とある科学の無能力者【完結】 (ふゆい)
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プロローグ
第一話 無能力者の少年


 ガチな無能力者主人公な話が書きたくて投稿してみた。後悔はしていない。


幻想御手(レベルアッパー)事件】と呼ばれる出来事があった。

 とある女科学者【木山春生(きやまはるみ)】の製作した【幻想御手】と呼ばれる音楽ソフトによって引き起こされた、およそ一万人の能力者を昏睡状態に至らしめた凶悪な事件。過去最悪と言ってもいい大規模な事件だった。

 それを解決したのは常盤台に通う一人の少女。【常盤台のエース】と呼ばれるその少女は、およそ二三〇万の学生が暮らすここ学園都市で第三位に位置する超能力者。七人しかいないと言われる、最強の一角。

 警備員(アンチスキル)までをも全滅させた化物に対して、彼女は一人で挑み、そして倒した。強大な敵、圧倒的な力を前にしても彼女は逃げずに、己が力でソレを粉砕した。

 

 無能力者達を慰めるように。

 無能力者達を叱咤するように。

 無能力者達を激励するように。

 

 彼女は詫びた、己の無神経さを。他人の苦しみを分かった気になっていた己の傲慢さを。

 彼女は褒めた、彼らの強さを。能力カーストに苦しみながらも、それでも前に進もうとする彼らの強さを。

 彼女は言った、頑張れと。もう一度頑張ってみようと。諦めず、何度も前を向けばいいと。

 

 被害者達は眠っていた。意識なんてなく、ただ病院のベッドで無様に寝ているだけだった。声なんて届くはずもなく、想いなんて伝わるはずもなかった。

 しかし、彼女の言葉だけは何故か届いたのだ。彼女の想い、そして気持ちだけは確かに伝わったのだ。

 

 ワクチンソフトの効果により、彼らは目を覚ました。そして己の不甲斐なさと弱さを反省し、彼女の言葉通りに前を向いて歩こうと決意した。もう逃げはしない。どんな壁にぶつかろうとも、諦めずに進んでいこうと決心した。

 

 これはそんな人間の話。能力なんて持っていない、無力で無知で最弱な一人の少年の物語。

 

 

 

 

 

                      ☆

 

 

 

 

 

 七月も終盤となり、いっそう太陽が活発に働き始める夏。そんな炎天下の中、とある高校では数名の学業不振者及び出席日数不足者を集めての大補習会が行われていた。

 奇妙なまでにこじんまりとした子供にしか見えない女の子が教壇に立って必死に授業を進めているが、一部の例外を除いて参加者達にやる気を感じることはできない。教室の後方に座る者達にいたっては、雑談に勤しんだり惰眠をむさぼっている輩までいる始末だ。教わる立場がこの体たらくでは、教師も気を削がれてしまう。

 

「こ、こらー! ちゃんと起きて授業受けないとダメですよー!」

「……んぁー?」

 

 今日も今日とてロリっぷりの激しい女教師、月詠小萌(つくよみこもえ)の叫び声に、ツンツン頭の隣で爆睡していたサラサラ黒髪の男子生徒が呆けた声を漏らした。小学生と見紛うレベルの外見を持つ小萌が怒るという光景自体が奇妙なことこの上ないのだが、どう見ても草食系な少年が授業中に堂々と眠り、それでも先生の声にはしっかりと反応するという律儀な展開があまりにもシュールだ。不真面目にも真面目にも中途半端な感じのする少年だった。

 彼は寝惚け眼のまま欠伸を噛み殺すと、既に涎で使用不能となったノートのページを切り取っていく。

 

「先生おはよぉございまぁす……ふあぁぁ」

「全然眠気が取れてないじゃないですかー! そんなんじゃ駄目ですよ佐倉ちゃん!」

「いやいや、ちゃんと見てくださいよ俺の目を。こんなにやる気に満ち溢れている生徒もいませんって」

「先生の目にはトロンとしている惚けた怠け者の目しか映ってませんよ?」

「ありゃそうなんすか? これは失敬」

 

 ごしごしと目を擦り、背伸びを一つ。パキパキと関節が小気味よく鳴るのを満足そうに聞き終えると、佐倉と呼ばれた彼はいきなり教材を片付け始めた。

 授業中にも関わらず突然帰宅準備にとりかかる佐倉に目を丸くするのは我らが小萌先生。彼女はどんな生徒が相手でも真摯な気持ちで接するという心情を持っているため、あからさまなサボリ系の態度を取る彼の席へと慌てて駆けより手を掴んで帰宅を阻止する。

 

「ちょっ……ちょっと待つのですよ佐倉ちゃん! 帰るにしても事情を言って許可を貰ってから帰るのが正しい早退方法なのです!」

「まさかそう言われるとは予想外の極みですが。今回ばかりは勘弁してください先生。今日は仲間内で大事な仕事を行う日なんです」

「……大事な日なのですか?」

「はい、どうしても外せない用事なんです。これに行かないと俺だけじゃなく、先輩達にも迷惑をかけることになってしまう」

 

 いつになく真剣な面持ちで語る佐倉に、やや気圧されてしまう小萌。彼女はその性格上、生徒のマジな頼みを断ることができない。教師の鑑とも言っていい性格ではあるが、逆に利用されやすいという欠点もある。佐倉はサボり屋だがそれなりに真面目な生徒のため、彼女はいっそう気をかけてしまう。

 しかし彼が補習を途中で抜けるというのは珍しい。いつも寝てはいるものの、最後までしっかりと受け切るのが佐倉望(さくらのぞむ)という生徒だ。小萌はそれを分かっているので、今回は余程の事情があるのだろうと自分なりに解釈してからゴーサインを出した。

 

「じゃあ今回ばかりは見逃してあげます。でもでも、明日からはちゃんと真面目に受けてくれないとダメですからね?」

「分かってますよ。ありがとうございます、先生」

「はい、また明日」

 

 同じく眠りこけていた大柄な青髪の青年を殴り飛ばしつつ手を振ってくる小萌に微笑みを向け、佐倉は教室を後にする。何やら似非関西弁らしき変態の嬌声が聞こえてきたが、このクラスに三ヶ月も通っている彼はしっかりとスルー。【クラスの三馬鹿(デルタフォース)】に関わってもロクなことはない。

 自転車置き場にて愛用の自転車に跨ると、彼は夏休みのため学生達で賑わう街を疾走していく。

 

『もぉー心配し過ぎだって初春ぅー』

『だっ、駄目ですよ! 佐天さんまだ目覚めたばっかりなんですから!』

「……平和だなー」

 

 すれ違う学生達の会話が耳に届くが、特に気にすることなく自転車を進める。長髪と頭に花冠を載せた柵川中学の二人組が印象的だった。特に花冠の少女は、何故そんな愉快な格好をしているのか聞いてみたいほどに興味が湧いたが、彼は人を待たせている身であるのでグッと好奇心を抑え込む。

 二十分ほど経って、彼は人気の少ない建物の裏路地へと入っていく。日の光もロクに届かず薄暗いその空間は、彼にとって第二の家と言ってもいい場所であった。

 適当な場所に自転車を止め、奥へと進んでいく。

 

「おー、やっと来たか佐倉の坊主。あまりに遅いんで三人だけで突っ走る予定だったんだぜ?」

 

 気配も感じさせず放たれた声の主。帽子やシャツ、ジャケットなどの服装全般を黒で固めた細身の青年が闇から滲み出るようにして佐倉の前に姿を現す。

 半蔵と呼ばれる彼は、この界隈ではそれなりに有名な忍者かぶれだ。いつも迅速かつ穏便に仕事をこなすその様はまさにジャパニーズニンジャ。自身の名前からして服部半蔵の子孫説が浮き出るほどに彼の忍者っぷりは卓越している。

 そんな彼に頭を下げると、ポケットからソフトボール大の物体を取り出して半蔵に放る。

 

「これは?」

「今からの仕事に役立つオモシロ道具その1です。手に入れるのに骨折りましたけど、その分威力は保証しますよ」

「なるほど、そりゃ助かるわサンキューな。しっかしお前、幻想御手事件で昏睡状態になってからやけに仕事に対して真面目になったよなぁ」

「……まぁ、色々と喝を入れられましたんで」

 

 遠い目で脳裏に思い浮かべるのは、あの時夢の中で走った凄まじい衝撃。電撃のような力からするに第三位の中学生によって放たれたであろうその電撃を食らって、佐倉は彼なりに気持ちを改めた。

 今までそこそこにしか取り組んでいなかった仕事を、もっと真面目にやろうと思うようになった。世間的には堂々と顔向けできない仕事ではあるが、そこが自分の居場所であるなら精一杯頑張ろうと決心した。

 

「俺なんかとは違って、どこまでも強くてどこまでも優しい女の子に叱咤されちゃあ嫌でもやる気になりますよ」

「……ははーん? なるほどなるほど。そういうことかいやー青いねぇ」

「はい? どうしたんすか半蔵先輩」

 

 突然にやにやと微笑ましげに表情を緩め始めた半蔵に怪訝な顔を向ける。半蔵がこういう表情を見せるときは大概佐倉をからかう時なので、佐倉としては嫌な警戒を覚えてしまう。何を言われるのか内心ビクビクしながらも一応形式として半蔵に次の台詞を促しておく。

 

「いやさー。お前の表情と口調、そんでもって台詞から察するにお前はその女の子に惚れていると俺は見たね!」

「ぶっ!? がっ……がほげほげほげほっ!! い、いやいやいやいや! そそそ、それはあんまりですよ先輩! だ、大体顔も見たことない相手に惚れるとかあり得ませんって!」

「でもほらその顔はその女を守りたいって思ってる感じじゃね?」

「勝手な想像で人の顔面改竄しないでください!」

 

 必死に反論を並べ立てる佐倉だが桃色に染まる顔のせいで説得力は八割減だ。それと動揺しまくった言葉のせいでさらに二割減だ。もはや一厘たりとも否定の余地は残されていない事実をなんとか覆そうと持てる限りの議論力を盛大に使ってみせるが、

 

「電撃使いの超能力者だって? 御坂美琴かめっちゃ可愛いじゃん」

「み、見たことあるんですか!?」

 

 この一言でまとめて粉砕してしまう未熟さがなんとも微笑ましい。そしてそれに気付いて赤面し、プルプルと恥ずかしそうに震える姿がなんとも可愛らしい。

 

(あーもーからかうとすっげぇ楽しいなこいつー)

 

 後輩は弄るためにあるという格言を確かなものにする存在、それが佐倉望だった。

 人生に新たな喜びを覚えた可愛くて健気な後輩を一通り虐め終えたところで、半蔵はふぅと息を吐くと表情を引き締める。

 

「そんじゃそろそろ行くとするか。浜面と駒場のリーダー待たせちまってるしな」

「それなら俺をからかわなくても……いえ、もういいです。言っても無駄な気がしますし」

「よく分かってんじゃんかさすがは我らが愛する後輩」

「いいストレス発散相手ってだけでしょ?」

 

 苦笑交じりに自嘲する佐倉だが、多少の自覚はある上にあまり悪い気はしないのでまぁいいかと嘆息する。こういう扱いでも「心地いい」と感じてしまっている以上自分も楽しんでいるのだなと再確認してしまうのだ。

 彼らは学園都市の裏で密かに活動する集団。無能力者が仲間と手を取り、泥と汚れにまみれながら生きていくための居場所。

 

 一般に武装無能力者集団(スキルアウト)と呼ばれる彼らは、今日も全力で日々を楽しんでいく。

 

 

 



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第二話 スキルアウトの仲間達

 今日も元気に更新です。テスト勉強? なにそれうま(削除されました)
 早く原作に飛び込みたい今日この頃です。


 半蔵と同じくスキルアウトの先輩という立場である浜面仕上、駒場利徳と合流した佐倉は、いつも通り浜面の盗んできたワンボックスカーに乗り込み仕事現場へと向かった。

 青春真っ盛りな男四人が集まってがやがやと騒がしい車内。これだけ見ると旅行に向かうバカ四人だが、彼らはただのバカではない。今からとある大それた悪事を働きに行くバカ四人だ。

 

「おっしゃー、見えてきたぞ今回の仕事場が」

 

 慣れた手つきでハンドルを捌いていた浜面が金茶髪を掻きながら前方を顎で示した。佐倉が後部座席から頭を覗かせると、視界に入ってきたのは大きめのコンビニエンスストア。第七学区ではそれなりに利用者のいる、学生御用達の理想郷。

 とてもワンボックスカーに乗った男達総出で向かうような場所ではない。彼らが学校帰りに菓子を買い食いしようとしているのなら頷けないこともないが、今回はあまりにも事情が違った。

 駐車場に車を止め、佐倉達はぞろぞろと雁首揃えてコンビニに入っていく。そして浜面だけが、コンビニから少し離れた昼休み中の工事現場に走っていった。

 

「いらっしゃっせー」

 

 バイトらしいレジ打ちの兄ちゃんがやる気なさげな接客を始める。ゴリラのような巨体を持つ駒場に一瞬目を丸くしていたが、学園都市にはこんなやつもいるんだろうと目を逸らした。ある程度の人外ならばそれなりに受け入れてもらえるのがこの街の怖いところである。

 店に入った三人は商品を物色するわけでもなく、まっすぐレジの方へと足を進めた。怪訝な表情をするバイトに、彼らはポケットから取り出した黒塗りの物体を静かに突きつける。

 

 拳銃だ。

 

「……え、え~とぉ……ほ、本日はどのようなご用件で……」

 

 それでも泣いて逃げださず、店員としての役割を果たそうとするその精神だけは褒め称えられてもいいと思う。バイトにしては大したものだ。無気力に見えて、なかなか肝が据わっている。

 思いのほか冗談の分かる店員に表情を和らげた半蔵は、拳銃を突きつけたままこれまたニッコリとおでんを注文する時のように爽やかに言い放つ。

 

「ATM一つ貰えますかね?」

 

 ドゴシャァァアアアッッ!! という想像を絶する破壊音と共にコンビニの壁をぶち壊して登場したのは、黄と黒で塗り固められた工事現場の建設重機だった。

 

 

 

 

 

                      ☆

 

 

 

 

 

「ひゃっほう上手くいったぜ流石は我らが浜面だ!」

「おいおいもっと褒めていいぜ? 遠慮はいらねぇ!」

「工事現場から重機盗んで突貫するなんて男の中の男っすよ!」

「おぉー! 佐倉てめぇ分かってんじゃねぇか!」

 

 ハンドルを握る浜面、助手席の半蔵、後部座席から身を乗り出す佐倉が揃って下卑た笑い声をあげる。佐倉の隣ではATMを抱えた駒場が窮屈そうに顔をしかめているが、それでもやはり嬉しさが滲み出ていた。

 工事現場から建設重機を盗み出し、コンビニの壁をぶっ壊してATMを強奪する。

 文字にすればそこまでスペクタルな感じはしないが、当事者からしてみればハルマゲドンもびっくりな強盗劇である。巻き込まれた店員が顔を青ざめながらもペイントボールを投げていたのがまたさらに笑えた。

 腹を抱えて笑っていた佐倉はようやく呼吸が整ったのか、少しばかり落ち着いた調子で浜面に問う。

 

「でも浜面先輩、このままじゃ俺達警備員に捕まっちゃうんじゃないですか? ほら、ATMってGPS発信機付属だから」

「それは前回で学習済みだ。だから今回は獲物から発信機を外した上で担ぎ込んだよ。またあの巨乳警備員に追いかけられちゃたまんねぇからなー」

「あぁー、半蔵さんが恋してるっていうウチの教師ですか」

「あれはやべぇぜ佐倉。なんといってもあの巨乳がヤベェ。夢に出てくるくらいヤベェ」

「……性犯罪はノーだぞ半蔵……」

「何度も言うなよわぁーってるって」

 

 ひらひらと右手を振って応じる半蔵に駒場は肩を竦める。分かっているくせに、半蔵はあえてそういう発言をする傾向がある。駒場も彼の性格は理解しているためそこまで口うるさくは言わないが……それでも注意してしまうあたり駒場の真面目さが見て取れる。

 仕事を終えた解放感のせいでテンションがハイになっている四人は適当に雑談しながらアジトへと向かっていたが、不意に聞こえ始めたサイレンらしき音に気が付くと揃って後方に視線を向ける。

 警備員御用達の高速車両から身を乗り出し、拡声器片手に叫ぶ巨乳女が目に入った。

 

《えー、犯人に告ぐ犯人に告ぐー。こちら警備員第七三支部の黄泉川愛穂……つーかいつもの私じゃんよ分かってるだろクソガキ共。今回もこの前と同様の容疑だ。盗難と器物破損と殺人未遂と公務執行妨害とその他諸々で全員逮捕じゃんよ!》

「げぇっ、黄泉川!」

《んぅー? 今の叫び声はどっかで聞いたことがある気がするじゃんか》

「やっべ!」

 

 何かに勘付いた黄泉川から逃れるように佐倉はシートの下に身を隠す。ヤバいなんてものじゃなかった。今の警備員が何を隠そう先ほど話題に出た彼の高校教師なのだ。バレたらどうなるか分かったものではない。しかもそれが常習犯の三バカトリオと一緒ともなれば、生きて帰れるかも分からない。

 どうしよ停学とかなったら上条達に馬鹿にされちまうー! とか何故か非常に偏った方向に心配を向けている愛する後輩に憐憫の視線を向ける先輩達ではあったが、その中の一人半蔵は佐倉のワイシャツをむんずと掴むと座席の上に引き摺り上げた。

 

「ん?」

「あ」

 

 いつの間にか隣に接近していた黄泉川とばっちり目が合いもう涙目。

 

「なにしてくれてんすか半蔵先輩ぃいいいいいいいいいいいいいいいい!!」

「いやー、バレちまった方が面白いかなぁって」

「他人の人生をそんな軽いノリで破滅させないでくださいよ!」

「お前もしかして隣のクラスの佐倉だな!? こんなとこで何してんじゃん月詠先生が泣くぞ!」

「だぁーっ! 俺の周囲は敵ばっかりか!」

 

 先輩にも裏切られどうしようもなくなった佐倉はとりあえず浜面に全力逃走を打診する。

 

「先輩逃げましょう! どうせこのままじゃあの女に鉄拳制裁されちまう!」

「でもよ佐倉。あの女前回タンクローリーで俺達を追っかけてきたんだぜ? 今回だってもしかしたら戦車とか使ってくるかもしんねぇじゃん。それならお前を生け贄に捧げて俺達はトンズラってのが一番現実的な案だと浜面さんは思うわけですよ」

「この先輩最低だ!」

 

 何食わぬ顔で自分を贄にするとかこの茶髪頭イカレているのではなかろうか。

 こうなれば最後の頼みは頼れるリーダー駒場利徳しかいない。義理と人情で有名なこの大男ならば自分の事を守ってくれるのではないかと淡い期待を持って顔を上げるが、

 

「……仕方がない、か……」

「チクショウ!」

 

 なんだか真面目にそういう方向に進みつつある流れに憤りと悲しみを隠せない。これが後輩の運命と言うものか。所詮は上司のために命を張るだけの悲しい役割なのか。

 だが彼はその時思い出した。出発する前に、自分は半蔵に何かを渡していたではないか。

 絶体絶命がそこまで来ている状況を打破すべく、佐倉は最後の一手を繰り出す。

 

「半蔵先輩! さっき渡したアレ、今こそ使うときですよ!」

「エロ本の事か?」

「違う! ほら渡したじゃないですか出発する前に!」

「あー、アレね」

 

 そうしてポケットから取り出したのはソフトボール大の球体。上部に金属のピンのようなものが付いている形状からして、手榴弾にも見える。ただ、外殻が真っ黄色なのが気になるが。

 助手席の窓を開け、高速車両に狙いを定める。ボンネットを目がけて、彼は全力で投擲を開始する。

 

「ほーらよっと!」

 

 投げられた球体は放物線を描き、華麗にフロントガラスへと着地した。軍隊で使われていそうな形状のソレにやや焦った表情を浮かべるのは件の巨乳警備員黄泉川愛穂だ。このままでは車と一緒に花火になりかねない。そう判断した彼女は自分の身も顧みずボンネットの上に移動した。

 そして球体を手に取った彼女は、あることに気付く。

 

「コレ、安全ピン外されてないじゃんよ」

 

 一般的な手榴弾には、安全ピンと呼ばれるセーフティシステムが取り付けられている。使用する際にはその安全ピンを外し、投擲する際に別の安全バーを離せば爆発するというワケだ。M67手榴弾がいい例か。とにかく、安全ピンを外さないと手榴弾はただのボールになってしまう。

 そんでもって今彼女の手元にあるのはそのただの球体であるからして。

 

「……いいこと思いついた」

 

 にやりとあくどい笑みを浮かべるその姿はとても警備員ではなかったとその後同僚は口にする。あの時の黄泉川愛穂は確かに悪魔であった、とコーヒー片手に談笑する。

 黄泉川は拡声器を再び構え、ボンネットに膝立ちのまま警告を始めた。

 

《そこのバカ四人よく聞けー。お前らの投げたコイツは、どこぞのアホがしくじったおかげで爆発する様子はなーい。つーか安全ピン抜かずに手榴弾投げるとかバカの極みもいいところだぞー》

「なにやってんだアンタは!」

「い、いやー、忍者ってあーゆー近代兵器あんまし使わないからさぁ」

 

 てへへと舌を出すが彼は美少女でもなんでもないので佐倉達の怒りを煽るだけである。

 めんごめんごと反省した様子のまったくないふざけた先輩に佐倉は瞳に暗い輝きを灯したままボソリと呟いた。

 

「……もうこうなったら半蔵先輩生贄にしたらいいんじゃないですか?」

「おぉーい! 悪かったって言ってるじゃんかそんなに怒んなよなぁおい!」

「いいじゃないか、お前あの女に恋してんだろ?」

「だからってマッポに飛び込む理由にはならねぇ!」

「……いいから飛べ、半蔵……」

「もぉー! マジで勘弁してくれよ駒場のリーダー!」

《命乞いは済んだかー? まぁ何を言っても痛い目に遭わせるだけだけどな!》

『あの女マジで教師か!?』

 

 とても教育者とは思えない豪快ぶりに戦慄を覚える。警備員はどんな人材を集めているのか心底疑問であった。

 未だに騒々しいスキルアウト達を満足げに眺める黄泉川は、そろそろ待つことに疲れたのか球体を振りかぶるとプロ顔負けの速度で前方のワンボックスカーに放り投げた。

 

 もちろん、安全ピンとバーは外して。

 

 コツンッという軽快な効果音をあげてフロントガラスに落下する手榴弾。そして目の前に現れた先ほど自分達が放ったはずのソレを目にして空気が凍りつく四人。

 

「……えーと、これってもしかして」

「お約束ってやつですね……」

 

 もはや抵抗する気力さえない。彼らはそれぞれ信じてもいない神への祈りを済ませてから、無理やり走馬灯を思い返して自らの人生を振り返りつつ、

 

『ッ!!』

 

 それでも悲鳴を上げながら盛大に車ごと吹っ飛んだ。

 

 

 

 

 

                     ☆

 

 

 

 

 

 ドリフターズもびっくりな爆破オチで大輪の花となったバカ四人は、額に青筋浮かび上がらせた鬼教師によって留置場へとぶち込まれていた。ちなみに何度目かというと数える事すら憚れる。監視の兄ちゃんと顔見知りになってしまうくらいには頻度があると思う。

 そして現役高校生佐倉望はというと、黄泉川愛穂の監視の下反省文百枚と絶賛格闘中だった。どうにかこうにか二時間の死闘の末、残り一枚にまで達した彼は「うだー!」と獣の如き慟哭を上げる。

 

「やってらんねぇーよこんな量! イマドキ風紀委員でもこんなに書かねぇっつーの!」

「無駄口叩く暇があったらさっさと書け! 停学処分をこれでチャラにしてやるっていってんだから安いもんじゃんよ!」

「ぐ、それを言われると弱いな……」

「ほら、小萌先生にチクられたくなかったらとっとと終わらせるじゃん。私だっていつまでもお前なんかに付き合いたくないんだからな」

「へーい……」

 

 この世の終わりを見たかのような表情で必死にペンを動かす佐倉。ただその内容はひたすらに「ごめんなさい」を書き連ねるだけというのだから甘いものだ。文章にすらなってはいないが、それで許してくれる辺り彼女の優しさが察せる。

 そうして三十分が経ち、ようやく試練を終えたので疲れ果てた顔のまま学校を後にする佐倉。高校生活史上最も疲れる時間だったと胸を張って言える。自慢できることではないが。

 

「先輩達、出所したらお菓子持って行ってあげよう」

 

 お勤めご苦労様ですとの労いも忘れてはいけない。しっかり出迎えて娑婆の空気を吸わせてやらねば。……後は日頃の報復をちょっとばかし。

 ぐふふのふとか三下よろしく含み笑いを見せる佐倉だったが、自転車を取りに行くために街を歩いているとふとこんな光景が目に入った。

 

『よぉよぉ嬢ちゃん今暇ぁ?』

『よろしければオレ達みてぇなクソ野郎共とお茶しようぜお茶』

『なによアンタ達、イマドキ珍しいくらいテンプレなチンピラね』

『へっへー、面白いこと言うじゃねぇか嬢ちゃんよぉ』

「……まだいたのかあんな奴ら」

 

 通りの一角でサマーセーターを着た茶髪の少女を不良の集団が囲んでいる。どこからどう見ても穏便では済まされない光景だ。警備員に通報した方がいい状況に見える。

 しかしこの程度で天下の公務員達がわざわざ出向いてくれるとは到底思えない。しかもさらに面倒くさいことに、近くを通りかかる人達は全員が全員見て見ぬふりを強行中だ。面倒事には巻き込まれたくないのだろう。その気持ちはわかるし正しい判断だとは思う。人間困難から逃げれば楽だ。

 だが、佐倉は先日もう逃げないと誓ったばかりのニュー佐倉。今までのヘタレな自分とは味が違う。そもそも佐倉という人間は、基本的に悪事は働くが弱者をいたぶることが嫌いな部類のため、こういったいわゆる『強制ナンパ』のような事態に直面すると後先考えずに介入するという非常に面倒くさい癖があったりする。

 というわけで、

 

「はいはいそこのお兄さん達ちょっと待とうかストップストップ」

 

 佐倉望はまったく物怖じすることなく物語に介入する。

 

 

 



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第三話 超電磁砲

 タイトルでバレバレですが彼女の登場です。


 またこの展開か。

 学園都市の誇る第三位の超能力者、御坂美琴は溜息と共に絶賛憤り中だった。

 不良の軍団に囲まれながら、彼女は一人己の不運を嘆く。最近ライバル認定した忌々しいツンツン頭の不幸が感染ったのではないか。

 

(つーか今日厄日もいいところでしょ……)

 

 午前中は雑誌を立ち読みするためにコンビニに行ったのだが、いきなり建設重機が突っ込んでくるし。

 それにイラつきながらもてくてく歩いて寮に向かっていたら法定速度ブッチで爆走するワンボックスカーに轢かれそうになるし。

 そして夕方には不良に絡まれるという筋金の入り方。

 

 なんて日だと声を大にしてあの夕陽に叫びたい衝動に駆られてしまうのも無理は無かった。

 

(ワンボックスカーに乗ってたあの黒髪……アイツだけ顔をしっかり覚えたから今度見かけたら絶対復讐してやる!)

「おぉーい、シカトですかお嬢ちゃーん」

「うっさい! 今こっちはいろいろと忙しいのよこのハゲ!」

「は、ハゲ……?」

「だ、大丈夫っす! アニキはどこからどう見てもフサフサっす!」

 

 自分を轢き殺しかけた罪は重い。磁力で動きを封じたうえで砂鉄剣の錆にしてくれる。怒りを抑えきれずに髪の先から火花が飛んだ。そして同時に不良の一人の心も傷ついた。二十代ほどにして女子中学生からハゲ扱いされればそりゃショックも受けるだろうが。

 現在とってもご立腹な美琴は如何にしてこの場を乗り切って怨敵を殺しに行くかを真剣に考え始める。一般的な感性から明らかに外れた思考をする辺り彼女も超能力者ということだろう。

 彼女なりに精一杯もっとも合理的かつ効果的な方法を模索した結果、

 

(よし、ぶっ飛ばすか)

 

 こういう結論に辿り着くのが彼女が戦闘狂と言われる所以であることに御坂美琴は気付かない。

 そうと決まれば即実行。目の前のゴミ共を消し炭にするべく演算を開始しようとする美琴だったが、

 

「はいはいそこのお兄さん達ちょっと待とうかストップストップ」

 

 いきなり黒髪の高校生らしき男が横からさらりと突撃してきた。

 突然の乱入者に美琴と不良は口をあんぐり開けて呆けた顔になる。この傍から見たら絶対に関わりたくはない状況に愚かにもトコトコ歩いて飛び込んできたこのバカは一体誰だ?

 

「な、なんだよテメェ」

「通りすがりの問題児だよ馬鹿野郎。こんな堂々と美少女ナンパするとか大した度胸じゃないか」

「び、美少女!?」

「んあ? おーとも、どう見ても美少女じゃんか。後でお茶でもしなーい?」

「テメェがナンパしてどうする!」

「なんだよケチケチすんなっての」

 

 子供のようにぶーたれる黒髪の少年に不良達の怒りのボルテージはどんどん上昇していく。彼の背後では思わぬ美少女認定に顔を真っ赤にした美琴が頬を押さえて身悶えていた。

 

(わたっ、わたっ……私が美少女!? ななな、なんであんな直球で褒められるのよ意味分かんない!)

 

 意味が分からないにしては純情かつ乙女チックな反応を見せているのだが、若干十四歳の彼女がそんな事実を認めるはずがない。未だに火照っている顔を両手で押さえながらも自分を精神的に追い詰めた少年を改めて見上げる。

 サラサラとした黒髪。背は自分より少し高い程度で、やる気のない反抗的な片足重心の立ち方が不良達の怒りを煽っている。全体的に斜に構えた感じのする少年だ。

 しかしここで彼女はある既視感に襲われる。

 なんかどこかで見たことのある男だ。具体的にはごく最近、それも先ほど思い浮かべていたような――――

 

「あっ! アンタまさかワンボックスカーに乗っていたATM強盗の!」

「げげげっ! どうして俺史上最大のシークレットがこんな見たこともない中学生に漏洩してんの!?」

「ここで会ったが百年目! 大人しく私のストレス発散に付き合いなさい!」

「せめて理由を教えて欲しいがそんな余裕はなさそうですね!」

「おいテメェら、オレ様達を無視するとはいい度胸じゃねぇか。強能力者の火炎系能力者だと知っての行いか――――」

「うるっさい!」

「あばばばばっ!」

 

 獲物を前にして気分が著しく高揚している美琴の肩を掴もうとした不良の一人が青白い電撃に焼かれて倒れ伏す。先ほどまで強能力者がどうとか粋がっていたリーダー格が一瞬にして消し炭にされ、恐怖を覚えた不良達はその場から全力で散開した。その後自分達が手を出したのはあの常盤台のエースだと知り、さらに恐怖に苛まれることになるのはまったくの余談である。

 目の前でいとも簡単に不良達を追い払った美琴に心底驚いた表情を浮かべながら、少年は恐る恐る振り向くと、

 

「もっ、もしかしてお前常盤台の御坂美琴か!?」

「は? ま、まぁそうだけど……」

「やっぱり! あぁ、やっと会えたよ!」

「なにゃぁあああああ!?」

 

 とてつもなく興奮気味に手を握られ心臓が口から飛び出るんじゃないかと心配になる美琴。ぐぐいと顔を近づけられているのも要因の一つか、バクバクと鳴り響く心音がなんとも煩わしい。

 まるでどこぞの信者のように目を輝かせた少年は手を離して一歩下がると、何故か深々と頭を下げ始めた。

 

「ありがとうございました!」

「えっ、えっ? ちょっ……いきなり何やってんの!?」

 

 突然放たれた礼の言葉にどうしたらいいのか分からず戸惑ってしまう。テンパりの極みをここに見た気がした。

 しかし少年はそんな美琴の心境などどこ吹く風。言葉を捲し立てていく。

 

「俺、アンタのおかげで救われたんだ! 幻想御手なんていうモノに頼っちまった情けない俺が、アンタの激励のおかげで生まれ変われた。いつかお礼を言わなきゃと思っていたんだけど……本当にありがとう!」

「あ、あぁ……幻想御手使用者の方ですか……」

「アンタが木山に立ち向かってくれたから、俺は目覚めることができた。こんな無能力で周囲から蔑まれるしかない俺を助けてくれて、ありがとう!」

「…………え、と。どう、いたしまして……」

 

 ここまで一直線に言われると逆に反応に困ってしまうのだが、彼がどうしてか友人の一人に重なって無下にすることができなかった。同じく幻想御手の力に頼ってしまった、黒髪長髪の友人に。

 

(……佐天さんも、同じ気持ちだったのかな……)

 

 彼女のことを分かってあげられなかった自分に罪悪感を覚えている美琴としては、そんなことを直接聞くような勇気はないのだが。

 しかしこの男、今まで自分に言い寄ってきた他の奴らと違ってやましさが全くと言っていいほど無い。そもそも礼を言っているだけなのだから下心があるはずもないのだが、それがまた彼女にとっては珍しいことでいっそう混乱を誘発してしまう。自分はどう対処するべきなのか、頭が上手く回らない。

 

「自分でどうにかできるのに、わざわざ横槍入れちまってごめんな。じゃあ俺はこれで帰るよ」

「……まっ、待ちなさいよ!」

「んあ? そっちも何か用があるのか?」

「いや、その……」

 

 首を傾げる少年。反射的に呼びとめてしまった美琴は再び混乱のスパイラルに飲み込まれる。何故大人しく帰らせなかったのか、すぐに後悔がやってくる。自分はこの男と何の接点もないというのに。

 自棄になりつつ髪をグシャグシャと掻き回す美琴だったが、ふと今の状況を打開する究極の一手が舞い降りてきた。そこから言い訳と事情、筋の通った理由を逆算し終え、彼女はふふふと口元を吊り上げる。

 何故か怪しい笑い声を上げ始めた美琴に少年の顔がやや引き攣る。そして次に放たれた衝撃的な一言に引き攣るレベルでは収まらない驚愕を露わにしてしまう。

 

「い、今からアンタ、私と勝負しなさい!」

「…………はい?」

「だから勝負よ勝負! 決闘よ!」

「はいいいいいいいいいいいいいいいい!?」

 

 C級映画も真っ青な超展開に思わず仰け反る少年。まったく予想だにしなかった宣戦布告に戸惑うのは少年の番だった。自分の力量を知っているからこそ、さらに驚愕した。

 だが美琴はそこで追い打ちをかける。手加減なんてしないのが彼女の彼女たる信条だ。

 

「アンタは気付いてないかもしれないけど、私は今日アンタのせいで人生を無駄にしたのよ!」

「これまた予想の斜め上を通り過ぎて行ったな!」

「楽しみも奪われて、殺されそうにもなった。ここまで私を弄ぶなんて、私刑の上に死刑でも足りないくらいだわ!」

「お願いだから公衆の面前で誤解されるようなこと叫ぶのはやめてくれないか!?」

 

 先ほどから通りかかる奥様方からの視線がとてつもなく痛い。「あらやだ最低ね」とかさらっと口走る年配の奥様が彼の精神をズタボロにしていく。なんか社会的な死を迎えつつある少年だった。

 だがそれでも事実なのだから仕方がない。ここぞとばかりに言葉を並べ立てていく超電磁砲。

 

「復讐よ! 私の大切なアイツ(マンガ)のためにも、アンタを倒す!」

「事実は小説よりも奇なりってこういうことか!」

 

 歴史的格言が思わぬ形で自分に降りかかっていた。

 

「というわけで電撃ドーン!」

「うぉぉおお!?」

 

 予備動作なしで放たれる一筋の電撃。手加減しているとはいえ数万ボルトはあるであろう攻撃を平然と行う中学生に戦慄を覚えた少年は反射的にしゃがみ込んで回避に成功する。

 まさか一般高校生に避けられるとは思わなかったのか、美琴は面白くないといった様子で眉を吊り上げた。

 

「ラッキー回避なんて笑えないわね」

「笑えないのはこっちだ馬鹿! なんでお礼言った相手に殺されかけなきゃならないワケ!?」

「ごちゃごちゃした事情はいいのよ。ただ、私がアンタをボコボコにしたいだけだから」

「戦闘狂っぷりがパねぇ!」

「問答無用!」

「問答してねぇし!」

 

 美琴を中心にして、電気が円を描きながら少年へと飛来する。

 文句を言いながらも、それに対して彼が取った行動は非常にシンプルだった。戦闘経験はそこまで深いようには見えない高校生は鞄から金属食器を取り出すと、向かってくる電流に思い切り投げつけた。

 結果、避雷針としての役割を与えられた食器に誘導され、電気はアスファルトに流れていく。

 思わぬ機転に言葉を失う美琴。しかし彼女はそれよりも不思議な個所に思い当たった。

 

「……なんで食器なんて持ち歩いてんのよ」

「せっかくだから能力の特訓しようかと思ったんだよ、悪いか」

「いや、それにしてもなんで食器……」

「幻想御手使って発覚した俺の能力が【念動能力(テレキネシス)】だったからだが?」

「…………」

 

 意外と真面目なヤツかもしれない。思わぬ側面に拍子抜けしてごっそりと戦意を奪われる。

 ……そして、彼女の油断を見逃すほど少年は平和ボケしてはいなかった。

 ポカンとしている美琴へと走りだし、その脇を抜けていく。

 

「あ、こらっ! 待ちなさいよ馬鹿!」

「馬鹿っていうな馬鹿って! あばよ超電磁砲!」

「こんのっ……!」

 

 我に返った美琴が声を荒げるがもう遅い。少年は振り返ることなく一心不乱にその場から走り去っていった。

 一人残され、立ち尽くす。

 

「あんチクショウ……今度会ったらただじゃおかない――――ん?」

 

 忌々しげに逃走者の背中を見送っていると、足元に落ちている黒い手帳のようなものが目に止まった。表面には校章染みたマークと学校名が記されている。

 

「生徒手帳?」

 

 もしかして。一縷の望みをかけて拾い上げ、中を見る。

 裏表紙では、【佐倉望】という名前と共にあの少年が不器用な笑顔でこちらを見ていた。

 

「……よし、いいもん拾ったわ」

 

 非常にイイ笑顔で呟く。鹿を見つけた狩人のような、捕食者の表情を浮かべ人知れず拳を握る。

 もう絶対に逃がさないとその顔が物語っていた。

 

 これが彼らの二度目の出会い。この出会いが自分達の運命を大きく変えることになるとは、この時誰にもわからなかった。

 スキルアウトと超電磁砲が出会ったその日、物語は動き出す。

 

 

 



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第四話 ある夏の一日(前編)

 今日も無事に更新できました。明日で試験休みが終わるので、それ以降は更新遅れます。


《昨日未明、学園都市第七学区を中心に原因不明の地震が発生しました。局地的なもので都市全体に被害はありませんが、第七学区の一部の道路で破損、地割れなどが起きているようです。原因などについてはまったく分かっておらず、現在警備員が研究所と連携して究明に当たっているということです》

 

「学園都市でも地震とか起こるんだなぁっつぁ!」

 

 最近新発売のカップラーメンに舌鼓を打っていた佐倉は、久しぶりに流された地震情報を聞いてのんびりと呟く。しかし勢いよく麺を啜ったことでまだ温度を失っていなかったスープが顔面に着弾し、悶絶する羽目に。

 そしてさらに、顔を押さえようと大袈裟に動いたせいでテーブルに膝を打ち、これまたスープがズボンに飛来した。

 

「あーぁ……なんだよこの不幸っぷり。上条のお家芸が感染ったんじゃねぇか?」

 

 同じ学生寮に住むツンツン頭の少年を頭に浮かべながら溜息を漏らす。最近どこか様子のおかしいあの少年は昔から周囲がドン引きするレベルで壊滅的に運がない。八月に入って何度か目にしたが、どんな時も例外なくなにかしらの不幸に見舞われていた。どこまで天に見放されているのかを考えると思わず涙が零れる。

 八月初旬。先週に比べて太陽も活発になってきたが、補習は既に終了しているため問題はない。安心して一日中部屋でくつろぐことができる。

 自由という最高の感覚に胸を躍らせつつ、濡れた服を洗濯籠にぶち込んで着替え始める。

 すると、

 

『すみませーん、宅配便でーす!』

「あ、はーい」

 

 二回ほど軽くノックされ、ドアの向こうから甲高い声が届いた。

 こんな午前中から宅配なんて珍しいな。学園都市の運送事情に少しだけ驚きを覚えながらも、判子を用意して玄関へと向かう。

 この寮は共用廊下が狭いので、宅配業者にぶつからないよう慎重に扉を開く。

 

「は~い♪ 一週間ぶりね強盗犯さ――――」

「人違いです」

 

 光速で扉を閉めた。鍵とチェーンをかけることも忘れない。

 何故だろう。暑さで頭がやられてしまったのだろうか。今扉の向こう側に常盤台のサマーセーターを着用した茶髪の第三位らしき少女が立っていた気がする。

 先ほどからまったく止まる気配のない冷や汗に悪寒を覚えながらも、佐倉はロックを解除してもう一度だけ真実を確かめる。

 

「おーっす、一週間ぶりねワンボックスカーの――――」

 

 応答するまでもなく全ロックを発動。ダッシュでベッドの中へダイブする。

 間違いない。自分の頭は正常だった。非常に残念なことながら、今最も関わりたくない人物堂々の第一位が玄関の前に立っている。

 

『こ、こらー! なんで閉め出すのよここ開けろー!』

 

 ガンガンガン!! とボロッちい扉を粉砕する勢いで荒っぽくノックする少女――――御坂美琴。挨拶していた時の爽やかさはどこに行ったのか、今にも強行突破を実行しそうな雰囲気である。近所から苦情が来るのもそう遠くはないかもしれない。

 唯一の癒しである寮生活に亀裂が生じ始めているが、佐倉は息を殺し、存在感を消して居留守を敢行。願わくばこのまま諦めて帰ってくれまいかと神に祈る。……顔を合わせている時点で居留守作戦は絶対に成功することはないのだが、そんな小さな事実に構っている余裕は無かった。

 というか、それよりも何よりも疑問なことがある。

 

「なんで俺の住所バレてんだッ……!」

 

 自分と彼女は一週間前に初対面だったはずではなかったか。住所はおろか名前すら伝えてないはずなのに、どうして個人情報が漏洩しているのか理解できない。学園都市の情報事情はどうなっているのか。

 そうしてしばらく『家にはいませんよ』モードでビクビク震えていた佐倉だったが、痺れを切らした美琴の放った一言にとうとう重い腰を上げることになる。

 美琴は静かに溜息をつくと、

 

『仕方がない……吹っ飛ばすしかないわね』

「すみませんでしたぁ!」

 

 目にも止まらぬスピードで玄関へと向かい、開門。故事の鶏鳴狗盗でさえもここまであっさり開くことは無かったであろうちょろさに美琴は少しだけ顔を引き攣らせる。まさかこんな簡単に降伏宣言をしてくるとは思わなかった。そこまで扉を壊されるのが嫌なのだろうか。

 真っ青通り越して紫に変色させたような顔色をしている佐倉は、今世紀最大の二酸化炭素を吐くと半身になって部屋へと招き入れた。

 

「どうせ言っても帰らねぇんだろ? 茶くらいなら出してやるから上がれよ」

「お、おじゃましまーす……」

「なんでちょっと緊張してんだ」

 

 地上げ屋よろしく脅迫紛いに鍵を開けさせた少女とは思えない態度に肩を竦める佐倉。

 一方男子の部屋に入るのなんて人生初な美琴は未知の空間を目の前にして息を呑む。今、自分は異性のプライベート空間に入ろうとしているのだ。これは慎重に進まなければならない。

 戦場の兵士を彷彿とさせる忍び足で居間へと向かう美琴だったが、思いのほか普通な光景に脱力した。

 

「い、意外と綺麗なのね……」

「お前は俺をどういう風に見てやがんだよ。とりあえずそこの椅子にでも座っとけ」

 

 勉強机の前に置いてある椅子に促されて、大人しく従う。なんだかとっても変な気持ちだった。

 

(う、うわー、そういえば男子の部屋に入るのってそういう関係の女性じゃないと許されないんじゃなかったっけ?)

 

 どこか偏った知識を思い出す。確か以前読んだ恋愛小説に書かれていたのだったか。あの本では部屋に上がった後、いわゆる【恋人の営み】に物語がシフトしていったような気がする。

 

(恋人、ねぇ……)

 

 馬鹿らしいと鼻で笑う。自分はここの家主に宣戦布告を行いに来ただけなのだ。間違ってもそういうことは起こらない。起こるはずがない。どう見ても草食系だしこの男。

 手持ち無沙汰でどうしようもないので椅子に座ったままクルクル回転していると、お盆に二人分のオレンジジュースを乗せた佐倉が奇妙なものを目撃したような顔で戻ってきた。

 

「子供かお前は……」

「なによ悪い? いいからそのジュースよこしなさい」

「へいへい」

 

 美琴にグラスを手渡し、佐倉は向かい側のベッドに腰掛ける。

 お互いにジュースを持ったまま、なんともいえない静寂が訪れた。

 

「…………」

「…………」

 

 空中に目を泳がせ、髪を掻いたりしてみる二人。

 そもそも最初に押し入ってきたのは美琴なのだから、話を切り出すべきはそっちだろうというのが佐倉の考えだ。まぁ正しい。一般的な感性だ。

 そして件の美琴はというと、

 

(男なんだから空気和ませるくらいの甲斐性見せなさいよ!)

 

 あり得ないほどのデキる男要求を全力で行っていた。

 それは黙りこくっていても察せるほどに強く態度に出ている。なんとか気付くまいと抵抗を続ける佐倉でさえも精神を削られる勢いだ。

 結局、彼が口火を切ることになる。

 

「……お前、何の用があって俺んとこに来たんだよ」

「え? えーと……そうそう、落し物を届けに来たんだった」

 

 そういう重要なことは玄関先で一番に言えと声を大にして言いたいものの、顔を見た途端に拒絶したのは他でもない佐倉であるので強くは言えない。あの時変な意地を張らずに理由だけでも聞いておくべきだったと今更ながらに後悔する。

 ようやく会話が始まったことに安堵を覚えたのか、先ほどに比べると幾分か余裕のある様子でスカートのポケットから黒い手帳を取り出し、佐倉に差し出した。

 以前落としてついぞ見つからなかった生徒手帳だ。

 

「これ……」

「アンタ私から逃げるときに落としていったのよ。まったく、手帳落として気付かないほど必死に逃げるヤツがいるかっての」

「命の危険感じるくらい本気で喧嘩吹っかけてきた奴がよく言うぜ」

「私はいつ如何なる場合においても戦いに関しては手加減しないのよ」

「戦闘狂め」

「黙りなさい逃走王」

 

 減らず口を叩き合うが、その顔にはどこか喜びの感情が浮かんでいた。そこまで交友期間は無いはずなのに、まるで以前から知り合いだったかのように話が弾む。

 

「へぇ、御坂の親父は経営コンサルタントやってんのか」

「ちょっと違うらしいんだけど、まぁ似たようなもんね。世界飛び回ってるから滅多に帰ってきやしない。最後に顔見たのはいつだったか」

「ウチは両親がイギリスに行っちまったから、最近はまったく会ってねぇな」

「イギリス? 旅行か何か?」

「知り合いの金持ちから屋敷を譲ってもらったらしくて、俺が学園都市に行くのと同時に引っ越していったんだ。タイミングからして絶対に俺がいなくなるのを待っていたな、アレは」

「す、凄い両親ね……」

「そうでもないさ。ちょっと変わってるけど、そこらへんにいるしがない大人だよ」

 

 なんのことはない雑談を交え、交流を深めていく。元々美琴に信仰心のような感情を持っている佐倉としては会話できるだけでも内心嬉しいのだ。思わぬ襲撃に遭ったから少し恐怖を覚えていたものの、普通に友人として話す分にはドンと来いである。

 お互いに五杯目のおかわりに突入しかけた時、ふと美琴が「あ、そうだ」と言葉を漏らした。

 

「ねぇ、この後暇?」

「決闘以外なら予定はないな」

「私だってそう毎回毎回喧嘩するわけじゃないわよ……」

「説得力がねぇんだよ。んで、何か用でもあんのか?」

「ちょっと紹介したい子達がいるの。私の友人なんだけど、アンタのことを話したら是非会ってみたいって」

「どうせ喧嘩途中に逃げ出した負け犬とかいう紹介したんだろ?」

「さぁてね」

 

 ペロリと悪戯っぽく舌を出すその姿は、彼女が年相応の女の子だと再確認させる。微笑ましく思うとともに、自分の知らないところでまた評価が下がってしまっているという悲しい事実に悲しみを隠せない。こうやって自分はまたからかわれるのかと思うと嫌な意味で胸が熱くなる。

 しかし佐倉としても女の子の知り合いを増やすことに関しては異論はない。最近クラス内でヘタレ疑惑が浮上しているので、ここらで一発逆転しておくのも悪くない。

 

「いいぜ、付き合ってやるよ」

「ホント? 意外とノリがいいのね」

「俺は基本的にフレンドリーなんだよ」

 

 スキルアウトに所属している人間が言う台詞ではないが、一般的には知られていないため美琴がそれについてツッコミを入れることはない。ただ「言ってなさい」と嘆息するだけである。

 一通り用は済んだのか、立ち上がると玄関へと歩いていく美琴。

 

「ご馳走様。ジュースありがとね」

「用事が無くてもまた来いよ。飲み物くらいは用意しておくから」

「……アンタそれどう聞いてもナンパじゃない。私なんかに媚び売る暇あったら彼女でも作りなさいよ」

「うるせー。文句あるならお前が彼女にでもなってくれっての」

「は、はぇっ!? わわわ、私がっ!?」

「なに赤くなってんだバカ。冗談に決まってんだろ」

「か、からかうんじゃないわよー!」

「年上を馬鹿にするからだよ。自業自得だな」

「ぐっ……言い返せない……」

 

 してやったりな笑みを浮かべる佐倉に、乙女の純情を弄ばれた美琴は顔を真っ赤にして睨みを利かせていた。いくら強がっても中学生は中学生ということらしい。こうしていればただの可愛い女の子なのになぁと他人事ながら溜息をついてしまう。

 未だに火照りの冷めない顔をパタパタと煽ぎながら、美琴は扉を開いて外に出る。

 

「じゃあ十二時に柵川中学前のファミレスに集合ね。遅れるんじゃないわよ」

「わぁーったよ、心配すんなって」

「それじゃあまたね。おじゃましましたー」

 

 律儀に頭を下げ、その場を後にする。

 意外としっかりしているんだなと何気に失礼なことを思ってしまう佐倉であった。

 

 

 

 

 



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第四話 ある夏の一日(中編)

 やっと更新できましたー。
 この話も次回には終わる予定です。更新は明日か来週になるかと。


 柵川中学前に位置するファミリーレストラン。規模もそれなりでメニューも豊富なため、主に学生を中心とした利用客が多いそのレストランの前で佐倉は一人待ちぼうけを食らっていた。

 時刻は十一時五十分。妥当な時間だが、美琴達はまだ姿を見せていない。集合に手間取っているのだろうか。

 携帯電話を弄りながらも、容赦なく照りつける日差しに心底気が滅入ってしまう。

 

「あっちぃ……」

 

 一日中部屋でくつろぐと決めていたせいもあるのか、体感温度がエラいことになっている。夏真っ盛りな八月に、冷房もついていない上に直射日光全開な歩道で人を待つなんて愚かしいにもほどがある。少しは場所を変えるとか日陰に移動するとか考え付いてもよさそうなものだが、暑さで思考能力の大半を奪われている佐倉は正常な判断をすることができない。

 結局、ジリジリと無抵抗に肌を焼かれていくわけで。

 できれば早く来てほしいと割と切に願ってしまう。

 

「……アンタ焼け死ぬわよ?」

 

 そうして、その時は訪れた。

 メルトダウン直前で呆けていたためか、美琴達が目の前に来ていたことに気付かなかった佐倉は声をかけられてのろのろと顔を上げる。

 

「……なんだよまた制服かよ」

「常盤台は制服着用義務があるから仕方ないでしょ。私服とか期待してんじゃないっての」

「女の子のファッション期待すんのは当たり前の事だろ」

「知らないわよそんなの。ほら、友達紹介するから立ち上がって……と思ったけど、まずは中に入ろっか。一人死にかけてるのがいるし」

「うるせー」

 

 文句を言ってみるものの、死にかけていたのは事実であるので吸い込まれるようにしてファミレスの中へと入っていく佐倉。素直じゃない彼の様子に、美琴の後ろに待機している少女達が思わず吹き出していた。

 入店し、店員に案内された席に座っていく。

 向かい側に初対面の少女三人が座り、隣に美琴という並び。美琴が少しだけ頬を赤らめていたが、暑さにやられている佐倉がそれに気が付くことは無かった。

 とりあえず飲み物を注文し終えると、美琴が口を開く。

 

「じゃあまずはコイツの紹介をしておきましょうか。前も言ったと思うけど、ATM強盗の逃走王、佐倉望よ」

「マイナス要素だけ並べるのやめろコラ」

「なによ事実でしょ?」

「事実だから余計嫌なんだよ」

 

 話題に出た時もこんな感じで紹介されていたのかと思うと思わず目尻が熱くなる。名誉棄損で訴えてやろうかと思ったが、実力行使で痛い目見るのはほかでもない自分なのでやめた。

 佐倉の紹介が終わると、向かって右側……窓側に座っている、花冠を乗せた少女が先頭を切った。

 

「柵川中学一年D組、初春飾利です。風紀委員やってますっ」

「へぇ、風紀委員なんだ。凄いな」

「い、いやぁ~、そんな大したもんじゃないですよぉ」

 

 照れながら頭を掻く初春。人懐っこい笑みが特徴的な少女だ。

 しかしこの初春とやら、どこかで見たことがあるような気が……、

 

(……あぁ、強盗したときに見かけた女の子か)

 

 学校から自転車でアジトに向かっていた際にすれ違った中学生がちょうどこんな特徴をしていた気がする。そういえば初春の隣に座っている黒髪ロングの少女はその時一緒に歩いていた子だ。相当仲が良いのだろう。

 そして二番手をその少女が請け負った。

 少女は「はいはいはーい! 次あたしいきまーす!」と元気よく手を上げると、ハイテンションに紹介を始める。

 

「初春と同じく柵川中学一年D組、佐天涙子でっす! 好きなものは音楽と甘いもの。人生とことん楽しむがモットーな花の十三歳なんでよろしくお願いしまーす!」

「よろしく。凄い元気だなぁ」

「明るいと楽しいじゃないですかっ、佐倉さんも元気出していきましょー!」

 

 「いぇーい!」とはしゃぎながら太陽のような笑顔でサムズアップする佐天。なんというか、とても《思春期》らしい中学生という印象を受ける。戦闘狂の美琴や暴走魔人な黄泉川、そして合法ロリの小萌などのイレギュラーな女性陣に囲まれているせいか、余計にそう思ってしまう。

 

「……アンタ今なんか失礼な事」

「思ってねぇ!」

 

 思いましたが、見逃してください。

 そっぽを向いてジュースを飲みながら、冷や汗流す佐倉は第三位の怒りが爆発しないのを必死に願っていた。

 そしてようやく最後の一人である。美琴と同じ名門常盤台中学の制服を身に纏ったツインテールの少女。左腕で存在を主張している緑色の腕章から、彼女が初春と同じ風紀委員だということが窺える。常盤台生の風紀委員とは大盤振る舞いもいいところだが、部隊としてはこれ以上ない人材だろう。

 結局能力かとか捻くれたことを一瞬考えてしまいながらも、とりあえずは自己紹介に耳を傾けようとして、

 

「白井黒子。風紀委員第一七七支部所属の空間転移能力者(テレポーター)ですわ。よろしくお願いしますの、スキルアウトの佐倉さん?」

『…………え?』

 

 空気が、確かに凍った。冷房が効きすぎているわけでもないのに、悪寒が走る。嫌な汗が背中を流れた。

 白井が突如放った衝撃の台詞に、女性陣が揃って表情を固めている。信じられないことを聞いたと言わんばかりに佐倉に視線を注いでくるので、若干涙目になっている男がいた。

 そんな殺伐とした雰囲気に満足げな顔で頷いた白井は、心底腹の立ついやらしい笑みを浮かべて言葉を続ける。

 

「黄泉川先生からお話は聞いていますの。なんでも、スキルアウトの仲間達とよく強盗をやってらっしゃるとか」

「ぇ……その……」

「いえ、別にわたくしに構うことはございませんのよ? 佐倉さんにも事情があるのでしょうし、とやかくは言いません。ですが……お姉様が気になっている男性がこのような犯罪者予備軍だというのはいささかどうかと思いますの。世間の目もありますし……」

「こっ……コラァァアアアアアアア!! アンタいきなり何言ってんのよ黒子! 誰が誰を気になっているってぇええええ!?」

「え? ですがお姉様。最近寮でよく話題に出しておられるじゃありませんか。『あの馬鹿いつかとっちめてやる』って素晴らしい笑顔で話されておられますし。……ホント、忌々しいくらいの輝かしい笑顔でッ……!」

 

 なんか段々と表情が暗くなっていく白井。どこからともなく取り出されたスプーンが彼女の華奢な指によってへし曲げられているが、いったいどれくらいの力がこもっているのか考えたくもない。それに触れたが最後、自分は間違いなく命を落とすだろうと理性が警鐘を鳴らしていた。

 豹変したでは済まされないほどのどす黒いオーラを放つ白井を止めるべく、ほんわか系毒舌女子初春飾利が全参加メンバーの応援を受けて今こそ立ち上がる。

 

「し、白井さぁーん。ちょっと周囲の迷惑も考えて……」

「こんなヤツがっ! こんな野蛮人如きがお姉様のラブリーでキュートなハートを射止めたのかと思うと黒子は思わずこのスプーンを薄汚い殿方の心臓に転移させたくなりますのッ……!」

「あー、もー駄目ですねこりゃ。御坂さーん、白井さん戻ってきませーん」

「りょーかい電気マッサージでご機嫌に目覚めさせてあげるわ!」

「あばばばばばばば!」

 

 今がチャンスとばかりに電撃を浴びせかける美琴。プスプスとまさに黒くなってしまった白井は自慢のツインテをアフロに変化させてその場に崩れ落ちる。ノックアウトだった。10ラウンドを戦い抜いたボクサー並にノックアウトされていた。

 しかしこの時彼女達は大切なことを思い出すことになる。

 

《攻撃性の電磁波を確認。強盗関係と認定。直ちに捕獲を開始します》

「やっべ……!」

 

 ファミレスにも強盗が入る可能性を考慮して設備されている警備用ロボット。美琴の電撃攻撃に反応を示したロボは己に与えられた任務を完璧にこなす為にお客様の間をかいくぐってまっすぐこちらにやってきている。

 不可抗力とはいえ、絶賛問題児中な美琴達は血相を変えて席を立つと、全力疾走でその場から走り去った。

 

「あ、お客様お勘定!」

「そこで寝ている風紀委員に請求しておいてくださーい!」

 

 しっかり白井を売ることも忘れない辺りが初春の黒さを暗示していた。

 

「御坂さん、じゃあ私達こっちですから!」

「あーうんじゃーねー!」

「そしてなんでてめぇは俺の方に来るんだよ!」

「いいじゃないここまで来たら一緒に逃げるわよ!」

「理由になってねぇ!」

 

 走りながらも元気に手を振る佐天に美琴は手を振りかえすと、必死こいて逃げる佐倉の隣に合流する。警備ロボットの姿がいまだに消えていないため、速度を緩めることもできない。

 

「それじゃあ頑張って撒くとしますかぁ!」

「あーもーマジで理不尽だ!」

 

 晴れやかな笑顔で走る美琴の後を、文句を言いながらもどこか楽しそうな佐倉が追いかけて行った。

 

 

 

 

 

                     ☆

 

 

 

 

 

 そして一時間ほど第七学区を疾走してなんとか警備ロボットを撒くことに成功した佐倉達は、一応の安全を確保するべく本日二度目となる佐倉家を訪れていた。再び赤面する美琴にやっぱり気が付かない佐倉は天然の気があると思われる。

 

「あー……まさか今日の内に二回もここに来ることになるなんてね……」

「まだ三時だぞ? こんな昼間からなにやってんだ俺達は……」

 

 全力疾走の末に汗だくになってしまったため、現在とっても気持ちが悪い二人。汗ばんでジメジメした衣服が肌に張り付いてなんとも言えない気色悪さを与えてきている。

 お互いにそんな状況だったからだろうか、佐倉は椅子に背中を預けたまま床に倒れ伏している美琴にこんなことを提案してしまう。

 

「先にシャワー浴びていいぞ。早くさっぱりしたいだろうし」

「…………はい?」

「いや、だから汗流すためにシャワー浴びていいって――――――――っ!?」

 

 ようやく己の犯した過ちに気が付いた佐倉は湯気が出そうな程に顔を染めた。視線があちこちに泳いでいき、挙動不審者感を盛大に醸し出している。

 しかしこの時もっとも混乱の渦中にあったのは他でもない御坂美琴その人であった。若干気になっている(白井黒子談。自分は認めていない絶対に!)男子の部屋でシャワーを勧められるなんて、彼女が知り得る限りの情報から鑑みれば行き着く答えはただ一つだ。

 すなわち、

 

(こここここ! 恋人の営みとかそう言う系のことやろうとしちゃってるのぉおおおおおお!?)

 

 基本ヘタレで有名な佐倉に限ってそのようなことは起きるはずもないのだが、彼のことをあまりよく存じていない美琴がそんな事実に行き着くはずもない。

 よって戸惑いは最終局面を迎えてしまうわけで。

 

「えと……あの……そ、そういうつもりで言ったんじゃないからな……?」

(やっべぇえええええええええ!! 俺今相当迂闊な事言った気がするわぁあああああああああ!!)

 

 そして対する佐倉望もかつてない勢いで精神的な意味でクライマックスに突入していた。ただでさえ汗をかいているのに嫌な汗が止まらない。そんでもって衣服がベタついて気持ち悪さも止まらない。

 こういう時どうすればいいのか。人生経験が著しく欠乏している童貞高校生はなんとかこの窮地を脱するべく尊敬する先輩方に救助メールを送信する。

 ……数分後、三人から送られてきた返事の中身は、

 

《死ねよお前》(半蔵)

《頑張れ》(駒場)

《いいか? まずはコンドームの位置を把握するんだ。そして相手がシャワーを浴びている最中にベッドを整えろ。汚いままなんかにしたらダメだ。そしてソイツが戻ってきたら甘い言葉を囁いて少しづつ顔を近づけていって(以下略)》(浜面)

 

(なんて使えない先輩達なんだ!)

 

 三者三様、しかし実に彼ららしい返信に力なく項垂れる。救助要請を送ってまさか罵倒が帰ってくるとは思いもしなかったが、あの忍者かぶれならやりかねない。

 そして何より問題なのは茶髪運転手HAMADURAだ。この男相変わらず欲望のままに生きているのか、後輩の気持ちを全く汲まないまま行為の順序などを送ってきてやがった。彼も一応佐倉のためを思ってこのような返信をしたのだろうが、今回に限っては殺意が湧くだけである。ここまで役立たずだと逆に尊敬の念を抱いてしまいそうだ。

 

「…………」

「…………」

 

 お互いに黙り込み、非常に気まずい雰囲気が場を支配する。できるならば絶対に経験したくはない沈黙を全身に受け、彼らは人生史上最大の戸惑いをその顔に表現していた。

 ……そして、数分経ったその時勇者が決意する。

 

「……じゃ、じゃあシャワー借りるわねー……」

「!?」

 

 常盤台の誇る超電磁砲、学園都市の第三位である御坂美琴が、女らしく根性見せて空気をぶち殺しにかかった。

 

 

 

 

 



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第四話 ある夏の一日(後編)

 濡れ場があると期待したか? 残念だがそれは幻想だッ!


 凍りついた空気を打破すべくシャワーを借りることにした美琴は、着替えとして佐倉からジャージを受け取ると洗面所で更衣を行っていた。

 佐倉の家はいわゆる『外』の一般的なマンションと似たような構造をしているので、風呂場と洗面所が隣接している。服を脱ぎながら鏡を使えるので、女子的には嬉しい限りだ。

 汗だくになってしまったワイシャツのボタンを外しつつ、なんとなく考え事に耽る。

 

「そういえば、スキルアウトとか言ってたなー……」

 

 ファミレスで白井が暴露した佐倉の素性。確かに強盗とかしていたが、まさか本当にそういう類の人間だとは思いもしなかった。美琴はスキルアウトの人間と会ったこともあるが、そういう人達と比べると佐倉はあまりにも優しすぎる。とても学園都市の闇に生きる武装無能力者集団だとは思えない。

 スキルアウトという単語に行き着いた結果、以前関わったことのある黒妻綿流の言葉を思い出してしまう。

 

『全てが能力で判断される学園都市を捨てたのさ。何もかも投げ出しちまってな』

 

 能力強度が上がらず、悩み抜いた末、ついには能力への執着そのものを捨ててしまった者達。学園都市において能力を捨てるということは、憧れや夢、その他様々なものを棒に振るということだ。そして、他の学生達から蔑まれることを甘んじて受けることと同意である。

 美琴はすでに超能力者にまで登り詰めているから、彼らの気持ちは分からない。決して努力を諦めず、後からついてくる結果に一喜一憂しながら能力強度を上げていったから、そういった向上心を捨てるということも分からない。

 だが、自分はたまたま上手くいっただけであって、何年も努力したにもかかわらず、無能力者のままな学生達だってたくさんいるのだ。むしろ、この街の半分以上はそういった人達だと考えていい。

 努力しても努力しても上がらない能力。己の苦労が実を結ばなかったとしたら、夢を捨ててスキルアウトになってしまうのも無理はないのではなかろうか。

 

「無能力者、か……」

 

 かつて彼女が解決した【幻想御手事件】も、無能力者や低能力者の学生達を主たる被害者とする事件だった。彼らの能力への憧れを逆手に取り、己の願望を叶えようとした悲しい事件。

 美琴の友人である佐天も、そして佐倉もその事件の犠牲者だ。

 能力開発に希望を見いだせなくなった二人は、突如現れた夢のような道具に頼ってしまった。努力ではどうしようもない壁を超えるために、彼らは【幻想御手】という麻薬に手を出してしまった。

 馬鹿なことを、と以前の美琴なら思っただろう。しかし、佐天という被害者を目の当たりにし、そして佐倉というスキルアウトを前にした今の美琴は、必ずしもそう言いきれなくなってしまっていた。

 

 服を脱いで籠に放り込むと、風呂場へと入る。水をちょっとずつ出して温度を調節してから、ようやく丁度いい熱さになったところで全身を清めていく。

 水に打たれていると、段々と混乱していた頭が冷えていく。汗の粘着感もなくなり、さっぱりしてきた。

 

(……後でちゃんと話を聞こう。そして、私なりにアイツを受け入れよう)

 

 スキルアウトだからといって佐倉を嫌っていい理由にはならない。いくら彼がそういう組織に所属していると言っても、美琴が知っている佐倉望という人間はとっつきやすいイイ奴なのだから。人に理不尽な暴力を奮ったり、傍若無人な態度を取るような人間には到底思えない。

 ぬるめの流水を全身に受けながら、美琴は一人強く頷いた。

 

 

 

 

 

                    ☆

 

 

 

 

 

 その後佐倉もシャワーを浴び終え、それぞれ着替えた二人は部屋の中央にある丸テーブルに向かい合って座っていた。頭もそれなりに冷えたおかげか、先ほどのような気まずい雰囲気はほとんど見受けられない。ちゃんと話をしようと思ったのだろう。

 佐倉はなくなっていたグラスに麦茶を注ぐと、ようやく口を開く。

 

「白井が言っていたことなんだけど……俺がスキルアウトってのは本当なんだよ」

 

 それはどれだけの勇気がいる事だったのか。自分が軽蔑される存在だと重々承知の上で、彼は己の素性を明かす。

 武装無能力者集団は、元々能力者達の脅威から身を守るために結成された組織だ。能力もなく、身を守る術も持たない無能力者達が身を寄せ合って作った集団。

 しかし、仲間同士で手を取り合って日々を生き抜くためであったその組織は、いつしか能力者を標的にした無法集団へと姿を変えてしまった。能力者への恐怖は憎悪になり、守る力は襲う力へと変貌した。

 佐倉が所属する駒場利徳率いる一派はそのような攻撃的な側面は薄いものの、少し前に壊滅した【大蜘蛛(ビッグスパイダー)】などはその傾向が顕著だ。むしろ、そういう集団が一般的だと言った方がいいかもしれない。そのせいで、スキルアウトのイメージは無法者達の暴力集団というのが最たるものなのである。

 

「お前がこの間見た時みたいに、強盗とか窃盗とか、そういった犯罪行為もそれなりにやってる。資金調達のためっていうのが主な理由かな。ロクに奨学金を貰えない俺達が活動資金を得るためには、そういうことが必要なんだ」

「……でも、そんなことに頼らなくてももっといい方法が……」

「そうかもしれない。でも、この街じゃ俺達みたいな無能力者(クズ)はマトモに相手してもらえないんだよ」

 

 美琴の言葉を打ち消すように放たれたその言葉には、どこか深い悲しみが込められていた。スキルアウトなんていう組織を作らなければならなくなった腐った能力者達への、強い憎悪が込められていた。

 達観した表情で遠くを見る佐倉に、美琴は思わず言葉を失う。彼らの苦しみが、悲しみが、怒りが、ほんの少しではあるが理解できてしまったのだ。

 元々、彼女もそこら辺にいるような低能力者だった。何の変哲もなく、高位能力者には馬鹿にされるような普通の一般人だった。

 だが、彼女は努力した。そういう人間達を見返してやろうと、彼女は血の滲むような努力の末に超能力者にまで登り詰めた。目の前に置かれたハードルを、御坂美琴は血反吐を履く思いで飛び越えたのだ。

 ……しかし、今目の前にいるこの少年はそのハードルを越えることができなかった。彼女が努力したその場所で、彼は努力することをやめてしまった。

 何が違うのだろうと彼女は考える。あの時、自分を支えてくれたのは何だったのだろうか、と。

 

「確かにあの日、お前から助けてもらったあの日、俺は諦めないと誓ったよ。どんな障害にも立ち向かってみせるって。……でも、駄目なんだ。そんな決意如きじゃどうにもならない壁があるんだよ。無能力者は……俺達は、どうしようもない落ちこぼれ達なんだ。学園都市の最底辺で生きることを強制され、その境遇に反発することさえやめた弱者。お前も失望しただろ? 犯罪行為に身を染めるスキルアウトなんて、魅力の一つもありゃしないからな」

「……そんなことない」

「は?」

「そんなことっ……ないっ……!」

 

 突如呻くように漏れた美琴の一言に、佐倉が怪訝な顔をする。彼の予想を遥かに超える内容に、呆けたようになってしまう。

 美琴は俯いたまま、パチパチと小さな火花を飛ばし始める。それは怒りか、それとも悲しみか。彼女の感情は能力として表れ、徐々に強さを増していく。

 今分かった。彼と自分は何が違うのか。何が必要なのかを、彼女はようやく理解した。そして、今彼に与えるべきものは何かということも。

 

「お……おいおいおい! なんだよどうしたんだよいきなり!」

「うるさいっ!」

「痛っ!」

 

 電気を帯び始めた美琴に慌てて駆け寄った佐倉だが、不意に立ち上がった美琴によって左頬を張られ尻餅をついてしまう。訳も分からず、佐倉はただ目を丸くしている。

 そんな彼の襟首を掴むと、美琴は目を怒らせて声を荒げた。

 

「スキルアウトだからって……無能力者だからって何よっ……! そんなの、ただの言い訳じゃない! 自分の弱さを正当化するための、隠れ蓑に過ぎないじゃない!」

「い、言い訳の何が悪いんだよ! 仕方ないだろ! 俺達は誰からも認めてもらえない、受け入れてさえもらえないんだから! 自分で逃げ道を作らないと、俺達は生きていけないんだよ!」

「逃げ道を作る余裕があるのなら、その気力を進むことに使いなさいよ! 少しでも、ほんの少しでも前向きになれば、アンタも周りから受け入れてもらえるはずなんだから!」

「こんな何の取り柄もねぇ無能力者を受け入れてくれる物好きなんているはずねぇだろうが!」

「そんなのっ……そんなの、私が受け入れるっ!」

「はっ……?」

 

 衝撃的な台詞に佐倉の思考が止まる。信じられないことを言われた気がして、まじまじと美琴の顔を見つめてしまう。

 怒鳴り続けて息が上がっていたのか、しばらく調子を整えると彼女は穏やかに言葉を紡ぎ始める。

 

「アンタが努力できないのなら、私が無理にでも頑張らせる。アンタが諦めるっていうのなら、私が意地でも繋ぎとめる。一人でもそういう人間がいれば、少しは意識も変わるんじゃないの?」

「御坂……」

「もったいないじゃない、そんな小さな挫折と苦悩で自分自身に絶望してしまうなんて。最後まで頑張らないで、前を向かないで生きるなんて、悲しいじゃない……」

 

 ポタ、と佐倉の頬に温かな雫が落ちてくる。それは次第に数を増し、彼の顔を濡らしていく。

 美琴はこの時確信していた。今、彼に足りないものを。

 

 佐倉望に足りていないのは、理解者だ。

 

 彼を信じ、愛し、叱り、賞賛し、支える理解者が、彼には足りなかったのだ。

 いや、もしかしたらそういった理解者は既にいたのかもしれない。その存在に、彼自身が気付いていなかっただけかもしれない。こんなに自己嫌悪に陥っている人間なのだから、その可能性も否定できない。

 でも、だったら自分が今から本当の【理解者】になってあげればいい。彼を支えてあげられる人間になればいい。

 

 幻想御手から彼を救った時のように。

 『もう逃げない』と決意させたあの時のように。

 

 佐倉望を、この世界からも逃げないようにしてしまえばいいだけではないか。

 目の端を拭うこともせず、彼女は言葉を続ける。

 

「私に誓ったって言ってたわよね、『もう逃げない』って。だったら、今日からアンタはどんなことに対しても逃げちゃダメ。諦めちゃダメ。臆してはダメ。他でもない私が言ってんだから、守りなさいよ?」

「……本当に、お前は俺を受け入れてくれるのか?」

「当たり前でしょ? だいたい、アンタがスキルアウトだからって友人やめるような希薄な関係なら、最初から友人になんてなってないっつうの」

「お前が俺の友人だったってのは初耳だけどな」

「喧嘩吹っかけて友人紹介して家まで来たら、そりゃもう友人でしょ」

「全部お前の独断だけどな」

 

 呆れたような溜息が響く。それを切欠に、二人は同時に吹き出し笑い始める。

 この時、佐倉はもう救われていたのかもしれない。長い間彼を苦しめていた能力の呪縛から、解き放たれていたのかもしれない。彼にとって、御坂美琴という存在はそれほどまでに大きなものになっていた。

 幻想御手から救ってくれただけでなく、自分の捻くれた性根さえも叩き直そうとしてくれた超能力者。自分のような弱者にこうやって手を差し伸べてくれた強者に、彼はやっぱり惚れていたのかもしれない。

 

(半蔵先輩になんて言われるかな)

 

 一足先に彼の想いを感じ取っていた忍者にからかわれそうだ、と人知れず苦笑を漏らす佐倉だった。

 ひとしきり笑い終えると、美琴は柔和な笑みを浮かべて口を開く。

 

「アンタがスキルアウトだろうが犯罪者だろうが、私の友人であることに変わりはないわ。困ったときはいつでもどこでも頼りなさい。能力者の先輩としてアドバイスくらいはあげるから」

「そんなに胸の小さい先輩なんているかってんだよ」

「んなっ!? あ、アンタねぇ!」

「ちょっと待て! この密室で電撃攻撃はタブーだろ!?」

「うっさい! 消し飛べバーカ!」

 

 全身に電撃を食らい、悲鳴と共に崩れ落ちる佐倉。それを見て楽しそうに笑う美琴。

 物語は変わり始める。本来関わるはずの無かった者達が関係を持ったことで、ストーリーは変化を迎える。

 

 彼らはお互いに笑っていた。これから先、数々の変化した悲劇が訪れることも知らずに。

 

 

 



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絶対能力進化実験編
第五話 八月二十日


 連続投稿です。未読の方は前話からお読みください♪


 八月二十日。

 夏休みも終盤に突入し、学生達がこぞって宿題を友人に見せてもらい始める時期。優等生はともかく、不登校や成績不振者はほとんど例外なく同じ行動を取るこの時期。

 しかしそんな世の中の流れに逆らって、何故か学校に呼び出されている間抜けな二人がいた。

 

「いいですか? そもそも【自分だけの現実】っていうのは能力を使う際に最も大切とも言われている機能であって……」

「……なぁ上条、今日って確か二十日だったよな」

「あぁ、後十日で休みが終わる貴重な期間だ」

「それなのに、なんで俺達学校になんか来てんだよ。しかも俺は補習終わったはずなのに……」

「俺は補習。お前は補導代わりのペナルティだからだろ?」

「黄泉川ァ……」

 

