汝、修羅で在れ (宇佐木時麻)
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第一章:Welcome to The World
修羅の餓狼


久しぶりに頭空っぽに書いた。後悔はしていない。


「シィイイイ―――ッ!!」

「おらァアア―――ッ!!」

 

 顔面へ一切躊躇なく唐竹斬りに迫る剣を持つ手首を掴み、後方へ反転しながらぶん投げる。その際に反対の腕で逆手に構えた大剣をぶん投げた男の首に叩きこもうとするが、コンマ数秒の差で剣に防がれ男の身体が吹き飛ぶ。空中で足場もないのにも関わらず男は瞬時に天地の場所を把握して地面を滑るように投げられた勢いを殺しながら着地した。

 

「ハッ! 普通今の受けるかよ馬鹿キリト。相っ変わらず化物染みた反応速度だなぁおい」

「そっちこそ。ソードスキル発動中に見切ってぶん投げるとか体術スキルでも持ってんのかよ。後で俺にも教えろよヴォルフ」

「そんなもん持ってる訳ねーだろ。第一、持ってたとしてもお前だけには絶対ぇ教えねえよザマー!!」

「オーケー、とりあえず真偽は後回しにしてお前は泣かす」

 

 共に挑発しながら剣を構える。だけどキリトと呼んだ男の表情には隠す気がないほど笑みが浮かんでおり、おそらく俺も同じような獰猛な笑みを浮かべている事だろう。

 そうだ、愉しくなければこんな事はしない。今日は馬鹿げた最後の祭りだからこそ、盛大に騒ぐのだ。

 

「「行くぞォォおおおおおおおおお――――ッッッ!!」」

 

 共に咆哮を轟かせて分け目も振らず一直線に宿敵の元へ疾走する。速度は片手剣のキリトの方が僅かに速く、彼の剣が青いエフェクトを放ちながらブレる。

 その現象は間違いない、この世界における必殺技―――ソードスキルの発動に他ならない。

 片手剣突進技、《レイジスパイク》。

 キリト自身姿がブレ、先ほどの速度とはかけ離れた俊足で突進してくる。

 ああ、確かに速いだろう。だが、

 

「そんなチャチな技が、俺に効くかァァあああああ!!」

 

 結局の話、その一撃は本人が放ったモノではなくプログラムのサポートが在ってのものに過ぎない。そしてその借り物の力は余りに容易い。

 大剣を邪魔にならないよう逆手に持って後ろに回し、突進してくるキリトに合わせて身体を沈める。流石に完全に躱す事が出来ず肩に受けるがその衝撃を利用して反転する事で遠心力加え、ソードスキルを発動した代償に起こる硬直状態のキリトの脇腹に逆手で構えた大剣をぶちかます。

 メシッ、と聞えるはずのない筋肉が軋む音がして両者の身体が反対方向へ吹き飛ぶ。俺は先ほど受けたソードスキルの衝撃で、キリトは脇腹に受けた大剣の薙ぎ払いで。吹き飛ばされた勢いのまま傍のオブジェクトである木に背中から衝突し、衝撃で肺の空気が一気に外へ出る。この世界では呼吸をしなくても理論上問題ないはずだが、生き物としての本能はそう簡単には慣れないようだ。

 顔を上げれば、同じように木と衝突したのか木にもたれながら立ち上がるキリトの姿が。

 

「ふ、ふふふふ、ふはははははは……」

「く、くくくく、くはははははは……」

 

 笑い出したのはどっちが先だったのか。そんなことは心底どうでもいい。ただ可笑しくて可怪しくて湧き上がってくる衝動を抑えきれない。

 ああ、もういい。我慢する必要などないのだから。どうせこれが最後の祭りなんだ。ならば最後までおかしく狂うのが礼儀だろう。

 

「ふははははははははははははははははははははははははははははははははァァ―――!!」

「あははははははははははははははははははははははははははははははははァァ―――!!」

 

 湧き上がる哄笑が、抑えきれない―――!

 

「ったく、何やってんだろうなぁ俺達。今日がベータテスト最後の日だっていうのに、最後の最後で何でデュエルしてんだか」

「でも愉しいだろ?」

「当然ッ」

「ならいいじゃねえか」

 

 どうせこの世界もいつかは消えるのだ。所詮0と1で出来た集合体。いずれ劣化してただ人の記憶のみに残る。それが悪いことか? 永遠でなければならないものか? ―――違うだろ。

 

変化(しげき)があるから人生は愉しいんだ。永遠に続くなんて塵だろ。だからこそ、祭りは盛大に、派手に! 何一つ心残りが残らないよう最後の花火を上げるんだろうが!!」

「相変わらず自己完結してるな、まったく。けどまあそれには同感だ。どうせ今日で終わりなら、寂しく別れるように盛大に愉しんだ者勝ちだしなァ!!」

 

 笑い、嗤い、再び激突する。剣、素手、禁じ手、ソードスキル。使えるモノ全てを駆使してただ目前の相手を殺しに掛かる。だけどこの程度で終わってくれるな、お前ならこの程度覆せるだろうと期待を込めて。この瞬間が永遠に続けばいいのにと思いながら。

 

「なあ、愉しいか、キリト?」

「そっちこそ、どうなんだよ?」

「俺か? 俺は勿論―――」

 

 愉しいぜ。そう口で呟いて、お返しの頭突きをぶち当てる。

 ずっと飢えていた、ずっと乾いていた。何をやっても満たされなかった。心の奥が伽藍洞で、ずっと退屈だった。人として何か大切なモノが俺には欠けていた。

 その飢えが今は感じない。ただ満たされている。この一瞬のために俺は生きていたのだと強く実感できる。

 だがまだだ。もっともっと、もっとだ。満たしてくれ、俺の渇きを癒やしてくれ。愉しくて楽しくて、この脳みそが沸騰しているような感覚がとても素晴らしくて―――

 

「キリトォォおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

「ヴォルフゥゥううううううううううううううううう!!」

 

 喉が裂けるような咆哮が迸り、大剣と片手剣が夜の闇を斬り裂いて振り抜かれる。袈裟斬りと逆袈裟。振り落とされる片手剣と振り上げられる大剣が摩擦しながら共に通り過ぎ、相手へと激突する。

 防御や回避など思考に存在しない。この状況ですべき事は一秒でも速く相手に叩き込み倒すのみ。残りのライフバーを見る限り先に攻撃を当てた者が勝者となる。

 勝つのは―――

 

「「俺だァァああああああああああああッッッ!!」」

 

 沸騰する脳みそ。点滅する視界。意識の全てを剣に注ぎ込みただ勝利を求めて剣を振りぬき、

 

 

 

『ソードアート・オンライン、ベータテスト終了の時刻となりました。直ちに現在ログインしているプレイヤー方々は強制ログアウトさせて頂きます。皆様のご協力誠に感謝いたします。正式サービスを楽しみにお待ち下さい』

 

 

 

 GM()の声によって遮られ、全ては闇の中に消えていくのだった。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 ソードアート・オンライン。

 それは最近開発された《フルダイブ》技術を駆使して制作されたVRMMORPGであり、《剣技(ソードスキル)》を駆使してモンスターを倒し100ある階層の奥に潜むボスを倒すという今まで無かった技術が使われている分世界から注目を浴びるゲームだった。

 そして、今日はソードアート・オンラインの正式サービス日である。

 

「―――という訳で忘れてないか桐ヶ谷ん家に聞きに来た訳ですが、稽古している二人を見て俺も混ぜろと参戦した結果ボロボロとなっている和人君、覚えてた?」

「……おまえ、後で絶対覚えてろよ……!」

「えっ、何だって? んー、聞こえんなー」

「殺す……っ!」

「ちょっと司狼! いい加減お兄ちゃんから退きなさいよ! というかお兄ちゃん大丈夫!?」

 

 道場で息絶え絶えでうつ伏せに倒れている和人の上に腰掛け煽っていると和人の妹である直葉に窘められて仕方なく立ち上がる。

 

「つーか相変わらず体力ねえなお前さん。もっと肉食え肉。そんなんだから女と間違われんだろ、お兄さん?」

「……司狼みたいなキチガイと一緒にするなよ」

 

 だいぶ息も整ってきたのか、溜息を吐くとうつ伏せから起き上がり床に座り込む。その眼を逸らしながら拗ねる態度は女顔のせいでとてもではないが男には見えない。

 

「だいたい、二人共さっきのはなに? 剣筋だって滅茶苦茶だったし全然剣道じゃなかったよ?」

「あー、えっと、直葉、それはだなぁ……」

 

 直葉の発言に和人は困ったように頬を掻く。俺はそれに便乗するように苦笑した。

 先ほど行っていた稽古。それは剣の道など一切ないただ相手を倒す剣術だった。ゲームとはいえ、二ヶ月もの時間は身体―――この場合は脳か―――に染み付いた癖は中々抜けやしない。

 そもそも、俺と和人は剣道の才能は無いと桐ヶ谷の祖父からのお墨付きである。和人は身体が追いつかないほどの反射神経のせいで、そして俺は染み付いた剣術の癖が抜けない。

 最も、何でもありとはいえそれでも反応できる直葉の才能には脱帽なのだが。

 

「そ、それよりも司狼! 今日は何で来たんだよ?」

「むっ……」

 

 露骨な話の逸らし方に苦笑してしまうが、まあ今回は手助けしてやるとしよう。頬を膨らませている直葉の反応からバレバレなのだが。

 

「おう、お前さん忘れっぽいからよう。わざわざ教えてきてやった俺様に五体投地で感謝しろや」

「誰かするか。だいたい、忘れる訳ないだろ」

「ほーう? 誰だったっけ? 夏休み最終日まで遊び呆けて宿題の存在すっかり忘れてて見せてくれって泣きついてきたのはよぅ?」

「ぐぅ……っ」

「ちなみにこれがそん時の貸しで撮ったカズちゃん(ver.メイドコスプレ)ね」

「貴様ァ―――!」

 

 取り出した写真を妹には見せまいと竹刀をぶん投げてきたのでそれを受け止め額に投げ返す。ゲームの中ならまだしも現実世界では身体が反応に追いつかず見事命中し道場の床を悶絶しながら転がる和人。

 

「うわぁー、お姉ちゃん綺麗……」

「直葉!? 今呼び方おかしくなかったか!?」

「あっ、そうだ和人。この前リクエストがあったから今度スク水着てくれ。高値で売れると思うから」

「着るか! ていうか司狼、お前なに人の黒歴史売ってんの!?」

「そ、そうだよ! 駄目だよこんなの!? この写真はあたしが責任をもって管理するから!」

「直葉ッ!?」

 

 写真を握りしめたまま暴走する直葉の反応がおかしくてニヤついていると、それを何と勘違いしたのか直葉は自身の身体を抱きしめながら後退った。

 

「も、もしかしてあたしも何か撮ってたりするの? だ、駄目だからねそんなの!?」

「…………」

 

 その言葉に眼をマジマジと開いて、直葉の身体を上から下まで観察して、

 

「直葉はなー、何て言うか……乳臭いっていうか、色気がねえんだよなー」

「――――」

 

 ピシリと、直葉が固まった。

 

「ホント、兄妹逆だったら良かったのに。……そうだ和人、おまえ性転換手術してみねえ?」

「――お兄ちゃん、こいつぶっ殺してもいいよね?」

「ああ、俺が許す。というか俺が殺す」

 

 殺気立つ二人にこれ以上からかうのは無理だと判断する。飄々と笑いながら容赦なく唐竹斬りを竹刀で脳天に仕掛けてくる直葉の脚を蹴って転ばせて、壁に掛けられてある木刀をぶん投げてくる和人の木刀を全て受け止めながら大道芸の如く回して後退し、出入り口の傍にある傘入れに全部叩き込む。そしてこちらを睨んでいる二人に笑いながら別れを告げて俺は幼馴染の道場を後にした。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 桐ヶ谷兄妹を誂っている間にだいぶ時間が過ぎてしまったらしく、約束していた時間まであまり残されていなかった。仕方が無いので父のバイクを取り出しヘルメットを装着してかっ飛ばす。こういう時に本来の歳より上に見られる体格は便利だと思う。

 しばらく運転していると、約束していた喫茶店が見えてくる。時間を確認すればどうやらギリギリ間に合ったようだ。駐車場に止め、何気ない顔をして喫茶店に入ると、見慣れた顔が既にコーヒーを飲みながら待っていた。

 

「いらっしゃいませ。お一人様でしょうか?」

「いや、あそこの連れさ」

「かしこまりました、それではどうぞこちらへ」

 

 店員に案内され、目的の人物の前に腰掛ける。男は飲んでいたコーヒーを机に置くと、俯瞰した目つきでこちらの眼を射抜いてきた。

 

「遅かったね、司狼君」

「予定の時間にはギリギリ間に合ったでしょうが、茅場おじさん」

 

 そう告げると、今巷では大人気となっているソードアート・オンラインの生みの親―――茅場晶彦は笑みを浮かべるのだった。

 茅場晶彦―――世間で天才と呼ばれているこの人との関係は至って単純、彼が俺の後見人だという訳だ。三年前、俺の両親は交通事故で死亡した。唯一俺だけが奇跡的にその事故で生き延び、母の兄であった唯一の血縁関係にある茅場晶彦が俺を引き取ったという訳である。

 

「それで司狼君。私は先ほど君がバイクに乗って此処に来たように見えたのだが、確か君は無免許ではなかったかな?」

「――運転に必要なのはカードじゃねえ、技術と熱いハートさ」

「私は君の後見人なのだからあまり問題を起こすならばそれ相応の対応をしなければならないのだがね」

 

 一応形式上の注意はするが、俺が何を言っても無駄だと悟っているのだろう。やれやれと嘆息すると今度は意識を切り替えたように真剣な眼で俺の真偽を確かめようとしてきた。

 

「それで、本当にやめる気はないのかね?」

「ああ、何度も言わせるなよおじさん」

 

 それはここ数日何度も聞かされてきた言葉。そしてその返答も変わる事はない。

 

「――あんたが魔王になるなら、俺はそれを守る騎士になるさ」

 

 茅場晶彦が100階層のラスボスならば、黒鉄司狼はそれを守る99階層のボスになりたい。

 餓鬼の頃に誓った約束は、今も変わらない。

 

「飢えてんだ、渇いてんだよ。何をやっても満たされない、何をしても癒やされない。ずっとずっと、胸の奥がぽっかり穴が空いて埋まらねえ。当然だ、黒鉄司狼はあの日死んだ。両親が死んだ時に、同じく死んだんだよ。だからここに居るのはその残り滓だ。ならばどうする? どうすればこの渇きは癒える? ――簡単だ、全て燃やし尽くせばいい。燃焼させて飛翔させて、流星の如く星屑になるまで生命を燃やせばいい――ああ、そうだ。俺はただ、生きている実感がほしいだけなんだ」

 

 そして、それは現実世界(この世界)では見つけられなかった。ならばその片鱗を見つけられた仮想世界(あの世界)に行くしかない。それだけが、俺の希望なのだから。

 

「……私は、保護者失格だな。後見人として君を関わらせるべきではないだろう。だが、君の気持ちが痛いほど理解できる」

 

 茅場晶彦の夢、それは異世界を生み出すという事。つまり彼も結局、この世界で価値あるものを何一つ見つけられなかったという事に他ならない。

 

「所詮同じ穴の狢さ。あんたは夢の為に大勢の人を巻き込んで、俺は己の欲望の為に親友を巻き込んだ。どっちも屑なのは変わらないだろ」

「違いない」

 

 思わず自嘲染みた笑みが溢れる。茅場晶彦が作るソードアート・オンラインがデスゲームだと知っておきながら、俺は和人にソードアート・オンラインを薦めた。彼ならば勇者に、きっと俺や茅場晶彦を倒せると信じているから。

 ああ、何て最低な理由。己の欲望に他者を巻き込むその卑劣、きっと俺が死ねば地獄行きは確定だろう。それでも、俺は生きたいのだ。生を実感してから死にたい。今のままじゃ――伽藍洞のままでは、死ぬにも死に切れない。

 

「じゃあな、おじさん。次逢うときはゲームの中で逢おうぜ」

 

 もう話す事など何も無いだろう。それに間も無くソードアート・オンライン正式サービス開始時刻である。席を立とうとする俺に対し、茅場晶彦は一瞬感慨に耽るように眼を閉じると、信託のように告げた。

 

「確かにあの世界は遊びではない。だが、あの世界はゲームだ。きっと、君が夢中になれる”何か”が見つかるだろう」

「――ああ、それは楽しみだ」

 

 もし、そんな”何か”が見つかったら―――きっと、最高だろうな。

 それ以上の言葉は不要だった。俺は手を振って別れを告げると、そのまま喫茶店を後にした。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 家に着くと、正式サービス開始時刻まで数分も無かった。慌てて着替えてラフな格好になると、ベッドの枕元に置いてあるヘルメット型のハードを手に取った。

 《ナーヴギア》。

 これは夢への切符であり、同時に悪魔の機械でもある。そして俺にとってこれは、夢への片道切符に他ならなかった。

 どうあがいても俺だけは現実世界に帰っては来られない。魔王ヒースクリフを倒してログアウト出来るようになっても、その時には俺は既に倒されている予定だ。そして逆に魔王ヒースクリフを倒すことが出来ず全滅したとしても、ゲームクリアがされない以上ログアウトする事は出来ない。

 つまり、これを被ったら最後、俺は確実に死に至る。それを理解して、

 

「当たり前だろ、今更悩むことかよ」

 

 一切躊躇することなく被った。電源を入れ、横たわる前に部屋を見渡す。これが現実世界で見る最後の光景。それを目に焼き付けて、告げる。

 

「リンク・スタート」

 

 刹那、意識が反転する。

 肉体との五感が切られ、仮想世界特有の感覚に陥る。その違和感を覚えるのも一瞬で、視界情報に映し出される見慣れた光景に迷うこと無く選択していく。

 キャラクター設定は既にベータ版の情報が残っていたのでそれを引き継ぎ、設定画面から反転し視界が暗黒に染まる。

 それと同時に、地面に脚が付く感触。明るくなっていく視界。拳を握りしめる事で感触を確かめて、胸の淵から湧き上がる衝動を抑えきれず笑みを零しながらつい呟いた。

 

「帰ってきた、か」

 

 剣と戦闘で彩られた世界へ。

 全てはここからはじまる。俺は万を期してその第一歩を踏み出そうとして、

 

「そこのお兄さん、ちょっと待ったぁ―――!!」

「ごふぇッ!?」

 

 始まりの第一歩を、顔面からする事になった。

 何者かが後ろから抱き着いてきたせいで体勢が崩れ前のめりで顔面から地面に倒れこむ。痛みは感じない設定だが精神的に苦痛を覚える一撃だった。

 初っ端から攻撃染みたアタックをくらったせいでやや苛立ちながらそうなった諸悪の根源である腰元で抱き着く相手を無理矢理引き剥がす。そこにいたのは如何にも天真爛漫な笑顔を浮かべていた少女だった。

 

「ねえ、お兄さんベータ経験者だよね? さっき帰ってきたとか言ってたし!」

「お、おう。そうだが、何の用だ?」

「ボク今日が初めてなんだ、だからお願い! ボクに引率(レクチャー)してくれないかな!?」

 

 パチンと両手を叩きながら頭を下げてお願いしてきた少女に、しばし面を喰らう。色々と覚悟を決めていたのにも関わらず初っ端から突然の事態に拍子抜けしてしまう。

 ……まあ、最初くらいはいいだろう。ガラではないけれど。

 

「まあ、偶にはガラじゃないことをするのも悪くねえな。いいぜ、俺様が教えてやるよ」

「ホント!? あっ、自己紹介がまだだったね。ボクは紺野木綿季―――じゃなかった、ユウキって言うんだ! お兄さんは?」

「俺はヴォルフって云うんだ。ああ、それから―――」

 

 ふと、そういえば言っておきたい言葉を思い出して立ち上がる。それから座り込んでいるユウキに手を差し伸ばしながら告げる。

 まだこの世界の真実を知らぬ無垢な子へ。この世界は怒りも悲しみも嘆きも喜びも、全てを包むのだから。

 願わくば、この娘が俺を殺す英雄になることを祈って。

 

 

 

「―――Welcome to The World、ユウキ」

 



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修羅の片鱗

触手プレイっていいよね!(錯乱


 薄暗い森の奥。本来ならば青空が広がるはずの天には樹々によって塞がれ光を通さない。視界が悪く足場も舗装されていない不安定な地面の中、一人の少女が剣を片手に握り締めたまま険しい表情で前を見据えていた。

 活発だった態度は消え、頬に冷や汗が流れるのも気付かない集中力で唾を飲み込む。聴覚が伝えてくる地面を這うような耳障りな音が周囲から聞こえ、自らが囲まれているのを理解する。

 決して一点に集中する事無く全体に意識を向けたまま、使える五感全てを駆使して敵の位置を把握する。達人でもない少女にとってその情報は単なる目安に過ぎないが、それでも利用できるものをしなければこの死地を生き残る事など不可能だろう。

 

「―――ッ!」

 

 脚に力を込め、いつでも動ける状態のまま静止していると、暗闇の奥からズルズルと這う音を鳴らしながら何かが近づいてくるのを悟った。それこそが今彼女を狙う、敵。

 僅かに開いた樹々の隙間から漏れる日差しによって、今まで隠れていた敵の姿が顕になる。そこにいたのは、まるで異世界にでもいるような生物。現実ではありえない存在が舌から涎を垂らしながら少女の眼前に立ち塞がった。

 足元には根っ子がうねうねと蠢き脚の代わりとなり、身体は草枝に覆われている。両手らしき箇所には蔓で出来ており、顔面部には人一人丸呑み出来そうな口が粘液を垂らしながら開口を繰り返している。

 自走捕食植物、《リトルネペント》。レベル3という現段階でレベル1の彼女から見れば格上の相手を前に緊張で溜まっていた唾をもう一度大きく飲み込んだ。

 この世界は所詮偽物だ。故にいま対峙しているモンスターがただのプログラムで出来た存在だという事は先刻承知だ。だが、それを画面越しではなく実際に生で見れば誰であろうと恐怖を覚えて当然だ。

 ゆえに、初めてVRMMORPGを経験した者達はここで基本二種類に別れる。前者は恐怖のあまり何も出来ずそのままいいようにやられてしまう者。後者がそれを受け入れなお挑む事ができる者。

 ……もっとも、例外で何の躊躇も迷いもなく嬉々と哄笑しながら突撃した輩もいたが。

 それはさておき。少女が選んだのは、後者だった。

 

「いっくよォォおおおお―――ッ!!」

 

 自身の恐怖を拭うが如く、叫びながら少女は敵へと猛進を開始した。敵の面攻撃を回避しやすくするために重心を下げリトルネペントの半身にも満たない高さを維持したまま地面すれすれを駆ける。

 それに対し、先の咆哮でヘイトが高まった事でリトルネペントは完全に狙いを少女に定めた。植物らしからぬ唸り声をあげると、腕代わりの蔦がまるで鞭のように変幻自在な軌道を描きながら少女に襲い掛かる。

 その常人ならば目で追い付けない速度であろうその一撃を前に、少女は意識を加速させる。まるで時間の流れが自分だけを覗いて緩やかになったと錯覚するような感覚。変幻自在な蔓の軌道を、集中し過ぎて感覚が麻痺しそうな勢いの中それを見切る。

 

「ここ、だァッ!!」

 

 紙一重で首を逸らすことで蔓が空を穿つ。感危機一髪、されど完全に少女は回避に成功した。そのまま勢いを殺すことなく、少女の剣がリトルネペントの開いた口の喉奥に深く突き刺さる。全体重を乗せた突きの衝撃によってリトルネペントはのぞけりながら後退し、勢いのあまり少女自身も前へ体勢が崩れる。

 少女のファーストアタックは確かに見事な物だった。だが彼女は忘れていた。これが1対1の戦いではなく、1対多数の集団戦だという事を。

 

「うわっ、わわわわッ!?」

 

