう」

 地面が蕩ける、彼の髪の色によく似た沼が広がる。土塊が沈む。内側から叩くような音がする。抵抗の声が響く。なにもかも無視して工程が整う。

 最後まで見届けることもなくグザファンが踵を返した。家へ戻ろう。地下に僕の複製があるなら処分してから旅に出よう。

 痛みへの恐怖は消えそうもない。けれど、旅への恐怖は消えた。僕の足元にはいつだって大地がある。




世界設定が前話と同一なのでカウフマンって名前がまた出てきている
基本ファンタジー系はこいつらの話になります


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天下の回りものに捧ぐ

毎度のことながらタイトルにセンスが無い


「うむ、眠るときはやはり人化の魔術で小さくなり宝物に埋まりながらに限る」

 山奥の何処かの洞窟だった。ここ四百年ほどそこには竜が住み着き近隣諸国の国宝や金銀財宝を貯め込みその輝きの中でぐっすりと眠っていると伝えられる。

 その洞窟の主たる竜は洞窟の奥深くの寝床で怠惰を貪っていた。どうみても幼女だがその肌は仄かに光を放ち、命の輝きと力に満ちた人外であることを示していた。

 惰眠を楽しむのにも飽きたのか、寝床から出て少し進む。そこは少々天井も高く広い。鱗の生えた厳めしい翼を生やし少しばかり羽ばたく。出口に向かって飛びながらも手足は太くなり鱗の面積が増え、首が伸びてゆき、角が生える。洞窟の中でだんだんと巨大化する肉体、上がる速度、出口が近づき開けてゆく洞窟の空間。

「ゴギャアアアアアアアアアアア」

 咆吼とともに洞窟を飛び出したのは紛れもなく竜。荒々しく猛々しい畏怖と力の象徴。朝日に照らされて輝く鱗は緋々色金、その眼は深い翡翠。

「体操はすんだ。食事にしよう」

 そのまま何処かへと飛び去った。

 

##

 

 日を遮り、大きな影を落とす怪物を見上げ、楽しそうに笑う男がいた。

 頭には茶色い布を巻き、同色のボロ雑巾のようなマントを纏った男だった。

「ったくまるまる四日も眠りほうけやがって、あのねぼすけトカゲが」

 男は主不在の洞窟へと意気揚々と進んでいった。洞窟の最奥の龍のねぐらを見た男は、

「こりゃ運ぶのは無理だな、時間もあるこったし……飛ばすか」

 そうつぶやいてからまずナイフで手首を切り裂き血を流す。つぎに宝物の山を二重の円で囲む。内側の円と外側の円の間の帯に血で陣を描き上げる。字は殆ど使われず、矢印や曲線小さな円や図形などを並べてゆく。図形が帯を一周し、男が目的としていた陣が完成した。

 切り裂いた右手で指を鳴らすと、内側の円周から赤い半球上の膜がせり上がるようにして完成した。

「そいじゃあ頼むぜ倉庫番」

 そう告げると赤色が瞬時に白に染まり、魔法陣がベリッと音を立てて岩肌の地面から剥がれた。剥がれたそれが弾けるように消滅し白い半球も消滅した。

 そこに宝物は一切なかった。外は夕日がほんの僅かに顔を見せるのみで、東の空は既に黒かった。

 思ったより早く済んだことと獲物の質に満足そうな男はやはり意気揚々と洞窟を出るが出口寸前で凍りついた。

「我のねぐらで何をしている?」

 男は即座に土下座の姿勢へ移り、

「社会見学です!!」 

 と、突拍子もない事を告げた。

「ここには貴方様のお眼鏡にかなう素晴らしき品々が集められていると聞き、恐れ多くも拝見に伺った次第で御座いまする!」

「バカにしているのだな」

 へりくだりきった男の態度に少しばかり欠伸をし、竜は言う。

「滅相もない!!」

 迷いなく土下座したまま叫ぶ。その声量はその姿勢には不自然と驚嘆すら感じさせた。

「で? 我が宝物はどうだった? その身軽ななりを見れば盗んではおらぬようだが?」

「光の無きこの城においても自ずと輝き威光と歴史を示す宝の数々、眼福に御座いました!!」

「そうか、そうか。自慢の品々だからな。宝石一つのために戦が起こったと聞いた時には宝石を奪い争う国々も焦土にしたものだ」

 満更でもない様子な竜は機嫌を良くするが、やはり無断で入った男に甘くはなかった。威嚇するように睨むと、

「今は鹿と猪を喰らって来たばかりで腹も膨れておるし肥えた目をした人間を殺すのも勿体無いことだ。立ち去れ」

「ハハー!!」

 平伏した姿勢を瞬時に立てなおし風の様に走り去っていった。

(このドラゴンちょろい)

 内心男は嘲笑っていたが竜が気付く様子はなかった。

 男が山を中腹まで下り木々の間を隠れながら走っている頃、洞窟では人化の魔術で幼女の姿となった竜がのんびりと洞窟の奥のねぐらを目指していた。

 そして、

「なん……だと……?」

 集めた宝物はひとつも残っておらず、置き手紙があった。

『金は天下の回りものと申します、ここにあったものは全て相場の半額で売り飛ばさせて頂きますのでご了承下さい。薄汚い盗賊レドルフより愛をこめて』

「フ……フハハ、ハハハ……ふざけるなぁあああああ!!」

 当然そのあと山中を飛び回って探しまわるが、夜闇に紛れたのか盗賊レドルフが見つかることはなかった。

 

##

 

 あの山から降りた麓の農村から伸びる商人や馬車の通る街道。それを西へ四日ほど歩いた先にその壁はあった。街、いや都市を囲む壁と都市の中央の城。城下町というものだ。

 ただ、こういった街では治安の良い地区とそうでない地区がはっきりと別れる。

 その境目となる小さな路地にそのドアはあった。ドアの表札には極東の言語で「生き馬の目」とある。この街の誰も読めないだろう。ドアの向こうから叫び声が漏れた。

「この大ばか!! 私の店を潰す気? それとも私を殺す気!?」

 店の中の様子は雑貨屋というより古道具屋、更には骨董品屋といったほうが近い。店主はメガネを掛けた黒髪の女。この地方では黒い髪は珍しい。普段は細い狐目を限界まで見開き、眉を吊り上げながらレドルフに愚痴を垂れていた。

「在庫整理の真っ最中にあれだけの財宝に埋もれたら圧死しかねないわよ!?」

「まぁそうゴネるなよ、ウスグモ。あれだけの品々の鑑定を任せた上に相場の半額でいいってんだぜ? 大儲けだろう」

 頭を掻きながら応えるこの男はこの剣幕に慣れた様子。

「あれが売り物になるならね。売るどころか単純所持でも足がつきそうな名のある品々ばかりよ、竜に奪われた国宝だの戦の真っ最中に竜を呼び寄せ国々を滅ぼした宝石だの、ところどころ御伽話の文献の挿絵のままの品まであったわ、宿ってる力の質から本物でしょうけど。どこにあったの?」

 自らの目と知識を信用できなくなるような貴重すぎる品々を前に疑いを隠せない店主はため息混じりに問うた。

「わざわざ文献調べてまで鑑定したんだろ? 文献の共通点がわかりゃ一発だろうが」

「よく生きて帰ってこれたわね、これでますます値が付けられない厄介者になったわ」

「おいおい頼むぜ? 金とお宝は天下の回りもんだろうがよ、しっかり回してもらわねーと」

「そう言うと思ってね、貸し倉庫に入りきらない分は商人仲間に引き渡した。で、代金のうちアンタの取り分がこちら」

 店の隅に置かれた二抱えはありそうな革袋。持ち上げるとジャラジャラと硬貨の音がした。

「ちなみにそれの中身の大半はのべ棒だから。硬貨や紙幣じゃ払いきれないシロモノだったから」

 なんでもないことのように言う。目は既に狐目に戻っていた。熱しやすく冷めやすい質の女らしい。

「酒場で使ったら店ごと買えるぞそれ、勘弁してくれ、のべ棒とかどこの店で使うんだよ」

 対してこちらはそれを聞いた途端に顔色を変えた。

「アンタ自分がどういう品持ってきたかわかってる? 値が付けられる品だけでそういうことになる品なの、アンタの貸し倉庫は今値が付けられない品でいっぱい。ご愁傷様」

 大金が入ってくる話だというのに全く嬉しそうじゃない二人。当然だ。使い道がない金など場所はとるわ狙われるわと置物以下だ。

「まぁ次来るまでに売り飛ばしといてくれ」

 袋を担いでレドルフは店を出た。

 

##

 

 遊んで暮らせば子の代まで、慎ましやかに暮らせば孫の代までやっていけるだろう大金を担いだまま裏通りを歩けばどうなるか。

 誰もが知ってるその答えをレドルフは体験することになる。

「随分景気良さそうな袋持ってなぁ兄ちゃん」

 凄んでくる数人を前にこの男は平然としていた。

「やっぱジャラジャラうっさい?」

 そしてあろうことか袋に手を突っ込み、

「俺もそう思ってんだ、くれてやろう」

 集団に向けて金の延べ棒を投げつけ回れ右して駈け出した。

「え、これ本物!? って逃げた!!」

「追え、あの袋、殺してでも奪い取れ!」

「えらく物騒な奴らだな」

 結局チンピラごときに捕まるこの男ではなく、逃げ切った後は下水道に潜んでいた。蓋もきちんと閉めたしその蓋からも遠ざかった位置だ。まず見つからない。

 しかし、この大金の袋をどうしたものだろうか。レドルフの信条は金は天下の回りものというやつだ。この男が大金を得ても世間にもこの男自身にも得はない。

 普段ならウスグモの店で受け取った金を次の遠征のための旅費にして、帰り道すがら目についた教会や孤児院に余った金を見つからないよう夜中に置いてくるということを繰り返す。だが、これほどの大金を使い切るにはいくつ教会をめぐっても足りはしない。

 しばし思案して、

「あるじゃねえか、一番金が手っ取り早く消える方法」

 この瞬間、レドルフはこの国で最も傍迷惑で物騒な男になった。

 

##

 

 再び「生き馬の目」にて、

「ただいまー」

「一日でさばける訳ないだろ出てけ」

 そもそもここはレドルフの家ではない。図々しいにも程があるだろう。

「馬鹿言え、今日は倉庫から品を受け取りに来たんだよ。今回の財宝まるごとよこせ」

「運べるのか?」

「そこは頑張る、今回の計画それが一番の難関だしな」

 清々しいほどに悪人の笑みを見せた。

 袋を一つから五つに増やし、荷車まで駆り出しようやく表通りへ辿り着く。

 目指すはハンターズギルド。平たく言えば傭兵と何でも屋の集まりだ。当然裏稼業の最前線にして協調性皆無のレドルフに縁のある場所ではない。

 ドアを開ければ一階は酒場になっており、誰がメンバーで一般の客は誰なのかもわからない。何より騒がしくどこもかしこもお祭り騒ぎの喧嘩祭り。

 酒場のカウンターでパイプを弄んでいるのがこの酒場の主だ。すなわち、このギルドの長でもある。

「超大口の仕事依頼したいんだが……」

「内容によるな。あとお前さんの名前だ」

 一瞬顔をしかめたがすぐにごまかした笑みを浮かべ、五つの革袋をカウンターに載せた。

「いいから報酬を見ろよ。失敗成功問わず参加者でこのうち二つを山分けしてくれ。ただし、この依頼を受けてくれ次第俺はこの街をトンズラする。残りの三つは生き残った奴に成功報酬としてアンタが渡してくれ」

 音だけでわかる中身の量に流石のギルドマスターも態度を変える。

「聞こう、何がしたい」

「そもそもこのお宝は、ある洞窟から転移術で飛ばしたあと命からがら逃げ出したって経緯の品々だ」

 地図を広げ、指を指す。その洞窟はこの地方では知らぬものはない。竜のねぐら。生きて帰ることすら奇跡とされる場所だ。この男の運の良さが伺えようが、この男はそもそも竜討伐を目的としてなかったから比較的生存率は高かっただけの話だ。

「断る。どれだけの報酬だろうとあのねぐらはゴメンだ」

 当然の対応だ。このギルドの名誉のために語れば、全戦力を投入すれば互角に戦うのも不可能ではないだろうが犠牲が多すぎる。さながら戦争のような戦いになるだろう。

「いいのか? 俺はこの街を拠点に活動する発掘屋だ」

 この男は発掘屋というより盗掘屋だろうに、いけしゃあしゃあと言い切った。

「何が言いたい?」

 レドルフの口車は既に始まっている。最善をつくすならこの時点でこの男を殺して訪れた竜に首を捧げるべきだが、よりによってギルドマスターは聞き返してしまった。

「この街には俺の匂いがこべり付いた家がある。遅かれ早かれこの街は滅ぶ。さっき言ったろ? 依頼を受けるならこの街からトンズラしてやろう」

 あまりにも身勝手で巫山戯た話だが、聞いてしまったからには無視できない。ギルドは街に密着し、街を守る存在だからだ。

「ふざけた男だ、お前の名と顔は決して忘れん。永久にこのギルドから追手がかかると思え」

 街のすべての住人を人質に取られ、怒りに燃えるが既に遅い。レドルフは最後の一手を口にした。

「無事にトンズラ出来たら手紙で俺のねぐらの場所も教えるから焼くなる壊すなり好きにすればいい。竜への反撃の狼煙は既に誠に勝手ながら俺があげちまった。あとは滅ぶか滅ぼすかだ」

「いいだろう、お前のふざけた話に乗ってやる。これに名を記し手形を押せ」

「育ちが悪くて字が読めないんでね、名乗りと手形で許してくれや。俺はレドルフ・カウフマン」

 その名を聴いた時、ギルドマスターの表情が凍りついた。

「お前が、脱獄王か」

「そんなカッコイイ名前で呼ぶなよ、俺は薄汚い盗賊さ」

 この世で最も金を浪費する行為とは戦争だ。

 かくしてこの国で最も傍迷惑な男は手形を押した後身軽になって街を飛び出した。

 この男にとって世界とは人生とはお遊びだ。積み上げて安定な老後など興味はなく、明日の自分は他人の如くどうでもいい。今、楽しいかどうか、それのみだった。つまり、竜とギルドの戦いの結末などこの男にはどうでもいいことだった。

 

##

 

 あの街から南へ馬車で十日ほど、城下町の王に忠誠を誓う貴族の一人が暮らす館があった。

 農地が多く、国の運営には重要な領地を任されるだけの有能さのある人物だった。

 しかし、今夜その館に安らかな眠りは訪れない。

「旦那様。侵入者です。結界に反応が三つ」

 一日の業務を終え寝入った矢先に巫山戯た話だ。館の主自らレイピアを構え、召使い達に侵入者からは逃げるように伝令を伝えた。

 侵入者のうちの一人はこの国で最も傍迷惑な男、レドルフだった。血を木の根に染み込ませて作った木偶二つを別々から送り込み、自分自身は巫山戯たことに玄関から堂々と入った。

 しばらく彷徨くと、ナイフを構えた子供が飛びかかってきた。手首に鎖がつき、レドルフのマントよりもボロいボロ布を着せられ、額には布が巻かれていた。

 ナイフを躱すが、その子供の様子を見た途端に、表情を酷く歪めた。心底嫌いで仕方ないものを見た顔をしていた。

「他の召使いは一目散に逃げたぜ?」

 この男はその問いに対する答えを知っていた。分かりきっていた。

「僕は代えの利く消耗品ですから」

 子供は奴隷だった。伝令はこの子には伝えられない。代わりに命を捨てて足止めするように命じられていた。

「予定変更だ、盗みだけじゃ済まさねえ」

 小さく呟いた後、子供からナイフを取り上げた。

 そのナイフで自らの手首を切り裂き、血を床や壁にばらまいた。

「なにしてるんですか?」

「悪いこと」

 今回使うのは転移術のように位置の指定は必要ないしそもそも規模も小さな軽めの術。命を燃料とし、ただ唱えるだけでいい。

「命の輝き世界を照らせ、痛みと蝕み肉を焼け」

 ばら撒かれた血が一斉に発火した。

「おい、奴隷はいくつある?」

「お爺さんが少し前に死んだから今は僕だけです」

 目の前の光景に慌てることもなく抑揚のない声で答えた。

「都合がいいな」

 こめかみを指でつつき、更に唱えた。

「命を啜り蠢く同胞(はらから)に命ず」

 そこから口調を変え、命令内容を追加詠唱する。

「Search And Kill(みつけ次第殺せ)」

 唱えた途端、館の何処かで悲鳴が響き始めた。木の根の木偶が囮から襲撃者へと転じた。

「お前は壊さない、どうせ忠誠なんかないだろ? 主の居場所を吐け」

「はい」

 レドルフが何をする気なのか気づいたのか、奴隷は少しばかり微笑んだ。

 

##

 

 次から次へと死体を量産する木偶共がようやく切り倒されたものの、既に館の主は満身創痍、加えて生き残った召使いは既にない。館はもはや焼け落ちる寸前だ。卑怯な手を惜しみなく使い倒し、ようやく敵が姿を表した。

 敵は何故か奴隷を肩車し、微笑ましい雰囲気を醸しながら鼻歌を歌って現れた。

「一つ聞く、奴隷は物か人間か」

 子供を下ろしながら無表情に問う。

「消耗品など物に決まっているだろう、この国の貴族は誰もが知っている」

 その答えに悪気は一切ない。先祖代々、そして彼自身も幼い頃からそう教わってきたのだ。そのことに疑問も持たない。

「あっそ」

 もはや用はないとばかりに敵は襲いかかった。右手にナイフを持っているが何故か振り上げたのは傷を負った左腕だった。振った勢いで飛び散るはずの血は粘り気を得てしなやかに伸び、一瞬で鋭く固まった。

 レイピアで咄嗟に赤く怪しい刃を防ぐと、刃はあっさりとレイピアをすり抜けた。いや、断ち切られた。折れた赤の切先が宙を舞い、回転しながら更に細く鋭く伸びた。

 さくり。と、軽い音を立てた後レイピアを握った右手首が地面に落ちた。

「は?」

 痛みを認識する前に右のナイフが喉を抉った。

「さーて、盗むか」

 そう呟くくせに、何も持たず子供を肩車して出て行った。

 

##

 