 上条と呼ばれたツンツン頭の青年が気力なさげに返すと、佐倉は普段の無気力っぷりに三割増しした調子でがくりと項垂れた。彼らは既に授業に対する気力を失っているらしく、黒板に板書されている内容とノートに書かれている内容が釣り合っていない。真面目に授業を行っている小萌先生が可愛そうに思えてくる光景である。

 能力やらAIM拡散力場やらの話を熱烈に語る先生に気怠い視線を送りつつも、馬鹿二人は午後からの予定について小声で相談を始める。

 

「自販機でジュース奢ってやっから、午後からちょっくら遊ぼうぜ上条」

「上条さん的にも賛成です。こんなクソ暑い中補習受けさせられて、気晴らししない方がおかしいっての」

「よし、じゃあさっさとこんな授業終わらせて――――」

「こらー! 私語しているとコロンブスの卵ですよー!」

『げぇっ!』

 

 二人の補習はまだまだ終わらない。

 

 

 

 

 

                   ☆

 

 

 

 

 

「やっと終わった……」

「ま、まさか三十分延長してくるとは……鬼かよあのロリ……」

 

 ロクに冷房も効いていない教室で午前中一杯苦行とも言える授業を受けさせられた佐倉と上条は、かねてからの約束通り帰り道の公園で自動販売機に立ち寄っていた。ジュースを買って、それから憂さ晴らしでもしてやろうといういかにも男子高校生らしい考えの結果である。

 財布を取り出すと、どこか偉大さに溢れる女性の載った紙幣を投入する。

 

「なっ……お前、それもしかしてあの五千円札様じゃっ……!」

「はっはぁ! てめぇみたいな貧乏野郎とは財布の重みが違ぇんだよ重みがな! 年がら年中二千円前後しか入ってねぇ、それも二千円札なんてレアな紙幣持ち合わせている奴と一緒にすんじゃねぇ!」

「くっ……こ、これがへそくり大魔王佐倉望の力だとでも言うのかッ……」

「まぁ居候シスターの食費代を考えればお前はよくやっている方だとは思うよ」

 

 以前上条家を訪れた際に邂逅した銀髪の修道女。ほわほわとした明るい印象の少女はインデックスというらしく、色々あって上条家に居候しているようだ。

 銀髪シスターとお近づきになれるシチュエーションがどういったものなのか切実に知りたくはなったが、本人達があまり乗り気じゃなかった以上無理矢理聞き出すというのも憚られた。誰しも秘密にしたい過去の一つや二つあるものだ。……彼女と知り合ったせいで、ときどき飯をたかられてしまう事実には涙するしかない。

 適当にサイダー系のジュースを二本セレクトし、現物が出てきたところで御釣りボタンを押す。

 自動販売機は音を発さない。

 

「……あれ?」

「どうしたんだよ佐倉。早く行こうぜ」

「いや、ちょっと待ってくれ。つり銭が出てこねぇんだが……」

 

 ガチャガチャガチャ! と何度もレバーを下げては釣銭を催促するが、彼の呼びかけに自動販売機が応じる様子はない。「貴様の金は俺様が貰ったぜ! 絶対に返さねぇよバァーカ!」と言わんばかりに無言で佇んでいる。

 

(これは……間違いねぇ……)

 

 嫌な予感に冷や汗が流れる。だが、この状況を客観的に捉えるとそうとしか考えられない。たまに噂程度になら聞いたことがある状況だが、自分の身に降りかかってくるとは思わなかった。

 不思議そうに背中越しから覗いてくる上条に絶望しきった顔を向けると、佐倉は地獄の底から這い上がってきたような恨みがましい声でじっとりと呻く。

 

「飲み、込まれた……」

「……は?」

「俺の五千円札……自動販売機に飲み込まれた……」

「……わ、わはははは! なんだよ馬鹿じゃねぇのお前! あんだけ五千円自慢したくせしていっぺんに紛失するとかマジ不幸じゃん!」

「うっせぇ生きる不幸の権化! お前の不幸が感染ったんだろうが!」

「はぁ? それは佐倉の自業自得ですぅー。俺は関係ないですぅー」

「こいつマジうぜぇ!」

 

 「ひぃひぃマジダセェー!」と腹抱えて爆笑する上条に拳を握り込みながらも、実は大金を失ったショックから抜け出せない哀れな子羊一名。前述の通りへそくりを貯めているので生活費がなくなったなどということはありえないが、それでも一般高校生にとって五千円という額は非常に大きいものがある。具体的には今日の晩御飯がハンバーグからコンビニのおにぎりになってしまうくらい。

 

「くそー、戻ってきてくれ俺の五千え~ん!」

「あはははは! 無理だって諦めろよー」

「……何やってんのよアンタ達」

 

 二者二様の反応で自動販売機に向かっていた男達に、ふと声がかけられた。どこか呆れたような調子のソレに振り向くと、ベージュ色のサマーセーターを身に纏った茶髪の女の子が。

 忘れたくても忘れられない、およそ二週間前ほどに自分の事を受け入れてくれた神のごとき少女、御坂美琴その人である。

 一番見られたくない人間に痴態を晒してしまった佐倉は、どこから見ても不幸な雰囲気を身に纏ってその場に膝をついてしまう。やっちまったと自己嫌悪に陥ることも忘れない。

 そして、上条はというと。

 

「……なんだコイツ?」

「…………(ぷちっ)」

 

 しっかり死亡フラグを建てる徹底っぷり☆

 

「私には御坂美琴って名前があるって何度言えばわかるのよこのウニ頭ァ――――――――ッ!!」

「ひぃっ!」

「あばばばばばばば!」

「って、うわぁっ! ご、ごめん! そっちに当たるとは思わなくて……」

「……右手が勝手に反応した?」

 

 何やら呆然と右手を見つめている上条はさておき、流れ電撃で真っ黒焦げになった脇役バンザイな佐倉に慌てて駆け寄る美琴。最近彼の生傷が増えているのは間違いなく彼女のせいであろうと断言できる。どこぞのウニ頭と違って能力を打ち消す右手すら持っていない彼は、そのまま能力を受けるしかないのだから。

 なんだか急に息も絶え絶えな佐倉は、美琴の腕の中でか細い声を上げる。

 

「み、御坂……」

「し、喋っちゃダメ! もうそんなにボロボロになって……」

 

 誰のせいだとツッコみたくなった上条はいたって正常である。

 

「俺……お前に言い残したことがあるんだ……」

「な、何よ……」

「この自販機……金を、呑み込む、みてぇだ、ぞ……」

「さ、佐倉ぁあああああああああああああ!!」

「……おーい、茶番は終わったかお前らー」

『はーい』

 

 むくりと何事もなかったかのように起き上がる佐倉と、笑顔で応答する美琴。なんだこの気持ちが悪いほどのコンビネーションはとか思ってしまったのは上条だけの秘密だ。決して友情が壊れそうだったからとかいう理由ではない。

 

「ここの自販機は金食いだから、ジュース買う時はお金入れるんじゃなくて……」

 

 立ち上がった美琴は自販機に近づき、何やら弾むようにステップを始めると――――

 

「こうするのよ……ちぇいさーっ!」

 

 

 回転回し蹴りの要領で、自動販売機にドギツイ一発をお見舞いした。

 

 

『えぇ――――――――ッ!?』

「ん? なによそんなに変な顔して」

 

 常盤台の制服を着ているお嬢様がまさかこのような暴挙に出るとは思わなかったのか、二人揃って若干引き気味の姿勢を見せる。彼らの中のお嬢様イメージが音を立てて崩壊しているが、当の美琴はそんなものどこ吹く風と言った様子で出てきたジュースのプルタブを開けていた。

 一口飲んで満足げな顔をする美琴だったが、佐倉の様子を見て何かに思い当たったのか、意地悪そうな笑みを浮かべるとぐいと顔を近づける。

 

「アンタ……もしかして飲まれたの?」

「ぐぅっ!? そ、そんなはずねぇじゃん馬鹿じゃねぇのお前!」

「で、どうなのよそこのツンツン頭」

「五千円札を呑まれた憐れな子羊状態ですはい」

「上条ォオオオオオオ!!」

「ご、五千円……自販機使うのに五千円って……しかも呑み込まれるって……ぷっ、くくっ。あーはっはっはっ!」

 

 「そりゃ自販機もバグるわよー!」と上条よろしく大爆笑する美琴に心底殺意が湧く佐倉。とりあえず一発ぶん殴ってもバチは当たるまいと鞄から特殊警棒を取り出そうとしたが、そこは生ける英雄上条当麻の必死の訴えに応じてやめておいた。命拾いしたな、と呟く彼の顔はいつになく悪人だったと後に上条は語る。

 苦笑いする上条に慰められながらも金を補充しに寮へ向かおうとした佐倉達だったが、美琴に呼び止められて立ち止まる。

 

「笑って悪かったわよ佐倉。お詫びに金額分取り返してあげるからさーっ」

「取り返すってお前、どうやって……」

「え? もちろんこうするに決まってるじゃない」

 

 そう言うや否や、自動販売機に手をついて放電を始める。バチバチバチッ! と嫌な音が辺りに響き渡り、販売機から数十本の缶ジュースが強制的に放出される。

 つまるところ、強盗まがいにジュースを取り出しやがった。

 

「あっれおかしいなー、手加減したはずなのに……。まぁいいわ。ほら、これアンタ達の取り分……」

「逃げるぞ上条! 今の具合じゃ警備員が来るのも時間の問題だ!」

「了解! 巻き添えだけはごめんだぜ!」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよー!」

 

 犯罪行為に手を染めている佐倉でさえもビビるレベルの堂々っぷりに二人は脱兎のごとくその場から逃走を図る。その後を、大量のジュースを抱えながら追いかける美琴。

 八月二十日の昼下がり。佐倉達は絶賛絶体絶命中だった。

 

 

 

 

 

                    ☆

 

 

 

 

 

 その後白井黒子と再会したり、美琴と同じ顔をした妹らしき少女と邂逅を果たした佐倉は、既に時間も時間なので上条達と別れ一人いつもの路地裏へと向かっていた。今日は特に【仕事】は入っていないが、とてつもなく暇なので浜面でもからかって楽しもうという魂胆の元である。半蔵がいればなお楽しかろうといつも鞄に忍ばせている浜面お気に入りのバニーちゃん特集を頭に浮かべてグフフと笑う。とても先輩に対する態度とは思えない。

 そして毎度の通りに差し掛かったところで、佐倉はふとこんなことを思いついた。

 

「どうせなら違う道から入って先輩達おどかしてやるか」

 

 それはただの気まぐれだった。何のことはない、単なる彼なりのお茶目だった。人間なら誰しも経験する、「ちょっとだけ今日はいつもと違うことをしてみよう」とかいう思いつきにすぎなかった。

 鼻歌交じりに歩き回って手頃な路地裏を選択すると、のんびりと足を進める、

 だが、今日は何かが違った。いつも暗い喧騒に包まれている路地裏が、不気味なほどに静まり返っている。

 

「……? 駒場さん達のアジトじゃねぇから静かなのはわかるけど、普通ここまで音がしねぇもんかね」

 

 不思議に思ってあちこちを見回すが、人の姿は見受けられない。誰かが生活していた痕跡は見つかるのに、そこに必要な人間達が存在しない。そして、路地裏のあちこちが不自然に荒れている。

 まるで、ここの人間が何かから逃げ去ったように。

 

「……アレ、は……?」

 

 しばらく歩き進めていると、視界の奥に何やら複数の人形のようなものが倒れ伏している光景が入り込んできた。辺りには赤黒い液体……確信はないが、血のような液溜まりが広がっている。

 まさか。嫌な予感を全身に覚えながらも、彼は人形達へと近づいていく。

 

「…………」

 

 予感が確信へと変わり、佐倉は思わず言葉を失う。

 結論から言って、倒れているのは人形ではなく人間だった。それも血だらけになった、幾多もの死体。

 だが、彼が驚いたのはそんなことではない。クズ共の生きるこの場所で、死体が転がっていることなど日常茶飯事なのだ。法律さえも届かない路地裏で、死体を見たからといって今更取り乱す佐倉ではない。

 

 彼が絶句したのは、その死体の中にある少女の姿を見つけたから。

 サマーセーターを身に纏い、茶色の髪を短めにして、軍用ゴーグルを被った少女。

 彼の良く知る第三位に非常にそっくりな容貌ながらも、邂逅したのはつい先程の事である少女。

 傍目で見れば違いは分からないかもしれない。だが、この少女の付けている軍用ゴーグルからこの死体がどちらのものであるのかは容易に推察することができる。

 いきなり震えだした身体を気遣う余裕もない様子で、佐倉は顔を強張らせたまま呆然と少女の名を漏らした。

 

「御坂……妹……?」

 

 佐倉望はまだ知らない。これはまだ、悲劇のほんの序章にしか過ぎないということを。

 

 



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第六話 妹達

 なんか平均評価がとんでもないことになっていますが、いずれ低評価が入ってマトモな数値になるでしょうからお気になさらないでください。評価者数がある程度に達した辺りが本当の価値であります。


 路地裏の先に広がっていた衝撃的な光景。数を数えるのも億劫になる死体の山の中に御坂妹の姿を発見した佐倉は、息をするのも忘れてその場に呆然と立ち尽くす。

 

「……な、んだ……」

 

 そんな気の抜けた言葉が漏れ出してしまうが、脳内では頭がパンクしてしまうほどに思考が繰り返されていた。今までの記憶と現在の状況、そして目の前の惨状に脳をフル回転させる。

 

(さっきまで普通に喋っていた御坂妹が、なんでこんな路地裏で死体になってんだよ! 意味が分からねぇ。何があった。ここで、今まで何が行われていたんだ!)

 

 冷や汗が止まらない。臓物が剥き出しになっている死体を前にして、吐き気も襲ってきている。体調的に言えば、最悪だ。

 だが、嘔吐するわけにはいかない。今目の前で転がっている死体はあの御坂妹なのだから。普通に自分や上条と会話をしていた、紛れもない彼女なのだから。

 込み上げてくる胃酸をどうにか飲み下すと、佐倉は死体へと足を進めた。

 

「……酷ぇな」

 

 都市伝説などで耳にする猟奇殺人犯でももう少しは手加減するのではないかというほどにボロボロにされている。腹の辺りから飛び出している筒状のぷるぷるした物体は腸の一部だろうか。その他にも、粉砕した骨や剥がれた肉などが周囲に飛び散っている。

 そして何より気になったのは、御坂妹以外の死体だ。彼らもまた、普通の喧嘩などではあり得ない殺され方をしている。腕が不自然な方向にひしゃげ、顔面は重力がまとめて圧し掛かってきたかのように陥没している。

 状況把握に思考を向けると、徐々に気分も回復し始めてきた。深呼吸で息を整えながら、死体の周りを探っていく。今は何よりも情報が欲しかった。

 すると、

 

「貴方は一体何をしているのですか、とミサカは背後から失礼だとは思いつつも自分の疑問をぶつけてみます」

 

 聞き覚えのある声が耳に届いた。そして同時に、絶対に聞こえるはずのない声だと気付いて思考が止まる。

 指先が緊張で強張るのを感じつつも、佐倉は表情を硬くしたまま振り向く。

 茶色の短髪に軍用ゴーグル。ベージュ色のサマーセーターを着こなすその少女は、彼が数時間前に邂逅した彼女と全く同じ(・・・・)無機質な瞳で佐倉をじっと見つめている。

 ……そう、奇妙にも、今佐倉が遭遇した死体の少女と瓜二つな外見をした少女が目の前に立っていた。

 

「みさ、か……いもう、と……?」

「より正確には一〇〇三五号です、とミサカは検体番号を明かすことで個体の識別を図ります」

「シリアル、ナンバー……?」

「二万人いるミサカ達を特定するための型式番号のようなものです、とミサカは理解の悪い貴方の為に懇切丁寧に説明を行います」

 

 どこまでも無表情に、無感情に淡々と『ミサカ』は言った。あまりにも常識から外れた内容の台詞を、彼女はなんでもないようにその口から発していく。

 言葉を漏らす余裕さえない。驚きが脳を覆い尽くして、疑問を口にすることさえできない。

 

(二万人いるミサカ? 検体番号? なんだ、コイツは今何を言っているんだ!? ていうか、なんで御坂妹がここにもいるんだよ! 今死体になっていたアイツは、何なんだ!?)

 

 状況を把握できず、新たな情報だけがぐるぐると脳内を回っていく。目を丸くして立ち尽くす佐倉にミサカが怪訝な表情を向けていたが、今の彼にそんな些細なことに気が付く余裕も精神状況も存在しない。

 黙り込んだまま行動を停止した佐倉を待つのをやめると、ミサカ一〇〇三五号はまったく物怖じすることなく『ミサカ』の回収作業を始める。

 

「何、やって……」

「『実験』の後始末ですが、とミサカはいつまでもそこに突っ立っている貴方にあえて冷たい言い方をすることで、暗にどけという気持ちを示してみます」

「ぁ……悪ぃ……」

 

 反論する余裕さえない佐倉は言われた通りにその場からどくと、少し離れた場所でぼんやりとミサカの作業を眺める。

 彼女の『後始末』はいたってスムーズだった。

 凝固剤で血液を固めて拭い取り、飛び散った骨や肉をゴミ袋にぶち込み、死体を寝袋の中に入れる。

 今まで何度同じことをしてきたのか疑問に思ってしまうほどの手際の良さだった。

 他の死体には目もくれず『ミサカ』の回収作業を終えたミサカは、寝袋とゴミ袋を一旦纏めるとその場に立ち止まる。

 

「……? どうしたんだよ」

「この量を一人で運べるとでも思っていやがるのですかこのウスラトンカチは、とミサカは常識のない貴方に少しだけ怒りを露わにします」

「……悪かったな」

「一人ではとても運べやしないので応援を呼んでいるのです、とミサカは不服そうにしている貴方が状況を理解できるように自分の行動を明らかにします」

「応援?」

「はい、とミサカは頷きます。他の『妹達(シスターズ)』です、とミサカは補足します」

「お待たせしました、とミサカ一〇七三四号は自分の到着を伝えます」

「っ!」

 

 再び声が響いた。先ほどミサカが現れた方向から、別の同じ声(・・・・・)が路地裏に木霊する。

 ……いや、一つどころではない。想像を絶する数の『声』が佐倉の耳を打つ。

 

「実験時には毎回ミサカ達が回収作業を行っているのですよ、とミサカ一九六七八号はささやかな胸を張ってみます」

「その反応から察するに貴方は実験関係者ではないのですね、とミサカ一〇〇五四号は自分の推察を述べてみます」

「心拍数、脈拍数の増加を感知しました、とミサカ一五七六三号は貴方が極度のストレス状態にあることを伝えます」

「ミサカは」「ミサカは」「ミサカは」「ミサカは」「ミサカは」

「ぅ……ぁ……!」

 

 抑揚のない彼女らしい声。御坂妹らしい十数人の声に囲まれて気が動転しそうになる佐倉。混乱と戸惑いが臨界点を突破し、思考を妨げる。この状況を打破する一言を模索するのだが、うまく纏まらない。

 それでも、彼は一つだけ彼女達に尋ねる。『妹達』と名乗ったミサカ達に、決定的な疑問のみをぶつける。

 

「……お前達は、何者、なんだ……?」

「学園都市に七人しかいない超能力者、御坂美琴の量産軍用モデルとして製造された体細胞クローンです」

 

 その言葉を最後に、『妹達』はその場から立ち去っていく。

 一人残された佐倉は、湧き出る汗を拭うこともせず呆けたように立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

                     ☆

 

 

 

 

 

『超電磁砲の体細胞クローンについてだぁ?』

「はい。半蔵先輩なら何か知っているんじゃないかと思いまして」

 

 寮に帰宅した佐倉は、晩飯の用意よりも先に半蔵へと電話をかけていた。『妹達』についての情報を、今は少しでも手に入れようと思ったからだ。

 裏世界に通じている彼は、普通のスキルアウトに比べてその手の情報に聡い。「忍者は情報戦が命だからな」と以前自慢げに語っていたのを、佐倉は忘れていなかった。

 佐倉の質問に素っ頓狂な声を上げた半蔵は、電話の向こう側で盛大に溜息をつく。

 

『あのなぁ。どこでそういう情報掴んできたのかは知らねえが、お前みたいな普通の高校生が関わってちゃいけねえ世界っていうもんが存在するんだ。興味本位とか、ちょっとした人助け程度の覚悟で聞くような代物じゃないんだぞ? ソレは』

「分かってます。クローンなんて国際法無視したブツ作るようなアレなんですから、相当ヤベぇ内容だってことも承知してます」

『だったら……』

「でも、それでも俺は知りてぇんです。今、アイツに何が起こっているのかを。妹達が、いったいどういう存在なのかを」

『…………』

 

 佐倉の迷いのない言葉に、半蔵は思わずと言った様子で言葉を失っていた。顔は見えないが、おそらくそれなりに虚を突かれた表情をしているはずだ。

 表の世界。闇とはかかわることのない光の世界で暮らしている佐倉にとって、今回の事件は縁もゆかりもないものなのだろう。半蔵が止めるように、今の彼が関わるべき事じゃないのかもしれない。もしかしたら、もう二度と光の世界には戻れないほどの深い闇なのかもしれない。

 だが、佐倉はそれでも前に進むことを選ぶ。あの時尊敬する少女と誓った約束を守るために、彼は闇の世界に足を踏み入れる。

 

「お願いします、先輩。俺、アイツを助けてぇんです」

 

 それは心からの言葉だった。無能力者が超能力者を助けるなんていう荒唐無稽な夢物語だったが、それでも佐倉望の本心から出る言葉だった。

 そんな彼の真剣な様子に、半蔵は無言のまま考え込む。健気で不器用な可愛い後輩を、裏世界に触れさせるべきかどうかを思案する。

 そして、

 

『……わぁったよ。コッチでも調べといてやる。情報が掴めたらまた電話するぞ』

「ぁ……ありがとうございます!」

『可愛い後輩の頼みだ、無下にもできねぇだろ?』

 

 ニヤリと得意気に口元を吊り上げる半蔵の顔が脳裏に浮かぶようだ。なんだかんだ言って協力してくれる先輩に、電話越しにもかかわらず頭を下げてしまう佐倉。いい先輩を持ったと心の底から感謝した。

 何度も礼を述べる佐倉に苦笑しつつも、彼はそれでも先輩らしく忠告を行う。

 

『いいか佐倉。お前が今から触れようとするその世界は、気を抜くと一瞬で命を奪われるようなそんな世界だ。学生同士のおままごとみたいな喧嘩とは違う。ガチで命のやり取りをするレベルの世界だ。もしかしたらもう生きて帰ってこれないかもしれない』

「……はい」

『それでもお前がコッチに足を踏み入れるっていうのなら、覚悟を決めろ。生半可な気持ちで入ってくると、抵抗する間もなく消されるぞ』

「……大丈夫、覚悟はできています。御坂のためなら、俺はどんなことでもやってみせる」

『よし、それでいい。決めたら迷うな。一瞬の迷いが命取りになると思え。自分の目的のためなら、いかなる手段も躊躇うな。それがこの世界で生きる最低限の心構えだ』

「……ありがとうございます、先輩」

『礼を言うなら、ちゃんと帰ってこい。祝杯くらいはあげてやるからよ』

 

 そう言って、半蔵は電話を切った。無機質な電子音が流れる携帯電話を畳むと、佐倉はパソコンを立ち上げる。

 半蔵だけに任せておけるほどの余裕はない。少しでも自分で情報を掻き集める必要があった。

 

「……お前に何が起こっているのかしらねぇけど」

 

 いくつもウィンドウを開き、ネットの奥深くまで潜りながら彼は呟く。

 

「それがどんな闇だろうが、御坂(オマエ)のためなら俺はどんな手を使ってでもそこから救い出してやる」

 

 何も持たない無力な無能力者は、新たな決意を胸に刻み込む。

 

 

 



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第七話 開幕

 投稿したのに消えるとかマジでないわ……。
 書き直すのに時間かかりましたが、なんとか更新です。


「絶対能力者向上実験、ねぇ……」

 

 翌日。半蔵の調査をまとめた資料を読みながら、佐倉はスキルアウトの隠れ家で武器の調達を行っていた。時刻は午前十時。言うまでもなく、補習はサボリである。今頃上条が一人寂しく小萌の相手をしているのだろうが、今回は事情が事情なので許してほしいと心の中で級友に謝罪する。

 拳銃や手榴弾。果ては対戦車砲までもの調整を始める佐倉。お前はどこの軍隊と戦争をする気なのかと首を傾げたくなるが、今回彼が相手取ろうとしている一方通行という人間はそれほどまでに驚異的な力の持ち主なのだ。……いや、もしかしたら軍隊よりも強大な化物かもしれない。

 資料から察するこの能力者の概要は、それほどまでに理解を超えるものであるからだ。

 

「ベクトル操作能力。身の回りにあるありとあらゆるベクトルを自由に操ることができる、か……銃弾とか拳とかも操るらしいな。キャッチフレーズは【核でも跳ね返す】ってバケモンかよ」

 

 さすがは腐っても学園都市第一位といったところか。想像を絶する無敵能力を自由に操る一方通行。こんな馬鹿げた実験に参加するだけあって、桁違いかつ常識はずれな強さを持つらしい。自分のような無能力者とは違う、正真正銘の最強。

 自分は、己の無力を以てしてこの怪物を倒さなくてはならない。

 

(分の悪い賭けは嫌いじゃねぇけど……今回ばかしはちょっくら厳しいかな)

 

 だが、そんな追い詰められた状況にもかかわらず彼の表情はすこぶる明るい。まるで、一方通行との戦いを喜んでいるかの様。

 ――――いや、違う。彼は強敵と戦えることを欲しているのではない。

 拳銃に弾を込めながら、佐倉は飄々と呟く。

 

「御坂のために戦えるんだ。こんなに嬉しいことはねぇよな」

 

 自分は救われた。御坂美琴という一人の少女に命を助けられた。今度は自分が返す番なのだ。

 もしかしたら、佐倉望はこのとき既に『壊れて』いたのかもしれない。御坂に対する感謝と崇拝のあまり、狂信的になっていたのかもしれない。

 それでも、彼は歓喜する。自分みたいな弱者が、強者の為に力を奮えるというファンタジックな状況を。

 

 粗方の武器調整を終えると、隠れ家の隅に置いてある立方体の物体に歩み寄る。スピーカーのような形をしているソレは、以前駒場がMARとかいう組織から譲られたものだ。なんでも、能力者に有効な打撃を与えられるらしい。眉唾物だが、【大蜘蛛】の使用形跡を見てみるとそれなりの効果をあげているようだ。あの超電磁砲さえも行動不能にしたとか。

 まさかこんなもので学園都市最強を抑え込めるとは彼も到底思ってはいないが、少しでも有利になるのなら使わない道理はない。使えるものは、全て惜しげなく使う。

 半蔵から渡された資料には、各実験の日時と場所が記されている。準備と設置作業、そして下ごしらえの時間を考えると……、

 

(午後八時半から第一七学区の操車場で行われる第一〇〇三二次実験……そこに、全力でコインを投入するしかねぇ)

 

 準備には時間が必要だ。少しでも有利に立つために、綿密な計画を練る必要もある。少しの隙も油断も甘さも許されない、背水の陣で臨む佐倉には膨大な時間が不可欠だ。

 だから彼はすべての力をその実験に注ぐ。それまでに何人もの妹達が命を落とすことになるのだろうが、それはあえて見捨てる。所詮無能力者に過ぎない佐倉にとって、全てを救うことなんて出来やしないからだ。

 でも、だからこそ彼は最善を尽くして絶対に救える方法を実行する。一パーセントでも勝率が上がる方法を、優先的に行う。

 

「……行くか」

 

 準備は終えた。後は設置だけ。浜面達に手伝ってもらえば、心の準備をする余裕くらいはできるだろう。

 武器に囲まれた薄暗い部屋の中、佐倉は一人佇んでいた。

 

 

 

 

 

                   ☆

 

 

 

 

 

 午後七時半。駒場、浜面、半蔵の手を借りて準備を始めた佐倉はようやくすべての作業を終えた。後は一方通行が来るのを待つだけである。

 

「なぁ、本当にやるつもりなのか?」

 

 本気で心配の表情を張り付けた浜面がそんなことを聞いてきた。基本的に現実思考な彼は、佐倉が超能力者に勝利できるとは思っていないらしい。死ぬのではないかと焦燥しているようだ。

 少しは後輩を信じてくれと思わないでもないが、これが一般的な意見なので仕方がない。普通に考えて、勝てるはずがないのだ。そもそもの地力が違いすぎる。喧嘩慣れている程度でどうこうなるレベルをとうに超えている。気を抜かなくても、普通に死んでしまうほどの差があるのだ。

 それでも、安否を気遣う浜面に佐倉は渾身の笑顔を向ける。何も心配することはないと、空元気を見せつける。

 

「大丈夫っすよ。俺だって考えなしでこんなことやってるんじゃねぇ。ちゃんと作戦くれぇは立ててきてますって」

「ほ、本当か?」

「えぇ。勿論――――」

 

 ――――嘘だ。

 勝率なんてゼロに等しい。作戦らしい作戦もロクにない。いわば、素手でライオンに真正面から挑もうとしているだけだ。勝てるはずがない。

 しかし、彼に心配をかけるわけにはいかない。もし仮にこれが最後の会話になるとしたら、悲壮な表情を記憶させるわけにはいかないのだ。

 だから佐倉は笑う。胸の内に巣食う不安と絶望に耐え抜きながらも、優しい優しいヘタレな先輩のために表情を和らげる。

 

「アジトで祝杯の用意でもしておいてくださいよ。手土産は一方通行の首ってことで」

「佐倉……」

「ほら、早く行ってください。俺は大丈夫ですから。一人で覚悟を決める時間も与えてくれねぇんですか?」

「っ……そうだな。じゃあ、俺達はもう帰るわ」

 

 ようやっと佐倉の意思をくみ取ったらしい浜面は、一瞬表情を強張らせたものの不器用な笑みを貼りつけてその場を去っていく。続いて駒場も半蔵も姿を消し、その場には武装を整えた佐倉だけが残った。

 異様な静けさに包まれた操車場。だが、後一時間後にはここが阿鼻叫喚の地獄絵図になるのだ。血が飛び、肉が散り、死体が重なる地獄に。

 

「……怖ぇ、なんて言ってられねぇよ」

 

 少し震えの入った声で呟く。全身がわずかに震えているようだった。

 正直に言って、佐倉は恐れている。未知の怪物を、最強の超能力者を。心のどこかでは、勝てるはずがないと盛んに警鐘を鳴らしている自分もいる。早く逃げてこの非日常から目を逸らそうと、怯えている自分もいる。佐倉だって人間だ、恐怖心も人並み以上にはある。

 だが、逃げるわけにはいかなかった。妹達の為に、自分の為に。……そして、何より美琴の為に。

 銃の最終点検をしながら時間を潰す。弾を込め直していると、突然ズボンに入れている携帯電話がけたたましく鳴った。画面を見ると、【上条当麻】の表示が。

 こんなときにどうしたのか。怪訝に思いながらも通話ボタンを押す。

 

「もしもし――――」

『お前、今どこにいる!』

 

 聞こえてきたのは、彼らしくない怒声だった。何かに対して、腹を立てているような調子の声がスピーカーを通して鼓膜を殴りつける。いきなりすぎて耳がぶっ壊れたかと思った。

 若干ビビったが、深呼吸をすると普段の自分を心がけて再度通話を開始。

 

「どこにって、俺がどこにいようとお前にゃ関係ねぇだろうに」

『……土御門から連絡があったんだ。大量の武器を持ったお前が十七学区に向かってるって』

「あの金髪サングラス……」

『なぁ、まさかお前……妹達の実験を止めようとしているのか?』

「っ」

 

 思わず言葉を失う。不意打ちすぎた。あまりにも予想外すぎて、一瞬頭が真っ白になった。

 ――――なぜ、上条が実験のことを知っている?

 

『さっき路地裏で御坂妹の死体を見たんだ。その後妹達の存在も知った。なぁ、今この街では何が起こっているんだ? なんで、御坂妹が殺されてんだよ!』

「……お前、今どこにいる」

『え? バスで御坂の寮に向かっているところだけど……』

「いいか、よく聞けよ上条」

 

 佐倉はそこで一旦言葉を切ると、割り込ませない勢いで一気に捲し立てる。

 

「お前は寮に行って、御坂を止めろ。もしもいなかったのなら、駆けずり回ってでも見つけ出せ。絶対に俺の所には来させるな」

『は? いや、何言って……』

「もし御坂に会ったらこう伝えろ。『一方通行は俺が倒す。お前が来る必要はねぇ』って」

『一方通行? 倒す? おい、何のこと――――』

「頼んだぞ」

 

 最後まで言葉を聞くことなく、通話を終える。そして地面に携帯電話を置くと、思い切り踏み砕いた。グシャという鈍い破砕音を上げ、破片が飛び散っていく。

 これでもう自分を止める者はいない。生への未練も絶った。これで心置きなく、一方通行を倒すことができる。

 弾を詰め終え、武器の位置を確認する。……すると、声が響いた。

 

「おやおやァ? こンなところに虫ケラが入り込ンでやがる。実験の情報保護機能はどこまでザルなンだって話だよなァ」

 

 鉄板に砂を擦り付けたような耳障りな声。おおよそ普通の人間とは思えない低い声が操車場に響き渡る。他に物音がしないせいか、それがやけに反響する。

 佐倉の視線の先、入口の方から真っすぐこちらに歩いてくる人影があった。

 髪はすべての色素を失った白。瞳は燃えるように紅く、まるで血を結晶にしてはめ込んだかのよう。肌はアルビノといっていいほどに無色で、傍から見れば病人のようにも見える。

 だが、彼が纏う雰囲気は病人の儚いソレではない。憎悪と殺意、そして歪んだ快感に塗れた殺人鬼のものだ。既に一万人以上を手にかけ、これからそれ以上の妹達を殺そうとしているクズの雰囲気だ。

 一方通行は佐倉を見据えると、心底愉快に口元を吊り上げる。ゾワリと、全身の毛が逆立った気がした。

 

「一応聞いておくが……オマエ、その銃はどォゆゥつもりだ?」

「…………」

「おいおい無視かよ。たまンねェなァ。この一方通行様を前にしてそンなふざけた態度を取れるとは、いやはや随分肝の据わった虫ケラがいたもンだ。……それともォ、俺を見てビビっちまってんのかァ? 竦み上がって、言葉も出ないってゆゥ愉快な状況に陥っちゃってるってワケかァ!?」

「……うるせぇよ」

「あァ? オイ、お前今何て言った」

「うるせぇって言ったんだよ……この雑魚がぁあああああああああああ!!」

「……ぎゃは」

 

 耐えきれなくなり、とうとう雄叫びをあげる佐倉。気にするまでもない雑魚が銃を構えるのを見て、新しいおもちゃをもらった子供のように笑う一方通行。彼の中では、佐倉は路傍の石に過ぎない。無力な石ころが、自分を倒すなんて夢物語を実行しようとしている。その程度の思いでしかない。またくだらない不良の一人かと溜息をつきながらも、今までにない本気で自分と戦おうとしている雑魚に少しだけ闘志が湧いた。

 

「いィねェいィねェ、最ッ高にハイになってきたぜェ。……殺される覚悟を、しっかり持ってンじゃねェか。そォゆゥところ、俺好みだわ」

「ピーピーさえずってんじゃねぇよ雑魚キャラが。喋っとかねぇと足震えそうなのか? 弱い奴ほどよく語るってのは本当らしぃなぁ?」

「……お前、誰に喧嘩売ってンのか知ったうえで言ってンのか?」

「絶対能力者なんていうくだらねぇものにしがみついている哀れな雑魚に言ってんだよ」

「……面白ェ。芸人になった方がイイってくらいに面白ェぞテメェ」

「お前の顔には負けるがな。兎みたいなカラーリングしやがって。狙ってんのか? スベッてんぜお前」

 

 沈黙が訪れる。お互いの殺意が膨れ上がり、操車場に負の感情が広がっていく。何も音がしないのが不思議なほどに静まり返った操車場。その中心で、過去最高の殺気を湛えた二人が睨みあう。

 そして、

 

『ッ!!』

 

 一人は銃を構え、一人は地面を踏み抜く。それぞれの思いを胸に、操車場を駆け抜けていく。

 お互いに命を賭して、夜の戦場で殺し合いを始める。

 学園都市最弱と学園都市最強の一方的な戦いが、幕を上げた。



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第八話 鉄橋

 今回はなんか文がグダグダかもです。


 日はすっかり沈み、完全下校時刻を過ぎたせいで人気もほとんどなくなった学園都市。夜道を照らす街灯のみが存在を主張する夜八時。そんな寂しげなとある鉄橋の欄干に、一人の少女が憂鬱な表情でもたれかかっている。

 ベージュ色のサマーセーターを着込み、紺色のプリーツスカートを穿いている少女。短く切られた茶髪に髪留めを差しているその姿は一見するとそこら辺にいる女子学生だが、その少女はここ学園都市において最大のネームバリューを誇っている学生だ。知らないものなどほとんどいない、十四歳の中学生。

 第三位の超能力者、電撃使いの通称【超電磁砲】。御坂美琴。

 学園都市内でも五指に入ると言われる超名門校、常盤台中学に籍を置く彼女は、持ち前の負けん気と明るい人柄から多くの人々に好かれている。彼女を慕う後輩も多く、校内では御坂美琴ファンクラブなるものも組織されているともっぱらの噂だ。

 だが、鉄橋に身体を預けて遠くの風景をぼんやりと眺めている彼女からは、普段の明るい様子は微塵も感じられない。生気はほとんどなく、その目はガラス玉のように何も映していないように見える。整った顔からは健康的な赤みが消え、死人のような土気色に変色しかかっていた。

 どこからどう見ても何かに絶望している雰囲気の美琴は、誰もいない鉄橋の上でかすかに溜息をつく。

 

「……どうして、こんなことになっちゃったのかな」

 

 たらりと一筋の汗が美琴の頬を流れる。思わずと言った風に漏れ出した彼女の呟きには、まったくといっていいほど覇気が感じられない。死にそうな程に弱り切ってしまっていた。

 彼女の脳裏に浮かぶのは、最強の超能力者によって無残に虐殺された妹達の姿。肉を抉られ、骨を砕かれ、人間の死体と呼んでいいのかというくらいに破壊されつくした妹達の光景。そして、碌に抵抗も出来ず一方通行にいとも簡単に命を奪われる妹達を前にして、何も行動できなかった自分への怒りが込み上げてくる。複雑な負の感情が渦を巻き、大きな絶望が心を支配する。

 

「……て。たすけて、よぉ……」

 

 誰にともなく放たれた彼女の弱音。基本的に人に頼ることを良しとしない彼女が漏らした、自らの本心。

 こういう時に、脳裏には何故かスキルアウトの無能力者が浮かんでくる。能力なんて皆無で、戦闘力すらゼロに等しい最弱少年のことが頭から離れない。彼が来たところでどうしようもないのに、心の中では助けを求めてしまう。

 肩を震わせて嗚咽を漏らし始める美琴。そこにいるのは喧嘩っ早い最強の超能力者などではなく、無力で儚い一人の女の子だった。

 死んだように景色を眺める。すると、気味が悪いほどの静寂に支配されていた鉄橋に、猫の鳴き声らしき音が響いた。小さくも甲高いその鳴き声からすると、まだ子猫のようだ。あまりにも場違いな猫の声に、美琴は怪訝な表情で声がした方を見やる。

 

 ――――一人の青年がいた。

 

 整髪料を使っているようなツンツン頭が特徴的な、中肉中背の青年。カッターシャツの第一ボタンを開け、中に来ている赤色のシャツを見せつけているその青年に、美琴は覚えがあった。

 かつて自分と勝負し、全ての攻撃を防いだ男。無能力者にもかかわらず、超能力者である美琴を負かした正体不明の能力者。電撃を、砂鉄の剣をかき消す右手を持った、ツンツン頭の高校生。

 思わず、言葉を失った。何故今このタイミングで彼が現れるのか理解できず、頭が真っ白になる。目は大きく見開かれ、口は間抜けにも半開きになっていた。それほどまでに、青年の出現は予想外だったのだ。

 美琴の姿を認識した青年――――上条当麻は、普段のおちゃらけた様子からは想像できない真剣な面持ちで美琴を見据える。

 

「……探したぞ、ビリビリ」

 

 そう口にすると、美琴へ歩み寄ってくる上条。彼女を探して随分走り回ったのか、息は乱れ、シャツは汗で湿っている。相当な距離を駆け回ったのか、酸素を求めて肩が大仰に上下していた。

 何故? どうして? 疑問だけが頭の中をぐるぐると回っていくが、状況を打破するために美琴の口から飛び出したのは救助要請でも怒声でもなく、その場を凌ぐための誤魔化しだった。いたって平静を保って、動揺を表情に出さないよう心がけながら言葉を並べ立てていく。

 

「探した? 女の子を探して夜な夜な走り回るなんて、アンタそんなに変態だったわけ? 怖いわねぇ」

「…………」

「まぁでも、私みたいな美少女を求めるのも仕方がないかな。女に不自由してそうな感じだしさ――――」

「……佐倉が、一方通行と戦ってるんだ」

「――――は?」

 

 へらへらと軽口を叩いていた美琴の顔が引き攣った笑顔のまま硬直する。予想だにもしなかった事実を聞かされて、脳が言葉の内容を理解するのを拒んでいる。口元がひくひくと痙攣を始め、全身を嫌な汗が覆った。

 信じたくない。嘘に決まっている。そんな淡い期待を持つ美琴は震える唇を一生懸命に動かすと擦れたような言葉を紡ぐ。

 

「冗、談……なに、言って……」

「嘘じゃねぇよ。妹達を実験から解放するために、佐倉はたった一人で一方通行と対決してるんだ」

「――――――――。……、……で」

「あ?」

「なん、で……なんで、アイツが戦ってんのよっ……!」

 

 言葉を放つと同時に、美琴の髪が青白い光を帯び始める。バチバチと甲高い音をあげながら小さな電撃が辺りに飛び散っていく。鉄橋のアスファルトに電撃が落ちると、《ゴッ!》という鈍い音と共に道路が陥没した。それは上条の周りにも被害を及ぼし始め、彼の頬や腕に小さな火傷を作っていく。

 美琴は怒っていた。自分から放出される電撃に気を向ける余裕がないほどに、彼女は怒り狂っていた。どこまでも自分勝手な無能力者に対して、言い知れない憤怒の感情が湧いてくる。

 ギン! と上条を睨みつけると、怒りのあまりに欄干の柱を蹴りつける。

 

「なんでそこで、佐倉の名前が出てくんのよ! アイツは関係ない、この実験にはまったく接点のない一般人のはずでしょう!? それが……そんなやつが、どうして一方通行の前に立ちはだかってんのよ! なんで、どうして……!」

「……そんなことも分かんねぇのかよ、お前は」

「はぁ!? 分かるわけないでしょう! 一切関係のない実験を止めるために命を懸けるなんて、考えなしの馬鹿がすることよ! そんな命知らずな愚行を冒す意味が分からない! 何考えてんだか――――」

「……お前を、守るためなんじゃねぇのか」

「…………え?」

 

 上条が絞り出すようにして言ったその台詞に、美琴は思わず言葉を切ると拍子抜けた声を漏らした。彼の呟きがイマイチ理解できずに、目を丸くしてキョトンとしている。

 呆けたように自分を見る美琴の目を真っすぐ見据え、上条は友人がとった行動の理由を推測ながらも述べていく。

 

「アイツはお前を尊敬している。恩人だとか言っていつもお前に恩を感じていたよ。狂信、と言っていいほど、佐倉はお前と言う人間に惚れきっていた」

「恩、人……」

「お前とアイツの間に何があったのかは知らない。だけど、佐倉が命を懸けてまで一方通行と戦う道を選んだのは、間違いなくお前への恩に関係があるはずなんだ。恩人を巻き込めない。お前を殺させるわけにはいかないと思ったんじゃないのか?」

「……で、でも、アイツより私の方が強いのよ? アイツは単なる無能力者で、私は学園都市に七人しかいない超能力者。私と佐倉の戦力差は比べるまでもなく歴然じゃない。アイツが戦うよりも、私が戦った方が勝率が上がるに決まってる。結局、考えなしの行動なだけじゃない」

「……お前は一方通行には勝てないよ」

「っ。……へ、へぇ、随分と私を舐めた発言をしてくれんじゃないの」

 

 表情一つ変えずにそう言い放った上条にわずかに動揺しながらも、美琴は髪先から火花を飛ばして彼を威嚇する。あくまで自身の感情の揺らぎを悟られぬように、心を怒りで埋めていく。

 それでも、上条は言った。

 

「お前じゃ、一方通行を倒すことはできないよ」

「だから、アンタはッ……!」

「もしも一方通行を倒せる策が一つでもあるのなら、お前は迷うことなくそれを実行しているはずだ。思考よりも直感で動くお前がこんなところで往生しているっていう点で、そんな策は最初から無いってことはわかる。お前だって分かってんだろ? 勝率なんか、ないって」

「…………」

 

 上条の言葉を受けて、悔しそうに口を引き結ぶ。拳は強く握られ、その力のあまり色を失っていた。

 美琴だって、本当は分かっている。自分の力では、あの最強には逆立ちしても勝てる見込みはないということくらい。今更上条に言われるまでもなく、痛いほど理解している。

 第一位の持つ能力、【一方通行】は、全てのベクトルを自由自在に操ることができる。それは美琴の砂鉄や電撃も例外ではない。どんな攻撃を放っても相手に効果を上げることはできず、無様に跳ね返される。あの超電磁砲さえも指一本動かすことなく防がれた以上、彼女に対抗策は無い。

 そんなことは分かっている。

 しかし、

 

「……樹形図の設計者によると、私は一八五手で一方通行に負けると予測されているわ」

「……?」

 

 いきなりそんなことを言い出した美琴を怪訝そうに見やる上条。彼女の真意が掴めず、眉をひそめる。

 だが、戸惑いの表情を浮かべる上条など気にする様子もなく、彼女は言葉を続けた。

 

「でも、もし私にそれだけの価値が無かったら? 最初の一手で殺されちゃったりしたら、どうなんでしょうね」

「っ!」

 

 さらりと衝撃的な台詞を漏らした美琴の肩を、思わずといった勢いで掴む。

 美琴は何かを悟ったような、達観した表情を浮かべていた。もう覚悟はできていると言わんばかりに、穏やかな笑みを漏らしている。

 上条は重々しく、唸る。

 

「……お前、本気かよ」

「えぇ。よく考えてみたら、それが一番手っ取り早い方法だったのよ。どうせ樹形図の設計者はもう壊されてしまったんだし、再演算されることもない。私という実験目標が消えてしまえば、あの子達も実験からは解放されるはずだし」

「…………んなよ」

「は? 何ボソボソ言ってんの。何か言いたいことがあるならはっきりと――――」

「ふざけんなよ、てめぇ!」

 

 《ガォンッ!》という鈍い音が鉄橋に木霊した。音は金属の柱の間を跳ねかえっていき、エコーする。上条が思わず柱をぶん殴ったのだ。右手には血が滲み、肉が見えている箇所も見受けられる。

 美琴は激昂した彼を機械のような顔で見つめていた。感情のない、まるで【妹達】のような表情で、上条当麻に視線を向けている。

 上条は続けた。

 

「何が自分が死ねば解決だ、何が一番手っ取り早い解決法だ! そんなもんてめぇの勝手な思い込みに過ぎねぇじゃねぇか! ふざんけんじゃねぇ!」

「……ふざけてなんかいないわよ。というか、それ以外に方法は無いの。私が死なないと、またたくさんのクローンが殺されることになる。私一人の命と引き換えに一万人を救えるのなら、安い買い物じゃない」

「ふざけやがって……! 今、お前の為に血を流して戦っている馬鹿がいるってぇのに、平気でそんなことを言いやがって! 佐倉がどういう想いで一方通行と対峙しているのか、考えてみやがれ!」

「……知らないわよ、そんなの。自殺願望でもあるんでしょ?」

「てんめぇっ……!」

「なによ、まだ文句があるの?」

 

 もう話は終わった。そう言わんばかりに肩を竦める美琴。先程まで佐倉の名前を聞いて激昂していたにも拘らず、会話の中で何か吹っ切れたのか途端に淡白な反応を返してくる。

 ……美琴の無機質な返事に、上条はこれ以上の会話は無駄だと悟った。

 今の彼女にはそういったことに執着するような余裕はない。妹達を救う。そのことにしか思考を割くことができなくなっている。

 このままだと、彼女は遅かれ早かれ殺されに行ってしまう。

 

(だったら……)

 

 上条は突然美琴の手を掴むと、何も言わずに鉄橋から去り始めた。もはや抵抗する気さえ萎えているのか、されるがままに引き摺られていく。

 

「……何すんのよ」

「一七学区に向かう」

「……は? 何言ってんのよアンタ。私を止めるんじゃなかったわけ?」

「最初はそう思っていたさ。でも、今のお前に何を言っても無駄だ。だから、実験場に向かう。……佐倉を、助けるんだ」

「なっ……!? な、なんで私がアイツを助けないといけないのよ! あんな命知らずの馬鹿、勝手に死なせておけばいいじゃない! それをわざわざ、どうして……」

「……本当に死んでもいいって思ってんなら、なんでお前は泣いてんだよ」

「っ!」

 

 指摘され、思わず目元を手で押さえる。

 生暖かい、液状の物体が目の端に付着していた。それは徐々に量を増すと、一筋の軌道を描いて頬を流れ落ちていく。

 ポタリと、足元の地面が変色した。

 

「私、なんで泣いて……」

「……死んでほしくないから、だろ?」

「…………」

「お前がどう思おうと知ったこっちゃねぇが、自分に嘘はつかない方がいいぞ。大切なモンを失ってからじゃ、何もかも遅すぎるんだから」

 

 諭すように放たれる彼の言葉に、美琴は俯いたまま無言で肩を震わせる。

 そんな彼女を優しい目で眺めると、上条は手を引いたまま一七学区へと走り始めた。

 

 

 



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第九話 遊戯

 勉強の合間を縫ってなんとか更新です。お待たせいたしました。


 操車場の一角に木霊する甲高い銃声。佐倉が先手を取って放った弾丸が、一方通行の命を刈り取ろうと心臓に向かって直進する。目にも止まらぬ速度で目標へと肉薄する鉛玉は、己の絶対的なベクトル(・・・・)を胸に敵対する最強へ突き刺さる。

 

「意味ねェンだよ」

 

 銃弾が皮膚を突き破ろうとした瞬間、なにか不可視の壁に弾かれるように地面へと勢いよく突撃する。完全に狙いを定めていたはずの弾は、少しの効果を上げることもできずに反射(・・)される。まるで、それ自身のベクトルを操ったかのように(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「……やっぱり、効かねぇか」

 

 大方予想は付いていたのであろう、それほど驚いた様子もなく、それでいて呆れと落胆の両方を滲ませた溜息をつく佐倉。火薬の焦げ臭さを放っている拳銃をホルスターに仕舞いこむと、バックステップで距離を取る。

 行動を止めるわけにはいかない。常に動いて、隙を窺わねば。

 

「あァ? あンだけ啖呵切って敵前逃亡たァ、随分と気合の入った命知らずじゃねェか」

「敵前逃亡と戦略的撤退の区別もつかねぇ様なお粗末な脳味噌してるからそういうふざけたことが言えるんだよ。少しはお勉強した方がいいんじゃねぇですかぁ?」

「……ハッ、そンなに死にてェなら死神よりも先に命を刈り取ってやるよ!」

 

 突然背を向けてその場から逃走する佐倉を、怒りの形相で追撃する一方通行。足の裏で地面を蹴る際のベクトルを増強し、移動速度を格段に上昇させると一気に佐倉へと襲い掛かる。十メートル弱はあったはずの距離は一瞬でゼロになり、一方通行の射程範囲内に変化した。

 逃げ続ける哀れな獲物に、嫌らしく舌なめずりしながら語りかける。

 

「自慢の逃げ足はその程度かァ!? 俺と追いかけっこするにはちょっとばかし鈍足がすぎるぜクソ雑魚が!」

「くっ……!」

 

 一方通行の挑発に減らず口を返す余裕さえ残っていない。あくまで生き永らえて反撃のチャンスを窺うべく、必死に両脚を動かしていく。

 だが、それでも一方通行との距離が開くことはない。巧みなベクトル操作でぴったりと佐倉にくっつきながら移動している一方通行は一際楽しそうに口の端を歪めると、右拳を握り込み佐倉の背中をぶん殴った。

 

「吹っ飛べ!」

「ぐ……っっがぁああああああああ!!」

 

 前方へのベクトルを増加させた右ストレートが背中に突き刺さり、コンテナへと突っ込んでいく。自身が走っていた方向に吹っ飛ばされたせいもあり、その速度は通常よりも数割上がっている。ミシミシと骨が軋んでいく嫌な音をBGMに、衝撃とコンテナに挟まれる。あまりの激痛に、悲鳴をあげる暇さえない。

 

「おォおォ随分と盛大に吹っ飛ンだもンだぜまったくよォ。ジェット噴射器でも積ンでンのかァ?」

「ごッ……ゲホッ……」

「もうグロッキーってかァ? 手加減してやってンだからもうちょっと俺と元気に遊ぼうぜェ?」

 

 背骨に支障をきたさんほどの勢いでコンテナに衝突した佐倉の口から、赤黒い液体が吐き出される。普段飄々とお茶らけている顔は苦痛に歪み、軽口を叩く様子は見受けられない。いつになく、真剣に敵を睨みつけている。

 対して、一方通行はまるで玩具遊びをするかのような愉快な表情で笑っていた。吐血し満身創痍な佐倉を前にしても、少しの同情も見せずに挑発を続けている。

 あまりにも対照的な両者の戦況に、自身の被害を確認しつつも息を整える佐倉。

 

(くっそ……ここまで絶対的な戦力差があるとは思ってもみなかったぜ……)

 

 息も絶え絶えに、口元の血を拭う。今の衝撃で骨が何本か折れてしまっているのか、背中がズキズキと鈍い痛みを発していた。

 一方通行は満身創痍の自分を見ながら佇んでいる。こちらに近づいてくる気配はない。

 佐倉はよろよろと覚束ない足取りで立ち上がると、激痛を伴う背中を気にしないように心掛けながらその場から離れる。コンテナの間をかいくぐるようにして、一方通行との距離を取る。

 

「お次は鬼ごっこってわけかァ? 一分待ってやるから精々逃げ惑え! ギャハハハハ!」

 

 脇目も振らずに走り去る佐倉の耳に、一方通行の下卑た笑い声が嫌らしく残った。

 

 

 

 

 

                  ☆

 

 

 

 

 

「……くそっ、電話にも出ないぞ佐倉の奴……」

 

 単調な電子音を流す携帯電話を舌打ち交じりにズボンのポケットに入れ込むと、上条は隣を走っている美琴に声をかける。

 

「そっちは!」

「ダメね。まったく応答しない。あのバカたぶん最初っから出る気ないわよ」

「何やってんだアイツはっ……!」

 

 今頃最強の超能力者と激闘を演じているであろうクラスメイトを脳裏に浮かべ、悔しそうに歯噛みする上条。もう少しで実験場の操車場に到着するのだが、その前に佐倉の安否を確認しておきたかった。何気にしぶといスキルアウトの彼ならば心配はいらないとは思うのだが、どうも先ほどから嫌な予感が止まらない。十六年間不幸と隣り合わせで生きてきた上条にとっても最大級の不幸を予感してしまう。

 そもそも『今の』上条は佐倉望のことをよくは知らない。せいぜい補習仲間程度の認識である。彼が強いのか弱いのか、優しいのか恐ろしいのか、そんなことはまったく把握していない。赤の他人もいいところだ。

 だが、上条当麻の何かが告げている。彼を見捨ててはいけないと、『かつての』上条当麻が警鐘を鳴らしている。

 

「……急ぐぞ、ビリビリ!」

 

 頷きの代わりに火花を飛ばした美琴は、さらに走るスピードを上げた。

 

 

 

 

 

                     ☆

 

 

 

 

 

(……かったりィ)

 

 操車場をのんびりとした様子で練り歩きながら、一方通行は肩を竦めると微かに息をついた。色白の顔には覇気はなく、ただひたすらに『面倒くさい』という感情だけが浮かんでいる。

 色素を失った白髪を気怠そうに掻くと、一方通行は周囲を見渡す。

 

(あの黒髪野郎……どこに行きやがった)

 

 絶対的有利な立場に立っている一方通行ではあるが、さすがに一分も目を離すと目標を見失ってしまうらしい。無駄に広い操車場の上に、現在は視界も芳しくない夜中だ。このフィールドから標的を探し出すのは至難の技だろう。手間暇は確実にかかる。

 だが、別にいいかと彼は思っている。実験が始まるまでの暇つぶしには丁度いい。

 ズボンの尻ポケットに入れていた携帯電話を開いて現在時刻を確認する。

 

 20時40分。

 

「……もォ開始時刻過ぎちまってンじゃねェか。なにチンタラやってンだあのクソクローンはよォ」

 

 忌々しく舌を鳴らす。基本的にそれほど気が長い方ではない一方通行は不機嫌な様子で足元の小石を蹴っ飛ばした。ベクトル操作によって前方へのベクトルを増加された石は、風を切るほどの凄まじい勢いでコンテナに穴を開けた。中には小麦粉が詰まっていたのか、拳大ほどの穴からもうもうと白い煙が噴き出ている。

 目の前で存在を主張する白煙を眺めていた一方通行は、突如として口元を歪める。

 

「イイこと思いついた」

 

 その顔に浮かぶ歪んだ笑みはどこか純粋さと幼稚さをうかがわせる。新しい遊びを思いついた子供(一方通行)は遊戯の詳細について二分ほど熟考すると、

 

「ぎゃは」

 

 この世の悪を一切合財詰め込んだような汚らしい下卑た笑い声を漏らした。

 

「ぎゃはッ」

 

 我慢できないのか、裂けた口元から次々と笑いが漏れていく。一方通行は脂肪がほとんどついていない華奢な身体を前方――先ほど小石が風穴を開けたコンテナ――に向けると、ゆっくりと歩みを進めていく。

 穴からコンテナの中を除くと、予想通り小麦粉が詰まった麻袋が大量に保管されていた。おそらく、周囲にある無数のコンテナにも同じものが詰められているのだろう。

 小麦粉の存在を確認した一方通行はその場にしゃがみ込むと、地面に手をついてしばし黙り込む。

 

(……コンテナの重さ、確認。必要ベクトル量、確認。小麦粉の予想散布範囲、確認)

 

 膨大な知識量と学力を最大限に利用して《演算》を行っていく。確実に標的を炙りだせるように、確実に自分が楽しめるように念入りに演算を検算する。学園都市最高の頭脳を持つ一方通行にとっては眠っても行えるような内容の演算だが、一方通行はゆっくり正確に考える。

 そして、

 

「……演算、完了ォ」

 

 遊びの下準備を終え、今からは遊戯開始だ。学園都市最強の怪物がプロデュースした遊びを精一杯楽しむといい。

 今頃どこかで無様に息を潜めているのだろう雑魚に聞こえるように声のベクトルを操車場全体の範囲に広げると、一方通行は愉快に宣言する。

 

「なァ、ちょっと確認してェことがあンだけどよォ」

 

 操車場の一角から、戸惑うような気配が浮かんだ。今まで培ってきた気配察知の勘から、標的の位置を大まかに把握する。今この瞬間から、あの忌々しい雑魚は居場所が割れた状態でかくれんぼを行うことになった。鬼による制裁をびくびくと怯えながら待つだけの、ルール無視なかくれんぼを。

 絶対的優位に立ったことを再認識する。そして、勝者の誇らしげな恍惚を顔に貼りつけると、一方通行は自慢げにこう言い放った。

 

 

「粉塵爆発って、知ってるか?」

 

 

 刹那、一方通行を中心とした小規模の地震が操車場を襲った。一方通行の能力によってピンポイントに発生したその揺れは整然と積まれたコンテナを片っ端から崩していく。積木遊びのように、いとも簡単に雪崩落ちていくコンテナ群。

 コンテナが落下し粉砕したことで、中に保管されていた小麦粉が煙となって昇り始める。爆撃によって破壊された建造物の被害を表す黒煙の如く、コンテナの被害を示すように白煙が操車場全体に立ち込めていく。

 八方を無数の『白』に覆われたまま、一方通行は得意気に指を鳴らした。

 些細な刺激でしかない乾いた音。しかし、一方通行のベクトル操作によって音は音波となり、遂には衝撃波となって小麦粉に刺激を与える。小麦粉と共に漂う空気に刺激を与える。

 

 

 火打石のように、発火を促す。

 

 

 耳を覆いたくなるほどのけたたましい爆音が響き渡った。最初は小規模だったはずの爆発は小麦粉を伝って操車場全体に広がっていく。もはや逃げ場はないほどに、地獄の業火が操車場を包み込む。

 実行者である一方通行自信を巻き込むほどの大爆発。だが、ベクトル操作の応用によって無敵の《反射》を行っているため被害は全くない。爆撃直後のような惨状の中心で、狂ったように笑い続ける。

 

 そうして数分ほど経ち、爆発が収まった。爆発の衝撃で小麦粉も吹き飛んでおり、障害物だったコンテナも軒並み薙ぎ倒されているせいで視界はすこぶる良好だ。世界が変わったように閑散としている。

 

(……さァて)

 

 炙りだし程度に留めるつもりだったが、自分は想像以上にハイになっていたらしい。一瞬で地獄と化してしまった操車場を乾いた瞳で見渡すと、溜息をつく。

 邪魔だった障害物は吹っ飛んだ。後は標的を見つけて(なぶ)り殺すだけ。非常に簡単な作業内容に欠伸が出てしまいそうだ。

 一方通行は両手をポケットに入れ直すと、標的を探すべくその場を移動する。できるだけ時間を節約するために足元へベクトルを集中させようとした時、

 

 

 操車場に、音が響いた。

 

 

 

 



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第十話 クローン

 無事に次話更新。今回は裏側視点的な?


 音が響いた。

 黒板を金属でひっかいたような耳障りな騒音。鼓膜を突き抜け、脳髄を直接傷つけられているかのような甲高い騒音が操車場に木霊する。

 

「なンだァ? ――――ッ!」

 

 突然聞こえてきた謎のサウンドに目を訝しげに細める一方通行。が、不意に襲ってきた突発性の頭痛に思わず苦しげな声を漏らしてしまう。

 

「ぐ……がァ……! なンなンだよ、これは……!」

 

 頭痛は徐々に酷さを増していき、我慢することもままならない程に膨れ上がっていく。右手でコメカミの辺りを押さえて軽減を試みるが、効果は全く見られない。ズキズキと、頭が割れそうになる。

 それならばと能力を使って頭痛を取り除こうとするが、止まらない激痛が枷となって上手く演算を行うことができない。頭を働かせようとすると、一層頭痛は重くなっていく。

 突如響いた謎の騒音。急性偏頭痛。能力演算の余裕がなくなるほどの激痛。

 大爆発の直後に立て続けに起こった異変に、一方通行は苦しみながらも戸惑っていた。

 すると、

 

「能力が使えねぇってのはどういう気分だ? 最強の超能力者さんよ」

 

 頭を押さえてしゃがみ込んでいる一方通行の前方。崩れたコンテナが散乱し、見るも無残な地獄絵図と化している操車場の一角から、一人の青年がこちらに歩いて来た。

 ところどころが黒く焦げ付いたワイシャツ。剥き出しになった腕には煤がこびりつき、火傷もしているのか赤く腫れあがっている箇所もある。生意気な視線を向ける顔にも、いくつかの火傷ができていた。

 一方通行は思わず目を剥く。勝ち誇った表情で自分を見つめるあの青年は、確か先ほどの大爆発で戦闘不能にしたはずの雑魚ではなかったか。操車場全体を覆う規模の粉塵爆発に巻き込まれ、吹っ飛んだはずの青年ではなかったか。

 重症を負ったはずの黒髪の青年――――佐倉望は何もできずに這いつくばっている最強を冷たい瞳で見下ろすと、歩いてくる延長の動作で足元にあった一方通行の顔面を右足で思いっきり()()()()()()

 

「がぶっ……!」

「へぇ……反射が消えちまうくれぇ頭が痛いのか。いや、痛みに慣れてねぇだけか? どちらにせよ、無様な姿だな一方通行」

「て、めェ……いったい、なにを……?」

「教えるワケねぇだろこの雑魚が」

「がっ……!」

 

 息も絶え絶えに顔を上げた一方通行を再び蹴り飛ばす。線が細いせいもあるのか、先程よりも激しい勢いで後方へと吹き飛ばされる一方通行。ゴム鞠のように何度もバウンドしながら、地面に肌を傷つけられる。

 

(どういうことだよ、畜生ォが……!)

 

 顔面への衝撃で血を流し始めた鼻を押さえ、一方通行は状況把握を始める。今自分に何が起こっているのか、必死に整理を行う。

 彼の能力は《一方通行》。この世界に存在するあらゆるベクトルを思いのままに操るこの能力は、一方通行に向けられた武器や拳、果ては敵意までをも無条件で反射する。そのため、彼が怪我を負うことはない。ダメージを食らうという概念が、そもそも存在しないのだ。

 ゆえに最強。すべてを反射し、すべてを捻じ伏せる最強の超能力者。この世の万人が自分より弱者で、自分は誰にも負けない無敵の存在だったはずだ。

 だが、一方通行は現に攻撃を受けている。最強の盾であるはずの反射は頭痛の影響で消え失せ、最強の矛であるはずのベクトル操作能力は小規模のものを除くと大半が頭痛に阻害されてしまう。

 今の一方通行は、打たれ弱いだけの貧弱な虚弱青年へと成り下がっていた。

 

(何が……何が起こったってンだ……!)

 

 

 

 

 

                     ☆

 

 

 

 

 

 場面は十数分前に巻き戻る。

 一方通行の情けを受けて逃走に成功した佐倉は、形勢を逆転するためにあらかじめ停めておいた軽自動車の所へと来ていた。

 背中に拳をまともに受けて相当のダメージを負った佐倉だが、普段から浜面や半蔵に付き合って体を鍛えていたのが幸いしたらしく、普通に動けるくらいまでには回復していた。まだ背骨が若干鈍い痛みを発しているが、無視できるレベルだ。

 今はとにかく打開策を考えよう。軽自動車のトランクを開けて持参した装備の確認を始める。

 

(反射を使われている今、銃火器を使うのは自殺行為だ。ある程度時間を稼ぐ必要がある以上、反射で自爆するのだけは避けなくちゃいけねぇ。接近戦重視で……いや、触れられたら血流操作されて即お陀仏の可能性もある)

 

 どうすればいい。必死に勝利の可能性を模索するが、圧倒的戦力差を見せつけられたせいかどうしてもネガティブな方向に考えが至ってしまう。作戦を考えても粗が目立ってしまい、結局実行には移せない。

 

(アイツに勝つための切り札がねぇわけじゃねぇんだが……)

 

 ちら、とトランクの一角に鎮座する立方体の黒ずんだスピーカーのような物体を見やる。大量の機械が付属しているため気軽に持ち運ぶことができないソレは、今回の戦闘における最大の武器であると佐倉は確信している。超能力者に対して有効打を与えられる、現在最強の兵器。

 問題は、この切り札をどうやって使うかなのだが――――

 

「……どうして貴方がここにいるのですか、とミサカは素直に疑問をぶつけます」

 

 突如として背後からかけられた無機質な言葉に一瞬全身を震わせる佐倉だったが、ある程度予想の範疇だったので息を整えると声の主の方に顔を向けた。

 肩ほどまで伸ばされた茶髪に、ベージュのサマーセーター。そして無骨な軍用ゴーグルを装着した、サブマシンガン装備の少女。

 今更改めて確認するまでもない。御坂美琴の軍用クローン、『妹達』の一人――おそらく、一〇〇三二号――だ。

 本来ならば十分ほど前にこの操車場で一方通行との戦闘……もとい、一方的な虐殺を繰り広げているはずの少女は、佐倉に怪訝な視線を向けると真っすぐ歩み寄ってくる。

 

「……おっす、元気か?」

「…………」

 

 右手を挙げて軽い調子で挨拶した佐倉に冷たい視線を向け続けるミサカ。最低限の会話以外アクションを起こす気はないと言いたげな雰囲気を纏う彼女に佐倉としては溜息をつくしかない。

 吹き飛ばされた際に擦り傷を負ってしまった頬を気まずそうに掻きながら、佐倉はそっぽを向くように顔を下に向けると唇を尖らせて言い放った。

 

 

「べ、別にお前を助けに来たとか、そういうんじゃねぇんだからなっ!」

 

 

「…………はぁ、そうですか、とミサカはあえて何のツッコミも入れずに淡々と相槌を打ちます」

「そこは何かしら言ってくれねぇと俺が辛すぎる!」

 

 地味にボケ殺しな反応を返すミサカ。これが無口マイペースの力か、と今までに経験したことがない対応のされ方に上体を仰け反って悶えてしまう。傍から見ると非常に気持ちの悪い男だった。

 一人寂しく身悶えしている馬鹿を冷静に見下していたミサカであったが、このままでは会話が進まないと判断したのか問答無用で言葉を発する。

 

「貴方がどう思ってミサカを助けに来たのかは存じ上げませんが、すぐに帰宅するべきです、とミサカはこの場からの撤収を勧めます」

「無理だな。だってもう一方通行と戦い始めちゃってるし」

「なっ……! な、何を考えているのですか貴方は!」

 

 あまりにもさらっと問題発言をかます佐倉にミサカは思わず声を荒げてしまう。いつものポーカーフェイスな彼女からは考えられないほどの感情的な怒声に佐倉は頬を引き攣らせて若干たじろぐが、すぐに形成を整えるとあっけらかんと言い放つ。

 

「いやー、本当はすぐに倒しておさらばするつもりだったんだけど、やっぱり最強ってのは伊達じゃねぇな。全然攻撃効かねぇし、殴られた時の痛さと言ったら……マジで死ぬかと思ったわ」

「そ、そんななんでもないように……もしかして自殺志願者か何かですか、とミサカはあまりにも命知らずな貴方に自分の推測を述べてみます」

「む、失礼な。自殺志願者ならわざわざ反抗して戦ったりしねぇっての。俺は生きるために……お前や御坂と一緒に明日を生きるために戦ってんだ」

「ミサカや、お姉様と……?」

「おうとも。せっかくできた新しい友人ともっと仲良くなりてぇからな。だから危機に陥っている友人を助けるために、俺はここにいる」

「…………」

 

 少しの陰りも見せることなく堂々と言う佐倉。どう聞いても馬鹿で理不尽でひん曲がった主張でしかないのだが、何故かその言葉はミサカの胸部に鋭いノイズを走らせた。チクリと刺すような痛みに襲われ、思わず眉をひそめる。……佐倉には、気付かれなかったようだ。

 

(今の痛み……以前お姉様と会話した時にも……)

 

『もう二度と、私の前に現れないで!』

 自分のクローンが殺されているという過酷で残酷な非現実に精神的に追い詰められてしまった美琴が放ったその言葉。感情なんていう無駄なものはインストールされていないはずのミサカは、その罵声を浴びせられた時原因不明の胸痛に襲われた。酷く鈍い、深い痛み。強く締め付けるような鈍痛。

 ミサカ一〇〇三二号はまだ知らない。それが人間なら誰し持ち得る『感情』から来る痛みだということに、生まれて間もない彼女は気付かない。

 そんなミサカに、佐倉は続ける。

 

「お前、単価十八万円の体細胞クローンって言ってたよな?」

「はい。『超能力者量産計画』によって生み出された、学園都市の第三位御坂美琴お姉様の軍用クローンです。スペックはお姉様の1%にも満たない欠陥品ですが」

「ふぅん……」

 

 ミサカの応答につまらない風な反応を見せた佐倉は、腰を折って少し屈むと上目遣いでミサカの顔を覗き込み、

 

「知ってるか? 双子ってのは、自然界におけるれっきとしたクローンなんだってよ」

 

 こんなことを言った。

 

「…………は?」

 

 もちろん、ミサカとしては呆気にとられるしかない。確かにミサカはクローンではあるが、なぜこのタイミングで双子の話が出てくるのか。佐倉の意図が全く掴めず、静かに困惑する。

 そんなミサカを見て、佐倉は笑った。

 

「お前は自分はクローンだって言い続けているけどさ、それは今俺が行った双子の類と一体何が違うんだ?」

「……ミサカは人工的につくられた、自然体生物とは違う人形なのですよ。いくらでも換えが効く、死んでも変わりがいる使い捨てに過ぎない道具です。殺されるためだけに生み出され、当初の目的通りに殺される。一方通行に殺されることこそがミサカの生き甲斐であり、指標であり、存在意義なのです。……そんな運命を抱えたミサカが、双子なんていう自然体クローンと同一存在のはず、ありません」

 

 だが、ミサカはきっぱりと否定した。自分に与えられた使命と目的をはっきりと明示し、佐倉の意見を真っ向から打ち破る。

 しかし、佐倉はしばしうんうんと考え込むと、ミサカの方へと一歩踏み出してから両手を胸の高さでまっすぐ前に突き出した。

 

 ようするに、ミサカのささやかな胸を盛大に掴み揉んだ。

 

「…………何をしているのですか、とミサカは突然変態的行動に走った貴方に対して軽蔑の視線を向けながらも、極めて冷静を装いつつやんわりと注意を試みます。何しやがんだこの万年発情期野郎」

「いやぁ、こういう触り心地とかは作り物じゃねぇんだなぁと思っぶがぁっ! 痛たたたたたっ! ちょっ! もげるもげる人体にとって大切な部分がもげ落ちる!」

 

 突然のセクハラ的暴挙に乗り出した度し難い変態野郎の両腕を掴むとそのまま捻り上げてもぎ取りにかかるミサカ。ギリギリギリと関節が嫌な音を立てているが彼女が腕を離す気配はない。一方通行に殺される前にミサカに殺されるのでは? と正直考えたくもないダセェ結末に背筋が凍るが、現在進行形で絶賛折檻真っ最中な佐倉は無様に悲鳴を上げて助けを請うしかなかった。なんとも情けない男である。

 必死に救済を冀う哀れな子羊の頼みを受け入れ、ミサカはようやく佐倉の両腕を解放した。自由になるや否や両腕を庇うようにして身体に密着させながらゴロゴロゴロゴロッ!! と地面をのた打ち回る変態佐倉。なんとも見るに堪えない光景がそこにはあった。

 ……が、佐倉はすぐに立ち上がると、何故か両目を半月に緩めてから、

 

「……ぷっ。あはははっ!」

 

 我慢できなくなったように、堪えられなかったように笑い声を漏らした。

 いきなり高らかに笑い出した佐倉に、ミサカは思わず「え?」と気の抜けた声を上げる。目は呆れと驚きで丸く見開かれ、口元はだらしなく半開きになっている。それほどまでに、彼の行動が理解できなかった。一方通行との戦闘中ではないのかとか、そういう当り前な疑問がどこかに吹っ飛んでいくくらいに混乱していた。

 佐倉はひとしきり笑い終えると、笑い涙を拭いながら口を開く。

 

「あー、やっぱりアレだな。お前は俺達と何一つ変わりのねぇ立派な人間だよ」

「……いや、唐突過ぎてまったく付いていけないのですが」

「そうか? 悪ぃ悪ぃ。ちょっとあまりにも俺の予想通りかつ願い通りだったんで、嬉しくて笑いすぎちまったわ」

「そうですか。ですが、先ほども言った通りまったく話が見えてこないのですが」

「つまりはだな、ようするに……」

 

 催促するミサカに対してもったいぶるような発言を続ける佐倉。ミサカの反応を面白がっているのか、なかなか本筋を明らかにしようとはしない。

 痺れを切らしたミサカは額に軽く青筋を浮かべるとチャキとサブマシンガンの引き金に指をかけた。

 当然焦るのは佐倉である。

 

「うわっ、ちょっ! シャレになってねぇってさすがに!」

「余計な単語は慎んでください。最低限、ミサカが望む範囲のみで解答をお願いします」

「わかった! わかったから銃を下ろせ! 命の危機が近すぎてまったくリラックス出来ねぇ!」

 

 正直やり過ぎた、と一人心の中で反省する。『怒り』を見せるミサカははっきり言ってオリジナルの迫力と同様かそれ以上だ。睨まれると、非常に足が竦む。

 仕方がない。そろそろ言っておこう。さすがにこれ以上は命を失いかねないと判断した佐倉は「ゴホン」と咳払いで空気を整えると、ニッコリ笑顔で言葉を紡ごうとして、

 

『なァ、ちょっと確認してェことがあンだけどよォ』

『っ!?』

 

 不意に操車場に響いた一方通行のノイズ染みた声に、思わず二人共に身を凍りつかせた。ミサカはサブマシンガンを、佐倉はホルスターから取り出した拳銃をそれぞれ構える。いつ襲われても構わないように、最低限の護身を完了させる。

 そんな彼らの胸中を知ってか知らずか、一方通行は遊びを楽しむ子供のように無邪気な声で一つ笑うと、自慢げな様子でさらりと言い放った。

 

 

「粉塵爆発って、知ってるか?」

 

 

 直後、

 

 操車場全体を揺るがす大地震が突如として発生した。

 

 

 

 

 



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第十一話 友達

 更新遅れましたぁ!
 もしかしたら月イチになるかもです。できるだけ早く更新できるよう頑張ります!