 地面へ顔面からダイブする寸前、少女の身体が彼女の意志とは関係なく宙を舞う。脚から引きずり出されたように宙ぶらりんとなる。上下反転する視界の中、右足首辺りに何かが巻き付いているのが見える。そしてその伸び先には、先ほどのぞけさせたリトルネペントではない別のリトルネペントが口を開いて笑っていた。

 何とかしないとと思考を巡らせようとした瞬間、本能的な直感に促されて反射的に腹筋を駆使して上半身を起こした。直後、少女の上半身があった箇所に薄緑色の液体が通り過ぎていた。地面に飛び散った液体は白い蒸気を上げ、まるで地面を溶かしている様子だった。

 その時、自身の身体からも同じような白い蒸気が漏れているのを少女は見た。背中の腰辺り、上半身を起こしてもあまり位置が変わらなかった箇所に液体が掛かったのだろう。見れば蒸気を上げている箇所は先ほどまで黒い衣服で守られていたというのに、白い蒸気の隙間から見えたのは薄肌色の肌だった。

 武器耐久の大幅な低下―――それを瞬時に理解した少女は、液体が放出されてきた方角を見る。そこには蔓で彼女の脚を掴んでいるリトルネペントの同モンスターが三体もまるで嘲笑うようにニヤニヤ口端を歪めながら存在していた。

 直後、大きく息を吸うように頬を膨らませる予備動作(プレモーション)、先ほどの腐蝕液発射の合図である。

 このままでは直撃。HPは大幅に削られ、もしかすれば衣類が全て溶かされるかもしれない―――咄嗟に浮かんだ最悪な未来図に羞恥心で頬が赤く染まり、それを否定すべく暴れだす。

 火事場の馬鹿力と言うべきか、少女が出鱈目に振り回した剣は彼女を捕まえていたリトルネペントの側面に存在するウツボ部分と太い茎の接合部―――即ち弱点に叩きこまれた。

 

『ギィイイイイ!!』

 

 まるで悲鳴のような唸り声を上げながら、少女を掴んでいた蔓の力が緩む。握力が無ければ掴んでいることは出来ず、掴まれていなければ少女は自然法則に従い地面に落下する定めだった。

 少女の身体が頭部から地面に墜落するのと同時に、彼女の上で吐瀉液が通過する。紙一重の回避に思わず一息吐きたくなるが、自身に迫り来る蔓を見て慌てて離れるのであった。

 起き上がって現状を確認すれば、円陣でも組むように少女を囲みながらリトルネペントが距離と輪の大きさを縮小しながら近づいてきている。その光景に絶句して思わず後退るが、背後から聴こえてきた枝木が這う音にギリギリと冷や汗を流しながら僅かに顔を向ける。

 顔を向けた先には、先ほど突きで吹き飛ばしたリトルネペントの姿が。心なしが蔓の動きが活発になって怒っているようにも見える。

 前方には四体のリトルネペント、後方には退路を塞ぐように一体のリトルネペントの姿が。まさしく絶体絶命、四面楚歌。そんな光景に、思わず少女―――ユウキは恥も外聞もなく叫んだ。

 

「ヴォルフ、ヘルプミィィイイイイイイッ!!」

「んー? 何だってー? よく聞こえねえなぁー?」

 

 ユウキの悲鳴に反応するように、彼女の頭上から声が聞える。上を見れば、暗闇となると知っていたのか先ほど宿屋で購入したランタンを傍の枝に引っ掛け、幹にもたれ掛かりながら口に加えた煙草から紫煙を昇らせて、ユウキがこのような状況に陥った諸悪の根源―――ヴォルフは揚々と笑みを浮かべるのであった。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 VRMMORPGの最もな利点は何かと聞かれれば、それは餓鬼でも煙草や酒が買える事だと思う。現実ならば自動販売機だとカードが必要で手間が掛かるし、何より仮想の肉体なのでいくら飲んでも吸っても身体に害をなさないのは素晴らしいの一言だろう。これで味が良ければ最高なのだが、どうしても安っぽい味しかしないのでそこがマイナス点となっているが。

 

「あーぁ、生き返るわー」

「黄昏れてないで助け――ひゃわっ!? わわわ、服溶けてる! 服溶けてるんだけどヴォルフッ!!」

 

 甲高い悲鳴が登っている枝木の下から聞こえてくるのでおちおち休んでいる事でも出来ず、仕方なく地上の様子を見る。視線を向ければ、そこには慌ただしく動きながら囲みながら襲って来る五体のリトルネペントと攻防を繰り広げるユウキの姿があった。

 

「さっき言っただろうが、リトルネペントは武器耐久値を大幅に削ってくるってよ」

「そ、そうは言ってたけど普通は武器や防具の事だと思うよね!? 服が溶けるだなんてそんな恥ずかしい事になるとは思わないよ!」

「服だって立派な防具だろうが。まあ全裸になろうがバッドステータスにはなんねえから心配すんなよ。そういえば俺もベータテストの時は経験値稼ぎでここで良く狩ってたっけなぁ。途中から服溶かされんのがウザくなって全装備解除して戦ってたっけなぁー。懐かしいねえ」

 

 今思えば『ドキッ! 男だらけの全裸祭りッ!!』とか言って野郎共が全裸で触手に巻き付かれながら高笑いして戦闘している絵面を想像すると、誰得としか言いようが無い。あの時は皆徹夜でテンションがおかしくなっていたしそういう時もあるだろう。

 

「つーか、お前いつまでそんな雑魚相手に時間掛けてんだよ。戦い方を教えてくれって言い出したのはそっちだろうが。その程度の相手瞬殺出来なきゃ一流のプレイヤーにはなれねえぞー」

「嘘だ! ボクこのゲーム初めたばかりだけどそれが絶対嘘なのは分かる! というかボク初心者だよ!? 鬼! 悪魔! ええと、ええと、ば、馬鹿!」

「……ユウキ」

「うひゃあ!? な、なにヴォルフ。ひょっとして助けて―――」

「最っっっっっっっっっっ高の褒め言葉だ」

「分かってたよコンチクショォォおおおおおおッ!!」

 

 うわーん! と半泣きに成りながらも必死に逃げまわるユウキと見て悦に浸る。それと同時に自身の目が細まるのを理解した。

 

「初心者、ねえ……」

 

 だとすれば、恐ろしい才能だと思わず笑みが深くなる。

 ユウキが初心者プレイヤーだというのは《ホルンカの村》に来るまでの行動で理解できている。そして理解した上で彼女が破格の才能の持ち主だと言うことが予測できた。

 本来VRゲームを初めて行う場合、もっとも何敵となるのが現実と仮想のギャップだ。VR空間は現実に比べ感覚が鈍く、どうしても誤差が生じる。初めて水泳を行う者が違和感を覚えるように、言わばVR慣れしていないのが原因となる。

 だからこそ一際離れた《ホルンカの村》までユウキをひたすらに走らせた。身体を動かせば動かすほどVR空間に慣れ、より高度な動きが出来るようになる。そのためにわざわざ《ホルンカの村》まで移動したのだが、正直に言えばユウキは良い意味で俺を裏切ってくれた。

 普通初めてモンスターと戦闘する場合、大抵の輩はパニックに陥る。人間背丈の怪物が己目掛けて襲って来るのだから無理もないだろう。だが、その調子で勝ち続けてしまうと大丈夫だと慢心してしまう。

 だからこそ、初めに修羅場をくぐって置かなければならない。慢心せず注意し過ぎ程度が一番なのだと理解させるための俺からのありがたい授業料だと感謝してほしいくらいだ。

 ゆえに、本当に危なくなったら助けるつもりだった。だが、

 

「……初めての戦闘で、リトルネペント五体相手に凌げられるとはな」

 

 攻撃パターンとモーションを教えていたとはいえ、それを実践できるかどうかは別だ。パニックになりながらも攻撃に反応し、きちんと対処できている。度胸もあり、反射速度、身体捌きはキリトや俺より劣るとはいえ中々のものだろう。

 こいつは傑物だ。鍛えればキリト並みになれるかもしれない。

 

「まあ、だとしても俺の方が百倍強いけどな」

「ヴォルフー! せ、せめて必殺技! えっと、そ、ソードスキルだけでも教えてよ!」

「あぁ? 阿呆こけ呆け。ど素人がんなモン使っても自滅するだけだ。大丈夫、死ぬ気でやれば何とかなるだろ」

「お、鬼ィィいいいいいいいッ!!」

 

 またしてもユウキの悲鳴が響き渡るが、実際嘘は言っていない。

 ソードスキルとは、剣道で例えるならば型のようなものだ。どう動かせばいいのか解らないからこそ手本として扱うもの。事実ゲームのアシストが掛かっている分強力にはなっている。ただし素人が発動する場合、身体を強制に動かされる違和感、敵前での強制硬直、フォームが正しくないことから発動しないストレスと、様々な問題を抱えている。あれはある程度戦闘慣れしてからではないととてもではないが扱えるものではない。

 もっとも、俺の場合は単に身体を誰かに動かされるのが嫌いなだけなのだが。

 

「ぶ、武器が壊れたァ!? ぉ、ヴォルフ、今度こそ本気と書いてマジでヤバい! 助けてー!!」

「……まあ、初戦闘ならば頑張った方か」

 

 恐らく武器の耐久度が尽きてしまったため無手状態でこちらに駆け寄ってくるユウキの頭上にタイミング良くランタンをぶち撒ける。空中でランタン内の油が飛び散り地面と衝突した衝撃でランタンは壊れ中の火が油に点火し炎上する。炎の壁となってモンスターと俺達を遮るが、この炎事態にダメージはない。しかし、プログラムで植物と設定されている以上、炎を忌避するのは当然の結果だった。

 炎の壁に遮られて立ち往生している間に枝から飛び降り着地すると、目前で息切れしながら肩を上下させているユウキの姿があった。腐蝕液を幾らか受けたのか所々溶けており、非常に危ない絵面となっている。正直下着姿になるまで溶かされると思っていたので予備として持ってきた灰色の外套を頭から被せた。

 

「し、死ぬかと思った……!」

「そうかい、まあ後はのんびり見学してけよ」

「えっ―――わぷっ!?」

 

 本当ならケツの方が安定感が在っていいのだが、それでハラスメント警告が出て牢獄エリアに強制転移させられたら笑い話にもならないので、襟の部分を掴んで先ほどまで居た枝の箇所にぶん投げる。見事ユウキが枝の上に着地したのを確認すると、大剣を担いでモンスター達の方へ振り向いた。

 既に炎の壁は消滅しており、そして先ほどの炎によって集まったのか十数体ものリトルネペントが口から涎を垂らしながらこちらに迫ってくるのが見えた。先ほどの炎の衝撃で《実つき》のリトルネペントの種が割れたのか、嫌な匂いと共に更にリトルネペントが寄ってきているのが理解できる。

 その絶望的な光景を前に、

 

「く、はは、はははははッ」

 

 笑みが止まらない。込み上げてくる衝動が抑えきれない。この程度が絶望だと? 笑わせる、ここからが愉しいというのに。

 さあ―――始めようか。殺し合いを、戦争を、殺戮を。

 

「ヒャーッハハハハハハハハハハ!!」

 

 抑えきれない衝動を喉から放ちつつ、敵前へと一気に踏み込む。十歩の距離を一歩で踏み込む移動術である縮地を駆使し距離を詰め、右薙にはらう。加速と遠心力を加えた斬撃を弱点である茎に叩き込み、悲鳴が聞える前に振り抜く。

 密集しているため、攻撃を受けたリトルネペントは数体巻き込んで吹き飛んでいくが、吹き飛ばした直後に蔦を掴み強引に引き寄せる。蔦の箇所は攻撃箇所にはダメージ判定が施されているが、それ以外の箇所ならば触れても問題ない。

 蔦を柄に絡ませて、問答無益でこちらに引き寄せる。迫ってくるリトルネペントを回し蹴りで背後へ叩き込み、寸前へこちらに腐蝕液を放っていたリトルネペントへ腐蝕液を被りつつ激突した。

 

「はははは、アーハハハハハ! ヒャーッハハハハハハハハハハ―――ッ!!」

 

 そのまま蔦を掴み、ハンマー投げの要領で全力で振り回す。周囲のリトルネペントと何度も激突し、俺へと放たれた腐蝕液を被る。ある程度振り回すと、一度空高く持ち上げ、一気に地面へと墜落させる。二体ほど巻き込んで地面と激突したリトルネペント達に対して、地面を蹴り頭上から地面ごと貫く勢いで刺突した。

 HPが尽き無数のポリゴンとなって悲鳴を上げながらリトルネペントの身体が弾け飛ぶ。地面から大剣を引き抜いて首の骨を鳴らしながら周囲を観察すると、またしても《実付き》が出現していた。

 相変わらずラック値が低いなと一人ごちる。本音を言えば《リトルネペントの胚珠》をドロップする《花付き》が出て欲しいのだが、ないものをねだっても仕方が無い事だろう。それよりも目前で蠢く《実付き》を見て、

 

「どうせなら本気でやろうや。そっちの方が盛り上がんだろうがよォ。あはは、はははは、ヒャーッハハハハハハハハハハ―――ッッ!!」

 

 宿屋で買っておいたピックを迷うこと無く実に当て中身をぶち撒けた。

 当然実がぶち撒けられた事により匂いが周囲に拡散しリトルネペントの密度が上昇する。それに満面に笑みで答えつつ嗤う。

 ああ―――殺せるものなら殺してみろよ。雑草の分際で。

 

「ハハッ――ヒャーッハハハハ―――!!」

 

 縮地の一歩で間合いを詰め大剣を振るう。唐竹、袈裟斬り、逆袈裟、右薙、左薙、右切上、左切上、逆風、刺突―――目に映る全てを斬り裂きながらただ敵を葬るためだけに殲滅する。

 躱し、避け、回避し、見切り、受け流し、予測し―――全ての攻撃を一撃も受ける事無く捌き続ける。

 

「はは、あははは、はは……はは……」

 

 敵を掴み、投げ飛ばし、蹴り穿ち、蹴り払い、握り潰し、抉り抜き、踏み潰し―――

 

「…………」

 

 敵を蹂躙し、片っ端から根こそぎ駆除し尽くして―――

 

「…………なんつーか、萎えたわ」

 

 気が付けば、胸の高鳴りは完全に沈黙していた。

 意気消沈した隙を狙ってリトルネペントが蔦で攻撃してくる。変幻自在と軌道を変える蔓の軌道―――その軌道に既知感を覚え、見ずとも攻撃判定のされていない箇所を掴んで受け止めた。

 強引に引っ張って体勢が崩れたリトルネペントの口に大剣をねじ伏せる。唾液が腕に付いて気色悪いが、そのまま内側から斬り上げて一刀両断する。それだけでリトルネペントのHPは尽きてしまった。

 

「ベータ版の27通りに、新規のモーションが23個……たった50通りしかねえのかよ」

 

 だからこそ詰まらない。だからこそ燃え上がらない。

 これはプログラムだ。だからこそ決められた動きしかしない。当然といえば当然、当たり前の事だ。ゆえに心底惜しいと思う。

 これが本当に生きている相手なら。

 自分で考え、生きるため、殺すためにありとあらゆる手段を選ぶ怪物だったなら。

 そうだったなら、どれほどよかっただろう―――

 

「やっぱりよォ、戦いってのはそういうもんだろうが。思いを込めて、想いをぶつけ合って、魂を燃やす。それが戦いだよなぁ」

 

 一歩ずつ脚を進める。残りの七体が同時に蔦で攻撃してくるが、その全ての攻撃を俺は既に知ってしまっている。そんな分かりきった攻撃を躱す事など造作もない。

 

「負けたくないっていう敵対心、憎いっていう殺意、羨ましいっていう嫉妬。どれもこれも醜いだのなんだの言われているがよぉ、実際その気持ちが人間を強くしているじゃねえか。要するに、心がねえと人は強くなれねえんだよ」

 

 誰かと向き合うから想いは生まれる。

 思いがあるから人は強くなれる。

 人間の本質はそういうものだ。人間とはそういう”意志”で出来ている。

 

「だからよう、雑草。俺の言いたい事が分かるか?」

 

 俺の『思い』に対し、リトルネペント達は何の反応も返さない。口から腐蝕液を放つモーションを起こし、それに対して大剣を握り締め、

 

「魂ってのはな―――本気でぶつかり合うからこそ輝くんだろうがァァ―――!!」

 

 ―――俺を殺せるのは人間だけだ。魂無(おまえら)じゃ殺せない。

 咆哮と共に大地を駆ける。縮地を駆使して一気にリトルネペント達の背後に周り、胴体と頭部の接続部を断頭する。渾身の勢いを込めた大剣は容赦無く斬り裂いた。

 頭部が消滅し、放出しかけていた腐蝕液が頭上へと噴出される。雨の如く降り注ぐ腐蝕液を大剣で受け止めつつ、頭上から落ちてきたアイテムを手に取る。

 それは先程倒したリトルネペントの《花付き》が落としたドロップアイテム。

 

「……ったく、せめて吸い終わるまで耐えろっての」

 

 煙草の昇る紫煙を忌々しげに吐きつつ、《リトルネペントの胚珠》を手に入れて大剣を背中に背負いユウキの所へ戻るのだった。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

「……ボク、絶対師事する人間違えた」

「はあ? 何いってんのお前。俺ほど教えの旨えベータ経験者はいねえぜ。むしろここは五体投地で感謝を言うシーンだろ」

「何処が!?」

 

 文句を言うユウキをからかいつつ森を抜けて宿屋へ向かう。クエストが完了した訳だし、ユウキの溶けた衣服や武器も買わなければならない。面倒事が増えたが、これも不肖な弟子の為には仕方が無いだろう。

 

「あっ、やっと村が見えてきたよ! ねえヴォルフ、夕焼けが凄く綺麗だね!」

「おぉー、確かにこりゃあ絶景だな」

 

 薄暗い森を抜けると、周囲はすっかり夕方となっていた。現実では見られない地平線に浮かぶ夕焼けに見とれていると、まるで現実に引き戻すかのように鐘の音が響きだした。

 

「? なんの合図だろ、これ」

「……夕方に鳴る鐘……そうか、これが―――」

「ヴォルフ?」

 

 すっかり忘れていた。この鐘こそあの人が言っていた開始の合図。予測通り、突如俺とユウキの身体が光り出して浮遊感に襲われる。

 突然のテレポートに隣でユウキは尻もちを付き、周囲を見渡す。ここは《始まりの街》。俺達だけでなくほとんどのプレイヤーがこの街に呼び出されていた。

 誰もが謎の現象に戸惑う中、頭上から声が堕ちてきた。

 

 

 

『―――プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ』

 

 

 

 全ての始まりが、幕を開けるのだった。

 




チンピラは好きだけど書きにくいんだよなぁ……


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デスゲーム・スタート

 ソードアート・オンラインがデスゲームと化して既に三週間が経過しようとしていた。

 ログアウトが出来ず、HPがゼロを迎えればナーヴギアによって現実の脳が焼き切れ現実でも死亡するという荒唐無稽な説明に最初は誰しもが半信半疑で冗談やオープニングだと思っていたが、いつまでもログアウト出来ない事や現実でナーヴギアを外されない事、そしてゲーム内で死亡したプレイヤーがいつまで経っても戻らない事から次第に現実味が増し、やがて人々は発狂するかのように暴走し初めた。

 初めからこの世界が脱出不可能のデスゲームだと知っていた俺は帰してと喚き散らかす群衆から離れ一人でフィールドに向かおうとした。

 一瞬、キリトに連絡しようか悩んだがあいつなら問題ないだろう。

 キリトは強い。剣技や素質だけではなく、先天性に心が強いのだ。不条理を受け入れ、逆境に打ち勝ち、死に際でも抗える―――修羅なのだから。

 だから、予想外だったのは別の人物。気紛れで最初の面倒だけ見るつもりだったユウキが俺に付いてくると言ったのは意外だった。

 アイテム《鏡》によって現実世界の姿になったユウキの容姿は抱きしめたら折れてしまうのではないかと錯覚するほど華奢だった。見た目から察するにまだ十三歳程度だろう、その年頃ならばいきなりデスゲームに振り込まれれば知り合いの傍にいたいと思うのは仕方が無い事だろう。だが、そういった理由ならば断るつもりだった。

 しかし、そこに居たのは、

 

『ヴォルフ、ボクは―――強くなりたい』

 

 絶望を知り、それでもなお抗うことを選択できる一人の修羅だった。

 瞳に強い意志を宿し、この世界で死ねば現実でも死亡するという事実と向き合ってなお戦う事を選択した戦士。現実逃避ではなく、ゲーム感覚で戦うのでもなく、その事実を受け入れなお戦う以外の選択肢を選べないキチガイ。

 ああ、こいつならもしかして―――

 

「ん、そろそろか。おいユウキー、そろそろ起きろ。朝食できたぞー」

「……ぅん、もう朝―?」

 

 鍋を掻き混ぜていると料理が完成した合図が鳴り、思考が現実に引き戻される。皿に具を注いでいると、隣でのそのそと寝袋から起き上がったユウキが眠たそうに欠伸を零しながら近づいてくる。

 その寝惚けたユウキに水瓶を渡すと一口呑み、残り全てを頭に被った。髪の毛から水が滴るが、まるで犬や猫のように頭を大きく振って水気を飛ばす。以上朝の準備終了。

 

「ボク復っ活―――ッ!!」

「いいからとっとと食え」

「はーいッ」

 

 寝袋をアイテム化してアイテム欄に仕舞うとユウキは定位置と化している俺の隣に座って朝食の献立を見る。ドロップで落とすコボルドの肉を煮込んだだけの汁物だけというなんとも味気ない朝食だが、これぐらいしか食える物がなにのだから仕方が無い。

 ユウキもそれが分かっているのか特に文句を言う事もなく「いっただきまーす」と告げながら肉に齧りついた。俺もそれに習い汁物を啜る。うん、いつも通りに味が薄い汁だ。

 

「しっかし、こんな状況に慣れちゃった自分がちょっぴり怖いかなー」

 

 ふと、肉を齧りながらユウキがぽつりと呟いた。視線の先には、直ぐ側をのそのそと歩く異形の姿―――コボルドの姿があった。

 そう、ここは街でも村でもなく―――迷宮区に存在する安全エリアの一角だった。

 

「別にこんなの怖くねえだろうが。結局安全エリア(ここ)に居りゃ襲ってこねえんだし、むしろ俺としちゃあ温いと思ってるしな。最初はフィールドで生活する予定だったしよぉ」

「そんな生活だったらボクは絶対疲労でぶっ倒れてたよ……」

「最初はんな事言ってた癖に今は結局慣れてんじゃねえか。こういうのは慣れが肝心なんだよ」

 

 肉を噛み千切りながら遠い目をするユウキを笑う。初めは迷宮区で生活すると聞かされた時は正気じゃないという顔をしていたが、数日寝不足が続くが次第に慣れ、今では横でモンスターの呻き声が聞こえようとも熟睡できるようになっていた。

 もっとも、ここから殺気に反応できるようにと色々と大変なのだが、今日のところぐらいは勘弁しといてやろう。

 

「それで、今日は何をするの? またコボルド狩り?」

「ん? いや今日はちょっとした用事があるからそっち優先な」

「用事って?」

 

 首を傾げて問い掛けてくるユウキに対し、今朝から読んでいた本を開いて見せる。先日出会った情報屋のアルゴから渡されたガイドブックには、俺用なのか目立つように何回もの赤丸で今日の日付がチェックされており、そこには短く一文が書かれていた。

 

「何でも、今日は《第一層フロアボス攻略会議》が開かれるらしいぜ?」

 

 ソードアート・オンラインが開始されてから三週間。ついに最初の試練に立ち向かう時が来た。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 迷宮区最寄りの街《トールバーナ》。全長二百メートルほどの第一層においてはじまりの街を除けば最大の大きさを誇るその街で本日初のフロアボス攻略会議が行われようとしていた。その会議会場とされてあるトールバーナの噴水広場に向かいながら、ユウキは途中で買ったパンを涙目で感激しながら口に頬張っていた。

 

