対魔忍アサギ 苦労人奮闘記 (HK416)
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プロローグ

 闇の存在・魑魅魍魎が跋扈する近未来・日本。

 人魔の間で太古より守られてきた「互いに不干渉」という暗黙のルールは、人が外道に堕してからは綻びを見せはじめ、人魔結託した犯罪組織や企業が暗躍、時代は混沌へと凋落していった。

 しかし正道を歩まんとする人々も無力ではない。時の政府は人の身で『魔』に対抗できる“忍のもの”たちからなる集団を組織し、人魔外道の悪に対抗したのだ。

 

 人は彼らを“対魔忍”と呼んだ―――

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 対魔忍と一口に言っても、様々な家柄や血族、分家や流派が存在しており、決して一枚岩ではない。

 ある一族は己の正義に邁進し、ある一族は時の政府に仕え、ある一族は己が欲望のままに生きる。

 

 オレの生まれたのは“ふうま”、忍びの主流として隆盛を誇る一族。

 どのような一族かと問われれば、井河のように人魔を分かち正義に生きる訳でなく、甲河のように時の政府に仕えるわけではなく、ただ己の欲望に忠実に生きる無軌道で身勝手な一族だ。

 

 オレはそこの長男として生まれ、次代の当主として幼少期から様々な訓練を施された。

 上に立つ者としての英才教育。人を導き、操る者としての戦略、戦術訓練。忍びとしての嗜みである忍術体術。

 別段、誇らしかったことも、重責を感じたこともない。それはオレにとっての普通だったからだろう。

 

 ――――しかし、一つだけ疑問に思ったことがあった。

 

 

(何故、オレの父には複数の妻がいるのだろう……?)

 

 

 いわゆる妾が複数人居る状態で生活を送っていたからだ。

 一族の当主たる者、万が一に備え、多くの子を残しておいた方がいい。或いはより強大な才ある者を次期当主に据える為には、いささか以上に古臭いが当然と言えば当然だろう。

 

 が、オレに仕える者の生活を知り、齢三歳にして明らかにオレの周囲が奇怪しいことに気付く。

 そんな奇怪しい状況にありながらも、次代の当主として生活を送るオレ。

 ふうま一族の中でも実力者の頭目衆たる“ふうま八将”とお目通りをしたり、訓練したり、勉強したり、執事と仲良くなったりと大忙しだった。

 

 そして運命の日が訪れる。

 

 五歳の夜、ふと目の覚めたオレはトイレに向かおうとしていたのだが、襖の隙間から漏れる光と獣の如き鳴き声に足を止めた。

 漏れていたのは現頭首の部屋からである。深い意味も理由もなかったが、光に釣られる羽虫のように引き寄せられたオレは、そこで驚くべき光景を目にする。

 

 部屋の中でまぐわう現頭首と幾人もの妾。

 

 いや、本当に良かった。まぐわっていたのが妾の方で。

 本妻に当たるオレの実母だったらどれほどのトラウマを植え付けられていたことか。まあ、その時点で母は既に亡くなっていたわけだが。

 

 ともあれ、その光景を目にしたオレが抱いた感想は――

 

 

(アカン。このおっさん、ダメだこりゃ)

 

 

 ――こんな失望である。

 元より現頭首に対して、父親に向ける尊敬など欠片もなかったし、父親らしい行いなどされたこともなかったが、血縁としての関係は理解していた。

 だが、その光景を見た瞬間、もう父とは思えなくなったし、思いたくもなかった。頭首殿が、父親から単なるアホなおっさんに格下げされた記念すべき瞬間である。

 

 女を組み伏せ、道具のように扱う頭首――ふうま弾正の顔はどこまでもだらしなく、これではどちらが支配しているのか分からない。

 本来、支配する側である筈の者が、支配している道具から得られる快楽に支配されている現実。そして、支配しているつもりが支配されていることに気付かない不様。

 

 それだけではない。元より頭首のやりようには常々疑問を感じていた。

 

 悪徳政治家、魔族、米連、闇の組織と結託し、あらゆる犯罪に手を染め、後先を碌に考えないやりたい放題の好き放題。

 政府と繋がりのある井河や甲河の一族から、再三に渡る非難と警告の声明を受けながらも、それを歯牙にもかけない不警戒さ。

 忍の中で最大派閥を形成しているものの、頭目集たる“ふうま八将”は足並みを揃えられていない。

 

 確かにふうま弾正は強く、賢く、欲深で、卑怯かつ悪意に満ちている。正に奪う為に生まれてきたような男だ。しかし、それはあくまで一般人に比べてと言う話。

 

 世界には弾正よりも強い者など腐るほどいる。

 世界には弾正よりも賢い者など掃いて捨てるほどいる。

 世界には弾正よりも欲深な者など後から後から湧いてくるほどいる。

 世界には弾正よりも卑怯な者など地平線の彼方まで埋め尽くすほどいる。

 世界には弾正よりも――――遥かに強大な悪意を持った者がいる。

 

 そのあたりを、あの男は全く理解していなかった。

 弾正のやりように苦言を呈す身内も居たし、反りの合わない八将も居たにも拘らず、弾正は彼等に耳を貸さず、道具のように扱った。

 本当に馬鹿である。誰もが弾正を認めて付き従っている訳ではない。単なる因習で付き従っていることもあるし、単純に利益を生むから黙っている場合もある。

 幼かったオレの目から見ても、弾正のやりようでは、近い将来、生み出される利益と不利益が逆転するのは既に目に見えていた。

 

 井河と甲河の警告を無視していたのも余りに痛い。

 二つの一族は数こそ劣るものの、個々の実力はふうまと比べても上だ。

 最大派閥たるふうまは、数こそ圧倒的に勝っていたのだが、頭首がアレで足並みが揃わなければ、敗北は必至。

 どれもこれもあれもそれも、全てはふうま弾正の現実認識能力が欠如していたからに他ならない辺りが、いやはや全く馬鹿らしい。

 

 

 ……と、ここまで思う存分弾正を罵った訳だが、オレも同じくらいに馬鹿げた行動に出る。結局、オレもあの男の息子ということだ。

 何をしたのか? 簡単だ―――――逃げた。真っ先に。一目散に。泥船に相乗りする気はないとばかりに。要は、齢五歳の次期当主候補の抜け忍爆誕の瞬間だ。

 

 本当に、当時のオレは何を考えていたのか。昔に戻れるのなら絶対にしない。今のオレがその場に居合わせるのなら殴ってでも止めただろう。

 

 秘密裏にふうま内部で賛同者を募り、弾正暗殺を実行する。

 井河・甲河と内通し、弾正の情報を流す見返りにふうまの粛清から弾正の粛清に軌道修正。

 八将の連中を唆し、弾正の持つ地位と権力、財を餌に反乱を煽動。煽動後は反乱者を処断して、全てなかったことにする。

 

 と、やりようなどいくらでもあったのだが、当時のオレは嫌悪感と馬鹿馬鹿しさばかりが先行して、全てを捨て去って逃げた。生まれも、地位も、権力も――姉すらも。

 

 そこからは五歳の小僧には地獄の日々だった。

 何せ、何不自由なく育ってきた小僧が、ただ己の身一つで逃げ出したのである。かつては呼吸をするように出来た事は出来ず、手に入った物は容易に手の届かない物と化した。

 加えて、当然だがふうまからの抜け忍に対する粛清部隊が差し向けられ(五歳のガキにご苦労なことだ)。

 魔族はふうまを操る人質にしようと決定し(正直、何の意味もない人質の上に、オレにはいい迷惑である)。

 米連は希少な研究材料を得ようと捕獲に乗り出した(本当に、勘弁してくれませんかねぇ)。

 

 絵に描いたような四面楚歌。自分以外の全てが敵という状況下。

 そんな中でオレは神経をすり減らし、(しがらみ)に全身を絡め取られながらも、限られた自由を謳歌していた。

 その自由がふうまの次期当主としての生活と釣り合いが取れていたかと問われれば、首を傾げざるを得ないが――――まあ、当時のオレは、それなりに楽しんでいたように思う。

 

 八将の中でさる理由から忌み嫌われる女のところに転がり込んで、無理やり匿って貰ったり。

 ある物好きな魔族に助けられ、とんでもない道楽に付き合わされたり。

 若かりし頃、対魔忍になどならないとほざいていた最強の対魔忍と出会い、井河に転がり込んだり。

 仲がすこぶる悪い井河と甲河の次期当主候補達の間を取り持ちつつ協同で任務に当たったり。

 まだ各組織のパワーバランスが整っておらず、血で血を洗う抗争が続いていたアミダハラで死に掛けながら情報収集に勤しんだりと、色々、あった、なぁ……。

 

 兎にも角にも、オレことふうま■■は、今は名を変え、対魔忍の下忍として日々の生活を送っているのだった。

 

 

 

 

 

――

―――

――――

―――――

 

 

 

 

 かつて多くの忍の一族は各々の隠れ里を有していた。現在の政府に仕える対魔忍たちも例外ではない。

 山間部にポツンと存在する緑の多い地方都市、五車町。政府によって設けられた隠れ里は、傍目から見れば時代から取り残されたありふれた町にしか見えないだろう。

 隠れ里には、次世代の対魔忍を育成する機関も当然、存在する。

 名は五車学園。名の由来は忍法の基本となる陰陽五行と忍の多用した風車、即ち手裏剣である。

 

 学園内に点在する教室の一つの扉を開け、オレは中を見回した。

 

 

「あー、お前ら、静かにしろ。授業を始めるぞ」

 

 

 我ながら、明らかにやる気のない声が口から飛び出した。聞く者によっては気弱な声とも受け取られかねない声色だ。

 

 教室の生徒は、真面目な者は素直に前を向いたが、不真面目な連中はオレの言葉になど耳を貸さず、好き放題にお喋りを続けている。

 取り立てて腹も立ちはしない。毎度のことだ。見る者が見れば、教室にいる殆どの生徒が蔑みの視線をオレに向けていることに気付いただろう。

 

 本質的に、忍の世界はより強き有能な者が生き残る競争社会にして実力至上主義の世界だ。

 井河一族は代々、血よりも才を優先し頭首を選出する。この学園も井河一族の分家であったり、仕えていたり名を連ねていたりと実力至上主義の傾向が強い。

 それでも身内であれば一定の信頼や優しさを見せるし、表向きには任務に対する向き不向きも考慮に入れる。ふうまであることは隠しているものの、素性も定かではない上に、いい年をして下忍のオレの扱いなどこんなものだ。

 

 ざわつく生徒達を無視して黒板に文字を書きながら、講義を開始する。

 無論、一般学生が受けるような講義ではなく、忍としての必要知識や最新鋭の装備に関する情報など、これから生徒達に必要となる講義だ。

 今となっては慣れ親しんだ、誰も聞いていない、誰に伝える訳でもない、録音した音声を再生するだけのような授業だったのだが、今日に限って生徒達の調子の乗り具合は度を越していた。 

 

 

「…………?」

 

 

 何時もと同じ、退屈な授業が中盤に差し掛かった頃。スコンと小気味良い音を立てて、手裏剣が黒板に突き刺さった。

 訝しみながら後ろを振り返るも、くすくすと嘲笑を浮かべ、蔑んだ視線を此方に向ける生徒が居るだけだ。

 真面目な連中も不機嫌そうに眉根を顰めるだけで、手裏剣を投げた誰かを咎めることはしない。仕方がない、とでも思っているのだろう。それだけオレはこいつらに舐められている。

 

 オレは溜め息をつき、黒板から手裏剣を抜きながら振り返った。

 

 

「あのなぁ、手裏剣は玩具じゃないぞ。コイツも立派な殺しの道具だ。狙うんだったら急所を狙え。後ろから狙うなら後頭部か首辺りがいいかな。特に、魔族なんかは生命力が人間よりも遥かに上だ。急所を外しゃあ死ぬのはお前等だ」

 

 

 呆れたものだ。いくらオレを舐め腐っているからと言って、正義だの誇りだのと口にする連中がすることじゃない。

 まあ、人間なんぞ得てしてこんなものだ。心のどこかで自分は特別などと勘違いしている。始めから期待するようなものじゃないが、腐っていると絶望するほどのものでもない。

 

 

「“逃げの虎太郎”が偉そうに何か言ってるよ」

 

 

 生徒の内の誰かが嘲り混じりに呟くと、どっと教室が沸き上がった。

 

 弐曲輪(にのくるわ) 虎太郎(こたろう)。それが今のオレの名だ。そして対魔忍には、任務を熟すにつれて異名で呼ばれる傾向がある。

 忍の異名など笑い話にもならない。そもそもオレの場合は、対魔忍の連中の間でしか通用しない蔑称だが。

 

 “逃げの虎太郎”。

 

 与えられた任務も碌に熟せず、その癖、逃げることに関しては人一倍。下忍と呼ぶのも憚られる対魔忍の恥晒し。それがオレの立場(ステータス)だ。

 まあ、おおよそは事実だ。事情があるにはあるが、どうでもいいし、生徒どもには与り知らぬところでもある。

 何より今のオレにとっては、限りある自由こそが第一だ。金や権力に興味がない訳ではないが、弾正のあの様を見れば、自由の方が遥かに価値のあるものだと思えている。

 

 ふうま一族は滅んだ。オレを除いた生き残りも居るには居るだろうが、その殆どが井河・甲河によって滅ぼされた。

 過ぎた欲望は身を滅ぼす。現実認識能力が欠如していればどうにもならない。その典型がふうまと弾正の不様というわけだ。

 

 因みに、ふうまは井河・甲河の予測していた以上のスピードで駆逐された。

 何故か? 単純である。オレが情報を売ったから。井河がオレをただで受け入れる訳もないが、粛清対象の情報と言う手土産があれば話は別だ。

 アサギ個人ならば必要なかったかもしれない。しかし、井河一族全体となれば話は別。寧ろ、復讐や二重スパイを恐れて殺されても不思議ではない。実際、何度か殺されかけた。

 

 さしたる苦労もせず、これから待ち受けている過酷な未来も理解していない生徒どもの侮蔑と嘲笑をBGMに物思いに耽っていると、バンと破裂音にも似た音が教室に響き渡る。

 見れば、一人の女生徒が不機嫌さを隠しもせず、両手を机に叩きつけながら立ち上がっていた。

 誰の目から見ても苛立っているのが分かった。何せ、彼女は生まれ持った忍術を発動させる寸前だからだ。

 

 対魔忍の忍術は大別して二つに分けられる。技能としての忍術と能力としての忍術だ。

 前者は学び、修練を重ねることで身に付く文字通りの技能(スキル)

 後者は対魔忍が家系や血族、或いは突発的に身に付ける特異な能力(アビリティ)

 対魔忍の使う忍術を指すのは、大抵が後者である。

 

 その女生徒は雷遁の術を操り、周囲の期待を集める次世代のホープ。名を水城 ゆきかぜという。

 時折青白い火花を散らせながら、血走った視線で教室中の生徒を睨みつける。

 ゆきかぜは訓練だけではなく、既に数度の実戦と任務を経験している。染み出す威圧感も殺気も、生徒からすれば桁違いに感じられるだろう。

 

 しんと教室が静まり返り、誰一人として食って掛かろうとする者はいない。

 実力至上主義と言えば聞こえはいいが、見方を変えれば虎の威を借る狐の巣窟とも言える。

 上を目指す者は更に上へ。上に上がれぬ者は下で上位の者へ奉仕する。

 

 

「あー、水城、そのだな……」

 

「弐曲輪先生……!」

 

 

 ゆきかぜは普段の愛らしい鈴の音のような声ではなく、底冷えする低い声を発し、純然たる怒りの視線でオレを貫く。

 

 

「体調が悪いので、保健室に行ってきてもいいですか……!」

 

「……そいつぁ大変だ、行ってこい」

 

 

 こういう弱腰の態度でいるから舐められるのだろうが、声を張り上げての熱血指導など冗談ではない。

 オレが教師をやっているのはアサギの指示だから。それ以上でもそれ以下でもない単なる仕事。給料分の仕事をするだけだ。生徒の将来を憂いて親身になってやる理由など何処にもない。

 

 闇の世界を生き抜いて思ったのは、どうにも闇の世界の住人どもは、総じて相手を舐め腐る傾向にあるということだ。 

 対魔忍も、魔族も、米連も例外ではない。どいつもこいつも、自分が世界で一番強くて、世界で一番賢いつもりらしい。

 相手の現実認識能力が欠如している分には仕事がしやすくて助かるが、こちらの総大将であるアサギですらそうなのだから笑えない。オレが何度頭を抱え、胃に穴が開いたことか。

 そんなわけで、もう一々指摘してやるのも馬鹿馬鹿しい。相手を舐めて痛い目を見るといい。そこまで関与してやるほど、オレは情に溢れてはいない。

 

 過去の出来事と目の前の危機感の全くない若者たちに頭痛を覚えていると、ゆきかぜはオレへのあてつけなのか、わざわざ教室の前を通りながら横目で睨みつけると、オレにだけ聞こえる声で一言。

 

 

「さいってー」

 

 

 これである。

 さる縁でオレは水城家と懇意になった。実際には、相手が一方的にオレを構ってきただけだが。

 その繋がりで、小さい頃は虎太兄、虎太兄と慕ってきたのに、反抗期に手を伸ばした辺りからこの調子だ。

 慕っていた相手が尊敬にも値せず、誰からも蔑まれるうだつの上がらない下忍だと知れば、今まで抱いていた感情は反転して、隕石の如き勢いで地にも堕ちよう。

 

 ゆきかぜは苛立った様子のまま、凄まじい勢いで扉を開閉し、教室を去っていった。あの様子じゃ、素直に保健室にも行かないな。

 

 

「……さー、授業再開するぞ。出ていきたい奴は出て行って――――はいはい、どうぞ」

 

 

 今日は、どうにも素直に授業が進まない日だ。授業を再開しようとすると、軽いノックと共に邪魔が入った。

 

 

「授業中、失礼します」

 

「峰麻先生、何か御用で……?」

 

 

 入ってきたのは峰麻(ほうま) (みどり)。少々年を食っているが、ブラウスとタイトスカートに包まれた肢体は生唾を飲み込みたくなるような美女だ。

 直接的な戦闘能力は低いものの、かつては第一線での暗殺任務で活躍した対魔忍。夫を失い、その折に第一線から離脱。今は偵察と後進育成に専念しているベテランだ。

 対魔忍としてのキャリアだけを見ればオレも同じだが、一教師としてならオレよりも圧倒的に上。

 教師として新米だった頃、授業を横で聞いていたことがあるが、内容は分かりやすく、聞いている者を引き込むような話術だった。物腰も柔らかく、大抵の生徒や教師からも好かれている。

 

 尤も、それは表向きの顔だが。

 その実、夫の死によって近しい人間を作ることを避けているに過ぎず、敵味方区別なく死というものを怖れている。

 オレは、彼女が自分の主義や主張を述べるのを見たことがない。当たり障りのない対応だからこそ、誰からも好かれる人間が出来上がる。

 単なる表面上からの洞察で当人の口から聞いたことはないが、恐らくは的を射ているだろう。

 実際、今しがた教室から出ていったであろうゆきかぜについて何一つ聞いてこない。人の嫌がる話題を避けようとしている証左だ。

 

 

「弐曲輪先生に任務だそうで――――何も、そんな嫌そうな顔をされなくても……」

 

 

 彼女は困ったような笑みを浮かべながら言い、書類の入っているであろう封筒を手渡してくる。

 いや、嫌なものは嫌なんだから仕方がない。恐らく、今のオレは路傍の犬のフンでも踏んでしまったような顔をしていることだろう。

 

 忍の仕事は多岐に渡る。

 斥候、偵察、後方撹乱、情報操作、強襲、暗殺。

 それだけ多岐に渡れば、それぞれがそれぞれの性格や能力、性能に基づいた任務を専門に携わっていく。

 因みに、オレの専門としているのはそのどれでもない。言うなれば、お遣いだ。

 

 対魔忍は政府と繋がりがある。必要な情報の共有と命令の伝達は、通信機器の発達した現代においては迅速に行われる。

 しかし、それは常に情報漏洩の危険と繋がっている。少なくとも最新鋭の技術において、対魔忍、ひいては日本は米連に大きく劣っているのだ。

 よって秘中の秘となる情報は、通信を傍受されない古い手段で取り交わされるのが望ましい。米連レベルの暗号化や特殊通信技術でもあれば別なのだが。

 加えていえば、オレは“逃げの虎太郎”だ。敵の魔の手に落ちないのであれば、この任務においてこれ以上の適任はいない。

 既に20年近い対魔忍としてのキャリアがある以上、情報だけを持って逃げるなど考えられない、という判断もあるのだろう。

 

 大きく溜め息をつきながら、峰麻先生から嫌々、本当に嫌々封筒を受け取った。

 

 

「じゃあ、授業はどうするかな。自習でいいか」

 

「何でしたら、私が代わりますよ」

 

「そりゃ頼もしい。お前等も良かったな」 

 

 

 半ば本気で教室の生徒どもに言い放つと全員が全員とも微妙な顔をする。

 ゆきかぜの件もあるし、何よりもオレ如きに気を遣われる事実が気に食わないのだろう。

 

 そんな反応に肩を竦め、教室を去ろうとすると峰麻先生はポツリと一言。

 

 

「どうか、お気をつけて」

 

「……そりゃどうも」

 

 

 彼女の内面を知れば、大抵の対魔忍は嘲笑を浮かべるか、侮蔑を向けるだろうが、オレはそうは思わない。

 峰麻先生の言葉には確かな憂いの響きがあり、一心にオレの安否を心配していた。

 どう考えた所で、命を奪って誇らしげにしている者よりも、誰の死をも恐れている者の方が余程健全というものだ。

 

 結局の所、対魔忍にせよ、魔族にせよ、米連にせよ、闇の住人ということだ。根底にある思想や考え方が捩くれて曲がっている。

 オレもその一人である以上、大っぴらにどちらへの肯定も、否定も、好意も、嫌悪も示しはしないが。

 

 受け持った教室を後にし、廊下を歩く。

 誰一人として擦れ違うことはない。此処の人間は本性や性根、本音はどうあれ真面目は真面目だ。基本的に授業をサボる不良学生という奴はいない。とある場所に向かう途中に誰とも出会わないのは嬉しい限りだ。

 

 五車学園は対魔忍養成学校だけあって、通常では考えられない施設が地下に存在する。

 その最たる物が桐生の部屋だろう。魔界由来の技術を扱うために、様々な設備を備えた部屋には馬鹿げた額の金がかけられている。対魔忍の運営資金の何割かが使われていても不思議ではない。

 そんなマッドサイエンティストの実験室より更に地下。対魔忍の中でも存在を知っている者は稀、入室できる者は更に少ない隠し部屋がある。

 幾重もの電子ロックと人間界由来の高等結界、魔界由来の高等魔術が施された、オレとオレの認めた者以外の一切を拒む砦だ。

 

 煩わしい厚い扉と結界と魔術を越えた先の部屋は、武器庫とミーティングルームを一緒くたにした乱雑とした部屋だ。

 壁一面には、対魔忍の昔ながらの武器武装。魔界由来の曰くつきの武具。米連から奪った最新鋭装備。見る者が見れば、余りの節操のなさに頭を抱える筈だ。

 部屋の中央には、長机と机に合わせた数の椅子。その正面には巨大なホワイトボードが設置されている。

 

 

「さて、と……」

 

 

 峰麻先生から渡された封筒を開く。

 恐らく、生徒や事情を知らぬ教師陣がオレの行為を見れば、何をしているのかと唖然としたことだろう。

 これの中身は対魔忍と政府の取り交わした何らかの重要機密。一介の下忍が知っていいわけがなく、知るべきでもなく、もしそんなものがあるのなら、オレも自分で自分の首を絞めるような真似はしない。

 

 実に、実に単純な話だ。オレに渡されるコレは重要機密などではなく、単なる指令書なだけである。

 お遣いなどというのは単なる欺瞞(フェイク)

 そもそも本当の重要機密であれば、こんなに簡単に開けられるはずもない。万が一に備え、中身が秘密を取り交わした者同士にしか確認できぬように、何らかの仕掛けか術が施されているものだ。

 

 そしてオレの肩書も(フェイク)

 表向きの扱いは下忍であるが、うっとうしいことに、本来の肩書はもっと別のものだ。

 わざわざ使えない下忍を演じているのは、本来の肩書に対して周囲から舐められ、無名であるのが望ましいからだ。

 

 封筒の中に入っていたのは、ある対魔忍の写真と詳細なプロフィール。そして大きな地図が一枚、とある作戦の報告書が数十枚。

 写真とプロフィールに時間をかけて目を通し、情報を頭に叩き込む。そして、地図をホワイトボードに貼り付ける。

 

 

「おい、アルフレッド。起きてるか、アル!」

 

『はい、ボス。起きています』

 

 

 オレ以外には誰もいない筈の部屋に声が響く。

 抑揚や発音は完璧だが、注意深く聞けば電子音声であるのに気付いただろう。

 

 恐らくは奴が、オレの部下の中で最も注意深く、最も慎重で、最も信頼の置け、最も使える奴だ。

 アルフレッドの正体から語ってしまえば、人工知能である。但し、この地球上では類を見ない、知性を持ったAIだ。

 

 アルと出会ったのは、まだ幾多の組織が抗争を続け、混沌以上に混沌としていたアミダハラだった。

 ふうま一族が滅び、幼き日のオレは、井河一族のご隠居どもから相当に嫌われていた。オレを生かしておけば、ふうま再興などという事態になりかねないからだ。

 しかし、オレの隣にはアサギが居た。元より、さる事情から、オレを井河に迎え入れたのがアサギだったのだから当然だろう。

 まだ年若かったアサギは激情家に近く、下手な真似をすれば殺されかねない。よって、人手不足を理由にオレへ無茶苦茶な任務を押し付けて殺そうとしたわけだ。

 それがアミダハラの内情を探る潜入任務だった。何度か死に掛け、魔術師の婆様と知り合ったり、探偵業を営む半人半魔の魔女と共闘したりと、長編映画さながらの大立ち回りをしたわけだが、その最中でアルを見つけたのだ。

 

 アミダハラの半ば崩壊したビルの地下室で、アルは一つの死体と静かに時を過ごしていた。

 

 死体の正体は、当時米連から亡命した人工知能の権威だったらしい。

 彼は常々、人間と同等以上の知性、成長性という名の自己拡張機能――即ち、進化する人工知能を作りたいと漏らしていたようだ。

 自らの研究を完成させ、自らの欲望を満たす為、その身一つでアミダハラへ足を踏み入れた。

 彼が目をつけていたのは魔界の魔術。特に、ある種の疑似生命体を作成する分野に強い興味を持った。

 まずは機械そのものに魔術を組み込んで、性能自体を向上させる。

 その上で、疑似生命体誕生のプロセスを、()()()()()()()()()する。

 そうすれば人工知能――いや、新たな種族、いわゆる情報生命体が誕生する。

 夥しい失敗と僅かな進歩を繰り返しながら、かくして彼はアルフレッドを誕生させ()()()()()

 

 彼は幾許かの時間、自らの天才性と達成感に酔い痴れたようだが、次第に自らの愚かしさとアル自身の性能に恐怖した。

 ホムンクルスを代表するように、疑似生命体は当然、肉体を持って生まれてくる。そのプロセスをプログラム上で再現したが故、アルは自らが肉体を持たぬことを疑問に思った。

 

 その疑問に答えられぬまま、アルは日に日に成長していった。

 ネットに接続されているのならば、如何なるファイヤーウォールをも突破し、米連の極秘事項にもアクセスが可能。

 魔術を解析し、プログラムとして再構築。周囲の魔力や魔素を利用しての物理世界への干渉。

 人工知能故に、疑似生命体特有の短命さが存在せず、死が存在しないが故の約束された無限の進化。

 結果、自ら生み出した怪物に恐怖し、彼は自らの命を絶った。彼は、ヴィクター・フランケンシュタインのように怪物に立ち向かう心根を持っていなかったのだろう。

 

 父の死を前にアルは思い悩み、自らもまた自壊を選択した。

 だが、情報生命体と等号符で結ばれる人工知能に死は存在しない。

 人工知能であるが故に自己保全機能から死を選択することはできないが、アルは、その矛盾を成長することで突破(クリア)した。

 

 唯一心残りだったのが、父の死体だ。

 父は弱かった上に愚かだったが、アルにとっては生みの親だ。情でこそないものの、知性を持つ者として、そのまま朽ちさせることは忍びない。

 故に、アミダハラのあらゆる電子機器に侵入し、使えそうな人物を探し、白羽の矢が立ったのがオレだった。

 ふうま一族に追っ手を差し向けられ、様々な苦労をブン投げられたオレは、当時から警戒心が強く、油断や慢心とは無縁で、自身に何ができ、何ができないのかを徹底して把握することに努めていた。

 だからこそアルも、目先の欲に捕らわれず、自身を悪用せず、丁重に廃棄した方が賢明だと判断すると信じていたようだった。

 

 全くとんだ勘違いである。対魔忍などやっているが、オレに正義や誇りなどない。あるのはたった一つの欲望だけ――――とにかくオレに楽をさせてくれ、だ。

 

 自分自身の後先考えない馬鹿さ加減のせいとは言え、半端ない苦労を背負い込まされたオレにはそんな欲望しかない。

 子供の頃は、闇の世界で頂点に立ってやるなどと考えていたこともあるが、当時の時点で、頂点の立場って気苦労ばかりで実際には実入りが少なくないかと考えていたほどである。

 

 電話回線、電光掲示板、監視カメラ。あらゆる機器に導かれ、地下室でアルと出会ったオレは条件を提示した。

 

 

『条件がある。お前は使えるからオレと組め。そうだな、契約の内容は、常にオレ達は対等でどうだ?』

 

『話を聞いていなかったのですか? 私は博士の埋葬が終われば自壊します』

 

『そういうな。オレと(つる)めよ。(苦労しかないけど)楽しいぜ?』

 

 

 正直、説得とも交渉とも言えないやり取りだ。実際、それでも拒否されたら、ゴネにゴネるくらいしかオレに方法はなかった。

 しかし、予想に反してアルはあっさりと承諾した。その理由は聞いておらず、未だに答えは出ていない。

 あえて無理に結論を述べるのならば、初めて父親以外に接したのがオレで、何となしに興味が出た程度のものかもしれない。

 

 兎も角、オレは最大の味方を得た訳だ。

 こっちの言うことを聞かない上に、無理ばかり押し付けてくる対魔忍や政府とは比べ物にならない。

 何よりも頭が良く、積極性には乏しいものの参謀や秘書、後方支援としてこれ以上有能なモノは人界にも魔界にも存在しないだろう。

 

 

『そして、また尻拭いですか。心中お察しします』

 

「ああ、胃が痛くなってきた。胃薬どこだっけ?」

 

『ドクター桐生の診察をお勧めいたしますが……』

 

「冗談だろう? あんなマッドに身体を好きにさせるなんぞ、それこそ命が関わってる時だけだ」

 

『でしょうね。そこも、心中お察しします。胃薬は左の戸棚の奥です』

 

「……さてと、嫌なことはさくっと楽に終わらせるとするか」

 

『そうしましょう』

 

 

 ミネラルウォーターで胃薬を流し込むと、アルは地図をスキャンし、地図上の情報を立体映像として投影する。因みにこの立体映像投影装置だが、アルが設計を行い、オレが作ったものだ。

 

 

『ここが初めの交戦地点となります』

 

「この時点で作戦自体が気に食わなかったコイツは突出、敵陣に突っ込んでいったらしいな」

 

『常森 蓮華。優れた土遁の術の使い手のようですね。十二歳から単身で任務を成功させ続け、現在十八歳。アサギ様やゆきかぜ様を差し置いて、最強を自称しておられるようですが……』

 

「自信と過信と慢心と油断の違いがついてないな。やだやだ、なんでこんな奴の尻拭いをしなけりゃならんのだ」

 

『それが仕事だからですね。この年齢では、こんなものでしょう』

 

「冗談だろう? オレはこれくらいの時分で、苦労ばかりで自信とは無縁だったぞ。自分に何ができるかの自覚はあったがな」

 

『貴方と一緒にしないで下さい。貴方ほどの、苦労ばかりで実入りのない、若くして自信や過信、慢心や油断とは無縁の自覚だけのある精神性がなければ生き残れない人生は稀です』

 

「………………もうヤダこんな人生」

 

『まあ、全て自業自得ですので諦めて下さい』

 

 

 半ば本気の冗句を交わしながら、作戦を組み立てていく。

 オレの本来の立場は、存在自体が秘密の対魔忍の中にあって更に秘匿性、特殊性ともに高い。

 

 主な任務は捕らわれた対魔忍の捜索と救出だ。

 対魔忍はその任務の性質上、極めて死傷率が高い。

 加えて、どういう訳だか女に関しては見た目が良い者ばかりだ。殺されずに捕らわれれば、どのような目に合うかは目に見えている。

 戦争において女子供が犯されて殺されるなど珍しくもないが、最悪なのは殺されないことだ。

 敵に殺されずにいるということは、肉体的にも精神的にも敵に屈した証。つまり、常に人員不足な対魔忍から貴重な戦力と重要な情報がそのまま相手に渡ってしまう。

 特に将来有望かつ精神的に未熟な若い対魔忍が敵に寝返るのは、こちらとしても大きな痛手だ。

 

 高い金をかけて教育したというのに敵に利するなどあってはならない、というのが政府の本音。

 かつての自分自身と同じ目には決して会わせたくはない。会わせたとしても必ず助け出したい、というのがアサギの本音。

 ふざけんな、なんでオレがこんな危険な任務をほぼ単身で熟さにゃならんのだ、全員死ね、というのがオレの本音。

 様々な事情と本音が入り交じってできた特別救出班の班長が、オレという訳だ。因みにアルは副官。それ以外の人員はいません。ふざけんな死ね。

 

 このような任務を何故続けているかと問われれば、この任務についた時点でオレはあらゆる柵から解放されるからだ。

 ある意味において、この救出任務は対魔忍が受け持つ数多の任務において最も重要度が高く、最も優先性が高い。

 救出に必要な人員の招集は学生を除いたベテランを中心として自由。他の任務を差し置いての指名が可能であり、必要とあればアサギすらも此方の指示で動かせる。

 

 何が最高かといって、任務に就いた瞬間から、オレの存在は対魔忍の中から抹消される。

 ミイラ取りがミイラになることを避けるためであり、また、万が一オレが失敗したとしても一人の対魔忍が暴走したとして、政府もあらゆる組織に言い訳が立つからだ。 

 つまり、何をしたところで自由ということ。魔族と結託しようが、米連を利用しようが、オレの可能な範囲において行動の全ては黙認される。それ故、オレは救出任務中、対魔忍であって対魔忍ではない。

 有能な副官と丁寧かつ慎重に選出した人材を用い、有能な副官と共に有効な作戦を立て、速やかに仕事を終わらせる。気苦労の少ない仕事、ああ素晴らしい。

 

 

『全体の戦力比は10:1。実に大したものです。敵の八割方を単身で殺害したようですね』

 

「でも、そこまでだ。植物系の魔族から採取した痺れ粉であっさり戦闘不能、能力も使えないまま拉致られて、か」

 

『バックアップの方々も敵の攻勢が激しく、奮戦虚しく撤退。絵に描いたような命令無視の顛末です』

 

「アル、周辺の地形と建物の構造から敵の逃走ルートは?」

 

『三つほど。しかし、情報にあった刺青の形からノマドの下位組織と判断できます。彼等の目立った拠点から絞ったルートは一つです』

 

「組織の幹部と構成員の情報は入手できそうか?」

 

『はい。どうやら独自のアングラサイトを保有しているようです。そこから調べれば――――出します』

 

「……目立った実力者はいない、か。万が一ってこともある。さっと侵入してさっと逃げよう。報復は任務外だし、余計な恨みを買うのもゴメンだ」

 

『現地到着前に建物の構造と監視カメラの映像から内部状況を把握しておきます。今回の任務に有効な異能もリストアップしますので出発前に目を通しておいて下さい』

 

「はいはい、どうも」

 

 

 アルとの会話が終わると、武器だらけの壁が開き、中からオレ専用の対魔忍スーツが現れる。

 男女ともに言えることだが、対魔忍のスーツは兎に角派手だ。

 男ならゴテゴテとした具足や手甲、プレートがついており、女なら全身のラインが浮き出るタイプだが、オレの物は別。その気になれば、そのまま街に乗り出しても違和感はない。

 上下が分かれるタイプで、身体のラインを隠すゆったりとした造り。その上から腰の後ろや脇の下、太ももにホルスターと武器を装備する。その上から群青を基調としたロングコートを着れば、自意識過剰の伊達男の出来上がりだ。

 この程度なら、町の日常に紛れ込んでも闇の世界に入り込んでも違和感もなく、人の記憶にも残らない。その上、対魔忍のスーツからかけ離れている故、対魔忍であるか、魔族であるか、米連であるかも判然としない。

 

 

「おっと、忘れてた」

 

 

 最後に鼻から下半分を覆う面頬とゴーグルをつけて、所属不明の救出者の完成だ。

 

 

 ――――では、状況を開始する。

 



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プロローグ2

 魔都・東京。

 

 秩序の均衡が崩れ、混沌に覆われた街。

 日中はかつて存在した表向きの秩序が残っているものの、その陰、或いは闇の中では対魔忍、魔族、米連の血塗られた闘争が繰り広げられる首都。

 

 その一角に、ノマドの下位組織が運営する歓楽街があった。

 カジノやバーは勿論のこと、同時に人魔問わない美女の性サービスを主とした風俗店が乱立する。勿論、美女の殆どが人身売買や奴隷契約によって集められた非合法店である。

 人と魔の欲望を煮詰めたヘドロのような匂いが漂う中にあって、行き交う者は顔を顰めず、寧ろ自らの欲望を肯定するように崩れた笑みを浮かべていた。

 

 

「あ、ぎぃっ! ふ、ふぁぁぁっ……!」

 

 

 その匂いの中心、下位組織の本部が存在する雑居ビルの地下室で、うら若き対魔忍――常森 蓮華は、天井から両手を鎖で繋がれ、豊満な胸を前に差し出す格好で犯されていた。

 

 

「く、くそ、……術、術さえ、使えれば、貴様らなんてぇ、ぁああっ! やめっ……! 子宮、ゴリゴリする、なぁ……」

 

「げへへ、自称・最強の対魔忍が聞いて呆れるぜ。噂には聞いてたが、対魔忍てのが皆淫乱だってのはマジらしいな」

 

「ち、ちが、ぁぁっ!」

 

 

 否定の言葉を口にしようとした瞬間、オークの剛直で膣襞をこそぎ落とされ、子宮を押し潰される快感に蓮華の表情は意志諸共に蕩け崩れた。

 魔界の最下級種族であるオークは、生存競争を生き抜くために、体液に媚薬の成分が含まれている。その成分を以て、攫った女を飼い慣らす。

 闇社会で流通している媚薬も投与され、常人ならばオーバードーズを起こしかねない状態ではあるが、悲しいかな、対魔忍としての強靭な肉体故に、死ぬこともままならない。

 

 

「ほれほれ、これが淫乱でなくてなんだ!」

 

「お、おひぃ……ひ、ひぃ、くちゅくちゅ、音、立てないでぇ」

 

「ああ? なら、こっちの方がいいのか!?」

 

「ひっぐ!? が、ぶぅ……! ひああぁぁぁああ!!」

 

 

 より悲惨だったのは、蓮華を囲むオークどもが力任せに女を犯すだけではなかったことだ。

 稚拙極まりない性技であったが、媚薬で全身が性感帯と化し、処女を散らしたばかりの彼女は快楽を受け流すこともできずただただ享受するしかない。

 

 敵に捕まり、犯されてから既に三日。

 地下室故に時間の感覚は失われ、凌辱と屈辱の中で蓮華の心は折れかけていた。

 挫折を知らず、成功ばかりの人生を送っていた彼女にとっては、無限に等しい時間を犯され続けているも同然だ。

 

 

「おら、喘いでばかりいねぇで、しっかり奉仕しろ!」

 

「ふ、ふざけ……! いや、臭いの近づけ、うぶぅ!?」

 

「ヘタクソなガキだが、ヒヒ、これから仕込んでやることを考えりゃ、いきり立つってもんだ」

 

「だなぁ。う、ぐ、それに上の口に突っ込んでやったら、こっちの方もキュンキュン締め付けて喜んでやがる立派なメス豚だ」

 

 

 下卑た快感に下卑た笑みを浮かべ、好き放題に罵るオークに蓮華は為す術もない。

 肉棒を咥えさせられ、咽喉を突かれる度に嘔吐(えず)き、窒息に鼻で呼吸をする度オークの吐き気を催す体臭が頭を掻きまわす屈辱。

 それ以上に不安を煽ったのは、咽喉と膣に先走りを擦り込まれる度に、苦痛よりも快楽が強くなっていくこと。否が応にも、身体をオーク専用の肉便器に作り替えられているのを理解させられる。

 

 

「んぶぶ、げぶ、ん! んん、ぅんー! んんんんんんっ!!」

 

「おいおい、咽喉突かれてイキやがったぜ。もう立派な口マンコだな」

 

「ほれ、これで書き込んどけ。何回イったか数えて、どれくらいメス豚になったか教えてやらなきゃな」

 

 

 後ろから膣を犯すオークから渡されたマジックで、口を開発し始めたオークは愉悦混じりに蓮華の頬に正の字を書き込む。

 見れば、彼女の剥き出しの尻には無数の正の字と、トイレの壁に書かれた落書きのような下品なマークが描かれている。

 

 蓮華は絶え間なく押し寄せている窒息を伴った快楽に意識を手放しかけながらも、周囲に視線を向ける。

 自分の周囲ではまだまだ多くのオークがいきり立った一物を扱いており、今か今かと自分の番を待ち侘びている。

 今からどれだけの時間を犯されるというのか。一週間か、一ヶ月か。何にせよ、ただの三日で心身ともボロボロの状態では、持ちはすまい。そう遠くない未来、常森 蓮華は闇の魔の手に堕ちるだろう。

 

 

「……ん? 何――――?」

 

 

 その時、電子ロックによって固く閉ざされた鉄扉が音もなくゆっくりと開いた――ように見えたが、すぐに閉じられた。

 それを見咎めたオークは不審そうに眺めたが、扉が閉められる直前に投げ入れられた物体に身体を硬直させる。

 

 コロコロと部屋を転がる円筒形の物体は、人間界の兵器に疎い彼にもすぐに分かった。 

 

 

「しゅ――――ガッ!!!」

 

 

 手榴弾、と叫ぶ暇も与えず、部屋全体に200万カンデラ以上の閃光と250デシベルの爆音が炸裂した。

 オークは元より、蓮華の網膜をも焼き、難聴を引き起こさせる兵器は、殺傷を目的とした手榴弾(ハンドグレネード)ではなく、行動不能を目的とした閃光手榴弾(フラッシュバン)

 

 視覚と聴覚を奪われた蓮華は、口と膣から引き抜かれた剛直の感覚と空気を震わせる何かを感じられるだけで、何が起こっているのかを知る術はない。

 続いて全身を襲った衝撃と自由になった手足に、自分が解放されたのを理解した。

 ゆっくりと視覚と聴覚が回復していき、何とか固まった関節を叱咤して顔を上げた蓮華の見たものは、自分の記憶にはない正体不明の男の姿と、額に叩き込まれる自動小銃(アサルトライフル)の銃床だった。

 

 

 

 

 

――

―――

――――

―――――

 

 

 

 

 

『何もそこまでしなくても。消耗した彼女を更に気絶させるなんて酷い人ですね』

 

「うるっさいんだよ! オレに余裕がないの分かってるぅ!?」

 

『まあ、気持ちは分かりますが……』

 

 

 かつて米連の連中から奪い取った自動小銃で邪魔なオークどもを皆殺しにし、常森 蓮華を気絶させ、アルと口論をしながら地下室の入り口にまで引き摺っていく。

 

 任務それ自体は難しくなかった。ノマドに組すると言えど、所詮は下部の弱小組織。

 戦闘になるのは傭兵や下位魔族の連中とだけ、と判断していたのだが、予想外のアクシデントというのは、どんな時にでも起こりうるものだ。

 

 作戦の全てが崩れ去ったのは決行の直前。

 アルに建物内部の機械類をハックさせ、侵入者用のセンサーから監視カメラ、電灯の制御に至るまでを奪った──まではよかった。

 さあこれから悠々と潜入して、さっさと仕事を終えようとした時――アルが建物入り口の監視カメラで()()()()姿()()()()()()までは。

 

 

「やってられ――――あ」

 

『残念ながら時間超過(タイムオーバー)のようです』

 

 

 地下室の扉を僅かに開け、気配と共に周囲の状況を探ろうとした瞬間――――“あの女”と目が合った。

 

 

「ま、マダム、これは……」

 

「ふん、これだけ見てもまだ分からないのかい? 鈍いねぇ。……そっちの方も顔を見せたらどうだい? かくれんぼを楽しめる状態じゃないだろう?」

 

 

 確かに、あの女の言う通りだ。地下室に籠ったところで袋小路──文字通りの袋の鼠。殺されるのは目に見えていた。

 大きな溜め息をつき、気を失った常森を引き摺りながら、自動小銃を腰だめで女にポイントしつつ廊下に出る。

 彼我の距離は10メートル。通路には地下室以外の部屋はなく、逃げるにはどうしても正面から突破するしかない。

 

 オレの姿を見た瞬間、女と男は訝しげな表情と視線を送った。

 

 

「敵対する魔族、じゃないねぇ。かといって対魔忍でもなさそうだ。となると武装もあるから米連に見えるけど……アンタ、何者だい?」

 

『答えてやる義理はない』

 

 

 姿形から何処の組織か判別できなかったオレに女は問いを投げかけてくるが、中国語で返してやる。

 

 

「なるほどなるほど、龍門の連中か――――なんて、言うと思った?」

 

 

 くすくすと笑い声を漏らす口元とは対照的に、その両目は嗜虐的な眼光で満ちていく。

 

 吸血鬼の王エドウィン・ブラックを頂点とする多国籍複合企業「ノマド」。その大幹部にしてブラックの側近。更にはアサギの宿敵でもある女の名は朧。

 かつては甲河一族の当主候補の一人であったにも拘らず、ブラックに一族を滅ぼされると転身。以後は闇の手先としてその両手を血で染め上げ、挙句の果てに己の死を契機に吸血鬼へと成り果てた。

 直接的な戦闘能力で言えばアサギに軍配が上がるが、決して弱い訳ではない。アサギに次ぐ対魔忍の実力者、さくらや紫が二人掛かりでも倒せるかどうか。

 何よりも警戒に値するのは、あらゆる手段を良しとし、卑怯卑劣、悪辣外道であることに何の疑問も恥も覚えないところだ。

 

 

「クソみたいな対魔忍を捕まえたからと来てみれば……ふん、楽しめそうじゃないか」

 

 

 いくら朧の対魔忍嫌いは有名とはいえだ。アサギに何度となく辛酸を舐めさせられたが故か、元々の生理的な性質なのかは知らないが、まさかこんな下位組織にまでわざわざ顔を出すなんぞ想定できるか……!

 

 

「だんまりかい。まあいいさ。そこの小娘と一緒に手足を斬り落としてから聞いて――――チッ!」

 

『戦闘開始。プランBに移行しますか?』

 

「いや、まだだ。合図を待て」

 

 

 朧の思考が、在り得もしない未来を夢想して加虐嗜好を満たそうとした瞬間、引き金を引く。 

 初弾で朧の隣にいた男――恐らくは、この組織の頭だろう――にヘッドショットを叩き込む。狙い通りだ。ここで奴に兵を動かされ、周辺を包囲されたら目も当てられない。

 

 続いて、朧に無数の銃弾を浴びせる。

 しかし、悲しいかな。単なる銃弾では朧には届かない。余程の不意を突くか、米連が開発中の特殊弾頭でも使わねば不可能だ。

 銃弾を躱し、或いは両手に装備した鉤爪付きの手甲で弾きながら、凄まじい速度で距離を詰めてくる。 

 

 

「あははははは! そんな程度であたしをどうにかしようって? ツイてないにもほどがあるねぇ……!」

 

 

 その点に関しては全く同意だ。意見が合うねオレ達――――だが、オレに遊びはないぞ。

 何の油断もなく、一切の躊躇なく、欠片の容赦もなく、オレは二つ目の閃光手榴弾を床に転がすように投げつけた。

 

 

「ッ――――甘いんだよ!」

 

 

 オレを痛めつけて遊ぶつもりだったのだろう朧であったが、流石に幾多の死線を潜り抜け、実際に地獄に落ちた訳ではない。

 床を転がる何かを目にするとそれが何かを確認するよりも早くオレに向かって蹴り返してきた。この手の投擲物に関しては、有効な手段である。

 

 ――尤も、安全ピンは抜いていない訳だが。

 

 蹴り返された閃光手榴弾を安全ピンを見せつけるようにキャッチすると、朧の瞳が憎悪に染まる。

 これから加虐心を満たす為に思う存分遊ぶ相手に遊ばれている。その一瞬の判断が思考能力を怒りに染め上げた。

 

 

「ガキィ……!」

 

「今だ、やれ……!」

 

 

 完全にオレにのみ意識を向けた朧を確認し、アルへと合図を下し、常森を抱えて走り出す。

 銃を、ましてや慣れぬ得物を手に間合いを詰める愚行。一瞬、朧の瞳は不審の色を見せたが、すぐ様殺意に満ち満ちた。何にせよ、奴にとって今は最大の好機だ。

 

 

『了解。逃走経路、確保開始』

 

「―――――ガっ!?!?」

 

 

 耳に取り付けたイヤホンからアルの無慈悲な電子音声が開始の号砲を告げる。

 

 次の瞬間、爆音と共に天井が崩れ、朧は落下する瓦礫の下敷きになった。

 

 何らかの作戦を開始する時には、作戦の失敗に対するカバープランを用意しておくのは基本中の基本だ。

 特に逃走経路の確保は最重要課題。今回は地下室が袋小路になっていることもあって、壁や天井を爆破できるように始めから爆発物をセットしておいた。

 

 本来の朧であればオレの落ち着きように違和感の一つも覚えたかもしれないが、ああまで殺意に満ちていればまともな思考は叶うまい。

 

 

「このォ、ガキが……、しまっ――!?」

 

 

 天井に開いた穴から階上へと登り、瓦礫の下から這い出してきた朧に閃光手榴弾をプレゼントする。無論、今度はピンを抜いて。

 背後から響いてくる爆発音と怨嗟の声を無視し、逃走を再開する。僅か数十秒に満たない時間だったが、一歩間違えれば死にかねない掛け値なしの死闘だった。

 

 想定外の事態はあったが、何とか任務を遂行し、事なきを得るのだった。毎度毎度、オレの任務はどうしてこう綱渡りになるんだか……。

 

 

 

 

 

――

―――

――――

―――――

 

 

 

 

 

『何か、お考えですか?』

 

「いや、少しな」

 

 

 用意していた逃走用の車両の中で、アルが声を掛けてきた。

 隣の助手席では、常森が完全に意識を失った状態でピクリとも動かない。これならばアルの存在が余計な人物に漏れることもないと判断したのだろう。

 既に東京を離れ、神奈川県の山中へと差し掛かり、追っ手の可能性もゼロに近づいた時点で速度を緩めて、僅かばかり考え事をしていたところだ。

 

 

『何でしょう? 想定外ではありましたが、不審な点はなかったと思いますが』

 

「それはオレもお前と共通の見解だよ。ただ、朧については別だ」

 

『――ああ、そう言えば、貴方は甲河朧と顔見知りでしたね』

 

「ああ、甲河一族が存在していた時からな。カオスアリーナ、東京キングダムであった件でオレも動いた。その折に遠目で朧を見た時から違和感があったが、今回直接対面してみるとどうにも腑に落ちない」

 

『と、申されますと?』

 

「とても同一人物には思えん」

 

 

 甲河 朧。

 甲河の分家出身でありながら、一時は当主候補にまで上り詰めた才女。

 かつて出会ったあの女は、実に有能で慎重かつ疑り深い性格をしていた。戦闘、作戦の立案能力に関しても申し分ない。

 狡猾でこそあったが、悪辣ではない。善人ではないが、悪人でもない。外道ではあったが、下衆ではなかった。そのお陰で、当時からアサギとは犬猿の仲だったが。

 アサギは朧を対魔忍の風上にも置けない女と嫌い、朧はアサギを弄ばれるだけの哀れな女と嫌っていた。

 

 しかし、第三者であったオレから見れば、あの二人はそれなりにいいコンビだった。

 何せ、根は同じなのだ。情を捨てきれず、互いに任務に徹しても付き纏う苦悩から解き放たれることがない辺りが特に。

 アサギはより情に寄り、朧はより任務に寄る。似たり寄ったりの同族嫌悪が嫌い合っていた原因だろう。

 その上、互いの能力はガッチリと噛み合っていた。絶大な戦闘力を誇るアサギに、奸智に長けた朧。正直、アルと組んでいる現在でも相手にしたくないコンビだ。

 

 

『甲河一族が滅ぼされた折に寝返った、と。それだけのことがあれば人格に変調をきたしても不思議ではないと思いますが』

 

「資質だけならアサギに並ぶ女だぞ。諦めの悪さもな。一族郎党皆殺しにされた程度で変わるほど柔な人格をしているものか。オレは特別何も思わなかったんだが」

 

『それは貴方がふうま一族を売ったからです、このドライモンスター。……では、調教によってという線は』

 

「調教は人格に変容をきたさない。今まであった価値観が崩壊するだけ、物事の優先順位が入れ替わるだけだ。そう考えると過去の朧と現在の朧では連続性がなさすぎる」

 

『考えられる可能性は、我々の知らない魔界の技術によるものか。あるいは――』

 

「別人が成り代わっている、か」

 

『その必要性があるのか疑問です。いずれにせよ、推察の域を出ません。これ以上は無意味でしょう』

 

 

 アルの言葉も一理ある。

 著名人に入れ替わるのならば分かるが、わざわざ日陰者の忍と入れ替わる理由などないだろう。

 まあ、どうでもいいと言えばどうでもいい。アサギと朧の間を取り持ったこともあるが、特段の感情を抱いていない。

 気掛かりなのはただ一点。もし朧に本物と偽物がいた場合、本物の方がオレを利用しようと動かないかだけだ。

 

 

『そろそろ回収ポイントです』

 

「さて、と。これで学園に戻って報告書を書いたら仕事は終わりだ。今回も何とか生き残れたか」

 

『お疲れでしょう。報告書は私がまとめておきますので、そのままお休み下さい』

 

「ク、オレの事を気遣ってくれるのはお前だけだよ」

 

『アサギ様も貴方に相当気を遣っているとは思いますが』

 

「気を遣っても実際の行動に反映されなきゃ何の意味もないがな」

 

『………………』

 

 

 オレの正論にフォロー虚しくアルは押し黙る。流石に、コイツもアサギには色々と思う所があるのだろう。

 山頂付近に存在する巨大な駐車場に車を停車させる。昼日中なら物好きな連中が山頂からの景色を眺めようと訪れるだろうが、夜半を越えた明け方の時間帯であれば、主要な道路から外れ、人里からも離れた此処に人は一人もいない。

 

 常森を残し車を降りたオレは、懐から取り出した煙草に火を付け、星空を眺めながら紫煙を(くゆ)らせた。

 色々なストレス軽減方法を模索した結果の一つがコレだ。もう仕事終わりには欠かせない一本となっている。

 

 後は回収部隊が近づいてくるのを確認してから、この場を離脱する。対魔忍内部でオレの存在を知っているのは極々少数のベテランのみ。

 その方が何かと都合がいいからというのがアサギに対して述べた結論だが、本音は別の所にある。

 オレの存在が何処からか漏れるのを防ぐためでもあるし、何よりも他の連中に、必ず救出してもらえるからなどという理由で命令違反や無茶苦茶な作戦を決行させないためだ。

 安全弁や安全装置があれば、自ずと人は無理をする。無理をして自分でケツを拭くなら兎も角、オレに拭かせるなぞ冗談じゃない。

 いくら仕事とはいえ、こちらにも我慢の限界や可能な範囲というものがある。これ以上気苦労と苛立ちが増したら、確実に脳の血管がブチ切れるだろう。

 

 あー、いやだいやだ、と星空を眺めていると流れ星を発見する。何の期待も抱かず流れ星に願いを込める。

 願掛けやお百度参りなど何度となくやってきたが、効果を得られたことは一度もない。それでも、こう願わずにはいられない。

 

 

 ――どうか次の任務までに、対魔忍が油断とか慢心とは無縁の集団になって、オレへのストレスが減りますように。

 

 



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対魔忍ユキカゼ編
『彼の苦労は何も任務ばかりではない』


 

 

「くぁぁ、……ねみ」

 

 

 此処の所の睡眠不足が原因の欠伸を噛み殺しながら、学園の廊下を歩く。

 最新鋭の設備が揃っている割に、五車学園は木造作りと古臭い。歩く度に床が軋んでいる。

 そろそろ改築予定だそうだが、その間の授業はどうするつもりなのか。青空教室でもするのか?

 

 

「弐曲輪先生、だらしないですよ」

 

「呆れた、もう少し凛子ちゃんを見習ったらどうです?」

 

 

 薄らボンヤリとそんなことを考えながら歩いていると、二人の少女に声を掛けられて足を止める。

 勿論、どちらも見知った顔だ。授業を受け持ったこともある。

 

 

「氷室と紫藤か。何か用か?」

 

 

 一人は紫陽花色の髪を長く伸ばした、スレンダーな身体つきの少女。キっとした視線は気の強さと融通の利かない性格を示している。名は氷室 花蓮。

 学園の風紀委員を務めており、彼女が風紀を取り締まってから学園全体の気が引き締まったと評判だ。

 その賜物か、三好 桔梗や蓮魔 零子などの堅物で知られる教師陣から受けがいい。オレは特段の評価は下していない。だって、オレにとって便利でも都合が良い訳でもないし。

 

 もう一人の、灰色のウェーブがかった長髪に、豊満な胸と尻肉に反してくびれたウエストの男好きする肉体の少女は、言葉通りの呆れた視線をオレに向けている。此方の名は紫藤 凜花。

 “対魔忍に二凜あり、秋山 凜子と紫藤 凜花”と謳われるほどの腕前を誇る、ゆきかぜに並ぶ次世代のエースである。

 因みに紫藤だが、オレを見下している節がある。まあ、大抵の連中はオレを陰に陽に馬鹿にしているので気にもならないが。

 

 秋山 凜子はゆきかぜの相棒に当たる人物である。通称“斬鬼の対魔忍”。だから忍が異名など取ってどうする。

 忍の里に代々伝わる逸刀流の使い手であり、単純な剣の腕前はアサギに勝るとも劣らない。つまり近接戦闘においては対魔忍の中でも上から数えた方が早い腕前だ。

 10代の頃は水城家と懇意だった秋山家との付き合いがあり、その所為もあってゆきかぜ、凜子共々面倒を見ることは少なくなかった。

 

 

「用も何も、弐曲輪先生は教師なんですから、身嗜みくらい整えて下さい」

 

「いや、悪いな」

 

 

 氷室は緩んでいたオレのネクタイに手を伸ばすと、キュっと締め直す。少し閉め過ぎて息苦しい。あとでこっそり緩めよう。

 

 

「全く、だらしのない。それでも五車学園の教師ですか。貴方がそんなようでは、知り合いである凜子ちゃんの名を貶めることになるのを理解しているんですか?」

 

「それは関係ないだろう。実際、アイツは(戦闘面では)優秀だよ」

 

「貴方のような知り合いが居ること自体、凜子ちゃんにとって不利益になるんです!」

 

「ちょっと先輩、言い過ぎです」

 

 

 氷室に諫められ、紫藤はふんとそっぽを向いた。その様子では、まだまだ言いたいことはあるらしい。

 凜子と凜花は謳われている通り、幼い頃からの幼馴染であると同時に、切磋琢磨するライバルでもある。

 幼馴染として、うだつの上がらない下忍と繋がりがあること自体、気に食わないのだろう。多少、オレに対して攻撃的になっても仕方がない。

 

 

「分かった分かった。オレから凜子には近寄らん、それでいいだろう?」

 

「弐曲輪先生はそれでよろしいんですか?」

 

「構わないが? 紫藤の言い分にも一理あるしな。オレは他人の足を引っ張るのも引っ張られるのもゴメンだ。それに、オレは凜子に対して特別な思い入れはない。生徒と教師以上の思い入れはな――ふぁぁ」

 

「……眠そうですね」

 

「眠いよ。昔から対魔忍は人手不足だからな。有能だろうが無能だろうが、動ける奴は問答無用で使われる」

 

 

 此処の所、対魔忍と魔族と米連の小競り合いは日に日に激化の一途を辿っている。

 一定以上の力量が認められた学生は実戦に投入されるほどだ。人材不足の人手不足。何処も彼処も生き地獄。地獄へお共せよ、ということらしい。

 そういう訳で、オレも救出班としての任務のみならず、下忍として斥候や情報収集に駆り出されることもある。

 教師に救出班に下忍の任務と三足の草鞋だ。真面目にオレの過労死を狙っているとしか思えない。

 

 

「ふん。弐曲輪先生と任務を共にして、失敗しましたなんて事態にならなければいいですけど」

 

「紫藤先輩……!」

 

 

 氷室は持ち前の堅物さ加減から、本心はどうあれ誰に対しても同じように接するし、能力や評判の色眼鏡で人を見ることはない。

 その分、だらしない人間や不真面目な人間には、ピシャリと物申す性質だ。

 

 反面、紫藤は実力や能力を重視して、自分の下と見た人間に容赦はない。オレへの当て擦りがいい例だ。

 それでも嫌われていないのは、自分の上と見た人間には敬意を払い、同時にいつか超えてやろうとする向上心があり、また自分の認めた相手には惜しみない優しさを分け与えるからだ。

 

 

「安心しろよ、紫藤。昔に比べりゃ任務の難易度も大分落ちてる。20年前に比べれば大分マシな方だ」

 

 

 これは事実だ。今現在では比較的安定した組織運営が出来ているが、当時は其処彼処から人材を掻き集めてどうにかこうにか魔界と周辺諸国へと対抗していた。

 死傷率はバカみたいに高いわ、集めた人材も根が忍なので裏切るわ寝返るわのオンパレード。とてもではないが、後進の育成など不可能な状態だった。

 当時の最前線を経験し、生き残って現役を貫いているのはアサギと紫の兄である八津 九郎、オレくらいのものだ。それ以外は三途の川を渡ったか、戦線復帰不可能な傷を負った。

 さくらと紫に関しては現役として活躍するのはその少し後になるし、現在ベテランと呼ばれる連中も大体同じくらいだ。

 

 

「つまり任務の難易度が高かったから失敗ばかりで、不名誉な名で呼ばれることになったと?」

 

「それもあるが、下忍が任務を失敗して生き残れること自体、稀だ。大抵死ぬからな。それに下忍が生き残ったとしても携われる任務の高が知れてる以上、挽回の機会なんぞハナからない」

 

「………………」

 

 

 これも事実。下忍など基本的に使い捨てだ。

 トップがアサギになって大分マシになっているとはいえ、下忍の死傷率と上忍の死傷率とでは雲泥の差がある。

 これには単純な実力差以上の問題がある。大抵の社会、組織構造がそうであるように、下にいる者は上にいる者に対して奉仕せねばならない。

 より優れた者を救う為に、より劣った者が犠牲になる。人間とは、そうやって価値を上げていくものだ。

 たまさか生き残った下忍に挽回の機会などなく、またその必要もない。次の犠牲となる為に新たな死地に向かうだけの話。

 

 

「オレからお前達に言えるのは、学生の内に訓練して、知恵をつけて、さっさと上に上がれってことだけだ。オレみたいになりたくなければな」

 

「そ、その程度のこと理解しています」

 

 

 オレの言葉に何か思う所はあったのか、紫藤はそれきり口を閉ざした。

 自分の至らなさを反省しているのか、或いはオレに憐憫でも抱いているのか。

 どちらでもいい。何の足しにもなりはしないが、あの何時もオレに噛みついてくる口が閉ざされただけ御の字だ。

 

 

「少し、可笑しくないでしょうか……?」

 

 

 紫藤の様子に満足していると、今まで黙っていた氷室が口を開く。

 

 

「弐曲輪先生は異能系の忍術を持っていない下忍、で合っていますよね?」

 

「んん? あー、まあ」

 

「でも、それだけの時間を生き延びて、かつ失敗以上に多くの任務を成功させている。その上、生存能力や逃走能力では上忍の方々にも引けを取らない」

 

「些か以上に買いかぶりだと思うがなぁ」

 

「やっぱり可笑しいです。それだけの長い時間仕えて、任務を達成できる実力があるなら中忍として昇格しても可笑しくないです」

 

「いやー、ははは……」

 

 

 これだから、真面目で賢しい奴は厄介だ。ちょいとした気の緩みでこっちの隠しておきたい事実に肉薄してくる。

 救出班の仕事を除いたとしても、オレの熟してきた任務を考えれば中忍どころか上忍に昇格しても不思議ではないだろう。

 立場的にはさくらや紫を越えて、アサギの右腕と名高い九郎と同等の扱いを受けていなければ可笑しい。

 

 下忍からの脱却を図らないのは色々とあるが、まず第一にオレがふうまの出身であること。

 対魔忍はアサギを頂点とした集団ではあるが、決して一枚岩ではない。アサギの存在自体を快く思わん連中もいる。

 特に井河に転がり込んだ時代の生き残り連中の殆どは隠居しているが、オレがふうまの生き残りであることを知っている。跡取りや側近にもその事実を伝えているだろう。

 下忍として働いている分にはいいが、組織内でデカい顔をしようものならどんな手を打ってくるか。最悪なのは、外にオレが生きているという情報を流されることだ。喜び勇んでオレを殺しに来る奴等も少なくない。

 そして、オレを受け入れた瑕疵を理由にアサギを引き摺り落とし、自分や一族が立場を取って代わろうとするだろう。

 間抜けを通り越して可愛く思えてくる。今対魔忍が纏まっているのは、アサギの人柄もあるが、何よりもその強大な力があってこそ。

 人柄だけで組織を纏め上げる人物もいるが、我の強い対魔忍を纏め上げるには、何よりもまず力ありきだ。実力至上主義なのだから当然だろう。

 アサギがいなくなれば瓦解する。瓦解したら瓦解したで、また身の振り方を考えるだけだが。

 

 

「なんだ、お上はお上で考えがあるんだろ。何も実力や実績だけで昇格が決まるわけじゃない。コネや性格とかもあるだろ」

 

「性格は兎も角、コネって……」

 

「それを言うなら、アサギ先生と付き合いの長い弐曲輪先生なら……」

 

「それを補って余りあるダメな性格ってことだ。それに組織のトップが身内に甘いなんぞ、笑い話にもならん」

 

 

 紫藤は不満タラタラで何か言いたそうな表情であったが、言葉にはしなかった。

 氷室は氷室で、今一つ納得していない表情だったが、普段の全くやる気を感じられない態度を思い出したのだろう。同じく押し黙る。

 

 いやはや、誰からも期待されないというのはいいね。期待をされない自由! 実に素晴らしい!

 何が一番素晴らしいと言って、誰からも警戒に値する相手と認識されてない辺りが特に。

 対魔忍にせよ、魔族にせよ、米連にせよ、誰からも歯牙にもかけられない立場が一番楽だ。仕事をするにしても、何をするにしても。

 わざわざ自分から苦労を背負い込むつもりは一切ない。どうせオレの場合(主にアサギのせいで)、苦労など自走式地雷のようにこっちに突っ込んでくる。死にたい。

 

 はあ、と大きな溜め息をついていると何時の間にか氷室や紫藤はいなくなっていた。

 どうやら、余程深く考え込んでいたらしい。何を言っても反応しなくなったオレに呆れて、自分の日常ルーチンに帰っていたのだろう。

 

 しかし、眠い。

 この程度の睡眠不足と疲労はかつての生き地獄に比べれば大したものではないが、急な任務を入れられて突発的なアクシデントと体調管理不足で死ぬなぞ、馬鹿馬鹿しくて極力避けたい。

 素直に休むとしよう。幸い、午後まで授業はない。保健室を借りて、休めばいいか。

 

 

「に、弐曲輪先生……!」

 

「……今度は水城か、何か用か?」

 

 

 今日は千客万来だ。ゆきかぜがオレに声をかけてくるとは珍しい。ここ数年は避けられていたのだが。

 しかも、いつもと様子が違う。普段は苛立ちと蔑みの視線を向けてくるのだが、今日に限っては緊張と不安の色が強い。

 

 

「今日の放課後、お時間ありますか?」

 

「突発で何か起きなきゃな。なんだ、質問か何かか? 水城のレベルだったらわざわざオレに聞くより他の先生がたの方がいいと思うが」

 

「そうじゃなくて…………兎に角、時間開けておいて下さい!」

 

 

 ゆきかぜはそれだけ言うと走り去ってしまう。

 別段、断る理由もないが、相手の返事も聞かずに去ってしまうのは如何なものか。

 ……色々と考えなくてはならないことがある気がするが、眠気で頭が回らない。一度、眠ってから考えるとしよう。

 

 

 

 

――

―――

――――

―――――

 

 

 

 

 

「………………」

 

 

 つづがなく日々のルーチンワークを終えたオレは夕暮れの中、我が家への帰路に――――は就かず、水城家へと向かっている。

 どういう訳か、放課後に顔を見せたゆきかぜは、自分の家に来るように願うとまた返事も聞かずに去っていった。

 またぞろ妙な展開だ。いくら幼い頃から付き合いがあり、毎日学園で顔を突き合わせているとは言え、ここ数年のゆきかぜの様子を見る限り、家に招かれる筈もない。

 ないとは思うが、簡易戦闘装備を忍ばせてきた。流石に、ゆきかぜから命を狙われることはないと思いたい。

 

 水城家は代々、優秀な雷遁使いを排出している名門だ。

 そのお陰か、木造平屋建ての一軒家はかなり大きい。しかも庭付き。池まで付いてる。尤も、その大きさも、今では虚しいだけかもしれない。

 ゆきかぜの両親は、既にこの家に居ない。母は5年前の任務中に行方不明。未だに救出班への出動要請もない。父も同じく任務中に死亡。ゆきかぜはこの家にたった一人で生活している。

 まあ、アレで友人は多い方だ。自分の家に招いて女子会だのお泊り会だのをしているし、周辺の家や分家の者が時折、世話を焼きに来るのも知っている。

 両親はいないが孤独とは縁遠い。オレがわざわざ手を貸してやる必要も、世話を焼いてやる意味も理由もない。

 

 水城家との付き合いは、ゆきかぜの父を敵陣から救出してから始まった。思えば、当時からそんな役回りをやらされることが多かったような……。

 ゆきかぜの両親に大層感謝されたが、嬉しくも何ともなかった。ただ、オレの仕事を増やしやがってという不満があっただけだ。

 しかし、何を勘違いしたのか、彼等は天涯孤独であったオレを度々家に招き入れた。オレが自ら天涯孤独になる道を選択した間抜けだと知ったら、どんな顔をしただろう。

 そうしている内に、ゆきかぜの世話を任せられるようになり、彼等が任務に出ている際はオレが面倒を見ていた。

 

 …………ふと過去を思い出し、一つの疑問が浮かび上がる。

 ゆきかぜと知り合ったばかりの頃、アイツはオレを怖れていた。

 オレは本質的に他人を信用していない。ただの一人も、だ。他人に求めるのはオレにとって有用かどうかであり、それ以外は何も求めていない。

 子供心にその本質を理解していたのだろう。必要以上に近づいてくることはなかった。オレもオレで、食事の用意や最低限の世話をするだけで近づかなかった。

 それが虎太兄、虎太兄と鬱陶しいほど慕ってくるようになったのは何時の頃からだったか。何かあったような気もするが、オレにとってどうでもいいこと過ぎて、思い出せそうもない。

 

 疑問もそこそこに、チャイムも鳴らさず勝手知ったる人の家の扉を開けて中に入る。

 

 

「あ、あれ? こ――――弐曲輪先生!? も、もう来ちゃったの? ひゃわぁぁぁ!!」

 

 

 勝手な都合で人を呼びつけておいてその言葉はどうなのか。

 最後の悲鳴は水が急激に蒸発するような音に続いてのものだった。……鍋でも吹きこぼしたか。

 呆れで頭を掻き掻き玄関を上がり、台所に向かうと、制服にエプロン姿のゆきかぜが肩で息をしながらコンロの火を消し止めた所だった。案の定、火にかけた鍋は無残に吹きこぼれている。

 

 

「何をやってるんだ、お前は」

 

「あ、あはは……」

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「んー、先生、火加減、これくらい?」

 

「ああ、後は落とし蓋をして弱火でじっくり煮込む。ジャガイモが煮崩れる直前までな」

 

「りょーかーい」

 

 

 そんなこんなで、ゆきかぜと夕食を作る羽目になった。本当は夕食をご馳走する算段だったようだが、アレではなぁ。

 オレはスーツの上着だけを脱いでシャツの袖を捲り、今は味噌汁の出汁を取っている。化学調味料を使わず、昆布と鰹節から取って一手間かけているところだ。

 

 

「と言うか、お前、普段はどうしてるんだ。あの様子じゃ、まともに自炊も出来んだろ」

 

「う……、近所の人とかの御裾分けとか、友達が作ってくれたりとか。あと、基本は三食、学園の食堂で食べてます」

 

「え?! 何それ初耳! 学園の食堂って昼しか開いてないんじゃないのか!?」

 

「ほら、やっぱり学生でも親の居ない子が多いから。食堂のおばちゃんが特別に」

 

「マジか。……マジかぁ。もうオレ、自炊するの止めようかな。面倒だ」

 

「折角、自炊できるんだから続ければいいのに……それに先生は先生で、学生じゃないでしょ?」

 

「いや、そこは親無し配偶者無しを口車で何とかするさ」

 

 

 手間がかかるよりかは楽な方を選びたい。

 男の一人暮らしなどそう大したものじゃない。炊事、洗濯、掃除の中から一つでも減らせるのならいい。

 ジト目で此方を睨んでくるゆきかぜを無視し、食堂のおばちゃんの人柄を思い出す。…………泣き落としで行くか。

 

 考えるだけでなく手も動かす。

 沸騰させず絶妙な加減で出汁を取り、丁寧に出し殻を取り除いてから一度煮立たせる。

 出汁が沸騰し、いい香りが鼻腔をくすぐり始めたら、弱火にして味見をしながら白味噌を溶かす。これ以後は沸騰させては駄目だ。

 そして、具材の豆腐と水で戻したワカメを入れる。具材に火が通るの待って、完成だ。

 

 

「ふん、それなりだな。ほら、味見してみろ」

 

「何? 完成してから味見させるの? 順番おかしいよ」

 

「いいから、黙って飲んでみろ」

 

「もう………………んっ!? これ!!」

 

 

 小皿に移した味噌汁を口にすると、ゆきかぜは元々大きい目をまん丸に見開いてオレを見てきたので、ニヤリと不敵に笑ってやる。

 ゆきかぜが目を輝かせるのも無理はない。何せ、5年ぶりのお袋の味という奴なのだから。

 別段、ゆきかぜの母親から教わった訳ではない。ゆきかぜの相手をしている時に、たまさか目に入った手順を覚えていただけの話。

 出来ることと好きなこと、出来ないことと嫌なことが必ずしも一致しないところに、どうしようもない世の無常を感じるが、この際だ、捨て置こう。

 

 それから暫くして夕食が一通り完成し、オレとゆきかぜは食卓に着いた。

 肉じゃが、大根の煮物、アジの開き、豆腐とわかめの味噌汁、浅漬け数種、そして豆ごはん。

 かつて水城家で並んでいたレシピを再現したものばかりだが、それなりの味にはなっているだろう。

 

 いただきますと行儀よく挨拶をして、実食。

 

 

「んんんー! 美味しい!」 

 

 

 食事中、ゆきかぜは終始そのような感じだった。

 その様子に水を差すこともない。少々行儀は悪かったが、親でも兄弟でもない以上、躾ける必要もないだろう。

 

 大好評のまま食事も終わり、ゆきかぜと一緒に食器を洗う。

 特に会話もない。食事中も、料理に関することばかりでそれ以外の話はしなかった。

 

 だから、何故今日に限ってオレを呼んだのかも聞いていない。

 正直な所、不思議ではあるが深く踏み込むつもりはない。ゆきかぜの考えなど、オレにはどうでもいいことだ。

 

 

「にの――虎太兄は、さ。何も聞かないんだね」

 

 

 唐突に、ゆきかぜが口を開いた。本当に唐突だな、この娘は。

 

 何も聞かないのは当然だ。単純に興味がないのだから。

 ゆきかぜが、ある日を境に虎太兄から弐曲輪先生と呼び方を変えたことも。

 ゆきかぜが、学園でオレに対して常に苛立ちや侮蔑を向けることも。

 等しくオレにとっては価値がない。

 呼び方を変えた程度でオレの仕事が楽になる訳でもないし、ゆきかぜが苛立とうが軽蔑しようがオレの人生が変わる訳でもない。

 

 

「お前にも色々とあるだろ、年頃だしな。それにオレだってお前に言ってないことくらいある」

 

 

 だが、口が裂けても本心は言わない。自分から人間関係を悪化させるほど間抜けでも愚かでもない。いや、今のは今ので事実であり本心だ。

 人にはそれぞれ考え方や立ち位置があり、オレにとって相容れず、理解できないものであったとしても、笑うつもりも、否定するつもりもない。

 オレは好き勝手やっているのだから、他人が好き勝手やっていても文句は言えまい。自分は特別などという愉快な勘違いを抱いていたら、とてもではないが生き残れなかった。

 

 

「私はっ! ………………ごめん、急に大声出して」

 

「いや……」

 

 

 ゆきかぜは今にも泣きだしそうな表情で何かを耐えるように押し黙る。

 不可思議ではあるが、やはり踏み込むつもりもない。何者かに操られている様子もないのだ、思春期特有の情動ということで済ませよう。この程度の情緒不安定、学生にはよくある話だ。

 

 それきり会話は途切れた。

 手早く洗い物を済ませて家を立ち去ろうとするも、ゆきかぜからは何の言葉も相談もない。寧ろ、椅子に掛けてあった上着を着せようとしてきたほどだ。

 

 

「どうした……?」

 

「ん、お見送り」

 

 

 ゆきかぜは玄関までの短い道のりをトコトコと横を付いてくる。懐かしい煩わしさに妙な気分になった。

 くたびれた革靴を履くと、ゆきかぜが鞄を手渡してきた。甲斐甲斐しいことだ。

 

 

「今日は、ありがとう。色々、迷惑かけちゃった」

 

「別に気にしちゃいない」

 

 

 オレに迷惑をかけてくる連中は、アサギとかアサギとかさくらとか紫とか朧とかノマドとかブラックとかアサギとかなので、迷惑の度合いがメガトン級だ。このくらいの迷惑なら可愛いもの。迷惑の内には入らない。

 

 ゆきかぜはオレの言葉に安心した表情で吐息を漏らし、にっこりと微笑んだ。本当に、今日は背筋が薄ら寒くなるくらいに素直だな。

 

 

「また、ご飯食べに来てね」

 

「お前がまともに料理できるようになったらな」

 

「もう! 虎太兄の意地悪! ………………じゃあ、またね」

 

 

 小さく手を振りながら見送ってくるゆきかぜに、最後まで何も問わないまま、オレは水城家を後にした。

 

 水城家よりも遥かに質素な我が家への道すがら、暫し物思いに耽る。

 結局、最後までゆきかぜの表情から緊張と不安が消えることはなかった。恐らくは、近い内に何か大規模な任務でも仰せつかったのだろう。

 しかし、それはそれで疑問が残る。ゆきかぜが赴くのであれば、当然、相棒である凜子も同行するはず。

 あの二人が組めば、アサギもあっさりと勝ちを拾えないレベルの腕前だ。対魔忍最高のコンビとは言えないが、実力は上から数えた方が速い。

 魔族や米連の中でも、中堅以上の腕前がなければ話にもならない。

 戦闘に限った話だが、あの二人が確実に負けると断言できるのは、魔族側では朧や魔界騎士のイングリッド、数なら中規模戦闘部隊は必要だ。米連側では対魔忍戦闘に特化した一個中隊か、二人討伐専用のタスクフォースが必要になるだろう。

 

 あの二人、一体何処のどいつを相手にするというのか。

 ()()()()()()()()()()()()()()あの二人だからこそ、それ以外の想定が出来ない。

 

 

「ん? 弐曲輪教諭……?」

 

「……今度は凜子か」

 

 

 そんなことを考えていると、夜の帳の中から秋山 凜子が現れた。月が昇っている時間だというのに制服姿だ。コイツは私服を持っていないのか。

 

 オレの姿を見つけた凜子は此方に歩み寄り、何事かを口にしようとしたが結局は言葉にはならなかった。

 何故か、オレの来た道(勿論、水城家の方角だ)を指差し、続いてオレの行く道(勿論、侘しい我が家の方角だ)を指差した。すると、得心がいったとばかりに手を打ち、何故か目を輝かせる。

 

 

「おお、ゆきかぜの所に居たのだな。ふふ、そうかそうか」

 

 

 凜子は学園内では敬語で教師と生徒という関係を崩さないが、学園を一歩でも出ればこうして砕けた口調になる。それでも随分と古めかしい喋り方だが。

 

 何を考えているのかは知らないが、普段の冷静な態度は鳴りを潜め、何処か浮足立っているように見える。

 

 

「これで私も、心置きなく貴方に頼めるというものだ」

 

「頼む? 何をだ? 面倒事は勘弁してくれ」

 

「う、む。面倒と言えば確かに面倒かもしれんが、貴方にとっても損はないはずだ」

 

「…………ああ、何だ。ゆきかぜのように食事に誘うのか? 勘弁してくれ、今は腹一杯だ」

 

「ん? ………………まさかとは思うが、食事をご馳走になっただけなのか?」

 

「ご馳走したのはこっちの方になったけどな」

 

 

 ゆきかぜへの皮肉交じりの返答に、凜子は眉を顰める。続いて、大きな呆れの溜め息をついた。

 まるでオレを咎めているようだ。何故、ゆきかぜのところで食事をして帰ってきただけで、気に食わないとでも言わんばかりなのか。

 

 

「貴方という人は、呆れを通り越して怒りすら込み上げてくる」

 

「ああ、そうかい。何が不満か知らんがな、そっちの都合だろう。オレにはオレで都合があるんだ」

 

「そういう人だとは分かっていたが、…………はぁ、私達は本当に……」

 

 

 凜子は片手で顔を覆い、自らの不運を嘆くように首を振った。

 

 

「……一つ、聞きたいことがあるのだが、構わないか?」

 

「答えられる範囲でならな」

 

「貴方は、私やゆきかぜとどのようにして距離を縮めたか、覚えているか……?」

 

「ああ、それか。今日たまたま思い返してみたんだがな。特に記憶がない。何かあったか?」

 

「そう、か。そうだろうそうだろうと薄々感づいてはいたが、面と向かって言われると……中々きついものがあるな」

 

「ああ? それはどういう意味だ?」

 

「貴方が他人に求めているものは人格や性格でも、況してや寄り添ってくれる誰かでもなく、徹底して能力だけだということさ。寂しい人だ」

 

 

 それの何が悪いのか。それこそオレには理解できない。

 人は一人では生きていけない。それは真理だ。オレも認めざるを得ない。

 人の性能には限界があり、器に満たせる才能と努力に限度がある以上、仕方がないことだ。

 だが、断じて孤独故にではない。もし仮に衣食住が死ぬまで安定して揃うのであれば、人は世界の終わりまで一人で生きていくなど容易い。

 少なくともオレはそうだ。ふうまから出奔し、誰一人味方が居らず、自分以外の全てが敵という状況でも、精神的には何の問題もなかった。あったのは能力的かつ肉体的な問題だけ。

 

 ――うさぎじゃあるまいし、寂しくて人が死んで堪るものかよ。

 

 

「私とゆきかぜは…………いや、止めよう。それよりも、一つ頼んでもいいか?」

 

「質問の次はお願いか。……何だ言ってみろ。返事はそれから考えるけどな」

 

「私とゆきかぜに何があっても、今までと変わりなく接してくれる、だろうか?」

 

「なんだ、それは。…………まあ、それぐらいは構わんが」

 

 

 訳が分からない。控えている任務が命に関わるレベルなのか。或いは傷つくことを避けられない何かが待ち構えているのか。

 

 いずれにせよ、オレが誰かと接し方を変えるなど在り得ない。

 人によって好悪はあっても、だからと言って接し方を変える理由もない。そもそも特別でないオレが、特別でない誰かに接し方を変えるなどというのも可笑しな話だ。

 

 

「それを聞いて安心した。これで心おきなく任務に臨める。付き合わせて悪かった。ありがとう」

 

「そいつは重畳。じゃあな、足元には気をつけて帰れよ」

 

「ふふ。誰に言っているんだ、貴方は」

 

 

 最後に花が綻ぶような笑みを見せて、凜子は来た時同様、夜闇の中へと消えていった。

 消えていく背中を見送ってからまた歩を進める。愚かなことに、何の疑問も抱かずに。

 

 神ならぬこの身には栓なきこととは言え、後になってから、これが何度もあった最後のチャンスだったと頭を抱えた。

 そう、オレが楽をする為の最後のチャンスだ。そして、超ド級の爆弾を解体する最後のチャンス。

 

 ――――つまり、またしても望んでもいない苦労がオレ目掛けて突っ込んでくるということだ!

 



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『上司が彼に苦労を押し付けてくるのだが、彼はもう限界かもしれない』

 

 とある日の昼休み。

 名を変えたふうまの跡継ぎ、弐曲輪 虎太郎は五車学園の廊下を絶望的な表情で歩いていた。

 まるで己の命以外全て――金も、名誉も、家族すらも奪われたような表情だ。

 普段は彼のことを嘲笑っている生徒たちですら、余りの変貌ぶりに思わず自分から道を譲り、声を掛けることすら憚られている始末。

 

 彼に一体何があったというのか。

 何のことはない。単なる呼び出しであるのだが、彼にとって問題であったのは呼び出した人物にこそあった。

 呼び出したのは井河 アサギ。対魔忍のトップであり、実力もその頂点に立つ女傑だ。

 生徒ならば呼び出される名誉に喜びで震え、教師であっても緊張は隠せないが、虎太郎にしてみればどちらも馬鹿馬鹿しい。

 彼にとってはアサギは最強の対魔忍などでなく、厄介事を押し付けてくる傍迷惑な上役でしかないのだ。

 

 加えて今回の呼び出し、アサギだけでなく、アサギの脇を固めるさくらと紫も同席するというのだ。

 アサギからだけでも相当な厄介事だというのに、側近であるさくらや紫も同席するレベルとなると厄介事を越えた厄ネタに他ならない。

 楽をしたいと願う彼には、厄ネタなど地獄への誘い水にしか見えない。これだけの絶望的な表情にも納得だ。

 

 

「………………」

 

「全く貴様は、ノックの一つでもしたらどうだ」

 

「………………」

 

「ねぇ、コタ君。挨拶くらいは、ほら、ね」

 

「………………」

 

「はぁ、もう勝手に始めるわよ。ほら、アルフレッドの端末を出しなさい」

 

『こんにちは、皆さま。今日もお元気そうで何よりです』

 

 

 虎太郎は無言で校長室の引き戸を開けて入室し、無言で三人の対面に位置する場所の椅子に座り、無言でアルフレッドの端末を机の上に置く。

 紫は怒りを露わにし、さくらは憐れみを向け、アサギは呆れと共に溜め息をつき、アルフレッドは丁寧に挨拶を述べる。

 必要以上に虎太郎を責めるものはいない。もう何度となく繰り返してきたやり取りであり、改善の余地など初めから存在しないと学んでいるからだろう。

 

 

「今回は救出任務の命令ではないわ。……そうね。相談、かしら?」

 

「………………相、談?」

 

 

 アサギの台詞に虎太郎は、目が死に表情筋が死に、全てが緩み切っていた生ける屍(リビング・デッド)の如き表情から、FXで有り金全部溶かした人の顔程度には回復した。

 虎太郎としても、救出任務での命がけの苦労をするよりかは、救出が必要となるかどうかの前段階でああでもないこうでもないと相談し、知恵を捻出した方が労力が少なくて済むと考えたのだ。

 

 

「ええ、現在遂行中の、ある任務で気になる点があってね。貴方の意見が聞きたいのよ」

 

「なるほどね。任務の続行か、中断かを判断したいわけか」

 

「この手の判断に、貴方以上の適任はいないわ」

 

 

 虎太郎は対魔忍ではあるが、その性質や本質は寧ろ敵対する闇の住人に近い。

 彼が対魔忍に属しているのは正義や誇りの為でなく、ましてや情の為ですらなく、万が一の保険と対魔忍が彼にとって扱い易い集団だからだ。

 

 ふうまの跡取りであり、同時に一族の裏切り者である彼に恨みを持つ者は多く存在している。彼自身が買った恨み、一族が買った恨みに区別はない。

 万が一、ふうまの生き残りであることがバレた時に肉壁にしやすいのが、魔族でも米連でもなく対魔忍であった。

 少数精鋭かつ派閥争いが少なく、その上仲間を見捨てないと謳う集団だ。確かに、一切の情と人間性を切って捨ててみるならば、肉壁にしやすいと言えるだろう。

 その性質を理解してなおアサギが彼を重用しているのは、お決まりの情のみならず、彼自身が常に自身の有用性を証明し続けているからに他ならない。

 

 その一つが状況判断能力である。

 限りある情報から推測し、裏に隠された事実、思惑を導き出す力に彼は長けている。

 

 幼年期、彼の周囲は敵しかいなかった。

 身体能力に大きく劣る彼が生き残れたのは、何より運によるところが大きいが、それだけではない。

 身体能力で劣るのであれば、それ以外の生きた年月に関係のない能力で勝るのみ。

 即ち、人と状況を観察し、その本心で何を考えているのか裏の裏まで読みつくし、その上で最良の一手を導き出すこと。それに長けていたからこそ、彼は生き残れたのだ。

 

 

「遂行中の任務は“纏の任務”」

 

「……“纏”ね」

 

 

 虎太郎は差し出された資料を受け取り、頬を掻いた。その言葉だけで、かなり難しく繊細な判断が求められるのを察したのだろう。

 

 纏の任務とは、対魔忍の間でのみ伝わる俗語、或いは隠喩だ。その内容は身分を偽り、情報を探る潜入任務。

 短くとも一ヶ月。長ければ十年単位で任務に当たり続けなければならず、本来の身分がバレたのならば即座に殺されるか捕らえられる、非常に過酷で危険度が高い任務だ。

 

 

「任務遂行に当たるのは、水城 ゆきかぜと秋山 凜子」

 

「…………………………………………え? あの、ゴメン。オレの聞き間違いかなぁ。とんでもない名前が聞こえたんだが」

 

 

 その二人の名前を聞いた瞬間、虎太郎は理解できないという表情で三人の顔を見回しながら、震え声で聞き返した。

 

 水城 ゆきかぜ、秋山 凜子。両名共に、虎太郎自身が世話をしたことがあるほどには親密な関係の少女達である。

 確かにそのような関係を持つ少女たちが危険な任務に赴いていたと知れば、当然動揺もしよう――――まともな人間なら。

 

 

「残念ながら聞き間違いではない。確かに水城と秋山が纏の任務を遂行中だ」

 

「……………………………………」

 

『ああ、皆さんお待ちください。私を見捨てないで』

 

「あ、ああ、ゴメンね、アルちゃん」

 

 

 紫の止めの一言に、虎太郎の表情筋は完全に死んだ。

 この部屋に入ってきた時以上の有り様である。最早、能面の方がまだ表情があると言えるほどの無表情。いや、誰であっても彼を弐曲輪 虎太郎と判断できないほどの表情の完全な消失、即ち“無”だ。

 

 その様に紫は首を振りながら、さくらは乾いた笑みを浮かべながら、アサギは頭痛を堪えるように目頭を押さえながら、三者三様の様子で椅子から立ち上がり、部屋の中で虎太郎から最も離れた壁際に後退した。皆、この後に何が起きるのか理解しているのだろう。

 自らの意志で動けないアルフレッドは端末の回収を願い、さくらは謝りながらも爆発物処理班さながらの慎重さで端末を回収する。

 

 

「…………………………ふひ」

 

 

 どれほどの時間が経ったのだろう。

 “無”表情だった虎太郎がカタカタと震え始めた。

 

 

「ひ、へ、……へへ、うぇへへへい、イヒヒヒヒ、イーッヒッヒッヒッヒッヒ!」

 

 

 突然笑い始めた虎太郎であったが、動いているのは口元だけで、目は笑っておらず地獄の窯の底のように死んでいる。大変怖い。さながら悪魔に取り憑かれた人形のようだ。

 何度となく同じ場面を見てきた紫とさくらであるが、明らかに恐怖で表情を歪めている。

 アサギは怖れているというよりかは、乱心した虎太郎の姿を見るのも忍びないといった様子で目を逸らしている。

 

 

「あへひへへのほへへへ、ウェヒハハハハ、ホホホのホー!! ウェェェーーーーィィィイイイ!!!」

 

 

 完全に狂人の――いや、それ以上の悍ましい何かのような笑みを浮かべ、かろうじて笑い声と判断できる声を上げ、首をあっちへこっちへ振り乱す。

 この場に居た人間たちにとって唯一の幸運は、こういった事態に備えて、この部屋を完全防音とし、窓ガラスは防弾使用、電灯は格子で覆っていたことだ。

 

 

「ぶぁじゃけりぇきぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッッッッ!!!!!!」

 

 

 虎太郎は笑い声から完全な奇声へとシフトすると、椅子を跳ね飛ばして立ち上がり、そのまま机を横に投げ飛ばす。

 完全に興奮と怒りの渦へと飲み込まれた虎太郎であったが、どうやら“ふざけるな”と言いたかったようだ。

 

 そして僅かな理性であらん限りの怒りをぶちまける。

 

 

「なんでだぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁああぁああぁぁぁっ!!!」

 

「…………あの」

 

「なんで! よりにもよって! この二人が纏の任務につくんだよぉおぉぉぉぉっ!!!」

 

「こ、これには、だな」

 

「この二人!! 戦闘訓練ばっかでぇぇぇ!! それ以外の訓練!!!! 殆ど受けてねぇだろうがよぉぉぉぉおぉぉぉおおおお!!!」

 

「くノ一としての必要な訓練は終えているわ。何よりも、二人の意志を尊重したのよ」

 

「んぁぁぁぁぁあッッ!! 組織の!! トップが!! 一番しちゃいけない!! 判断下してるぅぅぅぅぅぅっっ!!! んぎぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいい!!!」

 

 

 虎太郎はその場で床に身体を投げ出し、身を捻じり回し、全身で怒りを表現する。

 

 彼は親しいゆきかぜと凜子が纏の任務を命じられたことに動揺した訳ではない。

 どう考えたところで二人の能力と釣り合っていない任務に憤慨しただけなのだ。

 つまり、彼の頭にあるのはたった一つの思いだけ――――――コイツ等、またオレの仕事増やしやがった、である。

 

 

「あ、あのね、コタ君。二人とも自分たちが一番相応しいからって、意気込んでて、ね?」

 

「どこがだぁぁぁぁぁぁぁ!! こいつらの何処が相応しいんだよ、くそがぁぁぁぁぁぁああああ!!」

 

「あ、秋山は優れた空遁の術の使い手だ。逃走には最適だろう……」

 

「そこだけじゃあねぇかぁぁぁぁぁぁぁ!!! それ以外に相応しい所なんてひとっつもねぇんだよぉぉぉぉぉおおぉぉぉぉ!!」

 

「それが、あるのよ」

 

「あるのよ、じゃねぇんだよぉぉぉぉ!! もうヤダァァ!!! つれぇぇ!! この立場(ポジション)で生きるのつれぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

『何度見ても見事ですね』

 

「え? 見事ぉ!? アルちゃん何が!?」

 

『見事でしょう。この不様さ加減。どんな悪党でさえ死を前にしても此処まで取り乱しません』

 

 

 自らの相棒の取り乱し振りを不様と称する情報生命体。余りの容赦の無さにドン引きする三人。

 

 そして、怒りの中である事実に思い当たり、虎太郎はカッと目を見開いた。

 

 

「ハッ!? ちょ、待て! もしかして! あの二人、何か怪しかったのは……」

 

『十中八九、この任務が控えていたからでしょうね』

 

「チックショォォォォォオオオォォォォォ!!!! みすみす爆弾解体処理し損ねてんじゃねぇかオレェェェェェェェ!!!!」

 

『自業自得です。貴方がもう少しそのお二人に興味を持っていれば、結果は変わっていたでしょうね』

 

「おろろ~~~~~ん! おおおろろろろろ~~~~~~ん!!」

 

「…………絶望的に汚い絵面だな」

 

 

 紫の口から非常に端的な感想が漏れた。

 

 20代も半ばに手をかけようかと言う男が自らの失敗を悟り、恥も外聞もなく大号泣を晒す。

 これが人生全てをかけての大願が叶った歓喜の涙であったのなら、或いはありとあらゆる全てを喪った絶望の涙であったのなら、紫の感想も違っただろう。

 だが、自らの失敗でわざわざ自分で苦労を呼び込んでしまった、一切の同情に値しない涙なので致し方あるまい。

 

 暫くの間泣き喚いた虎太郎であったが、突然ピタリと泣き止んだ。

 

 

「……紫、手伝って」

 

「……あ、ああ」

 

 

 虎太郎はおもむろに立ち上がると、投げ飛ばした机を元に戻そうと紫に助けを求めた。

 あれだけの取り乱しようだったというのに、恐るべき切り替えの早さである。そして、その切り替えの早さを何度となく見てきたにも拘らず、こればっかりは慣れない紫であった。

 

 机と椅子を元の位置に戻し、資料を手にして虎太郎は椅子についた。他の三人と一体もそれに倣う。

 

 

「……はあ、悪い。取り乱した」

 

「あ、はは、私、コタ君の切り替えの早いところ好きだよ……?」

 

「意味分かんねぇお褒めの言葉なんかいらないんだよ。……………………か」

 

「……え?」

 

「お前も性奴隷にしてやろうかぁぁぁぁぁぁ!」

 

『蝋人形にしてやろうか、のノリで言う台詞ではありませんよ、虎太郎』

 

「ちょ、止めてよ! コタ君が言うと洒落にならないじゃん!」

 

「なんで微妙に嬉しそうなんだよぉ、このド雌豚()ゥゥ!!」

 

「ち、違うし! 嬉しそうじゃないし! ドMでもないもん!!」

 

 

 さくらが嬉しそうなのか、ドMなのかは二人の間でしか分からない。真相は闇の中だ。

 ただ、さくらは頬を赤く染めていた。それがどのような意味を秘めているかは、やはり二人の間でしか分からない。

 

 

「いい加減にしろ、弐曲輪。これも任務だ、集中しろ……!」

 

「チッ、桐生のアホにお前があの日のことが忘れられないの、毎晩自分を慰めてるって言ってたって伝えてやるからな」

 

「おい。おい、止めろ。絶対に止めろ。事実無根の上に……」

 

「これも任務だぞ、集中しろよ紫。で、この二人が適任ってのはどういう判断だ」

 

「貴様、人の話を……!」

 

「今回の纏の任務。その目的の関係上の話よ」

 

「アサギ様ぁ……!?」

 

 

 紫の悲痛な叫びを無視し、アサギが虎太郎の問いに答える。これも毎度のやり取りなのだろう。

 

 

「水城 不知火の捜索と救出。その為には、本人確認をスムーズに行える娘のゆきかぜが適任と判断したわ」

 

「………………」

 

 

 水城 不知火。

 かつてはアサギと並んで最強と呼ばれた対魔忍だ。

 人呼んで“幻影の対魔忍”。優れた水遁の術の使い手であり、薙刀の扱いに関しては右に出る者なしと言われるほどの技量だった。

 しかし、5年前の任務中に失踪。以後、生死不明のまま捜索が続けられていた。

 

 その事実に虎太郎は無言で頭を抱えた。彼が想定していた難度と範囲を大きく超える任務であると悟ったのだ。

 

 

「ああ、そういえば、オレは不知火さんが失踪した任務の内容を知らんのだが、どんな任務だったんだ?」

 

「……ヨミハラへの潜入任務よ」

 

「――――――は?」

 

 

 地下都市ヨミハラ。

 東京の地下深くに存在している、政府の力も対魔忍の力も及ばず、日本において最も闇に近い歓楽街。噂では、ヨミハラの最深部には魔界へ通ずる穴が開いている、とも言われる。

 人界にありながら、完全に魔界の勢力圏に収められた超危険都市だ。

 

 そして、不知火の捜索と救出が目的であるのなら、当然ゆきかぜと凜子もヨミハラへと向かったことになる。

 彼が行ってきた救出任務の中でも類を見ない、困難な任務となるだろう――――が、彼が嘆いていたのはそんなことではなかった。

 

 

「…………あ、ぁ」

 

「嘆いている場合ではないわ。危険だからこそ、こうして――――」

 

「違う、そうじゃない。オレが嘆いてるのはそこじゃない」

 

「……? なら、どういう──」

 

「……………………オレ、ヨミハラ、イッタコト、アル」

 

「は……?」

 

「はぁ……っ!?」

 

「ハァァァァァっっ!?」

 

『…………ああ、もう』

 

 

 口から魂が零れ出て真っ白に燃え尽きた状態で、片言で事実を語る虎太郎。

 三人は普段のテンションが高い順に驚きの声を上げ、その事実を知ったアルフレッドは声だけで頭を抱えているのが分かった。

 

 かつて、虎太郎はヨミハラに潜ったことがある。

 対魔忍と呼ばれる以前、井河に己と一族を売る以前、ある孤独な対魔忍のところに身を寄せていた折りの話だ。

 詳細は避けるが、虎太郎が苦労人になったのは対魔忍になってからではなく、なる以前からのようだ。最早、苦労は彼の運命である。

 

 

「七難八苦を祈ってないのに、苦労が怒涛の勢いでオレを責め立ててくる……」

 

『いえ、今回に関しては貴方の完全なる自業自得です。情報の共有など基本中の基本です』

 

「何故、我々に教えなかった! 今回にしても、5年前にしても、お前の責任だぞ!」

 

『紫様、それも違います。作戦の責任は全て命令を下し、許可した者にこそ帰属します。つまり、我々の場合はアサギ様ですね』

 

「クソ、頭も痛いし、胃も痛いが仕方がない、か」

 

「こっちの台詞よ、全く」

 

 

 アルフレッドの情け容赦のない機械的な正論に、彼らはようやく冷静さを取り戻した。

 虎太郎の興味のない事柄に対する無関心さと度を越した秘密主義、アサギの対魔忍全体に対する強い信頼と現実認識の甘さがこの現状を生み出した。

 両名に取って、受け入れなければならない現実であると同時に打破しなければならない現実だ。

 

 

「いくつか疑問がある。まず、何故今になって不知火さんの救出なんて話になった」

 

「数ヶ月前に、ヨミハラで不知火が目撃されたという情報がもたらされたのよ」

 

「誰が手に入れて、情報元は?」

 

「手に入れたのは葛 黒百合よ。情報の元は、潜入先の民新党議員の秘書からね」

 

「おい、さくら。葛を呼び出せ。確か別の任務から帰ってきていただろう、直接聞く」

 

「あぁ、うん、分かった」

 

 

 一切の不平不満を漏らさずに、さくらは椅子から立ち上がって部屋の外へと出ていく。

 こうして虎太郎が動いている時には、素直に手足として動いた方が賢明であることを彼女は知っていた。

 

 

「それで、どうやってヨミハラに潜入させた。あの二人じゃ、誰の手引きもなく潜入は無理だろう」

 

「別件で捕らえた奴隷商人を使った、名はゾクト。今回の協力と引き換えに今までの罪を見逃すと言ったら、一も二もなく飛びついてきた」

 

「頭痛が酷くなってきた。そいつが裏切らない保証が何処にある」

 

「散々痛めつけたんだぞ? 到底裏切れる心身を持っているとは……」

 

「裏切るだろ。倫理観のない奴はな、同時に危機感もないんだよ。目先の利益に飛びついて、後先なんぞ関係ない。昔のことなんてすぐに忘れる。馬鹿だから」

 

「お前がそれを言うか」

 

「言うね。オレは倫理観も危機感もあるし、どちらも同時に捨てられるだけだ。馬鹿と言う自覚もあるしな。ソイツの資料あるか? アルに全部見せろ」

 

 

 奴隷商人を利用してのヨミハラへの潜入。

 ゆきかぜと凜子が纏ったのは、ゾクトに捕らえられた哀れな奴隷という身分。そのまま奴隷として娼館に売られ、娼婦に扮して捜査を行う段取りだ。

 正直な所、対魔忍がヨミハラに潜入するにはそれくらいの手しかないが、余りにも杜撰だ。ゾクトが裏切れば、全ての前提が崩れ去ってしまう。

 

 

「それから、なんで今になってオレに意見を求めた。二人に何かあったか……?」

 

「いえ、こちらとあちらの連絡役はゾクトが務めているわ。その定期連絡では何の異常もなし。けれど……」

 

「ふん、奇怪しいな。男も知らん年頃の女が娼婦になって何もかも順調です、は都合が良すぎる」

 

「極めつけは、これよ」

 

「これは指令か? …………おいおい」

 

 

 対魔忍は基本的に、政府の指令があって初めて動く。政府の犬と揶揄されるものの、秩序を守る組織としては致し方ない。

 人員の選出はアサギに一任されており、装備や回収部隊も対魔忍側から要請があれば、ほぼ無条件で政府から提供される。

 だから、何の不思議もないであろう、何時ものように、政府から極秘裏に発せられた指令の筈だ。

 

 しかし、指令の内容には疑問符を浮かべざるを得ない。

 ある組織の殲滅、潜入による極秘情報の奪還。実に対魔忍らしい任務ではある。

 だが、その組織は確かに非合法であるが、ノマド傘下の組織に比べれば比較的穏健であり、同時に戦力も多い。

 情報奪還に関しても、極秘でこそあったものの、政府としては諸外国に漏れたとしても痛手は少なく、どうとでもなる問題だ。

 どちらにしても時期外れ。前者はもっと入念に情報を入手してから動くべきであり、後者はまず政府肝煎りの捜査官に当たらせるべき内容だ。

 

 

「組織の殲滅に関しては相当数の戦力が必要。少なくともお前か紫、どちらかが戦線に出なければ総員を纏めきれない」

 

「……ええ」

 

「そしてこっちは能力的に見て、確実に遂行可能なのはさくらくらいのもんだなぁ」

 

「その通りだ」

 

「ハハ――――露骨かっ!」

 

『ですが、我々に従わないという選択肢はありません。有効な手段です』

 

 

 怒りの余り虎太郎は指令書を床に叩き付け、アルフレッドは冷静に敵の手管を評価する。

 

 対魔忍には表向きには指令を拒否する権利があるものの、実際には拒否権など無いに等しい。

 存在自体が秘密の戦闘部隊。政府としても扱いに困る。何せ、日本が保有している戦力であっても対抗できるかは分からない上に、その気になれば政府の要人も暗殺可能と厄介極まりない。

 政府にとって有用である内はいいが、僅かでも反旗や反逆の素振りを見せようものならば、即座に切り捨てられる。その為のカバーシナリオも出来上がっているだろう。

 

 政府内部に存在する獅子身中の虫が、あからさまにアサギ、さくら、紫の三名を何かから遠ざけようとしているのも明白だ。

 さくらは情報奪還に駆り出され、アサギと紫の一方は戦線に投入。必然的に残った一名は万が一に備え、五車学園で待機しなければならない。

 遠ざけようとしている何かがゆきかぜと凜子であるとは限らないが。実力、知名度、名実ともに対魔忍のTOP3が動けない状況が出来上がっている。

 

 

「つれてきたよ」

 

「失礼します」

 

 

 戻ってきたさくらが連れてきたのは、黒い長髪に豊満などと言う台詞では到底収まりきらない、女そのものを体現したかのような身体の妙齢の女性だった。

 身体つきは元より、薄く笑みを浮かべる口元も、相手を探るような視線も、所作から雰囲気まで全てが妖艶――いや、淫靡でさえある。

 

 彼女の名は葛 黒百合。

 要人の篭絡、あるいは暗殺を主な任務とする対魔忍であり、その分野においては他の追随を許さない実力を誇る。

 

 

「黒百合、任務を終えたばかりのところで悪いわね。さっそくで――」

 

「葛、不知火の情報、何処の誰から引き出した」

 

 

 アサギの黒百合に対する労いと前置きの言葉を遮り、虎太郎は問い詰めるような口調で言った。

 

 その態度にアサギは大きく嘆息して黒百合を見たが、彼女は気にした様子はなく肩を竦めるばかりだ。

 黒百合は虎太郎の本来の任務を知っているベテランの一人だ。共に任務に当たったことはないものの、情報提供を行ったこともあれば、逆に窮地を救われたこともある。

 虎太郎の性格はよく知っているということだ。そして、その有用性も。口を挟むよりも、素直に従った方が賢明なのだと解っている。

 

 

「民新党の幹部の一人、渕上 道山、その第一秘書から。確か、名前は鴻上 健吾だったかしら」

 

「何処で、相手がどのような状態で?」

 

「鴻上行きつけの高級クラブでよ。別件で潜入中にね。驚いたわよ、酒と私の術でベロンベロンになった状態で、まさか不知火さんの名前を聞くことになるなんてね」

 

 

 黒百合は淫蕩の術と呼ばれる忍法を行使する。房中術の一種であり、性技で相手を篭絡、殺害する技。

 また、彼女は体質として体液に媚薬が含まれており、これも相まって、当代一の淫蕩の術使いとされているほどだ。

 

 黒百合の話では、ホステスに扮している際に偶然その情報を手に入れたようだ。

 酒と媚薬の効果で前後不覚な状態の情報であり、要領を得なかったが、断片的な情報を得ることは出来た。

 

 曰く、鴻上は東京深くに存在する歓楽街に行ったことがある。

 曰く、先生方に引き連れられて、初めてその存在を知った。

 曰く、其処で君以上の美女を見た。

 

 おおよそ、そんな情報だったようだ。

 地下深くの歓楽街はヨミハラで間違いない。

 思いもよらぬ情報が顔を出した黒百合は巧みな話術で情報を引き出そうとし、その過程で仰天した。

 話術によって気を良くした鴻上は、スマートフォンを取り出すと例の美女とやらの写真を見せてきたのだが、其処に写っていたのが不知火だった。

 驚きを何とか押し隠し、鴻上を酔い潰させた上でスマートフォンからデータを抜き出して、情報を送った。それが今回の救出任務の発端だ。

 

 

「その状態でなら騙そうとした訳ではないか……その先生方とやらは?」

 

「ダメ。聞き出す前に潰れたわ」

 

「……アル、鴻上周辺の議員を洗え。特に闇と繋がりの深い連中を中心にな。おい、その写真はあるか?」

 

「これだ」

 

「……確かに、水城 不知火だな」

 

 

 プリントアウトされた状態であったが、画像に手を加えられた様子はない。

 そして、その画像に映し出された人物は間違いなく水城 不知火その人だ。

 白を基調としたレオタードタイプの対魔忍スーツ。ゆきかぜから未熟さと生意気さを取り除き、穏やかさを付与したかのような顔立ち。

 かつて虎太郎は彼女とその夫の強引さに辟易したものだったが、何の感慨も抱いた様子もなく机の上に不知火の画像を置いた。

 

 

「アル、洗い出しは終わったか?」

 

『はい、既に』

 

「よし。その中から水城親子の関わった任務に関わりのありそうな人物を割り出せ」

 

『了解しました』

 

「頼むぞ。アサギ、すぐに出る。作戦の相談もクソもない、()()の救出任務に切り替えだ。詳しい作戦内容は事後報告。構わないな?」

 

「それは何時ものことでしょう。人員の編成はどうするつもり?」

 

「今回は――今回もオレとアルだけで動く。複数人で潜入すれば足がつきやすい」

 

 

 断片的な情報であったが、手にした情報が見えない糸で繋がっている感覚が虎太郎にはあった。

 つまり、今回の一件は偶然や幸運によるものではなく、何者かの意図した計画である可能性が高い。

 全体像を把握しているわけではなく、計画自体の目的も判然としていないが――今は、何よりも重要なのは時間だ。

 

 既にゆきかぜ、凜子がヨミハラに潜って一ヵ月が経過している。

 魔界の技術によってゆきかぜや凜子に何かを仕込むには十分な時間だ。肉体的な改造が施されていると見るべきだろう。

 虎太郎の読みでは、既に肉体的な屈服から精神的な屈服へと方針がシフトしている。時間は早ければ早いほど望ましい。その方が圧倒的に仕事が楽だ。

 

 敵の目的と複数のプランを同時に組み立てながら、虎太郎は準備に取り掛かろうと部屋を後にしようとし――

 

 

「……信じてるわよ」

 

 

 ――黒百合に袖を掴まれ、引き止められた。

 

 この場で最も責任を感じているのは誰なのか。それは間違いなく黒百合だ。

 

 自分が不用意な情報をもたらさなければ。

 自分がゆきかぜ、凜子の代わりにヨミハラへと赴けば。

 このような事態にもならず、むざむざ二人を危険に晒すこともなかったと、意味のない仮定に煩悶している。

 

 黒百合は、かつて子供を喪った。

 彼女に非はなく、周囲の全てにも非はなかった。ただ、間が悪かったとしか言いようがない。

 そんな経験を経ているが故か、子供に対して無条件に甘い。如何にゆきかぜと凜子が優秀な対魔忍であっても、彼女にしてみれば二人はまだまだ子供なのだろう。

 

 

「好きにしろ。だが、期待はするな」

 

 

 その全てを理解した上で、虎太郎は黒百合の期待を冷たく切り捨てた。アルフレッドの端末を回収すると部屋を後にする。

 人間性など欠片も感じられないやり取りに、黒百合のみならず、アサギやさくら、紫ですらが落胆の色を見せ――――ることはなく、寧ろ安堵の表情を浮かべていた。

 

 弐曲輪 虎太郎は油断のならない男である。

 使えないと判断すれば、仲間であろうと簡単に切り捨てる。勝てないと判断すれば、一も二もなくすぐ逃げる。

 人間性を排除した機械的な合理主義。必要とあらば、あらゆる行為を良しとする冷徹さ。あらゆる者を信じておらず、自分自身ですらが疑いの対象である猜疑の塊。

 

 その性格、性質、本質は闇の者に極めて近い。

 そんな人物が、どうして対魔忍などを続けていられるのか。最早、有用性を証明するだけではどうにもならない厄介者だ。

 

 実に単純な話だ。

 彼女たちは知っている。虎太郎自身は誰一人信じておらずとも、己に向けられた信頼を決して裏切る人物ではないことを。

 彼女たちがその性質をどのように受け止めているかは定かではないが、虎太郎からすればその方が都合がいいからに他ならない。

 

 信頼があれば、自分にとって都合のいい方へ状況が勝手に動く可能性が高いことを理解している。故に、虎太郎は他者からの信頼を裏切らない。その信頼すら道具とする為に。

 そして、虎太郎自身は気付いていないが、その方針こそ、辛うじて彼を人間たらしめている理由だった。

 

 四人は普段と変わらない彼の態度に安堵した。

 彼はどう喚こうが仕事人だ。一度任務につけば、完璧に任務を熟す。そして、いつものように帰ってきてから管を巻くことは間違いないのだから。

 



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『一番大きい苦労が、一番初めにやってくることもある』

 

 東京の地下300mに位置する退廃都市ヨミハラ。

 其処へ至る道の入り口は、建設途中で放棄された首都圏外郭放水路にある。

 施設の一部であり水の勢いを調整する調圧水槽は地面から天井までを59本のコンクリートの円柱で繋がっており、さながら林の様相を呈している。

 

 其処を超えると今度は狭い坑道のような空間を進むことになる。

 一説には後北条氏の隠し鉱山が東京の地下にあると噂されているが歴史に記されていない事実故に、真偽は不明だ。

 ともあれ、その坑道も厄介だ。元より入り組んでいる上に、奴隷商人が護衛として手に入れたオークやトロールが逃げ出し、野生化。

 また武装難民が住み着いており、とてもではないが偶然入り込んでしまった一般人は死の運命しか待ち受けていない。

 対魔忍であっても、正しい道程を知っていなければ、悪戯に体力を消耗し、オークの苗床か、トロールの餌となろう。

 

 坑道を何とか這い出すと、巨大な門が現れる。其処がヨミハラの入り口だ。

 門には複数人の門番と対魔忍用の特殊警備犬が待ち構えている。

 この警備犬は対魔忍が持つ対魔の力――米連の研究において“対魔粒子”と呼ばれるものだ――を嗅ぎ分ける。

 つまり、対魔忍であるのなら、荒事なくしてこの門を突破することは不可能ということ――――なのだが、虎太郎は誰にも感付かれることなく全てを容易に突破した。

 その方法は虎太郎にしか分からず、彼が誰かに語ることはないだろう。

 

 ともあれ、彼はヨミハラへ潜入した。

 対・対魔忍用の警備犬の数は多くない。麻薬捜査、危険物発見を行う警備犬よりも遥かに高度で特殊な訓練が必要だからだ。一度侵入してしまえばどうとでもなる。

 

 そして、虎太郎が初めに行ったのは言うまでもなく情報収集だ。

 20年近くも昔、ヨミハラに足を踏み入れたことがあるが、闇の都市は常に趨勢が変化し、たったの数日でパワーバランスが入れ替わることは珍しくないことをアミダハラでの経験から理解していた。

 当時の情報など9割方が当てにならないと初めから理解している。

 地形、建物の把握。下位組織同士の小競り合い。それぞれの勢力と種族の縄張り争い。3日かけて必要な情報を収集し、今現在は別の作業に移っている。

 

 

「あー、何やってんだろ、オレ」

 

『ヨミハラの外壁を登っていますね』

 

「いや、そういう直接的なもんじゃなくてな。こう人生的なというか、哲学的なというかな?」

 

『貴方の立てた作戦(プラン)のせいですよ』

 

「まあ、そうなんだが……」

 

 

 一体、どんな作戦だと言うのか。

 外壁を登ったかと思えば下り、下りたかと思えばまた登りを繰り返す。

 それすら命がけの作業だ。命綱無しのロッククライミング。それも地面と垂直の壁ではない、地面と平行に近い壁を登るというよりも進んでいる。

 

 

『実に大したものです』

 

「ああ、何が……?」

 

『貴方の考えた作戦ですよ。ヨミハラという環境、ヨミハラに住まう方々の性質、恐怖と猜疑と不審。呆れ返るほど有効です』

 

「だろう? まあ、初めて此処に来た時に考え付いたんだが、当時は能力的にも物資的にも不可能だったからな」

 

『ですが、一言だけ言わせて下さい――――――貴方は酷い人だ』

 

「褒め言葉だね」

 

 

 虎太郎は相棒の責め立てるような台詞を鼻で笑う。

 アルフレッドは基本的に虎太郎を否定しない。アルフレッドにとって虎太郎の存在は全てだからだ。

 最早、この世から消える選択肢しか選べなかった己に、新たな選択肢を与えた存在。

 実に興味深く、また虎太郎の存在なくしてはアルフレッドも存在する意味がない。虎太郎がこの世を去れば、自らもまた速やかにこの世を去るつもりでいる。

 

 そんなアルフレッドですらが酷いと称する作戦だ。

 もしアサギがいれば唖然とし、さくらがいれば顔を引き攣らせ、紫がいれば問答無用で殴りつけ、九郎が入れば卒倒し、どんな対魔忍も白目を剥いて現実逃避をするのは間違いないだろう。

 

 

 

 

 

――

―――

――――

―――――

 

 

 

 

 

 葛 黒百合の得た情報とその情報元、水城親子の関わった任務、ゾクトの顧客リストをアルフレッドが調査をする内にある事実が浮かび上がってきた。

 

 まず情報元の人物の政界における友人、協力者、接触人物と水城親子のついた任務に関わりのある者の中から共通していた人物は一人。

 日本最大の野党にして政権を握る民新党の幹事長、矢崎宗一である。

 表向きには中華連合親善議員連盟会長。だが、裏では中華連合と取引を行い、闇の組織とも繋がりのある売国奴だ。

 

 ゾクトの顧客リストの中で最も取引回数の多かった人物は、アンダーエデンと呼ばれる娼館の主、リーアル。

 ヨミハラの有力者であり、ノマドとも強いパイプを持つ一介の娼館主、調教師と呼ぶには権力を握り過ぎている。

 

 一見、何の繋がりもなさそうな両者。

 在ったとしても精々が店主と客以上の関係は出てこないだろうが、二人の写真を並べれば話は別だ。

 

 

『似ているな。体型や耳の形、遺伝的な特徴が出やすい部分は特に』

 

『はい。二人の外見的特徴の一致率は63%。十分に血縁関係を予想できる範囲です。DNA鑑定が出来ればいいのですが』

 

『必要ないだろ。矢崎宗一の経歴を調べろ。改竄は多いだろうが、血縁関係に何らかの痕跡があれば“当たり(ビンゴ)”だ』

 

 

 そして矢崎の出生記録、学歴、政歴を調べ上げ丸裸にしていくと確かに血縁関係に改竄されたような痕跡があった。

 矢崎とリーアルの繋ぐ糸に確証はなかったものの、これで全ての情報が一本の糸で繋がった。

 

 

『ということは、リーアルはヨミハラに潜り女性を奴隷娼婦に仕立て、矢崎に提供し、金銭を得る。矢崎は提供された女性を使って政敵を懐柔して金と権力を得ている、と』

 

『そのサイクルで稼いでいるんだろ。そう考えるのが自然だろうな。よくやる兄弟だ。どちらが兄で、どちらが弟か知らんが』

 

『ふむ。…………虎太郎、一つよろしいでしょうか。ヨミハラはノマドが支配している都市なのですよね?』

 

『ああ、ヨミハラはノマド一強だ。正確には複数の勢力がいるのは確かだが。少なくとも、オレが行った当時はな』

 

『では、リーアルがノマドに属していないのは何故でしょう……?』

 

『…………おい、ちょっと待て。ノマドとパイプがあるって、パイプがあるだけなのか……?』

 

『はい。リーアルは厳密にはノマドではありません。それだけ金と権力に執着がある人物が、パイプのみで済ませるのは些か以上に可笑しいかと』

 

 

 ヨミハラには専用のローカルエリアネットワーク(LAN)がある。

 客が迅速に欲しい情報を得るためであり、また運営側から情報を提供するにはネットが最適だ。

 政府や対魔忍へ情報が流れることを防ぐ為に、インターネットとの接続は禁止。

 するとしても、ノマドから許可を得た上で、幾重ものサーバーを経由する必要があるのだが、史上最強の人工知能(アルフレッド)の前には無駄な努力であったようだ。

 

 其処から得た情報ではリーアルの営む「アンダーエデン」はノマド傘下の娼館ではなく、あくまでも彼個人が経営しているものらしい。

 可笑しな話だ。より金が欲しいのならば、より権力を得たいのならば、ノマドの傘下に入る方がいい。

 個人で動くのならば、ヨミハラの一角を借り受ける土地代及び上納金、魔界技術の入手困難化、護衛の選出と契約金の発生。どう考えた所でメリットよりもデメリットの方が大きい。

 

 

『今の所、考えられる可能性は二つか』

 

『リーアルがノマドにとって危険な人物であるか――』

 

『金を稼ぐのとはまた別の思惑がある、か……』

 

 

 またしても別の方向へと伸びる糸が見えてきた。

 だが、これ以上の答えは見込めない。あとはリーアルから直接聞くか、その身辺をつぶさに探るしか方法はなかった。

 

 厄介な情報が見えてこないままの潜入であったが、致し方ない。

 準備不足など生きている上では常にある。虎太郎も何度経験したか分からない事実であり、その場その場の在り物でどうにか凌いできた。今回も同じである。

 

 

『しかし、そのようなもの、どうするつもりですか?』

 

『ん? ああ、これ? なぁに、袖の下、みたいなものだ』

 

 

 その答えにアルフレッドは何も言わなかったが、明らかに怪訝な様子。

 それもその筈、虎太郎が用意した数々の装備は潜入にも作戦にも全く必要もない上に、袖の下とはとても呼べないクーラーボックスだったのだから。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「き、貴様、何をして――――」

 

 

 最後まで言葉を紡げず、一刀の下娼館の主たる淫魔族の首が床に落ちた。

 首謀者は紫のコートを纏い、フードを被った男。恐らくはフリーランスの傭兵、それも魔族だろう。

 目的は金銭か、或いは何者かの依頼によるものか。真実は男を捕まえない限り、闇の中だ。

 男は部屋の窓から路地裏に下り立つとそのまま通りへと姿を消し、ヨミハラの闇の中へと消えていく。

 男が消えた後、奴隷女中の悲鳴が娼館に響き渡る。悲鳴は館全体に伝播し、瞬く間に混乱へと放り込まれたが、最早、全てが手遅れであったのは言うまでもなかった。

 

 

「まあ、こんなもんかな」

 

『鮮やかな手並みです』

 

 

 今し方、娼館の主を殺した男は、ヨミハラでも比較的大きい人通りの中を悠々と歩いていた。無論、弐曲輪 虎太郎その人である。

 彼はヨミハラの外壁を登るのに飽きたのか、或いはもう準備が整ったのか、今度は呵責なき暗殺に乗り出した。

 ヨミハラ潜入前に用意した変装用の衣装を複数用意し、自身の存在を隠した上での暗殺だ。

 ターゲットはヨミハラに点在する娼館の経営者側ではあったものの、今回の救出任務には関係ないだろう。

 もし狙うとするならば「アンダーエデン」のリーアルか、そのスタッフでなければ道理が合わない。一体、何が目的だと言うのか。

 

 

『――ですが、今回は相手の方が一枚上手だったようです』

 

「そうだな。まさか気配だけで追いつかれるなんぞ、思ってもみなかった」

 

 

 虎太郎は持ち前の強い危機感と疑り深さから、アルフレッドは高感度センサーによる探知によって、追っ手の存在に気付いた。

 娼館を後にした辺りから付かず離れずの位置を取り、決して不用意に近づいて来ようとしない。

 

 恐らく、見極めようとしているのだろう。ここ数日、ヨミハラの娼館の主やスタッフが虎太郎の手によって殺害された。

 証拠は程々に残っていながらも決して犯人に到達できない手口は、ヨミハラ全体に疑心暗鬼を生み出すには十分だ。

 犯人の目的は不明のまま。単独犯なのか、複数犯なのか。同一犯なのか、同時多発的に似たような犯罪が頻発しているだけなのか。

 今後、同じような事件を引き起こさぬ為に、ヨミハラの支配する側として是が非でも知って置かねばならない。

 

 

「撒けそうにない。相当な手練れだぞ、これは……」

 

『そうですか。ですが、不測の事態など慣れたものでしょう?』

 

「慣れたくはないがな。虎穴に入らずんば虎児を得ずというが、ここは虎の(あぎと)だな全く」

 

 

 作戦の仕込み(・・・・・・)以外の暗殺、殺害を避けたい虎太郎にとっては、まさに青天の霹靂だ。

 正直な所、彼の予想ではこれほどの手練れが現れるのは作戦が最終段階に差し掛かった時だと思ったが、想定外、規格外などどの世界でも溢れている。

 

 追っ手の存在に全く気付いてないよう装い、虎太郎は目についた路地裏の一つに身体を滑り込ませる。

 即座に周囲の気配を探り、アルフレッドによる周辺スキャンの結果、誰もいないことを確認すると彼自身の忍法を発動させた。

 

 ふうま一族は代々、邪眼或いは瞳術に目覚めるという。

 邪眼とは異能系忍法の一種であり、その視線そのものに魔が宿る能力だ。

 その能力は実に多様であり、相手を石化させる、相手を魅了する、相手を発情させるなど。唯一の共通点は、相手を見る必要があるというもの。

 

 虎太郎の生まれ持ったのは邪眼“魔門”。別名、“貪欲の瞳術”とも。邪眼と言う珍しい能力の中でも更に稀有だ。

 その能力は云わば簒奪。手で触れ、瞳で捕らえた相手の忍法、特性、能力を奪い取り、また奪われた相手は虎太郎が他の能力を奪うか返却するまで能力が使用できない。

 

 彼はあらかじめ、ある対魔忍から奪った、ある能力を発動させ物陰に隠れる。

 その能力を発動させた以上、彼は極めて高い確率で見つかることはないだろう。

 

 しかし、可笑しな話もあったものだ。路地は幅1mもあるかどうか。矛盾しているが物陰などないにも拘らず、確かに虎太郎は物陰に隠れている。

 

 

「さて、何処のどいつか、顔を拝ませてもら、おう……か……、ね…………」

 

『これは……』

 

 

 慎重かつ繊細でありながら、絶大な自信と大胆を足取りに込めながら、追っ手が姿を現した。

 

 その姿に、虎太郎とアルフレッドは絶句する。

 

 現れたのは絶世の美女だった。

 その顔立ちは年齢不相応の若々しさを保っており、女でも嫉妬を通り越して見惚れてしまうだろう。

 熟れた体にはたっぷりと脂が乗り、型崩れが一切ない。その豊か過ぎる双乳と尻肉に反して縊れた腰は雄を誘っているかのよう。男なら見ただけで股間を熱くするだろう。

 

 見間違いようがない。水城 不知火だ。

 

 

「…………チッ」

 

 

 不知火は結局、虎太郎の姿を見失い、舌打ちを一つすると何処かに消えていく。

 それを完全に確認してから虎太郎は物陰から姿を現し、忍法を解いた。

 

 

「参ったな。一番初めに一番厄介な奴が出てきやがった」

 

『そのようです。我々の予想は外れていたのでしょうか……?』

 

「いや、それは早計だ」

 

 

 虎太郎も馬鹿ではない。不知火が既に敵と化していることは話を聞いた時点で察していた。

 失踪から既に5年。人が変わるには――――矢崎とリーアルの手によって変えられるには十分過ぎる時間だ。身も心も堕落していたとして不思議はない。

 

 二人が驚いたのは、その順序だ。

 不知火の出現は救出任務が佳境に差し掛かった折り、矢崎とリーアルが最後に切ってくる切り札(ジョーカー)と踏んでいた。

 まだまだ作戦の仕込みの最中だ。そこで交通事故のように鉢合わせるとは考えてもいなかった。ましてや矢崎もリーアルも関わりのない場面で。

 

 

「一旦、戻る。策は其処で考えるぞ」

 

 

 

 

 

――

―――

――――

―――――

 

 

 

 

 

「にゃ。おかえりにゃ、虎太郎」

 

「ああ。この間言った通り、暫らく間借りするからな」

 

「構わにゃいにゃ。餌はくれるし、攻撃してもしてこにゃいし、お安い御用にゃ」

 

 

 ヨミハラは確かに危険で反吐が出るような退廃の都であるが、彼女の住まう一角はその限りではない。

 環境はスラムも同然であるが、不思議なことにこの一角は乱暴者は少なく、穏やかでさえある。 

 

 それはひとえに彼女――猫の獣人、クラクルのお陰だ。

 何時の間にかヨミハラに住み着いた獣人であり、いつやってきたのか誰も、そして当人も覚えていないらしい。

 彼女は何処の組織にも属していないが、高い戦闘力から一目置かれている。

 何かをするでもなく、ただ猫のように気侭に生活をし、餌をくれる者によく懐く為、近隣の住人からマスコットのように可愛がられていた。

 

 クラクルとの出会いは虎太郎が初めてヨミハラを訪れた時である。

 不手際から不用意に彼女の縄張りに足を踏み入れた虎太郎であったが、殺される寸前に何とか説得に成功し、それ以後はこの一角を拠点として行動していた。

 20年近い時が経過した今でも、クラクルの容姿にも性格にも変化はない。流石に、人間とは異なる時間を生きる魔族だけのことはある。

 

 そして今回も、クラクルの縄張りをセーフハウスとして利用することを考えた。それ故、用意した装備の中にクーラーボックスと大量の魚があったのだ。

 

 はっきり言って、彼女の縄張りは下手な宿を取るよりも、誰かを脅して部屋を奪うよりも余程安全である。

 いちいち周囲の者達に気を配り、気を揉んで過ごすよりもマシだ。

 クラクルは素直な性格故に、いずれは情報が洩れるであろうが、その時にはもうヨミハラに虎太郎の姿はないだろう。

 

 

『クラクル様、少し遊びましょう』

 

「君とにゃ? ん~、悪いけど僕はお喋りよりも、動く方が好きにゃ」

 

『では、こういうのはどうでしょう』

 

 

 アルフレッドの言葉に、虎太郎はクラクルの前に携帯端末を放り投げた。

 彼女は不思議そうに虎太郎と端末を見比べて首を傾げる。何が起きるのか、何をすればいいのか分からなかったのだろう。

 すると、端末から一つの立体映像(ホログラム)が現れる。犬の尾のような花穂に、細い茎の植物だ。正式名称は狗尾草(えのころくさ)、通称はねこじゃらし。

 ゆらゆらと揺れる猫じゃらしに本能を刺激されたクラクルは瞳孔をキュっと窄め、頭の天辺から尻尾の先端の毛を逆立てる。

 

 

「にゃ。にゃん。にゃ、にゃにゃにゃーーーっ!!」

 

『しかし、参りましたね。不知火様は矢崎やリーアルの手先ではないのでしょうか』

 

「……いや、間違いなく手先さ。正確には少し違うがな」

 

 

 本能のまま思う存分、仮初の猫じゃらしにじゃれつくクラクルを尻目にアルフレッドと虎太郎は路地裏での続きを再開する。

 アルフレッドなりの配慮なのだろう。じゃれている内はそちらに集中して、クラクルが聞かなくてよい会話を聞くこともない。

 

 大きく溜め息をつきながら、虎太郎はクラクルが拾ってきたソファに横になったが、顔を顰める。

 クラルクの生態は猫に近い。つまり風呂が大嫌いということだ。洗っていない猫の匂いは強烈だったが、首を振って諦めた。

 

 

「可笑しい可笑しいと思っちゃいたが、ようやく合点がいった」

 

『と、申されますと……?』

 

「葛が情報を得た時と、ゆきかぜと凜子が手中に収まってからの対処だよ。前者は繊細でどちらに転んでも構わないってやり口。なのに後者は是が非でもってやり口だ。同一人物がやったにしちゃ質が違い過ぎる」

 

 

 黒百合が情報を得た状況は極めて偶発性が強く、不知火の情報が対魔忍に渡る可能性は本当に偶然に任せられたものだった。

 その分、情報を流した者が特定し辛く、自己の存在を極力隠そうとしている。

 

 対して、その後の対処は杜撰の一言だ。

 アサギたちの介入を阻む為に、政府側から指令が出たのだが、その命令を辿ればすぐに矢崎に行きついた。

 

 

「矢崎のやり方はとにかく力押しだ。政敵を潰す時も金と権力に明かしている。こんなやり方選ばないし、思いつきもしない」

 

『それは、つまり……』

 

「入れ知恵した奴がいるってことさ。そして矢崎も、リーアルも、不知火も、ソイツの操り人形だ」

 

『…………ならば、その可能性が高そうなのは』

 

「淫魔族……それも、相当高位のな」

 

 

 淫魔族。

 サキュバス、インキュバスに代表される知的種族を魅了し、夢を操り、無防備な夢を介して精気を吸収する種族だ。

 その多くは違和感なく夢を操るだけあって高い知性を持ち、魔界の貴族階級の執事や侍女を務める者が多く、中には自ら爵位を持つ強力な高位淫魔族も存在すると言われている。

 

 

「淫魔族の経営してた娼館を襲撃してすぐにあれだ。しかも、ソイツは十中八九ヨミハラにはいない」

 

『何故、そう言い切れるのですか?』

 

「ソイツは極力、表に出てないように気を使っている。そして、リーアルの立ち位置から分かるようにノマドとは別系列の組織でもある」

 

『――エドウィン・ブラックを警戒しているのですね』

 

「怖れているのさ。なんであんなの一々相手にするかね」

 

『不死の王をあんなの呼ばわりですか。直接相対したこともないのに』

 

「それがあるんだなぁ。この街で、運悪くな」

 

『……っ!? 全く、貴方にはいつも驚かされます』

 

「一目見て、ブラックのことはおおよそ理解できた。アレはな、相手にするだけ馬鹿を見る相手だ。問題は相手にしなくても勝手に此方に突っ込んでくる自動照準装置付きの核弾頭ってとこだ。傍迷惑にも程がある」

 

『貴方の天敵ですね。苦労に喘ぐ貴方が目に浮かびます』

 

「おい、やめろ。現実になりそうだろうが」

 

『半ば本心ですので。因みに、貴方のブラック評は如何なものなのでしょう?』

 

「あー、―――――ってとこだ」

 

 

 その一言に、アルフレッドは絶句した。

 あの絶大な力を誇る“不死の王”、全ての吸血鬼の祖、圧倒的な勢力を誇るノマドの頭領を、今何と評したのか。

 少なくとも、アルフレッドが端末の故障を調べ、虎太郎が正気かどうか調べるほどの威力を秘めていた。人間的に表現するなら耳を疑う、だ。

 

 しかし、アルフレッドの知る限り、虎太郎の人物評は外れたことがない。

 かつてふうまの頭領として学んだ人心把握、掌握術故にか、或いは苦労ばかりを重ね、人を多く見続けてきたが故なのかは分からない。

 そしてアルフレッドは知っている。この男のダメなところは、他人を理解するのは異常に速い癖に、他人に共感する気が一切ない所だ、ということを。

 

 

『いずれにせよ――――好機、ですね』

 

「ああ。ゆきかぜと凜子を救出する上で最大の難関が不知火の存在だった。オレの顔を知っているしな、どうしても力押しにならざるを得ない。変装して侵入できないのは余りに痛かった」

 

『次の一手は、不知火様の救出ですね』

 

「やだやだ。仕事が増えた。元々、助けてやるつもりなんてなかったのに」

 

『ああ、そういえばアサギ様にもお二人の救出と言っていましたね。このドライモンスター、当人たちの前で絶対に言わないで下さいよ』

 

「言う訳ないだろ。初めから地に落ちてる心証を自分から地面にめり込ませてどうする」

 

『では、淫魔族と関わりのある施設を調べましょう。そこから不知火様の所在を――――』

 

「その必要はなーい。もう仕掛けは済ませてある。発信機兼盗聴器をな。いやはや、実に便利な世の中になったものですなー」

 

『驚くべき手の早さです。その油断の無さと容赦の無さ、誰も真似できません』

 

 

 虎太郎は隠れる寸前、小型の発信器を仕掛けて置いた。不知火に近づける筈もない故、地面に設置してだ。

 彼の思惑通り、不知火は何も気づかぬまま発信器を踏み付け、みすみす自分の居場所は教える羽目になったのだ。

 

 

「さて、やろうか。奴らの絵図面を引き裂くぞ」

 

『承知しました。全力で援護(サポート)します』

 

「まずは不知火だ。淫魔族だろうが、ノマドだろうが、幻影の対魔忍だろうとも、オレの前じゃあ全員指定席に座って貰おうか。正々堂々手段を選ばず、真正面から不意を討ってやる」

 

 

 

 

 

――

―――

――――

―――――

 

 

 

 

 

「取り逃がすなど貴様らしくないではないか、不知火」

 

「申し訳、ございません」

 

 

 虎太郎が襲撃した娼館の一室で一組の男女が向かい合っていた。

 

 女――不知火は片膝をついて頭を垂れ、自らの不手際に対して言い訳の一つもしない。しかし、表情は痛々しく、重く沈んでいる。

 男は一人掛けのソファに腰掛け、表情は闇に溶けて窺い知れない。ただ声からはかなりの老齢であることは分かった。

 

 

「まあいい。あの御方も、お前はよくやっていると認めておられる。貴様の娘と剣士気取りの娘を堕とせば、褒美を頂けるであろう」

 

「…………あぁ」

 

 

 不知火は胸に手を置き、身に余る光栄を頂いた騎士のような仕草を見せる。

 しかし、その表情は余りにも蕩け、堕落している。これから与えられる快楽を夢想して、股座を濡らす淫売のそれだ。

 

 

「では、ワシは本拠に戻る。貴様は引き続き、我らの同胞を殺め、我らの主に楯付く愚か者を処断し、対魔忍の二人を此方に引き入れよ」

 

「承知しました」

 

 

 それだけ言うと、男は声からは想像できないほど若々しい動作で椅子から立ち上がり、部屋を後にした。

 

 

「――――ふふ」

 

 

 邪悪さと淫靡さの同居する笑みを浮かべ、薙刀を片手に不知火は窓を開け放つと瞬く間に娼館の屋根に上る。

 

 

「昨日はしてやられたけれど、今日は随分と間抜けな鼠さんね……?」

 

 

 屋根の上には、不知火が昨日取り逃がした紫のコートの男がいた。先程の会話に聞き耳を立てていたのだろうが、生憎と不知火には感付かれていたようだ。

 

 男はじりじりと後退りながら、逃走のタイミングを図っている。

 不知火にとって、男がどのような目的を持っていようと関係がない。主の命令通り、この男を殺し、速やかに元の仕事に戻る。娘を淫魔の奴隷に仕立て上げる悍ましい仕事に。

 

 

「じゃあ、死んでもらえるかしら?」

 

「――――!」

 

 

 夕飯のお遣いを頼むような気軽さで、吐き気を催すような殺意を放ち、残酷な死を宣告する。

 

 堪らず、男は背を向けて逃走を開始した。

 ヨミハラの誰にも気づかれることのない、逃走劇が始まった。

 

 屋根から屋根へ。男は恐るべき身体能力とバランス感覚で、平面斜面問わない屋根を必死に逃げる。

 しかし、決して振り切れない。不知火の身体能力は男以上であり、単純な性能争いである以上、振り切れる道理はない。

 

 その上――

 

 

「ッ――!?」

 

「残念だったわね」

 

 

 ――逃走経路の先で、待ち構えているように現れる不知火。

 

 勿論、本物は彼の後ろにいる。これは彼女の忍法による分身だ。

 彼女の操る忍法、水遁の術・幻影陣。水や水蒸気で光を屈折させ、姿を消し、あるいは見た目を変える幻惑(めくらまし)の術。

 その絡繰りを知っていれば、ただ突破すればいいだけの話だが、男は無知蒙昧の羊、見抜けよう筈もない。

 

 徐々に、徐々に。獲物を追い立てる狩人のように、限りのない愉悦の笑みを浮かべながら確実に距離を詰めていく。

 

 

「さあ、捕まえたわ」

 

「づっ――――!!」

 

 

 逃走する男の脇腹を不知火の回し蹴りが捕らえ、男は屋根から転落し、地面に叩き付けられる。

 男は慌てて立ち上がるが、既に彼は蟻地獄に捕らえられた蟻も同然だった。

 

 そこは無差別な建造によって出来た奇妙な空間だった。

 四方を建物の壁で囲まれ、壁の高さは8m。とても一跳びで越えられる高さではない。

 中庭という訳ではなく、考えなしに繰り返した増改築の結果出来上がった空白地帯のようだ。

 

 

「うふ、ふふふ……!」

 

 

 手に持っていた薙刀を投げると、音を立てて地面に転げ落ちる。

 不知火でなければ何の意味もない行為であったが、こと不知火に限っては最適の手段である。

 薙刀の周辺に不定形生物のスライムのように水が集まり、大きく膨張し、色が付き、形が整い、実体を伴った不知火の水分身が生み出された。

 続き、周囲には光の屈折によって生み出される虚像が無数に生み出される。

 

 そして、凄惨な攻撃が始まった。 

 虚像と実体を伴った水分身の波状攻撃。

 おまけに霧を発生させて視界を悪くさせ、回避行動を鈍らせる。

 止めに、屋根の上で待機する不知火は両手一杯のクナイを握り、苦痛と絶望に堪りかねて飛び上がった男を串刺しにしようと待ち構えている。

 

 これぞ、幻影陣の真骨頂。虚実入り混じる攻撃で敵を惑わし、確実なる止めを刺す。幻影の対魔忍足る由縁の技。

 

 男もよくやった方だ。

 実に5分もの間、幻影と水分身の攻撃を受け、止め、躱し続けたのだから。

 

 しかし、何にでも限界はやってくる。

 致命傷こそないものの、全身を斬り刻まれて紫のコートを真紅に染め上げた男は、体力と緊張の糸が切れたのか、その場に片膝をついてしまった。

 

 最後の一撃を見舞おうと水分身と不知火の両腕に力が満ちる。

 薙刀による斬首の刑か。クナイによる串刺しの刑か。不知火は主に歯向かった愚か者に当然の罰を下そうとした瞬間――――

 

 

「――――煙玉ッ!?」

 

 

 ――その全てが水泡に帰した。

 

 水分身を操り、先程まで男の首があった場所に薙刀を振るうが、手応えがない。

 一瞬、驚愕に飛び出しそうになる身体を抑え、注意深く気配を探る。流石に戦いの熟練者だけある。このような場合、不用意な行動に出ることこそが敗北への誘い水であるのを理解している。

 

 どの道、不知火の勝利は確定している。

 再び逃走を図ろうとすればクナイによる串刺し。動かずとも煙が晴れれば水分身の一撃。何もせずとも、失血死は免れない。

 注意深く、用心深く。情けも容赦もなく、不知火はただじっと待った。

 

 

「……ッ!?」

 

 

 煙が晴れた先、待ち構ていたのは幻影陣による虚像と実像。男の血溜まりだけで他には何もなかった。

 

 不知火は慌てて空き地に降り立ち、周囲の状況を探る。

 何か身を隠せるようなものは一つもなく、壁に穴を開けた形跡もない。逃げ場など何処にもない。肝心要の男は煙のように消え去ってしまった。

 不知火の脳裏に様々な憶測で満ちるが、どれも推測の域を出ず、要領を得ないものばかり。

 

 冷静さを保っているようで、その実、混乱の極みにある。

 そのどうしようもない隙を、男が――――弐曲輪 虎太郎が見逃す筈もない。

 

 

「よう、不知火さん」

 

「こ――――――ッ!?」

 

 

 虎太郎は、不知火の目の前に突如として現れた。少なくとも、不知火にはそのようにしか見えなかった。

 そして、この場に居る筈もない見知った顔が現れる二重の衝撃に襲われ、不知火は完全に硬直してしまう。

 

 顎に走る鈍い衝撃は、掌底が叩き込まれた何よりの証。

 背中から地面に叩き付けられ、脳を揺らされた衝撃でぼやける視界の中で、淡々と無表情に自分の胸元へと何らかの薬物を投与する虎太郎の姿に、不知火は自身の敗北を悟りながら意識を闇へと手放すのだった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「ああ、痛ぇ。クソ、全身傷だらけだ、ちくしょうめ」

 

『ですが、目的は達成しました』

 

 

 倒れ伏し、意識を失った不知火を見下ろしながら一人と一体は淡々と呟いた。

 虎太郎は全身血塗れであったが致命傷はなく、息も切らせていない。全ては演技だったのだ。

 かつての不知火であれば、こうも易々とは決まらなかっただろう。

 だが、5年もの間、戦い続け、死線を潜り続けてきた虎太郎と、望むと望まざるとに拘わらず快楽のみを享受し続けた不知火とでは技量、身体能力、実戦勘に差が出るのは当然の結果だ。

 そして、右目に宿ったある対魔忍の能力を使えば負ける要素はない。

 

 彼が借り受けた能力の名は縮尺法(しゅくしゃくほう)蟻身変成(ぎしんへんせい)

 その能力は体長を最小で1.5cmにまで縮小させる忍法だ。

 アルフレッドの解析では原子間の距離を縮めることで、物体を縮小させているのだとか。

 この能力の優れている点は、ありとあらゆるモノを縮小し、重さをそのままに決してその機能を損なわせない点にある。

 また身体が縮小したことで対魔粒子が全身に行き渡り、身体能力が爆発的に向上する。

 この忍法の使い手は痴呆が進み、今や病院で最後の時を待ち侘びるばかりであるが、かつては第二次世界大戦で活躍した凄腕でもある。

 

 

「アンタにゃ関係ないが、正々堂々手段を選ばず、真正面から不意を討たせてもらったぜ」

 

 

 成程、彼は約束を守ったらしい。

 不知火の与り知らぬところであるが、確かに有言実行。台詞に恥じぬ、これ以上ない不意討ちだった。

 



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『これは彼にとってご褒美ではなく作業、よって苦労と変わらない』

「ッ、――――これでよし、と。背中の方は……ガーゼと包帯で済ませるか」

 

『命に別状はありませんが、この手の傷は筋肉の圧力で患部の皮膚が捲れ、感染症の可能性が増大します。早急な治療をお勧めします』

 

「そうは言っても任せられる奴がいない。クラクルのような獣に傷を触らせるなんぞ自殺行為だし、そもそも奴は傷を縫えない」

 

『我々の情報を漏らさないためには仕方ありませんが。貴方の身は一つしかありません、どうかご自愛ください』

 

「できればやってる。出来ない状況なら仕方ない」

 

 

 簡易医療キットで全身に出来た刀傷を縫い終わり、虎太郎はようやく一息をつく。

 彼はクラクルの縄張りにある、誰からも忘れられた地下室にいた。

 地下室にはキングサイズのベッドが一つと、ソファ、扉を隔ててシャワールーム以外には何もない。

 誰が何の目的で作ったかは分からないが、見るからに碌でもない目的であるのは間違いない。

 

 虎太郎、アルフレッドの徹底した探査によって敵が押し入ってこない限りは安全が約束された一室には二人以外にももう一人。

 

 

「で、どうだ。何か分かったか?」

 

『これは、酷いですね。言葉にすることも憚られます』

 

「まあ、気持ちは分からないでもない」

 

 

 ベッドの上で眠らされている水城 不知火だ。

 彼女を思惑通りに誘導し、多くの傷を負ってまで捕らえてから既に半日の時間が経過していた。

 

 

『正常な人体からかけ離れるほどの改造が施されています』

 

 

 魔界の医療技術の範囲は、何も怪我・病気の治癒だけに留まらない。

 人体に腕の一本や二本を増やすのは朝飯前の人体改造技術。何も改造は戦闘に特化したものだけでなく、この町の大半の娼婦がそうであるように、与えられる快感を増大させることも可能だ。

 

 

『しかし、妙です。不知火様に施された改造は魔界医療によるものというよりかは、細胞そのものが別の生命体に変質しているかのような……』

 

「淫魔秘奥の技術かねぇ……? 何処も彼処も人手不足。是が非でも戦力が欲しいってか?」

 

『淫魔族は直接的な戦闘力に欠けます。こと戦闘面においては弱小種族です。何処も彼処も生き地獄ですね』

 

「知略で補えば十分だが、万が一に備えてだろうな。……それで、治療は可能か?」

 

『恐らくは。ドクター桐生の技術であれば時間はかかりますが可能でしょう。ですが、問題が一つ』

 

「何だ……?」

 

『新たな着想(インスピレーション)と技術を得たと狂喜乱舞するかと』

 

「ああ、そりゃ頭が痛む問題だ――――――紫にとって、だがな。オレには関係ないので知らん」

 

 

 桐生が何をしでかそうと虎太郎には一切関係ない。桐生が言うことを聞くのは紫ただ一人である以上、問題を解決するのも紫一人になるからだ。

 

 その無情さ加減に嘆息しつつも何も言わない。今は時間が惜しいのだ。

 何はどうあれ、不知火は今現在、淫魔族の組織に幹部に近い扱いを受けている。娼館での正体不明の男――“あのお方”とやらの側近だろう――とのやり取りからして間違いない。

 不知火は娼館を襲撃した犯人を追っている最中だった。暫らくは姿を見せずとも問題はない。

 アルフレッドを使い、録音した不知火の音声から偽の定期連絡を娼館に向けても入れることは可能だが、最低で1週間、最長でも10日が限度だろう。それ以上は淫魔側が別の誰かを動かす。

 

 この一週間が勝負なのだ。

 最低限でも、敵の手によって堕落した不知火を、かつての位置にまで押し上げねばならない。

 それが不可能となれば、不知火、ゆきかぜ、凜子――そして、虎太郎の命運は尽きるだろう。

 

 

『それから、もう――――――』

 

 

 アルフレッドが突き止めたもう一つの事実を告げようとした瞬間、虎太郎はそれを片手で制する。

 

 見れば、ベッドの上で意識を失っていた不知火が目覚めの兆候を示している。

 不知火がこれからどちらに転ぶにせよ、今はまだアルフレッドの存在は伏せておいた方が得策だ。

 

 

「……う」

 

「よう、おはよう。気分はどうだい?」

 

「……ッ!? 本当に、虎太郎君、なのね」

 

 

 虎太郎はTシャツを着ながら、何の感慨も込もらない声で目覚めの挨拶を投げかけた。

 

 不知火は返事を返さない。ただただ驚いた様子で虎太郎の名を呼んだ。

 5年前以上も昔、よく面倒を見ていた天涯孤独な青年が成長し、こんな地の底に現れた驚きに目を見開いている。

 しかし、それは表向きの表情でしかない。裏では注意深く周囲を観察し、虎太郎の隙を窺っていた。

 

 

「拘束、しなかったのね」

 

「仲間なんだ。当然だろう?」

 

 

 不知火は拘束されていない。想定していたものとは異なる展開に、僅かだが困惑しているようだ。

 虎太郎は全く心にもない言葉を口にし、ベッドの片隅に腰を下ろした。

 彼女は素手でも縊り殺せそうな隙だらけな姿に、襲い掛かろうかと思案したが、あの体術のレベルと彼女にとって正体不明の能力がある。

 奇襲が成功する可能性は限りなく低いだろう。少なくともどのような能力なのか分かるまで、彼女であっても手は出せない。

 

 ――何よりも、不知火にはもっと楽にこの窮地から脱する術がある。

 

 虎太郎もそれを理解している。だからこそ、拘束もせずに寝かせておいたのだ。

 

 

「昔馴染みだ、連れ帰る前に教えてくれ。この5年で、アンタに何があったのか」

 

「ええ、勿論よ。私とゆきかぜ、凜子ちゃんを助けに来てくれたんだもの。私がどうなったのか、あの娘達がどうなるのか、ね」

 

 

 何の敵意もないように、愛しい男にするように、木の幹に絡み付く寄生植物の蔦のように、虎太郎の胴に不知火の両腕が巻き付き、抱き締める。

 

 

「……ああ、逞しいわ。虎太郎君が、こんなに男らしい身体をしているなんて知らなかった」

 

 

 ねっとりとした、女の欲望そのものが形となったような甘い鼻息とよく知る男子の成長を喜ぶようでいて、その実欲情で塗れた淫乱の台詞。

 胴を回った指先が、腹筋の溝をくすぐるように這い回り、雄を誘っている。

 

 並みの男ならばそれだけで射精してしまいそうな、どんな男でも即座に押し倒さずにはいられない雌仕草。

 しかし、虎太郎は不知火の見えない位置で顔を顰めるばかりだった。興奮を堪えている訳ではない。鼻に付く、ただただ不快な臭いに胸焼けを起こしていた。

 

 淫魔の淫気とでも呼べばいいのか。

 不知火の身体に絡み付く、淫魔族の欲望を極限まで煮詰め、腐らせたような臭い。

 

 はあ、と大きな溜め息と共に不知火の両腕を振り解き、それこそ彼女の男であるように、大胆でありながら繊細にベッドへと押し倒した。

 

 

「……ぁん。ふふ」

 

「アンタが発情するのは勝手だが、話の方も聞かせちゃくれないか」

 

「…………つれない――――ん、訳じゃないのね」

 

 

 今度は逆に、虎太郎の指が不知火の身体を這う。羽毛で触れるような繊細なタッチだ。 

 

 

「ヨミハラに潜入して、ぅん、些細な、ミスから、正体がバレてね、ぁっ、そのまま捕まったわ……」

 

「それが矢崎とリーアルか」

 

「ええ、ン、そうなの。それからリー、アル様に奴隷娼婦の身体に改造して頂いて、あっ、あぁ、お二人に、調教して頂いた、わ」

 

「……へぇ」

 

「始めは、ね、抵抗、したのよ……? 」

 

 

 恥じらうような口調でこそあったが、虎太郎の愛撫が与える微弱な快感に声は震えていた。

 むっちりと肉付きのいい内腿を撫で回しながら、ゆっくりと上に向かって上っていく。そのまま女の急所に到達するかと思えば、横道に逸れて鼠蹊部を刺激した。

 もう一方の手は、背中を滑る。虎太郎の指紋の形を記憶させているかのようだ。

 

 

「それで、ね。おばさん、3年も頑張ったの、でもね。来る日も来る日も、ぉ、犯されて、ひっ、自分が、女なんだって、オマンコの隅々まで、思い知らされたの」

 

(3年が転機か。すぐに矢崎とリーアルとの名前を出した辺り、やはり二人は同列かそれ以下。そして二人では不知火は堕せず、3年後に上へ放り投げたか。これ以上は引き出せんだろうな。連中も馬鹿じゃない。セーフティくらいかけてあるだろ)

 

 

 虎太郎は発情しきった極上の女体を愛撫しながらも、頭の片隅で状況を整理している。驚くべき冷静さだ。

 

 鼠蹊部を上りきった手は、下腹を撫でる。

 皮下脂肪と腹筋の下の子宮への愛撫。これから苛め抜く子宮の存在を確認しているかのよう。

 既に不知火の腰は意志とは関係なくヒクつき、女穴は男を求めて涙を流していた。

 

 

「ふ、ぅ、ふぅ、……今日も、愛して頂く予定だったのに、んんっ、でも、虎太郎君なら、満足、させてくれそう、ね」

 

「さあ、どうかな。“自信”はないね。それに気を抜いたら殺されそうだしな」

 

「あら、ぁ、バレてたの、ね。……ハァ、ハァ」 

 

 

 明らかな落胆の色を見せながらも、抵抗はない。まだ彼女には自信があるのだろう。

 挿入にさえ至ってしまえば、人間の男などいくらでも篭絡可能と考えているのだ。

 

 甘いと言わざるを得ない。

 虎太郎は精神的にも人間から外れつつあり、後一歩の所で踏み止まっているだけの男だ。その技術(わざ)も、魔性に劣ろう筈もない。

 

 荒く甘い呼吸を繰り返し、全身から汗を吹き出している不知火の様子に頃合か、と虎太郎は体勢を変える。

 不知火の上体を起こさせ、背中側へ。今度は虎太郎が不知火を後ろから抱きすくめる形となった。

 

 

「……どう、おばさんの身体? まだまだイケる? 凄くイヤらしいでしょう?」

 

「ああ、そうだね」

 

 

 スーツを押し上げ、限界まで勃起した乳首と淫核を見せつけるように不知火は腰を振り、胸を突きだす。

 

 対し、虎太郎はひたすらに冷静な呟きで返す。この手の行為では、僅かでも弱味を見せてはならない。

 何をされても表情一つ変えないか。何をされても、自身を偽り続ける必要がある。その点でいえば、不知火の劣勢は火を見るより明らかだ。

 

 

「く、ふぅぅぅ、も、もう、まだ焦らすのぉ……?」

 

「その方が気持ちいいから。我慢我慢」

 

 

 差し出された乳頭にも、淫核にも触れず、その重すぎる双乳を持ち上げる。

 子供を一人生み、女としての旬は過ぎたと言ってもいいにも拘わらず、一切型崩れをしていない。

 両手で持ち上げ、ふるふると揺らす。切なすぎる刺激に生臭い雌の吐息を吐きながら乳輪から勃起していたはずの乳首は、また一回り大きくなったように見えた。

 

 

「あぁ、ハッ、お願いよぉ。もう、限界なの。何処でもいいから、イジってちょうだいっ」

 

「分かった分かった」

 

「はやく、……はやくぅっ! …………んっ!!」

 

 

 不知火から雌の急所への刺激を懇願され、乳房から手を放し、痛々しいほどいきり立った乳首に指を伸ばす。

 ゆっくり、ゆっくりとスローモーションで伸びる節くれ立った両指を、涎を垂らしながらうっとりと眺める。

 

 そして、乳首をキュっと抓まれただけで、不知火の視界が白く染まる。

 明らかな絶頂の予感に不知火は反射的に唇を噛み、虎太郎の両手首を握り締めながら、すんでの所で踏み止まった。

 

 

「ハッ、アァッ、……ハァッ! イィ、いいわっ! 虎太郎君、上手、よぉ!」

 

「そりゃ、どーも」

 

「キちゃう、久しぶり、よ! これ久しぶりぃ! あ、ひっ、……ひぃ、くひぃ、んんんんんんんんッ!!」

 

 

 乳輪ごと乳首を捻られる。

 スーツの中で母乳を吹き出し、不知火は身体を限界まで反らせながら絶頂へと登り詰めた。

 

 舌を出しながら、絶頂の余韻に浸る不知火であったが、虎太郎に休ませるつもりはない。

 今度を目標は股間に食い込んだ股布を押し上げて、必死に自己主張するクリトリスだ。

 

 

「ま、待って、ちょうだい。んく、今、イったばかりなのよ。お願いよぉ、少し、少しでいいから……」

 

「おいおい、欲しいって言ったのはアンタだろ」

 

「ま、まぁぁぁあああっ!! カリカリ、そんなカリカリ、クリちゃん、爪でっ、ひぃぃぃ!!」

 

 

 腰を捻り、陰核から脳に向かって奔る快楽を逸らそうとするも、片手で下腹を――子宮を押さえつけられ、それすらままならない。

 クリトリスを刺激する手首に両手を伸ばして止めようとしても、与えられる快楽に力は入らず、無駄な努力にしかならなかった。 

 

 

「あひぃ、ひっ、くひぃ、これ、もう無理ぃ! 我慢、むりよぉ!!」

 

「我慢しなくていいだろ? アンタが満足する為なんだから。で? イク時はどうしろって教えられた?」

 

「イクぅっ! 不知火、イキます! あ、アクメ、いただきます! あぁ、ァァァァ、イックぅぅぅぅぅぅぅっ!!」

 

 

 不知火は腰を浮かせ、陰核での絶頂に至る。

 大量の潮をベッドの外にまで吹かせながら、不様なアヘ顔と雌神楽を披露しつつ、忘我の中で余韻を味わう。

 

 

「ひっ……は、ひぅ……あひぃ……ふぅ、……へあぁ…………」

 

「ふぅ、不知火。そろそろ本番、行こうか。服、脱いでくれ」

 

「はぁ……ふぅ……んく……はあ……わ、分かったわ」

 

 

 絶頂の余韻から立ち直るのを待ち、虎太郎は脱衣を促す。

 不知火は整わない呼吸と絶頂の気怠さを抱えながら、トレードマークであるレオタードタイプの対魔忍スーツを脱いでいく。

 しかし、手足は上手く動かず、中々上手く脱げない。すると見かねた虎太郎が脱衣を手伝う事態が発生した。

 

 不知火はベッドに寝転がり、М字に脚を開く。男を誘うポーズの初歩の初歩。

 既に雄を待ち侘びて開き切っている雌穴を、両手を使って子宮口が見えそうになるまで更に押し広げた。

 ぬちゃぁ、と音を立てて開かれた膣穴はヒクつき、表にこそ出さなかったものの虎太郎でも生唾を飲み込むほどにいやらしい。

 

 

「さあ、どうぞ。……フフ、(とう)が立ったおばさんマンコ、味わって」

 

 

 味わってと口にしているものの、明らかに彼女の声には当初の楽しむような弾みのある声ではない。

 

 既に不知火も自分の身体が可笑しいことには気付いているのだ。

 気付いてはいるが、淫魔に調教され、淫魔に為りかけているが故に快楽から逃れようとする思考が頭から抜け落ちている。

 

 虎太郎は何も媚薬を使った訳でもなく、不知火が寝ている間に魔界医療で更なる改造を行った訳でもない。

 堕ちた不知火すら狂わせているのは、性感マッサージ、房中術、呼び名は様々であるが、要は人間界の単なる性技に過ぎない。

 

 虎太郎は救出を行う際、緊急性を求められて女の対魔忍を抱いた経験は一度や二度ではないし、救出に向かった際、快楽に堕ちた対魔忍とも相対する経験も同様の数を熟している。

 とは言え前者は兎も角、後者は生半なことでは正気には戻らないし、元の価値観や優先順位を取り戻させるのは手間が過ぎた。

 

 その際に多用したのが媚薬であるが、これはこれで問題がある。

 対魔忍という立場上、媚薬など手に入りづらいし、手に入れて他の対魔忍に目を付けられる訳にはいかない。

 また媚薬と称されているが、所詮は毒に過ぎない。これでは対魔忍として復帰した際に何らかの支障が出かねず、膨大な量の媚薬には決して同時使用してはいけない類のものまで存在する。

 魔界の医療技術を使おうにも、学ぶのはまだいいが、救出先で改造が行えるような設備を用意できる筈もない。 

 どうにもこうにも八方塞がりの状況に、何とか楽をしようとした虎太郎はやがて一つの考えに至る。

 

 ――魔界の(わざ)に、人界の技術(わざ)が劣るもんなのか……?

 

 ふとした発想であったが、虎太郎には天啓に思えた。

 何せ、何一つ用意する必要がなく、上手くさえ行けば、何の前準備も必要なくなるのだから。

 感度の上昇、肉体の発情と変容が可能な性技を手当たり次第に学んでいった。

 人体のツボへの刺激、神経系の刺激、皮膚が最も感度が増す触り方、果ては気を用いた技術まで。不知火の身体から発せられる淫気を嗅ぎわけられたのも、その一端のようだ。

 

 ……如何にも彼には努力の方向音痴と言うべきか、楽をしようとする余り、逆に手間のかかる方法を選んでしまう節がある。

 ともあれ、長い時間を掛けて、虎太郎は己の思い付きを現実のものとした。魔界の業にすら劣らぬ人界の性技。その威力は不知火の様を見れば一目瞭然であり、人界の性技というよりかは、魔人の性技と呼んで差し違いない。

 

 

「さて、じゃあ味わわせて貰うか」

 

「…………っ、ぅ……」

 

 

 虎太郎の取り出したものは、不知火が見てきたものの中でも最上級の代物だった。いや、“級”は抜けてしまうかもしれない。

 不知火は恐怖を覚えながらも、それ以上の期待を抱いてしまい、肉棒から目を逸らせなかった。

 

 

「ひぃぃぃっ!!」

 

 

 音を立てて挿入される剛直に、不知火は生娘のような悲鳴を上げた。

 未知の感覚ではないものの、かつて屈服した“あのお方”に匹敵するレベルの快感に、本能から叫んでいた。

 

 まだ亀頭が入っただけだと言うのに腰が全く堪えてくれない。熱い雌潮を虎太郎に向けて吹き掛ける。

 

 

「お、おほぉぉっ、は、はぃ、かはぁぁぁっ……」

 

(イったぁ、亀頭だけでイカされるなんて、こんな、坊やにぃ……)

 

 

 年下の若いチンポで何の抵抗も出来ず絶頂に押し上げられ、不知火は屈辱に濡れるも表情は蕩けっぱなしで、虎太郎を睨むことすら出来ていない。

 目尻は垂れ下がり、歪んだ笑みを浮かべた表情は、男を虜にして性を絞り取るサキュバスのそれではなく、だらしなく若い雄に媚びる雌年増のそれだ。

 

 

「あひぃぃぃ、しょ、しょんな! ゆっくりぃ、ひぁぁああぁぁぁっ!!」

 

「今、オレが何してるか分かる?」

 

「あっあっあぁぁああ! わ、分かる、分かっひゃうわよ! こんな、こんなのぉぉぉぉ!」

 

 

 鳴き声とも、泣き声ともつかぬ女の悲鳴が不知火が口から迸る。

 

 

「お、おぼえ、させようと、して、る! ひくぅ、おっ、おしえこんでるぅっ! 私のオマンコ、躾けちゃってるぅぅぅぅうううう!!」

 

「随分と嬉しそうだな」

 

「う、嬉しくなひぃ! こ、こんな、すごっ、凄すぎるの、ぉぉぉっ!!」

 

 

 襞の一枚一枚に至るまで、徹底的に自身の存在を刻むように。カリ首は襞を削り取られ、襞はカリ首を撫で上げた。

 ゆっくりゆっくり、Gスポットも、精液溜まりも、子宮口も、不知火の弱い箇所を的確に抉り、徹底して膣に己の味を覚え込ませる

 

 

(でも、大丈夫、まだ、これなら耐えられる。イキっぱなしになっちゃってるけど、何度イッても堕ち、ないぃぃ!!)

 

 

 10度の抽送にたっぷりと30分も時間を掛けると、不知火は完全に腰砕けになっていた。

 男を篭絡するだの、隙を見て殺すだの、そんな小賢しい考えなど当の昔に吹き飛んでいた。不知火に出来ることは絶頂と与えられる快楽に耐える、奇しくも5年前と同じ所業のみ。

 

 

「んぅ……う、くぅうう、ひは……はふ……ふぅ……」

 

「そろそろいいかな、不知火さん?」

 

「す、好きに、すれば……いいわ、お尻の、青い、坊やに……堕と、されて、やるもんですか」

 

 

 単なる強がりでしかない台詞に、虎太郎は苦笑を漏らす。

 これではどっちが悪党なのか分からんな、と思いつつも、少なくとも正義の味方ではないなと自己を結論付ける。

 

 

「さて、絶頂で子宮口が緩くなってる自覚はある?」

 

「う、うる、ひゃい……子宮の、中に、入れるつもり、でしょう、けど……」

 

「何度も経験あるんだろ? 分かるさそれくらい。こんなに亀頭に吸い付いて柔らかいんだ。入れて入れてっておねだりしてるよ」

 

「ひぃ、……くぷくぷ、子宮口、オチンポで舐らないでぇ、また、またイクっ!!」

 

「イキながらでいいから聞いてくれよ。今まで味わったことのない体験をさせてやるから……」

 

「な、なにを……」

 

「これから分かる」

 

「…………おひっ」

 

 

 とうとう子宮内まで犯され、不知火は頭の中で散った白い火花に耐えかね、くるんと瞳が上を向く。

 

 

「ひぃ……? ひぃぃぃ! なに、あっ、なによ、なによこれぇぇぇぇっ!」

 

 

 亀頭とは別の何かに、子宮をベロベロと舐められている感覚に、不知火は全身に鳥肌を立てて絶頂を繰り返す。

 

 

「アンタの水遁の術、奪わせて貰った。先走りを子宮に引っ掛けられたことはあっても、先走りで子宮を舐められたことはないよなぁ」

 

「んおぉっ、お、お゛、ふぅ、ひぃぃ、あひぃぃぃぃぃ、イクイクイクぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」

 

 

 絶頂で引き裂かれる思考の中で、不知火はようやく思い至った。

 堕ちてからというもの、どんな絶頂を迎えようとも、全てを受け入れてきた。

 だと言うのに、今日に限って、虎太郎に与えられるアクメを無意識に避けようとしていた。

 

 自分をイカせようとする手を握り締めていたのは、絶頂に堪えようとしていたのではなかった。その手を遠ざけようとしていた。

 絶頂の余韻で自分から服が脱げなかったのではない。無意識に服を脱がず、己自身を守ろうとした。

 不知火の直感か、或いは淫魔の調教が為せる技なのか。始めから、彼女の身体は二度目の堕落を予感していたのである。

 

 

「イヤぁ! たすけ、ゆきかぜ、ご主人さま、助けてぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!!」

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「……は……っ、……ぁ……ぅ……」

 

「さて、こんなもんか」

 

「………………おほぉっ♪」

 

 

 虎太郎が不知火を犯し始めてから一週間の時間が経っていた。

 すっかりと躾けられ、必死になって吸い付いてくる膣からそそり立つ剛直を引き抜くと、明らかな喜びの悲鳴と共に黄金水がちょろちょろと勢いも少なく垂れ流される。

 

 この一週間で不知火は掛け値なしに5年に及ぶ調教で味わったものすら越える絶頂と快楽を叩き込まれた。

 元より淫魔族は他種族を篭絡することに特化した種族。如何に特殊な力を持つとは言え、ただの人間に彼等が越えられよう筈もない。

 しかし、其処には一つの陥穽が存在する。対魔忍とは言え、どう足掻いた所で人間が耐えられる快感の限界など決まっており、また淫魔族と虎太郎では不知火に対する思惑が違うのだ。

 

 淫魔族は最終的な目的がなんであれ、捕らえた不知火を戦力として使うという思惑があった。

 対し、虎太郎の目的はゆきかぜと凜子の救出であり、不知火が目的遂行の邪魔だったというだけだ。

 

 淫魔側は不知火に壊れられても困る。自陣の戦力として利用しようというのだ。快楽で精神を破壊し、使い物にならなくっては意味がない。

 対し、虎太郎は不知火の救出はあくまでも突発的なものであり、最悪、廃人となってしまっても構わなかったのである。

 

 そして、淫魔族は生まれ持った能力は本能に近い。

 故に他者を堕とすことに喜びを覚え、そこに快楽がどうしようもなく伴い、その過程を楽しもうとする。人の三大欲求に快楽が伴い、それを楽しもうとするのと同じ道理だ。

 

 対し、虎太郎の行為は単なる作業に過ぎない。快楽は伴ったとしても決して流される筈もなく、楽しみもない。あるのは、ただひたすらにさっさと終わらせたいという思いだけだ。

 

 例え、種族が違ったとしても、淫魔が虎太郎に敵う筈もない。

 本能に流され、時に遊びに走ってしまう調教と淡々としていながら可及的速やかに終わらせようとし、人心を理解し、的確に堕とす作業のような調教。どちらが効率がいいかなど、考えるまでもないだろう。

 

 

「それで、始まる前に何を言おうとした?」

 

『はい、不知火様の頭――脳幹に異物があります』

 

「はん? なんだそりゃあ?」

 

『どのような条件で起動するかは不明ですが、機能自体は単純です。起動すると頭痛として痛みを与えるようですね』

 

「…………痛み、ねぇ」

 

 

 虎太郎はアルフレッドの言葉を反芻しながら、用意しておいた最後の携帯流動食を飲み下す。栄養価抜群のそれのお陰で一週間もの間、絶え間なく不知火を犯せたのである。

 

 ふむ、と考え込みながら、一つの考えに行き当たり、くすと笑みを漏らす。

 

 

「成程ね。淫魔の連中も気が短い。いや、不知火の気力が凄まじかったというべきかな」

 

『どういうことでしょう?』

 

「さて、アルフレッド君。調教において、もっとも邪魔なものは何でしょう?」

 

『そうですね。快楽などというものが理解できない私の意見ですが、最も邪魔なものは理性ではないでしょうか?』

 

「近いが惜しい。調教とは理性を変える為のもの。より正確に言うのなら判断力だ。対魔忍として、女として、人として、正常で当たり前の判断こそが邪魔なんだ」

 

『全く必要がありませんが知識として記録しておきます。それで、どうしましょう……?』

 

「チップにいらんバックドアでも仕込まれていたら厄介だ。これ、チップの素材は?」

 

『一見すれば何の変哲もないチップですが、脳内にそんなものを埋め込まれて無事に済む訳がありません。間違いなく魔界産の生体部品でしょう』

 

「なら、何とかなるな。摘出は出来んにしても、起動できないようには出来る」

 

 

 ありとあらゆる体液で汚れたベッドに上がり、意識を失っている不知火の頭を両手を包み込むように掴んだ。

 

 

「アル、これから両手に対魔粒子を集中させる。お前は魔術で対魔粒子をチップに収束させろ。焼き切るぞ」

 

『危険な賭けです。対魔粒子は魔術の行使にも影響を与えます。繊細な作業は非常に困難ですよ』

 

「その為に魔術師の脳なんて不安定な演算装置と操作装置じゃなくて、お前の安定した演算機能と操作機能を使うんだろうが。それに対魔粒子は人体に対する影響は少ないさ」

 

『それで、その心は……?』

 

「どっちに転んだっていいのさ。成功したら味方が増える。失敗したら敵が一人減る。それだけ」

 

『惚れ惚れするようなドライモンスターぶりですね。ですが、私は貴方をこれ以上怪物にするつもりはありませんので――――全力でサポートします。いつでもどうぞ』

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

(……子宮が疼く)

 

(あれだけ、何回も何回もイカせたのに、あの子は射精、してくれなかった)

 

(あぁ、でも、この臭い……)

 

(女に最大の快楽を与えてくれる、私が一番好きな臭い)

 

 

 不知火は、痛みにも似た子宮の疼きで目を覚ました。

 子宮は蕩け、精一杯の膣奉仕をしたにも拘わらず、虎太郎は吐精には至らなかった。“あのお方”ですら、快楽の呻きを上げて射精したというのに。 

 当然である。行き過ぎた合理主義の塊、本能すら凌駕する理性の怪物、調教を作業と言い切る徹底した仕事人が快楽に流されるなど在り得ないのだから。

 

 

「よう、おはよう。気分はどうだい?」

 

「…………あぁ」

 

 

 鉛のように重い瞼を開け、バラバラになってしまったような手足を動かす。

 不知火は、ベッドの端に腰掛けた虎太郎の股間に顔を埋めるように眠っていた。目を覚ました瞬間に目に入ってくるのは、屹立して震える逞しい男性器だ。

 それだけで口の中は涎で溢れ、瞳は潤み、表情は蕩けていく。鼻を刺す精臭に、ゴプリと雌穴から白濁した本気汁が零れ落ちる。

 

 無意識にも、意識的にも、不知火は自分を躾け直した雄のシンボルに向かって、口一杯に含もうとした。

 

 

「ああ、待った待った、不知火さん」

 

「…………あっ、あっ、そんな、そんらぁっ!」

 

 

 しかし、虎太郎は不知火の髪を掴み、引き止める。

 虎太郎には当たり前の、不知火にとっては余りにも残酷過ぎる仕打ちに、肉勃起に舌を伸ばして涙を浮かべる。

 

 

「アンタなら、分かるだろ。言わなきゃならんことがあるのをさ?」

 

「………ふぅ………ふぅ」

 

(ダメ、ダメよ、不知火。私は、あのお方のモノなんだから……でも、でもぉ)

 

 

 もう、不知火は“あのお方”の顔も思い出せない状態だった。

 それも仕方がない。散々アクメを味わわされ、徹底して秘裂を調教し直した剛直を前にすれば、もう頭の中はそれ一色になるしかない。

 それでも不知火は今一歩のところで堪えた。それは淫魔の駒としての矜持だったのか、或いは――――

 

 

「じゃあ、言い易くしてやるよ。但し、舐めるのもおしゃぶりも禁止。もし破ったら、言わなくても分かるよな?」

 

「んんっ!? んーーーーっ! んーーーーーーーっ!!」

 

 

 両手で頭を包まれ、鼻の先に待ち望んでいる肉竿を差し出された瞬間、濃厚過ぎる雄の汗と精の匂いにあっさりと堪えていたものは決壊する。

 無意識に虎太郎の言葉を忠実に守るため、唇を噛み締めたがアクメは止められない。脳の奥の奥まで、手足の先まで行き渡りそうな雄の体臭に不知火の膣口は開き、歓喜の雌潮を吐き出した。

 

 

(もう、ダメ……身体、全部この子のものになっちゃってる。この子の雌に、女になっちゃってるぅ……!)

 

 

 それだけで既に分かりきった事実を、不知火は頭の隅々まで思い知らされた。

 

 

「………………わ」

 

「何? 聞こえないな」

 

「……なるわ。虎太郎君の、女に、なります」

 

 

 渾身の器量でペニスから目を離し、ペニス越しに自分を見下ろす虎太郎の目を見て、不知火は不様な雌宣言を晒した。

 

 不知火の本心からの自身に媚び切った屈服宣言だというのに、虎太郎は嬉しそうにするでもなく、満足するでもなく、ただ静かに頷く。

 

 

「分かった。じゃあ、まずはしゃぶらせてやるよ。但し、こっち」

 

「ひゃ、ひゃひ、ありがひょう、ごじゃいはぶぅ……」

 

 

 虎太郎が差し出したのは肉竿ではなく、その付け根にある陰嚢。

 たっぷりと、ぐつぐつとした男の欲望が詰まった弱点を差し出され、不知火は礼も半ばでむしゃぶりついた。

 

 

「何でこんなことさせてるか、分かる?」

 

「分かりゅぅ、……確認、ひょね? 完璧ひぃ……、かんじぇんに、じぶひゅの、女になっひゃかどうかの、ひゃふにんさひょぉ」

 

「流石によく分かってる」

 

「んれぁ……はむぅ……じゅろろ……ずず……あ、ひっ♪」

 

「おっと嬉し過ぎて、でちゃったな?」

 

「こんにゃの、でひゃうぅ……んぶぶ、ずろっ、うれひくて、嬉ひょん、でひゃううぅぅぅっ♪」

 

 

 睾丸を口に含んだまま、皮の皺一つ一つに舌を這わせる。

 男の弱点を差し出すことで自分の女になったことを確認され、不知火は尿道を限界まで開かせ、喜びの失禁を披露した。

 

 

「ま、これならいいか。ほら、立てるか?」

 

「ふぅ、ふぅ、……ふぅぅぅううううう!」

 

 

 虎太郎に手を取られ、もうアクメと発情で自分の意志では如何にもならない手足に力を注いで、荒い呼吸のまま立ち上がる。

 

 不知火は自分を屈服させた男の手に誘われるまま、躾けられた時と同じ体勢を取り、雌穴を差し出した。

 

 

「は、ひ…………お、おばさんの、堪え性の無いエロマンコ使って、虎太郎君の、逞しい極太カリ高若チンポからザーメン、いっぱい吐き出してぇ……ん! ンンっっ!」

 

 

 不知火は今一度、自分の使い心地を示すようにトロトロに蕩けた膣肉を締め上げた。

 膣内に溜っていた愛液をぴゅ、ぴゅっ、と何度も何度も噴き出して、虎太郎のチンポを精一杯誘惑する。

 

 

「分かった。但し、オレがイくまで、アクメ禁止」

 

「あ、ああ、そんなぁ……で、でも、お、おばさん、が、頑張る、から、早く、はやくぅ……!」

 

「はいはい」

 

「ン、く、かはっ! んひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!」

 

 

 一気に最奥まで貫きそうな勢いでの挿入。

 散々焦らされ、屈服してまで求めた刺激であったが、虎太郎の女となった不知火は必死になって命令に従う。

 膣を締まし、音を立てて雌欲で白く濁った本気汁を噴出させたが、辛うじて絶頂だけは堪えた。

 シーツを握り締め、足を指の先まで丸め、アクメを得ようとする腰の動きを抑え込む。

 

 虎太郎は一物を半ばまで挿入した時点でそれ以上は先へと進まなかった。

 不知火に絶頂を迎えさせまいとした訳ではなく、射精に堪えようとした訳でもない。ただ、ここからが虎太郎にとっての本番(・・・・・・・・・・・・・・・)だったというだけだ。

 

 

「なあ、不知火さん。一つ、言いたいことあるんだけど、いい?」

 

「はぁ……、はぁ……、な、なぁに、虎太郎君?」

 

 

 不知火は絶頂寸前まで追い込まれたことをひた隠し、雄へと媚びた笑みを浮かべる。

 

 しかし、虎太郎は何処までも冷静に、何処までも残酷に、決定的な一言を告げる。

 

 

「散々やっといてアレなんだが、ほら、何て言うかさ――――オレ、別にアンタなんか要らないんだよね」

 

「――――――え?」

 

 

 一瞬、何を言っているのか分からないという表情で不知火は虎太郎を見た。

 静かで冷たい視線は、告げられた言葉が彼にとっての事実であると告げている。

 

 

「……なに、を」

 

「別にアンタの魅力がないって訳じゃない。オレもそこまで選り好みが激しい訳でもないし、美人だしなぁ。女は顔じゃないけど」

 

「な、ら、どう、して……」

 

「いや別に。深い理由なんてないよ? 単に邪魔なだけ。それにさ、ゆきかぜに凜子の件もあるだろ?」

 

「そ、それなら、あの娘たちを堕とすの手伝うわ! 私は、何でも――」

 

「――だから、要らねぇって。分かんねぇ女だな」

 

 

 ここまでのことをしておいて、いきなり不知火を不要だと切り捨てる。

 敢えて捨てる素振りを見せて、女に自分を求めさせるような演技では決してない。

 どんなマゾヒストでも震え上がるような、底抜けに冷たく、システムの権化のような昆虫的な冷たい声。

 当然だ。今この男が求めている優先順位は、水城 不知火という女ではなく、水城 不知火という対魔忍なのだから。

 

 不知火は、彼にとっての純然足る事実に、静かだが深い絶望の嗚咽を漏らす。

 

 対魔忍であることを捨て、“あのお方”に仕えることを選択した。

 娘も同然の凜子と娘であるゆきかぜですら、求められるままに捧げようとした。

 その最中で虎太郎に捕らわれ、“あのお方”すら裏切ったというのに、待ち侘びていたのがこれでは絶望もしよう。

 

 最早、不知火は対魔忍でも、母親でも、淫魔の駒でもなければ、虎太郎の女にすらなれない。

 

 

「本当にそうか……?」

 

「………………?」

 

 

 くい、と顎を掴んで、虎太郎は不知火に自分の目を見させる。

 

 暗い絶望の淵に叩き落とされ、まともに声も聞こえない状態であろう不知火であっても意識を向かざるを得ず、虎太郎の静かな言葉が頭に浸透する。

 

 

「ゆきかぜにな、この間飯を作ってやったんだよ。アンタの味付けでな。そしたら嬉しそうな顔してな好評だった」

 

「………………っ」

 

「凜子もゆきかぜに着いてきた以上、アンタに思う所があるんだろう」

 

「…………やめ、……て」

 

「まあいいけどな、それでも。だがはっきり言っとくが――――――これが、最後のチャンスだぜ」

 

 

 不知火には何もない。

 絶望の淵にあって、その言葉はどんな意味を持っていたのか。

 彼女には何も思い出せない。少なくとも、淫魔の駒としての時間は彼女にとって、何の意味もない時間だったようだ。

 

 心の奥底。本能や無意識下すら越えた底の底。何者も触れることが出来ず、何者かが触れれば壊れてしまう繊細で最奥の領域の底から雪崩のように溢れ出たのは最愛の――

 

 

「ふ、ううぅぅぅぅぅぅぅっ!!」

 

 

 それを自覚した瞬間、何の力も入らないと思っていた脚に神経が通ったように動き出す。

 必死になって、それこそ命を懸けるような動きで、半ばまで女陰に埋まったペニスをゆっくりと、だが確実に腰を浮かせて引き抜いていく。

 

 その行為に何を思ったのか、虎太郎は相変わらず何の感慨も読み取れない表情で邪魔をする。

 亀頭に血液を送り込み、襞にカリ首を引っかけて刺激を増大させ、剥き出しになったクリトリスを摘み上げる。

 不知火は何度も腰を震わせてアクメに至ってしまい、鞘に刀を収めるように長大な剛直を女性器に戻してしまう。しかし、それでも諦めることなく引き抜こうと繰り返す。

 

 やがて、どれだけの時間を掛けたのか。不知火は遂に亀頭を抜こうとする寸前までやってきた。

 

 

「最後に質問。アンタは何だ?」

 

「……わた、しは、対魔忍、水城、ゆき、かぜの、……母、対魔、忍、水城 不知火よっ!!」

 

 

 その言葉に頷くと、刺激を繰り返していた肉芽を放す。

 にゅるり、と音を立てて膣穴からペニスが抜き出され、不知火は激しい絶頂を示すように身体を仰け反らせて、天井にまで達しようかという潮を噴いた。

 それでも決して、声は上げない。歯を喰いしばり、激しい絶頂に至ろうとも、心だけは明け渡さなかった。

 

 仰け反らせていた身体をベッドに投げ出し、不知火は今にでも死んでしまいそうな弱々しい呼吸を繰り返した。それでもその瞳には強い意志の炎が再び灯っていた。

 

 

「……こ、れで、よかった、の、よね?」

 

「ああ。それから、本当に久し振りだな、不知火さん」

 

 

 本当に卑怯な男だ。

 あれだけのことをしておいて、人を性格でなく能力でのみ求め、正義や誇りに何の興味も抱いていない癖に――――不知火の取り戻した誇りを称えるような、優しげな笑みを見せる。

 

 その笑みを最後に見て、対魔忍・水城 不知火は意識を失った。

 



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『これはご褒美かもしれないが苦労と釣り合い取れてんのか? とか考えている彼は全男の敵』

 

「…………う、ぅ」

 

 

 微睡みの中から不知火の意識が浮上する。

 全身に気怠さは残っていたものの、視界も思考も驚くほどにクリアな状態に自分自身で驚きを隠せない。

 

 虎太郎に敗れ、連れてこられた部屋は特に変化はない。小奇麗さも小汚さもない、生活感というものが一切欠如した地下室。

 唯一変化があったのは不知火が眠らされていたベッドのシーツが新品に取り換えられていた程度か。

 

 目を覚まし、本来の自分自身を取り戻した不知火が抱いたのは、やはり拭いきれない後悔と罪悪感だ。

 いくら敵によって洗脳染みた調教があったとは言え、それに屈服し、受け入れたのは彼女自身に他ならない。

 ましてや、敵の言われるがまま、娘であるゆきかぜと娘同然の凜子を捧げようとする悍ましい行為に奔ってしまった。

 ただ快楽のための下劣で残酷な愚行。正常な判断ができる今、彼女は己を母親などと口が裂けても言えまい。

 

 

「寝覚めで悪いけど、ちょいと質問に答えてくれないか?」

 

「…………虎、太郎、君」

 

 

 両手で顔を覆い、己自身に対する絶望とゆきかぜ、凜子に対する罪悪感に溺れかけていた不知火を引き戻したのは、気遣いなど全く感じられない虎太郎の声だった。

 部屋の隅で両腕を組んで油断も隙もなく不知火の様子を眺めている虎太郎の姿がある。

 

 彼女は驚いた顔で顔を上げ、自分を今の位置にまで引き上げた青年に視線を向ける。

 虎太郎はずけずけと不知火に近寄り、ソファを移動させて、どっかと腰を下ろした。

 

 

「アンタが、一番初めに着いた任務は?」

 

「……急に、何を?」

 

「いいから、答えて」

 

 

 有無を言わさず、虎太郎は不知火に無数の質問を開始する。彼女の心境などお構いなしだ。

 不知火も困惑こそしていたものの、その無遠慮さ、冷徹さは今の彼女にとっては気休めになったのだろう。沈んでいた表情は、次第に引き締まっていく。

 質問の内容は他愛のない日常的なものから、不知火がかつて挑んだ熾烈な任務を思い出させるものまで様々だった。共通点は、不知火ないし対魔忍しか答えられない内容という点だ。

 

 彼の質問の意図は二つ。

 今、目の前の水城 不知火が本物なのかどうか。そして、自身の行為が完全な形で効果を発揮したのかどうかである。

 何者かが姿を変えている可能性もあり、あるいは何らかの魔界技術を用いられて造られた模造品(デッドコピー)である可能性も否定できない。

 何よりも不知火が正気に戻った振りをしている可能性もまた存在している。その全てが潰えぬ限り、弐曲輪 虎太郎は気を緩めない。

 

 彼は誰一人として信じていない。そこには己自身ですら含まれる。例外など何一つない。ある意味で、誰よりも平等な男と言えよう。

 異常なまでの猜疑心。疑いの対象が自分自身に及ぶが故に、彼は自分に対して自信がある、ではなく、自分に何ができるか自覚があると称するのだ。

 

 もっとも、何よりも恐ろしいのは、自分を含めた世界の全てが疑いの対象だと言うのに、平気な顔をして生きていける並外れた精神力だ。最早、異界の神々とですら渡り合えそうなほどである。

 並の人間ならば一時間と持たない。厳しい鍛錬を越えた対魔忍や米連の兵士ですらが一月と正気を保てまい。魔族であったとしても、生きることを諦めよう。

 何一つも信じないということはそういうことだ。安らぎ、安心、安堵、安寧がないも同然――いや、同義である。

 

 10分以上に渡っての質問は、不知火にとっては救いだったようだ。

 表情が厳しくなる場面もあれば、頬を緩め、笑みを浮かべてしまうような他愛のない質問まで、兎に角絶望している暇がないほどの質問攻めだったのだろう。

 

 

「最後に、アンタの得意料理は?」

 

「そう、ね。豆ごはん、かしら?」

 

「ふむふむ。オレの目からはもう大丈夫そうだな。アル、お前からは?」

 

『身体的反応から何らかの虚偽、動揺は見られません。私も同意見です』

 

「……誰なの?」

 

「ああ、アンタにゃ言ってなかったか。オレの相棒だよ」

 

『初めまして、不知火様。私は人工知能のアルフレッドと申します。以後、お見知り置きを』

 

「人工、知能……まさか、こんな高度な」

 

「驚くのは仕方がないが事実だから。実際、優秀だよコイツは。アサギよりもよっぽどな」

 

『言い過ぎですよ、虎太郎』

 

「事実だろ。どう考えても」

 

 

 不知火と虎太郎は任務を共にせず、ふうまの跡取りであったことも知らない。

 故にアルフレッドの存在も知らなかった。そもそも、虎太郎がアルフレッドの存在を明かすのは稀だ。使えるモノほど手の内に隠しておく。その方が、仕事にも敵に対しても有効だからだ。

 

 そして、虎太郎は己の目とアルフレッドの機能。その二つによる判断を以て、初めて目の前の水城 不知火が本物かつ正気であることを認めた。

 

 

「さて。早速だが、不知火さんにやってもらいたい仕事がある」

 

「何、かしら……?」

 

 

 そう、全てはこの為だ。予定にない不知火の救出を組み込んだのは、決して彼女の為でなく、その力を利用する為に他ならない。

 半ば本気の冗談を口にしていた顔は引き締まり、その瞳は槍のような眼光を放っていた。

 

 

「取り敢えず、背中の傷縫ってくれね? 自分じゃ背中の傷には手が届かねぇ」

 

 

 どんな大仕事が待ち侘びているのかと身構えていた不知火は、何処か間の抜けた虎太郎の声にカクンと肩を落とす。

 虎太郎はその反応に満足げに頷くと医療キットを投げて渡し、シャツを脱いで背中を向けるとベッドに腰掛けた。

 

 不知火が包帯とガーゼを丁寧に外すと、右肩から左脇腹にかけての刀傷が現れる。薬で化膿と出血を止めているが、それ以外の処置を施さなかった患部の皮膚は捲れ上がり、傷が広がっている。

 余りにも鮮やかな切り口に、何よりも記憶にある己の行動で出来た傷だ、忘れよう筈もない。

 

 後悔、罪悪感、屈辱、哀切、憎悪。あらゆる感情が込み上げ、彼女は冷静さを保てない。

 齢を重ねることで年齢相応の落ち着きを手に入れた不知火であったが、己の所業を目の当たりにし、今にも泣き出してしまいそうな顔をしている。

 

 

「おい、早くしてくれないか。アンタがどう葛藤しようがアンタの勝手だが、今のオレに関係ないんだからさ」

 

「もう、知っていたけれど本当に容赦がないんだから――――でも、ありがとう。君のその冷たさが、今は救いだわ」

 

 

 虎太郎は肩越しに冷めた視線を向け、不知火の煮え滾る葛藤を斬り捨てる。

 その人間味が感じられない視線に彼女は冷や水をぶちまけられたような気分になり、己の心までが流水のように冷たくなっていくのを感じた。

 

 

「手を動かしながらで構わない。情報をくれ」

 

『虎太郎、貴方にデリカシーはないのですか。呆れを通り越してドン引きです』

 

「いいのよ……ええっと、アルフレッド君……? この子、昔からこういうところがあったから」

 

『不知火様、私も貴方と同程度には虎太郎と付き合いが長い。彼の気質は十分理解しているつもりです。ですが、せめて言葉で抵抗を示さねば』

 

「…………本当に凄いわね。人工知能にこんなことを言っていいのか分からないけど、そこらへんの人間よりもよっぽど人間が出来てるわ」

 

『でなければ、彼の相棒など務まりません。不知火様の心中お察し出来ますよ』

 

「おーい、ちょっとちょっとぉ? オレのこと忘れてませんかー、二人ともー?」

 

 

 虎太郎に対して同じ思いがあるのか、当人をほったらかしにして急速に仲を縮めるアルフレッドと不知火。

 そんな二人に呆れて言葉で抗議するものの、虎太郎は積極的に止めることはなかった。少しでも精神的に回復し、縫合作業と質問の効率が上がるのなら文句はない。

 

 

「リーアルは奴隷娼婦たちに人体改造と共に、ある仕掛けを施してあるわ」

 

「ふーん。ある程度察しはつくが……何?」

 

「キメラ微生体。奴隷娼婦を縛る忌々しい鎖よ」

 

 

 キメラの名が示す通り、魔界の魔物の細胞と人界の極小機械(ナノマシン)を融合して組み上げられた技術である。

 

 その特性は刻印と呪縛。

 キメラ微生体を投与された女は舌に刻印が刻まれ、奴隷娼婦の証とする。

 奴隷娼婦は云わば性サービスにおける究極のプロ。時に魔界の技術を駆使し限界を超えて奉仕する。

 またヨミハラの支配者たちの情婦になるも同然であり、一介の娼婦と見分ける為に必要なのが刻印というわけだ。

 

 そして、もう一つの特性が逃走防止機能。

 指定された区域から一定の距離を離れるとキメラ微生体が起動する。

 キメラ微生体は起動すると同時に血液に一定量混ざると爆発する特殊な毒素を分泌し、投与された者の両手両脚を吹き飛ばす。

 究極のプロ、というだけあり、その調教、肉体改造にも相応の金を掛けている。何らかの形で首輪をつけているのは当然だ。

 

 

「何かあると思ったが、またぞろ面倒な……」

 

『しかし、これはクリアしなければならない関門です。可能ですか?』

 

「当たり前だ。不知火さんには刻印がない。てことは当然、解除する方法はあるってことだろ?」

 

「それはそうだけど……、でも、ごめんなさい。それについてはよく分からないのよ」

 

「ぱっぱと侵入して、ぱっぱと盗むなんて忍の基本さ」

 

「それで、私は何を……?」

 

「特に何も。まあ、正気を取り戻したと悟られなければそれでいい。こっちとしちゃ、オレの顔や仕草を知ってる不知火さんが敵に回っていることが最大の問題だったからな。無理をして敵に余計な違和感を与える必要もない」

 

「…………ごめんなさいね。私が、弱くなければ、こんなことには」

 

「謝る必要なんてない。後悔も葛藤も役に立たない。やるべきことを必要な機会に必要な分だけやってくれればいい」

 

 

 優しさなど微塵もない冷徹な台詞だ。

 虎太郎にしてみれば、当然なのだろう。彼にとって過去の出来事など現在の仕事に影響を及ぼさなければそれでいい。

 そして、不知火は今現在、虎太郎にとっての最大にして最強の味方だ。これ以上の有用性はない。特に相手が不知火という切り札を最も必要とする場面で、手を切るだけでも凄まじいアドバンテージとなる。

 

 今は耐え難きを耐え、忍び難きを忍べ。彼は暗にそう言っている。

 余りにも残酷だ。罪を償う事もせず、娘が犯されているのをただ見ていろと、とても母親に向ける言葉ではない。

 

 

「手が止まってる。続けてくれ」

 

「え、あぁ、ごめんなさいね」

 

「それで、ヨミハラでアンタが捕まって、リーアルどもに好き放題やられたのは分かった。問題は、その後だ」

 

「そうね。3年ほど耐えたわ。それから奴等は繋がりの合った淫魔族に私を受け渡し、そ、れ……か、ら…………」

 

 

 そこから先は不知火にとって忌まわしい記憶だ。語りたがらないのも無理はない。次第に口調は途切れていく。

 

 ……まさか、だろう。水城 不知火は熟練であり、井河 アサギと並び称されるほどの対魔忍だ。それがどれだけ恥辱と屈辱に濡れたであろうとも必要な情報を語らない筈がない。

 不知火は語らないのではなく語れない、思い出さないのではなく思い出せない。

 リーアルと矢崎が協力している淫魔族の首領が確かに居た。己はその相手にどうしようもない痴態を晒し、見苦しいまでの懇願と共に堕落した。

 

 ――だというのに、その首領と周辺にいた人物や技術、目的、本拠の記憶がごっそりと抜け落ちている。

 

 

「その顔じゃ、覚えてないか」

 

「……え、ええ。でも、どうして? こんなこと忘れるはずが…………」

 

「不知火さんの頭の中にはチップが埋め込まれていた」

 

「チップ……?」

 

「ああ、今は機能が停止している。特定の行動を取ると起動して頭痛を与える詰まらん小道具さ」

 

「そんな、ものが……」

 

「しかし、隠された機能もあったらしい。恐れ入ったね、チップが破壊されると同時に特定の記憶だけを消すか。手が込んでる」

 

 

 ある程度、予測はしていたのだろう。虎太郎は困惑せずに呆れた口調で頭を掻いた。

 

 何らかの組織から離反者が出た場合、最も恐れられるのは情報の漏洩だ。

 ましてや淫魔族は水面下で何らかの目的を持って動いている。誰にも悟られず、死に至る病のような静かさで着々と計画を進行しているだろう。

 何処からか情報が洩れ、計画が表に出るのは避けたい。表に出るにしても、それはもう全てが誰の手であっても手遅れの段階になってからだ。

 

 

「まあ、それにアレだ……ていうか、また手ぇ止まってないか?」

 

「もう終わったわ。ごめんなさいね、こんな……」

 

「ああ、もう面倒臭いな。だから、何だ。アンタが可笑しくなったのはチップのせいだ。それのせいにしちまえばいい。それだけの話だろ」

 

「それは……」

 

「なあ、不知火さん。アンタが堕ちたのは事実だ。ゆきかぜや凜子を売ろうとしたのも事実だ。それは変えようがないし、起きてしまったことだ。悔やんだってしょうがない」

 

 

 虎太郎の言はどうしようもなく正しい。人は一度起きた過去をどうにかすることは出来ない。

 もし出来ることがあるとすれば、それは起きた出来事から目を背けず、己にとってより良い未来を手にする為の努力だけ。

 

 しかし、そう簡単に割り切れぬからこその人間でもある。全ての物事を簡単に割り切るのでは機械と何ら変わらない。

 

 

「……………………」

 

「何、そう難しく考えることはない。堕ちるとこまで堕ちたんだ。後は這い上がるだけさ」

 

「……ありがとう」

 

 

 かつてふうまの次期当主でありながら、全てを捨てて底の底まで堕ちた男の言葉だ。これ以上、重さのある言葉もあるまい。

 華やかでこそなかったが何不自由のない生活から一転して、雑草を口にし泥水を啜る不自由しかない生活。

 全て己自身の馬鹿さ加減が引き起こした事態であったが、虎太郎は確かに這い上がってきた。

 

 自分から闇の底へと身を投げた阿呆ですら這い上がってこれた。

 ならば、他人に突き落とされた不知火であれば、怒りと憎しみでもっと早く這い上がってこれると考えている。

 

 その言葉に彼なりの気遣いを感じたのか、不知火は虎太郎の肩に縋るように額を乗せる。

 虎太郎も拒みもしなければ、何一つ言葉にすることなく黙って受け入れた。

 

 決して可哀想だからなどという甘い判断からではない。

 不知火にはこれから敵の元に戻り、堕落した己を演じて貰わねばならない。そこに如何なる些細な変化や違和感が生じることは許されないのだ。精神状態が、かつて対魔忍として数多の任務を熟していた頃と同じ状態に戻っていた方が望ましい。

 

 機械染みた合理的な判断に基づいた行動であるが、気遣いには違いない。

 そして、人の行為は本心がなんであれ、受けた側の感じ方次第で呼び名が変わるものだ。不知火にとって、虎太郎の気遣いは紛れもない優しさであった。

 その優しさで不知火の悔恨も罪悪感も溶かされるように薄らいでいく。決して消え去ることはないが、気持ちは安らいでいくのは確かだった。

 

 やがて、不知火は虎太郎の肩からパっと不自然な速さで額を放す。

 

 

「もう、大丈夫、話を続けましょう」

 

「………………そうか、ならいいよ」

 

 

 それから時間を掛けて可能な限り情報を共有していく。

 娼館「アンダーエデン」の間取り。不知火の知っている限りのリーアル及び矢崎の行動。奴隷娼婦、スタッフの役割と行動範囲。客層と奴隷娼婦一人当たりの値段。

 

 虎太郎は作戦の内容を敢えて明かさず、不知火もまた敢えて聞かなかった。不足の事態に備えて救出の基幹となる部分だけは明かさないでいた方がいいという判断からだ。

 不知火は不安から、虎太郎は合理性から互いの握る情報を分断することで敵への情報流出を防ぐつもりであった。

 今一度敵の手元へと潜り込まなければならない不知火とほぼ単身で作戦の下準備を進めねばならない虎太郎。危険度はどちらも同じ。

 そして万が一、どちらか一方が敵に捕まった場合、もう一方が速やかにゆきかぜと凜子を救出する手筈だ。最低でも三人は確実に五車町へと戻ることが出来る。

 

 

「それから、これ」

 

「これは……?」

 

「通信機及び発信器。米連から奪った最新式――と言いたい所だが、もう何年も前のだ。完全に型落ち品だな。だが、通信内容はアルフレッドを介して高度に暗号化される。傍受の可能性は0に近い」

 

「通信機は分かるけど、発信器は……?」

 

「ああ、どの道アンタがもう一度捕まれば、助けに行くのはオレだ。なるべくなら楽をしたいからね」

 

 

 受け取りようによっては、必ず助けに向かうから心配するなと励ましているようだ。

 事実は虎太郎が言葉にした通りの理由でしかなく、不知火もその全てを理解してなお笑みを浮かべた。こんな地の底にまで救出に来た男の言葉だ。例え、世界の果てであれ、任務である以上は彼は必ず有言実行するだろう、と迷いなく信じられるからだ。

 

 それからも情報を共有していった。

 ヨミハラの情勢や各組織のパワーバランス、魔界騎士イングリッド直属のヨミハラにおける自警団に相当する部隊の存在、そしてカオスアリーナの後継とも呼べる忌まわしい闘技場。

 

 しかし、時間が経つにつれて不知火の様子は可笑しくなっていった。

 話の途中に何度も頭を振り、何度も唾を飲み込み、瞳は潤みを帯びて虎太郎から視線を外せなくなる。

 

 無理もない。

 どのような技術によるものかは不明だが、不知火の身体は淫魔へと変質しかけている。無意識にも男の精も求め、貪ろうとするのだ。

 狭い地下室に男と二人きりという状況に加えて、少なくとも肉体的には完璧に屈服させた男。

 何よりも何度となく絶頂を極めたにも拘わらず、肝心の精液は一度もその身に受けていないのだから。

 

 並みの対魔忍なら耐えられない。さくらや紫でも同様だろう。アサギになってようやく耐えられるレベルの発情だ。

 

 

「今の所、共有できそうな情報をこんなものか。仕事も何とか一段落だな」

 

「え、ええ……そう、ね」

 

「じゃあ、今度はこれ」

 

「これは……?」

 

 

 不知火が手渡されたのは奇妙な形状のクナイだった。

 両鎌槍の穂をそのまま小さくしたような形状の刀身に奇妙な紋様が刻まれており、よく使い込まれているのか細かい傷が無数に刻まれていた。

 クナイは忍にとって万能武器である。斬撃、刺突、投擲は勿論のこと、壁に突き刺して手掛け脚掛けにすることもでき、穴を掘るのにも向いている。

 しかし、この形状では微妙にバランスが悪く、何をするにしても慣れが必要になるだろう。折角の汎用性が損なわれてしまっている。

 

 何の為にこんなものを渡してきたのか分からないまま、不知火は虎太郎に視線を向けたが、次の瞬間目を丸くした。

 

 虎太郎は一瞬で距離を詰め、唇と唇を触れ合わせてきたのだ。

 余りに突然の出来事に不知火に為す術はなく、けれど身体が勝手に応えてしまおうとするのを堪え、一瞬で壁際にまで後退する。

 

 

「こ、虎太郎君、何を……!」

 

「何をも何も、一週間も御預け喰らってんだ。もうオレこんなんだからな?」

 

 

 虎太郎はベッドの上で立ち上がり、そんなことを言いながら無防備なまま不知火との距離を詰める。

 彼が“こんなん”と評したのは、自身の股間。長大なペニスは痛々しいまでに勃起し、ズボンを高々と盛り上げている。

 

 追い詰めた獲物を捉えようとするように、ゆっくりと近づいてくる。

 不知火は思わず、後ろに逃れようとするも壁がある為どう足掻いたところでそれ以上は下がれない。

 何よりも、まだ姿を見せていないが、記憶の中にある逞しい怒張から目を離せないでいた。

 

 

「……や、やめて。虎太郎君、やめてちょうだい。君が、私を引き上げてくれたんじゃない。母親に戻してくれたのよ……!?」

 

「ああ。なら、そのご褒美くらい貰ってもいいよな?」

 

「そ、それは……!」

 

「嫌なら、そのクナイで刺してくれて構わない。無理強いはしないよ。ただ、こっちも色々と我慢の限界なんだ」

 

 

 困ったような笑みを浮かべて肩を竦める虎太郎の姿に、不知火はその言葉が嘘だと確信していた。

 当然だろう。一週間もの時間、勃起を維持しながら一度も射精には至らなかった彼に我慢の限界などある筈もない。堪えようと思えばいくらでも堪えられるはずだ。

 そんなもの彼に抱かれた女――殊更、仕事の上で抱かれた女ならば尚の事によく分かる。単純な性欲だの我慢だのの問題ではないのは明らかだった。

 

 

(こ、この子、私の、為に……その上、逃げ道まで用意して……)

 

 

 これからアンタを犯すのはアンタが発情しているからではなく、単にオレが若さ故の堪え性の無さを露呈させただけ。アンタに責任はなく、ただ救われた恩があるから拒めなかっただけさ。

 

 そんな言い訳が出来る状況を用意して、心の負担を軽くさせようとしている。

 ともあれ、虎太郎は不知火を抱かねばならないのも事実だ。自身の肉体的な理由によってではない。不知火の今後を考えて、だ。

 人間は快楽を受けた時、より精神的な、本質的な部分が表層に現れる。如何に不知火が手練れの、最強クラスの対魔忍であったとしても、今の発情度合いは如何ともし難い。とても快楽を受け流すことなど出来ないだろう。

 僅かな違和感をも抱かれてはならない以上、ここで発情を発散させなければならない。

 

 

「こ、こんな……こんなの最低、よ。人の、心の隙間に入り込むみたいなやり方……」

 

「まあ、自覚はある」

 

 

 不知火は既に母親としての心は取り戻している。虎太郎が求めねば女として扱われることを望んではいない。

 しかし、一度虎太郎が求めれば、女として応えてしまう。彼女は既にどうしようもないほど彼に屈服しているのだ。唯一見せられる抵抗は、言葉によるものだけ。

 

 

「……ん」

 

 

 何の抵抗も出来ず、不知火はクイと顎を持ち上げられ、そのまま唇を奪われる――いや、捧げたと言うべきだろう。

 まるで何も知らない少年少女のような唇と唇を触れ合わせるだけの、男と女の密事を知る者であれば鼻で笑ってしまうような、幼稚で稚拙な性技の欠片もないキス。

 

 たったそれだけのことで不知火の胸は高鳴り、女陰は花開いていく。

 

 

「最低だわ……、私は、最低の母親よ」

 

「安心しろよ。それでも母親だ。アンタはゆきかぜの無事を何時でも祈っているし、助かるのを望んでいる。まあ、オレの仕事でもある。必ず助けるさ」

 

「…………こんなの、拒めるはずないわ」

 

「じゃあ、遠慮なく」

 

 

 不知火の手からクナイが滑り落ちるのを確認すると、虎太郎は笑みを浮かべた。

 クナイがなくなり開いた手を取り、指と指と重ね合わせる。まるで互いの指紋を確認し合っているかのようだ。

 次第に重ねられた指は絡み合っていく。まるで愛する相手の熱を少しでも多く感じていたいというばかりに。

 

 不知火の顔は発情とは別の赤みに染まっていく。

 

 当然だろう。

 対魔忍としての任務で多くの下衆どもに身体を差し出して篭絡した経験もある。

 今は亡き夫と愛し合い、ゆきかぜという娘を生んだ経験もある。

 淫魔の駒として、数えきれない程の雄に精処理の道具として扱われた経験すらある。

 

 ――だと言うのに、女として成熟しきった自分がこんな愛撫とも呼べないスキンシップで胸の高鳴りを抑えきれないでいる。

 

 これでは生娘そのものの反応だ。もう、女としては勿論のこと、年上としてのプライドも振りかざせないだろう。

 

 ふいに不知火は虎太郎と視線が交わった。

 底なし沼のような黒瞳は明らかな喜悦で光り輝いている。

 ただ女を使って性欲を処理しようとする雄とは違う輝き。自分は一切優位に立つつもりはないが、女を蕩けさせることを楽しみ、一心に女を求めている。そして、瞳の最奥では決して失わない絶対零度の冷たさも見て取れた。

 

 

「…………ん、んっ!」

 

(ああ、拒めない。拒めないわよぉ、こんなの。身体を堕とされて、発情までして……こんな一途に男として、女を求められたら、誰だって、拒めないわよぉ)

 

 

 遂に不知火は自分からキスをせがんだ。

 頭一つ分の身長差がある虎太郎のために、踵を持ち上げ、爪先立ちになって唇を押し付け合う。

 

 虎太郎も任せるままではない。開いた手を不知火の尻肉に回し、撫で回す。

 子供を生み、たっぷりと脂の乗った肉付きのよい尻たぶであったが、不知火にとってはコンプレックスの一つだった。

 女から妻となり、妻から母への変遷を遂げた彼女にとっては、最早不要のセックスアピールでしかない。

 何よりも、いずれは衰えていくものでしかない。今はまだいいが、やがては皺に塗れ、垂れ下がっていく自覚はあった。

 見た目の美しさは女性にとって重要視するモノの一つだ。不知火であっても変わらない。同年代に比べれば驚異的な若々しさだが、結果は同じだ。

 

 それでもなお虎太郎の手付きは彼女のコンプレックスごと愛でるかのようだ。

 優しく、決して跡を残さぬように、それでいて女の官能を煽りながら、女としての矜持も同時に満たしていく。

 

 

「あ…………ん、んふぅ、んんっ」

 

 

 尻肉への愛撫に自分でも驚くほど甘い吐息を漏らし、不知火が堪らず開けた口腔に虎太郎の舌が滑り込む。抵抗がないのを良いことに、舌の動きはまるで遠慮がない。

 舌は勿論、舌や唇の裏側、内頬、歯茎まで口腔の味を確かめ、歯並びまで確認しているようだ。

 

 

「ぅふ、……こく、ぅ、ぁ、ひ……」

 

 

 舌を伝わり流し込まれる虎太郎の唾液を、不知火は思う存分味わう。男に屈服し、身体を征服される被虐と背徳、倒錯と恋慕の甘い蜜に咽喉を鳴らして飲み下していく。

 食道から胃まで溶けた鉛でも流し込まれたように、まるで唾液そのものが媚薬としての効果を持っているかのようだ。

 

 舌を(つつ)かれ、今度はお返しに不知火が器用に唾液を送り込む。

 虎太郎は目を細め、もっと寄越せとばかりに舌を吸い上げ、その刺激に不知火は腰をぴくぴくと痙攣させる。

 

 

「あぁっ、んえぇぇぁ……」

 

 

 虎太郎が唇を放すと不知火は切なげな溜め息と共に舌を伸ばし、のたくらせて更なる快楽を求める。

 その情けないほど欲情した姿に、彼は笑みを深め、滾る獣欲を隠そうともせずに真っ直ぐ目の前の女を欲した。虎太郎は不知火の手を取ると、ズボンの上から擦らせる。

 

 不知火はズボンと手袋越しですら逞しい脈動を感じ、手ごと溶けていくような錯覚に陥った。

 苦しい苦しいと訴える剛直を解放しようと母性にも似た優しさでジッパーを下ろし、男の欲望そのものが形となった器官が姿を現した。

 

 

「……あぁ、凄い♪」

 

 

 ぶんと音を立てるような勢いで反り返る肉棒に、彼女が初めに感じたのは全身が泡立つほどの恐怖だ。けれど、口から漏れたのは生臭い女の甘え声と共に消えていく。

 湯気が立ちそうなほどの灼熱を何一つ言われないままに握り、ゆるゆると扱き始めてしまう。

 

 優しく優しく、肉棒を一切痛みを与えず、ただ気持ちよく射精を促す上下運動。堪らず、虎太郎は小さい呻き声と共に顔を歪めた。

 

 その様に不知火の手淫に熱が籠った。

 調教時、あれだけ冷静だった彼が今は仮面を剥ぎ取り、自分が与えている快楽に悶えている事実に、不知火の女は堪らない喜びに包まれる。

 親指で鈴口をくりくりと虐め、指が回りきらない幹を扱き上げ、カリ首を擦って明らかな奉仕に熱中してしまう。

 

 

「凄ぇ、な……しかもこれ、人間の技術じゃないぞ。いいの? 淫魔に教え込まれた(わざ)だろう?」

 

「だ、だって、……こんなに素直に悦んでくれたら、女なら誰だって、してあげたくなっちゃうわよぉ……♪」

 

 

 己自身ですら許しがたい過去、失態、痴態。

 その全てを知ってなお、それでも構わないと受け入れた虎太郎が相手だ。例え、悍ましい淫魔に仕込まれた手淫であろうとも構う訳がない。

 

 

「あっ、もうこんなにピクピク震えて……、ひぅっ!……凄い、勢い」

 

「はぁ、はぁ……ハハ、勘違いして貰っちゃ困るね。まだ、序の口さ。手だけじゃなくて、ちゃんとよく見て」

 

「あっ、あぁ…………嘘、嘘よぉ」

 

 

 掌に感じた迸りは、間違いなく射精のそれと何ら変わらない勢いだった。だと言うのに、不知火の目に飛び込んできたのは粘り気のある透明な先走りだけだった。

 それだけではない。既に股座から垂れ流された愛液は両の足首を伝って、床にシミどころではない大きな水溜りを作っている。

 

 

「もう、そろそろいいかな? 悪いね、不知火さんにも前戯で気持ち良くさせてやりたいんだけど」

 

「い、いいわ、……これ以上、じ、焦らされたら、私、可笑しくなるわよぉ!」

 

「何言ってんの、可笑しくなるのはこれからこれから」

 

 

 不知火の股布を横にずらし、秘所を露わにさせる。

 とても子供を産んだとは思えないほど綺麗でありながら、発情によってぷっくりと膨れた大陰唇と小陰唇はくぱくぱと開閉を繰り返し、糸を引く愛液が滴り落ちる。

 

 これからいよいよ挿入され、最後には熱い雄汁を吐き出して貰える。その期待に胸を張り裂けんばかりに膨らませる不知火であったが、虎太郎は更に容赦がなかった。

 

 

「ああ、そうだ。凄くいやらしい台詞で誘ってくれよ、その方が興奮するから。それから入れる前に不知火がしてくれる準備もな」

 

「そ、そんなぁ……私は、母親なのよ? そ、それが男を誘うみたいな、あぁ♪」

 

「もう今更でしょ。それに母親であることと女であることは何一つ矛盾しちゃいない」

 

「…………う、うぅ」

 

 

 蕩けた秘裂を擦り上げすらせず、興奮で震える怒張を見せつけるばかりで何もしない。

 

 不知火の呼吸は何処までも荒く、視線はペニスに釘付け状態だ。

 背中を完全に壁に預けたまま脚を大きく広げ、腰だけを前に突き出してクイ、クイと縦に振って雄を誘っている。とても母親などといった女のする行為ではない。

 

 虎太郎もまた興奮を隠さない。普段の無表情が嘘のように、にやついた表情で自分を必死で求め誘っている雌のだらしない仕草を堪能していた。

 

 やがて、根を上げたのはやはり不知火の方だった。どう足掻いても、虎太郎には我慢強さも性技においても敵わないのだから当然だ。

 

 

「こ、虎太郎君……」

 

「ああ、駄目だよ。もうちょっと呼び方も考えて欲しいね」

 

「な、なら、なんて呼べば満足してくれるのよぉ、もう……」

 

「んー、そうだな。こんな感じ、かな?」

 

 

 耳元で囁かれた言葉に、不知火は目をかっと見開いて、今まで以上に頬を朱で染め上げる。

 更なる羞恥を煽られた証拠であろう。だが、僅かな逡巡を見せつつも、身も心も完全に女として優しく堕とされてしまった不知火は意を決していながらも、震える声で告げた。

 

 

「……こ、虎太郎さぁん♡」

 

「……ッ」

 

 

 かつて世話を焼いていた少年を、男として雄として認める呼び方。

 かつて自分を子ども扱いしていた女が、男として雄として認める呼び名。

 

 不知火の脳髄は堪らない興奮で蕩け果て、虎太郎は冷静さを保ちながらも先走りを脈動と共に迸らせて女体に引っかける。

 

 

「と、年甲斐もなく、虎太郎さんに、はぁ……はぁぁ……、恋しちゃった年増マンコ、……虎太郎さんの、逞しい女殺しのオチンポで、たぁっぷり、愛してくださぁい……♪」

 

 

 年を重ね、一児の母となった女が口にするには余りにも重い言葉であったが、虎太郎には心地よい響きだったのだろう。

 明らかな媚びを含んだ笑みと言葉に迷いなく、けれど慌てもせずに、いよいよ限界を迎えた女穴に男根を差し込んだ。

 

 

「ひ、ひぃ、ひぃぃぃぃぃ……!」

 

「スゲェ声、そんなにいいか?」

 

「す、っごい、凄過ぎるぅ……! アレ、だけ躾けたのに、今度は優しくぅ……っ! カリ! カリで、襞、あっ、あっ」

 

 

 最奥までは至らずに、膣道をたっぷりと味わう動き。

 調教の時とは異なる抽送に、不知火は頭の中でバチバチと白い火花が散るのを感じた。

 

 

「うぅ、凄いすごいすごいぃぃぃぃ! 激しくもないのに、こんなに優しくてゆっくりなのにぃ、どうしてこんなに前よりも気持ちいいのぉぉぉっ!!」

 

「そりゃ、女は精神状態がモロに出るからな。それだけ不知火さんがオレに心を開いているってことだ」

 

「ひ、開きもするわ! 弱ってる、ところに、アレだけ、優しくされたら、誰だって、心開いちゃうわよぉぉぉ!!」

 

 

 アクメには至っていないにも拘わらず、快楽の度合いは一週間抱かれ続けた時よりも明らかに上だ。

 剛直はカウパーを吐き出しながら、亀頭とカリ首で襞の一枚一枚にまで塗りたくる。

 

 

「ひくぅぅぅ! あ、ぐぅ、これ、これぇ! 躾けたのにぃ、今度は自分の味まで覚えさせてるぅぅ!!」

 

(あ……、あぁ、ゆきかぜ、ごめんね。弱い母親で、ごめんなさい。お母さん、ゆきかぜの一番大切な人に、(おんな)にされちゃってるぅっ!)

 

 

 かつてのように娘に対する罪悪感すら快楽へと変える。唯一の違いは相手の性質だろう。

 淫魔は単なる計画か、目的遂行の一環として、或いは種族の本能として不知火を求めた。

 しかし、虎太郎が求めているのは女としてだけ。母親としても、対魔忍としても不知火を縛るつもりはない。

 

 ――ただ、こうなってしまっては、今後虎太郎が求めれば、不知火は女として可能な行為を全て捧げる筈だ。

 

 

「うぅ、こ、怖い。怖いわ、こんなになって、あひぃ! あっあっ、あぁああぁぁ、は、母親に、戻れなくなるぅ!」

 

「それなら、こういうのは?」

 

「くぅぅ、……だ、だからぁ……お、おほぉ! こんなの、駄目よぉぉっ!!」

 

 

 両手の指を絡ませながら握る。もう完全に恋人同士の交わりだ。

 母親に戻れなくなるのが怖いと言った不知火の恐怖だけを取り除く行為。これでは再び母親に戻れるかどうか。

 

 存分に自身の味を覚え込ませた虎太郎は、遂に子宮口を責め立てる。

 

 

「あ、あっはぁ……キス、してるぅ、亀頭に、ぶちゅぶちゅぅ、子宮口が吸い付いちゃってるぅ……!」

 

「はぁぁっ、こりゃかなり効く、な。ほら、子宮も準備させてやるよ、ッ……ッ」

 

「おっ、お、ぐぅぅっ、……びゅ、びゅってぇ、カウパー、先汁、引っかけないでぇ、軽くイクの、止まらないぃっ♪」

 

 

 肉棒を脈動させて、並みの男なら射精と変わらない勢いで先走りを吐き出し続ける。

 不知火も一目でソレと分かる痙攣で子宮を、膣を、腰までも震わせて応えた。

 

 

「もう、イきそうだっ。不知火さんも、そろそろ限界?」

 

「ひやぁ、も、もうひっ、と、とっくの昔に限界よぉ! こ、降参ン! 参りましたぁ! だから、だからぁ……」

 

「じゃあ、最後にもう一度、分かるよな?」

 

「は、はひぃぃぃぃ……」

 

 

 身も心も完全に屈服した不知火の秘裂は、虎太郎の剛直で擦り上げられる度にアクメに達してしまう。

 膣口もGスポットも精液溜まりも関係ない。もうどのような体位でも、どのような角度でも、どのような強さでも、どのようなリズムでも一切関係なく絶頂へと至り、虎太郎を射精へと誘うだろう。

 

 

「はぁ……、はぁ……、お、お願いします、虎太郎さんの子種汁、不知火に、味わわせて、下さいぃ! 子宮まで、ねっとり愛してぇぇ!!」

 

「ああ、いいぞ。イけ、不知火(・・・)

 

「――――おほぉ♡」

 

 

 これ以上ないほど下りきり、口を開いた子宮に雄の象徴が叩き込まれる。

 

 愛し合う牡と牝そのものの姿。

 子宮も膣も、オマンコを愛でてくれる精一杯のお礼に、一生懸命吸いつき、締めつけ、蠕動して射精を促した。

 

 

「んほぉおおぉおおおぉおおっっ!! で、でて、でてるぅぅううぅ!!」

 

「……ぐっ」

 

膣内射精(なかだし)アクメ、オルガ! キてるぅぅ!! イク! イグイグイグぅぅうううううぅうううっっ!!」

 

 

 それこそ爆弾のような勢いで吐き出される精液は一瞬で子宮を満たし、女陰から溢れて床へ音を立ててこぼれ落ちる。

 

 

「んぐぅ、ぐぐぅ、とま、とまら、ない! こ、虎太郎さんのチンポ、射精、止まらないぃいい!!」

 

「最近、っ、誰も抱いてなかったからな。どうだ?」

 

「こ、濃ゆくて、これじゃ、ゼ、ゼリーよぉ! 凶悪なオチンポで、こんなザーメン、臆面もなく、女に啜らせてェ! 堪えられる、耐えられるわけないじゃないのよぉぉぉ!!」

 

「まだまだ出るぞ、不知火」

 

「はい、はひぃ! あぁん、出して出してぇ、私のおまんこ使って下さい! あぁぁ、またイク、またイキますからぁ! おっひぃぃ、んぐひっっ、ひっぐぅぅぅぅんっ!!」

 

 

 1分、2分、3分。

 虎太郎の射精は止まらない。これも修めた性技によるものか。どう考えたところで人間の領域にない射精であったが、今の不知火には関係あるまい。

 緩みきった尿道は潮を噴き、大き過ぎる乳房の先端に突き出た乳首も、天を突く陰核も、全てを痙攣させて絶頂を男に伝えている。

 朦朧とした意識の中であっても、吐精を繰り返す度に終わらないアクメを示す潮吹きを披露し続ける。

 

 

「ほら、不知火。どうだ。オレだけがマーキングしたんじゃ悪いからな。お前もオレにしていいぞ」

 

「はへぇ……ん、ぐっ……ひぁ……くぅ……ひゃ、ひゃにを……?」

 

「兎に角、言う通りにしろ」

 

 

 不知火の手を掴んで雌穴へと誘う。そして、射精を続ける怒張によって押し広げられた女の象徴を不知火自身の手で更に開かせる。

 それで全てを察したのか、或いは限界であったのか、今し方まで牝潮を噴いていた尿道はブルルっと震わせた。

 

 

「はあぁぁ……アア、ァァ……おしっこ、キ、キモチイイぃ、……こ、虎太郎さんにひっかけ、マーキングしちゃってるぅ♡」

 

「ほら、イく時はどうするんだ?」

 

「イ、イってます……わ、私、虎太郎さんに、射精、して、もらいながら、オシッコ、……う、嬉ション、おもらしアクメ、キメてますぅ♡」

 

 

 不知火ははしたない勢いで尿を排泄しながら、私の男と主張するように遠慮なく湯気が立つ小水を虎太郎の腹や股間にぶちまけた。

 若い男の女となり、失禁の羞恥で顔を赤く染めいたが、情けなく媚びたアクメ笑みは女の幸せを噛み締めているも同然だった。

 

 完全に射精を終えて虎太郎が硬さを保ったままの一物を引き抜くと、支えを失った不知火はズルズルと壁を滑り、性行の証である白濁と黄の水溜りの上に崩れ落ちる。

 意識は朦朧とし身体は絶頂の余韻でまともに動かない。だが、己に快楽の坩堝を味合わせた剛直を差し出されると、お掃除フェラを開始する。

 丁寧に丁寧に、まるで礼でもするかのように本気汁と白濁液、黄金水を舐め落としていく。

 

 

「んじゅ、んん~~~~~~~~、ちゅぽん♪」

 

 

 尿道の中に残ったザーメンまで吸い出すと音を立ててチンポを口から引き抜く。

 衰えなど感じさせない怒張を前にして、生唾と共に吸い出した精液を飲み干すと、不知火は不意に強い意志の光を瞳に宿す。

 

 

「私は、どうなっても構わないわ。……けど、ゆきかぜは、凜子ちゃんは、ちゃんと、助けてちょうだいね……?」

 

「当たり前だろ、不知火さん。こんな地の底まで来たんだ、手ぶらで帰れるかよ。アンタも含めて連れ帰るさ」

 

 

 肩で息をしながらも母親としての顔を見せた不知火を安心させるように、虎太郎はらしくもない自信に満ち溢れた声で答える。

 

 

「それはそれとして、まだ時間に余裕はあるな。どうする、不知火(・・・)? 今度はベッドの上で夫婦同士でしかしちゃいけないようなセックス、してみるか?」

 

「もう…………虎太郎さん(・・・・・)の、好きにして♡」

 

 

 対魔忍として、母親として、女として。

 それぞれの表情を使い分けることを覚えたのか、不知火は嫣然とした微笑みを浮かべて、まだまだ足りないと言外に語る虎太郎に応えた。

 

 それから暫らくして、ベッドの軋む音と男に組み伏せられて悦びの鳴き声を上げる女の嬌声が薄暗い地下室に響き渡るのだった。

 



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『恋する乙女或いは愛を識る女は苦労などものともしない』

 不知火と分かれた虎太郎は、再び策の為の行動を開始した。

 また幾つかの殺戮に手を染めている。但し、今度は娼館のスタッフを中心とした者ではなく、ノマドの構成員にまで及んでいた。その殺し方も、凄惨極まる方法で、だ。

 

 内臓を生きたまま引きずり出した挙句、首に巻き付けて建物に吊るす残虐行為。

 街灯に死体を突き刺し、その頂点に斬り落とした首を飾る狂気のオブジェ作成。

 僅か一分にも満たない時間で解体されたバラバラ死体と超絶の殺戮技巧。

 

 初めは単なる小組織の小競り合いや縄張り争いと思われていた事件は、今やヨミハラ全体を揺るがせる一件へと発展していた。

 

 ノマド側の自警団は、“ヨミハラそのもの”に対して何らかの恨みを持つ者ないし集団の仕業と断定。証拠もまともにないままに無駄な捜査を開始。

 他の組織もそれぞれが抱えるプロフェッショナルと情報網を使って蠢いている。

 虎太郎と不知火にとって厄介な敵である淫魔族は、この事態を静観。不知火から得た情報によってこの犯行を集団によるものと誤認し、自らの利益となるラインを探っていた。

 そして、ヨミハラに住まう住人は疑心暗鬼に曝されながらも、普段と変わらない爛れた日常を送っている。自分に如何にもできないことは誰かが何とかしてくれる、という安易な考えの元で。

 

 こんな事態を引き起こした張本人が何をしているかと言えば――――一度、地上に戻っていた。

 ヨミハラに来た時と同様に、誰にも気付かれないまま、あっさりと一人で門を抜けた。

 

 そして、今度は“別ルート”からヨミハラに足を踏み入れたのである。

 

 

「ようこそ、ヨミハラへ」

 

 

 エレベーターの開いた先で、執事のような恰好の魔族がにこやかな笑みと共にヨミハラへの来客を迎え入れた。

 

 ヨミハラにおける真の意味での客は、政治家や資産家といった人生の成功者と呼ばれる層だけ。

 いや、この街を支配するノマドにしてみれば単なる家畜同然の存在でもあるが、組織を大きくするにはうってつけのお財布だ。

 

 しかし、一つ疑問が残る。

 ヨミハラは人の歪んだ欲望を満たすにはこれ以上ない場所ではある。金と権力さえあればどんな欲望をも満たすことが出来るが――――ヨミハラに至る道は余りにも険しい。

 距離は歩いて一日。道中は危険な生物、存在の巣窟。しかも迷路のような道程。

 どう考えた所で人生の成功者と呼ばれる連中が越えられるはずもなく、危険と安全のバランスが取れておらず、時間が掛かり過ぎる。

 矢崎にせよ、黒百合が情報を得た第一秘書にせよ、行き来に2日、ヨミハラでの滞在が数時間だとしても、多忙を極める政界でそれだけの時間を無駄にすれば何が起きるか分からない。

 

 それ故、上客用の直通エレベーターが存在するのだ。

 ゆきかぜや凜子がゾクトに案内されて通った道、潜った門は、どちらかと言えばヨミハラで商売を行う側の専用門――言い換えれば従業員用入り口に近いのだ。

 

 エレベーターの入り口は東京内のある高級ホテルに設けられており、政治家や資産家が集まっても誰も不思議に思わず、一晩出てこないところで疑問にならない。偽装には十分すぎるだろう。

 ヨミハラへ降りるにはカードキーとパスコードが必要となり、金を払って二つを買うか、持っている者と共に降りるか、二つを借りる必要がある。

 

 過去に足を踏み入れた時点でVIP専用の通用口があると踏んでいた虎太郎は、情報収集の際、アルフレッドと共に東京の地理とヨミハラの位置から既に場所を特定していた。

 

 後は高級スーツを用意しさえすれば、アルフレッドがセキュリティを破って侵入するだけだった。

 

 

「お客様、失礼ですが、ヨミハラは初めてですか……?」

 

「え、ええ、知人の紹介で」

 

「そうございますか。では注意事項と忠告をいくつか」

 

 

 普段の無表情は何処へ消えたのか、虎太郎は今や右も左も分からない初訪問者といった困った表情で応対する。

 彼は本来の意味での、感情や内心とは全く別の表情を浮かべることが出来るポーカーフェイスのようだ。

 

 疑り深い彼が顔を隠すこともなく、服装と髪型を変え、眼鏡をかけただけの素顔で侵入を試みるなど彼を知る者からすれば驚きだろう。

 しかし、彼にしてみれば当然である。こういった潜入をする為に、救出班、下忍としての任務は可能な限り顔を隠している。

 敵は誰も彼の素顔を知らず、彼の素性を導き出せるものは誰もいない。これ以上、有効な潜入は存在しない。

 

 紳士然とした表情の下で新たな家畜となった人間を嘲笑っているのを感じながら、虎太郎は内心で呆れ果てていた。

 

 基本的に魔族は人間を侮っている。

 そもそも生き物としての性能が違うのだから、当然と言えば当然かもしれない。人とて犬や猫に本気の警戒や愛情を向ける方が稀だろう。

 寿命、生命力、身体能力、持ちうる技術力と異能。この差は余りにも大きく、それがそのまま侮りの大きさともなっている。少なくともセキュリティに関しては、間違いなく人界側の方が厳重で突破は難しい。

 そして、弐曲輪 虎太郎は知っている。犬や猫でも十分に危険な獣だ。侮っていればあっさりと咽喉笛を噛み切られ、人と魔族の関係も変わりはない。

 

 そんな道理を忠告する優しさも理由もあるはずもない。魔族の説明を聞き流した虎太郎はヨミハラへと繰り出した。

 無論、演技を忘れるようなヘマをする筈もなく、地上とは全く異なる倫理と観念が支配するヨミハラをおっかなびっくり進んでいく。

 彼の手元には白い紙に書かれた簡単な地図があり、道行く人々を避け、時に肩がぶつかっても卑屈なまでの低姿勢で謝りながら目的の場所に辿り着く。

 

 ヨミハラの目抜き通りの一角ある娼館「アンダーエデン」。

 地の底の楽園を冠する娼館であったが、外観そのものは洋館と大差がないにも拘わらず、醸す雰囲気は楽園というよりも地獄のそれだ。

 雰囲気も相まって、ピンクのLED電灯で装飾された入り口は何処となく卑猥ですらある。

 暫く娼館を見上げていた虎太郎は、意を決した演技をしながらアンダーエデンに足を踏み入れた。

 

 入ってすぐに人間と魔族で編成された幾人かの警備員にボディチェックをされ、そのまま待合室へと通される。

 煙草の煙が(くゆ)る待合室には複数人の客が待っていた。皆一様に柄も悪く、明らかに堅気ではない様子だ。

 先客たちは身形の良い服装の虎太郎を訝しげな表情で眺めたが、すぐに興味を失ったように視線を彷徨わせた。

 別段、金持ちがリーアルの娼館に現れるのは珍しくない。ヨミハラでもトップクラスの娼館だ、寧ろ、金持ちが来なければ経営が成り立たない。

 

 待合室の隅で待つ虎太郎は、おどおどとした様子で周囲を見回す。

 あからさまに娼館など来たことがないといった彼の反応に、客どころか警備員ですらが不様さを鼻で笑い、警戒心などまるで抱いていない。

 

 

(ちゃーんす。ほいっとな)

 

【貴方の演技は大したものですね。誰も疑っていません】

 

(基本的に、此処は闇の総本山だから。見えてる同業者(てき)にしか目が行ってない。やったね、やりたい放題だぜ)

 

 

 その台詞にアルフレッドは嘆きの呻きを漏らす。この男の言う“やりたい放題”ほど恐ろしいものはないと知っているからだ。

 

 口腔内の通信機でアルフレッドと誰にも聞き取れない冗句を交わしながら、ある仕掛けを施した。

 そして、落ち着かない演技を一切中断せずに、外観から想定される間取りと不知火から得た間取りの一致を頭の中で確認する。

 忍にとって建物の見取りを確認するなど初歩の初歩。

 虎太郎にとって泣きたくなるのは、対魔忍という組織全体がその重要性や必要性を認識しておらず、この技術を有している者が殆ど居らず、現代に合わせて技術を更新していない点だ。

 一致の度合いは8割。後は実際に中を動き回って見なければ分からない。そうこうしている内に、思惑通りの人物が現れる。

 

 

「お待たせして申し訳ありませんな、ご客人」

 

「は、はぁ……ええっと、貴方は?」

 

「これは失礼を。私はリーアル。この娼館の支配人を務めている者です」

 

「ああ、そうなのですか。これはどうも、ご丁寧に」

 

(簡単に釣れすぎだな。欲望塗れの連中は分かりやすくていい)

 

 

 虎太郎が抱いたリーアルの第一印象は、何を食えばこんなに太るんだ、だった。

 大柄のでっぷりと肥え太った中年は、欲望そのものが脂肪と化したかのような醜い身体をしている。

 表面上は親しげな笑みを浮かべて客を気遣っているようにも見えるが、その実、ギョロついた目は新たなカモの出現に蛇のような滑った光を宿していた。

 

 

「では、少しばかりアンダーエデンのシステムについて説明させて頂きますが、よろしいですかな?」

 

「ええ、お願いします。その、この手の場所に来るのは初めてでして、どうしていいのか……」

 

「はは、何、誰にとて初めてはありましょう」

 

 

 わざわざ虎太郎がヨミハラを出て、もう一度潜入し直したのは、この為だ。

 ただの客として訪れてはリーアルが接触してくることはなかっただろう。恐らく、専門のスタッフが現れ、店の説明をするだけだ。

 だからこそ、良い上客になりそうでいて、いくらでも金を引き出せそうな男を演じているのだ。

 

 

「料金と娼婦についての説明は以上になります。そして、こちらが自慢の奴隷娼婦たちのリストです」

 

「はぁ…………ほ、ほぅ、これはまた」

 

「どうです? そそる(・・・)でしょう?」

 

 

 渡されたリストには無数の奴隷娼婦の写真とプロフィールが載っていた。

 火照りで赤く染まった頬と男を誘惑するような笑みを浮かべ、下着と呼ぶには余りにも卑猥で面積の薄いセックスの小道具を身に付けただけの写真が目に飛び込んでくる。

 

 ごくり、と生唾を飲み込む演技に気を良くしたのか、リーアルは自慢の一品を見せびらかす好事家のような笑みを浮かべた。

 

 ゆっくりと指が震える演技を見せながら、ページを一枚一枚捲っていく。

 

 

「……ふむ」

 

「……? 何か?」

 

「いやなに、不思議に思いましてな。どう見てもお客人は闇と関わりのあるような人物には見えない。このような地の底に来る人種とは思えず……」

 

「……はあ、そのような、ものでしょうか?」

 

 

 並みの潜入者なら探るような言葉に僅かな動揺を見せただろうが、虎太郎は全く動揺も変化も見せずに演技を続行する。

 そもそもリーアルの人柄については、たった数分の会話でほぼ正確に把握しつつあった。これは探りは探りでも敵かどうかを見極めているのではなく、金になるかどうかの見極めに過ぎない。

 

 客の手前、仮面を被ってはいるものの、闇の住人にはよくある尊大で絶大な自信を持っており、自分が他者の喰い物にされるなど夢にも思っていない。

 基本的に魔族にとって人間など玩具に過ぎない。誰かが喰い物にされている内はいいが、その誰かがいなくなれば別の誰かが喰い物になる。その誰かに自分がなることを一切考慮に入れていない、どうしようもない間抜けだ。

 

 

「NEVER LANDのしがない中間管理職ですよ」

 

「…………ほう、それはそれは。しかし、何も社名まで仰らずとも」

 

「え? あっ! す、すみません。今のは聞かなかったことに……!」

 

「ご安心を、我々は秘密を守ります」

 

 

 NEVER LANDは世界最大の子供向け玩具会社にして、世界純利益企業のランキングTOP3に10年以上も居座り続ける、誰でも一度は耳にしたことのある世界的企業。

 玩具の作成は勿論のこと、テレビゲーム、アニメの作成、テーマパークの建設と「子供に夢を与えよう」という社訓に即した経営を行っている。

 何が恐ろしいと言って、極めて手狭な商売しかしていないにも拘らず、それだけの莫大な利益を生み出していることか。そして、手狭な活動範囲故にか、闇との関わりも一切ない。

 

 想いもよらぬ上客に、リーアルは目の輝きを隠せないでいた。

 莫大な利益を生んでいるということは、そこで働く社員も当然、利益に見合うだけの給料を貰っていることになる。

 目の前の若造を足掛かりにNEVER LANDの内部にアンダーエデンを売り込ませるのに成功すれば、より自身の懐が潤う。このチャンスを本質が商売人であるリーアルが素通りするはずもない。

 

 

「しかし、子供に夢を売る方が、このような場所にとは……」

 

「そう言われると返す言葉もありませんが、我々も人間です。ガス抜きがなければやっていられませんよ」

 

「でしょうな。我々のような気侭な稼業に比べ、上では何かと気苦労が絶えんでしょう」

 

 

(マジでな! 対魔忍をやってるんだが、敵の方がオレの心中を理解してくれる件について)

 

【単に話を合わせただけでしょう。それに彼が相手で嬉しいですか……?】

 

(じぇんじぇん。コイツの仲間になってもオレに面倒を押し付けてくるのは確定的に明らか)

 

 

 対魔忍だろうが闇の住人だろうが敵対者を舐め腐っているのに変わりはない。有能かどうかは別として、油断も隙もない者が、どのように扱われるのかをよくよく理解しているようだ。

 

 

【はぁ、貴方という人は……しかし、よかったのですか。NEVER LANDの名を出して】

 

(まあ、こういう時の為にだって理解してるだろ?)

 

 

 NEVER LANDは世界的な企業である。しかし、闇と関わりのない企業とは言え、所詮は一般企業。

 闇の住人たちがその気になれば、社員名簿くらいは手に入れられるだろう。虎太郎の行動にしては杜撰で慎重性がないようにも思える。

 

 ――しかし、事実は別だ。弐曲輪 虎太郎はNEVER LANDに複数の偽名で社員として登録されている。

 

 虎太郎にとっては全く嬉しくない傍迷惑な事実であるが、NEVER LANDの創設者と彼は顔見知りだ。

 対魔忍となる以前、偶然と幸運が積み重なって出会い、今も一方的な好意と興味を持たれている。

 その好意と興味は虎太郎を散々辟易とさせており、今すぐにでも手を切りたい相手ではあるものの、使えるものは使う、という信条の元、一般人を装う潜入任務においては思う存分にその関係を利用していた。

 

 つまり、潜入や企業スパイの専門家が本気を出して何年にも及ぶ計画遂行の元、ようやく虎太郎が社員ではない事実に至れるのだ。これ以上の隠れ蓑に使える肩書はあるまい。

 

 

「……ああ、この娘たちは」

 

「お客人もお目が高い。その二人は新人ですが、人気のある奴隷娼婦です」

 

 

【酷い、ですね】

 

(事実を正しく認識してなかったコイツらが悪い。更に言うならこんな作戦にGOサインを出したアサギが諸悪の根源)

 

【諸悪の根源は淫魔族でしょうに…………何を食べたらそんなドライモンスターになれるんですか?】

 

(え? 何だろ? 乾燥剤? いや、食べたことないけど)

 

【少しはドライぶりの反省や他人を慮る心を持って貰いたいものです】

 

(ハハ、ごめーん。そういうのふうまを抜けた時に一緒に捨ててきたわ)

 

【生まれついてではなく、自分自身の意志で自分自身の性格を変容させた辺りに戦慄を感じますね】

 

 

 もし、アルフレッドに顔というものが存在していれば、眉を顰め瞳を伏せただろう。それほどまでの痛ましさを写真から感じ取っていた。

 反面、相棒であり二人ともっと近しい虎太郎は変わらず演技を続けている。彼の言い分も尤もではあるが、反応に人間味が薄過ぎる。

 

 リストに載せられた二人の写真は他の奴隷娼婦と同様に卑猥な衣装を身に付け、頬を上気させた淫蕩な表情を浮かべている。

 しかし、見る者が見れば気付いただろう。その瞳は重く深く濁り、昏く何処までも沈んでいることに。

 

 

「では、このゆきかぜという娘で」

 

「ああ、申し訳ありませんがお客人、人気のある奴隷娼婦は予約が入っていることが大半でして」

 

「はあ、そうですか。それは、残念、ですね」

 

「しかし、お客人のようなお忙しい身の上もあるでしょう。少々割高になりますが、優先権を買って頂ければ……値段は、これほどに」

 

「へぇ……この程度なら安いかな。構いませんよ、その、ええっと、優先権? ですか? 買わせて頂きます」

 

 

 提示された金額は、ヨミハラの住人では到底払えないものであったが、一流企業の役職クラスなら十分に払えるレベルの金額だった。

 リーアルは虎太郎が十分な上客(金ヅル)であることを確認すると満足げに頷いた。

 一度でも信じてしまえば、人間はズルズルとそれを引き摺る。無害な小動物にしか見えない男が、その実、死に至る猛毒を備えた毒蛇であるなどリーアルは気付きもしまい。

 

 

「では、金額は確かに。もう少々、お待ちを。楽園(エデン)の名に恥じぬ快楽を存分にお楽しみ下さい」

 

 

 金に対する執着を必死に隠し、リーアルは娼館の奥へと消えて行き、暫らくすると案内役が現れた。

 

 虎太郎とアルフレッドはその後ろに着いて行きながら、それぞれの階構造を把握する。

 一階は受付と待合室、警備室などのスタッフルーム、何らかのイベント用の大広間。

 二階は奴隷娼婦に割り当てられた私室兼プレイルーム。

 三階は二階と使用目的は同じであるが、より人気の高い奴隷娼婦の部屋として割り当てられていた。

 ゆきかぜと凜子がいるのは三階。それぞれ対極に位置する部屋に当てられているのは逃走を防止するための配慮であったのだろうが、余りに杜撰だ。それほどキメラ微生体の出来に自信があるのだろう。

 

 案内役は職務通り、ゆきかぜの部屋の前にまで案内を終えると部屋の鍵を手渡し、そのまま消えていった。

 

 

「アル、監視装置の類は?」

 

『魔界製、人界製問わずに全て把握済みです。どうやら部屋の内部に監視装置の類もなく、防音壁を使用しているようです。客のプライベートは保たれていますね』

 

「結構。誰もがお前くらい言われたことだけじゃなくて、こっちのやってほしいこと全部を察してくれればいいのに」

 

『高望みですね』

 

 

 虎太郎はアルフレッドの無慈悲な物言いに肩を竦め、鍵を使って部屋の中に脚を踏み入れる。

 部屋の中はワンルームマンションのような造りをしており、広さは20平米ほど。

 中央に置かれたフルサイズのダブルベッドが部屋の大半を占めており、他にはデスク、クローゼット、化粧台、冷蔵庫などの調度品が置かれている。

 キッチン、バス、トイレもあり、如何にも普通の部屋といった趣きなのだが、それはそこまで。

 部屋に窓はなく、薄暗い怪しい照明と淫靡な装飾の所為か、生活感は感じ取れず、まるでラブホテルの一室。下品で卑猥なセックスをするだけの小部屋だ。

 

 こんなところで生活してたら頭可笑しくなるわ、と率直な感想を抱くも、ゆきかぜや凜子に対する憐憫や同情が一切ない辺り、無味乾燥な性格ここに極まれりである。

 

 

「本日は当店にお越し頂き、まことにありがとうございます」

 

 

 部屋で出迎えたのは間違いなく奴隷娼婦だった。

 床に跪き、三つ指をついて客を出迎える。そもそも三つ指は相手に対する無抵抗を意味している。

 淀みなく発せられる商売用の口上もすっかりと板につき、誇り高い対魔忍としての面影は鳴りを潜めていた。

 

 

「元対魔忍の奴隷娼婦、ゆきかぜです。本日は――」

 

「おい、そういうのはいい。相手を見てから言え」

 

「――――…………え?」

 

「よう、久し振りだな」

 

 

 気軽に、それこそ何ら変わりない日常の一言のように、虎太郎は声をかける。

 しかし、ゆきかぜは完全に硬直(フリーズ)していた。突然の出来事ではこうなるのも無理はない。

 虎太郎が本人であるか、よく似た別人であるのか。心をへし折ろうとするリーアルの薄汚い策略なのか。もし仮に本人だったとして、下忍でしかない虎太郎がどうやってヨミハラに来たのか。

 

 様々な考えと思いがゆきかぜの中で交錯し、ぐるぐると思考の袋小路へと陥っていく。

 

 

「…………虎太、兄?」

 

「ああ、そうだよ。いい加減だな」

 

「うそ、うそだよ、こん――――――っ、いやぁっ!」

 

 

 白いロンググローブとハイヒール、ビキニのような面積も厚みの少ない下着を身に付けた奴隷娼婦の正装を見られまいとゆきかぜは身体を抱き締める。

 

 ある程度、予測はしていたものの虎太郎にとっては面倒でしかない反応に、眉を顰めて頭を掻く。

 

 

「あぁ、……やだ、やだやだ。こ、虎太兄に、見ら、れた……虎太兄に、虎太兄に……!」

 

「おい、ゆきかぜ、少し落ち着け」

 

「み、見ないでって、言ってるでしょ……!?」

 

「ファッ!?」

 

 

 予想外だったのは、錯乱したゆきかぜが手近にあるモノを手当たり次第に投げつけてきたことだ。

 

 虎太郎としては冗談ではない展開である。

 防音材で包まれた部屋だ、どう暴れようがそうそう音が漏れないのはいいが、調度品を壊されては間違いなく怪しまれる。

 ゆきかぜが粗相としたと知れれば、ゆきかぜがこの娼館に居られるかも分からず、仕事の難度が跳ね上がってしまう。

 

 スタンド、本、手鏡、香水瓶、化粧品、枕。

 飛んでくる物体に統一性はなく硬さも大きさも様々だったものの、細心の注意と繊細なキャッチで、どうにか何一つ壊さずに済んだ。

 

 ゆきかぜは投げつけるものがなくなると弾かれたように駆け出し、クローゼットの中に隠れる。見られたくないものを見られた子供そのものの行動だった。

 

 

「おい、ゆきかぜ」

 

「やだっ! 虎太兄には会いたくない! 見られたくない! 何で、何で来たのよ! 帰ってよぉ!」

 

『随分、錯乱されてますね。身も心も堕ちているのでしょうか』

 

「なわけあるか。反応が可笑しいわ。ったく、間に合ったはいいが、これはこれで面倒だ」

 

『虎太郎、一つ質問があるのですが、よろしいですか?』

 

「何だ、突然。まあいいがな、こりゃ時間が掛かりそうだ」

 

『では遠慮なく。貴方は、この世に面倒ではない女性がいるとでも?』

 

「………………………………いねぇな」

 

『安心しました。なら、いつも通りですね』

 

「……面倒事と厄介事が消えてなくならねぇかなぁ」

 

『運命と受け入れて下さい』

 

「死ぬまで続く苦労か。やってらんね」

 

 

 虎太郎は大きな溜め息をつきながら、散らかった部屋の中から灰皿を探し出した。

 そのままクローゼットに背中を預けるように座り込み、懐から煙草を取り出し、火を付ける。どうやら、時間一杯まで待つつもりらしい。

 下手な慰めなど何の意味もなく、また面倒なのだろう。ただゆきかぜが冷静になれるまで時間を潰す構えだ。

 

 何処までも冷徹な態度であったが、彼なりの気遣いだった。

 彼は自分の性質をよくよく理解している。他人を理解はしても、他人に共感はしない。そんな男が、どのような慰め言葉を口にしたところで中身のない伽藍堂。決してゆきかぜを癒せはしない。

 だから待つ。ゆきかぜが自分から覚悟を決めるまで、いつまでも待つつもりだ。

 

 灰皿に吸殻が山と積まれた頃、クローゼットの扉が少しだけ開いた。

 

 

「……虎太兄、どうして、来たの?」

 

「どうしても何も、お前を助けに来た」

 

「どう、やって、来たの?」

 

「それは秘密。お前が知る必要はない」

 

「私のため……? それとも凜子先輩の、ため……?」

 

「どっちでもねーよ。単なる仕事だ」

 

 

 しわがれた声だけで、どれだけ泣き腫らしたか分かる痛ましさを前にしても、虎太郎は揺るがない。

 せめてお前の為に来たと言ってやればいいものの、全くの平静を保った態度と声で、助けに来たのはお前が大事なのではなく、熟すべき仕事を熟しに来たと語る。

 

 

「酷いよ。……ねぇ、虎太兄、私が今、どんな気持ちか分かる?」

 

「分かる訳がない。そもそも、オレはこんな馬鹿な真似はしないし、任務は最低限の準備をしてから臨む。今この状況は、他でもないお前自身の甘さとアサギが作り出したものだ。そんなことオレが知るかよ」

 

「さいってー。傷ついてる子に、優しい言葉も掛けられないの……?」

 

「欲しいならくれてやるが、オレのだぞ(・・・・・)?」

 

「……うん、そうだよね。虎太兄、だもんね」

 

 

 普段よりも容赦の無い冷たい声で淡々と応じる虎太郎に、ゆきかぜはクローゼットの中で弱々しい笑みを浮かべた。

 虎太郎が、形だけでも優しい言葉をかけるなど、それこそゆきかぜが最後の時か、斬り捨てるその瞬間だけだろう。

 

 ゆきかぜは知っていた(・・・・・)。これが弐曲輪 虎太郎の本性だ。

 普段は周囲との関係に気を遣い、本来の言葉を飲み込んで、嘘こそついていないが本心も語らない。

 彼が他人に求めているのは自分にとって有用か否か。どれだけの能力を持っていて、どう使うのが効率がいいかという値踏みだけ。

 

 彼と始めて出会った時、ゆきかぜは幼心にそれが堪らなく怖かった。

 他人の力は借りても、自分の心を支えて貰うことを必要としないその本性。

 余りにも自分や周囲の人間とは違う、魔族ですら耐えられないであろう、永遠の孤独にすら耐えられる人のまま人から外れてしまった精神性。

 人の形こそしていたが、幼いゆきかぜにとって弐曲輪 虎太郎は魔族以上の怪物だった。

 

 正直、今でもゆきかぜは虎太郎を怖れている。けれど、それ以上の感情があった。

 あの日、あの時、あの場所で、ただ気付いた。その本性は恐ろしいけれど、付き合い方さえ間違えなければ、この人は決して自分を裏切らないのだ、と。

 

 

「……私、虎太兄にもう会えないんだって、ううん、もう会いたくないって思った」

 

「そうかい。助けに来ちまって悪かったな」

 

「……茶化さないで。だって、こんな私、虎太兄には絶対に、見られたく、なかったんだもん」

 

 

 魔界の医療技術によって淫らに改造された身体。

 教え込まれた男と見れば誰であれ傅き、跪き、媚びて腰を振る方法。

 限界が近づいた萎えた心の何処かで、男を求めているのが改造や洗脳によるものではなく、元々の気質であったのではないかという疑いと恐怖。

 

 ヨミハラで自身の身に起こり、受け、考えた事実を最も知られたくなかったのが、虎太郎だった。

 

 

「なんで虎太兄に知られたくなかったか、分かる?」

 

「……………………それ、オレの口から言わないとダメか?」

 

「うん、聞かせて……?」

 

「はああ………………お前が、オレに惚れてるからか?」

 

「……やっぱり、分かってたんだ。うん、好きだよ、虎太兄。大好き」

 

「……お前は馬鹿だ。大馬鹿だ」

 

「ふふ、知ってる」

 

 

 本当に、どうしてこうなったと言わんばかりの口調で、虎太郎は察していた事実を口にした。

 

 水城 ゆきかぜは弐曲輪 虎太郎に恋をしている。

 他人に共感こそしないものの、理解が速い彼がそんな幼い恋心に気付いていないはずがない。

 

 黙っていたのは自分がゆきかぜに相応しくないと思った訳でも、ゆきかぜを自分の境遇に巻き込みたくなかったわけでもない。

 恋心とは厄介だ。策や計画を簡単に狂わせ、破綻させる。虎太郎はその油断も隙もない性格から、始めから制御を受け付けない感情を利用することを嫌っていた。

 そもそも恋心を利用するのはメリットよりもデメリットの方が大きい。ゆきかぜの恋心を利用して得る利益と周囲から買うであろう反感では、釣り合いが取れていない。

 

 利己と利他。メリットとデメリット。利益と不利益。

 その全てを計算した上で導き出した答えが、ゆきかぜの恋心を無視するという選択だった。

 虎太郎にとって望ましかったのは、無視している内にゆきかぜが諦め、別の誰かに惚れること。それがお互いにとって最良の結果だった。

 

 

「…………虎太兄。見てよ、私の身体、こんなにいやらしくなっちゃったよ?」

 

 

 クローゼットの中から出てきたゆきかぜは、泣き腫らして赤くなった目元をそのままに改造された肉体を晒す。

 

 

「いやらしい? 何処が? 不知火さんと違ってナイチチ体型じゃねぇか」 

 

「っ…………、虎太兄に貰って欲しかった、初めて、キスも処女も、お尻も全部全部踏み躙られちゃった」

 

「ああ、そりゃ残念。だが、初恋なんてそんなもんだ。人生、思い通りになる方が少ねぇよ」

 

「もう、私、女の子でも人間でもない。奴隷娼婦だよ? 男の欲望を満たすだけの性処理便器、メス豚」

 

「…………おい、ゆきかぜ」

 

「手でも、口でも、オマンコでも、お尻でもするの上手になったよ? ここのお客ね、みんなみんな褒めるの。最高のメス豚だって」

 

 

 何の光も宿していない虚ろな瞳で、何の感情も籠らない声で、それこそ人形のように今まで降りかかってきた現実を語り続ける。

 ゆきかぜは自棄になっている。最も知られたくなかった人間に、最も知られたくなかった事実を語るなど自棄以外の何物でもない。

 

 

「おい、時間の無駄だ。止めろ、ゆきかぜ」

 

 

 それでもなお冷徹に、虎太郎は一切の情なく言葉を遮る。

 

 

「お前が何をされていようが、何になろうが、仕事は仕事だ。オレのやることは何一つ変わらない」

 

「………………うん」

 

「奴隷娼婦だろうが、性処理便器だろうが、メス豚だろうが、関係ないんだよオレには」

 

「…………うん」

 

「オレにとってお前はお前だ。水城 ゆきかぜに他ならない。いいか?」

 

「……うん」

 

「その上で聞いてやる。同情が欲しいんだか、諦めて欲しいんだか知らんし、聞いたところでやることは変わらんがな」

 

「うん」

 

「――――お前は、オレにどうして欲しい?」

 

 

 その何一つ変わらない、己の為すべきことを為すと告げる言葉に、ゆきかぜの心は決壊する。

 

 

「…………虎太、兄、助け、て」

 

「当たり前だ、馬鹿。任せておけ」

 

「――――う、ぐ、うぅぅ、うあぁぁあああぁあ!!」

 

 

 大粒の涙を流し、奴隷娼婦でもなく、対魔忍でもなく、ただ一人の少女としてゆきかぜは大粒の涙を流す。

 

 

「こわ、かった。怖かったよぉ、私を犯す男も! 嫌なのに、どんどん気持ちよくなっちゃう自分も!」

 

「そうか」

 

「悔しかったよぉ! 対魔忍なのに、何も出来なくて! あんな下衆どもに、好きでもない奴らに、あんな風にされるなんて!」

 

「そうかい」

 

「もう、何度もダメだって、思ったんだから! 頭、おかしくなっちゃって、何されても気持ち悪いのに気持ち良くて! もう、自分が何なのか分からなくなっちゃってたんだから!」

 

「そりゃあ、大変だったな」

 

「どうして、もっと早くきてくれなかったのよ?! 何度も助けてって思ったのに、なんで助けに来てくれなかったの!」

 

「悪かったよ。オレが悪かった」

 

 

 虎太郎の身体に抱き着き、ゆきかぜは恐怖も、屈辱も、理不尽も全てを吐き出す。

 年相応の反応を見せるゆきかぜを、虎太郎は拒むことなく受け入れる。

 

 ――そして、それが己に残った最後の情だとでも言うように、ゆきかぜが泣き止むまで、武骨な手で小さな頭を撫で続けるのだった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「落ち着いたか?」

 

「うん、ありがとね。それから、ごめんなさい。私、めちゃくちゃ言ってた」

 

「構わんよ。実際、オレがもう少しお前に興味を持ってりゃ、止められたのも事実だ」

 

 

 ゆきかぜが泣き止むと虎太郎はベッドに腰掛け、股を開いてその間にゆきかぜを座らせる。

 昔はゆきかぜの面倒を見る時、こうしてよく不知火や父親の帰りを待った。

 遊びに付き合うのは面倒だったし、何よりもこうするとゆきかぜは静かになって、何時もの快活さは吹き飛んで借りてきた猫のように大人しくなったからだ。無論、それが恋心によるものだとは知っていたが。

 

 

「ねぇ、虎太兄はさ、自分がどんな人だって思う?」

 

「あぁ……?」

 

 

 突然かつ訳の分からない質問に、さしもの虎太郎も頓狂な声を上げた。

 

 ゆきかぜをどう思っているのか、と聞いてくるのなら分かる。馬鹿馬鹿しくも愛らしい乙女心と片付けられただろう。

 だが、自分が自分をどう思っていると聞かれれば、その意図を判断しかねる。そんなことを聞いてくる理由が何処にあると言うのか。

 

 

「冷酷、冷徹、冷血、無慈悲、辛うじて人でなし。他人も自分も能力と性能中心で考えてる効率厨。人類史上類を見ないドライモンスター」

 

「あはは。流石、虎太兄。凄く客観的」

 

「なんだぁ、お前。オレを自分で罵らせたくて、こんなこと聞いてんのか?」

 

「ううん、違うよ。ただ、私の考えとはちょっと違うなって思っただけ」

 

「どういう意味だ、そりゃ?」

 

 

 我ながら的確な評価だと思っていたのだろう。虎太郎は更に疑問を深めた。

 

 

「虎太兄は、鏡みたいな人。恩には恩で、恨みには恨みで、キッチリ返してくれる人」

 

「はは、よく分かってる。だけど、残念ながら――――」

 

「恩とか恨みとか全部ひっくるめて考えた上で、それが一番効率が良くて、長生きできる方法なんでしょ? 中立中庸、清濁併せ飲むバランス重視のリアリスト。それくらいのこと、知ってるんだから」

 

「………………」

 

 

 虎太郎も閉口せざるを得ない。ゆきかぜの台詞はどこまでも真を突いていたからだ。

 彼にとって腹立たしいのは、自分を好きだ、愛しているという女に限って、ここまで真に迫ってくるところか。

 

 

「だから――――大好きだよ、虎太兄。水城 ゆきかぜは弐曲輪 虎太郎を骨の髄まで愛しています」

 

「……オレはお前の事、愛してないけどな」

 

「いいよ、それでも。虎太兄が愛してくれない分、私が愛しちゃうんだから」

 

「その年で、その台詞は重いぞ、お前」

 

「ドン引きしてる、本当に酷いなぁ。……あ、でも勘違いしないでね? 虎太兄の都合を考えない真似だけはしないからね?」

 

「はいはい、そりゃどうも」

 

 

 はあ、と大きな溜め息をついて虎太郎は己の完全な敗北を認めた。

 

 かつてアミダハラにおいて虎太郎は八津 九郎を筆頭とした対魔忍衆、相棒となったアルフレッド、半人半魔の魔女とその相棒と共に地獄を潜り抜けた。

 出会いと別れ、痛みと絶望を味わいながら、最終的に生き残った彼は、ある誓いを立てる。

 

 ――相手によって受けたものは必ず返す。それが恩であれ、恨みであれ、借りであれ、例外はない。

 

 己自身は誰一人信じておらずとも、自らを信じた者を決して裏切らない。その背景にあったのが、自ら立てた誓いだ。

 彼のような人間が、何故そのような誓いを立てたのか。理由を知る者は、その場に居合わせた九郎とアルフレッドのみである。

 

 虎太郎は我ながら厄介な誓いを立てたものだと呆れ返る。

 それが、今の自分をこんな立場に追いやっている原因であり――同時に生き残ってきた要因であると理解している以上、破却する真似も出来ないのだから。

 

 そして、振り返ってにんまりと満面の笑みを浮かべるゆきかぜに辟易とする。

 

 此処に一組の愛し合う男女がいるとしよう。では、相手をより支配していると言えるのはどちらであろう。

 経済的に見れば、男が支配しているとも言える。家庭を支えるという点で見れば、女が支配しているとも言えよう。

 他にも様々な要因が存在するが、もし虎太郎にその問いを投げかければ、こう返ってくる。

 

 ――そんなもの“より深く愛している”方に決まっている。全てに共通する結論だ。全く以て馬鹿馬鹿しい。その程度のことで、世界がひっくり返る辺り、特にな。

 

 その言に従うのならば、虎太郎にとっては厄介な現実である。 

 他人を愛することをしない彼は、女に愛されれば否応なしに支配されなければならず、支配を疎んじたとしても立てた誓い故に振り解けないのだから。

 

 

「それに虎太兄だって、ずうっと一人でいるのに耐えられることと、寂しくないことは別でしょ?」

 

「まあ、そうだなぁ。一人じゃない方がいいな。出来ることが段違いに増えるし」

 

「もう、そうやって能力とか性能ばっかり。いいけど、虎太兄が全部面倒になって逃げても、自分のペースで追いかけて、捕まえちゃうんだから」

 

「だから、そういう発言をするな。重いんだよ。それに対魔忍はどうする気だ、対魔忍は」

 

「愛は、重いんですぅー。うーん、対魔忍は虎太兄捕まえちゃえば、何のかんので続けてくれそうだから、心配なーし」

 

「大した女だよ、お前は」

 

 

 やれやれだ、ともう一度溜め息をつく。本気で憂鬱だったが、敗北を認めた時点で諦めはついている。ただ――

 

 

 ――対魔忍の女って奴は、どうしてこうオレの扱い方を心得てる奴ばかりなのかねぇ。

 

 

 頭に浮かぶ幾人かの女の顔に、虎太郎は呆れとも憂いとも取れない感想を一人心の中でごちるのであった。

 



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『神は言っている。乙女の苦労は報われるべき、男は知らん、と』

 

 

「成程な、おおよそのスタッフの人数と間取りも分かった。あとは地下か」

 

「うん、そう。私と凜子先輩は、そこで……」

 

 

 アンダーエデンの一室で、虎太郎とゆきかぜは互いの情報をすり合わせていた。

 

 今回、ゆきかぜと凜子を救出するに当たって難関となるキメラ微生体を排除する方法を脱出までに発見、入手しなければならない。

 虎太郎が可能性として考えているのはアンダーエデンの医療室――ゆきかぜと凜子が洗脳と改造を施された医療室とは名ばかりの実験室だ――に隠されていると踏んでいた。

 

 奴隷娼婦は魔界における最高級の娼婦だ。

 金持ちの中には手元に置いておきたいと望む物好きもいるだろう。

 不知火という例もあり、人身売買にも手を染めているリーアルが、客の要求に答えられない状況を作っておくとも考え辛い。間違いなく解除法は其処にある。

 ほぼ確信していた予想は、既に確定的な情報へと変化している。危険を冒すには十分だろう。

 

 

「さて、まだ時間あるな。お前を長く買い過ぎた」

 

「長いって、どれくらい?」

 

「半日……?」

 

「ちょ、それって結構な金額になるんじゃ!?」

 

「いいんだよ、金払いがいいのをアピールしときたいからな」

 

「いや、そうじゃなくて、虎太兄の安月給でどうやって……?」

 

「うるさいよ! 仕事と報酬の釣り合いが取れてねぇって再認識させんな! 死にたくなるだろうが!」

 

 

 対魔忍は今や表向きは非公式だが、立派な政府公認機関である。

 とは言え、その給料は安い。元より日本はそれほど金に余裕のある国でもなく、割り裂ける予算には限界がある。

 その分、福祉厚生は手厚く、死亡時、行方不明時には十分な金額が遺族、家族に支払われる。が、天涯孤独の身である虎太郎には何の関係もない話である。

 

 虎太郎に支払われる給金は下忍のそれと大差はない。

 救出班という特殊な任務についているものの、危険手当などは一切受け取っていなかった。

 アサギどころか九郎や紫も、これには難色を示したものの、余計な金の動きでオレの存在に焦点が当たるのを防ぎたいとこれを一蹴。金に執着して命を失うよりも、命に執着してタダ働きをした方がマシという結論だった。

 対魔忍に支払われる金の動きに着目する者など、ましてやそれを調べ上げられる者など、ほぼいないというのにこの警戒心である。

 

 救出班の潤沢な装備は、殆どが米連や魔族から鹵獲したものを使用しており、特殊な機械装備に関してはアルフレッドが設計を行い、虎太郎が組み上げている。

 活動資金に関しては、これもまたアルフレッドのお陰である。アルフレッドの演算機能は人界・魔界問わない高度な演算機能を備えた製造物が石を並べて数えているようなレベルであり、株や為替で稼ぐなど赤子の手を捻るが如し、である。

 但し、虎太郎を甘やかすのはよくないとでも考えているのだろうか、プライベートにおける資金提供はゼロだった。

 

 

「はあ、しかし腹減ったな。メシ喰うか」

 

「……そういうの普通、敵地のド真ん中でする?」

 

「安全は確保されてんだ。何の問題もないし、警戒を解いたわけじゃない。おら、上着来てキッチンに来い。飯の作り方、教えてやるよ」

 

「……う、うん」

 

 

 助けに来てくれた安心からか、ゆきかぜは今の今まで奴隷娼婦の衣装のままであったのを忘れていたらしく顔を赤くした。

 その誰でも愛くるしいと感じるであろう仕草にも、虎太郎は眉一つ動かさずに上着を脱いでシャツを捲る。

 

 それからてんやわんやの料理教室が始まった。

 元より使用の予定もつもりもなかったのだろう、安アパートの方がまだ広い狭苦しいキッチンで互いの身体を押し退け合いながら、調理は出来るが好きでない男と調理自体が全くできない女のコラボレーションだ。

 一月前の料理兼食事会でも思い出したのか、ゆきかぜの表情にはかつての笑顔が戻っていた。

 

 出来上がったのは二人分のカルボナーラ。

 流石のリーアルも客の口に入るかもしれないものにまで媚薬を仕込むつもりはなかったらしく、安全面は虎太郎が調理の前に確保してある。 

 二人ともラブホテルのような一室での食事は気が滅入ったが、折角作ったのだから食べねば損だ。行儀よく手を合わせて、パクリと一口。

 

 

「「うーん」」

 

「いまいちだな。やっぱ卵とチーズだけじゃなぁ。あとベーコンと生クリームも欲しかった」

 

「なんか、凄い大味。男の料理、って感じ」

 

 

 素直に二人で作った料理への感想を述べながら、それぞれがぺろりと平らげる。

 虎太郎は元々男、この程度の量なら簡単に腹の中へと収められる。

 ゆきかぜは久方ぶりの他人との食事。ましてや恋い焦がれた相手と一緒であれば、沈んでいた気持ちも浮上し、食欲も取り戻そう。

 

 

「ふー、何だかまともな食事、凄く久し振りの気がする」

 

「あー、何? 飯もまともに食わせて貰えなかったか」

 

「そうじゃないよ。ただ、何を食べても味がしなかった気がしてただけ」

 

「そうかい。飯を喰えてただけ上等だ。それもできなくなったらいよいよ終わりだからな」

 

 

 それだけ言うと虎太郎は食後の一服にしゃれ込む。

 

 ゆきかぜは机に頬杖をついて、その光景を意外そうに眺める。

 虎太郎は忍らしい忍だった。それは彼女に見せてきた下忍としての顔であっても変わりはない。身体に臭いが染み着くような嗜好品を好むとは思ってなかったようだ。

 

 

「虎太兄、煙草吸うんだ」

 

「悪いか?」

 

「ううん、何ていうかかっこいいかも。絵になるっていうか。臭いけど、臭いけど」

 

「二回も言うな………………おい」

 

「え? 何?」

 

「……………………何でもねぇ」

 

(無意識か、結構キてんな、おい)

 

 

 虎太郎は紫煙の味を楽しみながらも、厄介な現実に頭痛を覚える。

 

 先程から机の下で自分自身の片足を刺激するものがあった。

 ゆきかぜはハイヒールを脱ぎ、両脚を使ってこすこすと優しく擦り上げてきていたのだ。

 当の本人に視線を向けても、両目には対魔忍としての強い意志の光が灯っているものの、頬や口元は蕩け緩み、ときおり舌なめずりまで見せている。

 キていると評したのは無意識下にまで奴隷娼婦としての仕草が擦り込まれつつある点だ。

 

 

(分かっちゃいたが、こりゃ凜子の方も相当ヤバいことになってるな。仕方がねぇ、連続して顔を出しては怪しまれるかもしれんが、明日はあっちだ)

 

 

 僅かな変化を見せた虎太郎の表情に気付いていたものの、ゆきかぜは頬杖をついたままで男を誘う仕草を止めず、気付いてもいない。 

 その様子に、珍しく僅かな逡巡を見せた虎太郎は決断を下し、煙草を揉み消す。

 

 

「ゆきかぜ、仕事の話だ。少しいいか?」

 

「――――う、うん」

 

 

 如何に洗脳改造を施され、身も心も奴隷娼婦になりつつあったゆきかぜも、対魔忍としての仕事と言われれば、姿勢を正し表情も引き締まる。

 脚だけで雄を誘うような仕草を中断させた。無意識とは言え、大した精神力だ。

 

 

「これから、お前を抱く」

 

「わ、分かっ――――えぇっ!?」

 

 

 当然と言えば当然の言動と反応であった。

 

 虎太郎としては、ここでゆきかぜを抱いておかなければ任務に支障を来す。

 半日も奴隷娼婦を買ったのに、一度も手を出さずに帰るなど不信感を抱かれても仕方がない。奴隷娼婦はかつての花魁ではないのだ。

 ベッドメイクを行う専門のスタッフに何の汚れもないシーツとベッドに違和感を持たれ、リーアルにその事実が耳に入るのは極力避けたい事態だ。

 

 ゆきかぜとしても、再会できた喜びで虎太郎が任務中であることを忘れており、望むべくもない展開に驚きを隠せない。

 しかし、事実を正しく認識していくと次第に不機嫌な表情になる。抱きたいから抱くというのもそれはそれで酷い話であるが、仕事だから抱かせろというのも輪にかけて酷い話だが、ゆきかぜの乙女心的には前者の方がまだマシだったようである。

 

 

「虎太兄さ、私が虎太兄のこと好きって言ったの覚えてる?」

 

「お前、オレのこと鳥頭だとでも思ってんのか。だが、これも仕事だ、文句言うな」

 

「分かってたけど…………ないわー」

 

「オレから言わせりゃお前の反応の方がないわー、だ、馬鹿」

 

 

 虎太郎は両腕を組んで背もたれに身体を預け、そっぽを向いたゆきかぜを眺める。

 リスのように頬を膨らませ、明らかに私は不機嫌ですと表現する様は愛くるしい限りであったが、彼にしてみれば面倒なことこの上ない。

 それに仕事として抱くのも、彼なりのなけなしの気遣いでもあったのは確かだ。

 

 何にせよ、ゆきかぜは譲ることはないだろう。踏み躙られた尊厳と乙女心を守る為に。

 となれば、譲らなければならないのは自分の方だという自覚が、虎太郎にはあった。

 

 

「分かった。これからお前を抱くのは、完全なプライベートだ。後悔すんなよ」

 

「――――へ? え? ていうか、それ、どういう……?」

 

 

 意外なほどあっさりと願いを聞き入れてくれた虎太郎に、ゆきかぜは驚きと困惑を隠せない。

 一人の女として思いを告げた以上、対魔忍としての任務よりも優先したくなっただけ。どうしようもない子供の我が儘である自覚はあったのだ。

 いや、それ以上に虎太郎の妙な言い回しに妙な違和感を覚えていた。

 

 虎太郎は困惑するゆきかぜを無視し、その背後に回り込む。そして、ゆっくりと上着を脱がし始めた。

 

 

「仕事でってんなら加減もするがプライベートだ、頭が可笑しくなっても知らんぞ?」

 

「……ふぅ、……んっ、はぁ」

 

「それでもいいのか……?」

 

 

 露わになった肩を一撫でされただけで、身体の芯と脳髄の奥底まで発情の熱が灯り、ゆきかぜの呼吸は荒くなる。

 くらくらと熱で浮かされた脳ではまともに思考など出来なかったが、抱いた感情は紛れもない恐怖だった。

 虎太郎は何の意味もない嘘はつかない。嘘をつく以上は其処に何らかの意図があり、最も効果的なタイミングでさらりと相手を騙す。

 そもそも、彼は下手な嘘をつくよりも、真実を部分的に語ることで、相手に事実を誤認させる手法を好む。嘘は積み重ねるほどに露見のリスクが伴うからだ。

 

 

「…………もん」

 

「あぁ……?」

 

「どうせ、もう頭なんか可笑しく、なっちゃってるもん。なら――――なら、虎太兄の女になった方がいいもん」

 

 

 対魔忍としては恐怖を、奴隷娼婦としては欲望を抱えておきながら、その全てを押し退けて、ゆきかぜは女としての願いを口にする。背後を振り返った瞳は潤み、身体はひっきりなしに震えていた。

 

 

「お前、オレが考えてるよりも女だな。そこまでいうなら仕方がない」

 

「ひゃぁう――っ!?」

 

 

 その願いを受け取ったのか、虎太郎はゆきかぜを抱え上げる。お姫様だっこという奴だ。

 余りにも青臭い願いであったが、ゆきかぜとしては好みのシュチュエーションである。その逞しい両腕と体温に包まれるだけで、全てが満たされてしまいそうだった。

 

 まるで壊れ物を扱うような慎重さでゆきかぜの身体をベッドへと寝かせる。

 ゆきかぜは反射的に胸と股間を腕で隠した。何の意味もない努力であるのは理解していたが、はしたなく発情した性感帯を見られたくはなかったのだろう。

 

 

「………………はむぅ」

 

(あぁ、最初は優しくキスして欲しかったのにぃ、自分から口を開けて、こんないやらしいキス、しちゃってるよぉ)

 

 

 唾液を交換し、舌同士を絡め合わせるキスを交わす。

 一度たりとて自分から望んだことはなかった熱烈なディープキスを、自分からねだる浅ましさに、ゆきかぜは恥じらいで頭の芯をグラつかせた。

 

 しかし、そんな恥じらいも直ぐに溶けてなくなる。

 突き出した舌を唇で甘噛みされるだけで、腰砕けになるほどの快楽が脳と子宮に奔り、甘えた鼻息を漏らしてしまう。

 流し込まれ、送り込む唾液をくちゅくちゅと混ぜ合わせる度に熱を発し、全てが蕩けていく。

 最早、女として見苦しいまでの荒い鼻息すら気にならない。口腔愛撫だけで、どこまでも官能が高められていく。

 

 

「ひゅ、ごい、……きひゅ、って、こく、こひゃにぃ、ごく」

 

(口って、こんなに凄いの? ベロチュー、ベロフェラ、舌吸われる度に、頭びりびりするぅ)

 

 

 虎太兄、虎太兄と形にならない声で何度となく虎太郎の名を呼ぶ。

 快感とは別の、そして本来であれば同時に与えられる女の喜びに、ゆきかぜは全身をくねらせて歓喜を表現する。

 

 

(あ、ダメ、……これだめぇ、こんなのキスじゃないよぉ、セックス、お口セックスで、イクゥ!)