「あの、人攫いですか? 僕はまた売られるんでしょうか?」

 その素朴な表情にそぐわない悲惨な問いに、ナイフを投げ捨てながらめんどくさそうに質問を返す。

「お前今まで人間扱いされたか?」

「いいえ」

「じゃあ俺はまだ盗賊だ。俺はただ道具を盗んだだけさ」

 答えながら頭に巻いた茶色い布をとった。そこには刃物で皮膚の一部を剥がした惨たらしい傷跡があり、その傷跡のすぐ横に削り残したように刺青がある。刺青はLとあった。

「俺はこうして人間になったがお前はどうする?」

 問いながら子供の額の布を剥がした。そこには人を番号で管理する刺青があった。この刺青には魔術の効力があり奴隷の位置を主に知らせたり意志を奪って命令を強制できる人形を作ることも可能なものだ。

「僕を使ってくれる人がいないのは嫌です。あなたはあの人と違って僕に痛いことしないでくれますか?」

 自分で考えたり自分の意志で生きる気力すらないのか、哀れな答えを返す。しかし、この子は既に前の主と目の前の男を天秤にかけ選ぶということが出来た。

 この子は自分で選び、自分の意志で生きることが出来る筈だった。

 それが出来るのにしないその態度にレドルフは悲しそうに溜息を吐き、

「お前、俺が主の居場所聞いた時吐いたよな」

「はい、命令でしたから」

「誰の?」

「あなたの」

 そこまでで問答を一度止め少し考える素振りを見せて結論を告げた。

「使ってやろう。だが額のそれで人形にする。いつ裏切るかわからねえ奴と歩く気はねえ」

 脅すように告げられた言葉に平伏しながら答えた。

「構いません」

 顔を上げさせ、先ほどのナイフで指先を突く。傷口に膨れた血玉を子供の額に押し付けた。それから刺青を赤くなぞる。

「マスターの変更儀式を確認。命令の御入力を要請します」

 なぞり終えた途端奴隷の目から光が消え、人形の目になった。

「命ずる、これより下す命令は連続して順序通り行え、更に入力を完了してから実行せよ」

「了解しました一時命令の実行を停止し待機します」

「まず裸になれ、次に額の刻印をこのナイフで切り裂いて引き剥がす、第三に俺の進路とは逆方向に進み、最初にあった人間に追いはぎに襲われ親も殺されたと助けを求めろ、この際に必死な表情の演技を追加実行すること。介抱されたら意識を失い次に目が覚めたらお前との契約を解除とする。命令は以上だ」

 裸にするのは衣服から身分がバレないための配慮、額の傷と衣服はいもしない追いはぎの所為にし、そのまま奴隷自身を解放。この男なりに配慮ある命令だったが、

「了解しました」

 服を脱ぎ始めた時僅かな罪悪感とともに後悔した。奴隷は少女だった。

 背を向けあい元奴隷の盗賊ともうすぐ解放されるであろう奴隷人形はそれぞれ立ち去った。

「ま、あんなボロ布じゃあおめかしできねえしな」

 既にプラス思考にレドルフは切り替え、一切振り返らずに次の遊び場へ向かった。

 

##

 

 レドルフと別れた後、商隊に拾われ馬車で眠っていた元奴隷の少女は目を覚ました後まず泣いた。

「捨てられちゃった……」

「目が覚めたか? 怖かったろ、もう大丈夫だ」

 商人が顔を覗き込んでいた。額の傷の手当が万全かどうか自信はなかったが、もうすぐ城下町に着くのでそこで医者に見せればいいだろうと商人は考えていた。

「おじさん……」

「なんだい?」

「レドルフ・カウフマンって盗賊御存知ですか?」

「ああ、商売敵の雌狐の相棒か? 会ったことはないけどよく知ってる」

「私のお兄さんなんです、私はレドルア・カウフマン」

「そうか、そうか。弟子候補がいなくなるのは残念だが目的地に付いたらレドルフと仲の良い奴を紹介しよう」

 レドルフはひとつ命令をミスした。契約の解除の前に記憶の消去命令を与えておくべきだったろう。元奴隷改めレドルア・カウフマンがハンターズギルドに加入してレドルフを追う側に回るのは五年後の事になる。




設定上この世界では最も傍迷惑な男
不老不死がバレてないので代替わりしてるとか噂されたり騙りが出たりもしてる。

ところで、時々国語の授業でこの作品を書いてる時筆者は何を考えていたか答えなさいってあるよね。
 この小説の場合締めきり大変でしたで正解です。風邪ひいて書き上げるの大変でした。
 元はひとつのアイテム盗んだり一つの計画ごとに一話づつ使った連載物として書いてました。
 ドラゴン洞窟編が第一話、ギルドおちょくり編が第二話、奴隷人形編が第三話です。
 第四話の構想もありましたが締め切りとページの兼ね合いでここまでとしました。


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飛ぶバカ飛ばぬバカ

処女作
他の作品読んでらっしゃる方は大層驚くでしょう


 空から降ってくるのは女と相場が決まってるらしい。

 「親方! 空からナンチャラ」然り、「あ~空から美少カンチャラ」然り。

 願望や事件の幕開け、とりあえず未知との遭遇は女が降ってくるのが相場なようだ。

 そろそろ自分の性別を考え直そうか?今回で記念すべき百回目の落下である。

 風が頬を撫で脇の辺りが突っ張りパラシュートが大きく開く。あたりは見渡す限り草原でおそらく被害者は出ないだろう。俺以外には。といっても俺はちゃんとパラシュートを用意しているから被害は最小で済む。よし、問題ない。ゆらりゆらりと揺れながらも確実に、しかしまったく無意味な姿勢制御を行う。地面が近づく。爪先から地面に着くが下半身にまったく力が入らず、そのまま膝、胴体、手の平と地面に倒れこんでゆく。顔を地に擦り付け、咽る。背中にパラシュートが覆いかぶさり、全身を覆う。周りが見えなくなる。地面に耳を押し付けているとドズーンと爆発音が聞こえる。さらばだ、三十八号。君はいい機体だった。

 爆発音にまじって地響きが耳に伝わり始める。足音だ。俺が最も恐れるアイツの足音だ。地響きが地面を介さずに聞こえるレベルになるまでさほど時間はかからない。どんな察知能力してんだよ。村からどんだけ距離あると思ってんだ。

 パラシュートが鋭い爪で引き裂かれ、首を鷲掴みにされる。首を掴む手は人間のものとは大きく形状が異なり、鳥を思わせる。三本の指と人間の親指にあたる指が一本。うん、文字通り鷲掴みだ。少々、いやかなり痛い。ぐるりと首をねじられ目の前にまあ美をつけてもいい程度の少女の顔。怒りに歪んでいる。

「アンタ、バッカじゃないの!? これで何回目!? 何度言えばわかるわけ!?」

 いうに事欠いてバカときた。叫びながらも俺の首から胸倉に手をずらすことを忘れない。当然乱暴に揺することも忘れない。脳が揺れる。マジでやめてくれ。俺の胸ぐらをつかむ腕は手首を境に鱗と羽毛に分かれている。ええい、描写が面倒だ。彼女はハーピーだ。名はモノ。あとは脳内保管してくれ。悪いが俺はいま彼女の怒りのために緊急事態だ。とにかく言い訳だ、言い訳をしなければ。

「不時着は記念すべき百回目になるな。機体をダメにしてしまったのはこれで三十八回目だ。素晴らしい出来だったんだがな……。惜しいことをした」

「アンタそれ飛行機潰す度に同じセリフ吐いてるわよ!? 失敗作はなかったの!? いい? 口を酸っぱくして言うけれど、人間は飛べない。人間は簡単に大怪我するし簡単に死ぬ。自分の足で跳べない高さから落ちれば取り返しのつかないことになる。まだわからないの?」

 いつもの説教だ。確かに聞き飽きている。そして、俺がこの反論を返すこともモノは分かっているはずだ。それは反論になってないただの感情論でしかないがこれを言えば必ずモノは黙る。

「人間じゃないお前が飛ばない理由はないよな? 俺がすることが危険っつーならどうすれば安全なのか手本を示せよ」

 ものすごく悔しそうな、悲しそうな顔になる。彼女には彼女の傷跡があるんだろうが、知ったこっちゃない。跳べず歩けずの俺にはもう飛ぶしかないのだ。

「で? アンタ車椅子どうしたわけ?」

「はぁ?」

 珍しいな……。いつもはこれを言えばびんたかまして立ち去るもんだが。この前設計図を書いてるときはそうだった。

 って、やべ……今回潰した三十八号は車椅子ごと乗れるように作ってあった。つまり向こうでガラクタの山と化したアレの中には……。

「車椅子は?」

「飛行機と一緒に落ちた」

 ここは正直に言おう。どうせ行きつく先は同じだ。

「この大バカ!」

「あがっ」

 痛い。ってかビンタ通り越してゲンコツかよ。容赦ねーなおい。

「どうやって村まで帰る気?」

「弁当と寝袋はあるから匍匐前し――あがっ」

 二発目とともに俺の意識は途絶えた。

 

##

 彼は突然現れた。木登りが得意で、木の枝を飛ぶのも得意で、森の中でなら翼をもつ私にだって追いついてきた。

 森の中で親と暮らしていた私はやることもなくスズメや虫を追いながら暮らした。魚捕って、木の実探して、今日の食料は集め終わっていた。やることもなくの木の枝に腰かけていると、ゆさっと木全体が揺れた。次に上から

「ばぁっ」

 と突如逆さの顔が襲い掛かってきた。

「森で迷っちってさ。どっちに向かえばいいかおせーてよ」

「アタシ森から出たことないから」

 とりあえずここで待てと言い、上空に飛ぶ。西のほうに人家の集まりが見える。森の切れ目もここからならその方角が一番近い。

「西が一番外に近いよ」

「お、あんがと」

 そういって枝から枝へ飛び移っていった。

 数日して又も上から彼は現れた。

「ばぁっ」

「また迷ったの?」

「いや、今回はちゃんと地図を作りながら来たし、木にナイフで印もつけてる」

「じゃ、何しに来たのよ」

「ここで飢え死にされたくなければ飯をよこせ」

 呆れた。何を斬新な脅迫してんだこいつ。

そのあと家に連れてって、昼食を食べた。家で外についての話を聞いた。名前もこのとき聞いた。思えばこいつは最初からアタシらを全く恐れてなかった。アルム。父と母は父さん母さんと呼ぶから、名前で人を呼ぶのはこれが初めてだ。

「人の言葉が通じるなら対話できるし、大鼠や大蜘蛛のほうがよっぽど怖い」

 そんな奴らはこの森にはいくらでもいるんだけど。

 それからも何度もこいつは現れ、一緒にスズメや虫を追う仲になった。常にアタシが勝った。アルムよりアタシのが目はいいし、上空からの急降下なら枝跳びの得意なアルムでも追いつけない。何度も獲物捕りで競った。何度も勝った。

 ある時アルムは一計を案じたようだ。ズボンのポケットがパンパンなままやってきた。ポケットからはロープ。ロープはアタシの足に巻きつく。バランスを崩さないよう跳ぶには少し苦労した。振り落すわけにもいかずそのまま空へ連れて行った。

 アタシが獲物を見つけその方向へ急降下し始めると、アルムはロープから手を放した。

「ちょ、バカ!!」

 しかしよく見ると左のポケットはまだパンパンだ。その中からもロープが出る。アタシに投げたのとは違い、そのロープの先には金属がついていた。枝にそれをひっかけ、振り子のように体を揺らす、回す。横向き、縦向き、上から下から……

 元々運動神経だけならアタシより上だったアルムはそれを惜しみなく使い、初めてアタシに勝った。

 それからの勝負はアルムのロープがアタシの足を捕えるかどうかの勝負にかわっていった。ロープがかかればアイツは必ず勝ったし、一番上の枝からも届かないような高さに上がれればアタシが勝った。アイツが空に来たときアタシに勝ち目がないのはやはり迷いない落下だったと思う。安全を意識しながら降下するアタシとでは、最後に達する速度が違う。加速した自分の体ををぎりぎりまで使いこなすアイツの身のこなしもさすがだった。

 数年が経ち、アタシら一家が森の外に移り住んでもそんな生活は変わらず、突然終わりを告げた。

 ロープのかかった枝が折れた。たったそれだけ。

 どれだけ急いでも、ただの落下のほうが早い。

 何より空にいる間アタシの腕はただの翼で、落ちていく誰かを助けるようにはできていない。元々アタシらハーピーは飛べる奴同士で暮らしてきたのだから当たり前だ。

 何かがへし折れる音と、何かが潰れる音が混ざった。

 一週間彼は目を覚まさなかった。医者は背中の骨がやられているから二度と歩けないだろうと言った。

 背中の骨? 意味が分からない。足と何のかかわりもないじゃない。

 目を覚ましたアルムは、三日ほど飯も食わず眠りもせずに部屋に閉じこもり、突然また病院に運ばれた。原因は衰弱じゃなかった。

家の屋根から車椅子ごと飛び降りて大怪我をしたらしい。

壊れかけた車椅子には、滑らかな形の鉄板がついていた。

 問いただすとあのバカはソレを翼だと言い張った。

で、三日ほど再入院した。

 

##

「人と魔物は共存できるって学校で習ったよね? ならアタシはもう二度と飛ばない。この村で畑仕事手伝って人間に混ざって生きる」

「跳べず歩けずの俺に畑仕事なんざ出来るかよ。俺は飛ぶ。人間なんざやめてやる」

肝心な時に役にたってくれなかった両腕を嫌ってアタシは人になろうとした。

アイツはもう二度と動かない足を嫌って人をやめようとした。

 どちらも正しいんだろう。

 どちらも間違っているんだろう。

 共存とは何なんだろうか。

 けれどアイツは足をなくした頃の悲壮感がすこしずつ薄れていき、死に物狂いだった飛行機作りも今では楽しんでいるようだ。

 アタシはいまだに畑仕事が辛くて仕方なく空を見上げてばかりいる。

 そして今日も、アルムの飛行機が風に煽られてバランスを崩すのが見えた。

 ああ、アレじゃあ隣町までは届かないな。せいぜい途中で不時着だろう。

アルムの父に迎えを頼まれる。村が小さくなるぐらいまで歩くと爆発音がした。

アタシは反射的に駈け出した。

それでも飛ばない。アタシは飛ばない。

 

##

 木の枝の中を跳びまわり、跳ね回り、駆け回る。

 たった一本のロープとちょっとした練習。

 そう、アイツに翼があるように、俺にはこの両手があった。

 創意工夫こそ人間だ。

 そうだもっと速くもっと疾く!

 右手の中に雀が入る。捕える。これで四回連続で勝った。勝ち越しだ。

 

 バキ!

 

 木の枝が折れる音。

「うあああああああああ!!」

 あの時は出なかった悲鳴。

 あの時? あの時っていつだ? 

 ああ、そうか。これ夢だ。

 目が覚めると俺は足首を掴まれて引きずられていた。

「もぅすこしマシな運び方できねえ?」

「どうせ全力でつかんでも足なら痛くないでしょ」

「いや、地面に擦りつく背が痛い」

 しかし、楽しい夢であり同時に悪夢でもあった。

 飛ぶことへの憧れと、どうしようもない喪失感。跳ぶ喜びと、落ちる恐怖。

 あんな夢を見たのは初めてだ。なんで今になって……。

 ただ……いつもの憎まれ口や売り言葉買い言葉の他に言いたいことができた。

「なあモノ……お前楽しい? 畑仕事。お前の親は翼を生かして運び屋やってるだろ? あの二人はいつも楽しそうだ。やっぱりさ、持って生まれたものを全力で使う機会って、無条件で楽しいよな。理屈じゃないんだ」

「アンタの言いたいことは分かってる。鍬よりアンタのがよっぽど重い。でも、ただ引きずってるだけで楽しい。何かを運ぶのは楽しい」

 俺が飛行機作り始めてから、いや、モノとあって初めて聞いた弱弱しい声。

「だったらなんでそんなに仏頂面してんだよ」

「うっさい! だって飛んだらアンタはまたアタシの足から――」

 あ、声のトーンがさらに聞いたことないものになる。

 はっきりと本心を告げることにする。

「あのさぁ! 足動かなくなって最初のころはこのまま終わるかって必死こいてた飛行機作りなんだけどさ、最近は意地でやってるようなもんでよ。実は全然楽しくない」

「え? うそ……だってあんたいつだって設計図ばかり」

「ああそうだ。トビたいのは事実だ。だけどよ、操縦桿で飛んでも楽しくねえんだ。俺はやっぱお前に助けられて、ロープで跳びたい」

「え、ちょ」

「創意工夫とロープでお前を出し抜いて、初めて勝った時お前に言った言葉を覚えてるか?」

「創意工夫こそ人間」

「そうだ、飛行機だって創意工夫だ。人間やめてやるなんて、寝言でしかなかった。だから俺は、お前にハーピーやめてほしくない」

「でも……アタシ……アタシ」

 まだ言葉が足りないんだろうか。親父に散々からかわれたがこいつも大したもんだ。俺に負けず劣らず鈍感だ。

「自分の持って生まれたものに誇りを持ってたお前が好きだ。空に連れてけなんてわがまま言わねえから、俺が一番好きな奴の一番好きな姿を見せてほしい」

 大泣きして抱きついてきた。首が閉まっている。あ、やべ……意識が……

 

##

 肩の痛みで目が覚めた。全身に風を感じる。風? ってここ空じゃねえか。やっぱ飛べると速いな、すぐ村に着く。

 そろそろ着地というタイミングで落とされた。痛い。

 俺を突き落した奴はとても楽しそうな顔をしている。

 着地したとき痛みに気付いた。足首が痛い。感覚が戻っている。左足にはいまだ感覚がない。でも今右足が、足首がずきずきと痛んでいた。

「さ、病院行ってこよ。車椅子作ってもらわなきゃ」

「いや、車椅子はいらない。松葉杖をくれ、自分で歩く。足が、痛いんだ」

 

もう飛行機はいらない。俺を飛ばしてくれる奴はいるし、この痛みに耐えれば、歩くこともできるだろう。

 リハビリか~何か月かかるかな。




次にお前は「お前誰だ!」と言う

冗談です。
新入生歓迎冊子で書きました。これ以降の作風(他の作品)で分かる通り
私基本ネガティブですんで、こんなの出した時
先輩方は予想と違う作風にとても微妙な表情してました。


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憂さ晴らしの後で

戦争モノオンリーで冊子やった時。
確かこの時勇者と魔王モノは戦争モノに入りますかと聞いてきた勇気ある者がいた。
議論は数時間に及んだ。


 結局その男は槍を担いでこの焼け野原に帰ってきた。焼かれた森と草原。焼けた樹の幹に突き刺さった矢。折れた槍。転がった鎧。骸骨。黒く焦げ朽ちた木々が立ち並び、そこが元は森だったことを伺わせる。