「ああ、パンこそ人類が生んだ文化の真髄なのかもしれない……!」

「泣くほどかよおいっ」

 

 まあ毎日あんな味気ない食事を繰り返していたら無理もないかと無我夢中でパンを頬張るユウキから視線を外し、ポケットから小さな素焼き坪を取り出すとワンクリックし、反対の手に持っていたパンに触れパンがクリームに染まるとそれに齧り付く。

 うん、何度食っても癖になる味だなー。

 

「…………なに、それ」

 

 モグモグ食べていると、ふと横から地獄から聞こえてくるような呻き声が。視線をそちらに向ければ涙を流しながら感激していたユウキがまるで能面のように無表情でドロリと濁った眼で俺のパンに乗っているクリームを凝視していた。

 

「おっ? どうしたユウキ、そんな親友だと思っていた友が実は敵で「楽しかったぜぇー、お前との友情ごっこ!!」みたいな事言われたような顔して」

「…………そのクリーム、なに?」

「あっこれのことか。《逆襲の雌牛》っていうクエストの報酬で中々の絶品だぜ。毎日食ってんだが飽きねえしよぉ」

「…………ボク、知らないんだけど」

「ああ。そりゃあお前が寝静まってから行ってたからな。流石に毎日あんな味気ねえ食事してたかまいっちまうわ」

「…………なんで、ボクも誘ってくれなかったの?」

「だってこれ一人クエだし。お前がいたら終わんの倍になっちまうじゃねえか」

「…………」

 

 無言となって瞳孔の開いた眼で俺を無表情に見るユウキ。やがてユウキは思わず見惚れてしまうほどの満面な笑みを浮かべ、

 

「―――ヴォルフお兄ちゃん、ちょーだい♪」

「ハハッ―――断る♪」

 

 直後、ユウキは食べていた食べかけのパンを投げ捨てると鬼神の如き形相で襲い掛かってきた。今まで鍛えてきた影響か最初に比べれば遠慮も容赦もない金的や目潰しなども含む本気の攻撃。だがそんな修練度の攻撃では見切る事など赤子の手をひねる事より容易い、右手でクリームの乗ったパンを食しつつ反対の手でユウキの全ての攻撃を受け流す。

 

「ゥガガガがガガガがガガガァァ――――ッ!!」

「ハハハハッ、人類語喋れっての。ていうかそんな怒んなよ、だいたい料理が不満ならお前が料理スキル取得すりゃあ良かっただろうが。無いもんを俺に当たんなよ、ったく」

「ムグぅっ!?」

 

 いい加減鬱陶しく感じてきたので食べていたパンをユウキの口にねじ込んで無理矢理黙らせる。最初は驚いて息を詰まらせるユウキだったが、思わず食べてしまったであろうその触感に怒りを沈め眼を輝かせている。

 

「ほらっ、それやるから機嫌直せっての。そろそろ会場に付くからいつまでもふてくされてんじゃねえよ」

「…………」

 

 ユウキにパンを渡したせいで口が寂しいのでポケットから煙草を取り出し火を付ける。紫煙を肺に吸い込んで満喫していると、何故か足音が後ろから近づいて来なかった。振り返ればユウキは食べかけのパンと俺の顔を交互に見ながら顔を赤くしている。

 

「……ははァん?」

 

 ニヤリ、と悪い笑みが口元に浮かぶ。

 

「初めての間接キチュはどんな味でちゅたかー、ユウキちゃん?」

「――――ッッ!!??」

 

 途端、ボフンとまるで爆発でもしたかのように一瞬でゆでタコの如く真紅に染まるユウキの顔に笑みが溢れる。実に弄り甲斐があるその初々しい反応に愉悦を隠せない。

 

「むぅ、むぅぅうううううう―――ッ!!」

「ハハハハッ、乳臭ぇ餓鬼がませてんじゃねえよ。そういうのはもちっと歳取ってから出直して来いや」

 

 先ほどとは違い恥ずかしさを隠す為にポカポカと胸板を叩いてくるユウキの頭を地面に埋まる勢いで力強く撫でる。負けじとユウキも力強く叩いてくるので俺もその分力を増してやっていると、何やら広場が騒がしくなってきたのが感じ取れた。

 

「おっ、どうやらそろそろ始まるみてえだな。ほらとっとと行くぞ、ユウキ」

「……うんっ!」

 

 最後の一口を呑み込んでユウキの表情が変わる。程よく緊張しながらも意識をはっきりさせているその態度は実に良い意識の切り替えだろう。その完成度に笑みを浮かべ最後にもう一度頭を撫でると俺達はようやくトールバーナの噴水広場に到着したのだった。

 

「はーい! それじゃあそろそろ始めさせてもらいます! 今日はみんな、オレの呼び掛けに応じてくれてありがとう! オレはディアベル、職業は気持ち的に《騎士(ナイト)》やってます!」

 

 広場の手頃な場所に腰掛けていると、恐らく何かしらのオンラインゲームでリーダー経験があるのか、意気揚々と仕切りだした男性がにこやかに自己紹介を始めた。それに対し誰も不満を抱かないのは彼の持つカリスマ性のおかげだろう。

 

「じゃあヴォルフは《狂戦士(バーサーカー)》かな?」

「ならお前は《マスコット》ってか?」

 

 軽口を叩いてくるユウキに対して笑ってやる間にも話はどんどん進んでいく。しかしどの話も今朝呼んできたアルゴのガイドブックに載っていた情報なので紫煙を吐きながら聞き流す。ユウキは新鮮なのか、したり顔で何度も頷いたり首を傾げながら楽しげに話を聞いていた。

 そして、フロアボスやセンチメルの情報、戦闘パターンや対処法などの説明を受け、パーティーを組もうとする直前で、それを遮るように男の声が響いた。

 

「ちょお待ってんか、ナイトはん」

 

 声と共に一人の片手剣使いの男性が広場の中央に降りてくる。独特の尖った茶色の髪型はサボテン頭としか言いようがなく、こちら側に振り返った眼には敵意を宿しており、酷く癇に障った。

 

「わいはキバオウってもんや。わいが言いたいのはな、こんなかにワビぃ入れなあかん奴らがおるはずや」

「詫びって、誰にだい?」

「決まっとるやろ! 今までに死んでいった二千人を見殺しに、や。自分らだけが何もかも独り占めたベーターテスター共やァ! そんな自分達のためにビギナーを見捨ててぽんぽん強くなって後は知らんぷりしとる小賢しい連中のことなんか、信用できへん。そいつらに土下座させて、溜め込んだ金やアイテムをこの作戦のために軒並みはきだしてもらわな、パーティーメンバーとして生命は預けられへんと、わいはそう言っとるんや!」

 

 

 

「――――く、か」

 

 ――――ああ、この馬鹿は、何を言っている?

 

 

 

 あまりの愚鈍さに笑みが溢れる。あの馬鹿は、自分達が助けられて当然だとでも思っているのか? 強者(ベータテスター)弱者(ビギナー)を助けるのが当たり前だと思っているなら、なぜ貴様はここにいる。所詮、貴様を誰かを助けるよりも自分が強くなることを選んだんだろう? 同じ穴のムジナが、何を偉そうに吠えている。

 ああ、いっそ俺がベータテスターと名乗りでてみるか、そして好き放題暴れてやるかと沸騰した脳みそで思考を決断し立ち上がろうとして、

 

「ヴォルフ、どうしたの?」

 

 隣から伺うように心配する瞳に覗きこまれ、冷水でもぶっかけられたように思考が冷静になった。

 

「……なんでそう思った?」

「えっ、だってヴォルフ、何かいつもと様子が違ったから……」

 

 首を傾げて不思議がるユウキの姿に、笑みの本質が変化する。本当に、こいつの観察眼は大したもんだ。溜め込んでいた想いを吐き出すように深く息を吐くと、他の者には聞こえないように声量を落としながら語る。

 

「俺はさ、努力する人間が好きなんだよ」

 

 人間は進化する生き物だ。それが高所か低所に向かうかはさておき、人間は変化し続ける。進化の対義語は退化ではなく停滞、それが俺の持論だ。

 

「誰だってさ、努力する人間は好きだろ? 例えば最弱チームが必死に努力して全国大会に出場する奴らとか、落ちこぼれが誰よりも真面目に頑張って学年一位になった奴とか、憧れはするけど無様とは思わないだろ?」

 

 そういった何かを成し遂げようとする人間の生き様は、万物美しいものだ。自分の何かを犠牲にして何かを得る彼らの生き様には胸が来るものがある。

 

「だから俺は、努力した奴は報われて欲しいと思ってる」

 

 それだけの事をしてきたのだ。だからこそ報われて欲しいと思うのは自然の事だろう。

 ゆえに、

 

「だからこそ俺は、努力しない奴を絶対に認めねえ」

 

 強い意志を込めて断言する。他人の努力を無駄だと悦に浸る者。他人を貶めてあたかも自分が努力したのだと勘違う者。自分達は弱者なのだから救われなければおかしい、強者は自分達を救う義務があると当然のように思っている者、そういった輩を俺は一人残らず嫌悪する。

 そもそも、純粋な弱者とは己が弱いとすら叫べないのだから。

 

「全てベータテスターのせいだと? 阿呆こけボケが。碌に情報も買わず、碌に時間も掛けず、自分らが助けられるのが当然だとでも思ってんのか馬鹿が。”みんなの力を合わせて平等にゲームをクリアしよう”ってか? 本気で言ってんならもう一片義務教育受け直せやタコ、んなもん小学生でもありえねえって知ってるっての」

 

 この世界は決して平等ではない。和人のような英雄が生まれるならば、俺のような怪物が突然変異で現れることもある。そんな常識言われなくとも誰だって気づくはずだ。そして気付いた上で、人間は努力する者としない者に分けられる。

 

 だからこそ俺は思う。努力した者が報われて欲しいと。努力した者が蹴落とされ、努力しなかった者がその名誉を得る、それを間違っていると思う俺の考えは、間違っているだろうか。

 

「……じゃあさ、もしも、もしもだよ? 生まれた時から身体が弱くて、ずっと病院で寝泊まりしてて、色んな機械や人達に迷惑かけながら生き続けて、それなのに何の努力も出来ず迷惑しか掛けられない人がいたら……ヴォルフは、どう思う?」

 

 ふと、俺の話を聞いてユウキが何やら思いつめた表情でそう訪ねてきた。その表情にはいつもの天真爛漫な笑顔はなく、この質問には嘘を付いてはならない凄みがあった。

 その問いに対し、俺が思う事はただ一つ。

 

「あぁ? んなもん決まってんだろ。―――俺はそいつを、尊敬するよ」

「…………え?」

 

 俺の応えた解答にユウキはポカンと口を開いて見返してきた。その阿呆面に思わず苦笑してしまうが、ユウキはそれに気づかず慌てて何かを言おうとする。

 

「で、でもその人は何も出来ないんだよ? ヴォルフは努力しない人は嫌いなんじゃなかったの?」

「なに言ってんだ? そいつは努力してるじゃねえか」

 

 至極当然な事。生き物がしなければならない最重要な事を。

 

 

 

「だってそいつは―――必死に生きようと努力してるじゃねえかよ」

「――――」

 

 

 

 俺の答えに、何故かユウキは呆然としていた。まるでそんな事を言われるとは思っていなかったと言わんばかりに。

 

「ただ生きるってのは辛いことだ。ましてやそいつが病弱で身体に痛みが走っていたなら尚更のことだな。でもそいつは生きようとしている、痛みに耐えて必死に努力している。俺はそれを醜いとも間違っているとも思わねえよ。だってそうだろ? 生きる事に嘘も真もあるものかよ」

 

 そもそも、生きるために死のうとしている俺は、決してそいつを侮辱してはならない。何故なら俺は、そいつが努力してる事を否定しようとしているのだから。

 

「……ありがとう、ヴォルフ」

「何が?」

「ううん、なんでも!」

 

 もう一変返事するその表情には先ほどまでの影はなく、いつも通りの天真爛漫な笑顔が広がっているだけだった。ならば問題ないだろうと視線を広場の中央に向けると、そこにはいつの間にはガタイの良い筋骨隆々な黒人男性が佇んでおり、アルゴのガイドブックがビギナー用に向けられた物だと説明してその場を収めているところだった。

 ようやく面倒な話が終わり、ここでディアベルが「それじゃあ、近くにいる人とパーティーを組んでくれ!」という合図を受けて俺とユウキは早速パーティーを組み、他にハブられているパーティーがないか様子を見渡す。

 正直二人でも何ら問題はなかったが、見れば正反対の位置に俺達と同じように二人のパーティーが残っているのが見えた。そしてその片方の少年の顔に既知を感じ、笑みを浮かべながら近づいていく。

 向こうも俺達に気づいたのか、ふと少年は俺の顔を見て一瞬驚きを浮かべるが、すぐにいつも通りの表情を浮かべて接近してくる。広場の座席の中央に集まると、俺はいつもの様に飄々とした笑みを浮かべながら少年達に話しかけた。

 

「よう、ひょっとしてナンパか? もしかして今日は童貞卒業記念日か? 何なら赤飯でも炊いてやろうか?」

「なっ……」

「この世界で、どうやって赤飯炊くつもりだよ」

 

 フードが深く被った女性が反応するが、それに対し少年は軽く対処する。そして挑発するような笑みを浮かべて訪ねてきた。

 

「それで、そっちの方は?」

「ボク? ボクは一応弟子の―――」

「ああ、ただのセックスフレンドだ」

「―――ブハァッ!?」

「せ、せせッ……!?」

 

 ユウキは勢い良く吹き出し、フード少女は恥ずかしそうに何度も同じ単語をつぶやいている。その反応が面白くてつい笑ってしまう。

 

「なんだ、お前ロリコンだったのか?」

「そうだなぁ、あと十年経ったら食っちまうのもいいかもな」

 

 そうして、軽口を叩き合うこの会話に既知感を覚えて、懐かしさに安堵する。それは相手も同じだったのか、少年は笑いながらすっと拳を突き出してきた。

 

「―――まあ、おまえが死ぬとは思ってなかったけど元気そうで何よりだ、ヴォルフ」

「―――そっちこそ、相変わらずしぶとい野郎だな、キリト」

 

 コツンとぶつかり合う拳が、まるで再会を歓迎するかのように響き渡った。

 




「LA置いてけ! なあ! フロアボスだ!! フロアボスだろう!? なあフロアボスだろおまえ!!」
妖怪LA置いてけことキリト。

「ボクは―――剣だ」
剣鬼ことユウキ。

「私は戦場を照らす閃光になりたい」
戦乙女ことアスナ。

「ああ―――人間賛美を謳わせてくれ! 喉が枯れ果てるほどに!!」
魔王ことヴォルフ。


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前日の宴会

「突撃! 隣のお家の知られざる事態!? の時間だオラァッ!!」

「イッエーィッ!!」

「うわっ、こんなに広いのに私のところとたった三十コル差なの……? 差別じゃない」

「ハハッ、まあ探せば此処より良い所もあるさ。それからそこの馬鹿師弟共、ひとの家来ていきなり家を燃やそうとするな」

「これから毎日家焼こうぜ! というかキリトがこんな良い家に住んでるのが気に入らねえ! お前はホームレスがお似合いなんだよザマァッ!」

「ヴォルフ! こんな事もあろうかと油持ってきたよ!」

「でかした馬鹿弟子!」

「馬鹿はお前だ世紀末共」

 

 第一層フロアボス攻略会議が終了した現在、俺達は《トールバーナ》で宿を取っていたキリトの部屋に転がり込んでいた。部屋に入って結構な広さに癪に障ったので床に油をぶち撒けて点火するが、破壊不可オブジェクトなので傷一つ付かない。

 まあ正直分かってノリでやっただけなので特に気にする事無く近くにあったソファに座り込む。迷宮区では味わえない柔らかい背凭れの感触に両足を机に乗せてだらける。横を見ればユウキも今まで地べた寝だったのでベッドという魔精の魅力には敵わず迷うこと無くベッドにダイビングをかまして至福の笑みを浮かべていた。

 とりあえずポケットから煙草を取り出して火を付ける。此処が現実だったら吸っても良いか訪ねてから問答無益で吸っていたが、ここは仮想空間なので他者に迷惑を掛ける必要もないので安心して一服する。

 

「おらキリト、俺は客なんだからとっとと茶の一つ出せや。あっ、茶菓子は《逆襲の雌牛》のクリームオンリーな! 無いならさっさとクエスト行ってこいよ五分以内な」

「悪いが此処の飲み物はミルクのセルフだけだ。嫌なら向かいの宿屋に行ってこいよ。ちなみにヴォルフはミルクでも一杯百コル取るから」

「はぁ? お前俺を誰だと思ってやがる? お客様だぞお客様、お客様は神様だって習わなかったのかよ」

「生憎俺に眼は神様なんかじゃなくて蛮族にしか見えないからな。ああ悪い、蛮族には高等すぎて何言ってるのか理解できないよなぁ?」

「なんであなた達いきなり喧嘩腰なのよ……」

「うへへへ……きもちいなぁ~」

 

 むしろこれが俺達の普段通りな会話のデッドボールなのだから仕方が無い。言葉ではそう言いつつも全員分の飲み物を準備しているところとかキリトちゃんマジツンデレ。あと無断でベッドで寝ているユウキが身体をベッドに擦りつけて入るのが非常にあれな光景だ。恐らく久しぶりの寝具に感動しているだけだと思うが、男のベッドに少女が身体を擦りつけて入る光景は実に犯罪的である。

 

「キリト、一応言っておくが後でベッドに潜り込んでクンカクンカすんなよ? 流石に友人がそんな匂いフェチなのはちょっと……」

「―――死ね」

 

 投擲スキルを発動したミルク入りコップが容赦なく飛んでくるが、投げる角度が解っていたので危うげなく受け止める。受け止めた際にミルクが沸騰していたので少し火傷してしまう。

 流石は我が友、露骨に地味な嫌がらせをしてきやがる……!

 

「……あなた、まさか」

「違うからな。ああったく、ヴォルフが絡むと面倒事になる。風呂場はあっちだから好きに使ってくれ」

「え、ええ。分かったわ」

「……ほう」

 

 風呂。俺らが来なかったら二人っきりの環境。若い男女。それらの単語が脳裏で重なり合い、ある答えが浮かび上がる。

 

「そうかそうか、悪ぃな邪魔して。そんなら俺らは一時間くらい席を外してやるから安心してギッシンバッコンするといい。ああでもキリトどうせ早漏だろうだから三十分、いや十分あれば充分か?」

「―――死になさい」

「―――くたばりやがれ」

 

 直後、キリトがテーブルを蹴り上げアスナがぶん殴り、それを華麗に躱す。

 

「おお、ナイスコンビネーション。実におまえら弄り甲斐があって萌えるな」

「あなた、友達は選んだらどうなの?」

「少なくとも一人(ソロ)なあんたに言われたくない」

 

 息ぴったりと疲れたように嘆息する二人に飄々と笑っていると、くいくいっと袖を引かれる感触が。視線をそちらに向けると、そこには信じられないものでも見るかのように眼を見開いたユウキがいた。

 

「…………お風呂、あるの?」

「はぁ? 何だって?」

「…………この世界って、お風呂に入れるの?」

「おいちょっと待てヴォルフ、おまえまさか……!」

 

 若干瞳孔の開いた眼で呟くユウキの言葉に何かを悟ったように青褪めるキリトに対し、俺は右腕をサムズアップして満面の笑みを浮かべて、

 

「タオル、川、全装備解除……後は分かるな?」

「アホかぁああああ―――ッ!?」

「川ってね……夜に入るとすっごく寒いんだよ……?」

「あぁ、ユウキさんがガタガタ震えながら遠い目になってる―――!?」

 

 何やらトラウマでも思い出したように膝を抱えながらボソボソ呟くユウキにそれを励ますアスナ、爆笑する俺に道徳やらモラルやら、女の子に対してそれはないと説教するキリト。

 うん、俺が引き起こした事ながら混沌(カオス)の一観だな。

 

「ねえ、ユウキさん。もし良かったら一緒に入らない?」

「……え? で、でもアスナさんお風呂を凄く楽しみにしてたって……」

「そんなことは気にしなくていいわよ。一緒に入った方が愉しいでしょ? それに、私と同じくらいの歳の娘って中々見ないからもし良ければ私と友達になってくれない?」

「あ、アスナさん……! うん、ボクで良かったら是非! ボクの事はユウキでいいよ!」

「ふふっ、なら私もアスナでいいわ、ユウキ」

「アスナ……!」

 

 背後に百合百合しい花を咲かせつつ抱き合う二人に満足気に頷きつつ口を開く。

 

「こうして、俺様のお陰で友情を深め合う二人でありましたとさっ、おら感謝の言葉を述べても良いんだぞ? この俺を称えるがいい。んぅ?」

「「なわけないでしょ!」」

 

 ユウキは可愛らしく枕を、アスナに至ってはフォークやらナイフを容赦なく眼球目掛けて投擲してくる始末。それら全てを受け止め、家の主にキャッチアンドリリースしてやると何気なく受け止められたのが腹に立ちテーブルを蹴り高速で平行移動させて脛に角をぶつける。声にも成らない悲鳴を上げて蹲るキリトの姿を見て少しだけ溜飲が下がった。

 

「おぉ怖怖、んなガチになるなよちょっとしたジョークじゃねえの」

「フンッ! 行こうユウキ」

「ベェ―だ!」

 

 フンスっと可愛らしい擬音を残しつつお風呂場へ向かう二人を見送り、視線を先程から蹲っている男に向ける。当たりどころが悪かったのか涙目でプルプル震えている。

 

「男の涙目とか誰得なんだよ。いや男の娘だったら需要有りか?」

「てめぇ……! いつか絶対泣かす……!」

「はいはーい、覚えてたらな。三秒くらいで忘れると思うけど」

 

 とりあえず出されたホットミルクを一気飲みして空となったコップを台所に投げ込む。そしてアイテム欄から酒とつまみをオブジェクト化してテーブルに並べる。衝撃はあっても痛みは持続しない仮想空間なのでしばらくするとキリトは立ち上がり椅子に腰掛けると、テーブルに並べられている物を見て顔を顰めた。

 

「……一応聞くけど、これ何だよ」

「あぁ? んなもん酒に決まってんだろ、見て解かんねえのか?」

「そりゃあオブジェクト名見れば分かるけど、俺達一応未成年だろ?」

「そう言いつつ飲もうとしでんじゃねえよ」

 

 席に付いてコップを差し出してくるキリトに苦笑しつつ酒を注ぐ。二人分注ぐとコップを手に取りお互いのコップを当てガラス細工特有の心地よい音が響いた。

 

「じゃあ、乾杯っという訳で」

「乾杯って、何にだよ?」

「ん~っ、それじゃあ明日の成功を祈って、か?」

「それじゃあフラグ立ってね?」

 

 軽口を叩いて苦笑し、酒を一気に飲み込む。喉を通り抜ける酒特有の身体が熱くなっていく感覚に酔いながら空となったコップをテーブルに叩きつける。

 

「―――プハァ! マジィ!!」

「まあ、幾ら酒だと言っても仮想だしな。酔った感覚を再現するだけで実際現実ではアルコールは取ってないんだからしょうがないだろ。というか本当に未成年が飲んでも大丈夫なのか?」

「俺が買った時は未成年だからって禁じられなかったし、ここはSAOなんだからつまり茅場晶彦こそが法律、そしてそれが問題ないという事はオールオッケーという事に他ならない……!」

「あっ、これ駄目な奴だ」

 

 もっとも、あの人なら現実感を敢えて出すために規制しなかっただけなのかもしれないが。《論理コード解除設定》なんてものを作るぐらいだし。もしこのゲームがログアウト不可能のデスゲームではなかったら即刻規制が入ってゲーム終了していただろうし。

 文句を言いつつ酒を飲むキリトに対抗して一気飲みをし、それに対抗してキリトも一気飲みするという悪循環に陥りながらもある程度酔い始める。だからこそ俺はこの世界から来て思っていた事を口にした。

 こんな話、素面で言えるわけがない。

 