 

「んん、ン゛ンン、んんん~~~~~っ!!」

 

 

 最後に、虎太郎の口腔に差し込んだ舌を甘く噛まれ、一線を軽く超えてしまう。

 ゆきかぜは顔は快楽を受け入れる為に一切動かさず、爪先で腰を高く持ち上げ絶頂を報せる。

 

 舌を犬のように垂れ下げながら自分を見上げるゆきかぜに、虎太郎は薄く笑うばかりだった。

 

 

「しゅ、っごい、よぉ……虎太、兄、キス、上手、すぎぃ……あっ、首!」

 

「こんなもんで根を上げてちゃ、先が思いやられる」

 

「あっあっ、ん! ……首、吸い付かないで、あと残っちゃうよぉ」

 

残してる(・・・・)んだよ」

 

 

 ちゅうちゅうと唇が吸い付いた部分に、熱と柔らかい痛みを覚え性行の跡を残されたことに、言葉だけの拒絶を見せる。

 

 

「さて、次は……」

 

「こ、虎太兄……? ひゃぁん! ゆ、指ぃ!?」

 

 

 左手を取られたかと思えば、指の一本一本を舐め上げられ、吸い付かれる。

 体験したことのない愛撫に、快感よりも驚きが勝ってしまい可笑しな声を上げてしまうが、それは始めだけだった。

 全ての指を味わうと、掌、手首、前腕、肘、二の腕とナメクジが這うような速度で舐め上げられ、時折、キスマークを残していく。無論、右腕も同様だ。

 

 舌が這う度に快感の度合いが増していく。

 奴隷娼婦としていきなり快楽の渦に叩き込まれるような経験とは異なり、ゆっくりと天上に向かって押し上げられていく感覚だった。

 

 

「や、止めてよ、虎太兄ぃ、……そんなとこの匂、ひぁうぅん! 舐めるのもダメェ!」

 

「いい匂いだ。発情した女の匂いだな。そんなに嬉しいか」

 

「ひゃ、ひゃってぇ! あっ、ひぃぃ、虎太兄なら、きゃふぅ、何されても、あふぅ、悦んじゃうぅ!」

 

 

 脇から発せられる牝のフェロモンと噴き出した汗を賞味され、ゆきかぜは羞恥と悦びの狭間で身悶える。

 だが、それだけでは終わらない。舌は脇を移動し、鎖骨を下り、乳房を苛め、腹を伝い、臍を抉り、鼠蹊部を滑り、太ももを舐り、足の指までしゃぶられる。

 文字通り、全身の味を確かめられるような愛撫に、ゆきかぜは小刻みなアクメを何度となくキメる。

 まるで汚されたと嘆くゆきかぜの身体を舐め清めるように、或いは更に自分の色で染め上げていくかのようだ。

 

 

「ひあっ……んん、……くぅ、んっ、ふ……あ、あぁ、ンッッ」

 

 

 肝心な部分を避けた愛撫にも拘わらず、貪欲にアクメを貪る自身の身体に情けなさを覚えながらも、ゆきかぜは身体を見下ろすと甘えた恥ずかしい声を抑えられなかった。

 

 

(うぅ、こんなに目一杯、足開いちゃって、それに、凄い量のキスマーク残されちゃってる。……こ、これ、もう完全にエッチの証拠じゃない。こ、虎太兄に自分の女だって独占されちゃってる証拠だよぉ!)

 

 

 自分から股を広げ、女の象徴への刺激を望む雌のポーズよりも、身体に残った赤と白の斑点模様に目が行ってしまう。

 面白半分でキスマークを客から残されたことはあるが、それはこんな徹底したものではなかった。これは確かに、情交の跡ではなく所有権の主張だ。

 

 その事実に、ゆきかぜは早鐘のような鼓動が更に早さを増し、より一層虎太郎への思いが強くなる。

 何時も何時も涼しげな顔をして、地獄を見た知り合いにすら優しさも見せない徹底した現実主義者の癖に、独占欲は強いのかもしれない。少なくとも、自分から離れていかない限り、誰の手にも触れさせることを嫌いそうだ。

 その独占欲の中心に今は自分がいるという事実に、ゆきかぜは甘い切なさを女そのものである子宮に滾らせてしまう。

 

 虎太郎はゆきかぜの背中に手を回し、コンプレックスである薄い胸に顔を寄せる。

 

 

「さて、そろそろ、お楽しみだな」

 

「はぁー、はぁー、……んく、ま、待って、まだイっ――――ひぁああん!!」

 

 

 小石のように硬く凝った桜色の蕾に、息を吹きかけられただけでゆきかぜは黄色い悲鳴を上げてしまう。

 虎太郎はその様子に念入りな愛撫の効果を確認し、容赦なく乳首に吸い付き、もう片側を指で抓む。

 

 

「んんっくぅんんん! ひぁぁああぁあああああっっ!!」

 

 

 唇を噛み咽喉から上がってきた嬌声を噛み殺そうとしたが、無駄な努力に過ぎなかった。

 乳頭からの刺激は上は脳天まで、下は足先まで満遍なく全身を行き渡る。

 今まで誰に受けたものよりも、性技に長けた筈のリーアルに与えられたものとすら比較にならない快感が駆け巡る。

 

 

「ま、まっ! くっふぅぅ! いひぃっ、コリって、コリってェ! あ、ぐ、んきゃぁぁあああぁッッ!!」

 

 

 何とか快楽を反らそうと、身体を捻り、首をいやいやと振っては見るが、虎太郎は許してくれない。指も唇も離れなかった。

 指がコリコリと乳首を捏ね回せば腰が跳ね、噛まれ吸われる度に潮を噴く。

 

 

「ひゃふ! ……んっ、くぅ、かはっ……あ、あっ、ンぅッんんっ、はぁんんっ!!」

 

「次は下だぞ」

 

「こ、こひゃにひぃ、……こ、壊れ、……わらひぃ、ほんろにこわれひゃう……こ、こわいよぉ」

 

「だから言ったろうが、頭可笑しくなるって。ったく、もう少し我慢しろ。ほぐさなくちゃ辛いのはお前なんだよ」

 

「うう、……んひゅぅ」

 

 

 駄々を捏ねる子供に向ける呆れを含んだ口調で、早くも呂律の回らなくなり始めたゆきかぜをあやす。

 けれど、あやすための行動はどうしようもなく男女のそれだ。唇と唇、舌と舌を絡め合わせ、接吻はゆきかぜの不安を吸い出すように激しい。 

 

 

「……れろっ、れろ……ちゅ、じゅる……ちゅぅぅ……っっんぅ、ンんぐぅぅぅぅぅ!!」

 

「……ッッ」

 

 

 頃合を見計らい、とうに開ききっていた膣口に指を滑り込ませる。彼の誤算は声を抑えようとしたゆきかぜに差し込んだ舌を噛みつかれたことか。

 

 

「はっ、はっ、あっン、クぅん、ンン、んーーーっ! ンふぅんんんんっっ!!」

 

「ふん、成程。で、Gスポットがここだな?」

 

「あっひぃぃぃいいいぃいいいいんっっ!!」

 

 

 はしたないアクメ声を聴かせまいと歯を喰いしばったゆきかぜであったが、敏感過ぎる膣の更に敏感な弱点を指で擦られ、あっさりと志を手放してしまう。

 興奮と発情によってぷっくりと膨らんだGスポットを、指紋で刺激するかのような繊細な指使いで絶頂に達していた。膣肉は震え、指を締めつけ白濁した本気汁を噴出させる。

 

 

「ゆきかぜ、辛いかもしれんが、連続してイカせるからな」

 

「はっへぇ……、か、ひゅ……ま、まっへぇ……」

 

「そうでもしなきゃ、苦しいだけなんだよ。オレのデカいから」

 

「ま、ま、あっあっあっぁぁああああぁぁぁぁああッッ!!」

 

 

 人差し指と中指で交互にGスポットを掻き毟る動きに、ゆきかぜは両脚を突っ張らせて腰を浮かせて、熱い雌潮を噴く。

 子宮から伝わる快楽の電流は指の先から髪の毛先まで、余すことなく全身に迸る。

 白痴に染まる意識と自我すら崩壊しかねない快感の中にありながら、女の象徴を虎太郎専用に書き換えられる確かな感覚に、ゆきかぜは誰にも見せたことのない淫らに蕩けた女の笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「は……ひ、……ひふぅ……んぁ……ぅう」

 

「これぐらい解せばいいか」

 

 

 数えきれないアクメに息も絶え絶えなゆきかぜを見下ろし、虎太郎は愛液ですっかりとふやけた指を舐めた。

 意識を失ってこそいないが忘我の境地にあるゆきかぜが戻ってくるまでの間に服を脱ぎ捨てる。彼女が戻ってきたのは全てを脱ぎ捨てるのと同時だった。

 

 

「はっ……はぁ……ふぅ……虎太兄、凄すぎるよぉ。指だけで、あんなにイカされるの、初めて」

 

「元々、敏感になってるからな。まあ、改造されてなくても十分それぐらいは出来るけど」

 

「…………そ、そうなんだ」

 

「それで、続きいけそうか?」

 

「……ひっ」

 

 

 自らの一物を見せつけるように、手に残った愛液を扱きながら塗りたくる。

 

 ゆきかぜは見たこともない威容に恐怖から小さい悲鳴を上げたが、口元は緩んで笑みを象っていた。

 震える瞳は紛れもない恐怖を示し、口元の淫蕩な笑みは抑えきれない期待を孕んでいる。剛直に釘付けになりながら、何度も何度も生唾を飲み込んでいるのだ、疑いようなどない。

 

 

「や、優しく、優しくね。も、もう私、頭ぱーになっちゃってるから」

 

「分かった。優しく、だな。可愛い女のリクエストだ。応えてやるとも」

 

「か、可愛いとか。改造されてエッチになっちゃってるし、もう何人に犯されてるのか分からないのに、イヤらしいだけだよ……」

 

「オレはエロい女は嫌いじゃなくてね。これからお前を抱く回数が一番多くなるのはオレだ。しっかり見ておけよ」

 

「――う、うん」

 

 

 本当の意味で虎太郎の女になる瞬間を前に、ゆきかぜはごくりと咽喉を鳴らせて生唾を飲み込む。

 

 亀頭を押し当てただけで、膣口は吸い付き奥へ奥へと、はしたないほど誘おうとしているのが、ゆきかぜにも理解できた。

 そして、彼女が危惧していた挿入できるのかという不安に反して、秘裂は驚くほど抵抗なく虎太郎の長大なものをあっさりと飲み込んだ。

 

 

「う、くぅ、こ、虎太兄っ、な、何これなにこれナニコレぇぇぇぇぇっっ!!」

 

「ッ、かなり解したんだが、やっぱりオレには少しキツい、な」

 

「ハ、ハっ、すごい、こたにぃのすごい! さっきからイキっぱなし、だよぉぉぉっ!」

 

 

 怒張が奥へと進む度、小刻みな絶頂を繰り返す。

 ゆきかぜは冗談抜きで一秒単位で襲い掛かるアクメの放流に、意識ごと焼き切れてしまいそうだった。

 快楽ですら今までの悍ましい性交渉とは比較にならない上、それ以上に凄まじかったのは多幸感の波だ。

 快楽だけしかない偽りの女の幸せではなく、愛した男に愛されるという本物の絶頂と女の幸せに、望んでもいない男との性行の記憶すら溶かされていく。

 

 何度も何度も絶頂と潮吹きを繰り返し、侵入してくる男性器に子宮口は熱い本気汁を引っ掛けながら迎え入れる。

 

 

「これで、奥までっ、と。流石に、全部は入らんか」

 

「は、反則、これはんそくぅ! いっかい、一回で、うぅ、奴隷、娼婦だったのに、女の子に戻っちゃってるぅ!」

 

「そりゃ、マズいか?」

 

「やだやだやだぁ! 虎太兄の女の子がいいもん! このまま、このままぁ! ゆきかぜのおまんこに、ほんものセックス教え込んでぇぇぇ!!」

 

「はいよ。分かりました、お姫様」

 

「んぶぅ……ちゅろ、んれぇ……、もっろ、唾のまへてぇ、ごくん、ゴキュ、ゴクゴク、んぇはぁああぁっ」

 

 

 膣に飲み込まれたものは一切動かさず、口に溜めた唾液をゆきかぜの望むままに送り込む。 

 甘い蜜でも飲むように、いや、ゆきかぜにとってはこれ以上ない甘露を飲み下していく。

 ゆきかぜは両手両脚を虎太郎の身体に巻き付け、自分へと引き寄せながら激しい口唇愛撫を繰り返した。

 

 長い時間をかけて、互いの味を確かめ合うとゆきかぜは何とか落ち着きを取り戻す。

 それでも瞳は愛情と欲情で濡れ、まだまだ足りないと虎太郎を求めていた。

 

 

「こ、虎太兄、ギュってしてぇ。そのまま、一緒にイこ? ね?」

 

「我が儘なお姫様だ。ま、昔からそうだったからな、お前。いいぞ、こうだけどな」

 

「きゃ、ふぅううんっ!!」

 

 

 虎太郎はゆきかぜの背中に手を回すと、そのまま胡座をかいて対面座位へと移行する。

 但し、ゆきかぜの子宮にも膣にも負担を掛けないように身体を支え、快楽だけを追求できるように細心の注意を払う。

 

 愛する男の(かいな)に抱かれ、更に多幸感が増し、足の指を丸めたまま両脚をピンと伸ばして震わせる。

 

 

「こ、こた……虎太兄、うぅ、ごめ、ごめん、ね、ひぐぅ、ごめん、なさい」

 

「何だ、どうした?」

 

 

 何かを堪えるように顔をくしゃくしゃに歪めて泣きながら、ゆきかぜは震える声で必死に謝る。

 

 

「も、もう、がまん、できないよぉ……おしっこ、でちゃうぅ、もう、やだぁぁ、虎太兄、きらいに、ならないでぇ」

 

「我慢しなくていいぞ。全部見せてみろ。それにな、興奮するぞ。女が全部曝けだすなんぞ、オレのものにしてる気がして、なっ」

 

「あ、あっ――――――う、うぅ、うう゛ぅぅうぅぅっ」

 

 

 例えようもなく優しく子宮を揺さぶられたゆきかぜは、それだけで尿道は決壊し、失禁アクメを披露する。

 ゆきかぜは低く呻きながらも、徹底した羞恥と征服されている感覚に酔い痴れた。

 二人の間でビチャビチャと垂れ流されるアンモニア臭漂う恥ずかしい液体に、かつてないほどゆきかぜは顔を赤くし、虎太郎は満足から笑みを浮かべる。

 

 

「ぜ、ぜんぶ、み、見せちゃった。うー、はうぅ!」

 

「何言ってる。これからはこれ以上も見せて貰うからな。……で、だ。そろそろ、満足できそうか?」

 

「う、うん。私の子宮(女の子)、虎太兄のチンポ(男の子)で、トドメさしちゃってぇ♡」

 

「分かった。優しく、だな」

 

 

 くつくつと笑いながら、虎太郎は今一度ゆきかぜと口付けを交わす。

 抽送は行わず、亀頭に吸い付いて離さない子宮口をすりこぎで捏ね回すように刺激し、ゆっくりと官能を高めていった。

 ゆきかぜはその度に全身に痙攣を走らせ、膣をきゅっきゅと締め付け、雄の象徴を射精へと導いていく。

 我慢汁を子宮内に吐き出す度に膣は蠕動し、更に粘液を噴き出す。ぐるぐると高まっていく性感にゆきかぜは限界を迎え、虎太郎はそれに合わせる。

 

 

「い、イク、イクね虎太兄! 虎太兄専用の女の子になってイクから、女の子アクメ、下さいぃぃぃ!!」

 

「ああ、いいぞ。ゆきかぜ、イけ、っ」

 

「えっひぃぃいいいぃ! いっくぅぅううう、おまんこイクイクいくぅぅうううぅぅううっ!!」

 

 

 子宮口に完全に押し付けられた肉棒は激しく脈打ちながら、大量の精液を吐き出した。

 ゆきかぜは絶頂の衝撃を噛み締めると、虎太郎にすっぽりと抱きすくめられる形で自らもまた絡めた手足を引き締めて体温の交換をする。

 

 

「あァッ、イッてるぅ! 虎太兄の、女の子になりながら、イッて、るぅぅ、中出し、気持ちいいきもちいいキモチイイっ!!」

 

「こりゃ、っ、いいな」

 

 

 ゆきかぜは無意識に擦り込まれていたはずの奴隷娼婦の技を、初めて意識的に男の精を絞り取るために使っていた。

 虎太郎に固定された腰を、それでも必死にくねらせ、襞は蠕動を繰り返して子宮への吐精を肉棒に望む。

 

 

「うぅ、まだ出てる、ザーメン出てるぅ……おまんこも、子宮も熱いので、いっぱいなのにぃ……」

 

「まだまだ、でるよ、っとぉ」

 

「あひぃ! いっぱい、いっぱいだよぉ! はっひぃ、あっあっあぁぁああぁあ!!」

 

 

 ゆきかぜは涙も涎も垂らしながら、射精に合わせて止めらないアクメを賞味する。

 手足と腰は電流でも流したかのように激しい痙攣を見せ、それによって虎太郎の女になったと披露した。

 

 

「…………こらにぃ、わらし、ひあわへぇ♡」

 

 

 ゆきかぜは生まれて初めて奴隷娼婦としてではなく、女としての絶頂を精一杯噛み締め、楽しみ、呂律の回らなくなった口調で愛した男に心境を伝えると、多幸感によってプツリと意識の糸を斬られるのだった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「ん、みゅぅ……?」

 

 

 ゆきかぜが失神から戻ってきたのは、どれほど時間が経ってからだろう。

 瞳を上げ、べたつく汗を不快に思いながらも気怠い身体に従って、ぼうと天上を見上げる。

 

 

「あ、虎太兄っ!」

 

 

 数瞬経っても愛しい温もりが感じられず、ゆきかぜは跳ね起きる。

 周囲を見回すが、虎太郎は影も形もなかったものの、ベッドに残った温もりから今し方まで隣で寄り添ってくれたことを察した。

 

 その時、シャワーの音が耳朶を叩き、ほっと息をつく。

 あのまま何も言葉を交わさないままに別れてしまうのは、余りに寂しかった。

 

 ゆきかぜは両脚を揃えて両腕で抱え、膝の上に頬を置く。

 まずあったのはシャワーを誘ってくれてよかったのに、という小さな不満。そして、抱えきれないほどの幸せだった。

 ほにゃり、とゆきかぜの顔が崩れる。念願叶った乙女の表情は、こんなものかもしれない。

 

 一人で笑みを浮かべていると、ガラリとバスルームの扉が開く音がし、暫らくしてからズボンだけを穿いてタオルで頭を拭いている虎太郎が現れる。 

 

 

「ああ、悪いな。先にシャワー浴びさせて――――なんだぁ、その顔?」

 

「ふふ、初恋が叶っちゃった女の子の顔ー」

 

「初恋が叶うねぇ……ほんとにこの状態が叶ってるって言えるか?」

 

「うん、叶っちゃってる。私がそう感じてるんだから、虎太兄だって口出し無用」

 

「なら、いいけどな」

 

 

 世間一般では、叶ったとは言うまい。

 誰であっても能力と性能でしか人を望まない男。そんな男が向ける愛など、せいぜいが道具に向ける愛と変わらない。

 

 けれど、ゆきかぜにしてみれば、それは早合点だと言わざるを得ない。

 虎太郎は受け取ったものをそのまま返す。ならば、男として愛するのなら、女として愛し返してくれるということでもある。

 問題は、自分から動かなければ微動だにせず、その上、誰に対しても適用されてしまうというところだが、その全てをゆきかぜは愛していると断言できる。理屈も道理も関係ない、愛とはそういうものだ。

 

 

「ほら、こっちこい。愛してやる」

 

「何それ、くさいよ虎太兄――――あ」

 

「安心しろ、自覚はある」

 

 

 そういうと、虎太郎はゆきかぜの頭を抱き寄せ、胸板へと押し当てる。

 服の上からでは分からなかった厚い胸板と鍛え上げられた肉体に、普段見せている下忍としての表情以外にも顔があるのに気付きながらも、ゆきかぜは何も問わない。

 今は、そんなことよりもこの温かみと静かな鼓動を感じていたかった。

 

 

「耐えられそうか?」

 

「うん。大丈夫、心配しないで」

 

「そうか。お前はオレを信じなくてもいいが、オレの誓いは信じてもいい」

 

「ううん、虎太兄のこと、全部ひっくるめて信じてるよ」

 

「――――チッ」

 

「そういうとこ、ほんとさいってー。そこで誓いだけ信じるって言ったら、見捨てる算段立てるつもりだったでしょ」

 

 

 まあな、と悪びれる素振りもみせず、虎太郎は平然と告げる。

 彼としては言い分が立つのだろう。誓いはあくまでも自分の受けたものを返すであって、誓いだけを信じるのであれば適用外だと言い張るつもりらしい。

 

 思わずゆきかぜは苦笑する。そんなひっかけにかかる訳がない。長年、虎太郎のことを見続けてきたのだから。

 

 

「少し怖いけど、虎太兄がまた抱き締めてくれるなら、大丈夫だよ」

 

「そうか。物好きだな、お前は」

 

「虎太兄の女の子ですから」

 

 

 ふんすと笑ってみせるゆきかぜであったが、虎太郎の観察眼はその身体が震えているのを見逃す筈もない。

 どれだけ気丈に振る舞おうとも、どれだけ誇り高い対魔忍であろうとも、怖いものは怖い。泣きだせるものならば、今すぐにでも泣き出してしまいたいだろう。

 それでも迷惑を掛けまいとするゆきかぜに、虎太郎は嘆息する。これでは勇気づけの一つでもくれてやらねば、男が廃るというものだ。

 

 抱いていた頭の額に口をつける。額へのキスは祝福を意味していた。

 額を両手で抑え、不思議そうに虎太郎の表情を眺めると、またしても表情を幸せそうに崩す。

 

 

「えへへ、今のキス、一番嬉しかったかも」

 

「こんなもんでよければ、いくらでも」

 

 

 虎太郎はゆきかぜの震えが消失したことを確認すると、耳に頭、瞼、鼻、顔中のパーツに好き放題キスの雨を降らす。

 この程度でゆきかぜの恐怖が軽減し、任務が速やかに進行するのであれば、安いものだ。

 

 

「もー、やめてってば。そんなちゅっちゅちゅっちゅ、しないでよ――――――――いい加減に、しなさいっ!」

 

「あれェ? 嫌だったか?」

 

「嫌とかそういうのじゃなくて、このままちゅっちゅされたら、またしてもらいごにょごにょ――――と、兎に角、もうおしまい!」

 

 

 次第に萎んでいく声に続いて、ピシャリとした拒絶に虎太郎は肩を竦めるだけだった。

 

 

「それから、凜子先輩もちゃんと虎太兄の女の子にしてあげること!」

 

「お前、それでいいのか?」

 

「いいよ、っていうか虎太兄は女の子に愛されたら、否応なしに応えちゃうし。それに私のことが分かるなら、凜子先輩もどんな気持ちか分かるでしょ?」

 

「まあ、そりゃあ。ただ一つだけ聞きたい――――――お前等、揃いも揃って頭大丈夫か?」

 

「――ふんっ!!」

 

「ぶふぅ!? …………すまん、今のはオレがどう考えても悪いわ。ただな、どうしても疑問でな?」

 

 

 思い切り張り手を頬に喰らうが文句は言わない。流石に虎太郎も今の発言には反省しているようだ。

 

 客観的に見て、虎太郎はすき好んで惚れるような男ではない。それは彼自身も自覚がある。

 多くの人間は共感を求め、広い世界の中で同じ意見の者を探している。その中で、ただ一人外れているのが虎太郎だ。

 普段は上手く周囲を欺いており、自身も異常という自覚のある完全な異常者だ。ニーチェが提唱した精神的超人ですらない、精神的異形とでも呼べばよいのか。

 

 自らの異常性に自覚がある彼にしてみれば、自分の何処がいいのか欠片も分からない。

 

 

「もう、本当に覚えてないんだ。はぁぁぁ、とんでもない人のこと好きになっちゃったなぁ」

 

「ん? それ、凜子にも言われたな」

 

「教えてあげませんー。私はもうヘソ曲げちゃったから。凜子先輩に聞いて。ほら、もう時間なんでしょ? 早く服着よ?」

 

「お、おぉう」

 

 

 質問をはぐらかされ、仕方なしにベッドから立ち上がる。

 そして、ヘソを曲げたという割りに、ゆきかぜはいやに献身的だ。脱いであったシャツを着せて、ネクタイまで締めている。

 思いのほか慣れた手つきに虎太郎はふとした疑問を口にした。

 

 

「…………お前、ネクタイ締めるの練習したか?」

 

「う、バレたか。氷室さんが虎太兄のネクタイ締めてるの見て、羨ましくて凄く練習しました、はい」

 

「…………――――――健気か!」

 

「恋する乙女は健気で当たり前!」

 

 

 照れ隠しなのか、ゆきかぜはきつめにネクタイを締め上げて、虎太郎に苦悶の呻きを上げさせると上着を着させる。一月前と何ら変わないやり取りだ。

 

 

「耐えられなくなったら監視カメラに何かサインを送れ、計画を早める」

 

「うん、分かった。虎太兄も、無理だけはしないで。死んじゃ、やだ」

 

「オレは“逃げの虎太郎”だ。自分が逃げるのも、誰かを逃がすのも、誰よりも得手な男さ――――なんてな」

 

 

 ゆきかぜの頭を一撫でし、そんな冗談を口にする。

 ゆきかぜもまた、それ以上を口にすることはない。精神的に言えば、これからの時は彼女の方が遥かに辛いというのに、気丈な少女だった。

 

 小さく手を振る彼女の姿を眺めながら、扉を閉める。

 そこで虎太郎は大きく息を吐いて扉に視線を向けた。

 その瞳には、自分のような男に惚れてしまった少女に対する憐れみとも、厄介な少女に惚れられてしまった自分への哀れみとも取れる憂いの光が宿っていた。

 

 

「――――さて、と」

 

 

 それきり、その光は消え失せ別の光が灯る。

 何処までも深く、何処までも冷たく、何処までも残酷に、何処までも容赦なく、何処までも加減を知らない、忍の名の通り、心に潜ませた刃そのものの眼光だ。

 

 虎太郎は気弱な表情(かめん)を被ったまま、相手にとって最悪の一手を打つために、高速で思考を回転させ始めていた。

 



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『乙女心よりも苦労の解消を優先させる者、人それを苦労人と言う』

 

 

「さて、こっちは上々。そっちはどうだ?」

 

『可能な限り調べ上げました』

 

「よし、まずは目的の物の確認からだな。監視カメラの映像を映せ」

 

 

 アンダーエデンを後にした虎太郎とアルフレッドはいくらか寄り道をして、あるホテルの一室を借りた。

 ヨミハラにおいて最も金がかかり、最も富裕層が利用し、最も安全が確保されているホテルだ。彼の被っている偽の身分に最も合っていると言えよう。

 その一室でカーテンを閉め切り、人界魔界を問わない盗撮、盗聴の手段がないかを確認してから、忍とその従者は情報を突き合わせる。

 

 

『アンダーエデンの医療室にて厳重に保管されている薬品は二種類ありました。その映像が此方です』

 

「確かに厳重だな」

 

『一方は常に温度管理されており、もう一方は電子ロックが施されたケース内に保管されている模様』

 

 

 アルフレッドの端末からホログラム映像が転写され、薬品棚に保管された無数のカプセルが映し出される。

 一方は低温から常温の間で保管できる温度調節器が取り付けられており、もう一方は片側に比べてより厚い金属とガラスのケース内に保管されている。

 前者は緑の蛍光色に輝いており、魔界医療でよく使用される培養液と似た色をしていた。

 後者は青く濁るような色をしており、こちらは虎太郎の記憶にも、アルフレッドの記録にも類似する薬品等は見受けられない。

 

 

『形状、大きさは同一です。ですが、保管方法、管理方法、管理記録から緑色のカプセルがキメラ微生体、青色の方が解除薬と思われます』

 

「ふむ。キメラ微生体は魔獣の細胞を利用したナノマシンに近い。少なくとも人体に投与されるまでは急激な温度変化は厳禁――という推測か」

 

『はい、抜き取ったキメラ微生体のデータと一致します。そして、青色の方の保管数は緑色に比べて少なく、アンダーエデンの奴隷娼婦の人数と一致します』

 

「状況、情報的にも矛盾はない。確定だな」

 

 

 そこまで言うと、虎太郎はデスクの上に寄り道の結果を紙袋の中から取り出した。

 取り出されたものはヨミハラの露天商で売られている麻薬・媚薬等の人体と精神を破滅に導く違法薬物ともう一つ。

 違法薬物は文字通り様々な、色、形状、効果を誇る。媚薬だけを取ってもカプセル型、錠剤型、注射型、クリーム型と呆れ果てるほどのバリエーションがある。

 

 露天商の商売人も、ヨミハラに来たばかりの金ヅルが興味本位で買い漁ったようにしか思っておらず、本来の用途とは全く別の使い方をするなど考えもしまい。

 

 

「よし、不知火さんに連絡。あっちの状況によっては時間を変えろ」

 

『承知しました――――――問題ないようです、繋ぎます』

 

「やあ、こっちは順調だよ。そっちは不調かい?」

 

『ええ、とても。何事も思い通りに行かないわ』

 

 

 不知火と別れる際、取り決めてあった合言葉通りの返答に本人確認を済ませながら、虎太郎は手を休めない。

 

 部屋に備え付けられた灰皿と選出した複数の違法薬物を並べる。

 初めに取り出したのは液状カプセル型の媚薬。注射型の中身を全て捨て、空になった注射器を使ってカプセルの中身を全て抜き取った。

 

 

「矢崎の予定は把握できてるかい?」

 

『ええ、逐一。あんな男でも、分刻みのスケジュールを送っているものなのね』

 

「そりゃ頭が腐ってても政治家だから当然さ。それで奴は明日アンダーエデンに向かう予定はある?」

 

 

 不知火が嫌悪から、虎太郎は無関心から矢崎に対する揶揄を口にする。

 

 そうしている間にも、彼はさらに複数の薬剤を砕き、測り、灰皿の上で混ぜ合わせ、決して口にする気にはならない見るも鮮やかな青色の液体を作り出した。

 効果は調合した本人にも分からない。そもそも効果を期待してのものではなく、あくまでも見た目だけが重要なのだが、体内に入れば最低でも一生涯に渡る障害が残ることは確かだろう。

 

 

『此処の所、頻繁に出向いているようね。明日も夜に時間を空けていたわ』

 

「こっちもゆきかぜから聞いてる。周期的にはそろそろかと思ってね」

 

『――――っ、あの娘に会ったの?』

 

「動揺しない。何の問題もない――とは言えなかったが、まだ心が折れても、堕ちてもいなかった。十分、対魔忍にも元の生活にも戻れる」

 

 

 声の震えだけで通信機の向こうの動揺を受け取ったのか、虎太郎は小さくはあったが厳しく叱責はし、その上でフォローも忘れない。

 その言葉に不知火は小さく、本当に小さく息をつく。対魔忍としては気を緩めないが、母親としては娘の近況に安堵していた。

 

 続いて虎太郎は注射器で作り出した青い液体を吸い上げ、カプセルの中に注入する。そして手持ちのライターでカプセルを炙り、注射針の穴を塞ぐ。

 即興かつ短時間で作ったにしては大した出来の模造品だったが、本人としては満足はしていないのか、何とも言えない表情だ。

 この模造品はゆきかぜ、凜子の解除薬と入れ替えるためのもの。数をデータとして管理されている以上、ただ盗むだけでは気取られる。状況も策も誰にも気づかれずに進行している方が望ましい。

 

 

「明日、アンダーエデンで騒ぎを起こす。その混乱に乗じて解除薬を手に入れる。手伝ってくれ」

 

『詳しい内容は……?』

 

「不知火さんなら事が動けば分かる。それから声が沈んでるな。愚痴でも聞こうか……?」

 

『ふふ、何でもお見通し、ね。でも、いいわ。少しは恰好つけさせてちょうだい』

 

「……分かった。明日はそっちに時間を合わせる。以上だ」

 

 

 不知火の声が常時よりも昏く沈んでいるのを読み取った虎太郎であったが、彼女が助けは無用と言うとあっさり引き下がる。何処までも、冷たい男である。

 不知火は今も矢崎の欲望に穢され、娘と娘同然の少女にすらその欲望が及んでいる。精神的に追い詰められていても不思議ではない。

 それで壊れてしまうほど柔な対魔忍ではないという判断なのだろうが、些か以上に薄情だ。 

 

 通信を切ると、それきり不知火のことなど忘れてしまったかのように、次の作業に移る。

 掃いていた靴を脱ぎ、踵の靴底を一定の回数とリズムで叩き、指で押す。すると靴底がスライドし、踵内部の空洞が姿を現した。

 その内部に綿で包んだ状態で模造品を詰め込み、準備の第一弾は終了した。

 

 

『それからもう一件。どうやら、ゆきかぜ様と凜子様は奴隷娼婦となる際に、呪術・魔術の施された契約書にもサインを行っているようです』

 

「…………あの、馬鹿ども」

 

『いえ、これはどちらかと言えば奴隷娼婦としての契約承認とキメラ微生体によって刻印を刻むための起動キーの意味合いが強いでしょう』

 

「どちらにせよ、軽挙が過ぎる。アイツら、魔術の道具を舐めてんのか。ああ、そうか羊皮紙なんぞ買わせるから何のためかと思ったら、これかよ」

 

『はい、その通りです』

 

 

 新たに告げられた事実に虎太郎は頭を抱える。

 ヨミハラにおける魔術師、呪い師のレベルはそれほどではない。アミダハラの魔術師と比べれば一段落ちる。

 しかし、ヨミハラは魔界への門があると噂されている街。魔界から現れた新たな魔族が魔術師としての腕が一流ではないとも言い切れない。

 

 特に契約書は危険な魔法具(マジックアイテム)である。

 レベルが低いものであれば、本当に契約書以上の意味合いはなく、精々が契約を破ってはいけないと意識させる程度で終わる。だが、逆にレベルが高いものの強制力は凄まじいことを意味している。

 かつて虎太郎がアミダハラで出会ったノイという魔術師の老婆が作った契約書など凄まじく、契約者の魂まで縛り上げて契約内容を強制する。また契約書を破り捨てようものなら、契約者は契約書と全く同じ運命を辿るほどだ。

 その恐ろしさ、魔界の物品に対する知識の無さと認識の低さに、虎太郎は頭が破裂しそうな思いだった。

 

 敢えてゆきかぜと凜子を擁護するのなら、魔界の品に対する認識の低さは対魔忍全体に及んでいる。寧ろ、そこまで詳しい虎太郎こそが異端だ。

 彼、彼女等の目的はこの日本という国を護ること。魔界の品を残しておけば禍根に繋がりかねない。全体の認識が“排除すべきもの”であって、知る、使うという思考がまるまる抜け落ちている。

 

 虎太郎に言わせれば、本気どころか正気かと疑いたくなる現実だ。

 彼は既に世界を覆う混沌が不可逆であると断じている。排除ではなく、共生にシフトしていかなければならない段階にまで人界は飲み込まれているのだ。

 事実として、魔界の勢力は年々力を増しており、後から後から強力な魔族や有力な支配階級が現れ、かつて人魔が分かたれていた時代に戻らないだろう。

 なればこそ、彼らについても知らなければならない。その能力、技術、技能、生活、生態、道具を知り、此方の力を見せつけながら互いにとっての落としどころを見つけるのが最善だ。

 

 そうでもなければ、戦力の総数に劣る対魔忍は、どれほど有力な実力者を生み出そうとも真綿で首を絞められるように追い詰められるだろう。

 唯一幸いなのは、魔族は基本的に個人主義であり、足並みが揃わない点だ。そのお陰で、どうにかこうにか対魔忍、魔族、米連の三竦みが成り立っているのである。

 

 

「何にせよ、万が一を考えれば、契約書は手に入れておかなければならない、か」

 

『はい、画面越しではどの程度の魔術、呪術が施されているのかが確定しませんので』

 

「こんだけ苦労して、これ面倒臭がって二人死ぬとかアホらし過ぎる。やるっきゃない」

 

『虎太郎、そこは二人の身を案じる場面ですよ』

 

「アア、ウン、フタリトモ、シンパイダナー」

 

『大した棒読みです、このドライモンスター。……ですが、不知火様を含めた三名は人間の美観によれば皆一様に美しい。美女、美少女の価値はあらゆる他の価値観を駆逐するそうです。よかったですね、貴方にしては苦労よりも報酬が勝っています』

 

「アホか。どこ情報だ、それは。というか、そんなアホな情報をお前に吹き込んだアホは誰だ………………ああ、もういい。アル、契約書の画像を出せ。写生(コピー)する」

 

『はい、今夜は徹夜ですね』

 

 

 羊皮紙と万年筆を手に取り、契約書を写生していく。

 これも忍として持っていて当然の技術である。だが、この技術を持っている対魔忍の数は少ない――――以下、略。

 

 米連並みの最新機器であれば、本物と寸分違わぬ偽物をものの一分で印刷可能だが、生憎とそんなものはない。

 あったとしても、そんな印刷機器をヨミハラに持ち込める筈もなく、どの道、この苦労は確定事項に違いはなかった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 契約書の複製を終わらせ、二時間ほどの睡眠を取った虎太郎は不知火との軽い打ち合わせ通り、アンダーエデンへと向かう。

 複製も服の下に潜ませ、器用に動かすことでボディチェックを突破した。警備員がどのようにボディチェックを行うのかを知るかも、前回の潜入における目的の一つだった。

 

 待合室に通され、前日の仕掛けがそのままか、監視カメラの位置に変化をないのを確認する。

 再び、顔を見せたリーアルと下卑た談笑をしつつも、相手に不信感を抱かれていないかも確かめた。

 拍子抜けするほど疑いを持たない肥え太った豚に各勢力の敵の舐め腐りっぷりを再認識し、心の中で嘆息した彼とアルフレッドであった。

 そして本日も高額の優先権を買い取り、予定通りに凜子の部屋へと向かう。

 

 前日と同じように案内役から鍵を受け取った虎太郎は、躊躇せずに開錠して扉を開ける。

 

 待っていたのは、やはり同じく奴隷娼婦だ。

 頭を垂れ、三つ指で客を迎え入れる姿は楚々としたものであったが、隠しきれない淫靡さが漂っている。

 

 

「おい。凜子、オレだ。くだらん真似をしなくていい」

 

「………………――――――」

 

 

 もう茶番はうんざりだったのか、虎太郎は凜子の商売用の口上を始める前から遮る。あんな経験は一度で充分なのだろう。

 

 訝しげな表情で顔を上げた凜子は、虎太郎の姿を確認すると目を大きく見開く。

 小さな声一つ発せられなかった辺り、衝撃の度合いはゆきかぜ以上であったのか、顔を上げたままの恰好と表情で硬直していた。

 

 虎太郎としても先日のゆきかぜのように取り乱されても面倒だったらしく、慎重に言葉を探していたが、先に動いたのは凜子の方だった。

 

 表情は驚愕を示したまま、その場で立ち上がる。

 よく練り上げられた武錬を感じさせる肢体と不釣り合いも甚だしい雄を誘う雌脂肪。それを黒いロンググローブとストッキング、ハイヒールで飾り立て、胸と尻にはサイズがあっていないマイクロビキニが喰い込んでいる。

 

 

「おい、何だ。何なんだ、うっとおしい」

 

「……………………」

 

 

 何一つ言葉を発しないまま、虎太郎の手を取り、腹を触り、胸元に手を添える。

 まるで其処に立つ虎太郎が幻ではないかを確認するような仕草だ。いや、“ような”ではない。実際に幻ではないか確認しているのだ。余りにも辛い現実に自分自身が生み出した幻覚ではないのか、と目の前の光景を疑っている。 

 

 うっとおしいと言いながら、虎太郎は拒まない。それほどの精神的な傷を凜子が負っていると理解しているからであり、同時にこの行為の拒絶はより時間を引き延ばす結果となってしまうのを知っていた。

 

 凜子は最後の確認とばかりに虎太郎の頬に両手を添えて、愕然としたまま言葉を発する。

 

 

「…………来て、くれた、のか?」

 

「それ以外の何だって言うんだ」

 

 

 未だに目の前の現実を受け入れられずにいるのか、凜子の紡ぐ言葉はたどたどしい。

 

 

「…………ま、また、来て、くれた、のか」

 

「おい。凜子、いい加減に――――――おい、おい」

 

 

 ゆきかぜとはまた違った、それでいて時間のかからなそうな展開であったが、次の瞬間に虎太郎の抱いていた期待は脆くも崩れ去る。

 

 凜子は表情をそのままに声も上げず、はらはらとただ涙を流し始めた。

 

 

「何故、そこで泣く」

 

【何故、そこでドン引くのです貴方は。そんな貴方には私もドン引きです】

 

 

 ゆきかぜの言、虎太郎の推測が正しいのであれば、凜子もまた彼に惚れている。

 ならば感動の再会だ、喜びの涙も流そうものだが、虎太郎には理解の外であるらしく引いていた。

 

 しかし、そんなことは凜子には関係がない。

 溢れ出る感情のまま、普段の冷静沈着な彼女からは想像も出来ないほどに顔を歪めて泣きじゃくる。

 

 

「う、あぁ゛、ああ、あ゛ああぁぁあああああぁあああっっ!!」

 

「何だってんだ、全く」

 

 

 勘弁してくれと頭を掻いた虎太郎だったが、年齢よりもずっと幼い、子供そのものの泣き方を見せる凜子の頭を抱き、自身の胸に押し当てる。

 それでも凜子は泣き止みもせず、寧ろより激しく感情を発露させていく。

 虎太郎は無言で頭を撫で、気の済むままに泣かせてやることにした。確かに、それが最も早く泣き止む方法だろう。ただ、その胸中には――

 

 ――女って奴は、やっぱり手に負える生き物じゃないな。

 

 そんな諦めにも似た独白が誰に届くこともなく響いていた。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 過去の話をしよう。

 何の事はない、弐曲輪 虎太郎、水城 ゆきかぜ、秋山 凜子の三名が、距離を縮めた折りの話だ。

 そう、大層な話でもなく、感動もありはしない。これにあるのは虎太郎のタイミングの良さと二人の乙女心だけ。

 虎太郎にとっては何の価値もなく、既に記憶から忘れ去られた過去。されど、ゆきかぜと凜子にとっては決して忘れる筈もない鮮烈な思い出だ。

 

 時は遡り10年程前。

 対魔忍が集団から組織になり始めた変遷期。アサギがカオス・アリーナ、東京キングダムでの死闘を制し、帰還した後の春先の出来事だ。

 当時、虎太郎は10代半ば、ゆきかぜ、凜子はまだ10にも手を掛けていない年齢の時期。

 

 その日、とにかく三人の運勢は最悪だった。

 ゆきかぜは両親に入ってしまった急な任務のせいで、朝から作り置きの朝食を一人で食べる羽目になった。

 凜子も同じく親は不在。毎朝、道場で行う朝稽古の最中に袴が破れるアクシデントに見舞われ、顔から板張りの床と熱烈なキスをした。

 虎太郎は以前から反りの合わなかった中忍、上忍連中に捕まり、共にした任務での自身には全く身に覚えのない他人のミスを何時間にも渡って叱責を受けた。

 

 ゆきかぜは不機嫌そうに、凜子は涙目になりながら、虎太郎はうんざりとしながら、それぞれの一日に向かっていく。

 

 その日は、将来の対魔忍にとっては特別な訓練の日だった。

 一昔前はそれぞれの流派や家系、元より懇意である者同士で、それぞれが独自に幼子たちに教育を施すのだが、折しも変遷期の時代だ、訓練の内容も当然、変遷していく。

 時代が戦力に求めたのは平均化。突出した一人を育てるのではなく、平均的な能力を持った集団を育てるのが近年の鉄則である。

 対魔忍はそれぞれが固有の能力を有しており平均化は難しいものの、せめて体力、身体能力だけでも揃えておかねば、これからの集団戦には対応できないというそれぞれの当主クラスの判断の元、五車学園に入学する以前からたびたび合同訓練を開催していた。

 

 早い段階で対魔忍としての能力に目覚めた者達は、こぞって訓練に参加する。

 将来のライバルに己の力を見せつけるため、早い段階で先達に自分の存在を認めて貰うためである。

 負けん気の強いゆきかぜ、向上心の強い凜子が意気込まない筈もない。

 

 訓練の内容は開催毎に変更されるが、その日はちょっとしたサバイバル訓練だった。

 あらかじめ決められたルートを古い時代の忍装束を纏い、5kgほどのリュックを背負い踏破するというもの。無論、万が一に備え、現役の対魔忍も同行する。

 10にも満たない子供には余りにも過酷な訓練だが、彼等は対魔忍であり、このレベルでなければ訓練にもならない。

 

 ゆきかぜは集合地点に一人で赴き、姉がわりの凜子と会い、更に当時はまだ怖れていた虎太郎と顔を合わせずにいたため、機嫌はすっかり治っていた。

 

 訓練は何の問題もなく進み、終盤に差し掛かった頃、それは起きた。

 山から流れる急流によって長い年月をかけて生み出された崖の横を集団で進んでいた折り、突然足場が崩れたのである。

 

 運が悪かったとしか言いようがない。

 入念な下準備によって、そのようなアクシデントが起りえず、またあったとしても人間には察知不可能だった。

 現役の対魔忍も、崩落に巻き込まれた十余人を見事に救出してのけた。しかし、人間には限界というものが存在する。

 その限界の外側に居たのが、ゆきかぜと凜子だ。当時から優れた身体能力を有していた二人であるが、突発的な出来事に対する心構えはまだ出来ていなかった。

 

 為す術もなく谷底の急流へと転落する二人。

 同行した対魔忍の対応は素早く、また的確だった。一人が五車学園に戻り、捜索部隊を編成。残りは無事だった子供たちの安全を確保する。

 二次災害を防ぐ為には当然の選択であり、能力、異能的にも捜索に向いた対魔忍もいなかったからだ。

 

 急報は2時間としない内に五車学園へと届けられたが、またしても運のないことにアサギを始めとした集団を纏め上げられる隊長格は不在だった。

 勢力を増していく魔族、米連の引き起こす事態に、頭目であるアサギが出向かざるを得ないほどの状況だ。これも誰も責められない。

 日本人らしい事なかれ主義と決断の遅さ。アサギと近しい水城、秋山家を追い落とさん、恩を売ろうとする各一族の思惑。慢性的な人手不足による捜索を得意とする対魔忍の不在。

 

 ゆきかぜ、凜子捜索の初動は遅れに遅れた。そんな中、真っ先に飛び出したのが虎太郎だった。

 

 無論、当時から度を越した合理主義、現実主義、冷徹さを有していた彼が、単純に二人の身だけを案じていたわけではない。

 まずいい加減、5時間にも及ぼうかという叱責にうんざりとしていたこと。それも正当なものではなく、アサギや九郎から信頼を向けられるが故の嫉妬によるものならば尚の事。寧ろ、よく付き合ったというべきだろう。

 更に、アサギや九郎、水城、秋山家との関係性。周囲から向けられる自分への視線。元ふうまという理由から生じた当主クラスからの警戒と疑念と隙あらば、落ち度があれば謀殺しようとする殺意。

 

 全てを考慮した上での結論。

 対魔忍の中で色々と危うい立場を最低限のまま維持するには最適の出来事、自身の能力的にも捜索隊に組み込まれるのは明らか。ならば、ここで時間を無駄にするよりも、先行して捜索・救助に向かった方が速い上に自分にとってはお得、であった。

 

 忍者刀のみを手に虎太郎は学園を飛び出した。

 勝手な行動を咎める対魔忍たちはいなかった。何せ、ゆきかぜと凜子の急報を聞いてから僅か30秒の決断だ。どうすべきかで頭の中が満たされていた彼等には気付けよう筈もない。

 

 さて、対魔忍最速は誰なのか、という質問をここで提唱してみよう。

 現在、未来においてもその質問をすれば、まず第一に名前が挙がるのはアサギだ。

 生まれ持った異能、鍛え上げた身体から生み出される最高速度(・・・・)は、長く続く対魔忍の歴史においても最速と呼んで差し支えない。

 

 しかし、“逃げの虎太郎”も対魔忍において最速と知られる男である。

 幼年期の過酷な経験を背景とする度を越した性能の追求と鍛錬。如何なる状況にも即応する反射神経。ありとあらゆる状況を想定しておく計算高さ。想定外の事態でも揺れぬ不動の精神。

 異能を差し引いた純粋な身体能力での俊足は当時の時点でアサギと同等。

 殊更、あらゆる足場を走破する能力、最高速度を維持し続ける(・・・・・・・・・・)能力は、他の追随を許さない。

 現役の対魔忍が2時間近くかかった距離を僅か30分であっさりと走破し、虎太郎は捜索を開始した。

 

 

 その頃、ゆきかぜと凜子は十数キロも急流を下った位置で、何とか川岸に上がることができていた。

 不幸中の幸いは二人とも目立った外傷はなく、重しとなるリュックを捨てたことで窒息には晒されても、川底に沈まず、互いの身体を放さなかった点か。

 無事を喜びあった二人であったが、春先とはいえ川の水は冷たく、山の気温は低い。況して、どれだけ能力に優れていてもまだ子供だ。

 

 二人は互いを支え合い、川岸から移動する選択肢を選んでしまった。

 当時から同年代の対魔忍候補には負けない自信があった上、厳しい訓練を積んでいた。事実として周囲の人間は二人に称賛の言葉を幾度となく送っていた。それ故、二人だけでも五車学園まで戻れると考えたのである。

 

 酷い勘違いもあったものだ。

 二人の考えは決して能力や自信、訓練に根差したものではなかった。

 余りにも幼い判断力と不安からの行動でしかない。それに気づいていれば、或いは行動も変わっていたかもしれないが――――結果として、二人の選択は最悪のものとなった。

 

 大したサバイバル能力と知識、渡り鳥のような正確な方向感覚を持たなかった二人は当然、道に迷った。

 いや、そもそも五車学園の周辺の山々は近代化が進んだ現代では信じられないほど手付かずの自然が残っており。文字通り、道などなかった。迷いもしよう。

 

 深い森林の中、二人は気付かぬまま同じ場所をぐるぐると回り、時間を悪戯に浪費して、結局は日が暮れた。

 寒さに震える二人は疲労と闇夜への不安から、発見した木の洞で夜をやり過ごすことにした。

 

 月と星の光が僅かにのみ差し込む闇の中、寒さよりも寧ろ不安と疑問に震える。

 このまま死ぬまで森を彷徨うのか。闇の中から見たこともない怪物が現れるのではないか。もう二度と愛する家族や友人には会えないのか。寒さと飢えをどう凌げばいいのか。

 一度思えば決して消えず、考え始めればキリがない。そのまま二人は眠れぬ夜を越えようとしたが――

 

 

 ――もう一度言おう。その日、ゆきかぜと凜子の運勢は間違いなく最悪だった。

 

 

 それに先に気づいたのは凜子。遅れてゆきかぜも察知する。

 闇と月明りのコントラストを越えて現れたのは、熊だった。それも秋から冬までの間に十分な食料を得られずに冬眠に入り、餓えた状態で目を覚ました熊だ。

 本来、野生動物は自ら人間に近づくことは少ない。本能として知っているのだろう、人は進んで関わりなど持つべき生き物ではない、と。

 

 森の中を彷徨っていた彼或いは彼女も、通常であれば近づきはしまい。しかし、餓えから選択肢を誤った。食欲もまた本能である。

 

 忍具もなく、武器もなく、生まれ持った異能もまだまだ未熟で熊を倒せるほどでもない。二人に抵抗の術はなかった。

 絶望が襲い掛かる中、凜子はゆきかぜを背後に庇う。自分一人が喰われれば、ゆきかぜだけでも救えるかもしれない。そんな浅はかな考えがあった。

 

 余りにも虚しくありながら、必死の自己犠牲は余りにも眩しい。

 

 尊い精神ごと喰らうように餓えた猛獣は二人に迫る。ゆっくり、ゆっくりと。

 数秒先の死を前にして、ゆきかぜは目を瞑り、凜子は目を逸らさない。どうしようもない絶望と状況の中――

 

 ――誰一人にも、野生の獣にすら気取られず、ケダモノの頭上から雷の如き刺突が落ちた。

 

 刃は熊の頭頂部から入り、顎を抜けて地面に縫い付ける。おまけに刃を抉り、脳幹を完全に破壊する念の入りようだ。

 ただの一撃で全てを終わらせた人物は跨った死体から降り、すたすたと遠慮なく二人に近づいていく。

 

 

『おい、怪我はないか……?』

 

 

 返り血一つ浴びず、見事なまでの隠遁術と暗殺術を披露した人物は言うまでもなく弐曲輪 虎太郎だ。

 ゆきかぜは勿論のこと、凜子もまた虎太郎に対して苦手意識があった。無表情の裏側に、得体の知れない何かを感じ取っていたのである。

 

 虎太郎は無表情で相変わらず何かを有していたが、その全身は汗に塗れ、二人にとっては救いの主に他ならなかった。

 その後、虎太郎は安堵から眠ってしまったゆきかぜを前に抱え、うとうととしていた凜子を背負い、難なく五車学園に帰還した。

 凜子はその背中で何を考えていたか、彼女自身も覚えていない。

 記憶にあるのは例えようもない安心感と男の匂い。そして、弐曲輪 虎太郎は信ずるに値する人物だ、という思いだけ。

 

 

 その日、三人の運勢は間違いなく最悪だった。 

 ゆきかぜと凜子は、性質の悪い男に惚れてしまい。 

 虎太郎にとっては、乙女という手に負えない生き物に惚れられてしまう、新たな柵に捕らわれてしまった日だったのだから。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「あー、そんなこともあったな。どうでもよす過ぎて忘れてたわ」

 

「そんなことだろうと思っていたが……最低だ、貴方は」

 

(どうしてこのドライモンスターは、そんなことを忘れられるのでしょう。…………今度、脳の構造をスキャンしてみましょうか。このドライ加減の秘密が明らかになるかもしれません)

 

 

 泣きながら虎太郎に対して来てくれたと繰り返していた凜子は、落ち着くと自分から虎太郎と距離を縮めた経緯を語った。

 

 凜子はスーツの上着を肩にかけられベッドに腰掛けて、虎太郎に寄り添うよう座っている。

 これまでの自身が自身でなくなっていく恐怖、下衆な男に穢されていく恐怖を癒すかのように虎太郎の腕に抱き着き、手に指まで絡めて握り締めていた。

 

 

(やっぱり凜子も相当キてるな。いや、安堵して緊張の糸が切れたからこそ、表層に現れて無意識の行動に繋がっているのか…………どっちにしろヤバイぜ!)

 

 

 胸の谷間に虎太郎の腕を挟み、時折身体を揺さぶって硬くなった乳首を擦り付ける。完全に愛する男と腕を組む女の仕草ではない。雄を必死に誘う雌の動作である。

 ゆきかぜの時もそうであったが、彼は一切の獣欲を滾らせることもせず、ただその事実に辟易とした様子だった。

 

 

「ふん、しかしまあ都合のいいもんだ。そんな程度で惚れるもんかね」

 

「男である貴方には分からないかもしれないな。……女は意外に現金なんだ。自身の危機に颯爽と助けに現れた王子様には殊更弱いさ」

 

「どう見ても王子じゃなかっただろ。よくても忍、悪くてターミネーターだったろ、どう考えても」

 

「実に客観的な正しい自己評価だが、私にもゆきかぜにもそうは見えなかったよ。こうして、また来てくれただけで、私は充分だ」

 

「馬鹿言え、まだ仕事の途中なんだよ、こっちは。お前等を連れ帰ってようやく終わりだ。何年経っても手間のかかるガキ共だよ、お前らは」

 

 

 勝手な悪態を吐く虎太郎であったが、凜子は微笑むばかりだった。互いに勝手な言い分を語っている自覚があったからだろう。

 

 10年前にせよ、今回にせよ、虎太郎は本当にタイミングが良い。

 命が奪われるようとする、心がへし折れようとする直前に現れ、最短で事を終わらせる手際の良さ。

 況して、まだ何も知らない幼年期に刻まれた強烈な思い出があり、ゆきかぜ同様、時間を掛けて虎太郎の人柄を深く理解している。これでは、凜子の純粋な気持ちも無理はないだろう。

 

 

「しかし、お前等、本当に大丈夫か? 男を共有するなんぞ。それじゃあ情婦と変わらんだろ」

 

「う、うるさい! 貴方がそんな性格だから悪いんだ! それから、そんなことを言っても無駄だ! 諦めさせて楽をしようとしているだろう!」

 

(バレテーラ)

 

「そ、それに、ゆきかぜと貴方が悪いんだぞ? 私が、こんな風になったのも……」

 

「は? 何だそりゃ、奴隷娼婦になったのはリーアルとお前自身の甘さのせいだろうが」

 

「ち、違う! そちらではない! ハッ……!?」

 

 

 虎太郎の指摘に凜子は声を荒げて否定する。

 ただ否定するだけならば逆恨み以外の何物ではないが、そちらではないという言葉からどうやら奴隷娼婦へと堕とされた件とは別のようである。

 凜子は自分の言動に慌てて取り繕おうとしたが巧く言葉に出来ず、ただただ顔を赤くして俯くばかり。

 

 虎太郎は疑問が生まれたものの、それ以上の興味を抱かない。言いたくないのならば言わないで構わない。必要以上に人の領域へと踏み込むつもりは毛頭なかった。

 

 

「貴方とゆきかぜが悪い、悪いんだぞ……?」

 

 

 しかし、虎太郎の視線の意味までは分からずとも感じていたのか、二人が悪い、悪いんだと原因に対して可愛い悪罵を吐きながら、自身のひた隠しにしてきた性癖を訥々と語り始める。

 

 当初、凜子はゆきかぜの気持ちを想い、自身の虎太郎に対する恋心を胸に秘めておくつもりでいたようだ。

 だが、ゆきかぜは持ち前の無邪気さで凜子の恋心を見抜き、どうすれば愛しの男に振り向いて貰えるのか、と何年もの間、話し合いを続けていた。無論、どちらが虎太郎を手にしても恨みっこなしという条件で。

 

 可愛い妹分と同じ男を取り合う愛憎劇など御免であったが、運悪くゆきかぜと凜子は同時に同じ結論に辿り着く。

 弐曲輪 虎太郎は誰も愛してもいないし、愛さない。ただ、愛された分だけ愛し返す鏡のような男である、と。

 

 その結論に困ったのは、誰あろう凜子である。

 この時、凜子にとっての幸せはゆきかぜと虎太郎の間を取り持つこと。自分の初恋など二の次で二人の関係が進む方が喜ばしいと感じていたほどだ。

 なのにそんな結論に至ってしまえば、二人同時に愛してもらえるかもしれない、とひた隠してきた初恋が鎌首をもたげたとしても無理はない。

 

 凜子の倫理観に沿えば、それは間違っていた。

 一人の男を共有し、同時に愛されるなど許されるわけもなく、爛れているとしか言いようがない。

 

 必死になって虎太郎から目を逸らし、新たな恋を探そうと決心した凜子であったが、目につく男の共通点に愕然とした。

 

 

(いや、待て、待て待て。そんな、奴も、彼も、あの男も……!)

 

 

 凜子が気に入った、或いは必要最低限のラインを満たしていると判断した男の共通点は一つ。

 誰かと愛し合っているか、誰かに愛されているか、誰かを愛している男だったのである。その性癖に凜子は頭を抱えた。

 単なる偶然などではない。事実、愛し合いが終わった時点で、誰かに愛されなくなった時点で、誰かを愛さなくなった時点で、凜子はそれきり、それらの男に何の興味も持てなくなっている自分に気が付いた。

 

 略奪愛、寝取り癖――とはまた違う。男と女の関係を破壊しようとしない時点で僅かに異なるだろう。

 敢えて言うのなら妾体質、愛人気質と近い、大変困った(さが)を持っていることを凜子は自覚してしまった。

 

 長年に及ぶゆきかぜと虎太郎の間を取り持ち続けた代償だ。

 そして、その性癖を誰一人傷つけることなく満たせる男は虎太郎くらいのものだろう。何より、初恋の相手である。不足などあろう筈もない。

 

 

「ゆ、ゆきかぜもゆきかぜだ! 始めは恨みっこなしだと言っておいて、最近になってそういう人だからと希望を持たせるようなことを言うから、私は、私は……!」

 

 

(う、うぉぉおおぉぉ! メンドックセェェェェェ! なんだその性癖! オレか? オレの所為かそれ?)

 

【乙女心を洗脳改造してその反応ですか。最低ですね、このドライモンスター】

 

(えぇぇえええぇぇええッッ!? 洗脳改造?! オレ、何もしてませんけどぉぉぉぉ!!)

 

 

 確かに虎太郎は何もしていないが、時に何もしていないことこそが咎められる場合もある。

 そもそも凜子の恋心を分かっていながら、振りもせずにいた所為で諦めさせもしなかったのが、厄介な性癖を(こじ)らせた原因であるとも言える。

 虎太郎にとっては青天の霹靂でも、全てを知る第三者からみれば、一番の悪者は虎太郎において他にいない。

 

 

「そ、そのぉ、……貴方は駄目か? こんな性癖の女……」

 

「いや、別にどうでもいい。オレの所為と言うのは心外だが、まあそういう性癖もあるわな」

 

「そ、そうか。そうか……!」

 

 

 そもそも虎太郎にとって厄介な問題は女に惚れられること自体なので、少なくとも自身に類の及ぶ性癖でもなければ関係がない。

 

 凜子はそんな死ぬほど失礼な、誓いの関係上、どうしても裏切れない求愛自体が邪魔と断ずる男に気付いているのかいないのか、嬉しそうにほっと安堵の吐息をつく。

 いや、ゆきかぜを思えば、凜子もまた気付いてはいるのだろう。だが、そこはそれ。そんなことを気にしていては、こんな人として破綻寸前の男など愛せまい。

 

 

【虎太郎、お報せが。矢崎及び不知火様の姿を確認】

 

(……分かった。さて、事を起こすか)

 

 

 既に監視カメラに接続し、逆にアンダーエデン内部を監視していたアルフレッドは到来した機を虎太郎に伝えた。

 その言葉に、カチリと奥歯に仕込んだある装置のスイッチを入れた。たった今からキメラ微生体解除薬の入手開始である。

 

 

「凜子、暫らく待ってろ。他の仕事を片付ける」

 

「え? あ、ちょ、ちょっと待て! まだ話は――」

 

 

 虎太郎が既に決定してあった目的行動を前にして言葉で止まるはずはなく、外の気配から誰も廊下にいないことを確認すると部屋を後にしてしまう。

 

 誰にも見つからぬように自身は気配を探り、アルフレッドに探査装置を起動させる。

 けれど、万が一に備えて見られた者に不信感を与えぬよう普段と変わらぬ歩調で3階の廊下から階段へと至り、1階まで降りる。

 

 1階、特に待合室では何かが起きているらしく、悲鳴と怒号、リーアルの指示が飛び交い、僅かに焦げ臭い。

 

 そこから更なる下層――地下に存在する医療室へ向かおうと階段に脚をかけると、示し合わせたかのようなタイミングで不知火が現れる。

 

 

「事が動けば分かる、ね。確かにその通りだったわ。何時の間に仕掛けたの?」

 

「昨日。待合室で監視カメラの死角の位置を確認してから座ったソファーに」

 

「本当に、抜け目がないわ」

 

 

 虎太郎が仕掛けたのは電熱式のライターを改造して作った極めて単純かつ小さな発火装置だった。

 装置は起動すると同時に熱を持ち始め、自己の存在を消滅させながら炎を発生させるものだ。

 その発火の仕方は煙草からの発火とよく似ている。またアンダーエデンを訪れる客層も極めて柄が悪く、状況的にも煙草の不始末による小火(ぼや)にしか見えないだろう。

 

 もしこの装置に辿り着けるとするならば入念な科学捜査か、物体記憶読取(サイコメトリー)か、過去視の能力が必要だ。

 だが、大抵の人間は物事を己にとって都合の良いように受け取り、解釈する。虎太郎程に疑り深く、常に己の見たモノ、得た情報が正しいのか問い続ける人間は珍しい。

 

 ――つまりリーアルは、この事態を単なる小火騒ぎと片付け、それ以上の調査をしないということだ。

 

 そして、不知火は自身の来店と同時に起きた小火に虎太郎の影を感じ、矢崎とリーアルが小火に気を取られている内に何一つ告げることなく虎太郎と合流した。

 彼女も失踪するまでは九郎と並ぶアサギのサポート役を務めていた。事前の示し合わせなしで虎太郎の思惑を察せる辺り、彼女も相当の知恵者である。

 

 地下まで階段を下りきると何の変哲もない扉が一つ。本来であれば警備員の一人でもいたであろうが、一階の小火騒ぎに気付き、そちらに向かっているようだ。

 ゆきかぜと不知火からの情報及びアルフレッドによる監視カメラからの情報によれば、その向こうは廊下が左右に広がっており、左の奥がアンダーエデンの治療室だ。

 右の奥にももう一室存在しており、其方はアンダーエデンの医療スタッフの待機室兼更衣室となっている。

 

 虎太郎が、どうぞと手を出すと不知火は頷いて扉の向こうに消えていった。

 

 

『貴方は、不知火殿……?! 一体、何用で……』

 

『上で小火騒ぎがあったわ。建築に問題があったのか、煙草の不始末によるものか、何処ぞの組織による嫌がらせかは不明。念の為、このフロアのスタッフは更衣室で待機を。私が護衛を行うわ』

 

『は、はっ! 承知しました!』

 

「アルフレッド、監視カメラの映像をループさせろ。準備はいいか?」

 

『はい、既に。突入と同時に貴方の映る監視カメラのみループを開始させます。いつでもどうぞ』

 

 

 それから扉の向こうでドタドタと人が移動する足音が響く。

 これも既に聞き及んでいたスタッフの人数と一致することを確認し、黒い皮手袋を嵌めると虎太郎も扉の向こうへと足を踏み入れる。

 

 扉の向こうはクラシックな洋館風のアンダーエデンとは打って変わって近代的な造りであった。

 金属製の床、壁、天井。一見すれば米連の研究所のようだが、規模は小さい上に薄暗く空気は淀んでいる。間違いなく魔界側の技術が近くにある証拠だ。

 

 見れば、不知火は更衣室の前で薙刀を片手に立っていた。

 その姿はさながら用心棒(バウンサー)のようであったが、事実を知る虎太郎から見れば極めて優秀な看守である。

 

 全ての問題をクリアし、虎太郎は医療室へと向かう。

 そこから先を語る必要はあるまい。関係者を騙す不知火、監視システムを無効化した上に操るアルフレッド、忍びとしてあらゆる能力が極まった虎太郎。この三人の前ではリーアル如きが用意できるものでは対抗など不可能だ。

 

 目的の解除薬、契約書を至極あっさりと手に入れた虎太郎は最後に不知火と視線を交わし頷き合うと扉の向こうへ消えていった。小火騒ぎから今までで僅か3分の出来事であった。

 

 そこで不知火は必要な段階を無事に越えた仕事に小さく息をつく。しかし、すぐに矢崎とリーアルの手先としての仮面を被る。

 後はあの二人に地下室手前の警備員がいなかった故、自分が代わりを務めたことを告げればいい。

 彼女の行動には何の矛盾もなく不審点もない。そもそも必要かどうかも疑わしい。それほどまでに“あのお方”とやらに調教された不知火へ、絶大な信頼を向けているのだ。

 

 

(待っていて、ゆきかぜ、凜子ちゃん。貴方達だけは何があっても助けるわ)

 

 

 一度は堕ちたが母として、燃え上がるような意志を淫らな仮面で覆い、不知火は手にした薙刀をあらん限りの力で握り締めた。

 



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『ご褒美の後に余韻も浸らず、苦労と仕事のことばっかり考えてる彼はどうしようもない苦労人』

 

 

(順調、だな。順調すぎて恐ろしいくらいに順調だ。こういう時に限って、ろくでもないことが起きる。策や作戦自体は上手く行くが突発で邪魔が入るんだよな)

 

 

 解除薬と契約書の入手をつつがなく終えた虎太郎は凜子の部屋に戻るまでの最中、救出作戦の進行具合を頭の中で再度確認し直し、一つの危惧を抱いていた。

 事が順調に進み過ぎていると不安を覚えるアレである。しかし、大抵の場合は当人の思い込み、悪い記憶が先行した勘違いなのだが――彼に限っては、例外である。何せアルフレッドがいる。記憶違いなら兎も角、記録違いなぞ在り得ない。

 

 彼は実に運が良い男だ。

 5歳でふうまを出奔し、その粛清を躱しながら生き残れている時点で、その強運は疑いようがない。

 ……ないのだが、強運と凶運のバランスが取れていない。しかもその二つが同時に襲ってくる場合もあるのだから、手に負えない。

 それを何とか策と知恵と力押しとドライさでどうにかこうにか越えてきたのだから、凄まじい話でもある。

 

 作戦に関しては、最終段階に突入した。

 もうコースには乗っている。あとはスタートを切るだけでゴールまで一直線。その上、突発的な事故(アクシデント)に対応するため、複数のコースを用意してある。

 つまり、もう誰の手にも止められないということだ。それがエドウィン・ブラックであれ、不知火を堕落させた“あのお方”とやらが出張ってきても変わりはない。

 最低限、ゆきかぜ、凜子、不知火の三名が五車学園に戻れることは今の時点でも確定している。

 問題なのは自身の安全であるが、相手が誰であれ、逃げ切れるだけの能力を有している自覚が彼にはあった。

 

 ならば、何故危惧など抱くのか。

 作戦の成功はほぼ間違いなく、自身の身にも類は及ばないのであれば、何の問題もあるまい。

 その理由は単純だ。また余計な苦労が増えそうだから。楽には程遠い人生に、嘆いているだけなのだ。

 

 

「…………」

 

 

 何時もの癖で気配も足音も、扉を開ける音すら殺して凜子の個室へと足を踏み入れる。そこで見たものは――

 

 

「ん……はあ、すん、すんすん……ハァァ……」

 

 

 ――虎太郎の上着、その袖を鼻先に押し付けて匂いを嗅ぎながら、自分自身を慰めている凜子の姿だった。

 

 大抵の人間は驚いて硬直、或いは気を遣い退室をする。極一部の下衆は獣の如く襲い掛かっただろう。

 それほどまでに煽情的な姿だ。切なげに眉根を寄せたと思えば、次の瞬間には恍惚に満ちて表情が蕩けていく。

 

 しかし虎太郎、意外にもこれをスルー。

 

 

(誰にとて性欲はある。オレも自慰くらいは…………あれ、訓練くらいでしかないな。いつまでも我慢したり、いつでも射精したりとかの訓練。完全なプライベートでしたこと一回もねーな、そういえば)

 

 

 凜子の自慰姿を見ていながら、思考が別方向へと飛んでいる。

 人が生まれ持つ三大欲求が完全に理性と乖離している。任務中であれば、この男は簡単に即身仏へとなれるだろう。

 

 

「ハ、あぁ……い、いつもより敏感に、なってる……こ、こん――――」

 

「………………」

 

「――――うぅ、うぅぅ~~~~~~~~~~~~っ」

 

「待て、待て待て。泣くな、泣くなよ」

 

 

 全く別の事柄を考えていた虎太郎と自慰の最中だった凜子の目が合った。

 虎太郎は全く平静のまま、凜子は欲情とは別の赤に顔を染めて、互いの顔を見合わせる。

 声にならない悲鳴を上げながら、開いていた脚を閉じ、両腕で身体を抱き、目の端に涙を浮かべる凜子。

 

 

「何だ、媚薬でも飲まされたのか?」

 

「ち、違う。ぐす、そうじゃなくて……」

 

「じゃあ、どうした?」

 

「に、匂いで、上着からした貴方の匂いで、堪らなくなってしまって、その……」

 

 

 思いもよらぬ凜子の性癖に、虎太郎も反応に迷う。

 匂いフェチ自体などそう珍しいものでもない。だが、どの性癖にも共通する事柄だが、嗜好が深くなるほどに通常の性癖とはかけ離れたものとなっていく。

 加虐嗜好とてそう珍しくはないが、度が過ぎれば相手に一生涯に渡る傷を残す結果となるだろう。

 

 その点で言えば、凜子はまだ他人からの共感を得やすいだろう。

 ただ、発端となった出来事は10年前の救出劇。その後、安堵の中で虎太郎の汗の匂いを嗅いでから、というのだから些か以上に愛らしい。

 

 

「そうか。そりゃあ、何というか、悪かったな……?」

 

「あ、謝らないでくれ。私が勝手に目覚めてしまっただけなんだ」

 

 

 凜子はそう言ったものの恥ずかしそうに目を逸らす。自慰行為など、他人に最も見られたくない情けない姿なのだから当然だ。

 

 

「じゃあ、折角だ。これからお前を抱くか」

 

「そのようなもののついでの用に言うな! どうせ仕事だからなのだろう?!」

 

「怒るなよ。まあ、オレがお前等の女心とやらに共感していないのは確かだがな。けど、自慰までしてオレを求めたんだろ? なら、応えてやるさ」

 

 

 返事も聞かず虎太郎はベッドの上で座り込んでいる凜子の背後に回り込む。そのままこれはもう必要ないとばかりに上着を剥ぎ取り投げ捨てた。

 凜子は非難の声を上げようとしたが、背中に触れ胴に巻き付いた男の熱と全身を包む匂いに、見苦しいほどに媚びた吐息を漏らし、くたりと身体を預けてしまう。

 後ろから抱きすくめられる。たったそれだけの行為で、虎太郎のデリカシーの無さに抱いた怒りを理性諸共に溶かされてしまった。

 

 

「や、やめ……て、駄目だ。も、もう、私は、ひぅ、好きでもない男に抱き締められる、はぁっ、だけで、発情してしまうんだぞぉ……」

 

「ほら、こういうのはどうだ」

 

「はふぅぅぅん……♪」

 

 

 虎太郎は凜子の肩に顎を置き、更に密着するように腕に力を込める。

 凜子は女を女たらしめている最も大事な器官から、甘く甘くねだるような疼きを感じた。堪えるという思考すらなく、雄を誘う発情しきった雌声を上げてしまう。

 

 

「さあ、こっちもお前の要求で完全にプライベートだ。そっちにもこっちの要求を聞いて貰おうか」

 

「な、何を……」

 

「そうだな。…………こうするか」

 

「あっ、やめ……! あ、ぁあ……」

 

 

 凜子の膝を掴むと、思い切り両脚を開かせる。

 抵抗の言葉はあれど、抵抗の力はない。赤子の手を捻るよう簡単に、限界まで開かれた股間の中心では、既に蕾を開き、濡れそぼった秘裂が激しい羞恥と切ない期待でヒクついていた。

 

 はしたない。いやらしい。情けない。恥ずかしい。

 様々な思考が弾け、混じり合い、噴き出しながらも凜子は身悶えしそうな興奮を覚える。

 これから虎太郎の女にされる。その事実だけで、絶頂に達してしまいそうだった。

 

 

「さっきの続きをしてみせろ。自分をどう慰めるのか、オレに晒せ」

 

「あ、あぁ……そ、そんな……女に恥を掻かせるような……」

 

「そんな言葉は聞いていない。返事はどうした?」

 

「はあっ、はあっ……ぅふっ……ふぅっ……うぅ……は、はい」

 

 

 相手が誰であれ、凜子は男から命じられれば奴隷娼婦として従わねばならず、嫌でも従ってしまう。

 同じように興奮もした。同じように羞恥を糧に疼きも得た。なのに……なのに――――

 

 

(嫌悪感がないだけで、愛した男に命じられるだけで、こうも、こうも違うのかぁ……♪)

 

 

 まるで質も桁も違う興奮と悦楽。

 愛した男に女としての自分を全て捧げる。愛人気質である凜子は、それだけで女としての矜持全てが満たされてしまいそうだ。

 

 虎太郎に薄く小さい、隠すという役割を一切果たさない、男を誘うためだけの小道具を、ぬちゃりと粘着質な音と共に剥ぎ取られる。

 下着と女陰を繋ぐ本気汁の糸は、奴隷娼婦として改造され、無数の男にあらゆるプレイで応じてきた凜子であっても、初めて見る光景であった。

 

 ひくひくと蠢き、情けないほどに虎太郎を求めている女の象徴は、文字通りの恥部だ。

 震える指を伸ばし、向かったのは包皮で覆われた淫核だった。

 

 

「へぇ、凜子はクリ派か」

 

「ふぅっ、はあぁん、はっ、はい……ここを、ひっ……優しく、擦って……ゆっくり、あっふぅ、時間をかけて……イく、んだぁ……」

 

「頻度はどれくらい?」

 

「うぅん、そんなことまで……あっ、くぅぅ……週に、2回くらい……ひゃふぅ、普段は、訓練ばかり、だから……」

 

「訓練がなければ、もっとしたいと。くく、クールを気取っておいて実はオナニー狂いとはまた」

 

「た、ただの言葉の、ほほぉ、……綾だ……い、イジめないで、くれぇ……」

 

「駄目だ、全部聞かせて貰おうか。で、オカズは?」

 

「……うぅ……ひんっ……ゆ、ゆきかぜを、はぁっ……犯した貴方が……その、後に、こく、私も、犯してもらう妄想だぁ……!」

 

「筋金入りだな」

 

 

 凜子は自身の愛人気質を揶揄され、ただでさえ赤かった顔は更に赤くなり、目の端に涙を溜めた。

 それでもクリトリスを責める指は止まらない。全身は汗で濡れて肌の上を這い滴い、求める絶頂に向けて一歩また一歩と上がっていく。

 全身をびくびくと痙攣させ、虎太郎の前だと言うのに――いや、虎太郎の前だからこそ、ただのオナニーとは比較にならない快楽であると伝える。

 

 

(もう、イく、イッてしまう。虎太郎には何もされてないのに、恥ずかしいオナニーアクメ、くるぅぅぅ!!)

 

 

 肉芽を擦り上げる速度に変化はなく、とことんまで焦らす。

 少しでも長くはしたない姿を晒せるように、少しでも長く自分自身を見てもらえるように。

 命じられるがままに披露した自慰行為であったが、凜子にとっては決して見せてはならない羞恥の極みを晒し、感じたこともない快楽と虎太郎の(もの)になる悦びを同時に得ている。

 

 

「――――待て」

 

「な……なんれぇ……」

 

 

 普段の冷徹な声とは違う楽しげな声であったが、明らかな静止の命令に凜子はピタリと手を止める。

 こぼれる涙は羞恥によるものではない。そもそも凜子にとって羞恥など既により強い快楽を得るための一要素に過ぎない。

 ただ、もう少しで絶頂へと至り、虎太郎を少しでも楽しませられたのに、という完全に雄へと服従した雌の思考からだ。

 

 

「何、手伝おうと思ってな……?」

 

 

 背後を振り返れば、虎太郎が嗜虐的な笑みを浮かべギラついた獣欲の剥き出しにした眼差しを向けている。

 愛する男の生のままの欲望に、凜子はキュンと子宮が戦慄いたのを自覚し、虎太郎が指示するがままの体勢を取った。

 

 

「いい格好だぞ、凜子」

 

「あ、あぁぁぁ、……何てみっともない格好なんだ…………ゴクリ」

 

 

 裸でベッドに寝そべった虎太郎の身体の上で、大きくM字に開脚し、両手で左右の肘を持ち頭の後ろで組む。

 

 およそ女がするものと思えない、惨めで下品で卑猥なポーズ。

 しかし、凜子は知っていた。これは服従のポーズだ、と。リーアルに教え込まれ、客にも散々要求された。

 男どもの下衆な欲望に激しい屈辱と情けない発情を示してしまったが、相手が虎太郎と言うだけで全てが悦びと変わってしまう。

 

 何よりも露わになった肉棒ははち切れんばかりの興奮を報せ、目の前の雌に今すぐぶち込んでしまいたいと主張している。

 立ち上る余りにも濃い精臭に、凜子の表情は自然と蕩けていく。元より愛人気質の上に匂いに興奮する性質である。それだけで女としての全てを捧げたくなってしまう。

 

 

「チンポを貸してやる。これでオナニーしてみろ。但し、挿れるなよ」

 

「は、はい、分かりました……んくっ、はっ、はぁっ、ふぅ、くっひぃいいいぃいいぃいいんっ!」

 

 

 自然と男を認めて傅くような口調で応じ、何度も呼吸を繰り返し、何度も唾を飲み込んで、意を決してヴァギナを剛直に押しつけて擦り上げる。

 その瞬間、凜子は喘ぎ声を上げて歓喜を告げた。何度も何度も白い火花が目の前で散り、快楽で思考が蕩けていく。

 快楽によって全身が痙攣し、大きな乳房と乳首はぶるぶると震えて男の視界を楽しませ、雌穴はぷちゅぷちゅと音を立てて本気汁を怒張に塗り込んでいく。

 

 とても乙女のモノとは思えない下品で卑猥な腰振りは、チンポを使ってのオナニーを許してくれた虎太郎へのせめてもの礼だった。

 

 

「はっ、あひっ、はあっ、いいっ、あっへぇ、こ、こひゃっ、こひゃろう、こひゃろうぅぅっ」

 

「どうした?」

 

「これ、無理らっ、これむりぃ! あ、アクメ、ひやぁ、我慢きかないっ! んひっ、アクメ、頂いても、よろしいですかっ?」

 

「好きにしていいぞ。いや、手伝ってやるか、ほら」

 

「ンなぁっ、あっへぇぇえええええぇぇええっ!!」

 

 

 虎太郎からは動いてはくれないと思っていた凜子は立て続けに秘裂とクリトリスを滑った裏筋の刺激にあっさりと絶頂に達してしまう。

 今まで経験したことのない絶頂に限界まで背中を反らし、自分を絶頂に導いたチンポに潮を吹き掛けながら、くたりと虎太郎の身体へと倒れ込んだ。

 

 舌をだらしなく垂れ下げ、涎と涙で塗れて全てが蕩けたアクメ顔を自分の男に晒した凜子は、どうしようもない多幸感で包まれていた。

 

 

「あ……あひ……くぅう……ふぅぅン……ひふぅ……ぅ……はぁ……」

 

「ほら、休憩してる暇なんかないぞ、凜子。今度はお前が女としてオレを楽しませる番だ」

 

「はひぃぃいいいいいいぃぃいいいいっっ!!」

 

 

 身体を重ねたままの状態で、手も使わずに簡単に挿入されてしまう。

 一気に最奥まで貫く挿入だったにも拘わらず、襞の一枚一枚からGスポット、子宮口までを亀頭とカリ首で抉られ、何回アクメに達したのか分からないほどだ。

 

 

(なんだこれなんだこれなんだこれぇぇぇぇ! 全然、違う。今までのチンポなんかと比べ物にならない! 気持ちいいしかない! アクメ、するしかないぃぃ!)

 

 

 呼吸すら忘れ、挿入だけの連続アクメに獣そのものの嬌声を上げる。

 ただでさえ改造によって敏感になっているというのに虎太郎の手腕か、凜子の性癖故にか、更に敏感になった雌肉は男根の脈動すら糧として更なるアクメを楽しんだ。

 

 

「かっはぁ……あへ……はひっ……へあ……ぇぅ……はひゃぁ……」

 

「そろそろ、戻ってきたか?」

 

「んひ、……まだ、くぅっ、軽くイキっぱなし、ぅん、だ。……はぁっ、凄く、気持ちいいな。うぅ、嬉しく、て、ふぅ、セックスで、ぁっ、満たされる日がくる、なんて……」

 

 

 虎太郎の胸板に顔を押し付け、凜子は脈動の音と汗の匂いを楽しむ。それだけでまた軽い絶頂に達してしまう。

 リーアルや客共にアクメに押し上げられる度、吐き気を覚えるほどの自己嫌悪に死にたくなったというのに、今は健全な充足感しかない。

 

 

「あ、貴方は気持ちいいか? 私、ばかり……んンンっ」

 

「これで、気持ち良くないと思うか?」

 

「あっ、あっ、ビクン、ビクンって跳ねて、これ、ひんっ、いい、オマンコもチンポを悦んでるぅ♪」

 

「分かるか、凜子。こうやって舐って、子宮口を説得してるのが」

 

「分かるぅ、こんなの分かるだろぉ、んあぁっ、自分から吸い付いてる子宮口、ひぃぃん、こね回して……お、ほぉ、チンポ、子宮まで犯す気だぁ!」

 

「そういうこと」

 

「ひあっ♡ あへぁっ♡ ひゃぁあああぁぁんッ♡」

 

 

 経産婦ではないにも拘わらず、興奮と発情、虎太郎の技術によって子宮口は緩み、大きすぎる一物をあっさりと飲み込んで子宮まで迎え入れる。

 本来であれば子供を育む為の器官まで差し出し、子宮の天井を擦り上げられながらのアクメは、奴隷娼婦として経験を積んだ凜子であっても初めての体験だった。

 

 膣は蠕動して幹を扱き、子宮口は何度も収縮を繰り返して男性器に射精を促す。

 子宮から何から女としての全てを味わわれている感覚、手足どころか肛門まできゅうと筋肉が縮んで戦く。

 反面、尿道は緩んで虎太郎とベッドを汚す。無意識で自分の男に対して自分の匂いを残そうとしているかのようだ。

 

 

「もっ、ダメ……あぁあン……オマンコ、頭、ひぃぁぁ、バカになってう、くぅぅうう!」

 

「じゃあ、イクぞ。凜子もイっていいぞ」

 

「はひ、はひぃぃ! あっ、あっ、あっ、ぁぁっ、ああぁぁぁあっ!! イグ、オマンコ、イッでる! ィィイッぐぅぅううううぅぅぅぅうううっっ!!」

 

 

 子宮内の灼熱から更なる灼熱を吐き出され、中出しアクメを貪る。

 口をわなわなと震わせながら、今度は女としての快楽と幸せを表現する絶頂そのものを吐き出すような絶叫を響かせる。

 

 

「あ゛ぁぁあっ、あぁぁっ、ア゛ァァっ、あ゛ああぁっ、んああ゛っ、んあ゛あああぁぁあああっ!!」

 

「ちゃんとイッてるか、凜子」

 

「イ゛っでるぅ! すごいっ、すごいでてるぅぅっっ、熱いザーメンっ、びゅくびゅく、熱くてすごいのっ、ねっとり塗りたくられてるぅぅ!」

 

 

 子宮の壁に精液を掛けられる度に、絶頂の数が増えていく。

 粘性の強すぎる特濃ザーメンがべちゃべちゃと張り付いていき、アクメは何時までも終わらない。

 

 

「と、止め、こんなすごいザーメンっ、頭、おかしくなっちゃぅ、妊娠っ、赤ちゃんできるぅぅ!」

 

「ま、その時はその時だな」

 

「おぉ……おひぃ♪ 精液、ザーメン♪ オマンコに塗り込みながら引き抜くなぁ♪ またイッぐぅうぅぅ♪」

 

 

 たっぷりと中出し射精を楽しんだチンポは、子宮に入りきらなかった精液、子宮からこぼれ落ちた精液を容赦なく塗り込んで凜子のオマンコに精液の味を覚えさせる。

 

 

「こ、こんなセックス覚えたら、もう他のチンポでイけるものかぁっ……わ、私は、……奴隷娼婦、じゃないぃ。これで……私は、貴方の女だぁ♪」

 

「元々こっちはそうするつもりだからな」

 

「……あな、たぁ♡」

 

 

 最後は単なる二人称ではなく、最愛の夫に告げる妻の呼び方で虎太郎を呼び、凜子はクタリと身体を重ね、意識を手放すのだった。

 

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「お痒いところはございませんか? ――――ふふ、なんてな」

 

「あ゛ぁ゛~~~~~、凜子、シャンプー上手いな」

 

「そうかそうか、気に入ってくれて何よりだ」

 

 

 凜子が意識を取り戻すと二人は一緒に風呂で互いの汗を流していた。凜子だけは長い髪が湯船に入らぬように纏めていた。

 

 部屋に備え付けられたバスはソーププレイにも対応できるよう、それなりの広さがある。

 洋式らしい浅く広い造りの浴槽の縁に虎太郎は頭を預け、凜子はその上から身体を重ね、厚い胸板に豊満な胸を潰しながら押し付けている。

 その体勢のまま凜子は虎太郎の髪を洗っていた。丁寧に頭皮をマッサージし、汚れなど一つも残さぬような洗髪だ。

 

 

「ほら、流すぞ」

 

 

 手にしたシャワーからお湯をかけ、残ったシャンプーで頭皮が炎症を起こさないように洗い流す。

 

 ゆきかぜもそうであったが、凜子の甲斐甲斐しさも中々のものだ。

 ゆきかぜが虎太郎の尻を叩いて歩かせるような甲斐甲斐しさならば、凜子は自分の全てを捧げて奉仕するような甲斐甲斐しさ。

 虎太郎も悪い気はしない。任せられるものは他人に任せたい性質である。

 

 気が済むまで世話を焼いた凜子はにっこりと微笑む。ゆきかぜが事後に見せた笑みと同質のものに、女という生き物の愚かしさと同時に手に負えなさを再度痛感し、小さく溜め息をついた。

 

 

「お前らは本当に物好きだよなぁ」

 

「ふふ、自覚はあるさ。貴方に惚れてしまったのだ、仕方ない」

 

「それで子供を孕んでもいいとは恐れ入る」

 

「まあ、貴方のことだから何か妊娠でもしない仕掛けがありそうだがな」

 

 

 凜子の言葉にガックリと虎太郎は項垂れた。ズバリ、凜子の女の勘が当たっていたからである。

 房中術を学ぶ過程で、気を用いて精子の活動を停止させる技も学んでいた。

 子供なんてものに興味はなかった。対魔忍の仕事をする上で家庭も子供も邪魔にしかならない。人生という過程を歩む上では重荷など少ない方がいいというのが彼の持論だ。

 

 

「その様子では、当たっていたのか……?」

 

「何だ。安心するなら兎も角、不満そうな顔すんな」

 

「ふん、貴方のような薄情者には分かるまい」

 

「……お前等はどこまで考えなしなんだ」

 

 

 妊娠は、女にとっても男にとっても一大事。

 その先が幸か不幸かは分からないが、何らかのターニングポイントになるのは間違いない。

 わざわざどう転ぶかも分からない博打を打つなど、虎太郎には任務だけで充分だ。

 

 だと言うのに、凜子は拗ねてしまう。

 愛した男の子を孕みたいという気持ちは理解できるが、些か以上に軽挙が過ぎる。対魔忍としての任務もある、今後の人生や人間関係もあるだろうに。

 

 それだけ愛しているという凜子なりの気持ちの表れなのだろうが、虎太郎は共感しない。

 

 

「それなら、その時はその時だというのも嘘か」

 

「まさか。いくら何でも子供孕ませて責任も取らんで逃げるのはどうかと思うわ。結婚は一人としか出来んでも、子供を育てるくらいするわ。まあ、オレにまともな教育など出来るとは思えんがね」

 

「そ、そうか。多少の甲斐性はあるようで安心した」

 

 

 緩もうとする口元を必死で抑えながら凜子は皮肉を返してくる。

 

 妊娠、出産、子育てなど虎太郎にとって面倒以外の何物でもないが、己の行動の結果だというのなら責任くらいは取る。

 もうそこは使える使えないかの問題ではないが故に逃げることもしない。ただ、男としてのプライドの問題だ。

 出産か堕胎の選択肢を迫り、育てるのにも協力しよう。ただ、仕事が最優先になってしまうが故、夫や父親らしい行動などしてやれるかどうか。

 雄として優れている自覚はある。だが、男として優れてもいないし、夫としても褒められたものでもなく、父親としても最低になる自覚もあった。

 

 何せ、あのふうま弾正の種から生まれたのだ。どう考えた所で、良い男、良い夫、良い父親にもなれるわけもなく、自分自身も生き残ることばかり考えてきたのだから当然だろう。

 

 ――最大限努力はするが、余り期待はするな。碌な結果にはならんから。

 

 そう言外に、雰囲気だけ虎太郎は語る。

 

 

「そう、自分を卑下しなくていい」

 

「卑下じゃなくて事実だろうよ。少なくとも一夫多妻も、複数の女に子供を孕ませるのも一般じゃありえんぞ」

 

「どう取り繕った所で我々もマトモではない。それは適応されないさ。何より――――私の愛した男であっても、私の愛した男を貶すのは許さないぞ」

 

「ふーん」

 

「……いや、そこは、感動とは言わないが、こう感じ入っているような反応を、だな」

 

「オレが他人を理解しても共感しないドライモンスターって知ってたろ?」

 

「知っているさ。知っているが……はあ」

 

「だが、そこまで言われて何も思わんわけではない」

 

「…………ん」

 

 

 顎を持ち上げられ、迫る唇を抵抗せずに受け入れる。

 凜子は頬を染め、唇を撫でてキスの意図について虎太郎を見るが、彼は肩を竦めるだけだった。

 

 彼は他人を理解はするが、共感はしない。凄まじい速度で決断を下し、物事を引き摺らずに簡単に割り切ってしまう。

 だが、決して感情がないわけではない。何の邪念もなく一心に己へと向けられた言葉であるのなら、受け入れる度量も感謝を向ける礼儀も弁えている。

 これはそれを行動で示しただけの話だ。

 

 

「う、……接吻はいいな。セックスよりも満たされてしまう部分がある。その、凄くドキドキする」

 

「時間も余ってる。折角だ、今からキスをしながらしてみるか?」

 

「そうやって、物のついでのように……」

 

「――嫌か?」

 

「そ、その聞き方はズルいではないか………………する♡」

 

 

 唇を尖らせながらへそを曲げる凜子であったが、結局は虎太郎の提案を受け入れた。

 一度抱かれ、愛されてしまった以上、彼女の胸の内には期待と悦びしかない。拒める筈もなければ、理由もない。

 

 ――湯の跳ねる音と乙女と呼ぶには余りに艶めかしい嬌声と卑猥な言葉がバスルームに響くのに、それほど時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「おや、ご客人。本日もお楽しみ頂けましたかな」

 

「え、ええ。それはもう……その、凄くて」

 

「ははは、それは何よりですなぁ」

 

 

 女を好き放題にするどころか好き放題にされていそうな赤面に、リーアルは言葉だけは優しげに本心では雄として劣っている虎太郎の滑稽さを嘲笑っていた。

 その赤面ですらが被った仮面であると知る者であれば、どちらが滑稽かなど考えるまでもないだろう。

 

 その後、互いに仮面を被り本性を隠したままの談笑が続く。

 客商売や自分が安全な立場でしか被れない仮面とどんな時であったとしても敵の前であってすら被り通せる仮面。

 経験も精神性も本性の苛烈さすら劣っているリーアルには、虎太郎の本心を看破するなど夢のまた夢。寧ろ、リーアルに看破しろなど、それこそ無慈悲も甚だしい。

 

 

「へへっ、リーアルの旦那」

 

「ゾクトか。今は客人と話している。弁えろ」

 

 

 と、その時、二人の会話に割って入ってくる男がいた。

 潰れた片目に尖った耳、浅黒いを通り越して土色の肌は明らかに人間ではない。体型はリーアルと似たり寄ったりの肥満体型。肩にはショットガンを掛けている。

 虎太郎は怯えた演技を忘れずに、瞳の奥の冷めた光すら隠し通して、男――ゆきかぜと凜子をこの生き地獄へ導いた奴隷商人ゾクトを見た。

 

 抱いた感想はリーアルの時と全く同一。肥え太るほど余裕があるのに、まだ足りないと欲望を露わにする典型的な闇の住人だ。

 

 

「今回の商品は中々のもんですぜ」

 

「ああ、もういい。番頭へ話を通しておけ。私は忙しいのだ」

 

「へ、へぇ、申し訳ありやせん」

 

 

 リーアルは不機嫌さを隠そうともせず、ゾクトは恐縮と引き下がる。

 すごすごと引き下がっていくゾクトであったが、虎太郎の演技を見て鼻で笑うと薄気味の悪い笑みを浮かべてから去っていく。

 

 この様である。敵も味方も大抵はこの調子なので、頭痛は収まらない。

 仮にも客の前で苛立ちを見せるリーアルにせよ、わざわざ葱どころか鍋やら出汁まで背負ってきた鴨を前にして不安や不信感を募らせる笑みを見せるゾクトにせよ、誰彼構わず舐め過ぎだ。

 

 

「ところでお客人、実はお耳に入れておきたいお話が。明日はお暇ですかな?」

 

「は、はぁ、……何でしょう」

 

 

 あからさまに話題を変えようとするリーアルに対して抱いた虎太郎は、来たな、であった。

 

 

「アンダーエデンでは毎月、イベントを開催しております。勿論、常連客を中心に、いわゆる人生の勝利者を招いてのパーティーです」

 

「……はぁ、それが、何か」

 

 

(前置きなんてどうでもいいんだよ、本題に入れ本題に。あとその前置き止めろ。こちとら負け犬人生継続中だ、ボケェ……!)

 

【自業自得ですね。負け犬人生を何とかしたいのであれば、まずはドライモンスターを脱却しては?】

 

(もう無理ぃ! 三つ子の魂百までもって言うよなぁ!)

 

 

 リーアルの話は掻い摘んで説明するのなら、月一で開催されるパーティーがある。

 その内容は乱交パーティーのようなものだ。奴隷娼婦は自身のパトロンとなるVIPに自分を売り込む場であり、同時にパトロンとなったVIPは自身の奴隷娼婦が如何に淫らで優秀かを見せびらかす場でもある。

 

 虎太郎には全く共感できない嗜好ではあったものの、理解はできる。要は自分が凄いと褒めてもらいたい子供と変わらない。

 対魔忍にせよ、魔族にせよ、米連にせよ、全く子供過ぎて慎重に慎重を期している自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。

 自分に出来ないことはないと本気で信じ、その癖失敗でもしようものなら決して自分の責任と受け入れずに当たり散らす。特に魔族やそれに組する人間は顕著過ぎて敵対すら避けたいほどだ。

 

 

「し、しかし、僕のような中間管理職では分不相応ですよ。……それに、そういうのに一人で参加するのも不安ですし」

 

「ならばご友人をお連れすれば、どうでしょう?」

 

「い、いや、それは、うぅ~ん……………………ああ、そうだ。あの二人、ゆきかぜちゃんと凜子ちゃんを僕に着けてくれませんか? 見知った相手なら不安も緊張もしませんし」

 

「ふむ。それは……」

 

 

 内心で悪辣な笑みを浮かべながら、虎太郎は参加の条件を提示する。

 

 リーアルはこの条件には、流石に判断に迷ったようだ。

 そのパーティーは基本的に売り上げが上位の奴隷娼婦を参加させるのが通例である。

 万が一、奴隷娼婦が客に粗相をしようものならば、そのままリーアルの名と権力に傷がつく。故に、いくら性技を仕込まれようとも新人を出すべき場ではない。

 

 

「分かりました。ですが、残念ながら凜子のみですな。ゆきかぜは他に執心しているお客様がおりますので」

 

「そう、ですか。残念ですが、まあ凜子ちゃんがいるなら、いいかな」

 

「ええ、そうなさるといい。アンダーエデンは地の底の楽園ですので、存分にお楽しみください」

 

 

 これはリーアルにとって先行投資だ。

 目の前の男が友人や上司を連れてくれば彼の懐はより潤う。限りなく、終わりのない欲望も多少は満たすことが出来る。

 その為には多少の傷は覚悟せねばならない。正に英断である。リーアルの判断は何処までも正しい。人生の勝利者、成功者は常に危ない橋を渡り、自身の人生そのものをかけている。

 

 ――最もリーアルがここまでの成長を遂げたのはひとえに、その背後に潜んでいる“あのお方”とやらの力であり、彼は自身に傷を負った経験などただの一度もない。

 

 滑稽を通り越して哀れですらある。彼の人生において初めて自身を天秤にかける行為が、弐曲輪 虎太郎に唆されてのものなど、悪夢を通り越して地獄の門を自ら潜ったようなものだ。

 そして、何よりも恐ろしいのは、一切の違和感も悪意も感じ取らせず、地獄の底の底まで導いている虎太郎の手腕である。

 

 

(さて、ゆきかぜと凜子が一か所に集まる。場所は十中八九、一階の大広間)

 

【そして、ゆきかぜ様に執心している客は矢崎 宗一で間違いありませんね】

 

(あとは――――)

 

 

 リーアルと別れ、アンダーエデンを後にした虎太郎は僅かに歩調を落とし、背後から迫る気配を待つ。

 

 

「クソ、リーアルの野郎、足元見やがって――――邪魔だ、どけ!」

 

 

 背後からの衝撃に、伊達眼鏡を落とす虎太郎。

 突き飛ばすような勢いで押し退けてアンダーエデンから去っていこうとするのは、奴隷商人のゾクトである。

 恐らくは、手に入れた奴隷が思うような値段で売れなかったのだろう。彼はリーアルへの悪態をつき、他人に当たり散らしながら足早にヨミハラ内部の拠点へと向かっていく。

 

 

(“導火線”をゲットするとしましょうか)

 

【もう一度言わせてください。貴方は本当に酷い人です。このドライモンスター】

 

 

 落とした伊達眼鏡を拾い上げ、今一度気弱の仮面を被ってゾクトの後を追う。最後の仕上げに至る為に。

 

 最早、虎太郎が偽りの身分でアンダーエデンを訪れることはない。

 明日は顔もなく、名前もなく、誰も知らず、誰でもなく、存在すらしていない誰かとして訪れる。

 その作戦、その過程は虎太郎とアルフレッドにしか分からない。

 

 ただ一つだけ言えるのはことがある。

 不知火もゆきかぜも凜子も正常な判断が下せるか分からないほどの衝撃を受け、ゾクトもリーアルも矢崎も地獄で待ち受ける閻魔の元へと送り届けられることだけは確かである。

 



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『彼の苦労は、たいていは自業自得』

 ――その日、ヨミハラは妙な雰囲気に包まれていた。

 

 それに気づいた者は何人いた事か。

 この地下都市では喧嘩や刃傷沙汰など茶飯事。乱痴気騒ぎなど珍しくもなく、堕落を極めたかのような放蕩三昧こそが日常だ。

 街そのものが普段から放つ雰囲気に飲まれた者達は、本当に些細な空気の変化にも気付かず――最後のチャンスを逃す羽目になった。

 

 獣染みた勘の良さを頼りに闇を生き抜いてきた者は、言葉には出来ない感覚に従うまま逃げるようにヨミハラを後にする。虎太郎に手を貸した猫の獣人クラクルもその一人であった。

 

 朝方から妙な雰囲気を肌で、鼻で、第六感で感じ取っていた彼女であったが、何年になるか分からないほど過ごした縄張りを前にして、逃げるか残るかの選択に迷っていた。

 彼女もまたヨミハラという悪徳の都において、彼女の中で生まれながら存在していた“野生”が薄れていたのかもしれない。

 

 それでも逃げる決断を下したのは、迷っている最中に現れた虎太郎が告げたたった一言のお陰だ。

 

 

『クラクル、お前、逃げた方がいいぞ。あと、此処に行け。アイツならお前と上手くやれるだろうからな。まあ、好きにしろ。オレはどっちでも構わん』

 

 

 本当に興味がなさげに、ただただ面倒そうに告げられた一言であったが、クラクルは即座に縄張りを捨てる決断を下し、全速力でヨミハラの門を越えた。

 彼女は弐曲輪 虎太郎という人間をよくは知らない。20年の時間の中で顔を合わせたことなど二回しかないのだから当然だろう。

 

 ――ただ、本能として理解していた。アレの標的にだけは絶対になってはならない、と。

 

 魔界には強大な力を持った者達が数多く存在する。エドウィン・ブラック然り、支配階級の貴族然り。魔界の住人であるクラクルですらが想像もできない絶大で圧倒的な力を有したモノが確かにいる。

 クラクルはそういった者達とは極力拘わらないように生きてきた。敵わないが故に当然であり、彼女の野性が彼らに近づくことすら許さなかったからだ。

 

 そんな連中ですら弐曲輪 虎太郎と肩を並べることはないとクラクルは考えている。

 力が強大なのではない。生き物として優れているわけではない。人間の中では最強の部類だろうが、魔界の圧倒的な強者には敵わないだろう。

 

 なのに、どうしてそんな存在に本能は警鐘を鳴らしながら、野性は全く反応しないのか。

 その疑問がクラクルの全てであり、虎太郎には自分の理解を越えた何かがあるという結論に至るには十分だ。

 彼女は自身の結論故に、一も二もなく理解できない何かを持つ虎太郎の言葉に従い、こうして地上へ至る坑道を駆け上っていた。

 

 

(にゃ。虎太郎は僕を何処へ行かせるつもりにゃ。まあ、虎太郎の標的になってはいないから、大丈夫大丈夫、にゃ)

 

 

 坑道にて、雌にして餌を手に入れようとオークとオーガが彼女に襲い掛かる。

 しかし、クラクルは虎太郎に手渡された地図を片手に猫科の大型肉食獣そのものの獰猛さで蹴散らしていった。

 

 クラクルの考えはどうしようもなく正しく、先見の明があった。

 

 ――その日はヨミハラが滅ぶまで、住人たちの間で“最悪の一日”として語り継がれる結果となるのだから。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「ようこそお越し下さいました、矢崎様」

 

「ああ、今日も楽しませてもらうぞ」

 

 

 アンダーエデンでは、月に一度のパーティーが開催されようとしていた。

 既に大広間は大半が埋まっており、訪れた客の一人一人にリーアルは挨拶と金ヅルへの礼を告げる。

 

 しかし、例外的に本気の礼を口にする場合もあった。その数少ない例外が――民新党幹事長、矢崎 宗一その人だ。

 

 矢崎はかつて任務中のゆきかぜと出会ったことがある。

 その折、ゆきかぜの逆鱗に触れ、標的外という理由で見逃されこそすれ、顎を割られている。

 故にゆきかぜに執心し、娼婦として買い行ってきた凌辱は余りにも無残な、人としての尊厳を奪うものだった。そうすることで自身の歪んだ欲望を満たし、傷ついた自尊心を癒している。

 

 今日もゆきかぜをパートナーとして肩を抱き、意気揚々と大広間へと向かっていく。

 

 改造されたゆきかぜは、連日に渡る凌辱の記憶と雄の下卑た欲望の匂いであってすら、発情の起点とする奴隷娼婦だ。

 呼吸は荒く、頬を赤らめ、憎々しい相手にすら発情を隠せないでいた。

 珍しく奴隷娼婦としてのマイクロビキニのような下着姿ではなく、彼女自身の対魔忍としての衣装――無論、リーアルが用意した模造品であるが――を身に纏っている。

 矢崎のリクエストだ。奴隷娼婦ではなく、対魔忍としてのゆきかぜを犯している気分に浸りたいのだろう。実に分かりやすい嗜好だった。

 

 対魔忍への凌辱は苛烈を極める。

 あらゆる行為で尊厳を踏みにじり、あらゆる罵声で(なじり)り、あらゆる言葉を吐かせ自ら誇りを捨てさせる。

 それは裏を返せば、闇の住人にとって対魔忍がどれほどの脅威であるか、どれほど邪魔な存在であるかを示していた。

 

 闇の住人からすれば最高の気分だろう。

 散々辛酸を舐めさせられ、対魔忍の影に怯え暮らしていたにも拘わらず、そんな存在をメス豚に堕として凌辱する。元より歪んだ連中だ、凌辱にも熱が籠ろう。

 

 大広間に集った下衆どもに嘲笑と侮蔑の視線を受けながらも、ゆきかぜは興奮を隠せない。彼女は奴隷娼婦である。そんな視線すらも自らの快楽と変える生粋のメス豚だ。

 

 

(…………ほんと、馬鹿みたい)

 

 

 ――もっとも、それは二日前までの話。

 

 ゆきかぜの肉体は確かに発情を示しているが以前ほどではなく、思考も精神も冷え切っている。

 前日、矢崎に犯された時など大変だった。快楽は確かにあったが十分に耐えられ、受け流せるレベルだった故、堕ちかけた奴隷娼婦を演じるのに苦労したほどだ。

 

 

(矢崎なんて乱暴なだけ。リーアルにしたって虎太兄に比べれば下手くそ。こんな程度で女を支配できるなんて考えてる連中も、こんな連中に怯えてた自分も、ほんっとぉに馬っ鹿みたい)

 

 

 虎太郎の性技によって快楽に対する耐性が底上げされたのか。愛する男に抱かれた事実が女としてのゆきかぜを強くしたのか。或いはその両方か。

 ともあれ、ゆきかぜは辛うじて視線や顔から冷めた感情を隠しながら、周囲を見回す。

 もうすぐ始まる饗宴に参加者たちは一様に緩み切った馬鹿面を下げて、嘲りの笑みと揶揄を向けてくるが、ゆきかぜの頭には完全に入っていなかった。

 

 その時、ゆきかぜはある人物と目が合い、その瞳の奥底の誇り高い光を確認し合う。それだけで互いの無事は確信できた。

 

 

(あの様子であれば、ゆきかぜも大丈夫だろう)

 

 

 矢崎に肩を抱かれて連れていかれる妹同然の後輩の姿を見ながら、僅かばかりの安堵を胸に抱く。

 凜子もまた群青色の対魔忍スーツを身に纏っていた。此方はリーアルからの要求であり、彼なりの趣向であったのだろう。

 あの斬鬼の対魔忍が、童貞も同然の情けない男の下で咽び泣きながら絶頂に至る様を客に見せつけ、自身の技術と力を表現したいのだろう。 

 

 しかし、ソファーに座った凜子の隣には他の奴隷娼婦のようにパトロンや男の姿はない。

 テーブルの上には高級なシャンパンとグラスが用意されているが、口も空けていなければ、中身を注がれてもいなかった。

 

 

(恐らく、ゆきかぜと私が集まるこの狂った出し物が狙い目だろう)

 

 

 ゆきかぜも、凜子も虎太郎がどのようにして救出をするのかを、その策も内容もタイミングも聞かされておらず、聞きもしなかった。それだけ虎太郎を信頼しているのだ。

 

 凜子は現れない愛しい男に対して、不安も焦燥もなかった。

 現れないということは策を張り巡らせているのか、時期ではないということだ。そう信じている。例え今日が救出決行の日でなかったとして、何ヶ月でも何年でも、機と虎太郎を待つ覚悟である。

 凜子は俯き、胸に手を置く。誰にも見られなかった顔には穏やかな笑みが刻まれ、胸の内では暖かな愛情が渦巻いている。

 

 

(これがある限り、私達は堕落などしない。メス豚にもならない。私達は、あの人の――女だ)

 

 

 二人の奴隷娼婦――否、対魔忍は静かに、詰まらなければ面白くもない、ただただ反吐が出るだけのパーティーの開始を待っていた。

 

 リーアルは苛立ちを隠しながら、何度も時計を確認した。

 目をつけていた新たな金ヅルの登場を待っていたのだが、結局金ヅルが現れることなく開始の時間と相成る。

 既に集った客を待たせる訳にも行かない。これからの金ヅルも大事だが、これまでの金ヅルとて重要だ。金はあるだけいい。金があって困るなど在り得ないのだから。

 

 

「紳士淑女の皆様、本日は我がアンダーエデンにお集まり頂き、真にありがとうございます」

 

 

 リーアルは大広間の中央に立つとマイクを片手に美辞麗句を述べる。パーティー前の恒例行事だ。

 参加者の欲望を肯定し、煽り、思う存分自ら堕ちていくように内容など殆どない言葉を並べ立てていく。

 

 客は大いに喜び、興奮を露わにするが、場の雰囲気に飲まれていないゆきかぜと凜子にとっては不快なだけの言葉と時間であった。

 

 

「前置きはこれくらいにしましょう。では、今宵もお楽し――――」

 

 

 いよいよ爛れ切った欲望の宴が始まろうとした瞬間、アンダーエデンから明かりが消えた。

 

 突然の停電にリーアルは舌打ちをし、客達はざわめいた。

 ヨミハラのライフラインは地上から違法に盗み引いているものが大半である上に、建物の建築も無造作で無作為、おまけに定められた安全基準を守っていない。

 故にこうした停電を始めとしたライフラインの一時的な断絶は決して珍しくはなかった。

 

 

「皆様、ご安心を。すぐに予備電源に切り替わります。神でもあっても我々を止められません。この程度の悪足掻きしかできんのでしょう」

 

 

 リーアルはタイミングの悪い停電だと苛立つものの、客を安心させるパフォーマンスを打つ。

 客はリーアルの言葉に気を良くし、笑い声を漏らし、不安など抱いていない。

 そんな中、ゆきかぜと凜子とだけが全く別の思考をしていた。

 

 

((――――来たっ))

 

 

 リーアルや矢崎、客にしてみればタイミングの悪すぎる停電であったが、虎太郎の存在を知っている二人にしてみればタイミングの良すぎる停電だ。

 鋭敏に彼の影を感じ取ったものの不用意には動かず、また周囲に己の変化を悟られぬように気配も押し殺した。成り行きを見守るつもりだ。

 

 停電から僅か十数秒。アンダーエデンに設置された予備電源が作動し、再び大広間内部は怪しい色の電灯が灯った。

 

 僅かな安堵と爛れた性癖を満せる宴への期待からか、客達は談笑を始める。

 リーアルは大広間の様子を眺めながら此度の催しの成功を確信し――――ある一点に気を止めた。続き、ゆきかぜと凜子が同じ点に目を止める。

 

 アンダーエデンの大広間を繋ぐ廊下は闇に閉ざされたままだった。

 

 明らかに可笑しい。予備電源は種類や設備にもよるが、基本的に一つの建物全体を補うことが出来る。

 患者の命を預かる病院、たった数分の停電で何億もの損失の見込まれる工場には当然設置されており、点検だけで数日を要するところもある。

 施設が大きくなればなるほど予備電源は大きくなり、その分かかる金も高くなっていく。

 しかしアンダーエデンの広さはたかが知れており、リーアルも設置した予備電源は建物全体を補うには十分なものだと記憶していた。

 

 ならば考えられる可能性は、配電盤の異常かもしくは……。

 

 ――その時、闇の中から大広間に向かって何かが投げ込まれた。

 

 数は六つ。大きさはボウリングボールほどの大きさではあったが、ゴトゴトと転がってくる辺り球体ではないようだ。

 流石にそこまでされれば頭が茹だった連中であっても事態の変化にも気付こう。

 何人かが投げ込まれた何かを発見し、初めは理解できない様子であったが、砂漠に水が吸い込まれていくように目の前の現実を脳細胞が理解すると悲鳴が上がった。

 

 投げ込まれたのは斬り落とされた生首だ。

 客は首の中から見知った顔を見つけ、リーアルはその全てが雇っている警備員と察した。

 生首は死相すら浮かべていない。無表情もあれば、下世話な会話でもしていたのだろうか下卑た笑みを浮かべているものすらある。共通していたのは、皆一様に自らの死すら気づく間もなく殺されたであろう点だけ。

 

 その場にいた全員が大広間の入り口――通路を包んだ闇に視線を向ける。

 

 下手人は闇の中から滲み出してきた。

 深緑のロングコートを身に纏い、顔には白い無貌の面。今しがた首を斬り落としたであろう断頭剣(エクセキューショナーズソード)を手にしている。まるで幽鬼のようだ

 リーアルにも客達にも――それどころか、ゆきかぜや凜子ですら見覚えのない出で立ちだ。辛うじて二人だけが服の素材から虎太郎であると悟った。

 

 虎太郎は一度救出任務で使った対魔忍スーツと仮面を二度と使わない。言うまでもなく自身の存在を隠すためである。

 

 

「貴様、何者だ……?」

 

 

 その深緑の異装から対魔忍を連想できなかったのか、リーアルは大広間内に残っている警備員に戦闘態勢を取らせながら彼にとっての正体不明の男に問い掛ける。

 ゆきかぜと凜子は僅かばかりに疑問が浮かんだ。この異常事態を前にして、この男の落ち着きぶりの理由はなんだ、と。

 

 リーアルの問いに男は答えない。答える筈もないだろう。その為にわざわざ正体を隠しているのだから。

 

 

「ふん、答える筈もないか。最近、ヨミハラを騒がせている者の一人のようだな」

 

 

 リーアルはヨミハラ内部で起こっていた惨殺事件と男の強硬手段を結び付けた。

 アンダーエデンはヨミハラ内でもトップクラスの娼館である。今現在は違うものの、最初期の惨殺は娼館の主とスタッフを中心に狙ってのものだった。いずれは自身にも魔の手が及ぶと予見していたのだろう。

 その割には警戒態勢を厳重にするわけでもなく、かと言って新たな魔界側の技術を取り入れてもいない。間抜けと言えばとびきりの間抜けである。

 

 

「……ふ、ふふ。成程、そういう趣向かリーアル――――()れ!」

 

 

 ちらりと視線を交わし、矢崎は面を喰らいながらもリーアルの意図を察し、何者かに指示を下した。

 

 次の瞬間、大広間を一陣の風が駆け抜る。闇の住人は勿論のこと、ゆきかぜや凜子ですら目で追えぬ速度。

 

 辛うじて反応できたのは無貌の男だけ。手にした断頭剣を風の振るう一撃に合わせる。

 互いの得物である薙刀と断頭剣が激突し、火花が散った。奇襲じみた一撃に合わせられてなお風に揺るぎはなく、猛攻は止まらない。

 

 速く、重く、鋭い連撃は文字通りの嵐だった。

 一撃一撃は長物特有の隙の多さがあったが、間合いの有利と巧みな薙刀捌きで以て、その全てを帳消しにしている。

 無貌の男はそもそも間合いの劣る剣が武器であり、攻めに転ずるにはどうしても一歩深く踏み込まねばならないが、深く踏み込めばその瞬間に身体ごと両断されてしまう。

 

 誰の目にも明らかな防戦一方。

 憎むべき怨敵が追い詰められていく様に、客達は沸き立ち、喚き散らす。

 その光景を、ゆきかぜも、凜子ですらが呆然と眺めざるを得ない。それは虎太郎が追い詰められている現実ではなく――――

 

 やがて、勝負は決した。

 無貌の男が猛攻の前に倒れたのではなく、逆に風が男に倒されたのでもない。

 両者の攻防に耐えかねたのは、当人達ではなく手にした武器であった。

 首目掛けて払われる横薙ぎの一閃を辛くも防いだ瞬間に、男の断頭剣は刀身の真中からポッキリと折れてしまう。

 

 一瞬、自らの得物の末路に視線を向けた男の隙を見逃す風ではない。

 風が身体ごと旋回させての更に深く踏み込むと、男の胸板に痛烈な回し蹴りが炸裂する。

 男は為す術もなく後方に跳ね飛ばされ、テーブルに背中から叩き付けられると、そのままソファに座る形でようやく静止した。

 

 風は呻く男の首元に薙刀を突き付ける。

 その容姿、その美貌、その強さをゆきかぜと凜子が見間違えようはずがない。

 一目見た瞬間から気付いてはいたが、現実を否定したいが故に、目の前の光景を理解するのを拒んでいた。

 

 

「お……か、あ、……さん」

 

「………………おば、さま」

 

 

 風の正体は水城 不知火。

 ゆきかぜにとっては最愛の母親であり、凜子にとっては憧れの存在である。

 そんな存在が矢崎の命に従い、二人にとって最愛の男を殺そうとしている。茫然と呟く他ないだろう。

 

 ゆきかぜはあらゆる疑問を抱えて走り出していた。

 きっとこれは演技か何かだ、そうでもなければ悪い夢。でなければ、あのお母さんが堕落しているなど在り得ない、と。

 余りにも甘すぎる幻想を抱いて、不知火に駆け寄るが現実は何処までも非情だ。

 

 

「お母さん、止めて! その人はこ――――かっ」

 

「おばさ――――グっ!?」

 

 

 必死に母親の凶行を止めようとしたゆきかぜは、不知火に首を掴まれて釣り上げられるとそのまま凜子に向けて投げ飛ばされた。

 

 この事態には流石の凜子も、そしてリーアルと矢崎を除いた客ですらが、突然始まった茶番劇(・・・)に声も上げられない。

 

 

「ふ、は! くははははははっ! いい! いいぞ、ゆきかぜ! その顔だ! 小生意気なメスガキの顔が絶望に染まる瞬間をなっ!!」

 

「や……ざ、き」

 

 

 全てを知る矢崎は哄笑を上げ、それに加担したリーアルの忍び笑いを漏らす。

 昏く沈んだ瞳でゆきかぜは矢崎を見たが、矢崎は嬉しげに顔を歪めるばかり。

 

 嬉々として、得意満面に自らの計画を語り出す。

 ゆきかぜと凜子の両名は纏の任務に着くための最終試験として、矢崎のビルに強襲をしかけた。

 その時、矢崎は見逃され、この計画を思いついた。

 既にメス豚となっていた不知火、その娘の話を聞いていた矢崎は、母子共々己のものにしようと画策した。

 

 策の一端が対魔忍にもたらされた不知火の情報であり、ゾクトとの取引と裏切りであり、リーアルによる奴隷娼婦の契約である。

 

 

「お前たちは全て俺たちの手の平で踊っていたというわけだ。愉快だったぞ、お前を犯しながら笑いを堪えるのが大変だったからなぁ」

 

「流石、矢崎さんだ!」

 

「矢崎ィィィィィイイイイイィイイイィイイ!!!」

 

 

 アンダーエデンに集った獣どもの哄笑が響き渡る。

 あらん限りの怒りを込めてゆきかぜは叫んだ。最早、体内に仕込まれたキメラ微生体の発動すら厭わず、矢崎とリーアルに襲い掛かろうとする。

 

 それを止めたのは凜子だった。

 諦めた訳ではない。けれど、不知火が敵についている時点で、全ては終わっている。凜子の知る中でも最強の一人。虎太郎に何らかの策があろうとも如何ともしがたい相手だ。

 ここで襲い掛かれば、希望も残らない死が待つのみ。ならば、如何なる屈辱にも耐え抜き、例え一寸の“希望(ひかり)”の差し込まぬ絶望(やみ)の中で、手探りで機を待った方がいい。

 

 大した茶番劇である。

 矢崎はゆきかぜの絶望を、間の抜けた対魔忍を嘲笑いたいがためだけに、ここまでの手の込んだ真似をしたのである。

 

 矢崎は両腕を大きく広げ、周囲の人間からの喝采を浴びる。

 天井に顔を向けて快感を享受する。矢崎が政治家になったのは、この言葉に出来ぬ快感を得る為だ。

 女を抱くことで得られる性欲を満たす快感ではなく、愚劣な連中を思う存分に操り、喝采を浴びる支配欲を満たす快感。

 

 絶望、嚇怒、歓喜、喝采、忍耐(・・)。全てが渦巻き、矢崎とリーアルが支配していた空間であったが――

 

 

「あ、不知火さん、もういいよ」

 

 

 ――男の、弐曲輪 虎太郎の一言で全てが凍りつき、破壊された。

 

 

「――――――ッ!」

 

「――――――え?」

 

「は――――――?」

 

「なん……だ、と?」

 

 

 これは茶番劇である。

 但し、矢崎がゆきかぜを陥れようとしたものではない。そんなものは当の昔に破綻している。

 これは弐曲輪 虎太郎が嫌々仕掛けた茶番劇だ。

 

 虎太郎の気の抜けた言葉に対して、不知火は弾かれたように駆け、ゆきかぜを力一杯に抱き締める。

 その胸中は如何ばかりか。同じ母親でしか、いや、不知火と同じ経験をしたものでしかなければ分かるまい。

 

 そして、虎太郎と不知火を除いた全員が唖然茫然と立ち竦み硬直していた。

 ゆきかぜと凜子は目まぐるしく変化する現状に対応しきれず。矢崎とリーアルは“あのお方”が直々に調教を施した不知火の裏切りに。

 

 

「なんだ、これは……これは、どういうことだ!」

 

「……馬鹿な。ありえん、正気に戻って……?」

 

「阿呆か。お前等に教えてやる義理なんぞオレにはない。だが――――」

 

 

 周囲を警戒しながらも呆れ切った、そもそも会話するのも馬鹿馬鹿しいといった口調で虎太郎が告げる。

 

 

「――――駄目押しをさせてもらおうか」

 

 

 パチン、と指を鳴らすと大広間に変化が訪れた。

 壁にかけられた薄型の画面が一斉に起動したのである。

 本来であれば、奴隷娼婦の記録や特殊なプレイを客達が酒の肴とする為のものであったが、今回は違った。

 

 画面に映し出されたのは、薄暗い部屋の中で怯えた様子で椅子に座っている一人の魔族だ。

 

 

「……、……ゾクト、か?」

 

 

 そう、奴隷商人のゾクトが、情けない涙を浮かべていた。かつてゆきかぜと凜子を地獄に陥れた際に見せた傲慢極まる表情は影もない。

 奴隷を買うリーアルですらが、一瞬彼を判断しかねたのは、原型を留めない程に腫れ上がった顔のせいだろう。

 余程、手酷い拷問を受けたらしく、完全に、念入りに、心をへし折られている。

 

 

『ご、御機嫌よう。ヨミハラに住まう諸君。我々はヨミハラに仇なす者。最近、ヨミハラを騒がしている集団と言えば、わ、分かるだろうか?』

 

 

 手にした原稿用紙を、涙ながらに読み上げる。

 客は皆、画面に釘付けになっている。言葉から察するに、ヨミハラ全域の電波をジャックしているようだ。

 事実としてヨミハラは全ての映像媒体となる画面はアルフレッドの支配下にあった。

 

 

『我々は諸君らが大嫌いだ。特に娼館の関係者など考えただけで虫唾が奔る。我々の足元で諸君らが蠢いていると思うだけで反吐が出る。それは、連日起こした殺戮で理解して貰えるだろう』

 

 

 虎太郎が作戦の前段階として行った殺戮の意味。

 忍である彼が、必要以上の残虐さを以て殺した理由。

 

 

『――――よ、よって、一つの遊戯(ゲーム)を、提案したい』

 

 

 その言葉の瞬間、ヨミハラ内に爆音が連続し、地面を揺らす。

 

 

『今の爆発は、な、何だと思う……? たった今、ヨミハラの通風孔や換気扇。そして、全ての出入り口を、ば、爆破したぁっ……!?』

 

 

 原稿を読まされているゾクトですら初めての知ったのか。読み上げる口は驚愕を発し、動揺が客に――いや、ヨミハラに住まう全ての屑共に伝播する。

 事実として天井付近に存在している全ての通風孔、そして全ての出入り口は爆破されていた。

 

 これが虎太郎がヨミハラの外壁を上り下りし、情報収集を行った理由。

 

 

『…………さ、さて、賢明な諸君らならば気付いただろう。こ、これで、君達に待つ運命は、酸素の消費による死だ』

 

 

 ヨミハラは東京の地下300mに存在している。

 当然、空気の供給は必要だ。如何に都市であれ、出入り口を塞がれれば完全な閉鎖空間が出来上がる。

 そして、人であれ、魔族であれ、基本的に新鮮な空気がなければ、酸欠による死は免れない。

 

 これがヨミハラという都市の環境。

 

 

『だ、だが、我々も君達のような悪鬼外道、下衆で鬼畜な獣ではない。生き残るチャンスを与えよう。二度目になるが、こ、これは遊戯(ゲーム)だ。ルールはある』

 

 

 既に、ヨミハラの住人は虎太郎の術中に陥り、映像に釘付けになっていた。

 あらゆる組織も、指一本も動かせぬ驚愕で固まっている。まさか、これほどの事態になるなど予期していなかったようだ。

 何よりも、この現状が、たった一人の男に引き起こされているなど露にも思わない。

 

 

『しょ、娼館の、人間を殺せ。娼婦も、スタッフも、客も、と、問いはしない。ひ、一人殺せば、一人助けよう。あ、ああ、組織になど頼らない方がいいぞ。ノマドにせよ、諸君らを助けてくれなどしない。それは、み、身を持って、知っているだろう?』

 

 

 それも事実だ。

 ノマドはヨミハラを支配しているだけだ。ヨミハラを発展させようなどと考えていないし、それほど重要視もしていない。

 そもそもノマドの頂点に君臨する王が、支配するばかりでそれ以上は何もしようとしない。組織を維持、発展させようと躍起になっているのは、幹部や末端の構成員に過ぎない。 

 

 あの強大なノマドとて――自身の命が最優先だ。

 

 

『し、死体は数え易いように、が、街灯に高々と吊るせ。ま、まあ、我々を信じる、信じないは、諸君らの自由だ。ど、どの道、動かねば待っているのは、死であるということだけは、わ、忘れぬように』

 

 

 恐怖と猜疑と不審がヨミハラを渦となって飲み込んでいく。 

 

 

『も、もう、いいだろう!? きょ、協力はしたんだ! これが嘘でも本当でも構わねぇよ! せ、せめて、いのぢ――――』

 

 

 映像の中で、ゾクトの頭蓋が吹き飛んだ。

 彼の愛用しているショットガンによるものだと気付いた者はいただろうか。

 しかも、完全に死亡している死体に向けて何発も何発もバックショットを撃ち込み、ゾクトの上半身が肉塊に成り果てるまで引き金を引き続けた。

 

 やがて満足したのか、連続する射撃音は止み、その代わりに一枚の紙が映像一杯に映し出される。

 

 

 ――Time is money(時は金なり)Hurry Up(速くしろ)

 

 

 そこでようやく、悪夢のような映像は途切れる。 

 

 

「こ、……こ、ここ、殺せ! や、奴を、奴等を、一人足りとて逃がすな!」

 

 

 一体、どれだけの時間を呆然としていたであろう。何とか再起動を果たした矢崎は部下の護衛に命令を下す。

 全く意味のない行為だ。この映像を真に受ける者たちがいるにしろ、いないにしろ。ここまで事態が進行してしまえば、どうにもならない。

 

 しかし、四人の姿は影も形もなく消え去っていた。

 それなりの時間をこの場に居る全員が映像に釘付けになっていたのだ。逃げるには十分な時間があった。

 

 矢崎とリーアルは同時に膝を折り、完全に心を砕かれた。最早、恨みや怒りすらない。

 四人の――いや、この事態を仕掛けた虎太郎の意図が、ようやく透けて見えてきたからだ。

 

 ――あ、オレ、別にお前らのこととか、どうでもいいです。勝手に死んでくれないかな?

 

 己自身が敵としてすら認識されていない、単に作戦を遂行する上での障害程度の存在でしかなかった現実。

 高慢で、強欲。全てが自分の思い通りに進み、神にも等しい存在だと誤認している愚か者には、直接手を下すよりも遥かにダメージの大きい最高の意趣返しだった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「このサイコパス!」

 

「うん、不知火さん。それ自覚あるから」

 

「この冷血動物!」

 

「ゆきかぜ。冷血と冷血動物じゃ意味違うからな。今は変温動物って呼ぶのが主流だからね」

 

「この闇人形!」

 

「ふふふ、聞いてくれアル。助けた連中からの、この熱い死体蹴りをよ」

 

『いえ、当然でしょう、このドライモンスター。少しは改めてみては?』

 

「だがオレは改めない。この方が効率がいいから」

 

((((……少しは改めてもいいのに))))

 

 

 アンダーエデンの三階から脱出した4人と1機は、向かいの建物の上で事の推移を見守っていた。

 不知火とゆきかぜ、凜子の三人は余りの外道ぶりに感動の再会すら忘れ、一様に虎太郎を責め立てている。これではぶち壊しも甚だしい。

 

 これが元々の予定だ。この暴動を引き起こし、混乱に乗じてゆきかぜと凜子だけを救出するつもりだった。

 

 ヨミハラという環境。ヨミハラに住まう者どもの性質を利用した策。

 これが他の都市であれば閉鎖など不可能であり、何らかの方法によって住人の死を意識させるのも手間だ。

 対し、ヨミハラであれば出入り口と通風孔さえ塞いでしまえば、嫌でも死を意識せざるを得ない。

 

 そして、ヨミハラは闇の領域である。無秩序、混沌、個人主義、弱肉強食が横行し、住人もそれに従っている。

 これが対魔忍であれば、或いは米連の兵士達であれば、こうも簡単に煽動はできなかった。

 彼等は確かな使命と目的を帯び、鉄の掟で結ばれている。簡単に仲間割れなど起こさない。起こしたとしても、それはもっと酷い極限状態下でしかない。

 この程度で互いに殺し合うのは、常に自分が優位に立ち、ほんの少しの動揺で取り乱すこの街の住人のような人種でしかない。

 

 その上、サクラも仕込んであった。

 街の中心にある広場は多くの住人が訪れる。タイミングを見計らって録音してあった音声を装置から流しただけなので、厳密にはサクラとは言い難いが。

 

 

『じょ、冗談じゃねぇ! こんなところで死ねるか! オレはやる! やってやる!』

 

 

 基本的に人も魔族も、その精神性に大きな違いなどない。

 大半の者は周囲に流され、流行りに流され、力に流され、環境に流され、ありとあらゆる全てに流される空ろ舟だ。

 信念や確固たる己を持っている者など、ほんの一握りでしかない。

 

 1人動けば3人動く。3人動けば12人動く。12人動けば――――さて、次は何人動くことやら。

 

 たった一言が最後の引き金となり、暴動は起きた。

 今や、ヨミハラに存在している娼館は暴徒と化した住人どもに襲撃を受けていた。

 それだけではない。自分だけは生き残ろうと殺し合う者もいるほどだ。呼吸をする者が減れば減るほど、酸欠に喘ぐまでの時間が延びていく。

 

 

「流石、馬鹿どもだ。無意味に元気で大変宜しい」

 

「………………私、虎太兄だけは絶対に敵に回さない」

 

「「同感」」

 

 

 ここまでのことを仕出かすとは考えていなかったのだろう、ゆきかぜは頬を引き攣らせて、ありのままの気持ちを口にする。

 不知火も凜子も、一も二もなく同意した。こんな悪辣な策を仕掛ける者など敵どころか味方に回しても怖い。

 

 

『はい、懸命な判断です。これで本気でありませんから。必要な分だけをやっているだけです』

 

「これでぇ?! ていうか貴方、誰!? 虎太兄! 私、何も聞いてない!!」

 

「ああ、何も聞かれなかったからな。言ってない」

 

『ああ、これは失礼を。私はアルフレッド。このドライモンスターの相棒を務めております人工知能です。以後、お見知り置きを』

 

「……機械の方が紳士なのは、どうなのだろうな。頭が痛くなってきたぞ」

 

「安心しろ! アサギの無謀無策無茶振りに比べれば全然大丈夫だよ! オレなんて年がら年中、頭痛と胃痛でねじ切れそうだもん! なっ、不知火さん!!」

 

「…………………………………………………………ノーコメントで」

 

 

 突然だった虎太郎からの振りに、不知火はたっぷりと悩んでから答えを口にしなかった。

 この様では、虎太郎の策の外道ぶりとアサギのフォローで奔走していた過去も、大差はないのかもしれない。

 

 

「お、出てきた。あーあーあー。ようやるわ。流石、馬鹿どもだ。こっちも無駄に元気で大変宜しい」

 

 

 アンダーエデンに押し入った襲撃者は、既に死体となった矢崎やリーアル、客どもの死体を引きずり出していた。

 奴等の周囲には護衛がいたが、どれだけ優秀であろうとも圧倒的な数の差がある。如何ともしがたい。いや、もしかしたら護衛自らがリーアルと矢崎に引導を渡した可能性もある。

 

 ゆきかぜと凜子、不知火は僅かばかりに溜飲が下る思いであったが、それ以上に、既に二人に対しての興味関心を失っている虎太郎にドン引きしていた。

 虎太郎にしてみれば、矢崎にせよ、リーアルせよ、任務上の邪魔者に過ぎない。個人的な感情など、それほど抱いてはいなかった。死んでいようが生きていようがどちらでもいい。

 矢崎やリーアルが生きていようが多少の障害にしかならないが、僅かな障害でも影響は影響である。生死だけははっきりさせておかねば、今後の活動の不安要素になりかねない。

 

 

「ほらよ。お前等の武器と解除薬だ。あと、ゆきかぜ、オレが何のために仮面を被ってると思ってるんだ。次に奴等の前で名前呼んだら、メス豚調教すんぞ。リーアルとか屁でもねぇ調教するからな」

 

「え、あ、はい。ごめんなさい。……ていうか、お母さんの前でそういうこと言う!?」

 

「言うね。マジでキレそうになったわ、アレは」

 

 

 ヨミハラにおける一連の行動において虎太郎が唯一冷や汗を掻いたのは、ゆきかぜが自身の名を呼びそうになった時である。

 いくら混乱の中であっても、虎太郎にしてみればアレはない。不知火がフォローに入らなければ、本気で怒鳴ろうと思ったほどだ。

 あの演出を続けることよりも、彼にとっては自身とゆきかぜの繋がりが何処からか漏れる方が問題である。

 

 

「それでどうするつもりだ? この様子では本当に出入り口を全て爆破したのだろう?」

 

「進みながら話す。解除薬は飲んだな?」

 

 

 ゆきかぜと凜子は虎太郎の問いに頷いた。

 互いの舌に刻まれた奴隷娼婦の刻印も既に消え去っている。間違いなく効果を発揮しているようだ。

 

 虎太郎は顎で行先を指し示し、三人もそれに続く。

 建物から建物へ、重力から解放されたような跳躍を見せる対魔忍たちであったが、虎太郎の後に続く三人は息が荒い。

 当然だ。ゆきかぜと凜子は一ヵ月以上、不知火に至っては5年にも及ぶ男どもの下衆な欲望の捌け口になっていたのだ。体力も落ちよう。

 

 改めて、三人は虎太郎の実力を思い知る。その片鱗を垣間見た不知火であっても驚きを隠せない。

 虎太郎の裏の顔を知らなかった故に当然であろうが、その身のこなしは凄まじいの一言だ。

 もしかしたら、自分や他の二人は勿論のこと、真正面から戦ったとて、あのアサギすら越えるのではないか、という念を抱いてしまうほどの軽やかさと速度である。

 

 

「脱出方法だが、凜子の空遁の術を使う」

 

「やはりか。しかし、分かっているのか。空間跳躍の術は視界に収めた場所以外への跳躍は危険だ」

 

「知ってる。お前の術くらい把握してるさ。だから、今回はマーキングを使う」

 

「マーキング……?」

 

 

 空遁の術。その神髄は空間を操ることにある。

 空間を歪め、遠方の光景をあたかも至近距離で見る。異なる空間を繋ぎ、瞬間移動を行う。用途は様々であるが、欠点は体力の消耗が激しい点だ。

 その中でも空間跳躍の術は危険な術である。文字通りの瞬間移動なのだが僅かにでも目標となる地点を誤れば、壁や岩の中に嵌り込む羽目となる。

 

 地上までは300m。凜子の力ならば十分に跳躍可能な距離である。その分、繊細なコントロールは難しい。

 地面に埋まるのは勿論のこと、上空数百メートルの位置に跳躍してしまえば、4人揃って地面のシミになりかねない。

 

 その為にマーキングを使用する。

 凜子の術に割り込み、あらかじめマーキングしておいた地点に座標を設定させ、跳躍を行うのだ。

 

 

「そんなことが…………それが、貴方の能力か?」

 

「いんや、単なる魔界技術。もっとも、空間転移は魔界でも扱いの難しい部類の技術だ。魔術にせよ、能力にせよ、機械にせよな。腹立たしいことに、それらを簡単に行える一品があるんだよ」

 

「いや、そこは腹立たしいって可笑しくない?」

 

「確かに。少なくとも今は便利、と言うべきじゃないかしら」

 

「色々あるんだよ。色々な」

 

 

 心底嫌そうな声に、仮面の下の表情まで透けて見えてきそうだった。

 その様子に、さしもの三人も踏み込んでいけなかった。

 少なくとも虎太郎の言葉から察するに何らかの物品であることは間違いないようである。

 だが、手に入れた経緯に何かあったか、使用そのものに危険が伴うのか、それを手にしていること自体、虎太郎にとっては好ましくないようだ。

 

 建築物の屋根から下り、路地裏を進んでいく。

 この辺りは居住区。娼館の多く集まり狂乱の最中にある中心地とは異なり、静寂に包まれている。

 

 最初に違和感を覚えたのは虎太郎。僅かに遅れて不知火が、最後にゆきかぜと凜子が、その気配に気付いた。

 大きく首を振って落胆と疲れを示し、虎太郎は構わず進み、三人も後に続く。進んでいく度に魔力とも剣気ともつかぬ圧力が増していく。

 

 長距離のマーキングには大量の魔力を使用する。

 ある程度の実力者ならば近くに寄っただけでも気付く。その為にわざわざ居住区にセットしておいたのだが、どうやら意味がなかったらしい。

 

 

「――――成程、これを仕掛けたのは貴様等のようだな」

 

 

 セットしておいた地点は、居住区の中央にある小さな広場。

 地面の魔力を調べていただろう女は、4人の気配に気付くと立ち上がり、6人の部下と思しき女達へと指示を出す。

 皆、腰に剣を携えている。この街の住人ならば知らぬ者はいない。女だてらにヨミハラの自警団を名乗る魔族たちだ。

 

 そして、その指示を出した人物こそが最大の障害だ。リーアルも矢崎も比較することすら馬鹿馬鹿しい。

 

 赤い外套を纏い、既に抜き放っている黄金の刀身と白銀の柄の剣は紛う事なき魔剣。

 薄紅色の長髪、褐色の肌。女の妖艶さと騎士の剣気を纏った女。対魔忍でも、魔族でも、米連でも、その名を知らぬ者はいない。

 

 

「魔界騎士…………イングリッド」

 

 

 呟きは誰のものであったか。

 イングリッドの酷薄な表情を前にした緊張故のものには違いない。

 

 エドウィン・ブラックの側近を務めるノマドの大幹部。

 その卓越した剣技はアサギと並び称されるほどであり、剣技と魔術を組み合わせた魔剣術はあらゆる敵を焼き尽くす。

 少なくとも体力を消耗しているゆきかぜ、凜子、不知火では三人掛かりでも分が悪い。ましてや、今は6人の部下がいる。

 

 最悪の状況下の中、虎太郎は一人ごちた。

 

 

(あー、やっぱこうなるかー。常森ん時も朧が出張ってきたしなぁ――――だが、ある意味、幸運だな。利用できるもんは何でも利用しちゃおうねー)

 

 

 仮面の下でにこりともせずに、そんなことを考えている。

 少なくとも三人がその内心を知れば、戦慄したことだろう。お前はまだ策を考えていたのか、と。

 

 作戦は最終段階に入っている。

 彼が考えている通りであれば、エドウィン・ブラックや“あのお方”が出張って来ようとも、救出も逃走も確定事項なのだ。

 ならば両者に実力で劣るであろうイングリッドであっても変わりはない。いつも通りに淡々と、いつも通りに粛々と為すべきことを為すまで。

 

 

 魔界騎士にとっての戦いが――

 

 ――弐曲輪 虎太郎の任務が。

 

 

 今ここに、火花を散らして、始まろうとしていた。

 








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『苦労人は何も彼だけではない。魔族にだって苦労人は存在する』

 

「三人は対魔忍だな。雷撃、斬鬼、最近は名を聞かなかった幻影のまで」

 

「あの魔界騎士にまで名を知られているとは、光栄の至りだな」

 

「勘違いをするな。貴様らが哀れな奴隷娼婦に堕ちたと聞き及んでいただけだ」

 

(お前も似たような目にあってんのに、よー言うわ)

 

 

 魔族特有の人間に対する無条件の侮蔑を向けられ、ゆきかぜと凜子は武器を構えながら歯噛みした。

 イングリッドがかつてどんな目にあったかを知っている虎太郎にしてみれば、どうして自分を棚上げしてそんなことが言えるんだ状態である。

 

 

「しかも、最近ヨミハラを騒がせている狼藉者と同伴とは。この馬鹿騒ぎも貴様の手によるものか」

 

「………………」

 

「余程、娼館に恨みがあると見える。奴等がそんなに憎いか? 下賤な対魔忍どもを助けたのは、奪われた女の影でも見たか?」

 

(セーフ。少なくとも表面上は気付かれてない。あれだけ派手にやったし、対魔忍のやり口からかけ離れてるからね! 今はアサギの何でもかんでも正面突破のやりように感謝!!)

 

 

 自分は殆ど手を下さず、住人を煽動して娼館の人間を殺させる。

 対魔忍のやりようにしては悪辣すぎる。仮にも正義と誇りを謳う集団である。用いる手段が、余りにかけ離れている。

 その身に纏う対魔忍装束ばなれした対魔忍装束と顔を覆う無貌の仮面も、正体を隠すことに一役買っていた。

 

 イングリッドは哀れみすらも見せない軽蔑の視線を向ける。見当違いの見解は虎太郎にとっては僥倖だ。

 自分に対して絶対の自信がある者は、一度下した自身の結論に疑いなど抱かない。少なくともイングリッドの気質では、自身を疑うなど在り得ないだろう。

 

 

「答えてやる義理などない。……べらべらとよく回る舌だ。手にした剣は飾りか?」

 

「――――何?」

 

 

 ギシリと音を立てて空間が凍り付く。言うまでもなくイングリッドの殺気によるものだ。

 

 ゆきかぜと凜子は冷や汗を掻き、不知火は得物の薙刀を握り直す。

 並みの魔族ではここまでの殺気を放てまい。一般人であればそれだけで、蒸発してしまいそうだ。 

 

 

「そうまでして他人を見下したいか。確かにお前は強い。生き物としても、存在としても、能力も強度も人とは段違いだ。認めざるを得ない」

 

「……何が言いたい」

 

「いや、オレに言わせれば一山いくらの魔族と大差はないという話だ。他人を見下していないと誇りも示せない。力というただ一点でしか世界も他人も測れない狭量で視野の狭い馬鹿どもだ」

 

「――――貴様っ」

 

「違ったか? ああ、すまない。そんな風にはまるで見えなくてね」

 

 

 失笑を漏らしながらの台詞に、イングリッドどころかその部下までも怒りを露わにする。

 他の3人にしてみれば、冷や汗ものだ。わざわざ怒りを煽る場面でもあるまいに、と。

 

 しかし、虎太郎にしてみれば当然の舌戦だ。

 怒りは確かに能力を高める。その反面、視野狭窄を引き起こし、突発的な事態に弱くなる。付け入る隙が増えるということだ。

 

 

「オレから言わせれば、お前等は揃いも揃って年を重ねただけのガキだ。何処までも自分が正しいと信じ、上手く行かないとすぐ取り乱す――――お前が大好きなあの男ですらそうなのだから、笑える話だがな」

 

「下賤な人間風情が、我が主まで侮辱するか……!」

 

「オレはお前等と同じことをしているだけだ。自分の見たものを、自分の尺度で語っているに過ぎん。自分がやられて嫌なことを、他人にするなよ。まあ、掌が大きい、腕の長い子供は可哀想という話でもあるがな」

 

 

 必要以上の挑発――などではなく、全て虎太郎の本心だった。

 虎太郎の魔族に対する結論だ。不死の王、吸血鬼の始祖、強大な力を持ったノマドの創始者であるエドウィン・ブラックであっても、それは変わらない。

 強大な力を持って生まれた故に、何もかもが思い通りに進んできた。だから、力が全てなどと勘違いをする。

 

 確かに圧倒的な暴力は、この世において比類のないものだ。

 しかし、それは支配や戦いという観点から見ただけの話。発展や成長という観点から見れば、知恵の方がよほど有用である。

 

 その辺りを魔族は全く理解していない。

 弱肉強食の掟に従い、戦いばかりに生きてきたのだから仕方がないといえば仕方がない。

 だが、掟も法則も異なる人界に来たと言うのに、浪費と殺戮を繰り返すばかりで学ぼうともすらしないのは虎太郎に言わせれば、どうしようもない阿呆だ。

 

 

「べらべらと舌が回るのは貴様の方だ! 自らの愚劣、死を以て知るがいい……!」

 

「何を怒ってるんだ、アイツは……」

 

『自分から怒らせておいてよく言います』

 

「全くだ……!」

 

「全くよ……!」

 

 

 6人の騎士が一斉に襲い掛かる。得物は全てが長剣。

 

 真っ先に前へ出たのは、凜子と不知火。共に近接戦闘において無類の力を発揮する剣術、薙刀術の使い手。当然の選択だ。

 だが、八つの剣戟が激突するよりも速く、奔るモノがあった。

 

 

「飛べよ、雷撃――ッ!!」

 

 

 ゆきかぜが自らの得物を構え、術を発動させる。

 手にしたフリントロックを連想させる二丁拳銃の名はライトニングシューター。強大な雷遁の術を安定して使用するための装備だ。

 

 銃口から緑色の雷球が迸る。

 一つ一つが5000Vを越える雷撃である。直撃すれば一溜りもない。

 並みの魔族であれば反応することも敵わず身体の風通しが良くなり、黒焦げの死体が出来上がる。

 

 されど、彼女達が相手取るのは魔界騎士イングリッド直属の自警団――否、騎士団である。

 無数に放たれる雷球を躱し、防げなくては、とても魔界騎士の部下は名乗れない。

 

 女騎士たちは手にした剣はイングリッドのような魔剣術なのか、魔力を帯びている。

 故にゆきかぜの雷球を断ち切るも、防ぐも思いのままであるようだ。事実、何度雷球を受けても蹈鞴を踏んで交代するばかりで感電や電熱に曝されている様子は一切ない。

 

 ゆきかぜに焦りはない。

 元よりこれまで相手にしてきた魔族とは格の違う相手だ。当たれば御の字、当たらずとも凜子と不知火の牽制になればそれで良かったのだ。

 

 凜子と不知火は襲い来る騎士を必死の形相で捌く。

 一対一ならば負けはないが事実上の一対三の構図は、如何に二人と言えども如何ともしがたい。

 

 不知火は敵を倒し切れぬ現実と回転を上げていく鼓動と呼吸に焦りが生じていた。凜子もそれは変わらない。

 本来であれば、不知火はこの6人を相手どっても負けないどころか勝てたであろう。しかし、長年に渡る奴隷生活は彼女にどうしようもない衰えを生じさせている。

 

 対魔忍は堕落し、魔族と共にあると不思議なことにその力――対魔粒子の増大、術の応用範囲、威力の増大だ――を増していく。

 極一部の者しか知らぬ事実であるが、その理由は対魔忍の力の根源と関係がある。

 対魔忍とは、かつて魔に対抗する為、魔の者と交わり、魔の力を自らのモノとした人間の末裔なのだ。

 

 虎太郎もその真実を知っている。薄々感付いてはいたが、ハッキリと認識したのは東京キングダムにおけるアサギと朧の死闘を垣間見た時だ。

 心身ともに極限まで追い込まれたアサギは、自らの内に眠る魔の力を覚醒させ、辛くも勝利を収めた。その場に、救出へと向かった虎太郎も居合わせたのである。

 

 堕落した対魔忍が快楽を追求し、鍛錬のたの字も掠らぬ有り様にも拘わらず、かつてよりも強大な力を手にする理由を虎太郎はこう結論付ける。

 対魔忍は身も心も魔に近づくほどに力を増すのは、人よりも魔に近づいているが故だ、と。

 

 故に不知火の弱体化は当然である。

 既に彼女は身は兎も角として、その精神は人そのもの。残るのは衰えた身体のみ。

 

 

「――――邪魔だっ!!」

 

「ぐぅぅ――――ッ!?」

 

「――――あぐぅっ?!」

 

 

 如何に強いとはいえ新人の凜子。如何に手練れとはいえ衰えた不知火。

 そんな二人では、今がまさに全盛期のイングリッドを止められる筈もなく。

 

 辛うじて体勢を崩すのみで済んだものの、イングリッドも凄まじい膂力と剣技だ。ただの二閃で、両者を突破してしまう。

 

 彼女の狙いは、ゆきかぜだ。

 この場において最も攻撃範囲の広く、火力も高いゆきかぜこそが、剣士である彼女にとっては最大の天敵だ。

 イングリッドの実力を鑑みれば、障害とも呼べない障害である。躱しようがあり、防ぎようのある攻撃など無意味極まる。

 けれど、主を愚弄した男を確実に殺す為には最大の邪魔者には違いない。

 

 イングリッドが間合いを詰める。

 元より遠距離からの攻撃を得意とするゆきかぜは、無数の雷球を放ち、魔界騎士の足を止めようする。

 だが、既に疾風と化したイングリッドは止まらない。迫る攻撃を躱すばかりで、防御すらせずに前進した。

 

 ――そして、ゆきかぜの首がイングリッドの間合いに入ってしまった。

 

 ゆきかぜは咄嗟にライトニングシューターを盾にしようとしたが、イングリッドの持つ魔剣ダークフレイムには余りにも心許ない。

 

 次の刹那には首が飛ぶ。 

 ゆきかぜが死を覚悟し、イングリッドが勝利を確信した――

 

 

「本当に、手間の掛かる奴だな、お前は」

 

 

 ――そんな呟きと共に、身の毛もよだつような肉が裂け、骨の断たれる音が響き渡る。

 

 

「――なっ!」

 

「……ッ!?」

 

 

 ダークフレイムが断ったのは虎太郎の突き出した左拳。

 イングリッドの驚きも、ゆきかぜの戦慄も無理はない。自らの一部分をあっさりと捨てるなど、誰であれ予測も出来まい。

 

 

「ふッ――――!」

 

「が、ぐぁっ?!」

 

 

 腹部に放たれた右の掌底に、イングリッドは後方に投げ出されながらも何とか地面に倒れ伏す不様を回避した。

 

 ゆきかぜの顔は蒼褪めている。自分の不手際と弱さで、虎太郎が傷つくなどあってはならないことだ。

 

 

「…………こ――」

 

「取り乱すな!」

 

 

 己の名前を呼びそうになったゆきかぜに、鋭い喝を入れる。

 左の拳は手首まで縦に裂けているにも拘わらず、痛みを感じさせない鋭さだ。

 虎太郎にとっては手が斬り裂かれたことよりも、名を知られる方が余程問題であるようだ。徹底的にも程がある。

 

 

「何て奴だ。対魔忍などを身を捨ててでも守るとは――――だが、残念だったな」

 

「知ってるよ。燃えるんだろ、これ」

 

 

 勝利を確信したイングリッドは会心の笑みを浮かべる。

 イングリッドの魔剣術は黒い炎を生み出す。消えぬ黒炎はやがて敵の全身へと行き渡り、骨まで焼き尽くされた焼死体が出来上がる。

 そうして、彼女は魔界騎士の名を欲しいままにし、数多の敵を屠ってきたのである。

 

 けれど、虎太郎は何処までも冷静だった。

 断たれ、今まさに黒い炎が生み出されようと煙を上げる左手を前に差し出す。

 イングリッドの能力は闇の世界でも有名である。それ故、万が一に備えた傾向と対策も整えてある。

 

 虎太郎は左手首に手持ちの鋼線を巻き付けると、即座に斬り落としてみせた。

 

 

「………………ッ」

 

「何だぁ? 何を驚いているんだ、お前等は?」

 

 

 イングリッドやゆきかぜだけではない。凜子と不知火と交戦していた6人の騎士達ですらが硬直していた。

 

 イングリッドの能力への対抗する方法はいくつかある。

 遠距離からの一方的な攻撃。彼女の攻撃には一切当たらない。彼女の魔術や魔力を封じる。通常、思いつくのはこれくらいだろう。

 だが、虎太郎の取った方法は、誰もが思いつくが決して、呼吸をするように実行するようなものではない。

 

 彼にしてみれば当然だ。

 使えないものは斬り捨てる。自分の一部であろうとも、自分自身であろうと例外ではない。その理に従ったまで。

 合理的だ。命を喪うよりも遥かにマシであると同時に、痛みにさえ耐えれば戦闘続行も可能。実に無駄がない。

 

 ――もっとも、そんな判断を誰もが即決できはしないからこそ、彼の異常性を際立たせているのだが。

 

 確かに、五車学園に戻れば桐生がいる。彼の技術を以てすれば、傷跡も残らずに元に戻る。

 だが、20年以上も連れ添った自分の一部を顔色一つ変えずに斬り捨てるなど、まともな精神では不可能だ。

 

 

「どうした? 何故、攻撃してこない? 絶好の機会だったろ? そんなに驚くようなことか? 死ぬよりマシだろ?」

 

「……貴様は」

 

「ふん、お前等みたいな連中は嫌いだよ。他人から命を奪っている癖に、自分の命は奪われるのは嫌ときた。最低限、オレくらいの覚悟は持ってほしいもんだね。殺してるんだ、殺されても当然だろ? 何されたって文句言えない立場だと思うがね。オレが相手にすることは、全部オレにやっていい事なんだがなぁ」

 

 

 嘘偽りのない本心である。

 

 虎太郎には自覚がある。それは能力面だけでなく、己自身の行動にまで至る。

 自身は紛れもない外道である。闇の住人共を罵る権利すらない。

 命を含めた全てを奪って生きている。ならば、いずれ自分が全てを奪われても文句など何一つない。

 無論、抵抗はする。それは一つの生命として当然の権利なのだから行使すべきだ。だが、抵抗虚しく殺されたとしても、くそったれと言いながら笑って死ぬ覚悟など当の昔に終えている。

 

 

「そんな程度の覚悟もないのに、よくもまあ好き放題やるもんだ。お前等の死に様、さぞ見物だろうよ。もっとも、オレは楽しみゃしないがね。死んだかどうか確認するだけだ」

 

「…………いいだろう。貴様は敵だ。我が全霊にかけて殺すべき――いや、殺さねばならぬ敵だ」

 

「だから、何から何まで遅すぎるんだよ、お前等は」

 

 

 事此処に至ってようやくイングリッドは虎太郎を認めた。

 競い合い、互いを高め合う好敵手ではなく、己の全てをかけてでも殺さねばならぬ敵という意味だ。

 

 魔界騎士は、この男が強者弱者に拘わらず、危険極まる存在だと認識を改めた。

 必ず殺しておかねば、いずれ――いや、今すぐにでも、主に牙を剥きかねない。

 根拠のない勘と大差はなかったが、騎士たる彼女には、それだけで充分だ。

 

 既に怒りも憎悪もない。頭も心も芯まで凍てついている。

 呵責無き虐殺に感情など不要。ただ鍛え上げた技と力さえあればよい。

 

 余りにも遅すぎる様に、虎太郎は嘆息しながらゆきかぜに視線を向け、続き凜子と不知火を見た。

 視線に込められた意図に気付いたのか、三人は僅かな逡巡の後に頷いた。

 覚悟を決め、己の為すべき行動を察した二人に反して、ゆきかぜは虎太郎の服の一部を掴む。

 今、ゆきかぜの心を占めているのは、虎太郎に対する謝罪と己の弱さに対する悔恨だ。自分がイングリッドとまともに戦えていれば、虎太郎が左手を失いはしなかったからだ。

 

 彼女の胸中を知ってか知らずか、虎太郎は掴んでいた手を振り解いた。

 これより彼が挑む死闘は一瞬。瞬きの合間に片が付く。今はゆきかぜの純粋な思いですら、邪魔なものに過ぎない。

 

 

「征くぞ―――ッ!」

 

「さっさと来い、魔界騎士殿」

 

 

 弾かれたように三者が動く。

 虎太郎とイングリッドは互いに向かって。ゆきかぜは凜子と不知火を援護する為に地を蹴った。

 

 

(迅い……! しかし、自ら左手を斬り落としたのは失策だったようだな!)

 

 

 虎太郎の速度は、もはや疾風を越えて迅雷だった。

 予備動作の全くない踏み込み。無音の疾走。一歩目から自己の最高速を生み出す歩法。

 魔界にて数々の強敵を討ち果たしてきた魔界騎士にとってすら初めて相対するレベルの、速度と云う名の凶器。

 

 しかし、悲しいかな。左手を斬り落とす行為は重心のバランスを崩していた。

 彼の最速を知らないイングリッドですら、陰りを見て取れる。

 

 痛みを感じないこと、痛みに耐えられることは違う事柄だ。

 ましてや、超絶の回復能力を有していない虎太郎は痛みを重ね続けるのみ。所作や能力に影響が出ない方が可笑しい。

 

 十分な勝算がイングリッドにはある。

 速度においては劣るが、圧倒的な間合いの有利が彼女にはある。自らの間合いに相手が入った瞬間に首を刎ねるなど剣術に長けた彼女には造作もない。

 

 虎太郎もそれを分かっていたのだろう。

 隠し持っていたクナイをイングリッドの顔面目掛けて投擲した。

 

 苦し紛れの牽制。

 投擲されたクナイを弾きながら判断しつつも、彼女に油断も慢心もない。

 最小限の動きで剣を操り、鍔で弾かれたクナイは虚しく宙を舞う。イングリッドは体勢すら崩さず、動きに淀みはない。

 

 

(――――何だ!? いや、迷うな!)

 

 

 見れば、今し方クナイを放った虎太郎の右手には、白く輝く球状の何かが渦巻いていた。

 何らかの魔術か、能力か、魔界の魔法具によるものか。イングリッドに判断を下せるだけの予備知識はなかったが、躊躇や迷いだけは生じさせない。

 

 如何なる能力であるにせよ、球体に如何なる作用があるにせよ、間合いはイングリッドの方が広かった。

 相手の攻撃が当たるよりも速く、此方の攻撃が首を飛ばす方が速い。

 

 彼女の判断は正しい。

 事実として虎太郎がイングリッドに球体を叩き込むよりも速く、ダークフレイムの刀身は首へと吸い込まれ――

 

 

「なっ――――ぐ、あぁぁっ!?」

 

 

 ――虚しく空を斬った。 

 

 突然、文字通り掻き消えた敵の姿に驚愕の呻きを漏らすよりも速く、イングリッドは背中に叩き込まれた正体不明の衝撃に肺の空気を全て吐き出し、内臓は直接掻き回されたかのように荒れ狂う。

 それだけではない。衝撃はまだ足りぬとばかりに彼女の身体を地面へと抉り込ませ、余る威力は地面を叩き割った。

 恐るべき威力だ。石畳の地面は捲れ上がり、濛々と粉塵が舞い上っている。 

 

 

「い、イングリッド様……!」

 

 

 6人の騎士は不知火を筆頭とした三人の対魔忍から距離を取り、自らの主人が消えた粉塵の帳へと目を向けた。

 彼女等は確かに見た。無貌の男は首を刎ねられる直前、突如としてイングリッドの背後へと空間転移(・・・・)を行う様を。

 

 粉塵の中から一つの影が飛び出し、僅かに遅れてもう一つの影が躍り出た。

 先に出たのは虎太郎。そしてもう一方は無論、イングリッド。奇しくも、死闘前と位置が入れ替わっている。

 

 一瞬、睨み合った両者であったが、イングリッドは膝を折り、真紅の血反吐を地面へとぶちまける。

 

 騎士達は主の元に駆け寄るが、傷の深さに息を飲んだ。

 攻撃を喰らった背中の外套を円形にくり貫かれ、皮膚は螺旋状の跡が残っている。

 内臓は勿論のこと、下手をすれば人間よりも遥かに強固である脊椎にすら損傷がある。後遺症が残りかねない。

 

 

(凄ぇ頑丈。今の喰らって死なねぇの、ウチじゃ紫くらいのもんだぞ。並の魔族なら胴体が爆発四散すんだがな)

 

【未完成ではありますが、貴方の対魔殺法――“自在天”の威力は大したものです】

 

(ま、今は(・・)死なれても困る。未完成の技くらいが丁度いい)

 

【これで、ですか。貴方の容赦の無さには恐怖すら覚えます】

 

(馬鹿言え。殺し合いじゃ、たまたま急所を外れて、たまたま殺さん程度の威力で、たまたま生き残ってりゃ十分すぎる手加減だ)

 

 

 対魔殺法とは、対魔忍の歴史の中で培われた武器術、格闘術の総称だ。虎太郎の使用した“自在天”は、彼個人で培った技であるが。

 

 これだけの威力を引き出せたのは、全て対魔粒子によるものだ。

 対魔粒子――対魔の力は、対魔忍であれば、ある程度操ることが出来る。足に込めれば脚力に、腕に込めれば腕力に、全身を覆えば頑強に。或いは何らかの能力として顕現する。

 米連から奪った情報により、対魔の力が粒子であると知った虎太郎は、これを利用する術を考案した。

 

 モノを操る上で理想的とされるのが円運動である。対魔粒子でも変わりはない。

 掌上で対魔粒子を円回転させ、更に円回転を十重二十重に生み出すことで球と為す。

 円転自在にして球転自在。これらを超高速で行って生み出される威力は計り知れない。

 

 何よりも対魔忍であるのなら、雷遁や空遁といった異能型忍法に目覚めていなくとも扱える。

 もっとも緻密な対魔粒子の操作能力が必要であり、一朝一夕では習得不可能だ。虎太郎も、ここまで形にするのに十年の時間を要した。

 たったの十年で対魔殺法と呼べるレベルの技を考案、開発した虎太郎の発想と努力も恐ろしいが――――何よりも、現段階でこの威力だというのに、更に先がある辺りが最も恐ろしい。

 

 

「ぐっ、う゛……!」

 

 

 片膝を付いたイングリッドは口にまで競り上がってくる鉄の味、悲鳴を上げる内臓と骨格すら無視して、久方ぶりの敗北に歯噛みする。

 

 卑怯でもなければ、卑劣でもない。ただ、あの一瞬において、無貌の男は自身を上回った。

 

 扱える能力を隠すことを卑怯とは言わない。賢いと呼ぶべきだ。

 自らの性能を深く理解することを卑劣とは言わない。用心深いと呼ぶべきだ。

 

 全て。全てだ。あの男の行動、言葉、所作に至るまで、この展開を引き寄せるためのものであった、と認めざるを得ない。

 自分自身よりも深く、広く、無貌の男は自身の性能を把握し、最も効果的なタイミングで行使した。イングリッドにとって、これは言い訳のしようのない敗北だ。

 能力、性能における戦いでは五分だろう。だが、自身の扱える能力技術に対する自覚、戦いの中での頭脳戦で後塵を拝した。

 

 

「……この、勝負、貴様の勝ちだ。それは、認めよう」

 

「……おいおい」

 

「だが、貴様だけは何があっても殺す! 貴様は、危険だ!」

 

 

 この男は危険だ。我が主の敵となりかねない。忌々しい対魔忍の頭――井河 アサギすら霞みかねない程の強大な敵に……!

 

 言葉と同時に、イングリッドの魔力が膨れ上がる。いや、正しくは全く別の魔力が噴き出したと言うべきだ。

 これは彼女にとっては忌むべき切り札である。魔界騎士としての誇り故に、普段の彼女であれば決して切らないであろう切り札だ。

 

 けれど、無貌の男は今この場で殺しておかねばならない。ほぼ、直感に等しい判断であったが確信にも近い思いがあった。

 

 ――この男の牙は、我が主にすら届きかねない。

 

 油断と容赦の無さ。自身の性能を誰よりも深く把握し、最効率で行使する智慧。

 たった、それだけ。たったそれだけの理由で、この男は不死の王を殺すという矛盾(・・・・・・・・・・・・)を御しかねない。

 

 最愛の主を守るためならば、魔界騎士としての誇りなど塵芥に等しい。彼女に、迷いなどない。

 

 

「召喚術か。意外に多芸だな」

 

「その、通りだ。私の魔力を贄と捧げ、魔界の深淵に潜む邪龍グルニエの力を垣間見よ……!」

 

 

 召喚術。

 遠く離れた場所――魔界、異世界から何者かを喚びよせる技術だ。

 基本的に召喚術は自らの力で屈服させ、存在を縛りつけてから召喚を行うものであるが、裏道も存在する。

 それは契約。何らかの生贄を召喚の際に約束し、自身よりも格上の存在を喚ぶ。反面、存在を縛りつけていないが故に、常に暴走と反逆の危険も孕んでいる。

 イングリッドは、その危険を邪龍の“力”だけを召喚することで、クリアした。

 

 流石の虎太郎もこれは予期していなかったらしく、声には感嘆の色が聞き取れる。何だ、やればできる子じゃないか、とでも言いたげに。

 

 

「だが、召喚術にも弱点はある。自分よりも上位の存在を召喚する場合は特にな」

 

「ふ、よもや召喚するまで時間がかかることが弱点とは言うまいな。私がその程度、考えないとでも思ったか……!」

 

 

 イングリッドの周囲には黒炎が生み出され、凄まじい熱量と魔力が渦巻いている。

 これが邪龍の力。最早、彼女に近寄ることも叶わず、あらゆる武器、能力は文字通り焼き尽くされる。

 召喚は契約された通り、今正に為されんとしていたが、虎太郎は肩を竦めるばかりだ。

 

 

「いいや、まさか。オレが言いたいのは一度召喚が始まれば、アンタの意志じゃキャンセルは効かないってことだ。上位存在との契約を破棄すれば、死ぬのはアンタだ」

 

「……何を、言っている」

 

「いやさ、オレはもう帰るって言ってるんだ。アンタはオレを殺したいかもしれんが、オレはアンタを殺すことが目的じゃない」

 

「……なっ! 逃げるつもりか!?」

 

「アンタに付き合ってやる義理がオレにあると思うか? 何処までオメデたいんだ、アンタは。確実に殺したいのなら、逃げられない状況を作れ、馬鹿め」

 

 

 イングリッドは、ただただ呆然とする他ない。

 その目的が何にせよ、根底にあるものは闇の住人に対する憎しみや恨み。

 だから、憎悪に任せて向かってくると、彼女は思っていた。もう、そこからして間違っている。

 

 いや、こればかりは彼女を責められない。

 何せ、ヨミハラで引き起こされた暴動、娼館への襲撃。これだけの虐殺を引き起こし、彼自身が利益を得ているように見えないのであれば、怨恨としか考えられない。

 三人の対魔忍を引き連れていたのは、たまさか目的の最中に助けられたから助けた。そうでもなければ、かつて失った誰かの面影を重ねただけと考える他ない。

 仕事をする上で効率がいいから、などという薄ら寒くなる理由で、これだけの虐殺を引き起こしたという真実に辿り着くなど、誰にも出来ないだろう。

 

 

「逃がす、ものかぁぁ――!!」

 

 

 無貌の男。その真の目的が何であるかを察せぬまま、イングリッドは苦し紛れに黒炎を放つ。

 邪龍の炎は石畳を溶解させながら、無貌の男に向かって迸る。

 並の魔族では、余波だけで丸焼けになる黒き炎は文字通りの地獄の炎。避けなければ蒸発する、避けたとしても身体の大部分が炭化しかねない熱量だった。

 

 ――しかし、苦し紛れながらも渾身の一撃は、虚空を焼くばかり。

 

 まるで蜃気楼のように、無貌の男は溶けるように消え失せた。

 明らかに空間転移とも異なる能力に、イングリッドは何度失策を繰り返せば気が済むのだ、と己を罵る。

 

 そして、彼女が視線を向けたのは、この場所に引き寄せた理由、奇妙な魔力が発せられていた地点だ。

 

 

「貴女自身の言葉をお忘れかしら? これが“幻影”の本領よ……!」

 

 

 既に男――どころか、残る三人の対魔忍も同じ地点に立ってなど居なかった。立っていたのは影――不知火の忍法によって生み出された幻影。

 不知火は虎太郎と視線を交わした瞬間に、その意図を察していたのである。知略と虚実を操る“幻影の対魔忍”の面目躍如である。

 

 

「殺す! 貴様は殺すぞ、無貌の男! 例え何処に逃げようと、地の果てにまで逃げ遂せようと、必ず見つけ出して殺してやる……!」

 

「興味もない、好きにしてくれ――――アンタの力で、出来るものならな」

 

「――跳ぶぞ!」

 

 

 凜子の掛け声が上がると同時に、4人の姿は消え去った。

 イングリッドも斬鬼の対魔忍の能力を聞き及んでいるが故に不思議はない。

 無貌の男が左手一本だけを犠牲に、ヨミハラに大打撃を与え、対魔忍を逃がし、魔界騎士に辛酸を舐めさせた上で逃げ遂せた瞬間であった。

 

 

「私から離れろ! お前達は外と連絡を取り、ヨミハラの出入り口を調べて脱出可能な場所を探せ!」

 

「し、しかし……」

 

「――――行けぇッ!」

 

 

 イングリッドの怒号に、6人の騎士は後ろ髪を引かれながらも地を蹴った。

 

 そこで彼女は大きく息を吐く。

 邪龍グルニエは召喚に際して彼女自身の魔力と多くの死を求めてくる。

 優秀な部下は貴重だ。何よりも、無貌の男を追う上でも力になって貰わねばならない。こんな自身の間抜けに付き合わせるわけにはいかない。

 

 

「なんという、男だ……」

 

 

 好き放題にやられたというのに、不思議と怒りや憎しみは皆無だった。

 彼女の胸中にあったのは、エドウィン・ブラックを守るという使命感と全く未知の“強さ”を見せた男に対する尊敬に近い念のみだった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 4人が転移したのは東京郊外にある放置された廃工場の一角であった。無論、虎太郎がマーキングを施してあった場所である。

 如何に東京と言えど、発展から取り残された場所は存在し、人が少なくなれば、自然と魔族の数も減る。餌となるべき存在がいない場所に集う捕食者もいないだろう。

 

 

「はぁ、疲れた」

 

「虎太兄、手が……!」

 

「ああ、これか? まあ気にするな。糸で縛って止血は済んでる。あとは桐生の奴が治すさ」

 

 

 痛みでも感じていないかのような振る舞いであったが、ゆきかぜの顔は深く沈んだままだ。

 虎太郎にしてみれば、イングリッドに対して己――より正確に言うのであれば“無貌の男”としての己を強烈に印象付ける為に必要な行動だった。気に病む理由など何処にもない。

 何よりも、この程度の痛みであれば、いくらでも耐えられる。虎太郎にとっては経験済みの痛みに過ぎなかった。

 

 己の無力を噛み締めているゆきかぜを慰めたのは母である不知火だった。

 彼女の肩にそっと手を置き、ただ小さく首を振る。後悔も焦りも何の役には立ちはしない。悔しいのなら、次に生かしましょう、とでも言うように。

 

 悔しさを噛み締めているのは、何もゆきかぜだけではない。

 不知火も、凜子も同じ気持ちだ。自分達の僅かな油断とミスが、虎太郎の身を危険に晒したのは事実である。

 二人はその事実を受け入れ、前に進もうとしていた。ならば、ゆきかぜも負けてなどいられない。元より負けん気の強い彼女は、立ち直りも人一倍であった。

 

 

「しかし、意外だ。あの場で、貴方がイングリッドを殺さないとは。刃物で心臓を貫けば殺せたろうに」

 

「あの女にはまだやって貰いたいことがあったんでね」

 

 

 虎太郎はそこでようやく、二人に語り出す。

 不知火に埋め込まれ、二人の頭にも存在しているであろうチップ。リーアルと矢崎の背後で蠢いている存在を。

 

 

「不知火さんも寝首を掻くか、逃げる機会を窺っていたらしい。奴等も中々やりやがる」

 

「…………虎太郎君」

 

 

 虎太郎は不知火が堕落し、己どころかゆきかぜと凜子すらも捧げようとしていた事実を語るつもりはないらしく、さらりと嘘を吐く。

 別段、彼にとって知らせる必要はなく、報せる義務もない。あくまでも彼の仕事は救出だ。その過程で何があったかを語らずとも最大限の結果を示している以上、多少の虚偽報告は許される。

 まして、不知火の名誉を守るためでもある。アサギが勘付いてたとしても、多くを問い質しはしないだろう。

 

 

「まあ、本当の敵が別に居るのは分かったけど、それがイングリッドを殺さなかったことと、どういう関係があるの?」

 

「ああ、実はな。ヨミハラには色々と証拠や情報を残してきてあってな」

 

 

 クラクルの縄張りにあった地下室。他にも拠点として見繕ってあった場所に情報を敢えて残してあった。

 

 無論、弐曲輪 虎太郎個人に繋がるようなものではない。

 “無貌の男”として動いていた殺戮の証拠や、何を探っていたのかという断片的な情報である。

 

 

「成程。虎太郎君、イングリッドに淫魔族のことを探らせるつもりね」

 

「そういうこと」

 

 

 残してきた情報の中には、リーアルや矢崎について、その背後に蠢いている淫魔族に関する情報もある。いや、それこそが本命だ。目をつけて貰わねばならない。

 “無貌の男”を探る過程で、ノマドにとって脅威となりかねない存在が浮かび上がれば、忠誠心の強いイングリッドのこと、無視はできない。

 何より、彼女は気まぐれな者が多い魔族の中にあって途轍もなく真面目な上に、ノマドの大幹部だ。比較的、その行動も表沙汰になりやすい。

 虎太郎が魔界騎士と呼ばれるほどの強者と出会って、自らを幸運と称したのは、そういった背景があったからだ。

 

 イングリッドが“無貌の男”が何を探っていたのかに気付き、追いかければ、自然と淫魔族に行き当たるだろう。

 彼女の手によって淫魔族の目的が判明してもいい、あるいは勢い余って叩き潰してくれてもいい、いっそのことノマドと手を組んですらいい。

 

 淫魔族の戦力はノマドに比べれば大きく劣っている。不知火を堕落させ、駒として操っていたことから、人手不足、戦力不足は明らか。

 その目的が判明すれば、対魔忍が動く理由となる。

 叩き潰してくれるのなら、わざわざ手を下す理由もなくなる。

 ノマドと手を組んだとしても戦力で劣る淫魔族は確実に吸収され、一極化される。下手に策謀を巡らせられるよりかは幾分マシだ。

 

 どう転んだ所で、虎太郎にとっても対魔忍にとっても、全く損害を被らないか、利益にしかならないというわけだ。

 

 

「呆れたな。そこまで考えていたとは…………それに馬鹿げた威力の対魔殺法に、空遁の術まで使えるとは、一体いくつ隠し玉を持っているんだ、貴方は」

 

「この程度で良けりゃいくらでも。それに、空遁の術じゃない。コイツのお陰だ。オレは瞬神と呼んじゃいるが」

 

「瞬神……?」

 

 

 虎太郎は取り出したのは、不知火に手渡したこともある奇妙な形のクナイだった。

 このクナイこそマーキングを行い、空間転移を可能とした武器。ある魔族が作り出した曰くつきの武器である。

 

 瞬神にはいくつかの空間転移術式が組み込まれている。

 

 一つ、瞬神を使用者の手元に転移させる。

 一つ、瞬神が生成する魔力を元にマーキングを行う。

 一つ、使い手の意志の元、マーキングを行った場所へと転移させる。

 一つ、他の空間転移に干渉を可能とする。

 

 虎太郎は語っていないが、ゆきかぜ、凜子、不知火の三名には、既にマーキングを施してあった。

 つまり、三人と会った時点で脱出は何時でも可能だった訳だ。

 エドウィン・ブラックが出てこようが、“あのお方”とやらが出張ろうが、結果は変わらないのはそういった理由からだ。

 

 

「コイツは魔界の物造りの天才が面白半分(・・・・)で造ったもんでな。不愉快だが、それを随分と昔にたまさか手に入れてから使ってる」

 

「面白半分でそれとは、怖気すら覚えるよ」

 

「まあ、転移に限ればこっちが断然上だが、応用範囲はお前の空遁が上だ。狭く深くか、広く浅くかの違いに過ぎん。何より、お前の方は成長の余地がある。一長一短だ、オレから言わせればな」

 

 

 ゆきかぜや凜子にしてみれば、それだけ便利な代物を手に入れて、ギリギリまで隠しておく虎太郎に戦慄を覚えた。

 相手に知られていない。それがどれだけの武器になるのかを、虎太郎の行動もあって二人は嫌というほど学んでいた。

 

 

「さて、オレはそろそろ行く。三人は輸送部隊を待て、ここなら安全だ」

 

「ま、待ってよ、虎太兄も一緒に……」

 

「オレは表向きに存在しないことになってる。だからアレだけ好き放題が出来るんだ。組織内であっても早々に正体を明かせねぇし、そのつもりもないからな」

 

 

 これより虎太郎は東京に舞い戻る。

 今の姿のまま監視カメラのいくつかに移り込むことで、偽りの逃走ルートを探らせ、対魔忍に属している事実から遠ざけるつもりだ。徹底して己の情報を明かすつもりはないらしい。

 

 アルフレッドが対魔忍の撤収部隊へ連絡を入れている。一時間としない内、撤収部隊が現れるだろう。

 

 

「虎太兄、ちゃんと帰ってきてね」

 

「当たり前だ。嫌々だが、他に身を寄せる場所もないからな」

 

「うん、分かった。またね」

 

「ああ、またな」

 

 

 一月前と同じ再会を望む別れの挨拶を受け、今回は虎太郎もそれを返した。

 

 “無貌の男”は何の比喩もなく闇に溶けた。

 任務の終わりと共に偽りの仮面ごと闇へと消え去るのが彼のやり方だ。そうしてようやく、弐曲輪 虎太郎は単なる下忍の身へと戻るのだ。

 

 任務は終わり、その胸中は何の感慨も抱いていない。

 ただただ疲れと痛みだけが残り、更なる苦労が降りかかってくるであろう無慈悲な現実に頭を痛める。

 

 対魔忍の苦労人。その苦労に終わりはなく、まだまだ続いていくことだろう。

 



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『苦労とご褒美のバランスが取れてないってレベルじゃねー……いや、これ取れてね?』

 ヨミハラの動乱より二週間。

 弐曲輪 虎太郎は自宅での療養を命じられ、悠々自適の療養生活を送っていた。

 

 虎太郎に与えられた家は、平凡な一軒家。

 築30年近くになるが、古さは感じられない。生活のしやすさを重視して、虎太郎自身が度々改築を繰り返しているからだ。

 古くは築城も忍の役目だった。資格こそないものの、学んだ知識から充分に日常生活に耐えうる造りとなっている。

 

 ゆきかぜ、凜子、五年前に失踪した不知火までが戻り、新世代の対魔忍として確固たる実績と信頼を得る結果となった。

 最も、当人達は納得していないようだ。全て、虎太郎の手腕があってこそであり、自分達は何も出来なかったと認識している。

 二人は何もしなかったと主張をしたものの、アサギの判断によって真相を語ることを禁じられた。

 

 もし真相を語れば、仲間内に全てを知られる結果となる。

 二人はまだ幼く、将来のある存在だ。わざわざ傷を残すような真似をするアサギではない。

 不知火の帰還は対魔忍の上へ下への大騒ぎとなったものの、アサギと並び称される“幻影の対魔忍”の復活に、不満を上げるものなどいる筈もなかった。

 

 虎太郎はと言えば、ヨミハラへ救出任務に赴いたことを知っているアサギ、さくら、紫、黒百合に任務の報告を行い、四名に失神寸前の衝撃を与えた。

 当然である。対魔忍としての誇りはあるとは言え、自身達が明確な正義などと信じていない四人だったが、余りにも悪辣な方法に罵声すら忘れていた。

 結局、ヨミハラへの大打撃、三人の救出、更には肉体の一部を欠損する怪我もあり、叱責も程々に桐生から治療を受けるように命じられた。

 

 淫魔族の存在を報告はしたものの、不知火に関しては必要以上に語らなかった。

 アサギも不知火自身の様子から、ある程度は察しているのだろうが、何も聞かなかった。

 アサギは一心に不知火の屈辱と苦悩を想い、虎太郎はここで真実を語った所で対魔忍全体にとって不利益にしかならないとの判断であった。

 もし事実を語れば、対魔忍から不知火に対する信頼は無きに等しいものとなる。戦術、戦略、知略に精通する不知火の言葉が対魔忍に届かなくなれば、虎太郎の負担が倍増する。彼にとっては何としても避けたい展開である。

 

 

「ああ、いいなぁ。仕事もなく、悠々自適。最高だ。飯を喰って糞を量産するだけの仕事に就きたい」

 

 

 完璧にダメ人間の台詞を吐きながらも、桐生の魔界医療によって治った左手でクナイを弄ぶ。

 左手が戻ったのは一週間前。その時点で日常生活では左手の使用は問題なかったものの、戦闘は禁じられていた。

 何よりも、虎太郎は桐生の技術もまるで信用していない。その為、今後の戦いに支障が生じないか、この二週間は絶えず左手を動かし続けていた。

 発言は兎も角として、自身の人生に安らぎがあるなど信じていない。次なる修羅場を想定している時点で、骨の髄まで戦闘者だ。

 

 

「よお、いらっしゃい」

 

「あら、気付いていたの? 流石ね。お邪魔しているわよ」

 

 

 音もなく居間に現れたのは不知火だった。

 黒いストッキングに膝下までの黒いタイトスカート。深緑のロングTシャツの上から白いカーディガンを羽織っている。

 かつての淫靡さなど何処にもない、上品でお淑やかな雰囲気を醸す年相応の落ち着いた服装だ。

 

 不知火の脳幹からはチップが取り除かれ、既に淫魔化と呼べる変質も治療が開始されている。

 如何に桐生と言えど未知の現象、未知の技術の前には分が悪く治療は難航しているが、新たな技術の入手を目前にして狂気のマッドサイエンティストは歓喜の笑い声を上げながら治療に励んでいる。

 治療の進行は全体の3割ほど。現時点で日常生活に戻れている時点で、桐生の技術も不知火の精神力も凄まじいものがある。

 

 

「じゃあ、朝ご飯作っちゃうから少し待っていてちょうだいね」

 

 

 この二週間、ゆきかぜや不知火、凜子の三人は虎太郎の世話を焼きにきていた。

 三人の肉体に施された改造は左手を喪った虎太郎よりも遥かに大きかったが、日常生活という点においては肉体の欠損は重大だ。

 料理も掃除も一苦労。元より彼は生活の中の煩わしさを嫌う性格だ。それを考慮してか、三人は交代で虎太郎の家を訪れていた。

 

 一時間としない内にちょっとした旅館の朝食のようなメニューがキッチンと一体となった居間に並ぶ。

 野菜と肉が大きめに切られた豚汁。たっぷりと脂の乗った鮭の塩焼き。脇を固める副菜はきんぴらゴボウ、里芋の煮物、オクラの白ゴマ和え、青のりの入った出汁巻き卵。主食は不知火得意の豆ごはん。

 元々、家事が好きなのだろう。手際も良ければ、調理の最中は鼻歌混じりであった。

 

 

「洗濯物を干してくるから、その間に食べておいて」 

 

「はい。いただきます」

 

 

 ご機嫌な朝食にきっちりと食材と作った者への感謝を告げて、口に運ぶ。

 これだけの量を、あれだけの短時間できっちりと下処理が済まされ、完璧な味付けもされている。どれをとっても絶品そのもの。

 自分とは違う経験と丁寧さの感じ取れる味を噛み締めながらもぺろりと平らげる。ここ数年では得られなかった満足感だ。

 極端な話、彼は食べられて栄養になれば味には拘らないが、どうせだったら美味い方がいい。

 

 食後の一服とばかりに煙草を味わいながら、茶を啜る。

 悪辣で情け容赦の無い男としては釣り合いの取れていない、ささやかながらも至福の一時を楽しむ。

 彼にとっては、これこそが分相応。特別ではない自分の、特別ではない幸せこそが最高の報酬だった。

 

 

「もう食べたの? 流石は男の人ね」

 

「御馳走様。美味かった、わざわざ悪いね。こっちとしちゃ至れり尽くせりだが」

 

「はい、御粗末様。ふふ、いいのよ、このくらい。虎太郎君には、返しきれないくらいの恩があるからね」

 

 

 淫魔族の手から彼女自身を取り戻し、娘と娘も同然の二人をヨミハラから救出した。確かに、返しきれない恩と言えよう。

 虎太郎にしてみれば任務を果たしただけではあるが、その恩が自分にとって有利になるのであれば、固辞する理由もない。

 

 ようやく戻れた日常の幸せを噛み締めているのだろうか、不知火は食器を洗いながらも上機嫌だ。

 ただの家事――料理や洗濯、掃除ですら、楽しくて仕方がないといった様子である。

 

 虎太郎は紫煙を燻らせながら、煙の匂いに交じる別の匂いに不知火を見た。

 鼻につく匂いだ。かつてに比べて大分マシになっているとは言え、虎太郎にとってはかつてよりも不快な気分になる。

 

 

「……っ!? こ、虎太郎君?」

 

「……匂う。匂うな」

 

 

 音もなく不知火の背後を取った虎太郎は、その首筋に鼻を押し付け深く息を吸う。

 淫魔の淫気、あるいはその残り香か。彼にとっては眩暈を覚えるほどの臭気。

 対魔忍の男であっても、即座に不知火へと襲い掛かってしまうだろう。あらゆる性技に精通し、強靭な精神力を持つ彼だからこそ耐えられるのだ。 

 

 両肩に手を添えられただけで、不知火は頬を赤らめ、洗っていた食器を取りこぼしてしまいそうになる。

 

 

「や、やめて。もう、あんなこと、する必要はないでしょう?」

 

「そうは言われても、な。……それに随分お洒落じゃないか。オレのため?」

 

「そ、そんなこと……!」

 

 

 くるり、と身体を回され、二人は向き合う形となる。虎太郎は不知火の姿を上から下まで舐め回すように見た。

 確かに彼の言う通り、小洒落た格好だ。少なくとも、知り合いの家で家事をするにしては相応しくない格好である。

 

 

「女は顔じゃない、お洒落かどうかだ。ましてや自分のために洒落た格好をしてくる女なんて可愛げがあるからな」

 

「うぅ…………あっ」

 

 

 不知火にそんなつもりがあったかどうか。

 必死で視線を逸していたが、顎を掴まれると視線を逸らせなくなる。瞳は潤み、身体は堪えようのない熱を発していた。

 

 淫魔化は確実に快方へと向かっているものの、まだ完治した訳ではない。

 ましてや肉体と心は、虎太郎の優しくも激しい性技によって蕩けさせられてしまった。

 ヨミハラでの情交を思い出したのか、不知火はゴクリと咽喉を鳴らして唾を飲み込む。

 

 遠慮も気遣いもなく虎太郎は不知火を求めた。

 不知火もまた淫魔化による食虫植物そのものの生態ではなく、身を焦がす様な女の情念によって虎太郎を求めてしまう。

 

 

「ふーん。虎太兄、お洒落な人が好きなんだ」

 

「成程、それは良い事を聴いた。次からは善処しよう」

 

「ッ、ゆきかぜ!? 凜子ちゃん!?」

 

「…………あー」

 

 

 何時の間にか上がり込んでいた五車学園の制服姿のゆきかぜと凜子に、不知火は仰天し、ある程度は理解していた虎太郎はまたぞろ面倒な展開に首を振る。

 少なくとも虎太郎は不知火の身に何があったのか、自分が何をしたのかは語っていない。不知火の驚き振りを見るに、彼女もまた同様だろう。

 

 最愛の母親と最愛の男が男女の関係にある。ゆきかぜにしてみれば怒り心頭の展開だ。凜子に手を出したこととは訳が違う。

 

 

「虎・太・兄ーーっ♪」

 

「うお、っとぉ……」

 

 

 しかし、ゆきかぜは全く怒りを抱いておらず、虎太郎に抱き着いた。

 

 ヨミハラから帰還してからというもの、ゆきかぜはずっとこの調子だ。

 流石に学園の人間の前では急に態度を変えることはなかった。そこから虎太郎に対する不審や探りを入れようとする者が現れるかもしれないと危惧したためだ。

 その分、ヨミハラでの出来事を知っている者の前では、デレる。途轍もなくデレる。

 ゆきかぜはいわゆるツンデレに属する少女であるが、最早ツンはない。ツン期は去った。後にはデレしか残らない。

 

 まるで何年もの間、振り向いてすら貰えなかった寂しさを埋めるように、きゅっと抱き着いて離れない。

 

 

「ふふ。ゆきかぜは甘えん坊だな」

 

「そういう先輩だって」

 

「まあ、そう言ってくれるな」

 

 

 凜子は僅かばかりに照れを残していたが虎太郎の腕を取り、自分の身体を押し付けるように抱き締めた。

 ゆきかぜのような少女のスキンシップではない。愛した男との触れ合いを楽しむ女のそれである。

 

 凜子は学園内でも人目がなければ、この調子だ。

 ゆきかぜよりも切り替えが早い分、より長い時間、蜜月を楽しもうと貪欲であった。

 

 

「お前等、身体の方はいいのか?」

 

「大丈夫。もう来なくていいって。念の為、一週間もお休み追加だって」

 

「その後も暫らくは訓練漬けだ。あのドクター、性格は兎も角、腕は確かだな。何処かの誰かのようだ」

 

「そこら辺は否定せんがな。オレは桐生ほど詰めも甘くなければ、相手を舐めたりはしないよ」

 

 

 その二点の違いだけで、今まで死線を潜り抜けて生き抜いてこれたと言わんばかりの口調だ。

 

 ゆきかぜ、凜子ともに虎太郎、アルフレッドの推測通り、脳幹内に正体不明のチップが発見され、摘出された。

 虎太郎とアルフレッドによって焼き切られた不知火のものとは異なり、完璧に近い形で、だ。

 まだ何も分かっていないが、機能の同一性、形状の一致率から量産品と断定。人界の何処かに製造工場がある可能性が浮かび上がってきた。

 あとは地道に追うだけだ。これだけの魔界技術を応用したものである。日本にせよ、世界にせよ、製造場所は限られてくる。

 

 肉体に施された改造も完治している。

 アサギやさくら、紫に改造を施したのは他ならぬ桐生である。彼の技術に比べれば、リーアルの持てる技術など足元にも及ばぬようだ。

 

 

「そういう訳で今日から一週間、私達でたーっぷり虎太兄にお礼しちゃうから」

 

「それから、たっぷり可愛がってくれ。おば様も含めてな」

 

「り、凜子ちゃん!? ま、待って! 離しなさい!」

 

「何言ってるの、お母さん。虎太郎さぁん、虎太郎さぁん♡ って言いながらオナニーしてるの、知ってるんだから」

 

「……ゆ、ゆきかぜ?!」

 

「一目見れば、何があったのか分かります。私達も虎太郎の、女ですから。仲間外れにはさせませんよ」

 

 

 二人に虎太郎との関係を見透かされていた不知火は激しい狼狽を見せながら、寝室へと引き摺られていった。その光景を眺めながら、妙に鋭い女の勘に嘆息した。 

 

 二人なりに気を使ってのことだろう。五年にも及ぶ苛烈な調教と凌辱。如何に不知火と言えど、心に傷を残していることは間違いない。

 だからこそ、自分達と同様に性交によるトラウマは、性交によってしか癒せない、と考えている。

 間違ってはいないのだが、二人と不知火とでは立場が違う、素直になれよう筈もない。その辺りに二人が気付いているかどうか

 

 

「虎太兄、早く早くぅー!」

 

「――――はいはい」

 

 

 煙草を揉み消しながら虎太郎はゆきかぜの声に惹かれて寝室へと向かっていく。

 自分を愛すると嘯く女どもの願いだ。それに応えてやる程度の甲斐性は、彼にも残っているようである。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「さて、じゃあ準備をして貰おうか。不知火さんに、な」

 

 

 カーテンを閉め切ってはいるものの日差しが薄く差し込む寝室で、ベッドの端に腰掛けながら虎太郎はニヤけながら呟く。何のかんので、彼もこれからを楽しみでいるようだ。

 

 既に四人とも全裸だった。

 ゆきかぜと凜子は虎太郎を挟むように座り、不知火は三人を見上げるように跪いた。

 

 

「お母さん、虎太兄の悦ばせ方、教えてね」

 

「勉強させて頂きます」

 

「お、お願いよ、虎太郎君。二人の前でなんて……」

 

「ダーメ。虎太兄の凄さ、お母さんだって分かってるでしょ? 一人一人で相手してたら、私達、全員壊されちゃう。それに――」

 

「――何より、虎太郎を満足させてやれませんから」

 

 

 ゆきかぜと凜子は頬を赤らめる乙女の羞恥を残しながらも、女として虎太郎への奉仕と虎太郎から与えられる快楽を受け入れていた。

 

 

「二人もこう言ってくれてる。女になってもいいんだぞ、不知火(・・・)?」

 

「……あぁ」

 

 

 その言葉に不知火は何を思ったのか。

 三人の視線から何度となく顔を逸らし――――深い懊悩の果てに、再び顔を上げた。

 

 

「……う、わぁ」

 

「……何という」

 

 

 二人が漏らしたのは感嘆だった。 

 

 不知火の顔に張り付いていたのは男へと向ける媚びた笑み。しかし、奴隷娼婦が浮かべるものとは一線を画す。

 愛しい男にのみ向ける媚び。美しさも、淫らさも、何もかもが異なる。神聖さすら感じるほどだ。

 

 女である筈の二人ですら生唾を飲み込み、虎太郎は更に笑みを深め男の象徴をヒクつかせる。  

 

 

虎太郎(・・・)さぁん……」

 

「頼むよ。二人に教えてやるつもりでな」

 

「は、はい。虎太郎さんの逞しい勃起チンポ、精一杯おしゃぶりさせて頂きまぁす♡」

 

 

 治療が始まっているとは言え、まだまだ完治には程遠い。

 不知火の身体は無意識に男の精を求め、勝手に発情してしまうのを精神力によって抑えている状態だ。

 ヨミハラでの一件で、不知火は虎太郎に呼び捨てで呼ばれるとある種のスイッチが入ってしまう。心も身体も蕩け、勝手に応えてしまう。娘の前であっても。

 無理に拒絶しようとすれば精神は崩れ、元より拒絶する意志も沸いてこない。

 

 何より、ゆきかぜの許可という思わぬ免罪符を受け取ってしまった。

 娘の思い人を愛してしまうという母親として許されぬ思いすら、女の情念と変えることを許されたのだ。

 

 不知火は四つん這いになると、剛直の前に顔を近づける。まず行ったのは挨拶だった。

 蕩けた表情のまま、愛しいものに頬擦りでもするように擦り付ける。

 煮立つ雄臭を感じながら、頬だけでなく通った鼻筋や瞼、顔全体に匂いを残して虎太郎の女であると主張しているかのようだ。

 

 

「お、お母さん、おしゃぶりするんじゃないの……?」

 

「……あぁ、ゆきかぜ、聞かないで」

 

「不知火、教えてやれ。二人は作法は詳しくないんだよ。お前の口から教えるんだ」

 

「うぅ…………あ、挨拶よ。これから気持ち良くさせて、気持ち良くして貰うための、お願いの挨拶をしてるの」

 

「み、見ているだけだと言うのに、此方まで……」

 

 

 不知火が見せる浅ましい女の作法に、ゆきかぜと凜子の視線に軽蔑はない。

 寧ろ、挨拶で虎太郎がますます興奮している事実に、必死で覚えようとしている。

 今の二人にとって虎太郎にどう奉仕し、どう気持ち良くさせるといいのかが、全てだ。

 

 

「くぅ……ふっ、ふぅ……んぅん、ふぅん……」

 

「不知火、そろそろいいぞ」

 

「は、はい、失礼します…………んちゅ、んぷあぁ――はむぅ」

 

 

 その言葉に、不知火は蕩けた笑みを深めると鈴口にキスをすると、口内に長大な肉柱を迎え入れる。 

 たっぷりと唾液を塗し、尖った舌先で鈴口をちろちろと舐め上げた。

 

 

「んっ……んっ、ちゅぱっ……んぱっ……んぅうっ、ちゅぶ……ぢゅるぅっ……」

 

 

 口内から溢れる唾液は瞬く間に剛直を覆い、不知火の顎先にまで垂れ下がる。

 

 

「くぷっ……くぼっ……んぱっ、れろぉおっ……ぢゅぱっ……んんっ」

 

 

 厚い唇でカリ首をキュっと締めたまま、出し入れを繰り返す。

 その間も舌は口内で動き回っている。亀頭を撫でるようにねっとりと動いたかと思えば、裏筋やカリ首の溝を這い回った。

 

 ゆっくり、ゆっくりと自分と相手の快感を底上げしていくねちっこい口奉仕。

 若いだけでは、淫らなだけでは出来ない、年を重ね、性の何たるかを心得た雌のそれだ。

 

 さしもの虎太郎も、低く呻きながらも笑みを浮かべ、眉根を寄せた。

 今はプライベート、何も我慢する必要はなく、何よりも素直に気持ちいいと表現した方が女が悦ぶことを知っていた。

 

 その様に不知火の奉仕にも熱が籠る。

 下から見上げたまま一時も視線を外さず、つぶさに表情を観察して雄の気持ち良くなれる部分を探っていた。

 アレだけ自分を徹底して躾け直し、屈服させ、咽び泣かせた男を逆に喘がせている加虐に酔っている、だけではない。

 こうして虐めた後に、小生意気な雌を再び屈服させようと雄が躍起になることを知っている。後の被虐を想像してるのだ。

 

 ほぼ二人の世界に入っている虎太郎と不知火に、ゆきかぜと凜子は身を焦がすような嫉妬に下唇を噛んでいた。

 それでも声を上げなかったのは、男と女の睦み合いを邪魔するのは不粋でしかなく、これだけの奉仕が今の己では不可能だと分かっていたからだ。

 

 その様子に気付いたらしく、虎太郎の腕が蛇のように這った。

 

 

「ひゃぅうんっ♪」

 

「くっひぃんっ♪」

 

「すまんすまん、不知火だけに集中するのはお前らに悪かったな」

 

 

 向かったのはゆきかぜと凜子の尻たぶだった。

 するりと背後から腕を回すと尻とベッドの隙間を抜け、あっという間に秘所へと辿り着いてしまう。 

 

 

「二人とも、もうぐちゃぐちゃじゃないか。堪え性のない奴等だ」

 

「あ、あひっ……だ、だってぇ、……虎太兄もお母さんも、あいぃっ、二人だけで、気持ち良く、ひぃんっ、なっちゃってるから、あっあっ」

 

「そ、そう、だっ……うっ、ひぃっ、嫉妬もするうぅんっ、……あひっ、私達だってぇ、あっ、くぅぅっ、貴方の、女なんだぁ」

 

「分かった分かった。悪かったよ。ほら、まずはゆきかぜからだ」

 

「やったぁ♪ ……あへぇ♪」

 

 

 ゆきかぜは少女らしい無邪気さを見せながらも、行動そのものは淫らな女であった。

 虎太郎に誘われるまま小さな舌を突き出し、虚空で舌の腹と腹を押し付け合い、蛇のように絡め合わせた。

 唾液が飛び散り、二人の顔を濡らしていくほどの激しい。キスと呼ぶのも憚られる淫猥極まる舌セックスだ。

 

 しかし、性技においてゆきかぜに勝ち目などあるはずもなく、舌を押され口内まで侵入されて全てを味われてしまう。

 膣を指で、口を舌でぐちゅぐちゅと蹂躙されながらも、うっとりと目を細めて快感を享受する。

 桐生の治療がまるで効いていないのではないかと疑ってしまうほどの快楽である。

 

 

「こらにぃ、も、らめぇぇっ、あひ、んぐひっ、あへあぁあぁ……!」

 

「ほら、イケ」

 

「んっひぃぃいいいいぃぃいいいいっ!!」

 

 

 舌を甘く噛まれ、膣の弱点でもない部分の襞を擦り上げられただけで絶頂に達する。

 軽イキなどではない深い絶頂に、ゆきかぜは潮を噴きながら、子宮が下りて精を求めて鈍痛にも似た収縮をするのを感じていた。

 

 

「はっ、へぇあぁぁああっ……こらにぃ、ほんろ、すごすぎりゅぅ……♪」

 

「だから言ったろ。改造なんぞなくても十分それくらいはできるってな」

 

 

 絶頂して力の入らない身体を預けてくるゆきかぜに、虎太郎はヨミハラで伝えた言葉と全く同様のものを呟いた。

 その間も、女陰を責める指の動きは止まらない。襞の一枚一枚を指紋で擦り、より弱い部分を探しているようだ。

 人差し指と中指が動く度に、ゆきかぜは短く喘ぎながら身体を痙攣させ続ける。

 

 

「おっとぉ……?」

 

「こぉら、私も忘れるな♡」

 

 

 今度は凜子だ。両手で虎太郎の頬を掴み、自分の方を向かせると有無を言わせずに唇を押し付けた。

 淫靡な笑みを浮かべ甘えるような猫撫で声で囁きながらも、両目には燃え上がりそうな嫉妬の光が輝いている。

 

 ゆきかぜのキスが与られるものならば、凜子のキスは与えるものだった。

 歯が当たりそうな勢いで唇を重ね合わせると、虎太郎の口内に舌を滑り込ませ、動き回る。

 舌同士を絡めて快楽を得ながらも、凜子はひたすらに虎太郎への奉仕に熱中していた。舌を自らの口内に誘い、ベロフェラまでしてみせる。

 

 

「ずぢゅぅ……ろ、ろうら? わらひの、くひほうひは、んぶぅ、なひゃなひゃのものらろう……?」

 

「ああ、なかなか(・・・・)だ。……そら、油断大敵っ」

 

「あひぃ!? そこ、ちがぁ、あっ、あっへぇえええええぇぇぇっ!!」

 

 

 愛する男に対する奉仕で優越感に浸っていた凜子は、予想していなかった刺激に嬌声を上げて絶頂する。

 虎太郎の親指がアナルに侵入したのである。まるで何年も前から知っていたかのような手慣れた手付きだ。

 

 

「ひ、卑怯らぞぉ……こ、こんら、ふ、不意討ち、あっ、ああ゛っ、おまんことアナルの壁、こねこねするなぁ……♪」

 

 

 膣穴と尻穴の壁を指でこね回され、快楽を与える側から与えられる側に転落してしまい、凜子は悔し気に眉根を寄せたが声は黄色い悦びで満たされている。

 愛においてはより深く愛している方が相手を支配しているというのが虎太郎の結論だ。だが、こと性においてはより深い悦楽を与えた方が、相手を支配していると言える。

 かつて我欲の限りを尽くしたふうまの小倅にしてはちっぽけな欲望であったが、ゆきかぜと凜子を蕩けさせるには十分であった。

 

 

「う、くぅ……はは、不知火もか?」

 

「ん~~~ぼっ、ぢゅるぼっ、んぶっ、ずびぃっ、んぼっ、んっぼぼっ」

 

 

 不知火の口奉仕は、ディープスロートへと移行していた。

 生殖猿のオークにも劣らない大きさの、どんな調教師のモノよりも残酷に女を鳴かせる肉棒を根元まで銜え込んでいる。

 嘔吐きもせずに、既に性器と化している口と咽喉を使って、必死に虎太郎の気を引こうとしていた。

 

 下品な音を立て、下品なフェラ顔を見せながらも、不知火の目に宿っていたのは生娘のような純な嫉妬だ。

 二人にばかり構っていないで、私でも気持ち良くなってと言わんばかりに剛直を飲み込み、激しく顔を前後させた。

 陰毛にまで顔を押し付け、完全に怒張は飲み込まれ、外からでも分かるほど咽喉を押し上げているのに、苦しげな表情はまるで見せずに蕩けている。

 そのまま唇を窄めたまま、ゆっくりと一物の先端に上り、カリ首まで刺激した。 

 

 虎太郎が興奮を覚えたのは口奉仕によるものもあったが、あの不知火がこうまで浅ましく女を晒している事実の方が上だった。

 

 礼とばかりに先走り汁を吐き出してやると、亀頭を重点的に責めていた不知火は口を放さずに飲み下し、うっとりと目を細める。

 

 

「不知火、口を離して舌を出しな。ご褒美をやるから」

 

「ん~~~~じゅぽんっ、んえぇぇぁ、こ、こうれふかぁ……?」

 

「立派な排泄便器だな、出すぞ」

 

 

 虎太郎の言葉に不知火は大きく口を開いて、褒美を待つ。

 ヨミハラでさんざん彼の肉棒の味と形を教え込まれたが、まだ射精には程遠いはずだ。ならば、何を出すのか。答えは、分かりきっていた。

 

 

「んぶぶ、へはぁ、ゴギュっ、ングっ……ごぎゅんっ、んぁあぁあっあっあああっ!」

 

 

 剛直の先端から吐き出される黄金水。

 不知火の淫らに蕩けながらも美しさを保っていた顔は、すぐさま小便まみれになっていく。

 本来であれば、屈辱以外の何物でもない便器扱いだ。だが、相手が虎太郎というだけで極上の褒美と化してしまう。

 

 不知火は虎太郎にヨミハラで調教を受け、女として抱かれ、分かったことある。

 虎太郎の性技は女に与えることを追求したものだ。

 その果て、自我が崩壊する寸前の快楽の中であっても失わない、魂にまで焼き付いた本来の己を取り戻させる。

 プライベートで抱く場合でも、それは変わらない。自らの技で女を蕩けさせ、求めさせるのを楽しんでいる節がある。

 

 だからこそ、こうして自分が楽しむだけの、女を貶めるだけの、或いはふと見せる優しさにこそ――彼の男を感じるのだ。

 男を感じさせられる度に、紛うことなき虎太郎の女になっている実感を覚え、全てが悦びに転じてしまう。

 奴隷娼婦も、メス豚も、性処理便器も、都合のいいハメ穴も、リーアルや矢崎、“あのお方”とやら、下衆な男どもが女に求めるものは温い。

 虎太郎の口にする女の前では生温過ぎる。彼にとっては、それら全てを含んでこその女。

 恋人としてであろうが、妻としてであろうが、奴隷娼婦としてであろうが、彼にとっては全てが女の扱いだ。悦に浸ることもなければ、貶すこともなければ、嫌悪を向けることすらない。

 

 

「はぁ……はひ……お母さん、凄い。オシッコ飲んでも、気持ち良くなっちゃうんだ」

 

「へはぁ……ひあ……そ、そうだな。流石に、女としての年期が違う」

 

 

 不様な不知火の姿に、ゆきかぜも凜子も軽蔑の視線すら向けない。

 寧ろ、羨まし気ですらある。男としての虎太郎を知っているからだろう。

 

 

「二人はもう我慢の限界だな。不知火、もう少し我慢できるか?」

 

「は、はい。私は、大丈夫だから、まずは二人を愛してあげて」

 

 

 互いに激しい嫉妬心を抱きながらも、互いを罵らないのは虎太郎の女であるという自覚と、互いへの尊重があったからだ。

 

 自分を一番に愛して欲しいと望んでいるということは、相手もそれを望んでいるということ。

 とんでもない男に惚れてしまった馬鹿な自分への哀れみは、相手にとて当て嵌まる。

 自分が最も愛されたいという欲望はあれど、それが他人に向けられたとて害意には至らない。

 一人の男に複数の女が傅く異常な光景であるが、そこで育まれているのは健全な競争関係なのだ。

 

 

「ほら、二人ともベッドに上がって、尻を向けろ」

 

 

 言われるがまま、ゆきかぜと凜子はベッドに上がり尻だけを大きく上げ、上半身は平伏すような形を取った。

 

 ゆきかぜの尻は小振りであったが、今にもはち切れんばかりの張りがあった。

 日焼け跡と褐色のコントラストは彼女の快活さと健康さを示すようであるが、今は雄を誘う色香を放っている。

 

 対し、凜子の尻は大きい。ただひたすらに男を誘っているようだ。

 股は大きく開かれ、いつまでも揉んでいたくなるような尻たぶが割られて桜色の窄まりまで見て取れた。

 

 

「くく、一週間もあるんだ。尻穴の方も立派なケツマンコにしてやるからな」

 

「うん、うん♡ 虎太兄好みのイヤらしい穴にしてぇ♡」

 

「あぁ、そんなところまで……いいぞ、あなた専用の穴に躾けてぇ♡」

 

 

 二人の返答に苦笑を漏らす。もう十分にイヤらしく、自分専用だったからだろう。

 

 二人の尻は品定めをするように撫で回られる度に震え、女穴は新たな愛液を滴らせる。

 もう限界寸前であろう二人を吟味し、先に決めたのはゆきかぜの方だった。

 

 両手の親指で秘裂を子宮まで確認できそうなほど大きく割り開き、亀頭を埋め込んでいく。

 

 

「あああんんんっっ!!」

 

 

 ゆっくりとした挿入であったが、ゆきかぜは絶叫を上げた。

 怒張は奥に進む度に愛液を押し出し、襞の一枚一枚の感触を余すことなく楽しみ、膣を押し広げると言うよりかは迎え入れさせる。

 ゆきかぜの目の前で白い火花がバチバチと散り、アクメを堪えようとシーツを握り締めるが全ては無駄な努力だった。

 

 そんなゆきかぜに気を使っているのかいないのか、優しい抽送を開始する。

 

 

「あひいっ、ひあっ、んひぃいいいいいいんんんっ!!」

 

「流石に、きついな。小柄なだけある」

 

「あがっ、こ、こひゃにいのチンポ、凄い凄いスゴイぃぃぃぃ!!」

 

「お前、そればっかりだな」

 

「らってっ、だってぇっ、アクメ止まらないいいいいんんんっっ!!」

 

 

 ゆきかぜは腰と尻穴まで引き攣らせながら、全身でアクメを表現する。

 ただでさえ汗で濡れていた身体は更に汗に塗れ、熱い雌潮を拭いてアクメの歓喜を貪っていた。

 

 

「そうだ。脚に力を入れて、指を閉じたり開いたりしてみろ」

 

「はあんっ、あっ、あっ、こ、こぉうっ? んんっ!?」

 

「そうするとイキやすくなる」

 

「へひゃああああああああっっ!! こ、こらにいの、いりわるぅぅぅぅっ!!」

 

 

 呂律が回らなくなった言葉で虎太郎を非難するゆきかぜだったが、教えられた通りに足の指を開き、丸めを繰り返していた。

 

 女の絶頂には身体の力みが必要だ。イキやすい女であれ、イキにくい女であれ、それは変わらない。

 それを知った上で、絶頂を味わうゆきかぜに更なる頂点を極めさせようとするなど、鬼畜の極みである。

 けれど、ゆきかぜは虎太郎に教えられた通りに脚に力を込め、指を丸めて、アクメの天国から下りてこようとしない。

 

 

「これだけイカせれば、ほらこの通り」

 

「んぐぅぅぅっっ!? 子宮の中っ、入ってきらぁぁぁぁっっっ!!」

 

 

 本来であれば子宮への異物挿入は、産経婦であっても時間を掛けて慣れさせねば痛みを伴う。

 如何なる性技によるものか。ゆきかぜに苦痛はなく、快感しか得られない。

 

 子宮に亀頭まで捻じ込んだ虎太郎は、一旦抽送を止めてゆきかぜの膣の動きを楽しむ。

 ゆきかぜの膣は積極的に締め付け、蠕動して幹を扱き上げる。

 

 

「はあぁっ、いいぞ、ゆきかぜ。もっと、もっと扱け」

 

「ふぅう゛ぅんっ! うぅうんっ! こ、こらにいっ、わらしっ、ちゃんと、れきてるっ?」

 

「ああ、その証拠にほれ」

 

「あ゛ぁア゛ああぁぁぁあああっ!! 我慢汁、びゅっびゅっ、しちゃっ、らめぇぇぇぇぇっっ!!」

 

 

 射精のような勢いで子宮に引っかけられる先走りに、ゆきかぜは全身も、内臓まで痙攣させるような絶頂を見せる。

 

 

「――――あひっ♡」

 

「あらら、イキすぎて緩んじまったか」

 

「はえあぇぇえええっ……オシッコ、漏らしてっ、まらイってるぅぅぅ……」

 

 

 アクメで緩んでしまった尿道が開き、じょぼじょぼと音を立てながら失禁をもたらした。

 もう完全に全身が性器と化し、虎太郎に弄ばれるだけの女になったにも拘らず、ゆきかぜは多幸感の中で揺蕩っている。

 

 

「これ以上は危ないか、出すぞ」

 

「ま、まっへぇっ、まらアクメ終わってなひよぉっ……」

 

「お前の許可を求めてると思うか? お前はもうオレの女だろ? 泣き事言わずにアクメ決めちまえ」

 

「こ、こらにっ! あっ、あっ、あっ、あぅっ、イクイクイクイク、イック~~~~~~~!!!」

 

 

 子宮に灼熱の白濁液を吐き出され、ゆきかぜは背骨を限界まで逸らしてアクメを貪る。

 

 

「はっ、はぐぅぅぅ! ザーメンいいっっ、すっごいいいよぉっ、子宮にっ、子宮に直接っ、ぶちゅぶちゅ出されてるぅうぅっ!!」

 

「ぐ、くぅ、我ながら、よく出るもんだっ」

 

「んひぃいいっっ! ひゃんっ、あんっ、んぅうぅっ、ひぃんっ、あっひぃんっっ!!」

 

 

 ビクビクと震えながら精液を吐き出される度に、絶頂に至り、多幸感は高まっていく。

 射精にも、絶頂にも終わりがないように何時までも続き、ゆきかぜは舌をピンと伸ばし、眼球はクルンと上を向いた涙と涎塗れのアクメ顔を見せた。

 

 

「これで、最後っと」

 

「んほぉぉおおおおおおおおおおっ!!」

 

 

 最後の吐精に合わせるように、ゆきかぜは最大のアクメを与えられた。

 ぴくぴくと舌も、乳首も、淫核も、秘裂も、手足も震えさせ、遂には力尽きてベッドに突っ伏した。

 

 ゆきかぜの頬にそっとキスをして、精液を怒張で子宮から膣から塗りたくりながら引き抜いた。

 

 

「……ひあっ……はっ……こたらにぃ、ほんろ、わらしのしてほひいころ、ぜんぶっ、わかってるぅ♡」

 

「ぁ、ああ、ゆきかぜが、こんなにも……」

 

 

 無残と言っていいほどの後輩の痴態に、凜子は震えていた。

 かつてリーアルによって見せられたものよりも、遥かに惨めで残酷な様だ。

 けれど、ゆきかぜの表情は悦びで蕩け、喜びで満ちている。これが誰かの女になるということなのだろう。

 

 凜子はこれから無残に痴態を晒す恐怖に尻を震わせ、これから女としてとことん愛してもらう期待に愛液を滴らせる。

 

 

「どうした、凜子、怖いか?」

 

「あ、ああ、凄く怖い。け、けど、それ以上に期待もしているんだ。え、遠慮だけはしないでくれ」

 

「遠慮なぞするものか。それにな、オレはそういう恐怖と期待がない交ぜになって笑ってる顔が好きなんだよ」

 

「な、なんてひど――――いい、おっ、ぉぉぉおおおおんんっっ!!」

 

 

 振り返る凜子などお構いなしに、類を見ない稀代の男根をゆるゆると収めていく。

 

 

「ひ、ひぃっ、ひぃぃいっ、はひぃぃいいぃいいっ!!」

 

「ゆきかぜほどじゃないが、凜子も締まりがいい。襞もウゾウゾと動いて立派なメス穴だな」

 

「あ、あなたの方こそぉっ、こんなの女がっ、かっ、勝てるものか、立派な、立派な(メス)殺しのチンポだぁぁっ!!」

 

 

 虎太郎の形がくっきりと分かるほど専用となった膣を掻き回され、凜子は尻肉が波打つほど震わせる。

 堪えようが堪えまいが、否応なしに絶頂へと高められる感覚に歓喜の声を上げてしまう。

 

 

「んぅううっ、くううぅっ、あひっ、はっひぃっ――――んなぁっ!?」

 

「ほら、こういうのはどうだ!」

 

「や、やや、やめ、そ、そんな、とこ、オマンコの中からつっ、突くなぁぁっ!」

 

 

 凜子が慌てるのも無理はない。

 虎太郎が積極的に突いてたのは、膀胱の裏側だ。

 ごりごりと襞ごと削るような、膀胱を揺さぶるような抽送は、即効性の利尿剤のように効いていく。

 

 

「む、無理だっ、こ、こんなの、我慢がっ、あっ、あっ、あぁっ」

 

「女は男に比べて我慢が効かないからな」

 

「あ゛ぁっ――――はふぅぅぅぅぅんんっっ♪」

 

 

 ゆきかぜよりもあっさりと、まだ意識がはっきりとした状態で失禁アクメに達してしまう。

 凜子の意識は羞恥で染まり、表情はだらしなく締まりを失っていく。

 

 湯気を立てるほどの量の失禁を晒しながらも、今よりももっと虎太郎の女になっていく感覚に、凜子はきゅんきゅんと膣を締め上げる。

 

 

「はぁっ、うぁっ、はひっ、ぴ、ピストン、きたぁああああぁぁっっ!」

 

「早速アクメか。そんなに早漏で大丈夫か、アクメ地獄だぞ?」

 

「じ、地獄な、ものかぁ! こ、これ、天国だぁっ! あっあっ、あひぃぃいいいぃいんっ♪」

 

 

 ぞりぞりと襞そのものを削ぎ落とすようなピストンに、連続して絶頂が襲い掛かる。

 奴隷娼婦と味わったものとは決定的に異なる絶頂と多幸感の波に、尻穴がヒクつく様を見せつけながら押し流される。

 

 

「んおっ、ぉおっ、おっほっ、おぉんっ、おっほぉおおぉおおっ!!」

 

「いい声だ。オレ好みの下品な喘ぎ声だ。いいぞ、凜子、もっと鳴け」

 

「んふほぉおっ、ふあっ、はっ、ひあっ、んうぅんっ、ひあぁぁあっ!!」

 

 

 雄をまるごと迎え入れようと下りてきた子宮とぷっくり膨らみ緩んだ子宮口を亀頭で虐められ、歓喜の涙を流しながら享受する。

 抵抗の術などなく、元よりそのつもりもない。今の凜子に出来ることは膣を締め、子宮口から本気汁を吹きかけ吸い付く雌奉仕しかない。

 

 自分の尻と虎太郎の間でねとねととした本気汁の糸を何本も作り出す。

 

 

「ほう、やはりゆきかぜよりも成熟してるな。子宮口も簡単に開く」

 

「かはっ、ひっ、くひっ、んっあぁっ、はひぃいいいいいいいっっ!!」

 

 

 子宮の中に入ったカリ首が、子宮口を行き来する度に、ぷしぷしと激しい音を立てて潮を噴く。

 

 

「はっ、も、もう限界だぁ! と、トドメをさしてぇ!」

 

「堪え性がないな。だが、トドメはまだだ。ゆっくりゆっくりしてやるからな」

 

「ひやあっ、あ、ああっ、ひょんなっ、ゆっくりっ、チンポっ、ぬぽぬぽぉ、おほぉ♪」

 

 

 凜子が気に入ったのは、抽送とも呼べないゆっくりとした前後運動だ。

 子宮口の中から引き抜かれたカリ首は、ゆっくりと凜子の膣で音を立てながら膣口ギリギリまで後退する。

 

 

「あっ、そんら、ぬ、抜けちゃ、あひぃぃっ!」

 

「浅いからと言って感じない訳じゃない。こうして速くしてやると」

 

「くっひぃいいいいぃぃいいいいんっっ!!」

 

 

 膣口のギリギリ、カリ首が抜けるか抜けないかの辺りで本気汁を掻きだすように抽送させると、凜子はあっさりと潮を噴いて絶頂に達した。

 自分自身よりも遥かに長けた手管と、自分自身よりも遥かに身体を知られてしまっている事実だけで凜子はまた絶頂に達してしまいそうになる。

 

 

「凜子も限界だな。そら、御望みのものをくれてやる」

 

「かはあああああっっっ!!」

 

 

 一瞬で膣奥どころか子宮まで達した怒張に、肺の空気全てを吐き出し、身体は備えられずとも精神だけは覚悟を決める。

 

 

「ほひぃぃいいいいぃいいいいいいいいっ!!」

 

 

 激しい射精の勢いに、子宮そのものを蜂の巣にされたかのような錯覚と共にアクメへと至る。

 

 

「あっあっあっぁあああああっ!!! イイィッぐぅぅぅうううううううっ!!」

 

「ッぅ、射精の勢いが、止まらんな。凜子、しっかりアクメしてるか?」

 

「あああんっ、アクメしてまひゅぅうう! すっごいぃっ、びゅーびゅーっ、ザーメンきへるぅぅぅ!!」

 

 

 凜子は腰を上げることすら忘れ、潰されたカエルのように股を開くが、虎太郎は逃がさずに尻に腰を密着させる。

 

 

「んう゛ぅんっ、こ、腰ぃっ、とっ、溶けて、とけてるぅううううっっ!!」

 

「いいぞ、凜子、もっと啜れ」

 

「あがっ、またでてっ、イクイクイクぅぅぅぅぅううううううううっっ!!」

 

 

 収まりきらない精液は男根を締め付ける膣の合間を縫って溢れ出す。

 ぶちゅ、ぶびっとはしたない音を立てるのは膣の締め付けの強さよりも、射精の勢いを物語っているようだ。

 

 凜子には首筋にキスマークを残し、既に精液で塗れた膣道をぐちゃぐちゃと掻き回し、襞に精液の味を覚えさせながら引き抜く。

 ザーメンの濃さを物語るように、抜けた亀頭の先から膣口にかけて白濁液の糸の橋が繋がっていた。

 

 

「……はああ、さいこうらぁっ、あなたの魔性のひんぽ、さいっこうぅ♡」

 

 

 全身をおこりのような痙攣で波打たせながら、凜子は自分を虜にした男と男根を褒め称える。

 

 

「さて、と。お待たせ、不知火」

 

「……は、はい」

 

 

 背後を振り返った虎太郎は不知火に手を伸ばした。

 

 その手を取り、前に踏み出して不知火の赤面は濃くなった。

 パシャリとした音に足元を見れば、虎太郎の小便とは別の液体が沼を作っていた。

 言うまでもなく不知火の愛液だ。乱れるゆきかぜと凜子の姿に深い羨望と期待を覚え、不知火の女はどうしようもないほど虎太郎を求めている。

 誰よりも女としての経験が長いにも拘らず、反応そのものはゆきかぜよりも生娘に近いのは、母親として矜持を守ろうとするが故か。

 

 不知火はゆきかぜと凜子に挟まれるよう仰向けにベットへと寝そべった。

 

 その時、図ったように両脇の二人が起き上がる。

 

 

「ふふ、私達ばっかり恥ずかしいところ見せないんだから、お母さんのアクメ顔も見せて貰うんだからね」

 

「そ、そうれふ。おばさまが、ろんな顔をしてイクのか、見せてもらひます」

 

「あ、あぁ、そんな……」

 

 

 にんまりと小悪魔のような笑みを浮かべるゆきかぜ。

 絶頂の余韻からまだ立ち直れていない凜子。

 

 二人の姿に、まだ母親としての顔を守れると思っていた不知火の表情は暗く沈んだ。

 しかし、その中には見せつけてやるような、見て欲しいとせがむような、女としての顔も僅かながらに混じっていた。

 

 

「あ、そうだ。ねぇ、虎太兄」

 

「…………ん?」

 

「お母さん、生意気だと思わない? 私の前だからって、まだ心の何処かで女として母親としてカッコつけようとしてるんだよ?」

 

「ふふ、ゆきかぜも容赦がない。……だが、確かに一理ある。私達はあんなにはしたなくねだったというのにな」

 

 

 不知火にとっては悪魔のような、悪夢のような提案である。

 もう存分に恥を晒し、みっともなく虎太郎を求めたというのに、これ以上なにを求めるというのか。

 

 不知火は助けを求めるように虎太郎を見たが、その表情を見て全てを諦めざるを得なかった。

 

 

「うっわぁ、虎太兄、わっるい笑み浮かべちゃってる」

 

「こんな笑顔、他では見れないだろうな」

 

 

 ヨミハラで引き起こした大惨事の中であってすら冷淡な無表情を崩さなかった虎太郎は――今や、悪鬼ですら逃げ出しそうな笑みを浮かべていた。

 提案したゆきかぜや凜子ですら、不知火に同情したほどだ。今から掛け値なしに不知火は虎太郎に弄ばれるのは確定した。

 

 

「そうだな。ねだれ、不知火。オレの女になったというなら、下品で淫らにな」

 

「…………ゴクリ」

 

「ふふ、生唾飲み込むくらい興奮してるのか。なら、もう一押ししてやるよ」

 

 

 ぞわぞわと全身が泡立つ感覚に、不知火は眩暈すら覚えた。それは羞恥によるものか、被虐の喜びによるものか。

 

 虎太郎によって大きく開かれた股の中心は、触れられてもいないというのにトプトプと白く濁った本気汁を流していた。

 そこに硬さを全く損なわない怒張を押し付けられ、不知火はきゅんと子宮が戦慄くのを自覚する。

 

 虎太郎は不知火の両手首を掴んで頭の上で固定する。これから何があっても顔を隠せないようにするためだ。

 

 

「……こ、虎太郎さん、お願いします、不知火のだらしがないドスケベマンコを、太くて、長くて、硬い、虎太郎さんのおちんぽで、壊れるくらい掻き回してください♡」

 

「へぇ、どんな風にだらしがないんだ、聞きたいな?」

 

「うぅ、……ゆ、ゆきかぜと凜子ちゃんが愛されているのを見ただけで、蕩々にトロけちゃう、ところよ♡」

 

「まあ、仕方ないな。二人だって似たようなもんだ。でも、そんなに欲しいなら呼び方もきっちりとしないとな?」

 

「も、申し訳ありません。虎太郎さんの、逞しい、お、おちんぽ様、でした♡」

 

「ふふ、それでどんな風にして欲しい。リクエストには答えるよ?」

 

「ど、どんな風でもいいわっ、優しくされてもっ、激しくされてもっ、虎太郎さんのオチンポ様なら、不知火のドスケベマンコっ、すぐにイってしまうからぁ♡」

 

「最後はどうする?」

 

「な、中以外は駄目っ、ゆきかぜに種違いの弟か妹を上げられるように、きっちり種付けして下さぁいっ♡」

 

 

 これ以上ない羞恥に耳まで真紅に染め上げ、これ以上ない媚びで虎太郎を誘う。

 興奮を示せる部位は何処彼処も震わせて、おねだりの言葉だけで絶頂してしまったのか、軽く潮まで噴いていた。

 

 もう、言い訳のしようのないほど完全に、不知火は虎太郎の女になった。これ以上はない。

 女としてのプライドも、見栄も、意地も全てを明け渡してしまった。屈辱とも、悲哀とも、歓喜とも取れる涙を流している。

 

 ゆきかぜも凜子も、不知火がここまでの女としての宣言をするとは思っていなかったのだろう。

 目を見開き、自分もいずれはと咽喉を鳴らして生唾を飲み込んだ。

 

 

「不知火、イっていいぞ。子宮まで貫いたら、すぐにでも出してやる」

 

「お、お願いします、虎太郎さんの種付け射精で、アクメ下さいっ!」

 

 

 その言葉と同時に、虎太郎は容赦なく子宮内にまで自らの一物を突きいれ、宣言同時に精を放った。  

 

 

「んひぃぃぃっっ! ひぐっっ、あっ……あああぁぁぁぁーーーー!!」

 

 

 ぐいぐいと子宮から下腹を盛り上げ、この日一番の射精を行う。

  

 

「おぐぅぅっ、ひぐぅぅぅんっっ、はあぁあぁ、だ、だめぇ……だめなのぉ、アクメ止まらないぃっっ、まだイグ、イグゥゥゥっ!!」

 

 

 愛撫も抽送していないにも拘わらず、不知火は潮を噴きながら絶頂を極めていた。

 何処までも深く沈んでいくような、何処までも高く舞い上がっていくような絶頂だ。

 充血した肉壁は虎太郎の剛直を深く銜え込み、子宮は精液を臆面なく啜る。

 

 

「おはあぁぁぁーーーーっっっ!! んくひっっ、おぐぅっ、ほひっ、おああぁあっ、ひぐひぐひぐぅぅぅっ!!」

 

 

 不知火は指を丸めた脚を、虎太郎の腰に巻き付け、より深い絶頂を味わおうとする。

 無意識の行動だろうが、女としての年期がゆきかぜや凜子とは異なる。膣の動きも別格だ。

 より虎太郎を気持ち良くできるように、より虎太郎の精を絞る取るように蠢く襞は、肉棒の何処をどう刺激すればいいのか、きっちりと躾けられている。

 

 潮吹きが終われば、お漏らしまでしているにも拘らず、肉襞は貪欲に精を貪った。

 

 

「不知火、死ぬほどイッたな。礼はどうした?」

 

「はへっ……んぐひっ……、あひがとう、……ごらいまひたぁ……おひぅっ……なからひ、たねちゅけ……、あひゅめ……ひゃ、ひゃいこぉ、……れひた……へぇぁ」

 

 

 ぬぼっ、と生々しい音を立てて自分に屈服した雌穴から怒張を引き抜く。

 まるで衰え知らずの硬さを誇る怒張は跳ね上がり、ザーメンと本気汁の混合液を不知火の身体にべちゃりと飛ばした。

 

 あらゆる羞恥と性交の後が残る剛直を不知火の前に差し出すと、三人は揃って白濁液の残滓が残るチンポに顔を寄せる。

 

 

「ぢゅぷぅう、ベロベロッ、ンベロっ、ジュルウゥ……ンッごくごくっ……ぷあぁ」

 

 

 不知火は亀頭にむしゃぶりつき、唇から僅かに出した舌をくねらせながら、下品な音と共に啜り上げる。

 

 

「んっ……ちゅぷっ……れろっ……すっごい、エッチな味」

 

「はぁん……れろっ、ちゅぱっ……んっ、んっ、コクン……ああ、私達の発情した雌汁と虎太郎のザーメンらぁ」

 

 

 ゆきかぜと凜子は恥辱を極めた不知火を労うように、控えめに幹を舐め清めていく。

 

 精液と愛液、小水の後がなくなり、唾液に塗れた肉棒がビクンと震えると、三人の目には誰が見ても分かる欲情の炎が灯る。

 

 

「一週間の休みだったか。どうするまだ続けるか?」

 

 

 既に虎太郎の欲棒は我慢汁を垂らしており、まだまだ満足していないのは明白だ。

 余りに逞しく、余りに絶倫な、類を見ない男根を前に、舌なめずりを見せ、生唾を飲み込みながら頷いた。

 

 

「虎太兄が♪」

 

「あなたが♪」

 

「虎太郎さんが♪」

 

 

『満足するまで、たあっぷり可愛がってくださぁい♡』

 

 

 三人の媚び切った台詞に、虎太郎は名前通りに虎の勢いで襲い掛かった。

 獣のような女の媚声が、昼日中の一軒家の中に響き渡る。

 

 しかし、暫らくしてから、嬌声はすぐに泣き言へと変わってしまう。

 もう駄目。ごめんなさい。許して。死んじゃう。

 ありとあらゆる悲鳴が、一週間もの間、睡眠と食事の時以外、虎太郎の耳を楽しませ続けたのは言うまでもないことだった。



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鬼腕の対魔忍 紫藤 凜花 救出編
『そして彼は苦労という名の地獄への道連れを手に入れた! なお、相手は嬉しい模様』


 

 ヨミハラの動乱から既に2ヶ月の時間が経過した。

 ゆきかぜと凜子は学生としても、対魔忍の任務にも既に復帰している。

 

 不知火に関しては、まだ治療が終わっておらず任務に直接的には関わってはいないものの、日々鍛錬で衰えた身体を鍛え直している最中だ。アサギのサポート役として、任務への忠言や作戦の提案には関わっているらしい。

 

 かくいうオレは左手の完治後、すぐさま戦線に復帰。

 下忍としての任務は数十件、救出班としての任務は5件を熟し、教師として三足の草鞋の生活を送っている。

 任務の内容が簡単だったからいいものの、これがヨミハラのような重い案件が挟まれば、冗談抜きで過労死しかねない忙しさだ。

 もうちょっとこう、オレに対する(ねぎら)いの心を持ってくれぬか対魔忍。てゆーかアサギ、オメーだよオメー。

 

 アサギの奴は、どうやらオレのことを身内と思っているらしく、無茶振りも一入だ。

 さくらや紫よりも酷い目に合う場合が多々ある。まあ、九郎と同列扱いなので仕方がないと言えば仕方がないが。

 九郎の奴も激化する魔族・米連の抗争で、日本中――どころか世界中を飛び回っている。オレもそうだが、アイツもいつかガチで過労死するぞ。

 

 アサギは身内であるほどに甘くなり、一定のラインを越えたものにはとことん甘える。

 現状、奴が甘える相手は長い時間苦楽を共にした九郎、不知火、甚だ不本意だがオレも含まれている。

 さくらと紫も同じだと思う奴等もいるだろうが、二人はアサギにとって守るべき対象なのか、オレ達三人とはまた別のカテゴライズのようだ。

 

 そこをさくらからはぶーぶー文句を垂れられたり、紫からは危険な嫉妬を向けられたりと散々だ。

 九郎と不知火は、年上であり経験も上ということで認められているからか、年の近いオレが文句の対象となる。ふざけんな、対魔忍としての経験も、実績もこっちの方が上だろがい。

 

 

「あーあ。いいよなー、お前等はよぉ。任務や組織関係で頭痛めることもなくてさぁ」

 

「がう……」

 

 

 面倒臭すぎる現実に愚痴を漏らしながら、目の前の熊の身体を洗う。

 

 五車学園の隣には農場があり、畜舎がある。

 表向きは何の変哲もない農場だが、実態は対魔忍の畜舎だ。

 

 古く忍びは、伝令に犬や鳥を使っていた。

 人間よりも長い距離を短時間で駆け抜けられ、訓練次第で人の忍顔負けの活躍もできる。俗に言う忍犬という奴だ。

 現代でも、忍獣の歴史は続いている。無論、対魔忍の中でだ。

 伝令だけでなく非常時の戦力、人へと変装した魔族を嗅ぎ分け、魔界製の何かを追ったりと、ヨミハラの対魔忍用警備犬を彷彿とさせる。

 

 そんな中でも特異なのは忍熊だ。こればかりは対魔忍が生まれてから同時に現れた忍獣である。

 対魔忍によって育成され、対魔の力を有する熊だ。人間並みの知能を有し、戦闘に特化しているだけあってオークならば鉤爪の一撃で襤褸雑巾にし、オーガであっても正面から互角に戦える。

 正直、オレはコイツラが羨ましい。だって与えられる任務が戦闘だけなんだもの! 人間関係を気にしなくていいんだもの! 作戦に穴があっても進言しなくていいんだもの!

 

 

「やっほー。虎太郎、ひっさしぶりー」

 

「こんにちわ」

 

 

 忍熊に慰められながら身体を洗ってやっていると、畜舎の中に物好き共が入ってきた。

 

 基本的に忍獣の世話は下忍の仕事だ。入ってきた物好き二人のような上忍が忍獣と関わるのは任務の時だけだ。

 本来であれば、今日はオレだけではなく他の連中もいるのだが、オレがいるのを知ると逃げやがった。テメエの仕事も碌に熟さないで文句だけ垂れやがって、クソに塗れて死ね。

 

 

「何の用だ。蘇我、由利」

 

 

 臍のでるモスグリーンのTシャツにジーンズというラフな格好。黒い髪にナチュラルボブの髪型、しゅっと背の高いモデル体型の女は蘇我 紅羽。

 その忍法から隠密行動や密偵任務を得意とする現役対魔忍だ。

 能力や得意とする任務に反して、性格は明るい。さくらタイプと言えば分かりやすいだろうか。よく言えばムードメーカー、悪く言えばお調子者だ。

 

 もう一人は白いノースリーブYシャツに青いネクタイを締め、ホットパンツに紺色のニーソックスで太ももを包んだキレイめファッション。灰色の髪を後頭部だけ長く伸ばし三つ編みにしたスレンダー体型の女は由利 翡翠。

 前線での戦闘を主とする現役対魔忍である。キャラが濃い上忍の中では特に目立たない女だが、一度戦闘になれば驚異的な粘り強さを見せる。

 友人と呼べるものも殆どおらず、趣味らしい趣味もない。物静かで口下手な奴だ。

 

 蘇我と来たら教師でもないというのに、暇さえあれば忍犬と遊びに五車学園を訪れており、生徒との顔見知りも多い。何かの気まぐれで忍熊の畜舎を訪れても不思議ではない。

 由利にしても何時だか野鳥に餌付けをしているのを見たことがある。口下手な分、会話が必要なく付き合える動物が好きなのかもしれない。

 

 性格からして正反対の二人であるが、存外仲は良いようだ。

 より正確に言うのなら、口下手で自己主張の乏しい由利を、蘇我が一方的に気遣っているように見える。

 由利も由利で仲間意識は強い。口下手と分かっても気にせず付き合ってくれる蘇我とは相性がいいのだろう。

 

 確か、二人は同期だった。

 隠密、密偵任務でメキメキと頭角を現した蘇我に対して、由利は早くから忍法に目覚めていたものの、その力が認められたのは遅咲きだったと記憶している。

 上忍となるには任務において一定以上の功績を収めるか、他の上忍からの推薦かのどちらかによって能力を認められる必要がある。蘇我は前者、由利は後者である。

 その後、厳選な審査と精神鑑定の元に晴れて上忍になるのだ。まあ、何にせよ、オレには関係のない話だ。

 

 二人とオレの関係は何のことはない。

 両名が上忍としての初任務にオレも同行し、オレがバックアップしただけだ。

 その甲斐もあってか、二人のオレに対する評価は無駄に高い。由利など、オレの能力的に上忍でなければ可笑しいとアサギに直談判したほどだ。これだから真面目で実直な奴は恐ろしい。

 オレの立場や過去を知らない故に仕方がないとは言え、良い迷惑である。その時は、由利を上忍に推薦した九郎の執り成しでどうにか収まったが。

 

 

「何の用だ、なんてつれないなぁ。こうやって手伝いに来たんだよ?」

 

「手伝い……?」

 

 

 動物好きコンビだ、単に忍熊とじゃれにでも来たと思ったが、どうやら違ったようだ。

 

 何でもたまたまプライベートであった二人は蘇我は由利の野鳥に餌付けに、由利は蘇我の忍犬とのじゃれあいに付き合ったらしい。

 その最中に、本日忍熊の世話及び畜舎の清掃を仰せつかった下忍が帰っていく姿を不審に思って、此処まで来たのだとか。物好きな連中だ。

 

 動物の世話は簡単ではない。

 畜産業からも分かるように、徹底した管理と研究、或いは経験則から事を運ばねば、名馬は駄馬となり、最高級の肉は駄肉に堕ちる。

 知能の高い忍熊はその限りではないものの、やはりどうしても人の手は必要だ。

 どうしても時間はかかるし、力仕事の体力勝負だが、その程度で仕事を投げ出すなど笑わせる。人としてもプロとしても三流以下のロクデナシだ。

 まあ、腕は確かだが性格に難ありのオレが言えた義理ではないが、少なくともオレはやることはやる。愚痴を漏らすのはそれからだ。

 

 

「虎太郎さあ、こう、偶にはガツンと言ったら? 相手もつけあがるし、互いのためにならないよ」

 

「知るかよ、そんなこと。あんな連中にかかわってやるほどオレは人情に溢れちゃいない」

 

「アサギ様にお伝えすれば……」

 

「それもゴメンだ。どの道、アレの性格じゃ、なあなあの内に終わる。オレは無駄なことは嫌いなんだよ」

 

 

 私服でやってきた二人に作業用のジャージを着せ、三人揃ってデッキブラシで畜舎の床を磨いていく。

 忍熊とて知能も戦闘能力も高いが生き物だ。人と共に暮らしたが故に他の動物に比べて綺麗好きでもあるが、どうしても限界がある。

 汚れをそのままにしておけば、可笑しな病気にかかりかねない。こうした清掃は下忍の大事な仕事である。

 

 その辺りを、オレ一人に仕事を押し付けていった下忍どもは理解していない。

 年若く、経験も浅いが故に、こうした地味な雑務よりも派手な戦闘や分かりやすい任務を優先したがる。

 組織運営はこうした地味で地道な作業とて重要だ。言うなれば屋台骨や土台に当たる部分である。楽な仕事はあれど、重要ではない仕事などないのだ。

 

 わざわざ告げ口のような真似をして軋轢を生む必要はない。

 あの程度の実力と認識の甘さなら、何もしなくても勝手に死ぬ。新しい人員が配置されて、ソイツが真面目な奴なら万々歳だ。

 

 蘇我は何とも言えない笑みを浮かべて、翡翠は無表情ながらも不承不承といった雰囲気を醸していたが、気にしない。

 こいつらも馬鹿ではない。下忍どもがどういった事情でサボったのかを考えているのだろう。実態は、単に面倒臭いだけなのだろうが。

 

 

「それに、コイツラを一人で世話する楽し――おっと」

 

「……何さ、楽しみってのは?」

 

「気になりますね」

 

「はあ、他の連中には言うなよ」

 

 

 口を滑らせたことを後悔するように、大げさに肩を落としてやる――――無論、面倒になった話題を逸らすための演技だが。

 

 それでも普段から笑いもせず、仕事に任務ばかりの偏屈な男の楽しみとやらに興味が沸いた様子の二人に、自分の演技が完璧であったと確信を得る。

 女は皆、噂好き。他人の秘密を知りたがる。こういった話題逸らしには効果抜群だ。まあ、これから見せるのが、細やかな楽しみであるのも事実だが。

 

 そうしてオレが取ってきたのは解凍を済ませた鮭の山。

 熊は肉食傾向の強い雑食。肉も食べれば野菜も果物も食べる。

 手に入りやすいからという理由で外国産の鮭が忍熊の主食である。時折、鹿肉なんかもくれてやるし、野菜や果物も食べさせて栄養バランスを整える。

 

 

「ほれ、いくぞー」

 

 

 そう言って、一番近くにいた忍熊に丸々一匹の鮭を投げてやるとパクリと一口――――とはいかず、ヘッドトスをして隣の忍熊へ、その忍熊も更に隣へ、隣へ、隣へ。

 鮭一匹だけでなく、次々に投げていくと、次々に隣へとヘッドトスを繰り返す。やがて、全ての忍熊に行き届くと全員一斉に喰らいついた。

 

 おー、と忍熊の曲芸に拍手をする二人であったが、忍熊も一斉に立ち上がって手を叩く仕草を見せる。

 更におぉー、と蘇我と由利は目を輝かせたが、蘇我の方が一言。

 

 

「いや、戦闘用の忍熊になに教えてんのぉっ!?」

 

 

 本当にな。オレは一体、何を考えてこんな曲芸を仕込んだんだか。

 でも、アレだ、ほら。人間、ムシャクシャしてると訳分んない行動、よく取ったりするよね、うん。そうだと言ってくれ。

 

 自分な無駄な行いを目の当たりにし、死にたくなる衝動に駆られているオレを尻目に、由利は目を輝かせ続けている。コイツ、動物好きだな。

 

 

「弐曲輪教諭はいらっしゃ――――うわぁ!? なんだ、これはっ!?」

 

 

 オレを探しにやってきたのだろう凜子は畜舎内で巻き起こっている忍熊のスタンディングオベーションに仰天した。そりゃ誰だって驚く。

 

 

「これは貴方の仕業か」

 

「ムシャクシャしてやった。反省も後悔もしている。だが、怒られたり罰を受けるのは嫌なので黙っていてくれ」

 

「反省も後悔もしているのなら、叱責も罰も黙って受けて下さい」

 

 

 凜子と由利が冷たい視線を向かてくるがオール無視。

 本気で反省も後悔もしているが、叱責も罰を受けるのも厳密に言えば嫌なのではない。

 殺す以上は殺されても仕方がないのだ。馬鹿をやらかせば、叱責も罰も当然である。

 ただ、自分自身の馬鹿さ加減を再認識させられるのは死にたくなるので勘弁願いたい。それだけである。

 

 

「はあ、貴方ときたら……アサギ先生がお呼びだ」

 

「いや、待って。ちょっと待ってね、忍熊の世話がだね、これも立派な仕事だからね、突発的に他の任務が入ったからってね、投げ出すのはね」

 

「いえ、此方は紅羽さんと私でやっておきますから」

 

「そうそう。どんな仕事でも貴賤はない、だろ?」

 

 

 こ、コイツら……!

 

 二人にしてみれば手助けのつもりなのだろうが、こっちにしてみれば引き延ばし作戦が台無しにされたようなもんである。

 もっとも覚悟なんぞ、とうに決まっているし、何よりもアサギが呼ぶ以上はオレ以外がやれば、更にオレへの負担が増すのは目に見えているので行くしかないのはわかっている。

 

 それでも、嫌なものは嫌なんだよぅ……!

 

 

「と、ところで、さっきの曲芸、虎太郎さん以外でもできるのですか……?」

 

「…………ああ、うん。できるよ」

 

 

 きらきらと目だけを輝かせながら、そんなことを由利が聞いてくる。どうやら、さっきの曲芸をかなり気に入ったようだ。

 

 はは、可愛い所もあるじゃないか………………なわきゃあ、ねーだろうがぁぁぁぁ!!

 うわぁぁぁ、こっちが死にそうな気分になってるのに、無邪気にこんなこと聞いてくる奴って、どうしてこんなにムカつくのぉぉぉ! ぶっ殺してぇぇぇ!!

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「ようやく来たわね」

 

「遅れて申し訳ありません」

 

「いいのよ、駄々を捏ねたのは虎太郎でしょう……?」

 

「いえ、そういうわけでは……」

 

 

 校長室に入って早々、失礼なことを(のたま)うアサギ。

 

 駄々など捏ねていない。怒りを堪えて、蘇我と由利に仕事の引継ぎをしただけだ。

 他人に自分の仕事を任せるのなら、きっちり一から十まで――緊急時の対応も含めて伝えなければならない。これで分かるだろうとおざなりにすれば、後で自分も他人も痛い目を見る。

 

 

「で、今度は誰だ? 誰の救出に向かえばいい? 神村か? 佐久か? それともさくら? 紫?」

 

「救出前提で話すのね……」

 

「それ以外にお前がオレを任務で呼びつける理由がねーだろがよぉ!」

 

「……で、では、私は失礼します」

 

「いえ、凜子、今回は貴方も残ってちょうだい」

 

「…………え?」

 

 

 校長室を後にしようとした凜子は驚いて足を止めた。勿論、オレだって驚いている。

 これから語られるのは救出班としての任務だ。凜子には関係がない。それをわざわざ語るなど――――オレにとっては厄介事の匂いしかしないでござる……!

 

 凜子はオレとアサギを見比べて、信じられないという表情をしながらも、オレの隣の椅子に腰かけた。

 総大将からの命令だ。どれだけ実力があろうが、一介の新人に過ぎない凜子に逆らう術などない。そもそも逆らうような性格でもないが。

 

 

「今回の救出対象は、紫藤 凜花よ」

 

「――――っ!」

 

 

 アサギの口から飛び出た名前に凜子は顔色を驚愕に染め上げ、思わず椅子を弾き飛ばしそうな勢いで立ち上がりそうになった。

 オレは肩を掴んでそれを止める。凜子の気持ちも分からんでもないが、ここで慌てた所で意味がない。

 

 紫藤 凜花。通称、鬼腕の対魔忍。

 ゆきかぜ、凜子と同じく新世代のエースと目され、また凜子の幼馴染にして切磋琢磨するライバルでもある。

 

 

「い、一体、何時です! 凜花はいつ……!」

 

「落ち着け。此方が慌てても何にもならん。アサギ、情報を教えてくれ」

 

「行方が分からなくなったのは10時間前。戦闘中に、よ」

 

「……随分速いな」

 

「ええ、生き残りがいたからよ」

 

 

 紫藤は今から10時間前、前線での戦闘中に消息を絶った。

 

 任務自体はよくある闇の組織を壊滅させる類のものだ。

 最近、東京で幅を利かせてきた麻薬密売組織。それも魔界産の麻薬を売り捌いている組織の壊滅が目的。

 麻薬密売組織など腐るほどいるが、奴らが売り捌いていた麻薬は極めて危険度の高いものだったらしい。

 

 何でも遺伝子にまで作用し、虜となった中毒者の子孫にまで中毒性が遺伝する麻薬だ。

 しかも、効果は抜群のアッパー系だと言うのに、人体への悪影響はコカインの10分の1との分析がなされている。

 

 これに危惧したのは対魔忍の事務方のトップ。政府とアサギを繋ぐパイプ役、山本 信繁その人だ。

 内務省公共安全庁、調査第3部(セクションスリー)の部長であり、対魔忍を組織化、近代化させた張本人でもある。

 かつては軍人として日本を守る為に従軍した護国の戦士、今も人魔結託する悪に対抗し、正義を実行するために行動する理想家だ。

 

 惜しむらくは、抱いた理想に対して能力が釣り合っていない点だ。山本部長の知略も政治も大したものだが、根が戦争屋なのである。

 魔族やそれに連なる者は卑怯卑劣。実直な理想家では相手が悪い。いっそのこと元スパイの方が敵対するにしても相性が良かっただろうし、対魔忍にとっても有益だった。

 とは言え、彼の支援は貴重だ。何よりも対魔忍が組織としての体を保っているのも、政府の下位組織であるのも彼のお陰である以上、文句など言えた義理ではないが。

 

 山本部長は、その麻薬の危険性を即座に認めた。

 何せ、一生涯使ったとしても煙草レベルの危険性しかない上に、その子孫にまで中毒性が遺伝するのだ。最悪以外の何物でもない。

 危険性が低いということは、手を出すハードルが下がるということ。子孫にまで中毒性が遺伝するということは、ほぼ一生涯に渡って金を毟り取られるということだ。

 

 こんなもの、瞬く間に一般市民を含めた世界中にまで広がって、莫大な利益を上げ、闇の住人を勢いづかせるに決まっている。

 

 

「組織の本部、研究施設、製造工場を同時に襲撃し、壊滅させる作戦だったわ」

 

「当然だな。その麻薬、大きく出回る前に研究データ、製造法、研究員の全てを抑えにゃどうにもならん」

 

「ええ、そして研究施設を襲撃中に、凜花は敵の手に堕ちたわ」

 

 

 方法にも作戦にも落ち度はない。それ以外に、この麻薬を撲滅する方法はないだろう。

 

 何処からか情報が漏れていた可能性もあるが……それも山本部長の落ち度とは言えまい。

 オレならばありえないミスだが、そこは個人と組織、有能な副官の有無の差だ。

 組織である以上、多くの人間が属し、その素性を全て調べ上げるのは不可能に近く、多くの人間に情報が渡るが故に、どうしても漏洩は防げない。

 

 ましてや、日本の政界は闇の組織と繋がっている連中が多すぎる。そんな状態で漏洩を防げとか、むりむりむりのかたつむりだ。

 

 

「ざっくりした内容は分かった。詳しい内容とデータはいつも通りにアルフレッドへ」

 

「ええ。それから、凜子」

 

「――はい」

 

「本日付けで、秋山 凜子、水城 ゆきかぜの両名を特別救出班の人員に任命するわ」

 

 

 がつんと棍棒で殴られたような衝撃がオレを襲う。

 両目が零れそうなほど目を見開いて、凜子と顔を見合わせる。

 

 ふへ、ふひひひ、ほへへ――――やっぱり厄介事でしたぁ!