 地面にはかすかに雑草が生え始めていた。戦死者の朽ちた血肉が焼けて傷んだ土地を蘇らせてゆく真っ最中だ。鎧も武器も焦げ付き敵だったか味方だったかも見分けがつかない。屍の個人の見分けに至っては問う事すら愚かだ。

 乾いた風を浴びながら男はひたすら笑っていた。

「憂さ晴らしは終わったんだ!!」

 

 分厚い布で作られた暗いテント。燭台が一つ灯り、風一つない事をブレない小さな炎が示す。

 つい昨日立てるようになったばかりの幼子が二人。そこで彷徨っていた。テントの中には木で出来たおもちゃの剣、おもちゃの槍、おもちゃの弓、おもちゃの斧、おもちゃの棍、様々な小さな武器が転がっている。縋る物のない幼子たちは、泣きながら這いまわる。手に握る何かを求めていた。

 一人目の赤子は女児だった。弓を掴んだ。二人目の赤子は男児だった。槍を掴んだ。

 双子の姉の名はセルマ・ボウと決まった。弟の名はトーケル・ランスと決まった。

 戦場でその武器がどのような役目を持ちどう扱われるかも知らずにただ恐怖の中で縋り握った武器こそが、その赤子の人生を決定する。

 常に同じ毛布で眠った二人は今日から違うテントで暮らす。そこが彼らの『家』だ。

 

「早速仕事の話をしよう。どこの土地を焼き滅ぼせばいい?」

 亜麻色の髪を短く切った目つきの悪い女だった。スカーフを巻き、マントを羽織り、右頬にはbowと刺青がされている。歯を剥き出しにして笑う凶暴そうな表情の女。

「は?」

 白いフードの付いた外套、更にスカーフで顔を隠した人物が怪訝そうな声で問いに問いを返す。こちらも女の声だ。

「おいおい、頭の巡りの悪い御仁だな。このキャラバンで一番頑丈で上等なテントとそこでふんぞり返る人物、そこに案内されたよそ者。仕事の話以外何があるんだよ」

「仕事の話はわかる。が、焼き滅ぼすとは?」

 フードの人物は問いを重ねた。

「アタシ等は戦士じゃねえんだよ。勝った負けたや戦いに意味が欲しいなら模造刀持ってコロシアムでも行きな、アタシ等は旅する傭兵部族だ。戦争に善戦も奮戦もねえ、虐殺するかされるかだ」

 息継ぎなして一息に言い切られた、この部族の主義主張。

「君たちが今訪れているこの国から旨い汁を吸いあげる十字架の犬どもを皆殺しにしたい。いや、しなければならない。私達の祖父の国を取り戻し、次代の王がこの国を守る」

「聞こうじゃないか」

 口が大きく裂け、表情が歪み、楽しみを見つけた子供のような表情をした。

 

 傭兵部族、遊戦民、虐殺職人。ろくな名で呼ばれない集団だ。彼等は綿密な計画なぞ練りはしない。その日、農奴達が寝静まった頃、看守共の宿舎と畑が燃えた。

「無茶苦茶しますね」

 未だその女は顔を晒さない。有用ではあるが信頼はしない。燃え盛る畑に軍師は僅かに声を乱している。

「働かなきゃ殺される。じゃあ働く場所がなきゃ選択肢なんざねえだろ? 恐怖と焦りでパニックになる民衆。後続部隊にゃあ技術も武器もいらねえのさ、人数と勢いだけで勝てる道筋をアタシらが先に作る」

「計画は得意ではないと聞きましたが、そううまくいくとよいですね」

 ここで戦を起こせば確実に支配者層の本国から援軍が来る。それが来る前にまず今この国にいる分は殺し切らねばならない。逆に殺し切れれば敵のパニックも味方のパニックも傭兵の都合良く進むだろう。傭兵の長の目論見だった。

 対して、彼等の雇い主である軍師はそこまで苛烈な発想は無かった。殺し切った後は国境沿いの森に陣を張り抵抗戦を続けながら条約の締結。それぐらいで手打ちだ。だが、戦うのだけが仕事の傭兵にそれを伝える必要はない。

 が、その夜のうちに外との戦闘は始まってしまった。植民地政策で経済が成り立つような国が見張りを怠る筈もなく陣を張る筈だった場所は既に敵の陣があった。

 

 パイクと呼ばれる槍がある。陣形を組むために使われる槍だ。二列横隊で用い後ろの列は斜めに掲げ騎兵を狙い、前列は地面と水平に構え歩兵を牽制する。長さは基本的に使用者の三倍以上。独力で戦う事を想定した槍が使用者の倍が望ましいとされることを鑑みればそれはそこにあってはならない槍だった。

 その男は大柄で、その槍は更に長く見える。手首の角度と掌の感覚で刃先の向きを調整しながら振るわれるそれは、突く物でなく敵を両断する物だった。

 樹の枝の上で弓を構えていた兵が五本程放ってからあの敵は矢では倒せないと諦め逃げようとするが一手遅い。

「あるるろろららあ!!」

 その背に突き立てられた槍が胸から突き出る。それを引き抜きもせずに敵兵ごと振り回す常人離れした膂力。苦悶の声を上げる前に槍のしなりが彼を跳ね上げ小刻みに振るわれ更に激しくしなる。弓兵が地面に落ちる頃には胴体は三つほどに斬られていた。逃げ遅れた次の兵に振り下ろされ、頭蓋を斜めに割った槍を鋭く引き戻し、また手頃な距離の敵の胴へ穂先は飛び込んでゆく。

「なんだあれ」

 遠くからその戦闘を眺めていた傭兵の長は呆れきっていた。

「英雄だそうです」

 フードの雇い主は嫌悪を隠そうともしない苛立ちに満ちた声だった。

「へぇー、あれが神のゴカゴとかなにやら言ってる誇大妄想野郎の筆頭かい」

 言いながら髪を一本抜き、息を吹き付ける。髪はズルリと伸びて矢に変わる。術で作った矢に小さな布の袋を括りつけ、放つ。

 槍の男になんの策も無い矢が通じもせず、切り落とされる。

「ばーか」

 もう一本。狙いは、布袋。爆ぜる。周りの木々が圧し折れ、見晴らしの良くなったそこには上半身が無かった。

「ところで、あれはただの尖兵ですよ。誇大妄想の筆頭は十字架で自慰するのが仕事ですから」

 森の向こうでは大規模な乱戦。フルプレートの鎧、片手持ちのフレイル、片手持ちのヘビィカイトシールド。まるで作り物の様に同じ格好の兵士達。どれもそのデザインは十字架の意匠を入れた物。

 対するは右頬に刺青のあるポンチョの集団。色とりどりで統一性もなく、武器も刺青もそれぞれ違う。それぞれに特徴のある見た目だがその表情はどれも雇われ傭兵とは思えないほどに士気と怨嗟に満ちていた。

 せっかく武器も服装も違うのにその咆哮、その表情、その狂気。どれも統一された傀儡の様。

 油の上に炎が広がるのを何故と問うものは愚か者だ。彼等にとっては今の自分達の状態はそれと同じだ。目の前にいる敵の存在が既に油なのだ。そこに奴らがいるなら炎のように彼等は猛るのみ。

 対して鎧の集団は三撃加えられてから反撃する点、常に敵を斃す度に祈りを口にする点、どこか理性的で戦場に立つ者にあるべき恐慌が全く見られなかった。

 全くの第三者の目から見るならこの戦場に人間はいない様にすら見える。

 此処は異常だ。

 フレイルで脇腹がひしゃげる者、斧が鎧の首を跳ね飛ばす。フルプレートの優位性は高く、刃物の武器は殆ど通用しない。それでも彼等は武器を捨てない、武器を変えない。武器を奪わない。

 膝の裏、腋、目出し穴。どうあがいても鎧に出来る隙間を縫うように的確に仕留めてゆく。

 ある男がフレイルを槍の柄で受け、折れた。

 これだけ多くの死者が出た戦場だというのにそれが初めてだった。彼がこの戦場で最初に武器を捨てた。武器を捨てた彼は即座に髪を一本引き抜き、息を吹き付ける。円錐状の長大な穂先、短い柄。ランス――突撃槍だ。石突の横の部分に小さな穴が空いている。

 小さな布袋をそこに入れ、さっきまで向かい合っていた敵を無視し前進。

「逃がすか!!」

 逃げているのなら後退すると気付くには、もう彼も戦場の空気に憑かれていた。

 奴が背を向けたまま石突で突いてくる。鎧相手、故に打撃に切り替えたか? という疑問が彼の最期の思考になった。

 爆発音が咆哮と戟音を掻き消す。本来なら全方位に弾けるはずの爆風が、石突の先から噴出され、その一瞬だけ脚を浮かせていた彼が槍ごと前へすっ飛んでゆく。一点集中で鎧をぶちぬいた爆風の余波が鎧の内側を灼き、更に胴を消し飛ばし、鎧の背中側だけが弾け飛んだ。

 前方へ跳んだ彼は別の敵のこめかみを貫いていた。円錐状のそれに貫かれ、内側から押し広げられた兜も頭蓋もまた弾け飛び、首から上が失くなっていた。

 その右頬の刺青はlance。

「英雄を兵卒に!」

 爆発音の後で僅かな間静まり返った戦場を塗り潰すほどに轟く叫び。槍を構え直し、石突に次を込める。

「「「「「武功を罪業に!!」」」」」

 傭兵たちが答える。

「歴史に名を残すは王!」

 もとより彼は脚力だけの突撃で頭蓋を貫ける。一斉に轟いた傭兵の謳うような叫びに怯んだ鎧がまた一人斃れる。

「「「「「兵卒は忘れ去られるべし!!」」」」」

『故に我等の戦! 栄光の為にあらず!! 我等に故郷はなく! 戦、國の為にあらず!! 我等に記憶あり! 寝物語に語られるは先祖の恨み事!! 故に我等の解!! 常に憂さ晴らしただ一つ也!!!!』

 叫ぶ程に、謳う程に、戦意が向上してゆく。次々に彼等は武器を捨て髪を引き抜く。戦場に火薬の匂いが充満してゆく。血の匂いを灼き、更に不快感のある匂いが大地に染み込む。肉の焼ける匂いが漂う。生きている者も死んでいる者ももう音は聞こえない。火薬の音に耳が狂ってしまっている。

「慈悲を!!」

 雨雲はなかった。それは間違いない。落雷が双斧を振り回していた巨漢を焼き消した。

 女の声だった。鎧達の中の一人が兜を外す。美しいわけではなかった。厳しい顔の女だが、微笑んでいた。

「我が名はエルザリア・カーレス!! 

最初に武器を抜いた槍の男、名を名乗りなさい」

 両軍互いに、睨み合いながら止まる。

「それは正々堂々だとか名誉だとかの為か?」

 呆れきった表情、それは森の奥でゲリラ戦を続ける弓を携えた族長と似た嘲笑の表情だった。

「御名に捧げられる名です、強者は選ばれた者であり、それが蛮族であるならば打倒されるべき悪として歴史に現れ、打倒される。あなたは歴史に名を残す。主に逆らう愚者の象徴として、教訓として後の歴史に名を残す。そして我等の名誉と主の威光が更に世界を照らすのです」

 傭兵たちが一斉に笑い出した。これほど惨めな連中はいないと。これほど愚かな連中はいないと嘲笑っている。戦況がどうだとかではない。どちらがこの戦に勝利しようとその愚かさは隠せないと、唾を吐き捨て嗤う。

「威光!? 名誉!? 戯けた話だ、この場のどこに名誉がある、この日この場でこれに参加した事程不名誉な話は無いだろうに!! これは、ただの殺し合いなのだから!! だが、名乗らねば納得せんのだろ? ドレル・ランス・カストロフォビア! 傭兵部族、長柄の家の長!!!!」

 脚力による突貫を避ける。エルザリアが振り返った時、同時に火薬の音が響く。一騎打ちを見守っていた鎧達の中の一人が石突に消し飛ばされ、次の突貫が来る。

 それも躱す。突っ込んだ先は味方の中。次は脚力で来る。

「やれ!! ドレル!!」

 次も、火薬。彼等には味方すら足場に過ぎず、足場にされる者もそれを納得している。それも躱すエルザリア。

「十の同胞の死は、十一の敵の死で報いるべし」

 そう呟きながら、敵の鎧を足場に次を放つ。腕の骨が砕け、肉がひしゃげ、千切れ飛ぶ。通り過ぎる間のカウンターで、フレイルが左の二の腕を砕いていた。

 エルザリアの一歩後ろで力尽き斃れる。

「汝が選ばれし者ならば裁きの後に――」

「バカが」

 慣性の法則を無視し、真後ろで斃れた事に違和感を覚えぬまま見過ごす。それがその一撃を許した。残った右手で槍を出す。それは彼女の鎧の隙間、右肘に食い込んだ。石突の穴は塞がっている。

「この日、長柄の長が代替わりする!!」

 一歩下がり石突を蹴る。鎧を着ていない彼は食らった場所が胴体でなくともその火薬に耐えられない。彼の全身と引き換えに、右肘を槍が食い破る。

「裁きの後に救われよう、AMEN」

 直後、火薬の音がした。彼女の眉間に赤い小さな点が出来、同時に後頭部が飛び散った。

「不意打ちとは!! 貴様等!!」

 鎧の誰かが叫び、そいつも首から上が失くなった。

「一騎打ちは先代の負けでおしまい。ならもう、戦争なんだから。卑怯もクソもねーだろ」

 亜麻色の髪を伸ばしたその男も右頬にlanceとあった。

「見えるか? この槍の穂先……」

 その男が味方に囲まれ敵から離れた所から突撃槍を突き出す度、火薬の音と共に鎧が弾ける。その槍の穂先から微かに煙が漏れる。そこに穴が空いている。石突でなく握りの位置から火薬を込める。円錐状の槍の穂先に一点集中された爆風のみで錐よりも鋭く穿ち、敵を灼く。敵が事態を把握する前に六撃。

 地上は飽きたと言わんばかりに、穂先を地面に叩きこむ。爆発音が次代の槍の長を空へ誘う。

「あんたら、弓兵いねーだろ? 詰んでんな」

 空中で穂先から後ろへ向けもう一発。それが合図となり、傭兵達全員が再び躍りかかった。

 

「かー、射っても射ってもキリがねえ」

 英雄を消し飛ばした矢と違い、命中と同時に炸裂するよう、鏃に火薬袋を付けた奥の手。もうこの矢を奥の手と呼ぶことは明日から無いだろう。射ち過ぎた。

 軍師の女は弓兵の横で周りの木々に壁役を命じていた。枝が敵の矢を叩き落とし、味方の矢を避ける。根が地面から起き上がり、敵を貫く。葉は矢尻をより鋭く降り注ぐ。

「案外アンタも面白え事出来んのな」

「手足は意識を持ちません。人と違う事を為すには出来て当然と思うことですよ。植物も意識を持ちません。ならば手足も植物も鎧も等価です」

 極論ではあるが実際にその論理を持って彼女はその術を操る。

 最後のテントから声が消える。森の制圧は終わった。陣が組める。

 ほっと一息ついて、族長は肩に違和感を感じた。

 鎌が刺さっている。あり得ない。

 今、自分たちが最後尾の筈だ。弓の家の長が部族の長を務めるのだ。戦場を一番遠くから眺め指示を矢文で出し、一番遠くから敵と味方のいる最前線より戦線の奥へ、敵しかいない場所へ火薬を撃ち込む。他の武器の長が最前線に立つのに対し弓の長は最も後ろに立つ。弓兵の群れの更に後ろ。彼女の後ろに兵はいない。

 では、この刃は何だ?