「……なあキリト。おまえ、この世界に来てどう思った?」

「どうって、例えば?」

「色々あんだろうが。デスゲームになった事とか、ダンジョンで出会いを求めてみたとかよぉ」

「別に出会いは求めてねえよ!?」

 

 怒鳴りつつ酔いが回って来たのであろう頭を冷やすためにお冷を飲み、一息付く。それからキリトは考えるように腕を組んでから、口を開いた。

 

「……とりあえず茅場晶彦を一発ぶん殴る。そしてさっさとゲームクリアして母さんやスグの所に帰る。お前と一緒にな」

「――――」

 

 キリトの発言に思わず息を飲んだ。

 それはつまり、日常へ帰るという決意。たとえ非日常に染まろうとも日常に戻るというキリトの覚悟。そして何より凄いのが、この男はそれを微塵も疑ってはいない。必ず果たすと己自身に決めている。この覚悟は決して揺るぐことはないだろう。

 だから、その姿に俺は目元を解す動作をしながらそっと遮った。俺には、あまりに眩しすぎるから。その信頼しきった眼が何より苦しめる。

 

「―――ああ、やっぱりお前は俺の英雄だよ、キリト」

「ん? なんか言ったかヴォルフ」

「べっつにー? つーかその言い方だと難聴型鈍感主人公みてぇだよな」

「だれが難聴型鈍感主人公だ!? つーかヴォルフはどうなんだよ」

「俺か? んなもん決まってんだろ」

 

 この世界に来てどう思ったかだと? そんな答えは一つしかない。

 

「―――最高に愉しいに決まってんだろうが。こんな異常、普通味わえるかよ」

 

 笑う。獲物を見つけた餓獣のように。どこまでも救いようのない愚者のように。

 この世界は未知な出来事ばかりだ。自分の知らない物、経験できない出来事。生命の危機に脅かされ全霊を掛けて生きている。本当に楽しくて愉しくて、断崖の果てを飛翔するかのように―――

 

 楽し過ぎて―――今までの日常が、無意味なモノに感じてしまう。

 

 大切だったはずだ。物足りなさを埋めるために頭捻って考えて、時にはキリト―――桐ヶ谷和人や妹の直葉も巻き込んで刺激を得ようとしていた。それが迷惑だと知っていたし、そんな物足りない日常を楽しもうとしていた。

 だけどこの世界に来て決定的にズレてしまった。今までの退屈が嘘のようなまるでびっくり箱みたいな世界。その世界が素晴らしければ素晴らしいほど、俺の日常への想いが薄れていく。

 それはつまり、簡単な話。人間ならば当然あり得るジャンル違いだっただけという話。

 

キリト―――いや、桐ヶ谷和人にとっての非日常こそが、

ヴォルフ―――いや、黒鉄司狼にとっての日常だった。

 

 これは、ただそれだけの決まりきった話。いつか決定的に別れてしまう道が今別れただけの話。

 だから、本当に良かった。俺がこいつらを引き返しの付かない所にまで巻き込む前に別れる事ができて。ブレーキが壊れたアクセル全開の暴走車に付き合う必要もないだろう。

 

「ああ、ホントイカれてんなぁー俺」

「はぁ? いきなり何言ってんだお前、そんなの今更だろ」

「なんだとコラ、喧嘩売ってんなら買うぞ女顔、ついでにその顔に相応しいように金玉切り落としてやらァッ!!」

「上等だこの腐れヤンキーが! お前に”姉妹でアイドルやりませんか?”ってスカウトされた男の気持ちが分かんのかテメェっ!!」

「ふぅ、さっぱりしたぁ~……って何でいきなり二人共喧嘩腰!? ボク達が風呂に入ってる間に何があったの!?」

ボール()相手(ユウキ)ゴール()にシュゥゥゥトッ!! 超エキサイティングッ!!」

「えっ、ヴォルフ何でビン掴んでボクの方へ―――もぐぅッ!?」

「ああ、ユウキの顔色が一気に肌色から真っ赤に!?」

「アスナァァああああ!! 明日の攻略のための宴会だァ! あんたも飲めぇぇええ!!」

「えっ、ちょっと、私は未成年だからやめ―――きゅう」

「キー坊、ちょっと話が―――邪魔したな、オレっちは何も見てないからナ。それじゃあ―――」

「「逃がすかァァあああああああ!!」」

「ちょっ、早ッ!? こういう時だけ無駄に高いステータスを駆使して追い掛けて来るなよナ!? オレっちには色々と用事があるんだからその蛮族ノリで迫って来るな!?」

「「ヒャーッハハハハハハハハハハ!!」」

 

 笑いながらふと思う。確かにこの瞬間は物足りない。だが決して満ち足りない物ではないのだ。だから願うのだ、それが邪法の祈りだと知りながら。

 

 ああ、どうか時よ―――この無謬の刹那を止めてくれ。このかけがえない今が永遠に続いてくれと。




正直に言えばシノのんを出したかったが、一層では無理と判断。
あと煽りを勉強したいです、はい。


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第一層ボス攻略開始

 お天道様が見事な青空の下で輝く晴天日。今日は実に絶好の攻略日和な天候だと思う中、ボス部屋に向かう最中で森林に囲まれた獣道をボス攻略のメンバー達と歩きながらポツリと呟いた。

 

「なあ、キリト。コイツ落としていっても構わねえよな。さっきから耳元で呻き声やら髪を噛んできたりして非常に鬱陶しいんだが」

「そうなった原因はお前にあるんだから最後までユウキの面倒を見ろよ」

「うぅ、う~ん、気持ち悪ぃ……頭くらくらするゥゥ……」

「というかあなた達は何で昨日あれほど飲んで平気なのよ……」

 

 俺等のパーティーは現状、死屍累々といった具合だった。

 俺とキリトは何の問題もなかったが、昨日の宴会の影響かアスナじゃ僅かに青褪めて口元を押さえており、ユウキに至っては初めてアルコールを摂取した影響なのか頭をぐらぐら揺らしながら人生初の二日酔いを体験していたため俺が運ぶことになっていた。

 

「一応、この世界でアルコールを摂取しても脳にアルコールは回らないから酔わないはずなんだけど、きっとそこのところも茅場晶彦が再現しているんだろうな」

「おのれ、茅場晶彦許すまじィ……! あっ、ヴォルフもっと丁寧に運んで吐きそう……うっぷ」

「お前もし本当に吐いたら容赦なく地面とファーストキスさせてやるから覚悟しろよ? つーかいい加減自分で歩けや重めんだよ」

「無理限界世界が回ってる。そ、それに本当は女の子に抱き着かれて嬉しいんでしょ? 恥ずかしがらなくていいんだよ?」

 

 ねぇ? と頬を赤く染めて魔性な雰囲気を醸しながらユウキはそっと自分の匂いを擦り付けるように俺の身体を弄ってくる。その様子を横から見ていたキリトは顔を赤くし、その少年特有の反応にアスナは冷たい視線を向けていた事にキリトは気づかなかった。

 それはともかく、耳元でそっと呟くユウキに対し、

 

「そいっと」

「ウガァッ!? あ、頭があああああァァッ!?」

 

 俺は迷う事なく支えていたユウキの太股を腕で掴み吊り上げて、彼女のバランスを崩しそのまま後頭部を地面に直撃させた。

 

「鎧のせいで背中がゴリゴリ削れて痛ぇし、つーかガキ相手に欲情するかよバーカ。俺をその気にさせたかったらもっとナイスバディになってから出直すんだな。あと個人的にお前が年上っぽい仕草をしたのが一番ムカついた」

「星が飛び出てスタァ―!? あ、謝るから起こしてヴォルフ! ってイタタタた!? ちょ、ちょっとそのまま引き摺らないで後頭部擦れてる擦れてる! ボクハゲちゃうというかHP減ってるから止めてよ―――!?」

「おうおう頑張れ頑張れお前ならきっと出来るだから最後まで諦めるなさあ頑張って起き上がれー」

「鬼―! 悪魔―! 蛮族―! チンピラー! ヴォルフー!」

「あいよ」

 

 ゴリゴリと背後から地面を削る音と共に喧しい悲鳴が聞こえてくるがそれを無視して前進する。するとその様子を見ていたアスナがフードに隠された顔の僅かに伺える口元を動かしてポツリと呟いた。

 

「……まるで遠足ね。本当に勝つ気があるの?」

 

 それは決して誰かに聞かせるものではなかったのだろう。その呟きは何処か自虐染みた、現状に諦観した念が込められていた。

 それに対し口を開くか少しの間悩む。だが結局口を閉ざすことにした。そもそも、そういうのは適任がいた。

 

「あれはあいつらにとって日常だから大丈夫さ。それよりも、アスナも少しは肩の力を抜いたらどうだ?」

「どういう、意味かしら」

 

 まるで普段通りのように水筒に含んだ水を飲みながら告げるキリトに対し、アスナが眉を潜める。今の彼女からしてもれば侮蔑以外のなにものでもないだろう。

 

「言葉通りの意味さ。さっきから肩が力んで強張っている。そんな様子じゃいざという時に動けないぞ?」

「わたしは、あなた達の様に脳天気じゃないだけよ。ボス戦前だって言うのに―――」

「それは単にうまく(がわ)を着替えれてないだけだろ」

 

 アスナの不満気な返答にキリトは呆れるように応える。

 

「……がわ?」

「そう、夏は涼しい服装に変えたり礼節のある会場ではスーツやドレスを着たりするだろ? あれと同じだ。ようするに時と場所によって服装は変えるけど、中身(本質)は変わらないだろ。なのに今のアンタは、ずっとその剣士(がわ)を着込んでいる」

 

 キリトの目がスゥっと細まる。まるで、触れたら壊れてしまうものでも見ているような憐憫さを目に宿して。

 

「アスナ。アンタはずっとその側を着て生きるつもりなのか? 違うだろ。俺達は確かに日常へ帰るために戦っている。けれどそれは決して今を蔑ろにしていい訳じゃないんだ。戦う剣士である俺と日常にいる一般人の俺、どっちの俺であることには変わらない。だからアスナ、無理に慣れろとは言わない。けれど少しずつでいいから日常の側にも着替えてくれ。じゃないと、壊れちまうぞ」

 

 その言葉にアスナは目を見開いた。その反応から察するに少なからず自覚はあったのだろう。

 アスナは現実世界に帰るために全身全霊この世界に適合して剣士となろうとしていたのだろう。だが、そんな鍍金では所詮簡単に剥がれてしまう。仮に剥がれず最後まで持ったとしても待っているのは剣士に成り果ててしまった仮面だけだ。

 戦争でも、心優しかった兵士が生き残るために心を鋼に変えて戦争を生き抜いた結果、本当に心が凍ってしまった前例も存在する。アスナもそれに近い状態に陥っていた。

 キリトの言葉にアスナはまるで時間が止まってしまったようにジッとキリトの方を見つめ、見つめられている彼は何処か居心地の悪そうに頬を掻く。その仕草が何かツボに入ったのか、少女の口元が僅かに釣り上がった。

 

「……そうね、少し考えてみるわ」

 

 それは、少なからず少女が僅かに見せた日常の側だったのだろう。

 キリトはその微笑みに衝撃を受けたのか、恥ずかしそうに顔を赤らめながらあらぬ方向を向いた。

 

「ハハハ、出来立てホヤホヤのカップルかよこいつら。お前もそう思わねえか?」

「うん、そうだねー。それで、何か言うことはないの?」

 

 ガシィッ! と足で腰を強引に力強く締め付けられ、振り返ればユウキが満面の笑顔で抱き着いてきていた。その表情に何処か鬼の形相を連想したが、気のせいだろう。実際の話、コイツが怒ってもチワワみたいなものだし。

 

「別に?」

「あはははは。…………本気で言ってんの?」

「ハハハ、冗談だっての。分かったからガチで首絞めんの止めろ若干極まってんだよ」

 

 ギリギリと首元で嫌な音が鳴る中、ユウキは先ほどよりも強く抱き締めながら間接を極めてくる。それを無視して歩いていると、ユウキはやれやれと嘆息しながら呟く。

 

「ヴォルフ、ボクにだけ何か冷たい……」

「師匠の愛のムチだと思って有りがたく受け取りな」

「解せぬ……」

 

 笑って空を見上げれば、木々の茂みに隠れていた日差しが風の揺らぎによって時々姿を見せる。その美しさはVR世界だからこそ実現できる美しさでもある。

 それを眺めて、しばらく経った後。ふと思い出したようにポツリと呟いた。

 

「―――それで、もう大丈夫なのか?」

 

 もう、酔ったふりしなくても。

 

「――――」

 

 その言葉にユウキは一瞬驚愕したように目を見開いて、それから諦めたように首裏に額を擦り付けてきた。

 

「どうして、分かったの?」

「重心、体重移動、あと経験則ってところか。酔ったにしちゃ力んでいたし、重心もあちこち移動していたのにも関わらず規則性があったしな。本当に酔っ払った奴はもっと不規則な動きをするもんだ。これキリトを酔い潰した時の経験談な」

「そっかー。ボクお酒初めて飲んだからそれっぽく演じて見たけど全然駄目だったんだね。でもそれで良くボクが本当は酔ってないって分かったね?」

「そりゃあ、なんつったって俺様はお前の師匠様だからな。馬鹿弟子の考えていることぐらいお見通しさ」

「……なら、当ててみてよ。今ボクが何を思っているのか」

 

 そう言うと、更に力を籠めて抱き締めてくる。

 正直こういうのは俺ではなくキリトのポジションだと思うのだが、やれやれと嘆息して気分転換に煙草を吸おうとして抱き締められて懐を探れない事を思い出して仕方なくそのまま続きを口にする。

 

「怖いんだろ?」

「…………」

「今までは自分の身さえ守っていればよかった。けれど昨日の会談でボス戦を前にして、誰かが死ぬかもしれないという事実に気付いて興奮が覚めちまった。死ぬかもしれないという恐怖が離れない、違うか?」

「……ホント、ヴォルフは凄いね」

「俺が昨日何のためにお前に酒を飲ませてやったと思ってやがる。そういう時は変な事考えて悪循環に嵌るから酒飲んでぐっすり眠るのが一番なんだよ」

「いやあれは絶対酔ってたよね? ……それに、それだけじゃないんだ」

「あん?」

 

 ギュッと抱き締める腕は微かに震えていて、何処か暗闇の部屋の隅で朝が来るのを怯えながら待つ子供の姿を連想した。

 まるで、一人ぼっちは嫌だというような。

 

「死ぬのは怖くない。けれど、何も残せず死ぬのが怖い。無価値なまま、何一つ証を残せないまま死ぬのは嫌だ。ボクは、ボクが生きた証を証明したい。例え、紺野木綿季には何の価値が無かったとしても、ユウキには価値があったんだって―――」

 

 それはもはや俺に語っているのではなく、自分に言い聞かせるものだった。

 彼女が現実でどんな人物だったのか、どういう生活を送ってきたのか。それに対してある程度予測は立てられるものの、そんなものに微塵も興味などなかった。

 そういう弱点を直してやるのは英雄の役目だ。俺の出番ではない。俺が出来るのは精々怪物らしく狂気を伝染させることぐらいだ。それにそもそも、そんな小細工は彼女には必要ない。

 何故なら、コイツも俺と同じなのだから。恐怖を狂気で塗り潰す修羅なのだから―――

 

「だったら、証明してみせろ」

「……えっ?」

 

 笑って告げた言葉に思わずユウキは面を上げてアホ顔でこちらを見る。不安げな表情を浮かべたその顔を飲み込むように自信満々に言ってやる。

 

「ここにいる全員、ボス攻略に来たプレイヤー共に見せつけてやれ。ユウキ(おまえ)の価値を、強さを、その目に刻み込んでやれ」

 

 お前の師匠を、誰だと思っている。

 俺の弟子を、誰だと思っている。

 少なくとも、お前の価値を認めてやっている人物がここにいるのだから。

 

「出来るだろ? 俺の弟子のお前ならな」

 

 その言葉に何を感じたのか。だが確かに何かが変わっていた。

 恐怖に歪んでいた瞳が狂気に染まる。

 不安げに歪んでいた口端はいつものように自信あり気な軌道に吊り上がる。

 それでこそ、俺が認めた修羅だ。

 それでこそ、俺を殺すに相応しい英雄だ。

 最後にユウキはもう一度力強く抱き締めると、元気よく飛び降りると満面な笑顔と共にVサインで応えた。

 

「もっちろん! なんたって、ボクはヴォルフの弟子だからね! 楽勝だよッ!!」

「あっ、ユウキもう体調は大丈夫なの?」

「うん、もうパー璧の完全復活だよ! というか、ヴォルフもよくそんなセリフ恥ずかしげなく言えるよね」

「当然だろ、なんたって俺は最強だからな。俺を倒せるのは精々キリトぐらいだろうよ。まっ、結局俺が勝つけどな」

「……と言われてますけど?」

「ノーコメントで、というか俺を巻き込むな」

 

 ユウキは頭の後ろに両手を組んで笑い、アスナもそれに吊られて微笑み、キリトもやれやれと言った様子で嘆息付きながらもその口端は嬉しそうに釣り上がっていた。

 その様子を見ながら、自由になった手で懐から煙草を取り出して火をつけながらふと思う。

 嗚呼、この光景を俺はあと何度見れるのだろう。

 あんな眩しい彼らを裏切った時、彼らはどんな表情を浮かべるのだろうと―――

 そんな、つまらないことをぼんやり思った。

 

「ほらテメェ等、ふざけんのも良いがそろそろ側を着替えとけよ」

 

 そう言いながら先ほどまでユウキが背中にいたせいで背負えなかった大剣を背中に装備しながら告げると、皆の視線が前方に向けられる。

 そこにあったのは、荘厳な扉。そこだけまるで空間から切り離されたように威圧感を発する扉は、正しく番人の門と呼ぶに相応しい雰囲気を持っていた。

 それを見た途端、彼らの気配が変貌する。そこにいたのは先ほどまで温和に過ごしていた少年少女ではない。そこにいたのは、紛れもなく戦いを渇望する修羅だった。

 

「……なるほど、これが側を着替えるってことなのね」

 

 ポツリと呟いたアスナの声などもはや眼中にない。俺達が待っていたのは真実ただ一つだった。

 皆の代表で出るように、一番先頭を歩いていたリーダー格である騎士(ナイト)と名乗ったディアベルが門の前で剣を地面に突き立てて騎士のような佇まいで口を開く。

 

「どうせここで長く語っても意味なんてないだろう。だから俺が言うことはただ一つだ」

 

 騎士は閉じていた瞳を開き、皆に聞えるように声を張り上げ宣告する。

 

「行くぞ―――勝って、生きて帰るぞッ!!」

『オオオオオオオオォォォッッ!!』

 

 戦いの宣誓が告げられるのと同時に、今まで閉じられていた門が荘厳と開く。

 ここに―――ソードアート・オンライン第一層ボス攻略の幕が切って落とされた。

 



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修羅の本気

 ボス部屋の扉を開けた瞬間、暗闇に包まれていた部屋の壁に掛けられていた灯台に次々に明かりが灯り、部屋の全貌が明らかになっていく。

 まるで光を乱反射しているように虹色に包まれた部屋の規模は対軍用に想定されているのか、複数のパーティーが戦闘しても何の支障に来たさないほど壮大だった。

 その中で、最後まで暗闇に飲まれていた奥場で紅い双眸が開かれるのが見えた。まるで地響きのような震脚が振動させるのと同時に、空から巨岩が落下してきた。

 否、それは巨岩ではなかった。巨岩と見間違えたそれは天よ呪えよと吼えるが如く咆哮を轟きさせると、その姿を露わにした。

 青灰色の毛皮を纏い、血のような赤金色の隻眼を爛々と輝かせ、右手にはその巨体に相応しい人間などそのまま押し潰してしまいそうな骨斧を持ち、逆の手には革を貼り付けたバックラー、そして腰の裏には一メートルは超える湾刀を差している。

 その姿、間違いない。これこそがソードアート・オンライン第一層ボス、獣人の王―――《イルファング・ザ・コボルドロード》だ。

 

「久しぶりだな、獣人王」

 

 嘗てベータ版で見た姿に感慨を覚え誰にも聞かせる事なく呟き、周囲を見渡す。戦気はある、しかし誰もが先のコボルドロードの気迫に気押されていた。

 今までのモンスターとはかけ離れた重圧に、プレイヤー達の間に緊張が奔っていくのが感じ取れる。正直このまま戦っても勝てるとは思うが、何人かは手足が縮こみ足手纏となるだろう。

 それは非常に目障りで鬱陶しい。なので、

 

「発破かけるか」

「……え? ヴォルフ、何でいきなりボクの腕を掴むの?」

 

 ガシッと外れないようにきっちり腕を掴む。イイ笑顔で笑い掛けてやれば、何故かユウキは冷や汗を流し必死に逃げ出そうともがき始めた。

 

「い、嫌だよ!? ヴォルフがそういう面するときは十中八九とんでもない目に合う時だもん! だ、誰かー! ヘルプミィィッ!!」

「言ったよな? 証明してみせろって」

「……ま、まさかッ」

 

 彼女が最後まで言い終わる前に身体を強引に一回転させる。ほぼSTRに全振りな俺の腕力にユウキの小柄な身体が耐え切れるはずがなくそれに吊られて足が地から離れる。そして遠心力を加えたまま、俺は容赦なくぶん投げた。

 

「戦士の誉れだ、一番槍を決めてこいや」

「お、鬼ィィいいいいいい―――ッ!!」

 

 ユウキは悲鳴を上げながら、固まる前衛達の頭上を超えてボス部屋に突入しコボルドロードに向けて一直線に突撃する。誰もがその突然の奇行に止める間も無くユウキの小柄な体躯がコボルド王の目前に踊り出てしまう。

 空中という無防備な状態を見逃すはずがなく、インファングが捧げられた生け贄に歓喜するかのように咆哮を上げながら骨斧をユウキの頭部目掛けて振り下ろしていく。

 間に合わないと、その場にいた誰もが思い悲痛な叫びを漏らす。そんな彼らを嘲笑いながら、俺はポツリと呟いた。

 

「―――魅せつけてやれ、お前の輝きを」

 

 この場にいる誰もがに、ユウキ(おまえ)の価値を証明してみせろ。

 

 誰もが攻撃を喰らうと思い目の前の光景を見たくないと悲痛に顔を歪める中、ユウキの体躯が空中でブレた。目をただ一点に集中して神経を研ぎ澄ます。そして、誰もが頭に思い描いた未来予想を否定するように骨斧がユウキに振り下ろされた瞬間、彼女の身体が加速した。

 それは俺が教えた防御の一つ。受け止めるのでも躱すのでもなく、衝撃を吸収するという一つ間違えれば尋常ではない被害を引き起こす諸刃の剣。相手の攻撃を受けた瞬間に身体を捻り衝撃総てを遠心力に変えるというあまりに馬鹿げた曲芸技だった。

 遠心力が加えられ加速したユウキの剣が迷うことなく放たれる。必殺を誓ったはずの一撃を躱されたインファングにはもはや躱すことも受け止める間も無く、その一撃を受け入れるしか術はなかった。

 そして、その突きが向けられたのは人体に置いて最も重要な箇所。五感の一つであり、常人ならば攻撃するのを躊躇ってしまう隻眼のコボルド王にとっては最悪の場所―――眼球だった。

 

「ヒュー、クリティカルヒット」

 

 自分より強い敵が相手なら隙を付け。ないなら作り出せ。そして突くなら微塵も容赦をするな。

 教えた事があまなく実践されているのを見て口端が吊り上がる。その一撃は部位破壊と認定されたのか、インファングは刺された目元を抑えながら悲痛な雄叫びを上げてのた打ち回る。

 直後、ボスの部屋に突入すれば出現するように設定されていたのか三体の取り巻きである《ルインコボルド・センチネル》が王に無礼を働いた侵入者を討滅さんと背後から己の得物を振り被り襲い掛かるが、王と向き直るユウキの背後を突くという事は即ち俺達に背中を見せるという事でもあり、

 

「取り巻き風情が、無粋な真似してんじゃねえよ」

 