 耳をつんざかんばかりの轟音と共に、積み重ねられた数多のコンテナが地震の影響で一気に落下を始める。整然と並んでいたはずのそれらは、一方通行の手にかかるとまるで積み木を崩すかのようにいともあっさりと崩壊していく。

 

「ぐっ……ミサカ、とりあえず車に乗れ! このままじゃ潰されるぞ!」

「は、はいっ!」

 

 突然の異常事態に違和感を感じる暇さえなかったのか、先程まで彼に自分の存在意義の無さを示していたミサカは死を避けるためにワンボックスカーの助手席へと慌てて飛び乗った。熟考の末の決断ではなく、ほとんど反射的に命を長らえようとした。

 ミサカが乗車したのを確かめると、佐倉は運転席へと移動してすぐさまアクセルを踏む。

 目覚めたようにヘッドライトを点灯させ、車はその場を全速力で離れた。そのわずか数秒後に、元いた場所にコンテナが落下する。ぐしゃ、という鈍い音が耳に届き、佐倉は一人嫌な汗を流していた。

 一方ミサカは、何の躊躇いもなく自動車を発進した佐倉に疑問の表情を向けている。

 

「め、免許なんて持っていたのですか? と、ミサカは貴方の外見年齢を鑑みながら尋ねます!」

「大事なのは資格じゃねぇ! 技術なんだよ!」

 

 尊敬する茶髪の先輩が以前自慢げに自分に言っていた台詞を反芻する佐倉。その時は何言ってんだという呆れの気持ちでいっぱいであったが、そんな流れで機嫌をよくした浜面に運転技術をレクチャーしてもらっておいてよかったと心底感謝する。現に、彼のおかげで二人は一命を取り留めているのだし。

 車を巧みに操り、コンテナの雪崩から必死に逃げ回る佐倉達。大規模な揺れのせいでうまく真っすぐ走ってはくれないが、四苦八苦して落下物を回避していく。

 

 ――――しかし、試練はこんなものでは終わらなかった。

 

 粉砕したコンテナからもうもうとあがる白い煙。事前に調べておいたため、佐倉はその正体を知っていた。

 学園都市内の倉庫にも使われているこの操車場には、学園都市内で生産された様々な食料なども貯蓄されている。米や豆などの穀物から始まり、果ては肉なども保存されている操車場。

 その中でも、最も大量に保存されているものがあった。

 それは、

 

「小麦粉、か……!」

 

 正体を確信した瞬間、佐倉の背筋に大量の冷や汗が浮き出てきた。先ほど一方通行が放った言葉の真意を察し、絶望的な表情を浮かべる。逃げ場がなくなったことを本能的に理解して、思わず唇を噛みしめた。

 そんな佐倉の不自然な様子に気付いたミサカは、訝しげに眉をひそめて彼の顔を窺う。

 

「どうしたのですか? 何やら汗が凄いようですが――――」

 

 しかし、彼女の言葉が最後まで紡がれることはなかった。

 操車場の一角から、想像を絶する大きさの爆音と爆発が発生したのだ。

 爆発によって生まれた炎は小麦粉を刺激し、さらなる爆発を誘発する。そしてまた小麦粉を刺激して、さらなる爆発を……。

 操車場全体が白煙に包まれている現在、爆発の範囲は間違いなく操車場全域を覆う。佐倉達は操車場の中でも端の方に逃げているのだが、今目の前に広がっている小麦粉がイコールで爆発の危険を示唆しているため助かる保証はない。

 

「いったい何が……あの爆発は……?」

 

 未だ現状を把握できていないミサカは幾度となく疑問符を浮かべている。しかしその間にも爆発はどんどん範囲を広げており、すでに彼らの十数メートル先まで迫ってきていた。

 思いのほか速度の乗った炎の波は、まったくの躊躇を見せることなく彼らを呑み込もうとしている。

 このままでは二人とも死ぬ。

 このタイミングで逃げられるはずはない。

 このままでは……。

 

「くそっ!」

 

 悪態をつき、顔を怒りで歪ませた彼の取った行動は一つだった。

 ハンドルを握っていた手を離すと、隣で呆然と炎を見ていたミサカの肩を掴んで押し倒す。彼女が座席に仰向けになったのを確認するや否や、佐倉は寸暇を惜しむように彼女の上に覆い被さった。

 

「ちょっ……いきなり何を……!?」

「いいから黙ってろ! 後、身体折り畳め!」

 

 困惑の表情を浮かべて行為の理由を問いかけていたミサカを黙らせて、全身を縮こまらせる。元々線の細い体格をしているため、手足を折り曲げた状態の彼女を佐倉の身体で覆い隠すには十分だった。

 相当窮屈なのか、苦悶の呻き声を上げて身じろぎを繰り返すミサカ。そんな彼女の様子には気を配ることもなく、佐倉は両目を固く瞑ると襲い掛かる衝撃に備えた。

 ……そして、その時がやってくる。

 

 津波のような激しい勢いでワンボックスカーを呑み込む爆発。一応装甲を改造しておいたために跡形もなく消し飛ぶようなことにはならなかったが、窓ガラスが粉砕されて車内に想像を絶する温度の熱風が入り込んでくる。

 熱風は助手席で身体を丸めていた佐倉達にも平等に襲い掛かった。

 

「ぐ……が、ぁ……!」

 

 佐倉の背中を熱風が舐めるように剥ぎ取っていく。シャツは一瞬で消し炭になり、剥き出しになった肌が高温で焼けただれていくのを彼は本能で感じた。

 予想を遥かに超える激痛に意識を失いそうになるが、真下のミサカの存在を思い出してなんとか意識を繋ぎとめる。ここで気を失うわけにはいかない。彼女を守りきるまで、死ぬわけにはいかない。

 爆発はあくまでも一瞬だった。が、爆発の影響によって生まれた激しい熱風と烈風は数分もの間に渡って彼の全身を傷つけていった。

 どれほど経っただろうか。全ての災害がようやく治まったのを察すると、佐倉は痛みにこらえながらも眼下の少女に安否を確認する。

 

「ミ、サカ……大丈夫、か……?」

「……は、はい。軽い火傷は負っていますが、命に別状はありません。と、ミサカは現状を報告します」

「そう、か……っぅ」

「っ!?」

 

 ミサカの無事を確認したことで緊張の糸が切れたのか、そのままミサカの上へと倒れ込む佐倉。明らかに無事ではない彼の様子に、ミサカは思わず声を荒げる。

 

「そ、そんなに大怪我してまでミサカを庇って……何を考えているのですか、とミサカは貴方の愚かさが理解できずに混乱します!」

「別に……何も考えて、ねぇよ……」

「何を意味不明なことを……だったら何故、そんな考えもなしにミサカを庇ったのですか! 何一つ得なんてないはずです! ミサカはただの人形。ボタン一つで量産できる、そんな体細胞クローンなのですよ!? そんなミサカを、どうして……!」

「……死んでほしくなかったから、じゃ駄目なのか……?」

「え……?」

 

 息も絶え絶えに放たれた予想外の言葉に、ミサカは目を丸くして言葉を失う。一瞬、彼の言った内容が理解できず、頭の中が真っ白になってしまっていた。

 衝撃的な発言に二の句が継げないミサカ。そんな彼女の少し焼け焦げてしまった頬に手を添えると、彼はミサカの方を見ることもせずに言葉を続ける。

 

「俺は馬鹿だからさ……あんまり小難しいことは、考えられねぇんだよ。いつだって直感で動くし、いつだって、自分の気持ちに素直に行動する。今回だってそうだ。俺は自分の気持ちに……『ミサカに死んでほしくねぇ。守りてぇ』っていう気持ちに従って行動しただけなんだ……」

「……どうして、ミサカなんかに死んでほしくないなどと……」

「友達だからに、決まってんだろうが……!」

「とも、だち……?」

 

 虚を突かれたように佐倉の言葉を繰り返す。噛みしめるように何度も何度も呟く。口にするたびに、何故か胸の奥がぽかぽかと温かくなるのを、ミサカは無意識で感じていた。

 ミサカの反応に頷きを返すと、佐倉はようやくゆっくりと上体を起こし始める。

 

「お前とはまだロクに喋ったことねぇけどさ、きっと友達になれると思うんだ。ちょっと頑固で気難しいところなんか御坂にそっくりだしよ、仲良くなれる気がするんだ。だから俺は勝手に思ってる。お前はもう、俺と友達なんだって」

「…………」

「勝手な言い分だってくれぇ分かってるよ。子供じみた勘違いかもしれねぇのも理解している。……でも、それでも俺はお前を友達だと思っているんだ。喋った回数とか、遊んだ頻度とか関係なしに、さ」

 

 自分でも何言ってるかわかんねぇけどな、と自嘲気味に苦笑しながら彼は身体を起こすと、覚束ない足取りでトランクの方へと歩み寄っていく。例の機械が生きているのかどうかを確かめに行くのだろう。あれが一方通行攻略の鍵だと言っていたのだから、理由は容易に察せる。

 佐倉が身体をどけて自由になったミサカだったが、何故かすぐに行動を起こそうとはしなかった。爆発で屋根が吹っ飛ばされ吹き抜けとなっている上空をぼんやりと眺め、一人思考に耽る。

 

(ミサカが、友達……?)

 

 聞き慣れない言葉だった。実験室で育った自分には、絶対にかけられることのない台詞だと思っていた。

 不思議な気持ちだった。感情なんていう余計なものはインストールされていないはずなのに、胸が仄かに熱を帯び、心臓がやや激しく早鐘を打ち始めていた。

 心が安らぐようだった。その言葉を反芻しながら彼の顔を見ると、頬が勝手に赤らんだ。

 モルモットで、実験動物で、殺されるだけの存在な自分が、今、新たな意識を獲得しようとしていた。

 

「良かった……壊れかけているけど、まだ十分生きてる……!」

 

 佐倉のそんな安堵の声が聞こえ、ミサカは思考を中止した。その代わりに、身体を起こすと佐倉の方に駆け寄っていく。

 改めて彼の全体を見る。

 シャツは所々が熱で破け、黒く焦げ付いてしまっている。健康的な肉付の腕や背中は見るも無残に焼け爛れてしまっていて、とても無事であるようには見えない。よくもまぁ意識を保っていられるなと心底不思議に思うほどである。

 彼はこんな姿になってまで、自分を助けたというのか。存在価値なんてない、人形である自分なんかを。

 佐倉の様子と現状を再確認すると、ふと頬の辺りが生暖かいことに気が付いた。原因を確かめるべく、手を頬へと当てる。

 水のような液体が、頬に付着していた。しかもそれはさらに上の方から止めどなく溢れ続けていて、休むことなく頬を濡らし続けている。その上、水とは違って不思議な温かさを伴っていた。

 これはいったい何なのか。学習装置によって植えつけられた記憶には存在しない現象に、彼女は呆けたように困惑する。

 機械の様子を見ていた佐倉だったが、ミサカの異変に気が付いたのか顔を彼女の方へと向けた。……すぐに表情を和らげると、屈託のない笑みを浮かべてミサカの頭に手を乗せる。

 

「ったく……子供みてぇに泣いてんじゃねぇよ」

「な、く……?」

「ん? ……あぁ、そういや感情ってもんを知らねぇんだったな。今お前の頬を濡らしているソレは、涙って言うんだ。悲しかったり、感動したり……感情が激しく揺れ動いたときに流れる、人間の証さ」

「あか、し……」

「そう。涙を流せるってことは、ちゃんと感情を持っているってことなんだ。善人だろうが悪人だろうが関係なく、泣ける奴ってのは誰しも『人間』なんだよ」

 

 優しく微笑みかけながら、ミサカの頭を撫で続ける。くしゃっとやや強引に髪を梳かれる度に、彼女の双眸からはこんこんと大量の涙が溢れだしてくる。

 自分がなぜ泣いているのか、理由は分からない。でも、どうしても泣き止むことはできなかった。彼に優しくされると、何故か堰を切ったように涙が流れ続けた。

 

「よかったな。やっぱりお前は『人間』だった」

「うぁ……っく……うあぁぁ……!」

 

 その言葉がトドメとなったのか、遂には声を上げ始めるミサカ。耐えられなくったように佐倉に抱きつくと、黒ずんでしまったシャツの胸部分に顔を埋めて嗚咽を漏らす。今まで抑え込んでいた感情を、溜めこんでいた全てを吐き出すように、彼女は心の底から慟哭した。

 泣き続けるミサカの背中を優しく叩いてやりながら、佐倉は彼女に提案する。

 

「ミサカ、お前に手伝ってほしいことがあるんだ」

「ぇぐ……ミサカに、ですか……?」

「あぁ。生きるために、一方通行を倒す。その手伝いをしてほしい。二人でここから生き延びるために、お前の力を貸してほしい」

「ミサカの、力……」

「頼む」

 

 ミサカを固く抱き締めたまま、佐倉は強い口調で彼女による援助を要請する。御坂を救うために、ミサカと助かるために。彼はなんとしても一方通行を倒さなくてはならない。そのためには、ミサカの力が必要不可欠だった。

 佐倉の必死な言葉に、ミサカは思わず黙り込む。今まで一貫して佐倉の関与を拒絶し、自分は殺されるために生きていると信じて疑わなかった少女は、提示された新たな道を前にして自分なりに考え込む。

 そして、

 

「……分かりました。貴方の言葉を信じて、ミサカももう少しだけ抗ってみようと思います」

 

 始めて自分で考え、自分で行動を選択したミサカ。

 そんな彼女は初めて柔らかな『笑顔』を浮かべると、もう一度だけ佐倉を強く抱きしめた。

 

 

 



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第十二話 驕り

 


 学園都市においては大前提と言ってもいい力関係は、能力強度によって左右される。

 例えば、こんな場面があったとする。

 年端もいかない小学生程の少女が、偶然立ち入った路地裏で図体のでかい不良に鉢合わせてしまったとしよう。不良は鍛え上げた筋肉をこれ見よがしに曝け出し、己の強さを見せつける。勉強を捨て、自分を鍛える事だけに全てを注いできた彼は、必死に高めてきた腕力を武器として少女達を脅そうとする。無能力者――学園都市においておよそ七割ほどの人数を占める存在――である彼は、自分の腕力のみを武器にすることしかできなかった。

 対して、少女はどうだろうか。

 十歳にも満たない無垢な少女。筋肉などというけったいな代物は一パーセントたりとも身に付けてはおらず、他者を武力によって脅す度胸も残酷さも持ち合わせてはいない。いくら腕を振るって反抗したところでその華奢な身体では決定的な打撃が与えられるはずもなく、無様に財布を差し出すしかない。強能力者――社会的に戦術価値を見出されるレベルの優秀者――である彼女は、自分の腕力を武器にすることなどできなかった。

 大人と子供。

 無能力者と強能力者。

 体格的、精神的には考えるまでもなく大人が有利であろう。子供がどうあがいてもその年齢差を埋めることはできず、負けを認めるしかない。

 ……しかし、学園都市では違う。

 前述の例えの結果を先に言ってしまうならば、少女は不良に勝利した。どう見ても絶望的であった状況にもかかわらず、少女が右手を振るって生み出された雷撃によって、不良は一瞬で消炭に変えられてしまった。

 いくら身体を鍛えようと、いくら力を誇示しようと、最終的に勝負を決するのは能力強度なのである。

 そんな学園都市のヒエラルキーを真っ向からぶっ潰すような夢のような機械があった。

 それは木原という苗字の女性が開発した、音響機械のような装置。それはある特定周波数の超音波を発信することで能力者に決まったサイクルの演算を繰り返させ、能力の使用を妨害するというものである。

 無能力者にとっては希望であり、能力者にとっては絶望とも言えるその機械。学園都市の社会格差に一石を投じるであろう悪魔の武器は、

 

「ギ……が、ァ……!」

 

 科学に支配された街の最強を、いとも容易く手玉に取っていた。

 色素がすべて抜け落ちたような白髪と、燃えるような紅眼。黒と白の奇妙な模様によって構成された半袖シャツを着こなしている青年、一方通行は、地面に右膝をついた体勢でコメカミを抑えながら苦悶の表情を浮かべていた。

 彼の口元には血が滲み、頬にはいくつもの痣が浮かび上がっている。アルビノと言ってもいい白色の肌には、刃物のようなもので切られたらしい無数の筋が存在を主張していた。幸い傷は浅いのか、切り傷の多さの割には出血量は大したことはない。

 

(ちく、しょォ……『痛み』なンて、何年ぶりだッつゥの……!)

 

 全身を走り回る鈍い痛みに、思わずほぞを噛んだ。

 そもそも、一方通行は自身能が持つ能力の関係上外部からの衝撃を受けることがない。

 この世界に存在するあらゆるベクトルを思いのままに操ることができる彼の能力は今まで反抗してきた全ての敵対因子を捻じ伏せ、捻り潰してきた。どんなに強力な武器であっても、例外なく反射してきた。

 だが、現在彼の能力は正体不明の何かによってほとんど封じられてしまっている。

 規模の小さい、それこそ指を動かすような些細な程度のものならば使用に弊害はない。しかし、『反射』などという大規模演算を伴うような能力を使おうとすると、原因不明の頭痛が彼を支配し、演算を妨害する。

 先ほどから操車場に鳴り響くノイズじみた音が原因であろうと彼は推測しているが、音のベクトルを除去しようとすると途端に激痛が走るために、対策を取ることができない。

 余裕を見せて最低限以上のベクトルを許容していたのが仇となった、と未だ痛みの取れない全身に歯がゆいものを感じながらも彼は悔しそうに舌を打った。

 

「おいおい、ギブアップにはちょっとばかし早ぇんじゃねぇか?」

 

 そんな彼に挑発的な言葉を投げかけてきた黒髪の青年。着ているワイシャツは黒ずんで所々が焼け落ちてしまっており、皮膚もあちこちが火傷に覆われている満身創痍の彼は、煤だらけの顔に不気味な笑みを湛えて一方通行を見下ろしていた。その右手には軍人が好んで使うようなコンバットナイフが握られている。

 佐倉望。崇拝する知り合いの少女を救うべく、絶望に自ら身を投げ出した無能力者だ。

 数十分前ほどに体細胞クローンを粉塵爆発から庇い命を救った彼は、彼女の協力を得てとある機械を発動させている。

 キャパシティダウンと呼ばれていたソレは爆発の影響で壊れかけてはいたが、幸い使用には問題なかったらしく、元気に騒音を響かせながらこうして一方通行の能力を封じている。最強の名をほしいままにしているはずの一方通行は、ロクに抵抗することも出来ずにボロ布のように傷だらけの状態で肩を上下させていた。

 能力の使用だけに全てを委ねていた一方通行は、能力を失うと戦闘力が九割ほど減少する。元々身体も丈夫な方ではなく、筋肉もついていない華奢な体格をしているのだ。肉弾戦が得意なわけがない。

 対して、路地裏生活によってそれなりに喧嘩慣れしている佐倉が能力を失った一方通行に後れを取るはずがない。フェイントと目隠しを多用して相手を翻弄し、隙を見せるや否やナイフで斬りかかる。その繰り返しの成果もあり、敵は今にも倒れる寸前であった。

 佐倉はナイフを右手で弄ぶと、心底小馬鹿にしたような口調で一方通行に語りかける。

 

「なぁ一方通行。お前もうロクに動けねぇみてぇだし、降参するなら命だけは助けてやってもいいぜ?」

「ン、だとォ……ッ!」

「いやさ、お前のことは心底許せねぇけど、俺だってこんな無意味な人殺しなんかしたくねぇんだわ。刑務所になんざ入りたくはねぇしさ。だから、大人しくその汚ぇツラ地面に擦り付けて、さっさと敗北認めてくんねぇか?」

「舐めてンのか、テメェはァアアアアアアアアアアアアアア!!」

「おっと」

 

 元々気の長い方ではない一方通行が佐倉の挑発に煽られる形で無理矢理能力を行使する。脳を圧迫する激痛を全力で無視しつつ、彼は最後の力を振り絞って演算のサイクルを止め、足元に転がっている石の一つを弾丸として佐倉に向かって発射した。

 が、本調子ではない彼の能力など、今の佐倉が恐れるまでもない。

 予想を遥かに下回る速度で向かってくる石を、身体を軽く右に傾けることで難なく避ける佐倉。普通ならば回避することなど不可能であっただろうが、頭痛に苛まれ、本来の勢いを取り戻していない能力者の攻撃なんて怖くもない。

 

「おーおー、学園都市最強が聞いて呆れる威力だなぁ」

「クソッ、タレが……ァッ!」

「叫ぶことしかできねぇ無力な奴が無駄な反抗見せてんじゃねぇよ、見苦しい」

 

 ギリギリと悔しそうに歯を噛みしめる一方通行に侮蔑の表情を向け、彼はもはや感情を失った瞳で最強を見下ろす。

 

 ――――この時彼が放った台詞は、本来ならば彼が決して口にしてはいけないものだった。

 

 ――――今まで彼が苦しめられ、虐げられてきた根本的な部分を、彼は自らの言葉で踏みにじった。

 

 もう話すことはない。そう言わんばかりに腰のホルスターから拳銃を取り出す。

 黒塗りの無骨な塊を一方通行へと向け、撃鉄を上げた。

 

「最後まで意地を張るっていうのなら、仕方がねぇ。そのクソみてぇな命を、俺がこの手で終わらせてやるよ」

 

 ゆっくりと、人差し指が引き金にかかる。

 

 ――――彼は自らのコンプレックスを、自らの手で否定した。決して粗末にしてはいけないアイデンティティを、己自身で破壊した。

 

「じゃあな、一方通行」

 

 一方通行が何か言い返そうと口を開くが、聞く耳など彼は持たない。

 

 ――――もしかしたら、世界には神様という存在が本当にいるのかもしれない。

 

 妙に感慨深い何か、究極の下剋上に対する恍惚を覚えながら、彼はうっとりとした笑みを浮かべて指に力を込める。

 

 ――――人の行いを、心を、想いを神様が見ているのだとすれば、

 

 一切の背徳感を捨て、最弱である佐倉望は勝利が確定した未来のみを見据えて弾丸を発射した。

 

 ――――もしも神様が、より泥臭く生きようとする存在に手を差し伸べるのだとすれば、

 

 銃口から飛び出した鉛玉は夜空に綺麗な直線を描き、片膝をつく一方通行の胸部へと肉薄する。

 能力が使えない以上、彼に抵抗する術はない。反射が効果を発揮しない限り、銃弾を回避する方法はない。

 ……そう、能力が使えなかったならば(・・・・・・・・・・・・)

 

 それは奇跡であったかもしれない。

 それは絶望であったかもしれない。

 ある者にとっては生への希望で、またある者にとっては死への絶望で。 

 捻くれ者の神様が。

 常に面白い方向へと駒を進め続ける神様が。

 そして、絶対的優位に立った勝利者を笑顔で蹴落とすような万能の神様が、どんでん返し(ジャイアントキリング)を好んだとするならば、

 この結末は、誰にも文句を言われることはないのだろう。

 

 銃撃を放った佐倉望は勝利を確信していた。

 呆然と膝をつく一方通行は敗北を覚悟していた。

 操車場のどこかでミサカは佐倉の勝利を祈っていた。

 本来ならば運命の神様は佐倉達に微笑むのだろう。絶望的状況にも諦めることなく、無様に地を這いながらも勝利への希望を手にした彼らに。

 

 それはほんの偶然だった。

 ちょっとした不幸が積み重なった結果起こった、避けられない事故だった。

 

 先に起こった粉塵爆発によって壊れかけたキャパシティダウン。佐倉が確かめた際には使用に問題はないほどであったが、それはあくまで無能力者の彼(・・・・・・)が近づいたからに過ぎない。

 ――――もし、それがほんの少しの衝撃で壊れてしまうほどに限界を迎えてしまっていたとしたら?

 

 佐倉はミサカに機械を使うように頼んだ。一方通行を倒すために、協力してほしいと。

 しかし彼は失念していた。最大とも言える案件を、忘却していた。

 超能力者御坂美琴の体細胞クローンであるミサカ一〇〇三二号。オリジナルの一パーセントほどにも満たないスペックを搭載した彼女。量産型超能力者というにはあまりにも非力な彼女。

 だが、それでも彼女は『能力者』だった。

 

 キャパシティダウンから放出される騒音は確かに一方通行の動きを止めた。しかし、それと同時にミサカを襲ったことは考えるまでもない。

 元々痛みに対してそれほど耐性があるわけでもない彼女が、突然脳を襲った激痛に耐えられるはずがない。彼女は無意識に頭を押さえ、無意識に演算を行わされていた。強制的な演算はやがて能力の暴走を引き起こし、彼女が常日頃全身から放っている電磁波をわずかではあるが強めてしまう。

 威力を増した電磁波は、敏感な電化製品を壊してしまう恐れがある。そんなことは常識だ。

 そう、つまり。

 

 キャパシティダウンは、電磁波を浴びて完全に停止した。

 

 音が消えたことに気が付いたわけではない。

 銃弾が肉を抉るその瞬間まで必死に演算式を立てていた一方通行は、周囲に気を配る余裕なんて持ち合わせてはいなかった。ただひたすらに反射式を形成し、能力の発動に何度も挑戦していただけだ。

 そんな風に無様に抗い、プライドも投げ捨ててただ純粋に『生』を願った一方通行に、神様は微笑んだ。

 カチッ、という音が聞こえた気がした。今まで自分を苦しめてきた頭痛が嘘のように消え、かつてないほどに脳内がクリアになる。

 銃弾が肌に触れる。皮膚を貫いて命を奪うはずだったそれは、能力を取り戻した彼の反射によって向きを変え、発射した佐倉の方へと数倍の速度で向かっていく。

 

 ミサカはキャパシティダウンが停止したことに気付き、慌てて佐倉の元へと走った。

 切り札が壊れた今、彼に反撃する手立てが残っているとは思えない。このままでは殺されてしまう。瞬間的にそう判断したミサカは、そう遠くない距離を懸命に走った。

 コンテナの残骸の間を通り抜け、少し開けた空間へと躍り出る。

 そこで彼女の瞳が映したものは、

 

 銃弾に右胸を貫かれ、その衝撃で後方へと飛ばされる佐倉望の姿だった。

 

 

 



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第十三話 無力な少女

 更新です。来週はテストど真ん中なので更新はできないかもです。テストが終わったら、できるだけ早く次話を上げたいと思います。


 御坂美琴は、自分の目の前で展開された光景を信じることができなかった。

 

 鉄橋で上条に説教され、操車場へと向かっていた彼女。すでに時刻は八時四十分を回っていて、実験が開始されていることは明らかだった。最初は素直ではなく拒否の意思を見せていた美琴ではあるが、時刻を確認すると血相を変えて上条と共に走り出したのだ。さすがに、佐倉が死ぬという事態だけはなんとしても避けたかったのだろう。

 およそ二十分ほどの道程を全速力で走り、ようやく操車場へと到着する。無我夢中で駆け抜けたために息が苦しい。酸素を求めて両肩が大仰に上下していた。隣では上条が同じように肩で息をしている。

 

「はぁっ、はぁっ……よし、急ぐぞビリビリ!」

「えぇ。早くしないと、佐倉が――」

 

 上条の呼びかけに、分かっていると応答しようとした矢先、

 ――――パァン、という乾いた音が、操車場に木霊した。

 

『ッ!』

 

 突然聞こえた効果音に、二人は思わず全身を硬直させる。

 空気を直接叩いたようなその音は、どんな素人が聞いたとしてもすぐに正体を掴むことができるだろうものであった。テレビや映画でしょっちゅう耳にする、メジャーな音。

 ……銃声だ。

 

(もしかして、あのバカ……!)

 

 嫌な予感が脳裏をよぎる。頭に浮かぶは憎たらしい黒髪のスキルアウト。思い込んだらなりふり構わず一直線に突き進む愚かな友人が、銃で撃たれる映像が鮮明に浮かぶ。

 以前『妹達』の実験を目の当たりにしていたからかもしれない。血を流し、臓器を零した佐倉の死体が嫌というほどはっきりと想像できてしまって、美琴は無意識のうちに拳を握り込んでしまう。

 

「今の銃声……まさか佐倉が――――って、おい! ビリビリ!」

 

 やけに冷静に状況を判断している上条に構うことなく、美琴は音源の方を目指して走り出した。すでにスタミナは尽きかけていたが、そんなことをいちいち気にしているほど、今の彼女に余裕はない。

 一方通行の能力によるものなのか、無残に破壊されつくしたコンテナの残骸の間を駆け抜けていく。

 操車場の総面積のおよそ半分を占めるコンテナ群。数を数えることも煩わしいほどの量のそれらは、一つの例外もなく破壊され尽くしていた。……佐倉への心配が、さらに募る。

 

(私が行くまで死ぬんじゃないわよ、佐倉!)

 

 切実に彼の生存を願いながら、彼女は駆ける。

 まだ知り合って数週間ほどしか経っていない彼ではあるが、友人であることに変わりはない。たとえ付き合いが短かろうが、性別が異なろうが、佐倉望は彼女のれっきとした友人だ。それは間違いない。

 まだ話したいことは沢山ある。

 今回のお礼も言わなくてはならない。

 彼の無謀さを説教してやらなくてはならない。

 彼に対する怒りや感謝は尽きることはなく、彼と共に明日を過ごしたいという思いは募るばかりだ。

 

(佐天さん達と一緒に買い物行くんだからね!)

 

 数日前に佐倉のいないところで勝手に佐天が提案した約束だ。本人不在のまま承諾してしまったが、彼の何気にお人好しな性格上断ることはあるまい。何気に、美琴自身も楽しみにしていた。

 そんな約束を思い浮かべながら走り続けていると、ようやく開けた空間に辿り着く。視線の先の光景をマトモに確認することもせず、美琴は耐えられなくなったように叫んだ。

 

「佐倉!」

 

 ――――御坂美琴は、目の前で起こった出来事を信じることができなかった。

 まず彼女の視界に入ってきたのは、全ての色素を失った白髪の青年だ。全体的に華奢なイメージを抱かせる彼は、身体中に切り傷を負いながらも全身から膨大な密度の殺気を放っている。姿を見るだけで鳥肌が立ち、歯の根が噛み合わなくなる。

 学園都市最強の超能力者、一方通行。最強の名を欲しいままにする彼は、普段の彼からは想像できないほどの傷を全身に負った状態で足元の『何か』を何度も何度も踏みつけていた。

 次に目にしたのは、彼が踏みつけている物体。

 ヒトガタの何かが二つほど折り重なっているそれは、踏まれるたびに苦悶の表情を浮かべ、苦痛の呻き声を漏らしている。

 茶色の短髪に、軍用ゴーグル。上に来たサマーセーターはあちこちが破れ、プリーツスカートも土で見るも無残に汚れている。

 どこか無機質な瞳には痛みのせいか涙が溢れ、彼女が激痛に耐えていることが容易に想像できた。

 目鼻立ちの整った顔は、美琴が毎朝鏡で見るものと酷似している。……というか、瓜二つだ。

 『妹達』計画の産物。御坂美琴のDNAマップを利用して生み出された体細胞クローン。それが彼女だった。

 ……だが、クローンであり感情がないはずのミサカは、今目の前で何かを庇いながら必死に一方通行の攻撃に耐えている。華奢で、防御力なんてロクにないであろうその身体で、なんとか何かを守り抜こうとしている。

 釣られるようにして、美琴の視線が下へと動く。

 ――――赤い、液溜まりが広がっていた。

 どこからかとめどなく溢れてきている赤の中心には、先程のミサカともう一人の人影。

 クセのない長めの黒髪。布地の大半が黒く焦げ付いているワイシャツ。黒の学生ズボン。

 普段ならば健康的な色を浮かべているはずの四肢は生気のない土気色で、とても生きているようには思えない。

 いつもならば黙ることはなく四六時中言葉を発しているような『彼』は、一方通行に踏まれながらも一言たりとも言葉を漏らす気配はない。

 ……最悪の光景が、目の前に広がっていた。

 

(……ぁ……あぁ……!)

「オラオラァッ! 人形みてェに寝そべってンじゃねェよ雑魚がァッ! テメェにはしっかり仕返ししねェと俺の気が収まらねェンだからよォ!」

「ぐっ……大丈夫、ですか……佐倉、望……!」

「テメェもモルモットの分際で鬱陶しィンだよ三下がァ! 大人しくソイツ引き渡して無様に殺されりゃイイだろォが!」

「断わり、ます……! と、ミサカは全力で拒絶の意を示します……!」

「チッ、ゴチャゴチャ言ってンじゃねェぞ人形の分際でよォ!」

「う、ぁ……!」

 

 一際強くミサカの背中が踏みつけられ、彼女はたまらず声にならない叫びを上げた。すでに内臓に支障が出ていてもおかしくはないほどのダメージを負っているが、それでも彼女は耐え続ける。

 目の前で繰り広げられる一方的な暴力に、美琴の中で何かが崩れようとしていた。この数日間見てきた地獄の集大成が、今彼女の中で形作られていく。

 無表情ではあったが、好奇心の塊で自分のアイスを勝手に食べたミサカ九九八二号。

 佐倉達といたときに姿を現し、無慈悲な言葉を浴びせてしまったミサカ一〇〇三一号。

 研究所に忍び込んだ際に戦闘した、アイテムと名乗る暗部組織。

 毎回常に死と隣り合わせであった彼女。そんな美琴の中で少しづつ溜まり続けていた感情……怒り、絶望、悲しみ。普段の彼女があまり表に出すことはないマイナスの感情が、佐倉達を目の前にして風船のように急激に膨張を始めた。

 彼らを助けなければ。一方通行に殺される前に、何としてでも。

 しかし、彼女の想いとは裏腹に身体は動くことを拒否し続ける。怒りが臨界点に到達し、一刻も早く一方通行をぶん殴りたいのに、一度彼の恐ろしさを経験してしまったからか、足が完全に竦んでしまっていた。

 

(こんな、時に……!)

 

 つくづく、自分の弱さが嫌になる。

 学園都市に七人しかいない超能力者と謳われていても、自分は所詮無力な女子中学生なのか。大切な友人一人さえ守ることができない、そんな非力な子供でしかないのか。

 悔しさのあまり拳を握る。恐ろしさのあまり肩が震える。

 いくら強大な力を有していようと、彼女はあくまで一中学生に過ぎない。そんな彼女が、化物を相手にして自由に行動の意志を選択できるとは到底思えない。

 

(チク、ショウ……!)

 

 無力な自分に歯噛みする。もうどうしようもないのか、と絶望に浸りかけた彼女だったが。

 

「佐倉達から離れろ、この三下がぁあああああああああああああああ!!」

 

 隣で突然放たれた雄叫びに、思わず顔を上げた。

 怒りを露わにしているツンツン頭の少年は、決して最強の能力者などではない。

 複数人相手の喧嘩では逃げの姿勢を貫くし、降ってくる瓦礫をぶち壊すこともできない。

 勉強なんて得意ではないから、この夏休みはほぼ毎日補習の嵐だ。単位が危ない悪友のスキルアウトと共に、先日も肩を並べて教室に閉じ込められていた。

 彼には能力というものはない。あるのは奇妙な右手と、絶対的な信念だけ。

 彼はただ、自らの内から湧く感情に従って、真っすぐに進もうとしているだけだ。

 

「……あァ?」

 

 不意に放たれた罵倒ともとれる叫びに、一方通行は不機嫌を隠すことなく声の主である上条に視線を移す。

 人も殺せそうな視線で上条を睨みつけると、殺気を滲ませた声で問いかけた。

 

「……誰に向かってモノ言ってンだよ、テメェ」

 

 他者を完全に見下した声だった。自分以外はすべて雑魚で、万人を三下としか思っていない強者の声だった。

 自分に意見した無礼者に怒りをぶつけ、すぐにでも命を刈り取らんばかりに殺気をぶつけていた。

 ――――しかし、上条当麻は怯えない。

 今まで培ってきた信念、正義への執念、他者を救うことへの異常なまでの執着心が彼を支える。友人を、大切なクラスメイトを手にかけた一方通行への怒りを糧に、上条当麻は頑なに吠える。

 

「いいから……ゴチャゴチャ言ってねぇで佐倉達から離れろっつてんだよ! 聞こえねぇのか三下ぁ!」

「……面白ェ」

 

 上条の叫びに、心底楽しそうに口元を歪ませる一方通行。久しぶりに活きのいい獲物を見つけたと言わんばかりに舌なめずりをしている。これからこの雑魚がどういう動きを見せてくれるのか、心の底から楽しみにしているような笑みを浮かべる。

 ……そして、一方通行が動いた。

 

「そンなに離れて欲しィってンなら、しっかりキャッチしろよヒーロー?」

『!!』

 

 小馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、一方通行は倒れたままの佐倉とミサカを同時に蹴っ飛ばした(・・・・・・)

 既に抵抗する力も残っていないのか、二人は蹴上げられたまま上条達の方へと吹っ飛ばされてくる。まったく力の入っている様子の見えない佐倉達は、頭を下にして砂利の地面へと落下していく。

 一方通行が取った予想外の行動に、二人は慌てた様子で地を蹴った。上条は佐倉を、美琴はミサカをそれぞれ両腕でなんとか受けとめる。

 

「……っ、ぅ……」

「あ、アンタ! 大丈夫なの!?」

「ぉ……お姉、様……?」

 

 いきなり現れた、本来ならばこの場にいないはずのオリジナルに抱きかかえられているミサカは戸惑いと驚きの混ざった声を漏らす。痣だらけの顔を必死に上げてなんとか美琴の顔を見ようとするが、予想以上に痛みが蓄積しているのか上手く身体を操れないようだ。

 こんな状態にも関わらず、この子は佐倉を守ろうとしていたのか。

 無謀とも思える行動に冷や汗が流れる。同時に、先程まで指一本動かせなかった自分の愚かさに怒りを覚えた。

 ミサカを抱えたまま悔しそうに下唇を噛む美琴。そんな彼女の元に、血みどろの佐倉を抱えた上条が近づいてきた。

 

「さ、くら……?」

 

 彼の惨状を改めて確認し、信じられない……信じたくないと言った様子で美琴は目を丸くする。

 右胸の辺りに、半径一センチほどの風穴が開いていた。先ほどから大量に流れている血液はそこから溢れているらしく、シャツも胸を中心にしてより濃く汚れている。

 上条はそんな彼を美琴の傍に寝かせると、一方通行の方へと向き直った。

 

「……御坂、佐倉を頼む」

「え……?」

「佐倉を連れて物陰に隠れてろ。後は、俺がやる」

「で、でも、それだとアンタが――――」

「二度は言わないぞ、御坂」

「っ」

 

 愚かにも自分で戦うと言い出した上条を止めようとするが、彼の強い口調に思わず黙り込んでしまう。反論は許さない。そう言わんばかりの勢いで、上条は美琴に命令する。

 

「このままそいつらをここに置いていたら巻き添えになっちまうかもしれない。流れ弾が飛んできてお陀仏なんてことも十分あり得る。せっかく助けたのに、そんなことになったら目も当てられないだろ?」

「それは……」

「それに、お前が手を出しちまうと実験が中止されなくなるかもしれない。これは、無能力者である俺が一人で倒すことに意味があるんだ。分かってくれ、御坂」

「…………」

 

 どうしても考えを改める気はないらしい上条を見上げ、そして傍らで虫の息である佐倉を見やる。

 この馬鹿は大した力もないくせに、自分の為に命を投げ出した。絶対に勝てるはずはないと分かっていたのに、彼は決して逃げなかった(・・・・・・)

 かつて佐倉の部屋で美琴がとりつけた約束を、佐倉は愚直にも守ってしまった。そして、こんな状態にまで陥ってしまった。

 

(私の、責任だ……)

 

 無責任なことを言ってしまった、と今更ながらに後悔する。自分はどれだけ愚かな約束をさせてしまったのだろう、と過去の自分を責めたくなる。

 こんな自分に、何かができるとは思えない。

 『妹達』の誕生のきっかけを作った上に、友人が死地に赴く原因を生み出してしまった自分に、いったい何ができるというのか。

 

「……分かった、わ」

 

 ――――何が超能力者だ。こんなに苦しんでいる人がいるのに、何もできないくせに。

 悔しさを涙に変え、怒りを嗚咽に変えながらも、美琴は佐倉を背負い、ミサカの肩を支えてその場を後にした。無造作に転がっているコンテナの裏を目指して、ゆっくりと足を動かしていく。

 

「おいおい、三下一人で俺様とやろォってか? これはまた随分と嘗められたモンだなァ」

「……ごちゃごちゃうるせぇんだよ」

 

 挑発を繰り返す一方通行に、上条は強い意志の灯った双眸を向ける。

 己の武器は右手だけ。特殊な装備なんてものは持っていない。最強の能力に対抗できるような、素晴らしい策があるわけでもない。

 それでも、上条当麻は前に進む。己の内から湧いてくる感情に従って、ヒーローの道を突き進む。

 

「覚悟しろよ最強。てめぇが抱いているチャチな幻想を、俺が今日この場でぶち殺してやる!」

 

 これまでいくつもの幻想を殺してきた最弱の右手を強く握り、上条当麻は大地を蹴った。

 

 

 

 



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第十四話 最強と最弱

 更新です。やっとこさ実験編終了です。


「佐倉……」

 

 コンテナの裏に佐倉とミサカを移動させた美琴は明らかに瀕死状態の佐倉の隣で膝をつき、彼を悲しそうな表情で見下ろしていた。

 いつも無駄に元気で軽口ばかり叩いている佐倉ではあるが、現在はその元気さがまったく見られない。両目を閉じ、微かに消え入りそうな呼吸だけを行っている。心臓の鼓動は通常時の半分ほどの速度で聞こえていて、どれだけ危ない状況であるかを美琴に知らせていた。

 今にも生命活動が停止するのではないかというほどに弱り切っている佐倉の髪を梳き、美琴はポツリと漏らす。

 

「……ごめん。私の、せいで……」

 

 もう何度目になる謝罪だろうか。かつて交わした約束が佐倉を一方通行との戦いに赴かせてしまったと思っている美琴は、先ほどから口を開くたびに彼への懺悔を口にしていた。返事なんて戻ってはこないのに、無意識のうちに零れ出る。

 

「お姉様……」

 

 少し休んだことで痛みが取れてきたのか、先程に比べると幾分かマシなテンポで呼吸を行うミサカ。彼女はゆっくりと上体を起こすと、隣で目を覚まさない佐倉に謝り続けている美琴を複雑な表情で見やる。

 元はと言えば、自分を除いた美琴達三人はこの実験場に来るはずはなかった存在だ。ミサカと一方通行が二人で戦闘を行い、そしてミサカが死体に変わる。それが、当初の流れだったはずだ。

 彼女以外の犠牲は出ることはなく、死体も秘密裏に処理されるので迷惑をかけることもない。ただ、それだけのはずだった。

 ……それなのに、何故こんなことになってしまったのか。彼らと関わりを持ってしまったのがいけなかったのか。

 自分の意志とは裏腹に勝手に展開していった悪夢のような一連の出来事に、ミサカはどうすることもできず涙を流すしかない。

 

「……ごめんなさい、お姉様」

 

 思わず、口をついて出たそんな言葉。

 いきなり謝られるとは思っていなかったのだろう、美琴は驚いたように目を丸くしてミサカの方に顔を向ける。

 無意識に放ってしまった謝罪はそのまま流れるように続いていった。

 

「元はと言えば、ミサカが原因です。あの少年達に無闇に接触し、最低限以上の関わりを持ってしまったのですから」

 

 そう言って悲しそうに俯くミサカの目から、ポロポロと涙が零れ落ちていく。

 佐倉や上条と知り合い、彼らと接していたことが楽しくなかったかと聞かれると、ミサカはノーとは言えない。『楽しい』という感情がイマイチ分からない彼女ではあるが、彼らと一緒にいると不思議と心が安らぐようだった。公園のベンチで佐倉と軽口を叩き合った時は思わずニヤリと口元を吊り上げてしまったし、上条と共に猫のノミを駆除した際にはお礼を言われて破顔してしまった。

 彼らといると、今まで知らなかった感情を経験できた。実験室では手に入れることができなかったであろう貴重な体験をすることができた。

 ……しかし、その体験を得たために佐倉達の命を失ってしまっては、まったく意味がないではないか。

 もしも少しのプラスを得たせいで膨大なマイナスが訪れるのならば、最初からゼロで良かった。楽しみなんて、手に入れたくはなかった。

 

「ごめんなさい、お姉様……!」

 

 だからミサカは謝り続ける。自分が犯した罪を償うために、ひたすら頭を下げ続ける。

 

「アンタ……」

 

 そんなミサカを見て、美琴はチクリと胸を刺すような痛みを感じていた。

 彼女が彼らに出会ってしまったせいでこのような事態になってしまった事実は否定できない。実際、クローンを目にすることが無ければ上条は実験に気が付くことはなかっただろうし、佐倉が命を張りに行くこともなかったはずだ。美琴も最初は、クローンさえいなければと心から思っていた。

 ……だが、そうやってミサカ達を憎むのは、お門違いではないだろうか。

 彼女達は自分の意志で生まれてきたわけではない。【超電磁砲】の量産型生産計画の産物として生を受け、その低スペックゆえに【絶対能力者向上実験】の標的として確実な死を勝手に義務付けられただけだ。そこに彼女達の意志はなく、ただモルモットとして人生の目的を植え付けられてきただけにすぎない。

 それに、そもそも彼女達が生まれることとなった根本的な要因は美琴自身にある。科学者の口車に乗せられてDNAマップを渡してしまった、彼女自身に。

 こんな実験が行われるのを知っていれば、あんなことはしなかったのに。

 これまで何度そうやって後悔してきたことだろうか。何度彼女達に謝罪の念を抱いてきたことだろうか。

 

(……でも、私がDNAマップを提供しなかったら、この子たちは生まれてくることさえできなかったんだ)

 

 身勝手な考えだとは理解している。自分の罪を棚に上げて、論点をずらしているだけだとも分かっている。

 でも、妹達が生まれてきたこと自体に罪はない。命は誰に対しても平等にあり続けなければならないのだから。

 ――――だから、美琴は言ってやる。

 

「アンタが謝ることはないわ。こいつが無理したのは、私が原因なんだし」

 

 ミサカ達の罪悪感を消し去るために、美琴は不格好ながらも笑顔を浮かべて肯定してやる。

 罵られてもいい。軽蔑されてもいい。

 こういう時、佐倉望なら絶対こう言うはずだから。

 

「だからもう謝らないで。私も、アンタも、謝るべきは今じゃない。……この腐った実験を早く終わらせて、後でたっぷり佐倉に謝りましょう」

 

 言って、美琴は優しい手つきで傷だらけのミサカの頭を撫でる。今まで拒絶していた彼女を、柔和な笑みで受け入れる。

 不意の出来事に思わず身体を硬直させるミサカだったが、撫でられているうちに徐々に気が楽になったらしい。無駄に力の入っていた様子だったミサカは、気持ちよさそうに目を細めると少しだけ美琴との距離を縮めていた。

 彼女達はまだ負けていない。未来はきっと、必ず訪れる。

 だから……、

 

(……だから、絶対勝って)

 

 今この瞬間も最強と対峙しているツンツン頭の少年に、美琴は心の底から勝利を願う。

 

 

 

 

 

                       ☆

 

 

 

 

 

「うぉおおおおおおおおおお!!」

 

 上条が地を蹴り、拳を握って一方通行との距離を詰める。この時の為に万全に残していたスタミナを、ここぞとばかりに放出する。

 愚直にも真っすぐ突っ込んでくる上条を見て、一方通行は怪訝そうに眉をひそめた。

 

(何考えてンだ、この三下は……?)

 

 大胆な啖呵を切ってきたからそれ相応の能力者かと思って多少楽しみにしていたのだが、なんだか裏切られた気分だ。途端に冷めた気持ちになり、舌打ちが零れる。

 こんな雑魚と長く戦う意味はない。早く決着をつけてしまおう。

 面倒臭ェ。愚かにも直進してくる三下を瞬殺するべく、一方通行は足元の砂利を弾丸に変えて発射しようとして――――

 

 刹那、急激な眩暈が彼を襲った。

 

(――――っっ!?)

 

 耐えられないように眉間を抑える。瞬間的ではあったが、痛みや怪我に慣れていない彼は突然の眩暈に苦悶の表情を浮かべた。

 先ほどの黒髪から受けたダメージが想像以上に残っていたらしい。気付けば、若干ではあるが足元も覚束ない。カクカクと、少しではあるが震えている。

 

(チッ! こンな時に……笑えねェぞ!)

 

 不機嫌に再び舌を鳴らす一方通行だったが、次なる手を打つべく向かってくる上条の方を向く。

 一方通行が行動を停止していた時間は一瞬。しかしその一瞬の隙を上条は見逃さない。

 わずかに反応が鈍っている様子の一方通行の懐へと入り込むと、身体を捻って右拳を顎に向かって突き上げる

 タイミングは完璧。一方通行のガードは間に合わない。

 だが、一方通行に焦る様子はまったくない。それもそうだ。彼には核爆弾をも跳ね返す絶対的な反射がある。どんな能力でも跳ね返し、彼に傷一つ負わせることはない最強の盾が。

 さっきは正体不明の雑音のせいで不覚を取ったが、現在の自分を妨げるものはない。向かってくる拳は反射によってへし折れ、舐めた三下は戦闘不能になるだろう。

 今まで何百回も目の当たりにしてきた展開を思い浮かべ、嫌らしく口の端を吊り上げる一方通行。勝利は確定したとばかりに笑い声を漏らし――――

 

 

 ――――気が付くと、彼は空を見ていた。

 

「…………は?」

 

 突然すぎる景色の回転に判断が追いつかず、思わず拍子抜けた声を漏らす。

 なぜ自分は空を見ているのか。状況を理解することができず、戸惑いだけが彼の頭を駆け巡っていく。

 

(なンだ……なンで俺は、仰向けなンかに……ッ!)

 

 状況把握に思考を割こうとした矢先、彼全身を鈍痛が駆け巡った。ズキズキと骨に響くような痛みが身体中を走り回る。

 そう、『痛み』が。

 

(痛ェ、だと……!?)

 

 咄嗟に口元に手をやると、ぬるっとした液体が。慌てた様子で右手を目の前に持ってくる。

 手のひらに、赤い粘液が付着していた。正体は何かなんてわざわざ考えるまでもない。そもそも、彼は今まで誰よりもそれを目にしているのだから。

 

(どォゆゥことだ……なンで、攻撃が通って……)

 

 攻撃は当たらないはずだった。反射の壁に阻まれて、無様に無効化されるはずではなかったのか。

 

(無意識に反射を切っていた……? いや、それはありえねェ。さっき俺は能力を防御に特化させていた。演算も完璧だったし、タイミングにも狂いはなかった。反射を忘れていたなンてことはねェんだ)

 

 原因が掴めないながらも、一方通行はなんとか立ち上がる。先の戦いで蓄積していた疲労と今回受けたダメージが相乗効果を発揮して膝がガクガクと震えるが、なけなしのプライドとスタミナでどうにか身体を起こす。

 

「ハハ……面白ェ。最高に愉快に決まっちまったぞ……三下ァッ!」

 

 ブチ切れたように右腕を振り回す。自分を虚仮にされたような気がして、込み上げてくる怒りを拳に乗せて忌々しい敵へとぶつける。

 だが、上条は一方通行の腕を右手で難なく弾いた。

 

「なっ……!?」

 

 攻撃を捌かれるとは夢にも思っていなかった一方通行は呆けたように虚空を見つめてしまうが、それが隙を生み出してしまう。すぐに防御姿勢を取ればいくらかは違っただろうが、無防備に顔面を突き出している今の彼は弱点を曝け出していると言っても過言ではない。

 チャンスとばかりに腰を捻る上条。防御に使った右手を回転の勢いで引き戻すと、拳を握り込んで一方通行の顔面を殴りつける。

 

「がッ……!」

 

 ドゴシャァッ! と豪快に後頭部から砂利の上に崩れ落ちる一方通行。あまりの勢いに数回地面の上をバウンドすると、そのまま痛みを隠すことなく痙攣を始める。

 もはやそこに、学園都市最強の威厳はない。あるのは無様な敗北と、絶対的な激痛だけだ。

 

「グ……!」

「……くだらねぇモンに手ぇ出しやがって」

 

 小刻みに震える四肢を懸命に動かして次なる攻撃に備えようとする一方通行を見下ろしながら、上条は静かに呟いた。

 怒り、憎しみ、悲嘆。すべての感情を言葉に乗せ、彼は思いの丈をぶつけていく。

 

「妹達だって精一杯生きてんだぞ。それを、なんでてめぇみてぇなヤツの食い物にされなくちゃいけねぇんだ」

(生き、てる……?)

 

 上条の言葉を聞いた瞬間、一方通行の中である記憶が蘇ってきていた。

 それは昔の記憶。この呪われた実験の、始まりの記憶。

 学園都市最強の名を狙って自分を狙う不良達をいつものように蹴散らした一方通行。そんな彼の元に突然現れた研究者らしき男は、彼に向かってこう言ったのだ。

 

『最強止まりでは、キミを取り巻く環境は永遠にそのままなのだろうね』

 

 その言葉が嫌に頭に残って、一方通行は思わず彼の研究所を訪れていた。

 そこで目にしたのは、培養液の中で眠る何千体もの体細胞クローン。国際法で禁止されているはずのそれらを平然と当たり前のように製造している彼らに、少しだけ興味が湧いた。

 そして第一回実験。一方通行の前に現れたのは、軍用ゴーグルと拳銃を装備した一人の少女。

 とても超能力者の量産型とは思えない動きに違和感を覚えてはいたが、彼は科学者達に言われた通りに彼女を倒した。あまりにも呆気なさ過ぎたので問い詰めると、スペック差には目を瞑ってくれとのお言葉。そして、実験は対象の生命活動を停止させるまで終わらないとまで言われた。

 

『大丈夫。遠慮することはないさ。ソレは蛋白質と薬品で合成された――――人形なのだから』

 

(……そうだ、人形だって言ってたじゃねェか)

 

 科学者達は確かにそう言っていた。気にすることはないと。人形を壊すことに遠慮はいらないと。だから彼も躊躇はしなかったし、いつしか殺すことに抵抗もなくなっていた。

 だが、目の前の男や先の黒髪は、どうしてここまで人形を救うことに執着するのだろうか。

 どうして、こんなに頑なに人形を守ろうとするのだろうか。

 

「……てめぇにどんな事情があったとか、そんなことは知らねぇよ」

 

 戸惑いと混乱。とても安定しているとは言えない精神状態の一方通行を真っすぐ見据え、上条は語りかける。

 一方通行にも信念があるのだろう。思いも、覚悟も。上条にはわからないような事情を持っているかもしれない。

 

「でも、だからってあいつらを殺していい理由なんかにはならない。どんな事情があっても、他人を食い物にしていいはずなんかねぇんだ……!」

 

 しかし、だからといって妹達の未来を奪っていい理由にはならない。たとえ已むに已まれぬ事情があったにしても、命を奪っていい道理は存在しない。

 だから、上条当麻は間違いを正す。自分ではどうにもならないところまで来てしまった哀れな最強をここで止めるために、彼は最弱の拳を真っすぐ振るう。

 呆然と上条を見る一方通行を怒りの眼差しで睨みつけ、上条は宣言する。

 

「歯を食いしばれよ最強」

 

 それが正しいのかは分からない。もしかしたら間違っているのかもしれない。実は一方通行の言い分が正しくて、上条の考えは子供じみた屁理屈なのかもしれない。

 それでも、上条は自分の想いを突き通す。それがたとえ災いを招くことになろうとも、後悔しなくていいように彼は躊躇せずに前へと進み続ける。

 

「俺の最弱は、ちょっとばっか響くぞ」

 

 固く握られた拳は抵抗を忘れた一方通行の顔面に突き刺さり――――

 

 ――――ドサ、という音と共に、純白の少年が地面へと倒れ伏した。

 

「……ちょっと頭冷やせ、馬鹿野郎」

 

 今まで血みどろの人生を歩んできた最強を労うように、上条は優しい声音で呟く。これまでの彼の人生を否定した彼は、新たな未来が来ることを願って一方通行を打ち倒した。

 ふぅ、と緊張が解けたように息をつく上条。役目は終わったとばかりに表情を緩めていると、背後から美琴とミサカが状況を窺っている様子が見えた。攻撃に巻き込まれないようにしているのかそっとコンテナから顔を覗かせていた彼女達は、上条と近くで気絶している一方通行に気が付くと驚きのあまり口をぽかんと開けていた。まったく同じ反応を見せる二人に、上条は思わず吹き出してしまう。

 信じられないという風な表情のまま上条へと近づいてくる二人を見ながら、彼はニカッと笑顔を浮かべると安心させるように言い放つ。

 

「……さ。早くそこで寝ている馬鹿を治療して、死ぬほど説教してやろうぜ」

 

 

 ――――こうして、一万人以上の犠牲者を出した悪夢の実験は、二人の無能力者によって終止符を打たれたのだった。

 

 

 

 



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第一五話 一件落着

 更新ですー。テスト期間ですが明日の教科は余裕があるので更新ですー。
 もしかしたら明日も更新できるかもですー。


 目を覚ますと、佐倉望は病院のベッドで寝ていた。

 

(……あれ? 俺、なんでこんなところに?)

 

 目を覚ます前の記憶と今の状況のつながりを発見できず、佐倉は一人首を傾げながらもなんとか状況の整理に努める。

 確か自分は、第一七学区の操車場で一方通行と戦闘を行っていたはずだ。武装を整え、先輩達を帰らせ……そして、最強と対峙した。

 先手を取って放った銃弾はものの見事に跳ね返され、形勢を整えるための戦略撤退の際には背中を想像を絶する威力で殴打された。そして途中で再会したミサカを爆発から庇って、キャパシティダウンを使って一方通行を追いつめて――――

 

(――――っ。そうだ、それから俺は……自分で撃った銃弾を反射されて、気絶したんだった)

 

 思わず、鉛玉に貫かれた右胸に手をやってしまう。

 キャパシティダウンを使って一方通行の能力を封じたところまでは良かった。ナイフでダメージを蓄積して、トドメとばかりに射撃したところまではなんの問題もなかったはずだ。

 ……しかしまさかあのタイミングでキャパシティダウンが壊れるとは、夢にも思わなかった。

 今考えると、ミサカに操作を一任したことがそもそもの間違いだったのだろう。彼女は仮にも能力者。キャパシティダウンの影響を受けない道理はない。例外なく、頭痛に襲われたはずだ。痛みのあまり電磁波を撒き散らしてしまい、その結果……というわけか。

 昔から言われてきたことではあるが、やはり自分は詰めが甘い。全身に巻かれた痛々しい包帯をぼんやりと眺めながら、彼は自嘲気味に苦笑した。

 

 さてさて、そして気にかかることがもう一つある。

 佐倉は一方通行の反射を受けて自滅した。それまではいい。情けないことこの上ないが、事実なのだし認めよう。

 だが、そうなると疑問が残る。

 

(……俺、なんで生きてんだ?)

 

 一方通行が敗者を見逃すような生易しい性格をしているとは思えない。しかもあそこまでコケにされたのだから、尚更手出しを遠慮するはずがない。ミサカが必死に呼びかけたところで、あの時の一方通行が止まることはなかっただろう。

 しかし、現に佐倉はこうして五体満足で生きている。とても助かる見込みのない絶対的絶望下にあったというのに、彼は病院のベッドで寝ている。

 誰かから情報を得る必要がある。そういう考えに至った佐倉は、上半身を起こすとベッドを降りようとして、

 

 

 右太腿の辺りに、誰かが顔を伏せて寝ていることに気が付いた。

 

 

 まず目に入ったのは短く切られた茶髪だ。艶のある柔らかな髪は重力に逆らうことなく佐倉の腿に垂らされている。寝ている間に汗でもかいたのか、幾本かの髪が少女特有の色白い柔肌に貼り付いていた。

 そして、特徴的なベージュ色のサマーセーター。世間でも有名な進学校、常盤台中学の生徒達が着用を義務付けられている代物だ。これを着ている学生は自然と周囲から畏怖と畏敬を込めた視線で見られ、他学生の模範となることが要求されるという窮屈なオプション付き。基本的に堅苦しいのが苦手な佐倉としてはあまり共感できそうにはない。

 佐倉はその少女に見覚えがあった。……いや、あったどころの話ではない。佐倉が命を懸けて最強と対峙したのは元はと言えばこの少女のためであるのだから。彼が世界で最も尊敬している、常盤台の少女。

 

「御坂?」

「ぅ……ん……」

 

 思わず名前を呟くと、美琴はわずかに身じろぎをして息を漏らした。

 相当疲れが溜まっていたのか声をかけても起きる様子はない。ある意味怪我人の佐倉より爆睡している美琴からは、とても緊張の渦中にいるような雰囲気はなかった。今まで背負っていたものが纏めて消失したような安らかな様子で寝息を立てている。

 彼女の様子を見るに、実験は中止されたのだろう。誰が一方通行を倒したのかは知らないが、今は実験の中止を素直に喜ぶべきか。

 

「……お前も、大変だったな」

 

 穏やかに肩を上下させる美琴の頭に手を置くと、柔和な笑みを浮かべて優しく撫で始める。クセのない髪は何の抵抗もなく佐倉の手を受け入れている。手が引っかかるような心配はなく、さらさらとした感触が非常に気持ちいい。

 

「んぅ……、……ぅ?」

「ありゃりゃ、起こしちまったか?」

 

 少々刺激を与えすぎたのだろうか、美琴はゆっくりと瞼を上げると、もぞもぞと身じろぎしながら顔を上げる。

 身体を起こし終えてまだ寝惚け眼の瞳で佐倉の方を見やると、

 

「…………」

「おはよう、御坂」

「……さく、ら……!?」

 

 途端に驚いたように目を見開き、呆然とした様子で彼を見つめる。目の前にある光景が信じられないとばかりに呆気にとられている表情は、彼女が滅多に見せない珍しいものであった。

 なかなか再起動しない彼女に若干の焦りを覚えつつも、この状況を打破すべく佐倉は気まずそうに頭を掻きながら相も変わらず減らず口を叩きだす。

 

「いやー、ホント死ぬかと思ったわ。でもあれだよな、人間の生命力ってのは俺達が思っている以上にとても優秀で……」

「佐倉!」

「うぉおおおおおおっ!?」

 

 ヘラヘラと笑う佐倉の名前を呼んだ美琴は、耐えられなくなったように佐倉へと抱きついた。基本ツンデレな彼女にしては非常に稀な展開であるが、そんな物珍しさに気を構う余裕はない。今の佐倉はいきなり抱きつかれた衝撃と女子に密着された羞恥に思考を支配されてそれどころではないのだ。

 自分が惚れている&尊敬している少女の顔が頬のすぐ横にあって緊張と冷や汗が止まらない。ぷにぷにと柔らかい肌の感触が手足を通して伝わり頭の中が大変なことになっている。そんな感じで客観的に説明を行ってしまうくらい、今の彼は動揺していた。

 どうすればいいか分からず混乱する佐倉。しかし、美琴が無意識に放った次の言葉に彼は無条件で我に返ることとなる。

 ぎゅうっと力強く佐倉の頭に手を回して抱きしめながら、美琴は絞り出すように言葉を漏らした。

 

「良かった……本当に、生きてて良かった……!」

「っ。御坂……」

「私が到着した時にはもう血だらけで、息もほとんどしてなくて……もう、死んじゃうのかなって心配で……! 私との約束のせいでアンタが死んじゃったらどうしようって……!」

「…………」

「でも良かった……アンタが目を覚ましてくれて、本当に良かった……!」

 

 項の辺りに、温かい液体がポタポタと落ちてくる。彼女の嗚咽と共に発生するその温もりは、肌に触れる度に佐倉の心を包み込んでいった。

 正直、彼は美琴に抱きつかれるまで自分自身を嘲っていた。所詮自分は何も守れなかった。無力な自分では何一つ庇うことができなかった、と頑なに自分を責め続けていた。

 しかし自分の為に泣いてくれている彼女を前にして、彼は考えを改めた。自分の結論を否定し、新たな結論に辿り着いた。

 

(こんな無力で役立たずな俺でも、コイツの日常を守ることができたんだ)

 

 確かに一方通行を倒すことはできなかった。それどころか、見るも無残に返り討ちに遭った。

 結果だけ見れば惨敗かもしれない。用意した武装もほとんど使う余裕はなく、切り札として持ってきたキャパシティダウンも壊れ、右胸を銃弾で貫かれ。客観的に見ると、何もカッコいいところはないのかもしれない。

 ……それでも、自分が一方通行に立ち向かったことで美琴の何かを守れたのなら、それはもはや『勝利』なのではないだろうか。

 少なくとも、佐倉にとっては。

 

「……ごめんな、心配かけて」

「バカァ……実験が中止になっても、アンタが死んじゃったら意味ないじゃない……!」

「いや、それはもう……ホント、ごめん」

 

 涙を流しながらポカポカと力なく胸を叩いてくる美琴に、心配をかけた自覚がある佐倉はひたすら謝るしかない。改めて考えると相当無謀なことをしたという結論に至った彼は、彼女をどれだけ心配させたのかということを思うと反論する気持ちさえ起らなかった。

 そして数分それが続いてようやく少しは落ち着いたのか、美琴は鼻を啜りながらも腕を組むと恥ずかしそうに頬を赤く染めてそっぽを向く。

 

「ふ、ふんっ。こんだけ心配かけたんだから、今度お詫びに何か買ってもらうからね!」

「目ぇ腫らして言われても何の迫力もねぇけどな」

「う、うるさい! 泣いちゃったのはちょっと動揺しただけなの! べ、別にアンタが目を覚まして嬉しかったとか、そういうんじゃないんだからね!」

「さっき『良かった』って言ってたのは何だったんだ御坂よ」

「社交辞令よ!」

「この場面で社交辞令とか冗談きついぜ」

「う、うぅ……!」

 

 必死に反論を繰り返す美琴だったが、さすがに無理があると思ったのか涙混じりに真っ赤な顔で佐倉を睨みつけていた。絶賛涙目な美琴に保護欲的な何かを覚えた佐倉は「いやいやいや」と首を盛大に振って煩悩を振り払う。不謹慎にも程があるぞ俺。

 それから美琴をからかいながらも、現状について説明してもらった。

 一方通行を倒したのはなんと上条だったらしい。佐倉がダメージを蓄積していた結果大した怪我もなく勝利したとか。なんか美味しいところを纏めて掻っ攫われた感じがして複雑な気持ちだった。今度会ったら八つ当たりとしてお汁粉ソーダを飲ませてやろうと密かに決心する。

 一方通行が敗北したことで実験は中止。妹達は世界中の研究施設に派遣されて、そこで調整を行うらしい。クローンという体質上普通の人間より寿命が短くなっているから、それを改善するためだとか。国際法で禁止されている体細胞クローンを世界中で受け入れてもらえるという事実に驚きを隠せないが、研究者達的には貴重なサンプルとして承諾しただけなのだろうと変に納得する。サンプル扱いに若干憤りを感じないでもないが、実験に使われることがないようにとある有力な医者がストッパーをかけているらしいということを聞いて安堵した。世の中には凄い医者がいたものだ。

 

「それと、これは一〇〇三二号からの手紙ね。『貴方のおかげでミサカ達は生きる目的を失いました。現在絶賛路頭に迷い中です、とミサカは貴方が戸惑う光景を頭に思い浮かべながらニヤリと笑います』」

「どんな伝言だそれは。なんで俺を暗にからかってんだアイツは」

「知らないわよそんなの。……あ、でも最後にこんなこと書かれてるわよ?」

 

 模様のない淡白な便箋を呼んでいた美琴は、最後の文面を見るとクスッと笑みを零した。一人で笑う彼女を怪訝そうに見る佐倉に向けて、困ったような表情を向ける。

 

「『だから、ミサカにも生きるという事の意味を見いだせるよう、これからも一緒に探すのを付き合ってください。と、ミサカは心の底からお願いしてみます』……だってさ」

「……ははっ。やられたなこりゃ。そんなこと言われちゃ、断れねぇじゃねぇか」

 

 くっくっと喉を鳴らして笑う佐倉。そして、自分は彼女達を守れたのだと改めて確信した。

 たとえ能力がなかったとしても、

 たとえ無謀な挑戦であったとしても、

 無能力者な佐倉望でも、こうして誰かを守ることができたのだ。あんなに無力だと自嘲していた自分でも、大切な人達を守ることができたのだ。

 

「良かったじゃない、佐倉。『自分は無力だー』とか言っていたアンタでも、あの子達を守れたんだからさ」

「……あぁ、そうだな」

 

 にひひとからかうように笑う美琴に相槌を打ちながらも、佐倉は心の中で彼女に感謝する。

 そもそも自分が一方通行に立ち向かえたのは、美琴との約束があったおかげだ。彼女はその約束のせいで自分を危険な目に遭わせてしまったと思っているらしいが、別に気にすることはないのにと苦笑する。

 

『どんなことからも逃げちゃダメ』

 

 彼女が自分を受け入れると言って交わしたその約束は、今や佐倉の『核』になっていると言っても過言ではない。彼が死を目の前にしながらも戦えたのはこの約束があったからであり、その相手である美琴の世界を守ろうとしたからであった。こんな自分を受け入れてくれた彼女を守るために、彼は命を賭して戦ったのだ。

 強迫観念にも似た考えではあるが、それでもいいと佐倉は思っている。実際、この約束があったからこそ彼は美琴やミサカを守ることができたのだから。

 

「黒子達今からお見舞い来るってさ。車椅子借りてくるらしいから、今日はこれからみんなでアンタの快気祝いよ!」

「いや、俺まだ快気してねぇし! バリバリ入院中だから!」

「関係ないわ。お医者さんには目を覚ましたら連れ出していいって許可貰ってるんだから」

「結構患者に厳しい医者だなそいつ!」

 

 突然言い渡された予想外の展開に絶叫する。意外と容赦ない少女達に薄ら寒いものを感じるが、今更抵抗は無理だろうと達観したように溜息をついた。そういえば先輩達にも報告しなきゃな、と隣で騒ぐ美琴を横目で見ながら嘆息する。

 

「そういえばアンタ携帯壊れてるでしょ? 丁度いいから今日買いに行きましょ」

「えぇ……別に今度でもいいじゃねぇか……」

「ダメよ! なんたって今新機種を買うと漏れなく限定ゲコ太フィギュアが貰えるんだから!」

「……マジで? え、ゲコ太貰えんの?」

「……まさかとは思うけど、アンタってゲコ太好きなの?」

「えっ!? い、いやっ、別にそういうわけじゃ……こ、高校生にもなってゲコ太が好きとかまさかそんなわけねぇじゃねぇかあははーっ!」

「…………」

「…………なんだよ」

「……そうよね。誤魔化したくもなるわよね。でもいいじゃない。別にゲコ太が好きだっていいじゃないっ……!」

「まさか御坂、お前も……」

「えぇそうよ! 好きよ大好きよ文句ある!? 幼稚な趣味ですが何か!」

「……これからは協力して生きていこうぜ、同志よ」

「うん……」

 

 何やら二人の間に奇妙な友情が生まれていたが、それはまったくの余談である。

 

 

 

 



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忍び寄る悪夢
第十六話 束の間の平穏


 二日ぶりに更新です♪ 昨日はちょっと忙しくて更新できませんでした。もしかしたら土日はこれで最後かも。善処はしますけどね!
 さて、実験編も終わりようやく平和を手に入れた佐倉。……新章、突入です。


 八月二十七日。

 一方通行との激闘から約一週間。大怪我の末に噛ませ犬と化してしまった哀れな無能力者佐倉望は、これまでの殺伐とした人生とは百八十度方向性が異なる夏休みを過ごしていた。

 有体に言うと、

 

「可愛い中学生とここ一週間ぶっ通しで遊び続けています」

「死ねよお前」

「酷ぇ!」

 

 想像を遥かに超える辛辣な罵倒が、幸せの絶頂でウハウハだった佐倉を現実という地獄に引き摺り下ろした。最新鋭高射砲でもここまで威力はないだろうという程にダークな殺気を浴びせられ、四肢を床に付きながらも嫌な汗を身体中にかいてしまう。主に目の前でここのファミレス一押しのアイスコーヒーをがぶ飲みしている茶髪不良が原因なのだが、一応彼は佐倉の先輩である為下手に文句は言えないのだった。たとえ内心では変態と馬鹿にしていようとも、浜面仕上は佐倉が尊敬するスキルアウトの先輩だ。異論及び反論は一切受け付けない。

 浜面はウエイトレスを呼んで追加のアイスコーヒーを頼むと、

 

「だってよー、女っ気のない環境で日々を過ごしている寂しい俺だぜ? なんでいけ好かない後輩のリア充自慢聞かされてプラス思考な意見言わなきゃいけねぇんだよ」

「本人前にしていけ好かねぇとか先輩結構性格ひん曲がってますよね」

「馬鹿お前、これは褒め言葉だって。なんというか、そのー……こう、パパッて感じの!」

「ボキャブラリーの貧困さが一瞬で露呈するようなアホな発言しねぇでください」

 

 「こうこうこうだって!」わちゃわちゃ両手を忙しなく動かしてなんとか意思疎通を図ろうとする浜面であるが、読心術を会得しているわけではない佐倉にはその不思議な踊りの真意を読み取ることはできない。現在の彼らを客観的に見てみると、ファミレスの一角で茶髪不良が加持祈祷を行ってるように見えなくもない。なんにせよ、恥ずかしいのでやめていただきたいと佐倉は珍しく切に願う。

 そのままおよそ三分間にわたってクレイジーダンスを披露していた浜面だったが、注文したコーヒーを持ってきたウエイトレスに異物を見るような目で流し見されて恥ずかしさと情けなさのあまりずぅんと落ち込んでいた。茸が生えるのではないかというほどにマイナスオーラを放っている彼がスキルアウトの幹部クラスに位置しているとはとても思えない。でもまぁ、実際に位置しているのだから仕方ないのではあるが。

 「違うもん、佐倉の理解力が拙いだけだもん……」と何やらブツクサ湿っぽく呟いている浜面に嘆息しながらも、佐倉は思わずといった様子で苦笑を漏らすのだった。

 ようやく帰ってきた、平和な日常を謳歌しながら。

 

 

 

 

 

                       ☆

 

 

 

 

 

 ファミレスで浜面と別れた佐倉は家に帰ることはせず、そのままの足でセブンスミストへとやって来ていた。現在時刻は午前十時を回ろうとしているが、夏休み期間のためか人口密度がえらいことになっている。

 ジーンズと白い半袖シャツという良くも悪くも『普通』な服に身を包んでいる彼はあまりにも特徴が無さ過ぎて、下手すると人ごみに紛れてしまって個人を判別できなくなってしまいそうだ。クセのない黒髪も彼の無特徴を後押ししているため、大勢の客が出入りする大型ショッピングモールの入り口に立っていると否応にも風景に溶け込んでしまっていた。

 そんな地味一直線な佐倉をようやく見つけた茶髪の中学生は、一瞬表情を綻ばせるとすぐに憎たらしい笑みを浮かべて彼の元に走り寄る。

 

「アンタもうちょっと個性のある格好しなさいよ。見つけるの大変でしょう?」

「待ち合わせ第一声がそれとかお前太陽熱で脳味噌溶けてんじゃねぇのか」

「あ? なになにもしかして喧嘩売ってる? 決闘大好き美琴さんはそんなアンタの売り物を三割増しで買っても良いと思ってるんだけどそこん所どう考えてる?」

「マジですみませんでした」

 

 流れるように腰を折り、深々と頭を下げる情けない無能力者が一名。

 どこか照れ隠しに減らず口を叩いてみた美琴は素直に負けを認めた佐倉を満足そうに見下ろすと、彼の視線が彼女の顔を向いていないことを確認してからやれやれという風に嘆息した。どこか嬉しそうに彼を見つめる美琴の頬にはわずかながら朱が差していたが、それは自然熱に依るものでない。他者から見るとなんだか微笑ましいと思える感情が彼女の中で少しだけ膨らんでいた。……本人は断じて否定しているが。

 身の危険を感じて咄嗟に白旗を振るという選択肢を取った負け犬気質な最弱少年の肩を叩くと、美琴は太陽もかくやといった晴れやかな笑顔を顔一面に貼りつけて彼に向かって言い放つ。

 

「ほらほら、さっさと復活しなさい佐倉。今日は一日私の買い物に付き合ってもらうんだから」

「買い物なら白井とか佐天連れて女子だけで行けばいいのによぉ……」

「よ、余計なこと言わなくていいの! そ、そもそも、今回は無謀にも一方通行と戦おうとしたアンタに対する罰ゲームなんだから!」

「約束のせいでアンタを怪我させたどうこうの話はどこに行った」

「う、うるさーい! つべこべ言わずに首を縦に振りなさい!」

 

 「うがー!」と両手を振り上げてバチバチ紫電を飛ばす美琴。佐倉を狙っているわけではないのだろうが、彼女の意志とは無関係に飛び散る電気が偶に彼の鼻先を翳めていくので正直危なっかしくて仕方がない。余計なことを言った、と内心非常に後悔する佐倉。

 口先ではあんな憎まれ口を叩いていた佐倉だが、正直な所美琴と二人きりで買い物をするというシチュエーションそのものには大層心を弾ませていた。スーパーボールも度肝を抜いて道を開けるレベルの喜悦がなんとか外見に出ないように必死に表情を抑え込む。基本ツンデレな不器用少年が照れを隠そうとすると憎まれ口を叩いてしまうのは、もはや世界の常識でもあった。