 

 もう、その後の会話は一切覚えていない。朦朧とする意識の中で、はいはいと壊れた人形のように機械的に反応をするのがやっとだった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「装備課から、下忍用のスーツを受け取ってきたが……」

 

「…………」

 

『ご苦労様です、凜子様。どうぞ、お掛けになってください』

 

「……あ、ああ」

 

 

 特別救出班の武器庫兼ミーティングルームに脚を踏み入れた凜子は、ギクシャクとした様子で虎太郎の対面の椅子へと腰掛けた。

 この部屋の主たる虎太郎は、そんな凜子に反応すら示さず、片手で顔を覆って俯いている。

 

 まず凜子が救出班の班員となって始めに感じたのは喜びだ。

 愛する男の力になれる。本質的に尽くす女である凜子にとっては、これ以上ない喜びである。

 

 しかし、アサギの決定を聞いた虎太郎の表情を見て感じたのは、引け目だ。

 確かに新人としての腕前が飛び抜けている自覚はあった。

 だが、ヨミハラの一件で、単純な強さだけでは悪鬼外道どもの悪意に打ち勝つには足りないことを学んだ。

 より正確に言えば、自分の全身全霊であったとしても悪意を打ち破るには力が足りない現実を。

 

 だからこそ、虎太郎には申し訳なく思う。純戦闘員でしかない自分では、何処まで彼の力になれるかどうか。

 ゆきかぜほど前向きで無邪気であれば、どれほど良かったか。今は素直にそう思っていた。

 

 

「こ、虎太郎。凜花を助けたい気持ちもある。その、私では力不足かもしれないが、精一杯のことはやるつもりだ」

 

「………………別に、お前やゆきかぜに不満が――――あることはあるが、今オレが考えてるのはそこじゃない」

 

「え? じゃ、じゃあ、何を……」

 

「アル、出せ」

 

『了解しました。再生(リプレイ)開始します』

 

 

 アルフレッドの合図と同時に、凜子の目の前に3Dの立体映像が展開される。

 そこに映し出されたのは、凜花と仲間達の姿だった。背景から昨夜の襲撃任務の映像のようだ。

 察するに研究施設の外側、そこの監視カメラの記録だろう。

 

 映像が進むにつれて、アルフレッドが説明をしていく。

 まず対魔忍による三ヵ所同時襲撃の任務は成功を収めた。研究員及び研究データ、製造データは完全に確保され、既に抹消済み。唯一の汚点が紫藤 凜花の拉致だ。

 この映像は山本部長が何かの手掛かりになればと、部下が制圧した研究所から抜き取り、送られてきたデータである。

 

 映像の中で凜花は圧倒的だった。

 現役の対魔忍に勝るとも劣らない強さを見せつけ、人と魔族の混成部隊を蹴散らしていく。

 

 凜花の持つ忍法は煙遁。身体の一部を煙と化すことのできる忍法だ。

 彼女は主に両腕を煙化して、拳打の射程を伸す、或いは拳打を視界の外から襲わせる使い方を好む。

 

 両手に装備した魔界の希少金属オリハルコンで出来たナックルには三つの髑髏が恐ろしく輝き、見る間に警備員の頭部を砕き、内臓を破裂させる。

 彼女の射程は30mにも及び、殆ど銃の間合いであるが凄まじい近接格闘技術も相まって卓越した強さを誇った。

 切磋琢磨してきた凜子も、この強さに苦戦を強いられ、今の所、二人の訓練での勝率は五分と五分。

 

 その時、一人の少女がカメラに写り込んだ。

 薄青のウェーブがかったミディアムヘア。寝起きのような覇気の感じられない表情。肩と背中が全開の露出度が高い衣装に、全身に傷跡の残る少女だ。

 

 突然の闖入者に、凜花や対魔忍たちは困惑していたが、少女が地を蹴った瞬間に、戦闘態勢に入った。

 凜花が即座に前に出ると他の者は警備員の相手に集中し、戦いの邪魔はさせぬと奮起した。

 

 二人の戦いは一瞬で終わった。

 凜花に油断はなく、一息で全てを終わらせるつもりだったのだろう。

 大きく振りかぶった拳を前に突き出すと同時に腕を煙化して射程を伸ばし、少女に抵抗の余地を与えずに殺害ないし無効化を図ろうとした。

 

 ――その全ては、凍り付いた四肢の前に無意味に終わった。

 

 一瞬で凍り付いた手脚に驚きを隠せず、また自由を失った凜花は顔から地面に転び、そのまま立ち上がることすらままならない。

 仲間が助けに入るよりも早く、少女は何らかの薬品を注射によって凜花に打ち込み、意識を失った凜花を抱えるとカメラの撮影範囲外に消えていった。

 

 

「どう思う……?」

 

「どう、思う、と言われてもな」

 

「いい。今のお前のレベルが知りたいだけだ。気負いはするな。だが、考えて答えろ」

 

「そう、だな。まず、この少女の能力は範囲内にある物体を凍り付かせるか、気温を下げるためのもののようだが……」

 

『そのようですね。手に触れた類のものを凍結させてはいないので、特定の範囲の気温を下げるものでしょう』

 

「というか、煙は凍るのか。あんな弱点があるなんて、私も知らなかったぞ」

 

『通常ではあのような凍り方はしません。ただ、対魔忍(みなさん)の能力は、通常の物理法則とは異なりますので』

 

 

 そこまで言って、凜子はハッした表情で疑問を口にした。

 

 

「いや、待て。私ですら知らない弱点を、何故敵が知っている……!?」

 

「それもそうだな」

 

「それに、この少女は何者なんだ? 麻薬組織の一員ではないのか?」

 

「悪くない観点だ」

 

「凜花を無力化してから撤退するまでの速さ……目的は、初めから凜花の誘拐、か?」

 

「そこまで考えられるなら文句はない。後は数を熟せばものになるな」

 

 

 凜子の発した疑問に、虎太郎は無表情ながらも満足げに頷いた。

 

 まず現時点で分かっているのは、カメラに映った少女は麻薬組織の一員、及び協力関係にある組織ではない点。

 これは別のカメラに写っていた麻薬組織の警備員から銃撃を受けていることから十中八九間違いない。

 

 問題なのは少女が何者であり、凜花をさらった目的と凜花の弱点を知っていたことだ。

 確かに、凜花は新世代のルーキーであり、闇の住人には“鬼腕の対魔忍”と怖れられてはいるが、現役の戦闘要員である対魔忍に比べれば出回っている情報は少ない。

 そこから明確な弱点を発見するなど、敵は対魔忍の能力に深い見識があるか――――下手をすれば、対魔忍内に内通者がいるかもしれない。そうでもなければ、一瞬で決着とはいかなかった。

 

 また新人である凜花をさらうメリットも薄い。ましてや、あんな鉄火場の中で、である。

 下手をすれば、ゆきかぜと凜子へと矢崎が仕掛けたような思惑が裏に潜んでいる可能性も十分に存在しているのだ。

 

 

「現状で分かるのはこのくらいだな」

 

「これから、どうする?」

 

 

 手掛かりは殆どない。凜花の行方は闇の中だ。ここからどうやって、その足取りを追うというのか。

 

 

「やるこた警察と変わらん。但し、多分にオレ流だがな」

 

 

 それだけ言うと虎太郎は椅子から立ち上がり、壁にかけられた無数の武器や装備品をバッグに詰めていく。

 行動の方針は決まったようだが、凜子はこうした任務は初めてで、どうしていいのか分からないらしく、オロオロとするばかり。 

 

 

「あ、あの……!」

 

「ん? どうした?」

 

「その、我が儘を一つだけ、言ってもいいだろうか」

 

「何だ、こんな時に。言ってみろ、答えはそれからだ」

 

 

 手は一切止めずに、怪訝な表情で自分を見る虎太郎に、凜子は自らの失敗を恥じ入る。

 ここでは自分の我が儘を聞いてもらう場面ではなく、これから自分が何をすればいいか聞く場面だろう。

 

 それでもしどろもどろになりつつも、自らの願いを口にした。

 

 

「そ、その、もし、ヨミハラへの潜入のように、娼婦へ扮装するような真似するのなら、拒否、したい」

 

「――ハ、何だそれは」

 

「わ、笑いごとではない!」

 

 

 凜花は救いたい。

 救いたいが、今の自分ではその手の任務は不可能だと、身を以て学んでいる。

 男の欲望の強さと悍ましさ。それを全てを受け流せるほど、自分はまだ強くも賢くもない。

 

 何よりも虎太郎以外の男に触れられ、欲望を受けるなど、凜子には耐えられない。

 

 

「お前にやらせるくらいなら、そういうのを得手にしている奴にやらせる。オレが馬にできることを人にやらせる馬鹿に見えるか?」

 

「そ、そうか」

 

「オレはどうしようもない、救いようもない、許される価値のない心底のド外道だ。だがな、自分の女を差し出す下衆でもなければ、ひけらかして遊ぶ趣味もない。お前はオレの女だ、他人にくれてやる部分も使わせてやる部分もないね」

 

「……あ、あなた」

 

 

 卑下もなければ、恥じらいもない彼にとっての真実を迷いなく語られ、凜子は嬉しそうに頬を真紅に染める。

 先程まで不安だったと言うのに、今は胸をときめかせている現金な自分に呆れ返りながらも、凜子は思いを抑えきれなかった。 

 

 

「話は終わりだ。仕事の時間だ、切り替えろ」

 

「ああ、私も全力を尽くす。必ず凜花を助けよう」

 

「当たり前だ。それが、仕事だからな」

 



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『最悪の苦労は抗った末に滅びることではない、他人に足を引っ張られてドン底に叩き落とされることだ!』

 

 東京郊外。神奈川県の県境にほど近い地域に、それはあった。

 昨晩、対魔忍が襲撃し、既に事の終わった麻薬組織の研究施設だ。周辺は3メートルの壁に囲まれ、少なくとも一般人にとって入れるのは正面からだけだ。

 

 表向きには小さな製薬会社の研究部門となっている。

 周辺は真っ当な研究施設が点在しているものの、夜になれば人通りはなきに等しい。

 研究者というのは内に籠る人物が大半で、専門分野がハッキリと別れる。隣の研究所で何を研究しているか、などと知りたがる研究者は、それこそ稀だろう。

 

 ――つまり、真っ当ではない研究をするにはうってつけの場所ということだ。

 

 存外、外道というものは身近に潜んでいるということでもある。

 また人目を気にする必要がないのは、対魔忍にとっても襲撃するにはうってつけの場所でもあったわけだが。

 

 

「さて、と。地道に行くとしますか」

 

「ああ。しかし、こんな格好をする必要があったのか? まあ、貴方のことだから考えはあるのだろうが……」

 

 

 研究所近場の物陰に移動用のハイエースから下りた二人の格好は普段とは違っていた。

 

 凜子はトレードマークのポニーテールではなくハーフアップに。顔には縁なしの伊達眼鏡をかけている。

 服装は紺色のパンツタイプのレディーススーツを身に纏い、ネクタイは締めていない。一見すれば、新社会人、新人OLといった風情である。

 凜子は着慣れない服装に戸惑っていたものの、スーツがはち切れそうなほどの肉感と実に相性が良い服装だ。

 

 虎太郎もまた黒いスーツに洒落たネクタイを締め、その上からベージュのトレンチコートを羽織っていた。

 顔には鋭利な視線を隠すような分厚いレンズの黒縁伊達眼鏡をかけ、髪型も軽くパーマをかけてる。

 ヨミハラでは気弱な男を演じていたが、今は如何にも仕事ができる男といった印象を受ける。

 

 髪型や印象が変わるだけで大抵の者は同一人物と判断できなくなってしまう。人間であれ、魔族であれ、彼らが思っている以上に鈍感な生き物なのだ。

 それこそ虎太郎レベルの疑り深い人物でなければ、この程度の変装でも十分ということだ。

 

 虎太郎は問いかけに答えることなく一跳びで壁を飛び越え、凜子も後に続く。

 

 

「ここだな」

 

 

 向かったのは凜花と正体不明の少女が交戦した地点だった。

 流石にまだ色濃く戦闘の後が残っており、弾丸や手榴弾、対魔忍の忍法によって地面に出来た大小さまざまな穴、ぶちまけられた血が残っている。

 翌日になれば、政府直属の後始末部隊が到着し、全ての証拠を闇に葬ることになるだろう。

 

 虎太郎は少女が術を行使したであろう地点に移動すると、膝を折り曲げて萎びた芝生に手を置いた。

 

 

「凜子、対魔粒子という言葉を聞いたことはあるか?」

 

「勿論。我々で言う所の“対魔の力”の米連での呼び方だろう」

 

「じゃあ、それを感じ取れるか?」

 

「自分のものなら。言葉にするのは難しいし、他人のモノとは区別がつかないが」

 

「そうか。目を閉じて意識を集中してみろ。戦闘中では殆ど不可能に近いが、こうして集中する時間があれば、お前なら分かるはずだ」

 

 

 半信半疑であったが、凜子は目を閉じて大きく息を吐いた。

 集中しろ、と言われても大抵の人間ではそう簡単にはいかないが、凜子はその限りではなかった。

 

 彼女の修めた逸刀流の鍛錬には精神修行も含まれる。

 免許皆伝にして跡を継いだ凜子も、道場での鍛錬の前に正座で精神集中を行う。その時と同じ要領だ。正座か立っているかという違いだけ。

 

 凜子は確かに自分と虎太郎の“対魔の力”を感じ取れていた。

 全身の肌で感じ取っているそれを、凜子は不思議なことに色として認識していた。

 

 自身の色は青。蒼穹のような青色だ。

 虎太郎の色は黒。闇をも飲み込みそうな漆黒であった。

 

 自分は兎も角として、虎太郎の色が余りにもらしすぎて、思わず笑ってしまいそうになった。

 

 

「う、む。確かに、色のように感じ取れる……気がする」

 

「へえ、お前はそうなのか。オレは圧迫感と匂いのような感じなんだがな。感じ取り方にも違いがあるらしい。まあ、いいか。もっと深く集中してみろ」

 

 

 虎太郎の言葉から、この技術を教えられたのは自分が初めてなのかと喜びに浸りながらも、凜子は更に自己の内側に埋没していく。

 

 それから、どれだけの時間が経っただろう。

 凜子が殆ど無我の境地に近い領域にまで脚を踏み入れると、虎太郎の手の置いた地点に新たな色を感じ取った。

 

 色は無色透明に近いが、辛うじて藍色と認識できるそれに、凜子は違和感を感じて集中が途切れてしまう。

 

 

「そこに何かあった。あの少女の力の残滓とでも言えばいいのか。私達と同じようでいて、正反対のような……すまない、上手く説明できないな」

 

「…………空遁はお前が考えている以上に危険な力技だが、同時に繊細な職人技でもある。期待はしていなかったんだがな、そこまで分かれば上出来だ」

 

『お見事です、凜子様。才能だけならば虎太郎以上ですよ。今あなたが感じたものは、俗に魔力と呼ばれるものです』

 

「今のが……何だかあやふやで判然としなかったが、すぐに忘れてしまいそうだ」

 

「自転車の乗り方と同じでな、この感覚は一度でも覚えれば決して忘れんよ」

 

 

 虎太郎とアルフレッドから称賛を受け、凜子は戸惑いを覚えた。

 コツは掴んだ気はするが、感覚があやふやすぎて思わず不安を口にしたが、虎太郎は即座に否定する。口ぶりからして経験則だろう。

 

 

「いや、それよりもアルフレッドが感じ取れる――というよりか、お前の場合は計測か、できているではないか。必要だったのか」

 

「一つの装置に頼るのは賢明とは言えねぇよ。一つの装置と一つの感覚なら、より正確に別の方向から物事を見極められる。一つの装置と二つの感覚なら尚の事、だ。知っておけ、物事ってのは多角的な視点で初めて全体像を把握できる。そこを疎かにするとな、すぐに騙されるぞ」

 

『このような人も機械も相棒も信じないドライモンスターなのです。正論ですが、冷徹が過ぎます』

 

 

 虎太郎のぐうの音も出ない正論に、凜子は閉口せざるを得なかった。

 アルフレッドの皮肉交じりのフォローが入ったものの、それでも虎太郎の正論は揺るいだ訳ではない。

 凜子もヨミハラで自分の考えや判断を優先して、蜘蛛の巣に絡め捕られた蝶となったのだ。素直に言うことを聞かざるを得ない。

 

 自分の力に絶対の信頼を置いていない点も、相棒(アルフレッド)の援助を得られない、或いは失った状況を想定している点も、凜子からすれば驚きを通り越して寒気すら覚えるが、否定するだけの材料を持ち合わせていなかった。

 

 

「しかし、魔力か。ともすれば、あの少女は別組織の魔族、なのだろうか」

 

「それは早計だ。魔力は魔族の力の源だが、決してイコールでは結ばれないからな」

 

『人間でも異界の存在と契約することで魔力を得られます。魔術師、魔女と呼ばれる方々ですね。ただ、魔界から流出した技術ですので、魔界側の存在に近いのは確かですが』

 

「次の場所に行くぞ。そっちの方が、得られる情報が多そうだ」

 

 

 異界とは魔界とも異なる世界である。

 どのような世界であるかは断片的に語られるのみで、理解している者は人界魔界を合わせても一握りしかいない。

 

 曰く、かつて神と呼ばれた存在達の寝床。

 曰く、人界魔界とも物理法則の異なる世界。 

 

 異界など、その程度しか知られていない。

 虎太郎も、あちら側の存在と出会ったことはあるが、人界に合わせてスケールダウン――というよりかは気合と根性でこっちに留まっているようなものか、と結論付けていた。

 どの道、彼にとっては敵と認識する必要のない相手だ。此方に来た時点で異界の存在も、そこいらに居る魔族と大差はなくなる。

 

 その上、彼等も対魔忍、魔族、米連同様に敵を舐める癖がついている。

 

 元より圧倒的な上位存在だ。

 格下を見下すのは仕方ないにしても、もう自分以外の全てが他人を舐めて痛い目に会い、誰かの足を引っ張っていると考えるだけで虎太郎は胃が爆裂しそうな思いだった。

 そういう輩に限って自分の脚を引っ張ってくるからだ。彼の苦労人生は、異界存在の尻拭いまで含まれているらしい。悲惨としか言いようがない。

 

 

「ここら辺だったが――――――あったぞ」

 

「それは……?」

 

「あの少女はここで銃弾を躱し損ねていた。その結果だ」

 

 

 既に映像からその事実を確認していた虎太郎は、芝生の中から少女の血が染み込んだ衣服の切れ端を拾い上げる。

 弾丸は彼女の衣服の一部を破り、身体に傷を残した。恐らく、凜花を抱えていたが故に普段通りの回避行動が出来なかったのだろう。

 虎太郎は衣服の切れ端を引っ張り、手感で何かを確かめるような仕草を見せた。その後、染み込んだ血の匂いを嗅ぎ、納得したように頷いた。

 

 

「衣服は対魔忍の装束と似てるが、強度はそこそこ、伸縮性は段違いの化学繊維だ」

 

「ならば、米連の手の者か。魔術にまで手に出しているとはな」

 

「米連であるのはほぼ間違いないだろうが、もう一息だな。血の匂いも人と魔族のそれが混ざっている」

 

「そ、そんなことまで分かるのか。ならば魔族が面白半分に孕ませたのが……」

 

「人だの魔族だのの血も死体も腐るほど見てきたし、匂いも腐るほど嗅いできた。直感に過ぎんが、これは半人半魔というよりかは……」

 

 

 虎太郎も匂いだけで判断しているわけではない。

 僅かに残った証拠から経験や五感から言葉にすらできない断片的な情報を感じ取り、脳内で直感として再構築しているのである。

 

 言うなれば職人の感覚に近いか。彼等は経験から極小の差異ですら一目で見抜く。

 恐るべきは、そんな領域に足を踏み入れるまで、多くの人と魔族の死を目の当たりにし、また自らも屍山血河を築きあげた彼の人生である。

 

 虎太郎は、かつてアミダハラで出会った半人半魔の魔女を思い出す。

 彼女の血の匂いも戦いの中で嗅いだ。アレは人でも魔族でもないが、第三の生命体として確立した匂いだったと記憶している。

 だが、今嗅いだのは人と魔族が混ざり合ったような匂いだ。同列として語るには、違和感が勝ち過ぎていた。

 

 

「で、どうだ……?」

 

『これは、無茶苦茶ですね。どうやら人間に魔族の血液を輸血したようです。人と魔族、両方の遺伝子が確認できます。それに、彼女の全身には手術痕らしきものも見られました。臓器移植も行われている可能性もあります』

 

「米連の、生体実験という奴か」

 

「魔族の中から遺伝子的に人と近い種族を選別して、その上であの娘に臓器移植と輸血を行ったんだろ。もっとも、成功例が出るまでに拒絶反応でどれだけ死んだか知らんがな」

 

 

 凜子は余りの悍ましさに顔を歪めた。

 

 人と魔族は根本的に別の生き物だ。

 如何に遺伝子的に人と近かろうが、血縁関係にある者同士の臓器移植ですら不可能である場合も珍しくないというのに。

 かつて、拒絶反応という要因を人類が知らなかった頃に行われた羊や豚の腎臓を人間に移植した過去とは異なる。

 米連の研究者は、明らかな危険と患者の死を認識した上で、生体実験を断行したのだ。

 

 虎太郎はそれほど嫌悪も怖気も抱いていなかった。

 人類の歴史は浪費の歴史だ。多くの財産、多くの資源、多くの命を浪費しながらしか生きられないのが人類なのだ。

 彼にとって少女の身に起こった現実も、ただ歴史に埋もれていくだけの事実に過ぎない。

 何より少女に魔族の臓器移植を行った経緯を知り得ていない。動機や目的が分からない以上、自分には正当な評価が下せないと、それ以上の思考はカットした。

 また彼の任務には何の関係もない事柄だ。今必要なのは少女の背景ではなく、少女の目的――ひいてはその裏で糸を引いている米連の思惑である。

 

 

「行くぞ。オレ達が優先するのは紫藤の救出だ」

 

「分かった。それで、次は……」

 

「どうすればいいと思う?」

 

「――――……どのようにして、彼女が逃げたのか、か?」

 

「その通りだ。人間が逃走する以上は必ず何かが残る。だが、お前の空遁の術は痕跡を残さん。その辺りも理解しておけよ」

 

 

 虎太郎は救出者、或いは猟犬としての行動を教育しつつも、凜子自身の能力についても考えさせる。

 

 彼が考えるに能力というものは、どんなものであれ、使い方次第だと考えている。

 道具の使い方と同じだ。馬鹿と鋏は使い様である。

 道具がどのような使われ方をし、どのような使用法こそが効率の良い使い方なのか、どのように使用するのが自分にとって使いやすいのかを識る――即ち、自覚の有無こそが全てを決める。

 

 常に道具を使い続け、常に道具と己の限界を見続けること。

 

 反復と探求こそが自覚に繋がり、蠅を龍へと生まれ変わらせる。虎太郎が生き残れてきた要因の一つが、それだ。

 

 

「当時の状況を鑑みるに、逃走経路は地上に限られる」

 

「何故、そう言い切れるんだ? 米連に属しているならヘリの一つや二つ、すぐに用意できるだろう?」

 

「ここいらにゃヘリが着陸できる地点がない上に、着陸せずに人間を回収するのも手間だ。夜中にそんなもんが飛べば周囲にもバレやすい。目的も戦闘ではなく、誘拐だからな。人目につきにくい移動手段の方が適しているだろ?」

 

 

 凜子が納得できるだけの理由を持った結論を語り、二人は追跡を再会するために壁を飛び越えた。

 

 監視カメラの映像から推測できる逃走経路。現場に残った足跡。虎太郎とアルフレッドの推察から凜子も薄らとではあるが少女の人物像が見えてくる。

 少なくとも少女は自分や対魔忍のように生まれながらに生きる道が決まっていたわけではないようだ。幼少期から訓練を重ねた印象は見受けられない。

 戦闘訓練ばかりだった自分でも足跡程度は気を使う。少女は足跡を消すのを忘れた、というよりかは足跡を消せないのだろう。

 魔族の臓器を移植された影響か、魔力や異能の獲得のみならず、身体能力の向上が見受けられるが、それ以外の技術に関しては素人同然である。

 

 虎太郎は五車学園を出た時点で、もっと正確に言えば監視カメラの映像を確認した時点で気付いていた。

 米連にはそういった者が多く属している。生まれは平凡だが特殊な能力を持った人間に特殊な装備を与え、特殊戦闘員や特殊部隊の一員とするやり方は、彼等の十八番なのだ。

 

 米連は個々人の能力は対魔忍、魔族に劣るものの、用いる人員も装備も金も最大の勢力である。

 覇権主義の歪みを抱え、世界の盟主として振る舞い続けた米連にとって、肥大化することは一種の生存欲求だ。

 正に巨獣。しかし、成果を上げ続けなければ死は避けれらない。大きくなり過ぎた獣は、自らの巨体に押し潰される運命にある。かつてのイギリスやソ連のように。

 

 

「これだな」

 

「……タイヤ痕か」

 

 

 少女の足取りを追って研究所から100m程度離れた林の中で、二人は地面に残ったタイヤ痕を発見した。

 タイヤ痕の幅と間隔から、それなりの大型車としか凜子には判断できなかったが、虎太郎はもっと深くまで見通しているようだ。

 

 

「これで車種とタイヤ痕の深さから乗っていた連中の人数まで分かる。後は追いかけるだけだな」

 

「そんなことまで分かるのか……」

 

「安心しろ。これが自然に出来るようになるまで徹底的に仕込んでやる。追跡においては必須の知識と技能だ」

 

 

 凜子は、それらはアルフレッドの方が得手だろう、と言いかけた言葉を飲み込む。

 まだ目の当たりにしたわけではないが、アルフレッドが破格を通り越して異常な性能を有しているのは、人工知能や機械の知識に明るくない凜子にすら話からだけでも理解できた。

 その上、虎太郎が簡単に明かしたのならばそれは上辺だけで、アルフレッドの能力も性能ももっと凄まじいものとも受け取れる。

 

 全てを理解してなお言葉を発さなかったのは、これも多角的な視点で事実の全体像を捉えるのに必要な行いなのだろうと思い至ったからだ。

 次々と覚えねばならない手法や知識が披露され、凜子は目が回りそうな思いであったが、不満はない。寧ろ、喜ばしくあった。

 期待をされていないのは分かっている。虎太郎は他者に期待を向けるような可愛らしい性格をしていないのも知っていた。正当かつ正確に他者の能力を把握する上で、期待は邪魔にしかならないだろう。

 

 それでも愛した男の力になれるのなら、凜子にとっては胸が熱くなるほど情熱が沸いてくる。この程度の労苦など彼女には苦にもならない。

 

 

「地図は持ってるな?」

 

「――ああ」

 

「これからこの手の案件に繋がっていそうな東京方面の米連施設を繋ぐルートを辿る。ルート上にある監視カメラの映像から特定車種が連続して発見できれば、それが当たりだ」

 

「しかし、それでは時間がかかりすぎる。凜花の身が……」

 

「いや、どうだかな。今回の件、米連にしては消極的で慎重だ。普段とは違うやり方なら、思惑も別の所にあるのかもな。それに初動も速かった。存外、時間の猶予はあるだろうよ」

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 虎太郎と凜子が研究所から追跡を開始しようとした頃、太平洋上空を米連の輸送機が空を駆けていた。

 正規の手続きに基づいて在日米連軍の基地を発った輸送機の中には、非正規部隊の人員が何人か乗り込み、今まさに一仕事終えて本国へと戻る途中であった。

 

 

「よう。アルマ、浮かない顔だな。どうした?」

 

「………………」

 

 

 輸送機の荷物の一つであった兵士が航空機特有のエンジン音と機体を風が叩く音の中で、隣に座った少女に声をかける。

 

 アルマと呼ばれた少女こそ、虎太郎と凜子が追う凜花を捕らえた張本人である。

 兵士は彼女のバックアップを行った者の一人だ。アルマとはもう2年もの時間、任務を共にしていた。

 

 

「どうして……殺さなかった、の?」

 

「知らんよ。オレらの任務は対象を捕縛して引き渡すことだけだ。殺したら、任務がおじゃんになるだろうが」

 

「……こんな任務……初めて」

 

「いいじゃねぇか。誰かを殺すよりかは、まだマシだ」

 

 

 もっとも引き渡した後にどうなるかは分からんが、と兵士は暗い気分で心の中で溜め息をつく。

 彼は優秀な兵士だった。正義や悪など信じておらず、ただ上からの命令に従うのみ。どれだけ自身の倫理にそぐわない任務であろうとも、国の為に粛々と役割を果たすだけだ。

 

 チラリと兵士はアルマの顔を盗み見る。

 そもそも、彼女が何かに頓着すること自体が珍しいが、困惑はすれども表情に出ていない辺りが普段からの彼女を物語っているようで、兵士は何とも言えない気分となった。

 

 兵士にとってアルマは悲劇の少女でもあった。少なくとも彼にとっては。

 数年前、アラスカにおいて飛行機事故が発生した。死傷者200名以上に上る大惨事であったが、航空機墜落においては珍しくない数字である。事故唯一の生存者がアルマだった。

 

 彼女の悲劇はなおも続く。

 事故後、彼女の身体は人の形を保ってはいたものの、機能の大半は損なわれ、無数の機械によって命を繋がれている状態だった。

 死を回避するだけの延命治療。せめて安らかに死を迎えるためだけの終末治療。何一つ救いのない、失われるだけの彼女の人生。

 

 そこで奮い立った人物がいた。米連内において移植手術のスペシャリストとして知られる教授であった。

 彼こそがアルマに魔族の臓器と血液を移植した張本人である。しかし、彼の行動は凜子の抱いた悍ましさとは、およそかけ離れた動機を元にしてのものだった。

 

 彼はただ、目の前で失われていく患者の命を見捨てたくなかっただけなのだ。

 人間的に正しい動機の元、教授は怖気の奔る手術に手を出し、アルマの命を救ったのである。

 

 

(必死になって救った少女が、今や軍属の殺し屋とは。皮肉だぜ)

 

 

 正しい思いによって行動を起こしたとて、必ずしも正しい結果、正しい報酬を得られるとは限らない無常に、兵士は両肩が重くなるのを感じる。

 

 アルマと教授にとっての唯一の救いは、二人が家族のような絆で結ばれていることだ。

 手術の影響から、彼女は事故以前の記憶の殆どを思い出せなくなっていた。確かに頭の中には記憶はあるのに引き出せない。常に記憶は霞がかったような状態だった。

 

 アルマは感謝と自己に対する不安から教授を慕う。

 教授は自己の行いに嫌悪と後悔を抱いて、アルマを気にかける。

 

 余りにも儚く、余りにも切ない――――けれど、結果はどうあれ、その絆は本物だ。

 

 残ったものはそんなものだったが、それでもいいさと兵士は受け入れている。そんな歪でちっぽけなものであったとしても、守るに値するものだと信じている。

 

 

(対魔忍の娘にゃ悪いことをしたが、これも仕事だ。お互い、因果な商売についちまったもんだな。恨みっこはなしにしようや)

 

 

 自身たちの手で引き渡された凜花を想い、更に重苦しい気分となった兵士だが気持ちを切り替えた。長年の兵士としての経験が生んだ術である。

 後は教授の元へアルマを送り届け、二人の笑顔を確認したら、(ホーム)へ帰って家族と食事が待っている。家に仕事を持ち込まないのが、彼の流儀であった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「さて、鬼が出るか蛇が出るか」

 

「ここが、最も可能性が高い場所か……」

 

 

 研究所から追跡を開始して24時間後、東京都は渋谷区松濤の高級住宅街に二人は辿り着いていた。

 

 ルート上のコンビニ等の監視カメラの記録を虎太郎と凜子は警察官と身分を偽って――その為のスーツ姿だったようだ――あたり、アルフレッドも広範囲に渡って同様の行為を繰り返した。

 その結果、少女達の逃走車両を特定し、後を追いかけたのだが、とある廃工場に行き当たり新たな敵の影が見えてきた。

 

 その廃工場で見つけたのは、少女とその仲間である米連の秘密部隊のタイヤ痕と足跡だけではなかった。

 何かを引き摺ったような跡に、少女達とは別の第三者の痕跡である。

 

 そこで虎太郎は何らかの取引が行われ、米連が凜花を第三者に引き渡したと確信した。

 虎太郎と凜子の目的は救出であり、そこで追跡する対象が第三者へと切り替わったのである。

 

 後は同じ追跡法だ。車種と人数、向かった先を特定し、監視カメラの映像から追跡した結果が現在地だった。

 幸いなことに第三者が使用していた車種は一般人には手が出ない高級車であり、カメラによる追跡も容易であった。

 

 

『どうやら此処は小さな野党の議員宅のようですね。それも親米派です。米連と繋がりがあって不思議ではありませんね』

 

「また政治家かよ。どこまで腐ってんだ、日本政府ェ……」

 

 

 アルフレッドの言葉に、虎太郎はゲンナリとした表情で溜め息をつく。

 

 そのまま舌打ちをすると車を降り、凜子も後を追う。

 凜子の表情は固かった。何せ、あの矢崎と同じ政治家の悪党だ。仕方あるまい。

 

 議員の自宅は警備もなければ、監視カメラの類も一切なかった。

 政治家は一般人と比較すれば高給取りであるが、選挙運動など金のかかる仕事でもある。重鎮や大物と呼ばれるレベルでなければ、自宅の警備などこんなものだろう。

 あっさりと内へと侵入した二人であったが、議員も凜花も姿はなかった。

 

 

「どういうことなんだ。まさか、外れか?」

 

「いや、ガレージに車がなかった。既に別の場所に移動した、と見るべきだろうな」

 

「じゃあ、どうすれば……」

 

「手がかりを探す。この家、どうにも匂うぞ」

 

 

 虎太郎の言葉に、この家の何処に可笑しな場所があるのかと不思議であったものの、目下手がかりとなるのはここだけ。凜子も黙って従う他はない。

 

 しかし、一時間以上もの時間、家の中を探し回っても手がかりらしい手がかりは見つからず、そもそも闇の勢力と繋がりがあるのかすら怪しい有り様であった。

 

 もういよいよ駄目なのか、と凜子が焦り始めた時、虎太郎は書斎を歩きながら床の一点に目を止めた。

 床の一部を踏んだ時、そこだけ明らかに音が違った。闇の中、ライターの明かりをつけて確認してみれば、その部分は周囲に比べて明らかに真新しい色合いである。

 うんうんと頷き、周囲の本棚や書斎の机を探し回ると探していたもの――机の裏側にスイッチを発見した。

 

 スイッチを躊躇なく押すと床が開き、中には地下室への階段が伸びていた。

 手の込んだ仕掛けに驚いた表情で凜子は虎太郎を見たが、見つけた本人は肩を竦めるばかり。この手の秘密を暴くのは慣れっこなのだろう。

 

 二人は虎太郎を先頭に、ライターの光を片手に階段へと足をかける。

 虎太郎はすぐさま顔を顰め、凜子も階段を半ばに至った辺りで鼻をつく匂いに心臓を締め付けられるような感覚に陥る。

 

 二人の鼻を刺激したのは明らかな血の匂いだった。

 凜子は幼馴染の身を案じ、焦りは最高潮に達しそうであったが虎太郎と任務の手前、何とか冷静さを保つ。

 

 階段を下りきると虎太郎は何の躊躇もなく鉄扉を開く。

 鉄を擦り合わせる不快な音を響かせながら入った地下室には――――やはり、誰もいない。

 

 地下室は周囲全てがコンクリート造りであり、部屋の中央には手術用のベッド。部屋の隅にはデスクとパソコンがあった。

 異常だったのは壁にかけられた無数の刃物と鋸だ。刃は全て斧や肉切り包丁そのものの形をしており、鋸は刃が細かいものから荒いものまで様々である。

 床はタイル張り。部屋の角には排水溝もあり、ここで行われていた行為の狂気加減は語らずとも、腐った血の匂いで理解できよう。

 

 虎太郎は地下室の様子に眉一つ動かさず、パソコンに向かう。情報源になりそうなのは、それくらいしかない。

 デスクについた虎太郎の後ろから凜子もパソコンのディスプレイを覗き込んだが、この地下室に似つかわしくないものを見つけた。

 

 ガラスの割れた写真立てだ。収められた写真は、30代程度の男女の写真であった。

 男は女の肩を抱き、女は男の肩に頭を預けており、仲睦まじい夫婦そのものである。背景は何処かの湖畔。別荘らしきものまで写っている。

 何処かへ旅行に出かけた時の写真なのだろう。幸せそのものを写真として閉じ込めたかのようだった。

 

 虎太郎は横目でそれを確認しただけで、起動したパソコンを操作する。

 デスクトップには無数の動画ファイルがあった。全てに女性と思しき名前と年月日が記入されていた。

 

 その一つを虎太郎が再生し、凜子は中身を見た事を後悔する羽目になった。

 

 

「…………これ、は」

 

『何と、惨い真似を……』

 

 

 ――切断、流血、絶叫、悲鳴、懇願。残虐、哄笑、興奮、狂気。

 

 おおよそ、動画の内容はそんなものだった。

 

 凜子には、何故そのような真似をするのか、何故そのような行為で興奮を覚えられるのか、全く理解できない。

 ヨミハラでは、そういった(・・・・・)性癖を持つ人間がいると聞いたことはある。

 けれど、その処置を行うのはあくまでも本人ではなく、本人とて処置の結果を楽しむのであって、その過程に興奮する訳ではない。

 ましてや、写真の中では伴侶と仲睦まじい人物が、動画の凶行に奔るなど、理解できよう筈もない。

 

 

「アルフレッド。コイツ、ここ何年かで離婚してるだろ」

 

『はい、そのようです。どのような理由かは不明ですが。調べますか』

 

「よせよせ、時間の無駄だ。理由なんざ簡単に検討がつくからな。知る意味もないよ」

 

「分かる、のか。何故……?」

 

「コイツにとって女の脚は自分から逃げていく証、女の腕は抵抗の証なんだろうよ。自分を裏切った女と違う形にしなきゃ気が済まんのさ」

 

 

 唖然とする凜子を余所に、下らねぇと男の狂気を一蹴する虎太郎。

 

 凜子は頭が可笑しくなりそうだった。

 少なくともこの男も離婚までは至極真っ当な政治家だったはずだ。理想に燃え、夢があり、妻を愛していたに違いない。

 そんな男が、誰にでも在り得る理由で簡単に壊れてしまう人の弱さにも。

 その弱さと狂気を目の当たりにしてなお、よくある話だろうと現実を受け入れている虎太郎にも。

 

 

「この程度で気が滅入ってるようじゃ、オレと一緒に仕事なんてやめた方がいいぞ」

 

「…………嫌だ。私は対魔忍だ。この手の外道を討たなければならない。何より、この狂気の中であなたを一人残しておけるものか」

 

「本気で物好きだよ、お前も、ゆきかぜも」

 

「知っていると言ったはずだ。それに、あなたと一緒ならいくらでも耐えられる自信――ではないな、これは自覚だ。うん、自覚がある」

 

「ふん、そうか――――――これは……」

 

 

 凜子に顔すら向けずにパソコンを調べていた虎太郎は、既に挿入されていたメモリーカードに目を付け、中のファイルを開いた。

 

 

「ま、まさか、これは……!」

 

「――――――やっべぇな、おい。この案件、オレが出向いて幸運だった。行くぞ、凜子」

 

 

 凜花を誘拐した米連の一部隊。誘拐した人間を利用するでもなく、受け渡すだけの不可解な行動。親米派議員の狂った性癖。

 ファイルの中身は有名無名に関係なく、能力に明確な弱点がある対魔忍たちの写真とプロフィール、能力研究の資料、弱点を前提とした最適戦術であった。

 

 その瞬間、全ての点と点が線で繋がった。

 米連の行った凜花誘拐は実験と試運転だ、と確信する。

 

 虎太郎の考えは、一連の動きは対魔忍研究の成果と効果の確認。それと同時に対魔忍側の戦力を削らせる(・・・・)ため、というものだ。

 

 凜花誘拐は言わばデモンストレーション。だからこそ、手始めに自分達の部隊を使った。

 まず自分達の握る研究という名の情報がどれだけの威力を持ち、どれだけの効果を発揮するのかを、対魔忍の敵対勢力に知らしめる。

 あの鬼腕の対魔忍を簡単に倒せたという結果は、後先を考えない輩に何を求めるかとなど考えさせるまでもないだろう。

 

 情報を提供した議員が闇の勢力と結託し、多くの対魔忍を己の物としてくれればいい。

 議員も積極的になるだろう。何せ、今まで犠牲にしてきた女とは異なり、対魔忍は簡単には壊れない上に、死なないからだ。だからこそ、あの議員を米連は選んだ。

 

 後は頃合を見計らって、情報を闇の勢力にばら撒くだけ。そうすれば対魔忍は目も当てられないほどの弱体化を果たすだろう。

 

 

「魔族どもにいいようにやられてんのに、未だに自分達だけで勝てるつもりかよ」

 

 

 虎太郎が危惧したのは仲間の危険――などでは無論なく、現状の拮抗状態が崩壊することだ。

 対魔忍勢力が弱体化すれば、魔族と米連が台頭し、二つの勢力争いになる。

 しかし、魔界は人界よりも遥かに広大だ。大半は人界などに興味は抱いていないだろうが、それでも総戦力は米連よりも上だろう。

 どれだけ優れた機械技術と人員を有していようが、魔族がそれぞれ遊んでいるからこそ対抗できているだけ。

 人界の征服が目前となれば欲が出て本気になることも、それぞれの魔界勢力が利益分配を前提とした共闘を選択する可能性も高まる。つまり、魔族の一人勝ちになりかねない。

 

 虎太郎にしてみれば、対魔忍、魔族、米連の三勢力が互いを馬鹿にしあいながら、互いの戦力と成果が拮抗している現状こそがベストでこそないがベターではある。

 この隙に魔族の情報を集められるだけ集め、技術を奪えるだけ奪い、削れるだけ削れらねば、人類は魔族の家畜――いや、滅亡しかねない。

 

 何よりも、この計画が成功したとて対魔忍も滅びるまではいかず、弱体化するだけで抵抗は続けねばならない。

 つまり、苦労が増えるだろうが! という話である。虎太郎の頭にあるのは、それが九割九分。残りの一分はゆきかぜや凜子を含めた自分の女たちのことだった。

 

 

「急ぎ、アサギ先生にこの情報を……」

 

『米連内に潜伏中のお仲間を動かして貰いましょう。これは余りに危険すぎます』

 

「何を言っている。そんな面倒なことする必要ないだろ」

 

『私に期待しての発言なら撤回を。最近は米連の施設も魔術用の対策もしてあります。この計画を実行した米連内の組織も同様の対策が為されている場合、時間がかかり過ぎます。この計画は初動から潰さねば、後から同じような計画を実行してくる可能性が余りに高い』

 

「それでも不可能じゃない辺り、お前は流石だ、アルフレッド」

 

「アルフレッドを褒めている場合か! 時間がないと――」

 

「オレにいい考えがある!」

 

 

 車の中へと戻った虎太郎は相変わらずの無表情で言い、彼の台詞に凜子もアルフレッドも嫌な予感がした。

 彼以外がそんな台詞を吐けば、失敗か死亡フラグ以外の何物でもないが、虎太郎が口にすればまたもやド外道戦法か、人間性を排除した効率追求した策があるに決まっている。嫌な予感も覚えよう。

 

 

「アルフレッド。過去、オレが交戦した米連の有名どころ、結構いるし、記録もあるよな?」

 

『は、はい。勿論です。それから貴方が考えた策も…………まさかとは思いますが』

 

「……おい。おい、まさか、あなたは――」

 

「その情報、バラ撒いちゃおっか☆」

 

「この闇人形!」

 

『このドライモンスター!』

 

 

 にっこりと微笑みながらの、やられたらやり返す宣言に凜子とアルフレッドは絶叫した。

 因みにアルフレッドの絶叫も当然である。虎太郎の考えた最適戦術は、米連が見せた弱点を前提とした生温いものではない。

 対象の性格や嗜好、果ては血縁関係まで利用し、虎太郎でなくとも、人を選ばず容易に実行できるものなのだから。

 

 何よりも、それでは結果が変わらない。弱体化するのが対魔忍から米連になるだけだ。絶対にさせてはならない。

 

 

「馬鹿言え、オレがそんな破滅主義に見えるか? バラ撒くのは魔界勢力でも政治家連中でもない」

 

「ん? んん? 何だと? では、誰に?」

 

『…………成程、米連内の排斥派ですか』

 

 

 アルフレッドの言葉に、その通りだと頷く虎太郎。

 米連内は巨大な帝国だけあって、その内部も一枚岩ではないが、対魔族においては二つに分かれる。

 

 魔族と手を組む結託派と魔族の排除を目論む排斥派である。

 結託派は日本における矢崎のようなものであり、排斥派は対魔忍に相当する派閥だ。

 もっとも結託派は、魔族と協力しよう、魔族を利用しよう、魔族に追従しよう、魔族に降伏しようと内部でもそれぞれ思惑が異なるが。無論、排斥派も、である。

 

 

「今回の件、結果を考えれば結託派が引き起こした可能性が高い」

 

「確かに、魔族が最大の利益を得るわけだからな……」

 

「だから、手に入れたこのメモリーカードの情報とオレの情報を排斥派にバラ撒く」

 

 

 そうなれば後は勝手に抑止が働く。

 排斥派も馬鹿ではない。二つの情報を渡せば、情報を流した者の意図に気付くだろう。

 中には虎太郎と同じように、魔族に対して決定的な勝利のビジョンがなく、現状が長く続いてほしい派閥もいる。

 だからこそ互いの滅びや弱体化を避ける為に、情報という矛を納め、闇に葬る方向に動くしかない。

 

 

「暫らく、米連内は荒れるぜ。お前らがこんなことをするから、真似をする馬鹿が出るって責任追及でな」

 

「自分は情報を流すだけか、悪辣な……」

 

『凜子様。素直に外道といってもいいのですよ?』

 

「ふふふ、何処が。少なくとも米連内で殺し合いには発展しないだろうよ。しかも排斥派の連中が勢いづけば恩も売れる。いずれは対魔忍にとって共闘するための材料になるかもしれん。これが効率の良い方法よ」

 

「ああ、そうかそうか。もういい。それで凜花の方はどうするつもりだ。我々の任務は救出だろう」

 

 

 頭の痛い問題が一つ片付いたものの、依然として凜花の行方が分からず、既に追跡する為の情報の糸は途切れたも同然だ。

 

 しかし、凜子に見えずとも、虎太郎には見えている糸はある。

 

 

「思うに、あの男にとって女というのは自分を捨てた女房の代替品だ」

 

「……それもそうか。人間全てに絶望しているのなら異常性癖者ではなく、連続殺人犯かテロリストになるだろうな」

 

「愛しながらも憎んだ果てに、あの行動に及んだ。けれど女房はもう戻ってこない。本当に壊し、穢したいものは手の届かないところへ行ってしまった。ならば、どうする……?」

 

『私には人間の情動は理解しかねます。凜子様はどうでしょう?』

 

「うぅ、む。私も同じだ。そもそもあんな異常者の心など理解できるとは思えん」

 

「簡単な話だ。張本人がいないのなら、張本人の残したものを壊し、穢す。自宅に地下を作ってあんな真似をしていたのが良い証拠だ。次に何処で事に及ぶかなんて決まっている」

 

 

 確かに、虎太郎の言い分は尤もだった。

 自宅の地下で、あんな異常な行為に及ぶ必要性は何処にもない。生来の性癖であれば、それを満たせる場所に行けばいい。東京にはそういった吐き気の催す場所があるのだ。

 妻と愛し合った自宅や思い出を見る影もなく壊し穢すために、わざわざリスクを背負ってまで、あんな凶行に及んだ。

 

 だとするならば――

 

 虎太郎は懐からあるものを取り出す。地下室にあった仲睦まじかった頃の夫婦が写った写真だ。

 

 アルフレッドと凜子は、あ、と思わず声を漏らした。

 写真に残して飾るほどの愛の思い出。次の場所は決定している。

 

 ――次に穢すのは、湖畔に立った別荘しかないだろう。

 



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『自分一人が苦労してるとか可哀想とか思ってる奴は碌でもない』

 東京都奥多摩。

 高層ビルが立ち並び、人々が忙しなく行き交う都心から僅か100km離れただけで、がらりと景色が変わる。

 東京の奥庭、奥屋敷として知られる奥多摩は自然の宝庫だ。大部分が山岳によって隔てられ、緑溢れる雄大な自然が残る観光スポットの一つでもある。

 休日ともなれば湖や川辺にはバーベキューにくる家族連れ、カヤックやラフティングなどの川遊びに来る若者、鍾乳洞や温泉を目的に訪れる観光客も多い。

 

 政治家の仕事は多岐に渡り、また数も多い。

 どんなに無名の議員であっても、分刻みのスケジュールを元に仕事を熟し、休みなど無いに等しい。

 その点を鑑みれば、目的の議員が奥多摩に別荘を建てたのも納得である。

 

 写真に写っていた場所は、奥多摩の中にある小さな湖であった。

 映し出された周辺の地形や湖の深度と広さ。議員の過去を遡り、購入履歴を得るなどアルフレッドには容易い。

 

 即座に現場へと向かった二人は、写真の背景と別荘の外観が目にした光景と一致しているかを確認し、別荘へと近づいていった。

 

 別荘への道は舗装のされていない一本道だ。

 夜闇の中、車のライトを消して慎重に近づき、相手に気付かれないギリギリの所で停車する。

 別荘から漏れる光に紛れて周囲を警戒するように動くライトが、議員の雇った傭兵か警備兵の存在を物語っていた。

 

 

「――突入だな」

 

「いや、まずは敵の人数の把握だ。それからでも遅くはない」

 

「しかし、凜花が……」

 

「問題ない。奴は紫藤の手脚を斬り落とすより前にやることがある」

 

「何? どういうことだ?」

 

 

 虎太郎の読みに、凜子は困惑せざるを得ない。

 彼の語った議員の心理が正しいのであれば、二人の行動は遅すぎるほどだ。今この瞬間にも凶行が凜花の身に降りかかっても可笑しくはない筈である。

 

 

「それは違う。アレだけの人数をバラせば、奴は嫌でも気づいた筈だ。自分のやっていることは結局、自分を捨てた女の価値を認める行為だとな」

 

『それも、そうでしょうね。過去の思い出を壊し、穢したいが故の行動だというのなら、その過去が彼にとって尊いことだと認めているようなものです』

 

「だからこそ、選ばれたのが紫藤だったんだ」

 

「……待て、どういうことだ」

 

「紫藤の忍法は煙遁。あの野郎、今は紫藤を洗脳してる真っ最中だぜ。自分から手脚を煙に変えて捨てさせるため(・・・・・・・)にな」

 

 

 虎太郎の言葉に、凜子は背筋が凍りつき、同時に腹の底から沸き立つ熱を感じた。

 

 議員にとって、凜花は救いなのだ。

 自分を裏切り、手の届かないところへ行ってしまった妻を完全に捨て去る為に、凜花を選んだ。

 彼からすれば女の手脚など邪魔なものに過ぎない。それを自ら捨て去り、己を決して裏切らず、全てを受け入れ、傍から逃げない女ならば、彼にとって妻をも超える理想の女神が完成する。自らの手で切断しては意味がない。

 

 理想の女神は能力の関係上、凜花しかいない。

 

 全く理解できない黒い欲望は、凜子を恐怖させると同時に激しい怒りを覚えさせた。

 身勝手な欲望のまま何の関係もない人間を巻き込み、挙句の果てに救われたいなどと、幼馴染を弄ばれている彼女には許しがたい。

 

 

「五感跳躍の法だ。視覚を“跳ばせ”」

 

「――――了解」

 

 

 怒気を押し殺し、凜子は虎太郎の指示通りに視界を跳ばした。

 

 空遁・五感跳躍の法。

 その術は文字通り、凜子の五感を1kmの範囲で跳躍させる。

 壁の向こうであろうとも、遥か彼方の光景であろうとも、この術を使用すれば彼女に見渡せないものはない。

 

 

「別荘の中には護衛が10人。皆、寛いでいるようだ。だが、凜花と議員の姿が見当たらない」

 

「もういいぞ、外の見張りは5人で計15人か。有名どころは居たか?」

 

「いや、目につく相手はいなかった。我々二人でも十分な人数だ」

 

「――――お前等は、どうしてそう真正面から戦ってやるんだ」

 

 

 凜子の言葉に、虎太郎は大きく溜め息をついた。

 

 凜子だけではない。アサギを筆頭とした対魔忍全体で言えることであるが、基本的に真正面から戦いたがる。

 無論、策も用いるものの、それは潜入までで最終的には力押しになってしまう。

 

 虎太郎から言わせれば、無駄で無意味な行為だ。

 そもそも、対魔忍とて敵を見下しているというのに、わざわざ見下している相手とマトモに戦ってやる理由が分からない。

 まともに戦うということは認めているということだ。見下しているのなら、それこそ蟻でも潰すように無造作に殺せばいい。それが見下している敵の正しい殺し方だ。

 

 もっとも、虎太郎にとって真の意味での敵など早々存在しない。任務上における単なる障害物である。故に、効率重視だ。

 

 

「さて、行くか。凜子、仮面をつけて車から降りろ」

 

「何をする気だ……?」

 

「すぐに分かる」

 

 

 そういうと虎太郎はヘルメットを被る。対魔忍装束は既に纏っていた。

 全身苔色の装束は、対魔忍というよりかは米連の兵士に近い。全身をボディーアーマーで覆っているかのようだ。

 頭部はオフロードヘルメットを模して造られた意匠に包まれ、レンズは橙色の特殊加工素材で作られており表情は一切窺えない。

 

 対する凜子は新人対魔忍が纏う量産タイプの対魔忍装束を加工し、米連側に寝返った対魔忍を連想させる衣装だ。

 米連は対魔忍の能力に興味を持ち、対魔族の戦力、研究に協力させるための引き抜き工作にも力を入れており、アサギや日本政府も見過ごせないものとなっている。

 裏を返せば、今この場に米連の兵士が居ても不思議ではないということだ。特に米連は一枚岩ではない。誰でも組織内の潰し合いと思うだろう。

 

 凜子は納得はいかないようではあったが、虎太郎の命令に逆らうつもりはなく、すぐに車から降りた。

 

 それを確認すると、虎太郎はエンジンを始動させ、限界までアクセルを踏み込んだ。

 人口の光が殆どない月明りの中で、舗装のされていないオフロードをフルスロットル走行など正気の沙汰ではないが、対魔忍は夜目が効く。何の問題もない。

 もっとも、虎太郎が正気かどうかと問われれば、彼本来の姿を知る者たちは思い悩んで口を噤むだろうが。

 

 闇に木霊するエンジン音に周囲を警戒していた護衛は、敵襲を感じ取ったものの全てが手遅れだった。

 不運にも車の進行方向に居た一人は、闇の中から突然現れたハイエースに跳ね飛ばされた挙句、車体の下に巻き込まれ頭部を粉砕された。

 

 それでも別荘に近づけば光量が増す。

 外部の護衛は恐るべき反応速度で手にしていた銃を乱射するが、何の意味もない。虎太郎は既に脱出しているのだから。

 

 ハイエースは別荘の玄関を完全に破壊しながら内部へと突入し、凄まじい爆発を引き起した。

 高級な別荘と、その周辺をこの世から跡形もなく消し飛している。まさに月まで吹っ飛ぶ威力である。

 

 

「……………………」

 

「な? もう皆殺しだ。わざわざ戦ってやるより簡単で速いだろ? 何よりも誰でも出来るしな」

 

「こ、ここ、この外道ぅぅぅーーーーーーっっ!!」

 

 

 虎太郎の所業に凜子は、誰もが同意する叫び声を上げた。

 通常ではここまでの爆発は起らないが、後部座席一杯にガソリンと火薬を積んでいれば別だ。

 

 

「いいだろ、これ? これだけの威力なら大半の魔族でも死ぬし、米連の特殊な防具でも焼け死ぬ。戦車でもなければ耐えられん。何よりも、ガソリンと火薬は安価で大量に手に入るからいい」

 

「これなら正面から戦った方がマシだ!」

 

「そーかぁー?」

 

「……あなただけは絶対に敵に回さない。絶対に、絶対に絶対に、だ!」

 

 

 もっと大きい工場のような施設であれば、それこそタンクローリーくらいは用意したが、個人で買える程度の別荘なら充分だ。正に世界で最も安いミサイルだったわけである。

 

 余りにもあっさりと、余りにも一瞬で、余りにもぞんざいに、15もの命を奪った虎太郎に流石の凜子も戦慄を隠せない。だが、当の本人は悪びれもせずに首を傾げるばかり。

 ゆきかぜは虎太郎は絶対に敵に回さないと誓い、彼女自身も同意したが、誓いを新たにするのも無理はない。

 

 凜子とて、悪党どもの命を奪うのに躊躇はない――ないが、虎太郎ほどに無造作でもない。無慈悲や嘲笑の中にも、自らの行いが正しいと信じている。即ち、そこには情があるのだ。

 だが、虎太郎には、そんなものが全くない。自負や情など不要とバッサリ斬り捨てている。昆虫的な、システムの権化のような怪物だ。

 

 

「ああ、もういい! 貴方のそのようなところは分かっているからな! それよりもどうするつもりだ! あんなに火の手が上がっているぞ!」

 

「ガソリンの量、間違えたかな? ……まあいいや、アルフレッド、別荘の間取りは入手しているか?」

 

『ええ、入手しておりますとも、このドライモンスター。地下室の入り口と場所も分かります』

 

「よし、じゃあ行くか」

 

 

 凜子の悲鳴のような声にも一切慌てず、虎太郎はアルフレッドの言葉に頷くと、彼女の手を引いて燃え盛る別荘跡地へと向かっていく。

 

 周囲はガソリンの燃える匂い、肉が炭化していく匂いに満ち溢れ、燃え盛る業火が煌々と輝いていた。

 如何に対魔忍と言えど、これだけの炎と熱量では死は避けられない。イングリッドの炎はこれ以上だったが、この業火とて温い訳ではない。

 

 待て、と静止の言葉をかけようとした凜子であったが、虎太郎とアルフレッドに迷いや躊躇はない。

 

 

(つまり、私には話していない手段があるということか)

 

 

 相も変わらず秘密主義の虎太郎に、嘆きの溜め息をつく凜子であったが、既に不安はまるでない。

 それだけ彼に全幅の信頼をおいており、何よりも愛した男の行動である。凜子は、ただ黙って受け入れるだけだ。

 

 そうして、燃え盛る業火の中に二人揃って足を踏み入れ――――

 

 

「こ、これは……!」

 

 

 ――――凜子は、ただただ驚きの声を上げるばかりだった。

 

 二人の衣服から身体まで全てを焼き尽くす筈の炎は、どういうことか二人の身体をすり抜けている(・・・・・・・)。炎も、熱も、何一つ二人には届かない。

 試しに炎へと手を翳してみても、結果は同じ。二人の存在そのものがなくなったかのようだ。

 

 凜子はまだ知らないが、今回の任務に際して虎太郎が徴収してきた能力である。

 

 ――――霞狭霧(かすみのさぎり)

 

 本来は潜入を得手とする下忍の異能系忍法である。霞狭霧の効果はあらゆる物体、効果のすり抜け。

 虎太郎とは違い、本当にうだつの上がらない下忍の能力であるが、虎太郎はこの忍法を早くから目を付けていた。

 

 本来の持ち主は潜入にしか使わなかった――いや、使えなかった。

 虎太郎はこのように攻撃や能力を無効化するのにも用いる。一番よく使うのは敵に爆弾を持って特攻、自分は霞狭霧で無効化、敵だけ殺す自爆戦法である。

 どんな能力も使用者が変われば一流にも三流にも変化する良い例だ。下忍には、運用するための知恵も度胸も、向上心すらなかった。

 

 もっとも、能力には往々にして弱点がついて回る。凜子の空遁が多大な体力や精神力を消耗するように、霞狭霧にも弱点は存在した。

 

 

「おい、速く歩け。これ10秒くらいしか持たねーんだよ」

 

「そ、そういうことは早く言えぇーーーーーっ!!」

 

 

 炎の中に脚を踏み入れて、既に3秒が経っていた。残り7秒で16体目、17体目の焼死体が出来上がる羽目になる。

 

 足早に目的の地点に辿り着くと、虎太郎と凜子は背中合わせで身体を屈めた。

 地下室は真下とアルフレッドに聞いていた。もう、何をするかは分かっている。

 

 

「行くぞ、準備はいいな?」

 

「了解。いつでも頼む」

 

 

 次の瞬間、凜子の視界は闇に染まった。

 光の届かぬ深海へと沈んでいくように、或いは星明り一つない夜空の落下していくように。二人は手を握りながら闇の中を下りていく。

 

 それから2秒としない内に光が戻り、確かな地面の感触に凜子は背中の忍者刀――秋山家に伝わる銘刀の一本“夜霧”を引き抜いた。

 普段、凜子が使用する石切兼光は持って来ていない。これは救出班の任務、素性は極力隠さねばならないという虎太郎の指示に従ったからだ。

 

 

「――――げぶぅっ!?」

 

 

 殿様蛙が踏み潰されたような声に凜子が背後を振り返れば、蹴りを放ったであろう虎太郎と壁に叩き付けられた議員の姿があった。

 

 気を失いずるずると地面に向かって崩れ落ちる議員に、凜子は怒りすら忘れて肩を落とす。

 今回の一件で、何の役にも立っていない自分に落胆しているのだ。

 調査や追跡については役に立たない自覚はあったが、本領である戦闘ですら虎太郎の足元にも及ばない現実。

 それでも、未だ凜子の心は折れておらず、まだ任務は達成していない。

 

 その姿勢は正しい。

 アサギが数々の窮地に陥ってなお諦めず、最後には敵を討ち果たして生還したように。

 前に進むことを諦めねば、いくらでも強くなれる。虎太郎の後を追うことを諦めねば、必ずその背中に辿り着くのだから。

 

 

「――凜花」

 

「あ……りん……ちゃ、あがぁぁッ!?」

 

 

 しかし、凜子は全ての思いを置き去りにして、ようやく見つけた幼馴染に駆け寄り、顔を顰める。

 凜花の姿は同じ女として、とても許容できなかった。

 

 動画の中で見た哀れな犠牲者とは違い、手も脚も無事だ。

 だが、分娩台に裸のまま縛り付けられたその姿は女としての尊厳を踏みにじられたも同然である。

 M字に大きく脚を開かれ、秘裂が露わになっているだけならば、まだ良かった。

 

 ――問題は、全身に突き刺さった針だ。

 

 舌先、乳首、脇、秘裂、陰核。ありとあらゆる敏感な部分に突き刺さった様は無残の一言。

 もっとも悲惨だったのは、下腹に深々と突き刺さっている針は明らかに子宮にまで至っている。女の最も大事な器官ですら淫具と変える埒外の外法。

 

 針には導線が繋がれ、電流でも流されているのか、凜花の手足は拘束されたまま暴れ回っている。

 

 媚薬によるものか、痛みによるものか、快感によるものか――或いは、絶望によるものか。凜花の尿道はヒクつきながら勢いのない失禁を繰り返していた。

 

 かつてのヨミハラにおける自分自身の姿と重ね、凜子は感電の危険すら顧みず針を引き抜こうとする。

 

 しかし、その手は他ならぬ虎太郎によって止められた。

 

 

「――待て」

 

「し、しかし、このような……」

 

「魔界の技術を甘く見るな。感情に任せて闇雲に動けば、どんな副作用が出るか分からん」

 

 

 無残な凜花の姿に眉一つ動かさず、虎太郎はどこまでも冷静であり冷徹だった。

 彼の冷徹さに怒りすら覚えた凜子だが、その言い分はどこまでも正しい。何よりも、その冷徹さが自身を救ったこともあり、手を止めざるを得ない。

 そもそも凜子に逆らうつもりは毛頭ない。感情さえ制御すれば、虎太郎の指示に黙って従うまでである。

 

 凜花の周辺に設置された計器や機械の類をつぶさに観察すると、キーボードを操作して虎太郎は針に流れていた電流を停止させる。

 

 

「――外道鍼か。随分、古いものを引っ張り出してきたもんだ」

 

 

 外道鍼。

 呪印の刻まれた麻酔鍼を経絡に刺し、電流と共に呪印によって魂を縛る魔界医療の一つ。

 外道鍼の使用は10年も前に廃れており、今では別の技術が取って代わっている。

 

 虎太郎が外道鍼を見たのは、初めてヨミハラに足を踏み入れた折。

 自らの利益のために、ある対魔忍を助ける過程で手に入れた情報から知っていた。

 

 自分も凜花に手を伸ばしながら顎で凜子に指示を出し、慎重に針を引き抜いていく。

 針を引き抜くと血の玉は出来上がるものの、呪印以外は鍼治療の鍼と大差はない。身体に傷が残らない。

 

 問題は、呪印がどの程度まで凜花の経絡系に浸透しているか、だ。

 生憎とアルフレッドは魔術以外は専門外。虎太郎も半端な知識で治療などするつもりはない。

 一刻も早く五車学園に連れて帰り、桐生による診断と治療が必要だ。

 

 手脚の拘束を外し、凜花は凜子に抱えさせる。

 もう、外の炎は消えているだろう。アレだけの勢いで燃えれば、鎮火も速い。後は鉄の扉から表に出て闇に溶けるだけ。

 気を失っている議員は、山本部長にでも任せればいい。ここにも奴の自宅にも、凶行の証拠は腐るほどある。

 

 

「……ま゛、ま゛でぇ……」

 

 

 既に興味も関心も失った対象の呻きに、虎太郎は肩を落としながら溜め息をつき、凜子は本気の殺意を送る。

 

 この男にはもう何の手段も残されていない。

 10年以上も前の技術に手を出しているのが良い証拠。恐らくは今回の件で金を使い過ぎて、最新の技術にも手が届かず魔界医師の協力すら得られなかった。

 己の行いを隠す手段もなく、議員としての生命は断たれ、人としての自由も猶予は僅か。

 

 ――それでも執念と狂気だけは凄まじかった。

 

 凜子の殺意を真正面から跳ね除け、虎太郎からの痛みすら忘れて、必死で気を失った凜花に手を伸ばす。

 その両目に、凜子はたじろいだ。ここまでの執念、ここまでの狂気を、元々はただの人間が放つなど彼女は見たことがない。

 恐るべきことに、この男は、たったそれだけの理由で凜子と視殺戦を繰り広げ、押し勝ってのけた。

 

 本当に馬鹿な男である。

 その後ろに控える、決して敵に回してはならない存在に動く切欠を与えてしまったのだから。

 

 

「何だ、紫藤がそんなに必要か……?」

 

「当たり、前だ、彼女が、いれば……彼女と愛し、合えば……全てが、元に戻る! 私は、救われる! 私達は幸せになるんだ」

 

 

 歪な笑みを浮かべ、ただ一心に救いを求める壊れた男の前に、虎太郎は股を開いてしゃがみ込んで表情を眺める。

 

 

「ふーん。元に戻る(・・・・)のが、救いか。まあ、そういうのもあるわな」

 

「離せ! 彼女を離せ! 離せ離せ離せ離せぇぇぇぇぇッッ!!!」

 

「――――でも、壊れたものは元に戻らねぇよ。壊れたら、壊れたなりの秩序を得るだけだ。覆水盆に返らずってな」

 

 

 虎太郎の興味も感情も感じ取れない淡々とした口調は、狂気に染まった男ですらピタリと止める威力を秘めていた。

 当然である。どれだけ狂気に染まろうとも結局は人間の心だ。虎太郎に読み切れぬ筈もない。彼の言葉は、男にとって最も触れられたくない部分を的確に貫いていた。

 

 

「…………違、う」

 

「女の手足を斬り落として縛り付けようが、罷り間違って紫藤がお前を愛そうが、お前は絶対に救われねぇ。少なくとも元に戻ることを救いとしているならな」

 

「……う、五月、蝿い!」

 

「分かった分かった、もう黙るよ。アンタの底は見えたが、興味も関心もないしな。だが、最後に一つだけ聞かせてくれよ」

 

 

 もう喋るのも嫌だと言わんばかりの口調で、決定的な一言を告げる。

 

 

「アンタ、その背中にべったり張り付いてる女どもを背負って、どうやって元の生活に戻るって言うんだ」

 

 

 失笑混じりの虎太郎の言葉に、議員はポカンとした表情で自身の背中と、仮面で覆われた顔を見比べる。

 やがて顔から血の気が引いていき、狂気が失われ、狼狽に染まっていく。

 

 男の喚き散らし、自身を止めようとする言葉に聞こえていない振りをして、虎太郎は鉄扉に手を掛けた。

 

 

「じゃあ、背中の連中と仲良くやりな。アンタが救われるのはソイツらがいなくなったらだ――――まあ、一生ないと思うがな」

 

「ま、待――――」

 

 

 男の言葉を最後まで聞かず、虎太郎は鉄扉を閉めた。

 男には、もう逃げる気力も意志も狂気さえ残されていない。後は、山本部長の手の者が奴を捕まえに来る。それで終わりだ。

 

 

「虎太郎、貴方は一体、何を……」

 

「別に。オレの女が怒り心頭だったからな。ちょいと呪いをかけてやっただけだ」

 

 

 男の心理を読み切った虎太郎は、くだらない呪いを説明する。

 

 男の救いは、以前の生活に戻ること。

 かつてのように妻と愛し合い、やりがいのある仕事をやり遂げ、理想と信念に邁進する生活。それこそが男の救いだ。

 

 無論、そんなことはあり得ない。虎太郎が言った通り、覆水盆に返らず、壊れたものは二度と元には戻らない。

 何よりも罪を犯しすぎ、罪を隠蔽するだけの金も権力も残されてはいない。

 

 けれど、虎太郎が注目したのは、そんなところではない。

 狂気の前には何の理論も理屈も意味を為さないが、元の生活に戻るということは、どれだけ狂気に染まろうと、どれだけ狂気に駆られようとも、どれだけ狂気に満ちようとも――――一握りの正気と倫理を残しておかねばならない。

 でなければ、元の生活になど戻れない。狂気の中に残された正気と倫理を見抜き、罪悪感を刺激してやっただけだ。

 

 最早、議員は今度こそ本当に狂気へと飲みこまれるだけだ。

 自ら手脚を斬り落とした少女達の幻影に張り付かれ、死んだ人間に怯え続ける。そう遠くない未来、男は自らの業と罪悪感に押し潰され、廃人となるだろう。

 それを回避するには罪を受け入れ、贖罪を決意した時だけ。そんな強さがあの男にあるのなら、そもそもこんな事態に発展してはいない。

 

 

「これが本来の呪いだ。不思議な力なんていらねーんだよ。決められた状況で、決められた時に、決められた言葉を吐けばいいだけだ」

 

「…………凄まじいな」

 

 

 たったの一言で、人など簡単に壊れてしまうのか、と。

 狂気に満ちたあんな男の心理すら読み切れるのか、と。

 

 凜子は改めて、弐曲輪 虎太郎の恐ろしさを再認識せざるを得なかった。

 凄まじいまでの手段の多さと冷静さと残酷さ。この男は、一体どれほどの心の闇を見てきたのか。

 そして、そんな悍ましいものを見続けて、どうして人に絶望せずにいられるのか、どうして正気を保っていられるのか。

 

 凜子には全く理解できなかったが、既に虎太郎を受け入れた身だ。恐怖はまるでなく、ただただ驚くばかりであった。

 

 

「まあ、あんまりやりたくねーんだよな、コレ。人を呪わば穴二つ、ってよく言うだろ?」

 

「何だ、嫌な気分にでもなったのか? 少なくとも私にはそのようには見えないが」

 

「似てるが違うな」

 

 

 ようやく任務が終わり、凜花を無事に取り戻した安堵からか、凜子は軽口を飛ばした。

 メットに隠れた表情は窺い知れなかったものの、恐らく虎太郎は軽口に対し、笑みを浮かべていただろう。口調は弾んでいた。

 

 

「自分の女の代わりに無駄な労力を使うなんざ、呪い以外の何物でもないね」

 

 

 自らの人生を嘲笑うかのような。自らを愛していると嘯く女を慈しむような。皮肉で満ちた、実に彼らしい台詞だった。

 



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『苦労の後はご褒美だ! でも、女に気遣いを忘れないのは数少ない彼の美点』

 救出任務の成功、救出対象を無事確保した虎太郎と凜子はアサギ、山本両名に連絡。

 回収部隊を要請し、回収地点へと向かう山道をひた走っていた。

 

 虎太郎は凜花を抱え、凜子は後に続く。

 木から木へと飛び移り、崖の岩肌を足場に下ったかと思えば、今度は逆に駆け上る。

 静止など一度もない。常人では不可能な、障害物など存在しないかのような最短距離を最高速で駆け抜ける走法。

 人ひとり分の重し(ウェイト)に加え、動きにくいボディーアーマーを全身に纏っているというのに、虎太郎の速度と動きに凜子ですら追いつくのがやっとだ。

 

 

(やはり、速い! 基礎となる能力が段違いだ……!)

 

 

 凜子もヨミハラの一件から気付いていたが、改めて目の当たりにすれば虎太郎の凄まじさに驚嘆せざるを得なかった。

 

 凜子に合わせているだろうに、疾風(はやて)ですら置き去りにしてしまいそうな速度。

 羽毛のように軽やかで、重さを一切感じさせない重力から解放されたかのような身のこなし。

 既に20kmも一定の速度で移動し続けているにも拘わらず、呼吸の乱れの現れない体力。

 

 どれをとっても対魔忍でもトップクラス。身体能力に優れる魔族と比較しても引けを取らない。

 

 虎太郎に抱かれた時は期待と興奮で頭が回らなかったが、冷静に思い返してみれば凄まじい肉体だった。

 徹底的に無駄な筋肉と脂肪を排除し、使えるもの、必要なものだけを残した鋭利な肉体は、刃を連想させた。

 剣士として多くの鍛錬を越えてきた凜子であってすら、何をどうすれば虎太郎の肉体が完成するのか、想像すらできない。

 

 恐らく、骨格や内臓の位置が正常な人体とズレが生じているほどだろう。

 全身くまなく調べてみれば、骨に折れていない箇所などなく、断裂を経験していない筋肉はなく、ダメージを受けなかった内臓も存在しまい。

 

 何よりも恐ろしいのは、相対しても比類なき強さを全く感じさせないところだ。虎太郎の強さは、戦ってみなければ分からない。

 

 

「…………止まれ」

 

「――――っ!?」

 

 

 地面に降り立った虎太郎は如何なる歩法を用いたのか、速度は最速からゼロとなる。

 余りに急激な変化に対応できず、凜子は地面を滑りながら何とか静止したものの、足を痛めてしまいそうだった。

 

 その言葉に敵襲と判断した凜子は“夜霧”に手を掛けたが、気を失ったままの凜花を地面に下ろした虎太郎の姿に杞憂であったと息をついて緊張を解す。

 

 

「どうした……?」

 

「紫藤の様子が可笑しい。急激に心拍も体温も上がっている。アル、紫藤の身体をスキャンしろ」

 

「待て、外道鍼とかいうものは、貴方が……」

 

「正しい手順は踏んだ。だが――――」

 

 

 虎太郎は凜花の首筋に指を当て、脈拍を測る。

 心拍数も体温も上昇する一方。呼吸も荒くなり、凜花は頬を赤く染め上げていた。

 

 

『呪術は専門外ですので何とも言えませんが、凜花様の状況は把握できました』

 

「結果は……?」

 

『どうやら、あの外道鍼は通常のものよりも強力な呪術が込められていたようです。それも複数』

 

「………………奴等はどうして、オレに迷惑ばかり掛けるんだ」

 

『さあ? 貴方の日頃の行いのせいではないですか?』

 

 

 肩を落とす虎太郎にアルフレッドは皮肉で返したものの、彼が反省することはないだろう。

 

 呪術は、魔術同様に魔界産の技術だ。

 何も知らない者にとっては不可思議な力にしか見えないだろうが、呪術を知る者、行使する者からすれば、膨大な学問である。

 正しい道具を用意し、正しい手順を踏み、正しい匙加減によって行わなければ呪いは成立しない。

 万が一、成立したとしても、正しい手法から外れれば、呪術をかけた本人ですら、どのような効果を発揮するのか予測も出来ないのだ。

 

 ――だからこそ、あの狂気に染まった議員の方法は、最悪以外の何物でもなかった。

 

 呪術は重ねた所で加法にも乗法にもならない。

 それぞれが独立して効果を発揮するだけ。それも相当高位の呪術師でなければ成立は不可能だ。呪術が互いに干渉しては、何が起こるか分からない。

 

 

『どうやら呪術が相互に干渉し合い、凜花様の身体と魂を蝕んでいる模様です。このままでは……』

 

「……ア、アルフレッド、どうなるんだ?」

 

『問題なのは肉体や意志に作用する呪いではなく、魂を縛るものです。如何に対魔忍と言えど、魂は赤子同然に無防備ですから。何らかの手を打たねば、凜花様の魂は千々に砕けるでしょう。その影響が肉体にどのように現れるかは不明ですが、死は避けられません』

 

「そんな……」

 

 

 凜花の苦しみ様は、呪術に詳しくない凜子には何らかの媚薬を投与されたようにしか見えなかった。

 しかし、魔界技術に詳しいアルフレッドの言である。世迷言と断ずるには凜子に知識はなく、余りに重い。

 

 

「アル、手立ては?」

 

『ありますが…………』

 

 

 いつもの調子と一切変わらない口調で問う虎太郎。

 問われたアルフレッドは既に状況を解決する手段は導き出している様子だったが僅かに戸惑いを見せながらも、意を決して口にする。

 

 

『恐らく、呪いが暴走状態にあるのは主人の設定がないから、だと思われます』

 

「主人の設定……?」

 

「この手の行動や思考を束縛するタイプの呪いは、大抵が奴隷の反抗と逃亡を防ぐ為に用いられる。逆らえない相手をあらかじめ設定しておいた方が何かと楽だからな」

 

『主人の設定が為されれば呪いは安定し、この危機は去ります。後はドクター桐生の領分です』

 

「それで、その設定の方法はどうするんだ?」

 

「…………外道鍼は力ある“言葉(ワード)”によって主人の設定をするんだが、これがない真っ新な状態からなら特定の行動で割り込んで設定できるだろうよ」

 

「勿体ぶるな! 一大事なんだぞ!」

 

 

 珍しく言いにくそうに本題へと入らない虎太郎に焦れ、凜子は声を張り上げる。

 

 凜子にしてみれば、親友の危機の前に何をすればいいか分かっているのに行動を起こそうとしないようにしか見えないだろう。当然の怒りである。

 けれど、虎太郎とアルフレッドにしてみれば、凜花――――だけではなく、凜子自身の気持ちを思い、慎重に言葉と行動を選んでいるのだ。

 

 

「性行為だ。元々、奴隷娼婦に仕立てるためのものだからな」

 

 

 大きく溜め息をつきながら、虎太郎は解決方法を嫌々口にする。

 

 性行は魔界技術が流出してしまった現代において、快楽を追求するための行為に堕ちてしまっている。だが、本来は次代の生命を生み出す神聖な行為だ。

 古くは聖娼婦と呼ばれ、神の力を授ける為に売春を行った巫女もおり、日本においても男根信仰や女陰信仰といった命を生み出す器官や行為そのものに神性を見出し、信仰の対象としたことも珍しくはない。

 

 恐らく、人間の社会が繁栄により自然から離れていく以前。命の誕生が無条件に喜ばれた時代だからこそ、古き時代の人々は性行為に不可思議な“何か”を感じ取っていたのだろう。

 

 時代が下り、様々な価値観を増やす余裕が生まれ、性行為は命の誕生よりも快楽を追求したものとなっている。

 既に神性は失われ、性行為そのものが穢らわしいものと扱われているが――古の人々が感じ取った“何か”は消え去ってはいない。

 その“何か”を利用して、呪いに割り込む。元より性に根差した呪いだ。特段、不思議はないだろう。

 

 アルフレッドが言いあぐねていたのは行為が不可能であるから、難しいから、ではなく寧ろ、凜花と凜子の気持ちを慮ってのことだった。

 凜花が生娘であるにせよ、そうでないにせよ、この場で男は虎太郎一人。好きでもない男に抱かれるなど、断固拒否して当然である。

 

 虎太郎も仕事で抱く以上は仕方がないと割り切ってはいるが、極力避けたい行為ではあった。

 かつて抱いた女のように、自らの失態を受け入れられるほど、事態を割り切れるほど、凜花は大人ではない。

 ここで無事に事が終わっても、後から何を言われるか……要は、面倒なだけだった。

 

 

「何だ、そんなことか。アルフレッド、近くにホテルはあるか?」

 

『は、はあ、此処から2kmほどの場所にありますが』

 

「なら、そこで決まりだな」

 

「いやいやいや、待て待て待て。お前な、それでいいのか……?」

 

 

 確かに、凜子は愛人気質である。

 ゆきかぜや不知火と、虎太郎を共有し、同時に愛されることを良しとしている。それでも今回の件は、また別の括りだろう。

 

 不知火はその身と心に残った凌辱の爪痕を癒す為の一環と割り切れる。

 ゆきかぜは幼い頃より同じ思いを共有してきた同士と諦めもつく。

 

 だが、凜花は完全に無関係だ。

 それ以外に手はないとは言え、こうもあっさり即決し、凜花との行為を許容するなど傍目から見ても異常だ。

 

 

「何を躊躇するんだ、らしくもない。それにこういうのは、貴方の最も得意とする分野だろう?」

 

 

 不敵な笑みを浮かべて宣った凜子に、虎太郎は仮面の下であんぐりと口を開くしかない。

 

 

「…………はぁぁ、どうしてこうなる。後な、オレが得意なのは其処だけじゃねぇよ」

 

 

 色々と問い質したいことは山ほどあったが、虎太郎が漏らせたのは負け惜しみじみた不平不満だけだった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「ほら、観念して服を脱げ」

 

「分かった。分かったから急かすな。どうしてそんなにノリノリなんだ、お前は」

 

 

 アルフレッドの言葉通りの地点――ちょうど県境、県道沿いにホテルはあった。城のような外観をド派手なライトで照らしたラブホテルである。

 虎太郎と凜子は戦闘用の服から着替え、凜花にも予備の服を着せてから脚を踏み入れた。

 

 幸い、ホテルはフロントと顔を合わせる必要のないパネルタッチ式。

 監視カメラ、他の客にさえ気を使えば、人目を気にする必要もないのは幸いだった。

 

 部屋の内部にも監視カメラがないのは確認済み。アルフレッドは万が一、敵が戦力を隠し持っていた場合に備えてホテル周辺を警戒していた。

 回収部隊にも連絡を入れ、合流は朝方へと変更してある。時間に余裕はあった。

 

 

「ノリノリの筈があるか。これはあくまでも幼馴染の窮地を救うための緊急措置だ」

 

「そですねー、今度は嘘をついても顔に出ないようにしようなー。…………やべーよ。凜子の奴、オレとSEXしすぎて頭おかしくなっちまっ――――いてぇ」

 

「ふん、本当に失礼な人だ、貴方は」

 

 

 既に凜子は一糸纏わぬ姿になり、虎太郎は上半身だけ裸となっていた。

 

 凜子は虎太郎の余りにも失礼な呟きに、臍を曲げながら脇腹を抓る。

 抓りは皮膚への攻撃だ。大の男であろうとも、無垢な赤子であろうとも平等に痛い。

 もっとも虎太郎の場合は痛がっての反応というよりかは、そうされたら痛くて当然だから反応した(・・・・)といった感じだ。

 

 痛みに耐性があり過ぎて、痛みに対しての人間的な反応をまるきりこそぎ落としてしまったかのような様に、凜子は憂いを覚えざるをえない。余りにも痛まし過ぎる。

 

 

「…………そろそろ、凜花も目を覚ますだろう。出来るだけ優しくしてやってくれ」

 

「あー、仕事中だからな。優しくするのも作業の内作業の内」

 

「駄目だ。これから凜花を抱くのはプライベートだ。乙女の処女を散らすんだ、真心を込めてくれ」

 

「お前、本当にムチャクチャ言ってるよなぁ……!」

 

「安心してくれ、自覚はある」

 

 

 真心もクソもない。これから行われるのは凜花に対する凌辱も同然だ。

 愛してもいない男による処女喪失が乙女にとって価値などある筈もなく、残るのは悲しみだけだろう。

 

 勿論、凜子にも考えはある。

 長く対魔忍を続けていれば、今回のような危険に晒される可能性は極めて高い。

 何よりも自分自身が下衆な男によって処女を散らされたのだ。親友にして幼馴染の凜花には同じ体験をして欲しくはなかった。

 

 ならばいっそのこと、今回の危機に(かこつ)けて虎太郎によって散らされた方がマシだ。

 虎太郎自身が他者に共感するつもりはなくとも、他者を理解する力には長けている。

 凜花の心を蕩けさせ、望むようにとはいかずとも傷を残さないやり方というのが出来る男だと言う判断もあった。

 

 それから、もう一つ――――

 

 

「ほら、行くぞ。もうそろそろ凜花が目を覚ましそうだ」

 

「そうかよ。オレとしてはお前等(・・・)に目を覚まして欲しいもんだがな」

 

「それは無理だ。恋する乙女は盲目というだろう? 恋した時点で(めし)いている。目を覚ました上でこれなんだ。素直に諦めてくれ」

 

 

 手を引いて急かす凜子に虎太郎は皮肉で返したものの、何の効果も得られなかった。

 

 凜子が何を企んでいるのかは気付いていたが、抵抗する気はない。

 そもそも虎太郎はゆきかぜと凜子を自分の女とは認めているが、支配するつもりは毛頭ない。彼女らがどのような行動に出ようとも基本は黙認する。

 あれやこれやと口出しするのは任務の時と互いにとって不利益にしかならない時だけである。

 

 

「ん……うぅ…………は……っ!? ……凜子、ちゃん……?」

 

「ああ、そうだ。意識はハッキリとしているようだな。良かった。本当に、良かった」

 

「あっ……」

 

 

 発条仕掛けの人形のように跳ね起きると、凜花はベットの傍らに腰掛けた凜子の姿に目を丸くした。

 気を失う直前に確かに凜子の姿を確認していたが、意識は朦朧とした状態だった。追い詰められた自分が見た妄想と判断しても可笑しくはない。

 

 一瞬、何が起きているのか理解できなかった凜花であったが、凜子に抱きすくめられてようやく地獄の中から解放されたのだと分かったようだ。

 涙を流すことはなかったものの、安堵と再会の喜びに瞳を潤ませた。

 

 

「でも、どうやって私を……」

 

「あの人のお陰だ」

 

 

 凜子の視線を追って発見した虎太郎の姿に、凜花は再び目を丸くした。

 無理はない。虎太郎の裏の顔、実際の強さと恐ろしさを何一つ知らなかった。

 凜花にとって虎太郎はうだつの上がらない下忍であり、後進を育てる気もない駄目教師。その上、親友の脚を引っ張る存在に過ぎなかった。

 

 普段は疎んじ、見下していた虎太郎に助けられた凜花であったが、不満はない。

 全ては自分の不徳とするところと理解している。普段どれだけ馬鹿にしていた相手であろうとも、己を助ける為に尽力してくれた者を罵るほど凜花は恥知らずではなかった。

 

 凜花の心にあるのは嘘偽りのない二人に対する感謝と己自身に対する不甲斐無さのみ。

 相手が正体不明の敵だったとは言え、力量と相性を推し量り間違えたのは他ならぬ凜花自身のミス。例え、自身にとって最悪の相性である相手だったとて、それは変わらない。

 

 当たりがきつくはあるが、凜花は素直だ。

 いや、自分の感性や考えに素直であるからこそ、自身の認めていない者には当たりがきついというべきだろう。

 それ故、一度でも認めれば態度は軟化する。普段、毛嫌いしていた虎太郎に対する態度からは考えられないしおらしさなのは、そういった理由だ。

 

 

「弐曲輪先生、今回のけ――――って、何なのですか!? この格好はーーーーッ!?!?」

 

「ああ、これから説明するから安心しろ」

 

「せ、説明……良かっ――――当の凜子ちゃんまで裸ッ!?」

 

 

 ようやく自分の格好と置かれている状況の異様さに気が付いたのか、凜花は目をぐるぐると回しながら混乱を示す。

 当然の反応だ。助けられたと思ったら、自分だけではなく助けてくれた相手まで裸だった。訳が分からない状況だ。混乱しない方がどうかしている。

 

 凜子は格好に反して落ち着いた口調で現状と経緯を語っていく。

 その内容に凜花は顔を青くし、かと思えば赤く染め、自分の置かれた立場に上へ下へと気持ちを揺さぶられる。

 

 青天霹靂な事態であったが、何とか冷静さを取り戻した凜花が感じたのは違和感だった。

 違和感は事態に対するものではなく、自分自身の肉体に関することだ。

 

 何かが自分の身体を這い回り、締め上げている感覚はあると言うのに、身体には何ら異常は見られない。

 その感覚は、ときおり呼吸が困難になるほどだ。これが、魂を縛り上げられる証左なのだろうと凜花は納得する。

 今まで訓練や戦いの中で感じてきたものと近くはあるが根本的に異なる苦しみに、否が応にも自身の状況を理解せざるを得なかった。

 

 

「私に施された呪術を安定させる為には、その……」

 

「男に抱かれる必要があるということだ。この場合は虎太郎だな」

 

 

 凜子の言葉に、凜花はかぁと顔を赤く染め上げる。

 別段、彼女は虎太郎を好いている訳ではなく、好いている男もいない。単純に恥ずかしさで震えているだけだ。

 処女を大切にしてきたわけではない。強くなること、対魔忍として一人前になることに日々邁進してきた彼女は、それほど恋愛や色事を意識してこなかった。

 

 ましてや狂気に陥った男の欲望に曝され、純潔を喪う直前までいった。

 それだけで済めばまだ良かったが、元の生活(四肢)とこれまで培った自分まで失いかけた。このような事態に陥れば、嫌でも意識せざるを得ないだろう。

 

 そこに自らの命が絡んでくれば、覚悟をしなければならない。即ち――

 

 ――純潔を守り、乙女として死ぬか。

 

 純潔を散らし、対魔忍として生きるか――

 

 ――二つに一つ。

 

 

「紫藤、お前の好きにしろ。オレは強要しないし、凜子のように唆すつもりもない。今回の一件が無駄な労力になるだけだ」

 

「私が唆すなどと、人聞きの悪い」

 

今はまだ(・・・・)、な。それに紫藤自身の人生だろ? 生き様も死に様もソイツだけのものだ。余人が入り込む余地なんてハナからないさ」

 

 

 ヨミハラでの一件とは異なり、今回は既に仕事を終えている。

 仕事の上で必要だったからこそ不知火を抱いた。ゆきかぜと凜子は二人が望んだから抱いた。

 

 凜花はそのどちらでもない。

 自分の仕事は終わっている。彼女自身も望んでいない。ならば無理に抱く必要など何処にもないと言うことだ。

 任務の後に救出対象が死んだとしても虎太郎に責任はなく、自分を好いてもいない相手を抱くほど情にも欲にも溢れていない。

 

 だから、どちらでもいいのだ。

 乙女として死にたい。対魔忍として生きたい。どちらも紛うことなき本人の選択だ。それが凜花自身の身からこぼれ落ちたものだというのなら、どちらであっても尊重する。

 

 彼は後悔と苦労ばかりの人生だったが、己自身の意志で全てを選択し、判断を下してきた。

 それが虎太郎にとって数少ない誇りであり、また限られた自由でもあったが故に、他人の選択を笑うつもりはなく、自らの選択と同じように扱う。

 

 尤も、自分自身の利益と選択に絡まねば――という言葉が大前提である辺り、彼のドライモンスターぶりを如実に表している訳ではあるが。

 

 

「………………私は、」

 

「――――…………」

 

「こんなところで、死ぬつもりはありません。どれだけ汚辱に塗れようとも、生き抜いてみせます。それが、対魔忍ですから」

 

「――――だろうな。はあ、どいつもこいつも。…………まあ、よく言ったと褒めてやるがな」

 

 

 恐怖を抱きながらも、諦念とは無縁の真っ直ぐな凜花の視線を受け、うんざりと肩を落とし、期待とは全く違った返答に虎太郎は大きく溜め息をついた。

 それでも長年、彼を見続けてきた凜子にだけは分かる小さな笑みを浮かべている。その笑みの意味は諦めだったのか、優しさだったのか。

 

 

「さて、嫌なことは――――……」

 

「――――…………」

 

「いや、紫藤にとっては、だからな? そんな目で睨むな」

 

 

 失言を咎めているのだろう。凜子はジロリと虎太郎を睨みつけた。

 別段、失言のつもりもなければ気圧されてもいないが、此処で不機嫌になられても面倒だとばかりに彼は頭を掻いた。

 

 

「た、助けられる身で不躾ですが、私は、初めて、なので、だから、えっと……、そ、その……」

 

「それくらい見れば分かる。安心しろ、処女相手に優しくしてやるくらいの甲斐性はある」

 

「え、あっ、ま、待っ――――」

 

 

 持ち上げられた顎に何をされるか察した凜花は慌てて虎太郎を止めようとしたが、もう遅い。

 鳶が油揚げをさらうように、せめて残しておきたかったファーストキスを奪われる。

 驚愕と緊張から咄嗟に瞼と唇を固く閉じ、身体を強張らせる初々しく可愛らしい姿に、凜子は含み笑いを浮かべた。

 

 

「ひゃ、ぅ―――――んんんーーっ!」

 

 

 殻に閉じこもった貝を連想させる頑なな唇であったが、やんわりと舐め上げる虎太郎の舌に驚きから緩みを見せ、口内への侵入を許してしまう。

 全く体験したことのない未知の感覚に凜花は身体を震わせ、反射的に侵入してきた舌を噛もうとしたが必死に堪えた。

 

 これは自分を辱めようとしているのではなく、あくまでも救出の一環であると理解している。

 拒めば自分の首を締め、また虎太郎と凜子の努力も無駄になってしまう。

 凜子は勿論のこと、既に虎太郎についても自身の目が曇っていたと認めている。抵抗などする筈もなく、多少の羞恥も痛みも耐える覚悟であった。

 

 けれど、全く予期していなかった事態に、困惑を禁じ得なかった。

 

 

(な、なに、これぇ!? く、口と舌が、と、とけっ……キスって、こんなにぃ……っ)

 

 

 日常生活を送る上で大抵の人間は意識しないが、口は立派な性感帯である。

 食材に隠された小さな骨や異物まで感知する器官が敏感でないはずがない。

 

 ましてや虎太郎の舌技(ぜつぎ)もある。誰も触れてこなかった未開発の性感帯と言えど、快楽を与えるなど造作もないだろう。

 

 口内の何処も彼処も優しく舐め回され、快感に締まりのなくなった唇から唾液が零れていく。

 凜花は未体験の快楽に全身の毛穴が広がっていく感覚を覚え、未知への恐怖から虎太郎から離れようとしたものの、抱く女を逃がすような間抜けな男ではない。

 

 

「ぅふ……っ、んん、ふむぅ、んれ、ちゅ……」

 

(ひうぅっ! 抱き締められて……! これっ、これ駄目っ、絶対駄目っ、頭、おかしくなるぅぅぅ)

 

 

 瞼の作り出す暗闇の中、温もりとザラついた質感が背に生じ、身体をビクつかせた。

 

 背中に回された手は、多くの命を奪ってきたものとは思えない繊細さで凜花の背中を這う。

 紛れもない愛撫であったが、性感を高めるためのものと言うよりかは、怯える少女を安堵させるような余りにも優しいものだった。

 

 華奢な身体を決して傷つけぬように、それでいて己の体温を確かに伝える抱擁と愛撫に凜花から緊張が抜けていく。

 緊張が抜けていくのに応じて、虎太郎のキスにも無意識の内に応えていた。

 

 虎太郎が舌を引けば、お返しとばかりに舌を突き出して自らも拙い口内愛撫をする。

 唾液を流し込まれれば味わい、見よう見まねで自身の唾液を送り込む。

 

 既に凜花に恐怖と緊張はなくなっている。後に残るのは不安と興奮。

 しかも不安もまた快楽によって流されてしまう程度のものに過ぎない。恐るべきは、虎太郎の手腕か性技か。

 

 

「ぷ、ぁあ……、ふぅーっ、ふぅーっ、はぁぁぁ……」

 

「それがキスだ。気持ちいいだろう? 凜花も興奮しているようじゃないか。乳首も、こんなに勃起して」

 

「ふぇ……? あっ、やぁっ……!」

 

 

 淫蕩な笑みを浮かべた凜子の指摘に、凜花は自分の胸を見下ろして咄嗟に両腕で覆ったが、もう全てが手遅れだった。凜子にも、虎太郎にも見られている。

 

 

「ふふ、私も乳首は大きい方だが、凜花のは長い(・・)な。胸には自信がある方だったが、見た目のいやらしさでは劣っているかな?」

 

「り、凜子ちゃん、言わないで……うぅ」

 

 

 決して他人に知られたくなかったコンプレックスを指摘され、凜花は林檎のように顔を赤くした。

 

 恋愛や性に関しての知識はほぼ持ち合わせていない凜花であったが、その肢体は凜子同様に女として成熟している。

 であれば、性欲を持て余すことはあった。同年代に比べれば少ないものの、自慰の経験くらいはある。その折に、自分の身体についても知っていた。

 

 

「おい、オレに優しくしろと言っておいて、お前はそれか。余り苛めるなよ」

 

「おや、済まない。私も嫉妬しているようだ」

 

「二人は、恋人同士なんですか? な、なら、こんなこと……」

 

「…………私も思う所がないわけではないが、この人の女には違いない」

 

「それはどういう……」

 

「まあ、気にするな。私の決めた事だ」

 

(これ以上、話をややこしくするのは止めてくんねーかなぁ)

 

 

 凜花と凜子の会話に、虎太郎はまた面倒になっていきそうな人間関係に内心で辟易としたが、辛うじて顔には出さなかった。

 余計なことはするな、と凜子に視線で釘を刺すが当の本人は肩を竦めるだけ。彼女も愛しい男に似てきていた。

 

 

「これくらい、気にすることでもないと思うがな。ほら、凜子、手伝え」

 

「ふむ、仕方がないな」

 

「ま、待って、そんなりん――――んあぁっ!? く、ひっ、ち、乳首ぃ……っ!」

 

 

 虎太郎に右を、凜子に左を。

 それぞれ乳房の頂点で屹立する熱い肉の芽に吸い付き、凜花を責め立てる。

 体験したことのない二つの感覚に凜花は身をくねらせるが、蜂に蜜を啜られる花同然の彼女に逃げる術などない。

 

 虎太郎は乳輪ごと口に含み、乳房自体にも手で刺激を与えて、あくまでも優しく性感を高めていく。

 凜子はフェラでもするように下品な音を立てて、激しい快感を与えていた。

 

 人界で生まれながら効果は魔界のそれに劣らない虎太郎の性技。

 女として虎太郎によって本当の快楽を教え込まされた凜子。

 二人の前では、何も知らない処女に過ぎない凜花では、何もできる筈もない。

 

 

「ひあっ! あっ、あひっ! ち、乳首に吸い付くの、ダメェェェっ!!」

 

「この程度で、んれぇぇ、根を上げては、駄目だぞ? ふふ、ほら――――」

 

「ふぇぅっ!? な、中、入ってぇっ、ひ、ひぃぃぃっ!!」

 

 

 くなりくなりと煽情的に揺れる腰に虎太郎の手が這い、閉じられていた両脚の隙間を抜け、一番の性急所に向かって指が差し込まれた。

 

 親指で包皮の上からクリトリスを絶妙な力加減で押し潰し、人差し指と中指が膣道に侵入する。

 凜花は目を白黒とさせながら、悦楽に翻弄されていく。自慰とは比較にならない快楽の波に、無意識に両脚を広げて腰を持ち上げてしまう。

 

 元より媚薬も投与されていたのかもしれない。或いは虎太郎の性技故なのか。

 トロトロに蕩けた膣は、白く濁った本気汁を尻にまで垂れ流し、ベッドのシーツを汚していく。

 

 

「あ、かっ!? いやぁっ!? いやらしい音っ、たてちゃ、やだぁぁぁぁっ!」

 

 

 子供のような言葉と涙を流しながらも、快楽に翻弄される身体から放たれ始めた香りは発情した雌のもの、その動きは女体のいやらしさと美しさそのものを現しているようだ。

 

 膣を掻き回す指は激しさを増していくが、暴虐さとは程遠い。

 あくまでも優しさを損なわず、凜花の膣を性交に適した形に整え、同時により強い快感を得られるように変えていく。

 

 指はまだ探り(・・)を入れている段階であったが、最奥に位置する子宮はきゅんきゅんと切ない疼痛で喘いでいる。

 凜子も凜花の切なさに気付いたのだろう。子宮を外から撫で回すように手が這い回り、時折掌で押し付ける。子宮の疼きを少しでも和らげてやるためか、それともより強い快楽で翻弄するためか、どちらとも取れる手の動きだ。

 

 

「く、くぅぅっ! あっ、そこだめ!? んんんぅぅううううっ!?」

 

「こら、凜花。そことか抽象的な言葉は駄目だ。もっといやらしい下品な言葉を使え。女性器はおまんこ、だ。男はその方が悦ぶんだから」

 

(どう考えても人によるんだよなぁ。いや、オレはそっちの方が好きだが……)

 

 

 虎太郎が頭の片隅でそんなことを考えていると、凜花の快感で揺れる瞳とかち合った。

 涙を流し、トロ顔を晒しながらも、何処か意を決したような光を灯す。

 

 

「…………お、おまんこ、気持ち、いいぃっ♡」

 

「ふふふ、そうだ。上出来だぞ、凜花」

 

 

 満足げに頷く凜子に、虎太郎は頭を抱えそうになった。

 感付いてはいたが、目の前で起こっている調教を思わせるやり取りに、凜子の思惑と自身の予想が同一であると認めざるを得ない。

 女の理不尽な部分は何度となく見てきたが、今回は最大級の理不尽だった。

 とは言え、口にするつもりも邪魔をするつもりもない。そもそも、理不尽なのは外道たる自分も同じだと言う自覚があるからだろう。

 

 

「だから、ご褒美だ」

 

「えひぃっ!? 乳首っ、噛まっ! あっああぁぁんんんっっっ!!!」

 

 

 虎太郎と目を合わせた凜子は、二人同時にビンビンに勃起した乳首を甘噛みする。

 痛みを感じさせない絶妙な加減に、凜花はおこりを起こしたかのように身体を震わせた。

 

 更には噛んだ乳首を吸いながら、舌の腹で舐め回す。

 四方八方に押し倒され、ザラついた感覚まで分かるほど鋭敏になった乳頭からの刺激に、シーツを掴んで快感を逃がそうとする。

 

 

「ほら、今度はGスポットだぞ」

 

「じぃ、すぽ……? んんっ!? んひぃぃぃいいいいいっ!?!?」

 

 

 膣内でぷっくりと充血した女の弱点を二本の指で責められ、腰は更に高く跳ね上がる。

 処女でありながら潮を噴くまで蕩けた膣は、魔界医療によって改造されたかのようだが、凜花に気にしている余裕はない。

 

 虎太郎の愛撫は巧みの一言に尽きた。

 乳首も、膣も、Gスポットも、クリトリスも、覚悟を決める間もなく責め立てる。

 その上、凜花の裏を掻いていた。覚悟を決めても、より強く刺激される部位を外され、別の部位で簡単に絶頂へと至ってしまう。

 もう、凜花は秘裂だけではなく頭の中までぐちゃぐちゃだ。

 

 

「へあっ……ひっ……ふぁあ、……うぅ……へぁぁっ……」

 

 

 1時間のあいだ虎太郎と凜子に愛撫された凜花はアクメによってアヘ顔を晒していた。

 舌をだらしなく突き出し、涙と涎で顔を汚して、瞳はくるんと上を向いて口元は笑みを浮かべていた。正に女の悦びを教えられた顔だ。

 身体も同様だ。強すぎる快感に全身は汗で濡れて上気し、乳首もクリトリスも限界まで勃起して、膣口はヒクつき新たな愛液を流している。

 

 

「根を上げるのは、まだ早いぞ。ほら、ここからが本番だ」

 

「ふぇぇ? ………やぁぁんっ」

 

 

 横から凜子が凜花の脚を割り開く。

 ぐぱぁ、と粘着質な音を立てて開いた最奥では、女の象徴が紛れもなく男を求めてた。

 

 

「さあ、凜花、して欲しいことがあれば、今の内に頼んでおくんだ。挿入されてしまえば、後はどうにもならないからな」

 

「で、でもぉ……」

 

「いいんだ、今は。虎太郎は、お前の男でもあるんだからな」

 

 

 恋人――と呼べるほど単純な仲でもないが――である凜子に気を遣ってか、凜花は言い淀む。

 理想はあった。愛した男に抱かれながら、どう処女を奪って貰うのか。明確ではなかったものの、想像したことはくらいある。もっとも彼女自身、自分がそこまで惚れ込む相手が現れるなど、信じてはいなかったが。

 

 虎太郎は愛した男ではないものの、恩人ではある。

 ましてや、ここまで自分を優しく蕩けさせてくれた相手でもある。緊張と不安はあったが、嫌悪感はない。

 凜花にとって理想の相手ではなかったものの、甘えてもいい相手にはなりつつあった。

 

 

「……………………………………さい」

 

「聞こえないぞ。もっとはっきり言うんだ」

 

「……き、キスをしながらして下さい」

 

「ああ、分かった」

 

 

 凜花は理想の処女喪失を自分から口にした羞恥から、更に頬を赤く染めた。

 

 虎太郎は余りにも乙女らしい願いを笑わず、真摯に受け止める。

 凜花の両手を掴むと指同士を絡め合わせた。それだけで凜花は膣と子宮が震え、ぷちゅりと新たな愛液を流し出す。

 

 

「んぅぅ……んぅ、あうぅ……うぅん……あぁん、うんぅ……♪」

 

 

 ぴちゃぴちゃと犬がミルクを舐める時と同じ音を発しながら、舌同士を絡ませ合う。

 舌と舌を擦り合わせる度に、互いの唾液を交換し合う度に、咽喉を鳴らして飲み合う度に、凜花の子宮はもう我慢ができないと粘性の高い本気汁を吐き出す。彼女自身も自覚できるほどの量と勢いだった。

 

 虎太郎はキスを中断せず、凜花の女性器に手を触れもせず、腰の動きだけで最奥まで一息に貫いた。

 

 

「んぐぅんぅうううううううううっっっ!」

 

 

 明らかな破瓜の血を流しながらも、僅かな痛みすらなかった。

 あるのは膣奥の子宮口まで届いた剛直の硬さと熱さ、挿入に伴った総毛立つほどの快感だけ。

 目の前で火花がバチバチと散る幻覚に凜花の瞳は大きく見開かれ、自分の初めてを奪った男の瞳が視界一杯に写っていた。

 

 

「あ、……あぁ……かはっ」

 

「どうだ? 痛くはないと思うんだが、こればっかりは紫藤の感覚だからな」

 

「は、はい……すっご、く、気持ち、いい、です……あ、はぁん」

 

「良かったな、凜花。こんなに優しく処女を貰ってくれる男など、他にはいないぞ?」

 

 

 甘えるような吐息を漏らす凜花の頬を撫でながら凜子は羨ましげに呟く。

 自分は経験できなかった体験に対する僅かな嫉妬、親友に対する心からの安堵があった。

 

 けれど、凜子の変化に気付ける余裕など、凜花にはなかった。

 

 

「あっ、あぁっ、だめっ、らめぇっ!」

 

「駄目と言われてもな。動かさなきゃ終わらんだろう?」

 

「ひっ、ひぃぃっ、ひぃぃいいっ! ら、らってぇ、こ、こんな、優しく教え込ませるみたいにぃいっ!!」

 

「それが女の悦びだ。しっかりと教えて貰うといい」

 

 

 ゆっくりとした、細心の注意を払った抽送に、凜花は喘ぐことしかできない。

 

 子宮口に達していた亀頭は傘を開きながら、のろのろと引き抜かれていく。

 愛液を掻き出しながらも痛みは決して与えずに、それでいて襞の一枚一枚をこそぎ落してしまいそうだった。

 

 亀頭が抜ける寸前まで引き抜かれると今度は最奥に向かっていく。

 そのまま奥まで達するかに思われたが、途中でGスポットをカリ首で丁寧に前後させて潮を噴かせてみせた。

 

 処女である凜花には堪えようがなく、ただただ翻弄されるだけ。

 だが、身体は膣を締めて子宮口で吸い付き、男に対する奉仕を弁えていた。

 

 

「ひやあっ、あっあっ、ああぁっ、ゆっくりっ、チンポっ、出し入れ、やめれぇぇぇっ!!」

 

「だそうだが、どうする?」

 

「さてな……こうしてみるか」

 

「あ、ひっ……ふっあぁぁああぁあああ」

 

 

 虎太郎は膣全体を責めるのを止め、子宮口周辺で小刻みな抽送へと移行する。俗にポルチオと言われる部分だ。

 

 ポルチオはGスポットに並ぶ膣の性感帯であるが、大抵の女性は感じない。Gスポットとは異なり、開発が必要だからだ。

 もっとも、それは一般人に限った話。そこいらの素人や調教師では媚薬や改造にでも頼らねば処女をポルチオで感じさせるなど不可能である。

 けれど、人界のものでありながら、殆ど人に許された領域を越えた虎太郎の性技は、秒単位で凜花の膣を開発してしまう。

 

 

「んっ……? お、ほぉ……んぉおっ、ぉぉおおぉっ!?」

 

 

 全身に電流が迸るような激しい快楽から、全身が溶けていくようなもどかしさと多幸感を伴った快感に、凜花は発情した女そのものの嬌声を上げる。

 強烈で激しいだけならばまだ拒絶も出来ただろうが、こうまで優しくもどかしくては思考が瞬く間に蕩けるのは無理はない。

 

 ぎゅっぎゅと男根を締めつける膣と亀頭に熱烈なキスをする子宮口、くなりくなりと揺れる腰は快楽を与えてくれる雄への礼を兼ねた雌の本能なのだろうか。

 

 

「何度見ても凄いな、あなたのSEXは。こんなにもとろとろに蕩けて、羨ましい。凜花、ちゃんとおまんこだけじゃなく、言葉でも礼を言うんだ」

 

「は、はへぇっ……はひぃ、こひゃろうせぇんしぇい、ありがひょう、ごじゃいまひゅぅ……♪」

 

「ふふ、感想も言ってあげるんだ。男も悦んでくれるからな」

 

「あぅうぅ、キスも、乳首も、クリひゃんも、おまんこも、最高に気持ちいいですぅぅぅぅぅっ♪」

 

「凜子、お前な…………まあ、オレも嫌いじゃないが、なっ」

 

「あひゃっ、びっく、チンポっ、びくびくして、悦んでくれてるぅぅっっ♪」

 

 

 破瓜の血など疾うに洗い流され、白く濁った本気汁が凜花の尻どころかシーツにまで大きなシミを作っていた。

 

 ポルチオ特有の深い絶頂と多幸感に包まれた凜花は、全身を更に汗で濡らし、尿まで勢いなく垂れ流している。誰の目から見ても、もう限界は明らかだった。

 

 

「そろそろ、終わりだな」

 

「らしいぞ。それから、次にアクメする時はイクと言うんだ。名前もだぞ? 自分も気持ちよくなって、男も満足してくれるからな」

 

「ひゃひぃ、はいぃっ! 分かっひゃ、分かっひゃからぁぁんんんっっ!」

 

「別に気にするほどでもないんだが、好きにしろよ、っと」

 

「イク、イグゥッ――――あへぇっ☆」

 

 

 子宮口にぐっと亀頭を押し付け、虎太郎は堪えていたものを解き放つ。

 

 

「凜花っ、イッグゥゥゥゥゥぅうぅんっ!!」

 

「……っ」

 

「びゅくびゅく熱いのっ、れてるぅぅぅぅぅっ!!」

 

「あぁ、何て射精とアクメだ。腹の上からでも分かるぞ、これ以上ない深イキだろう?」

 

「ふ、ふか、イキっ! すご、すごいぃぃん! あっひぃぃぃいいんんっ! あ゛ああっ、んア゛ああぁああっ、あ゛ぁ゛ぁああぁぁあっ!」

 

 

 凜花は限界まで身体を反らせ、白い足指が更に白くなるまで丸めて絶頂を告げる。

 一度ではない、何度も何度もオーガズムを味わい、終わらないアクメを楽しむように舌を突き出してアクメ笑みまで浮かべていた。

 

 子宮で粘つく精液の感覚も、終わりがないのではないかと思えるほどの射精も、震えて精を吐き出しながらも子宮口を突く怒張も、全てがより深い絶頂へと誘う。

 

 確かに優しくはあったが、その分容赦がない。

 完全にプライベートの腰使いだ。男が相手を自分の女にしてしまう、とても処女相手にするものではなかった。

 

 それでも凜子は満足げであった。まるで、凜花が虎太郎の女になることを望んでいるかのようだ。

 

 

「――――おひぃん☆」

 

「ご苦労様でした―――んちゅ、んれぇぁあ」

 

 

 射精の終わった男根を引き抜くと、凜子は処女ではなくなった凜花の穴を眺めながら、性交の後を舐め清める。

 血と本気汁と精液の味に、無意識に腰を振りながら、お掃除フェラにも熱が籠っていた。

 根元から先端まで、精液と愛液を一滴も残さぬように舌を這わせ、最後に大きく口を開いて剛直を飲み込むと尿道に残った精液までも吸い出していく。

 

 

「んぷ、んじゅぅるるるぅ……ぷあぁっ♪」

 

 

 音を立てて口から引き抜くと、ぶんと勢いよく怒張が反り返る。まだまだ満足していない証拠だ。

 凜子は口で舐め取り、吸い出した精液と本気汁を大きく口を開いて見せつけ、ぐちゅぐちゅと自らの唾液と混ぜ合わせる。

 歯で噛み潰し、舌で攪拌して、少しでも長く味わえるよう、大好物だとでも言いたげにうっとりと目を細めると、大きく咽喉を鳴らして飲み下す。

 

 たったそれだけの行為で軽い絶頂に達したのか、震える身体を抑えようと身体を抱き締めたが、豊満に育った乳房も尻も官能的に揺れていた。

 最後にペロリと唇を舐めると、凜子は大きく息をついて、気を失った凜花の頬を労うように撫でると布団をかけてやる。

 

 

「……シャワーを浴びよう。綺麗に隅々まで洗ってやるからな」

 

「お前が身体を洗ってくれるのは嬉しいね。丁寧だし、力加減も完璧だからな」

 

「貴方の女、だからな。ほら、行こう」

 

「ああ――――だが、その前に」

 

「――――んんっ」

 

 

 手を引く凜子を振り解き、後ろから優しく両腕で身体を包み込んだ。

 二人の性行を見て昂っていた凜子は、身体を軽く痙攣させて悦びを表現した。

 

 

「ど、どうしたんだ、急に?」

 

「いやなに、らしくもないと思ってな。親友だとしても、些か以上にやり過ぎだ」

 

「そ、それは……」

 

 

 最中における調教じみた言葉と行為の数々。

 虎太郎が己に対して行うのならば、凜子はどんな行為であっても悦びと共に受け入れるだろう。

 だが、他人へ調教を行うなど、ヨミハラで地獄を見た凜子にとっては許容を越えている。ましてや、自分自身が行うなど。

 

 

「…………私とて、自分の考えくらいあるさ」

 

「まあ、そうだろうな。そんな程度は分かっている。お前等の考え付くことだ、オレにだって考え付く。同じ人間だ、不思議じゃない。だが、オレが聞きたいのはそこじゃない」

 

「ふふ、何でもお見通しだな――――――けれど、一番にあったのは、嫉妬、なんだと思う」

 

 

 自身の考えも見透かされてなお、凜子は笑みを浮かべた。それだけ虎太郎が自分を理解してくれているということなのだ。純粋に喜びしか沸いてこない。

 しかし、隠していた本心を晒すと彼女の表情は苦々しく歪んだ。

 

 私は下衆な男に望まぬまま奪われたのに――――どうしてお前は、私の愛した男に奪って貰えている。

 

 余りにも自分勝手な嫉妬。

 決して親友に向けるものではなく、凜花とて意図していた状況ではなかった。

 

 ……感情とは、とかく厄介なものだ。

 

 本来、愛情と憎悪は別のものにも拘わらず、狂気によって繋がれコインの裏表として語られるように。

 望んでいたはずの展開を、何時しか望まなくなってしまうように。

 

 人であれ、魔族であれ、完璧にコントロールするなど不可能に近い。虎太郎とて完璧に近くはあるが、決して完璧には手に届かないだろう。

 

 

「――嫌な、女だろう?」

 

「気にするほどのことじゃない。人間なんてそんなもんだ。お前は自分が聖人君子のつもりかよ」

 

「そんなつもりはないが……」

 

「全く、可愛い奴め」

 

「ひゃあっ!?」

 

 

 凜子の自己嫌悪を鼻で笑いながら、虎太郎は背中と膝裏に手を回して簡単に抱き上げる。

 驚きの声を上げながらも、咎めの言葉はない。彼女はただただ、目まぐるしく変化する状況に振り回されるばかりだった。

 

 

「オレの為の嫉妬だろ? 全く、オレの為に処女を捧げたかったなんて、どうしようもない可愛げだ。オレはそんなもんを気にしないってのに」

 

「女にとっては、少なくとも私にとっては重要な問題なんだ!」

 

 

 苦悩と醜さを一笑に付され、流石に凜子は腕の中で拗ねてしまう。

 誰とて自身の悩みを、そんな態度で笑い飛ばされれば、腹も立って当然だが、当の虎太郎は拗ねた凜子を前に謝罪もせず、笑みを浮かべるばかり。

 

 

「まあ、その嫉妬にも可愛げにも応えてやるから安心しろ」

 

「ふん、初めてはもう戻ってこないぞ。壊れたものは元には戻れないんだろう」

 

「ああ、その通り――――だがな」

 

 

 今晩、議員へと向けられた無残な真実を口にし、そっぽを向く凜子であったが、虎太郎はさして気にせず笑みを深める。

 

 

「初めてがどうだとか些末に思えるほど、オレの女にしてやることは出来るぞ。今日、紫藤にしてやったよりも、今までお前にしてやったよりも優しくな」

 

「……ごくっ。も、もう、私は貴方の女になったはずだが?」

 

「だからなんだ。オレの女になっていようが何度だってできるぞ。方法なんていくらでもある。オレにかかれば、奴隷娼婦になりかけたお前だって生娘と変わらんさ」

 

「うぅ、貴方はそうやって…………私に何度惚れ直させれば気が済むんだ?」

 

「まー、そうやって点数稼がないとな。ほら、こちとら人類史上類を見ないドライモンスターでド外道ですし?」

 

 

 凜子は顔を赤くして、虎太郎を見上げる。

 決して与えられる快楽を期待してではなく、あの冷血で冷酷な男が、自分の嫉妬に対して報いようとしてくれている事実がたまらなく嬉しかった。

 飴と鞭とはよく言ったものだ。普段が厳しく容赦がなければ、ふとした優しさも大きく映る。

 

 虎太郎の掌で踊らされていると理解していながらも、凜子には抗う術もつもりもなかった。

 彼の言葉の根元にあったものが、紛れもなく自身を気遣ってのものだと知っていたからだろう。

 

 

「回収部隊が来るまで、まだ時間がある。仕事中だが、オレも(やぶさ)かじゃないが、どうする?」

 

「い、いや、我慢するぞ? 我慢すればするほど、気持ちいいと貴方が教えてくれたから……」

 

「そうか、そりゃ残念」

 

 

 肩を竦めてそう告げた虎太郎だったが、五車学園に戻り任務の報告を終えるまで御預けを喰らったのはどちらであったか。

 

 風呂へと二人が消えると、すぐさまシャワーの音が一室の中に静かに響いた。

 その合間に、堪え性のない女の喘ぎ声が交じるのは、そう時間はかからなかった。

 



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『彼の苦労は他人がドン引きするレベル』

 

「…………はあ」

 

 

 救出より僅か二週間。

 鬼腕の対魔忍、紫藤 凜花はすっかり元の生活へと戻っていた。

 彼女にかけられた呪術は強力でこそあったものの、桐生にとっては面白味もなければ物珍しくもなかったのか、僅か3日で完治と相成った。

 

 現在は訓練にも参加し、以前と遜色のない、学生の中では図抜けた強さを見せつけている。

 今し方まで訓練相手を務めていた男子生徒は酸素不足に喘ぎ、肩で息をしながら地面へと大の字に寝転んでいた。精も魂も尽き果ててしまったらしい。

 

 教師の『そこまで』という声に、模擬戦を見守っていた生徒達からどよめきが漏れ出す。

 余りにも圧倒的で一方的な展開だった。体術においても、忍術においても、凜花が全てにおいて上だったのだ。

 

 

「紫藤先輩、やっぱりお強いですね」

 

「それはそうですけど、今日は一段と容赦がなかったような……」

 

「そうか? どちらかと言えば精彩さを欠いていたよ」

 

 

 模擬戦を見守っていた生徒達の中には凜子の姿もあった。

 そして、凜子と話していた二人はそれぞれが身の丈に合わない戦斧(せんふ)と二振りの忍者刀を手にしていた。

 

 斧を得物としているのは喜瀬(きせ) (ほたる)

 面倒見が良く、人当たりも良ければ、性格も良い、正義感に溢れた少女である。

 まだまだ半人前である自覚があり、人知れずに特訓することもあれば、憧れの存在である紫に直接指導を受けに行くこともあった。

 

 忍者刀を得物としているのは高槻(たかつき) 幸奈(ゆきな)

 目を引くのはさくらと同じ対魔忍装束だ。基本的に、力量の認められた対魔忍はそれぞれの能力に合った武器と装束を与えられる。全く同じなど在り得ない。

 対魔忍装束がさくらと同一なのは、他ならぬさくらから譲り受けたものであるためだ。それから、彼女は訓練においても任務においてもメキメキと頭角を現している。

 

 二人の後輩の台詞に、凜子は己の目から見た事実を率直に語ったが、蛍と幸奈はそうでしょうか、と首を傾げる。

 

 しかし紛れもない事実だ。

 実力差のある相手だから勝ちを拾えたが、凜子か、あるいは蛍や幸奈であっても負けていただろう。

 一撃一撃は苛烈だったが繋ぎは荒く、防御ではなく回避に徹すれば、容易に懐に飛び込めた。そうなった時、今の凜花では反応できたかどうか。

 

 二人は決して弱くはないが、実力的に凜子や凜花に比べれば一枚落ちる。また実戦経験も劣っている。

 戦闘における駆け引きや機微に目が行かずとも仕方がない。

 

 その時、凜子は校門から校舎内に向かって歩く男の姿に目を止めた。

 

 

「ああ、すまない。少し、行ってくる」

 

 

 彼女が見つけたのは、任務帰りらしく下忍の忍装束を纏った虎太郎だ。

 任務を熟してきたらしいのだが、その表情は疲れ切っており、足取りも幽鬼のようだ。

 

 凜子は生徒の列から抜け出すと、彼を気遣いつつ言葉を交わし、すぐさま列に戻ってくる。

 

 

「弐曲輪先生に御用だったんですか……?」

 

 

 そう言葉を投げかけてきた幸奈の表情は明るくない。蛍も同様だった。

 

 はっきり言って、この二人は虎太郎を嫌っている。

 蛍は紫を、幸奈はさくらを姉のように慕っているのだが、明らかにその両名と何故か親しい虎太郎は、二人にとってはお邪魔虫に過ぎなかった。

 また虎太郎が二人の目の前で紫とさくらを罵っていたこともある。憧れの存在を罵られたのだ、嫌いもしよう。

 二人からの虎太郎の評価が実際よりも低いのは、他ならぬ彼の責任としか言いようがない。

 

 

「ああ。弐曲輪教諭は長年対魔忍を続けているだけあって、米連の戦術や装備、魔族の能力や魔界の道具について詳しいからな。この後、指導を…………なんだ、その顔は?」

 

 

 虎太郎が生徒達に教えているのは、そういった分野が中心である。

 彼本来の顔を知る凜子からすれば当然の人選であったが、蛍と幸奈にしてみれば明らかな人選ミスであった。

 

 米連に関しても、魔族に関しても詳しい教師は数こそ多くはないが他にもいる。

 普段のやる気の欠片も感じられない授業を受けたことのある二人には、虎太郎を選ぶ理由が見当たらなくとも当然だ。

 

 

「正直、弐曲輪先生が真面目に教えてくれるとは思えませんけど……」

 

「そう、ですね。適当にはぐらかされるか、理由を付けて逃げられそうです」

 

「ふふ、それは早計だ。弐曲輪教諭は自分から努力を示せば応えてくれるよ。何なら、今度質問しに行ってみるといい。きちんと要点を押さえて、分かりやすく教えてくれるからな」

 

 

 虎太郎は教師としての仕事に対して普段からやる気がない。

 自分を小馬鹿にして聞く耳を持たない生徒達に懇切丁寧に教えてやる義理など、アサギの命令で教師の仕事を熟している彼にはない。

 

 その反面、上達しようとする者、知識を得ようとする者には、的確かつ丁寧に説明もすれば、指導にも手を抜かない。

 それが彼なりの教師としてのスタンスであり、また効率が良いのだ。

 初めから聞く気がない者を矯正して育てるよりも、初めからやる気に満ち溢れた者を育てる方がかける時間も労力も少なくて済む。

 

 実際、彼を慕うゆきかぜと凜子、生真面目な氷室 花蓮はよく質問に行き、満足を大きく超える成果を得ていた。

 

 

「おや、お疲れ。今日は本調子ではないようだな」

 

「やっぱり、そう見えた? 此処の所、どうにも集中できなくて…………はあ」

 

 

 本日、何度目になるか分からない凜花の溜め息を聞き、蛍と幸奈は顔を見合わせる。

 凜花はその言動や行動、立ち居振る舞いにまで、普段は自信に満ち溢れている。少なくとも二人が知る凜花はそうだったが――今は見る影もなかった。

 二週間前に凜花の身に降り注いだ災難については極一部の対魔忍しか知らない事実だ。思い当たる節がないのも無理はない。

 

 

「…………それで凜子ちゃんは、こ――――弐曲輪先生と何を話していたのかしら?」

 

「いやなに、個人的に聞きたいことがあったので、この後に時間を取って貰っただけだが?」

 

「そ、そうなの……」

 

「あ、あの、余り弐曲輪先生に突っかかるのは良くないと……」

 

「そ、そんなつもりはありません!」

 

 

 蛍の言葉を、凜花は大声で否定した。

 その声に、ぎょっとした表情で周囲の生徒達は彼女に視線を向け、教師は咎めるような視線を向ける。

 自分の失態を悟った凜花は頬を染め、消え入るような声で、すみませんと謝罪の言葉を吐き出した。

 

 多くの五車学園教師、生徒、対魔忍がそうであるように、凜花もまた虎太郎を蔑む――と言うよりかは嫌っている者の一人だった。

 

 彼女の場合は、より苛烈であると同時に正直だ。

 大抵の者は虎太郎を陰に日向に嘲笑うばかりで、直接的な行動に出ることは滅多にない。

 自分の行いが正義や誇りから外れた行為であると心の何処かで理解しているからだろう。

 

 対して凜花は、誰の前でも憚らず、虎太郎の嫌っている点を指摘――どころか、罵ることさえあった。

 

 彼女の正直さは美点であると同時に欠点であり、虎太郎へのバッシングは穏やかな蛍や幸奈から見れば、()()()()であった。

 二人は、いくら嫌っている相手であろうとも仲間である以上、寛容と尊重から決して罵倒はしなかった。どれだけ思う所があっても、だ。

 

 凜花は、それらを一切気にしない。例え、誰に嫌われようとも自分の意志を曲げるつもりはなかった。

 二人に虎太郎を庇うつもりは毛頭ないが、凜花自身の立場が悪くなることを案じての発言であった。けれど、可愛いほどに的外れだ。

 

 困惑するばかりの蛍と幸奈。またしても大きく溜め息をつく凜花。

 

 そんな様子を眺めながら、凜花の身に何があったかを知り、その心情を理解していた凜子は、薄らと笑みを浮かべるだけだった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「………………はあ」

 

「また溜め息か。本当に、らしくもない」

 

 

 戦闘訓練を終えた放課後。シャワーで汗を流した生徒達は、それぞれの生活に戻っていった。

 部活に精を出す者。生活費を稼ぐ為にアルバイトに向かった者。来る学力テストに備えて勉学に励む者。更なる高みを目指して訓練に勤しむ者。

 

 そんな中、ロッカーが立ち並び、中央にベンチが設置された更衣室には二凜の姿しかなかった。

 二人は制服に着替えており、凜花はベンチに腰掛け、その場から動く様子はない。凜子も彼女に付き合うつもりなのか、自分のロッカーに背中を預けていた。

 

 普段の凜花ならば、今の時間帯は一人で鍛錬を続けていた筈だ。

 それが溜め息ばかりなど、凜子以外の彼女を知る者からすれば、明日は槍が降るかと心配したことだろう。

 

 

「そんなに気になるか、虎太郎のことが」

 

「うっ…………き、気にならない方が、どうかしているわよ」

 

「それもそうだな。気持ちいい気持ちいいと泣きながらキスまでせがめば、気にもなるだろう」

 

「い、言わないで……!」

 

 

 これ以上ないと言うほど、痴態と醜態を晒した事実に凜花の顔は林檎のように朱に染まった。

 いくら処女と言えど、いや、処女だからこそ、ああまで乱れてしまった自分自身が恥ずかしくて仕方がない。

 

 ましてや相手は嫌い続けてきた虎太郎だ。

 今は、自分の見てきた虎太郎の姿こそが幻想だったと認めているが、認めているからこそ、申し訳なさと不甲斐なさしか沸いてこない。

 

 どんな言葉で謝罪すればいいのか。どんな顔をして彼に会えばいいのか。それから――

 

 

「この間まで乙女だったのだ。アレだけ蕩けさせられれば、ときめいてしまっても無理はない……惚れたか?」

 

「ほ、惚れるだなんて……!」

 

「恥ずかしがるのか? あんな状況の中、颯爽と助けられては女なら誰でも、キュンとくるシチュエーションだろう? 行為が先に来てしまったが、順序が逆になっただけだろうに」

 

「そ、その順序が一番大事でしょう!? それに相手は凜子ちゃんの恋人なのよ!」

 

「ああ、そこなのだがな。一般的な恋人同士の関係とは程遠い。何せ、私が恋人なら、ゆきかぜも恋人だからな」

 

「ファッ!?」

 

 

 新たな事実に、凜花は驚きの声を上げる。

 少なくとも彼女の常識では、恋人は一人きりであり、複数人の相手と関係を持つなど言語道断。ましてや女の側がそれを認めるなど在り得ない。

 

 

「そ、そんなのおかしいでしょう!」

 

「まあ、そう言うな。私とゆきかぜが望んだことだ。私達にとって、これ以上ない良い男なんだ」

 

「そんなもの獣の理屈よ!」

 

「人も獣の一種さ。それに人としての理屈で、あの人を諦めなければならないというのなら、私は獣で構わない」

 

 

 凜子に、そこまで言わせる理由が凜花には分からなかった。

 明らかに困惑している親友の様子に、凜子はほんの少し悲しげな表情を浮かべて、訥々と語り出す。

 

 ――ヨミハラでの忌々しい事実を。

 

 敵の思惑もあったものの、結局は自己の過信と認識の甘さから、罠に嵌ったこと。

 『アンダーエデン』の主・リーアルによって、身体も精神も淫らに改造されてしまったこと。

 奴隷娼婦となり、苛烈な凌辱にすら悦楽を見出すまでに堕ちる所まで堕ちかけていたこと。

 愚かで弱かった自分達を、任務であったとはいえ、虎太郎が救出に来てくれたこと。

 

 ついでに自分自身の大変困った性癖まで。

 

 

「あの人はタイミングが良い、というよりズルいんだ。人が弱りきっているところに颯爽と現れて、敵を問答無用で薙ぎ倒す――しゅ、手段はアレだが……」

 

「完全にヤクザの手口ですね」

 

「当人に、そんなつもりが一切ないという辺りが面白いがな」

 

「笑い事じゃないでしょうに」

 

「そうか? そうだな。それでも、私はあの人以外の男に興味がない。虎太郎も困った人間だが、私自身もそうだ。割れ鍋に綴じ蓋さ。それに……」

 

「それに、何かしら……?」

 

「あの人は、淫らに改造されて、何人もの下衆に犯された私達を何の躊躇もなく受け入れてくれたからな」

 

「…………この場合、よかった、と言うべき?」

 

「勿論。因みにだが、凜花が気を失った後も愛してもらったぞ? お前よりも優しくな」

 

 

 凜子が優越感たっぷりの言葉を放つと、凜花は思わずキっと睨みつけてしまう。

 しかし、次の瞬間、ハッとした表情に変わる。自分でも、何故睨みつけるような真似をしてしまったのか、理解できていないらしい。

 

 凜子は困惑する凜花の様子に満足げに頷きながら、笑みを深めた。

 

 

「さて、私はそろそろ行くよ。弐曲輪教諭を待たせてしまうからな」

 

「あ、ちょ、ちょっと……!」

 

 

 学生としての仮面を被り直し、凜子はそのまま更衣室を後にしようとする。

 

 凜花は引き止めようとしたものの、それ以上の言葉が出てこない。

 自分でも、どうすればいいのか、どうするべきなのか、分からないのだろう。

 虎太郎の恋人である凜子と話せば、何か糸口でも掴めるかと期待していたのだが、期待外れも甚だしい、余計に困惑してしまう結果となった。

 

 凜花の哀れな様子に、凜子は困ったような笑みを浮かべ、扉の前で振り返った。

 

 

「そうだな。これは親友としてと同時に女としてのアドバイスだが――――」

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「ふっ! はぁっ!」

 

「こんばんわー……って、お邪魔でしたか?」

 

「ふぅー…………ゆきかぜか。構わないよ、一通り稽古は終わったところだ」

 

 

 凜花へアドバイスを与え、虎太郎からの指導を受けた後、凜子は自宅の道場にて一人型稽古を行っていた。

 

 凜子は胴着に袴姿であったが、ひょっこりと道場に顔を出したゆきかぜの姿に愛刀である石切兼光を鞘に納める。

 道場に相応しい格好であった凜子に対し、ゆきかぜは可愛らしい私服姿である。

 上は淡いピンクのパーカーに白い柄物のTシャツ。下はデニムのショートパンツに、白いニーハイソックスを履いていた。

 

 忍びの里に代々伝わる剣術“逸刀流”。

 その総代たる秋山家もまた自宅に道場を開き、門下生は数多く存在している。もっとも、凜子に師範代としての経験はほぼない。

 両親が生きていた頃は両親が、その後は分家や免許皆伝を受けた者に任せきりであった。

 

 剣士としての腕を高めたい。未熟な自分が人にものを教えるなど酷く滑稽だ。

 そんな彼女の思いを、両親や分家の者が汲んだ結果である。

 ヨミハラでの一件以来、その思いは一層強くなった。秋山道場に凜子が師範代として立つ日は、かなり先の話となりそうだ。

 

 

「それで、どうでした……?」

 

「ん? 救出班の任務のことか? やはり上手くいかないな。戦闘訓練ばかりしてきたツケが回ってきたよ」

 

「あー、もう! そうじゃなくて、ううん、それもありますけど、そっちじゃなくて!」

 

「ああ、そちらの話か」

 

 

 凜子が冷茶を二人分用意すると二人は改まったように正座で向き合った。

 月明りのみが差し込む道場の中で美少女二人が正座で向き合う様は、何処となく怪しげな雰囲気だ。

 ましてや、凜子は任務中、虎太郎に何らかの隠し事をしていた。二人の間だけで何かを企んでいるのは明白である。

 

 

「モテモテウハウハ虎太兄ハーレム王国建設作戦の方ですよ!」

 

「………………その作戦名は、何とかならないのか」

 

 

 余りにも馬鹿馬鹿しい作戦に、凜子は頭痛を覚えた。ひいては、そんな作戦を良い考えだと認め、それに乗った自分に対しても。

 

 説明しよう! モテモテウハウハ虎太兄ハーレム王国建設作戦とは! ゆきかぜ、凜子の二名が考えた極秘作戦である!(虎太郎にはバレている)

 

 弐曲輪 虎太郎は、情は多少残っているものの、本質的に誰も信じておらず、自分自身ですら疑いの対象としてしまう偏執狂だ。

 何よりも自身が生存するためならば、あらゆる手段を用意し、躊躇いなく行使する外道である。

 

 彼自身が立てた誓いの関係上、自らを信じる者は決して裏切らない。

 けれど、それはあくまで自分が多少なりとも楽をできるところまでの話、生死に関係がない場面での話である――とゆきかぜと凜子は判断していた。

 

 この所、魔族や米連との戦いは激化する一方である。つまり、虎太郎の負担も増す一方ということだ。

 政府からの指令の裏取り、敵組織の規模や武装などの情報収集、作戦の立案と任務遂行者の選定、挙句の果てに前線での戦闘と救出任務。

 二人は、虎太郎が秘密裏に携わっている任務の量を聞いた時、唖然としたと同時にこう思った。

 

 

((……アカン。これ駄目なヤツや))

 

 

 思わず、エセ関西弁になるほどの衝撃であった。

 

 このまま戦いが更に激化すれば、虎太郎の任務の量も当然激増する。

 それを手をこまねいて見ているだけでは、二人のよく知る男のこと、どういった行動に出るのか!

 

 

『やってらんねー…………オレもう逃げるわ。世界の平和はお前等に任せた! あとよろしく!』

 

 

 ――こうなるのは火を見るよりも明らかだ。

 

 虎太郎にしてみれば、これは裏切りに当たらない。

 個人にばかり負担をかける組織や人間から寄せられる信頼など、単なる一方的な押し付けに過ぎず、信頼とは言い難い。

 冷徹で冷酷な上にド外道ではあるものの、何かと正論と道理を弁えた発言が多い男だ。それ故に、情を排除して正論や道理で動く。この場合も、正にそれだろう。

 

 最悪の場合、ゆきかぜも凜子も女として虎太郎に着いていくつもりでいるものの、二人は対魔忍としての自分を簡単に捨てるつもりもなかった。

 

 

『凜子先輩、これもう駄目なヤツです。虎太兄、過労死する前に自分から逃げます』

 

『だろうな。考えたくはないし、アサギ先生たちを悪く言いたくはないが…………これは、ちょっとぉ……』

 

 

 思わず、二人もドン引きするレベルの仕事量であった。寧ろ、今までよく文句を言いながらも逃げなかったものだと思ったほどである。

 

 アサギたちを擁護するならば、そもそも彼女たちは戦闘を専門とする対魔忍である。

 裏方仕事(サポート)や組織運営はまだまだ不慣れで、努力はしているが、それに結果が伴っていないだけだ。

 

 その負担が、九郎と虎太郎に回ってきているのが現状である。

 対魔忍としての誇りを持っている九郎は兎も角、虎太郎が今まで逃げなかったのは不思議なレベルだろう。

 

 とは言え、二人は知っている。虎太郎は努力に対しても、結果に対してもバランスよく正当に評価を下す。

 努力せずとも結果を出せば、才能があると認める。結果を出せずとも努力をしていれば、お前に見合わない任務を与える方が悪いと言う。

 

 けれど、それにも限度がある。

 この現状が何時までも続くようであれば、虎太郎の爆弾は間違いなく爆発する。結果の出ない努力に、進歩を感じられない努力に意味などない、と。

 

 二人がその考えに至り、あーでもないこーでもないと悩み抜いた挙句に――

 

 

『こうなったら、私達みたいな子を増やすのは!?』

 

『そ、それだぁッ!!』

 

 

 ――完全に徹夜明けのナチュラルハイ状態での結論が、モテモテウハウハ虎太兄ハーレム王国建設作戦である!

 

 実に間抜けな作戦名であるが、内容は虎太郎を知る二人の立てたもの、見込む効果は十分過ぎた。

 自分達のような、虎太郎を愛する女、信頼する人間を増やし、情の鎖で虎太郎を雁字搦めにしてしまうというもの。

 

 虎太郎は情を簡単に排除するものの、最後の一線だけは越えようとしない。

 意識しているのか、無意識なのかは流石の二人でも分からなかったが、彼の立てた誓いは、間違いなく今の彼を構成する重要な要素であると知っていた。

 

 

「どうなのだろうな。凜花は、私達と違って初心なネンネという奴だ。一応、アドバイスはしてみたが……反応からは、手応えがあったな」

 

「あとは上手くいくのを祈るだけ、ですか」

 

「それから、私達も救出班に組み込まれたんだ。虎太郎の負担を少しでも減らせるようにしよう。間違いなく救出班の任務が、あの人にとって一番負担が大きい所だからな」

 

 

 はぁ、と二人は同時に溜め息をつく。全く先の見えない自分達の作戦と虎太郎の苦労人振りを思ってのものだ。

 

 その時、凜子の目に、ふと留まるものがあった。ゆきかぜの持ってきたカバンの中身である。

 

 

「……? 何だ、それは?」

 

「これですか? ファッション雑誌ですよ、ティーンエイジャー向けの」

 

「……ああ、そうか。あの人はお洒落な女が好きだ、と言っていたな。ゆきかぜは努力家だな」

 

「何を言ってるんですか、もう……! これは凜子先輩用のです!」

 

「わ、私のか? い、いや、私は、そういったことに疎くてだな」

 

「だから、私が一緒に見繕うんじゃないですか!」

 

 

 狼狽する凜子に、ゆきかぜは立ち上がると両手を腰に当てて仁王立ちした。

 

 ゆきかぜはファッションに関して年相応かつ女性特有の執念のようなものがある。

 ファッション誌にも目を通すし、友人と街に繰り出してウィンドウショッピングを楽しむことも少なくない。

 

 対して、凜子は最低限恥ずかしくない格好はするものの、私服は殆ど持っておらず、大抵の日を制服や胴着で過ごす。

 ファッションに興味がない訳ではないのだが、長い間、剣術ばかりに打ち込んできて、今更という諦めと気恥ずかしさから行動に出たことはなかった。

 

 

「先輩は虎太兄に、可愛いな、とか、お洒落だな、とか褒められたくないんですか?」

 

「い、いや、そんなことはないが。……こ、この間だって、可愛い可愛いと優しくだな」

 

「それってHの時でしょ?」

 

「うぐぅっ……!」

 

 

 ゆきかぜに確信を突かれ、凜子は心臓を刃物で貫かれたかのような呻き声を漏らした。

 

 虎太郎に抱かれる最中やその前後ならば、女としての自分を褒められたことは多々あった。

 しかし、日常生活の中においては対魔忍として褒められたことはあっても、女として褒められた経験は絶無である。

 

 

「虎太兄、そうやって頑張ってる女の子が好きだと思うけどなぁ。そこでいやらしいおねだりとかしたら、絶対にやさしーく、とろとろにHしてくれるんだろうなぁ」

 

「そ、唆すな。大体、私はSEXばかりを望んでいるわけではないぞ!」

 

「うんうん。そうですよねー。褒めてもらうのと同じぐらいHも大事ですよねー」

 

「…………ぐ、ぐぬぬ」

 

 

 反論できないほどに言い負かされ、ぐぬぬ顔を披露する凜子であったが、すぐに息をついて両手をあげる。

 誰の目から見ても明確な降参のポーズだ。

 

 

「分かった。私の負けだ。ファッションに無知な私に、此処は一つ教授してくれ」

 

「はい! 任せて下さい! まずは、下着からですね」

 

「そ、そこから入るのか……見えない所だろう?」

 

「虎太兄だけに見てもらうところだから気合を入れるんじゃないですか」

 

「そ、そういう考え方もあるのか」

 

「えーっと、まずは普段から使うものはこういうのにして、虎太兄にHしてもらいたくて堪らない時用の凄くいやらしい奴を選びましょう」

 

「い、いや、そこまでする必要は……」

 

「…………先輩、虎太兄に悦ばせてもらってるんだから、虎太兄を悦ばせるのは義務です!」

 

「…………ああ、そうだな!」

 

「先輩は色々と大きいからこういうセクシー系のを中心して、H用のはこれで……」

 

「これ、奴隷娼婦の時より酷いぞ?!」

 

「当然ですよ。私達、虎太兄専用なんですから。あんなの比べ物にならないくらい、いやらしくしないと」

 

 

 ふふふ、と目を輝かせるゆきかぜの女っぷりに、凜子は自分の方がまだ乙女ではないか、と戦慄する。

 凜子とゆきかぜは、雑誌やインターネットをお供に夜を越していった。

 

 彼女たちはようやく登り始めたばかり、この果てしなく続くファッション坂をよ……!

 



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『苦労は嫌だと言いながらも、自分から苦労を増やす彼は苦労人の鑑』

「………………疲れた」

 

 

 今日も今日とて、肉体そのものに傷は負わなかったものの、体力的にも精神的にも追い詰められる一日だった。

 

 本日の任務(オーダー)は、神村率いる火遁衆と佐久率いる対魔殻部隊による襲撃のサポート。

 

 神村 舞華。

 言動から態度からヤンキーそのものだが、対魔忍との誇りとやらを持っているらしく、弱きを助け強きを挫くタイプだ。

 よく言えば古き良き番長か。もっとも、ヤンキーだろうが番長だろうが、チンピラと大差はない。オレからすれば、この女はチンピラよりも少しマシと言う程度だ。

 とは言え、火遁使いの中でも最高クラスの炎を放つ上忍だ。コイツとタメを張れるのは火遁使いの名門・百田家であっても一握りである。

 あと、姉がいるとかいないとか。神村家は忍というよりかは、魔を祓う陰陽師と武士のハイブリットだとも聞いている。

 

 佐久 春馬。

 普段は男物のスーツに身を包み、戦闘中は対魔殻と呼ばれる甲冑を身に纏う男装の麗人。

 女の癖に、自分を男だと言い張る姿は滑稽であると同時に哀れみすら覚える。お家のために本来の性別すら捨てなければないなど、時代錯誤の笑い話だ。

 対魔殻は対魔粒子によって皮膚を硬質化させる忍法。纏ってしまえば刃も火も雷も通さない無双の鎧である。

 佐久家は対魔殻使いの三名門の一つであり、お家に拘るのも理解できるが、オレからすれば馬鹿馬鹿しい。だってオレ、自分のために一族郎党売り払ってるし。

 

 火遁衆は火遁の力に目覚めた対魔忍で編成されており、殲滅戦によく投入される。

 対魔殻部隊は佐久家の対魔殻使いで編成されており、アサギの部下というよりかは佐久直属の部隊。

 

 戦闘要員としては極めて優秀。襲撃任務はお手の物の両名、両部隊であったが、オレの頭痛の種が一つ。

 

 

 ――神村と佐久の仲が、すげー悪いことだ……!

 

 

 正義感は強いものの、チンピラ同然かつ対魔忍の中でも外れ者から支持を得ている神村。

 男として育てられ、紳士然とした立ち居振る舞いで、女生徒から人気を得ている佐久。

 

 そんな二人の折り合いがいい筈もない。

 顔を突き合せれば、売り言葉に買い言葉。殺し合いとは言わないが、一歩間違えれば大怪我を負いかねない喧嘩には至る。

 

 その上、火遁衆は神村に似たり寄ったりのヤンキー気質。

 対魔殻部隊は意識高い系のエリート集団。

 

 相性は最悪も最悪だ。もうお前等、夕日をバックに殴り合いでもしててくれないかな?

 

 この両名、両部隊に首輪を付けられるのは圧倒的な強さを誇るアサギ、コンビネーションに秀でたさくらと紫、アサギの右腕として対魔忍の誰からも一目置かれる九郎、経験豊富で知略に通ずる不知火。そして、甚だ不本意だがオレである。

 

 何故、表向きは下忍でしかないオレが二人に首輪を付けられるのか。単純な話だ。オレには話術と立場がある。

 

 一つの集団を纏めるには苛めてもいい個人を用意してやればいい。

 ある魚の群れが、群れの内の一匹を攻撃するのと同じ理屈。

 何が面白いって、誇りや正義を口にしている連中が、誇りや正義を持っているからこそ、そういったものとは程遠い行為を平然とやってのけるのが一番面白くて下らない。

 人間、そんなもんである。皆は気を付けようね。オレは知らん。

 

 神村からは怒鳴られ、佐久からは貶されつつも、二人に何とか共同戦線を張らせた。

 

 何? 辛くないかって?

 全然。一本筋の通った正義漢、性根の底の底まで腐った悪党に言われれば、何らかの感慨も浮かんでこようが、こんな半端者共に何を言われても何一つ心に響かない。

 いや、正義漢でも悪党でも心に響かんな。自分の女だったら、多少は感じることもあるかもしれんが。

 

 ともあれ上手い事、此方の指示を進言と言う形で二人に伝え、良いように操り人形にしてやったのだが――――ここでアクシデントが一つ。

 何をどう嗅ぎつけたのか、装甲車を引っ提げた米連の戦闘部隊が両集団の背面から接近しつつあったのである。ホント碌なことしねーな、米連!

 

 何が最悪だったって、神村と佐久の奴、役割としては部隊長だってのに、一番前に出て忍法ぶっぱしてるわ、敵を撲殺してるわ。

 流石、アサギの後進ですわ。何の為に部隊を出したのか何一つ分かってねぇ! お前らが気持ちよく敵をぶっ殺すためじゃないんですけどねぇ!!

 

 

『おい、神村、佐久。緊急事態だ、背後から――――』

 

『おらおらおらぁぁ!! テメェら、気合入れてぶっ放せ! 佐久の連中に負けんじゃねぇぞ!』

 

『私に続け! このまま押し潰す! 神村の火遊びになど後れを取るな!』

 

 

 わー、すげー、何コイツ等。戦線を俯瞰して把握する必要性とか、自分の部隊の何処が一番弱いとか絶対に理解してないぞぉ。

 先に標的を殲滅していたら、背後から思い切り強襲を喰らう。米連に対応するには最前線にいる神村、佐久の二人が後ろに下がらねば指示を出せない。どっちにしろ、部隊は崩壊して四分五裂(しぶごれつ)だ。…………こんなのもう、オレが米連を皆殺しにするしかないじゃない!

 

 という訳で、米連の部隊、三台の歩兵戦闘車および30名余りの随伴歩兵に一人で強襲開始。

 手始めに随伴歩兵の5名くらいをぱぱっと殺し、敵に発見される前に装甲車の一台の中に奪った手榴弾を投げ込んで爆破。

 混乱に乗じて、更にもう一台も同じ方法で爆破。最後に残った一台は自らの手で中の人間を殺して奪い、あとは面倒だったので全員轢き殺した。

 無論、後方支援もあるだろうし、監視衛星がこっちを見ている恐れがあったので、顔を隠して五分間の虐殺タイムであった。

 

 はー、やれやれ一仕事終わった、と神村、佐久の元に戻って見れば――

 

 

『何処に行ってやがった、この玉ナシ野郎』

 

『また逃げたのか、この恥知らずめ』

 

 

 ――仲間に向ける、この暖かいお言葉である。

 オレが玉ナシの恥知らずなら、お前等は能ナシの恩知らずなんですがねぇ。

 

 こういう扱いは毎度のことなので、安定のスルー。

 最初(はな)からコイツ等のことなんて当てにしちゃいないし、最前線に放り込むくらいしか使い道なんてないんだ、脳筋でも十分十分。

 一生、効率の悪い方法で敵をぶっ殺したり、ぶっ殺されたりしててくれ。捕まりさえしなきゃ文句なんてない。

 

 大体、お互い様だ。

 神村や佐久はオレを見下しているが、オレだって奴等に何の期待もしていなければ、興味関心もない。

 どちらがより酷い人間なのか、という結論は、それこそ人によるというものだろう。好きの反対は嫌いじゃなくて無関心とも言うし。

 

 で、事後処理だの後始末だのを一人で――恐るべきことに、あの二人と部隊は全部俺にぶん投げて帰りやがった。アイツ等にとって、オレはこういったことをするくらいしか能がないらしい。信じらんねぇ――で済ませて帰って見れば、日が昇るどころか日が暮れていた。

 

 その後、五車学園に帰ってきてからは凜子への特別授業だ。いやらしい意味ではない。

 魔族と米連。毛色の違いと厄介さ、危険性を説明してやった。知識は一切重みにならない武器であり、宝だ。こちらとしても、くれてやったとしても痛手にはならない。手を抜く要素はなかった。

 ゆきかぜや凜子、後は氷室なんかはいい。他の連中と違って、聞く耳を持っているからだ。癒されはしないが、時間を取られたとしても苦にも無駄にもならない。

 

 口先ばかりで行動が伴っていない半端者よりは、お頭の出来が――と言うよりかは、使()()()が悪くても、頑張っている奴の方を評価できる。何より、そっちの方が使えるから。

 一つの才能に秀でた者よりも、何に対しても真摯に努力する者の方が有用性は高い。最終的な用途の幅に差が出るからだ。

 ナイフか、十徳ナイフかの違いである。オレの携わる任務においては、十徳ナイフの方がいい。戦闘しかできませんじゃ、どんな強者でもオレの任務では有用性は極めて低い。

 

 あーあ、アルフレッドくらいに使える奴が、そこら辺に転がっていないものか。

 ………………無理だな。使えるとしても、こっちの言うことを聞くとは限らんし。

 

 うーむ、悩み所である。使える奴か、こっちの指示を聞く奴か。

 ……オレは、まだ指示を聞く奴の方がいいかな。能力の無さなど、いくらでも補える。

 最大の悩み所は、指示を聞く奴が対魔忍全体において0.01%にも満たないところかな。

 つーか、政府や組織の命令どころか、アサギの指示すら現場の判断と称して従わん奴もいるんだが、どうなんだ対魔忍。

 これは流石に、アサギばっかりが悪いとは言い難い。どいつもこいつも自分が一番正しいと思ってる我の強い連中だからね。

 

 正義だ、誇りだなんて言葉に酔い過ぎだ。

 それらの言葉を本当の意味で理解しているのであれば、本当の意味で胸に抱えているのであれば、敵に堕とされるなど在り得ない。

 逸らすことのできない快感、堪えようのない痛み、どうしようもない絶望を前にした時にこそ、当人の本質が現れる。

 

 その本質ですら凌駕する意志こそが正義であり、誇りだとオレは考える。

 はてさて、対魔忍の中に本物の正義と誇りを持っている者が何人いるのやら。

 本物の愛を持っている者ならいるようではあるが……忍には、取り立てて必要のないものなのが困りものなんだよなぁ。

 まあ、正義や誇りも必要かも疑問だが。対魔忍の総大将が言っているのだから、対魔忍には必要なんだろ、多分な。オレは必要ないけど。

 

 

「…………………………」

 

 

 五車町の外れも外れに位置する我が家へと向かう何時もの帰路。

 1キロ地点に近づいた時点で、何らかの気配が我が家に待ち構えているのを感じた。

 

 人であろうが、魔族であろうが、獣であろうが、蟲であろうが、機械であろうが、其処に存在している以上は気配を発する。

 大半の連中は敵意や殺意には過敏に反応するだろうが、存在そのものに気を配る奴はそうそういない。そこまで認識しようとすれば情報量の過多から発狂する。

 

 しかし、オレから言わせれば、膨大な情報量の中から必要なものを抜き取ればいいだけで、そう難しくは感じない。

 そんなことを昔、半人前だったさくらと紫に言ったら、信じられないものを見る表情で、イカれていると言われた。

 まあ、大抵の人間の価値観から言えばそうだろう。オレはイカれている。けど、それがオレなので仕方がない。甘んじて受け入れよう。

 

 武器を何時でも取り出せる位置に手を置きながら、帰路を進む。

 歩調は変えない。気付いている気配も漏らさない。相手が何であれ、誰であれ、此方が気付いていないと判断すれば油断する。事は簡単に済むだろう。

 

 我が家に近づけば近づくほど、相手の存在は明確になっていく。

 身長、体重、性別、武器の所持、実力差まで。警戒は色々な意味で無意味だったとは思ったが、相手を見て、心の底の底まで読み切らぬまでは油断は出来ない。此方が気付いていない伏兵が潜んでいる可能性もある。

 

 

「………………おい、紫藤。何やってんだ、お前は」

 

「ひゃ、ひゃいぃ……!?」

 

 

 生垣で囲まれた我が家の陰で、紫藤 凜花が立っていた。

 声を掛けられて驚いた間抜けな声。学校帰りにそのまま来たらしい制服姿。手にしている買い物袋。

 

 ……どうやら、杞憂だったようだ。こんな格好で殺しに来る間抜けはいない。

 此方を油断させる罠という線もあるにはあるが、目を見れば分かる。他人を陥れようとしている者の目は腐ったドブ川のような色をしているものだ。

 

 

「え、えっと、その、今日はぁ……お礼を、と思いまして……」

 

「礼? なんのだ……?」

 

「そ、それは…………あの件以外の、何があると言うんですかっ?!」

 

 

 やめて。お願い。声を張り上げないで。

 近所迷惑とかじゃなくて、オレん家にお前が来てる事実を誰かに知られたくないから。

 

 オレについての全てを口にすることは、禁じられている。アサギからの命令という形で伝わっている。

 アサギよりも強くなる、と公言して憚らない紫藤ではあるが、アサギの立場が欲しい訳ではない。単純に強さでアサギを越えたいだけなのだ。その為、命令に逆らうことはない。

 だが、ゆきかぜや凜子ほど、仮面を被り慣れていないのだろう。ふとした瞬間、カッとなった瞬間には、顔にも口にも出してしまう。

 

 咎める為に睨みつけたが、ハッとした表情で自己の失態を悟った紫藤は、次の瞬間には、しゅんと肩を落とす。

 どうにも調子が狂う態度だ。普段の態度が好きだった訳ではなく、ひたすらにうっとおしいだけだったが、これはこれで面倒である。

 

 

「で、何をするつもりだったんだ。お前は」

 

「り、凜子ちゃんに、虎太郎先生は家事はできるが嫌いだと聞いたので……」

 

「…………………………ふーん」

 

 

 アイツ等、いよいよ本気というわけか。そして、紫藤の手にしている買い物袋は料理の食材か。

 正直、アイツ等の不安は理解できる。アサギやさくらにも、『任務に出たら、そのまま帰ってこないんじゃないか』、なんて言われたこともあるくらいだ。

 

 確かに、何もかも面倒になったら、戻ってこないだろう。

 所詮、対魔忍はオレにとって借宿か、借家に過ぎない。オレに帰るべき場所などない。ふうまを捨てた時点で、生粋の根無し草になったのだ。

 それをゆきかぜと凜子は情で絡め取ろうとしている。この程度なら、可愛げで済ませてやる度量はある。

 

 

「まあ、いい。入るか?」

 

「よ、よろしいんですか……?」

 

「よろしいも何も、その為に来たんだろ?」

 

 

 断られるとでも思ったのか、驚きと安堵を()()ぜにしたかのような表情を見せた。

 別段、オレは紫藤を嫌ってはいない。ただ、うっとおしいだけ。そもそも、オレが本気で嫌う奴など、そうそういないのだ。ムカつく奴は腐るほどいるが。

 そういう訳で、楽を出来るのならば、此方としても万々歳で不満は一切ない。

 

 ――不安は、紫藤の料理の腕前だ。ゆきかぜレベルか、凜子や不知火レベルなのか。

 

 開けてビックリ玉手箱。自分の命に関わらないのであれば、そういうのも悪くないか。

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「……これは、また」

 

「よ、洋食は、お気に召しませんでしたか?」

 

「いや、全然。期待以上だったんでな、少し驚いた」

 

「普段はお転婆かもしれませんけど、これでも女としても腕を磨いているんですよ?」

 

 

 凜花は、大きい乳房の下で腕を組み、ぷくりと頬をふくらませて拗ねてみせた。

 年相応の様子に、虎太郎はすまんすまんと謝りながらも、食卓に並んだ料理を眺める。

 

 本人曰く、手は込んでいませんけど、とのことだったが、家事嫌いの虎太郎にしてみれば、十二分に手の込んだ料理の数々であった。

 副菜にはトマトとキュウリのサラダ、トマトと生ハムのオムレツ。メインはビーフシチューとガーリックブレッド。

 凜子と不知火は和食がメインのさっぱり系だが、凜花は洋食を楽しめるガッツリ系だ。

 

 

「そんじゃ、ま、失礼して――――頂きます」

 

「はい、お召し上がり下さい」

 

 

 まず、虎太郎が手につけたのはオムレツだ。

 フォークを刺し込んだだけで分かる卵のふんわりとした触感でだけで食欲を刺激してくる。

 口に放り込むと濃厚なチーズの味と風味が一気に広がり、黒コショウのピリリとした辛味と生ハムの塩気が後押しを加える。

 ややしつこさを感じさせる味だが、トマトの酸味がさっぱりと洗い流し、後味も大変よろしい。

 

 次に手を付けたのは、トマトとキュウリのサラダ。

 角切りにしたトマトとキュウリは、噛む度に野菜の水分が口に広まり、酸味の効いたドレッシングとの相性も抜群である。

 味の濃い料理が多い中、この酸味あるサラダは口休めに大変嬉しい一品であった。

 

 ガーリックブレッドもまたいい。

 縦に切ったフランスパンに、刻んだニンニクを混ぜ合わせたバターを塗り、その上にトマトの輪切りとモッツァレラチーズを乗せて、オーブンで焼いたピザ風だ。

 ガーリックとバターの風味が食欲を促進させ、チーズとトマトの味を倍にさせる。フランスパンの歯応えもあり、噛み締める度に味と風味が一体となって舌と鼻を楽しませる。

 

 そして、メインのビーフシチュー。

 市販のルーを使わずに、作り置きしてあった凜花お手製ビーフブイヨンとデミグラスソース、トマトのたっぷりと入ったイタリア風だ。

 濃厚なデミグラスソースの味の中で確かに生きる牛肉の味と風味。噛めば味の染み出て、蕩けていく牛肉もいい。ほくほくとしたニンジンとジャガイモもよく合っている。

 圧力鍋を使って手早く作ったもので、凜花自身は余り納得のいく出来ではなかったようであるが、虎太郎の舌は蕩けそうだ。

 

 虎太郎は、一通り料理を口にすると手に持っていたフォークとスプーンを置き、一言。

 

 

「――認めよう、お前の力を。今この瞬間から、お前はオレ専属の晩飯係だ」

 

「あの、褒めてくれるのは嬉しいですけど、それは、ちょっとぉ。任務もありますし……」

 

「そうか。それも、そうだな……くっ」

 

 

 珍しく残念そうな顔をすると、悔しげに握り拳を作る虎太郎。

 彼女の料理は、不知火、凜子の腕前と並ぶものだった。和食と洋食では同列には語れないものの、味にそれほど執着を見せない虎太郎をも唸らせるほどだ。

 

 凜花はにっこりと微笑みながらも、ぐっとテーブルの下で握り拳を作る。此方はガッツポーズと同じ意図である。

 

 

「御馳走様でした。はぁ~、大変ヒンナでした」

 

「ヒンナ? どういう意味ですか?」

 

「ん? ああ、アイヌの言葉だ。昔、知り合いがよく言っていてな」

 

「珍しいお知り合いが、いらっしゃるのですね」

 

「長く対魔忍なんてやってりゃ、知り合いも多くなる。おかしな連中ばかりだがな」

 

「………………」

 

 

 ヒンナとは、簡単に言えばアイヌが食事へ感謝する言葉だ。彼等は、食べながらヒンナと口にしたらしい。

 既に、アイヌと呼ばれる民族はほぼ日本人の中に取り込まれて久しく、文明や文化は殆ど残っていない。彼等の血を引いた子孫が、失われていく文化の名残りを細々と守っている程度だ。

 そんなアイヌ独自の文化を知っている辺り、その知り合いとやらは、相当に色濃くアイヌの血を引いていたのだろう。

 

 食後の一服を楽しみながら、虎太郎はまたも普段の無表情を崩した。何か、懐かしむような、遠い日に思いを馳せるような笑みを浮かべている。

 

 その笑みに、一瞬見惚れてしまった凜花であったが、頭を振って食器を片付け始めた。

 暫らくの間、凜花が食器を洗う音、虎太郎の眺めているニュースの音だけが、居間の中に響いていた。

 

 

「終わったか? なら、送っていくが、どうする?」

 

「いえ、必要ありません」

 

 

 凜花は食器を洗い終えると、タオルで手を拭い、虎太郎の隣の椅子に腰を下した。

 

 胡乱な眼差しを向ける虎太郎を物ともせず、けれど頬を真っ赤に染めた凜花は何度か胸に手を当てて深呼吸を繰り返すと、意を決したように目を閉じて顔を近づけていく。

 虎太郎は、この展開をある程度予期していたのか、抵抗はしなかったが――――

 

 ――ガチッ

 

 凜花の勢い任せの行動では、歯と歯がぶつかり合うのも無理はなかった。

 

 

「………………いたひ」

 

「オレだって痛いっての。全く、何なんだ、お前は」

 

 

 凜花は、痛みよりも寧ろ、こんな筈ではなかったのに、という気恥ずかしさから口元を抑えて涙目になっていた。

 そんな姿を眺めて、虎太郎は頭を掻きながら呆れている。それがまた、彼女の羞恥を更に大きいものにしていく。

 

 

「凜子だな、おかしなことを吹き込んだのは……」

 

「そ、それは、……凜子ちゃんは悪くありません。全て、私の選択です」

 

 

 凜花は凜子を庇う発言をしたものの、虎太郎の向ける何の感情も感じられない視線に心を折られ、ボソボソと消え入りそうな声で話し始めた。

 

 

『そうだな。料理でも作ってあげろ。虎太郎が一番手っ取り早く喜んでくれる方法だ』

 

『…………そう』

 

『そわそわして遠くから眺めているだけでは何も変わらないぞ?』

 

『…………』

 

『それから、お前は自分がはしたない女だと自己嫌悪しているようだが、すっきりする方法はある』

 

『それは……?』

 

『簡単だ。あの人の女になってしまえばいいだけだ。惚れた男の前では、どれだけ乱れても恥ではないからな』

 

『…………ッ』

 

『兎に角、一度会って話してみろ。全ては、それから決めたらいいさ』

 

 

 そんな会話があったらしい。

 またぞろ面倒な展開に、虎太郎は頭を抱えそうだった。これではゆきかぜや凜子の思惑通りの展開なので、当然と言えば当然だ。

 

 ――けれど、本心を晒す凜花は、彼の想像以上に重症だった。

 

 視界の端に虎太郎が移っただけで、胸が高鳴る。

 自分以外の女と話しているだけで、不安に陥る。

 自分の手料理を振る舞うというだけで、緊張で身体が強張り、指先が震える。

 緊張して作った料理を褒められただけで、今まで感じたことのない喜びを覚える。

 

 余りにも赤裸々な、聞いている方が恥ずかしくなりそうな告白に、虎太郎から伝える言葉はない。

 

 

「本気、というのはよく分かった。だが、一時の気の迷いから生まれる本気もあるってのは、理解しているのか?」

 

「……している、つもりです。それに虎太郎先生のことは、凜子ちゃんから聞き及んでいます。大層な外道だと」

 

「ヒデェが、事実だぞ。お前、後悔しなきゃいいけどな?」

 

「ふふ。それこそ、杞憂でしょう? ゆきかぜちゃんや凜子ちゃんを見れば分かります。たっぷり、愛してくれるって」

 

「まあ、お前らがトチ狂っている間は、な」

 

 

 虎太郎は、諦めたような、新たな女が出来て喜んでいるような、絶妙な加減の笑みを浮かべる。

 そのまま椅子を立ち上がり、凜花の唇を頂こうと顎を掴み、顔を近づけていった。

 

 

「ん………………あぁっ!?」

 

「おぶっ………………何だよ」

 

 

 ――のだが、凜花はある事実に気付き、両手で虎太郎の顔を押し退けた。

 

 虎太郎にしては頑張った方だ。

 女を貪るように手籠めにするのではなく、凜花が好みそうな雰囲気作りにも力を入れていた。

 これ以上、何が不満だ、とばかりに不満そうな視線を向ける。

 

 視線を向けられた本人は、誤解を解こうと慌てて口を開く。

 

 

「ち、違います! 嫌だったんじゃなくて! 虎太郎先生が悪かったんじゃなくて! 私が悪くて!」

 

「あー、分かった。分かったから落ち着け。此処まで来て、臍を曲げるほど、オレはガキじゃない。どうした、言ってみろ」

 

「……きょ、今日は、戦闘訓練がありまして」

 

「そういや、そうだったな」

 

「その後、考え事や凜子ちゃんと話していたり、料理の為に買い物をして、汗を流す時間が……」

 

「…………分かった。浴びてこい。風呂は、廊下の向かい側だ」

 

「ご、ごごご、ごめんなさい! すみません!」

 

 

 目をぐるぐると回しながら、転びそうな勢いで風呂場へと向かっていく凜花。

 

 覚悟を決めた女のものとは思えない何とも不様な姿に、虎太郎は無言で首と振り、感想を一言。

 

 

「…………乙女(おんな)って奴は、何一つ理解できねぇ」

 

 

 正直な感想は、新たな火をつけた煙草を吸って吐き出した紫煙と共に、誰の耳に届くこともなく消えていった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「ふーん、ふん♪ …………ふう」

 

 

 鼻歌を歌いながら髪を洗い終えた凜花は、大きく息をついてシャワーを止める。 

 

 正直な所、彼女も虎太郎の下を訪れた時には、自身の気持ちがどういったものなのか判断がつかないでいた。

 あるのは不安と緊張ばかりで、胸の高鳴りの正体は、それではないかと疑うほどだった。覚悟が決まったのは、食後に見せた彼の笑みだ。

 

 自分以外の誰かを思い出しての笑みに覚えたのは、明確な嫉妬だった。

 

 誰かに嫉妬したことはある。

 いけないこと、意味のないことだとは分かっても、自分よりも恵まれた者、自分よりも才気に満ちた者、自分よりも強い者を見ると、どうしても黒い感情が湧き出てきた。

 凜子から、お前よりも優しくしてもらったと聞いた時も同じく嫉妬を抱いていた。

 あの時は、まさか、程度のものだったが、虎太郎が笑みを向けた顔も名前も分からない誰かに嫉妬を向けてしまう時点で、どう取り繕おうが惚れてしまっているのは明白だ。

 

 

(我ながら、チョロい女。凜子ちゃんも、女は現金なんて言っていたけど、本当ね)

 

「……身体も、こんなに」

 

 

 自分の身体を見下ろし、恥じ入るような口調で呟く。

 

 凜子に揶揄された長い乳首は、限界まで勃起し、包皮で覆われた淫核も同様だった。

 期待で口を開いている秘所からは、明らかにお湯とは異なる液体を流し、その最奥にある子宮はどうしても抑えることのできない疼きを発している。

 

 今すぐにでも身体を慰めてしまいたかったが、凜花はぐっと堪え、鏡に映った自分をチェックしていく。

 

 ムダ毛の処理、陰毛の手入れも済ませた。

 キスに備えて、歯に何かついていないか、口臭に問題ないかも確認済み。

 身体に痣やシミはないかも、入念なチェックを繰り返す。

 下着も、自分の持っているものの中で、一番大人っぽく、一番可愛らしい、お気に入りを選んだ。

 

 正に完璧だ。少なくとも今現在、凜花が見せられる最高の状態で、虎太郎の前に立てる。

 

 

「………………けど、本当に広いわね」

 

 

 最後のチェックを済ませた凜花は、ふと虎太郎宅の浴室を見回した。

 

 兎に角、広い。 

 親友である凜子、その後輩であるゆきかぜに誘われ、秋山家、水城家を訪れたことがあった。

 金持ちではないものの、忍の名門である両家は広く、昔ながらの豪勢な造りであったのを、よく覚えている。

 

 だが、この浴室はそれ以上だった。浴槽は勿論のこと、床や壁まで総檜。

 浴槽など、大人が五人は足を伸ばして入れるほどで、ちょっとした旅館では到底及ばない豪華さだ。外観からは想像もできない、一般家屋には不釣り合いな浴室であった。

 

 虎太郎が、癒されたーい、と泣き叫びながら自宅風呂場を解体している姿。

 絶叫を上げながら、自分で切り倒した檜を担いで山から現れる姿。

 リフォームの完成した自宅の前で、両腕を組んで大きく頷いた瞬間、その場に崩れ落ち、オレは何をやっているんだ、と呟く姿。

 

 等々が、関係者に目撃されている。何時ものように、努力の方向音痴が発動したのだろうが、凜花には知り得ぬ事実であった。

 

 凜花は、最後にもう一度だけ、と壁一面を覆う鏡の前で自分自身をチェックしようとした瞬間――

 

 

「いい加減にしろォォオオォォォォッッ!!」

 

「ひひゃぁぁああああああぁぁぁっ!?!?」

 

 

 ――スパーンと浴室の扉を勢いよく開け放ち、虎太郎が侵入してきた。全裸で。

 

 

「な、なな、何をぉっ!?」

 

「オメー、二時間とか風呂長過ぎるんだよ!? 何ィっ?! オレのこと焦らしてんのぉ!?」

 

「えぇっ?! そ、そんなに長く入ってましたぁ?!」

 

 

 身体を隠す余裕もなく、虎太郎の勢いに負けた凜花は咎めることも忘れ、驚きの声を上げる。

 人間は幸福の最中にあるよりも、確実に訪れる幸福を持つ時間にこそ、喜びを覚えるものだ。時間を忘れてしまうのも無理はない。

 

 それから、苛立った虎太郎と謝り続ける凜花の滑稽な姿が、浴室に展開された。

 

 

「ったく………………おい、何でそんなに離れてんだ」

 

「うぅ、放っておいて下さい」

 

 

 それから落ち着いた二人は、広い浴槽の中に入って身体を温めていたが、距離が遠い。人が二人は間に入れるほどだ。

 

 どうして上手くいかないの、と落ち込んでいる凜花に、虎太郎は呆れ返っていた。

 そこまで落ち込むことではないだろうに、というのが虎太郎の感想だ。

 彼とて初めの内は成功よりも失敗の数の方が多かった。失敗の度に何が悪かったのかを考え、改善してきた。

 あとは慣れだ。自身が思い描いた通りに行動し、事を運ぶには、どうしても慣れが必要になる。

 

 もっとも彼の場合は、失敗したとしてもリカバリーが巧い。

 最低限、他人が納得するだけの成果と理由を用意する。自己の限界を把握し、なおかつ成果を上げるバランス感覚が、群を抜いて高い。

 ただただ無茶と無謀を繰り返すだけの猪武者。ただただ逃げ回るだけの臆病者とは訳が違う。彼と同じ苦労人である九郎ですら、舌を巻くほどだ。

 

 

「ほら、こっちに来いよ」

 

「きゃ、ん…………もう」

 

 

 凜花は、虎太郎に腕を掴まれ、強引に引き寄せられた。

 互いの身体が密着するだけではなく、肩に腕を回され、緊張と疼きと期待と安堵が堰を切ったかのように全身へと広がっていく。

 それでも何とか態度だけは不機嫌を装ったものの、口元が緩んでしまって台無しだ。

 

 

「しかし、もう色々と限界らしいな。ほら、ここも」

 

「やぁ、ん♪ ……ち、乳首、コリコリぃ、しないでぇ♪」

 

「何でだ? こんなに悦んでいるじゃないか?」

 

「だ、だって、そんなにっ、強くされたら、もっと、大きく、いやらしい形に、なっちゃいます♡」

 

 

 親指と人差し指で、長い乳首をやわやわと弄ばれる。

 刺激と呼ぶには余りにも微弱な、けれど脳髄を直接触られているような愛撫に、凜花は堪えきれずに掠れた声で媚びを売った。

 

 その様に気を良くしたのか、虎太郎は一層笑みを深めた。

 

 

「何なら、ピアスや刺青でもしてみるか? もっといやらしくなるぞ? 二度とオレの前以外では裸になれなくなるがな」

 

「……あぁ、あ、そんなっ、そんなぁ♡」

 

 

 二度と元には戻らないであろう肉体の変形は、紛れもなく虎太郎の女である証明だ。

 紛れもない被虐と隷属の証を想像して、ゾクゾクとした悦びが背筋を這い回るのを感じた。

 

 

「まあ、性急すぎるか。なら、マグネット式のとシールでも買ってきてやろうか? お試しってとこだな」

 

「もし、本当にそんなことをしたら、虎太郎先生がずっと、面倒をみてくれるんですね?」

 

「馬鹿を言うな。そんな真似せんでもオレの女だ、面倒くらいはみてやるさ。お前が望む限り、な」

 

 

 そう言うと虎太郎は立ち上がり、凜花を浴槽の縁に座らせた。

 

 

「さあ、其処で足を開け」

 

「ここ、するん、ですか?」

 

「ああ。この程度で恥ずかしがるなよ。これからは、何処で抱かれてもおかしくないんだぜ」

 

 

 凜花が、虎太郎を望めば。

 虎太郎が、凜花を望めば。

 何処であろうと関係はない。そのまま、互いの欲望の赴くままに交わる。

 

 そんな身勝手でありながらも、何処までも凜花の欲望に付き合おうとする宣言に、またも彼女の興奮は高まっていく。

 興奮に身を任せるように、けれど恥じらいは残したまま、ゆっくりと凜花は両脚を控えめに開いた。

 

 健康さを残しながらも透き通った白い肌が、ほんのりと桜色に染まっているのは、何も檜風呂に張られた湯のせいばかりでないのは明白だ。

 

 

「まだだ。もっと開け、よく見せろ」

 

「は、恥ずかしいです……」

 

「気にするな。綺麗に手入れされてるじゃないか。そうだ、自分のマンコがどうなっているか、自分で説明してみろ」

 

 

 あぁ、と絶望でもしているかのような声を漏らすが、吐き出された吐息には隠しきれない期待が含まれている。

 羞恥を煽られる度に、凜花の全身には鳥肌が立ち、誤魔化しようのない被虐の快楽を帯びていた。

 

 凜花、余りの羞恥に涙を流しながらも、口元には媚びを含んだ笑みを刻み、愛液を垂れ流す秘裂を自らの両手で割り開く。

 

 

「これが、凜花の、いやらしいおまんこ、ですっ。虎太郎先生の逞しいおチンポに、たった一回、抱かれただけで、虎太郎先生専用になっちゃい、ました」

 

「そうかそうか、気に入ってくれて何よりだ」

 

「お礼とお詫びに、先生の女として、一生懸命、尽くしますから……凜花の男として、一生面倒を見て下さい。凜子ちゃんやゆきかぜちゃんのように、愛してください」

 

「構わないぞ。あの二人のように、頭がおかしくなるくらい可愛がってやる――――が、お詫びって何の話だ?」

 

 

 好色そのものの笑みを浮かべていた虎太郎であったが、疑問から怪訝な表情をする。

 

 凜花は、彼の自分自身に対する無関心な様に、呆れ返ると同時に悲しくなり、罪悪感から心情を吐露してしまう。

 

 

「だ、だって、私は、いくら知らなかったとは言え、何度も酷いことを……」

 

「気にするな。オレがそういう風に装っていたんだ」

 

「だからと言って……」

 

「五月蝿い口だ、塞いでやる」

 

「うぅん、むぅ……ぇれ、んれ、……ちゅぷ…………んぶっ!? ンンンっーーーー!!」

 

 

 虎太郎にとっては下らない慚愧の言葉は聞くに堪えなかったのか、文字通り無理やり口を塞いだ。

 木の幹に絡まる寄生植物のように侵入してきた舌を、凜花は後悔すら一瞬で忘れ、自らの舌と絡ませて受け入れた。

 

 だが、それだけでは済まなかった。

 凜花は自身の女そのものに押し当てられた灼熱の肉棒に、全身をビクつかせてしまう。

 意識的にも、無意識的にも彼女は腰をくねらせる。男を自ら迎え入れるのではなく、男を()()()にさせる腰使いだ。

 年季の感じられない処女の拙い腰の動きであったが、虎太郎の剛直は嬉しげに跳ねまわり、先走りを漏らしていた。

 

 

「ふふ、いいぞ、紫藤。下手だが、悪くない動きだ。それに、匂いも酷いな」

 

「ひ、ひかたないれふぅ……ん、ひっ、んれろ、雄と雌の、えっひなにほい、興奮するに、気まってるぅ、んちゅ♪」

 

 

 虎太郎に対する謝罪の気持ちすら蕩けさせられ、ぬちゃぬちゃと粘着質な音を立てて愛液と先走りを混ぜ合わせる。

 立ち上る雄と雌の欲望を煮詰めた精臭は互いの興奮を高めるアクセントにしかなるまい。

 

 虎太郎は存分に凜花を鳴かせ、凜花は惨めなほど虎太郎に泣かされると、唾液の橋を作りながら唇を放していく。

 

 

「んえぇ、んん~~~っ♪」

 

 

 凜花は、まだ足りないと舌を突き出してねだる。

 自身のはしたなさ、淫らさ、情けなさなど、もう頭にはない。湯の熱と発情の熱に浮かされ、完全に思考が茹だっている。

 

 

「お前は何度でも虐めてやるからな。焦らして焦らして、泣きながら懇願させてやるし、逆に死ぬほどイカせて許しを請わせてやるのもいいかもな」

 

「先生のお好きなように、してください」

 

「まあ、今日の所は優しく、だ。壊れられても困る。まだまだ慣らしの段階だからな」

 

 

 それだけ言うと、虎太郎は軽く触れ合うだけのキスを何度もする。

 互いに貪り合うディープキスは女の興奮を誘うものだが、バードキスは女の心が満たされるものだと熟知していた。

 

 何度も何度も飽きることなく降るキスの雨に、凜花も必死になって応える。

 その時、凜花は子宮から電流のように脳髄へと昇ってきた感覚に、キスを自分から中断し、真っ直ぐに虎太郎と目を合わせる。

 

 

「どうした?」

 

「ふぅ……、ふぅ……、じゅ、準備、整いました。い、今のキスで、子宮口っ、完全に開いちゃいました♪」

 

「そうか。それが分かるなんて、SEXでも優秀だな」

 

「虎太郎先生が、教え込んだんです♡」

 

「なに、まだまだこれからさ」

 

「あっ、その前に……」

 

 

 いよいよ腰を前に突き出し、凜花の女全てを征服しようとした虎太郎の動きが止まる。

 ここまで来て、というタイミングであったが、女を征服するということは、自らも征服されることと彼は考えている。何にせよ、独り善がりになるつもりは毛頭なかった。

 

 

「名前で、呼んでください。苗字のままなんて、他人行儀で嫌、ですから」

 

「分かった。なら凜花も先生は止めろ。こんな時まで教師と呼ばれるつもりはないからな」

 

「は、はい♪ 虎太郎さんと呼ばせて♪」

 

「好きに呼んでいいぞ、ほれ」

 

「あっ、あっあっ、あぁぁっ、ぁぁぁっ……!」

 

 

 不意討ち気味の挿入であったが、前に進む男根は、あくまでもゆっくりと奥へ奥へと進んでいく。

 凜花の媚肉は悦びを蠕動として示し、雄の象徴は襞の一枚一枚を丁寧に、丹念に、入念に、念入りに、けれど容赦なく自分の味を覚えさせていた。

 

 

「んんっ、おぉっ、す、すごっ、おチンポのっ、んほぉっ、出っ張ってるところで、おほぉっ、オマンコ、かき、掻き毟られてるぅっ!」

 

「そこはな、カリと言うんだ。本来なら他の雄の精液を掻きだすためのものだが……、これじゃあ女を満足させるだけだな」

 

「んおぉっ! か、カリ、すごいっ、凜花のオマンコ、すごく喜んで、スケベ汁、止まらないぃぃいっ!!」

 

「はは、下品な言葉を覚えたもんだ。自分で調べたのか? いいぞ、もっと鳴いてみろっ」

 

「ひゃぁぁあんっ! チンポっ、カリっ、また、おっきくっ、んひぃっ、ビクンビクンって、悦んで、ひひぃっ、くれてるぅぅっ!!」

 

 

 まだ最奥にも至ってないと言うのに、凜花は泣きながら悦んでいた。

 怒張が痙攣して膣道による雌奉仕を楽しんでいる確信を得ると、膣道もまた怒張から与えられる快感に愛液を流しながら喰い締める。

 

 十分かつたっぷりと、自分自身の味を覚えさせたメス穴を、更に躾け、屈服させる。

 当の昔に降参してしまっている牝だというのに、情け容赦なく雄の逞しさを叩き込んでいく。

 

 

「さて、次はここだぞ」

 

「ひぐぅぅっ! はっ、はぁっ、うぅ、子宮口、舐るみたいにっ、ひぃ、ひぃぃ、ひゃひぃぃっ!」

 

「物足りんかもしれんが、我慢しろ。こうして掠めるように嬲ってやると、ほら」

 

 

 子宮口に敢えて直撃させず、わざと掠めるに怒張が嬲り続ける。

 凜花は望んでいる快楽には今一歩届かないもどかしさに為す術はなく、手足を震わせて膣を締め上げ、虎太郎をその気にさせるしかなかった。

 

 言葉にする余裕はなく、泣きながら目だけで必死に懇願するが、虎太郎は笑うばかりで腰使いに変化はない。

 

 

「――――あ、ひっ、?」

 

「くっ、来たな。自分から吸い付いてきたぞ」

 

「ふひぃぃぃぃいいいぃぃんんんっっ♪」

 

 

 だが、凜花の意志に応じるように、下がり切っていたと思っていた子宮は更に下がり、子宮口は自分から亀頭に吸い付いた。

 

 もうこれ以上焦らさないで、とでも言いだけに。

 精一杯気持ち良くしますから、とでも懇願するように。

 もう子宮も貴方のものです、と宣言するように。

 

 凜花が快楽の中で言葉に出来なかった全てを表現する子宮口からのキス。

 剛直は興奮し過ぎた牝を宥めるように我慢汁を吐き出すが、何の慰めにもならない。更なる興奮へのスパイスにしかならないだろう。

 

 絶頂に達した凜花は、手足に力を入らなくなり、虎太郎に上体を支えられる形で、びゅーびゅーと潮を噴いていた。

 

 

「あっ……かっ……ひあ……へあ……あ……はひゃぁ……」

 

「意識は、まだあるな。本番はここからだぞ? そろそろ子宮の中に入れてやる」

 

「う、うふふ、……子宮(そこ)はっ、……はぁ、ふぅ、赤ちゃんのための、お部屋なのにぃ♪」

 

「そうだな。だが、孕むまではオレのもの、だろ?」

 

「は、はい♡ 何も知らなかった癖に、生意気だった凜花を、子宮まで完全に屈服させて、虎太郎さんの女にして下さい♡」

 

「オレの女には勿論するが、これからも言いたいことはハッキリと言えよ。うっとうしくはあったが、お前の美点だとは思っていたからな」

 

「……ん、んんっ♪ も、もう、虎太郎さん、御世辞も、上手なんだから♪ 嬉しくて、軽くイっちゃいました♪」

 

「御世辞じゃねーよ」

 

「ンンっ、ンひぃぃぃいぃぃーーーーっっ!!!!」

 

 

 虎太郎の紛れもない本心からの言葉に、凜花の心は蕩けてしまった。

 惚れた男に自分自身を認められていた。その事実に喜びを覚え――――その隙を見逃す様な生温い男ではない。

 

 本気汁と我慢汁で塗れた怒張はあっさりと子宮内部へと侵入してしまう。

 元より子宮は求めていたものを与えられ、悦びを電流として全身に発したが、隙だらけだった凜花にとっては、どうしようもない不意討ちだった。

 

 

「ふぅぅ、ふぅぅぅぅ、ふふうぅぅううぅぅんんんんっ!!」

 

 

 歯を喰いしばり、必死で絶頂を受け流そうとする我慢の表情。

 

 

「イク、イクぅ! そんなっ、熱いの、出されたら、イクゥゥゥウウウゥっっ!!」

 

 

 必死の我慢をカウパーの迸りによって、あっさりと崩壊させられた敗北の表情。

 

 

「う゛う゛うぅぅううぅっ、イグの、止まらないっ! あ゛あぁぁあぁっ!!」

 

 

 抗いようのない絶頂と快楽の波に、性の何たるかを心得た雄に翻弄される表情。

 

 子宮の壁から天井から、悉くを優しく嬲られた凜花は、ありとあらゆる快楽の百面相で虎太郎を楽しませる。

 アクメに抗いきれず、痙攣を抑えようと強張った手足であったが、腰は嬉しい嬉しいと戦慄きを抑えきれず、握り丸まった手足の指は深い絶頂を男に知らせていた。

 

 

「も、もう、む、ムリっ! もうダメっ、イクっ! イクイクっ! イクの止まらないぃぃいぃいいっ!!」

 

「トドメだ。子宮でキッチリ受け止めて、アヘ顔でアクメ晒しちまえっ」

 

「は、はひぃぃ! 凜花の生意気マンコっ! 虎太郎しゃんの、膣内射精(なかだし)で! 屈服アクメ頂きますうぅぅうぅっっ!!」

 

「…………っ!」

 

「あぐぅっ、きた、きたぁっ! 種付けザーメン、きたぁぁああぁぁぁああっ!!」

 

 

 処女喪失の時とは比較にならない深い絶頂と精液の量に、凜花の精神はぐずぐずに崩れてしまいそうだった。

 

 

「イっでるぅ! イッでるイっでるぅっ! アクメェっ! オルガァっ! キメでるぅぅぅっ! あ゛ぁ゛ああぁ゛ぁぁんっ!!」

 

「まだまだイかせてやるぞ」

 

「あ゛っ、あ゛っ、あ゛っ、射精()しながら、ぐちゅぐちゅピストンだめぇぇぇっ!!」

 

「駄目だなんて、おかしなことを。凜花の子宮とマンコは悦んでるぞ?」

 

「こ、壊れ、壊れるぅぅ! もう、私の女、ボロボロ、ですぅっ!! ゆるし、許して、ひぃぃっ、あ゛ぁ゛っ、ザーメンでまたイクゥゥゥっ!!」

 

「壊れても面倒見てやるから安心しな」

 

「んぶっ!? んちゅっ! じゅるりゅ、んれら、んんんんンっっーーーーー!!」

 

 

 虎太郎の大量のザーメンに、完全に屈服、征服させられ、子宮から身体全体を専用に書き換えられる恐怖と悦びを掻き消すように、自分から舌を突き出し絡め合う。

 獣のような喘ぎ声に唾液の混ぜ合う音を交じらせ、何度も何度もアクメを叩き込まれた。

 

 ようやく射精と痙攣を終えた剛直は、自らの体液を凜花のメス穴に塗りたくり、自身の征服した証を刻み込みながら引き抜かれていく。

 それだけで、またも絶頂に達した凜花であったが、喘ぎ声を上げる余裕すらない。完全に忘我の状態に堕ち込んでいた。

 

 空気に晒された怒張は濃厚さを物語る精液の糸が途切れず繋がり、開き切った秘裂からは、ごぷりと音を立てて精液が溢れ、凜花の尻を伝い、浴槽の壁を伝い、湯の中に流れていく。

 

 

「さて……」

 

「はぁ、はあ……ふぅ……ひっ……はひっ…………あ、あぁっ……♪」

 

 

 虎太郎は、まだ絶頂の余韻から立ち直れない凜花の身体を支えながら、その顔の前で精液と愛液に塗れた肉槍を見せつける。

 全く萎えない、絶倫そのものを具現化したかのような一物は、絶頂に翻弄された凜花に存在を認識させるには十分過ぎる威力を秘めていた。

 

 凜花は差し出された怒張をぼんやりとした表情で眺めていたが、漏らした吐息はうっとりと蕩けていた。

 虎太郎の逞しさ、彼を興奮させられる彼の雌としての自信、何よりも、心が蕩けるような、魂が砕け散るような快楽がまだまだ待ち構えている現実に瞳を潤ませた。

 

 

「凜花、今日が何曜日か、分かるか?」

 

「はへ……?」

 

 

 唐突な、全く意図の読めない質問に、凜花は怒張に釘付けになっていた視線を外し、虎太郎に目を向けるが、くつくつと笑うばかりで答えはくれない。

 

 アクメでぐずぐずになった思考で、凜花は必死に考えたが、一向に答えは出てこない。

 たっぷりと時間を掛けて、曜日だけは思い出したが、それ以上はまともな思考など不可能だった。

 

 

「……きん、ようび、れふ」

 

「そうだ。そして、五車学園も基本は土日休みだ。まあ、お前のように自主訓練で登校する奴もいるし、オレのように終わらん仕事をしに行く奴もいるし、任務で行かなきゃならん場合もある」

 

「……?」

 

「だから、ちょいとばかり無理をすれば二日は休めるってことさ」

 

「……っ」

 

 

 虎太郎が何を言いたいのか理解し、凜花の身体は恐怖か期待によって震えた。

 

 

「どうする? お前が望むなら、二日は互いに楽しめるぞ?」

 

「でも、虎太郎さんに、迷惑が……」

 

 

 ようやく冷静になりつつあった思考で、凜花は後ろめたさから口ごもる。

 正直に言えば、二日の時間で思う存分、自分を楽しんで貰いたかったが、わざわざ仕事を溜めさせてまで、という遠慮があった。

 

 

「気にしなくてもいい――――それにお前、負けず嫌いだったよな?」

 

「た、確かに、そうですけれど……、そこまで我が儘ではないです」

 

「いいのか? ゆきかぜや凜子に負けて?」

 

 

 きゅっ、と凜花は唇を噛み締める。

 ゆきかぜや凜子に負けるつもりなんてない。そもそも、惚れた相手は虎太郎だ。勝ちも負けもない。彼の女として、三人で愛してもらうだけだ。

 

 だが、凜花も理解している。女として負けておらずとも、性の経験も、技も劣っている。つい先日まで処女だった自分に勝ち目などない。 

 

 

「オレなら二日もあれば、ゆきかぜと凜子に負けにない程度には、仕込んでやれるがな」

 

「…………ゴク」

 

 

 凜花は、凜子から聞いていた。それも今日だ。記憶に新しい。

 

 奴隷娼婦として捕まり、どんなものを見て。どれだけのものを味合わされたかを。

 どのような性技も身に付け、どのような性癖にも応え、どのような下衆であっても快楽として受け入れる魔界の高級娼婦。

 その過程。一ヵ月の間、訓練と称して二人の身に降り注いだ凌辱は、話として聞くだけで、どれほど苛烈で屈辱だったのかを。

 

 凌辱を乗り越え、教え込まれた性技すら虎太郎への奉仕として使用する、女として成熟した二人に負けない程度に仕込むなど、何をされると言うのか。

 

 恐怖か、期待か。生唾を飲み込む音だけが浴室に響き渡る。

 

 

「さて、答えはどっちだ?」 

 

「………………き、決まってます。虎太郎さん専用に相応しい、ドスケベで、床上手な女に仕込んで下さい♡」

 

「決まりだな。まずは口の使い方から教えてやる」

 

 

 凜花は、瞳の奥にハートマークを浮かべながら、完全に屈服したメスの表情で我が儘を口にする。

 虎太郎もまた、女を征服した満足げなオスの表情を浮かべて、凜花の頭を撫で、肉棒を震わせた。

 

 暫らくして、じゅるじゅる、ぴちゃぴちゃと控えめな水音が響いたが、虎太郎の手腕によるものか、僅かな時間で娼婦顔負けの恥知らずで熱の籠った口奉仕の音へと変化していった。

 

 週末の虎太郎宅には、女を自分専用に仕込む男の愉悦と、男の専用になる女の悦楽で満たされた。

 

 唯一の問題は、週明けの学園で虎太郎の、仕事を溜めるんじゃなかった、という悲鳴が響き渡る訳だが、自業自得の別の話である。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 魔都・東京。

 

 人魔を問わない様々な個人、集団の入り混じる都内において、最も近代的な行動を取れる組織は何処か。

 

 闇の世界の住人に問えば、一様にこう返すだろう。

 

 ――――米連以外に在り得ない、と。

 

 米連は数十年前の半島紛争と呼ばれる中華連合との代理戦争の頃から、魔界技術に注目していた。

 多くの魔界都市が点在し、多くの魔界技術を獲得している日本にも、技術簒奪のための拠点となる支部や基地をいくつも所有している。

 

 東京郊外にも、米連の拠点は存在する。

 

 オレンジインダストリー日本支部。

 表向きは米連に本社を持つ最先端技術を取り扱う企業であるが、実態は米連のDSO――防衛科学研究室の略称である――に属する国防総省の息のかかった機関である。

 

 但し、オレンジインダストリーはDSOに所属していながら独自の運営を続けており、その思惑を知る者は極々一部に限られている。

 

 日本支部の地下十階。

 最新機器のメンテナンス、独自技術の研究を目的とした地下は縦に吹き抜けられて作られており、空中には幾本もの通路が繋がっている。

 ただでさえ厳重なセキリティの敷かれた施設の中にあって、更に様々な防衛対策の施された一室は、部屋の主の警戒心を現しているかのようだ。

 

 

「………………」

 

 

 空間ディスプレイから漏れる光だけで照らされた薄暗い部屋の中で、主は椅子に腰かけて足を組み、何事か思案しているようだ。

 対魔忍装束と似て非なるコート型の戦闘装束。米連が開発した特殊繊維で編み込まれたそれは、切断、銃撃、衝撃による攻撃に対して高い防御性能を発揮するものだ。

 

 その時、壁越しに部屋へと近づいてくる気配に、主は思考を中断する。

 

 

「お久しぶりです、所長!」

 

「失礼します」

 

「久し振りね、アスカ、麒麟」

 

 

 部屋に入ってきたのは二人の少女だった。

 主が今まで引き締めていた表情が緩む辺り、主にとって二人は身内に相当する人物のようだ。

 

 アスカと呼ばれた少女は背が高く、麒麟と呼ばれた少女はやや小柄だ。部屋が薄暗過ぎて、それ以上の人物像は見えてこない。

 

 

「所長ったら、久し振りに帰ってきたと思ったら、挨拶もなしに部屋へ引きこもっちゃうんですもん。心配しましたよ」

 

「ごめんなさいね。ニューヨークから急ぎで帰ってきたものだから、ね」

 

「急ぎで……? 何かあったんですか?」

 

 

 麒麟の疑問に、主は僅かながらに思案を見せたが、まあいいでしょうと部屋の中にあったモニターに、今し方まで眺めていた情報を映し出した。

 

 

「これって、ミラベル・ベル?! 何でストームキャット部隊の隊長の情報が? しかも、専用機の弱点まで……!」

 

「こっちは、確か雇われ魔族のアルベルタさん、ですね。これは一体……?」

 

「数週間前に、米連のあらゆる機関に一斉送信された情報よ。しかも、ある特務機関の行っていた計画内容と一緒に、ね」

 

 

 恐るべきことに、この情報は数百を超えるIPアドレスを経由しており、差出人は不明のままらしい。

 

 今や、この情報のお陰で、米連内部は大荒れに荒れている。

 国務省と国防総省は互いの責任追及に躍起になっており、大統領とそのシンパも巻き込んで真っ二つに割れている現状のようだ。

 

 どうやら、虎太郎の思惑通りに事は展開しているようだ。

 

 

「責任追及と同時に、犯人探しにも躍起になっているわ」

 

「米連の方の計画は日本で行われたわけですから、犯人も日本に……?」

 

「てことは、犯人探しも私達に……?」

 

「その可能性は高いわね。面倒な話だわ。私達は私達で、目的があるというのにね」

 

 

 三人には米連とはまた違った思惑があるらしい。

 アスカと呼ばれた少女は犯人に対する怒りから忌々しげに表情を歪め、麒麟は姿を現そうとしない犯人に難しい表情を浮かべていた。

 

 

「じゃあ、私はまた暫らく留守にするわ。よろしく頼むわね?」

 

「ちょ、ちょちょ、もう行っちゃうんですか、折角、会えたのに……」

 

「悪いわね。次に戻ってきた時には、三人で食事でもしましょう?」

 

「もう、そんなこと言って、食事の途中でいなくなっちゃうんでしょう?」

 

 

 主は駄々を捏ねる娘を見守る母親のような笑みを浮かべ、麒麟は癇癪を起した姉を窘めるようにアスカの腕を引く。

 

 二人も主の忙しさを知っているのだろう。それ以上は何も言わず、部屋から立ち去る主をただただ見送るだけだった。

 

 

(こんな手段、あのアサギやさくら、紫が思いつくわけがない。そうなると限られてくるのは、九郎か不知火辺りでしょうけど……)

 

 

 主は対魔忍とどういった関係にあるのか。

 首領であるアサギ、その脇を固めるさくら、紫。最古参である九郎や不知火についても知っているようだ。

 

 しかし、彼女の知る人物と、今回行われた手段では、どうしても結びつかない。

 九郎ならば非常時にはこの程度の手段を実行するであろうが、今現在は日本国内でその存在は確認されておらず、海外での活動が中心と予測されている。

 不知火に関しても、ここ数年、その勇名も一切音沙汰はなく、一部では魔族側の手に堕ちていたのではないか、と推測されている。

 

 どちらにせよ、今回の一件の犯人からは外れるだろう。

 なら、一体誰が。そこまで考えた瞬間、彼女の脚が止まり、サーっと顔から血の気が引いていく。

 

 ――彼女の脳裏に浮かんだのは、かつて自身とアサギを囮に使い、己はあっさりと標的の暗殺を成功させた少年の顔である。

 

 忘れよう筈もない。

 大量の敵に囲まれ、不本意ながらアサギと背を預け合い、辛くも窮地を脱した自分達を、斬り落とした標的の首を振り回しながら凄く良い笑顔で迎えた、ある意味でエドウィン・ブラックにすら勝る外道少年を……!

 

 因みに、彼女とアサギが敵に見つかったのは、いがみ合っていた二人に嫌気が差して、少年が打ち上げた照明弾のせいである。

 言わずもがな、その後、事実を知った二人に少年がリンチにされたのは言うまでもない。その折、少年はオレは悪くねぇ、オレは悪くぬぇぇ、と叫んでいたが二人の耳に届く筈もなかったが。

 

 

(頭、痛くなってきたわね…………)

 

 

 少なくとも、主にとって少年は絶対に敵に回してはならない存在であったものの、少年の本性を知らないアスカや麒麟は単なる捕縛対象か殺害対象としか見做さないだろう。

 娘同然の二人であったものの、自分とは違う脳筋具合と少年との相性の悪さを思い、頭痛は酷くなる一方だった。

 

 

(けど、これは好機よ。あの坊やを味方に引き入れるか、利用できれば……でき……できれば、……でき、できるの?)

 

 

 一抹の不安が頭脳を過ったものの、ぶんぶんと頭を振って、振り払う。

 珍しい彼女の仕草に、廊下を行く研究員たちは挨拶すら忘れて、茫然と擦れ違うだけだった。

 

 彼女の顔には虎太郎と同様に、自らの素性を隠す仮面で覆われていた。

 

 後に、仮面の対魔忍と呼ばれる女傑である。

 



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四人一組編
『出来る男って、人の倍くらいは苦労してるよね? 苦労してるって言って(震え声)』


今回のワールドレイドはいただきだぜ(挨拶)

ランキングに大分余裕が出来てきたので、コツコツ本編を書きました。
ふふふ、これならば凜子カードゲットできるはず(慢心)

じゃけん、御館様には苦労してもらおうねぇ(ねっとり)


 

 

「もう、ちょっと、もうちょっと…………あ゛ー!」

 

 

 五車学園の地下深く、極々一部の者しか知らない救出班のミーティングルームに音が鳴り響く。

 まるでクイズで不正解の解答をしてしまったかのようなブザー音だ。その音にゆきかぜは頭を抱えて、叫び声を上げた。

 

 

『残念でしたね。では、再度挑戦しましょう』

 

「もー、やだよー、もーやだよー」

 

「泣き言ぬかすな。この程度、出来るようにならなけりゃ話にならねぇ」

 

『口は悪いですが、こればかりは虎太郎と同意見です。何事も、トライ&エラーですから。千里の道も一歩からと言うでしょう?』

 

 

 正式に救出班へと配属されたゆきかぜは、虎太郎の考えた訓練メニューを熟していた。

 

 対魔忍の発現する異能系忍法は大半が陰陽五行、五大元素を代表するように5つの属性に分けられる。

 

 即ち、火遁、水遁、木遁、土遁、金遁である。

 それ以外にも、ゆきかぜの雷遁、凜子の空遁、さくらの影遁等に加え、どれにも分類できない不死覚醒、霞狭霧(かすみのさぎり)縮尺法(しゅくしゃくほう)蟻身変成(ぎししんへんせい)と多岐に渡る。

 

 特に陰陽五行に分類される忍法は、それぞれの得意とする分野がハッキリとしている。

 

 火遁は極めて高い攻撃能力が売りであり、大抵が殲滅・破壊工作などが専門となる。

 水遁・木遁は応用範囲が広く、搦め手や不意討ちに向いており、諜報や情報収集系の任務を言い渡されることが大半だ。

 土遁・金遁は防御能力に秀でており、前線を支える盾。撤退などにおいて殿を務める場合が多い。

 

 ゆきかぜの雷遁は火遁をも超える火力が売りだ。

 反面、強大過ぎる力は使用者の制御を受け付けなくなる場合も少なくない。

 ゆきかぜの専用武器であるライトニングシューターも強大過ぎる彼女の力を制限する制御装置(リミッター)でもあるのだ。

 

 それ故、虎太郎はゆきかぜを火力方面で成長させることはしなかった。

 伸びる部分は放っておいても伸びる。ならば、当人が気にしていない方面を伸ばす。

 即ち、制御と応用範囲の幅を広げること。今も続けている訓練も、その一環であった。

 

 

「ちょっと、凜子ちゃん!?」

 

「あーもう、凜花、いい加減に勘弁してくれ」

 

 

 その時、ミーティングルームのロックが外れ、対魔忍の二凜が入ってくる。

 普段から仲の良い二人であったが、今日は様子が違った。

 

 凜花は凜子に噛みつくような勢いで喰ってかかり、凜子は呆れた様子で凜花をあしらっている。

 

 

「………………いや、あの、え? 凜花が、どうしてここに入れんの?」

 

「ああ、それね。私と凜子先輩がアルに頼んだの。凜花先輩だって、もう虎太兄の女の子でしょ?」

 

『ええ。虎太郎の魔の手にかかった哀れな犠牲者です。仲間外れはどうかと思いましたので』

 

「オレに許可なく勝手なことするの止めてくれませんかねぇ?!」

 

 

 自分の城への入場許可証を勝手に発行され、虎太郎は堪らずに絶叫を上げた。

 情報は漏れないに越したことはない。この部屋を知る人間が増えるということは、同時に情報が漏れる可能性が高くなるということなのだ。

 

 アルフレッド、ゆきかぜとて、考えなしに凜花を招き入れた訳ではない。

 己の慕う人間が貶されれば、直情傾向の凜花の性格上、虎太郎の本来の姿を口にしてしまいかねない。

 虎太郎の傍に居させることで感情を押し殺す重要性、ゆきかぜや凜子の隣で仮面の被り方を学ばせるつもりなのだ。

 万が一、ゆきかぜや凜子、凜花、不知火が敵の手に堕ちたとしても、苛烈な拷問と調教の末に虎太郎の情報を漏らしてしまうよりも、虎太郎の救出の方が速い、という計算もあった。

 

 とは言え、虎太郎もそれ以上の言及はしなかった。

 凜花の表情が暗く落ち込み、捨てられた子犬の表情をしていた。力なく垂れ下がった犬の耳と尻尾まで見えてきそうだった――――からでは断じてなく、単純にアルフレッド、ゆきかぜと同じことを考えていたからだ。

 咎めたかったのは一言も連絡せずに行動に移したことであって、行動自体に問題を見出した訳ではない。

 

 

「……で、何があった?」

 

「998勝1036敗……これが何の数字か、お分かりになりますか?」

 

「知らねーよ。どっかの球団の戦績かなんか?」

 

 

 質問に質問で返され、虎太郎は困惑気味に返した。推察するには余りに情報が少なすぎる。

 

 凜花の話は、こうだ。

 凜花と凜子の二名は、よく模擬戦を行うらしい。互いの実力を高めるためのものだ。その通算が、凜花の語った数字の正体である。

 ついこの間までは、ほぼ拮抗した数字だったのに、ここ最近は凜花の負けが込んでいる。

 唐突な変化に、凜花は戸惑いを隠せなかったものの、ある事実に行き当った。

 

 ――この数字に変化が起き始めたのは、凜子がヨミハラから帰ってきた辺りだ。

 

 そうなれば、変化をもたらしたのは虎太郎と考えるのは当然だろう。

 

 凜花の推察は正しい。ゆきかぜ同様に虎太郎は凜子に指導を行っている。

 逸刀流の元締めにして飛び抜けた才を生まれ持った凜子に、何を今更と考える者もいるだろうが、虎太郎には数多の死線と修羅場を潜り抜けた経験値があった。

 

 虎太郎が鍛えたのは、思考の瞬発力、戦闘における考察力。

 既に飛び抜けた才能、飛び抜けた実力を持っていた凜子は、これまでの戦いは何も考えずに鍛え抜いた力と技だけで潜り抜けてきたと言っても過言ではない。

 それはそれで恐ろしい話であるが、彼に言わせれば、無駄が多すぎる。折角の才能も、実力も無駄使いしているようにしか見えなかった。

 

 戦いの中、初見の敵に対しても能力から何が可能であり、何が不可能なのか。何が強味であり、何が弱味となるのか。窮地に立たされてなお立て直しが可能なほどの看破と推察。

 ただの力押しでは実力の拮抗した者、単純に自身よりも強い者には対抗できない。しかし、思考速度の差と相手よりも高い考察能力は立場を逆転させかねない。

 

 相手よりも強くなることは重要だ。それが最も手っ取り早く勝つ方法と言えよう。

 けれど、人生は常に準備不足の連続である。どうしようもない強敵、どうしようもない状況というものが降りかかってくる。それを潜り抜けるための武器を、虎太郎は凜子に与えたのだ。

 もっとも彼に言わせれば、凜子は卵から孵ったばかりの雛鳥に過ぎない。今後も経験を積ませる必要がある。

 

 しかし、結果は出ているようだ。凜花との訓練が、それを物語っている。

 

 

「ズルいです! 凜子ちゃんやゆきかぜちゃんばっかり!」

 

「そうは言ってもな。正式にオレの部下になった二人は育てなきゃ、自分の首を絞めかねないんでな。お前は、オレの部下じゃないし。勝手なことしてもなぁ」

 

「そんなことを言って……貴方のことだ、面倒なだけだろう?」

 

「それ以外の何があるって言うんだ、お前は。これ以上、仕事が増えてみろ。オレ、死んじゃうぞ?」

 

 

 とんでもなく軽い口調であったものの、内容はとんでもなく重い。

 虎太郎の実情を知る三人は、曇りのない虎太郎の目を見て、さっと目を逸らした。流石にこれ以上、虎太郎の仕事を増やすのはヤバいと感じ取っている風ではある。

 

 

「うぅ……うぅ~~~~~~~ッ」

 

「そんな顔をされてもなぁ……」

 

 

 涙目になりながら、くぅんと鳴き声が聞こえてくる子犬の表情になった凜花に、虎太郎は頭を掻く。

 別段、指導や指南は問題ではない。既に仕事は限界ギリギリだが、ゆきかぜや凜子に回す時間を凜花にも回せばいいだけだ。

 ゆきかぜも凜子も、虎太郎が考えていた以上に優秀だった。少なくとも才能という面に関しては、彼自身を大きく凌駕している。つまり、二人を育てるのに、余裕は生まれ始めているのである。

 

 問題があるとするならば、凜花に目を掛けている連中が存在している点か。

 凜花は優秀な若者だけあって、一部の上忍からの信頼は非常に厚い。そんな彼女が急激な成長や変化を見せれば、下手な勘繰りをされかねない。

 そこから自身への繋がりを見つければ、何を言われることやら。ただでさえ組織内で蛇蝎の如く嫌われていると言うのに、これ以上の軋轢など御免被りたいのが本心であった。 

 

 

「全く、仕方がないな。…………ほら、虎太郎」

 

「これは…………まさかっ!?」

 

「ふふ、私達三人で頑張ってみたんだ。まあ、ご希望に沿うほどの成果ではないだろうが、無いよりはマシだろう?」

 

「なん……だと……?」

 

 

 凜子が手渡してきたのは、書類の束だった。

 虎太郎が、本日中に片付けなければならない書類の一つであったのだ。

 

 間違いはあるが、初めてにしては上出来だ。

 本来、学生の身分では任される書類は報告書程度のものなのだが、明らかに毛色の違う仕事だと言うのに、よく頑張ったものだ。

 

 

「……凜子」

 

「ん? ……ひゃあん! だ、抱きしめてくれるのは嬉しいが、尻を撫でるなぁ!」

 

「……凜花」

 

「あ、は、はい。うぅ、あの、乳首を弄りながら腰に手を回すのは……」

 

「ゆきかぜ」

 

「あー、はいはい! 今度は! 今度は私の番だよね!」

 

「お前等――――好き!」

 

「あ、こ、虎太兄、苦しいよ……」

 

 

 虎太郎は、凜子を抱きしめながらスカートの上から尻を撫で、凜花の腰に手を回しながら制服とブラの上から乳首を弄り、ゆきかぜを力の限り抱き締めながら額にキスをした。

 今、虎太郎の胸中にあるのは、対魔忍になってから初めて自分の仕事が楽になったという感動だけである。三人に対する感謝ではない辺りが彼らしい。

 

 

「凜子。今度、お前の好きなアナルでひんひん泣かせてやるからな」

 

「いや、その……好きはぁ、好きだぞ? ……し、しかし」

 

「凜花。お前の乳首をもっと成長させて恥ずかしい形にしてやるからな」

 

「えぇぇ……今の時点で、ブラに擦れて……」

 

「ゆきかぜ。立派なY豚ちゃんにしてやるぞ」

 

「私、虎太兄とはイチャイチャしてる方が好きなんだけどなぁ……」

 

『最低のご褒美ですね。まあ、三人が喜ばれるなら、私から言うことはありませんが』

 

「「「う、嬉しくなんて……」」」

 

 

 凜子は俯き、凜花は頬に手を当て、ゆきかぜはニヤけようとする表情を必死に抑えながら。

 三者三様の反応を見せながらも、一様に頬を染めている。もう、すっかり虎太郎の女っぷりが板についている。

 

 

「ありがとう……本当に……本当に、「ありがとう」……それしか、言葉が見つからない……」

 

「虎太兄が、これからラスボスに最後の一撃を加える主人公みたいな科白を……!」

 

「しかもこれは、私達は死んだことになってるレベルで感謝されているぞ?!」

 

「虎太郎さん、そこまで……!」

 

「だってー! 今までこういうことしてくれた奴いないんだもんー! でも、それはそれとして間違ってる所がある。書類は提出する前にちゃんと確認しようね? 金の桁、間違えるとエライことになっちゃったりするからね?」

 

「「「あっ、ハイ」」」

 

 

 感謝を伝えつつも指摘すべきところは指摘する。

 急転直下で変わる虎太郎の表情と態度に戸惑いながらも、辛うじて返事だけはした。

 

 もう、その後は酷いものだった。

 三人の完成させた書類を机の上に置くと、両手を合わせて拝む。このまま神棚にでも飾りかねない勢いだ。

 

 ――――しかし、幸せな時間というものは、得てして長く続かないものである。

 

 

『あっ…………………………虎太郎。まことに言い難いのですが、アサギ様から呼び出しです』

 

「…………………………」

 

(((あっ、表情筋と目が一瞬で死んだ)))

 

 

 彼にしては大層なハシャギようであったのだが、アサギからの呼び出しという言葉を耳にした時点で、虎太郎からあらゆる感情が消えていた。

 またしても厄介事である。しかも、アサギからの呼び出しである以上、急を要する実働の任務で、ほぼ間違いない。

 

 最早、虎太郎は何も言う事もせずに、トボトボとミーティングルームの出入り口へと向かっていく。

 

 

「こ、虎太兄、大丈夫!?」

 

「助力は得た。大丈夫だよ、ゆきかぜ。オレも、これから頑張っていくから」

 

「な、何だか今から消えてしまいそうな漢の笑みを浮かべているが、本当に大丈夫か!?」

 

「大丈夫だ、問題ない」

 

「本当?! 本当に帰ってきますか!?」

 

「I'll be back」

 

「こ、こた、虎太兄! 虎太兄ィィイイイイィィイイィイイっ――――!!」

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「あ……え? んん? ……虎太、郎……?」

 

 

 呼び出しにて向かった会議室は多くの中忍、上忍が集っていた。

 無言のまま会議室に入った虎太郎は、最後列に立つ。最前列には椅子が並び、名うての上忍たちが腰を下ろしている。その中には、神村や佐久の姿があった。

 

 隣に立っていた女性は、虎太郎の姿を見ると声を掛けようとしたが、驚きの余りに戸惑い気味であった。

 

 彼女の名は文月。

 暗殺部隊に属する対魔忍であり、人前に現れること自体が稀でもある。

 そして、とある理由から対魔忍内部においてはみ出し者、嫌われ者でもあり、似たような境遇にある虎太郎とは多少の交流があった。

 対魔忍装束の上から外套を羽織り、左腕を隠した彼女は“隻腕の闇鬼”と恐れられている。

 

 

「ん? なんだ、文月か? どうした?」

 

「ッ!? …………いや、な、何でもない」

 

「そうか? おかしな奴だなぁ、ははは」

 

(え? あれ? アレが人の顔……?)

 

 

 口調は普段と変化はなかったものの、虎太郎の顔は文月が人の顔と認識できない程、顔面崩壊状態だった。

 何と言えばいいのか。最早、子供のラグガキのような有り様である。円の中に点を三つ打って、人の顔! と言い張っているかのような顔だ。

 これでは誰かも認識できない、どころか魔族の方がまだ人間に近い。

 

 それからアサギが来るまでの間、文月の心中は穏やかではなかった。

 時折、文月と虎太郎に侮蔑の視線を向けてくる輩もいた――からではない。そんな輩は虎太郎の顔を見るなり、ビクぅっと身体を震わせてそそくさと奥へと向かっていくだけだ。

 歴戦の対魔忍ですら恐怖を覚える状態の虎太郎の隣で立っているからこそ穏やかではないのだった。

 

 チラチラと虎太郎を横目で確認しては、身体をビクつかせて目を逸らすを繰り返し続ける。

 

 

「さて、皆、揃っているな。では、緊急会議を始める」

 

 

 最後に入ってきたアサギ、さくら、紫の三名が入室し、会議が始まった。

 

 内容は下忍の死亡率についてだった。

 ここ最近、魔族・米連との小競り合いが激化の一途を辿り、下忍の死亡率が跳ね上がっている。その要因の一つとして、下忍の酷使も問題に上げられた。

 

 任務への出動率の高さは、下忍、中忍、上忍の順で下がっていく。

 通常の会社でもそうであるように、階級や肩書きが高くなるにつれて、仕事の内容が難しくなる反面、直接熟す数は減っていく。対魔忍でもそれに変わりはない。

 その為、過労から負傷率、死亡率の上昇傾向が見受けられたのである。

 

 一応、この一連の小競り合いも終息には向かいつつあるものの、魔族・米連との闘争が完全に終わるわけではない。

 

 

「そこで、現在任務中にある下忍を除いて、一週間の休暇を与える。任務中の者も戻り次第、休養を取らせようと思う」

 

「…………アサギ様。失礼ですが、その間の下忍の任務等は」

 

「貴方達に行ってもらう」

 

 

 その言葉を聞いた瞬間に、会議室全体がどよめきで揺れる。

 今更、下忍の任務など、と考えてはいたようであるが、不満を口から漏らす気はないようだった。

 実際に部下や仲間、目を掛けている者の疲労は著しいのだ。任務の際にも精細さに欠き、本来の彼等なら在り得ないミスが目についている。

 

 対魔忍の厳しい台所事情は現場で動いている者の方が理解できている。各々、不満はあれど、口を挟むつもりはないらしい。

 

 

「それからもう一点、問題がある」

 

 

 アサギが上げた問題点とは、政府からの指令だった。

 その数、何と40件。何処でどう命令が止められていたのか。馬鹿げた数の指令が、一気に流れてきたことである。

 

 幸いなことに1件1件の任務は軽い。

 ただ、全ての任務が1週間後が期限というふざけた状態であった。

 明らかに、対魔忍という組織の足を引っ張ろうとする何者かの意志が働いているかのようだ。

 

 

「虎太郎、これは……罠じゃ」

 

「ああ、かもなー」

 

「そんな気軽に、言う、こと……」

 

 

 余りにも軽い調子で応えた虎太郎を咎めようとした文月であったが、口調は尻窄みになっていく。

 

 当然である。今まで一度足りとて見たこともない、彼の満面の笑みを見れば。

 

 

(あ、これ駄目だ。もう完全に関与する気ない)

 

(ふ……勝った)

 

 

 1週間の休暇を何もしないまま勝ち取った虎太郎は、会議室で会議中だと言うのに煙草を加え、火を付け始める。

 周囲の対魔忍たちは咎めるように彼を見たが、何の効果もなかった。

 

 

(しかし、こんなにオレにとって都合の良い事ばかりが起きるものか? これは……)

 

 

 既に休暇の予定を立てつつあった虎太郎であったものの、一抹の不安を覚え、一時思考を中断する。

 

 如何にアサギとは言え、これだけの大勢の前で口にした言葉を反故にするとは思えない。

 思えないが、あの任務から何から甘えてくるアサギが、オレを遊ばせておくなどありえるか? という考えは拭えない。

 

 

(いや、そんな、まさか…………ハっ!?)

 

 

 その時、ある人物と目が合った。

 

 ――――それは、自身と同様にアサギに甘えられている水城 不知火その人である。

 

 彼女の目は、それはもう凄まじい勢いで死んでいた。正に死んだ魚のような目だ。

 その死んだ魚のような目で、気の毒そうでありながらも、獲物を狙う捕食者の執念が見て取れる。

 

 

(ま、まさか、そんな馬鹿な……!)

 

『貴方だけは、逃がさない。道連れよ。生き地獄へ、ねぇ!!』

 

(と言う事か!? バ、馬鹿なぁぁぁああぁぁぁぁぁあああっっっ!!!!)

 

 

 実際に、そんなことを不知火が考えていたかは分からない。

 彼女の性格を考えれば、むしろ巻き込まれようとしている虎太郎に対する哀れみしかないだろう。

 

 だが、既に虎太郎は被害妄想の塊となっている。彼の視点では、不知火の表情は死んだ魚の目のまま悪女そのものに表情を歪めていた。

 

 

「それから、本日付けで弐曲輪 虎太郎を下忍から中忍へと昇格する」

 

(ヤッダバァァァァアアァァアァァァ!?!?)

 

「それは……」

 

(おお、いいぞ!! そこだ! 不満を露わにしろ! オレの事嫌いなヤツ! 噛みついてやれ!)

 

「不知火、蘇我、由利、穂村、峰麻、蓮魔等からの推薦及び彼自身の功績もある。何か問題でも?」

 

「………………」

 

(どうしてそこで諦めんだよぉぉぉ!! 諦めんなよぉぉぉ!!!)

 

 

 不知火を筆頭とした数多くの推薦とあっては、虎太郎を欠片も認めていない者たちであったとしても易々とは噛みつけないようである。

 それに加えて、実力を認められたというよりも寧ろ、長年仕えた故の御義理程度にしか思われていないのだろう。それ以上、何も言及するものは居なかった。

 

 

「弐曲輪、貴様からも何かあるか?」

 

「はわ……はわわ……」

 

「何 か あ る か ?」

 

 

 アサギに凄まれ、虎太郎の目は情けないほどに泳ぎまくる。

 決してアサギを怖れているのではない。休暇がなくなること、中忍になって実働任務の難易度が上がることが、死ぬほど嫌なのである。過労死に近づくから。

 

 こうなれば、自身を中忍に推薦した者達から、推薦を取り消させるしかない。

 虎太郎は、さきほど名前の上がった者に対して必死で視線を送る。

 

 蘇我を見れば、いい笑顔で、ぐっと親指を立てて返されて、親指をへし折りたくなり。

 由利を見れば、無表情ながらも頷いており、その顎にアッパーカットを叩き込みたくなり。

 穂村を見れば、両手を合わせながらにっこりと微笑まれ、彼女の作成した書類に火を放ちたくなる衝動に駆られ。

 蓮魔を見れば、不承不承といった表情ながらも口元に浮かんだ笑みに、殺意すら抱き。

 不知火、峰麻に至っては目を合わせようとしていない。

 

 逃げ道など完全に塞がれていた。

 

 

「ふ、ふぐぅ……は、ハハ、中忍拝命、つ、謹んで御受け致しますぅ……ふぐぐぅぅぅぅーー!!」

 

(弐曲輪め。これは名誉なことだと言うのに……全く!)

 

(うっわぁ……ガチ泣きだよ、アレ。コタ君ェ……)

 

 

 彼が中忍となった瞬間、彼の表情は涙に濡れ、声は大層震えていたそうであった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

「あ、虎太兄――――の目が死んでる! ……のは何時ものことだけど、お母さんまで?!」

 

「おばさまに、一体何が……!?」

 

「不知火さんが、そんな……!」

 

「ふっ、お前等がオレをどういう評価をしているのか、よく分かるぜ」

 

 

 ミーティングルームに戻ってきた虎太郎と不知火の姿に、三人は悲鳴のような声を上げた。

 誰一人として虎太郎の心配はしていない。まーた厄介事押し付けられたんだ、と分かり切っているからだろう。

 

 会議が終了し、虎太郎と不知火は会議室に残るように言い渡された。

 そこでのアサギ、紫、さくらの三名からの話は、一週間後に控える40件に及ぶ任務についてだった。

 

 下忍を使えず、難度もそれほどではない任務と言えど数だけは多い――――が、これはチャンスでもあった。

 実戦経験の少ない学生たちを投入するにはいい機会であり、中忍上忍を投入し過ぎて五車学園をがら空きにする危険性も最小限に抑えられる。

 

 アサギたちは学生二名、中忍上忍二名からなる四人一組(フォーマンセル)で任務に当たらせようと考えていた。

 学生には実戦の空気を、中忍上忍には普段組むことのない相手との連携を高める為だ。

 

 そして、不知火と虎太郎に与えられたのは、その際の人員編成と任務の裏取りである。

 

 

「……え? えっ?! お母さんと虎太兄だけで40件!?」

 

「それは、アレだな?! 私達も手伝って構わないんだな!?」

 

「1週間で40件の裏取り、もう今日はあと10時間くらいですから、ええと、1件辺り……3時間弱?!」

 

『他の人員は使って良いのですか?』

 

「使ってもいいけど、オレのスピードについて来れる奴が一人も居ねぇし! 罠だった場合、どうにもならないので結局オレと不知火さんだけだってさ! あははははははは!!」

 

「ふふ、うふふ、ふふふふふふ」

 

「「「……っ!?」」」

 

「しかも、これから人員編成もしなきゃならんのよ! ば~~~~~~っかじゃねぇのぉ!?」

 

「「「っ?!?!」」」

 

 

 ケタケタと笑う虎太郎と、もう今にも死んでしまいそうな笑みを浮かべる不知火の姿に、さしもの三人娘も戦慄を禁じ得ない。

 

 

「…………アル、対魔忍のリストを用意してくれ。不知火さんに人員編成を任せる」

 

「そんな?! 虎太兄一人で情報の裏取りするの!? 無茶だよ!!」

 

「為せば成る為さねば成らぬ何事も! オレとアルならいける! 気がする……!」

 

「ならせめて、私達を連れて行ってくれ!」

 

「そうしたいのは山々だが、オレは半人前をオレの手の届かないところに置くつもりはない」

 

「……うぅっ」

 

「不知火さんは復帰して日が浅い。実戦にはまだ早いし、新しい対魔忍の人柄までは分からん。リストに能力は纏めてあるが、お前たちにはサポートを任せるぞ」

 

 

 オロオロとするばかりの三人に反して、虎太郎は必要な道具をバッグに詰めていく。

 これからは時間との勝負だ。己の情報収集能力とアルフレッドの情報処理能力をフルに活用すれば、何とか熟せる。

 

 書類などの仕事に関しては、虎太郎が実働任務に入れば自動的に任せられる人物へと配られるようになっている。

 普段からそうしないのは、多くの人材を使うよりも虎太郎が一人で終わらせた方が速いからである。

 

 

「あ~、つれーわー! 出来る男はつれーわー! ここが違うとつれーわー!!」

 

 

 自分の腕をバシバシと叩きながら、対魔忍装束へと着替えていく様は完全に錯乱状態であるが、彼にとっては毎度の事である。

 

 

「アル、行くゾォォォ!! オレ達の戦いは、これからだぁぁぁぁ!!」

 

「こ、こた、虎太兄、虎太兄ィィイイイィィィィイィィっっっ!!」

 

 




御館様「(錯乱)or(発狂)or(狂気)」

ゆきかぜ「こ、こた、虎太兄! 虎太兄ぃぃぃぃぃ!」

これを今後のテンプレにしていこう!
何だか最近、御館様を暴走させて、ゆきかぜにツッコませるのが楽しくてしゃーないです。

じゃけん、御館様にはズンドコ苦労してもらわなきゃ!(使命感)


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『ああ、無常。破滅の足音が近づいている。彼の苦労はここで終わってしまうのか?!(嘲笑)』

「……………………」

 

「あの、虎太郎さん? 大丈夫、ですか?」

 

「大丈夫、じゃないかもしれない」

 

「かもしれないって、運転じゃないんですから……しっかりして下さい」

 

「……かもしれない任務。懐かしいですね。上忍になった時の初任務で、そう教えられました」

 

「「え……!?」」

 

 

 アサギの無茶振りから一週間後。

 どうにかこうにか、事を成し遂げたオレは、こうして40件の内の1件に四人一組の一人として同行していた。

 流石のアサギも、これにはオレを止めたものの、オレ自身が拒否。今に至る。

 

 40件全ての任務の裏取りは取れ、結果は全て白だった。

 命令の発信元からは順調に出発したものの、複数の組織を跨ぐ以上、いくつかの関門や関所というものが、どうしようもなく存在する。

 そこで命令が止まったのである。それも40件が一斉に。

 

 何者かが意図したかのような事態であっても、こうした闇の稼業、裏の稼業には偶発的に発生することも珍しくはない。

 こればっかりは誰が悪い訳でもない。敢えて言うなら、対魔忍という組織の運が悪かった、間が悪かったと言わざるを得ない。

 

 今頃、アサギは勿論の事、その上司である山本長官もデスマーチ中だ。

 オレ一人が文句を言っても仕方がないだろう。どうしようもないことに嘆くほど、オレは愚かでもなければ、馬鹿でもない。

 

 さて、一週間も東京の隅から隅まで駆けずり回ったオレであるが、疲労困憊のまま任務に赴いたのには理由がある。

 他の件に関しても、万が一に備え、オレの本来の顔を知る者にアルフレッドの端末を渡し、逐一状況を把握できるようにした。念には念を、だ。

 

 ただ、任務の裏取りと情報の信頼性を確認する過程で、この1件だけが、どうしても全貌が掴めなかった。

 少なくとも政府内部に潜む獅子身中の虫が張り巡らせた罠、という線ではないことまでは。そこで時間切れと相成った。

 

 任務の内容は、海路を経由して日本へと不法に持ち込まれた積荷の奪取ないし破壊。

 

 これが、どうにもおかしい。

 何らかの闇の組織によって持ち込まれたのは間違いないようであるが、積み荷は今夜、東京を離れる手筈になっている。

 大抵、東京湾から日本に持ち込まれた密輸品は、東京キングダムか東京の闇へと運ばれるので、この時点で疑問が浮かぶ。

 アミダハラやトミハラ。他の廃棄都市、或いは魔界都市に持ち込まれるにしても、東京を経由する必要性は何処にもない。

 

 またノマドによる手引きも確認できなかった。

 いや、そもそもノマドであるのならば、ノマド自体が保有する海運会社が堂々と持ち込めばいいだけの話。そこいらの三流密輸業者を使う必要性は何処にもない。

 

 オレの読みでは、海外で幅を利かせている組織によるものだ。

 日本進出を狙っているのか、日本に目的とする何かや誰かがいるのか。兎も角、こっちにしてみればいい迷惑でしかない。

 

 そう言う訳で、万が一に備え、最大の不安要素にはオレ自身が当たることにした。ここで休んで、後で馬鹿を見るなど馬鹿馬鹿しいにも程がある。

 一週間寝ていないが、まだ限界は先だ。アミダハラで体験した地獄に比べれば、余力は十分に残した状態だった。

 

 

「さて、他に何か質問は……?」

 

「はい、弐曲輪先生。よろしいでしょうか……?」

 

「前園、どうした?」

 

「この任務、どうして私が選ばれたのでしょう。正直、こういった任務は、私向きではないと思うのですけど……」

 

 

 礼儀正しく手を上げたのは、前園 桃子。五車学園の2年。風紀委員を務めている少女である。

 童顔低身長なのだが、女として出る所が思い切り出ている体型――トランジスタグラマーとか言うんだっけ?――だ。

 オドオドとした性格で、幸いにしてオレの事を馬鹿にしていない数少ない生徒の一人でもある。まあ、好かれてもいないし、頼られてもいないのだが。

 

 他のメンバーは氷室 花蓮、由利 翡翠の二名である。

 

 

「ああ、単純だ」

 

「どういうことです?」

 

「余り物だから。チーム余り物。福がありそうだろ?」

 

「………………」

 

 

 事実である。

 正直、氷室にせよ、由利にせよ、前園にせよ、能力的にも性能的にも上はいる。

 ただ、どっかの爆殺魔(神村)とか、撲殺魔(佐久)と違って、裏方仕事の重要性と難しさをよくよく理解しているのは着目すべきだ。

 

 この三名をオレにつけてくれたのは、不知火。

 最後の最後まで粘り、オレの指示を聞くメンバーを揃えてくれた。今は家で眠りこけているであろうが、感謝しか浮かんでこない。

 

 プランは既に出来ている。氷室と前園を寄越してくれたのは偶然にしてもありがたい。この二人の忍法なら労せず事が済むだろう。

 

 

「任務を開始する。俺は(こう)、氷室は(おつ)、由利は(へい)、前園は(てい)。任務中に名前は呼ぶなよ。では、手筈通りに二手に分かれるぞ」

 

 

 今回はアルの手助けはない。そもそも端末は全て他の連中に渡してしまった。あの端末は特別性で数はそれほど多くない。

 アルの機能を最大限発揮するために馬鹿げた改造と金、米連から奪ってやった技術が込められているからだ。

 

 性能的に、オレしかアルの手助けなしに不測の事態に対応できる奴がいないので、仕方がない。

 まあ、あんな便利なヤツが傍にいて、まるで信用せず、裏切られた際の対策、その後どうするのかを考えている奴などオレくらいのものだろう。

 大抵は便利なモノに頼り切って馬鹿を見るもんである。オレはそんなのゴメンだ。

 

 今回の役割としては、氷室がメイン、前園がサブ。

 由利は護衛として前園に着き、オレは指令、参謀、氷室の護衛を務める。オレの比重がやたらと重いが、他に任せるよりはマシな上、三人からも了承を得ていた。

 

 さぁて、欲しくもない面倒が起きんことを祈って、一仕事さっくり終わらせるとしましょうか。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「こちら、甲。予定通り、配置についた。其方はどうだ?」

 

『こちら、丙。情報通り、目標の大型トラックによる輸送を確認。これから先回りして、丁と合流します』

 

「了解。丁、其方も配置についているな?」

 

『え? あ、あぁ、私、ですね! は、はいぃ、ついています!』

 

「……これからは、暗号名を頭につけろ。くれぐれも自分やオレ達の名前を口にするなよ」

 

『へ? ……あっ!? す、すみません、に――――むぐぅっ! えっと、甲……さん?』

 

「さん付けでも何でもいいぞ、名前さえ呼ばなけりゃな」

 

 

 念入りに、本名だけは呼ぶなと言いつけ、通信を切る。

 そこで氷室と目が合った。猛烈に不安そうな顔だ。

 

 まあ、無理もない。

 前園は実戦経験も少なく、どちらかと言えば気弱かつ冷静とは言い難い。能力にも一年前に目覚めたばかり。

 任務の数を熟し、様々な経験を積めば、落ち着きを手にしてくるのだろうが、まだまだ先の話だろう。

 

 対し、同じ学生の身分でありながら、氷室は冷静だった。

 僅かばかりの緊張は見受けられるが、これから任務に当たるには、ちょうどいい塩梅だ。

 両親は共に対魔忍。能力にも早く目覚めた氷室は、使命感も人一倍強い。だが、猪突猛進なだけでもないのは評価できる。出来るだけ長生きしてほしいものだ。

 

 

「それで、本当に手筈通りにいくんですか?」

 

「さあな。世の中、何事も思い通りにいくわけじゃない。その辺りも織り込んで任務に当たれ。もし、これが失敗したらどうする?」

 

「どうする、と言われても、追いかけるしか……」

 

「その通り。失敗しました、だけで通るほど世の中甘くない。だから、準備は念入りかつ入念に。これ以上ないほどしておくのが望ましい」

 

 

 そう言って、懐から端末を取り出した。

 端末の画面には、街の地図と目標を示す赤い点がゆっくりと移動していた。

 

 裏取りをする際に、港に下ろされた目標のコンテナに発信装置を取り付けておいた。

 そのまま中身を奪ってしまおうかとも思ったが、人目が多過ぎた上に、目標が何なのかも分からなかった為、四人一組(フォーマンセル)で当たることにした。

 

 運送会社は裏の世界にどっぷりと漬かった闇の組織の一端である。

 しかし、昼日中の港は光も闇も関係なく、多くの人間が居た。流石のオレも、一般人は巻き込めない。巻き込めば、自分から未来を閉ざすようなものだ。

 なので発信器の取り付け、輸送先と輸送の時間帯だけを入手して、さっさとおさらばしたのである。

 

 

「随分、杜撰な作戦だと思いましたけど、下準備はしっかりとしてるんですね」

 

「作戦はな、下準備は整えるだけ整えて、内容に関しては余り詰めない方がいい。詰め過ぎるとたった一つの小さな失敗で取り返しがつかなくなるからな。高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対応を、って奴だ」

 

「それは、行き当たりばったりと言うんじゃないですか?」

 

「未熟未熟。そうならないための下準備だ。いいか氷室、戦いにせよ、任務にせよ、だ。そういうのは、其処までにどれだけ準備をしたかが全てなんだよ。こうきたらああ動くを決めておくなんぞ下策も下策。相手がこっちの思い通りに動くわけないしな。だから常に最善手を選べるようにしておくのさ。準備さえしときゃ、最善は勝手に見えてくるもんだ」

 

「はあ、この人、どうして普段からこうしないのかしら……」

 

 

 ボソリと聞こえてきた氷室の不満げな声は無視する。

 決まってる。力を入れる所と手を抜く所でバランスを取らないと死ぬからである。過労死なんぞ…………まあ、別にいいが。人間、死ぬときゃ死ぬ。

 

 目標のコンテナは大型トラックの荷台に乗せられ、名古屋方面に向かって移動すると運送会社に忍び込んだ際に入手済み。

 普通に考えれば、首都高に乗って東名高速を南下していくだろう。だが、高速で事を起こすのは面倒だ。

 こちとら金もねぇ! 装備もねぇ! おまけに政府の監視も厳しくねぇ!? 状態なので、高速道路で事を起こすにはリスクが高すぎる。

 

 そこで前園を使う。

 前園の忍法は潜在誘導。魔界の催眠や洗脳には劣るが、ある程度、意識を誘導することができるのだ。

 

 なので、その能力でトラックの運転手の意識を誘導してやればいい。海でも見ながら走りたいな、と。そこさえ成功すればコースインだ。

 

 で、結果は、と言うと――――

 

 

『こ、こちら丁。予定通りに誘導しました!』

 

「こちら、甲。了解した。丙とごうりゅ――――」

 

『通信中に割り込み、失礼します。こちら、丙です』

 

「どうした?」

 

『トラックから離れていますが、後を追う不審車両を発見。数は四台。搭乗者の数は不明ですが、最低でも10人はいるようです』

 

 

 …………これをどう読むべきか。

 

 一番高い可能性としては、トラック自体にもGPS等の装置が付いており、予定のルートから外れた故、運送会社あるいはコンテナの持ち主が後を追っている、といったところか。

 次に高そうなのは、コンテナの持ち主と敵対する組織が情報を手に入れ、追跡してコンテナを奪取しようとしている、か。

 他にも考え得る可能性はあるが、どのような可能性にせよ、オレ達の任務にとっては歓迎し難い。かち合えば、確実に戦闘へ発展するだろう。

 

 

「丙、そのまま車両を追い続けられるか?」

 

『少々離されるでしょうが、建物を乗り越えれば十分に』

 

「よし。丁、お前は物陰に隠れて待機。丙も追跡しつつ、丁と合流。合流次第、再度連絡を」

 

『『――――了解』』

 

 

 そこで、ぶつりと通信が切れる。

 氷室は予定外の存在に、どうするのかとオレの判断を待っていたが、答えない。続行か、撤退かはこれから決める。

 

 手首を抑え、脈を数えた。

 オレの鼓動は、平時で一分間に凡そ50回ほど。そこから経過した時間を逆算する。

 端末には電波時計が付いているが、壊れないとも限らない。故に、二つの手段で時間を測定する。

 

 

『こちら、丙。丁と合流しました』

 

「――547回、か。十分だな」

 

『……? それは、どういう……?』

 

「気にするな。其方は手筈通り、セーフハウスに向かっていい。此方も手筈通りに任務を遂行する」

 

『…………お気をつけて。緊急時は連絡を』

 

「了解だ、通信終了」

 

 

 前園、由利の二人が合流にかかった時間から、不審車両の速度を。

 そこにトラックの速度と、オレ達が待ち伏せている場所までの距離を加え、時間の猶予を。

 

 氷室の御守りをしながら、戦力がどの程度か分からない敵と戦闘するつもりはない。

 ないとは思うが、不審車両の中に思いもよらぬ強敵が乗っていないとは言い切れない。

 あくまでも此方の目的は、荷物の奪取か破壊だ。無駄な戦闘まではしない方が得策。

 

 対魔忍は、あくまでも闇の勢力に対抗するための組織、暴力装置だ。

 属する人間が正義や誇りを胸に抱こうが、在り様が変わる訳じゃない。

 故に、闇の住人から恐れを抱かれるのも決して無駄ではないのだが、もう十二分に脅威として認識されている。わざわざオレ達が頑張る必要もない。

 

 ――――寧ろ、脅威と認識され()()()のも問題だ。

 

 対魔忍は三竦みの中で戦力的には互角であるものの、人員数は最も少ない。

 魔族同士が結託すれば、米連という国そのものが戦争でもふっかけてくれば、数の暴力で押し潰されるのは目に見えている。

 

 相手に全力を出させず、秘密裏に事を収めるのが理想的。

 その辺りを分かっていない対魔忍が多すぎるので、オレとしては頭の痛い問題だ。

 米連もそうなのだが、自分一人でどうにか出来ると考えている奴等が多すぎるのである。どいつもこいつも猪武者か。

 

 

「…………ふぅ」

 

「驚きました。弐曲輪先生も、専用装束があったんですね?」

 

「あぁ? 中忍に昇格したんでね。専用のもくれた」

 

「おめでとうございます。少しはやる気を出したんですね」

 

「はいはい、どうも」

 

 

 天使のような笑みを浮かべて祝辞を述べる氷室であったが、何も分かっていないので首をへし折りたくなる。

 おめでとうございます、だと? 冗談じゃない。何処が御目出度いものか。更なる地獄の下層に叩き込まれたようなものだ。

 だが、氷室に怒鳴った所で何の意味もない。誰も彼もが頑張ってる。少なくともオレの事情を知る者は皆そうだ。なので、迸りそうになった激情を抑えた。

 

 因みに、今回の装束は数あるストックの一つに過ぎない。

 黒いハイネックのノースリーブシャツと同色のズボン。鼠色の防弾ベストと同色の手甲。背中には忍者刀、足にはクナイ用のホルスター、顔には隈取りの入った獣の白面。

 ぱっと見は下忍の装束を改造したようにしか見えないが――――事実として、下忍のものを改造しただけである。

 

 というよりも、オレの装束は、大抵が魔族や米連から奪った装備を改造した自作だ。

 

 対魔忍装束もあるにはあるが、正直、使い辛さが半端じゃない。それもこれも、装備課の内源 賀平のクソ爺が悪い。

 あの半腐乱死体は、女の装束を作る時は馬鹿みたいな時間と金をかける癖に、男の装束となるとやる気を失くす。

 色気がどうだの、これは彼女達のためにどうだの、と言っちゃいるが、どう見ても趣味だ。それぞれの特性や能力にあったと謳っちゃいるが、事実はどうだか。女の対魔忍が犯されるのは、あの爺のせいじゃないのかな?

 

 そんな訳で、糞みたいな装束を、男どもは改造して使っているわけだ。装備課にも癌がいる。対魔忍の明日はどっちだ。

 

 

「そろそろ、だな。移動するぞ」

 

「――――はい」

 

 

 待機していた森の中から移動する。

 オレと氷室が居たのは、太平洋に面した古い県道。反対側はすぐに切り立った崖があり、その上には深い森と小さな山々が広がっている。

 山をぶち抜く別の国道、高速道路が出来てからは、滅多に使われなくなった道路ではあるが、道幅はやたらと広い。元々、東京へと繋ぐ流通ルートを想定していたからだろう。

 

 オレ達は道路に降り立つと、海側を覗き込む。

 此方も海面までは遠く、長年、波と潮風に晒された大地は崖となっていた。その一部に待機できる足場があるのは調べてあった。今度は、其処に降り立つ。

 

 後は待機するだけだ。

 遥か彼方。波で揺れる漁船か貨物船の光を眺め、時を待つ。

 

 

「……来ました」

 

「そのようだ」

 

 

 東京方面へと続いている道から、眩い光が見えた。

 端末からの反応も確認済み。言うまでもなく、例の大型トラックだ。

 

 速度はゆったりと、前園の暗示通り、海を見ながら運転をしているのだろう。最も、運転手にこの暗闇に閉ざされた海が見通せているかは謎だが。

 

 

「じゃあ、よろしく」

 

「はい――――氷花立景!」

 

 

 オレの言葉に、氷室は印を結ぶと崖に向かって両手を伸ばした。

 すると、見る見る内に崖の一部とオレ達の立っている足場が凍りつき、気温が急激に下がっていく。

 

 氷遁・氷花立景。

 

 水遁の派生、氷遁に属する異能系忍法だ。

 自身の周囲10メートルほどを凍り付かせる忍法だ。

 しかし、その真髄は氷に触れた瞬間から現れる。氷に絡め取られた生命体は力を奪われ、氷室の力へと変換される。正に、氷で出来た食虫植物だ。

 

 攻撃は勿論の事、拘束から不意打ち、幻惑、回復まで兼ねた万能忍法だ。

 その分、攻撃力と拘束力は並み、不意討ち・幻惑は術者の力量次第、回復は相手の生命力による、と器用貧乏になりかねない。その辺りは氷室も重々承知しているので、何の問題にもならないが。

 

 

 ――さて、ここで問題です。

 

 

 周囲は切り立った崖に、大きなカーブが続く県道。

 走るのは専用の免許が必要なほど、運転が難しい大型トラック。

 運転手は見えもしない海を眺めながらの注意散漫な脇見運転。

 

 そんな状態で、地面が凍りついたらどうなるでしょーうか?

 

 

「……なんっ!? うわぁぁぁぁぁあああぁぁあぁぁああっ!!」

 

 

 こうなる。

 

 凍った地面の上を走り、コントロールを失ったトラックは、ショボいガードレールを突き破って崖下へと落下していった。

 落下の最中に運転手の断末魔の絶叫が聞こえたが、崖下の僅かな岩場にトラックが叩き付けられる轟音に掻き消されてしまった。南無。

 まあ、同情には値しない。単なる運転手とは言え、闇の組織の一員だ。全部、自業自得自業自得。この程度の事態を想定できないから、闇の稼業になんぞ手を染めるのだ。

 

 

「じゃあ、行くか」

 

(弐曲輪先生。人を殺しておいて、眉一つ動かさないなんて……)

 

「何だ、その目は」

 

 

 ジト目で睨みつけてくる氷室を無視して、崖を足場に下へと降りていく。

 

 岩場に叩き付けられたトラックはあちこちが変形して、元の形を留めていなかった。

 運転者は落下の衝撃で車外に放り出されていたが、完璧に死んでいた。手足から首からおかしな方向に曲がり、全身は潰れた肉のような有り様だ。

 

 少々乱暴な手段であるが、単なる事故に見せかけられる。これはこれでスマートなやり方だろう。

 コンテナの中身如何によっては大惨事確定であるが、中身が大量破壊兵器や毒ガス、細菌などのバイオ兵器でもなければ在り得ない。

 そんなものをこんなしょっぱいコンテナや警備で輸送する筈もない。一つ間違えば、コンテナの持ち主や組織が壊滅しかねないからだ。

 闇の住人(奴等)も其処まで馬鹿ではない。寧ろ、そういった自分の命を守るセーフティには余計に気を使う。他人を陥れるだけ陥れて、自分は甘い汁を啜りたい連中だから。

 

 

「でも、良かったんですか? これじゃあ、コンテナの中身は……」

 

「あのな、氷室。コンテナの中身が無事だとしてだ。その中身は、その後どうなると思う?」

 

「それは……持ち帰って、アサギ校長が見分した後に、山本長官に引き渡されるんじゃ……?」

 

「その通り。無用なものなら廃棄。有用なものなら研究して活用される。つまり、政府が手に入れて管理する訳だ。山本長官の手元に残り続けるわけじゃない」

 

「それが、何か……?」

 

「廃棄にしろ、活用にしろ。どっかで誰かに盗まれる可能性が高いってこと。ここで中身を見て、オレ達の判断で捨てちまった方が対魔忍(オレ達)のためって訳だ」

 

 

 今、政府内部は欲望塗れのクソ共で溢れ返っている。そんな巣窟に余計な餌を入れてやるつもりは毛頭ない。

 山本長官は有能ではあるが、やはりどうしても限界がある。より強い権力の前には無力であり、敵味方の把握も難しい状態だ。

 

 ここで処分して、中身が何だったかをアサギと山本長官にだけ伝える。

 政府への報告は、適当にはぐらかせばいい。任務の内容は、積荷の奪取か破壊な訳だから、何の問題もなく政府も追及は出来ない。

 

 真面目な氷室はやや独断気味の判断に不満げであったが、間違いではないと思っているのか、言葉にはしなかった。

 

 後は中身の見分をして、情報を奪えるだけ奪う。情報を奪った事実は伝えるが、中身までは山本長官に伝えない。アサギまでに留める。

 うーん。正にwin-win。山本長官は日本と国民の安全を守れればいいし、アサギは対魔忍の安全を得られる。政府の皆さんは蚊帳の外である。

 

 コンテナを扉を爆弾で吹っ飛ばし、コンテナの中に入る。ライトで照らされた中身を見て、氷室は息を飲んだ。

 

 

「これは…………」

 

「死体だな。多分、人間の」

 

「な、何を悠長に……!」

 

 

 端的に事実だけを述べると、蒼褪めた表情で氷室が激昂した。

 状況だけ見れば、人身売買によって売られたか買われた人間が落下の衝撃で死亡したようにしか見えない。

 対魔忍としてあってはならない現実だ。何の罪もない一般人を殺してしまうなど、最悪以外の何物でもない。

 

 ――落下の衝撃で死んだのが、事実であれば、な。 

 

 何かを言おうとした氷室を片手で制し、黙らせる。今は集中したい。

 まず間違いなく、五つの死体は単純な人身売買の商品ではないことは明らかだった。

 

 コンテナの内部は奇妙な液体で濡れ、死体と同じ数のカプセルが割れており、様々な機械――恐らくは生命維持装置だ――が落下の衝撃で壊れていた。

 死体に統一性はなかった。人種、年齢、性別もバラバラ。落下の衝撃で死んだと言うよりは、元から死んでいたか、カプセルが割れたことによって死亡したのだろう。

 

 状況から察するに、何らかの実験体であるのは間違いないが、奇妙な点がいくつか。

 魔族に属する組織のものならば、機材が些か人界の技術に寄り過ぎている。米連に属する組織のものならば、機材が些か古臭すぎる。

 それに何らかの手術が施されたような手術痕、投薬の後すら見受けられないのも異常だ。突然死した死体を保存していたようにしか見えない。

 

 死体には触れず、機材を調べていく。

 その中に何とか生き残っているタブレット端末を発見した。何らかの情報が残っていればいいが……。

 

 端末を起動させ、中に残された情報を探る。

 だが、生憎と念入りに暗号化されたデータは中々情報を明け渡さない。

 アルがいない場合に備えて、こうした情報処理の技術も学んでいるのだが、まだまだだ。今後の課題だな。

 

 分かったのは、五つの死体には寄生蟲が埋め込まれている点。

 寄生蟲は奴隷を調教する為に使われる。大昔に魔界から持ち込まれた生物だ。

 この寄生蟲に寄生された宿主は、性的な興奮を覚え、行動も制限される。度重なる品種改良によって、特定人物の命令に従い、宿主を意のままに操るという。

 

 かなり古い技術であり、特定の種族しか使わない。

 廃れているというよりも、余り広まらなかったというべきだろう。

 答えは単純。この寄生蟲の生命力が極めて貧弱だからだ。効果は同じでも、魔界医療による改造か、呪術による洗脳・拘束の方がいい。より長く続き、奴隷の反抗を確実に防ぐことが出来るからだ。

 

 ならば――――

 

 

「おい、氷室。死体から離れろ」

 

「け、けど……、せめて、弔いを」

 

「いいから離れろ。ソイツ等、動くぞ」

 

「……え?」

 

 

 痛ましげに、まだ10にもなっていない少女の死体の前で片膝を折り、開いたままの瞼を閉じさせていた氷室は、何を言っているか分からないという表情でオレを見る。

 

 無論、在り得ない。

 心臓が停止し、酸素の供給が無くなった脳の細胞は死滅しているだろう。ここからの蘇生など在り得ない――――人間のままならば。

 

 

「――――――」

 

 

 突然、死んでいた筈の少女が瞼を開き、立ち上がった。

 想定しようのない出来事に、氷室は対応できない。混乱に言葉もなく、茫然と見ていることしか出来ない。

 

 立ち上がった少女は暗闇の中で瞳を爛々と輝かせ、異常に成長した乱杭歯を見せつけるように口を開く。

 そのまま氷室の首に噛みつき、生き血を啜るつもりだろう。奴等は、既にそういう生き物に成っている。

 

 氷室も咄嗟に専用の長剣を抜き放とうとしたものの、いくら何でも遅すぎる。少女が首筋に噛みつく方が速いだろう

 

 ――もっとも、オレがいなければ、だが。

 

 

「――――ふっ!」

 

 

 鋭い呼気と共に背中の忍者刀を、身体を旋回させながら抜き放つ。変則の居合い、完全なオリジナルだ。

 本来、居合いとは座った状態から、腰の動きで鞘から抜き放って相手を断つ技である。

 これが実戦的なのかという議論は昔から絶えないが、少なくともこれは実戦の中でオレ自身が生み出したもの、威力も効果も十二分。

 

 完全に氷室だけを見ていた少女は、真正面から突如として現れた刃に対応できず、素首が刎ね跳んだ。

 首無し死体は血を噴出することもなく、襲い掛かった勢いで氷室に脚を引っかけ、外へと転がり、完全に動かなくなる。

 

 

「きゅ、吸血鬼……!?」

 

「正確には食屍鬼(グール)だ。成り損ないとは言え、油断するな。首か、心臓を狙え。もしくは四肢を斬り落として無力化しろ」

 

 

 吸血鬼に食屍鬼。

 世界で最も有名な化け物と、その成り損ないだ。

 

 あのエドウィン・ブラックを始祖とする血族の総称、それが吸血鬼だ。

 人間の数倍から十数倍の身体能力と感覚器官。身体を霧へと変成し、武器を生み出す特殊能力。

 極めて高い生命力。下位の者ですら欠損以外の傷は瞬く間に修復し、上位の者となれば、首を跳ね飛ばされても平気な顔をしている。

 そして、吸血によって仲間を増やしていくウイルスのような増殖能力。

 

 何処を切っても人間とは比べ物にならない化け物である。これが魔界では()()()()()だと言うのだから恐ろしい。

 

 そして、食屍鬼は何らかの理由によって、血族へと迎え入れられなかった哀れな犠牲者の総称だ。

 未だに人から吸血鬼となる条件は明らかになっていない。血を吸った吸血鬼の血を分け与えられるとか、そもそも遺伝子の中に吸血鬼となる為に必要な要素があるだとか、説は様々だ。

 分かっているのは、吸血鬼に成り損なうと食欲に支配されただけの死体になることだけ。そのプロセスに興味はない。それらは桐生や研究者の領分だ。

 重要なのは、吸血鬼に劣るものの身体能力が高く、何処までも動き続ける故に四肢を斬り落とさねば止められないこと。殺すには、首を刎ねるか、心臓を貫く必要があるということだけ。

 

 

「まあ、殺すのには訳ないって話だがな」

 

「はぁ……はぁ……はぁ…………、貴方が、こんなに強い、なんて、聞いてません」

 

「言ってないし、大した話じゃないだろう? 由利の方が(オレが手を抜いてる時は)強いよ」

 

 

 肩で息をしている氷室を眺めながら、此方は肩を竦める。

 

 氷室が敵を一体殺している間に、オレはさっくりと二体の首を刎ね、一体は心臓を貫いた。お陰様で、顔に僅かな血反吐を()()()()()()()ので、むっすりと拭う。

 どれだけ身体能力が高かろうが、思考能力がなけりゃ単なる人形だ。ただこっちに突っ込んできて噛みつこうとする奴等なんぞ、首を刎ねるのは容易い。

 

 対して氷室は戦闘中に驚愕から立ち直ることが出来ず、苦戦を強いられた。

 這う這うの体で忍法を発動させると手足を拘束し、ようやく首を刎ねることが出来たわけである。

 

 オレの方は単に経験が上だっただけ。冷静さを失った奴から死んでいくと知っていただけだ。

 将来的には、良い対魔忍になるだろう。その姿をオレが見られるかは分からず、それほど興味がある訳でもないが。

 

 

「そ、それよりも、早く撤退を……!」

 

「いや、もう遅いな」

 

 

 ようやく息が整ってきた氷室であったが、オレの言葉に再び愕然とした。

 仕方なしに予備の仮面を投げてやると、慌てながらも顔を仮面で覆い隠す。うーん、般若の面なのでとってもシュール。

 

 その時、オレ達を囲むように、無数の影が崖の上から降り立ってくる。

 波の音と潮風の匂いに紛れて現れたのは15人もの闇の眷属達。今度は、食屍鬼などではない吸血鬼だった。

 

 魔族(化け物)特有の人間に対する侮蔑の視線とニヤついた表情。見るからに小物だが、統率は取れているようなので油断は出来ない。そもそも化け物を前にして油断するほど、オレも馬鹿ではない。

 

 氷室は背中合わせになり、片刃の長剣を正眼に構える。この状況で戦うつもりなのか、お前は。

 

 間違いなくトラックを追跡していた不審車両に乗っていた連中だろう。

 皆、服装はバラバラであったものの、一様に現代風の――何処に潜んでもおかしくない格好をしていた。

 

 

「ふん、何かと思えば、この国のタイマニンとかいう連中か」

 

 

 更に、闇の中から一人の男が現れた。

 顔立ちは決して悪くないが、欲望で歪んだ笑みが全てを台無しにしていた。

 立ち居振る舞いは上辺だけの気品で溢れており、身を包む貴族風の衣装から外套まで不釣り合いな印象を受ける。

 

 その姿を見て――

 

 

(誰だよ、コイツ。…………ふむふむ)

 

(えっと……? 見た事ない、わよね? 吸血鬼ならノマドの傘下だから知らない筈ないのだけど)

 

 

 ――オレ達は二人揃って首を傾げそうだった。

 

 大物ぶって現れてはいるが、ブラックを知ってる身としては完全に小物である。いやぁ、ブラックはブラックで強いことが厄介なだけなんだよなぁ。

 まあ、顔も名前も知られていないのは厄介ではあるのだが――オレのように正体を隠していない時点で、オレほどの用心深さはないようだ。

 

 とは言え、奴のお陰で散逸していた点が線で繋がった。コイツは()()()()()()だ。

 

 吸血鬼の起源は、御存じの通りエドウィン・ブラックである。

 誰かとの間に子供でも作ったのか、あるいは吸血を行い血族としたのかは知らないが、兎に角、吸血鬼は全て奴が元である。

 

 しかし、不死の王と謳われるブラックだが、正直、王の器じゃない。

 魔界という弱肉強食の理が横行している世界だからこそ王を名乗れちゃいるが、王としての手腕も器もダメダメだ。そもそも、魔界にある自分の領土を部下にぶん投げて人界で遊び惚けている時点で、ちょっとぉ……。

 オレはとてもじゃないがそんな王の下で生活するなんて真っ平である。だって、自分が死なないからって、しっちゃかめっちゃかのやりたい放題じゃないですかー、やだー!

 

 そんな訳で放蕩三昧の暴君(バカ殿)を討とうとした血族が居たようだ。なお、結果は惨敗した模様。腐っても始祖は始祖らしい。

 で、負けた血族は人界へと逃げ延びた。大陸の西――ヨーロッパ付近に居を構え、秘密裏に国を作ったそうだ。国の名はヴラドだったか。

 

 血族は幾度も幾度も人間と衝突を繰り返しながらも、やがては尊敬に値する好敵手、或いは対等の友人として認め、百年ほど前に人間と協定を結んだ。

 

 協定の内容は要約すれば、吸血鬼は人間の血を吸わず、人間も吸血鬼の血を飲まない、というものだ。

 吸血鬼の血液は人間に投与すると極めて強力な催淫効果を引き起こし、若干の若返りの効果がある。

 但し、極めて中毒性と副作用が強く、投与を止めると立ちどころに凶悪な禁断症状に陥り、老化が加速する。

 

 ある時代では、吸血鬼は人間の血を求めて喰い荒らして回り、人間は不老不死という欲望の下に吸血鬼を狩り続けることもあったようだ。

 

 そういった不毛の殺し合いの果てに協定が結ばれたようではあるが、何処の世界でもルールを破りたがる連中はいる。人間でも、吸血鬼でも変わらない。

 

 人間側では矢崎を筆頭とした連中。吸血鬼側での筆頭は、この男になるのだろう。

 男の服装からも吸血鬼の中でも相当に名のある一族なのだろう。権力者って奴は、どうしてこうルールを破りたがるのか。本来なら、率先してルールを守らなければいけない立場なんだがなぁ。

 日本(ウチ)で最も尊い、象徴の一族を見習ってほしい。正直、オレのような外道であっても尊敬するほど、滅私奉公して国に尽くしてるんだがね。

 

 

「それで、タイマニンは魔を滅するために、どのような恥辱にも耐えるらしいが、どうするのだ?」

 

「――――この数では、些か分が悪い。素直に降参するよ。おい、武器を捨てろ」

 

「…………分かりました」

 

 

 怒りを堪えるように、これから自分の身に降り注ぐであろう想像を降り払うように、氷室は剣を地面に突き立て、オレの隣に並ぶ。オレも合わせて、忍者刀を投げ捨てる。

 

 気丈に振る舞ってはいるが、強がりなのは見え見えである。

 周囲の吸血鬼も気付いている。無論、首魁らしき男もだ。これから行われる凌辱を想像しているのだろう。気の速い事だ。

 

 

「ああ、一つ頼みがあるんだが、いいか?」

 

「ク、貴様らのような劣等種の頼みを聞くとでも思っているのか?」

 

「そう言うなよ。隣のコイツは犯される。オレはこれから殺される。最後に一本吸わせてくれ」

 

 

 指で輪っかを造り、その中で人差し指を出し入れする下品なジェスチャーを見せる。その後に氷室の肩にポンと手を置いた。

 驚愕からオレに視線を向けたが、仮面の下で氷室は信じられないといった表情をしていることだろう。

 オレは一切気にせず、指を一本立てて、今度は逆の手で煙草を吸う仕草を見せた。そこで氷室は息を飲む。こっちの意図に気付いてくれていればいいが。

 

 滑稽な仕草と科白を強がりと受け取ったのか、周囲の連中は腹を抱えて笑い出し、首魁ですらもクスリと笑みを漏らす。まあ、声を震わせる演技をしたので当然だろう。

 

 

「ああ、その程度ならば構わんぞ。最後の一服だ。存分に味わうがいい」

 

「そんじゃ、ま、遠慮なく」

 

「但し、貴様では一生涯味わえんだろう、極上の一本だがな」

 

 

 オレが懐から仕事終わりの為に用意していた安物の煙草とライターを取り出そうとすると、男は想定外の言葉を口にした。

 …………わぁお。コイツ、結構用心深いじゃないの。何処ぞの鉤爪女辺りだったら、煙玉を不意討ちで炸裂させて逃げられていただろうに。

 

 男は油断なくオレに近づいてくると、煙草を取り出そうしていた懐に手を突っ込み、煙草とライターを取り出した。

 その現実に男は一瞬、間抜けな表情を見せたが、より一層笑みを深める。どうやら、そこに切り札を隠し持っていると想定していたようだ。

 肩透かしとオレの底なしの馬鹿さ加減に気分良さげ。本当にコイツラ、人生楽しそうで羨ましい。

 

 そして、今度は男が自分の懐に手を突っ込む番だった。取り出したのは葉巻である。コノヤロウ、金持ちだな、おい。

 

 

「人間共も時折、良い物を作る。これはキューバの最高級品だ。貴様の安っぽい下賤な舌に合うかは知らんが、ゆっくりと味わえ」

 

「…………どうも。というか葉巻の吸い方を知らんのだが」

 

「肺で呼吸をするようにではなく、ストローで吸い上げるようにしろ。葉巻の煙は重く濃い。口の中で転がせ、ゆっくりとな」

 

 

 ふむ。親切にも葉巻の吸い方まで教えてくれた。どうやら、オレの企みを潰せて気分がいいらしい。

 

 オレは仮面をずらし、葉巻の閉じ口を噛み切り、吸い口を作って口に加えると、男がマッチで火を付けてくれた。ヤダ、この吸血鬼、上っ面だけ超紳士……。

 手にした感じと匂いから毒の類は仕込まれていないようなので、思う存分に味わうことにした。刻印も本物だし、多分コレ、一本数万円とかする奴だ。

 

 男に説明を受けた通り、ゆっくりと葉巻の味を楽しむ。

 

 

「どうだ?」

 

「悪くはないが、そっちの方が好みだな」

 

「それは済まないことをしたが、お前等はシノビとかいう者なのだろう? 不用意な真似は出来んのでな」

 

 

 オレが素直な感想を述べると、男は海に向かってオレの煙草とライターを投げ捨ててしまった。

 

 それを眺めて、オレは一言――――

 

 

「あーあ、やっちゃった」

 

「……? な――――――――――何だと!?」

 

 

 ――――次の瞬間、海面に投げ入れられた煙草が爆発音と共に周囲一帯に煙幕を張った。

 

 突然の出来事に混乱する吸血鬼共を余所に、オレと氷室は煙幕を抜けて崖の上へと昇っていく。

 ジャスチャーの時、人差し指を立てたのは、事が起きたら上へ逃げろ、という合図だった。

 

 首魁は確かに用心深くはあったが、所詮はオレ以下でしかなかったようだ。

 海の近くでの任務だったので、水に反応する特殊な薬剤から作った煙玉も用意しておいた。

 因みに、ライターの方には衝撃で煙幕を張るタイプの仕掛けを施してあった。地面に叩き付けられて踏み躙られても結果は同じ。

 

 どちらにせよ、あの男がオレに嵌められるのは確定事項だったのである。

 

 

「――グラム様ッ!」

 

「オノレェェッ!! 逃がすものかっ!」

 

 

 崖下から聞こえてくる怨嗟の声と共に、煙幕を突き破って複数の短剣が飛来する。恐らくは吸血鬼の能力で作り出したものだろう。

 オレはこの程度の想定外、慣れ切ったものなので十分に避けられるのだが、こんな事態は初めてだろう氷室に余裕はなかった。その証明に得物である長剣すら忘れていたのか、完全に徒手空拳だ。

 

 崖を駆け上っていたオレは僅かな足場を頼りに軌道を変え、氷室の後頭部に迫っていた短剣の軌道に左手を差し込んだ。

 

 肉を貫き、骨を断つ音に、ようやく後方を振り返った氷室は愕然とした表情でオレを見た。そんなに驚くことでもあるまいに。

 嫌々だが教師として、嫌々だが護衛としての役割を全うしただけ。

 

 

「――――せ、先生っ!」

 

「間抜け。情報を漏らすな。何があってもだ」

 

 

 崖を登り、国道に下りると氷室はオレへと駆け寄ってきたが、オレは冷たく言い放つ。

 聞かれてはいないだろうし、聞かれたところで特定は難しいだろうが、情報は情報だ。いくら優秀と言えど、この辺りが未熟なのが学生対魔忍である。もっとも対魔忍の大半がこうなのも頭が痛いが。

 

 氷室を気にせず、短剣が掌を貫通した状態のまま、発信器の端末を取り出し、即座に装置の機能を起動させる。

 

 その瞬間、凄まじい爆発音と爆風、爆炎が崖下から吹き上がった。

 元々、発信器には証拠隠滅、万が一に備えて破壊だけは行えるように爆弾も仕込んでおいたのだ。まさか、こんな使い方をするとはオレも想定していなかったが。

 これじゃあ神村と変わらない爆殺魔っぷりだが、オレの方が効果的なので正確には爆弾魔だろう。……この団栗(ドングリ)の背比べ感よ。

 

 氷室は唖然とした表情で崖に目を向けたが、悠長な態度に頭を(はた)いてやる。

 既に突き刺さった短剣を抜き捨ててある。毒や特殊な効果がないかも確認済み。風穴が開いたが、五指は動くのは幸いだった。

 

 

「逃げるぞ。この程度で死ぬ手合いじゃない」

 

「……分かり、ました」

 

 

 悔しげに唇を噛む氷室。良い事だ。悔しいという感情は、より高みへと至る原動力となる。

 今回の経験を糧にしてくれれば、オレとしても、この程度の怪我ならば安い買い物だ。

 

 

 ――だが、決して安い買い物などではなかった。勘違いのツケは、すぐ傍にまで迫っていた。厄介事は足音もなく容赦もなく、オレを破滅へと誘おうとしていたのである。

 




というわけでグラム叔父さん登場&御館様による熱いブラックDis回でした。

いきなりカーラ・ブラッドロード編に飛んでも、ね。
しっかり導入部を書かないという訳で、別ゲームの主人公に登場してもらいました。

そんな訳で、魔界と人界の吸血鬼の独自設定を披露しつつ、話は進んでいきます。

なんでグラム叔父さんなのかって? 感想でカーラキャラは出ますかって聞かれ飽きたからです!(憤慨)
まあ、元々出す予定でしたしね。


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『グラムと苦労人の違いは、自ら死に近づけるかどうか』

 

 

(厄介なことになった。取り敢えず、最低限の任務は達成した。後は逃げるだけだが、さて……)

 

 

 虎太郎と花蓮は森の中を東京方面に向かって走っていた。

 想定外だった吸血鬼による襲撃を躱し、撤退を開始した両名であったものの、脅威が完全に去った訳ではない。

 

 距離は離したものの、追撃は終わっていない。

 仕掛けておいた爆弾の爆発に巻き込んだが、吸血鬼には再生能力がある。完全に殺し切れてはいない、というのが虎太郎の見解だった。

 彼が過去相対した吸血鬼は皆、冗談染みた再生能力と不死性を有していたからであり、後方から凄まじい勢いで迫ってくる怪物共の気配があったからだ。

 

 

(逃げきれん。オレ一人ならどうとでもなるが、氷室が居てはな)

 

 

 移動をしながら、左手に開いた風穴に止血剤と化膿止めを打ち、その上からガーゼと包帯を巻いて応急処置を済ませていた。

 彼の最大の不安要素は負った傷ではなく、まだ未熟な生徒だ。必死で自分に着いてくる花蓮に視線を向ければ、肩で息をし、汗で額に髪を張り付かせている。

 

 

(吸血鬼連中がどの程度の強さなのかは分からんが、首魁のグラムとやらはまず間違いなく貴族級。どう考えても、コイツを守りながら追撃を振り切るのも迎え撃つのも無謀でしかねぇな)

 

 

 虎太郎は敵の戦力分析を簡潔に済ませ、厄介な状況に嘆息したが、その瞳に狼狽や焦燥の色は皆無だった。

 既に、この状況を如何にして打破すべきなのか、答えを見つけているのだろう。

 

 虎太郎が片手を上げて、静止を指示する。

 氷室は指示通りに即座に脚を止めたものの、膝に手を突き、荒い呼吸を繰り返す。

 彼にしては速度を押さえて走っていたのだが、彼女が長距離を移動できるギリギリのラインだったらしい。

 

 

「ハァっ……ハァッ……、どうして、急に」

 

「これ以上、お前はオレに着いて来れない。二手に分かれる。お前は撤退し、オレが囮になる。いいな?」

 

「………………ッ」

 

 

 虎太郎は自分の身体中を隅々まで調べながら、花蓮にとって余りにも屈辱的な宣言をした。

 

 ――お前は、足手纏い以外の何物でもない。

 

 言外に、そう言っているも同然だ。

 花蓮は唇を噛み締め、きつい印象を与える目は、更に吊り上がったように見えた。

 

 だが、彼女も分かっている。虎太郎の判断は正しい、と。

 少なくとも身体能力についても、逃走能力に関しても、虎太郎の方が遥かに上手。

 共に敵を迎え撃とうにも、自分自身は武器を持ってくる余裕すらなかった。どう足掻いても、足手纏いにしかならないだろう。

 

 

(この場で最悪なのは、私自身が下手を打って、敵に捕まること……)

 

 

 少なくとも、花蓮はそう考えていた。

 虎太郎は決して良い教師でもなく、出来た教師でもない。けれど、教師失格というわけでもない。

 教師としての仕事は最低限であるものの、必ず熟す意欲のある生徒に対して協力を惜しまない。

 

 好きで教師をやっているわけではないのは、誰の目からでも明らかであったが、自分自身に課せられた義務から逃げ出すほど、無責任でもない。

 本当に……本当に嫌な顔をして、嫌々な態度を見せながらも、最低限の義務を果たすだろう。

 

 花蓮は、もし自分が捕まれば、虎太郎は命を失うギリギリまで粘り、自分の救助に全力を尽くすことを知っていた。

 

 

「お前にこれを渡す。こっちの端末には、オレが個人的に所有しているセーフハウスへ向かうようにルートを設定しておいた。セーフハウスに着いたら、端末を扉に翳せ、中に入れる」

 

「丙と丁、それから本部への救援要請は……?」

 

「本部へならいいが、丙と丁は止せ。あの二人は対吸血鬼用の戦闘に慣れているわけじゃない。丙はそこそこ戦えるだろうが、決め手に欠ける。それから、これもだ」

 

「これは……」

 

 

 虎太郎が手渡したのは、コンテナの中で取り上げたタブレット端末であった。

 これを託される意味。その重要性を理解し、花蓮は両腕でタブレットをぎゅっと抱きしめた。

 

 吸血鬼の追撃を鑑みるに、あのコンテナの中身は、グラムにとって決して他人に知られたくないものであることは間違いなかった。

 タブレットの中には、その秘密がたっぷりと詰まっている。何が何でも、この情報を五車学園に持ち帰らなければならない。

 情報を解析すれば、敵の意図も見えてくる。後は吸血鬼との戦いに慣れた対魔忍たちに託すだけだ。

 

 

「必ず、学園に届けます」

 

「お前の賢い所、納得させれば聞き分けの良い所は嫌いじゃない。よし、こっちの準備も終わったからな」

 

「……それは、どういう?」

 

「気にするな、こっちの話だ。策は、こうだ」

 

 

 虎太郎の準備とは、盗聴器などを仕掛けられていないかを調べ終わったということだった。

 吸血鬼の首魁――グラムに身体を触られた、煙草とライターを奪われただけだと言うのに、とてつもない警戒心であるが、彼にしてみれば当然の備えだった。

 

 ――何故ならば、自分ならそうするから。

 不用意に敵に近寄られれば、まずは何かされたかと疑うのが、彼の思考回路である。

 

 そうして、彼は自らの策を語り出す。それが、虎太郎にとっての本当の意味での撤退戦の始まりであった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「グラム様、これを……」

 

「分かっている。下賤で下等な人間どもが、やってくれたな。嫌と言うほど、後悔させてやるぞ、対魔忍……!」

 

 

 グラムとその部下の15人は、トラックに仕掛けられた爆弾の爆発に巻き込まれたものの、全員が存命だった。

 しかし、その内5名は全身に火傷を負い、両脚を負傷して海岸沿いの道で肉体の回復を持っている。

 それだけではない。二人の対魔忍を追う道中に仕掛けられた爆弾のトラップに引っ掛かり、更に2名が動けぬ重症を負ったのである。

 

 怒りから冷静さを失いつつあったものの、発見したものにニヤリと笑みを浮かべた。

 

 ――発見したのは落ち葉の上にぶちまけられた大量の血痕。

 

 彼らが如何にして二人を追いかけていたのか。それは単純に、敵の血の匂いを追跡したのである。

 吸血鬼は文字通り、血を吸う鬼。人間と同じ食物を摂取して生きることも可能であるものの、血を吸わねば吸血鬼としての能力を失ってしまう。

 そういった事態を避けるためにか、効率よく血を吸えるように発達した器官も当然、存在する。

 

 それが血液に対する嗅覚である。

 

 血液を嗅ぎ分けることに関して、吸血鬼の右に出る生命体は存在しない。

 血の匂いから獲物の疲労や病、果ては純潔であるか否かまで、得られる情報量の桁が違う。

 

 また大気中の微分子を嗅ぐことで、何処までも獲物を追跡する。

 単純に鼻がいい――無論、人間と比べれば感覚器官が発達しているのは疑いようはないが――というわけではなく、血だけを嗅ぎ分け、追跡することに長けた嗅覚を生まれ持っている。

 

 二人が逃げ出す瞬間、グラムは自らの身体から生み出した短剣を投擲していた。

 煙幕と爆発によって目視による確認は出来なかったものの、肉を貫く音を聞き、男の新鮮な血液が流れる匂いを嗅いだ。

 グラムは、恐らくは此処で何らかの応急処置を施したのだろうと考え、その証が大量の血痕だと結論づける。

 

 

(クク。相当に疲れているようではないか。致命傷ではないにせよ、深手には違いあるまい)

 

 

 科学的に考えるならば、血中に存在している乳酸の濃度を嗅ぎ分け、獲物の疲労度を測っているのだろう。

 

 

(この疲労の度合いでは、この程度の出血でも無事では済まない。いくら応急処置をしても限界は近い筈だ。問題はあのメスガキの方か)

 

 

 どうやら、グラムに二人を見逃すつもりはないらしい。

 あのコンテナは、彼にとって秘密にしておかねばならないものなのだろう。

 

 男の方は何の問題もない。少なくともグラムにとっては、そうであるようだ。

 疲労と出血もさることながら、あの男は、コンテナの中にいた実験体の血を浴びていたからだ。

 あの場、その瞬間に立ち会わなかったグラムが、何故そのような事実を知り得たのか定かではないが、事実ではある。

 そして、たったそれだけの事実が何を意味すると言うのか。だが、どうやら彼にとっては、男の完全な殺害を確信するほどの事実であるようだった。

 

 問題は、女の方。

 吸血鬼の鼻は血液以外に鋭敏な反応はしない。人よりは上であるものの、犬や狼のように数億もの匂いを嗅ぎ分け、追跡できるほどではないのだ。

 

 しかし、彼の部下は優秀であった。

 地面に残った僅かな足跡。そして、近くにあった木の枝の上に僅かな泥の付着を発見した。

 男の血の匂いの漂う方角とは別の方角に向かっている足跡は、明らかに二人が二手に分かれた証明であった。

 

 

「5人は私と共に来い、女を追うぞ。男は残りに任せる。どうやら、我々について多少の知識はあるようだが、知識程度ではどうにもならない現実を教えてやれ」

 

 

 短く答えた三名の部下は、血の匂いが漂う森の奥へと消えていった。

 そして、グラムはくつくつと笑いながら女が逃げたであろう方向へと歩を進める。

 

 自分を虚仮にして逃げ切れるとでも思ったか。

 女は手足を斬り落とし、あらゆる恥辱と共に犯し、あらゆる絶望を味合わせて殺してやる。

 いや、男を殺さずに捕らえ、目の前で女を犯して無力さを噛み締めさせるのも、その逆もまたいい。

 

 そんな事を考えながら、グラムは既に勝敗の決した追撃を再開した。

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 月明かりが薄らと差し込む森の中、三つの影が木々の合間を擦り抜ける。

 明らかに人工的な乗り物とは異なるケダモノの疾駆に木々は騒めき、招かれざる客を拒んでいるか、或いは……。

 

 

「血の匂いが濃くなってきた。近いぞ」

 

「注意しろ。奴は我々に気付いている。さっきかかったトラップが良い証拠だ」

 

「はっ! あの程度の爆弾でオレた――――」

 

 

 これから行われる一方的な殺戮を夢想して、歪んだ愉悦に笑みを浮かべた吸血鬼であったが、次の瞬間、一人が消えた。

 何かに躓きでもしたのか。余りにも不様な様に、残りの二人は舌打ちをする。

 

 

「おい、何をしている」

 

「いくら森の中とは言え、人間じゃあるまいし、こんな所で転ぶ奴が――――」

 

 

 先行していた二人は怒りと呆れから脚を止め、倒れた仲間へと近寄ったが、その姿を確認して愕然とする。

 

 倒れた仲間には、首が無かった。

 如何に吸血鬼と言えど、彼等は吸血鬼の中では下位も下位。首がなくなれば、死は避けられない。

 

 馬鹿な。一体、何が。在り得ない。

 そんな思いで、混乱したまま仲間の死体を見下ろしていたが、一方があるものに気付いた。

 

 木と木の合間に張られた血の滴る鋼線を、発見したのである。

 

 仲間の死に対する回答は得られた。

 既に死んだ彼は、この鋼線に自ら首を差し出したのだ。けれど、解答を得たと言うのに疑問と衝撃からは立ち直れない。

 

 

(在り得ん。何故だ。いくら夜とは言え、この月明りと鋼線の太さ。コイツが気付かぬ筈がない……!)

 

 

 そう、在り得ない。吸血鬼の視力は、人間とは比べ物にならない程に優れている。

 例え、一切の月明りが差さぬ夜であっても、この程度の罠を見逃しはしない。夜こそが、彼等の時間なのだから。 

 

 

「……っ! 待て、それ以上近づくなッ!!」

 

「何を――――――――――ウォォオっ?!」

 

 

 人間如きが仕掛けた単純すぎる罠にかかり、不可解な死を遂げた同胞に近づこうとした一人は、静止の声に反応するよりも早く、新たな罠が発動した。 

 

 単純なくくり罠の一種であった。

 弾力に富んだ木の枝を選び、折り曲げて先端に縄を付け、トリガーとなる機構で固定する。

 あとは地面に獲物の足を捉えられるように、縄で輪を作り張り巡らせるだけ。縄の長さや選んだ木の枝の弾性によっては、成人男性でも十分に逆さ吊りにできる。

 

 

「間抜けが! すぐに縄を斬れ!」

 

「分かってる。……いや、待て。あの野郎、近づいてくるぞ!」

 

「チッ! おい、速く!」

 

 

 罠にかからなかった方は即座に持ち前の能力で長剣を作り出すと、急激に濃くなり、敵の接近を知らせる血の匂いが漂っている方角を向き直る。

 

 しかし、それも失策と言わざるを得なかった。

 少なくとも、敵の迎撃ではなく、仲間の救出を選択していれば、また違った結果となっていただろう。

 

 ドスリと肉を貫く音と共に、人間とは異なる同胞の血の匂いが彼の鼻腔を刺激する。

 背後を振り返ってみれば、“吊し人(ハングドマン)”の状態のまま、背後から心臓を貫かれた同胞は、二体目の死体と化していた。

 

 恐らくは仕掛け弓の一種だろう。くくり罠に獲物がかかれば、続いて発動するように仕組まれていたのだ。

 

 残された最後の一人は、ふと何処かで聞いた言葉を思い出した。

 

 ――罠猟の基本として、仕掛ける罠多ければ多いほど、獲物がかかる確率は増す。

 

 彼にとって、単なる獲物に過ぎなかった手負いの男であったが、既に立場は逆転していた。彼こそが狩られるケモノであり、手負いの男こそが猟師である。

 

 

(どうする……! 奴は近づく速度を緩めた。ならば、この周囲にはまだまだトラップが仕掛けられている可能性が高い!)