「あっちゃー、アイツ等そう動きやがったか」

 後ろから木々を掻き分ける音がする。全く洗練されてない足音。気配も糞もあったものじゃない。

「国を奪った十字架も土地を燃やした傭兵も皆殺しだ!!」

「あっちだ!! 囲め!!」

 農具を武器代わりに掲げた素人の集団。日々酷使された彼等は痩せ細り戦いなぞ出来る体じゃない。

 それでも彼等は立ち上がる。

「いいね、サイッコーだよアンタ等。強い弱いじゃない、その感情こそアタシ等と同じモノ」

 まともにやって傭兵に農奴が勝てる筈がない。この日が来るまで負け犬でも生きようとしていた彼等を踏みにじった傭兵共への憎悪。此処から先はない。けれども退く後ろもない。前も後ろも失くしたそれは、傭兵達の先祖の生い立ちと同じだ。

 故郷を焼かれ父と夫と兄弟を殺された女達の肚から生まれた敵兵の子。戦っても戦わなくても自分達は死ぬ。殺されるのか餓えで死ぬのか、ならば殺されようじゃないか。自分達を殺す者が目の前にいるならその喉に喰らい付くチャンスは僅かでもある筈だ。眼に見えない餓えで死んで堪るものか恨み言ぐらい目の前で言いたいじゃないか。それでも生き残った者が子を成し彼等の歴史は始まった。

 これは八つ当たりだ。憂さ晴らしだ。

「殺せ!! 一人殺すまでは何があっても死ぬんじゃねえ!!!!」

 農奴の誰かが叫んだ。すぐさま射抜かれその声が断末魔を叫ぶ。

 陣を組むように指示した味方のいる位置から火薬の音が聞こえる。周りが紅く、そして眩い。火だ。炎で自分達を踏みにじった相手に火をぶつける。この上なく自分達らしい。そして彼等らしい。

 農奴達が森に火を放った。もう火薬は使えない。撃った矢がどの位置で炸裂するか、どこがどれだけ熱いのか、もう解らない。こうならないように火薬は炸裂で燃え尽き飛び火しない物を使っていたというのに、台無しだ。

 戦場とは常に何かが台無しになり虐殺が起きる場所なのだ。

「わりいな、やっぱ計画は立てるもんじゃねえや、戦場は何が起きるか予想がつかねえ」

 返事はなかった。殺られた訳ではないようだ。族長の隣には誰もいなかった。

 次から次へと草刈り鎌が投擲されてくる。石ころもひっきりなしに降ってくる。

「まだまだぁ!!」

 武器が尽きぬ事こそ彼女の魂と頬に刻んだ兵としての価値だ。鎌の喰い込んだ肩を酷使しながら矢を放つ。一人一人丁寧に狙ってなどいられない。狙いは荒く、ばら撒くように。一度に番える矢は三本を超えた。当たったかどうかを確認すらせず乱射する。

 体温も気温も際限なく熱くなる。

 鎌が先か、炎が先か、火薬が先か、出血が先か、熱気が先か……。

 今、傭兵部族カストロフォビアの族長に先も後もなかった。

 

 

「神の裁きは武器を奪う!!」

 落雷が再び輝く。片刃のポールアックスが雷を受けて火薬を炸裂、させられる。

 雷というものは高く掲げられた金属に向う物だ。この場で言うなら長物の武器。

「雷霆招来!! プルクシュ・カーレス!! 長柄と火薬を操る者共よ! 汝等の天敵ここにあり!!」

 兄なのか弟なのか、先に兜を脱いで一騎打ちの後に死んだ女とよく似た顔立ちの男だった。両手持ちの巨大な盾。攻撃は全て祈りによって賄う。

 若き長柄の長が放つ穂先からの爆風をその盾は真正面から防ぎ切った。

 武器を一度消し飛ばされた程度では傭兵達は止まらない。髪を引き抜き、次を呼ぶ。

 しかし、武器を失い、次を呼ぶ前にフレイルに屠られる者。そもそも武器ごと消し飛ぶ者。消し飛んだ武器に巻き込まれる者。その英雄が味方を押し退けるように最前に立ってから形成は逆転していた。

「どうする!! トーケル!?」

 傭兵の誰かが問うたが、

「知るか!! 後退するな!! 他に言う事あるかよ」

 若き家長は未だ家訓の他に叫ぶ言葉を持たなかった。

 遥か後方で火薬の音がした。それ自体はいい。森の奥でも同胞は戦っているのだから。しかしその規模だ。ここまではっきりと聞こえる程の火薬音。この戦場とて火薬音戟音に苛まれているのにそれを塗り潰す音。比較的敵から遠かった男が森を振り返って、

「陣が、陣はどうなった!? セルマ様は!?」

 燃えている。あそこまで火の手が強くなるまで誰も気付かなかった。

 後ろは振り返らず、ただ殺し続けるのが彼等の性だったから。

「狼狽えるな!! やけっぱち、後先考えねえ、自業自得……そんなもん、いつも通りだろ!! 背水ならぬ背火の陣!! ならば、突撃あるのみ!!」

 雷霆を名乗った英雄は未だ健在。戦況は好転していない。その突撃は何も生まない。それでも、それが彼等の在り方だ。

 ただ、暴走する駒を良としないものがいる。

 傭兵も十字架の犬も突然足元に違和感を覚える。敵味方問わず、足元には死骸が転がっている。

 足首を掴んでいた。次の違和感は、鎧を着ていた側だけに起きた。肉体が鎧の内側から鎧にぶつかる。鎧が動かない。

 ただ二人、例外がいた。長柄の次代トーケル。もう一人は、先程までその戦場にいなかったはずの女軍師。未だ顔も名前も明かさないその女の第一声は、

「セルマ・ボウが戦死致しました。伝言がありますが」

「吐け」

 即答した、族長の弟へ告げられた言葉は、

「弓の家全員を喪っては次の族長選出も不可能、我等の歴史は今宵閉じる。好きに生きよ。とのことです」

「野郎共聞こえたか!?」

 族長の弟トーケルへ彼等の答えは、

「「「生きるより先に殺せ!!!!」」」

 どこまでも彼等らしかった。

「更に私から伝えることが一つ、あなた方の雇い主は私ですが、更にその上私の雇い主もいらっしゃいます。彼は別口で兵を用意し、ここを火矢で焼き払う手筈があります。逃げるなら今しかありませんが、いかがなさいますか?」

「さっきの連中の答えが聞こえなかったか? 足首放してさっさと失せな」

 足首を解かれるのは傭兵のみ。そんな卑怯な状況を疎むような連中でもない。

 だが、雷は未だ数秒に一発振り下ろされる。トーケルの槍に雷が落ちる寸前、彼はそれを投槍として使った。火薬を装填されていなかった槍でさえ一撃で灼き消すその雷を前に、トーケルは数で対抗し始める。祈りを捧げ、狙いを定め、下す。しかし、下された雷は条件に合致した敵の武器を自動で狙う。対して息を吹き込み投げるだけ。当然策も糞もない槍は盾も鎧も貫けず地面に突き刺さったり転がったりする。狙いを定めることすら放棄して槍をひたすらに投げ穿つ。その最中にも動きを奪われた鎧達が為す術無く傭兵達に討ち取られてゆく。何時しか火の手は戦場を囲み、弓兵のいないこの場に火矢が飛び交い始めた。先程よりも祈りが深く長い。全身全霊の一発が来る。誰に? 何処に? 何に? 聞き届けられた祈りは天から怒れる鎚を連れて来る。

 それに対し、トーケルはまだまだ槍を呼び出せる。それをどうでもいいと吐き捨てこれが最後とばかりに安全を度外視した量の火薬を詰め込んだ槍を敵に向けてではなく敵の真上に投げた。

 閃光が頭上を塗り潰し、一瞬遅れて爆炎が一点に落ちた。連続する二つの轟音を区別出来る程聴覚の生きている者はこの場にいない。爆炎が地面に転がる槍を打ち抜き、更に別の槍へと連鎖する。

 トーケルもプルクシュも共にその瞬間世界が止まったかの様に感じた。眼に見えない程に疾かった穂先からの爆風があんなにも遅い。プルクシュは自らを囲んでゆく爆風の線を、絹の糸の様で美しいと永い一瞬に考えていた。時間の感覚をトーケルが取り戻した時、ヤツの立っていた場所は僅かに抉れていた。

 

 鎧を殲滅しても彼等の戦いは終わっていなかった。火矢が彼等のポンチョを燃やしてゆく。もう数えるほどしか仲間はいない。地面と水平にこちらを狙う矢と頭上から山なりに襲う矢が横たわる者達を葬ってゆく。

 熱さの中直撃を受けずに倒れてゆく者共。誰かが火薬のない槍を握って突撃を駆けようとするトーケルの首筋を掴んで死体の下に潜り込ませたが、疲労し切った自分が何をされているのか、突撃を実行出来ているか、いないのか、それすら彼は判っていなかった。

 

 彼が目を覚ました時、感じたのは腐臭と血の味だった。無意識のうちに肉を齧り、血を啜っていたらしい。空腹感は全くなかった。

 軍師の言った言葉を微かに思い出す。この国が戦争に勝ったなら王がいる訳で、ここに転がってる勝った筈の同胞の亡骸達は王の命じた火矢で死んだ事になる。ならば、憂さ晴らしこそが彼等の在り方。目指す先は決まっていた。

 

「やあ、待っていたよ」

 深い緑色をした目の人物が玉座で言った。豪華な服を着ている訳でもない。威圧感がある訳でもない。彼が王である事を示すのは椅子のみだ。

「心掛けは立派だな」

 槍を構える彼に対し、王は命乞いをしなかった。けれど、

「私を殺した後、身の振り方は考えているかい? 出来ればでいいんだが、また雇われてくれないだろうか? 君にあの土地を引き続き任せたい。あの戦火を生き延びた君の実力を私は誰より評価する。だからここから最も遠くもっとも重要な土地の領主になってもらいたいんだ」

 淡々と穏やかで、あの戦争を命じた人物とは思えない声。

「君一人で出来ることは少ないかもしれないが、君の身分を隠し辺境伯とすれば、領民も君に従うだろう」

 何故だか彼は族長からの遺言となった伝言を思い出した。

 好きに生きようにもたった一人では戦争も出来ない。キャラバンのテントの移動も不可能。どこかの傭兵団に加わろうか? 否だ。彼等と自分では戦う理由が違いすぎる。金が二の次の傭兵なぞ信用されない。自分達は集団で実力と名が認められていたからあんな真似が出来た。

 領民と聞いてまず集団そして兵団という発想が浮かぶあたり、彼は貴族や伯爵などと呼ばれる存在に向いていない。彼は根っからの殺人者だ。軍人でも兵士でも戦士でも闘士でもない。殺人者だ。

「簡単な事なんだ、戦うときは領地から出て領地に入られる前に殲滅する。領地の外でなら手段は問わない。君らしい戦いをしてくれればいいんだ」

 彼の好きな様に戦わせる。それが引き起こす犠牲を王は解っている筈だ。それでもあの地を守り切れねばもっと多くの民を失う。王には彼が必要だと囁く。

「君達は憂さ晴らしを、復習を糧とする部族だと聞いている。だとすれば、多くの同胞が眠るあの地を君はどうしたい?」

 王の言葉は彼の意識に脳に染みこんでくる。まるで慈悲深い賢王。その優しく甘い声は自分を殺すことも復讐も同胞も肯定する。

「八つ当たりなのだろう? 武器を振るえるならなんだっていいじゃないか。八つ当たりに重要なのは対象が誰かじゃなく君が心地良くなる事。つまり課程じゃなく結果だ。より多くの成果にはより多くの機会が必要だとは思わないか?」

 このままこの声を聞いていてはいけない。恐怖に駆られ武器に縋る。幼き日に昏いテントでそうしたように。

 刃のなく穂先がモノを言う突撃槍でそれを実行する彼の武術には、その場の誰もが驚嘆した。突くための武器で、彼は王の右腕を切り飛ばした。

「後の歴史書には……王は勇敢に戦って腕を失ったとでも書いときやがれ」

 たった一撃で息も絶え絶えになった彼は踵を返してそう告げた。

「その必要があればね」

 王の返事を彼は聞かず、その場を後にした。

 

 その国は小国だった。それでも隅々を見て回りながらジグザグに中央から渦上に、そうやって各地の農地を眺めてゆくうちに半年が過ぎ、彼はそこに帰還した。

「憂さ晴らしは終わったんだ!!」

 王の言葉の意味は理解していた。彼は自分を肯定する。だが、意味や願いではなく、その声色と染みこんでくるような慈悲深さに彼は怯えた。王の言葉を否定した。憂さ晴らしは終わりだと。戦いだけが生き甲斐の傭兵部族はもういないと。

「お待ちしておりました」

 聞き覚えのある声だった。女の声だった。フードを外したその顔は焼け爛れている。

「ここに戻ったということはお受けくださるのですね?」

 焼け爛れた顔は眼の色と表情が王とよく似ていた。

「何の話だ?」

 無表情に無感動に男はとぼけた。担いでいた武器を地面に突き刺し、その場に寝転がる。

「弟からの伝言は半年前お伝えしました」

 そう言って外套を脱ぐ。その女の右腕は、王の右腕と同じに二の腕の同じ位置で切られていた。次に左腕で面を取り出す。その面を被ると女の体が伸び、声が変わる。

「王に仕える家臣としても、弟を守る姉としても。この右腕に後悔はありません」

 あの日と同じ声で全く違う口調を聴く。

 仮面を外し、捨てる。彼は確かにその事実に驚きはした。影武者に全く気付かなかった自分に情けなさを覚え、嘆くように目を閉じる。

「領民が揃っていないのならば、」

 そうつぶやくと同時に夥しい数の鎧と遺骸が立ち上がる。僅かに肉の名残のついた骸骨達。彼等は皆懐かしい武器を握り締めている。

「彼等を僅かな間その場凌ぎに、あなたが戦しか知らず領地をまとめる政が出来ないならば、私が助言致しましょう」

 彼は目を閉じ、女の言葉を無視し続ける。無理やり叩き起こされた同胞達に眉を顰めるが、それだけだ。憂さ晴らしで武器は取らない。そう決めたから。

「私には更にもう一つ最も重要な任があります。次代を産むこと」

「あぁ!? お前そこまでするのか!?」

 そこで初めて彼は感情を露わにした。

「傭兵の時代に終わりを告げた最後の族長の名を次代に。二代目辺境伯の名はセルマ・カストロフォビア。というのはいかがでしょうか」

 どこか陶酔した表情で女は続けた。焼け爛れた顔色は伺えないが、耳の色を見れば把握できる。紅潮している。恋する乙女のような表情。

「俺がシスコンみてえだからやめろ」

 寝転がったまま憮然とした表情で彼は言い返すも、

「弟しか眼中にない姉と、姉が死んで虚脱している弟。良い組み合わせとは思いませんか? トーケル様?」

 トーケルと呼ばれた男は溜息を吐いて立ち上がる。

「このまま死ぬのはつまらねえ、ここで生きるのもいいだろう。てめえの話は保留として俺が誰を孕ませても、一つ教育方針について決めていることがある」

「どうせ他の女は近づかせませんがね、私が産むというのが王の命ですから」

 トーケルは無視して続ける。

「王への恨み言は絶対吐かない、憂さ晴らしを次代に繋げるのは終わりだ。俺とあいつの溝は埋まらねえがあいつのガキと俺のガキぐらい、同胞になれればと俺は思う」

「その言葉だけでも王は十分にあなたを同胞として迎えるでしょう、旦那様」

 とうとう無視しきれなくなって、トーケルは未だ名も知らぬ隻腕の女を蹴り転がした。彼の顔は当たり前の年頃の青年のように赤かった。

 

 その男はその土地で同胞を失い、多くの敵を斃し、そしてこれからも敵を斃し続けるだろう。

 その男は多くの仲間を喪ったその土地を独立と建国を宣言した新王から任された。最も信頼するからこそ最も遠くを任せるのだと、王は男に言った。ここが新たな国境となる。男はこの日からこの国境を守る砦にして領主。革命戦争で成り上がり、勲章と爵位を受け取るもその価値すら男には分からなかった。

 その国が侵略を受ける前、新王の先祖もまた王をしていた。あの頃王の周りでおべっかを使っていた貴族の子孫は戦に乗じて帰ってきた。新入りを蔑む貴族共を新王は首都に集めた。そして、肝心な時に役立たずだったと皆殺しにした。彼等の持ち帰った外貨は国の復興と民の為に使われた。

 貴族達の処刑を執行したのは隻腕に焼け爛れた顔の傀儡術を操る女と頬に刺青のある槍使いの男の夫婦だった。

 




今日も明日も明後日もで出てきたあの家のご先祖の話ですね。
カストロフォビアってのはカタスロトフ・フォビアを縮めました。
悲劇恐怖症 
フォビアで検索かけても出てこなかったので造語ってことにしといてください。

恐怖症を憎む者と解釈しなおして付けました

ところで、戦争モノを一番深く描くならモブ兵士がいっぱい出てきてバッタバッタと死んでゆきその描写を余すところ無く見られる媒体だと思います。例えば漫画とか映画とか。間違っても一度に一箇所しか描写出来ない文章ではないと思うのですが戦記モノやバトル物、戦争モノの小説はいっぱいあるわけで彼等は私と脳の構造が違うのだろうああいう方々を天才と呼ぶのだろうと思います。
 群像劇とかでキャラ描写の量のバランス整えるとか無理ゲー。
 ラノベとかでもそういうのしっかりできる作者マジ尊敬します。というわけでみなさん綾里けいしさん読もう。入間人間さん読もう。あと北方謙三さんに、筒井康隆さんに、大石圭さんに夢枕獏さんに小林泰三さんに遠藤徹さんに甲田学人さんに菊地秀行さんに山田風太郎さんに
 あれ? だんだん戦争モノや群像劇書いてない筆者さん混じってきたぞ?
 ……いつの間にか好きな作家さん羅列してるだけになっていた……っかしーなー、
 あっれー? まあいいや。
 ところでlanceって綴りネットで検索したら路に空気を吹き込むパイプって意味もあるそうです。パイプ、熱、吹き込む……こんな感じで火薬狂いのあいつらの武器設定が決まりました。


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英雄にならずとも

バカの話


 ラクダが何十頭もいた。ついさっきまでの話だ。地面に穴が開き、穴の縁がせり上がる。

 口に牙を生やした大人二抱えの太さの巨大な肉の筒がラクダの足元から現れ、一口で獲物を呑んではまた潜る。

 六組の家族から成る行商人のキャラバンは、たった一匹のワームに壊滅させられた。

 食料も人も水もラクダも呑まれてゆく。更には食料ですらない荷物も構わず呑んでいった。次から次へとパニックを起こしながら呑まれてゆく人とラクダの中、一人の少女だけが放心したまま蹲っていた。

「生き残ってるものは全員止まって伏せろ!!」

 不意に意味のある叫びが響いた。恐慌の中聴く者はいなかったが偶然指示どおりにしていた者は一人いた。放心した少女だ。

 それはラクダに荷を載せさらにその荷の上に跨った黒い貫頭衣の男だった。一度ラクダに指示を出して、できるだけ高く跳ぶ。更にそのラクダの背から男も高く跳ぶ。男は踵を砂に叩き付けるようにして大きな衝撃を地面に伝える。対して、ラクダ自身は衝撃を和らげるように着地する。ラクダやキャラバンの足踏みが目立たなくなる。ワームの標的が男に移る。

 僅かに地面が盛り上がった瞬間、また跳ぶ。が、僅かに間に合わない。貫頭衣からはみ出た脛の右側をやられた。男は全く怯みもせず痛みに表情を歪めもしない。膝まで覆った貫頭衣を翻し、鉄甲に覆われた掌を見せた。牙の一本を掴み、潜っていくワームにしがみついたまま諸共に地面へ潜る。次にワームが頭を出した時、男はいなかった。が、妙だ。出てくるときは必ず獲物の真下から頭を伸ばすワームがなにもないところから頭を出した。そして何やら頭を振り回し藻掻いている。

「轟覇!!」

 突如ワームの頭が内側から爆散し、その体液に汚れた五体満足な貫頭衣の男が現れた。

 着地したあと周りを見回し、まるで迷子になった子供のような不安そうな表情を見せた。

 貫頭衣の中からつばの広いテンガロンハットを取り出して被り目元を隠した。

「また間に合わなかった」

 男はそう呟いた。

 生き残りは少女一人でキャラバンのラクダも全滅していた。

 

 ##

 

 目の前の非道を放って置きたくない。俺が戦いを始めた動機はそれに尽きた。英雄になりたいわけじゃなかったしまずなりたくなかった。たった一人が負けただけで世界が終わるような、御伽噺の英雄なぞ俺のトラウマの根源ですらある。

 

 ##

 