 反対に怒りに任せて電撃を飛ばしまくっている美琴も、実はと言うと結構心を躍らせていた。日頃から常に好戦的でビリビリしている彼女にあまり違和感は感じられないかもしれないが、耳まで真紅に染まった顔と若干言葉に詰まる感じが彼女の動揺を窺わせてくれる。佐倉を前にして緊張しているのかは知らないが、時折ちらと顔を窺うようにして目線をやる姿は青春真っ盛りの十代女子そのものだった。

 御坂美琴の為に全てを投げ打って命がけで戦ってくれた彼に恩義を感じているのか、それとも今まで積み重ねてきた好意的感情が実験を経て形となったのかは知らないが、明らかに普通の友人と接する時の態度とは違う様子の超電磁砲がそこにいる。柵川中学恋愛相談担当の佐天涙子がここ一週間の二人を見てニヤニヤしてしまうほどに、今の美琴からは不自然オーラが立ち昇っていた。

 お互いに不器用で素直に自分の気持ちを表に出せないツンデレ学生達はそれぞれ疲労と恍惚という正反対の表情を浮かべながらも、ようやく本題とも言えるショッピングを開始することにしたのだった。

 

 

 

 

 

                     ☆

 

 

 

 

 

 まず最初に連れて行かれたのは、女性用下着類店である。

 

「――――って、どういうことだ御坂ァアアアアアアアアア!! 何でよりによって連れてこられたのが下着店なんだよ! いつも短パンの癖にそういうところは気にしますってか!? 常識とか良識とかそういうこと以前に羞恥心的にちったぁ遠慮しようぜ!」

「わっ、私だってできればアンタみたいな唐変木と一緒にこんな所来たくなかったわよ! でも仕方ないじゃない! 黒子とか佐天さんに付いて来てもらうとあからさまに気まずい顔されるんだから! 『常盤台のエースがこんな子供下着……?』とかいう視線に晒される私の身にもなってみろ!」

「自業自得じゃボケェ! ていうか! そんなにアレコレ言われるのが嫌だってんなら一人で行けばよかったじゃねぇか!」

「で、でもっ!」

 

 女性下着店に足を踏み入れるような奇怪な真似は十六年間の人生で初めてな純情少年佐倉望が吠える。

 好きな人とのショッピング楽しみにしていたら下着買うの手伝ってとか生殺しすぎるだろう! と心の中で床ドンし続ける佐倉の表情は微妙に優れない。必死に戸惑いの表情を隠そうとするが、彼女から顔を背けるたびに陳列されているやや過激なブラジャーが目に入ってしまい逆に落ち着けない。最近のレディーってのはこんなギリギリなもんを着るのか!? と微妙に間違った常識が彼の中にインプットされていく。

 そして彼のあまりの迫力に気圧されながらも必死に弁解する美琴だったが、一旦言葉をそこで切ると顔を真っ赤にしたまま今世紀最大の爆弾を盛大に投下した。

 

 

「どういうの着たら男の人が喜ぶのかとか、私には分からないし!」

 

 

 空気が凍った。

 まだ十代も前半な、それも常盤台なんていうお嬢様学校の生徒がギリギリな精神状態で言い放った問題発言に彼女達の周囲で店を冷かしていたお客様方の動きが完全に停止する。なんだかお悩み中の彼女に手を差し伸べるべく店員魂全開で歩み寄ろうとしていた下着店のカリスマ店員ですらも迷わず踵を返すほどの地雷を思いっきり踏んだ美琴ははっとしたように辺りを見渡すと、かつてないレベルで顔全体を茹で上がらせて必死に弁解を開始した。

 

「ち、違うの! そういうやらしい意味じゃなくて、もっと、こう、健全な……べ、別にある特定の相手に見せようとか思ってるわけじゃなくて!」

「……うん、なんか、その……ごめん」

「こ、こんな時だけ素直に謝らないでよ! なんかガチっぽさが増して私の立つ瀬が急速に崩壊していってるから!」

「いや、いいと思うぞ? 好きな相手に見せてぇって気持ちはいたって健全なわけだし……うん、別にいいんじゃねぇか? ……好きな奴、いたんだ……」

「ちょっ!? そんな誤解を持ったまま自分の世界に入るのはやめなさい!」

 

 片や赤面、片や陰鬱と正反対の表情で騒ぎ続ける二人。大型ショッピングモールのど真ん中で下着がどうこうとかいう話題で一喜一憂する彼らはなんだかとっても微笑ましい。スキルアウトの少年の方は軽く立ち直れないくらいの精神的ダメージを負っているようだが、最低な先輩達によって基本的に弄られキャラポジションが確立されている佐倉なのですぐに立ち直るだろう。問題はない。

 お互いに気まずい空気になってしまいそっぽを向く。しかしこのままの雰囲気で下着店に居座っておくのは彼らの精神衛生上あまりよろしくはない。とりあえず早いところブツを決めて、さっさとお買い上げするのが最善の策と言うものだろう。

 まだ心臓がバクバク騒いで鳴り止まないが、状況打破を決意した美琴はキッ! と双眸に覚悟の炎を燃え上がらせると、未だ落ち込む佐倉の腕を掴んで強引に店の奥へと歩き始める。

 

「さ、さっさと買って次の所行きたいから、協力しなさい佐倉!」

「で、でも、俺だって女性モノの下着とか分かんねぇし……」

「いいの! アンタが直感で良いと思った奴を買うから、つべこべ言わずに選びなさい!」

「お、おう……」

 

 普段以上の気迫に顔を引き攣らせてたじろぐ佐倉。女性にとって下着選びとはここまで殺伐とした戦いなのかとかつてない衝撃を覚えるが、彼がその間違いに気付くことはない。付近にマトモな女性がいないのも要因の一つではあるが。

 美琴に引き摺られて到着した先は、キャラ物と派手物が両脇に並んでいるというなんともシュールな一角。子供用と大人用を同じところに並べるなと声を大にして言いたい佐倉だが、隣でどもりながらも意見を求めてくる美琴のためにも拒絶するわけにはいかない。仕方がないと覚悟を決めて、真面目な顔で下着選びを開始する。

 ……女性用下着を真剣な表情で吟味する男子高校生に気付いた通りすがりのお客様方が次々と彼との距離を取っていくが、現在絶賛ピンチってる二人にはそんな光景に気を配る余裕はなかった。

 右をレースやショーツ、左を某鼠キャラや水玉に挟まれながらも、惚れた女の為に社会的立場をガリガリ削りながら佐倉望は全力で頭をフル回転させる。彼の好み、美琴の趣味嗜好、年齢。そのすべてを同時並行させて最大の戦果を上げようと奮闘する。

 そして。

 

「……これなんか、いいんじゃないか?」

 

 そう言って彼が手を伸ばしたのは、左のコーナー。つまりは子供向けの下着コーナーだ。

 佐倉は息を呑みながらも一枚の下着を手に取る。傍から見るとロリコン染みた変質者以外の何者でもないのだが、彼の纏う雰囲気はからかうことができないほどに真面目なものだった。

 佐倉は手に取った下着をゆっくりとした挙動で美琴の方に突き出す。

 ほとんど模様がない、純白の生地。遊び心皆無な無地に見えてしまうソレだが、履くと右腿辺りに位置するのであろう場所にプリントされている小さめのカエルがつぶらな瞳で美琴を見上げていた。

 これは、まさか――――

 

「ゲコ太……!」

 

 美琴の顔がパァァッと見る見るうちに輝きを増していく。実年齢よりいくらか下に見えないでもない無邪気な笑顔を顔全体に湛える彼女は恐る恐るといった様子でゲコ太パンツへと手を伸ばした。

 うっとりと下着を見つめる美琴の緩んだ表情に一瞬見とれる佐倉だったが、一刻も早くこの場を離れるためにも煩悩を抑えて口を動かすことに集中する。

 

「やっぱり御坂と言えばゲコ太だと思ってさ。俺もゲコ太好きだし、趣味的には変わらねぇかなって。後、あんまり模様がデケぇと恥ずかしいんじゃねぇかって思ったんで小さめのワンポイントを選んでみたんだが……それで、いいか?」

「え!? う、うんうん全然大丈夫! むしろ希望通りになって笑顔が止まらないくらいだし!」

「そ、そうか……いや、お気に召したんなら良かったよ」

 

 普段の彼女からは全く想像できない純粋さに思わず苦笑してしまう。何人もの後輩に慕われ、超能力者という窮屈な肩書を抱えて生きている彼女にはこうやって素直に自分の趣味を曝け出せる相手もいなかったのだろう。学園都市に七人しかいない超能力者。その第三位に位置する御坂美琴がそんな少女趣味なはずはない。そんな勝手な偏見に何気に悩まされていたのではないだろうか。

 だったら、と佐倉は思う。能力もなく、大した特徴もないただのスキルアウトの自分がそのポジションについてしまえばいいのではないか。このゲコ太大好きな少女の心の拠り所になれば、彼女を少しでも救うことができるのではないだろうか。

 自分の理解者になると宣言してくれた、優しい優しい御坂美琴を。

 

「それで決まったなら早く買って来いよ。俺は店の入り口ん所にいるからさ、終わったら迎えに来てくれ」

「うん! じゃあ早速買ってくるわ!」

 

 もはやツンデレ要素も忘れて真っすぐレジへと走っていく美琴を見送ると、下着店の入口へと向かう。近くの壁に寄りかかりながらも、満開の笑顔で財布を取り出す超能力者を優しい表情で見つめる。

 そんな時だった。

 

「ちょっといいかなお兄さん?」

 

 低めの、聞いていると気持ちよくなるような声。突然話しかけてきた人物の方に視線をやると、そこには十七、八歳ほどの髪を茶色に染めた長身の少年が立っていた。

 肌の上に直接朱のカーディガンを着込み、その上に白のブラウスを羽織るという変わった服装だ。今は夏なので仕方ないのだろうが、彼が穿いているパンツと同色の赤茶色のスーツを着るといい感じになるのではないかと勝手に想像してしまう。

 顔の造形は忌々しいほどに整っていた。服の着こなし方と染めた茶髪、そして百八十センチはあるかという長身のせいか、繁華街のホストにも見える少年だった。

 少年は少しだけ警戒色を強める佐倉にニッコリ微笑みかけると、一瞬ちらと商品の梱包を待つ美琴に目をやり、ゆっくりと口を開く。

 

「超電磁砲を殺されたくなかったら、大人しく面ァ貸せ。無能力者の佐倉望」

「ッ!?」

 

 一瞬。まさに一瞬だった。秒にも満たない時間で少年から放たれた異様な密度の殺気が佐倉の危機感を激しく刺激する。今朝浜面から浴びせられた可愛げのある殺気などとは比べ物にならないほどの、『本物』の殺意が身体を貫いていく。

 ようやく掴んだ日常。死ぬ気で取り戻した安寧。だが、それがわずか一週間にして奪われようとしている。

 商品の梱包は思いのほか時間がかかっているようで、美琴は店員の手元を手持ち無沙汰に眺めていた。

 彼女が身を粉にして掴み取った平穏が崩れるなんて、考えたくもない。ましてや、殺されるなんて尚更だ。

 選択肢を、考えるまでもなかった。

 

「……御坂には手ぇ出すな。それが誓えるなら、大人しく付いて行ってやる」

「勿論。俺の目標はテメェだ。ソレを目の前にして別のヤツに手を出すほど、俺は浮気性じゃねぇよ」

 

 くくっと喉を鳴らす少年。しかしその瞳には確かに殺意の色が灯っていた。

 

(……すまねぇ、御坂)

 

 近く、それでいて遠くにいる少女に心の中で頭を下げる。せっかく買い物に誘ってもらったのに、こんな序盤で一人にしてしまうなんて。いきなり自分が消えたら彼女はどうするのかと考えるが、自分にはどうすることもできないと悟って思考をやめた。今は、目の前の脅威を対処することが先決だ。

 

「それじゃあ行こうかレベル0。楽しい楽しいデートの始まりだ」

 

 茶化すように口元を吊り上げる少年を睨みつけながらも、佐倉望は大人しく彼の後に従った。

 

 

 

 

 

 



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第十七話 絶望の幕開け

 今日も無事に更新です。テストも明日で最終日。部屋の隅で開封を待っているザクⅡプラモがちらちら気になりますが、なんとか頑張ろうと思います。
 ……マスターグレードって、いいよね。


「……ったく。あぁいうちゃんとした店は品揃えはいいんだけど、アフターサービスが丁寧すぎるのがいただけないのよねー。善意でやってもらってるんだから文句言うのもお門違いなんだろうけど……こっちも人を待たせてるっていうことを少しは察して欲しいわ」

 

 そんな風に愚痴りながらも、ブランド感溢れる紙袋に時折視線が飛んでしまう辺りが彼女の素直じゃなさを表しているようでなんだか微笑ましい。ブランド感とは言ってもその中身は超子供向けのキャラプリパンツであるのだが、先日とある高校生とゲコ太同盟を結成した彼女はもはやそのことを恥ずかしがることもない。仲間、というのは面白いもので、一人でも同志がいると人はどんな困難にも立ち向かえたりするのだ。いつもいつも自分のことを気にかける後輩風紀委員とか恋バナに目がない柵川中学系女子とか、そこら辺の方々が向ける微妙な感じの視線に晒されたとしても、今の彼女は決して落ち込むことなどないだろう。

 周囲のお客様方から奇異の視線を向けられていることにも気づかず満面の笑みでスキップする美琴。向かうは店の入り口付近にある柱。同行者を待たせてしまっているので、急いで合流しないといけない。

 まぁ彼女の頭の中では、

 

(やっぱりもう一度お礼言った方がいいのかな……で、でも改まるのも恥ずかしいし! それに向こうだって下着の話題をいつまでも引き摺られるのはいい気はしないだろうし……。でもでもっ! やっぱり感謝の気持ちを伝えるってのは大切な事だし!)

 

 こんな感じで羞恥と理性がよく分からない感じでせめぎ合っているのだが、絶賛不器用系女子な超能力者がこういう状況に陥るのはいつもの事なのでここは何も言わないでおこう。そういうのは白井黒子や佐天涙子の仕事である。

 何はともかくとりあえずは待たせてしまったことを謝ろう。熟考と激闘の末に結局常識的な結論に落ち着いてしまった美琴は店を出ると、申し訳なさそうに頭を掻きながら「いやー」と笑って謝罪の言葉を口にする。

 

「ごめんごめん。思った以上に梱包が長引いちゃって……あれ?」

 

 思わず、気の抜けた声を漏らす。

 彼女が会計を済ませている間、同行者である佐倉望は確かに入口の所で待っていると言った。彼は無駄な嘘をつくような性格でもないし、美琴も一応彼を信じているのでその言葉に嘘はないはずだ。彼はここで、彼女の帰りを待っているはずだった。

 

 それなのに、柱の付近に誰もいないのはいったい何故だ?

 

「トイレ……かしら?」

 

 そんな可能性に行き着いて辺りを見渡すが、彼らしき人影が戻ってくる様子はない。というか、佐倉は人を待っている最中に別の行動をとってしまうような浮ついた性格はしていないはずだ。この場を離れている間に美琴が来たら困ったことになるくらいの考えをいつも持っているくらい、なんだかんだで気が利く人間なのである。

 それならば、彼はいったいどこに行ったのか。よりにも、尊敬していると公言する美琴との買い物を差し置いて。

 

「……ん?」

 

 彼を探して視線をあちこちに飛ばしていると、足元で何かが照明の光を浴びてキラリと光るのが目に入った。

 緑色の、ややゴツいボディをした携帯電話。軽量化推進が叫ばれる今日の風潮に真っ向から喧嘩を売るようなフォルムのソレは、先週彼の快気祝いを行った日にみんなで購入に行った佐倉の新しい携帯電話ではなかったか。限定ゲコ太フィギュアが貰えるから、と美琴が半ば強引に早急に買いに行かせた、件のケータイではなかったか。

 携帯電話を開いて待ち受け画面を見ると、三日前に美琴と佐倉の二人で出かけた時にゲームセンターで撮ったプリクラ写真が現れる。お互いにちょっとぎこちない顔をしている自分達の姿に苦笑してしまうが、これでこのケータイが佐倉のモノであることを再確認した。

 この一週間で分かったことではあるが、彼は落し物というものをあまりしない人間だ。基本的に落ちやすいところに物を入れることはなく、一定の時間が経つと無意識にポケットやバッグの中身を確かめる癖を持っているため、何かを紛失するということが非常に少ない。神経質なのかそういうのが気になるのかは知らないが、彼が落し物をするということ自体相当稀な事なのだ。

 そんな彼が、ケータイを落としている。これは、結構信じがたいことであった。

 

「……何か、あったのかしら」

 

 なんだか嫌な予感がする。原因や理由は分からないが、とにかく彼の身に何か起こりそうな予感がした。……具体的に言うと、以前あの忌々しい実験に出会ってしまった時のような、背中がむず痒くなるような悪寒が。

 

(まさか、あの実験の関係者に襲われたとか……)

 

 可能性がないとは言えない。『絶対能力進化実験』は学園都市が認可していたような大々的なモノであった。多くの人員と膨大な資金が使われた大規模実験。二万人の体細胞クローンを犠牲にしようとしたそんなイカレた実験を、佐倉ともう一人の無能力者は止めてしまったのだ。実験の関係者の恨みを買ってしまっていたとしてもなんら不思議ではない。

 勿論、これはあくまで美琴の勝手な推測なので確証は微塵もない。もしかしたら本当に御手洗いに行っていて、偶然携帯電話を落としただけなのかもしれない。

 ……ただ、美琴はどうしても謎の予感を拭いきれなかった。

 

(とにかく、アイツを探さなきゃ)

 

 自分の携帯電話を取り出すと、電話帳の中から『白井黒子』と書かれた電話番号をコールする。あの後輩は今日も風紀委員第一七七支部の詰所で書類と戦っているはずだ。近くには情報処理能力に長けた初春飾利や行動力のある佐天涙子、それに尊敬する固法美偉(このりみい)先輩もいるかもしれない。彼女達に協力してもらえば、一人で探すよりも何十倍も早く彼を見つけることができるだろう。

 

(私の勝手な事情に付き合わせるのは申し訳ないけど……)

 

 今は、一刻も早く佐倉を見つけることが先決だ。忽然と姿を消したゲコ太仲間を、早く捜索しなければならない。

 

(私の知らない所で死んじゃってたりしたら、絶対許さないからね!)

 

 彼の重量感ある携帯電話をプリーツスカートのポケットに入れると、紙袋を持ち直してから美琴は駆け足でその場から走り去った。

 

 

 

 

 

                       ☆

 

 

 

 

 

 知らない少年に脅迫され従うようにして連れてこられたのは、第七学区の端に佇む寂れた廃工場だった。内部の設備は現役状態の頃からそのままの形で放置されているようで、ベルトコンベアーやロボットアームが異様な存在感を放っている。

 鉄鋼業的な工場だったのだろうか。敷地内のあちこちに鉄塊や鉄棒が重ねられているのを見て、佐倉は周囲を警戒しながらもそう思った。

 

「……ここら辺でいいか」

 

 そんな呟きを漏らすと、長身の少年はピタリと歩みを止めた。釣られるように、佐倉も足を止める。

 

「そういや自己紹介がまだだったな。いや、てめぇみたいな小物にわざわざ俺が名乗る必要はねぇんだが、まぁそこら辺は最低限の礼儀ってヤツだ。面倒臭ぇことこの上ないが、そのクソが詰まった耳を全力でかっぽじってよぉく聞きやがれ」

 

 佐倉の方を振り向きながら、子供のように無邪気に笑う少年。だが、彼の浮かべている笑顔には全くと言っていいほどプラスの感情が感じ取れない。殺意と怒り、そして侮蔑。そんな醜く歪んだ感情だけが、彼の笑顔を構成している。

 少年は右手を握り込み親指だけを立てて少年自身の方に向けると、この世の負を全て凝縮したような悪どい笑みを浮かべて佐倉に向かって名乗った。

 

「学園都市第二位、垣根帝督だ。ちょっくら上に頼まれててめぇの命を刈り取りに来た。言いてぇことは山ほどあるだろうが、今は黙って首を差し出せ雑魚野郎」

「っ!?」

 

 少年の名を聞き、宣言を耳にした佐倉が驚愕に震える。佐倉は思わず一歩後退すると、ウエストポーチの中に右手を入れていた。ゴソゴソと手探りで中身を捜索し、目的の物を探す。

 そのままずりずりと後ずさりながら彼が取り出したのは、黒塗りの拳銃。ベレッタM92という名前が付けられているその銃は、イタリアの企業が開発している世界でも一般的に知られた型式である。米軍の正式採用銃にもなるほどに世界的に普及しているせいか、スキルアウトの密輸入ルートからも結構な頻度で流れてくる代物だったりするのだ。

 以前路地裏で偶然実験に遭遇してしまった経験から、佐倉はどんなときでも護身用として銃を携帯するようにしていた。幸い学園都市内では拳銃よりも能力関係の防犯対策を重視しているようで、常に銃を隠し持っていても大騒動に発展することはない。彼としては非常にありがたい限りである。

 まさかこんなところで護身用が役に立つとは、学園都市も世の末だな。と自嘲気味に呟きながらもベレッタの銃口を垣根の方へと向けた。

 いくら対テロ用の拳銃とは言っても、学園都市第二位……つまりは超能力者に比べればそんなものはオモチャに等しい。拳銃一丁でレベル5に挑むなんて、自殺行為もいいところだ。勝てる確率なんて一%もあるかどうかわからない。

 それでも怯むことなく銃を構えて垣根を睨みつける佐倉に学園都市第二位は愉快そうに口角を吊り上げると、ニィィと悪魔のような笑みを浮かべ、

 

「面白ぇ。そんなチャチな装備で第二位の未元物質(ダークマター)に立ち向かおうとするたぁ、よっぽど愉快な死体になりたいらしいな」

「……何とでも言えよ。俺はこんなところで死ぬわけにはいかねぇ。守りてぇ奴がいる、泣かせたくねぇ奴がいるんだ。アイツに心配かけたまま、むざむざ殺されてたまるか!」

 

 内心では今すぐにでもこの場から逃げ出したい佐倉ではあるが、目の前の超能力者はそんな簡単に自分の逃走を許してくれるような甘い性格はしていないだろう。一方通行のように強者の余裕で情けをかけてくれるかもしれないが、一心不乱に工場から脱出したところで結局は殺されてしまうのが関の山だ。それに、彼が逃げてしまうと今度は美琴に危険が及ぶ可能性も否定できない。彼女は学園都市が誇る第三位の超能力者だが、目の前で凄まじい殺気を纏っている垣根に彼女が対抗できるとは到底思えなかった。表の世界と裏の世界。正反対の場所で暮らしている者でこうまで違うのか、とあまりの迫力の差に思わず歯軋りする。

 ピンと糸のように張り詰めた空気が廃工場に広がっていく。先ほどまで謳歌していた平和な日常とは対極に位置する、殺意と怒りが支配する戦場の空気が。

 佐倉がベレッタの握り(グリップ)を持ち直し、垣根がキザったらしく前髪を掻き上げる。

 そして、

 

「っ!」

 

 最初に動いたのは佐倉だった。

 彼はベレッタの銃口を垣根に向けた状態で身体を反転させると、彼に背を向けて一目散に工場の奥へと走り出した。散々啖呵を切った割に真っ先に逃走という選択肢を取った目の前のターゲットに、垣根は思わず唖然とした表情を浮かべる。

 

「て、てめぇっ! あんだけ偉そうに喧嘩売っといて逃げてんじゃねぇぞ!」

 

 怒りに顔を歪ませた垣根が何やら叫んでいるが、佐倉としてはそんなことに構っている余裕はない。できるだけ、彼から距離を取ることが最優先事項だった。

 

(超能力者に真っ正面から挑んでも結果は見えてる。いくら武器を持っているとは言っても所詮は外来品の旧型(オールドタイプ)だ。学園都市の頂点にいるような化物に、こんなもんが通用するなんて到底思えねぇ。今はとにかく身を隠して、作戦を練るんだ!)

 

 後ろの様子を伺うこともせずに走る。走る。走る。想像以上に広い敷地面積を持っている工場の中を、置き去りにされた機械の間を掻い潜るようにして逃げ回っていく。

 ――――だが、佐倉は一つ盛大な思い違いをしていた。

 

「……チッ。あぁクソ、いい具合にムカついた。俺から逃げ切れるとか、対抗するための戦略的撤退とか、そういう【戦いようのある相手】とか思われてるっつうふざけた事実にムカついた」

 

 忌々しく舌を鳴らした垣根が心底面倒くさそうに右手を前方――――必死に逃げ続ける佐倉がいるであろう方向に向けた途端、

 

 彼の掌から、原因不明の衝撃波が放射状に工場全体へと広がった。

 

 発生した衝撃波は敷地内にゴチャゴチャと散らばっている機械を積み木のようにあっさりと薙ぎ倒していく。まるでそこには最初から何もなかったかのように、機械の山をものともせずに破壊の波が佐倉を機械ごと呑み込んでいく。

 

(あの野郎ッ……バケモンかよ!)

「ぐっ……がぁあああああああああああ!!」

 

 振り返る暇もない。気が付いた時には、背中に衝撃が来ていた。

 ドゴォッ! という激しい破壊音と共に鈍い痛みが全身に広がる。背骨が粉砕するのではないかという程の衝撃をモロに受け、彼はいつの間にか空中を機械の破片と一緒に舞っていた。

 受け身を取ることもできず、地面に転がっていた鉄柱の上に背中から落下する。

 

「ごっ……ぉ……!」

 

 金属をマトモに背中に受け、肺が一気に空気を放出した。酸素を求めて必死に喘ぐが、上手く呼吸が機能してくれない。今まで経験したことのない鈍痛が、彼の身体機能を阻害しているのだ。

 呼吸困難に陥りながらも、なんとか地面に両足をつける佐倉。ガクガクと小鹿のように震えているが、それでも少しづつ垣根から離れようと足をひたすら進めていく。

 

「へぇ、意外としぶとい生命力してんな、お前。いいぜ、気に入った。こうなったらとことん付き合ってやろうじゃねぇか!」

 

 両手を広げて高らかに宣言する垣根。その声に憂いや怒りなどの響きはない。新しいオモチャを見つけた子供のような、新たな楽しみを見つけた純粋な喜びだけで構成された叫びが工場内に木霊する。

 そんなふざけた笑い声を聞きながらも、佐倉は機械の残骸の陰に隠れるようにして後退していく。垣根が襲ってくる前に、作戦を立てる必要があった。

 超能力者と無能力者。

 上条当麻のように全てを打ち消す右手を持っているわけでもなく、一方通行のように最強の能力を持っているわけでもない無力な少年の、絶望に包まれた戦いが始まった。

 

 

 

 



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第十八話 未元物質

 徐々に文章量を多く書けるようになってきました。今回は七千字弱。目標の一話七千字越えまで後少し。精進せねば。


『おいおーい、かくれんぼしている場合か無能力者ちゃんよォ。そろそろいい加減に飽きてきたぜ?』

「……くっそ、余裕見せやがって……!」

 

 コツコツとわざとらしく足音を鳴らしながら工場内を歩く垣根。ふざけたような軽口に舌打ちを漏らしながらも、佐倉は先の衝撃波によって不規則に散らばっていた鉄塊の陰に身を潜めていた。

 右手にはベレッタM92と呼ばれる対テロ用の拳銃。スキルアウトの密輸入ルートで手に入れた代物だが、この黒塗りの拳銃だけが今の佐倉の武器だった。

 甲高く軽快なステップ音と共に少しづつではあるが佐倉の方へと近づいてくる垣根。どうせ最初から佐倉がどこに隠れているか分かっていたのだろう。「どこだどこだ」と視界をあちこちに彷徨わせているものの、その足取りは真っすぐ佐倉の方に向けられている。

 ふざけやがって。もう一度毒を吐くと、佐倉はベレッタを握り直して瓦礫から転がるように飛び出した。

 

「お、見ぃーつけた。俺の勝ちだぜざまぁみろ」

「うるせぇ!」

 

 どこまでも遊びの範疇を出ない彼の発言に軽く頭が沸騰しかけるが、なんとか冷静さを維持してベレッタの引き金を引く。パン! と濡れタオルで壁を叩いたような乾いた音が工場内に木霊した。

 

 しかし、発射された鉛玉が垣根の身体を貫いた様子はない。

 

 垣根を覆うようにして、六枚の白い翼が出現していた。彼の背中から生えているその翼は、まるで神話に登場する天使のようだ。この世に存在しないような異質な輝きを放つ三対の翼が、発射された銃弾を華麗に受け止めていた。

 ポケットに手を突っ込んでいた垣根に回避できるタイミングではなかったはずだ。苦し紛れだったのは認めるが、それでも確実に相手を仕留められる瞬間だったと自負している。佐倉は不良紛いのスキルアウトだが、路地裏で培ってきた幾多もの経験から今のタイミングは絶対に相手を殺せるものだと分かっていた。

 だが、垣根の背中から放出されている真っ白の翼は、そんな決死のタイミングなど端っから問題ではないという風にいとも簡単に銃弾を防御した。発動に一秒かかったかどうかも分からない。コンマの世界で出現した白翼は、佐倉の攻撃を容易く弾き返していた。

 これが超能力者。これが第二位の【未元物質(ダークマター)】。

 あまりにも絶望的な戦闘力の差に、佐倉は逃げることも忘れて呆然と立ち尽くすしかない。

 そんな彼に、垣根はニヤリと口の端を吊り上げると、

 

「いってぇな。そしてムカついた。よっぽど俺とダンスっちまいてぇみてぇだな、コラ」

 

 本当に痛みを感じているのかさえ不思議になるくらいの軽い口調で言う垣根。「いてぇいてぇ」と胸の辺りを擦っているが、未元物質によって防御された以上ダメージを被っているはずがない。……おちょくっているのだ。

 つくづく性格が悪い。あからさまに勝ち誇っているホストかぶれに嫌悪感が増していく。

 

「下衆の癖にメルヘンチックな能力お披露目してんじゃねぇよクソ野郎」

「心配すんな、自覚はある。……だがまぁ、性格までメルヘンになった気はさらさらねぇけどな!」

「チッ!」

 

 垣根が右手を前方に突き出すと同時に、三対の翼の一つが佐倉へと襲い掛かってくる。

 見た目だけならば鳥の羽毛のように柔らかそうにも見える。しかし、未元物質によって構成された白翼は佐倉の脇腹を翳めると、背後の瓦礫を一瞬にして消し飛ばした。

 だが、直撃はしなかったとは言っても相手は超能力者。傷口から広がる痛みは並大抵のものではない。

 

「ぎ……ぃ……!」

「おろ? なーんでか分っかんねぇけど、狙いが逸れちまったな。お前、もしかして能力持ちだったワケ?」

「知るか……! 俺は生まれてこの方十六年間、【念動力者】とは名ばかりの無能力者だっつの……!」

 

 身体計測では詳しい能力名すら記載されず、ただ【無能力者】という烙印だけを押されている佐倉。彼が自分の能力を自覚したのは【幻想御手】を使った時のみである。摩訶不思議な音楽によって発現した能力は、スキルアウト仲間が放った炎をわずかであるが横に逸らした。……しかしながら、その時でさえ能力強度は異能力者(レベル2)である。

 現在進行形で無能力者(レベル0)な佐倉が【念動力】を使用したところで、垣根の攻撃を逸らせるとは到底思えない。

 それに、

 

(【幻想御手】使わなかったら食器一つさえ微塵も動かせねぇポンコツ能力なんだ。【未元物質】に対抗できるはずがねぇ。……くそっ、普通無能力でも少しゃあモノ動かせるだろうがよ!)

 

 愚痴を零すが、そんなことで今の状況が好転するとは思えない。無能力者であることを誰よりも自覚している彼は、最初から博打レベルの能力に期待などしていなかった。さっき垣根が攻撃を外したのだって、彼が慢心で油断していたからに過ぎない。

 プラス思考に捉えたとして戦況が傾く訳ではないのだ。

 

「まぁいいや。今のはちょろっと遊びが過ぎた。今度はしっかり当てちまおう」

 

 ガシガシと面倒くさそうに茶髪を掻く垣根の右手に純白の剣が出現する。鉄でもない、銀でもない。とてもこの世界に存在する物質とは思えない素材の剣を佐倉に向ける。

 

「未元物質ってのは武器工場にジョブチェンジする予定なのか?」

「それもいいかもな。こんなクソッタレな仕事するよか何十倍も稼げるだろうし」

 

 苦し紛れに挑発を行うものの、当の本人はまったく気にする様子がない。いたってマイペースに剣を弄んでいる。

 クルクルと手の中で柄の部分を回すと、

 

「そんじゃま、そろそろ遺言考えておけよ。人間ってのは結構簡単に死んじまうんだからさ」

 

 ニィィと口元を歪ませた死神が、佐倉望へと襲い掛かる。

 

 

 

 

 

                     ☆

 

 

 

 

 

『……駄目ですのお姉様。第七学区大通りを一通り探してはみましたが、佐倉さんは全く見当たりません』

「あー、くそっ! どこほっつき歩いてんのよあの馬鹿は!」

 

 思わず女の子らしくない罵声が口を突いて出てしまうが、それほどまでに今の美琴は焦っていた。

 下着店で行方を眩ませた佐倉。お手洗いに行っているのかとセブンスミストやその付近を探し回ったのだが、まったく影も形もない。

 それならば、と白井を始めとした風紀委員に協力を求めて第七学区中を走り回っているものの、やはり佐倉を見つけることはできない。

 

(こんだけ探しても見つからないっていうのは、あまりにもおかしいっ……!)

 

 風紀委員にまで協力してもらっているのに尻尾すら掴めない。ただそこら辺を歩いているだけならば、第七学区中に散らばっている風紀委員の一人がすぐにでも保護するだろう。警備員に比べて治安部隊としての能力は低い風紀委員ではあるが、人海戦術という形を取るならばどの部隊よりも適している。

 これだけ八方手を尽くしても見つからないということは、それこそ第七学区の果て、もしくは他の学区に連れて行かれている可能性が高い。

 

(佐倉一人で遠くに行く理由なんてないし……)

 

 それに、そんな遠くに行く用事があるならば美琴との買い物を断っていたはずだ。いくら彼が自分の事を尊敬しているのだとしても、他の用事を差し置いてまで買い物に付き合ってくれるとは思えない。……断言はできないが。

 第七学区の端に向かって足を進めながら、ちらと右手に持っている紙袋を見る。

 高級感溢れる朱色のソレの中には、先程佐倉に選んでもらったゲコ太の下着が入っている。その場の勢いで連れて行ってしまい、二人して気まずい雰囲気のままだったので早く終わらせるために選んでもらったのだが……美琴は何故か、彼に選んでもらったという事実が嬉しかった。

 

『だってどんな下着穿いたら男性が喜ぶのかとか、分かんないし!』

 

 混乱のあまり放ってしまった爆弾発言を思い出す。何故自分はあんなことを言ってしまったのか、何故自分はそのとき彼に見られることを想定してしまったのか。自分でも理解できなかった。

 ただ、彼に対して好意的な感情を抱いているというのは、事実だ。

 初めて彼と出会った日。美琴が立ち読みしているコンビニに強盗に入り、帰宅途中の彼女を爆走するワンボックスカーで轢きかけた佐倉。最初は恨みと怒りでいっぱいだったが、不良共に絡まれているときに自分を助けようとしてくれたのは何気に嬉しかった。

 その後彼の家で佐倉の素性を聞き、彼の中の闇を知った。途中で挫折の道を選んでしまった彼をどうしても放っておけなくて、美琴は自分が理解者となってやると名乗り出た。動機は分からない。だが、努力を途中で投げ出そうとする彼を支えたいと思った。

 そして、絶対能力進化実験。大した能力もないくせに、どこぞのツンツン頭のような奇妙な右手もないくせに、彼は自分の身を犠牲にして美琴を助けようとしてくれた。絶対に敵わない相手だと分かっていたはずなのに、彼は死すら恐れずに最強に対峙したのだ。無謀でしかないその行為。しかし、そのことが美琴にとってどれだけ嬉しいものであっただろうか。

 自分の為に命さえ投げ出そうとする愚かな無能力者。いつしか自分は、そんな彼に感謝の念を抱いていた。

 

(……いや、違う)

 

 そう呟いて、美琴は否定した。自分が彼に抱いている者は決して感謝の念だけではない。そう思った。

 自分の身を投げ出して、大切な人を守ろうとするアイツ。弱いくせに、馬鹿のくせに、精一杯強がって信念を突き通そうとする無能力者。

 欠点を上げていくとキリがない。……だが、そんな彼に対して、自分はこんな風に思っているのではないだろうか。

 

 ヒーロー、と。

 

(……こんなところで、死なせるわけにはいかない)

 

 美琴は走る。段々と人気が少なくなる学区の端に向かって、ひたすらに足を動かす。あの馬鹿には、まだ言いたいことがたくさんあるのだ。感謝も説教もし足りない。今日の罰ゲームだって、中断されてしまった。これはもう、私刑の上に後二、三回ほど買い物に付き合ってもらわねば割に合わない。

 人気が完全になくなった工場地帯に入ると、磁力を応用して道をショートカットしながら駆け抜けていく。

 

 そんな彼女の携帯電話に初春飾利から連絡が来たのは、もしかしたら奇跡だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

                    ☆

 

 

 

 

 

 振り下ろされた未元物質製の剣を避けられたのは、偶然と言っても過言ではない。

 純白の刃が佐倉の脳天をかち割る直前、佐倉は無我夢中で上半身を捻り、右方向へと倒れるようにして転がった。もはや体裁など気にしてはいられない程の無様な回避行動だったが、全てのプライドを投げ捨てて生へとしがみついた彼の選択はどうやら正しかったらしい。迷わなかったのが功を奏したのか、振り下ろされた剣は佐倉を切り裂くことはなく、空しく空振りに終わった。

 

「……テメェ、本当に喧嘩売ってんだな」

 

 無能力者などという格下相手に攻撃をかわされたのが気に食わなかったのか、今までとは比べ物にならないほどの怒りの形相で佐倉を睨む垣根。先程までの力をセーブしていた彼とは違う、闇に生きる住人としての彼が正体を露わにする。放出された殺気は佐倉の動きを完全に止めてしまうほど濃厚で、鋭い眼光は彼にベレッタの銃口を向けさせる勇気すら与えなかった。

 

(これは……やべぇな)

 

 ぶつけられるドロドロした殺意に全身の毛穴という毛穴から嫌な汗が噴き出していた。頭の中で生物としての本能が盛んに警鐘を鳴らしている。早く逃げろ、と生存本能が次なる行動を指示している。

 だが、彼は動けない。生存本能とか警鐘とか、そんなものでは抵抗できないレベルの存在が目の前に佇んでいた。

 

「幸運ってのも考えようだよな。さっさと死んでりゃ苦しむことも無かっただろうに……よっ!」

「ぐぅっ!?」

 

 剣を右上から振り下ろす袈裟切りを後ろに倒れ込みながら回避する佐倉。緊張で全身の筋肉が硬直してしまっているのか満足に動けない。完全には避けきれなかったせいで、シャツの右胸付近がじんわりと紅く染まり始めていた。

 

(畜生、よりにもよってまだ完治してねぇ傷口を……)

 

 垣根が斬りつけたのは、奇しくも一方通行により風穴を開けられた傷口だった。縫合は完了していたのだろうが、じわじわと流れる血が白いシャツを紅く染め上げていく。致命傷というほど血が出ているわけではないが、いつ古傷が開くともわからない。無駄な懸念要素が増えてしまい思わず舌打ちが漏れる。

 傷口を庇いながらも立ち上がるとバックステップで垣根との距離を取ろうとする。

 

「甘ぇんだよ無能力者がァ!」

 

 だが、激昂した垣根が彼をそのまま逃すわけがない。上下左右から縦横無尽に剣戟を浴びせていく。

 血を流した上に恐怖のあまり反射神経が鈍ってしまっている佐倉は、次々と放たれる純白の軌跡を捌ききることができない。足元に落ちていた鉄パイプを拾ってなんとか凌いでいるものの、剥き出しになった腕やジーンズにじんわりと紅い線が浮き上がっていく。

 

「オラオラオラァッ! どうしたスキルアウト! 第一位をギリギリまで追い込んだっつう機転の良さを見せてみろよ!」

「ぐ、ごっ……!」

 

 斬撃では埒が明かないと思ったのか、フェイント気味に剣を突き出して懐に入ってくると、左拳を佐倉の鳩尾に叩き込む。佐倉の身体がくの字に曲がり、思わず視界が明滅した。内臓が飛び出すのではないかという威力に意識が吹っ飛びかける。

 だが、垣根が追撃の手を緩めることはない。

 自分の方へと倒れてきた佐倉の髪を掴み、顔面に右膝をぶち込む。

 

「がっ……!」

「……所詮、無能力者なんてぇのはこの程度なんだよ。強ぇ奴にぶっ飛ばされて、自分の意志を押し通すことも出来やしねぇ」

「ぎっ……!」

「何が一方通行を追いつめただ。何が最強に一矢報いた無能力者だ! テメェは運が良かっただけなんだよ! 第一位が油断して、偶然アイツの反射が緩んでいただけだろうが!」

「ぉ……ぇ……」

 

 顔面と鳩尾を中心に蹴りを加えられ続け、思わず嘔吐してしまう佐倉。今朝ファミレスで飯を食ってきたことが仇となり、胃液と食べ物が彼の呼吸を奪っていく。

 

「あーあー、汚ぇな。俺の自慢の服が汚れちまったじゃねぇか。どう落とし前つけてくれんだコラ」

 

 ズボンのポケットに左手を突っ込んだまま佐倉を見下ろす垣根。右手に持った剣を肩に乗せながら、垣根は勝利者の笑みを浮かべると吐き続ける佐倉の顔面を思い切り蹴飛ばした。

 

「ぶがっ……!」

「くたばってんじゃねぇよ三下。俺はまだまだ遊び足りねぇんだ。そんな簡単に死んでもらっちゃ、色々とコケにされた俺様の怒りは収まんねぇんだよぉ!」

「ぐ、ぅ……!」

 

 苦し紛れに垣根の顔を睨みつけるが、彼の脳は完全に戦闘の意志を失っていた。もう目の前の怪物には勝てない。根性とか気合とか、そういう精神論以前に生物としての本能がそう告げている。

 完璧に戦意喪失した佐倉。彼の異変に気付いたのか、剣を振り上げると垣根は表情を一切殺して淡々と宣言する。

 

「……チッ、もういいわ。今のお前を嬲っても空しくなるだけだろうし。さっさと死んで、地獄にでも落ちてろクソ野郎」

「く……そ……!」

 

 毒突くが、だからといって反撃できる術があるわけではない。今の佐倉には、悪あがきの一つも出来ないのだから。

 

「じゃあな。無力な自分を恨みながら死ね」

 

 垣根が純白の剣を振り下ろす。

 今度こそ死んだ。もう回避する気力も体力も残っていない。来る激痛に備えて、堅く目を瞑る。

 

 しかし、垣根の未元物質が佐倉の首を刎ねることはなかった。

 

 突如発生したオレンジ色の光が垣根の横っ腹にぶち当たり、彼の身体を吹っ飛ばしたのだ。展開していた未元物質の翼がギリギリで防御姿勢を取っていたので直撃は免れたようだが、完全に衝撃を殺すことはできなかったらしい。ゴロゴロと鞠のように地面を転がると、散らばる鉄塊の瓦礫にドシャァ! と激しい轟音をあげながら突っ込んでいった。

 あまりの衝撃に機械の破片が宙を舞い、土煙が上がる。

 そんな中で、佐倉望は確かに聞いた。

 彼女の声を(・・・・・)

 

「……ったく、初春さんがハッキングした監視カメラの映像を頼りに走り回ってみれば……なんでアンタはそんなにボロボロなのよ」

 

 ベージュ色のサマーセーターに、紺色のプリーツスカート。茶色の髪は肩ほどまで伸ばされていて、銀色のヘアピンが差し込む陽の光を浴びてキラリと存在を主張していた。

 いきなり現れた少女に、佐倉は完全に言葉を失う。頭では何か言わなければと分かっているのに、現実が信じられなくて口が上手く動いてくれない。

 そんな彼を安心させるかのようにニッコリと笑顔を浮かべると、彼女は自慢げに言い放つ。

 

「詳しい事情は分かんないけど、正義のヒーローミコっちゃん、只今参上よ」

 

 学園都市第三位、【超電磁砲(レールガン)】の御坂美琴。

 佐倉が世界で最も尊敬している超能力者は、惚れ惚れするようなタイミングで佐倉のピンチに駆けつける。

 

 

 

 



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第十九話 歪んだ希望

 二週間ぶりに更新です。こうも久しぶりだと一人称から三人称に感覚を戻すのに結構時間がかかってしまいますね。ちょっと書きづらかったよこんちくせう……。
 なにはともあれ最新話。お楽しみいただけると幸いです。


 学園都市が誇る超能力者の一角、御坂美琴。

 登場と共に垣根帝督を吹っ飛ばすと、彼女は佐倉の方へと歩み寄ってきた。どこか呆れたような表情を浮かべているのは、おそらく佐倉の気のせいではあるまい。

 

「やっと見つけたわよこの馬鹿。手間かけさせんなっつうの」

「み、さか……?」

「そーよ。常駐戦陣美琴さん。いきなり失踪したどこぞの馬鹿を探すために第七学区中を走り回った私の苦労を分かってんのアンタ」

「……すまねぇ」

「謝る暇があるのなら立ちなさい。まだ休めるような状況じゃないらしいからさ」

 

 美琴が顎で示す方向に視線を向ける。

 

「……あぁくそ、何だってんだ畜生が」

 

 ズン……と鈍い音が工場内に響き渡る。積み重なった瓦礫を押しのけ、振り払う音だった。

 土煙と共に姿を現したのは、純白の堕天使。腹立たしい程に潔白な六枚の翼を背中から生やしているその男は、痛みを振り払うように頭を振ると忌々しげに呻き声を漏らす。

 

 学園都市第二位。【未元物質】を操る垣根帝督。

 

 この世界には存在しない物質を自由に操る能力者である彼は、考えようによっては学園都市内でも最強と呼べる超能力者だ。一方通行に比べて能力の多様性と応用性に富んでいる【未元物質】は、直接的な弱点が存在しない。信じられないほど厄介な能力者。

 彼は先程、同じ超能力者である美琴の【超電磁砲】を横っ腹に受けて盛大に吹っ飛ばされたはずだ。いくら順位では一つ下の美琴の攻撃だとはいえ、軍隊を相手取ることができると言われている超能力者の攻撃を受けてただで済むとは思えない。

 しかし、垣根は怪我一つない様子で服を叩きながら立ち上がった。あれだけの電圧と速度を食らったにも関わらず、彼の肌には傷一つついていない。【未元物質】の翼で防御したのだろうが、それにしても超絶的な防御力だ。無能力者の佐倉には想像できない程の強度を誇っている。

 一通り埃を落とし終えると、垣根は鋭い眼光を美琴へと向ける。

 

「いきなり乱入してきて何事かと思えば、第三位のお嬢ちゃんかよ。常盤台の優等生がこんな廃工場に何の用だ? 夏休みの自由研究にしても趣味が悪すぎるぜ」

「お生憎様。私の研究テーマはゲコ太一色で染まっているの。こんな鉄臭い工場を取材するような興味も気概も持ち合わせていないわ。今回はちょっくら別の用があったのよ」

「あン? 別の用事だぁ?」

「えぇ。どうしようもない馬鹿を男色野郎から救い出すっていう、ロールプレイングもびっくりなイベントがね」

 

 愛想よく上品に笑うと、ポケットからコインを取り出す美琴。ゲームセンターで使われている種類のそれを右手の指に乗せると、バチバチと髪先から紫電を迸らせる。佐倉を背後に庇うように移動すると、彼の方に小さな紙袋を放った。

 

「ちょっと預かっといて」

 

 軽い調子だが、その奥に潜む緊張感を察して佐倉は言葉を発することさえできない。超能力者が纏う殺気に、脳が発言を全力で拒否していた。

 戦闘態勢を整える美琴に対して、垣根は三対の翼をはためかせると空中に浮きあがった。外から差し込む陽の光を受けて浮遊するその姿は、まさに神話上の天使。神々しくも恐ろしい、畏敬と畏怖に塗れた存在。この世界とは違う、天上に住まう者。

 異なる世界の者同士は互いを見据える。片やコインを、片や剣を右手に携え、いっそう強い殺気を放ち始める。

 

「…………」

「……お先にどうぞ、お嬢ちゃん」

「そう。だったら……お言葉に甘えさせてもらおうかしらね!」

 

 数億ボルトの電撃が右手へと集まっていく。膨れ上がるようにして集束した電流は、フレミングの左手の法則に従ってコインを前方へと弾き出した。膨大な電気の放出によって発生した【超電磁砲】は、音速の三倍で垣根の胸元へと襲い掛かる。

 普通ならば回避はおろか、防ぐことすらままならない速度の攻撃。

 しかし、垣根は右手を軽く振ることで烈風を生み出すと、赤橙色の一閃をいとも容易く吹き飛ばした。

 そう。一撃でコインの威力を全減させた(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「――――――――はッ……?」

 

 何が起こったのか。目の前で展開された一連の現象に理解が追いつかない様子の美琴。第三位の彼女を以てして、信じられないことが起こっていた。

 【超電磁砲】は、能力名からも分かるように彼女が自分の必殺技としている武器である。

 フレミングの左手の法則の原理を利用して、弾となるコインを前方へと発射する。その破壊力は想像を絶するもので、数億ボルトという膨大な強さの電流によって放たれるコインは立ち塞がる全ての物を粉砕し、塵へと変えるほどの威力を持つ。能力測定の際にはプールを緩衝材として能力を使用しないと測定ができないとされるくらいである。それでも、彼女は手加減をして【超電磁砲】を使っているのだ。

 そんな絶大な威力を誇る【超電磁砲】が、一陣の烈風如きに防がれる。【超電磁砲】の恐ろしさを誰よりも知っている美琴には、その事実があまりにも信じられなかった。

 呆然と立ち尽くす美琴。垣根はつまらなそうに一瞥すると、

 

「まさか、今のがお前の切り札だったりするわけ?」

「っ……!」

「え、マジかよ。おいおい嘘だろ超電磁砲。いくら格下だとはいえ、この程度の威力で必殺技とか笑えねぇぞ。猿山の大将だってもう少しマシなジョーカー隠してるっていうのによぉ」

 

 ケラケラと空中で腹を抱える。学園都市内では最強とまで謳われる【超電磁砲】を一撃で消し飛ばした能力者は、佐倉達が想像している以上に規格外の化物だった。

 計り知れない余裕を隠すこともない様子の垣根を見上げ、地面に這いつくばったまま佐倉は思わず拳を握っていた。彼の顔に浮かぶのは、絶望と憤怒。

 

(あれが、【未元物質】……)

 

 学園都市に七人存在する超能力者の中で一方通行に唯一対抗できると言われる能力者。規格外の第七位は別とするとしても、おそらく第一位に次ぐ、もしくは肩を並べるほどの実力者。振るわれる能力は天災と同義で、佐倉達のような無能力者には愚か、第三位以下の超能力者でさえも止めることはできない。

 ベレッタで対抗しようとしていた先程までの自分は、なんと命知らずな馬鹿者だったのだろうか。あんな怪物を相手にして、鉄の塊ごときで迎え撃てるはずがなかったのだ。

 

「ごちゃごちゃ言ってんじゃないわよこのメルヘン野郎が!」

 

 美琴が叫ぶと同時に周囲の鉄柱が宙へと浮き上がる。大小合わせて三十ほどだろうか、美琴の磁力を受けて武器と化した鉄塊が、四方八方から死角を埋めるように発射されていく。六枚しかない翼では防御しきれないであろう密度の弾幕を、鉄柱と電撃で展開する。

 【電撃使い】である美琴の特性を最大限に生かした複合攻撃。黙視すら難しい速度と針の穴を通すような正確さを兼ね備えたその攻撃は、そんじょそこらの能力者では回避することすらままならないだろう。能力で迎え撃つにも時間の余裕がなく、そもそも攻撃力が段違いなので受け流すこともできない。上手い攻撃だ、と佐倉は内心彼女を称賛する。

 

 だが、それでも垣根帝督には届かない。

 

「数さえ打てば下手な鉄砲でも当たると思ったのか? だとしたら、相当お粗末なおつむしてんぜ」

 

 今度は指一本動かさずに衝撃波を発生させる垣根。三百六十度、蟻一匹入り込めないような衝撃波が全方位へと展開される。

 

 轟ッ! という凄まじい音が廃工場を震わせる。

 

 三十本以上の鉄柱は向かい来る衝撃波に煽られ、空しく地面へと落下し始めていた。風に吹かれた紙飛行機のように、針路を真下に向けて威力を失っていく。

 だが、美琴は負けじと再び鉄柱を発射していた。工場内に散らばった鉄塊が無数の弾丸となって垣根へと降り注ぐ。先程の一撃に比べると量も威力も上乗せされた波状攻撃。

 しかし、佐倉は冷静に状況を判断する。

 

(駄目だ……あんな攻撃じゃ、アイツには及ばねぇ……!)

 

 攻撃の巧い拙いなどといった問題ではなかった。そんなものは些細な違いでしかない。怪物を相手にしている以上、人間レベルの攻撃をいくら繰り返したところで通用するはずがないのだ。

 おそらく。いや、間違いなく、今の美琴では垣根に勝利することはできない。美琴崇拝者を自負する佐倉が贔屓目で評価しても、垣根に彼女の攻撃が通用するヴィジョンが浮かばない。『表』の世界で無類の強さを誇る御坂美琴程度では、『裏』の世界を住処とする垣根帝督を相手取ることすら烏滸がましいのだ。

 

「このこのこんのぉ……!」

「いい加減無駄だって気付けよ超電磁砲。テメェがいくら攻撃を続けたところで、俺にとってはそんなもん子供騙しですらねぇんだ。才能とか、努力とかで補える差はとっくに超えている」

「そんなの……やってみないと分からないでしょ……!」

「いいや分かるね。第三位如きの才能と努力で俺を倒せるはずがない(・・・・・・・・・・)

 

 その通りだ。優雅に翼をはためかせる垣根の言葉に、佐倉は思わず頷いていた。

 絶対的勝利者。生まれながらにしての強者。周囲に見下されることなんてあり得ない、無能力者(自分達)とは正反対の存在。

 

 垣根帝督。

 

 圧倒的実力か、はたまた彼のカリスマ性か、佐倉は無意識のうちに彼への憧れを抱き始めていた。無力であるがゆえに、最強の力を無慈悲に振るう彼という存在がどうしようもなく素晴らしいものに思えた。

 ――――佐倉の表情の変化を一瞥すると、垣根は愉快気に口元を歪ませる。

 

「防御にも飽きてきたし、そろそろ攻撃に移るとしようかね。佐倉望(ギャラリー)も暇しているみたいだから、ちょっとばかし本気出して会場を沸かせてやるよ」

 

 剣を持っていない左手を美琴達の方へと向ける。手を広げ、平の部分を前方へと突き出すような格好になる。

 例えば、左手から何かを放出するような体勢に。

 

「っ! 伏せるんだ御坂、今すぐに!」

「え……?」

 

 突然の怒声に思考が停止する美琴の手を引くと、なけなしの力で引き寄せる。彼女の身体を隠すように覆い被さり、佐倉は来るであろう衝撃に備えて歯を食いしばった。

 

「ちょ、ちょっと! いいい、いきなり何すんの!」

 

 眼下で顔を真っ赤にして騒ぎ立てる美琴を無視して、力強く抱きしめる。返事をしている余裕などなかった。

 垣根帝督は、今こう言ったのだから。

 

 本気を出す、と。

 

「さぁさぁお待ちかね。垣根帝督一世一代の爆破ショーをお見せしましょう!」

 

 ニヤリと笑う。突き出した左手を握り込み、あらかじめ空気中に散布していた【未元物質】に指令を与える。

 

「ショータイムだ」

 

 一瞬、佐倉の五感は激しい爆音と閃光で完全に機能を失った。

 

 

 

 

 

                     ☆

 

 

 

 

 

 生きていたのは、奇跡と言っていいかもしれない。

 佐倉に抱きすくめられていた美琴は電磁波で爆発を察知すると、咄嗟に鉄塊を磁力で引き寄せて即席の盾を作った。所詮寄せ集めのハリボテでしかないために爆発を防ぐことはできなかったが、直撃はなんとか免れることができていた。焦げ臭さが鼻を突くものの、佐倉の様子を窺うに致命傷には至っていないらしい。服は焦げているかもしれないが、なんとか一命を取り留めることに成功していた。

 

「爆発を受ける寸前に盾を作ったってか。雑魚でも一応は超能力者らしい。その機転と行動力に称賛の拍手を」

 

 パチパチと戦場に相応しくない効果音を発しながら、一歩ずつ彼らへと近づいてくる垣根。廃工場を震撼させる規模の爆発だったにもかかわらず、本人は煤すら被っている様子がない。大方、例の翼を鎧のように展開して引き籠っていたのだろう。

 ムカつくが、流石だ。荒い息をつく佐倉を傍らに寝かせながら、内心臍を噛む美琴。

 歩みを進める度に、彼らの死が近づく。強大な武力を抱えた死神は、笑顔を浮かべて獲物の首を刈り取りに来る。

 ……しかし、垣根が放った言葉はあまりにも衝撃的なものだった。

 

「俺様に盾突いた以上、テメェの行く末は死一択と相場が決まっているんだが……」

 

 ちら、と佐倉に視線をやると、一度満足そうに頷いてから、

 

「取引をしよう。テメェらの命を助ける代わりに、そこの無能力者を俺に引き渡せ」

「なっ……で、できるわけないでしょうそんなこと!」

 

 あまりにも理不尽な提案に、気付けば怒鳴り声をあげていた。佐倉を庇うように、膝立ちのまま彼を背後に移動させる。

 承諾できるわけがなかった。垣根に佐倉を引き渡すということは、闇の世界に彼を放り出すということだ。

 美琴は一度だけ、闇に生きる能力者達と戦闘を行ったことがある。

 『アイテム』と名乗ったその少女達は、自分と変わらないような年端もいかない子供であった。普通ならば学校に行ったり買い物をしたりして人生を楽しむような、十代の少女達。……しかし、学園都市の闇に住まう彼女達は、何一つ疑問に思うことなく美琴を殺そうと襲い掛かってきたのだ。

 殺すことに対して一切の躊躇を見せなかった彼女達。戦闘の際は逃げることに必死で思考を割く余裕は無かったが、どんなことがあればあそこまで闇に堕ちることができるのだろうか。平気で殺し、殺されるような世界に。

 

「安心しろ。別にもうソイツを殺そうなんて思っちゃいねぇよ。その馬鹿は無能力者にしては見所があるからな。変な悪運もあるし、良い戦力になると期待している」

「そういう問題じゃない! そもそも、コイツをアンタ達に引き渡す理由と必要性を感じないのよ! 何が嬉しくて、友人を闇に突き落さないといけないの!」

「はぁ。分かってねぇなぁ、お嬢ちゃん」

 

 へらへらと緩ませていた顔を引き締め、美琴を睨みつけると、

 

「これは提案じゃない、命令だ」

「ッ!」

 

 睨まれただけで、全身から冷や汗が吹きだす。猛獣に狙われた草食動物が抱くような恐怖心が、美琴の思考を支配する。動いたら死ぬ、と本能が警鐘をかき鳴らしていた。

 全身の筋肉が硬直し、口内が凄まじい速度で水分を失う。『死』が目の前にある錯覚に苛まれ、膝がガクガクと震えていた。

 

「ぅ……ぁ……」

「……いいね、黙るってのは利口な選択だ。余計なこと言って俺の神経逆撫でするのは得策じゃないからな」

 

 虚空を見据えて息を漏らす美琴を一瞥すると、垣根は地面に横たわる佐倉の眼前で立ち止まった。即席盾のおかげで爆発のダメージはそこまで受けていないものの、垣根との戦闘で蓄積した疲労がピークに達しているらしい。か細い呼吸をつきながら、弱々しい様子で顔を上げる。

 垣根は喉を鳴らした。

 

「強くなりてぇか、佐倉望」

「――――――――」

 

 しばしの沈黙。突然図星を突かれ言葉を失うが、ゆっくりと首を縦に振る。

 

「力が欲しいか」

「……あぁ」

「それは何の為だ? 虐殺、崇拝、勝利、殲滅、破壊……」

「守り、たい……」

 

 消え入りそうな声で呟いたのは、ちっぽけな希望。無力な弱者が望み続けた、たった一つの生きる目的。

 

「大切な人を……御坂を、この手で守りたい。一方通行だろうが、垣根帝督だろうが、どんなに強い敵を前にしても、無様に逃げなくて済むような力が欲しい……」

「俺や第一位を相手にできるくらい、か。これまた大きく出たな」

 

 だが面白い。自分達の名を出すとは、この無能力者は実は相当の大物かもしれない。聞きようによっては自分への罵倒にも受け取れる台詞を耳にしても、垣根は腹を立てはしなかった。それどころか、どこか満ち足りた表情で佐倉を見下ろしていた。

 片膝をつくようにして屈むと、右手を差し出す。まるで王子様がお姫様をダンスに誘うように、垣根は闇への招待状を佐倉に掲示する。

 

「だったら俺と来い、佐倉。一方的な暴力に抗う『力』が欲しいのなら、俺の手を掴め。お前が大切だと思う女を守りたいのなら、それだけの力を闇の中で掴んでみせろ」

 

 それは、ある意味では魅力的な提案で、ある意味では絶望への誘いだ。力なき自分を変えたいのなら、絶望の中に飛び込んでみろ。不良程度では掴めない『力』を手に入れるために、悪党になれ。

 つまりはそういうことだった。

 

「だ、め……そんな誘いに乗っちゃ……佐倉っ……!」

 

 美琴が擦れるように叫んでいるが、佐倉の耳には届かない。彼女を守るためには、力が必要不可欠なのだ。悪だろうが正義だろうが、何者にも屈することのない絶対的な力が。

 

 答えは、決まっていた。

 

 震える右手をゆっくりと上げる。目の前に佇む青年を希望の光と見ているかのように、救いを求める弱者のように手を伸ばし――――

 

 ――――しっかりと、垣根の手を握った。

 

「……九月一日だ」

 

 笑みが零れる顔を必死に隠しながら、垣根は言い放つ。

 

「下部組織の奴を迎えに寄越す。放課後になったら寮で待ってろ」

 

 希望を求める哀れな子羊を手に入れた救世主は、血と泥にまみれた慈悲の心で笑い続ける。なるほど、救うとはこういうことか。弱者を育て上げるサクセスストーリーをプレイしているような快感が、垣根の全身を駆け巡っていた。

 

「あと四日。最後の平和を楽しむには十分すぎる時間を与えてやろう。ま、こっちに来たからと言って表の生活をすべて捨てるわけじゃないが……せいぜい楽しむことをお勧めするぜ」

 

 「じゃあな」軽く右手を上げると、垣根は工場の出口へと足を進め始める。散乱した瓦礫を蹴飛ばしながら、これから先の人生に歪んだ楽しみを覚えて。

 

「おもしろくなりそうだ」

 

 新たな歯車を巻き込んだ運命は、もう止まらない。

 

 

 

 



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第二十話 最後の平穏

 『とある科学の超電磁砲S』が面白すぎて最近幸せです。
 それにしても、『超電磁砲』や『禁書目録』を見るたびに思うのですが、ウチの佐倉は上条さんに比べて主人公補正と戦闘力が異常に低いなぁ。同じ無能力者なのにこんなに境遇が違うというのはどういうことなのでしょうね。
 ま、本作品のコンセプトは『無力な主人公が残酷な現実の中を泥臭く生き抜いていく』ですので、栄えある主人公と比べるのがそもそもおかしな話なのですが。

 ちなみに佐倉は禁書で言うところの『主人公』ではありませんので、あしからず。




 八月三十一日。

 学生達の癒しである夏休みの最終日。真面目な生徒は最後の休日を謳歌し、不真面目な学生は仲間を集めて宿題との格闘を開始するだろう日だ。今頃は万年補習組のウニ頭も宿題に追われているのだろうなとか考えると、不思議と苦笑を浮かべてしまう佐倉である。

 現在佐倉は、常盤台中学女子寮の入り口で御坂美琴と待ち合わせをしていた。白い半袖シャツに黒の薄手パーカーを羽織り、灰色のジーンズを穿いている。相も変わらず普通な着こなしなのだが、彼が立っている場所が立っている場所なのでいやに周囲の注目を浴びてしまう。女子寮の窓から興味本位で顔を出すお嬢様方が「誰誰誰!? 誰の彼氏なのでございますか!?」と空前絶後の大騒ぎを起こしているのは、おそらく佐倉の気のせいではあるまい。頭上から降り注ぐ奇異の視線にちょっとだけ帰りたくなる。

 

(まぁ、常盤台の女子寮にわざわざ出向くようなモノ好きは珍しいだろうしなぁ)

 

 学園都市内で五本の指に入ると言われる名門校。強能力者(レベル3)以上でなければ一国の姫様でも叩き落とすとまで噂される究極のお嬢様学校。世間一般的に見て、佐倉のような凡人が関われるような学校ではない。金持ちと貧乏人とか、そういった格付け以上の何かが確かにそこにはあった。

 こんな自分が常盤台の学生、それも最強クラスのエースとお近づきになれたという事実に感謝するしかあるまい。

 頭の後ろで両手を組み、柱に寄りかかって美琴を待つ。

 それから二分ほどが経過すると、女子寮のドアが恐る恐るといった様子でゆっくりと開かれた。そこから気まずそうに姿を現した美琴を見て、やれやれと嘆息する。

 

「……ご、ごめん。待たせちゃった……?」

「いんや、今来たところ」

『キャァァァアアアアアアアアアアアアアア!! みみみ、御坂様のお連れの方ァアアアアアアア!?』

「……そんなに騒ぐようなことかねぇ」

「うん、なんか……ホントごめん」

 

 もはや芸能人が来日した際のオバちゃん軍団の如き歓声をあげる常盤台のお嬢様方。いくらなんでも声の密度が高すぎやしないかと頭上を仰ぐと、なるほど、女子寮の全部屋の窓が開かれているではないか。

 窓部屋ではない部屋の生徒達も騒ぎを聞きつけて駆け付けたようで、明らかに二人部屋の窓から一部屋当たり四、五人の生徒達が佐倉達の方を覗き込んでいた。向けられている顔には例外なく興奮の感情が浮かび、動物園で初めてライオンを目にした時のような輝きが讃えられている。

 多少覚悟していたとはいえ、これはあまりにも予想の遥か斜め上を通過している。学園都市のお嬢様事情に軽く戦慄を覚える佐倉に、身内の恥を晒した気持ちの美琴は珍しく素直に謝罪の言葉を口にしていた。彼女的にも些か引いてしまうレベルだったらしい。

 

「……俺の抱いていたお嬢様像が音を立てて崩れ始めているっつう事実についてどう思う? 御坂よ」

「もともと存在しないような偶像を浮かべていたアンタが悪い」

「悪いか。清楚で美しいお嬢様ってのは男が願う最高の女性像なんだぜ?」

「知らないわよそんな妄想……」

 

 理想と現実のギャップに『夢』という言葉が若干信じられなくなってくるが、既に御坂美琴というお嬢様イメージから最も遠いところにいる女の子と知り合っている佐倉がそれ以上の絶望を抱くことは無かった。スカートの下に穿いている短パンに気付いた時に比べれば、これくらいのことはなんでもない。

 雑念を振り払うように頭を振ると、改めて美琴の方に顔を向ける。

 

「それじゃ、行くとするか」

「……えぇ」

 

 佐倉の呼びかけに応じる美琴。しかし、彼女が浮かべている表情は決して純粋な喜びなどではなかった。

 

 

 

 

 

                      ☆

 

 

 

 

 

 垣根との戦闘によって闇の世界へ足を踏み入れることになった佐倉は、この四日間を美琴と二人っきりで過ごすことを決めていた。

 垣根の提案を承諾した直後に泣きながら激怒されたことを覚えている。「何考えているの!」と胸倉を掴まれ、凄まじい剣幕で詰め寄られた。『絶対能力進化実験』という地獄を乗り越えた彼女は、少しではあるが学園都市の闇について知っているつもりだった。

 笑顔も光も一切存在しない、血と硝煙の臭いに包まれた絶望の世界。終わりを感じることはできず、どこまでも続く闇の中を手探りで進んでいかなければならない感覚。美琴が触れた少しばかりの闇でさえ心が壊れそうな程に恐ろしかったのに、佐倉はそれ以上の暗黒に身を浸そうとしている。それも、美琴を守りたいという信念に駆られて。

 

『なんでよ……なんで、私の為にそこまで……!』

 

 自分のせいで誰かが犠牲になるのは、もう見たくは無かったのに。

 一万人以上の『妹達』が殺されるきっかけを作ってしまった過去を持つ彼女だからこそ、誰よりもその願いは強い。目の前で無残に肉塊と化す犠牲者を目の当たりにしてきた美琴は、これ以上友人が自分のせいで何かの食い物にされるような事態は避けたかったのだ。

 

『どうして……どうしてよ……!』

『……強くなりてぇんだよ、俺は』

『え……?』

 

 だが、佐倉の服を掴んだまま泣き続ける美琴に彼がかけた言葉は、あまりにもシンプルなものだった。

 「強く、なりてぇんだ」もう一度だけその言葉を口にすると、美琴の頭に右手を乗せる。きめ細やかな髪を梳きながら向けられる彼の表情はどこか辛そうで……それでいて、どこか穏やかな輝きを湛えている。

 佐倉望は無能力者だ。学園都市にはごまんといる、何の力も持たないありきたりの学生だ。

 能力至上主義の学園都市においては常に見下される存在で、高位能力者からは下等生物を見るような視線を向けられる。学園都市内で何かの利益を生み出すわけでもない、ただそこにいるだけの普通の人々。

 佐倉は、自分達に向けられる軽蔑の感情に耐えられなかった。一方的な嫌悪に耐えられるだけの精神を持ち合わせていなかった彼は、救いと居場所を求めて武装無能力者集団の一員となる。同じ悩みを抱えた、同じ苦しみを分かち合うことができる仲間を求めて。

 あらゆることで敗北し、諦めるしかなかった佐倉。そんな彼の言葉だからこそ、美琴は表面上の意味以上に彼の真剣な想いを感じ取った。

 

『一方通行の時は上条が来てくれなかったら死んでいた。今回だって、垣根が条件を提示してくれなかったら二人とも殺されていたと思う。俺の力じゃあ、いくら足掻いても命を守ることはできねぇ』

 

 今の自分がどれだけちっぽけな存在かなんて、佐倉が一番分かっている。どれだけ贔屓目に見たとしても、彼が超能力者達に勝利を掴むことは逆立ちしても不可能だ。それは敵が大能力者や強能力者でも変わりはしないだろう。あくまでも、今の彼は学園都市の最下層で無様に泥を啜る無能力者でしかない。

 ……しかし、

 

『垣根は俺に可能性を示してくれた。無力な俺が強くなれる道を与えてくれたんだ』

 

 最初は自分の命を狙う憎き襲撃者だったかもしれない。美琴を傷つけ、殺そうとした彼を許そうなんて思ってはいない。佐倉はそこまで善人ではないし、美琴至上主義である以上彼女に手を出す無礼者は死んでも許さないと決めている。

 だが、許す許さない以前に、佐倉は心のどこかで垣根帝督と言う存在に憧れを抱き始めていた。

 

『自分でも馬鹿な話だとは思うけど、アイツなら俺を強くしてくれると思うんだ。よく分からねぇけど、垣根に付いていけば俺は変われる。無力で泣き叫ぶしかなかった【佐倉望】を、叩き直してくれる気がするんだ』

 

 それがたとえ絶望への誘いだったとしても、新たな力を掴めるのならば構わない。払えるだけの代償は、惜しみなく払うつもりだ。才能も人脈もない自分が強くなるには、犠牲を恐れてはいけない。

 己を、信念を突き通すためなら、人生の一つや二つ捨ててやる。

 

『……だから、さ。後悔がねぇように、残りの四日間を一緒に過ごしてくれねぇか?』

 

 その時彼が浮かべた表情を、美琴は忘れることができない。

 表面上は笑顔でありながらも、佐倉がその瞳に讃えた疲弊と悲嘆、懺悔の感情を、美琴は確かに目にしていた。

 怒りと悲しみとか、そういった余計な想いを抱く余裕を美琴から奪い去るような笑みを浮かべた彼の頼みを、今の美琴が断れるわけがなかった。

 返事をしようと思っても、喉が機能しない。怒鳴ってやろうと思っても、歯の根が噛み合わない。

 今の彼女にできるのは、佐倉の為に涙を流すことくらいだった。

 

『うぁ……うぁぁあ……!』

『……ごめんな、御坂』

 

 子供のように泣きじゃくる美琴を愛おしく抱き締める。ちっぽけな彼女の温もりを覚えておこうと、佐倉は無我夢中で美琴を胸の中に抱き寄せた。

 ――――その時彼が浮かべた表情を、美琴は忘れることができない。

 

 

 

 

 

                     ☆

 

 

 

 

 

 二人で平和に過ごせる最後の日だからと言って、別に何か特殊なことをするわけでもない。

 セブンスミストで洋服を見て、ゲコ太グッズを買い漁り、ファンシーキャラのアニメ映画を二人で見る。昼飯は有名ファストフード店で取り、午後からは目的もなしに第七学区を歩き回る。

 傍から見たら時間を浪費しているだけのように見えるだろう。最後の一日なのだから、もっと有意義な時間に充てるべきだという意見も分かる。告白するなりなんなりして、二人の関係に決定的な変化をもたらした方がいいのではないかと考えた時期もあった。明確な言葉として伝えていないので確信は持てないが、二人は普通の友人関係以上の気持ちをお互いに対して抱いている。それが恋なのか愛なのかは分からないが、佐倉も美琴もなんとなくではあるがそのことを感じ取っていた。

 だが、二人がこの四日間で新たな関係を結ぶことは無かった。いつものように軽口を叩き合い、いつものように笑い合う。あくまでも『友人』として、『親友』として、二人は残り少ない平穏を謳歌していた。

 

「ほらよ、アイス買ってきたぞ」

「ありがと! やっぱり苺とバニラの組み合わせは至高よねぇ」

「何を言う。マンゴーとカボス以上のベストマッチがこの世界に存在するはずがねぇだろう」

「なによそのゲテモノコンビ。趣味悪ーい」

「短パン女に趣味をとやかく言われる筋合いはねぇな」

「よぉーし美琴さん本気出しちゃうぞー。丁度いいところにゲーセンのコインがあったから、久しぶりに【超電磁砲】の対人実験やってみるかぁー?」

「すみません、調子のりました。誠に申し訳ございません」

「素直でよろしい」

 

 笑顔で額に青筋浮かべる超能力者なんてどういうギャグだ。全然笑えねぇ。

 アイスの組み合わせ議論の末に武力投入によって敗北を喫した佐倉は悔しさを隠すことなくちびちびとアイスを舐め続ける。「美味しいのに……」と思わせぶりに愚痴ることも忘れない。だが、器の小さい男だと馬鹿にすることなかれ。彼はあくまでわざと邪険に振る舞っているのであって、内心では議論の勝敗云々関係なしに美琴との会話を楽しんでいるのである。決して、自分の推奨するアイスコンビが無残に踏みにじられたからと言っていじけているわけではない。

 「にしし」と嫌らしく舌を出して小馬鹿にしてくる美琴から目を逸らしつつ、黙々とアイスを舐め進めていく。トリプルアイスを買ってきたのだが、残暑厳しいこの気温の中だと溶けていく速度が尋常ではない。必死に舌を動かすが、ゴールはいっこうに見えてくる様子は無かった。欲張って大きいの買うんじゃなかった、と何気に後悔する佐倉。

 そんな彼を苦笑気味に眺める美琴であったが、ふと何やら思いついたらしく、不意に頬を赤らめると思わせぶりにちらちらと佐倉の顔を盗み見るように覗き込んでいる。

 

「どうした、御坂?」

「えっ!? あ、その……うぅ」

 

 彼女の様子を怪訝に思った佐倉が尋ねるが、その返事は要領を得ない。頬を赤らめたまま、美琴の視線は佐倉の顔と手元を行き来している。恥ずかしげに、遠慮がちに送られる視線は、どう考えても佐倉が持つアイスクリームに向けられていた。

 なるほど、そういうことか。彼女の視線の意味に気付き、思わず顔が綻ぶ。

 佐倉はその顔に意地悪な笑みを浮かべると、口の端を吊り上げながら「にひひ」と声に出して笑い、

 

「人のアイスを欲しがるなんて、そんなにお前は俺と間接キスがしてぇのか? 純情そうに見えて、意外と積極的なんだな」

「~~~っ!?」

 

 ボン! と一瞬で顔全体を沸騰させる美琴。頭頂部から湯気が出ているように見えるほど顔を朱くした彼女は、恥ずかしさのあまりマトモに言葉を発することさえできないようだった。「あ、うぅ……」と擦れたように声を漏らしながら俯く姿になんだか性的興奮を覚えてしまう。これが『萌え』と言うヤツか。