 

 

 ゆるゆると歩くような速度で距離を縮めてくる血の匂いに、吸血鬼は決断を強いられる。

 

 即ち、罠を警戒して現れるであろう男を迎え撃つか。

 それとも、自ら打って出て、男に襲い掛かるべきか。

 

 人間如きに追い詰められてしまった現実に吸血鬼は自尊心を傷つけられ、怒りと屈辱から歯噛みしたものの、選択した決断は合理的だった。

 

 男を迎え撃つ。それが彼の決断だ。

 周囲には罠が張り巡らされている可能性は極めて高い。生憎と、彼には罠に関する知識は殆どない。

 あるかも分からない罠に気を揉んで行動するよりは、此方へと確実に向かってきている男を迎え撃った方が賢い。

 

 そもそも、人と吸血鬼では戦力が違う。

 少なくとも彼は、日本に来てから日が浅く、対魔忍という存在を脅威として認識していないが故に、一山いくらの人間と大差はないと考えていた。

 

 真正面から相対すれば、どうとでもなる。敵が出血をしているのなら、何処からの不意討ちであろうとも容易に対応できる。

 

 そんな浅はかとしか言いえない考えの下の決断であったが、仕方がない。

 自分が相手取っているのは、最強の対魔忍・井河 アサギよりも恐ろしく、対魔忍において最も悪辣な男であるなどと、知り得るはずがないのだから。

 

 

「………………っ、」

 

 

 血の匂いは彼の視界、その正面から真っ直ぐに向かってきている。

 あともう少しで、吸血鬼の夜闇を見通す視力によって男を捉えられる距離に入る瞬間――――暗闇の中から大量のクナイが飛来した。

 数は19。弾丸のような勢いで迫るクナイに、吸血鬼は怒りからギリと歯を鳴らす。

 

 

「舐めるなぁ――――ッ!!」

 

 

 余りに捻りのない攻撃。

 明らかにその場から動かさせ、用意した罠へとかけようとしているであろう男の見え透いた意図に、吸血鬼は作り出した剣でクナイを打ち落としていく。

 

 吸血鬼の身体能力、吸血鬼の動体視力、吸血鬼の再生能力。

 その全てを動員しての迎撃。如何に対魔忍の攻撃と言えども一筋縄にはいかない。

 彼は一歩も動かず、時には打ち落とし損ねたクナイの痛みに耐え、そして――――

 

 

「――――――ぁ?」

 

 

 ――――20()()()のクナイが、心臓に突き刺さる音を聞いた。

 呆然と、自分の左胸を見下ろし、クナイを引き抜こうとしたが、全ては手遅れ。

 

 存在しない筈のクナイは名前も知らぬ吸血鬼の心臓を貫いていた。即死である。

 余りに唐突な死に対応しきれず、吸血鬼は意識だけが生きていたものの、肉体が死んでいる以上、行動に移るなど夢のまた夢。

 

 哀れな獲物は猟師の思惑通りに背中から地面に倒れ、何故という疑問を抱いたまま、この世を去った。

 

 そして、獲物を思惑通りに罠へと陥れた猟師は、それでもなお用心深く闇の中から現れる。

 

 

「鼻が良すぎるってのも考えものだ。長所は短所、短所は長所ってな」

 

 

 彼の――獲物の瞳から光が消え去り、死の虚ろに飲み込まれているのを確認すると、ポツリと呟く。

 虎太郎は能力は行使しようとも、自ら種明かしはしない。能力を知られていない利点をよくよく承知しているからだ。

 

 ――故に、彼に代わって答えよう。如何なる能力を以て、敵を打倒したのかを。

 

 隠遁法(いんとんほう)阿斯訶備(あしかび)

 

 それが今回の任務に際し、虎太郎が邪眼を用いて奪ってきた忍法だ。

 隠遁とは俗世間を離れ、隠れ住むという意味。阿斯訶備(あしかび)とは日本神話において、生まれると同時に身を隠した別天津神の名。

 

 端的に言えば、この忍法は物体を透明化させる。生物無生物、有機無機を問わずに作用する。

 但し、透明化できるのは、あくまでも一つきりであり、また術者自身の姿を消せる訳ではない欠点があった。

 

 だが、虎太郎は対魔忍にせよ、魔族にせよ、米連にせよ、大抵は視覚に頼り切りであることを理解しているが故に、欠点を利点に変えている。

 発動した罠を敢えて発見させ、其方に目を向けさせた瞬間に別の罠を透明化、次々にそれを繰り返せばどうなるか。

 無数に武器を放ち、弱点急所を狙った一撃のみを透明化すればどうなるか。

 

 見えているモノに意識を向けさせ、見えざる刃を以て敵を討つ。この忍法の最も効率的な使い方だ。

 

 殊更、気配を発することのない罠。感覚が鋭い敵とは極めて相性がいい。

 前者は無数の罠を用意し、その中で本命を透明化させれば、術中に嵌めるのは容易。

 後者は視覚という絶対的な情報源があるが故に、感覚ごとに情報が食い違えば混乱するからだ。

 

 また敵に能力を知られた所で対処のしようがない。いや、寧ろ、知られてからが本番だ。

 疑心と困惑を晒した敵の心臓に刃を滑り込ませるなど、彼にしてみれば赤子の手を捻るが如し、である。

 

 

「さて、あっちもそろそろ気付いたかな。氷室が逃げ切れればいいが――――っ」

 

 

 その時、虎太郎は足を縺れさせ、地面へと倒れ込んだ。

 

 さしもの虎太郎も、困惑した。

 一週間に渡る情報収集の疲れ。自分へと吸血鬼どもを引き付けるために自らの肉体を傷付けての大量の出血は、確かにあった。

 

 ――しかし、彼の知る自身の限界はまだまだ先の筈だった。

 

 即座に左手に開通した(トンネル)に目を向けるが、止血剤によって出血が止まり、傷口自体は普通の裂傷と変わりはない。

 

 何らかの毒によるものという判断であったが、納得には至らない。

 身体を麻痺させる毒は無数に存在するが、傷口から体内へと入り込むタイプの毒は傷口に腫れ、変色、激痛が伴うものだ。

 

 何よりも、毒が効いてくるのが遅すぎる。

 麻痺を引き起こす毒は、野生生物のものであれば大抵が獲物を捕らえるためのものであり、極めて即効性が高い。

 治療・手術を目的とした麻酔・筋弛緩剤などでも、同じだ。医療現場では、緊急性、即効性が常に求められる。また身体中の神経や筋肉に作用する故、呼吸困難、脈拍に異常が見られるものだが、どちらもない。

 

 

(毒じゃない。あの短剣にも、それらしい痕跡はなかった。……なら、あのグラムとやらの能力と考えるのが妥当だが……はてさて)

 

 

 海岸沿いにおける自身とグラムの行動を思い返すが、吸血鬼の能力によるものとしても疑問が残る。

 特定の行動によって発動する能力も確かかつ無数に存在しているが、それにしてもおかしい。

 

 一番初めに疑ったのは、視界に収める、視線を交わすことによって発動する、虎太郎自身の邪眼のような能力であった。

 だが、邪眼に近しい能力であるのならば、その場で発動させてもおかしくなく、発動時には視界に収め続ける必要があり、やはり辻褄が合わない。

 

 あらゆる可能性を考え尽くし、ある可能性に辿り着いたが、虎太郎は大きく溜め息をついて首を振る。

 辿り着いた可能性は予断に過ぎず、過度の予断は破滅を呼び込むが故に、思考を中断した。

 

 自分自身が操り人形と化したかのように巧く動かず、時間が経つにつれて効果は増していく。

 このままの状態では逃げ切るよりも、グラムが追いつく方が速い、と判断した虎太郎は、更なる罠と策を張り巡らせ始めた。

 

 

「いいさ。本人に直接聞く――――正々堂々手段を選ばず、真正面から不意を討ってやろう」

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「………………っ」

 

 

 三人の吸血鬼が、虎太郎の罠に接触する直前、グラムは花蓮と虎太郎が分かれたであろう地点に戻っていた。

 

 ――花蓮を追いかける内に、ある疑念を抱いたのだ。

 

 グラム・デリック。

 人と吸血鬼の間で締結した協定を無視し、人間どころか同族すらも奴隷として権力者へと売り払い、闇社会で高い地位を手にしている。

 かつては吸血鬼の王家に名を連ねていたが、今現在は裏切り者として処断された身でもあるが――かつては支配階級であったが故に、彼等の嗜みにも精通していた。

 

 その一つが、狩猟だ。

 古くから貴族や富裕層の嗜みと知られており、ある種の娯楽として魔界の歴史的にも実施されてきた。

 人界に築かれた吸血鬼の国・ヴラドも、狩猟が頻繁に行われるヨーロッパ付近にあるとされている。

 かつてよりの嗜みが続いていたとて不思議ではあるまい。

 

 グラムは狩猟の経験から知っていた。

 野生の獣にせよ、人間にせよ、逃げる以上は必ず痕跡が残る。その痕跡を追い、獲物を仕留めるのが狩猟である。

 

 ――しかし、今回の猟は、余りにも獲物の痕跡が少なすぎた。いや、ないと言った方が正しかった。

 

 痕跡を探すことに時間を費やしたグラムと一味であったが、その事実に気付いたグラムは慌てて元の地点に戻ったのである。

 

 そこで彼の怒りを助長させるものを見つけた。

 大量の血痕が残った場所からほんの5m程離れた木の根元に、人ひとりが身を隠せる穴が掘られていた。無論、先刻にはなかった――或いは気付かなかったものだ。

 

 

「止め足か、舐めた真似を……!」

 

 

 野性の生物には止め足と呼ばれる行動を取る種が存在する。

 彼等は獣ではあるが非常に賢い。自らの足跡から捕食者が追跡可能なのを知っているのだ。

 故に、後方に出来た足跡を踏むように一定の距離を後退し、足跡の着かない場所に跳躍する。追跡者に対し、ある地点から足跡がなくなったように錯覚させてしまう。

 

 狩猟の本質は、獲物と狩人との知恵比べだ。決して一方的な逃亡劇でもなければ、殺戮でもない。

 最終的には獲物の性能と狩人の技量の勝負となるが、そんなものは()()()に過ぎない。

 逃亡する側は如何に自らの足跡を消しつつ逃げるのかに知恵を絞り、追跡する側は如何に獲物の習性を学び、ひたすらに追いかけることこそが最重要だ。

 

 虎太郎は花蓮をより確実に逃がす為に、敢えてその場に身を隠して動かぬように命じ、敵が去ってから逃亡を開始するよう言い含めた。

 その為に花蓮に止め足を行わせ、自身は大量に血を流し、其方に視線と嗅覚を引き付けた。

 

 花蓮は前線での戦闘に向いた対魔忍ではあるが、未熟と言えども対魔忍。気配を殺し、身を隠す術は学んでいる。

 自身の能力に絶対の自信を持つ吸血鬼。その能力を知り尽くし、傲慢さに付け入るのは虎太郎の十八番。

 況してや虎太郎は年季の入った逃亡者だ。幼少期より追跡から身を躱すには、どうすればいいかに知恵を絞っていた。

 

 如何に狩猟を嗜むグラムと言えども、如何に人より優れた吸血鬼と言えども、相手が悪すぎた。

 

 

「今、()()を目覚めさせた。男の脚は鈍る。奴を捉えて女の居場所を吐かせるぞ、どんな手段を使ってもな……!」

 

 

 グラムが怒りを抱きながらも、冷静さを失わずにいられたのは勝ちを確信していたからだろう。

 アレとやらを目覚めさせると、如何なる技術か能力によるものか、グラムは虎太郎の位置も、体調をも理解できるようになった。そして虎太郎の神経系に介入し、行動を阻害していた。

 

 グラムの狩りはまだ終わっておらず、その勝利も揺らぎのないものであった――――少なくとも、彼にとっては。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 グラムが氷室の追跡から虎太郎の追跡に切り替えてから一時間余り。彼は、虎太郎を追い詰めていた。

 

 グラムの被害もゼロではない。

 5人居た部下の内2名は仕掛けられた罠に、首を刎ねられ、心臓を貫かれて死亡。

 残りの3名は死んでこそいなかったもの、四肢を狙われ、或いは木に磔にされ、その場から動けなくなっていた。

 

 

「…………やってくれたな、人間」

 

「此処に来るまでの間に、罠の一つにでもかかってくれりゃあいいものを……」

 

 

 虎太郎は、意のままに動かなくなった身体を引き摺って可能な限りの罠を仕掛けていた。

 ただ無作為に仕掛ける訳ではない。追跡者の能力を鑑み、思考を誘導し、なおかつ己の思惑を悟らせない罠の数々。

 

 しかし、それも此処まで。

 既に虎太郎の身体は動かなくなっていた。指を動かすのも一苦労という有り様である。

 木に背中を預け、両脚を投げ出して地面へと座り込んだ姿は、観念したようにしか見えなかった。

 

 

「だが、それも此処までのようだな。どんな気分だ? これから拷問にかけられ、虫ケラのように嬲り殺しにされる気分は」

 

「最悪だ。オレは痛いのも苦しいのも耐えられるが、耐えられるだけで嫌いだからな」

 

「下賤な人間風情が、我が同胞を好き放題に殺してくれたな。奴等の無念は、貴様と連れの女の悲鳴で慰めてやる」

 

「よく言う。同胞なんぞ、アンタにはどうでもいいことだろう? 大物ぶって格好つけるな、素直にオレが気に食わんから死ね程度のことが言えんのか」

 

「よく回る口だが、大物ぶっているのはどちらだ? 指先しか動かせん貴様に出来るのは悲鳴を上げることだけだ」

 

「いや、どうかな? オレは小物だが、この状態でもアンタの思惑と能力くらいは看破できる」

 

 

 その言葉にグラムはピタリと足を止め、虎太郎は思惑通りの展開に仮面の下で笑みを浮かべる。

 

 

「オレの身体が動かないのは寄生蟲によるものだろ? まさか、こんなタイプが居るとは知らなかったよ」

 

 

 寄生蟲は吸血鬼が魔界から人界へと持ち込んだものだ。

 過去の吸血鬼が、どのような意図があって、このような生命体を持ち込んだのかは分からなかったが、知識としては知っていた。

 それ故、寄生蟲に寄生された奴隷が絡む闇取引では、影に吸血鬼が何らかの形で関わっている。寄生蟲は彼等が保有する独自の技術であり、生命体なのだ。

 

 身体が意のままにならぬ理由は、既に見当がついていた。問題は、何時の間に寄生されたのかという事実であった。

 

 

「大したもんだ。宿主の血液に触れただけで生物間を移動する寄生蟲なんぞ、聞いた事がない」

 

 

 グラムの表情が歪む。明らかな警戒の視線を以て虎太郎を見ていた。

 

 その表情に、虎太郎は自分の推察は正しかったと確信を得る。

 あの時、コンテナの中で食屍鬼に襲い掛かられた時、虎太郎は敵の血を浴びていた。寄生されそうな場面は、それ以外になかったと考えていた。

 傲慢になっている相手、敵を舐め腐っている相手は、自分の考えや方法を見抜かれると簡単に狼狽することを経験上知っていた。

 

 

「何の為にかは、どうでもいい。オレにとって重要なのは、どうやって寄生蟲の宿主になるか、だけだ」

 

「だからどうした! 知ったところで何になる! その事実を仲間に伝えることもなく、貴様は無残に死ぬだけだ!」

 

「拍子抜けだな。警戒心が強いかと思えば、こんなもんかよ。さっさと逃げるさ」

 

 

 明らかな自身を小馬鹿にした科白に、グラムは完全に冷静さを欠き、虎太郎との間合いを詰める。

 

 怒りは能力を向上させるが、同時に思考を鈍らせる。

 目の前の男が、どれだけ近代兵器に精通し、罠に対する豊富な知識を有し、更には吸血鬼ですら手玉に取る悪辣さを有しているかを忘れている。

 当然だ、勝ちを確信した瞬間こそ、誰であれ最も無防備になるもの。その点で言えば、虎太郎にしてみれば、グラムは初めから度し難いほどに隙だらけだった。

 

 

「………………?」

 

 

 虎太郎と自分の間、その中間地点に突如として現れた箱にグラムは硬直した。

 見る者が見れば――殊更、日本の自衛軍や米連の兵士が見れば、即座に回避行動に移ったであろうが、生憎と吸血鬼足る彼には全く知識のない物体だった。

 

 モスグリーンの箱の幅は20cm程。地面に4本の細い杭で突き立てられていた。

 

 グラムが最後に見たのは箱に描かれた英語の警告文。

 

 ――FRONT TOWARD ENEMY(敵の方向へ向けて下さい)――

 

 その言葉の意味が何の示しているのか理解するよりも速く、カチリと撃鉄の落ちる音にも似た作動音が響く。

 

 

「――――ぐぅ――――ぶ、ガァァァアアアァっ!!」

 

 

 次の瞬間、グラムの身体は手足が千切れ飛び、内臓を晒し、脳漿を撒き散らしながら後方に吹き飛んでいた。

 一体、何が起こったのか。自身の身に降りかかった災厄の正体を知らぬまま、意識を闇に飲み込まれた。

 

 M18クレイモア地雷。それがグラムを襲った災厄の正体だ。

 信管のセットされたC4爆薬によって内部片面に並べられた700個ものベアリング弾を散弾のように放つ指向性対人地雷の一つ。

 既に時代遅れであるものの、この地雷の利点は複製のし易さと入手のし易さにこそある。

 また吸血鬼や魔族のような身体能力の高い生命体であっても一定のダメージを期待できる、面による攻撃。

 

 虎太郎は自身の身体が動かなくなる直前に、自分の目の前に仕掛け、隠遁法・阿斯訶備によって不可視化させておいた。

 グラムのような手合いは、動けない獲物を前にすれば簡単に姿を現し、目の前から現れる確信があった。

 獲物の不様を思うままに堪能し、自身の手を煩わせた獲物を嘲笑うために、死んでもいない相手に対して、不用意に近づいてくると。

 

 ――――けれど、敵をまんまと罠へ陥れた代償は、決して安くはなかった。

 

 

「あー、あんだけ近けりゃ、そりゃコッチも無事には済まんわな。内源のクソ爺、安もんのベストなんぞ寄越しやがって、歯を全部ぶち抜いて流動食しか食えんようにしてやる」

 

 

 グラムが意識を失ったことで、寄生蟲による拘束から解放された虎太郎は、森の中を花蓮が向かったセーフハウスの方角へとひた走っていた。

 その右脇腹は血で真っ赤に染まり、クレイモアの破片が突き刺さっているのは、誰の目からも見ても明らかだ。

 

 クレイモアの最も危険な範囲は真正面であるものの、後方とて近すぎれば危険である。所詮は地雷なのだ。

 寧ろ、脇腹にダメージを負っただけで済んでいる時点で恐るべき強運である。

 

 

「しかし、これで終わりじゃないな。もう一度か二度、死線を潜らにゃならん。こんなことなら吸血鬼用の装備、持ってくればよかった」

 

 

 そう。まだ、終わっていない。グラムはまだ死んではおらず、気を失っただけだ。

 貴族級の吸血鬼を殺すとなれば、相応の能力か装備が必要となるが、生憎と今はどちらも虎太郎の手元にはない。

 何よりも、体内の寄生蟲もある。グラムの意識がなくとも、寄生蟲が主人の命を奪わせまいと宿主を殺す可能性も否定できなかったからだ。

 

 これはあくまでも時間稼ぎだ。それも、吸血鬼の回復、再生能力を鑑みれば僅か1、2時間程度のものに過ぎない。

 窮地は脱しておらず、吸血鬼の時間である夜も、まだまだ長い。

 限られた時間の中で体内の寄生蟲を除去し、逃走し、敵の研究データを解析して対策を立てる。やることは山積みである。

 

 虎太郎の劣勢は明らかだ。

 如何に対魔忍とは言え、如何に痛みに馬鹿げた耐性があるとは言え、所詮は人間に過ぎない。死の足音は着実に近づいている。

 

 ただ、虎太郎には他の人間や対魔忍とは違う点がある。

 

 彼は決して、死の恐怖に屈しない。

 死の恐怖を抱いたとしても、決して足を止めず、決して臆さず、決して面にも出さない。

 そして、知ってもいる。死神の魔の手から逃れる一番の手は、自ら死神へとギリギリまで近づいて活路を見出すことだ、と。

 



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『苦労人死す!(但し、生き地獄が終わるとは言ってない)』

 

 東京郊外。

 魔の者、闇の者。そういった住人達とは、まるで縁のない閑静な住宅街があった。

 

 昼間であれば、通学をする学生達や井戸端会議をする主婦達が。

 夕方であれば、帰宅する学生達や買い物を済ませた一家の守り手が。

 夜間であれば、一日の疲れを酒で癒し、家族への手土産を持った大黒柱が。

 深夜であれば、人の姿は人っ子一人いなくなり、家屋の灯は消え、住民は全てが寝静まる。

 

 今時、珍しいほどに闇から隔離された一角に、虎太郎が個人で所有するセーフハウスがあった。

 もっとも、セーフハウスなど名ばかりの一般家屋で、任務の拠点とするにも防備も設備も少ない、万が一の避難場所、或いは休憩場所といった趣きである。

 

 そのセーフハウスのリビングで、氷室 花蓮は不安と不甲斐無さで泣きそうな顔になりながら、椅子に座り、あらゆる衝動に耐えていた。

 部屋の明かりも点けていなかったが、当然だろう。周囲の建物は寝静まっていると言うのに、その中で明かりの点いている家があれば、誰の目からも明らかな不審と映る。敵にとて同じことだ。

 

 すぐにでも置いてきた虎太郎を助けに向かいたかったが、自分の実力では不可能であることは明白。

 救援要請は既に済ませてある。今はただ、五車学園から向かっている救援部隊が到着するまで耐え忍ぶ。それが自身にとっての最善だと理解していた。

 

 しかし、花蓮はまだ若い。

 不安、怒り、悲しみ、屈辱、後悔。ありとあらゆる感情が濁流と化して溢れ出そうになっていた。

 忍装束のスカートを握り締め、悔しさから口の端を血が流れるまで噛み締めた。必死に、冷静さを保とうとしているのだ。

 

 ――けれど、世界は彼女を待ってくれなどしない。

 

 ガチャリ、と何者かが家の扉を開ける音がした。

 その音を聞いた瞬間、花蓮は立ち上がり、備え付けられていた忍者刀を鞘から引き抜く。

 虎太郎が個人的に所有しているセーフハウスと言われていた。入ってきたのは虎太郎だろうが、状況が状況である。警戒するに越したことはない。

 

 

「……予想はしちゃいたが、まだ逃げてなかったのか」

 

「弐曲輪先生……ッ」

 

「まだ名前を呼ぶな、任務中だ。まあ、いい。ちょっと手伝え」

 

 

 花蓮は部屋の中へと入ってきた虎太郎に、自分の警戒が意味のないものだったと悟り、ホッと胸を撫で下ろす。

 

 虎太郎は、予想していた展開に溜め息をついた。

 彼にとっての理想は、花蓮が五車学園に救援要請を送ったのち、翡翠、桃子が待機しているセーフハウスへと向かっていることだ。

 花蓮に加え、あの二人であれば、吸血鬼の集団を倒せないまでも、救援部隊が到着するまで十二分に持ち堪えられただろうから。

 

 

「て、手伝えって、な――――怪我してるじゃないですかッ!?」

 

「当然だ。任務だぞ。傷の一つや二つ負って当然だ。自分だろうが、他人のだろうが、この程度で狼狽えるな」

 

「この、程度、って、血が……」

 

「いいか、傷ってのは身体じゃなく気構えに負うもんだ。覚悟がありゃ、即死しなくて動けりゃ、全部纏めて軽傷だ。大抵の連中は分かっちゃいないがな」

 

「………………」

 

「この程度で気を失うのも、動けなくなるのも、泣き喚くのも覚悟がない証拠だ。犬猫に喧嘩を売る時でさえ、命を掛けて挑め」

 

 

 花蓮は愕然と絶句した。

 虎太郎の右脇腹に突き刺さった鉄の破片は大きく、明らかな重傷だ。対魔忍であっても無事では済まないと一目で分かる。

 右下半身を血で染め上げ、元々黒かったズボンは更にドス黒くなっている。歩く度に血の足跡を作っていた。

 

 花蓮はその様よりも、そんな傷を負ってすら平時の口調と行動に変化のない虎太郎に、その言葉が本物であると戦慄を覚える。

 彼女の知る上忍であったとしても、此処まで平静を保てるどころか、動くことさえ出来るかどうか。

 彼女の知る最強であったとしても、此処まで敵を舐めないどころか、侮らないことさえ出来るかどうか。

 

 

「お前は、そこの壁をぶっ壊せ」

 

「ど、どうしてそんなことを……」

 

「いいから速く手を動かせ。話を聞きながら手を動かすことくらいはできるだろう?」

 

 

 虎太郎はテーブルの上に何かの箱を置くと、部屋の戸棚から袋を取り出した。

 真空パックされた袋を開き、中から取り出したのはホチキスだった。但し、事務用品としてのではなく、医療器具としての、だ。

 

 正式にはスキンステープラーと呼ばれる器具。

 原理としてはホチキスと大差はなく、紙ではなく人の皮で行う。この器具の優れた点は、縫合の素早さにこそある。

 止血効果は糸による縫合が上だが、傷口に押し当て、レバーを引くだけで最低限の処置は完了するのだ。

 

 都合九度、自らの身体にステンレススチール製の針を撃ち込み、更に縫合した傷口の上からアルコールで消毒してから市販の瞬間接着剤を塗る。

 彼は経験上、瞬間接着剤の止血効果は高いことを知っていた。無論、医療用ではない故に雑菌が封じ込められる危険性は理解していたが、効果の高さは折り紙付きである故に、迷いはない。

 

 自身の治療をしながらも、虎太郎は花蓮に置かれた状況を説明していく。

 

 

「つまり、あのコンテナの中身は実験体で、甲の体内には、その寄生蟲が……」

 

「そういうことだ。オレの血には絶対に触るなよ。それから、敵の血にもだ。お前の忍法は単体ではなく範囲に作用する。自分の周囲の気温を下げるように意識しておけ」

 

 

 忍者刀を叩き付け、壁を破壊して穴を開けていく氷室を眺めながらも、これから潜らねばならない死線に備える。

 救援部隊の到着は間に合わない。翡翠と桃子に連絡を入れてあるが、このセーフハウスからは遠過ぎる。吸血鬼の追撃の方が速いだろう。

 何よりも、グラムの改良した寄生蟲は厄介だ。どれだけの時間が掛かるかは不明だが、血液に触れただけで宿主となるなど最悪以外の何物でもない。

 

 

「甲、壁に穴を開けましたけど、何を……」

 

「まあ、黙ってみてろ。それから、コイツを持ってろ」

 

「これは、一体?」

 

「オレが見繕った吸血鬼用の装備だ。吸血鬼だけじゃなく魔族にも効くがな」

 

 

 虎太郎が花蓮に手渡したのは、一丁の拳銃と予備弾倉、更に一枚の札だ。

 セーフハウスに備え付けてあったものなのだろうが、吸血鬼を相手取るには些か以上に不安が残る。

 

 狼狽と動揺から未だに立ち直れずにいる花蓮を尻目に、虎太郎は椅子を用意すると壁に開いた穴から電気ケーブルを引き抜いていく。

 既にブレーカーを落としてあったのだろう。感電こそしなかったものの、こと此処に至ってようやく花蓮は虎太郎の意図を悟った。

 

 

「先生、まさか……ッ!?」

 

「先生なんて呼ぶな。甲だ、甲。そうだよ、オレは今から自作の電気椅子に座るわけだ」

 

 

 寄生蟲の生命力は極端に弱い。

 

 霊力と呼ばれる純然たる人間の未知なる部分から発せられる力。

 魔力と呼ばれる魔族に与えられた数多の能力の源となる力。

 そして、かつて魔族と交わることで己の力へと変質させた、人そのものの業足る対魔粒子。

 それを意図的に宿主の体内へ攻撃として流し込めば、寄生蟲は死滅する。

 

 けれど、宿主が寄生蟲を殺そうとすれば、霊力、魔力、対魔粒子の生成を阻害する。

 

 また花蓮にそれをやらせようにも、まだまだ未熟だ。

 対魔粒子の完璧なコントロールなど期待できようはずもない。

 

 今現状、寄生蟲の除去に最も速く、最も簡単な手段が、電圧電流による死滅であった。

 

 電気による寄生虫の除去は昔から考えられていた方法ではある。

 だが、電圧電流によって寄生虫が死ぬよりも、人体に対する影響が大き過ぎるが故に、当の昔に断念された方法だ。

 

 成功する確率よりも、死ぬ確率の方が高い方法であったが、今はこれしか手段がない。

 寄生蟲だけに影響を与える薬品を手に入れるよりも、或いは除去を断念して逃げるよりも、グラムが追いついてくる方が速い。

 そうなれば、如何な虎太郎と言えども、手段は残されていないのだ。

 

 

「いくら対魔忍だからって、そんな真似……!」

 

「その為に、そんなもんを奪ってきたんだろうが」

 

「これは……」

 

 

 虎太郎が机の上に置いたものは、花蓮も見たことのあるものだった。

 現代社会においては、使用した人間は少ないだろうが、誰でも一度は見た事のある一品だ。

 

 しかし、それにしたところで、こんな方法は自殺と大差はない。

 もし、虎太郎が肉体的に万全な状態であったのなら、拷問染みた方法であっても死の可能性は極めて低かっただろう。

 

 花蓮の与り知らぬところではあるが、連日の情報収集による疲労。戦闘による体力の消耗。必要だったとはいえ、大量の失血。

 重なりに重なった肉体的な疲労。如何に頑強な肉体を誇る対魔忍と言えども、ただでは済まない。

 

 

「なら、お前は他の方法を提案できるか?」

 

「…………それは、」

 

「どれだけ他人の事を思っていようが、他の案が出せないなら黙っていろ。社会はそんなに甘くねぇ。優しさは人の心を救うだろう。正義は人を脅かす連中を殺すだろう。だが、純粋に人の命を助けるのに必要なのは、知識と技術だけだ」

 

 

 ぐうの音も出ない正論を前に、花蓮は言葉もなかった。

 

 優しさは確かに人の心を救う。昏く重い絶望の淵に立った者を思い留まらせ、救い上げるのは人間的な温かみだ。

 正義は確かに蔓延る悪を討つ。我欲に塗れ、人を人と思わぬ外道共を脅かし、その命脈を断つのは断固とした姿勢だろう。

 

 けれど、純粋に、単純に命を助けるのは知識と技術である。

 命が失われるか、救われるかの最前線に立ち、多くの苦悩と努力を重ねる医者は、その二つの柱がなければ成り立たない。

 

 

「よし、出来た。さっさとやるぞ、敵が来る」

 

 

 壁の穴から引きずり出した電気ケーブルを椅子に繋ぎ終わり、虎太郎は立ち上がる。

 その瞳に迷いなど皆無だ。人の命も、他者の命も同列に考えるこの男が、自分の命を危険に晒す程度で怯えるはずもなく。

 

 花蓮にも、虎太郎を思い留まらせるだけの材料と言葉もなかった。

 

 

「きっかり一分だ。それ以上はオレも持たん。一分経ったらブレーカーを落とせ。必要な場合は必要な処置をしろ」

 

「――――はい」

 

「……余り気に病むな。対魔忍だろうが人間だ、出来ない事の十や二十あって当然だ。重要なのは、失敗を次にどう生かすかだぞ」

 

「珍しいですね、甲がそんなことを言うなんて」

 

「お前はそれが出来る人間だからだ。言っても無駄な相手に無駄な言葉を重ねるほど、オレは優しくもなけりゃ、世話好きでもない」

 

 

 虎太郎の珍しい励ましとも取れる言葉に、花蓮はくすりと笑みを溢した。

 彼は花蓮には期待など欠片もしていないし、優しさを向けている訳ではない。単に教師として、指導者として当然の事柄を口にしたまでのこと。

 もし、この言葉が届かない相手であるのなら、そもそも口にすらしない無関心と冷徹の化身だ。

 

 彼が優しさを見せたわけではない。その言葉を吐くだけの価値を花蓮が示しただけなのだ。

 

 

「よし、準備は整った。あとは部屋のスイッチを入れて、ブレーカーを上げろ」

 

 

 自ら水を被り、ベルトで手足を椅子の肘掛けと脚に固定する。

 

 水を被ったのは、電気抵抗を少なくするため。

 特に人間の皮膚は電気抵抗が高い。発汗していれば抵抗は1/12にまで、水に濡れていれば1/25まで低下すると言われている。

 寄生蟲は宿主の体液の中で生きている。全身に満遍なく電流を通すには電気抵抗を少しでも下げておいた方がいい。もっとも、死の危険性(リスク)も跳ね上がるのだが……。

 

 ベルトでの固定は身体が跳ね飛ばされるのを防ぐため。 

 大抵、感電した場合に見られる反応は、無条件反射による筋肉の収縮か、感電の衝撃によって人体が跳ね飛ばされるかの二択。

 通常の場合であれば、前者は不運であり、後者が幸運とされる。通電時間が長ければ長いほど、危険性が跳ね上がるからだ。

 ……今回に限れば、前者でなければならないと言うべきだ。瞬間的な通電だけでは、全身の体液に潜む寄生蟲を殺しきれない。

 

 

「行きます……ッ!」

 

「………………――――――――――――――ッ!!!!」

 

 

 花蓮が宣言通り、ブレーカーを上げると、虎太郎の全身に電流が流れ始めた。

 

 叫び声すらなく、漏電にも似た不気味な音だけが部屋の中に響く。

 頭の先から爪先まで電流は余すことなく、同時に情け容赦なく虎太郎の全身へと行き渡る。  

 

 虎太郎の身体は痙攣とは明らかに異なる反応を見せ、暴れていた。

 自由になる手首足首の先は見ているだけで不快になるような動きを見せ、頭部は感電の苦しみを少しでも逃がそうとしているかのように振り回されている。

 

 目の前でおきる無残な光景に、花蓮はそれでも目を逸らさない。

 これが死刑執行であったのなら、未来のない仲間の死から目を逸らしていただろう。

 しかし、これは無残ではあっても、未来を勝ち取るための行い。対魔忍の仲間として、教えを受ける生徒として、目を逸らす訳にはいかない。

 

 

 ――長い、余りにも長い一分間だった。

 

 

 髪と肉が焦げる匂いが立ち込め、湯気とも白煙ともつかないモノが虎太郎の身体から立ち上り始めた頃、ようやく一分が経過した。

 

 花蓮は即座にブレーカーを落とすと、暴れ続けていた虎太郎の身体は見る影もなくぐったりと力なく垂れ下がる。

 

 

「甲ッ! 甲ッ! お願い、目を覚まして……!!」

 

 

 手足の動きを封じていたベルトを外しながら、声を掛けるが反応がない。

 完全に意識を失っているだけならば問題ないが、事態は更に急を要した。

 

 意識を取り戻さない虎太郎を床に寝かせ、手首に指を当て、続き首筋に指を当てた。脈拍を測ったのである。

 しかし、脈拍を喪失しており測れなかった。胸に耳を当てれば、呼吸も停止ししていたが、僅かであるが心臓から奇妙な音を聞いた。

 

 典型的な感電による心室細動の状態であった。

 

 心室細動からの回復は時間との勝負となる。

 心室細動に陥った状態では、心筋細胞が互いに互いを興奮させ合い、急速にエネルギーを消費していく。

 エネルギーの消費の先に待っているのは言うまでもないが――――生命活動の停止である。

 

 花蓮に焦りはあったものの、まだ冷静だった。こういった事態を想定しないほど虎太郎は間抜けではなかった。

 

 彼女は机の上に置かれたままの“そんなもん”を手に取った。

 赤い30cm四方の箱。表面には白い塗料でハートマークが描かれている。

 日本人なら誰でも一度は目にしたことがあるはずだ。交通機関、医療機関、公共施設、商業・娯楽施設、果てや大規模な工場から学校内にまで設置されている。

 

 自動体外式除細動器(A.E.D)

 

 心室細動を起こした心臓を回復させるための装置。

 西暦2000年初頭。医師にのみ使用が許された装置は半自動化され、救急救命士に使用が認められると、更に高性能化自動化が進み、翌年には一般市民の使用も認められるようになった。

 一部の自治体、学校、企業では講習が開かれるほどに一般化されており、またA.E.Dも音声ガイダンスによって誰でも使用が可能となっている。

 

 花蓮は既に使用方法を知っていた。

 ガイダンスの大半を飛ばし、濡れていた虎太郎の身体を拭き、パッドを右胸と左脇腹に貼り付ける。

 

 

『電気ショックが必要です。身体から離れてください。点滅ボタンを押してください』

 

 

 無機質な音声ガイダンスに従い、氷室は点滅しているボタンを押した。

 バコンと音を立てて虎太郎の上半身が跳ねる。150J(ジュール)の電気が僅か2/100秒以下で心臓を通った証拠だ。

 

 ガイダンスの指示を待ち、次の行動に移ろうとした花蓮であったが――――

 

 

「――――そこまでだ」

 

 

 ――――耳元で囁かれた悍ましい嘲笑の言葉に、凍り付く。

 

 突然、口を手で塞がれ、抵抗する間もなく拘束されたかと思えば、彼女の身体は宙を舞った。

 

 

「かっ――――――は、ぁっ」

 

 

 何を出来る筈もなく、花蓮は背中から壁に叩き付けられ、肺の空気を全て吐き出して今度は床に転がった。

 一体、どれだけの勢いで叩き付けられたのか。壁は大きくへこみ、亀裂が走っている。対魔忍である彼女でなければ、背骨へのダメージから、一生涯に渡る障害が残っていただろう。

 

 横隔膜はせり上がるだけせり上がり、肺の動きを阻害する。

 呼吸すら儘ならない苦痛の中、花蓮が顔を上げたのは対魔忍としての誇り故か、仲間への思い故だったのか。

 

 ――そこで待ち構えていたのは、深い笑みを浮かべた吸血鬼の首魁グラムだ。

 

 寸前まで気配がなかったこと、簡易的とは言え、虎太郎の選んだセキリティを物ともしなかったことは、身体を霧と変える吸血鬼の能力によるもの。

 

 恐るべき能力と言わざるを得ない。

 近距離でのクレイモア地雷のダメージを、僅か1時間でなかったことにする再生能力。

 人体を片手で放り投げ、そのまま壁の染みに出来るだけの身体能力。

 自らの身体を変成させ、武器を作り出し、霧霞となる変化能力。

 

 人間など遠く及ばない生命体。人界における怪物の代名詞。吸血鬼。その名に恥じぬ存在だ。

 

 

「くく、寄生蟲を排除する為とは言え、自ら命を危険に晒し、その挙句に死ぬとは……嘲りを通り越して哀れみすら覚えるなぁ、人間」

 

「は、ァ、ッ――――ぐぅっ!?!」

 

「死んだ人間(ごみくず)になど興味はない。吐いてもらうぞ。我々から奪った研究データを、どうした」

 

 

 絶息に喘ぐ花蓮の髪を掴み、グラムは無理矢理立ち上がらせる。

 その時、玄関扉の破砕音が響き、暫らくしてから足早にグラムの部下達5名が部屋の中へと押し入ってきた。

 

 正に絶体絶命。

 花蓮の脳裏に、その四文字が浮かんだかは定かではないが、状況的に誰の目からも明らかである。

 

 部下の一人が花蓮の腕を締め上げ、崩れ落ちそうになる身体を支えさせた。

 

 

「さあ、研究データはどうした。素直に話せば、命だけは助けてやるが……?」

 

「誰が。どの道、まともな人体(かたち)で返すつもりも無い癖に……!」

 

「当然だろう。これほどまでに虚仮にされたのだ。対魔忍の連中には、見せしめが必要だ。人間よりも遥かに高尚な我々の受けた屈辱は、下等な貴様らには数百倍にして返礼するのが道理だ」

 

「高尚? 下等な私達に良い様に弄ばれた貴方達の何処が――――ぐ、ぶっ?!」

 

「大した減らず口だ。そこで転がっている人間(ゴミ)の仲間なだけはある」

 

 

 無防備な鳩尾を吸血鬼の力で殴られた花蓮は、堪らずに膝を突く。

 咽喉元まで登ってきた胃液は内臓まで混じっているかのよう。呼吸もままならぬ苦しみは、彼女であっても未体験のものだった。

 白く染まる視界と思考であったが、彼女は誇りだけは手放さない。不様な姿だけは晒すまいと胃液を飲み下す。

 

 苦痛に呻き、俯いたままの花蓮に気を良くした吸血鬼共は、忍び笑いを漏らす。

 今まで良い様にやられた相手を、抵抗も出来ないままに弄ぶ。さぞ、気分のいいことだろう。

 グラムは顎で部下に指示を出し、花蓮を再び立ち上がらせると、手に短剣を作り出す。

 

 

「聴いているか? 男には効果はないが、寄生蟲は性的な興奮を齎す。女のお前がその身に宿せば、どうなるかな?」

 

 

 すっ、と氷室の臍辺りに鋒を宛がい、身体を傷付けることなくゆっくりと忍装束を斬り裂いていく。

 臍を、鳩尾を、胸元が徐々に露わとなる度に、吸血鬼共は下卑た笑みを浮かべ、口々に野次のような下品な言葉を飛ばしたが、花蓮の耳には入っていない。

 

 

「安心しろ。手足を斬り落として、お前が下衆と罵る男共に便器として扱われながら、ありがとうございますと礼を言えるようにしてやろう」

 

 

 その言葉に、花蓮は俯いたまま吸血鬼に目を向ける。其処には隆起した一物がスボンを押し上げ、グラムの言が真実であると物語っていた。

 

 悲惨な未来を想像してか、彼女の肩が、ぶるりと震える。

 

 グラムはくつくつと笑い、掌にナイフを滑らせ、鮮血を流れ出す。

 無数の寄生蟲が血液の中で蠢き、新たな宿主(ぎせいしゃ)を前にして喜びから踊っているかのようだ。

 

 ――勝ちが決まらないままに獲物の前で舌なめずりとは、本当に何も学んでいない。

 

 

「くす――――本当に、言った通りね」

 

「……何?」

 

 

 俯いていた花蓮がグラムと目を合わせる。彼女の顔に刻まれていたのは紛れもない笑みだった。

 先程見せた肩の震えは恐怖を堪えてのものではなく、失笑を堪えてのものだったのだ。

 

 笑みは、自作の電気椅子に座ろうとしていた虎太郎との会話を思い出しての事だった。

 

 

『いいか、乙。奴等は基本的にコッチを家畜程度としか見ていない。人間を奴隷に仕立て上げる過程も、人間の畜産業とは比べ物にならんほど雑なはずだ』

 

『何故、そう言い切れるんです?』

 

『こっちの方が数が少ないし、舐めてるからさ。過程で死んだとしても後から後から湧いてくるから、別のを使えばいいと思ってる。人間の畜産業を見習ってほしいね、家畜にだって本気で敬意を払うってのに』

 

『家畜を育てて生活しているんだから、当然だと思いますけど』

 

『そうだな。でも、奴等にとっちゃ生活する為じゃなくて成り上がる為だとか、欲望の為だとかが主であって、家畜の質に対する認識は極めて低いと推測できる』

 

『はあ、それが、何か……?』

 

『つまり奴等は、人間の生態や行動、文化に対しちゃ、大して詳しくないってこと。自分の興味のあるものしか知らない偏った知識しか持ってないって訳だ』

 

 

 そう。だから、知らない。

 人間が感電した時に死ぬ理由も、ただ肉体的に弱いからだと片付けるだろう。

 

 感電した人間が、どのような過程を経て死に至るのか。

 心停止と心室細動の違いは何なのか。

 自動体外式除細動器(A.E.D)とは、そもそもどういった装置なのか。

 

 まるで知らない。

 

 多くの人間もそうであるが、心停止の状態から電気ショックによって蘇生させる方法など有りはしない。

 心肺蘇生法とは、あくまでも気管挿入や高濃度酸素、薬剤を用いて心臓マッサージを行う手法である。

 

 電気ショックを行うのは異常な収縮をして痙攣を繰り返す心室細動のみに用いられる。

 心室細動の正しい処置は、一度完全に心臓を停止させることであり、A.E.Dの本来の使用目的はそこにある。

 

 一度停止した心臓は多くの場合、脈拍を回復させるために心肺蘇生法が必須となる。

 

 しかし、その人間の心臓()が、生きる事を諦めていなければ、強く、正しく、鼓動を刻み始めるのだ。

 

 自ら死神の懐に飛び込み、その抱擁を躱して生き残れる術を見出すような男の心臓(意志)が、死を容認するのか。

 

 ――――――否である。

 

 

「…………なっ」

 

 

 グラムと花蓮の以外の全てが凍りつく。

 部下の動揺はグラムに伝わり、花蓮が瞳には安堵から涙がこぼれ落ちそうになった。

 

 グラムが異常を察して背後を降り向くよりも速く、花蓮の涙がこぼれるよりも速く、死神すらも退けた虎が動く。

 

 

 ――――――次の瞬間、グラムと虎太郎の視線が交わった。

 

 

 仮面の奥で爛々と輝く金と銀の瞳。

 虎そのものの獰猛さを放つ眼光に、グラムは紛れもない死の恐怖を抱いた。

 

 

(何なのだ、コイツはっ!?)

 

 

 グラムは咄嗟に身体を動かそうとしたものの、全てがスローモーションのように緩慢で――――否、指先から足元までも微動だにしない。

 

 ――当然だ。彼の脛骨は巧妙に捻り壊され、首が180度捻転しているのだから。

 

 思考(頭部)が断絶された状態で、身体を動かせる筈もない。

 

 虎太郎はそのままグラムの首に手を回し、背骨を膝で粉砕しながら、後方に投げ飛ばす。

 テーブルを粉砕し、派手な音と共に床へと叩き付けられた首魁(ボス)を前にして、吸血鬼はようやく驚愕の硬直から脱したが――虎太郎の前では遅すぎる。

 

 既に虎と化したと言っても過言ではない虎太郎であったが、その攻撃と行動は、獣からはかけ離れた精妙さを見せた。

 

 何時の間に拾い上げていたのか、彼の手には用意してあった拳銃――FN Five-seveNが握られていた。

 従来の両腕を大きく伸ばす構えではなく、両肘を90度に折り曲げ、合掌した手の間に銃を握り込む。更に銃を傾け、利き目でサイトを覗き込む独特の構え。

 CQB(近接戦闘)を前提としたCenter Axis Relock――通称CAR Systemと呼ばれる構えだった。

 

 CAR Systemの利点は複数存在する。

 従来の構えに比べ、閉所でも容易に構えられ、照準合わせ(ポイント)から発射までの速度、命中率、誤作動からの復帰、弾倉交換(マグチェンジ)の全てが向上が見られる。

 

 花蓮を捉えていた吸血鬼が行動を起こすよりも速く、Five-seveNが二度も火を噴いた。

 発射された弾丸は吸血鬼に反応すらもさせずに、頭部の内側を滅茶苦茶に破壊する。

 

 彼がこの銃を選んだ理由は単純である。Five-seveNは拳銃の中でも高い初速を誇り、装弾数も多いため。

 

 更に弾薬もまた特殊。弾丸は骨などの硬対象を貫き、肉や内臓の軟対象には運動エネルギーを分散させる。

 発射薬も高性能化されており、元々高かった初速を更に倍近くまで向上させていた。

 

 対魔忍や魔族は尋常ならざる頑丈さと反応速度を持っている。

 それらに弾を命中させ、必要なストッピングパワーを得る為に、徹底した初速の強化と殺傷力の向上を選んだ結果だ。

 

 花蓮の解放と吸血鬼の射殺を確認すると、次の対象に移る。

 最初に襲い掛かってきた二体は片や脚を、片や胴を撃ち抜いて、動きが鈍った所に眉間へと弾丸を叩き込み、脳漿を飛散させる。

 

 

「この――――ぶぱっ」

 

 

 剣を突き出してきた一体の腕に、下方から己の右腕を蛇のように絡め、肘に拳を押し当てると梃の原理で意図も容易くへし折ると、左胸の前で保持した銃の引き金を引く。今度は二発の弾丸が心臓を破壊した。

 

 尚も攻撃は止まらない。

 首を薙ぐ軌道で振るわれる新たな剣閃。

 しかし、虎太郎は怖れることなく一歩を踏み出すと、攻撃をしてくる吸血鬼の膝を内側から蹴り、容易く体勢を崩させる。

 剣は虚しく空を斬り、攻撃も外した挙句に体勢を崩した無防備な状態の頭部と心臓を正確に射貫く。

 

 最後に残った一体は、瞬く間に皆殺しの憂き目にあった現実を前にして、逃げるべきか、攻撃すべきかの判断に一瞬迷った。致命的と言わざるを得ない。

 

 顎が地面に触れそうなほどの獣のような低姿勢で、音もなく近寄った虎太郎は勢いをそのままに足払いの後ろ回し蹴りを放つ。

 動揺し判断に迷った三流に躱せる筈もなく、脚を刈り取ると虎太郎の脚がまたも絡まり、吸血鬼をうつ伏せの状態で地面に倒し、自らは背後から後頭部に弾丸をきっかり二発撃ち込んだ。

 

 ――僅か5秒の虐殺劇。

 虎太郎を援護しようとした花蓮であってすら、指一本動かせぬほどの早業であった。

 

 吸血鬼の身体構造は、頑強なだけで人間と大差はない。つまり、壊し方は人間と大差はないということでもある。

 何の特殊能力も使わない、人間の技術と術理の粋を見せつけるような、余りにも鮮やかな殺戮技巧。これには流石の花蓮も背筋が凍りつくばかりだった。

 

 

「ぐ……はぁ……ッ、何だ。何が、どうなってる?」

 

 

 凄まじい技巧を披露した当人は、敵の殺害を確認すると大きく息を吐き出し、その場に膝をつく。

 

 

「甲ッ! 兎に角、深呼吸を……!」

 

「こ、呼吸? つーか、甲ってなんだ? 何で、オレがお前と一緒にいるんだ? ワケが分からねぇんだが……」

 

「お、覚えていないんですか?!」

 

 

 荒い呼吸を繰り返す虎太郎に駆け寄り、両肩を掴んだ花蓮は悲鳴のような声を上げる。

 

 両者の反応に無理はない。

 虎太郎は事実として一度死んだ身である、記憶に混濁と混乱があったとしても不思議ではない。

 花蓮にして見ても、アレだけの動きを見せた虎太郎が、まだまだ瀕死寸前であるなど驚くのは当然である。

 

 

「ここ一週間くらいの記憶が思い出せねぇ! うっ、頭が……!!」

 

「と、兎に角、深呼吸を続けて下さい。ついさっきまで、呼吸も心臓も止まってたんですから」

 

「はぁぁぁっっ!??! 何ソレ、どうなってんのソレ!? 経緯をせつめ――――――テメェは動くな!!」

 

「があぁぁぁあああッ!!」

 

 

 視界の隅でモゾリと動いた何かを見つけると、虎太郎は床に転がっていた忍者刀を投擲する。

 動いたのは既に回復しつつあったグラムであったのだが、不用意に動いた故に心臓を貫かれ、壁に身体ごと縫い付けられた。

 

 

「反射的に攻撃しちゃったけど……誰これ? 味方じゃないよね? オレやっちゃった?」

 

「奴はグラムとかいう吸血鬼です。任務中に彼から襲撃を……」

 

「吸血鬼ぃ!? え? なんで? 何でそんなのにオレが関わってんの? お、おかしくね?」

 

「おのれ、おのれおのれおのれぇぇぇぇ!! 何処までも私を馬鹿にしおって、人間風情がぁぁぁぁっ!!」

 

「なに怒ってんだ、このオジさん」

 

(いくら敵とは言え、哀れね……)

 

 

 完全にここ最近の記憶を失っている虎太郎は困惑するばかりであるが、虎太郎にやられたグラムにとっては堪らない屈辱だろう。

 何せ、これでは強敵との戦いを制したというよりは、無造作に虫ケラの命を奪ったも同然である。

 人間からそんな虫けらの如き扱いを受けるなど、吸血鬼のグラムにしてみれば、あってはならない現実だ。

 

 

「舐めるな人間が、この程度で、この私を拘束したと――――――何故だ!? 何故、霧になれない!? 武器も創りだせんだとぉ?!」

 

「何をしたんですか?」

 

「オレも何が何だか。いや、アイツに膝叩き込んだ時、何かやったな。そうそう、護符を張り付けた。あの護符、何だったんだろ?」

 

「確か、西洋の黒魔術のような魔法陣とか、見たこともない言語が描かれていましたが……」

 

「吸血鬼……護符……霧になれない…………あー、はいはい、アレね。アレかー」

 

「貴様ッ、私に何を……」

 

「いや、アンタに教えてやる義理なんかオレにないから」

 

 

 完全にグラムから興味――どころか記憶すら失った虎太郎は、どうでも良さげな口調で返事をする。

 

 虎太郎が用いた護符は、何も珍しくもなければ、そもそも吸血鬼用のものでもない。

 魔術師が丹精込めて作り出した霊薬を保存する“固着の護符”だ。

 

 霊薬と呼ばれるものは極めて広い効能と高い効果を得られる。

 どう考えた所で致命傷を癒し、魔術師の腕によっては欠損すら回復させ、末期癌患者を全快させる。

 反面、保存期間が極めて短いのが難点だ。様々な魔界の薬草や虫から作られ、魔術によって生成されるが故に、すぐに腐ってしまう。

 

 それを抑えて置くのが固着の護符。フラスコや瓶に固着の護符を張る事で、変質と腐敗を防ぐのである。

 

 霊薬が腐敗する過程と吸血鬼が霧化する過程は同一ではないものの、メカニズム自体は似たものであるらしい。

 名うての吸血鬼ハンターですら知らぬ裏技であり、虎太郎がどれほどの吸血鬼を屠ってきたかが嫌でも分かる。

 

 

「身体中痛いし、何か凄い疲れてるし、ここ一週間の出来事を思い出そうとすると頭痛がするし、吸血鬼には付け狙われてるし、何があったんだ?」

 

「…………よく分かりませんけど、さっき甲が自作の電気椅子で死んだのは確かです」

 

「…………………………………………………………オレは、馬鹿か」

 

「……否定は出来ませんね」

 

「この、無視をするな。何様のつもりだ、貴様らッ!!!」

 

「黙ってろ、今はオレが話してる」

 

「ぐ、っ、ぶっ、やべっ、ごばっ!!」

 

 

 虎太郎は片手で顔を覆ったままの状態で、グラムの頭部に向かって弾倉に残った銃弾を放つ。

 最早、敵としてすら認識していないサンドバック――いや、的状態にグラムは更なる屈辱のドン底へと叩き落とされた。

 

 

「まあ、いいや。任務はどうなった?」

 

「終わっています。後は、このタブレットのデータを解析すれば……」

 

「じゃあ帰ぇるべ帰ぇるべ。もう何が何だかよく分からんが、やってられんことだけは分かる」

 

(ノ、ノリが軽い……)

 

 

 今し方まで掛け値なしに死んでいた男の台詞ではない。いや、そもそも現在進行形で死にかけているのだが、余りにも色々と軽すぎた。流石の花蓮も、コレにはドン引きである。

 

 

「貴様ッ!! 名は! 名は何という!!」

 

「……才谷 梅太郎だけど?」

 

「覚えたぞ、貴様は、貴様だけは必ず殺してやる。ありとあらゆる――――」

 

「ふーん。頑張れば? ついでに男根を切除しておこう。触るの嫌だから銃でな! グッバーイ、おじさんの男の子!」

 

「ひ、ぎ、が、ぎゃあああああああああああああああああッッッ!!!」

 

(エ、エゲつない。無理よね。今、ナチュラルに偽名使っていたし。仮面で素顔も見てないから、どう頑張っても弐曲輪先生に辿り着けない)

 

 

 怨霊染みた叫び声を上げるグラムの言葉を半分も聞かずに、虎太郎は弾倉を交換すると弾丸を全てグラムの股間に叩き込む。

 吸血鬼であっても股間――殊更、男性器と睾丸は子孫繁栄に重要な器官であり、神経も集中しているが故に致命傷にならずとも激痛を覚える。

 余りの激痛に気を失ったグラムを一頻り眺めると、虎太郎はスタスタとリビングを後にし、花蓮も後に続く。とても数分前に虐殺を行った者とは思えない、軽い足取りであった。

 

 グラム。哀れな吸血鬼である。これでは完全な道化師(ピエロ)だ。

 だが、同情には値しないだろう。全ては自業自得。まともな道を歩んでいたのなら、対魔忍のド外道などと行き当たることなどなかったのだから。

 

 

(これぐらいやっときゃ、氷室よりもオレを優先して探すだろ。永遠に才谷 梅太郎を追ってくれたまえよ、グラムおじさん)

 

 

 道化師を演じていた虎太郎は、ふぅ、と息をつく。

 

 彼らしからぬ無駄な行為であったのだが、全ては顔が割れている花蓮のためだったようだ。

 アレだけ虚仮にされれば、グラムは是が非でも才谷 梅太郎という架空の対魔忍を追うだろう。

 グラムが間違いなくそうする確信があり、時間を稼ぐ為にわざわざ偽名まで使った。

 いずれは梅太郎を追う事を諦め、花蓮を探し、おびき出す為の餌とするだろうが、その頃には花蓮は対魔忍として大成している。

 

 教師として生徒を守る。その役目を全うする為に、あんな下らない行為に及んだのである。

 

 

「あれぇ!? 端末がないんだけど!」

 

「…………これ、ですか?」

 

「おぉ、そうそうこれこれ。アレ? オレ落とした?」

 

「いえ。甲が、直接」

 

「ふーん」

 

 

 セーフハウスから充分に離れた民家の屋根の上に移動した虎太郎は背後を振り返り、花蓮もそれを追う。言うまでもなく、セーフハウスがその視線の先にあった。

 

 何度も銃声が響いた故にか、周囲の住民は目を覚まし、警察に通報しているだろうが、もう全てが手遅れだ。

 虎太郎が端末を手早く操作し、パスコードを入力すると、セーフハウスから凄まじい爆炎が上がり、二人の身体を衝撃波が叩いた。

 

 

「な、ななな、何をしているんですか?!」

 

「あ? 証拠隠滅。爆薬も調節してあるから、周辺の民家への被害はゼロだぜ? 何か問題でも?」

 

「こ、この爆弾魔ァッ!!」

 

「そういうのは神村に言ってくれ。オレは、そうだな……テロリストじゃね?」

 

「なお悪いッ!!?」

 

「へっ! 汚ねぇ花火だ!!」

 

(この人を敵に回すのだけは止めよう)

 

 

 そのド外道ぶりに戦慄した氷室は、絶対に破らない誓いを立てた。

 虎太郎は屋根の上に腰を下ろし、あー、などと言いながら天の星を眺めている。もう、色々と限界のようだ。

 

 

『――ザ――ガガ、――――ザザ――――――甲、乙、応答を。こちら、丙、応答願います』

 

「あ? この声、由利か? どうした?!」

 

『……ッ?!?!! ど、どうしたんですかっ!? な、何が、一体何があったんですかっ!?』

 

『あ、やっぱりぃ。弐曲輪先生だって、間違えちゃうじゃないですかー。酷いなぁ、私ばっかり。あ! 翡翠さん、待ってェェ!!』

 

「何で驚いてんの、由利の奴? つーか、何で前園まで居るの?」

 

(由利さん、こんな大きな声出るんだ。…………はー、つ、疲れたぁ)

 

 

 普段の虎太郎からでは考えられないミスに翡翠は仰天して速度を上げたらしく、桃子は必死になって後を追うのが通信機越しでも花蓮には分かった。

 本来であれば、こんな所で腰を下ろすべきではないと分かっていたものの、流石の花蓮も疲労からストンと屋根の上に座り込んだ。

 

 かくして、一連の任務は、大きな恨みと屈辱を残しながらも終了した。

 吸血鬼グラムは、まだ死んでいない。彼の暗躍と苦労人が相対するのは、もう暫らく先の話であった。

 



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『彼の苦労は年季が入っている。つまり、ご褒美の方も年季が入ったものもあるということだ!』

 桐生 佐馬斗。

 かつてはカオス・アリーナの専属であった魔界医師であり、アサギ、さくら、紫などに身体改造を施した張本人。

 現存する魔界医師の中でも10本――いや、間違いなく5本の指に入る凄腕である。

 

 性格は傲岸にして尊大。極端に利己的で、他人の話を殆ど聴かない。言葉は通じているが、会話が成立していない状態だ。

 対魔忍がその存在を確認した当初には、ブラック、ひいては朧の部下であったが、利益目的からノマドを裏切る。

 紆余曲折を経て、現在では対魔忍組織の専属医師兼魔界技術研究者でもあった。

 

 とは言え、性格が性格なだけに、ほぼ制御が効かない。

 勝手な医療行為――もう殆ど改造に近い――を施そうとしたり、意図不明の研究を繰り返したり、と元ノマドだけあって倫理観、協調性の欠如は甚だしい。

 

 そんな桐生であっても、唯一、話を聞く人物は対魔忍の中に二人存在する。

 

 一人は紫だ。

 出会った当初から、桐生は紫に並々ならぬ執着を見せていた。

 現在では執着はより一層深いものとなり、桐生本人曰く、愛とのことであるが、真っ当な人間のそれではなくストーカーのそれであった。

 

 そして、もう一人は――――

 

 

「ク、フフ、フハハハハハハハハ――――っっ!!」

 

「――――うっさい」

 

「あっ、ががぁぁ~~~~ッ!!??」

 

 

 ――――たった今、桐生の両膝を銃で撃ち抜いた弐曲輪 虎太郎その人である。

 

 弾丸は関節を壊し、膝裏から抜ける。

 膝関節を破壊されれば、当然立っていられるはずもなく、桐生は顔から地面に倒れ伏して悲鳴を上げる。

 

 

「き、貴様あぁぁぁっっ!! 何をするかぁぁぁっ!!」

 

「あ? 膝撃っただけだけど? ええやん。いつも愛しの(ハニー)に壁の染みにされてるだろ? すぐに傷とか治るだろ?」

 

「ふざけるな! ハニーの折檻には愛がある! お前の無関心な攻撃を喰らって、いいはずがあるかぁぁぁっっ!!」

 

 

 床を血で染めながらのたうち回る桐生に視線すら向けず、虎太郎は煙草に火をつけた。

 断っておくが桐生の言葉は単なる妄言だ。紫の折檻と呼ぶには生温い制裁は、愛に起因するものではなく嫌悪と怒りによるものである。

 

 そうこうしている間にも、桐生の両膝は見る見る内に回復していく。人間ならざる回復力である。

 元々、桐生は純然たる人間であったが、紫の細胞を使って不死覚醒にも似た不死性を得るに至った。

 僅か30秒足らずで桐生の両膝は完治したものの、如何に不死と言えども痛みはある。顔を顰めながら虎太郎を睨みつけるが、視線を向けられた当人は何処吹く風だ。

 

 

「それで、寄生蟲について何か分かったか?」

 

「ふん、貴様から採取した死骸から分かることなど高が知れているが、中々面白い着想のようだな」

 

「…………分かったことだけ話せ」

 

 

 グラムが品種改良を施した寄生蟲は、やはり単なる奴隷調教用の寄生蟲とは一線を画すものであった。

 人の体液に入り込むと強烈な神経支配を開始し、女の場合は強烈な発情を引き起こす。ここまでは従来の寄生蟲と大差はない。

 

 問題は、その後だ。

 虎太郎の体内で見つかった死骸は、神経と癒着した状態で発見された。

 

 まるでアンコウの一種のようだ。

 特定のアンコウはメスの身体にオスが融合し、脳や内臓は退化して最終的には肥大化した生殖器のみとなる。

 もっとも、アンコウの特異な生態は雌雄が出会う可能性が低い深海での環境に適応したもの。寄生蟲のように他者を支配するのが目的ではない。

 

 癒着が進行するにつれて寄生蟲はその身体を変化させ、第二の脳のような役割を果たす。

 肉体、人格に変容を齎して宿主を完全に支配する。宿主は自分が支配されているなど気付きもしないだろう。

 

 

「で、完全に癒着した状態から除去の手段はあるか?」

 

「所詮は蟲だ。仮に補助脳と同じ状態になったところで薬品で殺せばいい。生命力自体に変化はないからな」

 

「宿主に影響は?」

 

「ある筈がない。オレを誰だと思っている」

 

 

 当然だ、とばかりに鼻を鳴らす桐生に、流石の天才ぶりに虎太郎も舌を巻く。

 この天才は、性格は壊滅的だが、魔界医療の腕だけは確か。虎太郎であっても、その点に関しては敵わないと認めている。

 

 

「その薬、早めに作っておけ」

 

「ふざけるな。オレが何故、対魔忍のメス豚オス豚どものために働かなければならん。そもそも、今回の件は終わったのだろう? 何の意味がある」

 

「死んだかどうかは死体を確認できていないから油断はできない。何より、この寄生蟲、他人を支配するだけで終わる程度のもんか?」

 

「――――何だと?」

 

「お前、補助脳と同じ状態になると言ったな。寄生蟲との共生に成功した奴は()()をいくらでも作れるって可能性もあるんじゃないか?」

 

 

 虎太郎の言葉に唖然としながらも、桐生の脳細胞は高速で回転していった。

 

 回収したタブレット端末から回収できた情報に関しては、桐生の解析通りのものだった。

 手にした情報にせよ、桐生の言葉にせよ、どちらか一つのみで済ませない辺りに、凄まじい猜疑心だ。

 

 ただ、虎太郎が気になったのは、コンテナ内に保存されていた食屍鬼の存在だ。

 人でも吸血鬼でもなく、よりにもよって食屍鬼に寄生蟲を使った理由が分からなかった。

 

 食屍鬼は食欲に支配されただけの死体だ。

 理由は定かではないものの、食屍鬼は吸血鬼を襲うことはなく、吸血鬼側も食屍鬼になど気を遣わない。

 元より支配できるものを、わざわざ寄生蟲を使って支配する必要性が何処にあるのか。

 

 行きついたのが、寄生蟲による吸血鬼化、寄生蟲との共生――つまり、グラムの複製を作り出すこと。

 

 食屍鬼をに寄生蟲を宿らせたのではなく、人間に寄生蟲を宿らせた結果、食屍鬼になったのだとしたら。

 そして、寄生蟲の特性を最大限引き出した結果、複製を作れるとしたのなら。

 

 辻褄は、合ってくる。

 

 

「不可能、ではないかもしれん。完全な共生関係を築けば、寄生蟲にも変化が現れる可能性も十二分にある。宿主の体内で寄生蟲が増殖し、補助脳としての機能と吸血鬼の能力が合わされば、或いは……」

 

「どちらにせよ、想像の域は出ないわけだ。実証するにはサンプルを集めるしかないな」

 

「しかし、何故そんなことに気付いた。このオレですら思いつきもしなかったというのに……」

 

「決まってる。そういう輩と殺し合ったことがあるってだけだ」

 

 

 不死、と一言によっても、その不死性は様々だ。

 紫の不死覚醒、ひいては桐生の不死性に関して言えば、単純に死ににくいというだけ。

 吸血鬼の不死性は、生き物として次元違いの再生能力故に、人間から見れば不死に等しいと言うだけ。

 アンデッドやゾンビ、食屍鬼のように、元々死んでいるものの動けるのならば、それはそれで不死と言えるだろう。

 

 虎太郎は、様々な不死の怪物と殺し合った経験の持ち主である。

 そういった連中は、自らの命をストックしたり、或いは肉体を複製したり、或いは他者の肉体を奪うことで不死を実現したり、と発想も実現方法も多種多様であった。

 

 彼からすれば、そんなに死にたくないのかと呆れ返るばかりの連中であったが、人の事は言えないだろう。

 肉体的には死んだというのに、精神力だけで蘇ってきたこの男も、十二分に不死身だ。

 

 もっとも、この男の恐ろしい所は、そういった不死の怪物を、単なる知恵と対策、不死殺しの発想と手段を用意し、鏖殺してきたところであるのだが。

 

 

「………………お前は、いくつ手段を持っている」

 

「さぁな、正確に数えた覚えがないから分からん。それにほら、アレだ。千の手段を用意して、その中で一つでも通用すれば上等だよな」

 

「この、偏執狂め……!」

 

「何をビビってるんだ、桐生ちゃん? だって、殺し合いだぞ? 敗けたら死ぬ。死なない為に死ぬほど準備をするなんざ、誰だってやってることだろうが」

 

「オレは井河 アサギだろうがエドウィン・ブラックだろうが、必要とあらば敵に回す。だが、貴様だけは何があっても敵に回さん!」

 

「そうか。ソイツは重畳。手間が減るのは良い事だ。薬の方は頼むぜー。これからも良い関係でいような、桐生ちゃん」

 

 

 虎太郎は研究室の奥へと逃げるように消えていく桐生を眺め、届いていないのを理解しながら彼の背中に言葉を投げかけた。

 

 誰であっても尊大な態度を崩さない桐生からは考えられない怯えた表情であったが、無理もない。

 桐生もまた虎太郎によって徹底的に叩きのめされた者の一人だからだ。

 彼もまた理解している。自分が生かされたのは、あくまでも魔界医師としての腕を買われたからに過ぎない、と。

 生じる利益と不利益が逆転した時が、桐生の最期なのである。対魔忍との協力関係を築いてはいるが、虎太郎との敵対関係が解除されたわけではない。

 

 

「しっかし、面倒な事だ、全く。こんなことなら、記憶失ったままの方が……いや、そっちの方がもっと面倒事に発展するな、うん」

 

 

 ガリガリと片手で頭を掻きながら、桐生の研究室を後にした虎太郎は大きな溜め息をつく。

 

 死から生還した折り、すっぽりと抜け落ちていた一週間分の記憶は、身体が回復すると同時に戻ってきた。

 其処からの推察、吹き飛ばした自身のセーフハウスからグラムの死体だけが見つからなかった点から、虎太郎は既に次の戦いに目を向けている。

 

 あの自分以外の全てを見下している吸血鬼が、自分を虚仮にされたまま黙っている筈もない。

 奴が来日した目的は不明だが、最悪の場合は本来の目的すら投げ捨てて、対魔忍と敵対しかねないと踏んでいた。

 その際には、寄生蟲の存在は脅威となる。今の内に対策を用意し、凡百の吸血鬼と同じく駆逐するのが理想だ。

 

 

「さて、準備はするだけ、しておくか」

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「対象に動きはあったか?」

 

「いや、何もない………………こんな任務に、何の意味が」

 

「言うな。オレも同じ気持ちだ」

 

 

 虎太郎と桐生が寄生蟲について会話をした日の深夜。

 五車町の闇の中で、二人の忍が内心の不満を露わにしながらも一つの任務についていた。

 

 任務の内容は、ある対魔忍の監視。

 ここから推察できるのは、アサギの命によって対魔忍内部の不穏分子を監視だろうが、現実は違っていた。

 

 ――彼等の任務は、他ならぬ井河 アサギの監視であった。

 

 対魔忍は決して一枚岩ではない。

 それぞれの家系、派閥、集団が存在しており、任務の内容が異なるのは当然として、独自の行動を起こす場合もある。

 己自身の正義の実行。組織内部における権力拡大。もっと単純に金銭の為――――理由は様々だ。

 アサギ自身の強さとカリスマによって組織としての対面は保っているが、完全な意思統一は、まだまだ先の話。

 アサギによる意思統一を嫌い、表向きには恭順を示しながら、裏では虎視眈々とアサギの座る椅子を狙う輩も少なくはない。

 

 二人は、そうした者の一人である加藤家に名を連ねる忍であった。

 

 加藤家は代々優秀な金遁使いを輩出してきた名門であると同時に、かつては井河家と敵対していた忍の家系でもある。

 現頭首は今は亡きアサギの祖父と同世代であり、対立を繰り返していた。人一倍、対魔忍を統べるべきは我々という認識が強い。

 その娘である加藤 ひとみは五車学園で教鞭を振るっているものの、アサギと対立することもしばしばである。

 

 不幸中の幸いは、アサギ・ひとみ世代は魔族・米連の横行が激しくなってきた世代であるが故に、対立はしても協力は惜しまない。

 互いの力は、日本を守る為に必要不可欠という認識が強く、それ以降の世代も頭首同士の対立はあっても、個人では何の問題もない付き合いをしている。

 

 問題は、それ以前の世代だ。

 アサギの祖父、加藤家現頭首、ふうま弾正などの世代は、魔族や米連との抗争はあったものの、現在ほどではなかった。

 また政府公認の組織でもなく、対魔忍がそれぞれの家系のやり方で、世に潜む魔や悪人を狩っていた時代の生き残り。

 かつての時代のまま時が止まり、現在の在り方に対応しきれないのは無理はないものの、今現在、現役の対魔忍からすれば、鬱陶しい事この上ない。

 

 正に老害、老醜と言ったところか。

 老い先短いが故に判断能力が鈍り、権力や立場に縋るのも致し方ないが、半端に権力を持っているが故に、下の世代も逆らえないのである。

 

 こうして、二人もまた不本意な任務を強いられていた。

 

 

「アサギ様を追い落とした所で何になる。確かに、加藤家が対魔忍を統べるべきだとオレも思うが、状況が状況だぞ」

 

「分かってる。ひとみ様も、そうお考えだろうよ。だが、頭首殿の命だ。下っ端は下っ端らしく――――」

 

「なん――――ぐっ」

 

 

 今の現状を理解せず、かつての確執と立場に縛られている頭首に対して悪態を吐くことに意識を持っていかれていた二人は、首筋への衝撃にあっさりと昏倒した。

 

 

「お仕事ご苦労さん。……はぁ、佐久に百田、弓走の次は加藤かよ。何でこう、現実が見えてない連中ばっかなのかね。毎度毎度、面倒だ。あの爺様ども死んでくれねーかなぁ」

 

 

 此処に来るまでの間、似たような任務を仰せつかったであろう忍たちを倒してきたらしく、虎太郎は自分の苦労を増やしてる元凶の一つに諦めにも似た呟きを漏らす。

 

 しかし、この程度なら可愛いもの。

 何処かの誰か(アサギの祖父)など、アサギの情報を魔族に流したこともある。かつて、アサギが妖魔として復活した朧の手に堕ちた原因だ。

 度し難い裏切りではないが、現実の見えていない傍迷惑な行為。溜め息の一つもつきたくなるだろう。

 

 哀れな下っ端二人が朝まで目を覚まさないであろうことを確認すると、虎太郎はそれ以上は何もせずにアサギの家へと向かう。

 

 彼は毎回、アサギを監視する者を倒しているわけではない。

 そもそも、こうした監視はアサギも黙認しているし、この程度の監視でボロを出すほどに間抜けな女でもなかった。

 

 ただ、自分とアサギが秘密裏に会う場合にのみ、面倒事を避けるため監視の目を奪う。

 頭首たちは虎太郎がふうまの跡取りであった事実を知っている。そんな彼がアサギと秘密裏に会うなど、厄介事を招くだけだ。

 

 監視を完全に排除した虎太郎は、何の緊張もなくアサギ宅の扉の前に立つとチャイムを鳴らす。

 暫らくして、パタパタとスリッパの音が扉を通して耳朶を打ち、扉が開いた。

 

 

「あら、来たのね」

 

「オメェが呼んだんだろうがよ、オメェがよぉ」

 

「それでも来るのは虎太郎に任せているんだから、驚きもするわ」

 

「嘘つけ。気配で気付いてただろうが」

 

 

 悪戯っぽい表情を浮かべるアサギに、虎太郎は心底嫌そうな顔をする。

 虎太郎に関しては普段通りだったが、アサギは対魔忍としても、その頭領としての仮面も被ってはおらず、井河 アサギ個人としての柔らかな表情を見せていた。

 彼女がこんな表情を見せるのは極々一部に限られているのだが、彼には喜びなど欠片もないらしい。

 

 上がって、と促すアサギに言われるがまま、虎太郎は後に続く。

 

 彼女は学園長としての正装でもなく、対魔忍としての装束でもない、薄い橙色のニットワンピースに黒いストッキングを履いた部屋着姿。

 恐らく、妹のさくらしか見た事のない、気を張っていないアサギ本来の姿だ。

 

 

「取り敢えず、夕食にしましょう。少し時間は遅いけれど、いいでしょう?」

 

「いいけどよぉ。……またぁ? またこれなのぉ~?」

 

「好きでしょ? ハンバーグ」

 

「嫌いじゃないけどさぁ。お前に食事をご馳走されると常にこれなのが不満」

 

「小さい頃は、美味い美味いって喜んでくれたのに、時間は残酷ね」 

 

「10年以上も前の話だろ。好みも味覚も変わるにゃ充分だと思うんですがねぇ」

 

 

 虎太郎は不満を漏らしながらも、ダイニングの椅子に腰かけた。アサギは彼の正面に陣取る。

 テーブルの上にはメインのハンバーグ。付け合わせは、新鮮野菜のサラダ、ホウレン草とベーコンのソテー、玉ねぎとジャガイモの味噌汁。

 白米が主食である日本に合わせた洋食といった趣きのメニュー。

 

 頂きます、と両手を合わせ、食材と調理した本人への感謝を込めての一言に、アサギは小さく頷くと頬杖をついて、食事の様子を眺める。

 味は悪くない。不知火や凜子、凜花ほどではないものの、ゆきかぜほど下手という訳ではない。敢えて言うのなら、何処にでもありふれた家庭の味といったところだ。

 

 

「今日は佐久と加藤、おまけに百田と弓走の連中がお前を監視してた」

 

「そう。佐久家と加藤家は野心が強いから当然ね。百田家と弓走家は跡取りが優秀だもの。良からぬ妄想に取り憑かれるのも頷けるけれど、困ったものだわ」

 

「どいつもこいつも分相応って奴を知らないねぇ」

 

「何? 嫌味のつもり?」

 

「さぁて、何の事やら。心当たりがあるのはいいことだ」

 

 

 これまでの意趣返しと言わんばかりの嫌味に、アサギの目に鋭い光が灯ったものの、すぐに掻き消えた。

 

 アサギの至らなさは彼女自身がよく理解しているのだ。人を率いるカリスマはあるが、組織運営とは全く関係がない。

 アサギも自らの器は精々が部隊長クラスであり、魔族や米連に対抗する組織の長としては分不相応だと理解している。

 それでもなお自ら座を降りないのは、現状、自分以外に対魔忍を纏め上げられる人物がいないからだ。

 

 対魔忍は正義と誇りを旗と掲げる集団である。

 だが、正義や誇りは人によって変わるもの。対魔忍であっても変わりはしない。

 それぞれの正義の色、それぞれの誇りの差異が、日本を闇の勢力から守るという意思統一を阻害しているのだ。

 アサギの正義と誇りを最も理解し、最も近くあるのが、正義や誇りを持たない虎太郎という辺り、皮肉が効いている。

 

 

「ご馳走さん。それで、こっちの話から始めていいか?」

 

「御粗末様。少し待って、洗い物を済ませるから」

 

 

 そんなものは後にしてくれ、と言葉にしかけた虎太郎だったが招待された身であることは弁えている。不満を飲み込み、食後の一服と洒落込んだ。

 アサギが鼻歌混じりで食器を洗う背中を眺めて紫煙を味わいながらも、これから何をすべきなのかを考え続けている。

 

 睡眠か、失神か。

 意識を喪失した時以外、虎太郎の思考は、五歳の時から止まったことなど一度もなかった。

 

 

「はい、お仕舞い。さあ、こっちに来て」

 

「おい、お前なぁ……」

 

「……ん!」

 

 

 アサギは手早く洗い物を済ませると、三人掛けのソファに腰を下ろし、自分の膝をポンポンと叩く。

 その手には耳かきが握られている。何を待っているのかは明白だった。

 呆れながら頭を掻く虎太郎に、アサギは譲るつもりは毛頭ないらしく、もう一度膝を叩いて促した。

 

 虎太郎は渋々ながらも指示に従い、ソファに身体を横たえると頭を膝に乗せ、後の流れはアサギに任せた。

 

 

「それで、このまま話してもいいか?」

 

「ええ、構わないわよ」

 

「――――九郎は海外だな? 今、何処にいる?」

 

「あちこち飛び回って貰ってるわ。報告の為に、そろそろ戻ってきて貰う予定だけど、それが?」

 

 

 明確な国名を出さない辺り、相当危険な任務か、秘匿性が優先される任務なのだろう。

 虎太郎も無理に聞き出すつもりはないし、アサギも答えるつもりはない。重要なのは、九郎を動かせるかどうかだ。

 

 

「グラムについて探らせろ。奴は、早めに処理しておかないと後々面倒になりそうなんでな」

 

「貴方の推察では、自分の複製を作れるんだったわね」

 

「あの手の手合いは一度で潰さなけりゃイタチごっこになる。どうやらあの輸送方法じゃ、金もそんなにないようだしな。日本に用がある内にケリを付けたい」

 

 

 自分自身の記憶と意識、能力を継承した完全な複製を作り出す。

 どのような過程を経るかは不明であるものの、複製のストックがある限りは死なない。

 グラムの動向と目的を探り、準備が整う前に叩き潰さねば、殺しては複製が作られ、作られた複製を殺す羽目になる。兎に角、楽をしたい虎太郎にしてみれば、最悪の手合いだ。

 

 

「分かったわ。九郎には伝えておく。勿論、無理のない範囲でね」

 

「もう十分に無理させてるだろ」

 

「それは言わないで。私だって分かってるんだから」

 

「……アルにも情報を探らせる。二人に任せれば、背景くらいは見えてくる。その目的もな」

 

「ええ。……はい、今度は逆側よ。綺麗過ぎて物足りないわ」

 

「あのね。オレは面倒嫌いだが、ものぐさじゃないの」

 

 

 九郎による情報収集を取り付け、虎太郎は思考を巡らせる。

 グラムの背景が見えてくれば、日本にやってきた目的も見えてくる。後は、目的を果たそうと戦力や手段を集中させたグラムに横槍を入れる腹積もりだ。

 敵が勝利を確信した瞬間こそ最も無防備であるが、同時に敵が獲物を狙い攻撃を仕掛ける瞬間も、獲物に気を取られるが故に無防備になるのを理解していた。

 

 

「こうするのも久し振りね。最近は、私も貴方も忙しいから……」

 

 

 昔を懐かしんでいるのか、アサギは僅かばかりに寂寥を感じさせる声色で言った。

 虎太郎を井河に引き入れたのは、他ならぬアサギだ。引き入れた当初は監視の名目もあり、虎太郎の世話も彼女の役割だった。

 当時から冷徹かつ冷酷。今よりも、もっとずっと酷いド外道ぶりの彼には随分と悩まされたものだが、対魔忍として致命的な甘さを持つ彼女には、見捨てるなど出来よう筈もない。

 

 ――いや、アサギには、初めからそんなつもりはなかった。

 

 

「誰のせいだ――と言いたい所だが、こればっかりはお前ばかりを責められん。お前は、よくやってる方だよ」

 

「ふふ。そうやって、私をありのままに評価してくれるのは、虎太郎くらいよ」

 

「まあ、お前がオレを生き地獄に叩き落としている事実は忘れちゃいないがなぁ!」

 

「もう、嫌な子ね。人を喜ばせておいて、そんなことを言うなんて」

 

「上げて落とすのは基本」

 

 

 何の基本なのかはアサギには理解不能だったが、馬鹿にされていることだけは分かったらしく、パシリと虎太郎の頭をはたいた。

 

 

「そんなことを言うなら、あの件もなかったことにしようかしら……?」

 

「あ? あの件? 何かあったっけ?」

 

「今、書類仕事の大部分が虎太郎持ちでしょう? その負担を減らそうと思っていたのだけれど……」

 

「はぁ?! マジでぇ!!?」

 

「ちょっとぉ、危ないわよ」

 

 

 アサギの科白に、耳掃除の最中にも拘わらず虎太郎は驚きの余り上体を跳ね上げた。

 咄嗟に耳の中から耳かきを引き抜いたアサギの反応速度も大したものである。

 

 

「本当は、もっと早くこうしてあげたかったのだけれど。虎太郎のせいでもあるのよ? 誰も彼も貴方と一緒に仕事をしたくないって」

 

「ああ。オレも一緒に仕事したくない。そういう奴に限ってこっちの足引っ張るから。いや、それよりも誰を寄越すつもりなのぉ!?」

 

「全く……紅羽に翡翠、奏、零子、碧。皆、貴方を中忍に推薦したメンバーよ」

 

「あわ、あわわ、はわー!? あばば、おおお願いしますアサギ様ぁーっ! その話をなかったことにするのをなかったことにしてしゃいぃ!! ボクもう色々と限界なんです!! 仕事量がキャリーオーバーしちゃってるんでェェェっす!!!」

 

(分かってはいたし、私のせいでもあるけど……哀れね)

 

 

 自身の最速でアサギの前に正座すると、床をぶち抜く勢いで額を叩き付ける。

 もっと深く! 斬り込むように! 抉り込むように! これ以上ないほどに綺麗なフォームで! 土下座とは究極の命への執着!

 そう言わんばかりの綺麗なフォームの土下座であった。このまま書類仕事が減らないのであれば、虎太郎にしても本気で過労死しかねない状況であったようだ。

 

 何よりも、メンバーが嬉しい。

 紅羽、翡翠、奏の三名は上忍になった折り、何かと面倒を見ており、虎太郎の持つ技能の一部分を学んでいる。

 書類仕事のノウハウに関しても同様。一から教える必要がないのである。

 

 そして、零子、碧の二名は虎太郎本来の役割と本性を知っているベテランだ。

 零子はベテランの中では若い方であるが、あらゆる分野に対して向上心が強く、放っておいても成長する。

 碧は不知火と同年代であり、対魔忍が政府公認の非公式組織になったばかりの経験もなく、人手もない変遷期(いきじごく)を経験していた。

 

 何よりも、虎太郎の話に耳を傾ける。

 それさえあれば如何様にでも出来る男だ。人を育てるのも、人を使うのにも長けた男である。そもそも、苦手な分野があるのかすら疑わしい。

 

 アサギもこれまで、幾度となく構想は練っていたのだが、虎太郎の悪評ばかりが先行して、必要な人員を配置できなかったのだ。

 有能無能に関わらず、彼の下で、彼と共に、彼と協力することすら拒絶され、構想は構想のまま、いつまでも先送りとなっていた。

 

 

「安心なさい。私だって、虎太郎には感謝してるし、申し訳なく思っているのよ」

 

「そういうのいいんで。言葉だけの感謝とか謝罪とか、クソの役にも立たないんで。誠意はな、金だよ、実益だよぉ!!」

 

「はいはい。その五人には了承を得ているの。今更反故には出来ないから安心なさい」

 

「うぉお……おぉお……、だらっしゃぁあぁぁぁあああぁぁっっっ!!」

 

(……見たことないぐらい号泣してる)

 

 

 試合終了間際、逆転ゴールを決めたサッカー選手のように、虎太郎は泣きながら床に両膝をついて天を仰いでのガッツポーズを見せる。 

 

 虎太郎が苦労に喘ぎ、泣く姿は何度となく見ているが、歓喜の号泣は初めてみる。

 それだけ苦労をかけていたということなのだが、正直な所、アサギもドン引きする喜びようである。こんな虎太郎は20年近い付き合いになるのだが、初めてみる。

 

 

「よし! よしよし! 蘇我と由利には報告書関係、穂村には金銭関係、蓮魔と峰麻先生には任務関係の回せばいいな! あとオールマイティにオレ!」

 

「ちょっと、虎太郎……」

 

「楽になってくるぅ! 楽になってきたぞぉ! 用は済んだし、良い事聞いたし、今日は帰ってクソして寝る!」

 

 

 虎太郎は意気揚々と立ち上がり、楽になるであろう書類仕事に歓喜してアサギ邸を去ろうとする。

 アサギに礼を言わない辺り、まだ冷静なようだ。そもそも、彼が書類地獄に喘いでいたのはアサギの責任とも言える。マッチポンプにひっかかる――アサギにそのつもりは全くないが――ほど、甘い男ではない。

 

 その時、虎太郎は服の袖を引かれ、立ち止まる。無論、引き止めるのはアサギしかいない。

 

 

「……も、もう、……帰る、の?」 

 

「………………ん~? なにぃ? 何か問題あるぅ?」

 

 

 必要以上に引き止める気はないのだろう。

 本当に軽く袖を抓んだだけで、振り払おうと思えば――いや、下手をすれば気付かないほどの力加減だ。

 

 アサギは頬を朱に染め、決して視線を合わせようとはしなかったが、袖を放そうともしない。

 その様子に、虎太郎は笑みを浮かべる。不知火とゆきかぜ、凜子や凜花も見た、女を弄んで自分の牝にする悪辣な男の笑みだ。

 

 

「問題は、その、ないけれど……」

 

「そいつは失礼。こちとら性癖歪んでるもんで。女が形だけ嫌がって、実際は悦んでいるところを見るのは正直楽しい」

 

「本当、嫌な子…………そうやって、不知火も、ゆきかぜも、凜子も、凜花も堕としたのね」

 

「あー……まあ、アイツ等が望んだところもあるし、男として応えたくなった部分もある。つーか、やっぱり分かるか」

 

「分かるわよ。ゆきかぜも凜子も凜花も、すっかり顔が変わってるし。不知火も上手く隠してはいるけど…………皆、私と同じ顔をしてるわ」

 

 

 想像すら越える鋭敏な女の勘に辟易としながらも、虎太郎の笑みは深まるばかり。

 

 一方のアサギは呆れを含みながらも、目尻は垂れ下がり、口の端が歪み、明らかな媚びと嫉妬を孕んだ表情に変化している。

 4人が、この顔と同じであるのなら、確かに気付かぬ筈がないだろう。

 虎太郎はソファに座ったままのアサギに顔を寄せ、こつんと額を合わせる。まるでお前のことを忘れていたわけではないと言わんばかりだ。

 

 男の目には愉悦の光が、女の目には嫉妬と情愛の光が灯り、どちらともなく唇を重ね合わせる。

 舌は出さず、唾液の交換もない。ただただ互いの愛情を確認し合うようなキス。

 

 アサギは積極的に虎太郎の唇に吸い付き、虎太郎も積極さを見せるアサギに合わせていた。

 それだけで二人の関係が分かるというものだろう。もっとも、彼は自らは愛さず、愛されれば愛し返すのみ。

 アサギであろうと、ゆきかぜであろうと、凜子であろうと、凜花であろうと、不知火であろうと愛情表現は変わらない。

 

 

「…………あ」

 

「はは、こいつはまた」

 

 

 キスに夢中になっていたアサギは、虎太郎が裾から手を入れたことに気付きもせず、ニットワンピースを簡単に脱がされてしまう。 

 

 抵抗らしい抵抗すら見せずに晒された肢体は、淫靡な下着で飾り立てられていた。

 黒いガーターストッキングに、黒と赤のシースルーブラとショーツ。花柄の刺繍の下から薄らと肌を透けさせている。

 何よりもパックリと縦に入ったスリットが、最も隠しておかなければならない乳頭と秘所を解放してしまっている。

 

 アサギの肢体は元より女体として完成されていた。

 しかし、芸術や女体の黄金比よりも淫靡さが先に立つ。見る者を魅了する美しさよりも、雌の淫らな本性が形になったかのよう。

 それが、更に淫らな衣装で飾り立てられる。虎太郎以外の男であれば、人魔を問わずに襲い掛かっていたはずだ。

 

 

「いいな。アサギのSEXしたくて堪らないって内心が滲み出てるところが特に……」

 

「も、もう、そんな事…………あるけれど、わざわざ言葉にしないで……」

 

「いいじゃないか。事実だろ? それにお前は、こんなものまで付けられたのに、抵抗なんてしなかったじゃないか」

 

「ひぃ、いんっ……♪」

 

 

 虎太郎はストッキングに包まれた両脚を掴むと、彼女自身に抱えさせた。股を大きくV字に開かれ、女陰はより露わとなる。

 

 彼が“こんなもの”と称した物体を指で弾かれ、アサギは切なげな、嬉しげな喘ぎ声を漏らした。

 指で弾いたのは何の変哲もない金色のリング。それが両の乳首と淫核に嵌め込まれている。

 嵌めた当初よりも性感帯は大きく成長しているのだろう。もう、切除でもしなければ外れる様子は見受けられない。

 

 

「こ、虎太郎が、嵌めたんじゃない。独占欲丸出しにして、乳首も、クリトリスも、何度も何度も苛め抜いて、外れないように大きくしたくせにぃ……」

 

「そうだったっけぇ……?」

 

「そ、それに、自分の女にしたのを良い事に、性技の練習させろって。泣いて懇願しても許さずに、数えきれないくらいイカせて自分専用にしたじゃないっ」

 

「そうだったな。懐かしいくらいだな」

 

「10年以上もねっとり、みっちり仕込んで、自分好みの女にしたのは、虎太郎、でしょう?」

 

「責任は取るって言ってるだろ?」

 

「もう、いやぁ……虎太郎にオマンコ見られるだけで……あァ」

 

「くく、出てきたな。アサギのドスケベ刻印」

 

 

 虎太郎が自分の仕立てた女を無遠慮に眺める視線を受けただけで、アサギの身体と頭は媚薬でも遠く及ばない発情で満ちていく。

 元々大きかった乳首とクリトリスは小指の先を連想させるほどに勃起し、リングによってくびれを作るほどだった。

 

 更には、下腹部――ちょうど、子宮の上あたりにじわじわと刺青のような跡が浮かび上がる。

 ハート型のそれは、かつてアサギに施された悍ましい刻印の名残だ。

 

 催眠刻印。

 ノマドに寝返った裏切りの対魔忍。一度は死に妖魔として蘇り、二度目の死はブラックの手によって吸血鬼として蘇った稀代の悪女、朧の忍法だ。

 呪術の施されたアクセサリーを媒介にして発動し、対象がアクセサリーを身に着けたまま忍法を発動すると、身体に溶け込み刻印へと変化する。

 催眠刻印が浮かび上がれば、対象は本来の意識を保ちながらも抵抗の出来ない催眠状態に陥り、朧の操り人形と化す。

 

 カオス・アリーナでの一件でアサギへと施された催眠刻印は、仕掛けた張本人である朧を殺害したことにより解呪されており、桐生の診察からも問題は発見されなかったものの、ある条件を満たすと刻印が姿を現す。

 

 それはアサギが身も心も明け渡し、本気で発情を示した時にのみ、刻印が浮かび上がる。

 かつてのような催眠状態に陥らないが、アサギに向けられる朧の並々ならぬ執念が、自分が如何に屈辱を味合わせたか、どれだけの凌辱によってアサギを追い詰めたのか、を忘れさせまいとしているかのようだ。

 

 ――もっとも、当のアサギにとっては、自分を女として虜にした、自分の最愛の男になった虎太郎を楽しませるだけのアクセントにしかなっていない。 

 

 何よりも、かつての忌々しい刻印は形を変え、意味も変わっている。

 ハートの下には茨のような意匠が加わっており、虎太郎の女になった証そのものだった。

 

 哀れ、朧。

 彼女にとってアサギは終わらない復讐の対象であっても、アサギにとっては憎んでこそいるが、単なる打倒すべき敵に過ぎない。

 朧は何時でもアサギに尋常ならざる思いを抱いたとて、アサギは今この瞬間、虎太郎のことしか考えていない。滑稽さも極まれば哀れとなる。

 

 

「最近は、ゆきかぜ達ばかり構って……」

 

「何だ、アサギ。ゆきかぜみたいな若い連中に、みっともなく嫉妬か」

 

「うぅ……嫉妬も、するわよ。私だって、虎太郎の女なんだからぁ!」

 

 

 怒りと嫉妬で泣きそうな顔になりながら、アサギは虎太郎の女だと主張する。

 あらゆる魔を討つことを目的とする最強の対魔忍が、女として自分を求めている。

 男としては堪らぬシチュエーションだ。虎太郎はいきり立った剛直を空気に晒し、全ての服を脱いで全裸になる。

 

 それを見ただけで、アサギはうっとりと目を細め、極まった発情を吐き出すような吐息を漏らした。

 既に秘裂は左右に割れ広がり、その下の菊門もポッカリと開いている。ひくひくと期待で震える両穴を白濁した本気汁で塗れさせながら、慣れ親しんだ男根を待ち望んでいた。

 

 

「も、もう、我慢できないわ。早く、早くちょうだい。ね? ね?」

 

「おいおい、どうした? いつもなら口や手でメチャクチャにイカされてからの方が好きだろ?」

 

「だ、だって……」

 

「……? まあ、いいが。それより、ほら」

 

「も、もう…………い、淫紋まで浮かび上がらせて、虎太郎の硬くて太いカリ高チンポをおねだりしてる淫乱おまんこ、ぐっちゃぐちゃに掻き回してぇ?」

 

 

 普段とは様子の違うアサギに怪訝な表情をしながらも、虎太郎は女のはしたない懇願に従い、太く長い怒張を最奥まで押し込んだ。

 

 

「んお♪ お、ォお♪ んっほぉぉおおおぉおぉおおおぉっっ♪」

 

「……ぐっ、おっ」

 

 

 勢いよく逸物を飲み込んだ女の象徴は、子宮口は何もしないまま緩みきり、子宮まであっさりと明け渡して絶頂に至る。

 襞の一枚一枚がうぞうぞと蠢き、幹を必死で扱き上げ、精をねだった。

 

 アサギの女陰は虎太郎が仕込んだ。

 元より女の淫らさを体現したかのような名器であったが、虎太郎が十年以上もかけて教え込んだ技によって、更に磨きがかかってる。

 性の技と知識に長け、他種族を堕落させる淫魔族であっても、数分と持たずに射精に至り、干からびるまで精を絞ろうとする。虎太郎しか楽しめない専用穴。

 

 しかし、今日に限って、虎太郎ですら薄ら寒くなるほどの快楽が男根から脳へと駆け上ってくる。

 

 

「ほぉ……おぉ……ん、ひっ……くぅぅぅ、ん♪」

 

「っ……おい、今日はやけに具合が、」

 

「あひっ!? 今、動かしたら、れ、れちゃ、いひぃぃぃいいんんっ♡」

 

 

 ほんの僅かに、子宮の壁に亀頭が擦りつけられただけであっさりと絶頂に押し上げられ、緩んだ尿道から勢いよく小便を漏らす。

 びちゃびちゃと己の身体が小水で濡らしていく間も、アサギの牝穴は精をねだり続け、絶え間のない快感を与え、自らもまた快楽を貪る。

 

 

「どうした、何時もよりも感じやすくなってるじゃないか。お前が、挿入だけで嬉ションとは、な」

 

「ひぇぁ、あふぅ、ひゃへぇぁんっ♪」

 

「おい、何とか言えよ」

 

「らっへぇ……とひを考えてよぉ、もう子宮が、急かひれるのぉ……抑えが効かないんだから♡?」

 

 

 アサギも、そろそろ30に至ろうという時期だ。

 世間では当に行き遅れと呼ばれる年齢。子を孕む適齢期も過ぎ去っている。これから待っているのは衰えだけ。

 虎太郎にせよ、他の男にせよ。そうなれば、見向きもされなくなるだろう。そうなる前に、身体が――子宮がアサギを急かしても、不思議ではないだろう。

 

 

「別に、年増だろうが構わんがな。オレが歳喰った程度で女を捨てるほど生易しくはないぞ。それはそれで楽しみようはある」

 

「んんっ、そんなこと言ってぇっ、最近はゆきかぜ達ばかりじゃないのぉっ」

 

「アイツ等が若いのは認めるが、お前だって十分若いだろ。肌の張りも、胸も尻も三十路の女のもんじゃないだろ」

 

「そ、それは、虎太郎が何時も何時も発情させて、私が女なんだって意識させるから……」

 

「オレを悦ばせるために頑張って若さを保ってるのか。お前、本当に可愛いなぁ」

 

 

 ニヤつきながらの虎太郎の発言に、アサギは今まで以上に真っ赤になった。リップサービスなどではない。呆れを含みながらの発言が、間違いなく本心の吐露であることを告げていた。

 身体もまた正直だ。膣道はきゅんきゅんと剛直を締めつけ、子宮口と子宮は亀頭に吸い付いて離さない。

 

 自分よりも年下の男に弄ばれるこれ以上ない羞恥。そんな男に女としての自分を真っ直ぐに褒められる歓喜。

 ぐらぐらと脳髄が沸騰しそうなほどの羞恥を感じながらも、アサギは優秀な男から一心に求められる女の悦びを熱い雌潮を噴いて表現した。

 

 

「何なら、今ここで孕んでみるか? オレは構わないぜ?」 

 

「ひぃん、……やめっ、やめてっ。虎太郎だって、分かってるでしょう?」

 

「ああ、今お前が孕んで、出産だの子育てだので時間が取られたら、対魔忍はどうなることやら」

 

「いぃんっ、分かっているならぁっ、ぐりぐり子宮を押さないでぇっ!」

 

「――だったら、脚をほどいてくれよ」

 

「あっ……あぁ、そんな、そんなぁ……」

 

 

 何時の間にか、アサギの両脚はしっかりと虎太郎の腰に回され、意志とは裏腹に身体は子を孕む為に動いている。

 指でぐりぐりと淫紋の上から子宮を押され、内部に侵入した亀頭に天井から壁から撫で回され、マグマのような生殖欲求は高まるばかり。

 

 いくらアサギでも、如何にもならない。身体の欲求には抗えないのである。

 

 

「今は、駄目ぇ。全部、終わったら、好きにしていいから。お願いよぉ」

 

 

 それでも泣きながら懇願し、なおもアサギは対魔忍としての意志を手放さない。

 女としての自分、対魔忍としての自分の狭間で揺れながら、アサギは意志だけで拒絶を示してみせた。

 

 一見すれば無意味な懇願にしか映らないだろう。

 だが、虎太郎にしてみれば、これこそが井河 アサギだ。どのような窮地でも諦めずに戦い抜くための、対魔忍そのものと言える強靭な意志。

 

 ――最後の一線だけは、何があっても踏み越えない。

 

 

「お前のそういうところを、一番気に入ってるんだ」

 

「んぐっ――――んぶちゅ、んれぇ、れろ、じゅりゅ、りゅ、んんむ♪」

 

「分かった。今はまだ駄目なんだな。だが、お前が納得するところまで行ったら、必ず孕ませる。閉経する前に終わらせろよ?」

 

「が、頑張るっ♡ 頑張ってっ、虎太郎に、思い切り孕ませて貰うっ♡ んおっ♡ おっオっ♡ おっほぉぉぉぉ♡」

 

 

 ビキビキと音を立てて、更なる硬度を得る怒張に、アサギは獣そのものの牝声を上げる。

 

 抽送――と言うよりかは、アサギの意志に反して子をねだる子宮を宥めるように、亀頭を使って壁や天井を擦り上げた。

 さしもの虎太郎も、自分の仕上げた牝穴と子宮の及ぼす快感に、意志に反して何度となく我慢汁を吐き出し続ける。

 

 

「これぇ、コレぇ、好きなのォっ、先汁、子宮に塗りたくられながらイクの、好きィィっ♪」

 

「流石に、これはちょっと、オレも持ちそうにないなッ」

 

「イってぇっ、イッでェェっ、ワタシ、ずっとイキっぱなしなんだからぁン♡」

 

 

 仕事であれば、任務であればいくらでも耐えるが、そもそもその必要など何処にもない。

 既に臨界に達していた肉棒は更に太さを増し、ひっきりなしに震えている。

 

 鋭敏に限界を感じ取った牝肉はより一層強く締めつけと蠕動を繰り返し、牡が最大の快楽を得られるように膣奉仕を終始する。

 

 

「くる、くるくるっ、射精っ♪ ザーメンっ♪ もう、トドメ、さしてぇぇええぇぇっっ♪」

 

「避妊に関しては任せろ。お前は安心して、アクメと射精を味わえ」

 

「ひああっ、チンポ、やっ、膨らんで、ああっ、射精ひちゃう、精液でるぅっ」

 

「ぐ、うぅ、おっ……!」

 

「んほぉぉおおぉオオっぉぉっおっぉ、うおおおほぉおおおおおおっっ♡」

 

 

 子宮にぐりぐりと擦り虐めていた亀頭から怒涛の勢いで精液が噴き出した。

 

 

「ゥゥゥ、イィィイイイイィィっ――――いぐぅぅうううううううううぅぅうううっ!!」

 

 

 甲高い牝の絶叫と共に、アサギの瞳がクルンと裏返る。

 舌をでろりと垂らし、涙も涎も流すアクメ顔を晒し、潮を噴き出して悦びを表現していた。

 脚はがっちりと腰で組まれ、注がれた精液を一滴も逃すまいとしているようだが、余りの量に虎太郎専用となったはずの子宮も膣も飲み切れず、その隙間から溢れ出る。

 

 

「あっつ゛いっ! 子宮ぅっ、おまんこぉっ、やけりゅぅぅぅううぅうううぅっ!!」

 

 

 アサギに妊娠に対する忌避はなく、牝アクメを堪能し、牡の射精を促すことしか頭にない。

 

 

「く、おぉっ、また、いつも以上に絞りにきてるなっ……!」

 

「んひぃい゛いいぃいっ! すごいすごいっっ、ザーメンびちゃびちゃすごひぃぃいいいんんっっ!!」

 

「こりゃ、負けてられんな、っとぉ」

 

「らめらめらめェェえええぇっ!! 射精しながらズコズコしちゃっ、おまんこイギまくる゛のぉっ、お゛ぉっおおお゛っっ、いぐいぐひぐぅぅぅうううぅっっ!!」

 

 

 射精の度にピストンを続け、少しでも新鮮な精液の味を楽しめるように古い精液を掻き出し、更に射精を続ける。

 

 白濁液で満たされた、掻き出される極大の悦楽。

 膣全体に白濁液が滑り、塗り込まれる極上の快感。

 

 その全てから人格を守るためにか、或いはより一層深いアクメを味わうために、アサギは両手両脚で虎太郎に抱き着き、身体を密着させた。

 ひっきりなしに痙攣する身体によって、押し付けた勃起乳首と淫核が擦れ、潮も吹けなくなった尿道から黄金水を垂れ流しながら絶頂へと登り詰める。

 本気汁と潮と小水、精液をソファに染み込ませ、更には混合液の沼まで作り、後始末のことなど頭にないのは明白だった。

 

 

「イグぅっ、アクメとまらない゛ぃ゛ぃぃんっ!! 子宮っ、いっぱいなのにっ、射精もらめぇぇぇぇぇっ!!」

 

「これで、最後だ」

 

「いぃっぐぅ♡ いぐゥウゥっ♡ イグイグイグぅゥゥううぅゥぅウウううっっっ♡」

 

 

 5分以上も続いた射精が終わるまでの間に、アサギは何度絶頂を味わったことか。

 手足は硬直してしまったかのように、虎太郎に抱き着いたまま硬直していた。

 

 荒く短い呼吸を続け、少しでも酸素を取り込もうとしていたが、虎太郎が顔を寄せると、酸欠すら気にせずに舌を絡め合わせる。

 まるで自分を天上知らずのオルガスムスを体験させてくれた雄に対して、必死に礼をしているかのようだ。

 

 

「んふぁう……♪ んちゅ、ぢゅちゅるぅ♪ るれろ、んれぇぇ、ちゅるる――――――ふおォォぉおんっ?!」

 

 

 その時、何の予告もなしに虎太郎の抽送が再開された。

 アクメの余韻から立ち直るよりも速い、逞し過ぎる剛直に、アサギは知っていながらも衝撃を隠しきれない。

 

「ま、まっへぇ……! まだ、イッテるんだからっ、おっ、おぉん、少ひは加減してぇ……」 

 

「こんなもんじゃ、オレが満足しないのは知ってるだろ? ほら、失神しようがアクメさせてやるからな、覚悟しろよ」

 

「あぁ、逞し、すぎるわよぉ♡ あっあっあっ、ダメ、イクイク、またイクから、らめぇぇぇっっ♡」

 

 

 泣き言を吐きながらも、その唇は確かな笑みを象っている。

 牡と牝の結合部から響く、ぐちゅぐちゅと聞いた者は赤面せずにはいられない卑猥な音が再会の合図であった。

 

 勿論、二回程度でも終わりはしない。

 アサギの女の悦びは、空が白み始めるまで続き、アクメの媚声が鳴り止むことは決してなかった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「ん、ふ…………」

 

「お? 起きたか? おはよう」

 

「く、ふぁぁ……もう、相変わらず、容赦ないんだから」

 

 

 快楽によって失神と覚醒を繰り返したアサギは、明け方によると糸の切れた人形のようにプッツリと意識を取り戻すことはなくなり、そこで二人の情交はようやく終わった。

 激しく責め立ててきた虎太郎を非難する科白ではあったものの、目を覚ましたアサギの声色は甘えるような響きがあった。

 

 二人は、勝手知ったる人の家とばかりに虎太郎が持ち出してきた毛布に包まり、互いの体温を確かめ合うようにソファに寄り添っている。

 

 

「風呂でも入るか?」

 

「もう少し、このままでいさせて。まだ腰が抜けてるみたい」

 

「――――そうか」

 

 

 カーテンから差し込む光が、時間帯が既に昼に近いことを告げている。

 こうなることは予期していたのだろう。二人とも、今日の仕事は昨日の内に済ませてあった。

 

 アサギは虎太郎の胸板に頭を預け、一定のリズムを刻む鼓動を確かめる耳を傾ける。

 

 

「生きてる、わよね……?」

 

「当たり前だろ。そうでなけりゃ、とっくに墓の下だ」

 

「心配していたのよ? ゆきかぜ達も、もちろん私達も」

 

「…………ふーん」

 

「昔、言ったわよね。私は、貴方と一緒にいるわ……」

 

 

 だから、貴方も――――

 

 二人の間に何があったのか。それは二人にしか分からない。けれど、アサギが最も伝えたかった言葉を飲み込んだ。

 どれだけ言葉を重ねたところで、虎太郎には届かない。それほどまでの隔たりがあるのを重々承知していたからであり、同時に深く信頼しているからこそ、言葉にしなかった。

 

 

「信じているからね」

 

「ああ、そうかい。好きにしろ。だが、期待はするな」

 

「その言葉を聞いて安心したわ。じゃあ、シャワーを浴びてから遅目の朝食に――――ちょっとぉ」

 

「いや、済まん。雰囲気的に正直言い出し難くてね。タイミングを逃した」

 

 

 何処かしんみりとした空気は、アサギが毛布を剥ぎ取ると霧散する。

 

 そこで目を引いたのは、勃起を維持したままの男根だった。

 

 これでは色々と台無しである。アサギが非難の目を向けるのも無理はない。

 虎太郎も自覚はあったらしく、片手で顔を覆い隠して謝罪する。

 

 

「もう、本当に底なしの性欲なんだから」

 

「いやぁ、はは、性技を身に着ける過程でこんなんになってしまいまして。真に申し訳ありましぇぇん」

 

「知ってるわよ。誰が、この性欲に付き合ってきたと――――いえ、付き合って貰ったのは私の方かしら、ね」

 

「どっちもどっちだな、この場合は。それより続き、いいか? 久々に、加減しなくていいんでね」

 

「嘘ばっかりなんだから。私にだって、手加減してる癖に」

 

 

 そう呆れを露わにしながらも、アサギは大きくM字にまたを開いて、剛直の上に陣取った。

 開かれた膣からは濃厚な精液が、卑猥な音を立てて溢れてくる。

 

 

「今日は一日中、しましょう? 寂しがり屋の上に甘えん坊の面倒な女を慰めて?」

 

「なら、一緒に楽しもうか」

 

「――――――あっ♡」

 

 

 さくらは任務で、数日は家に帰ってこない。

 仕事に関しても、たまの休日と気遣って、紫が全面的に引き受けてくれている。何の杞憂もないということだ。

 

 暫らくして、牡に組み伏せられた喜びに満ちた牝の媚声が家の中にだけ響き始める。

 部屋一杯に発情した牝の匂いが満ちるまで、牡の精臭が満ちるまで、鳴り止むことは決してなかった。

 



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暗躍! 強襲! 死霊騎士! 編
『苦労人の苦労人たる由縁。それは当人の知らないところで話が進んで苦労するところ』


 

「あー、空が青いぜ。オレがこんな嫌な気分なのに、何でそんなに青いんだよ、空コノヤロー」

 

 

 アサギとの密会より二週間。

 あの時の喜びようは何処へ行ったのか、虎太郎の顔は陰気で満ち、目は魚のように死んでいた。

 

 彼の言葉通り、空は見渡す限りの青空であり、夏へと向かって気温も上昇し、太陽の日差しも強くなってきている。

 そして、そんな晴天の下にある五車学園のグラウンドに、ジャージ姿で立っていた。

 

 別段、アサギが口にした書類仕事の軽減について反故にされた訳ではない。

 密会の次の日には、五車学園一階の端にあった空き教室を使い、一部署のような扱いでメンバーが集った。

 

 無論、紅羽、翡翠、奏、零子、碧のやる気がなかったわけではない。

 若い上忍三名は、元より虎太郎に対して一目置いており、恩義を感じていた。紅羽は仲間思い、翡翠は生真面目、奏は大らかと気質的に手を抜くわけも、不満があるわけでもない。

 教師組二名は、虎太郎がどれほど過酷な状況に叩き落とされているかを知っており、救出班についても知っている。実働任務の際には、可能な限り協力していた。

 

 勿論、組織内部で虎太郎がトップに立つような部署が出来ることで沸き上がった不満に辟易したわけでもない。

 そんな不満に耳を貸すような男ではなく、不満に対して、じゃあ変わるか? の一言で黙らせてしまった。

 

 ならば何故、彼がこんなにも目が死んでいるのか。………………賢明な人物ならもうお気づきであろうが、また厄介事だ。

 

 事の発端は一週間前――――

 

 

『えー、では、彼女はこれから一年間、育児休暇に入ります。彼女の代わりは、弐曲輪先生で良いでしょう』

 

『――え?』

 

『――は?』

 

『それで構わんでしょう。基礎訓練ならば、あの恥晒しでも出来るでしょうからね』

 

 

 虎太郎が任務でいないのを良い事に、嫌がらせの決定が下された。

 疑問の声を上げたのは零子と碧を中心とした虎太郎本来の顔を知っている教師達である。

 零子はハッキリと反対意見を述べ、碧は虎太郎の意見を聞いてからと宥めすかしたのだが、多数決の前にあえなく虎太郎の負担の増加が決定した。

 

 アサギや九郎、不知火から重用され、さくらと紫とは対等に接する虎太郎には数多の嫉妬が向けられている。

 そんな男のために一部署が設立された。しかもアサギ直々に。自分の方が優秀だと思い込んでいる側からすれば、面白くないであろう。

 

 完全にイジメである。しかも、卑怯なことに、本人のいないところで話が進むのだから性質が悪い。

 いい年をした大人が、嫉妬から他人を虐めるなど恥ずべき行為なのだが、一部の人間以外には不思議とすら思われていない。

 社会の中でもよくある話ではあるが、仮にも正義と誇り謳う組織ですらこれである。自分を棚上げするのが大好きであるのは、対魔忍でも変わらないらしい。

 

 そして、任務から意気揚々と帰ってきた虎太郎はと言えば――

 

 

『は?』

 

『いや、我々も粘ったのだが……』

 

『はぁ?』

 

『その、弐曲輪先生、落ち着――――』

 

『はぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁああああぁああああっっっ!?!?』

 

『『……ご、ごめんなさい』』

 

 

 ――はの疑問形三段活用を披露し、零子と碧は勢いに押されて何も悪くないのに謝ってしまった。

 

 この話はアサギの耳に入ることになったものの、虎太郎の意見によって、この状況を作った者に対する叱責はなしと決まった。

 こんなバカな真似をする連中は叱責しようがお構いなしだ。話し合いや叱責で解決する手合いなら、そもそもこんな真似はしない。また無意味に反応すれば、寧ろ相手を喜ばせることになる。

 それに虎太郎の立場が悪くなるのは明白だった。これといって気にする訳ではないが、仕事がやり難くなるのは問題だ。

 

 

『でも、それじゃあ、虎太郎の仕事が増えるわよ』

 

『週に二、三度だ。それほどでもない。だが、そうだな。奴等に思い知らせてやる。オレにそんなことをさせたら、とんでもないことになるってなぁ』

 

『生徒を酷い目に合わせるのは止めなさいよ』

 

『保証は出来んね。だが、実戦に出て死ぬよりかは、訓練で死んだ方が幸せなのは、お前も知っているだろう?』

 

『…………はぁ、万が一に備えて、桐生に連絡しておいてね。それからご隠居達には私から伝えておくわ』

 

『はいはい。隠居や当主連中にはありのままをありのまま伝えりゃいい。あの爺共はオレが人にモノを教えるのを恐れているが、オレが好きで教えるわけじゃないからな』

 

『恐れもするわ。自分が何をしたか忘れたの?』

 

『忘れる筈もない。自分がどれだけ愚かだったかを忘れるほど、馬鹿に見えるか? いや、見えんこともないか』

 

 

 くつくつと悪魔そのものの笑みを浮かべるばかりの虎太郎に、アサギは頭痛を消し去るように眉間を揉み解した。

 入ってはいけないスイッチが入ってしまった以上、もうこの男は止まらない。

 

 問題は、隠居や現頭首などの老人達――虎太郎がふうまの跡取りであったことを知っている連中だ――の存在だった。

 

 かつて虎太郎は、ある失敗を犯しており、その責任を取るために自らの手を汚すこととなった。

 最も、転んでもただでは起きぬ彼である。その問題と責任追及を片付けた上で、アサギの地位を不動のものとする離れ業までしてのけた。

 しかし、それ以降、老人達は虎太郎が誰かを指導するのを極端に恐れるようになっていた。

 現在のように、知識を教えるだけなら許容の範囲内であろうが、直接的に指導に入れば、何を言うか。

 

 しかし、老人を気にする必要もない。何せ、アサギにせよ、虎太郎にせよ、二人に責任はなく、勝手に押し付けられただけなのだ。

 もし仮に、痛い目を見るとするのなら、虎太郎にそんな仕事を押し付けた連中なのだから。虎太郎が叱責すらアサギに望まなかったのは、そういう理由もあった。

 

 

「まあ、いいさ。気持ちは切り替えていこう。それに今日で二回目だしな。さーて、どうなるかねぇ」

 

 

 グラウンドの中央に集まった学生達を眺めながら、ボソリと虎太郎は呟いた。

 虎太郎が集団に近寄っていくと、極一部を除いて殺意にも似た敵愾心を向けてくる。

 極一部は、ゆきかぜ、凜子、凜花といった虎太郎の本来の姿を知っているものか、花蓮、蛍、幸奈といった真面目な者達だけだった。

 

 基礎訓練は学年に関係なく、合同で行われる。

 ここでいう基礎とは、主に身体能力を差す。学年は関係なく集まり、幾つかの班に割り振られる。

 

 彼等彼女等が、何故こうまで虎太郎に敵意を向けるのかと言えば、問題は一回目の授業に合った。

 

 

『あー、今日からお前等の基礎訓練をすることになった、よろしくな』

 

『敵からの逃げ方でも教えてくれるんですかぁー?』

 

 

 明らかに虎太郎を小馬鹿にした野次が飛び、学生達にわっと笑いが沸き上がった。

 極一部の生徒は不機嫌そうに顔を顰めて、注意を促すが、赤信号みんなで渡れば怖くないを地で行くように、殆ど効果を上げなかった。

 

 集団の中で、凜子が顔を青くさせていた。

 その理由は、両隣になったゆきかぜと凜花の機嫌が加速度的に悪くなっていったからである。

 思い人を馬鹿にされるなど、思い人が許容していたところで許せる筈もない。また二人も成長こそしているが、直情径行はまだまだ強い。何を仕出かすか。

 

 最悪、自分が止めようと凜子が心に決めると、耳を劈く派手な発砲音が響き渡った。

 

 

『はいはい。そういうのいいから、ちょっと黙れ』 

 

 

 いつもと同じ口調、いつもと同じ調子で虎太郎は天に向かって腕を伸ばしており、手には銃口から硝煙の立ち上る拳銃が握られていた。虎太郎が銃の引き金を引いたのは、誰の目からも明らかだ。

 

 それでも生徒は静まり返ったものの、口元から笑みは消えていない。ただの銃弾など対魔忍には無意味。当たりはしないから、危機感も薄いのだ。 

 

 

『それにこれからやるのは基礎訓練だぞ? 逃走なんて高度な真似、オレがお前等に教えるわけないだろ? 少しは頭を使おうな?』

 

『――――っ!!』

 

『はーい、これ以上は時間の無駄なんで、早速訓練を始めるぞー』

 

 

 虎太郎が困ったような口調で言うと、ビシリと空気が軋む。言うまでもなく、生徒達の怒気が発せられてのものだ。

 しかし、その怒気を発せさせた張本人は、さらりと流す。流れを見守っていた凜子はハラハラとし、ゆきかぜと凜花はいい気味とばかりに笑みを漏らした。

 

 挑発的な発言に反した態度に生徒達は肩透かしを喰らい、怒りの向け先を見失った。互いに顔を合わせながらも、渋々虎太郎の後に続いた。

 

 そして、虎太郎が経ったのはグランド内のトラックのスタートラインだ。一週およそ800m。トラックの大きさとしては平均的だろう。

 

 

『じゃあ、これからオレが先頭を走るから、お前等は後をついてこい』

 

『あの、弐曲輪先生、走るって、どのくらいですか……?』

 

『まー、ウォームアップ程度かなー? 兎に角、付いてこいよー』

 

 

 詳しい説明もなく授業を開始しようとした虎太郎に、集団の中で埋もれていた桃子は手を上げて質問したが、はぐらかすような答えで要領を得ないままに、ランニングは始まった。

 

 対魔忍の卵足る生徒達にしてみれば、余りにも馬鹿馬鹿しい訓練だったであろう。だが――――

 

 

(虎太兄がさ、簡単な訓練とかするわけないよね……)

 

(訓練に関しては、合理性よりも根性論寄りだからな、あの人は)

 

(何人、潰されるかしら……?)

 

(弐曲輪先生、珍しく、やる気、よね? ……嫌な予感しかしないわ)

 

 

 ――――何人かは、これが地獄の始まりであるのは予期していた。

 

 20mシャトルランというものがある。文部科学省にて定められた学生の体力測定テストの一つだ。

 20mの間隔で引かれた二つのラインを、合図音と共にスタートし、次の合図音までに逆側のラインにタッチすることを繰り返す。

 合図音は徐々に早くなり、二度ラインにタッチ出来ない時点で終了となり、最後にタッチできた回数が記録となる。虎太郎の訓練はこれに似ていた。

 

 トラックを一週するごとに、虎太郎がペースを上げる。これの繰り返しだ。

 初めの内は生徒達の表情にも余裕があったのだが、これが10分を過ぎた辺りで様子がおかしいことに気付く。虎太郎に止まる気配がまるでないのである。

 20分が過ぎて何人かが脱落し、30分が過ぎて十数人が脱落し、40分が過ぎて残っていたのは僅か十人のみ。その頃には、体力以前に虎太郎のスピードについていくだけでやっとと言う有り様だった。

 

 授業終了5分前まで続いたランニングにおいて、最終的に残ったのは五十名中凜子と凜花の二名のみ。

 ゆきかぜ、花蓮も寸前まで喰らいついていたものの、終了間際に周回遅れとなり、リタイアとなった。

 

 この訓練で何が辛いと言って、終わりが見えないのが辛い。

 体力的にも追い詰められるが、それ以上に精神的に追い詰められる。自分の意志とは無関係にペースが上がり続ける、終わりの見えないマラソンなのだから当然だろう。

 

 

『ふーん、こんなもんか………………思ったよりも体力ねーな』

 

(何も、そんな聞こえるように言わなくても……)

 

『まあ、いいか。じゃあ、今日の授業は終了だ。身体、よく解しておけよなー』

 

 

 辛うじて立てていたのは凜子と凜花だけ。

 その二人ですらが膝をガクガクと震わせ、肩で息をするのがやっとだと言うのに、虎太郎は呼吸を乱すどころか、汗一つ掻いていない状態であった。

 彼は、地面に伏せたまま立ち上がれない生徒に一瞥もくれず、そのまま校舎へと帰っていく。

 後に残ったのは、たった一時間程度の地獄で動けなくなった卵達と彼等の屈辱だけであった。

 

 

「お、逃げずに全員来てるじゃーん。お前等、ちょっと見直したわ。じゃあ、今日の授業を始めるぞー」

 

「あ、ああ、あの、弐曲輪先生! 今日の、今日の授業は、前回とは別のメニューですよね!?」

 

 

 殺気だった学生達の中で、桃子は青い顔をしながら手を上げて発言した。

 残念ながら、桃子は前回、最初期に脱落した生徒の一人だった。それでも、脱落した後に休憩を挟んで走り続けようとした辺り、極めて真面目だ。

 

 

「喜べ、前園――」

 

「ランニングじゃないんですね、ヤッター!」

 

「――前回と同じだ!」

 

「ランニングじゃないですかー! ヤダー!」

 

 

 わーん、と泣きながら声を上げる桃子であったが逃げ出しもしなければ、抗議もしない。能力的にはまだまだでも、根性は人一倍だ。

 

 

「――――ふざけんなっ!」

 

「あぁ? 何がだよ?」

 

「オレ達は、逃げるために訓練をしてるわけじゃないんだ! こんな訓練に、何の意味があるってんだよ!」

 

 

 その時、生徒の中から不満の声が上がった。

 基礎訓練と言えど、彼等が今まで受けてきたのは戦闘の基礎となる訓練だった。今更、体力を伸ばす訓練など、無意味とでも思っているのだろう。

 

 加えて、“逃げの虎太郎”の評判もあった。

 対魔忍と呼ぶのも憚られる恥晒し、下忍としてすらマトモに任務を熟せない未熟者。

 この場に居る生徒の大部分は実戦を経験しており、無事に任務を完了して帰ってきた実績がある。

 分かりやすく言えば見下しているのだ。そんな人間に劣っている部分があるという事実を、年若い彼らが耐えられる筈もない。

 

 ゆきかぜや凜花、花蓮を中心にした何名かが、口を開こうとしたものの、それを制したのは他ならぬ虎太郎であった。

 

 

「はぁー、分かった分かった。じゃあ、こうしよう。オレのやり方が気に入らん奴、前に出ろ。オレと模擬戦してみようか」

 

「いいのかよ。“逃げの虎太郎”なんかが――――」

 

「べらべらとうるせぇぞ。さっさと前に出ろ。この訓練の意味を教えてやる。そっちは武器も忍法も使っていいからな」

 

 

 下らない時間を過ごしているとばかりに欠伸を噛み殺す余裕の態度を崩さない虎太郎に、ボルテージは上がっていく。

 

 

(……虎太兄、本気は出さないよね?)

 

(哀れな。酷い目に合うぞ)

 

(絶対にマトモな方法で戦いませんよね、虎太郎さんの場合)

 

(………………爆弾、使わないわよね?)

 

 

 寧ろ、焦っていたのは虎太郎本来の実力を知るゆきかぜ、凜子、凜花。そして、以前の任務で虎太郎の実力を垣間見た花蓮だった。

 

 因みに花蓮は実力は知っていても、彼の事情までは知らない。

 アサギ直々に口止めされており、疑問も疑念も押し殺していたが、知りたくない訳ではないからか、今も止めようとはしていなかった。

 

 そうこうしている内に、生徒の中から出てきたのは、最近、名を上げてきた有望株の一人であった。

 ゆきかぜなどの次世代のエースほどではないが、生まれ持った忍法も才能も人並み外れている男子生徒だ。

 まさに喜色満面。前回といい、今回といい、しこたま馬鹿にされたままで終われる筈もなければ、納得できる筈もない。

 

 

「――では、始め!」

 

「はぁああああああぁああっ!!」

 

 

 審判を仰せつかった凜子が開始の合図と同時に、生徒は印を結び、得意の忍法を発動させる。

 彼が得手としているのは土遁の術。彼の対魔粒子と意志に呼応するかのように、グランドの土が捲れ上がり、全身を覆う鎧となる。

 土遁は土や岩を操る。土を操って砂嵐を起こすのも、石や岩を飛ばして弾丸と変えることも出来るが、彼の土遁は殊更に強力だ。

 

 土は圧縮され、金属と比較しても遜色ない硬度を得ており、身長も2mに至ろうかという大男と化している。

 言うなれば、彼お手製の強化外骨格と言ったところか。彼は、この土遁の鎧を以てオーガやトロルなどの怪力自慢の化け物を、真正面から殴り殺してきた。

 

 

(虎太兄、優しいなぁー。あんなの模擬戦始める前に着ときなさいよ)

 

(……?! あんなに隙だらけだったのに、虎太郎さんが手を出さなかった!? 明日は槍でも降るの!!?)

 

(弐曲輪先生だったら、術を発動させる前に、攻撃しそうだったんだけど……)

 

 

 呆れ顔のゆきかぜ。驚きを隠せない凜花。疑問に首を傾げる花蓮。

 三人の考えは正しい。虎太郎がその気であれば、術など発動する前に殺しにかかる。

 

 しかし、今の彼には二つの縛りがある。

 一つ、彼は何の異能系忍法も持たない。

 一つ、逃げ足以外には、何の取り得もない。

 この二つの縛りは、自分自身の身を守る為に、実力を隠す為に、破る訳にはいかないのだ。

 

 

「う、おぉぉおおおおおぉ――――ッ!!」

 

 

 自分が待って貰っていたなどという自覚もないままに、生徒は一撃で事を決めようと間合いを詰め、渾身の一撃を降り下ろす。

 

 しかし、虎太郎には当たらない。見ている方がひやひやする紙一重の回避を見せた。

 なおも、生徒の猛攻は続く。当たれば常人など染みとなる。トロルやオーガでもただでは済まない。強力極まる破城槌のような連撃。

 

 虎太郎は時に懐に飛び込み、時に後方に下がり、時に左右に身を反らしながら、十分な余力を以て躱し続ける。

 

 殊更、彼が気を遣ったのは速度(スピード)だ。

 彼の狙い上、目を見張るような速度や体捌きを見せてしまっては意味がない。あくまでも、経験と予測によってギリギリのところで回避し続けるのが望ましい。

 

 本来の、自身の限界を隠しつつ、相手の速度を測りつつ、それに合わせて回避。正に神業だ。

 一歩間違えば大怪我をしかねない状況下、本来の実力を発揮できない状況下において、持ち前の冷静さで神業を成立させ続ける。

 

 ――そして、並みの対魔忍ならば、10分ともたない回避を30分以上も成立させ続けた。

 

 

「……ぜぇ……ぜぇ……」

 

「どうした。立てよ。実戦じゃ、敵は待ってくれなかっただろ?」

 

 

 その頃には、攻撃を続けていた側が膝をつき、一切手出しをせずに回避を続けていた側が見下ろす光景が展開されていた。

 

 男子生徒は土遁の鎧を維持できず、不様に四肢をついて絶息寸前の呼吸を繰り返している。

 当然だ。どれだけ高性能のエンジンを搭載したスーパーカーであっても、アクセル全開を維持し続ければ燃料の消費も速い。

 対し、虎太郎は縛りのある中での暖気運転に過ぎなかった。体力を無駄に消耗するはずもない。

 

 

「もういいだろ。審判、判定は?」

 

「ふざ、けんな……オレは、まだ……」

 

「はあ、そこまで。これ以上は彼の方が無理です。此方の権限で止めさせてもらう」

 

 

 凛子は片手を上げ、虎太郎の勝利を宣言する。

 心意気だけは及第点であったが、それだけで現実を覆せるはずもない。生徒は立ち上がることもできないまま、項垂れるばかりだ。

 

 

「とまあ、これで分かってくれたかなぁ? この不様が、将来のお前等の姿だ」

 

「こ、こんな戦い方、実戦じゃ……」

 

「そうだ。実戦じゃ、こんなに生易しくない。卑怯者と思いたければ思えば? 恥晒してんのは、自分の想像不足を棚上げして、恥ずかしげもなくそんな台詞を吐く馬鹿だ」

 

 

 通用しない、と続けようとした生徒の言葉を斬り捨てる。

 

 虎太郎にしてみれば当然だ。

 相手の得意な土俵で戦ってやる必要性など何処にもない。

 如何に自分の得意な土俵に相手を引き摺り込み、相手に本来の性能を発揮させないままに屠る。彼の戦闘スタイルの基本である。

 

 正論も正論だ。

 相手は魔族や米連。お行儀よく相手に付き合ってくれる手合いでもない。

 想像してみて欲しい。ボクサー相手にボクシングを挑むのはボクサーだけだ。それ以外の者がボクシングで挑むのは愚か以外の何物でもない。

 

 それでも正論とは理解しても、納得はしていないのか、生徒達の表情は不満げであった。

 

 

「そうかい、そうかい。そんな表情されたらコッチもやる気失くすわ。先生、もうやる気なくなった。今日は帰るわ。後はお前等で勝手にやって、どうぞ」

 

「ちょ、こたに――――弐曲輪先生、それはちょっと、無責任なんじゃ」

 

「知るかよ。コッチの話聞かん奴等に教えたって意味なくねー? 納得できないことを続けたって意味もない」

 

「……………………」

 

「オレのやり方が気に食わんのなら、来なくていいぞ。ハッキリ言えば、オレはお前等を殺すつもりでやる予定だ。この程度で根を上げるようなら最初(はな)からやらん方が互いのためってな。じゃあな」

 

「ちょ、ちょっと……」

 

 

 虎太郎の眼光は何処までも冷たく、放たれた言葉は何処までも本心であると告げている。

 そして、生徒の反論にも反骨心にも興味すら示さずに、彼は校舎へと戻っていく。一度目と同じく、後に残されたのは置き去りにされた生徒達であった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「あのやりようで、これだけ残るとは……」

 

 

 三度目の授業に出席した凜子は、意外そうな表情で呟いた。

 自分やゆきかぜ、凜花が残るのは当然である。虎太郎によって様々な技能を叩き込まれており、彼の教育の手腕と自らの成長を実感していたからだ。

 それでも、虎太郎のあの態度と言葉である。アレだけのことを言われて、自分の方に非があったと認められる者は数が少ないと踏んでいた。

 けれど、残った人数は10人も居た。正直、自分達三人だけが残るだけでも良い方と思っていたのだ。

 

 残っていた面子に目を向ける。

 

 氷室 花蓮。性格は真面目も真面目。また虎太郎の強さも知っている。逃げるはずもない。

 前園 桃子。これからの訓練に不安そうな表情はしていたが、投げ出すという思考が存在していないらしく、不満はなさそうだ。

 

 高槻 幸奈と喜瀬 蛍の姿もある。

 二人とも不満はあるようであるが、嫌っている虎太郎から逃げるのはもっと嫌という反骨精神と克己心から残っているらしい。

 

 

「ふむ。この辺りまでは理解できるが、お前たちが残っているのは意外と言えば意外だ」

 

「……あのやりように不満がないわけではないですけど」

 

「なあんも間違ってへんでしょ、虎太先生は」

 

「ですね。言い方は、どうかと思いますけど……」

 

 

 凛子が声を掛けたのは、それぞれが特徴的な三名だった。

 

 星乃 深月。

 巨大な扇子を得物に、ゆきかぜと似たようなレオタードタイプの装束を纏った長い黒髪とリボン付きのカチューシャがトレードマークの学生だ。

 クラス委員を務めており、性格は真面目。そのお陰か、花蓮と極めて仲が良い。

 

 大島 雫。

 関西で育っており、最近になって対魔忍の能力に目覚め、転校してきた。日焼けした肌に、白く短い髪だけでも目立つが、快活な笑みが何よりも人目を惹く。

 比較的に誰でも仲のいいムードメーカーであるが、格闘を得意としているからか、特に凜花をよく慕っている。凜花の方はテンションが合わないのか、戸惑い気味だ。

 

 百田 里奈子。

 長い黒髪に、前髪を一直線に切り揃えており、肉付きのいい肉体は凜子のバストに、凜花のウエストと言った趣きである。

 火遁の名門、百田家の正当後継者。才能だけならばアサギすら越える、と言うのが現頭首の百田 幽玄の言であるが、気弱な性格が災いして本来の実力を発揮できていないようだ。

 

 この三名に関しては、虎太郎の意図に何となくではあるが気付いているからこそ残ったようだ。

 

 

「おー、大分減ったなぁ…………もっと減れば良かったのに」

 

「弐曲輪先生、振るいにかけるのは結構ですけど、しっかりしてください」

 

「チッ、うっせーな。反省してませーん」

 

「いや、反省しとらんのかい!」

 

 

 やる気なさげに現れ、やる気なさげな言葉を発した虎太郎に対し、花蓮は呆れた口調で注意したものの、暖簾に腕押しであった。

 雫が思わず授業中だということも忘れて、関西仕込みの鋭いツッコミを入れたほどだ。

 

 

「さて、と。今日いない連中に関しては、余所の班にぶち込むとして、今日残ったお前達は、オレの意図が分かったかな?」

 

「はい。体力の向上。ひいては対魔の力の向上、ですね」

 

「その通り。其処に加えて、自らの限界の把握というのも意図の一つだ」

 

 

 手を上げての深月の答えに、虎太郎は補足説明を入れた。

 

 対魔の力――対魔粒子は体力と精神力を消費して生成される。

 体力と精神力を直接変換するわけではなく、また生成効率も個人によって異なる為に、体力と精神力が全く同じ――そもそもその二つを数値化することも、正確に同じなど在り得ないが――でも、最終的に生成できる総量は変わってくる。

 それでも、この二つはあるに越したことはない。元より、対魔粒子など不安定で未知の要素が強く、鍛えることは難しいのだ。そんなものの鍛錬法を探るよりも、体力、精神力を鍛えた方が堅実かつ確実に強くなれる。

 

 そして、もう一点が限界の把握。

 自身の限界を把握できていれば、戦闘中であっても無理をしようとせず、無茶もしない。

 どうしようもない状況というモノは、どうしようもなく存在しているが、常に安定した力を発揮するには不可欠な要素である。

 

 

「で、お前等は、自分の忍法に関して、どの程度限界を把握しているかな?」

 

「私の場合は、最大火力なら二度でどうしても打ち止めです。武器の方が壊れちゃうし。替えが効くなら、四回、かな」

 

「私が最も消耗するのは空間跳躍の法ですね。安全かつ確実に行くなら四度、危険を犯せば五度、結果を考えなければ六度はいけます」

 

「煙遁の術は消耗はそれほどでもないので回数ではなく時間でいいますけど、全力で戦闘をし続けるとなると、二時間が限度かと」

 

「私の方は一時間だと思います。氷花立景の範囲を狭めれば、もう少し伸ばせると思います」

 

「うーん、私の催眠誘導はー、効きも回数も相手によって変わるからなぁ。でも、少なく見積もって、術の効きも考えなければ三十回は可能です」

 

「流石に、お前達は大まかに把握してるな。そっちの方はどうだ?」

 

 

 既に虎太郎による指導が入っている三人、かねてより当人達の質問等でアドバイスを送っていた二人に関してはある程度把握している。

 

 残りの五人は、困惑するばかりで答えられない。

 地力を上げることばかりで、限界というものに目を向けてこなかったのだろう。

 

 

「自分の限界ってのは、要は最大値だ。最大値を知っておかなけりゃ、ペース配分もクソもない。戦闘中、ガス欠になるなんざ、どれだけ他人の脚を引っ張るのが好きなんだっつー話だ」

 

 

 戦闘中、任務中に体力が尽きて動けなくなるくらいだったら、死んでくれた方がマシというのが虎太郎の結論だ。

 戦線の何処であれ、敵地の何処であれ、動けない者が居たら、本音はどうあれ、生きている以上は助けなければならない。

 周囲に敵が居ようが居まいが、人ひとりを救助する労力というものが発生する。その労力を生み出す為に何人かが必要になり、任務に必要なマンパワーが足りなくなりかねない。

 

 

「ま、それを知らないのも無理はない。お前等に教えていた連中が悪い。脳みそまで筋肉と正義と誇りで出来てる連中だから身体鍛えろしか言わんだろうし。そこに論理がないからね。しょうがないね」

 

「えーっと、虎太先生は、どないやって学んだんです?」

 

「ハハッ、実戦で命削って。しょうがないね。オレを助けてくれる奴なんていなかったからね。自分以外の全てが敵なんて状況、オレには珍しくないからね。ハハ、死ねばいいのに、ハハ」

 

「…………………………」

 

 

 過去の苦労を思い出しているのか、ニッコリとした満面の笑みに反して、彼の目はどんどん死んでいく。

 

 

「オレの鍛錬における基本方針は、“例え死んだとしても許しを与えずに鍛え続ける”だが、お前達にはやり過ぎなので、ちょっとは手を緩めてやる」

 

「あの、弐曲輪先生、そんな鍛え方をしてるのに、というかそんな鍛え方をしてるから、えっと……」

 

(違う。違うの百田さん。虎太兄メチャクチャ強いから……)

 

 

 近代体育において、過度の鍛錬は逆に筋肉を委縮させてしまうのは周知の事実であり、肉体が故障する可能性が高まる。

 オーバーワークをするぐらいだったなら、ベッドの上で休んでいた方がマシ、というのが共通認識だ。

 

 合理性、効率を重視する彼らしからぬ、根性論的な発想である。

 

 しかし、無理からぬことであった。

 彼の場合、合理や効率、常識に収まった鍛錬だけでは、到底足りない。それだけでは当の昔に死んでいるからだ。

 合理や効率、常識を超えた、人の根性と執念と未知の部分全てを使ってしか辿り着けぬ境地に至らねば、どう足掻いても生き残れなかった。

 

 

「という訳で、基本方針は“血反吐を吐いたら終了!”でいこうと思います」

 

「ひ、ひぇぇ………………に、弐曲輪先生! もうちょっと何とかならないですか?」

 

「えー? そう? じゃあ、行く? 行っちゃう? “血反吐を吐いてからが本番!”で行っちゃう?」

 

「ちゃうから! 桃やん先輩が言っとる方向とは逆やから! 酷くなっとるから!!」

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 三回目の授業が終了し、虎太郎は校舎へと戻ろうとしていた。

 

 内容は一回目と同じランニングである。向こう三ヶ月は、これをやり続けるつもりだ。

 まずは徹底して体力と精神力の底上げを図りつつ、効率の良い走り方を学ばせる。

 人が最も効率良く走るのは、最も疲れている時と言われている。それを頭ではなく身体に覚えさせ、同時に効率の良い身体の使い方についても、感覚で学ばせるようという考えだ。

 

 卵達の様子は――――彼女達の名誉を守る為に、一言だけで済ませよう。死屍累々だ。

 

 

「……何だ、随分と珍しいことをしてるようじゃないか」

 

「九郎、帰ってきたのか。成り行き――というか、押し付けられてな」

 

「成程。なら、押し付けた連中は事情も知らんままにご老人どもに制裁を受けることになるな。これで少しは、態度を改めればいいが……」

 

「どうだか。馬鹿は学ばないし改めないから馬鹿なんですよ?」

 

「それも一理あるが、困りものだ。…………少し付き合え」

 

 

 九郎の言葉に、あいよと答え、虎太郎は歩き出した。

 

 九郎は今し方、五車学園に戻ってきたばかりなのだろうか、普段は見ない黒いスーツ姿である。

 屈強な肉体、禿頭(とくとう)、瞳を覆うサングラスも相まって、どう見ても暴力を生業とする自営業であった。

 

 八津 九郎。

 紫の兄に当たり、元レンジャー隊という異色の経歴を有する対魔忍。

 軍人としての任務中に失明し除隊。同時に忍としての力に目覚め、以降は対魔忍として活動する。

 活動当初から一貫してアサギ閥を貫いており、他家からは警戒を、アサギと仲間からは絶大な信頼を得ている。虎太郎も使えると認めている数少ない存在だ。

 かつてアミダハラにおける生き地獄を虎太郎と共に潜り抜けている。それだけで、どれほどの腕前なのか、分かろうというものだ。

 

 九郎が五車学園を進むと擦れ違う生徒――どころか、教師ですらが畏敬の念故にか、道を開けると直立不動の気を付けの体勢に入る。

 その光景に、後ろに続く虎太郎は俯いて肩を震わせていた。

 

 

「はぁ、やれやれ。オレ、そんなに怖いか……?」

 

「任務中は厳しいこと言うからな。前評判とその見た目じゃあな」

 

「オレはこれでも、気さくな性質なんだが……」

 

「オレは知ってる。吸うか……?」

 

「ああ、悪いな」

 

 

 喫煙所――とは言っても、屋根のある場所の下に吸殻入れを置いただけだが――に辿り着いた時にも、九郎の姿を確認しただけでそそくさと去っていく教師に、九郎はがっくりと肩を落とし、虎太郎は耐えられずに噴き出した。

 

 彼の実際の性格は、本当に気さくだ。

 実の妹である真面目な紫よりも、多少おちゃらけているさくらの方が仲が良かったりする。

 任務以外では、近所の気の良い兄ちゃんといった趣きだ。もっとも、任務となれば紫同様に自他ともに厳しい面が表に出る。その辺りは、血筋だろうか。

 

 

「まず、妹の件で礼を言わせてくれ。オレも学園に戻ってきても、すぐに出立ばかりが続いて、礼も言えなかったからな」

 

「お前ら兄妹に恩を売っておくのも悪くなかっただけさ。今は東京の隅っこで便利屋やってる。あと、何ヶ月前に猫型の獣人が相棒になった」

 

「…………獣人? 魔族の? アイツが巧くやれるか? と言うか、お前が組ませたのか?」

 

「組ませたというか、ヨミハラの奴を無理やり送り込んだが正解。何のかんのでお前と紫の妹だ。面倒見は良いから、相性がいいと思ってさ」

 

 

 九郎と紫の下には更に妹が一人いる。

 名前は愛子。九郎と紫の二人ですらが手を焼いたじゃじゃ馬である。

 

 愛子は数年前に抜け忍となった。

 元々、無法者に近い戦い方や命令違反を繰り返しており、周囲から反感も買っていた。大抵の者は当然の結果だろうと呆れていたが、その胸の内を知る者は数少ない。

 

 無論、抜け忍には裏切者を始末する懲罰部隊が差し向けされる。

 九郎も居らず、紫も組織の要となった以上、愛子を守れる者はいなかった。そこで白羽の矢が立ったのが、虎太郎だ。

 正体を隠すことに長け、なおかつ逃げる手段、逃がす手段に精通している彼であれば、懲罰部隊の追撃を躱すなど造作もなかったのである。

 

 

「末の妹だから甘やかされて育ったし、オレも甘やかしていた。それに、アイツの性格や正義は組織向きじゃないからな」

 

「誰だって見りゃ分かる。どんな風に甘やかせば、あんな狂犬に育つんだ?」

 

「…………お前も人の事は言えんと思うが。あと、アレで可愛い妹だ。余り悪く言わんでくれ」

 

「へぇへぇ」

 

 

 はあ、と二人揃って大きく溜め息をつく。

 彼等は長らくアサギの無茶振りに応え続けた苦労忍同士である。息もぴったりのようだ。

 

 

「要請があった吸血鬼のグラムについての情報だが。あのコンテナ、どうやらアマハラを経由して持ち込まれたもののようだ」

 

「なら、後を追うのは難しいか。あそこは何でも持ち込まれて、何でも流れていく」

 

「だが、ある程度は情報を掴めている。アサギに報告を済ませたら、すぐにヨーロッパに飛ぶ」

 

「さっすが九郎ちゃん。頼りになるわー」

 

「それでも信じていない辺りが、お前らしいがな」

 

 

 くくっ、と苦笑とも失笑とも取れない笑みを浮かべると、九郎は煙草を揉み消した。

 こんな姿を見せるのは、虎太郎をおいて他にいない。どれだけ強い信頼を向けているのか、分かろうというものだ。

 

 

「それから、これも渡しておく」

 

「金? 何の真似だ?」

 

「花代だ。今年も行くんだろ? オレは海外を飛び回る羽目になりそうだから、お前が代わりに花を添えてくれ」

 

「あいよ、分かった。じゃあ、気を付けろよ」

 

「それから、余り言いたくないんだが……」

 

「止めて。聞きたくない。お前がその顔をして言うと厄介事しかこないから」

 

 

 そう言うな、とすら言わず、九郎はお構いなしに話を続けた。

 

 その内容は、彼が海外の任務中に見つけた奇妙な物資の流れだった。

 

 高価な最新鋭設備がアマハラを経由して日本に持ち込まれていたのである。それも同じルートを何度も使って。

 始めは米連の極秘計画でも発動したのかと危惧したのだが、調べていくと如何にもおかしい。

 米連からも物資が持ち込まれているものの、軍や政府の関連性は薄く、一般企業からの買い付けが中心で、金の支払いはいくつものダミー会社を経由されていた。

 

 ――そして、最終的に行きついたのが日本の組織であった。

 

 組織は新興。持っている権力も、私兵も、金もそこそこだというのに、無理をしてまで最新鋭の設備、機材を買い付ける理由は何処にあるのか。

 理由はすぐに分かった。そして、厄介なのは組織ではなく、組織を操っている女の存在であった。

 

 

「女の名前は桐生 美琴。残念ながら、また厄介事だ。お前に御指名が入るぞ」

 

 

 その名を聞いた瞬間に、虎太郎の両膝はへし折れ、その場に倒れ込んだ。

 闇の世界に身を委ねた者で、その名を知らぬ者はいない。魔剣士女医の異名を取るとびきりのマッドサイエンティストであり、あの桐生の姉に当たる人物だ。

 

 ――この案件は、間違いなく虎太郎に振られる。そうでもなければ、どうにもならない厄ネタである。

 

 



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『苦労人(ド外道)VS魔剣士女医(傲慢)…………あっ(察し)』

 九郎からの残念なお知らせの翌日に、虎太郎は案の定、アサギに呼び出しを喰らった。

 

 

『既に九郎からも聞いていると思うけれど、今回の任務は桐生 美琴の捕縛ないし殺害よ』

 

『…………………………………………そうか』

 

『ちょっと、大丈夫?』

 

『しっかりしろ、弐曲輪。今まで国内で尻尾を掴ませなかった“魔剣士女医”を捕縛する、またとない機会なんだぞ!』

 

『うるせぇ。どうせ苦労すんの、オレじゃねぇか。オメーが痛い思いすんのかよぉ』

 

『貴、様という奴はぁ……ッ!』

 

『はあ。紫、一々取り合っていたらキリがないわよ。それに、虎太郎がやることはやるって、知っているでしょう?』

 

 

 桐生 美琴。

 あの桐生 佐馬斗の実姉であり、当人も魔界技術に精通した凄腕の魔科医。

 彼女の研究成果は残虐にして無慈悲。腕は確かなのだが、その成果は遊び半分で行われたようであり、明確な目的など何一つ感じられない。

 対魔忍は常日頃から彼女を追っていたのだが、数多の闇の組織を隠れ蓑に逃げ回り、犠牲者は増え続ける一方であった。

 

 間違いなく千載一遇のチャンス。対魔忍側としても逃す訳には行かない。

 此処で逃がせば、次に美琴を捕捉できるのは何時になる事か。それまでに、どれほど犠牲者が増えるのか、分かったものではない。

 

 故に、虎太郎が選定されるのも無理はない。

 実力、実績共に申し分なく、魔科医や魔界技術に造詣が深い。

 

 何よりも、桐生を捕らえられたのは虎太郎と言っても過言ではない。桐生に勝るとも劣らない美琴を捉えるのに、安心して任せられるのは、他にいないだろう。

 

 

『それで、今回の出動できそうなメンバーだけど…………』

 

『いいよいいよ。誰でもいいよぉ、へっ』

 

『……佐久 春馬、神村 舞華、志賀 あさつきのいずれかだな』

 

『ヤダー!!! ヤダヤダヤダヤダヤダヤダーーーー!!!!』

 

 

 投げ槍を通り越したやる気絶無の態度であったが、三名の名前を聞いた瞬間に豹変した。

 

 机の上にドンと頭を乗せると、そのまま三転倒立の体勢に移行し、ヤダの言葉に合わせて左右の脚を前後に振り回す。

 まるで、ダンジョンで捕まえたモンスターを食料にしようとでも言われたかのような嫌がりぶりである。

 完全な奇行である。思わず、そんな奇行を取ってしまうほどに、名前の挙がった三名と組むのが嫌なのだろう。

 

 

『さ、三人とも優秀だろう。な、何が、不満だ……』

 

『うるせー!! あんな猪、三匹全員連れてったって、どう考えても鴨でしかねぇよ!! そもそも、あの三人、オレの話しどころか人の話も聞かねぇじゃねぇか!!』

 

『いや、気持ちは…………分からないでもないが、それでは一人で任務を遂行することになるんだぞ!?』

 

『思い出してー! お前とさくらが桐生にどんな目に合わされたかをー! そしてあの時、オレが他に誰か連れて行ったかをー!!』

 

 

 まだ桐生が対魔忍に捕らえられる以前、紫とさくらは彼の手に堕ち、悲惨な改造と凌辱をその身に受けた。その際、救出に向かったのは、やはり虎太郎であった。

 当時はまだ救出部隊などというものはなかったものの、アサギ、九郎の妹、虎太郎としても二人に恩を売っておきたかった――当時から、二人からの信頼は不動のものであったが――故に、直接動いた。

 

 結果は語る必要もない。失敗などしていようものなら、紫とさくらは勿論の事、桐生が五車学園に身を置いている訳がないのだから。

 

 

『し、ししし、知るかー! オレはアルだけ連れていくからなー!!』

 

 

 それだけ言って、虎太郎は五車学園を飛び出した。

 …………言うまでもない事だが、準備だけはしっかりと整えていた。この男に、そんな初歩的なミスを期待する方が間違っている。

 

 

『それで、今回のプランですが……』

 

「今回はプランなしだ。最近、策を弄し過ぎたからな。共通点を発見されても面倒だ。真正面から叩き潰す。無論、予防線は張っておくがな」

 

(虎太郎の場合、強行突破でも十分完遂可能なのも酷いと思います。能力的に死角が存在しないということですから)

 

 

 東京は八王子。高速道路のジャンクションから10キロの地点で、虎太郎は何時間も自然へと溶け込み、準備を整えながら時を待った。

 古くから修験道の霊山として知られ、今でも多くの観光客や登山客の望める高尾山が目と鼻の先にある森の中に、それはあった。

 

 5000坪もの敷地に、建造された洋館。

 この洋館が建てられたのは明治初期。当時はまだ米国と呼ばれていた米連の成金が、事業の関係で日本を訪れたおりに建てたものだ。

 建築主は当然の如く没落。以降は時代の節目節目に持ち主を変え、八王子大空襲、関東大震災等の人災、災害すら奇跡的に潜り抜け、現在まで残り続けていた。

 本来であれば歴史的な価値を見出されてもおかしくない建築物であるが、この洋館の主となる者は皆一様に人の生き血を啜る人種であったが故に、誰の目に付くこともなく、ひっとりと闇の中で胎動していた。

 今現在も、闇の拠点として用いられるのも、何かの因果であったのかもしれない。

 

 高尾山の威容が闇に閉ざされ、月が天高くに上り始めた頃、全ての準備を整えた虎太郎は、行動を開始する。

 

 

「でよ、その女と来たら、……――おい、どうした?」

 

「何だ、あの野郎は……?」

 

 

 洋館の周囲を囲む5mもの壁。その中で唯一、内と外とを繋げる門もまた、巨大であった。

 

 闇の拠点だけあって、警備が皆無の筈もない。門番は二人居た。

 新興組織であるが故に、人員不足であり、人員を集めている最中なのか、防備としては余りに手薄。危機感も薄いらしく、二人とも煙草を吸っていた。

 

 ――しかし、人数に反して、装備は潤沢であった。

 

 メインはM4A1。

 1990年代に米連で正式採用され、今現在も不動の地位を手にしているカービン銃である。

 M16シリーズのパーツを数多く共有できるため、整備の手間や動作不良を改良を促されつつ、次第に洗礼されていった。

 彼等のM4A1には目に見えているだけで、スイッチで暗視装置を作動させるスコープ、銃身下部にはM203グレネードランチャーが取り付けられており、他にも様々なパーツや改造が加えられていることだろう。

 

 サブはM9をレッグホルスターに収めていた。

 こちらも米連で正式採用され、世界中の法執行機関、軍において幅広く使われている拳銃だ。

 

 更に防弾ベストも、そこいらの闇の組織では手が届かないであろう素材で作られたものを着用しており、予備弾倉もキッチリと収められている。

 

 米連の横流し品であるのだろうが、新興組織の一構成員に対する装備としては手間も金も掛かり過ぎていた。

 

 

【まるで軍か、民間軍事会社(PMC)ですね】

 

(大方、桐生姉の作った淫獣だぁ、媚薬だぁ、麻薬だぁで荒稼ぎしてるんだろ。慎ましくとか、目立たないとか、そういう思考は頭にないのかね?)

 

 

 虎太郎とアルフレッドは二人にしか聞こえぬ会話をしつつも、恐れることなく門番へと近づいていく。

 

 その余りにも無防備な歩み、滑稽と言えば余りに滑稽な虎太郎の姿に、門番は自信の役割すら忘れて薄ら笑いを浮かべて逆に自ら距離を縮めていった。

 

 

「おいおい。何だよ、お前ぇ? 此処は私有地だぜ?」

 

「ハ、イカれてんだろ? コイツが目に入らねぇらしい」

 

 

 明らかな嘲笑を浮かべ、スリングで吊るしたM4A1を見せびらかすようにポンポンと手を叩く様は、玩具を与えられたばかりの子供のようだ。

 

 

【銃を持っただけの素人ですね】

 

(だな。まあ、オレの格好もあるんだろうが…………ない、ないわー。こんな不審者、オレなら見つけ次第撃ち殺すわ)

 

【自覚があるのは良いことです】

 

 

 虎太郎の格好は、この夏に差し掛かろうとしている季節だと言うのに、黒いライダースーツの上に黒いロングコート。首には白いスカーフまで巻いている。

 季節外れの厚着。黒一色の異装。確かに、頭がおかしい人種としか言えないだろう。

 

 ――だが、更に正気を疑わせたのは、頭部を覆ったフェイスマスク。怒りの感情が骨にまで現れたかのような、髑髏の仮面だった。

 

 赤い眼球(レンズ)でも嵌め込まれたかのような眼窩。頭蓋の白と相反する下顎骨の黒。僅かに望む本来の口元。

 これではどう見た所で、一昔前に流行ったかのようなダークヒーローのコスプレだ。さもなければ――――

 

 

「さっさと帰んな。お前みたいな阿呆が来ていい場所じゃねぇ」

 

「馬鹿抜かせ、こんなもん見られてんだ。生かして帰せると思ってんのか?」

 

「ハ、それはそれでいいな。折角だ、コイツの試し撃ちも悪かねぇ。残念だったな、イカレ野郎、これにてお前の人生しゅー――――」

 

 

 ――――正真正銘、罪人共を地獄の底まで叩き落とす為に現れた亡霊そのものだろう。

 

 吸っていた煙草で仮面の額に試し撃ちの烙印を押そうとした男の言葉は、驚愕によって停止した。

 驚きもしよう。今し方まで、自分自身に繋がっていたはずの手首が、煙草と共に地面へと堕ちたのだから。

 

 

「え、ハッ、――――ひぃ、ぁぁああぁぁあああああああぁああぁぁっっ!?!?」

 

 

 驚愕、忘我、恐怖、激痛。

 その全てが一体となり、口から悲鳴として迸る。

 

 虎太郎の手にはナックルガード付きのトレンチナイフが逆手に握られていた。

 手首の綺麗な断面は力任せに叩き斬られたのではなく、卓越した技術によって関節の繋ぎを解体されたことを物語っている。

 

 なんて間抜けな勘違い。鴨撃ちの鴨が、実際には虎だったかのような、あってはならない勘違いだ。

 しかし、片や恐怖と痛みに蹲り、片や現実を受け入られぬまま、銃のセーフティを外すどころか構えることすら儘ならず、勘違いを正す機会すら得られなかった。

 

 棒立ちのまま咥えていた煙草を落とした男の眉間に、虎太郎の投擲したトレンチナイフが深々と突き刺さった。即死である。

 どう、と音を立てて、男の死体が背中から倒れ込むのを確認すると、虎太郎は足元で蹲り、痛みから嗚咽を漏らす男の首筋に、小型の注射器で薬品を打ち込んだ。

 

 即効性の筋弛緩剤と麻酔である。

 効果は、ただのチンピラに過ぎない男には絶大だった。意識を失いこそしなかったが、筋肉は弛緩して動けないらしく、びくびくと痙攣を繰り返すばかりだ。

 そして、虎太郎は男の身体の下に一つの置き土産を仕舞い込み、二人のM4A1を手に取り、門の蝶番に向かってアンダーバレルのグレネードランチャーを放った。

 

 凄まじい爆発が巻き起こり、怪鳥の悲鳴のような金属音と共に巨大な門の片側が敷地内に向かって倒れた。

 

 

「さて、鏖殺の時間だ」

 

『監視カメラの映像は?』

 

「ここのデータバンクにアクセスして奴の研究データ諸共、根こそぎ浚え」

 

『了解しました。……正面玄関から53の熱源反応。人魔の混成部隊です』

 

「そいつはいい。これで引き籠られたら殺す手間がかかるからな。アマチュアは殺そう殺そうばっかりで助かる」

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 洋館の地下。増改築を繰り返し続ける桐生 美琴の研究施設が、其処にはあった。

 彼女が隠れ蓑とするために作り上げた新興組織にとって、彼女自身と研究は金のなる木だ。

 彼女が居なければ組織のボスは、一生を東京キングダムの掃き溜めで、誰かを喰い殺し、誰かに喰い殺されるのを待つだけの人生を送っていたであろう。

 

 美琴の作る悪夢染みた性能の淫獣、彼女の手によって改造・調教された奴隷娼婦、格段の効果と中毒性を誇る媚薬・麻薬の数々。

 それを闇のルートで売り払い、ボスは瞬く間に闇の世界を登り詰め、冗談としか思えない金を得た。

 東京キングダムの掃き溜め生活から僅か一年でこの有り様。それだけで、美琴の技術の高さ、ボスの後先を考えない暴走振りが窺えるかのようだ。

 

 組織のボスは、身長は低いが、横幅は広い子豚のような男だった。

 脂ぎった欲望を形にした顔と肉体は醜悪の一言。どれだけ高級スーツを纏おうと、その人物の品性までを覆い隠せる訳ではない。 

 

 そして、ボスは研究施設の最奥に位置する美琴の研究室兼私室に、慌てふためいた様子で押し入った。

 

 

「おい! おい! 美琴、何をやっている!」

 

「あ~ら、何か御用かしら? 何か用事がある時しか、ここを訪れたくなかったんじゃなくて……?」

 

「ああ、その通りだ! こんな悪趣味な部屋に誰が来たがるか! だが、来なきゃならん理由があるんだよ!」

 

「ハイハイ。その程度、分かっているわよ。馬鹿にしているの?」

 

 

 

 桐生美琴の格好は様々な意味で異様だった。

 

 セーラー服に、長い黒髪。桐生 佐馬斗の姉にも拘わらず、10代の若々しさを保っているのは手にした魔界技術の賜物か。

 何よりも異常なのは、その右腕。左腕の数倍は太く、甲冑のように堅牢な皮膚で覆われていた。人の腕ではない。

 彼女曰く、魔術師から譲り受けたとのことだが、事実は如何か。無論、問題は其処ではない。問題なのは、異界の鬼神の右腕であると言われている点だ。

 その右腕に一体どれだけの対魔忍、魔族、米連が犠牲になったことか。

 

 桐生よりも派手に暴れ回り、何処にも属さずやりたい放題をやっていられるのは、この右腕によるところが大きい。

 

 部屋で美琴は椅子にもたれ掛り、脚を組んでコーヒーを片手に寛いでいた。

 その何一つ分かっていない様子にボスは怒り心頭と言った様子であったが、その実、美琴の方が深く状況を理解している。

 

 部屋のあちこちに檻が設置されており、檻の中に出来た薄暗がりから人間のすすり泣く声が響いている。 

 ボスは、この部屋が大嫌いだった。まるで美琴の人を人と思わぬ所業を怖れてではない。檻の中に居るような犠牲者(にんげん)を、どのような発想で生み出したのか、全く理解できなかったからだ。

 

 

「襲撃、でしょ? とっくの昔に見てるわよ」

 

 

 美琴が眺めていたのは私室内部にあった巨大なモニターだ。

 本来であれば、彼女の膨大な研究データや検体の様子を逐一把握できるようになっているのだが、今は洋館中に仕掛けられた監視カメラの映像を見ていた。

 

 ――監視カメラの映像は、洋館の正面。かつてはよく行き届いた庭園であったのだろうが、今や戦場の様相を呈していた。

 

 たった一人しかいない髑髏の襲撃者は噴水の陰に身を隠し、一人、また一人と確実に組織の雇った傭兵とチンピラを射殺している。

 

 

「よし! よしよしよし! いいぞ、そのままだ! 其処に釘付けにしておけ! 正門からそこは丸見えだ!」

 

「ふーん、壁の外で見回りさせてる連中を正門に集めて蜂の巣ってワケ。でも、上手く行くかしら?」

 

 

 そう言い、美琴が画面を操作すると、監視カメラの映像が正門前のものに切り替わる。

 塀から顔を除かせ、中の様子を窺っている見回りが十名。残りの二名が既に倒された門番の生死を確認していた。

 門番の片割れに息があるのを確認すると、より詳しい容体を確かめようと俯せから仰向けにすると、沸き上がった爆炎が正門を飲み込んだ。

 

 虎太郎が動けなくなった門番の下に残していたのは爆弾だった。

 敵が逃げた後の生き残りや死体は不用意に触れるべきではない。このような罠が仕掛けている恐れがあるからだ。

 

 

「あはは! すごいすごい! アンタの動き、完全に読まれてるじゃない!」

 

「あ、か…………わ、笑っている場合か!」

 

「そうね。笑ってる場合じゃないわ。なんて面白い能力なのかしら」

 

 

 美琴が興味を示したのは傭兵の死でも、髑髏の男の手法ではない。

 髑髏の男は、その場から一歩も動かずに、様々な種類の兵器を次々に持ち替えて攻撃を続けていた。

 拳銃(ハンドガン)散弾銃(ショットガン)狙撃銃(スナイパーライフル)自動小銃(アサルトライフル)機関銃(マシンガン)擲弾筒(グレネードランチャー)

 

 詳しい銃器の名称は美琴には分からなかったものの、多くの銃器を代わる代わるに持ち替え、引き金を引いていた。

 明らかにおかしい。どう考えた所で、監視カメラによる観察では、それだけの銃器はとてもではないが持てない。そもそも、背負ってすらいなかった。

 

 

「ほら、見なさいよ。あんな能力もあるのね」

 

「んだよ、そりゃあ……」

 

 

 玉切れになった自動小銃を捨てると、髑髏男の手――正確には手の近くに、水面のような波紋が広がった。

 唖然とするボスの心なぞ知ったことではない髑髏男は、水面から現れた新たな銃のグリップを握ると引き抜き、またも傭兵達に銃撃を見舞う。

 

 

「空間操作系ね。空間を歪めてる……にしては、発動から武器を取り出すまでが速すぎる。元々決められた空間に固定しているから? それとも……」

 

「おい! そんなことを言ってる――――」

 

「そうこうしている間に、ほらもう逃げてるわよ」

 

「んなっ?! あのクソ野郎ども! こっちがどれだけ高い金を払ってると思ってやがる!」

 

 

 ものの20分としない内に二十名近くが殺害される頃には、傭兵達は既に逃走を開始していた。

 どれだけ金払いが良かろうとも所詮は新興組織だ。規模は古参の組織には敵わず、組織同士の繋がりも薄い。

 逃げた所で報復に走れるだけの体力もなく、命を賭して付き合う忠誠心を見せるだけの理由が傭兵達にもない。

 

 車、バイク、自らの脚。

 逃走手段は各々違ったが、襲撃者には敵わないと見るや攻撃を止め、物陰を移動しながら正門に移動していた。

 

 髑髏の男も逃げる者まで追うつもりはないらしく、傭兵には目もくれない。

 攻撃が止むと弾丸で削り取られ、原型を留めないほど破壊された噴水の陰からゆったりとしていながら力強い歩調で洋館に向かって歩み始めた。

 

 

「ふふ、面白いじゃない。良い研究素材と実験材料が手に入りそう」

 

「おい、美琴! このままじゃ……!」

 

「うるさいわね。私の造ったキメラ共の方がよっぽど使えるわ。それに、アレもあるでしょう?」

 

 

 まるで自分の負ける可能性など考えたことすらない笑みを浮かべて、美琴はモニターを操作する。

 すると、研究施設の内部に点在している研究材料の保存用カプセルから保存液が抜け、仮死状態にあったキメラどもが一斉に活動を開始した。 

 

 更に、まだ仮死状態から目覚めていない実験体が4つ。それこそが、美琴の言う“アレ”であり、彼女の切り札でもあった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 虎太郎は厚い軍用のブーツを履きながら足音一つ立てずに、正面玄関から我が物顔で足を踏み入れる。

 金をかけて改装したのだろうが、銃撃戦の影響で玄関付近は荒れ果ててしまっていた。

 玄関を入ってすぐに階段があり、一階の半ばまで登ると左右に分かれている。洋館は東と西に広がり、正面玄関を中心に左右対称の造りとなっていた。

 

 洋館の内部に入ってすぐ、虎太郎は舌打ちを繰り返し、反響音に耳を傾ける。

 アルフレッドもまた電磁センサーを作動させ、備に洋館の内部を探り始めた。

 

 

(洋館はフェイクか、誰も居ないし、特別な造りもしていない、となるとぉ……)

 

【此方も同じ結果です。彼女が納得する研究施設はありません。地下です】

 

(……――っとぉっ)

 

 

 二人が同時に同じ結論に至ると、玄関の床が左右に割れた。

 重苦しい機械の作動音が玄関ホールを包み、さながら地獄の門のように研究施設への扉が開く。

 

 

【明らかに罠、ですね……】

 

(それ以外の何物でもねぇよ。どっち道、こっちにはイカれた絡新婦の、イカれた巣に飛び込むしかねぇさ…………桐生姉の様子はどうだ?)

 

【どうやら、研究施設最奥の私室にいる模様。研究用の記録カメラを掌握しました。しかし、これは……】

 

 

 一体、何を見たのか。アルフレッドの呻きを漏らした。

 虎太郎はある程度を察しているらしいが何も言わず、新たな銃――H&K G36Cを“蔵”から取り出し、地下への階段を下りていく。

 

  彦狭蔵(ひこさぐら)天目一箇(あめのまひとつ)(アラタ)メ。 

 

 空遁の術に属するそれは、端的に言えば武器庫だ。

 此処とは異なる何処かに異空間を作り出し、その中に武器を収め、引き出すことが出来る。

 異空間は虎太郎が奪った能力を返しても残り続ける。内部はどうなっているのかは術者自身にも不明だが、時間と距離の概念がないらしく“武器”と認識したものをいくらでも収めることが可能だ。

 だが、“瞬神”のような特殊な能力を備えた武器を収めると、どのような経緯、どのような製作過程を経たものであっても完全に無効化され、ただのガラクタと化してしまう欠点もある。

 しかし、大量に近代兵器を保管し持ち運びできるこの能力は、兵器に精通した虎太郎にとって、極めて扱い易い忍法であった。殊更、今回のような大量の敵を相手にするには、これ以上ない忍法である。

 

 

(アル、感傷に浸るのは結構だが、仕事を忘れるな。オレ達は間に合わなかった。これはそれだけの話だ。お前が動揺した分だけ犠牲者が増えるぞ)

 

【――――分かっています。このドライモンスター。ですが、彼等は……】

 

(如何にもならん。あのイカれ女が施した改造だ。過去、救出できた連中は桐生ですら元に戻せず、人として死なせてやるしかなかった。分かってるだろ?)

 

 

 桐生 美琴は魔族、米連を問わず、様々な組織を渡り歩いてきた。

 時に対魔忍の襲撃を躱す為、時に組織同士の抗争を避ける為に、研究成果を投げ捨てて逃げて回り、また別の隠れ蓑にて新たな研究を始めるコウモリのような立ち回りをしていた。

 

 その度に、彼女の研究の犠牲者という形で、残骸とも言えないような救出対象が発見されている。

 余りにも惨い有り様で、とても元が人間とは思えないほどに改造された“それ”を直視し、“それ”が助けを求める光景に、精神を病んだ者すら居た。

 

 どんどん機嫌が悪くなっていく相棒に、虎太郎は溜め息を漏らしそうになったが、辛うじて抑える。此処で溜め息を漏らそうものなら、アルフレッドの機嫌は更に悪くなるのは明白だ。

 

 アルフレッドは、全ての命を尊敬している。

 自身の生まれた経緯故か、或いはアルフレッドという魂が高潔であった故かは分からないが、彼の尊敬は本物だ。

 

 彼は命を奪う者はまだ許す。

 それは消費と発展が題目となる地球と言う星の生命形態にとって、当然の行為だからだ。

 

 だが、命を弄ぶ者は決して許さない。

 命を弄ぶ行為は、星の生命形態からすら外れている。生命体として優れていようといまいと、あらゆる生命には敬意を払うべきと考えていた。

 

 何故、人間よりも人間らしく、人間よりも高潔なAIを、オレが諫めにゃならんのだ、と心の中で悪態を吐きながら、フェイスマスクのギミックを作動させる。

 左右から歯を意匠が施されたプレートが閉じ、口元が完全に覆い隠された。美琴が用意しているかもしれない毒ガス、細菌兵器を警戒してガスマスク機能をオンにしたのだ。

 

 

【奥の扉の向こうに30メートル四方の大部屋があります。動体反応34。どうやら、彼女の実験体のようです】

 

(扉のコントロールは奪えるか……?)

 

【可能ですが、その必要はありません。既に空き始めています】

 

(面倒だ。まずは機先を制す)

 

【派手にやって、力の差を見せつけて、相手の心を圧し折って下さい】

 

(オレの相棒とマッドサイエンティストが修羅場すぎる)

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「何、なのよ、コイツ。ただの、ただの大量生産品なんかで、私の研究成果(キメラ)を……!」

 

「どうするつもりだ、美琴! おい! 聞いてるのか!?」

 

「黙れっ! まだ私は負けた訳じゃない!」

 

「ふざけるなっ! これ以上、付き合っちゃいられねぇ! オレは逃げるぞ!」

 

「どうぞお好きに! 東京キングダムの路地裏生活に逆戻りしたければね!」

 

 

 鬼女そのものの表情で、ボスを睨みつける美琴。

 その鬼気迫る表情に気圧され、更に今と過去の生活を比べ、ボスは最終的に自分の命を選択したらしく、短い手足を必死に動かして部屋の外――さらには屋敷の外へと逃げていった。

 

 その不様な姿を見送り、ふんと鼻を鳴らして美琴はモニターの映像を見た。

 モニターには34体ものキメラを傭兵共のを相手にしていた時よりも遥かに短い時間で鏖殺した髑髏の男が悠然と奥に向かって進んでいた。

 

 美琴が誘い込もうと開いた扉が開き切るよりも早く、男が飛び込んできた。

 部屋の中には、彼女お手製のキメラが今か今かと獲物を待ち侘びていたが、反応すらできない有り様。

 

 揮発性の体液を生成し、毒ガスを発生させる化け物が居た。

 ゴーレムのような強固な皮膚組織も持つ魍魎が居た。

 電気ウナギよりも遥かに強力な電撃を放つ生命体が居た。

 コブシメ並の速度で体表を変え、周囲に溶け込む軟体が居た。

 対魔忍ですら反応できない速度で動き回る怪物が居た。

 

 その全てを――――髑髏は悉く葬った。

 

 化け物の体液が、可燃性の強いことを見抜くと焼夷手榴弾で爆散させ。

 魍魎の硬さを知るや、硫酸よりも遥かに強力な溶解液で溶かし。

 生命体の電撃を見るや、攻撃範囲を逃れ、機関銃で肉塊に変え。

 軟体が体表を変えて周囲に溶け込んだにも拘わらず、正確に捉えて縦に引き裂き。

 怪物をも超える速度で、容易く脛骨を捻り折ってのけた。

 

 

「ふ、ふふ、化け物ね…………でも、化け物だったらこっちにだっているのよ!」

 

 

 現時点で作り出せる最高傑作を控えさせており、じわじわと沸き上がる黒い感情を押し殺しながらも美琴はなお笑った。

 

 その最高傑作が完成したのは数ヶ月前。

 ある標的を選び、既に結果は得ている。性能、制御性においても完璧だ。その際に、標的を捕らえ、新たな実験テーマを得られたのは嬉しい誤算であった。

 

 彼女の言う最高傑作は三体居た。

 

 二体は背は高いが痩せぎすの人型。まるで針金細工のようだ。

 手の爪は50cmはあろうか。一本一本が砥がれたばかりのナイフの鋭さだった。

 頭部に髪は一切ない――――どころか、耳も眼球も存在しておらず、代わりに四つの機械の目が埋め込まれていた。

 口は本来耳があるべき場所まで裂け、鮫よりも鋭い歯が顔を覗かせていた。

 

 もう一対は人型でこそあったものの、更に異形と化している。

 屈強なヘラクレス像のような肉体には一糸も纏っておらず、本来あるべき生殖器がない。

 腕が四本あり、全てが丸太よりも太く、頭部には人間として存在しているはずのパーツが一切存在していなかった。

 

 これは中華連合でエドウィン・ブラックの細胞を入手して生み出したテクノロジーによって改造された強化人間兵士である。

 

 中華系の犯罪組織“龍門”とも繋がりがあった美琴は強化人間兵士の技術と細胞を手に入れ、培養、投与、改造を繰り返していた。

 

 夥しい失敗と犠牲の上に完成したのが、あの三体。

 身体能力は三割近くも向上。不死性に関しては、頭を吹き飛ばそうが斬り落とそうがお構いなし、八つ裂きにしても数分で回復するほどだ。

 また対魔粒子にも魔力にも強い耐性を持ち、これらが含まれた攻撃であったとしても容易に殺せはしない。

 

 

「さあ、奴の手足を捩じ切ってやりなさい。どうせ、あの能力だったら手足なんていらないんだから……!」

 

 

 思惑を破壊され、研究成果を殺された憂さを晴らすように、嗜虐心たっぷりの笑みを浮かべる。

 流石に桐生の姉だけのことはある。あの強化人間兵士は美琴にとって最高傑作であるのだろうが、同時に最後の砦でもあることに、まるで気付いていない。

 天才であるが故に、傲慢であるが故に、自分が追い詰められているなど、一歩間違えれば敗北するなどと考えてすらいないのだ。

 

 

「容赦なんてしないわ。標的を見つけ次第、襲い掛かりなさい」

 

 

 その言葉に反応するように、強化人間兵士のカメラアイがギラリと光る。命令を承諾したのだろう。

 

 そして、三体は主の命を全うし、男が部屋に脚を踏み入れた瞬間、地を蹴った。

 現役の対魔忍よりも速い疾駆。獣すら遠く及ばない疾走と強襲には髑髏の男であっても反応出来ない――そう考えていたのは、美琴と傀儡の強化人間兵士だけだった。

 何も、情け容赦がないのは美琴や強化人間兵士だけではない。髑髏の男にとて、そんなものは初めから存在していなかった。

 

 男は、既に彼女の行動を読んでいた。

 傲慢な人間が追い込まれれば、強硬手段に出るのは分かり切っている。

 

 部屋に入った瞬間、男は片手を上げると、その能力を発動させた。

 男の正面頭上の空間が水面のように揺れ、凄まじい轟音と共に金属製の床をへこませて、美琴には見たこともない兵器が引き出された。

 

 ――――GAU-8 Avenger.

 

 かの傑作近接航空支援機A-10 サンダーボルトⅡなどに搭載された30mmガトリング砲である。

 本来は航空機用のガトリング砲であるが、どのような改造を施したのか、彼のものは砲座になっていた。 

 

 その主な用途は対戦車攻撃用に開発されており、1キロ以上も離れた戦車の装甲を容易く蜂の巣にする。

 高サイクル、高初速の弾丸が毎分4200発も発射し、鋼鉄の兵器を単なる鉄屑に変化させる最悪の機関砲だ。

 

 男の発想は極めて単純。

 圧倒的な生命力を誇る怪物に対して、それすらも上回る圧倒的な火力で踏み躙る。たった、それだけの話だ。

 

 近代兵器を以て、それを成し遂げようにも難しい。

 実現しようにも金がかかる。金の問題をクリアしたとて、それだけの兵器を運用するに個人での携行は不可能。運用の為の軍隊も必要となり、軍事作戦さながらの様相を呈する。

 それ故、対魔忍も、魔族も、米連も、魔界技術や特殊能力によって成し遂げようと必死になっているのだが、男は能力と近代兵器によって簡単に事を成し遂げる。

 

 よくよく能力や近代兵器を知っているが、発想が狂っている。

 そもそも航空機に搭載する兵器を個人で扱えるようにした挙句、使い捨てのように使うなど。

 況してや、本来は戦車の破壊を目的として製造された兵器を、人型に使おうとするなど、正気の沙汰とは言い難い。

 

 GAU-8特有の腹の底に響く発射音と30mmの弾丸が、研究施設(美琴のおもちゃ箱)戦場(じごく)へと塗り替える。

 数トンもの重りによって反動を制御し、数多の電動モーターによってパワーアシストが働いた砲身を強化人間兵士に向け、弾丸を湯水の如く浴びせかける。

 

 初速1067m/s。毎秒70発。

 恐るべき死の具現は、瞬く間に三体の強化人間兵士を肉塊に――――否、この世から消し去った。

 後には何も残っていない。肉も、骨も、血も、機械部品すら。紛うことなき消滅。如何な不死と言えど、これでは再生も蘇生もないだろう。 

 

 美琴は、唖然とするばかりだ。

 自分の最高傑作が、自分の考える美学に掠りもしないラインから流れてきた大量生産品に敗北する現実。

 

 そもそも、強化人間兵士と航空兵器用の機関砲を同列に比較している時点で間違っているのに気付いていない。

 また、徹底して相手の土俵で戦おうとしない髑髏の男も、あらゆる意味で悪辣だ。

 

 

「――――――ひっ?!」

 

 

 完全に思考が停止していた美琴は、髑髏の男が放った弾丸が監視カメラを破壊して、ようやく再起動する。

 

 

(ど、どうする?! あの三体がやられたら、あとは――――駄目! まだ洗脳も記憶処理も終わってない! そんな状態で目覚めさせたら、私がころ―――)

 

 

 事此処に至って、ようやくその思考に思い至ったのか。美琴は背筋に氷柱でもぶち込まれたかのように蒼褪めた。

 美琴は目の前のモニターを操り、研究施設内の全ての隔壁を下ろし、大事な研究データすら気にも留めずに自爆装置を作動させる。

 コウモリのように様々な組織を渡り歩いていた彼女らしく、こういった事態を想定していたらしい。もっとも、こんな亡霊のような存在が、自分を狙いに来るなど考えてはいなかったようだが。

 

 研究データにも研究施設にも研究材料にも未練はない。

 生きてさえいれば、いくらでも取り戻せる。美琴が躊躇なく借宿を捨てた理由であった。

 手に鬼神の腕と共に手に入れた鬼神の刀だけを握り、美琴は弾かれたように私室を後にする。

 

 直ぐ其処にまで髑髏の男が迫ってくる妄想に背中を押されるように、美琴は地上への直通エレベーターに飛び乗った。

 

 

「くそっ、くそくそくそっ! 何なのよぉ! 一体、私が何をしたっていうのよ!!」

 

 

 彼女の犠牲者が聞けば、余りの身勝手さに怒り狂うか、余りの不様さに笑い転げるような科白を吐き出しながら爪を噛み、必死で震える身体を抑えようとする。

 

 チンと今の彼女の心境を考えれば間抜けな到着音。

 開き始めたばかりの扉に身体を滑り込ませ、洋館の外に向かって逃げ出した。その不様は、彼女が利用していたあの子豚のような男とよく似ていたのは偶然だったのか。

 

 

「――――はぁっ、はっ、はぁっ、ハ、ハハっ、嫌にあっさり、見逃すと思ったら、そういうわけ?」

 

 

 正門の向こう。

 街の近くまで広がっている森の中では、朦々と黒煙が夜空に向かって立ち上り、その根元では煌々と赤い光がチラついていた。

 

 間違いなく、先に逃げた傭兵とボスのものだろう。

 髑髏の男は傭兵の後を追わずに見逃した。それ故に、男の目的はボスの殺害による組織の壊滅か、自身の研究を奪うことにあると踏んでいたのだが、実態はまるで違っていた。

 

 男の目的は始めから殲滅だった。

 

 元々襲撃をかける以前に洋館にあった車両には爆弾が仕掛けてあったのだろう。

 或いは、森の中に作られた道路に地雷か何かが仕掛けられていたのかもしれない。

 いや、それだけではない。もしかしたら、森の中にはブービートラップも山のように仕掛けられている可能性もある。

 

 誰一人として逃さない。そんな絶対的な殺意を察せさせる光景。

 恐怖が一定のラインを越えると笑いが止まらなくなるものだ。だが、美琴はそれを認めない。

 そもそも、髑髏の男が防壁を破れたとしても、どれだけ速く走れようとも、どう考えても自爆までに脱出は不可能なのだから。

 

 意気揚々と、庭園を通り抜けて、戦闘によって破壊された噴水を通り抜けようとした瞬間、けたたましい鉄馬の嘶きが屋敷の内部から響き渡る。

 

 美琴が反射的に背後を振り返れば、正面玄関を突き破って現れるバイクが済んでの所で自爆を逃れ、髑髏の男が生還した姿を目撃してしまった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 地下の研究施設で防壁が下り、美琴が逃走を図ったことを確認すると、虎太郎は即座に蔵の中からバイクを取り出して、来た道をフルスロットルで戻った。

 防壁はアルフレッドによって開かれ、何の減速もないままに階段を駆け上り、そのままの勢いで玄関を突き破って外に出た。洋館の自爆はその直後だった。

 

 背後から凄まじい爆風と熱波、衝撃を感じながらも、虎太郎は巧みにバイクを操り着地すると、そのまま逃げる美琴の後を追う。

 

 彦狭蔵(ひこさぐら)本来の術者では、バイクを蔵の中に収めることは出来ない。術者に“バイクは乗り物”という認識が強いからだ。

 だが、虎太郎は車をミサイル代わりに使う男である。バイクとて、よく走り、よく爆ぜる重さ数百kgの鈍器兼爆弾といった認識を持っており、用途の幅が広がっている。

 

 虎太郎は崩れていた花壇を発見すると、そこを射出台としてバイクごと宙を舞った。

 

 美琴はそのまま轢き潰すつもりだと悟ったのか、鞘から鬼神の大太刀を抜き放ち、迎撃の構えを見せた。

 

 ――しかし、虎太郎は既にバイクの燃料タンクに爆弾を仕掛け終えていた。

 

 そのまま慣性の法則に任せ、自身はハンドルを離し、後方に飛ぶ。

 美琴が大太刀でバイクを叩き切ろうとした瞬間に、手にした端末で爆弾を起爆させた。

 

 

「――――くっ、あぁぁぁあああぁああっ!?」

 

 

 爆発に晒された美琴の軽い身体は、無数の裂傷と火傷が生じると共に後方へと吹き飛ばされたが、虎太郎はなおも手を緩めない。

 

 着地と同時にブーツに仕込んでいた刃渡り15cmのTハンドルナイフを引き抜くと、迅雷の勢いで地を蹴った。

 炎と黒煙を巻き上げて燃え盛るバイクの残骸を飛び越え、爆発の衝撃から立ち上がっているものの、立ち直れていない美琴に跳び蹴りを叩き込んだ。

 

 

「ぐぅっ、この程度、で…………ガッ!!」

 

 

 顔面に向かって放たれた跳び蹴りを鬼神の腕と大太刀で以て受け止める。

 実に大したものだ。腕もさることながら、その肉体に施された魔界医療による強化改造も素晴らしい。既に怪我は治り始めており、肉体が精神に答えているかのようだ。

 

 しかし、防御されることを見越していた虎太郎は、大太刀に()()すると、痛烈な踵落としを見舞う。

 脳天から全身を麻痺させる衝撃に、美琴は蹈鞴を踏んで後退するものの、辛うじて倒れることだけは避けた。

 

 ――それでも、結末は変わらない。

 

 ドス、と身の毛もよだつ悍ましい音が身体の中から耳朶を叩き、冷たい感触が右脇腹から内臓に突き抜ける。

 内臓の奥底から登ってきた熱い血液を、美琴は堪らず口から吐き出した。

 

 虎太郎は低い姿勢でTハンドルナイフを美琴の肝臓に突き立てていた。

 致命傷だ。常人ならばまず助からない傷であったが、美琴はどれだけの改造を自身に施したかを知っており、虎太郎もこれだけで終わると信じてはいなかった。

 

 

「ぶ、ぐっ……あ゛ぁっぁぁぁあぁあああっっ!!」

 

 

 命を磨り減らして迸る咆哮。

 黒いストッキングで覆われた美琴の右脚が跳ね上がり、虎太郎の胸部目掛けて渾身の蹴りが放たれた。

 

 虎太郎は地面に四肢を突き、獣そのものの姿勢で蹴りを回避すると後方に飛んで距離を取る。

 

 

「これで、ようやく、……仕切り直し、よ」

 

 

 美琴は血の(あぶく)と共に呟くと大太刀を構え直す。

 その両目には何を犠牲にしてでも生き残ろうという意志と、正体不明の死神に対する恐怖で満ち溢れていた。

 

 対し、虎太郎は胡乱気に眺めているだけで構えすら見せない。まるで何かを待っているかのようだ。 

 

 その様子に、美琴は己の失敗を悟ったが、全てが手遅れだった。

 

 

「――――あ、っ」

 

 

 彼女の両脚から力が抜け、膝が折れてその場にへたり込んだ。

 

 

「ど、毒、まで……」

 

 

 先程、肝臓を貫いたナイフには毒が塗られていたようだ。

 無数の身体改造が施された彼女の肉体にすら作用する毒だ。相当強力に違いない。

 

 しかし、虎太郎は何処までも油断はなかった。

 美琴の事、毒に対する耐性を獲得するように身体改造を施している可能性も否定できない。

 長くても数分。短ければ十数秒しか毒の効果が続かないと踏み、彼女からあらゆる反撃の手段を奪い去ろうとする。

 

 

「……ま、待って、お願い……何でも、するわ。だから、命だけは……」

 

「お前、こういう状況で命乞いなんて聞いたことあるか?」

 

 

 虎太郎が大太刀を拾い上げながら放った一言が全てであり、美琴は絶望せざるを得なかった。

 どう考えても、聞く筈がない。自分自身が、今まで実験の材料にした人間の命乞いにも懇願にも耳を貸さなかったのだ。嫌でも理解できよう。

 

 それでも必死に言葉を探し、生き残る糸口を探ろうとしている美琴の二の句すら聞かず、虎太郎は大太刀を振り下ろす。

 

 

「――――い、やぁぁぁああああぁぁああぁあああぁっっっ!!」 

 

 

 鬼神の大太刀は、見事に鬼神の右腕を斬り落とした。

 ただでさえ血濡れの美琴は、出血によって更に(あけ)に染まる。

 

 虎太郎は絶叫や悲鳴にも何の関心も抱かず、斬り落とした鬼神の腕を蹴り飛ばし、大太刀も放り投げた。

 肩口を抑えて蹲った美琴は、もう抵抗の余地などない。これで完全に無効化した。生殺与奪の権利は彼にこそある。

 

 

【それで、どうしますか?】

 

(どうするかねぇ。生かしておいても殺してもどっちも変わらねぇしな。お前はどっちがいい?)

 

【捕縛すべきかと。彼女の研究データは手に入れましたが、引き出せる情報は他にもあるでしょう。何より、貴方が命を奪うのは黙認しても、命を弄ぶのは看過できません】

 

(さいですか。じゃあ捕縛で。さぁて、情報引き出せるだけ引き出しちゃおうねー)

 

 

 相棒との相談で処遇を決めた虎太郎は、美琴に向かって手を伸ばしたが、異変を感じてピタリと止まる。

 

 

「ふっ……ふふ、くふふ……」

 

「………………」

 

「――――あっはははははははっ!! アンタは強かったけど、どうやら私の運はそれ以上だったみたいねぇ!」

 

「……みたいだな」

 

 

 顔を上げた美琴は会心の笑みを浮かべ、虎太郎は溜息と共に彼女の言葉を認めた。

 

 

 ――両者は弾かれたように自身の背後を振り返る。

 

 

 美琴はそのまま傷口を抑えて立ち上がり、何処にそんな体力が残っていたのかという速度で逃げ出す。

 虎太郎は“蔵”からドラムマガジンの取り付けられたフルオートショットガン――AA-12を取り出して引き金を引いた。

 

 ――虎太郎の背後には、傭兵の遺体が動き出し、襲い掛かろうとしていた。

 

 初弾で遺体の頭を吹き飛ばしたが、遺体はなおも止まらない。

 仕方なく、完全に動きを止める為に、今度は四肢に向けて引き金を引く。

 

 AA-12に装填されているFRAG-12は世界最小のグレネード弾である。四肢を引き裂く等、造作もない。

 

 

「逃がさねぇよ、間抜けが」

 

 

 

 突如として動き出した最初の遺体に続き、周囲の遺体も続々と動き出していた。

 だが、動きは生ける屍特有の緩慢さがある。何が起こっているのかは、流石の虎太郎にも判断は出来なかったものの、余裕があるのは確かであった。

 

 逃げる美琴の背中に銃口を向ける。

 AA-12は有効射程は180mとショットガンとしては破格の射程を持つ。十分に射程圏内である。

 

 

『虎太郎、避けて下さい――――ッ!』

 

「――――っ?!」

 

 

 アルフレッドの悲鳴染みた警告の声と自身の察知能力によって、あるものを捉えると虎太郎は身を捻りながら後方に倒れ込む。

 

 彼が視界に捉えたのは、地面から自身の顔に向けられた何らかの砲口であった。

 

 

「ぐ、ぉぉっ――――っぶねぇっ! 何がどうなってんだか、ったくよぉ」

 

『想定外は貴方にとって何時もの事ですよ』

 

「そうだった。死にたい」

 

 

 砲口は黄色の閃光を放ち、虎太郎の頭部を覆っていた髑髏の仮面を粉々に打ち砕いたが、当人は無傷らしく、残った部分を脱ぎ捨てた。

 

 虎太郎が砲口に目を向ければ、地面の中から何かが這い出してきている。

 恐らくは、蜂を模した何かだろう。有機物ではなく無機物の質感と光沢を帯びたそれは、四枚の羽で一人でに浮かび上がった。

 その意志のない特定の行動のみを取っているかのような姿は、かつて見た魔術師の粘土人形のようだったが、それともまた違うと虎太郎は直感していた。

 

 しかし、それ以上に虎太郎の頭にあったのは、この蜂の操り手を何としても見つけ出し、殺さねばならないという思いであった。

 

 何であれ、この蜂が何者かに操られていることは間違いない。例え、相手が自分を知らずとも、顔を見られるのは頂けない。

 

 

「しかし、この傭兵の死体、どういう原理で動いてんだ? 桐生姉の手術によるものか?」

 

『いえ、そのような記録はありませんでした。押収した研究データを再検索――――――――――これは……』

 

「おい、何かあったか?」

 

『――――死霊、騎士』

 

「あー! あー! 聞こえないー! オレ、今聞こえちゃいけないワードが聞こえた気がしたけど、聞こえませぇぇん!!」

 

『諦めて現実を受け入れて下さい』

 

 

 最大級の厄ネタの匂いを嗅ぎ取り、虎太郎は喚きながら耳を塞ぐ。死霊騎士という言葉は、それほどの厄ネタらしい。

 

 その時、自爆した洋館の一部が崩れ、燃え盛る炎の中から人影が現れる。

 チッ、と舌打ちをして虎太郎はAA-12を構えるが、引き金までは引かない。

 奇妙なことに周囲の生ける屍も、宙を飛ぶ蜂の模造品も、先程から微動だにせず、再び襲い掛かってくる様子を見せなかったからだ。

 

 虎太郎が見たのは、焼死体が出来上がるまでの映像記録の逆再生であった。

 

 炭化していた肉体は次第に肉の色つやを取り戻し、皮膚を取り戻し、爪を取り戻し、髪を取り戻す。

 伝え聞いた通り、吸血鬼すら凌駕する超絶の再生能力。それもその筈、死霊騎士のそれは再生と言うよりも復元に近いのだ。

 

 復元が完了した死霊騎士は、一糸纏わぬ女であった。

 ショートボブの薄い金髪。同じく色素の薄い金色の瞳。死体のように血の気を失った白い肌。見るも鮮やかな桜色の乳首と陰部。

 

 死霊騎士は一歩、また一歩と視線を合わせぬままに虎太郎に近づいてくる。

 虎太郎も敵意のないままに無防備に近寄ってくる死霊騎士に攻撃すべきか、様子を見るべきか、迷いつつも引き金から指を外さず、気も緩めない。

 

 そして両者の距離が2mにまで縮まると、ようやく死霊騎士が顔を上げ、虎太郎と目を合わせた。

 すると、死霊騎士は驚き故にか目を大きく見開き、続いてうっとりと目を細めて陶磁器のような頬を桜色に染める。 

 

 

「…………だん、な、さま」

 

 

 流石の虎太郎も、死霊騎士からの旦那様呼ばわりに困惑した。

 

 次の瞬間に、死霊騎士は意識を失い虎太郎にもたれ掛るように倒れ込んだ。

 周囲で棒立ちだった生ける屍は糸の切れた人形のように摂理の輪に戻り、宙を飛んでいた蜂の模造品は土へと還った。

 

 反射的に死霊騎士を受け止めると、その身体は虎太郎に死体そのものの冷たさを伝えてくる。

 

 

『虎太郎、分かりました』

 

「ちょっと、待って。嫌な予感がするの。心の準備させて。ホント待って」

 

『駄目です。どうやら、桐生 美琴は数ヶ月前に、あの三体と共に死霊騎士と偶然交戦し――――彼女の捕縛に成功したようです』

 

「へ、へぇ、やるじゃん……そ、それで?」

 

『その後、研究の為に記憶処理と洗脳を施したようです。その洗脳ですが、一番初めに見た人間を主人として慕うようになっているらしく……』

 

「――――ファっ?!」

 

『端的に言います―――――また厄ネタです!』

 

「厄ネタに厄ネタ重ね塗りとか、桐生姉ふざけんなぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」

 

 



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『死霊騎士から旦那様扱いとか、苦労しかないよね(涙)』

 

 任務結果報告

 

 桐生 美琴が自身の存在を覆う為に作り上げた組織は壊滅。

 トップ及び構成員は全員死亡。拠点は自爆しており、新たな証拠の発見は期待できない。

 

 対象の研究データ及び鬼神の右腕、大太刀の回収には成功するも、対象を取り逃がす。

 対象は東京方面に逃走した模様。適切な人員を投入し、追撃部隊を編成されたし。

 

 また東京に潜伏中の対魔忍には、桐生 美琴と取引、協力関係にあった別組織、個人の情報を送信済み。

 本部からも命を下し、情報収集と精査を行うべきである。

 

 対象には心身ともに衰弱が予測され、追撃からの捕縛は容易と思われる。

 

 

 備考(この項目は全て黒く塗りつぶされている) 

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「弐曲輪! 貴様、どういうつもりだ!」

 

「………………」

 

「桐生 美琴を取り逃し、挙句の果てに魔族を連れ帰るなど!」

 

「………………」

 

「虎太郎、答えなさい」

 

 

 五車学園の地下には桐生の研究室、虎太郎のミーティングルーム以外にも様々な部屋がある。

 装備課の倉庫や研究、開発施設、懲罰房、尋問部屋―――そして、虎太郎、アサギ、紫の三人が話している尋問の監視部屋もその一つだ。

 

 壁とガラスを隔てた向こう側が尋問室となっており、尋問官と死霊騎士(レヴァナント)――ワイトが尋問を受けていた。

 

 結局、桐生 美琴には逃げられ、意識を失ったワイトを五車学園に連れ帰る羽目となった虎太郎は、紫から厳しい叱責を受けていた。

 当然である。一人で構わない、一人がいいと言ったにも拘わらず、一番重要な桐生 美琴を取り逃がすなど、あってはならない結果だ。

 

 

「安心しろ。どの道、桐生 美琴は向こう何年かはマトモに動けん」

 

「どこがだ! あの女を取り逃せば、次にどれだけの犠牲者が出るのか――」

 

「だから、それがあり得ねぇんだよ。ちったぁ考えて物を言え」

 

「……どういうことか、説明してくれるかしら」

 

 

 相変わらず、察しの悪い上司二人に、虎太郎は憂鬱な気分で説明を開始した。

 

 何故、桐生 美琴が桐生 佐馬斗よりも長い時間、対魔忍から逃れ続けることが出来たのか。

 それは単純に美琴の戦闘能力が――正確には鬼神の腕が、だが――脅威だったからに他ならない。

 

 魔科医としての腕前だけでなく、直接的な戦闘能力も高かったが故に、桐生以上に自由に振る舞えていたのだ。

 だが、その戦闘能力を支えていた鬼神の腕は既になく、虎太郎が回収し、今は彼しか知らない場所で封印されている。

 

 それに加えて、美琴は特定の組織に肩入れしていない。

 自分自身が自由に研究をしたいが為に、取り入っては見限り、取り入っては見限りを繰り返していた。

 

 まるで寓話のコウモリのように。

 そして、その末路も同じ。獣の王と鳥の王、どちらにも取り入ったコウモリは、最終的に孤独に暮らすこととなった。

 

 

「情報はバラまいた。あの女が、鬼神の腕を失ったとな。あのコウモリを魔族も米連も、躍起になって追い回すだろうよ」

 

「しかし、どちらかの手に堕ちれば……」

 

「魔族側はあの女に恩を売って懐柔するよりも、洗脳でもした方が早い。もしくは逆らえない何かで縛りつける。間違いなくな。あの女は、何が何でも逃げるだろう」

 

「米連の方は?」

 

「可能性はあるが、あの女は米連の内情をよく分かっていない。後がなくなれば飛びつくが、泣きつくにしても極力避けたい相手の筈だ」

 

「今までのように一人で動くことも出来ない。なら――――」

 

「そうだ。桐生 佐馬斗という前例のある対魔忍が、投降するには一番マシってことだ」

 

 

 どの道、今までのような研究は数年に渡って出来ない。

 ノマドの傘下に入れば傀儡扱い。米連の傘下に入っても首輪は免れない。

 どちらにせよ、桐生 美琴による犠牲者は限りなくゼロに近づくだろう。

 

 一番可能性が高いのは、逃亡生活に疲れ果てての対魔忍側への投降。

 何なら、今までのように追いかけ回して捕まえてしまうのもいいだろう。

 虎太郎の任務は失敗に終わったが、美琴の持つ力を削ぐという点においては十分過ぎる成果を上げていた。

 

 

「下忍どもにチクチク追わせろ。かなり参ってるだろうよ。それくらい自尊心から何から削り取ってやったからな。今頃、髑髏に負われる悪夢でも見てるんじゃないか?」

 

「…………納得は出来んが、お前の理屈は理解はした」

 

「どうした? 今日は随分、追求が手緩いじゃないか?」

 

「ふん! 任務に失敗したからと言って無意味に責め立てるわけがあるか! 私が常々注意しているのは、貴様自身の姿勢と態度だ!」

 

 

 不愉快とばかりに顔を背ける紫に、アサギは苦笑を漏らした。

 虎太郎と紫は、出会った当初からこんな関係を変わらずに続けているからだ。

 

 その時、ガチャリと音を立てて尋問官――東雲(しののめ) 音亜(ねあ)がワイトへの尋問を終え、三人の前に現れた。

 

 東雲 音亜。

 読心術使いの家系に生まれ、一族の中で過去最高の力を持つと言われている。

 尋問や情報取集は元より、戦闘にも応用可能。また、集中すれば、当人すら自覚していない心の声まで読み取ることが出来る。

 そんな力を持っているが故にか、表向きはニコニコと笑っている優しげな女と言った印象を受けるが、その本性は心を読み取った相手が秘密を暴かれ、恐怖と共に堕ちていくのを楽しむ歪んだ性癖を持っている。

 

 もっとも、そんなものは虎太郎と出会う以前までの話だ。

 音亜は虎太郎の姿を見つけると、明らかな恐怖の表情を浮かべて近づこうとすらしない。

 

 彼女は目覚めた性癖を満たす為に、度々仲間内ですら心を読んで秘密を握り、軽く脅す遊びを楽しんでいた。

 

 可愛げがあるとも取れるし、邪悪とも取れる行為だ。

 他人を破滅させる為に秘密を暴くのではなく、他人()楽しむ為に秘密を暴く。

 どちらがより可愛げがあるのか、どちらがより邪悪であるのか。人によって意見が分かれるところだろう。

 

 かつて、音亜はご多分に洩れず、面白半分に虎太郎の心を読み――――その余りに理解不能の精神性に、後悔した。

 

 恐るべきことに、虎太郎にとって目の前に存在している全てが警戒の対象であり、同時に、いつ殺しに来ても構わないように対応策と手段を考えていた。

 ただ一つの例外もない。親しげに話しているゆきかぜや凜子であっても、目を掛けている花蓮や桃子であっても、十年以上の付き合いとなるアサギや九郎であっても。

 

 どう考えたところで狂っている。

 それだけの警戒を周囲全てに抱き続ければ、人間の精神では耐えられない。

 なのに、平気な顔をして日常を過ごしている虎太郎は、音亜にとって人の形をしているだけの怪物にしか映らなかった。

 

 以後、彼女は面白半分に人の心や秘密を暴くのは止め、任務以外における能力の行使を断った。

 人の心や秘密は暴かない方がいい場合もある。そう学び、歪んだ性癖すらも、あっさりと矯正されてしまったのであった。 

 

 

「それで、どう……?」

 

「本当に、全ての記憶を失っているようです。質問をしても要領を得ず、しきりに旦那様は、と。そればかりで……」

 

「嘘はついていないのか。死霊騎士としての能力や使い方については?」

 

「同様です。使えない、と言うよりかは、使い方が分からない、が正しいのでしょうけど……」

 

「……分かったわ。紫、音亜。この件は他言無用。誰にも漏らさないように、いいわね?」

 

「「承知しました」」

 

 

 紫、音亜はアサギの命令を承諾すると、一礼して部屋を後にする。

 部屋を出る直前、紫はマジックミラー越しにワイトを眺めたまま黙り続ける虎太郎に心配そうな視線を向けたが、言葉にすることはなかった。

 

 二人を見送ったアサギは、虎太郎の隣に立ち、同じくワイトに視線を向ける。

 

 

「どうするつもり……?」

 

「それはこっちの科白だ。オレはお前の命令に従う。決定権はお前にある」

 

「そう。私としては、このまま保護するつもりよ。彼女は魔族だからと言っても記憶もなく、悪意もない。赤子と変わらないわ」

 

「相も変わらず甘い事だ」

 

「自覚はあるわ。私の意見は言ったわよ。虎太郎は……?」

 

 

 まず彼女を生かしておく必要性があるのか。

 どれほど美琴の記憶処理と洗脳が完璧だからと言って、何かの拍子に記憶を取り戻せば、里の内部で敵が現れることとなる。

 しかも、何が最悪だと言って、死霊騎士の能力が最悪だ。

 

 魔界には、エドウィン・ブラックと敵対する魔族の王が数多く存在する。

 中でも、長らく不死の王(ブラック)と敵対関係にあるのが、屍の王(レイス・ロード)であり、レイスと呼ばれる高位魔族だ。

 レイスは死者に対し、一時的に生命を与える力を持つと言われる。レイスの戦士を死霊騎士と呼ぶ。

 

 里の内部でワイトが能力を行使すれば、ワイトの操る生ける屍はネズミ算式に増えていくのである。

 

 もっとも、屍の王が人界に興味がないのか、或いは人界へと現れる術を持たないのか、対魔忍と敵対したことはない。

 あくまでも捕虜とした魔族から得られる断片的な情報で語られるばかりで、実態に関しては不明瞭な点しかなかった。

 

 しかし、情報は正しかったようだ。少なくとも、虎太郎はその能力を目の当たりにしている。

 あの時は、肉体のダメージに反射的に能力を発動しただけのようだが、それを意図して引き出せるのなら、厄介な能力である。

 

 

「聞かなくても分かってるんだろ。殺したくても殺せねぇよ。それを植え付けたのは桐生姉だろうが、オレに対する信頼は本物だ」

 

「そう。それを聞いて安心したわ」

 

「安心もクソもねぇよ」

 

「あら、いいじゃない。昔の虎太郎よりも、今の虎太郎の方がずっと素敵よ」

 

 

 道端に放置されていた犬の糞でも踏みつけてしまったかのような、本当に嫌そうな顔をしてアサギを見た虎太郎であったが、その顔を向けられた本人は微笑むばかりだ。

 

 虎太郎自身にとって、最善なのはワイトを殺してしまうこと。

 いつ本来の記憶を取り戻すか分からない。いつ洗脳が解けるかも分からない存在を、何の縛りもなく手元に置いておくほど、彼は愚かではない。

 

 対魔忍は魔族を駆逐しようとする側だ。

 アサギなどは経験故に柔軟な対応をするものの、老人達は一向に現状を理解しようとしない。兎に角、殺すことばかりで、利用することも、一時的に手を組むという考えすらない。

 それ以外の者であっても同様だ。もし、ワイトの存在が明らかになれば、今現在アサギに向けられている信頼や忠誠に罅が入りかねないだろう。

 

 アサギの失脚は、虎太郎が対魔忍から排斥されることを意味する。

 元より、ふうまの跡取りである彼は、アサギに対して従順であることで、その立場を辛うじて維持している。

 もし、アサギの籠がなくなれば、対魔忍という肉壁も失くす羽目になる。それはそれで構わなかったものの、極力避けたい事態には違いない。

 

 ――全てを理解してもなお、虎太郎は自ら定めた“誓い”故に、ワイトを斬り捨てられない。

 

 最善を選び、効率を優先する自らの論理。相手から受けたモノは必ず返すという“誓い”。

 どうあっても両立しない矛盾の板挟みに、虎太郎は苛立ちを抱えながら冷静であった。

 

 全てを理解しての“誓い”だ。これまでも何とか折り合いをつけて生きてきた。これからも、そうするまでのこと。

 

 

「彼女に関しては、桐生 美琴に捕まっていた被害者で通すわ。それ以外は、虎太郎に任せてもいいわね?」

 

「ああ、分かった。押し付けられた厄介事だが、やるこたぁやるさ」

 

 

 お願いね、とだけ言って、アサギは笑いながら部屋を後にした。

 危機感の薄い能天気な態度と下された処遇に、虎太郎は再び苛立ちを覚える。

 彼女の態度は虎太郎に対する信頼の裏返しであったが、彼にしてみれば返すべきものであるものの、何の助けにもなりはしない。ありがたくもない重荷であった。

 

 アサギが出ていった後、虎太郎は何をするでもなくマジックミラー越しにワイトを静かに眺める。

 

 虎太郎と出会った当初、裸体だったワイトの身体には、桐生による検査の名残からか患者衣だけを纏い、何の拘束もされていなかった。

 拘束がいらぬほどにワイトは従順であり、また拘束が躊躇われるほどに儚げだった。まるで人知れずに花弁を開き、誰に看取られることなく散る月光花のように。

 

 今もそうだ。

 彼女は椅子に座ったまま両手を膝の上に置き、視線を机に落としていた。

 見知らぬ土地で親とはぐれてしまった子供のように、今にも零れてしまいそうな涙を必死で堪えているようだ。

 

 虎太郎は、その姿に何を思っていたか。大きく溜め息をついて、尋問室へと脚を踏み入れる。

 

 

「――――旦那様っ」

 

 

 虎太郎の姿を目にすると、今までの暗く沈んでいたワイトの表情は幻の如く霧散し、嬉しげに目を細める。

 余りにも危険を感じさせない――実際に、今の彼女には危険などないが――ワイトの態度と姿に、虎太郎は何とも言えない気分となった。

 

 立ち上がろうとするワイトを片手で制し、彼は対面の椅子に腰を下ろす。

 

 

「長々と悪かったな」

 

「いえ、そんなことは……」

 

 

 虎太郎の姿を見るだけで、共に居れるだけで、言葉を交わしただけで嬉しいのか。ワイトは頬を染め、机の下でもじもじと両手を合わせている。

 

 驚異的な洗脳だ。

 たった一目見ただけ。あたかも鳥の刷り込みのように。

 主人として認識した虎太郎に絶対の服従を誓っており、虎太郎に対して服従することに甘美な喜びを見い出している。

 

 

「桐生――此処に来る前に会った眼鏡の男だ。アレに検査を受けたが、どうだった?」

 

「どう、と言われましても。終始、興奮しきりで、マトモに会話も出来ませんでした。注射をいくつか。それに、何だか手付きもいやらしくて……」

 

「そうか。後で血祭りに上げておくから勘弁してやれ」

 

「そ、そこまでしなくても――――でも、嬉しいです。旦那様の手を煩わせるなんて、いけないことなのに」

 

 

 虎太郎の既に地面へと突き刺さっていた桐生の評価が、地下に埋没するレベルで下降した。

 しかし、ワイトは何を勘違いしたのか、手を口元に当てて薄く微笑んだ。まるで、よく出来た侍女のようだ。

 

 これはこれで厄介だ。

 言葉は通じている、会話も成立している――――だが、噛み合っていない。両者の認識には、海よりも広く、谷よりも深い隔たりがある。

 

 当然だろう。

 ワイトは美琴の洗脳によって虎太郎を求めているが、求められている虎太郎とってワイトは厄介事以外の何物でもないのだ。

 

 

「それで、記憶はどうだ?」

 

「…………名前以外には、何も、思い出せない、です。自分が何処で生まれたのかも、どんな風に生活してきたのかも」

 

 

 音亜による確認は済んでいたものの、虎太郎は今一度、ワイトの記憶の有無を確認する。

 如何に優れた読心術であっても、それを掻い潜る術はいくつか存在している。

 

 その点を警戒しての質問であったが、虎太郎の目を以てしても、ワイトからは不審も見られず、違和感も覚えない。

 

 しかし、彼女の両目は恐怖で覆われていた。

 自身に関する記憶が、まるでない。何をしてもいいのか分からず、自分が何者かすら分からない。それは、例えようもない恐怖だろう。

 

 

「はっきり言えば、オレはお前と面識はない。出会ったのは数十時間前、会話をするのは今が始めてだ」

 

「……そ、それ、でも……私にとって……旦那様は、旦那様、です……」

 

 

 ようやく、両者の認識が噛み合い始める。

 

 ワイトも虎太郎の言葉を徐々に理解してきているのか、表情は蒼褪めている。

 どうやら記憶は失っているようではあるが、普遍的な常識や観念までを失ったわけではないようだ。

 出会ったばかりの人間に仕えること自体に至上の喜びを覚えるのはおかしいと、理解は出来ているらしい。

 

 

「そんな……そんな! いや、です。ちゃ、ちゃんとします。旦那様の言う事は、何でも、従います。だから、だから――――」

 

「そうは言ってもな。オレはお前にして貰いたいことなんて何もない」

 

「――――ぁっ」

 

 

 虎太郎の刃のように冷たく鋭い言葉に、ワイトの震えていた声はとうとう凍り付いた。

 

 自分が愛して止まない主人は、自分を従者としてすら見ておらず、結局は赤の他人に他ならない。

 ワイトが直面したのは、その事実だ。自身に関する記憶は一切なく、自身が何が出来るかも分からない状況の中、唯一縋れる“仕える喜び”ですら、冷たくあしらわれた。

 

 ただでさえ白いワイトの肌は、もはや土色だった。

 例え、死霊騎士であっても精神性は人間と大差はないようだ。人にせよ、魔族にせよ、何一つ身体を預けることなく一人で立つなど出来はしない。出来るのは、精神的な怪物である虎太郎くらいのものだろう。

 

 掛け値なしの絶望が、ワイトを襲っていた。

 このまま放っておけば自殺でもしてしまいそうな、衰弱死してもおかしくないあり様である。

 

 

「だが、オレにはお前を連れて帰った責任がある。甚だ不本意だがな」

 

「――――…………ぇ?」

 

「暫らくの間、面倒を見てやると言っているんだ。一緒に居てやると言い換えてもいい」

 

「…………っ!!」

 

 

 今度こそ、ワイトは椅子を跳ね飛ばして立ち上がった。

 

 

「は、はい! 旦那様の期待に応えられるように、頑張ります! だから……だから、ワイトを旦那様の御傍に置いて下さい!」

 

 

 両目をぎゅっと閉じ、頭を深々と下げて懇願染みた願いを口にする。

 その様子に、虎太郎は自分の思惑が巧く行くのか不安になった。この様子では、最悪の想定をしておかねばならないだろう。

 

 

「分かった、分かったから頭を上げろ。座りが悪い――――だが、これだけは肝に銘じておけよ」

 

 

 再び冷たくなった虎太郎の声に、ワイトは不安げな表情で面を上げる。

 

 その瞳も、やはり不安で揺れていた。

 自分が一体、何を求められるのか。愛しい人は一体、何を望んでおられるのか。何よりも、それに自分が応えられるのか。

 全ては闇に包まれており、自分でも分からない。それが堪らなく不安だった。

 

 

「最低限、自分の事は自分で決めろ。自分の意見を飲み込んで、オレに歯向かわんことも許さん。それがルールだ。オレからはお前に何も言わない、一切な」

 

「……………………」

 

 

 ワイトは虎太郎の言葉に、旦那様は何て難しいことを言う方なのかしら、と素直に思った。

 

 今の彼女にとって、虎太郎に仕え(すが)ることが全てだ。

 例え、あの桐生 美琴に植え付けられたものだとしても、ワイトにその記憶はない。それ以外には何もなく、何も望んでもいない。

 

 ――けれど虎太郎の言葉は、ワイトの琴線に触れた。

 

 自分自身でも触れられない、心の底の底。彼の言葉には、そこを確かに震わせる何かがあった。

 

 

「分かり、ました。旦那様の期待に応えられるかは分かりません。ですが、私に出来る限りのことは……」

 

「安心しろ。オレは期待なんぞしちゃいない。自分にも、お前にも、誰にもな」

 

「…………それは、その、少しドライ過ぎるんじゃ」

 

「しょうがないね。これがオレだからね。三つ子の魂百までもって言うからね。ドライモンスターだからね」

 

 

 今までの冷たい雰囲気は何処へ行ったのか。虎太郎はとぼけた表情で肩を竦めてみせた。

 無理にお道化ているわけではないし、場の空気を読んでいるわけでもない。単に、これも彼の側面なのだ。

 それを理解して、ワイトは主人に仕える侍女の笑みではなく、彼女本来の自然な笑みを始めてみせた。

 

 

「じゃあ、出掛けるか」

 

「え? あの、何処に……?」

 

「そりゃ、お前の必要なもんを色々と買いにだ。まずは服だな」

 

「そ、そんな旦那様に御迷惑を――――い、いえ、もう十分に御迷惑なのは理解していますけれど、これ以上は……私では、返しきれないです」

 

 

 椅子から立ち上がり、部屋を出ていこうとする虎太郎を、ワイトは必死で引き止めようとする。

 

 けれど、虎太郎は呆れた表情で振り返り、呆れた素振りを見せる。本気で呆れていた。

 

 

「借りを返そうとする奴は嫌いじゃないが、状況を考えろ。今はオレに甘えてもいい。但し、ルールを守ればな。借りを返すのは、自分に余裕が出来てからだ」

 

「……ふふ、分かりました。お言葉に甘えさせて頂きます。この御恩は、必ずお返しします」

 

「良い心掛けだ。お前のことが、少しだけ好きになれそうだよ」

 

「そ、そんなっ! も、もう! 私を、あまり喜ばせないで下さい!」

 

 

 虎太郎の本心からの言葉に、ワイトはボンッ! と音を立てて顔を赤らめる。

 火照り、朱に染まった頬を隠すように両手で頬を覆い隠したが、赤くなったのは顔全体。何の意味もなかった。

 

 こうして、対魔忍の苦労人と記憶を失った死霊騎士との共同生活が始まった。

 

 この結果が、虎太郎の望むものとなるのか。

 或いは避けようのない破滅を呼び込むのか。

 結末は、当事者である虎太郎にも、ワイトにも分からない。ただ一つ、確実に言えることがある。それは――――

 

 

 

 

 ――虎太郎の宣言通り、桐生が血祭りに上げられることであった……!

 

 

 

 

 



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『苦労人は安月給でも頑張っている。…………泣くなよ! あいつだって頑張ってんだよ!』

 

「経緯としては、こんなところだな」

 

「事情は分かりましたけど……」

 

「何故、貴方はそう厄介事が舞い込んでくるんだ……?」

 

「うるせー、こっちも好きでやってるわけじゃないんだよ……」

 

 

 授業中、アサギからの呼び出し、と言う事で校長室に向かったゆきかぜ、凜子、凜花の三人を待っていたのは虎太郎であった。用件は、授業をサボって買い物に行こうというものだった。

 

 普段の彼からすれば、考えられない発言だ。

 愚痴を漏らす。やる気もない。それでも、自らの義務や責任を投げ出さず、やるべきことはやり遂げる。それが弐曲輪 虎太郎である。

 無論、他人にもそれは及ぶ。学生としての義務や責任を投げ出す輩には、随分と手厳しい言葉を投げつける男が、自ら義務や責任を放棄させようというのだから、三人は目を白黒させてしまった。

 

 しかし、経緯を聞いて納得した。

 またしても厄ネタである。しかも、最大級の。

 三人に死霊騎士に対する知識はなかったものの、対魔忍が魔族を招き入れる危険性と重要性は、十二分に理解できていた。

 もし、魔族――ワイトの正体がバレれば、対魔忍と言う組織自体に罅が入りかねない。組織の瓦解を予見させる厄ネタだ。

 

 

「それで、死霊騎士――ワイトだったか? 彼女の身を隠す一環として、生活用品を買いに行く、と」

 

「そういうことだ。女の服の良し悪しは分からん。手伝ってくれ」

 

「構いませんけれど、よりにもよって魔族だなんて……」

 

 

 流石の凜子と凜花も、難色を示す。

 手伝うのは構わない。虎太郎の決断も否定するつもりは毛頭ない。

 それでも、一歩間違えば破滅しかねない綱渡りをする姿を見るなど、彼の女として見たくはなかった。

 

 

「まあまあ、二人とも、そう言わずに」

 

「しかしだな、ゆきかぜ……」

 

「そうよ。これは流石に……」

 

「そうですか? だって、虎太兄らしくていいと思うけど」

 

 

 そんな中、ゆきかぜはにっこりと笑って、虎太郎の決断を肯定する。

 彼女の言葉に、二人は閉口せざるを得なかった。もしここで、ワイトを見捨てるようならば、虎太郎は変わったということだ。

 自らの受けたモノは必ず返す。誰にも変えられず、彼自身ですら曲げられない筈の“誓い”が、捻じ曲がってしまったことを意味する。

 そうであれば、虎太郎にとって三人は何の価値もない存在に成り下がり、三人にとっても虎太郎は失われたも同然であった。

 

 

「それに、今の、その魔族――ワイト、でしたっけ? 今のソイツに責任を求めるのは間違っている気がするなぁ」

 

「…………ぐうの音も出ない、とはこのことだ」

 

「嫌になるぐらい正論だわ。反論のしようもないわね」

 

 

 二人とて、十分理解している。

 かつてのワイトと今のワイトは地続きではない。何の罪もなければ、かつての罪を追求できはしない。

 

 何よりも、彼女の信じる正義や誇りは、ワイトをただ排斥することを拒絶していた。

 命を奪う行為であれ、命を弄ぶ行為であれ、決して許されるべきではない。

 自分達が正義の名の下に行っている行為とて、虚飾を取り払えば単なる殺戮に過ぎないと考えている。

 自身の行為が正しかったどうかは、全てが終わってみなければわからない。自分達の末路は、自分達の行為(せいぎ)に相応しいものになると信じている。

 

 そんな二人が、如何に魔族とは言え、桐生 美琴の被害者を断罪など出来よう筈もない。

 

 虎太郎は甘いと失笑するだろう。

 この世において因果応報が薄いなど儘あると学んでいる。成果に対して正しい報酬が支払われるとは限らないと知っているからだ。

 

 アサギは嬉し気に微笑むだろう。

 例え、行為はどうあれ、その根底にあるモノは人間らしい情なのね、と。

 

 

「じゃあ、決まりですね! 虎太兄、行こう!」

 

「ああ、お前の計画通りに進んで何よりだ」

 

「……あちゃー、やっぱりバレてた。でも、止めないってことは好きにしていいってことだよね?」

 

「好きにしろよ。オレは誰かを支配するつもりもなければ、出来るとも思っちゃいない。お前らが危険に晒されなきゃ、止めねぇよ」

 

「う……虎太兄、腕を上げたんだ。今のは大変キュンときました」

 

「ああ、そうかいそうかい。そりゃどうも」

 

 

 うんざりとかぶりを振って、虎太郎は肩を落とした。

 ゆきかぜの馬鹿馬鹿しい計画に賛同こそしていないが、止めようともしていない。

 気分は、心地の良い底なし沼に嵌っているようなものだった。

 

 虎太郎にとっても、ゆきかぜを筆頭とした自分の女が、勝手に互いを管理しあってくれるのは手間が省けてありがたい。

 自分と自分の女の関係が、真っ当な男女の関係から大きく外れているのを理解しているからだ。もし、管理しようとしなければ、待っているのは鮮血の結末(Nice boat)でしかない。

 

 その所為で、己がどんどん逃げられない状況に嵌っていくのは分かっていたが、代償としてはマシな部類だろう。

 

 結局の所、彼の苦労は変わらない。

 対魔忍を続けて苦労を重ねるのも、この現状から逃げて一からやり直すのも、背負う苦労に大差などない。それぞれに、違った苦労があるだけだ。

 ならば、現状を続けた方が、まだ楽だ。ある程度は先が見えており、完全に闇に閉ざされた明日に気を揉まずに済む。

 

 よって、身を任せる方を選んだ。

 自らの選択だ。彼自身が自分自身に持つことを許した、数少ない“自身の決断”という名の誇り。

 どのような結果になるにせよ、どのような結末が待っているにせよ、彼がその選択を、後悔することだけはないだろう。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「うわ! この新作、凄くいい! 可愛い!」

 

「うぅむ。相変わらず、ふぁっしょんと言うものはよく分からないが、中々心躍るものがあるな」

 

「う~ん、ワイトさんにはこっち、いえ、こっちの方が……」

 

「あの、皆さん、余り騒ぐと旦那様に御迷惑が……」

 

 

 五車町から車で1時間の場所には街があり、また大型のショッピングモールがあった。

 交通の便もよく、バスの路線も繋がっており、対魔忍の学生達もよく利用する場所だった。

 中には洋服は勿論のこと、日常生活を送る上で必要な生活用品、不必要な嗜好品が大抵は揃い、娯楽施設も数多く存在する。

 

 ゆきかぜお気に入りのブランドショップの中で、三人はそれぞれ気に入った服を手に取り、ワイトの身体の前に宛がっては外し、宛がっては外しを繰り返していた。

 

 ファッションに対する女の執念に気圧されてか、ワイトは困惑するばかり。

 虎太郎に助けを求めて視線を向けたが、虎太郎は居心地が悪そうに両腕を組んでいるだけだった。

 

 三人は学生服のまま。ワイトは丈の合わない男物の服――虎太郎の私服である――を袖や裾を捲っており、虎太郎はくたびれたスーツ姿。

 傍目から見れば、奇妙な集団だ。邪推の一つでもしたくなるだろう。店員や他の客は、時折、訝しげな視線を向けていた。

 

 

「ほらほらワイトさんも、私達が選んだのばっかりじゃなくて、自分が気に入った服も選ばなきゃ」

 

「で、でも、旦那様が……」

 

「そういった心遣いもいいが、虎太郎がいいと言ったんだ。遠慮が過ぎれば、逆に非礼だろう?」

 

「…………う」

 

「好きなのを買え。金が有り余ってる訳じゃないが、ないわけでもねぇよ」

 

 

 これではいつまで待っても埒が明かないと感じたのか、虎太郎が女性陣の会話に割って入る。

 女三人寄れば姦しいと言うが、この三人はそれ以上だった。年相応の微笑ましい光景ではあったものの、彼からすればさっさと終わらせてほしい買い物であった。

 

 男は女の買い物に付き合いきれない者が大半だ。

 見るだけ見て、可愛いと言うだけ言って、時間を掛けに掛けて、何も買わないまま店を後にするなど珍しくもない。

 男にすれば理解不能だ。そうまで吟味する理由が何処にあるのか理解できないだろう。もっとも、女からすれば、男の買い物など理解できなくもある。お互い様だ。

 

 

「――――え?」

 

「……虎太郎、見栄を張るのは良くない」

 

「そうです。虎太郎さんのお給料では……」

 

「うるせぇよ! 見栄張ってるわけじゃねぇ! 安月給だからってな、貯金くらいあんだよ! 給料のことで馬鹿にするのやめてくれない!? 死にたくなるんですけどぉ!!」

 

 

 三人は揃って憐憫の表情を浮かべ、虎太郎から視線を逸らした。

 そんな反応に虎太郎は青筋を立てつつも涙目になり、自らの境遇に絶望する。

 

 彼の性質は、闇の住人に近い。思考回路、行動方針すら対魔忍のものとは掛け離れている。いや、ある意味では闇の住人からすら外れている。

 しかし、こと日常生活においては、一般人と大差はない実に質素な生活を送っていた。

 闇の住人のように、底無しの欲望に身を任せはしない。自身の器を越える欲望は、破滅への第一歩であると今まで目にしてきた下衆どもの末路から重々承知しているからであろう。

 

 その為、長年、貯えてきた金がある。

 よく買う嗜好品など煙草くらいのもの。酒は嗜む程度。欲しいものは特になく、必要なものがあれば、まずは造ろうとする。

 最近は、アルフレッドが任務のために行っている株に一口乗っており、貯金は増える一方。恐らくは、自分の女の数が増えてきているからだろう。

 

 

「皆さんったら、もう…………私にだって、自分の趣味くらいあります」

 

「むむ、確かに。似合うのばっかりじゃなくて、お洒落には自分の趣味も大事だよね。ワイトさんが自分で選んだ奴を着てみたら……?」

 

「私達はそれに会わせましょうか。試着室がありますから、そこで」

 

「はい、分かりました」

 

「…………?」

 

 

 今、この状況が楽しくて仕方がないだろう。三人は朗らかな笑みを浮かべて、ワイトを見送った。

 相手が恐縮してしまいそうな配慮を見せながら、悟られないレベルの警戒を抱いてこそいたが、ワイトの様子を見る限り、杞憂に終わりそうだ。

 

 

「魔族って言っても、案外、私達と変わらないですね」

 

「そうね。虎太郎さんの話では、過去に手を組んだ魔族も居るようですし。意外と言えば意外ですが」

 

「まあ、人間とて変わらないだろう。国や宗教が変われば、途端に話が通じなくなる。余計な重荷がなくなれば、手を取るのは難しくないかもしれん」

 

「………………」

 

 

 多くの魔族は人間を見下し、相手に圧倒的な力がなければ会話にすらならない。

 しかし、魔界にも数が少ないものの、人界の社会形態に近い種族も存在する。

 特に戦い、奪うばかりを続ける種族ではなく、狩猟や農耕、牧畜などを中心に生活している種族は、話が通じやすい。

 

 ドワーフなどの高度な鍛冶、工芸技能を持つ種族、ホビットのような農耕や牧畜を中心とした生活を送る種族は、かねてより出稼ぎと称して人界にやってくることもあった。

 人界でしか手に入らない鉱石、食物というものは少なからず存在する。そういった目的の品を、まともな手段で魔界に持ち帰っているためだ。

 

 三人娘の新たな発見に魔族に対する認識を改めつつあったのだが、虎太郎は訝しげな視線をワイトの消えていった試着室に向けていた。

 

 

「……どうかしたか、虎太郎?」

 

「…………アイツの持ってった服、おかしくなかったか?」

 

「おかしい、って……人の趣味を、とやかく言うのはよくないと思うけど?」

 

「いや、そういうんじゃなくてだな」

 

 

 首を傾げ、歯切れの悪い言葉を紡ぐ虎太郎に、三人は顔を見合わせた。

 間の悪い事に、誰一人としてワイトの持っていった服を目にしていなかったのである。

 これがいいと思っても、実際に着てみなければ良し悪しは分からない。顔立ちや髪型、体型も人それぞれ。万人に似合う服など存在し得ないと理解しているからこそ、ワイトに要らぬ世話を焼かなかった。

 

 その時、試着室のカーテンが開き、ワイトが出てくると同時に、四人の視線が突き刺さった。

 

 

「ど、どうでしょうか?」

 

『――――凄い!!』

 

「そ、そうですか? 良かった……」

 

『いや、そういう意味じゃなく! 露出凄過ぎぃっ!!』

 

「えぇ……?」

 

 

 試着室から出てきた彼女の姿に、四人の心が一つとなり、声が重なる。

 

 ワイトは黒いチューブトップに、ローライズのショートパンツだけを纏っていた。

 肝心な部分がギリギリ隠れてはいるが、それ以外の部分は全て見えてしまっていると言っても過言ではない。

 大胆に露出した臍には銀色のピアスが見て取れる。人形のような見た目に反して、存外にパンクな趣味をしているらしい。

 

 

「ワイトさん! それ駄目な奴ぅ!」

 

「水着か! いや、これ、水着よりも酷いぞっ!」

 

「よりにもよって、どうしてそんなイケイケ責め責めの格好を!?」

 

「いえ、これなら、動きやすいかな、と……」

 

「…………おい、ちょっと待て、ワイト。後ろ見せてみろ」

 

「はい、旦那様、これでよろしいですか……?」

 

『お尻が半分ハミ出してる!?』

 

 

 虎太郎の言葉に背中を見せるワイト。

 ローライズすぎるパンツから、下は白くムチムチとした尻肉がはみ出しており、上からは谷間が覗けてしまう。

 通りすがりの男どもはワイトの美貌と肉感的な身体に生唾を飲み込んで、遠慮のない下卑た視線を送っている。誰とて視線を注いでしまう格好だろう。

 

 だが、これから世話を見なければならない虎太郎だけは白目を剥いていた。

 こんなド派手な格好をするなど悪目立ちをしてしまう。ひいては、身元を引き受けている虎太郎自身にも邪推の視線も向けられかねないからだ。

 

 

「ワイト。お前は自分で服を選ぶのだけは禁止だ。それだけは口を挟ませてもらう」

 

「えぇ?! そんなっ!」

 

 

 つい数時間前に言った自身の言葉を翻し、虎太郎は震え声で告げるのだった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「ふふふ、良い物買ってもらっちゃった~♪」

 

「よかったのか? ワイトだけでなく、私達のものまで」

 

「別に構わんよ。それに、偶にはお前等にも最低限の甲斐性くらいは見せてやらなくちゃな」

 

 

 ショッピングモールからの帰り。

 年季の入ったワンボックスカーの中で、虎太郎は運転席、助手席には凜子、後部座席にはゆきかぜと凜花の間にワイトが挟まれる形で座っていた。

 ワイトの生活用品を買ったついでに、三人の服まで買って帰路。虎太郎は相変わらずの無表情であったが、女性陣の表情は嬉し気に綻んでいる。

 

 効率を優先する彼ではあるが、無駄遣いも時には必要と知っている。

 何より、ゆきかぜ、凜子、凜花の三名の努力と成長は著しい。虎太郎も褒美でも与えねば釣り合いが取れないと認めている。散財に躊躇はなかった。

 

 

「ん~、でもぉ、私としてはぁ、指輪も欲しいなぁ……」

 

「ゆ、ゆきかぜさんゆきかぜさん、それはもしかして、俗に言う給料三ヶ月分って奴ですかぁ?!」

 

「そんなぁ~、私が虎太兄に、そんなおねだりするわけないじゃない。でも、左手の薬指にしっかり嵌める指輪とか、女の子として憧れちゃうなぁ~」

 

「「………………分かる」」

 

「…………?」

 

 

 ゆきかぜは、バックミラー越しに両手で赤く染まった頬を挟みながら、チラチラと虎太郎に視線を送る。

 虎太郎は悲鳴のような声を上げ、凜子と凜花はボソリと呟いて頷いた。流石に魔族であるワイトには人界の習慣を知らないが故に首を傾げる。

 

 給料三ヶ月分の指輪。ましてや左手の薬指に嵌める指輪と言ったら、もう一つしかないだろう。

 

 

「…………まあ、考えてはやるがな。あまり高いのは期待するな」

 

「え? い、いいの!? 虎太兄、私だけじゃないんだよ?!」

 

「何を驚いてる。お前だって、オレが受けたモノは必ず返すと知ってるだろ? 指輪(それ)に見合うくらいのものを受け取ってる自覚はあるんだぜ?」

 

「虎太兄、そういうとこホント好き!」

 

「あの、ゆきかぜさん、今運転中ぅっ!!」

 

 

 それほど期待しているつもりはなかったのだろう。

 ゆきかぜは目を輝かせて、後ろから座席ごと抱き締める。

 突然、首に手を回された虎太郎は声こそ慌てていたが、運転に何の影響も出ない辺り、流石であった。

 

 凛子と凜花にしても予想していなかった言葉なのか。二人とも動揺から目を泳がせた。

 凛子はパクパクと声も出さないままに唇だけを動かしており、凜花は肩を縮こまらせて自分の左手の薬指に視線を落として何度も擦っている。

 

 困ったのはワイトだ。

 自分だけが取り残されてしまったような気になり、理解できない焦燥を抱いてしまう。

 

 

「あ、あのっ! 旦那様……!」

 

「ん? どうした……?」

 

「え、えぇっと、その、えっと……こ、この服は、どうでしょうか?」

 

 

 虎太郎を呼んだはいいが、何も考えていなかったワイトは苦し紛れの話題に後悔した。

 そもそも、彼女の今着ている服は、ゆきかぜ達が選んだものであり、金は虎太郎の出したものだ。どうも何もないだろう。

 

 何より、ゆきかぜと凜子、凜花はワイトの発言にキョトンとした表情で眺めたものの、次第にニヤニヤとした表情に変わっていく。

 ワイトは心境を見透かされてしまったのに気付き、顔を真っ赤に染め上げて俯いてしまう。

 

 

「あー……? (どうでも)いいんじゃないか?」

 

「虎太兄、サイッテー。他に言う事ないの?」

 

「チッ、うるせーなぁ。…………ワイトちゃん! ちょーかわいいよー! 似合ってる似合ってる! キタコレ! ハァ……! ハァッ……!!」

 

「気持ち悪い」

 

「地獄に堕ちろ」

 

「ひでぇ」

 

 

 フリルの着いた半袖の白いブラウス、襟には赤いリボン、膝上までの紺色のハイウエストスカート、薄手の黒いストッキングに白いローファー。

 フェミニン系の落ち着いた、可愛らしい服装だ。人形のように整った美貌のワイトには、よく似合っている。この服を決めるまでに、着せ替え人形のような扱いを受けたのはご愛敬だ。

 

 

(虎太兄ね、お洒落な娘は好きなんだって)

 

(そうなの? でも、ゆきかぜちゃん、どうしてそんなことを……?)

 

(さぁ~、ワイトさんも色々大変だけど、頑張ってね? 私達、いくらでも協力するから)

 

(え、ええ、ありがとう)

 

 

 にっこりとしたゆきかぜの笑顔に、ワイトは何故か気圧されてしまい、若干引き気味に礼を口にした。何となく、ゆきかぜの作為を感じ取ったのだろう。

 

 ワイトは存外、ゆきかぜ達と相性が良かった。

 元々、世話焼き好きのゆきかぜと凜子、凜花は虎太郎への態度が自分と似たタイプと感じているらしく、仲が良くなるのも早い。

 出会って数時間で、ワイトに一線を引いた態度を取っている虎太郎よりも、親密な関係になったとも言えた。

 

 

「ん? この道は……」

 

「ああ、懐かしいわ。子供の頃、よく遊んだものね」

 

「……そうそう、凜子先輩と凜花先輩と一緒に」

 

「何だったら、寄っていくか? ワイトもいいか?」

 

「はい。皆に付き合って貰ったんだもの、私も付き合います」

 

 

 三人の言葉に従い、五車町に続く山道の脇に車を止め、ガードレールを越えると一本の道が伸びていた。

 林を貫く緩やかな斜面の獣道。昔から、多くの人間が通っていた証だ。もっとも、ゆきかぜ達はこの道を使用したことはないのだが、何処に繋がっているかは知っている。

 

 林を抜けた先に待っていたのは、五車町を一望できる小高い丘の上に出た。

 

 

「ふふ、良い所でしょ?」

 

「………………」

 

 

 丘の上には、紅紫と白の蓮華草が所狭しと咲き誇っている。

 幻想的とは言い難く、牧歌的で何一つ特別なものなどない光景であったが、自然そのものの美しさが広がっていた。

 

 多くの緑に囲まれた五車町らしい景色と風情に、ワイトは大きく目を見開いて息を飲んでいた。

 

 

「ここで子供の頃に、先輩達とよく遊びましたよね」

 

「ああ。ゆきかぜときたら、花の冠を作ろうとしたが、上手く行かずに癇癪を起して投げ出してしまったな」

 

「あら? 凛子ちゃんも造れなくて、私に投げて寄越したくせに」

 

「そして、二人を迎えに来たオレの脛を、凜花は無言で蹴りつけてくれたな」

 

「虎太兄その後、イッテェとか叫んで、坂を転がり落ちていったよね~」

 

 

 それぞれがそれぞれの恥ずかしい過去を揶揄しつつも、懐かしい思い出に耽り、笑みを浮かべていた。虎太郎は相変わらずの無表情であったが。

 その時、三人娘が丘からの光景を眺めるばかりだったワイトの表情に息を飲んだ。

 

 今にも泣きだしてしまいそうな、堪えきれない何かに耐えるような表情。

 何を考えているかは分からなかったものの、自分達の言葉と行動が軽率であったと悟ったのだ。

 

 ワイトに過去の記憶はない。あったとしても、思い出せない。

 記憶喪失者にとって、他者の麗しい思い出など、苦しみしか与えまい。

 

 

「……ご、ごめん、ワイトさん、軽率だった」

 

「――――え? あ、ああ、そういうこと? 大丈夫、気にしてないわ。ただ……」

 

「ただ……?」

 

「何だか、懐かしくて…………変ね。見た事なんて、ない筈なのに」

 

 

 ワイトの発言に、三人は顔を見合わせた。

 この光景が、彼女の記憶を刺激したというのなら、魔界にも似たような光景が広がっていたということでもある。

 

 三人にとっては意外だった。

 魔界に対して持っているイメージは、おどろおどろしい風景ばかりで、こうした色様々、四季折々の風景が広がっているなど考えもしなかったのだ。

 

 

「此処、また来てもいいかしら? 本当に、綺麗な所ね」

 

「――――……うん、いいよ。此処からの景色は、誰の者でもないから」

 

「おい、ゆきかぜ……」

 

「いいじゃないですか。此処が綺麗って思えるなら、私達、もっと仲良くなれますよ」

 

 

 まるで警戒心のないゆきかぜに、凜子は苦言を呈したが、まるで効果を上げなかった。

 ワイトの記憶が戻れば、何が起こるか分かったものではなく、決して明るい未来でないのは確かだ。

 

 だが、ゆきかぜの確信めいた態度に凜子も閉口せざるを得ない。

 彼女としても信じたい。少なくとも、何も知らない、何も覚えていないワイトは、凛子にとっては悪人ではなかった。

 誰に甘いと誹りを受けようとも、ここでワイトを手に掛けようものなら、生まれたばかりの彼女の細やかな望みすら摘み取ろうものならば、彼女の信じる正義が破綻するも同然だからだ。 

 

 凜花はいいのかと問うように虎太郎を見たが、彼は顎に手を当てて考え込んでいた。

 

 

(魔界と此処が似た風景だと? ありえねぇだろ、それは)

 

 

 虎太郎が魔族から絞り上げた魔界の情勢と照らし合わせても、まずありえない。

 屍の王と眷属足るレイスは極めて閉鎖的な種族で、他種族との交流は無きに等しい。

 自らの領地に眷属以外の者が足を踏み入れようものなら即座に殺し、お得意の能力で生ける屍として送り返すらしい。

 常に何処かの勢力に戦争を仕掛けており、戦線が膠着状態に陥ることはあっても、休戦や停戦などありえないようだ。

 

 そもそもが不老不死の種族である。

 そうした無茶苦茶な行為も可能なのであろうが、多くの魔族はこう語る。

 

 ――屍の王の戦争に意味などない。だからこそ、奴を敵に回してはならない。

 

 戦争は大抵の場合には、何らかの欲望や情が絡むものだ。

 軍需産業の拡大。自らの領土の拡大。領民に行われた非道への制裁と抵抗。

 理由はどうあれ、戦争に支払われる犠牲はどうあれ、戦争には意味も意義もある。

 

 けれど、屍の王の戦争には何もない。ただただ虐殺と残虐があるのみ。

 

 そんな王の領地が、まともな筈もない。自然など何一つ残っていないだろう。

 通常であれば、民は暴虐を尽くす王に抗うであろうが、レイスは不老不死。どのような環境であれ、死ぬことはない。不満など何もないだろう。

 

 もっとも魔界の王はそんな王ばかりであるが。

 基本的に弱肉強食が魔界の掟。不平不満を漏らすことはあれど、強い者には逆らわないし、逆らえない。

 そんな世界だ。極一部の地域を除いて、魔界の自然は瘴気と戦争によって、人界のそれとは大きく違ったものになっている。

 

 だからこそ、ありえない。ワイトが、この光景を懐かしがるなど。

 

 

「あの、旦那様も、よろしいですか……?」

 

「あぁ? 構わねぇよ。言ったろ、お前のことは最低限お前が決めろってな。お前が選んで、お前が決めた事だ。オレが口を挟むつもりはない」

 

「ありがとうございます……!」

 

「やったね、ワイトさん!」

 

「ええ、ありがとう、ゆきかぜちゃん」

 

 

 両手を合わせて笑い合うゆきかぜとワイトの微笑ましい光景に、凜子と凜花は笑みを漏らした。

 虎太郎は二人に視線を向けつつも、見てはいない。何を考えているのか、何を感じているかも分からない鉄面皮だ。

 

 

(屍の王、レイス、死霊騎士――ワイト、か。奴等が人界に進出し始めた以上、敵対する可能性は高い。念には念を入れて調べておくか。オレは殺されりゃ死んじまう、弱い人間様だからな)

 

 

 虎太郎の有する不死殺しの手段、或いは無効化・無力化する手段は、数多く存在する。

 しかし、レイスとの戦いを見越せば、それでは足りない可能性もあり、不死の種類によっては効果を期待できない可能性も高い。

 

 呆れ返る警戒心であるが、彼が生き残れた最大の理由であり、不死殺しを成し遂げた最大の理由でもある。

 この世で最も悪辣な対魔忍は、毒蛇よりも恐ろしく、毒蜘蛛よりもおぞましい猛毒(思考)を巡らせ始めていた。

 

 



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『苦労人のワンワンも、やっぱり苦労人』

「おい、桐生の解析が終わった。照らし合わせるぞ。お前の意見も聞かせろ」

 

『おや、ワイト殿と仲睦まじい生活を送っている虎太郎ではないですか。一週間も私の事を放っておいて、随分と都合が良いですね』

 

「お前な、スネんなよ」

 

『……………………………………………………………………………………………………………………………………スネてません』

 

「そのクソ長ぇ間はなんだよ、アルくぅぅん! 間が長すぎんよぉ!!」

 

 

 一週間、ワイトの面倒を見通しだった虎太郎であったが、桐生による死霊騎士の研究と解析は一段落ついたらしく、こうしてミーティングルームを訪れた。

 

 しかし、部屋の主が訪れたというのに管理者はいい顔をしなかった。彼には顔などないが、声色と態度が全てを物語っている。

 虎太郎がワイトを助けることに、相当、思う所があるようだが、積極的に手を貸さなくとも、積極的に口を挟みも手も出さないところを見ると、否定だけをするつもりはないらしい。

 相棒の性質上、難儀で厄介な“誓い”を理解しており、また生命の営みを肯定する彼のこと、否定などしよう筈もない。ただただ、不満だけが募っていくのである。

 

 

「まあいいが。それよりも、極秘回線1908を開け」

 

『承知しました。繋がります』

 

『おやおや、魔術師の(ばあ)に、こんな機械で連絡を寄越すなんて不粋だねぇ』

 

「何を言ってやがる。毎回、これで連絡取ってんだろうが。老人だろうが新しいモノに順応してかなきゃ、単なる老害呼ばわりされちまうぜ」

 

『全く、口の減らない坊やだよ。何が酷いと言って、容赦のない正論である辺りが一番酷いねェ』

 

『お久しぶりです、ノイ様』

 

『アンタはいつも礼儀正しいねぇ、アルフレッド。そこの坊やに、爪の垢でも煎じて飲ませてやったらどうだい?』

 

『生憎ですが、爪も垢もない身ですので』

 

 

 ミーティングルームに映し出されたのは、皺くちゃの老婆だった。

 一見すれば優しげな皆のお婆ちゃんといった風情ではあるが、その実態は違う。

 

 ノイ・イーズレーン。

 アミダハラ随一の魔術師にして、アミダハラの闇を司る魔術師組合の重鎮中の重鎮。

 アミダハラのどんな悪党であっても逆らおうとせず、黙って道を開ける凄腕魔術師。

 

 出身は魔界であるらしいが、正確な種族は不明。

 若かりし頃は随分と派手な活動をしていたようだが、人界にまでは伝わってきていない。

 普段はアミダハラで観光客相手に小さな土産物屋を営んでおり、様々な意味でアミダハラの顔役となっている老婆である。

 

 

『それで、今回は何の用だい? 坊やに法外な安値で売っているノイ特製の魔術品は、まだストックがあるはずだけどねぇ』

 

「ふん。それに見合うだけの働きはしただろうが」

 

『ふむ、その通りさね。だからこうして、坊やには頭が上がらないのさ。それとも、あの子達の――――』

 

「老人の長話に付き合うのは面倒だ。本題に入るぞ――――屍の王とレイスについて聞きたい」

 

 

 孫に対して行う世間話をバッサリと斬り捨て、虎太郎は本題に入る。

 アミダハラ随一の魔術師であっても、彼にしてみれば、警戒には値するものの、恐れ敬う存在ではないらしい。

 

 屍の王とレイスと言う言葉を聞いた瞬間、ノイの糸のように細められていた目が、右側だけ開かれる。

 彼女ほどの魔術師であっても、軽く流せるものではないようだ。

 

 

『また坊やと来たら、特大の厄介事だね。趣味なのかい?』

 

「冗談だろ。アンタのところの自信過剰の地雷二人と一緒にするな。オレが自分から厄介事に首を突っ込む訳あるか」

 

『だろうねぇ。坊やの場合は、何もしていなくても厄介事が交通事故を起こしに来るからねぇ』

 

(…………死にたい)

 

 

 ノイの自分への認識を聞き、毎度のことながら忘れようとしている自らの境遇を白目で嘆く虎太郎。

 彼の場合、無駄に噛みつき、無駄に弱味を突いた発言をするよりも、単純に彼の境遇を憐れむ発言の方が精神的なダメージが大きいようだ。業が深い。

 

 

『しかし、屍の王かい。また危険な奴を相手取ったものだよ』

 

「明確な敵対関係にある訳じゃない。だが、色々と優位に動かにゃ死ぬのはこっちだ」

 

『その両の瞳がありながら、呆れた警戒心だよ。だが、坊やには返しきれない恩がある。聞かせてあげようか、悍ましき屍の王の成り立ちを』

 

 

 気が遠くなるほどの大昔。

 魔界では、今と同様に彼方此方(あちこち)で戦争が続いていた。

 日に日に増えていく犠牲者の数。日に日に高く積まれていく死体の山。多くの死と憎悪が積み重なり、流れる血は河と化す地獄絵図。

 戦場には死臭のみならず、腐臭までもが漂い始め、多くの兵士が病に倒れた。そんな時、ふと誰かが思い立った。

 

 ――この腐臭も病も、死体のせいだ。焼けば敵に野営地を掴まれかねない。ならば、河に流してしまおう。

 

 呆れ返るほどの短絡さ。死者に対する手厚い見送りも、自然に対する敬意すら投げ捨てる冒涜の極み。

 けれど、彼等は簡単な道理にすら気付かない。魔族は傲慢極まる者の集まり。そもそも、冒涜などという言葉があるかも疑わしい。

 

 ある軍勢が死体を河に流し始めると、他の軍勢もまたそれに倣った。

 清流であったはずの河は死の穢れに満たされ、其処に住んでいた生き物すらが死体として水面に浮かぶ有り様。時に、多過ぎる死体は河の流れを堰き止めたほどであった。

 積み重なり過ぎた死体は、腐肉が崩れ、骨は散逸し、水底へと溜っていた。余りにも多すぎる無念と憎悪と共に。

 

 そして、淀み溜った腐肉と骨によって象られた水底から、屍の王が現れた。

 

 ――生きとし生ける者全てに向けられる、果てのない憎悪を携えて。 

 

 

「それが“屍の王(レイスロード)”の成り立ちか。随分とまたおどろおどろしい」

 

『“屍の王”は数ある王の中でも異質で危険な存在さ。いくら神話級の魔族でも女の胎から生まれてくる。そうでなくても、魔界を作った“何者か()”の創造物に過ぎない。けれどアレは、その全てから外れている』

 

「魔界の創造主ですら予期しなかった生命体。いや、その話が本当なら、始めから生命(いのち)なんてものがないから不死ってタイプかな? 成程成程」

 

『…………もう少し、こう、反応と言うか、怯えた感想でも言ったらどうだい?』

 

「屍の王ってだけあって、凄く臭そう」

 

『――――はぁ』

 

 

 今の話を聞いて、何処をどう感じれば、そんな感想が出てくるのか。

 普通に考えれば、怯えや脅威を覚え、警戒するところだろうが、虎太郎には一切変化は見られない。

 決して、怯えていないわけでも、脅威を感じていないわけでも、警戒していないわけでもない。ただ、表に出ていないだけ。

 

 頭の中では、凄まじい勢いで対策を立てている最中だ。この男の恐ろしい所である。

 他者に警戒をさせないために、完璧に無警戒を装う。相手が虎太郎が警戒心の塊であったと知るのは、全てが手遅れになった時だ。

 

 

『私が知っているのは、そのくらいだね。屍の王にせよ、レイスにせよ、極端に排他的なのさ。普段は自分の領地に引き籠って、決して出ようとしない、戦争以外ではね。だから、そこでどんな生活を送っているのかも、よく分からないよ』

 

「そうか。それさえ分かれば十分だ。あとはこっちで調べるからよ。助かった、礼を言う」

 

『あれ? お婆ちゃんが、そんな機械を――――って、ことは虎太郎よね!? ちょっと、貸して、アイツに言いたい事があるのよ!』

 

『はぁ!? あの馬鹿人間が通信?! 冗談じゃない! あんなド外道とアンネローゼを喋らせられない!』

 

 

 その時、通信機の向こう側から、若い女の声が聞こえてきた。

 ノイが何とか二人を諫めようとしたのは窺えたが、相当頭に来ていた二人を止められる筈もなく、画面に手振れが発生し、次の瞬間―― 

 

 

『ちょっと、こ――――』

 

『この、馬鹿―――――』

 

 

 ――黒髪の女と青髪のメイド服の女が僅かコンマ数秒だけ画面に映り、虎太郎の通信終了の操作により、あえなく画面は漆黒に染まった。

 

 

『良かったのですか?』

 

「え? 何が? 会話する必要もない、会話をする有用性もない、そもそも会話にならない連中と話す必要性ってあるのか?」

 

『安定のドライモンスターぶりですね。そんなことだから、貴方は人に嫌われるのです』

 

 

 一方的な通信終了に、彼は一切悪びれる様子もない。

 虎太郎が話したかったのはノイであって、必要なのはノイの知識だけだった。

 一瞬だけ画面に映った二人は、神村や佐久のように、虎太郎にとっては最前線に放り込む使い方しかできない戦闘要員でしかないようだ。

 いや、対魔忍ではない二人だ。余計に性質が悪いと言える。何せ、彼女等の正義は、極めて自己中心的なものだからだ。

 

 

「さて、次はコイツだ」

 

 

 虎太郎は二人への仕打ちを光の速さで頭の中から排出し、手にした端末を画面に向かって振るとあるデータが映し出される。

 桐生 美琴及び桐生 佐馬斗の姉弟が調べ上げた死霊騎士に関するデータであった。

 

 

『これは……』

 

「まずは桐生 美琴の方だ」

 

 

 どうやら、レイスという種族は主――屍の王からの命令に、抗いがたい甘美な魅力を覚えるらしい。

 決して忠義、忠誠から生まれる魅力、ではない。レイスという種そのものに、そのような生理的な機能があるのだ。

 

 つまり、通常のプロセスとは真逆なのだ。

 

 何者かを心酔し、忠誠を誓ったからこそ、命令に魅力を覚えるのではない。

 命令そのものに魅力を感じるからこそ、屍の王に心酔し、忠誠を尽くすのだ。

 

 何と歪な主従関係だろうか。

 これならば、まだ不死の王と魔界騎士の主従の方がマトモと言える。少なくともイングリッドはブラックの命令に魅力など感じずとも、忠義は尽くすだろう。

 

 

『つまり、桐生 美琴は、この生理機能を魔界医療による改造で利用し、虎太郎を主人と認識させたのですね』

 

「らしいな。だが、一つだけ疑問が浮かんだ。自分の眷属とはいえだ、こんな機能、持たせられると思うか?」

 

『どう、でしょうね。少なくとも、自然交配では無理でしょう。代を重ねるごとに遺伝子とは変化するものです。おかしいと言えば、おかしいですね。屍の王の特殊な能力と考えれば不思議ではありませんが』

 

「その通りだが、婆さんの話を聞いて確信した。もっとも、婆さんの話が事実なら、だがな」

 

『どういうことです?』

 

「これを見ろ」

 

 

 先程の同じ動作をすると、また別のデータが転送され、モニタに映し出される。

 一般人にはそれが何であるかは直ぐには理解できなかったであろうが、元々答えを知っている虎太郎と地球史上最高のAIであるアルしかいない。理解できぬ筈がなかった。

 

 

『塩基配列ですね。このタイミングで出すと言う事は、ドクター桐生が調べた死霊騎士ワイトのものですか』

 

「ああ、そうだ。一見すれば、人間と大差はないが―――拡大すると……」

 

『これは……?!』

 

 

 虎太郎がパンと両手を合わせてから広げると、モニタに映し出された塩基配列の画像データが拡大される。

 それに、アルフレッドが愕然と声を漏らす。彼にしてみれば、我が目を疑うような光景であったのだろう。

 

 ――拡大された塩基配列には、ビッシリと何らかの呪文が描かれていたのである。

 

 

「アル、この呪文に見覚えはないか」

 

『……あり、ます。拷問用の呪詛。対象を決して死なせぬように魂を縛りつける最上級の不死の呪い。あの呪詛に文字も配列も酷似しています』

 

「ああ、その通りだ。そして、これがレイスの不死性の正体であり――――」

 

『――――レイス達が、屍の王の命令に魅力を感じる理由というわけですか』

 

 

 下らねぇだろ? とばかりに肩を竦め、アルフレッドの漏らした呻きのような言葉を虎太郎は肯定する。

 

 余りにも悍ましい。

 レイスの不死の正体は、遺伝子レベル、分子レベルにまで及んだ規格外れの呪詛による身体改造だったのだ。

 こんな改造が可能なことも、自らの眷属に呪詛レベルの改造を実行したことも、屍の王の悍ましさに拍車をかけているようなものだ。

 

 

「本当にそうか?」

 

『――――え?』

 

「さっき婆さんの話を聞いて確信したって言ったろ? あの話が事実なら、屍の王はまっとうな生命体じゃない」

 

『……虎太郎、待って下さい』

 

「真っ当な生命体じゃない奴が、ガキなんて造れると思うか? 死体はガキを作れねぇよ」

 

『…………で、は』

 

「ああ、多分だけどな。レイスってのは種族でもなければ眷属ですらない。屍の王が死体をベースに好き放題、遊んだ結果だろうよ。奴の玩具ってわけさ」

 

 

 ケタケタと笑いながら、虎太郎は残酷過ぎる結論を告げた。

 

 酷い話もあったものだ。

 レイスの正体は、被害者のまま加害者となった者達の総称。自らの死の要因となったであろう屍の王に、死後まで弄ばれた犠牲者だと言う。

 

 無論、全ては事実であればの話である。

 しかし、アルフレッドにしてみれば、出来れば事実であって欲しくはない。

 余りにも酷過ぎる。余りにも悲し過ぎる。そんな残酷が存在するなど、彼にしてみれば、あって欲しくはないだろう。

 

 

「そうすると、何で屍の王がブラックに喧嘩を売るのかも説明がつくし、ブラックが屍の王と不死同士で不毛な争いをしないで、人界をふらついているのかも説明が付くんだよなぁ」

 

『既に屍の王が何を考え、何を目的としているかも分かったと?』

 

「さあ、そこまでは直接見にゃ分からんさ。だが、確信に近くはあるがな。下らねぇ下らねぇ、ブラックも屍の王も、一山いくらの魔族と大差ねぇ。結局、不老不死(あの手)の連中の願いなんて、皆一緒だ。その癖、やり方が始めの一歩から致命的に間違ってる辺りが、一番下らねぇ」

 

 

 虎太郎が見せたのは、ブラックと屍の王に対する本気の、心からの哀れみだった。

 

 多くの魔族は(かれら)を崇拝し、心酔し、心の内は読めないと初めから諦める。

 だが、虎太郎に言わせれば、それは読めないのではなく、知ろうとしないだけだ。

 少なくとも不死の王と屍の王の心の内に限れば、限りなく正確に把握できている、と、らしくもない自信まで抱いており、少し考えれば分かる程度のものでしかない。

 

 

「そんな浅い連中は、好きにやらせておいてだ。こっちはこっちで、準備を整えるとするか」

 

『何の準備ですか?』

 

「ワイトに関してさ。アイツは今、真っ新な白紙の状態だ。どう転ぶのか、まるで読めない。だから、準備するのさ」

 

『殺す準備をですか?』

 

()()()()じゃないとも」

 

 

 先程までアルフレッドはワイトに対して嫌悪感しかなかった。それは、彼が最も嫌う命を弄ぶ存在と考えていたからだ。

 しかし、虎太郎の言葉を信じるのであれば、ワイトもまた命を弄ばれた被害者に過ぎず、同情に値する存在と言える。

 彼も、自分自身の掌返しに呆れ返るばかりであったが、無慈悲に策謀を巡らせる虎太郎には、電子音声が冷たい響きを帯びていくのを抑えられなかった。

 

 

「さて、もう一度婆さんに繋げ。そろそろあの地雷女二人も帰った頃だろ。今頃はオレへの怒りを、目に付く気に入らん連中に向けて、刀と斧で惨殺(はっさん)してるだろうからな」

 

『…………分かっているのなら、犠牲者を出さない為に、あの二人と会話をしたらどうです?』

 

「やだよ、あの二人と関わること自体が厄介事でしかねぇからな。阿呆臭い。それに、アミダハラに住んでる連中が死んでもオレは困らん。犠牲者なんて言わないね。自業自得だ、自業自得」

 

 

 何とか、虎太郎が話すのも面倒と断ずる二人のフォローを入れようとしたアルフレッドであったが、二人の性格を思い出し、閉口した。

 客観的に見て、アルフレッドでもフォローは出来なかった。あの二人は悪党ではないが、正義の味方でもない。ある意味で、無法都市アミダハラに相応しい住人だからだったからだ。

 

 

(それから、ワイトについては、まだ気になることもあるし、調べておくか)

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「はぁ…………私ったら、本当に何も出来ないのね」

 

 

 虎太郎が五車学園でアルフレッドと策を張り巡らせている時、保護対象であるワイトは、五車町の目的の場所に向かって溜め息と共に歩いていた。

 

 今日の服装は、凜花の選んだものだった。

 タートルネックタイプの白いニットワンピースに、灰色のカーディガンを羽織り、黒いニーソックスにロングブーツを履いていた。

 但し、ワンピースの丈はやたらと短く、ニットのお陰で出る所は出ている。女らしさを前面に押し出した格好である。

 

 道行く男達は思わず振り返り、女であってもワイトの美貌に驚いているようだった。

 今現在、ワイトは虎太郎の親類、という扱いで通っているが、やはり余所者という印象が強いのだろう。嫌でも目を引いてしまう。

 

 当の本人は好奇と好色の視線が、一切気にならない程に落ち込んでいた。その原因は、多くの失敗によるものだ。

 

 ワイトとしても、仕えるべき主人である虎太郎の世話に成りっぱなし、というのは耐えられなかった。

 せめて、少しでも虎太郎に対する恩を返そうと、出来る事をしようと思い立ったのが、家事であった。

 

 入れ替わりで虎太郎の家を訪れ、家事を行っては帰っていくゆきかぜ達の姿を見て、これなら何とか、と思っての行動であったが、甘かったとワイト自身も認識している。

 掃除をしては物を破壊し、洗濯をしては洗剤の量を間違えて泡を溢れさせ、料理をしては食材を黒焦げにする始末。

 

 ゆきかぜ達は苦笑いを浮かべて、次に頑張ればいいと励ましてくれたのはありがたかったが、それ以上にへこむ出来事があった。

 何よりも堪えたのは、虎太郎が失敗に対して怒りもせず、ただただ呆れた表情をして眺めていたことだ。

 

 虎太郎しかいないワイトにとって、何よりもショックであった。

 尊敬や崇拝している対象からの呆れは、叱責よりも辛い。怒られた方がまだマシだろう。

 

 それでも凜子や凜花、時折訪れる不知火の指導もあって、徐々にではあるが、成長はしている。

 初日に食器棚を倒した大惨事に比べれば、今日の被害は引き戸のガラス一枚と、一週間で大した成長と言えよう。もっとも、彼女は納得していないようだが。

 

 

「――――やっぱり、此処は落ち着くわね、ふふ」

 

 

 ゆきかぜに教えて貰った蓮華畑のある、五車町を一望できる小高い丘の上が、ワイトのお気に入りの場所になっていた。

 どういう訳か、この場所は酷く落ち着いた。叫び出したくなるほどの清々しい気分と同時に、胸を締めつける寂寥の念が溢れ出してくるにも拘わらず、生まれる前から此処を知っているかのようだ。

 

 そして、悩むのにも此処が良い。

 何せ、他に人など来ないのだ。少なくとも、ワイトは此処で人と出会ったことはない。

 

 

「…………嫌な、女」

 

 

 ポツリと吐き出したのは、他ならぬ自分自身への悪罵であった。

 

 自分は恵まれている。

 記憶を失い、自分が何者かも分からなくなった。

 けれど、傍には愛しい主人が在り、手助けをしてくれる人々がいる。なのに……――――なのに、主人以外の人間に対する嫌悪感は、なんなのか。

 

 その嫌悪感は、虎太郎以外全ての人間に当て嵌まった。

 まるで、虎太郎以外の全てが、動いているだけの腐乱死体であるかのよう。

 臭いも、仕草も、行動も。全てが等しく、薄気味悪い。吐き気を催すほどに醜く感じる。

 

 酷い勘違いもあったものね、とワイトは一人心の中で呟いた。どう考えても、醜いのは自分自身だったからだ。

 ゆきかぜも、凜子も、凜花も、不知火も。皆は誰もが持っていて当たり前の優しさと良心に従って行動している。

 それを否定しようとする自分の性根こそが腐っている、と考え、ワイトは一際大きく落ち込んだ。

 

 

(もしかしたら、記憶のある頃の私は……)

 

「…………ひぐっ」

 

「…………?」

 

 

 最悪の想像を掻き消すように被りを振ったワイトであったが、その時、誰かが鼻を啜る音に、首を傾げた。

 辺りを見渡すと、蓮華畑の中で小さな女の子が俯いて座り込んでいた。理由は定かではないが泣いているようだ。

 

 チッ、と舌打ちをしたワイトは足早にその場を立ち去ろうとし――――脚を止めた。

 確かに、一人になりたかった所を邪魔されて、気持ち良くはない。そもそも、相手は見ず知らずの子供、関わる必要もない。

 

 けれど、この場を黙って立ち去ることは、人からの優しさで生きている自分に許されることなのか。ゆきかぜ達がくれた優しさを否定することに繋がるのではないか。

 

 そんな考えと正体不明の嫌悪感の板挟みの中、ワイトは自分で自分の行いを決定した。

 

 

「…………どうしたの?」

 

 

 意を決して泣いている少女に近づき、顔へと嫌悪感が浮かばぬように、必死で笑顔を作り、声を掛ける。

 

 少女はワイトを見上げると、ようやく自分を見つけてくれたと言わんばかりに、大粒の涙を流し始めた。

 困ったのはワイトの方だ。何せ、何の記憶もないのである。子供のあやし方など分かる筈もない。

 

 ――だが、ワイトは自分でも驚くほど自然に少女を膝の上に乗せると、少女の背中を撫でていた。

 

 自分でも困惑していた。

 折角、良い人達に選んで貰い、愛しい主人に買って貰った服が汚れてしまうにも拘わらず。

 今し方まで嫌悪感しかなかった少女に対して、こうまで優しくしていることが。

 

 しかし、ワイトの困惑とは裏腹に、少女は優しい手付きに泣き止み、鼻を啜るだけになっていく。

 

 

「何があったの? こんなところに一人で……」

 

「うぅ、……ぐすっ、お父さんとね、お母さんがね……」

 

 

 少女は、子供特有の警戒心の無さで、見ず知らずのワイトに向かって、事情を話し出す。

 ポツポツと途切れ途切れの口調による話は、要領を得なかったが、要約すると、簡単だった。

 

 少女の父と母は厳しい人物であるらしく、事ある毎に対魔忍――ワイトは対魔忍がなんであるか分からなかったが――としての修行を課すらしい。

 大好きな花集めも、親しい友人とも碌に遊べず、子供には辛い毎日を送っているようだ。

 

 

「そう、大変ね。でも、きっとお父様も、お母様も、貴女のことを想って厳しくしているのよ」

 

「分かってる、もん。……お父さんも、お母さんも本当は、優しいもん。でも、だから、辛いんだもん」

 

 

 少女は警戒心こそ薄かったものの、心の機微には聡いようだ。

 子供とは往々にして、そういうものだ。大人が思っているほどに疎いわけではない。時には独特の感性で、大人よりも鋭く真実を口にすることもある。

 

 

「じゃあ、どうしましょうか。このまま、貴女を一人にして帰れないし…………そうね。一緒にお願いしに行ってみましょう? きっと分かってくれるわ」

 

「本当に? いいの?」

 

「ええ。まだ時間もあるから。付き合ってあげる」

 

 

 今までの泣き顔は何処へ行ったのか、少女はようやく得た味方にニパっと顔を輝かせた。

 コロコロと変わる表情に、ワイトは柔らかな笑みを浮かべると、少女を膝から下ろして立ち上がり、手を差し出す。

 

 少女は何の躊躇もなくワイトの手を取り、ぎゅっと握り締める。

 その手の温もりと小ささに、大きな驚きと小さな喜びを覚え、ワイトは手を握り返す。

 

 

「私はワイト。ただのワイトよ。貴女は……?」

 

「私は、津田(つだ) 萌音(もね)。ありがとう、ワイトのお姉ちゃん」

 

 

 ようやく名前を明らかにした二人は、笑みを浮かべて丘を下っていく。

 ワイト自身、気付いてはいなかったが、既に少女に対する嫌悪感はなくなっていた。あるのは、少女に対する優しさと一握りの不安だけ。だからこそ、少女もあっさりと心を開いたのかもしれない。

 

 そして、ワイトの不安とは―――― 

 

 

(わ、私に、この子のご両親を、説得できるのかしら……?)

 

 

 ――優しさを優先し過ぎて、後先の事を考えていなかったことだった。

 

 案の定、見ず知らずの女が娘の手を連れてきた事実に両親が混乱から二人に対して説教をし始め、少女は大泣き、ワイトは涙目になるのだが、それは別の話。

 たまたま通り掛かった不知火が、顔見知りの両親を諫めるのも、また別の話だ。

 

 今ここで重要なのは、“屍の王”にただ従うだけの死霊騎士(ワイト)が、全てを自らの意志で決定した事実だけである。

 

 



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『突然のご褒美! だが、これは更なる苦労を呼び寄せる撒き餌だぁ!(暗黒微笑)』

 

「やっぱり、か……この事実、どうしたもんか」

 

 

 五車学園に存在する資料室の中で、虎太郎は自身の推測が正解に限りなく近かったことに、喜ぶべきか、嘆くべきか迷った。

 

 この資料室は、近年、政府公認となった対魔忍の膨大な任務の報告書、記録が残されている――――ばかりではない。

 技能としての忍法が書き記された書物もあれば、各家の家系図などもあり、魔族の生態や能力に関する書物もあった。

 

 虎太郎が調べものをしていた一角には、各家が代々伝えてきた(おぼ)(がき)が収められている。

 彼らが携わった任務の内容。彼らが暗躍した歴史の裏側。日々の中で起きる瑣事。雑多に、規則性もなく記された日記の山だ。

 

 この数週間、虎太郎は暇さえあれば、この一角で覚え書を開いては読み、読んでは閉じ、閉じてはまた別のものを開くを繰り返していた。

 何の成果もなく、彼自身も、ただの無駄骨に終わるかに思われた行動であったが、本日この時に至り、ようやく実を結んだ。

 

 虎太郎が見たのは、ある家系の当主が記していた覚え書。江戸時代中期頃のモノであった。

 他の物と同様に、頭首自身の生活、結婚などの転機、日々の愚痴などが書かれていたが、その中で気になる一文を見つけた。

 

 

「確証はない。状況証拠ですらねぇ…………が、偶然でもないだろうな」

 

「あ、虎太兄、やっぱり此処に居たんだ」

 

 

 虎太郎が手にしていた覚え書を元の場所に戻したのと同じタイミングで、ゆきかぜが本棚の端からひょっこりと顔を出した。最近の虎太郎のルーチンを知っていたのだろう。

 彼に驚きは見られないところを見ると、こうしてゆきかぜが訪れるのは一度や二度ではないらしい。

 

 

「で、どうだった? 収穫は?」

 

「あったよ。だが、どう使ったものか考えものでな」

 

「ふーん、そうなんだ」

 

「何だ。それ以上聞かないのか?」

 

「うん。虎太兄のこと、信じてるから」

 

 

 虎太郎の調べていた事柄に興味がない、と言うよりかは、敢えて聞かないような態度を見せるゆきかぜに対する問いの返事は、呆気に取られるほど信頼に満ちたものだった。

 

 ゆきかぜも分かっている。虎太郎は根掘り葉掘り問い質されるのを嫌う性質だ。

 問われた以上は答えるが、相手が理解できるまで説明しなければならない手間がある。

 今回、ワイトの件に関しては、虎太郎のみで事を進めるつもりだった。

 ゆきかぜ達には、必要以上に関わらせるつもりはなく、関わらせたくもない。

 

 あくまでも冷徹に。あくまでも無情に。

 自身はワイトに対して、想定できる限りの手段を用意し、行動する。

 

 ゆきかぜ達は、ただ自分の良心に従い、接してさえくれればいい。

 その為に、余計な情報など不要。必要以上の情報を開示すれば、良心による行動ではなく、同情からの行動となる。

 

 ――互いの徹する役割の関係上、情報の共有は最低限でいいのだ。

 

 ゆきかぜも、虎太郎の意図に気付いているわけではない。

 ただ、信頼だけがある。虎太郎が語らないのであれば、其処には必ず理由があるのだ、と。

 

 

「正直、楽でいいがな。お前のそういう所は」

 

「ふふん。だって、虎太兄の女の子ですから。虎太兄のことは何でも――は知らないけど、どういう人かは知ってるって言ったでしょ。それに聞かなきゃならないことは聞くから大丈夫」

 

「………………あのさ。お前、最近、虎太兄の女の子って頭につけたら、何でも通るって思ってないか?」

 

「さ~て、何のことでしょう?」

 

「ったくよぉ……」

 

「ちょっとぉ。虎太兄、髪の毛ぐしゃぐしゃになっちゃう」

 

 

 にんまりと笑う女らしいズルさを見せるゆきかぜに辟易としながらも、虎太郎は笑いながら乱暴に頭を撫でた。

 ゆきかぜは言葉では不満を露わにしながらも、声色も表情も嬉しげだ。互いの意図や意志がどんな形をしているかなど、語るだけ野暮というモノだ。

 

 

「ワイトさんね、最近、家事もだんだんと巧くなってきてるよ。それから、津田さんところの萌音ちゃんと仲良くしてるみたい」

 

「ああ、知ってる。良い傾向だ」

 

「このまま、こんな生活が続いてくれるといいね。それが一番、ワイトさんの為になると思う」

 

「まあ、ありえねぇがな。そんなこと」

 

 

 ゆきかぜの良心から発露した願望を、虎太郎は真っ向から斬り捨てる。

 

 このまま、穏やかな生活が続くなどありえない。

 これから自身にも、ワイトにも決断の時が訪れるのは分かっている。

 理由なぞない。確信も必要ない。言わば、これは決定事項だ。先延ばしには出来ても、回避だけは出来ない。

 

 

「私も、その為に出来る事はしておきたいのです。だから、いいよね?」

 

「えぇー…………」

 

「もぅ、虎太兄ってホント面倒臭い。女の子の方が求めてきたらメチャクチャにしちゃうのに、自分の方からは億劫がって手を出さないよね」

 

「いや、だって実際、億劫だろ。後とか先のこと考えるとさぁ。面倒しかないでゴザル」

 

「ふふふ。それでも女の子に本気になられると、本気になっちゃう虎太兄なのでした」

 

「いやぁー、ゆきかぜさんはオレのこと、本当によく分かってるなぁ、ハハハ」

 

 

 流し目で語るゆきかぜに、虎太郎は震え声で返した。

 ゆきかぜに自身の本性や性質を知られていることに怯えているのではなく、自身の馬鹿げた性癖に呆れ返っているのである。

 

 何のかんの言ったところで、虎太郎は女好きだ。

 任務以外で自分から女に手を出すことはないが、プライベートで一度でも一線を越えてしまえば、とことんまで女を楽しみ、とことんまで女を調教し、とことんまで女の愛に答え、とことんまで女の面倒を見る。

 自身の趣味嗜好、生まれ持った性癖故に、彼自身にもどうしようもない。

 

 もっとも、彼の場合は必要と在れば、いくらでも性癖と行動を乖離させられる辺りが恐ろしいが。

 

 

「と言う訳で、虎太兄。まずは、頑張ってる虎太兄の女の子(ゆきかぜ)に、ご褒美ちょうだい?」

 

「はあ…………心外だぞ、ゆきかぜ。別に、お前が頑張ってるからなんぞ関係ない。それじゃあまるで、オレがご褒美とやらでお前を支配してるみたいじゃないか」

 

「んー? あながち間違ってないと思うけどなぁ」

 

「ニヤニヤ笑いやがって。お前を抱くのはオレが抱きたいからだ。それ以上でもそれ以下でもあるものかよ」

 

「ふふ、虎太兄のそういうとこ、素敵だよね♪」

 

「いや、単に女にだらしないだけだろ。どう考えても」

 

 

 余りにも自身を肯定してくるゆきかぜに、虎太郎は呆れ返るしかない。

 母親のものにも似た全肯定の愛。無邪気で危うくすらありながらも、決して超えてはならない一線だけは超えない強さが感じ取れたが故に、彼はそれ以上何も言わなかった。

 

 どんどん情の鎖で雁字搦めになる我が身に嘆きながらも、彼の心にあったのはただ一点。

 

 ――コイツ等に、後悔だけはさせない。

 

 自身の所業には全く掠りもしない、無駄に男らしい思いであった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「ぢゃぢゃぁ~~ん♪ どう、虎太兄?」

 

「いや、あの、ゆきかぜさん。それ、お前的にいい奴なの?」

 

「いいのです。何故なら、虎太兄が私を自分のものにしちゃった時の格好だから」

 

「……………………えぇー」

 

「こら、ドン引きしない!」

 

 

 虎太郎宅の薄暗い寝室で、ゆきかぜは煽情的なポーズを取り、虎太郎はベッドに腰掛けていた。

 

 ゆきかぜの格好は、ビキニと呼ぶのも憚られる面積など無きに等しく地肌やピンク色の乳首と秘裂が透けて見える薄過ぎる白い下着に、同じ素材の長手袋。白いハイヒールというものだった。

 そう。ヨミハラで着用を義務付けられた奴隷娼婦の衣装そのものだ。実際に着ていたものではなく、あくまでもゆきかぜが似たものを自分で買い揃えたものであるのだが。

 

 流石に、この行為には虎太郎もドン引きであった。

 どう考えたところで、ヨミハラでの出来事はゆきかぜにとって忌まわしい過去に過ぎないだろうに、自分から過去を想起しようと言うのだから当然だ。

 だが、それは裏を返せば、ゆきかぜが当にトラウマを乗り越えた証でもある。既に、ヨミハラの一件はゆきかぜ自身が更なる悦びを得る為のアクセントにしかならないのだ。

 

 

「ほら、虎太兄が好きにしちゃっていいんだよ? 気持ちいいのも、痛いのも、苦しいのも、恥ずかしいのも、いやらしいのも、何でも悦んじゃう、虎太兄だけ専用の奴隷娼婦(おんなのこ)♪」

 

「やっぱり、オレが想像している以上に女だな、お前は」

 

「ふふ。虎太兄は、こんなスケベな女の子、嫌い……?」

 

「いや、大好物ですとも」

 

 

 虎太郎がゆきかぜの手首を掴み、引き寄せる。抵抗など皆無だ。

 

 欲情と僅かばかりの羞恥に赤く染まる頬を撫でると、ゆきかぜがうっとりと目を細めた。

 それは単に欲望が満たされているばかりではない。愛する男と触れ合う喜びが見て取れる。自分からも手を上から重ね、頬擦りをしてその熱を感じていく。

 

 虎太郎の手付きは、愛撫と呼んでいいかも分からないほどに優しかった。

 性感帯とはかけ離れた部分を触れるか触れないかのギリギリのフェザータッチ。

 遠慮こそなかったものの、余りにも繊細で性感を刺激するものではない。

 

 徐々に、次第に、やがて。

 ゆきかぜの身体を這う手は、肩から脇腹、臍へと至り、太腿の内側を下っていく。

 

 

「あっ……ンッ、んぅっ……ふ、っ……くぅ……」

 

「どうした。もう我慢できないか?」

 

「う、うぅん……大丈、夫っ。虎太兄、奴隷娼婦なのに、優しくっ、……ふぅっ、してくれるんだっ……」

 

「当たり前だろ。こういうのは、お互いに楽しまなくちゃな。いや何、激しくするときは激しくするがな。何事も時と事情によるからなぁ」

 

「うふふ。優し――――――ん」

 

 

 より互いに楽しむ為に、虎太郎はゆきかぜを引き寄せ、唇を押し付け合う。

 されるがまま――――にはさせず、ゆきかぜもまた腰掛けた虎太郎の膝の上に跨り、首に手を回す。

 

 何の変哲もないキス。

 但し、虎太郎も己の欲望を隠さず、ゆきかぜも愛情と欲情を隠さない。

 互いの愛情を確認しながらも、煮え滾る情欲を披露する性交の準備。それが始まりの合図だ。

 

 虎太郎はゆきかぜの前髪を掻き分けると額に唇を落とすと、耳と鼻に続く。

 ゆきかぜも負けじとキスをする。咽喉に吸い付き、頬を、瞼をなぞる。

 

 額へのキスは祝福を、耳は誘惑を、鼻は愛玩を。

 咽喉へのキスは欲求を、頬は親愛を、瞼は憧憬を。

 

 それぞれ異なる意味を持つキスを交わしながら、最後にまた唇を押し付け合う。唇へのキスは愛情を意味していた。

 

 虎太郎はこのままゆっくりと暖気運転のように楽しむつもりであったが、堪えられなくなったのはゆきかぜの方。

 背中側へと回された虎太郎の手は、ゆきかぜの尻や背筋を繊細なタッチで這い回る。その度に、微弱な電流のような快感が全身へと響き、子宮がきゅんきゅんと甘い疼きを発する。

 

 ゆきかぜは唇で唇を挟み、舌で舐め上げ、その先をせがむ。

 必死と言っても差し支えない有り様に、虎太郎は苦笑を浮かべ、自らの女の望むがままに唇を割り開いた。

 

 

「んっ、んっ……んちゅ、れっろ……んふぁ……んちゅ、じゅっ……きひゅ……ひゅきぃ……んっ、ぢゅりゅりゅ……♪」

 

「皆、キスが好きだな。そんなにいいか?」

 

「うんっ、うんっ♪ こひゃにひぃの、きひゅ、ひゅごい……んちゅ、頭も、オマンコも、んえぇ、トロトロぉっ……♡」

 

 

 恋人と呼ぶには余りにも浅ましく。

 メスと呼ぶには余りにも情愛深い。

 

 女そのものの顔をして、ゆきかぜはディープキスに没頭した。

 舌を差し出しては吸われ、口腔を明け渡しては、歯茎や歯、頬の裏側までなぞられる。

 舌を刺し込まれれば吸い付いて舐め回し、唾液を交換して、腰と背筋をビクつかせる。

 

 全て、虎太郎に教え込まれたものだ。

 既に自分の口と舌が、どうされれば感じるのかを理解させられ、虎太郎の口と舌が何処を刺激すれば悦ぶのかも理解している。

 

 唾液の交換する粘ついた音とゆきかぜの恥も外聞もない荒い鼻息だけが部屋に響く。

 頃合を見計らい虎太郎の唇がゆきかぜの舌を挟んで捉えると、舌先を甘く噛かんだ。それだけでゆきかぜの腰は大きく跳ね、絶頂に至ったことを伝えた。

 

 

「はっ……はぁっ……はっ、ぁ……ふぅ……ふぅぅぅっ……キスだけで、あ、甘イキ、しちゃったぁ♡」

 

「そうか。それで、満足か?」

 

「そんなワケ、ないよ。もう、オマンコ蕩けちゃって、火が付いちゃってるの。虎太兄のカリ高チンポでぐちゃぐちゃにして、濃っゆいザーメンを子宮で飲まないと収まらないよぉ♡」

 

「まあまあ、落ち着け。もっと時間を掛けようじゃないか」

 

 

 瞳を潤ませ、恥じらいを残したままの懇願に、虎太郎はにんまりと笑った。

 ゆきかぜの身体を抱え上げると、ベッドに優しく仰向けに寝そべらせる。

 

 それだけで意図を察したゆきかぜは、秘部を見せつけるように大きく脚をM字に開いた。

 濡れそぼった白い薄布は、隠すという役割を果たしておらず、変色も型崩れもしていない牝穴を透けさせている。

 未成熟な身体を使った成熟した女の雌仕草。女を自分だけのものにしていく過程の醍醐味を存分に楽しみながら、淫裂に顔を近づける。

 

 

「あぁ、そんなに顔近づけて見ないでぇ……」

 

「何でだ? こうしたら、よく見えるじゃないか。お前が、どれだけ淫らになったかさ」

 

「……うん、うんうん♪ 虎太兄に優しくされたり、虐められたせいで、おまんこ、いやらしくなっちゃったぁ♪」

 

「凄い匂いだぞ。お前みたいな若い女がさせる匂いじゃない。発情しきったメス豚の匂いだ」

 

「だってぇ、私、もう虎太兄のメス豚(女の子)だもん。虎太兄に気持ち良くなって貰うだけのY豚ちゃんだか――――あ、やぁっ」

 

 

 ゆきかぜの口上を最後まで言わせず、虎太郎は下着としての機能を持たない薄布を剥ぎ取った。

 外気に晒された牝穴はヒクつき、既に白濁した汁を慄きに合わせてトプトプと滴らせている。

 

 桐生によって治療されているというのに、この有り様。

 虎太郎の性技の凄まじさ故なのか、ゆきかぜの生まれ持った淫らさ故なのか。

 理由はどうあれ、確かにゆきかぜの口上は正しい。言い訳のしようのないメス豚だ。虎太郎に対してのみの。

 その事実が、ゆきかぜを更に昂らせる。心臓ははち切れそうなほどの速度で跳ね、これからを期待してピクピクと腰も跳ねた。

 

 

「ンァッ……こ、こんな格好で、手を握らなくたって……」

 

「いや、これでもう、何も隠せないんだぜ?」

 

「ふぇっ? ……あ、―――――ひぃぃんっ!?」

 

 

 ゆきかぜの両手を両脚の下から通させ、指を絡めて握る。これで、もう隠すことも逃げることも出来ない。

 湯気が立ち上りそうなほど熱くなった淫襞は、女の情念と焦れで煮立っている。

 

 何の遠慮も、配慮すらなく、唐突に。

 好物でも喰らうかの如く、虎太郎はゆきかぜの秘所にむしゃぶりついた。

 

 

「ひうぅん! はっ! 舌っ、べろべろ舐められてるぅっ!! んひぃいいっ!!」

 

「匂いもそうだが、味もヒデェ。男日照りの女でも、ここまで発情した味はしないぞ」

 

「らってぇ! 虎太兄が調教っ、するからぁっ! もう、奴隷娼婦よりもっ、変態なっ、Y豚ちゃんだもんっ! へっひゃぁぁああぁっ!!」

 

 

 垂れ流しになった本気汁を啜りながら、舌の腹で小陰唇を存分に舐った。

 既に充血し膨張していた小陰唇を舌と唇の動きで翻弄する。唇で挟み強く刺激したとか思えば、舌のザラつきで微弱な刺激を与える。

 

 完全に自身の虚を突く舌使いに、ゆきかぜの腰は跳ね上がり、淫らなダンスを披露してしまう。

 愛した男に一切の抵抗を許されずに弄ばれる羞恥と悦びに、何度も軽い絶頂に達し、その度に瞳は蕩け、口から媚声と共に舌をだらりと垂れ下げた。

 

 

「こ、虎太兄っ! も、もう、我慢できないようぅっ! 来て、膣内(なか)に来てぇっ!」

 

「まあ、そう慌てるな」

 

「ぐ、ぐりぐりぃ! おしっこの穴っ、ぐりぐりダメぇっ!」

 

 

 泣きながらの懇願を無視し、尿道を広げるように舌を押し付ける。

 むずむずとした尿意を堪えると、快感はより深いものとなっていく。

 

 脚を大きく開いたまま跳ねる腰を押し出し、浅ましく自分を求めるゆきかぜに苦笑し、待ち望んでいるであろう快楽を与えてやる。

 

 

「あああっ、キタっ♪ 虎太兄の舌っ、入ってっ、くぅう゛うぅうううううううんんんっっ♪」

 

 

 媚肉を掻き分けて侵入してきた舌を迎え入れ、ゆきかぜは辛うじて絶頂を耐えたものの、膣の蠕動に本気汁が噴き出した。

 なおも止まらない舌は、膣の襞の一枚一枚を丁寧に刺激する。どんな触手でも真似できない丁寧さと暴虐さを兼ねた動きに、ゆきかぜはくなりくなりと腰を揺すって答える。

 膣の弱点と呼ばれる部分を一切触れらていないにも拘わらず、ビリビリと全身に悦楽の電流が奔り、目の前は真白に閉まっていく。

 

 ずるずると音を立てて愛液を啜られる度に、耳まで音で犯される。

 何度経験しても慣れることなどない自らを征服されていく感覚に、全身を痙攣させて悦びを表現する。

 

 

「こ、こひゃにっ! イックっ、イッちゃうぅっ! ハッ、ハァッ、べろべろオマンコ舐められて、イっちゃうぅぅぅぅっ!!」

 

「じゃあ、トドメはここだな」

 

「えひっ?! クリトリスっ!! らめへぇぇぇぇええぇえぇっっ!!」

 

 

 今の今まで刺激されなかった陰核を唇で挟まれ、絶頂の予感に握られた手を必死で握り返す。

 痛々しいほどに勃起したクリトリスを今まで触れられなかった理由が、この絶頂の為だと悟り、ゆきかぜは迸る絶頂の波を抑えようと表情を強張らせた。

 高々と隆起した淫豆に吸い付き、更に肥大化させるだけに留まらず、唇で挟んだまま舌でチロチロと舐め弾かれる度に表情が蕩けていく。

 

 絶頂には至たらないギリギリを見極めた愛撫に、ゆきかぜは広げられた両脚で虚空を掻き、指を丸めて引き攣らせる。

 つい先程までアクメを堪えていたと言うのに、今やアクメを求める浅ましい女の性に、どうしようもないほど淫らな女だと自覚させられ、ゆきかぜは更に昂った。

 

 ――頃合を見計らい、絶頂を堪え続けたクリトリスを歯で甘く噛んだ。

 

 

「クリちゃん、イッグゥゥゥウゥゥウゥゥゥっっ!!」

 

「うおぉっ、随分と勢いがよく出たもんだ」

 

「あ゛あぁ゛ああぁあぁあああぁぁぁっ!! おっほぉっ、お潮っ、噴いで、まだイクイクイクぅぅぅうううっっ!!