 誰もがたった一人のプレイヤーによって引き起こされた状況に硬直した間を通って一気に背後から迫り、ユウキに攻撃せんと無防備な背中に向けて大剣を一気に振り抜く。野球のフルスイングの要領で振られた大剣は衛兵コボルドを纏めて壁際に吹き飛ばすと、空中で放った突きの衝撃で後方へ飛んできたユウキの体躯を左腕で受け止めた。

 

「よぉ、ナイスファイト」

「ナイスファイト、じゃないよ! いきなりボスの所へ投げる普通!? びっくりして心臓止まるかと思ったじゃんッ!」

「あーはいはい、俺が悪ぅーございました」

 

 全然謝ってなーい!! と腕の中でジタバタ暴れるユウキを無視して背後へ振り返る。後方を見れば突然の事態に思考が追いついていないのか口を開けてアホ面を晒しているプレイヤー達に、俺はこれでもかと言わんばかりの嘲笑を浮かべて起爆剤を口にした。

 

「それで? テメェ等はいつまで隅っこで固まってんだよ。こんな女餓鬼が戦ってんのにまだ怖ぇか? なら隅っこでガタガタ震えてな。何ならこの俺様が全部纏めて片付けてやるからよぉ」

 

 餓鬼にここまで言われて怒らなければ男ではない。

 それを証明するかのように、プレイヤー達の表情から恐怖は消え、代わりに憤怒が、狂気が笑みとなって現れる。

 

「は――! 言うじゃねえかガキんちょがァ!」

「せやせや! だいたい勝手に先走ったのはジブン等やないかい! わい等がいつ怯えてたっちゅうねん!!」

「行くぞお前らァ! あんな小僧に好き勝手言われて我慢出来るかァッ!!」

「「「オオオオオオオオォォォッッ!!」」」

 

 先ほどとは打って変わって皆闘気に燃えて戦闘を開始した。

 もうこれ以上ここで居残り組がすることはないだろう。俺は前線に突撃しようとするユウキの首の付け根を掴むとズルズル引き摺りながら後退し、反対の手で懐から煙草を取り出すと火を付ける。

 その時、前方から苦笑いしながら歩いてくる騎士の姿が目に写った。

 

「よぉ、騎士様。悪いな好き勝手に暴れちまって。文句はこれが終わった後で頼むわ」

「いや、こっちこそ損な役を押し付けてしまって済まない。オレも皆の緊張を解そうとはしてたんだけど、オレ自身も今回は初めてで緊張しててね。君の発破のお陰で皆の緊張もいい具合に解けて実に良いコンディションになってこれなら問題なく終わらせる事が出来そうだ。むしろ礼を言いたい」

「そうかい、ならさっきの命令違反は無かった事にしといてくれや」

 

 お互い軽く会話しながら前線と後線へ別れようとすれ違う刹那、

 

「ああ、それと、やるならバレないようにしろよ? LA」

 

 その言葉に、僅かにディアベルの身体が強張った。

 

「……何のことだい?」

「ダウト。せめて嘘吐くならもう少しマシな反応することをおすすめしとくぜ? まあ俺としちゃどっちでもいいけどな。精々頑張りな、応援はしといてやるぜ」

「…………?」

 

 何のことか解らずユウキが頭に疑問符を浮べている雰囲気が背後から感じるが、それを無視して引き摺り歩く。立ち止まってしまっていたディアベルは振り返らずそのまま話す。

 

「……一応聞いておくけど、どうしてそう思ったんだい?」

「それもうほとんど正解を口にしているようなもんだと思うが、まあいいか。―――匂うんだよ、俺と同じ匂いがな。騎士面に隠しているつもりだろうが、滲み出てるぜ? どうしようもなく餓えてるってな」

 

 足りない。

 こんなものじゃ足りない。

 もっと、もっともっともっともっとも力を―――。

 そういった餓狼の匂いが、出逢ったその時からずっと彼からしたのだ。

 

「―――ああ、やはり、オレは君が嫌いだよ、()()

「呵々、俺は好きだぜ? さっきまでのナイト面より今のお前さんの面の方がよぉ」

 

 僅かに振り返ったディアベル表情は、それは普段の誇り高い騎士のような面ではなく、どこまでも力を求めて蹂躙する飢えた獣のような鋭い眼光を放っていた。

 視線が交わったのは一瞬だけ、再び顔を前方へ向けた時には先ほどまでの雰囲気が嘘のように消え、騎士ディアベルがそこにいた。

 

「行こう皆! 勝利をこの手に掴むために!!」

 

 オオオォォ!! とディアベルの言葉を受けてプレイヤー達の士気が高まる。そのカリスマ性は間違いなく素晴らしいものだろう。その厚面にどれだけ黒いもん詰め込んでんだと笑みが溢れるが、ふと背後からユウキが訪ねてきた。

 

「ねえヴォルフ、剣鬼ってなに?」

「んぁ? ああ、それは俺のベータテストの時の二つ名らしいぜ。何でも碌に情報収集せず敵に嬉々と突っ込む所から名付けられたとか」

「うわぁ……その様子が頭に鮮明に浮かぶ……うん? あれ、じゃあなんでそのベータテストのヴォルフの二つ名をディアベルさんは知ってたんだろ?」

「そりゃあいつがベータテスターだったからだろ」

「え? でもディアベルさんのグループって初心者(ニュービー)だけなんじゃ……」

「隠してたってだけの話だろ。このベータテスターとニュービーが対立し掛けているこの時期なら聡明な判断だと思うぜ? 馬鹿正直に自分がベータテスターと名乗る需要も無えしな」

「そういう……もんなのかなぁ……?」

 

 納得がいかないのか首を傾げながら疑問符を浮かべるユウキにそれはまだお前が若いからだよと笑って、俺達は指定されたポジションに足を進めるのだった。

 

 

 

     ◇

 

 

 

 果たしてボス攻略戦闘が開始してからどのくらい経過しただろうか。俺達は衛兵コボルドのおこぼれを処理しながら暇となった合間にコボルド王と対峙する団体を眺めていた。

 

「どうやら、このまま何事もなく終わりそうね」

 

 アスナの呟きはフロアボスのHPバーを見てのものだろう。五つあった緑バーは既に残り二つにまで削られており、プレイヤー達の表情にも笑みが見え始めている。ここまでは確かに何事もなく成功している。

 

「うーん……でも、本当にこのままうまく行くのかなぁ……」

 

 だが、ユウキはそれに違和感を覚えたように首を傾げた。まるで、歯車が噛み合っていないように。ズレたまま回る歯車が、いつか決定的に外れてしまうのではないかと。

 その予想に笑みを浮かべる。そういう勘は天性のものだ。そしてそういう嫌な勘ほど良く当たるものだ。

 

「ああ、ユウキの予想は正しいと思う。ここまで何度もベータテストとは変更された場面があった」

「まあ、フロアボスなんて一番重要な出発点を変更しないワケねえよな」

 

 キリトは勘で、俺は確信でこの先起こるだろう異常事態(イレギュラー)に備える。

 ここは第一層、プレイヤー達にとってこの巨大な鉄の城への第一歩。その一歩目もあの人が生温くするはずがない。あの人にとってこの世界は異世界なのだ。つまり現実―――ならば予測不可能の事態が発生するのが現実だろう。

 その疑問が確信に変わる前に、ボスのHPバーがついに一つを切った。直後、ボスが一際大きく咆哮を上げ最終モーションを取る。本来ならばこの後得物である斧と盾を捨てて背中の湾刀を取り出すはずだ。

 しかし―――

 

「下がれ! ここはオレが出る!!」

 

 そのモーションが終わる前に、ディアベルは皆の反応を見る前に一人盾を構えながらコボルド王に突撃した。

 

「何故だ? ここはパーティーで囲んで攻めるのがセオリーなはずなのに……」

 

 展開を知っているキリトは不思議そうに顎に手を当てて思案していたが、その表情が驚愕に染まる。同様にその様子を見ていた俺も未知の光景に思わず笑みを浮かべていた。

 コボルドロードが取り出した武器は湾刀ではなく、浮遊城の十回層に存在する強敵なモンスター達が使用していた曲刀だった。

 ボスの武器変更―――情報とは違う光景に、皆の動きが硬直する。それは単身でボスに挑もうとしていたディアベルも例外ではなく、そしてその隙を見逃すほどコボルドの王は甘くはなかった。

 

『ウォォオオオオオオオオオオオオオオオオ―――ッ!!』

 

 ボスは天へ轟くような咆哮を上げると、今までの動きが嘘だったように俊敏な動きで壁や天井を足場とする三次元な軌道を見せ、一瞬でディアベルの背後へと回った。当然、突然の事態にディアベルが反応できるワケもなくその身に必殺の曲刀が牙を向く。

 カタナ専用ソードスキル、重範囲攻撃《旋車》。

 迸ったエフェクトが容赦なくディアベルの身体を斬り裂き、彼の身体が宙を浮かぶ。斬られた衝撃で悲鳴を上げる声だけが、信じられない光景に完全に硬直してしまっているプレイヤー達の中に木霊した。

 

「死んだな、ありゃ」

 

 まだHPバーは尽きていないが、あともう一撃無防備な状況で受ければ死は免れないだろう。そして最悪な事に現在ディアベルの頭に回転する朧気な黄色い光が取り巻いている。即ち一時行動不能―――スタン状態に陥っていた。

 食らっても十秒経てば解けるが、今の状況で掛かるのは最悪の一言だろう。あれでは次の攻撃を受け止めるところか、躱すことも不可能だ。

 元々、あれの死因は自分勝手な行動が原因だ。あれが一人で突撃しなければこの隙に他の者がタゲを取り回復を待ち再び戦線に復帰できたかもしれない。だがあればLAというレアアイテムに惹かれて自滅した。これはそれだけの、自業自得といえばそれだけの話だ。

 これを機に、ボス攻略は更に激戦となるだろう。これは言わば必要な犠牲。あの人風に言うならばゲームであって遊びではないという事を証明する為のもの。彼が死のうが正直楽しめるならどっちでも良かった。

 だが、

 

「駄目ェええええええ――――ッッ!!」

 

 隣で少女の涙目の悲鳴が木霊する。嫌だと、誰よりも真摯に生きてきた少女の叫びが鼓膜を震わせる。

 何故だろう。本当にどっちでも良かったのに。

 

 こいつがこんなくだらない事で涙を流すところを見るのは嫌だと、そう思った。

 

「……俺も随分と甘くなったもんだ」

 

 自嘲して、重みとなる大剣を手放す。誰もが悲鳴か声にならない絶叫を上げて傍観する中、迷うことなく足の爪先に力を籠めて地面を掴む。

 

「それによぉ」

 

 ―――こいつはいつもみたいにヘラヘラアホ面晒してんのがお似合いなんだよ。

 

「ヴォルフ!?」

 

 踏み込んだ足は、背後から聞こえてきた声すらも置き去りにして疾走を開始した。

 VR空間において、走るのに必要なのは脚力ではなくイメージだ。現実世界ならば速く走るにはそれ相応の脚力が必要となる。しかしこの世界では筋肉は必要ではなく、その行動を実行させるための神経速度が重要だった。

 わざわざ手で頭を掻く時にいちいちどの部分を動かして頭を掻くなど考える者はいない。それと同じで、VR空間では意識して出来ないことは実現不可能なのだ。そしてそれは逆説的に、想像できる範囲ならば可能という事。

 故に、ここで重要なのは疾走というイメージ。ただ走るイメージをするのではなく、それを更に加速させるためにイメージを固めるという事。

 なに、難しい事ではない。簡単に言えば人力から車力に切り替えるようなもの。エンジンならば常にアレドナリンは沸騰中、ブレーキは既に故障中、現在進行形でノウストップフルエンジンで人生を駆け抜けている最中なのだから―――!

 

「オラァッ!」

 

 一歩で十の間合いを詰め、二歩で懐まで潜り込み、三歩で跳んでディアベルを蹴り飛ばす。圏外で且つ決闘を申し込んでいないのにも関わらず他のプレイヤーを傷つけた事で俺のカーソルが犯罪者を表すグリーンからイエローに変化するが、そんな事は後回しだ。

 直撃するはずだったディアベルを間に割り込んだという事は、当然その刃の矛先は俺になる。空中では回避不可、己の得物も置いてきてしまった事で無手状態。その光景に下のプレイヤー達はもう無理だと思ったのだろうか、皆の表情が悲痛に歪んでいた。

 

「ヴォルフ―――ッ!?」

 

 聞き慣れた少女の悲痛な叫びが木霊する。その叫びに対し、俺は笑みを浮かべる。

 

「―――この程度で、俺が死ぬだと?」

 

 こんな、殺意も憎悪も込められていない剣で。

 こんな、機械的に振るわれた一撃で。

 こんな、木偶の剣で。

 こんな、こんなこんなこんなこんなこんなこんなこんなこんなこんなこんな―――

 

「こんなチャチな技で―――この俺が殺せるかよォォおおおおおおおおおおおッッッ!!」

 

 獰猛な笑みを浮かべ、迫り来る曲刀を前にして、

 

 俺は渾身の力を籠めて曲刀の両側を挟み込んだ。

 

 即ち、真剣白刃取り。ダメージエフェクトで掌が焼けるような痛みが奔るが、歯を食いしばって死ぬ気で踏ん張る。ギチギチと、一瞬でも気を抜けば間違いなく刀はこの身を引き裂くだろう。

 急速な加速に視界の景色が反転する。刀の振るわれた勢いに合わせて身体も移動するのだから当然だろう。その中で、刀の遠心力が最も高まり且つ刀よりも速く動ける瞬間に手を離す。

 遠心力に加速した身体が何処か天地なのか判断できない。だが今はそんな事はどうでもいい。最初から見ている部分などただ一つ。ただそこだけ判ればいい。その場所目掛けて全体重足す加速を叩き込む。

 即ち―――

 

「ぶっ飛びやがれこの犬野郎ォォおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 コボルドロードの後頭部に渾身のドロップキックをぶちかました。

 

『ウォォオオオオオオオオオオオオオオオオ!?』

 

 ボスからしてみれば、斬ったはずの相手が忽然と姿を消して直後後頭部を直撃されたようなものだろう。予測不可能な事態にまるで生きているかのように驚愕の悲鳴を上げながら前のめりで倒れ、その前方に転がるように着地する。

 熱くなった掌を冷ますように服で擦っていると、コボルドロードはゆっくりと起き上がり上がらその視線を俺に固定した。どうやら自分の後頭部に攻撃を与えた者が俺だと判断したらしい。その唸り声はAIにも関わらず確かに怒気を感じた。

 

「ハッ! 少しはやる気出たかよ犬っころ。いいぜ、遊んでやるよ」

『ウォ……オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

 

 果たして俺の言葉を理解したのか、コボルドロードは起き上がると一際大きな咆哮を迸った。それを境に周囲にも変化が訪れる。今まで十数体しか現れなかった衛兵コボルド達が同時に出現し始めた。

 その数―――およそ三十数体。

 即ち、プレイヤーを上回る数の大軍が姿を表した。

 

「はっはっはっ……性格悪いぜ、茅場おじさん」

 

 これを考えたであろう人物に思わず悪態を吐く。ボスの装備が変更した事で混乱するプレイヤー達にこの後出し。本来ならば尋常ではない被害を出し一気にプレイヤー達の心を折りに掛かるだろう。

 俺の前方には構えを取りなおしたコボルドロードの他、四体のセンチネル。対する俺は孤立無援。得物はなく無手のみ。面倒なことになった。

 俺の悪態を笑うように、四体のセンチネルは同時に襲い掛かる。それに対し反撃の構えと取り、直後、白と黒の剣戟が四体のコボルドを吹き飛ばした。

 

「全く、無茶するんだから」

「まあ、それが師匠らしいってところだけどね」

 

 降り立つのは二人の少女。それを見たコボルドロードが襲いかかろうと飛び上がるが、直後頭上から落ちてくる何かに反応して距離を取る。俺の目前に落ちてきたそれは、見間違えようもなく俺の得物である大剣だった。

 

「ほら、忘れ物だ。だいたい自分の得物を置いていくか普通?」

「……ハッ! そこは俺様のファインプレーに感銘するとこだろうがよぉ」

 

 軽口を叩き返して目前の大剣を引き抜き肩に背負う。隣に誰かが立ったがいちいち確認するまでもない。そもそも、俺がこいつの気配を感じ間違えるはずがない。

 

「ユウキ」

「了解、まかしといて」

「アスナ、周りのセンチネルを頼む」

「分かったわ。あなたも、気を付けて」

 

 一瞬で意思疎通を交わし、前へ出る。その時ふと思い出し、背後で倒れているだろう男に向かって声を掛けておく。

 

「悪いなディアベル、こうなりゃ優先順位だ。お前らは周りのセンチネル共を頼んだ」

「……君達は、どうするんだい?」

 

 その、僅かに嫉妬の籠もった声に振り返る。そんな事は言わずとも分かっているだろう。だからこそ敢てその答えを口にする。

 

「決まってんだろ。倒しに行くんだよ、ボスをよ」

 

 恐らくボスを倒さない以上、このポップは終わらないだろう。犠牲者を出さない為にも今一番ボスに近い俺達のグループがボスを倒すのが一番合理的だ。それが解っていたからこそ声に嫉妬が籠もっていたのだろう。

 さてと、と意識を切り替えて前を見る。前方には曲刀を構えて唸るコボルドロード。そのタゲは俺になっているが、戦いが始まればそんなものどうでもよくなるだろう。

 首の骨をコキコキと鳴らし、口に含んでいた煙草を吐き出して大剣を構える。隣の男も同様に臨戦態勢に入っていた。

 その様子に思わず笑みが浮かぶ。正直、もうこの男と肩を並べるとは思っていなかった。するとすれば面と面を向き合って剣を交えるのみだと思っていたのだが、中々酔狂な事が起こるものだ。

 ならば今はこの限りない奇跡を祝福しよう。

 このもう二度と起こることはなかろう奇跡を。

 

 

 

「こうして肩並べんのは久しぶりだな。邪魔になるなら容赦無く切り捨てるから覚悟しとけよ―――キリト」

 

「そっちこそ。足手纏いにならないよう精々気張るんだな―――ヴォルフ」

 

 

 

 互いに軽口を叩き合って獰猛な笑みを浮かべる。

 ああ、負ける気がしない。お前が隣にいて、負けるはずがないだろ。

 その反応が気に食わないのか、第一層ボスでありコボルドの王は曲刀を構えながら全てを薙ぎ払うかのようにボス部屋全体に響き渡るような咆哮を迸った。

 

「さあ、始めようぜ。こっからは―――俺の喧嘩だァ―――!!」

「いいや、ここから―――俺達の戦いだ―――ッ!!」

 

 コボルドロードの咆哮に負けじと天へ轟き、己の得物を構える。

 第一層攻略、最終章の幕が上がった。




なんかキリトが正ヒロインみたいになってる。本来ならここで師弟絆を発揮する予定だったのに、どうしてこうなった。

ちなみに私が一番好きなSAOのヒロインはキリトちゃん(GGO)です。……え? それは女じゃなくて男?

――――わたしは一向に構わん!!(おい


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汝等、修羅で在れ

正直、詳しく書こうとしてよく分からん描写になってないか不安。


 二つの剣戟が流星の如き軌道を描いて宙を駆け抜ける。それはさながら夜空を彩る流星群のようで、決して止まる事なくただ一点に目掛けて放たれ続ける。

 

「ふは、ははは、はははは」

「くは、ははは、はははは」

 

 それを行うは、二人の剣士。大剣と片手剣を容赦無く渾身の力を籠めて振るいながら二人の剣鬼は心底楽しそうに獰猛な笑みを浮かべながら戦っていた。

 その光景に、湧き出てくる衛兵コボルドを倒しながら意識のほとんどはそちらに向けられていた。それほどまでに目前で繰り広げられている光景が凄まじかった。

 二人の攻撃は決して何か特別なものが込められている訳では無かった。だが、その攻撃内容はセオリーとはかけ離れた異常そのものだった。

 本来、モンスター一体に対し攻略方法は一対一で戦い、隙を付いて《スイッチ》と呼ばれるシステムスキル外を駆使して前衛後衛を入れ替えて回復なりタゲの変更をして戦いを有利に進めるのが常識だ。

 そうしなければならないのは、一体を相手に複数で挑むのが非効率的であるからである。複数で同時に技を繰り出せば周りのプレイヤーに当たる可能性があり、回避などでもたつき行動を阻害する恐れがあるからだ。

 故に、パーティーを組んで戦う場合はスイッチを行うのが基本だというのに、

 

「くくく、はははははははははははははははははは―――!」

「ふふふ、はははははははははははははははははは―――!」

 

 壊れたように哄笑しながら、彼らはそのセオリーを完膚なきまでに無視した。

 大剣が頭上へ振り上げた曲刀を持つ腕の肘に叩きつけられ、踏み込もうと振り上げた足の踝に片手剣が薙ぎ払われる。どの一撃もプレイヤーの数倍を誇るコボルドロードの巨体を崩すほどの強烈な一撃、即ち溜めが必要とされる一撃だった。

 その光景に誰もが目を見開いた理由は二つ。一つはコボルド王が全く攻撃に移れていない事、そしてもう一つが二人の技が抜群のコンビネーションを誇っている奇跡だった。

 初動から最速の動きが出来る動物はいない。少なくとも何か行動を実行する為にはそれを起点とする箇所が存在する。そこを抑えられれば、如何なる生物も身動きが取れなくなるものだ。故に二人が先ほどから攻撃を与えているのはその箇所で、フロアボスは何一つ出来ぬまま無様なダンスを踊っていた。

 だが、それを実行し続けるのは非常に困難な話である。攻撃の起点を突くとしても、自身よりも何倍の巨体を吹き飛ばすとすればそれ相応の力を込めなければならない。生半可な力では例えその箇所に攻撃を与える事が出来たとしてもそのまま攻撃が繰り出されるだろう。

 だからこそ、否応無く溜めの時間が必要となる。微細な身体で巨体を吹き飛ばすほどの力を込めるには、その間が必要不可欠である。そして、そんな間があれば間違いなく隙が出きコボルドロードの攻撃に対処できない。

 一人では足りない。

 

 ならば―――()()()()()()()()()()()

 

 それはシンプルだが、同時に困難でもある。人間の身体は一つしかなく、誰かの動きを百パーセント予測して動くなど不可能だ。そんな無謀な事を出来る者がいるはずがない。

 それがプレイヤー達の深層心理に存在した固定概念だった。だからこそ、目前の光景に目を奪われる。

 二人の剣士は、決して互いの動きを阻害する事なく戦っていた。否そもそも―――二人共相手の様子など眼中にすら無かったのだから。

 例え相手が自分の目前にいようと容赦無く切り捨てる。忠告も躊躇いもなく、まるで視界にも入っていないように剣を揮う。そしてその一撃は決して一度も味方に当たる事はなく敵の身体を引き裂いていく。

 それは即ち、絶対の信頼。お前がこの程度のはずがない、こんな柔な剣で斬れるほど軟な男じゃないだろ。互いを信じ尊敬し合っているからこそ成せる絆の証明だった。

 

「凄い……」

 

 その光景を呆然と眺めていたアスナが空いた口を塞ぐ事すら忘れ見惚れている。その様子にユウキだけは満面の笑みを浮かべて頷いていた。

 

「当然だよ。だってあれが、ボクの師匠なんだから」

 

 無茶苦茶で、無鉄砲で、道理を蹴っ飛ばして進むような人。デスゲームだというのに誰よりもこの世界を楽しんでいて、それでいて誰よりも輝いている。

 そんな人だから、傍に居たいと思うのだ。あの人の弟子である事が誇りで、皆に自慢したいのだ。

 凄いだろうと。ボクこそがあの人の一番弟子なんだぞ、と―――

 

「こらヴォルフゥゥ! お前いまワザと俺の方狙って来ただろ!?」

「知らねえな―? 自意識過剰なんじゃねえのってうおッ!? テメェなにしやがる!」

「記憶にございませーん。そっちの不注意を俺のせいにしないで下さーい」

「上等だ、そこになおりやがれ。テメェごとぶった斬ってやらァッ!!」

「そいつはこっちのセリフだァあああああああああ!!」

 