 普段ツンツンして暴力ばかり振るってくる美琴の意外な一面が垣間見られた気がして、ちょっとだけ得した気分になる。中学生にしては大人びた発言や行動ばかりする美琴が不意に見せた年相応の羞恥心に、思わずガッツポーズを決めた佐倉を誰が責められようか。世の中の男性ならば誰しも理解できるであろう感情に従って、彼は内心の喜び隠すこともせずに美琴の顔をニヤニヤと眺めていた。

 口元に手を当ててそっぽを向く美琴に見惚れる自分をなんとか押し留めつつも、呆れた風情で右手に持ったアイスを彼女の方に差し出す。

 当然、目を丸くする美琴。先程とは別の意味で、視線が佐倉の顔と手元を往復する。

 

「え、いいの……?」

「違う味が楽しみてぇってのは別におかしなことじゃねぇだろ? 俺ァお前に食われたところで気にしねぇし、アイス一個をケチるような小せぇ人間でもねぇんだしよ。それぐれぇの頼みなら喜んで聞いてやるさ」

「あ、ありがと……」

「でもその代わり、お前のアイス貰うかんな。俺だってそっちの味を食べてみてぇし」

「ぅ……それは構わないけど、恥ずかしいというかなんというか……」

「ぶつぶつ言ってねぇで渡した渡した」

「うぅ……」

 

 このままだと美琴が決心する前にアイスがコーンの上から消滅してしまうので、半ば畳みかけるようにお互いのアイスを取り換える。されるがままにアイスを渡す美琴だが、間接キスなどと言われた手前結構恥ずかしさを感じているらしい。もはや顔を上げる余裕もないと言った様子でもじもじと足元に視線を送り続けている。顔真っ赤だな、と思うものの、照れが臨界点を軽く突破している今の彼女に余計な軽口を送ろうものなら一瞬で消炭にされる可能性が非常に高い。

 

(黙っとこ)

 

 背中にうすら寒いものを感じながら、美琴のアイスを食べていく佐倉であった。

 ちなみに、佐倉がアイスを舐めた瞬間に、正気を失った美琴がパニクって電撃を撒き散らしたというのは全くの余談である。

 

 

 

 

 

                    ☆

 

 

 

 

 

 夕暮れに染まる第七学区。夏休み最終日ということで結構な数の学生達で溢れていた大通りからはだんだんと人気がなくなってきている。夏休みの終わりを名残惜しむように友人達に別れを告げる生徒達を目にして、もうそんな時間かとようやく日暮れに気付く佐倉達。腕時計を確かめると、時刻はもうすぐ六時を迎えようとしていた。

 そういえば、常盤台中学の女子寮は他の学校よりも人一倍門限に五月蠅いという話を聞いたことがある。完全下校時刻を破って帰寮したものには、鬼よりも怖い寮長から文字通り地獄の制裁を食らうことになるとか。以前美琴が顔を青ざめてそんなことを話していたような気がする。

 彼女が星座の一つを飾る前に、早く寮に帰した方がいいだろう。

 丸一日連れ回してしまった罪悪感を地味に感じている佐倉は、隣で歩みを進めている美琴に向けて声をかけた。

 

「じゃあそろそろ帰るか。寮まで送っていくよ」

「……うん」

 

 おずおずと首を縦に振る美琴だが、その表情は優れない。先程までは結構明るく楽しんでいた様子だったのに、どうしたというのだろうか。今日一日の行動を振り返ってみるが、彼女の気を悪くするようなことをした覚えはまったくない。逆にいっそ清々しい程心当たりがなかった。

 「あっれー?」うんうんと首を捻りながら熟考するが、いっこうに答えは出そうもない。そもそも原因や理由が皆目分からないのだから、どのような答えが正解なのかすら理解していない。考えたところで答えが出るはずはないのである。

 思考の堂々巡りにひたすら嵌り込む佐倉だった。

 ――――そんな彼に、美琴が不意に声をかける。

 

「……ねぇ、佐倉」

「あれじゃねぇ、これじゃねぇ……んぁ? どうしたよ御坂」

「いや……」

「なんだよ、はっきりしねぇなぁ」

 

 歯切れ悪く言葉を濁らせる美琴に怪訝な表情を向ける。普段から直球で誤魔化すなんて対応はほとんどしない彼女らしくない態度だ。ちらちらと目線を泳がせ、両手を腰の辺りでギュッと強く握りしめている。まるで、何かを我慢しているかのように。

 それから何度も口を開こうする度に踏み止まる美琴だったが、時間が経ったことでようやく決心がついたらしい。遠慮がちに佐倉の顔を覗き込むと、消え入りそうな程小さな声で囁くように言葉を発する。

 

「アンタは……アンタは、明日になるのが怖くはないの?」

 

 

 

 

 




 垣根戦翌日から美琴とデートできる佐倉の肉体回復力に脱帽。




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第二十一話 本当の想い

 更新です。上やんカッコいいよ、上やん。
 間章最終話です。次回から新章突入。二人の運命やいかに。


「アンタは、明日になるのが怖くはないの?」

 

 そう言って佐倉の顔を不安げに覗き込む美琴。心配そうな上目遣いには、佐倉が学園都市の闇に堕ちることに対しての不安や恐れ、そして、佐倉を闇堕ちさせてしまった自分への後悔などが含まれているように見える。普段の彼女らしからぬ陰鬱な表情と言動に、この空気と状況を打破する軽口を考えていた佐倉の思考が一気に霧散した。ふざけた返事をできるような雰囲気ではない。彼の決して優秀とは言えない思考回路でも、その程度のことは分かる。

 美琴の言葉を受け、佐倉は思わず黙り込んでしまう。条件反射や咄嗟の言い訳が許されるような場面でもないため、彼は持ち得る語彙と知識で彼なりの答えを精一杯模索していた。

 彼女には嘘をつけない、つきたくない。

 誰よりも御坂美琴を愛し、信じている自分が、彼女を裏切るようなことをするわけにはいかなかった。

 

 明日は九月一日。学生の天下である夏休みが終了し、二学期が開始される日だ。同時に、佐倉の平穏な学生生活に終止符が打たれる日でもある。

 学園都市が抱える闇がどれだけのものであるのかなんて、普通の社会情勢すらロクに把握していない佐倉に想像できるはずがない。そこでどんな命のやり取りが行われているのか、どれだけの人が死んでいるのかなんて、予想することすらできはしない。スキルアウトに所属していたとはいえ、今までの佐倉は少し素行が悪い程度の一般人でしかないのだから。

 現実味がない。だからイマイチ恐怖感がない。それも理由の一つではある。

 だが、佐倉にとってそんな要素はさほど重要なものではない。

 そもそも、今回の暗部行きは半ば自分で選択したようなものだ。美琴の命が危うかった状況上仕方がなかったとも言える結果だが、最終的に意思決定したのは誰でもない佐倉自身である。強くなりたい、美琴を守れるようになりたい。そんな希望を叶えるために自分が選んだ結果だ。不安はあれど後悔はない。そのため、『怖い』という感情を彼はイマイチ持ち合わせてはいなかった。

 

(御坂を守るためなら、人生だって捨ててやるって決心したんだもんな。絶対逃げねぇって)

 

 以前美琴と交わした一つの約束。既に佐倉の芯を形作っていると言ってもよい彼女との約束は、美琴や佐倉が思っている以上に彼の行動指針を制約していた。佐倉は無意識のうちに『力』を欲し、半ば本能的に美琴を守ろうと奔走する。今回も、そういう例の一つにしか過ぎなかった。 

 だが、佐倉は気付かない。それがどれだけの危険を孕んでいるかということに。

 優れない顔つきで佐倉の返事を待つ美琴の頭に手を乗せると、彼なりの真剣な面持ちで口を開く。

 

「怖くねぇって言ったら嘘になるけど、俺は間違った選択はしてねぇって思ってる。世間的にはクズみてぇなことかもしんねぇ。でも、俺は俺なりに考えたうえで垣根の提案を飲んだんだ。後悔はねぇよ」

「でも、もしかしたら死んじゃうかもしれないのに……」

「死なねぇよ」

「え?」

「死なねぇ。俺は、お前が生きている限り絶対に死なねぇ」

 

 もう一度繰り返すと、今までにない真面目な眼差しで美琴を見据える。普段軽口や誤魔化しで強がることしかしない佐倉が、今この瞬間は確固たる意志と想いを胸に美琴に決意を伝えている。

 学園都市の裏側にどれだけの闇が潜んでいようとも、佐倉は死ぬつもりなんて毛頭ない。彼はあくまで美琴を守れるだけの力を手に入れるために堕ちるのであって、命を散らしに行くわけではないのだから。

 むざむざ死にに行くなんて、まっぴら御免だ。

 

「俺は、お前のためなら死んでもいいって思ってる。盾になって銃弾浴びるのも厭わないし、壁になって罵詈雑言を防ぐのも喜んでやってやるよ。でもな、お前を守る前に死ぬなんてぇのはこっちから願い下げだ。超能力者だろうが軍隊だろうが、俺は『御坂を守る』っていう究極の願いを叶えるためならたとえ地獄の底からでも生還してやる」

 

 それは佐倉の決意であり、覚悟だ。御坂美琴という一人の少女に命を救われた彼ができる、精一杯の恩返しだ。

 馬鹿らしくてもいい、醜くてもいい、無様でもいい。

 世間から罵られようが、見下されようが、そんなことは構わない。

 彼女を守るためならば、血反吐を吐いて地べたを這いずり回る覚悟はもうできている。

 だから、

 

「お前は何も心配しなくていい。ただ普段通りに接して、いつもみてぇに口喧嘩をしてさえくれれば、それで俺は満足だからさ」

 

 他に望みなんてない。美琴との日常さえ待ってくれているならば、自分はどんな苦境でも乗り越えてみせる。

 無能力者であり、最弱であり、一般人である佐倉には、それ以上のことを望む余裕も意味もなかった。一つの希望を目指して邁進するのが、今の彼にできる全力なのだから。弱者なりの最大公約数的な考えだが、別にそれで悔いは無かった。

 だが、

 

「……なによ、それ」

「御坂……?」

「なによそれ……ふざけんじゃないわよアンタ!」

 

 激昂したように目を吊り上げると、佐倉の胸倉を掴みあげる。ギリギリと砕かんばかりに歯を食いしばるその姿は、まるで佐倉の何かに我慢しているかのようにも見える。何か不満なところがあったのか、唐突な激怒に頭の回転が追いつかないながらも、精一杯自分の駄目な点を模索し始める佐倉。

 ――――御坂美琴は怒っていた。彼女を取り巻くあらゆる事象に対して、どうにもならないほどの憎悪と憤怒を抱えていた。

 自分を守ると豪語し続ける目の前の無能力者に呆れを覚えていた。

 佐倉望にそんな気持ちを抱かせてしまった美琴自身に激怒していた。

 彼に闇堕ちという選択肢を与えた垣根帝督に憎しみを感じていた。

 

「私を守るためにですって……誰がそんなこと頼んだのよ!」

 

 ――――超能力者なのに何もできない自分が嫌だ。

 

「アンタはいつも私の事ばっかり……少しは自分の保身や平穏について考えなさいよ!」

 

 ――――目の前の友人一人救うことができない自分の無力さが嫌だ。

 

「死なないとか守ってみせるとか、理想論ばっかり語ったって説得力ないっての! だいたい、人間ってのはアンタが思っている以上にあっさり死んじゃうものなんだからっ……!」

 

 許せなかった。許したかった。

 救いたかった。救えなかった。

 願いは後悔に変貌し、希望は絶望へと変遷する。何の変哲もない普通の日常を望んでいたはずの二人の世界は、当事者の想いなど知ったことではないという風に彼らをおいて進み続ける。終わりの見えない、『絶望』という名の列車は汽笛を鳴らして速度を上げる。

 服を掴めるほどに近くにいるのに、今の佐倉は何故か遠い。目の前でへらへら笑っているはずなのに、美琴と佐倉の間には破ることが出来ない壁が存在するように思えた。

 何がいけなかったのか。そもそもすべてが間違いだったのか。

 どれだけ考えても答えは出ず、どれだけもがいても光は見えない。蜘蛛の巣に捕まった蝶のように、抵抗すればするほど自分達は深みに嵌っていく。

 もう耐えられなかった。今まで溜めこんでいた感情が、堰を切ったように溢れ出す。想いは涙、気持ちは叫びとなって佐倉へとぶつけられる。

 

「アンタに死んで欲しくない! ずっと一緒に馬鹿やっていたい! 悪口言い合って、ゲーセンではしゃいで、買い物で一喜一憂して……そんな日常を、アンタとこれから先も過ごしていきたいの!」

「御坂……」

「あぁくそっ! やっとこの気持ちの正体がわかったわよ畜生! 今まで胸の中でモヤモヤしていた想いが、今になってようやく形になったっての!」

「……は? いや、お前、何言って……」

「五月蠅い五月蠅い五月蠅い五月蠅い! 人の気持ちも知らないくせに! 私の願いも知らないくせに!」

「だからっ、何言ってんだよ御坂! はっきり言ってくれねぇと、意味分かんねぇって――――」

「いいわ、そんなに聞きたいのなら言ってやる!」

 

 もはや自分でも何を言っているのか分かっていない程に激昂している美琴は、先程よりも強い感情を視線に乗せると掴んでいる服をぐいっと引っ張った。突然発生した引力に、抵抗することもできずに美琴の方へと引っ張られる佐倉。

 自分の方へと倒れ込んでくる佐倉を見据えると、美琴は《凛!》とした面持ちで、なにやら決意を秘めた瞳で彼の瞳を見据え――――

 

「アンタのことが好きだってのよ! 少しは気付けこの大馬鹿!」

 

 

 呆けたように半開きだった佐倉の口に、思いっきり自分の唇を重ねた。

 

 

「っ!?」

「――――っぷぁ。……こ、これでアンタも、いい加減に気が付いたでしょ」

「な、なんで……御坂、お前……?」

「『なんで俺なんかを』っていう返事なら聞かないわよ。アンタの自嘲は、今は必要ないから」

 

 口を開きかけた佐倉を黙らせるように先回りすると、掴んでいた服を放す。不意打ちにも似た衝撃に頭の中が真っ白になっている佐倉は、マトモに応答することもできずにただ美琴の顔を呆然と見つめるしかない。

 その場の勢いとはいえ、いきなりキスしてしまったことは彼女的にも恥ずかしかったらしく、頬がわずかに赤らんでいた。夕焼けの中で赤みが判別できるのだから、実際には彼が思っている以上に羞恥心に苛まれているのだろう。元々恋愛関係においては奥手な美琴である。こういった積極的な行動に免疫がついているはずがない。

 美琴は内心の照れと動揺を収めるべくしばらく目線を泳がせていたが、ようやく視線を佐倉に戻すと先程よりも穏やかな口調で言葉を紡ぐ。

 

「『放っておけない』『友人として背中を支えたい』……最初は、そんな程度の気持ちだったわ。努力を途中で放り出したアンタが許せなくて、放っておけなくて。一人の友人として、佐倉望の努力をサポートしていきたい。そんな、普通の想いしかなかった」

 

 超能力者と無能力者。

 いちいち説明するのも憚られるほどに格差がある両者。片や畏怖と畏敬、片や蔑視と嘲笑という対照的な環境に晒されるお互いを知ったからこそ、美琴は佐倉を支えたいと思った。かつては自分も置かれていた泥沼から佐倉を救い出すために、友人として彼のサポートをしてあげよう。その程度の認識しかなかった。

 

「ただの友人。どこにでもいる友達。……でも、アンタはそんな友人でしかない私の為に一方通行と戦ってくれた。勝てるはずもない、死ぬしかないはずだったのに、アンタは迷うことなく私や妹達(あの子達)の為に拳を握ってくれた」

 

 美琴にとって最恐の、彼女の精神を崩壊させるほどに残酷だった絶対能力進化実験。約二万体のクローンが犠牲になるはずだったその実験を止めるために、佐倉はたった一人で一方通行と対峙した。世界中の軍隊を相手にしても平気で立っているような化物を相手にしても、決して逃げることはせず、美琴の抱える絶望を取り払うきっかけを作ってくれた。

 

「無能力者。武装無能力者集団(スキルアウト)。学園都市の最底辺。世間じゃクズ扱いされているようなアンタだけど、私を守るためになりふり構わず奔走してくれるアンタは、私にとっては間違いなく『ヒーロー』よ。どれだけ倒されても、絶対に諦めずに立ち上がってくれる正義の味方。ちょっとだけ自嘲癖が強い、私にとっての主人公」

 

 寝ている間に問題を解決してくれる神様なんて存在しない。振りかかる火の粉は自分で払わなければならないし、立ちはだかる壁は自分で取り去らないと前には決して進めない。

 だが、佐倉望はそんな障害を自ら引き受けてくれた。火傷を負い、重傷を負っても、彼は美琴が抱える問題を片っ端から解決しようとしてくれた。

 まるで、おとぎ話に出てくるヒーローのように。

 

「……アンタが一度決めたことを絶対に曲げないような性格だってことは知ってる。だから、私はアンタをもう止めない。これ以上怒鳴ることはしないし、泣きつくなんてこともしない」

 

 そこで一旦言葉を切る。これだけはしっかり伝えなければ、と気持ちを整理して息を整える。

 再び上げられた顔に浮かんでいたのは、確かな決意と未来への希望。

 

「待ってる。アンタが安心して帰って来られるように、私はいつまでもアンタをここで待ち続ける。今日みたいな平和を心の底から満喫できるように、私はいつも通りの日常と一緒にアンタのことを待っているから」

「……馬鹿だな。暗部の仕事がねぇ時は、普通に会ったりできるってのに」

「だったら、アンタと会う度にこの日常を届けてあげる。意地でも死ねない程の楽しさを、アンタと一緒に分かち合う。……これから先、美琴さんがプレゼントする幸せは、アンタが想像する以上に素晴らしいものになるわよ?」

 

 「ふふっ」後ろ手に手を組み、悪戯っぽく笑う美琴。一本取ったと言わんばかりに笑顔を浮かべる彼女を見ていると、佐倉が直面している混乱や戸惑いが不思議なくらいに消失していった。どこか吹っ切れたように放たれる彼女の言葉を聞くだけで、自然と希望や活力が湧いてくる。

 あぁ、そうか。頭の隅でやけに冷静な自分がいることに軽く驚きを覚えながらも、佐倉は自分の気持ちを整理する。

 

(命を救われた恩情とか、強さに憧れる崇拝とかじゃねぇ。俺がコイツに抱いている感情は、そんな距離を置いたようなくだらねぇもんじゃなかったんだ)

 

 『自分は御坂美琴に救われた』。そんな意味のない固定概念に囚われていたから、佐倉はいつまでも美琴に追いつくことができなかったのだ。そんなくだらない思い込みをしていたから、いつまでたっても上条のような『主人公』になれなかったのだ。

 以前半蔵に言われた台詞が今になって胸に刺さる。あの忍者先輩は、相当前から佐倉が抱いている美琴への本当の気持ちに気付いていたのだろう。あえて茶化すように言っていたが、おそらく佐倉以上に彼自身の本心を察していたのかもしれない。元々心理戦に長けた人だから、佐倉の気持ちを読み取っていてもなんら不思議はない。

 美琴は勇気を出して佐倉への想いを言葉にしてくれた。自分の苦痛や苦悩を綯交ぜにしてまでも、彼女は佐倉の事を『好き』と言ってくれた。想いを形にしてくれた。

 だったら、次は佐倉の番なのではないか。

 

「……馬鹿だよ、おめぇは。俺なんか好きになったって、何一つメリットなんかねぇのによ」

 

 だが、口を突いて出たのは捻くれた誤魔化しの言葉。本心を伝えようとは思っているのに、どうしても減らず口を叩いてしまう。恥ずかしい、照れ臭い。そんな思いが先行して、正直な言葉を阻害する。

 それでも、美琴は佐倉に笑顔を向けた。全部分かっていると言わんばかりに何度も頷き、そして一歩ずつ近づいてくる。

 

「アンタの告白は、全部終わらせてから聞いてあげる。ちゃんと私の所に帰って来られたら、また改めて話しましょう。それまでは、お預けにしといてあげるから」

「……すまねぇ」

「素直じゃないのはお互い様だからね。私も、さっきみたいな勢いが無かったら絶対言えてなかっただろうし」

「それはそうかもな。お前ツンデレだし」

「男子ツンデレ筆頭には死んでも言われたくないわ」

「……くくっ、筆頭か。それも間違ってねぇかもな」

「あははっ、自覚があるなら少しは治しなさいっての!」

 

 耐えきれなくなったように、笑い続ける二人。ようやく通じ合えた今を最後まで手放したくない。できるだけ長く一緒にいたい。そんな好意や愛情を軽口で誤魔化し合い、彼らはいたって普段通りに減らず口の応酬を繰り返していく。

 だが、以前とは確かに異なることがある。

 軽口で誤魔化そうとも、今の二人はそれぞれが放つ言葉に含まれた好意を感じ取れるようになっていた。お互いが抱く感情を再確認したからか、それとも元から似た者同士であったためか。どちらにせよ、天邪鬼な自分達の本心を察し合うことができるようになっていた。

 しばらく馬鹿みたいに笑い合うと、二人は更に距離を縮める。目と鼻の距離、数センチほどしか離れていないその場所で、佐倉達はお互いの目を真っすぐ見つめる。

 

美琴(・・)

「……()

 

 名前を呼んだ。それは今までの関係に変化を訪れさせる現象だ。相手が自分にとって特別な存在になったことを示す指標だ。

 佐倉の視線を受け、美琴が目を閉じる。心なし顎を上げ、軽く唇を突き出すような体勢になる。

 受け入れ姿勢に突入した美琴を抱き締めると、右手を後頭部に当てて美琴の顔を支える。狙いを外すなんて情けない真似をするわけにはいかない。絶対に一発で終わらせないと。

 ちら、と視線が一瞬美琴の唇に移る。瑞々しい、柔らかな先ほどの感触が鮮明に蘇り、思わず羞恥で蹲ってしまいそうになるが、なんとか踏み止まる。余計なことを考えると途中でやめてしまいそうだった。

 両目を瞑り、顔を近づける。

 そして――――

 

 

 

 

 

                      ☆

 

 

 

 

 

「よぉ、やっと来たか佐倉」

 

 放課後、垣根が派遣した男に案内されて佐倉が向かったホテルの一室。「こんなところに暗部のアジトが?」と半信半疑で扉を開いた佐倉だったが、目の前で偉そうにふんぞり返っている第二位を目にした瞬間にようやく確信が持てた。ちょっとだけ安堵してしまう辺り、まだ闇堕ちに慣れていないというところか。

 

「この人が帝督の言っていた新しい構成員? なんかパッとしないわねぇ」

 

 紅いドレスを着た女性がベッドに腰掛けたままこちらに視線を飛ばしている。顔立ちと身長的に年齢は十四歳ほどに見えるが、彼女が纏う雰囲気は殺人犯や罪人のソレと似通うものがある。おそらく、佐倉が想像している以上に相当の地獄を乗り越えてきたのだろう。年齢など関係ない、闇に堕ちれば子供でも容赦はされないというのは事実だったようだ。

 

「さて。構成員同士で仲を深め合っているところ悪いが、早速仕事だ。さっさと準備しろ」

「仕事?」

「あぁ。ちょっとばかり調子に乗り過ぎた馬鹿共を皆殺しにする、そんな簡単なお仕事だ」

 

 ニヤリと口元を吊り上げる垣根が浮かべるのは、獰猛な肉食獣の笑み。いい獲物を見つけたとばかりに表情を崩すと、心底楽しそうに拳を打ちつけている。そんなに『仕事』とやらが楽しみなのか。相変わらず性格破綻者だな、と他人事のように嘆息する佐倉。……自分も今から『殺す』のだと気付くと、自然と表情が引き締まった。

 そんな彼の様子に気付くと、垣根は「くはは」と喉を鳴らす。

 

「そんなに緊張してんじゃねぇ……って言っても無理か。ま、次第に慣れるさ」

 

 ポン、と安心させるように肩を叩く垣根。以前襲われた時とは違う柔らかい対応に軽くたじろいでしまうものの、やはり仲間という立場では対応も違うかと納得する。敵になるとあれだけ恐ろしいのに、味方という状況ではこんなにもカリスマ性に溢れた奴なのか。超能力者、第二位が持つ絶対的な人間性に自然と惹かれ始める自分に気が付いた。

 垣根が部屋の扉を開け、外に出ていく。少女が後に続き、佐倉は足を縺れさせながらも遅れるように飛び出していく。

 佐倉が扉を閉めると、垣根は少しだけ顔を振り向けて、『リーダー』としての歓迎をするのだった。

 

 

「ようこそ。クズ共が集う、クソッタレの世界へ」

 

 

 

 

 




 ※エツァリさんは上やんと一緒にログアウトされました。




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暗部組織【カレッジ】編
第二十二話 九月十日


 お待たせしました。改稿一発目。これからは心機一転頑張っていこうと思いますので皆様よろしくお願いします。


 ジャック=ステライズは怯えていた。

 第七学区の端にある研究機関。学生の能力開発データを末端のみではあるが保持していると言われている重要な研究所。彼は何十人もの仲間達と共に、学生達の能力データを強奪するべく研究所を襲撃していた。理由は、そこまで大層なものではない。能力開発データが学園都市の『外』にある研究機関から高額で買い取ってもらえると聞いたから、ちょっとした小遣い稼ぎ感覚で銃を手に取っただけだ。表向きは高校の英語教師であるジャックは、気軽に人を殺せるほどには腐った性根を持ちあわせていた。そもそもが銃社会、その中でも軍隊という特殊な環境で生きてきた彼である。頻繁に戦争に駆り出される職業であったため、人の命を奪うことにそこまでの抵抗を感じてはいなかった。……あまりに命を軽視するため、軍隊を追放されてしまってはいたが。

 今回はただの小遣い稼ぎ。食い扶持を求めて学園都市に入り込んでいる似た境遇の仲間達を集い、研究所を襲撃。データを奪って、『外』の奴らと合流すれば大金を手に入れられる。後はそのまま故郷に戻ればハッピーエンド。何のことはない。数多の戦場を潜り抜けてきた自分達ならやれる。失敗する気は最初から無く、上手くいかないはずがなかった。現に潜入自体はスマートに完遂したし、中にいた護衛らしき警備ロボットも爆砕した。自分達の邪魔をするものは例外なく蹴散らし、目的のデータまで後少しだったはずだ。

 だが、ジャック達はデータを手にすることができていない。

 

「なんだよ、あのバケモンは……!」

 

 ジャックの口から無意識に漏れた言葉が、嫌が応にも『ソイツ』を意識させる。

 研究所の最奥部。やや広めの空間が広がっていたそこの扉を開けた時、彼らの視界に飛び込んできた黒い人影(・・・・)。固い装甲に覆われている点は一般的な駆動鎧と似通っているが、人間離れした大きさをしていない。例えるならばライダースーツか。肌に密着するような形状をした外殻の要所要所にはより深い黒をしたプロテクターが取り付けてあった。

 本来駆動鎧というのは、安全面を考慮してそれなりの大きさをしている。

 電気による肉体制御。衝撃に耐えるための様々な装置。より安全に、より効率的に最適化された形状が、一般的な駆動鎧だ。

 だが、目の前の『鎧』はその常識を打ち破っている。

 肌に密着するライダースーツ型の駆動鎧を製作することが不可能というわけではない。ただ、警備員等に支給されている型式を鑑みるに、それほど容易なことではないはずだ。莫大な資金と技術力が必要となる。それほどまでの非現実的な高性能駆動鎧。いったい、どれほどの後ろ盾を持っているというのか。

 

(そもそもっ、こんなチャチなデータ泥棒相手に派遣されるような代物じゃねぇだろっ……!)

 

 ジャックの視線の先では、現在進行形で仲間達が戦いを繰り広げている。――――否、戦いなどという大したものではない。それはあくまでも同等程度の実力者が相手である時に成立する言葉であり、今の状況には相応しくない。

 駆動鎧が右腕を振るう。『付属品(アタッチメント)』らしき金属製の手甲(ガントレット)が仲間の首から上を消し飛ばした。凄まじい速度で放たれた拳を回避することは、たかが軍隊上がりの自分達にはできない。

 よくよく見ると、駆動鎧にはいくつもの付属品が装備されていた。両手には甲の部分にゴツイ(スパイク)が生えている手甲。脚部には電極のような装置。磁力を利用する物なのか、腰の蓄電器らしき機械からコードが伸びていた。遠距離用の武器は見当たらない。根本的に接近戦を想定した駆動鎧だ。

 イカれている。恐怖に銃を持つ手は震え、喉は奥まで乾いて貼り付いていた。ヒュウ、と擦れた息が漏れるが、かといって身体が動くわけでもない。恐怖心が臨界点を突破したことで、彼の肉体は脳からの指令を受け付けなくなっていた。

 彼の視界の先で、一人、また一人と仲間達が葬られていく。

 

(チクショウ、学園都市(アイツラ)は、鼠退治に戦車を持ってくるような神経だったってことか!)

 

 まさか末端データごときで殺されるとは夢にも思わなかった。学園都市を甘く見ていたか。

 ひたすらに蹂躙を続けていた駆動鎧がジャックの方を向いた。もはや彼以外の標的はいない。漆黒のフルフェイスメットからは表情は読めないが、それが逆にジャックの精神を徐々に破壊していく。計り知れない恐怖と共に、彼の正気が蝕まれていく。

 ライダースーツにゴテゴテと装備品をくっつけたような駆動鎧が床を蹴った。ゴッ! という粉砕音と共に、駆動鎧が弾丸となってジャックへと肉薄する。

 声を上げる余裕さえない。気が付けば、絶望はすぐ傍にいる。

 ジャックの視界を闇が覆い隠すのに、それほど時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

                      ☆

 

 

 

 

 

「いやー、お勤めご苦労様ッス」

 

 月明かりに照らされる研究所から出てきた駆動鎧を出迎えたのは、十八歳程の奇妙な出で立ちをした少年だった。頭には土星の輪のような白いゴーグルが装着されていて、そのあちこちから腰の機械に何本ものコードが伸びている。何に使うのか皆目見当もつかない特殊なゴーグルを身に着けた少年は、どこか飄々とした様子で駆動鎧へと話しかけた。

 駆動鎧はすぐには返事を返さず、フルフェイスメットを両手で外す。中から現れたのは十五、六歳ほどの黒髪少年。クセのないストレートな髪をした彼は一見すると真面目な学生のようだが、実際は無能力者による武装集団【スキルアウト】に所属しているという一面を持ち合わせている。彼を知らない人間が聞けばあまり信じてもらえそうにない風貌だった。

 佐倉望。夏休み後半に最強の超能力者と死闘を演じ、第二位によって暗部に堕ちることになった無能力者だ。

 佐倉は右手と身体で挟むようにしてフルフェイスメットを持つと、

 

「警備員が密かに開発している怪物自動二輪の搭乗用スーツ……試作品とはいえ、こいつの性能は凄すぎやしませんか」

「表側の技術部も侮れないってことじゃないっスか? まぁ、ソイツは設計図を流用した暗部用の特殊鎧だし、科学者達が調子に乗って技術を惜しみなく投入したってこともあるんっしょ。ヤツら、警備員の技術部ごときに負けていられないって対抗心剥き出しにして頑張っていたし」

「たかが搭乗用のくせにこの性能ですからね……怪物級ではないにせよ、普通に戦闘用としては優秀も良いところですよ」

 

 ポンポンと軽く胸部の装甲を叩きながら感心したように佐倉が呟く。警備員はいったいどこまでの戦力を所持したいのか甚だ疑問ではあったが、その影響が先輩達にまで及ばないことを切に願う。関わったらミンチどころじゃ済まねぇですよ先輩方。

 フルフェイスメットを抱えたまま、周囲に誰もいないことを確認しつつ用意されたキャンピングカーに二人で乗り込む。ゴーグルの少年は相変わらずの掴めない調子で佐倉に労いの言葉をかけ続けていたが、返事もそこそこに空間の一番奥に座り込むと静かに目を瞑る。駆動鎧の操作によって蓄積した肉体的疲労が一気に睡魔を呼び寄せた。

 徐々に虚ろになっていく意識の中、彼は力なく開かれた自らの右手をぼんやりと眺める。

 

(……後、何人殺しゃあいいんだろうな)

 

 適度な揺れとゴーグルの弾んだ独り言を背景に、佐倉はゆっくりと意識を手放した。

 

 

 

 

 

                     ☆

 

 

 

 

 

 九月一日から、佐倉望は暗部構成員としての活動を開始していた。

 最初に与えられた任務は垣根達の補助。まだ新米であり無力である彼に相応しい任務だった。実際佐倉自身も己の力を見定めてはいたから、そこまでの屈辱も感じなかった。まだ弱くても良い、これから強くなっていけば。標的を相手に大立ち回りを披露する第二位を遠くから眺める佐倉は密かに決意したものだ。

 それから、彼は徐々に暗部らしい任務をこなすようになっていく。危険人物の確保、裏切り者への制裁、暗部同士の小規模な抗争……そこではいとも容易く命が奪われ、死体は秘密裏に処理される。そこには最初から誰もいなかった、そういう風に後始末される。

 何度死にかけたか分からない。死を覚悟した瞬間なんて数えるのも馬鹿らしいほどだ。大した力もない自分がよくもまぁこうして生きているものだとしみじみ感慨に耽ってしまう佐倉である。

 そんな絶望スレスレの佐倉に与えられた今回の任務。『研究所のデータ保護及び新型駆動鎧の試運転』。もはやどちらがメインなのか分からない任務に思わず首を捻ってしまったのは致し方あるまい。

 【スクール】が提携している技術機関が製作した新型駆動鎧。警備員が秘密裏に開発していた大型警邏用バイクの搭乗スーツの設計図を基に作られたソレのテストユーザーに佐倉が選ばれた。無能力者がどれほどの力を生み出せるか、という点に興味を抱かれたのかもしれない。「任務後は自分の兵器として好きに運用してくれて構わない、所詮は試作機だ」とは誰の言葉だったか。何にせよ、力が与えられたことには感謝せねばなるまい。

 

 任務を終え、ゴーグルと共にキャンピングカーに乗って向かった先はとあるホテル。どこぞの金持ちが宿泊していそうな雰囲気を醸し出しているホテルだが、暗部組織がアジトとして利用していると聞いたら驚くことうけあいだ。まぁ、文句の一つでも言った日にはその場で首をへし折られるのだが。

 エレベーターで目的のフロアに辿り着くと、廊下を歩いて部屋へと向かう。佐倉の背後ではゴーグルが何故か楽しそうに自分の女性遍歴を語っていたが、別段興味もないために適当に相槌を打ちながらアジトのドアを開けた。

 中にいたのは金髪の美少女と茶髪のイケメン。どこのキャバクラですかと真剣に悩みたくなるラインナップだが、悲しいかな、彼らは紛れもなく佐倉の仲間達である。正確には上司か。片や学園都市に七人しかいない超能力者、片や強度不明の精神系能力者と中々に個性的な連中なのである。

 暇そうに週刊マンガ誌を読み耽っていた垣根は入ってきた佐倉達に気が付くと、気怠そうに右手をひらひらと振る。

 

「おー、お疲れお疲れお疲れさん。新型鎧でしっかり無双してきたか?」

「……あぁ。試運転で多少遠慮したとはいえ、十分な性能だったよ」

「そっか。強ぇオモチャ貰えて良かったなー」

「……っ」

 

 心底興味なさそうに言うと、再びマンガに視線を落とす垣根。そんな彼の態度に佐倉の頭が沸騰しかけるが、なけなしの理性でなんとか怒りを抑え込む。ここでブチ切れても意味はない。垣根に片手であしらわれるだけだ。駆動鎧を着こんでいるとはいえ、軍隊を相手にできる超能力者に勝利できるとは思えない。それほどまでに桁違いの戦力を持ち合わせているのが、彼ら超能力者なのだ。

 弱者の象徴である無能力者な佐倉は密かに舌を打つと、備え付けのシャワールームへと向かう。

 

「あん? 今から心理定規とエロいことでもすんの?」

「駆動鎧を着替えるだけだ。変な妄想してんじゃねぇぞ童貞」

「ばっ!? て、テメェに言われたくねぇし! だ、誰がど、どど童貞だってんだよバーカ!」

「帝督、語るに落ちるを地で行っているわよ貴方」

「相変わらず愉快に間抜けっスよね」

「ムカついた。テメェゴーグルちょっと面ぁ貸せ」

「はっ? い、いやいや、垣根さんと喧嘩なんてオレの命がいくつあっても足りな――――」

「愉快なオブジェにしてやるよ……!」

「いやぁぁああああ!! へるぷみー佐倉クン! 尊敬すべき先輩が目の前で肉塊に変えられようとしているこの状況を打破できるのはキミしかいない!」

「すみません。俺ちょっと忙しいんで勝手に騒いでいてもらえますか」

「駆動鎧脱ぐだけじゃん! しかもそれスーツタイプだから割とすぐに済ませられるヤツじゃん! ちょっ、そんな冷たいこと言わずに助けてぷりーず!」

「五月蠅ぇ! いいからとっとと表ぇ出やがれ!」

「ひぎゃぁー! 地獄のカウントダウンが一気にゼロに!?」

 

 ドタバタと騒ぎながら部屋を出ていく馬鹿二人に思わず溜息が漏れる。ベッドに腰掛けていた心理定規が爪の手入れをしながら嘆息しているのが目に入ったが、特に気にすることでもないのでシャワールームの扉を開けた。そこそこの広さを有している空間で駆動鎧を脱ぐと学生服に着替えていく。外殻を覆っていた装甲やプロテクター、付属品、スーツを持参したボストンバッグに詰め込むと、再びシャワールームのドアを開けた。

 暇そうにベッドに寝転がっていた心理定規と視線が交錯する。

 

「駆動鎧脱いじゃってるみたいだけど、いざという時困らない?」

「今日はこれから研究所にデータの提出と調整に行かねぇといけませんから。明日からは服の中にでも着込んできますよ」

 

 プロテクターや手甲などの付属品を常時装着するのは流石に不可能だろうが、コンピュータ制御を切った上でスーツ自体を着ておくのはそこまで苦にはならない。あくまでウェットスーツのような感覚なので、外殻や付属品を取っ払ってしまえばインナーを着こむのとそれほど違いはないのだ。両手部分は……乾燥肌だからとか嘘ついて手袋でもつけておけばいいだろう。

 ボストンバッグと学生鞄を持ち直すと、アジトを後にする。心理定規が手を振って見送ってくれたのが若干気味悪くして仕方がなかった。基本的に魔性の女感丸出しの彼女には何をされても嬉しくない。

 ホテルを出ていく際に闇の中から聞き覚えのある助けを呼ぶ声が聞こえた気がしたが、佐倉は夕方に停めておいた自転車に乗り込むと全速力でそこから立ち去る。あぁいう状態の垣根にちょっかいをかけるとロクな目に遭わないというのはこの十日間で嫌という程理解した。無視して撤退するのが最善策と言えよう。

 自転車を走らせ、件の研究所へと向かう。最低限に灯された電灯に照らされる彼の顔は、何か大切なものが零れ落ちかけているようにも見えた。

 

 

 



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第二十三話 闇

 二話連続投稿です。最後の方に少々ヤンデレ要素があるかも。まぁ、気にならないレベルだとは思いますが。



 研究所でのデータ収集及び駆動鎧の調整を終えると、すでに時刻は日付を跨いでいた。

 街灯すらほとんど点いていない第七学区を一人自転車で学生寮へと向かう。月明かりにぼんやりと浮かぶ物憂げな表情は果たして孤独によるものなのか。誰一人として知り合いに会わないまま学生寮の駐輪場に自転車を止めると、何かから逃げるようにして自室へと飛び込んだ。騒音で隣と二個隣の馬鹿二人を起こしてしまうかもしれなかったが、別に彼らが怒鳴り込んできたところで今の彼にはどうでもいいことであった。

 電気を点けることもせず、ボストンバッグを下ろすと暗闇の中でベッドに仰向けに倒れ込んだ。最近夜間での活動が多かったせいか目がすぐに闇に慣れ、のっぺりとした天井と蛍光灯が薄らと浮かび上がってくる。

 天井の染みをぼーっと眺めていると、錯覚だろうか、次第にそれが人の顔を模っているように見えてきた。

 

 ――――嫌、だッ。死にたく、ないィ!

 

 脳裏に響くのは誰の声だろうか。鼻水と涎に塗れた人間の顔が次々と浮かんでは消えていく。耳にはいつまでも怨嗟の声が残った。死を前にして絶望に染まった人間の、醜いまでの慟哭が。

 鬱陶しそうに寝返りを打って天井から視線を逸らす。目を瞑って苦しそうに顔を歪めるが、声から逃げることはできない。佐倉を責めるような声、助けを求める声、断末魔の声が休む間もなく佐倉の精神を蝕んでいく。誰もいない暗闇の中、佐倉は助けを求めるように携帯電話を開いた。

 待ち受け画面に現れたのは、佐倉と一人の少女が写っているプリクラだ。白い半袖シャツと灰色デニムというシンプルな服装をした佐倉の腕に抱きつくような体勢でこちらを見ている茶髪の少女。ベージュのサマーセーターに、紺色のプリーツスカートを着た明るい笑顔が魅力的な中学生。彼女は、佐倉が唯一心の拠り所にしている存在と言っても過言ではなかった。かつて彼を絶望から救い出し、新たな人生を与えてくれた超能力者。

 彼女の、名前は――――

 

「……み、こと。御坂、美琴」

 

 擦れた声で絞り出される彼女の名前。まるで熟考の末にようやく思い出したかのように、苦し紛れに口を動かしていた。――――その事に自分で気づき、歯を食い縛りながら拳でベッドを殴りつける。

 佐倉は苦悶の表情を浮かべていた。

 

「何やってんだ、俺はッ……! アイツの名前も思い出せなくなるほど疲れているってか。根性見せろよスキルアウト!」

 

 悲鳴のような叫びが部屋に響き渡るが、言葉を返す者は誰もいない。叫びは虚空に空しく吸い込まれ、後にはどうしようもない静寂だけが残ってしまう。襲ってきた沈黙が、自分を責めたてているように感じた。

 何かで気を逸らさないと狂ってしまう。ここ最近毎晩同様の症状に苛まれている佐倉は、携帯電話を操作するとメール受信ボックスを開いた。現れたのは十件の受信メール。ちなみに、そのどれにも佐倉は返信していない。

 

『9/7 18:06

 From 御坂美琴

 Sub (non title)

 九月に入ってから全然返信くれないけど、大丈夫?

 疲れているのなら、無理せずゆっくり休みなさいよね。

 アンタが倒れたりしちゃうのが、一番困るんだから』

 

「…………」

 

 無言のまま、黙々とメールを流し読みしていく佐倉。その顔に笑顔は浮かばない。以前ならば飛び上がって喜んだはずの美琴からのメールを読んでも、今の彼はほとんど喜ぶことができないでいた。心に、彼女の言葉が全く入ってこないのだ。病んでるな、と自嘲気味に呟いてしまうほどに。

 何度も返信メールを打とうとはした。だが、いくら頭を捻っても思いが言葉にならない。一度必死に拙いながらもなんとか文章にしたことはあるが、とても見られるものではなかったため即座に消去した覚えがある。

 佐倉望が暗部堕ちしたのは、御坂美琴を守れるだけの力を手に入れるためだ。超能力者である彼女を自分のような無能力者が守れるようになるには、並大抵の方法では不可能。それに、時間もかかりすぎる。そんな中提示された垣根による勧誘に、佐倉は藁にもすがる思いで首を縦に振った。自分で選んだ道だから後悔はない。八月三十一日に美琴に言ったその言葉に、嘘はない。

 ……だが、佐倉は今凄まじい後悔と戦っている。手にかけた、命を奪った人間達の怨念に精神を擦り減らされている。少しでも気を抜くと、授業中であっても絶望に染まる顔と悲鳴が鮮明に思い出されるほどだ。

 力が欲しい。それが佐倉の願いだった。だが、そのために他人の命を奪うのは果たして正しいことなのか。

 

「一方通行の事を責める資格ねぇよな……」

 

 今の彼は実験中の一方通行そのものだった。強大な力を手に入れるために他者を殺し、殺し、殺していく。最初は感情があったのかもしれない。しかし、あまりにも長い道のりは次第に自分から感情の機微を奪っていく。機械的に、事務的に、人を殺すようになる。さすがにそこまで狂気染みたことにはなっていないが、猶予は後どれくらいか考えたくもなかった。

 少しずつ壊れていく自分自身を嘲笑いながら携帯電話の画面を見つめていると、表示が『着信中』の文字に変わった。こんな夜中に誰だろう。そんなことを考えながらも宛名に視線を移す。

 

『御坂美琴』

 

「っ!?」

 

 心臓が止まるかと思った。それはさすがに言い過ぎだとしても、驚きに両目は見開かれ、一瞬呼吸は確実に止まっていた。暗闇と静寂の中で、心臓だけがけたたましく鼓動を鳴らしている。変な緊張感に、掌に汗が滲むのを感じた。

 この十日間一度も顔を合わせることのなかった相手。そもそも九月六日まで彼女は友人達と共にアメリカの学芸都市に社会科見学に行っていたので、機会自体が少なかったのだが。それにしても返信すらせず、意図的に関係を断っていた後ろめたさがある。普通に通話を始めるには躊躇う動機が多すぎた。

 しかし、非情にも着信音は鳴り続ける。このままでは隣の金髪サングラスが怒鳴り込んでしまう可能性大だ。アロハシャツが乗り込んできたところで佐倉的に支障はないのだが、今の精神状況で土御門の相手をするのは少々キツイ。ここは大人しく腹を括って通話ボタンを押した方がいいだろう。

 何度か深呼吸すると、震える指先で通話ボタンを押した。

 

「もしもし――――」

 

 

 

 

 

                    ☆

 

 

 

 

 

《もしもし、佐倉だけど……》

(やっと繋がった!)

 

 ゲコ太系携帯電話から聞こえてきた懐かしい声に、美琴はベッドの上で思わずガッツポーズを決める。隣のベッドでは同居人の白井黒子が穏やかな笑みを浮かべて美琴に微笑ましい視線を送っていたが、美琴は彼女を華麗にスルーした後に最小限な大声という意味不明な声量で佐倉へと言葉を返す。

 

「アンタ、今まで何してたのよ! メールも返してこないし、放課後も全然会えないし……私がどれだけ心配したか、本当に分かって……」

《……ごめん》

「……え? いや、そんなに殊勝に謝られるとこっちも対応に困るんだけど……」

 

 いつものような軽い返しが来るかと身構えていたのに、いざ返ってきたのは力ない謝罪の言葉。美琴の知っている佐倉望らしくない疲弊しきった声色に、一瞬美琴の思考は完全にフリーズしていた。空元気と自嘲癖で成り立っているはずの想い人の声からは、彼らしい明るさがまったく感じられない。

 背中に嫌な汗が浮かび始める中、美琴はなんとか普段の佐倉を引き出そうと奮闘する。

 

「あ、ほら。ちょっと前に広域社会見学があったじゃない? アメリカの学芸都市に行ったのはメールでも言った通りなんだけど、そこでまた奇天烈な事件に巻き込まれちゃってさぁ。なんか非科学的なモノと戦って……まぁ私が勝ったんだけどね? でも、せっかくアメリカにまで行ったのにロクに観光もできずにすごすご強制送還だなんて最低だと思わない? 初春さんなんか『春上さんと枝先さんにお土産買っていくんですー!』って言って聞かなくて……隣で困ったように初春さんを宥めている佐天さんがそりゃあもう健気だったわ。今思い出しても笑いが……」

 

 言葉をひたすら捲し立て、少しでも佐倉との通話を長引かせようとする美琴。しかし、いくら言葉を並べても、佐倉からマトモな反応が返ってくる様子はない。《……あぁ》とか《そっか》とか、素っ気ない疲れたような返事が聞こえてくるだけだ。期待していた軽口が返ってくる気配はない。八月三十一日に美琴が見たあの佐倉を電話口から感じ取ることはできなかった。

 思わず、胡坐をかいた膝の上で拳を握り込んでしまう。強くした唇を噛み、必死に何かを堪えようとしているようだ。よく見ると、瞳が徐々に潤み始めているのが分かる。……彼女は、溢れる涙をなんとか流すまいとしていた。

 佐倉望がここまで疲弊している理由。それは十中八九、暗部とやらに起因するのだろう。

 力だけが全て。下手を打てば一瞬で命を奪われるそんな世界。以前美琴もその一端を目にし、その身で実感したが、精神崩壊寸前にまで追い詰められてしまったことを覚えている。誰にも頼れない。ひたすらに襲ってくる絶望を一人で耐え抜くには、ソイツはあまりにも重すぎた。今でも、思い出すだけで気持ちが暗くなる。

 そして、佐倉は美琴が見た以上の闇の中で生きている。当事者とも言うべき垣根帝督直々にスカウトされた彼はおそらく最前線で戦っているのだろう。元々精神的に丈夫な人間でもないくせに、『美琴を守りたい』というその願いだけを胸に暗闇を駆け抜けているのだろう。出口の見えないトンネルを、電池が切れかけた懐中電灯を一つだけ持ったような状況で。

 正直に言って、美琴の知る佐倉望は非常に弱い人間だ。無能力者だとか超能力者だとか、そういうどうしようもない能力格差を抜きにしても佐倉は弱い。精神的に、彼は打たれ弱い。とても学園都市の闇に耐えられるような性格をしていない。……それほどまでに佐倉望は弱く、そして優しい。

 そんな彼が、自嘲癖の激しいだけの優しい彼が、どうしてあれだけの闇の中で平気でいられるだろうか。

 

「……もう、やめてよ」

 

 先程までの空元気が嘘のように衰弱した声を上げる美琴。もはや涙を我慢する気力さえなかった。ポタポタと握った拳に生温い液体が落下していく。一度流れ始めた涙は止まることなく溢れ、嗚咽を誘発させた。

 子供のように泣きじゃくりながら、美琴は必死に懇願する。

 

「もう、無理しないでよ! なんでアンタが傷つかなくちゃいけないの。なんでアンタがそこまで追い詰められなくちゃいけないの!? アンタが何か悪いことをした? ちょっと素行不良でしょっちゅう警備員に追い回されているかもしれないけど、そこまで壊れちゃうような目に遭うことなんてしてないじゃない!」

《美琴……》

「やめてよ、アンタのそんな弱りきった声なんて聞きたくない! 私の知っている望は、もっと馬鹿で一直線で、どうしようもなく元気なヤツだったわ! 確かに思い込みが激しくて落ち込む時もあったけど、それでも私には笑顔を向けてくれた! ねぇ、夏休みの最後に私が告白した佐倉望は、いったいどこに行っちゃったの? あんなに綺麗な笑顔で私を抱きしめてくれた望は、どこに行っちゃったのよ!」

 

 今が夜間で、近所迷惑になるかもしれないという心配すら頭には欠片も残っていないらしく、美琴は感情のままに溜まった想いを吐き出し続ける。ここまでの大声を出しているのに、何故か寮監が乗り込んでくることは無かった。

 御坂美琴は楽天家ではない。佐倉が置かれている境遇も理解しているし、それが普通の精神状況で乗り越えられるような場所ではないことも知っている。だが、それでも今だけは。美琴と話している時だけは、いつもの彼でいて欲しかった。照れ隠しに減らず口を叩くような、捻くれ者の佐倉望でいて欲しかった。

 しきりに叫び続けて疲れたのか、荒い息遣いのまま美琴はようやく口を止めた。荒々しく肩を上下させ、なんとか怒りを押し留めようと努力している。握った拳は、充血して色を失っていた。

 佐倉からの返事はない。何を言おうか困惑しているのだろう。美琴至上主義の彼の事だ、言われた通りに空元気でも見せようとしているのかもしれない。……だが、今の彼にそんな無理ができるとは到底思えなかった。

 しばらくの沈黙が場を支配する。白井は未だに心配そうに美琴を見つめている。先輩思いな可愛い後輩に「大丈夫」と泣き腫らした目で語りかけると、少しづつ落ち着きを取り戻してきた様子で再び口を開いた。

 

「……望。私は、アンタのことが好き」

 

 突然の告白に、電話口の向こうで彼が狼狽する様子が感じ取れた。予想外の言葉にテンパっている映像が目に浮かぶ。……ようやく、少しだけ口元に笑みが浮かんだ。

 満足そうに頷くと、言葉を続ける。

 

「好きだから心配するし、好きだからアンタには元気でいて欲しい。たとえアンタを苦しめているのが私自身であったとしても、好きだから私は自分の願いをアンタにぶつけ続けるわ。身勝手だとか、我儘だってことは分かってる。矛盾しているかもしれないし、もしかしたら不条理なことを言っているかもしれない。……でも、だから私は胸を張ってこう言い続ける」

 

 愛する彼の顔を思い浮かべながら、柔らかな笑みを浮かべる。

 この十日間、彼とマトモに連絡を取り合うことができなかった。元来寂しがり屋で精神的に弱い彼は、誰かに頼ることもできずに苦悩に苛まれていたのだろう。人を殺した、殺されかけた。そんな非日常的な毎日に慣れかけている自分が嫌になっていたのだろう。それでも、誰にも頼れなかった。だから、ひたすらに闇を進み続けた。

 美琴の言葉で今の佐倉が救われるなんて自意識過剰なことは思わない。人の命を奪う苦しみはそう簡単に消えるものではないし、これからも佐倉を悩ませ続けるだろう。暗部で生きる以上、それは避けられない運命だ。彼女とて、そんなことは分かっている。

 だが、少しでも彼を励ますことができれば。絶望に心を食われかけている彼を少しでも取り戻すことができれば。佐倉望を、ほんの少しでも理解してあげることができれば……多少は、精神的に楽になるのではないか。

 これは美琴の勝手な憶測だ。彼が立ち直る確証なんてないし、仮に立ち直ったとしてもすぐに壊れてしまうかもしれない。

 だが、それでも。

 御坂美琴は、根拠のない自信と共に胸を張って高らかに宣言する。

 

「頑張って、望。私は、アンタを信じているから」

《……――――――――》

 

 気が付くと、通話は切れていた。ピーという無機質な電子音が電話口から聞こえるだけ。

 

「お姉様……?」

 

 携帯電話を握ったままなかなか動こうとしない美琴を不審に思った白井が声をかける。美琴は虚空を見つめたまま、微動だにする様子がない。……だが、その顔にはわずかながらの微笑が浮かんでいた。

 僅かな口元の綻びは次第に顔全体へと広がっていく。頬には淡い朱が差し、口元はにへらとだらしなく開かれている。普段の彼女からはまったく想像できない緩みきった表情の下で、彼女は何故か身体全体をもじもじと物欲しそうにくねらせていた。携帯電話を持っていない左手が彼女の腰の辺りで不審な動きを繰り返していたが、左手が動くたびに美琴は全身を痙攣させるように軽く跳ね上げていた。

 潤んだ瞳でうっとりと壁を見つめたまま、美琴はゆっくりと震える唇を動かしていく。

 

「……『ありがとう。愛しているよ、美琴』だなんて……えへへぇ。望に、愛してるって……アはッ。もう、私がいないと、望は本当に何もできないんだからァ……」

 

 ぞわ、と白井の背筋に悪寒が走る。何だあれは。少なくとも、彼女が知っている御坂美琴の姿ではない。

 あまりにも変貌してしまった美琴の姿に、白井は隠すことなく狼狽する。……そして、彼女をそこまで『壊した』最有力人物を即座に導き出すと、怒りの炎を瞳に宿して拳を強く握り込んだ。

 

 ――――許すまじ、佐倉望ッ!

 

 常盤台中学学生寮の一室で、それぞれの想いを抱えた少女達の夜が更けていく。

 

 

 

 

 

 

 




 ちなみにサブタイトルの『闇』は、『病み』と読み替えることが可能です。


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第二十四話 カレッジ

 前話で黒子が怪我している描写がありましたが、よく考えると残骸編はまだでしたね。訂正しておきました。混乱させてしまったことを深くお詫び申し上げます。


《頑張って、望。私は、アンタを信じているから》

 

 電話口から届いた凛とした声が、佐倉の荒んだ心に染み渡っていく。血と肉の臭いに塗れた身体を癒し、絶望に苛まれていた精神を和らげていく。

 彼女の言葉に喜びを覚えないのではなかった。単に、機械的なものでしかないメールの文面だったから心が動かされないだけだったのだ。自分は今、こんなにも美琴の言葉に感動している。願望と倫理観の狭間で揺れ動いていた自分の指針を、この一言だけで彼女は決定してくれた。不思議と、佐倉の口元にわずかな笑みが浮かぶ。

 先程よりかは随分楽そうな面持ちで、佐倉は静かに思いの丈を伝えた。

 

「ありがとう。……愛しているよ、美琴」

 

 そう言うと、返事も待たずに通話を切った。別に特殊な事情があったわけではない。単に、恥ずかしかった。ガラにもなく甘い言葉を囁いてしまったことが、今更ながらに佐倉の羞恥心を刺激していた。

 ふぅ、と安堵の溜息をつくと、おもむろに立ち上がってベランダへと出る。外には、街灯すらほとんど点灯していない漆黒の暗闇が広がっている。この時間帯だと、自分以外の暗部組織が暗躍している可能性も否定はできない。こうしている間にも、何人もの命が奪われているのだろう。どれだけ泣き叫んでも聞いてはくれない。どれだけ許しを請うても絶望は止まらない。学園都市の闇で生きる以上、そんな現実には慣れるしかない。

 手すりに手をかけて暗闇を見つめる。美琴の言葉を何度も反芻しながら、これからの指針を再確認する。

 

(……そうだ。決めたんじゃねぇか)

 

 思い出すのは夏休み。垣根からの問いかけに、自分は何と答えたか。『力が欲しいか?』と聞かれ、佐倉望はどう答えたか。

 

「美琴を守れるぐれぇ、強くなりてぇ」

 

 ――――その為なら、どんなことだってやってみせる。

 殺しは怖い。毎晩魘されるし、慣れるものではない。戦場ではいつだって恐怖と隣り合わせで、死はいつもすぐ傍にある。一瞬たりとも気は抜けず、時間と共に精神は摩耗していく。正気も徐々に失われ、最後に待っているのはおそらく『狂』。……だが、それがどうした。

 美琴を守れるようになるために。彼女の隣で胸を張って歩けるために。

 そのためなら――――

 

「俺は、何人だって殺してやるッ……!」

 

 そうだ。これは、美琴の為だ。彼女を守るための、尊い犠牲なのだ。一方通行とは違う。自分の為ではなく、他人を守るための力。求める力の種類は、自分の方がより『正義』に近い。

 

「俺は諦めねぇ。だって約束したもんな? 『どんなことが起こっても絶対に逃げるな』って。そいつぁ、たとえ《殺し》でも有効なんだよな? 自分の願いの為に……お前の為に、俺は戦っても良いんだよな?」

 

 言葉は返って来ない。無理に自分を正当化しているような彼の呟きは、絶望溢れる暗闇へと吸い込まれていく。彼の決意を嘲笑うかのように、漆黒の闇は緩やかな風で佐倉の頬を撫でた。クセのない前髪が風に揺られ、その下にある佐倉の表情を月明かりの下に晒す。

 

「やってやるさ。何人でも何十人でも何百人でも、お前の為ならな」

 

 口元が弓状に歪む。希望に輝いている瞳。だが、そこからは何か大切なものが抜け落ちていた。

 終わりの見えない絶望的な闇は、無力な少年を徐々に引きずり込んでいく。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 九月十二日。

 週末に入り、学生である佐倉は本来ならば友人達とどこかに遊びにでも行っているようなその日。垣根帝督はいつものアジトに【スクール】の構成員を呼び出した。

 

「集まったな」

 

 目の前にいる三人の構成員達を見やると、どこか演技がかった言葉を口にする垣根。普段からいけ好かないメルヘン野郎ではあるが、今日はいつにも増して胡散臭いなと佐倉は心中毒を吐く。言葉には出さないが、その表情はどうみても嫌悪感を露わにしていた。半目で口の端をヒクつかせるとか完全に気持ちが顔に出ている。そのことに気付いた心理定規が、人知れず呆れた溜息をついていた。

 だが、自分に酔っている垣根は佐倉の様子に気が付くことはない。ただ暗部組織のリーダーとして、必要な情報をできるだけカッコよく与えていく。

 

「【カレッジ】っていう暗部組織があるんだが、今晩そいつらがとある施設を襲撃するらしい。第一学区……統括理事会の御膝元にある、能力者データバンク。【書庫】の維持を担っている、管理施設みてぇなもんだな。コンピュータ制御だけじゃ心もとないから、補助的な役割をしているらしい。当然、そこには【書庫】のスペアデータも保管されている。ヤツらは、そのスペアデータを手に入れる為に施設を襲うってこった」

「うへぇ……そんなことの為に学園都市に喧嘩売るとか、頭湧いてんじゃないかって心配になるっスね……」

 

 ゴーグルがわざとらしく肩を竦めているが、今回の襲撃は確かに命知らずと言ってもいい犯行だ。

 第一学区。学園都市の司法・行政を司る中枢部。統括理事長が住まうとされている【窓のないビル】が存在するのは第七学区だが、統括理事会や裁判所などの主要機関がそろい踏みしている重要な学区だ。当然、他学区に比べて警備は厳しい。警備用ロボットだけでなく、おそらくは多数の駆動鎧が巡回している。そんな学区に存在するデータバンクを襲撃するというのは、いくらなんでも自殺行為だ。

 垣根の説明を補うように、心理定規はどこからか取り出した資料を片手に口を開いた。

 

「私も上からの指示を受けてちょっと【カレッジ】について調べてみたんだけどね。そいつら、全員が全員大能力者なんだ。しかも【置き去り】。よくよく調べてみれば、学園都市の闇に触れていそうな過去がうじゃうじゃと……学園都市に復讐する動機は、これでもかってほど持っているみたいね」

「学園都市での能力開発には、必ず犠牲が必要になる……身寄りのない【置き去り】は、実験体(モルモット)にするには持って来いの人材だったってワケっスね」

「あぁ。大方、昔に脳味噌弄られた復讐って所だろ。もしかしたら研究所で仲間を殺されたのかもしれねぇな。科学者(アイツら)、科学の発展のためなら世界にだって喧嘩を売るような馬鹿共だし」

 

 学園都市の科学力は、『外』よりも二、三十年進んでいると言われる。しかし、それだけの発展の裏には、【置き去り】のような弱者の犠牲が付き物だ。何かの犠牲なしに何かを得ることはできない。医療薬を作るための実験用マウスと同じだ。ただ、それが偶然人間だっただけ。科学者達にしてみれば、その間に大した差は無い。

 【カレッジ】とやらの構成員達は、その科学者達によって人間としての尊厳を奪われでもしたのだろう。脳味噌を弄られ、薬物を何種類も投与されて。人権なんて与えられない。ただ実験動物としての扱いを何年も受けてきたのだろう。……普通に考えて、非人道的で残酷な話だとは思う。

 ――――しかし、『今の』佐倉望にとって、そんなことはどうでもいい話だ。

 

「変な同情めいた茶番はいらねぇからさ。単刀直入に命令してくれよ、リーダー」

 

 突然口を開いた佐倉に三人の視線が集中する。以前ならば良心と現実の板挟みで葛藤するような弱い精神の持ち主だったはずの彼から飛び出した彼らしくない台詞に、三人は怪訝な表情を浮かべる。かつての無力な佐倉望ではない……どこか変貌してしまったような『彼』が、垣根からの命令を待っている。

 その瞳に浮かぶのは、『狂気』。

 垣根達からの視線を受けながら、佐倉はどこまでも歪んだ、醜い、それでいて純粋な笑顔を湛えて、興奮気味に確認(・・)する。

 

「俺達は、そいつらを殺すために頑張ればいいんだろ(・・・・・・・・・)?」

 

 

 

 

 

                 ☆

 

 

 

 

 

 第七学区のどこかで、逆さまの人間が笑う。

 彼の『計画』通りに壊れていく無能力者を思い、悲しみ、賞賛しながら。

 

 

 

 

 

                 ☆

 

 

 

 

 

 能力者データバンク第一通路。

 

「ヒャッハァァアアアア!! オレサマの歌声に魅了されちまってるってかァアアア!? よぉおおおし! 今日は心行くまで、オレサマの美声に酔いしれちまえやゲスト共ォオオオオオオオ!!」

 

 スピーカーを通したようなノイズのかかった爆音が研究所を揺るがす。だが、それだけではない。彼の前方にいた多数の駆動鎧達が、彼の声を受けて四方八方に吹っ飛んでいく(・・・・・・・・・・・・)。声が超音波のように……いや、衝撃波となって、駆動鎧達を吹き飛ばしているのだ。金属を思い切り叩いた時に発生するような耳障りな騒音が放たれると、次々と駆動鎧達を蹴散らしていく。

 

「盛り上がってますかァアアアアアアアアア!!」

 

 口を大きく開くと、彼の口元から駆動鎧までの空間が一気に歪んだ。衝撃波によって光が屈折しているのだ。陽炎のような現象は、彼の攻撃軌跡を露わにする。……一直線に、駆動鎧達に向かっていた。ゴシャァッ! と圧力によって押し潰される駆動鎧達。空き缶もかくやと言った潰れ方を目の前にして、彼はライオンのように逆立たせた赤髪にニッコリ笑顔で手櫛を入れる。その下で、特徴的な八重歯が照明の光を受けてキラリと光った。ダメージジーンズにジャンパー。髑髏マークの趣味の悪いシャツ。一昔前のパンクロッカーのような出で立ちの少年は、大声を上げながら進軍していく。

 第一通路を進み続け、ようやく出口が見えてきた。次のフロアに続いているのだろう。首から提げた鎖状のネックレスに手をやりながら足を進める。

 だが、そこでもう一つの声が彼を阻んだ。

 

「困るんスよね。あんまり大暴れされちまうと」

 

 黒いインナーに橙色の長袖シャツ。深緑のカーゴパンツを穿いた荒い髪質の少年。頭には土星の輪のような巨大なゴーグル……もはやヘッドギアとも言うべき機械を付けていて、そこから何本ものコードが腰の機械へと伸びている。

 少年は面倒くさそうに髪を掻いていた。そんな余裕な態度のゴーグルを見ると、赤髪の少年は舌を出して中指を立てながら濁った声を張り上げる。

 

「本日のメインゲスト! 最ッ高に盛り上がったこのステージでッ、このオレサマ、唐竹響(からたけひびき)を盛大に楽しませてくれやァアアアアア!!」

「五月蠅いんスよ。その喉潰してやろうかライオン頭」

 

 

 

 

 

                      ☆

 

 

 

 

 

 能力者データバンク、第二通路。

 

「ふん……我が邪眼の力を以てすれば、貴様らの攻撃なぞ蝿が動くようだわ」

 

 頭上から振り下ろされるスパナによる一撃を、駆動鎧の腕が動くと同時に右脚を一歩引くことで回避するゴスロリの少女。身を翻すたびに、艶やかな銀髪が照明の光を浴びて闇夜に一際輝く。駆動鎧を見据える両目は金と紅。どこか現実離れした雰囲気の少女は、豊かな胸部の下で腕を組んだまま踏込だけで駆動鎧の攻撃を回避していく。どれだけスパナを振るっても掠りもしない。まるで最初から攻撃が分かっているかのように、発生と同時に美しい肢体が華麗に流れていく。柳に風、暖簾に腕押し。連続してぶつけられる攻撃は何一つ効果を発揮しない。

 

「見える、見えるぞ……貴様らは、闇夜の使い(ダークソウル)の手によって奈落の底に呑み込まれるのだ!」

 

 そう言うや否や、少女がいきなり走り出した。唖然とする駆動鎧の間を掻い潜るようにして通路の奥へと向かう。突破されたことにようやく気付いた駆動鎧達が迎撃に向かうべく反転するが、

 突如、彼らの足元から火花が散った。金属を焼き切る特徴的な音が響いたかと思うと、吹き抜けを通るようにして架かっていた通路が一気に分解される。……本来ならば扉を焼き切るのに使われるツールによって、駆動鎧達の足場が消失する。

 

「他愛もない……やはり選ばれし闇の血族には敵わんということだ」

「ちょっと……こんなのが相手なワケ?」

「そろそろ現れる頃かと思っていたぞ、新たな客人よ」

 

 声が放たれた背後を振り返ることもせず、背を向けたまま妖しく微笑む少女。そんな幻想的な少女に嘆息しながらも、金髪赤ドレスはレディース用の拳銃を取り出しながら口元を吊り上げた。

 

「報酬は弾みなさいよね、帝督」

「面白い。そのような玩具でこのリリアン=レッドサイズを倒せると思うのならば、試してみるがいい」

 

 

 

 

 

                  ☆

 

 

 

 

 

 能力者データバンク、第三通路。

 

「もう嫌だ……怖いよ怖いよぉ……」

 

 耳を塞ぎ、目を瞑ったまま恐る恐る足を進める少年。周囲の様子を確認する方法を自ら阻害しながらも、少年の身体は少しもふらつくことなく真っすぐ進んでいく。その背後には、腕の部分がへし折れたいくつもの駆動鎧が転がっていた。

 その中の一体。まだ動けたのだろう一体が、怯えた様子の少年に向けてショットガンを放った。鉄板すら破るほどの威力を持った銃弾が少年へと飛来する。

 だが、少年の肌に触れた瞬間に銃弾は向きを変えた。飛んできた方向へと、綺麗な軌跡を描いて戻っていく。……駆動鎧の構えたショットガンの銃口に。

 けたたましい爆音が響くと、少年はいっそう身を屈ませる。

 

「他のみんなは大丈夫かなぁ……僕はもう全力でここから帰りたくなってきたよ……」

 

 両目の端に涙を滲ませ、子供のような弱音を吐く。線の細さと肩まで伸ばされた黒髪のせいか、下手をすると少女と勘違いされてしまいそうな外見だった。ビクビクと肩を激しく振るわせながら一歩一歩進んでいく。

 そんな少年の前に、新たな人影が姿を現した。

 長身に整った顔立ち。くすんだ茶髪が彼のガラの悪さを際立たせている。着崩した茶色のスーツが彼の印象をよりチンピラめいた方向に向かわせているが、本人の挙動からしてそもそもがそういう系の人間らしい。ヤクザ予備群の高校生といった感じか。

 少年――――垣根帝督が右手を振ると、彼の背中から六枚の白い翼が顕現した。【未元物質】。学園都市の第二位に位置付けられている、天界の力。天界の力の片鱗を振るうもの。

 垣根が臨戦態勢を取ったことで、少年の震えが一際激しくなった。

 薄暗い空間で、少年――――落窪向(おちくぼむかえ)を脅すように、垣根帝督は口元を吊り上げた。

 

「一方通行の劣化版か……あのクソ野郎と戦う前に、テメェで腕鳴らしとしゃれこもうかね」

「嫌だ、怖い……でも、やるしかないんだよね……!」

 

 

 

 

 

                     ☆

 

 

 

 

 

 能力者データバンク、第四通路。

 そこだけは他の通路と違い、警備ロボットや駆動鎧が出現していなかった。監視カメラはいくつも設置してあるが、かといって彼女を止めるために何かが派遣される様子もない。亜麻色の長髪をポニーテールにしている少女は、背負った日本刀をカチャカチャと鳴らしながら鼻歌交じりに通路を駆け抜けていた。周囲の風景が目まぐるしく後ろへと流れていく。少女は、音速の半分ほどの速度で移動していた。あまりのスピードに白いセーラー服と紺色のスカートがバタバタとはためいて下着が露わになっているが、彼女は気にする用もない。そういったことに無頓着な性格のようだった。

 背は高く、すらりと伸びた白磁のような肌をした手足。胸部には若干の心残りがあるが、もし女優であればすぐさま人気沸騰してしまうだろうことが想像される外見だ。全体的に鋭い印象を抱かせる。

 スニーカーが金属の床を鳴らす度に少女の身体は弾丸のように進んでいく。彼女を止められるものなんて何もない。ただ力強く、凛として通路を駆け抜けていく。

 

 ――――刹那、少女の顔面を凄まじい衝撃が襲った。

 

 予想外の衝撃に後方へと吹っ飛んでいく。背中から盛大に床へと落下したが、日本刀の鞘によるダメージを気にする様子はない。というか、悲鳴一つ上げることは無かった。

 音速の半分という異常な速度で移動していた少女。そんな彼女を止め、あまつさえ攻撃を命中させた奴は誰だ。 鈍い痛みを訴え続ける身体を無視し、少女はさっと立ち上がると視線を前方に飛ばす。

 そこには『黒』がいた。全身を固い装甲に覆われた、特撮ライダーのような出で立ちの人間が。肩や膝などの要所要所にはさらに深い漆黒のプロテクターが装着されている。(スパイク)の生えた手甲や腰の蓄電器。脚部の巨大なコイルが特徴的な駆動鎧。しかし、それは駆動鎧というにはあまりにも細く、まるでライダースーツに装甲をくっつけたかのような形状をしている。

 

「…………」

 

 駆動鎧は言葉を発さない。ただ拳を構え、腰を落とすだけだ。会話よりも戦闘を望んでいるのか、フルフェイスメットのせいで表情は窺えないが、纏う雰囲気は狂戦士のソレだった。殺しをいとわない、血で血を洗う戦闘を所望する狂人のオーラ。とても、普通の人間だとは思えない。

 

「…………」

 

 対する少女も口を開かない。背中の鞘から日本刀を抜くと、鋼色に輝く刀身の刃先を駆動鎧へと向ける。動作の一つ一つがあまりにも整っていて、思わず見惚れてしまうほどに綺麗だ。様々な所作を最大にまで極めるとこうなるのではないか、という想像を形にしたような動き。セーラー服と亜麻色のポニーテールが彼女の動きとあまりにも不釣り合いなのだが、この場にそれを指摘する者はいない。

 少女は表情を変えない。桐霧静(きりぎりしずか)という名に相応しく、落ち着いた様子で刃を構える。

 狂戦士と狂剣士が、お互いの武器を向けあう。

 

『…………ッ!!』

 

 同時に地を蹴ると、金属製の床が轟音と共に陥没した。

 

 

 

 

 

 



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第二十五話 歌声と邪眼

 二話連続更新。今週の土日は結構調子が良かったです。


 彼らは『五人』で一人だった。

 両親から捨てられ、身寄りもない五人の子供達。捨てられた先が学園都市というのが不幸だったのか、拾われた先で彼らを待ち受けていたのは託児施設ではなく研究所。人工的に的確に『大能力者を作り出す』という、学園都市内でも一風変わった研究所だった。実現の可能性が限りなく低い超能力者を作るなんて非効率。それならば、大量の子供達を集めて脳の構造を調整し、強制的に大能力まで能力強度を底上げしてしまえばいい。そんなイカレた思考回路を持った科学者達が集まる地獄。彼ら五人は、その研究所で邂逅した。

 毎日が言葉にできない程に凄惨な地獄絵図。毎日同じ境遇の被験者達が犠牲となり、植物人間となって帰ってくる。時には、脳が破裂して頭部が元の形を留めていない者もいた。無理矢理脳を弄られたために、人間の限界を超えてしまったのだ。

 彼らは一つの部屋で何年も過ごした。それぞれがそれぞれの能力に合った訓練を行っていたので四六時中共にいたわけではなかったが、訓練後と実験後にはその部屋で毎晩お互いを励まし合った。傷を庇い合い、いつかこの地獄から抜け出してやろうという決意を胸に秘めて毎日を必死に耐え抜いていた。

 だが、研究所に収容されてから十年が経過し、彼ら全員が大能力の片鱗を見せ始めたある日。

 

 『五人』は、『四人』になった。

 

 

 

 

 

 

                   ☆

 

 

 

 

 

 能力者データバンクの第一通路の先にある広がった空間に轟音が鳴り響く。広範囲に放出された衝撃波が壁を砕くと、通路全体を地震のような振動が襲った。

 爆音の原因は赤髪の少年。

 唐竹響(からたけひびき)と名乗ったパンクロッカーのような出で立ちの少年は、特徴的なノイズ染みた大声を辺りに撒き散らしていく。

 

「まだライブは始まったばかりだぜベイベェエエエエエエエエ!!」

 

 マイクを使っているわけでもないのに、鼓膜を突き破りそうな程の大声量がゴーグルの耳をガンガンと打ち鳴らす。聴覚が麻痺し始めてきたことに軽く舌を打つが、床を削りながら向かってくる衝撃波を自らの能力【念動力波(サイコウェーブ)】で防ぐことも忘れない。右手を開いて念動力を盾の形状で展開させると、衝撃波に思い切りぶつける。

 衝撃波と念動力が轟音と共に相殺した。

 

「クソッタレ……近所迷惑なんスよお前は……」

「今のはちょっくら弱めのバラード! お次は二曲目、今度リリースする新曲を発表するぜ! ポップでロックでちょっぴりパンクなオレサマの歌を脳髄に焼き付けてくれェエエエエエ!!」

「だぁかぁらぁ……五月蠅いっつってんだろうがこの歩く公害野郎!」

 

 脳を直接揺らされるような頭痛に苛まれているゴーグルが頬をヒクつかせるが、その原因である唐竹は気にするどころか更に声量を強める一方だ。もしかしたら自分の声のせいでゴーグルの言葉が届いていないのかもしれない。どこまで傍迷惑な奴なんだ、と基本温厚なゴーグルの額に珍しく青筋が浮かぶ。