 風が貫頭衣を揺らし、砂を巻き上げ旅人の目を細める。ラクダの荷となった少女が口を開いた。

「水……いりませんか?」

 気弱そうなか細い少女の声が反響するもののない砂漠の風に消えてゆく。

「俺はまだ休憩はいらない、君が休憩したいのなら話は別だ」

 答えた貫頭衣の男は金髪碧眼に精悍な顔つきで物語の主人公によくありそうな見た目の青年だった。つばの広いテンガロンハットを深く額までかぶっていた。答えた男はここ数日水も食事も摂っていない。少女は気付いていなかったが睡眠さえも摂っていない。

「まだって……死にますよ?」

「死なないから問題ない」

 少女は蹲っていたから見ていなかったが根拠はある。喰われた筈の脚が根拠だ。

「食料はまだあるか?」

「今日の夕飯で……」

 そもそも荷物の大半はワームにやられた。散乱した荷物の中には破れたテント、使い物にならなくなった商品、そして僅かな食料、そんな程度だった。よって旅荷物の全てを少女は男に頼っていた。しかし、この男の荷物に食料と水は殆ど無く、お世辞にもこの砂漠を越えられるような用意ではない。旅慣れた様子のこの男にあるまじき荷物だった。

「……そうか」

 呟いたあと男はラクダに指示を出す。立ち止まらせ少し歩いてラクダから離れた後……、

「一!」

 地面を思い切り踏みつける。砂が波打ち衝撃を伝える。暫くして、男の出した衝撃とは別種の響きが砂漠を震わせ、砂漠が弾けて、再びそこにはワームがいた。

「二歩!」

 が、躱す。

「ひぃ!!」

 少女がパニックを起こすがラクダから飛び降りれもせずその場で頭を抱える。大してラクダは主に何を命ぜられたのか凶悪な捕食者を目にしても全く動じずそのまま立っていた。

「惨!」

 躱してワームから離れた男は、一歩近づく。ワームが潜り始める。

「疾、」

 もう一歩、ワームがさらに潜る。

「轟覇!!」

 丁度男が突き出した拳がワームの口を横から殴りつけ、爆散させた。ワームの肉を掴み砂から引きずり出しながら、

「これでよし」

 そう呟いた。

 

 ##

 

 目の前の非道を放って置きたくない。聞こえはいいがそれはなんの価値もない動機だ。

 なぜなら目の前で既に非道は起きていて俺はいつも間に合っていないという事だし、目の前で起きていない事に手を出せないという事をも示すのだから。

 侵略戦争を食い止め守った国が新王の暴政で滅んだと聞いた時は頭が煮えたぎるようだった。

 狼に襲われ難儀していた遊牧民を助けたが俺が立ち去った後に盗賊のキャラバンに襲われたと風の噂で聞いた時は思わず膝を着いた。

 

 ##

 

 それから夜になるまで男は巨大な肉の筒を引き摺りながらラクダの横を歩いていた。

「こいつらは衝撃と振動で襲ってくる、集団でいるときに襲われやすい。個人での旅でもありうるがめったにない。集団で最初に襲われた一人はどうしようもない。つまりめったにないが一人の時に来られたら普通は即アウトだからさっきの俺の真似はしないように。対処は動かない事これに尽きる」

 役に立ちそうで立たない講釈だった。今地面に脚をつけているのは男とラクダだけなのだから。

「ところでなんでそれ引き摺って歩くんです?」

「食料が足りないといっただろう?」

「え?」

 珍しく男は晴れやかな表情で言った。そして高らかに続ける。

「砂漠越えの時、俺はあまり食料も水も持たない。何故ならいくらでもこいつが手に入るから必要ないんだ。なかなかに美味い。今回は殆ど君に譲ろう。まだまだ道程は長い」

「え?」

 そしてもうすぐ夜が来る。

 

 ##

 

 御伽話の英雄は与えられた力で与えられた使命を果たしに行くものだ。御伽話の英雄が負けたら世界は滅んでしまうのが常だ。たった一人の敗北で何もかもが終わる。

 世界全てとまでは言わないが、国ひとつ滅んでしまうような重責の中戦い続けた男を知っている。

 例えば、平和ボケした国の平和ボケした首都があるとしよう。城壁に囲われ守られ早数十年。通商のための門は一つしかなく、その門をたった一人で守る歴戦の勇士。

 とても平和な都だ。魔物は出ない、賊は入ってこられない、スラムなんかもない。

 たった一人の勇士がその都の平和を守っていた。そして、ある時俺だけが気付いた。そのたった一人が何者かに負ける日が来るなら、その何者かに勝てる者はこの都にはいないのだと。英雄と悪の大王の御伽噺の世界とこの都は同じなのだとある時俺だけが気付いた。

 幼い頃の俺は周りの友人にそれを語り、父母に叫んだ。誰も聞き届けなかった。勇士は誰にも負けない。勝てないものは病と老いだけ。四代目はこれまでの勇士で最強なのだと都の大人は言った。

 勇士の手伝いをしようと、城門に通うようになった。

 その都が滅んだ日に、俺は勇士と共に城門の外にいた。

 

 ##

 

 運よくオアシスが見つかったのでその横にテントを建て、樹の枝を拾い僅かな薪にする。

 そして運命の時は刻一刻と近づいてくる。

「よし、焼けたぞ。血も器にとっておいた。しっかり食べて明日に備えるといい」

「……………………」

「どうした? いくらでもあるんだから気にすることはない」

 そう言って男はテントの横の早くも干物になり始めたそれを指す。

「…………………………いただきます」

 あまりにも屈託のない、見た目に合わない笑顔を見て、少女は涙を堪えて食った。

「…………美味しい」

「だろう? 何度か正体を教えず食わせたことがあるんだが誰にも文句を言われたことがない。正体教えると殴られたことが一度あったが」

 ワームに襲われてから表情の暗かった少女が吹き出すように笑った。微かではあったが確かに笑った。

「そういえば、どうして助けたんです?」

「目の前の非道を放っておきたくない。特に意味は無いさ。俺はそんな生き物なんだ」

 その答えを聞いて少女は納得していないようで、少し顔を顰めた。

 

 ##

 

 滅んだ都を見捨て、俺は浮浪者になった。

 浮浪者になって数ヶ月もしないうちに俺は人買いに捕まった。それから入った牢獄は雪山の奥だった。季節もわからないまま、長い日々が過ぎた。

「生き方を選べないなら死に方を選ぼう」

 そう言った奴がいたのは覚えている。そいつに賛同する奴が増えそれは決行された。あいつらは本当に死ぬ気でいた。外は雪が降り積もっていてこの檻の中でさえ寒いというのに手当り次第に壁を壊し、見つけた薬品は片っ端から火をつける。

 ここは仮にも奴隷収容所で人体実験場なのだから、体内に入れる薬に火をつけて建物が瓦礫の山になるなどと誰が思うだろう。

 そうして爆発音が聞こえて、崩れてくる天井を見た。さすがに終わりだな、コレは。

 

 ##

 

 少女が寝静まった頃、男はテントを出る。特に深い意味は無い、ただの見張りだ。

 日が昇り始める頃に焚き火を付け直し、肉を焼く。いい匂いが漂い、すこしばかりよだれを垂らすがどうにか堪えて調理を終える。

「……おはようございます」

 匂いに誘われたのかいつもより早く少女が起きる。

「今日の夕方辺りには街につけるだろう」

 その朝やっと彼は食事を摂った。彼が肉を食う様をみて、少女の笑顔が柔らかくなった。

「昨日より美味しいですね」

 昨日よりも柔らかい笑顔で少女は言うが、

「それは妙だな、鮮度は落ちているはずなんだが」

 少女はすぐに顔を顰めてしまった。

 昼食はラクダに腰掛けたままで完全に干物になった肉を齧らせた。干物になったせいで味が落ちたのかそれとも別の理由か、少女は少し顔を顰めていた。

 砂漠の端の街が見えた時、男は唐突に少女に別れを告げた。ここまでくれば安全だから後は好きに生きると良いとそう言った。

 それまで感情を露わにせず穏やかに弱々しかった少女が堰を切ったように叫んだ。

 

 ##

 

 終わってなかった、目が覚めた。瓦礫の山の上に俺は横たわっていた。

 俺以外にもさらに三人生存者がいた。結論から言うと生き残ったのではなく、死ねなかったのだ。

 人体実験場でもあったこの奴隷収容所は子孫代々まで末永くお使い頂ける死なない奴隷を目指していた。未出荷品が四体いたわけだ。

 虫唾が走った。俺自身はなんの努力もしていないのに、何かに選ばれたように特別な力がこの身にある。まるで物語の英雄のようだ。

 生存者同士で名前を与え合う。これから生きていくための名を。

「バルマー。ガキの頃憧れだった御伽話の英雄の名。お前にゃ多分ピッタリだろ?」

 やはり、英雄と呼ばれるのに自分が相応しいとは思えなかった。あの反乱の中でそんな風に見られたのだろうと思うとその期待を裏切れず、俺は旅を始めた。頭が煮えたぎるような思いをして何度も膝を着きながら旅を続けた。そうして今に至る。

 

 ##

 

「じゃあなんで助けたんですか!」

 周囲に人混みがあれば一斉に振り返るような悲痛な声で彼女は叫んだ。

「目の前の非道を」

 昨夜答えの答えを繰り返そうとして、

「そんな誤魔化しは砂漠で聞きました!」

 途中で遮られる。

「な、何を怒っているんだ?」

「私は行商人の娘です、帰る故郷もない。あの砂漠で商品も親もなくして私これからどうやって生きるんですか? ワームに食い殺される代わりに野垂れ死にしろっていうんですか? あなたが今からすることが非道でなくて何ですか!? あなたきっと今までもそうやって助けた相手をほったらかしたんじゃないですか?」

「……ああそうだな、自分が屑だってことは前から知っていた」

 男は能面のような無表情になって作り物のような声でそう言った。

 

 ##

 

 助けた相手に真正面から罵られたのは初めてだった。だというのに俺はその言葉に一切反論の余地を見いだせなかった。

 英雄と呼ばれたり恩人として扱われるのが嫌だったから助けた後はそそくさと立ち去るのが常だった。今回だってそのつもりだった。

 この娘を助けたのだって特に感情の籠もらないルーチンワークだった。

 手も目も回り切らない世界を彷徨いながらその場その場の非道をどうにかするよりも、何かを守り通したほうが有意義なのかもしれない。そんなことは……ずっと前から考えていた。わかっていた。そんな生き方をしてみたかった。

 今まで色んな所で人助けをしてみたが俺は正に助けるだけで、助けた何かを守るなら既にその役に収まっている隣人がいた。そうしてその隣人が何かに敗北を喫して台無しになったという話を後から聞いて俺は膝を着く。

 俺は最初から英雄になんてなりたくなかった。俺は何に選ばれたのかは知らないが死なない体を得た。けれどその使い道は英雄なんかじゃない。負けることのない隣人に俺はなりたかった。

 

 ##

 

 テンガロンハットを脱ぎ、目と目を合わせ、男は言った。帽子で隠されていた額には皮膚を剥がしたような傷跡と刺青があった。

「もう一度言う、君は好きに生きるといい。どんな旅をするかどこを目指すのかそれは君が決めるんだ」

 一言一句確認するように絞り出すように言った。

「その旅はきっと一月も持ちませんよ?」

 涙声のまま少女は返した。

「でだ。まず君に重要な選択をして欲しい。俺はその旅に同行してもいいだろうか。君は俺に見捨てるのかと問うた。逆だ。助けるだけ助けてほったらかすこんな半端者を君は隣人として受け入れてくれるだろうか」

 男も泣いていた。少女の言葉が彼の琴線に触れ、それまで抱いていた自分への疑問と不安の全てを曝け出して泣いていた。

「私は、一月で野垂れ死ぬような旅はゴメンです」

 膝を着いて声すら出さずに泣く男の頭を少女は抱きしめる。少女はもう泣いてなかった。

「さしあたってあの街で美味しいでも食べましょう」

 男が泣き止んで立ち上がった時先に口を開いたのは少女だった。

「あの街の特産はラクダだな」

 もう一頭の旅の友へ残酷な宣告が下された。

「え?」

「安心しろ。食用荷運び用は分けているそうだから、これを変な目で見る奴は街にいない」

「それならいいですけど……」

 貸しラクダであるこの友との別れがあの街であることを男は言わなかった。

「そういえば名前……聞いてませんでしたね」

 少し男は眉を寄せ、額の傷跡を指差して答えた。

「バルマー・カウフマン」

「御伽噺の英雄が、女の子にすがりついて泣くんですか?」

 こんな少女でさえその御伽噺を知っていた。

「前提が間違ってるな、俺は英雄なんかじゃない」

 

 ##

 

 それから彼女は様々な街を見たがり、どこに行くにもまずその街の特産を知りたがった。

 人に教えると大概難色を示す物もワームで慣れてしまったのか彼女は嬉々として食べた。

 思っていたとおりだった。英雄として世界を彷徨うより誰かを守ったほうが有意義な旅に感じた。

 父娘に間違われると彼女は拗ねた。俺も彼女の親に悪いから否定した。何故か白い目で見られた。俺に少女趣味はない。

 兄妹に間違われると彼女は拗ねた。父娘よりはマシだろうというと彼女は更にヘソを曲げた。周りに兄さんが悪いと言われた。

 姉弟に間違われるようになる頃、彼女は拗ねてもそれを表に出さないようになった。そういえば何歳になったかと聞くと蹴られた。周りには俺が悪いと言われた。三桁の俺を前に年を気にしてどうするのかとは言えなかった。彼女の前では大怪我もなく無傷で勝つようにしていたから、もしかしたら彼女は知らないかもしれないから。

 ついに俺が変わらない事を問い詰められ、俺は正直に自分の正体を語った。彼女は隠していた俺を許し、自分がどれほど老いても旅を続けて欲しいと言った。

 

 ##

 

 少し荒れた道を馬車が行く。御者はテンガロンハットを被った黒い貫頭衣の男で、馬車の荷台に積まれたテントや毛布に寝転がっているのは老婆だった。

「ねえ、次の街は何が美味しいのかな?」

 老婆が御者に問う。どこかぼんやりとした夢見心地の声。

「三つぐらい前の街でここから先は俺も知らない土地だと言っただろうに」

 呆れたような声だがそこに悪意は一切なかった。ただ長い付き合いの連れ合いを労るような声だ。

「ああ……そうだったね。そういえば前の街の特産は野菜だったね。長持ちするかな?」

「次の街までは体にいい食事になりそうだな」

 穏やかに静かに馬の蹄が音を鳴らしていた。

「ねえ、何時頃からだろうね、バルマーの名前を聞いて誰も驚かなくなったのは」

「何時頃からだろうな、おかげで俺も気が楽だよ」

 焚き火の前で、雨の中布屋根を張った馬車で、風に揺れる馬車で、

「英雄ぶらなくていいものね」

「そうだな……」

 旅人たちのとりとめもない話は続く。

 ある日、テントの中で、会話が途切れた。

「おい、どうした? 寝るなら夕食の後にしないと明日が辛いぞ? ほら、起きろ」

 途切れた会話はとりとめのない独り言から、涙声に変わった。

 

 ##

 

 彼女を喪って、墓を掘った。証明された。人助けをして回るより誰かを守り通したほうが有意義な旅だった。けれど、その誰かを喪った時どうすればいいのかを俺は考えていなかった。馬鹿な話だ、どんな人間でも俺より長生きするなんてあるはずがないのに。

 ここに家を建て暮らすのもいいかと思ったが、商人のよく通るこの道には賊もよく出た。

 大抵は薪拾いしてる途中で、賊に襲われた死体を見つけて墓を掘る程度だった。数年して、ついに襲われている現場を見てしまった。

 そして、昔忘れたはずの悪い癖が出た。

 助けた相手に礼を言われ同行を頼まれて、俺は何故か断っていた。その場を逃げるように旅を再開して、昔嫌で嫌で仕方なかった英雄ごっこすら再開していた。

 誰かを守ったほうが有意義だと知った筈なのに、隣人のいないものを助けた後も俺は同行を断っていた。商人を助けて同行を頼まれた時、貴族を助けて騎士として残れと誘われた時、どこかの街の自警団に誘われた時。

 何故だかそこで隣人になるつもりになれない俺がいた。

 誘われる度に、彼女の顔が浮かび、目の前にいる誰かの隣にいたいとは思えなくなる。

 気付けばまた英雄の名は売れ始め、俺は首を傾げながら名乗る。

「英雄見習い、バルマー・カウフマン」

 見習いをつけるのは多少の抵抗のつもりだ。

 




主人公は強くてイケメンで朴念仁であるべきだと思ってみたり。そんな訳で今回の主人公は馬鹿にしてみました。自分がどういうつもりで彼女と旅をしていたのか気付かないまま旅をするバカを書いてみました。

で、これ当時の私の原稿で一番評価が良かったんですよね。

そんなに朴念仁が好きか。


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外道探偵
外道探偵


ついにキャラ使い回しでの一話完結に手を出す

ネタ切れの末期


 吐く息の白さに冬を実感する。昔はこの白い息を吹き合って怪獣ごっこをしたものだ。

 一緒に遊んでいた弟はどうしているだろうか。家出中のアタシを心配しているだろうか。

多分心配しているのは弟だけだろう。

 とにかく、弟には悪いけれどあの男のいる家には帰れない。けれど、外で生きてゆくためには金がいる。親の許可のない未成年のアタシに働き口なんてないので専ら援交でどうにかすることになる。神待ち掲示板とは便利だ。僅かな労働で金と宿が手に入る。ただ、その労働はアタシの家出の原因を、トラウマを全力で抉る。それにしても……寒い。

 本日の寄生相手は……霧峰ねぇヨネかな、ミネかな……どっちにしろ嘘くさい苗字。当然だよね、こんなところで実名利用するバカなんているわけがない。

 

 ##

 

 指定された駅の指定された出口。待ち合わせの目印は後ろで括った髪。髪の色はゴールデンレトリバー色。明るい茶色とか言えないかね。

 現れた男は見た目だけは明るかった。茶色というには明るすぎる髪の色、後ろに細めの三つ編みお下げ。他は一般的な男と同じく短い。つけ毛かな、色が違う。不自然なほどに黒い。だが、明るいのは見た目だけ、その本質を映す目は暗い。死んだ魚を通り越して、沼を思わせる。今から抱こうって相手に向ける目じゃない。欲情にギラついてるわけでもないし、アタシを叩き売ろうとしてるわけでもない。

 なんなんだ? コイツ。

「霧峰(キリミネ)だけど、そっちはバナナで合ってる?」

 我ながらお馬鹿すぎる偽名を名乗ったもんだね。

「うん、あってる。寒いからさっさといこう」

 そう答えたら霧峰はこっちにカードを渡してきた。ICカードじゃないか。これはありがたい交通費まで奢ってくれるのか。

「さっさと改札通ろうか、金の心配はいい。どうせ経費で――なんでもない」

 けいひ? 霧峰はアタシに改札通過用のICカードを渡したので現金で切符を買った。

 ##

 

 結論から言って霧峰は馬鹿ね。信じられないほど大馬鹿だ。辿り着いたボロっちい家の表札に霧峰と書かれている。実名かよ。援交は犯罪だよ? 自覚あんのかコイツ。

「家に入って即本題ってのも何だしまずは飯にしようか」

 そう言ってドアを開ける。鍵を開けた様子はない。無用心ね。

「じゃああっちに食卓があるから適当に座っててくれ」

 おそらく台所へ向かったのだろう、姿が見えなくなった。向かうように言われたリビングは卓袱台しかなかった。ソファやこぎれいなテーブルを期待していたわけじゃないけどこれはキツイものがある。何しろ床はフローリングで座布団無し。ただでさえ寒いってのに。

 霧峰がお盆を持って現れる。お盆にはどんぶりが二つ。中身はうどんだった。うどん、きつねうどんと月見うどん。

「どっちにする? 最悪両方とも食っていいけど。経費でおり――なんでもない」

 また経費と言いかけた。どういう職業ならこういうのが経費で降りるのよ? 外回りの営業マンかな? こんな沼みたいな目をした営業マンに騙される奥様なんているのかな? いないだろうなあ。

「きつね」

 のびちゃうとアレなので答えてしまう。

「ほれよ」

 渡してきたのは月見だった。コイツは敵だ。

「ちょっと」

「希望を聞くとは言ってない」

 ガキのような屁理屈を返された。コイツは敵だ。全面戦争だ。

「……おいしい」

 食べてみれば意外と美味い。コイツ料理うまいのかな?