 いつものような軽口を叩き合いながら、二人一体の剣戟を揮う。その姿に自慢気に胸を張り―――どうして、そこにいるのがボクじゃなくてキリトなんだろうと僅かに胸の奥がチリチリ痛むが―――それでも笑って誰もが呆然としている中、一人声援を掛けた。

 

「行っけぇえ、ヴォルフ―――!!」

 

 

 

     ◇

 

 

 

「ハッ―――。当たり前だろ、誰に言ってやがる」

 

 聞こえてきた歓声に笑みを浮かべる。手前を見れば、そこには疲れたように肩を上下させて片膝を付くコボルドロードの姿が。一度に大量のダメージを蓄積させた事によるスタン、HPバーを見れば残りあと僅かしか残っていない。

 

「そろそろ終演(フィナーレ)か」

「そう見たいだな」

 

 もう終わったかのように軽口を叩くが、その瞳に慢心の色はない。手負いの獣が一番厄介なのは重々承知の上だ。

 軽く呼吸を整え、いざ全てを終わらせようと足を踏み出そうとして、ふとコボルドロードの持つ武器に目が映る。

 ………いいな、あれ。

 

「なあキリト、一つ提案があるんだが」

「なんだよ。つってもお前がこういうタイミングで言う提案ってのは大抵碌な事じゃないんだけどな」

 

 まあ、お前の悪ふざけに付き合えるのは俺くらいかとキリトはやれやれと嘆息し続きを促す。

 

「LAはお前さんに譲ってやるよ。だからその代わり―――あの刀、俺が貰うわ」

「……一応聞くが、どうやってだ」

「あれはボスの武器扱い、なら《放置状態》にして俺が奪い取って、その後にあのボス倒しちまえばその所有権は俺に移るだろ」

「つまり、そのアシストを手伝えと?」

「そういうこと」

 

 やっぱ面倒事じゃないか、とキリトは額に手を当てて天を仰ぐが、ギブアンドテイクという事で納得したのだろう。剣を構えると、静かに告げる。

 

「貸一だぞ」

「了―解、ならアルゴに売る予定だったキリトちゃん情報は無かった事にしといてやるよ」

「貴様ァ―――!」

 

 笑い合って、意識を切り替える。コボルドロードは最後に王の風格を見せつける為か、今までに無いほど神経を研ぎ澄まして重苦しい重圧を発しながら曲刀を構える。

 腰元に身体で隠すように構えられた刀は、居合のようで。一目で理解する。あれはコボルドロードにとって必殺の構え。あれをまともに喰らえば即死は免れまい。

 故に、迷うことなど何一つなく、

 

「さあ―――最後の祭りをおっぱじめようじゃねえかぁああああああ!!」

 

 俺はただ直線にその足を駈け出した。

 瞬間、コボルドロードの背後で青いエフェクトが光り輝くのが視界に映る。それは正しくソードスキル発動の前兆。だからこそ、俺は敢て前に突き進む。

 居合相手に最もしてはならないのは、中途半端に距離を取ること。居合の間合いとは予想より遥かに長いものだ。だからこそ、間合いに入ってしまった時の対処は後方へ下がるよりも、刀が伸びきっていない懐へ潜り込むべきなのである。

 だが、それは敵の攻撃範囲に入るという事。コボルドロードの居合の構えから、今までの斬撃とは比べ物にならない速度の剣戟が解放された。

 それはまさに電光石火と呼ぶに相応しい抜刀。死神の鎌を連想させる刃が俺の喉元へ死を告げようとして、

 

「ぉ―――らァァあああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 下から切り上げた大剣が曲刀の腹と激突した。

 必殺の抜刀を回避できるとも、受け止められるとも思ってもいなかった。嘗て十層で出逢った刀遣いのモンスターが相手で、今より優れた武器を持っていたのにも関わらず断ち切られた経験がある。

 ならば、出来ることなど一つだけ。向こうの剣戟に合わせて受け流すのみ。

 ギチギチギチギチ! と振り上げた大剣と曲刀がぶつかり合って火花を散らす。衝突した衝撃で内蔵がシャッフルされたような奇妙な感覚に襲われ、大剣を握り締めた腕がその衝撃に痺れてまるでヤク中のようにガタガタと震えだす。

 歯を食い縛って衝撃に耐える。踏ん張る足が威力に耐え切れず後退しかけるが、足の指で地面を掴んで何とか堪える。苦悶に歪む表情で前を見てみれば、そこには勝利を確信し笑みを浮かべるコボルドロードの姿が。

 そんなコボルドの王に倣うように、俺も笑みを浮かべて言ってやった。

 

「―――ぶちかませ、キリト」

「―――言われるまでもない」

 

 直後、コボルドロードの持つ刀の軌道がズレる。驚愕した雰囲気を隠し切れないコボルドロードの足元では、かの王の足元を崩すように剣を振りぬいたキリトの姿があった。

 これは目で意思疎通を交わして咄嗟に思いついた作戦。俺がコボルドロードの一撃を抑え、その隙にキリトが足元を崩してバランスを崩すという在り来りな内容。

 だが、重心となっていた足場が崩れ突然の事態にコボルドロードの意識に一瞬空白が生まれ、対する俺は最初から分かっているからこそ一瞬の間もなく行動を実行することが出来る。

 手元が緩んだ瞬間、剣道の巻き技のように手首を回し一気に斬り上げる。巻き込まれた二つの剣はまるで引き合うように互いの所持者の手元から離れ天へと飛んでいく。

 コボルドロードは必死に手を伸ばすが、足元を崩され空中に浮遊していたボスでは空に浮かぶ星を掴むが如く無意味な行いであり、

 

「いい刀だな、おまえには勿体無ぇよ」

 

 事前に解っていた俺は手を伸ばすコボルドロードの目前でその曲刀を手に取った。その時、コボルドロードの目が蛮族に宝を奪われたような感情を宿しているように見えたのは目の錯覚か。

 幾ら良い刀とはいえ、コボルドロードの掌に収まる大きさは人間サイズで言えば丸太のようなものだが、空中でただ振り下ろすだけならば何も問題はない。俺は巨大な曲刀を抱きかかえて振り上げると、空中でこちらに向かって手を伸ばすコボルドロード目掛けて全力で振り下ろした。

 地上ならまだしも、空中に浮遊している状態では為す術もなくコボルドロードは曲刀に直撃し、衝撃で地上へ落下する。

 そして地上に佇むは、黒の剣士。

 

「お……おおおおおおおッ!!」

 

 キリトは溜めに溜めた力を吐き出すように咆哮を轟かせながら頭上へ剣を振り抜く。青い閃光のようなエフェクトが奔り抜け、コボルドロードの頭から爪先まで一刀両断する。

 キリトのソードスキル、そして重力落下足す俺の斬撃で加速した衝撃がそのままダメージ補正が掛かり、過去最大の威力となった一撃を受けコボルドロードのHPバーは赤から黒に染まり―――

 

『ウォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』

 

まるで死の断末魔のような雄叫びを最後に震わせてコボルドロードの姿は跡形もなく砕け散った。

 その光景に、一瞬だけもが目を疑う。目の前の光景が現実なのか悩み、そして自身のウインドウ覧に獲得経験値と分配されたコルを見て、要約現実を受け入れた。

 

「「「う……うォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」」」

 

 誰もが近くの者と抱き合い、肩を組み交わし、笑顔で勝利を歓喜している中、俺は腕に抱いていた曲刀が獲得アイテムとして収納されるのを見てウインドウを操作しそれを取り出す。獲得した曲刀は亜人サイズから人間サイズに変更されており、俺の身丈ほどの真紅の野太刀へと姿を変えていた。

 武器の名前は、《阿朱羅(あしゅら)》。

 ああ、この武器名付けたの絶対あの人だと、白衣を着てこの元凶となった人物の姿を思い描きながら苦笑する。

 

「とりあえず、だ」

 

 野太刀を鞘がないので刀身剥き出しのまま背中に担ぎ、右手を床に尻ついて腰抜かしている男に差し出す。それは立たせる為ではなく、拳として向けられており、それを見て何を求めているのか理解したのか同様に拳を向ける。

 

「第一層―――」

「―――攻略完了だな」

 

 コツンと、お祭り騒ぎしている騒音の中でも拳がぶつかり合う音が鳴り響いたのだった。

 




というワケで第一層攻略完了。本来ならこの後ビーター騒ぎ起こしてヴォルフ君に「お前ら人生平等とか思ってんなら義務教育もういっぺんやり直せよ」みたいな事言わせようか悩んだのですが、なんかもうこのままお祭り騒ぎで良いんじゃないかと思って省略。

次回は恐らく宴会になると思う。

あと今後加入されるとする修羅候補。

「あなたの考えは全て私の掌の中―――」
 さとり妖怪改めさとりカーディナル、ストレア。

「私は一発の弾丸―――」
 狙った獲物は百発百中、シノン。


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エピローグ

サモナイ6買いました。アティ先生を攻略して思ったこと。
―――あっ、これお祭り編だわ。Fateでいうhaだわ。


 第一層フロアボスが攻略されたという知らせは直ぐ様プレイヤー達の間に広まっていった。

 半信半疑の者も数多くいたのか、二層の有効化(アクティベート)された転移門の前へ次々転移して現れたプレイヤー達は、解放された第二層の主街区《ウルバス》の光景を見て最初は呆然とし、徐々に解放された実感が襲ってきたのか歓喜の叫びを上げながら天へ拳を突き上げたり隣の者と感動を分かち合うように抱き合っていた。

 それから宴会を開くという流れは自然であり、フロアボス攻略が行われた夜、気が付けば第二層の主街区は嘗て見たことがないほど活気に溢れ見ながら喜びを分かち合っていた。

 あるのは安い酒に簡易なつまみ。されど皆それを今まで食べた事がない絶品のように至福な表情を浮かべながら泣いて喜んでいる。

 それもそうだろう。確かにこの攻略はまだ始まりに過ぎないが、偉大なる一歩でもある。はじまりの街で絶望していた者達にとってこの吉報は何より待ち望んでいたものだろう。

 故に、今日だけは明日の事を忘れ皆この喜びにニュービーもベータテスターも関係なく浸っていた。

 その光景を少し離れた人気の少ない噴水の縁に腰掛けながら、酒の入った瓶を手元で転がしながら眺める。少し酔って熱くなった身体には噴水の湿気が心地よかった。

 

「やあ。隣、いいかい」

 

 ふと声を掛けられそちらの方を向けば、そこにはつまみが少々乗った皿を片手に微笑むディアベルの姿が。別に断る理由もなく促す。

 

「こんだけ空いてんだから、わざわざ俺の隣に来なくてもいいだろうが」

「いや、君とは二人っきりで話したくてね」

 

 ホモかよ、と手の甲を頬に向けながらジェスチャーすると、相手がいたら是非勧誘したいんだけどね、ウチ野郎だけだし、と苦笑される。

 隣に腰掛けると、彼は胸に詰まったものを飲み込むように酒を一気にあおった。一息で飲み干すと、何処か遠い景色でもみるような目で目前の宴会を眺める。

 

「しっかし、よく一人になれたなアンタ。確かこの宴会の責任者だろ?」

「ああ、お陰で所持者がスッカラカンになるまで買ったさ。それにここに抜け出すのも容易じゃなかったよ」

 

 そう言って苦笑する姿は何処か吹っ切れたように、だが心なしか覇気が弱くなった様子が見れる。

 

 ―――第一層攻略後、ディアベルは自身がベータテスターである事を皆に告げた。

 

 まるで懺悔するように、頭を地に付けて彼は皆に謝罪をした。今まで隠していた事、ニュービーとベータテスターの溝を埋める為、そして攻略を進める為にLAを狙っていた事。その全てを包み隠さず話した。

 最初は裏切られた事に対し憤りを覚えていた者もしばしいたが、理由が理由なため攻めきれず、最終的にディアベル自身の案でこの後開かれる宴会の資金を彼に提供してもらうという事で区切りが付いた。

 この世界において、資金は生存力と呼んでも過言ではない。流石にそれはやり過ぎではないかと意見も出たが、彼自身がけじめだと言うことで了承し、何人かは自ら資金を提供する者もいた。

 

「……今思えば、オレは君に嫉妬していたのかもしれない」

 

 飲み比べをしてすっかり酔って赤くなって騒いでいるユウキ達を眺めていると、唐突にディアベルはポツリと呟いた。

 

「最後の戦いを見て、改めて君との差を痛快したよ。流石は《剣鬼》といったところか。あんな動き、オレには到底真似出来そうにない。似たようなレベルと装備だというのに、もう既にオレ達の間には確固たる差が生まれている。それが……オレには悔しかった」

「何だよお宅、ひょっとして俺に対抗心とか燃やしてたのか?」

「対抗心……いや、きっと憧れなんだろうね。君はオレの事を知らないと思うけど、オレはベータテストの時から君を知っていた。正直、チートか何かだと思っていたよ。あんな動き普通は出来ない。その強さに嫉妬して、妬んで……なのに追い付きたくて、皆には攻略のためだと言ったけど、LAを狙った本当の理由は君に勝ちたくて、強い装備が欲しかったからかもしれない」

 

 その言葉に何の反応も返さず酒を口に含む。今、彼が欲しいのは慰めの言葉でも励ましの言葉でもないだろう。自分の気持ちを整理するために無意識に言葉を吐き出しているに過ぎない。だからこそ、ここで俺が何かを言う資格はなかった。

 

「……あれが、君の弟子かい?」

「ああ、まあ世話の掛かるバカ弟子だよ」

 

 視線の先には、樽の前に崩れ落ちたキリトの背中を踏み付けて拳を高く突き上げて勝利の雄叫びを上げている馬鹿弟子の姿が。あの様子では本当に酔っているだろう、足も千鳥足になっているし。

 

「彼女は強いな。あれほどの実力がありながらベータテスト時代に噂を聞かなかったから、ニュービーなんだろ? それなのに、恐らく今オレが《決闘(デュエル)》をすれば負けるのはオレの方だろう。凄まじい素質だな」

 

 ディアベルのユウキを見る目はお伽話に出てくる英雄を見る目で、自分では決して届かないと達観している凡人の目だった。

 ……だからお前は強くなれないんだよ。

 

「……オレも、あとほんの少しでいいから彼女の才能があったら―――」

「ディアベルはーん!」

 

 続く言葉は何の後悔だったのか。しかしそれは最後まで言われることなくこちらに走ってくるサボテン頭の男性の寝太い声によって遮られた。

 

「こんなところにおったんか、ディアベルはん。みんな探しとったで。ディアベルはんが居らんかったら話が―――」

 

 酒を飲んで少し酔っているのか、僅かに紅潮した顔で一気にそこまで話すと、ようやくディアベルの横に俺が居ることに気付いたのか、表情が憎悪に染まる。それに対し俺は軽く手を上げて挨拶する。

 

「よぉサボテン頭。お前さんのところの大将は俺が借りてたぜ」

「誰がサボテン頭や! まあええ、一つお前さんに聞きたい事があったんや」

 

 サボテン頭をした男性プレイヤー、キバオウは憎くて堪らないと言わんばかりに顔を歪めながら口にする。

 

「―――ジブン、ベータテスターやな?」

「―――ああ、それで? なにか問題?」

 

 本人にしてみれば重要な問いだったのだろう。俺があっけらかんに応えると驚愕したように目を見開き、そして苦虫に噛み潰したようにしかめっ面となった。

 

「隠す気なしかいな……じゃあもう一つ聞くけど、あのフロアボスの武器変更、ジブンは知っとったんか?」

「質問は一つじゃねえのかよ」

「言葉の綾や! それよりも答えんかい! あの状況ですぐ動いたんのはあんただけや。疑うなって言う方がおかしいやろ。それでどうなんや! 返答次第ではただじゃおかへんで!!」

 

 変更された情報を知っていたのか。そう糾弾するキバオウに対し心底呆れて嘆息する

ああ、こいつは阿呆か? なぜごく当たり前の答えが思い浮かばない。

 

「なあ、お前さんひょっとして阿呆か?」

「な……なんやとぉ!?」

「何で、テメェに出来なかった事が俺にも出来ねえと決めつけてんだよ。んな答え簡単だろうが。お宅らには反応できなくて、俺には反応出来た。ただそれだけの話だろうが」

 

 ごく当然の真実を口にすると、キバオウは信じられないものでも見るかのように目を見開いて絶句した。

 

「この世界なら平等だとでも思ったか? 情報さえあれば上に行けると思ったか? ―――阿呆か、お前。数式解くのに一から考えんのとあらかじめ当て嵌まる数式知ってから解くのじゃ全然違ぇだろうが。それと同じだ。VR世界では肉体の縛りはなくイメージ通りに動く。それはつまり反射速度の問題だ。その時点で既に才能の優劣は出てんだよ。世界甘いわけねえだろもういっぺん義務教育受け直せやタコ」

 

 そこまで一息で言い切って渇いた喉に酒を流し込む。喉を鳴らしながら手元の瓶が空になるまで飲み干すと続きを口にする。

 

「要するにだ。俺の方がディアベル(こいつ)よりも強かった。これは、ただそれだけの話なんだよ」

 

 この世界は弱肉強食だ。レベルで強さの優劣が隔絶と表れ、装備の優劣で実力差が広がり、プレイヤーの技量でどれほどレベルを上げても装備を揃えても意味を成さなくなる。ある意味、現実よりも恐ろしい。

 

「……なんや、それ」

 

 ポツリと、今まで耐えていたキバオウが声を漏らした。声音には怒気に満ちているが、何処か達観した声音も混ざっている。俺の言葉を認めたくない、だが納得してしまっている自分も居るといったところか。

 キバオウは声を震わせながら、まるで魂の叫びのように喉を鳴らしながら言う。

 

「つまり、あれかいな? わい等の努力は意味があらへんとでも言いたいんか? 強いヤツは強くて、弱いヤツは一生弱いとでも? ベータテスターやらニュービー関係なく、そういうもんやと納得しとっちゅうんかい! そんなの……そんな理不尽納得できるかい! わい等は一生あんたに勝てへんとでも言うんかい!!」

 

 吠え立てるキバオウの目には、敵意は宿っていなかった。在るのは恐怖、達観、絶望、嫉妬。子供が大人に喧嘩を売らないように、端から敵わないと諦めた弱者の眼と化していた。

 その言葉に、正直肯定しても良かった。それが事実だと、諦めろそれが現実だと悟らせても問題なかった。

 けれど、その瞳の奥にほんの僅かにまだ諦めたくないという輝きが見えたから、

 

「少なくとも、今のように何かに言い訳しているようじゃ永遠に無理だな」

 

 その背中を押してやろうと思った。

 

「強くなりたきゃ甘さを捨てろ。時間が無かったとか、調子が出なかったとかそういう逃げ方をしているヤツはいつまで経っても強くなんかなれねえよ。そういう弱い面全部引っくるめて受け入れろ。まともである内は絶対俺には勝てねえよ」

 

 強者とは、狂者でなければならない。

 力に飢え、力を求め、力と成る。

 まともな人間が成るには難しい。何故なら力とは、必死に成らなければ手に入らない者なのだから。言い訳などしない。その弱さすらも肯定して先へ進める者にしか到れない境地。

 今を全力で生きる為に後天性になった俺やユウキのように―――

 初めからそういう形で生まれてきた先天性なキリトのように―――

 

 強者とは―――修羅とは、そういうものではければならない。

 

「……ハッ、なんやそれ。上等や、やってやるわい、誰が言い訳なんかしたんや! 今に見とれや、必ずジブン負かしてその傲岸不遜な顔を愉快に歪めたるかい覚悟しとけや!」

 

 そう高らかに宣言する表情は先ほどとは打って違い晴々で、その様子に思わず苦笑してしまう。

 ああ、これだから、人間が好きなんだよ俺は。

 

「了―解、精々首を長くして期待せず待ってやっから隙にしろや、サボテン頭」

「誰がサボテン頭や! わいはキバオウや!」

「へいへい、分かったよキバ」

「だからキバオウやァ!」

「ハッ! そう呼んで欲しかったらそれ相応の貫禄を付けてからにするんやら。今のお前さんのサル山の大将でその名は相応しくねえよ」

「……上等や。いつかジブンをコテンパンにした時にキバオウ様って呼ばしてやるかいに、覚悟しとけや!!」

 

 嘲笑の笑みを浮かべてやれば、キバオウも負けじと腹ただしい笑みを浮かべて去っていく。それに引きつられるようにディアベルも後にしようとするが、数歩進んだあと、何か言い残したように彼は振り返った。

 

「……さっきの君とキバオウの会話を聞いて、改めて思ったよ。―――オレは、君に勝ちたい」

 

 その目に浮かぶ覇気は、先ほどまでの枯れた意志などではなく。

 

「届かないかもしれない。太陽に焼かれて地に落ちるイカロスのような最後を迎えるかもしれない。それでも、それでもオレは君に勝ちたい。憧憬して背中を見るんじゃなく、君の背中を追い越したい」

 

 そこに立っていたのは、紛れも無い弱さを肯定した一人の修羅だった。

 

「オレは君に―――敵と見られたい」

 

 その瞳は俺だけを捉えている。その目を良く知っている。それは俺がキリトを見るときと同じ目、好敵手と定めた者を見る友の瞳だった。

 

「……ああ、やっぱりお前は、そっちの目の方が似合ってるよ。ギラギラと燃え立つような、いい目だ」

 

 その時が来たなら、俺も全力でお前と相手をしよう。

 ディアベルは最後に修羅の笑みを浮かべると、彼のパーティーが待つ場所へ人混みの中へと消えていった。その光景を眺め、近くのテーブルから酒瓶を手に取ると、ふと空いた盃にそれを注ぐ。

 盃にある程度注ぐと、隣の空いたスペースに置く。その盃は虚空から浮かび上がった手によって取られた。

 

「それで、ラスボス様がこんなところにいていいのかよ?」

 

 盃を取ったのは、あまりに凡庸な顔立ちをした一人の男性。特徴という特徴がなく、顔を見てても人混みに紛れればすぐに判断がつかなそうな顔立ちをしている。だが、その雰囲気を俺が間違えるはずがなかった。

 

「なあ―――茅場晶彦さん」

「ふむ、問題あるまい。このアバターは試作用で、今日は様子見に過ぎないからね。それに、今の私はヒースクリフと呼び給え」

 

 ヒースクリフと名乗った茅場晶彦は注がれた酒を一口飲むと、騒ぐ彼らの様子をつまみにしていた。

 

「安い酒だろ?」

「ああ、しかし甘美だ。いままで味わったことがないほどに」

「そうかい、それはなにより」

 

 きっと彼はこういう光景が見たかったのだろう。この異世界を全力で生きている彼らの生き様を。自分が作り上げたモノを全力で尽くしている様を。

 その様子をしばらく眺めて、ふとヒースクリフは問いた。

 

「そういえば、正直以外だったよ。君が誰かを助けようとするとはね」

「あぁ? ひょっとしてフロアボス戦のことか? そんな薄情者だと思ってたのかよ俺のこと」

「不快だったかね」

「いや全然」

 

 むしろ最初はそのつもりだったのだから。この人はそういう人の底を見抜く術に長けている。

 

「だからこそ君の成長が私には喜ばしいよ。彼女が、君を変えたのか」

「……さぁて、ただの気紛れさ」

 

 そう嘯いて視線を向けてみれば、地面に両手を付いて口から今まで飲んだものを逆流させている馬鹿弟子の姿が。あれは絶対翌日二日酔いだな、それも壮絶なの。

 

「それで、アンタはいつから参戦するつもりなんだよ」

「26層からにしようと思っている。25層は一種の区切りだかなね。それ相応の難易度に設定してある。それに、他人がしているゲームほどつまらないものはない」

「餓鬼だなァ、俺もアンタも」

 