 

 

 背骨を限界まで逸らし、腰を限界まで持ち上げ、ゆきかぜは絶頂を報せる。

 逞しい牡の性技に、未成熟な身体が耐えられるはずもなく、為す術もなく潮吹きアクメと共に晒されたゆきかぜの表情は女の悦びで満ちていた。

 

 腰は激しくビクつき、ヒクつく尿道からは透明な潮を天井まで噴き上げて、どれだけ深いアクメを味わっているのかを示している。

 潮を拭く度に前後する腰は、ただそれだけの機能(うごき)しか持たない機械になってしまったようだ。

 

 

「はひっ……ふぇ……あ……くぅ……ふぅ……ぅ……はぁ……」

 

「ほら、見ろよ、ゆきかぜ。天井まで潮吹いて、そんなに気持ち良かったか?」

 

「やらぁ……いじわりゅ……言わないれぇ……こひゃにぃに、クンニされたりゃ……誰でも……こう、なっひゃもんぅ……」

 

 

 余りにも淫らで、いやらしい自身の痴態を揶揄され、ゆきかぜは顔を真っ赤に染めて、呂律の回らない舌で抗議した。

 しかし、両脚を広げたまま膣口をヒクつかせ、顔に刻まれたアクメ笑みは、奴隷娼婦そのものであった。

 

 残された少女の恥じらいが、奴隷娼婦の淫靡さを際立たせている。

 もう一度、ゆきかぜを咽び泣かせたくなった虎太郎であるが、肝心の相手はもう限界だった。

 どれだけ深い絶頂を極めようと、虎太郎の雄槍で媚肉を蹂躙され、子宮に精を浴びねば決して満足できない。

 ゆきかぜは数えきれない性交によって、虎太郎に開発されきっている。もう、他の男では絶頂に至ることはないだろう。

 

 彼にとって、性交は女の愛に応える為のものであると同時に、互いに楽しむ為のものである。

 自分ばかりが楽しんで、相手を苦しめるのは本意ではない。相手の望んだものをくれてやらねば意味がないのだ。

 

 

「……よ、っとぉ」

 

「あ、ひゃん……♪」

 

 

 まだ絶頂の余韻に浸るゆきかぜを後ろから抱え上げ、ベッドから降り立つ。

 背面駅弁。幼子に排泄を促すような格好だ。これには、流石のゆきかぜも絶頂の余韻に浸ってばかりもいられない。

 

 あれだけ淫らに誘い、あれだけはしたなく乱れたというのに、新たな羞恥に身体を戦かせる。

 

 

()()()、本来の目的だろ?」

 

「ふぇ? ……ぁ、あぁ、そうだったね。でもぉ、今は虎太兄の玩具だもん。そっちの方が大事ぃ♡」

 

「本当に、オレ好みの女になってまぁ」

 

 

 ゆきかぜの身体を()()()()()()()()、耳元で虎太郎が囁く。

 だが、当の本人は、当初の目的などどうでもいいのか、甘えた牝の声を上げ、腰をくならせる。

 

 外気に晒された熱い肉棒が、愛液を流す膣に擦り付けられ、挿入の準備は整った。

 

 

「虎太兄、ハメてぇ♪ 愛してる(ひと)の玩具になる悦びを知っちゃった、ゆきかぜのドスケベマンコ、虎太兄のぶっといチンポでぇ、好き放題メチャクチャにしてぇ♡」

 

「ハメ乞いも随分と様になった。こりゃ、堪らんね」

 

「んおぅっ! おまんこに、ズブズブっ、来るっ! 来るクルくるうぅぅうううぅうぅぅッッ!!」

 

 

 一切手を使わず、蕩けた牝穴に牡槍が突き立てられる。

 クリトリスの裏側を抉り、Gスポットをこそぎ落し、子宮口を寸分違わず貫かれる。

 たったそれだけでゆきかぜの膣は肉棒を隙間なく締めつけ、溜っていた愛液が水鉄砲のように噴き出す。

 

 暫らくの間、挿入の余韻を楽しんでいた虎太郎であったが、ゆきかぜの牝穴を見下ろし笑みを深めた。

 穴からは本気汁が流れ落ちるだけでは飽き足らず、長い長い糸を引いて滴り落ち、ゆきかぜの歓喜と発情を示している。

 

 

「ひぁんっ、そこっ、Gスポットっ、チンポでグリグリさりぇりゅとっ、わたひらめ、ほんとっに、らめぇっ!」

 

「そんなにいいか。もっとぐりぐりしてやるぞ」

 

「あっ、はひっ、ひぃ、ひぃぃ、あっあっあっあああぁぁあんんんっっ!!」

 

 

 Gスポットを裏筋で責め立てられ、ゆきかぜは我慢という言葉を忘れてしまったかのように呆気なく絶頂へと昇ってしまう。

 絶頂の度に挿入された怒張を締めつけ、襞で舐め上げて楽しませる。

 

 抽送というよりもゆきかぜの身体を揺さぶって弄んでいる様は、性玩具で遊んでいる姿そのもの。

 どうしようもないほど蕩けた身体を、虎太郎に弄ばれる不様ですら、ゆきかぜにとってはより深い絶頂を得る為の要素にしかなっていなかった。

 

 

「あっ、あっあっ、ダメダメェっ、オマンコ、何されても気持ちいい! 虎太兄のチンポっ、カリも血管もっ、全部全部、キモチイイよぉぉおおっ!!」

 

「子宮口も開いちまって。そんなに欲しけりゃ、くれてやるよ」

 

「ま、まっ、待って、今、子宮に入れられたら、で、出ちゃ、出ちゃうよぉぉっ!」

 

「潮か、小便か。どっちにしろ見てみたいな。そら、出しちまえ」

 

「んぐぐっ?! は、はっへぇぇ! で、でりゅぅぅうううぅうううぅぅぅっ!!」

 

 

 子宮口を突き抜け、子宮の天井を亀頭が擦ると、ゆきかぜの水門は崩壊した。

 勢いよく尿道から放出されたのは黄金水だ。音を立てて排泄される黄色に染まった水は、恥ずかしいほどのアンモニア臭を漂わせて、びちゃびちゃと床に水溜りを作っていく。

 

 羞恥とお漏らしにより背を逸らして、天井に視線を向けていたゆきかぜの頭を顔で押し、どれだけはしたない姿で放尿しているかを見せつける。

 

 

「んあ゛ぁ゛っ、……おひっこ、きもちいいっ……お漏らしアきゅメ、しゅごぉぉ……っ」

 

「こらこら、まだオレがイってないぞ。もっと楽しませてくれ。それとも、もう無理か?」

 

「うぅん。虎太兄、イッてぇっ、……おまんこ、……壊れちゃってもいいからっ……気持ちよく、びゅーびゅー射精、してぇ……♡」

 

 

 ゆきかぜが振り返り、愛しい男への愛と媚びを全開しての科白に、虎太郎は容赦の無い抽送を開始した。

 

 

「おっ、おぅっ! はっ、あっ、あっ、あっ、おまっ、おまんこ、ぐずぐずに溶けてりゅぅううぅっ!!」

 

 

 激しくありながらも、ゆきかぜの負担を鑑みた絶妙な腰使い。

 舌を出し、瞳はくるんと上を向き、途方もない快楽に身を委ねる。

 快楽神経を直接こそぎ落し、膣自体を別のものに作り替えるような悦楽に、アヘ顔を見せて享受するしかなかった。

 

 

「あんっっ、ああっ、ンァンっ、はひっ、ひああっ、あっああっ、ひいっ、んひぃいいいっっ!!」

 

 

 抽送の度に、宙吊りにされた中でも迎え腰で、剛直を受け入れた。

 亀頭が子宮を擦り上げたかと思えば引き抜かれ、石の如く硬くなった乳首を弄られると子宮口が締まり、今度は子宮全体を押し潰される。

 

 本気汁はまるます増え、二人の足元は既に池を作り上げている。

 膣の何処を責められても、子宮の何処を擦り上げられても、夥しい快楽と絶頂の波が襲い掛かっていた。

 びくびくと全身を震わせ、ただ媚肉と子宮を使って肉棒を楽しませるだけの牝扱い。

 

 他の男であれば、屈辱以外の何物でもない扱いであっても、虎太郎であるのならば、ゆきかぜには至上の快楽であった。

 

 

「そろそろ、限界だろ?」

 

「はっ、ひぃっ、うんうんっ、もう頭ぐずぐずに蕩けて、アクメ止まらないよぉぉぉっ!!」

 

「じゃあ、イクぞ」

 

「来てっ♪ 虎太兄の特濃ザーメン、わたひの子宮でぶちゅぶちゅ出してぇぇっっ♪」

 

「う、くっ……そぉら」

 

「――――おひっ♡」

 

 

 宣言と共に子宮に侵入した亀頭がぶくりと膨らみ、鈴口が開く。

 すっかり虎太郎の剛直と射精を覚えたゆきかぜは、敏感に子宮で感じ取り、意識的にも、無意識的にも牡の射精を促した。

 

 

「ほおおっ、おほぉおっ、イグイグイグぅぅっ、おまんこ、イックウウウウゥゥゥゥウっ!!」

 

「……っ、っ」

 

「くひぃぃいいいいいっ!! イってるぅっ! おまんこもっ、子宮も、イッてるっ! ザーメン、あちゅいぃぃぃん♡」

 

 

 竿を擦り上げる襞の蠢動も、子宮口の締め付けも、子宮自体の吸い付きも、堂に入っている。

 

 脚をピンと伸ばし、指を丸めて震わせる様子は、誰の目からも明らかな絶頂の証。

 舌を限界まで伸ばし、乳首と陰核をぴくぴくと痙攣させ、くねる腰の動きは、奴隷娼婦そのものだ。

 しかし、表情は淫らに蕩けながらも、真実、女の悦びで満ちている。奴隷娼婦など比ではない。ただ、愛した男に全てを晒して征服された女の悦びがあった。

 

 

「ん゛ん゛っ! ひぃぃいぃんっ! 膣内射精(なかだし)っ、凄すぎりゅぅっ、おまんこ、幸せしゅぎて、アクメ、終わりゃないぃぃぃっ♪」

 

「……ぐっ、つぅっ」

 

「んひっ?! 射精してりゅのに、どちゅどちゅらめぇぇ、イクイクっ、いくうううぅうううぅうっぅぅぅっっ!!」

 

 

 結合部から収まりきらなくなった精液を流しながら、更なる吐精をしようと虎太郎が遠慮なく腰を降り、媚肉で逸物を扱く。

 子宮をとうに満たしていると言うのに、終わりを予感させない射精に、ゆきかぜで背を逸らし、脚を痙攣させて何とか快楽を反らそうとしたものの、全てが無意味に終わった。

 激しく熱い牝潮を、ぶしっ、ブシっと勢いよく噴水のように吐き出し、終わらないアクメを味わっていく。

 

 ――震える肉棒は3分以上も吐精を続け、足元の愛液溜まりを白濁に染め上げ、ようやく終わった。

 

 ずるりと剛直を引き抜くと、濃い精子は膣から流れ落ちるのを惜しむように、ゆっくり、ゆっくりと糸を引いて流れ出てくる。

 

 

「んひ゛ぃんっ♪ はぁっ……ひくっ……しゅごぉっ……い、んっ……しあ、わしぇ……♡」

 

「何なら、もう一回イけよ。ほれほれ」

 

「んひっ! ぴたぴた、チンポでっ、おまんこぴたぴたしちゃ、ダメっ! こりゃにひぃのいじわりゅぅ、おほぉおおおぉぉっっ♡」

 

 

 引き抜いた萎え知らずの怒張で、精液を零す膣を優しく叩く。

 微弱だが、確かな刺激と振動が、クリトリスを、牝穴を、襞を、子宮口を、子宮を襲い、またしても潮吹き絶頂にゆきかぜは獣の喘ぎ声を上げた。

 

 未だに絶頂の高みから降りられず、全身を痙攣させるゆきかぜの身体を器用に持ち替え、虎太郎は膝裏と背中に両手を回して身体を抱え上げる。

 

 

「はぁぁん♪ あんりゃに、めちゃくちゃにしたのに、こんろは、お姫しゃま抱っこぉ……♡」

 

「好きだろ?」

 

「うんっ、虎太兄、だぁいしゅきぃ……♡」

 

「オレについて聞いたんじゃないんだが…………続き、出来るか?」

 

「はっへぇ……虎太兄が、満足するまで、してぇ♡ んちゅ♡」

 

「じゃあ、続きは風呂場でな」

 

 

 半ば意識を失いながらも、顔を寄せてキスをしてくるゆきかぜに苦笑しながら、そのままの格好で扉を開けて、風呂場へと移動する。

 扉を出た瞬間、足元の床にいやに粘度のある水溜りを発見し、虎太郎は思わず渋い表情を浮かべそうになったが、今はそれどころではない。

 可愛い自分の奴隷娼婦(おんな)は満足しているが、自分は満足していない。

 

 ――何よりも、水溜りが何なのかなど分かり切っている。

 

 この家に居るのは己とゆきかぜと、もう一人だけなのだ。

 

 すっかり嵌ってしまった底なし沼にげんなりとしながら、表情にはおくびにも出さない。表情を崩してはゆきかぜに余計な気を揉ませかねない。

 ゆきかぜも楽しませなければならないし、自分自身もまだまだ楽しみたかった。

 

 ――今は何も知らぬ振りをして、自分の女と楽しむとしよう。

 







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『続け様の、ご褒美、だと……? これはもう、苦労すんの確定ですわ(にっこり)』

「――――はぁ」

 

 

 五車町を一望できる小高い丘の上に位置する蓮華畑。

 すっかりお気に入りとなった場所で、ワイトは地面に腰を下ろして、大きく溜め息を吐いていた。

 

 その溜め息の原因は、他ならぬ虎太郎であった。

 

 

(仲が良いとは思ったけれど、まさか、旦那様とゆきかぜちゃんが、あんな関係だったなんて……)

 

 

 虎太郎とゆきかぜが交わった晩、部屋の外にはワイトが居た。

 夜中、奇妙な物音と獣の雄叫びのような声に、何事かと目を覚ましたワイトは、光に集まる蛾の如く音源へと向かっていた。

 

 始めは、単に家の中に誰かが侵入したのかと疑った。

 次いで、虎太郎の安否を確認しようと寝室へと向かった。

 最後は、覗き込んだ寝室で行われている性交に、腰を抜かしてへたり込んでしまった。

 

 普段は決して見せない楽しげな笑みを刻む虎太郎。

 天真爛漫を絵に描いたような、優しげな少女からは想像も出来ない淫蕩な表情を浮かべるゆきかぜ。

 

 寝室を覗き込んだ瞬間は、何が行われているのか分からなかった。

 ただ、聞いている者の性感を刺激するようなゆきかぜの喘ぎ声と、見ているものの生殖本能を刺激するような虎太郎の腰使いに、男女の営みであるとようやく理解した。

 

 後はもう、ただただ魅入るばかりだった。

 自らの性癖と性欲を満たす虎太郎。女の悦びを一心に享受するゆきかぜ。

 

 そんな二人の姿を見て、ワイトは知らず知らずの内に、既に蕩け始めていた秘所に指を伸ばしていた。

 

 ワイトにとて性欲はある。あんな姿を見れば、興奮も覚えよう。

 ゆきかぜに対する嫉妬、虎太郎への忠誠と言う名の恋慕から、自慰行為に耽るのも無理はない。

 

 虎太郎の腰の動きに合わせ、ゆきかぜの嬌声に合わせ、蕩けた自らの膣を掻き回し、絶頂に至った。

 

 

(…………み、惨めだわ)

 

 

 余りにも不様な自慰行為だった。

 虎太郎はワイトを求めていない。彼女自身、それは理解している。けれど、彼女には理解できない理由によって、虎太郎を主人と認識している。

 例え、何一つ求められておらずとも、虎太郎に仕えることを望んでいる。もっとも、その始まりは、美琴が施した洗脳改造によるものだと、ワイトは知る由もないのだが。

 

 ――そんな自分が、ゆきかぜに嫉妬し、ゆきかぜの立場に自分が立ったことを想像して、自慰に耽るなど惨め以外の何物でもない。

 

 虎太郎に求められれば、一も二もなく頷き、自分の全てを捧げられたが、当の虎太郎は欠片も求めていない。

 ただでさえ、迷惑をかけていると言うのに、自分から求めて手を煩わせるなど、ワイトに出来よう筈もなく。

 そんなものは、仕えるでもなく、奉仕でもなく、愛ですらない。独り善がりの自慰行為とどれだけの差異があるというのか。 

 

 しかし、虎太郎とゆきかぜは違っていた。

 初めに相手を求めたのが、どちらであったのかは分からない。しかし、確かに求め合い、愛し合っていた。

 どれだけ奴隷娼婦だの、メス豚だの、玩具だのと、女にとってこれ以上ない屈辱的な言葉で飾り立てようとも、根底にあるものは愛だった。少なくともワイトはそう感じている。

 

 

(しかも、ゆきかぜちゃんばかりでなく、凜子ちゃんや不知火さんまで……)

 

 

 ゆきかぜの次の晩は凜子を、凜子の次の晩は不知火を。虎太郎は、それぞれを抱いていた。

 

 夜に虎太郎宅を訪れてきた時は、まさか、と思った。

 食事を済ませ、自分が風呂に入っても帰らない姿に、よもや、と思った。

 そして、夜中にひっそりと虎太郎の寝室を覗いた時に、やっぱり、と思った。

 

 凛子はベットにべったりと寝そべり、その上から虎太郎に覆い被られて菊門を犯されていた。

 肩を押さえつけられ、自分で腰を振る事さえ許されず、ただただ肉棒を扱き、射精するためだけの穴として扱われていたにも拘わらず、表情は恍惚そのもの。

 たっぷりとアナルに射精された後、自分で尻を割り開き、聞かれれば恥で死んでしまいそうな音と共に、腸内の精液を排泄している様は、卑猥かつ下品と言わざるを得なかった。

 

 不知火は、初めの内は嫌、駄目、と拒絶していたが、虎太郎にキスをされる度、優しく愛撫される度に、身体を震わせて隠しきれない喜びが見せた。

 最後には、ベットに寝た虎太郎の上に自ら跨り、男根を自ら受け入れる始末。

 年下の男にはしたなく媚び、泣いて懇願しながら膣内射精を望む姿は、熟れた身体を持て余した牝年増そのものであった。

 

 あんな姿はみっともない、と思いつつも、羨ましいと嫉妬して自慰に耽ってしまった自分は、もっと惨めな何かだ、と認めざるを得ない。

 

 

「…………はぁ」

 

「ワイトお姉ちゃん、どうしたの?」

 

「ひぅ……!?」

 

 

 自分の惨めさに、もう一度大きく溜め息をついて俯いたワイトであったが、下から覗き込んで声を掛けてきた萌音の姿に、上半身を仰け反らせて仰天する。

 驚いたのは、萌音も同じであった。心配して声を掛けたのだが、予想外の反応に目を白黒させている。

 

 ワイトと萌音は、すっかりと仲が良くなっていた。

 萌音は子供特有の無邪気と無知で、ワイトの抱えている問題や運命など知らぬと慕っている。

 ワイトもその無邪気さに当てられたのか、記憶の有無や正体の分からない嫌悪感すら忘れて、暇な時間があれば、萌音の遊びに付き合っていた。

 

 萌音の両親も知り合いであった不知火の言葉、何よりもワイトと接することで本来の明るさを取り戻した娘の姿に、ワイトに信頼を寄せ、訓練を減らして萌音の世話を任せていた。

 最近では任務で家に帰らないこともある虎太郎やゆきかぜ達よりも、萌音と接する時間の方が増えてきたほどだ。

 

 今日もこうして、お気に入りの場所で萌音の遊ぶ姿を見守り、はしゃぐ萌音と会話を楽しんでいた。

 萌音の友人を交えることもあり、ワイトはすっかり近所の優しいお姉さんで通っている。

 

 

「ワイトお姉ちゃん、お腹痛いの?」

 

「ち、違うわ。ちょっと、その、考え事を、ね?」

 

「でも、元気ないよ? 何処か痛くない?」

 

 

 まさか、子供に自分の惨めさや性の悩みを打ち明けるわけにも行かず、ワイトは慌てふためきながら誤魔化した。

 

 しかし、萌音は元より聡い少女なのだろう。

 悩みの正体が何なのかは掴めていないようではあるが、しつこくも心配そうな声で問い質してくる。

 

 流石のワイトも辟易としてきた時、萌音は暫らく悩んだ末にポシェットから何かを取り出して、差し出した。

 

 

「じゃあ、これ上げるね」

 

「これは……?」

 

「萌音のねー、お気に入り」

 

 

 にっこりと笑いながら萌音が手渡したのは、一枚の栞だ。

 片面には蓮華草の押し花がフィルムで張り付けられている。台紙の切り方が甘い所を見ると、どうやら萌音お手製の一品のようだ。

 

 萌音は花を集めるのが好きだ。その延長線上にあるのが、押し花でもある。

 ただ花を摘むだけでは、いずれは枯れ落ちるだけ。ただでさえ次の種を撒き、新たな花を咲かせる循環を断っているのだ。

 

 ――それでは余りに残酷で、必死に生きている花達に忍びない、と萌音は幼心にそう感じていた。

 

 年の割に聡明で優しい考え方だ。

 大抵の子供は無邪気な残酷さを発揮し、花もまた一つの命という事実に目を向けず、好きなだけ集めてしまいそうなものだが、萌音はそうではなく、またその優しさを両親は誇りに思っていた。

 

 よって、花集めにも萌音なりのルールがある。

 どんな花でも摘むのは一輪だけ。一度でも摘んだ花は、もう二度とは摘まない。そして、そのルールを守る為に、押し花にして残しておくのだ。

 そうすれば、後から眺めて楽しむのもいいし、花本来の姿を思い出せる。花の名前を調べるのもいい。萌音なりの楽しみ方であった。

 

 

「お母さんが言ってた。れんげそうの花言葉は、……えっと、う~んと、あっ、心がわらやぐ?」

 

「ふふ、それを言うなら、“心が和らぐ”ね」

 

「そう! それ! お姉ちゃん、これで元気でそう?」

 

「ええ、とても。ありがとう、萌音」

 

 

 死霊騎士であり、また記憶を失ったワイトに花言葉など知り得ない文化であった。

 しかし、不安そうな表情で自分を見上げてくる萌音の優しさに、ワイトは先程までの陰鬱とした気分は消し飛んで、何時の間にか笑みを浮かべていた。

 

 その表情に、萌音もまた笑みを浮かべる。

 大好きな誰かが辛い表情をしていれば、自分もまた辛い。大好きな誰かが笑っていれば、自分もまた嬉しい。

 余りにも無邪気で眩しく、何処までも人間的に正しく、真っ当な在り様は、ワイトにとって間違いなく――――

 

 

「さあ、そろそろ帰りましょう。私も、旦那様の家で家事をしなくちゃいかないから」

 

「…………お姉ちゃん、大丈夫? 萌音、あの人なんか怖い」

 

「あら、旦那様は優しい――とは言い切れないけれど、心配することはないわ」

 

 

 かつてのゆきかぜのように、無表情の下に隠された虎太郎の本性を感じ取ったのだろう。

 萌音は心配そうにワイトを見上げたが、当の本人は笑うばかりだ。

 ワイトとて、馬鹿ではない。薄らとではあるが、虎太郎の本性に気付き始めている。

 

 彼は面倒事を嫌い、情に流されることも絆されることもないが、決して自らの責務や義務を投げ出すこともない。

 

 だから、安心している。

 この生活が続くのであれば、受けた恩を返せるようになればいい。

 もし、記憶を取り戻したのなら、その時は――――

 

 記憶を失う以前の自分に強い不安を覚えていたワイトには、虎太郎のような冷酷で情に流されぬ存在は、過去の無いワイトにとっては支えであった。

 自分が何者であったにせよ、自分が過去に何をしてきたにせよ―――自分が記憶を取り戻したとしても、虎太郎は速やかに()()()()()()()だろう。

 

 

「また明日も遊んでちょうだいね?」

 

「うん! 一緒に遊んで、お家に帰ろう!」

 

 

 何処にでもありふれた、特別なものなど何もない、人間的な優しさに満ちた少女。

 

 萌音は、ワイトにとっての蓮華草だ。

 野に咲き、誰の手入れもなく生まれ、命の循環の中で他の命を生かし、誰に看取られることもなく枯れ、次なる花を咲かせる命。

 然したる価値はないが、弱々しくも確かに生きる野の花。

 

 蓮華草の花言葉は、心を和らげる、だけではない。大抵の花がそうであるように、複数の花言葉を持つ。

 

 感化、私の幸福、あなたは幸福です、私の苦しみを和らげる、あなたは私の苦痛を和らげる。それらが、蓮華草の花言葉。

 

 この丘の上に咲き誇る蓮華草に、ワイトが心を魅かれたのと同様に、萌音の存在は確かにワイトを勇気づけ、抱えた不安と苦痛を和らげていた。

 

 

(――――あぁ、なんて小さい、手なのかしら)

 

 

 二人は手を繋いで丘を下りていく。

 手から伝わる温もりと儚さも、また蓮華草のようだ。

 

 ワイトは自分でも分からない心の中に浮かぶ、黒々とした何かが、暖かな光で塗りつぶされていくのを感じていた。

 抗うことの出来ない甘い光に困惑を覚えながらも、身を任せるしかない。彼女の行為が、どのような結果を招くのかも知らずに……。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

(萌音にはああ言ったけれど――――うぅ、なんて弱いの、私は……)

 

 

 その日の晩、ワイトはまたも虎太郎の部屋の前に来ると、扉の隙間から中を覗き込む。

 誰が居るかなど分かり切っている。家主である虎太郎と、本日の夕飯を作りに来た凜花だ。

 

 

「お前、それ、シテいい奴なの……?」

 

「もう、そんなにドン引きしないで下さい。私だって、私なりの考えがあって、こうしているんですから」

 

 

 凜花は制服でもなければ、普段着でもなかった。

 ワイトは知り得ぬ所であるが、凜花が任務中に纏う対魔忍装束である。

 手足は網目の入った手袋とソックスに覆われていたが、腹部や背中、肩を大胆に露出したセパレートタイプだ。

 ゆきかぜや凜子のタイプに比べて露出が激しいが、これでも露出がマシな方なのだから恐ろしい。

 

 因みに、対魔忍の中で最も露出が激しいと思われるのは大島 雫である。

 

 

「対魔忍としての私を犯す、と言うのも楽しそうでしょう?」

 

「あの、対魔忍の誇りとか正義とかは、どこ行っちゃったんですかねぇ……?」

 

「あら、おかしなことを言いますね。虎太郎さんの女であることと、対魔忍であることは、何も矛盾していないでしょう?」

 

「まあ、そうなんですけどね。…………いいや、お互い楽しむとしようか」

 

「はい♪ 凜花を、思い切り楽しんで下さい♪」

 

 

 凜花にしてみれば、対魔忍としての自分を捧げるのも、また一つの悦びだ。

 人には様々な側面がある。自分の側面を一つ捧げる度に、虎太郎の女としての自分が確固なモノとなっていく感覚が、凜花は堪らなく好きだった。

 

 

「ん? 何だ、このチョーカー、そんなに気に入ったのか?」

 

 

 凜花の首を飾り立てていたハートのチャームの取り付けられた革製のチョーカーを触りながら、虎太郎は言った。

 以前、ワイトの服を買いに行った時、凜花がチラチラと眺めていたから買ってやったものだ。

 

 

「だって、虎太郎さんに初めて買って貰ったものなんですから、当然です。ゆきかぜちゃんや凜子ちゃんだって、一生大事にします」

 

「…………お前等、重いよぉ? それ凄い安物だよぉ?」

 

「知ってます。虎太郎さんは、もう少し“初めて”とか、“一番最初に”とかを気にする乙女心を理解してほしいですけど……」

 

「理屈は分かった。理論も何となくだが分かる。でも共感は出来んわ。ドライモンスターで済まんな!」

 

「もう、酷い(ひと)

 

 

 凜花は頬を膨らませ、乙女心に共感を示さない虎太郎をジト目で睨んだ。

 

 しかし、虎太郎は微笑むばかりである。

 初めてや一番になど興味はない。初めての相手だろうが、最後の相手だろうが、処女だろうが、非処女だろうが、彼には等しく女だ。

 女が拘るのは可愛げで済むが、男が拘るなどみっともない上に情けないとすら考えている。

 他人の手垢が付いているのは我慢ならないが、そんなものは己自身が洗い流し、己自身の色に染め上げてしまえばいいだけの話。

 男としての自分に自信がないから、下らない瑣事に拘る。過去にあった出来事すら受け入れ、愛してやるのが男の務めと結論していた。

 

 何よりも、凜花がチョーカーを気に入った理由は共感こそしないものの理解できている。

 

 凜花の腰に手を回し、壊れものを扱う繊細さで抱き寄せた。

 

 

「可愛いなぁ。そのチョーカーが好きなのも、オレのものになった証みたいだからだろ? 本当に可愛い奴め」

 

「ん、んもぅ、何でもお見通しの癖に、共感だけはしてくれないんだから……」

 

「共感は誰にもしないね、オレは。だけど、普段からピアスとか刺青とか首輪とか、そういう言葉に、お前はいい反応をするからな」

 

「だって……」

 

 

 不知火ほど、女と成熟している訳ではなく、男を誘い魅了する術も知らない。

 ゆきかぜや凜子ほど、虎太郎との思い出も、積年の思いも持っていない。

 

 だからこそ、虎太郎の女としての証を目に見える形で持って置きたい。凜花の、女としての自信の無さと不安の裏返しであった。

 

 

「ハ。いやなに、そんなに心配する必要はないぞ。まだまだオレ好みに仕込んでやるからさ」

 

「はぁ……本当、馬鹿みたい。そんな台詞で頭を撫でられただけで、嬉しくなってしまうなんて」

 

 

 心音を確かめるように虎太郎の胸に耳を当て、身体を預ける。

 優しく、慈しみながらも宥めるような手付きで頭を撫でられ、抱きしめられただけで、悩みも全て吹き飛んでしまう。

 余りにも単純で短絡的な自分を馬鹿馬鹿しいと罵りながら、腕を振り解くこともせず、女が満たされていく感覚に身を委ねる。 

 

 暫らく、虎太郎は凜花の撫で心地や抱き心地を楽しんでいた。

 対魔忍として練り上げられた凜花の手足は既に鈍器と化しており、掛け値なしの全身凶器だ。

 

 だが、女らしい肉付きが失われた訳ではない。

 胸や尻は凜子にも劣らず、若々しくも瑞々しい、まだ熟れていない脂肪がたっぷりと乗っている。

 鈍器である手足にも、雄を楽しませるために、喰い千切りたくなるような柔らかな脂肪と筋肉しかない。

 凶器でありながら女体。相反する要素を有する身体は、虎太郎の獣欲を溜まらなく刺激してくる。

 

 凜花も、また欲情を滾らせていた。

 厚い胸板と太い腕と手足。女のものとは明らかに異なる武骨さを有した、牝を征服する牡の身体。

 虎太郎の逞しい肉体に包まれ、そのまま手折られるように抱き締められると、全身が粟立った。

 

 何度、抱きしめられても不思議に思う。

 鍛え過ぎて、すっかり人間らしさなど失っていると言うのに、どうしてああも繊細な動きが出来るのか。

 

 

(……あぁ、旦那様、あんなに楽しそうな顔をして、凜花ちゃんも、あんなに嬉しそうに)

 

 

 息を顰めながらも何度となく生唾を飲み込み、ワイトは事の推移を見守っていた。

 既に床に両膝を突き、自分自身の惨めさと嫉妬、目の前の光景をオカズに、自慰に耽ろうとしている。

 

 虎太郎と凜花はキスを交わそうとし、ワイトが秘所に指を伸ばし始めた時――

 

 

「…………ふふ」

 

「――――ッ!」

 

 

 ――一瞬だけ、凜花とワイトは目が合った。

 

 

「あっ、おい」

 

「あら、いいじゃありませんか。一人だけ仲間外れなんて、そんな子供染みた真似はどうかと思いますけれど」

 

(ただ遊ぶだけならそうだが、今からするのは別の事なんですけどねぇ……)

 

「――――え? あ、あぁっ!」

 

 

 虎太郎の静止すら聞かず、凜花は動いていた。

 右腕の手首から肘までかけて煙に変えると、伸ばした右手で寝室の扉を開け放つ。

 扉の向こうに居たワイトは、驚きの声を上げて蒼褪めた。

 

 扉の角度と視線から、ワイトには勝手に扉が開いたようにしか見えなかったものの、重要なのは其処ではない。

 虎太郎の寝室で行われようとしていた秘め事を覗いていた事の方が、よほど重要だ。

 少なくとも真っ当な感性に従えば、何事であれ覗きなどされて気分の良い人間など居らず、況してや性交ともなれば尚の事である。

 

 

「ほら、ワイトさんもこっちに来て」

 

「えっ、あ、えぇっ! ま、待って、凜花ちゃん!」

 

(やっぱ、こうなるかー…………なるよなー、ノリノリだったもんなぁ)

 

 

 凜花は、ワイトの手を引いて廊下から寝室へと連れ込んだ。

 ワイトの方は驚きと混乱から立ち直れておらず、抵抗など出来よう筈もなかった。

 

 虎太郎はゆきかぜの思惑通りに付き合った事から。

 凛子や不知火も口では何のかんのと言いつつも、他人(ワイト)に自らの痴態を見られて悦んでいた事から。

 

 いずれはこうなるとは踏んでいた。

 こうやって、なし崩し的に此方側(ハーレム)へと引き入れてしまうのが、ゆきかぜの狙いだった。

 虎太郎としては、なるべくなら狙い通りに事が進まない方が喜ばしかったが、なってしまった以上は仕方がない。

 

 

「ゆきかぜちゃんや凜子ちゃんにも、聞きましたよ? ふふ、ワイトさんたら、私達のSEXを覗いてた、って」

 

「………………ッ」

 

 

 ベッドに腰を下ろした虎太郎の前にまで連れてこられたワイトは、凜花の一言に顔を真っ赤にして俯いた。

 自分の不様な嫉妬と惨めな恋慕からの覗き見を知られていた。もしかしたら、自慰をしていた事すらも知られているかもしれない。

 

 ワイトはそこまで考え、怒りの表情をしているであろう虎太郎を恐る恐る見れば、どういう訳か、困った表情をしていた。

 

 虎太郎の表情は、よりワイトを追い詰めた。

 怒りをぶつけられるのなら、まだいい。当然だ。見てはいけないものは往々にして存在し、見られたくないものは誰にとて存在している。

 けれど困った顔をされては、自分の何がいけなかったのか、まるで分からない。

 

 

「だ、旦那様……も、申し訳、ありません。お二人の邪魔を……」

 

「別に、気にしなくていい。それにオレは機嫌が悪いんじゃなくてだな。ただ、なんだ、あー……」

 

 

 必死で言葉を選ぶ虎太郎の姿に、ワイトは涙を滲ませる。

 虎太郎を主人と認識し、絶対の存在としている――いや、正確には“された”か――彼女にとっては、自分が主人を困らせる事実など、死にたくなるほど気分を重くさせる。

 

 ごめんなさい。すみません。申し訳ありません。

 自分の何が悪かったのかも分からないが故に謝罪するしか手段はなく、追い詰められたワイトは言葉としてすら発せずに項垂れるばかりだ。

 ただでさえ、主人に迷惑をかけている。その上で、この様だ。彼女の追い詰められようも分かろうというモノ。

 

 その時、助け舟を出す(地獄への道行きを示す)ように、凜花はワイトの後ろに回り込んで両肩に手を置くと悪魔の如く囁いた。

 

 

「ワイトさん、愛しい旦那様にご迷惑をかけるのが、そんなに嫌ですか?」

 

「……………………」

 

 

 その言葉に、ワイトは無言で頷いた。

 

 

「なら、簡単です。虎太郎さんに迷惑をかけずに、この場を収めるには――――虎太郎さんの女になってしまえばいいのよ」

 

「いや、あの、凜花さん? それ、何の解決にもなってねーですよねぇ……?」

 

「あら、何処がです? 虎太郎さんは自分の女を同時に愛す。私達は二人同時に愛してもらう。当然の営みです」

 

(当然でもねーし、迷惑もなくなってないんですが凜花さんんんんん!!!)

 

 

 どう考えても、詭弁暴論の類だ。

 ワイトが虎太郎の女になったところで、覗いていた事実が、虎太郎に迷惑をかけている事実が消える訳でもない。

 

 ただ、理論や倫理を差し引いてみれば、決して間違ってもいない。

 虎太郎の女となれば、嫉妬から他の女との情事を覗き見ても良いことになり、迷惑をかけても良い存在となる。事実は消えないが、事実が変わるのだ。

 

 

「地獄への道行きは善意で舗装されているってのは本当だったんだなぁ……」

 

「ふふ、それを言うなら、地獄ではなく天国でしょう?」

 

 

 にっこりと悪魔染みた囁きに似合わない、何の迷いも悪意もない笑みを浮かべる凜花。

 その様子に虎太郎は片手で顔を覆った。分かってはいたが、女という生き物は、手に負える生き物ではないと改めて思い知っていた。

 

 

「…………………………す」

 

「ふふ。ワイトさん、そういう時は、はっきり言わないと相手に伝わらないわ」

 

「だ、旦那様の女になります、…………して、下さい」

 

「おぉ、もう……」

 

 

 ワイトは涙を浮かべながらも、自らの欲望を満たしつつ、主人を悦ばせる道を選んだ。

 凜花は、よく出来ましたとばかりに祝福の笑みと共に手を叩き、虎太郎は懐に飛び込んできた厄ネタに頭を抱えた。

 しかし、これはこれでワイトの選択には違いない。彼としても、その選択を否定はしたくはなかった。

 

 

 

「じゃあ、早速♪」

 

「もう、好きにしてくれ。ワイトも後悔するなよ」

 

「し、しません。私が選んだ、事ですから……」

 

 

 些か以上に、他者の思惑が挟まれた選択が彼にしてみれば面白くない。

 始まりは桐生 美琴が。道程はゆきかぜを筆頭とした自分の女が。最後の決定だけがワイトによるもの。

 

 虎太郎も、全てが全てワイトが望んでいたのであれば、こうも抵抗しなかっただろう。

 だが、桐生 美琴がいなければ、そもそも出会っていたかも分からず。ゆきかぜ達が道を示してやらねば、この結果には至らなかっただろう。

 

 そうこうしている間にも、凜花はワイトを虎太郎の前に座らせ、自身は虎太郎のズボンと下着を丁寧にずり下ろし、準備を整える。

 

 

「――――ひぃっ」

 

「初々しい反応。とってもキュートですね」

 

「可愛いかは兎も角、そりゃそうだろ」

 

 

 露わになった男性器に、ワイトは息を飲むような悲鳴を上げた。

 既に臍まで反り返り、いきり立っていた剛直は、亀頭はぶくりと膨らみ、幾本もの血管が浮かび上がり、別の生き物のように脈動している。

 

 目の前に現れた怒張は、ワイトの女としての本能を刺激してくる。

 今から組み伏せられ、屈服させられるであろう現実に明らかな恐怖と隠しきれない期待が見て取れた。

 

 

「では、まず、ご奉仕をしましょう?」

 

「……ご、奉仕」

 

「ええ。愛しい旦那様のモノよ。ワイトさんなら出来るわ」

 

 

 凜花は、既にワイトの気質や性癖を見抜いていた。

 彼女自身とよく似ている。愛しい相手に奉仕する事自体に悦びを見出し、牡に組み伏せられるのを望む雌犬気質。

 だからこそ、ワイトを自分の意志で引き込んだ。身体をいくら慰めても、悶々としたワイトの気質と心は満たされない。その辛さ、その苦しみを理解しての行動だ。

 

 

「まずは、舌で全体を舐めてあげて。涎をたぁっぷり塗してね」

 

「舌で……」

 

「それから虎太郎さんの反応を見ながら。何処が気持ちいいのか、何処で悦んでくれるのか、一つ一つ覚えるの」

 

「は、はい……♪」

 

 

 虎太郎を悦ばせる。

 その一言でワイトの目の色が変わった。例え、記憶を失って何をしていいか分からずとも、主人への奉仕であれば躊躇はなかった。

 

 ビクビクと脈打つ牡槍の根元を、両手でそっと掴む。

 手から伝わってくる焼けた鉄棒のような熱、柔らかさと硬さが同居した奇妙な熱、漂ってくる牡の匂いに、キュンと子宮が戦慄くのを感じた。

 

 

「んれぇ……ちゅ、ちゅぅ……ぴちゃ……んぷっ……レロ……」

 

 

 まずは亀頭から。

 舌に唾液をたっぷりと乗せ、満遍なく塗りたくっていく。

 口と鼻から脳を直接貫く牡の臭気に、ワイトは全身が熱くなるのを感じ、ぶるりと震える。

 頬を染めた表情は明らかに発情した雌犬のそれであったが、それ以上に虎太郎への奉仕の喜びで満ち溢れてた。

 

 

「そう、上手。そうしたら、カリや裏筋――色んなところに出っ張りや溝があるでしょう? そこに舌を這わせるの、凄く敏感だから優しく、丁寧に」

 

「それから、舌を尖らせろ。そっちの方が気持ちいい」

 

「ふ、ふぁい、こうでふかぁ……? ん、んれぇ……ちゅっぱぁ……ん、レろ、んれぇぇ……」

 

 

 二人の指示通り、舌を尖らせ、剛直のあらゆる部分に這い回らせる。

 カリ首の溝をナメクジのように這い、裏筋を擦るように上下し、鈴口を舌先でぐりぐりと押し開く。

 その度に、虎太郎の微細な表情の変化を読み取り、ワイトは舌を這わせると力加減、どの方向からが好みなのかを覚えていった。

 

 決して目を逸らさずにの口奉仕に、虎太郎はワイトの頭を撫でた。まるでよく出来た飼い犬を褒める手付きだ。

 頭を撫でられる度に、ワイト自身も驚く程に奉仕は熱が籠り、淫らさが増していく。

 

 唾液塗れの剛直に頬擦りをし、舌の動きを見せつけ、必死になって虎太郎の弱点を探る。

 記憶喪失だと言うのに、稚拙な舌使いだと言うのに、奉仕で覚える悦びと見せる淫靡さは娼婦も顔負けであった。

 

 

「じゃあ、そろそろおしゃぶりをしてあげて。歯を当てないように気を付けて、唇でチンポを扱いて、口の中では見つけた気持ち良くなってくれる場所を刺激してあげると、もっと悦んでくれるわ」

 

「わふぁりまひぃたぁ……んぁんむ♪」

 

 

 ギリギリの所で形を整えていたワイトの顔が崩れた。

 亀頭の先を唇で包むとおしょぼ口で、根元に向かって飲み込んでいく。

 

 

「初めの内は、あまり無理をしないで。無理をして戻してしまったら、虎太郎さんが心配するから」

 

「ん、んうんう……ジュル、んぷっ……うぷっ……んじゅじゅ……」

 

 

 更に濃厚になった雄の匂いに蕩けながらも、凜花の言葉にワイトは頷いた。

 先程、舌で覚えた亀頭とカリ首の弱点を中心に、口全体を使って奉仕する。

 

 余りにも熱すぎる肉棒の熱。余りにも濃厚過ぎる雄の精臭。

 どちらもワイトを興奮させるには十分すぎる威力を秘めていたが、それ以上に虎太郎に対して奉仕を行っている事実がワイトを昂らせる。

 

 

(あ、あぁ、旦那様、あんなに笑って……チンポもビクビク震わせて……嬉しい、ワイトのお口でもっと気持ちよくなってぇ♪) 

 

「ンボ……んぶっ、じゅるるっ、ぢゅぅぅぅううっ、じゅぶぅぅうぅっ」

 

 

 記憶を失い処女同然でありながら、些か以上に熱の籠った熱奉仕。

 その浅ましさ、その少女の無知と娼婦の妖艶さを合わせたギャップに、虎太郎は笑みを浮かべ、凜花は嫉妬から爪を噛んだ。

 

 ワイトの両目は既に凜花も映っておらず、どのようにして剛直と虎太郎を悦ばせるかしか頭になかった。

 

 

「いいぞ、ワイト。無理はしなくていいが、咽喉も使って扱いてみろ」

 

「じじゅぶ……ぢゅ、ぽんっ…………ふぁい、旦那しゃま、お任しぇ、下さぁい……んぁぁ、んぐぐぐっ!」

 

 

 一息に根元まで。

 ワイトは虎太郎の言葉通りに、舌と口だけでなく、咽喉まで使って奉仕を開始する。

 

 明らかな異物を飲み込んだ咽喉は大きく膨れ、何処まで飲み込んでいるか分かるほどだ。

 窒息と嘔吐(えず)きに、ワイトは涙を浮かべるが、決して奉仕を止めようとはしない。

 

 挟んだ口の間から唾液と共に舌が見え隠れした。口の中では舌がどれほど肉棒を這い回り、悦ばせているか分かろうというものだ。

 

 

(あはぁ♪ 旦那様のおチンポ、咽喉でキュッキュすると、ビクビクって震えて、ぴゅっぴゅってぇ……♪)

 

「んぶぶっ、ぢゅぱぁ、んぐぅっ、んぼっ、ぶむっ、んむぅぅっ~~~~!」

 

 

 どう考えた所で苦しみしかない行為であったが、ワイトはうっとりと目尻を垂れ下げ、奉仕の悦びを享受していた。

 

 しかし、その瞳は酸欠の影響か、次第に虚ろになっていく。

 虎太郎は呆れ、凜花が心配になるほど口奉仕に熱中していたが、限界は近いようだ。

 

 

「そろそろ出すぞ。無理はするなよ」

 

「ん゛ぅううぅぅうぶぶぅ、ぢゅぶちゅぅぅぅううううぅぅぅっ!!」

 

「…………っ」

 

「ごぶぅうぅううっ、うぅっ、ぐむむぅぅううっ!!」

 

(出てる! チンポからびゅくびゅく! 熱いの、濃いの、出てるぅぅぅううぅ!!)

 

 

 涙を流しながら、大きく目を見開きながらも、弾けた剛直から迸る精液を受け入れて飲み下す。

 ゴクゴクと咽喉を鳴らし、咽喉に直接吐き出された雄汁を胃へと収めるも、余りにも量が多過ぎた。

 飲み切れなかったザーマンは逆流し、口だけではなく、鼻からも垂れ、ボタボタと床に落ちていく。

 

 途方もない苦しみであろうが、ワイトはこれ以上無駄には済まいと懸命に飲み込み、同時に咽喉で締め付け、更なる射精を促す。

 虎太郎に従う悦びと伴う絶頂が、苦しみを大きく勝っている。死霊騎士の本能、桐生 美琴に施された洗脳改造が思う存分に効果を発揮していた。

 

 

「げぶっ、んぐぅぅっ、んじゅるるるるるる、ぽん♪」

 

「おい、大丈夫か?」

 

「けぷっ……ひゃひっ、らいじょうぶっ、れす……うぶぅっ、旦那しゃまぁ♡」

 

 

 最後の一滴まで射精させた怒張から残った精液を吸い出したワイトは、恍惚とした一言と共にくるんと瞳を上に向け、虎太郎の股間に顔を埋めて気を失った。

 酸欠と嘔吐感。無理をしたツケだ。並みの肉棒と射精であればいくらでも耐えられようが、類を見ない巨根と絶倫である虎太郎の前では無理もない。

 

 

「頑張りましたね、ワイトさん。虎太郎さんも労ってあげてください」

 

「ったく、お前が唆すから、こうなったんだぞ?」

 

「だって、辛いですもの。自分でもよく分からない気持ちを抱えて、一人で悶々とするなんて。私だって、そうだったんですから」

 

「そのよく分からない気持ちがお前と違ったら、大惨事以外の何物でもねーんですが」

 

「その時は、虎太郎さんの魅力でメロメロにしてあげてください」

 

「めんどくせー」

 

 

 にっこりと、自分の判断が間違いであったなど微塵も疑っていない笑みを浮かべる凜花に、虎太郎はやる気のない悪態で返した。

 しかし、気を失ったワイトにベッドに引き上げ、精液で汚れた顔を丁寧に拭う姿は、自らの女の優しさに満ちている。

 

 凜花も分かっている。

 起点が何であれ、虎太郎が自身に向けられる好意を無下に踏み躙ることは決してないと。

 だからこそ、嫉妬を抱えながらも、安心してワイトを自分と同じ場所に引き入れたのだ。

 

 ありがたくもない。世間一般で見れば歪んですらいる信頼に、虎太郎は辟易としながらも、迷いはない。

 

 

「じゃあ、ワイトを部屋に運んでくる。よく我慢したな。次はお待ちかねのお前の番だ」

 

「うふふ、凄い絶倫。我慢なんて、もう限界。虎太郎さんが仕込んだお口マンコで、たっぷりご奉仕します」

 

 

 ワイトをお姫様抱っこの形で抱え、何一つ身に着けずに虎太郎は立ち上がる。

 彼の宣言に、凜花は妖艶な笑みを浮かべると、虎太郎の逸物がどうすれば悦ぶのかを覚えた舌と口を見せつけた。

 

 

「ソイツぁ、楽しみだ」

 

 

 虎太郎は笑みを深め、いきり立った肉勃起をビクリと脈動させるとワイトを抱えて、彼女に宛がった部屋へと運んでいく。

 

 暫らくして、深い嫉妬と耐え難い我慢を耐えた雌犬の激しい奉仕の水音と組み伏せられる屈服の悦びからなる嬌声が、明け方まで寝室に響き渡ったのは言うまでもない事だ。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 時は僅かに遡る。虎太郎がワイトと出会って一週間が経った深夜。

 場所は八王子は高尾山のほど近く、美琴が研究施設にしていた洋館である。

 美琴の作動させた自爆装置によって洋館も地下の研究施設も、原型を留めずに崩れてしまった。

 政府の後始末部隊も、虎太郎が量産した死体だけ回収し、それ以上の情報は得られないと一時的に放置する運びとなっている。 

 

 誰も居らず、地面には焼け跡と血痕が残るのみの、その場は些か以上におどろおどろしい。

 種類の分からぬ虫の泣き声だけが響き、誰一人として近寄ろうとしない土地に、二つの人影が現れる。

 

 どちらも美女と呼ぶに相応しい風貌であった。

 月光に晒された美貌は、まるで作り物のよう。感情や表情は分かるのに、生気というものがまるで感じられない。

 

 片や胸元と臍、背中を露出したドレス。片やシースルーのベビードール。

 どちらも人前に出る女の格好ではない。それもその筈、両者ともに人間ではなかった。

 

 血の気の通わぬ、人とは異なる青い肌。 

 ドレスの女は黒い眼球に緑の瞳と光彩を持ち、ベビードールの女は首を断たれたかのような傷跡があった。どちらも人間的な特徴とは言い難いだろう。

 

 

「――――此処、ですね」

 

「今の今まで行方知れずだと思えば、このような場所とはな。一体、何があった?」

 

「さあ? でも、彼女の瘴気がこの場に残っている。何があったかはいざ知らず、彼女が能力(ちから)を行使したのは、間違いないでしょうね」

 

 

 彼女、瘴気、能力。

 これだけのワードがあれば、この場で起こった出来事を知る者ならば、気付くだろう。

 

 彼女とは、ワイト。

 瘴気とは、死霊騎士の力の源。

 能力とは、死者を蘇らせるレイスの持つ種族としての力。

 

 そう、この二人もまたワイトと同じく、屍の王に仕え、屍の王を全ての頂点と信ずる死霊騎士である。

 

 

「ふん、まあいい。本人に直接問い質せば済むことだ。奴の瘴気を辿る」

 

「ええ、勿論。彼女の能力は、この下賤な世界でも、我々の目的にとっても、とても有用ですからね」

 

「「我等が主、“屍の王(レイスロード)”の命の下――――“不死の王(エドウィン・ブラック)”に死の制裁を」」

 

 

 死霊騎士ウィスプ、死霊騎士デュラハン。

 人の形をした災厄。歩く生物災害(バイオハザード)。屍の王の動く玩具(お気に入り)

 

 不死の王に挑む為、姿を消した仲間(ワイト)を求め、ゆっくりと、だが確実に、虎太郎とワイトへと忍びよろうとしていた。

 

 







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『さあ、苦労の時間(ショータイム)だ!』

「あ゛ぁ゛~~~~~~~~~」

 

「そんな変な声、出さないでよ、虎太郎」

 

「うるせー。…………お前に、お前にオレの何が分かるッ!!」

 

「そんな、悲しい過去がある悪役みたいな台詞を吐かなくても……」

 

「しかも、メチャクチャ感情籠ってたし…………虎太郎に、悲しい過去ってあるの?」

 

「あるにはある。でも、同情には値しないのは確定的に明らか。そもそもよー、悲しい過去があっても悪事働いていいわけじゃねーしなぁ」

 

「「ごもっとも」」

 

 

 今日も今日とて、オレは山の如き書類と格闘していた。

 

 オレを中心に新設された部署の名は、情報処理課(仮)。

 総務経理は勿論の事、諜報専門の対魔忍が手に入れた情報の精査、任務の報告書の確認や目を通して再提出をさせたり、後始末の確認と多方面に渡って手を出しているところなので(仮)な訳だ。

 

 本日の出席者は蘇我と穂村。

 後の三名は授業やら任務やらでいなかった。

 

 アサギが配属させた5名のお陰で、書類仕事も随分と楽になった。

 何が素晴らしいと言って、全員が全員やる気に満ち溢れているところだ。

 自分から新しい仕事を覚えようとするし、分からないところがあれば相談して、聞きに来るし。

 きっちり、ほうれんそうができる人材って素晴らしい。君等なら、対魔忍を止めても社会人として食っていけるよ。

 

 そんなこんなで、部下の5名――厳密には部下ではないのだが――との仲は良好だ。こうして仕事の合間を縫って、冗談を交わす程度には仲が良い。

 

 コーヒーや緑茶を片手に優雅な午後。う~ん、仕事がスムーズに行くって素晴らしいね!

 

 

「………………」

 

「「…………ッ?!」」

 

 

 その時、オレの身体に違和感が奔った。蘇我と穂村も同様だったらしい。

 

 違和感の正体は、五車町全体に張り巡らされた結界によるものだ。何とも言葉にし難いが、“酔い”の感覚に最も近いか。

 

 五車町は対魔忍の隠れ里である。

 それ故、一般人には理解できない結界が張り巡らされている。

 かなり古い術式を使用しており、五車学園に悪意を持った魔族が脚を踏み入れると、対魔忍全員に知らせる機能を持っている。

 

 ――持っているのだが、オレがワイトを五車町に連れ戻れたように、裏技がいくつか存在している。

 

 というか、結界そのものがユルユルのガバガバだ。

 捕虜とした魔族を連行する為に結界が過敏に反応し過ぎてもマズいし、そもそも何を以て悪意とするのか判然としない。

 山本長官が方々を駆けずり回って見つけた結界術師の家系に施させたらしいが、どうやら腕は余りよろしくなかったようだ。ないよりはマシという程度である。

 

 

「虎太郎、これは……」

 

「穂村、緊急時の手筈通り、非戦闘要員を一ヵ所に集める筈だ。そっちに手を貸せ。蘇我も穂村に付いていけ」

 

「よろしいんですか?」

 

「ああ、血気盛んな馬鹿共が、勝手な行動をする恐れもあるからな。万が一の備えだよ。アサギと紫に手を貸してやれ」

 

「虎太郎は……?」

 

「ちょいと、町の方を見てくる。今日は町に居る現役が少ないはずだ。陣頭指揮ができる、とまでは行かずとも、指示を出す奴がいないと色々マズいだろ? 味方の行動を読んで先に動くのも仕事の内だ」

 

 

 オレの言葉に納得したのか、二人は駆け足で部屋を出ていった。

 無論、オレの言葉など嘘だ。但し、非番の対魔忍は少ないのも、町の方に指揮を出せる奴が少ないのも事実であるが。虚実を混ぜると嘘が見抜かれにくくなるアレである。

 

 アサギと紫。最悪の場合はさくらもいる。

 魔族による五車町への強襲は常々想定していた。あの三人でも初動が遅れることはない。

 万が一、オレの予測が外れていたとしても何の問題もない。

 

 つまり、今のオレは完全にフリーだ。

 好き放題に動ける。自分にとって最も急所となる部分を守る為に行動できるわけだ。

 

 

『虎太郎、これは……』

 

「このタイミングだ。まず間違いなく死霊騎士だろうよ。どんな手段を使って追ってきたのか知らんがな。ある程度、予測しちゃいたが、ここまで考えなしとか引くわ」

 

『言っている場合ですか。この時間帯です。恐らく、ワイト様は萌音様と共に、あの丘へ……!』

 

「分かってる。あそこはギリギリ結界の範囲内だからな…………まあ、間に合わねぇだろうよ」

 

 

 死霊騎士がどのような手段で連絡を取り合っているかは知らないが、連絡の取れなくなったワイトを探しに来た屍の王の眷属で間違いないだろう。

 

 もし、他の魔族であれば、もう既に町の方で銃声が響き、火の手が上がっている筈だ。

 侵入と同時に侵攻。それが奴等のやりようである。

 伏兵の隠れられる場所を焼き払うやり方は間違っていないが、奴らの場合は単なる前進制圧だ。作戦とか考えとか無きに等しい。まともに相手をするとか馬鹿馬鹿しいにも程がある。

 

 それは兎も角として、オレが間に合わないのも確定事項だ。

 五車学園から丘の上まで、どう足掻いた所で5分はかかる。それだけの時間があれば、何でも出来る。

 初めから分かっていた。津田 萌音とワイトが丘の上で交流を重ねていた時点で、ある程度、この顛末は予測していた。

 

 ――ただ、分かっていながら、オレにはそれを止めることは出来なかっただけだ。

 

 我ながら、難儀で面倒な自分自身に辟易する。

 これまで付き合ってきたが、これからも付き合っていくなど頭が痛すぎて涙が出そうだ。

 苦労がオレに正面衝突してくるのを差っ引いても、オレが一番面倒だと思っているのは自分自身の扱いに他ならない。

 

 ……だからまあ、そんな自分に折り合いを付ける為、色々と用意も予測もしてはいる。

 

 

(死霊騎士の生態や戦い方はノイの婆さんや集めた情報からある程度は察しがつく。津田 萌音が即座に殺されることはない。問題は、その時にワイトがどんな行動に出るかだな)

 

 

 焦燥は皆無だ。

 もう、何をするべきか。何をしなければならないのか組み立ててある。

 後は実行し、成功させるだけだ。どれだけ突発的な横槍が入ろうが、必ず成し遂げる。

 

 ――――ワイトを連れ帰った時点で、決めていたことだから、な。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 時は前後し、丘の上。

 今日も今日とて、ワイトと萌音は蓮華草畑の中で、何時ものように談笑していた。

 

 但し――

 

 

「――――うっふ、えへへ、ふふ、うふふふふ」

 

(お姉ちゃんが、おかしい!!)

 

 

 ――ワイトが何もしていないのに、唐突に笑いだしさえしなければ、何時もと変わらない日常だった。

 

 何かを話していても、唐突に顔をニヤけさせて笑い出す。

 ボーっと虚空を眺めていたかと思えば、唐突に真っ赤にした頬を両手で包んで、いやんいやんと嬉しそうに顔を降る。

 

 今日は、常にこの調子のワイトに、流石の萌音もドン引きしていた。

 いくら仲が良い近所の優しいお姉さんと言えど、この様では当然だ。

 

 

「あの、お姉ちゃん……」

 

「ふぇ? …………ハっ!? な、ななな、何かしら?」

 

(お姉ちゃん、大丈夫、だよね……?)

 

 

 随分と大人に気を使う幼女と、随分と幼子に気を使わせる大人であった。

 

 萌音に声を掛けられ、ようやく自分の世界から帰還したワイトは、今までとは別の意味で顔を赤くした。

 昼日中から虎太郎との一夜を思い出し、これからあるであろう本番の一夜を想像していた、はしたない自分を萌音に見られたことに羞恥を覚えたのである。

 

 

「お姉ちゃん、元気になってよかった…………元気に、元気……元気?」

 

「げ、元気! とっても元気よ?! お願いだから言い切って!!」

 

「う、うん。お姉ちゃんがそう言うなら、萌音もそれでいいよ」

 

 

 僅かに引き攣った笑みを浮かべる萌音に、ワイトは頭を抱えてしまった。

 確かに元気になったのだが、単純に元気になったと言うよりかは、自分の欲望を満たせて悦んでいるのがバレていそうで怖かった。

 

 元気の元など大抵はそんなものだが、無邪気な優しさを見せた萌音を前にすると、自分自身がどうしようもなく穢れている気分になる。

 

 

「じゃあ、あのれんげそうの栞、役に立ったんだ!」

 

「え、ええ。……アレを見ると、何だか穏やかな気持ちになれる気がする。まるで、萌音を見てるみたいに」

 

「あはは、お姉ちゃんおかしい! 萌音はお花みたいに綺麗で可愛くないよー!」

 

「ふふ。そんなことない。とっても可愛くて、とっても綺麗よ。こんな女の子、他に知らないんだから」

 

 

 ワイトの微笑みと言葉に、萌音はきゃーと喜びの悲鳴を上げた。

 

 萌音にとって、ワイトは憧れに近い存在だ。

 泣いていた自分に声を掛け、優しく慰めて話を聞いてくれた。

 その上、両親の課した厳しい訓練も、ワイトの――正確にはワイトの知り合いである不知火のによって、であるが――お陰で時間が減った。

 だからこうして、遊ぶ事が出来ている。どれだけ感謝してもし足りず、尊敬している優しいお姉さん。

 

 憧れの存在に褒められた。萌音にしてみれば、これ以上の喜びはない。

 

 萌音は喜びを全身で表現するように、ワイトの胸に飛び込んだ。

 突然の行動に驚きはしたものの、ワイトも軽い身体を受け止め、そのまま抱き締めようとしたが――

 

 

(…………何、これ、は?)

 

 

 ――奇妙な感覚に硬直した。

 

 対魔忍達が結界の機能によって感知したものとは異なっていた。そもそも、対魔忍にしか結界の機能は作用しない。

 

 ワイトが感じたのは既視感だ。

 何一つ記憶にないのにも拘わらず、肉体と本能が覚えているかのような、奇妙ではあるが見知った感覚。

 

 

「お、お姉ちゃん……」

 

「…………何よ、これ」

 

 

 異常な事態に気付いたのは、どちらが先だったか。

 満開の多くの蓮華草は――いや、丘の上に根付いていた植物全てが、凄まじい勢いで生気を失っていた。

 

 萎び、垂れ下がり、黒く変色し、腐り落ちて干乾びる。

 花と草の生命が失われていく光景は、天上の花畑が地獄へと転じていくかのようだった。

 

 

「何をしている、ワイト」

 

「こんな所にまで潜入調査――――と言った雰囲気ではありませんね」

 

 

 何時の間にか、自分と萌音へと忍び寄っていた存在に、ワイトは咄嗟に萌音を背後に庇った。

 

 見覚えのない筈の二人の女。

 どちらも真っ当な人間ではないのは明らかであった。

 しかし、まるで鏡に映った自分を見ているような、まるで血を分けた姉妹でも見ているような感覚に、ワイトは困惑しながらも確信する。

 

 ――この二人は、間違いなく脅威だ、と。

 

 但し、自分にとってではない。

 背中に庇った、幼く暖かな命を脅かす圧倒的な死の化身。

 

 

「だ、誰なの……?! 目的は、何!?」

 

 

 自分自身を奮い立たせながら、ワイトは威嚇のつもりで二人に向かって叫んでいた。

 だが、悲しいかな、二人に期待していた効果はない。寧ろ、見て取れたのは怯みではなく困惑だった。

 

 二人――ウィスプとデュラハンは眉を顰め、顔を見合わせる。

 流石に、ワイトが記憶を失っているなどと考えもしなかったようだ。

 

 

「成程、合点がいった――――貴様は死霊騎士(我々)の恥晒しだ」

 

「全く――――馬鹿な娘ね」

 

 

 ワイトの言葉から彼女の置かれた現状を察したのだろう。

 明らかな蔑みの視線を向けたワイトであるが、この状況を――いや、どのようにして萌音を逃がすのかが全てであった。

 

 

「ふん。兎に角、ワイトの記憶を何とかしなければどうにもならん。今この場で――」

 

「――いえ、今は彼女を連れて引きましょう。それが最善でしょう」

 

「……対魔忍如きを恐れるのか?」

 

「恐れているのではありません。ブラックを追う上で、貴重な情報源に成り得るというだけです。彼女の能力があれば、ね」

 

 

 ウィスプも、デュラハンも、対魔忍を危険視すらしていなかった。

 当然だ。自らとは異なる、下賤で愚劣な定命の者。どれだけ力を有しようとも、彼女達にしてみれば、羽虫と大差はない。

 

 その言葉に、ワイトは焦りながらも内心では息を吐いた。

 あの二人が興味のあるのは、萌音ではなく自分だ。自分さえ二人に従えば、萌音の身が脅かせることはない。

 

 だが――

 

 

「では、二人とも連れていきましょう」

 

「あの小娘も? 必要があるか?」

 

「人質になるかもしれないし、ならなくてもいいでしょう。……あぁ、アレだけ幼く無垢な魂の絶望と悲鳴。屍の王(レイスロード)様も、きっとお喜びになるわ」

 

「成程、な。それはいい」

 

 

 ――ウィスプの残酷な言葉とデュラハンの無慈悲な首肯に、ワイトの細やかな希望は粉々に打ち砕かれた。

 

 

「――――っ」

 

「おねぇ――」

 

「黙って! 舌を噛むわ!」

 

 

 刹那の判断で、ワイトは萌音を抱えて走り出した。

 周囲は囲まれておらず、五車町への道は閉ざされてはいない。

 人ひとりを抱えて全力では走れなかったが、森の中に入りさえすれば、逃げ切れる算段は高いと踏んだ。

 

 

「――無駄だ」

 

「……っ?!」

 

 

 後は誰かに助けを求めれば。

 余りにも都合の良い、策ですらない妄想はデュラハンによって阻まれた。 

 

 森の中へと逃げ込もうとしたワイトの目の前の地面から、異形の存在が現れた。

 生物的なフォルムを無機物で象ったような奇妙な異形。巨大な蜘蛛と蠍を掛け合わせた異形はデュラハンの力の形そのもの――ゴーレムであった。

 

 それだけではない。

 ワイトと萌音の周囲には、耳障りな羽音と共に蠅を模したゴーレムが無数に飛び回っている。

 

 更に森の中からは身体の所々が腐乱した生ける屍が、わらわらと姿を現していた。

 

 ――――逃げ道など、始めから存在しなかったのだ。

 

 

(っ、そんなっ………………お願い。お願いします、旦那様。どうか、この子だけは……)

 

 

 逃げようのない絶望を前にして、ワイトは心と共に膝を折った。

 彼女の願いのはただ一つ。腕に抱いた小さな生命が、ありふれた日常に帰還すること。

 彼女が乞うたのはただ一人。神でも、悪魔でも、王でもなく、主人足る弐曲輪 虎太郎であった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「……ハァっ……ハァっ……」

 

「ゆきかぜ! 跳ばし過ぎだ!」

 

「――――でも!」

 

「落ち着いて! これから戦闘があるかもしれないのよ!」

 

 

 ゆきかぜ、凜子、凜花の三名は、丘への道を駆け上っていた。

 学園で結界の作動を受けた三人は、即座にワイトと死霊騎士の存在を結び付けた。

 教師達の静止に耳も貸さず、得物だけを手にして、三人にとっても思い出の場所へと向かったのだ。

 

 焦るゆきかぜを前にして、年長者にしてストッパー役の凜子と凜花が窘めた。

 死霊騎士の情報については、虎太郎に聞き及んでいる。その情報が正しければ、まず間違いなく長期戦になるだろう。体力はなるべく残しておきた方が無難だ。

 

 さりとて、ゆきかぜの気持ちも分からないでもない。

 凛子と凜花とて、ワイトを共通の友人と思っている。焦りがない訳ではなかった。

 

 常人では15分以上は掛かる道程(みちのり)を、10分で駆け抜けた三人を待っていたのは無残な光景だった。

 

 丘の上の蓮華草は、ただ一つの例外もなく枯れ落ちていた。

 黒く腐り、干乾びた姿は、まるでワイトと萌音の末路を物語っているようだ。

 

 

「――虎太兄っ!」

 

 

 その中心に立つ草臥れたスーツ姿の虎太郎を発見し、ゆきかぜは駆け寄り、凜子と凜花が後に続く。

 虎太郎は手には忍者刀を逆手に握り、地面に倒れ伏した何かに視線を落としていた。

 

 ゆきかぜは遠目でも分かった。

 あの大きさ、あの形は、何度となく見てきた、何度となく自分でも作り上げた死体そのもの。

 最悪の想像に、ゆきかぜは全身が泡立つのを感じたが、全ては杞憂に終わった。

 

 倒れていたのは、首のない腐乱死体。それも女の身体つきではなく、男のそれだ。

 

 見れば、周囲にも似たような死体がポツポツと転がっている。

 数にして10体。皆一様に首がなく、泣き別れた頭部は身体と同じ数だけ転がっていた。

 

 

「虎太兄、ワイトさんと萌音ちゃんは……?」

 

「連れ去られた。見ろ」

 

 

 顎で示した先には、ワイトと萌音と思しき靴跡と、何か巨大な蟲でも這いずったかのような跡が五車町とは反対方面へと伸びていた。

 

 咄嗟にその足跡を追おうとしたゆきかぜであったが、凜子に肩を掴まれて足を止める。

 闇雲に追いかけた所で、いずれは足跡もなくなるだろう。時間を無駄に浪費するだけだった。

 

 

「虎太郎さん、ここで交戦を……?」

 

「ああ。只の置き土産だったがな」

 

 

 虎太郎が訪れた時、既にワイトも萌音の姿もなく、死霊騎士を消えており、嫌がらせのように残された生ける屍だけが動き回っていた。

 

 完全に後手に回った形だ。

 これではワイトと萌音の身に、何があっても不思議ではない。

 

 暫らくの間、何も言わずに動きを止めた死体を眺めていた虎太郎であったが、忍者刀を鞘に収めると踵を返して歩き出した。 

 

 言うまでもなく、五車学園に向かってだ。

 

 

「こ――――」

 

 

 少しは心配する素振りを見せてもいい虎太郎に、堪りかけてゆきかぜは声を張り上げようとしたが、虎太郎の横顔を見て押し黙った。

 嫌そうに歪んでもいなければ、笑みを浮かべてもいない。ただ、今まで見たことのないほどに真剣ではあった。

 

 その表情に、ゆきかぜは逆に安堵する。

 何時もと違った真剣な表情ではあったが、根本にあるものは何一つ変わっていないのだ、と。

 

 

「まずはアサギに報告だ。何か文句あるか?」

 

「ううん、ないよ。ごめん、慌ててた」

 

「何事も冷静に対処しろ。そうすれば対処の仕方の一つも見えてくる。なおいいのは、始まる前に準備を整えておくことだがな」

 

「では、あるのだな。対処と準備が」

 

「当たり前だ」

 

 

 凛子の問いかけに、虎太郎は平然と返した。

 

 気負いもなければ、自負もない。

 ただ自身にとって当たり前の事柄を、当たり前に熟す気概のみがある言葉。

 

 ――無名無貌の対魔忍が、動き出す。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 虎太郎は校長室でアサギへの報告を済ませ、救出班のミーティングルームへと戻っていた。

 

 アサギはある程度は予期していたらしく、驚きは皆無。

 さくらも事情は知っていたものの、驚いてはいた。しかし、それ以上に虎太郎への信頼があったのか、何も言わなかった。

 

 問題だったのは、紫だ。

 やはりこうなったではないか。どう責任を取るつもりだ。事がバレれば老人共が動き出すぞ。

 そんな言葉で虎太郎を責め立ててきた。

 

 この非常時にあって無意味ではあるが、必要な言葉だ。

 言うなれば、彼女は組織の締め付け役だ。何事にも規則や暗黙の了解が存在する以上、守らせる誰かが必要となる。

 

 生来、真面目で融通の利かない紫には望むと望まざるとに拘わらず、最適な立場であった。

 

 ともあれ、紫の根底にあったのはアサギに対する忠誠と虎太郎に対する心配だ。

 もし、ワイトの正体がバレればアサギは失脚する。虎太郎は魔族を里に引き入れたとして裏切者として処分されかねない。

 

 その全てを理解した上で、虎太郎は何一つ反論もせずに、救出任務を願い出た。

 老人達にワイトに対して違和感を覚え、独自の動きを見せる前に萌音を救出し、この話を終わらせるつもりであった。

 

 

『しかし、厄介ですね。あれだけの死体を用意しているとは……』

 

「大規模な戦闘も虐殺も行われていなかった。だが、例外は何事にも存在する」

 

『日本は火葬が主流ですが、東京近郊でも土葬が可能な場所もあります。外人墓地から死体を調達するなど、人界の混乱などお構いなしですね』

 

「屍の王のお人形なんだから当然だろ」

 

 

 丘の上に残っていた腐乱死体の大半は顔立ちも身体つきも、髪の色も日本人のそれではなかった。

 

 日本の法律において、土葬は禁止されていない。多くの誓約をクリアすれば、土葬は可能だ。

 

 殊更、日本における外国人の死亡は年々増していた。

 東京キングダムを始めとした闇の都市にやってきた違法移民の数が増しているからである。

 

 身元は分からなくとも、せめて弔いの方法だけは自国の形式で。

 そんな諸外国に対するアピールとして、政治家がパフォーマンスを行った結果、土葬のハードルは年々下がってきていた。

 

 既にアルフレッドの情報網も、何処の外人墓地から死体を調達したのか確認している。

 墓地の管理者から警察へと通報を確認したのだ。何も知らぬ者には異常な犯行にしか思えないが、真相や死霊騎士の存在を知る者であれば、何が起こったのかは一目瞭然である。

 

 

『死体を調達した外人墓地には少なくとも100体以上の方々がゆっくりと休まれていたようです』

 

「結構、多いな。こりゃ手間だ」

 

 

 虎太郎は黒いコート型の対魔忍装束を身に纏い、手袋を嵌め、首に白いスカーフを巻いた。

 美琴の研究施設を強襲した時と全く同一の格好である。

 本来であれば、同じ衣装など身に纏わないが、これは美琴捕縛の延長線上にある任務である以上、不思議ではない。

 

 勿論、頭部を覆う仮面も既に修復されている。後は、仮面を被るだけだ。

 

 

「……おいおい、どうした?」

 

「虎太兄だったら、分かってるでしょ?」

 

 

 その時、ミーティングルームの扉が開き、ゆきかぜ、凜子、凜花の三名が入ってきた。

 全員が全員とも、それぞれの対魔忍装束を身に纏い、それぞれの得物も手にした完全装備である。

 

 理由など聞くまでもない。三名とも虎太郎についてくるつもりだった。

 

 

「ったく、オレはオレの尻を拭いに行くだけだ。馬鹿を見るぞ?」

 

「それを言うのなら、我々も同じだ。私達の責任を取りに行くまでだ」

 

 

 虎太郎には、ワイトを連れ帰った責任がある。

 三人には、ワイトの存在を知りながら、記憶を失った彼女の手助けをした責任がある。

 

 もし、全く関係がなく、巻き込まれただけの存在が居るとすれば、それは萌音だけだろう。

 

 だから、まずは萌音を助ける。

 

 

「それから、ワイトさんはお友達ですもの。助けるのに理由なんて必要ですか?」

 

「…………言っとくが、オレはワイトを助けるつもりはない。返答次第じゃ、殺すつもりだぞ。あくまでも津田 萌音の救出が最優先だ」

 

「はいはい、分かってる。萌音ちゃんを救出しながら、ワイトさんも何とかするつもりでしょ? 虎太兄が話を聞こうとしてる時点でおかしいでしょ。そういうのいいから、私達も分かってる」

 

『――これは虎太郎の負けですね。私も彼女達の意見に賛同します。もし仮に私が貴方に賛同しても票数は変動しませんよ?』

 

「多数決で任務の内容を決めるなんざ馬鹿な真似をするか。…………最近のお前等の仕上がり具合も中々だ。連れていくだけの価値はある。好きにしろ」

 

 

 意外なほど強かになった三人に辟易としながらも、救出任務への参加を許可する。

 

 少なくとも三人は、虎太郎が納得できる最低限のラインを確保する性能を得ていた。

 また、今回の任務は戦力は多ければ多いほどありがたいのも事実。

 三人が自身の友人を救うために、任務に願い出て、中心に熟したとすれば自分の存在も影に隠れるのだ。

 

 

「しかし、どうやって後を追うつもりだ?」

 

「ああ、発信器あるから、居所は丸わかり」

 

「嫌に落ち着いていると思ったら、そういうことですか」

 

 

 虎太郎の用意周到さに、三人は同時に呆れの溜め息をついた。

 

 しかも、この発信器は決して敵に悟られず、ワイトの身体から決して離れない。

 作ったのは桐生 佐馬斗。元となったのは、かつてゆきかぜと凜子の体内に投与されたキメラ微生体である。

 

 桐生によって二人の血中から発見されたキメラ微生体の残骸を元に作った発信器型のキメラ微生体が、ワイトには投与されていた。

 投与されたのは、桐生によって検査を受けた折り。幾つかの採血の注射と薬品の投与に際して、虎太郎が指示していたのである。

 

 これには、流石の桐生も顔を引き攣らせていた。話を聞いた三人もドン引きである。呆れた疑り深さと用意周到さである。

 

 元々は、自分たち救出班のいずれかが敵の手に堕ちた場合への備えであったが、思いもよらぬ実験体の登場は虎太郎にとっても渡り舟である。

 

 何せ、何をしても死なない実験体だ。これ以上、有用な実験体はいないだろう。

 

 

「この冷血動物!」

 

「この闇人形!」

 

「この偏執狂!」

 

「ふっ。オレのお陰でワイトの居場所が手に取るように分かるというのに、この物言いだぜ。どう思う?」

 

『当然の反応かと。このドライモンスター!』

 

 

 あ~、聞こえんなぁ~~? とばかりに巨大な獄長のような態度を見せる虎太郎。

 三人が怒っているのはワイトに無断で発信器を取り付けたことではなく、どんな影響が出るかも分からないものを投与した非道に対してである。

 虎太郎の分かっているがはぐらかしているだけだ。流石に、やり過ぎだったなと思ってはいるもの、必要な事だからと割り切って、後悔も反省もしていない辺りが一番酷い。

 

 

「そろそろ行くか――――状況を開始する」

 

『――了解!』

 

 

 虎太郎の宣言の下、三名は追従する。

 

 向かうは無名無貌、雷撃、斬鬼、鬼腕。4名の対魔忍。

 対するは死霊騎士ウィスプ、死霊騎士デュラハン及び、無数の生ける屍共。

 

 救出対象は、無垢で純粋な津田 萌音。

 

 ――――そして、対魔忍、死霊騎士。どちらの敵にも味方にもなり得るワイト。

 

 奇しくも、ワイトが願った通り、津田 萌音を最優先とする救出作戦が始まろうとしていた。

 



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『彼だって苦労にばかり強襲を仕掛けられているわけではない。苦労人の方からも強襲を仕掛けることもある』

 

 五車町から十数kmの地点。

 隣と呼ぶには遠い、五車町と比べれば幾分か発展を遂げた街がある。

 

 昭和の時代から自動車工業、鉄鋼業、機械工業などの重工業で栄えた街は、今現在でも多くの工場と労働者によって変わらぬ隆盛を保っていた。

 

 しかし、と言うべきか。やはり、と言うべきか。

 時代の流れに乗れず、取り残される企業、工場というものは、どうしようもなく存在する。

 

 人間の築き上げた社会は、競争を旨とする。

 より優れた物品が多く買われ、より優れた製品が消費者に長く愛される。

 

 殊更、競争は産業の分野において顕著である。

 

 より安く、より多く、より精密に、より使い易く。上げればキリがないほど、“より”が多く存在する。

 そんな消費者からの需要に応えられず、或いは応え過ぎたが故に経営が成り立たなくなる企業や会社は珍しくもない。

 

 ウィスプとデュラハンが一時的な拠点、ワイトと萌音の監禁場所として選んだのは、競争と時代に乗れずに潰れた工場であった。

 

 利権の関係で5年近くも放置された廃工場の内部は、悲しくなるほどに寒々しい。

 小さな山の麓に建てられた、かなり大規模な工場だったのは工場の広さから窺い知れたが、潰れた同時に売り払えるものは全て売り払ったのだろう、内部には殆ど何も残っておらず、かつての繁栄の面影はなく、何を作っていたかすら判然としない。

 数少ない機械も錆びつき、本来の機能を発揮しないどころか、触れれば崩れてしまいそうなほどだ。

 

 退廃、衰退、虚無。

 屍の王が好み、旨とする言葉が、この廃工場には詰まっていた。

 ウィスプとデュラハンが拠点に選ぶのも不思議ではない。

 

 四人と死体の軍勢は人目を避けて山道を歩き、廃工場に辿り着いたのは、日が暮れていた時間帯であった。

 光源は天井付近にある換気を目的とした窓から差し込む月明りだけ。

 工場の内部は四人を中心に、無数の死体が蠢いていた。中だけではない。その敷地内には、肉壁としての、監視としての生ける屍で溢れ返っていた。

 

 

「こんなところまで連れてきて、私達をどうするつもりなの……?」

 

「………………変われば変わるものだ。あのワイトが、下等生物の幼体を庇うとは、まるで性質の悪い悪夢でも見ているようだ」

 

「対魔忍の連中に何かをされた、というわけではないでしょう。恐らく、彼女の変化は対魔忍以外の何者かが行った魔界医療による改造と洗脳によるもの。あの焼け跡で記憶を失った彼女を拾ったからこそ、対魔忍も保護せざるを得なかったと見なすべきでしょうね」

 

 

 ワイトにはウィスプとデュラハンの会話の意味など分からなかった。

 頭にあるのは、萌音の無事と安全――――そして、彼女がどれだけ必死で否定しても否定しきれない確信だけだ。

 

 ――この二人は、私のことを知っている。

 

 萌音が危険に晒されている現実と同様に、抱いた確信が両肩に圧し掛かる。

 周囲を取り囲む動く腐乱死体。何が起こっているのか全く理解できていないが、目の前の二人が何かをしたのだ、ということだけは分かる。

 

 死体を意のままに操る悍ましい怪物が自分を知っている。なら、それは――――

 

 

「それでどうするつもりだ。ここに魔科医もいない。我々には魔界医療の知識も技術もない。どうやって奴の記憶を呼び覚ます」

 

「――――とても簡単な方法ですよ」

 

 

 笑顔と呼ぶには余りに悪意に満ちた表情を刻み、ウィスプはパチンと指を鳴らした。

 

 すると、周囲の生ける屍が指示に従い、動き出す。

 わらわらと餌に群がる蟻のように。ワイトと萌音に向かって、動き出す。

 

 

「いやぁ、お姉ちゃん!」

 

「――くっ、このぉ!」

 

 

 屍は腐臭と腐汁を撒き散らしながら、二人を引き離す。

 見せた抵抗も、ただ虚しいだけだった。肉体の破壊などお構いなしに動ける屍の力は、まるで万力のようだ。

 互いに手を伸ばし合い、相手の手を取ろうとするも、実を結ばない努力であった。

 

 萌音は屍の一体に頭を地面に押し付けられ、ワイトは二体の屍に両腕を掴まれて、意志に反してウィスプの前に立たされた。

 

 

死霊騎士(われわれ)の瘴気は、屍の王(レイスロード)様に賜ったもの。互いの瘴気は惹かれ合い、共鳴する」

 

「ふむ、つまり……」

 

「私の瘴気で、記憶と一緒に貴女の瘴気も呼び覚ましてあげる」

 

「い、や……やめて……」

 

「安心なさい。もし失敗しても、大丈夫。改造された頭を潰して再生すれば元通り。今の貴女は消えて、元の貴女に戻るでしょう」

 

「いや、いやぁぁぁぁぁあああぁぁあぁあああああっっ!!!」

 

 

 掛け値なしの絶望の悲鳴であった。

 死ぬのなら、まだいい。萌音の無事が確認できるまで諦めなどつかないが、力及ばずに果てるのは儘あること。

 

 ワイトが絶望したのは、そこではない。

 もし、元の自分が目の前の二人と同じ存在だとするならば――――それは、自分もまた、萌音の命など意に介さぬ存在に成り下がる。

 一度は守ると決めたものを、一度は尊いと信じたものを、自ら手に掛ける。それ以上の絶望など、他にはあるまい。

 

 隠しようもない絶望の表情に、ウィスプは嗜虐的な笑みを深める。

 虐げた弱者が浮かべる絶望は、彼女に甘美な快感を与えるからだ。

 

 ウィスプの青い手がワイトの顔に重ねられ、銀色の瘴気が溢れ出す。

 耳朶、鼻孔、口腔から瘴気が流れ込み、ワイトは絶叫すら上げられず、異常な痙攣を見せた。

 

 

「お、お姉ちゃん、お姉ちゃん!」

 

 

 両腕を抑えられたまま、痙攣を繰り返すワイトに、萌音は必死で声を掛けたが、反応などない。

 

 快楽か、苦痛か。ワイトの意志に関係なく、くるんと瞳は上を向き、痙攣していた身体は次第に弛緩していく。

 腕から力が抜け、膝から力が抜け、最後に首からも力が抜け、屍の拘束を解かれたワイトは、地面に倒れ込みそうになり、辛うじて四肢をついた。

 

 

「…………お、お姉、ちゃん?」

 

 

 ワイトは萌音の言葉に反応すら示さず、四肢をついたまま荒い呼吸を繰り返すばかり。

 恐怖と心配から、必死に絞り出した声に返答がなく、萌音は二の句を次げずにいた。

 

 だが、変化は突然であった。

 ワイトの衣服が弾け跳んだかと思えば、魔力と瘴気の放流が次第に形となっていく。

 

 形成されたのは死霊騎士ワイトの鎧だ。

 肘まで覆う禍々しい手甲。足の付け根まで至る具足。胸の先や股座を辛うじて隠すだけの鎧。細部に施された布の意匠はゴシックロリータを連想させた。

 

 

「久し振りだな、ワイト」

 

「気分はどうかしら?」

 

「――――最悪の気分。こんな酷い寝起き、初めてだわ」

 

 

 肩にかかる髪を掻き揚げながら、死霊騎士(ワイト)は立ち上がった。

 その表情は酷く歪んでおり、その声は明確な怒りで震えている。

 

 ようやく自分達の知るワイトの姿に戻ったが故に、ウィスプとデュラハンの顔には笑みが刻まれた。

 ただ、碧と錆色の瞳は、仲間に向けるものではないほどに冷淡だ。

 

 ワイトの失態は明らか。麗しい屍の王の側近である死霊騎士にあるまじき醜態。

 何者かの手によるものだとしても、一時的とは言え屍の王に対する忠誠すら失っていたなど、許せる筈もない。

 

 

「貴様は、死霊騎士の恥晒しだ」

 

「……返す言葉もないわね」

 

「デュラハン、気持ちは分かりますが、その辺りで。彼女には、これからうんと働いて貰わないとなりませんから」

 

「エドウィン・ブラックを見つけ出し、その首を屍の王(レイスロード)様に捧げる。その為に、対魔忍に取り入って情報を集めるんでしょう?」

 

「――御明察」

 

 

 冷淡どころか侮蔑の視線を向けるデュラハンに、ワイトは舌打ちを隠しながら不愉快げに顔を顰めた。

 しかし、反論も否定もしない。確かに、死霊騎士としてあるまじき失態である。ワイトも、重々承知している。

 

 そして、自分達が人界に脚を運んだ理由も、思い出していた。

 全ては屍の王の命。エドウィン・ブラックを見つけ出し、殺す為だ。

 

 かねてから、屍の王は不死の王と戦争状態にあった。

 ワイトやウィスプ、デュラハンが死霊騎士として仕える以前から、長きに渡る戦争を続けている。

 

 そんな怨敵が、屍の王との戦争を部下に任せて人界に進出していると分かったのは、つい最近であった。

 

 これには屍の王も怒り狂った。

 当然である。確かに戦争は常に一進一退の膠着状態。

 加えて、兵を率いる王は共に不死。甚だしい時には、互いに兵を消耗し過ぎて、戦争にならない時もあったほどだ。

 だと言うのに、ブラックは屍の王など知らぬとばかりに、人界へと出向いていたのである。

 

 本来であれば、どちらか一方が死ぬまで続けねばならない戦いを放棄し、下等種族で溢れかえる人界へと物見遊山に向かうなど。

 ブラックの思惑が何であれ、行為そのものは屍の王を敵としてすら認識していない、と語っているようなものだ。屍の王にしてみれば、屈辱以外の何物でもない。

 

 故に、ワイトを筆頭とした三人の死霊騎士が選ばれたのである。

 

 

「――それで、この小娘はどうするつもり?」

 

「殺してしまえ。お前だけが生き残ったことにすればいい」

 

「…………馬鹿じゃないの。呆れるほど短絡的」

 

「――――何?」

 

「私だけが生き残った? どうして私だけが生き残るわけ? その理由は? 私だけが生き残って帰ったら、疑われて当然じゃない」

 

 

 ピィンと糸が張り詰めるように、ワイトとデュラハンの間で緊張が高まっていく。

 元より気位の高いデュラハンである。挑発染みた言葉に冷静さを保てるはずもない。ワイトは、ただ彼女にとっての正論を口にしていただけだったのだが。

 

 この後、五車町に戻るのであれば、萌音とワイトの二人で戻るのが望ましい。

 ワイトだけが生きて帰れば、生き残れただけの理由が必要となる。現状、その理由を用意するのは難しい。

 ならば、萌音に何らかの形で口を封じさせて戻った方がいいだろう。何の疑いも抱かれずに、五車町へと戻れる。

 何なら、魔界医師か魔術師でも探し出して、萌音の記憶を封印してしまってもいい。そうすれば――――

 

 

「あら、おかしなことを言いますね。もっと簡単な方法があるでしょう?」

 

「……何? どんな方法よ?」

 

「二人とも死んだことにすればいいでしょうに。何なら、貴女は逃げたことにしてもいい。そして、貴女は能力で全くの別人として、改めて奴らの懐に飛び込むのです」

 

「それ……は……」

 

 

 ワイトは自身の提案を否定され、ウィスプによる新たな提案に声を詰まらせた。

 

 死霊騎士には、死者を蘇らせる種族(レイス)としての能力とは別に、それぞれが固有の能力を持つ。

 ワイトに与えられた能力は、外見の変化と記憶の読取と搾取。外見を性別、種族を問わずに変化させ、他者の記憶を盗み見、奪い取る。

 

 潜入に、これほど向いた能力はない。

 あらかじめ外見を変化させた対象の記憶を盗み見れば、会話で食い違いが生まれず、疑われもしないのだ。

 

 確かにウィスプの言う通りである。

 ワイトは臍を噛んだ。己の意見を否定されたから――――ではない。ぼんやりとだが理由に確信を持てる苛立ちによってであった。

 

 

「決まりですね。では、その小娘を殺しなさい。何時ものように、可能な限り苦痛を与え、悲鳴と絶望を屍の王(レイスロード)様に捧げなさい」

 

「…………――――分か、った」

 

 

 ワイトは大きく息をついて、騒めく胸中を押さえつけながら萌音へと向き直る。

 

 記憶喪失――ワイトの場合は、また違ったものではあるが――とは不思議なものだ。

 そのメカニズムは完全な解明には至っておらず、個々人によって差が激しい。

 

 記憶喪失中の記憶も、また同様。

 失われていた記憶を取り戻した瞬間に忘れてしまうこともあれば、失われた記憶と融合を果たす場合もある。

 

 ワイトの場合は、後者であった。

 

 だからこそ、苛立っている。

 五車町での記憶など今のワイトにとって、羞恥を誘い、屈辱を覚えさせ、堕落していたと認めざるを得ない。

 

 当然だろう。

 死霊騎士としてのワイトは、敵に対して異常な残虐性を如何なく発揮し、故に仲間からの信頼も厚かった。

 生ある者の営みなど、死をも超越した屍の王と眷属の前では塵芥に等しい。

 死霊騎士として当然の考えの下、子供が自身よりもか弱い生物を無邪気に殺すように、無残な殺戮に手を染めていた。

 

 如何に洗脳・改造されたとは言え、下等で下賤、卑小で矮小な人間達と共に有り、心からの感謝と敬愛を抱いていたなど、彼女自身が許せる筈もない。

 デュラハンの冷淡で苛烈な物言いに何も言い返さなかったのは、その為。また、苛立ちも当然だろう。

 

 

「……お、姉ちゃん」

 

「その目で、私を見るな……!」

 

 

 ワイトの身体から黄色の瘴気が滲み出る。

 瘴気は死霊騎士の戦装束と同様に、やがて形を得る。

 かつて自爆した洋館で、虎太郎の不意を突き、仮面を破壊した雀蜂型のゴーレム。ワイト自身の力の具現だ。

 

 萌音には何が起こっているのか、何も理解できていない。

 年若く、ワイトの立たされている立場と言うモノを何一つ知らないのだ、無理もない。

 ただ、豹変したワイトに僅かながらの恐れと多大な憂慮の視線を向けるだけ。

 

 ワイトの苛立ちは加速する。

 人間の子供風情が、そんな視線を私に向けるな、と。少なくともワイト自身は、それが苛立ちの原因だと思っていた。

 

 しかし、本当の原因はそれなのか。

 見下している存在と築いた対等の関係。安らぎすら感じた死霊騎士のそれとは異なる日常と言う名の甘い生活。

 無理もない根拠に思われる。

 

 ならば何故、ワイトは萌音の純粋な瞳から、目を逸らしてしまったのか。

 

 

(何時もと、同じじゃない。あの娘の手足をもいで、決して殺さずに、けれど決して生きられないように、するだけ――――なのに、何でよ……!)

 

 

 ならば何故、ワイトの顔には紛う事なき苦悶が張り付いているのか。

 

 何百、何千と繰り返してきた行為。

 その度に、ワイトは屍の王に生贄を捧げ、甘美な喜びに身を震わせてきた。

 戸惑いや躊躇など、覚えたことは一度もない。やって当然、下等生物の命など、その程度の価値しか見い出してこなかった。

 

 なのに、どうして――――心も、身体も動かないのか。

 

 指をほんの少し動かす程度の感覚で、ワイトのゴーレムは普段通りの行為を遂行するだろう。

 だと言うのに、ゴーレムを操ろうとする度、五車町で過ごした日々が――――何よりも、萌音の笑顔が蘇り、殺意と悪意が萎えていく。

 

 

「どうしたのです?」

 

「何をしている、早くしろ。これは貴様の汚名を雪ぐための――――」

 

「五月蝿いわね! 分かってる! 分かってるわよ!」

 

 

 今にも泣き出しそうな顔で自分を見つめる萌音に、ワイトは悲鳴染みた声を上げる。

 ウィスプとデュラハンは、ワイトの様子に眉を顰め、互いの顔を見合わせた。

 当然だ。二人の知るワイトは、この状況で声を張り上げるような真似をしない。恍惚と共に屍の王へと嬉々として生贄を捧げてきた。

 

 死霊騎士としてしか存在してこなかった二人に、ワイトの葛藤と苦悩など分かるはずもない。 

 そんな状況下において、ワイトの表情に現れた変化に気付いたのは、他ならぬ萌音であった。

 

 元より心の機微に聡い少女だ。気付かぬ訳がない。

 泣き出しそうだった表情は、徐々に、だが確実に鳴りを潜め、両の瞳には溜った涙に反して強い意志が宿っていく。

 

 しかし、幼い少女には選択肢など与えられておらず――――初めから、最悪の道しかなかったのである。

 

 

「…………………………でよぉ」

 

「――――――?」

 

「お姉ちゃんを、苛めないでよぉ……!」

 

「何っ……?!」

 

「これは……!」

 

 

 一体、何を勘違いしたのか。

 ワイトを責め苛んでいるのは他ならぬ自分自身の存在だと言うのに、ウィスプとデュラハンを睨みつけた。

 けれど、勘違いこそしているものの、決して間違ってはいなかった。

 

 ――憧憬と義憤、人として正しい優しさと暖かさによって、萌音の忍法が発動する。

 

 コンクリートが敷き詰められた地面を割り裂き、急速に成長する蔦が自身を掴む屍だけでなく、ウィスプとデュラハンの脚へと絡みついていく。

 

 萌音の目覚めた忍法は木遁。

 まだ使いこなせてもおらず、植物を急速に成長させるだけの忍法の初期段階。

 手練れの木遁使いであれば、それぞれの特性や特徴、性格に合わせ、成長させた植物に何らかの特殊な能力を備えるものだが、萌音にはまだなかった。

 

 それでも、植物の成長速度と数は目を見張る。

 工場内におけるワイトと自分以外の存在全てを縛り上げ、拘束するなど並みの木遁使いには不可能である。

 

 萌音の両親が修行を課したのは、萌音の才能によるところが大きい。

 木遁使いとして大成すれば、名立たる対魔忍に名を連ねるであろうという期待。

 何よりも、過ぎた力は術者の身を滅ぼすと知っているが故の心配から、幼子には厳しすぎる修行を課したのだ。

 

 

「成程、これが対魔忍の忍法とやらか……」

 

「馬鹿な娘。相手が悪すぎましたね」

 

「ッ! 止め――――」

 

 

 ワイトの上げた静止の声は、誰に向けられたものだったか。

 少なくとも萌音に対してではない。仲間である筈の二人の方に身体を向けていたのだから。

 

 蔦は枝に成長し、手足だけでなく身体にも巻き付いて締め上げているというのに、ウィスプとデュラハンは冷たい瞳で対魔忍の卵に目を向けていた。

 

 萌音は始めから失敗している。

 相手が只のオークやオーガであれば、これでも十分であった。

 だが、相手は死霊騎士。当人も戦闘可能だが、厄介なのは寧ろ、その能力と操るゴーレムの存在だ。

 

 ワイト同様に、ウィスプも自らの力の化身である蠅型のゴーレムを瘴気から造り出した。

 造り出されたが故に、ゴーレムは初めから拘束などされておらず、思う存分に背負った砲門を解き放つ。

 

 

「――――――ぁ」

 

 

 ワイトの顔を掠めるように放たれた瘴気と魔力で構成された砲弾だ。

 彼女もよく知っている。威力はそこそこだが、連射すれば強靭な肉体を持つ種族でも十分に殺し得る。何よりも、この砲弾によって殺された存在は、例外なくウィスプの操り人形(リビングデット)と化す。

 

 何かの激突音と地面を何かが転がる音を連続した。

 

 何が起こったのか理解していながら、ワイトの頭と心は現実の理解を拒む。

 全身から冷たい汗が噴き出し、咽喉がからからに乾いていく。背骨が氷柱と化したかのような恐怖で、全身は震えていた。

 

 やっとの思いで振り返った彼女を迎えた光景は――――物言わずピクリとも動かない、地面へと身体を投げ出した萌音の姿。

 

 当然の結果。弱肉強食を旨とする魔界においては、何度となく見てきたものだ。

 なのに、どうして。ワイトはそう考えながら、目を真円に見開き、動悸が激しくなり、荒くなる呼吸を止められなかった。

 

 地面から伸びていた蔦は急速に力を失い、死霊騎士の放つ瘴気によって萎み腐っていく。萌音の対魔粒子が失われたからだ。

 

 

「全く、本当に愚かね。人間と言う――――」

 

 

 ウィスプの嘲笑とも哀れみとも取れる言葉に、ワイトは反射的に行動を起こしそうになった。

 理由など、彼女自身も理解できていない。抜き身の、剥き身の感情から成る行動など、全てはそんなものだ。

 起こした行動も、発した言葉も、後から理由を考えることなど、いくらでもある。

 

 萌音を殺そうとした時よりも、遥かに簡単に、そして躊躇いもなく蜂型のゴーレムがワイトの発露した感情に従い――

 

 

「ひゃわぁぁぁあああああああああああっっ!!!」

 

「いったぁ!? 頭が打ったー!!」

 

「どうして今回は、こんなに力押しの作戦なんだーーーっ!!!」

 

「死霊騎士の情報が殆どねぇからだ。どうしてもこうなる…………チッ、一足遅れたな」

 

 

 ――突然、工場の壁をぶち抜いて現れた騒がしい鉄の塊に中断を余儀なくされた。

 

 塊の名は、高機動多用途装輪車両。通称、ハンヴィー。

 ジープに変わり、米連にて採用された軍用車両である。

 武装、装甲も多様多才であり、部隊の作戦、用途に応じた改造が施されるのが通例であった。

 

 そのハンヴィーで、虎太郎は廃工場の裏手の山へと登り、頂上から山の斜面を駆け下りたのである。

 まるで馬で崖を下った源 義経のような奇襲。“鹿に出来るのなら、馬にも出来る”という義経の言葉を塗り替える、“馬で出来ることなら、ハンヴィーでも出来る”という名言が爆誕しそうだ。

 

 

「手筈通りだ。やれ、雷撃の……!」

 

「あー、もう! ……飛べよ、雷撃っ!!」

 

 

 重量2.5t。時速80kmで疾走する鉄塊は、次々に生ける屍を節理の輪へと戻していく。後に残るのは無残な肉塊のみ。

 銃器などは取り付けられていなかったが、追加の装甲判によって強化されたハンヴィーは、さながら挽肉製造機だ。

 如何に肉体の破壊を気にせずに、人間の限界を超えた力を発揮できようが、所詮は鉄を引き裂けるほどでもない。

 

 寧ろ、注意すべきは死霊騎士の操るゴーレム。

 ノイから聞き及んでいる情報、アルが独自に収集した情報では、何らかの特殊な能力、高い火力を備えている可能性が高かった。

 

 本来であれば機銃の取り付けられるルーフからゆきかぜは上半身を車外へと出し、両手に握られたライトニングシューターを死霊騎士へと向ける。

 

 

「――――チィっ!!」

 

「この場所が、どうして……!」

 

 

 ワイトに投与された探知用のキメラ微生体を知らぬ二人は愕然としながらも、無数に放たれる雷球を躱し、或いは屍を操って防御する。

 その度に、後方に下がり、ワイトと萌音からは距離が開いていく。

 

 障害物も、地面に打ち捨てられた物体すら気にせず、ハンヴィーのエンジンが唸りを上げる。

 巧みなアクセルワークとブレーキ操作で、周囲に存在している屍共を排除しつつ、やがてワイトと萌音の間に停止した。

 

 血と脂で汚れ、強襲の代償と跳ね上げた屍の重みでへこんだハンヴィーの中から二つの影が飛び出した。

 

 

「行くわよ、ゆきかぜちゃん!」

 

「死体とゴーレムの方は、私が排除します!」

 

 

 未だに激情と突然の出来事に呆然としているワイトには、一切の攻撃を加えずに。

 擦れ違いざまに悲しげな視線だけを送ると、凜花とゆきかぜはウィスプとデュラハンに肉薄した。

 

 鬼腕と雷撃の対魔忍に与えられたのは、死霊騎士の足止め。

 なるべく派手に、なるべく大立ち回りを繰り広げ、二体の死霊騎士を釘付けにしておくことだ。

 

 そして、斬鬼の対魔忍に与えられたのは――

 

 

「よし、良かった……! まだ息はあるぞ!」

 

「斬鬼の、学園に跳べ。桐生に、死なせたら手足の先からすり潰して殺してやる、と伝えてくれ」

 

「どうせ貴方のことだ! ()()を持ってきているんだろう! 寄越せ!」

 

「よくご存じで」

 

 

 車外へと飛び出た凜子は、屍を愛刀・石切兼光で斬り伏せながら、駆け寄った萌音の状態を確認していた。

 呼吸は弱々しく、脈拍も弱い。口からは血を流しており、下手をすれば内臓に何らかのダメージを受けているだろう。

 弱々しくも必死に、懸命に命を紡いでいた。まるで、ここで自分が死んでしまうことだけは、あってはならないと言わんばかりに。

 

 凜花の言葉に、虎太郎は車内から一本のクナイを凜子に投げ渡した。

 九本一組。各々に極めて高度な空間転移術式が組み込まれ、魔力を生成する鉱石で鍛えられた魔界の武器“瞬神”。

 凛子の空遁の術とも極めて相性が良く、跳躍先をマーキングをしておけば、普段の彼女ですら考えられないほどの距離を安定して空間跳躍できるのだ。

 

 マーキングを施してあるのは言わずもがな、五車学園だ。

 

 

「後は任せる!」

 

「ああ、任せておけ」

 

 

 凛子の身体から青白い光が発せられたかと思えば、次の瞬間には空間が歪み、光ごと凜子と萌音は吸い込まれ、廃工場から姿を消した。

 二人が消え去ったのを確認すると、髑髏の仮面を被った虎太郎は、悠々とハンヴィーを下りた。

 

 視線の先には、俯いたワイトが立っているだけ。

 鬼腕と雷撃、死霊騎士が繰り広げる戦いの音色をBGMに、二人は向き合っていた。

 

 

「何をしに、来たのよ……」

 

「当然、仕事だ。津田 萌音の身柄の確保。これ以外に、何かあるとでも……?」

 

 

 ワイトは俯いていた顔を上げると、忌々しげに虎太郎を睨みつけた。仮面で隠された正体に気付いているようである。

 洗脳による記憶喪失は確かに瘴気と魔力の共鳴によって紐解けた。しかし、施された改造がなくなったわけではないようだ。

 本来であれば屍の王にしか感じぬ甘美な魅力を、虎太郎の仕草や声に感じていた。

 

 

「だから此処から先は、オレの個人的な行動になる」

 

「ふん。うだつの上がらない、アンタみたいなダメ男が、何をしに来たわけ……?」

 

 

 それが記憶を取り戻したワイトの、虎太郎に対する率直な評価であった。

 何であれ、大抵の事はそつなく熟す癖に、何事に対してもやる気を感じられない。

 能力はある癖に、自分自身に欠片ほどの誇りも持っていなければ、価値すらも見い出していない。

 

 ただでさえ、人間と言う種族は下賤で愚劣だというのに、この男は輪にかけてワイトからすれば嫌悪を沸き起こさせた。

 

 

「オレは話を聞きに来ただけだ。今後どうするかは、それから決める」

 

「――――何ですって?」

 

 

 てっきり、自分を殺すなどと嘯くと思っていたワイトは、目を白黒とさせた。

 

 

「殺す必要がないなら、オレは殺さん。殺すのにだって労力や金は掛かる、後には恨みが残る。無駄な行動なんて疲れるだけだ」

 

「…………」

 

「それに、多少は期待できるかもしれん。オレが想定していた最悪は、既にお前自身の手によって、津田 萌音が再起不能の状態になっていることだったからな」

 

 

 そう。それこそが最悪のパターンだった。

 津田 萌音が殺されれば、ワイトの正体も明かさねばならない。

 となれば、魔族の引き入れを黙認したアサギの失脚は確実。続き、虎太郎は裏切者として処断されるだろう。

 

 

「その様子じゃ、記憶を取り戻したんだろ? 何故、殺さなかった? 死霊騎士ってのは、屍の王に仕えるのが何よりの悦びの筈だ」

 

「ッ…………い」

 

「オレが気になっているのは其処だ。その一点だけだ」

 

「…………さい」

 

「聞かせろよ。言ったろ? 最低限、自分の事くらい自分で決めろ」

 

「――――うるさいっ!!」

 

 

 淡々と、周囲の状況も、ワイトの種族も立場すらも気にした素振りを見せずに、虎太郎は問う。

 

 しかし、返ってきたのは、嚇怒と憎悪に染め上げられた言葉だけ。

 

 

「うるさい! うるさいうるさいうるさい! アンタさえ、アンタさえ居なければっ――!!」

 

「成程、そう来たか」

 

 

 アンタさえ居なければ、こんな思いをしなくて済んだ。

 

 アンタさえ居なければ、屍の王にただ仕えるだけの存在として道を歩めた。

 

 アンタさえ居なければ、人間が如何なるものかを知らずにいれた。

 

 アンタさえ居なければ、あの娘に出会うこともなかった。

 

 アンタさえ居なければ、あの娘も――――

 

 アンタさえ居なければ、アンタさえ居なければ、アンタさえ居なければ。

 

 

 怨嗟にも似た、まるで自分自身に言い聞かせるような言葉。

 虎太郎はワイトの言葉を受け、呆れた声を上げるばかり。この展開も、ある程度は予測していたらしい。

 

 

「殺して、やる……!」

 

「どうぞお好きに。お前に出来るものならな」

 

 

 明確な殺意を露わにしたワイトを前にしても、虎太郎は揺るがない。

 両腕を組み、ただワイトを眺めているだけだった。

 

 ワイトは気付いていない。虎太郎は気付いている。

 その殺意は、紛れもないワイトの意志と決断によるものだ。例え、感情に流されたものであったとしても。

 

 死霊騎士である筈のワイトが屍の王の為ではなく、初めて己自身の決断のままに戦いを始めようとしていることを……

 



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『雷撃&鬼腕(魔改造)VS死霊騎士(傲岸不遜)……これはもう駄目かも分からんね』

 

 廃工場内部では激しい戦闘が繰り広げられていた。

 碧の雷光。立ち込める黒と銀の瘴気。燻る煙。

 放電音。打撃音。亡者の呻き声。

 

 幾重にも色と光が折り重なり、幾重にも戦闘の音色が多重奏を織り成す。

 

 

「ハァアアアっ――――!!」

 

 

 凜花の裂帛の気合と共に拳が振るわれる。

 威力、速度。どちらを取っても小型の砲弾と遜色のない拳打は、的確に屍の頭部を打ち砕き、節理の輪へと戻していく。

 

 凜花は学生対魔忍において、最強の一人。

 如何に死霊騎士の屍と言えど、そうそう遅れを取りはしない。

 

 最も、それは一対一での話だ。

 これが一対十に、一対二十ともなれば、凜花も油断は出来ない。

 もし仮に、対魔忍において、この軍勢に真正面から戦いを挑み、単身で勝ちきれると断言出来るのは、アサギと紫しかいない。

 

 

「――――ふッ!」

 

 

 加えて言えば、無数の屍に加え、死霊騎士の操るゴーレムも存在している。

 

 凜花は我先にと自身へ殺到する屍を叩き潰し、或いは体勢を崩させ、捕まれることだけは避けながら立ち回る。

 周囲全て。360度から迫る屍を処理する姿は、まるで刃のついた独楽(こま)、あるいは高速で回転する鉄塊だ。鋭く、素早く――それでいて重い拳打と蹴撃。

 

 しかし、ウィスプにせよ、デュラハンにせよ、そこまで甘い相手でもない。

 相手を舐めてはいるものの、戦いに手を抜く筈もなかった。

 

 屍の一体が低い姿勢と重心で、凜花の両脚を掴むように襲い掛かった。

 凜花はその姿を見るや、爪先を天高くに跳ね上げる。両脚が一直線に結ばれると、斧の如き勢いで振り下ろさせる。

 空手においては踵落とし。テコンドーにおいてはネリチャギと呼ばれる、身体の柔軟さは勿論の事、技術も要求される技だ。

 

 本来であれば当てることすら難しい一撃を完璧なタイミングで、意図も容易く頭部に炸裂させる。頭蓋が爆ぜ割れ、脳漿だった腐汁がブチ撒けられた。

 

 残心をする暇もない。

 次なる標的。あるいは次なる襲撃者に意識を向けた凜花の間隙を縫って――ウィスプの銀蠅が迫っていた。

 

 如何に優れていようとも所詮は人間。

 同時に相手を出来る数も、同時に認識できる敵の数も限度がある。

 ましてや凜花が得手とするのは近接格闘。どうしたところで、自身に向かってくる存在に意識を集中せざるを得ない。

 

 彼女の攻撃と意識が届かない射程からの攻撃は、どうしようもない弱点である。

 

 凜花の視界の外。それも後方から無数の銀蠅が砲身を向ける。

 一撃では仕留められない。だが、屍とゴーレムによる波状攻撃ならば、如何ともし難い。

 

 砲口から漏れる銀の瘴気は圧縮され――

 

 

「そんなほいほい、やらせるわけないでしょっ――!」

 

「チっ……」

 

 

 ――ゆきかぜの雷球によって爆散した。

 

 無数の雷球の内、いくつかは()()()()ながらも、凜花を狙った銀の蠅を確実に打ち落とす。

 

 凜花は近接格闘をメインとするが、ゆきかぜは中距離での射撃戦こそを得意とする。

 事実として、ゆきかぜの射程範囲である半径10mに敵を全く寄せ付けていない。

 電気の特性上、空気抵抗によって威力を失うが故に、()()()ではこれが最大射程である。

 銃を得物としているにも拘わらず、悲しいほどに射程は短いが、雷遁の火力の前にはこれで充分。これより内側に立ち入ろうものならば、手練れの魔族であっても黒焦げの死体に早変わりしかねない。

 

 ゆきかぜは周囲を警戒しつつも、敵の群れへと果敢に立ち向かっていく凜花のサポートに徹していた。

 どちらかと言えば、ゆきかぜも攻めを得意とする。凜子と組めば、対魔忍において最も高い攻撃力、殲滅力を誇る二本槍というのが大半の認識だ。

 

 だが、虎太郎の指導もあり、ゆきかぜは新たな才能を開花――いや、改めて認識した。

 

 それは極めて高い空間把握能力。物体が三次元空間に占めている状態や関係を、素早く正確に把握することに長けていた。

 現代社会において、人間の空間把握能力は中々に成長しない。当然だ、幼少期に過ごす環境では、自分を含めた大抵の物体が静止しているからだ。

 

 しかし、ゆきかぜは外で遊ぶのが好きだった。野山に分け入り、野原を駆け回る。それが日常だった。

 実際のところ、空間把握能力を身に付けるには、それが一番効果的なのだ。人体工学や人間科学に基づいたトレーニングを積んだ人間よりも、自然の中で生き、遊んでいた人間の方が優れている場合も少なくはない。

 

 空間把握能力と高い火力を誇る雷遁により、ゆきかぜを中心とする10mは、ほぼ絶対的な防衛線にして制空権だ。

 これを越えられるのは虎太郎のように、ゆきかぜの認識能力を超える速度に特化した者か、或いは雷撃を物ともしない超絶の防御能力を有する者だけである。

 

 

「――――仕方ありませんね」

 

 

 ふぅ、と溜め息を吐いて、ウィスプが動いた。

 勿論、ウィスプ自身が動いたわけではない。彼女自身の認識として、己は直接戦闘よりも屍を操って戦うことこそに向いているが前提に存在するが故に、当然であった。

 恐るべき話ではあるが、この場に存在している屍を操っているのは、他ならぬウィスプのみだった。

 

 ウィスプが指を鳴らすと、凜花に群がっていた屍が動きを止め、くるりと踵を返し、走り出す。向かう先はゆきかぜだ。

 おおよそではあるが、彼女はゆきかぜの連射性能を見切っていた。確かに高い火力は脅威ではあるが、その分連射は苦手――という判断である。

 

 事実としてゆきかぜの雷撃は、両手のライトニングシューターを放てば一呼吸間を置かなければ充電、装填できない。

 同時に撃つのではなく、片手ずつ交互に引き金を引くことで誤魔化してこそいたが、長年戦い続けてきたウィスプには見破られてしまった。

 

 敵の弱点は容赦なく責め立てるもの。

 ウィスプは渋い表情をしながらも、内心では笑みを浮かべていた。

 あの連射性能の悪さでは、自分自身と相性が良いと考えたのだ。確かに、連射が効かないのであれば、数の暴力でいくらでも押し切れるだろう。

 

 

「ゆき――――っ?!」

 

「貴様の相手は、私だッ――!!」

 

 

 ゆきかぜの救援に向かおうとした凜花に対し、デュラハンは地を蹴り、真上から襲い掛かるように拳を振り下ろした。

 反射的に、本能的に身を躱した凜花であったが、デュラハンの拳によって引き起こされた破壊に愕然とした。

 

 単純な力任せの一撃によって、コンクリートの地面に無数の罅を走らせ、叩き割ったのである。

 魔族の身体能力は極めて高い。対魔忍であっても、身体能力だけで押し切られることなど儘ある。この腕力に対抗できるのは、紫くらいのものだろう。

 

 飛び散る細かな破片から顔を守りながら、後方に飛びずさって距離を取る。

 

 見れば、デュラハンはコンクリートから手を引き抜いて、調子を確かめるように腕を振っていた。

 その傍らには、蜘蛛とも蠍ともつかぬゴーレムが控えている。

 

 

「……てっきり、死霊騎士は屍を操るばかりで、自分で手を下さない臆病者だと思っていたけれど、違ったようね」

 

「私は死体なぞを操るよりも、自分自身が前に出る方が得手でな。事実、死体を操るのはウィスプに任せきりだ」

 

 

 凜花の挑発を軽く受け流し、デュラハンは薄く笑みを浮かべる。どうやら、挑発を強がりと受け取ったらしい。

 ウィプスが指揮官、軍師タイプであるのなら、デュラハンは正に純戦士タイプであるようだ。

 

 

(死霊騎士の能力に関しては、虎太郎さんが得た情報からある程度は掴んでいますけど。さて、鬼が出るか蛇が出るか) 

 

 

 人界において、死霊騎士の名や能力は、まだまだ広まっていない。凜花も、相対するのも、名を聞いたのも、今回が初めてである。

 警戒しようにも、情報が少な過ぎた――――が、虎太郎の情報網は魔界にすら及ぶのか、死霊騎士達がどのような能力を持つのか、掴んでいたらしい。

 

 但し、ウィスプとデュラハンが、どの能力なのか。そもそも情報自体が正しいかも不明。アドバンテージはあるが、油断は出来ない。

 

 

(集団戦から各個撃破に切り替えたのは、此方の戦力を分断するため。露骨にゆきかぜちゃんを警戒している。これは……間違いなく好機だわ)

 

 

 確かに、ゆきかぜの火力は脅威だ。

 あの雷撃の前では、数の利を覆されかねない上に、調達した死体の消耗が激しい。

 ブラックとの戦いが控えている彼女達にしてみれば、こんな所で戦力を余計に消耗したくはないのだろう。

 

 

(此方の想定通り、ね。後は、能力的に相性が良いのを祈るだけ)

 

 

 凜花は半身となり、右拳を腰まで引き、左手を開いて僅かに肘を曲げて顔の前に。

 攻撃の当たる面積を減らし、尚且つ隙を見て反撃に出る構えであった。あの腕力を見たのだ、当然の選択である。

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「あー、もう鬱陶しい!」

 

 

 周囲を囲まれぬように立ち回りつつ、ゆきかぜはライトニングシューターから雷球を放つ。

 只の一撃で腐乱死体を黒焦げの焼死体に変化させながら、ゆきかぜは悪態をついた。

 

 ゆきかぜは追い詰められつつあったのだ。

 

 どれだけ高い火力を誇ろうと、一度に倒し切れる敵の数は限られている。

 ましてや攻撃回数、連射に限りがある以上、追い詰められるのは自明の理。

 

 ――だが、理由はそれだけではない。

 

 

「――――ふふ」

 

 

 ウィスプは無数の屍によって出来た石垣の向こうで悠然と佇みながら、屍とゴーレムを操っていた。

 銀蠅の砲門から自らの操り人形に向けて、銀色の砲弾が放たれる。

 砲弾は決して破壊を引き起こさず、直撃と同時に弾け、周囲に漂うと身体に元よりあった穴、腐り落ちて開いた穴から体内へと侵入していく。

 

 変化は劇的であった。

 

 

「……ォオ……、グォ、オォォォオオオオォッ!!」

 

 

 亡者の眼球に銀光が灯る。

 身体能力は勿論のこと、凶暴性すらも跳ね上がり、操り人形に過ぎない亡者(かれら)は、とても人形とは思えない動きを見せる。

 人間らしい格闘技のような構えと攻撃。逆に人から獣へと転生したかのように四肢を付いて疾走するモノすらいる。

 

 操り人形(アンデッド)の力を強化する。これがウィスプの能力だ。

 

 

「くっ、このぉ……!」

 

 

 放たれる雷撃を掻い潜って自身に肉薄してきた亡者の顔面目掛け、痛烈な回し蹴りを放つ。

 華奢な身体からは想像もできない重い一撃は首の骨を圧し折った。しかし、銀の瘴気によって強化された亡者が、それだけで止まろう筈もない。

 首が折れたままゆきかぜの脚を掴み、ハンマー投げのように振り回そうとでもしたのだが、ライトニングシューターから放たれた雷球に頭部を蒸発されて、敢え無く土へと還っていく。

 

 一度でも防衛線、制空権が崩れれば次々に攻め入られるのは当然だ。

 ましてや、凶暴性、俊敏性共に増した屍の猛攻。攻めようにも、守ろうにも、躱そうにも、数が多すぎる。人のみで雪崩に挑むようなもの。

 

 

「仕方ないかっ、やぁあああぁあああっ!!」

 

 

 しかし、雪崩(数の暴力)に対抗してこその雷撃の対魔忍(質の暴力)――!

 

 ゆきかぜは、ライトニングシューターを介した攻撃では対処しきれないと瞬時に判断し、今度は全身から雷を放つ。

 ライトニングシューターはゆきかぜの強大過ぎる力を制御し、効率良く能力を運用するためのものである。

 だが、虎太郎の訓練によって制御装置を必要としないほどに、ゆきかぜ自身の制御能力は向上していた。

 

 今までゆきかぜが範囲攻撃を使用できなかった理由は二点。 

 一点は周囲の味方にまで損害を与えかねなかったこと。

 もう一点は、強大過ぎるその力は、ゆきかぜ自身を焦がしかねなかったこと。

 

 これを、虎太郎の訓練とゆきかぜ自身の努力によって克服(クリア)した。

 

 迸る碧の稲走は、四方八方に広がりながら、屍とゴーレムの区分なく焼き尽くす。

 ゆきかぜに襲い掛かろうとした死体。遠間からゆきかぜを狙っていたゴーレムすらも黒炭(くろずみ)に転じさせ、再び二丁拳銃を構える。

 

 

「ふふ、大したものね。でも、このまま押し潰してあげる」

 

「…………ですよねー」

 

 

 仕切り直し。

 ウィスプは失った屍の数を数えつつ、自らのゴーレムを再度造り直す。

 ゆきかぜは周囲を警戒しながら、相手の動向を探っていた。

 

 

(殆ど膠着状態。お互いに決め手に欠けているけど、体力的にも、数的にも不利なのはコッチの方。相手はこれまで通りの戦い方を続ければいい)

 

(完全にジリ貧。虎太兄の言ってた通り、か。悔しいけど、やっぱり数の暴力って怖い)

 

「けど、手がない訳じゃないんだから……!」

 

 

 確かにゆきかぜにとって状況は悪い。

 だが、この状況を覆すだけのカードはある。その為に、戦いの中で仕掛けを施した。

 

 

「いっけェッ――!!」

 

 

 ゆきかぜの起した行動に、さしものウィスプも目を丸くした。

 

 事もあろうに、ゆきかぜは無数の敵にではなく、その足元に向かって雷球を放ったのである。

 ウィスプにしてみれば何の意味もない行為。敵の数を減らすでも、牽制のためのものでもない。その意図が何処にあるのかなど、分かろう筈もない。

 

 実際に、雷球は屍に何のダメージも与えず、地面から工場内に向けて碧の放電現象を引き起こしただけ。

 それが逆にウィスプの警戒を強めた。この状況、この局面で何の意味もない行動に出るなど、在り得ない、と。

 

 けれど、ゆきかぜも承知の上。

 

 だからこそ、望んだ局面が訪れるまで、()()()()()のである。

 

 

「――――……?」

 

 

 変化は次の瞬間から始まっていた。

 

 ウィスプが気付いたのは、自身の操っている屍とゴーレムの挙動がおかしくなったこと。

 確かに命令を下しているにも拘わらず、緩慢な動きが、更に鈍くなっていた。

 

 レイスは確かに不老不死ではあるが、その力は無限ではない。

 人よりも高い体力を有しているが、限界は存在する。つまり、消耗と言う概念はレイスにも死霊騎士にも当て嵌まる。

 しかし、ウィスプが知る自身の限界はまだまだ先だ。そもそも、屍を操ることに特化した彼女は、この程度の戦闘で操り糸が鈍る筈もない。

 

 

(ならば、あの小娘が……)

 

 

 何をしたのかは分からなかったが、何かを仕掛けてきたのはゆきかぜと見て間違いない。

 この時、この瞬間に至っても、ウィスプは心の何処かに余裕があった。

 単に操り人形の挙動がおかしくなっただけ。その程度の認識しかなかったのである。

 

 何なら、操り難くなったものは捨て置き、ゴーレムならば新たに生成すればいい。人間どもの死体はまだまだある。 

 

 そんな甘すぎる考えしかなかった。

 

 ――故に、ゆきかぜの狙いが何であるか。彼女がどれだけの努力を重ね、何を掴み取ったのかすら、全く思いを馳せなかった。

 

 

「――――なっ?!」

 

 

 此処からの出来事は当然の結末であった。

 

 ウィスプが愕然とするのも無理はない。

 何せ、味方である筈の亡者とゴーレムが突如として、自分に向かってきたのだから。

 無論、ウィスプが操り損ねた訳ではない。亡者にせよ、ゴーレムにせよ、正面からではなく背面から向かってきている。

 何か、強力な力によって背後へと引き寄せられるように、ウィスプに向かってくるのだ。

 

 本来、津波や雪崩の如く敵へと襲い掛かる筈の操り人形が、自分へと向けられる。

 誰であれ、その数の前に為す術などない。その事実は操り手であるウィスプであっても、変わりはなかった。

 

 十重二十重に折り重なった死体は網の如くウィスプの身体に絡まり、背後にあった残された機械へと磔にする。

 今や、工業機械は無数の死体とゴーレム、ウィスプによって表面を覆われ、奇妙なオブジェと化している。

 

 

「これは、一体……?!」

 

八色稲妻(やくさのいなずま)――――伏雷(ふすいかずち)

 

 

 拘束から逃れようともがくウィスプに対し、ゆきかぜは努めて冷静に告げた。

 

 八色稲妻・伏雷。

 これがゆきかぜが新たに拡張した雷遁の術の名。

 

 伏雷は、ゆきかぜの生み出した雷撃を磁力・磁界へと変化させる忍法だ。

 電気が流れれば磁力が生じ、磁力が金属の電子を動かし電気が生じるように、電気と磁力は密接な関係にある。

 但し、通常の物理法則では、何の装置もなしに電力をこれほどまでの磁力に変換することは不可能だ。

 だが、それを可能としてこその忍法。物理法則など簡単に超越してしまうのが対魔粒子と呼ばれる未知の粒子だ。

 

 

『いいか、お前等。忍法ってのは発想と術者次第で簡単に姿形を変えるもんだ』

 

『言わんとしていることは分かるが……』

 

『実感が沸かないと言うか、信じきれないと言うか……』

 

『例えばの話だが、ゆきかぜが空遁の術、凜子が煙遁の術、凜花が雷遁の術を持って生まれたら、それぞれが全く同じ使い方をしていたと思うか……?』

 

『それは、在り得ませんね。私と凜子ちゃんは近接主体ですけれど、ゆきかぜちゃんの体格では前に出て戦うことはないでしょうし』

 

『ま、そういうこと。忍法ってのはな、術者の深層心理にある闇や無意識の偏向、趣味主張、得手不得手によって方向性が決まっていく』

 

 

 かつて、訓練の折りに虎太郎が語った科白は、ゆきかぜ達にとって考えられない発想だった。

 だが、邪眼“魔門”を持ち、多くの忍法に触れてきた虎太郎にしてみれば、当然の帰結であった。

 

 同じ水遁使いでも、直接的に攻撃に使用する者も居れば、不知火のように幻惑に特化した使い手もいる。その差異から至った結論が、虎太郎の言葉であった。

 

 

『但し、能力の拡張ってのは難しい。味覚の好みを強制的に変えるようなもんだからな』

 

『う~ん、じゃあ無理なの?』

 

『そうでもない。お前等はまだ若いし、何よりも才能に溢れている。端的に言やぁ、他の連中よりもキャパシティがある訳だ』

 

 

 一つの事柄に特化した使い方をし続ければ、思考が凝り固まり、他の発想には至らないように。

 長年、忍法を同じように使い続ければ、使用や発動はスムーズかつ無駄のないものとなるが、拡張性は失われていく。

 だが、三人はまだまだ若い。拡張の余地は十二分にあり、思考も柔軟だ。何よりも才能と言う名の天からの授かり物があった。

 

 虎太郎の考え通り、三人は自らの努力によって能力の拡張に成功していた。

 ゆきかぜにおいては、八色稲妻である。無論、その名の通り伏雷のみではない。流石に次世代のエースと呼ばれるだけのことはある。

 

 

『あれ? でも、虎太兄って、本来の使い手じゃ出来ない使い方してるよね? それって、凄い事なんじゃ……』

 

『あ? 全然違うよ? オレはお前等と違ってキャパそんなにないから。お前等が100くらいの才能だったら、10か20とかそんなもん。ただ、強制的に好み変えてるだけ』

 

(((…………化け物だ)))

 

 

 余りに簡単に恐ろしい事実を告げる虎太郎に、三人揃って戦慄したのは記憶に新しい。

 虎太郎の言を信じるのであれば、彼は自身の精神性を変質させることで、忍法まで変質させているも同然である。

 それでいて、根にある部分は全く変わっていないのだから、どんな精神力、どんな自我だと言うのか。

 

 虎太郎が精神的な怪物などと分かってはいたが、改めて認識すれば三人共、言葉もなかった。

 

 

「ぐっ、この程度……!」

 

「無駄よ。そっちが用意してくれた死体のお陰で拘束力が跳ね上がったから」

 

 

 戦いの始まり、的を外したように思われた雷球の攻撃は、元よりこのつもりだったのだ。

 虎太郎の入れ知恵ではなく、ゆきかぜ自身が死霊騎士の特徴を聞いた時点で決めていた。

 一対多。数の暴力に対抗する為には、操り手である死霊騎士を倒すのが一番手早い方法であると分かっていた。

 

 かつてのゆきかぜであれば馬鹿正直に、真正面から戦おうとしていたであろうが、戦闘中の思考にまで虎太郎の影響が見て取れる。

 

 そして何よりも、拘束さえしてしまえば、雷遁の術の真骨頂――――他の追随を許さない、圧倒的な火力を最大限発揮できる。

 

 ゆきかぜの身体から無数の稲妻が迸る。

 床に、天井に歪んだ雷撃の糸が繋がり、ライトニングシューターの銃口へ集束していく。

 

 電気の力は、凄まじいものだ。

 かつては天上における神威だった稲妻は、人の力によって地に堕ろされた。人界の多大な発展を齎し、人類は消えぬ光を手にした。

 人の世に下ろされ、研究が進むにつれ、空気中では急激に拡散し、非力なエネルギーというイメージがあるのも無理はない。

 

 だが、決してかつての神威が消え去った訳ではない。

 ましてや、生み出しているのはゆきかぜだ。彼女は雷撃の対魔忍――現代に現れ出でた雷神と言っても過言ではない。

 

 

「これが私の最大火力よ――!」

 

「――ひっ!」

 

「――――雷鎚の術(トールハンマー)!!」

 

 

 その出力は如何程のものか。

 ウィスプの恐れの声は、ゆきかぜが生み出した雷撃の音に掻き消された。

 

 薄暗かった工場内を真白に染め上げ、全てを飲み込んでいく。

 夜から昼へ。閃光は放流となり、射線上に存在する全てを蒸発させる。奔流の余波に、工場全体が軋み、悲鳴を上げていた。

 

 情け容赦のない雷の神威。

 如何な死霊騎士と言えど、対する術など在ろう筈もなく。

 

 後に残ったのは、半壊した工場とバタバタと倒れ始める死体ども。

 大穴の開いた天井はチロチロと火が揺れており、電熱によって熔解した鉄骨は赤熱化して、雷神の鎚がどれほどの威力であったか物語っている。

 

 

「連発できないのが難点だけど、虎太兄のお陰で確実に当てられるようになったし、こんなもんでしょ」

 

 

 ゆきかぜの力に耐えきれず、内側から破裂したライトニングシューターの一丁をホルスターに収め、ゆきかぜは呟く。

 

 伏雷は、雷鎚への繋ぎのために生み出した。

 多大な火力と破壊を生む反面、対魔粒子の消耗を強い、武器を失う一撃を確実に当てるためのものだ。

 また、他の仲間とのコンビネーションをも前提としていた。一対一でも使え、集団戦でも多大な効果が期待できる応用範囲の広い忍法である。

 

 人は失敗を糧に前へと進む。

 ヨミハラで地に堕ちた誇りは、再びゆきかぜの胸の内に戻りつつあった。虎太郎から学んだ、油断の無さと共に。

 

 今の一撃は、闇の世界への宣誓に等しい。

 

 ――今再び、人の世に仇為す外道を誅するため、新生した雷撃の対魔忍が舞い戻ってきたのだ、と。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「ぐっ――――!!」

 

「どうした! 対魔忍という奴は、その程度なのか!?」

 

 

 デュラハンの豪腕が唸りを上げた。

 一撃一撃が空を裂き、大気を震わせる。直撃すれば、如何な対魔忍と言えど無事には済まない攻撃の嵐。

 

 武道の欠片も感じられない大振りの攻撃。

 だが、圧倒的な身体能力から生じる破壊力と速度は、それだけで脅威だ。

 

 触らば壊れる。

 当たれば骨折は確実。当たり所が悪ければ死は免れない。

 一歩間違えれば即死。死の恐怖に犯されながらの戦いは、精神的にも凜花を追い詰めていた。

 

 対魔殺法の達人である凜花だったが、まだまだ経験は薄く未熟である。

 柔よく剛を制すと理想を囀る輩は後を絶たないが、剛よく柔を断つ現実の方が圧倒的に多い。

 

 正に紙一重、鼻先を掠めるような一撃を避けるが、恐怖によって大きく退いてしまった。

 その隙を、死霊騎士として戦い続けてきたデュラハンを見逃す筈もない。

 

 大振りではあるが、繋ぎは上手く隙も少ない。

 凜花もこのままでは追い詰められるのは分かっている。分かってはいるが如何にもならないのだ。

 

 戦闘において、儘ある現実。

 今はまだ耐えるしかない。逆転の糸目、反撃の機会は必ず訪れる、と。

 

 

「――――ふっ!」

 

「なに……っ?!」

 

 

 顔面に放たれた拳を、鋭い呼気と共に捌く。

 

 相手の拳にそっと手を添え、緩やかにすら見える動作。

 だが、デュラハンと凜花の身体能力を考えれば、凄まじい速度で行われているのは疑いようもなく。

 

 身体の外側へ、大きく拳を誘導し、デュラハンの体勢を崩してのけた。

 これ以上ない機会に凜花の右拳に大きく力が籠った。引き絞った弓に番えられた矢の如く、一直線に敵へと向かう正拳を放たれようとして――

 

 

「チィっ……!」

 

 

 ――凜花は、横合いから放たれた黒い瘴気の一撃に、距離を取らざるを得なかった。

 

 絶好の機会を無為にされ、凜花は距離を取りながら歯噛みする。

 

 厄介なのは、何もデュラハンだけではない。彼女のゴーレムと瘴気もまた厄介だ。

 ウィスプとは違い、複数のゴーレムを生み出せるわけではなく、一体だけではあるようだが、攻撃の威力はその分、凶悪。

 

 加えて言うのなら……

 

 

(何て厄介な。ゴーレムの方――いえ、彼女の瘴気も、また一撃必殺とは……)

 

 

 チラリと視線を向けた先は、今し方回避したゴーレムの一撃が当たった先だ。

 当たったのは工場の天井と地面を繋ぐ剥き出しの鉄柱であったが、黒い瘴気を受けた部分は石と化している。

 

 瘴気に犯された部分の石化。それがデュラハンの能力らしい。

 ただの攻撃も一撃必殺であれば、能力すらも一撃必殺。

 

 誰の目から見ても、凜花の不利は明らかであった。

 

 

(でも、相性は良い。これなら、アレを試せる……!)

 

 

 しかし、凜花は冷静であった。

 射程、腕力、脚力、速度、耐久。全てが劣っているにも拘わらず、彼女の目は死んでいない。

 

 恐怖は覚えつつも、怯え竦む様子は見られず、勇猛果敢に前へ出た。 

 黒蠍から放たれる黒い砲弾を巧みに躱し、時に地を蹴り、時に獣の如き低姿勢で掻い潜る。

 

 デュラハンはもう間近。

 油断か、慢心か、凜花の技量によるものか。

 無防備ですらデュラハンの腹部に、渾身の一撃を叩き込む――!

 

 

「こんなものか」

 

「――――っ!」

 

 

 確かに内臓を破裂させる拳打だった。

 デュラハンの頑強さを鑑みても耐えられるはずがなく、事実として拳を介して伝わってきた感触は内臓を破裂させていた。

 

 だが、相手は死霊騎士だ。

 痛みとは生命の本能。死を避ける為に発生する生理現象に過ぎない。

 故に、不老不死たる死霊騎士に痛みなぞ、そうそう感じはしない。それこそ、元の形が何なのか分からない程の破壊でなければ、欠片の痛みも覚えないのだ。

 

 叩き込んだ右手首を掴まれ、凜花は失敗を悟って全身が総毛だった。

 これから何をされるのか。これからどんな痛みを覚えるのか。これからどんな苦しみに耐えねばならないのかを悟ったのである。

 

 

「――――そらっ!」

 

「……が、っはぁ!」

 

 

 手首を掴まれたまま、球技のボールのように、馬鹿げた速度で凜花の身体が宙を舞った。

 地面と平行に投げ出された身体は石と化した鉄柱に背中から激突し、石を砕くだけに留まらず、そのまま地面を転がっていく。

 

 肺の空気は全て体外に排出され、せり上がった横隔膜が呼吸を阻害する。

 胃から上ってきた鉄の味を飲み下し、凜花は尚もデュラハンを睨みつけた。

 背骨が砕けなかっただけで奇跡的だというのに、この気概。凄まじいものがある――――が、デュラハンにしてみれば、それだけだ。

 

 

「それでは動けまい。これで終わりだ」

 

 

 無慈悲な宣言と共に、デュラハンは手の平を差し出した。

 すると、黒い瘴気が凜花に向かって溢れ出す。

 

 ゆっくり、ゆっくりと。確実に死に至る病のように。

 黒い瘴気は緩やかに、だが確実に訪れる細波(さざなみ)のように、凜花へと向かっていく。

 

 立ち上がることすら叶わない凜花に為す術もなく、石像と化す運命しか残されてはいない。

 

 

「――甘い、わね」

 

「……何、だと?」

 

 

 黒い瘴気は凜花を確実に届き、犯していた。

 ――にも拘らず、凜花は何事もなかったかのように立ち上がった。

 

 これにはさしものデュラハンも唖然とする他ない。

 今まで己の瘴気が通用しない相手など存在しなかった。

 身体が岩で出来た種族などには通用しないだろうと予測はしていた。

 だが、対魔忍と言えど只の人間に、通用しない筈がない……!

 

 

「貴、様……何をした!」

 

「答える義理なんてないわ」

 

 

 石化どころか、先の一撃で与えたダメージすら無くなっているかのような姿に、デュラハンは怒りを露わにした。

 人間風情が、屍の王から授かった瘴気を無効化するなど、断じて在り得ない――そんな傲慢な考えを抱いているのだろう。

 

 けれど、それは厳密に言えば間違いだ。

 

 確かに効いている。効いてはいるが、効いた端から元の状態に戻っているだけである。

 

 

『凜花、お前の煙遁の利点はな、身体を煙に変えられるってことだけじゃないぞ?』

 

『と、言われましても……』

 

『だからもう一歩踏み込めって。身体を煙に変えられる。そして、更に煙から身体を元に戻せる、だろ?』

 

 

 そう。単純な理屈だ。

 石化していく端から凜花は身体を煙に変え、煙から身体へと戻している。ただそれだけの話。

 無論、凜花の変化速度が、石化速度に勝っているが故に行える荒業だ。

 

 そして、痛みはなくなるが、覚えてはいる。

 肉体の破壊はなかったことになるものの、ダメージが消える訳でもなく、体力が回復する訳でもない。

 

 

『つまり、煙から戻す際に正常な姿に戻せれば、疑似的な回復能力、不死にもなるって寸法だ』

 

『えぇー…………いえ、そんなこと、考えたこともなかったですけど、出来る、の、かしら?』

 

『その為には、まずは自分の身体を知ることだ。という訳で、お前には専用の訓練を与えます』

 

 

 そして、与えられたのが一冊のスケッチブックであった。

 一日に何度も何度も、身体を眺め、正確に模写していく。

 

 それだけではない。目を閉じ、自分の身体を完璧に頭に思い浮かべるようになるまでイメージした。

 

 

『あ、あの、こんなの恥ずかしい、です……』

 

『駄目だ。効率良いだろ? 気持ち良くて、修行にもなるなんて、さ?』

 

『それは、そうです、けど……ぁんんっ♪』

 

 

 虎太郎に抱かれる際、鏡の前で自分の恥部から痴態から眺める羽目にもなった。

 

 結果として、意味などあるのか疑問だった訓練は成果を得た。

 肉体から煙へ、煙から肉体への変化速度は向上。手足しか煙と化せなかった変化部位は、今や全身へと至っている。

 お陰で、回復だけではなく、回避能力も向上した。通常の人体では避けられない攻撃も、煙と化すことで無効化できるようになった。

 

 射程を伸ばす、という使い方しか思いつかなかった自分とは違う異次元の発想に、凜花はドン引きであったが、こうしてみれば感謝しか浮かんでこない。

 

 ほんの一歩でも誤れば、永遠に煙と化して元に戻れない荒行であるが、虎太郎の課した訓練が功を奏したのか、今では呼吸をするかの如く容易に行えた。

 

 

「成程。忌々しい話だが、お前には私の攻撃は通用しないわけか――――だが、お前の能力にも限界があるはずだ。真実、不死身の私と死ぬまで戦えるか?」

 

「ええ、その通り…………だから、此方も一撃で事を終わらせる」

 

「ほざけ――!」

 

 

 凜花は再び地を蹴った。

 デュラハンは、ゴーレムに瘴気を放たせて迎え撃つ。

 

 これでは、先程の再現だ。とどのつまりは千日手に過ぎない。

 

 

(浅はかな! 味方の援護でも待つつもりではないか!)

 

 

 互いに決め手に欠ける相手。

 だが、デュラハンの有利は動かない。

 事実である。体力的にも、不死の理屈に関しても、死霊騎士の方が一段上である事実は決して覆らないのだから。

 

 但し、先程とは違う点が一つだけあった。

 

 凜花の手の内に握られていた物体の存在である。

 

 

「猪口才な……!」

 

 

 凜花が手から投げはなった物体は、煙玉であった。

 デュラハンの足元に投げられた瞬間、煙玉は役割通りに煙幕を張り、視界を封じる。

 

 

(何のつもりだ! 時間稼ぎにしたとこ――――何だっ?!)

 

 

 凜花の次なる行動を予測したデュラハンであったが、起きた出来事に硬直した。

 

 突如として、煙幕が消え去ったのである。

 まずありえない。ここは建物の内部、強風が吹く筈もなく、空気の流れも緩慢だ。

 そもそも煙玉は逃走用、敵の視界を遮る道具。風に流されぬように調合され、その場に長く残り続ける筈だ。

 

 晴れた視界の先では凜花が右肘から先を失くした状態で立っていた。その表情には会心の笑みが張り付いている。

 

 

 ――凜花が無くなった右腕を振り下ろすような動作を見せた。

 

 

 次の瞬間、デュラハンの周囲が黒く染まった。

 窓から差し込む月光が何かに遮られたのである。

 戦闘中にも拘わらず、デュラハンは本能的に頭上を見上げていた。

 

 

「――――っ!!」

 

 

 最後にデュラハンが見たものは、凜花の拳だ。但し、何十倍も膨れ上がった巨人の拳である。

 

 悲鳴すら上げる事も叶わず、突如として出現した巨大な質量がゴーレム諸共デュラハンの身体を押し潰す――!

 

 肉が潰れ、骨の砕ける音は、巨大な物体が地面へと叩き付けられる轟音に掻き消された。

 

 煙遁・天手力。

 虎太郎の発想を元に、凜花が独自に生み出した新たな術。

 本来、煙遁は身体を煙に変え、操る忍法である。故に、自分の身体から変換した煙以外は操れない――と、少なくとも凜花は思っていた。

 

 しかし、新たな発想は、凜花にも新たな使用法を考え付かせた。

 自らの一部を煙に変え、別の煙に混ぜれば、自らの一部と出来るのでは……?

 

 その発想を元に編み出したのが、これだった。

 

 結果は御覧の通り。

 凜花は煙を混ぜることで操ることを可能にしただけではなく、自らの身体を巨大化させることも可能としたのである。

 

 

「虎太郎さんに言わせれば、面白味のない使い方でしょうけど」

 

 

 巨大化した右拳を煙幕に戻し、更に混ぜた肉体の一部(けむり)を元の状態に戻す。

 何度か手を握っては開きを繰り返し、支障がないかを確認する。

 

 彼女ほどの才能であっても、生半可な覚悟と努力では実現できない技であったようだ。

 

 

「さて、ゆきかぜちゃんの援護――――の必要はないみたいね」

 

 

 突如として生み出された白い閃光と爆音に、凜花はゆきかぜの勝利を確信した。

 

 

「なら、ワイトさんの方ですけど――――虎太郎さん、酷い事してなければいいけど」

 

 

 ゆきかぜ同様に、新生した鬼腕の対魔忍は大きく溜め息を吐いた。

 虎太郎のド外道ぶりは嫌と言うほど分かっている。死なないと言うだけの理由で、どんな行為でも起こしかねない男だ。

 

 目的を果たした凜花は勝利の余韻に浸る暇もなく、次なる目的に向かって走り出した。

 



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『苦労に苦労を重ね塗りされるのが、苦労人のスタイル!』

 

「…………馬鹿の一つ覚えみたいに何度も何度も。よく飽きねぇな」

 

「はぁっ……はぁ……黙れ!」

 

 

 ハンヴィーの屋根の上に片膝を立てて腰掛けた虎太郎の心底呆れ切った口調に、ワイトは肩で息をしながらも明確な殺意で返した。

 消耗しながらも戦い当初から変わらぬ姿勢を貫くワイトに肩を竦め、虎太郎は十分な余力と必要以上の警戒を見せながら、ハンヴィーの上から降りる。

 

 次の瞬間、ワイトの操る死体が襲い掛かってくる。

 地面に落ちた砂糖菓子に群がる蟻のようだ。

 ただ、決められた事柄を遂行するだけの傀儡。昆虫染みた機能の権化。

 

 ――その只中に放り込まれて尚、虎太郎の動きに淀みはなく、迷いも見られない。

 

 虎太郎は全ての攻撃を紙一重、最小限の動きで躱していた。

 素晴らしく、また凄まじいの一言に尽きた。

 擦り抜けられないとしか判断できない死体と死体の隙間に身体を滑り込ませる神業を、呼吸をするかの如く成功させ続ける。

 

 まるで、よく出来た殺陣か舞踊でも始まったかのよう。

 

 ()()に通ず。その逆もまた然り。

 極まった舞と武は似通ってくる。舞踊にはリズムがあり、戦いも敵ですらも同様だからだ。

 

 誰にとて動きやすい動作やテンポは存在する。ましてや相手は単調な拍節しか持たぬ死体共。

 幼少期、周囲の全てが敵であり、対魔忍となっても頼りになる奴がいないからと、積極的に組むのはアルか九郎程度しかいない虎太郎には、一対多など慣れすぎるほどに慣れ切った状況だった。

 

 しかし、敵は生ける屍ばかりではない。

 ワイトは群がる死体の中に飛び込んでいた。

 無数の死体に紛れ、死体へと姿形を変えて襲い掛かる戦法。それこそが、ワイトの最も得意とする戦い方だ。

 レイスとしての能力と死霊騎士としての能力が、実によく噛み合っている。

 

 

「………………はあ」

 

「――――くっ?!」

 

 

 けれど、後方から振り抜かれた爪撃は空を斬るだけ。

 腰を低く落としただけの回避。ワイトの目から見ても、十分な余力を残した回避であった。

 

 反撃が来る――と判断したワイトはこれから訪れるであろう痛みと衝撃を予想して身構えたが、虎太郎は亡者の垣根を飛び越えて、再び距離を取っていた。

 

 戦いが開始された直後から、虎太郎はずっとこの調子だ。

 攻撃を躱すか、受けるかだけ。攻撃を加えるのは、死体ばかりでワイトには一切手を上げていなかった。

 

 明らかに自身を小馬鹿にした行為に、ワイトの怒りと苛立ちは募っていく。

 

 

「人を、どれだけ馬鹿にすれば気が済むの……!」

 

「馬鹿になんぞしているものかよ。オレはオレのやりたいようにやっているだけだ。……それで? こっちの質問には答える気になったか?」

 

「誰が……!」

 

「そうかい。付き合ってやるよ」

 

 

 虎太郎に馬鹿にしているつもりは毛頭ない。

 ただ、自分が此処に残ってまで果そうとしている目的を優先しているだけ。

 

 話を聞きに来た。本当に、ただそれだけなのだ。

 

 任務という点に関しては、津村 萌音を救出した時点で終わっている。

 魔族であるワイトを五車町内部に引き入れた事実も、闇に葬り、知らぬ存ぜぬを通せばいい。

 老人共の勢いばかりで情報収集を怠った責任追及であれば、根回しと口八丁で如何とでも出来る。

 

 どうでもいいこと、どうとでもなることは問題とは呼べまい。

 虎太郎にとっての問題は、其処ではなかった。

 

 成り行きとは言え、ワイトを助けた責任が己にはある。

 仮り初めとは言え、ワイトが向けた信頼に答える義務が己にはある。

 

 だから、ワイトの選択を聞くまでは、己もまた方針を決める訳には行かなかった。

 

 彼らしからぬ防戦一方の展開の故は、ただそれだけの話だった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「――――シッ!」

 

 

 鋭い呼気と共に、鋭い蹴りが放たれた。

 爪先が美しい弧を描く軌跡。全身の重心移動と筋肉の乱れない挙動から生み出される速度と威力は、大鎌による一撃のようだ。

 信じられない速度で振り抜けれた脚は、腐った死体の首を何の抵抗もなく断つ。

 

 これで都合30体。虎太郎が忍法を使わないまま、ワイトに攻撃を躱し続けた上での成果だった。

 

 仮面の下では涼しい表情をしているであろう虎太郎に、ワイトは肩で息をしながら睨みつけている。

 

 弱い、とは思ってはいなかった。

 手練れと判断できる対魔忍を率いる男が弱い筈はない、と。

 だが、これほどまでとも思ってはいなかった。それほどまでに日常生活における虎太郎の擬態は完璧だった。

 

 

(戦闘が苦手、という訳じゃないようだが、詰めが甘い。手勢が減って、焦ってもいるだろう。そろそろ、いけるか?)

 

 

 亡者の群れを排除し、ワイトの戦法を封殺してのけた虎太郎は、高揚も優越もないままに冷徹に観察を続けていた。

 

 ワイトの能力は確かに驚異的だ。

 自身の姿を亡者に変え、操っている亡者に紛れての攻撃。

 最早、単調に真正面から襲い掛かっても奇襲となるだろう。これを容易に回避など出来る筈がない。

 

 虎太郎が不可能を可能にした理由は二つ。

 

 一つは単純にワイトの動きが、亡者のそれとは違っていた事。

 自らの意志を持って動くモノと何者かに操られて動くモノには、差異が現れて当然だ。

 戦闘という状況下においてすら陰りも曇りも見せない観察眼から、挙動の変化を見抜いていた。

 

 一つは亡者共の中に、見たことのない顔、同じ顔が二つ現れた事。

 虎太郎は既に亡者共の腐り落ちた顔立ちを戦いの中で完璧に記憶していた。

 そこで首から上を破壊した筈の死体が現れれば、全く別の顔が現れれば警戒するのは当然のことだった。

 

 ――何にせよ、まともな発想でもなければ、精神でもない。

 

 生死のかかった戦いの中で、其処までの冷静さを保てるのも異常だ。

 人界の格闘術、洞察術、記憶術だけで、死霊騎士に対抗する技量もまた異常。

 

 技術にせよ、技能にせよ、人界の(わざ)も、魔界の(わざ)に劣ったものではない。

 そんな思考が透けて見えてくるかのようだった。

 

 

「…………あっちの方は、終わったみたいだな」

 

「アイツ等……ッ!」

 

 

 工場全体を揺るがす振動と大音響の二重奏。

 大規模な破壊を伴い大出力の攻撃。ウィスプ、デュラハン共にそのような攻撃手段を有していない。

 

 つまりは、あの二人はゆきかぜと凜花に敗北したのは間違いないということだ。

 

 

「まだ続けるか……?」

 

「当たり前、でしょう……!」

 

 

 歯を剥き出しにした怒りの形相。まるで狂犬そのもの。

 事実として、今のワイトは狂犬に等しい。主人の命ではなく、自らの感情や欲望に従って動く犬は、等しくそう呼ばれるものだ。

 

 

「もう、後戻りなんて出来ないんだから……!」

 

「ほう、それは良い事を聞いたな。まるで、後戻りしたいと言っているように聞こえるぞ?」

 

「っっ…………だま、れぇえええぇぇええええっっ!!」

 

 

 虎太郎の核心を突いた一言に、ワイトは目を見開いて真正面から襲い掛かった。

 

 死人を操ることもない、姿を変えさえもしない。

 ただ、子供が癇癪を起したかのように、一刻も早く目の前の男の口を塞ぎたくて仕方がないとばかりに。

 

 この男は屍の王に贄としてすら捧げない。

 殺したとしても生ける屍として操りもしない。

 肉体諸共、魂まで千々に引き裂いて闇へと返す。そうでもしなければ、自分は――――

 

 ワイトの爪撃は、大型の肉食獣を彷彿とさせた。

 触れれば特殊繊維であっても引き裂き、肉を骨ごと断つ魔獣の連撃。

 

 対し、虎太郎の動きは緩やかですらあった。

 己に向かって放たれるワイトの手首にそっと手を添え、自身の身体の外側に押し出す。

 

 捌きを骨子とした名も無き格闘術。

 魔族は身体も能力も人間の理解の外にある。

 防御は愚の骨頂。基本として、攻撃は受けずに捌くか回避の二択に絞られる。

 そして、身体能力で上を行くのもまた無謀。故に、先の先を取るのではなく、後の先、或いは後の後を取る。

 

 敵の動きを先読みし、十分な余力と共に捌き、技後の隙に致命の一撃を叩き込む。

 実に単純な理屈。だが、単純であるが故に、分かっていたところで如何にもならない。 

 これを崩す方法は二つ。捌けない攻撃を仕掛けるか、攻撃に転じれない手数で攻めるか。

 

 生憎と、ワイトにはどちらの手札を有してもいなかった。

 

 

「おい、ワイト。いい加減に答えを聞かせろ」

 

「答えろですって?! 答えなんて初めから決まってる! 私は、死霊騎士(レヴァナント)! 屍の王(レイスロード)様に仕え――――」

 

「だから、オレが聞きたいのは、そんな他人に刷り込まれた言葉じゃねぇんだ」

 

 

 捌いた手首を掴み、蜘蛛の糸のように絡め取る。

 絶好の機会であるにも拘らず、虎太郎はまたも攻撃には至らず、仮面越しにワイトと目を合わせるばかり。

 

 仮面越しでは、どのような視線を向けられているのかはワイトには分からなかった。

 だが、虎太郎の言葉から仕草からの全てが、ワイトの怒りを沈めさせ、冷や水をぶちまけられた気分にさせた。

 

 

「……何を、言ってる、のよ」

 

「何度も言っている。お前が何を選択し、どうしたいのかを聞かせろってな」

 

「…………そんなの、決まってる」

 

 

 屍の王に全てを捧げ、死霊騎士としての使命を全うする。

 

 それが死霊騎士にとっての全て――――そう、自分自身に必死で言い聞かせていた。

 

 

「ソイツは嘘だな。お前は言った。後戻りは出来ない、と」

 

「……………………」

 

「オレ達との――――もっと正確に言うのなら津田 萌音との関係ばかりじゃない。もう、昔の自分自身には戻れない、そういう意味でも在った筈だ」

 

 

 ワイトは口の端を噛み、苛立ちを募らせる。

 

 その理由も分かっていた。

 自分の触れられたくない部分に触れられているからこそ、必死で目を逸らそうとしている部分を目の前に突き付けられているからこそ、心はささくれ立ち、意固地に否定しようとしている。

 

 

「私は、死霊、騎士、なんだから……」

 

「ああ、そうか。それがどうした? 生まれは誰にも、どうにもできん。だが、その形に生まれ落ちたからと言って、生き方を選ぶのはソイツ自身だぞ?」

 

「何も知らない癖に、簡単に……」

 

「そう見えるか? オレもお前と似たようなもんだ」

 

 

 かつて虎太郎はふうまの嫡男として生まれ、次期当主としての地位が約束されていた。

 だが、ふうま 弾正の馬鹿さ加減に嫌気が差し、全てを投げ捨てて逃げ出し、一族郎党を売り払って、今は対魔忍などやっている。

 

 自分自身でも頭痛を覚えるほどの馬鹿さ加減だが、その選択に後悔などない。

 苦労も苦難も一塩だったが、アレはアレでいい経験だった、と今はそう考えていた。

 

 誰もが己と同じく、生まれに関係なく、自らの意志で人生を決定できるわけではないのは重々に承知の上。

 それでもなお、他者に選択の道を強要するのは、折角の機会を無駄にすることはない、と考えているからだ。

 

 

「お前が苦しむのも、裏切者の汚名を被るのも理解している。だが、選べ。他の誰でもないお前だけの意志で」

 

「………………………………分から、ない」

 

 

 虎太郎の意志に押され、ワイトの口から血を絞り出すような声が漏れた。

 

 どうしていいのか、分からない。

 ただ屍の王を妄信するだけだったワイトには、選択など不可能だ。

 全て自分の意志で選択してきたように見えて、死霊騎士には一つの選択肢しか与えられてこなかったのだから。

 

 今にも泣き出しそうな表情で己を見上げるワイトに、虎太郎は仮面越しに頭を掻いた。

 どうやら、自分の言葉が、事選択という点に関しては赤子同然の彼女にとって、余りにも難解であったと認めたようだ。

 

 

「そうか。なら、もっと簡単に言おう」

 

「…………」

 

「お前が、今一番やりたいことは、何だ?」

 

「――――――あぁ」

 

 

 その一言に、ワイトの表情が崩れた。

 最後に残った一線を、虎太郎の言葉によって粉々に砕かれた。

 

 

「あ、あの子に、会いたい……あの子に、謝りたい……!」

 

「そうか。そりゃあいい。オレなんぞよりも、よっぽど上等な理由だ」

 

 

 どんな目に合っても構わない。

 どんな言葉で罵られても構わない。

 

 ただ、会いたい。

 会えなくてもいい。遠目で、萌音の無事な姿さえ見られれば。

 

 ただ、謝りたい。

 許されなくてもいい。あの時、あの瞬間、自分を助けようと勇気を振り絞った貴女に、何も出来なかったことを謝りたい。

 

 守ってあげられなくて、ごめんね。

 助けてあげられなくて、ごめんね。

 

 

 萌音の安否を何も知らないまま、何も見ないまま、何も謝らないままに分かれるのは嫌だ。

 

 ワイトの胸中を締めていたのはただそれだけ。屍の王に対する忠誠など残ってはいない。

 

 僅か数週間の交流。それが長年、仕えていた相手への裏切りに足るものか。

 十分過ぎる理由だろう。屍の王との間では決して芽生えない、萌音との間に確かに育まれた暖かな何かがあったのだから。

 

 

「なら、手を貸してやる。オレにはお前を助けた責任と、お前を助ける義務があるからな」

 

「…………だんな、さま」

 

「まだオレをそんな風に呼ぶのか? 物好きだな、お前も」

 

 

 虎太郎の科白は呆れたものだったが、自分自身の決断を下したワイトへの祝福が込められていたのか、口調そのものは酷く暖かい。

 仮面の下では、優しげな笑みを浮かべていることだろう。

 

 ワイトの手を取り、不安を掻き消すように握り締める。 

 自分のそれとは異なる、岩のように硬くなって、すっかり人間らしさを失った掌。

 恐らく、モノを殴り過ぎて痛みも感じなくなった掌は、それでもなお人間的な温かみで満ちていた。

 

 冷徹で冷酷な男の最後の残り火は、ワイトの中で凍てついていた最後の砦を優しく溶かし――――

 

 

「――――ぁ?」

 

「まさか、貴様が裏切るとは。思いもよらなかったぞ、ワイトよ?」

 

「…………っ!」

 

 

 ――その全てを台無しにするように、、ワイトの白い腹部で真っ赤な花が咲いた。

 

 花の正体は、腐った手だ。

 背中から貫通した手は、彼女の内臓を引きずり出し、握り締めている。

 

 一体、何が起こったと言うのか。

 虎太郎にすら理解など出来ない事態であったが、行動は迅速だった。

 

 懐から取り出したクナイを逆手に握り、一息で腹から顔を見せていた手首を切断する。

 力を失い、自分に倒れ掛かってくるワイトの姿は、あの洋館で初めて会った瞬間を思わせた。

 

 ワイトの身体を抱え、虎太郎は大きく後方に跳んだ。

 見れば、手首を切断されたにも拘わらず、平然としている男の姿があった。

 

 平然としているのは当然だ。

 ウィスプが墓の下から這いずり出させた死体の一つ。どれほどの傷を負おうと痛みなど感じよう筈もない。

 だが、疑問は残る。ウィスプもデュラハンも既に倒された。ワイトに抵抗などするつもりはなく、また意味もない。

 

 ――ならば、この死体を操っているのは……。

 

 疑問に答えを導き出しつつも、虎太郎は死体に訪れた変化に目を奪われる。

 

 膨大な量の魔力と瘴気が死体を覆っていく。

 黒――などを超越した闇色の魔力と瘴気が全身を覆ったその姿は、三次元に抜け出してきた人型の闇そのもの。

 

 この威圧感。この存在感。この魔力と瘴気。

 何度か相対したことのある不死の王に匹敵し、敵対する存在。即ち――

 

 

「……レイス、ロード、様」

 

 

 ――屍の王において、他にはいなかった。

 



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『これが! これが! 苦労人の本気(のおちょくり)だ!』

 

 余りにも深く、余りにも濃い瘴気が工場を満たしていく。

 常人ならば肉体、精神共に変調をきたす次元の濃度。

 

 その中心に立つのは屍の王。

 水底に沈んだ数多の死体と怨嗟の声から生まれ落ちたとされる、魔界の神ですら予期しなかった存在。

 

 立体を持った人型の闇。

 最早、そのように表現する他ない。

 

 

「――――…………」

 

 

 突如として現れた屍の王が、まず行ったのは裏切者の始末であった。

 

 ワイトはあの瞬間、確かに選んだ。

 屍の王への忠誠と萌音に対する想いを天秤にかけ、自らの(いし)で萌音の側へと傾けた。

 

 ワイトに裏切りの認識はなかった。ただ、自らの願いを口にしただけだ。

 だが、屍の王にとっては明確かつ度し難い裏切りのようであった。

 

 

「が……っ、……ぶ…………」

 

 

 ワイトは腹に開いた大穴だけでなく、口や鼻からも血塊を吐き出している。

 ただでさえ冷たい身体からは、血液と共に熱が失われていく。

 

 まずありえない事態である。

 レイスは不老不死の肉体を持つ種族。中でも死霊騎士は、極めて高い身体能力と再生能力を持つ。

 人間ならば即死に至る傷であっても、彼女たちにとって致命傷にはなり得ない。

 

 しかし、今回は違っていた。

 ワイトの身体からは命――と言っても、生まれを考えれば命と呼んでよいのかは疑問であるが――が失われつつある。

 

 出血だけではない。ワイトの身体はゆっくり、ゆっくりと手足の先から腐り、干乾び、風化している。

 このままでは五分としない内に、ワイトの身体は塵と化すだろう。

 

 

「ワイト、貴様を真っ当な節理へと返してやる。何一つ得られないまま、絶望と共に死ね。裏切者には相応しい末路だ」

 

 

 もし仮に、虎太郎の推測が的を射ていたのなら、ワイト――どころか、レイスと呼ばれる種族は、屍の王に死体から造られた玩具だ。

 屍の王こそがワイトを造り出した。ならば、不老不死であるはずのワイトを殺すことも決して不可能ではないだろう。

 

 死霊騎士の不死の秘密。その根幹は、呪詛にこそある。

 肉体――それも血や骨ではなく塩基配列にまで刻まれた最上級の不死の呪い。

 呪いは魂を縛り上げ、魂を肉体に固着させる。肉体がある限り魂は天へ召されず、魂がある限り肉体は不滅。

 

 その呪いを(ほど)いたのだろう。

 呪いによって捻じ曲げられた節理は、解呪によって真っ当な流れへと戻る。

 何十年、何百年と経った死体がどうなるか。ワイトの行きつく先は、そこだった。

 

 

「――――あぁ」

 

 

 崩れていく手足に、猛烈な寒さに襲われる感覚に、ワイトは悲鳴すら上げず、諦念の吐息を漏らす。

 

 死霊騎士が必死になって屍の王に仕えるのは、何も抗いようのない甘美な悦びを求めるだけではない。

 この恐怖、この結末を回避する為にこそ、全てを捧げて仕えているのだ、とワイトは悟った。

 

 しかし、彼女に恐怖はなかった。寧ろ、当然と考えていた。

 死霊騎士の裏切者など、存在してはならない。存在してはならない以上は殺されて当然だ。

 だが、それ以上だったのは、裏切者という汚名ではなく、臆病者という羞恥。

 

 あの時――ウィスプが、萌音を手に掛けようとした瞬間、何をしていたか。

 何もできなかった。何も、しなかった。屍の王への忠誠と萌音に対する想い、自身にとってどちらがより重かったのかなど、答えは出ていた筈なのに。

 

 裏切者の臆病者には、相応しい末路。

 萌音に対する多くの無念と悔いを残しながらも、避けようのない破滅を受け入れて――――

 

 

「…………ふ、ふ」

 

 

 ――――ふと、目に入ったモノに、思わず笑みを浮かべてしまった。

 

 視界に映ったのは、仮面に覆われた顔で自分を見下ろす虎太郎であった。

 何の動揺もなければ、何の迷いも見られない。最早、死霊騎士ですらなくなり、死体へと戻ろうとしているワイトに声すらかけない冷酷無慈悲な態度。 

 

 ワイトも、ようやく気付いた。

 違う、これは違う、と。何もしないのではなく、何かを待っているだけだ、と。

 

 思えば、虎太郎は何時でもこれだ。

 自分の意志を優先するが故に、相手の全てを否定しているように見えるが、そこには確かな尊重があった。

 

 

「…………たす、け……て」

 

「――――――任せておけ。お前を奴から奪ってやる」

 

 

 ワイトの懇願に、虎太郎は静かに頷く。

 冷たくなっていく手を重ねるその姿は、命に対する確かな優しさがあった。

 

 

「く、は、はははははっ! 任せておけ? 任せておけだと? 何を任せると言うのだ。卑小で愚劣な人間に、私を越える(わざ)があるとでも言うのか!」

 

 

 屍の王の哄笑が響く。

 

 ある訳がない。

 死人を一時的に蘇らせる反魂の術、それに近い何らかの能力を保有している者は居るかもしれない。

 だが、あくまでも一時的なものだ。屍の王のように、己の意志で恒久的に死者を生かし続けることは不可能である。

 

 

「――――はぁ」

 

 

 己を嘲笑う屍の王に対して虎太郎が見せたのは、怒りですらなかった。ただただ大きな溜め息をついただけ。

 

 その溜め息に、屍の王の笑いがピタリと止まった。

 溜め息にも色々と種類があるだろう。安堵に疲労――そして、呆れ。

 誰が耳にしても、虎太郎の溜め息は、大きな呆れを含んだものだった。

 

 虎太郎の溜め息と態度は、屍の王の琴線に触れた。

 何一つ出来ず、助けを求めるワイトを救えず、ただ眺めていることしかできない人間風情が、この私に愚かな感情を向けるなど、あってはならない、と。

 

 

「おい、不死者というものは知ってるか……?」

 

「…………何?」

 

 

 虎太郎は余りにも唐突に、この場、この状況にそぐわない話題を口にした。

 

 不死者とは魔女の使役する奴隷である。

 魔女の扱う魔法は、効果が大きければ大きいほど、威力が高ければ高いほど、発動までに時間が掛かる。

 使用する魔力は多くなり、組み上げなければならない術式は複雑化し、唱える呪文も長くなる。

 

 敵前でそんな隙だらけの姿は見せられない。だが、そうしなければ敵を倒せない。

 

 この欠点を補うため、古の魔女が生み出したのが不死者だ。

 対象の魂を自らの身体に取り込み、自らの力の一部を分け与えることで不死とする。

 簡単に言えば、魔法を発動させるまでの時間稼ぎ役、或いは肉壁と言ったところか。

 

 但し、魔女と対象の魂の相性が良くなければ、魔法自体が成立しない、という欠点も存在しているが。

 

 無論、屍の王はその程度のことは知っている。

 過去、戦った強者の中には、戦争を仕掛けた相手の中には魔女もいれば、魔法魔術に精通した種族も居た。

 その最中で、確かに不死者と呼ばれる存在を目にした、聞きもした。

 

 

「それがどうした? 異界の存在と契約を交わし魔術師となった訳でも、生まれ持った強大な魔力で魔法を収めたわけでもない貴様に、何が出来る?」

 

「その通り。この状況は流石に予測していなかった。オレには何も出来ない」

 

「ふっ、ならば――――」

 

()()()()、な」

 

 

 己には何も出来ない。虎太郎は嘯きつつも、髑髏の下で笑みを浮かべる。

 

 屍の王の襲来など、本当に予期していなかった。

 精々あったのは、別の死霊騎士を送り込んでくる可能性程度のもの。

 そもそも組織、集団の長が裏切者の始末に自ら乗り出すなど、笑い話にもなりはしない。

 

 何処かの不死の王ならばやりかねないとは思っていたが。

 屍の王も虎太郎にしてみればブラックと同類項の愚か者と認識された記念すべき瞬間である。

 

 そして、この状況を予期していなかったとしても、この状況を何とかできる手段を用意はしてあった。

 

 

「生憎だったな、屍の王。オレは異界の神と契約を交わしちゃいないが――――人の世で生まれた機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)が憑いてるんでね」

 

【ついている、のニュアンスが少々引っかかりますが、今回は聞き流してあげます】

 

(どうもー。この馬鹿に、目にもの見せてやれ)

 

【承知しました】

 

 

 屍の王には聞こえない会話を交わす。

 

 ――次の瞬間、虎太郎を中心に巨大な魔法陣と無数の空間ウィンドウが浮かび上がる。

 

 正確には虎太郎を中心に、ではなく、アルフレッドの端末を中心に、である。

 アルフレッドの存在を知らぬ屍の王には、そのようにしか見えなかっただろう。

 

 アルフレッドは異界の神に等しい存在だ。

 多分に我流を含むものの、不死者を造り出すメカニズムを解明し、自分なりの方法で再現するなど造作もない。

 加えて言えば、この発想はアルフレッドによるものではなく、虎太郎によるものである。

 

 虎太郎が着目したのは不死者を造り出す過程で、対象の承認や了承など、まるで関係がないという点であった。

 言うなれば強制契約のようなものだ。本来、魔法における契約は互いの同意が必要不可欠であるが、この不死者を作成する魔法は別であった。

 

 ――なら、この魔法を巧いこと改造すれば、相手の魂を一方的に奪えるんじゃね?

 

 不死者を造り出すことが目的ではなく、相手の魂を奪うことこそが虎太郎の目的であった。

 魂を奪ってしまえば、強制的な主従関係を構築できる。その上、何者であれ、魂は無防備――つまり、強敵の封殺と不死殺しの手段を得ることを目的としたのである。

 

 不死を造る技術を、不死を殺す為に用いる。

 魔女、魔術師、魔法使いにはない発想だろう。

 

 無論、魂自体の相性という問題もあった。

 だが、アルフレッドは、この魔法の術式を対象の魂に合わせて書き換えることで問題を乗り越えた。

 

 これもまた並みの魔女には不可能な事柄。

 魔法とは数式のようなもの。1+1=2という答えが変わらないことと同じように、魔法も結果は常に同じとなる。

 アルフレッドは、魔女などとは比較にならない研鑽の時間と知性があった。魔女には不可能でも、彼には可能な事象に過ぎない。

 

 虎太郎による異形の発想力、あらゆる事態を想定し、準備を怠らない油断のない精神性。

 アルフレッドによる高度な演算機能と、人間よりも遥かに優れた理解力と言う名の創造性。

 

 この二つの前であれば、あらゆる敵は膝を付き、不可能な筈の事象は可能な事象と成り下がる。

 

 

「そのような真似――――させると思うのか!」

 

「邪魔をさせて貰えると思うか? こっちはもう動いている。既にお前は一手――一手だけだが()()()()()んだぜ?」

 

 

 屍の王の瘴気が膨れ上がり、型を為す。

 身体から一本の触手のように伸びたと思えば、巨大な刃の形となる。

 瘴気そのものが屍の王にとっては変幻自在の武器なのだろう。既に虎太郎もワイトも間合いに入っている。

 

 誰がどう考えても、屍の王の方が一手速い。

 ワイトは身に受けた傷故に動けない。

 アルフレッドも強制契約魔法を発動させようとしているが故に手助けは出来ない。

 虎太郎はこれからワイトの契約主となる故に、その場から動けない。

 

 完全な手詰まりである――

 

 

「煙遁・飛び紫煙っ――!!」

 

 

 ――但し、三人に限ればの話だが。

 

 屍の王の横合いから、一つの影が飛び掛かってきた。

 裂帛の気合と共に影――凜花は肘から手首までにかけてを煙に変化させ、二つの拳を放つ。

 只の二撃のみではない。拳が増えたのではないかと錯覚するほどの連打(ラッシュ)

 

 屍の王は、反射的に防御態勢に入っていた。

 刃は形を変えて盾となったが、対魔殺法の達人たる凜花と煙遁の術の前には無意味であった。

 

 魔族の種族は千差万別。如何なる能力を持っているか、いつ何時(なんどき)、何処から襲い掛かってくるか分からない。

 

 対魔殺法を修める上で一番初めに教えられる言葉。

 変幻自在の瘴気であろうとも、教えに忠実であれば、如何様にでも突破は可能――!

 

 

「喰らいなさい――!!」

 

「―――――?!」

 

 

 盾を掻い潜り、屍の王の顎――らしき部分にアッパーカットの形で吸い込まれ、身体を宙に浮かせると、ありとあらゆる方向から拳の豪雨を浴びせ掛けた。

 重なる打撃音は、降り注ぐ豪雨の音そのもの。避ける隙間も、躱す間も与えぬ凜花に可能な最高速の連打。

 

 だが、完璧な奇襲を極めた凜花の表情は苦虫を潰したようであり、額には疲労とは異なる冷や汗が浮かんでいた。

 

 

(駄目、効いていない……!)

 

 

 拳を撃ち込む度に伝わってくる感触は、まるで真綿でも叩いているかのようだった。

 不死の存在を単なる拳打で殺せるなどと考えてすらいなかったが、自身の鍛え上げてきた技術が通用しない現実は、凜花の肩に重く圧し掛かる。

 

 そして、凜花と屍の王の視線が絡み合う。

 

 屍の王に眼球など存在しない影絵の人型にも拘わらず、全身が総毛立つ感覚に、凜花は相手が自分を見ている確信を得た。

 あったのは恐怖だ。其処すら見えない闇を覗き込んだような不安感、闇から覗き込まれているかの如き絶望感。

 

 しかし、凜花が浮かべたのは笑みだ。元より、凜花の目的は別の所にあった。

 

 

「今よ、ゆきかぜちゃん――――!」

 

「――――――も、いっぱあああああああああつッ!!!」

 

「うっ、おぉぉおおぉおおおぉッ?!!」

 

 

 屍の王にとっては唐突に、凜花にとっては当然に。

 宙に浮かんだ人型の影が、背後から放たれた雷の極光に一瞬で飲み込まれた。

 

 紛れもないゆきかぜの雷鎚の術による一撃。ライトニングシューターを犠牲に放たれる、彼女の持てる最大火力。

 

 凜花もゆきかぜも打ち合わせをした訳ではない。

 ただ、屍の王の姿を見て、単純な物理攻撃では効果が薄いと各々が判断した結果だ。凜花はゆきかぜが確実に当てられる足止めを、ゆきかぜは凜花に足止めされた相手に一撃を叩き込む。

 自身の持つ手札と限界を鑑みつつ、最大の効果と損害を発揮できる役割を分担した。こんな所にも、虎太郎の指導が行き届いているようだ。

 

 

「虎太兄! ワイトさんは……?!」

 

「安心しろ。死んでねぇよ。気は失っちゃいるがな」

 

 

 巨大な工場が半壊する事態を引き起こしていながら、ゆきかぜは全く意に介さず、ワイトの安否を虎太郎に問う。

 返ってきたのは虎太郎の何時もと変わらぬ気の抜けた声。間違いなく良い結果となった証左だ。

 

 ゆきかぜと凜花が地面に横たえられたワイトに視線を向ければ、瞼を閉じ、穏やかな呼吸を繰り返している。

 相変わらず死人のような白い肌であったが、頬には赤みを帯びている。誰の目からも明らかに、危機は過ぎ去っていた。

 

 

「よくやった――――と言いたい所だが、詰めが甘い」

 

「虎太郎さん? それは、どういう……?」

 

「仮にも不死と呼ばれる存在だぞ? ()()()()()殺せると思うな」

 

 

 虎太郎は両腕を組んだまま、ゆきかぜが屍の王を吹き飛ばした地点から一時も視線を外さずに注視していた。

 凜花とゆきかぜは顔を見合わせ、虎太郎の視線を追うと、そこには――――

 

 何かあってはならない筈の虚空には、ゆっくりとではあるが確実に、黒い霞のようなものが集まっていた。

 

 

「……まあ、そんなことだろうとは思ったが。凜花、ゆきかぜ。お前達の役目は此処までだ。ワイトを連れて撤退を」

 

「そ、そんな、虎太郎さんを置いていくなんて……」

 

「分かった。虎太兄も、死んじゃヤダからね」

 

「当たり前だ。こんなバカを相手にして死ねるか」

 

 

 渋る凜花を抑え、ゆきかぜは意識を失ったワイトに肩を貸す。

 凜花は何を言うのか、とゆきかぜは無言で首を振った。

 

 虎太郎は一度決めれば、其処に別の思惑や利益が絡まねば方針を曲げない。どれだけ言葉を重ねても意味がないのを知っているのだ。

 例え、自分達の行為が愛した男を戦場に置き去りにする行為であったとしても、自分達には出来ることは残されておらず、足手纏いにしかならないと悟っていた。

 

 屍の王に対して、凜花の攻撃は恐らくは一切通用しない。

 ゆきかぜはライトニングシューターを失ったことにより、能力の応用範囲の幅も狭まり、攻撃性の低下は著しい。

 

 ならば自分達の役目は、虎太郎とアルフレッドが救ったワイトを無事に五車学園へと連れていくこと。

 虎太郎が死んだとしても――もっとも、虎太郎の不死者となったワイトは、虎太郎が死亡すれば死ぬのだが、二人は知らない事実である――ワイトに本懐を遂げさせてやることだけ。

 

 二人は互いに気を失ったワイトをハンヴィーへと乗せると、ゆきかぜはそのまま後部座席に、凜花は運転席に乗った。

 

 

「…………そう言えば、凜花先輩。運転免許って……」

 

「持ってないわよ! 一応、運転の方法は教わってるけど、これが初めて! えっと、エンジンかけて、ギアを入れて、サイドを下ろして、ブレーキを離して、アクセルを踏ん――――きゃあぁあああああぁぁっ!!!」

 

(あ、これ私達の方が駄目かもしれない……)

 

 

 急発進したハンヴィーは、鉄柱に掠め、壁にぶつかりながら何とか廃工場を脱出した。

 

 何とも締まらない二人の姿に自分を重ね、そういう所は似てきて欲しくなかったな、と溜め息をつきながらも、虎太郎は相変わらず意識は黒い霞に向けられていた。

 

 宙に浮かぶ黒い霞は、やがて人型となっていく。間違いなく、屍の王である。

 

 

(何か依代が必要かと思ったんだが、違うのか。何にせよ、奴の正体はガス状生命体に近いモノだろうが)

 

【そのようですね。正確には精神を持った瘴気や呪詛そのもの、と言った趣きでしょうが】

 

 

 かつて、虎太郎は魔界の底からやってきたガス状生命体と交戦した経験があった。

 ガス状生命体は魔界においても珍しい。殆どが理性も精神も持ち合わせておらず、本能のままに襲い掛かるだけだった。

 物理攻撃は全く通用せず、おまけに他者の体内に侵入し、脳を徹底的に破壊した上で肉体を乗っ取る凶悪な存在だ。

 

 唯一の救いは敵の攻略法が存在しており、全体の数が極端に少ない事。

 また魔界の瘴気が濃い場所でしか生きられないらしく、人界での遭遇は廃棄都市の内部に限られる点だ。

 

 

「――――やって、くれたな、人間風情がっ!」

 

「ふん。そうやって自分の詰めの甘さを棚に上げて、他人を罵る辺り、実に魔族らしい。やっぱり一山いくらの魔族と変わらんな。所詮、こんなもんか」

 

 

 心からの本心を伝えつつも、屍の王の怒りを煽りながら、入念に観察する。

 

 虎太郎の読みでは、眼前の存在は屍の王であって屍の王ではない。

 恐らくは、本体から分かたれた分身体。決められた形を持たぬ生命体であるが故に可能な荒業だろう、というものだった。

 

 読みの理由は単純である。

 この程度の戦闘能力では、いくら死なないとは言えブラックに対抗できない。何百年と戦い続けることは不可能だ。

 虎太郎もブラックが本来の力を発揮した全力は目撃も体験もしていない。だが、常に余裕のある態度、激昂時に見せた強大な力は、更なる切り札の存在を示唆しているも同然であった。

 

 加えて言えば、何故初めに死体に取り憑いたのか、という疑問もあった。

 

 

(死体に取り憑いたのは瘴気の消耗を避けるための依代だろうな。瘴気も気体だ。気体は缶にでも詰めたほうが保存が効く)

 

【その表現はどうかと思いますが。この在り様、このような生命体であるのなら、人界への進出を避けているのは……】

 

(魔族の連中は人界に進出すると力の大半を失う連中も少なくない。魔界の瘴気から生まれたのか、魔界の瘴気が意志を持ったようなコイツは、それがより顕著だからだろうな)

 

【辻褄は合いますね。それで、どうするのですか? 殺しますか?】

 

(冗談。分身なんぞ殺してどうする。だが、本気は出すぜ。本気でおちょくってやる……!)

 

【おぉ、神よ……】

 

 

 仮面の下で凶悪な笑みを浮かべた虎太郎に、アルフレッドは絶望の余りに天でも仰いでいそうな声を上げた。

 

 ここで殺したところで意味などない。本体ではなく分身ではないのだから当然だ。

 自分の能力や持てる札を無駄に晒す意義も意味もない。

 元より肉体を持っているかも怪しい存在である上に、どうやら精神性に関しては人間と大差はないのは激昂した様子から明らか。

 

 ――ならば、精神的に追い詰めるだけのこと。

 

 尊厳を圧し折り、心の闇を詳らかにし、羞恥と屈辱を徹底して与え、精神を襤褸雑巾になるまで踏み躙る。

 

 

「しかしまあ、アンタも暇だな。ワイトを大事にしているようには見えなかった。人形に裏切られて腹立たしいのか?」

 

「裏切者を始末するのは当然の事。捨て置けば情報が漏れる。その程度も分からんほどに愚かなのか、貴様は……」

 

「そりゃそうだ。失礼しました」

 

 

 言葉は武器である。

 ペンは剣よりも強し、などという言葉があるが。言葉はより強力である。

 

 古来、審神者や神託者、陰陽師は無駄な会話を嫌った。

 言葉には言霊が宿ると信じており、彼等の発言は事実として多くの人間を動かしてきた。

 

 

「それでも辻褄が合わなくないか? 何も、王と呼ばれる存在が出張ってくるまでのことじゃない」

 

「クク。貴様のような卑小な存在には分かるまい。これが私の力だ……!」

 

「こいつは……」

 

 

 言葉巧みに相手の信じている部分を刺激し、能力を見せびらかさせる。 

 

 屍の王が両手を広げると、工場の内部全体が騒めいていく。

 徐々に。次第に。騒めきの正体が闇の中から現れる。

 

 屍の王の手に導かれるように現れ出でたのは、銀と黒の瘴気であった。

 間違いなく、既に死亡ないし消滅したはずのウィスプとデュラハンの瘴気である。

 

 

「成程、ね。そういうこと。お前にとって瘴気と呪詛は同一のものなわけか。そうやって肉体の消滅した配下の瘴気と同時に魂を回収して、再生させる。こりゃ不老不死なわけだ」

 

「魂さえあれば肉体などどうとでもなる。魂を起点に再生させるも良し。魂を他の器に注いでも良い」

 

「そいつはまた。恐ろしいもんもあったもんだ」

 

 

 言葉の端々に潜む本心と本性を窺い、頭の中で統合し、結論を出す。

 何の事はない。相手の心を読むなど彼にとっては初歩の初歩。

 相手の性格によって戦術を変え、何気ない一言ですらが戦術の一部である男なのだから。

 

 

「――――――成程、もういいよ。お前の底は見えた」

 

「…………何?」

 

 

 つまらん、と言わんばかりの虎太郎の口調に、屍の王は戸惑いを見せた。

 そもそも人型の闇、影にしか見えない屍の王に、この表現は適切ではないが、明らかに表情を歪めていた。

 

 

「――――何故、私だけが」

 

「…………っ」

 

「何故、私だけが違う。他の連中は、正しい形で生を頂いたのに。どうして私は水底で生まれた。憎い、妬ましい、羨ましい、恥ずかしい、恨めしい」

 

「き、貴、様っ……!」

 

「ん? どうかしたか? オレの言葉に、琴線に触れるモノでもあったかな?」

 

 

 余りにもわざとらしい態度で、屍の王の尊厳を嘲笑う。

 

 

「尊大な性格の割に情報の漏洩を恐れているのは何故か? それはその尊大さが、極めて卑屈で自信が無い事の裏返しだからだ」

 

 

 屍の王の心に隠された闇を、鼻で笑う。

 

 

「わざわざワイトを殺しに来たのは、自分と生まれは似ている癖に、自分とは異なる道を歩もうとしたからだな。有り体に言えば嫉妬心だ」

 

「…………!」

 

 

 本心と本性を晒すことで羞恥を煽れるだけ煽る。

 

 

「下らん奴だ。これはブラックも相手にしねぇよなぁ。するだけ時間の無駄だから」

 

 

 相手の抱いていた傷を開き、塩を塗り込み、屈辱でも塗りつぶす。

 

 

「お前の本質は嫉妬と卑屈の塊。だから圧倒的な力で本当に欲しかったが手に入らないもの、羨ましくも妬ましいものを叩き潰す」

 

「…………ぐ、くっ!!」

 

「ブラックにも言ったんだがな。馬鹿でも分かりやすく言ってやろうか?」

 

「…………きっ」

 

「存在自体が傍迷惑なんだよ。誰もお前のことになんて興味がない。興味を持つだけの価値もない。お前がこの世で一番無意味で無価値だ。一生一人でやっててくれよ、頼むから。この構ってちゃんが」

 

「キサマァァァアアアァアアァアアッ!!!」

 

 

 そうやって、精神を襤褸雑巾になるまで踏み躙った。

 

 

「なにコイツ。図星突かれて怒ってやんの。やっぱブラックと同レベルですわ」

 

【このドライモンスター、あのエドウィン・ブラックにも同じ真似をしたんですね……】

 

 

 互いに呆れた口調で漏らす虎太郎とアルフレッドであったが、目の前で起こっている事態は呆れている場合ではなかった。

 

 屍の王の感情に呼応するように、瘴気が膨れ上がっていく。

 どこまでも深く、どこまでも昏く、どこまでも重く――――どこまでも巨大に。

 

 

「何だよ、そりゃぁ……」

 

【これは予測の範疇ですか?】

 

(いんや全く。えぇ~、ナニコレ。ちょっと大き過ぎませんかねぇ)

 

 

 瘴気が形となったのは、歌川国芳が浮世絵に描いた餓者髑髏(がしゃどくろ)のようだ。

 屍の王を包むように展開されたのは、廃工場の天井をぶち破るほどに巨大な髑髏の鎧だった。

 

 10mはあろうかという骨の上半身だけの威容。

 餓者髑髏は埋葬されなかった死者の骨や無念が集まり生まれた妖怪とされている。

 

 人界と魔界。両者ともに別の世界で生まれたにも拘わらず共通点が見受けられるのは儘ある話。

 まして、生まれ方まで同じなど、これ以上ない笑い話である。

 

 但し、屍の王は創作ではなく現実に存在しており、その脅威も当然ながら比較にはならないが。

 

 

「貴様だけは、貴様だけは殺す! 何があっても殺してやるぞ! 私の踏み入ってはならぬ部分に脚を踏み入れた!!」

 

「何を言ってるんだか。お前は散々他人を踏み躙ってきただろ? 自分がやられたって激昂するのは違うんじゃないのか? 笑え、笑えよ。自分を偽るなら笑え。冷や汗一つでも掻いたら負けだぞ?」

 

「死、ネェエエエエエエエッッ!」

 

「おやおや。忠告してやったのになぁ――――お前はもう、負けているんだよ」

 

 

 巨大な髑髏が拳を振り上げる。

 瘴気で出来ているにも拘わらず、確かな質量が存在している。

 とても10mを超えている物体とは思えぬ機敏な動きであった。

 

 これだけの質量、速度であれば、生み出される破壊力は近代兵器に引けを取らない。

 一撃一撃が小型ミサイル同然の威力となるだろう。最早、個人に向かって使うものではない。

 

 虎太郎はそれでもなお冷静であった。

 両手を組んだまま、振り上げられる巨大な拳を見上げるばかり。

 振り下ろされれば自身は、ただの肉塊になる。いや、それならばまだマシだ。跡形も残らないと考えた方がいいだろう。

 

 屍の王は虎太郎の余裕に気付いてもいない。

 一刻も早く、一分一秒でも早く。誰にも明かしてこなかった自身の本性と本心に辿り着き、限りない屈辱と例えようもない敗北感を与えた存在を殺さずにはいられない。

 

 愚かな話である。肉体的な敗北ならばいざ知らず、精神的な敗北は相手を殺したところで決して癒されない。

 

 屍の王の愚行を止める者は誰一人と居らず、巨大な骨の拳は呆気ないほど簡単に、されど恐ろしい勢いで振り下ろされ――――

 

 

「知れ。己を縛る監獄は、心の中にこそある、ってな」

 

 

 ――――虎太郎の眼前で、ピタリと止まった。

 

 凄まじい風圧が工場内を襲い、ゆきかぜによって半壊していた工場は、残った柱も壁もが吹き飛ばされて全壊の憂き目にあう。

 

 愕然としたのは他ならぬ屍の王だ。

 明らかな殺意と共に、明らかな害意と共に、明らかな嚇怒と共に、明らかな憎悪と共に放った攻撃であった。

 

 しかも、何が一番おかしいと問われれば、何がしかの抵抗――他者の能力によって静止したのではなく、自身の身体が()()()()()事実だ。

 

 

「貴様っ!! 私に、何をした!!」

 

「――――“原初の監獄(プライマル・ロック)”」

 

 

 それが、虎太郎の奪った能力の名前であった。

 

 

「この能力は、相手を監獄に叩き込む。精神と言う名の監獄にな。端的に言えば、対象が精神に抱いた感覚や感情を定着させる。永遠にな」

 

 

 珍しい事もあったものだ。

 虎太郎が、奪ったとは言え自らの手札の効力を説明するなど。

 

 ならば考えられる理由は二つ。

 一つは説明すること自体に意味がある。或いは効力を増大させるか。

 もう一つは、相手に説明したところで、何の問題もない能力であるか。

 

 

「お前はオレに“敗北感”を抱いた。当然だな。アレだけおちょくってやったんだからな」

 

「永遠に、定着……だと? ならば……!」

 

「精神のある奴は“敗北感”を抱いた相手には立ち向かえない。立ち向かう為には精神の成長と更なる勇気が必要だ。つまり、オレが何もしなくても、お前はオレに手を出せない」

 

 

 原初の監獄(プライマル・ロック)

 効果は虎太郎が口にした通りのものだ。

 例えば、「脚を踏み外した」という感覚を抱いた状態で定着させれば、相手は永遠に落ち続ける。

 例えば、「よろめいた」という感覚を抱いた状態で定着させれば、相手は永遠によろめきから立ち直ろうとして立ち上がれなくなる。

 例えば、「敗北感」という感情を抱いた状態で定着させれば、相手は永遠に敗北感を抱き続け、立ち向かう心を勝手に挫く。

 

 この能力の利点は、相手の精神エネルギーを利用しているが故に、虎太郎が能力を返還したとしても、効果を発揮し続ける点にこそある。

 

 もっとも、恐ろしいのは虎太郎がこの能力を使う過程であるが。

 この能力は、過去に虎太郎が相対した魔族のものだ。彼にしては珍しい。彼が能力を奪うのは対魔忍であることが大半だ。

 何故ならば、“能力を奪う”という自らの情報を極力漏らさない為である。

 敵の能力がどれだけ優れ、どれだけ有用であっても、自身の存在や能力が知れ渡ることに比べれば、重要度は低い。

 

 何よりも、能力を奪えるのは生きている間だけ。

 優れた能力を持つ敵を生かしておくなど、利益よりも不利益が大きい。

 精神を屈服させるという手もあるにはあるが、所詮は敵。能力だけしか有用ではないのなら、手元に置いておくのはリスクは増す一方。

 

 このリスクを消失させつつ、有用な能力を手元に置いておく方法は、桐生 佐馬斗が対魔忍に下ったことで手に入った。

 

 魔界医療によって、対象を完全に廃人とすること。

 そして、桐生の技術によって生かしたまま冷凍保存しておくことである。

 

 知的生命体を道具と変える余りにも人の道を外れた行為。

 当初はアサギ、さくら、紫は当然のように反対し、虎太郎を基本的に全肯定するアルフレッドですらが難色を示した。

 

 そこで虎太郎が提示した条件は二つ。

 

 対象に反省の兆しが見られず、同情の余地がないこと。

 対象の犯した罪が、この罰に相応しいものであること。

 

 他者を殺しているのに今更、何様のつもりだ、と言うのが虎太郎の意見であったが、四人の協力を失うのは自身にとって不利益の方が大きい。ある程度の譲歩を見せるべきという判断であった。

 

 

「よお、どんな気分だ? 目の前に殺してやりたいほど憎い奴がいるのに殺せない気分は? 教えてくれよ。オレはそんな不様、体験したことがないんでね」

 

「だ、だが、貴様とて私を殺せん! この程度の事で、勝ったつもりか!!」

 

「この程度、ね。勝ったつもりもクソもあるか。オレはお前をおちょくってやっただけだ。これに懲りたら、もう二度とオレの前に現れるな。見逃してやるよ、構ってちゃん」

 

「……うっ! ぐ、ぉぉおお! オオォォオオォオォッッ!!」

 

「さて、オレは帰るよ。お前に一切興味はないから。まあ、お前がもし精神的に成長し、オレを殺しに来たら――――その時は、全力で殺してやるよ」

 

「殺してやるぞ! 何が精神的な成長だ! この程度の能力、必ず破り――――」

 

「じゃあな」

 

 

 屍の王の怨嗟の声を遮り、虎太郎は“瞬神”を用いて空間転移を行った。

 最後の最後まで、屍の王をおちょくった態度を崩さずに。

 

 成程、確かに虎太郎は本気であった。本気で屍の王をおちょくっていた。

 

 後に残されたのは怨嗟と憎悪を滾らせながら慟哭の声を上げる屍の王の、不様な姿だけだった。

 



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『苦労人の考える対魔忍の本質』

 一つの魂が眠りの世界から帰還を果たそうとしていた。

 魂の名はワイト。自らを弄び、玩具とした屍の王の操り糸を自ら断ち切った女。

 最早、彼女は死霊騎士ではない。死霊騎士とは屍の王に仕える者の総称だ。

 これより、自らの意志で大地を踏みしめ、自らの意志で進むべき道を決めねばならない彼女には相応しくない。

 

 彼女は微睡んだ思考のまま、羊水に浮かぶ赤子のように何一つ縛られることもなく、睡眠と言う快感の中を漂っていた。

 

 けれど、意識は浮上していく。

 普段のワイトであれば、このまま微睡みを楽しんでいた事だろうが、今の彼女にはやらねばならないことがある。

 

 早くと意識が急かすように。

 速くと無意識までもが背中を押すように。

 

 早急に、急速に、彼女の全てが望むまま、眠りの世界から、ワイトは現世へと帰還を果たした。

 

 瞼を開いたワイトは、眼球を焼く眩い白い光と白い天井に、咄嗟に目を細めた。

 けれど、それも一瞬の事。意識を失う以前の状況を思い出し、何よりも自分が何の為に今まで培ってきた全てをかなぐり捨てたのかを思い出した。 

 

 

「…………萌音っ!」

 

 

 ワイトは弾けるように、ベッドから上体を起こした。

 しかし、と言うべきか。当然、と言うべきか。彼女は激しい眩暈を覚え、上半身を支えることすら儘ならず、そのままベッドから転げ落ちそうになった。

 

 

「気を付けろ。一週間も眠りっぱなしだったんだ。そんな急に動いたら、そうもなる」

 

「だん――――アンタっ……!」

 

 

 崩れかけたワイトの身体を支えたのは、他でもない虎太郎であった。

 アルフレッドの施した強制契約魔法が成功し、桐生の検査によって容態の安定が確認されてもなお、昏々と眠り続ける彼女の傍を離れようとはしなかった。

 彼なりの責任の取り方であったのだろう。万が一、何らかの変化が現れた場合、アルフレッドの端末を持ち、尚且つ契約主である己がその場にいた方が都合が良い、という判断だ。

 

 

「あの娘っ! 萌音は……!」

 

 

 不安、恐怖、敬服、感謝。

 虎太郎に対して複雑な感情を持たざるを得なかったワイトであったが、その全てを投げ捨てて言葉にしたのは、他ならぬ萌音の安否。

 

 自らの身体を支える虎太郎の両肩に手を掛け、眩暈すらも押し退けて必死の表情で問い詰めた。

 その余りに必死な表情を前にして、虎太郎は笑みを浮かべる。決して不様と嗤うものではなく、満足げな笑みである。

 

 

「安心しろ。お前よりも早く目を覚ました。リハビリは必要だが、命に別状もなければ、後遺症も残ってない」

 

 

 その言葉に、あぁ、とワイトは目の端に涙を浮かべ、安堵の吐息を漏らした。

 

 凛子の空間跳躍により五車学園へと運び込まれた萌音は、非常に危険な状態であった。

 複数の内臓破裂。体内における出血による肺の圧迫からなる呼吸困難。肋骨胸骨は勿論の事、脊椎にまでダメージを負っていた。

 死んでいないのは奇跡――否、生きていることがおかしいというレベルの甚大な人体損傷。

 

 あの桐生ですらが、生きていることに息を飲み、生命の不可思議、精神というものの恐ろしさを改めて認識させるには充分であった。

 

 

『ふん、大した仔豚だ。不死身でもないのに、この生命力。この俺を驚かせるとは――一度だけだが、お前に敬意を払ってやる。それから、あの化け物に殺されるのだけはゴメンだしな』

 

 

 普段の彼からは考えられぬ態度に、凜子は驚愕し、様子を見に来た紫ですらが戦慄したほどだ。

 かくして、桐生らしからぬ態度、自身の研究とは無関係なところで見せた全力の魔界医療により、萌音は難なく一命を取りとめた。

 脊椎に損傷があったことからリハビリこそ必要であったものの、不随は見受けられず、あくまでも壊れて治った身体に違和感を覚えないか、と確認する為のものだった。

 

 

「兎に角、無事だ。今すぐにでも会えるが……どうする?」

 

「そ、それ、は……」

 

 

 ベッドの横に備え付けられたパイプ椅子に腰を下ろしながらの台詞に、ワイトは言い淀んだ。

 

 本音は、今すぐにでも会いに行きたかっただろう。

 だが、どの面を下げて会いに行けばいいのか、会ったところでどんな言葉を掛ければいいのか――何よりも、萌音にどんな言葉を掛けられるのか。

 不安と恐怖。無自覚の自己防衛と防衛本能からワイトは次の言葉が紡げない。

 

 屍の王を裏切ったあの瞬間に抱いていた強い思いは、今や(しな)びてしまっていた。

 

 虎太郎も予測はしていたのだろう。ワイトの煮え切らない態度に怒りも苛立ちも見せていなかった。

 何よりもパイプ椅子に腰を下ろした時点で、こうなることはある程度は理解していたのだろう。

 

 

「じゃあ、少し話でもするか」

 

「……話?」

 

「ちょいと、オレにも想定外の事態が起きていてな。お前の存在についてだ」

 

 

 萌音に続き、ワイトも桐生の研究室へと運び込まれた。

 不死者の強制契約は十分に機能を発揮していたのだろう。検査など必要ないほどに、一度は風化していく死体に戻ったというのに、治療など全く必要はなかった。

 

 ただ、桐生が検査を重ねていく内に、ある事実が判明する。

 虎太郎の想定していなかった事態とは――――ワイトが死霊騎士としての能力を失っていなかった点である。

 

 屍の王によって不死の呪詛を解呪され、その身に授けた瘴気と能力も全てが元の形へと戻るはずであったが、使用した術式が不死者を作り出すものだったのが問題であったらしい。

 

 屍の王による魂を肉体に固定し、縛り付ける呪詛。

 アルフレッドによる魂を契約主の身体に移動させる魔法。

 

 共に魂を操るという規格外。

 互いに互いが反応し合い、屍の王と機械仕掛けの神(アルフレッド)にとっても想定しえなかった事態が引き起こされたとしても不思議ではない。

 

 不死者であると同時に、死霊騎士でもある――そんな訳の分からない第三の存在へとワイトは成り果てていた。

 

 もっとも、死霊騎士であった時と然程変化はない。変わったのは二点だけ。

 

 一つは再生力の低下。どちらかと言えば、不死者寄りなのだろう。不死性も再生力も、不死者に準じたものになっている。

 

 一つは誰の支配も受け付けていない点。

 死霊騎士であれ、不死者であれ、自らの主人に縛られるもの。

 しかし、虎太郎は誰かを支配できるなどとは考えておらず、他者を支配する気苦労は、ふうまの次期当主としての教育で重々承知していたからだ。

 よって、魂を縛りつける術式、命令権の術式を、アルフレッドに排除させたのである。

 

 今のワイトは誰の支配も受けておらず、ただ彼女の意志にのみで立つ自由存在へとなっていた。

 

 

「――――そういうことだ。オレとしては万々歳ではあるがな」

 

「……奪っておいて、投げっぱなしにする気? 無責任ね」

 

「そりゃ当然。奪うとは言ったが、その後にどうするとは言っていない。好きに生きろよ。自由ってのは素敵だ。まあ、責任は常について回るのが世の中の辛い所だがな。それもまた、楽しけり、だ」

 

「………………」

 

「ああ、安心しろよ。お前が一人で生きられるようになるまで面倒は見る。そこまでがオレの責任だ。そこからは――――そこからが、お前だけの責任だ」

 

 

 積極的な関与はしない。好きなように生きるといい。

 虎太郎は過干渉を嫌う。己であれば、鬱陶しいと。他人であれば、面倒だと。

 それはワイトであっても変わりはない。これまで手助けをしてきたのは、あくまでも助けたが故の責任があったから。

 ワイトが一人で生きていけるようになれば、彼女から声を掛けない限り、話しかけることもないだろう。

 

 

「お前の今後に関してだが、ほらよ」

 

「これは……?」

 

「お前の戸籍やら身分証明やらだ。これから、お前の名前はワイト・ドラウグルになる」

 

「……センスないわ。まんまじゃない」

 

「仕方ねぇだろうが、こちとらネーミングセンスねぇんだから」

 

 

 ドラウグル。

 これもまたアンデッドの名前の一つである。

 古英語においては妖怪、幽霊や、アイルランド語の前兆、流星の両方が語源であるとされる不死の怪物の名。

 確かに、ワイトの言う通り、まんま過ぎるネーミングだ。

 

 彼女は今後も、虎太郎の親類として扱われる。

 虎太郎には過去がない。ふうま何某から弐曲輪 虎太郎へと名を変え、性格的な連続性はあっても、過去は完全に断線している。

 それ故、海外の親類が存在したところで何の不可思議も、問題もない。どうとでもでっち上げられる。

 何よりも、対魔忍の殆どが彼を馬鹿にするばかりで、深く探ろうとも知ろうともしない。彼女の素性を覆う隠れ蓑としては最適だ。

 

 また老人共に探られても問題はない。

 虎太郎の抜け目のない判断と策、アルフレッドの情報操作能力。この一人と一機が手を組めば、どんな諜報系の対魔忍であれ、真実に到達するのは困難だ。

 そもそも、虎太郎が認めるほどに諜報能力に優れているのは九郎くらいのものだ。彼のレベルでなければ、違和感すら覚えないだろう。

 他にも諜報を主として任務としている対魔忍は多くいるが、九郎に比べれば二枚も三枚も劣る連中である。

 

 

「まあ、好きに生きてくれや。何か、今すぐにでもしたいことはあるか……?」

 

「…………分から、ない」

 

「本当に?」

 

「ち、違うの。やりたいことはある。でも……」

 

 

 ワイト自身も困惑していた。

 屍の王に対する忠誠を捨て去ってまで、裏切りに対する報復を忘れてまで、求めたものがあった。

 今や求めていたものは直ぐにでも手の届く場所にあるというのに、手を伸ばすことを怖れている。

 

 誰かを愛したまま憎むように、何かを追い求めるまま手を出したくないという相反する想いに縛られている。

 

 今まで培ってきた全てを投げ出してでも得たかったものがある。

 けれど、得たかったものは自身の不手際で失われる寸前にまで到達してしまった。

 最悪の展開にこそ至らなかったものの、与えてしまった傷は余りにも大きく――残されるであろう傷跡は、これまでの関係に罅を奔らせるには充分だろう。

 

 

「そう、心配したものじゃないと思うがな」

 

「…………当事者じゃないからって、好き放題に言わないで」

 

「そう聞こえるか。まあ、それもそうだな。だが、オレはお前よりも遥かに人間を知っている。賢しい部分も、恐ろしい部分も――――とんでもなく、馬鹿な部分もな」

 

 

 くつくつと笑いながら、虎太郎はワイトの苦悩を一蹴した。

 何を考えているのかまでは分からない。人を嘲笑っているのか、ワイトの醜態を見て楽しんでいるのか。

 

 ――ただ、普段の彼が見せる如何なる笑みとも異なる、清廉なものであることだけは確かだった。

 

 

「お前が何をしても、お前が何者であっても、お前を許してしまう大馬鹿は一人くらい居る。人間には、特にな」

 

「そんなこと、あるわけないじゃない……! 私は、あの子を……」

 

「そうこうしてる内に、あっちの方が痺れを切らして来たみたいだぞ」

 

 

 虎太郎に反発してか、自身の甘過ぎる思考を断ち切る為か、ワイトは頑なな、意固地でさえある態度を崩さない。

 しかし、そんな彼女の心境など知ったことではないとばかりに、医務室の扉が開いた。

 

 入ってきたのは車椅子を押すゆきかぜ。

 そして、車椅子に座り、以前と全く変わらない姿形と表情の萌音だった。

 

 ビシリ、とワイトの表情が固まる。

 無理もない。最も会いたいと同時に、最も会いたくない人物が突然現れれば、誰とて似たような反応しか見せられまい。

 

 

「ワイトお姉ちゃん!」

 

 

 そんな心境を全く理解していない明るい表情で、萌音は目を覚ましたワイトの無事を祝福する。

 

 

「…………あ、の」

 

「ゆきかぜお姉ちゃん、早く早く!」

 

「はいはい、そんなに慌てないで。ワイトお姉ちゃんは、逃げないからね」

 

 

 萌音の無邪気なハシャギように、ゆきかぜも笑みを浮かべて応えた。

 そのまま車椅子を押して、ベッドの脇にまで至る。

 

 

「お姉ちゃん、大丈夫……?」

 

「その、もう、大丈夫、だから……萌音の、方は……」

 

「わたし? もう全然大丈夫! あの眼鏡の先生がね、しっかり治してくれたよ!」

 

「な、何か、何か変なこと、されなかった?」

 

「んー? えぇっと、なんか変な触り方された!」

 

 

 自身の経験から、萌音の身を案じたワイトであったが、無邪気なカミングアウトに脳内で何か糸の切れる音を聞いた。

 

 

(あの変態、コロス……!)

 

(桐生ちゃん、挽肉確定!)

 

(こ、虎太兄! まだ! まだ推定無罪だから! ………………でも事実だったら、温い。温くない?)

 

(これは雷鎚の刑も追加ですわ。死ぬがよい)

 

 

 ワイトだけではなく虎太郎、ゆきかぜの折檻もとい死刑執行が確定した。

 今日も今日とて狂気の魔界技術研究に勤しんでいる桐生には関係のない事柄である。明日の朝には消し炭も残っていないだろうが。

 

 

「わたしもお姉ちゃんもよくなったら、また丘の上で遊ぼうね」

 

「でも、もう、あそこは……」

 

「お花さんは、強いから。枯れちゃっても、また咲いてくれるよ。だから、大丈夫!」

 

「………………」

 

「お姉ちゃん? まだ、どこか痛いの?」

 

 

(…………ゆきかぜ、行くぞ)

 

(うん、分かった)

 

 

 最早、多くを語る必要など何処にもなく。

 虎太郎も、ゆきかぜも、見ている必要は何処にもない。

 後は、ワイトと萌音だけが知っていればいい。

 

 二人が背を向けた先では、漏れる嗚咽と心配の声が重なっていた。

 

 花は咲く、何度でも。

 これからワイトと萌音の咲き誇るであろう笑みと同様に。

 

 萌音は、ワイトの全てを許すだろう。

 これまで犯してきた罪も、これから犯すであろう罪も。

 例えどのような存在であれ、例え人ではない生き物であったとしても。

 

 ならば、杞憂も不安も不要だ。

 ただ互いの求めるままに。ただ互いの望むままに。互いにとっての花で在り続ける。

 

 

「これも、読みの内か?」

 

「八方丸く収まりそうですね」

 

 

 医務室を後にした虎太郎とゆきかぜを待ち構えていたのは、凜子と凜花であった。

 凜子は言葉では虎太郎を責めているようにも聞こえたが、顔は凜花と同様に深い笑みを浮かべていた。

 

 

「さぁな。どう転ぶかなんざ、オレには分からん。神様じゃないんだからな」

 

「…………ふふ、虎太兄、良かったね」

 

「あぁ? 何が?」

 

「だって、虎太兄。ああいうの、好きでしょ……?」

 

 

 ゆきかぜが差した“ああいうの”とは、ワイトと萌音の関係性であったのか、あるいは二人が手にした結末であったのか。

 ともあれ、虎太郎は面を喰らったように目を丸くし、凛子と凜花はウンウンと頷いてゆきかぜの言葉を首肯した。

 

 

「…………さぁな。オレにも、そこんとこはよう分からん。正直な所、嫌いじゃねぇが、とりわけ好きって気もしねぇよ。だが……」

 

『――――だが?』

 

「ああいうもんを守るのが、対魔忍の仕事だとは思ってる」

 

 

 己の心を分かったような気になって声を揃える三人に、虎太郎は辟易としながら溜め息を吐いた。

 

 本気で好きでもなければ、嫌いでもない。

 アレが人間の良きところ、強きところでもあり、悪しきところ、弱きところであると思っている。

 実に彼らしい、バランスの取れた考え方である。

 

 ただ、対魔忍の仕事は、ああいったものを守ることが本質であると虎太郎は結論付けていた。

 敵に対する殺戮であれ、己のような人の道を外れた行為であれ、究極的なところは手段や過程に過ぎない。

 ありふれた人々の営みを守る結果に繋がれば、それでいい。他の連中が手段や過程に楽しみや誇りを見出したとしても、結果に繋がっているのならば文句はない。

 

 ――――己もまた、ああいった人間の暖かみに救われた者の一人なのだから。

 

 

「お前等は気楽でいいよ、これで終わったと思ってるんだから」

 

「ちょ、それって、どういう……?」

 

「ゆきかぜ、いくらなんでも間が抜け過ぎているぞ。まだ、屍の王を倒し切った訳ではないのだぞ?」

 

「いや、でも、ヤツは虎太兄の能力で……」

 

「それは、虎太郎さんに限った話でしょう? それに屍の王が命を下せば、眷属達は動き出すわよ?」

 

「ああ、そりゃそうか…………虎太兄、どうしよう?!」

 

 

 厄介事は、まだまだ尽きていない。

 屍の王は健在。その配下にして眷属である死霊騎士、レイス共に滅んではいない。

 このままでは屍の王と対魔忍は正面切っての戦争状態に突入する可能性も決して否定は出来ない。

 

 何せ、屍の王にとって虎太郎は一秒でも早く殺したい存在だ。

 屍の王が人界に現れ、全力を振るうことは難しくとも、不死の軍勢が居り、不死の軍勢は更なるアンデッドを量産できる。

 相手はただ真正面から総力戦を仕掛ければいいが、対魔忍側からすれば最悪の消耗戦を強いられるは必定なのだ。

 

 

「策はある。まずは手始めに、結界を強化する。特定の種族、人物以外は物理的に入れないレベルの結界にな」

 

「いや、確かに理想ではあるがな。可能なのか……?」

 

「オレには無理だ。だから、他人を使う」

 

 

 屍の王の性格を鑑みるに、他の魔族と手を組む可能性は極めて低い。

 元より他種族との交流は無く、全方位に向かって戦争を吹っかけている種族である。外交チャンネルもあろうはずもない。

 また対魔忍を滅ぼす理由を、手を組んだ相手に屍の王は提示できない。それは自分の本心や本性を他者に明かすも同然だからだ。

 

 対魔忍を滅ぼして生み出される利益を餌にする可能性もあるが、実行にまで至らないだろう。

 元々、屍の王は人界に、それほど興味を抱いてこなかった。そんな王が突然、人界の対魔忍を滅ぼそうと提示した所で、誰も賛同せず、また信じまい。

 何か裏がある、と疑うのが通常であり、対魔忍との争いの最中、屍の王が騙し討ちをするのでは、領地を拡大しようとするのでは、という思考に至るのが自然だ。

 

 また考えられうるのは、任務の妨害である。

 屍の王は虎太郎の正体を知らない。草の根を分けてでも探し出そうとするだろう。

 だが、人界側に諜報を担当する部下がいない奴は、強硬手段に出るのは間違いない。

 

 即ち、目に付く対魔忍全てに襲撃を仕掛けることだ。

 対魔忍だと分かれば、戦闘中だろうが任務中であろうがお構いなしに殺し、新たな玩具として捕らえ、情報を搾り取る。

 

 しかし、それもそれほど問題にはならない。

 任務の難易度は跳ね上がるが、横合いから思い切り殴りつけられる可能性が分かっていれば、大抵は対処ができる。

 そもそも任務さえ熟せば問題はないのだ。屍の王を無理に相手をする必要など、対魔忍側には存在しない。

 

 よって、最重要となるのは本拠地の防衛である。

 既に場所が割れている五車町に全戦力を投入されるのが、対魔忍側には一番ダメージが大きい。

 

 

「当ては……?」

 

「勿論ある。とは言っても、こっちとしても渡りに船の提案だったがな」

 

「どういうことだ……?」

 

「最近、ある組織から依頼があった。有り体に言えば、業務提携の依頼だな」

 

 

 虎太郎の言葉に、三人は首を傾げた。

 無理もない。三人はまだ学生の身分である。日本に様々な組織が存在していることをまだ知らないのだ。

 

 

「依頼内容は、対エドウィン・ブラックの共同戦線。組織の名前は隼人学園」

 

「……えぇっと、はやと、はやと……?」

 

「確か、吸血鬼専門の狩人(ハンター)を育てる学園でした、よね?」

 

「そうだ。対魔忍は魔族全般だが、あっちは吸血鬼専門だ。より対吸血鬼に特化した術や戦闘法、戦術を用いる連中さ」

 

 

 狩人(ハンター)

 吸血鬼を専門に狩る者の総称だ。

 吸血鬼の存在が確認されて以来、人々は吸血鬼に対抗しようと歴史の裏で暗闘を繰り返してきた。

 長い歴史を持つ国、強大な軍事力、資金を持つ国は、極秘裏にではあるが対吸血鬼戦闘を専門とした秘密組織を抱えている。

 

 中でも、日本は裏では対吸血鬼先進国と知られている。

 その大部分を担っているのが隼人学園――――より正確に言えば、隼人学園に在籍している二人の女傑のお陰だ。

 

 

「更に言えば、如何にも女王様も日本に来てるらしくてな。そっちからの要請でもあるらしい」

 

「女王様って…………もしかして?!」

 

「人界側の吸血姫。あのブラックの直系でありながら、人類の側に付いた王族、カーラ・ブラッドロードか」

 

「まあ、ここ十数年、ブラックは日本で何度か確認されてるからな。匂いを嗅ぎつけたとしてもおかしかねぇ」

 

 

 エドウィン・ブラックは強大な敵だ。

 対魔忍にとっても、狩人にとっても危険で凶悪で邪悪な存在である。

 組織にはそれぞれの領分というものが存在するが故に、対魔忍も隼人学園も今まで手を結ぶことはなかったが、共通の敵の出現、更には共通の敵に対して何の対策も、効果も上げていない現状を打破する為に手を結ばざるをえなくなった。

 

 

「隼人学園のトップは上原 北絵。世界でも有数の結界術師だ。その結界は吸血鬼が無理に通ろうとすれば消滅しちまうらしい」

 

「…………成程、読めました。最低限、レイス側の最大の利点を削るつもりですね」

 

「その通り。操ってる屍さえどうにかしちまえば、レイスも死霊騎士もそこいらの魔族と大差はねぇ。どうとでも対処できる」

 

「じゃあ、虎太兄は、その上原さんと交渉に?」

 

「冗談。オレは下っ端。あくまでもサポートだ。本命は紫だよ。お前等は、それまで五車学園の防衛に当たれ。即座に攻めては来ないだろうが、万が一ってこともある」

 

 

 そして、三人には告げなかったが、虎太郎にはもう一つの思惑があった。それは吸血鬼グラムの存在である。

 九郎の手に入れた情報で、吸血鬼の女王たるカーラとグラムは、どうやら姪と叔父の関係にあるようだ。

 

 そして、その仲は良好ではない。

 人を友として見ているカーラ。人を道具か餌としか認識していないグラム。

 どう考えたところで良好な関係など気付ける筈もなく、事実としてカーラはグラムの犯した罪を殺害と言う形で断罪していた。

 

 

(問題が一つ片付いたと思えば、更なる問題が二つ三つわらわらと。どうにもこう、心も身体も休まる暇がねぇ……知ってたけど)

 

 

 大抵が自業自得とは言え、目と耳を覆い、その場に蹲りたくなる現実を前にして、虎太郎はまたしても耳を疑いたくなるような溜め息を吐くのであった。

 







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『ご褒美の時間だ! でも、これってどっちにとってのご褒美なんでしょうねぇ』

 

 困った。

 

 

『おい、ちょっとこれ、焦げてねぇか?』

 

『な、何よ! 人が作ったものに文句を言うくらいだったら、食べなきゃいいでしょ!』

 

『いや、勿体ないから食うけどさ…………何も、怒らなくてもいいじゃねぇか』

 

『何? 何か言った!?』

 

『いんえ、何にも』

 

 

 本当に、困った。

 

 

『はー、つっかれたぁ。たまの休日くらい……』

 

『アンタ、掃除の邪魔! ゴロゴロしてないでよ!』

 

『うぅぅ、もうやだ。やだよぅ。仕事したくない。最近、楽になってきたけどまだ辛い……』

 

『な、何も泣くことないじゃない』

 

 

 

 万事が万事、こんな調子だ。

 虎太郎には、感謝している。

 

 私が自分の意志で生きるようになれたのも。

 私と萌音が、無事に屍の王の魔の手から逃れられたのも。

 私が、人界で安全無事に生活できるのも。

 

 全ては彼のお陰なのだから。

 

 それでも、私には彼にどうやって感謝を伝えていいのか分からないし、素直に接することも出来ない。

 以前のように洗脳された状態であれば、蒙昧に虎太郎に尻尾を振っていたのだろうが、今はそれすら儘ならない。

 

 

『あー、もう、虎太兄ったら本当メンドくさい』

 

『ちょ、ちょっといいの、そんなことを言って。ゆきかぜにとって虎太郎は……』

 

『色んな意味で大切な人だよ。でも、だからって、相手の駄目な所とか、気に入らないことを言っちゃいけない理由にはならないでしょ?』

 

『……それで嫌われるとか、不安には、ならない?』

 

『ないない。虎太兄の器は、そんなに小っちゃくないから。寧ろ、建前で本音を隠しちゃう方が嫌いだと思うけど?』

 

 

 そんなこんなで虎太郎と付き合いの長く、私としても気兼ねなく悩みを打ち明けられるゆきかぜに相談してみた。

 

 他にも相手は居た。

 凜子や凜花、不知火に――それから、あのアサギとかいう怪物も、他にも色々と。全員が虎太郎の女だと一目で分かったけれど、とてもではないが相談できそうにない。

 

 不知火とアサギは、元より忙しい身だ。対魔忍という組織は、何処も彼処も火の車。

 多くの対魔忍から信頼を勝ち取り、束ねる者として今の組織の状態を改善しようとするのは当然のこと。時間などあろう筈もない。

 

 凛子と凜花を選ばなかったのは、正直な所、私の我が儘だ。

 まだまだ少女と女の狭間にいる者に、何百年と生きることも死ぬこともなく彷徨い続けてきた私が相談するなんて気恥ずかしくて耐えられなかった。

 

 その点、ゆきかぜはまだまだ少女。私にとっては萌音に近い存在。

 男を知っていながらも、純真と無垢を保っているからこそ、こういったことも相談しやすい――――と勘違いしてしまった。

 

 

『でも、そんな悩みなんてー、簡単に解決できるよー』

 

『な、何よ。と言うか、その笑みは何なのよ』

 

『むっふっふー。それはねー…………ごにょごにょごにょ』

 

 

 ゆきかぜが時折浮かべる奇妙な笑みに気圧された時点で気付くべきだった。

 あの笑みは女の情念と欲望、深い愛で象られたものだ。何の臆面もなく、何の恥もなく、全てを一人の男に捧げると決めた女の笑み。

 気圧されて当然だ。この少女は女としての年季は私の方が上だろう。けれど、女としての格が違うのだ。

 

 とどのつまりは、私は悩みを打ち明ける相手を間違えてしまったことになる。。

 

 ――でも、まあ、その……間違えてしまって、良かったと思っている、私もいるのだけれど……。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 深夜。

 虎太郎は眠れない夜を過ごしていた。とは言え、慣れてきてはいたが。

 

 

(やはり、簡単には眠れんか。一つ屋根の下に誰かが居ると、とてもではないが眠れない)

 

 

 疑心で構築され、油断と隙を許さぬ彼の精神は、生活面にまで影響を及ぼしていた。

 ワイトが居るせい――より正確に言えば、他人が近くにいる状態では彼は決して眠れない。

 睡眠は、私生活において、最も隙だらけになる瞬間である。そんな無防備な状態を他者に晒すなど、彼の精神は許さない。

 

 故に、何が起こっても即座に対応できる浅い睡眠状態を保ち続ける。

 例え、外部から短距離ミサイルを撃ち込まれたとしても、難なく対応できるレベルの睡眠しか、彼はこの10年間とっていない。

 

 それでも十分に肉体と脳を休められる睡眠法を発見している辺り、流石としか言いようがない。

 常人ならば、当の昔に不眠症で発狂している。それほどまでに睡眠とは人にとって重要であり、同時に虎太郎に休まる瞬間などないことを意味している。

 

 自業自得。

 自ら選んだ業の道とは言え、流石に辛いものがある。正直な所、虎太郎はワイトにさっさと一人で生きていけるようになって欲しかった。

 虎太郎にはワイトに対して義務と責任しかなく、情など欠片もない。支配する気は更々ない。

 

 命がけで屍の王から奪った死霊騎士であっても。

 ワイトが心からの願いを叶えてやっただけのこと。

 

 感謝しろというつもりもなく、感謝される謂れもないと考えていた。

 

 

「――――…………おい、何だ?」

 

「…………うっ…………入るわよ」

 

 

 ボンヤリと眠れない夜を過ごしていた虎太郎は、部屋に忍び寄る気配に気付いていた。

 枕の下でクナイを隠し持ちながら、部屋の外に居る存在――――ワイトに声を掛けた。

 

 さしものワイトも、声を掛けられるなど予期していなかったのか、小さな驚きと共に寝室へと足を踏み入れる。

 

 月明りだけが差し込む薄闇の部屋へと入ってきたワイトは、一糸纏わぬ裸体であった。

 片手で両胸を、もう一方の手で秘所を隠す姿は有名な女神の絵画を連想させる。

 

 だが、生々しさも色香も妖しさも全てが段違いだ。

 

 月光を反射させるような白い肌。

 腕から零れる乳房の質感と手から零れる多寡の陰毛。

 虎太郎の鼻を刺激する煮詰まった女の匂い。

 期待と興奮に紅潮した頬と不安に押し殺されそうになっている瞳。

 

 どれもが男好きする、どれもが男を誘っているかのような、どれもが男ならば押し倒さずにはいられない要素の塊だ。

 

 虎太郎はそれでもなお冷静にベッドから起き上がり、縁に腰掛けるように移動した。

 

 

「……一応、聞いておくが、何のつもりだ?」

 

「そんなことも分からないくらいに愚鈍なの、アンタは!?」

 

「まあ、分かるは分かるがな」

 

 

 つまりは、そういうことなのだろう。

 そして、ワイトを唆した存在は、間違いなくゆきかぜだということ。

 何せ、ゆきかぜはワイトだけではなく、虎太郎すらも唆していたのだ。

 

 ワイトさんを虎太兄の女の子にしてあげて。

 

 晴れ晴れしい笑顔で、とんでもないことを宣うゆきかぜに、虎太郎は無言で頭を抱えた。

 ゆきかぜの女に対抗できそうなのは、アサギぐらいのもの。そして、そんな女が二人も居る現実に、虎太郎の心は砕け散りそうだった。

 

 ワイトは自身の行動とゆきかぜのアドバイスに不安を覚えているようではあるが、虎太郎にも根回しがされている以上、茶番でしかないだろう。

 

 虎太郎の心境を知ってか知らずか、ワイトは意を決したように前に出る。

 そのまま両膝を地面に付け、三つ指を突いて、頭を下げた。

 

 

「わ、ワイトを、こた――――旦那様の女にして下さい」

 

 

 哀れな懇願とも、精一杯の媚びとも取れる、全裸による土下座。

 肉付きの良い白い尻、女らしい細い体と肩を震わせ、真白の肌に現れている紅潮は明らかなマゾ気質を示しているのは疑いようがない。

 けれど、ワイトの胸中にあるのは興奮ではなく、懸命な願いだけ。

 

 もう、どうしていいのか分からないのだ。

 これまで死霊騎士としての生き方は、ただ屍の王の命に従い、その褒美として称賛を受け取るのみ。自身で考えて行動することなど一切なかった。

 

 なのに、今ここに来て、虎太郎はワイトに何も望まない上に、何も言わない。

 ただ好きにしろと放任するばかりで、口は出しても手は出さない。

 

 虎太郎には返しきれない恩と感謝がある。

 にも拘らず、自分には何も、何一つとして見返りとなるものを返せていない。 

 彼自身は何も気にしてなどいなかったが、ワイト自身が与えられるがままの自分を許せないのだった。

 

 何かしなくては、と焦燥ばかりが募る毎日。

 挙句、焦燥に任せて虎太郎に対して素直になれず、必要以上に辛く当たってしまう。

 

 自身の心とは裏腹の生活など苦しいだけだ。

 

 そして何よりも、恩と感謝だけではなく、ワイトは虎太郎を愛してしまった。

 自身の存在を認め、肯定し、本心を引き出し、屍の王の呪縛から解き放ち、救ってみせた。

 萌音に対するものとはまた違った形の愛を虎太郎に対して抱いている。救われた命を捧げても惜しくはないほどに。

 

 

「分かった分かった。だから、頭を上げろ。座りが悪いんだ、そういうのは。まあ、興奮する要素にはなるがな」

 

「も、もう! 人が精一杯、考えて……」

 

「だろうな。馬鹿馬鹿しいが、考えて選んだ結果だと言うのなら、オレは応えるだけだが――――その前に、お前に注文がある」

 

「は、はい。何でしょう……?」

 

 

 顔を真っ赤に染め、女の欲望を堪えながらの台詞を吐くワイトを、半ば本気で可愛いと感じながら虎太郎はニヤつきながら口にする。

 

 ワイトは僅かながらに不安を覚えながら、恐る恐る問い返した。

 

 虎太郎は無理難題を口にすることが多い。

 その実、相手の能力や性能、性格を加味した上で、何とか熟せるラインであるのだが、相手にしてみれば溜ったものではない。

 ワイトもまた、記憶のない状態で虎太郎に縋るしかない状態で、自分の事は自分で決めろと酷く難しい要求をされた。

 

 しかし、今回の要求は逆に酷く簡単であった。

 ただ、それは実行が容易という意味で、ワイトの心持ちとしては酷く陰鬱で重いものだった。

 

 ワイトは思い悩む素振りを見せながら、やがて諦めたように被りを振ると、自らの忌まわしい“能力(ちから)”と“装束(よろい)”を顕現させる。

 

 

「こ、これで、よろしい、ですか……?」

 

「何だ、そんなに嫌か? 死霊騎士の力と鎧は」

 

「だ、だって……」

 

 

 かつてワイトの誇りそのものであった死霊騎士としての能力と装束は、今や劣等感を刺激する要素にしか過ぎなかった。

 摂理を捻じ曲げて現世に立っているだけの存在。自らの命もなく、新たな命を育むわけでもなく、ただ命を奪うだけの存在。

 屍の王の側から、人の側へ。立場が変われば、考え方も変わる。今の彼女にとって、かつての自分を想起させるものは、単なる嫌悪と劣等の証明に他ならない。

 

 いたたまれなくなったワイトは泣きそうな表情で視線を逸らす。

 ワイトとて己の身に、萌音の身に、虎太郎の身に危険が迫れば躊躇なく力を行使するだろう。

 死霊騎士の力は、それだけのアドバンテージであることは理解している。

 

 けれど、極力使いたくないのも、また事実であった。

 

 

「少しの間、我慢しろ。オレの我が儘だがな。必要なんだよ、その格好になるのは」

 

「……それは、どういう……?」

 

「まあまあ、良いから。傍に寄れ。良い物をやるよ」

 

 

 虎太郎は、ベッド脇のナイトテーブルから一つのケースを手に取る。

 ショップでアクセサリーを買った際に入れられるジュエリーボックスだった。

 

 手招きに誘われるまま、ワイトは座った虎太郎の前に立つ。

 嫌悪感と劣等感に苛まれ、身体を震わせている彼女などお構いなしに、虎太郎は剥き出しの腹を無遠慮に撫で回し始めた。

 

 

「っ……ひっ、んんっ……」

 

 

 突然の接触と品定めするような手付きから発生する微弱な快感に、ワイトは堪らずに桃色の吐息を漏らした。

 明らかに雄へと媚びる牝のそれに、ワイトの顔は再び朱に染まっていく。

 

 普段の彼であれば、女に対する愛撫ですら楽しみの一つ。

 自ら培った性技で、快楽に翻弄される姿は興奮を誘う。

 

 嫌悪感と劣等感から身体を震わせていたワイトは、今度は快楽に身体を震わせていたが、虎太郎はニヤつきながら口を開く。

 

 

「なあ、ワイト。新しいのやるから、臍のピアス、外してもいいか?」

 

「は、ぁぁ……ど、どう、したんですか、そんな、急に……?」

 

「いや、これよぉ。誰に貰ったか知らねぇが、気に入らねぇ」

 

「………………旦那様の、お好きになさって下さい」

 

(あ、あぁ、旦那様、凄い目しちゃってる。これから、自分の女にしてやるって、メチャクチャにしてやるって、目がギラギラしちゃってる)

 

 

 言葉とは裏腹に笑みを浮かべて虎太郎は告げる。

 

 臍のピアスを送ったのが屍の王であろうが、他の誰かであろうが、かつてのワイト自身であろうとも。

 これから自分の女になるワイトには、もう不要だ、と言外に語っているも同然だ。

 他人のものから自分のものへ。他の男の手垢を洗い流し、自分の手垢で自分の女としていく過程ですら虎太郎は楽しめる。

 

 強い独占欲と雄の欲望に晒され、ワイトは悦びに打ち震えていた。

 

 彼女にこんな経験はない。

 屍の王は、自身にとって都合のいい人形を愛でるのみ。独占欲とはまた違った歪な欲望しか向けてこなかった。

 能力の関係上、ワイトは情報を収集する機会が多く、下衆な男に身体を差し出して篭絡したことはあったが、その過程は吐き気を覚えるほどの嫌悪しかなかった。

 

 だからこそ、嬉しい。

 ピアスを外し、虎太郎がゆきかぜに唆されて買ったであろうハート型の装飾がぶら下がった新しいピアスを取り付けられるのも。

 今この瞬間、虎太郎の欲望の中心に、自分が立っているのも。今この瞬間、他の女を押し退けて、虎太郎の欲望を一身に受けているのも。

 何よりも、本当の意味でただ一人の男の(もの)になるという事実が、ワイトをこれ以上ないほどに昂らせた。

 

 

「さてと、舌にもあったな。そっちも付け替えるから、膝をついて舌を出しな」

 

「は、ぁ、はぃ……よろしく、お願いしますぅ……んぇぁあっ……」

 

 

 虎太郎に命じられるがまま、ワイトが望むままに。

 ワイトは控えめに口を開き、舌を尖らせて突き出す。

 舌の中心には片側がボール状になったラブレットスタッドタイプのピアスがあった。

 

 虎太郎は舌を掴むと、器用に取り外し、付け替える。

 タイプは変わらないものの小さくなり、色は銀から金へと変わっていた。

 

 

「これで、よし、と。じゅる…………何だよ、そんなに嫌か?」

 

「……嫌な、匂いがするし……身体も、冷たく……」

 

 

 今現在、ワイトは不死者と死霊騎士のどちらでもあり、どちらでもないという半端な存在だ。

 普段は不死者寄りであるものの、残った能力を行使すれば死霊騎士に寄り、身体は死体の如く冷え切り、瘴気と死臭と腐臭の匂いで包まれる。

 

 今の彼女は、それが堪らなく嫌だった。

 自分が節理から外れた存在であると、真っ当な命とは異なる現実を突きつけられるが故に。

 

 

「何だ、気にしていたのか。だったら、思い知らせてやるよ。そんなもの、その程度のものなんだ、ってな」

 

「え? きゃ――――――んんー!?」

 

 

 虎太郎はワイトの腕を引いて体勢を崩させると、身体を抱きすくめ強引に唇を奪った。

 恋人同士の初々しさなどないキス。獣欲を滾らせ、浅ましいながらも、優しさの見え隠れする接吻だ。

 

 元より抵抗する気概などワイトには存在しなかったが、唇を割って入ってくる舌に目を見開いて白黒とさせる。

 それでも舌の動きに応えようとしたのは女としての本能であったのだろうか。

 

 

「んふぁぅ……んれっ……じゅ……ふぁんむっ……じゅりゅ、んへぁ……んく、こくっ」

 

「ほら、オレの唾ばかり飲んでいないで、オレにも寄越せ」

 

「……ふぁ、ふぁい♡」

 

 

 悲しみに沈んでいた瞳は何処へ行ったのか。ワイトの両目は蕩けきり、発情しきっていた。

 反射的に漏らした科白には、雄へと媚びる牝の鼻息で満ちている。

 

 虎太郎に命令通りに、ワイトは口内に溜った唾液を舌同士を擦り合わせて送り込む。

 ぴちゃぴちゃと音を立てての粘膜交換。激しい舌の動きに、二人の口の端からは唾液が零れ、快楽に溺れているのは誰の目からも明らかであった。

 

 その様に、虎太郎は満足げに頷くと顔を放す。

 

 

「あっ……あぁっ……旦那しゃま、もっろ、もっろぉ、んへぇぇぇっ」

 

「ふふ。まあ、落ち着けよ。ほら、気にすることなんてないだろう? もう身体もこんなに熱くなって、匂いの方も……」

 

「ひうぅんっ♪」

 

「発情した女の匂いしかしないぞ?」

 

 

 ワイトの首筋に顔を埋めて深く息を吸い込み、発情した牝の匂いを胸一杯に満たして堪能する。

 

 舌を突き出して、快楽をせがむ表情は、女そのもの。

 虎太郎も笑みを深めざるを得ない。これが、女をものにしていく楽しみというモノだ。

 

 経験したことのない快感に翻弄されるワイトを尻目に、虎太郎はその胸元へと手を伸ばした。

 ぷるん、と音を立てて、水着のような鎧が上にずらされ、白い乳房と桜色の乳頭が露わになった。

 

 

 

「んくぅっ! はっ……は、こ、擦れただけで、こんなに……」

 

「キスだけで、こんなにビンビンじゃないか、ほれ」

 

「きゃ、うぅぅんっ!!」

 

 

 小さめの乳首は完全に勃起し、弾力を保ちつつも小石のように硬くなっていた。

 浅ましい発情を自覚させるように虎太郎が指で弾くと、ワイトは歓喜と悦楽から黄色い悲鳴を上げた。

 

 

「乳輪まで完全に盛り上がってるな。まだ身体の冷たさなど気になるか?」

 

「ひぃ、も、もうっ、どっ、どうでもいいれすっ! ワイトが、ワイトがバカれしたぁっ! ワイトは旦那様にされたら、発情した雌犬になっちゃうのぉっ、よぉっくぅ、分かり、ましたぁ♡」

 

「オレの女になるってのは、そういうことだ。後悔しなきゃいいけどなぁ?」

 

「し、しませんっ! あっ、あぁっ、乳輪と乳首、くにくにぃ、って……こんなに優しくされたら、後悔なんて、絶対できませんんっ♪」

 

 

 両の胸の乳輪ごと抓み上げ、苦痛を伴わないギリギリのラインで責め立てる。

 指が乳輪を這ったかと思えば、乳頭を押し込み、逆に抓んで形が変わるほどに引っ張り上げる。

 

 女の胸を玩具にして遊んでいるようにしか見えない行為。

 けれど、膝立ちのままのワイトが胸を前に押し出し、更なる愛撫をねだっている以上は互いに求める行為に違いない。

 

 

「ふぅんんっ♪ も、もう、終わり、ですかぁ……?」

 

「いや、次の段階に移ろうと思ってな。ほら、これだ」

 

「……あぁ、これって」

 

 

 虎太郎が差し出したのは、三つのピアス。何処に取り付けるつもりなど考えるまでもない。

 小さめのリングに小さいハート型のチャームが取り付けられていた。

 ワイトは奇妙な魔力をピアスから感じ取り、それが何であるのかを理解した。

 

 これは魔界のアイテムだ。

 何の事はない。奴隷娼婦の淫らな身体を飾り立てる、淫らな装飾品。

 下衆な男が女を所有物と主張する為だけに生まれたSEX用の下らない小道具。少なくとも、かつてのワイトはそう感じていたが、今はどうしようもない魅力に満ち溢れていた。

 

 奴隷娼婦に使うのではなく、自らの女に使うのだ。

 身も心も女を自らのものとしてやろうという虎太郎の欲望と獣欲が煮詰められたアイテムとも言える。

 

 恥ずかしさや呆れからではなく、期待からワイトは身体を震わせ、ようやく理解した。

 死霊騎士の鎧を纏わせたのはこの為。屍の王から忠誠心や支配権を奪うだけではなく、本当にワイトの全てを奪うつもりなのだ、と。

 

 無言で差し出される二つのピアスを、ワイトもまた無言で受け取る。

 

 ――自分でつけろ、と言う意味である。

 

 

(こんなの自分で付けたら、もう、完全に旦那様の、女に、なっちゃう……なれちゃうっ♪)

 

 

 紛れもない隷属と屈服の証を、ゆっくりと、それこそ今この瞬間のもどかしさすら楽しみながら、両胸にと近づけていく。

 ワイトが乳頭にピアスを近づけるとリングの部分が一人でに割れ、噛みつくように挟み込む。

 

 

「っくひぃぃぃいいぃんっっ♪」

 

 

 痛みは皆無だった。

 血も出ていない辺り、ピアスというよりかは、性質としてはクリップに近かったのかもしれない。

 

 乳首への刺激、虎太郎への隷属からワイトは全身を震わせて絶頂を表現する。

 舌を垂らして快感を享受する様は牝犬そのものだが、両の目から溢す歓喜の涙が全てを掻き消している。

 

 

「さあ、次は下だぞ。少し前へでな」

 

「は、はいぃっ! わひゃり、ましたぁっ!」

 

 

 よたよた、と覚束ない足取りで、ワイトは虎太郎に近寄った。

 虎太郎の眼前に、鎧で覆われた秘所を突き出すような形。

 隙間から漏れている愛液は、虎太郎の視線を受けると量が増していく。 

 

 虎太郎はワイトの太腿から足首まで流れる愛液を指で掬い上げ、舐め上げる。

 酸味と塩気のきつい味に、ワイトの発情の具合を確認し、ワイトもまたはしたない発情を知られ、羞恥と同時に歓喜も覚えた。

 

 虎太郎は焦らすように、膝下まで最後の砦をずり下ろした。

 むわり、と湯気が立ち上りそうなほどに熱くなった秘裂からは、白濁した本気汁と牝の香りが漏れている。

 

 

「最後はオレがつけてやるからな」

 

「はいっ、はいぃ! 旦那様ぁ、屍の王からワイトを奪って下さい♪ ワイトをっ、ワイトをぉ、旦那様専用の、淫らで、いやらしくて、スケベな(メス犬)にして下さぁい♡」

 

 

 虎太郎は悪辣な笑みを深め、ワイトは淫らな笑みを深める。 

 

 ビンビンに、これ以上ないほどに勃起した淫核は、包皮を押し退けて姿を露わにしていた。

 吐息を吹き掛けられただけでも絶頂してしまいそうなほどに震え、腰の動きで牝の弱点が左右に揺れている。

 

 ワイトは両手の指で包皮を開き、女の性急所をより晒す。

 気を良くした虎太郎は頷くとクリトリスに虎太郎の許可がなければ絶対に外れないピアスを取り付けた。

 

 

「――――かっ、はっ! だ、だん、なしゃまぁっ」

 

「んん? どうした?」

 

「あ、あくっ、ふぅぅぅ、アクメ、頂いても、くぅぅん、よろっ、んぐぐっ、でしょうかぁっ……?」

 

「ああ。いいとも。手伝ってやるよ」

 

「あ゛ぁ゛!? いぐっ!! そんなッ急に引っ張ったらっ、いぐいぐいぐぅぅぅううぅ!!」

 

 

 何の遠慮もないままに、だが痛みだけは与えぬ完璧な力加減で、取り付けたばかりのピアスと共に淫豆を引っ張る。

 大きく引き伸ばされて形を変えたクリトリスは痛々しさすらあったが、ワイトに与えられた快感は想像を絶していた。

 

 ワイトの両脚はだらしなく、がに股に開かれ、立っているのもやっととばかりに痙攣を繰り返す。

 秘所からは絶え間なく愛液が垂れ流され、尿道からはぶしぶしと潮を噴いて、視覚で男を楽しませた。

 

 

「ほっ、ほぉぉ……はひ……ふんン……ひぃ……ひぃぃ……」

 

「どうだ? 気持ち良かったか?」

 

「はひぃぃっ、牝堕ちアクメ、専用女絶頂、最高っ、れひたぁぁっ♪」

 

「まだまだ、これからだ」

 

「ふひひぃぃんっ♡」

 

 

 虎太郎は牝潮だらけになった身体を気にも止めず、だらしない牝の顔、男に屈服する女の顔をしたワイトを容赦なく抱え上げると、優しくベッドに寝そべらせる。

 そのまま女陰を隠していた水着のような鎧を片足から外し、もう一方に引っかけた状態で、Vの字に脚を開かせた。

 

 

「だ、旦那っ、様……ひ、一つ、一つだけ我が儘を言わせて、くらしゃい……」

 

「ん? どうした?」

 

「旦那様、愛して……ます。精一杯、愛しますからぁ、ワイトのことを愛して、可愛がって、くださぁぁい♡」

 

「くく、ゆきかぜからの入れ知恵か?」

 

「あはぁ、やっぱりバレちゃ――――おっ、おっ、ほほぉっ♪」

 

「良いとも。たっぷり愛し合おう、な」

 

 

 虎太郎らしからぬ慈しみに満ちた言葉。

 そして、秘所へと半ばまで埋まめられた亀頭に、ワイトは目を見開いて挿入の瞬間を待ち望んだ。

 両手で勝手に暴れようとする脹脛を抱え、挿入の邪魔だけはせぬように、と必死で押さえつける。

 

 

「んぐぐっ、あっあっあっ、ゆっくり、じら、焦らしちゃ嫌あぁっ!」

 

「駄目だ。それに焦らしてるんじゃない。お前のマンコに覚え込ませているんだよ、オレの形を襞の一枚一枚にまでな」

 

「いちまっ! あぁっ、そんな、そんなぁっ! ひょ、ひょんなの、あぁ゛っ、覚えたら、ホントに牝犬になっちゃうぅぅぅう♪」

 

「何だ、嫌なのか?」

 

「ちが、くうぅうぅっ! 違い、ますっ! ひあぁっ、素敵すぎて、ンゥんんぅっ、嬉し過ぎるんですぅ!」

 

 

 亀が歩むようで奥へ奥へと向かっていく亀頭。

 本当にワイトの襞の一枚一枚に覚え込ませているようだ。

 破裂しそうな亀頭の形で割り開かれる膣の感覚も、カリ首の段差で捲られる襞の感触も、浮かび上がった血管による刺激すらも。

 

 情け容赦のない屈服の過程。

 しかし、ワイトはそれすらも愛の形と受け入れていた。

 ぐっ、と歯を喰いしばり、意志とは関係なく絶頂に達しようとする牝穴をくい締めるが、一擦り、センチ単位で肉棒が進むだけで我慢の意志を砕かれて絶頂する。

 

 

「ひひゃぁぁあっ! また、一人でぇ、うっく、ムリ、ムリムリぃっ! こんなの、我慢むりぃぃいっ!!」

 

「いいぞ。どんどんアクメさせてやる。我慢はこれから覚えればいいさ」

 

「あぎぃ! だ、だんなしゃまぁ♡ ひ、ひぃぃ、優し、すぎぃうぅっ! 拒めないっ♪ こんなの拒めない♪ アクメするしかないいいぃ♪」

 

 

 ぞりぞり、とGスポットを削り取られ。

 ぐりぐり、と最奥の子宮口を捏ね回され。

 ぐちゅぐちゅ、膣内の襞全てを掻きまわされる。

 

 終わらないアクメの奔流に、ワイトは煮え滾った牝潮を噴き上げ、虎太郎と自身の身体を汚していく。

 さらさらとした透明な潮に交じり、白濁した本気汁は二人の腰が離れる度に糸のように伸び、プツリと途切れていた。

 

 途方もない快楽と未体験の愛した男との性交は、ワイトの理性を削り、思考を白く染め上げ、目の奥でバチバチと火花を散らせる。

 全身は絶頂に抗えず、陸に打ち上げられた魚のように痙攣を繰り返したが、虎太郎の抽送の邪魔せぬように必死で押さえつけていた。

 

 

「ほらほら、子宮口も完全に開いたな。分かるか」

 

「くっふぅぅっ! わか、分かりますっ、子宮口、ちゅぱちゅぱ、旦那様のチンポに、吸いちゅいてましゅぅぅ♡」

 

「良い牝穴だぞ、ワイト。このまま子宮に直出しして欲しいか?」

 

「はいっ、はいっ、ワイトの子宮に、旦那様の欲望(ザーメン)吐き出してくださいぃぃっ♪」

 

「そら、イくぞ。ちゃんと見ておけよ」

 

「―――――おぉほっ♡」

 

 

 どちゅ、と粘ついた愛液が噴き出し、ぴたりと押し付け合った腰は、最奥の最奥にまで至った証。

 ぶわりと広がった傘と一回り大きくなった逸物を膣で感じ取ったワイトは、ただの一度で射精しようとしている牡の形を覚えてしまった。

 

 

「あひぃぃぃぃっ!! いぐぅぅぅぅぅうううっ!!」

 

「――――づっ」

 

「ぐりっ、ぐりりっ、されながら、子宮に精液出てるっ! おまんこ、イッでるっ! 子宮の壁どろどろにされてりゅぅううぅ♪」

 

「ほら、目を逸らすな。しっかりと腹の上からっ、子宮を見てみな」

 

「ひぐ、ひぐぅっ、すっごぉぉ、凄いいぃん♪ 子宮ぼこぉって、チンポで押し上げられてっ、はひゃぁぁっ、精液で膨れてるぅぅ♡」

 

「マンコでも子宮でも視覚でも、全部で覚えろよ」

 

「いぐぅぅっ! 旦那様チンポっ、ザーメンっ、覚えながらっ、躾けられながらっ、まらイグゥゥゥウウウゥっ!!」

 

 

 くるりと余りの快楽に反転しそうになる瞳を必死で押さえつけ、虎太郎の言葉通りに下腹部から目線を逸らさない。

 それ以外は無残なほどのアヘ顔だ。涙と鼻水、涎で顔を汚し、でろりと垂れた舌は牝犬と何ら変わりはない。

 

 抱えた脚は、指先までピンと伸ばされ、絶頂を悦んで受け入れている証だ。

 射精と同時に尿道は開き、アンモニア臭の漂う小水を漏らしていた。

 黄金水が尿道を渡る感覚さえ自覚し、その程度の感覚で更なる絶頂に押し上げられ、思考までがどろどろに蕩けてしまったようだ。

 

 

「旦那様ザーメンで、中出しアクメっ、ちょうだいしましたぁぁぁああぁぁんんんっっ♡♡」

 

 

 最後の射精に合わせ、ワイトは今日最大の絶頂へと至った。

 

 硬さを失わない剛直は精液を膣全体に塗り込みながら、余韻に浸るワイトに滲むような軽い絶頂を与えながら引き抜かれる。

 精液と愛液で濡れた逸物は、女を自分専用にしたことを誇るように、ビクビクと震えていた。

 

 

「はっひぃ……うぅ……ひぐぅ……ひぁ……んっく……♡」

 

「くく、これだけ出したら、孕んじまうかもな」

 

「……はりゃ、むぅ……?」

 

「何だ。気付いてなかったのか? 今のお前は生き返ったようなもんだ。ほぼ完全に生者としての生理機能を取り戻しているからな」

 

 

 忘我の果てに居るワイトですら、一瞬で引き戻すほどの威力を秘めている言葉だった。

 

 虎太郎の言葉は全て事実であった。

 今のワイトは、屍の王による不可思議な術式によって死なない死者ではなく、屍の王とアルフレッドの術式によって死なない生者となっていた。

 桐生の検査によって、確定している事実だ。暫らくすれば、生前と変わらない生理機能を完全に取り戻す。

 

 この不可解な事象に桐生は狂喜乱舞し、暴走しかけたのだが虎太郎によって挽肉(ミンチ)状態にされていた。

 

 

「あ、あぁ……あぁぁぁぁ……」

 

「目の色が変わったな。そんな顔をされたら、もっと悦ばせたくなるだろうが」

 

「あぐぅぅっ! ふひんっ!? んぉぉほぉおおおおおっ♡」

 

 

 再び挿入された剛直の衝撃に、主人専用となった牝犬の嬌声が部屋中に響き渡る。

 淫らな牝犬の遠吠えは、長く、何処までも広がり、彼女が完全に意識を失うまで響き渡り続けた。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「……んん、……ふぁぁ……あっ」

 

「おはようさん。身体、大丈夫か?」

 

「ふふ。まだ気怠いです。でも、凄く、幸せな気分――――ん」

 

 

 ワイトが目を覚ましたのは翌日の昼であった。

 虎太郎は一睡もしなかった。他者が傍にいると眠れない気質もあったのだろうが、何よりも幸せそうに眠るワイトの顔をずっと眺めていたのだ。

 

 起きぬけに、目の前にあった愛しい男の顔に、ワイトは堪えきれずに唇を合わせた。

 昨夜の性行など嘘のような初々しいキスであったが、彼女を心を満たすには充分過ぎた。

 

 互いに身体を横にし、向き合う形。

 布団の下では片手を重ね、きゅっと指を絡めて、握り合う。

 

 

「それから、遅くなったが、お前に伝えておかなきゃいけない事があってな」

 

「――――?」

 

 

 虎太郎が語ったのは、江戸中期の時代における対魔忍の残した事件の記録であった。

 その事件とは、墓の下で眠っていた筈の死体が蘇り、無辜の民に襲い掛かるというものだった。

 

 

「それって……」

 

「恐らくは屍の王だろうな。死者を蘇らせて操るなんぞ、早々いて貰っちゃ困るからな」

 

「で、でも、それが……?」

 

 

 当時の対魔忍は、その元凶の正体を探り、討伐隊を編成し、遂には対決へと挑んだ。

 しかし、強大なその力を前に、徐々に、だが確実に討伐隊は人数を減らし、敵の傀儡となっていった。

 

 

「だがな、どうやらその身を犠牲にした対魔忍が居たらしい。彼女の犠牲もあって、屍の王は魔界へと押し返された――が、彼女の死体は魔界へと堕ちていったらしい」

 

「………………」

 

「お前は、この街の風景が懐かしいと言ったな。記録では、その“彼女”は、この辺りの出身だったそうだ」

 

 

 全ては推論に過ぎない。

 確証など何処にもなく、状況証拠ですらない。

 

 だが、辻褄は合っているだろう。

 屍の王は自らを追い返した“彼女”に興味を持ち、そして、それが――――

 

 

「お前の本当の名前は――――んぐ」

 

「仰らないで。……それが事実でも、きっと“彼女”と私は別物です」

 

「そうか。お前がそう言うなら、そうなんだろうな。それでいいさ」

 

「はい。私は、ただのワイトで充分です。旦那様の女で充分。旦那様と皆と、それから萌音(あの娘)がいれば、それだけで」

 

 

 僅かばかりの寂寥とそれ以上に強い覚悟と意志を宿した瞳に、虎太郎は笑みを浮かべる。

 以前、ワイトに見せたものと同じ笑み。己の道を選んだ意志と決断を祝福しているかのような笑みだ。

 

 

「そんな顔を見ると堪らなくなるな。オレ好みの良い女、強い女の顔だ」

 

「強いだなんて、そんな……」

 

「これなら、安心して孕ませてやれる」

 

「も、もう、気が早いです、旦那様ったら……!」

 

「そうだな。まずは妻として勉強しなくちゃな」

 

「し、しっかりしていますよ? ゆきかぜ達と一緒に」

 

「じゃあ、母親としては、どうだ?」

 

「そ、それもします。旦那様の子供を育てられるように」

 

「そうかそうか。そりゃ重畳。ほら、オレのもこんなに元気になっちまったよ。お前が可愛いくて健気なもんだから」

 

「ひゃぁん! き、昨日、あんなに出したのに、もう、こんなの押し付けられたら、我慢出来ない」

 

「ちょこっと、練習でもしようか?」

 

「はい、旦那様との愛の結晶を授かれるように、今からじっくり、ねっとり、練習してください♡」

 

 



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ばんがいへん!
『苦労人の華麗なる一日・日常編!』






 

 今日は、知る人ぞ知る対魔忍の苦労人、弐曲輪 虎太郎の一日に密着してみよう。

 

 

「…………朝が、来てしまった」

 

『何も、そんな一言で起床しなくとも。それから、厳密には朝ではありませんね』

 

 

 AM3:00。

 目覚まし時計も必要とせず、草木も眠る丑三つ時より一時間経った頃、彼の一日が始まる。

 

 死人も同然の顔と絶望的な声色と共に、彼はベッドから文字通りに這い出てくる。

 もう一度言う。立ち上がって、ではない。ずるずるとそのままに床に転がると居間に向かって這っていくのである。

 彼の心境がどれほど暗黒に満ち満ちているのか、一目で分かるだろう。

 

 居間に這い出ると、今度こそゆらゆらと立ち上がり、洗面所で顔を洗い、歯を磨く。

 そうこうしている内に、死人のような顔に生気が戻っていく。この切り替えの早さも、彼のプロ足る由縁である。

 

 だが――――

 

 

「うぅ、……うぐぅぅ……ふぐぐぅぅぅぅぅぅっっ」

 

(この姿、ゆきかぜ様や凜子様がご覧になれば、どう思うでしょう)

 

「やだよぉ……もう、やだよぉぅ、学校行きたくない、働きたくないよぉぉぉぅっ……」

 

 

 ――――昨晩、不知火が作り置きしてくれた朝食を食べながら、唐突に泣き始めた。

 勘違いしていけない。ブラック企業と呼ばれる者達が課す過酷な労働ですら遥かに凌駕する仕事を熟し()()、完全に精神がやられて情緒不安定になっているのではない。

 

 これは苦労人のストレス発散法である。

 感情は溜め込むのではなく、吐き出すべきものだ。そうでなくては心の底に澱のように溜っていく。

 こうして適度に発散することで、ストレスを軽減しているのだ……! 多分、きっと、恐らく、メイビー。

 

 

「………………世界、滅んでくんねぇかなぁ。そうすりゃ、働かなくてもいいよなぁ」

 

(本心ですね……)

 

 

 AM4:00。

 いつものくたびれたスーツに着替え、学園への道へと踏み出した。

 朝日も昇らぬ内から学園へと向かう苦労人の背中は、言葉とは裏腹に気合で満ちている。

 その足取りに迷いもなく、突然の襲撃に備えて油断も隙もない。自らの属する組織の総本山であっても気を緩めぬ油断のなさ。正に、プロ中のプロだ。

 

 …………誰の目から見ても、気合に満ちている。そうでもなければ、こんな時間に仕事を熟そうとするはずがないじゃない……!(暴論)

 

 

「来て、しまったかぁ……」

 

 

 学園の門に辿り着くと、一跳びで飛び越え、学園内の職員室へ。

 明かりが一切灯っていない中だと言うのに、何かにぶつかる真似もせず、自身の机へと辿り着く。

 

 そして、書類を捌いていく。

 彼は事務処理能力においても、対魔忍の中でトップクラスである。職人のような一芸に特化したプロではない。ありとあらゆる分野に精通した化け物級のプロなのだ……!

 収集された情報の分析による信頼性の確保。任務へ向かう人員の選出。任務中に発生した死傷者の事後処理。組織運営に必要な予算の計算と政府への書類作成。etc。

 

 

「おはよう――――」

 

「死ね死ね死ね死ね、アサギ死ね、さくら死ね、紫死ね、神村死ね、佐久死ね、志賀死ね、上原死ね、オレの仕事を増やす奴は全員死ね」

 

「――ござい、ま……す」

 

 

 AM7:00。

 チラホラと教師たちが職員室へと現れる頃、ただひたすらに書類の山を処理していく苦労人。

 ここまでに処理した書類は、対魔忍組織で事務処理能力のある人間では一日がかりの量である。流石としか言いようがない。

 こうまで高い事務処理能力を如何にして手にしたのか。経緯は簡単である。

 

 こうしないと、仕事が減らないのである……!

 

 正に努力の結晶が実を結んだ結果と言えよう。これだけの努力だ、誰もが彼を認めていない筈がない!(確信)

 

 

「……では、この予定で教育を行います。確認は、そうですね。弐曲輪先生がお願いします」

 

「それがいいだろう。甚だ不本意であるが、その男は人を見る目に長けている」

 

「…………(呆然)」

 

 

 AM8:00。

 職員会議で予期せぬ仕事をおしつ――――任せられ、苦労人の瞳に炎が灯った。

 やる気の炎だ。如何ともし難い量の仕事を前にしても、彼の心は逆境に燃え上がっていた。断じて、殺意の炎なのではない。断じてだ!

 

 

「えー、であるからして、米連の装備は――」

 

「プー、クスクス」

 

「エー、ヤダー」

 

「ちょっと、そこ五月蝿い!」

 

「あー、水城。お前も五月蝿いからな。冷静にな」

 

 

 AM9:00。

 授業を受け持ったクラスで、熱血教師もさながらの授業を行う苦労人。

 だが、この笑顔(嘲笑)の耐えない授業は、彼の手腕によるものだ。生徒からの人気(馬鹿にされていると言う意味で)の高さも窺える。流石である。

 しかし、真面目な生徒(ゆきかぜ)は、御立腹のようである。万人に受け入れられる人間がいないように、万人に受け入れられる授業もないのは、致し方ない。

 

 

「あの、弐曲輪先生、この書類なんですが……」

 

「上から三番目の計算、間違ってるぞ」

 

「え? ……あ、本当ですね。すみません」

 

「次から気を付けろ。書類は見直すのも仕事の内だ。直したら持ってきてくれ」

 

 

 AM11:00。

 本日の授業を終えた苦労人は、再び職員室に戻り、仕事を片付けている。

 とある書類について聞きに来た事務員――穂村 奏の書類を見るや0.5秒の早さで判断を下し、アドバイスを与える。速読及び計算能力の高さも窺える。神速の返答であった。

 恐るべきことに、その間にも自身の手は一切止めずに動き続けている。機械も斯くやという勢いだ。

 

 

「弐曲輪教諭、弁当を作ってきたのだが、どうだろうか?」

 

「むむ、食べる。頂きます。むぐむぐむぐ、御馳走様」

 

(もうちょっと、味わっても。と言うか、書類を処理しながら食べるのか……いや、しなければならないのか)

 

「隠し味のゆずが効いてたぞ。美味かった」

 

「…………お、おぉう。それは何よりだ」

 

(今の速度で味が分かるものなのか!? いや、それよりも、美味しいって、美味しいって言ったな、ふふ(キュン♪))

 

 

 PM12:00。

 苦労人の女――秋山 凜子からの見た目は普通、本当の隠し味はゆずではなく愛情です、とばかりの偽装愛妻弁当をぺろりと平らげる。

 仕事を熟すだけでなく、さりげなく自ら釣った魚にも餌を与える心遣いの鬼。これもまた苦労人の由縁であろう。

 

 

「コタ君、この報告書なんだけどね、これでいいかなぁ?」

 

「…………………………あのな、さくら。この前、報告書はガキでも分かりやすいように書けって、言ったよな?」

 

「うん。だから、そうして見たんだけど、こんなので本当にいいの?」

 

「ああ、そうだ。お前、馬鹿だった」

 

「ば、馬鹿は酷いじゃん! そりゃ、コタ君に比べたら頭悪いかもしれないけど!」

 

「馬鹿だろ、こんなの。これじゃあ、ガキでも分かりやすいようにじゃなくて、小学生の作文じゃねぇかぁぁああぁぁあああああぁぁぁぁッ!!!」

 

「――――ひ、ひぃぃ!?」

 

「何だこれ! 最後の一文何コレ!? “対魔忍って大変だと思いました。”だぁ!? レポートじゃねぇんだよ! 誰が感想書けっつったぁ!!」

 

「だ、だだ、だってぇ……」

 

「このチンポケースが! 峰麻先生、ちょっと机借りてもいいですかね!? この脳みそ腐った馬鹿にぃ、報告書を書かせるんでぇ!?」

 

「……え、えぇ」

 

「……ち、チンポケースって」

 

「オラぁ! 早く椅子に座ってペン持てや! 隣で逐一確認してやっからよぉ!! 次こんなの書いてみろ!! 目の前で破り捨てて、その場でブチ犯し殺すぞ!!!」

 

(コタ君の負担を減らそうと思ったんだけど、これじゃあ完全に裏目だよぉ……)

 

 

 PM2:00。

 報告書について思い悩んださくらに真摯に対応し、何と教師役まで買って出たではないか。

 自分の仕事も終わっていないと言うのに、他人の仕事を手伝う面倒見の良さである。プロ足るもの、常に心に余裕を持たねばならない。優雅な仕事ぶりである。(暗示)

 

 

「弐曲輪先生、お時間よろしいですか?」

 

「氷室か。今日はどうした?」

 

「米連の装備と魔界の武器に関してなんですが――――」

 

「ああ、それはな――――」

 

(あが、あががが! 仕事が、仕事が終わらなくなる! けど氷室、頑張ってるし! 他の仕事しながらじゃ氷室が伸びないし! アビャァァァアアアア!!)

 

 

 PM4:00。

 本日の授業が終了し、空いた時間で質問に来た生徒に、にこやかに答える苦労人。

 彼の仕事ぶりに妥協はない。教師として、対魔忍として、絶対に妥協しない。これがプロの心意気である。

 

 

「…………(真っ白)」

 

「お、お疲れ様です。弐曲輪先生」

 

「…………(チーン)」

 

「峰麻先生、放っておきましょう。こうなった奴は、何の反応も示さんでしょう」

 

「蓮魔先生…………そう、ですね。弐曲輪先生、お先に失礼します」

 

 

 PM6:00。

 本日の仕事をやり遂げた苦労人の表情は、達成感で満ち溢れていた。

 同僚達は、それを邪魔はすまいと手短な挨拶と共に立ち去っていく。この細やかな挨拶こそが、苦労人の最大の報酬だ。

 

 そして、彼が今日一日で熟した仕事は、他の者では3日は掛かる量であった。これが彼の()()()()である。(震え声)

 

 無知な科学者には辿り着けぬ境地がある……。

 努力と疲労に滅びゆく肉体の鬩ぎ合いの果てッ、常識を凌駕する存在ッ!!!

 日に72時間という矛盾した労働のみを条件に存在する名ッッ!!

 十数年その拷問に耐え、彼は既に苦労人の称号を手にしているッッッ!!!

 

 

「あ、虎太兄、おかえりー」

 

「おかえりなさい、今日も一日、お疲れ様です」

 

「ああ、ただいま」

 

「ふふ、今日はゆきかぜちゃんが頑張って夕飯を作ってくれましたよ」

 

「そうか。喰えるんだろうな?」

 

「虎太兄、さいってー。大丈夫ですー、凜花先輩にちゃんと教えてもらったんだから!」

 

「ふーん。実際のところは?」

 

「…………自分なりのアレンジを加えるのは、もうちょっと基礎が出来たからの方がいいかしら、ね」

 

「だってよ。アレンジャーか、お前は」

 

「うぅ、虎太兄も凜花先輩も酷いよぉ。でも、次からは気を付けます」

 

「偉い。偉いよぉ、ゆきかぜちゃぁん。反省して改善するって、とっても大事なことだよぉ!」

 

(虎太兄、結構キてる)

 

(お疲れ、ですね)

 

 

 PM7:00。

 帰宅した苦労人を待っていたのは、彼の可愛い女たるゆきかぜと凜花であった。

 これには苦労人の顔もホッコリと綻んでいる。仕事の辛さなどおくびにも出さない。公私を分けるプロフェッショナルの鑑である。

 そして、そんな彼の苦労に気付きながらも、何一つ言わずに支えようとする二人の愛もまた美しい。

 

 

「…………微妙!」

 

「うぅん、何処で間違えたんだろう。ちゃんと味見もしたんだけどなぁ」

 

「味見をした後に、火を通し過ぎたみたいね。次は気を付けましょう?」

 

「はーい。ごめんね、虎太兄」

 

「いや、成長が感じられる良い味でした。続けて、努力するように」

 

「はい、了解しました隊長殿!」

 

 

 PM8:00。

 冗談を交えつつも、和やかな団欒の一時。彼の数少ない癒しの時である。(但し、完全に癒される訳ではない)

 

 

「これで、洗い物は終わり、と。凜花先輩、そっちはどうですか?」

 

「掃除は終わり。洗濯機も予約を入れたし、大丈夫よ」

 

「よーし。虎太兄、お風呂にしよう?」

 

「え? 何、誘ってる? オレのこと誘ってる?」

 

「違います。もう、分かっている癖に、そんな冗談ばっかり」

 

「虎太兄の背中を流してあげるの。疲れてるし、汗も掻いてるでしょ?」

 

「じゃあ、お願いしようかねぇ」

 

「「はーいっ♪」」

 

 

 PM9:00

 こうして、苦労人の一日は終わりへと向かっていくのである。せめて、一日の終わりくらいは平穏を願ってもよいだろう。

 

 

「はふぅ……♡ もう、虎太兄のH。アレだけ駄目だって言ったのに、凜花先輩と一回ずつなんて♡」

 

「いやいや、お前等があんなソーププレイまで覚えてきたから、つい、な?」

 

「な? じゃ、ありません。そもそも、先に手を出したのは虎太郎さんでしょう? あんないやらしい手付きで身体を洗われたら、女なら誰だって……♡」

 

「そいつぁ悪かった。……で? 一回で満足か?」

 

「本当にズルい人。そんな聞かれかたされたら……」

 

「……我慢、できないよぉ♪」

 

「気にするな気にするな。仕事とコレは別モンだから。お互い楽しむとするか」

 

「あ、虎太兄は寝てるだけでいいよ。私達が動くから。虎太兄が教えてくれた、とぉーってもいやらしい腰の使い方とぉ」

 

「卑猥で下品な喘ぎ声を――」

 

「「たぁっぷり、楽しんで♡」」

 

 

 PM11:00

 これにて苦労人の一日は終わりを迎える。

 因みに、本日は平常運転である。もう一度言う、これが彼の平常運転である。変わらぬ日常である。

 

 

 頑張れ、苦労人! 負けるな、苦労人!

 彼の両肩には対魔忍という組織の命運と彼を愛する女の将来がかかっているのだから!