 先程から防戦一方のゴーグルだが、ここで遂に反撃を開始した。唐竹が叫ぶ度に飛んでくる衝撃波の塊を念動力をピンポイントで発生させることで受け流し、唐竹の方へと走る。だが、彼との距離はまだ三十メートルほど離れており、人間の足では到達するのにそれ相応の時間がかかりそうではあった。

 時間にしておよそ四秒。それだけあれば、唐竹は己の大声で時間を稼ぐことができる。

 

「まだまだオレサマのオリコンランキングには届かねぇぜドーナツ系ゲスト! テメェがせかせか路上ライブしている間に、オレサマはバンッバンヒット曲を生み出し続ける!」

「確かに、走ってるだけじゃお前に接近することは無理かもしれねぇっスね。俺がいくら足を動かしても、お前が衝撃波で床をぶち抜いちまえばそこで動きは止まる。その間に天井でも砕いちまえば、それだけで戦闘は終了だ。打たれ強いことに定評のある俺っスけど、さすがにあんな高いところから落下してくる瓦礫をマトモに受けちまえばただではすまない。一発食らってお陀仏の可能性だってなきにしもあらずっス」

 

 「でもな」ゴーグルはニィと口を半月状に歪ませると、自身の頭を親指で示した。正確には、頭に装備している土星(・・・・・・・・・・)のような形のヘッドギアを(・・・・・・・・・・・・)

 何本ものコードが腰の機械へと繋がっている奇妙なヘッドギアを自慢げにこれ見よがしに見せつけると、ゴーグルは飄々と言い放つ。

 

「実は俺、ロボットみてぇなジェット噴射ができるんスよ」

 

 瞬間、

 ゴーグルの腰部機械から、緑白色の輝きが勢いよく放たれる。

 

「んなぁっ!?」

「こんなふざけたゴーグルわざわざ付けてんだ。少しは可能性を考慮した方がいいっスよ?」

 

 彼の頭部でゴーグルが虹色の機械的な点滅を始めていた。ヘッドギアが彼の脳波を読み取り始めているのだ。読み取った脳波を電流に変え、コードを伝って指令を腰の機械へと送る。普通に能力を武器や盾に変えて使うのではなく、ただ勢いよく噴射するだけだから複雑な演算式もいらない。バケツに貯めた水を水鉄砲に移し替えて使うよりもそのままぶちまけた方が早いのと同じ理論で、彼の演算はほぼノータイムで腰の機械へと反映される。

 その結果、膨大な量の念動力の波が彼を後押しするように後方へと噴射される。

 自分の足で走れば四秒。だが、ジェット噴射で速度を上げればほぼ一秒。

 わずか一秒では、声を衝撃波に変えることはできない。衝撃波を飛ばせない以上、ゴーグルを足止めするものは何もない。

 

「へ……へへっ! オレサマのフィナーレはまだ来ない! 『アイツ』のためにも……オレサマ達は、こんなところで終わるわけには――――」

「さっきからゴチャゴチャ五月蠅いんスよ、この三流ミュージシャン」

 

 瞬きするかしないか、その程度の時間で唐竹へと肉薄する。その速度はまさに一瞬。後退することすらままならない短さで爆走してきたゴーグルは、念動力に覆われた拳を握り込む。追い詰められた唐竹が息を吸い込んで最後の抵抗を見せるが、もう遅い。勝負は決している。

 

「そのクソつまんねぇ雑音の礼だ。おひねりと思って大人しく貰っとけ」

 

 右手を振るう。格闘技でも学んでいたのか、無駄な動きのない洗練された正拳突きが真っすぐ唐竹の顔面をとらえた。拳を覆っていた念動力が肌を破り、肉を裂き、骨を砕く。グチャグチャと気持ち悪い肉塊がゴーグルの頬を打つが、お構いなしに拳を振り抜く。

 右手を戻すと、グシャという鈍い音と共に先程まで人間だった物体が崩れ落ちた。圧縮された念動力によって首から上が破裂したように消失している。勿論、目の前の肉塊がこれ以上の抵抗を見せることはない。

 「うぇ……汚いっスねまったくもう」カーゴパンツのポケットからハンカチを取り出すと、返り血や肉を浴びた全身を拭う。身体を拭き終え、ついでとばかりにヘッドギアもキレイキレイした頃には、白かったハンカチはほとんど別物の赤に変色していた。鉄錆びた臭いも付着している。これは洗濯した程度では落ちないかもしれない。一応臭いを確かめると、瞬間的に顔を歪めた。これはもう使えない。そう判断した後、目の前の肉の上に適当に落とした。手向けというわけでは全くない。ゴミはゴミがあるところに捨てるという常識に則っただけだ。

 最後にパンパンと両手を叩いて埃の類を落とし終えると、唐竹だった物に背を向けて先ほど標的が入ってきた第一通路へと足を進める。

 

「シリアスな雰囲気は嫌いなんスよね。早く帰って垣根さんでもからかおうっと」

 

 

 

 

 

                 ☆

 

 

 

 

 

 彼ら五人の内、非常に身体の弱い一人の少女がいた。

 生まれた時から心臓が弱ったらしく、それが原因で【置き去り】にされたらしい。生きるためには大量の薬がいる。彼女の両親は、その薬代を賄うことができずに彼女を学園都市に捨てた。研究所に入った後も薬が必要なことに変わりは無かったが、そこは腐っても学園都市。科学者達は片手間で薬を製造すると、定期的に彼女へ薬を与えてくれた。同情からくるものではない。貴重な実験体を失うのが勿体ないと思っただけだ。科学者達にそんな思いを抱かせるほど、彼女の能力は稀少なものだった。

 彼らは、身体の弱い彼女を中心的に楽しませようとした。比較的身体が丈夫な四人に比べ、いつ死ぬか分からないから。どう考えても五人の中で一番寿命が短いであろう少女に、できるだけの楽しみを与えたかったから。

 そんな彼らの中の一人に、歌が大好きな少年がいた。

 彼を【置き去り】にした両親はそこそこ売れたパンクロッカー。テレビで大々的に取り上げられるほどメジャーになったわけではないが、業界内では一応名が知られている程度には活躍していた。だが、子育てよりも音楽活動に専念したいと思った両親は、彼を学園都市に捨てた。

 自分を捨てた両親のことは恨んでいる。だが、彼らの歌を聞いているうちに好きになった音楽は嫌いになれなかった。自分に唯一与えられた趣味であり娯楽。仲間達の合いの手をBGMに、彼は件の少女を喜ばせるためにひたすら声を張り上げた。決して上手とは言えない技量だったが、彼は自分にできる唯一の方法で少女と共にあろうとした。

 そんな彼の名は、唐竹響。

 大切な仲間達を鼓舞するために歌い続けた少年は、己の歌声と共にこの世から消えた。

 

 

 

 

 

                   ☆

 

 

 

 

 

 能力者データバンクの第二通路では、金属をぶつけ合うような音が何度も響き続けていた。

 片や金属製の特殊警棒、片や工場に置いてあるような鉄パイプを持った二人の少女がお互いの武器をぶつけ合う。ギィンと甲高い音が鼓膜を震わせた。

 少女達は腕力にそれほど差はないらしく、お互いが振るう武器が均衡を崩すことはない。だが、どこか心理定規が押されているようにも見える。別に銀髪オッドアイの美少女リリアン=レッドサイズが鉄パイプで押しかっているわけではない。ただ、リリアンの攻撃に比べると心理定規の攻撃はあまりにも命中していないのだ。心理定規が何度特殊警棒を振るっても、攻撃と同時にリリアンは行動する。最初から攻撃が来る(・・・・・・・・・)のが分かっていたかのように(・・・・・・・・・・・・・)、ノータイムで回避行動に移られる。

 横薙ぎに振った特殊警棒が鉄パイプで防がれると、苛立ちを隠そうともせずに心理定規は激怒する。

 

「あーもう! いい加減しつこいのよ! さっさとやられてくれないかなこの厨二病女!」

「フハハハハ! 貴様の温い攻撃なぞ、我が【未来予知(カオスフォーチュン)】にかかれば蚊を叩くよりも容易なことだわ! どんなに速い攻撃であろうが、発動時に分かっていれば回避するのは極めて容易い! 貴様の攻撃が我を捉えることは絶対に不可能なのだ! フハハハハ!」

「イタいし気持ち悪いし五月蠅いのよ貴女は! いくらナイスレディな私でも、貴女みたいな妄想拗らせたような奴は我慢できない!」

「好きにほざけ、下等生物め。攻撃が当たらない以上、何を言おうと所詮は負け犬の遠吠えに過ぎないのだからな!」

「ぐぅぅうう……! イチイチ癪に障る事ばっか言いやがってこの無駄巨乳……!」

「自分にない物を持っている相手に嫉妬するとはお笑い草だな。どうやら貧乳は心の方も貧しいらしい」

「余計なお世話だよ!」

 

 頭上から振り下ろされる鉄パイプを特殊警棒で防ぐと、一旦距離を取る。このまま殴り合っても埒が明かない。ここは一先ず戦法を練らないと。

 

(予知能力か……どの程度まで予知できるのかってのが微妙なんだよね……)

 

 聞いたら教えてくれないかな、と馬鹿なことを考えてしまう。あれだけ自分に絶対的な自信を持っているのだし、もしかしたらあっさり言ってくれるかもしれない。心理定規の経験上、あぁいう手合いは口が軽い。少し褒めてしまえば、そこからはもう濁流のように情報が飛び出してくる。自意識過剰であればあるほど、その勢いは顕著だ。

 やってみる価値はあるかもしれない。リリアンにバレない程度に軽く頷くと、疲弊しきった表情を顔に貼りつけて会話を開始する。

 

「認めたくはないけれど、貴女の能力って凄いよね」

「そうだろう! やっと貴様にも我が【未来予知】の偉大さが分かってきたらしい。このチカラは約一分後までの未来を確実に予知することができる。内面的な変化までは予知できないが、貴様の動作や挙動は寸分違わず適中させることができるのだ! おぉう? 一分後の貴様は笑っているな。どうやら恐怖でおかしくなってしまったらしい! だが確証は無い。さすがの我でも貴様の精神面までは予知することはできないのだからな! それは我が心中も然り。いいか、もう一度言うぞ? 精神面は予知できないが、貴様の挙動は全てまるっとごりっとすりっとお見通しなのだ!」

「…………ここまで馬鹿だと、いっそ心配になってくるわね」

「何をぶつぶつ言っている。まさか我が偉大な邪眼に恐れをなしたのではないだろうな!」

「……えぇ、そうね。ある意味では、貴女に恐れをなしているかもね」

 

 「何ぃ?」と怪訝そうにオッドアイを向けるリリアン。ゴスロリ銀髪少女が睨んでくるとかもはやホラー以外の何物でもないが、心理定規は恐怖よりもリリアンのあまりの愚かさと作戦が成功した喜びで肩を震わせていた。まさかここまでスムーズに事が運ぶとは。適度な確信があった上での行動とはいえ、少しばかり衝撃を受けてしまう心理定規である。

 どこか純粋さを残した顔をこちらへと向けているリリアンにニッコリと微笑みかけると、心理定規は歩を進め始めた。武器である特殊警棒を構えるわけでもなく、モデルがカーペットを歩く時のように、優雅な様子で。

 

「ふん、恐怖のあまりおかしくなったか! ならばこのリリアン=レッドサイズが、御自ら手を下してくれよう!」

 

 無防備な状態で向かってくる敵なんてただの的だ。鉄パイプを構えると、心理定規に走り寄る。それでも彼女は警棒を振り上げない。自殺でもするつもりなのか。

 

「これで……終わりだぁっ!」

 

 右手で持った鉄パイプを振り上げると、心理定規の頭頂部に狙いを定める。彼女の予知によると、心理定規が防御行動をとることはない。あくまでも一分後の予知だが、それだけの時間何もしていないということはリリアンの殴打を食らうことに等しい。

 力を込め、鉄パイプを振り下ろす。真っすぐ振り抜けばそれで終わりだ。敵を撃破して、さっさとデータバンクの中枢部に向かえる。勝利への確信を持ったリリアンの口が大仰に綻んだ。

 ――――――――が、

 

「どうしたの? さっさとその鉄パイプを振り下ろせばいいのに」

 

 心理定規の言葉がリリアンの耳を打つ。……リリアンは鉄パイプを振り下ろしてはいなかった。なぜ、どうして。自分でも理解できないのだろう。表情を見るに、彼女の内心が手に取るようにわかった。

 彼女はこう思っているに違いない。

 

「『あの子』と同じ距離(・・)にいる私を殺すことは、できやしないでしょう?」

「なん、だ……どうして、貴様が『彼女』と被る……!?」

「そういう能力なのよ、私」

 

 愕然と目を見開くリリアン。なんとか鉄パイプを振り下ろそうと両腕に何度も力を込めているようだが、その行動が遂行されることはない。当然だ。それが心理定規の能力なのだから。

 他人との心の距離を自由に操作する能力。家族にも、友人にも、恋人にも。彼女の采配で他人との関係が決定する残酷な能力。人間同士の信頼感なんて希薄で薄っぺらい物なのだと確信してしまうような、忌々しい能力。

 

「不思議でしょう? 今の私は『あの子』と同じ。詳しいことは分からないけど、貴女が何よりも大切に思っている『あの子』と同じ距離、七。凄いね。家族でもここまで距離を縮めることは難しいんだよ?」

「く、そ……くそくそくそくそッ! あり得ない! こんなところで……こんな女に、誇り高き我が負けるはずが……!」

「諦めなさいな、お姫様」

 

 鉄パイプを振り上げたまま硬直してしまったリリアンの懐に、特殊警棒を腰だめに構えて入り込む。彼女が動く様子はない。抵抗できる程、リリアンの精神は無事な状態で残ってはいない。

 

「相手が悪かったわね。残念だけど、私はこれでも一流のレディだから」

 

 バキィッ! と骨を折る鈍い効果音が発生する。口から一気に息を零したリリアンは、白目を剥くとそのまま心理定規へと倒れ込んだ。予知能力による回避を主とした戦いをしていたからか、そこまで打たれ強いわけではなかったらしい。

 豊満な胸が心理定規の左肩で卑猥にひしゃげているのを憎々しい顔で睨みつけるものの、体勢を整えてリリアンを背負うと第二通路の出口へと向かう。

 

「貴女結構面白い子だから、命だけは取らないで上げるわ」

 

 知り合いのカエル医者にでも預けようかしらね。何気に優しい一面を垣間見せている自分に気が付くと、まだまだ甘いなと自嘲気味にくすくす笑う。まぁ、甘い部分も一流のレディには必要だ。酸いも甘いも持ち合わせてこそ、全ての男性を魅了できるのだから。

 邪眼持ちの厨二病少女を背負い、心理定規はアジトへと凱旋する。

 

 

 

 

 

                  ☆

 

 

 

 

 

 とある少女を担当した科学者は、大のアニメ好きだった。

 彼女を実験体と思っている点は他の科学者と変わらなかったが、彼は暇さえあれば彼女に自分の好きなアニメの話を聞かせていた。未来を見通す目を持った、ゴシックロリータの美少女が主人公の物語を。

 彼女の能力が予知系であったため、能力向上を効率よくするために語っていただけかもしれない。だが、信じていた両親に【置き去り】にされたせいで精神的に疲弊していた彼女は、毎度のように語られるアニメの主人公に徐々に心酔していった。言動を真似し、格好を真似し……その科学者に頼み込んで、髪も銀色に染めてもらった。自分の大好きな美少女キャラが現実に降臨する事に感動を覚えた彼は喜んで協力してくれた。フィギュアのように扱われることは耐え難かったが、それであの主人公に近づけるのなら、と少女は科学者に笑顔を向けて主人公へと変貌した。

 ついには名前までも主人公になりきった少女は、完璧と言っていい物真似で仲間達を楽しませようとした。娯楽のない研究所で、四人の仲間達にエンターテインメントを与えようとした。現実には存在しない『彼女』を表現することで、一つの希望を与えようとした。

 自分を捨てることで新たな『自分』を得た少女、リリアン=レッドサイズ。

 その邪眼がこれからの彼女の未来を予知できるかどうか。真相は、神のみぞ知る。

 

 

 

 

 

 



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第二十六話 限界突破

 今回の改稿版ストーリーは賛否両論あるようで。やはり好みというのは面白いなとしみじみ思う今日この頃。
 そんなこんなで戦闘回です(にっこり)


 一般的に、無能力者は落ちこぼれという烙印を押されている。

 能力至上主義の学園都市において、能力がないということはそもそもの存在意義を失うに等しい。もちろん当人達にしてみればそんなものは科学者や高位能力者達の偏見でしかないのだが、絶対能力者への到達という目標を掲げて日夜実験や能力開発に勤しんでいる学園都市の風潮的に仕方がないと言えよう。 

 だが、無能力者にも例外はいる。一方面の技術を極めた結果周囲に認められる者や、力はないながらも強い信念を持って自分を認めさせようとする者。無能力者という不利な境遇にへこたれることなく、彼らは彼らなりの方法で自分を認めさせようとする。

 そんな中、少しだけ普通の無能力者とは違った少年がいる。能力開発では素晴らしい程に一つの能力も発現せず、何の因果か誰よりも不幸に見舞われる少年。右手に『異能を殺す異能』を宿した、原石なのかすら判断できない能力者。

 彼は誰よりも不幸で、だからこそ誰よりも諦めなかった。「不幸だから」という理由で全てを諦めることは、何よりも情けないことだと思ったから。たとえ限りなく不幸でも、一生懸命に努力すれば最後にはきっと大切な何かを掴むことができると信じていたから。

 

 誰に教えられなくても、自身の内から湧く感情に従って真っ直ぐに進もうとする者。

 

 統括理事長アレイスター=クロウリーから一目置かれ、世界中の魔術師達から危険因子と見なされ、数多くの人間を救ってきた少年。不思議な右手だけを武器に様々な理不尽に立ち向かっていった少年。

 そんなツンツン頭のヒーローは、現在。

 

「なんで昨日も一昨日もモヤシ炒めだったのに今日もモヤシ鍋なのいい加減にしてよ私はそろそろタンパク質を摂取したいんだよ!」

「どこぞの穀潰しのせいで上条家のエンゲル係数は人類の歴史上類を見ないくらいのエラいことになってんだよ文句言う前に節約に協力しろこの食いしん坊シスター!」

 

 銀髪碧眼の美少女シスターと食事的経済事情について熱いバトルを繰り広げていた。

 市販のダシの素を溶かした中に大量のモヤシと申し訳程度の豆腐という一般高校生は普通に満足しないような節約鍋を挟んで睨みあう二人。銀髪シスターは鋭い八重歯を光らせてグルグル獣のように唸っているが、上条も負けじと抵抗の意志を視線に乗せてガンを飛ばす。いつもならば彼女による噛みつき攻撃を予期した辺りで真っ先に頭を地面に擦り付けてしまうヘタレ上条なのだが、今日こそいい加減に家主の威厳というものを分からせてやらねばならない。たとえ無数の歯型が身体中に刻まれようとも、今日の上条は戦闘不能に陥らない限り戦い続ける所存だ。男には、戦わねばならない時がある。

 凄まじい気迫を背負って睨み合う両者。上条家に突如訪れたかつてない緊迫感に怯えた三毛猫が部屋の隅でぶるぶる震えている。「ぼ、ボクはちゃんと餌が貰えれば満足なんやでーっ!?」と中立的な立場を維持しようとしているらしい。飼い主である少女に加勢しない辺り、この三毛猫は世渡り上手だ。

 上条は目の前のモヤシ鍋をビシィッ! と指差すと、目を三角にして威嚇を続ける少女に向けて渾身の叫びを放った。

 

「いいかインデックス。そもそも俺は無能力者なので奨学金が雀の涙ほどしかない。どこぞのビリビリ中学生ならいざ知らず、食べ盛りの男子高校生一人を養うことすら危ぶまれるほどの額だ。いや、俺が漫画やらゲームやらにお金を多少使っているからという自業自得感も否めないが……とにかく、根本からして上条家には贅沢をする余裕なんてないのです!」

「だったらその娯楽グッズを全部換金してこれから先も買わなければいいんだよ! 奨学金を食費に回せば少しはマシな食事になるはず!」

「このストレス多忙な上条さんから娯楽を奪うだと!? 毎日のように魔術師やら能力者やらと死闘を繰り広げて疲れ切っている上条さんは自宅での漫画タイムが唯一の休息だと言うのに! 思春期の過度なストレスは更年期のハゲを誘発する恐れがあるという話を実話にしたいのかお前は!」

「う……それを言われるとちょっと反論できないかも」

 

 上条の必死の説得に思わずたじろいでしまうインデックス。上条が日々命を賭した戦いを繰り返していることを一番身近で見てきた彼女は彼の大変さを誰よりも知っている。貴重な休みを娯楽で楽しみたいという彼の希望も、そういった点から見れば至極真っ当な意見だ。いくら脳内の優先順位における『食事』が二位に大差をつけてぶっちぎっているインデックスとはいえ、不幸体質に最近拍車がかかりつつある苦労人をこれ以上追い詰めるというのは些か良心が痛む。……というか、仮にもシスターならばあまり自分の我儘を貫いてほしくはないという上条の密かな願いをまったく聞いていない辺りインデックスのマイペースさが窺えるのだが。

 黙り込んでしまうインデックスに気付かれないように心の中でガッツポーズを決める上条。苦節二か月、ようやく自分の努力が実る時が来たと内心感動の涙を流している。その間にもモヤシ鍋はぐつぐつと煮えくり返っているのだが、彼が気付くことはない。

 勝利を確信する上条。だが、不意に勢いよく顔を上げたインデックスに再び警戒を露わにする。まだ何か言うつもりなのか、と頭の中であらゆる事象をシミュレートして対策を考え始める。

 インデックスは何故か勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 ズバッ! と上条の背後の壁――――土御門家や佐倉家が存在する方向――――を指差すと、八重歯を光らせ堂々たる面持ちで叫んだ。

 

「だったらのぞむを見習いなよ! のぞむはとうまと同じ額の奨学金だけど、二週間に一回は焼肉とかすき焼きとか豪華な食事しているもん! のぞむの経済方式を取り入れれば、私達も豪華でリッチな肉が食べられるかもなんだよ!」

「ひ、人の家とウチを比べるんじゃありません! 佐倉は計画性抜群のへそくり大魔神だから俺とは根本的な何かが違うの! アイツはきっとお年玉をもらっても来年まで使い切らない種類の人間だ!」

「いいもん! だったらのぞむが焼肉する時に乗り込んでやるんだから!」

「あ、それでいいじゃん」

 

 ……何やら本人不在で佐倉家の経済事情を脅かす作戦が浮上してきているが、どうやらその方向で騒動は収まりを見せているらしい。佐倉的にはたまったものではないが、それで第三次上条家戦争が終結するというのなら安い話だ。いや、佐倉本人にとっては死ぬほど関係のない話だが。

 お互いに頭を下げて和解したところで鍋をつつき始める。真っ白な具に若干の空しさを覚えるが、来週くらいに待ち受ける焼肉パーティin佐倉家を思えばこれくらいの我慢は屁でもない。そういった機微のある女性、それがインデックスなのだ(自称)。

 モヤシを次々と皿に入れながら、インデックスは思い出したように呟く。

 

「そういえば最近のぞむを見ないかも」

「新学期始まってから学校も休みがちなんだよな。たまに登校してきたかと思うと四六時中爆睡だし。疲れてんのかねぇ」

「まいかも心配していたんだよ。『佐倉は悩みを抱え込むタイプの人間だからなー』って。大丈夫かな?」

「なんか大変そうだとは思うけど、まぁアイツなら大丈夫だろ」

「? とうまにしては珍しく人を信用しているんだね」

「お前は俺をどういう目で見てんだよ。……佐倉は確かに悩みがちだし、思い込んだら一直線で必要以上に自分の弱さを卑下するヤツだけどさ」

 

 豆腐をインデックスの皿に乗せると、上条はかつて最強の超能力者に立ち向かった無能力者を脳裏に浮かべ、

 

「御坂の為ならたとえ死の淵からでも這い上がるようなしぶといヤツなんだ。御坂に激励の一つでも貰えば、どんなに落ち込んでいようが別人みたいに頑張る(・・・)だろうさ」

 

 

 

 

 

 

                     ☆

 

 

 

 

 

 空気が割れた。

 人知を超えた勢いで両者が激突すると、空気の壁がひび割れるような衝撃波が辺りに広がる。方向転換の為に床を踏みしめれば、足の形に地面が陥没する。戦いを続けるごとに、第四通路は地獄絵図へと一歩一歩確実に進み始めていた。 

 

「…………」

 

 物言わぬ駆動鎧が半身となって桐霧へと肉薄する。音速とまではいかないまでも、準ずる速度で接近を果たした駆動鎧は鳩尾に右拳を叩きこんだ。駆動鎧の人工筋肉によって強化された拳は、桐霧を確実に捉えると後方の壁を彼女ごとぶち破った。少なくとも厚さ二メートルはくだらない鉄の壁を破った先は、おそらく競技場。データセンター内での気分転換にでも使用するのか、テニスコート一面ほどの空間が広がっている。

 瓦礫と共に空間の中央で仰向けになっていた桐霧だが、セーラー服の損傷以外に目立った外傷は見られない。鉄を砕くほどの殺傷力をもった拳をマトモに受けたにも拘らず、彼女は致命傷はおろか骨折の一つも負ってはいない。跳ねるように起きると、日本刀を握り直して再び相対する。

 静かに穴を潜る駆動鎧を睨みつけると、細々と呟く。

 

「……ほん、と……厄介なんだ、から……」

 

 少しづつ絞り出すように漏れる呟き。会話が苦手なのか、所々で詰まるように言葉を吐き出していた。虫の羽音のようにか細い声が、空中に消え入っていく。

 足元に散らばる瓦礫を無造作に踏み潰しながら歩み寄ってくる駆動鎧に刀の切っ先を揺らしつつ向ける。攻撃の選択肢を広げ、敵に反応させづらくするための行動だ。もう一つに攻撃に移りやすくするという効果もあるが、すでに人知を超えた身体能力を保持している桐霧にとってそんなことは特に気にするようなものではない。

 

(【限界突破(アンリミテッド)】で……なんとか、凌いではいるけれ、ど。こんな抵抗が、いつまで、もつか……)

 

 肉体強化の最高峰と言ってもいい彼女の能力は、人間の筋力や高度などといったあらゆる能力値を底上げすることができる。その最大値は限りなく、肉体崩壊を恐れないならば第四位の【原子崩し(メルトダウナー)】にも耐えることができると彼女を担当した研究者は鼻高々に言っていた。『駆動鎧に生身で勝てる能力者』、それが桐霧に与えられたテーマでありキャッチコピーである。

 埃で汚れたポニーテールを軽く振ると、息を整えて真っすぐ標的を見据える。漆黒のフルフェイスメットに隠れた顔にはどんな表情が浮かんでいるのだろうか。まるで感情を感じさせない機械のような動きは、多彩な感情に溢れた人間が行えるものではなかった。何かしら壊れた精神状況でなければ、こんな無機質な動きはあり得ない。

 表情が読めない上に攻撃の大様な予備動作すらほとんどない。おそらくは高性能な駆動鎧による恩恵なのだろうが、それが非常に厄介な代物であった。その能力上近接戦闘を余儀なくされる桐霧は基本的に相手の表情筋や予備動作を人並み外れた動体視力で察知して戦闘を行う。大概の相手ならばマトモに攻撃を受けることはないという自負はあるが、さすがに機械染みたこの駆動鎧が敵となると分が悪い。天敵にも程があった。

 

「本当、厄介」

 

 溜息と共に愚痴を吐き出す。四肢の筋力を上げると、刀を突き出しながら駆動鎧へと跳躍した。照明の光を浴びた刀が、のっぺりとしたフルフェイスメットへと狙いを定める。

 並のショットガンよりも速い一撃。だが、その突撃を駆動鎧は首を傾けることでなんなく回避する。学園都市の常軌を逸した科学力によって生まれた反応速度を以てすれば、この程度の攻撃を避けるなど朝飯前なのだろう。

 ――――しかし、あくまで予想の範疇。

 駆動鎧が首を動かした時には、桐霧は既に両腕を引いて刀を引き戻していた。普通ならば腕の筋肉が千切れてしまうほどの無茶な動きだが、能力によって最強の肉体を保有している彼女の腕は傷つきもしない。

 手元に刀を引き戻すと、右脚を踏み込んで再び突撃。次なる狙いは闇色の装甲に覆われた腹部だ。並大抵の攻撃では傷もつかないだろう硬度を誇る装甲。それでも、装甲の間を縫うようにスーツに突き刺せば傷の一つくらいは与えられる。常人には成し得ない荒業だろうが、そもそもからして超人レベルの運動神経を持つ桐霧には関係のない話だ。

 銀色の輝きが闇を貫く。――――かと思われたが、寸でのところで駆動鎧は全身を捻ると直撃を免れた。脇腹を掠るようにして刀を受け流していく。

 

(まさ、か……ここまで、避けられるなん、て……ね)

 

 もはや人体力学を片っ端から無視しているのではないかと思ってしまうほどの無茶な動き。いくら駆動鎧を着ているとはいえ、あまりに人体を超越した動作を繰り返すと使用者本人にも多大なダメージが及んでしまうというのに。

 命知らずの大馬鹿者か、もしくは絶対的な自信にあふれたナルシストか。どちらにせよ、ロクな神経は持っていないだろう。

 まさか二撃目が回避されるとは思わなかったが、一応の保険をかけて次の動作に移る準備はしてあった。

 左足を踏み出して地面を押すと、勢いを利用して身体を捻りながら刀を全力で引く。刀身が横倒しになるように構えると、この間は実に二秒足らず。

 もちろんこの隙を逃す駆動鎧ではない。フリーになっている右腕を予備動作なしで桐霧の側頭部へと叩き込む。傷はつくものの、顔が陥没することはないが――――ダンプカーに轢かれたような衝撃が彼女の脳を揺さぶった。脳からの電気信号を片っ端から遮断するのではないかと焦るほどの激痛に思わず目の端に涙が滲む。……だが、休むことはできない。

 攻撃を行ったために、駆動鎧にもある程度の隙が生まれていた。普通の戦場ならばわざわざ心配するほどでもないようなほんの一瞬。しかし、その一瞬は桐霧にとっての好機となり得る。

 捻っていた腰を戻す。右腕を畳み、左腕を伸ばすようにして横向きに構えた刀を振ると、見事にがら空きになった腹部に狙いを定める。

 言うなれば、野球のスイング。

 独楽のような動きで生み出された遠心力による一撃は、たとえそれが不安定な体勢から放たれたものだとしても想像を遥かに超える威力を発生させる。

 今度こそ、駆動鎧は動けない。

 

「っ……あぁっ!」

 

 装甲を捉える確かな手応えを感じると、後は我武者羅に刀を振るった。そこには当初の美しい整った動きは無い。ホームランを狙い続ける子供のように、ただ目の前の敵に向かって己が力を叩きつける。

 装甲に阻まれて、肉を斬る感覚は無い。だが、それでもできることはある。

 

 斬れないのならば、殴ればいい。

 

 全体重をかけて身体を押し込むと、駆動鎧の身体を『く』の字に折るようにして刀を入れこむ。

 刀が進むにつれて、駆動鎧の足が床から浮いていく。【限界突破】によって向上した桐霧の腕力に押し負けて、彼の身体は確かに宙に浮いていた。

 三度(みたび)気合を入れ直すと、桐霧はフルパワーで腰と腕を振り切った。先程駆動鎧が入ってきた方向の壁に、先程彼女がされたのと同じように壁を破壊しながら突っ込んでいく。

 

「負けられ……ない」

 

 疲労感に全身が震えるのを感じながらも、桐霧は刀を握って戦場に立つ。

 脳裏に浮かぶは可愛らしい少女の笑顔。彼女達を支え、鼓舞し、笑わせてきた大切な微笑み。

 そして、もう二度と戻ることはない少女の輝き。

 狂剣士は叫ぶ。実験という不条理によって命を奪われた仲間の仇を取るために。

 

「学園都市に復讐するまで……私は、負けるわけには……いか、ない!」

 

 

 



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第二十七話 目を背けたい現実、突き付けられた闇

 とある少女は無口だった。

 個性的な面々が集まる五人組の中で、その少女は『寡黙で美しい』というキャラを獲得していた。無駄に口を開くことはなく、仲間達の会話を聞いて人知れず微笑を浮かべる。作り物ではない純粋な『美』を集約したような彼女の微笑みは、男女問わず仲間達を魅了していた。一種の癒しと言ってもよかった。

 少女は人との会話が苦手だった。自分の気持ちを表に出すことに抵抗を覚えていた。かつて、正しいと思ったことを貫き通す人生を歩んでいた結果両親に捨てられたから。人を騙していた両親を正そうとしてしまったから。

 無闇に想いを吐き出すと、理不尽な制裁を受ける。まだ子供ながら、少女は現実の非情さを十分理解していたのだ。

 少女は喋らなかった。どれだけ言葉を催促されても、頷きや首振りなどの動作でしか反応しない。一見無愛想とも受け取れる対応だったが、仲間達が怒ることは無かった。彼女が言葉を発しない理由を、なんとなくではあるが察していたから。

 だが、そんな彼女に転機が訪れる。

 きっかけは、儚げな少女の一言だった。

 五人の中でもひときわか弱い印象を与える少女。色白で、抱き締めたら折れてしまうのではないかという程に細い身体をした少女。

 彼女は頑なに言葉を紡ごうとしない少女に向けて、赤子のような無邪気な笑みを浮かべてこう言ったのだ。

 

『静ちゃんって、ホント綺麗だよね。将来はいいお嫁さんになれるよ』

 

 虚を突かれた。衝撃だった。信じられなかった。

 今日を生きる事すらままならない地獄のような研究所生活。五人の中で一番身体が弱い少女は、人のことを気にするほどの余裕なんて持ち合わせてはいなかったはずなのに。毎日誰にも見られないように吐血する彼女を、少女は何度も目にしてきた。自分の健康管理で手一杯なはずの彼女は、何故マトモに会話もしない自分を気にかけてくれるのだろうか。

 少女の中で何かが揺らいだ。今まで彼女を縛ってきた鎖が、何らかの力によって(・・・・・・・・・)壊れる音を確かに聞いた。

 気が付くと、少女は彼女の手を握っていた。自分でも驚く。無意識のうちに、少女は目の前の弱っちい女の子を欲していたのだ。不意に手を握られて目を丸くする彼女を顔を見据えると、少女はいつの間にか喉を震わせていた。

 

『……あり、が……とう』

 

 それは、研究所に来てから彼女が発した最初の言葉。悲鳴すら我慢し続けた彼女の最初の本音。

 それから、桐霧静は段々と仲間と打ち解け始めていく。苦楽を共にする、かけがえのない仲間と。

 五人でずっと一緒にいられたらいいのに。寡黙な内で密かに願う桐霧は、自分を変えてくれた少女と共に笑いながらも未来へと希望を託す。いつかこの研究所を脱出して、五人で平和に暮らせる未来を。

 ――――だが、ある日。

 

 『希望』だった少女は、いつの間にか動かなくなった。

 

 

 

 

 

 

                     ☆

 

 

 

 

 

「私は、負けるわけには……いか、ない!」

 

 桐霧の叫びがデータセンター内に木霊する。不器用ながらに発された彼女の本心は、何故か佐倉の心を軽く揺さぶり始めていた。戦いに専念し、邪魔するものは全部殺すと誓った佐倉の信念に、小さな穴を開け始めていた。

 おかしい。のっぺりとしたフルフェイスメットの下で佐倉は顔を歪める。自分は決意したはずだ。美琴の為ならば何人でも手にかけてやる、と。たとえ狂うことになったとしても、それで彼女を守れるならば後悔なんてない、と。

 だが、それならば、何故自分はこんなにも震えているのだろうか。

 自分の身体によって開けられた大穴を通して桐霧を見やる。――――彼女は見据えていた。自分の敵を、未来を、やるべきことを。己の信念を貫き通すために刀を握っていた。疲労が溜まっているのか脚はガクガクと震え、今にも座り込んでしまいそうな程だと言うのに。

 そんな彼女を見て、何故自分はこんなにも恐怖を感じているのか。

 

(なんだってんだよ、畜生)

 

 装甲に付着した瓦礫や塵をはたきながら立ち上がる。気持ちの整理はついていないが、佐倉のやることは変わらない。目の前の暗部組織を叩き潰し、遥かな高みへの第一歩を踏み出すだけだ。

 駆動鎧に搭載されたただ一つの武器である拳を握り込む。敵は能力の影響かまったく傷を受けていない。駆動鎧の攻撃をモロに食らって無傷とか正直笑えない話だが、それでも肉体的な疲労は溜まっているはずだ。いくら外見を取り繕っても、体内の疲労は隠せない。肉体強化系能力は、そこまで万能ではない。

 突進しようと右脚に力を込めると、途端に電流が体内を駆け巡った。無理な動作の連続で右足を捻っているようだ。我慢できない程ではないながらも、ズキズキと鈍い痛みが断続的に佐倉の思考を阻害する。

 こんなときに。思わず歯噛みしてしまうが、だからといって勝負を放棄するわけにはいかない。右脚の負傷が露呈しないように庇いながら身を捻ると、左足で地面を蹴った。爆音と共に弾丸となって桐霧へと突貫する。

 ガィンッ! と甲高い金属音が響く。見ると、顔面を狙って放った拳が、日本刀の腹で防がれていた。今の速度に対応するとか化物かよ、と自分の事を棚に上げて皮肉交じりな思考を漏らす佐倉。

 佐倉が着ている駆動鎧は確かに怪物級の性能を誇っているが、かといって佐倉自身がそれを巧みに操縦できる程の技量を有しているかと聞かれると、それは間違いなく否だ。

 どこまで覚悟を決めようと、佐倉は所詮一介の男子高校生でしかない。駆動鎧を専門的に扱う高校に属していたわけでもなければ、コイツが支給されてからマトモに訓練をしたわけでもない。おそらく、そこら辺の警備員の方がよっぽど上手く駆動鎧を扱えるだろう。それでもなんとか互角以上に桐霧と渡り合えているのは、ひとえに駆動鎧の性能のおかげである。

 対して、桐霧静は異様なほどに戦い慣れしていた。深層の令嬢のような雰囲気と所作をしているくせに、その動きは洗練された軍人の様。適確に急所を狙い、相手を戦闘不能にさせるための攻撃を連続してくる。その上大能力の肉体強化が彼女の動きを後押ししている。鬼に金棒どころの騒ぎではなかった。

 防がれた右拳を引きながら左膝を跳ね上げる。

 が、それを桐霧は同じく右膝を上げることで華麗に捌いた。乙女の柔肌には傷一つつかない。もはやスカートなどは無残に破れていて白いショーツが丸見えなのだが、桐霧はダイナミックな動作で回避行動を行っている。普通の状況ならば思わず劣情を催していたであろう光景に、佐倉は軽く頬を染めた。……が、今はそんなことに興奮している場合ではない。

 防がれた左足を下ろすと、それを軸に回し蹴りを横腹へと叩き込む。腕と足を同時に上げられて防御はされたが、駆動鎧の全力に力負けした桐霧は左方に吹き飛ばされた。

 何度かバウンドすると、バック転の要領で体勢を整える。どんな運動神経だ、と舌打ちしてしまった佐倉を誰が責められようか。

 桐霧は刀を杖にふらつく身体を支えると、両肩を大仰に上下させながら疲労感に満ちた虚ろな瞳を佐倉へと向けた。

 

「あな、た……私と、似て……る」

 

 思わず耳を疑った。とても戦闘中に発される内容ではなかったために、一瞬理解が追いつかなかった。

 ――――俺とコイツが、似ているって?

 

『……どういう、ことだ?』

 

 気が付くと、佐倉は口を開いていた。今まで一度も話すことは無かったというのに、戦闘中だというのに言葉が漏れていた。フルフェイスメット越しのくぐもった自分の声を久々に聞いた気がする。

 予想通りだったのか、佐倉の声を確認するとわずかに破顔して言葉を続ける。

 

「あなたは、本当は暗部に堕ちるよう、な……人じゃない。雰囲気で、分かる。いく……ら、戦いに集中していたとし、ても……拳を振るう直前、で、力を緩めていた……から」

『……馬鹿な。俺は全力でてめぇを殺すつもりなんだぞ。手加減なんかするわけがねぇ』

「で……も、それなら、なんで私はまだ……生きている、の?」

『それは……てめぇの肉体強化で防御力が向上しているからだろ』

 

 桐霧静の能力、【限界突破(アンリミテッド)】。任務前に心理定規により渡された資料によれば、肉体性能を異常値まで引き上げる人工ドーピング能力だそうだ。最高値まで向上させれば超能力者の攻撃にも耐えうると言われるその性能。彼女が本気を出せば、佐倉の攻撃で死なないことはなんら不思議なことではない。

 だが、桐霧は首を振った。

 

「違、う。確かに私の【限界突破】、は……駆動鎧の一撃を、防ぐことはでき、る。けど……そう何度、も全力の攻撃、を……耐えられるほ、ど……高性能じゃ、ない」

 

 桐霧が言うには、【限界突破】はそこまで万能な能力ではないらしい。

 確かに本気を出せば【原子崩し】の一撃にも耐えることは可能だ。駆動鎧の攻撃を受けることもできる。しかし、その結果彼女を待ち受けるのは肉体的な崩壊だ。

 いくら身体が丈夫になったところで、構造が変わるわけではない。無理な動きは肉体に負担をかけるし、なんども化物じみた戦いを繰り返せば重圧に骨が耐え切れず粉砕してしまうことだってあり得る。運が悪ければ一撃を受けたところで筋肉が断裂する恐れだってあるのだ。

 今回は運良くそれなりに長時間戦えてはいるが、いつ肉体が崩壊するか分からない。それに、彼女がまだ無事でいられるのは、佐倉が無意識のうちに攻撃の手を緩めているからでもあったとのこと。八分ほどの力で繰り出される攻撃ならば、肉体破壊を最低限に留めて戦闘を行うことができる。

 ようするに、こういうことだった。

 

「本当、は……誰かを殺したく、なんて……ないん、でしょ?」

『ふざけんな! そんなわけねぇ! 俺は決めたんだ。美琴の為に殺し続けるって決めたんだ!』

 

 どこか同情めいた言葉を口にする桐霧に佐倉は即座に否定の叫びをぶつけた。そんなわけがない。自分が殺しを恐れているなんて、そんなことはあり得ない。美琴の激励を受けた自分は、彼女の為に頑張り続けると誓ったのだから。

 

 ――――だけど、誰かを殺して美琴は喜んでくれるのか?

 

 「っ!」心の中で『誰か』が呟いている。悲しそうに俯いた、黒髪の少年が。悲壮感に顔を染めた少年が、佐倉の決意を揺らし始める。

 気を抜くと意識を持っていかれそうで――――思考回路を奪われそうで、佐倉は必死に叫んだ。

 

『俺は決めたんだ! 美琴を守るために強くなる。そのためなら何人でも殺す! 力を手にするためなら、俺は鬼にも悪魔にもなるって決めたんだ!』

「で、も……誰かを殺し、て、手に入れた力なん、て……最後に、は、空しさしか……残らな、い。そんな力を、振るったって……待っているの、は、『狂った日常』だけ、なんだ、よ……?」

『空しくなんかなるもんか! 俺が強くなればきっと美琴も喜んでくれる。きっと褒めてくれる! たとえ誰かの犠牲の上に成り立った力だとしても、美琴はきっと俺を称賛してくれ――――』

「それじゃ……同じ、だよ」

 

 桐霧は言葉を一旦切ると、汚れた顔を俯かせる。何かを思い出すように、誰かの犠牲を思い出すように、桐霧は沈痛そうな面持ちで視線を逸らすと、絞り出すようにして漏らす。

 

「それじゃあ、科学者達と何も変わら……ない。誰か、を犠牲にして力を得るなん、て……それこそ、科学者達や……一方通行と、大差ないよ(・・・・・・・・・・・)

『うる……せぇ……! うるせぇうるせぇうるせぇうるせぇ! うるっせぇえええええええええ!!』

 

 くぐもった咆哮がデータセンターに響き渡る。フルフェイスメットの下で苦痛に顔を醜く歪ませる佐倉は、認めたくなかった現実を前にして誤魔化すように叫び続ける。

 なぜ桐霧が『あの実験』のことを知っているのかは分からない。研究所にいた時に又聞きしたのか、それとも暗部活動中に聞いたのかは知らない。だが、桐霧は確かに理解していた。絶対能力進化実験の被験者は……一方通行は、最低のクズ野郎だ、と。

 誰かの為に他の誰かを犠牲にするなんてあり得ない。それはかつて、一方通行と対峙した際に佐倉が抱えていた想いではなかったか。

 

 ――――絶対能力者なんていうくだらねぇものにしがみついている哀れな雑魚に言ってんだよ。

 

 実験を繰り返す一方通行に向けて、佐倉はかつてこのように言い放った。無敵の力なんて不要なものにいつまでも執着しているなんてくだらない。そのために【妹達】を殺し続けるお前なんて最低だ。自分の道徳心の下に、佐倉は確かにそんな言葉をぶつけたはずだ。

 だが、今自分がやっていることは何だ? あの時の一方通行と、何が違う?

 

 ――――認めろよ、俺。人殺しなんか間違ってるってさ。

 

 ――――いいのか? ここでやめちまったら、美琴の想いを踏み躙ることになるんだぞ。

 

 二人の自分が佐倉を惑わす。かつての自分と、今の自分。二つの相反する『佐倉望』が思い思いに言葉を並べ、佐倉の判断を仰ぐ。

 どちらが正しいかなんて、即座に決めることはできない。虚ろな瞳で桐霧を見つめながら困惑する佐倉。そんな行動からも、彼がまだ闇に染まりきっていないことが窺える。

 無能力者。超能力者。守りたい。戦いたい。一緒にいたい。平和に生きたい。

 幾多の想いが心の中で葛藤する。

 弱者ながらに一生懸命美琴を守ろうとしたかつての佐倉が。

 力を求めてあらゆる障害をぶっ壊していこうとする今の佐倉が。

 果たして、どちらが本当の自分なのか。佐倉望にはわからない。

 

『うるせぇんだよ、畜生……!』

 

 思わず拳を握っていた。震える瞳で桐霧を見据える。その顔に浮かぶのは、困惑と憤怒。様々な感情の狭間で揺れ動く少年は、一つの行動を選択した。

 自分を惑わす目の前の人間を、とにかく黙らせる。

 

『これ以上……俺を揺らすんじゃねぇえええええええええ!!』

「くっ……負け、ない!」

 

 絶叫と共に飛び掛かる。目の前の敵を黙らせるために、ただ頑なに拳を握る。

 慌てたように刀を構え直す桐霧。だが、その動きはどこか覚束ない。やはり肉体が限界を迎えているのだろう。なんとか刀で防御しようとするが、佐倉の拳はその速度を超える。

 ギチギチと駆動鎧が唸りを上げる。驚きに見開かれた桐霧の顔を見定めると、佐倉は迷わず拳を振るった。

 

 それが、彼の答えだった。

 

 

 

 

 

 

                     ☆

 

 

 

 

 

 データセンターの前で仲間達を待ち構えていた垣根帝督は、入口から漆黒の駆動鎧が歩いてくるのを見つけるとひらひらと右手を振った。

 

「おーす、お仕事お疲れさんっと」

『……あぁ』

 

 ガシャガシャと激しい足音を鳴らしながら歩く佐倉は、垣根の声に淡白な反応だけを返すとそのまま彼の横を通り過ぎる。【スクール】を迎えに来たキャンピングカーで着替えでも行うつもりなのだろう。労いの言葉をかけられても、喜びはおろか感情すら見せない。

 

「どうしちまったんスかねぇ、佐倉のヤツ」

「知るかよ。どうせまたつまんねぇ感情の葛藤でもしてんだろ」

 

 面倒くせぇ。心底嫌そうに表情を歪めると、ゴーグルの少年に「行くぞ」と手振りで指示を送る。心理定規はいなかった。なんでもとある医者に預けたい人間がいるらしい。彼女が背負っていた銀髪の美少女は明らかに【カレッジ】の一員だったが、アイツも甘くなったなと人知れず皮肉を漏らす。

 

(戦うからには殺す。それが俺達の流儀だったんだがなぁ)

 

 茶色のスーツにこびり付いた返り血(・・・)にふと視線を飛ばしながら、垣根は軽く溜息をついた。まだまだこの部下達は教育する必要がある。来る反逆の日に向けて、彼は密かに決意した。

 ゴーグルがキャンピングカーに乗り込むのを見ながらも、思わず第一学区の街並みへと視線を飛ばす。

 単調なビルが続く行政区。この学園都市を牛耳っているお偉いさん方は、今日も豪華な日々を送っているのだろう。垣根達が寝る間も惜しんで働いているすぐ傍で、豪華な食事でも突いているに違いない。

 くだらねぇ。耄碌した老いぼれ共に毒を吐くと、キャンピングカーに乗り込む。

 

 学園都市の闇は深い。

 超能力者でさえ時には感傷に身を浸してしまうほどの闇。終わりの見えない絶望は、弱い無能力者などいとも容易く呑み込んでしまう。どんなにもがこうと、もがけばもがくほど、彼らはより深い闇へと引きずり込まれていく。

 その様はまるで蟻地獄。

 幾多もの絶望を抱え込んだ学園都市の暗部は、今日も今日とて一人の無能力者を破滅へと追い込んでいく。

 

 

 

 

 




 「【カレッジ編】短っ!」と思った方、ごめんなさい。「唐竹の熱唱をもっと聞きたかった!」という特異な方々、もう彼は出ません。
 今回の【カレッジ編】は、いわば佐倉を闇に呑み込ませるための章です。彼らの目的はアバウトにしか分からない。メインは佐倉をひたすらに落とすことでしたので、そこら辺はご容赦願いたいです。
 もうどうしようもないところまで来てしまった佐倉クン。果たして彼を待つのは『希望』か、それとも『絶望』か。

 ……落窪向? そ、そんな方はいなかったんだよ!




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大覇星祭編
第二十八話 大覇星祭


 今回は短いです。キリよくなっちゃったから切っちゃいました。
 アカン……シリアス書きすぎて日常書くのが下手になってきちょる……。
 とにもかくにも、新章:大覇星祭編です。

 ※ゲコ太缶バッジとストラップが届きましたー。


 大覇星祭。

 九月十九日から二十五日まで行われる、学園都市における大運動会と言えば分かりやすいだろうか。約百八十万の学生達が学校の威信と己のプライドを賭けて死に物狂いで勝利を掴み取りに行く体育祭。日頃高位能力者から馬鹿にされ続けている底辺校も、この機会に目に物見せてやろうとそのやる気は普段の八割増しだ。能力至上主義である学園都市だが、作戦次第では無能力者でも勝利できるというのが大覇星祭の見所でもある。

 今日は九月十九日、つまり大覇星祭開幕日だ。豪華絢爛獅子奮迅の開会式を前に、学生達だけでなくわざわざ外部より駆け付けた保護者達のテンションもエラいことになっている。それもそうだろう。なんといっても学園都市というのは子供の頃に見た未来都市そのもの。さすがに人型汎用機動兵器や巨大戦艦がカラフルなビームをピキュンピキュン撃ち合うような光景が日常風景となるところまでは到達していないが、掌から火球を出し、人が自力で宙を舞う世界である。超能力が現実となったとなれば、いくら現実主義者でも一度は訪れたいと思うのが世の常であろう。漫画の世界が現実になった都市。現代日本で学園都市は密かにこう呼ばれていた。

 通りを見ればそこには無数の人、人、人。どこを見ても人がいるような混雑具合に大覇星祭運営委員の方々は汗水垂らして交通整理に励んでいた。車道の、ではない。大覇星祭期間は一般車の乗り入れが禁止されているため、車道を使うのは無人の自律バスくらいだ。彼らが整理しているのは、言わずもがな歩道である。

 内外合わせて五百万人は超えるのではないかという異常な総人数。確認するのも煩わしいほどの混雑っぷりを見れば、放っておくと将棋倒しが起きて大事故になってしまうのは馬鹿でもわかる。わざわざ一般開放までして外部からの観光客を取り入れているのに、こんなしょうもない事故で学園都市の面子が丸つぶれとか笑えない。

 そこで、運営委員の方々はヘルメットとホイッスルを装備してピッピピッピと交通整理に励んでいるのであった。今日も大覇星祭の平和は彼らによって守られる。

 そんな交通整理によってスムーズに歩道を歩いていく、一組の男女がいた。

 

「ふむぅ……ドラム缶型の警備ロボットに清掃ロボット。人員コストの削減及び手間暇を考えると効率的な体制ではありますが……やはりドラム缶というのがイマイチですね。美少女ロボットとかイケメンロボットの方が人気も出るしボランティアも増えるのでは?」

 

 顎に手を当て真剣な面持ちであまりにも本日の雰囲気にそぐわない呟きを漏らしたのは、佐倉叶(さくらかなえ)。とある無能力者の父親である。外見は四十中盤ほどの年齢そのままだが、どこか堅苦しい雰囲気のせいで詳しい年齢が気にならなくなるような男性だ。黒い糊のきいたスラックスに半袖のワイシャツ。クールビズを象徴するノーネクタイ。七三分けに四角い黒縁メガネも相成って、どこからどう見ても真面目なエリート会社員にしか見えない男性だ。よく手入れされた革靴をカツカツ鳴らして歩道を進んでいく。

 道行く警備ロボットを見て自分なりの考察を行う叶に対して、

 

「もぉー、せっかくの大覇星祭だってーのに堅いこと言ってんなよ叶ちゃぁーん! 今日は真面目な雰囲気なしで、夫婦水入らず望ちゃんの応援頑張りながらイチャイチャしよぉーぜぇーっ!」

 

 叶の腕に抱きつくようにして隣を歩く佐倉千里(さくらちさと)がブーイングを漏らした。外見年齢は三十手前。しかし驚くことなかれ、彼女こう見えても一児の母である。しかも息子は十六歳。実年齢は乙女の事情その他諸々で伏せさせていただくが、反抗期拗らせた不良少女がそのまま大人になったような外見をしていた。金髪のポニーテールや色白肌が日本人離れしているものの、彼女は祖母がイギリス人のクオーターなので問題ない。いや、イギリスでも金髪は希少種なのだけれど、そこら辺は気にしては駄目だ。

 真面目な男と不真面目女。学園ドラマでは生徒会長と不良少女か。絵に描いたような凸凹夫婦がそこにはいた。

 千里は自身の貧しい胸部を腕に押し付けるようにしていっそう強く抱きつくと、叶が歩きづらいのも気にせずにその状態で視線をあちこちへと彷徨わせている。

 

「でも肝心の望ちゃんがいねぇーんだよねぇー。あの子待ち合わせは第七学区のサッカースタジアム前って言ってたのに……母さん待たせるたぁいい度胸してんじゃねぇかぁーっ!」

「落ち着いてください千里さん。いくらホットパンツにタンクトップとはいえ、あまり無茶に大暴れするとその健康的な太腿が大衆の下に晒されてしまいます」

「あぁん? なんだなんだ、もしかして叶ちゃんは千里さんの柔肌を他人に見せるのが嫌とかいう独占欲丸出しの隠れ狼だったのかにゃーん?」

「その通りですが、何か」

「んなっ……!?」

 

 からかってやろうとニヤニヤ笑いで言ってみたらまさかの逆襲。表情筋を一ミリも動かさずに淡々とデレてくるものだから千里としては恥ずかしさここに極まれりである。そういえば、こいつはこういう奴だった。

 いきなりのカウンターに目を白黒、全身を真っ赤とカラフルに変化していく千里を横目で眺めながらも、叶は右手でクイッと眼鏡のブリッジを上げると言葉を並べ立てた。

 

「そもそもそんな露出の高い服を着ていくことが僕は反対だったのに、千里さんが『ジーンズとかこのクソ暑い中着ていけるかぁーっ!』ってご乱心するから仕方なく許可したんですよ? それなのにあまつさえその扇情的な四肢を惜しげもなく暴れさせるなんて……これはちょっとばかりお仕置きが必要なのではありませんか?」

「おしおっ!? い、いやいやいや! ちょっと待とうぜ叶ちゃん! アタシが綺麗すぎて人に見せるのが勿体ねぇってのは素直に感謝だが、さすがにそれぐれぇでお仕置きってぇーのは酷すぎやしねぇか!? そ、それに今日は楽しい楽しい大覇星祭なんだぜ!? 宿泊用ホテルであんまりエグいことすんのはモラル的というか道徳的にどうなんよ! ほ、ほら、ここは仮にも学生の街! 昼も夜も健全に行こうじゃねぇかマイダーリン!」

「ふむ、確かにそれも一理ありますね。千里さんにしては久しぶりに正しいことを言いましたか?」

「なんか失礼なこと言われている気がするけどモーマンタイ! と、とにかくお仕置きは全力でノーだ! この一週間は学園都市観光に勤しむんだかんな!?」

「仕方ありませんね。それならば帰宅した時に思う存分虐めるとしましょうか」

「ひ、ひぃっ! 懐かしき恐怖の生徒会長モードが降臨なさった!?」

 

 自分は帰ったら何をされるのだろう、と止まらない汗と共に戦慄する千里である。

 

 

 

 

 

 

                     ☆

 

 

 

 

 

「なんか所々アンタに似た愉快なカップルが見えるんだけど、母親の方にやけに親近感湧くのはどうしてかしらね」

 

 視線のはるか先でギャースカ騒ぎ立てている佐倉夫婦をどこか焦ったような表情で見つめる常盤台の超電磁砲。母親の方がウチの大学生兼主婦に雰囲気が似ている気がするのはどうしてだろうと変な汗が背中を伝う。お調子者キャラがこんな一か所に集中していていいのだろうか。

 不思議なこともあるものだとか余計な思考を行いつつも、隣に立っている少年に声をかける。クセのない黒髪が特徴的な佐倉望は、久しぶりに会う両親を前にしてもどこか放心したような表情で立ち尽くしていた。若干俯き加減な様子はあまりにも大覇星祭の雰囲気と似合わない。そもそもが軽口ばかりの軟派野郎なだけに、今日のテンションは落差が顕著だった。

 本当に起きているのかすら疑わしくなる様子の佐倉に美琴は思わず顔を覗き込みながら声をかける。

 

「望大丈夫? 体調が悪いのなら、一旦日陰の方に……」

「え? あ、いや、大丈夫大丈夫。ちょっと周囲の熱気に当てられただけだから」

「それならいいんだけど……あんまり無理しないでよ? アンタがこんな行事に参加できるような精神状態じゃないってのは百も承知だし、無理して倒れちゃったら元も子もないんだから」

「っ……大丈夫だって。俺だって公私の区別ぐれぇはしっかりやるよ。いくら『仕事』がきつくても、こういう日はしっかり楽しむさ」

 

 「それに」いつまでも不安な表情の消えない美琴を安心させるかのようにぎこちない笑顔を浮かべると、佐倉は右手で美琴の頭を軽く撫でながら、

 

「久しぶりに、美琴と一緒にいられるんだから」

「ひゃぅんっ!? ちょ、ちょっと望! こんな人前でなんて恥ずかしいことしてくれてんのよこらぁー!」

「好きな奴の頭撫でるのがそんなにおかしなことだったか?」

「TPOを弁えろって言ってんのよちったぁ考えなさいバーカ!」

「の、のわぁぁあっ! で、電撃は反則だぞ美琴! 俺は上条と違って能力打ち消す右手は持ち合わせてねぇんだから!」

「わははははー! 日頃心配かけてる罰よ観念しくされやぁーっ!」

「ぎゃぁああああああああ!!」

 

 バチバチビリビリと静電気を若干強めたような電撃が佐倉の身体スレスレを襲う。空元気丸出しだった佐倉はいつの間にか自然な叫びを出せるようになっていた。美琴との会話でいくらか元気を取り戻したらしい。いくら暗部で精神崩壊ギリギリの生活を送っていたとしても、美琴としてはこういう時はいつも通りの笑顔でいて欲しかった。多少無理矢理だとしても元気が出るに越したことはない。

 

『凄ぇー、あれが超能力かぁ』

『電撃出すとかマジハンパねぇー!』

『あの男の子よく回避できるわね』

「のんびり見てねえで誰か助けろよクソッタレェエエエエ!」

「必殺! みこっちゃんミラクルスパーク!」

「それただのボルテッカーあばばばばばば!」

 

 美琴の帯電体当たりをモロ受けプスプス煙を上げながら倒れ伏す哀れな少年S。だが、その顔にはどこか幸せで満足そうな笑みが浮かんでいた。この平和を満喫しているような、そんな笑顔が。……決してマゾヒスト的笑みではないので、あしからず。

 足元で声にならない悲鳴を上げている想い人の肩を持って担ぎ上げると、美琴は騒ぎに気付いてこちらに走ってくる佐倉夫妻及び愛する母親に思いっきり手を振るのであった。

 

 

 

 

 



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第二十九話 Ignition

連続更新です。大覇星祭編って楽しいね!


 午前十時三十分。

 どんな行事でも参加者達のやる気を根こそぎ奪うと言われる魔のプログラム【開会式】がようやく終了した。それぞれが残暑厳しい炎天下の中愚痴を言いながら出ていく中、佐倉はあまりの暑さにグロッキー寸前のツンツン頭の少年と連れ立ってサッカースタジアムを脱出しているところだ。基本的に冷暖房もついていないような場所で開会式すんなよ、と不真面目少年としては思うわけだが、百八十万人もの学生達を効率よく何百か所かに分けたうえで行われているのだから設備に文句を言っても仕方がない。というか、我らが底辺校が冷暖房完備の快適エリアで開会式をできるはずがない。そこら辺はいくらバカな佐倉でも理解している。

 

「暑い……あまりに暑くて上条さんのクールハートが茹だりそうだ……」

「生身で一方通行に勝つような馬鹿がクールなわけねぇだろ。ちったぁ元気見せろよ主人公」

「佐倉さんや、上条さんは別に主人公でもヒーローでもありませんことよ? どこにでもいるような落ちこぼれ高校生で、ちょっとしたことでネガティブに陥ってしまうような一般ピーポーでござりまする」

「銀髪シスターと居候している一般人がいてたまるか」

 

 あくまでも上条一般人説を推し続ける不幸野郎に思わず溜息が零れる。九月に入ってクラス内では基本的に他人との接触をできるだけ断っていた佐倉なのだが、さすがにこういう時まで会話を拒絶するのは如何なものかと思った次第である。せっかくの大覇星祭なのだから楽しんだ方が楽だろう、と佐倉は心の中に巣食う闇をなんとか抑え込んで上条達と開会式に臨んだ。……しかし、まさか上条とのコンビ行動を余儀なくされるとは思っていなかったが。

 青髪は土御門と共にどこかに消えていったし、姫神と吹寄は一足早く競技場に向かった。その他クラスメイトはそこら辺に見受けられるが、スキルアウトという立場上あまりクラスメイトとの中が良好ではない佐倉にはもはや上条しか残されていないのであった。コイツといて不幸に巻き込まれやしないかと割とガチで心配になる。まぁ今のところはバケツが降ってきたり美少女が突貫してきたりと言ったイベントは起きていないので大丈夫だろう。

 あくまでも冷静にツッコミを入れる佐倉。そんな彼の横顔を見ながら、上条はやや真剣な顔つきで口を開く。

 

「……なぁ佐倉。お前、本当に大丈夫なのか? 最近疲れていたみたいだし、無理してまで参加する必要は……」

「はぁ。お人好しばっかりかよこの街は。いいか? 美琴にも言ったが、俺は大丈夫だ。てめぇらに迷惑はかけねぇし、俺は俺なりに楽しんでいる。てめぇがわざわざ気にするようなことは何もねぇよ」

「それならいいんだけどさ……学校でのお前は、どこか人生に疲れたような雰囲気醸し出していたから、ちょっと心配だったんだよ。まぁ、元気ならそれでいいけどさ」

「……あぁ、今日は全力で楽しもうぜ」

「よっしゃぁーっ! まずは棒倒しで景気づけと行きますか!」

 

 群衆のど真ん中で天に向かって咆哮するウニ頭上条当麻。相変わらず冷静なのかネガティブなのかハイテンションなのか理解に苦しむ少年だが、こういう無邪気な彼を見ていると自然と笑顔が浮かんでくるのだから不思議だ。彼の右手に宿る異能は、もしかしたら佐倉の『闇』さえも中和してくれるのかもしれない。

 

(ま、そんなわけねぇけどな)

 

 そんな非現実的なことが起こらないのは分かっている。だが、こういう時くらいは上条の明るさに身を委ねてもいいのではないか。日頃仕事で精神摩耗しまくっているのだから、こういう時くらいは。

 拳突き上げ勝利を宣言する上条に苦笑気味についていく。二人の頭では白い鉢巻がこれでもかと純白の輝きを発していた。全学校が紅白に分かれて戦う今回の大覇星祭は、その勝敗によって学校への配点も大きく左右される。単独では勝利が難しい学校も、この制度によって上位に食い込むことができるかもしれない。大どんでん返しの可能性を秘めた制度が、この紅白制度だった。ちなみに美琴属する常盤台中学は紅組である。敵同士だと分かった時明らかに落ち込んでいた美琴は非常に可愛らしかったということだけここに記しておこう。

 大覇星祭期間は悩みを忘れて全力で楽しもう。それくらいは許されるだろう。

 未だ心の隅で存在を主張している暗部の『闇』からできるだけ目を背けながら、佐倉は目一杯大覇星祭の空気を吸う。

 

「とうまー」

 

 と、不意に人混みの中から上条へと声がかけられた。特徴的だがどこか聞き覚えのある声に、上条だけでなく佐倉までもが顔を向ける。

 大覇星祭という関係上群衆は体操服の集団で構成されるが、その中に一人だけ金色刺繍の純白修道服を着込んだ銀髪碧眼の美少女が降臨していた。胸部には若干の心残りが見られるものの、スレンダーで充分魅力的と言える英国美少女。曾祖母が英国人である佐倉もある程度はイギリスの方々を見慣れているはずなのだが、彼女は佐倉が知る英国人の中でもトップクラスの美しさを誇っていた。ぶっちゃけ、一番綺麗かもしれない。

 そんな彼女の名前はインデックス。もう偽名だとか何だとかツッコミ入れる事すら面倒臭い上に胡散臭い名前だが、そこら辺は個人のプライバシーなのであまり突っ込まないのが良識であろう。佐倉とて暗部に関して突っ込まれるのは避けたいところだ。

 三毛猫を胸の辺りで抱きかかえたまま走ってくるインデックスは、上条の隣に立つ佐倉にも気が付いたようで輝かしい笑顔で右手をぶんぶんと振ってきていた。

 

「あ、のぞむだー! 今月に入って初めて会うかもなんだよ! もう、全然顔見せてくれないから心配したんだからね!」

「年がら年中食事のことしか考えてねぇてめぇが俺の心配だって? おいおい、冗談は胃袋だけにしてくれよインデックス」

「冗談じゃないもん! だってのぞむがいなくなっちゃったら誰が私に焼肉をご馳走してくれるのさ!」

「…………」

「すまん佐倉。ウチの居候はやっぱり飯にしか興味ないみたいなんだ」

 

 ポン、と異様に優しい笑顔で肩を叩いて慰めてくる上条が今だけは眩しい。なぜだろう、暗部活動中にも泣くことはなかったのに、なんだかとっても目頭が熱いです。

 「ほらほら、上条さんが慰めてあげますからねー」「うぅ、上条ぉ」無邪気なナイフで滅多刺しにされたダメージは大きい。精神の弱さを多少自覚している佐倉だが、いくらなんでも今の言葉は酷すぎた。可愛がっている従妹に「お兄ちゃん臭い」と言われた時並の精神的ダメージだった。ちなみにあの腹立たしい従妹はいつか滅する。

 男の胸で男が泣くという、世の淑女の方々が目にすれば某画像サイトに革命が起きてしまいそうな光景が数分間広がっていたが、ようやく悲しみから立ち直った我らが無能力者はインデックスの方に向き直ると、ここは一発世の常識を教えてやらねばと固い決意を湛えて唇を引き結ぶ。

 インデックスはというと、

 

「うにゃぁん……お腹が空いてもうぐったりなんだよ……」

「これで好きなもんでも食べなさい。それで足りなかったら上条に後で何か買ってもらえ」

 

 我らが佐倉、二秒で陥落。

 お腹を押さえて涙目上目遣いという年下かつ低身長ならではの必殺技が佐倉の精神を無情にも抉った。ただでさえ弱り切っていたMP(マインドポイント)がガリガリと削られていく。台詞を耳にして財布を取り出すまで三秒あったか分からない。普段から軽口野郎な佐倉だが、いくらなんでも今のコンボは痛すぎた。

 信じられない速度で友人を落としたインデックスに戦慄を覚えた上条が慌てて止めに入らなければ、佐倉家の経済は破綻していたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

                    ☆

 

 

 

 

 

 目の前に広がる光景に、佐倉望は衝撃を隠せなかった。

 第一種目、棒倒し。佐倉達がまず最初に行う競技である。大覇星祭の始まりに相応しい能力と能力のぶつかり合いが予想される熱いこの競技は、無能力者達も作戦次第では勝利できるという大番狂わせ要素を多分に孕んでいる。それを可能にできるかは本人次第だが、基本的に負けず嫌いな隠れ熱血学生達が群を成す佐倉達は数日前から綿密な作戦会議を行っていた。必要な役職に班を分け、役割分担を明確にしたうえで相手を捻り潰す。根性と行動力しか取り柄のない高校ではあるが、その行動力でライバル校を片っ端からぶっ潰してやろうと彼らは数日前から意気込んでいた。学校では主に睡眠活動中の佐倉でさえ思わず会議にぶち込まれてしまうほどの熱気だったのだ。委員長である青髪ピアスが柄にもなく真面目に仕切っているのが印象的だった。

 上条と共に棒倒しが行われる競技場に到着した佐倉は仲間達が待っているであろう場所に合流。先日から異常なハイテンションを見せていた青髪を見つけると声をかけたわけだが、

 

「うっだー……やる気なーいーぃ……」

 

 真横で上条が何もない地面に見事なダイビングを決める中、佐倉は愕然とした表情で膝から崩れ落ちてしまった。

 昨日とは明らかにテンションの落差が激しい青髪は地面に大の字になって寝転んでいる。周囲のクラスメイト達を見れば、誰もが例外なく謎のローテンションで座り込んでいる。中にはげっそりと青白い顔でやつれている者がいる始末だ。「あれ、今日は初日じゃなかったっけ?」と思わずスケジュールを確認してしまった佐倉を誰が責められようか。

 あまりの変貌っぷりに上条はプッツンきたのか、肩をワナワナ震わせながら目の前の青髪ピアスに向けて渾身の叫びを放った。

 

「昨日までのやる気と熱気はどうしたお前らぁああああああああああ!!」

「あん? ボクらの苦労も知らんと好き勝手言ってんなやこのウニ! こちとら前日から変な徹夜ノリで大騒ぎした挙句一睡もできてねぇーんだっつの! それにさっきまであーだこーだ会議しまくっていたせいで残り少ない体力もドブに捨てたんやざまぁみろ!」

「偉そうにいってるがつまりはお前らバカなんだろ! 競技前に競技終了とか笑うに笑えねぇぞおい! 小萌先生に『勝利を女神に!』とか言って敬礼までした奴らは誰だったかもう一度思い出せお前達!」

「いや、俺まで混ぜんなよ上条……」

 

 あくまでも馬鹿の一角を務めたくはないと訂正を要求する佐倉だが、現在とっても説教中の上条には彼の言葉は届かない。最強の超能力者に拳一つで説教かました命知らずは現在クラスメイトの腐った性根を叩き直すために仁王立ちで鼓舞激励を開始していた。いつの間にか合流した吹寄制理が豊満な胸の下で腕を組んで上条の説教に加勢したのでクラスメイト達の顔が青を通り越して土気色に到達しかけていたが、あまり他人に興味のない佐倉としては競技が出来ればそれでよかった。美琴に頑張ると宣言した以上、何があっても命がけで頑張らねばならないからだ。

 視界の隅で無表情のまま説教を行く末を見守っている転校生系純和風少女姫神秋沙に一応挨拶として声をかけると、このクソ暑い日光から逃れるべく入場口近くにある体育館の壁に身体を預けると、どこからか男女の話し声が聞こえてきた。言葉の勢いからして、どうやら言い争っているらしい。

 今日は騒がしいな。せっかくの休憩を邪魔された気がした佐倉は場所を移そうと背中を壁から離すが、

 

「ウチの生徒さん達は落ちこぼれでも落第者でもないのですよ!」

 

 あまりにも聞き覚えのある声に、思わず身体が硬直してしまった。

 声だけで判断できる。今の甲高くて幼い声は、間違いなく佐倉達の担任である月詠小萌先生のものだ。生活指導としては黄泉川愛穂に主に世話になっているものの、素行の悪い佐倉を見切ることなくいつも親身に接してくれた恩師と言ってもいい存在。あまり人に感謝の意を抱くことは多くない佐倉が、本心から尊敬していると言ってもいい教師だった。小学生みたいな容姿なのに、誰よりも生徒の事を考えてくれる教師の鏡。

 そんな小萌先生が、他校の教師と思われるスーツの男性と言い争っていた。

 会話を聞いた感じで判断すると、相手は対戦校の教師らしく、小萌が担当する高校の程度の低さを嘲りに来ていたようだ。かつて学会で恥をかかされたこともあり、今回はいい機会とでも思ったのだろう。必死に生徒を庇い続ける小萌を心底馬鹿にしたような顔で見下す男教師。底辺、雑魚、落ちこぼれ、と思いつく限りの罵倒を並べ立てていくその姿は低能力者達を見下す高位能力者のようだ。力なきものを迫害する、屑中の屑。

 無能力者としての自覚も意識も持ち合わせている佐倉にしてみれば今更気にすることでもないのだが、そんな自分を庇って必死に反論してくれている子萌がどうしても気になった。こんな落ちこぼれの為に言い争ってくれる小萌に、佐倉は知らず知らずの内に感謝の言葉を呟き始めていた。

 自分が言われる分は我慢できる。だが、彼女が好き勝手言われるのだけは許せない。

 落ちこぼれ高校と言われ慣れている佐倉達だが、尊敬する恩師を嘲笑されるのだけは耐えられなかった。

 腹立たしい笑いと共にその場を去っていくクズ教師。一人残された小萌はそっと空を仰ぐと、肩を小刻みに震わせながら絞り出すようにして呟きを漏らした。

 

「……違いますよね」

 

 まるで自分が全部悪いと言わんばかりに。

 生徒が悪く言われたのは全部自分の落ち度だと主張せんばかりにじっと立ち尽くす先生の姿はあまりにも悲しい。そして、彼女をここまで傷つけたあのクソ教師が絶対に許せない。

 

「ふざけんな……高位能力者がそんなに偉いってのか畜生……!」

「佐倉……」

 

 歯を噛みしめ、拳を色を失う程に握りしめながら言葉を漏らす佐倉。スキルアウトに所属する彼は誰よりも高位能力者達の卑劣な行いを知っている。能力強度だけで人を判断する、最低野郎達のことを誰よりも知っている。

 佐倉とあまり関わりのないクラスメイト達も、それだけは分かっていた。そして、彼らもそんな佐倉の事を好意的に思っていた。きっかけさえあれば、いつでも彼らは友人になれる。すでに仲間として、彼らは佐倉の事を迎えていた。

 悔しさの余り涙を流し始める佐倉に上条は何も言わずに背を向ける。今必要なのは言葉じゃない。説教でも拳でもない。

 先程までだらけきっていたクラスメイトはもういない。目の前にいるのは、戦う意志を瞳に宿した仲間達だけだ。大切な人の為に拳を握れる、頼り甲斐のある盟友達。そんな彼らが、無言で立っていた。

 上条は口を開く。彼らと、背後にいる佐倉に確認するように。

 

「はいはーい皆さーん、今の話はしっかり聞きましたね? 既に我が親友佐倉望は相手を殺す勢いでやる気満々なわけですよ。そりゃあもう負けなんて許さない程に。そんで、先程までしっかりきっかり愚痴を漏らしまくっていた皆様ですが……」

 

 上条は佐倉の肩に手を置くと、片目を閉じて問いかける。

 

「――――再確認だ。テメェら、本当にやる気がねぇのか?」

 

 

 

 



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第三十話 棒倒し

 うあー、なんか絶妙にスランプです。


 御坂美琴は現在とある競技場に足を運んでいた。

 設備の整った一般観覧席ではなく、芝生にブルーシートを引いただけの粗末な学生用応援席。花見の会場と言えば分かりやすいだろうか。『外』からのお客様方に学園都市の素晴らしい設備をお披露目する一般席に比べると、わざわざ気を遣うまでもないのかあからさまにしょうもない会場となっている。応援席のクオリティにいちいちケチをつけるほど器の狭い人間になった覚えはないが、さすがにもう少しどうにかならなかったのだろうかと大覇星祭実行委員会に軽く愚痴を投げつけてしまう。

 色とりどりの体操服に身を包んだ学生達で溢れかえる応援席。しかし、美琴の隣には何故かワイシャツ姿とタンクトップ姿の大人二人組がきゃいきゃい楽しそうに雑談しながら座っている。実年齢が若干不明な二人組は、只今より競技を行う佐倉望のご両親である。金髪美人な女性は佐倉千里、生真面目男性は佐倉叶だったか。開会式前に挨拶をしただけだが、名前をしっかり憶えているのはやはり乙女の嗜みと言うヤツだろう。失礼のないようにせねば、と何気に気を遣いながら美琴は年甲斐もなくイチャついている二人へと声をかける。

 

「あの、一般用応援席は向かい側ですけど……本当に学生席でよかったんですか?」

「もーまんたいっ! 一般用とか堅苦しいのはあんまり好きじゃねぇしさ、結局どっちで見ようが望ちゃんの応援することにゃ変わりねぇだろ? だったら気楽に羽を伸ばして大声出せるこっちの方がアタシにとっちゃラクでいいのさ!」

「僕はどちらでも良かったのですが、やはり千里さんの言うことにも一理あると思いまして。無駄に凝り固まった一般席よりは学生席の方が落ち着いて観戦できますからね」

「はぁ、いや、それなら構いませんけど……」

 

 そもそも学生用と一般用で分けられているのはDNA採取防止とか混雑防止とかその他諸々の事情があるためなのだが、どうやら目の前の二人はそんなことを気にしない性質らしい。さすがはイギリス在住。日本人が培ってきた遠慮と気遣いの精神を片っ端からぶち壊しにかかっている。こういう破天荒な所が息子に受け継がれていなくてよかった、と人知れず安堵する美琴。多少悩みを抱え過ぎる傾向にある佐倉だが、破天荒よりは真面目に物事に取り組んでくれる方がいいと思う。彼から少しのマジメ要素を取ったら、後は不良というマイナス要因しか残らないので微妙な所ではあるが。

 美琴の質問にパンフレットを握りしめて返答する千里は、何を思ったのか口元をニヤニヤさせると美琴の耳に顔を近づけて、

 

「……ま、将来のお嫁さん候補もいることだし、ちょっくら様子でも見ておこうっつう考えもあるんだけどにゃーん」

「んげほぉっ! なななな、にゃにを急にお嫁さんとかまだ早いっていうかいやでも様子見ってうわわわ……お、お手柔らかによろしくお願いいたしますぅーっ!」

「あははっ! いいねいいね、面白い子は好きだよアタシは! うん。これなら望ちゃんを任せても大丈夫そうかな? ねぇ叶ちゃん!」

「そうですね。顔も整っているし背も高い。千里さんに似て貧乳な所もプラス点ですか。昔の千里さんのように素晴らしい女性です」

「ひ、ひんにゅっ!? いや、えと……それは決してプラス点にはなりえないような……」

「ウチの男共は家系的に貧乳好きなのさ。そういうことで、美琴ちゃんは望ちゃんのストライクゾーン!」

 

 何気に気にしているコンプレックスゾーンについて指摘され真っ赤になる美琴の肩を叩きながら千里は笑った。どうやら佐倉家というのは少々変わった性癖が代々受け継がれているらしい。まぁ胸部の成長具合に若干の不満を残している美琴にとってはありがたい情報なのだが、なんだか負けた気分になるのは何故だろう。どこぞの金髪キラキラ女が高笑いで見下している姿が脳裏に浮かんで思わず拳に力を入れてしまう。

 千里にからかわれながら佐倉家との交流を深めていると、競技場に数発の号砲が響き始めた。どうやら競技開始らしい。入場口から数本の棒をもった高校生達が列をなして登場している。

 

「棒倒しだったっけ? 美琴ちゃんから見て、ウチの望ちゃんは勝てると思うかい?」

「どうでしょう……相手はスポーツ系のエリート校みたいですし、勝率はあまり高くなさそうです。総合的な能力強度も圧倒的に差がありますしね」

「望の高校は進学校でも名門校でもないあくまで一般的な底辺校。下馬評では明らかに敗色濃厚みたいですよ。それに、準備体操の質も相手の方は専門的。これは厳しい戦いになりそうですね」

 

 二人一組で柔軟体操を行っている相手校の様子を見ながら叶は眼鏡を押し上げた。イマイチ彼の職業が分からないのだが、科学者でもやっているのだろうか。発言の端々に変な真面目さが感じられる。

 これは厳しい戦いになりそうだ。怪我だけはしないでほしいと現在精神的に不安定な佐倉望に思いを馳せる。ただでさえ疲れ切っているのに、こんなところで満身創痍とか笑うに笑えない。いや、怪我した望をつきっきりで看病というシチュエーションにも憧れはあるが、やはり怪我をしないに越したことはないだろう。

 万が一負傷した場合は全力で看護してやろうとどこか重たい愛情を抱えて薄ら笑いを浮かべる美琴だったが、佐倉属する高校のグループが視界に入った瞬間思わず言葉を失った。

 七本ほどの棒を立てている百人ほどの集団。本来ならば多少の雑談を行って緊張をほぐしているだろう状況にもかかわらず、彼らからは何故か異様なまでの戦意と気迫が熱意と共に放出されている。天下分け目の関ヶ原合戦でさえもここまで緊迫してはいなかっただろうという程の覇気に覆われた佐倉達は、一言も発することなく相手校に鋭い視線を飛ばしていた。

 勘違いでも見間違いでもない。美琴の前にいる集団は、本物の猛者達だ。敵を前にして絶対に勝利を掴みとって見せるという意気込みに溢れた武士の目をしている。スポーツエリート校と名高い相手校があまりの温度差に思わず気後れしていた。今から行われるのは本当に棒倒しなのか。まさか大阪の陣ではなかろうか。

 集団の中心で腕を組むようにして立っているツンツン頭の少年とクセのない黒髪少年に気付くと、美琴の頬を一筋の汗が流れる。見覚えのある少年達が今まで見たことないような修羅の表情で集団を率いていた。

 

「おぉーっ、望ちゃんカッコイイーッ!」

「戦う者の目をしていますね。あれはやってくれそうだ」

 

 息子の雄姿に満足そうな言葉を漏らす佐倉夫妻を他所に、美琴は一人戦慄する。

 ――――もしかして、本当に必要なのはクールダウン?