「寒けりゃ安物でも腹に染みるからな」

 たしかにそうね。

 

 ##

 

 食事を終えたが霧峰があたしに手を出す気配はない。服を脱げとも言ってこないし脱がそうともしない。ありがたいっちゃありがたいけどやっぱコイツ何考えてるんだろう。まいいや、お風呂借りよう。御飯のあとはお風呂これは乙女の掟である。

「お風呂借りれる?」

「そこに石鹸と洗面器があるから」

 なぜ風呂場に置かないんだろう。まさかね、まさかそんな……

「それ持って銭湯行くか」

 コイツは見知らぬ女を家に連れ込んでる自覚がないらしい。

「正気?」

「この家に風呂はあるが湯は出ない」

「よし行きましょう今すぐ出かけましょう」

 今何月だと思ってるのよ。

 

 ##

 

 この男はとことんまであたしをガキ扱いする気でいるらしい。帰り際にいちご牛乳与えられた。こいつほんとに神待ち掲示板の住人なんだろうか。アタシに手を出す気はないんだろうという初対面の時の印象が更に深くなる。

「アンタいくつ?」

「二十二、社会人四年目」

 コイツも大して年食ってるわけじゃないうえに高卒が最終学歴であることが判明した。

 何故かコンビニのホットドリンクのように暖かくて飲みづらいいちご牛乳を飲み切る頃には霧峰の家に戻っていた。やはり鍵は閉めてなかった。アタシがドアノブを捻っただけで普通に開いてしまう。

 リビングで湯呑みをちゃぶ台に乗せて安物の緑茶を二人で飲む。アタシらは結婚五十年の老夫婦か? 茶を飲みながらただ沈黙。若いアタシには辛い。

「ねぇ何度か経費とか言いかけたでしょ? さっきの銭湯のお金もそう言ってた。どういう仕事?」

 話題を振ると簡潔な言葉で信じられない回答が来た。

「探偵」

 は? た・ん・て・い?

 事件解決が売りの正義の味方? コイツが? 駄目だ、吹きそう。

「ほら、名刺」

 名刺にはこれまたアホな名前が書かれてる。

(虚首楼蘭探偵事務所 霧峰立人)

 名前は多分リットと読むのだろう。ただ、おそらく所長の名前であろう事務所の上が意味分かんない。

「それカラサキロウランって読むんだ、俺より七つも歳上なのに苗字も下もカッ飛んでるだろ? 本名なんだ、これ」

 さすがに吹いた。人の名前で笑うのは失礼だと小学生でも言われるだろうに抑えられなかった。DQNネームは周りを狂わせる。

「で、そんな事務所で仕事来るの?」

「口コミでな、名前と人格は終わってるけどうちの所長は警察の情報犯罪課に喧嘩売れるハッカーだから、コネが広くて」

「つまりろくな仕事が来ない」

 盛大な溜息を吐いて答えた。

「大正解」

「例えば?」

「そうだな――

 

 ##

 

 まず言っとくことがある。探偵は絶対に少年漫画の主人公になっちゃいけない。頭脳は大人のバーローみたいな探偵いないよ?

 殺人事件なんかそうそう遭遇しないのは当然だが、探偵に解決能力はない。確かに証拠集めたり人探ししたりあら捜しするのは得意だけど科学捜査なんてからっきしだからな。

 殺人なんざ刑事に任せておいて欲しい。

 間違っても時効寸前の殺人事件の洗い直しなんか探偵事務所に依頼するなよ? 泣くのは下っ端だからな。

「じゃあどういう依頼が来るのよ」

 そりゃあもう多岐にわたるぜ。探偵なんか万屋金ちゃんと大差ない。いやリアルの人間は銃で撃たれたら死んじゃうので金ちゃんより可哀想な存在だ。

 例えば、浮気の証拠見つけろと言われたらこっちから別の人間回して浮気させて証拠差し出して夫婦を別れに追い込んで家庭崩壊させたり。素行の悪い娘が心配だと言い出す父親のために娘の素行調査をすれば、娘本人が最近誰かに尾行されてて怖いと言い出すので二重に依頼を受けてガッポガッポしたり。この依頼の時はなんで親子で相談しないか非常に疑問だったね。娘の素行の尾行も尾行者の尾行(事務所の人間を事務所の人間が追う出来レース)も簡単すぎた。ちなみにこの家庭も崩壊したよ。迷い猫を探せと言われたらその猫は既に死んでて原因は姑が出した土産物ならぬイヤゲモノだったりして家庭崩壊したり。

「アンタの事務所が関わると片っ端から家庭崩壊するのね」

 金で安心が買える時代になったし俺は売る側なんだけどな? 金で買える安心なんてモンは箱の中にいりゃあ他人に殴られないで済むって言ってのんと大差ないんだよ。

「ふ~ん、じゃあ一番胸糞悪かった依頼は?」

 たったい――なんでもない。

 胸糞悪い依頼が基本的に多いけど、一番はあれかな……誘拐されたイイトコのお嬢さん連れて帰って来いってのがあってさ。警察沙汰になればマスコミが来るし犯人に娘が殺されちゃうってんで、こういう危ないところに話が回ってくるんだよな。ちなみにこうなっちゃうと探偵の側も犯人の側も命の保証はない。何しろ世間の良心天下の警察様が不介入だからな。誰も手加減してくれねえ。まず車のナンバーを監視カメラの情報を盗み出して手に入れる。これはうちの所長が一晩でやってくれた。問題はこっからだ。聞き込みなんてなんの役にも立たない。そのへんと通り過ぎた車のナンバー覚えてる奴なんて滅多にいないからな。というわけで陸運局にハックかけてナンバーの車がどこ所属なのを調べた。俺が無意味とわかりきっている聴きこみを所長に命じられてる間に所長が二時間で済ませた。正直俺いらないんじゃないかと思った。

 出た結論がこれまた傑作でな。レンタカー。

 これ以上の手がかりには脅迫がいる。ええ、そういう表の汚れ仕事はいつだって俺だ。まあ俺パソコン使えないからしゃあないけどさ。

「アンタがむかついてるのって、依頼じゃなく上司の方じゃない?」

 かもな。まあ結果として依頼を受けて一週間かからずにお嬢のいる家は見つかった。夜中に尋ねると、まあ予想通り命に別状はなかった。命はな。ヘコヘコ腰振ってる背中が見えた。娘の啜り泣きが聞こえた。痛みに耐える声ならもっと悲痛だ。痛みに慣れて嫌悪だけが残った声だった。ハァハァと豚のようなうざい吐息が聞こえる。この男が金欲しさでやったとは思えなかった。プロなら無傷で返さねえとな。金を受け取る以上手口や法がどうあれ仕事なんだから。ここまでやらかした男を警察沙汰にせず娘を連れ帰る方法なんか一つしかない。男をいなかったことにするんだ。台所にお誂え向きに刺身包丁があった。俺の家には包丁なんかオール兼用の一本だけだぜ。貧乏暇なし、泣ける。手袋をしっかり嵌めて包丁を握る。足音を消すのは得意だ。鳥類と違って前方に視界が集中してる肉食哺乳類や人類は後ろから足音消して近づけば簡単に殺れる。

 こっそりと近づいて、背中にずぐりと入れる。簡単すぎて拍子抜けだった。ただ、左手に感触が残った。手を放しても手を洗ってもその感触は長いこと残った。その感触が消えたのは不思議な事にもっともっと殺してからだった。何人殺したか数える気にもならない。

 この一件以来コネがさらに広がり治安の悪い依頼が増えていった。事務所のメンバーの入れ替わりも早くなる。

 おっと今は一つの依頼について喋ってたな。話し戻すか。

 とにかく死んだ男の体は重くてどかそうとしたときはまだ温かかった。暖かいんじゃないヌルいんだ。

 実は俺探偵始める前はサバイバル生活しててイキモノ殺すのは日常茶飯事でよ。けれど、喰うため以外に殺すのは初めてだった。相手は人間だったし臭いし脂ぎってて喰う気が起きなかった。自分が贅沢になったのかそれとも相手が人間だからかは未だにわからない。

 けれども死体の心配はいらない。俺の事務所のあるビルには他にもろくでもないオフィスがいっぱいだ。裏葬儀屋に臓器売買。そのへんに死体を流せば仕事は終わり。

 娘と話したのはこの一言だけだ。

(帰りたいか?)

(自分で殺したかった)

 会話繋がってねえよ。誰が男の処遇について聞いたよ。たった八歳だぜ? 世の中終わってるよな。

 ん? おい、話し聞いてるか?

 何だ寝ちまったか。よく効く薬だな。じゃあ、本題に入るか。

 

 ##

 

 眠気に負けて話を最後まで聞くことはできず、目が覚めるとアタシは縛られていた。

「なるほどそういう趣味? 高いわよ?」

 霧峰はおかしくてたまらないというように笑った。

「何言ってんだ? 金貰うのは俺等だよ。お前の弟から俺等事務所の連中が金貰うんだ」

 なぜここで弟が出るの? なんでコイツはアタシに弟がいると知ってる? 嫌な予感がして声が出ない。続きを聞くのが怖い。

「ニッブイなお前。お前を連れ帰るのが今回の仕事だからだよ。依頼人はお前の弟だ」

 あの子がアタシを探している。それは嬉しい。だけどアタシはあの家に帰れない。帰りたくない。

「アタシは帰らない」

 抵抗は無駄なんて理解したくない。体をよじって縄を緩めようとする。

「ああ、そういうと思ってた。だからな」

 そう言ってアタシの努力を尻目に台所へ向かった。

「こんなのを用意した」

 そいつは丸くて大きくて黒いものを持ってきた。霧峰の見ている面は色が違うのがわかる。あれは……映画に出てきそうな凍えた肌の色。死体の色。この寒さに耐え切れなかったホームレスの色。

 それは人の首だった。ぐるりとこっちに向ける。顔が見えた。アタシを犯しアタシが家を出る原因になった実の兄がそこにいた。

「いやあああああああああああああああ」

 叫び声を上げている自分が理解できなかった。

 あの男の死に喜ぶべきだと主張する誰かが頭の中にいる。誰なのかを理解せずにただ生首に怯える誰かが頭の中にいる。

 誰かが誰かが誰かが誰かが誰かが……。

 そして再び意識が沈んでゆく。

「お、刺激が強かったかな? しっかし冷蔵庫に入れると腐敗遅えな。冬だからか? ま、梱包始めるか」

 

 ##

 

 次に目を覚ますと弟がいた。アタシは唇を貪られている。弟がアタシの上で腰を降っている。アタシが家を出る事を決めたあの日と同じように。腰をふる弟は兄とは似ても似つかない。アタシとも似ていない。養子なのはアタシたちの方だから当然だった。

 兄はアタシと二人で暮らそうといった。この家にいつまでも世話になれないと。

 結局アタシの兄弟はアタシの心配をしてくれていたのは変わりなかったようだ。ただ、独り占めしたかったのも事実で、憎みあっていたのも事実なのだろう。

 家出してる間に考えていた空想が、恐怖が、全部現実になった。

 今眼の前にいる弟と既に首だけになった兄と沼のような目をした殺人鬼と。誰が一番マシかを考えて、アタシは弟の額にキスを返した。




推理とか探偵に関係ないよね!!

 人生に最良なんてないんだっぜい。あるのは最悪手とそれよりマシな何かなのさ!
 とまあそんな感じで人生一歩づつ階段登るのが一番だよね。


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外道探偵の愛玩少女飼育計画

同期「R-18は禁止つったよな」

ご安心を


 この事務所に灰皿はない。いいことだ。従業員にヘビースモーカーがいたが二日前にこめかみに穴が開いて死んでしまった。だというのにこの事務所も事務所のあるこのビルも平常運転だ。少し悲しくなる。

 このビルは七階建てで二階から上に一階につき一つずつオフィスがある。この虚首楼蘭――カラサキロウランと読む。――探偵事務所は三階の住人だ。

 このビルはさる業界では有名で伏魔殿とすら呼ばれる。俺はこの呼名がこのビルに相応しいと常々思っている。今回の依頼もやっぱりろくでもないものだった。

 そもそも五体満足なわけでもないこの俺が探偵やっててしかも事務所の雇われ探偵の生きてるメンバーの中では一番の古株って事態がおかしい。ちなみに先輩は三人いた。

 過去形なのは当然死んだからだが人員が欠ける度にせっせと補充してくれるほどウチの所長は優しくないし勤勉でもない。あれはただのメカフェチの変態女だ。

 

 ##

 

 ガンガンと乱暴なノック音がした。今日のお客は機嫌が悪いようだ。

「どうぞ」

 椅子から立つこともなく出迎える。というか俺は立てない。車椅子は今日も油が足りずキイキイと嫌な音を出す。

 ドアが開き現れたのは見知った顔だ。この伏魔殿四階の闇金のオーナーだ。どこぞのヤクザの下請けのそのまた下請け。上納のためにいろいろやらかしてるらしく一番このビルでバイオレンスなお方だ。どう見ても頬にあるのは刀傷だし。ただ、顔の傷は俺のほうが多い。

 で、その上着の裾を女の子が掴んでた。なんと白人だ。日本には珍しいな……、わかったぞ。

「とうとう人身売買ですか、旦那」

「人聞きワリイな、依頼に来たんだよ」

 この見た目でこんなちまいの連れてるとかなり怪しいがここは本人の言葉を信じてるふりをしよう。

 依頼内容はこうだ。金借りて逃げた外人夫婦がいて子供を置き去りにしやがった。気に食わねえから探してこい。闇金とは思えない対応だ。この娘に金稼がせりゃあいいのに。

「部下どもにもそれは言われたがな、俺がこの仕事での理念はこうだ。俺は金で奴らが不幸になる経過を見る権利を買ってるんだ。金を貸した覚えはねえ」

 の癖して金返せっていうのかやはり伏魔殿に相応しいお方だ。

「つまりどんなゲスい目に合わせようと金を返すのは夫婦であるべきと?」

「そういうこった。あとこれは好きに扱っていいからな。お前らに預ける。めんどくせえし」

「つまりこの娘の運命はこっちの事務所が握っていいんですね?」

「下世話な話だがな」

 しかし、残念ながらうちの従業員にロリコンはいない。性的に終わってる奴なんて精々下半身が死んでて不能の俺とメカフェチの所長ぐらいか。ああシスコンの後輩もいたな。

 闇金のおっさんは言いたいことだけ言ってそのまま立ち去りやがった。他の集金と上部組織への土下座で忙しいらしい。ヘタすると、この依頼報酬でないな。あっちが先に目標を見つける場合もある。もっと下手を打てば依頼人が先に死ぬ。色々考え事をしていると少女が手を差し出す。

「これなーんだ」

 その開いた手の平にあったのはダイアモンドだった。四十万は下らない。そして、どう見ても盗品だ。

「どっからとってきた?」

 正直聞きたくない。が、聞かなければもっとまずい事態になる。

「パパとママが夜逃げする晩に荷物から」

 盗品をさらに盗んだわけだ。あのおっさんがめんどくせえといった理由がよくわかった。たしかにこの子はめんどくさい。

「これがあれば借金なんかチョチョイのちょいなのに傷のおじちゃん受け取ってくれないの、だから車椅子のおじちゃんにあげる。で、あたしからも依頼。あたしの面倒見て」

 おじちゃん……おじちゃん……車椅子のために目線が近く面と向かって言われてしまった。まあ、お兄さんではないな。四十過ぎてるし。

「おじちゃんじゃない、俺は暮森(クレモリ)っていうんだ。お嬢ちゃんは?」

「アマンダ」

「じゃあアマンダ。しばらくそのソファで待ててくれ。君をおうちで面倒見てくれるお兄ちゃんが来るから」

 年下の女の面倒など所長の面倒だけで十分だ。角砂糖の油炒めを料理と言い張るダメ女の機嫌を損ねないように梅干しの握りを与えるのが俺の仕事の一つなのだから。……ここ探偵事務所だよな?