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「なぁにこれぇ……」

 

『いえ、ゆきかぜ様、凜子様、凜花様の三名が虎太郎の日常を知りたいというのでPV風というか、ドキュメンタリー風で纏めてみたのですが、如何でしたか?』

 

「…………いい出来だ。そうだろう、凜花?(震え声)」

 

「ええ、とっても(白目)」

 

「………………うっ、頭が!」

 

「お、お母さんまでダメージ受けてる、なんで!?」

 

「ご、五年前の苦労を思い出して、少し。これから、あの生活に戻るのね…………戻るのね(涙)」

 

 

 救出班のミーティングルーム。虎太郎の苦労を知った彼の女たちは各々の反応を見せながらも、一様に重苦しい溜め息をつく。

 アルフレッドの纏めたものだ。嘘など入っていようはずがない。彼女達も、そこここで映っていたのだ。どれだけの仕事量であったかを知らぬわけではない。

 

 

「はぁぁ、終わった終わった。マジでオレを殺す気だな。どいつもこいつも地獄に落ちてくんねーかなぁ」

 

「虎太兄っ!!」

 

「……ん?」

 

「ふぇ? 避け――――ふぎゅ!?」

 

「え? 何この展開? 何この空気?」

 

 

 ミーティングルームに足を踏み入れた虎太郎に抱き着こうとしたゆきかぜであったが、軽く躱されて閉まったドアに熱烈なキスをかます。

 虎太郎も反射的に避けただけで、唐突なゆきかぜの行為とミーティングルームの空気に、表情を変えないまま困惑していた。

 

 そして、困惑する虎太郎に、実は、とアルフレッドが説明を始める。

 

 

「おい馬鹿やめろ。オレが自分の仕事量再認識したら死にたくなるから」

 

「うぅ、あなた、ゆきかぜ、ごめんなさい。淫魔族(下衆共)のところに居た方が良かったんじゃ、なんて一瞬でも思った弱い私を許してちょうだい」

 

「ほらぁぁぁぁ! オレ以外でダメージ受けてる人いるじゃん! 不知火、落ち着け! 絶対、淫魔族のところに居た方が楽だったから!」

 

「どんな慰め方をするんだ、貴方は!?」

 

「事実! 事実だから! 魔族(アイツラ)は組織的な行動なんて特にしねーもん! しょぼい搦め手は考えるけど組織的とは言い難いもん! 出来ねーもん!!」

 

「うぅ……いたい」

 

「ゆきかぜちゃん、大丈夫?! と言うよりも皆が大丈夫!?」

 

 

 一瞬で阿鼻叫喚と化すミーティングルーム。

 苦労人と苦労人を愛した女の苦労は、まだまだ終わらない。彼の拷問(日常)はまだまだ続くのである。

 



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『設定集』 2017.10.05 更新

作者が忘れないための設定集。
暇潰しかつ面白半分で書いてますので、あしからず。


最終更新 2018.01.08

追加項目

・用語『魔界』追加




・人物

 

 弐曲輪(にのくるわ) 虎太郎(こたろう)

 

 名前を変えたお館様。名前は現実の風魔一族の二曲輪猪助と風魔小太郎から。

 

 弾正の恐るべき小物っぷりと先見性の無さに嫌気がさしてふうまから出奔した上に、一族諸共売った恐るべきドライモンスター。

 が、その天罰なのか。対魔忍随一の苦労人にジョブチェンジする羽目に。決戦アリーナと此方、どちらの方がマシだったのか。

 時子という共依存の相手がおらず、頼れる相手がいなかった為、決戦アリーナよりも性能からその他諸々が高性能化及び凶悪化している。

 そして恐らくlilithワールドでは最も必要で最強のスキル、“油断? 慢心? 悪い、それ今品切れ中”を装備している。

 

 原作とは違って、お金もねぇ! 設備もねぇ! 周りの視線が厳しくねぇ!? 状態なので媚薬とかは一切使用しない。

 人界の性技に精通しており、どれをとっても達人クラス。男だったらチ○ポ一つで勝負せんかい! と言わんばかりの性技の味方。

 

 数々の苦労と経験からか、精神強度も半端ではない。

 目の前で仲間が死んだとしても眉一つ動かさない。それが相棒たるアルフレッドであっても。

 自分の肉体が欠損するほどの怪我を負ったとしても平気な顔をして耐えた上で、でぇじょうぶだ、まだ死んでねぇし、任務続行できると言いだして周囲をドン引きさせるほど。

 

 絶対に敵に回してはならず、味方に回してもドン引きされること受け合いのド外道&効率屋。

 

 今日も今日とて対魔忍と政府の尻拭いに奔走する。彼の明日はどっちだ!?

 

 

 追記

 

 任務、戦いにおいては真性ド外道の彼であるが、日常の中では驚くほど穏やか。

 女性関係はだらしなく、性欲は旺盛なのだが、求めているものは、静かで穏やかな暮らしである。

 身の丈に合わない欲望は身を滅ぼす、というのを嫌と言うほど知っていおり、自己評価は低めなので、自分には普通の暮らしですらが分不相応と考えている節もある。

 

 任務のない時は日がな一日“死んだとしても許しを与えない”鍛錬をしているか、日がな一日をだらだら過ごすか、日がな一日を自分の女とイチャコラして過ごす。

 

 周囲の大人からはダメな奴という評価を受けているが、周囲の幼い子供からはダメな大人だけど地味に優しいと認識されている。

 彼にとって、無力な子供は守るべき対象。例え、将来対魔忍になるとしても、まだその選択をしていないからでもある。但し、異能を暴走させて大量虐殺をしようものなら即殺するのだが。

 

 

 

 アルフレッド

 

 この世界におけるお館様の相棒にして執事にして秘書にして副官。時子ポジ。

 でもお館様は重用しているけど大事には思っていない。この世界の御館様はマジモンのドライモンスターである。

 その正体はある天才科学者が人界魔界の粋を集めて偶発的に作り上げた地球史上最高の人工知能にして情報生命体。

 性能たるや恐ろしいもので、魔術は扱うわ、機械なら操るわ。対米連ならコイツだけで勝てます。市民、幸福ですか? はいコンピューター! 幸福は義務です!

 

 作中でたびたびハッキングやデータバンクにアクセスしているが、有線ではなく魔術を用いた無線接続である。

 割と本気で終末核戦争やら人類抹殺可能な、舞台を強制的に終了させる機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)であるが、虎太郎の相棒という立場故にその力を振るうことはない。

 

 作中において最も紳士で、最も純粋で、最も高潔で、最もまとも。どうして虎太郎の相棒になってしまったんだ。

 

 キャラのモチーフは映画版アイア○マンのジャー○ス、名前はバッ○マンの良き理解者にして老執事、アルフレッドから。

 

 

 水城 ゆきかぜ

 

 代々優秀な雷遁使いを輩出する水城家の一人娘。通称“雷撃の対魔忍”

 父は任務中に死亡。母は淫魔族の手に堕ちていた薄幸の美少女。原作では、ほぼ悲惨なルートしかない。

 忍法は雷遁の術。得物はフロントリックに似た二丁拳銃“ライトニングシューター”。

 

 この物語においては、出待ちしていたんじゃないかというタイミングで虎太郎に助けられた経験、虎太郎の本質を理解し、ゾッコンラブ状態に。

 しかし、プロローグ当初では、うだつのあがらない下忍を演じている虎太郎と境遇の理由を知らずに苛立ち、更に進展しない虎太郎と自分の仲に苛立ち、たびたび八つ当たりをしていた。

 対魔忍ユキカゼ編において、自らの判断ミスと過信によって奴隷娼婦に改造されたものの、それがきっかけで虎太郎への思いを遂げる。

 世間一般における男女の関係とはかけ離れているが、当人は気にしていない。乙女の恋の前には道理も正論も通用しないのである。

 

 救出班に編成済み。

 最近は、虎太郎プロデュースによる魔改造が進み、雷遁の制御に関して訓練を重ねているが……?

 

 モテモテウハウハ虎太兄ハーレム王国建設作戦実行委員会会長。このゆきかぜ、ノリノリである。

 本来は嫉妬深い性格なのだが、虎太郎の性格や性癖に合わせて成長しているので、虎太郎が他の女とイチャイチャしていても、ニコニコ笑ってみている。

 但し、嫉妬はしているのでHに関しては、虎太郎ガールズの中で最も積極的。恥じらいながらも自分から誘うし、虎太郎にどう楽しんでもらうか頭を捻っている。

 最近は、家事嫌いの虎太郎のために家事を学び出した健気で重い、H大好き(虎太郎限定)な淫乱美少女。

 

 家事の腕は、下の中くらい。頑張れ、上達してるから!

 性感帯は、全身性感帯(虎太郎限定)。

 好きなプレイは、虎太郎とのイチャラブ恋人SEX。

 最近の一番深い絶頂は、べろべろ舌を絡めながらの中出しアクメ。

 

 

 秋山 凛子

 忍の里に代々伝わる逸刀流の元締め足る秋山家の長女にして当主。通称“斬鬼の対魔忍”

 ゆきかぜが実の姉のように慕う先輩であり、暴走しがちなゆきかぜを止めるストッパー。ゆきかせ同様、原作では、ほぼ悲惨なルートしかない。

 忍法は空遁の術。得物は秋山家に伝わる日本刀“石切兼光”。

 

 この物語においては、ゆきかぜと同じタイミングで虎太郎に惚れ、匂いフェチに目覚める。

 更には長年、虎太郎への恋心を秘めつつも、ゆきかぜの恋を応援し続けていたために、誰かを愛している、誰かに愛されている、誰かと愛し合っている男にしか興味を持てない妾体質に。ある意味。一番の被害者。

 対魔忍ユキカゼ編において、ゆきかぜと共に奴隷娼婦へと堕ちるものの、救出にきた虎太郎と結ばれ、虎太郎ガールズの一員となった。

 

 救出班に編成済み。

 最近は、虎太郎プロデュースによる魔改造が進み、様々な技能を学んでいる模様。自らの忍法に関しても……。

 

 モテモテウハウハ虎太兄ハーレム王国建設作戦実行委員会参謀。但し、本人は早くも自分の選択に後悔している模様。

 妾体質なので、虎太郎が他の女とイチャイチャしていても、何も言わずに虎太郎が来てくれるのを待つ。時々、我慢できなくなって涙目になりながら虎太郎の所に行く。

 Hに関しては、虎太郎ガールズの中では消極的。だが、一度始まると嫉妬と妾体質が相まって、とんでもないことに。匂いフェチ妾体質ドスケベボディ美少女。

 

 家事の腕は上の中。服をそれほど持っていないので、洗濯で時々やらかす。

 性感帯は、アナル(調教必要なし!)、膣、子宮(調教中)。

 好きなプレイは、アナルをオナホール扱いされて、最終的に虎太郎に抱き締めて貰い、匂い満喫しながらのSEX。

 最近、一番恥ずかしかったのは、ドMっぷりが酷くなってきたこと。痛いのはそれほどでもないが、言葉責めだけでイってしまった。

 

 

 

 水城 不知火 

 ゆきかぜの母親にして、アサギと並び称される“幻影の対魔忍”。

 数年前に行方不明になり、淫魔族によって陥落したことが対魔忍ユキカゼ2にて判明。

 ゆきかぜが酷い目にあってるのは、多分調教中にぽろっとゆきかぜの名前を出してしまったから。とんだとばっちりである。

 忍法は水遁の術“幻影陣”。得物は薙刀。原作では名前がないが、この物語では“鏡花水月”という銘。今思いついた。

 

 この物語においては、対魔忍ユキカゼ編で、最初に虎太郎が遭遇した難敵。一番最初に一番厄介な敵が来たのだった。

 五年に及ぶ淫魔族の調教中に油断慢心が移ったらしく、虎太郎に敗北。あの男に油断慢心とかフラグでしかない。

 その後、淫魔族の調教すら越える快楽を虎太郎の性技によって叩き込まれ、自我が崩壊する寸前に追い込まれたところで、自身にとって何が一番重要だったのかを問われ、思い出して対魔忍に戻る。

 その所為か、救出された後は熟れた肉体を持て余し、自分を慰めていたが、ゆきかぜにはバレており、ゆきかぜによって虎太郎ガールズ入り。ゆきかぜ、恐ろしい娘……!

 

 ゆきかぜが何やら企んでいるのは気付いているが、恐ろしくて聞けない。

 何のかんのと口では虎太郎のことを拒絶しているものの、一度優しく蕩けさせられたので今は亡き夫に申し訳ないと思いつつも、ゆきかぜの提案も相まって虎太郎を拒めないでいる。

 Hに関しては、最も消極的。だが、嫌々と言いながら、女としての技を全て使ってしまう流され系ドスケベ未亡人。

 

 家事の腕は最上級。料理、洗濯、掃除。何をやらせてもパーフェクト。

 性感帯は、胸全体、子宮(再調教中)。

 好きなプレイは、夫婦のような子作りSEX。

 最近、一番頑張っているのは、衰えた身体の鍛錬。なお、美貌や身体も歳以上の若々しさを保つ努力も含まれている模様。ゆきかぜには、やってることから理由からバレており、彼女は計画通り! の顔をしたとかしないとか。

 

 

 

 紫藤 凜花 

 

 “対魔忍に二凜あり、秋山 凛子と紫藤 凜花”と呼ばれる次世代のエースにして、凜子の幼馴染。ゆきかぜとも仲が良い。通称“鬼腕の対魔忍”

 性格は高飛車で自信家。全ては自身の実力に裏打ちされたものであり、他人を認める度量もある。

 しかし、自分の認めていないものには風当りがきつく、その筆頭が虎太郎であった。

 忍法は煙遁の術。得物は髑髏の意匠が施されたナックルダスター“マカイナックル”極めてダサい名前の武器だが、設定画にあったのでそのままで。

 

 鬼腕の対魔忍編で、米連の計画のテストケースに選ばれ、四肢のない女しか愛せない議員に、自分から四肢を捨てさせられそうになる。

 無事、虎太郎&凜子によって救出されたものの、調教用の呪術が暴走状態になり、必要に迫られて虎太郎に抱かれる羽目に。

 しかし、虎太郎に対する悪感情が、彼本来の姿と実力を知ったことにより反転、即堕ち恋する乙女が爆誕する。チョロい!

 最終的に、虎太郎に対する申し訳なさと恋心から、自ら虎太郎ガールズ入り。あと、虎太郎に仕込まれて、二日でゆきかぜと凜子に負けず劣らずのエロ技を覚えた。エロも優秀だよぉ!

 

 救出後、凜子との模擬戦で負けが込み、その原因が虎太郎にあることを聞いて、自らも師事しようとするも拒絶された。

 が、凜子のナイスアシストと凜花自身の努力によって、虎太郎の魔改造計画に組み込まれることに。

 そして、虎太郎の思いついた術の使い方を聞いて、戦慄した。あのド外道、どんな使い方教えたんだか……。

 

 モテモテウハウハ虎太兄ハーレム王国建設作戦実行委員会会員。でも、特に何をしていいのか分からずに困惑中。

 虎太郎が他の女とイチャイチャしているとムクれるものの、本質がワンコ系なので、きゅ~んきゅ~んと鳴くだけ。その後、虎太郎にわしゃわしゃ撫でくり回されると凄く喜ぶ。

 Hに関しては、積極的。負けず嫌いなので、虎太郎さんの女として誰にも負けませんと気合十分。でも、Hになると虎太郎に泣かされる。子犬系発情美少女。

 

 家事の腕は上の上。最近、不知火というライバルが出来たので、腕前が更に上がった。

 性感帯は、乳首(調教中)、子宮(調教中)。

 好きなプレイは、犬のようなカチューシャをつけてのワンワンプレイ。首輪がお気に入り、乳首とクリにピアスもいいかもと思ってる。

 最近、一番嬉しかったのは、Hの後で頭を撫でられながら、上手くなったと褒められたこと。それでいいのか、君は。いいのか、なら問題ねぇな!

 

 

 

 井河 アサギ 

 

 皆さんご存知、最強の対魔忍。対魔忍シリーズの顔。

 この人がいなければ、この作品も決戦アリーナもなかった。あと、性癖を捻じ曲げられる人々もいなかった……!

 対魔忍組織の長として政府との折衝やら監査やら、組織の編成やら、対魔忍の家系の間を取り持ったり、纏め上げたりとクソ忙しい。そのお陰で虎太郎と不知火と九郎の負担が馬鹿でかくなっている。申し訳なくは思うけれど、私だって頑張ってるのよぉ! 状態。

 最近、虎太郎、不知火、九郎の苦労忍と酒を飲むと泣きながら管を巻くこともしばしば。でも、頑張る鋼の女傑。

 

 ふうま何某が弐曲輪 虎太郎へと名を変えた後に、対魔忍となった原因となった。

 虎太郎にどのような経緯で対魔忍となり、多くの苦難を乗り越え、今の形となったかを正確に知る数少ない人物。

 もう、虎太郎とはほぼ一心同体、一蓮托生の間柄。虎太郎はアサギに借りがあり、アサギは虎太郎に借りと感謝と愛がある。

 

 原作とは似たような違うルートを辿っており、何があったのかはまだ秘密。

 虎太郎と出会った当初は、そのド外道ぶりに悩まされたものの、現在では大分丸くなってくれたので安心している。

 

 ゆきかぜ達若い世代が、虎太郎を逃がさない為に何をやっているのか、何となく分かっている。

 というか、自分も過去に考えていたものの、対魔忍のトップになり時間がなくなったので、あえなく断念した。いいわよ、ゆきかぜ、もっとやりなさいとか考えてる。

 虎太郎が他の女とイチャイチャしていても、余裕のスルー。でも、時間が取れると凄く嫉妬心も全て吐露する、寂しがり屋の甘えん坊。

 Hに関しては、積極的になりたいけど消極的にならざるを得ない。虎太郎ガールズ最古参だけあって、エロエロドスケベ。流石の貫禄ですわ。甘えてくる年上ドスケベお姉さん。おばさんじゃねぇ! お姉さんだっつってんだろ、このダラズゥ!!

 

 家事の腕は中の上。何事も可もなく不可もなく。しょうがないね、対魔忍ばっかしてたからね。でも、努力はしたい模様。

 性感帯は、全身。虎太郎専用ですわ。

 好きなプレイは、何でも。虎太郎の恋人、妻、メス豚、肉便器、ハメ穴、精処理――虎太郎の女として全てを極めている。とんでもねぇな!

 最近、一番の悩みは、三十路を越えて子宮に子を孕んで生めよ、このアマァ! と急かされていること。閉経前に、対魔忍も軌道に乗って引退できるわよね、と不安になっている。

 

 

 

 ワイト

 

 屍の王と呼ばれる存在を頂点とした種族・レイス。その中でも屍の王の側近である死霊騎士の一人。

 本来の性格は傲慢そのもの。少女のような無邪気さで他者の命――のみならず、死すらも弄ぶ。

 武器はなし。敢えて言うのなら、凶悪な手甲。指先が鉤爪のように鋭くなっている。そしてレイスの種族としての能力と死霊騎士としての能力を併せ持つ。

 

 が! 何の因果か、この世界線では桐生 美琴及びブラックの細胞を植え込まれた強化兵士三体に捉えられ、洗脳と記憶処理を受けてしまう。

 ワイトが捕らえられた過程だが、美琴が死体のない場所に誘き出し、強化兵士三体でボッコボコというもの。

 戦闘能力は高いのだが、如何せん数の理による戦法は自分の方に分があるという慢心があったようだ。

 その後、虎太郎によって救助され、まるで雛鳥の刷り込みのように主人として認識するワンワンになってしまう。

 

 津田 萌音を初めとした人間との暖かな交流を経て、記憶を取り戻したものの、かつての自分には戻れない程に絆されてしまった。

 苦悩と葛藤の末に、自らの嘘を認め、本心から人の側に付く決意を固めたが、彼女に待っていたのは屍の王からの制裁であった。

 

 虎太郎の準備、アルフレッドの不死者作成の魔法、屍の王の能力によって、死霊騎士とも不死者ともつかない存在となる。

 普段は不死者寄りであり、生者としての生理機能を取り戻しているが、死霊騎士としての能力も使える。不死性に関しても、不死者に準ずる。

 

 現在は萌音と子供達にとっての良き近所のお姉さんとして、半ば保母さんのような存在となっている。

 虎太郎に相応しい女として、暇を見つけては家事と子育ての勉強を、夜は淫らなワンワンとしての生活を送っている。

 凜花が子犬系なら、ワイトは忠犬系。普段は主人の隣にそっと控え、二人きりになるとデレッデレになりますよ。

 

 家事の腕は下の中。ライバルはゆきかぜ。今まで戦いしかしてこなかったので、家事は苦手にございます。

 性感帯は虎太郎にピアスを付けられた乳首とクリトリス。

 好きなプレイは、尻尾型のアナルプラグをつけてのわんわんプレイ。旦那様にご奉仕するのも、躾けられるのも大好きです!

 最近、一番怖かったことは家事に失敗して虎太郎にマジギレされたこと。但し、それは不出来な牝犬調教プレイへの前振りだったのだ! 勿論、ワイトは大喜びだった……!

 

 

 

・忍法

 

 邪眼『魔門』

 

 我らが御館様の生まれ持った異能系忍法。別名『貪欲の瞳術』とも。この能力を一言で現すのなら"収奪”。

 能力を発動させると右目は黄金に、左目は白銀に変化する。普段は死んだ魚の目のような黒瞳である。

 ふうま一族は代々邪眼に目覚める者が非常に多い。ふうま一族を興した者が、相当に強力な邪眼を有していたか、全ての邪眼の雛形となる"始まりの邪眼”とも呼ぶべき代物を有していた魔族と交わったか、あるいは邪眼を奪ったのではないか、と御館様は推測している。

 

 能力は原作に準じるが、この作品では独自設定も採用している。

 

 

1.右目で対象を視界に収めた状態で、手で触れることで、対象の最も得意とする忍法・特性・能力を奪うことができる。(原作)

 

2.右目で奪える能力は 対象につき一つのみ。右目にストックした状態で別の対象から能力を奪う、或いは使用者の意思で返還すると、ストックしていた能力は元の対象へと戻る。(原作)

 

3.能力を奪われた対象は、その間能力を使用できず、対魔粒子などの能力の元となるエネルギーも根こそぎ奪われ、無力な一般人となる。(原作)

 

4.なお、この作品の御館様は"能力”だけを奪って、エネルギーを奪わない、ということも可能。イメージとしては、原作御館様は車をまるごと奪うのに対し、こっちの御館様はエンジンやらガソリンタンクやらのみを器用に奪える感じ。但し、その場合は能力行使のエネルギーは御館様の対魔粒子に依存する上、対魔粒子が元ではない能力(魔法・魔術、東の霊撃術、北絵の結界術など)は行使できない(独自設定)

 

5.対象が死亡すると奪った能力も消え失せてしまう(原作……だったと思う)

 

6.この能力は、奪う敵を定める御館様の精神と認識、敵の能力を奪う為の肉体、能力を収めておく眼球、そして全ての原動力となる御館様の対魔粒子がなければ成立しない。つまり、眼球を奪って移植しても無駄(独自設定)

 

 

 簡単に説明するとこんな感じで。

 原作御館様の代名詞にして切り札であるが、こっちの御館様にとっては便利なだけの道具であり、いつ失っても構わない程度のものである。

 

 奪った能力を使うだけでなく、能力を奪うことで無力化、能力がバレても牽制にして近接格闘で大きなアドバンテージを得れる、能力の一部がバレたのみならばいくらでも相手を思う様に翻弄できる。

 その上、元の持ち主とは異なる使用法が可能なように、御館様が自分自身の精神性を弄って調整まで可能という鬼畜っぷり。

 能力を奪うという点だけでも強力であるが、それ以上に能力の全容を知っているのは御館様、アサギ、九郎、アルフレッドなど極々少数であるため、それらも相俟って作品内でも屈指の凶悪な能力。

 

 

 

 邪眼『神威(カムイ)

 

 原作では『魔門流儀(マモン・モード)』と呼ばれている左目の能力。こちらも一言で現すのなら"再現”。

 作品内では、まだ呼称されていないが、御館様はそう称する。理由はアルフレッドが、そんなクッソダサいネーミングセンスで恥ずかしくないんですか? という理由で勝手に改名したため。

 カムイとはアイヌ語で神格を持つ高位の霊的存在。人間の手には及ばない存在を指す。御館様がアイヌと関わりがあるために、改名された。どっかのドスケベ艦娘とは違うので注意。

 原作の方とは違い、こっちの御館様は比較的早い段階で目覚めている。そう、アミダハラでの生き地獄で。

 

 こちらも能力は原作に準じるが、この作品では独自設定も採用している。

 

 

1.一度でも右目で奪ったことのある能力を再現でき、同時に二つの能力を使用可能となる(原作)

 

2.此方は御館様自身の対魔粒子と体力で能力を行使するため、もともと対魔粒子の生成、貯蔵量が少ない御館様には非常に消耗が激しい(原作)

 

3.此方は能力の持ち主が死亡しても使用可能(独自設定)

 

4.能力の持ち主の対魔粒子や魔力を使用していないため、同じ使い方では劣化コピーに過ぎない。(原作)

 

 

 こんな感じ。

 なお、こっちは消耗が激しいことが分かっているので、低燃費で使用可能な能力を使用する模様。その上、能力を二つ同時に使用できる強みを利用して、凶悪なコンボを極めたりする。

 

 

 

 縮尺法(しゅくしゃくほう)蟻身変成(ぎしんへんせい)

 

 術者の手で触れたもの、或いは術者自身のサイズを縮小させる忍法。

 人体の場合は全長1.5cmにまで縮めることが可能。生き物以外であれば、それ以下のサイズにも縮小できる。

 その原理は分子間の距離を縮めることで、物体を縮小させているというのがアルフレッドの推測。

 縮小化も、元のサイズに戻るのもほぼ一瞬で行われる。 

 

 この能力の優れた点は無機有機を問わずにあらゆる物体が縮小可能であり、重さは変化しないが、本来の機能を損なわせない点にある。

 また対魔忍を縮小した場合、対魔粒子が全身に行き渡り、身体能力が爆発的に向上する。

 

 潜入に向いた能力ではあるものの、戦闘にも十分に応用可能。

 小さくなって敵の目を欺き、縮んだまま弾丸のような威力の拳を叩き込む。通常時では回避不可能の攻撃を縮小して回避する。縮小したものを通常時のサイズに戻す勢いで敵を吹き飛ばす、あるいは突き刺すなど。術者の発想次第でちっぽけにも凶悪にもなる能力である。

 

 虎太郎が多用する能力の一つであるが、その理由は相手に知られていたとしても対処の仕方が限られてくる点を最も好んでいる。

 

 元ネタは映画版ア○トマンより。

 

 

 霞狭霧(かすみのさぎり)

 

 術者自身、術者が手で触れたものを、周囲の物体や影響をすり抜けさせる忍法。

 物理攻撃は勿論のこと、魔術であろうが、放射線などの物質粒子ですらも通り抜け、無効化してしまう。また一度肉体や精神に刻み込まれた呪いすらもすり抜ける。

 

 但し、消耗は少ないものの、術の発動時間は僅か10秒足らずである。集中力が乱れ、操作を誤ると地面に埋まるおまけ付き。

 能力は絶大な効力と応用範囲を誇るものの、持続時間と危険性も絶大というピーキーな忍法である。

 

 アルフレッドによって解析は済んでいるが、原理はまだ秘密。

 

 これも潜入や裏方向きの能力であるものの、我らが御館様の使い方はエゲツないにも程がある使い方をする。

 爆弾を持って相手だけが死ぬ自爆。敵の攻撃を誘っての同士討ち。周囲に鋼糸を張り巡らせて、自分だけすり抜けて相手はサイコロステーキ等々。 

 

 これ本来の術者は、この術の有用性を理解しながらも持続時間の短さと危険性から使用を控え、能力の訓練も怠っていた。

 また理由は不明ながら術の使用を嫌っていた節があり、能力の行使時には強迫観念じみた恐怖が伴ったようだ。

 御館様は持ち前の冷静さと冷酷さ、効率の観点から危険性を全て理解しながら使用し、なおかつたびたび訓練と称して奪っている模様。

 

 因みに術の命名者はアルフレッド。

 御館様が付けた名前が「すり抜けの術」というまんまな上にセンスの欠片もない術名だったため。この世界線においても御館様のネーミングセンスは壊滅的だった。

 

 名前の由来は、日本神話において山頂の上空にかかる霧の神格化とされる天之狭霧神(あめのさぎりのかみ)と平原に吹き溜る霧の神格化とされる国之狭霧神(くにのさぎりのかみ)から。

 この二柱の神は互いに対をなしながらも、同じく霧と異世界との境界線を司る神であり、俗世と神域を隔てる神と言われている。

 

 元ネタもまだ秘密。NA○UTOではないです。

 

 

 

 隠遁法(いんとんほう)阿斯訶備(あしかび)

 術者が手で触れたものを、有機無機、生物機械を問わずに透明化させる忍法。

 一度に透明化させられるのは一つの物体に限るが、その物体が装備しているものから放った攻撃まで全てが透明化する。その辺りの匙加減は術者の技量による。

 

 ただ物体を透明化させるだけの大したことはない忍法である。

 だが、大抵の生物がそうであるように、視覚からの情報に頼り切りであることを我らが御館様は理解している為、凶悪な使い方をする。

 

 仕掛けたトラップを透明化させておき、発動してからしか気付けない。

 味方を透明化させ、見えざる支援役とする。敵を透明化させ、同士討ちさせる等々。

 

 透明化させられるものは一つきり、という難点はあるものの、御館様はその難点すら利点に変えている。

 見えているものに対して意識を集中させ、見えざる刃によって敵を討つのである。

 

 戦闘は勿論のこと、破壊工作、奪還任務にも向いている。

 多くのダミーを仕掛け、其方に目を向かせた上で、本物を作動。奪取した物体を透明化させ、自分は逃げて後から回収など。

 

 この能力も、相手にバレたとしても対処のしようがない。寧ろ、相手が困惑するのでバレてからが本番という凶悪さ。

 因みに元の持ち主は手にした武器を透明化させる程度の方法しか思いつかないため、能力は使い方次第という良い例である。

 

 名前の命名者はやっぱりアルフレッド。元ネタは古事記の宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじのかみ)から。

 天地開闢の折りに現れた別天津神の一柱。五柱いた別天津神であるが、その中でも最も記述が少なく、何をした訳でもなく、生まれて身を隠したことから忍法の名前の由来となる。

 

 元ネタは特になし。作者の思い付きである。偶にはオリジナルも必要だ。

 ただジョジョとかハンター×ハンターっぽい能力の使い方は意識してます。リスク&使い方を意識しているのが、二つの漫画の良い所だと思う。

 

 

 

彦狭蔵(ひこさぐら)天目一箇(あめのまひとつ)(アラタ)

 

 空遁の術に属する忍法。本来の使用者は“武器庫”と称していた。

 効果は異空間を形成し、その中に武器の収納、その中から武器の引出を行うというもの。

 異空間は距離と時間の概念がないらしく、事実上、無限に収納が可能であり、経年劣化も起こらない。

 但し、生き物などの収納は不可能であり、魔術等とも相性が悪いらしく特殊な力を持った武器は放り込むと能力が掻き消えて、元に戻らなくなる。

 

 本来の使用者の異空間と虎太郎の異空間とは繋がっていないらしく、完全に独立しているようだ。

 また異空間の形成には膨大な力が必要であり、消耗を余儀なくされるが、一度形成してしまえば維持に術者からの供給は不要。

 アルフレッドは、人界、魔界、異界など隣接する世界の隙間に異空間が存在しており、其処を漂う未知のエネルギーによって維持をしているのでは、と推測している。

 

 また武器の収納、引出は破格の燃費の良さを誇る。

 つまり、御館様の右目よりも、左目の方が相性がいい。

 作中で度々、コイツこんな武器とか罠の素材、何処から取り出してんだと思われているが、これが理由。

 左目は消耗が激しいが、必要な時に一瞬だけ発動して、一瞬で取り出すのである。この御館様、自分の能力も研究し尽している。

 

 強能力ぶっぱするだけなら誰でも出来るわ。それじゃ単なる脳筋じゃないっすか、と本人の弁。

 

 名前の命名者はどう足掻いてもアルフレッド。コイツが付けるネーミングは大体、日本神話とか日本に存在する神仏から何となくそれっぽいのを選んでいる。

 名前の元ネタは天岩戸隠れの際に、瑞殿という御殿を造営して天照を引っ張り出すのに協力した神の一柱、彦狭知命(ひこさしりのみこと)

 そして、同じく岩戸隠れにおいて、刀斧、鉄鐸を造ったとされる天目一箇神(あめのまひとつのかみ)

 彦狭知命はその振る舞いから工匠、建築の神として崇められており、天目一箇神は鍛冶と製鉄の神とされている。

 

 アルフレッド的には彦狭知命が造った蔵で、天目一箇神が武器庫として管理してとるんやで、といったイメージ。よって、最後に改メをつける。

 

 元ネタはFateの裏の看板、慢心王の“王の財宝”。

 但し、あっちと違って射出は出来ないので取り出すだけ。でも、御館様はもっと酷い使い方をするんだよなぁ。

 

 

 

 八色稲妻(やくさのいなずま)

 

 虎太郎プロデュースゆきかぜ魔改造計画第一弾。

 こと威力という点に関して、ゆきかぜは虎太郎の指導を必要としなかった。

 その為、その威力を如何にして最大限発揮させるかに重きを置いた、自他のサポートを目的としたゆきかぜの新たな雷遁の術。

 その開発過程は、ゆきかぜが自身の能力を制御するという苦手分野から始まったが、ゆきかぜ自身の才能か、虎太郎の指導の賜物か、或いはその両方故か、実を結びつつある。

 

 Ver1.伏雷……雷撃を相手に流し、磁力・磁界へと変化させる拘束技。磁力の性質上、引かれ合うS極とN極が必要なため、最低でも二つの対象に打ち込まなければならない。元ネタは金色のガッシュベルのジケルドより。

 

 名前の由来は火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)

 日本神話における国産み或いは神産みにおいて焼け死んだ伊邪那岐命。黄泉の国へと堕ちた女神のからだから生じた8柱の雷神の総称である。

 雷の猛威に対する畏怖、稲妻の後に齎される雨の恵みに対する信仰から生まれた神。雷神にして水神、同時に稲作の守護神ともされる。

 妻の醜い姿を見て逃げ出したイザナギにブチ切れたイザナミと一緒に追いかけ回すも逃してしまう。

 8柱の神は、それぞれが雷の様々な威力や姿を現しているという。

 

 

 

 煙遁・天手力(あまのたじから)

 

 虎太郎プロデュース凜花魔改造計画第一弾。

 肉体から変換させた煙を別の煙に混ぜることで、肉体の一部を巨大化、質量を増大させる忍法。

 レベルを上げて物理で殴る、ではなく、質量を増して物理で殴る。単純な物理攻撃、質力攻撃としては最大級の破壊力を誇る。

 もっとも虎太郎にとっては、あくまでも副産物的な忍法に過ぎないようだ。

 

 彼が着目したのは肉体を煙に変化させ、【元に戻す】という部分。

 凜花に自らの肉体を完璧に覚えさせ、傷を負っても身体を煙に変換して“正常な状態に戻す”ことで、疑似的な回復能力を得ている。

 但し、痛みを覚えないわけではなく、精神的なダメージは負うので、凜花は余り好きな使い方ではない模様。身体が回復するからって怪我を気にしないとかマトモな人間の発想ではないからね。

 

 名前の由来は天手力。

 岩戸隠れの際に、岩戸から顔を出した天照大神を引きずり出した男神。

 腕力・筋力を象徴する神であり、日本神話において最も力の強い神であると思われる。

 最大級の破壊力を誇る物理攻撃にはぴったりの名前だろう。

 

 

 元ネタはペルソナシリーズのゴッドハンド。

 もしくはハートキャッチプリキュアのプリキュア・ハートキャッチ・オーケストラ。通称、女神パンチより。

 

 

 

・能力

 

 

 原初の監獄(プライマル・ロック)

 

 対象の感覚、抱いた感情を永遠に定着させる能力。

 「脚を踏み外した」という感覚を抱いた状態で定着させれば、相手は永遠に落ち続ける。

 「よろめいた」という感覚を抱いた状態で定着させれば、相手は永遠によろめきから立ち直ろうとして立ち上がれなくなる。

 「敗北感」という感情を抱いた状態で定着させれば、相手は永遠に敗北感を抱き続け、立ち向かう心を勝手に挫く。

 

 定着に使っているのは対象の精神エネルギーであり、虎太郎が奪った能力を返したとしても効果を発揮し続ける。 

 それだけではなく虎太郎の相手を“理解”する能力に長けているので、言葉巧みに感情や精神を誘導させるので、相対する者には悪夢としかならない能力である。

 

 監獄とは何かを閉じ込めて置く為のもの。

 肉の器を持ち、精神を持つ者は生まれながらにして檻の中に居る。故に、監獄など初めから不要なのだ。

 

 能力の保有者は自身を芸術家と称し、好き放題に他人の身体を使って作品を作る狂った魔族であった。

 魔界でやっている分には良かったものの、人界に来て作品を造り出したのがマズかった。所詮、単なる狂人ではド外道には勝てません。やり口の外道ぶりが違います。

 彼の末路は魔界医療によって脳を弄られての強制的な廃人化。冷凍保存による死すらない無期懲役。虎太郎にとって便利な能力ストック装置であった。

 慈悲はない。当然の末路である。そのまま一生ストック扱いされてて、どうぞ。

 

 名前の由来は特になし。

 何となくそれっぽい名前を考えただけ。監獄のロックと固定させる方のロックが掛かっている。ロックだろぉ~?

 

 元ネタはジョジョの奇妙な冒険小説版、恥知らずのパープルヘイズの“レイニーデイ・ドリームアウェイ”より。

 

 

 

・武器

 

 瞬神(しゅんしん)

 

 魔界製の武器。九本一組のクナイ。

 極めて高度な空間転移の術式が組み込まれており、空間転移に限れば空遁の術すらも上回る。

 瞬神自体が魔力を生成する魔界の鉱石で鍛えられているため、術者に魔力がなくとも空間転移を発動可能とする。

 瞬神を手にしていなくとも、身に付けてさえいれば使用者の意志で触れた部分にマーキングは可能であり、極めて凶悪な性能を誇る。

 

 虎太郎の好む使い方は、どこかの地点にマーキングを刻んでおき、いざという時の逃走手段にする。

 敵との戦闘中、拳打、蹴撃と同時にマーキングを刻み、不意を突く等。

 他にもクナイを投擲して、自分の身体能力では届かない場所に跳ぶなどもある。

 

 この武器も敵にバレたとしても対処が難しく、使用者の発想次第でいくらでも敵を欺ける点を虎太郎は気に入っている模様。

 

 対魔忍に属する以前、ふうまを出奔した当時に手に入れたもののようだが……?

 

 元ネタはNAR○TOの飛○神の術。性能もほぼまんま。

 

 

 

・対魔殺法

 

 

 自在天(じざいてん)

 

 虎太郎オリジナルの対魔殺法。

 対魔粒子を手の中で円運動で動かし、更に十重二十重に折り重ねることで球と為す。

 これら全てを超高速で行い爆発的な破壊力を生み出す。並みの対魔忍、魔族に叩き込めば、しめやかに爆発四散する。

 

 因みに対魔粒子のコントロールにミスると、自分の手がまるごと吹っ飛ぶ羽目に。

 

 

 虎太郎「あ、ミスッたわー」

 

 アルフレッド「いえ、あの、五指が吹き飛んで手が肉塊になっておられるのですが……」

 

 虎太郎「……まだ逆の手がある!」

 

 アルフレッド「いいから魔界医師のところにいきましょう! ねっ!」

 

 

 自在天を作り出す過程でこんなことがあった。ほぼこのままのやりとりで。

 御館様マジ自分の身体にすら無頓着。必要な犠牲だよねと割り切り過ぎである。魔界の医療技術がなかったらこの人は死んでいる。

 これだけの威力がありながら、いまだ未完成の殺法。これにはまだ先がある。

 

 名前の由来は仏教においては天魔、第六天魔王波旬、魔王マーラ・パーピーヤスの別名、他化自在天より。

 他の快と楽を己のものとすると言われ、釈迦が悟りを開く際にも邪魔をし、敗北したことで知られる。

 

 元ネタはいわずもがな螺○丸。あるいはあやか○びとの九○流の捌きを攻撃に転用したもの。

 

 

 

・用語

 

 虎太郎ガールズ。

 虎太郎の女になった人の総称。名称の理由は、某六つ子アニメの次男の発言より。

 彼にとって“自分の女”とは、自分を愛し、女として可能なことを全てやってもいい相手でもある。そして、その愛に応える為に、彼もまた彼女達を愛するのである。

 なので、虎太郎ガールズは傍目から見ると、結構酷い目にあってるように見える。でも、いいよね! 愛があるからね! 愛なら仕方ないね!

 

 

 現在分かっているメンバー

 

 井河 アサギ

 水城 ゆきかぜ

 秋山 凜子

 紫藤 凜花

 水城 不知火

 ワイト New

 

 

 

 苦労さん

 

 感想欄で時々登場する吐き気を催す邪悪よりも悍ましい何か。

 作者がノリと勢いと思い付きで書いたキャラなのだが、最近、キャラの独り歩きが酷い。

 虎太郎の凶運、運命が擬人化したようなもの、だと思う。キャラの造形は、脂ぎって髪の薄いおっさん。同人誌世界最凶の種付けおじさんが造詣である。

 

 虎太郎に苦労を与え、虎太郎が苦労に号泣して喘ぎながら乗り越える様に至上の悦びを覚える諸悪の根源。

 あと、虎太郎が無造作にぶち殺したり、煽った連中の絶望の悲鳴と憤怒の叫びが大好きな模様。もうコレどうしようもないね(諦め

 

 虎太郎というド外道への制裁枠。この人がいないと単なる外道キャラになっちゃうからね! この作品はオレTUEEEじゃない、オレTUREEEなのだ!

 

 最近、ご褒美さんという自己の存在を揺るがさせる存在に戦々恐々としている。が、何の意味もない! この私がやられたとて、第二第三の苦労さんが現れるのだ!

 

「さあ、虎太郎にはじゃんじゃん苦労させようねー(にっこり」

 

 

 

 ご褒美さん

 

 感想欄で低い確率で登場する守護神。みんな大好き黒あーるえっくす。

 作者がノリと勢いと思い付きと虎太郎に対する不憫具合から生えたキャラ。

 虎太郎の強運の象徴、ご褒美タイムのみの守護霊みたいなもの。キャラの造形は、御存じ仮面ライダー●ラックRX。問答無用の最強存在! 第六天うんこマンでも勝てんわ、こんなん。

 

 虎太郎のご褒美タイムを守る者。でも、仕事人間なので時間外の仕事は絶対にしない。ある意味、苦労さんよりも無慈悲。

 並行世界では悲運のヒーローであるが、この世界では仕事上がりにシャドー●ーンと霞の●ョーを連れて飲みに行ってます。こっちの方がある意味幸せそうなのはヒーローの宿命か。

 

 最近、虎太郎のド外道ぶりに嘆息しながらも、ヒーローらしいところもあるので複雑な気分になっている。でも、仕事には手を抜かない。

 

 

「虎太郎のご褒美タイムは、このご褒美さんが守る!(ご褒美タイム絶対安全宣言」

 

 

 

「この○○○!」

 

 虎太郎に対して用いられる罵声の定型。この罵声に対して、虎太郎が平然と返すまでが定型です。

 使うのは大抵が味方というところが、虎太郎の酷さを物語っている。

 しかし、この定型を使う味方は悪くない。大体あってるから。悪いのは全部、虎太郎。これは苦労して当然ですわ。

 

 初めはアルフレッドしか使わない予定だったのだが、虎太郎が独り歩きを始めたので、もう味方全員で使おうということで今の形に。

 因みに、それぞれが的を射た個性的な罵声を浴びせます。でも、当の本人は全く気にしない。お前等、悪口言われて痛いの? 状態。

 コイツの精神は鋼どころではない。もう、精神構造が人とは異なるとしか思えない!

 

 

 本編

 

 アル『このドライモンスター!』

 ゆきかぜ「この冷血動物!」

 凛子「この闇人形!」

 凜花「この偏執狂!」

 不知火「このサイコパス!」

 紫「この最低男!」

 

 

 番外編

 

 ジャンヌ「この強制自害魔!」

 カルナ「この人非人」

 緑茶「この腐れ外道!」

 ハサン「この人格破綻者!」

 スカサハ「この性技魔人!」

 

 

 字面だけ見ると酷いが、何が一番酷いって、どれも何一つ間違ってない辺り一番酷い。

 

 

 

 魔界

 

 人界に隣り合いながら、起源を全く異にする異世界。

 その生態系、社会体系は人界とは全く異なり、弱肉強食が基本。人界側は魔界に住む者を総称して魔族と呼ぶが、実際には様々な種族がおり、能力もピンキリ。

 神話に語られる神や悪魔も、気紛れに人界を訪れた魔族がモチーフになったと考えられている。これもまた玉石混交であり、神話に語られるだけの力を持っているとは限らず、善悪も測ることは出来ない。

 

 此処から先は本作の独自設定。

 

 魔界は人界とは異なり、複層構造で成り立っている。言わば、次元がミルフィーユ状に重なっているようなもの。

 上層は人界の法則に近いものの、下層に行けば行くほどに人間には体験できず、理解できない法則が支配し、また領域は広大となる。

 作中最大級の力を誇るであろうブラック、屍の王などでも上層部の出身、神話級と呼ばれる魔族ですら同じ階層。上層部の住人にして見れば、下層部の住人は伝説扱いで眉唾扱いされている。

 また下層部から上層部に昇ることはほぼ不可能。これは下層に行くほど次元の壁が厚くなっている上に、法則が異なっており、互いの存在が理解不能、干渉不能であるため。

 もし仮に、下層部の住人が上層に昇るには、力の大半を捨て、上層部の法則に合わせた肉体が必要になる。このあたりは、魔界の住人が人界に来るのと同じ理屈。

 

 作中に名前だけ登場した“深淵”は、下層部から昇ってきた存在と思われる。

 このように下層からは、時折ではあるが干渉がある。まるで魚の群れる水面に石を投げ込んで嘲笑うかのように。

 過去、下層から人界への干渉も行われた可能性のある事象も存在する。いずれも、世界崩壊級の危機であったことは疑う余地はない。

 

 

 

 

 



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Carla The Blood Lord編
『見切り発車の罠とか、苦労人には付け入る隙でしかねぇ!』


 

 魔都・東京――――から少し離れた地方都市を、黒塗りの乗用車が目的地に向けて走っていた。

 運転手は無貌の対魔忍、弐曲輪 虎太郎。助手席に座っているのは、対魔忍の頭領足るアサギの後を継ぐのでは、と期待されている八津 紫。

 

 普段であれば虎太郎は草臥れたスーツを。紫は自前のスーツの上から白衣を纏っている。それが五車学園に於ける二人の決まった服装だ。

 

 しかし、今回は毛色が違っていた。

 

 虎太郎は普段のものと変わらない安物のスーツだが、下ろし立てらしく草臥れた印象は受けない。

 可もなく不可もなく。他人に不快な印象は一切与えないが、逆に取り立てて印象に残る訳でもない格好だ。

 

 紫もレディーススーツ姿であった。

 黒いブラウス、白いジャケットと白いスカート、両脚を包む黒いストッキング。

 コーディネート自体は普段から変化は余り見られないが、スーツ自体の値段や身に付けている小物は桁違いに高かった。

 

 珍しい服装もさることながら、珍しい組み合わせでもある。

 虎太郎は必要と在れば誰とでも組むが、表向きには対魔忍組織の一構成員に過ぎない彼がアサギの側近である紫と仕事を共にすることはない。

 紫も同様だ。彼女は多くの場合、さくらと組むか、アサギのサポートに回ることが殆どである。

 そもそも、互いが得意とする――虎太郎の場合は、ほぼ全ての任務を熟せる万能選手であるが――任務が違う為に、稀も稀な組み合わせだ。

 

 そして、二人の表情は非常に険しかった。但し、それぞれの険しさの意味は違っている。

 虎太郎はうんざりと心境が表情に出ているが故に険しく、紫は明確な怒りによって険しくなっていた。

 

 

「貴様と来たら、毎度毎度、独断ばかり! 如何に対魔忍と言えども、アサギ様の命なく行動するなど――」

 

「そりゃ、そっくりそのまま対魔忍の8割の連中にお返しするよ。独断専行は対魔忍の専売特許だ」

 

「話をすり替えるな! 確かに問題のある連中はいるが、私が話をしているのはお前の問題行動だ!」

 

「少なくとも今回――ワイトの件に関しては、アサギの考えに沿って行動した結果だ。魔族を引き入れるなんぞ問題だが、アサギが秘密裏とはいえ決定した事柄、何の問題もないだろう」

 

 

 五車学園を出立してから虎太郎と紫は、ずっとこの調子だ。

 普段から独断――もっとも、アサギ直々に独自の判断と行動を許されている虎太郎には独断という言葉がそもそも当て嵌まらないが――を叱責する紫。

 紫の叱責と追及を十分過ぎる理由を以て、のらりくらりと躱す虎太郎。

 

 そんな光景が、車内で展開されている。

 紫の叱責の理由としているのは、無論、数週間前のワイトと死霊騎士及び屍の王の襲撃事件。

 ワイトの保護に関しては、記憶のない状態ではあったもののアサギの了承は得ていた。故にワイトを救出対象に含めるのは当然のこと、というのが虎太郎の主張。

 あくまでもワイトの保護は記憶のない状態が前提であり、記憶を取り戻した以上は危険な――ともすれば、殺害対象にすら値するかもしれない相手、というのが紫の主張。

 

 無論、ワイトの状態を知っている紫は、今更、殺せなどとは言っていない。いや、虎太郎の判断は正しかったとすら認識している。

 他の魔族のように人を蔑むでもなく、我が身可愛さに人に付いた訳でもない。ただ、己の意志で人の側へと立ったのだ。

 警戒はしている。不安も残っている。だが、その意志を無下にするほど、闇雲に否定するほど、紫も思考が固い訳ではない。

 

 

「全く、貴様という奴は……!」

 

「ようやく終わりか。それで、渡しておいた資料、目を通してあるだろうな」

 

「当たり前だ! 兄上が苦心して手に入れた情報だぞ!」

 

(オレが言いたいのは、そっちじゃないんですけどねぇ……)

 

 

 二人が向かっているのは、日本における対吸血鬼組織の中心、『隼人学園』。

 

 対魔忍、隼人学園にとって共通の敵であるエドウィン・ブラックに対する共同戦線。

 その内容に対する草案、本格的に手を組む互いの意思の確認が、紫と虎太郎が隼人学園へと向かっている理由であった。

 

 本来であれば、組織のトップであるアサギが出向くのが筋であるが、今回は紫が代役を務める。

 アサギに急な任務や別組織との会談が入ったのではなく、単純に隼人学園に舐められない為だ。

 

 強大かつ共通の敵の出現は手を組むには充分な理由だ。

 だが、組織である以上は、自身の組織の利益を追求するのは当然のこと。少しでも自身の利益を得られるように動こうとするのは目に見えている。

 

 折衝、交渉の場では示威行為、相手に怖れられる、認められるというのは恐ろしく有効だ。

 躊躇や恐れを見せれば、押し切られる可能性は、それだけ高くなるからだ。

 

 ――故に、虎太郎と紫というアサギの懐刀が二振りのみの交渉は、言うなればジャブである。

 

 言外に、お前達との提携、協力関係は我々にとって、それほど重要ではないと語るため。

 事実として対魔忍の組織力は、隼人学園に比べれば人員、装備、手段と、どれをとっても勝っている。

 全ては対魔忍の関わる任務の広さと事務方のトップである山本長官の手腕によるところが大きい。

 

 無論、本心は別だ。

 エドウィン・ブラックの底は未だに見えず、一国の秘密組織に過ぎない対魔忍と多国籍企業であるノマドでは動員できる戦力差は絶望的ですらある。

 だが、姿勢というモノは大事だ。それで相手が怯み、躊躇を見せてくれれば、自らの案を押し切れる可能性が高まるから。

 

 

「さて、着いたぞ」

 

「おい、隼人学園まではまだ距離があるぞ」

 

「冗談だろ? 車に何かされちゃ面倒だ。歩いていくぞ」

 

「……お前の場合、どんな時でも発信装置や爆弾程度なら常に警戒しているだろうに」

 

「そりゃ当然。だが、警戒し過ぎて骨折れ損で済むなら御の字だ」

 

 

 隼人学園から僅かに離れた立体駐車場に車を止めた虎太郎は肩を竦め、紫は呆れながらも不承不承と了承した。

 今回は隼人学園の視察も含まれ、交渉時間も長引くだろうと虎太郎は推測していた。車に何らかの仕掛けを施すには充分な時間が。

 

 隼人学園側としては虎太郎と紫を陥れて殺したところで何の意味もないのを理解しての選択である辺り、彼の疑り深さが分かろうというものだ。

 

 駐車場を後にし、二人は揃って街並みを歩いていく。

 地方都市は、東京ほどではないものの発展を遂げており、並び立つビルや交通機関も多く、それに見合った人の数もいる。

 夜になったとて、街の光で闇夜は塗り潰されることだろう。

 

 だが、決して喜ばしい事ばかりではない。

 夜が明るくなったとしても、人の心の闇までは照らせる訳ではない。

 文明が発達し、人々の心と生活に余裕が生まれるほど、心の闇と街の闇は濃く、深くなっていくからだ。

 

 この街でも、密かに、だが確実に、闇の者は勢力を拡大しているだろう。

 その事実に、うんざりとしながら虎太郎は進み、紫は彼の顔を見て咳払いで諫めた。

 

 そうこうしている内に、目的の隼人学園が見えてきた。

 五車学園に比べて、遥かに近代的な造りとなっており、学園の規模はちょっとした大学のキャンパス並みの広さがある。

 また全寮制故に、敷地内には生徒と教師用の寮まで揃っている。

 

 理事長である上原 北絵ひいては上原家は、古くから日本という国に仕えてきた陰陽師系統の家系。

 お陰で、対魔忍などよりも政府関係者からも信頼が厚く、権力と財力を兼ね備えた家柄でもある。この規模も納得だ。

 比べて、対魔忍は組織力は勝っているものの、政府からの信頼は殆どないようなもの、権力も金も山本長官任せである。虎太郎が嘆くのも無理はなかった。

 

 

「おっ、アンタらが、例の連中かい?」

 

 

 隼人学園の校門前に辿り着いた二人を待ち構えていたのは、長い赤毛の女性。

 虎太郎は相変わらず何を考えているのか分からない無表情であったが、紫の表情は女性を前に引き締まった。

 

 神村 東。

 日本有数の狩人(ハンター)

 彼女の名は吸血鬼だけではなく、対魔忍、魔族の間にも広く知れ渡っている。

 曰く、彼女の手にした鬼切は千の吸血鬼の血を吸ったとか。

 吸血鬼のみならず、上級魔族相手にも大立ち回りを演じ、遂には討ち取ったという話もある。

 

 しかし、仰々しい噂に反して、彼女の見た目も雰囲気もそぐわない。

 燃えるような赤毛のポニーテール。ブラトップの上に赤いジャケットを纏い、下はローライズのジーンズにサンダル。

 本人はその気など全くないのだろうが、引き締まった筋肉と豊満な胸と尻が煽情的に男を誘っている。もっとも、見た目に誘われ襲い掛かろうものなら、悲惨な目に会うのは明らかなのだが。

 

 表情も明るく溌剌としていて、露出の多い格好よりも、彼女の性格の方が印象に残りやすいことだろう。

 

 

「始めまして、私は八津 紫。この度は井河 アサギに代わり――――」

 

「あー、いいって。そういうのは、理事長に頼むわ。あたしはあくまでも単なるハンターだからな」

 

「し、しかし……」

 

「気にすんなって。あたしが仰せつかったのは学園の案内と授業の様子を説明したりだからさ」

 

「い、いえ、まずは上原殿へ挨拶を……」

 

「あー、そういうのは必要なもんだと分かっちゃいるんだけどさ、理事長の指示でね。挨拶から協定だのは顔を合わせて、流れで一緒にやった方がいいだろう、ってさ。あたしとしては、素直に従って貰った方が助かるんだが……」

 

(…………コイツ、絶対脳筋だ。そして、絶対神村の姉貴だ)

 

 

 東は困った表情をしながら頭を掻くが、紫は想定していたケースを外れたのだろう、困惑顔だった。

 そして、東の態度から頼まれた事柄を深く考えずに実行しているだけであろうことを察した虎太郎は、顔を引き攣らせそうになる。

 そう。虎太郎を毛嫌いし、蔑んでいる神村 舞華と、この神村 東は姉妹関係にある。

 

 少なくとも彼女の態度を見れば、似た者姉妹であることは想定することは容易い。

 今後、東との付き合いで生じるであろう苦労を思い、虎太郎は内心で号泣しそうな勢いであった。

 

 

「まあ、先方もそう言ってるんだ。色々と準備もあるだろうしな。素直に従っておくべきだ」

 

「お、おい、勝手な事を……」

 

「おっ、そっちの兄さんは話が早くて助かるね。アンタは……」

 

「弐曲輪 虎太郎。外部との折衝と交渉がメインだ。これから隼人学園との連絡役を受け持つことになるかもしれない。よろしく」

 

「おう、よろしくなっ!」

 

 

 性格が固い紫よりも、虎太郎の方が取っ付き易いと判断したのだろう。

 東は虎太郎の差し出した手を取ると、ニっと笑みを浮かべて握手を交わした。

 

 紫は自分のプランを挫かれて鼻白んでいたが、招かれたのは我々の方だ、と提案を受け入れた。

 そして、同時にいけしゃあしゃあと、相手に全く違和感すら抱かせずに、口から出まかせを吐き出す虎太郎に舌を巻いていた。

 

 

(こっちの出鼻を挫いて、無茶な要求でも通すつもりか。それとも単にこっちの値踏みをするつもりなのか。ま、どっちにしたって楽な相手じゃないわな)

 

 

 隼人学園側の提案から相手の思惑を推察し、虎太郎は東に向けた笑みの下で嘆息する。

 

 思い通りに行かないことは人間にとっては多大なストレスとなる。ましてや重大な場面、重要な物事であれば尚の事。

 本来、想定されうる手順を変更することで、相手の想定を崩し、どういった態度を取るのか、図っているのだろう、と少なくとも虎太郎はそう受け取った。

 

 

(しっかし、紫め。全然ダメじゃないか。慣れてないからって、ちょっと自分の思惑から外れた程度で狼狽えやがって、こりゃダメかも分からんね)

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

(流石に、教育体制は整ってるな。対魔忍(ウチ)はそれぞれの特殊能力に差と違いがあり過ぎて、任務内容が多岐に渡り過ぎているから当然だが、ガキ共が一人前になる速さは隼人学園(こっち)の方が圧倒的に上だな)

 

 

 東の案内で、隼人学園の設備や授業内容を見て回った虎太郎の抱いた感想は、それであった。

 

 個人個人の質で言えば、対魔忍の方が高い。隼人学園の生徒は、取り立てて特異かつ特殊な能力を有していない。当然と言えば当然である。

 だが、体系立てられた対吸血鬼の戦い方や技術を、それぞれの才能の有無はありながらも、皆が同じように共有し合っているのだ。

 

 そこから導き出される答えは、隼人学園に属する人間は一対一よりも、むしろ多対多の集団戦でこそ真価を発揮するというもの。

 

 

(欲しいな、このノウハウは。忍法に差異があっても、集団戦の基本、そして教育のノウハウは是非とも欲しい。ウチは教育者としては新米も新米だ…………だが、それよりも)

 

 

 虎太郎自身が、ではなく、対魔忍という組織が教育のノウハウを必要としている。

 誰がどのように教えても、一定の成果を上げる教育体系。五車学園を立ち上げて、まだ10年と経っていない対魔忍には咽喉から手が出るほど欲しい。

 虎太郎ならば出来ないことはないが、虎太郎の提案など誰も耳を貸さない上に、何よりも当人にやる気がなく、そしてそんなものに手を出した日には仕事量が激増するどころの話ではない。確実に過労死が待っている。

 

 同盟、あるいは協力関係にある組織からの提案であれば、自信過剰な対魔忍であっても聞く耳を持つかもしれない、という期待もあった。

 

 だが、虎太郎が気になったのは、それ以上に――――

 

 

(紫の奴め、気付いてはいないのか? 教師やガキ共からの視線を…………)

 

 

 学園を見て回っている最中に感じた奇妙な視線の数々。

 その大本は、大半が教師や生徒達からのものだった。

 

 学園の内部に見知らぬ人間がいれば、視線の一つも向けるのは普通だろう。

 だが、教師すらもが視線を受けるのは違和感しか覚えない。しかも、全員からではなく一部の教師からだけなど。

 今回の件は最低限、教師の間には通達があった筈にも拘わらず、視線を向ける理由とは……?

 

 まして、それが値踏みと憎しみが混ざったかのような視線であれば、尚の事。

 

 

(……………………嫌な予感しかしねぇなぁ、おい)

 

「さて、と。あたしの仕事は此処までだな。小難しい話は中で理事長と頼むよ」

 

「いえ。説明と案内、ありがとうございました。組織の代表として感謝を」

 

「よしてくれよ。何だか、背中がムズムズしちまうから。さ、入ってくれ。理事長、入るっすよ」

 

 

 高速で思考を回転させ始めた虎太郎を尻目に、東は何時もの事なのかノックすらせずに理事長室の扉を開いて、無遠慮にずかずかと中へと入っていく。

 紫は唖然としながらも、東の後に続き、虎太郎も倣った。

 

 理事長室は豪奢な造りではなく、むしろ質素ですらあった。表向きには普通の学園であるのだから、当然か。

 執務用の机に、応接用のソファーとテーブル。生徒の情報か、学園の運営に関わるであろう資料、理事長の趣味なのか、ワインが収められた棚がある。

 

 理事長室の中で待っていたのは三人の美女であった。

 

 豊満な身体をスーツを覆ってもなお、成熟した女の色香を隠せていない眼鏡の女性は上原 北絵。

 世界でも有数の結界術師にして、隼人学園の経営者兼代表。

 彼女の日本政府に対する影響力は強く、山本長官にも劣っていないだろう。そして、虎太郎の目当ての人材でもある。

 

 褐色の肌に白いビスチェとズボンを纏い、他の二人に比べれば控えめな、日本人からすれば十分以上の肉体に外套を羽織った女性はマリカ・クリシュナ。

 人界側の吸血鬼、その女王直属の暗殺騎士団の頂点に就く実力者。

 かつて、人と吸血鬼が争っていた時代において、吸血鬼の国ヴラドに戦争を仕掛けようとした国の代表や軍の司令官をたった一人で皆殺しするほどの圧倒的な戦闘能力を有している。

 

 透き通る白磁のような肌、血液そのものの赤い瞳、雄ならば誰でも惹きつけられてしまう美貌と肉体の持ち主がカーラ・クロムウェル。

 エドウィン・ブラックに敗れ去り、人界に逃げ延びた直系の子孫。

 彼女の異名は血を統べる者(ブラッド・ロード)。魔界の吸血鬼ですらが、負け犬と嗤えぬ王者。

 

 三人の女傑――東も含めるのならば四人か――を前にして、流石の紫も冷や汗を浮かべていた。

 しかし、その胸中は気迫と覚悟で占められ、僅かばかりの不安が漂うだけの優秀な精神図であった。

 

 

(――――――――くそったれが)

 

 

 これから始まるであろう交渉に、紫が再度の決意を固めた時、虎太郎は誰にも悟られないまま、内心で悪態を吐く。

 悪態を向けたのは三人ではなく、この場には居ない男――グラム・デリックに向けたものであった。

 

 虎太郎は、理事長室に脚を踏み入れた瞬間、思わず顔を顰めそうになった。

 北絵も、東も、マリカも、紫も、カーラですらも気付いていない、性技に通ずる彼だからこそ気付いた濃密なまでの愛液と精液の残り香が原因だ。

 

 残り香の濃さから連日連夜、この理事長室で凄惨な凌辱が行われたのは間違いない。

 

 そして、そんな真似が出来るのも、そんな真似をする必要があるのも、グラム・デリックを除いて他には居ない。

 

 

(やってくれるじゃないの。今回の提案はアンタの入れ知恵なのかねぇ……)

 

 

 虎太郎は既にグラムの目的を特定しつつあった。

 

 最近、各国では活発に活動し始めた吸血鬼組織によるアムリタなどの麻薬密売、人身売買が問題視されている。

 それに対抗する為の協議が、近々、日本で開かれるのだ。

 

 その協議の邪魔をし、自らの組織を壊滅させたカーラに対する復讐が目的だろう。

 

 その為に、かねてより研究していた寄生蟲を日本に持ち込んだ。そして、対魔忍のセンサーに引っ掛かり、かち合う羽目になったのである。

 

 

(虎穴に入らざれば虎子を得ず、とは言うけどよぉ。吸血鬼の巣穴に入り込んで、何を得られることやら……だが、そっちがその気なら仕方がない。もう、死ぬしかないなぁ、グラム叔父さん)

 

 

 既に隼人学園は吸血鬼の巣となりつつある。

 誰が手先となり、誰が味方なのか分からないこの状況。下手をすれば、目の前の女傑達も既にグラムの手に堕ちている可能性すらある。

 

 ――だが、虎太郎に一切の動揺はない。

 

 これは好機である。

 まんまと罠に嵌ったように見せかけられるからだ。

 相手は油断している。憎い相手が罠へと誘い込まれたのだ、グラムの性格を考えれば、当然だ。

 

 そして、虎太郎が罠の可能性に気付いたことを、まだ気付いていない。

 

 罠を喰い破り、グラムの思惑を完全に破壊した上で、抹殺するこれ以上ないチャンスである。

 

 ――虎太郎は文字通り、一切の感情と思惑を顔に出さぬ無貌のまま、策を巡らせ始めた。

 



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『苦労人に慈悲はない。敵だけでなく、同盟相手でも同じこと。全員纏めてハイクを詠め』

 

「では、今回の内容については、この程度で」

 

「ええ、このくらいが妥当でしょう。我々は兎も角、現場や最前線を担おう者同士で信頼関係が構築されたわけではないですから」

 

 

 対魔忍と隼人学園とのエドウィン・ブラックに対する共同戦線。

 その初回の交渉は、紫の緊張に、虎太郎の考えに反して、(つつが)なく、何の滞りもなく終了した。

 交渉と言うよりも既定路線に入っただけのような、始めから着地点が決まっていた会議のようだった。

 

 まずは情報の共有のみ。

 

 続き、対ノマドの共同戦線は隼人学園の中心たる北絵、東と二人が選考した部隊が出向する形を取る。

 その間の戦力の輸送、敵の情報収集、物資の提供は対魔忍側が執り行う。

 手を組んだというよりも、まずは互いを探るような擦り合わせである。

 

 虎太郎としても、初手にしては十分であると認識していた。

 余り相手側に深入りし過ぎれば、相手の責任まで背負わざるを得ない状況になりかねない。

 そうするに足る存在なら問題ないが、対魔忍側も、隼人学園側も、決断するには判断材料が少なすぎるからだ。

 

 

「………………疑問だわ」

 

「ちょっと、カーラ……?」

 

「…………一体、何がでしょうか、カーラ・クロムウェル殿」

 

 

 今の今まで口を開かず、事の推移を見守っていた女王が、唐突に口を開いた。

 その表情は怜悧なまでの美しさを保ちながらも、ある種の疑念が浮かんでいるのは一目瞭然であった。

 北絵と東はカーラの言葉に視線を向け、側近であるマリカも予測していなかったのか、同様だ。

 

 最も動揺していたのは紫であった。

 面にこそ出ていなかったが、咄嗟に口にした言葉には分かる者には分かる震えを孕んでいる。

 不安が残る事案が問題なく終わった瞬間に、何がしか不測の事態が起きれば当然だ。

 

 何の疑問も不可思議も感じていないのは発言したカーラ。

 そして、このまま終わるなどと信じていなかった虎太郎のみである。

 

 

「貴方達、対魔忍と手を組むこと自体がよ」

 

「何を言うかと思えば……この共同戦線の提案は隼人学園側の――」

 

「その程度のことは理解しているわ。ただ、私は隼人学園の一人の友人として、当然の権利を行使しているだけ」

 

 

 紫にしてみれば、カーラの発言は難癖以外の何物でもあるまい。

 不安から生じた怒りを必死で抑え、努めて冷静さを保ちながら、紫は不足の交渉に臨むつもりだ。

 

 その様子に、虎太郎は内心で溜め息を吐いた。

 彼女の姿勢は戦闘においては正しい。不足の事態に対応できずして、何が戦闘者か。

 だが、少なくとも虎太郎にとって、交渉においては間違った姿勢である。

 

 

「そもそも、対魔忍のトップ――井河 アサギだったかしら? 彼女も敵の手に堕ちたことがある、とか」

 

「10年以上も前の話を持ち出されても困ります。今現在の我々の組織力を考えれば――」

 

「では、“幻影の対魔忍”については、どうなのかしら? 数年間、何の噂も聞かなかった凄腕が、ここ数ヶ月で突然、活動を確認され始めたのは、何故?」

 

「それは………………」

 

 

 痛い所を突かれた紫は、それ以上の言葉を継げなかった。

 “最強の対魔忍”井河 アサギ、“幻影の対魔忍”水城 不知火。両者共に対魔忍の最高戦力である。そんな二人ですらが、敵の手に堕ちた。

 そこには語られることのない事実があるものの、語るに語れない。

 

 ――指令を出した側が敵と内通しており、まんまと罠に嵌りました。

 

 二人が捕まった事実はそれだ。

 問題があるとするならば、対魔忍の上に位置する政府内部に闇の住人共が巣食っている現実であるが、何の言い訳にもなりはしない。

 組織力云々以前の話だ。実力者ですらが捕まる組織。一体、そんな組織を誰が信用するというのか。

 

 

「答えられない、というのなら仕方がないわね。北絵、今回の件は白紙に戻した方がいいわ」

 

「な、何を……! そもそも、今回の提案は其方からの要請があってこそ! そのような言い分が――」

 

「そうね。でも、だからこそ、此方も選ぶ権利はある。貴方達の不手際に我々が巻き込まれるのはゴメンだもの」

 

 

 とんだ梯子外しもあったものだ。だが、それも当然の帰結。

 

 誰とて泥船に相乗りなど御免被るだろう。

 ましてや、北絵にせよ、カーラにせよ、多くの部下を持ち、その命を背負っている。

 手を組んだことで生じる利益よりも、手を組んだことで生じる不利益が上回ると判断すれば、この態度も無理はない。

 

 

「――――し、しかし!」

 

「其処までだ、八津さん。今のアンタは冷静さを欠いている。オレが変わるよ」

 

「に、弐曲輪……!」

 

 

 虎太郎はソファから立ち上がりかけた紫の肩に手を置き、動きを制した。

 交渉経験の薄い紫に、経験を重ねさせる為に、今の今まで黙っていた虎太郎であったが、これ以上は見過ごせなかった。

 

 ここで紫が下手な発言を繰り返せば、墓穴を掘る。

 墓穴を掘った分だけ、対魔忍側は不利な条件を突き付けられる羽目になるだろう。

 

 

「さて、先程の話だが、井河 アサギ、水城 不知火に関しては、どちらも事実だ。二人は敵の手に堕ちたが、現在でも戦い続けている。問題ない筈だが……?」

 

「……意外ね。その事実を認める、というの?」

 

「認めざるを得ない。事実だからな。ここで詰まらない嘘を吐いて後に不審を買うよりかは、此処で印象を地に落とした方がマシだ」

 

「つまり、それを回復させるだけの手段があると……?」

 

「ああ、勿論。相手の欲しいものを目の前にぶら下げるのは交渉の基本。その欲しいものは、二人が敵の手に堕ちた事実を帳消しにするものという自覚がある」

 

 

 薄らと笑みすら浮かべて、虎太郎は取り出した携帯用PADをカーラに向かって差し出した。

 

 PADを受け取ったカーラは画面に表示されたデータに目を通し、僅かばかりに表情を変える。

 その後ろで控えていたマリカの変化は更に大きい。まるで信じられないものを見ているかのような表情だ。

 二人の変化は虎太郎が目を付けるのには充分であり、また自らの思惑の成功を確信するにも十分過ぎた。

 

 PADの中に入っていたのは、九郎が数ヶ月の時間をかけ、苦心して集めた吸血鬼の王国ヴラド及びグラム・デリックの組織に関する情報であった。

 

 王国ヴラドに関しては国の中枢たる貴族の情報を中心に、国交、物流を中心とした国力が詳細に調べ上げられている。

 グラムの組織に関しては、何処の組織と繋がりがあったのか、何処の国の要人と取引があったのか、何を売り、何を買っていたのかまで。

 

 

「其方からの提案を聞いた時、オレが考えたのは、其方が此方に最も求めているのは何か、だった」

 

「………………」

 

「隼人学園、女王様お抱えの暗殺騎士団。共に強大な戦力だが、ブラックの抱えるノマドの戦力には見劣りする」

 

「つまり、戦力的な不安から提案を求めた、と?」

 

「そんな筈はない。一国の王とその友人かつ同盟である隼人学園が、戦力が足りないから手を貸してください、などという訳もない」

 

 

 戦力が足りないのは事実であるが、簡単に認めるわけにもいくまい。

 ヴラドと隼人学園の間でならば認めてもいいが、対外関係を考慮すれば決して表にも、面にも出してはならない。

 両者の実情、弱体化を知れば、闇の組織は(こぞ)って潰しにかかる。国公認の機関であっても、吸収して自らの力としようとするだろう。

 

 闇の組織にしてみれば、両者は目障りな厄介者かつ危険な存在であるが故に。

 国公認の機関にしてみれば、両者は独自の意志と行動権を与えられた存在。味方ではあるが、制御が出来ない以上は制御をしたがるのは無理もない。

 

 よって、戦力が足りないという単純な理由ではない。

 

 

「他にも手を組める組織や機関は色々あった筈だ。特に米連の一部の機関はブラックを毛嫌いしているからな。にも拘らず、対魔忍を選んだのは何故か」

 

「でも、それは推論ではなくて?」

 

「その通り。だが、情報が揃えば見えてくる。嫌と言うほどね。推論は推論に過ぎないが、確信に近い推論であるのならば、話は別だ」

 

「…………それで?」

 

「端的に言おう。其方が求めているのはオレ達の情報収集能力だ」

 

 

 虎太郎の推論は、こうだ。

 戦力的にノマドに劣っている以上、カーラも直接的な戦闘行動は極力避けたい。

 戦力差を覆し、被害を極限する方法は一つ。

 

 世界中に広がったノマドの戦力が集結するよりも早く、エドウィン・ブラックの首を掻き取ること。

 

 無論、ブラックの周囲には彼を守る為の戦力が集っているのは間違いない。……間違いないが、程度は多寡が知れている。

 ブラックが人界の何処かに居るのは分かっているが、その足取りはようとして知れない。何処の組織も、である。

 ならば、護衛となる戦力は精鋭揃いではあるだろうが、総数はそれほどでもない。もし戦力の総数が多過ぎれば、何処の組織の網を潜り抜けることは出来ない。

 

 相手の少数戦力に、此方の最大戦力を以て急襲。カーラの考えは、それだ。

 

 その為に必要なのが、情報収集能力である。

 ブラックの思惑を看破し、先制を得るには精度の高い情報収集能力が不可欠。

 精度は高ければ高いほどいい。無駄に躍らされる不安がなくなるからである。

 

 

「因みに、だが、この情報はたった一人の対魔忍によって集められたものだ。この意味が分かってくれるな?」

 

「そう、一人でこのレベルであれば、複数人で当たれば…………」

 

「まあ、そうなるかな?(どう考えても九郎一人でやった方が精度も良いし、相手にもバレんけどな。でも嘘じゃない。オレと九郎とアルで当たれば十分だから)」

 

 

 いけしゃあしゃあと嘘を吐き――いや、彼の言い分を尊重するのであれば嘘は言っていない。ただ、真実を語っていないだけである。

 彼にしてみれば、真実の一部分を隠すことで相手の思考を誘導するなど初歩の初歩であるようだ。

 

 

「それにお宅も、結構危うい立場のようだしな」

 

「どういう意味かしら……?」

 

「内部不安を抱えているんだろ? 国の現状を調べれば分かる。グラムのやり方に賛同する連中も少なくない、だろう?」

 

 

 王国ヴラドが結んだ条約は、先王が強硬的に推し進めたものだった。

 当時、貴族から多くの反発はあったものの、先王の根回しと圧倒的な力で抑え込まれた。

 結果としてみれば、人間側の文明が急速に成長したこともあり、先王の判断を先見の明もあり、英断と認めざるを得ない。

 

 だが、認識と納得は別物だ。

 その最たるものこそが、グラム・デリックである。

 

 人と吸血鬼も精神性に変わりはない。

 例え、正しい行い、正しい判断と言えども、強硬に推し進めれば反発を生む。

 生まれた反発は決して消えない。況してや、それが自らの存在意義に関わることであれば尚の事。

 

 その事実を指摘されたカーラの表情は険しい。

 先王の思惑がどういったものであったにせよ、彼女は本気で人を友として見ているのは間違いない。

 この友好と親愛が人間側にも、吸血鬼側にも伝わらない現実は、何よりも苦々しさを味合わせているに違いないだろう。

 

 

「…………ふふ」

 

 

 虎太郎が言うべきことを言い終わると、カーラは険しかった表情を崩した。

 

 

「ご満足頂けましたかな、女王様?」

 

「ええ、とても――――それから、今までの無礼な発言と態度の数々、これから共に戦いの辛苦を共にするものとしてあるまじきものでした。ヴラドの女王としても、私個人としてもお詫びします」

 

「か、カーラ様……!」

 

 

 綻んだ表情を引き締め、カーラは恭しく頭を下げた。

 

 一国の王として、まずありえない態度である。

 王は決して謝らない。例え、己の選択が間違っていたものだとしても、決してだ。

 非を認めるということは、隙を生むということ。自ら、王足りえないと語っているようなもの。

  

 側近であるマリカが、冷徹な無表情すら忘れて、慌てふためくのも無理はなかった。

 

 

「ほら、八津さん。こっちもちゃんと答えなきゃだろ?」

 

「あ、いや、その、頭を上げて……」

 

「違う、そうじゃない。こっちが――――というか、アンタが言うのは礼だろ?」

 

「………………は、はぁ?」

 

「女王様はな、アンタを試してくれたんだ。あのまま押し切られても、何も無茶な要求なんぞしなかっただろうよ」

 

「――――はぁああッ?!」

 

 

 虎太郎の呆れ切った言葉に、紫は対外用の仮面すら忘れて、悲鳴のような声を上げた。

 

 

「あら? そこまで分かっていたの? なら、とんだ茶番だったかしら?」

 

「いやいや、こっちも勉強になった。八津さんは交渉事には慣れていないからな」

 

「……カーラ様。面白そうと思うと、勝手な真似をして」

 

「カーラ、止めてちょうだい! 折角、纏まった話が無駄になるところだったでしょう?!」

 

「あー、あー、そういうこと。女王様、話が始まる前と態度が違ったからおかしいとは思ったけど、そういうこと」

 

「……………………」

 

 

 分かっていたのはカーラと虎太郎だけだったようだ。

 マリカはがっくりと肩を落とし、北絵は悲鳴を上げて非難し、東はようやく納得したと呆れたような表情を向け、紫は無言で顔を引き攣らせていた。

 

 

「ごめんなさい。貴女があんまりにも不安そうな顔で緊張しているから、つい、ね」

 

「……あ、はっ! い、いい、いくらなんでも悪戯が過ぎます!」

 

「悪戯じゃない、教育だ。こんなに優しい先生は他に居ないぞ。授業料もロハなんぞ、破格もいいところだ」

 

「に、に、にに、弐曲輪! 貴様も貴様だ! 何故、言わなかった!」

 

「言ったら意味がないから。交渉も経験を積まなきゃ話にならない。良い経験になったろう?」

 

「に、弐曲輪ぁぁあああぁぁぁぁああっ!!!」

 

 

 交渉の雰囲気は何処へやら、少なくとも虎太郎と紫は何時もの調子を取り戻していた。 

 その様子に、カーラと東は笑みを浮かべ、北絵とマリカは頭痛でも感じているのか頭を押さえて首を振っている。

 

 

「では、北絵と東ひいては隼人学園だけでなく、我々も対魔忍と――――」

 

「と、済まない。本部から連絡だ。こりゃ相当、緊急みたいだな」

 

「………………ん?」

 

 

 カーラが改めて、対魔忍との同盟を歓迎する旨の発言をしようとした瞬間、虎太郎の持っていた携帯端末が通信を報せた。

 

 皆が一様に虎太郎を咎める視線を向ける。

 当然である。この重要な会談、交渉の場で、如何に緊急とはいえ携帯を鳴らすなど非礼以外の何者でもない。

 

 そんな中、東だけは虎太郎の態度に違和感を覚え、首を傾げていた。

 東の勘は異常に鋭い。時には未来予知じみた結果すら生むのである。

 その勘が何か言葉に出来ない何かを感じ取ったのであろうが、生憎と東にはそれを言葉にする術を持っていなかった。

 

 

「…………――――面倒なことになった。八津さん、ほらよ」

 

「弐曲輪、いい加減にしろ。いくら緊急とは――――――?!」

 

 

 虎太郎が投げて寄越した携帯端末に視線を落とした紫の表情は愕然に染まった。

 どうやら、余程重要な内容であったらしい。他の4人も、表情から嫌でも分かる。

 

 

「そういうことだ」

 

「どうしたのかしら?」

 

「いや、本当に申し訳ないのだが、今回はこの辺りで勘弁してもらえないか? オレではなく、八津さんが前から請け負っている任務で急転があったみたいだ」

 

「……おいおい、必要だったら手を貸すぜ?」

 

「…………いえ、それには及びません。それに、その、かなり秘匿性が高い任務ですので、申し上げにくいのですが……」

 

「私達にも明かせない、のね。構わないわ、其方の方を優先してちょうだい」

 

「ちょ、ちょっとカーラ! 勝手なことを……!」

 

「いいじゃない。話は纏まっているわ。私が掻き回してしまったけれど、これ以後は恙なく、でしょう?」

 

「勿論――とはいえ、任務の件もある、此方から連絡を入れて改めて、という形になってしまうが」

 

「………………はぁ、全く。我が儘な女王様が味方に居ると大変だわ。此方としても構いません。ですが、可能な限り速く連絡を頂きたいわ。そして、可及的速やかに同盟を結んで下さい」

 

「承知しました。では、失礼を」

 

 

 カーラの提案に、北絵は慌てながらも、渋々ながら提案に同意する。

 既に話の大部分は纏まっており、対魔忍の有用性は十分に確認した。

 ここでゴネて、相手の機嫌を損ねて交渉が長引くよりも、相手の都合を慮って譲歩した方が得策、と判断したのだろう。

 

 虎太郎は慇懃に、紫は礼節を損なわず、二人同時にソファから立ち上がり、理事長室を後にしようとした。

 

 

「ああ、それから弐曲輪さん?」

 

「…………何か?」

 

「今後、隼人学園ではなく、私達と対魔忍との交渉だけど、交渉相手には貴方にお願いしたいわ。話が速く済みそうだもの」

 

「残念ながら当店は指名制では御座いません。当面の間は、此方の八津 紫がお相手しますので、ご容赦を」

 

「あら、残念――――でもないわね。なら、教師役として、教鞭を振るわせてもらうわ」

 

「…………お、お手柔らかに」

 

 

 虎太郎は完璧な営業スマイルを、カーラは無邪気で屈託のない笑みを、紫はこれからの苦労を思って引き攣った笑みを浮かべた。

 

 こうして、対魔忍と隼人学園、及びヴラドとの交渉と会談は終わった。

 詳しい内容は、今後の会談によって明確になっていくことだろう。

 

 ――その水面下では、闇の者ならではの策謀と謀略が渦巻いていたのだが、それを知る者は、同じ闇の中から生まれた二人の男のみであった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「ふん。カーラの奴め、何処まで私の邪魔をすれば気が済むのだ」

 

「ん、ちゅ……じゅ、んぶぅ、んんぅ、んれぇ……ちゅぶ、んじゅぢゅぅぅ」

 

 

 虎太郎と紫が交渉に訪れた夜。

 理事長室では粘着質な吸着音と、濃密な牝の匂いで満たされていた。

 

 ズボンのチャックを下ろし、剛直を晒した状態で理事長室の椅子に座っているのは、誰あろうグラム・デリックである。

 

 数年前に、王国ヴラドでカーラとマリカの手によって。

 数ヶ月前に、日本においては虎太郎の手によって。

 数週間前に、隼人学園近辺でカーラとマリカのみならず、北絵、東の手によって殺された筈の吸血鬼。

 

 持ち前の吸血鬼としての能力。かねてより研究を続けていた寄生蟲の能力。更には拡大を続ける自らの組織の力。

 これらを以て、彼は三度の死線を潜り抜けた。

 

 それどころか、今回に関しては大胆を通り越して無謀ですらある手段に打って出た。

 

 敵の本拠である隼人学園への潜入である。

 通常は不可能だ。隼人学園に施された結界は強力を通り越して凶悪ですらある。

 カーラやマリカといった上位に位置する吸血鬼ですら、北絵手製の“禁則破りの印”なしに超えようとすれば、消滅とまでいかずとも動くこともままならない。

 

 その難関を、グラムは寄生蟲の力で乗り越えた。

 元の肉体を捨て去り、寄生蟲で乗っ取った人間の身体に魂と人格を移し替えたのだ。

 今、彼の肉体となっているのは、この隼人学園で教鞭を握っていた男性教師である。残念ながら、彼の人格も魂も、グラムに身体を乗っ取られた時点で既に失われている。

 

 隼人学園に侵入したグラムが、ただ待っているはずもない。

 その下卑た欲望を満たす為の、最初の贄となったのは――――

 

 

「んれぇ、ろ……如何、れふかぁ、ご主人様ぁ♪」

 

 

 ――理事長である上原 北絵であった。

 

 忌むべき吸血鬼に対し、蕩けた瞳で媚びを売り、肉棒に必死ですらある口奉仕をする様は、牝奴隷そのものだ。

 

 寄生蟲は快楽によって宿主の神経系に癒着していく。

 アムリタと呼ばれる吸血鬼の血液を元にした媚薬と度重なる凌辱調教によって、北絵は既に陥落していた。

 昼間、表向きに見せていたのは仮面。与えられる快楽を求め、媚びる姿こそ、グラムが決定した北絵の第二の人生であった。

 

 

「まあ、いい。このまま、あのクソ生意気な女王も死神も、狩人も――――何よりも……!」

 

「ぐ、ヴっ!? ごぉぅ!? んぐぐっ!! ぶぼっ!」

 

「忌々しい対魔忍――才谷 梅太郎も、恥辱の限りを尽くし、屈辱の果てに殺してやる!」

 

「ぐぼぼぉぉおおおぉぉおぉっ♡」

 

 

 北絵の髪を掴むと、強制的にイマラチオを開始した。

 嘔吐く北絵などお構いなしに、咽喉を犯し、相手のことなど一切考えずに射精を楽しむ。

 

 食道全てを犯す量の射精に、北絵は窒息と賢明に戦いながら精液を飲み下していく。

 まともな女であれば嫌悪しか抱かないであろう一方的な快楽の享受であったが、北絵は鼻から精液を垂らしながらも、表情は恍惚に染まっていた。

 

 

「んじゅぅぅ、ぽん♪ んへぁ、ご主人様、ご褒美、ありがとうございますぁ♡」

 

「この程度では済まざんぞ、北絵。褒美が欲しければ、もっと私に尽くせ。まだまだ働いてもらうぞ!」

 

「はいぃぃ、お任せください! カーラも、マリカも、東先生も、対魔忍も、全てご主人様に捧げますわ♡」

 

「く、は。くはははは! 待っているがいい、才谷 梅太郎! 貴様の女も、立派なメス奴隷にしてやろう。貴様の目の前で犯してやる!」

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「と、オレがテキトーに考えた偽名を叫んで掌の上で踊り狂ってるグラム叔父さんが言っております――――アル、録音したか?」

 

『勿論です――――が、こう、もう少し、北絵様に対して心遣いと申しますか……』

 

「知らん。全部全部、自己責任ですわ。オレは悪くない」

 

「その通りだがな! 貴様は、本当に最低の男だな!!」

 

「ああ、そうだよ? 知ってたろ?」

 

 

 隼人学園から2kmの地点にあるビルの屋上で、理事長室で起きていた狂宴を覗いている人物がいた。

 言うまでもなく、虎太郎とアルフレッド、紫である。

 

 虎太郎はスナイパーライフルのスコープで、理事長室で哄笑するグラムの言葉を読唇術で読み取っていた。

 アルフレッドは交渉の際、虎太郎が仕掛けた盗聴器から北絵とグラムの会話を録音。

 紫は念には念を入れて周囲の警戒をしていた。

 

 交渉の際、急な任務を入った、というのは言うまでもなく嘘である。

 アルフレッドが虎太郎の命令で、端末に通信をしただけで内容など何もなかった。

 そして、紫に投げた時、画面には簡潔に現状を伝える一文を打っておいたのである。

 

 

『グラムがこの学園に居る。話を合わせろ』

 

 

 事前にグラムの存在を知っていた紫は、表に出た動揺を、虎太郎の出まかせに合わせたのである。

 

 とは言え、綱渡りに変わりはなかった。

 特に、東の直感は確かに虎太郎の策謀を感じ取っていたのだから。

 彼女が下手な発言をすれば、グラムに何らかの違和感を与えかねなかった。

 

 

「それで、どうするつもりだ」

 

「救出班の強権を発動させて貰う。アル、急ぎアサギに連絡を」

 

『既に終わっています。返信は――――ありました。許可が下りましたよ』

 

「流石にお前は優秀だな。では、救出任務を開始する。内容は隼人学園の全生徒、全教師の救出だ。今回は、お前も加わってもらうぞ、紫」

 

「当たり前だ。あのような男、生かしておけるか!」

 

 

 ふん、と鼻を鳴らし、大きい胸の下で手を組んだ紫はソッポを向く。

 グラムを倒す、殺すことに関しては何の不満もあるまい。あるのは虎太郎の命令で動かなければならないことである。

 

 まあ、気持ちは分からないでもないだろう。

 虎太郎の策は、悪辣に過ぎる。何よりも彼女にとって腹立たしいのは、それでもなお効果的であるという点だった。

 

 

『では、初手は何を……?』

 

「ああ、何もしない、だよ」

 

「…………え? あ、はぁっ!? き、貴様、正気か!?」

 

「はい、正気です。とても狂ってる奴には思いつかんと思うがなぁ。それが一番良い。誰が敵で誰が味方か分からんのなら、全員が敵になるまで待つ。その内に、此方は戦力を整え、包囲網を完成させ、封殺する」

 

『……いや、確かにその通りですが、一言だけ言わせてください!』

 

「この最低男!」

 

『このドライモンスター!』

 

 

 虎太郎の考えは、あまりにも無慈悲であった。

 カーラも、マリカも、北絵も、東も、隼人学園の生徒すらも、一時的に見捨てると言ったも同然である。

 

 敵の目が内に向けている間に、虎太郎は外堀を埋めるつもりなのだ。

 その間、彼女達が受けるであろう凌辱も、調教すらも黙認する。

 

 敵になるならばなるで構わない。その方が、目に映っても分からない敵を探すよりも精神衛生上よろしい。

 

 たった、それだけ。たったそれだけの理由で、この策を決めた。

 初対面とはいえ、アレだけ破格の評価を自身に与えたカーラですら全く気にも留めない行為である。

 

 事が終わった後、正気を取り戻した彼女達は虎太郎に対して、強い怒りを向けるのは間違いない。

 だが、そんな分かり切ったことをそのままにしておく男でもない。彼女達が、ぐうの音も出ないほどの理由と成果を用意して、黙らせてしまうことだろう。

 







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ばんがいへん! えろ!
『正義の剣客、R子ちゃんの牝堕ち快楽日記』


 

 

 

 

 正義の剣客、R子ちゃんの牝堕ち快楽日記♪

 

 初めまして。正義の剣客ことR子です。

 これは私、R子が、愛しい男にしてご主人様である■■■に愛されて、剣客からご主人様好みの牝女になっていく牝堕ち日記です。

 肉便器にされて恥知らずに悦び、メス豚扱いされて思い切り喘ぎ、恋人みたいに愛されて赤面するほど蕩け、夫婦のようにしつこぉく種付けされてしまいます♡

 

 では、牝女R子の淫らな姿をお楽しみ下さい♡

 

 

 

 

 

 …………こんなことをする意味があるのか?

 貴方の趣味嗜好はよく分からないぞ、全く。

 

 何? それでも媚び媚びの笑みと声だった、だと?

 

 う、うぅ、五月蝿い! そ、それは、仕方がないだろう! どれだけ貴方に調教されたと思っているんだ!

 

 全くもう! 本当に貴方と来たら――――あぁん♡

 

 こ、こら! 尻を撫でるな! 胸を揉むなぁ!

 そうやって何時も何時も誤魔化して! こ、今回ばかりは、んんんんっ♡

 

 や、やめっ♡ だ、ダメだ♡ これ以上されたら、私はぁ――――――

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「――――ふふっ♪」

 

 

 五車町の外れにある一軒家。弐曲輪 虎太郎の城。

 無駄な努力で風呂だけは力の入った平凡な木造平屋建ての廊下を、一人の少女が歩いていた。

 

 彼女の名は秋山 凜子。斬鬼の対魔忍として多くの闇の住人達に恐れられる稀代の剣士。

 同時に多くの苦難を越えて、遂には想い人と結ばれた恋乙女でもある。尤も、世間一般で言うところのそれとは大きく異なっているのであるが、当人や周囲は気にしていない。

 

 凜子は誰が見ても一目で分かるほどにご機嫌のようだ。

 普段の彼女はまさに才色兼備にして冷静沈着。五車学園お姉様になって欲しい上級生ランキング堂々第一位と、女子生徒から人気がある。

 また氷の彫像を思わせる、愛らしさよりも美しさが目を引く美貌と引き締まりながらも肉付きの良い身体付きから男子生徒からの人気も高い。

 

 いつもは引き締まった表情で凛々しい印象を受けるが、今日は違っていた。

 凜子の顔には花の咲いたかのような笑みが刻まれている。年相応の少女の笑みだ。

 決して感情を表に出さないタイプの人間ではないのだが、此処までストレートに感情を表現するのは珍しい。

 

 凜子が何故、スキップをしてしまいそうなほど歓びに満ち溢れているのか。事の発端は、一週間前に遡る。

 

 腕利きではあるものの性格に難のある曲者揃いの対魔忍であっても、認めざるを得ない実力者にしてアサギの右腕、八津 九郎。

 海外で諸外国、闇の勢力への牽制と情報収集などの任務についている彼から、虎太郎に対して任務の補助を求める要請が入ったのである。 

 

 凜子と同じく、彼の女であるゆきかぜ、凜花、ワイトも任務の詳しい内容は知らないが、九郎、虎太郎ともに対魔忍において頂点の一人。

 まして出発前の虎太郎の取り乱しよう――毎度のことではあるが――と来たら、目も当てられない様だったことを考えれば、相当な厄介事であったのだろう。

 

 虎太郎の手助けをしてやりたかったものの、四人には独断、独自で動く裁量は与えられておらず、泣く泣く彼の帰りを待つしかない。

 そして、虎太郎は号泣しながら学園を飛び出していった。

 

 それからの一週間、四人は想い人の安心無事を願いながら、寂しさと共にそれぞれの生活を送っていった。

 

 愛した男が傍らにいない寂しさを紛らわせようとゆきかぜが提案したのは、凜子の家でのお泊まり会という名の女子会。

 特に任務も予定もなかった残りの三人は快諾し、集合という流れとなった。

 

 折しもその晩、虎太郎は任務から帰還した。

 朗報を伝えたのは同じ屋根の下で暮らしているワイトであったのだが、彼女の言葉に三人は大きく溜め息を吐いた。

 

 ――――曰く、旦那様、生ける屍みたいだったわ。

 

 当人にそのようなつもりはなかったのだろうが、死霊騎士として本物の死体を、本物の生ける屍にしてきた彼女が言うと洒落になっていない。

 そこで四人があーでもないこーでもないと話し合った結果、明日は虎太郎の労いをしようということになった。

 

 疲れきった彼を癒やし、甲斐甲斐しく世話を焼く。

 彼の(もの)となった身として、これほどの歓びは他にはなく、虎太郎も家事から完全に開放され、のべんだらりと一日を過ごせるのであれば、正にwin-winの関係と言えよう。

 

 しかし、全員が一度に押しかけても逆に疲れさせてしまう、と危惧した四人は、明日の世話焼き役を決めに掛かった。

 

 正に壮絶な死闘であった。

 実に長く苦しい一時間。己の歓びと願いをかけたあっちむいてホイ勝負を制したのが凜子だ。

 初めに敗退したゆきかぜは膝から崩れ落ち、次に破れたワイトは涙を流し、最後まで残った凜花は敗北した不甲斐なさに床を殴り、凜子は勝利の雄叫びとガッツポーズを取った。

 元々、自分よりも他人の世話を焼きたがる凜子のこと、この喜びようも無理からぬことだった。

 

 

「さて、と――――失礼するぞ」

 

 

 ノックと共に、虎太郎の寝室へと凜子は足を踏み入れた。

 何度となく入ったことがあり、何度となく与えられる女の幸せと快楽に咽び泣き、何度となく絶頂の余韻と気だるさと共に朝を迎えた部屋である。

 

 相変わらず、寝室には生活感というものが欠如していた。

 置いてある家具は必要最低限。雑貨もなければ、ゴミ一つない。

 これではどれだけ調べたとしても、どのような人物が、どのような生活を送っていたのか、想像すら出来ないだろう。

 唯一分かるのは、此処の主がこの家に一切の愛着を持たず、何時でも捨てられる仮宿としてしか使用してこなかったことだけだ。

 

 そして、数少ない家具の一つ――ベッドの上では主である弐曲輪 虎太郎が白目を向いて干乾びていた。

 

 いや、実際に干乾びているわけではないのだが、一瞬、空目をしてしまうほどに彼は疲れ果てていたのだ。

 思わず、凜子は悲鳴を上げて駆け寄りそうになったが、枕の下でもぞもぞと動いている手が武器を握っていると伝えてきており、何時もの事か、と安堵した。

 

 

「ぅ……凜子、今日は……今日だけは、勘弁してくれ……」

 

「貴方がどのような任務を熟してきたのかは知らないし、疲れ果てているのは察するが、私達は職業柄、生活習慣が狂いやすい。無理をしてでも立て直さなければな」

 

「もう……無理……一週間くらい、寝て過ごしたい……いや……いっそ……殺してぇ……」

 

 

 うつ伏せの状態になって枕に顔を埋めた虎太郎が、それこそ今にも死んでしまいそうな声で、今日ばかりは放って置いてくれ、と本気で懇願してきた。

 掛け布団の下でモゾモゾと手足を動かしている様は、地面に落ちて死にかけている蝉のようだ。

 

 余程に辛い任務だったのだろう。

 対魔忍の中でも頂点の一人である九郎が直々に虎太郎を指名してきたのだ。その難易度たるや凜子の想像を絶する。

 そして、誰かへの恨み言を吐かない辺り、今回ばかりは誰が悪いわけではなく、本当に仕方のない事態だったに違いない。

 

 だが、凜子としても引く訳には行かなかった。

 ワイトが自宅へ来た時間から逆算して、睡眠は十分に取っている。

 人体の特性として、寝溜めなど出来はしない。これ以上、ベッドで横になって眠り続けるのは逆に非健康的。

 此処は多少無理をしてでも狂った体内時計を戻し、体力を回復させる方がいい。

 

 

「残念だ。折角、良いサンマが手に入ったのだが……」

 

「バカヤロー……朝からそんな脂っこい魚、食えねぇよ……二十の半ばなのに……無理をしすぎて……オレの肉体年齢は……もう三十半ばレベル……最近、すぐに胃もたれになるんだよぅ……」

 

「そうか。たっぷりと大根おろしを用意して、醤油を一指しすればあっさりと食べられると思ったんだが……」

 

「…………」

 

「それにシメジと納豆の味噌汁もある。口の中の油をさっぱりとしてくれる」

 

「…………っ」

 

「付け合せには、サンマの刺し身とたたきもある。レモンを一振り、生姜を溶かした出汁醤油を少し付けてパクリ。するりと胃に落ちていくだろうなぁ」

 

「…………ごくり」

 

(勝った――――!)

 

 

 この程度は、凜子にとって想定の範囲内。

 虎太郎が死ぬほど疲れているのは勿論のこと、容易には自分の言葉に耳を貸さないことも。

 更には、海外での任務だった故に、日本食に死ぬほど餓えていることも……!

 

 凜子の言葉に、虎太郎の頭の中では食事の風景が展開されていた。

 折しも、メインは今が旬の秋刀魚。身が詰まって油が乗り、今が一番美味い時期である。そう言えば、今年は秋刀魚を食べていない。

 

 香ばしい匂いを楽しみつつ、焼き立てのサンマにカボスを絞り、醤油を垂らした大根おろしと共にパクリ。

 口の中にほろ苦い内臓と油が一瞬で行き渡り、カボスの風味が鼻を突き抜け、醤油と大根おろしがくどさを消し去る。その状態で、白米をかっこむ。

 

 至福! 正に至福の瞬間! 

 秋の味覚を堪能する、最高の一瞬!

 

 凜子のこと、白米にも手抜かりはない。

 炊飯器ではなく土鍋で炊いており、米の一粒が立ち、白く輝いているに違いない。しかも、昆布を投入して出汁まで取っているだろう。おこげもあるかも。

 

 付け合わせの味噌汁と刺し身も堪らない。

 口に残った油を洗い流す納豆のぬめり。しゃきしゃきの歯応えを楽しめるシメジ。凜子自身の手で混ぜた赤、白、田舎の合わせ味噌三重奏。

 ぷりっぷりのサンマの刺し身。脂の甘味の増しながら薬味葱の加えられたたたき。酢で締めたものもあるかもしれない。

 

 最高だ。堪らない。こんなの美味いに決っている……!

 

 疲れは溜まりに溜まっている。

 だが、寝ているだけでは決して癒えない。体力を回復させるには、まずはエネルギーを摂取せねばならない。

 

 虎太郎の胃袋が怒りの咆哮を上げる。

 そして、生唾を飲み込む音を聞いた瞬間、凜子は己の勝ちを確信したのであった。

 

 

「…………凜子さん、美味しい朝食が、食べたいです」

 

「諦めたら、其処で朝食終了だぞ……?」

 

「うぅ……起きる、起きますぅ……あげぅっ…………――――はえっ?」

 

 

 色々と限界を突破している虎太郎は、何とかベッドから這い出したものの、立ち上がること叶わず不様に床へと転がり落ちた。

 その様相たるや、生き血を揉める食屍鬼か、人肉を求めるゾンビのようだ。

 

 どうにかこうにか立ち上がろうと凜子に腕を伸ばし、次いで視線を向けるが、見慣れない光景に目を丸くした。

 

 凜子は何時もの制服姿ではなかった。

 最近、ゆきかぜと凜花によってプロデュースされた年相応の服装でもない。

 

 頭の上にはフリル付きのカチューシャと真っ赤なリボン。

 漆黒のスカートにコルセット。真っ白なフリフリのエプロンに、胸元にはブローチと頭と同じリボンが結ばれている。

 虎太郎の位置からは純白のストッキングとガーターベルト、凜子の薄い陰毛の見え隠れするレースの下着が酷く眩しく、黒いハイヒールが踝から先を包んでいた。

 

 全てが卸したてだ。

 日本の家屋で土足などあるまじき行為であるが、卸したばかりであれば問題ない。

 いや、それがなければ、この完璧な姿に瑕が生まれてしまう。

 

 今や、凛子の姿は完璧なメイドであった。

 

 

「そ、その、どうだろう? ゆきかぜと凜花に進められて、だな。ま、まあ、私も、こういった服を着てみたい、と思ったのだが……」

 

「……ほぅ……ほーん……へぇ~……なるほど……」

 

「せ、せめて何とか言ってくれ……!」

 

 

 凜子が視線を反らしながら頬を染めながら言うと、虎太郎は疲れなど吹き飛んだと言わんばかりに立ち上がった。どうやら、凜子の心意気を買ったらしい。

 更に彼女の周囲をぐるぐると周りながら、360°全方向から舐めるように見て回る。顎に手を当て、感心しきっているらしく、溜め息を漏らし、何度も頷いている。

 

 居た堪れない凜子はぎゅっとエプロンの端を握り、悲鳴を上げた。

 制服以外のスカートなど履いたことはなく、また可愛らしいフリル付きの服など身につけたことがない。

 ゆきかぜや凜花が選ぶ服も、スマートに見えるカジュアル系やライダースなどを進められた。

 何と言えばよいのか。女らしい格好は似合う自覚はあったが、女の子女の子した格好は似合うとも思えない。

 

 それでも、ゆきかぜと凜花に進められたメイド服を着てみたのは惹かれるものがあったからだ。

 虎太郎には女としての自分を全て見せてきた。対魔忍としても。剣士としても。学生としても。

 

 けれど、ただ一人の“女の子”としての部分は、余り見せたことがない。

 恋も知らない、恋に恋しているような初心で純心な自分自身。女として自らの望むまま何処までも淫らに、何処までも卑猥になった部分とはまた違った部分は、まだあるのだ。

 

 それを見て貰いたかった。

 

 

「悪い悪い。いや、正直意外だったからな。凜子はこういうのも似合うとはな。こりゃ、いい目の保養になる。可愛いよ」

 

「そ、そうか。それは良かった。それは何よりだ。で、では……んっ、んんっ」

 

 

 恐らくは、自らの内面や内心を含めた総評に、更に凜子は頬を赤らめた。

 照れ臭さと喜びが何とも言えない割合でブレンドされた心境に、凜子は口元を緩める。

 

 けれど、何時までも喜びに浸っているわけにはいかない。

 見てほしかったものを見て貰った以上。欲しい言葉を貰った以上。自分の思いを優先するのは此処まで。後は、ゆきかぜ達から勝ち獲った権利を行使する。

 

 ――即ち、メイドとして虎太郎の世話を焼くことだ。

 

 頭を入れ替える為に軽く咳払いをすると、右手で虎太郎の手を取り、空いた左手を胸の前に置く。

 

 

「――――本日は、凜子が世話役を勤めさせて頂きます。食事の用意は済んでおりますので、顔を洗って居間にお越し下さい、ご主人様♪」

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「~~~~~♪」

 

 

 朝食を済ませ、食器を洗い、布団を干し、家中の掃除をしていれば、あっという間に昼前になっていた。

 この後は溜まった洗濯物を一気に洗い、外に干してから、昼食の準備に取り掛かる。

 昼食が完成するのは昼を過ぎてしまうだろうが、虎太郎は朝食を食べ過ぎていた。腹具合を鑑みれば、ちょうどいい頃合いとなるだろう。

 

 そして、凜子の機嫌の良さも最高潮に達している。

 世話焼き好きで惚れた男に甲斐甲斐しく世話を焼くのが楽しい、というのもあったが、それ以上に喜ばしいこともあった。

 

 

『凜子凜子』

 

『はい? 何でしょう、ご主人様?』

 

『ターンだ。その場でターン!』

 

『……はあ、こう、ですか?』

 

『――――――うーん、いい』

 

『あ、ありがとうございます……』

 

 

 廊下を掃除している最中、トイレに行く途中だった虎太郎からの注文を受けた時のこと。

 注文通り、その場でクルリと回ってみせると、虎太郎はうんうんと何度となく頷いた。

 ふわりと舞い上がったスカートが良かったのか。それとも凜子の可憐さが全面に押し出された仕草が良かったのか。

 

 ともあれ、頬を緩ませる虎太郎に、凜子は自身が確実な癒やしとなっていることに深い喜びを覚え、胸の深い部分が締め付けられる感覚に襲われた。

 

 

『ふんふん、ふふん――――ひぁっ!?』

 

『おっと、手が滑った。オレのメイドが可愛い尻を振りながら仕事をしてるもんだから、つい』

 

『も、もう! ご主人様! おイタが過ぎます!』

 

『うぇへへぇ』

 

 

 煙草のヤニで汚れた窓を鼻歌混じりに拭いていると尻を撫でられ、黄色い悲鳴を上げてしまった。

 予想だにしなかった不意打ちに驚いたものの、凜子は表情が蕩けてしまうのを堪えながら形ばかりの怒りを示した。

 

 正直、嬉しくて仕方がない。

 彼が不意打ち気味に身体を撫で回すのは何時ものことだが、頻度が何時もより多い。それに、ふとした拍子に目が合うことが多い。

 それはつまり、虎太郎が自分を視線で追う回数が普段よりも多いと意味しており、虎太郎にとって今の自分が魅力的に写っていることでもある。

 

 惚れた男を虜にする。例え、一時的なものであったとしても恋する乙女にこれ以上ない喜びだろう。

 何時も何時も、惚れ直すようなことはあっても、虎太郎が惚れたような仕草を見せてくれないので、喜びも一塩であった。

 

 

「ふふっ♪ よい、しょっ――――んっ♡」

 

 

 けれど、困ったこともあった。

 それは凛子自身の“女”が、すっかりと虎太郎に躾られてしまったこと。

 

 女として彼の男を愛し、牝として彼の牡に屈服した。

 その事実は凛子自身も喜びと共に受け入れていることではあるが、その分だけ身体のコントロールが効かなくなった。

 

 心が喜べば、身体もまた悦ぶ。

 虎太郎の言であるが、女は精神と身体が直結していると聞き及んでいた。凛子自身も散々自覚させられた事実でもある。

 

 ちょっとしたシチュエーションの違い、ちょっとした愛撫の違いで女の劣情は雲散霧消してしまう。

 虎太郎にならば何をされても悦んでしまうだろうが、虎太郎以外であれば何をされても嫌悪感しか湧いてこない確信さえあった。

 

 だから、もう凛子の身体は喜びからすっかりと()()()になってしまっている。

 女の象徴は勃起して下着に擦れて痛いくらいだし、膣は半ばまで開いて潤み始めており、子宮はじくじくとした疼きを訴えていた。

 

 

「すぅ…………はぁ…………すぅ…………はぁぁ…………っ」

 

 

 今日ほど、逸刀流を免許皆伝まで修めて感謝したことはない。

 逸刀流に伝わる呼吸法は身体能力を向上させるばかりではなく、精神の均衡をも保つ。

 

 何時の間にか、無意識に身につけていた深呼吸にも似た呼吸法を意識して繰り返す。

 秋らしい冷たい空気が口から取り入れられ、気管を伝い、肺から全身へと広がっていくかのようだ。

 

 

「ふぅ。いかん、いかんな。やらねばならないことがあると言うのに、そういうのは夜になって――――――――うっ」

 

 

 何とか燻ぶる劣情を鎮火に成功すると、凛子は首を振った。

 

 まだまだ世話を焼きたいことはあるのだ。

 虎太郎にとって食事は細やかな幸福でもある。昼食も、夕食も、今の自分に出来うる限りの最高のものを用意したい。

 彼の髪が伸びているのも気になる。自分の髪は自分で切っている。散髪の腕はそれほどとは言えないが、見れなくなるほど酷くなりはしないだろう。散髪代が浮けば、彼も喜ぶ。

 洗濯物も溜まっている。今日は快晴。普段は室内干しで済ませているばかりでは、衣類も傷もうというもの。偶には天日干しする必要もある。

 

 ぐっと女の欲望を抑えた凛子であったが、ふと目にしたものに後悔した。

 

 

「こ、これは……」

 

 

 

 虎太郎の下着だ。

 因みに虎太郎はもっさりブリーフ派、ぴっちりボクサー派でもなく、だるだるトランクス派である。

 

 しかも、洗濯籠の一番上にあったところを見れば、恐らくは任務中に履き続けていたものに違いない。

 本来であれば、汗と垢で臭気を放つ下着など、愛する男のものであっても忌避するのが普通であったが、生憎と凛子は匂いフェチ。

 幼少期、ゆきかぜと共に虎太郎に窮地を救われ、その背中で安堵とともに嗅いだ彼の匂いは、凛子にとって堪らない甘露であった。

 

 ゴクリ、と生唾を飲み込む。

 欲望から無意識に震える手が伸びているのに気づき、凛子はもう一方の手で抑えに掛かった。

 

 

(お、落ち着け! 落ち着け、秋山 凛子! こういう時こそ、代々受け継がれてきた呼吸法を……!)

 

 

 傍目から見れば中二病の中でも重症の部類である邪気眼であったが、凛子はそれどころではない。

 

 虎太郎の女として、虎太郎の専属メイドとして、世話を焼く喜びと使命。

 虎太郎の女として、匂いフェチとして、欲望に身を任せてしまう悦びと快感。

 

 二つの思いが激突し、鬩ぎ合い――――やがて、凛子の中で片方に軍配が上がる。

 

 

「くっ! 私は、なんて弱い女なんだ……!」

 

 

 軍配が上がったのは、欲望であった。

 虎太郎の下着を手にしてしまった以上、もう止まらない。

 

 自身の不甲斐なさに嘆いたものの、震える手で一週間ものの下着を顔へと近づけていく。

 

 

「すぅ~~~~………………はぁぁっ♡」

 

 

 鼻先へと下着を押し付けると、凛子は深く深く鼻から空気を吸い込んだ。

 鼻腔を突き抜ける汗と恥垢の匂いに、彼女の表情は蕩けていく。目尻と口の端は垂れ下がり、凛とした視線は簡単にフヤけてしまう。

 脳髄が完全に蕩けてしまったような感覚に陥った凛子の吐息は、灯った欲情のように熱い。

 

 ぶるりと腰が震え、内に閉じられた股の奥が開き、蜜を吐き始めていた。

 これはマズいと思いながらも止められない。これはいけないと思いながらも止められない。

 女としても、メイドとしてもはしたないが、はしたないからこそ劣情が煽られる。

 正義に拘っているからか、正道を歩んでいるからか、時に禁忌や、禁断、堕落と言ったものが魅力的に移ることもある。

 

 あのヨミハラでの屈辱と羞恥の一件も、一歩でも間違えば、私は――――

 

 其処まで考えた凛子は、はっと洗濯機の置かれた洗面所の入り口に目を向けた。

 

 

「り~~ん~~こ~~♪」

 

 

 見れば、虎太郎が入り口から半分だけ顔を出して、自身の痴態を覗いていた。

 彼の表情と来たら、新しい玩具を見つけた満面の笑みである。

 

 凛子は言葉もないままに顔を朱に染め上げ、涙目になっていく。

 虎太郎の前では、どんな痴態も、どんな欲望も自ら晒してきたが、今回は少しばかり勝手が違う。欲望に負けた()()姿を見られたのだ。

 

 これではヨミハラの時と変わっていない。

 悪党どもに肉体を改造され、下衆どもの欲望の捌け口となり、内に秘めた欲望に流されそうになっていた自分自身と何一つ変わらない。

 

 自分の下着を握ったまま居住まいを正しながらも、言い訳の一つもなく一筋の涙を流す凛子に、虎太郎は呆れの溜め息をつきながら笑みを消した。これを玩具にしてしまっては凛子に対して申し訳が立たないと感じたようだ。

 

 

「何も泣くことはないだろうに」

 

「な、泣いてなど、いません。……た、ただ、情けなかっただけです……」

 

「ふーん、そうか」

 

 

 項垂れる凛子に、虎太郎はさして気にした様子を見せず、近寄っていく。

 

 俯いたまま肩を震わせ、沙汰を待つ罪人のような有り様。

 それほどまでに、欲望に負け、それを他人に見られることは凛子にとってトラウマになっているようだ。

 

 虎太郎も腐るほど見てきた光景だ。

 それを救出するのが彼の仕事である以上、仕事の後に救出対象がどのようにして日常に戻っていくかも知っている。

 

 対魔忍の女性が敵に捕まれば、大抵の場合は犯される。

 しかし、彼女達は逞しく強かだ。堕落しないまま窮地を脱すれば、屈辱を力に変えて過去を乗り越えていく。

 

 けれど、乗り越えてはいても、躓くことは珍しくはない。

 当人にとって見られたくない姿、決して知りたくなかった己の本性、本当の意味で決して癒されることのない心の疵。

 日常の中で不意に過去を想起し、死にたくなるほどの自己嫌悪、泣きじゃくりたくなる情けなさ、立っていられないほどの絶望感に襲われる。

 今や最強と知られるアサギであっても、その両腕である紫やさくらですら、同様だ。

 

 それは彼女等が一生涯に渡って付き合っていかなければならないものだ。

 彼女達自身の強さと周囲の痛みを顧みない献身と気遣いこそが、彼女等の両脚を奮い立たせる。

 

 つまり、虎太郎はこういった時の対処法を十分に把握しているわけだ。尤も、それは多分に彼らしいものではあるのだが。

 

 

「凛子。別に、オレの前でくらいは良い子ちゃんでいなくていいんだぞ?」

 

「あの、それは、どういう……」

 

「言葉通りの意味だ。少しくらい、我儘を言ったっていいんだよ」

 

 

 それは以前から虎太郎が思っていたことだった。

 

 早くから両親を失った凛子は、周囲に迷惑を掛けまいと常に真面目だった。

 ゆきかぜという天真爛漫な妹分、凜花という我の強い幼馴染の存在もあって、二人のストッパーやブレーキ役に収まり拍車が掛かった。

 周囲の大人は誰一人として凛子の我儘など聞いたこともないだろうし、凛子自身も我儘など思いつきもしないに違いない。

 

 

「よ、宜しいのですか? 今日は、ご主人様の為に色々……」

 

「いいんだよ。それじゃあ不公平だろ? 持ちつ持たれつが正しい人間関係だからな。オレの可愛いメイドは、どうしたい?」

 

「……し、したいです! ご主人様とSEXしたい! 他の女性なら絶対にやらないようなスケベなことをして、ご主人様と一緒に気持ち良くなりたいです!」

 

「よしよし、素直になったな。今日は他の仕事はもういいぞ。オレもお前としたい。凛子を泣くほど責めて、とろとろになるまでアクメさせてやりたいからな」

 

「あ、あぁ……ああっ……♡」

 

「準備が出来たら、部屋においで。待ってるからな?」

 

 

 虎太郎の言葉もあり、凛子の中で全ての優先順位が入れ替わった。

 凛子は両手で頬を包み、余りにも淫らな自分の懇願と虎太郎の欲望塗れの宣言に、目にハートを浮かべながら恍惚の吐息を漏らす。

 

 既に落ち込んだ様子など見られなくなった凛子に満足げに頷くと、虎太郎は一言だけ残して寝室へと向かっていく。

 残されたのは、虎太郎の言葉にこくこくと何度となく頷き、内股に欲情の発露を伝わせるはしたないメイドの姿だった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「お、お待たせ、致しました」

 

「随分、遅かったな……って、それは遅くなるよなぁ」

 

 

 昼になったばかりの日も高い時間帯。

 遮光カーテンの引かれた寝室は、薄暗くはあったものの、人の表情を隠せるほどでもない。

 

 ノックと共に入ってきた凛子の姿に、虎太郎はすぐさま笑みを深めた。

 発情から上気した頬と目尻と口の端が垂れ下がった媚びきった笑みの刻まれた表情。

 男なら、それだけでも興奮を隠せなくなるだろうが、更なる興奮を煽るスパイスで飾り付けられていた。

 

 凛子が身体に纏っていたのはメイド服――――を模した下着であった。それもとびきり品のないものだ。

 

 カチューシャはそのままに、ブラは黒を基調に白いフリルが付いてはいたが布地に切れ目が入っており、既に小石のように勃起した乳首が見えてしまっていた。

 下は白いレース調の小さな前掛けが垂れていたが、その奥ではブラに合わせた白いフリル付きの黒いショーツが下半身にピッタリと張り付き、開いたクロッチから女性器とクリトリスを強調しているかのよう。

 手には白いロンググローブが二の腕まで伸び、脚には白いストッキングがガーターベルトで止められている。

 

 メイド服と言えば清楚で可憐な印象を受けるものだが、淫乱しか身に着けないような下着と合わさっては台無しだ。

 その台無しさ加減が、また身につけた女の、見た男の興奮を煽る。

 

 以前の凛子ならば、下品と斬って捨てるだけのセックスの小道具であった。

 

 

「……ゆきかぜと凜花に渡されたのですが、い、如何でしょう、ご主人様?」

 

「ああ、いいな。凛子のオレの前では可愛くありたいって乙女心とメチャクチャにされたいって女心がよく現れてる。ほら、オレの気持ちも見れば分かるだろ?」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 

 自身の心の裡を見透かした虎太郎に、凛子は本気で礼を口にする。

 部屋に入った段階では、まだ臨戦態勢に入っていなかった男性器は、凛子の淫らではしたない姿を見ると瞬く間に逞しく屹立していた。

 愛した男を興奮させている事実は、凛子にとって甘美であった。

 

 

「で、では、まずはご挨拶から、始めさせて頂きます♡」

 

「挨拶?」

 

 

 このまま楽しい時間が始まると思っていた虎太郎は、凛子の言葉に面を喰らった。

 凛子は彼の表情に悪戯の成功した子供のように無邪気でありながら、女そのものの淫らな笑みを浮かべ、乾いた口唇を舌で舐める。

 

 出鼻を挫かれた虎太郎ではあったが、凛子の様子を見るに楽しい余興となるだろうと判断し、任せることにした。

 何にせよ、焦らしも快楽を追求する上ではアクセントとなる。普段から女を焦らしているのだ、偶には自分が焦らされるのもいいだろう。

 

 挨拶の許可を得たと判断すると、凛子は虎太郎の前――手の届く範囲にまで近寄るとくるりと背を向ける。

 筋肉が薄っすらと隆起した白い背中には、何もしていないままに幾筋もの汗が伝い、既に下着とストッキングに染み込んだ愛液は隠しきれない発情を示していた。

 

 

「んっ……はぁぁ……♡」

 

 

 凛子はそのまま脚をガニ股に開き、腰を落として尻を突き出すポーズを取った。

 シミ一つない安産型の大きな尻は、凛子にとって虎太郎を興奮させるためだけのセックスアピール。

 しかも下着で隠れていない、クロッチから伸びるのは二本の紐のみであり、最も恥ずかしい部分を隠せない仕様であった。

 

 けれど、それだけでは足りない。

 凛子の尻肉は豊満であり、立っているだけでは決して最奥までは覗き見ることは出来ないが――

 

 

(あ、あぁぁ……見られている。私の、はしたない格好、恥ずかしい部分を、ご主人様に見せてしまっているぅ……♡)

 

 

 ――凛子は自らの手で尻肉を掴むと左右に割り開く。

 

 ごくりと虎太郎は生唾を飲み込み、凛子の秘所からはとろりと糸を引いて本気汁が零れ落ちる。

 

 決して見せつけるような部分ではない菊門を視線に晒し、凛子の発情は最高にまで達した。

 ヒクつく肛門は、凛子の発情と期待を露わにしているかのよう。

 

 

「わ、私、秋山 凛子は、元奴隷娼婦のご主人様専属性メイドですっっ♡」

 

 

 そのままのみっともない格好で、凛子の挨拶が始まった。

 

 

「かつてヨミハラで自身の力量も分からないままに無謀を繰り返し、奴隷娼婦として肉体を改造されましたっ♡」

 

 

 挨拶の口上は、それこそヨミハラの広場で新たな奴隷娼婦のお披露目としてリーアルに言わされた言葉を参考にしていた。

 しかし、凛子の表情には嫌悪はない。寧ろ、忌々しい事実すら自らを興奮させるスパイスにしようと喜悦に満ちている。

 

 

「オスの欲望の何たるかも知らず、何も出来ないまま弄ばれる自分に打ち拉がれ、何度も何度も犯されて下衆どもの肉便器になりかけておりましたッ♡」

 

 

 肛門に力を入れての台詞は、全て凛子が考え、望んだまま口にしているものだ。

 背筋が寒くなるほどの快感は、かつて奴隷娼婦として体験したものとは比較にならない。

 

 

「その折、ご主人様に見初められ、救われ、ご主人様の女にしていただきましたぁっ♡」

 

「私はっ、ご主人様の手を煩わせたことを反省し、これまでの未熟で愚かな自分とは決別し、心を入れ替えてお仕えする専属のメイドとなりましたっ♡」

 

「お金で何でもする奴隷娼婦ではなくっ、ご主人様への感謝と愛で、ご主人様のおちんぽ様のみに奉仕するメイドですっっ♡」

 

「ご主人様の専属ドスケベメイドとなった証に、私、秋山 凛子はこれから産みますっ♡」

 

 

 ぎゅるぎゅると音の鳴る下腹に、より一層肛門に力を込める。

 既に凛子が何をするつもりなのかに気付いた虎太郎は、笑みを浮かべたまま止めはしない。

 

 ともすれば、虎太郎もまた凛子を貶めたヨミハラの下衆と同じではあったが、決定的に違う点がある。

 言うまでもなく、凛子が望んで挨拶をしている点だ。虎太郎が何一つ言うことなく痴態を晒し、虎太郎を悦ばせることを望んでいる。

 

 余りにも初々しい痴態に虎太郎は固く勃起した肉棒を握り締め、上下に扱き始めた。

 凛子は一人で自慰を始めた虎太郎に不満はない。寧ろ、自分をおかずにされていることが嬉しくて堪らないようだ。

 

 

「私っ、ケツ穴にローターボールを入れてきましたっ♡ それを産みますっ♡ 変態メイドのケツ穴に何個も何個も突っ込んできたものを、此処で産ませて頂きますっ♡ どうぞ、ご覧下さいませっっ♡ ふ、むぅっ、うぅううぅぅっっ♡」

 

 

 前口上を終わらせると、凛子は菊門を焼くような視線を意識しながら、高まる排泄欲求を開放し始めた。

 はしたない息みを繰り返し、徐々に窄まっていた肛門を緩ませていく。

 

 

「ンっ♡ むぅっ♡ おっ、おぅっ、おぉおおぉおおぉぉぉおぉっ♡」

 

 

 一際大きい肛虐の嬌声を上げると、凛子の肛門が盛り上がった。

 何度も肛門性交を繰り返してきたとは思えない桜色の窄まりは、ムリムリと盛り上がり、やがてソフトボール大のローターボールが顔を出し始める。

 

 

(で、出るっ♡ ケツ穴が開いて、あっ、あっ、出て行くっ♡ ご主人様の前で、ローター出てきてるぅっ♡)

 

 

 膝をがくがくと震わせながらも、排泄を辞めはしない。

 少しでも油断をすれば、直ぐにローターは直腸へと戻ってしまうだろう。

 肛門から伝うローターの振動に切なさを感じながらも、凛子は不様な息みを繰り返して、主人の自慰行為をサポートしつつも己もまた肛虐の悦びを愉しんでいた。

 

 息みを続けローターが半ばまで顔を出すが、其処で息が途切れて、僅かに直腸へと戻ってしまう。

 

 

「んふぅっ、ふぅぅっ、ンムゥウウゥゥゥっ♡ はひっ、ひぃっ、ふんぅううぅううぅぅっ♡」

 

 

 凛子は息みを何度も続けて、口を開いた肛門を震わせ己を高めていった。

 どれだけ主人を悦ばせるために必死になっているかを伝えているかのようだ。

 

 やがて、顔を出した最初のローターはあと一息という所までやってきた。

 これを産み落とした瞬間、自分は主人が大喜びする不様なアクメを晒してしまうと自覚するときゅっと肛門を締め上げ、ローターを止める。

 絶頂を我慢する切ない感覚に堪えながら、凛子は後ろを振り返り、しなを作って虎太郎に宣言した。

 

 

「ご、ご主人様ぁ♡ 今から凛子の、ケツ穴出産アクメっ、披露しますねっ♡ 一杯シコシコして、オカズにして下さいっ♡」

 

「ああ、そうさせて貰う。しっかり、イクんだぞ?」

 

「は、はいぃぃっ♡ ンムッ、ふぅぅっ、ふぐぅっ、んんふぅうううぅうぅううぅううぅっ♡」

 

 

 凛子の息みが最高潮に達すると、じゅぽんと音を立てて肛門からローターが飛び出した。

 

 

「えひぃいいぃいいぃいぃいぃぃいいぃっっっ♡」

 

 

 ぎゅっと跡が残ってしまいそうなほど尻肉を握り、全身を震わせて肛門絶頂を噛み締めていた。

 既に開いていた股は更に開かれて腰を深く落とし、絶対に見せられない姿を虎太郎だけに見せつける。

 見せつけるように振り返った顔は、肛虐によって崩れてアヘ顔を晒し、主人の扱きに熱を込めさせるオカズとする。

 

 ぶしっ、ぶしゅっ、と尿道は開ききって、凛子の絶頂の深さを物語るように牝潮を噴き出していた。

 既に蕩けきっている牝穴からはこれ以上ないほどに粘ついた本気汁も止められない。

 

 

「で、出たぁっ♡ ローター、上手に産んでぇ、アクメ頂きましたぁ♡ んんっ、けちゅ穴、気持ちいいっ♡」

 

「はは、いいぞ、凛子。大した余興だ。最高に下品で、最高に興奮するな、これは。何より、恥ずかしいのに下品な姿を見せつけてくるお前が最高に可愛いぞぅ」

 

「んふふふぅっ♡ お褒めに預かり、光栄です♡ まだまだ凛子の肛門出産アクメ、お楽しみ、下さぁいっ♡」

 

 

 峠を越えて排泄してしまえば、後は歯止めが聞かなかった。

 一度に何個ものローターを連続して産み落として、連続アクメを晒しもした。

 虎太郎の指示を受け、半分以上も顔を出したローターを、肛門を蠕動させて再び直腸へと収め直しもした。

 

 震える膝で必死に身体を支え、あらん限りの肛虐姿を主人へと晒す。

 虎太郎以外が知らない自身の淫らで惨めな牝の姿。

 聞き分けの良い優等生な自分とは乖離し、ヨミハラの一件で自覚せざるを得なかった被虐の快楽で簡単に絶頂へと至る隠された己自身。

 

 元々、そういった素養はあった。

 凛子自身、無意識ではあったものの自身の生き方に息苦しさは確実にあったのだ。

 これはその反動だ。格式張った、優等生染みた自分の息苦しさを破壊するマゾ牝としての自分。

 その全てをたった一人の男のためだけに解放し、凛子は更なる女の高みへと駆け上っていった。

 

 

「おぉおっ、ご、ご主人ひゃまぁ、ちゅぎ、ちゅぎれ、ひゃいごれひゅぅ……♡」

 

 

 肛門絶頂の連続で呂律の回らなくなった凛子であったが、律儀にこの余興も最後であることを宣言した。

 口から溢れた涎が顎と伝い、大きすぎる胸の谷間に落ち、腹を伝っている。

 緩んだ牝穴と尻穴からは、粘ついた本気汁と腸液が滴っている。

 

 これ以上ない痴態であった。

 恥ずかしさと照れを見せながらも、凛子はそれ以上の悦びに身を委ねているのは誰の目からも明らかだ。

 

 

「どれ、最後ぐらいは手伝ってやろうか」

 

「あぁっ、あぁぁんっ♡ ご、ご主人様ぁっ……♡」

 

 

 力が入らなくなった自身の手に変わり、虎太郎の両手が尻肉を割る。

 絶妙な力加減で尻を揉みしだかれ、凛子は身体をビクビクと震わせた。たったそれだけで軽い絶頂に襲われているようだ。

 

 虎太郎の指と熱さを感じる度に、緩んだ肛門からは恥ずかしい空気の破裂音が響く。

 はしたない、恥ずかしいと感じながらも、凛子自身には止めることは出来ず、逆にもっと聞いて欲しい、もっと見て欲しいと望む自分もいる。

 

 凛子は自由になった両腕を頭の後ろで組んだ。

 虎太郎に教えられたポーズだ。貴方にされることなら何でも受け入れ、一切の抵抗を致しませんと言葉にしないまま宣言する屈服と隷属を示す姿勢。

 

 

「い、イキますっ♡ 最後のいっこ、産んで、凛子イキますぅっ♡ ご、ご主人様、し、しっかり見ていて下さいぃっ♡」

 

「ああ。お前のみっともない姿、全部()()()()()見ていてやる。恥ずかしいのを我慢して頑張ったお前に、ご褒美もくれてやるぞ」

 

「ご、ご褒美っ♡ …………はぁぁっ、んむぅっ、ふんんっ、んっほっ、んおおおぉぉおおぉおおぉおおぉおおぉぉぉぉおぉおぉっっっ♡」

 

 

 虎太郎だけに見られている。

 彼の言葉に凛子は妙な安心感を覚えた。

 この姿を知っているのは、虎太郎だけ。引いては、虎太郎以外の男には見せてはならない姿ということだ。

 

 当然のことであったが、嬉しくて堪らない。

 もし仮に、ヨミハラの時のように敵の魔の手に堕ちたとしても、必ず救い出すということ。

 お前がどれだけ穢され、どれだけ堕ちたとしても、再び己の女として躾け直してやるということ。

 自分の愛した男は、自身が他の男に痴態を晒すことを決して許さないと口にしたも同然だ。

 

 ならば、虎太郎にだけは安心して羞恥極まる姿を晒すことができる。安心して牝へと堕ちていける。

 他の男の、他の人間の前では、淫らな自分を決して見せず、優等生たる己のみを見せるように躾けられている。

 

 安心感と悦びから、凛子はケダモノそのものの声を上げて、絶頂へと至った。

 最後のローターは大砲のような勢いで肛門から排泄された。他のローターよりも一回り大きいそれは、他のローターと同様に淫液と腸液の水溜まりを波打たせた。

 

 

「んおおおぉおぉっ、おっ、おっぉ……あっ、あぁっ、あぁあぁぁぁあぁっ……♡」

 

 

 凛子は絶頂の余韻に、野太い声を上げながら尻を震わせた。

 虎太郎が手を貸した尻の中心では、開ききって閉じなくなった菊門がヒクつき、赤色の腸壁を見せつけながら腸液を溢していた。

 

 肛虐絶頂から晒した蕩けた笑みは、虎太郎専属の性処理メイドとなった何よりの証であった。

 

 

「け、けちゅあにゃぁ、閉じなくなっひゃいましたぁ……♡ あひぃ、はっへぇえぇ……、ご、ご主人様ぁ、わたしのあいひゃちゅ……ひゃのしんれ、いたらけ、まひたかぁ……♡ うふふぅっ♡」

 

「可愛かったぞ、凛子。じゃあ、今度はオレからご褒美をくれてやらなくちゃぁな」

 

「ひゃ、ひゃいぃ♡ 心待ちに、しておりまひたぁ……♡ 凛子の、ご主人様専用ザーメン排泄ケツまんこに、極太おちんぽ様でご褒美、くださひぃ……♡」

 

「おっと、これじゃあご褒美にならないか。オレばっかり愉しんでる気がするな?」

 

「いやいやいやぁっ、意地悪しないでぇ♡ ご主人様にザーメンを射精()して頂くのが私の一番の悦びなんですっ♡ くださいっ♡ おちんぽ様でけつまんこイジめて下さいぃ……♡」

 

「ふふ、冗談だよ。一緒にたくさん気持ち良くなろうな」

 

「は、は――――――、んっほぉおおぉおおぉおおぉおおぉぉおおぉぉおおぉっっっ♡♡」

 

 

 頭の後ろで腕を組み、両脚をガニ股に開いて腰を深く落とし、尻を突き出した格好のまま、凛子は喜悦の咆哮を上げた。

 尻肉を開いていた手は腰を掴み抽送のし易い形を選んだ故に、開ききった菊門は尻肉に埋まってしまったが、其処は勝手知ったる凛子の身体。一物を尻肉に差し込み、尻穴を貫くなど容易かった。

 

 緩んでいた筈の肛門は、肉棒の存在を感じ取ると即座に締め上げていく。

 異物の挿入に対する肉体の反射ではなく、凛子の奉仕の精神が肉体に現れた結果であった。

 

 

「おぉ、おっ、き、きたぁ♡ ご主人様の、魔性のおちんぽ様、きたぁ♡ 今日も、長くて、ぶっとくて、硬くて力強て、今日も素敵ですっ♡ ケツマンコも、こんなに悦んでるぅっ♡」

 

「お前もだぞ。何度も犯しているのに、締め付けがキツすぎず緩すぎない、良いケツマンコだ」

 

「ふぁっあぁっ、と、当然ですぅ♡ 私のケツマンコは、ご主人様専用なんですっ♡ ご主人様が一緒に気持ち良くなれるように躾けてくださった自慢の牝穴ぁ♡ あっあっあぁぁんっ♡」

 

「ふふ、そうだったな。凛子が泣いて悦ぶから、オレも些か以上に熱が入っちまった」

 

「ふふぐぅっ、おちんぽ様、気持ち良すぎるぅ♡ あっ、あっ、ほおっ、おあひぃっ、ひぃっ、ひゃぁああぁぁぁぁああっっ♡」

 

 

 快楽から逃げられないようにしっかりと腰を掴んで、ずぶずぶと剛直が奥へ奥へと侵入していく。

 その度に、凛子の肛門は決して挿入の邪魔をせぬような絶妙な加減で緩みと締め付けを繰り返す。

 

 肛門だけではない、凛子は無意識的にも意識的も腸壁をうぞうぞと蠢かせ、怒張を喜ばせようと、自ら気持ちよくなろうとしていた。

 本来であれば自分の意志で動くはずもない器官を動かせるようになったのは、言うまでもなく虎太郎の調教の賜である。

 

 

「奥まで届いたぞ。そら、凛子が好きな所をイジメてやる」

 

「う、うひぃっ♡ あがっ、し、子宮裏ぁ、ぐりぐりぃ……♡ は、はひぃ、ひぃぃ、ひぃいぃっ♡ れるぅ、れちゃうぅぅううぅぅっ♡」

 

 

 あっさりと剛直を根本まで呑み込んだ凛子は、肛虐とは異なる快感に目を白黒とさせた。

 肉襞を隔てた子宮を裏から突き上げられる。激しくはない。亀頭を密着させた状態で子宮全体を揺さぶられていた。

 

 女の中心から湧き上がる容赦のない子宮絶頂に、凛子は歯を食い縛って堪らえようとしたものの全ては無駄だった。

 どれだけ歯を食い縛ろうとしようとも、子宮を揺さぶられる度に、剛直の硬さを自覚する度に、はしたない牝の声が涎と共に口から漏れる。

 

 

「ほぉぉっ、んおぉぉっ、れ、れてるぅ♡ お漏らひしにゃがら、子宮アクメぇ、すごすぎうぅううぅぅぅううぅっ♡」

 

 

 凛子の口と同様に、ぐぱりと開いた尿道からは黄金水が噴水の如く噴き出した。

 尿道から小水が溢れる感覚すらも絶頂へと変え、凛子は仰け反り、必死に肛門を喰い締めて自身を高みへと誘った男へと絶頂を伝える。

 

 

「はへ……ひぃ……ん、ふっ……はひぃ……あっ……へぇぁ……♡」

 

 

 普段の凛とした表情は何処へ行ったのか。

 尿道と同様に締まりを失った表情をしている。

 大粒の涙を流し、どうすることも出来ないと鼻水と涎を垂れ流し、でろりと舌をはみ出させた姿は、正に牝と呼ぶに相応しい。

 それでも股にある二つの淫穴だけはきゅっきゅと締り、白濁した本気汁と腸液を吐き出していた。

 

 

「そろそろ、動くからな。もう少し、頑張れるか……?」

 

「ら、らいじょうぶ、れすぅ……ご、ご主人ひゃまに、躾けていたらいたかりゃ、気を失っれも、しっかりおちんぽ様にご奉仕、れきまぅ……♡」

 

「そういうことじゃないぞ。ちゃんと今日一番のアクメを噛み締めろと言っているんだぞ」

 

「も、勿論、れすぅ……ご主人様からのケツマンコアクメ、全身で受け止めて、みせますっ♡」

 

 

 光を失いかけていた凛子の瞳に、女としての覚悟が灯った。同時に、メイドとしての矜持であったかもしれない。

 与えられる絶頂を失神して受け流すなどしない。余すことなく絶頂へと至り、全てを噛み締め、余韻すらも楽しむこと。それが、牡に絶頂へと誘われた牝の作法と言わんばかりに。

 

 弱々しかった呼吸が荒々しく変化し、呂律の回らなかった舌で力強く言葉を吐いた。

 凛子の様子に虎太郎は目を細めて満足げに頷くと、根本まで挿入していた剛直を引き抜かれていく。

 

 

「ふぅっ、ふぐぅううぅぅぅっ、すごぉ、凄いですぅ♡ お、おちんぽ様に、ケツマンコ引っ張られるぅぅっ♡」

 

「やっぱりいいケツマンコだ。チンポを引き抜くと、抜かないでと泣いて縋ってくるぞ」

 

「おぉおっ、伸びっ、肛門捲れ、あひゃぁああぁ、おっ、おっ、おおぉおおぉおぉおおぉぉっっ♡」

 

 

 怒張がずるずると引き抜かれると、竿全体に絡みついた肛門が伸びる。

 普通の女ならば当の昔に裂け、脱肛しているだろうに、対魔忍の頑強さか、凛子自身の素養なのか、見ているだけでも射精してしまいそうな淫らさだけがあった。

 

 雁首に菊門が引っかかり、更に伸びる。

 その様を楽しみながら、虎太郎は小刻みな抽送を繰り返す。

 

 

「おっ、おっ、カリ首でイジめないれぇ♡ そ、それ、イクっ♡ すぐにイッちゃうのぉ♡」

 

「我慢するな、凛子。もっとイけ、アクメを決めろ。そうすれば、もっといいケツマンコになるからな」

 

「そ、そんなぁ、わらし、一人だけなんてぇ♡ あっ、あっあっああぁあぁあぁぁぁんっ♡」

 

 

 実に彼女らしいいじらしさを見せながらも、凛子は言葉通りに絶頂してしまう。

 虎太郎は凛子の絶頂を気にした様子もなく、雁首に引っかかるアナルを伸ばして、雁首だけを外気に晒し、すぐさま尻穴の中に戻すを繰り返す。

 通常の排泄では感じることの出来ない、何時までも排泄を続けているような快楽の波に、凛子は気を失う寸前だった。

 

 けれど、屈服のポーズも意識を手放すことはしない。

 立派な虎太郎の女になったのだ、と示すように襲いかかる絶頂に潮を吹きながらも立ち向かっていた。

 

 

「あひぃぃっ♡ はっへぇぇっ♡ んおっ、おぉぉっ♡」

 

 

 いよいよ、虎太郎の本格的なピストンが始まった。

 本気には程遠い、快楽に翻弄される凛子を気遣ってのものではあったが、凛子を前後不覚にするには十分過ぎた。

 

 パンパンと小気味良い肉を打つ音が、二人の腰の間から鳴り響く。

 虎太郎が腰を打ちつける度に、凛子のたっぷりと油の乗った肉付きのいい尻は波打ち、震えている。

 

 

「あっ、あぁっ、い、いやぁ、ご、ご主人様、いやらしい音、鳴らさないでぇぇぇっ♡」

 

「凛子が必死で締めるからだぞ? 何だ、そんなに嫌なのか――――なら、もっと聞かせて貰おうか」

 

 

 剛直が前後する度に、ぶぽっ、ぶぴっと挿入によって入った空気が掻き出され、放屁にも似た音を出す。

 愛する男には決して聞かれたくない恥ずかしい音に、凛子の羞恥は極まるが、虎太郎は手を緩めない。

 寧ろ、極まっている筈の羞恥を更に煽るかの如く、抽送は激しさを増す。

 

 空気の漏れる音ばかりでなく、牡と牝の肉が絡みつき合う卑猥極まりない音までが、凛子の喘ぎ声に混じって寝室に響き渡っていた。

 

 

「イっくぅっ♡ ご、ご主人様、凛子イきますぅっ♡」

 

「オレもだ。最後は一緒だ」

 

「は、はひぃぃっ♡ イキます、ご主人様の大きくて硬くて長くて太いおちんぽ様で、子宮アクメとアナルアクメ決めますぅううぅぅっ♡」

 

「はっ、ぐぅ……」

 

「はぁぁっ、もうダメ、イキそうっ♡ アナル震えるっ♡ ごしゅじんさま、ダメ、我慢できませんっ♡ アナルイキますっ♡ 気持ちいいきもちいいキモチイイぃぃいいぃっっ♡」

 

 

 本当に、凛子は脳の回路が焼ききれる寸前まで我慢を繰り返した。

 目の前が真白に染まり、自分の意志とは関係なく痙攣する身体まで楽しみながら、最愛の主人と共に絶頂を決める。

 腹の中にびちゃびちゃとマグマの如き熱い精液を感じながら、怒張を咥え込んだ菊門は外から見ても分かるほどの窄まりを見せた。

 

 

「あぁあぁっ、あっあっあっ、イクゥ♡ ケツマンコイクぅうっっ♡ イクイクイクいグぅううぅううぅぅぅうぅっ♡」

 

「イグぅううぅうううぅううぅうううぅうぅうぅうぅぅっっっ♡」

 

「ひゅごいひゅごいっ♡ んほぉっ♡ ひゅごいアクメきらぁあぁぁあぁっ♡ ご、ご主人しゃま、ありがとうございますぅっ♡ こんなひゅごいアクメ、はじめれぇえぇぇぇぇっ♡」

 

「ご、ご主人しゃまの射精しゅる間、イキ続けるぅううぅうぅっ♡ ひゅ、ひゅっごぉっ、潮吹きもアクメもとまらにゃいぃいいぃいぃいぃっ♡」

 

 

 窄まった菊門は、一滴も精液を漏らさない。

 それどころか、怒張の射精の動きに合わせて締め上げ、もっともっととせがむように精液を搾り取る。

 宣言通り、虎太郎の射精の間、凛子は突き上げられた子宮とアナルの両方でアクメを味わい続けた。

 

 

「んあっっっへぁあぁあぁあああぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ♡」

 

 

 最後に一際大きく精液が吐き出されると、何もかもが崩れ去ったアクメ顔を披露しながら、最大の絶頂へと登り詰めた。

 汗とアクメ潮、小水に本気汁、腸液で全身をぐちゃぐちゃに濡らしながら、全身を絶頂の痙攣で震わせる。

 

 忘我の彼方にあった凛子であったが、虎太郎の命令通りに意識を手放さず、絶頂を余すことなく噛み締めていた。

 

 

「はひぃ……んっ……へぁ……んっ、んっ……ふっ……あぁ……んっ……んんっ……♡」

 

 

 

 ずるりと射精を終えながらも硬さを損なわない剛直の感覚に、凛子は弱々しい呼吸を繰り返しながらも、きゅっきゅっと肛門を締め上げた。

 尿道に残った精液を絞り出しているのだ。本当に大したものである。奴隷娼婦であっても、此処まで男に尽くせはしないだろう。

 

 ぼりゅ、と音を立ててアナルから男根が引き抜かれる。

 その瞬間、開ききっていたはずのアナルはきゅっと元の形に窄まり、腹の中に排泄された精液を無駄にはすまいとした。

 お陰で、凛子の菊門は元のキレイなピンク色の窄まりへと戻った。今し方まで性器となっていたなど信じられないだろう。

 

 

「はっ……はぁっ……ふぅ……ふぅーっ…………お、お待たせ、しましたぁ」

 

 

 五分、或いは十分か。

 ようやく絶頂の彼方から戻ってきた凛子は、屈服のポーズを解くと大量の精液でぽっこりと膨れた下腹を擦りながら虎太郎へと向き直る。

 

 

「良かったぞ、凛子のアナル」

 

「んっ、ちゅぅ……ご、ご主人様に愛して頂いたからです……♡ お掃除、しますね……♡」

 

 

 顎を持たれ、触れ合うだけのキスをすると、凛子もまた軽く絶頂してしまう。

 このままずっとキスをしていたかったものの、メイドとして、まだやるべきことがあった。

 

 凛子は脚をM字に開いて跪くと、未だに萎えることのない精液と腸液に塗れた怒張にキスの雨を降らす。

 先程、虎太郎のキスと同様に愛情をたっぷりと込めながら、仕草は激しくもねっとりとしたものだ。

 

 

「ちゅ、ちゅぅ……ひゅごい……まだまだ、こんなに硬ひ……んんっ、んちゅ、ちゅる、ちゅちゅっ……♡」

 

 

 亀頭だけではなく、幹や玉袋まで丁寧に丁寧に。

 絶頂へと導かれた感謝を示すように。芯まで躾けられた恭順を示すように。

 淫らなキスではあったものの、これ以上に愛情深いものはあるまい。

 

 

「ひ、失礼、しまひゅ……んじゅ、んぼっ、じゅぼぼっ……じゅるりゅ……んれら……んろろっ……じゅぶぶっ……ずぞぞ……♡」

 

 

 言葉も半ばに、凛子は口を一杯に開いて、口腔へと男根を迎え入れる。

 はしたない音など気にも止めず、舌と口唇を使ってしつこい汚れを落とすように舐め清める。

 

 鼻を突き抜ける汚れた下着など比較にならない虎太郎の匂いに、凛子は堪らず、ぶびゅと緩んでしまった尻穴から精液を漏らしてしまう。

 しかし、もう二度とは無駄にはしないとアナルを締め上げ、口奉仕を再開する。

 

 深く剛直を飲み込むと喉まで使って汚れを落とす。

 射精によって敏感になった怒張を責められ、虎太郎は呻きを上げる。

 気持ちいいとストレートに伝える仕草に、凛子のお掃除フェラに熱が篭もる。

 

 このままお口で出しますかと問うように上目遣いで虎太郎を見上げ、ねっとりと時間を掛けて顔を前後させた。

 その間にも口内では舌が蠢き、雁首や幹に残った精液を舐め清め、更には鈴口からも漏れ始めた我慢汁を掬い上げる。

 

 

「んむっ、んぼぼっ、んちゅぅぅううぅぅぅううぅぅうぅうっ、ぽんっ♪」

 

「おいおい」

 

「んふふっ、んへぁあぁっ、くちゅ、んろぉ…………んくっ、んぐっ、ごくんっ♡」

 

 

 折角なら口奉仕でも射精して欲しかった凛子であるが、虎太郎のもういいと頭を優しく撫でる手つきに忠実に従った。

 但し、後ろ髪を引かれていたのだろう。口唇を限界まで窄ませて、鼻の舌が伸びるほど吸い付きを見せて引き抜いた。僅かばかりの反抗心と切ない女心の発露だ。

 

 だが、そんなものは即座に引っ込めると、剛直から舐め落とした精液と腸液を口を大きく開いて見せつける。

 そして、音を立てて舌で涎を撹拌し、噛み潰してたっぷりと味わってから飲み下した。

 

 口内を満たす大好きな匂いに、凛子の目は再びとろんと緩み始めている。

 

 普段の素直さと初めて見せる我儘の混合ぶりに虎太郎は苦笑を漏らしながら、口を開いた。

 

 

「ふぅ、フェラも巧くなった。がっついたようなものじゃなく、ねっとりとチンポを味わう舌使いだった」

 

「当然です♡ こうしてご主人様に、おちんぽ様の味わい方を教えて頂いて、忘れられるわけがないです」

 

「そうかそうか。じゃあ、続きだ。もっと我儘を言ってみろ。今日は、何でも付き合うぞ」

 

「――――は、はい♡ じゃ、じゃあ……」

 

 

 虎太郎の言葉に、凛子は目を輝かせて立ち上がった。

 覚束ない足取りに虎太郎の手を借りて、何とかベッドへと辿り着くと仰向けになって身体を預けた。

 そのまま身体を丸め、両膝を肩の後ろにまで持ってくるとヒールを掴む体勢を取る。俗にまんぐり返しと呼ばれる体勢だった。

 

 牝が何一つ抵抗することの出来ない体勢だ。

 イカされるのも、種付けされるのも牡の気分次第。

 そんな自分の姿に興奮しているのか、既に花開いて熱くなっていた秘裂からは、むわりと湯気と牝の匂いが立ち上った。

 

 

「次は、おまんこをイジめてください♡ ケツマンコばっかり愛されて、子宮とおまんこが、ずるいずるい、って泣いてるんです♡」

 

「ああ、分かった。いいポーズだな」

 

「はい♡ ご主人様に教えて頂いた、自分を屈服させた牡にオマンコを曝け出して種付けをせがむ牝のポーズゥっ♡ このままの格好で、夫婦のように、してください♡」

 

「おっと、それならオレの呼び方が違うんじゃないか?」

 

「そ、そうですね。あ、あなたぁ、私に種付け、してください♡」

 

 

 凛子の甘い懇願に、虎太郎は身体を覆い被せる。

 すぐさま舌と舌が涎を絡みませあう粘着質な音が響き、肉の打ち付けられる音と別の粘着音が響くのにそう時間は掛からなかった。

 これ以後、虎太郎の休暇である三日間、彼の家では食事と凛子が眠った睡眠の時間以外は、牝の嬌声が響き続けるのであった。

 

 

 

 

 

 凛子の為に疲れを押して愛し合った虎太郎は、三日目の夜に珍しく凛子と共に失神して果てることとなる。

 十年来の付き合いであり、共に同じ死線を潜り抜けた九郎からの救援要請。それが簡単な任務の筈もなく、僅か一週間で虎太郎の疲労は限界に達していた。

 そんな状態で女を抱くなど狂気の沙汰だ。マトモな男なら動くことすら出来まい。それをエロ根性と取るか、女の為の漢気と取るか。受け取った側の感性に委ねられる。

 

 ともあれ、四日目の朝、気を失ったまま動けない虎太郎の姿に、凛子の本気の悲鳴が響き渡ることになるが、これは全くの余談である。

 

 







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『我儘子犬とお澄まし忠犬の躾日誌』

 

 

 

 

 

「蘇我、穂村。もういいぞ、今日の所は上がれ。明日は二人とも任務だろ」

 

「うっ、でもさぁ……」

 

「私自身のミスですし……」

 

「一つの失敗に囚われるのはつまらない、と普段から言ってるだろ? 幸い、取り返しのつく些細なミスだ。次に活かせばオレから言うことは特にない。それに、こっちに手を取られて任務失敗なんぞ笑い話にもなんねーよ。お前らに死なれる方がよっぽど迷惑だ」

 

 

 五車学園の空き教室を改装して使っている情報処理課(仮)の一室で、虎太郎は平然とした表情で、紅羽と奏は沈んだ表情でサービス残業に洒落込んでいた。時間帯は深夜。日付ももうそろそろ変わる頃合いだ。

 

 三人が自身にとって一銭の得にもならないサビ残に勤しんでいるのか。当然、自身のミスを取り返すためである。

 

 紅羽は報告書関係を受け持っており、内容の添削や提出の承認を主としているだが、運の悪いことに政府へ提出した報告書内部に不適切があったのである。

 と言っても、蓋を開けば、不適切と言うには余りにも些細な表現ミス。読み手の違いによって、受け取り方が変わる程度のものでしかなかった。

 しかし、其処は政治の世界。重箱の隅を突くように役人どもは攻め立ててきたのである。目的は明白だ。対魔忍という組織から少しでも力を削ごうとする意図が嫌でも分かる。

 

 奏は金銭面を受け持っており、各課の予算や任務に必要な資金の遣り繰り、備品購入の承認などを主としているのだが、今回は装備課の内源 賀平がやらかした。

 装備開発の為に新素材の購入を申し出たのだが、問題であったのは購入経路であった。米連で開発された新素材だけあって正規ルートでの購入は非常に難しい。内源はその制約を超える為に非正規ルートを選んだのである。

 別段、それ自体は問題ないが、彼個人のコネを使ったものであり、資金は通常の倍以上。更には足が付きやすいルートであったために、政府に余計な勘繰りをされたくない対魔忍側として頭を抱えたくなるのも頷ける。

 

 三人は、その問題を解決するために奔走した。

 紅羽は政府に追加報告書を作成・提出のために、報告書を作成した当人に当時の状況を根掘り葉掘り聞くハメになった。

 奏は新たに資金の計算をし直し、なおかつ足の付き難いルートの選出までしなければならなくなっていた。

 虎太郎は、情報処理課(仮)の長として、二人のサポートと最後の承認まで付き合っている。

 

 本来であれば彼が居れば、このような事態には陥らなかったのであろうが、間の悪いことに彼は別任務で不在中の出来事でだったのである。

 

 虎太郎に怒りは皆無だ。寧ろ、悪いのは自分、とすら思っている。

 通常時の二人であれば起こり得なかっただろう事態であるが、此処の所は任務と事務仕事で疲れが溜まっていた。部下の体調管理も上司の務めだ。

 況してや、やらかしたのは報告書の作成者と内源であり、二人に怒りを向けるのは筋違いも甚だしい。あくまでも紅羽と奏は身内の不手際を押さえるための網であり、網であり人である以上は抜けることは儘ある。

 そもそも、自分とて何度もこうした失敗をしてきたので不満などあろう筈もなく、こうしたミスを帳消しにするために自分が長などをやっているという認識だ。

 

 

「熱い風呂に入って、8時間カッチリ眠って、2時間後に任務開始。それでベストだ。それぐらいの時間は残ってるだろ? ほれ、帰った帰った」

 

「まあ、そうなんだけどさ…………いや、うん、今日は素直に帰る」

 

「本当に、申し訳ありませんでした」

 

「別にいいよ、大した問題じゃない。死ぬわけでもねーしなぁ」

 

((これ以上、仕事させると死んじゃいそうなんだけどなぁ……))

 

「んじゃま、お疲れ。次に来る時は切り替えてこいよー」

 

 

 どんよりと落ち込んだ雰囲気で自宅へと帰っていく二人を、虎太郎は気楽に見送った。

 紅羽にせよ、奏にせよ、反省して省みている以上、何かを言う必要はなく、十二分過ぎる。叱責などする意味もない。

 いちいち反省を促さずとも、自ら反省してくれるのなら御の字だ。悲しいのは、対魔忍の大半はそうではないことであるが。

 

 ともあれ、自分の部下がそうでないのは僥倖だ。

 叱責とて理論立てて行わねばならない。感情に任せては理論に穴が生まれ、誰も納得しない。その手間が省けるのであれば、不満はない。

 

 自分がやっていれば、と思わない事もなかったが、情報処理課(仮)自体が虎太郎の仕事量を減らし、後釜を育成するために設立されたと言っても過言ではない。

 仕事を任せられるようになるまでは、多くの失敗を重ねて貰わねばなるまい。人が最も成長するのは、失敗をして嫌な思いをした時なのだから。

 

 

「――とは言え、そんなに落ち込むことでもないんですけどね」

 

 

 二人が帰ってから一時間。

 二台のノートパソコンを使い、左手で追加の報告書を作成し、右手で資金の再算出と輸送ルートの選定とメール送信を終わらせる離れ業であった。

 思考を並列化でも出来るのだろうか。これが出来るのは対魔忍の中では虎太郎と九郎だけである。対魔忍組織創設時、最も多く山の如き書類に立ち向かった二人ならではの離れ業だ。……苦労が忍ばれる。

 因みに、創設当時からの対魔忍であるアサギ、不知火、黒百合、碧も、常人の三倍近いスピードで書類を片付けることが可能だ。……本当に苦労が忍ばれる。

 

 何はともあれ、一仕事を終えた虎太郎は椅子に背中を預け、大きく伸びをする。

 時計を見れば、深夜1時。今日は花の金曜日で、朝方まで一部の生徒達と教官による夜間訓練がある故、鍵の心配をせずに来週の仕事に手をつけてしまってもいいが、些か小腹が空いている。

 ツイていないことに、今日は凜花とワイトが夕飯を担当してくれたのだが、今日は帰りが遅くなることは連絡してしまっている。もしかしたら、家に帰れば作り置きの一つもあるかもしれないが、それはそれで手間だ。

 

 結局、紅羽や奏が常備しているであろう駄菓子を探る気にもならず、砂糖を山程入れたコーヒーで空きっ腹を誤魔化そうと立ち上がった。

 だが、その時、部屋へと近づいてくる気配に虎太郎の視線が鋭く尖る。反射的に机の下に備え隠していたグロッグG34に手を掛けたが、馴染みある気配に苦笑を漏らした。

 悪い癖、とは自覚しているものの、どうにもならない。この疑り深さと警戒心こそが、今日まで彼を生き永らせてきた魂にまで彫り込まれた癖なのだから。

 

 

「どうぞ」

 

「「失礼します」」

 

 

 コンコン、とドアをノックする音に虎太郎は間髪入れずに答えた。

 ドアの向こうに立っていた二人も、既に自身の存在に気づかれていたと察していたのだろう。驚きは皆無だ。

 

 ドアを開いて入ってきたのは、凜花とワイトであった。

 凜花は五車学園の制服姿のまま、ワイトはフード付きのマキシワンピースを着ており、手にはバスケットを持っている。

 

 

「何だ、もう帰ったと思ったんだが……」

 

「んもぅ、虎太郎さんたら、一度連絡したきりなんですもの!」

 

「お邪魔かと思いましたけど、旦那様のことですから、食事もせずに仕事をしていると思って……」

 

「あー、そりゃまあそうだが、何時ものことだろ? と言うか、二人してずっと待ってたのか?」

 

「当然です。こうして虎太郎さんと会う時間も少なくなってきてるんですから……」

 

 

 少しでも長い間、共に過ごす時間が欲しい。

 凜花は不服そうに頬を膨らませ、ワイトは眼尻を落として消沈しながら、いじらしい姿を見せる。

 

 確かに、此処最近は凜花とワイトとは擦れ違うことが多かった。

 ゆきかぜや凜子は運が良かっただけで、二人をないがせにしていた訳ではない。

 

 その辺りは二人も分かってはいた。

 虎太郎は何かと忙しい立場だ。常に忙殺されていると言っても過言ではない。

 だが、そこはそれである。我慢に我慢を重ねて今日という日を待ち詫ていたのだが、今日も会えないというのだ。二人としても溢れる思いをどうにも出来ず、堪らずに行動に出たのである。

 

 

「そいつは悪かった。次からは気をつけるよ」

 

「分かってくれれば、いいんです……」

 

「あの、旦那様。凜花も、私も、無理して頂きたいわけでは、ないですからね……?」

 

「分かってるよ、大丈夫。それで? 夜食を作って来たくれたんだろ? 腹減った。一緒に食べよう」

 

 

 凜花は目を逸らし、髪の毛を指で弄りながら口唇を尖らせる。

 自らの言い分が、子供の癇癪に等しいことを知っているからこその態度だ。迷惑に思われたくも掛けたくもないけれど、だからといって軽く扱われるのは納得できない、とでも言いたいのだろう。

 

 ワイトは凜花の気持ちを理解できたが、虎太郎の性格も知っていたが故に、空かさずフォローに入ったが、全ては杞憂だった。

 虎太郎は机の下で隠し持っていたグロッグからようやく手を離して椅子に座り、二人にも適当に腰を下ろすように視線で促した。

 

 凜花は虎太郎の右隣を、ワイトは左隣を選択し、手にしていたバケットを机の上に広げ始めた。

 

 

「ほう、こりゃまた結構、手が込んでるな」

 

「ふふ、ワイトさんも頑張ったんですよ? ゆきかぜちゃんと一緒で、私もうかうかしてられないくらい」

 

「う、私とゆきかぜなんて、まだまだよ。凜子にも凜花にも、手際も味も及ばないもの……」

 

 

 中身は様々な種類の一口サイズのサンドイッチであった。仕事をしていても片手で摘めるように、という気遣いが感じ取れる。

 定番のタマゴ、トマトとレタス、ツナは勿論のこと、チキンサラダもあれば、目玉焼きにベーコンとチーズを挟んだホットサンドもあった。

 綺麗に切り揃えられた数々のサンドイッチは見栄えもいい。少しだけ不格好であったり、具がハミ出しているものはワイトの手によるものだろう。

 

 夕食に十分だが時間が少し遅く、夜食と呼ぶには余りに豪勢な食事に、虎太郎も目を丸くする。

 凜花は成果を誇るように胸を張り、ワイトは恥ずかしげに縮こまりながらも、水筒に入れてきた紅茶をコップに注いでいた。

 

 

「ふむ。では、頂きます」

 

 

 食材と調理者への感謝の言葉を捧げ、虎太郎は早速、定番のタマゴサンドを一口で頂く。

 パンのしっとりとした噛みごたえと口の中に広がっていく卵とマヨネーズ、バターの味を楽しむ。

 どの素材も主張し過ぎず、かと言って何かに負けているわけでもない絶妙なバランスは、凜花の手腕によるものだろう。

 ふむふむ、ともっともらしく頷きながら次々にサンドイッチを片付けていく虎太郎に、凜花とワイトはほっこりと顔を綻ばした。

 

 凜花もワイトもサンドイッチへと手を伸ばし始め、細やかながらも幸福な食事が始まった。

 日常のアレコレを話しながら、静かな笑い声と冗談が飛び交う食事に、虎太郎の無表情も溶けていく。

 二人は、こうして見せる彼の優しげな表情が好きだった。完全に警戒されていないわけではないだろうが、幾許かの緩みを見るほどに彼の女であると強く自覚できるからだ。

 

 

「う~ん、まさにヒンナ。ご馳走さまでした」

 

「はい、お粗末様でした」

 

「じゃあ、片付けましょうか」

 

 

 楽しい時間は短く感じるものだ。

 あっという間に終わった一時を名残惜しみながらも、それ以上に虎太郎の満足げな一言に充足を感じ、凜花は何度も頷き、ワイトはほっと安堵の息を付く。

 

 その後、食後の一服に煙草を吸い出した虎太郎を横目に、二人はテキパキと片付けを始めた。

 虎太郎も手を貸そうとはしたものの、仕事で疲れているでしょうから、と二人に丁重に断られ、させたいようなままにさせることにした。 

 

 自分達が訪れた痕跡そのものを消すかのように、机を拭き、床を掃いていく。

 元々、情報処理課(仮)の対魔忍は綺麗好きが多い。虎太郎も綺麗好きではないものの、綺麗で片付いている方が仕事がしやすいという理由で彼女達に倣っている。紅羽は割とだらしないところはあるものの、周りに釣られて私生活まで改善されているほどだ。

 

 

「では、これでお暇、ということで。我儘を言って申し訳ありませんでした」

 

「旦那様も、余り無理はなさらないで下さいね」

 

「はいはい――――――――――なんて、言うと思ったか?」

 

 

 寂しくはあったものの、満足を得られた二人は、虎太郎に微笑んでから部屋を後にしようとした。

 だが、虎太郎は軽い返事をした瞬間に、椅子から立ち上がって二人を抱き竦める。

 

 

「ひあっ……!?」

 

「んん……っ?!」

 

 

 身体に腕を回された二人は小さい悲鳴を上げた。

 予想だにしなかった早業と言うのもあるが、問題だったのは腕の滑り込んだ場所だ。

 凜花は裾から、ワイトは首元から手を滑り込まされ、胸を鷲掴みにされていた。

 

 

「あ、あの、虎太郎さんっ、んっ……♡」

 

「だ、旦那様、お仕事が、ひんっ……♡」

 

「仕事は終わってるから大丈夫だ。後は、お前らの同意さえあれば問題ないよな? 勿論、気分じゃないならすぐに止めるよ」

 

 

 ブラに包まれた乳房を揉みしだくだけでは飽き足らず、早くも勃起し始めた乳首を摘み上げ、優しく捏ね回す。

 乱暴に見えたのは始めだけで、弱点から外れないねちっこい愛撫は、もどかしさを覚えるほどに繊細だった。

 

 二人の疼きはすぐに痛みに変わり、見えない乳首が完全に勃起してしまったのを自覚した。

 同時に、腰の奥深く――女の象徴である子宮が脈動しているような疼きも始まる。すっかり調教されきった身体は、酷くあっさりと発情を示してしまう。

 

 

「も、もぅ、虎太郎さんったらぁ……♡」

 

「こんな強引で男らしいところを見せられたら、従うしかないじゃないですかぁ……♡」

 

 

 凜花は引き締まった顔を、ワイトは人形のように整った顔を、同時にとろんと蕩けさせて、同時に虎太郎の頬へとキスをする。

 一度火のついてしまった身体は、それだけでは収まらず、一日中働いて汗の浮かぶ首筋に鼻を埋めて体臭を堪能し、舌を這わせ始めた。

 

 その度に腰を戦慄かせて、期待と歓喜を表現する二人の様は――――牝犬と呼ぶに相応しい、淫らな痴態そのものだった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 五車学園の地下には様々な施設がある。

 桐生 佐馬斗の実験室、救出班のミーティングルーム。そして、虎太郎専用の休憩室もその一つ。

 畳の敷き詰められた十畳一間に卓袱台が置かれ、風呂とトイレの付いた部屋は、校舎にある宿直室と全く同じ造りをしていた。

 宿直室との違いは完全防音であり、外から中を覗けない構造となっている事か。何を意図して作られたのか、まる分かりであった。

 

 部屋へと入った二人は、虎太郎の望むがままの姿であった。

 専用の対魔忍装束と死霊騎士としての戦装束を身に纏っていたのだが、胴を隠す薄布や装甲が全くない。

 凜花は特殊繊維のロンググローブとサイハイソックスで包まれているのみ。

 ワイトは瘴気そのもので形成された手甲と具足で包まれているのみ

 

 まるで戦いの最中に衣服を剥ぎ取られてしまったような有り様であった。

 しかし、二人の表情に屈辱はなく、あるのは被虐への期待と興奮だけで、既に内股には光を反射させる愛液が溢れている。

 

 それだけではない。

 凜花の乳首と陰核には、ワイトのそれと似たような小振りなリング型のピアスが揺れていた。

 ワイトの首には、虎太郎が凜花へと送ったチョーカーに似た形の首輪が巻き付いている。

 

 どちらも、虎太郎の牝犬になると主張した二人が、自ら望んで身につけた服従と屈服の証であった。  

 

 

「よし、二人共、壁に手をついて尻を突き出すんだ」

 

「は、はい……♡」

 

「ごく、ん……♡」

 

 

 熱で浮かされた発情顔を隠そうともせず、言われるがままに被虐の快感から震える脚で壁へと歩んでいく。

 壁に手をつけば、自然と尻を突き出す形となる。どちらもシミ一つなく綺麗な曲線を描いており、たっぷりと脂肪の乗った肉はどんなに激しい雄の腰使いをも受け止めてみせると主張しているかのようだ。

 だが、牝犬としての意識を仕込まれた凜花も、ワイトもそれだけでは終わらない。年頃の少女であれば決してできない恥ずかしげのないガニ股まで披露して、蕩けきった牝穴を見せつけた。

 

 

「ふふ、そんなに股を開いて、普通の女だったら恥ずかしがってやってくれないんだがなぁ」

 

「んんっ♡ うふふっ、虎太郎さんが、たっぷりねっとり、仕込んでくれた成果、んっ、なんですよっ……♡」

 

「そうです♡ 旦那様が、ひぁっ、私達を、恥知らずな牝犬に調教したからなのにぃ、んくぅっ……♡」

 

 

 股の中心で愛液に濡れ光る服従のピアスを揺らしながら、二人は自分達をこうしたのは虎太郎だ、と責めるような言葉を溢した。

 しかし、その声は愛欲で濡れており、虎太郎を誘うように尻をゆらりゆらりと揺らしていては、全てが台無しだ。 

 

 悪い悪い、と自分の性癖に付き合わせ、更には二人に眠っていた性癖を目覚めさせてしまった事を本気で謝りながらも、虎太郎は二人の身体へと手を伸ばした。

 

 

「んふっ、ふぅーっ♡ ……ひっ……♡ はぁあっ……♡ あ、あぁ、もどかしい……♡」

 

「あひっ、はーっ♡ ……旦那様ぁ、もっとぉ……♡ もっと、撫でてぇ……♡」

 

 

 自分を誘う牝犬を宥めるように、伸びた手は太腿や尻を撫で回していく。

 凜花の尻は若さならではの張りを、ワイトの尻は使い込まれた柔らかさを主張する。

 

 時折、撫でるだけでは足りなくなった虎太郎は、尻肉に五指が沈み込むほどに握り締めた。

 その度、二人は堪らずに牝犬の嬌声を上げる。跡が残るほどの力だと言うのに、牡を求めて開いた牝穴からは吹き出すように愛液が溢れた。

 

 

「さて、そろそろ次に行こうかな。何処がいい?」

 

「はっ、はぁっ♡ め、牝チンポっ♡ 私は、牝チンポがいいです♡」

 

「わ、私も、そこぉ♡ ふぅ、ふぅ♡ ビンビンの勃起クリ、大きくなって、痛くて切ないんです♡」

 

「分かったよ。たっぷりと虐めて可愛がってやるからな」

 

 

 とても、二人の口から放たれたとは思えない卑語に虎太郎は気を良くしながら笑みを深める。

 

 凜花は直情的な性格ながらも、感情を表に出す場面は少ないために、学園の皆は冷静沈着という印象を持っていることだろう。

 だが、こうして虎太郎の前に立てば、悦んで卑猥な言葉を口にし、子犬のように甘えたがる。

 ワイトは近所の子供達の面倒を見ているだけあり、周囲からは優しく柔らかな印象を抱いているに違いない。

 その印象も間違いではないが、虎太郎の前では素直で淫らな忠犬であった。

 

 どちらが本来の彼女であるのか、既に彼女にも分からない。

 虎太郎に抱かれる度に淫乱としか言えないような自分が顔を出し、自覚していく内に牝犬と呼ぶに相応しい自分になっていた。

 

 

「いっひぃ♡ はおぉおぉっ♡ ふっ、はひっ♡ んくぅっ、虎太郎さん、や、優し、すぎるぅっ……♡」

 

「おほぉっ♡ ひ、くっひぃぃっ♡ す、素敵ぃっ♡ 指で転がして、はぐぅぅっ♡ き、気持ち、よすぎりゅぅ……♡」

 

 

 二人の固くシコった陰核を最新の注意を払って人差し指で転がし回す。

 いきなりの性急所への刺激に、二人の腰は震え上がって跳ね上がったが、そんなことで逃してやるほどに甘い指使いでもない。

 快楽から逃れようとしているのか、それとももっと快楽を享受しようとしているのか、二人の尻は右へ左へと揺れ動く。

 

 

「んふっ、ふぅぅっ♡ あぁっ、虎太郎さんの意地悪ぅ♡ これ、こんなに気持ちいいのに、イケ、ない……♡」

 

「はぁぁあっ♡ が、我慢よ、凜花ぁ♡ こうやって、焦らして焦らして、すっごく深いアクメをくれるのが、旦那様の手管、なんだからぁ……♡」

 

 

 かりかりと壁に爪を立てながら、凜花は泣きそうな顔で虎太郎へ恨み言を口にしていた。

 それほどまでの快楽と切なさの板挟みだったのだ。

 自慰であればとうの昔に頂点に達しているほどの快感だと言うのに、虎太郎の性技の賜物か、決して頂点へと至れない。頂点へと脚をかけた瞬間に、何度となく奈落へと転がり落とされているかのようだ。

 

 そんな寸止め地獄に叩き落とされている凜花を、同じ地獄へと堕ちている筈のワイトが励ましていた。

 だが、表情に余裕がある訳ではない。何度も口唇を噛み締め、絶頂を望む言葉をすんでの所で飲み込んでいるだけ。

 ワイトはワイトなりの牝犬の矜持として、主人である虎太郎の求められるがままに応えているだけだ。決して、主人の許可なく自らの望みを口にはしない。

 

 既に彼女等の全身は汗で濡れて鳥肌が立ち、股の間では大量の愛液溜まりが出来ており、尿道からは時折、潮が噴き上げていた。

 二人の身体から湯気が立ち上りそうなほど熱く、股間や脇から噎せ返りそうなほど濃い牝臭を放つようになり、秘裂のみならず尻穴までもが緩み始めた頃、ようやく虎太郎は二人のクリトリスから指を離した。

 

 凜花は首を力なく垂れ下げられ、ワイトも茫洋とした視点の定まらない視線を虎太郎に投げ掛ける。

 大きく開かれていた股は、当初よりも低い位置に移動しており、膝はガクガクと笑い、牝穴からは真っ白な本気汁が糸を引いて滴っている。

 

 いくら何度となく調教しているとは言え、指一本でこの有り様とは恐ろしいまでの出来上がり具合でもあった。

 

 

「さて、お待ちかねだ。牝犬に相応しいものをくれてやるからな。一杯、アクメしてもいいぞ」

 

「おっ♡ おっぉおっ♡ おほぉおおぉおぉおおおおおぉぉおっっ♡」

 

「ひっ♡ ひぃいぃっ♡ あひいいぃいいぃいいいぃいぃぃいっっ♡」

 

 

 虎太郎はあるモノを取り出すと二人に確認を取りもせずに、緩んでヒクつくアナルへと挿入していく。

 菊門から背骨を伝って脳を犯す極上の悦楽に、二人の喉から迸ったのは鈴が鳴るような美声ではなく、獣の咆哮に等しい嬌声だった。

 

 尻穴へと入り込んだのは無数のローターが連結された特性のアナルビースだった。

 一つがピンポン玉ほどの大きさがあるアナルビーズを緩んだ菊門は、ぶぴぶぴっと恥ずかしい破裂音を出しながらも次々に飲み込んでいく。

 一つ飲み込まれる度に、皺の伸びたアナルから与えられる衝撃が腰を伝い、背骨を駆け上り、脳髄を犯して派手な潮吹き絶頂を見せつける。

 

 

「いぎぃっ♡ いぐっ♡ けつまんこでイックゥ♡ おほぉっ、ほおおぉっ、潮吹き、止まらないぃいぃぃっ♡」

 

「ぶ、ぶるぶる、肛門が震えて、あっへぁ♡ うぅ、恥ず、かしい音出しなから、イクっ、イクイクっ、ひううぅぅううぅんっ♡」

 

 

 腸液を吹き出し、尻肉を震わせながら、獣声と共に絶頂する。

 潮を吹きながら、為す術もなく絶頂へと誘われる姿はいっそ不様ですらあったが、二人の表情は幸せで満ち溢れている。

 

 ただ一人の男の牝犬になる。

 その一点が情けない絶頂姿を甘美なものへと変えていた。二人の心底に潜んでいたマゾとしての素養が完全に開花した証左だ。

 

 

「イックゥ♡ はぁ、イクっ♡ イィイイィィッグゥゥゥウゥゥゥウゥっっっ♡」

 

「メスっ♡ メス犬アクメ、ちょうだいしますぅぅぅぅぅうううぅぅっっっ♡」

 

 

 アナルビーズを最後まで飲み込んだ二人の尻が上下に揺れる。

 自らの意志で振っているのではなく、膝から抜けていこうとする力を必死で抑え込んでいるのだ。

 

 アナルビーズの先端には犬の尻尾を模した飾りがぶら下がっていた。

 虎太郎はくつくつと笑いながら、二人の頭に犬の耳を思わせる飾りのついたカチューシャを取り付けてやると名実ともに、二匹の牝犬が完成する。

 

 その瞬間、堪えていた糸が切れるように、二人の腰がガクンと堕ちた。

 そのまま座り込むような真似はせず、和式の便座で排尿でも致すような格好だ。

 

 

「ふふふ。可愛い牝犬だな。そういう奴等にはご褒美をやらないとな。どうして欲しい?」

 

「ふっ、へっ、へっ♡ ……ご、ご褒、美……ごくっ♡」

 

「はーっ……はっ……はひぃっ♡ うふ、うっふふぅ♡」

 

 

 それこそ犬のような短い呼吸を繰り返していた二人であったが、虎太郎の言葉にそのままの格好で振り返る。

 アクメの余韻に浸っていた両目には既に新たな欲望の光が灯っており、乾いた喉を潤すように生唾を飲み込み、口唇を湿らせるように舌舐めずりをする。

 

 もう立てないと判断したのか、それともそれが牝犬に相応しい仕草だとでも思ったのか。

 二人は四つん這いの状態で尻尾をふりふりと振りながら、畳の上に敷かれた布団へと向かっていく。

 

 

「ほぅ。何だ、後ろから獣みたいにオマンコを引っ掻き回さなくてもいいのか?」

 

「あぁんっ♡ それも、はっ、素敵ですけど、はぁっ、今日は前からぁっ♡」

 

「絶対に敵わないオスに出会った、牝犬の服従のポーズですぅ♡」

 

 

 犬が無防備な腹を見せるのには、様々な意味がある。

 何も服従ばかりを意味するのではなく、相手への攻撃の意志を示している場合もあれば、急所を守るために防御の意味合いも含まれる。全てはその犬の個性によって意味合いが決まるとも言える。

 

 少なくとも凜花とワイトにとっては、今のポーズは虎太郎への服従心を示していた。

 凜花は頭の上で両腕を組んで両足を開き、無駄毛一つなく処理された脇と綺麗に切り揃えられた陰毛の映える牝穴を見せつけ、目眩を覚えるほどの牝臭を放っている。

 ワイトは肘と膝を折り曲げて、うっとりと目を細め、舌を出して短い呼吸を繰り返す様は、本物の犬に成り切っているかのようだ。

 

 

「じゃあ、まずは我慢が苦手な凜花からだな」

 

「は、はひぃっ♡ “待て”が出来ない駄目なメス犬凜花に、虎太郎さんのカリ高チンポで躾け直してくださいわんわんっ♡」

 

「ふふっ、もう凜花ったら♡ 旦那様、この可愛い子犬ちゃんを、たぁっぷり可愛がってあげて下さいね?」

 

「勿論だよ」

 

 

 凜花の上に覆い被さった虎太郎は、舌を出して己を誘う凜花の淫裂へとはち切れそうなほどに勃起した肉棒を押し付ける。

 押し付けただけで飲み込むメス穴はちゅうちゅうと亀頭に吸い付き、挿入の時を今か今かと待ち侘び、ヒクつく女陰は本気汁を飛ばして怒張へと引っ掛けていた。

 凜花の身体だけではなく、意識も同様だ。今まさに挿入されようとしている一物に瞳は釘付けとなり、頭の中はチンポのことしか考えていない。もう自身を気遣うワイトの言葉すら耳に入っていない様子だ。

 

 

「チンポ、おチンポ、早くぅ♡ ほぉっ♡ おぉぉ……っ♡ わほぉおぉおおぉおおぉおおぉおおおおぉっっっ♡」

 

 

 一息で根本まで。

 蕩けきった牝穴の最奥まで一瞬で到達した亀頭はそれだけでは収まらず、下がるだけ下がりきり緩みきった子宮口までもを貫く。

 

 瞬間、凜花の口からは犬の遠吠えのようなアクメ声を上げていた。

 目を真円に見開き、突き出していた舌を伸ばす。両脚は絶頂に藻掻くよう虚空を彷徨い、余韻が途切れるとようやく(とこ)へと堕ちた。

 

 

「ほら、まだまだ気を抜くには早いぞぅ」

 

「ほぉっ♡ ほぉぉっ♡ お、おぐぅ♡ 子宮の中も、掻き回さりぇ、いひいいぃいいぃっ♡」

 

「あはぁっ、凄い声ね♡ 可愛い子犬ちゃんなのに、交尾の時は立派なメス犬なんだから、ふふっ♡」

 

「し、しかた、しかたないぃ♡ こ、こんなの、こんなおチンポに掻き回されたら、だりぇだっへぇ、おぉっ♡ お゛おぉおおぉおお゛ぉおおぉおぉおおおおぉっ♡」

 

 

 また抽送も開始されていないにも関わらず、子宮の壁を隅々まで亀頭で撫で回され、きつく陰茎を締め上げる子宮口は浮き上がった血管で(こそ)ぎ堕とされていた。

 子宮の壁を持ち上げられる度に潮を噴き、のの字を描く腰使いに子宮口を拡張されてまたも潮を噴く。

 虎太郎に弄ばれるだけの牝犬になってしまった感覚に、凜花は身も心も蕩けていった。

 

 その姿に、ワイトはゾクゾクと身体を震わせる。凜花が終わった後に、次にああなるのが自分だったからだ。

 身を焦がすほどの嫉妬と羨望に、ワイトの牝穴からもぴゅっぴゅと本気汁が飛び散るが、その感情を面にも出さなければ、強請りもしない。まるで自分の方が良く出来た牝犬だとでも言いたげに。

 

 

「子宮ばかりに集中してていいのか、ほれ」

 

「んひぃいいぃいぃっ♡ 急にひぃっ♡ 乳首ちんぽ、イジめないれぇっ♡ んへぁあぁああぁぁあぁっ♡」

 

「人聞きの悪い。可愛がってるんだよ」

 

「うそうそうそぉっ♡ こ、こんにゃのイジメっ♡ イジメですぅ♡ はひぃいんっ♡ か、かたひ、変わっちゃう♡ 私の乳首、もっろいやらひい形になっちゃうぅぅ♡」

 

「そうだよ。オレ好みのいやらしい乳首にしてるんだ」

 

 

 突然、胸から駆け上がってきた痛みと快楽に目を向ければ、虎太郎はリング型のピアスに指を引っ掛け、左右へと引っ張っていた。 

 胸が引き伸ばされてしまうほどだと言うのに、痛みよりも気持ち良さが先に立つ。

 凜花はせめてもの抵抗なのか、単純に快楽に咽び泣く肉体の反射なのか。胸を差し出すように背中を反らせる。

 

 

「そら、胸ばっかりでも駄目だぞ?」

 

「こ、今度は、脇ぃっ♡ 匂いなんてぇ、嗅がないでぇっ♡ あっ、あっあっ、舐めてもダメぇっ♡」

 

「堪らんぞ、凜花。お前みたいな牝犬の発情臭と味は、チンポに効く」

 

「うぅっ、嬉しく、嬉しくなっちゃいますぅ♡ 虎太郎さんに、いやらしいところを褒められただけで、何でも嬉しくて、幸せぇっ♡」

 

「本当に可愛い奴だ。匂いも味も堪らんが、お前の媚態が一番チンポに来るな」

 

「へっひぃぃ♡ ま、また牝チンポぉ♡ そ、そんなにシコシコされたら、またおっきく、なっちゃうぅぅ♡ ひうぅっ♡ へぁああぁっ♡」

 

 

 既に全身が性感帯と化しているのにも関わらず、次から次へと意識の外にあった弱点を責め上げられ、凜花の両目はクルンと上を向いてみっともないアヘ顔を晒す。

 乳首や脇、クリトリスばかりではない。首筋や鎖骨、胸元に臍、内腿や脚の指先まで、余すことなく責め上げられた。

 

 隣で自分の順番を待つワイトですらが、容赦のない責めに泣き喚く凜花の姿に生唾を飲み込んだ。

 どう考えたところで、同じ女としてこれ以上ないほどに幸福で、同時にこれ以上ないほど恐ろしい事はなかった。

 好いた男に与えられる連続絶頂は、確かに幸福だろうが、自分が壊れていくようなものだ。恐怖の一つも覚えよう。

 まして、凜花は虎太郎の女の中で、誰よりも彼の役に立つ事を望んでいる。これ以上の絶頂は、本当にSEXの事しか頭にない女になってしまいそうで、許容の範囲外だろう。

 だが、求められる以上は拒むことも出来ない。幸福も過ぎれば苦痛に転ずるのだ。

 

 

「はっ、はっへっ♡ ……はーっ♡ はぁっ♡ ……ふーっ♡ ふーっ♡ ひっ、ふひぃっ♡ ふーっ♡」

 

 

 涙と鼻水に涎で、べちゃべちゃに顔を汚した凜花の姿にようやく満足したのか、虎太郎は満足げな表情で見下ろして責めを止めた。

 余りにも情けない姿を晒す事は凜花に何とも言えない苦いを思いを抱かせたが、相手が虎太郎である以上は隠す真似をしない。

 その姿も自分の一部と言いたげに、頭の上で両手を組む服従のポーズを解く事なく、荒い呼吸を繰り返している。

 

 

「ひ、酷いですぅ、こんなにメチャクチャにするなんてぇ……♡」

 

「そんなことを言って、嬉しいくせに。みっともない所も情けない所も見せるのは気持ちいいだろ?」

 

「そ、それはぁ…………う、ひぃっ♡」

 

「もうオレも我慢の限界だ。そろそろ射精()すぞ」

 

 

 挿入時よりも遥かに逞しく勃起している剛直が、我慢汁を吐き出したことを子宮で敏感に感じ取ると、凜花は堪らずに喜悦の声を上げてしまう。

 

 しかし、虎太郎の言葉にはすぐに反応できなかった。

 

 

「ん? 何だ、嫌か?」

 

「だ、だって、このままでは、本当にSEXでしか、役に立たない牝犬になってしまいそうで……」

 

「何だ、そんなことか。そうなったとしても、ちゃんと面倒は見てやるさ。それに、凜花なら大丈夫だよ」

 

「そう言って貰えるのは嬉しいですけど、何を根拠に……」

 

「だって、アレだ。オレが好きなんて面と向かって言う物好きだろ、お前。そういう奴は、無駄に強いからな」

 

「うぅ……へむっ♡ れりゅりゅっ♡ じゅるっ♡ ちゅちゅっ♡ ちゅるるっ♡ れろぉぉおぉっ♡」

 

 

 凜花の不安を一蹴し、虎太郎は有無を言わさずにその口唇を奪う。

 何の根拠もない、敢えて言うのならば虎太郎の経験則からだけの言葉に、凜花はどうしようもないほどに自信を付けられてしまい、胸の高鳴りと共に恥知らずに舌を絡ませた。

 凜花は虎太郎を認めている。そんな認めた相手から信頼にも似た言葉を与えられては応える他はない。

 ずるい、と思いつつも、身も心も全てが相手の思いに応えようと、昂ぶりと共に身体の芯から熱くなっていく。

 

 

「こ、虎太郎さん♡ さ、最後は手を握りながら、種付けして下さい♡ どんなになっても、構わないからぁ♡」

 

「本当に我儘だが、其処が可愛い牝犬ちゃんだな。いいよ、一緒にイこうな」

 

「は、はい♡ 虎太郎さんの種付けピストンで、牝犬アクメきめますぅ♡」

 

 

 媚びきった笑みを浮かべながらも、自分の願いを直截に伝える凜花に、虎太郎は目を細めて笑みを浮かべた。どうやら、本気で可愛いと思っているらしい。

 虎太郎は凜花の両腕を手ずから解かせと顔の横で指を絡めて押さえつけ、自らは凜花の身体の上に伸し掛かる。牡が牝の都合など考えずに腰を打ち付ける種付けの体勢だ。

 

 しっかりと目と目を合わせ、勢いよく抽送が開始される。

 

 

「ほぉおぉっ♡ き、きたぁ、こ、虎太郎さんの本気ピストン、おぉっ♡ ほおぉっ♡ わおんっ♡ わほぉおおぉおおぉぉおぉおぉんっ♡」

 

「はぁ……ぐっ……いいぞ、凜花のまんこが、絡みついてくる」

 

「わんっ♡ こ、虎太郎さんの牝犬らからぁ、ちゃんとおチンポ気持ち良くなってもらうんです、わんわんっ♡」

 

「堪らんな、全く」

 

「おぉぉっ♡ わおぉっ♡ ひゃぁあんっ♡ ほおおぉっ♡ く、くるっ♡ 虎太郎さんのおチンポ、ザーメン昇ってきてるぅっ♡」

 

 

 激しいピストンの音が部屋中に響き渡る。

 凜花の股座からは絶え間なく潮と本気汁が吹き上がり、虎太郎と凜花自身の身体を汚していく。

 腰が離れる度に二人の間には粘液の糸が何本も引き伸ばされては千切れ、千切れる度に腰を完全に密着させてまた糸を繋ぐ。

 膣口から子宮内までを傘の広がった亀頭と陰茎で擦り上げられ、凜花は牝の象徴の全てを使って吸い付き、絡みつく。

 

 元々、限界であったのか。それとも凜花の熱い情念がそうさせたのか。

 一際大きく引いた腰が叩きつけられた瞬間、はち切れんばかりに広がった亀頭から熱い雄汁が吹き出した。

 

 

「イッたぁっ♡ おぉおおっ♡ 種付け射精、きたきたきたぁあぁっぁあぁぁぁっ♡」

 

「はぁあっ、凜花、羨ましい……♡」

 

「熱い、虎太郎さんの種付け汁、熱いぃっ♡ あひぃ、あっへぁっ♡ イックゥ、またイク、イクイクゥっ♡」

 

「……っ」

 

「こ、こんなの受精しちゃいますぅッ♡ イキますぅっ♡ 種付け射精で、牝犬凜花っ♡ またイキますぅぅうぅううぅぅ♡」

 

「…………ぐっ、絞られる」

 

「わぉおぉんっ♡ わほっ♡ わおおぉぉおおぉぉっ♡ おぉおおぉおおぉおおぉっ♡ わぉんっ♡ お゛おぉおおぉおおおぉおおぉおおぉおぉっ♡♡」

 

 

 激しい牝犬のアクメ声に、虎太郎は顔を歪めて大量の精液を子宮に直出しする。

 瞬く間に子宮を満たした精液は、膣を逆流して溢れ出す。

 身体を押さえつけられた凜花は、牝犬の蕩けた絶頂顔を虎太郎とワイトに見せつけながら、腰を痙攣させつつもぐいぐいと自分から押し付けている。

 尿道は壊れた噴水のように引っ切り無しに潮を噴き、まるで虎太郎が自分の主だとマーキングしているかのようだ。

 子宮から湧き上がっていた受精欲求を満たされ、女としての矜持すらも満たされた凜花は、虎太郎の腰に巻き付ける真似をせずに、牡に任せるがままに射精を受け入れていた。

 

 

「――――――わほぉおぉっ♡」

 

「ふふ、オレもマーキングだ」

 

 

 一分以上も続いた射精が終わって尚も精液を啜ろうとしていた凜花の膣から、ぬぼぉっと下品な音を立てて怒張を引き抜く。

 虎太郎はそれだけでは飽き足らず、小便を切るように下半身に力を込めると、尿道に残っていた精液を凜花の身体へ向かって飛ばす。

 臍や胸に飛び散り、更には幸福感から崩れた顔にまで届き、己の牝犬だと主張した。

 

 凜花は意識こそ失っていなかったものの、話す事も身体を動かす事も出来ないのか、未だに絶頂を続ける身体を痙攣させ、ヒクつく膣から精液を溢れさせることしか出来ないようだ。

 

 

「さぁて、待たせたな、ワイト」

 

「は、はいっ♡ 旦那様、ワイトはしっかり“待て”が出来ました」

 

「おぉ、本当だ。おまんこはトロトロだが、まだイっていないな。よしよし、偉いぞ」

 

「あぁ、ひ、一目見ただけで、そんなことまで……♡」

 

「そりゃあ分かるさ。お前の旦那様だぞぅ?」

 

「や、やっぱり、旦那様、素敵過ぎます♡」

 

 

 芸を仕込んだ犬が指示通りに動いた事を褒めるように、虎太郎はワイトの頭を撫で回す。

 それだけでワイトは絶頂に達してしまいそうであったが、主人からの“良し”の許可が出ていない以上は、淫裂をヒクつかせて本気汁を漏らすばかりで我慢を続けた。

 布団に寝転んだワイトの股座周りは、すっかり淫水を吸い込んで黒く染まっている。隣であれだけ激しく情熱的な交尾を見れば、牝犬であるワイトには堪らなかっただろう。

 

 

「きっちり“待て”が出来たワイトにはご褒美――――と言いたい所だが、何処まで“待て”が出来るのかも気になってきたぞ」

 

「そ、そんな、あぁ、旦那様、そんなのぉ……♡」

 

「期待してるぞ、ワイト。オレを満足させてくれるな?」

 

 

 有無を言わさない問い掛けに、ワイトは背筋に冷たいものが走る。

 当然だ。もうすっかり身体は隅々まで蕩けきっているのに、これ以上我慢など出来る筈もない。

 だが、出来ない、などという返答はワイトの選択肢にはなかった。

 

 

「勿論、旦那様の許可が頂けるまで、“待て”をしてみせます♡」

 

「よしよし、じゃあおねだりしてごらん」

 

「はぁ~い♡ 旦那様専用の牝犬ドスケベおまんこに、太くて固い男らしいバッキバキの勃起オチンポでぐっちゅぐちゅに掻き回して、思う存分、気持ちよぉっく、射精して下さいませわんわんっ♡」

 

「ワイトも可愛いぞ、気合が入るなぁ」 

 

「ふぅうぅっ♡ わお、わおぉぉおぉん♡」

 

 

 凜花の時とは打って変わって、ワイトには頭を撫でながら優しく、細心の注意を払って挿入していく。

 ゆっくりと掻き分けられていく膣と襞は、虎太郎の命令とワイトの意志に反して、即座に絶頂へと至ろうと肉棒へと絡みついていく。

 

 

「ふ、ふぐぐっ♡ ふーっ♡ ふーっ♡ ふっくぅうぅぅうぅうぅぅーっ♡」

 

 

 快楽も行き過ぎれば苦痛と大差はない。ましてや、絶頂を禁じられているのなら尚の事。

 ワイトは少しでも快感を逸らそうと、肺の空気を全て吐き出す勢いで荒く息を吐き出していく。

 

 自身の膣は喜びから怒張を歓迎していると言うのに、絶頂だけはできない、してはいけない。その事実に、それだけでワイトの心は折れてしまいそうだった。

 

 

「ほら、見ろよワイト。ようやく亀頭が入ったぞ」

 

「……あ、あぁっ、そ、そんなぁ♡」

 

 

 底意地の悪い笑みを浮かべた虎太郎は結合部を見るように顎をしゃくると、言葉通りに亀頭を飲み込んだばかりで残りの陰茎はまだまだ長い。

 ワイトは絶望的な目をしながらも、牡の逞しさを示す剛直に口元には力のない笑みが刻まれ、ぴゅっと尿道から潮が吹き出した。

 

 

「じゃあ、まずはGスポットからだ」

 

「だ、旦那様、ま、待っ――――あひぃいいぃいいぃぃぃっ♡」

 

 

 ワイトの言葉など待たず、虎太郎は抽送を開始する。

 決して激しくなどない。寧ろ優しくすらある抽送は、今のワイトにとっては残酷ですらあった。

 

 傘の開いた亀頭で、絶頂へと至らないギリギリの力加減で膨らんで充血したGスポットをこそいでいく。

 早くもなければ、激しくもない。ただただ、ワイトを気持ち良くしようとするだけの腰使いに、ワイトは目を白黒とさせた。

 

 

「ひ、酷いっ♡ こんなの、酷過ぎますぅ♡ こんな生殺しにするくらいなら、いっそぉ、激しくぅ……♡」

 

「それじゃあ意味がないじゃないか。ワイトが泣き喚くくらい、優しく優しく虐め抜いてやるからなぁ」

 

「ほぉぉっ♡ はひぃっ♡ うぅ、ぅううぅ、ひぃっ♡ ひっ、ひっ、あっ♡ あっあっ♡ ぎ、ぐぅうぅっ♡」

 

 

 とっくの昔に虎太郎の怒張の形を覚え、ぴったりと合うように作り変えられた膣は、優しい抽送で容赦なく蹂躙する。

 

 Gスポットへの刺激で潮が止まらなくなるのを見ると、今度は下りきった子宮口へとポイントを変えた。

 亀頭に吸い付こうと口を開いた子宮口を右に左にと嬲り上げ、時折、吸い付かせることで宥める。

 

 ワイトにとっては細い蜘蛛の糸の上を渡っているようなもの。虎太郎が少しでも加減を誤れば、少しでも気を抜いた瞬間に、言いつけを破る駄犬になる。

 それだけは避けようとワイトは痙攣する腰を必死で振り、少しでも急所から外そうとするが、自ら急所を擦り付ける結果となり、逆に自らを追い詰めてしまう。

 

 

「ほら、子宮口にキスしてやるぞ」

 

「はぐぅうぅっ♡ き、亀頭が、ぶちゅってぇっ♡ あひぃっ、だ、ダメェっ♡ だ、旦那様ぁ、ゆ、許して、我慢汁、そんなにぴゅっぴゅしないでぇえぇぇっ♡」

 

「そう言われてもな。仕方ないだろう? ワイトの牝犬まんこが気持ち良すぎるんだよ」

 

「うぅぅっ♡ いやぁ、旦那様、これ以上、悦ばせないでぇっ♡ おまんこも、心も、悦んでるっ♡ アクメ、オルガっ、我慢出来なくなるぅぅぅうぅ♡」

 

 

 がっつりと亀頭を咥え込み、もう離さないとばかりにねっとり吸い付いて離さない子宮口から、子宮へと直接我慢汁が放たれる。

 常人の射精の勢いそ遜色ないそれは、ワイトを更に追い込み、勢いを増した潮が溢れ出す。

 

 もう限界。

 初めから完全に身も心も屈服し、絶対に敵わないと分かってはいたものの、ワイト自身、此処まで我慢が効かないものだとは思っていなかった。

 故に、忠犬たる彼女は、最後の手段に打って出た。

 

 

「だ、旦那様♡ ワイトの牝犬まんこは、い、如何ですかぁ……♡」

 

「あぁ、気持ちいいな。少し緩いが、ねっとりと絡みついて、牡の悦ばせ方を知ってるいい穴っぽこだ」

 

「な、なら、こうして、きゅっきゅっ♡ ちゅーっ、って♡ おほぉおぉぉっ♡」

 

「おぉ……っ」

 

 

 ワイトは自らの絶頂が近づくのを覚悟した上で、迎え腰を披露し、痙攣する膣を更に締め上げ子宮口で亀頭に吸い付き、我慢汁を搾り取る。

 

 何をしても敵わない。我慢強さも、与えてくれる快楽の大きさも、果ては自分よりも弱点まで把握されてしまっている。

 なら、自分が絶頂してしまうのも覚悟の上で、虎太郎をその気にさせて許可を貰うしかワイトに残された道はない。

 

 

「ふふ、必死だなワイト」

 

「ひ、必死にもなりますぅ♡ だ、旦那様のご命令は絶対ッ♡ 絶対なんですからぁ♡」

 

「そうかそうか。ワイトはよく出来た牝犬だが、そんなに締めたら、いくらオレでも暴発しちゃうぞ」

 

「――――へひぃっ?」

 

 

 虎太郎の言葉が何を意図しているのか。

 ワイトには一瞬、理解できなかったが、子宮の感覚から即座に理解せざるを得なかった。

 べちゃり、と引っ切り無しに吐き出されていた我慢汁とは明らかに熱も粘度も重みも違うものが放たれた。

 

 ぐつぐつとマグマにも似た熱が子宮内へと広がり、牝の本能が歓喜の咆哮を上げる。

 

 

「きっ、ひぃっ…………~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ♡」

 

 

 ほんの数滴だけ、ワイトの子宮に精液が放たれていた。

 ワイトは本能のまま腰を高く持ち上げ、今日一番の勢いで派手に潮を噴き散らす。

 くるんと瞳を持ち上げて、絶頂へと駆け上っていく牝の本能。食い縛った歯の間から声にならない声が漏れていく。

 

 

「はっ、はっ、はっ……ひゅーっ……ひゅーっ……は、ふぅっ……♡」

 

 

 それでもなお、ワイトは言いつけ通りに絶頂を堪えきってみせた。

 潮吹きも止まり、高く持ち上がっていた腰が、どさりと布団へと落とされると、ワイトは力のない呼吸を繰り返す。

 

 

「だ、旦那しゃまぁ……♡」

 

「ん? どうした?」

 

「ワ、ワイトが、馬鹿でしたぁ……♡」

 

 

 ニヤニヤと品性を疑うような笑みを浮かべた虎太郎に、ワイトはようやく思い知った。

 服従とは、屈服とは何なのかを。自分などまだまだだ。とてもではないが、その途上に過ぎないと思い知った。

 澄まし顔でどれだけ嫉妬や羨望を覆い隠そうとも、虎太郎にはお見通しだ。そんなものを隠す余裕がある時点で、屈服からは程遠い。

 自分の欲望を晒してもなお、虎太郎の命令を優先すること。それこそが真の屈服なのだ、と。

 

 

「もう、我慢できません♡ 生意気に、軽々しく旦那様の命令を、んくっ、きけるなんて、無理、でしたぁ♡」

 

「オレの方こそ悪かったな。我慢ばっかりさせて」

 

「うっふふぅ♡ な、なら、ワイトの完全敗北したおまんこに、種付け射精して下しゃい♡ それから種付けアクメの許可もぉ……♡」

 

「更に可愛くなっちゃってまぁ。分かった、“よし”だ」

 

「んれるぅ♡ んちゅっ、んむっ♡ れろろっ♡ じゅちゅっ♡ んむちゅぅっ♡ れる、れるろっ♡ はむぅうううぅううぅううぅぅっ♡」

 

 

 言葉のみならず、焦らされてくたびれた膣と子宮で媚を売り、ワイトはようやく絶頂の許可を得た。

 虎太郎にされるがまま、口唇を重ね、欲望と愛情に塗れた端たない口唇愛撫をすると、子宮で爆発が起きた。

 

 焦らしに焦らされた子宮は、容赦のない膣内射精に曝され、思う存分に重く溜まっていた絶頂を開放する。

 

 

「おぉおぉおぉっ♡ し、子宮、重いぃぃっ♡ す、素敵です♡ やっぱり、旦那様の射精、素敵ぃぃいいぃっ♡」

 

「まだまだ、出る、ぞ」

 

「は、はひぃっ♡ 旦那様が満足するまで、一杯射精、して下さいッ♡ あ、イクっ、種付けアクメでイクっ♡」

 

「…………ぐぅっ」

 

「わほぉおおぉんッ♡ 牝犬絶頂ぉっ♡ 最っ高ォッ♡ は、孕むぅ、旦那様の濃い精液ッ♡ こんなの絶対、孕んじゃいますぅっ♡」

 

「っ…………っ!」

 

「イックっ♡ イクイクっ♡ 旦那様の御慈悲射精で、牝犬アクメちょうだいしますううぅぅううぅぅううぅぅぅうううぅぅぅぅっ♡」

 

 

 脚を爪先までピンと伸ばし、虎太郎の背中に両腕を巻き付けて歓喜の絶頂を迎えるワイト。

 膣は射精を促すように痙攣と蠕動を繰り返し、亀頭を飲み込んだ子宮は精液を吸い出していく。

 たっぷりと続く射精を余すことなく堪能し、ワイトもまた牝犬のアクメ顔を晒して子宮から込み上げてくる多幸感を堪能した。

 

 虎太郎は、まだ欲しいと吸い付いてくる秘裂から強引に肉棒を引き抜くと、ごぷっと音を立てて精液が溢れてくる。

 凜花の時と同じく、ワイトの身体にも残る精液を飛ばし、しっかりとマーキングをしてやると、ワイトは朦朧とした意識の中でぺろりと口元の精液を舐め上げた。

 

 ふぅ、と一息ついた虎太郎は、まだ絶頂の狭間を彷徨っている凜花とワイトの頭へと回ると、両脚を開いて太腿に二人の頭を乗せる。

 

 

「さて、二人共、大丈夫かな?」

 

「あふぅ♡ ふふ、虎太郎さんのチンポ、まだ、こんなにぃ♡ れるぅうぅっ♡」

 

「ひへぇっ♡ 逞しくて、どろどろぉ♡ あんむぅっ♡」

 

 

 本気汁と虎太郎の精液で汚れた肉棒に、二人は牝犬のように舌を這わせていく。

 

 

「んひゅ、ちゅ♡ しゅごい、味ぃっ♡ んふっ、ふぅううぅうぅうっ♡」

 

「れりゅっ♡ れろろっ♡ じゅるっ♡ んむっ、んんふぅうぅううっ♡」

 

 

 首と舌だけを動かして怒張の精液を舐め上げながら、二人の股間からは精液だけではなく黄金水までが吹き出した。

 布団に染み込もうとする精液溜まりに黄色の液までもが混ざり、部屋には濃厚な性臭が立ち込めていくが、失禁の刺激にまたも絶頂を迎えている二人には関係のない。

 

 二人の頭にあるのは、まだまだ萎えない剛直を、どのように鎮め、どれだけ射精して貰うかだけ。

 

 暫くして、二匹の牝犬による悦楽の咆哮が響き渡ったのは言うまでもなく、休みの時間を目一杯使って、躾けられ、愛でられたのは言うまでもない事だ。

 

 

 

 

 



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Carla The Blood Lord編その2
『まあ、苦労人の思い通りに事が進むことはあっても、楽だけは出来ないんだよね、うん』






 

「私は反対だ!」

 

「何度も言うが、却下だ。聞き分けろ」

 

 

 虎太郎とアルフレッドが仮拠点に選んだのは街中にある30階立ての高級マンションであった。

 30階に位置する部屋は隼人学園の監視も行え、住居者も少ない。

 元々は高額所得者を対象にして建築したのだろうが、近場にスーパーやディスカウントショップと言った日常の中で必要となる消耗品を買える店がなかったからか、今や廃れた状態だ。

 監視、拠点とするのは持ってこいの場所である。家具も元々備え付けられており、入居契約さえ結んでしまえば、何の不信も違和感もなく潜り込める。

 

 その一室で紫と虎太郎は、討論を――と言うよりも、紫が虎太郎に一方的に噛みついているだけだが――交わしている。

 

 紫に視線すら向けず、虎太郎は机に向かい、一枚の巨大な紙の上に見取り図を書き起こしていた。

 言うまでもなく隼人学園の全体、校舎と寮の見取り図だ。

 校舎は実際に内部を案内された記憶を元に、寮は内部に足を踏み入れていないが故に外観から建築様式と内観を予測する。

 

 欲を言えば、隼人学園の建築時の資料を手に入れたかったが、生憎と時間がなく、敵に察知されるリスクを考えれば手を出すには不安が残る。

 もっとも、校舎はほぼ完璧に、寮でも8割に近い精度の見取り図が完成しかけている。十分過ぎるだろう。 

 

 

「聞き分けられるものか! 仮にも同盟相手が洗脳されていくと言うのに黙って見ていろだと!? 巫山戯るのも大概にしろ!」

 

「……………………」

 

 

 虎太郎の方針を聞いてからと言うもの、紫はずっとこの調子だ。

 

 理屈は彼女も十分に理解している。

 吸血鬼と人を見分けるのは手間がかかる。米連が開発した特殊なセンサー類、上原家が保有する結界術にかかるか否か、医学による血液、細胞、遺伝子検査。

 時間的にも、設備的にも、無理がある。

 

 そもそも、そんなものを隼人学園に持ち掛けたとして、トップである北絵が拒否すればそれまでだ。

 グラムと北絵の関係を示す証拠を提出したとしても、その程度の証拠ならばいくらでもでっち上げられる。

 

 カーラは確かに虎太郎へ破格の評価を与えたが、あくまでも交渉能力に対する評価である。

 人格的に信用を置いている訳でもなく、その証拠の真贋を判断するのに、時間を要するのは目に見えている。

 そうこうしている間に、グラムは北絵を囮にして逃げてしまうだろう。そうなった時、奴はもっと慎重に、もっと悪辣に、次なる手段を考えるのは目に見えていた。

 

 だからと言って、理屈が正しくとも、納得するとは限らないのが人という生き物だ。

 

 紫の頑なな態度に、虎太郎は大きな溜め息と共に定規とペンを置いた。

 

 

「成程、お前は正しい。お前の怒りも義憤も尤もだ。今この場で、正義は間違いなくお前にある」

 

「我々は対魔忍だ。正義と誇りを重んじ、闇に潜む外道共を――――」

 

「だが、それが隼人学園の人間に純粋に向けられているのなら、の話だがな」

 

「………………っ!」

 

 

 何処までも冷静に。

 何処までも冷徹に。

 言葉のナイフで紫の傷を抉るように。

 

 虎太郎の洞察眼と理解力は、紫の精神を詳らかにしていく。

 

 

「お前はかつての自分を奴等に重ねているだけだ。普段のお前なら、対魔忍の正義や誇りを口にしても、対魔忍の“日本を守るための暴力装置”という側面も忘れるわけがねぇ」

 

「…………っ」

 

「奴等を凌辱の魔の手から救ったとしても、お前の過去が変わる訳じゃない。日本を守れるわけじゃない。闇の世界で生きると自分で決めた連中と日本に住む無力で無価値な一般人、対魔忍としてどちらに重きを置くかなんぞ、考えるまでもないだろうが」

 

「………………ぐ、くっ」

 

「別段、それを否定するつもりもないが、最低限、オレの策に見合うだけの代案を用意しろ。自分だけが都合よく正義面か? 駄々を捏ねるだけならガキとどう違う」

 

 

 情け容赦のない暴露。

 心の何処かで理解しながらも、自分自身を必死で騙して覆い隠していた事実を突きつけられ、紫は唇を噛んで俯いた。

 

 理解と納得は別である。

 かつて紫に与えられた屈辱と羞恥、死にたくなるほどの痴態を考えれば、理解は出来ても納得など不可能だろう。

 

 虎太郎は紫の精神や考えを限りなく正答に近い形で理解しながら、理解しているからこそ全き正論で粉砕する。

 彼自身、正論や正しさを何一つ信じているわけではないにも拘わらず、返す言葉もない、そんな状態に追いやるためだけに正論を振りかざす。 

 そこで正しさを信じているのなら、信念の一つでもあろうものなら、紫も納得しただろうが、虎太郎を知っているからこそ納得できよう筈もない。

 

 

「………………か」

 

「――――あぁ?」

 

「悪いか。彼女達と自分を重ねて。お前には、理解は出来ても、共感しないお前には、私の気持ちなど、考慮に値しないのだろう……?」

 

「ああ、当然だな。そんな覚悟のない連中の思いなど、考慮する意味が分からねぇ。そもそもよ、犯されるなんぞ、そんなに辛く苦しい事かね?」

 

「っ、貴様という奴は……!」

 

 

 虎太郎の冷たすぎる小馬鹿にしたような科白に、紫は憎悪にも近い怒りの瞳を向ける。 

 虎太郎は今、アサギの、不知火の、さくらの、ゆきかぜの、凜子の――――多くの女の無念と苦しみを、下らないと笑ったも同然であった。

 

 己自身を嗤うのならば構わない。

 全ては自分の責任、自分の甘さが招いた事態に他ならない。紫自身、認める所である。

 だが、敬愛するアサギを、尊敬に値する不知火を、言葉や態度とは裏腹に信頼しているさくらを、自分の後に続く、誇りにすら思っている後輩を、嗤うことだけは許せない。

 

 自分を含め、彼女達は、既に心の傷を乗り越えている。

 乗り越えてはいるが、心に刻まれた傷は決して癒えない。

 

 ある日、ある夜、ある時、ある場所で。

 不意に、唐突に、突然に、何の前触れもなく。

 

 吐き気を催す嫌悪と自死を望むほどの衝動に駆られる者の気持ちが分かるまい。

 

 紫の怒りは正しい。

 彼女の無念と他者に対する思いやりは、どうしようもなく正しい。

 

 ――もっとも、それを向ける相手が虎太郎でさえなければ、の話ではあるのだが。

 

 

「何一つ共感できないね。似たような境遇に陥ったことはあるが、まるで共感できない」

 

「口から出まかせを……!」

 

「はあ? お前な、オレが犯されたことがねぇと思ってんのか? んなこたぁねぇぞ。ケツ穴掘られたことだってあるし、口に逸物捻じ込まれたことだってあるわ」

 

「………………っ?!」

 

「その上での感想だが、苦しい上に、ケツ穴がクソ痛ぇくらいのもんだ」

 

「………………」

 

「覚悟が足りねぇな。オレには泣き言にしか聞こえねぇ」

 

 

 全く、欠片も恥じる雰囲気すら見せず、虎太郎はつらつらと事実だけを述べていた。

 

 嘘など何もない。全ては真実。

 かつて虎太郎は、幼年期に単身、ヨミハラへと潜った。

 当時、ヨミハラのセキリティは現在ほどではなかったにせよ、厳重ではあった。

 虎太郎には時間的、能力的余裕などなかった故に、ヨミハラへと潜り込むために、目を付けた変態に身を差し出したのである。

 

 対象の性的指向を調べ上げ、奴隷商にあえて捕まり、対象に気に入られる少年を演じ、目的のために媚び諂った。

 

 もし仮に、当時の虎太郎に武器があるとするのならば、ふうまの頭領として学んだ技能でも、生まれ持った異能(邪眼)でもない。

 人並み外れた目的意識と覚悟、そして恥知らずさ――――異様な精神構造と異常な精神性こそが最大の武器である。それは今も変わらない。

 

 覚悟が足りない。

 

 虎太郎に言わせれば、その一言に集約される。

 それさえあるのならば、誇りも正義も地に堕ちない。決して他者に穢されることなどあり得ない。

 彼は決して誇りや正義を笑っているのではない。誇りや正義を認めた上で、そんな言葉を容易く口にする者の覚悟の無さを嗤っているだけだ。

 

 

「まあ、お前のそれを否定するつもりはないがな。オレの覚悟を他人に押し付けるつもりはない。間違っているのはオレの方だ、自覚はある」

 

「……………………」

 

「だからこそ、オレの判断を捻じ曲げたければ、オレが納得できるだけの案と策を用意しろ。そうすりゃ、一も二もなく頷いてやるよ」

 

 

 紫は、虎太郎を嫌っている。

 対魔忍としての誇りも正義も持ち合わせていない恥知らず振り。如何に相手が悪鬼外道であろうとも用いるべきではない手段の行使。

 正義も悪も同列に扱い、さしたる興味を示さない。第一に考えるのは己の身の安全と、楽に事を終わらせることばかり。

 人の道から外れている外道にも拘わらず、アサギや九郎から多大な評価と信頼を受けている事実。

 

 何よりも、自分ですら――ひょっとしたら、アサギですら凌駕する覚悟と言う名の圧倒的な精神力。

 

 どれもこれもが気に食わない。

 これがせめて別の男であったのなら、まだ割り切れたかもしれないが――――

 

 

「おい、紫。臍を曲げるなよ」

 

「誰がだ! お前の外道ぶりに腹を立てているだけだ! それから、それを止めることも出来ない私自身にな!」

 

「ふーん、そうかよ。それはそれとして、ちょっと耳を貸せ」

 

「何だ! 私とお前しかいないんだぞ、わざわざ耳打ちする必要などないだろう!」

 

「いいから、早くしろ」

 

「――――チッ」

 

 

 苛立ちを隠しもせず、露骨に舌打ちをして紫は虎太郎へと近寄っていく。

 心底から嫌そうな顔をして、虎太郎の顔に耳を寄せる。

 

 虎太郎が他者に聞かれたくない話をする時は、聞いた側が仰天するような内容である場合が大半だ。

 大抵の反応は、余りの外道ぶりに度肝を抜かれるか、余りのドライぶりに絶句するか、余りの容赦のなさにドン引きするかのいずれかに限られる。

 

 紫も何度も体験してきた事柄なので、ある種の覚悟を決めて、意識を耳に傾けていた。

 

 

「悪かった。オレも言い過ぎだったよ」

 

「――――――――は? んむっ?!」

 

 

 完全に不意打ちだった。

 紫は思いもよらなかった謝罪の言葉に、固まって目を丸くした。

 まさか、この男が形ばかりと言えども謝罪を口にするなど思ってもみなかったらしい。

 

 虎太郎は自分の非を認めれば素直に謝るが、非がなければ決して謝らない。

 少なくとも彼の理屈は冷徹でこそあったものの、間違いや非などはなかった。

 

 それが、何故。

 紫の思考が奪われた瞬間に、更なる不意打ちが襲いかかった。思考と同時に口唇まで奪われたのである。

 

 紫の後頭部を掴む強引さ。

 もう一方の手では、紫の手に指を絡ませて握り合い、互いの口唇の感触を確かめ合う。

 

 

「……………………」

 

「まあ、なんだ。オレの覚悟を、お前に求めるのは酷だろうからな。お前は、そのままでいい。もっと猪突猛進を辞めてくれると助かるが」

 

「……………………~~~~~~~~~~~~~~~~っ!」

 

「あぁ、こりゃ下手こい――――――ぶふーーーーーっ!!」

 

 

 呆然としていた紫は、虎太郎の言葉と悪戯っぽい笑みを見ると爪先から頭の先までを真っ赤に染め上げる。

 見ようによっては林檎に見えないこともなかったが、次に出た行動は赤鬼のそれだった。

 

 顔を真紅に染め上げたまま、表情を鬼女のそれへと変化させると、紫は痛烈な平手打ちを虎太郎に喰らわせた。

 

 凄まじい音が虎太郎の頬から放たれ、余りの衝撃に脳髄がシェイクされる。さながら、ヘヴィ級ボクサーの右ストレートが直撃したかが如きダメージだ。

 ブレる意識、彷徨う視線はダメージと衝撃の大きさを物語っている。

 

 虎太郎の歪んだ視界では、紫がどすどすと女らしからぬ大股開きで部屋を後にしようとしている後ろ姿が見えた。

 

 

「おい、頼んでおいた人員の要請、忘れるなよ」

 

「分かっているっ!!」

 

 

 虎太郎の言葉を背に受けながら、怪力で壊れてしまいそうな勢いで紫は扉を締めた。

 

 本当に、気に食わない。

 ああいった女の点数稼ぎをして、事を有耶無耶にしてしまう不真面目な態度が気に食わない。

 挙句、断りもなく女の口唇を奪うなど、全くもって気に食わない。

 

 何より気に食わないのは、そんな不躾な行為すらが、自分にとって点数稼ぎになっている現実であった。

 

 紫にとって認めたくない事実であったが、彼女もまたアサギやゆきかぜと同様に、虎太郎の女であると自覚していた。

 桐生の魔の手に堕ち、肉体を改造されて堕ちる寸前のところを、さくらと共に救われた。

 その際、狂いそうな劣情を虎太郎の性技によって発散させて貰ったのが、当時の彼女は何を思ったのか、行為の最中に女になる、と呟いてしまった。

 

 以後、虎太郎に翻弄されながらも、ずるずると関係を引き摺っている。

 決して自分から望んだ関係ではなく、自ら抱かれることはなかったが、迫られると拒絶しきれない、そんな関係だ。

 

 本当に心底から最低の男と言い切れるのに、紫は拒絶出来ない。

 今回に関しても、平手打ちで済ませている辺り、紫の心境が滲み出ている。彼女の怪力ならば、平手打ちでも虎太郎の首はすっ飛んでいた。多分に加減をしていたのだ。

 

 そして今は、廊下を進みながら自らの口唇を指でなぞっている。まるで、もっとしたかったのに、と名残惜しむように。

 

 自らの無意識の仕草に気づき、自らの無意識の仕草の意味を察した瞬間、思わず紫は廊下の壁を殴り抜いてしまっていた。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「さて、情報がある程度出揃ったな」

 

 

 グラムの存在、隼人学園の危機に気付いてから3日。

 救出作戦の足掛かりとなる情報を揃えた虎太郎と紫は、仮拠点で精査を行っていた。

 

 

「まず、隼人学園内部の吸血鬼の存在だが、私達が来る以前から教師と生徒の何名かは入れ替わっていたようだな」

 

「本物の教師と生徒の方は、もう始末されたと見るべきだろうな。唯一の救いは、上原 北絵を手中に収めてから犠牲者が増えていない点か」

 

 

 この3日間の監視の結果、グラムが擬態している人間と複数人の吸血鬼が隼人学園内部に潜伏していることが分かった。

 まずグラムが擬態していたのは山川 芳樹という男性教諭であった。

 どのようにしてかは不明だが、元々隼人学園に在籍した教諭の身分や立場のみならず肉体までをも乗っ取って、グラムは内部に潜り込んだようだ。

 あとはグラムが隙を見ながら教師と生徒を拐かし、姿を変えて内部へと引き入れたのだろう。

 

 不幸中の幸いは、北絵を堕としたことでグラムにとって手間になる手段を取る必要がなくなったこと。

 結界を張った者、学園の全てを牛耳る中心人物を手に収めておけば、味方を内部に引き入れるなど容易い。

 頭は堕ちたが、手足や指先に直接的な被害が及ばなくなったのは、儲けもの。犠牲が少なく済めば、見捨てたという印象も多少はマシになる。

 

 

「それから、グラムおじさんの次の標的はマリカ・クリシュナに決まったようだな」

 

「待て、どうして分かる? 私も一緒に監視したが、そのような兆候は……」

 

 

 紫の言葉を遮るように、虎太郎が携帯端末を操作すると無数の空間ウインドウが展開される。

 ウインドウには隼人学園の内情を克明にするカメラ映像が映し出されていた。

 

 学園の廊下。校庭、教室の授業風景。理事長室での北絵とカーラの談笑。

 カメラを仕掛けるにしても何時の間に、と紫は唖然とした。

 ここ数日、虎太郎と紫は救出作戦実行に向けて同じ時間を共有しており、離れていた時間の方が少ないほどだ。

 とてもではないが、隼人学園に侵入してカメラを仕掛けてくる余裕などなかったはずだ。

 

 しかし、カメラの映像に合点がいった。

 

 

「学園の案内をされている時に仕掛けていたのか」

 

「まあ、そういうこと。もっと良い位置に仕掛けられれば良かったんだが、神村姉が近くにいたからなぁ……」

 

「グラムの存在に気付いて、慌てて仕掛けたわけか」

 

「いんにゃ、全く。グラムがいようがいまいが仕掛けるつもりでしたけど?」

 

「………………」

 

 

 カメラの位置は紫の見覚えがあるものばかり。東に案内されたルートとほぼ一致する。

 自分は東の説明や、アサギに報告する内容のことで頭が一杯だったというのに、この周到さである。

 

 虎太郎は虎太郎で当時は表に出していなかったこそいなかったものの、自分がカメラを仕掛けると、その素振りなど直接目にしていない筈なのに東が首を捻る度に冷や汗を掻いていた。

 尤も、東にバレたとしても白を切るつもりだったが。盗撮カメラなど虎太郎でなくとも仕掛けられる。いくら東の勘が神懸って良かったとしても、現行犯で抑えなければ意味がない。

 

 呆れた口調で虎太郎を睨みつけた紫であったが、彼の言に絶句した。

 元々、虎太郎は隼人学園にカメラを仕掛けるつもりだった。グラムの存在など関係がない。

 隼人学園の内部事情が見えてこなければ、安心できる同盟相手にはならない。下手をすれば、此方が売られかねないのだ。

 この程度の先制した情報収集、相手側のプライバシーなど虎太郎の知ったことではない。

 

 そのカメラ映像に、何も知らないグラムと北絵、そして罠にかけられようとしているマリカの姿が写っていたのである。

 

 

「各国合同の協議まで、およそ3週間。それまでに他の三人を堕とすつもりか」

 

「んー、まあどうかね。グラムおじさんの最低限の勝利条件はカーラ・クロムウェルの陥落だ。殺害の容易さを鑑みれば、神村姉は除外されるかもなぁ」

 

 

 マリカとカーラ。

 この二人はグラムにとって殺す訳にはいかない存在であり、能力的にも容易に殺せないはずだ。

 

 カーラは協議に必要となるために殺すわけにはいかず、吸血鬼の国に戻った際には傀儡となって貰ったほうが何かと事態を動かしやすい。

 マリカはカーラの側近であり、数百年に渡って影に日向に女王を支えてきた。彼女が突然、何の脈絡もなくいなくなるのは、吸血鬼側に説明がつかなくなる。

 

 何より、両者ともに最上位の吸血鬼。完殺するとなれば、手段は相当に限られてくる。

 

 この一件は、グラムにとって起死回生の手だ。

 吸血鬼国家ヴラドで蠢動していた組織は、カーラとマリカの手によって壊滅状態。

 アムリタの売買、人と吸血鬼の奴隷商で肥やした私腹も、かつてほどではなく、残された部下と資材、資金もタカが知れている。

 グラムの置かれた状況を鑑みれば、この暗躍が彼の全てを注ぎ込んでのものであるのは、疑う余地はない。

 ならば、グラムは二人を殺す為に金と時間を使うよりも、二人を傀儡とする為に金と時間を掛けるとだろう。

 

 だが、東は別だ。

 グラムにとって東は自身に屈辱を刻んだ存在であり、いくら犯しても飽き足りない存在であるのだが、それ以外の使い途がない。

 精々、復権した後の戦闘力にしかならず、カーラ、マリカ、北絵に比べて利用価値が少ない為に、切羽詰まれば斬り捨てる方を選択するはずだ。

 

 虎太郎としては頭の痛い問題である。

 別段、虎太郎自身は東に死んでもらっても構わない。隼人学園の戦力が減ろうとも、対魔忍が痛い訳ではない。

 かと言って、そのまま見捨てる訳にはいかない。こうして隼人学園内部の敵をスルーした以上、被害は最低限に抑えておきたいのも事実。

 

 虎太郎は、まあ死んだら死んだでいいや、と割り切った。

 その時はその時、の精神である。どう転ぶか分からないものに悩むのは時間の無駄だ。最悪の場合、東の死には何かと理由を付けて隼人学園に黙ってもらうつもりのようだった。

 

 

「何にせよ、グラムおじさんも時間が有限だから焦ってる。いや、理事長を堕として慢心したかな?」

 

「ともあれ、学園の外にいた部下を内部に招き入れたことで、此方は明け方に戻る奴等の後を追って、グラムの拠点を探れる」

 

「そっちの方は細心の注意を払って行う。手始めはアルに街中の監視カメラを使って追わせるだけに留める。それだけでも十分だろうが、本格的に始めるのは追加の人員が来てからだ」

 

 

 今回の作戦で尤も重要なのは、グラム側に一切気取られないこと。

 対魔忍の存在が近くにあるなどと思わせずに、完全な包囲網を完成させる。

 半端な包囲網では隙間からグラムは逃げていくだろう。その為に、今この瞬間はグラムが有頂天になるように好きにやらせるのだ。

 

 少なくとも現時点では順調と言えるだろう。

 人員の方も既にアサギに連絡しており、虎太郎の要望通りの人材が送られてくる。

 ワイトの件もあって、今回はゆきかぜ、凛子、凜花は呼んでいない。余りに組み過ぎて、自身の存在を悟られるのを警戒した故だ。

 

 残る問題は二つ。

 

 一つは隼人学園側の内通者だ。

 虎太郎には疑問があった。グラムがこうも易々と山川の肉体を手に入れたことに違和感があった。

 隼人学園は全寮制。教師も生徒とは違う寮で生活を送っている。学校の外に出るのは実践演習か、休みを取った時でしかない。

 しかも隼人学園は生徒も教師も品行方正で知られている。これから外れているのは東くらいのものであり、夜に出歩く者はほぼいない。

 彼等が夜に動くのは、それこそ吸血鬼退治に動く時くらいだ。つまり、学園の教師を誘拐するチャンスなど限られてくる。

 実践演習にしろ、実践にしろ。そこで誰かが一名でも欠ければ大問題。休みの期間内に戻って来なくても不審に思われる。

 それ以外にも、学園の外に呼ぶ手段はあったが、山川は天涯孤独の身、身内は使えない。生徒を餌にしようにも、先に東が出向くはずだ。

 

 だが、隼人学園側に人間の内通者が居れば、話は別だ。

 大事な話がある、相談がある。けれど、学園で話すべき内容ではない。個人的なことなので、この事はどうか内密に。

 山川と多少なりとも親しくなれば、誘うことなど容易い。理由や内容などどうでもいい。重要なのは、山川に身内と判断され、警戒のハードルを下げる人間であれば誰でもいい。

 

 今後、どうなるにせよ内通者を見つけ出し、必ず捕らえる。

 何度も何度もこんなことを繰り返させられるなど面倒ではあるし、隼人学園を一時的に見捨てたことで生じた憎しみを、上手いこと内通者に向けさせて自分への追求を柔らかくするつもりだったのだ。

 

 もう一つの問題は、桐生に開発を命じた薬が、どの程度の効果を発揮するかだ。

 散布型であれば一気に片がつく。投与型であれば少々面倒になる。それ以外は桐生を殺したくなるほどに手間がかかる。

 更に薬が身体に入り込んでから効果を発揮するまでの時間もある。即効性が理想的、それ以外はありがたくないが仕方がない。

 

 何にせよ、桐生の仕事の結果一つで、任務の難易度は激変するのだ。

 

 

『――――大変です。虎太郎、紫様』

 

「紫、急いで通信を切れ!」

 

「何を言ってるんだ、お前は。アルフレッドからの通信だぞ?」

 

「馬鹿か! コイツがこのタイミングで通信してくるとか厄介事以外の何物でもねーからだよ!」

 

 

 その時、アルフレッドからの通信が入った。

 普段とは異なる僅かばかりに焦りを含んだ機械音声に、虎太郎はそれ以上に焦った。

 どう考えても良い知らせではないのは確定的に明らか。悪い知らせなど知りたくもない。

 

 紫は呆れ果てながら、虎太郎を見るばかりで聞く耳を持たず、アルフレッドに続きを促した。

 

 

『ドクター桐生に、薬の提供を求めたのですが……』

 

「おい、アルフレッド。おい、まさかとは思うが……」

 

『その、まさかです。ドクター桐生、薬を作っていなかったそうです(震え声』

 

「――――――――」

 

 

 紫は掛け値なしの絶句をした。

 

 これから行うのは、あくまでも救出作戦である。

 殲滅作戦であれば、まだ取り繕いようもあったかもしれないが、救出するために必須である薬がない。

 つまり、虎太郎の救出作戦の前提がなくなったのである。とんだ梯子外しもあったものだ。今この瞬間、救出作戦は瓦解した。

 

 紫は、バっと振り返って焦りながら虎太郎を見る。

 虎太郎は慌てた様子はなく微笑むばかりであった。

 

 しかし、紫は見逃さなかった。虎太郎の瞳からずんどこ光が失われていくのを……!

 

 

「ふっ……………………取り敢えず、桐生ちゃんぶっ殺してくるわ」

 

「気持ちは分かるが落ち着け、弐曲輪ぁああぁあぁぁあぁぁぁあぁぁっっっ!!!」

 

 

 苦労人、更なる苦労と疲労確定――!!

 

 



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『味方の魔界医のせいで苦労すれば、苦労人だって爆発する』

 

 

 

「以上が隼人学園の置かれている現状だ。何か質問は……?」

 

 

 桐生の悪意あるサボリが発覚した翌日。

 虎太郎の選んだ拠点には、要望通りの人員がある程度集っていた。

 紫は用意したホワイトスクリーンを背に立ち、虎太郎はその隣で資料の広げられた長机に腰を降ろし、皆は机を囲むように紫の言葉に耳を傾けるか、机の資料を読み耽っている。

 

 現役の上忍からは葛 黒百合、蘇我 紅羽、由利 翡翠、穂村 奏。

 教師陣からは峰麻 碧、蓮魔 零子。

 生徒からは氷室 花蓮、前園 桃子、喜瀬 蛍、高槻 幸奈、星乃 深月、大島 雫、百田 里奈子。

 そして、虎太郎は要望していなかった志賀 あさつき、上原 燐。

 基本的に最後の二人以外は、紫が居らずとも虎太郎の指示を最低限は守る人物で固められた人選であった。

 

 生徒が中心であったのは、やはり動かせる人員に限りのある厳しい台所事情が原因だ。

 

 しかし、中々にバランスの取れた布陣ではある。

 諜報活動に特化しつつ経験の豊富な黒百合、紅羽、碧。

 近接に特化した翡翠、奏、あさつき。

 中距離のカバーが可能かつ殲滅も可能な零子、燐。

 

 生徒達は経験不足であるものの粒揃いかつ虎太郎の指導付きだ。

 彼女達ベテランが率いれば、十分過ぎる戦果が期待できる。

 

 隼人学園という数百人単位の救出作戦にしては人員が少なすぎたが、これで十分であった。

 グラムの資金源は底が見えており、この街に寄生蟲の宿主(グラムのスペア)を保管や軟禁しておける拠点が複数あったとしても用意できるのは三ヵ所が限度。

 また一度は組織が壊滅状態になったというだけあって、純粋にグラムの下へと集っている吸血鬼は50名前後であった。

 

 仮に生徒や教師達全てに寄生蟲が既に仕込まれていたとしても、完全な傀儡に出来ていないのは確定している。

 桐生の研究結果によって、この寄生蟲は宿主の快楽信号に反応して、宿主との同化を図る。グラムが北絵を犯したのは、そういった理由があったからだ。

 もし、快楽信号がない場合、寄生蟲の同化は最低でも数ヶ月を要する。グラムの隼人学園内部の動きを察するに、彼が潜入したのは最長でも一ヶ月。

 どう計算したところで、グラムの狙いである4人以外は傀儡化は出来ていない。精々が、動きを縛る程度だ。

 

 無論、虎太郎が隼人学園の窮地を見過ごそうとしたのは黙っており、紫と虎太郎が交渉に向かった際には既に隼人学園は吸血の巣窟と化していたということになっている。

 

 この辺りまでは、皆も理解できていた――――いたのだが、どういう訳か、全員の表情が引き攣っている。

 決して、これから戦うであろう吸血鬼と寄生蟲の悍ましさに怯えているのではない。

 決して、隼人学園の置かれた現状に怒りを覚えていることだけではない。

 

 最大の原因は、虎太郎だった。

 

 

「ギ、ギギッ、ギィィィッ、ギギギギィィィィィィィィィィィィィィィィィっっ!!」

 

「ひえぇ……」

 

 

 虎太郎が、奇声を発しながら奇行を繰り返していたからだ。

 

 桐生と書かれていたであろう紙に向かって、両手で握った包丁を奇声と共に何度も何度も振り下ろしているではないか。

 最早、桐生と書かれた紙は原型を留めておらず散り散りになっており、包丁の突き刺さった机は虎太郎の周囲だけがささくれだっていた。

 丑の刻参りをする愚か者であったとしても、ここまで気合を入れて個人を憎まないし、呪わないだろう。

 

 彼女達が別々に集合してから、虎太郎はずっとこの調子である。

 憎しみとともに奇行を繰り返す姿は、完全に狂人である。誰だって、狂人を前にした時には対処に困るし、恐怖するものだ。

 そりゃ顔も引き攣ろうというもの。だって怖いもの。誰だって怖いもの。長い付き合いになる紫だって顔が引き攣るのを止められていないもの。

 

 

「すぅ……はぁ…………あの、一つ、宜しいでしょうか」

 

「あ、あぁ、どうした、氷室?」

 

 

 皆が沈黙し、虎太郎の奇声と包丁を突き立てる音だけが響く中、深呼吸をしてから花蓮が意を決して発言の許可を求める。

 紫も渡りに船とばかりに、花蓮の質問に食い付いた。しかし、直ぐに後悔することになった。

 

 

「隼人学園の生徒や教師、吸血鬼の女王であるカーラ・クロムウェルや側近も危険な戦力だとは思いますが、寄生蟲はそれ以上に危険です」

 

「そうね、氷室さん。目下、最大の脅威は其処になるわ。寄生蟲の寄生経路が凶悪過ぎる……」

 

「あっ…………それは、だな。いや、済まん。それは、それだけは、今――――」

 

「寄生蟲への対抗手段は、どうするおつもりなんですか……?」

 

 

 花蓮は碧の後押しを受け、狼狽える紫にはっきりと問い質した。

 教えを請う側の生徒にしては毅然とした態度であったが、花蓮にしてみれば当然のこと。

 

 この中で、寄生蟲の脅威を身で以て体験こそしなかったが、目の前で確かに見た。

 自分を庇って寄生蟲の脅威に晒された虎太郎が、自作の電気椅子に座って全身に電流を流す様を。

 

 対抗手段がない状態では、とてもではないが戦えない。

 臆病にすら見えるが、持って当然の危機感だ。この中で、虎太郎以外には彼女がもっとも寄生蟲の危険性を知っているのだから。

 

 

 ――――刹那、部屋の空気が凍りついた。

 

 

 ドスン、と一際大きく虎太郎が包丁を強く机に突き立てたのである。皆は、ビクンと肩を震わせた。

 先程から皆は困惑しきりであったが、紫は行動にこそ出さなかったものの、心の中で顔を片手で覆っている。よりにもよって、今、その質問をしてしまうのか、と。

 

 本当に、よりにもよって、である。

 今、虎太郎が奇行に走っている原因は、その対抗手段を桐生が用意していなかったためである。

 いや、厳密には用意していなかったわけではない。正確に言うのならば“数を揃えていなかった”が正しい。その数を揃えるために、虎太郎がまた命を掛ける羽目になったのだが。

 

 紫は横目で虎太郎の様子をチラチラと確認しながら、口を開こうとする。

 彼女の警戒も尤もだった。昨夜、隼人学園の件をほっぽりだして桐生を殺しに向かおうとする彼を力尽くで止め続けたのだから。

 そして、ヤバいと感じながらも、紫の立場上の責任として言いたくもないことを言わねばならない。

 

 

「寄生蟲への対抗手段は――――ある。人体に影響を及ぼさず、寄生蟲だけを殺すウイルスを桐生が開発している」

 

「なら――――」

 

「分かっている。……だが、数が足りない。今はまだ、な」

 

「吸血鬼との協議まで、あと17日……それまでに間に合うんですね?」

 

「――――計算上は、な」

 

 

 彼女は彼女なりに、冷静に状況を分析していた。

 

 グラムの寄生蟲に対抗できるのは、集まった者の中でも五人。

 

 寄生蟲を凍りつかす事が出来る氷遁を持つ自身と幸奈。

 寄生蟲を焼き尽くす事が出来る火遁、雷遁を持つ里奈子と燐。

 寄生蟲をそもそも寄せ付けない風遁を持つ深月。

 

 しかし、それらも体内への侵入を阻止するための手段に過ぎない。

 体内への侵入を許してしまえば、どうにもならない。それこそ、虎太郎のように死を覚悟した上で、一か八かの手段に出るしかない。

 妙に歯切れの悪い紫の言葉に違和感を覚えたものの、花蓮は納得したらしく、ほっと息をつく。

 

 

「少し待って頂きたい。グラムと初めに接触したのは弐曲輪でしたね」

 

「しかも、二ヶ月以上も前の話だったはず……」

 

「弐曲輪。貴様、何をしていた」

 

「待て、志賀、上原。い、今この場は、叱責の場ではない。いや、そもそも……」

 

「そのような訳にはいかんでしょう。事実として、そのウイルスの配備が遅れているのですから」

 

 

 やはり来たか、と紫は内心で嘆息した。

 俯いた虎太郎を責めるように睨みつけたのは、あさつきと燐の二名だった。

 

 この二人と虎太郎の仲は頗る悪い。

 いや、そもそも虎太郎と仲の良い対魔忍の方が珍しいくらいなので、当然と言えば当然か。

 二人の虎太郎の認識は、対魔忍の風上にも置けない恥さらし。虎太郎の二人の認識は、使えねー猪二頭といった具合である。

 

 そんな二人が、虎太郎のミスらしきものを見過ごす筈もない。

 ここぞとばかりに追求するのは目に見えていた故に、紫の歯切れが悪かったのである。

 このままでは、あさつきと燐の二名と翡翠や紅羽を筆頭とした虎太郎の肩を持つ者達が激突しかねない。

 

 作戦を前にして余計な軋轢など避けたい紫にしてみれば、頭痛此処に極まれりである。

 そして何より、これ以上虎太郎を責めようものならば、彼の怒りが爆発しかねない。今回の件、彼は本当に何一つとして非はないのだから。

 

 

「――――――あっ」

 

 

 だが、全ては手遅れだった。

 漏れた声は誰のものだったか。紫か、黒百合か、碧か、零子か。少なくとも、虎太郎本来の姿を知る者であったのは間違いない。

 

 虎太郎は震えていた。それはもう震えていた。最早、振動といったところだ。

 顔の赤さも相俟ってピンクローターか、バイブといった趣である。あながち間違いではないだろう。彼の性技であれば、その程度の道具を再現するのは不可能ではない。

 

 その様に四人は全てを諦めた。

 彼女達に出来たのは、無言で両耳に手を当てて塞ぐことだけだ。

 

 

「ぶじゃけりきゃぁああぁぁぁぁぁぁぁあぁぁあああぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁあぁぁぁっっっっ!!!!」

 

 

 瞬間、虎太郎が奇声と共に弾け飛んだ。

 座っていた椅子を吹き飛ばし、ペットボトルロケットも斯くやという勢いで飛び上がる。

 

 室内でそんな勢いで跳ね上がればどうなるのか。当然、天井にぶち当たる。

 頭上の電灯に頭から突っ込み、勢いがあり過ぎて、明らかに曲がってはいけない方向へと首がひん曲がる姿を全員が目撃した。

 そのまま電灯の破片と共に背中から机へと落下した虎太郎であったが、そのまま勢い良く立ち上がる。どうやら、この程度の痛みでは怒りが収まらないらしい。

 

 

「志賀ぁ! 上原ぁ! 今、お前ら何つったぁっっ!!!!」

 

「い、いや…………だから、この事態はお前が報告を疎かにした結果だろうと言ったんだ!」

 

「はぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!???!?!??」

 

 

 虎太郎の狂乱を見るのは初めてであったのか。動揺こそ見られたものの、なおも噛み付く辺り二人もまた強い。

 

 二人の言葉を聞いた瞬間に、虎太郎はまたも跳ね上がり、ドガァっ! と天井に激突する。

 先程よりも音が大きく、部屋全体が揺れるかのようであり、皆の肩がビクぅっと震えた。

 

 

「こ、虎太郎、おちつ、落ち着きなよ!」

 

「これが落ち着いていられるかぁああぁぁっっ!! この、このクソアマ共! これを見ろよぉぉぉぉっっ!!」

 

「な、何だと言うんだ……!」

 

 

 紅羽の静止の声にも全く聞く耳を持たず、虎太郎は机の上にあった書類の束を掴んで二人へと見せつける。

 

 書類の束は虎太郎の書いた報告書だった。

 無論、グラムと邂逅を果たした四人一組の任務の報告書である。

 任務後、極度の疲労と心停止の影響もあってか、一時的な記憶喪失に陥った彼であったが、記憶を取り戻すと直ぐ様、ボロボロの身体で報告書を書き上げた。

 その理由が、これ以上仕事を貯まるとオレが死ぬという理由である辺り、涙を誘う。

 

 

「報告書はしっかり提出してますぅ~! 志賀みたいに任務から一週間も後とかにしないで、二日で提出してますぅ~! 体調が万全ならその日の内に提出しますぅ~! 上原みたいに何度も何度も報告書を書き直す必要もなく一発で通りましたぁ~!」

 

「い、今は我々のことは関係ないだろう……!」

 

「ま、まあ、上原先生の言う通りではあるな……」

 

「報告書は兎も角、アサギ様に報告を怠ったのだろう……!」

 

「んひぃぃ、んひぃぃぃぃぃぃいいいぃぃぃぃぃいぃぃぃっっっ!!」

 

 

 虎太郎は、しっかり仕事をしてるアピールをしつつも、あさつきと燐の仕事の質が悪いことを貶す。

 横道に反れ始めた虎太郎の言動に、零子のフォローが入ったのだが、あさつきはまたも墓穴を掘ってしまった。

 

 彼女の言葉を聞くと、虎太郎は二度飛び上がり、天井にへこみを二箇所も作り出す。修繕費がまた嵩んでいく。

 奇声は訳の分からない領域であったが、表情を見る限り、どうやら笑い声であったようだ。感情が振り切れているとこんな笑い方を人はするのだろうか。

 

 

「報告もきっちりしましたぁ~! アサギだけじゃなくて、紫もさくらも交えて寄生蟲の危険性を懇切丁寧に伝えましたぁ~! その後、九郎にも連絡しましたぁ~! 残念でしたぁ~~!」

 

「あの、残念なのは、弐曲輪先生の言動とか行動の方――――いえ、何でもありません」

 

 

 舌を出して子供のラクガキのように歪んだ顔で、あさつきの指摘を一蹴する虎太郎。

 奏はその言動に当然の感想を漏らしたのだが、虎太郎に視線を向けられて押し黙った。

 

 そりゃ、誰だって地獄の釜の底のような有り様になった視線を向けられれば口を閉ざさるを得ない。

 

 

「それだけじゃないですぅ~! 対魔忍全員へ情報が行き渡るようにアサギにもお願いしましたぁ~! 職員会議でも伝えましたぁ~!」

 

「なっ?! 私は聞いていないぞ!?」

 

「いえ、言っていましたよ、上原先生。もっともその時、弐曲輪先生の話をまともに聞いていたのは、私と蓮魔先生だけでしたけど……」

 

「ひぇぇぇ、ひぇひぇひぇひぇひぇひぇっっっ!!! ひゅぅううぅいごーーーーーーー!!!」

 

 

 燐には全く心当たりのない出来事に驚きの声を上げたが、碧は事実を口にする。

 確かに、虎太郎は職員会議でも寄生蟲の危険性を鑑みて、生徒達にも情報が行き渡るように、教師達へと通達していた。

 だが、碧の言うように、虎太郎の話を聞いている者などほぼいないに等しく、余りの危機感の無さ、人に仕事を押し付ける癖に自分は仕事をするつもりのない連中に、人知れずビキビキしていた。

 

 碧としても零子にしてもフォローをしたくともフォローが出来ない。

 虎太郎がどれほど有用で重要な情報を伝えたとしても、彼等は全く聞く耳を持たないのだ。聞く価値がないとすら思っているに違いない。

 普通の人間なら、とっくの昔に嫌になって口を閉ざすのだが、虎太郎には慣れっこの事態であり、恐るべき根気が伺える。

 

 しかし、追い詰められた今の彼にはダメージとなっているらしく、魔女の如く笑いながらまたも天井にドッカンドッカンしだした。

 

 その有り様と来たら、世界で一番有名な赤い配管工。

 残念ながら頭突きで天井をへこませようが、穴を開けようが、コインもでないしキノコもでないしスターもでない。ずんどこずんどこ頭部へダメージが重なっていくだけだ。

 

 

「桐生ちゃんにも直接頼みましたぁ~! 紫とアサギも交えて頼みましたぁ~! 早いとこ、薬なり何なりを量産しとけって言っときましたぁ~!」

 

「……………………」

 

「なあ、頼むわ、教えてくれよ!!! オレのこと罵るんなら教えてくれません!? もう面倒だからその通りにしてやるからよぉ!! そうすりゃ満足なんだよなぁ!! オレの話聞くんだよなぁ!? もうオレが悪いでいいからよぉ!! 頼むから教えてくれよぉ!! これ以上、オレにどうしろってんだよぉぉっっ!! うわぁあぁぁあぁぁあぁあぁっっっ!!!!」

 

 

 天井にドッカンドッカンし続け、スターを得ることも叶わずに、先に机が音を上げる。

 最後の悲鳴は、虎太郎が泣き出したと同時に机が衝撃に耐えかねて真っ二つに割れたからであった。

 

 

「ひぐぅっ……ふぐぐぅっ……ふーっ、ひーっ……ひえぇええぇぇぇ…………」

 

 

 資料の紙が舞い、真っ二つに割れた机の真ん中で俯せに床へと叩きつけられた虎太郎は、そのまま泣き腫らす。

 余りに弱々しい泣き声は哀れみを誘うものの、彼の狂乱ぶりに殆どはドン引きしており、彼本来の姿を知る者達は頭痛を覚えるばかり。

 

 今回の件は、虎太郎は何も悪くはない。

 彼は己の出来る範囲で最大限の行動を起こしていた。

 これは彼の背負った運命であったのか、桐生の意図的な悪意と周囲の無自覚の悪意によるものだったのか、はたまた彼の重ねてきた悪逆の数々の報いであったのかは、神のみぞ知る。

 

 

「…………あの、虎太郎、さん?」

 

「に、弐曲輪先生、落ち着きました、か?」

 

 

 弱々しい泣き声すらなくなると、しぃんと部屋の中は静まり返った。

 生徒達は可哀想なものを見る目で虎太郎を見る。上忍達は気の毒そうに顔を顰めている。教師達は大きく溜め息を付いていた。虎太郎の怒りのターゲットとなった二人ですらバツが悪そうにしどろもどろであった。

 

 そんな中、近づいていったのは、彼の評価が比較的高い翡翠と花蓮であった。

 自分達の声にすら全く反応を示さなくなった虎太郎に、二人は視線を合わせると膝を曲げて一緒に身体を揺さぶるものの全く反応がない。

 

 いや、それ以上に気になったのは、彼の身体の冷たさだった。

 正常な体温からは程遠い、触れただけで背筋まで寒くなる氷のような冷たさに、二人は息を呑んだ。

 慌てて身体をひっくり返し、現れたのは白目を向いている虎太郎の顔。

 

 花蓮は口元に手を翳し、翡翠は首筋、手首の順で指を当て、最後に左胸に耳を当てた。

 

 

「……え? うそ、やだ! こ、呼吸してない!」

 

「みゃ、脈もないです! 心臓も止まっています!」

 

『――――はぁ?!』

 

「………………ハッ?! に、弐曲輪ぁああぁぁぁぁああぁぁぁあぁっっ!!」

 

 

 二人の青褪めた表情と悲鳴のような叫びに、虎太郎の暴走ぶりから白目を剥いていた紫が再起動を果たした。

 

 慌てて虎太郎へと近づいた紫は、二人と同じく虎太郎の状態を探る。

 彼女はアサギの補佐、教師として教鞭を握る傍ら、かつて桐生に捕まった経験から魔界技術の恐ろしさと有用性を知り、独自の研究を行っていた。

 無論、完全なゼロスタートの紫には茨の道であったものの、医学から始まり、桐生に直接学ぶことを避けて彼の研究資料や虎太郎の齎す情報を元に、それなりの腕にはなっていた。

 

 呼吸停止、脈拍停止、心停止、瞳孔散大。

 日本の医療界において、医師が死亡を宣告する際に必要な四つの要素が全て揃っていることを確認すると、紫は白いジャケットを脱いで、シャツの袖を捲くる。

 

 

「えぇい、大馬鹿者め! あれほど危険だと言っただろうが! 由利、気道を確保しろ! 心肺蘇生法を開始する!」

 

「は、はい。でも、どうしてこんな……」

 

「血を抜いているんだ、弐曲輪は! それも、致死量寸前までな!」

 

「ど、どういうことです……?」

 

「全ては桐生のせいだ! 全く、どうして私の周りには、馬鹿な男しかいないんだ――――!」

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「やれ、ゆきかぜっっ!!!」

 

「はぁい…………うーん、こんなことしていいのかなぁ?」

 

「だったらオレを開放しろ、牝豚! マイハニーにやられるなら兎も角、貴様のような貧相な――――」

 

(どうしてこの男は自分から地雷を踏み抜くのか……)

 

「…………私を牝豚って呼んでいいのは虎太兄だけだから(ニッコリ」

 

「ひぎゃああああああああああああああああぁぁあぁああぁあぁぁああぁあぁ――――っっっ!!!」

 

 

 時間は十数時間前は遡る。

 アルフレッドから桐生のサボリの報告を受けてから数時間後、虎太郎は即座に学園で待機していたゆきかぜ、凛子、凜花の三名を動かして桐生を確保させた。

 

 対魔忍装束を纏った三名は桐生の研究室に踏み込むと、部屋の主を容易に捕縛してしまう。

 以前までの彼女達ならばまだしも、虎太郎の指導という名の魔改造が入った三人に、何の準備もしていなかった桐生の抵抗など意味を為さなかった。

 

 ゆきかぜは起伏の少ない身体を槍玉に上げられ、桐生に触れて怒りと共に電撃を流す。

 手酷い拷問である。常人なら即死しているが、桐生は半ば不死。何の問題もない上に、今回の問題行動もあって誰も同情していない。

 

 彼は逃げられぬように鎖で雁字搦めにされて天井から逆さ吊りにされていた。

 その下には大きめのバケツが設置されており、電撃で痙攣する桐生を尻目に凜花が新たな水をバケツに注いでいる。

 

 

「ぐ、ぐはっ、こ、この牝豚、どもがぁ……!」

 

「よぉしよぉし。凛子、下ろせ!!」

 

「了解だ…………余り良い気分ではないな、これは」

 

「………………そうね」

 

「ごぼご、ごぼぼ、ぼぼぼぼぼぼぼぼおぼぼぼぼぼ――――!!!」

 

 

 凛子の愛刀“石切兼光”が床に突き立てられた状態から引き抜かれると、縫い止められていた鎖が滑り、桐生の身体が下りて頭がバケツの中に浸かる。

 

 実に古典的な水責めと電撃責めの拷問であった。

 虎太郎は意外にも拷問という手段をそれほど用いない。と言うのも、拷問が苦手なのではなく、拷問自体が非合理的な手段だからだ。

 

 自分達の求める答えを強要しがちな手法は合理性に欠く。

 拷問の対象者は苦痛から逃れる為に、執行者の求める答えを口にする。それが嘘であるのならばまだいいが、苦痛の余りに記憶を捏造することすらあると、もう手が付けられない。

 二度、三度と拷問を繰り返し、確認作業がその度に挟まっては、時間も費用も人員も無駄なことこの上ない。

 

 虎太郎が好むのは相手の情報を揃えて心理的に相手を追い詰め、僅かな反応から事実を察する尋問であり、または理性と人格を完全に破壊してしまうほど強力な魔界製の自白剤を用いることだ。その方が、全てのコストが安く、早く済む。対象者のその後など、完全に度外視である。

 虎太郎が拷問を用いるのは、嘘だろうと構わないから自白が欲しい時だけであった。

 

 にも拘らず、桐生にこんな拷問を用いているのは、単に苛ついていた。

 これ以上、桐生に調子づかせると碌なことにならず、此処で確実に互いの関係性を叩き込む方がいい。それから、自身のストレス解消でもあった。

 

 この拷問、桐生のようなタイプの不死者には非常に効果的だ。

 電撃は肉体が即再生していくが故にどれだけ浴びせても問題がなく、触手を生やそうにも伸ばそうにも筋肉組織が麻痺していくが故に抵抗の可能性を減らせる。

 水責めは酸素を失っても死にはしないので問題がなく、脳に廻る酸素が失われていく一方であるが故にポロリと本当の情報を漏らす可能性が高くなる。

 

 怒り狂っていようとも、思考が冴えている辺り、実に彼らしい。

 

 

「ひゃははははははははは! いい様だなぁ、桐生ちゃんよぉ!!」

 

「ごぼぼっ、ごっほ、ごへぁっ!? ま、マイハニー、助けてくれ! 流石のオレもこれはツラい!!」

 

「紫、桐生を殺す許可を! お前が許可してくれりゃあ、アサギも納得するだろうからよぉ!」

 

「ハッ! それこそ有り得んなぁ、弐曲輪! オレとハニーは永遠の愛で結ばれている! そんな許可など――――」

 

「………………」

 

(あ、あのハニーの目……養豚場のブタでもみるかのように冷たい目だ。残酷な目だ……。『かわいそうだけど、明日の朝にはお肉屋さんの店先にならぶ運命なのね』って感じの!)