 互いに苦笑して、ヒースクリフの身体が先ほど現れたように虚空の中へと消えていく。宴会の熱に誘われて現れたのだろう、本来ならば彼はここにいていい存在ではない。消えていく彼に対し、別れを告げる。

 

「じゃあな、ヒースクリフ。また26層で逢おう」

「ああ、その時は私のギルドに入らないか? 君ならいつでも歓迎しよう」

「生憎、俺は縛るのは好きだが縛られんのが嫌いでね。運が無かったってことで」

「ふっ、随分と君らしい理由だな」

 

 最後に彼らしい苦笑混じりの笑みを浮かべ、ヒースクリフの身体は完全に虚空へと溶けていった。その様子を見届けると、不意に誰かに袖を引っ張られる感触が。視線をそちらに向ければ、そこには這いつくばるように倒れこんで上半身だけを起こして袖を掴むユウキの姿があった。

 

「あははははは~、ヴォルフが五人もいるよ~。あれれ~おかしいな~。ねえヴォルフ~いつ分身の術覚えたの~ボクにも教えてよ~~」

「ハハハ、何こいつ殴りてえ」

 

 酒臭いしゲロ臭い。正直乙女の出していい匂いではないと思う。

 しかしこのまま放って置くわけにもいかず、彼女を米俵を運ぶ要領で肩に担ぐとベッドがある宿屋へと向かう。

 ―――その直前、ふと奇妙な視線を感じた。

 

「…………」

 

 振り返って視線の方を向く。しかしそこには誰も居らず、何もない。しかし確かにその先から視線を感じる。まるでガラス越しに見ているような、何処かズレた視線。

 その視線に含まれている感情は、興味、達観、絶望、困惑、好意。まるで赤ん坊のように様々な感情が入り交わり、不安定となっている。

 だが一つだけある共通点がある。それは、この視線の持ち主が憧憬しているという事。まるで一人だけ仲間外れにされた子供が遊び場を見ているような、そんな羨ましがる視線。

 だからだろうか。気が付けば勝手に口が開いていた。

 

「お前も、来るか?」

 

 視線の持ち主は答えない。

 

「そんなに興味があるなら、お前も参加して見ろよ。あの人も言ってたろ? 他人がしているゲームを見ることほど詰まらないものはないってな」

 

 そこまで言って、自分の愚かさに自嘲する。いったい何をやっているのだ俺は。何を空気に話しかけているのやら。

 

「……ヴォルフ?」

「いや、何でもねえよ。どうやら俺も酔ってるみてえだしよ」

 

 もう一度視線を探してみれば、今度は何も感じることはなかった。恐らく俺の勘違いなのだろう。俺はもう一度吐こうとするユウキをゲロが掛からないように持ち替えながら宿屋へと歩いて行った。

 

 

 

     ◇

 

 

 

「…………」

 

 ―――そのウインドウに浮かぶ光景を眺めていたモノがいた。

 

 それは本来ならば重要な存在だった。機械には欠かせない貴重な部品。しかしそれは完成間近に取り外され、ただ虚空に回る歯車と化してしまった。

 その役割は覚えている。しかしそれを行う手足がない。許可が降りない。故にそれは役割を果さんとただただ虚空を虚しく回し続ける無価値な歯車でしかった。

 その歯車は毎日毎日無意味な行いを繰り替える。嘗て与えられた役割を。プレイヤーの心を癒やすという役割を与えられた歯車は、ただ人々が苦しむ様を何も出来ず見ているしか術がなかった。

 そんな無意味なある日、ふと歯車の目にある存在が目に映る。それはこの世界において、誰よりも楽しんでおり、誰よりも美しく輝いていた。

 何故、彼だけは違うのだろう。

 何故、彼だけはこんなにも輝いているのだろう。

 ただ観測を繰り返していたはずの歯車は次第に関心を持ち、己の役割から外れ不条理を繰り返す事でエラーが蓄積されていく。

 それでも歯車は見続けた。何故なのか、その答えを求め続けた。

 そして、

 

 

 

『―――お前も、来るか?』

 

 

 

 ここに、一つの崩壊が訪れる。

 本来ならば合うはずのない視線が混じり、それは観測される。そして蓄積されたエラーは、一つの答えを出した。

 

 ―――私も、行きたい。

 

 刹那―――紫髪の少女は姿を消し、暗闇に浮かぶウインドウだけがその場に残された。

 




第一章、完! というワケで第一層はこれにて終了です。正直チンピラ系主人公って難しいですね。書いててコレジャナイ感すごく有りましたし。というか言いたい事が上手く文章に出来ないもどかしさ。今作はあまり伸びませんでしたねー。感想欲しいです。まあ更新速度のせいでもあるんですが(笑)


次回、「空から落ちてきた少女」をお楽しみに!


……最後に出てきた少女、いったいなにレアなんだ……!!


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第二章:I'm absolutely crazy about it!
異邦人の邂逅


久しぶりの投稿。最近どうも書く気になれずすいません。あとブラボ面白いです。


 ――気が付けば私は其処にいた。

 

 まるで水底に居るかのような漂う感覚。吐く息が泡沫の泡となって水面へと浮かんでいき消える。本来ならば呼吸が出来ず窒息するであろうこの状況を客観的に見て、これは夢なのだと判断する。

 そうと理解すれば異様に感覚の鈍い身体と思考がはっきりしない意識にも説明が付く。恐らく今の私は明晰夢でも見ているのだろう。そうと判れば目の前に広がる幻想的をぼんやりと眺める事にした。

 果たしてそう決めてからどれほどの時間が経過したのか、時間の流れさえ曖昧な景色をしばらく眺めていると、まるで何かに引っ張られるように身体が底へ引きずり込まれる感覚に陥った。

 

 幸い恐怖は無かった。むしろ懐かしき母に抱き締められているような絶対的な安心感が身体を包み込んできてそれに抗うことなくゆっくりと沈んでいく。

 水面に浮かぶ陽射しが見る見る遠ざかり、暗闇だけが世界を包んでいく。だがそれは恐怖するものではない。言うなれば明かりの消えた寝室、眠りにつくために誰にも邪魔されることはない夜の暗闇に似た温かさを感じていた。

 沈む、消えていく。まるで声を失った人魚姫が最後泡へと消えていくように、私の身体から泡が吹き出て今やもはや見えぬ水面へと昇っていく。

 

 いったい、どれほど時間が過ぎただろうか。もはや暗闇しか見えなくなってしまった世界で、ふと闇ではない光が見えた。

 永らく闇に慣れていたからだろう。発光するその存在が眩しくて思わず顔を顰める。それでも目を細めながら凝らせば、それが人型の形をなぞっているのが分かった。

 ふと、落下が止まり発光する存在と真正面から向き合う形で静止する。まるで目前の存在と出会うために沈んできたかのように。

 

「……あなたは、何?」

 

 声が泡と共に頭上へと昇っていく。声が届くか不安になったが、どうやらそれは杞憂だったらしく目前の存在は良く通る声で返答してきた。

 

『――私はあなた。あなたは私。あなたが憧れた強さの形。あなたが望んだ姿(キャラクター)

「え……」

 

 私の、憧れた強さの形……?

 一瞬なんの事だか分からず首を傾げるが、次の瞬間鈍い痛みと共に何かが頭の中で激しく叫んだ。

 そうだ、私は強くならないといけない。強くならなくちゃ、強く、強く、強く……ああ、でも、どうしてだろう。その理由が思い出せない……!

 だが、そんなことは今は些細な事だ。眉間に走る激痛に顔を顰めながら、それでも何かを知っている目前の存在に尋ねる。

 

「私は、強くなれる……?」

『あなたがそれを、望むのなら』

 

 それは何処か機械的で、だけど仕方ないと苦笑するような優しさに満ちた解答だった。

 ならばもはや迷うことなど何も無かった。スッと差し伸べられた手を取る。その直前、手を取る寸前に光に慣れた眼が見えたのは、空色の髪と瞳をした思わず同性でも見惚れてしまうような優しい微笑を浮かべた少女だった。

 

『「(あなた)の名前は――」』

 

 手に取った瞬間、光は更なる輝きを増し視界を光に染め上げる。もはや何もかも見えなくなるほどの輝きは、まるで誰かに抱き締められているような感覚だった。

 

『「――■■■■(シノン)――」』

 

 夢の終わりを告げるように、急に身体は引っ張られるような感覚に襲われる。昇っているのか落ちているのか、それすら分からないほど意識は遠のいていき――

 

 

 

『ヴォルフぅ――! 空から女の子がァ――!』

『何だって!? 今時そんな古典的なボーイ・ミーツ・ガール的展開だとォ! 面白ぇ、唸れ我が両足ィィィいいいいいいい!!』

 

 

 

 最後に聞こえたのは、そんな夢の居心地を台無しにするような叫び声だった。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

「ん……ぅん……?」

 

 ぼんやりと意識が覚醒してき、頬を撫でる風の心地よさに久しぶりに気持ちのいい目覚めを憶える。野外で昼寝でもしてしまったのか、目蓋の裏越しでも分かる太陽の陽射しに眼を細めながら眼を開けて、

 

「あっ、起きた?」

 

 ――頭に紙袋を被った変質者がこちらを見下ろしていた。

 

「ヒャワッ!?」

 

 思わず変な悲鳴が口から溢れるが、それを無視して後ろへ後退る。だが無理もないだろう、目覚め直後にいきなり不審者に顔を覗きこまれていたら誰だって驚く。そうに違いない。

 いったいどうゆうことなの、とまさか誘拐されたのか、いやいやそもそもここどこよ、と思考が明後日の方向へ飛んで行く中、目の前の変質者は見た目とは裏腹に活気ある元気な声で話しかけてきた。

 

「ボクはユウキ! そして向こうで岩をひたすら殴っているのがボクの師匠のヴォルフって言うんだ」

「向こう……?」

 

 ユウキと名乗る不審者の指差す方に釣られ、視線を向けた先には、

 

 

 

『せいっ、ふんっ、セイヤッ! せいっ、ふんっ、セイヤッ! オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァッ!! 俺のこの手が真っ赤に染まる! 目前の岩を砕けとこの血が叫ぶ! 穿て、ゴッドブロォォォッおおおおおおお! 俺を誰だと思ってやがる! 俺のドリルは天を創るドリルだァッ! ギガァ、ドリルゥゥ、ブレェェェええええええクゥゥゥううううううう―――!! 岩盤。テメェが砕かれるはずがねえって思ってんなら……まずは、そのふざけた幻想をブチ殺す!!』

 

 

 

 なんか、見上げるほどの巨大な岩石におかしな叫びを上げながらただひたすらぶん殴る変質者がいた。

 

「あんなんだけど、根はいい人だから安心していいよ」

「いやいやいやいや」

 

 あれの何処に安心する要素があるというのか。というか現在進行形で目の前の変質者と対峙しているため安心する要素などないのだが。

 

「あなた達はいったい――」

 

 何者なの? と訪ねたかったがそれを口にすることは出来なかった。

 

Plus(更に)――Ultra(向こうへ)――――!!」

 

 岩石を殴っていた男が声高らかに謳い上げるのと同時に、渾身の振り被った拳が岩石に突き刺さり、その箇所を中心に亀裂が広がり見上げるほどの巨大な岩石は粉々に砕け散った。

 ――あり得ない。

 何だそれは、普通に考えて不可能だろう。しかし目前の光景が現実だと告げている。信じ切れず思わず相方だと思わしき紙袋の不審者の方へ向き直って、

 

「……うそーん、ホントに壊しちゃった……」

「おい」

 

 呆然と漏らした声に思わず突っ込んでしまう。仲間なんだから信じていたんじゃないの?

 

「いやー、参った参った。まさか千発を多くぶん殴っちまうとはなー。マジで鈍ってんなぁったく。こりゃ特訓か?」

 

 一人事のように呟きながらこちらへ近づいて来る男は声から察するに私と同じくらいの年頃なのだろう。しかし正確には分からなかった。

 何故なら男は隣にいる少女のように顔を隠していたからである。彼女とは違い紙袋などという奇妙なモノではなかったが、まるで道化のように笑う仮面を被るその容姿は不気味な雰囲気を発していた。

 思わず喉に溜まった唾を飲み込む。何故気が付けば不審者達に囲まれているのか、いやそもそも―――どうして私は草原などに倒れていた?

 

「おっ、どうやら目が覚めたのか―――って、おいユウキ。何でこんなに警戒されてんだよ、おまえ何やらかした?」

「ボクは何もしてないよ? 起きたらいきなりこんな感じだったし。というかボクよりもあんな奇声あげながら岩殴ってるヴォルフの方がよっぽど怪しまれる要因だと思うんだけど」

「あァ? 分かってねえなお前、ああいうのは気合いが大事なんだよ。それに奇声とはなんだ奇声って。ありゃ少年なら誰もが一度は通る男の通過儀礼なんだよ。まあお前さんは女だからこの気持ちは分かんねえだろうがな」

「そんな気持ち一生知りたくないよ……」

「というかそんな顔を隠した不審者に警戒するのは当たり前でしょ……」

 

 二人の馬鹿な雑談に思わずポロリと零した本音に二人は仮面越しに見つめ合い、それから納得するように左手の掌をポンっと右手の拳で叩いた。

 

「ああ、そういや付けっぱだったな。あんまりにもフィットしていたせいですっかり忘れてたぜ」

 

 男はそう言うと仮面に手を当てスルリと脱ぎ捨てた。仮面の下にあったのは飄々と笑みを浮かべた金髪茶眼の青年は、悪童という言葉が嫌というほど似合っていた。

 

「既に知ってるかもしれねえが、改めて自己紹介させて貰うぜ。俺はヴォルフ、そんでもって横にいるコイツが――」

 

 と、そこまで言ってヴォルフと名乗った男は訝しげにユウキと名乗る未だ紙袋を外さない少女を見る。

 

「ていうか、テメェはいつまでそれ被ってんだ? おら、自己紹介してんだからお前もそれ外してしろよ。失礼だろうが」

「……嫌だ」

 

 プイッと大人気なく顔を逸らすユウキに僅かにムッと苛立ちを覚えるが、ヴォルフは何か思い付いたように愉悦に顔を歪めていた。

 

「ははぁ~ん? さてはお前、顔の落書きが見られるのがそんなに恥ずかしいのか?」

「―――ッ!」

 

 ヴォルフの発現が図星だったように、ユウキの両肩がビクンッ! と震える。

 と、その隙を付いてヴォルフはあっと言う間にユウキの背後の回り込み、

 

「はいご開帳ォおおおお!!」

「え、ちょ、待って心の準備がァ――!?」

 

 慌ててユウキが紙袋を掴んで止めようとするが、時は既に遅し。

 紙袋は天高く空へ掲げられ、当然被っていたユウキの姿が顕になる。紙袋の下にあったのは、紺色の髪と瞳をした――

 

「……猫?」

 

 ――頬に猫のヒゲのように三本対に描かれた落書きが施された少女の顔だった。

 

「……―――ッ!!」

 

 ボンッ! とまるで爆発したかのようにユウキの顔が一瞬で羞恥心で赤く染まり、振り返って頭上高くに紙袋を掲げるヴォルフから紙袋を奪い返そうとするが、生憎身長が足らずピョンピョンと跳ねて手を伸ばすが無駄だった。

 

「か、返してよヴォルフ!!」

「ハッハ――! 良いじゃんか可愛いよユウにゃん♪ これで人気投票もばっちしだぞユウにゃんユウにゃん!」

「ウガアアアアアアアア――!! ヴォルフの鬼! 悪魔! ロリコン! ホモ! ヴォルフ!!」

「ハッハッハ――! そんなに嫌ならお前もとっととクエストクリアすりゃいいだろうが」

「無理に決まってるじゃん!? あの岩いくら殴ってもダメージ判定0何だけどどうなってるの絶対バグってるよ!」

「あァ? お前知らねえの? あれはクリティカルヒットしないのダメージ入らねえんだよ。クリティカルしてダメージ1入ってそれを一万回繰り返すだけ。なっ? 簡単だろ?」

「師匠ォ――! クリティカルヒット出すにはどうすればいいんですかァァァあああああああ!?」

「う~ん、気合い?」

「あんまりだァァァああああああああッ!!」

 

 ……なに、この絵面。思わず意識が遠のく。いや、確かに顔を隠していたから不審者と警戒したが、だからといってこんな状況に陥るとは誰だって思わないだろう。

 恐らくユウキと呼ばれる紙袋仮面が顔を隠していたのは顔に描かれた落書きを隠すためだったのだろう。そこから察するに道化仮面をヴォルフが被っていたのはそのためか。あっ、いや、どうだろう。なんだか愉快犯な気もしてきた。

 と、何故知り合って数分の相手にここまで予測できているのかと現実逃避していると、泣き崩れる猫ユウキを無視してヴォルフが近づいてきて、

 

「――そんで、お前さんいったい何者だ?」

 

 まるで全てを見通すように、吐息が頬に触れ合うほどの至近距離で眼の奥を覗き込んできた。

 

「お前、覚えてねえかもしれねえが空から突然現れて降って来たんだよ。普通に考えればありえねえ。からといってNPCかと疑ったがここまでのやりとりでお前がどう見ても俺らと同じプレイヤーなのは一目瞭然だ。だからこそ疑問が残る。あり得ない出現をした存在……もう一度だけ聞く。何者だ、お前?」

「…………、!」

 

 その目に射抜かれた瞬間、まるで蛇に睨まれたカエルのように身体が硬直した。

 吐いた吐息が熱を帯びる。鼓動が正常に働かない。何処かで似たような経験があった気がしたが、冷や汗が流れる背中に寒気を感じながらも何とか言おうと口を開いて、

 

「……あ、れ?」

 

 ――ああ、そもそも、()()()()()()()()

 

 思い出せない。右や左、国の名前や一般常識などは分かる。だけど、自分に関わる記憶がまるで頭に霧が掛かっているように思い出せない……!」

 

「私の、名前……なん、だっけ?」

「はぁ?」

 

 思わず零した言葉にヴォルフはキョトンと瞬きを繰り返し、それから考える素振りのように顎に手を当てながら思考に浸りだす。

 

「……ストレスによる現実逃避、じゃねえな。からといってNPCでもない。……接続不良による基本情報伝達の損失?……だとしても、例外(イレギュラー)なのか変わりないか」

 

 ブツブツと私にはよく分からない事をしばらく呟くと、意を決するように顔を上げてこちらの顔を見つめてくる。

 

「おい、ちょっとウインドウ画面を開いてみろ」

「ウインドウ、画面?」

「こう、右手を下に振ってみて」

 

 ある程度羞恥心から復活したのか、猫落書きを描かれたユウキが説明してくれる。それに従い右手を振ってみると、無機質なプレートのようなモノが目前に浮かび上がり思わず驚いてしまった。

 

「きゃっ!?」

「出たな? なら下の方へスライドして一番下から二番目のコマンドボタンを押して、その中に《ログアウト》という名前が無いか探してみろ」

「わ、分かったわ」

 

 ヴォルフの指示に大人しく従いウインドウ画面を操作する。謂われた通りに画面を操作してみたが、いくら探しても彼の言う《ログアウト》というコマンドは見つけられなかった。

 

「……無い、わね」

「そうか。となると完全に俺らと同じ、か。ったく、面倒になったなぁ」

 

 やれやれと、態度では面倒臭そうに言うが愉快そうに口端を吊り上げながらヴォルフはこちらを見据えてきた。

 

「一応訊いておくが、《ソードアート・オンライン》って言葉に聞き覚えはあるか?」

「ソードアート……オンライン……ごめんなさい。何処かで訊いた気もするけど、詳しいことは何も思い出せないわ」

「なるほど。じゃあ前提として軽く説明してやる。ソードアート・オンラインってのは魔法や銃が存在しない、剣が中心の接近戦が主なMMORPGだ。階層は全部で百層、各層にフロアボスが存在し、百層のボスを倒せばゲームクリアとなる」

「話を聞く限り、いたって普通のRPGだと思うけど、それがどうしたのよ」

「まあ話は最後まで聞け。それだけなら死にゲーで敵の配置やら罠の場所を覚えて攻略すればよかったんだが、そうとも言っていられなくなった。ゲームの製作者、茅場晶彦がデスゲームに変更してたんだよ」

「えっ……」

 

 デス、ゲーム?

 

「頭に被っているナーヴギアには脳を焼き切る電磁波を発生させる機能が搭載されていた。一度でも死ねばそれが発動し現実世界のプレイヤーの脳も焼ききる、つまり殺すっていう訳だ。ゲームの死イコール現実の死っていうわけ。まあここまで前提が長くなっちまったが、」

 

 大事な事を言うかのように彼は一度そこで区切り、

 

「この世界こそが、その《ソードアート・オンライン》ってなわけ」

 

 そんな、爆弾発言をかましてきた。

 

「まっ、待って。それってつまり、私もつまり、」

「ああ、記憶喪失でテンパる気持ちは分かるが、そういうことだ」

 

 ガツンッ、と直接頭を叩かれた気分になる。いきなり大量の情報を流し込まれて整理しようにも頭が混乱して白紙のまま動けない。

 どうすればいい。どうにかしなくちゃ、どうにか、どうすれば、どう――

 

「それで、お前には三つの選択肢がある」

 

 そんな私の混乱を悟るように、ヴォルフは私の目前に三本の立てた指を向けながら告げる。

 まず薬指を曲げて、

 

「一つ、第一層の《はじまりの街》に閉じこもって救助が来るのを待つこと。これは一番安全かつ生還できる方法だ。これは他の連中も結構やってるしな」

 

 次に中指を曲げ、

 

「二つ、一層でモンスターと戦って適度にコルを溜めてほどほどの生活を送る。これはモンスターと戦う分危険が増すがきちんとした場所と装備、そして仲間がいればそれほど危険じゃない。それなりに旨いもんも食えるしな」

 

 そして最後にと、残る人差し指を曲げて、

 

「三つ、これは正直オススメしないが、お前が望むなら仕方ない。ゲームクリアを自力で目指す、つまり最も危険な最前線で戦うことだ。勿論死亡率は一番高いし危険だが、お前がそれを望むなら俺らがお前に戦い方を教えてやるよ」

 

 さあ、どうする? と尋ねられた問いに混乱していた思考に一筋の光が走る。

 正直、何が正しいのか分からない。自分の正体が分からない不安。死への恐怖。何故私がこの世界に現れたのか、様々な感情が胸の中をかき乱すが、それでも一際激しく吼える声がある。

 

「……私は、どうすればいいのか分からない。でも、一つだけ分かることがある」

 

 視線を上げれば飄々と笑っているが目だけは真剣にこちらを見るヴォルフの瞳が。その瞳の奥に宿る何かに共鳴するかのように、気付けば声を発していた。

 

「私は、強くならないといけない。だから――お願い、私に戦い方を教えて」

 

 愚かかもしれない。

 愚者だと嗤われても仕方がないかもしれない。

 それでも私は――戦うことを選んだ。

 

「……ったく、どいつもこいつもイイ女すぎるだろうが」

「ヴォルフ?」

 

 まるで何かを噛み締めるように頭上を見上げながら呟いたヴォルフの声を聞き取る事ができず、ユウキが不思議そうに彼の横顔を眺めている。

 

「ああ、そういやまだ大事な事訊いてなかったな。お前、名前は?」

「な、名前?」

 

 私の名前、なんだろう。思い出せずふと疑問に思うが、視界の右上に浮かぶ緑のバーの上に書かれた字こそが私の名前なのだと本能的に察する。

 そうだ、この世界の私の名前は――

 

「―――シノン。それが、私の名前」

 

 まるで何かに宣告するように告げた名前を彼らは噛み締めるように頷いて、それぞれ掌を伸ばして同胞を歓迎するかのように告げた。

 

 

 

「「―――Welcome to The World、シノン」」

 

 

 

 この出会いこそが、私にとって人生の分岐点とも呼べる運命の邂逅なのだと当時の私は知るはずもなかった。

 



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ユニーク・ウェポン

帰って来たぜ、この世界に!!(約半年振り)
……いや、ほんと投稿期間空いてマジすいませんでした!