 一抹の疑問を覚えながらも俺は携帯を開いた。

 

 ##

 

 家出少女捜索依頼のために出会い系掲示板や神待ち掲示板で、片っ端から抱くつもりもない女を漁ってはドタキャン漁ってはドタキャンを繰り返していたせいか、生活サイクルはぐちゃぐちゃになっちまった。起きると九時だ。

 俺の職場は明確な出勤時間がないし外回りも多い職場だがこれはまずい。仕方ない今日は体調悪いと法螺こいてサボろう。と思いついた矢先。電子音が響いた。携帯を開くと暮森とある。よし、良いタイミングだ。ここで法螺を吹こう。

「さっさと来い。次の仕事だ」

 通話は即座に切れた。法螺吹く間すらくれねえでやんの。泣きたい。

 

 ##

 

 事務所のドアを開けると幼女と元傭兵で車椅子の先輩があやとりしてた。何が起きてるのか全くわからねえ。一度ドアを閉める。ドアに付けられた簡素な看板を確認する。間違い無く俺の職場だ。

 もう一度ドアを開ける。やっぱりあやとりしてた。その傷だらけの面であやとり……にあわねえ……。そしてこの小娘は誰だ。まさか新しい依頼人コイツじゃねえだろうな。金払えんのか? 非常にめんどくさい。

「お前が受け持つ依頼はこの少女の護衛な。育児と言い換えてもいい」

 仕事の説明中くらいあやとりの手を止めろ。止めてくれ。頼むから。

「金は? コイツ払えんの?」

「現金ではないが現物を見せてきた。一括百万以上、今までで一番の大口だ」

「みてみてー真珠もあるよー、ルビーもあるよー」

 メスガキの膝に置かれたくまさんポーチには溢れんばかりの宝石があった。どう見ても盗品です本当にどうもありがとうございました。

「期限は?」

「夜逃げした彼女の両親を捜索する依頼を別口で受けたがそれの完了までだ」

 もっとまともな護衛会社雇ったほうがいいと思う。これだけの金……じゃないな元手がありゃ余裕だろうに。

 

 ##

 

「どうして車椅子なの? 最近機械義手や機械義足なんて当たり前なのに」

 昔は兵隊さんやってたんだという車椅子のおじちゃんに聞いた。

「おじちゃんは背骨が逝ってるからね。義足を付けても動かないんだ」

「ふーん」

 おしゃべりしながらあやとりは続く。正直顔がすごく怖いこのおじちゃんにあやとりは似合わない。

 ノックの音がないのにドアが開いた。いっけないんだー。現れたお兄ちゃんは少し怖い。

 髪は綺麗な茶色をしているけど何故か黒い三つ編みお下げがついてる。膝下までのこげ茶のコートはボロっちい。目はほったらかされた水槽みたいに濁ってる。

 何故かお兄ちゃんは一度ドアを閉めた。あれ? なんで? もう一度ドアを開け、大きくため息を吐いた。

「お前が受け持つ依頼はこの少女の護衛な。育児と言い換えてもいい」

 おじちゃんはお兄ちゃんの方を見もせずに言った。あやとりは続いている。

「金は? 払えんの?」

 むっ。このお兄ちゃんあたしを信用してない。あたしはあやとりの手を止めた。

「現金ではないが現物を見せてきた。一括百万以上、今までで一番の大口だ」

 おじちゃんが説明中だしいいよね。あたしはお気に入りのくまさんポーチをスカートの中から取り出して中身を見せる。

「みてみてー真珠もあるよー、ルビーもあるよー」

 お兄ちゃんは何故かもっと大きなため息を吐いた。

「期限は?」

「夜逃げした彼女の両親を捜索する依頼を別口で受けたがそれの完了までだ」

 そうだ、パパとママはまだ日本にいる。このおじちゃんたちが探しだすってことはパパとママは必ずここに連れて来られるはず。パパとママを捕まえたらあたしは……。

 

 ##

 

 お兄ちゃんは霧峰立人(キリミネリット)と名前を教えてくれた。リットの家は事務所からそんなに離れてはいなかった。まだお昼ごはんにはちょっと早い。鍵は掛けていないのかそのままドアを開けた。

「よし、ポチ、リビングで待て」

 ポチ!? へ? 

「聞こえなかったか? リビングで待て」

「あたし……アマンダ」

「知るか、面倒見るってことはペットだろ?」

 怖いを通り越してリットはやばいお兄ちゃんみたいだ。

 リビングには卓袱台もないしテレビもない。人が暮らしてるお部屋には見えなかった。隅っこにほったらかされてる毛布は血がついていた。目覚まし時計はガラスがひび割れている。

 しばらく一人であやとりをしているとお昼になった。

「記念すべき最初の飯だぞ、ポチ」

 ポチ呼びは変えてくれないみたい。二つのどんぶりを抱えてきた。あまり臭いがしない。なんの料理かな?

 

 ##

 

 食事なんざ極論燃料補給だ。栄養価が高くて安けりゃそれでいい。安かったから買い込んだ食料をどんぶりに入れて二人前出す。よほど腹をすかせていたのかメスガキは目を輝かせている。俺もこんなふうに餌付けされてる時期があったかな。この部屋には卓袱台などという贅沢なものはない。床に直接どんぶりを置いた。

「なにこれ……」

 どうやら文句があるみてえだ。栄養価はカロリーメイトよりいいっつーのに。一粒つまんで齧る。コリッといういい音がした。湿気てはいない。食える。問題ない。

「これ、ドッグフードじゃない?」

「よくわかったな、ほれ、スプーン」

「食べるの?」

「他にどうすんだよ」

 贅沢なやつだ。かなり買い込んだから少なくとも三日は食料はこれだ。

 しかしこれなかなかうまいな。生の虫やネズミを食ってた頃とは比べるのが間違ってるレベルだ。

「変な味……あ」

「なんだよ」

 味以外の文句があるのだろうか非難じみたた目で見てきやがる。

「右手は?」

 は?

「ちゃんとお椀持って食べなきゃだめ」

 うぜえ……食事なんざ片手でいいだろうに。そもそも両手でなきゃできないことは余計なことばかりだ。ナイフで切らなきゃならねえでかいステーキ、ゲームにあやとり。ああ煩わしい。正直今食ってる飯は素手でもいい。無視してそのまま食事を終えた。

 

 ##

 

 晩飯を終えると今まで黙りこくってあやとりばかりしていたメスガキが何やら寝言をほざいた。

「お手伝いしなくていいの? 食器洗いとかお風呂掃除とか」

「おまえはハムスターに風呂掃除を頼むのか?」

「ハムスター……」

 正直俺はコイツに何も期待していない。愛玩動物などというのは飼い主から餌もらって平和な面してるのが本分だ。昔は俺もそうだった。

「くだらねえこと言ってねえで寝ろ」

 実はこの家には毛布は一枚しかない。毛布は当然ポチに使わせるとして俺はどうすっかな……。どうせ生活サイクルがぐちゃぐちゃでこのガキと睡眠時間が被らないことに気付いた。

 ついでだからもう一つの依頼について色々と情報屋を巡るとしよう。普段は鍵など掛けないが中に無防備な弱者がいるわけだしそうはいかない。鍵どこにやったかな……。

 

 ##

 

 リットが出ていった。鍵なんてあったんだこの家。あたしは当然寝たふり。男の人の家にお邪魔するなら家探しだよね。テレビでそう言ってた。でもこの家何もない。棚はもともと家に備え付けられてるような押し入れとかキッチン棚とかばかりだし……。キッチン棚はどうせ食器だけだろうから、押入れかな。

 押入れには様々な物がごちゃごちゃにしまわれていた。ナイフに釘抜き、金槌と鉈。多分このへんは凶器。破れた毛布に割れた皿と欠けたコップ。ゴミを捨てるのも面倒みたい。

 そんなふうにめちゃめちゃな押入れの中に埃をかぶった大きめの封筒があった。お、エロ本かな? よかったーリットもちゃんと人間だった。

 ドキドキしながら開けた封筒の中身は十年以上前の古い新聞記事だった。

 

 ##

 

 情報は足で探すものとか言ってる奴は素人だ。情報はコネで探すものだ。手掛かりなしに歩きまわるのは人海戦術が使える警察だけだ。一般人でしかない俺等が聞き込みなんかしても聞き出せる情報などないし、まず話し相手が歩いてない。

 あの宝石の量と質から言って盗品売買や裏オークション関連を漁るのがいいだろう。あと、こういう事やらかす親がやってないはずはねえからな。売春関連も調べとくか。

 あーあー今日も今日とて俺は奴隷待遇だ。あれ? じゃあ奴隷に飼われるあのメスガキは何待遇だ?

 お、あの猫食えるな。あれだけ肥えてるなら飼い猫だ。

 

 ##

 

「モノ言わぬ機械がアタシに尻尾を振って跪く、人工衛星も核実験基地もアタシの下僕、嗚呼、エクスタシィ!」

 所長のテンションがさっきから全く留まることを知らない。テクノブレイクを心配するレベルだ。複数のキーボードを同時に叩いてモニターを舐めるように見つめているその姿はどう見ても危ない人だ。傭兵時代の知り合いにハッカーは四人いたがここまでハイな奴らじゃなかった。伏魔殿に来てかなり経つが未だにこの光景にはドン引きする。

「嗚呼、これぞ人生よ、アタシの物語よ、生きた悲劇よ、歴史の喜劇よ! 捕まえたわ」

 一瞬にしてテンションがゼロに戻る。そろそろ梅干しの握りを用意しておこう。

「太陽(タカハル)、おにぎり」

 ほらキタ。ご要望にお答えする前に口答え。

「所長、たまには炭水化物以外も摂ってください」

 身長百四十三センチの小さな二十九歳。この意味不明女が我等が所長虚首楼蘭だ。

「この事務所にはカロリーメイトという心強い味方がいるわ」

「昼前にアマンダが貴重な三箱を食いつくしました、大人しく野菜を食べましょう」

 渋々といった様子で温野菜を食べる姿は聞き分けのいい子供のようだ。来年三十路だぞこの女。

「で、何についての情報を捕まえたんです?」

「ここ最近の裏オークションで急遽出品中止になって出品者が行方不明になったものがあるの。すべて盗品であることが明記され、しかも宝石類。写真も見たけど間違い無いわ」

「保護依頼の依頼人のポーチの中身ですか」

「そ、更に出品者は夫婦」

「確定ですね、夫婦は今頃海の底でしょうか?」

 最悪だ。そうなれば捜索依頼は失敗扱いだし、捜索依頼が終わらなければあの少女の保護も期間が決まらない。

「いいえ、行方不明っていうのはオークション現場にすら辿り着いてないの。現場は海外。夫婦はまだ日本にいる。多分あの幼女に高飛びのための最低限の現金まで持ってかれたわね」

 幼女恐るべし。希望の光も見えたグッジョブ幼女。

「とっとと霧峰に電話して。アイツのことだから今頃外ぶらついてるわ。こっからは肉体労働になる。無理矢理にでも寝ておくように言いなさい」

 

 ##

 

 猫の目玉を飴玉代わりに舐め回してたら電話が掛かってきた。仕事ならしてたぜ、メールはちゃんと出したんだ。夫婦の居所さえ判れば事情や経緯はどうでもいいしな。

「所長はお前の仕事を明日にまわすという慈悲を見せてるがあえて無視だ。今すぐ動け」

「やっぱ日本にまだいるか」

「そこまで分かってるなら後はお前の仕事だ」

「目撃者と逃亡幇助者は?」

「二階の肉屋に引き渡せ」

 此処から先は俺の仕事だ。既にメールの返信は二つ着ている。お得意様だから割引でいいとのこと。情報屋のご利用は計画的にいっぺんに二人までにしましょう。

 とりあえず夫婦の居場所はどっかの港町のどっかの埠頭。その中のコンテナ。逃亡幇助者アリ。とっとと家に戻って原チャリ乗るか。

 

 ##

 

 新聞の見出しは『オオカミ少年ならぬ野良犬少年保護される』とある。

 女の子でもここまで伸ばしはしないってくらい長い髪。血みどろの体。右の二の腕の中ほどで引きちぎれて、尖った骨が露出している。傍らには腹の潰れた犬。車に轢かれた親子と写真の説明にはあった。肉体年齢は三歳程度と推測。四足歩行が右腕の欠損により不可能になったことがきっかけで二足歩行を習得。立つことで人となったとして、立人と命名された。

 食い入るように新聞を読んでいると、ガチャリと鍵の開く音がした。

「おかえりー」

「起きてやがったか」

 しまった。あたし寝たフリ中だった。

「ちょうどいい、ついてこい、お前の親の居場所がわかった。とっ捕まえて四階経由で叩き売る」

「わかった、行く」

 小さなスクーターにリットは腰掛けてた。

 大人二人で乗れるサイズじゃない。でもあたしなら腰にしがみつける。子供っておっとくー。

 エンジンは既にかかっていた。気の抜けた音を立てながらスクーターは出発した。

 顔の前を三つ編みお下げがゆらゆら揺れた。

「ねえ、あの新聞やっぱり……」

「みたのか」

「うん」

「昔、図書館の倉庫から盗み出した」

 あの封筒にはいろんな新聞社の野良犬少年に関する記事がかき集められていた。

「右腕は?」

「動力は足りてる。問題ない」

 そういうこと聞きたいわけじゃないけど、いいか。

 

 ##

 

 目的地に辿り着いた後はあれよあれよと話が進んでいった。何しろ逃げ回りもせずにいきなり夫婦揃って土下座してきやがる。腹が立つ。伏魔殿四階のおっさんに車で来させる。何しろスクーターで四人移動は無理だ。メスガキも一時そちらに預けることにする。

 なにせこの街にはもうひとつ用事があった。

 いかにもなガードマンの立つビル。

「何の用だ?」

「ここの事務所にいる議員さん、最近脅迫受けてねえ?」

「俺はタダの警備員なんで知らんな、とりあえず俺の仕事なんでここは通せない」

 通りすがりを見られたならまだしもここの関係者なら仕方ない。

「運悪いな、アンタ」

 返事をさせる前に右手を横に薙ぐ。首が転がってった。手刀とはいうが、鋭いわけでもないのでうまいこと時代劇のようにはいかない。何時になったら斬った首が落ちないでくれるようになるのやら。

 人間離れした力のある義手とはいえ原形保ったまま殺すのは案外難しい。腕とは武器として使うと大概鈍器だ。潰す以外の殺害方法はない。さっきのはかなり上手く行った例外だ。

 ドアに鍵がかかってたのでドアノブを殴ってドアに小さめの穴を開ける。

 取っ手を失いタダの鉄板と化したドアはいとも簡単に侵入者を受け入れた。

 中にいる奴は全部ターゲットの関係者。ターゲットだけ行方不明にすると後腐れがあるので中の人間は見つけ次第始末する。と言うより探して回る。一部屋一部屋虐殺する。

 寝ている奴は首を握りつぶす。廊下にいた銃を向けてきた奴は目に五百円玉突っ込んで始末する。指で弾いただけで出ていい速度じゃねえな。

 ターゲットの部屋にはボディーガードがもう一人いた。筋骨隆々のそいつの胸に右拳を入れる。中で指を開いて心臓を握りしめたうえで背中から突き出す。

 その心臓を見せつけるようにしながらターゲットに話しかけた。

「ある夫婦から脅迫を受けたよな?」

「わ、わしは何も知らんぞ、この化物」

 うーんその化物の機嫌損ねるような態度取るなよ……。

「脅迫内容は少女買春。要求内容は夫婦への隠れ家の提供、だな?」

「な、何しに来た? 奴らの使いか? まだ要求があるのか?」

 もう少し殊勝な態度取れよ。ま、何言っても仕事は変わらねえんだがな。

「いんや? 俺はその夫婦の敵。もうすぐあの夫婦は借金で売り飛ばされる。でも、要求はあるんだ」

「金か?」

 ならここまで派手にボディーガード殺すかよ。議員さんが頭いいってのは嘘だな。世の中が良くならねえわけだ。

「単純だ。関係者は死ね」

 どいつもこいつもここで死んだ奴は俺の右手しか見てなかった。

 俺は右手をボディーガードの体から抜きもせず、左手で銃を撃った。

 余裕余裕、伊達に十年以上左手一本で暮らしてねえよ。

「右手のがパワーあるけど不思議な事に俺の効き手は左だったのでーす」

 聞こえてねえか。

 左手で携帯を開き、伏魔殿二階の住人を呼び出す。いつどんな時間帯でも電話は店主が取る。アイツ何時寝てんだ?