 

 

 実際には紫は同情すらしていない。

 虎太郎は勿論のこと、己もアサギも桐生へ寄生蟲に対抗する手段を用意するように命じていた。

 それを虎太郎への嫌がらせを理由に、完全に無視したのである。そんな相手が殺されようとしているとしても、可哀想などと思うほどに紫は甘くはない。信賞必罰など当然だ。

 

 

「あ……あぁ……お、ぉお…………好きだ、ハニー! 気持ちいいぃいぃぃぃぃぃぃぃぃいぃぃぃっ♡」

 

「気持ち悪い」

 

「地獄へ落ちろ」

 

「ひどい……ことないわ。当然ね」

 

 

 紫から蔑みの視線を受けた桐生は、そのままの状態で身体をくねらせる。

 想像の斜め上の反応に三人は嫌悪から眉を潜め、紫は目頭を抑えて頭痛を堪える。

 

 

「ふ、ふふ、ふぅ…………思わず射精してしまったぞ」

 

「テメェが射精した事実なんぞ聞きたくもねぇんだよ! さっさと事実をゲロしろ! お前、オレに治療しただろうが、その時になんかやってただろ! 吐け!」

 

「ふははははは! 追い込まれているなぁ、弐曲輪! オレはその顔が見たかった! そんな貴様に朗報だ!」

 

 

 賢者モードに入った桐生であったが、虎太郎の怒り狂った表情に、喜悦満面といった顔で笑う。

 本当に後先のことを何も考えていない。魔界に関わった者は、どうしてこう欲望に塗れているのか。

 

 桐生が語ったのは、紫が花蓮に語ったウイルスの存在である。

 虎太郎が運び込まれ、採取した寄生蟲を即座に解析し終えた彼は、これまた即座にウイルスを作り上げると念の為、投与したのである。

 罷り間違って副作用で死んでくれればな、とでも思っていたのか。対魔忍に協力する魔界医師の矜持だったのか。今までの反応を見る限り、絶対に前者だった。

 

 

「ウイルスは貴様の体液に潜む。唾液は元より血液、精液にもなぁ! 一番効果的なのは精液だ! 次に血液! それに順に準じて、必要となる体液の量も増減する! 貴様の身体そのものがウイルスの増殖場所であり、ワクチンの製造工場と言う訳だ! それを他の牝豚共に飲ませるか投与する、或いは抱くんだな!」

 

「何でそんな仕様にしてんだよ、テメェはぁ! どう考えたって血しか使えねぇだろうが!」

 

「いや、別に。特に理由のない嫌がらせだが」

 

「死ね! で、紫、桐生殺害の許可は!?」

 

「はははは! そんな許可が下りる筈が――――」

 

「許可する。水城、秋山、紫藤。お前達の可能な限りで構わん、やれ」

 

『了解――!』

 

「そんな、嘘だ! ハニー! マイハニー! …………そんな、馬鹿なぁあああぁあぁあぁあぁぁあぁぁぁっっっ!!!」

 

 

 紫の親指を立てて首を掻っ捌くジェスチャーに、三人の気合の入った応えが返ってきた。

 紫の判断も、三人の反応も当然だ。対魔忍という組織の一員としても、虎太郎という男を愛した女としても。

 

 通信が切れる直前、桐生の断末魔の叫びが響き渡っていたが、気に留める者など誰一人としていなかった。

 

 

「寄生蟲への対抗手段は、既にあったわけだが……どうする?」

 

「どうするもこうするもない。やるしかないだろ。既にオレ達は後手に回っているんだ。隼人学園の協力もこれからの活動には不可欠だしな。作戦決行をタイムリミットまで引き伸ばす。血も致死量ギリギリまでいくさ」

 

「――――そうだな。その通りだ。そして、お前はそういう男だ」

 

 

 唾液と精液は、とてもではないが使えない。

 既に選出した人員の中でこれに納得するのは性に長けた黒百合くらいのものだろう。他の者は嫌悪感から拒否するのは目に見えている。作戦決行前から足並みを乱すわけにはいかない。

 

 許容範囲内となるのは血液に限られる。

 他者の血液を飲むなど、これではどちらが吸血鬼か分かったものではないが、納得はするだろう。

 

 これならば、最低限の足並みは揃う。

 

 問題は、どれだけの量が必要となるかだ。

 アルフレッドは既に桐生の研究データを探っており、後にゆきかぜ達にも研究資料を探らせれば、一人辺りに必要になる量も、作戦に必要な総量も見えてくる。

 相当な量になるはずだ。虎太郎の体重から考えうる血液の致死量、一日あたりに生成される血液の量を鑑みても、足りるかどうか。幸いなのは、生ワクチンとして特殊な手順を踏む必要がなく、そのまま血液を使えることか。

 

 桐生の嫌がらせで問題は山積みだが、それが最良の手段だと判断すれば、己の命がどれほど危険に晒されようとも迷いなく実行する。

 

 全てを理解した上で、紫は椅子に座って腕を組んだ虎太郎の頬に手を伸ばした。

 

 

「……どうした?」

 

「…………わ、私は、唾液でいい」

 

「精液じゃなくてもいいのか?」

 

「茶化すな……!」

 

 

 紫なりに、勇気を振り絞っての一言だった。

 何をどう言おうが、どれだけ取り繕おうとも、紫もまた虎太郎を愛している。

 

 思考も行動も最低の一言に尽きる男だが、彼の誓いと在り方は知っており、その一点に関してのみは紫も認めるところ。

 救われた経緯もある。冷たい、突き放すような言葉ではあったが、慰められたこともある。弱りきった自分では抗うことなど出来るわけがない、と誰に対して言い訳をし続けてきたことか。

 

 今、己が己として生活し、戦い続けられているのは、他ならぬ彼のおかげ。

 必要なこととは言え、普段から口五月蝿く叱責し、その度に嫌われるのでは、と一人で落ち込んむ日も珍しくはない。

 

 嫌悪と好意が鬩ぎ合い、今回は好意が勝っていた。

 

 

「そういうのは……ダメだ。これからは体力と気力の勝負だからな」

 

「オレの得意とするところだから問題ない、と言いたい所だが、今回はお前に甘えさせて貰うさ。感謝する」

 

「ふ、ふんっ。股間をこんな風にされて言われても、説得力がないからな――――んんっ♡」

 

 

 椅子に座った虎太郎の上に跨ると紫は首に腕を回して自分から唇を押し付けた。

 既に固くなっている男性器を下着の上から押し付けられ、開発されきっている身体は熱くなっていくが、欲望をぐっと抑える。

 あくまでも唾液を摂取するのは、任務のためであり、虎太郎への気遣い故に。肉欲を曝け出して一つになる行為とは全くの別だ。

 

 部屋の中に二人の唾液が混ざり合う粘着音、紫の荒い呼吸と送り込まれ、吸い出した唾液を嚥下する音だけが響く。

 

 頭に桃色の霞みがかかりだした紫であったが、最後まで虎太郎を求めることはなかった。

 それが、紫がどれだけ虎太郎を愛しているのかを、端的に物語っていた。

 

 



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『やりたくない仕事でもキッチリ熟すのが苦労人クオリティ。この人材が嫌われて馬鹿にされてるってどういうことなんですかねぇ、対魔忍』





 

 

 

「はぁ~。ヒマや、ヒマ過ぎるぅ~」

 

「大島さん、今は任務中だから、しゃんとした方が……」

 

「言うてもなぁ~」

 

 

 虎太郎の死亡、更に蘇生から明けて一日。吸血鬼対策協議まで残り16日。

 虎太郎の選んだマンションのワンフロアは丸々貸し切られており、生徒達は虎太郎と紫の待機する仮設本部とは別の部屋で一夜を過ごしていた。

 

 リビングで雫が机に突っ伏しており、その対面では里奈子がやんわりとだらしない姿を諌めている。

 彼女達の紫から伝え聞いた作戦――無論、虎太郎の組み立てたものであるが――は、以下のようなものだった。

 

 まず深夜帯、グラムが四人の女傑を調教するために使っているであろう――この部分も伏せられている――隼人学園に出入りしている吸血鬼の足取りを追う。

 吸血鬼共のねぐらを発見した後は、上忍三名が監視に当たり、生徒達が作戦決行まで入れ替わりで補佐し、各ねぐらの状況を探る。

 

 選出されたの上忍三名は紅羽、黒百合、碧。三人を補佐するのは桃子、幸奈、深月の生徒達。

 

 桃子は戦闘向きの性格ではなく、能力もまた同様。

 しかし、諜報や追跡、情報収集の適性は高く、また虎太郎からの指導も入っており紅羽に付いた。

 

 幸奈の氷遁は大気中の水分を雪の結晶へと変え、姿を隠すことが出来る。

 付いたのは黒百合。元々、男を籠絡することに秀でた対魔忍であるが、追跡もお手の物。

 能力や適性の有無に拘らず、最低限の技能を身に着けさせる目的もあっての選出だろう。

 

 深月の風遁は攻撃に特化しているが、使い様によっては音を絶ち、目を眩ませることも可能。

 碧と共同で任務に辺り、ベテランならではの力の使い方を肌で感じさせるつもりだ。

 

 ねぐらを突き止めるまでの組み合わせとして申し分ないだろう。

 上忍達は偵察、諜報や潜入を得意としており、無理も無謀もしない。生徒側も素直に指示に従うものばかりだ。

 

 ねぐらと待機している吸血鬼の数の把握に協議ギリギリまで時間を割り裂く予定だ。

 後は、戦闘に特化した上忍をリーダーとした小隊を編成し、それぞれのねぐらにて殲滅。

 隼人学園の寮は生徒と教師を睡眠ガスで眠らせ、グラムが二度と復活できぬように虎太郎の血液を投与、或いは飲ませる。

 最大の問題であるグラム、カーラ、マリカ、北絵、東の五名に関しては、紫と虎太郎、及び更なる増援で当たることになっているが、詳しく説明はされていない。

 

 救出作戦の内容は、大まかにこんなものだった。

 それほど詳しく詰められてはいなかったのは、情報収集がまだまだ足りなかったからであり、虎太郎の考え方でもある。

 

 情報収集と下準備は時間の許す限り行い、作戦の詳しい内容は極力詰めないようにする。

 作戦を詰め過ぎれば、何か一つの要素が欠けただけで立ち行かなくなる。それを避けるために内容を詰めず、情報収集と下準備に徹することで臨機応変な対応を可能にするのだ。

 

 

「ただいま。寄生蟲の資料を借りてきたけど、読む人いる……?」

 

「毎度毎度。ウチも読んどこか。虎太先生のあんなん見せられたら、なぁ?」

 

「ええ、そうですね……」

 

 

 リビングの扉を開けて現れたのは花蓮と蛍であり、人数分の資料が手に握られていた。

 昨日の虎太郎の狂乱ぶりもあり、これ以上彼に負担を掛けるのはマズいと感じているらしく、今までだらけていた雫すらも表情を引き締めた。

 

 それから暫くの間、四人は資料に目を落としながら、互いに意見を交換し合う。

 流石に、虎太郎が仕上げただけあって、資料は理路整然としており、分かり易く読み易い。

 専門用語を極力使用せず、簡潔かつ明瞭な文章でまとめられた資料は学生の身分に過ぎない彼女達でも理解しやすかった。

 

 これならば誰に急な呼び出しがあっても、夜の任務に備えて眠っている桃子、幸奈、深月にも説明する事が出来るだろう。

 

 

「おうもぐもぐ。お前等、もぐもぐしっかり休んで――――何だ、もぐもぐ任務前に予習かもぐもぐ。感心もぐもぐ感心もぐもぐ」

 

「に、弐曲輪先生……?!」

 

 

 全員が資料の内容を頭に叩き込み終わった時、虎太郎が部屋を訪れた。

 

 いつも血色のいい肌は、今や死人のそれ。生気というものが感じられない。

 足取りもフラついてこそいないが、力がない。風に吹かれただけで倒れてしまいそうだ。

 

 生徒達は唖然としていた。

 先日、蘇生には成功したが、常人ならばまだ絶対安静。対魔忍であったとしても、ベッドの上から起き上がるのも不可能。

 虎太郎の呆れた生命力の強さには、開いた口が塞がらない。

 

 

「まだ、安静にしていないと……!」

 

「いやもぐもぎ、多分なもぐもぐ、もぐもぐ今のオレの状態もぐもぐだと寝たらもぐもぐ永遠に目覚めなくなりもぐもぐそうでな。かと言ってもぐ、横になるともぐもぐ眠くなるからなもぐもぐもぐもぐ」

 

『………………』

 

 

 自分のコンディションを把握しているのはいいが、虎太郎の言が本当なら、もはや気合と根性だけで生きているようなものではないか。

 

 しかし、それ以上に彼女達の目を引いたのは、虎太郎の手にしていたものだった。

 

 

((((物凄い勢いでレバニラ炒め食べてる…………))))

 

「もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ」

 

 

 部屋に入ってきた前から、手にした皿の上に盛り付けられたレバニラ炒めを絶えず食べ続ける虎太郎。

 作ったのは紫である。鉄分が多く含まれるレバーは臭みがしっかりと抜かれており、ニラの臭みが食欲を促進させる。

 新陳代謝の促進されるしょうがをたっぷりと使っていながら、あっさりとしたしつこくない味付けは今の彼には嬉しいだろう。

 

 レバニラの山を食し終わると、虎太郎は造血作用を促進させるB6、B12のビタミン剤をバリボリ噛み砕きながら部屋の冷蔵庫を勝手に開け、雫が買い置きしてあった牛乳の1リットルパックを一気飲みする。

 俗に貧血対策にいいとされる食品、栄養素をひたすら取っているようであるが、これでは逆に身体に悪そうである。

 

 

「そんなに血が足りないなら、病院で輸血してきた方が……」

 

「アホか。オレの状態をどう病院側に説明するんだよ。それに、今回の任務はオレ達の情報がグラム側に漏れないことが重要だと、紫も言っていただろう……?」

 

「まあ、理屈は分かりますが……」

 

 

 またいつ死んでもおかしくないような状態の虎太郎を心配したのか。それとも、紫の手料理を食べていることに嫉妬したのか。

 蛍は尤もな意見を口にしたものの、虎太郎の返事に口を閉ざさざるを得なかった。

 

 グラムの厄介さは、吸血鬼としての強さではなく、研究し、共存を果たした寄生蟲の特性にこそある。

 やり直しが何度でも可能、というのは非常に厄介。現実世界でそれが可能ならば、いずれはグラムが勝利する。

 封じ込めに失敗して逃げられれば、次の機会、次の遭遇では、対処がより難しくなってしまう。

 

 グラムがまだ対魔忍が準備を整えていることを知らず隼人学園で好き放題やっている今こそが、隼人学園の危機ではあるが対魔忍には最大の好機だった。

 

 また人間の大量出血に対する手段は輸血が基本。

 輸血用の血液製剤にも種類があり、傷病によって使用する製剤を変える。

 無論、立派な医療行為。単純に血液を身体に送り込むだけではない。それなりの機材と資格を必要とする。

 

 虎太郎と紫ならば不可能ではなかった。知識もあれば、機材も用意できないわけではない。

 

 ただ、行わなかったのにも理由がある。

 一般の病院から機材を借用して、万が一にでも一般の急患に使用できない事態は避けたかった。それでは一般人を守るという対魔忍の基本理念の一つが崩れてしまう。

 それ以外の方法は用意の時間がかかり過ぎるというのもあったが、何よりも桐生の作ったウイルスに問題があった。

 

 このウイルス、虎太郎にのみ適合するように調整されており、他者の血液を投与されると一斉に機能を停止する。

 虎太郎ならば、効率の観点から血液を抜く選択をすると読んでの調整だった。

 

 

「なんつー、無駄に洗練された技術を盛り込んだ無駄だらけの無駄な嫌がらせや…………」

 

「ほんとにな! …………あー、ダメだ。無駄にビキビキするとクラクラする。おい、これ以上、変態魔科医とアサギもどきと電撃バカの話はするな。オレが死ぬぞ」

 

((((…………こんな脅し文句、聞いたことない))))

 

 

 一瞬だけ青筋を浮き上がらせた虎太郎であったが目眩を覚えたのか、壁に片手を付いて頭を振ると自分を最も苛立させる三人の名を出さぬように釘を刺す。

 しかし、それも一瞬のこと。全員の顔を見回すと同じようにリビングの椅子へと腰掛けた。

 

 此処へ食事の途中、ほぼほぼ瀕死の状態で来たのは、くだらない釘を刺しに来たのではない。

 愚痴なら己の事情を知る紫や黒百合達に零す。何の事情も知らない子供に愚痴を零した所で、子供達も困惑するだけだ。

 

 

「さて、こっちが言わなくても資料も読んでたようだし、質問があれば答えるぜ? 色々と聞きたいことがあるって面もしているしな」

 

「…………では、一つ」

 

「一つじゃなくても構わんがな。言ってみろ、百田」

 

「何故、選ばれたのが私達だったのでしょうか。学生対魔忍の中でも選ばれるべきは、実戦経験豊富な水城さんや秋山先輩、紫藤先輩だと思います」

 

「成程、良い質問だ。オレはそれを答えに来たようなもんだからな」

 

 

 里奈子に虎太郎は満足げに頷いた。彼の言う通り、良い質問だった。

 学生対魔忍に有りがちな、自らが有能だからこそ選ばれた、などという勘違いは微塵もない。

 此度の任務の難易度を正確に理解し、資料から敵の能力を高い精度で図り、今現在の自らの性能と天秤にかけなければ出てこない言葉だ。

 

 

「最大の理由は人手不足だ。本来なら学生が当たるような事態じゃない」

 

「人手不足なのは知っていますけど……」

 

「まあ、後はオレの個人的な思惑もある。お前等は基礎訓練で預かってる生徒だからな。扱い易いし、それぞれの限界も把握できてる。()()()()にも組み込み易かった」

 

 

 今回の作戦、虎太郎の立場は紫の補佐となっている。

 作戦の内容立案・主導は紫であり、作戦実行に必要な人員の補充と円滑な作戦遂行の補助というのが表向きの話。

 表向きの立場上、出来る範囲で好きにやっているというのを強調し、生徒達へ彼の立ち位置を印象づけるためだった。

 

 

「授業を受け持った時にも、オレはお前等を殺すつもりでやると言ったはずだ。お前等を甘やかすつもりは一切ない」

 

「つまり、私達に死んでも任務を果たせ、と……?」

 

「んー…………それも無きにしも在らずだが、それ以上に知っておけという話だ」

 

「何を、でしょうか?」

 

「人生とは常に準備不足の連続だ。彼我の実力差、熟す任務の難易度、必要な技能の未取得。敵も、時間も、対魔忍という組織も、お前達の成長を待ってくれない。待っていられない。それは誤魔化しようのない事実だからな」

 

「……そら、まあ」

 

「今回の任務、対魔忍として生きていくのに最低限の必要な技能を全て求められる。今の自分に何が足りず、何が必要なのかを知れってこと。その上で、その不足をどう補うべきなのかを学べ」

 

「………………」

 

 

 組織に求められるのは、戦闘にばかり特化した存在ではない。

 組織を運営する上で必要な仕事を全て熟せる人材の方が、非常に有用だ。

 そのような人材であれば、どのような部署に配属されたとしても最低限の仕事を熟せ、その上で自らの得意分野という武器も持つ。

 最低でも特化よりも万能を。最高なのは万能でありながらも特化している人材だ。

 

 基礎訓練と言いつつも、虎太郎は彼女達をそのように仕上げるつもりであり、既に大半のプランは組み上げてある。

 ただ、プランをより円滑に進めるのに必要となるのは、彼女達が自分に何が必要で、何が足りないのかという自覚を持つこと。

 

 どれだけ優れた教導能力を持つ人間でも、学ぶ相手が学ぶつもりがなければ、その能力を最大限発揮するなど不可能だ。

 重要なのは学ぶ側の向上心と克己心。それさえあれば、教導能力なぞそこそこでも、学ぶ側が勝手に育つ。

 

 

「その為には、経験から知識を知恵と見識に変えろ」

 

 

 今此処で彼が紡ぐ言葉は、あくまでも心構えだ。

 どの分野、どの世界でも生きているようになるため、人間の高い適応能力を最大限に発揮する心持ち。

 しかし、生徒達はピンと来ないのか、首を傾げるばかりで、虎太郎は苦笑した。

 

 知識とは、誰もが共有できる事実の集合体。言わば、データだ。

 知恵とは、知識を経験から必要な場面に応じて適切に用い、迅速に処理する能力を指す。

 見識とは、知識と経験から物事の本質を深くまで見通し、優れた判断を下す能力を指す。

 

 知識は重荷にならない一生の宝となるが、どれだけ身につけたとしても生かせなければ意味がない。

 彼女達の反応も無理はない。情報化社会によって、一人一人が得られる情報量は爆発的に上がった。

 それが悪いこととは限らない。多くの情報を得られることで、今まで知りえなかった情報を得られることで、より良く豊かな生活を送れる者も少なからず存在する。

 反面、経験を伴わない知識で、全てを分かったつもりになる輩も増えてしまった。

 

 悪いのは個人であり、そんな個人を許容する周囲の環境に過ぎない。

 全て分かりきったこと故に、何かを批判することなく黙々と行動に移すだけ。

 

 

「……知恵と見識があれば工夫を凝らせる。それがあれば、大抵のことは何とかなる」

 

「はあ、虎太先生。言うのは簡単やけど、実行すんのは難しいことやん、それ」

 

「そうか? …………それもそうか。じゃあ、お前等に言葉を送ろう。これを常に意識しておけ」

 

 

 言うは易し行うは難し。

 どんな事柄でも共通する事実であり、生徒達は渋面を作り出している。だが、それを聞いていない者はいない。

 

 それは虎太郎が多くの失敗を経験し、そこから学び、己が血肉としてきたからだろう。

 知識だけの薄い言葉ではない。聞いているだけでも伝わる経験が、言葉に込められている。

 

 

「――――闇雲になるな。腹を立てるな。手は綺麗に。心は熱く。頭は冷静に」

 

 

 闇雲になれば、出来るはずのことが出来なくなる。

 腹を立てれば、見ているはずのことが見えなくなる。

 手が綺麗でなければ、いざという時にミスへと繋がり、汚い事をすれば己へと返ってくる。

 心が熱くなければ、真剣味が失われて全てが無駄になる。

 頭が冷静でなければ、正しい判断を下せずに、敵の思う壺。

 

 普段のやる気のない彼からは考えられない、どんな事柄を行う上でも使える心構えの言葉に、生徒達は感心したように吐息を漏らした。

 生徒達の反応に、自身の言葉が確実に刻まれたことを確認すると虎太郎は椅子から立ち上がる。

 

 

「さて、今回の基礎訓練はこれまでだ」

 

「十分、勉強になりましたけど……これだけ、ですか?」

 

「言ったはずだ。オレはお前達を甘やかすつもりはない。答えを出す知恵がなければ、実践的な技術を知りたければ、最低限、自分から行動を起こせ。そっから先は応用編だし、何でもかんでも自分で考えずに来られちゃ、お前等が成長しない。聞きに来れば教えてやるし、オレに答えられないことは他の先生方や上忍から適任を選んでやる」

 

 

 里奈子は不安げな表情で助けを求めるように声を上げたが、虎太郎は冷徹に一蹴する。

 まずは考えること。今ある自分の知識と知恵で答えを出すように考える癖をつけなければ、自ら考えることをしない愚図になる。答えが出せることは二の次だ。

 次に行動を起こすこと。自分に何が足りぬかを識り、声を上げて分からないと叫ぶ癖をつけなければ、自ら動くことをしない愚鈍になる。行動が最適かどうかなど二の次だ。

 

 言葉にせずとも、虎太郎はそう語っている。

 

 全ては己の持つものを他者へと託し、問題なく退場する自分のための下準備。

 どんな人間であっても、必ず死ぬ。その事実から、虎太郎は目を逸らさない。

 短命こそが人間の最大の短所にして最大の長所と認めている。限りある生を最短距離で駆け抜ける愚かで弱い生き物こそが人だ。

 苦労ばかりの人生ではあるものの、彼は自分から苦労を背負わないたくもないし、安易な延命や不老不死は更なる苦労への誘い水。

 だからこそ、いずれ誰かに託さねばならない事を良しとする。人の歴史は、そうして積み上げられたもの。己も人であるのならば、積み上げられる死体を犠牲として、後の道を行く者に助力するだけのことだった。

 

 

「………………」

 

「どうした氷室、難しい顔をして?」

 

「弐曲輪先生、私……」

 

 

 虎太郎からの教えを受け、誰もが教えを無駄にはすまいと表情を引き締める中、花蓮だけが表情を崩していた。

 普段の凛とした瞳は何処へ行ったのか。彼女の美しい碧眼は今や不安に濡れている。

 

 無理もない。花蓮はグラムの介入によって失敗している。虎太郎がその場に居た故に何とか任務自体は成功を収め、悲惨な末路を辿らずに済んだだけ。

 自分は確かに成長しているという自尊心を折られた。自分は確かに対魔忍として一人前に近づいているという確信を砕かれた。

 

 それでも歯を食いしばって耐えてきた。

 心ない生徒や教師から向けられる失望の視線など気にならず、二度と同じ失敗を繰り返さぬように、一つでも多くを学び、少しでも己を高めてきたつもりだ。

 だが、いざこうして失敗の要因が絡む任務が近づいてくると不安ばかりが募り、心が萎えていく。

 

 

「氷室、つまらんぞ」

 

「つまらない、なんて、そんな……」

 

「ちょっと、言い過ぎです」

 

 

 花蓮の不安を鼻で笑うような態度に、雫と里奈子は非難を視線を向け、虎太郎を見直しかけていた蛍は堂々と口を挟んだ。

 生徒達の反応に、虎太郎は気にした様子もなく肩を竦める。

 

 事実、虎太郎の目からも花蓮はよくやっていた。

 普段は口五月蝿いのに、実際は大したことはないのね、という未熟で物事の本質を測れない生徒達の影口に耳を貸さずに、学び続けた。

 弐曲輪なぞを慕うから、こんな風になる。他の生徒に悪影響が及ばないか心配だ、という自分ばかりでなく、虎太郎すら巻き込んだ無言の叱責を気に留めた様子もなく、確実な一歩を踏み出していた。

 

 

「つまらんさ。一つの勝利や成功に酔いしれて、一つの敗北や失敗に固執するなんぞ。重要なのは己の弱さや強さ、充足と不足を省みることだ。これが出来ん奴は、愚か者でしかない」

 

「………………」

 

「お前等も心しておけ。立場上、任務を拒否するなんぞ早々出来ない。成功よりも失敗の数が嵩むなんぞザラだ。だが、今はそれでいい。学生の時分は多くの失敗をしておけ。それをフォローする為に、オレが居る。信頼や信用なんぞ、後からついてくる。厄介なことだが、付き合いが長いだけのオレもアサギや九郎からそれなりに頼りにされてるよ。まあ、何も考えてないで勝手な行動なんてしたら見捨てるがな! 寧ろ、実力が半端な内にオレ自ら殺しておくがな!」

 

「先生、台無しですぅ……」

 

「うるせー! 志賀とか上原みたいなのがこれ以上増えたらオレほんとに憤死しちゃう! 過労死がじわじわ近づいてくる感覚なんてお前等には分からねぇよ!」

 

 

 里奈子の当然のツッコみに、虎太郎は地団駄を踏み始めた。

 今の花蓮の立場は、虎太郎の境遇に近い。ゆきかぜや凛子、凜花のように図抜けた実力を誇るならばまだしも、上がいる花蓮ではそうもいかない。

 

 勝利や成功に目を向けて当然のものとし、敗北や失敗を引き起こした人物を貶めるだけ。

 残念ながら、対魔忍に蔓延している風潮だ。嘆かわしいにも程がある。敗北や失敗を分析すれば、要因や原因は存在し、対抗手段を得られる。自分が敗北者や失敗者の立場に立った時、どうなるかを考えもしない。

 

 これ以上、そんな風潮が蔓延しだしたら、いくら何でもどうにもならない。

 今、対魔忍が保っているのは、一部の対魔忍が必死になって、愚か者を押し退け、黙らせて組織を支えているからだ。アサギの頭痛もマシマシ、九郎と虎太郎の苦労もマシマシである。

 

 

「考えて行動しろ。それさえするなら、オレはいくらでも教師としても先達としても命をかけてやる。お前等の盾になってやる。それが職務であり、義務だからな」

 

「そんな、そこまで……」

 

「対魔忍なら当然だ。誰であっても同じことをする。若い芽は摘ませない。志賀や上原であってもな。まあ、その上で生きて帰ってこいなんて頭領様は言っているが、上の命令に下は逆らえんからな。仕方がない」

 

 

 最後に、昨日さんざん醜態を晒したあさつきと燐のフォローも入れながら、己の覚悟と義務を語る。

 その一言に、花蓮ばかりではなく他の三人の胸まで熱くなる。偉大な先達ではないが、長年、周囲の蔑みに気にも留めずに走り続けてきた男の言葉だからだ。

 アサギや九郎。対魔忍であれば誰であれ尊敬を向ける二人が、虎太郎を信頼し、重用する理由の一端を生徒達は知った。

 

 こうして、僅かではあるが理念や信念、覚悟は受け継がれた。

 この任務が成功するにせよ、失敗するにせよ、彼女達に何らかの形として力になるだろう。

 

 

「良い面構えになったな。じゃあ、オレは戻るぞ。蘇我と葛、峰麻先生も動いている。情報を整理せにゃならん」

 

「あ、虎太先生、最後にいっこだけ!」

 

「あ? 何だ、大島?」

 

「あんま、皆を不安にさせたくないから言いたくなかったんやけど、ウチら、吸血鬼の女王様達に勝てるんですか……?」

 

 

 必要なことは言ったと虎太郎が部屋を後にした時、花蓮も不安を吐露したとあってか、雫もまた内心の不安を口にした。

 

 勝てるかどうかではなく、勝たねばならない。

 誰もがそう思ってはいたが、誰もが同じ不安を抱えていたのだろう。雫を責める者は一人もいない。

 

 エドウィン・ブラックの直系の子孫と目される人界の吸血鬼の女王、カーラ・クロムウェル。

 カーラの側近であり、吸血鬼の国ヴラドが抱える暗殺騎士団最強の騎士、マリカ・クリシュナ。

 吸血鬼どころか、魔族ですらも消滅させる当代一の結界術師にして隼人学園の創設者、上原 北絵。

 吸血鬼専門の狩人でありながら、多くの魔族を屠ってきたと噂される神村 東。

 

 本人の意志ではないにしろ、この女傑四人が敵に回って勝てるのか。

 策略があったとは言え、寄生蟲で女傑を意のままに操るグラムに勝てるのか。

 

 当然の疑問、当然の不安であった。

 

 

「無理だね。勝てねぇよ」

 

 

 雫の不安を、虎太郎は解消せず、ありのままの事実を語る。

 不安を解消できるだろうと思っていた四人は息を呑んだ。まさか、そんな簡単に最悪の事実を語られるなぞ思ってもいなかったのだろう。

 

 残念ながら、事実だ。

 この四人に対抗するには、それこそ対魔忍の最高戦力であるアサギ、さくら、紫を呼ばねばなるまい。万全を期すならば、不知火も呼びたいところだ。

 虎太郎自身、彼女達と戦ったことはなく、彼女達の戦闘記録を直接目にした訳ではない以上、安易に勝てるなどと言う筈もない。

 

 特に酷いのはカーラだ。

 優雅で気品がありながらも隙きのない所作、押さえていても感じ取れる強大な魔力、血を吸っていないであろうに吸血鬼としての実力が何一つ欠けていないであろう気配。

 アサギが身の内に潜む魔を覚醒させた状態で挑んでも、勝てるかどうか。いや、制限時間がある分だけ、アサギが不利だろう。

 

 今回の任務に集った全員で挑んでも、確実な勝利は期待できない。

 そもそも、今回の任務はグラムの封じ込め、寄生蟲の拡散防止を主眼に揃えたのだ。

 

 戦う前から勝てない、と断言された生徒達は言葉もない。だが――――

 

 

「だから、この手の案件に精通した専門家を二人――――いや、三人……もっと上手く行けば四人になるか……兎も角、外部から戦力を呼ぶから安心しろ」

 

「ちょ、それってどゆこと……?!」

 

「任務開始前にはお前等にも紹介してやる。四人の抑えは紫とそいつ等、フォローにオレが入る。まあ、コネもまた力なり、ってな」

 

 

 ――――厳しい対魔忍の台所事情を鑑みて、虎太郎は既に準備を整えていたのか。少なくとも、算段は立てていたようだ。

 

 まだ何か言いたげだった生徒達に背中を向け、手を振りながら廊下へと出ていく。

 

 

「さてさて、一人目に連絡するか。二人目は人形と鎧を用意して。三人目は命をかける必要があるが、問題ないね。四人目は……運かねぇ」

 

 

 一体、何を考えているのか。

 彼の考えを知っているのは紫だけだ。無論、彼女も反対はしたのだが、最終的には受け入れざるを得なかった。

 紫も慢心癖はあるものの、虎太郎と付き合ってきただけあって鳴りを潜めている。自分と虎太郎で、カーラ達とグラムを抑えられるなどとは思っていなかったが、四人の名前を聞いて唖然とした。

 

 一人目は渋々ながらも、最近の彼女ならば、と安心して。

 二人目は協力者などと呼べるのか、と首を傾げ。

 三人目は協力者などと呼べないではないか、と眉を潜め。

 四人目は余りに運任せの上に、虎太郎のドライさに頭を抱えた。

 

 ともあれ、虎太郎の作戦は既に廻り始めている。

 徐々に、だが確実に、グラムを抹殺するための包囲網は整い始めていた。  

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「ふぅ。これで洗濯も終わったし、お布団も干したわね。旦那様、喜んで下さるかしら……?」

 

 

 五車町の外れにある虎太郎の邸宅。

 一般家屋にしてはそこそこ広い庭には小さな物置が一つあり、更に古い物干し竿受けの前には割烹着に身を包み、三角巾で頭を覆ったワイトの姿があった。

 白金の髪に人形のような容姿に、純和風の格好は似合わないように思えるが、元が元だけに恐ろしいほど似合っていた。

 

 先程までは家の掃除を、今し方洗濯ものと布団を干し終わったのか。額の汗を拭い、虎太郎の喜ぶ姿を想像して、嬉しげに頬を緩める。

 

 任務で虎太郎やゆきかぜ達が家を開ける時には、ワイトが一手に家事を引き受ける。

 当初はゆきかぜにすら劣っていた家事の腕は、ワイトの成長速度が速かったのか、それともワイト以前の彼女が得意だったのか、メキメキと上がってゆきかぜも焦るほどだ。

 家事の合間を塗って、萌音を中心とした子供達と遊ぶことが此処最近の彼女の生活であった。

 

 

「ん……あ、あら? 何処だったかしら。ああ、あった――――旦那様!」

 

 

 その時、一仕事を終えて満足感に溢れていたワイトの身体から電子音が響く。

 連絡が取れないと色々不便だから、という理由で、ゆきかぜ達と買いに行った最新型スマートフォンからの着信音である。

 契約は驚くほど簡単で、虎太郎の用意した偽造パスポートや免許書を利用すれば何の問題もなかった。

 またワイトには虎太郎から好きに出来る金が渡されており、支払いにも何の問題もない。

 

 ワイトは金を受け取ること自体を拒否したものの、虎太郎がワイト名義で口座まで作ってしまえば彼女にはどうにもできない。

 現代では自由になる金がどうしても必要になる。金がなければ何も出来ないといっても過言ではない。

 ワイトが人界で生活する以上、いずれは萌音やゆきかぜ達だけではなく、他との付き合いというものはどうしようもなく生じてしまう。

 それを見越して、今の内に真っ当な金銭感覚を身に着けておけという虎太郎の心遣いであった。今の所、ワイトは必要最低限の日常生活用品以外には手を出していないのだが。

 

 割烹着のポケットに入れておいたスマートフォンを手にし、画面に表示された名前を確認するとワイトの目がパっと輝いた。

 その内容が何であれ、命を賭して自分を掬いあげた上に、愛している男からの電話は嬉しくなってしまうらしい。

 

 

「も、もしもし、ワイトです! 旦那様、お仕事はどうですか? お加減は? 怪我はしていませんか?」

 

『お、おう。仕事は順調、体調は最悪だが怪我はしてない』

 

「体調が最悪?! い、今すぐにお休みになられた方が……」

 

 

 電話に出た瞬間、早口で自分の近況を問うてくるワイトに、虎太郎は若干引き気味であった。

 ワイトはワイトで、虎太郎の声が普段に比べ、僅かばかりに力がないことを察すると、心配そうな声を上げた。

 

 まるでご自愛下さいと懇願するかのようだ。

 相手が相手だけに全くの無駄だと悟っているものの、そうせずにはいられない。

 

 

『ワイト、悪いが―――』 

 

「行きます」

 

『………………あの、ワイトさん、早いっすね。内容、全然言ってないんですけど』

 

「旦那様の御言葉は、全てに優先します」

 

『旦那様、萌音さんとか自分を優先した方が、いいと思うなぁ……』

 

「大丈夫です。萌音も自分も同じぐらい大事ですし、萌音は賢い娘ですから私の事情も分かってくれます。今回は旦那様の方が困っているので、優先度が上です。いいですね?」

 

『アッハイ』

 

 

 ただ盲目に虎太郎を慕うのではなく、自分の置かれた状況と虎太郎の置かれた状況を鑑みた上での返答と言われては、虎太郎も首を縦に振らざるを得ない。

 そもそも、ワイトが生きたいように生きろと言ったのは虎太郎だ。ぐうの音も出ないとはこの事だ。恋する乙女は無敵である。

 

 

『分かった。悪いが、アルから指示を出させる。公共の交通機関を利用して、指定した場所に来てくれ。ないとは思うが、くれぐれも屍の王からの襲撃にも気をつけろ』

 

「承知しました。それから、悪いなんて言わないで。私と旦那様は一蓮托生です。ゆきかぜ達もそう。私だけ嫌な特別扱いなんて、されたくありませんから」

 

『………………全く、物好きだな。分かった、分かったよ。思う存分コキ使ってやるから覚悟しておけよ』

 

 

 そうして、虎太郎はワイトの返事も待たずに電話を切った。

 相当に焦っているのか、照れているのか。そのどちらでもないとワイトは察していた。

 僅かではあるが、声の弾みを聞き取れた。それは、ワイトが間違いなく己の人生を歩み始めていることに喜んでいたに違いない。少なくとも、ワイトはそう判断した。

 

 其処からの行動は迅速だった。

 家の中に入ると割烹着から動きやすく目立たない服装に着替え、自身と虎太郎の着替えをトランクに詰めた。

 更に、ゆきかぜ達に一報を入れると虎太郎から頼みがあったことを伝えた上で家の事を任せ、財布の中身を確認して家を出た。此処まで、僅か五分である。

 

 

「こんにちはー…………あれ? ワイトお姉ちゃん、何処か行くの?」

 

「あら、萌音。いらっしゃい。でも、ごめんなさいね。これから旦那様の所に行かなくちゃならないの」

 

「むー、萌音、あの人きらーい!」

 

 

 控えめに、家の周囲を囲む高い壁の切れ目――格子状の門からひょっこり顔を覗かせたのは萌音だった。

 挨拶の声が控えめだったのは、無意識に虎太郎を恐れ、警戒している現れであったが、急いだ様子のワイトの顔を見ると目を丸くした。

 

 そして、ワイトの言葉を聞いて、いーっ、と歯を向いて本当に嫌そうな顔をした。

 萌音にしてみれば面白くない。大好きなワイトが必死になって、自分よりも大嫌いな虎太郎を優先しているのだから。

 

 子供らしい純粋さ、率直さに触れてはワイトも苦笑せざるを得ない。

 彼女は家の鍵を締めてから門を開いて道へ出ると、そっぽを向いた萌音に視線を合わせようとトランクを地面に置いてしゃがみ込んだ。

 

 

「私、旦那様が大好きなの。萌音も同じくらいね。だから、二人が喧嘩をしていたら、悲しいわ。仲良くして。ね?」

 

「………………じゃあ、頑張る。スネを蹴るだけにする」

 

「萌音、嫌がらせの方法が具体的よ!」

 

 

 そもそも萌音が虎太郎を一方的に嫌っているだけで、喧嘩などしていないが、萌音にしてみれば違うらしい。

 幼い彼女には、虎太郎は何となく苦手な相手であると同時に、ワイトを取り合うライバルである。仲良くなど出来ようはずもない。

 

 素直に仲良くすると言わない正直さが愛らしく、顔が綻んでしまうのを避けられなかった。

 思いもよらぬ、余りにも具体的な嫌がらせの方法を口にされて、顔が引き攣ってしまったが。

 

 

「じゃあ、私がいない間、ご両親の言うことは?」

 

「しっかり聞きます!」

 

「勉強と訓練は?」

 

「毎日、同じ時間に頑張ります!」

 

「危ない場所には?」

 

「行ってはいけません!」

 

「布団に入る前に?」

 

「歯を磨いて、トイレに行ってから、身体を暖かくして寝ます!」

 

「はい、よく出来ました!」

 

「きゃー!」

 

 

 自分の問いかけに、元気の良くハキハキと満足の行く返事をした萌音にワイトが両腕を開くと、少女は胸の中に飛び込んでくる。

 その暖かさが、身体に行き渡り、強さそのものに変わっていくような気がした。

 

 萌音が満足するまで抱き合うと、二人は微笑みあった。

 そうして、ワイトは誓う。愛しい男と共に、この家に帰ってくること。そして、萌音とまた遊ぶことを。

 

 

「ワイトお姉ちゃん、頑張ってねー!」

 

 

 大きく手を振りながら自分を見送る萌音の姿に何度も振り返りながら、近場のバス停へと歩いていく。 

 

 ワイトはブラックと敵対する屍の王の勢力であり、もっとも危険な戦力でもあった。

 長年、吸血鬼と戦ってきた経験のある専門家であり、自らの意志で虎太郎と共にあるが対魔忍ではない以上、外部の協力者でもある。何ら嘘は言っていない。

 

 対魔忍や米蓮に、死霊騎士であったとバレるのは非常にマズい事態を引き起こすのは彼女も分かっている。

 虎太郎の指示なく死体を操ることは禁止されており、死霊騎士特有の使い魔である蜂型のゴーレムも使用は出来ない。

 故に、死霊騎士としての力を虎太郎のアドバイスの元に調整してある。端的に言えば、以前よりも強くなっているのだ。彼女もまた虎太郎の魔改造組の一人である。

 

 こうして、虎太郎が生徒達に語った“この手の案件に精通した専門家”の一人目が隼人学園へと向かい始めた。

 



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『突然の助っ人で吹き出る疑問と不満を黙らせるのも苦労人の仕事のウチ』

 

 

 

 

「という訳で、オレの遠い親戚兼桐生 美琴の被害者だった死霊魔術師のワイト・ドラウグルだ。よろしくやってくれ」

 

「よろしく」

 

『……………………』

 

 

 吸血鬼対策協議まで残り15日。

 助っ人を呼んだ明くる日、屍の王からの襲撃もなく、ワイトは何の問題もなく仮設本部へと辿り着いた。

 

 任務に当たる全員が集う中での虎太郎の紹介に、ワイトはにこやかに微笑しながら頭を下げた。

 その様を、紫は何とも言えない微妙な表情で眺めており、生徒や同僚達は困惑の表情を隠しきれずにいた。 

 

 死霊魔術師(ネクロマンサー)

 道を外れた魔術師の中であっても、更に道を外れた者達の総称。

 死体や霊魂を操る魔術に長け、人魔の見境なく死体に仮初の命を吹き込んで使役する。生と死の間を見据え、その淵を歩き続ける異端者。

 

 実際に、死霊魔術師と死霊騎士が死体を操る過程(プロセス)はほぼ同じと言っても過言ではない。

 死霊魔術師は魔力と高度な術式を死体に吹き込むことで操る。死霊騎士は屍の王から賜った瘴気を死体に吹き込むことで操る。

 死霊騎士の恐ろしさは、死霊魔術師が長年の研究と修練によって身につけた外法を、いとも簡単に成立させること。

 それほどの外法を簡略化させられる屍の王が、どれほど図抜けた存在か、分かろうというものだ。

 

 無論、そんなものはワイトが死霊騎士としての力を行使するために用意した表向きの設定。

 過程が同じであれば、死霊魔術や死霊騎士に造詣の深い者でなければ見分けが付かない。

 屍の王との接触が少ない対魔忍の勢力では、まず見破ることなど出来ず、これを見破れると断言できるのは、あらゆる魔術に長け、魔界の事情に精通しているノイ・イーズレーンくらいのもの。

 死霊騎士を知る魔族であっても、ワイトは死霊騎士であり不死者でもある第三の存在、死霊騎士とは一線を画している故に違和感を覚えはしても、見破ることはまず不可能だ。

 

 

「…………あのぅ、こういうのは、アリ、なんですか?」

 

「アリだろ。なぁ、紫?」

 

「……………………不本意ではあるがな。事実、魔族、米蓮に比べて我々の総戦力は劣っている。私も、一部の魔族を見逃す見返りとして情報を受け取ることもある。現場レベルの判断で手を組むことも少なくはない」

 

 

 当然の疑問を口にしたのは桃子だった。

 虎太郎のからかうような言葉に、紫は大きな溜め息を吐きながら事実を口にした。

 

 残念ながら対魔忍の諜報能力は、米蓮に比べて大きく劣る。

 諜報の専門家が少なすぎるというのもあったが、それ以上に戦闘の専門家が多過ぎることも問題であった。

 まだ人魔が分かたれていた時代であれば、人界に存在する魔族の数は少なかったが、エドウィン・ブラックの台頭と各地に点在する魔界都市の存在によって、魔族の数は爆発的に増した。

 かつてであれば、対魔族戦闘の専門家さえ作っておけば、後手に回ったとしても対処は容易であったが、今現在では状況も戦力図も大きく変わっており、常に先手を突いて起きたいのが実情。

 

 全てはアサギ以前の各対魔忍当主の楽観視と時代の流れについていけなかった柔軟性の低さが原因である。

 時代の変遷期に頭目となったアサギは犠牲者の側だ。尤も、アサギ自身も頭目として立たされるまでは、気付かなかった事実であるが。

 

 そのような経緯から、アサギも魔族や米蓮と手を組む行為は基本的に黙認する。

 相手が一時であっても信頼・信用に値する相手であれば、推奨するほどだ。それほどまでに苦労しているのだ。

 

 生徒達以外の反応は、まちまちだった。

 黒百合や碧などは、潜入を中心とした諜報活動を主とするだけあって涼しい表情だ。その心は兎も角として、魔族との付き合いは否応無しに体験している。

 また変遷期の諜報部門の人手が更に少ない生き地獄を潜り抜けてきただけあって、この程度で難色を示さない。

 

 対し、あさつきや燐と言った戦闘専門の対魔忍は明らかな難色を示しているものの、口には出さない。

 此方も、遠目ではあるがカーラなどの姿を見ているが故に、自陣の戦力不足を痛感していたからだ。

 

 厄介だったのは、虎太郎の実力に勘付いている花蓮と翡翠だった。

 

 

「…………助けた相手が遠い親戚で、死霊魔術師なんて、都合のいい話ですね」

 

「同意、します」

 

「お前らみたいな勘のいいガキは嫌いだよ」

 

「……私も偶然にしては出来過ぎと思っているけれど」

 

「事実なんだから仕方ない。オレも、何代か前の当主殿の兄弟が後継者争いに破れた腹癒せに海外に渡って死霊魔術師やってた上、吸血鬼相手に戦っていたなんて知りようがないわ」

 

 

 明らかな疑惑の視線を向ける二人に、いけしゃあしゃあと嘘を付くワイトと虎太郎。

 

 ワイトは元々、瘴気を使って対象の記憶と容姿を奪い、成り代わる変化の能力を有していただけあって演技派だ。

 虎太郎など多くの対魔忍を騙し続け、元ふうまの跡取りという過去を隠し通している。

 紫は二人の打ち合わせ無しのアドリブ合戦に、呆れから口を開けてしまったほどである。

 

 加えて、嘘の内容もまた巧い。

 海外での活動を主にしていたことで、ワイトについて自国内で調査を行ったとしても、何の情報も出てこないとしても不思議ではない。

 また弐曲輪家は、表向きはふうまの傍系も傍系の家系。ふうま粛清の際にいち早く井河・甲河に下り、まだ幼い虎太郎の命だけは、と自刃した設定である。此方も架空の家系であり、家系図などは存在していない。

 

 地味に嘘の中へ事実を混ぜているが、その事実も見方を変えれば嘘になる類のもの。

 どれだけ後を追おうとも、ワイトが死霊騎士であったという事実、虎太郎がふうまの跡取りであった事実を前提としなければ、不可能だった。

 

 花蓮も翡翠も、違和感と疑問以外の情報も持ち得ない故に不承不承と口を閉ざす。

 

 

「私は、それで構わん。だが、どうするつもりだ。相手は仮にも吸血鬼の女王とその側近、日本の狩人の最高峰。戦力的に、まだ足りんだろう」

 

「だから、もう一人呼んでいる。オレが個人的に貸しのある相手だ」

 

「何? 誰だ?」

 

「もう来てる」

 

 

 生徒達ですら感じていた不安と疑問を、零子が口にする。

 彼女の口振りに不安こそなかったものの、仮にも虎太郎の正体を知っている一人。甘い戦力分析をする男ではないと分かっているからこその疑問であった。

 

 しかし、虎太郎も指摘されるのを見越して、既に準備を整えていた。

 彼が親指で指し示した先。ホワイトスクリーンを見易くするために暗くした部屋の片隅に、誰かが立っていた。

 

 特徴的な尖った鉄兜。

 身体を覆う黒革のベストの下にはチェインが隠れており、その上からボロきれのような赤い外套を纏っている。

 左腕のみに手甲で覆われ、膝までを覆う鉄の具足は、彼等の使う剣技に由来してのもの。

 背中には巨大な両刃の大剣を背負い、右の脇腹には軛のような短剣を備えられていた。

 

 薄闇の中に溶け込むように、幽鬼の如く佇む誰かに、誰もが戦慄し、思わず武器に手をかけたほどだ。

 それほどまでに完璧な隠行だったのだ。誰かがその気なれば、もう既に自身達の首が胴体から切り離されていたと確信するほどに。

 

 何せ、こうして相対しているというのに、未だに気配というものが全く感じられない。

 少しでも目を離せば、そのまま消え去ってしまいそうなほどに存在感というものが希薄だ。

 

 

「な、何者だ……?」

 

「数年前、アミダハラが崩壊しかけたのは知っているか?」

 

「あ、あぁ。噂でしかないが……アミダハラの全ての組織がかなりの被害を被ったそうだが」

 

「そう、それ。それの原因が、コイツの正気を失ったお仲間でな。コイツはそれを止めるためにアミダハラを訪れたわけだが、偶々その場に居合わせたオレと協力して、何とかお仲間を討ち取ったわけだ」

 

 

 今より数年前、対魔忍全体――どころか、日本中の闇の組織に激震が奔った。

 

 アミダハラなどの魔界都市の深奥には、魔界へ繋がる穴があると噂されている。

 誰もが見たことがなく、誰もが馬鹿馬鹿しいとする与太話ではあるものの、増え続ける魔族の存在と確認され始めた数々の上位魔族によって、何の確たる情報もないままに事実であると判断せざるを得ない噂。

 

 彼の仲間は、その穴からある日、突然にやってきた。

 

 その瞬間から、アミダハラは地獄へと変わった。

 違法建築を繰り返した建物は倒壊して粉塵が舞い、普段は決して相容れない闇の住人達は、これはマズいと手を組んで諸共に惨殺された。

 老若男女の区別なく、人魔の見境すらなく、あらゆる者の悲鳴と怒号が飛び交う掛け値なしの地獄。

 

 何よりも困ったのは、アミダハラの外に居る様々な組織であった。無論、対魔忍もその一つ。

 世界の均衡がギリギリのところで保たれているのは、皮肉にも世界の均衡を崩した魔界都市が存在していることなのだ。

 

 今現在、魔界技術というものは魔界都市内部に集約されている状態なのだ。

 対魔忍にせよ、米蓮にせよ、組織の誰かが命懸けでそれらを持ち帰る、或いは闇へと葬るからこそ、混沌は一定の段階で一進一退を繰り返している。

 しかし、魔界都市という枠組みが一つでも破壊されれば、細々と流出していた魔界技術も拡散して止まらなくなる。そうなれば、世界の混沌と混迷は、最早、歯止めが効かなくなる。

 

 こればかりは、どの組織にも歓迎する事態ではない。

 対魔忍と米蓮の排斥派としては絶対に引き起こせない現実であり、米蓮の結託派であっても魔族に対して自分達の立場を築いていない現状では早過ぎる。

 

 結局、事は対魔忍や米蓮の秘密部隊がアミダハラの周囲を結託して包囲している間に終わり、最悪の結末だけは避けられた。

 アミダハラは今日も今日とて平常運転。大半の者は、その地獄のことすら忘れ、その日限りの享楽に耽っている。

 

 

「お前らが、コイツの名前を知る必要はない。何者かであるかも知る必要もない。今回限りの共闘だ。もっとも、共闘するのは紫とワイトだがな」

 

「…………それは、いくらなんでも」

 

「人界に何の興味もないのにコイツがアミダハラに残ったのは、オレへの借りがあるからだ。元々、魔界からコッチに来たのは正気を失った仲間を止めるためだけだったからな。それも最後の一人だった。この後は魔界に帰って、もう二度とこっちには来ないよ」

 

「それを信じろと言うのか、お前は……!」

 

「そんな保証が何処にある……!」

 

「だったら、お前が止めろよ。オレには無理。下手すりゃ、上位魔族でもぶった斬る本物だぞ、コイツは」

 

 

 虎太郎の語る言葉が真実だったにせよ、燐とあさつきは魔族の言葉など信じられないと声を荒げた。

 他の皆も、言葉にこそしなかったが同様であったのか、表情は険しい。

 

 幽鬼の態度は、本当に人間になど興味がないと感じ取れるほどに無反応であった。

 誰に悪意や殺意を向けられようとも何処吹く風。罵られようとも、疑惑を突きつけられようとも黙して語らない。

 余りにも興味のない素振りに、逆に裏切りなど連想できなくなってしまったほどだ。

 

 真実、彼は虎太郎への借りを返しに来ただけであり、今直ぐにでも魔界に戻り、失った仲間の鎮魂を行いたいのだろうと感じてしまう。

 

 結局の所、最終的に彼女達は幽鬼の助力を受け入れた。納得していたわけでも、信じたわけでもない。

 全ては虎太郎の口先三寸で、最後まで噛み付いてきた燐とあさつきを丸め込んだからであり、カーラ達の危険性を解き続けたからに他ならない。

 

 こうして、二人目の“この手の案件に精通した専門家”が集ったわけではあるが――――それは中身のないものだった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「全く、下手な芝居を打たせるな」

 

「完全に同意するわ」

 

 

 ワイトと幽鬼の紹介が終わった後、部屋に残ったのは虎太郎と紫、ワイト、黒百合、碧、零子の六人であった。

 同時に、ワイトの事情を正しく把握している人物達でもある。そして、幽鬼の正体についても。

 

 猿芝居に付き合わされた不満を漏らす零子と黒百合であったが、虎太郎は取り合わずに立ち尽くす幽鬼を間近で眺め続けているだけだった。

 

 昨日、ワイトが到着すると同時に黒百合、碧、零子はワイトの正体を明かされた。

 虎太郎がこうも簡単に事実を明かしたのは、三名が対魔忍になった当初からアサギ閥を貫いているからに他ならない。

 また忍の家系であるものの、加藤家、百田家、佐久家などのように既に一線を退いている先代が大きな力を持つ家系でもない。

 

 端的に言えば、三名は虎太郎に巻き込まれたのである。

 もし、ワイトの正体がバレた場合、アサギの失脚に巻き込まれ、虎太郎と共に粛清の憂き目に合うことだろう。

 実力は折り紙付きであるものの、家の後ろ盾がない故に、知らなかった、関係なかったを通せない。

 寧ろ、アサギ閥であることが長い故に、老人の暴走と妄執から自分の据えたアサギの後釜という自分の後釜の地位を盤石とするために命を狙われる可能性が非常に高い。

 

 とんでもない秘密をにこやかな微笑みと共に明かす虎太郎に、三人は頭を抱えたのは言うまでもない。

 こうなっては三人も、自分の身や自分の周囲を守るために是が非でも秘密を守らねばならない。

 

 もっとも、三人は不安ではあったものの、不満はない。

 黒百合と碧は彼女達の身に降り掛かった不幸から、何かとアサギに便宜を図って貰っている恩があり、また変遷期を血反吐を吐きながら潜り抜けた友情が生きている。

 零子は変遷期の後に対魔忍となった比較的新参に当たるものの、アサギへは深い尊敬を持つ。立ち位置的には紫に似ている。そもそも、アサギを裏切るという思考そのものがあるかも疑問だ。

 

 

「用意したマネキンに鎧まで着せて、其処までする必要が……?」

 

「単純な話ですよ、峰麻先生。オレはオレの正体を極力隠しておきたい。しかし、今回の件はオレが自ら動かなければならない。その為に必要な隠れ蓑だ」

 

 

 虎太郎が動かない幽鬼の兜を外すと、ツルリとした目も鼻も口もないマネキンの頭部が顕になる。

 

 幽鬼の正体は、単なるマネキンに過ぎない。この鎧を纏って戦い続けた魔族は、既にこの世にも魔界にも存在しない。

 虎太郎がある魔族から奪った“人形劇場”と命名した能力で操っていただけのこと。

 

 人形劇場はその性質上、操る数を増やすほどに人形は単純な命令しか受け付けなくなるものの、操る数を減らすほどに人形は虎太郎の思考のままに動くようになる。対象を一つに絞れば、人の癖までも再現可能となる。

 

 全ては自分が動き易くするための下準備に過ぎない。

 二人目の協力者と事情を知らない者に説明することで、作戦決行時に虎太郎の姿が見えずとも、まさか二人目の協力者として彼が戦っているなどと夢にも思わないだろう。

 自身の表向きの仮面を守りつつ、己を戦力として投入するために、回りくどい手を打ったのである。

 

 

「……でも、驚きました。まさか、旦那様が『不死隊』と戦ったことがあるなんて」

 

「不死、隊? お前は、これについて何か知っているのか?」

 

「知っている、というほどではないわ。魔界では有名だもの。もっとも、此処数百年はその名を聞いたことはなかったけれど……」

 

 

 ワイトの呟きを聞き漏らさなかった紫は、返ってきた言葉に目を丸くした。他の三名も同様だ。

 

 

 『不死隊』或いは『監視者』とも呼ばれる集団が、魔界には居た。

 

 その結成は遥か昔、魔界でも御伽噺の時代にまで遡る。

 

 魔界には“深淵”と呼ばれる勢力が居た。

 今となっては深淵の正体が何であるかを知る者は一人として存在しない。

 書物にも口伝にも残せないほどに悍ましい何かであったのか。魔族ですら忌避する何かであったことだけは間違いない。

 

 深淵は多くの魔族の勇者や英雄の犠牲、魔術師の命を賭した魔術によって封印され、魔界の奥底へと消え去った。

 しかし、深淵の力が弱まったわけではない。施された封印は完璧であり、決して内側からは解除することは出来なかったものの、深淵の特性こそが厄介であった。

 

 深淵はただ其処に存在するだけで生ある者を狂わせる。

 “深淵を覗くとき、深淵もまたお前を覗いているのだ”。その言葉を体現するかの如く。

 深淵は封印の外にいるものを狂気に陥らせ、封印を解かせようという動きを見せた。

 

 その為に結成されたのが不死隊だ。

 深淵を封印した者の一人である天狼族が、結成に立ち会ったとも言われている。

 

 

「天狼族? 聞いたことがないが……」

 

「一説じゃ、人狼どもの始祖らしい。既に滅んだ、或いは魔界を去った種族だ。…………奴等はその狼の血を分け合って不死になったのさ」

 

 

 天狼族の血を分け合った不死隊は、その使命を全うし続けた。

 深淵の脅威を二度と地上へと顕現させぬために、時に神話級の魔族すら討ち果たし、時に一国をも滅ぼしたとされる。 

 ある種の呪いに突き動かされるかの如き姿に、特殊な能力ではなくその狼の如き剣技によって強大な敵を討ち果たす姿に、魔界の住人は恐怖した。

 支配階級の魔族であっても、彼等の行為を見て見ぬ振りを繰り返し、狙いだと分かれば絶望から自ら命を断ったとも言われている。

 

 だが、永き時は、彼等の魂を腐らせた。

 本物の不死を有する存在は、魔界でも稀だ。元より不死ではなかった彼等に耐えられずはずもなく、また相手をしていた深淵の狂気は彼等にも手を伸ばす。

 

 一人、また一人と正気を失っていき、仲間によって討たれる日々。

 彼等は徐々に仲間を失い、また自らも狂気に陥り、仲間へ討たれていく。

 何時の間にか、不死隊は徐々に忘れ去られ、伝説へとなっていた。

 

 アミダハラへ現れた二人が、最後の生き残りだった。

 

 

「アミダハラの話は概ね事実だ。正気を失った仲間を眠らせた最後の一人も、正気を失ってオレが終わらせた」

 

「…………よくもまあ、殺せたものだ」

 

「オレの方が圧倒的に弱かったが、やりようなんていくらでもあるもんだ。それに、オレも短い間だが奴等の剣技を叩き込まれた。身に付かなくても、動きを予測するのには一役買うとな」

 

 

 一体、虎太郎と最後の一人にどのようなやり取りがあったのかは、聞くだけの彼女達には分からない。

 ただ、彼にしてみれば珍しく、柔らかい笑みを浮かべている。それだけで、余人が立ち入るべきではないと分かるだろう。

 

 虎太郎は不死隊の大剣と特徴的な短剣を手に取る。

 大剣を握った右手を前に突き出し、短剣を握った左手を右肩の付近へと持ってくる。

 

 これが不死隊の儀礼。

 虎太郎は彼等の使命も理念も受け継がなかったが、その技だけは託された。

 

 

剣技(これ)だけは、託す誰かを見つけてくれ。何時か、必要になる時が来る。それに、約束なんだ』

 

 

 最後の一人は、自らの破滅を受け入れた上で、そう語った。

 誰との約束だったのかは、虎太郎は問わなかった故に分からない。それを知る者は、最早、この世の何処にもいない。

 

 不死隊は既に存在はせず、その理念も使命も無駄になった。

 だが、その技は残したかったのだろう。自分達が生きた証ではなく、これから深淵の脅威に晒されるであろう誰かを守るために。

 

 その精神にこそ、虎太郎は敬意を払った。

 彼等が終わった後も鍛錬を続け、僅かではあるものの剣技を己のものとしたのは、そうでなければ説明がつかない。

 

 

「じゃあ、黒百合と峰麻先生は、昼間は街の監視を、夜はねぐらの監視についてくれ」

 

「了解。暫くは睡眠不足が続くわね」

 

「まあまあ、眠れないわけではないですから」

 

「そうだよ! オレみたいに不眠不休じゃないだけマシだよ!」

 

「アンタみたいになれないわよ、私も碧も……」

 

 

 黒百合と碧は虎太郎の台詞聞いて、彼が馬車馬の如く働いている事実に、顔を引き攣らせた。

 

 これから二人は一般人を装って街へと向かう。この街の闇で蠢いている組織を探るためだ。

 隼人学園のお膝元である街とあれば、闇の組織もそう簡単には近寄らないようにも思える。

 しかし、隼人学園の監視も、人が行っている以上は穴がある。どれだけ監視をしようとも、ゴキブリのように入り込むのが闇の組織というものだ。

 

 グラムとそれらが結託している可能性も否定できなかったために、こうして探らせている。

 とは言え、それほど大きな組織は絡んでいない。ノマドの影も形も見えず、あるのは組織とも呼べない麻薬の売人と奴隷商の寄り合いどころだけだ。

 

 

(さて、と。これで後は、作戦決行の日時まで何事もないことを祈って準備を整えるだけだが……そうも行かねぇんだろうなぁ、これが)

 

 







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『苦労人が爽やかに微笑んだら気をつけろ。絶対に碌なこと考えてないから。キルスイッチ入った証拠だから』

 

 

 

 

 吸血鬼対策協議まで残り12日。

 ワイトが到着してからの三日間、作戦の全てが順調に進んでいた。

 

 まず、グラム側の戦力が明らかになったのは大きい。

 構成員は45名。一度、カーラ達に組織が壊滅状態に追い込まれたにしては頑張っている方だろう。

 

 そして、彼等の拠点は、虎太郎の読み通り三ヶ所だった。

 隼人学園から半径1キロ圏内全てに存在しており、グラムの身に何かが起これば、吸血鬼の身体能力ならば数分以内に急行できる位置である。

 紫の厳命――正確には虎太郎であるが――により、拠点への潜入、吸血鬼への接触は禁じられていたが、深夜帯に隼人学園から戻ってくる人数と顔を一致させる地道な作業を生徒達が続けた結果だ。

 

 またアルフレッドが拠点の電力を調べ上げ、グラムのスペアを保存できる機器を稼働させられないことも判明した。

 何らかの予備電源を購入した痕跡はなく、搬入した形跡もない。ほぼ確実的な事実であり、グラムがどれほど危ない橋を渡っていたのか、また一世一代の大博打に打って出たのかを物語っている。

 

 調べれば調べるほどに、グラムにも余力が存在していない現実が見えてくる。

 討ち取るにはこれ以上ない機会。包囲網を完成させ、確殺するにはもってこいであった。

 

 

「…………ふぅ」

 

「旦那様。どうぞ、身体が温まります」

 

「ああ、ありがとう。助かるよ」

 

 

 ワイトが明らかな心配の刻まれた表情で差し出したカップにはホットミルクが注がれていた。

 虎太郎は極寒の中に裸で放り出されたような寒さと戦いながらも、蒼褪めた表情の上に笑みを浮かべてカップを受け取る。

 

 虎太郎自身の仕事も順調であった。

 寄生蟲へ対抗できる彼の血液は順調に溜まっており、予想よりも早い段階で隼人学園全員分が集まる。

 チーム全員が血液を摂取しており、作戦決行までにウイルスが馴染み、寄生蟲の脅威から彼女達を守ることになる。

 

 今現在は、失血による体温と思考能力の低下と戦いながら、ノートパソコンに向かっている。作成しているのは、隼人学園から政府へ提出する偽の報告書だった。

 グラムの侵入を許した挙句、学園の全員が魔の手に堕ちた事実など政府に報告できる筈がない。その事実が政府に渡った瞬間から、隼人学園の弱体化が始まる。

 

 如何に隼人学園が対魔忍よりも政府に信頼があるとは言え、日本を守るために必要な戦力であるが危険な戦力という立場は似通っている。

 政府内部は魔族と結託している者も居れば、米蓮と内通している者も居るだろう。

 この惨状を理由に、売国奴どもは隼人学園に内部調査を行い、隼人学園の保有している独自技術の開示を迫り、強制的な人員の再編を敢行することは想像に難くない。

 

 それでは同盟を結ぶ意味はない。

 虎太郎の目的はあくまでも上原 北絵が持つ最高位の結界術ではあるものの、対魔忍としてはノマド及びブラックへの共同戦線として隼人学園の協力は是が非でも取り付けておかねばならないのだ。

 それが見る影もなく脆弱になってしまっては、それこそ骨折り損のくたびれ儲け。隼人学園の戦力と独立性を保ちつつ救出作戦の最低条件でもある。

 

 全ての事実を知るのは、救出作戦に参加した者とアサギ、山本長官のみにしておき、それ以降の政府関係者にはカバーシナリオで説明する。

 ガス会社の点検ミスにより、教員寮、学生寮にてガス漏れを起こし、爆発が発生。教員と学生が巻き込まれた。正式な同盟関係を結ぶために近くを訪れていた対魔忍が、救援を手伝ったというのが大まかな流れである。

 

 

(内通者の方も割れた。先代の雇った用務員が内通者になるなど夢にも思わなかったか)

 

 

 紫、ワイトが担当したのは、虎太郎が学園内に仕掛けたカメラによる監視であった。

 監視によって浮き彫りとなったのは、山川に擬態したグラムが頻繁に接触している用務員、崎山が内通者であった事実である。

 事が直接カメラに映りはしなかったものの、山川、崎山、マリカの三名が用務員室に消える姿は映し出された。その後、朝方まで三名が部屋を出て来ることはなく、崎山が後始末をする姿までもが映し出されている以上は確定だ。

 

 崎山は隼人学園が創設された当初からの用務員であった。

 創設当初は北絵の実務能力も低く、先代の力と知恵を借りていた。隼人学園の運営する人員を集めたのは先代だ。

 

 しかし、こればかりは北絵にも先代にも非は及ばない。

 崎山は雇われた当初は品行方正、真面目一徹といった性格で、将来の狩人達を育成する行為に手を貸す職務に誇りすら抱いていたようだ。

 

 それが捻じ曲がったのは何時だったか。

 用務員として働く傍ら、お世辞にも容姿が良いとは言えない彼にとっては、初めての恋であり愛があった。

 その恋と愛に、彼は学校の用務員としては破格の給料、こつこつと貯めた貯蓄全てを注ぎ込み、裏切られた。相手は何処にでも有り触れたクズのような結婚詐欺の常習犯だったのだ。

 

 酷く落ち込む彼を周囲は慰め、励ました。無論、学園の長であった北絵も何かと気にかけていた。

 それが逆に彼の性根を捻じ曲げてしまう結果となったのは皮肉という他ない。人の善意で人の心が救われるとは限らない。より深く傷つくことも、より卑屈になってしまうことも有り触れた話。

 

 崎山は上手くやった。

 表向きは今まで通りに、裏では何処までも堕落していくことを誰にも悟られることはなく。挙句の果てに、危険な薬物――アムリタにまで手を出して。其処でグラムとの接点が生まれてしまった。

 

 こんなもの、予測のしようがない。

 北絵もまた職務に忠実であった彼の姿を見てきたが故に、疑うという行為そのものが抜け落ちてしまっていたのだ。

 

 

「…………少しは休めばどうだ」

 

「そうも行かねぇ。不測の事態というものは常に起こり得る。グラムを捕らえる包囲網に穴を開ける訳にはいかない」

 

 

 無数の空間ウインドウに映し出される監視カメラの映像を注意深く見張っていた紫が視線を向けずに声をかけるものの、虎太郎は一蹴する。

 紫の虎太郎への当たりは人並み以上に厳しい。それも全ては愛情と心配の裏返しではあったのだが、今の彼の現状は目に余る。

 

 採血を繰り返し、殆ど眠らずに居る状態だ。

 何時死んでもおかしくない。いや、生きていることがおかしいと言っても過言ではない。

 

 それも虎太郎にしてみれば当然のこと。

 死んだら死んだで仕方がない。それは人ならば誰にでも起こり得る事象故に。

 生きている以上は生き急ぐ。それは人ならば誰でも同じ結論に至るが故に。

 楽をしたいのは事実ではあるが、手を緩める真似だけは出来ない。でなければ、己にとって最高の結果を得ることなど不可能。人であろうが魔族であろうが、その事実に変化などない。

 

 何より、全てが順調過ぎる。予定外の事態に陥っていない。そんな美味しい話など存在する筈もなく――

 

 

「ほぉら、きた」

 

 

 ――昼間の情報収集に勤しんでいた黒百合からの通信に、慌てることなく虎太郎は応じるのだった。

 

 

「どうした?」

 

『盗聴の恐れがあるから遠回しに言うわ。花火を持ったサラリーマンを見つけた、運良くね』

 

「そいつはまた…………ストーカーしてないだろうな?」

 

『まさか、運良くと言ったでしょう…………どうする?』

 

「こっちに戻ってこい、背中には気をつけてな。他の連中も集めておく」

 

 

 虎太郎の用意した通信機は、アルフレッドが高度に暗号化しているが故に盗聴の恐れなど絶無に等しいが、黒百合もまた虎太郎と付き合いが長い。また潜入を専門とする対魔忍だけあって警戒心は人一倍だ。

 人界の技術進歩は目覚ましく、黒百合ですらが目まぐるしく成長していく技術に目を回しそうなほど。何時、アルフレッドですら予測を超える盗聴装置が開発されてもおかしくないことを身に沁みて分かっていた。

 

 彼女の遠回しな言い方に、虎太郎は全てを察した上で通信を終了すると大きく溜め息を吐いた。

 打ち合わせなどしていないが、互いに通じるのであれば、それは隠語となる。

 

 

「どうした……?」

 

「黒百合が米連の兵士を見つけたようだ」

 

「――――っ!?」

 

 

 花火は火薬を連想させて派手な光と音を発して散る故に、銃と考えて間違いない。

 そして、サラリーマンは会社員、勤め人を意味している。ならば、米連という会社に属している職業軍人と考えるべきだ。もしグラムに関係のない魔族であるのなら、黒百合であれば鼠と称するであろう。

 

 このタイミングで、隼人学園の膝下であるこの街に米連の兵士を見つける。

 まして、その兵士が銃を持ち歩いているのであれば単純な工作員(スパイ)というわけでもないだろう。

 偶然では片付けられない。関係がなかったにしても、関係がないことを確定させるために調査は必要になる。

 

 人生が儘ならないのは嫌と言うほど知っていたが、虎太郎は零れ出る溜め息を抑えることは出来なかった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 黒百合の緊急連絡から二時間後。

 グラム封殺の為に各々に与えられた役割を熟していた、或いは休息を取っていた全員が仮設本部へと招集された。

 

 皆の表情は険しく、空気は重苦しかった。

 それも当然だ。目的が何にあるにせよ、自分達とグラムに加えて第三勢力の存在が確認されたのだ。

 元々、対魔忍の戦力は吸血鬼の拠点及び隼人学園の寮の制圧を目的に集められられていた。此処から更に米連に対応できる戦力ではない。

 作戦決行時に横槍をいれられれば何人が犠牲になるか。

 

 それだけではない。

 米蓮が全くの無関係であったとしても、彼等が其処に存在するだけで作戦中に意識のいくらかを強襲へと割り裂かねばならない。

 つまり、隙が生まれる。隙が生まれれば、獲物を取り逃す。網に穴が空いたも同然だ。

 

 

「横合いから殴りつけられても面倒だ。グラムよりも先に此方を叩くべきだろう」

 

「まあ、概ね同意はするよ。するはするけど、いくら何でも短絡的過ぎるでしょ……」

 

 

 燐の発言に紅羽は賛同はするものの、渋い表情だ。

 確かに燐の意見も尤もであると認めながらも、その難易度の高さから肯定しきれない。

 

 黒百合が先んじて米連の兵士を見つけられたのは僥倖だったが、偶然に過ぎない。

 彼等の拠点も分からず、目的も分からず、総戦力も分からない状態で戦闘をするなど自殺行為も甚だしい。戦闘特化の対魔忍は居るが半数にも満たず、学生が大多数。

 

 何よりも、米連との戦闘をグラムに悟られるわけにはいかない。

 対魔忍の存在を悟られれば、当然のように警戒される。今の包囲網もグラムが気付いていないことを前提。前提が崩れれば、全てが水泡に帰す可能性もある。

 

 

「そもそも、黒百合殿は先手を取れたと言うのに、なぜ彼奴らの後を付けなかったのか。それが貴女の仕事でしょうに」

 

「簡単に言ってくれるわね。米連の技術力は馬鹿に出来ない。噂じゃ、私達の対魔粒子を計測する装置の開発が終わっているとか……そんな連中を相手に後先考えずに追跡するなんて、猿や猪じゃあるまいし」

 

 

 あさつきの棘のある物言いに、黒百合は呆れと共に嫌味を返す。

 

 先程から純戦闘組と黒百合、紅羽、翡翠、奏はずっとこの調子だ。

 燐とあさつきは黒百合と虎太郎の選択をまるで間違いであると咎めているかのような口調を繰り返していた。

 紅羽はのらりくらりと躱しながらも黒百合のフォローに周り、黒百合は二人の言葉に売られた喧嘩は買うわよと言わんばかりの態度である。残りの二人も口こそ挟まないものの不満そうである。

 

 平時から彼女達の仲が悪い訳ではない。

 意見の食い違いと言うものは往々にして生まれてはいたものの、其処には互いへの尊重と尊敬があった。

 

 理由は二つ。

 

 一つは虎太郎の存在。

 燐とあさつきは蛇蝎の如く嫌っている存在であり、彼に対する当たりがきつくなる。

 逆に黒百合や紅羽は好いてこそいなかったが、彼の有用性を認めている。

 言わば虎太郎に対する認識とスタンスの違いが、普段は丸く収まる筈の食い違いをより大きいものへと育ててしまっていた。

 誰とて己の嫌う人間が持ち上げられれば不機嫌になり、誰とて己の認める人間が貶されれば不機嫌になるものだ。

 

 もう一つは、予定外の敵の存在。

 予定通りに事が進まなければ、誰とて心がささくれ立つ。

 ましてや正体こそ分かっているものの、目的から何から一切不明であるのなら、不安は苛立ちへと容易く転ずる。

 

 生徒達は口を挟むことは出来ず、中立の立場を保とうとする碧と零子は助けを求めるように紫を見ていた。

 

 紫も頭が痛い。

 どちらの言い分も理解できるからだ。

 

 燐とあさつきの言い分は短絡的でこそあるものの、作戦決行前に潰しておくべきという判断は決して間違いではない。

 不安材料は排除してこそ、安心して任務に挑めるというもの。米連を放っておけば生徒の身に要らぬ危険が及ぶ可能性すらある。

 二人が口先ばかりでなく、命さえ下れば自分の危険を顧みずに仲間の安全を勝ち取るつもりであるからこそ叱責もし辛い。

 

 紅羽と黒百合の言い分はともすれば臆病ですらあるものの、作戦自体が秘密裏に進められることに意味があると重々承知しているからこそ間違いではない。

 無理に米連を追って、逆に捕まってしまえば手間が増える。ただでさえ人手不足だと言うのに、これ以上ない失態だ。

 それだけでなく、捕縛される、捕まった仲間を助ける、といった行為を米連に仕掛ければ、グラムに悟られる可能性は高く、これもまた叱責できない。

 

 

「弐曲輪、お前も意見の一つでも言ったらどうだ」

 

「あ? オレ? 何だ、喋ってもよかったのか?」

 

「当然だろう。弐曲輪だけではない。もしも意見があるのなら忌憚なく口にしろ。任務についた以上は、生徒としてではなく対魔忍として扱う」

 

 

 人の上に立つ難しさ、人を纏め上げる苦しさ。

 何度となく体験してきた苦難を改めて噛み締めながらも、紫は虎太郎と生徒達に発言を促した。

 

 生徒達はしどろもどろだ。先達の諍いを目にしては萎縮もしよう。

 虎太郎は相変わらず偽の報告書を纏めている真っ最中。だが、パソコンを片手で操りながらも、ここ数日で諜報組が調べ上げた情報の資料を捲っている。器用な男だった。

 

 彼は仕事の邪魔をするなと言わんばかりの嫌そうな顔をしたが、皆に見えるよう広げられた地図に視線を向け、ある一点を指差した。

 

 

「氷室、其処。隼人学園から少し離れた場所に工場があるだろ。其処に丸つけとけ」

 

「は、はぁ。でも、この工場が何か……」

 

「いや、其処が米連の拠点だから」

 

『――――――は?』

 

 

 虎太郎の言葉に、その場に居た全員の目が丸くなる。

 実際に、見てきたかのような台詞だったのだ、無理もない。

 

 

「弐曲輪、どういうことだ。よもや、デタラメで言っているのではないだろうな……?」

 

「はぁ…………一からか? 一から説明しないとダメか?」

 

(こういう態度を取るから嫌われるのに、もぅ……!)

 

 

 虎太郎の言葉を全く理解できなかった燐とあさつきは虎太郎を問い質すものの、返ってきたのは疲れ切った音色の言葉だけ。

 余りにも人を馬鹿にしたような彼の台詞と態度にビキビキきている二人の姿に、花蓮は地図上の工場に丸を付けながら溜め息を付いた。

 

 

「この工場が拠点である説明の前にだな。まず、コイツ等の狙いを考えてみろ」

 

「そうは言ったってさぁ……」

 

「情報なんて出揃ってるだろ。この街は隼人学園のお膝元で米連が欲しがる魔界技術なんて存在しちゃいない。それに目前に迫った吸血鬼対策協議がある。となれば、米連のどの派閥が何をしようとしてるかなんて、簡単に説明できる」

 

「米連の排斥派、目的はカーラ殿か……!」

 

「今の所、それしか考えられないわな」

 

 

 紫の驚き混じりの声に、虎太郎は当然と首を縦に振った。

 

 今、このタイミングで米連が動くとするのなら、それしかない。

 治外法権である在日米軍基地の外に自国の戦力を置くのであれば、其処には何らかの利益を目的とした作戦行動がある筈だ。

 でなければ、米連は只の馬鹿でしかない。わざわざ日本政府を刺激するような、事実をぶち上げられれば国際社会から非難されかねない“他国内への戦力無断配備”など敢行する筈もない。

 

 では、その利益は何なのか、と考えれば答えは一つしかない。

 この街に米連の求めるような魔界技術が無い以上は、迫る吸血鬼協議の重要人物であるカーラ・クロムウェルに何らかの接触を図る目的と見るべき。

 また銃を持った工作員がうろついているとなると、決して穏当な方法ではないのは火を見るよりも明らか。

 結託派であれば懐柔策を取るであろう以上、是が非でも魔族を人界から排除したい排斥派が強硬策に打って出たのだろう。

 

 カーラをどうするにせよ、彼女がいなければ対策協議は始まらない。

 彼女が協議の場に顔を出さねば、どうなるか。最悪の場合、余計な不安と妄想に駆られ、吸血鬼との戦争に突入する。

 排斥派としては万々歳だろう。どれだけの犠牲が出るかは兎も角として、少なくとも“人界の吸血鬼”を滅ぼすという大義名分が得られるのだから。

 

 

「確かに、筋は通っていますね。ですが、それだけではこの工場が米連の拠点である理由が……」

 

「それも簡単。この工場、オレンジインダストリーの傘下企業のものなんですよ。この工場が建てられたのは隼人学園が設立されてから暫く経ってですしね」

 

「成程。となれば隼人学園の監視か、万が一に備えて先んじて作っていたと見るべきか」

 

 

 オレンジインダストリー。

 元々は軍需企業であったが、兵器開発によって培われたノウハウを生かして様々な分野に手を出している多角化経営企業。

 本社を米連に構えており、今もなお最新兵器の開発を行っている米連とも深く繋がった企業でもある。

 

 米連が日本国内で作戦行動を行う際、オレンジインダストリーの影が常にあるのは、対魔忍内部では周知の事実。

 事実、虎太郎は何度か傘下の子会社へと潜入調査も行っており、オレンジインダストリーと米連政府との繋がりを発見してもいた。

 

 またグラムの犯罪組織が活動を主としていたのは欧州が中心であり、米連内部までは手が伸びていない。

 米連は未だグラムの存在に気付いてはいない。グラムが死んだ事実は掴んでいるだろうが、生きているとは思っていないし、そもそも危険視もしていない。

 

 この事実と危険性を知る者は対魔忍だけだ。

 虎太郎と花蓮の身に降り掛かった予想外の不運を、何とか望外の幸運へと転じさせることが出来たからこそ。

 

 更に言えば、カーラを捕縛ないし殺害するとなれば、それなりの人員を用意していると見るべきだ。

 少なくとも40人は用意しているはず。下手をすれば、その三倍は既に工場内部で自分達の出番を今か今かと待ちかねているかもしれない。

 加えて、対カーラに特化した異能か、最新技術を与えられた実力者もいるだろう。

 

 

「ついでに言うと、動くのはオレ達が包囲網を完成させるよりも先だろうよ。奴等の方が早くに準備を進めていただろうからな」

 

「ならば……!」

 

「だからと言って、オレ達も動けん。グラムは此処で死んで貰わにゃどうにもならん」

 

 

 もし米連が先に動けば、最悪の事態を引き起こす。

 何らかの技術、異能によってカーラを殺害されるか、捕縛されればグラムはどう動くか。

 いや、動かなかったとしてもグラムにしてみれば美味しい話にしかならない。人類と吸血鬼の結んだ契約を破棄させることが最終的な目的だ。

 人と吸血鬼が戦争になったところでグラムは痛くも痒くもない。吸血鬼国家ヴラドが滅んだとしても、自分以外の全てを見下す男のこと、故郷と同胞の不様な姿に腹を抱えて笑うだけ。

 

 無理をして米連に先んじて動いたとしても、包囲網が完全に完成していない以上はグラムを取り逃がす可能性は高い。

 最悪の場合、米連から横合いから殴りつけられない。米連を警戒して隼人学園に戦力を集中しては、残る三つの拠点を制圧できなくなる。

 

 もっと質が悪いのが米連の兵士がグラムの傀儡となること。

 米連内部に彼の傀儡が生じれば、米連は内側から喰い破られる。資金力も動員できる数も爆発的に増し、グラムと寄生蟲による支配は手のつけられないものとなる。 

 

 どうにも八方塞がりだ。

 動いても駄目。動かなくても駄目。

 米連の出現によって、今まで積み重ねてきた準備は最早、水泡に帰したようにも思われた。しかし――

 

 

「さて、此処からは建設的な話をしよう。氷室、お前には言ったな。準備さえしときゃ、最善は勝手に見えてくるものだ、ってな」

 

「………………」

 

「今この状況における最善はな、オレ達の存在をグラムに悟られることなく、オレ達が全ての準備を整えるまで米連に足を止めて貰うことだ」

 

 

 米連は既に対魔忍と隼人学園が同盟を結ぶ、という情報を手にしているだろう。

 日本内部には親米派の議員は多く、山本長官も闇の組織への牽制として、この同盟関係を秘匿はしなかった。

 

 米連には救出作戦決行まで足さえ止めてくれればいい。

 カーラの殺害・確保が目的ならば、対魔忍側が勝利すれば、危険を侵すことなく目的を果たせる。隼人学園側が勝利したとしても、対魔忍を手助けする義理はなく、体力を少しでも削ってくれるならば御の字。

 つまり、救出作戦が決行されれば、彼等は情報とは違う対魔忍と隼人学園の戦いに驚きながらも、静観以外の選択肢を失うのだ。

 

 

「あのぅ……弐曲輪先生」

 

「ん? どうした、前園。言ってみろ」

 

「どうすればいいのか、分からないですよぉ。私達が動かずに、米連の足を止めさせる、なんて……」

 

「それに、こっちは救出作戦ですよ? ウチらの作戦が成功しても、その後で米連が喜び勇んで殴りにくるだけやないですか?」

 

 

 虎太郎の説明は十分に理解していたが、その方法は未だに語っていない。

 桃子は不安そうな表情で無理難題に知恵を絞っていたが、とんと方法を思いつかない様子。

 

 続く雫の言葉も尤もである。

 カーラが目的であるのなら、彼女の無事が確認されれば、米連は動き出す。そうなれば、否が応でも米蓮との戦闘は避けられなくなるだろう。

 

 

「オレに策がある。準備ってのがどれだけ重要なのか、自分の目で確かめな」

 

 

 その全てを理解した上で、虎太郎は普段の無表情が、燐とあさつきに見せた先程の嫌味な態度が嘘のような爽やかな笑みを浮かべた。

 好青年そのものの笑みに生徒達と奏は安堵を覚え、燐とあさつきは虎太郎が仕切ることは不満であったようだが、自分では打つ手無しと考えてか口を挟まない。

 

 ――だが、彼の本性を知る者は、彼と任務を共にした経験のある者の反応は違っていた。

 

 紫は人目も憚らずに頭を抱え、碧の瞳からは光が消え、零子は顔を引き攣らせすぎて眼鏡がずれ、黒百合はガックリと肩を落とし、翡翠は無表情を崩して口元を抑え、紅羽は白目を向いている。

 

 そう。彼女達は知っていた。

 虎太郎の場合、こんな爽やかな笑みを浮かべた後にこそ、ドン引きするような行動に出ることを……!

 

 そんなことに自分達が片棒を担がされる羽目になると理解しているからこその反応だ。

 

 

「さぁて、働いて貰うぞぉ、ワイト」

 

「はい、お任せを」

 

 

 ニッコリと微笑む彼が見ていたのは手元の資料と、自らと同じく微笑むワイトであったそうな。

 

 







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『どうせ助けるんだ、それでチャラだチャラ、とやりたい放題やるのが苦労人』

 

 

 

 

 隼人学園のある街に存在する闇の組織は一つしかない。

 

 右衛門会。

 今時では珍しい巨大組織の後ろ盾を持たない暴力団だ。

 

 彼等、日本のアウトローも魔界都市、魔界技術、魔族からなる組織の出現により大きく様変わりしている。

 暴力団はノマドなどの魔族をトップとする組織の傘下へと入ってしまったのだ。いや、入らざるを得なかったと言うべきか。

 と言うのも、暴力団が生業としてきた、或いは収入源としてきた非合法行為の数々は、魔界技術には遠く及ばない。

 

 麻薬の売買は、魔界製のそれに比べ、人体へのリスクが高い割に得られる快感の少なさ故に、取り扱うにも以前よりも売れなくなった。

 彼等の提供する売春・性サービスにおいては、魔界技術で仕立てられた奴隷娼婦には遠く及ばず、風俗店を営もうが客が入らない。

 暴力の分野においても同じこと。対魔忍の異能、魔族との種族差、米連の最新技術と人海戦術の前では、彼等の暴力など何の意味をなさず、嵐の前の小舟に過ぎない。

 

 急速に様変わりしていく世界へと対応するため、暴力団の大半は生き残りをかけて日本へと現れた闇の組織へと表向きの忠誠を誓うことで魔界技術を獲得しようと傘下に入った。

 

 だが、人は堕落する。

 元より社会から外れていた者であっても同じこと。

 魔族の与える快楽と技術は凄まじい。ある者は快楽によって初心を忘れ、ある者は莫大な富に忍従を捨て去り、ある者は力の差の前に服従を選んだ。

 今や、大半の暴力団は形骸化しており、より巨大な組織の操り人形に過ぎない。

 自身よりも弱い者に威張り散らし、搾取する姿勢は欠片も変わっていないが、牙を抜かれた無法者(アウトロー)の姿は以前よりも滑稽になったと言っても過言ではない。

 

 しかし、右衛門会はどの組織の傘下にも入ってはいない。

 隼人学園のある街はそのまま上原家の影響下にあり、魔族を中心とした組織では最高位の結界術の前には分が悪い。

 端的に言えば、闇の組織にとっては旨味の少ない街なのだ。侵す危険(リスク)に対して、生み出される利益(リターン)が少なすぎるために街にも右衛門会にも手が出されなかった。

 

 その点、右衛門会は運が良かった。

 上原家は吸血鬼や魔族の引き起こした事態に対して何の問題もなく介入が可能ではあるが、それ以外には介入する権限はない。

 どの魔族、吸血鬼とも繋がりのない右衛門会の相手をするのは、あくまでも警察の仕事。上原家の誰もが右衛門会など脅威や危険と感じていないかった。

 

 そして、右衛門会の組長は賢しかった。

 上原家の加護の下、昔ながらの組織形態、経営形態を維持しつつも魔界技術の情報を手に入れ、秘密裏に魔族と接触し、徐々にではあるが利益を上げていった。

 気を使ったのは、接触する魔族だ。巨大組織に属しておらず、それでいて利益を追い求める輩。言わば、自身が対等の立場で接する事のできる相手を選んでいた。

 組織と繋がりがあれば紆余曲折の果てに呑み込まれるのは明白。ならば、互いの利益と立場のために、互いの意志を尊重できる相手が望ましい。

 また魔族も組織の手助けがなければ魔界技術で大儲けが出来ず、組織に与すれば法外な仲介料やら上納金で純利益が少なくなることを理解しており、両者の関係は良好だ。

 

 斯くして、右衛門会は勢力をそのままに、秘密裏に平和裏に、莫大な利益を上げながらも誰の目にも止まらない組織となった。

 街では魔族に場所を提供して魔界製の麻薬製造を行わせ、街の外に持ち出して高額で売り捌く。魔族に街の外で攫ってきた女をそのまま調教させ、街の風俗店で働かせる。

 言わば、隼人学園にとってのグラムや崎山と同じ、何時の間にやら内側に潜り込んでいた脅威である。

 

 

 そして、本日。

 右衛門会組長である中曽根 亮二は黒い高級スーツに赤いネクタイを締め、肩からは白いロングコートを掛け、目の前の建物を見上げている。

 傍らには右腕である若頭と部下三名を引き連れ、とある高級マンションの地下駐車場に訪れていた。

 

 

「チッ……あの野郎、何だってこんな所に呼び出しやがったんだ」

 

「まあ、そういうな。新しい商売があるんだとよ。聞くだけ聞こうじゃないか」

 

 

 若頭の悪態を諌めながら、中曽根は地下駐車場の門の前に立っていた。

 自走式の地下駐車場の前には、車上荒らしや盗難対策の監視カメラが複数。

 マンションの入居者にはICカードキーが与えられ、入庫の前に所定の解錠システムに翳すことで鉄扉が上がる安全対策(セキリティ)が施されている。

 鉄扉を開けられるのは、カードキーを与えられたマンションの入居者、セキリティを管理する管理会社、保全会社のみだけだ。

 

 中曽根が監視カメラに己の顔を見せるように目を向けると、鉄扉が開き始める。

 

 その様子に、若頭は更に舌を打った。

 魔族の態度は気に入らなかった。仮にも組長を相手に出迎えもしないなど。

 対等とは言え、度が過ぎている。魔族が優れているのは認めざるを得ないが、此方側で商売が出来ているのは誰のお陰だ、と。

 

 若頭の心境を分かっていながらも、中曽根は笑いながら駐車場へと降りていった。今、彼の頭にあるのは新たな商売で、更に潤う自分の懐具合だけだ。

 組長の有頂天ぶりに頭を痛めながらも、若頭は部下を引き連れて後を追う。

 

 地下駐車場は街灯に照らされる夜よりも明るかったが、車は一台しか止まっていなかった。

 このマンションは入居者が少ないことは知っていた故におかしくはなかったが、高級外車の類ではなく平凡なハイエースというのに若頭は僅かな違和感に首を捻った。

 

 

「おー、来た来たぁ」

 

 

 それ以上に違和感を覚えたのは、駐車場の中央で安物の煙草を吸っている男だった。

 

 少なくとも若頭は見たことのない相手である。

 組長は独自のコネとツテを持っており、それが組の生命線であることを理解しているからこそ、一部を明かしても全てを明かすことはない。

 今回も、明かしていなかった相手であったのか、と思ったものの、組長の顔を見れば明らかな困惑の色が浮かんでいる。

 

 

「……あー、ゾグの奴はどうした?」

 

「今日は来てないな」

 

「じゃあ、新しい商売ってのは、テメェが教えてくれるのか?」

 

「うん? あー、そうか。そうなるか」

 

 

 魔族、と一口に言っても種族は様々。

 魔界に存在する知性体を魔族と総称する場合もあるが、イングリッドと同じ種族――人と全く変わらない姿形であるが、持ちうる能力の桁が違う者が魔族の中でも主要な位置を占める。

 ゾグもそうした者の中の一人であり、欲深さから組織に搾取されることを拒み、同じような考えの者達を集めて右衛門会と手を組んでいた。

 

 手にしていた煙草の火を携帯灰皿で消しながら近づいてくる男も、そういった者の一人かと中曽根と若頭は考えた。

 

 人懐っこい笑みを浮かべながら近づいてくる男は、彼等の知る魔族のそれとはまるで違っている。

 大抵の場合は、人間を見下している。その人を下に見る気質を承知した上で、どれだけ相手と歩み寄れるかが、右衛門会の明暗を分ける。

 その点、中曽根のバランス感覚は素晴らしかった。相手の欲望と自尊心を満たしながらも、自らの欲望と意見を押し通す手腕に長けていた。

 お陰か、付き合いのある魔族も初めの内は見下してはいるものの、次第に態度を軟化させていった。

 

 この男には、魔族特有の見下しがない。それが逆に不安を煽る。経験上、こういう手合いは厄介だったからだ。

 初対面の印象や評価が低ければ低いほど、自らの有能さを示しさえすれば、印象も評価も鰻登りとなる。

 逆に初めから正当な評価を受けてしまえば、どれほど有能であろうとも当然と受け取られてしまう。

 

 その心理を理解しているからこそ、中曽根はこれまでやってこれたのだ。

 

 彼等の考えている通りに、この男は厄介であった。

 尤も、彼等の想定していた最悪を簡単に上回る厄介さの化身であったのであるが。

 

 

「ほらよ、っとぉ」

 

「――――?」

 

 

 周囲を壁で覆われた駐車場に鈍い音が反響する。

 若頭には、それが何であったのかを直ぐに理解は出来なかった。しかし、何処か聞き慣れた音であったのは確かだ。

 それは若かりし時分に自身の身体から響いた音であり、暴力の世界へと足を踏み入れてから相手の身体から響いた音でもある。

 

 

「――…………」

 

 

 見れば、組長である中曽根の首は、奇妙な形に折れ曲がっていた。

 真っ当な人間の頚椎では決して再現できない角度。首の筋肉だけでは支えきれぬ頭部が、暖簾の如く垂れ下がる。

 

 恐るべき早業だった。

 反応どころか、目で追うことすら出来ない。

 目の前の現実に――地面に倒れていく中曽根の身体に、ようやく頭が付いてくると若頭は懐に収めてあった銃に手を伸ばした。

 

 未だ混乱の極地にあったものの、長年、暴力の世界においた身は彼自身にも驚くほどスムーズな動きを見せる。

 彼を含めた構成員は万が一の抗争に備え、顔馴染みの魔科医にフェラーリ一台分の金を積んで改造手術を行わせた。

 身体能力の向上、五感の鋭敏化、薬毒耐性、高速治癒。下手な魔族であれば、簡単に殺せてしまう改造手術だ。

 

 

「ぶっ――!」

 

 

 だが、全ては無意味だった。

 若頭は鳩尾に走った衝撃に、抜き放とうとした銃を取り零して不様に両膝を地面へと付いていた。

 喉から迫り上がる血塊を堪らずに吐き出す。どうやら、強化された腹筋すら意味をなさずに複数の内臓に傷を負ったらしい。

 

 地面に染み込んでいく己の血を呆然と眺めていると聞き慣れた乾いた発砲音が六度連続し、見れば引き連れていた部下が地面へと倒れている。

 自身の持ってきた拳銃を奪われたのだ。余りにも鮮やかな手並みに、もはや悔しさすら湧いてこない。だが、若頭の口から漏れたのは慣れ親しんだヤクザやマフィアの定型文。彼もまた骨の髄まで闇家業の一員だった。

 

 

「ごっ、ふっ……テ、テメェ、こんな真似をしてどうなると、思ってやがんだ……テメェの家族から、恋人、知り合いに至るまで、皆殺しだぞ……!」

 

「はん? どうやってだよ? 他に誰もいねぇのに、どうやって伝えるってんだ? 脅し文句にしてももっとマシなもんを選べ。ほら、オレを殺せば体内の爆弾が爆発するぞ、とかさぁ」

 

「………………」

 

「ヤクザ屋なんぞに人権はねぇ。死ね。ただ死ね。死んでオレの役に立て」

 

 

 何処までも冷徹な、目の前の命に何の価値も見出していない瞳に、若頭は震え上がる。

 文字通りに背筋が凍り、命乞いすら忘れていた。彼が最後に見たのは、氷の瞳には似つかわしくない、春の日差しの如き穏やかな男の笑みだった。 

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「あー、いいのかなぁ。これ、いいのかなぁ……」

 

「もう、諦め、ましょう……」

 

 

 事が終わった後、地下駐車場では後始末が行われていた。

 右衛門会の四人は死体袋に詰められ、紅羽と翡翠が二人がかりでハイエースの中へと積んでいる。

 地面に飛び散った血は、生徒達が不満を浮かべながらも躍起になってデッキブラシと洗剤を使って洗い流していた。

 

 本来であれば、政府が後始末部隊を送って綺麗に片付けるのであるが、今回はそうもいかない。

 死体の処理は手間がかかる。これだけ血が流れていれば、十人単位の部隊が必要になるであろうし、街の警察に話をつける交渉役も必要になる。

 街の外からやってくる後始末部隊では目立ちすぎる。グラム達は兎も角として、米連の部隊に気取られかねない故に、こうして彼女達自身がやるしかない。

 

 

「おう、しっかりやってるか」

 

「それはやってます、けど……」

 

「そっちの方は…………」

 

「いや、虎太先生、それ……」

 

 

 最後の死体袋を片手に引き摺りながら現れた虎太郎ともう一方の手に握られた物体に生徒達は目を奪われる。

 髪の毛の付いた仮装用のマスクのような物体は、人の肌と全く変わらずに、血が滴っていた。

 

 

「これ? ぶち剥いた生皮だ。これ使うと変装すんの簡単なんだよ」

 

「ひぇぇ……」

 

 

 先程殺したばかりの若頭。その頭部の皮膚を剥いたばかりか、変装に使うと宣言すると生徒達は戦慄を隠せない。

 虎太郎が全くの無表情であったが故に、悪趣味の発露ではなく、単なる仕事の一貫として行っているのが頼もしいやら恐ろしいやら。

 

 生皮を上手く利用すれば、変装の道具になる。

 殆ど使い捨ての上に、加工処理を誤ればすぐにでもバレてしまうのが難点であるが、今回はそれで十分だ。

 虎太郎は知恵と工夫と確かに言ったが、生徒達にはとても真似出来ないし、するつもりにもなれない残虐行為である。

 

 

「さてと…………そっちの様子はどうです?」

 

『運転手の方は、まだ気付いていないようですね。しかし、これは……』

 

「問題なし、と。ワイトの方は――――準備万端だな」

 

「ええ、勿論」

 

 

 既にワイトは自らの能力によって、姿形どころか声までもが変化している。

 彼女の能力は記憶の読み取りと変化。アルフレッドは彼女が元々生まれ持った対魔忍としての忍法が、屍の王によって発展・強化されたのではないかと推察していた。

 

 今回、彼女が変身したのは中曽根だった。

 此処までくれば、虎太郎の目的も分かろうというもの。

 ワイトは中曽根に、虎太郎は若頭に成り済まし、右衛門会の戦力と繋がりのある魔族を使って、米連の待機している工場を襲撃させるつもりなのだ。

 

 元々、紅羽や黒百合に街に潜む闇の組織を探らせたのは、グラムと繋がっていることを警戒してではあった。

 だが、調査の結果、グラムとの繋がりは皆無であり、ノマドとの繋がりもない独自の形態を持っていることが分かった。

 これぞ正に準備の成果である。今回は手が回らない、わざわざ手を下す必要がないと判断した相手であったが、状況が変化すれば便利な道具になる。

 

 中曽根の築いてきた全て――身分も、コネも、金も横から奪い、米連に足止めさせる道具にする。

 その為に、わざわざアルフレッドを使って、中曽根の携帯にゾグからの電話と連絡を取った。

 

 後は、このまま何者かに襲撃を受けたことにして組の事務所に戻り、ゾグに連絡を取って呼び出す。

 ゾグの携帯から連絡があった事実、その後の襲撃も加われば、何らかの意図で組を潰しに掛かったようにしか見えない。

 ゾグは身の潔白を証明する為に、中曽根に変じたワイトの言う通りに動かざるを得なくなる。

 

 米連の待機している工場を襲撃者の根城と偽って、右衛門会のヤクザとゾグの集めた魔族の混成部隊に襲撃を行わせるのだ。

 ただし、襲撃させるだけでは米連側の戦力を測るか、削る程度の効果しか得られないだろう。

 

 

「ですが、どうしてこんなに回りくどいことをするんです? 私達が動けないのは分かりますけど、これでは米連の足止めは出来ませんよ?」

 

「だろうな。不摂生なヤクザとはぐれものの魔族の混成部隊なんぞ、大した連携も取れない雑魚だ。米連の部隊の前には意味がない」

 

「だったら、どうやって……?」

 

「ふむ。じゃあ、一つだけヒントだ。死霊魔術師の操る生ける屍(リビングデッド)と吸血鬼が転化させた食屍鬼(グール)の違いって、何か分かるか?」

 

「え? それ、は……私は不勉強で知らないだけで、何か違いが、あるんじゃ……?」

 

「科学的な観点から見ると殆ど差がないんだなぁ、これが。ハッキリ言えば、人間側は生ける屍にせよ、食屍鬼にせよ、大きな差を見つけらていない。となれば、米連はどう考えると思う?」

 

 

 掃除の手を止めた深月は虎太郎の質問に困惑を隠せなかった。

 

 彼はワイトの操る生ける屍を右衛門会とゾグ、米連の戦闘に投入するつもりだ。

 

 生ける屍(リビングデッド)食屍鬼(グール)には、大きな差がない。

 共に動く死体であり、生ある者を食らう共通点はあるものの死体が動く原理は別、その原理自体を人間側はまだまだ理解出来ていない。

 生ける屍(リビングデッド)食屍鬼(グール)と戦ったことのある者ならば、些細な動きの違いから看破も可能であろうが、この二つの死体を相手取ってきた者など、米連内には早々いない。

 

 米連は豊富な人材こそが最大の武器。

 不測の事態で様々な敵と戦うことはあっても、超巨大組織であるが故、基本的に部隊単位で相手をするのは何らかの敵や状況に特化している場合が多い。

 

 グラムは欧州を中心に活動を行っており、屍の王はブラックを追って人界へと手を伸ばしたばかり。

 他の吸血鬼や死霊魔術師と戦闘を行った者も居るには居るだろうが、この二つを相手取った者となれば、極端に数を減らすだろう。

 其処までの適正人材が、今回の米連が配置した部隊の中に居るとなれば奇跡的な確率だ。手間を掛けるだけの価値はある。

 

 

「どう考えるって、グラムの仕業と考えるんじゃあ……」

 

「いえ、前園さん、それは在り得ないのでは……」

 

「そやなぁ、グラムについて知ってるんはウチらだけなんやろ? となれば疑うんは…………アレ?」

 

「ま、まさか、弐曲輪先生……?!」

 

「そうだよぉ。カーラの仕業と考えるのが普通だよねぇ(ニッコリ」

 

 

 この街において、闇の世界における吸血鬼のビッグネームはカーラのみ。 

 米連がどれだけ諜報の手を伸ばそうとも、カーラの高潔な姿勢や行いしか得られていない。事実として、彼女は自身の身に与えられた高貴と王族の役割を全うしてきたのだから。

 

 だが、此処で。このタイミングで。

 カーラと闇の組織との繋がりを匂わせる可能性が浮かび上がればどうだ。人と吸血鬼の間に交わされた約定が、吸血鬼の女王自らの牙で破られている可能性があればどうだ。

 

 此度、配置されているのは米連の排斥派である可能性が高く、結託派であったとしても関係がない。

 排斥派であれば、カーラを討つだけの大義名分を得られる。結託派であれば、血を捧げる生贄を代償に交渉のテーブルにつける。

 そして、まだ他の組織と繋がりがないかと慎重になる。襲撃にせよ、交渉にせよ、横合いから殴り付けられては堪ったものではないのだから。

 米連は一時的に足を止めるだろう。少なくとも吸血鬼対策協議ギリギリまで、情報収集をし直すに違いない。

 

 

「で、でも、それではカーラさんが汚名を被ることに……!」

 

「だからぁ? 火のない所に煙は立たない。人の噂など七十五日だ。何の情報も揃ってないのに、そんなもんを信じる奴は先入観を拭いきれないバカだ。カーラも、そんな連中の相手をしなくて済んで御の字だろうよ」

 

「そ、それは、そうかもしれないですけど、本人に断りもなく、なんて――――」

 

「カーラは今回の件に一切絡んでいない。つまり、どれだけ噂が立とうがカーラ自身は関係がなく、直接的な類は及ばない。アレも王族で政治屋だがな、その程度の真っ赤な嘘や噂で立場を追われるようなら、そのまま消えた方が奴の為だよ」

 

「――――――鬼や」

 

「何処が。米連の足止め、撹乱を同時に行いつつも、オレ達の存在は知られることはない。グラム側は米連の存在に釘付けにされる。やったぜ、オレ達はやりたい放題だ。ふひひ」

 

 

 とんだ外道ぶりに、生徒達は知ってはいたが絶句した。

 自分達の仕事で最大限の成果を得るために、米連を巻き込むのは兎も角としてカーラの名誉に傷をつける行為を平然と選んだのである。

 対魔忍は動きこそするが、最小限の動きであり、被害が及ぶ可能性があるのは精々が虎太郎とワイトだけ。更には最大限の効果を期待できる動き。

 

 これが情報収集と状況把握の効果だと言わんばかりに。

 生徒達も戦慄を隠せない。これは虎太郎でなくとも、情報収集さえ行っていれば、誰でも行える手段だと言うことが更に拍車を掛けている。尤も、誰もが選べる選択肢ではないのだが。

 

 

「ほいじゃま、行ってみようか。後は意気揚々とオレ達は準備を整えるぞぉ~!」

 

『…………………………アカン』

 

 

 ニッコリと微笑む虎太郎の顔に生徒達の口から漏れたのは、彼女達の心境を端的に表したものだった。

 

 



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『米連の情報収集能力は世界一ィィィィィイイ! じゃけん、それを利用しちゃおっか(ニッコリ、とか言いだすのが苦労人』

 

 

 

 

 虎太郎が目をつけた工場の地下には、確かに米連が極秘裏に設置した作戦基地があった。

 内部には、日本の自衛軍に偽装した軽装甲機動車が三台。兵士の移動を目的とし、通常の運搬会社のものに偽装した大型トラックが二台が収められている。。

 作戦の推移、本部との連絡を取り合う司令室、兵士達が僅かであっても安らげる兵舎、無数の武器を収めた武器庫など、戦場さながらの造りは米連がカーラと繋がりのある隼人学園をどれほど危険視しているかを窺い知れた。

 

 その一室――作戦遂行前に兵士達と打ち合わせを行うミーティングルームで二人の女性が向かい合っていた。

 

 

「軍曹、今回の襲撃はやはり……」

 

「はい、隊長。目を付けた死体の司法解剖の結果、襲撃時には既に死亡していたものと思われます」

 

「そう、ですか……」

 

 

 吸血鬼対策協議まで残り8日。

 協議までにカーラの殺害ないし捕縛を目的として編成された特殊作戦部隊(タスクフォース)156の計画は、実行目前で足を止めざるを得なかった。

 

 発端は昨夜、偽装工場へ行われた襲撃だった。

 襲撃者は日本のヤクザ、そして手を組んだ魔族によるお粗末なもので、それ自体は大した脅威には成り得なかった。

 幸いなことに、ヤクザの持ち出した銃器の大半には消音器が取り付けられており、魔族の持ち出した武器は中世を思い出させる斧や剣が主体であった故に、警察などの機関は動いているものの抗争場所の特定はされていない。

 

 問題であったのは、襲撃者に混じって動く死体が確認されたことだ。

 

 死体は襲撃者、彼女の部下、共に関係なく襲いかかった。

 この襲撃により、特殊作戦部隊の兵士に幾人かの死傷者を出したものの、ヤクザと魔族、動く死体の殲滅に成功する。

 予定外、予想外の襲撃にも対応できたのは、カーラという吸血鬼の女王へ対抗するための部隊であったことが大きかった。

 

 しかし、問題であったのは動く死体の存在だ。

 米連の諜報機関、部隊の諜報員からも、この街に死体を動かせるような魔族、術者は確認されていない。

 であれば、必然的に容疑がかかるのは、吸血鬼の女王たるカーラである。

 

 

「本性を表した、と見るべきでしょうね……」

 

「……早計、とは言い切れません。カーラ・クロムウェルの能力は未知数。諜報機関の能力や常識が通用しない恐れは十二分に存在します」

 

 

 此度の作戦指揮を取る女性は、ギリと機械化された手を嫌悪と憎しみから握り締める。

 

 彼女の名は雪那・グレイス。

 若くして対魔族戦闘のスペシャリストへと登り詰め、米連内きっての魔族嫌いとして知られる少女である。

 

 彼女の人生は、魔族によってメチャクチャにされた。

 米連の最新兵器開発研究員の父を持っていた彼女は、ある日、魔族からの襲撃を受けた。

 父の研究を狙ってのものであったのか、魔族特有の刹那的快楽を求めてのものであったのかは、今となっては定かではない。

 事実だけを述べるのならば、父は惨殺、母と姉は陵辱の限りを尽くされた挙句に殺され、彼女自身は殺されることはなかったものの下衆な欲望に晒されたのは言うまでもない。

 

 並の人間であれば絶望から命を絶ちかねない現実であったが、彼女は絶望と屈辱を怒りへと変え、魔族をこの世から駆逐するべく米連へと入隊。

 

 しかし、またしても彼女は躓いた。

 ある作戦中に魔族の一撃を受け、身体の殆どが使い物にならない状態となってしまった。

 生きているだけで奇跡的。執念だけで生き延びた彼女に目を付けたのは、米連のサイボーグ開発技術部であった。

 本人の承諾もないまま、首から上と生殖器以外は機械化され、人工筋肉と人工皮膚で覆われた身体へと生まれ変わった。

 

 彼女に身体改造を施した者達への嫌悪も怒りもない。寧ろ、より多くの魔族を駆逐し、より多くの仲間を守れるようになったことに対する感謝しかない。

 何よりも、彼女に施されたサイボーグ化技術と武装は、彼女の父が基礎理論を構築したものであり、彼女にしてみれば無念の内に死んだ父と共に戦っているようなもの。不満などあろう筈もなかった。

 

 その後、多くの魔族を屠った少女は、米連内で部隊長を任されるまでに至った。

 

 彼女もまた凜花を拉致した部隊のアルマのような境遇である。

 特殊な能力を保有する若者。最新技術、最新兵器を与えられた、与えざるを得なかった少年少女は、米連内での扱いは特殊だ。

 

 増え続ける魔族と魔界技術に対抗するための緊急措置と特殊事例。

 世界の先導者と自負する米連が、少年兵を実戦投入するという世論の不興を買いかねない現実を隠すための隠蔽工作。

 複雑化、細分化していく組織各々の思惑と欲望。

 最新兵器の実践における利点と欠点、特殊能力の解明と研究のためのデータ取り。

 

 およそそんな理由から、彼女のような境遇は正式な階級こそ与えられないものの、権限は与えられた上で秘密部隊に属する。

 今回限りの特殊作戦部隊も、そんな境遇の中から対魔族、対吸血鬼に相応しいメンバーで構築されており、雪那のような境遇のサイボーグ兵士が中心となっていた。

 

 

「今回の襲撃、カーラ・クロムウェルによるものであれば、撤退も視野に入れるべきかと」

 

「此処まで来て、ですか……」

 

 

 副官の進言に雪那は眉を顰めるざるを得なかった。

 

 無論、副官の進言の意味は十二分に理解していた。

 襲い掛かってきた死体がカーラか、側近であるマリカによって食屍鬼に転化させられたのであれば、全ての前提が崩れ去る。

 米連の情報網にも、カーラが闇の組織と繋がっているような事実は確認されていない。

 

 少なくとも雪那と副官が考えた可能性は二つ。

 

 カーラが米連の情報網を掻い潜り、隼人学園にすら気付かれないまま闇の一部として勢力を増大させているか。

 この街に死体を操れるような能力者か術者が存在しているか。

 

 前者の可能性は高い。

 表向きには聖者のように見える者であっても、裏では魔族と繋がっているなど、よくある話。

 属しているのが排斥派の派閥である故に、雪那も副官も何度となく目にしてきた現実である。

 

 後者は考え辛いが、カーラと繋がっていると考えれば無理のない流れとなる。

 今の今まで米連(じぶんたち)に存在を気取られなかった何者かが、このタイミングで存在を感づかれるような真似をしたのか。何者かとカーラが親密な関係にあるとするならば、説明はつく。

 何者か、或いはカーラが米連の存在を察知し、カーラを守るために先手を打ってきた。

 カーラ自身が動かなかったのは“人の血を吸わない”という人との盟約を果たした上で、多くの組織を敵に回さずに勢力を伸ばすために。

 

 

「襲撃計画は一時中断を。工作員には再度、情報収集をし直すように動いて下さい」

 

「…………撤退は、どうなさいますか?」

 

「情報が出揃えば、本国から追加人員の派遣要請も通るでしょうが、念の為、準備だけは進めておいて」

 

「Yes,Mom」

 

 

 雪那は魔族を憎んでこそいたが、それ以上に仲間の命を無駄に散らすつもりはない。

 仲間の命を危険に晒す強硬策を選ばず、仲間の使命感を無駄にする消極策も選ばず、事態を好転させるための現状維持を選択した。

 副官は雪那の命令に不満はないらしく、静かながらも力強い返事でミーティングルームを後にしていく。

 

 ――正に、この襲撃を仕掛けた虎太郎の思惑通りとなった。

 

 排斥派であるならば、人に友好的な魔族を前にして、はい分かりましたで見逃す筈がないのは知っていた。

 派閥の構成員は大なり小なり魔族に対して深い憎しみと怒りを持っている。魔族の引き起こした横暴や理不尽の被害者か遺族である場合が大半だからだ。 

 更に、排斥派の最終目的は、この地上から魔族を一掃すること。殺してもいいし、魔界に追い出して二度と人界に手出しをさせなくてもいい。

 

 そんな彼等が、今まで人に寄り添うことを良しとしていたカーラが、その実、人を虫螻程度にしか考えていないとすれば、彼等の嫌悪感は他の魔族に向けられるものよりも遥かに大きい悪感情を向けるのは目に見えていた。

 そうして、カーラを何としてでも打ち倒さねばならない理由を与えつつも、未だ全容を把握できない未知の敵という恐怖で縛る。

 

 撤退しないのは間違いない。かと言って、今までの計画通りに進めれば同士を失う可能性は高い。

 米連はまず間違いなく足を止める。今回の襲撃に何の関わりもないカーラの身辺を再び調査し直すだろう。

 

 時間稼ぎには十分過ぎる。これで米連は無駄な時間を調査に費やし、協議ギリギリまで粘るのは目に見えていた。

 

 斯くして、雪那・グレイスとその部隊は顔も知らない虎太郎の思惑で()()()()()()()など露知らず、見事に蟻地獄へと滑り落ちていった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「街の一角で戦闘があったようです。詳しい内容は分かりませんが、この街のヤクザ共と手を組んだ魔族と米連の小競り合いだとか……」

 

「何……?」

 

「信用のならない情報筋からですが、現場から離れていても血の匂いが濃い。戦闘があったのは間違いないでしょう」

 

 

 隼人学園の理事長室では、グラムが椅子に座り、傍らには部下の吸血鬼がありのままの事実を伝えている。

 

 吸血鬼の聴覚と嗅覚は人間よりも鋭い。

 米連が戦闘行動を行った夜に、尤も近い拠点で待機した幾人かの部下は消音器の取り付けられた銃声を耳にしていた。

 念の為、音の聞こえた工場へと向かった。事は既に終わっており、監視カメラの多さから侵入こそできず、内部の様子も探れなかったものの、周囲に漂う濃厚な血の匂いに、かなりの人数が死んでいることは明らかだった。

 

 其処で昼間にフリーランスの情報屋に当ってみれば、街のヤクザ――右衛門会が工場に身を隠している米連の一部隊が交戦したと言うではないか。

 自分では判断しかねると考えた部下は、こうしてグラムへと報告を行ったのである。

 

 

(このタイミングで米連が街に潜んでいるのであれば、狙いはカーラか。であれば、私の存在に気付いているとは考えにくい。表向きには私は死んだことになっているからな)

 

(これはチャンスだ。上手くやれば、米連の内部にまで私の寄生蟲を潜ませることが出来る……!)

 

 

「しかし、何故ヤクザと米連が小競り合いを……?」

 

「……情報屋に当たりましたが、ヤクザと魔族の動きは突然だった、と。そして、ヤクザの頭がその直前に魔界医師を呼んでいた、と」

 

「状況的にみれば、ヤクザの親玉が米連にちょっかいを出して負傷した、と見るべきか」

 

「それが、最も自然と思われます」

 

 

 グラムが気にしたのは、交戦の理由だ。

 確かに、右衛門会の存在は知っていた。隼人学園を乗っ取る前段階として、この街のヤクザにアムリタを売り捌かせようと取引を持ちかけていたからだ。

 

 だが、結果は梨の礫。

 右衛門会の組長は、アムリタなんぞに手を出せば、隼人学園や上原家が黙っていないと取引を拒絶した。

 グラムは臆病な人間が、と罵ったものの、当然の判断として納得はしていた。慎重かつ冷静に動くからこそ、右衛門会のような弱小組織は今まで生き延びてこれたと分かっていたからだ。

 

 どうにも、米連との交戦は右衛門会らしからぬ大胆さを感じさせるが、違和感にまで至らない。それはグラムもまた闇の組織の長であるからだ。

 

 この手の組織は顔に泥を塗られることを何よりも嫌う。

 顔に泥を塗られたままにしておけば必ず他所の組織に舐められ、以後の活動が立ち行かなくなる場合もあるほどだ。ましてや、弱小組織であれば尚の事。

 

 政治の世界でもそうであるように、闇の世界においても他者から馬鹿にされるというのは致命的である。

 示威の姿勢というものを見せなかれば、他所は挙って利益を得ようと喰い潰すか、取り込むように動く。

 その傾向は表の世界より顕著だ。元々、非合法組織である。法を犯していようが、人道など関係のない手段は好きなだけ使えるのだから当然だろう。

 

 

「北絵、この学園の結界は米連相手にどれほど有効だ」

 

「…………ご主人様、申し訳ございません。米連に雇われた魔族でもなければ、問題なく侵入できます」

 

 

 壁際に立っていた北絵に、グラムは質問を飛ばしたが返ってきたのは予想通りの言葉で舌打ちをした。

 

 北絵はグラムの舌打ちに弁明すら出来ずに青褪めた。裸のまま乳首を勃起させ、発情から滲んでいた汗が一瞬で引くほどだ。

 もうすっかりと雌奴隷としての姿が板についている。見る者によっては痛々しいが、グラムと部下にしてみれば愉悦の対象でしかない。

 散々、同胞を屠ってきた憎い相手が、自分達に縋ってくる姿など腹を抱えて笑いたくなるほどに滑稽だ。

 

 

「結界の強化は可能か?」

 

「不可能、ではありませんが、一ヶ月かかるかと」

 

 

 元より上原家の結界術は吸血鬼に特化したものだ。その副産物として魔族にも大きな影響を与える。

 無論、人間に対する効果はあるものの、一瞬で消滅させるようなもの、侵入自体を拒むものとなれば、相応の準備が必要となる。

 

 あくまで隼人学園は人間を守るための狩人を育成するための機関。

 周囲に張られている結界は人外を想定したものであり、人間までもを拒んでしまっては、出るのも入るのも一苦労。

 政府の関係者とて出入りをする。生徒の親が一般人である場合もある。万が一にも、彼等を傷つけるわけにはいかない故に、人間に対する効果はほぼないタイプの結界だ。

 

 現状、結界は隼人学園の下を通る龍脈――言わば土地の血管、経絡系のような莫大なエネルギーとリンクしており、維持されている。

 細かな調整は北絵の得意とする分野であったが、新たな効果を付与するとなると結界の術式を一から組み直す必要があった。

 それでも一ヶ月でその規模の結界を張れる辺り、北絵の術者としての力量が凄まじいと嫌でも分かろうというものだ。

 

 

「……死神を使いますか」

 

「マスターのご命令とあらば」

 

「馬鹿を言うな。それは、最後の手段だ」

 

 

 北絵の隣には、褐色の肌と豊満な肢体を惜しげもなく晒したマリカが立っている。

 恍惚とした表情と瞳は、誰の目から見てもグラムに対する揺るぎのない忠誠と発情を示しており、彼女もまた北絵同様に寄生蟲の支配に抗えぬまま堕ちてしまった事実を伝えていた。

 

 グラムは部下の進言とマリカの忠犬の如き言動を諌める。

 

 米連の差し向けた部隊の規模は分からないが、マリカならば問題なく高を括ってはいた。

 暗殺騎士団の頂点、死神の二つ名が示すように、マリカの実力は吸血鬼においてもズバ抜けている。

 流石に、カーラに届くことはないだろうが、吸血鬼の能力を駆使すれば米連のセンサーなど容易く突破して、部隊の頭の首を取ってくるだろう。

 

 だが、今はまだその時ではない。やるにしても最終手段だ。

 現状、カーラはまだグラム側にはついていない。北絵やマリカの変化に気づいてはいないものの、マリカが米連を襲撃なぞすれば彼女に気取られる恐れがある。

 

 カーラは人間を尊重し、友として見ている。

 吸血鬼や魔族と手でも組んでいなければ、問答無用で襲撃など決して許さない。グラムにとっては忌々しい弱気な姿勢としか映らないだろうが、まずは対話を望む。

 マリカは今までカーラの王族としての在り方を尊重してきたにも拘らず、容易く翻すような真似をさせる訳にはいかなかった。

 

 

「…………神村の方は、どうなっている?」

 

「はい。ご主人様の命令通りに洗脳した生徒達を使って、メス豚に仕立てている最中です」

 

 

 マリカを堕としたグラムは、既に東にまで毒牙を掛けていたようだ。

 東は恐るべき直感で、何も知らないままにグラムの血液に何らかの効果があると看破したが、生徒を使った策の前に膝を屈した。

 今現在は学園の何処かで部下と洗脳された生徒に犯され、寄生蟲との融合を促進させられている。

 

 このまま行けば、東の陥落も時間の問題であったが、事情が変わってしまった。

 

 

「予定変更だ。まずはカーラを堕とす。神村は処分するぞ」

 

「では、生徒を使いましょう。生徒を盾に使えば、殺すのは簡単ですもの」

 

 

 かつて優しさからなる厳しさを以て接していた生徒をグラムのために使い潰すと宣言をしながら、北絵はうっとりと微笑んだ。

 常であればグラムでも薄ら寒くなる女の情念に満ち溢れた笑みであったが、それを自分が浮かべさせたとあれば話は別だった。

 喉から漏れる笑いを噛み殺し、神村の陥落から抹殺への移行、カーラを陥落させる計画を立て始めた。

 

 グラムが焦るのも無理はない。

 計画では東を堕とした後に、いよいよカーラを攻める腹積もりであったが、米連の介入を察しては悠長にはしていられない。外堀を埋めている余裕はなくなった。

 

 いつ何時、米連が襲撃に動いてもおかしくない状況なのだ。

 本命であるカーラを調教している最中に介入されては堪ったものではない。全てが台無しになってしまう。

 逃げ遂せることは出来るだろうが、またしても面倒な手順を踏まねばならず、グラムの組織はカーラ達によって壊滅状態なのだから次のチャンスがいつ訪れる分からない。

 

 ならば、多少の危険を犯してでも、王手(チェック)をかけに行くべきだろう。

 

 こうして、グラムもまた虎太郎の読み通りに動き始めた。

 米連の動きを読めたのは組織形態や運用方法、思想や理念を熟知していたとするのならば。

 グラムの動きを読めたのは、彼等が同じ闇の中から産み落とされた兄弟であったからだろう。

 

 元を質せば、虎太郎もまた他者を喰い物にする闇の住人。対魔忍などよりも性質は近い。

 彼等の考えや行動を正しく予測するなど息をするかの如く容易い行いであったようだ。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「――――と、隼人学園と米連の動きはこんな感じだな」

 

「あの、弐曲輪先生、隼人学園の方はカメラを設置したそうですから分からなくもないですが、米連の動きはどうやって……」

 

「んー? ひ・み・ちゅ♡」

 

「はぁ…………百田、サイボーグを知っているな?」

 

「あっ、テッメ!」

 

「それは知っています。私自身、任務で何度か交戦していますから」

 

 

 雪那とグラム、それぞれが行動方針を曲げざるを得なかった夜から開けて翌日。

 前夜に吸血鬼の拠点の一つを見張っていた里奈子は、朝方に生徒達の待機部屋に戻って睡眠を取ると、新たな情報が入っていないか、状況に変化がないかを確認するために仮設本部を訪れていた。

 

 驚くべきことに、事は虎太郎の思惑通りに進んでいた。

 米連もグラムも自覚のないままに虎太郎の操り人形になっている事実に、里奈子も背筋が寒くなる思いであった。

 しかし、それ以上に疑問であったのは、どうやって米連の動きを察したか、だった。

 

 米連の科学技術を警戒して、工場への潜入は許可されていない。

 不用意に侵入を試みて、対魔粒子を計測するセンサーが存在し、警報でも鳴らされれば対魔忍の存在がバレれば全てがおじゃんだ。

 米連が拠点としている工場は、今は零子が遠巻きに監視を行っているだけの筈。出来るにしても急な動きを報告するのが精々で、内部の事情など知り得る筈がない。

 

 

「サイボーグには数十種類以上ものタイプがあることは?」

 

「それも知っています。戦闘特化や情報収集に特化したタイプがあるとか。それに、完全なワンオフ――量産を前提としていないサイボーグも存在している、と弐曲輪先生の授業で聞き及んでいます」

 

「そうか。其処まで知っているのなら、もう一つ知っておけ。情報収集に特化――殊更、工作員型のサイボーグは通信システムで司令部と直接繋がっていて、カメラアイからの映像もリアルタイムで視聴が可能なようだ」

 

「はぁ、そうなの、ですか……でも、それが?」

 

「工作員型のサイボーグに搭載された通信システムを解析してしまえば、奴等のメインフレームへの侵入も決して不可能じゃない、ってことさ」

 

「………………」

 

 

 へらへらと笑いながら答える虎太郎に、里奈子は顔を引き攣らせる。

 機械関係に強い訳ではないが、虎太郎の仕出かした行いを何となく察しが付いたからだ。

 

 工作員型のサイボーグも目的や用途にとって、細かな仕様は違っているだろう。ただ、基礎となる原理や設計は間違いなく共通のはずだ。

 工作員の数は多ければ多いほどいい。高性能化を犠牲にして、量産性を重視するのは目に見えている。ならば、多くのパーツに互換性を持たせた方が合理的である。

 任務に適した外装(パーツ)のレパートリーは豊富にあろうが、工作員型の目玉である司令部と直結した通信システムに関しては少なくとも米連内の組織においては共通であろう。

 

 そもそも通信システムが多岐に渡っては、暗号化して送られてくる情報や映像を解析する手間が掛かり過ぎてしまう。

 ならば、ハッキングやクラッキングに対抗するには通信システムそれ自体を変えるのではなく、司令部に送られる情報の暗号化やメインフレームのファイヤーウォールを強化した方が現実的。

 事実、米連は機械技術においては魔族ですら上回る。元より彼等の専門分野と言っても過言ではないのだ、当然だろう。

 

 例え、ウィザード級のハッカーであったとしても、米連のファイヤーウォールを破ることは不可能だ。

 腕がどれだけあろうとも、そもそも個人で保有できるコンピューターでは演算能力に差がありすぎて、一瞬でパソコンが落ちてしまう。

 

 だが、機械仕掛けの神の御業であれば、これを破るなぞ児戯に等しい。地球上のコンピューターでは、それこそ彼には対抗できない。

 

 ただ、虎太郎が気にしたのはメインフレームへのハッキングが露見することだ。

 アルフレッドならば力技でハッキングを成功させることは不可能ではない。魔術的な防衛機構が組み込まれていれば不可能、などと彼は嘯いているが、本気で当たれば不可能すら可能となる。

 だが、力技になればなるほど痕跡はどうしても残る。ファイヤーウォールの解れ、情報の閲覧記録、魔術的な残り香。あらゆる側面から痕跡を辿れるのである。

 情報とは誰にも気取られることなく手に入れてこそ最大の効果を発揮する。頭の回転が早いものならば奪われた情報から、狙いや目的を察して先手を打ちかねない。

 

 故に、虎太郎は工作員の通信システムを乗っ取ることで露見を極限する手法を選んだ。

 戦いの中で見かけた工作員を敢えて見逃し、当人が寝静まったところでアルフレッドによって通信システムにバックドアを仕込ませた。

 メインフレームに登録された工作員からのアクセスであれば、ファイヤーウォールも正規の方法で突破できるし露見する可能性は低い。

 

 こうして、米連の工作員は、自分でも気付かぬ内に虎太郎の目となり、耳となり、鼻となっているのであった。

 

 因みにであるが、メインフレームへのアクセス自体は虎太郎が行う。

 アルフレッドが行ったのは通信システムへの仕込み、アクセスを統括するソフトの作成までであり、既に彼の手から離れている。

 

 と言うのも理由は単純明快。

 アルフレッドが常に監視を行っていれば、対魔忍や人類にとって不利益となる行いを未然に防げるメリットを十分に理解した上で。

 アルフレッドが億に一つの可能性で舞台を終わらせるためだけの機械仕掛けの神と化した際のデメリットを危険視したからだ。

 

 彼の性格を考えれば、最悪の未来を想定した上で既にアルフレッドの裏切りに対抗するための手段を用意しているだろうが、確実に時間との勝負になる。

 これだけの繋がりをアルフレッドに全て任せていては、情報など奪い放題。下手をすれば、新型の大量破壊兵器を自立機動させることも、製造工場を稼働させて独自の殺戮機構を作成することも容易になってしまう。

 世界の終わりを一秒でも遅らせるために、米連の中枢に繋がりかねない経路は全てを自分で握っておかねばならなかった。

 

 呆れた猜疑心は毎度のこと。アルフレッドが裏切るなど、それこそ有り得まい。

 ただ、彼はアルフレッドは優秀かつ有能な味方と認めてはいるものの、同時にブラックや屍の王、異界の悪魔や神性などの上位存在よりも遥かに危険な相手と認識しているのだ。

 

 

「色々、やったんですね……」

 

「うん、そぉだよぉ。ぶっ殺した工作員の頭を解剖して通信機器を引き摺りだして調べたり、生かしたまま頭を割ってみたりとか色々試してみた。まあ、最終的には当人にすら気付かれない方法が一番よかったわけだが」

 

「………………」

 

「諦めろ、百田。何を言いたいかは痛いほど理解できるが、この最低男の前では何もかも無意味だ」

 

 

 里奈子は最早、言いたいことが有りすぎて、逆に何を言っていいのか分からないらしく顔を引き攣らせるばかり。

 彼女の気持ちは痛いほど理解できる紫は、里奈子の肩に手を置いたが、当人も頭が痛いらしく目頭を揉み解している。

 里奈子の反応は、紫も通ってきた道なので慰めてやりたくもなるが、十年以上もこの調子では頭痛の一つも覚えよう。

 

 そんな二人の様子を虎太郎は余裕のスルー。この程度でいちいち反応していては立ち行かない。

 

 米連は思惑通りに足を止めた。以後は、諜報の担当を使って出てこないカーラと闇の組織の繋がりを探り、時間を浪費するだろう。

 街に潜むグラムの部下を探り当てられる心配はない。人と吸血鬼を見分ける手段は米連には存在しておらず、人には持ち得ない能力から判別せざるを得ない。グラムもその辺りには気を使っており、部下達に不用意な戦闘行動は取らせない。足止めとしては十分だ。

 

 それ以上に僥倖だったのは、グラムが東を斬り捨てる方向に動こうとしている点だ。

 カーラを陥落させていない以上、気付かれることを恐れて東の始末を学園内でつけることはないだろう。

 なら、最も可能性の高いのは生徒を餌にして東を誘き出してから、何らかの卑劣な罠を用いるのは目に見えていた。

 

 

(状況は整っている。米連もグラムもこっちの存在に気付いていない。なら、もう一度、罪をおっ被せるとしましょうか)

 

 



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『暗躍、暗躍、また暗躍。人に責任と罪を擦り付けるのは苦労人の得意とするところ』





 

 

 

 

「生徒達が消息不明……?」

 

「……ええ」

 

 

 米連が再度、隼人学園とカーラの周辺の再調査を決め、グラムが策略の方針を変えた翌日。

 朝日が昇ってから3時間後の午前8時。隼人学園の理事長室には理事長である北絵が東を呼び出していた。

 

 東も連日の調教によって、肉体は常時発情した状態でこそあったものの、生徒の身に何らかの危険が及んでいることを知るや、鋭い眼光を北絵に飛ばした。

 

 彼女に調教中の記憶はない。

 肉体に仕込まれた寄生蟲が、当人が思い出せば怒り狂いかねない記憶の想起を邪魔立てしているのだ。

 これによって北絵もマリカも、グラムの魔の手から逃れられなかったのである。

 

 

「………………」

 

 

 眼光は北絵の事情を探っているかのよう。普段の彼女ならば、決して向けない視線だ。

 

 東は北絵に全幅の信頼を寄せている。

 倒してきた下衆な怪物どもの死体で山を築くことが誇りであった彼女は、教師となったことで後進の成長の手助けをし、背中を見送ることが誇りとなっていた。

 自身の変化を、こそばゆくも受け入れていた東にとって、その道に無理やりながらも引き摺り込んだ北絵には返しきれないほどの恩があると言っても過言ではない。

 

 だが、今になってその信頼は揺らいでいた。明確な理由があった訳ではないが、嫌な予感がしたからだ。

 嫌な予感は、つい最近に感じたものと同一であったような気がするが、それを感じたのが何時だったのか、何に対してだったのかをまるで思い出せない。

 

 凄まじい話である。

 彼女は勘がいい、という理由だけで、寄生蟲によって記憶を弄られていると言うのにグラムの影を踏んでいるも同然の位置に立っていた。

 

 惜しむらくは、彼女が教師としての経験を積んでしまっていることか。

 神村家の次期当主という肩書も気にせぬまま、狂犬同然に人外の化物共を屠ってきた狩人時代であれば、自身の勘という理由だけで北絵を締め上げて口を割らせていただろう。

 

 だが、教師となってからは、分別というものを見に付けてしまった。

 生徒達の規範になる、などとは口が裂けても言えないが、生徒達が自ら危険な道を選択してしまうような背中だけは見せていないつもりだ。

 事実として、東はよくやっていた。若かりし頃の狂犬ぶりは、言動に現れているものの、行動には反映されていないのだから。

 

 今回は、それが仇となった。

 直感よりも自らの立場や周囲への影響を考慮した大人としての態度が、グラムへの足掛かりを閉ざしたのである。

 

 

「東先生には、生徒達の足取りを追って貰いたいわ。授業態度も良ければ、悩みもあった様子もない。なのに、外出届を出したまま戻らない。これは……」

 

「吸血鬼や魔族が絡んでるかもしれない、ってことっすね」

 

「そういうことよ。最後に目撃されたのは、街の繁華街よ」

 

「んじゃあ、今日のあたしの授業は別の先生方にお願いしますね」

 

「待ちなさい、東先生。もう出るつもりなの……?」

 

「まあ、こういうのは早い方がいいでしょ? 単なる無断外泊だったら叱ってやらなきゃっすよ」

 

 

 嫌な予感を振り払うように、北絵から差し出されていた粗茶に視線を落としていた東は立ち上がる。

 

 生徒が自身の意志にせよ、何者かの思惑にせよ、学園に戻らないのであれば、早く動くに越したことはない。

 自身の意志であるのならば、学園の何処に不満があるのか、今の生活に不安を抱いているのかを聞いてやらねば、生徒の将来に影響を及ぼしてしまう。

 何者かの思惑であるのならば、一刻も早く助け出してやらねば命に関わりかねない。

 

 短絡的でこそあったものの、選択肢としてはそれ以外には存在しない。

 街の繁華街であれば、東の庭も同然だ。馴染みの情報屋も居れば、繁華街に出入りのある知り合いも少なくはない。

 今の時間から繁華街を回って情報を集め、自身の勘も頼れば、夜までには生徒の居場所を突き止めることも出来るという算段だった。

 

 

「………………チっ」

 

 

 ひらひらと片手を振りながら視線を合わせることなく理事長室から出ていった東に、北絵は舌打ちをする。

 

 彼女が目線を落としたのは、東が一度も手を付けなかった湯呑み。

 差し出した茶の中には、劇薬が入っていた。

 一口でも飲めば、直ぐにでも全身へ毒が駆け巡り、即座に死へと至る類のものであったが、流石に直感そのものが異能に等しいと称されるだけのことはある。

 東自身、毒に気付いていないだろうが、無意識に直感に従ったのか、すんでの所で自らの死を回避するのは一流である。

 

 ……東にしてみれば、此処で死んだ方がまだマシであったかもしれない。

 グラムが用意した罠は、寄生蟲と洗脳によって既に操り人形と化した生徒を使った悪辣なもの。

 

 生徒想いの東は決して生徒を見捨てる真似など出来ないし、許しはしない。

 許しはしないが、操り人形となった生徒が、それこそ死ぬまで東に襲い掛かってくるとあれば、どうか。

 

 生徒達には寄生蟲を実用段階まで、実験体を犠牲にして得たデータをベースに肉体改造を施してある。

 改造の内容は実に単純だ。肉体に掛けられたリミッターを解除してあるだけ。所謂、火事場の馬鹿力を常時発揮しているような状態にするだけ。

 勿論、洗脳は施されているが、自意識は消していない。其処が、今回のミソだろう。

 

 どれだけ常人よりも強靭な肉体を持つ狩人の卵と言えども、限界値というものは必ず存在し、これを超えれば肉体は自らの力で自壊していく。

 生徒達はこれを強制される。自意識を保ったまま、自らの肉が断たれ、骨が砕け、霊力が尽きてなお生成する苦痛を味わい、悲鳴を上げながら東に襲いかかるのだ。

 

 彼女は選択を迫られるだろう。即ち、自分が生徒を殺すか、自分が生徒に殺されるのかを。

 どちらを選択するのか。いや、どちらであっても結果は変わらない。

 生徒に殺されるのであれば、それで良し。生徒を殺そうとするのならば、その迷いに刃を滑り込ませるだけである。

 

 東が死ぬ光景を想像し、北絵はうっとりと頬を染めた。

 いや、東が死ぬ光景とはおかしな話か。彼女が想像しているのは、主人であるグラムの命令を実行し、その褒美を想像しているに過ぎない。

 粘ついた粘着音とどうしようもないメスの嬌声が誰の耳に届くことなく理事長室で木霊するのは、暗躍するグラムそのものを示しているかのようだった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「――――チッ!」

 

 

 理事長室を出た後、東は得物をバットケースに収めて繁華街へと向かった。

 

 彼女の得物は“鬼切”と銘打たれ、梵字の刻まれた金属バットだ。尤も、元からバットであったわけではない。

 元々は神村家に伝わる長刀であったのだが、確かに受け継いだはずの東が、現当主であった父親の許可も取らずに現在の形へと打ち直してしまったのである。

 これには父親も頭を抱えたものの、東の言い分は合理的な理由であったが故に押し黙り、東の出す結果に口を開くことも出来なかった。

 

 現代社会において、狩人の存在は秘匿されている。

 警察上層部には知っている者も居るが、末端ともなればそうもいかない。

 狩りの最中にいちいち職務質問や、刀剣の登録証を見せなければならないなど堪ったものではない。

 

 それを嫌った東は、お抱えの鍛冶屋に刀をバットの形状へと打ち直させた。

 バットであればケースに入れてさえおけば、周囲から好奇の視線で見られることもなく、警察の目にも止まらない。

 万が一、誰かの目に止まったとしても、刀などよりも遥かにあしらえやすい。

 

 また形状を変えたことで、東の手には馴染むようになった。

 相性もあったのだろう。剣術という小手先の技術や型に嵌った動きをしていては得物に霊力を込めづらかったが、バットのような一撃に全てを賭けざるを得ない得物にすることで霊力を込めるのは遥かに簡単になった。

 その結果、“鬼切”は千の吸血鬼の血を吸った、とまで噂されるようになったのだ。

 

 煙草を咥えながら繁華街を行く東であったが、頗る不機嫌であった。

 腕を組んだ男女も、酔っ払った勤め人も、ナンパしようとしたチンピラも、彼女の表情と発せられる鬼気を前に即座に道を開けていく。

 

 不機嫌であるのには理由があった。

 昼間から時間をかけているにも拘らず、生徒達の手がかりを一向に掴めなかったから――――ではない。

 判断に迷っていたが、彼女の勘は確信の領域にまで手を伸ばしていた。

 

 学園から出る直前、確かに視線を感じたのだ。

 勘で視線を感じた方向を見ても、当然の如く姿はない。そんなことが数度続き、首を捻った。

 昼間の内に、敢えて人気のない場所で待ち、相手を誘ってみたのだが、それでも姿を現すことはなかった。

 

 露骨になったのは、日が暮れてから。

 まるで人が変わったように、視線を感じる回数が増え、遠目でも怪しい人物を見つけることもあった。

 吸血鬼の活動は夜間が中心となる。日光を避けているのではなく、基本的に吸血鬼は夜行性の生き物なのだ。尤も、人間と同じように訓練と気力次第でいくらでも日中に生活に変えることも可能ではあるのだが。

 勘だけではなく奴等の行動からも、ほぼ間違いなく吸血鬼と確信していた。

 

 

(面倒だな。来るなら来やがれ……!)

 

 

 東が苛立っていたのは、彼等の見切りの遅さであった。

 疾うの昔に自分が気付いていることを察しているだろうに、二の足を踏んで仕掛けてこない間抜けさにこそ苛立ちを覚えていた。

 

 吸血鬼が生徒を攫った確証はないが、勘自体は関わりは皆無ではないと告げている。

 いい加減、下らない駆け引きはうんざりであった東は、するりと路地裏へと身体を滑り込ませた。

 

 繁華街の路地裏には、各店から出された生ごみ、酔っぱらいの吐瀉物や排泄物、何らかの犠牲者の血の匂いが混じり合い、吐き気を覚えるほどの不快感を発生させる。

 東の経験上、この匂いが酷くなればなるほど、街が荒れている証左であることを知っていた。

 魔界都市に出向いたこともあるが、あちらはもっと酷い匂いと有り様だった。血の匂いとドラッグ特有の甘い刺激臭は更に濃くなり、男女の嬌声が所構わずに響き、見たこともない魔界の昆虫が地面を這い回る。

 

 それに比べれば、まだまだマシな方であるが、以前よりも匂いが濃くなっているのは確か。

 

 

(街のどっかでゴキブリみてぇに数を増やしてるってことか。本当、何処にでも入り込みやがんな、アイツ等)

 

 

 放置されたゴミ袋や空き缶を蹴り飛ばしながら路地を進んでいくと、背後から自身を追ってくる気配がした。

 地の利は東にある。撒こうと思えば撒けたが、生憎と生徒達の居場所を聞き出さねばならず、ましてや彼女は狩人だ。街を汚す吸血鬼の姿を見つけた以上、討ち取らねばならない。

 

 民間人を巻き込まず、そして吸血鬼を逃さない開けた場所で戦うのが望ましい。

 其処まで考えた東は頭の中にあった地図から最適の場を導き出し、目的地へと設定した。

 

 路地を右へ左へ。時折、繁華街の大通りを横切っては、また細い路地へと身体を滑り込ませる。

 勿論、後ろから追ってくる連中を撒かない距離を保ってだ。

 

 五分もすれば目的の公園に辿り着く。

 繁華街の片隅には開発から取り残され、子供達が寄り付かなくなった公園があった。

 遊具も撤去され、周囲を囲むように植えられていた木々も引き抜かれており、近々何らかの店の建築が始まることだろう。

 

 寒々しい公園の中心に立った東は、バットケースの中から鬼切を取り出すと肩に担いだ。

 街灯と月の光を反射させていた筈の鬼斬は、また自らも東の霊力を吸い上げてボンヤリと青く光を発し始めた。

 まるで深夜営業の店先に吊るされた捕虫器のようだ。

 吸血鬼は、害虫さながらに東と鬼切に引き寄せられて、闇の中から姿を現す。

 

 その傍らには隼人学園の学生服を来た少年少女四人の姿も見て取れた。

 全員、東が受け持ったことのある生徒達だ。見間違えようもない。

 何らかの幻術や目眩ましの類も疑ったが、勘は彼らが本物であることを告げていた。

 

 

(おかしな術でも掛けられてるのか、少なくとも正気じゃねぇな……)

 

 

 生徒達は目を開いているが、光がない。反面、足取りと呼吸は整っている。

 夢遊病患者であっても、此処まで大地に足を付けて歩きはしないだろう。

 

 東が敵の術中に堕ちた生徒を睨むことなく、寧ろ哀れみの視線を向けたが、それも一瞬のこと。

 凄まじい怒気と殺気が放たれ、吸血鬼が足を止めたのみに留まらず、遠くの電柱で眠っていた鳥は危険を顧みず夜空へと飛び立ち、虫の鳴き声は消え果てる。

 

 煙草のフィルターを噛み切って、東は一言も発することなく笑っていた。

 

 肉食獣の威嚇にも笑みは、吸血鬼に恐れを抱かせるには十分であったが、彼等も最早、止まりようがない。

 自らの長の命に加え、東の反応からも生徒の救出を優先するのは目に見えていた。

 その生徒も改造が済んでおり、いくら気を失わせようとも、痛みと共に覚醒を繰り返し、死ぬまで動き続けるだけだ。その間に、東の首を取ればいいだけの話。

 

 一瞬の膠着の後、東の最後となる筈の戦いの火蓋が斬って落とされようとした瞬間――

 

 

「な、何だぁ――――!?」

 

 

 ――公園全体が煙幕に包まれた。

 

 反射的に毒を警戒して服の袖で口元を覆った東は、周囲への索敵も怠らない。

 初めは吸血鬼の策かとも考えたが、相手方の反応を探ってみれば、返ってくるのは困惑ばかり。この事態は吸血鬼共にとっても予定外であったようだ。

 

 

(何処の誰だか知らねぇが、好機か! 今の内に生徒達を――――――いや、狙いは、あたしかっ?!)

 

 

 煙幕の中、生徒達に施された改造も知らぬ東は、最大の好機が飛び込んできたと一歩を踏み出そうとしたが、それが最大の失敗であったことを悟る。

 

 直後、最大級の悪寒が東を襲う。

 背骨がそのまま氷柱に置き換わってしまったかの如き嫌な予感。しかし、己の危機を伝えるには遅すぎた。

 煙幕を好機と判断した間違い、生徒達が敵の魔の手に堕ちていた焦り、吸血鬼共への怒りと殺意が東の勘を鈍らせ、自身の危機を無意識に後回しにしてしまったことがそもそもの原因だ。

 

 

「はっ? ――――――――ぁああぁっ!??!」 

 

 

 横合いから煙幕を突き破って現れたのは、車体のフロント部分だった。

 生徒の救出に動こうとした東は、嫌な予感の正体に思わず疑問の声を上げたが、それも一瞬のこと。

 減速せずに突っ込んできたボンネットに対して、咄嗟に鬼切を滑り込ませることで衝撃を幾分か和らげたが、数トンの鉄塊による衝撃がそれだけで凌げる筈もなく。

 

 東の視界がブレて歪み、全身がバラバラになりそうな衝撃と浮遊感の中、自身が強制的な交通事故に巻き込まれたと理解した。

 

 二度目の衝撃は、背中から地面に叩きつけられたからだ。

 横隔膜は迫り上がるだけ迫り上がり、肺を押し潰して酸素の供給が断たれている。

 受け身こそ取ったものの、受け流せなかった衝撃は全身の骨と関節を軋ませ、肉と内臓は絶え間なく痛みを訴えていた。

 

 

「うっ、ぐぁぁ……っ!」

 

 

 その全てを苦悶の呻きと共に吐き出し、鬼切を杖代わりに立ち上がる。

 霊力で強化された肉体に外傷は見られなかったが、それでも即座に戦闘態勢を取れはしない。

 それでもなお立ち上がれたのは狩人の矜持よりも、寧ろ教師としての使命感であった。

 

 此処で死んだとしても、生徒達を隼人学園に連れて帰る。

 

 ぎりと歯の根を噛み合わせ、痛みで萎える気力と身体を叱咤して、煙幕の向こうから現れるであろう第三の敵に備えた。

 

 

「米、連……かよ……、上等、じゃねぇか……」

 

 

 煙の帳を裂いて現れたのは、ヘルメットと防毒マスクで顔を覆い、ボディアーマーで身体を固めた兵士であった。

 奇妙だったのは、彼等の主兵装(メインウェポン)である強化改造されたアサルトライフルを手にしていなかったことか。

 

 しかし、その疑問も即座に氷解した。

 兵士は東に向けたのは、プラスチック製の銃だ。チープな外見は玩具にも見えたが、実態はもっと凶悪。

 ガス圧で発射された弾頭はワイヤーで直結されており、先端には針が取り付けられているテイザーガンであった。

 人類の生み出した非殺傷兵器の一つ。一言で言えば、発射型のスタンガンである。

 

 元々は裁判の判決を不服とした裁判当事者が、裁判所関係者に危害を加える可能性があったために配備されたものであるが、徐々に警察などにも広がっていった武器である。

 対魔忍や魔族の捕獲を目的とした作戦では度々用いられる武器の一つであり、強化改造を加えられたテイザーガンは皮膚が硬質化していない者には非常に有効だ。

 

 ただ欠点として、発射機構はガスなどの圧力、少量の火薬を用いているために、弾速が遅い。

 どれだけ身体が意のままにならないと言えど、東ほどの狩人であれば捕らえることは容易い。

 

 発射された針を鬼切で難なく払い落とした東であったが、残念ながら無意味。

 

 

「ぐぅ、あぁあぁ゛ああぁあ゛ぁ――――!!!」

 

 

 発射されたテイザーガンを握った左手とは逆の右手には、もう一丁のテイザーガンが握られていた。

 一丁目は払われるのは織り込み済み。本命は二丁目の方だ。

 どれだけ優れた勘を持とうとも、激突の衝撃から回復していない状態で矢継ぎ早に攻められては、分かっていたとしてもどうにもならなかった。

 

 彼女の意志とは無関係に、筋肉が硬直し、全身が痙攣する。

 屈強な魔族ですら一瞬で気絶する電流に晒された東は、それでもなお意識を保とうとしたが、如何ともしがたい。

 

 

「おいおい、マジか。ハイエース直撃して、テイザーに5秒も耐えるとか、人間じゃねぇや」

 

 

 意識が闇に飲み込まれる直前、耳に入ってきたのは、何処かで聞いた覚えのある、この場に似つかわしくない男の(とぼ)けた声だった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「あー、あー、こちらアサルト1。対象の気絶を確認。回収の後に離脱する。ブラボーチーム、周囲に変化は?」

 

『こちらブラボー1、吸血鬼の追撃、米連(じぐん)の救援もなしよ』

 

『こちらブラボー2、煙幕の中から吸血鬼の一人が出てきた。あ、眠ったね。ぐっすりすやすやだ』

 

『こちらブラボー3、ドローンの類も確認できませーん』

 

「了解。そのまま離脱してくれ。此方も用事を済ませて離脱する。オーバー」

 

 

 アサルト1を名乗った男は今し方気絶させたばかりの東を引き摺っていく。

 つい先程まで運転していたハイエースに戻れば、同じように気絶した生徒達をハイエースに乗せている残りのアサルトチームの姿があった。

 

 言うまでもなく米連の特殊部隊などではない。

 米連の標準装備を着込んだだけの虎太郎と紫、ワイト、花蓮、雫の5名だ。

 

 隼人学園に対し仕掛けた監視カメラ、遠巻きから人員による直接の監視を行わせていた虎太郎は、バットケースを肩に掛けた東の姿を発見すると即座に行動へと移した。

 東を確保する虎太郎、紫、ワイト、花蓮、雫の突入部隊(アサルトチーム)、東を監視する黒百合、紅羽、桃子の偵察部隊(ブラボーチーム)に分かれて。

 

 昼間、東が感じていたのは偵察部隊の視線だった。

 三名の相当に気を使っての尾行、偵察であったにも拘らず、この勘の良さである。

 それでも居所を掴ませなかったのは、黒百合と紅羽の手腕によるところが大きい。対象から付かず離れずの位置を居ながら、異常が発生すれば即座に離脱できる距離を維持し続けた。

 桃子は若干、足を引っ張り気味であったものの、黒百合と紅羽のフォローもあって事なきを得た。

 

 日が暮れてからは、東に加えて、彼女の後をつける吸血鬼共も監視の対象に加わったが、何の事はない。

 吸血鬼の尾行はお粗末であり、東の意識がそちらに向かったお陰で、随分と仕事がやりやすくなったほど。

 後は米連の介入を警戒しつつ、突入部隊へと連絡を送ればよかった。単独の潜入任務よりも遥かに簡単な任務であった。

 

 

「よし、全員乗せたな。思わぬ収穫だった。いや、これで東を扱いやすくなる」

 

「生徒達はどうしますか?」

 

「吸血鬼共と一緒に拘束しておけ。命令がなきゃ動かないとは思うが、念には念をだ」

 

 

 助手席には紫が、後部座席には残りの三名が既に与えられた仕事を終えて乗り込んでいた。

 運転席の扉を開けると紫は腕を組んで待っており、ガスマスクの向こう側でも不機嫌なのが伝わってくる。

 それもそうだろう。よりにもよって、今の突入で攻撃したのは、あろうことか、東一人だけなのだから。

 

 突入直前に張った煙幕には米連製の催眠ガスを混入させておいた。

 即効性が高く、拡散性も抜群。陸上最大の生物であるゾウも、ほんの数十秒で眠りの世界へと落ちていく。

 如何な吸血鬼と言えども、この催眠ガスに抗う術はなかったらしく、先程は響いていた困惑の声はなく、車の中で拘束されて静かな寝息を上げるばかり。

 

 

「さて、近場の川に行ったら吸血鬼共を凍らせてから細かく砕いて撒こう。そうすりゃ、米連にも警察にも見つからん。この事実に気付くのはグラム叔父さんだけだ」

 

「む、無抵抗な相手に、それはちょっとぉ……」

 

「ウ、ウチもやりたくないんやけど……」

 

「ああ、安心しろ。凍らせるだけでいいから。後はオレがやるからいいよ」

 

「そういう意味じゃないと思います……」

 

 

 とんだ残虐行為と完全犯罪成就の瞬間に立ち会ってしまった花蓮、雫、ワイトは嘆息したが、虎太郎は何処吹く風である。

 確かに、死体の簡単な処理方法であったが、人型の物体を細かく砕くなど、正気の沙汰ではない。生徒のドン引き具合も無理はなく、そんな行為に子供を関わらせることにワイトもドン引いていた。

 

 ともあれ、これでグラムの目を眩ませることは出来るだろう。

 この場から逃げ延びた吸血鬼は居らず、現場には殆ど証拠らしきものは残っていない。

 万が一、何らかの手段――――匂いなどで催眠ガスに気付いたとしても、犯人は近場に潜んでいると知っている米連の仕業と睨むだろう。

 何にせよ、グラムにとっては邪魔者に過ぎない東を排除出来たと判断せざるを得ないだろう。

 

 

「よし、出すぞ」

 

 

 虎太郎の言葉と同時に、ハイエースは急発進し、公園を囲む柵を突き破って夜の街へと姿を消す。

 現場に残っていたのは、壊れた柵と静寂のみ。周囲の住人が気を利かせて警察に通報するにしても、何らかの勢力による戦闘とは全く別の、危険運転を危惧してのものだろう。

 

 途中、宣言通りに花蓮の忍法によって氷像と化した吸血鬼共を千々に砕いて川へと流した。

 眠りの世界に落ちたまま、意識を取り戻すことも苦しむこともなく、この世を去った彼等は果報者だ。法悦よりも苦しみの方が大きいのが生である以上、間違いではあるまい。

 

 その場で紫、雫、花蓮を着替えさせ、仮設本部へと戻らせた。

 これからはグラムの寄生蟲を警戒して、街から20キロ以上離れた廃墟へと向かう。

 寄生蟲には主であるグラムに、宿主の位置を知らせる能力を有していることが桐生の解析によって判明したからだ。

 この手の能力は、一匹の王を頂点として無数の兵隊が王の意志のままに動く魔界の生物ならば、大抵が有している。

 念話(テレパス)に近い能力なのか、特殊なフェロモンを追っているのかは判然としないが、共通点として王から離れれば離れるほどに兵隊の位置を掴むことは難しくなる。

 

 寄生蟲程度の大きさであれば、どれほどの数が存在しようとも、正確な位置を追えるのは半径10キロまで。

 それ以上ともなれば、精々がおおよその方角に存在していることしか分からない。それでも破格と言えるのだが。

 

 数々の経験から、一時的に東と生徒達を匿う場所を見繕っていた虎太郎とワイトは吸血鬼と米連の追跡を警戒しながら一路、廃墟へと向かう。

 

 

(さて、これが助っ人の()()()。運は向いてきてるが、協力してくれるかは、これからの運と誠実さ、かねぇ)

 

 



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『ついさっきボコにした相手に悪怯れずもせず顔を出す苦労人は、頭のネジが外れすぎている……』

今回のアリーナイベ報酬は、ミシェアちゃんの後輩? 後継機? かー。
スキルはバリバリの防御型。最近のスキルは属性とか関係なしですなー。
よくよく見るとステータスも半端ねぇ。防御力だけ見れば、ほぼほぼLRクラスって言うね。このインフレは何処まで続くのか……!

そして、今回はエロと言ったな。アレはウソだ……!

いや、本当に済みません。思った以上に筆が乗らなかったんだよぉ!
エロはね、誰にも邪魔されず自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだと思うんだ。という訳で、エロは持ち越し持ち越し~!

では、どぞー!



 

 

 

 

「…………ぅ、……く……」

 

 

 深海から浅瀬へと急速に引き上げるかのように、東は意識を覚醒させた。

 

 酷い眠気と吐き気、痺れる手足に困惑するものの、それも一瞬のこと。

 意識を失う直前に見た光景を思い出し、自身が誘拐された事実を自認した。

 

 周囲を見回せば、薄汚れたコンクリートの壁に覆われており、剥き出しのパイプが乱雑に繋ぎ合わされている。天井からは裸の電球が光を灯しながら揺れている。

 湿気の多さと部屋の造り、水道から建物全体に水を送り込むためのポンプが置かれた地下室だったと言うのが分かる。

 積もった埃や壁や天井の汚れから、かなりの年月放置されていたのも察せられた。

 

 自分が椅子に座らされた状態で眠らされていたことに気づき、立ち上がろうとするも両手は後ろ手に、両足首は椅子の足に手錠で繋がれていた。

 手錠を鳴らして脱出を試みようとするも簡単に抜け出せる類のものではなく、無駄な体力の消耗を避けるために一旦は諦める。

 

 

(最後に飯を喰ったのは学園を出る前だから、9時くらいか? 腹具合からして、ちょうど次の日の10時ってとこか)

 

 

 努めて冷静に、東は自身の置かれた状況を把握していった。

 こうして窮地に立たされるのは、一度や二度ではない。自身の慢心や不注意から、仲間に迷惑をかけたこともある。

 

 だが、今回ばかりは救助を期待できない。

 北絵の様子は何やらおかしかった上に、同僚達には何も言わずに出てきてしまった。

 この状況から自身の居所を探り当てて救出するのは至難。是が非でも、自分だけの力で脱出せねばならない。

 

 活路はあった。

 こうして殺されずに放置されている以上、誘拐した人物にとって自身に何らかの価値があるのは想像に難くない。

 交渉で時間を稼いでもいいし、だんまりを決め込んで油断を誘う手もある。そして、何よりも――――

 

 いや、目下最大の心配事は、吸血鬼に操られていた生徒達の安否だ。

 自身に価値があったとしても、生徒達に同じように価値があると考えるのは安直に過ぎる。

 彼等の安否に対して、祈ることしかできない自分に歯痒さを覚えながらも、ふつふつと湧き上がる怒りを糧として自身を奮い立たせた。

 

 それから、どれほどの時間が立っただろうか。

 扉の向こうから、何者かの足音と気配が近づいてくるのを悟り、東は部屋の扉を睨みつける。

 足音は階段を下っているらしく、扉の向こう側は長い廊下という訳ではなく、地上へと続く階段であるらしい。

 

 東が活路はあると判断した最大の理由は、扉の向こうから現れた男にこそあった。

 

 

「よぉ、久し振りだな、クソ対魔忍。弐曲輪 虎太郎……!」

 

「あらら、バレてた。流石の勘の良さだ」

 

 

 意識を失う直前に聞いた声の主が、学園を訪れた対魔忍の一人であることには思い至っていた。

 ただ、その理由が東には思いつかなかった。同盟を結ぶ運びとなっているにも拘らず、自ら同盟を破綻させるような真似をする理由が分からない。

 吸血鬼と繋がって甘い汁を啜りたいというのならば納得であったが、自身を手土産にするのなら疾うの昔に引き渡しは終わっているはず。

 何より、吸血鬼共の襲撃に合わせるのは頂けない。アレでは邪魔をしたも同然であり、自分ならもっと上手くやれると示すはいいが、反感を買っては意味が無いだろう。

 

 虎太郎は悪びれた様子を見せることなく、部屋の隅にあった椅子を引きずって来ると東の前に陣取り腰を下ろす。

 その傍らには、一輪の花の如き女が――東は顔も名前も知らなかったが、言うまでもなくワイトである――控えていた。

 

 

「さて、何から話したもんか……」

 

「何もクソもあるか。生徒達は無事なんだろうなぁ……!」

 

「まあ、当然そうなるな。勿論、無事だ。ワイト、手錠を外してやれ」

 

「分かりました」

 

 

 あらゆる嘘を許さぬ泰山府君の如き形相で問い質す東に、虎太郎は肩を竦めるばかり。

 見上げたものだ。教師としての心構えが彼などとは比べ物にならない。自分の安全よりも、まずは生徒達の安全が確認できなければ、会話にすらならないだろう。

 

 仕方ないと溜め息を付き、ワイトに鍵を投げ渡して外すように促す。

 このままでは話にならないと判断してのものであったが、今この状況下でも教師であろうとする東に対しての敬意でもあった。

 ワイトも同じ判断であったのか、鍵を受け取ると先に両脚を、次に後ろ手に拘束していた手錠を外していく。

 

 其処からの東の行動は、迅速であった。

 

 

「ちょっと……」

 

「そうするだろうな」

 

「おかしな真似はするんじゃねえ! すれば、コイツがどうなるか、分かってるだろうな!」

 

 

 後ろ手の拘束を片手だけ外された瞬間、東はワイトの背後に回り込んだ。

 油断――いや、こうなることを予見していた二人ですらが対応できない速度は、流石に世界有数の狩人と称されるに相応しいものだ。

 ワイトの首に片手を回した東は、もう一方の手に繋がれたままの手錠のストッパーと噛み合う返しの先端を首筋に押し当てる。

 

 完全に追い詰められて人質をとった強盗の図であったが、東にしてみれば最後の手段だ。

 問題なのは、虎太郎がこの程度で動揺するような精神の持ち主でなく、ワイトがこの程度で万が一にも死ぬ存在ではなかったことか。

 ワイトは呆れ顔、虎太郎は納得の表情で頷いていたが、東は歯を剥いて威嚇していた。

 

 

「コイツの命が惜しけりゃ、生徒達はどうなってるかを答えろ! テメェ等の目的は何だ!」

 

「………………」

 

「うぉぉぉい!! 何処行こうとしてんだテメェ!!」

 

「え? いや、生徒達の安否を確認したいんだろ? オレがどうこう言うよりも、直接見た方が納得するだろう。付いてこい」

 

 

 自らの問い掛けに何一つ答えることなく、そのまま部屋を出ようとする虎太郎に、東は驚きの余り目を剥いて叫び声を上げる。

 返ってきたのは緊張感というものが全く欠如した言葉と声であり、こうも簡単に自分の意見が通るなどと考えていなかったのだろう。完全に肩透かしを食らっている。

 

 会話と行動が噛み合わないのは当然のこと。

 東と虎太郎では、今回の一件に対して持っている視点が違い過ぎる。

 より俯瞰的に全体像を把握しているのは、虎太郎の方であり、大した会話をしていないのであれば、彼の行動が突飛なものに映るのも無理はない。

 

 

「ああ、そうそう。ソイツを人質に取るのは勝手だが、手を出すな。どの道、殺せはしないだろうが、手を出されれば、こっちも手を出さなきゃならねぇからな」

 

「………………っ」

 

 

 部屋を出ようとする直前、槍のように鋭い視線と忠告の言葉で貫かれた東は引き攣った笑みを浮かべる。

 初対面の折、こんな男に何の脅威も覚えなかった自分の間抜けさを痛感したからだ。

 未だに強さは判断しかねるが、直感はこの男を敵に回すべきではないと告げていた。

 

 

「ほら、行くわよ。旦那様の後を付いていって。それから、腕の力を緩めてくれると嬉しいのだけれど……」

 

「…………えぇい、クソっ!!」

 

 

 脅迫で重要なのは、勢いだ。

 勢いさえあれば、手綱(アドバンテージ)を握れる。脅迫内容など二の次である。

 しかし、この場においてアドバンテージを握っているのは間違いなく虎太郎なのは誰の目から見ても明らかだ。

 

 どういう理由かは不明であるが、ワイトを人質に取ったのは失策であったと虎太郎の態度、人質の落ち着きぶりからも明白だ。

 ワイトに人質としての価値がないのか。それともワイトが死なない理由があるのか。ワイトが死霊騎士であり、不死者であると知らない東には困惑と動揺しか浮かんでこなかった。

 

 盛大な舌打ちと共に、虎太郎に開け放たれたまま扉を、人質(ワイト)を開放せずに潜る。

 予想通りに扉の直ぐ向こう側は階段となっており、先に部屋を出た虎太郎が両手をポケットに突っ込んだまま登っていた。

 階段に電灯の類はなかったが、階上から入ってくる太陽光によって足元に気を使う必要はない。

 

 二人に対しての警戒を緩めずに、階上へと登れば左右へと廊下が伸びており、階段側には壁と部屋への扉が、反対側には無数の窓が並んでいた。

 太陽の眩しさに目を細めた東だが、チラリと窓の外の光景に視線を飛ばした。

 

 

(太陽の位置的に時間はほぼ合ってるが……周りは森か。国道沿いにあった潰れた工場だな)

 

 

 錆塗れになった外壁の工場とフェンス。その向こうには生い茂る森林が見て取れた。

 建物の外観には見覚えが有り、すぐに国道に面した廃工場であることは分かったが、見えてくるのは嬉しくない事実。

 生徒を解放できたとしても、此処から数キロに渡って民家や街はない。解放したばかりの生徒を伴っては逃げ切ることは不可能だ。

 

 これまでの虎太郎の立ち回りを鑑みるに、見えてくるのは慎重で冷徹な精神性だ。

 万が一、生徒達を解放できたにせよ、自分一人で助けを求めに出ても、戻ってきた頃には既に撤収しているに違いない。

 

 

(何か、手を考えねぇとな。ったく、こういうのは苦手なんだよぉ、あたしはよぉ……!)

 

 

 こういった頭脳労働や作戦立案は、基本的に北絵や他の同僚の仕事だった。

 東の担当は現場指揮や肉体労働が中心で、後は現実に沿った行動と勘による補佐が殆ど。

 真っ当な方法など思いつかず、頭に浮かんでくるのは鬼切を取り戻しての大立ち回りばかり。到底、上手くいくとは思えない。

 相手の力量が分からない以上、本当に最後の手段にしなければならない。生徒達を確保できたとしても、無事に帰せるかどうかはまた別の問題だ。

 

 兎に角、今は自身の置かれた立場と現状を把握するのが最優先と割り切り、虎太郎の後に続いていった。

 

 

「此処だ」

 

 

 内装からして、事務所と研究棟が一体となった雑居ビルの内部と見られた。

 

 暫く廊下を進んだ先にあった一室へと足を踏み入れる。

 恐らくは社員用の仮眠室だったのだろう。穴の空いた遮光カーテンから漏れる木漏れ日が、淡く部屋を照らしている。

 複数並べられたベッドには、生徒達が寝息を立てて眠っていた。腕からは点滴の針とチューブが伸びていたが、それ以外に目を引くようなところは皆無だった。

 

 虎太郎は壁により掛かり、どうぞ、とでも促すように生徒に向かって手を差し出す。

 自分が彼の想定通りに動かされていることを理解して、苛立ちを覚えながらもワイトを解放せずに生徒へと向かい、その首筋に指を伸ばす。

 

 暖かに一定のリズムで伸縮を繰り返す脈の感触に、東は其処でようやく大きく息を吐いた。

 取り敢えず、生徒の安全こそ確保できていないが、生徒の無事だけは確認できた。教師たる彼女にとってこれ以上に安堵できるものはない。

 

 

「全員無事だ。吸血鬼どもにどんな暗示や洗脳が施されているか分からんから眠らせてはいるがな。それから、ほらよ」

 

「おぁっ!? …………テメェ、何が目的だ」

 

 

 この部屋に置いていたであろう鬼切を投げて寄越された東は、驚きの声を上げながらも受け取った手に馴染む己の得物に困惑を隠せずにいた。

 

 生徒達は完全に無事。寧ろ、保護されていたと考えてよい状態。また触れた感触からして幻術やダミーの類ではないのは明らか。挙句、無警戒にも得物を投げて返す始末。

 これで吸血鬼や魔族と繋がりがあり、自身の実力に絶対の自信のあったとしても只の馬鹿でしかない。

 いよいよもって、あの手荒い方法が、保護を目的としたものとしか判断できなくなってしまった。

 

 

「オレは敵じゃない。あの場でお前とゴタつきたくはなかっただけでな。まあ、手荒くなったことは謝罪するが…………そろそろ、ワイトを離して貰えるか?」

 

「……チッ」

 

「ワイト、お前も余計な真似はするなよ」

 

「もう、此処で腹立ち紛れに襲いかかるほど、私は子供ではありません」

 

 

 東にしてみれば腸が煮えくり返る思いであったが、それ以上に虎太郎の目的を知る必要性を感じていた。

 舌打ちをしながらワイトの首に回していた手を解くと、人質は虎太郎のからかうような言葉に唇を尖らせて離れていった。

 

 三者三様の表情であったが、互いの動きを警戒し、一挙一投足に注意を払っているのは明白。

 ピンと空気が張り詰めていく中、目的を話し出すまでは口を開くつもりのない東の沈黙に、虎太郎が口を開いた。

 

 

「先にも言ったが、オレは敵じゃない。明確に味方とも言えんがな。オレが動いているのは、アンタが薄々察していることだ」

 

「…………何の事だ?」

 

「疾うに理解していることを(はぐ)らかすのは賢明とは言えないな。言うまでもないだろう、上原 北絵についてだ。アンタなら、気付いている筈だがな。それからアンタ自身の身体にも変化が現れていると見ている」

 

「………………」

 

 

 確かに、北絵からは()()()()を覚えていた。

 まるで敵を前にした時のような、背筋に虫でも這い回っているかの如き不快感。

 数週間前は気の所為としか思えなかったものではあったが、昨日のそれは露骨ですらあった。東自身、僅かな隙も見せられないと考える程に。

 

 それに加えて、己の体調もあった。ここ数日の体調は最悪の一言に尽きる。

 身体は否応なしに熱くなり、衣服の擦れですらが官能を呼び起こす。叫び出したくなるような劣情に、何度他人に八つ当たりしそうになったことか。

 十分な睡眠時間を取っているにも拘らず、身体は倦怠感と眠気で思うように動かない。生徒達への授業に身が入らないほどだ。

 

 対魔忍の調査能力は、同盟の席で十二分に理解してはいたものの、こうまでピタリと言い当てられては東の目が丸くなるのも無理はなかった。

 

 

「アンタ等がおかしなことになってるのはな、隼人学園に潜り込んだグラムが原因だ」

 

「ハっ。馬鹿か、テメェ。奴ならもう――――」

 

「死んでいる、か? これを見ても、同じ台詞を吐けるかな……?」

 

「……ッ…………ハっ……」

 

 

 当然、そのような台詞が返ってくると分かりきっていた虎太郎は、素早く手持ちの端末を操作する。

 すると、無数の空間ウインドウが部屋中に展開され、その全てに凄惨な映像が映し出された。

 

 死んだはずのグラムに跪き、蕩けた表情で奉仕を繰り返す北絵。

 グラムの部下であろう吸血鬼に囲まれ、便器のように扱われるマリカ。

 そして、全く身に覚えのない、生徒達に陵辱される自分自身の姿。

 

 グラムが生きていたのはまだいい。

 如何に傍系と言えども吸血鬼の王家の血を引く輩。自身の知らぬ異能によって生き延びていたとて驚きはあるが不思議はない。

 

 隼人学園に吸血鬼が侵入しているのはまだいい。

 人界の技など、魔界の者共には殆どが通用しない。のさばる吸血鬼どもも元は魔界から生まれ落ちた魑魅魍魎。人には知り得ぬ秘術を以て潜り込むことは不可能ではない。

 

 目の前の陵辱も許容しよう。

 北絵にせよ、マリカにせよ、己にせよ、所詮は闇の住人。

 幸せな結末に至れるのならば良し。だが、凄惨な結末とて可能性の一つとして覚悟はしていた。

 

 だが――――だが、陵辱に、生徒を加担させたことだけは許せない。

 

 

「――――っ!!」

 

「旦那様っ!」

 

 

 ふつふつと湧き上がる赫怒に、東は気がつけば地を蹴っていた。

 向かう先は、言うまでもなく虎太郎だ。

 

 これだけの映像を手にしているということは、この陵辱を看過したも同然。

 止めようとすれば出来たものを、手出しどころか警告すらしなかったのであれば、彼もグラムと同じく生徒を利用したことになる。

 自分達の甘さによって引き起こされた事態であろうとも、グラムの狡猾さに自身達が及ばなかった事態であろうとも、許せる筈もない。

 

 ワイトは獣の如く吠えながら襲いかかる東と動こうとしない虎太郎の間に割って入ろうとするが、虎太郎に片手で制される。

 

 振り上げられた鬼切は一直線に頭部へと振り下ろされ――――

 

 

「ふっ……! ふっ……! ふぅーっ!」

 

「……よく我慢したじゃないか。正直、頭を割られるくらいは覚悟してたんだがな」

 

「うるせえっ……!!」

 

 

 ――――直前に、背後の壁へと叩きつけられたことで、頭へと至ることはなかった。

 

 コンクリート製の壁には無数の罅が奔り、大きく凹んでいる。

 壁に埋まっている鉄筋すらも拉げているのだろう。壁に直撃した瞬間、建物全体が揺れた程だ。打ち込む場所が壁ではなく、大黒柱であれば間違いなく倒壊していたに違いない。

 

 そんなものが間近で止まったにも拘らず虎太郎の顔色一つ変えていない。寧ろ、顔を蒼くしていたのはワイトの方だ。

 

 彼に殺されない確信があったのではなく、殺される覚悟を決めていただけのこと。

 誰であれ、自らや属する組織の利益を優先するのは当然。心情としても、同じだろう。

 事実、虎太郎は自らの利益のために隼人学園での出来事を黙認した。彼とて東の立場であれば怒りを覚えるに違いない。

 

 故に、敢えて怒りを受ける道を選んだ。

 受けていれば頭蓋が砕けて脳漿を撒き散らす悲惨な事態になっていたであろうが、ワイトに告げることなく不死者としての能力を既に奪っている。

 痛みと脳漿が掻き回される不快感にさえ耐えれれば、死ぬことだけはなかった。

 

 

「……詳しくだ! もっと詳しく話せ! 洗い浚いな!」

 

「勿論、そのつもりだ。話が早くて助かるよ」

 

 

 怒りは完全に治まっていなかったが、話を聞くだけの冷静さを取り戻したのか。

 東は怒鳴り声を上げながらも、手近にあった椅子を掴むと音を立てて腰を下ろす。

 歯を剥き出しにした威嚇の表情をしていたものの、鬼切を手放して壁に立てかけたのは、虎太郎の話に乗るという意思表明でもあった。

 

 其処から虎太郎は順序立ててこれまでの経緯と進めてきた準備を説明する。

 

 グラムとは隼人学園を訪れる以前に対面を果たしていたおり、寄生蟲の存在も既知であったこと。

 隼人学園を訪れた時点でグラムの存在に気付いており、また北絵も既に敵に取り込まれていたこと。

 多くの陵辱を見逃したのは、グラムの存在と寄生蟲の拡大を防ぐための措置であったこと。

 学園で孤立無援の状態となったカーラは、他の三人と同様に陵辱と調教を受けていること。

 更には、カーラを狙った米連の一部隊が隼人学園付近の工場に潜伏していること。

 

 全てを包み隠さずに語った上で、自らの作戦をも伝える頃には、東の怒りも静まっていた。

 それは自分達を一度は見捨てた張本人が、最も命を賭けねばならない作戦だったからだろう。

 

 

「…………成程な。隼人学園(アタシ等)が置かれてる状況は最悪ってのは痛いほどよく分かった。それで、お前がアタシを助けた理由はなんだ」

 

「特にないな。殺されそうだったから助けたまでだ。あわよくば戦力に、とも思ったが、先刻の一撃でそれも無理なことも分かったしな」

 

 

 虎太郎の率直な物言いに、東はまたしても大きく舌打ちする。彼女自身、先の一撃で痛感していたようだ。

 

 度重なる陵辱によって進行した寄生蟲の癒着。更にはアムリタの投与による禁断症状。

 どちらか一方であれば、まだ抑えようも堪えようもあったが、二つとなれば如何ともし難い。

 

 寄生蟲は霊力の発露を阻害し、禁断症状は身体の動きを妨げる。

 呆れた話ではあるが、先の一撃は純粋に鍛え上げられた身体能力だけで生み出されていたらしい。

 とは言え、それでもなお、カーラ、マリカ、北絵、グラムとその部下を相手にするには十分とは言えない。

 

 

「それじゃあ、アンタの血を飲めば、どうだ?」

 

「無理だな。量も時間も足りない。オレの体液に潜むウイルスが馴染んで寄生蟲を除去するまでには時間がかかり過ぎる。今回の作戦で戦力として数えられるようになる頃には全てが手遅れになってるだろうよ」

 

「クソっ、駄目か……」

 

「素直に、此処の生徒のお守りでもしていてくれ――――」

 

 

 生憎と時間も血の量も足りなかった。

 

 ウイルスが寄生蟲を死滅させるまでの時間の長短は、体内に取り入れたウイルスの数による。

 ウイルスは自己増殖を繰り返すものの、宿主の免疫機能に対応するまでの間は潜伏状態を維持する。

 対応した後は増殖し、一定数に達した時点で寄生蟲への攻撃を開始する仕様なのだ。

 

 作戦決行まで残り三日。

 東が戦闘可能状態にまで復帰するには、アルフレッドの計算では3ℓもの血液を必要と目されている。

 

 作戦内容上、虎太郎の不参加は許されず、それだけの血をいま抜いてしまえば戦闘など不可能だ。

 かと言って、今までに溜めてきた血を使う訳にも行かない。それでは生徒と教師に投与する必要量が足りなくなり、グラムを取り逃がす可能性が発生してしまう。

 

 

「――――と思ったが、そうだな。方法がないわけじゃない。もっとも、アンタには面白くない方法だろうがな」

 

「何だよ、勿体ぶらずに言えって」

 

「これから、アンタを抱く」

 

「……………………………………………………お前、頭おかしいんじゃねぇの?」

 

 

 何を言ってるんだ、お前は状態になった東は顔を引き攣らせたまま率直な感想を漏らした。

 記憶は思い出せないが、映像では間違いなく己は陵辱されていた。そんな相手に向けて、身体を差し出せと宣言するなどどう考えてもキ○ガイ沙汰である。

 

 少なくとも東にとっては全く話が繋がっていない。

 虎太郎が桐生の作成したウイルスについて説明したのは、あくまでも血液の中に潜むとだけ。唾液や精液の中にも潜み、精液の中により多くが潜むとは語っていなかった。

 

 

「何でだよ! 意味分からねぇよ! どういうことだ! どうしてそんな仕様にした! 言えっ!!」

 

「知るかぁああぁあぁあぁぁぁあぁぁ!! こっちが聞きてぇよぉぉおぉぉぉぉおおぉぉぉぉおおぉっっっ!!!」

 

「だ、旦那様! 落ち着いて!!」

 

 

 東の憤慨は仕方がない。

 男に抱かれるのは初めてではないが、碌に知らない男へ簡単に身体を開くような尻軽女ではない。はい、そうですかとすんなりと納得する筈もなかった。

 

 だが、それ以上に憤慨したのは、改めて訳の分からない仕様を指摘された虎太郎であった。

 仮設本部で見せたような狂乱ぶりと変わらない狂態。絶叫と共に椅子から勢いよく飛び上がると、天井に激突した。

 今回は年月によって風化していたが故にか、頭だけが天井を突き破り、首吊り死体のような有り様になってしまっている。

 

 ワイトは慌てて虎太郎の足を掴んで引き摺り下ろしたが、本人は受け身も取れぬままに床へと叩きつけられた。

 虎太郎は顔を茹蛸のように真っ赤にすると、嫌だ嫌だとその場でゴロゴロと身体を転がし始める。

 

 

「ふざけんなふざけんなふざけんな! いいじゃねぇか、普通のワクチンとかでさぁ! こんな訳の分からねぇ仕様にする意味が分からねぇ! 無駄に手の込んだ仕様にしやがって、嫌がらせも大概にしとけや桐生ぅぅぅぅうぅぅぅううぅぅっっっ!!!」

 

「お、落ち着けよ」

 

「――――で、どうする?」

 

「うわぁ!? 急に落ち着くなぁっ!!」

 

 

 余りの切り替えの速さに、東も思わず悲鳴を上げた。

 恐るべき速さである。先程まで真っ赤だった顔が平常時にまで戻っているのだから大したものだ。

 精神力が訳の分からない方向に突き抜けてしまうと、これも当然なのだろうか。傍目から見れば、情緒不安定にしか見えないが。

 

 困ったのは東だ。

 こんな相手に抱かれるなど御免被りたかったが、学園の助けになりたかった。

 此処で四人の生徒達を守る必要性は理解していたが、グラムが手を出してくるとは考え難い。

 今、グラムはカーラに掛かりきり。米連の手によって行方不明になったと思われる東と生徒をわざわざ探し出すとは思えない。ちょうどよいタイミングで処分してくれたと思っていることだろう。

 

 ならば、これは間違いなく好機だ。

 自分が恥辱に耐えることで、生徒の助かる可能性が跳ね上がるのなら迷いはなかった。

 

 

「分かった。お前に身を任せる。もう何度も犯されてるんだ。今更、一人や二人増えたところで変わりゃしない」

 

「その思い切りの良さは嫌いじゃないぜ?」

 

「ハっ、お前みたいなクソ野郎に褒められても嬉しくねぇよ…………そ、それでよ」

 

「「…………?」」

 

 

 腹を括った筈の東の顔が、僅かばかりに朱に染まる。

 何事かと虎太郎とワイトは顔を見合わせたものの、思い当たる節などなく、首を傾げるばかり。

 

 

「だ、だから、シャワーくらい、浴びさせろよ。昨日から風呂に入ってねぇから、クセェだろうし……」

 

「此処、廃墟だぞ。そんなもんねぇよ」

 

「じゃあ、代わりのもんを寄越せ! 水とタオルくらいはあるだろうが!!」

 

 

 ぐあ、と大口を広げての怒鳴り声にワイトと虎太郎は呆れ顔だ。

 それこそ今更だろう。気にするところを間違えていた。どの道、これから先の行為に体臭など殆ど気にならなくなる。

 

 

(ワイトさんワイトさん、これは一体……!)

 

(旦那様、これは女としての勘ですけど、この女、昔の恋人にでも体臭を指摘されたことがあるんじゃ? 女を磨いている様子もないですし)

 

(うーん、ガサツなのに心は乙女といった所でしょうか、ワイトさん?)

 

(見たところ、そのガサツな所を気にしているようですからね。その分、チョロそうですね。可愛いとか綺麗とか言われるとコロっといっちゃいそうです)

 

(女の勘ってすげー、其処まで分かるもんなの……?)

 

(その上、捕まるのは軽薄で碌でもない男ばかりでしょうね。そういった男に限って、口ばかりは達者ですから。都合の良い女扱いばかりされていそう……)

 

 

「聞こえてんだよ、お前らぁ……!」

 

 

 ワイトの言葉は的を射ていたのか、真っ赤な顔は羞恥と言うよりも怒りによって染め上がっている様子。

 顔の前で握られた拳と額に立っている青筋が、何よりの証拠であった。

 

 ともあれ、東の腹は決っている。自らの発言を翻す真似はしない。

 

 ワイトの勘が正しかったどうかは、東が語らなかった以上、永遠に闇の中である。

 

 

 

 

 




はい、と言う訳で、ヤンキー先生目覚める&ヤンキー先生仲間になる&ワイトと御館様が勝手に過去を推察する、の回でした。

次こそエロや。今度こそエロなんや……!

こう若干以上にご都合主義だが、これくらいの前振りがないとエロに持っていけんのや!

では、次回はワイトも交えて東先生とエロ! お楽しみに!


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『牝犬のお陰でご褒美なのに調教っぽくなるのも、仕方ないね! ご愛嬌だね!』





 

 

 

 

「おい、大丈夫か?」

 

「大丈夫な訳ねぇだろ」

 

「まあ、それもそうだ。だが、こうすると決めたのは――」

 

「うるせぇな! 分かってるよ!」

 

「――愚問だったな」

 

 

 生徒達が眠り続ける部屋のちょうど真上。

 一階が事務員の仮眠室であったとするなら、二階には研究員が使用していたと思われる仮眠室があった。

 埃塗れだった部屋はワイトによって清掃されており、シーツも新品のものへと取り替えられている。 

 

 数年も放置されていたとは思えない清潔感であったが、東の気分は沈み込んでいた。

 吸血鬼や暗示で操られた生徒達に犯されていたと知った挙句に、今度は殆ど知らぬ男に抱かれねばならないのだ。気落ちしない方がおかしいだろう。

 

 不満と不安を怒りとして吐き出さねば、立っている事すら叶わないのだ。

 それでもなお引くつもりのないのは、生徒への思い故に。

 

 自分とは比較にならないほど、真っ当な教師としての在り方に敬意を払い、虎太郎はそれ以上何も言う事なく、赤いジャケットを脱ぎ出した東に背を向ける。

 

 

「旦那様。今回は優しくですよ、優しく」

 

「そりゃ極力は優しくするがな。あっちにしてみりゃ、さっさと終わった方がいいだろう?」

 

「もぅ、何も分かってない。駄目ですよ、彼女は傷ついているんですから」

 

「この後にも傷つくのは確定事項だろうに。どうやったところで変わりゃしねぇよ」

 

「でも、旦那様なら傷を浅くできるでしょう? それに、やりようによっては傷つけない方法もある……凜花のように、自分の女にしてしまう、とか」

 

「お前なぁ…………それでいいのか、お前等は」

 

「旦那様の性格上、真っ当な男女の関係を築けないのを私達は分かっています。全て納得した上で旦那様と一緒になることを選びましたから。これでも幸せなんですよ、私達」

 

「唆すなぁ、お前等は……」

 

 

 どうせ傷つけるくらいなら、いっそのこと自分の女にしてしまえ、とワイトは虎太郎を唆す。

 どの道、東に行うのはグラムの陵辱と大差はない。女性にとって当人の望まぬ形の性行為なぞ、悉くそんなものである。

 男の性と女の性では決定的に差がある。どれだけの快楽を得られても意味がない。

 男とは異なり、女は性と心が直結している。彼女達が相手やシチュエーションによって興奮の度合いに多大な変化が見られるのはその為であり、真に求めているのは性欲の解消ではなく心の充足なのだ。

 

 難行と言っても差し支えないが、虎太郎の得意分野ではある。

 相手を理解することに長けており、相手の求める快楽や行為を見抜くなど容易い。彼の性技と合わせれば、ワイトの言うように東の負う傷を最小限に抑えることも不可能ではないだろう。

 

 正直に言えば、気が重い。

 下手をすれば、東との今後の関係に影を落としかねず、引いては作戦まで台無しになりかねないのだから。

 虎太郎の重い溜息を尻目に、ワイトは丁寧に虎太郎の服を脱がしていく。その手際の良さに、虎太郎の気分はまた一つ重くなった。

 

 

「…………」

 

 

 下着姿になった虎太郎が、背後を振り返れば赤いジャケットを脱いだ状態で固まっている東の姿があった。

 彼女は自分の身体を抱きしめながら、勝手に震えだす肩を必死で抑えようとしているようだ。

 

 恐らくは、先程見た己が犯されている映像がフラッシュバックしているのだろう。

 

 肉体と精神、記憶の関係性は摩訶不思議だ。まだまだ人間には分からない部分が多く存在している。

 本来、寄生蟲によって東の記憶には鍵が掛かり、陵辱の記憶が蘇ることはない。

 それでも肉体も精神も、凄惨な陵辱を覚えているのだろう。これからの性行為に、身も心も恐怖を感じているのだ。

 

 

(くそっ……クソっ! 何の事はねぇ、こんなもん犬に噛まれるようなもんだろうが、それがこんな――――あっ)

 

 

 自分の不甲斐なさに、東は歯噛みしていた。

 生徒達のため。その一心での選択であった筈が、情けないほどに怖気づいている己への怒り故に。

 絶えず、記憶に無いはずの陵辱の映像が、頭の中を駆け巡り、膣を抉られる衝撃と口の中で広がる精液の味に吐き気と震えが治まらない。

 もう、心が挫けてしまいそうだ。そのまま膝を折って、泣き出してしまいたくなる衝動を抑えきれなかった。

 

 偏に彼女を支えていたのは教師としての矜持のみ。

 その矜持すらも、今まさに折れようとしていた瞬間、柔らかい感触と温かみに思考が白く染まってしまった。

 

 

「こ、のぉっ……離し、やがれ……!」

 

 

 感触と温かみの正体は、虎太郎であった。

 身長に差のある彼は、東の身体を後ろからそっと抱き竦めている。

 強引ではあったが、男にしては意外なほどに柔らかな抱擁に、東は怒りから腕の中で暴れだした。

 

 振り回される腕や肘が、虎太郎の脇腹や顔を打ったが、腰に回された右腕が離れることはない。

 東の抵抗も虚しく、虎太郎の開いていた左腕で同じく左腕を抑えられてしまう。恐怖と嫌悪から、それ以上に暴れることはできなかった。

 

 

「落ち着け。暴れるな。ほら、手を握って、深呼吸しろ」

 

「……そ、そんなこと、言ったってよぉ」

 

 

 虎太郎の声は、何度となく聞いた絶対零度の響きではなく、目を丸くするほどの温かみに満ちていた。

 恐怖と嫌悪を解きほぐすように、左手の指と指とを絡めて握り合い、鉄棒のように熱い右腕の熱が腰から全身へと溶けていくかのようだった。

 

 もう抵抗は無駄だと悟った東は、借りてきた猫のように大人しくなっていた。

 言われるがまま、恐怖を和らげるように深呼吸を繰り返し、掌から伝わってくる熱を握り締めるように絡まった指に力を込める。

 

 不思議な事に、たったそれだけのことで東の心は平静を取り戻していった。

 不安に陥った人物に対して、抱き締めるという行為は実に効果的だ。

 これは医学的にも証明されている事実。抱擁時に脳下垂体から特定のホルモンが分泌され、ストレスや不安を和らげ、心地よい幸福感を与えるように人体は出来ている。

 

 但し、それは親しい人間にされるからこそ。嫌いな人間、知らない人間に抱擁されてもストレスが貯まるだけ。

 

 それでもなお東が落ち着いたのは、虎太郎が東を気遣っていたからだろう。

 いや、厳密に言えば、意図的に彼女にのみ思考を絞ることでそれ以外の思考――――劣情や下心、打算の全てを消し去っていたからだ。

 東に対して特段の感情を抱いていなかったとしても、相手が其処までの気遣いを感じさせれば、絆されても仕方がない。

 

 

(ぐっ、くっそぉ……アタシって奴は、本当に……!)

 

 

 東が落ち着きを取り戻した後に抱いた感情は、直ぐに流されてしまう自身への怒りであった。

 

 昔からそうだった。

 東が自己に下す女としての評価は、女らしくないという卑屈なものだった。

 事実として口調は男勝り、私生活などそれ以外の喜びを知らぬと言わんばかりの酒浸りにして二日酔いが当たり前の毎日。

 女を磨いた記憶など皆無だ。下着はセットの安物、衣服もデザインは似たり寄ったりで買うのは年に一度か二度。化粧などしたこともなければ、仕方すらも分からない。髪も肌も気を使ったことなど一度もない始末。

 

 女らしさを学ぶタイミングを見失ってしまっていたのは事実だ。

 学生時代から神村家の厳しい修行と狩人として人外を狩る日々。自然、人間関係も希薄になり、同年代の友人など一人もいない。繋がりがあるのは狩人仲間くらいのもの。

 そのような境遇の中で女を磨いていくのは困難であったし、東としても気恥ずかしさを忙しいという理由で覆い隠して目を逸らし続けていた。

 

 気がつけば、女らしくない自分は、彼女の中で大きな劣等感(コンプレックス)としての地位を獲得していた。

 

 だからだろうか。誰の目から見ても軽薄で馬鹿な見た目だけしか取り柄のないような男の、欲望に塗れた“可愛い”という自身の女を()めてくれる言葉によく流され、騙された。

 取り柄である筈の勘もこの時ばかりは役に立たない。いや、東自身が意図的に勘を無視していたと言うべきだ。

 東という人間を見ていない、身体だけが目的の恋人関係。酷い時など、一度抱かれたくらいで彼女面をするなと吐き捨てられたこともある。無論、気の強い彼女のこと、キッチリとお礼参りを済ませているのだが。

 

 教師となってからは、これまでの経験と教師として恥ずべき行いは出来ないという自立心から、碌でもない男には近づかず、相手にもしてこなかった。

 

 なのに、またこうして流されてしまっている自分が全く成長していないように思え、情けなくも腹立たしくて仕方がない。

 

 

「落ち着いたな。アンタにとっちゃ、犬に噛まれたじゃ済まんことだとは理解しているつもりだ。極力、優しくするし、嫌がることもしない。それでも不満なら、後で気が済むまで殴ってくれ。但し、まだ仕事の途中だ、殺すのだけは勘弁しろ」

 

絶対(ぜって)ェ、ボコボコにしてやる……!」

 

(あー、クソ! 生娘相手にするみてぇに優しくしやがって。自分を悪者に、ってか? …………クソ、クッソォっ! アタシは馬鹿か!)

 

 

 不本意な性交を求められる女を慮った虎太郎の言葉に、東は歯を剥いて宣言する。

 彼なりの優しさに、嫌悪感はない。寧ろ、自分が女扱いされている事態に優越感と満足感を抱いているほどだ。

 だからこそ、心の中で自分を罵る。またお前は騙されたいのか、と。

 

 そうして、一瞬でも喜びを覚えている時点で、虎太郎の性技に嵌っているも同然だ。

 既に前戯は始まっているのだ。女の嗜好を探り、何に喜びを覚えるのかを知る。身体や性欲ばかりでなく、心までも満たすことによって、彼の性技は魔界の業を上回るのだから。

 

 

「…………うっ」

 

 

 頬を染めた東であったが、あるものを目にした瞬間、冷水を頭からぶち撒けられた気分になった。

 

 目にしたのは下着姿のワイトであった。

 新雪のように染み一つない白い肌。突き出た胸と尻の脂肪に反して女性らしさの残る引き締まった胴回り。

 男好きする女体のお手本のような身体を飾り立てるのは、白い肌を映えさせる黒い総レースの下着とストッキング。

 ブラは花柄の薄いレースの向こうには桜色の乳首が見え隠れしており、下のGストリングは逆三角形の布地以外は全てが紐だ。

 

 大胆で恥知らずな、男を挑発するためだけのランジェリー。

 初対面で受ける清楚な印象を裏切るものではあるが、その大胆さがワイトの欲望と虎太郎への思いの強さを物語っているかのよう。

 余りの女らしさに、同性である筈の東ですらが生唾を飲み込むほどであり、強烈にコンプレックスを刺激する。

 

 

「あれ? そんな下着、持ってたっけ?」

 

「ふふ、新調したんです。ゆきかぜや凛子に話を聞いて、その、旦那様に興奮して頂ければ、と。旦那様のお金で、申し訳ないですが……お金は、きちんとお返ししますから……」

 

「別に、金のことは気にしなくてもいいんだがな」

 

「気にします。だ、だって、旦那様のお金では、旦那様に恩を返しているだけのようで…………私は恩なんて関係なしに旦那様が好きだから、こうしているんです」

 

「…………お前のそういういじらしさはいいな。グっと来た。オレも好きだよ、ワイト」

 

「う、嬉しいっ、私も大好きですっ…………――――んっ♡」

 

 

 虎太郎は腰に腕を回すと、そっと抱き寄せる。

 ワイトも逆らうような真似をせずに、抱き寄せられるがままに胸の中に治まった。

 

 二人は視線を閉じることなく見つめ合うと、口唇を重ね合う。

 ちゅ、ちゅっ、と音を立てながら何度も何度も互いの口唇に吸い付いている。

 

 ごくりと東の喉が鳴る。胸に浮かんでいたのは明確な羨望であった。

 互いの欲望と感情を隠すこともなければ、余すこともない絵に描いたような恋人同士のキス。

 ついぞ経験できなかった情熱の交換を前にして、情けなさばかりが湧いてくる。

 

 客観的に見れば、東には縁がなかっただけだ。

 決して女として不出来だったからではなく、彼女に合った男に巡り会えなかった不幸があっただけ。

 情けなさを覚える必要など何処にもないが、どうしても卑屈になってしまっていた。

 

 

「ちゅっ、ん、ちゅちゅ、ぅむ――――――ふふっ♪」

 

「――――っ」

 

 

 その時、ワイトと目が合った。うっとりと目を細めたまま――

 

 

『どう? 羨ましいでしょう?』

 

 

 ――とでも言いたげな表情で、確かに東を見ていた。

 

 全霊をかけて愛する相手を見つけた優越に浸りながらの視線と表情に、言い様のない敗北感を東は抱いた。

 だが、ワイトの優越も、東の敗北感も一瞬のことに過ぎなかった。

 

 ワイトは爪先立ちのままキスを続けていると、虎太郎の手が彼女の身体を這い始めた。

 背中の肩甲骨や背骨の窪みを這ったかと思えば、脇腹の肋骨をフェザータッチで指を滑らせる。

 かと思えば、大胆に乳房を鷲掴みにし、尻の谷間へと指を滑り込ませ、次の瞬間には尻肉を握り締める。

 ワイトの理性を炙る劣情の炎を容赦なく燃え上がらせる残酷とも言える愛撫。

 その度に、ワイトは腰を震わせ、すっかり濡れそぼった秘裂からは愛液が溢れさせていた。

 

 

「んむ、れる……ちゅ、む……れろ、ぉ……ちゅるる……だ、だんなひゃまぁ……も、もっとぉ……よられ……べれひゅぅ……♡」

 

 

 先に音を上げたのは、やはりワイトだった。

 もう我慢出来ないです、もっともっと深いキスをしたいです、とせがむように虎太郎の口唇に吸い付くだけでは飽き足らず、舌を這わせて隙間に捩じ込もうとする。

 しかし、虎太郎はガンとして口唇を緩めずに、情けなくすらあるおねだりを口の端を釣り上げながら眺めていた。

 

 

「よし、舌を突き出してみな?」

 

「んぁぇ……んえぇええぇぇぇえぇぇっ……♡」

 

 

 一通り淫らなおねだりを堪能した虎太郎が命じると、ワイトは躊躇を見せずに口を大きく開き、舌を突き出す。

 はっ、はっ、と犬のような短い呼吸を繰り返し、唾液で濡れた舌をくねらせて虎太郎を誘っている姿は、立派な牝犬そのものだ。

 

 

「んむっ♡ んじゅぅっ、んちゅ、れるるっ、ちゅる、じゅりゅりゅぅ、あむっ、はむっ、れろっ、ずろるっ……♡」

 

 

 虎太郎もまた舌を差し出すと、ワイトは目にハートを浮かべて嬉しげに舌を絡ませる。

 唾液の飛沫が顔にかかるのも気にせず、蛇の交尾のように舌と舌が複雑に蠢いて、絡み合う。

 舌を擦り合わせているだけにも拘らず、ワイトの表情は蕩けていく一方で、激しさは増すばかり。

 もう我慢出来ないと言わんばかりにブラを押し上げる勃起した乳首を厚い胸板に擦り付け、じくじくと疼く性器を少しでも落ち着かせようと太腿を擦り、腰を左右へと揺する。

 

 

「じゅるるっ、ずろろろっ♡ んあっ、んへぁあっ、ちゅむっ、ちゅちゅっ♡ んれぇぇっ、んんっ……♡」

 

 

 どれだけ自分が気持ちいいか。どれだけ自分が愛しているか。

 どれだけ自分で気持ち良くなってくれているか。どれだけ自分を愛してくれているか。

 熱の篭った口腔性交は、互いがどれだけ相手を思っているかを伝える手段であり、どれだけ相手が思ってくれているかを測る手段でもあった。

 

 

「んぇ、んくっ、んぐっ、こくっ……こくこくっ………んぐぐっ、ごくん…………あはぁっ、旦那様の涎、おいしっ……♡」

 

 

 何も言わずに舌を離した虎太郎は、ワイトの尖った舌先に向けて唾液の塊を落とした。

 するとワイトは器用に受け止めると、舌をくねらせて口内へと運び、飲み下す。

 うっとりと細めた目は、それが何よりの甘露であることを示すかのようであり、ぶるりと肩を震わせた姿は、間違いなく溢れる官能を享受している証であった。

 

 たっぷりと虎太郎の生唾の味を堪能したワイトは、まだ足りないとばかりに舌を伸ばした。

 だが、虎太郎が与えたのは唾液ではなく、噛みつきであった。凶暴な獣のような勢いでワイトの舌に歯を立てる。

 

 瞬間、ワイトの目は見開かれ、腰から下がガクガクと震え出す。

 痛みなどない。舌を甘噛される快楽の放流を叩き込まれる。その上、逃れられぬ舌をたっぷりと舌でなで上げられては堪えようもなかった。

 

 

「んひっ……ら、らめぇ……イク……いくっいく……あひっ、んんんんんんんんんんんんんんんんんんんんっ♡」

 

 

 歯を立てられたまま口外へと舌を引き摺り出され、ワイトは爪先立ちになりながら絶頂した。

 

 絶頂を貪る全身を懸命に支えながら、踵を限界まで持ち上げ、瞳をくるんと持ち上げる。

 布に覆われた秘裂からドロドロの本気汁が漏れており、足を包むストッキングは足首にまで染みが広がるどころか、床に水溜まりを作っているほど。

 

 

「ふっ、ふーっ、はっ、はぁっ……は、はひぃ……んん……ふぇ……んっはぁぁ…………キ、キスアクメ、しひゃいましひゃぁ……♡」

 

 

 ベチャと広がった愛液溜まりに踵を落とすと、ワイトは口唇をぺろりと舐めながら、絶頂を報告する。

 もう、キスだけで頂点に達してしまうのも慣れてきたが、頬を染めて嬉しげに口の端を持ち上げる表情は、マンネリとは無縁だった。寧ろ、もっともっと教えて欲しいと懇願しているかのようだ。

 

 素直なワイトを本気で可愛いと感じながら、頬や頭を撫でると。

 得意げと歓喜が入り混じった表情で虎太郎の胸板にピッタリと張り付いて頬ずりをした。

 

 

「―――――じゃあ、次はいよいよ、ふふっ」

 

「……うぅっ」

 

 

 ワイトは女の表情を浮かべながら、流し目を東に向け、続いて虎太郎も視線を送る。

 東は固まったまま魅入ったように二人のキスをぼうっとと眺めていたが、はっとしてバツが悪そうに視線を逸した。

 ワイトはその様子に笑みを深めながら、虎太郎は気持ちは分かると頭を掻きながら近づいていく。

 

 

「つ、つーか、お前ら恋人同士だろ? い、いいのかよ?」

 

「あら、今更ね? まあ、私は嫉妬もあるけど、構わないわよ。だって旦那様、逞しすぎるんですもの。一晩で何度も何度もアクメさせられて、私でも身体も頭も壊れてしまうから」

 

 

 僅かばかりの悔しさを浮かべながらも、これまでの夜を思い出しているのだろう。ワイトは重く熱い溜め息を漏らす。それだけで、どれほどの絶頂と幸福を重ねてきたか分かろうと言うもの。

 

 女としての幸せを満たされきった表情に、東はまたしても生唾を飲み込んでしまった。

 その隙をワイトは見逃さない。音もなく東の背後に回り込むと手首を掴み、後ろ手に拘束する。

 突然の行為に東は抵抗してみせたが、万力のような力が相手では振り払えなかった。

 

 

「おい、余りらん――――――ん? これは……」

 

「ひぁあっ! い、いきなり、剥くんじゃ……ねぇ……よ……」

 

 

 虎太郎は東の胸元に視線を落とすと眉根を寄せ、一息にブラを剥ぎ取ってしまう。

 準備もムードもない行為に東は悲鳴もそこそこに怒鳴り声を上げようとしたが、瞳に写ったものに愕然とした。

 

 胸の頂点にあった乳首は、己の知るものとは余りにも変わり果てていたからだ。

 東の記憶にある形は肉芽が埋まった陥没乳首だったにも拘らず、今や子供の陰茎のようにそそり勃っているではないか。

 

 明らかな変形と肥大化はグラムの調教が如何に東の身体を変えてしまっていたかを物語っている。

 今の今までなかった己の身体が汚されてしまった実感が、事実として目の前に突きつけられている。

 知らず、東の視界はボヤけ、今にも涙が溢れてしまいそうになる。

 

 

「うっ……ぐっ…………――――ひぁあっ♡」

 

 

 それを遮ったのは、虎太郎の手であった。

 両の乳房を両手で掴んだと思えば、大きく長く勃起した乳首を指で挟む。

 根本から出るはずのない乳を絞るような揉み方、痛みを覚えるほどに勃起した乳首を慰めるような指使いに、東は甘い牝声を上げてしまった。

 

 乱暴な仕草であったにも拘らず、愛撫自体は蕩けてしまうほどに優しい。

 値踏みするような手付きであったが、不快感はない。寧ろ、胸から断続的に発生する快感は、頭と子宮を突き抜け腰砕けになってしまいそうだった。

 

 

「ふん、面白くもない。安心しろ、このくらいだったら、すぐに治るよ」

 

「んんっ、ふっ、ほ、ひうぅっ……本当、くぅぅっ、だろうなぁ……?」

 

「まあ、どっちにしろ。オレに抱かれにゃならんのは残念なんだろうが」

 

 

 乳房から伝わる感触に、東の身体に何が起こったのか虎太郎は察していた。

 アムリタなどの媚薬ではこうはならない。この変化、変形は寄生蟲によるものだ。

 

 目に見えた変化というものが人の精神に与える影響は非常に大きい。

 身体に取り返しのつかない変化を起こさせることで、最早どうにもならないと思い込ませて対象の心を折る。グラムが寄生蟲に組み込んだ悪趣味な機能、生態の一部に違いあるまい。

 

 虎太郎には何が面白いのか、理解できない。

 自分自身の手で、作物でも育てるようにゆっくりと変形していくのを楽しむならまだしも、手間も暇もかけずに変化させるのは面白みに欠けていた。

 過程と結果はワンセットではない。ワンセットではないが、結果ばかりを求めるのはナンセンスだ。

 過程には過程なりの楽しみ方と意味があり、結果には結果なりの楽しみ方と意味がある。

 

 結局の所、グラムが望んでいるのは自身にとって都合の良い肉人形でしかないのだ。

 そして、虎太郎はただ女と一緒に楽しみたいだけ。どうせなら一緒に気持ち良くなった方がいいと考えているに過ぎない。 

 だが、それがより女を虜に出来るのか、より快楽を与えられるのかに差を出すのは言うまでもないことだ。

 

 

(とは言え、これ以上はオレが弄ると洒落にならんか。寄生蟲は快楽と共に神経への癒着が進む。なら身体改造も同じと見るべき。上は、ワイトに任せるか)

 

「――――うふっ♪」

 

 

 乳首を優しくこね回されて身悶える東越しに、ワイトへと視線を飛ばす。

 この状況すら楽しんでいるのか、ワイトは笑みを浮かべながら虎太郎の意図を察すると、すぐに行動に出た。

 

 片手で東の両腕を拘束しながら、ジーンズのボタンを外すと器用にショーツごと下げていく。

 膝の半ばまで降りた布に、今度は自らの足をかけて足首までずり降ろした。

 甘い嬌声を上げるばかりの東は、下半身が完全に露出してしまったことに気づいていない。

 

 

「ひぁっ、ひっ、ぃいっ、ふっ、ふーっ♡ ふっー♡ ふぅぅううぅぅうぅ……――――うわぁっ?!」

 

 

 乳房から手が離れると東は荒い呼吸を繰り返しながらも虎太郎を睨みつけた。

 しかし、快楽で蕩けてしまった瞳では意味がない。寧ろ、どうして止めた。もっと欲しかったのに、とねだっているかのようだ。

 

 虎太郎にだけ意識を向けていた東の虚を突くように、ワイトは彼女の手を掴んだまま、背後へと身体を傾かせる。

 突然崩れたバランスに、法悦でボンヤリとしていた東に対応できる筈もなく、二人は同時にベッドへと腰を下ろす形となった。

 

 

「……や、やめぇっ!」

 

「駄ぁ目っ♪ 旦那様のは大きいからキチンと解して貰いなさい♪」

 

 

 ワイトは容赦なく自らの脚を東の脚に絡め、閉じようとした両脚を固定させてしまう。両脚の付け根に位置する女の最大の弱点は丸見えだ。

 薄めの陰毛は手入れなどされていないだろうに、綺麗な逆三角形で象られている。

 男勝りな東の秘所は全く型崩れしておらずに新品同様の形を保ちながら愛液で濡れ光り、覆われた肉芽は包皮を押し上げて自己を主張していた。

 

 

「や、やめろよぉ……風呂、入ってないから、絶対、臭ぇよぉ……」

 

「何? そんなこと気にしていたの? 大丈夫よ。旦那様、メスの匂いだったら、何でも大好きだもの♡」

 

「ふんふん。何だ、臭くなんかないじゃないか。発情した女の甘い匂いしかしないぞ?」

 

「だ、だからって、顔近づけて嗅ぐ―――――んっひいぃぃいぃぃぃぃいいぃっ♡」

 

 

 一頻り股座から立ち上るメスの芳香を楽しむと、虎太郎は内腿を撫でつけながらいきなり愛蜜の溢れ始めた秘裂に舌を這わせた。

 ベロリと縦の亀裂を端から端まで舐め上げると、東は堪らずに喉の奥から歓喜の声を上げる。

 

 一瞬で思考は真っ白に染まり、腰を持ち上げて与えられた快楽を逃がそうとしていた。

 

 

「なっ、なんっ……い、今の、何だよぅっ……!」

 

「ただのクンニだが? 何だ、今までされたことなかったのか?」

 

「さ、されたことは、ねぇ、けど……」

 

「だったら、楽しませてやるよ」

 

「ま――――いひぃっ、ひひぃいぃぃいぃっ♡」

 

 

 先の一舐めで包皮を剥かれて剥き出しになったクリトリスに舌を這わされ、東は甲高い悲鳴を上げた。

 

 既に勃起しているクリトリスの根本から先端まで。決して長くない距離を丁寧に丁寧に舐め上げる。

 それだけで、女陰はくぱりと糸を引きながら自ら口を開け、ごぽりと愛液を垂れ流す。

 

 ただそれだけで牡を受け入れる準備が万端に整ってしまっていたが、虎太郎は舌の動きを緩めなかった。

 

 

「あぐっ♡ うひィィイっ♡ うぅあっ、うンンンンっ♡ ひぃんっ、ク、クリぃっ、それ以上すんなぁっ♡」

 

「声から何からそうは言っていないぞ。こんな序の口で音を上げられても、そのなんだ、困る」

 

「ですって♪」

 

「いいいィっ♡ ち、乳首までぇっ♡」

 

 

 そそり勃った股間の肉芽を虎太郎の舌で押し潰されたかと思えば、そそり勃った胸の肉芽をワイトの指で扱かれる。

 余裕などハナからない東は、鼻の穴を膨らませて歯を食い縛るも、口の端からはだらしなく涎が溢れ、目を見開いて身体をヒクつかせていた。まるで蜘蛛の糸に絡め取られた蝶を連想させる。

 

 

「ひぐぅっ……や、やめっ♡ ダメっダメぇぇぇっ……♡ ぃくぅっ…………イっひぃぃいぃいいぃぃぃぃいぃっ♡」

 

(う、嘘だろぉっ、こ、今度はマンコまでぇ……♡)

 

 

 陰核、乳頭の責めだけで達してしまいそうになった東だったが、虎太郎は更に新たな女の弱点を探り当てようと割れ目へと二本の指を差し込んでいた。

 性急さは皆無だ。クリトリスへの責めはいきなりであったが、牝穴への責めは寧ろ、緩やかですらあった。

 

 しかし、快楽の度合いは増すばかり。

 ゆるゆるとした指の動きは東の急所を一つ残らず詳らかにしてやろうという気に満ち満ちていた。

 

 

「此処、だな」

 

「う、うそっ、ウソっ♡ こ、こんなのウソだぁ♡ あおっ♡ おぉおおぉぉおぉおぉっ♡」

 

(は、早い! Gスポット、見つけんの早過ぎんだよぉ……♡)

 

 

 膣の一点。ぷっくりと膨らんで、指からの刺激を悦んで迎えたのは女の前立腺と呼ばれるGスポットだ。

 

 天井側に位置する性急所を、二本の指が容赦なく撫で上げる。

 固められた両脚は閉じることは叶わず、代わりに足の指を丸めあげながらもピンと伸ばされていた。

 

 指は性感の密集したポイントを外れることはなく、指紋の形状すらも利用して擦り上げる。

 

 

「ふっ♡ ふっ♡ ふっ♡ ふーっ♡ ふーっ♡ ふーっ♡」

 

「もう限界だろ? 無理をするな。一回、イっておけ」

 

「ほらほら、イっちゃいなさい♪ 男に為す術もなくイカされちゃう女の悦びを貪るのよっ♪」

 

「あヒっっっ♡ へあっ♡ こ、こんなっ、おっ♡ イクっ♡ イクに決まってるっ♡ ひんンっ、こんなのイクだろっ♡ んっへぁあぁぁあぁあぁっ♡」

 

 

 激しくなどない、優しくすらある愛撫であったが、その効果は残酷ですらあった。

 不様な姿を見せまいとして歯を食いしばって絶頂を堪らえていた東は、容易く初心を忘れて決壊してしまう。

 

 ぐぱりと開いた尿道口からは高々と絶頂の深さを物語る熱い牝潮が吹き上がり、差し込まれた指に感謝するように膣は締め上げていた。

 絶頂の余韻を噛み締めて、爪先までがピンと伸びた両脚がぶるぶると震えるが、やがてガクリと踵から降ろされる。

 

 ようやく、絶頂が終わったようだ。

 

 

「ひゅっ、はぁっ、はぁっ、はっ、はっ……はーっ……はーっ……す、すげっ……♡」

 

 

 今にも呼吸を止めてしまいそうな身体に無理やり空気を取り込む。

 東自身の意志と言うよりも、かつてない快楽の放流に驚いた身体が正常な状態を取り戻そうと藻掻いているかのようだ。

 

 涙と鼻水、涎で汚れた表情で出てきた感想は、凄いというものしかなかった。

 ただ一度味わっただけで虜になってしまいそうなアクメ。僅か数秒前の絶頂の味を思い出し、東の膣口からは白濁した本気汁が零れ落ちた。

 

 

「良かったわね、東。こんなアクメ、旦那様以外はくれないわよ? それに、ほら……」

 

「ひぅっ、ち、乳首、弄るんじゃねぇ――――――ひぅっ!」

 

「こんなに逞しいのもくれるなんて、女冥利に尽きるわよね♪」

 

 

 絶頂の余韻から呆けていた東は、露わになった虎太郎の一物に短い悲鳴を溢した。

 

 それなりに男性経験のある東からしても、異形としか思えない男性器。

 今にも張り裂けてしまいそうな亀頭も、開いた傘の段差も、絡みつく血管の太さも、陰茎自体の太さも長さも、何から何までも違う。

 彼女が悲鳴を上げるのも無理はない。誰が何と言おうと、これは女を蹂躙し尽くすだけの器官。本能的に恐れも抱こう。 

 

 

「ほら、あんなにも張り詰めて。悦びなさい、女として自信がないみたいだけど、他でもない貴女があんなに逞しく勃起させたのよ」

 

「…………あ、アタシが」

 

「ええ。あんなにも可愛く喘ぐのだもの。女の私でもぐっと来たわ」

 

「…………~~~~~~~~~~~っっ!!」

 

 

 声にならない悲鳴を上げる。恥じらいと喜びが同居した悲鳴だ。

 こんな望んでいない状況ではあったが、東は途端に女が満たされてしまい、萎んでいた自信を取り戻していく。

 

 仕方がないだろう。

 見たこともないような逞しい牡の塊が、自分の痴態で熱く硬くなっていると分かれば、本能として喜びを覚える。

 況して、東はこれまでに上辺だけの言葉でしか女を持て囃されたことはない。言葉よりも明確で分かり易い、男の本能が自分を求めていると分かれば、無意識に女が悦んでも無理はなかった。

 

 

「じゃあ、気をしっかり持てよ。自分が何の為に抱かれているかを考えろ」

 

「……あっ、はっ……はあっ!? …………い、言われなくたって、分かってんだよ。だ、誰が、テメェの粗チンなんかで……!」

 

「……ほんと、貴女ってチョロいって言うか、とことん誘い受けと言うか……」

 

「な、何がだよぉ……」

 

「貴女の減らず口、男には威嚇にすらならないわ。寧ろ、その気にさせるくらいの効果しかないわよ」

 

「だ、だから、何が――――ひぐぐぅっっ♡」

 

 

 ワイトの呆れ顔に、東は困惑から答えを求めたが、膣口にゆっくりと侵入してきた亀頭に遮られてしまう。

 

 悲しいかな、真っ当な男性経験の少なさ故に、東の言動から仕草まで男の興奮を煽るだけだった。

 つい先程まで、猛り狂う剛直に怯えの表情を見せていたと言うのに、その表情のまま出てきた言葉は男のプライドを刺激するワードに過ぎなかった。

 その上、とろとろに蕩けた牝穴は丸見えで、誰が見ても挑発して誘っているだけにしか見えない。

 

 

「うあっ♡ き、きたっ♡ すぶってぇっ♡ ずぶずぶってぇ♡ かはっ、ひぃぃっ、ち、チンポにマンコ、掻き分けられてっ♡ 広げ、られてるぅぅっ♡」

 

「くっ。流石に、鍛えてるだけある。まるで生娘だな」

 

 

 まだ亀頭の先だけしか入っていないというのに、もう腹の奥の奥まで押し込まれてしまったかのような圧迫感を覚えて、東は牝の悲鳴を迸らせる。

 値踏みするような、品定めするような挿入に、尿道口からはぴゅっぴゅと透明な液を吹き出していた。

 既に溢れきっている本気汁を襞が侵入してくる牡の象徴に塗りたくり、抽送を助け、射精を促す。

 

 鍛え上げた筋肉は絶え間なく肉棒を締め上げ、悦びと感謝を示していた。

 

 

「あ、あっ、あっ、あがっ、熱いぃっ♡ ひひぃぃっ♡ ま、マンコの中、全部、掻き毟られぇっ♡」

 

「ふふ。もう、東ったら、完全に牝の顔しちゃってるわ。まあ、仕方がないわ、もういっそのこと、思いっきり愉しんじゃいなさい♪」

 

「おひっ、い、いま乳首、いひっ♡ イじられたらっ♡ イクっ、乳首でイクぅっ♡」

 

「ほらほら……きゅっきゅっ……♡ しこしこっ……♡」

 

 

 ワイトが乳首をつねりあげ、扱き上げる。 

 その度に東の腰は跳ね上がって、新たな本気汁を吐き出したが、二人の手は緩まない。

 乳首を絶え間なく虐め抜かれ、秘裂は優しく奥へ奥へと掻き分け広げられる。

 

 身体の芯から作り変えられているようだ。

 どれだけ耐えようとしても、喉の奥から溢れてくる嬌声を止められない。

 身体の痙攣を止めようと全身に力を込めても、より快楽を強くするばかりで子宮は熱く疼いていくばかりだ。

 

 

「ほら、一番奥まで来たぞ、コツンと」

 

「いひひっぃぃぃいいぃいいぃいいぃぃっっっ♡」

 

 

 子宮口と亀頭が出会うと、東の腰が高く持ち上がった。

 未体験の感覚に無意識から心が屈服するのを避けようとしたのだろう。

 

 だが、虎太郎は情け容赦がなかった。

 自分が気持ち良くなるためには、女をとことんまで気持ち良くしてやることが肝要であると理解していたからだ。

 

 持ち上がる腰を下腹の辺り――ちょうど腹の上から子宮を押さえる形で手を沈めていく。

 中から外からボルチオを責め上げる動きに、東の口からは獣のような声が迸った。

 

 

「おぉっ♡ ほぁぉぉっ♡ おっほぉぉぉ♡」

 

「ほら、分かるか、東。ぐりぐりボルチオを責められて、子宮口が開いてきたぞ」

 

「ひぐぐっ♡ はっ、こ、これぇっ♡ し、子宮口、開いて、吸い付いてるぅっ♡」

 

「あはっ♪ それが本当のセックスよ。それでアクメしたら、もう止まらないわよ。覚悟してイキなさい?」

 

 

 限界まで敏感にさせられた女性器から伝わってくる熱と衝撃と快感に、東は目を白黒とさせる。

 もう言うことなど効かなくなった身体は、男だけでは飽き足らず、虎太郎そのものを求めていた。

 

 

(こ、これへぇっ、本当のセックス♡ い、今までのなんか、全部全部、ままごとじゃんかぁ……♡)

 

 

 自分の女の芯が作り変えられていく快感に、東は腰を跳ね上げ、背中を逸らして受け入れていた。

 びんびんに勃起した乳首を震わせる度にワイトによって優しく押し潰されて、牝潮を噴く。

 完全に降りきった子宮にゴツゴツと優しくも力強いピストンで子宮口に先走りを塗り込まれながら突かれて、更に熱い潮を噴く。

 

 

「――――あっへぇっ♡」

 

 

 こりゅ、と僅かな強引さを子宮口に感じた瞬間、東は掛け値なしに決壊した。

 

 

「おおぉぉおおぉおおぉおぉっ♡ こ、これ、これこれっ、し、子宮にチンポ、入ってぇっ!?」

 

「うわぁ、もう完全にオマンコ陥落。お漏らししちゃってるわよ♪」

 

「う、うひぃいいぃいぃっ♡ も、漏れるぅ♡ 漏れてるっ♡ あ、アタシ、しょんべん漏らひて、アクメしてるぅううぅうぅぅっ♡」

 

 

 ワイトに開かれた両脚の中心から、湯気を立てる黄金の液体が弧を描いて放たれる。

 恥も外聞もない敗北宣言も同然の失禁姿を披露してしまい、反射的に東は虎太郎の顔を見ていた。

 

 

(う、うぅ、そ、そんな気持ちよさそうな顔すんなよぉ♡ が、我慢させてるみたいで、いっぱい、射精()させてやりたくなるだろぉぉおおぉっ♡)

 

射精()せよぉっ♡ 射精()せっ射精()せぇっ♡ アタシのマンコにトドメ、さしてぇええぇぇぇぇぇっ♡」

 

 

 口元の笑みをそのままに、目を爛々と獣の輝きで満たしながらも、眉根を寄せて東の与える快感に耐えているかのような表情。

 今までの男は、翻弄するばかりで自分の弱みを見せなかった。自分が優位に立っている事実自体に悦びを覚えていたのだろう。

 そんなものとは無縁の、女が喜んでくれている事実と共に快楽を享受している喜びに満ちた表情に、東は心までも開け放った。

 

 

「――――ぐっ」

 

「あひっ♡ きたっ、精液きたっ♡ 子宮にひひぃぃんっ♡」

 

 

 子を授かるための器官に、限界だった亀頭が爆発した。

 大量の熱い牡汁は子宮を白く染めていくだけでは飽き足らず、アクメで陰茎を締め上げている筈の膣の僅かな隙間から漏れていく。

 

 

「おおおぉおぉぉぉおおぉおぉっ♡ 子宮にザーメンきだぁああぁぁあぁぁっ♡ あっへぇええぇぇぇええぇぇぇっ♡」

 

「子宮ばっかり気にしてないで、乳首でもほらっ♪」

 

「おっひぃっ♡ ち、乳首も♡ キモチいひぃっ♡ でも、でもでも、やっぱ子宮のがキモチいいっ♡ ひひひぃいぃいいぃっ♡」

 

「あら、残念。でも、止めないわよ? シコシコっ、シコシコっ♪」

 

「おぉほぉおぉっ、イックぅっ♡ 乳首も子宮もイクっ、アクメっ♡ 扱かれて、子宮にべちゃべちゃザーメンぶっかけられてイクぅっ、イグイグイグッ♡」

 

 

 くるんと眼球を持ち上げ、舌を突き出した顔。

 虎太郎がオスの表情を見せたのなら、自分もメスの表情を見せるのは当然とばかりに、情けないアクメ顔を隠そうともしない。

 

 一体、どれほどの量を射精するつもりなのか。

 一体、どれほどの長さ射精し続けるつもりなのか。

 

 三分は続く長い長い射精に、東は虎太郎の下でもがきながら、全身を痙攣させ、脚を限界まで伸ばしてぎゅっと足の指を丸めていた。

 

 

「あっひゃぁあぁあぁぁあぁっ♡ おぉおおぉおぉっ♡ ふへぇえぇぇええぇぇぇええぇぇっ♡」

 

 

 一際大きい吐精に、東は下半身をぶるぶると震わせ、たぷたぷになった子宮を震わせながらその日一番の深い絶頂を味わった。

 伸ばされていた両脚は力を失くしてガクリと落ち、絶頂の余韻を味わう痙攣は続けたままだ。

 

 ぴゅるろ、と尿道からアクメ失禁を見ながら、虎太郎は淫裂の襞に精液を塗り込むように引き抜いていく。

 その度に、最後と思われていた小便は、ぴゅっぴゅと新たに漏れていった。

 

 

「はひっ……はへっ……はーっ……はぁっ……へぁっ……ひゃ……はへっ……ひぃ……あへっ……♡」

 

 

 くたくたになった全身を投げ出して、弱々しい呼吸を繰り返す。

 陰唇は白濁汁を逃すまいとひくひくと蠢いていたが、絶頂が深すぎたのか、それとも虎太郎の肉棒に押し広げられてしまったからなのか、溢れる精液が止まらない。

 

 

「まだ一回なんだが…………あと、四回は出してやらにゃ、寄生蟲の束縛から逃げられねぇのに。どうしよ」

 

「うふっ、旦那様の逞しさも、考えものですね。じゃあ♪」

 

「……うん?」

 

 

 萎え知らず剛直をいきり立たせながら、虎太郎は困ったように呟いた。

 精液も血液同様に、多く注げば注ぐほどに東の身体に侵入するウイルスの量は多くなる。

 桐生の資料によれば、あと四回分は射精しなければ、グラムとの最終決戦に投入は出来なかった。

 

 女に関しては自分でも抑えの効かない部分があるのに呆れながら、どうしたものかと頭を掻く。

 これ以上やっては、別の意味で東は使い物にならなくなる。勿論、快楽漬けの結果である。

 

 そこで助け舟を出したのはワイトであった。

 東の身体を解放し、ベッドへと寝かせると自らの下着を剥ぎ取っていく。

 露わになったのは、どんな男でも興奮してやまない肢体であり、既に虎太郎のモノとなった淫らな肉体であった。

 

 硬く凝った二つの乳首と剥き出しのクリトリスには、虎太郎の女である証としたハート型のチャームのついたピアスが揺れている。

 そのアクセサリーを見せつけながら、ワイトは脱力した東の身体に覆い被さり、交尾を待つ牝犬のように真っ白な尻を向けた。

 

 

「旦那様専用の牝犬マンコを、おチンポ扱いて射精するためだけのオナホールとしてお使い下さい♡」

 

「くく。じゃあ、お言葉に甘えさせて貰おうかねぇ」

 

「ほぉっ♡ ほぉおおぉおぉぉっ♡ 旦那様のおチンポ、きたぁっ♡」

 

「ちゃんと、お前にも射精してやるからなっ」

 

「は、はひぃっ♡ だ、旦那様のご寵愛、牝犬ワイトにも頂戴下さいぃぃぃいぃっ♡」

 

 

 腰を左右に降って本気汁の糸が伝うピアスを揺らす。

 すっかりと堂に入った牝犬の誘惑に、虎太郎は嫉妬に濡れる淫裂へと剛直を差し込み、(ねぶ)らせる。

 

 アレだけ東を弄んだワイトであったが、彼女に嫉妬していたのだ。

 私の方がもっともっと旦那様を気持ち良く出来ます。オチンポいっぱい射精させてみせますと意気込んでいる。

 射精は東だけにしてくれればいい。それまでの面倒は私が見ますと、牝穴を蕩けさせながら、虎太郎の女として優位であると示したかったようだ。

 

 

(……うっわぁ、コイツ……すげぇ、幸せそうな顔、してんなぁ……うらやまし……)

 

 

 薄れ行く意識の中、牝犬としてだけではなく、女としての幸せを一心に享受しているワイトの表情を眺めながら、東はボンヤリと羨んでいた。

 

 そこで東の意識は完全に闇へと飲まれた。

 発情した犬の遠吠えだけが部屋一杯に響き渡り、熱い粘塊を子宮へと吐き出された東が覚醒と失神を繰り返す嵌めになるのはもう少し、後の話だ。

 

 

 

 

 







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『さあ、前フリは此処までだ。準備を整えた作戦の恐ろしさを知るが良い』

 

 

 

「納得のいく説明をして貰おうか」

 

「こんな場所まで呼びつけて……」

 

「説明もクソもない。隼人学園のガキ共のお守りだよ、それ以外には何もない」

 

 

 吸血鬼対策協議まで残り5日。

 

 街から遠く離れた廃工場にて、燐とあさつき、虎太郎が対峙していた。

 呼び付けられた二人はあらん限りの不満を顔に浮かべて、虎太郎を睨みつけている。

 

 黒百合と紅羽を筆頭とした現役に率いられた生徒達ですら情報収集と監視に精を出しているというのに、戦闘特化の二人は何もすることもなく手持ち無沙汰でフラストレーションが溜まっていた。

 虎太郎は情報収集や監視への同行を徹底して阻止していた。もっとも、表向きには紫の判断ということになっているが。

 

 虎太郎にしてみれば当然の判断だ。

 猪武者同然の二人では不測の事態になった場合、感情的になって全てを台無しにしかねない可能性が高かった。二人に比べれば、技量は未熟ながらも事を秘密裏に進める重要性を十二分に理解している生徒の方がマシである。

 

 かと言って、最前線に投入するのも嫌だった。

 命令無視など冗談ではない。独自の判断で独自の行動を取られるのも怖い。

 本当に最前線で死ぬまで戦い続けて欲しいのだが、半端に実力がある上に見目も麗しいので生き残ってしまう可能性が非常に高い。つまり、彼の仕事がまた一つ増えてしまうかもしれない。

 

 この二人が増員として現れて蒼褪めた虎太郎が何とか今回の件から遠ざけようと考え続けた結果が、これだ。

 

 それが、東と共に確保した隼人学園の生徒達の護衛であった。

 元々、東の確保は成功する公算は高かったものの、虎太郎にとっては生徒達も共に確保できたのは僥倖以外の何物でもなかった。

 事実として、こうして二人を作戦から遠ざける理由が降って湧いたようなものなのだから。

 

 

「巫山戯るな。護衛程度なら学生共に任せておけばいいだろう……!」

 

「確かに、奴等なら十分だろうよ。だがな、隼人学園とは同盟を結ぼうとしている最中だ。況してや、オレが静観の提案をしたから内部はメチャクチャ。グラムが好き放題やる結果になった」

 

「その責任はお前にあるだろう! 紫様も何故、貴様なぞの提案を……!」

 

「だから、お前ら二人が護衛するんだろうが」

 

 

 戦えないことがそれほどまでに不満なのか、それとも護衛が前線戦闘よりも下の仕事と思っているのか、あさつきは歯を剥き出しにして噛み付いてきていた。

 

 如何にグラムを完全に封殺する為とは言え、対魔忍が隼人学園の内情を知りつつも静観を選んだのは事実。

 この事実はいずれ必ず隼人学園側の耳に入るだろう。そうなった場合、対魔忍と隼人学園の同盟関係は致命的に罅が入ってしまう。

 

 此処は誠意を見せなければない。

 望外の幸運で救出できた生徒を盤石の体勢で護衛させれば、少なくとも対魔忍が隼人学園を好きで見捨てた訳ではないということが分かる。

 

 学生対魔忍では実力は兎も角として、組織内の立ち位置としては下だ。

 そのような者に生徒の護衛を任せては、その程度にしか我々を認識していないのか、と不興を買ってしまう。

 だからこそ、上忍二名を意義がある。例え、作戦中の総戦力が減ることになろうとも、今後を見据えれば十分お釣りの来る配置だ。

 

 

「それにな、お前ら。アサギと紫の顔に泥を塗るつもりか?」

 

「何……?!」

 

「お前等の配置を選択したのは紫だ。紫はこの同盟関係の全てを任されている。これに異議を唱えることは、アサギの考えに異議を申し立てているも同然だろうに」

 

「…………っ」

 

「それにな、こうして置けば、全ての責任をオレにおっ被せて蜥蜴の尻尾切りもできるだろうが」

 

 

 紫の、引いて心酔しているアサギの名を出され、それ以上あさつきは何も言えなくなった。

 自分が楽をしたいがために相手を黙らせる必要があるのならば、相手の弱い部分を容赦なく突く男である。

 

 実際の所、虎太郎は何一つ嘘をついてはいない。ただ、事実を語っていないだけだ。

 二人の配置を提案したのは虎太郎であるが、最終的に選択をしたのは紫であり、この決定にアサギも納得し既に了承を得ている。

 

 また、万が一に備え、隼人学園側に説明するカバーシナリオは考えてあった。

 

 それは、こうだ。

 

 虎太郎は任務中にグラムと接触、交戦しており、隼人学園を初めて訪れた際に彼の存在に気づいていた。

 しかし、それを確信するだけの情報がなかった故に、紫には何も言わないまま、独自に調査を開始。

 その過程で確たる証拠を得るために、グラムと部下の暴虐を静観。その後、アサギと紫に連絡を入れ、同盟の担当者であった紫が、部下を引き連れてすっ飛んできたというシナリオである。

 

 静観した責任として、悪感情は全て虎太郎へと集約され、アサギと紫は隼人学園側には恩人となるのだ。

 

 此処でゴネればゴネるほどに、アサギの顔へと二重で泥を塗るようなもの。

 其処まで理解したあさつきは、ようやく押し黙った。不承不承ではあるものの納得はしたようだ。

 

 

「我々が後方に下がり、生徒達を前に出させるなぞ……」

 

「指揮を取るのは上忍、何が不満だ。お前がいなければ生徒達が戦えないと、お前でなければ守れないと? 驕りも大概にしろ。お前の目の届かない状況なんぞ、いくらでもある」

 

「…………ぐっ!」

 

「お前が生徒の重荷を肩代わりすればするほどに、奴等の手足は痩せ細る。そうなれば、いずれは奴等自身の運命の重さに耐えられずに押し潰されるのは明白だ。手を貸す必要もあることは重々承知しているが、過保護であっては自立の妨げになる。教師として、その程度の分別は持っておくんだな」

 

 

 対魔忍の背負う運命も責任も、余りに重い。

 魔界からやってきた魔族、米連を筆頭とした諸外国の勢力。どちらからも日本を守らねばならない。

 ただ一つの失敗が、日本を破滅へ導く可能性もある。

 

 だからこそ、生徒達の危険に目を瞑ってでも、経験を積ませる。

 彼女等は、これからの対魔忍を背負って立つ存在だ。必要以上に彼女達から経験を積む場を奪っては、何時まで経っても成長しない。

 そして、望む望まざるに拘らず、先達はいずれ舞台から降りねばならない。その時に、何も出来ない対魔忍であってはならないのである。

 

 口を挟んだのは燐であったが、全くの正論で返されては歯噛みする他なかった。

 

 

「お前ら二人はそれくらいし――――この仕事には適任だ。魔族が来ようが、米連が来ようが、徒党を組まれようが問題ない。紫がそう判断した。無論、オレにも不満はない。もし、意見があるのなら紫を説得するんだな」

 

(なぁ、ワイト。アイツ、今、それくらいしか出来ないって言いかけたよな? よな?)

 

(シっ! 黙っていなさい、東!)

 

 

 これ以上の話は無意味と斬って捨てた虎太郎に、二人は黙らざるを得なかった。

 燐は鼻を鳴らして顔を逸し、あさつきもまた口元を歪めながらも、口唇を引き結ぶ。どうやら、紫の考え――虎太郎のものであるのだが――に納得し、完全に承服したようである。

 

 離れた位置で三人の会話を見守っていた東は、虎太郎の内心を察してワイトに話しかけたが、一蹴されてしまう。

 そう。虎太郎にとって、隼人学園との関係が破綻しようが、生徒がグラムの部下に殺されたとしても、面倒に発展はするが、それほど問題ではない。

 

 二つの組織が存在していれば、互いの利益のためにぶつかり合うのは必然であるが故に、折衝と交渉が必要だ。

 対魔忍に身を窶している以上、生徒がいずれは殺し殺されるのは必然であるが故に、教育と人材発掘が必要だ。

 

 今の彼の内心は――――

 

 

(やったぁぁああぁぁああぁぁぁあぁぁ!!! 不良在庫一掃セール、完了ぉぉぉぉおおぉっっ!!!)

 

 

 ――――不良在庫(使えない味方)を、一掃した喜びしかなかった。

 

 酷い話である。

 仮にも味方を使えない扱いをした上に、作戦の邪魔にしかならないと踏んで、最も重要性の低い位置に配置したのだから。

 

 因みに虎太郎の中で燐、あさつき両名の評価は、東の妹である舞華、佐久家の次期当主の春馬並みに低い。

 

 燐は、とある任務で虎太郎の速度に反応が間に合わず敵諸共に電撃を浴びせており、殲滅ばっかりで状況判断能力の低い粗忽者。

 あさつきは、アサギの真似をして敵陣の中央に突っ込んでいった挙句に孤立して窮地に立たされる、敵どころか己の実力も測れない愚か者。

 

 といった評価である。

 

 二人へのフォローをいれるのなら、燐に関しては虎太郎の味方に求める理想が高すぎるからであり、あさつきに関しては桐生によって施された治療そのものが彼女の精神に影響を与えているからである。

 もっとも、その程度のことで、彼の評価が変わることはありえないが。

 

 

「じゃあ、後は任せるぞ」

 

「承知した」

 

「……了解」

 

 

 無表情を保っていたが、内心はルンルン気分で今すぐにでもスキップをしてしまい気分であったが、虎太郎はぐっと堪える。

 此処でこれ以上、二人にゴネられても面倒だ。自分への反抗心から持ち場を勝手に離れられる訳にはいかなかった。

 

 最早、廃工場に残る理由はない。

 数日分の食料を渡し、生徒達を眠らせておく栄養剤と睡眠薬の混合薬剤を定期的に点滴するように指示を出してから、ワイトと東を連れ立って仮設本部へと戻ろうとしたのだが――――

 

 

「…………ところで、その顔はどうした?」

 

「悲しい意見の擦れ違いだ。それ以上、聞くんじゃない……!」

 

「あ、あぁ、そうか……」

 

 

 ――――岩石も斯くやという顔を燐に指摘され、迫真の表情で黙らせた。

 

 ボコボコに腫れ上がった顔は、東の仕業である。

 寄生蟲の呪縛を解くために行った性交の後、目を覚ました東に無抵抗のまま殴られ続けた結果だ。

 

 虎太郎とワイトの思うがまま乱れさせられた情けなさ。

 自ら明け渡したとは言え、未体験の快楽に翻弄されて女を晒した気恥ずかしさ。

 抱かれる前には満たされたことのなかった女としての充足感。

 

 その全てを拳に乗せて、東は気がつけば虎太郎を殴り倒していた。

 拳に乗せられていた感情がそのような感情であったから虎太郎は今も己の脚で歩けているが、これが殺意であれば恐らくは死んでいたことだろう。

 

 

「お、おい、大丈夫、なのかよ……?」

 

「あぁ、あの二人に任せておけば大丈夫だ。それこそカーラ(クラス)が来なけりゃ、一方的にやられることはない」

 

「い、いや、そっちじゃなくて、お前の方で……」

 

「「…………」」

 

「………………な、なんだよお前ら! 二人して頭撫でんじゃねぇよ!!」

 

 

 これから共に廃工場を離れ、仮設本部へと戻ろうとした虎太郎へと近づいてきた東は、そんな言葉を口にした。

 普段は開け広げられている赤いジャケットの前をキッチリと閉め、両手をポケットに突っ込んだまま口唇を尖らせて虎太郎を気遣う。

 何だか、仕掛けた悪戯が思わぬ結果を引き起こしてしまい、反省した子供のような姿だった。

 

 しおらしい東の姿に、虎太郎とワイトは目を丸くして顔を見合わせたが、何一つ言葉を発することなく、二人揃って頭を撫で回し始めた。

 無論、それが東なりの感謝と照れ隠しだと気づいた上で、愛らしさを感じてのことだ。

 彼女を女らしくない、などと言ったのは誰なのか。十分に女らしい。年不相応に純情で純心な少女そのものではないか。

 

 

「だぁあぁぁっ!! 人が心配すりゃぁこれかよ! クソっ! 馬鹿にしやがって馬鹿にしやがって馬鹿にしやがって!」

 

「馬鹿になんてしてねぇよ。可愛がってるだけだろ。可愛いよ、東。東、可愛いよ」

 

「かわっ……!?」

 

「そういう愛らしさは私にはないから、少し羨ましいわ」

 

「……ぐっ、ぐぅぅぅっ…………お、おら、さっさと行くぞ!!」

 

 

 二人の素直な感想だったからか、東は顔を真っ赤に染め上げるとそれ以上反論することはなく、足音を立てて部屋を出ていってしまう。

 

 内容は聞こえていなかったのだろうが、声の大きさから言い争いだとでも思ったのか、燐とあさつきは呆れの視線を送ってきている。

 普段の虎太郎の言動を鑑みれば、重要な同盟相手を怒らせても不思議ではないので当然だ。もっとも、虎太郎が相手を怒らせるような言動をするのは相手に問題があるか、意識的なものに過ぎない。

 敬意を払うべき相手には払う。TPOは弁えている。彼の言動が目につくのは、周囲に問題のある相手が多過ぎるからだ。

 

 

(ちょろい。チョロいわ、東。これなら、後は何もしなくても勝手に完堕するわね! やったわ、ゆきかぜ! 旦那様のハーレム要員が増えるわよ!)

 

(またぞろおかしなこと考えてんなぁ、コイツ。いや、責任くらいは取るけどさぁ……いいのかぁ、これぇ?)

 

 

 ふふふ、と黒い笑みを浮かべたワイトは最早、立派なモテモテウハウハ虎太兄ハーレム王国建設作戦実行委員会の会員であった。

 青い空を背景に会長であるゆきかぜが、ぐっと親指を立ててる姿を幻視した虎太郎は、思わず頭を抱えてしまいそうになったのは、言うまでもない。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「――――以上が、隼人学園の現状です」

 

「各拠点の現状も報告の通り。米連も足を止めたまま現状を維持しています」

 

「ご苦労。上忍連中は兎も角として、学生どもは短い間だったが、よくやった。今後もこの経験を任務で活かすように。完全な戦闘職でも無駄になる技能(スキル)じゃないからな」

 

 

 東を引き連れ、仮設本部へと戻った虎太郎は任務に携わる全ての人物を集め、最後のミーティングを行っていた。

 上忍達が得た情報を統合し、花蓮と深月が虎太郎へ手短に報告を行っていた。

 

 敢えて花蓮と深月に報告をさせたのは、この二人が指揮官としての適性を持っていたからだ。

 冷静沈着かつ俯瞰的な視点を持つ二人は、戦闘は勿論のこと、人を動かすことに長けており、指導にも向いていると虎太郎が判断した。

 以後は、二人に指揮官としての教育を行っていくつもりだ。その前に必要な経験を積ませる算段である。実に彼らしい無駄の無さである。

 

 既に東救出の知らせを聞いていた皆は、彼女の無事に胸を撫で下ろしながらも必要以上の気遣いはない。

 挨拶もそこそこに、作戦の状況がどうなっているのかを問い質す東の意志を尊重してのこと。

 況して、今回の件においては被害者にして当事者でもある。助っ人扱いであるものの、重要な戦力故に軽く扱うこともなかった。

 

 隼人学園の現状から、カーラは既に陥落したものと思われた。

 と言うのも米連の襲撃に備え、グラムが自身の配下を隼人学園に招き入れていたからだ。

 其処まで派手に動けば、いくら何でもカーラに悟られてしまう。それだけ大胆な行動に出たということは、最も重要な駒を手中に収めた証左である。

 

 学園内部の支配も既に終了した。

 カーラ達ほどの女傑であっても抗えない寄生蟲の支配には、如何な吸血鬼退治の精鋭と言えども対抗し難い。

 吸血鬼共は昼間は教師や生徒として振る舞い、夜間は学園内部を徘徊して米連の襲撃に備えている。

 

 隼人学園の守りは固くなったが、その分だけ三つの拠点が手薄となったのは朗報であった。

 これは殲滅戦だ。只の一人も逃がす訳には行かない。虎太郎の手の届かない拠点が、上忍と生徒だけでも確実な殲滅が可能となったのは大きい。

 

 

「これから五つの班に別れる。峰麻、穂村、前園、百田の()班。葛、星乃、大島の(かん)班。蘇我、喜瀬、高槻の(けん)班は各拠点の殲滅を」

 

「「「「――――了解」」」」

 

「指揮は上忍が取ってやってくれ。お前らは、それに従い、これまでの成果を見せろ」

 

「成果言うても、ただ走ってばっかでしたやん……」

 

「それ以外にも色々教えてやっただろ? 要は、此処の使いようだ」

 

 

 紫の指示に、上忍達は全てを納得した上で任務を拝命する。

 虎太郎の言葉にも無言で頷いたが、雫は不安げな表情だった。

 実戦は初めてではないにせよ、これだけ慎重を期した作戦の大詰めともなれば不安の一つも湧いてこよう。

 

 しかし、虎太郎は自分の頭を指で小突いただけで、不安を一蹴する。

 何も彼は体力ばかりを伸ばしてきた訳ではない。彼女達自身が、己の限界を見極め、異能の行使と使い方を考えさせてきた。

 グラムの指揮もないチンピラ同然の吸血鬼であれば、身体能力に差があろうとも、戦い方さえ間違えなければ十二分に対抗可能と判断したのだ。

 

 

「蓮魔、由利、氷室の()班は裏手から侵入。教員寮と学生寮に通風口から催眠ガスを流して、支配下に置かれた教員と生徒の無力化と確保を」

 

「戦闘は……?」

 

「可能な限り避けろ。已むを得ない場合は音もなく一方的に無力化か殺害。氷室の氷遁を起点に、蓮魔と由利がサポートする形がベストだ。無力化、確保した後は逃走を図った吸血鬼の追走に備えておけ」

 

「分かりました」

 

「そして、私、ワイト、神村殿、鉄兜の太極班は、正門から堂々と侵入し、全ての目を釘付けにした上でグラム、上原理事長、マリカ・クリシュナ、カーラ・クロムウェルの確保と吸血鬼の殲滅を行う。何か、意見はあるか?」

 

「特には…………弐曲輪先生は何を?」

 

「オレは此処の屋上からスポッターと狙撃を兼任する。米連の動向の監視と太極班、()班のサポートだ」

 

 

 無論、口から出任せである。

 虎太郎は鉄兜の中身として、グラムの周囲を固める吸血鬼とカーラ達の戦闘に参加する手筈となっている。

 

 実際にスポッター、狙撃を行うのはアルフレッドだ。

 監視には米連から鹵獲した小型の飛行ドローンを用い、狙撃には消音装置付きのライフルをモーターで可動する脚立型の遠隔照準装置を使う。

 後は虎太郎が太極・兌班からの報告を受けて、アルフレッドへ指示を出せばいい。これで、虎太郎の動向も味方に対してすら覆い隠す事ができる。

 

 気になるのは米連の動きであるが、いきなり三つ巴の戦いに突入することだけはない。

 米連側にしてみれば、同盟を結んだ筈の隼人学園と対魔忍が相争うことに混乱する。更にはグラムの存在に気づき、東が対魔忍側についている事実は更なる混乱を生み出すことだろう。

 またしても米連は現状把握に務めなければならず、もし仮に介入を決意しても、行動を開始するのは間違いなくグラムと対魔忍の戦いが終わった後であることは明白。

 何故ならば、その方が自軍への損害を極限し、なおかつ任務の遂行も容易となるから。所謂(いわゆる)、漁夫の利を狙うのは目に見えていた。それが真っ当な人間の感覚だ。

 

 これまでの米連の思考や行動を鑑みえれば、間違いない。

 介入に対しても、既に手は打ってあった。彼等は泣く泣く本国へと帰る道しか用意していなかった。

 

 

「では、作戦の決行は3日後の午前0時。それまでは各自、監視を交代で行いながら、十分に休息を取っておけ。以上、解散!」

 

 

 救出作戦最後のミーティングは終わった。

 各々が不安を抱えながらも、それ以上の闘志を漲らせて部屋を後にしていく。

 

 無論、部屋に残った紫、ワイト、東も同様であった。

 その中で唯一、虎太郎だけが欠伸を漏らし、何のやる気も見られない態度を取っている。

 これが彼のデフォルトだ。それでも、油断だけは見られないのは流石といった所だろう。

 

 

(さぁて、後はオレが命を張るだけだ。最後の助っ人が頼りだな。まあ、いつも通りだ。キチンと殺してやるからなぁ、グラム叔父さん)

 

 

 誰にも悟られぬ確殺の決意が心の内側で燃えている。

 何処までも冷たく、何処までも残忍に敵を灼き尽くす絶対零度の炎は、数日後にはグラムへと向けられることになる。

 

 未だ彼等の存在に気づいていないグラムが炎に巻かれ、絶望する羽目になるのは言うまでもないことだろう。

 

 

 

 

 







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『作戦開始! 作戦開始! 一気に敵の首を締めにいっちゃおうねぇ! 但し、殺すのはまだだ、まだ早い!』

 

 

 

 

 吸血鬼対策協議まで残り2日となる午前0時。

 隼人学園の正門へ向かって歩いて行く三人の美女の姿があった。

 

 白い対魔忍装束を纏い、得意の戦斧ではなく珍しく忍者刀を手にした八津 紫。

 隼人学園の教師にして、多くの吸血鬼と魔族の血を吸った鬼切を肩に担いだ神村 東。

 

 完全に戦闘態勢に入った二人。

 昼間であれば人目を引く格好と手にした凶器から、警察への通報は免れなかったであろうが、幸いにして時間帯は深夜。隼人学園の周辺は、この時間帯に出歩くものはいない。

 隼人学園の周辺地域は全てが上原家の土地。余計な疑いや情報漏洩を防ぐために周辺住人は厳正な審査――特に住人の生活スタイルが日中を主とするか否かを中心に――を受けてから土地を借りて家を建てるか、借家を借りるからだ。

 

 吸血鬼が凶行を働くのは深夜が主であり、最も力が高まる時間帯でもある。

 吸血鬼が活発に活動する時間を想定し、隼人学園の授業も深夜帯に行われる場合がある故の配慮であった。

 

 

「さて、お披露目の時間ね――――武装化(アムド)

 

 

 最後の一人はワイトであったが、彼女だけは普段通りの服装だ。

 道を行けば人目を引くだろうが、決して通報される類のものではないのだが、これから戦いに赴く二人と並んで歩くには余りにも心許無い。

 

 しかし、彼女の掛け声と共に衣服が黄の瘴気と共に全て弾け飛び、裸体が一瞬露わになるも、同じく一瞬で死霊騎士としての武装が顕現した。

 但し、かつてのような露出の多い鎧ではなく、其処から更に黒鉄の装甲を付け足し、頭部までもがおどろおどろしい兜で覆われる新たな武装。

 

 兜は眼窩も鼻孔もない頭蓋骨に、凶暴な歯並びのみを残し、後頭部には三本の紐状の物体が伸びた意匠。

 胴は幾重にも肋骨が折り重なったかのよう。手足には無数の凶悪な棘が伸びている。

 

 鎧兜と言うよりも、甲殻類の外骨格のようだ。

 有機の美しさを残しつつも、無機の悍ましさを付け足したかのような。

 無機の流麗さを残しつつも、有機の異質さを組み込んだかのような。

 一部の隙もなく、正体をひた隠す戦装束。

 

 これぞ虎太郎が考案し、ワイトが着想した新たな力だ。

 

 死霊騎士の最大の利点は、死体を動かし、生者を死者へと変えることで無尽蔵に自軍の戦力を増強させていくことにある。

 しかし、虎太郎にしてみれば、屍の王にワイトの存在は此処にありと伝えるような真似はしたくない上に、対魔忍として戦うのであれば死体を操るような真似は最低限にしておきたかった。

 ワイトとしても、小さくも儚い命に触れた今、かつての所業は悍ましいものとしか映らず、虎太郎の命でもなければ決して使いたくない。

 

 何にせよ、二人の思惑は一致していた。

 さりとて、死霊騎士の瘴気は屍の王から賜ったものであり、今や虎太郎が横から奪っていた貴重な武器でもある。このまま使わずにしておくのは惜しい。

 

 ならば、と考えたのは、瘴気を外に向けるのはでなく、瘴気を身に纏い、内へと向ける方向性。

 

 ワイトが死霊騎士としての鎧を纏うメカニズムは実に単純だった。

 来ている服を瘴気によって分子レベルまで分解し、瘴気ともに再構築したものが鎧だ。瘴気を解放すれば、分解された衣服は自然と元の形へと戻る。言わば、鎧そのものが物質化した瘴気であったのだ。

 ならば、籠める瘴気の量を増やせば増やすほどに、鎧の面積が増えていくのは自明の理。

 反面、鎧に向ける瘴気を増やすほどに、死体をリビングデッドへと変える効果も、構築して操るゴーレムの数も減っていく。更には瘴気それ自体を魔力へと転換させることで爆発的な身体能力の向上へと繋がった。

 

 言わば、死霊騎士の最大の利点、特性をかなぐり捨てることで得た、ワイト個人の超絶的な自己強化(ビルドアップ)

 敵を引き裂く力はオーガを超えて紫に並び、地を駆ける速度はアサギ、虎太郎と遜色はなく、身を守る堅牢さは対魔殻を纏った佐久 春馬以上。更には毒に対する耐性まで得ている。特殊能力という前提がなければ、高位魔族ですら敵うまい。

 

 

「――――行くぜ」

 

 

 辿り着いた隼人学園の正門は、開け放たれたままだった。

 まるで哀れな獲物を誘う蟻地獄のよう。グラムの自信そのもの示している。

 

 勝手知ったる学び舎と東は意気揚々と門を超え、二人もその後に続く。

 本来であれば、魔の者であるワイトは超えられぬ結界であるが、何事にも例外がある。それが禁則破りの印。

 カーラやマリカが大手を振って隼人学園に足を踏み入れられる理由であり、結界を施した術者のみが施せる結界の効果の対象外となるための印だ。

 無論、隼人学園に入った吸血鬼共にも渡されている代物。東を救出した折に接触した吸血鬼から奪っていたものを、ワイトが持っていた故に、結界は何の効果も発揮しない。

 

 正門を超え、校庭まで踏み込んだ三人を待ち構えたのは無数の吸血鬼だ。

 闇の中から滲み出るように、品性を感じ取れない下卑た笑みを浮かべている辺り、グラムの部下らしいと言えば部下らしい。

 

 

「やはり、生きていたか」

 

「おうよ。当たり前だろうが、まだお礼参りが済んじゃいねぇからな、グラムさんよぉ……!」

 

 

 その中に、山川の姿もあった。無論、姿を変えたグラムである。

 東が浮かべた獰猛な笑みを前にして、グラムは慌てた様子を見せずに、山川の擬態を解いていく。

 

 現れたのは王族としての使命も重さも知らぬとばかりに欲望に塗れた笑みを浮かべたグラム。

 反吐が出る、と言わんばかりに東は唾を吐き、鬼切を握り直した。

 

 

「しかし、米連辺りに誘拐されたと思っていたが、対魔忍どもと手を組むとはな」

 

「何か問題でもあるかぁ? こちとら口約束と言えども同盟関係だ。もっとも、お前にゃ関係のない話だがなぁ!」

 

「いいや、ある。あるとも。思わぬ収穫だ。よもや、此処であの男への足掛かりを得られようとはな……!」

 

「あぁ……?」

 

「私を見ないで欲しい。私は関係がない。関係があるのは、あの最低男だ」

 

 

 生きていた自分に自信でもなく、苛立ちでもなく、ただ悦びを覚えているグラムに違和感を覚えた東は、反射的に紫を見た。

 東の知らないグラムと虎太郎の因縁――いや、グラムの主観によるならば才谷 梅太郎との、か――を知っている紫は、頭が痛いとばかりに首を振る。

 

 暫くの間、グラムと紫を交互に眺めていた東は、何かを直感したらしく腹を抱えて笑い出す。

 

 

「あはははは! つまりアレか。要は、アンタは虚仮にされたわけだ! そりゃ執心するってもんだ!」

 

「黙れ! 貴様如きに、人間如きに! 我が屈辱を理解できるはずもない!」

 

「ハっ。まあ、確かにな。偉ぶってるだけで何が偉いのか分からねぇクズの屈辱なんぞ、アタシにはどうでもいい話だしなぁ……」

 

「………………っ!!」

 

「だが、借りがある。お前にゃ、どでかい借りがな。生徒達の分も利子付けて返させて貰うぜ……!」

 

 

 一頻り笑い終わった東は、鬼切をグラムに向け、特大の闘気と殺気を向ける。

 余りの威圧感に吸血鬼共は勿論のこと、グラムですら表情を引き攣らせるほどだ。

 

 これが神村 東。

 人の身でありながら、人以上の怪物を屠り続けた日本最高峰の狩人。

 

 東の殺意に応じるように、ワイトもまた前に出た。

 荘厳な館のメイドのように恭しく。それがまた、鎧を纏った姿を異質に映させた。

 

 こうして、戦いの火蓋は斬って落とされた。

 グラムの切り札にして最大戦力である三枚のカードが伏せられたまま。

 

 

(これで囮として奴等の目を惹き付けた。後は頼むぞ、お前達)

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「う~ん、中々、難しいです。でも、こうして…………やった!」

 

 

 同刻。街の中でも比較的住人の多い住宅街に桃子の姿があった。

 

 とあるハウスメーカーの住宅展示場をグラム達は拠点としていた。

 暗示によって人の寄り付かなくなった展示住宅は、生活するにも不便がなく、後腐れなく引き払うことが出来る。

 

 壁で囲われた住宅の裏手。

 勝手口の前に膝をつき、特殊な工具でピッキングを行っていた桃子は自らの成功に小さくガッツポーズをした。

 

 音もなく扉を開けると、音もなく内部へと侵入していく。

 住宅の中は照明の明かりは灯っていなかったが、完全な闇ではなかった。

 侵入したキッチンのすぐ横にあるリビングには、備え付けのテレビに電源が入れられており、バラエティのMCが何事かを喋っていた。

 それをつまらなそうに眺めているのは二名の吸血鬼だ。彼等の足元には酒瓶が転がっており、僅かな血臭は食事を楽しんだ後だと分かる。

 

 哀れな犠牲者の冥福を祈りながら、桃子は更に住宅の奥へと進む。

 彼女の目的は、奴等の隠しているかもしれない人質とグラムの代替個体(スペア)の確保。

 これまでの調査で万が一にもそのような隠し玉はないことは確認済みであったが、あることを前提として動いた方が何かと確実であった。

 

 二体の吸血鬼に存在を悟られず、廊下に出た桃子は更に奥へと進もうとしたのだが――――

 

 

「――――あっ」

 

「――っ! な、何者だ!! お前等、侵入者だ!」

 

 

 ――――間の悪いことに、廊下の突き当りにあったトイレからベルトを締め直しながら現れた吸血鬼とバッチリ目が合ってしまう。

 

 吸血鬼の掛け声に、リビングで寛いでいた二体の仲間も廊下へと雪崩込んでくる。

 

 こうなってしまえば桃子に抵抗の術はない。

 基本、偵察や潜入を主とする桃子の戦闘能力は低い。狭い廊下で前後を挟まれては如何ともし難かった。

 

 

「きゃあ……!」

 

 

 あれよあれよと言う前に腕を捕まれ、リビングのテーブルの上へと投げ出されてしまう。

 二人の吸血鬼に両腕を押さえつけられ、両脚を暴れさせても最後の吸血鬼にあっさりと掴まれてしまい、抵抗の余地もない。

 

 

「噂の対魔忍って奴か。こんな間抜けだったとはな……」

 

「何だって構わねぇさ。思いもよらないご褒美だ。犯すも血を吸うも好き放題ってな」

 

「おい、その前に対魔忍の情報を絞るぞ。グラム様の厳命だ。その後は好きにしろ」

 

 

 対魔忍の襲撃を予測したわけではなかったのであろうが、グラム個人の対魔忍に対する憎悪は、見つけ次第に捕らえ、情報を得ろという形で部下へと伝えられていたようだ。

 一人は呆れ顔で、一人は下卑た笑みを浮かべ、一人は下らないと一蹴し、それぞれの性格を現しながら好きな言葉を口にする。

 

 今の今まで慌てていた桃子であったが、その様子にほっと息をついた。

 

 

「さあ、殺されたくなかったら、我々の質問に答えて貰おうか」

 

「は、はい! 私の能力は催眠誘導と言って、凄く使いにくくて、私としてももっと派手な忍法とか使いやすい忍法の方がいいんじゃないかなぁ、と思ってます!」

 

「いや、誰もそんな話は……」

 

「それでも利点はあります。例えば、今みたいに自分一人に意識を向けさせて、他の襲撃への意識を反らせたり!」

 

「我々は、そのような質問を――――っ!」

 

 

 しているわけではない、と続けようとした一人は強烈な違和感に襲われた。今、この小娘は何と言った、と。

 

 確かに、吸血鬼の行動はおかしかった。

 侵入者を捉えるのは良い。良いには良いが、彼等は何故、これからの襲撃に備えようとせず、小娘一人だけを侵入者と判断したのか。

 普段であれば、一人だけではなく、他に侵入者がいないかを探るの当たり前だというのに。

 

 言うまでもない。

 彼女の持つ異能系忍法“催眠誘導”によるものだ。桃子は今、吸血鬼達の意識を自分一人へと向けさせていた。より、確実に敵を殺害させる為に。 

 

 

「骸塵流、散華(はららばな)――!」

 

「――逸刀流、霧狐(きりぎつね)!」

 

 

 吸血鬼の一人が違和感を持つのも束の間、全ては手遅れだった。

 既に吸血鬼共の背後へと立っていた里奈子と奏による剣閃が、同時に彼等の首を断っていたからだ。

 

 骸塵流は、百田家の火遁と来歴すら分からない意志を持つ魔刀“伊邪那美”を前提とした魔神の殺法。これを修めた者の太刀筋は、あらゆる魔族を焼き払い、斬り伏せて調伏すると言う。

 散華(はららばな)は骸塵流において、基本となる技。炎を刀に纏わせての斬撃は、花弁の散る華の如く火の粉を舞わせる故に、そう名付けられた。

 

 逸刀流は、秋山家を頂点とする対魔忍の剣術だ。

 霧狐は、その中でも速さに重きを置いた抜刀術。これを喰らった者は、まるで狐につままれたかの如く、呆然と死んでいく故に、そう呼ばれる。

 

 ゴトリと三つの首が床へと堕ち、同じく頭部を失った身体はあらゆる力を失って後を追う。

 里奈子によって倒された一体は傷口から煙を上げ、奏によって倒された二体は床に倒れてから、ようやく僅かばかりの血を流し始める。

 

 

「大丈夫ですか、前園さん」

 

「ええ、勿論、二人とも居てくれましたから!」

 

「峰麻先生、此方は終わりましたが、外の様子は……?」

 

『変化はありません。情報通り、この拠点に残っていたのはその三人だけだったようですね…………ごめんなさいね。貴女達にばかり、こんな真似をさせて』

 

「いえ、お気になさらずに。対魔忍の本分と峰麻先生の信条はまた別ですから」

 

『ありがとう。では、任務の続きを。貴女達はそのまま拠点の中を探ってちょうだい。全てが終わった後は、百田さんの火遁で火を放って』

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「あーもう、しくったー!」

 

 

 同刻。街の中にある貸倉庫が並ぶ地域で、紅羽は追い詰められていた。

 倉庫の屋根から屋根へと飛び移り、疾走する彼女の背後には二体の吸血鬼が迫っている。

 

 拠点の一つであった貸倉庫に虎太郎謹製の爆弾を仕掛けようとしたのだが、吸血鬼共の優れた五感は彼女の存在を嗅ぎ付けた。

 紅羽は上忍。戦闘が出来ないわけではないが、攻撃方法は苦無が基本であり、彼等を殺し切るには心許無く、逃亡を選択する他なかった。

 

 しかし、吸血鬼の身体能力も中々のもの。密偵や隠密を主とする彼女でも振り切るのは難しい。

 どうにかして逃げ切ろうとする紅羽であったが、吸血鬼の方が一枚上手であったのか――

 

 

「あーらら、絶対絶命だね、こりゃ……」

 

 

 一つの貸倉庫の屋根で、紅羽は脚を止めた。いや、脚を止めざるを得なかった。

 彼女を待ち構えていたのは、更なる吸血鬼の一人であった。二人に後を追わせ、自らは彼女の逃走経路を予測して先回りしたのである。

 

 

「日本では、こういうのは大捕り物と言うのだったか?」

 

「うん。まあ、間違っちゃいないよね。変に博識だなぁ…………こりゃ仕方ない」

 

 

 先回りしていた吸血鬼から視線を外さずに、紅羽は背後の二人も追いついてきたのを感じ取り、ガックリと肩を落として指に挟んでいた苦無を放り捨てた。

 両腕を上げた姿は明らかに降参を意味していた。これには吸血鬼も拍子抜けだ。

 

 

「情けない。抵抗もせずに降伏するとは」

 

「私はそれほど強くないし、あんた達を殺せる手段もない。何より、生きて帰るのが私の任務で一番重要なの。だから、こんな所で死ぬ訳にはいかないのよ」

 

「ふ、此処で死んでおけばよかった、と思うだろうが――――なっ!?」

 

 

 戦いもせずにあっさりと投降を選んだ紅羽に侮蔑の視線を向けながら、吸血鬼達は彼女へと近づいていく。

 

 しかし、それも次の瞬間には驚愕へと変わった。

 紅羽がにんまり微笑むと、彼女の姿は陽炎の如く揺らめき、形を解かせ、やがては消え去った。

 

 

「幻術っ! 一体、いつから……!」

 

「やっほー! こっちこっちー!」

 

 

 忍びの術によって幻像を追いかけていた屈辱に震える吸血鬼は、陽気なお調子者の声に、反射的に道を挟んだ向かいの倉庫へと目を向けた。

 その屋根には先程まで追っていた女が、晴れやかな笑みを浮かべて手を降っていた。

 

 我々を馬鹿にするにも程がある。

 

 そう考え、頭の芯まで怒りに染まった吸血鬼達は、あるものを見逃した。

 紅羽はにこやかに笑いながらも、瞳には冷徹な光りを宿しており、片手で彼等の頭上を指差していることを。

 

 

「このっ――――がぁあああぁああぁっ!!」

 

 

 紅羽の元へと飛び移ろうとした吸血鬼であったが、凄まじい衝撃が全身を遅い、悲鳴を上げた。

 

 彼には何が起こったのかは分からなかった。

 だが、衝撃に相応しい轟音が轟き、周囲には濛々と埃が舞っている。

 見れば、自身の下半身は鉄塊によって押し潰されているではないか。

 上を見上げれば天井には大穴が空いており、何かが自分達の上に降ってきた上で押し潰し、貸倉庫の中へと落としたのだと間抜けな彼はようやく悟る。

 

 

「ば、かな……車が降ってくるなど!」

 

 

 そう。鉄塊の正体は、虎太郎が今回の作戦で乗り回していたハイエースであり、紅羽達がこの場に来るために使用した移動手段。

 

 困惑しきった吸血鬼が天井の穴を見上げれば、三人の女が見下ろしている。言うまでもなく、紅羽を筆頭とした乾班である。

 蛍のテレキネシスによって重力と質量から解放されたハイエースは貸倉庫の空中に浮かんでおり、幸奈の雪遁の術によって巧妙に隠蔽されていた。

 紅羽は吸血鬼に追い込まれた訳ではない。逆に誘い込んでいたのだ。初めから吸血鬼がどう動くのかを読んだ上で、仮初の逃走経路をひた走っただけのこと。

 そもそも、紅羽がその気になれば、相手が吸血鬼であれど姿を眩ませるなぞ容易く、そもそも存在を察知されるなど在り得ない。

 

 自らの能力を過信し、紅羽の行動に疑問を持たなかった彼等には当然の末路だった。

 

 

「ぐぁあっ! 貴様ら、何を――――」

 

「ほい。そんじゃ、灰は灰に、塵は塵に、ってね」

 

「や、やめっ――――!」

 

 

 潰れた下半身から昇ってくる痛みに耐えながら、仲間へと声をかけるが、他の二人は幸運なことに上半身を潰され、即死していた。

 紅羽は微笑んだまま手にした発炎筒に火を灯すと、吸血鬼の言葉に耳を貸すことはなく、穴の中へと落とした。

 車のタンクから漏れたガソリンへと瞬く間に引火した炎は、同じく吸血鬼の身体へと燃え広がる。

 人であることを止め、グラムの元で吸血鬼となった男は摂理に逆らうことなく、炎に焼かれて灰となっていく。正に、相応しい最後と言えよう。

 

 

「よし、これで心置きなく拠点をアレコレできる。二人共、よくやったね。虎太郎の教育のお陰かな?」

 

「ええ、まあ……」

 

「凄く、不満ですけど……」

 

「まあまあ、そう言わずに! 人に教えることは巧いからなぁ、アイツ」

 

 

 炎に包まれる貸倉庫の主に心の中で謝りつつ、火災保険くらい入っているよねと楽観視する紅羽は、この作戦を発案した二人を手放しで賞賛した。

 ただ、これが虎太郎の教育による戦果だというのが気に食わないのか、二人共不満顔であった。

 

 実際に、二人だけではこの発想に辿り着かなかっただろう。

 蛍は紫を、幸奈はさくらを自らの理想としているが故に、能力や忍法の使い方は憧れた二人に習ったものでしかなかったからだ。

 蛍は異能であるテレキネシスで手にした武器を重力から解放することで身の丈に合わない大斧を振り回すことが中心であったし、幸奈は雪遁で光の屈折を操り、姿を隠しての奇襲が中心だった。

 

 

『いや、お前ら、どうしてそんな使い方しかしねーの? もっと簡単な方法あるじゃん!』

 

 

 と発案したのが虎太郎だ。

 自分の得物以外の重さを操る。自分自身以外の姿を隠す。

 その発想は二人にはなく、正に青天の霹靂の如き衝撃を与えたのは確かだ。

 況して二人が組む事を前提とすれば、更なる相乗効果を期待できるとあって、虎太郎を嫌う彼女達であっても素直に従わざるを得ない。

 

 結果は御覧じろ。

 乾班の全員がさしたる被害を受けず、敵を駆逐することが出来た。

 正直な所、二人は複雑な気分であったが、自らの成長が任務の助けになったのならと割り切った。

 

 かつての自分の姿を二人に重ねたのか、紅羽は笑みを浮かべて後進の成長を見守っていた。

 

 

「よぉし! 後は拠点に戻って必要な情報を集めて、後はガソリンと爆弾でボンバーだ!」

 

((蘇我さんも弐曲輪先生に毒されてるー!!))

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 同刻。繁華街。

 繁華街の大通りから外れた雑居ビルの前で、一人の吸血鬼が煙草を吸っていた。

 その雑居ビルこそがグラムの拠点であり、他にテナントは入っていない。彼は賭けに負け、唯一の出入り口で不服ながらも見張りの役割を果たしていた。

 

 見張りなど楽しくもないのだろう。

 そもそも、今日も隼人学園に向かった連中は米連の襲撃さえなければ、小生意気な女共を好き放題に犯しているに違いない。不満の一つも募ろうというものだ。 

 

 その時、雑居ビルの前を一人の美女が通りがかり、ボンヤリと見張りをしていた吸血鬼は、ドクンと心臓の鼓動が大きくなるのを自覚した。

 

 濃くはあるが下品ではない化粧。くるくるとしたパーマのかかった美しい黒髪。背中が大胆に開いたドレス。

 何処からどう見ても、これから出勤するか仕事を終えた商売女であったが、その美貌に誘われたのか、その肢体に興奮したのか、吸血鬼の一物はズボンの中でこれまでにないほど熱く猛り狂った。

 

 

「お、おい、アンタ!」

 

「…………私?」

 

「そ、そうだ。アンタだ!」

 

 

 煙草を取り零した吸血鬼は、知らず知らずの内に声をかけていた。

 声をかけられた美女は脚を止め、怪訝な表情で振り返り、脚を止める。

 

 真正面から見た顔に、吸血鬼はますます牡の本能を刺激されてしまう。

 見れば見るほどに良い女だ。すました表情を涙で濡れさせ、豊満な肉体を欲望のままに組み敷いて犯したくなるほどに。

 

 

「生憎と仕事は終わったの。女が欲しいなら、他を当たってちょうだい」

 

 

 そんな欲望が顔に滲み出ていたのだろう。

 美女は汚らわしいものを見る目で足早に去っていこうとする。

 

 そんなつれない態度も男の獣欲を煽るものだ。

 まるで犯されるために生まれてきた女だ、と吸血鬼は欲望を開放する未来に舌舐めずりをしながら脚を踏み出そうとしたのだが――――

 

 

「今よ、やりなさい」

 

『ほいきた! 深月ん、修正よろしく!』

 

『分かったわ。思いっきりやってあげて』

 

 

 ――――美女の名が葛 黒百合という男を籠絡する天性を生まれ持ち、男を虜とする訓練を積んだ対魔忍であることを知らず、また彼女の下についた若き対魔忍の存在に気付かなかったのは、不幸と言わざるを得ない。

 

 吸血鬼の身体は前に進もうとしたが、意志に反して背後へと吹き飛んだ。

 一体、何が起こったと言うのか。吸血鬼の身体はそのまま雑居ビルの扉を派手にぶち破って、内部へと放り込まれた。

 

 甲高いガラスの砕ける音と重く鈍い破砕音に、雑居ビルの一階に居た仲間二人が異常を察して玄関へと躍り出た。

 其処で見たのは、恍惚の表情を浮かべたまま息絶えている仲間の姿。見れば、彼の胸には野球ボール大の穴が空いており、何かが心臓を貫通したことを示していた。

 

 二人は目配せをすると、片や手に剣を作り出し、片や爪を長く伸ばし、周囲を警戒しながらビルを飛び出した。

 やはり、最初に目に止まったのは、美女――言うまでもなく、黒百合である――の姿だ。

 

 振り返った黒百合の美貌に、目眩を覚えるほどの興奮に見舞われた二人であったが、警戒の高まった今では、それほどの効果はなかったようだ。

 いや、それどころか、理性の低下した状態では思考が仲間を失った怒りで染まっており、何の確証もないままに黒百合を敵と決めつけ、襲いかかろうとした。

 

 

「あら、私なんかに構っていていいのかしら?」

 

「ほざけ! 貴様、何――――な、んだ!?」

 

 

 今まさに黒百合へと飛びかかろうとした一人であったが、背後から再び響いた重い破砕音は無防備に振り返ってしまうのに十分過ぎる威力を秘めていた。

 彼の見たものは、下顎から上を完全に吹き飛ばされて立ち尽くしたままに死に絶えている仲間の姿。

 

 白いエナメル質の歯が綺麗に並び、舌は何事かを伝えようと蠢いたが、やがては痙攣に変わり、どうと地面へと倒れ伏す。

 

 

「はっ、な、何だ、はっ、ふっ、何が起こって――」

 

 

 恐怖に震えながら剣を握り直した吸血鬼は最後に不可思議なものを見た。

 今し方、頭を吹き飛ばされた仲間の死体の横に、アスファルトにめり込んだ鉄球を発見したのである。

 それが何を意味するのか、それが何故そこにあったのかに気づくよりも、彼が答えに辿り着くよりも早く彼の意識は黒に染まり、永遠に戻って来れない闇へと堕ちた。

 

 吸血鬼の側頭部に先の二体と同様に、鉄球が突き刺さったのである。

 

 

「もういいわよ。二人共、降りてきなさい」

 

 

 脳漿をぶち撒けて死んだ吸血鬼の身体が地面に倒れ伏すのを確認すると、黒百合は二人の攻撃役に声をかけた。

 すると、向かいのビルの屋上から雫と深月が一息に飛び降り、音もなく地面へと着地して現れる。

 

 

「考えたものね。筋力強化による鉄球の投擲と風遁による突風での制御を合わせて狙撃、か。展開としても理想的よ」

 

「いやぁ、ウチの忍法じゃ吸血鬼相手には泥仕合確定。深月んの忍法じゃ周りへの被害が大きすぎる。随分、悩みましたわ」

 

「でも、私も風遁の限定的な使用法も学べたし、大島さんも新しい攻撃方法を得られることが出来ました」

 

 

 雫の生まれ持った異能はポピュラーな身体強化系。

 脚に気を送り込めば筋肉が強靭化して爆発的な速度を生み出す。腕に送り込んでもまた同様。但し、欠点として腕と脚の両方を同時に強化することは出来ない。

 身体強化系の頂点に位置する不死覚醒には総合力でも腕力でも頑強さでも及ばないものの、単純に全身強化をする類の能力よりも、強化が限定的である分だけ爆発力は段違いだ。

 

 そんな異能であるが故に、雫の戦闘の基本は格闘だ。

 だが、吸血鬼が相手では打撃系は効果が薄く、雫は異能に目覚めて日が浅く、対魔殺法を修めているわけではない。

 打撃によって頭蓋骨を割ることは可能であろうが、頭部を完全に砕くことは不可能。更に、心臓を裂けさせる衝撃を生み出せても、完全な破壊には至らず、吸血鬼とは相性が悪い。

 

 深月の生まれ持った風遁の術。

 攻守を併せ持ち、幻惑にも長けた術であったのだが、問題なのは深月の適性だ。彼女の場合は兎に角、攻撃にばかり向いていた。

 巨大な竜巻を発生させるような広域への破壊を鑑み得ない大規模な破壊は得意であるが、風の流れを操って遠くの音を聞くような細やかな操作は苦手。

 

 つまり、街中での使用は難しい。

 竜巻の生み出す風は脅威そのもの。吹き飛ばされたダンボールが車のフロントガラスに突き刺さるような事例も存在している。

 魔界都市のような周辺への被害を鑑みる必要のない土地で最大限の効果を発揮する。反面、このような民間人への被害が発生しうる土地では深月自身の性格もあって全力は振るえない。

 

 ならば、と二人が考えたのが、狙撃だった。

 

 雫の全力強化による投擲であれば、投擲物にもよるが十二分過ぎる威力を期待できた。

 深月の苦手とする能力の細やかな操作も、突風の向きや鉄球の簡単な軌道修正であれば十分に行えると判断した。

 自らの能力を自覚し、限られた互いの手札を理解していなければ不可能であった連携である。此処にも、虎太郎の教育が生きていた。

 

 パンとハイタッチする二人に、若者の成長の速さへ苦笑を漏らしていたが、彼女は彼女で“淫蕩の術”を使って吸血鬼共の理性を狂わせ、正常な判断を奪い去っていた。見事な手並みである。

 

 

「さあ、死体を片付けて拠点の中を探ったら撤収するわ。死体の処理は政府の人間に任せましょう」

 

「はー、任務が上手くいくのはええけど、こればっかりは慣れんわぁ……」

 

「……右に同じく」

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

『太極班の交戦開始と同時に、離、坎、乾班の任務遂行を確認』

 

 

 仮設本部の置かれた屋上で、一台の奇妙な装置が設置されていた。

 多関節ロボットを思わせる外観の四脚。その先にはローラーが取り付けられており、屋上のような平面ではいくらでも移動が可能となっている。

 その上に取り付けられているのは、スコープの取り付けられていない狙撃銃(スナイパーライフル)であった。

 

 これぞアルフレッドが設計を行い、虎太郎が自分で組み上げた自動狙撃装置。

 移動、照準、射撃は各部のモーターで行い、反動を抑制する重石(ウェイト)によって転倒を避ける機構となっていた。

 

 狙撃銃の名はVSS。

 冷戦時代のソ連にて開発された、世界でも類を見ない珍しい狙撃銃である。

 魔界技術によって飛躍的に銃の性能が上がった中では型落ち感は否めないものの、どれだけ消音器(サブプレッサー)を取り付けても消音効果を期待できない狙撃銃にあって、破格の静音性能を誇る。

 これは当時のソ連が様々な戦場を抱え、ゲリラ戦、隠密潜入作戦への対応が必要不可欠であったためだ。

 

 消音器はあくまでも火薬の炸裂音を軽減する効果しかなく、発砲後に音速を超える弾丸は強烈な衝撃波を生み出し、どうしようもなく銃声が発生する。

 故に、VSSは口径を大型化し、亜音速をキープする専用弾を使用することで、この問題を解決した。その分だけ射程は短くなってしまったものの、今回のような作戦での効果は極めて高いと言えるだろう。

 

 既に鹵獲した小型ドローンを飛ばし、各々の班の動向、状況を見守っていたアルフレッドは、推移していく作戦に次なる指示を出す。

 

 

『虎太郎の音声、性格データを抽出。声帯模写プログラム、起動』

 

「――――こちら、監視役(スポッター)。隼人学園内吸血鬼の集結を確認。カーラ・クロムウェル、マリカ・クリシュナ、上原 北絵の三名も校庭へ向かった。今なら、教員寮と学生寮は隙だらけだ」

 

『こちら、兌の一号。了解した。二号は教員寮の換気ダクトに睡眠ガス設置後、異常に備えてその場に残る。その後、兌の一号、三号は学生寮に向かう』

 

「了解。極力戦闘は避けろ。敵の排除は此方で行う。隼人学園関係者の昏倒を確認した後、一時撤退。学園から距離を取って米連の襲撃に備えておけ。以上」

 

 

 アルフレッドの録音していた虎太郎の生音声を編集して喋らされているとは思えない流暢な喋りに違和感は全くない。

 恐らくは、兌班の三人――虎太郎の本性を知る零子ですら、それがアルフレッドによるものとは思っていないはずだ。

 

 ドローンのカメラからは作戦が恙なく、何の支障もなく遂行される映像が確認できる。

 

 

(アサギ様、山本長官への連絡は済ませました。後は、貴方次第です、虎太郎)

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「これで、ラストぉ――!」

 

 

 東が裂帛の気合と共に振り抜いた鬼切は、さながらホームランバッターの見せる豪快なフルスイングのよう。

 ボール代わりの吸血鬼の頭部は、初めからこの世に存在していないかの如く消し飛んだ。

 血飛沫すら舞わず、思考を失った身体は校庭へと倒れ伏す。

 

 最後の一体を倒した東は、自身の調子を確かめるように肩や首を回し、グラムは忌々しげに表情を歪めた。

 

 

(対魔忍と手を組んで寄生蟲の存在に気づいたか。寄生蟲は体内に残っているようだが、数が少ない。何らかの処置を受けたか、霊力で殺したのか。兎も角、発情状態に移行させて戦闘不能には出来んようだな)

 

 

 部下の全てを失ったが、彼にはまだ余裕があった。何せ、最強のカードがまだ三枚も残っているのだから。

 

 戦闘に参加していたのは、東とワイトの二人だけだった。

 

 東は持ち前の霊力と鬼切の猛威を以て。

 ワイトは新たに得た力の暴威を以て。

 

 東が汗一つ掻かず、返り血一つも浴びていないのに反して、ワイトは血塗れだった。

 全ては戦い方の違い故。ワイトの武器は凶悪な形をした手甲と具足のみであり、東のように霊力を使用しているわけでもない。

 鎧の堅牢さで攻撃の一切を弾き返し、圧倒的な膂力で敵を掴み、臓腑を刳り、身体を引き裂き、頭部を吹き飛ばす。そのような戦い方であれば、返り血を浴び続けることになるのは必然である。

 

 紫は戦闘に参加せず、見守るだけだ。

 紫同様にグラムも動いておらず、何らかの奇襲や不意打ちを警戒しているからこその不動の体勢。

 グラムもそれに気づいているからこそ、下手な真似は出来ずにいた。だが――――

 

 

「図に乗るなよ、人間風情に対魔忍が……!」

 

 

 ――――部下を失えば当然、他の戦力を投入せざるを得ない。

 

 グラムの手に堕ちた三人の美女が姿を現す。

 北絵は校舎からゆっくりと歩み、マリカは身体を霧に変えて現れ、カーラは背中から悪魔を連想させる羽を羽ばたかせて空から舞い降りる。

 

 三人の姿を確認した瞬間に、東は舌打ちを漏らし、紫は冷や汗を流し、ワイトは兜の下で表情を歪めた。

 

 彼女達の顔からは彼女達らしさというものが失われていた。北絵の聡明さも、マリカの怜悧さも、カーラの思慮深さも何もかもが、だ。

 刻まれているのはグラムへの忠誠と淫蕩な笑みばかり。性格はさほど変化していないだろうが、各々の立ち位置や信念から決まっていた優先順位が入れ替わり、グラムの命令が全てになっただけで人も吸血鬼も此処まで変わってしまうものなのか。

 

 

「久し振りね、東。生きていてくれて嬉しいわ」

 

「そりゃどうも。こっちは残念だよ。アタシは、前のアンタの方が好きだったからな」

 

「それは悪かったわ。でも、これはこれで悪くないものよ。叔父様の与えてくれる快楽も、叔父様の見せてくれた新しい世界も。貴女も、叔父様の手の内に居れば良かったのに……」

 

「冗談。ソイツに都合の良いだけの女なんぞ願い下げだ」

 

「…………そう。私も残念よ、東。もう、貴女を殺すしかないなんて、ね」

 

 

 今や、気高い女王であった筈のカーラは、グラムの奴隷に堕ちた。

 しかし、それで彼女の根本にある力が削がれた訳ではない。寧ろ、これまでは王族としての戒律や彼女自身の誇りから決して行使してこなかった能力や手段を存分に使ってくる分だけ、危険度は跳ね上がっていると言えるだろう。

 

 ぞわり、とその場に存在していた全てが呼吸を忘れるほどの恐怖を覚えた。

 校舎や校庭に潜んでいた鳥に鼠、虫は生存本能から一斉に逃走を選択した。

 歴戦の東や紫、死は遠い過去のものに過ぎないワイトですらが、全身に鳥肌を立たせ、滲む冷や汗を止められない。味方である筈のグラムは恐怖と優越の混じった笑みを浮かべるほどだ。

 

 ただ、殺すと思考しただけで、溢れる魔力が明確な死を予感させるなど規格外にも程がある。

 これが始祖たるブラックの直系。これが人界の吸血鬼における頂点。これが血を統べる者(ブラッド・ロード)。これが、カーラ・クロムウェルという怪物の本性だ。

 

 北絵とマリカも、カーラと同様に殺意を迸らせる。

 冷や汗も表情も変えぬままであったのは流石であったが、それも所詮は傀儡としての在り方に過ぎない。もし、彼女達に弱点があるとするのなら――――

 

 

「――――――?」

 

 

 今まさにグラムの奴隷達と東達の戦いが始まろうとした瞬間、カーラだけが敵から視線を外した。

 

 吸血鬼の女王としての本能なのか、彼女は確かに異質な何かを感じ取っていた。

 優れた五感ではなく、どれにも当て嵌まらない第六感の、或いは剥き出しの魂のみで感じ取れる何か。

 

 彼女が怪訝な表情のまま視線を向けると、何かはすぐに校舎の影から姿を現した。

 

 

「ひぃ、た、たず、け、ひあ、あああああああああああぁぁぁあぁぁぁ――――!!!!」

 

 

 現れたのは人の身でありながら、隼人学園の人間でありながら裏切りを働いた崎山であった。

 その不様な姿は何事か。顔から垂れ流せる全ての液体を垂れ流し、ジャージの股間を黒く濡らし、更には醜く肥えた腹からは赤黒い液体と弾力のある肉の筒が溢れ、手で抑えている。

 

 腹から溢れているのは血と内臓で間違いない。

 そのままの状態で全力疾走するなど人外の生命力であったが、彼にはアムリタがあった。

 女を強制的に発情、男は精力を増進させるのみならず、人に打てば若返りの効果まである吸血鬼の血液そのもの。それは、死の淵に瀕した者を長らえさせる効果もあるようだ。

 

 だが、カーラが感じ取った者が、崎山のような小悪党である筈もない。

 問題なのは、彼に続いて校舎の影から現れた獰猛な獣だ。

 

 

「……おお、かみ」

 

 

 呟きは誰のものであったのか。 

 狼などである筈がない。日本の狼は随分と昔に絶滅しているし、別種の狼が動物園から逃げ出したとしても捕獲されるまでの時間は短いものだ。そもそも、狼は二足歩行などしないのだ。

 

 地面に片膝を付き、具足から火花を散らせながら、それは確かに直角に曲がった。

 尖った鉄兜から溢れる眼光は獲物を追う獣のそれ。赤いボロ布の如き外套は硬い体毛のよう。手にした軛の如き短剣と血と油で汚れた白銀の大剣は、狼の爪と牙そのもの。

 それは人型だった。だが、同時に紛うことなき狼でもあり――――カーラと同じく人型の死そのものでもあった。

 

 狼が逃げる崎山の背中に襲いかかる。

 逆手に握られた大剣(きば)は、あらゆる苦痛を感じさせることなく、崎山の後頭部を噛み砕(つらぬ)いた。

 後頭部ごと地面に縫い付けられた崎山は手足をビクビクと痙攣させたが、大剣を更に押し込まれて脳幹を完全に破壊されるとようやく動きを止める。

 

 

「な、何だ、アレは……」

 

「恐れ戦くがいいわ、下衆。アレこそは、魔界に語られる血に濡れながらも誇りを損なわなかった伝説の似姿。知らないのなら魂に刻みなさい。不死隊の恐怖を」

 

 

 呆然と呟くグラムに、狼の来歴を語るワイトであったが、耳に届いているかどうか。

 

 それは、カーラも同様であった。

 単なる勘に過ぎなかったが、目の前の狼の爪と牙は己の喉元に届き得ると確信があった。

 

 だからこそ、浮かべたのは歓喜の笑みだ。

 

 これだけの敵を討ち果たせたのなら、叔父様がどれほどお喜びになるか。

 自らの最強を示せたのならば、叔父様にどれほどの褒美が頂けるのか。

 この敵の血を吸えたのなら、自分はどれほどの高みへと登り詰め、叔父様の力となれるのか。

 

 自らの死を見据えた上で、主人を優先するのは正しく奴隷・傀儡と呼ぶに相応しい有り様だ。

 

 

「北絵、マリカ。そちらは貴女達に任せるわ。私は、アレを」

 

「イエス、カーラ様」

 

「分かったわ」

 

 

 手短に二人の仲間に買って出た役割を告げる。

 カーラの赤い瞳は爛々と光を放ち、伸びた爪と乱杭歯は獣のそれよりも遥かに鋭く凶悪に、周囲では闇が胎動した。

 

 そんな彼女に応えるように、狼もまた視線を交わす。

 金と銀の眼光、獲物を威嚇するような低い姿勢、握り直した短剣(つめ)大剣(きば)は、カーラのそれに勝るとも劣らない。

 

 狼は大剣を地面から引き抜きつつも、身体を旋回させて突き刺さったままの崎山の死体ごと大剣を肩に担いだ。

 獰猛な唸り声を上げるや否や、狼は大剣を大きく振りかぶると、突き刺さっていた崎山の死体をカーラに向かって投げ付ける。

 

 死体の体重は100kgに近いだろうに、砲弾の如き勢いで射出されていた。

 硬い骨が根幹にありながらも、肉と脂肪がある程度クッションの役割を果たすと言えども、それだけの重量、それだけの速度で直撃すれば、ただの人間では無事には済まない。

 

 しかし、相手は吸血鬼の女王。

 纏った外套は単純な衣服ではなく、ワイトの鎧と似た魔力で編み込まれたカーラの身体の一部とも言えた。

 外套は一瞬で巨大な羽と化し、向かってくる醜い砲弾を只の一薙ぎで、肉塊どころか血霞に変えてのける。

 

 

「――――っ!」

 

 

 狼は狡猾だった。

 一瞬、羽によって視界を遮られたカーラの不意を打つ形で、跳躍していた。

 

 カーラは満月を背後に襲い掛かる狼の――否、狼虎の姿を目撃し、一瞬だけ目を奪われた。

 

 彼女にとって余りにも遠い狼の剣技。

 無骨でありながらも流麗。ただ執念だけで研ぎ澄まされたかの如き術理の極み。どれだけの血を流し、どれだけの敵を屠って、その頂へ至ったのか。

 最早、グラムの傀儡に過ぎないはずの彼女ですらが、敬意を払わずにはいられない伝説の後継者にして具現。

 

 瀑布の如き剣戟が、校庭へと叩きつけられる。

 余りに重い剣戟に土埃が高く舞い上がり、女王と狼虎の姿は飲まれてしまう。

 

 されど、それも一瞬のこと。

 女王は自らの羽で飛翔しながら。狼虎は自らの両脚で。

 土埃の帳を突き破り、人界における吸血鬼の頂点と魔界の伝承が、いま激突する――!