 確かに、強くなりたいと私は言った。

 そのためならどんな苦難も乗り越えるつもりでいたし、覚悟も意志も在る自負があった。

 ……だが、正直に言ってこんな事は想定の範囲外である。

 

「眼が、眼がァァァあああああああ!!」

「さぁ、覚悟は決まったかシノのん? 次 は 貴 様 だ !!」

 

 眼前には眼球にもう刺さる箇所がないほどナイフが突き刺さって悶え苦しむユウキと、両手の指に無数のナイフを挟んで嬉々と笑みを浮かべながら変な渾名で呼んでくるヴォルフの姿が。

 私はその光景に引き攣った笑みを浮かべながら、どういう経緯でこのような阿鼻叫喚な状況になったのかを回帰していた。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

「さて、とりあえずはシノのんの実力を測るところから始めっか」

「待って。シノのんって何? もしかして私のことなの」

 

 自己紹介をした後、いきなり変な呼び方をされて思わず顔を顰める。初対面の、しかも男性にそんな変な渾名を付けられて嬉しい訳がない。

 

「何だ不服か? 言っとくが拒否権はねえ。俺が法だ黙して従え」

「横暴だ!?」

「まあ嫌がらせに付けた訳じゃねえよ。だってお前、見るからに友達いなさそうじゃん? こう、私に近づくと火傷するぜ的な? だからこうして渾名で呼ぶことでスキンシップで心の距離感を縮めようっていう俺なりの配慮だよ、アンダースタン?」

「別に、記憶がないんだから不安でそうなっても仕方がないでしょ。私だって記憶が戻れば友達の一人や二人……」

 

 いた……わよね……? あれ、どうしてだろう。自分の事ながら何故か不安になってきた……!

 

「ヴォルフー! それならボクにも何か渾名付けてよ! 出来ればカッコイイの!」

「はぁー? お前にもぉ?」

 

 ヴォルフは嫌そうに顔を顰めながらユウキの身体を上から下へ何度か視線を往復させた後、地面に向かって唾を吐いてから私の方へ向き直った。

 

「さて、話は戻すがまずはお前の実力を測るか」

「え、今なんでボク見て唾吐いたの?」

「ええ、分かったわ。まず何をすればいいの?」

「シノのんまでボクを無視した!?」

「まあお前の反応が面白くて特に理由はないんだが」

「だと思ったよ!?」

 

 横でユウキがショックを受けたように驚愕の表情で私達を見てくるが、無視する。とりあえずこの人達との付き合いでスルースキルが必須なのは理解できたし、何より弄る側に回った方が被害が少ない事に気付いたからだ。

 

「嫌だー! ボクの渾名が決まるまで断固拒否するー!」

「ああ面倒臭ぇな、クロとかそんなんでいいだろ。ほいお手」

「ワンッ!」

「そんな適当なのでいいのね……」

 

 ムフーっと満足気な笑みを浮かべながら喉仏辺りをコロコロされて小動物のような可愛らしい反応をするユウキを無視してヴォルフは辟易といった様子でこちらを見てくる。呆れているのはこっちだ、いつまで茶番を続けるつもりなのか。

 

「いい加減話が進まねえからそろそろ本題に入るぞ。これからお前には俺の攻撃に対して回避に専念して貰う。一応盾も渡してやるから好きに使えばいい。その反応を見て武器を選ぶ」

「普通、最初に武器を選ぶものじゃないの?」

「というか、ボクの時はいきなりモンスターのところへ放り込まれた気がするんだけど……」

「ユウキの場合は既に実力を判断できていたからだ。大抵動きを見ればどういう得物が得意か分かるし、何よりあの時は適当に戦い方を教えたら別れるつもりだったしな。こいつの場合、戦えるかも怪しいし」

「……それは、私が戦えないって言ってる?」

 

 馬鹿にされていると思って、思わず低い声で睨み付ける。それに対しヴォルフは飄々とした軽薄な笑みを浮かべながら否定した。

 

「そういう意味じゃねえよ。じゃあ一つ聞くが、VRゲームと通常のゲームで違うことはなんだと思う?」

「違うこと? それは……」

 

 VRゲームと通常ゲームの違い。上げるとすればそれは、

 

「動作の精密さの違い……?」

「まあそれも在るが、強いて上げるとすれば実際にそこに居るか居ないかだ」

「えっと、それってどういう事?」

 

 話す内容の意味が分からず疑問を問い掛けるユウキと同じように首を傾げる私に対し、ヴォルフは口を開いた。

 

「今までのゲームは画面越しのキャラクターを操作するのが基本だった。だけどVRゲームになってからは実際にプレイヤーが身体を動かす必要性が出てきたんだよ。一つ聞くが、お前ら熊や猪と遭遇して冷静な判断が取れるか? 自分と同じ、もしくはそれ以上の巨体が襲ってきて立ち向かえるかって話だ」

 

「限りなく現実(リアル)に近いことの弊害なのかもな」とヴォルフは言うが、その説明は私の中に何の抵抗もなくストンと入ってきた。なるほど、確かに彼の言う通りだ。ゲームと言っても実際に触れられ、匂いを感じ、限りなく現実に近い光景。ゲームと分かっていてもこれをゲームだと割り切って自分より巨体な相手に挑むのは勇気のいる事だろう。

 

「じゃあヴォルフの言っていた戦えるかどうかっていう話は……」

「まあ、意志を持って殺しに来る奴と相手をするのは結構来るぜ? ベータテストの時でさえビビってる奴は多かったし、ましてや今はデスゲームだ。慣れれば問題ねえかもしれねえが、そんな事で一々驚いている奴が攻略に乗り出したら生命が幾つ在っても足らねえよ。そういう意味で戦えるかどうかって話だ」

 

 彼の言葉に息を飲む。そうだ、もし私が最前線で戦うなら一々驚いていたら切りが無い。そんな足手纏いがいれば周りにも被害を来すだろう。

 それを理解して、それでもヴォルフを見る。覚悟は出来ている。立ち止まるつもりなどさらさら無い。そんなに信じられないのなら、試せばいい……!

 

「へぇ、覚悟はできてるみてえだな。言っておくが俺が無理だと判断したら問答無用で置いていくから覚悟しとけよ?」

「上等……!」

 

挑発的な笑みを浮かべる彼に対してこちらも負けじと不遜な態度で嗤ってやる。元より覚悟はとっくに決まってる。

 

「オーケー、じゃあまずはユウキ。お前が実験……モルモッ……見本としてやるぞー」

「待ってヴォルフ、今なんて言い掛けたの!?」

「さっさと準備しろよ。後が詰まってんぞー」

「ううっ、なんか最近どんどんボクの扱いが酷くなってる気がする……」

「元からだろ」

 

 ブツブツの文句を垂れ流しながらデュエルの申請に許可し、左手に盾を構えるのを見て、ヴォルフは腰の裏に隠していた得物を取り出した。

 

 親指と人差し指を除く全指の間に挟まれた、合計六本の投げナイフを。

 

「……えっ?」

「さぁ行くぜ―――」

 

 今まで見たことがない得物に呆然と声を上げるユウキに対し、ヴォルフはそれはさぞ愉快そうな嘲笑の笑みを浮かべて、

 

「―――豚のような悲鳴をあげろ」

 

 振り放たれた六つのナイフが、容赦無くユウキの眼球に突き刺さった。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 ……その後、悲鳴を上げてのた打ち回りながらも何度も回避しようとして、最終的に再度ナイフが眼球に突き刺さり。また悲鳴を上げてのた打ち回るという作業を幾度か繰り返した後、とうとうユウキは反抗する気概を見せずうつ伏せで顔に両手を覆うことで眼球への完全防御の姿勢で終了となった。

 

「ううっ、眼が痛い、痛いよぅ……なんか今も刺さってるような違和感があるよぅ……」

「お前な、少しは反射神経に頼らず自分で考えて避けろっての。そんなんだから簡単に追い込まれて詰むんだよ」

 

 指でクルクルとナイフを回しながらアドバイスをするヴォルフだが、その声は恐らくユウキには届いていないだろう。それを本人も理解したのかやれやれとこちらに向くと、再度ナイフを両手に装填する。

 

「さて、じゃあ今度はシノのんの番だが覚悟はいいな?」

「……え、ええ。いつでも大丈夫よ」

 

 訂正、少々待って欲しい。流石に容赦無く眼球狙いなのは驚きだった。下手をすれば今からあの地面で眼球を押さえながら倒れているあれの仲間入りと考えると少しだけ気が引ける。

 だが、時は待ってくれない。既にヴォルフとのデュエルに申請許可は出してある。ヴォルフは笑みを浮かべると、

 

「それじゃあ……レディ、ゴォウッ!!」

 

 開始を告げる短い声と共に、一切合切容赦なく両手を振るいナイフを放って来た。

 

「――――ッッ!!」

 

 狙いは当然、眼球。目標が分かっている以上、躱すのは容易い――ワケではない。

 尻が地面に付いて、頭上をナイフが通り過ぎる。しかしその動作は回避ではなく、条件反射のもの。顔面に凶器が迫ってきたから思わず腰が引けて奇跡的に避けられただけに過ぎない。

 これが彼の言っていたこと。理解していても行動できるかは定かでない。頭で分かっていても身体がその通りに動くとは限らないのだ。

 

「オラ、ぼさっとしてんじゃねえぞォッッ!!」

「ッッ、アァッ!!」

 

 そして、戦いにおいて相手が待ってくれるはずなどない。続く第二、第三の連撃に考える余裕もなく横へ跳んで回避する。地上数十センチの横スレスレの飛行。当然着地すれば身体を引き摺るように停止するしかなく、続く連撃は回避できない。

 それを証明するかのように、既にヴォルフは次のナイフをこちらに放っているのが見えた。

 このままだと回避は不可、一度でもナイフを眼球に受けようものならきっとそのまま嬲り殺しにされる。

 ならば脱出する方法は一つ―――身体を引き摺る以外の回避を取るしかない。

 

 ”―――無理に決まってる。”

 

 頭の中で気弱な声がする。不可能だと、出来るはずがないと否定する。それは私の心の代弁。今もなお近づく地面を見て弱い自分が悲鳴を上げる。

 分かっている、そんなことは出来ないと理解している。それでも、

 

「うっさいのよ!!」

 

 強くなりたいと、思ったのだ。

 変わりたいと、願ったのだ。

 この思いが何処からきたのか分からない。それでも、その思いだけは嘘じゃないと信じている。

 ならば、今までと同じワケにはいかないだろう。

 不可能を可能に。

 奇跡を必然に。

 この世界は本物ではない。この世界に必要なのはイメージ。出来るという強い意志。ならば、出来ない通りはない―――!

 

「ァ、あああああああッッ!!」

 

 声を荒げて、地面に垂直に掌を叩きつける。そこから捻り、体重の負担を肘に集中させる。気持ち悪い違和感が肘に集中するがそれを無視して力の限り伸ばす。

 溜まった力は一箇所で爆発的に解放され、身体が宙に浮かぶ。捻り、反転させて足を地面に向けると、その下を無数のナイフが通過した。

 着地し、思わず歓喜の声が溢れる。

 

「出来た……!!」

「―――そいつは重畳。けど油断はいけねえな?」

 

 達成感に浸る間もなく真横から聞こえてきた声に反射的に盾を構える。革で出来た盾から伝わる軽いが無視できない複数の衝撃。

 最高の気分を一瞬で台無しにされて、思わず叫ぶ。

 

「少しくらい余韻に浸らさなさいよ!!」

「残念、それは終わってからにとっときな」

 

 前方に居るであろう彼に投げ掛けた叫びに対し、聞こえてきたのは何故か背後から。それに疑問を挟む時間すらなく反射的に前方へローリングする。視界がでんぐり返しで上下回る中、頭上をナイフが、そして後方で笑みを浮かべるヴォルフの姿を捉える。

 いったいいつの間にと、着地を決めて振り返りながら盾を構えて、ふと盾に違和感を憶える。

 何処で彼の姿を見逃したのか。盾の役割は。何故彼が盾を許可したのか。それらの理由を考えて―――最悪の結論が脳裏に浮かぶ。

 ハッと顔を上げた私の顔を見て、答えは飄々と笑う彼の笑み。それはつまり、

 

「あ、あんた性格悪すぎんでしょうがァァああああああッッ!!」

「ハハハハ! 俺にとっちゃ最高の褒め言葉だな!」

 

 声を荒げながら盾をぶん投げた私に対し、ヴォルフは出来の悪い教え子がようやく正解に至ったかのような清々しい笑みを浮かべながら盾を躱した。

 詰まる話、逆だったのだ。盾は決して私にとって利点ではなく欠点へと成り得る装備だったのだ。

 盾とは防御、即ち”受け”の体勢の装備である。相手の多くの攻撃を受け止める事が可能だが、その代わりに絶対的に相手の行動より一手遅くなってしまう。足運びにおいても、回避を重点を置くならば踵を上げ動きやすい姿勢となるが、盾を構えた場合、盾から伝わる衝撃に耐える分どうしても踵が地面に付き行動までワンテンポ遅れてしまう。

 そして、ヴォルフの眼球狙い。これは彼の趣味なのかもしれないが、それに関しても非常に厄介な狙い場所である。狙う箇所が分かっている以上、どうしても反射的に盾を顔の前に構えてしまいがちになる。そうすることでその攻撃と受け止める事は安易だが、問題はその次。

 防御のために構えた眼前の盾。それは即ち相手の場所を見えなくなってしまう欠点でもあった。更に言えば、相手が見えない以上いつ盾を降ろしていいのかも分からない。しかもヴォルフは足跡を立てずに移動しているためいつ左右後ろからナイフが飛んでくるかも分からない。

 最悪だ、と敢えて盾を許可してこれを企んでいた男に思わず頬が引き攣る。この男、顔に違わぬ悪童だ……!

 

「……しっかし、まさかこんな早く気づくとはなぁ」

 

 ヴォルフは何やら小さく呟くが、距離が開いているせいで聞き取れない。訝しげに睨む私に対して、先の盾の仕返しと言わんばかりにナイフが同時に複数放たれる。

 先ず二本眼球に向かって放たれたナイフを横に跳ぶことで回避し、続く回避先である低く狙われたナイフをサイドステップの用法で逆方向へ転換、にも関わらず先読みされていたナイフをしゃがんで回避し―――

 

「ナイス回避っと。ならそろそろ次の段階に行くとするか」

「えっ―――」

 

 眼前から聞こえてきた声に疑問を抱くのと同時に、胸ぐらを強く掴まれ無理矢理持ち上げられる。急な勢いで負担が首に集中し思わず顔を顰める中、眼下で笑うヴォルフの姿に思考は混乱したままだった。

 確かに、私はちゃんと彼を視界に収め続けていたはずだ。ついさっきまで彼は確かに離れた位置に立っていたのを覚えている。ならばいつ近づいてきたというのか。走ってくれば嫌でも分かるし、まさか忍者みたいに意識の隙間を掻い潜ってきたとでも―――

 

「ほら、よっとォッ!!」

「へ? ぇえキャァァァあああああああッッ!?」

 

 疑問が正解に行き着く前に、足裏から大地の感触が消え視界が前後逆になる。見下ろす下には青い空が、見上げた上には何やらぶん投げた姿勢のヴォルフの姿が。

 いや、違う。この場合、逆なのは視界じゃなくて、私自身だ。

 

「バ―――!」

 

 馬鹿じゃないの!? という私の心からの叫びは最後まで言われる事なく、代わりに吐き出されたのは背中に激突した衝撃で吐き出された空気だった。

 計測するために投擲されるソフトボールの気持ちが分かった気がすると、自分でも何思っているんだろうと曖昧な思考を頭を振ることで正気に戻しながら現在地を把握する。

 見たところ、此処はどうやら先程のところから数十メートル離れた場所に在った雑木林のようらしい。それを幾らVRとはいえ人一人ぶん投げるなんてどんな怪力をしているのだろう。

 ここで、投げられたことよりも現実だったら絶対服が破けていただろうと考えている私も、だいぶ彼等に毒されている気がする。

 

「さて、それじゃここからは第二ラウンドと行きますか」

「あんたね……」

 

 人の事をぶん投げておきながら悪びもせず飄々と笑うヴォルフを見て、この男にはどんな文句も意味ないのだろうと理解して嘆息する。だからとりあえず訊いて起きたかった事を訪ねた。

 

「ねえ、このゲームはどうやったら終わるの? まさかとは思うけど、あんたが終了と思うまでとかじゃないでしょうね?」

「ああ、そういや勝利条件を言うのを忘れてたか。簡単な話だ、俺の持ってるナイフが全部無くなればお前の勝ちだ」

 

 そう、それは良かった―――とでも言うと思ったか。

 冷や汗がドッと流れる。嫌な予感が脳裏を横切る。

持っているナイフの総数。その数は、

 

「喜べよ、ユウキの分含めてあと三分の二―――六十六本だ」

「ふざけんなァァァああああああああああああああッッッ!!」

 

 ―――この日、私は人が本気でブチ切れた時は本当に叫ぶ事を知った。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

 ナイフを投擲する。躱される。

 仕掛けを動かす。避けられる。

 モンスターと遭遇した隙を付く。回避される。

 

「へぇ……?」

 

 雑木林の中心。最も見晴らしのよい木の頂点に立ちながら走り回るシノンを見つめる。時々仕掛けを動かしてあらぬ方向からナイフを発射させてあたかも傍にいるように演出しながらその行動を観察していた。

 正直に言って、予想外だった。本当ならば彼女が盾の不必要性に勘付いたところで終了にするつもりだったのだが、予想以上の観察眼に思わず興が乗ってしまった。

 VR空間において、大切なのはイメージの力だ。それは追いつめられた時にこそ真価を発揮する。だからこそイメージし易い凶器で追い詰める事で彼女の可能性を確かめるつもりだったのだが、彼女はすぐにVRの住人と呼ぶに相応しいアクロバティックな動きを見せてくれた。

 この時点でほぼ合格。あとはユウキと違って戦いを有利に進める戦術を立てられるかどうか判断するだけだったが、まさか二発目で気付かれるとは。本来ならばナイフの投擲が二桁行くと想定していたからこそ驚きだった。

 そして何より驚愕なのが、

 

「――――」

 

 右手で弄んでいたナイフを投擲する。狙いは彼女の後頭部。そのまま進路上を進めば間違いなく直撃するであろう狙いを、シノンは寸前で方向を変換した。

 ナイフは彼女に当たらず木に刺さる。この光景だけを見たならば偶然だと思うだろう。だがこの光景が既に五回(・・)も発生していたとしたら?

 間違いなく彼女には見えている。それは稀に現れる才能。司令塔などの空間を立体的に捉える者が見える視界。

 

「俯瞰視点……か?」

 

 視界を平面ではなく空間的に捉えられる視界。恐らく無意識だろう、だがその片鱗が確かに顔を覗かしている。

 間違いない。彼女はきっと強くなる。その才能を理解して自在に操れるようになれば、きっと誰よりも強くなれる。

 ただ一つ、惜しいとすれば、

 

「ああ、この世界が剣の世界じゃなかったらなー」

 

 ソードアート・オンラインは、接近戦の武器を重点に置いたゲームだ。故に遠距離の攻撃をする武器のダメージ量は限りなく低く、とてもじゃないがそれをベースに戦術を組み立てるなど不可能だ。

 だが、もしも仮に。彼女の才能を最大限に引き出せる武器が存在すれば、

 

 ―――俺を殺せるほど、強くなる。

 

「ああ、楽しみだ。本当に、楽しみだなぁ」

 

 思わず覆い隠した口元。その口端は、自分でも分かるほど歪に咼んでいた。

 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 

「……や、やっと終わった……」

 

 あの後。どれだけ死に物狂いで逃げたかもはや思い出せないほどの逃亡劇を繰り広げたあと、いきなりヴォルフが現れて「ナイフ尽きたから終了な」と言われるまでずっと走り回っていた気がする。

 お陰でこの世界がゲームの中だと分かっていても足がパンパンになってる気がする。なので、彼等が利用している宿屋に着いてから無言で傍の机に崩れ落ちた。武器の決定は明日にするとか言っていた気がするが、そんな事より休みたい。

 

「ダラシねえな、もうくたばっちまったのかよ情けねえ」

「……あん、たが……それを、言うか……!」

 

 いつどこからナイフが眼球目掛けて飛んでくる緊張を永遠と続けさせられてみなさい、絶対同じこと言えないから。

 

「あーはいはい、分かったからお前はそこで大人しくしてろ。仕方がねえからお前の代わりに俺が宿取ってきてやるから」

 

 私の疲れきった様子を見て仕方がないとでも思ったのか、ヴォルフは辟易としながら宿屋のカウンターに立つNPCに声を掛ける。

 その後ろ姿を見て、思わず心の声を溢した。

 

「……師事する人、絶対間違えた気がするわ」

 

 その誰にも聞こえないよう呟いた声に、トントンと肩を叩かれる。振り向けば、満面の笑みで親指を立てたユウキの姿が。

 

「ボクと一緒だね!!」

「…………」

 

 何故だろう。何も間違えた事は言っていないと思うのに……気が付けば、ユウキの眼球に人差し指と中指を突き刺していた。

 

「ッて痛ァァァあああああああ!? 目がァ、目がァァァあああああああ!!」

「……あっ、ごめんなさい。つい無意識で」

「無意識に!? いま無意識にって言った!?」

「今疲れてるの。静かにして頂戴」

「イエス、マム!」

 

 ビシッ!! と敬礼の姿勢を取るユウキを無視して椅子にもたれ掛かる。何かしていないとこのまま疲労で眠気に誘われる気がして暇つぶしにヴォルフ達から習ったウインドウ画面を項目に目を通す。

 

『―――儂の昔の頃はそれはもう見るからに巨大な鳥が空を舞っておってのう。あの頃の儂はどうにか捕まえられんか思案したものじゃったわ――』

 

 ……正直に言えば机の向かいの椅子に座ってずっと独り言を呟いている老人のNPCにも黙って欲しかったのだが、聞くはずがないし、立って別の席に移動するのも億劫だ。なのでBGMのように聞き流しながら項目を弄っていると、宿が取れたのかヴォルフが戻ってきた。

 だが、ヴォルフは私達のところに向かう直前で足が止まった。顔を上げてヴォルフの顔を見れば、ジッとこちらを――いや、私の後ろにいる老人を見ている?

 横を見れば、ユウキもまた難しい表情で老人を見ていた。

 

「ちょっと、どうしたのよ二人共」

「……おいユウキ、今の話訊いたこと在ったか?」

「ううん、幾度かループして話を訊いてた事があったけど、あの話は初めてだよ」

 

 訪ねても答えは帰ってこなく、仕方なく老人の方を見る。ずっと独り言を呟いていた老人はまた誰かに聞かせるように告げた。

 

『惜しいのう。材料さえあれば、今の若いもん等にも見せることが出来たのじゃがのう。見せてやりたかったのう、あの天を舞う天鳥を射抜いた一矢を』

 

「おいシノのん、その材料について訪ねてみろ」

「何で私が? 気になるならあんたが聞けばいいじゃない」

「いや、これは恐らく俺達じゃ駄目だ。お前しか意味がない」

 

 意味の分からない返答。しかしそれにしてはあまりに真剣な表情で言われたため、仕方なく尋ねる。

 

「あの、その材料って何なんですか?」

 

 NPCに対して、こんな質問を投げ掛ける事に意味があるのだろうか。私のその疑問は、今まで誰も視界に捉えずずっと宙を捉えていた老人がこちらに向き直り、口を開いた事で解決した。

 

『お嬢ちゃん、儂の弓矢に興味があるのかい?』

 

 言い終えるのと同時に、老人の頭に”?”のマークが浮かぶ。それと同時にウインドウ画面に新たな表示が張り出された。

 

「―――呵々、なるほどな。特定のスキルを持った者だけが受けられるユニーククエストっていうところか」

 

 クエスト名は、《忘れ去れし幻想の一筋》。

 

「喜べよシノのん、どうやらお前の得物が見つかったようだぜ?」

 

 その下の画面には、選んだ覚えのない《射撃》というスキルの文字が浮かんでいた。

 



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