 伏魔殿の関係者は誰一人死んでも墓には入れない。よほどぐちゃぐちゃのばらばらにならない限り二階の商品になる。ターゲットはもちろんのこと、依頼が終わらないうちに死んだ依頼人も繋がりを消して行方不明にするためにそうなる。

 今回はだいぶ散らかしたから店主の機嫌を損ねるだろう。

 ま、自分で喰いもしないものを殺すのは気分悪いしな。これぐらいは俺のストレス料ってことで。

 死んだターゲットを眺めながら思う。俺にはコイツを理解できない。当然だ。俺はロリコンじゃない、シスコンだ。

 野良犬から脱却した俺を育ててくれた人は俺に対し母と呼ぶなといった。まあ呼ぶ気はなかった。俺の母は車に轢かれて死んだ。ソレ以外に俺に母はいない。

 だからあの人は俺の姉だ。あの人以外の人間なんざ全人類まるごとどうでもいい。あの人が死んだ今、全人類俺含めてどうでもいい。

 俺が死んだ時、首の後の三つ編みが無事なら他は丸ごとどうでもいい。

 

 ##

 

 たった一日でパパとママは見つかってしまった。漫画に出てくる刑事さんのお手伝いみたいな嘘探偵よりよっぽどこの人達すごいと思う。

 まあいいや。あたしは四階に用があるんだ。

「おじちゃん」

「アマンダか。どうした? 二人にお別れでも言いに来たか?」

 まさか。お別れはもう少しあと。

「ううん、おじちゃんに聞きたいことがあるの」

「ん? 言ってみ?」

「二人を売っぱらって借金返済なわけだよね。誰が買ってもいいの?」

「ちゃんと非人道的な扱いしてくれるんならな。俺は不幸になる過程見るためにこの商売やってるわけだからよ」

「宝石じゃなくて現金なら代金として受け取ってくれるんだよね」

「宝石は鑑定料かかるし騙されたりして価値変わるしな」

 あたしは隠しておいたネコさんポーチから札束を取り出した。

 盗みだしておいたパパとママの旅費と二人に言われて男の人の相手をしてもらってきたお金の四割。

「これで足りるかな?」

「たいした高級娼婦だな。貯め込みやがって」

「えへへ、おじちゃんも買う?」

「おれは三十路専門なんでパス」

「趣味悪ーい」

 さて、後は二階に行ってパパとママのお肉の値段を決めればいい。切り身や焼肉用の薄切りじゃなく、出来れば挽肉にしてくれるように頼まなきゃ。

 パパとママは二人ならどこへだって行けるけど私は邪魔だと言った。

 だから、世界中のどこへでも二人混ざり合ったままいけるように、挽肉にしてもらわなきゃ。

「ところでこれからどうすんだ? 宝石は探偵に、現金は今俺に払ったろ」

「パパとママを二階のお肉屋さんに売るの。そのお金を生活費にする」

「アイツ金の払い悪いからその生活は長くねえぞ?」

 本当にこのおじちゃんは闇金らしくないな。優しすぎる。

「じゃあおじちゃんが雇ってくれる?」

「凄みのねえテメエの面じゃナメられて金返ってこねえから却下」

 うーんどうしよう。

 そういえば探偵って浮気のでっち上げや書類盗んだり怪しまれないように人をつけたりするって車椅子のおじちゃんが言ってたっけ。

 浮気のでっち上げ。というかあたしが浮気相手になればいい。男の人の相手は得意。子供だから訴えられない。

 書類盗んだり。盗みは得意だ。あの宝石の幾つかは最初からあたしが持ってたのもある。

 後をつける。体が小さいから目立たない。

 あれ? 天職発見? よし、パパとママが挽肉になって残らず売れるまで眺めたら車椅子のおじちゃんに直談判だ。

 

 ##

 

 たった一日でこの事務所の歴史に残るであろう大仕事が二つも片付いた馬鹿みたいな日の翌日。死体を解体して売るばかりの二階から珍しく悲鳴が聞こえた。断末魔が二人分。

「仕留めたその場で血抜きと加工を終えた新鮮な肉が二人分か……しばらく二階の主人はホクホクね」

 この人は他人の不幸も幸福も喜ぶ。この場合は店主の幸福と二人の不幸を心から喜んでいる。

 所長曰く人生とは物語であり山も谷も観客としてならこの上なく楽しめる娯楽だという。

 理解できない。何しろ俺の人生には山も谷もない。常に底辺を一直線だ。

 慣れ親しんだ日常は毎日俺を蝕んでゆく。

 日々俺に背中を預けてくれた隊長は常々言っていた。

『物事に慣れるな。慣れるからつまらなくなる、慣れるから油断が生まれる』

 普通逆だよな。戦場に早く慣れろというべきところだ。ところがあの方はこうだ。

『慣れないままで恐怖を押さえつけろ。慣れないままで熟練しろ。初めて扱うように順序立てろ』

 傭兵でなくなった俺にはもう関係のない言葉かもしれない。

 

 ##

 

 突如としてこのオフィスに住人が増えることになった。つまり俺が世話する年下の女が増えたってことでもある。

 二階から断末魔が聞こえた一週間後。再び現れたアマンダの最初の一言は、

「あたしを雇って」

 労働基準法を知らないらしい。

「いいわよ、どうせ労基なんか糞食らえだし」

 ネトゲに興じていた所長が画面から一切目を離さずに言い放った。

「やったー」

 無邪気に喜んでいるがここは大抵の新人が一年以内に死ぬ職場だ。霧峰や俺は運がいいだけだ。俺はこの体から内部業務担当で危険が少なかっただけ、霧峰のやつは右手のおかげだ。

「後しばらくここで住みなさい。家賃でお金無駄にしたくないでしょ?」

「ほんと、いいの?」

「毎晩かわいがってあげる」

 そういやこの人メカフェチの上にレズだったな。御愁傷様……。

「ご飯は太陽に頼みなさい」

「タカハル?」

「暮森の下の名前よ」

 おい勝手に下の名前バラすな。嫌いなんだ、何しろ俺の人生全く晴れ渡ってない。いや、晴れの字なんて使ってないんだがな。

「じゃ、タカハル先輩、オムライス作ってください」

 うわあ……。この後輩ってば滅茶苦茶図々しい。霧峰より図々しい。霧峰でも俺を苗字で呼ぶってのに。

「そういえば霧峰はどうしました」

「睡眠薬かっくらって生活サイクル戻すって、三日は寝続けるつもりらしいわ」

「それじゃ戻りませんよ。多分」




暮森先輩は実は自分のための利益の「僕」だっていう設定があったり
立人は今日からはのあの子に保護されたから苗字がこうなったという設定があったりします

こういうキャラの再利用はネタを考える時間を削減できるのでよくやる


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外道探偵 笑顔の絶えない職場

http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=3917149
この作品はサークルのアカウントで別所にも投稿されています。
あちらに評価を頂いても私は把握できませんのでご容赦ください。

ただしあちらのはpixivに載せる際に非常に表現をマイルドにしてます
こっちがオリジナル


 安物のコーヒーと合わない高い葉巻の臭いが鼻に付く。当然俺は飲まないし吸わない。大きめの茶封筒の中には写真と書類が複数入っている。脂ぎってすだれハゲで腹の突き出たお手本のような汚い強欲おやじが封筒を開いて中身を確認する。

「その報告書のとおりあなたの奥さんは貞淑で理想的若妻です。残念ながら」

 目を皿のようにして目を血走らせながら報告書を読んでゆく。

「ところで、仕事の話してる間くらいその女どけちゃくれませんかね」

 化粧の臭いも徐々に鬱陶しさを増してゆく。

「カナミが儂から離れたくないと聞かぬでな」

 おやじの腕にしがみつき甘えた声を出す女の名前に興味はない。

 ワハハと下卑た笑いとともにソファーの上で事に及ぶまではしないが手慰みにいじり回す。甘えた声の声量が上がる。

「ところで君は……なんと言ったかな?」

 こいつとの付き合いはもう二ヶ月になるが俺も覚える気はないので今更だ。

「霧峰です」

「霧峰くん」

「なんでしょう?」

「儂個人と契約せんか? 五百万だそう」

 この業界ではよくある話なのでこの先は分かりきっている。

「あの女騙してこい」

 とうとう女を抱え上げて股ぐらに顔突っ込みながら話し始めやがった。声がくぐもってきた。コーヒー葉巻化粧加齢臭にさらに汚臭が追加される。具体的には黄色くない染み。唾液だったらまだマシなんだがな……。

「離婚の口実が見つからなきゃ作るわけですか? 浮気を先に始めたのは自分だというのに飽きた女にゃ小銭一つ渡したくないと?」

 もうおやじは女の体しか見てねえ、せめて書類最後まで読めよ。

「君の知ったことではなかろう。夫公認で二十三の女とやれて金も手に入る、どうだね?」

「報告は以上で、またのご利用をお待ちしております。一応封筒はまるごと灰皿で処分をお勧めしますよ」

 無視してとっととこの部屋を出よう。とにかくこいつら鼻が曲がりそうに臭い。

 わざわざ山奥の別荘地帯にまで来させる時点で後ろめたい自覚はあるくせに妙なおやじだ。そもそもあの女房ももとより遺産目当てだ。誰がどう誘惑しても馬鹿な真似はしないだろう。自分から浮気を問い詰めることもないだろう、慰謝料より遺産のほうが多い。

 別荘を出て原チャリのキーを捻る。ぺぺぺぺぺっと情けない音を吐き出し始めたみすぼらしい愛車のハンドルを握り、とりあえず街まで降りることにした。

 

 職場のある街までは帰れなかった。燃料がねえ。この原チャリは職場の先輩がエンジンめちゃくちゃに弄り回したんでリッターで見た燃費は糞だ。が、サラダ油でも走れるんで値段で見れば並だな。サラダ油は最近じゃコンビニでも売ってる。ごま油のがこのコンビニ安いな。こっちにすっか。

 十秒飯ゼリーを握りつぶし吸い上げながら給油を済ませる。再度ハンドルを握りキーを捻る。

 そしてハンドルがへし折れた。

「あぁ?」

 ポッキリと折れたハンドルを投げ捨てコンビニに駆け込むと同時に愛車が消し飛んだ。

 次にガラスがはじけ飛び、雑誌を並べていた店員が不自然に吹っ飛んだ。あれはダメだな、一瞬だがこめかみに赤いのが見えた。どうせ裏口は張られてるだろうから堂々と表から出る。さっきの店員のおかげで射角も分かった。ヘルメット被って歩いて帰ろう。

 

 何度か狙撃と職務質問に耐えながら事務所に帰り着く。七階建てのビルの三階が我らが職場。ドアにはピンク色の釣り看板『虚首楼蘭市立探偵事務所』自分の職場でさえなければ指差して爆笑したい看板だ。馬鹿丸出しすぎる。具体的には「市」の字が間違ってるし、あちこち字がきたねえ。何よりこの血生臭え職場に似合わねえピンクの花模様。俺がいない丸一日の間にだいぶドアが様変わりしてる。ノブが違うし。

 ドアの向こうからはゴリラっぽい呻き声とモーター音が聞こえる、できればこのドアを開けずにこのまま帰りたい。

「たでーまー」

 ため息混じりに帰還報告すると地獄絵図がそこにはあった。

 毛布を頭からかぶって狸寝入りを決め込む車椅子の先輩、椅子に縛り付けられた見覚えのない全裸アイマスク男。指がいくつか足りないし股間から伸びるピンクのコードは見なかったことにしたい。モーター音もあるし多分間違いないんだろうな。見なかったことにしたい。最近雇われた金髪十代前半の幼女後輩が男の足の親指に金槌を振り下ろしていたし、我らが偉大な女所長、三十路目前の童顔幼児体型は注射器を男の臍にぶっ刺していた。

「おかえり立人、そこに正座」

 口を開くやいなや意味不明の命令が来る。

「正座する心当たりがありませんが? 所長」

 羽箒で男の喉を擽りながら、

「お得意様のゴキゲンはどうなの?」

 追求が迫る。あっちゃーやっぱ機嫌損ねてたか。

「つかぬことをお聞きしますがそのマゾ一歩手前のゴリラは何ですか?」

「事務所のドアを爆破してくれた不審者。お得意様ンとこの私兵らしいから色々聞き出してるの」

 ご愁傷様。間違いなくその男は明日の朝には二階の肉屋に並ぶ。

「どうやってとっ捕まえたんです? 見るからに体格はプロですが」

「涙目でおじちゃんに酷いことされるって言って簡単に近づいてスタンガンで一発」

 末恐ろしい上司だな、チクショウ。ところで狸寝入りしてる先輩は元傭兵のはずだが拷問直視できないってのは初耳だったな。

 とりあえず状況は大体分かった。次の仕事は決定なわけか。俺原チャ失った直後なんすけどね。アシどーすんだよ。それはともかく、

「所長、俺の耳が確かならそれ呼吸止まってませんかね?」

「まだ子供の頃の恥ずかしい思い出ランキング三までしか聞いてないわ。後二つ吐かせるまでは死なせらんないわ、新入り!! スタンガンよ!!」

 そのゴリラはもう許してやれ。そんなん仕事に関係ある情報じゃねーだろ。

「すだれデブと抵抗する連中、場合によっちゃ若妻も始末ってことでいいんすかね」

「カナミは生かして連れてきて、肉屋以外に売るから。写真見る限りじゃ良い値つくわ、妻はすだれさえ死ねばおとなしく遺産で優雅に暮らすからほっときなさい」

「ところで所長、『俺達に休みはない』って映画ありませんでしたっけ?」

「『俺たちに明日はない』よ馬鹿」

 休みがないのは映画じゃなく俺だ。事務所のビルを出ると目の前に見覚えのある黒のワゴン車。

「原チャ吹っ飛んだんだって? 乗れ」

 肉屋の世話にだけはなりたくなかった。

 

 一度自宅に戻る。お亡くなりになった愛車と同じくみすぼらしい。ドアは鍵を基本掛けてねえ。膝下までの防弾耐火コート、フェンシング用のヘルメットの網を防弾ガラスに変えた特注メット、鉄板仕込みのブーツ、防刃チョッキにグローブ、銃と、ナイフ数本。最後にくぎ抜きと鉈。全滅ならもっと楽な装備でいいんだがな。

 

 道のり半ばで横の車がパンクして突っ込んできた。うまい手だ、ポリ公はパンクさせられた車の人物背景を捜査するからこっちに気付かない。

「よく躱せたな」

「後ろの冷蔵庫は大事な商売道具だ。で、事情聴取は?」

「シカトに決まってんだろ。時間が経てば経つほど不利だ」

 肉屋がアクセルを親の敵のように踏みつけた。事故の時からつけてくる車に俺も肉屋も気付いてはいた。ダッシュボードをあさると瞬間接着剤と大量のレシート。準備のいいことだ。

「何する気だ?」

「少し落として近づかせろ。銃撃はまず助手席の俺から狙われるからお前はシカトでいい」

 車の中でヘルメットとは我ながら滑稽な格好だが、まあしかたない。

「俺が回収できない状況での殺しはご法度だ、死体が出るから殺人になる」

「車がすっ転ぶ程度で済むから黙って運転してろ」

 車が近づく、後部座席から身を乗り出すバカの姿がミラーで見えた。

 瞬着をレシートの束にベッタリとぶっかけ、頃合いを見計らって窓からポイ捨てした上で撃つ。接着紙切れとなったレシートが舞い上がりフロントにへばりついた。

 ついでだから釘入りビール瓶も一つプレゼント。銃声よりもでかい爆発音が三つ響いた。パーフェクトに一つ足りないがあの車は間違いなく廃車だ。おめでとう。

 ブレーキ音すら出さずにどっかの壁に突っ込んで炎上した。廃車どころか大破しやがった。船なら中破大破轟沈と続くが車の場合最終段階なんて言うんだこれ。何でもいいが綺麗に吹っ飛んだもんだな。

「おい、死んでないだろうな、もったいない。命は大事にしろ」

「肉屋のセリフとしては正しいんだろうな。きっと」

 

 別荘の二階は明かりが消えてるが車はある。つまりは真っ最中かおねんねだ。窓をぶち抜き火炎瓶を投げ込む。どうせヘルメット越しじゃ匂いがわからねえ。索敵するよか炙り出した方がいい。待つこと二十秒。わらわらと黒服のお出迎え。鉈と釘抜きで片っ端から潰してゆく。

 まず一番近い奴が銃を構える前に右の釘抜きを右の頬骨にぶち込む、そのまま頭蓋の前面を引き剥がす。

「ぼべぇえええ!!」

 傷ひとつない綺麗な前頭葉がこんにちは、左の鉈で切り飛ばしてさようなら。次は振り上げるように釘抜きを下顎に引っ掛ける。引き寄せながらその勢いのまま鉈で首を切り離す。釘抜きから頭を外すついでに投石器の要領ですっ飛ばす。後ろの連中が既に銃を構え終えてるが一切問題ない。流石に狙いは正確だ。心臓と眉間に二発ずつ。が、ダメージなし。このための重装備だ。今の俺を殺したければ地雷か戦車がいる。

「たかが、片手撃ちの豆鉄砲が!!」

 心臓を狙った一人に鉈を飛ばす。銃を握った手に刺さるように食い込む。

「あぎぃ!!」

 投げナイフを喉笛へ。さっきの四発で無駄と悟ったか残りの連中はドスを構えている。

 目潰しはチョキでやる必要はない。やっても正確に当たらない。指全てで目の周辺を狙い、突き指しないように軽く曲がった自然体のままカウンターで突く。目潰しは視界潰しであり眼球潰しであることは重要じゃない。目をやられた奴は顔に手をやり隙だらけ。一歩下がって距離を取り、間髪入れずに股間をつま先で蹴り潰す。

「か、は……」

「安心しろ。もうお前に使う機会はねえよ」

 一人生かしたまま潰せた。肉屋が喜ぶだろう。

 眉間を狙った二人が引け腰になり一歩後ずさる。

「どうした? お前らの銃じゃ殺せないのはわかった筈だ、近づけよ?」

 更に一歩。もうダメだな、ビビり切って近づいてこねえ。重いからこっちから踏み込むような殺り方したくねえんだよなぁ。

「肉屋、任せる」

 「任せる」の「せ」の時点で銃声がひとつ。「る」でもう一つ。倒れてるのは七つ。そのうち一人の腹を蹴る。

「なに死んだふりしてんだよお前にぶち込んだ覚えはねえぞ」

「お前、なんなんだよ、なにもんだよどっから来たなんの用だ!!」

 さっきまで拳銃握り締めてやる気満々だった奴が涙声でなっさけねえ。

「質問には全部答えてやろう、霧峰さんは優しいからな。探偵だ、くせもんだ、職場から来て、お前の雇い主殺しに来た」

 鉄板入りブーツで顎を蹴り砕き、喉を踏みつぶす。

「ついでにお前も……あ、やべ」

 やってから気がつく、ターゲットの場所吐かせてねえ。さすがに今の重装備であの炎の中入りたくはない。そろそろ出てきてくれると嬉しいんだけど。

 ようやくバスローブ姿の女が出てくる。ヘルメット越しで炎の傍だってのにくせえくせえ。アサミだったか?

「た、助けて!! イカレた鉈女に殺される!!」

 はぁーあ? とりあえず腹殴って黙らせる。

「すだれハゲは?」

「真っ先にドタマぶち抜かれたわ、目つきのぶっ飛んだ女が黒服連れてきて」

「もういい」

 砕かないように細心の注意をした上で顎に一撃。思ったより若妻はオツムの出来がよろしくなかったらしい。これの確保は肉屋に任せよう。

「っつー訳でとっ捕まえてくる」

「焼き肉になる前に持って帰って来て欲しいが無理そうだな」

「ヤクあるか? あと油」

「何する気だ?」

「若妻にしこたま食わせて、廃人にした後凶器握らせたまま、一発も殴らず焼き殺す」

 火をやり過ごすなら風呂場だな。さっさと終わらそう。

 

 先に私を消そうとしたのはクソジジイだ私は悪くない。

 浮気をしていたのもクソジジイだ私は悪くない。

 ちくしょうちくしょうちくしょうちくしょう、あたしの人生ご破産にしやがって、ドイツもこいつも殺してや

「はい、みーっけ」

 シャワー室のドアが掌に貫かれた。

「いやああああああああ」

 鉈を振り落ろす。

 がいーん。と金属音がした。手は無傷で、鉈が折れてる。刃は!? どこよ!? ど

 

 シャワー室のドアをぶちぬくと、折れた鉈が脳天に突き刺さった女がいた。

 

 ほんと、ロクな職場じゃねえ。顔がひきつって、笑いしか出ねえ。




ピカレスクっていうんですかね? 出てくるやつ全員がまっとうじゃない話とか大好きです。ハードボイルドと違って信念も糞もなくかっこいいわけでもない、そんな話大好きです。パンピーと完璧にずれてるようなキチガイの一人称とかも好きです。

大石圭先生とか

これで、部誌の原稿は全出しとなりました。
お付き合いくださいましてありがとうございます。


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