 

 

 

 

 

 

                    ☆

 

 

 

 

 

 棒倒し。

 おそらく戦国時代の様々な合戦からヒントを得て生まれたのであろう伝統競技。多少の危険性を孕みながらも、協力して棒を倒すという非常にシンプルかつエキサイティングな体育祭恒例行事。

 学園都市外の学校でもおそらくは一般的に行われているだろう棒倒しだが、あくまで体育の延長である為に遊び感覚で参加する物である。多少の怪我を覚悟しつつも、それでも楽しむことに重点を置いてみんな仲良く取り組むことが重要であるはずだ。スポーツマンシップに乗っ取って、安全かつ快適に。

 だが、あくまでそれはいたって平和な日常風景においてのみの話である。

 

「てめぇら準備はいいか!」

『YAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』

 

 上条と共に先頭に立つ佐倉が煽ると、彼の背後に控えるおよそ百人程からけたたましい叫び声が上がる。高校一学年分の人数。最高戦力が少数の強能力者という落ちこぼれ集団達は、殺気立った様子で眼前のスポーツエリート校の一団を睨みつけていた。

 ある者はバーゲンセール前のおばちゃんの如く。そしてまたある者は獲物を前にした肉食獣の如く。

 我らが天使(月詠小萌)の仇を取るために、武士(もののふ)達は戦場に立つ。

 佐倉望は咆哮する。自分に優しさを向け続けてくれた恩師の名誉を挽回するために。

 

「これは競技じゃねぇ、戦いだ! 俺達の大切な小萌先生を罵倒し、あまつさえ名誉を踏み躙ったクソ野郎共との全面戦争だ! 俺達は全力を以てしてアイツらをぶちのめす。異論はあるか!」

『異議申し立てはございません!』

「よし、ならば戦争だ! 拳を握れ、目を見開け! すべては我らが恩師の為に!」

 

 もうお前誰だよとドツキありで言われそうな程のキャラ崩壊っぷりをお披露目している佐倉は血走った目で鬨の声を上げている。シリアス系主人公とは到底思えないハイテンションっぷりに普段の彼を知る知人達から戸惑っている様子が観客席に見受けられるが、そんなことはどうでもいい。たとえ精神が病んでいようが崩壊寸前だろうが、男には死んでもやらねばらならない時がある。

 佐倉達が黙ると、競技場を一瞬の静寂が包み込んだ。とても学生競技とは思えない緊張感が辺り一面に立ち込めている。思わず一般観覧の皆様がプログラムを確認してしまう緊迫した雰囲気を放つ佐倉達は、息を整えながら開始の合図を待つ。

 ――――そして、時は来た。

 審判の実行委員が空砲を天に向ける。耳を塞ぎ、準備は万端とばかりに競技審判席へと軽く頷きを見せると、

 

 ――――パン、という乾いた音が競技場に響き渡った。

 開幕を知らせる号砲。開戦を宣言する銃声。

 瞬間、佐倉達は風になった。

 

「かかれぇえええええええええええええええええ!!」

『往生せぇやぁあああああああああああああああ!!」

 

 いくつかに班分けされた内の『相手の棒を引き倒す』役を請け負った集団が脇目も振らずに進撃を開始する。指令を飛ばす念話能力もなければ敵を殲滅する攻撃系能力も持ち合わせていない佐倉と上条率いる遊撃隊は、背後から飛んでくる味方の援護弾を弾除けとして利用しながら敵陣へと突っ込んだ。

 キラ、と敵陣からカメラのフラッシュのような光が何度も瞬く。佐倉達を迎え撃つ敵高校の迎撃弾だ。炎や水、電気に土と誠にバリエーション豊かな攻撃の雨霰が佐倉達を襲う。基本的に無能力者で構成される突撃隊が次々と吹き飛ばされていった。……が、それでも彼らの足が止まることはない。

 上条は不思議な右手で能力を消しながら、

 青髪ピアスは変態的な動きで全ての能力弾を回避しながら、

 土御門は強靭な肉体と華麗な足捌きで躱しながら、

 そして、佐倉は身体中に能力弾をモロに受けながら、

 諦めることなく、勇者達は敵陣との距離を一歩ずつ、少しづつ埋めていく。

 相手校から戦慄の言葉が上がり始める、なぜ彼らは止まらないのか。力の発生源が理解できない相手校は戸惑いの表情を浮かべながらも佐倉達を殲滅すべく攻撃を続けた。……しかし、一度迷い始めた者の攻撃ごときで今の佐倉達を止められるはずがない。倒すべきものを見定め、守るべきものを確かめた彼ら達に、勝てるはずがない。

 衝撃波がグラウンドを抉り、竜巻が生徒達を吹き飛ばす。水流が唸りを上げ、火炎が辺りを焼き尽くす。

 まさに能力戦。これぞ学園都市、という能力者のしのぎを削る争いに観客達は拍手喝采で食い入るように競技を観戦していた。おそらく、佐倉達の思惑など知ったことではないのだろう。

 右肩を突風が掠り、脇腹に水流弾がぶち当たる。少しでも気を抜けば意識を持って行かれそうになるほどの激痛に何度も襲われるが、佐倉は決して立ち止まらない。

 諦めないと誓ったから。

 守るべきものを守るため、佐倉は全力で足を動かす。そして、必ず勝利を捧げてみせる。いつも笑顔で佐倉達を支えてくれる教師の為に、佐倉は傷だらけになりながらも敵陣のど真ん中へと拳を振りかぶって突貫していった。

 

 

 

 




 月日陽気さん作『ゴーグル君の死亡フラグ回避目録』にてコラボを書いていただきました。
 どシリアス一直線な本作とは違った佐倉きゅんに興味を持たれた方は、是非ご一読いただけると幸いです。


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第三十一話 インターバル

 淡々と進む日常話。あれ、コメディってどう書くんだっけ?


 結果的に言えば、佐倉達は勝利した。

 味方からの指示が届かなかった上条がタコ殴りにされたり生き急いで突貫した佐倉が衝撃波をマトモに食らって吹き飛んだりと様々なハプニングは起こったが、まぁ当初の目的は達したと言えよう。小萌先生も泣きながらにではあるが自分達の勝利を喜んでくれていたし、佐倉達としては万々歳だ。

 さてさて、競技を終えると上条と土御門はどこかに行ってしまい、青髪ピアスはクラスメイト達と共にバカ騒ぎを続行中だ。会話できる相手がいない現状、佐倉は手持ち無沙汰に視線をあちこちへと彷徨わせている。

 

「なぁーにやってんのよ、のーっぞむ!」

「のわっ……って、美琴か。驚かせんなよ」

 

 不意に後ろから肩を叩かれわずかに跳ね上がる佐倉。油断していたところに突然話しかけられたから驚いてしまった。美琴の前ではできるだけカッコよくありたいと切に願う佐倉的には情けない姿を見せてしまったようで若干落ち込み気味である。表情にはおくびにも出さないが。馬鹿にされるから。

 人知れず溜息をついている佐倉の内心も知らず、美琴は相変わらずの快活な笑顔を浮かべると背中を叩きながら言った。

 

「さっきのアンタ、すっごくカッコ良かったわよ」

「……ガラにもねぇ事しちまった自覚はあんだけどな」

「いいじゃない別に。つーか、いつものアンタは気取り過ぎなのよ。肩肘張って強く見せても人生楽しかないでしょうに」

「いいんだよ、俺がそうしてぇんだから」

「いやいや、あんまり無理してっと身体もたねぇぜ望ちゃん?」

 

 美琴との会話に割り込むようにして言葉を投げ込んできた第三の人物。あまりにも聞き覚えがある声に佐倉は一瞬顔を引き攣らせるが、視界に飛び込んできた金髪のポニーテールを確認した瞬間に肩をがっくりと落とした。疲れが一気に襲ってきたような疲弊し切った表情を浮かべ、口元を引き攣らせたまま件の人物を見上げる。

 日本人離れした色白の肌に金髪碧眼。イギリス人のクォーターだからこそ実現した美の結晶。百七十センチの長身をいっそう際立たせるスレンダーな体型。胸部には若干の心残りが見受けられるが、モデルでもすれば一躍大活躍できるだろうと確信が持てるほどのクオリティ。ぷっくりとした柔らかそうな唇の間には鋭い八重歯が光り、白いタンクトップとホットパンツが彼女の快活さを強調している。絵に描いたような元気娘。もしくは不良娘といった印象を抱かせる女性だ。

 佐倉千里。とても四十代には見えない若々しさ抜群の人妻は、愛する夫佐倉叶の腕に抱きついた格好で佐倉へと声をかけてきていた。

 あまりにも年甲斐のない露出満点な服装に頭痛を覚えた佐倉は思わず眉間を親指と人差し指で揉んでしまう。

 

「母さん……開会式前にも言ったけど、その女子高生みてぇな格好はどうにかならねぇの?」

「へっへーん! 似合ってるだろーっ?」

「似合ってるとか似合ってねぇとかじゃなくてよ……ウチの馬鹿ピアスが興奮しまくってるからもうちょっと肌を隠してくれると助かるんだけど」

『むっひょー! サクっちのママさん、ごっつえぇ美人さんやないですかい! 若々しい女性ってのはいつ見てもボクの心臓を鷲掴みしてくれるんやなぁ! いいでいいで、サクっちその人紹介してぇーな!』

 

 親指で自分の背後を呆れた様子で指し示す。見なくても青髪ピアスの状況が分かった。さっきから聞こえてくるアホボイスが状況を完璧に説明してくれている。あれだけ自分の欲望を叫んでいる青髪ピアスがこっちに飛び込んでこないのは、おそらく良識あるクラスメイト一同があの巨漢を抑え込んでくれているからだろう。彼らとの付き合いは浅い佐倉にもそれくらいは分かる。いつも上条に面倒事を押し付けている薄情なクラスメイト達だが、基本的には人のいい優しい集団なのだ。

 青髪ピアスの悲痛な叫び声を背景に、佐倉は溜息と共に美琴及び両親に提案を持ちかける。

 

「とりあえず場所を移さねぇか? このままここにいても落ち着かねぇだろうし」

「いや、アタシ達は望ちゃんの雄姿を拝みに来ただけだから、ここは一旦解散しようぜ。親御さんと一緒に行動ってぇーのは思春期少年には結構恥ずかしいだろ?」

「あー、いや、別にそんな事ねぇけどさ……」

「それにさ」

 

 気まずそうにそっぽを向きながら後頭部を掻く佐倉に悪戯っぽい笑顔を向けると、千里はちらっときょとんとした顔で立ち尽くしている美琴に視線を投げかける。それから傍らの叶に何やら囁くと、

 

「ヤングなお二人さんの大覇星祭デートを邪魔したくねぇしなっ!」

「は、はぇっ!?」

「んなぁっ!? か、母さんテメェ! 時と場所、場合を考えて発言しやがれ!」

「あはははは! それじゃあアタシはマイダーリンと二人でラブラブハネムーンだ! 行こうぜ叶ちゃん!」

「分かりましたから腕を引っ張らないでください。シャツの袖が緩みます」

 

 起爆率十割の高性能地雷を設置したうえでその場からそそくさと立ち去っていくお騒がせママ千里。相変わらず無表情な叶を引き摺るようにして佐倉達の前から一瞬で姿を消した。とても一児の母とは思えない行動力と体力である。昔からトンデモない親だとは思っていたが、まさかここまで酷いとは。今更ながらに頭を抱える佐倉少年だ。

 二人残されて呆然と立ち尽くしてしまう。状況をすぐに察したクラスメイト達はいつまでも騒がしい青髪ピアスを昏倒させて随時撤退したようである。いい意味でも悪い意味でも律儀な彼らに感謝を向ければいいのか怒りを向ければいいのか分からない。とりあえず、お世話様とだけ言っておこう。

 なんか取り残された感マックスな佐倉はもはやクセとなりつつある毎度の溜息をつくと、傍らで顔を真っ赤にしたまま思考停止している常盤台のエースに声をかける。

 

「美琴。お前、自分の競技はどうなってんだ?」

「あ、えっと……望の応援に行きたいからって、偶然その場を通った一九〇九〇号に身代わりを頼んできたんだけど……」

「ここぞとばかりに【妹達】を使うなよ……って、あぁ、アレ(・・)か」

 

 顔を上げた先にあったのは競技場に設置されている大型ディスプレイ。無駄に広い学園都市内で効率よく様々な競技を観戦できるように設置されたものであるが、そのディスプレイは現在常盤台中学が出場している借り物競争を放送しているらしい。五本指の一角が出場しているのだから当たり前か。珍しさと需要から言っても、妥当と言えるチョイスだろう。

 そんな借り物競争のゴールシーンが映し出されているのだが、件の一九〇九〇号がどこか朗らかな笑みと共に一着でゴールしていた。右手には見覚えのあるツンツン頭の少年が涙目のまま引き摺られている。あれ、アイツ確か土御門と一緒にいたんじゃなかったっけ?

 

「一九〇九〇号って確か、布束から唯一感情をインストールされた個体だったよな?」

「そうなんだけどね……まさかあんなに無邪気な笑顔で競技楽しんでいるとは思わなかったわ……」

「ま、まぁアイツらが元気ならそれでいいじゃねぇか」

 

 自分から身代わりを頼んだ手前ツッコミ辛いのだろう。それに一九〇九〇号が笑顔で上条を引き摺っている絵面は、あれが美琴ではないと知らない人からすれば美琴が上条と仲良くゴールしているように見えるだろうし。佐倉自身は違うと分かっているから別段気にはしないが、勘違いされる当人である美琴的には何かしら思う所もあるのだろう。まぁ、多少の自業自得というかなんというか。

 達観したように引き攣った笑みを浮かべる美琴。彼女によるとしばらくは参加する競技もないらしい。佐倉も当分は暇な立場であるから、丁度いいと言えば丁度いいか。

 ――――じゃ、母さん達の好意にでも甘えますかね。

 不意に美琴の手を握ると、彼女はビクンと肩を跳ね上げた。

 

「にゃ、にゃわ!? にゃにゃにゃ、にゃに!?」

「猫かてめぇは。……いやさ、お互い結構暇な時間が続くだろ? だから、この時間を使って今まで一緒にいられなかった時間を少しでも埋め合わせようと思ってさ。この前元気づけてもらった礼もまだだし……一緒に大覇星祭回ろうぜ」

「わ、わざわざ埋め合わせとかそういうこと言わなくても良いでしょこの馬鹿! ふ、普通に誘いなさいよ!」

「普通に誘っても同じ反応だったと思うけどな」

「なんですって……ひゃぅっ!? ゆ、指を絡ませるなぁ!」

「え、ダメか?」

「ダメっていうか……あ、あんまりやられちゃうと悪い意味で疼いちゃうというか……はぅっ」

「何言ってっかさっぱりだけど、とにかく、一緒に回ってくれるのか?」

「んっ! ……う、うん。一緒にぃ……大覇星祭デート、楽しんであげるわよぉ」

「そっか。うん、サンキューな」

「あぁぁ……笑顔で力込め直すとか反則……んんっ!」

 

 何やら顔を真っ赤にして不自然に震えている美琴への心配が止まらない佐倉だが、あまり余計なことを詮索すると痛い目を見るというのは千里からの忠告や今までの経験から学習済みだ。無駄なビリビリは避けたいので、無理に事情を聞かずに行動を開始するとしよう。

 とろんとした潤んだ瞳で顔を上気させながら荒い息をつく美琴が佐倉の方に身体を預けてくるが、それを彼女からの愛情表現と受け取った佐倉は頬を軽く染め、照れの混じった苦笑を漏らしながら屋台が連なる店舗群へと足を進めるのだった。

 

 

 

 

 

                    ☆

 

 

 

 

 

 佐倉望はスキルアウト兼暗部所属の不良だが、基本的な部分では真面目な少年だ。

 暗部に所属した現在は仕事の関係上学校を休むことは少々あるが、所属前には爆睡するとはいえなんだかんだでほぼ皆勤賞を達成していたよく分からない優等生なのである。授業聞いていないから成績は微妙だが。

 自分の弱さを隠すために常日頃から軽口を叩き、一方で最低限真面目に物事に取り組む変わった少年。不良だが、身なりや性格は優等生染みた中途半端な高校生。

 そんな真面目で不真面目佐倉クンは、現在。

 

「いやーんっ、美琴ちゃんこんなに可愛いボーイフレンドがいるならもっと先に言ってよー」

「もがががががっ!」

「ちょっ! 埋まってる埋まってる! 望がママの胸の中で窒息してるって! ていうかソレは私に対する挑戦状と判断してもいいのかしら!? 悪戯にしてはちょっとばかし嫌味がすぎんぞコラァーッ!」

 

 美琴と二人で屋台デート中に彼女の母親とバッタリ遭遇。そのまま急に抱き締められ、幸福感に包まれている最中であった。

 なんか美琴にそっくりなお姉さんがいるな、と思ったが束の間。瞬間的に目があったその女性はキュピンと両目を妖しく光らせると、目にも留まらぬスピードで佐倉を捕獲。その様はまさに狩猟犬の如し。驚きの余り指一本動かすことができず、気が付くと顔全体を柔らかな物体に包まれていた。それが女性の胸部であることに気が付くと、美琴の前であるにもかかわらず全身の力が抜けていく。情けない上に申し訳ないと心から謝罪したい気持ちでいっぱいであったが、これはあくまでも雄としての逃れられない性なのだ。決して佐倉の意志が弱いわけではない。母性を求める男の宿命なのだ。

 だが、そんな異性の習性など知ったことではない美琴は佐倉の救出を試みている。エロスな快感に包まれる中で脇腹辺りが引っ張られている感覚が伝わるが、思いのほか強くホールドされているのとおっぱいのボリュームが素晴らしすぎるのが重なってなかなか抜け出すことができないでいる。というか、そろそろ抜け出さなくてもいいかなとかいう気分になってきた。マトモな女性経験のない思春期高校生は、色っぽいねーちゃんの性的魅力に弱いのだ。

 佐倉を引っ張る度に魅惑の振動を繰り返す柔球を憎々しげに睨みつけながら、美琴は心の底から絶叫を開始。

 

「だぁーっ! なんなのよこの脂肪のカタマリうざったいにも程がある! こんなにボリュームいらないでしょ馬鹿じゃないのちょっとくらい私に寄越せぇーっ!」

「美琴ちゃん美琴ちゃん、本音がだだ漏れなんだけど? というか心配しなくても、この美鈴さんの遺伝子を引いている美琴ちゃんの将来は安泰だとママは思うんだけどなぁ」

「こっちの気も知らないで! 毎晩毎晩鏡の前で悲しみの涙を流す思春期少女の悩みを全部ぶちまけてやろうか!?」

「大丈夫よ美琴ちゃん。私も十四歳の頃はCカップくらいしかなかったから」

「アンタは自分の愛娘を自殺させたいのか!」

 

 母性の象徴(シンボリックウェポン)に佐倉を捕獲したまま暴走する娘の説得にかかる美鈴だが、もはや虐めとしか思えない失言の数々に彼女の怒りはフルスロットルだ。今ならばレベル6到達も夢ではないと言わんばかりに怒り狂うその姿はまさに修羅。ここ最近は佐天涙子や白井黒子辺りにしか見せることはなかったマジギレミコっちゃんをお披露目する時が来た、と拳を握って怨敵を見据える。女には、たとえ負けると分かっていても戦わねばならない時がある。

 

「その幻想(巨乳)をぶち殺す!」

「美琴ちゃん。世間ではそう言うのを八つ当たりっていうのよ?」

「えぇい知らないわよそんな常識! 今大切なのはアンタの胸を削り取って私に移植することだけだ!」

「肩凝りも大変だし、垂れないように運動もしなくちゃいけないんだけどなぁ。あんまりメリットないと思うけど?」

「そんなもん我慢するわよ! 肩凝りも運動も全力でやってやるってのチクショー!」

「どうでもいいがそろそろ解放してくれねぇと息がヤベェんだがっ……!」

「あら、ごめんなさいねボクちゃん」

 

 思い出したように腕を放し、佐倉の拘束を解く美鈴。割と深いところまで突っ込まれていた佐倉の顔が露わになると巨乳が《たゆん》という擬音が付きそうな程の揺れを披露していたが、どこぞの貧乳超電磁砲が暴走しかけたのは言うまでもない。簡単に言うと、実の母親に電撃向けんなよ。

 ようやく呼吸の自由を取り戻した佐倉は幸福感の喪失と引き換えに大量の酸素を空気中から摂取開始。隣で俯いたまま「牛乳……適度な運動……後はお風呂上がりのマッサージを……」とか呟いている美琴がとても恐ろしい。げに乙女の執念とは恐ろしきかな、だ。たまに悟り切った表情で上条が女性の怖さを語ってくるのだが、佐倉にもようやくちょっとだけ分かった気がした。上条の場合は持ち前の不幸も作用している気はしないでもないが。

 ぺたんと自身の胸部に手を当ててついには呪詛を唱え始めた常盤台のエース。このまま放っておくのはさすがに良心が痛む。だが、何故か無性に親近感の湧くやけに若々しい御坂ママがニヤニヤと口元を吊り上げてこちらを見ているせいでイマイチ行動に移すことができない。なんですか、あなたは何をさせてぇんですか。

 できればこのまま自然に立ち直るのを待ちたいところではあるが、生憎今日は大覇星祭。七日間しかない貴重な時間をこれ以上変な事情で失うのは正直避けたい。一日目にして片方行動不能とか笑うに笑えないだろう。下手すれば浜面に心の底から爆笑される。

 仕方がねぇ。背後から突き刺さる微笑ましさ全開の視線に嘆息しながらも、落ち込む美琴の肩を叩いて彼女の顔を上げさせる。

 

「美琴」

「な、なによぅ。アンタも私の無様さを笑いに来たの? いいわよ、笑えばいいわ。実の母親から直接嫌がらせを受けるこの御坂美琴を嘲笑するがいいわ!」

「いや、違うからちょっと落ち着け」

 

 何故かショックのあまり壊れかけている美琴を落ち着かせると、彼は今表現しうる最高の笑顔を浮かべ、それでも割と心の底から彼女を励まそうと口を開いた。

 

 

「俺は巨乳でも貧乳でもイケるクチだ」

 

 

『…………は?』

(いきなり何言ってんだ俺ぇええええええええええええええ!!)

 

 御坂母娘の表情が『無』の状態で硬直した。それもそうだろう。今世紀最大の真顔から発されたのが正気を疑うような驚愕の性癖暴露では、どんなに鋼の精神力を持ち合わせている人間でも大概は目が点になる。それが好きな相手ならば尚更だ。今の美琴がどういう心境であるか、あまり聞きたくはない佐倉である。というか、中途半端に地雷踏むとかもはや意味不明の行動だ。考えなしにもほどがある。

 思わず漏らした失言に冷や汗ダラダラ状態で立ち尽くす佐倉。次に来るのは美鈴による拳骨か、もしくは美琴によるビリビリか。どちらにせよ、女性にセクハラ紛いの発言をした罪は重い。日頃上条への制裁を目の当たりにしていることもあり、それなりの罰は覚悟してしまう。

 ――――だが、不意に聞こえた謎の言葉に佐倉は耳を疑った。

 

「ひ、貧乳もイケるって……じゃ、じゃあ私もイケるってことよね……?」

 

 それは美琴の声だった。聞き間違えようがない、超能力者の呟きだった。

 美琴は顔を真っ赤に、それこそ林檎のように真紅に染めると、口元に右手を当てた格好で何故かそわそわと落ち着かない様子だった。もじもじと視線をあちこちに泳がせ、見るからに挙動不審だ。普段の勝ち気で豪快な彼女からは想像できないしおらしい様子に佐倉は思わず数回瞬く。だが、目の前の純情乙女は紛れもなく御坂美琴だ。

 

「み、美琴? 顔真っ赤だけど大丈夫か?」

「イケるってことはそういうことだろうし……でもまだ早いっていうか、時期尚早というか……一応告白はしたけど、正式に交際しているわけでは……でもでもっ、最近だと早い人達もいるって佐天さんも言ってたし……」

「なんの話かよく分からんがとりあえず深呼吸だ。とにかく落ち着け。一旦正気に戻ろう美琴。その思考パターンはおそらく社会的な死を招きかねん」

「……いっそのこと、この雰囲気のままホテルに――――」

「行かねぇよ! なんだよ思考回路のぶっ飛び方尋常じゃねぇだろ!」

 

 潤んだ瞳のまま呆けた様子で佐倉の手を引っ張ろうとした美琴を慌てて止める。この馬鹿は親の前で何を言っているのか。自爆する分には構わないが佐倉を巻き込んで誘爆するのだけは勘弁してほしい。そして、娘が危機的状況に陥っているのに背後で爆笑している美鈴さんは何を考えているのか。結構真剣に助力を請いたいのだが。

 

「あんな美琴ちゃん初めて見たわ。あー、面白いなぁ」

「馬鹿な事言ってねぇでちょっとぐれぇ手伝ってくれませんかねぇ!」

 

 とうとう佐倉の腕に抱きつき始めた美琴の肩を揺らしながら、無能力者は絶叫する。

 

 

 

 

 

 




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第三十二話 お騒がせ集団

 夜分遅くに失礼いたします。更新ですっ。
 今回は結構自分なりに納得できる文章で書けました。日によって調子が変わるのが難しいところですね。


 軽くトリップしかけていた美琴をあの手この手で正気に戻した佐倉であるが、そろそろ美琴の次なる競技の時間が近づいてきたらしく、ナイスバディママ美鈴と共に未だ本調子ではない美琴を連れ立って競技が行われる高校のグラウンドへとやってきていた。美琴と手を繋いだままここまで歩いてきたのだが、周囲から異様な注目を浴びてしまって佐倉的には涙目である。美琴は学園都市の誇る超能力者、それも第三位という凄まじい立ち位置の人間なので仕方がないと言えば仕方がないのだが。それほどの有名人であることに加え、無能力者であり一般的に落ちこぼれの部類に入る佐倉が一緒にいたというのも大きな要因の一つだろう。似合わねぇよなぁ、とは思ってしまう。

 そんな衆人環視の中、美鈴監視の下で恋人繋ぎで競技場までやってきたわけではあるが、少しばかり予想外の事態に陥っている。

 

「御坂さんったら見せつけてくれちゃうなぁまったくもー」

「違っ……! べ、別に見せつけているとかそういうんじゃなくて!」

「超能力者と無能力者の許されざる身分差恋愛……あぁっ、まさにロミオとジュリエット!」

「初春さんお願いだからこっちの世界に戻ってきて! 今は一人でも味方が欲しいの!」

「美琴ちゃん人気者ねぇ」

「このバカ母! 笑ってないでフォローの一つでもしなさいよ!」

 

 移動途中にバッタリ遭遇した柵川中学二人組に絡まれた挙句、次の競技まで暇だからとの理由で同行を余儀なくされてしまったのだ。ちなみに、頭に花飾りを乗せた少女が初春飾利で、黒髪長髪のスタイルがいい少女が佐天涙子。低能力者と無能力者というコンビだが、これでも一応美琴の友人達である。

 佐天はいつも通りの悪戯っぽい笑みを浮かべ、初春は頬を朱に染めたまま恋愛脳全開でそれぞれ美琴をからかっている最中だ。超能力者である美琴にありのままの態度で接してくれる貴重な友人達ではあるのだが、一度スイッチが入ってしまうとどこまでも反応に困る弄りを続けてくるのでタチが悪い。特に佐天のからかいは秀逸で、傍で見ている佐倉が思わず感心してしまう程である。

 両手を顔の前でぶんぶん振りながら佐天達の言葉を全力否定する美琴。受身で弄られキャラ状態の娘を見るのは初めてなのか、美鈴はどことなく驚いたように目を見開くと美琴の新たな友人達にさっそく挨拶を行っていた。

 

「どーも、美琴の母の美鈴ですっ。娘共々よろしくね~♪」

「母!? え、お姉さんじゃなくて!?」

「どう見ても二十代にしか見えないんですが!」

「お、嬉しいこと言ってくれるじゃない。美鈴さん喜んじゃう!」

 

 もはや形式美となりつつある一連の流れに佐倉と美琴は揃って苦笑を浮かべる。年齢の割に若々しい母親を持つ者の宿命なのか、どこか居心地の悪い居た堪れなさを感じるのだから不思議だ。授業参観に化粧しまくった親がやってきた時の場違い感と言えばいいのか。どうにも言いようのないもどかしさである。

 未だ驚きから立ち直る様子のない初春を他所に、基本的に図太い佐天は新たな興味を惹かれたらしい。くるくると何度か美鈴の周りを彼女を観察するように回ると、両手の指で小さな四角形を作ってその中に美鈴を収め、

 

「確かにどことなく御坂さんの面影がありますね。……胸以外」

「よーし佐天さん。悪いこと言っちゃうのはこの頭かなー?」

「いだだだだっ! 御坂さんその腕力は女子じゃないです化物です!」

 

 完璧に故意に地雷を踏み抜いた佐天は突如舞い降りた戦乙女に渾身のヘッドロックを食らっていた。思いのほかしっかり極まっているらしく顔を真っ青にした佐天がタップして必死に降参の意を示しているが、制裁に燃える美琴の腕が緩む気配はない。どう考えても佐天の自業自得なので同情はしないが、一応頭蓋骨が粉砕しないようにお祈りだけはしておこうと胸の前で十字を切る佐倉であった。

 馬鹿騒ぎを続ける四人を眺めていると、ふともう一人ここにいるべき少女のことを思い出した。赤茶色のツインテールが特徴的な風紀委員の姿が見えない。いつもならば真っ先に美琴に飛び掛かって愛情表現を行っているはずなのに。

 思わず視線をあちこちに彷徨わせると、肝心の少女は意外と早く見つかった。佐倉の背後で、車いすに座った中学生が彼の事を睨みつけていたのだ。

 

「……どうも」

「御機嫌よう。お久しぶりですわね佐倉望」

 

 どこか不機嫌な様子の白井は佐倉の素っ気ない挨拶に礼儀と殺意を混在させた不自然な笑顔を浮かべる。顔は笑っているのに目が全く笑っていない。スポーツ車椅子の車輪を掴んでいる両手は力を入れ過ぎて真っ白になっているようにも見える。どこをどう見てもキレていた。身に覚えのない怒りを向けられ背筋に嫌な汗が浮かび始める。

 状況打破を狙った佐倉が何か言う前に、絶賛ダークモードの白井はのっぺりとした営業スマイルを貼り付けたまま淡々と言葉を連ね始めた。

 

「白井――――」

「あら、わたくしに何か御用ですのこのクソッタレ類人猿は。お姉様を誑かした挙句精神を病ませた男が今更わたくしに何を言おうとしていますのかしら。あぁ申し訳ございません佐倉望。いきなり失礼なことを言った自覚はありますが隠すことなく本心ですのでお気になさらず。これ以上傷つきたくないのならばとりあえずお姉様との縁を切ることをお勧めいたしますの」

「…………」

「白井さん白井さん。佐倉さんが涙目なのでそれぐらいで勘弁してあげましょうよ」

「チッ!」

「うわぁ、あからさまな舌打ちは流石ですね」

 

 顔を醜く歪めて嫌悪感を隠しもしない白井に思わず初春が毒を吐いてしまうが、そんな彼女が庇ってしまうくらいに今の佐倉は憔悴していた。涙目で今にも泣きだしてしまいそうなくらい落ち込んでいる佐倉は現在佐天と美琴に二人がかりで慰められているところである。白井がその光景を見て再び悪態をついていたが、これ以上の挑発は佐倉を想った美琴の怒りを買いかねないと判断した初春は車椅子を操作すると美鈴の下で世間話に徹することにした。数日前の結標淡希との戦闘で大怪我を負っている白井は抵抗も出来ずに大人しく連れ去られていく。私っていっつも外れクジですよぅ、と人知れず漏らす初春がとっても健気だ。

 美琴と佐天という二大美少女に全力で励まされてようやく回復の兆しを見せてきた佐倉は、感極まった様子で二人の少女を強く、それはそれは強く抱き締めていた。いきなりの抱擁に顔を沸騰させながらもどこか幸せに満ちた恍惚の表情を浮かべる美琴の横では男性経験皆無の佐天が顔を真っ赤にして目を白黒させていたが、佐倉が彼女の様子に気が付くことはない。

 ようやく解放された佐天は地面に四肢を突き、四つん這いの状態で荒い息をついていた。

 

「ぜぇーっ、ぜぇーっ……は、恥ずかしすぎて死ぬかと思った……」

「そう言いながらも若干嬉しそうなところが佐天さんらしいですよね」

「そこ五月蠅いよ初春! 普段の仕返しでも意識しているのかな!?」

「いえ別に。ただ一つ言っておきますけど、素直じゃないキャラは御坂さんで埋まってますよ?」

「何の話だ!」

 

 珍しくも全身を真っ赤にした無能力者の絶叫は、もう一人の無能力者には届かない。

 

 

 

 

 

                     ☆

 

 

 

 

 

《お集まりの皆様。只今より、【常盤台中学校】対【明星高等学校】のバルーンハンターを行いたいと思います!》

 

 高校のグラウンドにアナウンスが響き渡ると、それに呼応して観客席から怒涛の歓声が上がった。グラウンドには玉入れに使われるような球が大量に転がっていて、その中にそれぞれ三十人ずつ学校から選抜された選手達がお互いを睨みつけている。赤い線の入ったランニングシャツを着た常盤台生の中には、先程正門で別れた御坂美琴がいるはずだ。ほら、今も同校の生徒達に囲まれて競技のスタンバイを……、

 

「……あの雰囲気は、どう見てもミサカじゃね?」

 

 思わずと言った様子で、それでも隣で若々しく声を張り上げている美鈴や佐天達に聞こえない程度に声量を抑えて呟く佐倉。視線の遥か先で風船のついたヘルメットを被って立っている茶髪の少女は、外見こそ美琴に瓜二つではあるが明らかにミサカ一〇〇三二号だった。【妹達】の中でも一〇〇三二号だけは見分けがつくようになった佐倉だからこそ判断できる。そして、美琴を誰よりも崇拝する佐倉だからこそ、あれが本人ではないと察することができた。

 

「美琴ちゃんは昔から運動が大好きでね。こういう種目はお家芸なのよ」

「さすがは美琴っすね。見たまんまの体育会系少女ってわけだ」

 

 美鈴の言葉に不自然ではない程度に相槌を打ちながらも、状況整理を開始。

 自分達は確かに正門で別れ、美琴を送り出したはずだ。その時までは一緒にいたので間違いない。そして、近くにミサカがいる様子はなかったと思う。

 可能性として考えられるのは、常盤台中学の誰かがミサカと美琴を間違えて招集したという線か。ある意味で一番あり得そうな予想に若干頬が引き攣ってしまう。遺伝子レベルで同一個体な二人を素人が見分けるのは至難の業であるから、勘違いして連れて行っても何ら不思議ではないのだ。

 そんなことを考えながら美鈴との会話を続けていると、短パンのポケットに入れている携帯電話が震え始めた。表示を見ると、『御坂美琴』の文字。異変を知らせようと思ったのだろう。まず最初に佐倉に電話してくる辺り、彼女に信用されていることの裏返しなので何気に嬉しい佐倉である。

 

「ちょっとトイレに行ってきますね」

 

 そう言い残すと、軽く頭を下げて美鈴の元を離れる。小走りで観客席の端、美鈴達に声が届かない上に人の集まりも少ない場所まで行くと、誰も近くにいないのを確認してから通話ボタンをプッシュする。

 

「もしもし、美琴か?」

『な、何気に緊急事態なんだけど……』

「事情は知らんが、どうやら美琴の代わりにミサカが出場しちまっているみてぇだな」

『え、アンタあれが私じゃないって分かったの!?』

「そりゃまぁ。さすがに尊敬する人間をそっくりとはいえ他人と間違う程俺は薄情じゃねぇつもりだし」

『そ、そう。……そこは好きな人はって言ってほしかったな』

「何か言ったか?」

『べっ、別に何も言ってないわよこの馬鹿! 余計な詮索すんなっつーの!』

「逆ギレかよ。……で、お前今どこにいるワケ?」

『高校からちょっと離れた路地裏の建物。非常階段の最上階で様子見しているわ』

「路地裏の建物……あぁ、あの古びた白塗りの六階建てか」

 

 スキルアウトに所属している佐倉は、その立場上第七学区の路地裏事情にはおそらく誰よりも精通している。アジトの位置や他グループの本拠地を把握するための副産物のような情報だが、今回は脳内の地図を頼りに美琴の現在地を特定した。たまには役に立つじゃん、と相変わらず無駄に自嘲する。

 だが、特定したからと言ってすぐに迎えに行けるかと言われるとそれは無理だ。佐倉も一応美琴の応援という体でこの場に来ているため、美鈴達を置いて美琴の所に向かうわけにはいかない。あまりに何度も観客席を離れればさすがに不思議がられるだろうし、なにより白井黒子に勘付かれる恐れがある。美琴との交際関係によって何故かブラックリスト認定されている今の佐倉は彼女によって逐一警戒されている立場である為、あまりおおっぴらな行動はできない。先程も嫌らしい視線で佐倉の動きを牽制していたのだ。そう頻繁に動き回ると、美琴がこの場にいない事実に加えてクローンであるミサカの正体までもが公になってしまう可能性は否定できない。

 

「まぁそういう訳だから、しばらくそこで妹の雄姿でも拝んどけよ。ミサカが大活躍するところは姉としては見ておきてぇだろ?」

『そりゃああの子達が元気に動き回っている様子は見たいけどさ……あんまり派手に暴れちゃうと違和感が出るんじゃない?』

「大丈夫だろ。お前とミサカは肉体的にも精神的にも想像以上にそっくりだから」

『一応聞くけど胸見て言ってないでしょうね?』

「ノーコメントで」

 

 バチバチと聞き慣れた電撃音が電話口から聞こえてきていたが、場所が離れているために攻撃される恐れがない佐倉は肩を竦めて軽口を叩く。普段は即殺瞬殺大虐殺にもつれ込むんでしまうので、こういう時くらいはのほほんとしておきたい無能力者であった。いくら荒事に溢れた日常を送っている佐倉とはいえ、無駄な怪我は御免被りたい。

 とにかく競技終了後にミサカと三人でその場で落ち合う約束を取り付けると、通話を終えて美鈴達の所に戻る。これ以上席を外しておくと、主に白井から疑惑の視線を向けられるとの懸念からだ。

 ハンカチ片手にわざとらしくトイレから帰ってきた風を装いながら美鈴の隣に座る。既に競技は始まっているらしく、グラウンドに設置された大型ディスプレイには学区中に散開した参加者達の様子が中継されていた。ミサカはまだ映っていないが、彼女は彼女で楽しんでくれればいいな、と佐倉は人知れず微笑ましい思いを抱える。いつも病院でメンテナンスの毎日を過ごしているのだから、こういう時くらいは好き勝手に暴れてくれても罰は当たらないだろう。

 ポケットの携帯電話を何の気なしに撫でながら観戦に努める。背後から突き刺さる嫌悪及び憎悪の視線にいちいち嘆息しながらも、佐倉はとりあえずミサカの雄姿を記憶に収めることにした。

 

 

 

 

 

 




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第三十三話 閑話休題

 美琴の代役という形でバルーンハンターに出場することになったミサカ。一般常識及び戦闘能力的な事情その他諸々の理由から、ちゃんと最後まで問題なく競技を行えるだろうかと佐倉は観客席で何気に気を揉んでいた。いくら学習装置で知識をインストールされているとは言っても、この世に生を受けてから半年も経っていない赤子も同然の少女である。まるで我が子を思う親御さんのような気持ちでスクリーンに映し出される彼女の姿を見つめていたのだが……、

 

《か、躱す躱す躱すぅーっ! み、御坂選手! 迫りくる大量の攻撃を巧みな体捌きで躱していきます!》

「す、凄いじゃない美琴ちゃん! これは旅掛クンにも自慢できる活躍っぷりよ!」

 

 明らかに戦闘慣れしている不自然なフットワークで敵チームの攻撃を回避していくミサカに美鈴が目を輝かせている。未だにあれが娘ではないという衝撃事実に気が付いていない美鈴は両手をぶんぶん振り回して子供のように興奮気味にはしゃいでいた。我が子が凄まじい活躍を見せていると思っている彼女に気まずい思いを抱えながらも、引き攣った顔を誤魔化すように乾いた笑いを漏らす佐倉。

 心配とか、そんな余計な感情を差し挟む必要はどうやらなかったらしい。ミサカはミサカなりにバルーンハンターに熱中し、一人の選手として動いている。多少やり過ぎ感は否めないが、それでも一応許容できる範囲内だ。素人とは思えない動きだが、今の彼女が御坂美琴ではないという事実に気が付く者はいないだろう。万事上手くいっている。心配事が一気になくなり、思わず苦笑を漏らしてしまう。

 スクリーンの中で縦横無尽に駆け回るミサカは相変わらずの無表情であったが、それでも彼女なりに楽しんでいる様子が窺われる。見慣れた結果というか、非常に変化の乏しいミサカの表情をいつしか判別できるようになっていた佐倉である。そんなミサカマイスターの佐倉が判断するに、今のミサカは心の底からバルーンハンターを楽しんでいた。そこにいるのはクローンでも量産能力者でもない。どこにでもいるような普通の少女が、一人の学生として競技に参加している。代役ながらも目一杯活躍しているミサカに佐倉はいつのまにやら表情を綻ばせていた。

 華麗なステップで攻撃を回避し、返す刀で敵の風船を割って撃破していくミサカ。半分以上を倒し、一先ずの逃亡を図ろうとしていたが、いよいよ疲れてしまったのか、不自然に動きを止めるとそのまま風船を割られてしまった。あまりに楽しすぎてスタミナ配分を誤ってしまったのだろうか。ミサカにしては珍しい結果に首を捻ってしまうが、負けてしまったものは仕方がない。とにかく、お疲れ様と言っておくべきだろう。

 どうやら常盤台の選手はミサカが最後の生き残りだったらしく、競技終了のアナウンスが響き渡った。周囲の観客達もそれぞれが立ち上がっている。見れば、隣の美鈴も豊満な胸部を主張するかのような伸びをしながら腰を上げていた。

 

「じゃ、美琴ちゃんでも迎えに行っとく?」

「あ、俺が連れてきますから、美鈴さんは先に行っててくれねぇっすか? 確か昼食の準備があるんですよね? ウチの両親もたぶん同じ店で待ってるだろうから、後で一緒に合流しますよ」

「そう? わざわざ悪いわねー。そんじゃあお願いしちゃおっかな!」

 

 「またねー♪」ひらひらと手を振ってくる美鈴に会釈を返すと、人混みに紛れて美琴が待つであろう路地裏へと向かう。佐倉が動いたことで白井が過剰に反応していたが、またよからぬ面倒事が起こると思ったらしい初春と佐天によって連行されていた。幸い佐倉が向かう方向とは逆である。何気に災害染みている白井が消えたことに思わず安堵してしまう。

 会場となっていた高校から徒歩五分ほどの距離にある白いビル。その非常階段に隠れていると言っていた美琴は、競技が終わったためかビル近くの工事現場に下りてきているようだった。隣には黒猫を抱えたミサカもいる。同じ体操服を着て並んでいる光景はある意味壮観ではあるが、傍から見た限りは仲のいい姉妹にしか見えない。なんだかんだで上手くいっているようだ。

 

「あ、おっそいわよ望!」

「お疲れ様です望さん、とミサカは相変わらず素直になれないお姉様に代わって貴方の苦労を労います」

「おー、お疲れさんミサカ」

 

 走ってくる佐倉に気が付いた美琴がビリビリしながら怒鳴ってくるが、隣のミサカが無表情にしれっと毒を吐いていた。相変わらずの毒舌だなぁと苦笑混じりに挨拶を返すと、とりあえずミサカの活躍を褒め称えようと口を開く。

 

「さっきのバルーンハンター、凄かったな。まさかあんなに動けるとは思ってなかったぜ」

「お褒めに預かり光栄です、とミサカは素直に謝辞を述べます。ですが、最後に油断して敵の思惑に嵌ってしまいました。せっかくMVPを獲れると思っていたのですが……、とミサカは先程の場面を思い返しながら悔しさに涙を呑みます。くそぅ」

「まぁなんにせよお疲れさんだな。カッコ良かったぜ、ミサカ」

 

 無表情ながらに拳を握って力説するミサカ。佐倉が思っていた通り、ミサカはミサカなりに楽しんでいたらしい。無邪気に感想を述べるミサカに微笑ましいものを感じて、佐倉は思わず彼女の頭を優しく撫で始めていた。疚しい気持ちなどではない。ただ、純粋に喜ぶミサカを微笑ましく思ったのだ。

 不意に頭を撫でられたミサカは驚いたように肩を跳ね上げたが、恥ずかしそうに目を逸らすと朱に染まった顔を俯かせていた。だが、口元に薄らと笑みが浮かんでいることを佐倉は見逃さない。嫌がってはいないことを悟ると、途中から悪乗り気味にわしゃわしゃと荒々しく髪を弄り始める。置いてきぼりにされた美琴が怒りの電撃を食らわせなければ、ミサカは天然パーマの個体として生きていかなければならない所であった。佐倉的には見分けがつけやすくなるので万々歳だが。

 

「パーマが好きなのですか? とミサカは首を傾げながら至極真面目に質問します」

「いや、別に特定の髪型にこだわりはねぇけどさ。たまには普段とは違う姿も見てみてぇって思っただけだから」

「なるほど。それでは明日から早速某大手ハンバーガー店のピエロも裸足で逃げ出すようなパーマで生活しようかと……」

「それもうパーマどころかアフロだから。イメチェンどころの騒ぎじゃねぇから。つぅか、俺の意見に左右される必要はねぇんだぞ? お前はお前のやりたいようにやればいいんだしさ」

「はぁ……良く分かりませんが、分かりました」

「どっちだよ」

 

 どこまでもマイペースなミサカのノリにくつくつと笑いを零してしまう。こういう所は美琴に似ていないから面白い。聞けば個体ごとにわずかな性格の差異があるらしい。数千通りのミサカとか見てみてぇな、と密かに決意する佐倉であった。

 

 

 

 

 

               ☆

 

 

 

 

 

 昼以降に佐倉が出場する競技は入っていない。予定と言えば美琴に誘われたナイトパレードくらいなので、昼食後の佐倉はつまるところ暇だった。

 先程両親と食事をしてきた佐倉だが、予想以上の大騒ぎに発展してしまったためやけに疲労が溜まっている。御坂家はある程度予想していたとはいえ、上条家の合流はまったく予期してすらいなかった。インデックスの居候疑惑や常盤台中学の授業内容、そして美琴の成長具合の話題と、放すことには事欠かなかったがその分疲れも溜まった。ただでさえテンションが高い母親がいるのに、同系統の美鈴、そして息子並の修羅場を乱発する上条父のトリプルパンチである。二重苦どころの騒ぎではない。トラブルにトラブルを重ね続ける参加者達に何度ツッコミを入れ続けたか分からない。よくもまぁ上条はこんなメンバーに囲まれて暮らしていけるものだ、とここ最近向上しつつある上条への尊敬がこれまたアップした。

 昼食後、競技があるとか何とかで美琴は合流した白井達と共にどこかへ行ってしまった。その際に白井によって脳内に金属矢を転移されそうになったが、先手を取った初春の拳骨によって白井は昏倒し、佐倉が一命を取り留めるとか言う事件があったが、まぁ今は置いておこう。

 上条は大玉転がしに参加している。土御門は見当たらないし青髪はおそらく上条達の応援に出向いているだろう。佐倉もクラスメイト達と一緒に応援に行けばいいのだろうが、完全にタイミングを失ってしまった。今から一人で会場に行くのもなんだか寂しいし。友達がいないと誤解されそうな気がするし。……実際多くはないが。

 結局手持ち無沙汰な佐倉は配布された食券を片手に一人寂しく出店を回り続けるのだった。とても大覇星祭中とは思えないダークな空気が彼の周囲に漂っている。たこ焼きを手渡すバイトの兄ちゃんが思わず顔を引き攣らせてしまうくらい、今の佐倉は物寂しい雰囲気を纏っていた。あまりの寂しさに俯いているためか、先程から何度も通行人にぶつかりそうになっている。

 

「っとと……あ、すんません」

「こちらこそ。ふふっ、少しは周りに気を配らないと、独りよがりなオトコノコは嫌われちゃうゾ♪」

 

 布に包まれた看板らしきものを抱えた作業服の女性は悪戯っぽく微笑むとそのまま人混みの中に消えて行った。ズボンのファスナーは限界ギリギリまで開いていたし、ボタンを一つしか留めていない上着の中には何も着ていなかった気がするのだが……慢性的に命の危機に瀕しているとはいえ一応健全な青少年である佐倉は、性欲を形にしたような金髪外人女性に軽く視線を奪われてしまっていた。彼女の姿が見えなくなるまで見送ってから、連絡先だけでも聞いておけばよかったかと軽く後悔する。……まぁ、後で美琴にバレて制裁されるのがオチだろうが。

 もぎゅもぎゅとフランクフルトを頬張りながらのんびり学区内を闊歩していると、ハーフパンツのポケットに入れていた携帯電話が途端にけたたましく着信音を響かせ始めた。最後の一口を口内に放り込んで右手を空けると、電話を開いて画面を確かめる。

 

「…………はぁ」

 

 不意に思いっきり溜息をついてしまった。今日一日の疲れがぎゅっと濃縮されたような重苦しい溜息は、今の佐倉の心情を何よりも鮮明に表していると言えよう。とてもプラスとは言えない感情が湧いてくる中、できるだけ人気のない裏路地に入ると再び携帯電話の画面を開く。

 そこには、『垣根帝督』の文字が忌々しい程鮮やかに浮かび上がっていた。

 

 

 

 

 

 




 


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第三十四話 依頼

 ようやく本題に入る大覇星祭編。


『今すぐ第七学区柵川中学前のファミレスに来い』

 

 突然かかってきた着信で垣根が命じた内容は、あまりにも拍子抜けかつ理不尽なものだった。第六学区に差し掛かる辺りにいた佐倉は命令を受けた瞬間に慌てたようにその場から脱兎のごとく走り出す。待たせたら何をされるか分からない。人類史上最も低い沸点をお持ちの我らがリーダーを思い返すと、冷や汗をかきつつも件のファミレスに向かって全力疾走した佐倉。道行く人々からの奇異の視線を完全にシャットアウトしながらも第七学区を風になって突っ切った結果、

 

「遅ぇ。罰としてドリンクバー注いで来い。コーラ氷無しでな」

「げほっ、ぅえ……理不尽だろ、この野郎ォ……!」

 

 にやにやと腹立たしい笑顔を貼り付けた第二位の無茶な要求を受ける羽目となっていた。

 本来ならば三十分はかかるはずの道程を約半分程の時間に短縮して見せたというのに、賞賛はおろか気遣いすら受けられず、あまつさえ雑用を命じられる始末である。相手が学園都市第二位の超能力者でなければおそらくぶん殴っていた。相変わらず覆らない能力強度の壁に愚痴を零しながらもコーラを持って席に戻る。

 言われた通りにドリンクバー往復を成し遂げた佐倉は、ここでようやく垣根の向かい側に二人の人物が座っていることに気付いた。さっきはあまりの嘔吐感と疲労感に周囲に気を配る余裕がなかったため、まったく気付かなかったのだ。少し体調に余裕ができた佐倉はコーラを荒々しく垣根の前に置くと二人の観察を開始。

 一人は三十歳ほどの外国人男性だ。くすんだ金髪をオールバックにした、目鼻立ちの整ったダンディな風貌の外国人。糊の効いたスーツを着込んでいるせいか、どこかそっち方面の業界の方のように見える。垣根が関与している以上マトモな職業にはついていないのだろうが。マフィア、と言われても納得してしまいそうな男性だった。

 そしてその隣に座っているのは、異常な光沢を湛えた金色長髪の美少女。瞳には何故か星模様が浮かんでいて、どことなく漫画のキャラクターを彷彿とさせる容貌だ。スタイルはもはや殺人的と言っても過言ではなく、赤ラインの入ったランニング系の体操服を色っぽく歪ませる巨大な胸部に思わず視線が吸い込まれてしまう。

 ……と、ここで佐倉は一つの違和感に気が付いた。

 金髪少女が着ている体操服。胸部の膨らみがあまりにも違いすぎるので一瞬気が付かなかったが、これは美琴が着ているのと同じタイプのものではなかったか。

 

「もしかして、常盤台の……?」

「はぁい。初めてお目にかかりますけどぉ、私は食蜂操祈って言いまぁす。よろしくねぇ♪」

「食蜂操祈って……第五位の、【心理掌握】……?」

「御明察ぅ。ま、私程の有名力にかかれば納得できる知名度なんだけどサ!」

 

 自慢げに「えへん☆」と胸を張って踏ん反り返る食蜂操祈。胸を強調するような体勢をとったことで胸部の突き上げ具合が大変なことになっているが、いつの間にかソレを凝視してしまっていることに気付くと慌てて目を逸らした。赤面して狼狽する佐倉に悪戯っぽい笑みを浮かべる食蜂が淫魔(サキュバス)に見えてしまったのも致し方ないことだろう。

 ピースサインの指の間から片目を見せてアイドルのようなポーズを決める食蜂。隣に座っていた外人男性はそんな彼女に肩を竦めながらも事務的に自己紹介を開始した。名前はカイツというらしく、職業は警備専門の知的傭兵(アドバイザー)だとか。胡散臭さ満点なのだが、本人が言っている以上疑うわけにもいくまい。佐倉も名乗り返すと、ようやく場の空気が収まった。

 双方落ち着いたのを見計らい、垣根が口を開く。

 

「今回テメェを呼んだのは、【スクール】とは関係ない依頼が入ったからだ。端的に言やぁ、そこの白々しいクソ女が直々にテメェをご指名したってわけだが」

「俺を? なんでまた……」

 

 思わぬ事実に目を丸くしてしまう。

 ありえない話ではない。暗部は基本的に組織単位で動くが、構成員個人に依頼が寄せられることもある。組織単位の人員を必要としない場合や、その構成員個人の力が必要な場合などがそういった例だ。暗部とはいっても傭兵集団みたいなものである以上、依頼が個人に向けられることも多々ある。しかし、それはあくまでもその構成員自身に何かしらの長所がある場合のみの話だ。

 例えば、垣根帝督ならば【未元物質】での殺戮以来。心理定規ならば能力を使っての交渉や洗脳以来。ゴーグルは大能力を有しているが、特にこれといった長所は無いためあまりそういった依頼に抜擢されることはない。垣根を雇う程の資金力がない依頼者から代役を頼まれるくらいのものである(本人は死ぬほど嫌がっていたが)。佐倉に至っては、言わずもがなだろう。高位の能力を有しているわけでもなければ突出した技能を持っているわけでもない無能力者な佐倉が個人的な依頼を受けたことは今までほとんど言っていいくらいなかった。あえて挙げるとするならば駆動鎧のテストユーザーくらいのものだろうか。とにかく、彼個人の力を必要とする依頼が寄せられたことはかつてないのだ。

 そんな中、今回の依頼である。佐倉が思わず訝しんでしまうのも無理はないだろう。戦闘力はそこらの高校生レベルでしかない自分に何かを頼むなんてことがそもそも考えられないのだから。

 信じられないとばかりに食蜂達に視線を移すと、彼女はあくまでも嫌らしい笑みを浮かべていた。

 アイスコーヒーを煽ると、食蜂は何気ない世間話をするような軽い調子で横髪を弄りながら、

 

「【妹達】関連って言ったら、少しは信じてくれるかしらぁ?」

「っ……!? てめぇ、もしかしてミサカ達に何か……!」

「もぉ、早とちりはカッコ悪いゾ? もうちょっと最後まで人の話は聞かなくちゃねぇ」

「だそうだ。ちょっとは落ち着けクソ佐倉。最近のすぐキレる子供じゃねぇんだからよ」

 

 お前が言うな、と心の底から絶叫したい佐倉だったが、そんなことをしても会話が発展しないどころか最悪の場合病院送りにされる可能性があるので大人しく口を噤んだ。ちら、となんとなくカイツに視線をやると何故か同情染みた表情を向けられていたので若干焦る。彼は彼でなかなか苦労しているようだ。

 

「んで、その【妹達】ってのがどうかしたのか?」

「どうかした、っていうよりもぉ、なぁんか変な組織に狙われちゃってるみたいなのよねぇ。詳しいことは分からないけどぉ……このまま放っておくと、あの子達は大変な目に遭わされちゃうと思う訳なのよぉ」

「……今、ミサカ達は無事なんだろうな」

「一〇〇三二号ちゃん以外の安全は保障しかねるけどねぇ」

「ミサカ以外? アイツは今第七学区を観光している最中だと思うんだが……」

「あらぁ? もしかして知らないのぉ?」

 

 人を小馬鹿にしたように口の端を吊り上げる食蜂は頬杖をつきながら、マドラーを右手で回しつつ冷静に言った。

 

「ミサカちゃん、ソイツらにナノデバイス撃ち込まれて昏睡中なのよぉ」

「っ!」

 

 バンッとテーブルに両手を打ち付けて勢いよく立ち上がる佐倉。意識的にではなく、あくまで反射的に立ち上がってしまった。そのままの勢いで食蜂に叫びをぶつけようとするが、周囲の困惑した雰囲気と食蜂の冷たい視線に気づいて沸騰していた頭が少しづつ冷えていく。気まずい気持ちで着席すると、いい加減腹が立ったらしい垣根に思いっきり拳を落とされてしまった。幸い能力は使われていなかったものの、鉄塊でぶん殴られたような鈍痛に襲われ思わず頭を抱えて悶絶してしまう。痛いどころの騒ぎではなかった。

 痛みに呻く佐倉が回復するのも待たず、食蜂は言葉を続ける。

 

「心配しなくても、ミサカちゃんは私達の本拠地に匿っているわぁ。可愛いお人形さん達(・・・・・・・・・)にも護衛についてもらっているしぃ、今のところは大丈夫。私の隠匿力は伊達じゃないわよぉ?」

「この話が終わったら早く戻った方がいいっていうのは確かなんですけどネ。まぁ、今回はその一〇〇三二号についての依頼なんですヨ」

「ミサカについての、依頼?」

「ハイ。我々が貴方に頼みたいのは、ミサカ一〇〇三二号の護衛でス」

 

 カイツはコーヒーを一度煽ると、

 

「我々は先程言った組織……詳しく言うならば、その主犯格を探していまス。しかし、一〇〇三二号を庇った状態では身動きを取りづらイ。できることなら、彼女についての心配事を軽減したうえで行動したいというのが本音なのでス」

「護衛は基本的にカイツさんにお願いしてるんだけどぉ、彼はあくまでアドバイザーだからねぇ。戦力になる護衛は一人でも多いに越したことはないのよぉ」

「そのご自慢の精神操作で傭兵を洗脳しちまった方が楽じゃねぇのか? ウチの無能力者よりかはプロの集団を使った方が上手くいくと思うんだがねぇ」

「勿論人形は準備するわよぉ? でもぉ……やっぱり、普通に行動してくれる仲間っていうのも重要だと思うのよねぇ。あんまり木偶の坊に囲まれちゃうと、ミサカちゃんもかえって落ち着かないと思うしぃ」

「佐倉さんは彼女とも知り合いですし、オリジナルである御坂美琴とも懇意にしていると聞きましタ。ともなれば裏切られる可能性も低イ。利点を鑑みた結果、貴方に依頼するのが一番効率的だと思ったわけなのですヨ」

「……だそうだ。ガキンチョ佐倉君は、今の話を最後まで聞いたうえでよーく考えてみろよ。自分の力量と信念を計った上でな。……あ、ウエイトレスさん。ストロベリーパフェ追加で」

 

 空気を読まない追加注文を行う垣根の言葉を受け、佐倉はしばらく熟考する。

 彼らが自分を選んだ理由は分かった。交際関係、信用度の観点から考察するに佐倉が最も適しているというのも理解した。だが、分かっていても自分の無力さがどうしても引っかかってしまう。

 その組織とやらがどんな相手なのかは知らないが、学園都市内の傭兵部隊への依頼で済まさない以上外の奴らではないのだろう。暗部にまで協力を要請するということは、おそらく相手も暗部かそれに準ずる組織なのかもしれない。そんな敵を相手に、暗部では新人で未熟者と言っても過言ではない佐倉がマトモにミサカを守ることができるのか。駆動鎧がなければ強能力者にすら勝てない自分なんかが、ミサカを……、

 

 

 ――――だから、ミサカにも生きるという事の意味を見いだせるよう、これからも一緒に探すのを付き合ってください。

 

 

 不意に、ミサカが手紙に書いて寄越した言葉が脳裏に蘇る。一方通行を相手に無残な敗北を喫し、マトモに守り通すことすらできなかった佐倉に、彼女は自分の願いを聞かせてくれた。彼女の未来の一端を、佐倉に担わせてくれたのだ。混じりっ気のない純粋な気持ちで、こんな役立たずのスキルアウトに接してくれたのだ。

 ――――迷う理由なんて、最初から無かったじゃねぇか。

 考えてみれば、簡単な事だった。

 ミサカが傷つけば、当然美琴も傷つく。ミサカが攫われれば、美琴は自分が犠牲になっても彼女を救い出そうとするだろう。かつて【絶対能力進化実験】を止めるために単身暗部と戦った経験を持つ美琴である。どんな行動に出るかなんて、火を見るよりも明らかだ。

 佐倉の願いは御坂美琴を守ること。彼女との日常を守り、笑顔を守り通すことだ。美琴の世界にはミサカが必要不可欠。……そして、美琴を守ると同様に、佐倉はミサカの日常も守りたいと思った。何故か、は分からない。もしかしたら美琴と同じ遺伝子を持っているからなんていう最低な理由からかもしれない。しかし、それでも佐倉はミサカを守ろうと思った。ミサカの為に、自分の為に。……そして、何より美琴の為に。

 佐倉は顔を上げると、食蜂達の方を見据える。

 

「その依頼、受けさせてくれねぇか?」

「……あらぁ? さっきまでは渋面作っていたのに、結構あっさり決めちゃうのねぇ」

「うるせぇよ第五位。俺はただ、美琴の世界を守りたいだけだ。誰一人欠けちゃいけねぇ。美琴が笑って暮らせる世界には、妹達(あいつら)が一人も欠けずに生きていなくちゃいけねぇんだよ。アイツの世界を守るためなら、俺ぁ死んでもミサカ達を守り抜いてやらぁ」

「バカねぇ。結局は下心丸出しじゃない。あのお子様体型のどこがそんなにいいんだか」

「年齢詐称疑惑の女には一生かかってもわかんねぇよ」

 

 呆れたように溜息をつく食蜂に悪態をつきながら、佐倉は気持ちいい笑顔を浮かべる。

 

(あぁ、美琴を守るために動けるなんて、こんなに嬉しいことはない)

 

 暗部に入って早二週間。血と硝煙に塗れた闇を生きてきた佐倉は、ようやく彼女を守る実感を得られた。これだ。このために自分は暗部に入ったのだ。御坂美琴を守るため、その為だけに彼は何人も殺してきたのだ。

 佐倉は一人快活に笑う。隣でパフェを頬張る第二位が冷たい視線を向けていることにも気づかず、延々と湧いてくる喜びに打ち震えながら。

 

 

 

 

 

 




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第三十五話 ナイトパレード

 大覇星祭一日目が無事に終了し、日も落ちた学園都市はナイトパレードの喧騒で賑わっていた。

 外部の人達も訪れる大覇星祭では、競技を始めとするすべてのプレゼンテーションに学園都市の本気が詰まっている。入学者を増やす為、絶対能力者への可能性を秘めた原石を受け入れるために、学園都市は毎年地球上でも有数の凄まじい催しを開いているのだ。無論このナイトパレードも例外ではなく、科学の粋を結集して製作した花火やイルミネーションが学園都市の夜空を彩っている。

 

「あははーっ! ゲコ太だゲコ太! こっち向いてー!」

 

 可愛らしいカエルの着ぐるみに満面の笑みで両手をぶんぶん振っている美琴を眺めながら、人混みから少し離れたところで佐倉はぼんやりと突っ立っていた。彼も一応年甲斐もなくゲコラーであるからあの着ぐるみに興味を示さないわけではないが、今は依頼のことを考えるとどうしても無邪気にはしゃぎまわることができない。せっかく初春達が気を利かせて二人っきりにさせてくれたというのに(白井はいつものように柵川中学組が強制連行)、当の佐倉が暗い気持ちでは楽しむものも楽しめない。かろうじて美琴は楽しんでくれているとはいえ、とてもパレード中とは思えない暗澹な気分に苛まれてしまう佐倉である。

 結果を見届けた垣根が帰った後、ファミレスに残っていた佐倉とカイツ、そして食蜂はしばらく任務の確認を行った。護衛方法、木原幻生の捕獲手順。念入りに念入りを重ね、三人はそれぞれの役割を確認した。計画は綿密に練られ、後は明日の決行を待つだけとなった。超能力者の頭脳を総動員して練られた最高の計画。だが、佐倉は頭のどこかで不安が拭えない。

 ミサカを守る自信はある。機密関係上最新型の駆動鎧を使うことはできないが、それでも彼女を守る作戦はしっかり立てたつもりだ。護衛自体への不安はない。そんなものはあのファミレスに置いてきた。何の心配もいらない。……しかし、言い知れない不安と恐怖が佐倉の内に湧いている。何か嫌な予感がする。具体的にはうまく言えないが、佐倉なんかには想像もできないような『何か』が蠢いているように感じてしまう。

 

(何も、起こらなけりゃいいけど)

「のーぞむっ!」

「ぐぇっ!」

「このこのー。せっかくのナイトパレードだってのに、なぁに辛気臭い顔してんのよ! この御坂美琴様と二人っきりなんだから、もうちょっとテンション上げていきなさいよね!」

「あ、あのなぁ……」

 

 唐突に佐倉の腹部へとタックルをかました美琴は、水月を抑えて蹲る彼を心配することもなく声を荒げる。まったく油断していた時に、しかも急所に右肩をぶち込まれた佐倉はもはや脂汗が流れ出る勢いで悶絶しているわけなのだが、目の前の電撃姫は他人の様子よりも楽しみを優先するタチらしい。表情が優れなかったからってタックルかますか普通、と心の中で愚痴るものの、美琴本人はどこ吹く風でしゃがみ込むと膝を折って沈んでいる佐倉の頬をプニプニとつついて遊んでいた。

 

「おー、思ったよりぷにぷにねアンタのほっぺた」

「人様の顔で遊んでんじゃねぇぞてめぇっ……!」

「あ? なによなによ。人が折角心配して元気づけてやろうっていうのに、冷たいわねー」

「その気遣い自体はありがてぇがまずは俺の激痛を取り除くことから始めて欲し――――」

 

 痛みに顔を歪ませながら反論していた佐倉だったが、何かを見つけたように視線が固定されると不意に言葉を切った。その顔には何故かやや朱が差しており、半開きになった間抜けな口が彼の様子を表している。蹲っていたはずなのにもう一段階前屈みになったような気がする。いきなりの異変に何が起こったのか分からないようで、美琴はコクンと可愛らしく首を傾げるとちらちら泳いでいる佐倉の視線を辿った。

 現在美琴の格好は常盤台中学指定の体操服である。裾が太腿の辺りまでしかないハーフパンツにランニングタイプの上衣。布面積が少ないのは効率的な運動パフォーマンスを追求した結果らしい。そのため動きやすさと通気性はピカイチで、常盤台中学の猛攻はこの体操服が担っていると言っても過言ではない。

 ただでさえ裾の短いハーフパンツ。しかも美琴は膝を折るような形でしゃがみ込んでいる。

 結論としては、こうだ。

 太腿の付け根辺りに僅かではあるが純白のショーツらしきものが垣間見えていた。

 

「~~~~~っ!?」

 

 慌てたように膝を着き、正座の姿勢で弱点を隠す赤面美琴。もはや涙目の彼女にキッと睨みつけられて防御力が低下した佐倉は申し訳程度に視線を逸らすが、脳裏に焼き付いた先程の映像が何度もフラッシュバックしてきて顔の火照りがなかなか冷めない。いつもスカートの下に短パンを穿いている美琴はパンチラに対して非常に免疫が弱く、同時に佐倉も彼女の下着に対して抗体を身に付けてはいなかった。日頃からの制服着用義務が仇となったか、色気の少ない少女が不意に見せた油断に初心な佐倉は心臓が激しく高鳴るのを感じていた。

 対して混乱の渦中に放り込まれた美琴は今にも沸騰してしまいそうな程に顔を真っ赤に染めている。短パン着用はパンチラへの過剰なまでの抵抗であったため、慣れない事態にもはや戸惑うしかない美琴である。どうしていいかわからず、綺麗な正座のまま固まってしまっている。

 片や四つん這い。片や正座というシュールな状況で向かい合ったまま硬直する二人。周囲から浴びせかけられる「何やってんだこいつら」的視線が非常に心苦しい。早いところこの状況を打開せねば風紀委員を呼ばれてしまっても無理はなかった。

 だが、アドリブに滅法弱いスキルアウトに今の状況は少しばかり荷が重い。別段トーク力に秀でているわけでもなく、ウィットにとんだギャグで場を和ませることもできない一般ピーポーがこの気まずい空気をぶち殺すにはほんの少し能力が足りなかった。

 

「…………」

「…………」

 

 膝の上に握りしめた拳を置いたまま恥ずかしそうに俯いている美琴。いつもみたいに電撃ビリビリべんとらべんとらーっ! と大騒ぎして攻撃に転じてくれれば多少の転機が望めるというのに、こういう時に限って美琴は乙女モード全開だ。頬を染めたままちらちらと佐倉の顔を盗み見るように視線を泳がせているのがまた気まずいったらありゃしない。

 地べたに座り込んだまま時間が過ぎるのを待つだけの二人の周囲に徐々に人だかりができ始める。このままでは打開はおろか衆人環視の上に恥を上塗りされるだけではないだろうかと判断した佐倉が取った行動は、

 

「すまん、美琴っ!」

 

 一切の迷いのない逃走一択。

 

「ま、待ちなさいよゴルァア!」

 

 べんとらべんとらーっ! と青白い電撃と共に馬鹿みたいに大量の人が学園都市の空に舞った。

 

 

 

 

 

               ☆

 

 

 

 

 

 学園都市第七学区にそびえ立つ窓のないビル。統括理事長が住むと言われるそのビルには入り口と言っていいものは一つも存在せず、どうやって中に入るのかすら分からない。噂では案内人とやらがいて、統括理事長の居場所まで転送してくれるらしいのだが……詳しいことは明らかになっていない。

 その窓のないビルの中には、巨大な試験管の様なものが鎮座している。周りに置かれた幾多もの機械は生命維持装置だろうか。コードが絡み合ってもはや元がどの機械なのか判別できないような室内の真ん中で、『彼』は試験管の中に逆さのまま浮いていた。比喩でもなんでもなく、言葉のまま。上下反対の状態で液体に満たされた水槽の中を漂っている。男にも女にも、子供にも老人にも見える彼は、目の前に映し出されたモニターを通して誰かしらと通信を行っているようだ。

 

『あーあー、こちらはイギリス清教の纏め役を担いける今世紀最大の美女、ローラ=スチュアートでありけるわけなのだけれど、ちゃんと繋がりたりてるかしら?』

「毎回思うのだが、何故君はそうも念入りに確認を行うのかな? 正直言って無駄なくだりだと思うのだが」

『う、うるさしなのよアレイスター! これは清く正しき最大教主としての礼儀。そう、礼儀なるのよ! 感謝されうるならばいざ知らず、あろうことか貶されるのは心外たるわね!』