 

 

 

 

 



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『三人目の助っ人参上! でもこれって助っ人って言っていいんですかねぇ!?』

 

 

「うぉぉらぁああぁぁああぁ――――!」

 

「――――ふっ!!」

 

 

 裂帛の気合と冷徹な呼気が交差する。

 

 東が握るは、梵字の刻まれた金属バット“鬼切”。

 神村家に受け継がれてきた大太刀を打ち直し、九つの神仏の力を宿す日本でも有数の破魔の力を宿す武器。

 

 マリカが握るは、ルーン文字の刻まれた破壊の神の名を冠するチェーンソー“シヴァ”。

 聖も邪も、魔も人も区別なく引き裂く、吸血鬼の能力によって、彼女自身の血肉から生み出される武器。

 

 人によって生み出された武器と魔によって生み出された武器二つが激突を繰り返し、火花を散らす。

 月明かりが差し込む校庭が、生まれた火花によって目も眩むほどに照らされているかのようだ。

 

 両者の攻防はひたすらに巧みだ。

 東、マリカ共に手数ではなく、一撃一撃の重さで相手を押し潰し勝負を決める戦闘法(スタイル)

 繰り出される打撃と斬撃は、間違いなく必殺の意志を込めてのもの。しかして、全力ではない。皮肉と言うべきか、それとも苦肉と言うべきか、互いに必殺かつ全力を出せない理由があった。

 

 決して相手を気遣ったからではない。

 僅かな気の緩みや気構えの差で、一瞬で形勢が決まってしまうほどに、両者の実力は拮抗している。

 そう、拮抗しているが故に、不用意に全力で踏み込めない。振り抜けない。

 

 全力であれば、その前後に隙が生まれる。

 全力を込めた筋肉の強張りを悟られる。全力の踏み込みからの立て直しは間に合わない。

 

 完全に。両者の思惑は完全に一致していた。

 

 ――――即ち、持久戦。

 

 己か、マリカか。

 我が身か、東か。

 

 現状に耐えかねて息を吐いたほうが、痺れを切らした方が、体力の尽きた方が、心根が折れた方が、刹那の後に死ぬ。

 

 尤も、両者共にそのような決着が迎えられるなどと信じてはいない。

 信じているのは、より早く味方が戦いを終わらせて、自身の助けに入ること。より確実な勝利には、それが不可欠であった。

 

 マリカは種族としての絶対的な自信から。

 東は元よりその予定で、この作戦に参加した故に。

 

 

「――――ふふ、どうやら、私と貴方の相性は良いようね。逃げるなら今のうちよ?」

 

「ご忠告どうも。でも、気を抜けないのはお互い様でしょう?」

 

 

 北絵とワイトの戦いもまた拮抗し、膠着していた。

 

 先刻のグラムの部下との戦いと打って変わって、ワイトは近接を徹底して避けた。

 北絵の結界術は、一度でも捕まればワイトにとって致命傷。屍の王の瘴気は浄化され、下手をすればアルフレッドが行った外法による虎太郎と魂の契約関係も解かれてしまいかねない。

 だからこそ、自分から近寄りもしなければ、相手に近寄らせもしない。

 

 ガチャリ、と鎧を鳴らしながら、ワイトは手を差し出した。

 掌を地面へと向けて突き出した腕――より正確に言うのならば、手首の上側には砲身と砲門が鈍く月光を照り返していた。

 

 形状はワイトが操る蜂型のゴーレムが装備しているものと同一。機構も全くの同一。

 圧縮した瘴気を球状に維持し、高速で射出する砲身。直撃したものに物理的なダメージを与えた上で、死亡すれば即座に動く死体へと変えてしまう。

 

 しかし、街一つを覆い尽くすほどの瘴気を、ただ相手を貫くだけに使用したとなれば――――

 

 

「――――――っ!!!」

 

 

 ――――相性すらも貫く矛となる。 

 

 放たれたのは砲弾ではなく、光線のようだ。

 瞬間に響き渡った音は、初速から音速を越えた何よりの証。

 原理はウォーターカッターのようなもの。一撃に込める瘴気の量と圧縮率を高めたことで、威力が段違いに上がっていた。

 

 

「龍紋結界、五連――っ!!」

 

 

 二本の指を立てた手が、流麗かつ素早く宙を滑るや否や、五芒星の頂点に龍を配置した盾のような結界が生み出される。

 

 本来であれば黒龍、青龍、赤龍、黄龍、白龍、即ち五行に相当する龍を名を唱え上げる必要のある最高位の結界。

 事もあろうに、北絵は詠唱すら破棄した上で霊力の行使のみで、五重に展開してのけたのである。

 

 ワイトの放つ閃光は一枚目を容易に貫くも、二枚目で僅かに勢いを削がれ、三枚目に瘴気の大部分を浄化され、四枚目には在らぬ方向へと逸らされてしまう。

 

 世界最高の結界師の名は伊達ではない。

 今の一撃を躱せる者は数多くいようが、防げる者はそういまい。

 

 

(そうよ。そう――――)

 

(――――これで、いい)

 

 

 まるで矛盾の逸話の再現だ。

 だが、此処でも両者の思惑は一致していた。

 

 ワイトが近接を避けた理由は先刻の通りであったが、北絵にとってもこの状況は好ましい。

 北絵は、最強の盾だ。盾であるが故に、主人であるグラムから離れるわけには行かなかった。

 下手に動かれて、グラムから離されるのは不味い。またグラムを狙われるよりも、自分に的を絞られた方が盾としての役割を存分に果たせるからだ。

 その場を一歩も動かず、無理に新たな結界を展開しようと別の方向に気を逸らさず、ただひたすらに耐え続ける。それが、今の北絵にとって最良の戦い方であった。

 

 

『紫様。米連の工作員が隼人学園での戦闘に気づいた模様です。偽装工場に動きがあります』

 

「このまま襲撃をかける様子は?」

 

『今の所は、見られません。幸いなことに米連はグラムが何者であるかを把握していない上、同盟を結んでいるはずの我々が争い困惑をしているようです。所感ですが、まずは様子見で包囲。その後、チャンスがあればクロムウェル様の確保に動くかと』

 

「分かった。そのまま監視を。乾、坎、離班は即時隼人学園に急行するように伝えろ。その後、兌班と合流し、包囲の外で待機。万が一の場合、包囲に穴を開けさせろ」

 

『了解。ご武運を』

 

 

 紫は隼人学園に足を踏み入れてから、一切戦闘を行っていなかった。

 それは偏に、グラムの一挙手一投足に注意を払っていたからだ。

 

 紫は、グラムが逃走を選択した場合の追跡と足止めを担っている。

 吸血鬼は、その気になれば身体を霧に変えて逃げることが可能だ。虎太郎から逃走防止用の秘策を預けられてはいるものの、僅かでも変化(へんげ)の兆候を見逃せば全てが手遅れになってしまう。

 

 故に、東にもワイトにも加勢は許されなかった。

 彼女の立ち位置は全てを見守るしかない歯痒い立場であったものの、今回の作戦で最も重要な立ち位置であることを理解していたからこそ、全ての衝動を不満を押し殺し、グラムを射抜かんばかりに睨み据えている。

 

 グラムもまた紫が動かない故に、迂闊には動けない。

 敵陣においてグラムは総大将。討ち取られるわけにも、早々に動ける立場にもなければ、三人の戦いに割って入れるほどの実力もなかったからだ。

 

 

『グラムの野郎はそう簡単には逃げんと思うがな』

 

『奴も後に引けないほどに追い詰められているからな』

 

『それもあるが、奴の傷を癒せるものがある以上、そう易々とは逃げんよ』

 

『…………??』

 

 

 紫の目にグラムは悪辣で心底から反吐が出る屑に映っていたが、虎太郎の目では屑という結論は同じでありながらも、全く別の姿が映し出されていた。

 

 そもそも虎太郎には疑問だったのだ。

 少なくとも己がグラムと同じ立場に立たされた場合、隼人学園に侵入するリスクは決して冒さない。

 寄生蟲の特性を鑑みるのならば、いくら実力があるとは言え、互いが互いを監視しているような環境で使用しては露見の可能性が高まる。

 その特性を最も効率的に使いたいのであれば、集団や側近の中にいる実力者を傀儡とするのではなく、一匹狼を気取った実力者を狙った方が、遥かに簡単で秘密裏に事を進めやすい。

 

 カーラよりも上位の存在ともなれば、人界においては一握りに過ぎないが、魔界であれば話は別だ。

 特に、最近は魔界からの流れ者は多くなる一方。見つけることは難しくとも、時間さえかければ決して不可能ではない。

 

 魔界の灼熱地獄からやってきた、獄炎の化身アスタロト。

 アサギとカオスアリーナで相争った蛇神の末裔、スネーク・レディことカリヤ。

 古代魔術の研究に明け暮れ、魔界の錬金術師と呼ばれるシュヴァリエ。

 

 虎太郎が知り得ている情報でも、パッと思いつく範囲でカーラを殺害・拘束が可能なだけの実力者はこれだけいる。

 もっと巧い立ち回りはいくらでもあった。にも拘らず、必要以上のリスクを冒してまで隼人学園に向かったのは何故か。

 

 

『単純な理由だ。アレはカーラに固執しているに過ぎん。尤も、グラム自身は決して認めんだろうが』

 

 

 虎太郎のグラムに対する結論は、自尊心を傷つけられたガキというもの。

 

 グラムは王家の血を受け継いでいる。傍系であったものの、十分に王位を継承できる位置に居た。

 王家の血を引いている事を前提としているものの、ヴラドの王位は先王による指名によって引き継がれる。

 指名の条件は様々だろうが九郎の調べ上げた結果から言えば、政務能力、求心力、統率力、更には個としての強さまで求められ、親子の情など介在し得ない。そうでもしなければ、数で劣る彼等は人界で国なぞ築けなかった。

 

 吸血鬼の王国でそれなりに大きな組織を構築できた以上、グラムもまたそれなりの才があり、支配者としての教育を受けてきたことは疑う余地はない。

 周囲よりも優れた自分を理由に、幼心に彼の自我と野心が鎌首を擡げ、時を重ねる毎に肥大化していったのは想像に難くない。

 

 しかし、カーラが生まれたことによって、カーラが王位を継承したことによって、彼の自我も野心も崩れ去った。

 哀れなどとは言えまい。単純に、彼がカーラよりも劣っていただけのこと。だが、肥大化した自我はそうもいかない。

 

 端的に言えば、グラムは自身が王になれなかった現実を受け入れられなかっただけだ。

 吸血鬼上位の物言いも、人の血を啜らずに何が吸血鬼か、という先王の意志に反発する主張も、全ては後付けの理由に過ぎないのだ。

 

 カーラを屈服させ、カーラに己を崇めさせ、カーラを跪かせて己の脚に口づけをさせる。

 そうでもしなければ、傷ついた彼の自我は決して癒されはしないからこそ、リスクを犯して隼人学園に潜り込み、カーラに固執して魔の手を伸ばした。

 

 だからこそ、グラムは易々と逃げはしない。

 北絵を殺されようが、マリカを殺されようが、カーラを手中に収めている間は決して。

 

 滑稽と言えば滑稽だ。

 カーラさえいればどうとでもなる、というグラムの考えは、彼の固執を抜きにしても正しい。

 それほどまでにカーラとそれ以外の生物の間にある隔たりは、どこまでも広くどこまでも深い。

 しかし、それを認めているということは、王としてもカーラに劣っていると自ら認めるようなもの、と気づいているかどうか。

 

 

『歳食っただけのガキさ。大人になってさえいれば、もっと手の施しようのないやり方があっただろうに』

 

『そうなったのなら、我々の負けは確実だろうに』

 

『いや、何。思考の仕方が大差ないのなら、やりようはいくらでも用意できるとも』

 

 

 その時、虎太郎が浮かべた悪意で塗り固められたような、それこそ手の施しようのない怪物のような笑みを、紫は忘れられなかった。

 

 ――――ともあれ、虎太郎の言い分は確かに理解しやすい。

 

 彼の言葉は全て事実・根拠のない推察に過ぎないが、外れることの方が珍しい。

 殊更、人物評に関しては百発百中の域である。彼に対して当たりのキツイ紫でも、否応なく認めざるを得ないほどに。

 

 相手の特徴や癖、語り口調や視線の置き方、呼吸や鼓動の刻みと乱れ。冗談など抜きで虎太郎はそれら全てを入念に観察している。呆れ果てた疑り深さから。

 その上で名前も知らぬ他者の過去、生活、好み、人生を想定し尽くし、容赦なく詳らかにした挙句にくだらないと嘲笑う。

 

 これほど相対するのが嫌な相手も居まい。

 何せ、彼の言葉は勿論のこと、一挙一動の全てが己を苛む責め苦となるのだから。

 

 

(だからこそ、カーラ殿相手は貴様が務める、か。…………死んでくれるなよ、弐曲輪。アサギ様は――我々は、お前を必要としている)

 

 

 隼人学園で巻き起こる死闘は膠着状態に陥った。

 東とマリカの暴風じみた格闘戦、ワイトと北絵による矛盾の逸話の再現、紫とグラムの視殺戦。

 

 この三つの戦いでは天秤が傾くことはない。誰が勝とうが負けようが状況は動かない。戦いの趨勢を決するは、女王と狼虎の戦いだ。

 カーラこそがこの場における最強の戦力であり、この牙城を突き崩せるか否かが戦いの分かれ目となる。

 

 それを理解しているのか、いないのか。

 両者の激突は、熾烈かつ紙一重の攻防であった。

 

 

「――――黒霧の槍」

 

 

 カーラの纏っていた外套が爆発的な勢いで膨張し、数十もの黒い槍と化して狼虎へと迫る。

 吸血鬼は自らの血肉を武器や防具へと変化させることは容易いが、一度にこれだけの数を変化させられるのはカーラくらいのものだろう。

 

 しかも、黒霧というだけあって、動きは変幻自在。

 槍のように特定方向からの突きや薙ぎ払いだけに限定されるわけでなく、軌道は弧を描き、裏返り、横転、反転して対象を付け狙う。

 

 だが、狼虎もまた疾風の如き速度で獣じみた動きで対抗する。

 迫る槍衾へ恐れることなく紙一重で身体を滑り込ませ、獣のような低姿勢で掻い潜り、容易にカーラの懐へと飛び込んでいた。

 疾走の勢いをそのままに短剣を地面に突き立て、短剣を中心に狼虎の身体と大剣(つめ)が半円を描く軌道で振り抜かれる。

 

 

「――――っ!」

 

 

 咄嗟に槍の全てを悪魔の如き翼へと変化させたカーラは、首を断たれる寸での所で受け流すことに成功した。

 

 彼女が驚愕したのはその後だ。

 狼虎の身体は地面と擦れ合いながら具足と大剣から火花を散らし、急激に反転する。

 疾走の勢いだけではなく、大剣を振るう勢いすら利用する独特の剣技は、片手で振るわれたと思えないほどの速度を生み出す。

 

 大剣の鋒がカーラの衣服を破り、腹部を皮一枚分だけ真一文字に斬り裂いた。

 

 初めて目にする剣技を前に、カーラは大きく飛び退いて距離を取る。

 

 

(傷が、再生し(なおら)ない……!)

 

 

 僅かに血を流す腹部の傷を撫でながら、カーラを息を呑んだ。

 この程度の傷であれば、吸血鬼の再生能力で瞬きの間に完治するはずだ。にも拘らず、未だに傷は開いたまま。

 確かに再生は始まっているのは感じ取れたが、傷自体が塞がるのを拒むかの如く抵抗していた。

 

 

(これは、呪い……?)

 

 

 吸血鬼を狩る狩人の一撃には霊力が込められており、吸血鬼の強靭な肉体を吹き飛ばし、再生能力を阻害するのが常だ。

 だが、目の前の狼虎の一撃には、そのようなものは一切込められていない。あるのは奇怪な剣技だけ。ならば彼の握る剣に疑いを向けるべきだろう。

 

 カーラの推察は正しかった。

 かつて魔界にて多くの深淵とその眷属を斬り伏せ続けた不死隊の剣は、呪いを帯びている。

 深淵を斬り続けたことによって得た呪いは余りにも強力であり、深淵は勿論のこと、魔の属性を持つ者に対して異様なまでの効果を発揮する。

 

 言わば、数千年級の呪い。

 元は何の変哲もない大剣が、今や不死と呼ばれる存在であろうとも問答無用で殺し得る魔剣と化した。

 

 如何な吸血鬼の女王であろうとも――――いや、吸血鬼の始祖であろうとも無事には済まない。

 

 

(厄介な……――――と、並の相手ならそう思うでしょうね)

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「隼人学園での戦闘が開始! カーラ・クロムウェルの姿も確認されています!」

 

「狙撃班を校庭の見渡せる場所に配置。残りを隼人学園を包囲しつつ待機して下さい」

 

 

 米連の偽装工場から出発した輸送トラックの一つの中で、雪那は努めて冷静に指示を出していた。

 トラック内部は無数の通信機材や武器が積まれており、米連謹製の最新鋭ボディアーマーに身を包んだ部隊員が座っている。

 

 彼等にあったのは困惑だ。何せ、聞いていた話とは違う。

 対魔忍と隼人学園は形ばかりとは言え、既に同盟を結んでいた。それを翻して争うなど愚の骨頂だ。

 だが、これまで得た情報と神村 東が対魔忍側に付いた状況から、ある程度の推察は可能だった。

 

 以前、自陣である偽装工場への襲撃から、カーラは裏で何かを企んでいる可能性は高かった。

 これまで監視を続け、隼人学園の内部へと吸血鬼が配置されたことから、これらは米連にとっては確信に近いものであった。

 

 驚くべきは、人類側だと思われていた上原 北絵ですらがカーラについていたことか。

 カーラが黒であれば、腹心であるマリカも黒である事は疑うまでもなかったが、世界でも有数の結界師が裏切ったとあれば動揺もしよう。

 吸血鬼に血を吸われ、眷属となったのか。元より、何らかの密約を交わしていたか。真相は知り得ない。

 だが、吸血鬼が隼人学園に入り得たことは、それで説明が付いてしまう。

 

 ならば、東が対魔忍側についたのは、対魔忍側からカーラの実態についてリークがあったのか、東が対魔忍に助けを求めたのか二つに一つ。

 

 奇妙だったのは、今の今まで存在を確認されていなかった二人の男の存在だ。

 一人は明らかに吸血鬼側であった以上は、間違いなくカーラについている腹心か、協力者と見て間違いない。

 

 もう一人は、出で立ちからして魔族であったが、対魔忍側であるようだ。

 対魔忍に対して信頼など持っていない部隊員と雪那であったが、元より魔族へ対抗する為に集められた彼等が、憎しみや不信感を募らせるのは無理もない。

 

 

(しかし、これは好機ですね。労せずして、カーラ・クロムウェルを確保できるかもしれない……)

 

 

 雪那と米連にとって、不意打ちじみた状況ではあった。

 しかし、カーラの思わぬ裏の顔を垣間見た彼女は、リミットであった吸血鬼対策会議までに計画を遂行すべきか、中断すべきかを決めあぐねていたが、これを好機と見た。

 

 二つの集団が互いに互いの尾を喰み合う状況。

 どのような結果となるかは別として、一方は敗北し、もう一方も勝利はするが無事には済まない。

 

 カーラ側が負けるのであれば、それで良い。

 カーラが殺される可能性が高く、殺されずとも対魔忍に確保されることは確定。

 吸血鬼対策協議に参加することは叶わず、彼女の部隊としても最低限の目標を達成できる。何なら、確保されたカーラを襲撃し、改めて殺すことも、米連の手中に収めることも不可能ではない。

 

 カーラ側が勝ったとしても問題はない。

 ありがたいことに神村と対魔忍と思しき一人が、有象無象の吸血鬼を掃討してくれた。

 後はカーラ、マリカ、北絵、協力者の吸血鬼の四名のみ。これからの戦いで大なり小なり消耗し、部隊への被害は極限できるだろう。

 

 

 雪那の考えは真相から遠く離れていたものの、少なくとも彼女の目的を達成する上での動きは、概ね正しい。

 

 もし、間違いがあるとするならば――――

 

 

(押されているのは、魔族の闖入者の方――――精々、化物同士で殺し合いなさい)

 

 

 ――――鎧姿の男の思惑を、甘く見たことか。

 

 揺れるトラックの荷台で、偵察用のドローンが映し出す映像を画面越しに眺めていた雪那は、明らかな嫌悪の視線を向けていた。

 まるで忌々しい毒虫が、互いに殺し合う姿を眺めているかのようだ。

 

 その中身が、人間であるとは考えていない。

 その中身が、対魔忍の中において最も油断がならず、悪辣な男であるなどと知りもしない。

 

 ましてや、自身が彼の思惑通りに動いているなど、彼女ではどう足掻いたところで辿り着けぬ話であった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「――――――――」

 

「あぁ、いいわ。貴方のような強者を跪かせるなんて――――なんて、良い気分なのかしら……!」

 

 

 女王と狼虎の戦いは、決着が目前まで迫っている。

 狼虎は無言のまま片膝を付き、女王は童女のような笑みを浮かべてそれを見下ろしていた。

 

 生半可な戦いではなかった。

 事実として狼虎の全身は血で濡れており、カーラもまた両腕に血が滴り、マントも襤褸雑巾のように斬り裂けれている。

 

 戦いを決しようとしたのは、種族の間に横たわる単純な差であった。

 

 

「――――ふふ」

 

 

 カーラが微笑みながら腕を伸ばすと、腕は大きく膨張して黒霧となって弾けた。

 千々に弾け飛んだ腕は数百もの蝙蝠に姿を変え、まるで竜巻のように狼虎の周囲を飛び回り、襲い掛かる。

 狼虎は左右の剣を振るって斬り伏せるも、これでは数が多すぎてまるで意味がない。

 

 カーラは大剣の呪いと狼の剣技が厄介と見るや、徹底して彼の間合いへ踏み込まず、また踏み込ませなかった。

 当然の戦法であるが、彼女以外の存在には、これは不可能であっただろう。

 いくら吸血鬼と言えども、腕をこれだけの数の眷属へと変化させた上で操るなど、“血を統べる者(ブラッド・ロード)”以外には不可能な芸当だ。

 

 巧い立ち回り方であった。

 不死殺しの大剣で眷属を斬り倒せば、そのままカーラの腕を斬り落としたも同然となるが、これだけの数で腕一本分。蝙蝠を数匹斬った所で、かすり傷にもなりはしない。

 その上、蝙蝠の爪と牙は細くも鋭い。鎧の隙間に入り込み、容赦なく身体を傷つけ、血を流させる。

 

 出血を余儀なくされ、体力を消耗させられては、狼の剣技も否応無しに鈍っていく。

 

 

「ほら、息をするのがやっとでも、走らないと」

 

「――――っ!」

 

 

 カーラのマントが翻る。

 無数の槍が伸びる先にいたのは、マリカと戦いを繰り広げる東だった。

 

 文字通りの横槍であったが、マリカとの死闘を繰り広げる東には余力がない。分かっていたとしても、どうにもならない。

 本来のカーラであれば、決して行わない卑劣な行いであったが、今や彼女は女王ではなくグラムの傀儡。誇りもなく、知恵だけは廻る。

 

 ほんの数瞬後には串刺しの死体が出来上がる直前、数百の蝙蝠に襲われて身動きの取れなかった狼虎は地を蹴った。

 息をするのもやっと、と評された五体らしく精細さを欠いていたものの、蝙蝠の竜巻を突き破るには十分だ。

 生み出す風圧だけで襲い来る蝙蝠を吹き飛ばし、東へと迫る槍を身体ごと旋回させながら振るった剣で斬り伏せる。

 時には東だけではなく、ワイトや紫までも槍衾から守りながらの戦いであっては、狼虎でも荷が重い。

 

 其処で再び、狼虎は膝をつく。

 

 人の身でありながら、人ならざる剣技を用いたために、限界を迎える当然の帰結。

 度重なる出血と消耗。本物と偽物の差異。圧倒的な種族の差。

 

 これが本物であったのなら、当に決着はついていただろう。

 どれだけ盗人が騎士の真似事をしようとも、どれだけ形を似せようとも騎士にはならぬように、彼の才能では、どうしたところで狼には届かない。

 

 

「見事なものだわ。何処でその剣を学んだかは知らないけれど、人の身でよくも其処まで…………でも、もう終わりよ」

 

 

 カーラの胸にあったのは、第一にグラムへの忠誠心であったが、確かに狼虎への敬意があった。

 生まれ持った性格と先王によって育まれた品性は、傀儡になったとて決して消えない。ただ、グラムのためならば全てを投げ捨てられるようになっただけなのだ。

 

 彼女の全身が霧へと代わる。

 次なる攻撃に備えて構えを取るが、全てが無意味であった。

 

 カーラが霧から元の姿へと戻ったのは、狼虎の背後。

 異様な猜疑心から構築された感覚器官は、彼女の出現を既に予測しており、渾身の一刀を首を目掛けて振り抜いていた。

 

 だが、その一撃は虚しく空を斬る。

 体力が万全ならばまだしも、消耗に次ぐ消耗を余儀なくされた後の一閃は余りにも遅すぎた。

 

 カーラは首への横薙ぎの一閃を潜るように踏み込むと、両腕を彼の身体へと巻き付かせる。

 

 

「――――――っ――ぐ」

 

「光栄に思いなさい。貴方に私が初めて血を吸う相手になる栄誉をあげるわ」

 

 

 それは正に死の抱擁であった。

 恋人への熱い抱擁のようでありながら、鎧の上から吸血鬼の腕力で締め上げる。

 

 鋼鉄の鎧から上がる軋みは、彼の悲鳴そのものだった。

 軋みの向こうからは、肋骨が折れる音までもが聞こえていた。兜の隙間からは血が溢れる。内臓に折れた肋骨が突き刺さっているのだろう。

 

 ガランと音を立てて短剣と大剣が彼の手から零れ落ちた。

 

 

「は、はははははは! いいぞ、カーラ! 奴の血を吸え、それこそが吸血鬼の本分だ!」

 

 

 カーラに代わり、グラムが勝利の哄笑を上げる。

 勝利の安堵と喜びだけではない。傀儡となったカーラが自らの意志で先王の定めた約定を捨てると宣言したのだ。

 穢れなき存在を陵辱する心地良さ。傀儡に堕ちてなお気高かったカーラが、自分と同じ位置にまで堕落する興奮。全てを笑い声として、グラムは吐き出している。

 

 東も、ワイトも、彼の危機には駆けつけられない。

 マリカの猛攻は止むことはなく、北絵は今まで温存していた余力でワイトを捉えようと無数の結界術を起動した。

 

 カーラの口が大きく開かれる。

 月の女神とも思われた表情は失われ、耳まで開いた(あぎと)は真性の怪物であることを知らしめていた。

 ゾブリ、と音を立てて彼の首に乱杭歯が突き立てられる刹那、狼虎は兜の下で笑みを漏らす。

 

 次の瞬間、抱擁を交わした二人の姿は、噴出した煙の帳によって覆われる。

 

 

「は、悪足掻きを! 今更、煙幕を張った所で何になる!」

 

 

 血を吸われる直前に、狼虎は発煙筒を取り出して炸裂させた。

 グラムの嘲りの通り、煙幕とは敵の視界を遮り、注意を引くためにこそ使用される。捕らえられた状態では何の意味もないだろう。

 

 ドクンと空間が脈動した。

 

 吸血鬼は、文字通りに血を吸う鬼だ。ただ生きていくだけであれば人間の食事でも栄養は十分に摂取できるが、反面、吸血鬼としての力は徐々に錆びついていく。

 ヴラドの国民は、先王が人間と交わした約定に従いながらも、吸血鬼としての力を保つために、輸血パックや動物の血を啜る。無論、カーラもマリカも同様だ。

 つまり、生き物としては兎も角、吸血鬼としては常に飢餓状態なのだ。

 

 そんな怪物が生き血を啜った。

 生まれや血筋、個体の才能によって上限値は違うものの、吸血鬼は総じて血を吸えば吸うほどに、その力を増す。

 

 空間の脈動はカーラが力を増した――――いや、本来の力を取り戻した何よりの証だ。

 

 グラムは歓喜からか、全身を震わせて興奮している。

 煙が風によって流され、顕になったのは地面に伏してピクリとも動かない狼虎と、立ち尽くしたままのカーラの姿。

 

 

「………………」

 

 

 カーラは二度、三度と手を握り締めては開きを繰り返し、踵を返してグラムに目を向ける。

 

 見よ、血色に輝く赫灼の瞳を。

 余りにも冷酷な光を宿した瞳で、確かにグラムを見ていた。

 

 その瞳に、グラムは一歩後退り、怒りと屈辱から顔を赤く染め上げる。

 何を恐れる必要がある。カーラは既に己の傀儡。操り手にして主人が、傀儡に気圧されるなどあってはならない、と。

 

 

「カーラ、貴様、その目は何だ。またきつい仕置が必要か?」

 

「――――…………」

 

 

 グラムは優越感から滑った言葉に、すぐさま後悔する羽目となった。

 

 カーラは確かに、グラムを睨みつけたからだ。 

 彼の全身が総毛立つ。勝利を確信した笑みなど即座に消え失せ、顔は恐怖に覆われる。

 

 ――――そう、カーラは本来の力を取り戻すと同時に、本来の自分も取り戻していた。

 

 単純な。実に単純な理屈だ。

 

 狼虎の身体には、天才魔科医・桐生 佐馬斗が開発したウイルスが投与されている。

 ウイルスは唾液、血液、精液などの体液内で増殖を繰り返し、総数を増やす。

 他者の体内に取り入れられた時点での数は少なく、効果を発揮するまでに時間はかかるのだが、全身の血を絞り尽くすまで吸い上げれば話は別だ。

 

 寄生蟲は未だにカーラの神経と癒着しているが、彼女が正気を取り戻すには十分過ぎる量だった。

 まして、彼女が本来の力を取り戻したとあれば、寄生蟲如きの力では彼女を汚すこと能わず。

 

 そう、狼虎の――――虎太郎の目的は、カーラに己の血を吸わせることにこそあった。

 

 その為に、カーラとの直接対決を望み。その為に、カーラとの対決に邪魔の入らぬように東とワイトと紫に役割を与えた。

 煙幕は米連に今も後も要らぬ邪魔を入らせぬため。約定を破るカーラの姿を確認させては、ヴラドに攻め込むだけの理由を米連に与えかねないからだ。

 

 カーラは言葉もなく、ただ冷徹にグラムを睨み据える。

 屈辱もあった、羞恥もあった、恥もあった、抑えきれぬ赫怒もあったが、その全てを押し殺す。

 全ては怨敵を倒すためではなく、命を賭してまで己を掬い上げた男に対しての感謝と労い故に。

 

 こうして、敵であった筈のカーラは寝返り、虎太郎の思惑通り()()()()()()()として、彼の陣営へと加わるのであった。

 

 

 

 

 



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『あぁん? 結果がどうなっただぁ? そんなもんド外道としての格の違いを見せつけて終わりに決まってんだろ、このダラズゥ! ※なお、苦労人としての格の違いも見せつける模様』

 

 

 

 

 

 グラムは混乱の極みにあった。

 

 それもその筈。彼は、対魔忍の魔科医が寄生蟲を死滅させるウイルスを開発したなど露も知らない。

 彼の視点で見れば、対魔忍の協力者の血を吸った後に、突如としてカーラが正気を取り戻したようにしか思えなかった。

 

 まだ己が“血を統べる者(ブラッド・ロード)”を甘く見ていたのか。

 血を吸ったことによって、新たな力にでも目覚めたのか。

 それとも対魔忍が、己ですら気付かぬ内に何かを仕掛けていたのか。

 

 様々な推論が頭を駆け抜けては消えていく。

 何一つ明確な確信を得られぬグラムであったが、彼に出来ることは一つだけだ。

 

 

「蟲共よ、目覚めろ! カーラの動きを止めろ!」

 

「――――っ」

 

 

 彼の命に、カーラは身体に電流が走ったかのようにビクリと跳ねる。

 寄生蟲は未だに機能している現実にグラムは安堵の表情を浮かべたが、直ぐ様にその安堵は水泡の如く消え失せた。

 

 カーラは一度だけ深呼吸をすると、再び歩き出したのだ。

 身体は神経に癒着した寄生蟲と薬物の中毒反応によって発情し、鋭敏化している上に、副脳染みた機能を有する寄生蟲は絶えず彼女の行動を阻害している。

 にも拘らず、血を吸った事で全身を駆け巡る全盛期の力で全てを捻じ伏せ、彼女は闊歩する。

 

 発情する情けない表情は影も形もない。そのような弱さなど面に出しはしない。

 凛々しくも勇ましく、美しくも逞しい歩みは正に女王の行進と呼ぶに相応しく、巨人が地を行くが如く止めようがないかのよう。

 

 誰もが戦闘すら忘れ、カーラに魅入られていた。

 

 

「ふっ――!」

 

「ぐぁっ――――て、テメェっ!」

 

 

 しかし、動いた者も居る。更には、カーラの進路を遮るという、英断であると同時に愚行も犯した。

 東と鍔迫り合いを演じていたマリカは、彼女の隙を突いて腹部に蹴りを叩き込むと、カーラの前に立ちはだかる。

 

 シヴァを威嚇するように唸らせ、歯を剥き出しにしてグラムへの壁となった。

 

 

「退きなさい、マリカ」

 

「聞けません。止まるのは貴方の方です、カーラ様!」

 

「そう――――残念だわ」

 

 

 一切歩みを止めることなくマリカに命じるカーラであったが、返ってきたのは拒絶の宣言、そして勇ましい雄叫びと突撃であった。

 最早、マリカの主人はカーラからグラムへと変わっている。傀儡となったからとは言え、マリカが受け入れている姿に悲しげに目を細めたが、迷いは皆無だ。

 

 人知を超えた速度で踏み込んだマリカは、掛け値なしに疾風であった。

 土煙を巻き上げながら、ただの一歩でカーラとの間合いを詰める。

 振り上げたシヴァの刃が限界駆動による高速回転で火花を散らし、渾身の力で唐竹に振り下ろす。

 

 対するカーラはマントを槍や翼に代えて防御するでもなく、ただ左腕を翳しただけだ。

 まるで、それで十分とでも言うように。

 

 

「ふぅうぅぅうう――――!」

 

 

 激しい血飛沫を上げながら、シヴァの刃がカーラの左腕を両断していく。

 同胞も人間も見境なく、カーラの敵を処断してきた筈の刃は、今やカーラ自身を傷つける刃と化した。

 マリカの胸中に浮かぶのは何だったのか。ある種の興奮と狂気の浮かぶ顔は、確かに笑みを浮かべている。

 

 

「――――っ!?」

 

 

 だが、その笑みも凍りついた。

 

 肘の半ばまでカーラの腕を両断したシヴァは、それから先に進まなくなった。

 誤作動で回転刃が停止したわけではない。マリカの血肉から生み出された武器である以上、彼女に不手際でもなければ止まることはない。

 

 単純に、カーラの再生能力がシヴァの切断能力を凌駕しただけだ。

 切り裂かれる端から肉が盛り上がって再生を果たし、シヴァを見る間に押し返していく。

 

 マリカは顔を顰めてシヴァを押し込もうとするが、全くと言っていいほどに無意味であった。

 

 

「マリカ、少し休みなさい。働きすぎだけが、貴女の唯一の欠点よ」

 

「――――――が、はっ」

 

 

 カーラの表情は優しさで満ち、声色は慈しみで溢れていた。だが、放つ一撃に容赦などなく。

 

 瞬間、マリカの腹部で火薬が爆ぜた。

 少なくとも、マリカにとってはそう判断せざるを得ないほどの衝撃だった。

 

 片腕を両断されたままカーラは爪先を跳ね上げた。

 技量も術理も感じさせない力任せの蹴りであったが、その結果は凄まじい。

 四階建ての校舎を遥かに超え、数十mの高みまでマリカの身体は天高くに打ち上げられている。

 

 グラムは唖然と空を見上げ、眺めることしかできない。

 寄生蟲によって身体を発情させられ、行動を制限されながらもこの威力。魔界の腕力自慢たる鬼族ですら及びは済まい。

 

 マリカは上昇が止まるとようやく現実を認識したのか、血塊を吐き出した。

 衝撃の余りに視界は霞み、手足が意のままに動かない。その歪んだ風景の向こうで確かに見た。翼を広げ、自らに追い縋る女王の姿を。

 

 

「――――ふっ!」

 

 

 悪魔の如き羽を羽撃かせ、カーラは甲高い風切音を掻き鳴らしながら飛翔する。

 既に衣服にも怪我を負った痕跡は微塵も残っていない。最早、復元と言っても差し支えのない埒外の再生能力で快癒した左腕でマリカの顔面を掴み上げる。

 

 飛翔の勢いが凄まじ過ぎた。

 マリカは顔を片手で掴まれた挙句に勢いをそのままに何度となく振り回され、次は天上から地上へ飛翔の勢いを乗せたままに投げ飛ばされる。

 まるで球技用のボールか何かのようだ。マリカの投げ出された速度もそれらと何ら遜色のないものだった。

 

 女王と従者の戦いはそれで幕を下ろす。

 マリカは凄まじい轟音と土埃を巻き上げながら、校庭へと叩きつけられた。

 土の帳の晴れた先に残されていたのは、気を失ったマリカと隕石でも落下したと偽れるクレーターのみ。

 

 カーラは冷たい美貌を讃えたまま、月から降りてきた女神の如く校庭に降り立つ。

 ピクリとも動かないマリカに視線すら向けず、再びグラムに対して歩みを開始する。

 

 ともすれば、自らの従者に対して残酷にすら見える仕打ちであったが、彼女はこの上なく優しかった。

 

 ただの物理攻撃では、吸血鬼に対する効果は軒並み低い。

 高位の吸血鬼同士による肉弾戦は血で血を洗う泥仕合に発展しやすく、よって互いの攻撃に魔力を込めることで威力を高め、何らかの特殊な能力を用いる場合が殆どだ。

 にも拘らず、カーラは攻撃を純粋な膂力によるものだけに留めていた。

 

 吸血鬼を殺すには、物理法則の範疇を超えた攻撃――人外の魔力によって発現する業、人の霊力によって発動する技、対魔忍の対魔粒子の行使によって繰り出される忍法――が必要となる。

 だが、吸血鬼を倒す――――即ち、意識を刈り取るだけであれば、物理攻撃でも十二分。人と吸血鬼の肉体に強度と出力の差はあれど、構造自体に大差はない。

 

 アレだけの衝撃だ。どれほど頑強な肉体を持とうとも意識を手放さざるを得ないだろう。

 脳と心臓さえ無事であれば、意識を失っていようが身体は再生する。何より、余人には知り得ぬ事実であるが、カーラとマリカの間に交わされた契約は両者を、ただでさえ不死身の身を更に不死身足らしめている。この程度では揺らぎもしない。

 必要以上の痛みも苦しみも与えず、肉体を破壊するでもなく意識を刈り取るだけの攻撃。殺し合いの場において、これほど優しい一撃は他にあるまい。

 

 

「強い強いと思っちゃいたが、此処までとはねぇ……」

 

「これが、吸血鬼の女王か……」

 

「――――ぐっ」

 

 

 生物として圧倒的な差、余りにも隔絶した強さに、東と紫は顔を引き攣らせたまま笑みを浮かべていた。

 

 二人の胸中にあったのは安堵だ。

 これだけの強さを生まれながらに持った怪物となど、二人であれ戦いたくなどない。

 そうせざるを得ない状況に叩き落されれば、恐怖も不満も押し殺して戦い、勝利を目指すであろうが、今は心底から敵から味方に戻ったことに胸を撫で下ろす。

 

 グラムは全身を冷や汗で濡らして、呻き声を漏らしていた。

 今や、彼は追いつめられたも同然だ。最強の駒であるカーラは手元から離れ、最強に次ぐマリカは戦闘不能、残る北絵が如何に防衛に長けようが敵全員に対抗できるはずもない。

 グラムが即座に逃亡を選択しなかったのは、虎太郎には見抜かれていた彼自身ですら決して認めようとしないカーラへの劣等感と執着があると同時に、まだ彼にしか出来ない逃走経路が残されていたからだ。

 

 それでも恐怖を拭いきれるはずもない。

 身を穢された怒りすら見せず、ただひたすらに怜悧な美貌のまま向かってくるカーラの歩が進む度に、グラムは身が竦んだ。

 

 

「――――動くな!」

 

 

 グラムのとった行動は、傍目から見れば愚かこの上ない行為であったが、その場の全員が硬直するには十分過ぎる威力があった。

 

 彼は事もあろうに自らの味方である筈の北絵の首に腕を回し、作り出した直剣の刃を押し当てた。

 

 確かに、彼女達にとっては有効な手段と言えた。

 グラムにとって北絵は味方ではあるが、同時に敵でもある。これまでかけた労力を考えれば盾にするには過ぎた相手であるが、使い捨てても惜しくはない。

 カーラにとっては長年の友人であり、東にとっては自身を拾い上げた恩人、紫とワイトにとっては五車町に結界を張って貰わねばならぬ隣人。無下にする訳にも、切り捨てるわけにもいかない、替えの効かない存在だ。

 人質にするには十分過ぎる。殊更、彼女達のように自身の正義に従う者には効果的だ。

 

 傀儡である北絵はグラムの意図を察したらしく、何時でも最高位の結界術を起動できるように霊力を漲らせた。

 

 まるで鼠のような不様さだ。

 しかし、グラムらしいとも言える。彼自身、気づいていない上に認めないだろうが、そのような立ち回りをした方が、下衆で狡猾な彼の性にはよく合っている。

 

 グラムの狙いは、言うまでもなく逃亡だ。

 全てを失ったも同然であるが、体内の寄生蟲さえあれば、立て直しは可能だ。

 何年も何十年もの間、自身を追うであろうカーラの影に怯えながら地下に潜って逃げ回り、力を蓄え、逆襲に備える。

 北絵を盾と囮として使い潰しつつ、自身は全力で逃げる算段。

 

 …………本当に、不様にも程がある。未だに、自身に逃走経路が残されているなどと信じているなど、笑い話にもなりはしない。

 

 

「――――――呆れたわ」

 

「――――――何だと?」

 

 

 カーラが何事かを口にしようとしたのだが、一瞬だけ目を見開くと溜め息と共に言葉を紡ぐ。

 グラムはその仕草に煮え滾るような怒りを覚えたが、次第に困惑を強めていく。今の言葉は自身に向けられたものではないことに気づいたのだ。

 

 カーラはグラムなどを見てはいない。

 彼も認めたくはない事実であるが、カーラの間に横たわる実力差は天と地ほどの差がある。カーラにとってあくまでも排除と制裁の対象であって、敵にすらなっていない。

 それがまたグラムの怒りを深めさせる要因となったのだが、それよりも困惑の度合いの方が強かった。

 

 ならば、今の言葉は誰に向けて放たれたものなのか。

 自身の見えていないものが見えているカーラに、グラムは自分がとんでもない間違いを犯してしまったかのような不安に陥った。

 

 一度、鎌首を擡げた不安を押し殺すことなど不可能に近い。

 憤怒、困惑、不安。様々な負の感情が渦巻くグラムの胸中は、正に混沌。混乱状態と言っても差し支えはない。

 

 グラムの不安はどうしようもなく正しく、的を射ていた。東の直感に勝るほどの勘の冴えだ。

 尤も、彼女のように身を助くる類のものではなく、自身の破滅を決定づけさせるだけの、意味もなければ価値もないものではあったのだが。

 

 

「――――っ!」

 

 

 その時、グラムは肩を叩かれた。

 まるで、気付かなかった落とし物を知らせるような気軽さで。

 

 逃亡を成功させる為に何をすべきなのかに思考の大半が向けられたグラムは、背後に何者かが立つ気配を感じ取れなかった。

 反射的に北絵を盾にしたまま背後を振り返った直後、グラムの思考は混乱の極点に達し、掛け値なしに思考は停止する。

 

 

「よお、久し振りだなぁ」

 

 

 グラムの見覚えのある男が狼の大剣と短剣を携えて、背後に立っていた。

 

 隈取の入った狐の面。黒いハイネックのノースリーブシャツと同色のスボン。その上に灰色の防弾防刃ベストと同色の手甲。背中の忍者刀、脚にはクナイと手裏剣を納めておくレッグホルスター。

 グラムにとって忘れようもない、ともすれば、カーラ以上に執着している男だ。

 かつて日本に足を踏み入れたばかりの折、徹底的に虚仮にされ、途方もない屈辱を味あわせた相手。

 

 

「才谷 梅太郎ぉぉぉぉおおぉ――――っっ!」

 

「あぁ、アンタなら、そうするよなぁ」

 

 

 混乱の渦中にあったグラムに投げ入れられた火種は、今まで燻っていた憤怒の炎を燃え上がらせるには十分であった。

 

 狐面の男を見た瞬間、グラムがとった行為は考え得る限り、最も愚かだった。

 事もあろうに、グラムは盾としていた北絵を放り投げ、狐面の男に斬りかかったのである。

 

 ある種の現実逃避でもあった。

 瞬きの間に崩れた自身の優位。本来の力を取り戻したカーラの凄まじさ。またしても逃げねばならぬ情けなさ。屈辱を晴らしていたはずが、何時の間にやら更なる屈辱を積み重ねる始末。

 彼でなくとも逃げ出したくなるような現実であり、虎太郎の言うように一山いくらの悪党に過ぎなかったのだろう。

 

 極度の緊張と混乱状態から更に感情を爆発させる存在の目視。

 グラムは悪辣でこそあったが、育てられ方故か、育ち方故か、感情の操作は不得手であった。

 行動は理知的でありながらも端々には感情からの行為が目立ち、自身の非を認めぬ幼さを鑑みれば、この行動も無理からぬこと。

 

 狐面の男であり、狼虎でもあり、才谷 梅太郎でもあり、弐曲輪虎太郎でもあり、そのどれでもない男は仮面の下で失笑すると――――事も無げに、グラム渾身の一撃を短剣で軽く払う。

 

 返す一撃は苛烈の一言。

 一切の感情を乗せず、短剣を握ったままグラムの肩を掴むと、不死すら断つ大剣を鳩尾に深々と突き立てた。

 

 

「あ、ぐ、ぎぃいいぃぃいいいいぃ――――!」

 

「ご、ごしゅじん――――あぐっ!」

 

 

 苦悶か、怒りか、屈辱か。

 グラムの口から漏れた声は、怪鳥のように甲高い。

 完全にグラムの窮地しか頭になく、助けに入ろうとした北絵は、隙を伺っていたワイトの当て身によって呆気なく意識を消失した。

 

 吸血鬼の再生能力を阻害する魔剣であろうとも、吸血鬼の生命力は健在だ。即死する事だけはなかったが、虎太郎は情け容赦もなければ、油断もなかった。

 深々と突き刺した大剣を更に押し込み、倒れるグラムの身体を校庭に縫い付けた上に、かつてセーフハウスで霧化を阻害するために使った“固着の護符”まで貼り付けている。

 

 グラム・デリックの命運が完全に尽き、カーラ、対魔忍の手中に収まった瞬間である。

 

 

「本当に、呆れたものね。全て、貴方の掌の上だったというわけ」

 

「カーラ殿、度重なる非礼はお詫び致します。ですから、どうか――――」

 

「構いません。此度の件は、身内の恥であり、私自身の落ち度でもある。腹立たしくはあるけれど、責めはしません」

 

 

 カーラは先程まで狼虎の倒れていた場所に視線を向けるが、残っているのは鎧だけ。次に狐面の男の体臭から、仮面の下に隠された素顔が、弐曲輪 虎太郎であると察していた。

 グラムの抱く憤怒の度合いを見れば、彼と虎太郎が何らかの接触をしていたことは想像に易い。先に虎太郎がグラムの存在を察知し、秘密裏に行動を開始したことも理解できた。

 彼女の記憶にあるグラムが優越感たっぷりに語っていた寄生蟲の特性と彼の不死性を鑑みれば、虎太郎の慎重な行動も無理からぬことと納得している。

 

 何処でグラムと接触したのか。グラムとの関係性はどういったものなのか。どのようにして寄生蟲の秘密を知り得た上に、対抗策まで用意したのか。

 疑問は尽きなかったが、全てが終わった後でも十分過ぎる。ふつふつと湧き上がってくる疑問も不安も押し殺してはいたが、それ以上に呆れの方が強い。

 

 これだけグラムの心理を読みきり、自身を囮にしつつも自身で決着を付ける様は、強い猜疑心の現れと言える。

 その上、私が今こうして考えていることも計算しての事でしょうね、という思いから怒りは浮かばず、呆ればかりが先行してしまう。

 

 何とも言えない表情のカーラに、心中を察しつつも紫は胸を撫で下ろした。

 どうあれ、今の所はカーラからの抗議も叱責もない。これ以後も同盟関係は保たれたままになるだろう。

 

 無論、胸を撫で下ろした理由はそれだけではない。

 紫がチラリと視線を向けた先には、地面に縫い付けられたグラムの手の届かぬ範囲で、股を開いて膝を折り曲げた状態で見下ろしている虎太郎の姿があった。

 

 全身の血を抜かれ、死亡した筈の彼が生きているのは、魔眼の力で紫から忍法“不死覚醒”を借り受けた故にだ。

 紫が獲物である戦斧を持たず、積極的に戦闘へ参加しなかった理由は、グラムを逃さぬ役回りだった以上に、不死覚醒を失った彼女では単純に戦斧を持ち上げられなかったからだ。

 不死覚醒は身体強化の最高峰となる異能系忍法。その強化は全身を細胞単位で強化し、人ならざる不死性と膂力を生み出す。脳と心臓を同時に破壊されぬ限りは決して死ぬことはない。

 虎太郎の読みでは、その弱点すらも人としての体を保つための制限(セーフティ)だと言うのだから恐ろしい。もし、紫がより深く魔の力に覚醒すれば、ブラックに勝るとも劣らない不死の怪物が誕生する。

 

 紫は自身よりも魔の力を引き出せるであろう虎太郎に、一抹の不安を覚えていた。

 不安だったのは永遠に力を奪われることでも、作戦が失敗することでもない。魔の力に魅入られ、弐曲輪 虎太郎という人格が失われることこそを恐れていた。

 しかし、その不安も杞憂に過ぎなかった。ただ、紫の不安が解消されたのは、グラムに罵詈雑言を浴びせられながらも、膝を手すり代わりに頬杖を突いて無関心に眺める普段通りの姿であったのは、笑えばよいのか、呆れればよいのか分かったものではない。

 

 

「おいおい、ぼーっとしてる場合かよ。米連の連中が近くまで来てんだろ? こっちにゃ女王様がいるが、乱戦でグラムに逃げられちゃ堪ったもんじゃねぇぞ」

 

「大丈夫だよ。そろそろ来るから…………ほら、来た」

 

 

 東の心配を他所に、虎太郎はグラムから一切視線を外さずに、そう告げた。

 カーラも米連の存在が潜んでいる事実に驚いていたが、校門から入ってきた存在に更に目を丸くした。

 

 入ってきたのは、自衛軍が所有する74式特大型トラックだ。

 戦時、災害派遣時に人員や避難民の移送は勿論の事、武器・兵器の輸送も担う輸送トラックである。

 今回入ってきた仕様は人員の輸送に特化したものであり、荷台部分は電子機器による索敵も妨害する特殊繊維で編み込まれた布に覆われており、中の様子を伺うことは出来なかった。

 

 15台ものトラックが次々に校庭に流れ込んでくるや、綺麗に並んで停車する。

 何も聞かされていなかったカーラと東は驚くばかりで、言葉すらも発せられない状態だ。

 

 そして、中から現れた人物に度肝を抜かれた。

 自衛軍に正式採用されたボディーアーマーに身を包んだ輸送部隊の隊長らしき人物を伴って現れたのは、濃紫の対魔忍装束を身に纏ったアサギである。

 隊長はアサギをカーラの前まで連れ立つと見事な敬礼を見せ、そのまま不動の体勢を取ると彼女を促した。

 

 

「女王陛下、お初にお目にかかります。井河 アサギと申します。この度は、何と言葉を掛けてよいのか……」

 

「…………いえ、貴女がた対魔忍の尽力に感謝します。()()()()()は、貴女達なくしては成し得なかった」

 

「勿体無いお言葉を。以後も、円滑な協力関係を築ければ幸いです」

 

 

 互いの身を案じながらも、女王と頭領は微笑みながら差し出した手と差し出された手を握り合う。

 此処までくれば、カーラもおおよその脚本(シナリオ)は読めてきていた。

 

 米連が近場に潜んでいるのなら、今の状況を監視している可能性は極めて高い。

 音声までは分からないが、映像でならば確実に監視・記録していることだろう。

 その記録を暴露されてはカーラ及びヴラド国、北絵及び隼人学園の立場は危ういものとなる――――なるのだが、アサギが登場したことによって、言い訳は効くようになった。

 

 そもそも、これまでの経緯を対魔忍と隼人学園によるグラム捕獲のための共同作戦だとでも説明してしまえばいい。

 カーラ、マリカ、北絵がグラムについた理由は米連には分からない以上、洗脳されていたとでも、演技だったといくらでも騙ることが可能だ。後は説明に穴や矛盾さえなければ、事情を知らない余人は納得せざるを得ない。

 これならば問題はあるまい。グラムに乗っ取られたのではなく、グラムを誘き寄せる罠であるとすれば、心象はいくらかマシになる。

 

 また、米連の強襲を恐れる必要はなくなった。

 入ってきたトラックに乗せられる人員は一台あたり30名だとしても優に450名にまで至る。

 無論、トラックの最大の目的は隼人学園の教員・生徒を五車町へと運び、桐生によって寄生蟲の有無を検査させ、治療させるため。中には自衛軍も対魔忍も誰一人として乗っておらず、居るのは運転手だけだ。

 だが、高度な科学技術でも透過できない素材で遮られたトラックの内部を米連に知り得ず、いらぬ想像を膨らませざるを得ない。

 

 言わば、虎太郎が救出部隊の隊長として権限を最大限利用した――緊急時にはアサギ自身も動かせる、山本長官への直接の直談判、自衛軍内部に設立された対魔忍の援護部隊など――張り子の虎だ。

 しかし、米連の目には危険で凶暴な、本物の虎同然に映ることだけは間違いない。

 

 

『米連の部隊が撤退を開始しました』

 

「当然だな。仮初とは言え大部隊。寡兵で挑むような阿呆はいない。追い詰められてもいなければ、今回の機を逃しても後はある。あーやだやだ、余裕のある連中は楽でいいねぇ」

 

 

 辺り一帯を監視していたアルフレッドから米連撤退の事実を告げられる。

 

 虎太郎の読みは正しかった。

 今回の部隊は魔族排斥派が放った刺客だ。その部隊員も、大半は魔族への恨みを持つ者だろう。

 ならば、どのような状況下であれ、カーラを殺しに来る可能性はあったが、それ以上に仲間を失うことを恐れる傾向にあると考えていた。

 一度、全てを失った後に得た同志。人は常に自身の意見に賛同してくれる者を探し続けている以上、一度でも大事な誰かを失った者は、更に失うことを極端に恐れる。

 

 此処で無理をして仲間を失って戦果を得るよりも、戦果を見逃してでも仲間も守り、次の機会に賭ける方を選ぶ。

 感情的にも理解できる上に、部隊の運用としても正しい行為だ。これで挑むような馬鹿者では、どれだけの実力を誇ろうとも生き残れてなどいまい。

 

 

「本当、何から何まで……」

 

「心中お察しするわ、クロムウェル殿。何時もこうなのよ、あの人」

 

「カーラで構わないわよ。貴女とは気が合いそうだわ、色々とね」

 

 

 互いに敵に陵辱された身の上である共感か。或いは単純に波長があったのか。

 吸血鬼の女王、対魔忍の頭領としては兎も角、カーラ、アサギとしての個人ならば相性は良いらしく、二人の口調は軽く朗らかであった。

 

 

「で、アタシとしちゃ、コイツの処遇が気になるんだがなぁ……」

 

「……うぐっ!?」

 

「おいおい、あんまり酷い真似するなよ」

 

 

 二人のシンパシーを他所に、怒りを漲らせた様子で東は鬼切をグラムの下腹部に押し付けると、ぶすぶすと黒い煙で焼け焦げていく。

 東の霊力によるものだろう。今し方まで虎太郎を罵っていたグラムも苦痛から押し黙らずを得ない。

 

 そんな彼女に、虎太郎は捕虜を丁重に扱うように説得した。

 もっとも、東がそのような言葉に耳を貸さず、虎太郎も心にもない言葉だったからこそ、咎めることも止めさせることもなかった。

 

 

「彼の処遇は対魔忍に任せます。但し、ヴラドの女王として極刑を望むわ」

 

「まあ、それが道理だわな。アタシ達は助けられた身だし。今すぐにでも殺してやりたいが、仕方ねぇや」

 

「それに関しては私も聞きたいわ。私もてっきり殺しているものだと思っていたのだけれど……」

 

「あぁ? どうでもいいんだがな、オレは。オレは排除できればそれでよかったんだ。生きていようが死んでいようがどっちだっていい」

 

 

 突き刺さる三人の視線に虎太郎は肩を竦めた。

 グラムをどうするのか、まるで考えていなかった、とでも言いたげであった。

 

 だが、虎太郎は暫く考え込むような仕草を見せると、即座に自分にとって最大の利益を得られる方法を選択した。

 

 

「――――きっ!?」

 

「いい顔だ。その顔が見たかったんだ――――なんて言うと思ったか? どうでもいい。アンタのことなんて興味がないんだ。ただ、最後の確認が出来てよかったよ」

 

 

 虎太郎は徐ろに狐の面を外す。

 その下から現れた顔に、グラムは愕然と顔を蒼褪めさせた。

 其処でようやく、才谷 梅太郎が弐曲輪 虎太郎であることを察し、憎い怨敵が初めから素顔のまま隼人学園で足を踏み入れたことを察する。

 

 ならば。ならば――――この男は、学園に足を踏み入れた時点で、いや、それ以前から私の存在に気づいていたのではないか。

 

 全ての線が繋がり、グラムは初めから虎の顎門(あぎと)の中に飛び込み、咀嚼されていただけの肉に過ぎなかったことを悟ったのだ。

 

 虎太郎が最後の確認と称したのは、寄生蟲以外に逃亡手段を残しているかであったが、この様子ではそれもない。

 何よりも、虎太郎が仮面を外した事実が、何を意味するのかに気づいているかどうか。少なくとも、彼は敵の前で仮面を外して、素顔を明かすような真似は絶対にしないのだ。

 

 

「ど、どうする、つもりだ。貴様は、私を……」

 

「別に、オレは何も。オレはグラム・デリックなんて人格(ラベル)には興味がない。興味があるのはね、ブラックの血を濃く継いだ身体(容器)の方だ」

 

 

 今の今まで無表情を貫き、興味のない冷たい瞳をしていた虎太郎であったが、その瞬間から慈しみと感謝を込めた視線を向けた。

 

 その視線に、グラムは怖気が奔った。

 自分とは全く性質は違っていたが、その瞳は間違いなく家畜へと向けるものだったからだ。

 

 にこやかに微笑んだまま、虎太郎は携帯電話を取り出し片手で器用に操作すると、誰かに電話をかけ始めた。

 

 

「おう、オレだよ。桐生ちゃん、今回はクソほどよくやった。お前の作ったウイルスは確かに効いたよ」

 

「あぁ? 何? 怒っていないかって? 馬鹿を言うな。勿論、激憤中だ――――が、それはそれとして、働きには報酬を与えるのがオレの方針なのは知っているだろう?」

 

「よくやったお前にはプレゼントをやるよ。他の吸血鬼に比べてブラックに近い検体は欲しくないか? ああ、違う違う。女王の方じゃない。そんなのどう考えても立場上、用意するのは不可能だ」

 

「だからまあ、アレだよ。王家の血を引くって奴だ。十分とは言えないが、ブラックの不死身や能力の秘密に少しは迫れるだろう?」

 

「ん? ああ、殺せる手段はいくつか用意してある。あるにはあるが、あくまでも“殺せると思われる手段”に過ぎん。通用するかは試していないからな。これを機会に、奴への対処と対策がもっと確実なものになるってのは素敵なことだと思わないか?」

 

「あぁ、そいつは結構だとも。オレもお前を殺すのは面倒だからな。これからも仲良くやろうぜ、桐生ちゃん」

 

 

 恐らく、最後は桐生は悲鳴のような声で、お前だけは敵に回さんと叫んでから電話を切ったのだろう。

 虎太郎は優しげな笑みを浮かべていたが、誰の目から見てもそれは悪意に塗れた悍ましいものにしか映るまい。

 

 最早、グラムは敵でも、排除の対象ですらない。ただの家畜だ。

 ブラックに手をかけるために必要な犠牲としての実験体。誰からも文句の言われようのない最高でこそないが、そこそこの個体ではある。

 

 

「この私が、そのまま大人しくしているとでも……」

 

「思わないねぇ。でも言ってるじゃないか。オレも桐生も、望んでいるのは人格(ラベル)ではなく身体(容器)の方だとな」

 

 

 ただ、実験体として使っては、グラムは抵抗を示すだろう。

 抵抗を封じるためには、何らかの手段を用いて行動を制限する必要性があるが、魔界技術であれ人の未知の部分を用いた技術であれ、穴というものはどうしようもなく存在する。

 

 ならば、人格(ラベル)身体(容器)から剥ぎ取ってしまえばいい。

 そうする手段は色々とあるが、今回は最も労力が少なくて済む方法を採ると、虎太郎は語る。

 

 それは、闇の中へと投じることだ。

 この世界、この地球において真の闇など早々存在しない。少なくとも人と吸血鬼の生存圏にはない。それこそ太陽の光りも、星明かりも届かない深い海の底か、或いは地の底でもなければ。

 

 吸血鬼もまた、夜闇の中で生を謳歌しながらも、真の闇は知らずに生きている。

 そんな生き物を、何の光も差さない闇へと落とし、更には身体を拘束してあらゆる刺激を断てばどうなるのか。

 吸血鬼も精神性は人間と大差はない。当然のように、精神は破壊されるだろう。

 

 

「オレも色々と試していてね。吸血鬼も同じ方法で壊している。この手段は殊の外、不死と呼ばれる連中に有効だ。魔族でも結果は変わらなかったよ。正気を保てた最長記録は1440時間と少しってところ。頑張った方だな。お前も精々、オレへの憎悪と憤怒を滾らせておけよ? 結果的にその方が長持ちする。まあ、最終的には同じ末路だが」

 

「………………」

 

「あぁ、心配するな。オレはお前と違って家畜を雑に扱うような真似はしない。実に貴重な検体だ。ふとした拍子に死ぬこともないからな。肉の一握り、血の一滴、骨の一欠片、髪の毛一本まで全て有効に利用してやるから安心しろ。多分だけどな」

 

 

 虎太郎は、地面に縫い付けられたまま、絶望からか言葉を発しなくなったグラムの肩を励ますように優しく叩く。

 グラムのように食い物にしたものを雑になど扱いはしない。丁寧に、丁寧に、心を込めて解体し、解明し、解読し、解得し、後には何も残らなくなるまで利用する。

 

 果たして、グラムの方がマシであったのか。それとも虎太郎の方がマシであったのか。

 少なくとも、そんな手段を用いると宣言した虎太郎と、宣言されて抜け殻のようになったグラム以外の表情は、引き攣ってドン引きを示している。

 

 斯くして、闇の寵児同士の戦いは、片や闇へと飲まれ、片や闇の中で戦い続ける結果となった。

 どれだけ悲惨な末期であろうとも、それは当人以外には関係などなければ、問題もない。無慈悲に廻る世界の一幕に過ぎず、誰の目に留まることもなく消えていく。

 

 

「何はともあれ、一件落着ね。じゃあ、後は任せるわよ、虎太郎」

 

「くそぅ、このままいい感じに有耶無耶にして帰ろうと思ったのに……」

 

「当然でしょう。対策協議でカーラの補佐は貴方以外には出来ないし、諸々の後始末も貴方以外に適任はいないわよ。それとも何? 私や紫にやらせるの? 構わないけれど、メチャクチャに破綻させる自信だけはあるわよ」

 

「ですよねー! 帰ってもめんどくさい、帰らなくてもめんどくさい! ドチクショウがー!!!」

 

 

 こうして、苦労人の奮闘は、のたうち回る彼の断末魔の喘ぎと共に続いていくのであった。

 

 

 

 

 



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『催眠術? 人間の使える技能なら、苦労人が習得していないはずがないじゃない』

 

 

 

 

 

 グラムは暗闇の中に居た。

 

 

(此処は、何処だ。私は、一体、どれだけの時間、此処に居るのだ)

 

 

 対魔忍とカーラ達に敗れたグラムは、目隠しと猿轡を噛まされた上に拘束されてトラックにて搬送された。

 当然、変化の能力を使って逃れようともしたが、身体に貼り付けられた固着の護符によって不可能であった。

 搬送された先が何処かを彼は知ることもなく、何故か顔面がパンパンに腫れ上がった白衣姿の眼鏡の男を最後に、暗闇へと放り込まれている。

 

 吸血鬼の力を持ってしても破壊できない鋼の手枷で手足だけではなく、首や胴にまで嵌められており、()()()()の姿勢のまま不動を強いられていた。

 

 彼が入っているのは棺、或いは試験管だ。

 円筒形のミサイルの直撃にも耐える特殊強化ガラスの入れ物に、魔界製の合金で外装が形成された箱。

 内部は桐生特性の薬液に満ちており、魚のようにエラを用いずとも酸素を体内に取り入れることが可能であり、生存も必要な栄養素も摂取できる優れものである。

  

 文字通りに生かされている。

 文字通りに生きているだけ。

 

 何も見えない闇の中、初めの内はグラムも激しい怒りを煮え滾らせていた。

 捻れに捻れた積年と万感の思いを向けたカーラすら既に頭にはなく、素顔を晒した虎太郎の事ばかりであった。

 

 己の全てを台無しにし、全てを奪い去った醜く、愚かで、弱い人間。

 彼のような人格の持ち主であれば、全ては自業自得の末路だと言うのに、己の全てを棚に上げて己を陥れた者を憎むのも無理はない。

 

 けれど、真っ赤に燃え上がる憤怒も、どす黒く握っていく憎悪も、長くは続かない。

 

 彼に残された自由は、生きることと考えることだけ。

 思考すればするほどに、己の愚かしさばかりが頭に浮かぶ。

 

 隼人学園になど手を出さなければ。

 アムリタや人間も、同胞たる吸血鬼も見境なく奴隷として売り捌く真似などしなければ。

 先王の方針や女王、その側近に逆らわなければ。

 

 何よりも、あの男にさえ出会わなければ。

 

 ――この結末を回避する選択肢などいくらでもあったのに、こんな結末を迎える可能性を考えずに走り続けた――

 

 そう思い至ったのは、暗闇に放り込まれてから僅か24時間であり、その瞬間に彼の精神から怒りも憎しみもなくなった。

 その後は此処から出してくれと声も出せないままに藻掻き続け、かつての己が見れば笑い転げるであろう不様な姿を晒したが、誰の耳に届くこともなく、誰の目に映ることもなかった。

 

 そうだ。それが何よりも怖かった。

 

 誰に恐怖されるでも、誰に憎まれるでも、誰に嘲笑されるでもなく、何の価値を見出されることもなく、この世に何の爪痕も残すことなく死んでいく恐怖に、グラムは発狂した。

 しかし、そんな彼の苦しみも悲しみも誰に届きもしない。届けるだけの価値もなく、見ている価値もないのだから。彼に残された価値は、虎太郎が許したブラックを確殺するためだけの実験材料というものだけ。

 

 

(違う。こんなのは違うんだ。こんな結末は望んではいない。こんなもの目指してはいなかった、いなかったんですよぅ……)

 

 

 肉体、精神ともに疲れ果てたグラムは、ほんの僅かに正気を取り戻したが、思考は幼児退行してしまったように幼く未練がましい。

 全ては、彼の選択故に辿り着いたもの。同情の余地はなく、ここまで来て己の罪を認めぬのは余りにも犠牲になった人々が報われないが、罪には罰が付き物だ。

 

 脳裏に浮かぶのは、鮮烈過ぎる女王の姿と己と較べても悪意に満ち満ちている男の姿。

 其処で、彼はようやく虎太郎が素顔を晒した意味に気づいた。グラムではこれに耐えられず、最早、敵にすらなることはないと判断するからだ。

 

 あの男と敵対したにも拘らず、あの素顔を見た時点で、彼の最後は決まっていた。

 

 

(あ、あぁ、ああぁあぁ……あんな化物に関わるべきじゃ、なかったんだ……)

 

 

 その思考を最後に、グラムは考えることを止めた。

 彼が自我を喪失するまでに掛かった時間は、1週間。虎太郎の言うように、一山いくらの悪党には短くもなければ長くもない、見るべきもののない時間。

 

 こうしてグラムという人格(ラベル)は引き剥がされ、後に残ったのは実験材料となるに身体(容器)のみであった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「あーぁ、つっかれたぁ~」

 

「ご苦労様。貴方のお陰で乗り切ることが出来たわ」

 

 

 吸血鬼対策協議から戻ったカーラと虎太郎は、隼人学園の理事長室で来客用のソファーに腰掛け、向かい合っていた。

 

 協議は恙無く終了した。

 結果のみを簡潔に要約するならば、各国ともに吸血鬼の起こす犯罪行為やアムリタの流通取締の強化に合意。

 また吸血鬼の王国ヴラドもまた吸血鬼の犯罪に対する捜査協力、吸血鬼の組する組織犯罪への部隊派遣を約束する形となった。

 

 途中、米連がカーラが犯罪組織への関与の疑惑をぶち上げたのだが、カーラは真っ向からこれを否定。

 数々の状況証拠や映像記録まで持ち出してきたものの、マリカに代わって補佐を務めた虎太郎――無論、吸血鬼と立場を偽った上で、包帯で顔まで隠して名もその場で思いついたものだ――が、用意してあったカバーシナリオによって潔白を証明した。

 

 しかし、其処は人の心理と言うべきか。ヴラド側に少しでも非があれば、僅かであろうとも利権を得ようとするのは当然のこと。

 米連以外の保身と利益の為に沈黙を守って舌戦を見守っていたが、日本の高官がカーラの身の潔白を信じると口にしたことで流れが変わった。

 勿論、日和見主義の日本高官が、米連に警戒をされるような一言を口にしたのは虎太郎が山本長官に事の経緯を説明し、根回しを行っていたからである。

 

 それが決め手となり、各国は次々にヴラドの支持に動き、米連側は口を閉ざさるを得なくなった。

 結局、米連は人身売買、アムリタ流通の取締強化にのみ合意し、ヴラド側との協力体制を拒否した。

 

 カーラは米連内部に吸血鬼とアムリタによる犯罪の蔓延る温床が残ってしまったことを気に病んでいたが、結果としては最良と言えよう。

 

 

「おぅ、邪魔するよ。連れてきたぜ」

 

「………………」

 

「マリカ、目を覚ましたのね!」

 

 

 ノックも無しに扉を開けて入ってきたのは、東とマリカだ。

 既に正気を取り戻しているのか、マリカの表情は重く暗い。マリカに対して減らず口や挑発を繰り返す東であっても気軽に声をかけられないらしく、頭をガリガリと掻いていた。

 

 カーラだけは喜びの表情を浮かべているが、忠誠心の強いマリカはより一層表情を曇らせる。

 東も多少は理解できるだろうが、段階が違う。東は完全に堕ちる前に救出されたが、二人はグラムの傀儡となってから救出されたのだ。もし、マリカの心情を理解できる者が居るとするならば彼女だけ。

 

 マリカは、あの夜カーラに意識を奪われた後、虎太郎の用意しておいた睡眠薬を投与され、眠り続けていた。

 その間に、カーラの血を飲ませたことで、寄生蟲の呪縛から逃れることが出来たようだ。

 

 

 

「マリカ、顔を上げなさい」

 

「カーラ様、私は……」

 

「気にしないで、とは言わないわ。貴方の気持ちは痛いほどよく分かる。けれど、私は王として、貴方は私の従者として下を向いている暇などないわ」

 

「………………」

 

「交わした契約を忘れたの? 私達は一心同体、比翼の鳥よ。これからも、私に尽くしなさい。頼りにしているのよ」

 

「――――はっ」

 

 

 それがカーラ当人の言葉と表情であったのだろう。

 何処か凍てついた王としての怜悧さはまるでなく、陽だまりを思わせる笑みを浮かべていた。

 その表情にマリカは涙ぐみながらも、必死で期待に応えようと短く返答する。

 彼女の返事に、カーラは今まで堪えていたものが堰を切って溢れ出したのか、マリカの身体を両腕で包み込んで抱き締める。マリカが己を責めているように、カーラもまた己を責めていたのだろう。

 王と従者が互いを思って抱き合う姿を、傷の舐め合いと嘲笑っては性根を疑わざるを得ない。誰の目から見ても美しい、正しい主従の光景であった。

 

 

「さて、あっちは女王様のお陰で何とかなったが、こっちの方はどうだ。ほらよ」

 

「どうも。と言っても、上原 北絵を筆頭に、隼人学園の全員は五車町で暫くの間、検査と治療を受けて貰わにゃならん。寄生虫の有無と除去が終わった者から順次、実家の方へ戻らせる。事実上の学校閉鎖だ」

 

「ま、そりゃそうだわな」

 

「表向きにはガスの漏洩による中毒症状者の多発とガス爆発の恐れありってことで緊急点検に入る形を取る」

 

 

 隼人学園の人員は逃亡者、行方不明者は確認されず、間違いなく全員が確保され、催眠ガスに眠った状態のまま五車町へと搬送された。

 今は桐生を筆頭に、対魔忍の医療班が検査と治療、教員と生徒への状況説明で、てんてこ舞いとなっている。

 とは言え、寄生蟲の検査方法、除去方法ともに確立している以上は難しい仕事ではない。グラムの傀儡となった者が潜み、逃亡を企てようとする万が一にさえ備えておけばいい。

 その辺りの監視、護衛も根回しは済んでいた。碧、零子を中心に、翡翠、紅羽、奏が中忍、下忍、生徒達を統括する。問題はあるまい。

 

 問題があったのは、北絵だ。

 ウイルスを投与しても一定の効果しか見られず、施された人体改造と洗脳が解除されない状態にあった。

 よって、神経に癒着して副脳化した寄生虫の直接除去を桐生が担当し、その後、再生医療が行われる予定だ。向こう一ヶ月は、学園に戻ってこれそうもない。

 

 更にもう一点――――

 

 

「その間は、アンタに矢面に立ってもらうことになるがな」

 

「うぇ!? ちょ、ちょっと待てよ! 学園の運営だの、何だのって小難しいことは全部、理事長任せだったんだぜ!? いきなりやれなんて無理言うな!」

 

「分かってるよ、それくらい。そんなもん初めから期待してない。だから、オレが補佐するために此処に残ったんだろうが」

 

「勿論、私も微力ながら協力するわ」

 

「はぁ~、驚かせんなよ。マジでビビるわ」

 

「それから、カーラとマリカに残念なお知らせがある」

 

 

 隼人学園の今後に関しては、東が北絵の代理と言わば顔として動き、実務及び補佐に関しては虎太郎とカーラが担当する。

 政府関係者からの緊急査問、査察などは虎太郎が無名の教員として補佐に入る。カーラではネームバリューが大きすぎて下衆の勘繰りをされかねないことを考えれば当然だ。

 隼人学園の運営はカーラが中心に、補佐として虎太郎とマリカが付く。国と学園とではまるで違うが、組織の運営の基本は同じ。此方も問題はあるまい。

 

 問題であったのは、北絵の身体を調査した結果であった。

 

 神経に完全癒着して副脳化した寄生蟲は、宿主の体組織を取り込み、纏うことによってウイルスからの攻撃を躱し始めていた。

 グラムが手を加えた故か、それとも生命の危機に瀕した寄生蟲が生存のために新たな能力を獲得したのか。ともあれ、喜ばしい話ではない。

 

 カーラ、マリカ共に正気こそ取り戻してはいるが、完全な除去は済んではいない。ウイルスによる除去はその途上。

 二人の身体に潜んでいる寄生蟲が、北絵の身体に潜む寄生蟲と同様の能力を獲得したとしても何ら不思議はない。

 

 

「つまり、私達はまた……」

 

「ウイルスが居る限り、寄生蟲は休眠状態に入るとのことだが、安心安全とは言い難い。根本治療は寄生蟲の完全な除去。此方の準備を進めているが、如何せん治療が必要な人数が多い。二人の順番は、一月後、上原 北絵が戻ってきてからだ」

 

 

 寄生蟲が休眠状態である以上、すぐさま正気を失い、グラムの傀儡になることはない。だが、このまま放置しておくことも、不安が残る。

 よって、北絵及び隼人学園の教師、生徒の完治が確認された時点で五車町へと向かい、除去手術を受ける手筈となっていた。

 

 それまでの間は、ノイの作った契約書を用いる。

 二人が意識しないままにグラムの傀儡へと戻ってしまった場合に備えてである。

 いくつか制限を設け、誓約を強制的に遵守させることで、最悪の展開だけは避けるつもりなのだ。

 

 最重要であったのは、虎太郎、東へ危害を加えることを禁じること。

 更に、虎太郎の許可なく学園外へ出向くことを禁じ、寄生蟲の流出・漏洩を防ぐ。

 桐生の除去手術が終了後に契約を解除し、晴れて二人は二人の日常へと戻っていく。

 

 

「それから、二人には定期的にオレの血液を摂取してもらう」

 

「………………」

 

 

 桐生曰く、万が一に備えてウイルスが多いに越したことはない、とのことだ。

 ウイルスは寄生蟲を攻撃するものの、寄生蟲の存在、活動を発見できない場合は増殖せずに一、二週間程で死滅してしまう。元々、虎太郎の身体や細胞、遺伝子に合わせて調整されたものである為、仕方がないだろう。

 その場合、寄生蟲が目覚めかねない故に、虎太郎の血液を摂取するのが手っ取り早い対抗方法ではあった。

 

 だが、カーラの表情は険しかった。

 虎太郎も彼女の反応は予測していたのか、大きく溜め息を吐く。

 

 

「それは、出来ません」

 

「……まあ、だろうな」

 

「カーラ様、それは……」

 

 

 カーラは鉄の決意で、これを拒絶した。

 それも当然のこと、これは彼女にとって張り通さねばならないからだ。

 

 ――ヴラドの国民は、人の血を吸うべからず――

 

 それが先王の残し、人と交わした契約だ。

 多くの国民が内心で不満を溜め込んでいるであろうが、先王の遺志も思いも理解し、全てを納得した上でカーラは王位を継承した。

 

 王として良しとした掟を、王自らが破る訳にはいかない。

 

 その思いから、意地を張り通すと決めた。今この場に、国民の目はないと言うのに。

 再び、グラムを賛美し、縋るだけの傀儡になってしまう恐怖はあったが、幸いなことに契約書に込められた魔力と術式から自身でも遵守せざるを得ない程の力があることは分かっていた。

 契約書の項目が増え、虎太郎と東に迷惑を掛けてしまうだろうが、それも許容の範囲内で収まるだろう。

 

 

「それから、マリカのことだけれど、彼女には…………」

 

「無論、私もカーラ様と共に」

 

 

 説得は不可能と判断したマリカは、カーラの提案を真っ向から拒絶した。

 せめてマリカは、というカーラの思いを否定し、従卒として王の決定に従い、同じ苦境を共にする道を選ぶ。

 カーラが王として立つと言うのならば、マリカもまた従卒として立ち上がり、その責務を全うする。それが、忠義、忠節というものだろう。カーラが鉄の決意を示し、マリカもまた鉄の忠誠を示したのだ。

 

 

「あー…………それなんだがよ、実は……」

 

「おい、余計な事を言うな。面倒だ」

 

「そう言われてもな。二人の覚悟は分かったが、明かさねぇのはフェアじゃねぇだろ」

 

 

 二人の宣言に少しだけ悩むような素振りを見せながらも、東はある事柄について語りだそうとした。

 虎太郎は止めようとしたものの、東の滑る口は止まることはない。

 

 彼は心底から嫌々、そして桐生への憎しみと怒りを募らせながらも、それ以上は邪魔立てしなかったのは東の言い分も一理はあると判断したからに他ならない。

 

 そして、東の口から語られたのは、虎太郎への嫌がらせという一点の理由で作成したウイルスの仕様であった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「………………」

 

 

 深夜。

 割り当てられた教員寮の一室で、カーラはベッドに腰を下ろし、昼間にあった東の言葉を反芻していた。

 

 東から聞いた驚愕の仕様――血液よりも、精液の方がより多くのウイルスを取り込めるというもの――である。

 

 それを聞いたマリカは激怒した。

 不特定多数の男に犯されてきたというのに、更に身元はハッキリしている相手とは言え、また犯されろというのだから当然だろう。

 

 カーラとしては怒りよりも疑問や疑念の方が大きかった。

 そのような仕様では相手から不信感や不興を買うばかりで、とてもではないが建設的とも合理的とも言い難い。

 ここ数日、虎太郎という人間に触れてきた所感では、彼は徹底した合理主義であり、冷徹なまでの効率主義。より確実な方法であれば、己の命すら簡単に天秤に賭けられる破綻者。そんな彼が関わって作られたにしては、余りにもそぐわない仕様である。

 

 

『うるせー! オレだって何でこんなのにしたか聞きてーよぉ!! 誰がこんな面白可笑しい仕様にしろっつったよぉ!! 嫌がらせも大概にしとけやぁあぁぁあぁああぁ!!!』

 

 

 もっとも、彼のそんな魂の叫びとソファから跳ね上がってどっかんどっかん天井に頭突きを噛まして穴を開ける姿を見れば、疑問も疑念も吹き飛んでしまったが。

 マリカはマリカで、虎太郎の奇行に目を丸くし、口をあんぐりと開けて驚きを隠せず、怒りも忘れて追及すら出来ない有り様であった。

 

 ただ、その仕様の効果は理解できた。

 東が身を以て体験した、と包み隠さずに語ったからである。

 事実として、東の肉体から癒着前の寄生蟲は完全に排除されていた。その結果か、肉体に現れた変化も正常な状態へと戻っているようだ。

 

 寄生蟲が完全に癒着してしまった二人にはどれだけの効果があるかは分からないが、何もしないよりはマシだ、とも。

 

 東としては、虎太郎を筆頭とした対魔忍よりも、自分達の方が心情的には近い。

 わざわざ彼の肩を持つ必要など何処にもない以上は、信用してもいいだろう。

 

 ただ、不安であったのは、再び男に身体を汚される屈辱に耐えられるかどうか。

 

 身体を許すことに不満はあれども、拒絶は出来ない。

 血を吸わないと決めたのは、あくまでも意地だ。此処には国民はいない以上、彼女自身の我儘と大差はなく、虎太郎が付き合ってやる謂れなど何処にもないのだから。

 

 様々な不安を抱えながらも、カーラは受諾を決めた。

 意地を張り通した上で、グラムからの支配に怯える必要性がなくなるのであれば、これ以上ない結果である。

 

 けれど、時間が立てば立つほどに。

 しかし、一人で居れば居るほどに。

 

 不安で押し潰されてしまいそうになる。

 一人で居れば、王としての仮面を被ることも出来ない。王は孤独であれども、王道を示す民が居てこその王。今の彼女は、何処にでもいるような少女のようなもの。

 

 身体を許すのが怖い。

 痴態を晒すかもしれないのが怖い。

 屈辱に耐えられるか分からないのが怖い。

 またしても誰かの傀儡になるかもしれないのが怖い。 

 

 グラムに刻まれた心の瑕は、カーラを責め苛む。

 この点では、彼の目的の一端――カーラを貶めるという下卑た欲望は達成されていたかもしれない。

 不安と恐怖から震え出す身体を押さえ込むようにカーラは己の身体を抱きしめた。

 

 その時、扉をノックする音が部屋の静寂を揺るがした。

 もうそんなに時間が立っていたのね、とカーラは、はっとして面を上げた瞬間から、女王としての仮面を被る。

 

 

「はい、どうぞ」

 

「邪魔するよ」

 

 

 カーラの入室の許可を確認すると、虎太郎は不遠慮にすら見える態度で部屋の中へと上がり込む。

 嫌々、と言うよりも寧ろ、気不味そうな顔で頭を掻いていた。

 

 彼としても不本意なのだろう。

 東を抱いたのは作戦上、彼女の戦力が必須だったからに過ぎない。

 確かに、カーラやマリカを抱いた方が、より安全であるのは認めざるを得ない。

 

 だが、自他ともに認める女好きの彼であるが、抱く必要のない、抱かれる意志のない女を組み敷くのは頂けない。

 それでは自慰行為と大差がない。互いの求めるままに、互いに気持ちよくなること。一人では出来ない情交と快楽の交換こそが、性交の本質だと結論するが故に、僅かでも一方的であっては彼にとっては作業や自慰に成り下がる。

 

 

「………………」

 

「その、なんて言えば、いいのか……ごめん、なさい……」

 

「はぁぁ……いや、謝るのは此方の方だ。そもそも、あのマッドがこんな馬鹿みたいなウイルスを作らなきゃ、こんなことにゃならなかったんだからな」

 

 

 じろり、と虎太郎に一瞥され、カーラは訳の分からないままに謝罪していた。

 取り繕った筈の仮面ですらが、意図しないままに脆くも崩れ去ってしまう。

 

 そんな彼女の内心を見抜いたのか、余計な気を使わせたと虎太郎もまた謝罪を口にした。

 

 少なくとも、この現実へと至った責任のある人間はいないのだ。

 悪いのは全部桐生である。そして、彼は今、五車学園で新たな研究素材を手にした喜びと北絵と隼人学園関係者の治療でヒーヒー言っている。

 喜びもある、仕事もある。紫がとっくの昔に虎太郎の女になっている以上、正に人生の絶頂期と言えよう。後は堕ちるだけだ。ざまぁない。

 

 カーラを不安にさせるような態度ですら、八つ当たりに過ぎないと断じ、虎太郎は全ての不満を封殺してベッドへと向かっていく。

 

 

「ベッドに横になれ」

 

「え、えぇ……分かっ、たわ」

 

「違う。服を脱ぐ必要はない。そのままだ。そのまま横になるんだよ」

 

「――――え?」

 

 

 虎太郎の言葉に、いよいよか、と暗澹たる気持ちで服に手をかけたカーラは、予期せぬ言葉に硬直した。

 困惑しか浮かんでこないだろう。気分は沈んでいたが、覚悟は決めてあったのだ。彼女にしてみれば、急に梯子を外されたようなものだ。

 

 言葉も出てこないカーラを尻目に、虎太郎は部屋に備え付けられているソファを見繕うと、そのままベッドの脇にまで持ってきて腰を下ろす。

 そのまま顎をしゃくり、早く横になれと命じ、困惑しきりの彼女は従わざるを得なかった。

 

 

「あの、これは……」

 

「元々、今日は手を出すつもりはなかった。アンタはまず、心を快癒させる必要があるからな」

 

「………………」

 

「安心しろ。アンタが本当に覚悟を決めるまで手を触れるつもりもない。それだけの時間の猶予はある筈だ。オレの言葉にだけ耳を傾けろ。瞼を閉じて、身体から力を抜くんだ」

 

 

 手を触れるつもりはない、と聞いた瞬間、カーラの心に広がったのは安堵であった。

 覚悟を決めた振りをして、その実、何の覚悟もしていなかった自分に不甲斐なさを抱きながらも、彼女は彼の言葉に従っていた。

 困惑も、自己嫌悪もすぐに忘れていたのは虎太郎の声音が、普段の冷徹な響きなど聞く影もなく、驚くほどの穏やかさに満ちていたからだろう。

 

 虎太郎は意図的に声音や所作の律動を、1/fゆらぎに持ってきていた。

 ピンクノイズとも呼ばれるそれは、人の心拍の間隔や小川のせせらぎ、蛍の光り方など自然界にも多く存在し、科学的な実証はされていないものの、ヒーリング効果があると言われている。

 

 

「息を吸って、吐いて、吸って、吐いて。そう、ゆっくりだ。身体が溶けて、皮の中身が水になったようにイメージして」

 

「すぅ……はぁ……すぅ……ふぅ……」

 

 

 加えて、呼吸を睡眠時のものへと合わさせていく。

 

 虎太郎が行おうとしているのは、独自に見出した催眠療法だ。

 催眠療法は、有効性が認められた精神療法の一種。もっとも、彼が用いるのは正規の催眠療法士が用いるものではなく、兎に角、リラックスさせることにのみ重点を置いたものだった。

 

 しかし、そう簡単にはいかない。

 カーラは虎太郎の能力を認めてはいたものの、信用しているわけではない。

 まして、彼女は今や男に対して無意識の内に、強い警戒心を抱いていた。生半可なことで催眠状態に入るほどにリラックスできない。

 

 だが、虎太郎は、とても嫌々やっているようには思えないほど穏やかに根気強く、カーラへと声をかけ続けた。

 

 

「今は、どんな気分かな……?」

 

「……何だか……ふわふわ、するわ…………でも、それが不安になるの……」

 

「そうか。その状態になれば、普通なら安らぎを感じるものだが、不安を感じているのなら、アンタの精神状態が良くないということになる。だから、自分が今まで生きてきた中で、一番穏やかだった時を思い出すんだ」

 

「穏、やか……でも、そんなの……」

 

「もっと、オレの言葉に耳を傾けて。深く深く、自分の記憶を探ってごらん」

 

 

 まるで身体が宙へと浮かんでいるような心許無さに、カーラは素直に不安を漏らした。

 しかし、虎太郎は焦らずに、また彼女の自覚していない彼女自身を包み隠さずに伝え、快癒に必要な記憶を探らせていく。

 

 催眠療法の手法の一つとして、本人すら自覚していない原因を探るものもあるが、此度は違う。

 カーラの傷ついた原因ははっきりとしており、本来であれば彼女自身の強さと克己、時間のみが心の傷(トラウマ)を癒やすものだ。

 だからこそ、今回はカーラの心に栄養を与える。無理に傷を塞げば、心に歪みが生まれ、予期せぬ害悪を生むものだ。自然に治っていく傷を、ほんの少しだけ早く、傷跡が残らないように手助けするだけ。

 

 

「あぁ……そういえば……ずっと昔、母様とマリカと一緒に国の花畑で遊んだことが、あったわ……マリカったら、昔から堅苦しくて、意地っ張りで……そんな彼女を見て、私も、母様も、笑っていた……」

 

「そうか。ソイツは素敵な記憶だ。良い思い出だ。もう終わった過去だが、今日はその夢を見るといい。安心おし、悪夢に変わり始めたら、すぐに起こしてやるからな」

 

「…………すぅ…………すぅ…………」

 

 

 虎太郎の言葉が終わると、カーラはすぐに静かな寝息を立て始めた。

 何処か強張っていた表情は解きほぐされ、まるで陽だまりの中にいるかのように穏やかだ。

 

 九郎の調査によって、カーラの母親は既に死亡していることは分かっていた。

 どのような過去を想起しているのか、どのような夢を見ているのかは虎太郎に知る由もなかったが、推測するのは容易い。

 今、カーラが見ているのは、間違いなく穏やかな記憶に相違ない。彼女が王として戴冠する以前、まだ王としての教育を受ける以前の、ただの少女として生きていられた時代なのだから。

 

 

 虎太郎は約束通り、カーラに指一本触れることはなく、かと言って穏やかな寝顔を眺めるような無粋もせず、カーラが心の傷に起因する悪夢へ堕ちた時に備え、眠ることもなくただ静かに瞼を閉じるのであった。

 

 

 

 

 



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『ご褒美の時間だと思った? 残念、苦労との間の子でした!』

 

 

 

 

 

「………………ん」

 

 

 瞼を超えて眼球に染み渡る白い光に、カーラの意識は覚醒する。

 一番始めに視界に映ったのは、染み一つない天井とカーテンの隙間から薄っすらと漏れる陽光だった。

 

 グラムの支配から逃れてからの数日は睡眠が常に浅く、数時間で目が覚めたと思えば全身が汗でじっとりと濡れているのが常だった。

 意識の覚醒は牛歩のように遅く、目が覚めたら覚めたで、全身が鉛に変わってしまったかのように重く、身体を起こすことすら億劫であった。昼日中など、眠気を覚えて思考が定まらないの繰り返し。

 

 だが、今日はどうだ。

 覚醒は速くはなかったが、思考の霞が晴れるのは快適そのもの。手足は羽毛のように軽く、ベッドから起き上がることも苦にならない。

 ふと自分の身体を見下ろせば、毛布が掛けられていた。まさか、こんなにも深い眠りに付けるとは考えてはいなかったからベッドに潜り込まなかった。虎太郎が掛けたのだろう。

 

 其処で、眠る直前までその場にいた筈の虎太郎へと思い至ったカーラであったが――

 

 

「――――おはよう」

 

「…………っ」

 

 

 ――突如として掛けられた朝の挨拶に、驚きからビクリと肩を震わせた。

 

 カーラの驚きも当然であった。虎太郎は昨夜のソファから動かずに其処に居たのだから。

 ソファの肘掛けに頬杖をついて脚を組み、瞼を閉じたまま語りかけてくる虎太郎に、カーラは驚きに続き、呆れを抱いてしまった。

 

 完全に眠りの世界に堕ちる直前、悪夢に変わり始めたのなら、すぐに起こしてやると言っていた気がしたが、様子を見て自分の部屋に戻ればいいものを朝まで待っていたらしい。

 無論、これが単純に他者を気遣う優しさによるものではなく、自ら口にした言葉を忠実に守ることで信頼を得る、打算有りきの行為であることは、カーラも察していた。

 

 しかし、何も完璧に気配まで消すことはなかろうに。

 カーラの五感ですら捕らえきれぬ隠形術。確かに視界の端には映っていたのだろうが、気配がなさすぎて置物となんら大差のないレベルであった。

 

 その律儀さにカーラは笑みを溢した。

 彼ほどの技量であれば偵察や潜入に使用すべき技術を惜しみなく使い、優しさなど一片もないままに気遣いを見せる妙な律儀さは、何となしに可愛らしく映ってしまう。

 

 一晩中、眠りもせずに気配を消しながら、カーラの様子を探っていたであろう虎太郎だったが、瞼を開き、顔を向ける動作に眠気など一切ない。

 昨晩聞いた穏やかな声音は見る影もなく、無機質で冷徹な視線をカーラへと向けた。

 

 

「よく眠れたようだな。睡眠不足による眼球の充血も見られない。肌の張りも、血色もいい。質のいい睡眠が取れた証拠だ」

 

「ええ。身体も軽いわ。久し振りに、懐かしい夢を見た気がするけれど、それを思い出せないのが少し残念」

 

「吸血鬼も脳の構造は、人の脳と変わらない。睡眠で得られるものに違いはあるだろうが、夢を見るメカニズム自体は基本的に変わらない筈だ。夢を見たが思い出せないということは深く眠っていた時間が長かった証だよ」

 

 

 夢は、特殊な能力によるものでなければ、通説として記憶の整理であると言われている。

 整理が行われるのは決まって浅い眠りの間であり、脳が軽く運動をしている状態に等しい。夢を見ない、見たとしても覚えていないということは、深い眠りにあった証なのだ。

 

 虎太郎はカーラを一瞥しただけで肉体や精神状態を把握すると、ソファから立ち上がる。

 腕や肩、首を回すと、凝り固まった関節がパキパキと小気味良い音を鳴らした。本当に一晩中、地蔵のように身動ぎ一つしなかったのだろう。

 

 

「7時前か。そろそろ神村も、クリシュナも起きてくるな」

 

「…………そう言えば、朝食の用意はどうしましょうか。食堂の者もいなくなってしまったし」

 

「オレしかいないだろ、料理できる奴」

 

 

 吸血鬼は人間よりも長い期間、絶食していても問題はない。

 元より血液を主食とするからか、或いは人間よりもエネルギーの摂取効率が良いのか、消費するエネルギーが少ないのか、はたまた貯蔵できるエネルギーが多いのか。

 兎も角、人間と同じ間隔で食事を繰り返す必要はない。また、カーラは虎太郎の血を吸ってからそう日が経ったわけでもない。腹が減っていないから、其処まで気が回らなかったらしい。

 

 人外らしい食事に対する頓着の無さに呆れながら、隼人学園に残された者の中で唯一料理と呼べるものが作れるのは自分だけ、と虎太郎は嘆息した。

 

 カーラはヴラドの女王。

 ヴラドは貧困とは程遠い小さいながらも豊かな国だ。豊富な地下資源もあれば、ヴラド産の食品は通の間では人気であり、経済的な余裕もある。

 女王自ら調理場に立つほど逼迫した懐具合でもなければ、人材不足でもない。侍女やお抱えの料理人が身の回りの世話をする故に期待など出来ない。

 

 マリカも東にしても似たようなもの。

 両者共に戦いを生業とする者であるが、家柄は相当に良い。クリシュナ家は代々、王の近衛騎士を努めてきた貴族階級であり、神村家は長らく続く退魔の家系。

 親元を離れた東はズボラな性格故に自炊などしたことはないだろうし、マリカはマリカで王の補佐は出来ても、炊事洗濯など下々の者が行うべき雑務という認識であるはずだ。期待をする方が間違っている。

 

 であれば必然、白羽の矢が立つのは虎太郎である。

 生まれは兎も角として、乞食・浮浪者に等しい幼少時代を過ごし、長らく一人暮らしを続けてきた彼しか出来ないだろう。

 また面倒事が増えた、と虎太郎は肩を落とした。家事は出来るが、嫌いであることを如実に表している。

 

 

「なら、私も手伝うわ」

 

「え? 出来るのぉ?」

 

「まあ、その、初めてだけれど…………働かざる者、食うべからず、が北絵の方針よ。郷に入れば郷に従えと言うのも日本の諺ではなくて?」

 

(それは大いに賛同するけど、適材適所ってあると思うの……)

 

 

 カーラにしてみれば虎太郎への感謝のつもりだったのだろう。

 北絵不在の間、東に代わって学園の運営に申し出たが、それはあくまでも北絵のためであり、学園のためであった。そう考えれば、虎太郎には何も返していないも同然だ。

 

 虎太郎にしてみれば、要らぬ気遣いであった。

 そもそも、カーラの身に陵辱が降り掛かったのは、自身がグラムの行動を黙認した所為だ。

 グラムを完殺するために必要であったとは言え、被害者にしてみれば元凶の一つと認識したとしても不思議ではない。

 殺されていない、糾弾されない、責任の追求をされないだけで十分過ぎる報酬だ。

 

 

「しっかし、いいのかなぁ、女王様にこんな事させて……」

 

「私自身が構わないと言っているのよ、何の問題もないわ。それに、新しい体験と言うものは胸躍るものがあるわ」

 

「そうか。じゃあ、お言葉に甘えて。着替えてから食堂の方に来てくれ。準備しておく」

 

 

 虎太郎は微笑むカーラに手を差し出し、ベッドから立ち上がるように促す。

 カーラはトラウマから生まれる男に対する忌避感から、きっと拒絶してしまうと思っていたが、彼女自身も驚くほど自然に差し出された手を取っていた。

 彼の行動や姿勢は信頼を勝ち取るには十分であり、カーラが心を許すには申し分ないものであった証左だ。

 

 この後、カーラは初めての体験に悪戦苦闘。

 何とか出来上がった朝食は、不揃いのお握りと味が薄く、具が固い味噌汁という悲惨なものであった。

 だが、東からは女王様の手作りなんて珍しい、虎太郎からは初めてにしては上出来、と概ね好評であった。

 

 ――――女王たるカーラを調理場に立たせる不遜極まる行為に、虎太郎がマリカからしこたま怒られたのは、また別の話だ。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 あれから一週間の時間が過ぎた。

 

 幸いというべきか、カーラの精神と肉体共に順調に快方へと向かっていた。

 何より顕著だったのは、無意識の内に抱いていた男に対する嫌悪感や忌避感を払拭し始めていたこと。

 何処かよそよそしかった態度や仕草、ふとした瞬間に見せる怯えた表情は見られなくなり、彼女本来の笑みが多くなっていた。 

 

 新しい体験とした料理も、元々舌が肥えていたカーラには素養があった上に、これまでの経験にはなかった新鮮さに今では虎太郎と共に三食を作るほどだ。

 今では炊飯器の使い方や味噌汁の作り方程度は誰の手を借りることもなく行える。カーラの熱心さと勤勉さには東も舌を巻くほどであった。

 

 ただ、マリカと東をやきもきさせたのは、カーラと虎太郎の距離が、精神的にも物理的にも縮まっていたことか。

 今や、二人の間に会話が途切れることはなく、冗談まで飛び交うほど。元々、気難しい性格ではないカーラではあったが、男と此処まで親しくなるのは稀でもあった。

 

 マリカは、対魔忍などという汚れ仕事の代行者の上、人間の男にカーラが心を許すのは気が気ではなかった。

 東は、自分でも訳も分からないままに、二人が肩と肩が触れ合いそうな距離で談笑しながら料理をしている姿を見ているのに胸がチクチクと痛んでいた。

 

 カーラ自身も信じられない事態であった。

 予てより家臣から世継ぎを望まれ、見合いのような事も繰り返してきたが、どうにも相手の男に何の興味を持てなかったのは事実だ。

 彼等の言葉も外見も、取り繕って飾り立てられているばかりで中身がない伽藍堂にしか思えなかった。

 女王としての仮面を被ってきたからだろう。彼等が興味があるのはカーラ個人ではなく、カーラの持つ地位にしか目を向けていなかったのだ。そんな相手に、興味など持てようはずもない。

 

 その点、虎太郎は興味の対象であった。

 彼の語る言葉は、不思議とストンと胸に落ちる重みがあった。経験を伴った言葉だからだろう。空々しさや、形ばかりの言葉とは訳が違っていた。

 ともすれば、二十の半ばに過ぎない彼は、長い時を生きてきた自分よりも多くの経験を重ねてきたのではないか、と錯覚してしまうほどに。

 

 彼の言動も、行動も、強さも全ては経験に根差したもの。

 一体、どのような経験を繰り返せば、彼のような人間になるのか、興味が尽きない。 

 

 何よりも女王としての彼女を尊重し、受け入れながらも、カーラ個人として接してくれている。そんな相手は本当に貴重で、気を引かれるのも無理はない。

 

 

「……はぁ……はぁ……くぅっ……」

 

 

 ただ、問題であったのは、これから虎太郎と二人きりで取り留めのない会話を楽しみ、また彼の声に誘われて眠りの世界へと落ちていく予定だと言うのに、体調が急激に悪化してしまったことか。

 

 身体が燃えているかのようだ。

 全身余す所なく鋭敏化しており、乳首も乳輪から勃起して服を押し上げている。

 漏れる吐息は欲情で濡れそぼり、服が地肌を擦れるだけで身悶えを抑えられない。

 

 

(寄生蟲が目覚めた、わけではないわね……これは、アムリタの禁断症状。今になって……!)

 

 

 ウイルスの生存期間はまだ一週間はあるし、身体が自由に動く時点で寄生蟲によるものではない。ならば、この発情状態はアムリタの禁断症状と見るのが自然だ。

 

 アムリタは吸血鬼の血液を特殊な製法によって凝縮したもの。ただ吸血鬼の血を飲んだとしても、此処までの異常は発生しない。

 効果も魔界製の麻薬に劣らず、禁断症状もピカ一である。

 通常の麻薬よりも遥かに強い幻覚、空虚感、虚脱感は勿論のこと、肉体面に関しては強烈な発情を催し、人間であれば細胞の急速な老化まで発生する。

 

 今までカーラが禁断症状に襲われなかったのは、初めて血を吸ったことで吸血鬼として飢餓状態から開放され、身体調整機能や自己回復機能が跳ね上がっていたからに他ならない。

 しかし、それも此処まで。禁断症状に立ち向かうために無意識にエネルギーを消費し、彼女は再び飢餓状態へと陥った故に、禁断症状が顔を覗かせたのである。

 

 

(…………もう、覚悟を決めるしかない、わね)

 

 

 ベッドに横たわったまま、興奮から紅潮した顔を左腕で覆い、牡を求めて疼く子宮を鎮めるように下腹部を右手で撫で回す。

 

 男に身を任せる恐れはまだあった。

 それはそうだろう。自分の意思や感情の介在せぬままに快楽で翻弄され、痴態を晒すなど誰であれ望ましいものではなく、楽しいものでもない。

 

 だが、それでも――――頭に思い浮かぶ男であれば、それも構わないと思えている自分が居た。

 

 ある種の覚悟が決まり始めた頃、タイミングを見計らったかのように、部屋のドアがノックされる。

 

 

「はい、どうぞ」

 

「邪魔するよ」

 

 

 初日と全く同じやり取りと共に、虎太郎は部屋へと上がり込んだ。

 不様な姿を晒すまい、とカーラはふらつきながらも身体を起こし、ベッドの縁と移動する。この一週間、常にこうして迎え入れていた。

 

 自身を出迎えたカーラの朱に染まった表情を見るや否や、虎太郎は片眉を持ち上げた。

 こういった症状や媚薬の効能は腐るほど目にしてきたのだろう。さして珍しいものではないとでも言いたげに、すぐさま表情を元に戻す。

 普段であれば、ベッドの脇に置きっぱなしの椅子に腰掛けるところであったが、虎太郎は腕を組んで壁へと寄りかかった。明らかな望まぬ発情と興奮で濡れる表情にありながら、その瞳だけは覚悟を讃えていたからだろう。

 

 

「その様子じゃ、腹は括ったようだが――――本当に、構わないのか?」

 

「構わないわ。貴方になら、身を任せられます。ただ、マリカは……」

 

「あぁ、そっちの方は気にしなくていい。アムリタの後遺症への対応はしている。状態は、アンタよりもいい。勿論、同じ対応をしようと思えば出来るが……」

 

「いえ、どの道、遅いか早いかの違いでしょう?」

 

「まあ、それもそうだがな」

 

 

 熱と興奮で浮かされ、思考もまともに定まらない頭の片隅で腹心であるマリカの表情が消えてなくならない。

 あの頑固で意地っ張りの性格では、そう簡単に虎太郎に身を任せる筈もない。こんな苦しみの中、一人堪えているかもしれない現実に、カーラはそれこそ堪えられない。

 

 だが、薬によるものか、或いは自身の知らない技法によるものか、マリカの方にも対処してくれているようだ。

 この一週間、マリカに微細な変化すらなかった。虎太郎への態度が軟化することなどなかったが、それが今は逆に安心感を覚える。少なくとも、マリカを傷つける口に出せないような対応ではないことの証となるのだから。

 

 そして、当に腹を括ったと言うのに、今になってそんな事実を明かして確認を取る虎太郎の律儀さに笑ってしまう。

 マリカに対して既に行動を起こしている点、アムリタの後遺症が発露している点を黙っていたのは、自身に余計な心配を抱かせないためだと嫌でも分かる。

 身体にせよ、心にせよ、治すのであればまずは己を第一に考えねばならない。其処に心労の要因があれば、治るものも治らなくなる。

 打算によるものだとしても、その心遣いはカーラにとって嬉しいもので、覚悟を深めるには十分過ぎるものだった。

 

 自分の意思から離れつつある身体を押して、ベッドから立ち上がる。

 虎太郎も意図を察したらしく、無言のまま背を向けると背広を脱ぎ、ネクタイの紐を緩めて服を脱ぎ始めた。

 

 はぁ、と身体に堪った熱を吐き出すように息を漏らし、カーラもまた服へと手をかける。

 まずはブーツを、と身を屈めたのだが、上手く行かなかった。衣服に擦れるだけで官能が高ぶる身体は意のままにならず、容易くバランスが崩れてしまう。

 

 

「――――あ、んんっ♡」

 

「大丈夫か?」

 

「んっ、ふぅっ、ふっ、え、ええ、ありがとう」

 

 

 床へ倒れ伏しそうになった身体に、男らしい太い腕が巻き付き、転倒は避けられた。

 ただ、床に倒れる不様を見せてしまった恥ずかしさよりも、驚きと異性の感触に漏れてしまった甘い声にカーラはただでさえ赤い顔を更なる朱に染め上げる。

 

 官能は高ぶるばかりで自分さえ見失いかけていた。

 吸血鬼の嗅覚で感じる男の香りは、いっそ獣臭とさえ捉えてしまいそうに関わらず、身体が歓喜で震えているのが分かる。

 

 

「ご、ごめんなさい。ふらついてしまって……」

 

「吸血鬼だから死ぬことはないだろうが、危険な状態だと自覚した方がいいぞ。下手をすれば、発狂しかねないんだ。手伝うよ」

 

「で、でも……」

 

「女王様なんだ。お召し物を脱がされるのも、着せられるのも慣れっこだろう?」

 

「もぅ……殿方に着替えを任せた覚えなんて、ないわ」

 

 

 くつくつと漏れる笑い声と冗談に、カーラは拗ねたように口唇を尖らせる。

 本当に、嫌になるほど女の扱いが巧い。彼女はそれが腹立たしくあったものの、僅かに残っていた筈の不安も気の重さも霧散してしまう。

 

 カーラの背後に回った虎太郎は、彼女のワンピースドレスを押さえるベルトに手をかけた。

 まるで果実の皮を剥いていくように遠慮の無さにも関わらず、身に傷一つ付けまいとする繊細さは一流の料理人のようだ。

 背中が大きく露出し、胸の谷間から臍が露出する大胆なドレスであったが、生来生まれ持ち、更には教育によって強固かつ完璧になったカーラの品性によって下品さは微塵も感じられない。

 

 首のスカーフを解き、その下にあった留め金を外すとドレスはするりと足元に堕ちた。

 

 露わになったのは、薄いボディストッキングで包まれた月の女神と見紛う、目も眩むような美しい肢体だ。

 ウエストは女性としての脂肪は残しているが綺麗に括れ、ただでさえ豊満なバストとヒップをより強調しているかのよう。

 ボディストッキングのみで支えられた胸の頂点では限界まで隆起した乳首が布地を押し上げ、下着で包まれた尻は雄を受け止められるように厚い。どちらも成熟し、孕み頃の雌であると示していた。

 

 どんな男であっても虜になってしまいないかねない完成度を誇る肉体は、魔の代名詞である吸血鬼にして女王に相応しい。

 無論、虎太郎も欲望が鎌首を擡げたのは言うまでもない。彼もまた男、それも極度の女好きと自覚している。だが、自覚した女好きであるが故に、女への気遣いも自覚したものだった。

 

 自分の女を前にしてするように、生唾を飲み込むような真似はしない。不躾な視線も決して送らない。

 男の欲望は、女にとって悦びにも映れば、嫌悪を催す下卑たものにも映る。

 

 生きている以上は欲望がついて回り、そもそも欲望に貴賤などない。問題は発露のさせ方と相手との関係性だ。

 より近しい関係であれば、どのような発露をさせても受け入れられるが、カーラの関係は近しいと言うよりかは親しいに留まっている。

 此処で品のない真似をすれば、今まで培ってきたものが全て台無しだ。だからこそ、壊れ物を扱うように優しく、ただひたすらに優しく、カーラの心と同じく衣服を解く。

 

 

「んっ、ふっ……は、ぁっ、……んんっ……♡」

 

 

 限界まで官能の高まった身体は、カーラの意思に反して甘い吐息を漏らさせる。

 ボディストッキングに手をかける感覚ですらが、途方もない快楽として彼女を襲っていた。

 

 それだけではない。

 触れ合うほど近く傍によって虎太郎の息遣いや体温、体臭までもが興奮を呼び起こす。

 口唇を噛み締めて漏れる声のはしたなさに涙が溢れそうであったが、それ以上に鼓動が危険な域にまで達しているようで身体が震える。

 胸の内で脈打つ心臓の跳ね上がりは激しく大きい。鼓動は頭の中で何百と反響しているかのようだ。それが不安や恐怖によるものではなく、期待によるものと自覚して、更に羞恥を煽った。

 

 支えられていたボディストッキングから開放された両胸は、柔らかさを示すようにぷるりと揺れ、張りを示すように型崩れすることなく同じ形状を保っていた。

 処女雪のように白かった全身の肌は、羞恥と興奮からほんのりとした桜色を帯びている。

 

 最後に残った砦は、発情と期待の愛液でクロッチが汚れた黒いリオカットショーツだけ。

 カーラを生まれたままの姿にしようと、ショーツに手を掛けたその時――――

 

 

「…………ま、待ってっ」

 

 

 片手で両胸を覆ったカーラは、空いたもう一方の手で虎太郎の手首を掴み、動きを制する。

 骨が軋む程の力に虎太郎が痛みを覚えるよりも早く、彼女は慌てて力を緩めた。

 

 

「ご、ごめんなさい。その……」

 

「大丈夫、聞いてる。東の身体も見た。カーラは、此処なんだな?」

 

「そう、よ。気味の悪い形をしていると思う、けれど…………い、ひぃっ♡」

 

 

 虎太郎の腕が身体に回され、抱き竦められた状態で下腹部の上から子宮を撫でられる。

 優しい手付きは、もっともっとと強請る子宮を宥めるかのようだ。

 地肌と地肌が触れ合い、相手の熱が直に伝わってくる。それだけで全身に鳥肌が立ち、身体から力が抜けていく。

 

 思わず虎太郎の身体にもたれ掛かり、背中を預けてしまう。

 更に相手の存在をはっきりと、より色濃く感じ取り、もうコレ以上大きくならないと思っていた乳首と陰核は震えながら大きさを増していった。

 最早、今までとは質の違う快楽にカーラは抵抗の余裕すらなく、また虎太郎の力強い言葉に抵抗する気すら起きない。

 

 虎太郎に任せるままショーツを降ろされる。

 露わになったカーラの女陰は愛液によってしとどに濡れていた。しかし、カーラが気にしていたのも、誰の目を引くのも其処ではない。

 

 ――ひくひく、とそそり勃つ陰核。

 

 奇形、と呼んでも差し支えない。

 太さも長さも人差し指には及ばないが、まるで男根を想起させるようにクリトリスの形状が変わっている。

 

 これがグラムの陵辱の証であり、寄生蟲がカーラの身体を改造した結果でもある。

 淫らで醜い改造を見られ、カーラは口唇を噛み締める。もう当に終わった叔父に対する憎しみは増すばかりだ。

 

 

「これは、辛かったろう。普通に生活するのも大変だ」

 

「え、えぇ、今日も、下着に擦れて、痛くて…………貴方は、大丈夫? 萎えてしまったりは……んんっ♡」

 

「何の心配をしているんだか。ほら、分かるだろう?」

 

「わ、分かったから、余り押し付けないでぇっ……」

 

 

 ズボンを押し上げて固く勃起した男根を、尻の谷間に押し付けられ、カーラは安堵した。

 異常肥大したクリトリスは見られたくなかった上に、虎太郎に気味悪がられると思っていたが、そんな心配は杞憂に過ぎなかった。

 

 自分が如何に興奮しているかを分からせるように、カーラの身体を抱きしめたまま、腰を振って怒張の存在を知らしめる。

 カーラは微弱な快楽から逃れようと身を捩ったが、より強い快楽を求めて尻を降っているようにしか見えない。まるで、もう我慢出来ないとでも身体が叫んでいるかのようだ。

 

 

「大丈夫、元に戻る。任せておけ」

 

「――――きゃっ」

 

 

 突然、地面が消失し、急な浮遊感からカーラは悲鳴を上げた。

 虎太郎は彼女の膝裏と背中に手を回し、身体を抱き上げたのである。

 

 そのまま、ベッドへと上ると硝子細工を扱うように優しく、カーラを仰向けに寝そべらせた。

 

 

「じゃあ、これから本物のセックスを教えてやるからな」

 

「……本物の、セックス」

 

「まずはキスからだ。真似をしてみるといい」

 

 

 これまでの陵辱は児戯や自慰の類に過ぎないと断言する言葉に、ゴクリと喉が鳴った。

 陵辱は屈辱に耐える拷問に等しかったが、快楽に嘘はなかった。何せ、それが嘘であれば籠絡も不可能、傀儡にするなど夢のまた夢だ。

 それを超えるものとはどんなものなのか。想像も出来ない領域に、期待から生唾を飲み込むはしたなさに、恥ずかしさから顔ごと視線を逸らしたが、虎太郎に顎を持たれて向き直される。

 

 

「んむっ…………はっ、はっ……♡」

 

「ほら、今度はカーラがキスをしてくれ」

 

 

 口唇と口唇が優しく触れ合うだけのキス。

 余計な欲望を介在させず、相手への思いだけを伝えるための口付けに、カーラは全身を震わせた。

 口唇から伝わってくる感覚に、自分の女が完璧に目を覚ましたような気さえした。頭の最も深い部分に電流が奔り、子宮が慄くのがよく分かった。

 

 虎太郎は自らの左手でカーラの右手を取ると指を絡め、カーラもそれに倣い、言葉と自らの欲望に従うまま、自ら口唇を押し付ける。

 

 

「んんっ……んっ……ちゅ……んむっ、ちゅっちゅ……♡」

 

 

 瞼を閉じ、少しでも相手の感触を確かめようと何度も何度も口唇を重ね合う。

 瞬く間にカーラの全身は汗で濡れていく。陵辱では決して得られない本当の女の快楽と幸せが花開いていくように。

 

 けれど、それも次第に物足りなくなった。

 もっと強く、もっと深くとせがむように。重ねるだけでは足りなくなったカーラは、自ら口唇を開き、虎太郎の口唇に吸い付いていく。

 

 

「んんんむっ♡ …………んれ、れるるっ、んちゅっ、こくっ、こくごくっ、れろっ、りゅれろ、れろろっ……♡」

 

(舌、入ってぇ……♡ こ、これが、虎太郎の味ぃ……♡)

 

 

 だらしなく開いた口唇を更に押し開くように虎太郎の舌が這いずった。

 口内に侵入してくる異物に、カーラは驚きから目を見開いたものの、一瞬で切れ長の目がとろんと蕩けていった。

 

 僅かに煙草の味が伴う唾液と共に、肉の帯が口腔を蠢き、あらゆる部分を舐め上げていく。

 舌の腹や裏は勿論、上顎や歯茎、口唇の裏側まで、思う存分に舐められる。

 舌が這う度にカーラは腰をピクリと跳ねさせ、新たに溢れる愛液に羞恥を覚えながらも、キスに没頭する。

 

 

「んれぇっ、んくっ、んちゅぅっ、んむむっ、れるれるっ、れちゅぅっ、はぅっ、むちゅちゅぅ……♡」

 

(凄い、馬鹿みたいに気持ちいい……キスが、こんなに凄いなんてぇ……あはぁっ、今度は私が……♡)

 

 

 虎太郎の舌が引き抜かれていくと、待ってと追いかけるようにカーラの舌が踊る。

 極上の快楽を教えてくれた感謝と愛おしさから強く手を握り、お返しとばかりに虎太郎の口腔に舌を滑り込ませる。

 

 初めてではないにも拘らず、初めてのような男の味。

 煙草の苦味と臭いを感じながら、自分がして貰ったように見様見真似であらゆる場所に舌を這わせた。

 

 

「はんっ、んふっ……んんっ……ちゅちゅっ……れる……れろろ……ろりゅ……んふっ、んふふっ……♡」

 

(う、上手くできない、けど……はっ、はぁ、虎太郎の息も荒く……♡)

 

 

 辿々しくはあったが情熱的な舌使いに、虎太郎の鼻息は荒くなり、カーラも荒かった鼻息は激しくなっている。

 思わず、嬉しくなってしまう。自分一人だけが感じ、よがっているわけではなく、虎太郎もまた感じている事実が、女としての自信となってカーラの舌使いにいっそう熱を込めさせる。

 

 

「んふっ、んん……れろるっ……るろろ……れろ、れる……んれぇっ……んえっ……ちゅぅううぅぅ……♡」

 

 

 一体どれだけの時間、舌を絡めていたのだろうか。

 顎に疲れを、舌に引き攣りを覚えた頃、カーラは娼婦顔負けの舌使いを身に着けていた。

 

 互いに口から舌を突き出し、虚空で絡め合わせる。

 児戯のようなキスは終わりを告げ、欲望と欲望を絡み合わせるような淫らなキス。

 カーラは続き、口内に舌を招き入れると、ちゅうちゅうと音を立てて吸い上げる。周りからの目など一切気にせず、ただ気持ちよくなりたい、ただ気持ちよくなって欲しい、と言わんばかりに。

 

 

「んむ、んちゅっ、ちゅちゅ、れるるっ――――んひぃっ♡」

 

 

 今度は散々絡め合い、草臥れかけた舌に吸い付かれ、甘く噛まれるとカーラの腰が跳ねた。

 ぶちゅり、と本気汁が秘裂から吐き出され、尿道口からは透明の潮が勢いよく噴き上げた。

 アムリタの後遺症によって感度が上がり、キスによって高ぶりに高ぶった身体は絶頂を迎える。

 

 キスだけでの絶頂、という初めての経験にカーラは目を白黒とさせながらも、与えられた快楽を逃すまいと全力で貪っていた。

 

 

「ひうぅ、はっ、はぁ……んれ、んえぇええぇぇっ……♡」

 

 

 呆とした意識の中で絶頂の余韻に浸っていたカーラは、舌を解放されたものの口内に収める余裕もない。

 それどころか顎まで互いの涎で汚したことに気にも留めず、もっともっとと強請るように舌を伸ばした。

 

 

「こ、虎太郎、も、もっと、キスゥ……♡」

 

「はは、悪い悪い。でも、これ以上はカーラが壊れちまうよ。キスだけじゃ満足できないからな。でも、素直で可愛かったぞ」

 

「あ、うぅ、は、恥ずかしいわ。あんな、はしたない真似、してしまうなんて……♡」

 

「でも、良かったろ?」

 

「ええ、とても。頭も身体も蕩けて、一つになってしまったみたいで。気持ち良くて、う、嬉しくて……」

 

 

 ちゅ、と頬にキスをされ、自分の痴態に照れを覚えながらも、否定はしない。

 はしたないと分かっていながらも、虎太郎への欲望を抑えられず、虎太郎の欲望に応えたかった。

 

 キス一つでこの有り様ならば、これから先はどうなってしまうのか。

 正気を失ってしまうのではないかという不安はあったが、それ以上に期待の方が大きかった。

 

 虎太郎の言葉は事実だろうという確信はあった。

 子宮にはマグマのようにドロドロとした女の欲望が渦巻いており、今すぐにでも破裂してしまいそうだ。全身はガクガクと痙攣し、明らかな限界を伝えてきていた。

 

 本来であれば、じっくりと愛撫をして身体の準備をするつもりであったが、これ以上はカーラが正気を失いかねない。

 そう判断した虎太郎は、ズボンと下着を脱ぎ捨て、同じく裸体となる。

 

 

「は、ぁぁ……ごくっ……♡」

 

 

 虎太郎の股間でそそり勃つ一物を目にした瞬間、カーラは甘い雌の吐息を漏らす。

 これまで見てきた男のそれが、全て粗末なものに思えてしまうほど大きく、凶悪で、逞しい。正に雄の象徴であった。

 

 カーラは剛直に釘付けとなり、牝の欲望のまま、またしても音を立てて生唾を飲み込む。

 

 

「じゃあ、挿れるぞ」

 

「はっ……ふっ……ふくぅうぅううぅうぅぅっっ♡」

 

 

 くちゅり、と熱い肉棒が割れ目に押し当てられ、カーラは何とか乱れる呼吸を整えようとしたが、挿入の瞬間に全てが無駄な努力であったと悟る。

 ぶちゅ、と本気汁を押し出しながら、奥へと進んでいく怒張の全てが分かる。まるで膣を蹂躙するために作られたような肉棒の侵入は、これまでの陵辱が児戯であったと知るには十分過ぎた。

 

 既にキスだけで開いてしまった身体は、虎太郎の一物が自分のために誂えられたものだと錯覚するほどに、鋭敏に感じ取る。

 亀頭の大きさも、雁首の高さも、鉄のような硬さも、長すぎる全長も、浮かび上がった血管ですらも。

 

 奥へ奥へと侵入し、襞の一枚一枚を丁寧に掻き分ける剛直に、カーラの意思と身体は完全に同調して潮を噴いて歓喜を示していた。

 コツン、と子宮口を叩かれるまでの間に、何度呼吸を忘れ、何度絶頂に達したか分からないほどだ。

 

 

「んっふっ♡ んふーっ♡ ふーっ♡ はっ♡ はぁーっ♡」

 

「我慢しないで、カーラの喘ぎ声、たっぷり聞かせてくれ」

 

「……おっ? おぉっ……おほっ♡ な、何っ♡ 何これっ♡ 知らない、こんなの知らないぃぃっ♡」

 

 

 こつこつと一定のリズムでポルチオを刺激され、カーラは獣のような声を上げた。

 小突かれる度に軽い絶頂が襲いかかり、子宮口が亀頭に吸い付き、引き伸ばされて離れる度にまたしても絶頂する。

 

 抑えきれない牝の声が迸り、膣は剛直を締め上げて、隙間からは本気汁が漏れる。

 目の前が真っ白になり、子宮から昇る快楽の電流が、頭のもっとも深い部分を掻き乱していく。

 

 虎太郎はカーラの上に覆い被さり、豊満な胸が胸板で押し潰されて形が変わり、改造されたクリトリスは下腹部に触れていた。

 

 

「ふににぃっ♡ はっ、こ、これ、ち、乳首も、クリトリスも擦れてっ♡ き、気持ちいい、気持ちいいきもちいいっ♡」

 

「喜んでくれて何よりだ。ほら、カーラのおまんこも喜んでるぞ」

 

「ぐちゅぐちゅ、音たてさせないでぇっ♡ うぅ、は、恥ずかしくて、もっと、気持ち良く、なっちゃうぅっ♡」

 

「カーラはマゾっ気があるなぁ。なら、もっと気持ち良くなってくれ」

 

「はっ、はひっ、いぃぃっ♡ はぁあっ♡ アうっ、ひィい、イクっ、またイクっ、ううぅうぅうぅっ♡ 波、引いてくれないぃいぃいいぃっ♡」

 

 

 度重なる絶頂の波に、カーラは悲鳴のような嬌声を溢す。

 しかし、それは明らかな悦びで濡れている。自分が喘ぐ度に、絶頂から膣をきつく締め上げる度に、中で脈動する肉棒が喜んでいたからだ。

 

 カーラは知らず知らずの内に虎太郎の背中に腕を回し、腰には脚が絡みついていた。

 

 

「ははっ、気に入ってくれたみたいだな。脚まで絡めてくるなんて」

 

「こ、これはぁっ、ふヒィィっ、身体がぁ、勝手にぃっ♡」

 

「それだけカーラのおまんこが悦んでくれている、ってことだろ。嬉しいよ」

 

「わ、私も、虎太郎のおちんぽがっ、喜んでくれて、嬉ひぃっ♡ はぁっ、んおっ、おほぉっ、た、堪らないのぉ♡ ふひぇぇえぇえぇっっ♡」

 

 

 虎太郎に合わせ、カーラもまた女王とは思えない下品な言葉を口にする。

 抽送されても、身体に抱きついても、乳首とクリトリスが擦れても、下品な言葉を口にしても、何をしていても絶頂に達してしまう。

 

 

「うヒィっ♡ 凄いっ、すごいすごいぃっ♡ ほんもの、ほんものセックス、凄すぎるぅっ♡」

 

「ふふ、それは何より、でも大丈夫か、カーラの此処、ヒクヒクしちゃってるぞ?」

 

「ひぃっ、ら、らめぇっ♡ こつこつ、もう止めてっ♡ き、気持ち良すぎて、ダメなのぉぅっ♡ でる、でるでるっ♡ でちゃうぅぅうううぅううぅぅっ♡」

 

 

 ヒクつく尿道口を指摘され、カーラは湧き上がっていたはずの感覚にようやく気付き、静止を懇願する。

 しかし、虎太郎はカーラの懇願になど耳を貸さず、優しいままの腰使いで速さだけを増し、執拗にポルチオを責め続けた。

 

 度重なる絶頂に緩みきった尿道は、容易く決壊する。

 

 

「んっへぇえぇっ♡ お、おしっこ、漏れてるぅっ♡ うへぁっ♡ ひぃ、ふぇぇええぇえっ♡」

 

「気持ちいいだろ? お漏らしするのも、見られるのも」

 

「ら、らめぇっ、こんなのらめよぉっ♡ う、うひぃっ、と、止まらないっ、おしっこ止まらな、ひぃっ♡ こ、こんなの、癖になるぅっ、うっへぁっ、はへぇっ♡」

 

「じゃあ、アクメしているところに、膣内射精(なかだし)キメてやるからな」

 

「あぁっ、ああっ、い、今、射精されたら、あぁぁっ、イってるっ♡ 今、イってるのに――――ほひぇえええええぇぇぇっ♡♡」

 

 

 最後の一撃は、虎太郎のものではなく、カーラ自らが招いたものだった。

 黄金水を吐き出し、虎太郎の下腹部に引っ掛けながらも、カーラの絡みついた両脚は腰を前へと引き寄せる。

 

 ゴツン、とすっかり開いた子宮口に亀頭がすっぱりと嵌まる。

 その瞬間、虎太郎の我慢が限界を迎えたのか、濃厚極まる白濁液が噴き出さした。

 

 

「はっへぇぇぇっ♡ で、射精でるぅっ♡ し、子宮に直に出てるぅううぅぅうッ♡ たまりゃないっ♡ こんなのイクしかないぃいいぃいぃッ♡」

 

「そんなこと言って、カーラも腰を振ってアクメを貪ってるぞ?」

 

「とめられるわけなひぃぃっ♡ とめられるわけ、ひぐぅううぅううぅううぅぅっ♡ ま、まだ射精るのぉっ♡ ひぃいいぃいいぃぃぃいいっ♡」

 

「あ、あちゅいっ、熱いっ♡ 虎太郎のザーメン、熱いぃぃいっ♡ と、蕩けてるっ、子宮、蕩けてるのぉっ♡ イク、子宮蕩けて、まらイクぅっ♡」

 

「あっ、あっあっあっ♡ おしっこも、アクメもとまらないっ♡ 乳首もイク、クリも、子宮もぉっ♡ あ、はぁっ♡ イッってるのに、イク、イッちゃうっ♡」

 

 

 もっと奥へと求めるように、カーラは絡めた脚に力を込めながら、同時に腰をくねらせる。

 よりよく絶頂に達するために、そしてよりよく射精を促す牝の仕草であった。

 

 もう彼女の顔に女王らしさはない、一人の女として、一人の牝として幸せを噛み締めている表情しか刻まれていない。

 口唇をふやけさせ、だらしなく舌を出し、涙や涎、鼻水まで垂らして、目尻を垂れ下げた蕩けた表情だ。

 

 

「はひっ、ふへぇっ、ひぅっ、あっへえぇええぇえぇぇぇええぇえぇぇえぇえぇぇえぇっ♡」

 

 

 びゅぐ、と一際激しい吐精に、カーラは身体を逸らしながらも、密着した身体を離すことなく深い深い絶頂へと達した。

 度重なる絶頂と多幸感から、カーラの身体からようやく力が抜け、手足が虎太郎の身体から離れ、ベットへと投げ出される。

 

 虎太郎は、恥じらいながらも余すことなく痴態を見せてくれたカーラの頬にキスをする。

 すると、カーラも茫洋とした意識の中でそれを感じ取ったのか、嬉しげに膣をきゅっきゅと締め上げ、亀頭を飲み込んだ子宮口で吸い付いてきた。立派な牝の仕草だ。

 

 

「ん、んひっ……はっ……はぁっ……ひゅ……ひゅーっ……はぁあぁっ……♡」

 

 

 ぐったりとしたカーラの身体から剛直を引き抜くと、その感覚だけでまた絶頂に達したのか、ぴゅっと潮を噴いた。

 

 カーラは動く気力すらないらしく、だらしなく開いた股を閉じもしない。

 潰れた蛙のような格好で、秘裂からは収まり切らない精液が、ごぽっ、ごぷぅっ、と泡と共に垂れている。

 

 暫くの間、虎太郎は怒張とカーラの秘唇を繋げる精液の糸も切らず、労うように下腹部を撫でる。

 それは、カーラが荒い呼吸と腰を中心に痙攣を繰り返しながら、やがて呼吸を整え、絶頂の余り瞳から失っていた光を取り戻すまで続いた。

 

 

「はっ、はぁ……ひ、酷いわ。女を、こんなに……は、恥ずかしかったん、だからぁ……」

 

「はは、悪い。でも、カーラも気持ちよかっただろう?」

 

「そ、それは、そうだけれど……んもぅっ……!」

 

 

 全身のだるさに身を任せながら、恥ずかしいと口にしながらもカーラは秘部を隠そうとはしない。

 それどころか、未だ衰えることのない剛直と虎太郎の表情を交互に眺めながら、くぃっ、くぃっ、と腰を振っている有り様だ。

 

 身体も心も、彼女の女全てが虎太郎を求めている。言葉にしなかったのは、最後に残った羞恥心からだ。

 

 

「精液は多ければ多いほどいい。続き、しようか」

 

「しちゃいま、しょうか……んくっ♡ もっと、本物セックス、たっぷり、ねっとり、みっちり、私に、教えてちょうだい……♡」

 

 

 もう何度目か分からない、期待による生唾の嚥下。

 二人の身体が密着し、ベッドの軋みと粘着質な水音、そしてカーラの牝声が響き渡るにはそう時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「ん……はぁっ……」

 

 

 様々な体液でべたつく全身をシャワーで洗い流しながら、カーラは一心地ついていた。

 

 結局、昨日の晩から今日の昼まで、虎太郎と交わり続けた。

 グラムの陵辱によって傷ついた女としての自信と誇りを癒そうとしていたのか。それとも、目覚めた女が虎太郎を求めていたのか、カーラにも判然としない。

 獣のように激しく突かれることもあれば、寝そべった虎太郎の上に跨って腰も振れば、自分の愛液や小便、虎太郎の精液の味を覚えながら嬉々として男性器を咥え込んだ。

 冷静になってみれば、頭を抱えたくなるような痴態であったが、虎太郎の気持ちよさそうに頬を緩め、快楽に堪える顔を思い出せば、恥じらいよりも甲斐はあったと悦びが勝っていた。

 

 最後には気を失い、今や時間帯はとっぷりと日が暮れている。

 ほぼ丸々一日、仕事を投げ出してしまったが、それでも東もマリカも姿を表さなかったのは、気を使ってのことだろう。明日の仕事量が増えてしまったが、自分と虎太郎ならば問題なく片付けられる量だ。

 

 

「んっ……んっ、ふっ……はあっ……♡」

 

 

 シャワーを浴びながらカーラは股を広げ、秘裂へと指を差し入れ、膣と子宮に溜まった精液を掻き出していく。

 指ではすっかり物足りなくなってしまった刺激であったが、それでも快感は快感だ。摘めるほどに濃い精液はまだまだ中にいたいと抵抗するかのようで、思わず喘いでしまう。

 

 折角、射精してくれたのに、という切なさと申し訳無さを感じながらも、それ以上に射精しすぎよ、という感想の方が勝る。

 指の動きに合わせ、溢れた精液はシャワーの湯に混じって太腿を伝い、膝を越え、足首に絡みついて、やがて排水口へと消えていった。

 

 

「ふっ、うぅ……もう、虎太郎ったら、こんなにいっぱい射精すんだから…………、虎太郎?」

 

 

 既に湯船へと浸かっている虎太郎に不満混じりの言葉を掛けたが、何の返事もないことを不審に思ったカーラは背後を振り返る。

 

 見れば、虎太郎は頭を支えることすら辛いと言わんばかりに、ぐったりと全身から力を抜いていた。

 無理もない。この一週間、自身のケアに付きっ切りの寝ずの番に加え、昨日からは交わりっぱなし。カーラの知る中でも、此処まで体力の続く人間は他に知らない。

 

 だが、それ以上に顔色が可笑しかった。

 瑞々しさなど欠片のない土の色。眼窩は落ち窪み、頬は痩けている。ただの疲れでは、こうはいかない。

 

 

「こ、虎太郎! 虎太郎っ!」

 

「大丈夫だ。問題は――――あるが、死ぬレベルじゃない」

 

「あぁ、そんな。ごめんなさい、私に付き合わせたから。私達と人の違いは、分かっていた筈なのに! すぐに、出て……!」

 

「違う。落ち着いてくれ。これは、そうじゃない…………ああ、もう、面倒だな。こっちに来い」

 

「ちょ、きゃぁあぁ――――!!」

 

 

 異変に気付いたカーラは、すぐさま湯船の虎太郎へと駆け寄って声をかけるが、返ってきた声にはやはり力がない。生気というものが丸事抜け落ちているかのようだ。

 

 吸血鬼と人の種族差。

 そんな初歩的なことに思い至らないほど追い詰められた状態だったとは言え、彼の負担を考えもしなかった自らの馬鹿さ加減に歯噛みして、カーラは虎太郎を立ち上がらせよう腕を掴んだ。

 

 だが、虎太郎は蒼褪めたカーラの腕を逆に掴み、湯船の中へと引き入れる。

 体積と勢いによって大量の湯が跳ね上がり、流れ出す。カーラが驚きから立ち直ってみれば、湯船の中で向かい合い、虎太郎にすっぽりと抱き竦められていた。

 

 

「虎太郎、こんな事してる場合じゃ……!」

 

「いいから、黙ってよく聞け。これは、お前の問題でもあるんだよ」

 

「ちょっと、待って。それはどういう……?」

 

「オレがこうなった理由は、二つある。一つはマリカに行ってる対症療法だ。気功の一種なんだが、オレは元々、気だの対魔粒子だのキャパシティは人よりも少なくてな、体力の消耗が激しい」

 

「そんなことまでして、貴方は……!」

 

 

 一体、如何なる技術なのかは彼女には判然としなかったが、虎太郎の消耗振りを見れば、命の危険を伴う行為であることは理解できる。

 何一つ気づかないまま虎太郎に甘えてしまった自分を責め、何よりも虎太郎の身を案じ、真っ当な怒りから目に涙を貯めていた。

 

 虎太郎は彼女の怒りも当然と言い訳もせずに受け入れ、頬に手を伸ばし、今にも溢れてしまいそうな涙を親指で拭う。

 助けを求める者に手を伸ばすならば、まずは自分の安全を確保しなければ話にならない。手を差し伸べた挙句に奈落に堕ちるなど、誰も笑ってくれはしないのだ。

 

 

「重要なのはもう一つだ。カーラ、お前はエナジードレインを行ってるようなんだよ」

 

 

 その言葉に、カーラは瞳が零れそうな程に瞼を開き、愕然とした。

 

 エナジードレインは他者の生命力を吸収する能力、或いは生態の総称だ。

 そして、この能力を使う者は、カーラの知る限りただ一人――――吸血鬼の始祖、太陽の下を歩く者(デイ・ウォーカー)、ノマドの創始者にして、対魔忍とヴラドの共通の大敵、エドウィン・ブラックである。

 

 一部の研究者の見解では、吸血鬼の吸血行為は、ブラックのエナジードレインの代替、或いは劣化ではないか、と考えられている。

 事実、魔術師の間では“血液”は命の通貨と呼ばれるほど、生命力や魂に直結した代物と伝わっており、吸血鬼によって完全に吸血された死体は、通常では考えられない乾燥、風化が見られる。

 

 虎太郎は、ブラックが直接、血を分けた存在を、二人だけだが知っている。

 異種族の子を孕む能力を持ち得た女が、ブラックの精によってこの世に産み落とした二人だ。彼女等もまたブラック同様にエナジードレインを行使する場面を、虎太郎は目撃している。

 

 人界の吸血鬼の王族であるカーラは、ブラックの血を色濃く受け継いでいるとも言える。この稀有な能力に目覚めたとしても不思議ではない。

 

 

「でも、どうして急に。私は、今までそんな……」

 

「資質は十分にあったんだろう。だが、鍵を抉じ開けたのは、オレだな」

 

 

 考えられる切っ掛けは、カーラの吸血だ。

 虎太郎の身体から完全に血を吸う行為、吸血による本来の力の覚醒によって、眠っていた資質が目を覚ましたと考えるのが妥当だった。

 

 

「だ、だったら、こうして触れ合っていることだって危ないわ!」

 

「だから、落ち着けって。オレはそういうのに精通してる。性技――というより、房中術か。そういうのは生命力と密接な関係にあるからな。吸い取られてるかどうかなんて、よく分かる。今は大丈夫だよ。吸われてたのは、お前を抱いてる間」

 

「それこそ、なんで止めないのよ! どうして教えてくれなかったの!?」

 

「いやぁ、カーラが悦んでるのが嬉しくって可愛くって、つい」

 

「貴方、真性の女好きね! 私以上の本物の馬鹿よ!」

 

 

 信じられない返答に、カーラの怒りは爆発した。

 確かに、自分も悦んではいた。それこそ、虎太郎の変化に気づかないほどに、没頭し、求めてしまった。だが、それはエナジードレインなど行っていないことが前提で、分かっていたのなら虎太郎が死にかけるような行為は決してしない。

 そうまで思ってくれていたのは単純に嬉しい。自分の女としての価値を認められたも同然なのだから。それにしたところで、自分の命を危険に晒してまですることではなかった。

 

 激情のままに張り手の一つもくれてやりたかったが、相手は重傷者、万が一にも手を挙げられない。

 かと言って、そのまま浴室に虎太郎を置き去りにして出ていく訳には行かない。湯船で気を失って、そのまま溺死なんて事態も有り得るからだ。

 やり場のない感情と虎太郎への情と心配の板挟みとなったカーラは、虎太郎の腕を振り解くと、湯船の反対にまで離れ、膝を抱えるくらいのことしか出来なかった。

 

 

「おい、怒らないでくれよ。確かに、何も言わなかったのは謝るけどよ」

 

「私にとって、恩人であることを忘れないで。私は、自覚もなしに恩人を殺してしまうような存在になるつもりはないわ。…………ちょっと、近寄らないで。触らないでちょうだい! もぉぉっ!」

 

「だから、大丈夫だって言ってるだろ?」

 

 

 自己嫌悪と情けなさから距離を取ったカーラであるが、虎太郎は遠慮もなしに彼女を抱き寄せる。

 過度な抵抗は相手を傷つけると分かっている彼女は、大した抵抗もできないまま、むっつりと頬を膨らませてされるがままだ。

 

 それでもカーラは冷静な部分の思考を使って、自己の能力を分析していた。

 エナジードレインを行ったのは、無意識の状態であった。吸血という行為は吸血鬼にとって、本来は親愛を意味している。

 それも当然。彼女達にとって吸血は食事であると同時に、同胞を増やす行為でもあるからだ。ならば、エナジードレインが発露してしまったのも、また同じような心境が鍵である可能性は高い。

 

 

「目覚めさせたのは、オレの責任だ。きっちり使い熟せるように手伝うさ。安心してくれ。それに、お前も周囲の連中を干乾びさせて殺すなんて真っ平だろう?」

 

「その過程で、自分が死んだとしても?」

 

「責任ってのはそういうものだ。まあ、それに腹上死ってのも、悪くない。クソッタレと笑いながら野垂れ死にするよりかは、マシな最後だとは思わないか?」

 

 

 本気でそう考えているのだろう。

 虎太郎の顔に気負いもなければ、恐怖もない。

 

 いっそ清々しいまでの女好きに、カーラは呆れ返って言葉もなかった。

 

 

「…………もぅ。私の負けよ。この力を使い熟せるまで、貴方を頼り、身を委ねます」

 

「妥当な判断だ、嫌いじゃない」

 

「でも、忘れないで。私は、貴方を死なせないわ。何があっても、絶対に、ね」

 

 

 今までの根負けした雰囲気は何処に行ったのか。

 虎太郎の両頬を掴み、爛々と輝く赤い眼光で虎太郎を貫く。これには、さしもの虎太郎も背筋が震える。

 

 虎太郎が死をも覚悟しているように、カーラもまた覚悟を決めていた。

 もしエナジードレインを完璧な形で手中に収める過程で、罷り間違って虎太郎が死ねば、カーラはあらゆる手段を用いて虎太郎を生かすだろう。

 その為ならば、女王としての地位も捨てる。その為ならば、先王が定め、自らも同意した掟を破る禁忌さえも辞さない。その為ならば、虎太郎を眷属の吸血鬼とする。

 

 そして、殺してしまった責任を取るために、永遠に等しい生を共に歩むのだ。

 

 

「……嬉しいね。其処までオレに価値を見出してくれるとは」

 

「当然よ。貴方は恩人。恩の一つも返せないままでは王など務まりません」

 

「それもそうだな。じゃあ、早速」

 

「ちょっと、んんっ、ダメよ、んむっ、人の話を、ちゅ、聞いてたのぉ……?」

 

「人を止めて長生きなんて御免だが、どの道、除去手術が終わるまでカーラを抱くんだ。なるべく早く気兼ねをなくしておかないとな♪」

 

「ちゅ、れる、も、もうっ、死んでも知らないんらからぁ♡ れろろっ、吸血鬼に、ちゅちゅ、しちゃうん、れひゅからねぇ……♡」

 

 

 湯船の中でカーラを押し倒した虎太郎は、その口唇を容赦なく奪っていく。

 僅かな抵抗を見せたカーラであったが、キスの悦びには抗えず、次第に口を開き、舌を絡め、手足を虎太郎の身体へと巻き付けていく。 

 

 以後、浴室には常に虎太郎を気遣うカーラの声と甘い牝声だけが響き渡った。

 

 

 

 

 

 



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『ステイッ、ステイッ! (ご褒美は)まだだッ、まだだッ!』

 

 

 

 

 

「じゃあ、オレの手を握って」

 

「――――ええ」

 

 

 カーラがエナジードレインを発現させて三日。

 理事長室のソファで隣り合いながら、カーラは虎太郎に差し出された右手を両手で握り込む。

 

 こうして二人は隼人学園の運営における事務処理の合間を縫って、訓練に励んでいる。

 

 エナジードレインなど、これまで全く自覚もなく、扱った記憶もない能力の制御など悪戦苦闘するものと思い込んでいたカーラであったが、虎太郎の指導故にか、殊の外スムーズに進んでいた。

 無論、虎太郎も初めて触れる能力であったが、大抵の能力に共通する点として、大半が能力保有者の想像力(イメージ)に左右される。

 

 これまで多くの能力を奪いながら、意識的に自己へと合わせて改造を繰り返してきた虎太郎にとって、想像力が如何に能力へと影響を及ぼすのかは、痛いほどによく分かっている。

 

 エナジードレインを扱うに当って重要になるのは、如何にして生命力を捉え、認識するか。

 確かに存在するが、機械で観測できず、目で認識することもできないあやふやなものを、カーラがどう捉えるかが鍵と踏んでいた。

 

 様々な試行錯誤の結果、彼女は生命力を“熱”として認識するのが、彼女に合っていたようだ。

 分かり易いと言えば分かり易い。筋肉の動き、血液の循環、外的要因への免疫機能の活性。生きているのならば、大なり小なり肉体には熱が生じ、全ての機能が停止した存在は恐ろしくも悲しいほどに冷たいものだ。

 

 カーラは深呼吸を繰り返しながら、瞼を閉じて握った手から伝わってくる虎太郎の熱に意識を集中する。

 人体の機能として生み出される体温とは全く別の、命そのものが生み出す熱量(じょうねつ)が、確かに感じ取れた。

 

 その熱を、自らの手に移し替えていくように吸い上げる。

 徐々に、だが確実に、熱は己の手へと移り、反対に虎太郎の手からは熱が失われていく。

 

 

「……流石に、経験値が違う。意識下での使用は、ほぼ問題ないみたいだな」

 

 

 これ以上は、とカーラの両手から解放された右手を握り締めては開きを繰り返しながら、虎太郎は呆れとも感嘆とも付かない声色で呟いた。

 

 カーラはこの三日間で、ほぼ完璧な形でエナジードレインを使い熟してみせている。

 身体に腕がもう一本増えたような変化に等しいのだが、それを感じさせない成長ぶりだ。

 

 それだけ先王か、彼女の教育係の教育が厳しく、そして愛に溢れたものであったと想像に易い。

 

 彼女のことだ。産まれた時より才能に満ち、周囲にもそれを見せつけてきたに違いない。

 周囲はそれに感服したか、或いはグラムのように妬んだか。しかし、彼女に真に近しく、愛した者は危惧しただろう。

 優れ過ぎた才能は、暴走と驕りを呼び込む。大いなる力を行使するには、大いなる責任が伴い、正しく扱うには正しい理念と信念、そして強靭な意思が不可欠だ。

 それらがなければ最後に待っているのは壮絶な自滅であり、才能が大きければ大きいほどに自滅は周囲すらも巻き込んだものとなる。

 

 先達としての知恵、カーラを愛する者としての慈愛が、彼女をこの領域にまで押し上げた。

 虎太郎ですら敬意を払わねばならないと認知し、また愛した者が理想とした姿を体現してみせたカーラにも同様の念を抱く。

 

 

「………………」

 

「おいおい、だから大丈夫だって」

 

 

 むすっとした表情のまま、カーラは虎太郎の顔を両手で包み込み、(つぶさ)に観察してた。

 虎太郎が、危険に見える橋であったとしても渡れると判断すれば、躊躇なく足をかけることは、もう分かっていたが、彼女としてみれば気が気ではない。

 

 気功・房中術に精通し、それらの源となる生命力についても造詣の深い虎太郎は、対象としては最高と言えるのは理解できる。

 エナジードレインが危険な能力であり、万が一にでも暴走させようものなら、一体何名が犠牲になるか分からないのも理解できる。

 だが、この訓練も加減を少しでも誤れば死に直結する。カーラは微塵も納得などしていないのだ。

 

 だからこそ、訓練の後は虎太郎が自身の生命の危機を黙っていないのか、納得するまで確認する。

 

 

「あのさ。アタシの前で、そうやってイチャつくの止めて欲しいんだけどよぉ……」

 

「東、何度言えば分かるの。これはイチャついているわけではありません。訓練です」

 

 

 本来は北絵の座る執務机に腰掛け、書類に目を通していた東がジト目で睨みながら、声を掛けてきた。

 怒りと言うよりかは、様々な感情の混じった複雑な声色で、からかいにも似た言葉選びであった。

 

 しかし、カーラは心外とばかりに東の言葉を否定し、動揺も見せずにピシャリと否定する。

 彼女にしてみれば当然のこと。無茶を繰り返す虎太郎への配慮と純粋な善意によるものだ。そこに親愛の情はあっても情欲は絡んでいない。

 

 ここ数日、何度となく繰り返してきたやり取りである。

 東としては、もっと言いたいことはあったのだが、立場上、それ以上の事を口にする権利も権限もなく、何とも言えない表情で押し黙る他ない。

 

 

「弐曲輪、手を貸せ」

 

 

 その時、理事長室の扉が開き、マリカが入ってきた。 

 だが、カーラに顔を掴まれた虎太郎の姿に顔を顰め、両目に凄まじい眼光を向ける。

 

 明らかに敵へと向けるレベルのものだ。

 カーラは止しなさいとばかりに視線を送るものの、マリカは取り合わない。

 

 従者である彼女にしてみれば、面白くないことこの上ない。

 敬愛する主人が下賤も下賤の男に触れ合い、身を案じるなど、あってはならない現実だった。

 カーラの平等さ、慈愛の深さや高貴なる義務を理解した姿勢は、マリカにとっては誇らしいものではあるのだが、今回ばかりは行き過ぎだ。

 

 

(二人の距離が縮まれば縮まるほど、カーラ様の御身を汚される可能性が増す……!)

 

 

 そして、彼女はカーラが虎太郎に身体を許した事実を聞かされていなかった。

 もし聞かされているのなら、彼女のシヴァが唸りを上げて虎太郎へと振り下ろされているだろう。

 

 無論、カーラが想像に易いマリカの行動を理解して、意図的に事実を伝えていないからである。

 虎太郎は自らもまだ時期ではないと判断して、カーラの意思を尊重した。

 

 二人の関係性の変化に気づいているのは東くらいのもので、或る意味でマリカは一人蚊帳の外。

 それもこれも、マリカがカーラへと向ける、如何なる理由があれ、カーラ様があのような男に身体を許す筈がない、という全幅の信頼が彼女の目を曇らせていた。

 

 

「はいよ、分かった」

 

(虎太郎。あの子のこと、よろしく頼むわ)

 

(はいはい、勿論ですよ。それが誠意ってもんですからね。それから、お前の面倒もな。夜、楽しみにしててくれ。今日も目一杯、イジメて可愛がってやるからな)

 

(………………ッ)

 

(やっぱり、イチャイチャしてんじゃねぇか……)

 

 

 マリカが手を貸す理由も問わず、虎太郎はさっとソファから立ち上がる。

 その折、カーラは虎太郎へとマリカの扱いについて彼に一任する旨を伝えたが、返ってきたのはくつくつとした笑い声とからかいの言葉だ。

 昨夜の蕩けるような交わりを思い出したカーラは、頬をさっと朱に染め、太腿を擦り合わせながらも、こくんと頷いた。

 

 二人の逢瀬の約束をチラリと横目で眺めていた東は心の中で嘆息し、同時にこれだけ親密な関係になっているにも関わらず、全く気づいていないマリカに呆れ返った。

 声を掛けるだけ掛けて出て行ってしまったマリカの後を追う虎太郎を見送り、東はまた書類に視線を落としたフリをして、カーラの様子を探る。

 

 カーラは普段の凛とした佇まいは何処へ行ってしまったのか、頬を染めたまま美しい銀髪を指で弄り回していた。

 東は二人の間にどのようなやり取りがあったのかは聞き取れなかったが、傍目から見ても明らかに期待した態度だと分かる。

 

 

「…………ハっ!? ん、んんっ、さ、さぁ、仕事を片付けないと、ね」

 

「そうだな。やることはきっちりやらないとな……」

 

 

 知らず知らずの内に睨み付けてでもいたのか、それとも溜め息でも吐いてしまったのか。

 東の視線に気付いたカーラは、はっとした表情から咳払いをすると、残された書類に手を付け始める。

 

 誤魔化しているのか、照れ隠しなのか。隠しきれない喜びに、東は苛立ってしまう。

 しかし、その苛立ちの原因が彼女自身も判然としない。いや、分かってはいるが、認めてしまうのが癪だ。

 

 

(あんなのの何処が良いんだよ、女王様も、アタシも……)

 

(生徒達の危険を無視して放置するわ、アタシを助ける過程で車で跳ねるわ、グラムもドン引きするような方法で処分するわ。やりたい放題じゃねぇか)

 

(…………いや、でも、それもグラムを確実に捕えるためだし? アタシもその後に優しくして貰ったし? グラムはどんな目に合ったって文句は言えねぇし?)

 

(そりゃ、ドン引くような奴だけど、有言実行するし、やることはちゃんとやるし、気配りもちゃんと出来るし、認めた奴にはちゃんと優しくするし………………あ、こりゃもう駄目だ、アタシ)

 

 

 これまでの虎太郎の行動を思い返し、東は書類を机に落とし、片手で顔を覆いながら天を仰いだ。

 それはそうだろう。人の欠点を挙げ連ねて罵るのではなく、人の美点を探して認めている時点で、その人物に好意を持っていると認めているようなものだ。

 

 最早、認めざるを得ない。

 こんなにも軽い女だったかと暗澹たる気分になったが、自分の男性遍歴を思い返してみれば不思議はない。

 どれもこれも、社会的に見て問題のある連中ばかり。ワイトが見抜いたように、甘い言葉に誘われて、泣きを見た挙句に怒りで暴れまわった経験を何度重ねたことか。

 

 

「ちょっと、東……」

 

「あー、はいはい。やることはきっちりやりますよぉ……」

 

(負けだ、負け。アタシも、腹括るしかねぇよ……)

 

 

 カーラから見咎められた東は、苛立ちの原因を理解した上で認め、いっそ清々しい表情で再び仕事へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 理事長室から出た二人が向かったのは、保健室であった。

 入り口から向かって左側には鍵付きの薬品棚が並び、その奥には保険医の机。正面は校庭の見渡せる窓、右側には周囲をカーテンで囲えるベッドが二つ。

 一見すれば、どの学校にも有り触れた清潔な保健室といった趣だが、薬品棚には消毒液や市販の飲み薬ばかりでなく、麻酔やメスなどの医療品も仕舞われている。

 生徒達の訓練中の怪我も想定してある。流石に、命に関わるような怪我は病院に運ぶ必要があるだろうが、簡易的な外科手術ならば可能なようである。

 

 マリカは無言のまま外套を脱ぐと、用意してあった椅子の上に座る。

 

 隼人学園を解放してからの虎太郎とマリカの日課であった。

 カーラがアムリタの後遺症に苦しんだように、マリカも同様の症状で苦しんだ。

 

 これを解消するには、虎太郎がカーラにしたように、身体を重ねて発散させるか。

 或いは、マリカのように、虎太郎の気功の一種によって症状を緩和させて、耐えるしかない。

 

 

「はぁ……ふぅ……早く、しろ……!」

 

「分かったよ」

 

 

 理事長室へ足を踏み入れた際には、カーラに心配をかけまいと顔には出していなかったが、今やマリカの全身は汗で濡れ、頬を上気させて荒い呼吸を繰り返している。

 誰の目から見ても分かるアムリタの禁断症状。無理に我慢を重ねても、待っているのは発狂だけという余りにも悲惨な後遺症だ。

 

 虎太郎は症状を収めるために、彼女の背中に手を翳す。

 丹田で練った気を腕へと流し、更にはマリカの身体に行き渡らせる。

 

 これは、アサギが桐生によって施された改造で上がった感度を押さえる為に用いたものと同一。

 対魔粒子とは異なり、自らの生命力を活性化させて練った気を全身へと行き渡らせ、肉体を健全な状態へと保つもの。

 違いは己の身体に使うか、他人の身体に使うか、でしかない。

 

 

(しかし、アサギぐらいの容量と才能があれば余裕だろうが、オレには辛いぜ)

 

 

 気を練るのに必要な呼吸法に乱れはなかったが、反面、心拍は急速に弱まっていく身体に、虎太郎は苦笑いを浮かべる。

 

 アサギは気の練り方が巧い。

 必要最小限の生命力で、考えうる最大限の気を練れる。また全身へと行き渡らせるにも無駄な消費は少なく、これらを呼吸をするように行えるのだ。

 対し、虎太郎は一度に練れる気の量は限られており、常に生命力を消費して気を練る必要がある。また全身へと行き渡らせるにも無駄が多く、その分だけ負担が大きい。

 もっとも、アサギはアサギで他人の身体に気を送り込む、などという器用な真似は出来ないのであるが。

 

 

「……っ……ふぅ……」

 

 

 気が行き渡るに連れて、マリカの顔から紅潮が、身体からは汗が引いていく。

 

 マリカの胸中にあったのは安堵だ。

 望まぬ発情は、彼女にとって忌々しい傷痕だ。

 グラムの策略に嵌り、抗いきれずに傀儡となって、事もあろうにカーラの御身を汚す結果となった。

 

 自分が傀儡になってしまうのは怖くはない。カーラの身を守りきれなかった己には相応しい末路だと嘲笑うことも出来る。

 だが、その末に、またしてもカーラを傷つけてしまうことだけは、耐えられない。

 だからこそ、発情さえ収まれば不安も掻き消える。王に仕える騎士に戻れるのだ。

 

 虎太郎も、マリカに即座に効果の現れる対症療法を取ったのは、彼女の心境を理解していたから。

 マリカはカーラが無事ならば、手を貸さずとも勝手に立ち直る確信があったのだ。

 それほどまでにマリカの忠誠は深く重い。ともすれば、盲信にすら至ってしまうレベルである。

 

 

「ほらよ、これで、いいか……?」

 

「ええ、十分」

 

 

 堪えきれない発情から解放された声色は、普段の通りに氷点下のものへと戻っていたが、其処でマリカは言葉を詰まらせた。

 

 彼女もまた、カーラや東同様に虎太郎には感謝している。

 彼へと嫌悪に近い感情を剥き出しにするのは、彼がいけ好かない性格であること以上に、カーラに近しいこと事態が問題だった。

 マリカにとって、カーラは何者にも替えの効かない存在であり、また王族でもある。王の従者として、決して近寄るべきではない存在である。

 

 しかし、個人としてならば別だ。

 彼が何の為に対魔忍などと言う汚れ仕事の代行者を務めているのかは、碌に会話をしたことがない故に分からない。

 ただ、マリカもまた暗殺騎士団の長として、その手を血で染めてきた。多少ではあれ、一方的ではあったが共感していた。

 

 自身の不手際と不覚を帳消しにしてくれたのは、彼という認識もあった。

 けれども、カーラの身を守ることばかり考えて、今の今まで礼の一つも口にしていない。

 如何な暗殺騎士とは言えども騎士は騎士。感謝の一つも口に出来ないようでは、それこそ礼節に欠くというものだ。

 

 だが、一週間以上も頑なな態度を崩さなかった今となっては、どう言葉にしてもいいのか分からない。完全に、タイミングを逸していた。

 

 

「――――?」

 

 

 あーでもない、こーでもないと思い悩むマリカであったが、背後の気配が急に消失し、不審から振り返る。

 見れば、虎太郎の姿はなかったが、彼の姿を見つけるのは難しくはなかった。

 

 ――何せ、蒼褪めた表情で、床に倒れているだけだったのだから。

 

 マリカの与り知らぬことではあるが、連日のカーラのケアとエナジードレインの訓練、更には気功による治療。

 どれだけ生命力に溢れた人間であっても、オーバーワークだ。気功に精通した術士ならば、正気の沙汰ではないと殴り倒してでも彼を止めるだろう。それほどまでに危険と隣合わせの綱渡りだった。

 

 既に虎太郎に天地の感覚はなく、視界も薄れぼやけ、マリカの悲鳴のような声でさえ遥か遠い。

 明瞭に感じられるのは、吹雪の中に裸一貫で放り出されたような猛烈な寒気だけだ。

 

 

(これなら、死にはしないか。この感覚なら何度か体験したことがある。いや、しかし、何度も、体験したいことじゃ、ないん、だけど、ねぇ…………)

 

 

 狼狽するマリカに反して、虎太郎は異様なほど冷静だった。

 気功を修める過程で既に体験した出来事であるが故に、死の一歩手前にまで脚を踏み入れても、冷静で居られる。

 彼の胸中に浮かぶのは、己の馬鹿さ加減だ。どうせだったら、互いに気持ちいい方がマシ。そんな考えの元で、このざまでは確かに馬鹿馬鹿しいにも程がある。

 

 誇りも理念も正義も信念も興味がないと言うのに、誇りも理念も正義も信念でもすらない詰まらない意地なんぞに、自分を切り売りしているんだか。

 

 虎太郎は腹の中で漏れた己への嘲りを最後に、真っ暗闇の中へ意識を手放した。

 

 

 

 

 



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『純情ヤンキー? はっ、甘々トロトロでやるに決まってんだろ、このボケっ!!』


もう活動報告で分けて書くの面倒なんで、こっちで近況報告で。
前書き後書きが気に食わん人は、設定でちょちょいと消して下さい。作品の質だの何だのと高尚な事はどうでもいいんで、今はただひたすらにモチベを維持するために楽をしてぇ!

という訳で! 読者の皆よぉ、私は帰ってきたぁ!!
遅くなって済まぬ! だらしない作者ですまない! だが、エロで許してヒヤシンス!

いつだか、次はマリカと言ったな。アレは嘘だ。
よくよくストーリーラインを考えたのだが、この状態だと東先生の方が自然。マリカに行くには、もうワンクッションくらい挟まないとね。まあ、元がエロゲだからアレなんだけども。

では、純情ヤンキーとろとろH編、スタートゥっ!!



 

 

 

 

 

 ――――随分と、懐かしい夢を見た気がした。

 

 

「……………………」

 

 

 深い眠りの中から覚醒した瞬間に、虎太郎が行ったのは他者の存在を探ること。

 自身が気を失ったという記憶もないまま、反射的に行動へと移っていたのは、訓練の賜物か、はたまた魂にまで刻まれた癖なのか。

 

 横になっている自身の近くに人の気配は一つだけ。

 それが誰かを確認することすらせずに、蔵の中から一丁の銃を取り出して握り締めた。

 安全装置の解除はしない。そもそも、彼は銃の安全装置を使わないタイプだ。我が身や周囲の安全よりも、即応性こそを優先する。

 

 

「……くっ」

 

 

 瞼を開くと、猛烈な目眩と吐気に襲われる。

 それでもなお毛布の下で隠れている銃の感触と腕の制御だけは手放さない。

 必要である、と判断すれば相手が誰であれ、引き金を引く事に躊躇するような男ではない。

 

 

「おう、目ぇ覚めたみたいだな」

 

 

 しかし、その条件反射も覚悟も杞憂に終わる。

 傍らにあった気配の正体は、他ならぬ東であったからだ。

 

 異常な警戒心を見せる虎太郎に、彼女は苦笑しながら毛布で覆われ銃の握られた右手に視線を向けていた。

 虎太郎も虎太郎であったが、東の直感も異常だ。少しでも虎太郎が銃を持った手を動かしていたのなら、即座に制圧に動いたに違いない。

 

 そんな東の姿を確認してから、虎太郎はようやく警戒を解いて銃を蔵の中へと戻す。

 眠っていた場所は、自分に割り当てられた寮の一室。どうやら、マリカの治療を終わらせた後に気を失い、此処まで運ばれたらしい。

 

 

「どれくらい眠っていた?」

 

「……丸一日くらいだな」

 

「一日……?」

 

 

 東の返答に、虎太郎は怪訝な表情を浮かべる。

 それもその筈。気を失う直前の自身の状態は、最低でも三日、長ければ一週間は目を覚まさないほどに危うい状態だった。とてもではないが、たったの一日で回復どころか、目を覚ます事もない。

 しかし、目覚めの直後に目眩と吐気に襲われたが、改めて身体の隅々に意識を巡らせれば、生気が漲っているではないか。

 

 気の元となるのは当人の生命力。言わば、肉体を動かすエネルギーそのもの。

 マリカへの気功による治療によって消費した生命力は、それこそ肉体に変化が表れるレベル。それがただの一日で、此処まで回復するのは有り得ない。

 

 

「……カーラか? いや、まさか……」

 

「そのまさかだ。流石は女王様ってところかね」

 

「信じらんねぇ。マジモンの化物だな」

 

 

 自身の思い至った答えを東が肯定する。

 虎太郎が思わず漏らしたのは、称賛でも感謝でもなく、呆れであった。

 

 虎太郎が倒れると、マリカは自分にはどうにもできない即座に判断すると、カーラと東に助けを求めた。

 二人とも、虎太郎が常に綱渡りの状態で、此処での生活を送っていることに薄々感づいてはいたのだろう、対応は迅速であった。

 

 現場である保健室で発見したのは、酷い有様の虎太郎だった。

 髪はくすんだ白に染まり、全身の肌は弛んでいた。先程までは年相応の姿であった筈の彼は、老人もかくやというほどに老化が進んでいたのである。

 慌てふためくばかりであった東と自身に施した治療の結果がこれなのかと固まるマリカに対し、カーラは彼の姿に息を飲みながらも意を決した。

 

 その可能性は、カーラだけでなく、虎太郎も考えてはいた。しかし、それを実現できるなどとは考えていなかった。

 虎太郎が呆れたのは、カーラの持つその資質。規格外とも言って差し支えのない才能に対してだ。

 

 驚くべきことにカーラはエナジードレインを、本来であれば他者の生命力を吸い取る事しかできない筈の能力を応用して、自らの生命力を虎太郎に分け与えたのである。

 

 これはブラックにも、そして虎太郎の知る彼の嫡子二人であっても、不可能な芸当だ。

 エナジードレインは、言わば自身以外の生命の存在を許さぬ異能。不死の王らしい傲慢で情け容赦のない生態である。

 

 だが、長きに渡る人界での生活故にか、或いはかつてブラックに反旗を翻した一族の執念が生み出した結果であったのか。

 少なくとも、通常のエナジードレインは他者からの搾取に限定されるが、カーラのそれは不可逆のはずのそれを逆転せしめている。

 

 同じ系統の能力であっても、目覚めた人物が別であれば形を変えることは、様々な能力を様々な人物から奪ってきた虎太郎には至極当然の事実。

 ブラックとカーラの人格性格の違いから、何らかの変化が表れる可能性は考慮してはいたものの、この短期間で変化を自覚した上で行使するなど、自分の扱いやすいように能力を変化させる虎太郎であってすら不可能である。

 

 

「あー、マリカとカーラだが……」

 

「そっちもお前の想像通りだよ。あの死神も女王様に説教されてしょんぼりしてる。今は、一緒に書類を片付けてるよ。あたしは、アンタを見ててくれってさ」

 

「まあ、そうなるか」

 

「それから、目を覚ましたら、お前にもお説教だってよ」

 

「当然、そうなるわな」

 

 

 東のざまぁないという笑みに、虎太郎は軽く頭痛を覚えた。

 

 カーラの性格上、此処まで無茶をした虎太郎を容易く許す筈もない。

 勿論、彼にしてみれば渡りきれると判断した故の綱渡りであったのだが、他者から見れば危うすぎるものであったことに疑う余地はない。

 

 再三に渡るカーラの警告と心配を無視してこの結果(ざま)だ。

 死んでいないからいい、死なないと確信あっての行為と言ったところで、かの女王が耳を貸すとは思えない。

 

 マリカも災難だ。

 寄生虫とアムリタによって体調はガタガタ。それ故に、虎太郎の変化に気付くのが遅れることも無理はない。

 無理はないのではあるが、そのような言い訳はカーラには通用しまい。

 そもそも気功による対症療法の危険性に思い至らなかった甘さ。自身の変化を優先する余りに他者の変化に気付かない甘え。

 

 自他ともに厳しいカーラだからこそ、あらゆる言い訳は切って捨てるに違いない。

 その上で、行き過ぎた制裁に出ないのが、彼女の王としての魅力であろう。

 説教で済んでいるだけで御の字である。これが高慢な王ならばどうなっていたことか。

 

 

「…………そっち行ってもいいか?」

 

「あぁ? 別に構いやしないが……」

 

 

 頗る機嫌が悪いであろうカーラをどう諌め、説教の時間を削減したものか、と思案していた虎太郎は東の不意打ち気味の提案に怪訝な表情を浮かべる。

 東はソファからベッドの縁に腰を下ろし、何も言わないまま虎太郎の胸へと手を置いた。

 

 胸に置かれた手から伝わってくる確かな鼓動に、東は今度こそ安堵の吐息を漏らす。

 眼の前の光景に、またぞろ可笑しな展開だ、と虎太郎は何処か他人事のように頭の隅で嘆息していた。

 

 

「うん。まあ、良かったよ。安心した。そんで、あたしの負けだわ」

 

 

 ポンポン、と鼓動を刻む心臓を労うように何度も優しく叩く。

 

 虎太郎が昏睡状態に陥ったと聞いて最も狼狽したのは、他ならぬ東だ。

 その本性をハッキリと目にしてからというもの、ある種の信頼を抱いていた彼女は、マリカの蒼褪めた表情と共に発せられた言葉を一瞬理解できずにいた。

 飛び出したカーラの後を追う形で辿り着いた保健室で見た虎太郎に、東は真実、呼吸を忘れ、全身が粟立った。

 

 酷く動揺しながらも、全体を俯瞰しているかのように冷静であった自分が、もう言い訳のしようのないほどにハッキリと自分の思いを見つけた瞬間であった。

 

 

「あたしは、アンタに惚れてる」

 

「…………」

 

「そ、そんな顔すんなよ。流石のあたしもショックなんだけど……」

 

「いや、これは嫌がってるんじゃなくて、気は確かか、って顔だ」

 

「なお酷ぇよ!」

 

 

 道端に落ちていた犬の糞でも踏んづけたような顔に、東はしょんぼりと唇を尖らせた。

 意を決した告白の返事がこれではむべなるかな。人の色恋が大好きな女性陣の耳に入れば大顰蹙間違いなしな返答である。

 

 だが、虎太郎にしてみれば当然の反応な訳で。

 アサギにせよ、ゆきかぜにせよ、不知火にせよ、凜子にせよ、凜花にせよ、ワイトにせよ。皆、正気とは思えない。

 確かに、彼女達が窮地に陥った際の手際やタイミングの良さは認めよう。それにしたところで、自分の行いは世間一般では勿論の事、裏の世界でとて認められるようなものではない。

 他にももっと良い男はゴマンといるだろうに、よりにもよって何故オレなのか。その馬鹿さ加減に呆れを通り越して、怒りすら覚えそうだ。

 

 彼女達にしてみれば、其処がいいのだろう。

 どんな手段を使ってでも自分達を助けてくれた。それはそれだけで、己の価値を認められたようなもの。嬉しくないわけがない。

 無論、虎太郎とてその程度は理解しているが、共感性の欠落した彼には、全く異次元の理屈なのである。

 

 もっとも――――

 

 

「うわっ、ちょ、急に何を……」

 

「どうせ、ワイトに何か唆されてるってのもあるだろうが、オレの意思も見せないとな」

 

「――――んむっ!?」

 

 

 ――――共感できないからと言って、自分を求める女に手を出さないほど、出来た男でもない。

 

 東の行動にワイトの、引いてはゆきかぜの思惑と影を感じながらも、虎太郎は一瞬で腹を括って東を抱き寄せる。

 決断の早さは特筆すべき彼の性能の一つであるが、女に手を出す早さは如何なものか。

 

 既に己の体調を完全に把握していた虎太郎は、漲る生命力と精力のままに、背後から東の唇を奪った。

 彼女は一瞬目を見開いたが、何が起こったのかを理解すると嬉しげに目を細め、瞳に淫蕩な光を宿す。すぐさま手と手が重なり、指と指とが絡み合う。

 

 交互に唇を押し付け合い、互いの唇が音を立てて吸い合う。

 東は恋と愛と欲の赴くままに、唇から自らの想いを伝えるかのように積極的にキスを繰り返していた。

 対する虎太郎は、東の想いに応じるが、それでいて冷静に、東のトレードマークとも言える赤いジャケットのファスナーを下ろしていく。

 

 キスに熱中していた東は徐々に外気に晒されていく臍や胸元の感覚にピクリと身体を震わせたが、抵抗は見せず、むしろキスにばかり没頭していた。

 

 

「ん、はぁ……♡ い、いきなり、すぎんだろ♡」

 

「男と女の関係は、こうやって腹を括るのが一番手っ取り早い。」

 

「あっ♡ 首、舐めんっ、んんっ♡」

 

 

 じっとりと汗が浮かんできた首筋に舌を這わすと、蕩けきった吐息が漏れる。

 拘束するように腹の前に回された両腕を掴むが、力の抜けた彼女では抜け出すことも振り解くことも出来なかった。

 雄の強引さと逞しさを同時に感じながら、優しく首に吸い付かれると、ゾクゾクと背筋に得も言われぬ快感が走る。

 

 女が満たされていく感覚と同じだけ物足りなさを感じ、東は身体を虎太郎に預けながら、もじもじと太腿を擦り合わせた。

 

 

「んっふぅっ♡ あっ♡ あっ♡ そ、そんなに吸い付いたら、き、キスマーク残っちまうよぉ、あひぃっ♡」

 

「いいだろ、別に。オレも覚悟を決めたんだ。お前も覚悟しろ、東」

 

「か、覚悟はしてっけど、こんな、んひゃぁあっ♡」

 

 

 頭の芯に走る快楽ともどかしさに悶え、サンダルを履いたまま脚を漕いでいた。

 

 己の手で発情していく東に虎太郎は笑みを深めると、何の宣言もせずに黒い見せブラを上へとズラす。

 唐突に自らの最も弱い部分を空気に晒されてなお、東は驚きよりも甘い嬌声を上げてしまった。

 

 廃工場でワイトを交えた性交以後も、東は何度か抱かれている。

 無論、グラムによって肉体へと埋め込まれた寄生蟲のみを殺傷し、無残に変形させられた身体を元へと戻すためだ。

 

 かつては子供の陰茎のようにそそり勃っていた乳首は、精液を受けたことによって元の陥没乳首へと戻っていた。

 しかし、東の期待をそのまま反映しているかのように、先端が顔を出している。

 

 

「ふふ、元に戻ってよかったなぁ。だがまあ……」

 

「な、何だよぉ……」

 

「オレがこの手で好みの形に変えちまうから、ぬか喜びかもなぁ」

 

「そ、そんなに……んぐっ……んふっ♡ ひっ♡ んひぃぃいいぃいいぃいぃぃぃぃいいぃぃぃっっ♡♡」

 

 

 東の恐れとも期待ともつかない色に染まった瞳を余所に、虎太郎は容赦なく乳首を摘む。

 それだけでは終わらない。乳首を摘んだまま、乳房の形が変わってしまうほど、思い切り引っ張られてしまう。

 

 東は痛みを堪えるように歯を食いしばって背後の虎太郎の頭に手を回し、少しでも引き伸ばされまいと身体を反らしていた。

 だが、実態は違う。恍惚に目を蕩かせ、口の端から溢れた涎から痛みよりも悦楽の方が強いのは一目瞭然だ。

 

 

(痛ぇけど、ち、乳首、蕩けちまいそうなくらい、気持ちいいぃぃっ♡)

 

「はっ、はひぃっ、んぐぐっ、や、やめへっ♡ む、胸の形、かわっへぇっ♡ あひぃっ♡」

 

「ふふ。すまんすまん。でも、ほら――」

 

「へひぃぅっ♡ はっ、ハッ、はぁあぁっ♡」

 

「ちゃんと元の形に戻ったろう? …………ふぅぅぅっ」

 

「ふーっ、ふひぃっ、はぁぁあぁぁぁあぁんっ♡」

 

 

 虎太郎が乳首を放すと、ぷるりと揺れながら元の豊満で形の良い胸へと戻る。

 東を安心させようとしたのか、見せつけるように下から持ち上げるが、真っ赤に充血して石のように固くなった乳首へと息を吹きかける。

 

 たったそれだけの刺激で、東はアクメへと達した。

 腰までもを痙攣させ、ジーンズの股間は中で吹き出した潮によって黒く染まっていた。

 

 自分の女とメスが弄ばれているのを理解しながらも、東にあったのは悦びだ。

 女らしくない、というのが彼女のコンプレックスであったが、今この瞬間は間違いなく自分が女として求められているから。

 

 

「んっ、ふぅっ、ハッ、ふーっ、ふぅーっ♡ な、なあ、い、意地悪すんなよぉ……♡」

 

「んー? 何が意地悪なんだよ?」

 

「た、頼むよぉ♡ も、もっと乳首、弄ってくれよぉ♡ あんなんされたのに、触ってもらえなくて、ジンジンして切ねえからぁ……♡」

 

 

 暴虐と言っても差し支えのない行為をされた東の肉芽は、じりじりと火で炙られているかのようだ。

 痛みではない、僅かな時間も放置してほしくないと乳首が訴えているかのようだ。

 

 全身を汗で濡らし、露わになった脇からは濃厚な雌の芳香を漂わせながら、背後の虎太郎を見る。

 認めた男にしか見せない、恥も外聞も投げ捨てた媚びきった女の顔で懇願する。

 媚に合わせ、此処をと示すように身体をくねらせると、頂点で勃起した肉蕾もが左右へと揺れる。

 

 

「そうそう。意地を張ってるのもいいけど、素直な方がもっと可愛らしいからな」

 

「ほ、ほんとか♡ う、嬉しいっ♡ ほ、ほぉおっ♡ そ、それっ♡ そりぇ、しゅきぃっ♡ ち、乳首、捏ね回されるの、おほぉおぉっ♡」

 

 

 欲望と劣情に従うまま、素直になった東に本心からの言葉を投げ掛ける。

 

 その言葉に東は目を輝かせたが、すぐさまピンク色の光へと飲み込まれてしまった。

 親指と人差指で摘まれ、絶妙な力加減で捏ね回されたからだ。

 

 乳首を潰すように力を込めたかと思えば、指を使って器用に扱く。

 四方八方に押し倒されたかと思えば、抓り上げられて引っ張られる。

 

 何の事はない愛撫であったが、東の性感と求めるタイミングを全て把握していれば話は別だ。

 

 

「んんっ♡ んぐっ♡ ひぃっ♡ む、むり、や、やらしい声、我慢でき、ねっ♡ へっ、へっ♡ イクっ♡ イクイクっ♡」

 

「いいぞ、我慢なんてするなよ」

 

「へひぃっ、フひぃぃいぃいいぃいいぃぃっ♡」

 

 

 下唇を噛み締め、何とか嬌声を聞かせまいとしたが、虎太郎が乳首を抓み、乳房ごと持ち上げると堪え切れずに牝の声が漏れてしまう。

 再び、絶頂へと押し上げられた東は恍惚の笑みと共に舌を出しながら、手足を引き攣らせて男に絶頂を知らせた。

 

 

「イっ、イッたっ? イッたからぁ♡ ち、乳首イッたから、もうずりずりすんなよぉ♡ あ、甘イキ、止まんへぇ……♡」

 

「そう言うな。甘えてくる女を見ると、思い切り気持ちよくしてやりたいんだよ、オレは」

 

「お、おぉっ♡ ほぉおぉっ♡ ま、まらイグっ♡ おほぉぉおぉっ♡」

 

 

 身体に珠の汗を滑らせながら、ビクビクと乳首からの快感に身体を踊らせる。

 そうしている間も、虎太郎は乳首を優しく蕩けるように責め続け、絶頂の波は引いていかない。

 微弱過ぎる快感でも軽いアクメを貪る身体に、心底からただ一人の男のものとなった幸せを感じながら、東は犬のように短い呼吸を繰り返す。

 

 やがて、ようやく絶頂の波から開放された東は、くたりと手足から力を抜くとそのまま虎太郎に背中を預けるように寄り掛かる。

 荒い呼吸に胸は何度となく上下し、時折、アクメを思い出したかのように痙攣を見せた。

 

 

「東、何回イったんだ?」

 

「はぁっ、ハァっ、はっ、ハァァっ……♡ わ、分かんねえよぉっ♡ 何度も、何度もイッて数えられなかったっ♡」

 

「次からは数えとけよ。ちゃんと報告させるからな?」

 

「はっ、はぁっ、んぐ、ごくんっ♡ わ、分かったぁっ♡ 次はちゃんと数えるっ♡ そ、それから、今度はあたしが……っ」

 

 

 この快楽に次がある。

 次の機会に、答えられなかったら、どんな風にされてしまうのか。

 

 そんな事を考えた瞬間に、東は期待から生唾を飲み込んでしまう。

 女として決して見せられない痴態を晒してしまうだろうに、被虐の悦びに目覚め、期待している自分をハッキリと自覚した。

 

 戦慄く子宮と力の入らなくなった身体を叱咤し、彼女は立ち上がると背を向けたまま汗を吸った衣服を脱ぎ捨てて一糸纏わぬ裸体を晒す。

 

 秘部を一切隠さず、不安と羞恥に染まった表情で東は振り返った。

 彼女の身体は、カーラのような雄を誘う蠱惑的なものではなかったが、人体というものの卑猥さと美しさを詰め込んだかのようだ。

 引き締まった筋肉に、その上に薄っすら乗った脂。優秀なメスである事を示すように膨らんでいる乳房と尻。自らの発情を露わにした勃起した乳首と陰核。

 東は身体に残る細かな傷を気にしていたらしいが、そんなもの彼女の肉体を彩るアクセントに過ぎない。

 

 雄の欲望そのものが、虎太郎の瞳に爛と輝くのを確認すると、東の不安は消し飛ぶ。

 女としての自信を即座に取り戻した彼女の顔には、女そのものの笑みが刻まれた。

 

 東は虎太郎に両膝を開かせると、その間に座り込む。

 普段の態度や所作からは考え難い綺麗な正座だ。まだ彼女が反骨心を見せる以前に仕込まれたものだろう。当人がどう思おうと名家としての教育は行き届いているものだ。

 背筋の伸びた凜とした居住まいであったが、顔に張り付いた欲望と恭順に濡れた女の表情が全てを台無しに――いや、彩っている。

 

 既にズボンを押し上げている股間に手を這わせる。

 細心の注意を払って、上下に擦りあげる様は、奉仕を開始した娼婦のそれと変わらない。

 ますます大きくなる怒張を感じ取ると東はボタンを外し、チャックを下ろし、下半身を覆う衣服を全て剥ぎ取っていく。

 

 露わになった肉棒は焼けた鉄のように熱を放ち、天を衝くかのように反り返っていた。

 

 

「……はっ、ふっ、な、何回見ても、すげぇ……♡」

 

「ふふ、それはどーも。東のいやらしい姿を見てたらどうしてもな。ほら、責任とってくれよ」

 

「あ、あたしが……んくっ♡ わ、分かった♡ ちゃんと気持ち良く、させてやっからなっ♡」

 

 

 顔の前でそそり勃つ一物越しに笑みを深める虎太郎の顔を見比べ、東は更に淫らな笑みを浮かべる。

 自身の痴態が虎太郎を興奮させているのを見る度に、東は女としての自信を深めていく。

 

 女としての自信を取り戻すために。虎太郎の興奮を見逃さぬため。

 上目遣いで顔を見つめたまま、勃り立つ陰茎に顔を埋めた。

 

 

「すんっ、すぅーっ……♡ んふっ、すげぇ臭いっ♡ 汗で蒸れたチンポ、臭っせぇ♡ 一日だけで、こんなになるのかよっ……♡」

 

 

 筋の通った鼻を亀頭に押し付け、深く呼吸を繰り返す。

 鼻腔を駆け上り脳髄を犯す雄の芳香に、牝の本能と共にずくんと子宮が痛みにも似た疼きを増した。

 しかし、東は何度となく生唾を飲み込み、太腿を擦り合わせて最奥の疼きに堪える。

 

 固く熱く勃起した怒張をすっと通った鼻梁に這わせ、何度となく頬擦りをした。

 それは間違いなく、愛しいものに対する仕草だ。但し、慈愛によるものではなく、欲情と屈服によるものであったが。

 顔との摩擦を感じ取る度に肉棒はビクビクと痙攣を見せ、微弱ながらも快楽を得ている事実に東の笑みを深めさせる。

 

 

「はぁっ♡ ふふ、また固くなったっ♡ 今度は、キスっ♡ ん、んっ、ちゅっ♡」

 

「う、くっ……」

 

「んちゅっ、んんっ……んむっ……むっ……ちゅちゅっ……ちゅるっ……んっ、んっ、んんっ……♡」

 

 

 破裂しそうなほど張り詰めた亀頭に、キスの雨が降る。

 始めの内は口唇で一物の熱を感じるだけの触れる程度のものであったが、何度となく繰り返す度に熱が籠もった。

 激しくなる痙攣で逃げようとする男根を両手で包み込み、目にハートを浮かべながらぺろりと舌で口唇を舐めて湿らせる。

 

 今度は触れるだけでなく、更に熱くなっていく陰茎全体に吸い付いていく。

 

 東の知らなかった段階を踏んだ雄を興奮させる牝仕草は、ワイトに教え込まれたもの。引いては、ワイトが虎太郎から教えられたものでもある。

 普段、強気で男勝りな東が跪いて浅ましく男を求める姿は、どんな男でも興奮する効果的なものだ。虎太郎も例外ではない。

 

 亀頭だけではなく、裏筋、雁首、陰茎、果ては陰嚢まで。

 細心の注意と抑えきれない欲情を口唇に込めての奉仕は、鈴口の先から我慢汁の玉を絞り出す。

 

 

「へへっ……気持ち良く、なってくれてるんだよなっ♡ ん、んんっ、ちゅるるぅ~っ♡」

 

「はぁあぁぁっ……」

 

 

 奉仕の結果を見逃さなかった東は、口唇を尖らせて溢れた我慢汁の玉を潰しながら吸い付いた。

 濃くなってきた雄の香りを堪能しながらも、奉仕の手を緩める事はない。

 尖らせていた口唇を亀頭に滑らせながら、顎をゆっくりと開きつつ亀頭をねっとりと飲み込んでいく。

 

 

「んふっ、すぅっ、じゅる、んむぅ、ムぅぅ~~~~っ♡」

 

 

 口内でたっぷりと溜めた唾液を絡めながら、ピッタリと口唇を亀頭に貼り付けながら完全に飲み込んでしまう。

 

 跳ね回る怒張を口に収めて逃さぬことを確信すると両手を離し、床の上につける。

 そのまま口腔の中では、舌がうねり出す。裏筋や雁首の窪みを這い回り、カウパーを吐き出し続ける鈴口をぐりぐりと舐る。

 それだけではない。口唇を雁首に引っ掛け、間抜けな音を立てながら亀頭を責める。

 

 その度に、口元に笑みを刻んだまま虎太郎は切なげに眉根を寄せる。

 

 

(そ、そんな切なそうな顔、すんなよぉっ♡ も、もっと気持ち良くさせてやりたくなるじゃんかぁ……♡)

 

「ずろろっ、んぼっ♡ じゅるるる、んぶっ、んぶっ♡ んろレルっ、れる、レロろろっ♡」

 

 

 溢れる先汁を味わいながら、顔を前後させる。

 顎が外れそうなほど開きながらも、口唇を貼り付かせ、頬を窄ませて奉仕を続ける。

 鼻の下を伸ばしたみっともない顔を晒しているのを自覚しながらも、口奉仕を緩める真似はしない。

 

 今まで誰にも見せた事のない姿を見せるのは羞恥もあったが、それ以上に虎太郎を気持ち良くさせる使命感にも似た奉仕欲求に従う。

 ただ一人の男に跪いて、組み敷かれる女の悦びを知ってしまった東には抗う術は唯一つ。

 

 

「チンポっ♡ デカチンポっ♡ おぶっ♡ はっぐぅっ♡ んじゅるるるっ♡ ビクビク、びくびくっひぇっ♡ はへぇっ♡」

 

「んんンンっ♡ んぐんぐっ♡ しゃき汁いっひゃいっ♡ ごくっ♡ んぐぐっ、れるぅ、もっときもひよく、して、やるからなっ♡ もっと、もっとぉっ♡」

 

「んじゅぷっ♡ じゅぽっ♡ んンンっ、れるるっ♡ んぼっ、んぼっ、ぐっぷぅっ♡」

 

 

 これまで自分を気持ちよくしてくれたものに精一杯の感謝を伝えるように、恥も外聞も投げ捨てての口唇奉仕。

 どぷどぷと先端から溢れてくるカウパーを飲み下す度に、女陰の奥から真白に濁った本気汁が溢れて閉じた太腿の間を滑って床を濡らす。

 口唇の隙間からは粘度の高い唾液が漏れ出し、陰茎に絡み付きながら長い糸を引いて垂れ下がっていた。

 

 

「東、もうそろそろ射精()したい、なっ」

 

「な、なりゃ、んぶっ♡ こ、このまま射精しえ、いいひゃらっ♡ ひゃっぷり、ざぁーめんっ♡ じゅるるるるっ♡」

 

「いや、口よりも気持ち良く射精()せるところがいい」

 

「……っ! わ、わひゃったぁっ♡ れっるれろっ、ちゅっちゅっ♡ んじゅぅ~~~~~~~~~~っ、ぷあぁっ♡」

 

 

 音を上げたように見えてその実、東の我慢の限界を見極めた虎太郎の願いに、目が輝く。まるで欲しいものを手に入れた子供のようだ。

 それでも名残惜しげに加えたまま亀頭を舐め回し、凛と整った顔が崩れてしまうほど鼻の下を伸ばして吸い付きながら引き抜いた。

 ポンと間抜けな音を立てながら再び顔を表した亀頭は、口唇奉仕によって更に張り詰め、今にも破裂してしまいそうだ。

 

 口で射精させてやれなかった自身の未熟さと申し訳なさ、煮詰まった女の欲望を感じながら、東は立ち上がった。

 にちゃ、と垂れた本気汁が糸を引いて足や床の間に繋がっていたが、最早、頭に入らないのか、気にした風もなく断ち切ってしまう。

 

 

「じゃあ、自分で挿れてくれ」

 

 

 ベッドの端に腰掛けたまま後ろ手を付いた虎太郎の言葉に頷く。

 東は震える脚と腰に力を込めてベッドに上がり、虎太郎の腰の上でM字に股を開き、肩に手を置いて深く腰を落としていく。

 

 

「まずは、マンコでキスしてくれよ」

 

「が、我慢できねぇとか言っておいて、それかよぉ」

 

「嫌かぁ? 口ではあんなにキスしてくれたのにぃ?」

 

「ほ、ほんと、酷ぇっ、女にそんな真似させるとか、性格悪ぃよ……そ、そういうとこも、好きになっちまったけど……んくっ♡」

 

 

 口では酷いと言いながらも、女の悦びに染まっている。

 

 深く落とした腰の中心で開いた花弁に、痙攣してそそり勃つ一物を何度も押し付けては放す。

 白濁した本気汁が押し付けられる度に溢れだし、亀頭との間に糸の橋を作り出しては、切れていく。

 

 焼けた鉄棒のような熱さと金属のような硬さとゴムのような弾力を備えた不可思議な感触を感じ取り、女の芯が炙られたように燃え上がっていく。

 微弱な快感に切なさばかりが増していくが、相手の笑みが消えぬのを見ると、もっと笑みを深めさせてやりたいと女が疼く。

 

 他の男では決して見せない痴態であったが、惚れた相手だからという免罪符の下、更に淫靡な姿を見せる。

 

 

「な、なあ、辛いだろ? もう、いいよな? なぁっ?」

 

「ふふ、辛そうなのは東の方だけどなっ」

 

「だ、だって、こんなお預け、つ、辛いに決まってんだろっ? もう、マンコも、心も、その気になってんのにっ……」

 

 

 目の端に涙を浮かべながら、女陰を使ったキスを繰り返す。

 それでも言いつけを守ろうとするのは、征服を待ち望んでいるからだろう。

 

 

「分かった。但し、ゆっくりだぞ?」

 

「そ、そんなっ……もう、限界だって、腰も、脚も笑ってんのにぃ……」

 

「駄目だ。折角、東が本気になったんだ。なら、オレも本気でお前をオレだけの女にするからな」

 

「ほ、本気っ……♡ うぅ、そんな風に言われたら、もうあたし、逆らえねぇよっ♡」

 

「そういうとこ、本気で可愛いぞ、東」

 

「も、もっと言ってっ♡ お前好みの女になるからなっ♡ こういう風にゆっくりぃっ、はぁおぉおぉぉぉっ♡」

 

 

 肉付きのいい尻とホッソリとした腰を左右に振りながら、見せつけるように肉棒を飲み込んでいく。

 待ち望んでいた男根が、膣道を掻き分ける衝撃に、爪先立ちになった脚がガクガクと震える。

 

 だが、虎太郎の望んだ通りに、何度も口唇を舐めながら力が抜けていく脚と腰を叱咤する。

 

 

「ほぉっ、はぁぁっ♡ や、やっと、先っぽだけっ……♡」

 

「よしよし。そのまま、さっき見たいに亀頭責めしてくれよ。まずは膣口に教え込んでやらないとな」

 

「んくっ、ふぅ、ふぅ、ふぅーっ♡ わ、分かった。んひっ、ひぃっ♡ あっはぁぁっ♡」

 

 

 ぐっぽ、ぐっぽと音を立て、亀頭が全て抜けきってしまわぬように腰を振る。

 

 雁首を飲み込み、襞と膣口に引っ掛けながら、雁首を引き抜く反復運動。

 肉棒はすぐに本気汁で白く染まり、睾丸にまでもが濡れ光っていた。

 

 時に口唇を噛み、時に歯を食いしばり、時には舌を噛んで、肉棒に絡みつく女陰から駆け上がってくる悦楽に耐え忍ぶ。

 時折、堪え切れずに漏れる嬌声は獣のように低く、自分の口から迸っているとは思えない。だが、何度も襲いくる甘イキの波に、気にも留まらない。

 

 

「そろそろ、いいかな。膣口はチンポの形を覚えたみたいだぞ、次は東の弱いところを順繰りに、だ」

 

「は、はひぃっ♡ つ、次はGスポットぉぉっ♡ お、おぉ、か、雁太チンポ、Gスポ、抉っへぇっ、はへ、ほぉぉ、いぃっ♡」

 

 

 人よりも浅い位置にある東のGスポットは既に充血しぷっくりと膨らみ切っており、到達は簡単だった。

 

 自らの腰の動きで、自らの弱点に男性器を擦り付けるゆったりとした動きは、彼女に膣のいやらしい形を自覚させるには十分過ぎた。

 亀頭の先端から雁首までを擦り付け、雁首の返しでぶつぶつとした膣壁をこそぎ落とす。

 

 東は口の端から涎を零し、焦点の定まらない瞳で虎太郎を見つめ続ける。

 そうしている間にも吸い付く膣の戦慄きに応えるように、尻肉を震わせながら上下左右前後に腰を揺する。

 

 Gスポットだけではない。

 自分ですら知らなかった、虎太郎に教え込まされた自身の弱点に徹底して愛する者の一物の味を覚え込ませる。

 Gスポットの反対、背中側の弱点に裏筋を擦り付け甘イキし、Gスポットの更に奥にある弱点に陰茎の血管に絡みつかせて潮を吹く。

 

 踵を浮かせて爪先立ちになったM字開脚ながら、巧みな腰使いで自ら膣内の全てを蹂躙させる。

 

 

「んお゛ぉっ♡ ふん゛ぐぐぅぅぅっ♡ へ、っひゃぁ、や、やっと子宮口キタっ♡ んっふふっ、とろとろマンコでデカチンポにディープキスゥっ♡」

 

「あー、このディープキス、堪んねぇ。亀頭に吸い付いてくるな」

 

 

 すっかり口の開いた子宮口はまるで東の気持ちを現すように亀頭に触れただけで吸い付いた。

 ドクドクと吐き出されるカウパーを、音を立てて吸い上げ、射精を促すように締め付ける。

 

 まるで極楽とばかりに虎太郎は声を漏らしたが、反面、東は泣きそうな顔で虎太郎を見ていた。

 

 

「も、限界だ。腰、抜けそっ……♡」

 

「ふふ、後ちょっと何だぜ、頑張れ頑張れ」

 

「ほぉ゛っ♡ あア゛っっ♡ それ、やめ゛ぇっ♡ いひぃっ、また潮吹きアクメ、くるぅっ♡」

 

 

 もうこれ以上は、と懇願する東であったが、それを見た虎太郎は意地の悪い笑みを浮かべた。

 彼女の悪寒も一瞬の事。ゆさゆさと虎太郎自ら腰を揺れ動かすと、亀頭に吸い付いた子宮口が右へ左へと拡げられる。

 

 たったそれだけで、尿道から派手に潮が吹き出し、東は舌を突き出してアクメを貪ってしまう。

 

 

「はっ、はひっ、はっへぇっ、はっ、はっ、や、やめりょ、それ、やめてぇっ……♡」

 

「じゃあ、こっちとこっちはどうだ?」

 

「ち、乳首とクリっ♡ あぉぉっ♡ りゃ、りゃめらってっ、そっちもやめてぇぇえっっ♡♡」

 

 

 腰を止めた虎太郎は、今度は呼吸で揺れる乳房の先端と膣の上でビンビンに勃起した乳首と陰核に指を伸ばした。

 小石のように固くなった乳首を捏ねくり回しながら引き伸ばし、反り返って自己主張するクリトリスを扱きつつも指で弾く。

 

 東は目を見開き、身体を揺さぶって少しでも快楽から逃れようとするが、その程度で獲物を逃すほど虎太郎の性技は甘くない。

 短い間隔で絶頂の波が襲いかかり、ぶしっ、ぶしっ、と音を立てて熱い牝潮が虎太郎の身体に吹き掛けられる。

 

 身体を仰け反らせて連続アクメを伝えると、虎太郎の指先がようやく緩む。

 震えて必死に同じ位置を維持しようと震える腰も、必死に目を逸らすまいとしつつも上向きになり始めた瞳も、真の限界を迎えようとしている証拠だ。

 

 

「はっ、ひぃっ、ひっ、た、頼むっ♡ 頼むよぉっ♡ はひっ、はっ、お、お願いっ、さ、最後は虎太郎が、トドメさしてくれよっ♡ アタシじゃなくて、お前があたしを女にしてぇっ♡」

 

「分かった。でも、約束しろよ? 酒も煙草も程々にしろ。それでオレより早く死なれちゃ敵わん」

 

「わ、わわ、わひゃったっ♡ 酒も煙草もやめりゅぅっ♡」

 

「そこまでしなくていい。程々、だ。それから東の身体、最高だぞ。不摂生でだらしない身体になるなんざ、許さんぞ」

 

「が、頑張りゅっ♡ 腹も、尻も、胸も、頑張って今のままにするっ♡ もっと、虎太郎に気に入って貰えるように、やらしい身体になるぅっ♡」

 

「じゃあ、トドメを差すぞ」

 

「はっ、お願いっ♡ お願いしますっ♡ こ、虎太郎っ♡ アタシをお前だけのして下さいっっ♡♡」

 

 

 震える腰を両手で掴まれただけで、東はまたしても絶頂に達した。

 但し、これまでの絶頂とは訳が違う、女の芯から作り変えられるような絶頂だった。

 

 きゅうと膣が収縮し、ビクビクと痙攣する一物を締め上げ、本気で精液を搾り取ろうとする。

 それと同時に、子宮口に半ばまで食い込んだ亀頭が完全に子宮の中へと侵入した。

 

 

「――――ほお゛っ♡」

 

 

 子宮の壁と亀頭の先端が触れ合うと同時に、白濁液が迸った。

 眼の前が白く染まり、バチバチと頭の中で電流が弾けるような絶頂感を浴びせられながらも、子宮を蹂躙する雄の欲望と全てを征服された女の幸せを貪り尽くす。

 

 

「おぉ゛っ♡ んっほぉっ♡ ぁっ♡ イッグゥっ♡ イっでる゛っ♡ いぎュうっ♡ 虎太郎チンポっ、最高らよぉっ♡ あ、あひゃま、蕩けるぅっ♡」

 

「お゛っ、おぉ゛っ♡ チンポっ、子宮の中で跳ねてっ♡ う、ひぃいいぃぃぃぃぃぃっ♡ きひゃきひゃきひゃぁぁあああぁぁぁっ♡」

 

「め、牝アクメ、すげぇっ♡ あっぐ、ひっぐぅっ♡ すごい、ぐりぐりしてぇっ♡ ザ、ザーメン塗りたくられっ、へひぃぃぃぃっ♡」

 

 

 虎太郎に腰を掴まれたまま、全体重が子宮と亀頭に伸し掛かる。

 M字に開いていた筈の両脚は、自身の女を全て明け渡すアクメの法悦と衝撃に、指の先までがピンと伸びて左右に広がっていた。

 

 

「ほら、そんなに感じ過ぎると頭おかしくなるぞっ、そういう時はどうするんだ?」

 

「ふぎぃっ♡ ふっ、ふぅっ、ふ、ぎゅうううぅううぅうぅぅうううぅぅぅぅぅぅぅっ♡」

 

「そうだ、そうするのが一番良い」

 

 

 意思に反してピンと伸びた両脚を今度は自分の意思で折り畳んでいく。

 それだけではなく、肩に置かれた手を背中に回し、身体と身体を密着させた。

 繋がっている意思だけではどうしても緩い力であったが、彼女の渾身の意思によって発揮された行為は必ず完遂される。

 

 むにゅりと張りと柔らかさが絶妙に融合した乳房が胸板に押し潰されて変形し、先端の乳首もが刺激される。

 

 

「子宮アクメきもちひぃっ♡ 精液、濃すぎて、べちゃべちゃぁ♡ こ、こんなの孕むっ、赤ちゃん孕んじゃうぅっ♡」

 

「射精っ、種付けっ♡ オ゛っ、おぉ゛っ♡ イッグっ♡ またイグっ♡ ほぉおぉ゛ぉおぉっ♡ あぁ゛~~~~~~っ♡」

 

「ザーメンっ、まだ出っ、ひっ、あああぁ゛っ♡ マンコイグっ、子宮アクメも、乳首アクメもすりゅっ、んひゃぁあ゛ああぁああぁぁぁぁっ♡」

 

「お゛っ♡ オォ゛っ♡ おほぉっ♡ イグ、いっぎゅっ♡ 種付けアクメっ、シッコ漏らして、イッグぅぅぅっ♡」

 

 

 絶え間ない絶頂に、尿道からは恥ずかしい黄金水が勢いよく吹き出した。

 まるで虎太郎の女である証と言わんばかりに、自分の臭いを少しでも相手に残そうとマーキングしているかのようだ。

 

 しなる肉棒を子宮で拘束し、吐精の度に粘液一つひとつが快楽を与えるのか、東は絶頂に腰をくねらせ擦り付ける。

 

 

「ほお゛っ♡ イグイグイグっ♡ 虎太郎専用女になっへぇ、おまんこイグっ♡ おぉ゛っ♡ イッグぅううぅぅぅぅううぅぅぅぅぅぅっ♡♡♡」

 

 

 だらしなく震えて開いた口から、真っ赤な舌を突き出しながら、東は女の幸せを極めた。

 隙間から収まりきらなくなった白濁液を零しながらも、より一層強烈に子宮と膣は亀頭と陰茎に食いつき蠢動して、意地汚く精液を吸引していく。

 

 子宮で雄汁を受け止める悦びに身体を引き攣らせ仰け反り、喜悦の咆哮を撒き散らす。

 それでもまだ足りないと言わんばかりに、男の象徴は脈動を繰り返して精を吐き続け、女の園は蠕動して精を搾り取る。

 

 

「はへっ……はっへぇっ……ひぃぃ……うぅん、あへっ……♡ ひゃ、ひゃっとぉ、終わったぁっ♡ しょうべん、いっぱひっ♡ あひっ、ザーメン、たぷたぷぅ……っ♡」

 

 

 強烈な絶頂の余韻に浸りながらも、涙と涎と鼻水で濡れた顔で東は微笑んだ。

 彼女の顔には、彼女が抱いていたコンプレックスが馬鹿馬鹿しくなるほどの、女の笑みが刻まれている。

 

 無言ではあったが、虎太郎の身体に巻きつけていた手脚に力を込め、目にハートまで浮かべて男としてどれだけ素敵だったか、女の悦びがどれほどのものであったかを伝えていた。

 

 

「こ、これで、はひっ……もう、虎太郎の女ぁっ、ひぃぃっ……はっ、はぁっ、ぜってぇ、離れらんねぇよぉっ……♡」

 

「放す訳ないだろ、こんな馬鹿で可愛い女」

 

「んむっ?! ……んふっ……んろっ、れるるっ、ちゅっちゅっ、ひっ、今、きひゅされたりゃ♡ れろるっ、レロっ、ま、またしょうべん、漏れりゅぅっ♡」

 

 

 言葉で拒絶しようとも、押し付けられた口唇と舌を、東は喜んで迎え入れた。

 ぴゅっぴゅと尿道に残った聖水が溢れるのも構わずに、舌を絡め合わせる。

 

 

「んちゅっ♡ ひゅげっ♡ んじゅるっ、じゅちゅ、ちゅっ♡ ひぁあっっ♡ ち、チンポ、まだぁっ♡」

 

「そりゃ、東がこんなにしおらしくて、可愛い姿を見せてくれたからな」

 

「んふぅっ、れるっ、も、もっろ、褒めてっ♡ ちゅぅうっ♡ 虎太郎好みのおんにゃになりゅからっ♡ もっと、もっとぉっ♡」

 

「よしよし。そういうとこ好きだぜ、東」

 

「はぁぁっ、あ、あらしも好きっ♡ あらしの彼氏、恋人っ、夫っ、旦那様ぁっ♡ れるっ、じゅるるるるるっ♡」

 

「でも、そんなにいいもんかねぇ、SEXが巧いだけだぜ?」

 

「そ、そんなことねぇっ♡ チンポでかくて、SEXだけじゃねぇっ♡ はむっ、あたひがどんなゲスに犯されてヨガっても、絶対助けて、ちゅっちゅっ、可愛がってくれりゅっ♡ アタシの顔がぐちゃぐちゃになっても、あむぅれっ、れるろっ、可愛いって犯してくれるらろぉっ♡」

 

「まあ、そんな程度で手放すつもりはないな」

 

「ふぅううぅっ♡ それでいいっ♡ はぉっ♡ それがいいのぉっ♡ れろぉ~っ♡ そういうとこが好きらからぁっ♡♡」

 

「…………今のは、ぐっと来た。やっぱり本気で可愛いよ、お前」

 

「ふぉっ!? ま、まっへぇっ! い、今、動かれたら、きしゅっ、れきな……あ、あひぃぃぃいいぃぃぃぃぃぃぃっ♡」

 

 

 深い深いキスを繰り返し、涎が垂れて胸元が汚れていくのも構わずに、東は一途な告白と接吻を繰り返す。

 

 その姿に、虎太郎は呆気に取られながらも、珍しく掛け値もなければ偽りすらもない言葉を漏らした。

 そうまで求められて悪い気はせず、そういった求めには応えるのが彼の生き様である。

 更なる絶頂と女の快楽と幸福を東に叩き込んでやろうと、萎えずにいた怒張を更に漲らせて腰に力を込める。

 

 対する東は絶頂の余韻から立ち直れておらず、目を白黒とさせたが、すぐさま蕩けた女の表情へと切り替わった。

 後に続いたのは獣そのものの嬌声と、好き、愛しているという東の告白とも絶叫とも取れる喘ぎ声だけであった。

 

 

 

 

 





ほい、というわけで、東告白&御館様相変わらず告白されると手が早い&ヤンキー先生、陥落、の回でした。

いや、苦戦に次ぐ苦戦。モチベ低下に次ぐ低下で難産でした。待たして申し訳ねぇ。
その分、この作品の中ではトップクラスのイチャラブ&調教ぶりじゃなかっただろうか、と自画自賛。

こうエロシーンより戦闘シーンや策謀シーンを書きたくなって大変じゃった。じゃから、次回は日常回なんじゃ。マリカのエロはもうちょっと待って欲しいんじゃ。
んじゃま、次回もお楽しみにー!!


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『錯乱すると訳の分からない行動に出るのは人も吸血鬼も変わらない』


スカスカ様←師匠の外見&ちょっと抜けてる&可愛い=作者の股間に電流走る(ピシャーン)

水着ジャンヌ←競泳水着&眼鏡&ポニテ&ドスケベボディ=作者の股間に電流走る(ピシャーン)

水着BB←華美なアクセ&ビキニの上からホットパンツ&黒ギャルビッチ風コス=作者の股間に電流走る(ピシャーン)

フゥーハハー! ここ最近はFGOの搾取がヒデェ! 夏イベとか本当に地獄だぜぇ!!
そして対魔忍ZEROと対魔忍RPGXとかいうLilithの刺客が控えている現状よ。
RPGXの方は時間取られそうなんだよなぁ。せめてランキング形式のイベントがないと嬉しいのだが、どうなんじゃろか。

そして、今回はマリカ編の導入部。※なお、マリカよりも他キャラとイチャついている模様。

では、どぞー!




 

 

 

 

 

「ふぅ…………」

 

 

 目も眩むような晴天の下。

 吐き出された紫煙が風に流されて融けていく。

 

 虎太郎は自身を見下ろす太陽から発せられる陽光に薄っすらと目を細めながら、数少ない人間的な嗜好である煙草を楽しんでいた。

 時間は昼前。場所は校舎横にある教員用の喫煙所。

 

 別段、理事長室での喫煙は禁じられてはいない。

 いや、元々は禁止されていたのだが、東がお構いなしに煙草を吸うので、北絵が根負けする形で許可を下ろしたに過ぎない。

 ただ、五車学園でそうであった故に、校舎内で煙草を吸うのは落ち着かなかっただけである。

 

 虎太郎の体調は全快していたと言ってもいい。

 カーラによって流し込まれた生命力は全身の器官と細胞を活性化させ、僅かな疲労感すらない。

 本日の事務処理も書類整理も順調そのもの。虎太郎の理想とする処理ペースであった。

 

 

「お、いたいた。何でぇ、あたしを誘ってくれてもいいじゃねぇか」

 

「別に、お前は部屋で吸えばいいじゃないか。オレはこっちの方が落ち着くだけだよ」

 

「いや、そうかもしれねぇけど……一緒に吸いたいっつーか、なるべく一緒にいたいっつーか、ごにょごにょ」

 

「今まで付き合ったことないわけじゃないんだろ?」

 

「そ、そりゃ、そうだけど。なんつーか、恋人同士のあれこれってのは、経験ねーのは事実だし。あ、あんまりからかうなよぉ……」

 

「そいつは悪かった。色々と教えてやるから、気を悪くしないでくれ」

 

「べ、別に機嫌悪くなんてなってねぇし。お、お前に意地悪されんのも、嫌いじゃ、ねぇし」

 

 

 年不相応に初心な反応を見せながらマゾ気質を無意識に明かしてしまう東に、虎太郎は苦笑を漏らした。

 その笑みを馬鹿にされていると解釈したのだろう。東はちぇっ、と口唇を尖らせ股を開いてその場に座り込む。これがコンビニの前なら紛うことなきヤンキーである。

 

 東は自ら虎太郎の女になると宣言してから、ずっとこの調子だ。

 距離も近くなり、態度は一層軟化した。元々、猫を被るような真似をしない彼女であったが、自分のコンプレックスや弱い部分を躊躇なく明かしているのは、彼女なりの表現なのだろう。

 神村 東という人間は十分に成熟した大人であるが、神村 東という女はまだまだ少女と変わらないようだ。

 

「…………アレ? っかしーなぁ、どこ閉まったっけかな?」

 

「はん? どうかしたか?」

 

「あー……ライター忘れた」

 

「何やってんだか」

 

 

 しわくちゃになった煙草を加えながら衣服のポケットをくまなく探ると、東はカクンと肩を落とす。

 ライターがなければ煙草を吸う事も出来ない。虎太郎が喫煙所へと向かう姿を見て、慌てて後を追ったので無理もないと言えば無理もないが、間抜け具合は頭が痛くなってしまいそうだ。

 虎太郎の呆れ顔にもぐぬぬと表情を歪めるばかりで、怒鳴り声を返す事すら出来ない様子だった。

 

 

「火、貸してくれよ」

 

「はいよ、ほれ」

 

「お、おう」

 

 

 東の言葉に、虎太郎も同じように腰を落とすと口で加えた煙草を差し出す。

 ライターを貸してもらうつもりだった東は、ほんの僅かに動揺はしたものの、逆らうような真似はしなかった。 

 

 俗にシガーキスと呼ばれる行為。

 僅かに朱に染まった頬を晒しながら東は煙草の先端を押し付ける。

 これで虎太郎が俳優のような美形であったのなら映画のワンシーンを切り抜いたようであったのだろうが、生憎と彼は美形ではなく死んだ魚の眼をした特徴のないの顔立ちだ。絵にならないにも程がある。

 

 

「ふぅ……こうしてられんのも、もうちょっと、なんだよなぁ」

 

「あぁ? どうした、急に?」

 

「いや、理事長を筆頭に、ウチの連中がそっちに行ってからそれなりに時間が経ってるから、治療の方もそろそろ終わる。そうなったら、お前も戻っちまうだろ?」

 

 

 言葉にこそしなかったものの、彼女の萎れた雰囲気は言外に寂しいと語っているようなものだ。

 東と虎太郎には、それぞれ教師という立場がある。自らの職場と責任を放棄するわけにも、放棄させるわけにもいかない。

 当然、二人の距離は離れる。日本の端から端までの距離ではないにせよ、接する時間が激減することは確実だ。

 

 愛した誰かが側にいない寂しさに耐えられるのか。

 もっと正確に言えば、物理的な距離がそのまま心の距離となり、今の関係が自然消滅してしまう事こそを恐れていた。

 

 

「別に、永遠に会えない訳じゃないだろ。連絡先も教えたろ?」

 

「確かに、そうだけどさ。アタシもお前も暇って訳じゃねぇし。連絡だってそう簡単に取れるわけじゃねーし」

 

「何だったら、週一で会いに来ようか?」

 

「そ、そんなの悪ぃよ。そ、そりゃ嬉しいけど、あんまし重荷にもなりたくねーし…………そ、そのめんどくせぇなコイツって顔やめろぉ!」

 

 

 不安から二進も三進も行かなくなっている東に向ける虎太郎の顔は、東が語った通りに歪んでいる。

 怒りというよりも、そんな顔をさせてしまっている自分の不甲斐なさ故に東は声を荒げた。

 

 虎太郎にしてみれば、気持ちは分かるが不安になる意味が分からない。

 週に一度であれば、少々厳しくはあるが、無理ではない。五車学園から隼人学園までは車で2時間程、手段を問わなければもっと早くなる。何なら“瞬神”のマーキングでもしておけば、一瞬で済む話。

 自身の女である以上は、その程度の点数稼ぎを怠る理由もなかった。

 

 

「別に、いいよそれくらい。それくらいのことをする価値がある女だろ、お前は」

 

「う……正直、あんまし自信ないっす、はい」

 

「なら、これから価値を付けてくれ。もっとも、どんな女であれ、自分がものにしたなら、オレは後悔なんかしないから、そう気負わなくてもいいよ。寧ろ、気負わなきゃならんのはオレの方だ。ほら、お前にバットで頭吹き飛ばされるなんてゴメンだし」

 

「し、しねぇよ! そんな真似! 寧ろ、アタシは一人で寂しく泣くぐらいだっての……」

 

「じゃあ泣かせないように頑張るわ。もしお前が誰かに攫われたとしても、何処にいようが見つけ出して助けに行く気概はあるんだぜ、これでも」

 

 

 普段は見せない優しい眼差しと笑みを見せられては、東も不安を引っ込めざるを得ない。

 いや、不安なぞもうありはしない。あるのはそうまで女として魅力と価値を断言された気恥ずかしさだけ。

 

 ただでさえ赤かった頬を更に紅潮させ、東はそっぽを向いたが、虎太郎は彼女の頭に手を乗せ、ポンポンとあやすように軽く叩いた。

 

 

「――――んんっ。お楽しみのところ、失礼するわね」

 

「うぉ、おぉおぉぉぉ――――!」

 

 

 その時、何処から現れたのか、何時から居たのか、喫煙所に姿を現れたカーラが咳払いと共に声を掛けてきた。

 

 気配すら全く感じていなかった東は、弾かれたように虎太郎から距離を取る。

 流石は大人であっても少女の東である。人目を気にせずに、というわけにはいかないらしい。

 対し、虎太郎は驚きもなくその場を微動だにしない。色々と慣れきった様子だ。

 

 驚きの声を上げた東に何とも言えない視線を向け、続き冷たい視線を虎太郎に向けたカーラであったが、首を軽く振って口を開く。

 

 

「今し方、五車学園から連絡が入ったわ。北絵の手術は無事成功したようよ。術後の経過観察が終わり次第、此方に戻せるらしいわ」

 

「最低でも後一週間、長くても二週間と言ったところか。重畳重畳、これで一仕事終える目処が立ったって訳だ。カーラとクリシュナは入れ替わりであちらへ、だな」

 

「ええ…………それからマリカの件だけど」

 

 

 虎太郎がマリカの治療後に倒れてから、二人はほぼ接触をしていない。

 両名ともにカーラにこってりと絞られている故に、当然と言えば当然かもしれないが、その程度で虎太郎が反省なぞする筈もなく。

 傍目から見れば、マリカが虎太郎を避けているようにしか見えなかった。

 

 一従者として、あらゆる害悪からカーラを守らねばならないにも関わらず、何一つ出来ない歯痒さ。

 北絵や東といった敬意を払うに値する人間ならばいざ知らず、軽蔑に値する人間の力を借りねば立ち行かぬ自らの境遇に対する不甲斐なさ。

 屈辱は感じながらも、借りは借りと感謝の念を抱きながらも口に出来ぬ己の煮えきらなさ。

 ただでさえ複雑な感情が複雑に絡み合い、さながらこんがらがった釣り糸のような有様になっているのだろう。こうなってはマリカでも解くことは出来まい。

 

 これもマリカの生真面目さ故である。

 カーラのように清濁併せ呑む柔軟さがあれば、或いは東のような不真面目さがあれば、こうも面倒な話にはならなかっただろう。

 

 虎太郎は虎太郎で、それを察しているが故に、自ら近づいていこうともしない。

 他人の問題は他人のもの。例え、それが己の存在によって他人の内に発生したものであろうとも、相手が口にせねば関わろうとしないのが薄情な彼のスタンスである。

 

 とは言え、問題もある。

 気功による抑制療法、桐生手製のウイルスによる対症療法、は共に一週間も施されていない。

 寄生蟲の活動は停止しているもののアムリタの後遺症までがなくなった訳ではない。周期的に、そろそろマリカも限界に近づいている。

 

 どちらか一方がどちらか一方に歩み寄らねば、大事になりかねない。

 

 それを理解しながらも、虎太郎は気楽なものであった。

 マリカは抵抗するだろうが、カーラに(だま)で気功を施してしまえばいいだけの話。

 最終的にはマリカも折れる。何せ、無理をして迷惑を被るのは主人であるカーラであるのだから。 

 

 

「私は認めませんからね」

 

「――――ハハ、何の事かなぁ?」

 

「認めませんからね」

 

 

 その時、カーラの双眸に絶対零度の紅い光が宿る。思わず東も後退るレベルであった。

 短い期間であるが、彼と過ごして人となりは僅かであるが把握している。虎太郎が何を考えているのか、どのような行動に出るつもりなのかを察しているのだろう。

 気功による抑制療法は効果はあるが、虎太郎はあくまでも習得しているレベルであって、極めているわけではない。一歩間違えば、先日の二の舞である。

 

 カーラとしてもそれは避けたい。

 先日の一件は、奇跡的だ。エナジードレインの反転使用は当人も、ましてや源流である不死の王すらも意図していなかった使い方だ。

 カーラもまたエナジードレインを極めているわけではない。無理な使い方が、そうそう成功するとは思えない。

 もっとも、それは謙遜だ。彼女の天才性は凄まじく、既に(コツ)は掴めているのではあるが。

 

 しかし、虎太郎は何処吹く風とすっとぼける。

 この程度の威圧など慣れ親しんだもの。かつてはアサギや紫から日常的に浴びせられていた。そして最後には二人が糠に釘、暖簾に腕押しと諦めている。

 

 自分が楽をするためならば命を削ることも厭わない。

 此処で言う楽とは、精神的、或いは時間効率的な話である。既に肉体面と疲労面での話を考慮していない辺り、狂っていると言う他ない。

 

 

「さて、昼飯の準備をしないとな。ほいじゃま、お先に」

 

「おい、置いてくなって、アタシも手伝うからよ」

 

「お、悪いね」

 

「まあ、アタシも練習してぇし。料理を覚えるのも悪くねぇしな」

 

 

 何を言おうが平行線が続くと判断した虎太郎は、早々かつ一方的に話を打ち切る。

 なおも続くカーラからの鋭い視線の一切を無視し、指先で煙草の日を消し潰すと吸い殻入れに放り込んで立ち上がる。

 

 ゆるりとした足取りで食堂へと向かう虎太郎に、東は慌てて後を追う。

 その顔にははにかんだ笑みが刻まれており、誰のために、何のために料理の練習をするのかは語るまでもない。

 

 去っていく二人の姿に、カーラは溜め息を付きながらも、痛みに耐えるように自身の二の腕を抑えていた。

 

 

(あの様子はそういうこと、よね。……東に嫉妬するなんて思いもよらなかったわ。そんな権利もないのにね……)

 

 

 冷静に自己の内部に生じている感情に名を与え、暗澹たる気分に浸る。

 それを忘れようと首を振るが、そう簡単に忘れられるものでも、消え去るものでもない。

 

 

(虎太郎にも言っていないこともあるし……明かすのなら、タイミングが重要ね。弱味を見せて、相手に付け入るような真似は嫌だけれど、仕方ないわ)

 

 

 全ての感情と考えを表に出さずにいたカーラであったが、気が重いことに変わりはないのか、大きく溜め息をつくのだった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 草木も眠り、吸血鬼の女王すらもが夢を泳ぐ丑三つ時。

 

 月明かりのみがカーテンの隙間から薄っすらと差し込む一室に、一つの影が闇から溶け出るように現れた。

 部屋は虎太郎に充てがわれたものであり、影の正体はマリカであった。

 

 部屋には侵入したものが怪我を負うようなトラップこそ仕掛けられていなかったものの、侵入者の存在を知らしめる類の仕掛けならば二重三重に設置されていたのだが、どれもが作動すらしていない。

 吸血鬼の能力である肉体の霧化、マリカの経験則からなる仕掛けの看破によるものである。

 

 マリカが歩を進めても主の寝息だけが響くのみ。

 流石にカーラ直属の暗殺騎士団に身を置いているだけあり、対魔忍の隠形術に勝るとも劣らない気配の殺し方だ。

 

 静寂に等しい空間の中、一歩、また一歩と眠る虎太郎へと意を決して近づくマリカ。

 残り三歩にまで距離が縮まった瞬間、ベッドとシーツが弾けた。

 

 

「――――っ!?」

 

 

 マリカの視界が真白に染まる。

 それが今し方まで虎太郎の身体を覆っていたシーツであったと理解するよりも早く、彼女の身体は強烈な敵意に横へと飛んだ。

 

 続き、短く空気が抜けるような音が二度連続する。

 

 態勢を崩す事なく地に足を付けたマリカは、反射的に先程まで自身が立っていた背後の壁に視線を向ける。見れば、壁には二つの弾痕が穿たれている。

 

 

「おいおい、忍の部屋にノックも無しに入るなんざ、罷り間違って殺されたって文句は言えないって分かってんのか?」

 

 

 冗談交じりの言葉には、本物の敵意が込められていた。

 虎太郎はベッドの上で片膝を付いた状態のままサイレンサー付きの拳銃を胸の前で構えている。銃口が向けられているのは言わずもがなマリカの心臓である。

 

 殺すつもりはないが、傷つけない気もない虎太郎の姿に、マリカは本気で舌打ちを漏らす。

 

 今し方まで虎太郎は本気で眠りこけていたほどにマリカの気配の殺し方は完璧だった。それこそ野生の獣すらも凌駕していたほどだ。

 失敗があるとするのなら、意を決する際に覚悟を外へと発露させた事か。それさえなければ、反応は間に合わなかっただろう。

 

 

「――何のつもりだ?」

 

 

 虎太郎は本気で困惑しながら、問いの言葉を口にする。

 グラムを確殺するために彼女達に強いた仕打ち。治療のためとは言え現在進行系でカーラに手を出している事実。

 カーラの忠臣たるマリカに殺されるには十分過ぎる理由であるが、おかしな事にマリカから殺意だけは抜け落ちていた。

 

 表情と目線から感じ取れるのは怒りと苛立ちといった負の感情。息遣いと額に浮かんだ脂汗からはアムリタの後遺症が見て取れる。そして、並々ならぬ決意のみ。

 

 虎太郎にしてみれば訳が分からない。

 怒りで喚き散らすでもなく、かと言って恨み言を漏らす訳でもない。

 腹を括った様子であるが目が据わっており、さしもの虎太郎も困惑せざるを得ないだろう。

 

 

「これから私は、お前を抱く」

 

「――――はい?」

 

 

 銃を握る手に震えはなく、銃爪にかかった指に躊躇いはない。

 だが、虎太郎が思わず間の抜けた声を漏らすほどに、マリカの発想は斜め上であった。

 

 

「お前、何を言ってるか分かって言ってんのか?」

 

「五月蝿い!」

 

「おいおいおい、ちょ、待て! 本気だな! マジで?!」

 

 

 思わず正気を疑った虎太郎であったが、マリカはお構いなしに突進してきた。

 

 完全に錯乱状態であったが、むべなるかな。

 

 マリカにとってカーラの命は絶対である。

 カーラとて虎太郎に抱かれてこい、などと露骨に命じた訳ではないが、気功による抑制療法を禁止した以上、残るは性交による対症療法しかない。

 

 それはマリカにしてみれば屈辱の極みのようなものである。

 ただでさえ身体を汚されていると言うのに、これ以上身を汚さなければならないなど。

 これが好意を寄せた相手ならば腹の括りようもあったのだろうが、相手は感謝こそすれ根本的に噛み合わず気に入らない男だ。

 

 悩み抜いた挙げ句に、アムリタの禁断症状による発情が加わり、マリカの明晰な筈の頭脳はオーバーフローした。

 いっそ、身体を汚されるくらいならば自分から。自分が上位であれば、泣きたくなるほど不様な姿を晒す事もない。

 斜め上の方向に吹き飛んだ思考のまま、斜め上の覚悟を決めて、こうしてへやを訪れた。

 

 結果が、この様である。

 

 

「ぜぇ……ぜぇ……ほ、ほんと、勘弁しろよな」

 

「くっ、これを解けぇっ!」

 

 

 格闘する事こと5分。

 虎太郎は汗塗れになりながらも何とかマリカを制圧し、椅子に特殊合金製のワイヤーで後ろ手に縛り上げていた。

 ご丁寧に額には固着の護符がキョンシーのように貼り付けられており、霧化の能力も封じている。

 

 マリカが本気で殺しに掛かってきたのなら、虎太郎でも不可能な芸当だ。

 得物たるシヴァを出さず本気で拘束だけを目的とし、なおかつ禁断症状による身体能力低下の影響が大きかった。

 

 

「お前ね、いくら迷いに迷って悩んだ挙げ句にしたって、これはないだろう」

 

「五月蝿い! 貴様に私の気持ちを分かる筈がない!」

 

「まあ、間違っちゃいないがな」

 

 

 相手の思考や感情を理解できようと、共感せねば真の意味での理解には程遠いだろう。

 彼にしてみれば、他人の感情は額縁の中の絵、画面の中の映画のようなもの。現実感は薄く、合わせるだけのものに過ぎない。

 

 とは言え、虎太郎も手詰まりではある。

 カーラに黙の気功による抑制療法も、マリカの納得が必要だった。こうも頑なでは施そうとした瞬間に、本気で手首からを先を落とされかねない。

 このまま部屋にお帰り頂こうにも、この精神状態と発情具合では予期せぬ事態を招きかねない。

 

 性交をせねばならぬ以上、どの道マリカはまたも心に傷を負うだろう。

 せめてその傷を浅くしておかねば、今後の同盟関係や人間関係にまで罅を奔らせかねない。虎太郎に選択肢などないのだ。

 それに仕事の上での性交なら、相手が腹を括っている事が彼なりのラインである。最低限のラインは確保できていると言えるだろう。

 

 

「分かった。但し、無茶をする気もさせる気もない。最低限、こっちの指示には従え。それなら、やってる間オレはベッドの上で横になっている。それでいいか?」

 

「良い訳があるか! だが、カーラ様にご迷惑は掛けられない! 不快な上に不愉快だが、他に手がない以上は背に腹は変えられん!」

 

「そうかい。それじゃ、ちゃっちゃと終わらせるか」

 

 

 ボリボリと頭を掻きながらマリカの背後に回り込み、拘束用のワイヤーを外していく。

 彼は表情と声にこそ出さなかったものの、その胸中には、どうしてオレの周りはこう気の強い女ばかりなんだか、という誰に対するでもない恨み言であった。

 

 

 

 

 





ほい、というわけで、東先生マジ尽くす女&カーラ何か隠している模様&マリカ錯乱! の回でした。

こういう兎に角真面目で杓子定規な判断しか出来ないキャラをエロに持ってくの難しい、難し過ぎんよぉ。
お陰でマリカの脳みそパープリンになってるが、致し方なし。ほら、発情して思考能力が下がっとるんじゃ。
さて、次回こそはエロに。今週中に投稿できるかなぁ……?


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『仕事の上での性交だろうが、蕩かすぜぇ~超蕩かすぜぇ~!』

シャアッ!! 何とかマリカのエロ投稿!
なんか個人的には物足りない感半端ないけど、まあ仕方なし!
あくまでもお仕事の上での性交だからね! 純粋なイチャラブじゃないからね! 愛のある調教でもないしね!

というわけで、大変お待たせしましたマリカのエロです! どぞぉ~!



 

 

 

 

「…………うぅっ」

 

(恥ずかしがるな、緊張するなと言うのは酷な話だが、殆んど経験もないのに思い切った真似をしたもんだ)

 

 

 拘束を説かれたマリカは身体を覆っていた衣服全てを脱ぎ去り、裸体を晒していた。

 

 発情によって浮かび上がった珠の汗が全身を濡れさせて月光を跳ね返し、蠱惑的な魅力を放っている。

 エキゾチックな褐色の肌に包まれた靭やかで引き締まった五体。カーラや東には劣るものの日本人に比べれば十分に育った乳房。小振りながらも確かな肉付きと弾力を予感させる尻。

 羞恥に染まった表情が、その魅力を一層引き立てているのに、マリカは気付いていないようだ。

 

 片腕で両胸を、もう一方の腕で股間を隠す姿は、映画の女神のようだ。

 但し、彼女の来歴を考えれば美の女神ではなく、死と戦いの女神なのであろうが。

 

 発情と恐怖と緊張で固まったマリカは泣き出しそうな表情のまま、その場から一歩も動けないでいた。

 怜悧な無表情は何処へ消え去ってしまったのか。普段は決して見られないマリカの“女”としての顔だ。

 

 

「そのまま固まってても終わらないぞ、こっちに来い」

 

「うっ、くっ! や、やめろ……」

 

 

 虎太郎は上半身の服を脱ぎ終わるまで待っていたが、それでもなお固まっているマリカに業を煮やし、その二の腕を遠慮なしに掴んだ。

 

 男に触れられるだけでマリカは全身が総毛立つのを感じたが、抵抗は出来なかった。

 反射的に虎太郎を突き飛ばすことくらいは出来ただろうが、度重なる陵辱の記憶がそれを止めていた。

 陵辱を回避しようと抵抗すれば、より悲惨な状況に叩き落とされる。それがマリカに刻まれた事実(きず)であった。

 

 虎太郎に引き摺られるようにベッドの前まで移動させられる。

 

 顔を蒼褪めさせたマリカを注意深く観察しながら、彼は無言のままベッドの縁に腰を下ろした。

 

 

「手、退けてくれ」

 

「ふ、ふざけるなっ。話が違う! お前はベッドで寝てるだけだと……っ!」

 

「それはそうなんだがな。このままじゃ夜が明けるどころか、そのまま日が暮れちまう。準備をするだけだ。勿論、嫌なら嫌と言ってくれ」

 

「…………ぐっ、ぅぅ……分かった……っ」

 

 

 何を考えているか分からない無表情か、巫山戯ているとしか思えないおちゃらけた顔しか見たことがないマリカには、信じられない真剣な表情。

 目は口ほどにものを言うものだ。事実として、今この状況を望んでいないマリカですらが全ての不満と不安を飲み込むほどの誠実さであった。

 

 何度となく躊躇いながらもマリカは乳房と秘部を隠していた両腕を下ろす。

 露わになったのはツンと勃起した乳首と陰毛の向こうで溢れる蜜。既に、アムリタによる禁断症状がマリカの意思ではどうにもならない証左であった。

 

 両手をぎゅっと握り締め、言われるがままに気をつけの姿勢を取りながらも、不甲斐なさと情けなさに歯噛みする。

 

 

「じゃあ、触るな」

 

「――――ひ、ぃっ!」

 

「落ち着いて、呼吸をしてくれ。大丈夫、安心はできないだろうが、心配することはない」

 

 

 

 宣言と同時に、虎太郎の腕が伸び、マリカの乳房に触れる。

 

 たったそれだけの行為で、彼女は情けない悲鳴を上げた。 

 閃光のように頭の中で陵辱の記憶が弾けては消えていく。

 強烈なまでの不快感に吐き気。全身が泡立ち、すぐにでも彼の手を払い落としたくて仕方がない。

 

 それでも逃げ出さなかったのは、虎太郎の目が欲望に塗れていなかったからか。

 今の彼にとってマリカとの性交は仕事であり、同時に己以外には出来ぬ所業故の責任感しかない。

 言わば、医師の触診と変わらない。それが性感を刺激するものであったとしても、いやらしさは微塵もないのである。

 

 

「ふっ、ぁ……くぅっ……ふーっ……ひ、……はぁっ……」

 

「別におかしくもなけりゃ、恥ずかしくもない。こんなものは肉体の反射だ。お前が気に病むことじゃない」

 

 

 優しい、余りにも優しい、慈しみすら感じる手付きで、豊かなバストが揉みしだかれる。

 下から持ち上げられたかと思えば、そのまま重力に開放されてぷるんと揺れる。

 左右から細心の注意を払いながら潰されて、指がずぶずぶと沈んでいく。

 色素の濃い乳輪の縁を指でなぞられる度に、腰がぴくりと跳ね回る。

 

 胸にある快楽神経を直接刺激されるような愛撫に、マリカは堪らず甘い吐息を漏らした。

 それを不様と感じ、決して聞かれまいと指を噛んで止めようとするが、全てが徒労に終わる。

 

 マリカの内心を察してか、胸中に渦巻く屈辱すらも溶かすように虎太郎は甘言を弄する。

 女の身体はそのように出来ており、ましてや寄生蟲とアムリタの後遺症に苦しむお前が感じるのは何一つおかしい事はない、と。

 

 女ならば詭弁にしか感じない言葉であったが、マリカはその通りかもしれないと思い始めていた。

 

 そもそも陵辱の中にあってすら、快楽というものは生じていた。

 男達は身悶える彼女を嘲笑い、生来のメス豚だと罵られた。それがどれほどの屈辱であった。

 肉体のみならず精神的にも陵辱されたマリカは、心の何処かでそれを望んでいる自分が居るのでは、淫らな本性が隠れているのでは、という不安を抱えていた。

 

 だが、虎太郎の言葉は逃げ道であった。

 彼女の負った傷は男に犯されたことではなく、寧ろ、そんな連中の思惑通りに堕落させられた自分自身に対する不甲斐なさにある。 

 自分は悪くない、という思考はマリカのように責任感が強く、誇りと忠誠を第一にする者にしてみれば、恥ずべき思考だ。

 しかし、このような状況に陥った以上は、逃げ道を用意しておかねば、今後のマリカの人生に影を落としかねない。

 

 流石に、女を快楽の渦に叩き落とし、反応を知り尽くした達人と言うべきか。

 最低な手練手管ではあったものの、虎太郎の言葉は確かにマリカの心から屈辱と恐怖といった感情を融かし始めていた。

 

 

「そろそろ次の段階に移る。少し刺激は強いが、大丈夫か?」

 

「……っ、ぅ、……いちいち、確認するなっ。さっさと終わらせろぉっ!」

 

「そ。分かった。その意気であれば心配なさそうだ」

 

「……うっ、ふっ――――ひぃっ♡ ち、乳首ぃっ♡」

 

 

 ツンと立った乳首を抓まれた瞬間、マリカの口から女の声が漏れる。

 

 激しさなどない、ただ触っただけという刺激で、マリカは視界が白く染まっていく。

 四方八方に勃起した乳首を押し倒され、時折、指で挟まれて扱かれる。

 

 余りの衝撃に、大きく開かれた口の端から涎が溢れる。

 記憶にある男達の扱いには程遠い、本物の愛撫にマリカは笑う膝を必死で奮い立たせるだけで精一杯だった。

 

 

「くっ、ひぁっ……んんっ、んふっ……ぐ、あぁっ、あんっ……ま、待て、と、とめ、……んひぃっ♡」

 

「少し、性急過ぎたかな?」

 

「はっ、はぁっ……ひっ……ふぅ……うっ……すぅ……ふっ、ふぅ……♡」

 

 

 マリカの静止の言葉に合わせ、虎太郎はさっと手を離した。

 愛撫から開放された瞬間、ふらつく身体を何とか支えながらも、全力疾走でもしたかのように肩で息をする。

 

 全身は汗で濡れ、背中や胸の谷間、臍を伝う。

 それだけではなく羞恥か、防衛本能か、はたまた期待なのか、しとどに濡れたマリカの女からは大量の蜜も溢れている。

 

 

(こ、これが愛撫、なのか。ち、違う。全然、全く、これっぽちも、似てない。あ、頭が蕩けてしまう)

 

 

 マリカの胸中に湧いてきたのは、泣き言だった。

 単に力づくで犯されるだけであれば、相手に対する憎悪と怒り、反骨と克己から、まだ長時間耐えられる。

 

 だが、優しく門を開くような愛撫では、とても耐えられそうにない。

 

 既に身体は自分を裏切っていると言っても過言ではない。

 発情しきった肉体は、もっともっとと強請るように全身の性急所が痛みを覚えるほどに疼いていた。疼きが治まるのは、その部位を愛撫されている時だけ。

 今すぐにでもこの疼きを止めて貰いたいが、相手が虎太郎であっては素直に慣れる筈もなく、マリカにそんな男は存在していない。

 

 狂おしいまでの疼きと自己の誇りを保とうとする姿勢の間に挟まれながらも、マリカは首を振って奮い立たせる。

 これは仕方ないこと。これは治療のようなもの。これは最愛の主人に対して忠義を示すようなもの、と。

 

 

「続き、しても大丈夫か?」

 

「だ、だから、いちいち確認するなっ。ど、どの道、これは超えなければならない行為だっ」

 

「それもそうなんだがな。オレはお前を傷つけるのが目的じゃないんだ。お前の事を考えてするのは当然のことだろう?」

 

「う、五月蝿い! どの道、私にとって屈辱であることに変わりはないっ!」

 

「だろうな。それを最大限浅くしようと努力してるんだが、まあいい。じゃあ、次は下を解す。オレの肩に手を置いておけ。」

 

 

 気遣いを無碍にされようと、涼しい表情を崩さない。

 そもそも、マリカに対して行う治療が陵辱と大差はないと自認しているからだろう。マリカがどう思おうとも、マリカが本心から同意しなければ全て陵辱と認識している。

 本来であれば恨みも憎しみも自身へと向けられぬように顔も名も隠しているのであるが、仕事であるのならば仕方がないと受け入れる。

 

 マリカは激昂もなければ呆れもない虎太郎に怒りの振り下ろし所を見失い、言いたい言葉全てを飲み込んで彼の両肩に手を置いた。

 

 

「……んんっ、ふっ……あ、ひっ♡」

 

 

 肩に手が置かれるのを確認すると、マリカの秘部に虎太郎の指が伸びる。

 愛液で濡れた秘裂はマリカの意識に応じ、異物を押し出そうとするように強烈に指を締め付けた。

 しかし、無駄な努力と言わんばかりに人差し指は、襞をかき分けて奥へと進む。マリカの意思に反して膣は牝の本能に従って、牡を求めるように蠕動している。

 

 

「くひっ……あぁっ、はぁ……あっあっ、指が奥にぃ……♡」

 

「暫く解すから逃げないでくれ」

 

 

 自分の思考が蕩けていく感覚に、感じたくはない快楽に、マリカは腰を引こうとしたが、虎太郎は空いた手を腰へと回し逃げ道を塞ぐ。

 

 荒々しさのないもどかしさすら覚える指の動き。

 上下に動かされれば腰が跳ね、捻られる度に膝から力が抜けて脚が左右に広がり、臍側の襞壁を擦られると踵が持ち上がってしまう。

 知らず知らずの内に下品な爪先立ちのガニ股を披露してしまっている自分を客観視し、マリカは虎太郎の肩に爪を立てる。 

 

 肩に痛みを感じながらも、虎太郎は指の動きを鈍らせない。

 マリカの性格を考えれば、此処で拒絶すれば次がないままに挿入に至る。

 濡れは十分ではあるが、ほぐれていない膣で飲み込んでは苦しむのは彼女の方。此処は、多少強引でも前戯に時間を掛けたい。

 

 

「いっ、ひっ♡ おぉ……ゆ、指、二本はいって……はぁっ、はぁっ、あうぅっ……はひぃっ……おぉぉっ♡」

 

 

 指が更にもう一本膣に入り込んだ瞬間に、マリカの口から獣のような声が溢れる。

 敏感になった秘裂は指の形と動きを捉えており、解れる度に嬉しげに指を締め付けていた。

 

 ぐちゅぐちゅと卑猥な音が股の中心から響き、マリカすらもが発情しきった牝の甘い芳香を自覚する。

 止め処なく溢れる愛液は虎太郎の肘にまで滴っており、股の間で水溜りを作っていた。

 

 

「は、おぉぅっ……ひはっっ、そ、そこ、Gスポォ……ほぉぉっ、はひっ、く、クリもぉっっ♡」

 

 

 膣の中にある女の急所を簡単に探り当てられ、指腹を押し付けられるのみならず、親指でクリトリスを押し潰された。

 快楽を享受する事に抵抗はあったものの、マリカでもどうにもならぬほど発情した身体は悦びを見せる。

 愛液の量は更に増え、膝は笑いながらも脚に力が込められる。

 

 二つの性急所に小刻みな振動が与えられ、尿道口から軽く潮が吹き上がる。

 二箇所が同時に振動したかと思えば、Gスポットは円を描くように捏ね回され、クリトリスは念入りに擦り上げられた。

 

 片方に意識が行けばもう一方に。片方が開放されたと思えばもう一方に。

 翻弄するように襲い掛かってくる快楽の津波は、マリカに抵抗の気力すら奪い去る。

 

 

「し、尻を、撫でる、な……あっあっ、や、やめっ……そ、それイクっ、いひぃっ、は、はへっ、あオぉ、お、ゥ……イク、イクゥ……し、潮、でちゃ、あぁアアァっはぁぁっ♡」

 

 

 まるで身体の反応を褒めるように尻を撫で回され、意識を逸らされた瞬間、Gスポットとクリトリスから絶頂が弾けた。

 秘裂を中心に電流のような痺れが足の指先から頭頂まで駆け巡る。彼女の視界は白く染まり、全身がビクビクと痙攣を起こす。

 

 絶頂に腰を振り回しながら、熱い牝潮を吹き散らす。

 望んでいなかったような、待ち望んでいたような絶頂に、マリカは自分の耳を疑うような牝の咆哮を確かに聞いた。

 

 

「はぐっ、ぐぅうぅぅう゛ぅぅっ、ひぃっ、ひっ、は、……おぉお゛おぉオ゛ォおぉぅぅゥっっっ♡♡」

 

 

 すぐさま歯を食いしばり、これ以上は情けない声を漏らすまいとしたものの、一瞬で理性は溶けた。

 歯の根を噛み合わず、口からは涎が止め処なく溢れる。とうの昔にマリカの意思を離れた身体は、絶頂を思う存分に貪ってしまう。

 

 

「はっ、はっ、はっ、はぁっ……あっ、ふっ……ふーっ、はーっ……ふっ、はぁっ……はっ……はっ……ふ、ふひぃっ……♡」

 

 

 ようやく絶頂の波から開放され、秘裂から指を引き抜かれる。

 たったそれだけの行為で、呆気なく絶頂がぶり返し、またしても甘い牝の声が漏れた。

 

 ふるふると震える両脚は、本当に神経が通っているのかと疑いたく成程に意のままにならない。

 秘所も同様だ。指を引き抜かれる際に、襞はまだ中に居てほしいと強請るように追い縋っていた。

 

 くの字に折れ曲がった身体を虎太郎の肩に両手を置くことで何とか支えていたが、首をガクリと落とせば目に映るのは天地が逆転した己の股座。

 秘裂の中心からは真っ白に濁った本気汁が糸を引いてぶら下がっては千切れ、千切れてはぶら下がるを繰り返していた。

 

 完全に開いてしまった牝の本能に羞恥を覚えると同時に、悔しさと不甲斐なさから涙が溢れそうになる。

 しかし、カーラの従者としての誇りが涙が溢れることは許さなかった。寸前の所で何とか堪える事ができた。

 

 

「じゃあ、オレは後は寝ているだけにする。いいな?」

 

「あ、あぁ……分かっ、た……」

 

 

 マリカが立ち直るのを待ってか、虎太郎が口を開く。

 よく我慢した、とでも言いたげな優しげな口調に、マリカは戸惑いを覚えながらも、素直に返事をするしかなかった。

 彼女に自覚はなかったが、虎太郎の確認に対して口を挟まなかった今回が初めてである。知らず知らずの内に、彼に対して心を許し始めているのだろう。

 

 それを理解しながらも虎太郎は何を見せるでもなく、最後に残った砦を脱ぎ捨て、ベッドへと仰向けで寝転んだ。

 

 

「あっ……うぅ……おお、きい……」

 

 

 屹立する勃起は、記憶の中にあるものよりも遥かに大きく、太く、逞しく、そして雄々しかった。

 恐怖と期待を同時に感じ、子宮がきゅんと戦慄き、グロテスクなそれにマリカの視線は釘付けになる。

 

 ごくり、と端なく生唾を飲み込んだ自分にはっとしながらも、マリカは虎太郎の後を追ってベッドに上がった。

 

 

「うっ……くぅ……」

 

 

 虎太郎の腰の上、天井に向かってそそり勃つ肉棒の上に膝立ちになったマリカは其処で動きを止めた。

 怒張の主とは目を合わさず、熱り立つものにのみ視線を注ぎ、固まっている。

 

 それは牡の象徴に魅入られているというよりも、当惑しているかのようだった。

 

 

「どうした……?」

 

「………………うぅっ」

 

「何でも言ってくれていいぞ。オレはお前を嘲笑うつもりも、貶すつもりもない。安心……はできんだろうが、少し頼るくらいなら、いいだろう?」

 

「………………わ、分からない。どう、すれば、いいんだ?」

 

 

 意識して作った優しい表情を、マリカは泣き出しそうな表情で見下ろし、素直に困惑と胸中を吐露した。

 

 自分が抱くと豪語して、自分から襲い掛かっておいて、今更何を言っているのか。

 事此処に至って、マリカは己がどれほど錯乱状態にあったのかを自覚し、情けなさと惨めさに打ち拉がれていた。

 全て寄生蟲とアムリタの後遺症、引いてはそんな事態を引き起こしたグラムを責めればいいものを、マリカは生来の真面目さから己を責める。

 

 

「そうか。約束があるからオレは動けない。指示を出すから、その通りに動けるか?」

 

「わ、分かった。よろしく、頼む」

 

 

 虎太郎はマリカを笑う事も、罵る事もなく、あくまでも誠実に対応する。

 快楽で蕩けた思考故にか、それともこれまでの誠実さが実を結んだのか、マリカは素直に助けを求める事にした。

 情けなさはあったものの、このまま動けないよりはマシと思ったのか、頬を更に赤く染めてはいたものの、これまでの態度に比べて随分としおらしい。

 

 

「不安な事があったら、口にするんだ。そうすれば、少しは気が紛れる」

 

「あ、あぁ……ふっ、……んっ……あ、熱い……それに、太くて……」

 

「そればっかりはどうにもな。位置は其処でいい。後は、自分のペースでゆっくり腰を落とすんだ」

 

 

 マリカの腰を掴み、自分の位置を上手く調整し、膣口へと亀頭を充てがう。

 たったそれだけで溢れる愛液の量が増す。牡の存在を認識し、牝の本能が荒ぶっているかのようだ。

 

 蕩けた秘所よりも熱く滾る肉棒に恐怖や不安はあったが、止まるつもりはなかった。

 こと性交においては虎太郎の方が二枚も三枚も上手。マリカには悔しい話ではあるが、素直に従った方が事は速やかに終わるだろう。

 

 

「うっ……くぅっ……き、つ……っ……」

 

 

 導かれるがままにゆっくりと腰を落としていく。

 十分過ぎるほどに濡れ、ほどよく解されて受け入れる準備が整っていた筈なのに、膣口で亀頭を飲み込むだけで凄まじい圧迫感であった。

 

 圧迫感を感じながらも、脈動する亀頭は絶妙な快感を齎した。

 ゾクゾクと背骨に寒気にも似た法悦が奔り、子宮口は早くと懇願するようにヒクついているのが分かる。

 本気汁を垂れ流し、肉棒を白く染めていく端なさに恥じ入りながら、ずぶずぶと飲み込んでいく。

 

 

「んっはぁ……やっと、入ったぁ……♡」

 

「いいぞ。その調子だ。腰を前後に振りながら下ろすとスムーズになる。ほら、手を握れ。支えてやるから」

 

「ふぅ、ふっ……貴様のものは、大きすぎる……固くて、そ、反り返って、ふひぃィっっ♡」

 

 

 虎太郎に言われるがまま、差し出された両手に指を絡めて握り込む。

 そうせねばならないほど、マリカは自分の身体を思うように動かせないでいた。

 

 怒張を飲み込んでいく過程は、そのまま怒張の形を覚える過程でもあった。

 目で見えずとも、鋭敏な襞は一物の表面を滑りながら締め上げているのが分かる。

 欠けていた何かが埋まっていく感覚は、認めたくなくとも牡と牝が番となる理由を認めざるを得ない。

 固く反り返った怒張は、まるでマリカに誂えられたようにGスポットを丁寧に擦り上げ、ぷちゅと虎太郎の腹に向けて潮が吹き出す。

 

 ゆるゆるとした前後運動は、膣を抉じ開ける肉棒を助けながらも、マリカの知らぬ膣の弱点を浮き彫りにする。

 

 

「うひぃっ♡ 尻の側も、でこぼこが擦れてぇ……はっ、ひぅっ、あ゛ぁっ、ほお゛ぉォっ♡」

 

「もう少しで、奥まで届くぞ」

 

「はっ、あっあっあっ……ひぐぅっ――――――はへぇっ♡」

 

 

 堪えきれぬ牝の法悦と嬌声に、恥じらいを覚える余裕すらない。

 腰も、脚も、膣も、子宮口も。全てが互いの性感を刺激する絶妙な加減で震えていた。

 それがどうしようもない肉体の反応であると同時に、牡を射精へと導く牝の本能であると嫌でも分かる。

 

 そして、マリカは何時の間にか待ち侘びていた感触に、表情を崩した。

 口をだらしなく開き、瞼を大きく開いて、獣のような短い呼吸を繰り返す。

 

 発情しきった子宮口は、コツンと亀頭がぶつかるのを感じ取ると待っていたとばかりに吸い付いた。

 

 

「う゛ぅっ、こ、こりぇ、だ、だめらぁっ、私がおかしく、なりゅ、ほお゛ォっ、あぁアア゛ぉっ♡」

 

「無理しなくてもいいぞ」

 

「無、無理だぁッ♡ これ、止まらないっ♡ か、身体が悦んでるっ♡ 嫌なのに、腰、止まらないぃっ♡」

 

 

 熱烈なディープキスを交わす子宮口と亀頭を少しでも離そうと腰を揺するが、より一層深く繋がってしまう。

 牝の本能に支配された身体は、マリカの意思など受け付けずに動き続ける。

 その情けなさに涙を流しながら、必死なって止めようとするが、止めようとすればするほどに激しさが増していく。

 

 どろどろの本気汁で虎太郎の肉棒と下腹部を汚しながら、性交の快楽に翻弄される。

 

 しかし、止まらない筈の動きが唐突に止まった。

 

 

「うぐぅっ、もう嫌だぁっ、出るっ、出ちゃうぅ……はっ、はひぃっ、見るな、見ないでぇっ♡」

 

「気にしなくていいぞ。オレももう射精()すから」

 

「あぁぁア゛ぁっ♡ でるでるでるぅっ♡ おしっこ、でちゃうぅうぅううぅぅっ♡」

 

 

 幼子の癇癪のような言葉を並べながら、マリカの最後の一線が崩壊する。

 限界まで肉棒を締め上げていた膣に反し、小刻みな絶頂を貪り続けていた尿道口がくぱりと開いた。

 

 

「ひあぁあァ゛ぁあぁぁあ゛ああぁっ♡ イクっイクっ、いっぐぅうう゛ぅぅううぅぅうううぅっ♡」

 

「オお゛ぉっ♡ ほお゛っ♡ あ、あつひっ、子宮にザーメンっ♡ すごひっ、ひぃいいぃいぃぃっ♡」

 

「あがっ♡ ザーメン、どぷどぷ子宮に来てるっ♡ はお゛ぉっ、と、とめへっ♡ お、おひっこ、とまりゃないぃっ♡」

 

「ら、らめら、こんなの、こんなの覚えたら、頭おかしくなりゅっ♡ もう、らめら、私っ、もうらめっ、もうおしまひっ♡」

 

「はひっ、イグっ♡ おしっこ漏らしながらイぐぅっ♡ は、アクメっまら来るぅっ♡」

 

 

「ひぃぃっ、イグイグイグ、イイ゛ィイィッッぐぅううぅう゛うぅうぅうぅっ♡」

 

 

 マーキングでもするかのように、黄金水を虎太郎の身体に引っ掛けながら、最大の絶頂へと至る。

 腰は動きを止めず、大量の精液を吐き出す肉棒を更に強く締め上げながら蠕動し、もっともっとと射精を懇願しているかのようだ。

 

 爪が食い込むほどに虎太郎の手を握り締め、背中を反らして絶頂を貪っていた。

 身体が痙攣する度に、勃起した乳首とクリトリスも歓喜と法悦を表現するように震えていた。

 

 

「はっへぇ……はひぃっ……はっ……ふへぇ……えへっ……へっ、あぁ……♡」

 

 

 未体験の深い絶頂が終わると、マリカの身体から力が抜け、虎太郎に向かってどさりと倒れる。

 涙と涎、鼻水で汚れた顔で、白痴のように笑う顔は、女の極みを経験した何よりの証左であった。

 

 あらゆる羞恥を投げ捨て、望まぬ性交を終えたマリカを労うように、虎太郎の手が背中や尻の表面を滑る。

 絶頂から戻ってきたマリカは、その優しい刺激に抵抗するでもなく、されるがままに任せる。

 抵抗など出来よう筈もない。全身に力が入らないのもあったが、絶頂後の愛撫が余りにも心地良すぎたからだ。

 

 汗と愛液と黄金水で汚れた身体すら気にせず、茫とした瞳で虎太郎を見つめる。

 その純粋で無垢な表情に誘われた――訳ではなく、東やカーラのように身体に変形が起こっていない事を訝しんでいた彼は、何も言わぬままマリカの口唇を奪う。

 

 

「へ、はぁっ、れる、や、やめりょ、くつひるを、ゆるし、ひゃ、覚え、れるる、じゅる、んむ、ちゅるっ、なひぃ……♡」

 

「成程、変化が出ているのは口な訳か。まあ、キスなんて今更だろ?」

 

「んへぁっ、そうら、らから、こうひて、べろひゅぅ、してやっへるっ♡ はむっ、れるれる、じゅる、じゅぷっ、ちゅぅうぅっ♡」

 

 

 尻を撫で回され、ぴくぴくと跳ねさせながら、夢心地の中で差し込まれた舌に吸い付き、絡ませる。

 寄生蟲によって改造された口腔は、ただのキスでも性交と変わらない快楽を齎す。

 

 虎太郎への労い、と称し、快楽を求めている自分を誤魔化して、マリカは口腔性交に夢中になる。

 ぶり返す絶頂すらも楽しみながら、理性の箍が外れてしまった法悦を求める獣のように、腰を振りながら舌を絡め、熱い唾液を交換するのだった。

 

 

 

 

 




ほい、という訳で、マリカのエロでしたぁ~!
信じられるか? 御館様、これで全然本気じゃないんだぜ?
まあ、相手が好きで抱いてるわけでもないしね。ご褒美でもないからね。仕方ないね。

因みに、マリカは堕ちてないです。マリカは。
途中でノリノリになってるのはあくまでも御館様への礼のつもり。治療のために抱いてくれたことではなく、グラムの魔の手から助けてくれた事に対するね。
素直にありがとうって、まだ言えないレベル。

今後、堕ちるか? だと?
そんなことオレが知るかぁ! ノリと勢いと話の都合に聞け!

では、次回もお楽しみに!



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『お仕事は一先ず終了。でも、まだやり残したことがあるよねぇ……(暗黒微笑』


対魔忍アサギZERO発売!
いやぁ、相変わらずエロい! エロいねぇ!
個人的に嬉しかったのは、まともな方の朧と紫のエロがあった事。でも、あのぅ、紫の方はもうちょっとノーマルな感じにならなかったんですかねぇ……。
紫の公式イチャラブは対魔忍RPGXに期待やな。

というわけで、カーラ編も残すところ今回を含めて2話を予定しております。長かったなぁ……。

では、どぅぞぉ――!!


 

 

 

 

 

「――――あ」

 

「お。おはようさ――――いきなりシヴァを取り出すの止めてくれませんかねぇ」

 

 

 マリカの発情を抑えてから一週間。

 朝一番、寮の中で顔を合わせたマリカと虎太郎。

 

 虎太郎は、普段と変わらない調子で朝の挨拶を口にしようとしたものの、マリカの取り出したシヴァの回転音に遮られる。

 マリカはマリカで野生の獣のように歯を剥き出しにして威嚇していた。

 

 此処一週間、顔を顔を合わせる度にこのやり取りであった。

 火花を散らして刃を回転させるシヴァに本能的な恐怖を覚えるものの、彼は決して表には出さず両手を上げて道を譲る。

 その情けなさすら覚える姿に舌打ちをすると、彼女はようやくシヴァを霧へと戻す。

 

 マリカは不機嫌そうに鼻を鳴らして無言のまま通り過ぎ、虎太郎はくわばらくわばらと言わんばかりに肩を竦めた。

 

 

「おはよう」

 

「…………はい、おはようさん」

 

 

 すれ違いざまに聞こえた不機嫌そのものの朝の挨拶に、虎太郎は呆気に取られながらも辛うじて返事をする。

 この一週間、マリカとは会話らしい会話はなかった。顔を合わせる度にあの調子では会話もまともに成立しまい。

 

 心境の変化か、或いは自らの境遇や感情と折り合いを付けたのか。

 ともあれ、好ましい変化ではある。こういった積み重ねが人間関係となっていくものである。

 とは言え、虎太郎はその変化に安堵や安心を思うこともなく、マリカの背中を見送ることもなく歩き出した。 

 

 暫く寮の廊下を進むと一室の扉が開き、朝から見るには目も眩む美女が現れる。

 

 

「どうやら、随分と上手くやったようね」

 

「……アレでか? 冗談だろ?」

 

「あら。あの娘の性格を考えれば、これで済んでいるのは奇跡的よ。感謝も十分にしているわ」

 

「アレで感謝ねぇ……」

 

「それとも、シヴァで頭から股下まで真っ二つにされてしまった方がお好み?」

 

「ご冗談を」

 

 

 現れたのはカーラだった。

 吸血鬼だと言うのに、朝から眠気といったものは一切感じられず、身だしなみも完璧に整っている。

 

 気配と音で二人のやり取りを察知したのだろうか、彼女の顔には笑みが刻まれていた。

 気持ちは分からないでもない、自身の恩人と自身の従者の仲が険悪であっては、彼女としても気が休まらないだろう。

 

 

「それで、北絵の方は……?」

 

「経過も順調、洗脳の影響も見受けられない。ほぼ完治したと判断していい。今日中に、隼人学園に戻ってくる」

 

「…………そう、よかった」

 

「これでオレはお役御免だ。クリシュナとお前は入れ替わりで五車学園に向かってもらう。無論、此方の護衛付きでな」

 

「あら、まだ信用がないのかしら?」

 

「馬鹿を言うな、オレは誰も信用していない。護衛を付けるのは、たんなるポーズだよ」

 

 

 北絵復帰の情報は、アサギから直々に連絡があった。

 桐生の診察、東雲による読心術によって、完全にグラムの呪縛から開放されていた。

 問題があるとするのなら、洗脳下にあったとはいえ自ら行った愚行と生徒の不幸に胸を痛めていたようではあるが、そこは一組織の長、もうすでに項垂れてはいないようだ。

 

 彼女にやることは山積みである。

 学園の立て直し、生徒のケア、政府への釈明、今回の失敗を活かした防御結界の構築。

 アサギも北絵と同じ立場であった故に、無条件で隼人学園への協力を申し出ていた。

 

 元よりそのつもりであったのだろうが、随分と人の良い判断である。

 搾り取ろうと思えば、いくらでも搾り取れる立場と恩があったにもこれだ。

 この人の良さが虎太郎の頭を抱える要因の一つなのであるが、五車町に張られた結界の強化というそもそもの目的だけは果たさせたので、今回ばかりは口を噤んだ。

 

 世界最高峰の結界師におる強化によって五車町と学園の防衛機能は飛躍的に高まったと言える。

 不用意に魔族が侵入してこようものならば問答無用で消滅、高位魔族であっても弱体化は免れまい。

 その上、米連などの人間が侵攻したとしてもダメージを与えられないまでも、その存在を察知して先手を打つことも可能だ。此処まで苦労した甲斐があったというもの。

 

 後はカーラとマリカの治療を速やかに終わらせる。

 護衛を付けるのは、気さくな対応故に忘れてしまいそうになるが、カーラは曲りなりにも一国の主。

 本来であれば、ヴラド側の護衛を伴い、対魔忍側の護衛が入念な打ち合わせの後に、五車町に足を踏み入れるのが筋である。

 緊急事態とはいえ対魔忍側も最上位の護衛でも付けなければ、カーラは兎も角、ヴラドに残っている家臣団、引いては日本政府の組織にも示しが付かない。

 そして、可能性は限りなく低いがカーラもマリカもグラムの呪縛から完全に開放されたわけではない。

 五車学園への護送中に寄生蟲が覚醒、洗脳が再発、逃走のコンボなどを決められてはこれまでの努力が全てパーになる。それを虎太郎が許す筈もなく。

 

 

「じゃあ、もう少しだけお世話になるわ」

 

「頼むから、マリカを抑えてくれよ。お前の護衛は自分ひとりで十分とか内心思ってるだろうしな」

 

「ふふ。私なんかは衝突するのも悪いことばかりではないと思うのだけれどね。その方が自分にない部分を学ぶ機会にもなるし、東とマリカのように仲良くもなれるもの」

 

「そんなもん、時と場合に寄るだろうよ」

 

 

 勘弁してくれ、と中指を立てて応える虎太郎に、カーラは眉を顰めもせずにクスクスと笑う。

 鷹揚に構えた姿は王としては必要な態度なのであろうが、常に疑心暗鬼、意図して小心足らんとする彼は辟易するしかない。

 

 其処でカーラとの会話を切り上げ、本来の目的へと戻る。

 今日は朝から寮やら校舎やらを練り歩いていたのにはその目的故だ。

 

 隼人学園に自身の居たという痕跡を消していたのである。

 己の指紋一つ、毛髪一つも残すつもりはない。協力関係にある学園でも関係はなかった。

 僅かでも己へと繋がる可能性を残していると落ち着かない。長年培ってきた病的な習性は、今や彼自身でもどうにもならぬほどに肥大化している。

 隼人学園が終われば、次は仮設本部として使用したマンションである。此方は己のみならず味方の痕跡も消さねばならぬ故に、より神経質にならねばならない。

 

 

「ふぅ――――何だ、来てたのか」

 

「おぅ、おはよ……」

 

「おはようさん。元気ねーなぁ」

 

「……うっせ」

 

 

 校舎内を一通り回ってきた虎太郎は寮の自室へと戻ってきたが、其処で待ち構えていたのは不貞腐れた様子の東だった。

 彼女はベッドの端に腰掛けて脚を組み、部屋の主の帰還を仏頂面で出迎える。

 

 今日は虎太郎が五車学園へと戻る日なのだ。東としては、成るべく長い時間を共に過ごしたいと思うのも無理はない。

 次に会えるのは何時になるか。いや、互いの職業を考えれば、次に生きて会える保障など何処にもないのだから。

 そうしたいじらしさを鬱陶しいと拒絶され、一度関係を持った程度で彼女面をするなと手酷く罵られた経験もあったが、抑えられるものでもない。それが彼女らしさなのだ。

 

 しかし、虎太郎はそんな彼女を気にかける様子すら見せず、自らの仕事を片付けていく。

 そんな素っ気のない態度が気に障ったらしく、東はベッドから立ち上がると無言のまま虎太郎の片腕に抱きついた。

 

 

「おい、邪魔なんだけど……」

 

「………………」

 

「何か言って欲しいんですけどねぇ」

 

 

 むすっと頬を膨らませ、批難の視線を送る東。

 年不相応の愛らしさではあったが、仕事の邪魔をされては堪ったものではない。

 

 しかし、虎太郎は振り解くような真似はせずに片腕だけで荷物を片付けていく。

 これも可愛気と受け取り、目くじらも腹も立てるつもりは毛頭ない。

 

 ただ、そうなっては東もよりムキになろうというもの。

 これでは相手にされていないと受け取ったところで無理もない。

 

 東は何とか気を引こうと虎太郎の腕を引き、胸の谷間に挟み込む。

 されど、この程度は熟れたもの。動揺するような可愛気も、鼻の下を伸ばすような甘さもあるような男ではない。

 引き剥がすような真似をせず、むしろ東の胸の暖かで柔らかな感触を楽しみつつも手の動きは止まらない。

 

 

「…………むぅ」

 

「おい、こうしていたってオレが帰る時間が伸びる訳じゃないんだ。いい加減、機嫌直せよ」

 

「そう簡単に直らないっつーの…………そーだ!」

 

「はぁん?」

 

 

 目線を合わせることすらなかった虎太郎は、彼女の顔が輝くのを見逃してしまった。

 悪戯好きな子供が何か良からぬ事を思いついたかのような、少女そのものの笑みだ。

 

 虎太郎の態勢が崩れるほどに腕を引く。

 おい、と批難混じりの言葉を吐きそうになった彼の頬に、ちゅ、と柔らかな感触が伝わってくる。

 

 

「…………」

 

「ふふん。これでちったぁ、あたしに構う気になったか?」

 

 

 彼の普段の態度からすれば十分過ぎるほどに構っていたのだが、どうやら東にはまだまだ足りなかったらしい。

 少女時代、真っ当な恋愛も男女の睦み合いも経験してこなかった彼女には、当然であったのかもしれない。

 

 不意を疲れながらも呆れてものも言えない虎太郎に、これ以上ないほどのドヤ顔で腕を組んでみせる。 

 五車学園に帰るのは仕方がない。隼人学園に来たのは仕事で、彼の帰る場所はあちら。

 

 ならせめて、帰るまでの時間を私に使えということらしい。

 

 はあ、と大きな溜め息を吐きながらも虎太郎は底意地の悪い笑みを浮かべて向き直る。

 東はその動きに目を輝かせたが、彼の行動は彼女の予想だにしないものだった。

 

 

「何だ、口にはしてくれないのか?」

 

「ふ、ふぁ!?」

 

 

 くいと東の顎を持ち上げ、己の顔には笑みを張り付かせたままであったが声は不満げだ。

 

 彼がキスを待ち望んでいてくれたのは素直に嬉しい。嬉しいが、頬と口唇とでは意味合いが違ってくる。

 彼女にとって頬へのキスは信頼と同時に悪戯としてのキスだった。だが、口唇へのキスは愛情と劣情を同時に意味していた。

 

 

「あ、あぁ、いや、そのぅ……あ、あたしもしたいはしたいぜ? だけど、そりゃ、えぇっと……」

 

「何だよ、ダメか? オレはしたいし、して欲しいが」

 

「うぅ、ほ、ほんと、そういうとこドSだよな! ひ、人の事、からかって楽しいかのかよぅ……」

 

「楽しいね。でも、キスして欲しいってのは本音だ」

 

 

 とんとんと指先で己の口唇を指し示す虎太郎に、東は視線をあちこちに飛ばしてしどろもどろになった。

 

 東が一歩後ろに下がれば、虎太郎は一歩前に進む。

 狙った獲物は逃さない。虎の名に恥じぬに容赦の無さである。

 

 

「いやぁ、ははは……あの、マ、マジでダメだって……ほら、あたし、口にキスしたら、え、エロい気分になって歯止め、効かなくなるだろうし」

 

「だったら、今から我慢を覚えろ。もう、オレはそういう気分になった」

 

「ちょ、ちょちょ、ほ、本気かよぉ…………うわぁっ!?」

 

 

 一歩、また一歩と追い詰められていく東はついにベッドに脚を取られて身体を投げ出してしまう。

 元より狙っていたのだろう。虎太郎は倒れ込んだ彼女の上に伸し掛かり、両の手首を掴んで拘束する。

 

 吐息が届くほどの距離で見つめ合うと東の瞳は見る間に潤んでいく。

 抵抗する気すら起きないのか、身体からは力が抜け、内股に閉じた脚を擦り合わせていた。

 

 

「れ、連絡っすっから、ちゃんと出てくれよな」

 

「勿論、寧ろこっちからするよ」

 

「あと、休みが合った日は絶対に会えよな」

 

「分かった。デートでも行こうか」

 

「それからそれから…………あたしのこと、どう思ってるのか、言葉で言ってくれよ」

 

「悪かった。そういう面倒臭いところも可愛くて好きだよ。東、愛してる」

 

「あ、あたしも、すごい、好きだよ――――んっ♡」

 

 

 身動きの取れない状況でありながらも東は首だけを動かして、目の前の男の口唇に吸い付いた。

 ちゅ、ちゅっ、と何度となく男女の吐息と触れ合う音が部屋の中へ響き渡る。

 

 甘い甘い蜜月の時は、長いようで短い。

 だが、虎太郎が帰るその時間目一杯まで、互いの顔中に口唇を触れ合わせ、擦り合わせ続けた。 

 

 

 ――――こうして、弐曲輪 虎太郎は彼の日常へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 なお余談であるが、彼が五車学園に戻った際、いの一番に行ったのは桐生 佐馬斗への制裁であったのは言うまでもない。

 

 まず手始めに下忍の仕事として育てた忍熊と桐生お手製のキメラを同じ檻の中に閉じ込めた。

 

 

『クマー』

 

『キメー』

 

『うぉおおぉぉぉ!! や、やめ! 何故だ! 熊の方は兎も角、キメラはオレが造物主だぞ、貴様ぁぁぎゃあああああぁぁぁ!!』

 

『生みの親よりも育ての親なんだよなぁ、桐生ちゃん。ほらほら、腸がハミ出てグロいことになってる。目の前の鍵に手を伸ばして!』

 

(虎太兄、エゲつないなぁ……(呆れ)

 

 

 檻から手を伸ばせばギリギリ届くラインに鍵を放り、にっこりと笑いながら忍熊とキメラにボロ雑巾にされていく桐生の姿を眺め。

 

 

『はぁ……はぁ……やっと手に入れた…………はっ、なんだこれは! 鍵穴に入らんぞ!』

 

『あっ、ごっめーん! それオレの使ってないロッカーの鍵だったわ。テヘペロ!』

 

『弐曲輪、貴様あぁあぁああああぁぁあぁああぁっ!!! うぎゃぁああああぁああぁぁぁ!!』

 

『おおっと、脳漿が半分溢れたなぁ。へいへーい、大丈夫かぁ?』

 

(本当に、こういう時のこの人は楽しそうと言うか何と言うか……(白目)

 

 

 不様に血塗れで足掻く桐生の姿を見下ろしながらおちょくり倒し。

 

 

『ほら、本当の鍵はこっちだよ! 欲しい? 欲しい?』

 

『ぐわぎゃああああああ!! さ、さっさとそれを寄越せぇぇええええぇぇぇ!!』

 

『じゃあ、この契約書にサインしようか。なっ?』

 

『そ、その契約書は、あきらかに魂を縛って契約内容を強制させるヤツではないか! 内容はぁ!?』

 

『あ? オレへの絶対服従に決まってんだろ』

 

『巫山戯るな貴様ぁぁあああぁあああぁぁぁぁ!!! 貴様への絶対服従などという空恐ろしいものに誰がサインなどするかぁあああああああああああ!!!』

 

『ああ、そう? まあ、熊とキメラに生きたまま食われる方がいいかもね。それでもいいよ、オレは許そう――――だが、お前の紫コレクション(コイツ)が許すかな!』

 

『貴様ぁ!! アルバムに日記にバックアップデータもあるではないか、おのれおのれおのれおのれぇぇぇぇぇぇぇ!!!!』

 

(この人の弱味を突いて自分の思うように動かせるところも、真似しちゃダメね……)

 

 

 桐生の眼の前で、彼が心血を注いで集めた紫コレクションをゆっくりと砕き、引き裂き、燃やしていく。

 

 

『分かったぁ!! 契約書でも何でも書く!! だからやめてぇぇぇ!!!』

 

『ほら、ペンと契約書置いとくから書けよ。まあ、両腕がもがれた状態で書ければだがなぁ! 頑張れ頑張れ♫ オレはその間、容赦なくコレクションを破壊しまーす』

 

『いやぁあああああああああああああぁああああぁあぁぁああぁぁあぁああああぁあぁああぁあぁっぁあああ!!!!』

 

『お前ら、これが正しい拷問方法兼脅迫方法だぞ、キチンと覚えておくんだぞ。桐生ちゃんが身を以て教えてくれたんだからね!』

 

『『『アッハイ』』』

 

 

 眼の前で起きている惨劇(喜劇)に、ゆきかぜ、凛子、凜花の三名はそう返すしかないのであった。

 

 

 

 

 





ほい、というわけで、マリカは結局堕ちない&東とイチャコラ&桐生ちゃん無惨の回でした。

次回はカーラ編最終話。勿論、エロのご褒美回やで(ニッコリ
まあ、最後に爆弾も残ってるんですけどね! では、次回もお楽しみにぃ!!


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