 

 モニターには現実離れした長さと美しさの金髪を湛えた女性が表情を歪ませている姿が映っていた。淡い桃色の修道服に身を包んだ彼女は一応魔術界でも有数の著名人であったりするのだが、これはまた後の機会に。

 ローラは仕切り直すように何度かわざとらしく咳込むと、先程の狼狽した様子からは考えられないような真剣な面持ちで会話を切り出す。

 

『まぁなにはともかく、まずは【使徒十字(クローチェ・ディ・ピエトロ)】についての礼をば申し上げつつおこうかしらね。そちらの迅速な対応のおかげで大事に至るる前に解決することができたることよ。ありがとう、と素直に言いておくわ』

「なに、気にする必要はないさ。【使徒十字】は学園都市に甚大な危害を及ぼす可能性が多分にあった。利害関係は一致していたのだから、協力は当然と言えただろう。まぁどうしてもと言うのなら、イギリス清教に貸しを作っておくのもまた一つの選択肢ではあるがね」

『そのような面白しもなんともなし冗談を言いけるところで困りたるだけなのだけれど。何かいつもと比べたると幾分か機嫌がよろしいように見受けられるわね。どうしたりけるのかしら?』

「ふむ、そうか。私は今機嫌が良さそうだったか」

 

 表情なんて当の昔に忘れてきたはずなのだがね、と自嘲めいた呟きを漏らしながらも、アレイスターは逆さまに浮いたままくつくつと喉を鳴らす。これまたいつもの彼らしくない挙動にローラは画面の向こう側で怪訝な表情を浮かべていた。訝しげにこちらを見る彼女の様子に、また笑みが浮かんでしまう。

 

「そんなに奇妙かね、今の私は」

『えぇとても。前代未聞の状況に私は今混乱のスパイラルに囚われたりえるわ』

「すまんね。ここ最近進めている《計画》の一つがあまりにもスムーズすぎていて、今の私はすこぶる喜んでいるのだよ。いやはや、機嫌がいいとはこういうことは言うのだろうな」

『計画……? アレイスター、貴方もしかして魔術側(私達)に影響を及ぼしうるようなことを企みてけることはなしよね?』

「その点については心配はいらない。あくまで科学側で留まる程度のものさ。【幻想殺し】や【禁書目録】に比べればちっぽけで比べるまでもない。【絶対能力者】にもなれなければ、ましてや【超能力者】にすら及ばないような存在の観察日記と言えばいいかな? そんな夏休みの自由研究を現在進めていてね。主題(テーマ)は『人間はどこまで堕ち、そして回帰できるのか』。暇つぶしには持って来いだろう?」

『……相変わらず下衆な思考を持ち足るわね、貴方。絶対ろくな死に方せぬわよ』

「君だって魔導書図書館の記憶を何年も消させてきたのだから、人のことは言えないと思うがね」

『あれは私なりの最大人道的処置なるのよ。禁書目録を人間でいさせるための枷。平気で人生を終末に向かわせたる貴方と一緒にして欲しくはあらぬわね』

 

 科学側だろうが魔術側だろうが、不幸になる人間というのは確実に存在する。それが人為的であれ自然的であれ、幸福者がいるのなら不幸者がいるというのが道理だ。その事実は覆らない。いくら本人が抗ったところで、世界のバランスはそういう風にできている。アレイスターは、そのバランスは少しだけ自分の手で弄っただけだ。ある人間の絶望を、ほんの少し増やしただけに過ぎない。本人にしてみれば狂う寸前の量だったとしても、そんなことはアレイスターの知ったことではないのだ。アレイスターは自分の暇つぶしの為に行動したに過ぎないのだから。

 ローラとの通信が切れ、再び室内が静寂を取り戻す。計器の機械音だけが響く中、アレイスターは先程の計画についての思考を始めていた。

 

「【一方通行】との接触及び戦闘は上手くいった。敗北も予想通り。【未元物質】……これは少し物足りなかったかな? もう少し絶望させてくれるとは思ったのだが、垣根帝督も随分と甘い。まぁ、計画に支障はないから構わないがね」

 

 逆さまの『人間』は続ける。

 

「【限界突破】がよく頑張ってくれた。与えられた状況下でよくもまぁあそこまで彼を絶望させてくれたものだ。良心と信念の狭間……ジレンマとは、いつの時代も人を惑わせるものなのか。その狭間で揺れ動いている彼に対して目的意識のはっきりしている【限界突破】を当てたのが予想以上の結果を生み出してくれたな。これで彼の【ライン】は確定した。後は放っておいても計画通りに進んでくれるだろう」

 

 アレイスターは微笑む。自分が育てた朝顔の成長を見守る子供のように純粋な笑みを浮かべ、彼は試験管の中で傍観を続ける。もう手は出さない。後は勝手に転がってくれるのを楽しみに待つだけだ。

 

「まぁ、精々楽しませてくれたまえ」

 

 無力な少年を掌の上で躍らせながら、『人間』は次なる計画の準備を進める。

 

 



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第三十六話 始動

 大覇星祭、二日目。

 一日目にして最高潮の盛り上がりを見せていた学園都市だが、それは二日目も変わらないらしく、道行く人々は誰もがパンフレットを片手に競技の開始を心待ちにしているようだった。『外』からわざわざ学園都市まで足を運んだのだから、能力者による運動会を最後まで見届けたいという野次馬根性丸出しの気持ちからくる高潮なのだろうが、学園都市は彼らのそういった心理をよく突いているなぁと他人事ながら感心してしまう佐倉である。裏では世間に顔向けできないようなことばかりやっているくせに、こういう所はずる賢いのだからこの街は恐ろしい。

 

『変なことぶつぶつ言ってないで早く競技場に来いよ佐倉ぁー! このままだと怪我して絶賛絶不調の上条さんが借り物競争への出場を余儀なくされてしまうんだけど!?』

「あー、そのことなんだけどよ。俺今日は色々と忙しくなっちまったから、上条代役やってくれね? 正直、今日は競技に出場出来ねぇんだわ」

『は、はぁっ!? お前いきなり何言って……しかも怪我に不幸という借り物競争には最も相応しくない俺に代役押し付けるなんて、わざわざ負けに行っているようなもんじゃねぇか! だいたい最近のお前はいっつも忙しいとかなんとか……』

「そんじゃ、頼んだぞ」

『あっ! ちょっ、まだ説教は終わってな――――』

 

 焦ったような上条の叫びを最後まで聞くことなく携帯電話の通話を切る。身勝手な言い分だったと思うが、基本的に人がいい上条ならば自分の代わりとして借り物競争に出場してくれるだろう。良心を逆手に取った下衆な行動だが、今日の作戦を完璧に遂行するためには致し方ないことだ。罪悪感はできる限り振り払っておかなければ、これから先には進めない。

 上条との通話を終えると、佐倉は違う相手の番号をプッシュした。数回のコール音の後、通話が開始される。

 

『はぁい☆ 今日も元気で綺麗なワタシ、食蜂操祈ちゃんの番号よぉ~♪』

「佐倉だ。もうすぐ時間だが、首尾はどうなってる?」

『んー? カイツさんは朝から御坂さんの妹ちゃんに付きっきりで護衛の真っ最中。今は貴方の合流待ちねぇ。私は出待ち中かなぁ。野蛮力溢れる第三位が事件を嗅ぎつけてこっちに向かってきているみたいなの。あらゆるカメラにアピール力全開で映って私達に気付かせようとするなんて……あの子意外と目立ちたがり屋?』

「さぁな。……美琴には危害加えるなよ、食蜂?」

『時と場合と状況によるわねぇ。まぁ利害関係が一致している以上は協力関係を取り続けるつもりよぉ。駆逐艦に乗ったつもりでいなさぁい!』

「沈むわボケ」

 

 雰囲気ぶち壊しで軽口を叩き続ける食蜂に毒を吐きながらも、佐倉は一人現在の状況を思考する。

 今回の任務は美琴には告げていない。彼女に知られれば佐倉は無理矢理にも任務から外されてしまうだろうし、下手すればこっちに彼女を巻き込んでしまうと思ったからだ。表の騒動ならまだしも、裏の暗部事情に彼女を巻き込んではいけない。これは佐倉なりの心遣いでもあった。

 しかし今朝食蜂から聞かされた情報によると、美琴はすでに暗部組織との接触を行っているらしかった。【メンバー】と呼ばれる統括理事長直属の暗部組織。犬型ロボットを操る男と常盤台中学生複数人が戦闘を行い、その後美琴がその男を撃破したとのことだ。どこから事件を嗅ぎつけたのかは分からないが、相変わらずの主人公的立ち位置にいる美琴に思わず苦笑してしまう。白井達の記憶を消し、美琴からの着信も拒否して彼女と事件との接点を完全に断ちきったというのに、御坂美琴はこうして事件の中心に向かっている。まるでどこぞのツンツン頭のようだ、と先程競技を押し付けたクラスメイトを思い出してしまう。

 どれだけ蚊帳の外にされても最後には自分から必ず事件に巻き込まれる人間。それがいわゆる【主人公】や【ヒーロー】としての最低条件なのだろうか。それならば佐倉はやっぱり当てはまらない。いつも受身で流されるだけの自分が【主人公】になれるわけは最初から無いのであるが。しかしまぁ、脇役は脇役として精一杯もがいてみようと思う佐倉なのである。

 

『第二学区の研究所。【才人工房(クローンドリー)】っていう名前力のソコが目的地よぉ。入口傍に人形(・・)を乗せた軍用駆動鎧が立っているから、それを使ってちょうだいな。《登録》は済ませてあるから、装着したらすぐにカイツさんと合流ぅ。いいわねぇ?』

「了解。まぁ、いつもの駆動鎧じゃねぇってのは心残りがあるが……」

『学園都市内でも公表されていないようなゲテモノをお披露目するわけにもいかないんでしょ? そういうのは隠匿力に全力を注いでいる暗部の最優先事項だったりするわけだしぃ』

「相変わらずてめぇは表の人間なのか裏の人間なのか分からねぇなぁ……そういう情報どっから拾ってくるんだよ」

『あら、私の前では情報規制(セキュリティ)なんて紙切れも同然よぉ? ボタン一つで相手の脳内を把握できるんだから、便利よねぇ。やっぱり能力に必要なのは透明力よぉ』

「物騒かつ悪趣味な能力のご自慢をわざわざありがとう」

『ちなみにぃ、貴方の頭の中もファミレスの時に覗かせてもらってるからあしからずぅ』

「……やっぱりてめぇは信用出来ねぇよ」

『そう? 私は佐倉クンにはできる限りの信用力を向けているつもりなんだけどねぇ』

 

 含んだような笑いを零す食蜂。電話の向こう側で口元を抑えて小馬鹿に佐倉を嘲笑っている様子が容易に目に浮かぶ。どこか飄々として掴みどころのない彼女に佐倉は終始からかわれっぱなしだ。一応戸籍上は二つ年下の少女に手玉に取られるとか情けなさ過ぎて笑えない。……や、日頃から十四歳の第三位の尻に敷かれているじゃないかと言われると否定はできないが。

 周囲の通行人に不審に思われない程度の速度で歩いていく。第二学区に入り、目印の風紀委員支部が見えてきた時だった。

 

「んぉ? おー、佐倉じゃねぇか。こんなところでなにやってんだ、もしかしてナンパ?」

「アホか半蔵。今は大覇星祭の真っ最中なんだぜ? 佐倉の服装見たらわかるだろ。競技中だよ競技中」

「……久しぶりだな、佐倉……」

「げ……先輩方……」

「む? なんだよその微妙な表情は。最近アジトにも顔ださねぇから心配してたのによぉ。浜面なんか仕事中もソワソワソワソワと……」

「ばっ! 何言っちゃってんの半蔵!? おおお、俺は別に後輩が姿見せなくなったからって心配するようなチキン野郎じゃねぇし!」

「や、支離滅裂になってっぞ浜面」

(やばい……なんでよりによってこんな所にいるんだこの人達は……!)

 

 見覚えのある三人組だなぁとか思った時には後の祭り。人一倍視力のいい半蔵が佐倉を手早く見つけ、そこからはいつも通りの絡みが始まった。半蔵が佐倉を弄り、浜面がフォローを入れ、駒場がボソッと呟く。最近暗部の仕事が忙しくてスキルアウトの方に顔を出していなかったから随分と懐かしく感じる雰囲気だが、現在絶賛お仕事中の佐倉にとっては最悪とも言えるタイミングだ。しつこい上に鋭い半蔵に始まり、ツンデレだが後輩思いの浜面。そして仲間をこよなく愛する駒場。佐倉が置かれている状況を耳にすれば、たちまち事件に介入してくることは想像に難くない御三方がとんでもないタイミングで佐倉の前に登場した。

 

「最近超電磁砲との仲はどうよ? 行くところまで行ったのかぁ?」

「写メとかある? ほら、事後とか着替えとかお風呂場ハプニングとか! バニーちゃんならなお良し!」

「……元気そうだな……。……あまり心配させるな、佐倉……」

(わぁもう大嵐だなこの人達!)

 

 先輩三人にもみくちゃにされながら内心で絶叫する愛玩後輩が一名。最後に会ったのは夏休みだったろうか。せいぜい二、三週間程しか経過していないのだが、それでも彼らは佐倉の事を心配してくれていたらしい。軽口の中に純粋な思いやりを感じ取り少々照れてしまうが、それでもまずはこの場を乗り切る方法を考えるのが先決だった。なんか不良らしい非常に頭の悪い質問を浴びせられながらも佐倉は大して良くもない頭を必死にフル回転させる。

 安牌としては浜面仕上。何かと単純で涙脆いこの男を煽ってしまえば残りの二人も巻き込んでくれるはずだ。去年の冬にスキルアウトに入ったばかりにも拘らず既にナンバー2という位置にまでついてしまったほどの男である。彼が一声上げれば半蔵達も自ずと彼に付いていくだろう。というか、もう浜面をどうこうするしか佐倉には思いつかなかった。

 思いついたら即行動。佐倉は「そういえば!」とわざとらしく両手を打ち鳴らすと、美琴のエロ写真を要求してきていた茶髪先輩に向けてこれまた演技がかった叫びを上げる。

 

「大覇星祭期間だからか知りませんけど、第七学区の競技場前で大勢のバニースーツ女達が写真撮影していましたよ!」

「な、なんだってー! 半蔵! 駒場! これはもう行くしかないだろ!」

 

 大丈夫かこの人、と我ながら心配になる。いくらバニーに目がないとはいえ、ここまでちょろいというのは些か危険ではなかろうか。これはアレだ。将来キャッチセールスやマルチ商法に引っかかった挙句、クーリングオフ制度も知らないから途方に暮れるパターンの人間だ。ちょっと美味しい話があれば脇目も振らずに食いつく姿が目に浮かぶ。この人と結婚する人は大変だろうなぁ、と目を輝かせて二人を急かす浜面に憐憫の視線を向ける佐倉。

 急変した浜面に若干焦り気味の二人がなんとか彼を止めようとしている。口下手な駒場はともかく、何かとハイポテンシャルな半蔵に口を挟まれると少々厄介だ。ここはトドメの一発をお見舞いしておくしかあるまい。

 佐倉は再び声を荒げると、携帯電話を開いて画像を見ている振りをしながら、

 

「あ、あーっ! このバニーちゃん達、一人だけ郭さんっぽい女性がいるような……」

「あのバカ何やっちゃってんの!? くそっ、こうしちゃいられねぇ。いくぞ浜面、駒場の旦那! ちょっとばっかし面倒くさいことになってそうだが、あのアホ忍者をとっちめる!」

「うぉおおお! バニーちゃんは俺のもんだー!」

「……待て、俺はそんなものに興味など……ッ」

「いってらっしゃーい」

 

 目の色を変えて弾丸のように走り去っていく三人に手を振ると、思いっきり安堵の溜息をついた。疲れた。形容しがたいレベルの疲労感が佐倉の両肩に乗っかっている。予想以上に単純な先輩方で助かった、と後輩らしからぬ思考に耽る佐倉はこの後三人にボコされてしまうのだろう。因果応報とはこのことか。

 息を整えると、再び携帯電話を開く。先程見た時に着信が入っていたのだ。発信先はカイツ。護衛任務についてだろう。着信履歴からかけ直すと、カイツはワンコールで電話に応じた。

 

『何やら外が騒がしかったので電話をしたのですが……あの三人はお知り合いデ?』

「あー……まぁ一応。ちょっとした集まりの先輩達ってところです。巻き込むわけにはいかねぇから色々デマ流して追い返しておきました。やー、これは後で何されるか分かったもんじゃねぇですわ」

『……こんなことを今更聞くのも意地が悪いのでしょうけど、本当に良かったのですカ? まだ、今ならば引き返せますヨ?』

「ご心配どうも。でも、大丈夫っすよ」

 

 どこか気を遣ってくれている様子のカイツに、しかしながら佐倉は否定の言葉を向ける。

 これはあくまでも自分が選んだ道だ。どれだけの絶望が待っていようが、佐倉自身が選択した人生なのだ。引き返すなんて選択肢は、最初から持ち合わせていない。ファミレスで食蜂の依頼に首を縦に振った時点で、佐倉は何があっても最後まで任務を遂行すると決めたのだから。

 

「それに、ミサカ達を放ってはおけねぇっすよ。せっかく守ったアイツらを、こんなところで失う訳にはいかねぇですし」

『そう、ですカ。いえ、それならばいいのでス。少しでも迷いが出て任務に支障が出てしまってはマズイと思っただけですかラ。心配ないようで、なによりですヨ』

 

 どうやら気を遣わせてしまったらしい。根っからの悪人ではないのだろうカイツは、まるで我が子に接するような穏やかな調子で佐倉の身を案じてくれていた。暗部に関係する人間としては珍しい種類のカイツに、どこか親近感のようなものを覚えてしまう。

 周りに誰もいないのを確認すると、佐倉は【才人工房】の敷地内に侵入した。建物の入口傍に行くと、先程食蜂が言った通り駆動鎧が佇んでいる。警備員などが使っているタイプの、学園都市ではありふれた型式の駆動鎧。中にいた洗脳済みの人間を放り出すと、佐倉は素早く装着を行う。

 

(武器はマシンガンにグレネードランチャー……軍用って言うからには、威力は凄まじいんだろうか)

 

 ちょっと使ってみたい気もするが、戦闘が無いに越したことはない。最近思考が物騒になってきていることに軽い落胆を覚えながらも、佐倉は装着を終えるとミサカとカイツが待つ部屋に向かう。一歩踏み出す度に重苦しい機械の足音が、誰もいない廊下に響き渡った。

 ――――絶望は、すぐそこだ。

 

 

 

 

 

               ☆

 

 

 

 

 

『……とまぁ、アイツの思惑に乗せられた振りして近くの建物に隠れたわけだが。こりゃあ何かよからぬことが起きているよなぁ』

『な、なぁ、アイツがわざわざ逃がしてくれようとしたんだから、無理して自分から巻き込まれに行く必要はないんじゃないか? 厄介なことになるかもしれないしさ……』

『……仲間が危険な目に遭うのなら、手助けが必要だろう……』

『そりゃそうだけどさぁ……』

『なんだよ。じゃあお前はアイツが大怪我しても良いってのか? もしかしたらこのまま死んじまって、二度と一緒に馬鹿やれなくなっちまうかもしんねぇんだぞ。そんな薄情な奴だったのかよ、お前は』

『……あーもー! 行けば良いんだろ行けば! くそっ、俺だってアイツをどうにかしたいってのは本当だよ! 仲間だしさ!』

『オーケー流石だ。それじゃあまずは武器調達から始めるか。俺は偵察と通信係。浜面は念のため車や重機を確保。旦那は銃火器を持ってきてくれ。状況に変化があり次第連絡する』

『……了解……』

『分かった。出来る限りのことはしておくよ』

『よし。そんじゃ……先輩泣かせな後輩を手助けしに行くとしますかね』

 

 

 

 

 

 



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第三十七話 天上の意志

 駆動鎧を装着して【才人工房】の奥へと進んだ佐倉は、ミサカとカイツがいる部屋へと辿り着いた。一応施設の奥にあり、警備体制もしっかり敷かれているのだろうその小部屋にはいくつもの機械が並び、その中央にミサカは寝かされている。

 熱の為か赤く染まり、上気した顔のミサカを心配げに見下ろしながら、佐倉はカイツに彼女の容態を問う。

 

『……ミサカは、大丈夫なんですか』

「なんともいえませんネ。私達にできるのはあくまで応急処置。本当ならば一刻も早く病院に連れて行った方がいいのでしょうガ……状況が状況でス。今は、ここで休ませておくしかありませン」

『そう、っすか……』

 

 ぐ、と思わず拳を握り込んでしまう。いつもこうだ。自分が介入した時には手遅れ。既に事件は起こってしまっていて、佐倉にできることと言えば少しだけ状況を引っ掻き回すくらい。打開の決定打を打つことはできず、いつも最終的には誰かに決着を委ねるしかない。神様はいつも佐倉を嘲笑うかのように彼をリタイアさせる。間に合わない上に誰かを巻き込み、そして結果すら丸投げすることしかできない。いくらなんでも、あんまりではないか。

 小部屋を暗い雰囲気が包み込む。お互いに何を言うでもなく、ただ口を噤んで彼女の様子を見守っていると、

 

「ん……?」

 

 ミサカが、おぼろげにではあるが目を覚ました。

 

『ミサカ! 大丈夫か!?』

「あ、れ……その声、は……望、さん……?」

『あぁそうだ。佐倉望だよ。今はこんな格好だけど、お前の友人の佐倉だ!』

「……すみま、せん……御心配を、おかけしたようで……」

『気にすんなって。それよりも無理しねぇ方がいい。ナノデバイスを撃ち込まれたんだ、しばらく熱は引かねぇだろうしさ。ゆっくり休めよ』

「はい……よく、状況が掴めませんが……お言葉に、甘えさせて……」

 

 最後まで言い切ることなく、気が付くとミサカは穏やかに寝息を立て始めていた。わずかに膨らんだ胸が上下するのを安心したように見ると、髪を撫でてやろうと右手を出して……やめる。

 駆動鎧を装着している今の佐倉は、細かい動作を行うことができない。

 そもそものサイズからして、大雑把な動きしか取れないようにできている。機械の操作や銃火器の発砲といった結構なサイズの動きならば可能だが、生身の人間の髪を撫でるような細かい作業は、力加減の調整に慣れていない今の佐倉には不可能と言ってもいいだろう。下手すれば、ミサカを余計に傷つけてしまうことにもなりかねない。

 彼女を安心させることもできず、佐倉は悔しそうに唇を噛んだまま立ち尽くす。だが、そんな失意の中でも佐倉の決心は揺るがない。――――彼女を守ろう、という決意は、絶対に揺るぐことはない。

 

『守るよ、絶対に。お前も美琴も、この命に代えてもさ』

「……やはり、貴方は暗部には向いていませんヨ」

『よく言われます』

 

 未だに甘えと優しさが抜けていない佐倉に呆れたような呟きを漏らすカイツだが、その顔にはどこか柔らかな笑みが浮かんでいた。本当は平穏を望む人種なのか、カイツはたまにこうやって大人びた優しい微笑みを浮かべることがあった。本人はあくまでも否定するが。

 知的傭兵ににわか暗部という奇妙な二人は互いに顔を見合わせると、気まずそうに苦笑を浮かべる。早くこの任務を終わらせて、一緒に食事でも行こう。そんな何気ない口約束を交わしながら、彼らはミサカの護衛を続けた。

 ――――しかし、平穏はそう長くは続かない。

 突如として、天井に設置してあるスピーカーからけたたましい警報が発せられたのだ。耳をつんざくほどの音量で部屋中に響き渡るその警報は、この【才人工房】に何者かが侵入してきたことを示している。順序を踏まえた正規の訪問者ではなく、力ずくで彼らを襲いに来た襲撃者の侵入。思ったより早い状況の展開に、しかしながら二人はあくまでも冷静に言葉を交わした。

 

『俺が盾と迎撃を担当します。カイツさんはミサカを連れて、俺の後ろに隠れながら進んでください』

「……あまり子供を囮にするのは好きじゃないんですがネ」

『つべこべ言える状況じゃねぇっすよ。今は何よりもミサカの安全を確保することが先決です。心配しねぇでください。このポンコツ駆動鎧は、どうやら戦闘力と防御力だけが取り柄みてぇですし』

 

 マシンガンを構えながら軽口を叩く佐倉。言葉を返すこともなく、カイツは意識の混濁しているミサカを背負うと彼の背中に隠れるように位置を取る。準備が整ったのを察すると、佐倉は銃を構えたまま自動ドアのボタンに手をかけた。

 

『死なせねぇよ、絶対に』

 

 

 

 

 

 

               ☆

 

 

 

 

 

「ちょっと! 勝手に進まないで、説明くらいしなさいよ!」

「あぁもぉうるさいわねぇ! 今ちょっと立て込んでるんだから少しは黙れないのぉ!?」

「だから説明してくれたら黙るって言ってるでしょ!?」

「じゃあ後で嫌という程その野蛮力たっぷりな貴女に説明ぶつけてやるから黙ってちょうだい!」

 

 第九学区の会議場から慌てた様子で出てきた二人の女子中学生。茶色の髪の毛を短く切った活発そうな少女と、日本人離れした金髪を腰辺りまで伸ばしたアイドルのような容貌の少女は、お互いに怒鳴り散らしながら停車していた黒塗りの自動車に乗り込んだ。何やら切羽詰っているようで、金髪の美少女は冷や汗を拭うこともせず運転手に発進を命じる。

 一切の説明もないままに突っ走る金髪――――食蜂操祈にいい加減怒りを覚えた茶髪――――御坂美琴は、一人でぶつぶつと呟いている食蜂にしこたま怒声を浴びせていた。しかし、当の本人が美琴に説明を行う様子はない。本当に追い詰められているようだ。詳しいことは分からないが、どんな時でも冷静で飄々としている彼女にしては珍しい。額を抑えて悔しそうに唇を噛むその姿は、常盤台の女王として崇められる彼女らしからぬ光景だった。

 しばらく唸っていた食蜂はいくらか落ち着いてきたらしく、嫌々ながらも美琴の方を向くと口を開く。

 

「あの子を第二学区の施設に匿っているっていうのは、さっき言ったわよねぇ?」

「えぇ。ナノデバイスを撃たれて高熱を出したあの子をアンタ達が保護して、今は護衛と一緒に待機させているって。でも、それがどうかしたの?」

「……木原幻生が、その場所を突き止めた可能性力が高いわぁ」

「なっ……!? あ、あの子は大丈夫なの!?」

「分からない。一応信用できる人達に任せてはいるけれど、戦力的にはちょっとばっかり頼りないからぁ……」

 

 そこまで言ったところで、食蜂はいきなりポケットからスマートフォンを取り出すとどこかに電話をかけ始めた。タイミングからして前述の護衛だろうか。ミサカの安否を確認しているのかもしれない。

 数回のコール音が鳴った後、相手は電話に応じたようだ。食蜂は相手の確認も待たず、畳みかけるように叫ぶ。

 

「なんでもいいから現在の状況力を手短に説明しなさい!」

『このクソ大変な時に電話してくんじゃねぇよ食蜂! インカムに接続してなかったら撃たれてたわ!』

「そんなことはどうでもいいからっ、状況を教えなさい!」

『襲撃から逃れている最中だ! カイツさんとミサカは無事だが……このままだといつまで耐えられるか分かんねぇぞ!』

「その声……も、もしかして望!?」

『げっ、美琴か……?』

「やっぱり……でも、なんで望が……」

 

 電話口から漏れてきた聞き覚えのある声に、美琴は思わずと言った様子で声を荒げる。だが、それと同時に混乱と戸惑いが彼女の思考を埋め尽くした。彼は今、借り物競争に出場しているはずだ。それは昨日の時点で確認した。今日はなぜか電波が悪くて繋がらなかったが、それでも美琴はそう信じていた。

 ……しかし、今考えてみると疑問が残る。白井や初春達の記憶が消され、精神的に追い詰められた美琴は佐倉に電話をかけると共にできる限り彼を捜索したのだ。一応不審がられない程度に見張りの派閥メンバーや湾内達にも協力を要請していた。……が、佐倉の消息を掴むことはできなかった。競技に参加していて忙しいのだろうと自分を無理矢理納得させていたが、まさかこの事件に巻き込まれているなんて思いもしなかった。するはずがない。彼はあくまでも一般人で、こんな暗部の絡んだ事件に関係するわけが――――

 

(――――あっ……そういえば、望も暗部の人間だった……)

 

 大覇星祭であまりにも普通に接していたから失念していた。そうだ、夏休み最後の週に、垣根帝督の襲撃を受けた佐倉は美琴を助ける代わりに暗部行きを承諾したのではなかったか。そして、つい数日前にも疲弊しきった彼と電話で話したのではなかったか。すっかり忘れていた事実を思い返しながら、美琴はふと食蜂の顔を睨みつける。

 

「食蜂! なんでこの件に望が関わってんのよ! いくら暗部って言っても、何かきっかけがないと望は出しゃばれなかったはずよ!」

「なんでって言われてもぉ、そんなの私が護衛を依頼したからに決まってるじゃない」

「なっ……!?」

「護衛対象との関係性。適切な戦闘力。一般人に不審がられない程度の普通力。……それらを鑑みた結果よぉ。至極当然で、これ以上ないくらいに当たり前の結果だわぁ」

「だ、だとしても……なんでよりによって望なの!? アイツはただでさえ疲労困憊しているのに、これ以上戦場に立たせちゃえば、今度こそ本当に壊れちゃうかもしれないのよ!? もしかしたら死んじゃうかもしれないのに! アンタ、それをちゃんと分かって……」

 

 が、美琴が最後まで言い終える前に、いきなり電話口から聞こえていた音が消えた。銃声も怒声も、何もかもが急にシャットアウトされ、自動車内に静寂が訪れる。

 美琴の顔が青ざめた。

 

「今の……もしかして、望に何かっ……!」

「……色々考えている暇はなさそうねぇ。とにかくぅ、さっさと目的地に急ぎましょう」

 

 色々と言いたいことはあったが、これ以上怒鳴り散らしていても状況が好転することはなさそうだ。食蜂の言う通り、一刻も早く彼らを助けに行くことが先決だろう。

 大人しく黙り込むと、ぐっと肌が色を失う程に力強く拳を握り込む。あのどうしようもない無能力者がまた自分達を助けるために命を張っている事実が許せなくて、とても怒りを抑えられそうになかった。少しくらい相談してくれれば何かが変わったかもしれない。例えば彼を巻き込まなくても済んで、美琴も幾分か安堵できるような結果に誘導できたかもしれないのに。

 

(あの馬鹿ッ……後で絶対ぶん殴ってやるんだから!)

 

 美琴の想いを受けたように、乗用車はさらに速度を上げた。

 

 

 

 

 

               ☆

 

 

 

 

 

「ふむふむ、やはり興味深い対象だねぇ。さすがはミサカネットワークを具現化した力といったものかな?」

 

 【才人工房】の屋上で、白衣に身を包んだ老人が空を見上げながらしみじみと呟いた。視線の先に広がるのは青々とした天気空ではない。確かに先程までは太陽が存在を主張する青空だったのだが、今はまるで嵐が来たようなドス黒い雲に覆われた気味の悪い空が広がっている。暗雲を彩るのは、これまた黒い光を放つ雷のような物体だ。バチバチと何かを焼くような効果音を散らしながら、その物体は天高く、そして広々と空中を覆っていく。この世のものとは思えない幻想的な光景。そして、どこか不気味さを感じさせる黒ずんだ天空。

 老人は傍らに軍用駆動鎧(・・・・・)を佇ませたまま、背後で銃を構えたまま硬直している金髪男性(・・・・)に向けて屈託のない笑みを浮かべた。まるで育てていた幼虫がカブトムシに成長したのを喜ぶ子供のように、彼は純粋無垢な笑顔を貼りつけて天に広がる無数の力の塊を仰ぎ見た。

 素晴らしい。再びそう呟いた時、激しい破壊音共に一人の少女が屋上に現れた。ランニングタイプの体操服を身に纏った茶髪の少女は、しばらく視線を彷徨わせると老人に気付く。次に彼の隣に立っている駆動鎧を驚いたように見ると、歯を食いしばるように憤怒の表情を浮かべた。鎧に身を包んでいる以上操縦者を見分けることはほぼ不可能なはずなのだが、もしかしたら事前に誰かしらから情報を得ていたのかもしれない。

 怒りに顔を歪めていた少女だったが、こちらに歩いてくるにつれてもう一つの人影に気が付いたらしい。少女と同じ顔をした(・・・・・・・・・)薄緑の患者服を着た少女が力なく倒れ込んでいるのを目にすると、とうとう抑えられなくなったのか前髪から無数の火花を散らせて怒鳴り声を上げた。

 

「その子達に……望と一〇〇三二号に、何をしたァああああああああああッッッ!!」

 

 空気を焼き切るような音が響いたかと思うと、彼女の周囲を幾本もの電撃が走り回る。屋上の床が瞬く間に焦げ付いていく様子を目の当たりにしながらも、しかし老人は顔色一つ変えることもなく手に持ったレーザーポインターを少女の方に向けた。行動の真意が掴めず、思わず立ち止まる少女。

 

「この力の一番面白い使い道……そうだねぇ。例えば、第三位を学園都市の頂点に押し上げる手助けに使うというのは、どうだろう」

 

 ニィ、と口の端を吊り上げると、レーザーポインターのボタンを押す。

 ――――雷光が煌めいた。黒ずんだ力の奔流が少女を目がけて一直線に向かっていく。突然の事態に目を丸くするしかない少女の頭上に、無数の黒い電撃が落ちていく。

 雷が落ちた。今度こそ本物の雷鳴が轟き、【才人工房】の屋上を震わす。その中心に佇む『ナニカ』に何度も雷が落ちると、次の瞬間にはその『ナニカ』から無数の雷撃が放出され始めていた。全身を白に覆われたソレは、周囲に電撃の膜を纏わせながらも確かにそこに存在している。

 

「いやぁ、これは凄い。予想以上の出力だよ。これならば成功するかもしれない。そうは思わんかね、佐倉望君?」

 

 老人は心底楽しそうに隣の駆動鎧に話しかけるが、言葉が返ってくることはない。既に老人の洗脳によって(・・・・・・・・・)自意識を失っている彼が、そもそもからして返事をできるわけがないのだが。しかし老人は落ち込むこともなく、一方的に駆動鎧に言葉を投げかけていく。まるで自慢話を披露する子供のように、一見微笑ましい様子で言葉を続けている。

 一際巨大な雷が落ちた。一瞬老人の視界を『白』が覆い尽くす。完全に景色が飛んだが、それでも老人の口元は妖しく綻んでいた。

 老人は言う。

 

「さぁ、実験を始めよう」

 

 学園都市の夢を実現するため。そして、『木原』が掲げる唯一無二の目標を達成するため。

 無数の無能力者達を昏睡状態に至らしめた【幻想御手事件】。

 木山春生の教え子達を危険に晒し、数々の思惑が交錯した【乱雑開放事件】。

 一万人もの命を犠牲にし、最強の超能力者を壊す原因となった【絶対能力進化実験】。

 数々の悲劇を生み、大勢の命を奪い、そしていくつもの絶望を与えてきた。しかし、それでも『木原』は大願を成就することができなかった。……だから、今度こそ成功させて見せる。

 木原幻生は微笑みを浮かべる。目の前に佇む御坂美琴のなれの果てを、配下に治めた佐倉望と共に眺めながら。

 

「御坂君は、天上の意志(レベル6)に辿り着けるかな?」

 

 

 

 

 

 

               ☆

 

 

 

 

 

 ――――【幻想殺し】は走る。自らの意志に従い、悲劇を止める為に。

 

 ――――【最大原石】は吠える。根性無しを、この手で矯正する為に。

 

 ――――【無能力者集団】は団結する。馬鹿でどうしようもない後輩を、地獄から救い出すために。

 

 役者は揃った。本来ならば主人公であるはずの少年少女を助けるヒーローは、今ここに集結した。史実ではあり得なかった役者達。余計、無駄とも言われるかもしれない。だが、それでも彼らはここに集まった。本来とは違う展開、状況。それを打破できるのは、同じくイレギュラーな展開のみ。

 時は大覇星祭二日目。場所は【才人工房】。

 『人間』は誰もいない空間で一人笑みを浮かべる。どうしようもなく壊れていく、少年の事を思いながら。

 

 

 

 

 

 




 コミックスに追いついてしまったご報告。
 なんか急ぎ足になりましたが、すみません。超電磁砲を未読の方には悪いことをしました。
 さて、原作よりも増員してお送りする大覇星祭編。最後までお楽しみいただければ幸いです。
 それでは、また次回。


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第三十八話 開戦の銃声

 二話連続投稿です。


 最初は借り物競争に参加していただけだった。

 科学至上主義のここ学園都市であろうことか『お守り』なんていう指令を引いてしまって、途方に暮れていたところを中学生くらいの女の子に助けられた。そして無事にゴールし、お守りを彼女に返しに行くだけのはずだった。仕事を終えたらクラスメイト達の所に帰って、また応援に勤しむはずだった。

 それなのに……、

 

「なんで暴走御坂の相手してんだろうな、俺はぁああああ!!」

 

 飛んでくる雷撃を右手でいなしながら、上条当麻は涙目で叫ぶ。バシュッと小気味よい音が響いたかと思うと、数億ボルトはありそうな電撃は彼の右手に触れた瞬間跡形もなく消滅した。上条が持つ能力、【幻想殺し】による効果だ。それが異能であるならば能力だろうが魔術だろうが、はたまた神様の奇跡だろうが打ち消してしまうトンデモ能力。そんなチートじみた能力を右手に宿したツンツン頭の少年は、次々と飛んでくる電撃を必死に右手で捌きながらも目の前に浮いている豹変した美琴に視線を飛ばす。

 体操服自体はそのままだが、髪が異常なほどに逆立っていた。彼女の周りには無数の電撃が踊り、謎の菱形結晶がぷかぷか浮かんでいる。まるで歴史の教科書で見たことがある雷神のようだ。全身から火花と電気を放出する美琴を見て、上条が抱いた感想はあまりにも陳腐なものだった。しかし、それでいて的確な表現であるとも言えよう。

 お守りを自分に貸してくれた少女と合流した矢先に聞かされた美琴の危機。彼女を救うにあたっては自分よりも相応しい人物を思い出してしまうのだが、何度も電話した結果結局繋がらなかったのだ。いくら大勢の観光客が集まっている大覇星祭期間といっても、学園都市内で圏外になることなんて基本的にはあり得ない。今まで培ってきた経験と思考能力から、もしかしたら彼も何かしらの事件に巻き込まれているのかもしれないと上条は予想する。

 しかし、この時上条は油断していた。

 戦闘中だというのに別のことに思考を割いていた上条を嘲笑うかのように、彼の足元が雷撃によって爆発したのだ。

 

「がっ……ぐぅっ!」

 

 五メートルほど飛ばされながらも、何度か転がった後に四つん這いで体勢を立て直す上条。地面に擦られるようにして停止した際に全身が悲鳴を上げていたが、そこは持ち前の気合と根性で耐え抜いた。結構平気そうに見えるが、こう見えても昨日ちょっとした事件で負傷した身である。身体のあちこちに貼られた湿布がとても痛々しい。本来ならば、治療の上病院のベッドで安静にしていた方がいい立場だ。

 だが、上条当麻は休まない。……いや、休めない。

 

(佐倉がいない以上、御坂(コイツ)は俺が止めるしかない)

 

 御坂美琴の為ならば命を張ってどんな死地にも赴くだろうクラスメイトを脳裏に浮かべつつ、上条は拳を握って立ち上がる。あのスキルアウトに何があったのかは知らない。本来ならばここに立つべきは自分ではなく彼であることも分かっている。だが、状況的に理想論を言っていられる場合ではないことも確かだ。件の彼が到着するのを、優雅に待てるわけもない。

 結局、不幸だよなぁ。すっかり心に染みついたいつもの口癖を零しながらも、上条は美琴を見据える。

 そして、

 

「やってやるよ……こんちくしょおおおおおお!!」

 

 持ち得る限りの力で、思いっきり地面を蹴った。

 拳一つを武器に、なりふり構わず突進する。幸いにも雷撃には目が慣れてきた。走っている状態でもいなせる程度には反応できる。雷撃を連発されれば多少は危険だが、それでもまだ勝機はある。

 盛んに湧いてくる恐怖心を目一杯抑え込み、美琴との距離を詰めていく。

 が、不意に上条の周囲に影が差した。まだ昼間だというのに、不自然なほどに周りが暗い。

 思わず疑問符を浮かべながら、釣られるように首を上げると、

 

 空中三十メートルほどの位置に、大量の鉄塊が凝縮した『ボール』が浮いていた。

 

 美琴の操る磁力によって、周囲の瓦礫が固められたのだろう。まるで雪玉を作るような気軽さで作られたであろう鉄塊を前にして、上条は絶望の余り呆然と立ち尽くす。

 

「いやいやいやいや! それは流石に反則……ッ!」

 

 思わず青褪めてしまう上条。

 上条の【幻想殺し】は確かにあらゆる異能を殺すことができるが、それによって発生した二次被害や物質を防ぐことはできない。例えて言うならば、異能の炎は消せるが、それによって落下してくる瓦礫を防ぐことはできないという具合か。流石の【幻想殺し】も万能ではないらしい。

 少しでも逃げようと後ずさっていくのだが、対象があまりにも巨大すぎてどこまで逃げればいいのか分からない。これはもういよいよ終わりか、と数々の死線を潜り抜けてきた【主人公】が目を瞑った時だった。

 

「諦めるな、そこのオマエッ!」

 

 声が響いた。どこか渋く、それでいてはっきりとした男らしい声が。

 同時にバタバタと激しい足音が聞こえたかと思うと、背後から一人の少年が勢いよく飛び出してくる。

 柔らかめの黒髪に白い鉢巻を巻いた少年は、ジャージの上着を肩にかけるという些か時代遅れな格好をしていた。中に着ているシャツには何故か日章旗が描かれている。昭和の人間か、と内心ツッコミを入れてしまった上条は悪くない。

 少年は高速で上条の横を通り過ぎると、何やら呟きながら鉄塊へと走っていく。何をするつもりなのか。慌てて制止の声を上げようとした上条を遮るように、少年は言葉を連ねた。

 

「ハイパーエキセントリックウルトラグレートギガエクストリームもっかいハイパー……」

 

 アホなのかふざけているのか分からない強調語が続いたかと思うと、

 

「すごいっ……パァーンチッ!!」

 

 あまりにも情けない技名と共に放たれた拳によって、巨大な鉄塊が馬鹿みたいに爆散した。

 

「…………は?」

 

 何が起こったか思考がまったく追いつかない上条は口をぽかんと開いて立ち尽くす。現実離れした光景……それも特撮映画みたいな訳の分からない効果音を上げながら鉄塊を叩き壊した目の前の怪物に、もはや言葉を発することもできない。

 

「まったく……一般人に鉄塊ぶつけるなんて、非常識にも程があるぞ」

 

 少年は呆れたように肩を竦めると、大仰に溜息をついた。

 上条当麻はまだ知らない。目の前の少年の正体を。学園都市内で彼がどういう位置を占めているのかを。

 突然戦闘に介入してきたムチャクチャ少年は上条の方に振り返ることもせず真っすぐ美琴に視線を向けたまま、

 

「まぁ何はともかく……この削板軍覇が、直々にオマエの根性を叩き直してやるよ!」

 

 学園都市が誇る超能力者、その第七位に位置する世界最大の原石。

 あまりにも繊細すぎる能力の為科学者でさえ匙を投げた非常識な超能力者が、根性論で立ち上がる。

 

 

 

 

 

               ☆

 

 

 

 

 

 木原幻生は【才人工房】の奥に進んでいた。少し後ろに駆動鎧を装着した佐倉を従え、黙々と脚を動かしていく。

 ずっと黙ったまま歩いていて暇だったのか、幻生は背後の佐倉に何の気なしに話しかけた。

 

「そういえば君は、【幻想御手事件】の被害者だったそうじゃないか。いやはや、関係者と会うのは君が初めてなんだよ。どうだい、少しは見える世界が変わったりはしたかな?」

『…………』

「あぁ、そうか。意識を奪ったままだったね。じゃあ返事はいいから僕の話だけ聞いてておくれよ」

 

 佐倉は頷くこともせず、ただ幻生の後に着いていく。銃を構え、周囲への警戒も忘れてはいない。

 意外にも優秀な行動を見せる佐倉に幻生は「ほぅ」と感嘆の息を漏らした。どうやら、今の今まで彼の事を見くびっていたらしい。スキルアウト上がりの下っ端暗部構成員とでも思っていたのだろうか。その顔にはどこか佐倉に興味を示したかのような表情が浮かんでいる。

 だが佐倉の事にはそれ以上触れることもなく、幻生は言葉を続けた。

 

「僕は昔から、【天上の意志に辿り着く者】を生み出すことが夢だった。大能力者や超能力者は学園都市では持て囃されているけども、僕にとってはそんなものただの有象無象でしかないんだよ。あくまでも通過点。そう考えると、【一方通行】だろうが【超電磁砲】だろうが大した差はないのさ。みんな偏に実験動物。僕達『木原』の念願を成就するためのモルモットにすぎない……おっと」

 

 不意に頭上から落下してきた無数の手榴弾を、右手から発生させた火炎で(・・・・・・・・・・・・)爆発させる。耳をつんざかんばかりの爆音が研究所内に響き渡り、凄まじい勢いの爆風が幻生を襲ったが……彼はいつの間にか念波の壁で即席の盾を作り、身を守っていた。ちなみに佐倉はモロに爆風を食らったが、幸い駆動鎧を着ていたために大事には至っていない。多少機動にぎこちなさが見られるが、活動に大した支障はない。

 幻生は面倒くさそうに肩を回すと、溜息をついた。

 

「無粋だねぇ。せっかく人が気持ちよく話しているのにさぁ」

「ぐだぐだ言ってんじゃねぇよクソジジイ。こっちは今、盛大にブチギレてんだ」

 

 ドンッ、と幻生の前に一人の男が現れる。彼は壁際の二階部分から飛び降りてきたようだ。両手に手榴弾を持っていることから察するに、先程の爆撃も彼によるものなのだろう。

 目の前の男は、変わった格好をしていた。黒いバンダナに、これまた同色のジャケット。だぼっとしたズボンも黒で、唯一の異色は銀色のブーツくらいだ。まるで忍者服を無理矢理現代系に合わせたような格好は、学園都市内では非常に浮いた感じがする。もしかしたら、日本中でも浮いているかもしれない。

 少年は大きめのリュックを背負ったまま、手榴弾を両手に幻生を睨みつけていた。しかし、それでいてちらちらと佐倉の方に意識を向けている。その視線に込められるのは敵意ではなく、親しみ。……どうやら、目の前の少年は佐倉望の知り合いであるらしい。

 

「急に手榴弾を投げつけておいて挨拶もなしとは、最近の若者は本当に礼儀を知らんねぇ」

「生憎と決まった名義を持たないもんでね。ここで名乗ったとしても次に会った時はまったく違う名前かもしれねぇよ?」

「だとしてもさ。名乗りもしないでいきなり老人に襲い掛かるというのは、少々モラルとマナーに欠けると僕は思うんだよ。世の中礼儀が第一だからねぇ」

「けっ。アンタがそれを言うかよ。木原幻生さん?」

 

 黒ずくめの少年が幻生の名前を言った時、わずかではあるが幻生の眉間に皺が寄った。まさか目の前の少年に名を知られているとは思っていなかったのだろう。軽く予想外の状況に、幻生は口元を吊り上げた。

 

「おやおや、見たところスキルアウトのようだが……どうも情報収集に長けているらしいねぇ」

「仕事柄、情報戦が売りだからな。基本的にこの街の事で知らないことはないよ」

「ほぅ? 何でも知っているのか。それは凄い」

「そうさ。例えば……テメェがウチの可愛い後輩を傷つけた黒幕ってことも、ちゃぁんと知ってるぜ?」

「ほっほっほ。敵討ちかな?」

「ただの八つ当たりさ」

 

 そう言うと、両手の手榴弾を幻生に向かって投げつける少年。いつの間にピンを抜いていたのか、躊躇いもなく投げられた手榴弾の爆発に研究所が軽く振動する。激しい熱と爆風。普通ならば絶対に助からない。

 ……だが、煙が晴れた先にいたのは軍用の駆動鎧だった。

 どうやら盾となって幻生を庇ったらしい。さすがは腐っても学園都市製だ。手榴弾程度の攻撃では、ビクともしない。マシンガンを構え、幻生を隠すように少年と対峙する。

 駆動鎧の後ろから、しゃがれた声が飛んできた。

 

「見たところ貧弱な武器しか持ってきていないようだが……まさか君は、その程度の装備で学園都市製の駆動鎧と一人で渡り合うつもりかい?」

「まさか。さすがの俺も、そこまで馬鹿じゃねぇよ」

「はて、だったらどうするつもりかな?」

「そうさなぁ……」

 

 駆動鎧が構えるマシンガンの銃口から目を逸らさないまま、それでも少年はどこか飄々と、いたって軽い調子で明るく笑う。

 右手には、いつの間にか携帯電話が握られていた。

 

「増援とか、呼んじゃったりして」

 

 瞬間、上空から落下してきた大男によって、佐倉の乗った駆動鎧が地面に叩きつけられた。

 重力と男の体重によって、駆動鎧が床にめり込む。装甲に傷がついたようだが破壊にまで至っていないのは学園都市製たる所以か。だが、それでも急な衝撃に反応が追いついていないようで、駆動鎧は倒れ込んだまま呆然としている。

 新たな敵の登場に、幻生は恐れを抱く訳でもなく、ただ純粋に感心したような顔をしていた。

 

「一度油断させてからの不意打ちか。ふむ、なかなか考えるじゃないか」

「褒められても嬉しくねぇよ。……さて、俺としちゃあこの駆動鎧の中身を助けたいだけなんだが、どうする?」

 

 腰のホルスターから抜き取った拳銃を向け、少年は脅すようににこりと笑う。真意の掴めない貼り付けたような笑顔に、幻生は顎に手を当てるとしばらく考え込むような動作を行っていた。とても命の危機に瀕している者のとる行動とは思えない。

 幻生は少しの間唸っていたが、ふと思いついたかのように顔を上げると、表情一つ変えずに大男の足元……佐倉の乗った駆動鎧を指差すと、

 

「油断は禁物だよ、君」

「ぬぉ……っ!? ……こいつ、まだ動けっ……!」

 

 大男に圧し掛かられていた駆動鎧が突如として起き上がり始めた。上に乗った男を煩わしそうに掴みあげると、少年の方に放り投げる。不安定な体勢であったためにそこまでの勢いはなかったが、それでも駆動鎧の拘束を解除する結果となってしまった。

 あくまでも機械的に立ち上がり、駆動鎧はマシンガンを向ける。

 

「佐倉君を助けたいのなら、まずはその手で彼を倒すところから始めないとねぇ」

 

 駆動鎧を置いて、幻生は構うことなく先に進んでいく。元々幻生にとって佐倉は護衛の一人でしかなかった。ここで失ったところで、別段支障もない。

 残された少年達……服部半蔵と駒場利徳は、銃を構えたまま互いに顔を見合わせる。

 

「……どうする、半蔵……」

「どうするって、そりゃ……」

 

 駆動鎧はマシンガンを構え直し、半蔵達に照準を合わせていた。既に戦闘準備は整っているらしい。

 目の前の後輩を見ると、諦めたように溜息をつく半蔵。もはや戦闘無しでの状況打破は断念したようだ。拳銃をホルスターに直して背中のリュックから機関銃を取り出しながら、隣の駒場に流し目を送ると、

 

「怪我しない程度に、フルボッコにするしかないっしょ!」

 

 一寸の躊躇いもなく、引き金を引いた。

 

 

 

 

 



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第三十九話 服部半蔵

 半蔵が乱射した機関銃は駆動鎧の装甲に阻まれ大した効果を上げることはなかった。甲高い金属音と共に無数の火花があがったが、ただそれだけだ。駆動鎧が動きを止めることはない。

 射撃が終わるのを待っていたのだろうか、駆動鎧は待ってましたとばかりにマシンガンを構え直すと一切の慈悲もなく引き金に手をかけた。

 半蔵達がいる広々とした通路には障害となるものがまったくと言っていいほど存在しない。ここで弾丸を撒き散らされた日には、ロスタイムもなく一気に地獄へご招待だ。

 絶体絶命な状況。しかし、半蔵が取った行動はいたってシンプルだった。

 

「旦那、銃を弾け!」

 

 半蔵の合図を受けた駒場が咄嗟にアサルトライフルを構えて駆動鎧のマシンガンに向けて発砲する。

 駆動鎧は先程の手榴弾爆撃によって反応速度が落ちていたのか、動きが連動するのに少しタイムラグが生じてしまうようだった。その隙をついた駒場の射撃によって、駆動鎧が持ったマシンガンが手を離れて床に落下する。

 思わずといった様子でマシンガンを拾おうと腰を屈める駆動鎧。

 しかし、それこそが半蔵の狙いであることに彼は気付かない。

 半蔵はリュックから、杭の尖った部分を先端にはめ込んだような巨大な機械を取り出した。

 両手で持つタイプのそれは、一見ランチャー砲のようにも思える。大砲をスリムにしたような形状の先で銀色の杭が存在を主張していなければ、であるが。

 パイルバンカー。爆発的な速度で杭を射出することによって装甲を撃ち抜く、超接近戦用兵器だ。

 半蔵はパイルバンカーの先を駆動鎧の右肩付近に当てると、

 

「本体は外してやっから、まずは腕一本いただくぜ?」

 

 ズパァンッ! という小気味よい音と共に杭が射出され、駆動鎧の装甲が爆ぜる。

 軍用とはいっても従来の着ぐるみタイプである為に内部の空洞は大きい。切り傷程度はついただろうが、佐倉本人の致命傷には至らないだろう。

 結合部を破壊された右腕部が力なく落下した。

 右腕が破壊されたために銃を回収することを諦めたのか、残った左腕で半蔵を掴みあげると前方に向かって投擲。一旦体勢を立て直したかったのだろう。半蔵との距離を置くとバックパックからショットガンを取り出す。

 片腕では衝撃を抑えられないだろうに、駆動鎧は躊躇うことなく引き金を引いた。

 だが、スキルアウト達は慌てない。

 部分的に装甲を失うと動きが遅くなるのが機械の特徴であることを逆手に取り、銃口がこちらに向ききる前に左右に分かれて銃撃を開始。先程まで二人がいた辺りが爆散したが、既に回避行動及び攻撃に移行している半蔵達が被害を受けることはない。

 露出した佐倉の腕に弾丸が当たらないように細心の注意を払いながら、装甲を少しづつ削り取っていく。

 パイルバンカーの衝撃が思いの外効いていたらしく、機関銃射撃程度の威力でも徐々に装甲にヒビが広がっていた。

 イケる。半蔵達がそう確信した時、にわかに銃声が止んだ。

 パスッパスッという空気の抜けるような音が研究所に空しく響く。それはあまりにも近く――――それこそ、手元の機関銃から聞こえているように思える。

 駒場と半蔵の機関銃が、同時に弾切れを起こしたのだ。

 

「チッ! まったく、ついてないぜ!」

 

 舌打ちと共に銃を駆動鎧に向かって投げつけると、半蔵は背負っていたパイルバンカーを持ち直して接近を試みる。

 だが、駆動鎧からしてみれば今の半蔵は的も一緒だ。

 巨大な削岩機を抱えたことで移動速度の緩んでいる生身の人間なんて、ショットガンの一発で跡形もなく消滅させられる。

 彼がマスターから受けた指令はただ一つ。

 『邪魔者の排除』。

 躊躇いもなくショットガンを発砲すると、半蔵の足元が砕け散った。

 

「がっ……ぁああああああ!!」

 

 突然の衝撃に身体が宙を浮くが、激しい叫び声を上げると左足でダンッ! と地面を踏みしめる。

 半蔵に注意が向いている中、駒場は二本の巨大スパナを振り回して装甲の破壊作業に努めていた。だが、所詮は人力による攻撃だ。機関銃やパイルバンカーに比べると威力は露程もない。駆動鎧もソレを分かっているのか、駒場には一切構うことなく目下の脅威である半蔵を殺すためにショットガンを連射していく。

 しかし、装甲が欠け過ぎているせいか、うまく照準がつけられないようだった。弾が半蔵を直撃することはなく、付近の壁や床を瓦礫へと変えていく。

 飛び散った破片や瓦礫が半蔵の全身を襲った。

 爆散の勢いでナイフのような切れ味を持った破片に身体中を切り刻まれながらも、それでも半蔵が足を止めることはない。

 あの駆動鎧に乗っているのは、自分達の可愛い弟分だ。

 不器用で堅苦しくて、素直じゃないくせに根は優しい小便臭いガキ。無理に大人ぶって背伸びして、彼らに必死に追いつこうとしているけれども実は結構空回りしている微笑ましい少年。いつも半蔵達の弄りに不平を漏らしながらも、結局は笑って彼らの後についてくる犬みたいな高校生。

 初めて彼と出会ったのは、去年の暮れ頃だったろうか。浜面が半蔵達のチームに入った数日後くらいに、佐倉は駒場に連れられて彼らの前に現れた。なんでも、能力者達に襲われていたところを駒場に助けてもらったらしい。

 心無い能力者達によって行われる非道なゲーム、《無能力者狩り》。

 元々は個人同士の諍いによって始まったらしい能力者と無能力者の軋轢は、能力者達による報復でヒートアップした。襲われたら無能力者達は身を守るために人数を増やし、それに対抗するために能力者達も数を増やす。泥沼にはまり続ける状況の中、能力者達はついに関係のない一般人の無能力者にまで手を出し始めた。

 半蔵達スキルアウトとは一切の繋がりもない学生達を、正義の名の下に制裁する。

 クソ食らえ、と半蔵は思った。自分が弱いから、反撃されるのが怖いから、八つ当たりをしているだけではないか。はらわたが煮えくり返る思いだった。少しばかり変わった出自の半蔵だが、そういう義に反した行いは彼の許すところではなかったのだ。大切な仲間の為に忠を尽くす。それが、半蔵の生き様だったから。

 駒場に連れてこられた佐倉は、瞳に暗い輝きを灯していた。復讐心、憤怒、絶望。能力者達に対する憎悪に塗れた目をしていた。当然と言えば当然だ。しかし、こういう目をした奴を放っておくと、再び無能力者狩りを誘発する火種にもなりかねない。

 半蔵は佐倉をチームに入れることを提案した。身を守るため、という建前を使って。

 最初は危険性を取り除くためだけの関係だと思っていた。すぐにコイツは自分達の手を離れ、また平和な学生に戻るだろう、と。こんなクソみたいな掃き溜めから一刻も早くおさらばするはずだ、と。

 しかし半蔵の予想に反して、佐倉はスキルアウトでの生活を楽しみ始めていた。コンビニのATM強盗から始まり、警備員とのカーチェイス。他チームとの抗争。風紀委員との逃走劇。馬鹿みたいな不良ライフの中で、佐倉は屈託のない笑顔を半蔵達に見せるようになっていた。駒場や浜面、そして半蔵と一緒になって馬鹿をやるのがどうしようもなく楽しいと言わんばかりに、彼はどんな時でも彼らの後をついてくるようになっていた。

 いつからだろう。

 半蔵は自問する。

 

 佐倉のことがこんなにも大切だと思うようになったのは、いつからだったろう。

 

「うぁああああああああ!!」

 

 パイルバンカーを両手に、駆動鎧との距離を詰める。

 ショットガンの弾が切れたようで、いつの間にか駆動鎧はサブマシンガンを装備し直していた。相変わらず不安定な片手使用のまま馬鹿みたいに乱射を続ける。

 その一発が半蔵の左肩を掠り、思わず苦悶の声を上げた。

 

「ぐぅ……っ! こんな、もんでぇぇえええええええええ!!」

 

 あまりの激痛にパイルバンカーを取り零しそうになりながらも、歯を食いしばって腕に力を込める。

 この程度の痛みで、諦めるわけにはいかなかった。

 こんなクソみたいな状況で、足を止めるわけにはいかなかった。

 サブマシンガンによる連射が徐々に半蔵を掠めていく。太腿、横腹、こめかみ。かろうじて直撃は回避できているものの、出血量と疲労感が少しづつ半蔵の歩みを妨害し始めていた。

 もはや、パイルバンカーを持った腕は自由に上がらない。

 

「……半蔵……!」

「っ! 旦那、他所見すんじゃねぇ!」

「ぐぅっ!?」

 

 ぐらりとよろけた半蔵に思わず声をかける駒場だったが、攻撃の止んだ一瞬の隙を突いて振り回された左腕に殴られ吹っ飛ばされていく。サブマシンガンで殴打されたためか、床に力なく落下した駒場の顔は真っ赤な血で染まっていた。

 旦那、と叫びたい衝動を必死に抑え込み、駆動鎧を見据える。

 目標は半壊していた。パイルバンカーと機関銃掃射によって、装甲もあちこちが剥がれかけていた。……だが、駆動鎧が攻撃をやめる様子はない。

 サブマシンガンを再びこちらに向けると、第二射が始まる。

 無数の雨が半蔵を襲った。

 

「がぁあああああああっ!!」

 

 今度こそ足を撃ち抜かれ、その場に倒れ込んでしまう。パイルバンカーを持ち直す余裕さえなかった。

 

「……佐倉を、助けなくちゃなんねぇんだっ……!」

 

 彼が何の事件に巻き込まれているのかは知らない。だが、彼が自分の意志とは無関係に行動させられているというくらいのことは半蔵にもわかる。普段の佐倉望を知る者として、今彼の身に起こっている異変くらいは察知できる。

 ずり、と芋虫のように床を這う。力の入らない右手にパイルバンカーを引っかけたまま、少しでも駆動鎧との距離を詰めようと匍匐前進紛いの動きで進もうとする。

 しかし、被弾による激痛は半蔵の動きを大幅に制限した。マトモに身体を動かすことすらままならず、満足に進むこともできないまま駆動鎧を見据えるしかない。

 そんな虫の息の半蔵にトドメを刺すべく、駆動鎧はサブマシンガンの銃口を向ける。もう脅威にはならないであろう目の前の無様な標的を排除する為、駆動鎧は引き金に手をかけた。

 

(ちくしょう……!)

 

 死を覚悟して目を瞑る。

 サブマシンガンにかかった駆動鎧の野太い指が、動く。

 その時だった。

 

 ドガシャァッ! というけたたましい轟音と共に、大型トラックが壁をぶち破って突っ込んできたのは。

 

「…………!」

 

 突然の乱入者に駆動鎧は慌てた様子でサブマシンガンをトラックに向けるが、トラックの突進の方が一足早い。

 バゴォッ! という騒音が響いたかと思うと、トラックはアホみたいな速度で駆動鎧に激突。そのまま壁まで押し進む。あまりの衝撃にサブマシンガンは駆動鎧の手を離れ、駆動鎧はバックパックから壁にめり込んでいた。

 しばらくもがくように手足を動かしていた駆動鎧だったが、操縦者の意識が限界を迎えたらしい。空気の抜けるような音があがると、駆動鎧は完全に活動を停止した。

 ピキッ、というひび割れの音が聞こえ始め、顔付近を覆っていたメット部分がパラパラと崩れていく。

 そんな中、あまりにも場違いな間の抜けた声が通路内に響き渡った。

 声の主はトラックの運転手。茶色のジャージに紺色のデニムという変わり映えのしない格好をした茶髪の男が、ボンネットのひしゃげたトラックの運転席から顔を出して盛んに声を上げている。

 

「ちょっ! なんかドアが歪んで出れないんだけど半蔵助けてくんね!? この際駒場でもいいからさ!」

「…………このアホ面」

「誰がアホ面だ!」

 

 どこか論点のズレた怒鳴り声を返してくる浜面に薄く笑い返しながら、露わになった駆動鎧の頭部に視線を向ける。

 頭から血を流しているものの、顔の色から察するに大した怪我は負っていないらしい。打たれ強いのが幸いしたのだろうか。露出した右腕もトラックと接触していなかったようで、少し内出血しているくらいのものだった。まぁ、無事みたいだ。

 良かった。柄にもなく安堵の溜息をついて目を瞑る。後始末は浜面にでも任せて、今は少し休ませてもらおう。目が覚めたら、あのクソ後輩に色々と意趣返しをするのもいいかもしれない。

 覚束ない足取りながらも浜面の脱出を手伝う駒場を眺めながら、半蔵は満足げな表情で意識を手放した。

 

 

 

 

 

 



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第四十話 全ての終わり、そして始まり。

 とにかく、強くなりたかった。

 

 昔から、それこそ小学生の時からそれだけを願っていた。自分の意見を通すには、反論されないだけの力がいる。正義を貫くには、悪を成敗するだけの力がいる。

 正義の心を持ち、誰にも負けないような力を付けろというのはどの思想家の言葉だったか。あまりにも現実的で残酷な言葉だが、世界中に蔓延るどんな綺麗事よりも的を射ていると思った。

 

 誰かを、守りたかった。

 

 自分がそれだけの力を持った人間であることを証明したかった。弱者ではない。胸を張って、堂々としていられるような強者であることを示したかった。自分を馬鹿にしてきた奴らを、見返したかった。

 能力開発によって超能力が得られる街、学園都市。そんな話を聞いたとき、自分はどれだけ舞い上がったことだろう。この街に行けば自分は強くなれる。誰にも負けない力を手に入れられる。そんな淡い期待に、何度心を躍らせたことだろう。

 しかし、世界は残酷で、そう簡単には救ってくれなかった。

 調査書にでかでかと書かれていた『0』の数字。才能が有りません。あなたには素質がない。言外に非情な現実を突き付けられた気がした。

 それでも、必死に努力した。少しでも能力強度を上げるために、自分は血反吐を吐くような思いで一生懸命頑張った。何度も何度も立ち上がりながら、念願である『チカラ』を得る為だけにもがき続けた。

 いつだったろう。そんな努力をやめてしまったのは。

 いつまでも変化しない『0』の文字に、全てを諦めてしまったのはいつの事だっただろう。

 子供の頃に抱いていた夢もいつしか泡となって消え、惰性のように毎日を生きていた。以前は真面目に取り組んでいた能力開発もテキトーになり、学校もサボるようになった。

 

 自分はなんで、学園都市に来たんだろう。

 

 たまに、自問する。求めていた夢は儚く崩れ、少しの救いすら与えられなかった自分は、いったい何をしているのだろう。

 能力者が憎かった。嫉妬に近い感情を抱いていたのかもしれない。自分達は勝ち組だというような勘違いしたプライドで無能力者を平気で踏み躙る彼らが、どうしようもなく許せなかった。しかし、力のない自分では反抗することもできず、結局は返り討ちに遭うだけだった。何度、涙を呑んだか分からない。

 そんな時、ある都市伝説を耳にした。それは馬鹿みたいな内容で、信じるに値しないと鼻で笑われるような夢物語だ。能力者達にしてみればくだらないと一笑していただろう。

 しかし、無能力者はがむしゃらに手を伸ばした。最後の希望をそれに賭け、自分達は愚かにも全てをそれに捧げたのだ。

 

 ――――【幻想御手(レベルアッパー)

 使っただけで能力強度が上がると言われる魔法の道具に、自分達は溺れていった。なんとしてでも、力をこの手に掴みとるために。

 

 

 

 

 

               ☆

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、見覚えのある白塗りの天井が視界の先に広がっていた。

 

「…………?」

 

 自分の置かれた状況が掴めず、佐倉は上半身を起こすと部屋中を見渡す。……佐倉が寝ていたのは、紛うことなく病室だ。棚や窓、カーテン等のレイアウトから察するに、以前一方通行と戦った後に収容されたのと同じ病室なのだろう。気を遣ってくれたのかは、分からない。

 しかしここで一つ疑問が残った。何故自分は、こんなところに寝かされているのか。

 

「……大覇星祭中、だったよな?」

 

 少しづつ記憶が蘇ってくる。

 クラスメイト達との棒倒し。御坂母との邂逅。食蜂からの依頼――――!

 

「っ! ……そうだ。俺は確か、【才人工房】でミサカの護衛をやっていて……」

 

 木原幻生に、洗脳された。

 すべて思い出した。カイツと共に屋上までミサカを連れて逃げてきた佐倉達は【心理掌握】を奪った幻生によって意識を奪われ、手駒として使われたのだ。記憶は洗脳される直前までしか残ってはいないが、あの状況から推測するに、自分は幻生の手下として使役されていたと考えるのが普通だろう。碌な抵抗も出来ず、ボタン一つで惨敗を喫したのだ。

 思わず、拳に力が入る。結局何もできず、誰一人守ることのできなかった自分の惨めさが恥ずかしい。あれだけ意気込んで任務に臨んだというのに、一つとして十分に目的を果たせていない自分が情けなかった。

 自己嫌悪に浸る気持ちを必死に留める。ふと窓の外を見ると、夜の帳が学園都市を包み込んでいた。空には月が煌々と輝いている。

 

「……結局、事件はどうなったんだ……?」

「終わったわよ、全部」

 

 不意に飛び込んできた声の方を焦ったように向く。

 病室の扉がある方向。広い空白地帯となっている場所に、中学生くらいの少女が立っていた。

 クリーム色のジャケットに、チェックラインの入った焦げ茶色のプリーツスカート。常盤台中学の冬服と思われる制服を着たその少女は、学園都市第三位に位置する超能力者、御坂美琴だ。どこかふてぶてしい態度で佐倉を威嚇するような雰囲気を醸し出している。彼女が纏う殺伐として雰囲気の原因を掴めず、一瞬首を捻ってしまう。

 美琴は佐倉の視線に気が付いたのか、ベッドの傍まで足を進めた。近づいてくれたことでようやく彼女の顔が露わになる。……窓から差し込む月明かりに照らされた美琴は、何故か苦虫を十匹くらい纏めて噛み潰したような表情を浮かべていた。

 困惑する佐倉を気にも留めず、美琴は淡々と言葉を並べる。

 

「木原幻生は食蜂操祈によって確保。一〇〇三二号は検査の為に入院中。洗脳されていた皆も無事よ。アンタ以外は、全員目を覚ましているしね」

「そっか……ミサカが無事なら、良かったよ」

「……何も知らないのね、アンタ」

「は?」

 

 急に荒っぽい口調でそんなことを言った美琴の顔をまじまじと見つめる。彼女は冷たい視線で、今まで彼に向けたことがないような怒りの混じった表情を浮かべていた。

 絞り出すように、口を開く。

 

「私が幻生に操られて、死にそうな目に遭ったってことも……アンタがスキルアウトの先輩に助けられたってことも……何も、知らないのね」

「なっ……!? ど、どういうことだよ!」

「幻生の目的は、私を使って絶対能力者(レベル6)を生み出すことだったの。一〇〇三二号が狙われたのは、ミサカネットワークにウイルスを流す為。木山春生の【幻想御手】と同じ原理で、並列的に演算処理を行うことで私の能力強度を跳ね上げさせた。脳の負担に耐えられなかったら死んでいたそうよ、私。……そんでもってアンタは、私が【才人工房】に辿り着いた時には幻生の洗脳を受けていた。暴走列車状態だったアンタを、偶然居合わせたスキルアウトの方々が命がけで救い出したってわけ。理解した?」

「そんな……俺が操られている間に、そんなことが……」

 

 ようやく聞かされた真実に、嫌な汗が流れ始める。自分は蚊帳の外にされていたという事実を突きつけられたことで、想像を絶する無力感と絶望が胸の奥から湧いてきていた。結局何もできなかった。美琴を守ることは愚か、木原幻生にいいように操られ、ついには先輩達にも迷惑をかけてしまったなんて。

 結局、自分はまた彼女を守ることができなかった。暗部に入って力を手に入れたと思ったのに、何一つ約束を守ることができなかった。言いようのない空虚感が彼を襲い、情けなさの余り涙が零れてくる。

 彼女に対する申し訳なさが、怒涛のように押し寄せてくる。

 

「ごめん、お前を守ることが出来なくて……!」

 

 ポタ、と握り込んだ拳に涙が落ちていく。惨めだった。ミサカを、そして美琴を守ることができなかった自分が、どうしようもなく悲しかった。最低だ、と自らを責めるように嗚咽を漏らす。

 だが、そんな彼を気遣うでもなく、ただ冷めたような視線を向け続ける美琴。彼女は表情を変えないまま右手を振り上げると、

 

 泣き続ける佐倉の頬を、勢いよく引っ叩いた。

 

「ぇ……?」

 

 パン、と乾いた音が暗闇の病室に響く。予想だにしない展開と不意に襲い掛かった痛みに、佐倉の思考が完全に停止した。目を丸く見開いたまま、呆けたように美琴に視線を戻す。

 

「なん、で……?」

「……ふざけんじゃないわよ、アンタ」

 

 ドスの利いた低い声に、思わず息を呑む。あまりにも普段の彼女とはかけ離れた迫力に、声を発することもできない。

 刃物のような鋭い視線で佐倉を見据えると、彼女は声を荒げた。

 

「誰が……誰が、守ってほしいなんて頼んだっていうのよ!」

「は……?」

「毎回毎回毎回毎回傷だらけになって帰ってきて。口を開けば謝罪謝罪謝罪! 『守れなかった』『お前の為に頑張るよ』、カッコつけたみたいにそればっかり言ってさ! 勝手な覚悟で突っ走ってんじゃないわよ! そういうアンタを見ていると、無性に腹が立ってくるの!」

「な……なんだよ、急に……。俺はただ、お前との約束を守ろうと……」

「約束ぅ? ハッ! 笑わせないで! 確かに不条理から逃げるなとは言ったけど、命かけて私の事を守れなんて一言も言ってないじゃない! アンタ自身を蔑ろにしてまで守ってほしいなんて、いつ誰が言ったっていうのよ!」

「っ……な、何もそこまでいうこたぁねぇだろ! 俺は俺なりに、お前の為に頑張ろうと思って……」

「ほら、また『お前の為に』! アンタに自分の意志は無いワケ!? いっつも他人の意見に流されてばっかりでさ! じゃあ私が死ねって言ったらアンタは死ぬの!?」

「そういうわけじゃ、ねぇけど……」

 

 いきなり鬼のように捲し立ててくる美琴に、頭の理解が追いつかない。何故自分は美琴に責められているのか。間髪入れずに怒鳴り続ける彼女に気圧される中、疑問だけが脳内を駆け回っていく。

 佐倉にとって美琴の存在は行動指針そのものだ。いつだって彼女の為に行動する。美琴の笑顔を守るために戦い、美琴の世界を守るために戦う。それが彼のすべてであり、たった一つの『意志』だった。それ以外は何もない。佐倉望の行動には、一つの例外もなく御坂美琴が関わっている。

 ずっと彼女の為に頑張ってきた。暗部に堕ちていくつもの命を奪ってもギリギリの所で踏みとどまれたのは、彼女の存在があったからに他ならない。美琴が待ってくれている。彼女の為に頑張れる。そういった思いがあったからこそ、佐倉は闇の中で自分を失わずに今日まで生きていくことができた。たとえどれだけの絶望に見舞われたとしても、正気を保つことができた。

 自分は美琴の為に今日まで生きてきた。それなのに、何故自分は今彼女に怒鳴られているのだろうか。

 黙り込んだ佐倉にありったけの言葉を浴びせる美琴。段々とヒートアップしてきたのか、彼女は髪を振り乱すように荒々しく唸ると――――

 

「無能力者のくせに、私を守るなんて大それたこと言ってんじゃないわよ!」

 

 ――――史上最大の地雷を踏み抜いた。

 しん、と病室が一気に静まり返る。言った瞬間に自分の失言に気付いたのか、美琴はやや慌てたようにたじろぐと、顔中にびっしりと冷や汗をかきながら訂正の言葉を口にしようとしていた。……だが、同時に佐倉の表情の変化に気が付いたらしく、何度か声を漏らしたものの言葉にできずに目を泳がせている。

 ……もう、何も感じられなかった。彼女への愛おしさや尊敬の念が、一気にどこかへと霧散してしまっていた。自分を救ってくれた恩人への感謝の想いなど、跡形もなく消え去っていた。

 

 ――――あぁ。結局、美琴(コイツ)他の能力者達(アイツら)と一緒なのか。

 

 プラスの感情が全て消えた。怒りと絶望、嫉妬、軽蔑……そして、悲哀。

 もう、何もかもがどうでもよかった。今まで積み重ねてきたものが激しく崩れていく音を確かに耳にしながらも、不思議と後悔などは全くと言っていいほど浮かんでこない。失くしたところで、悲しみの一つも湧いてこない。

 

「……そうだな。お前は、超能力者(・・・・)だもんな。……俺みてぇな無能力者に守られるなんて、屈辱以外の何物でもねぇもんな」

 

 自分でも聞いたことがない程の低音に軽く驚くが、ただそれだけだ。目の前で焦燥と困惑の表情を浮かべている女に対しての気遣いなんて微塵も考えられない。とにかく、自分を馬鹿にしたこの無礼な愚か者を、今は一刻も早くどうにかしておきたかった。

 言葉にならない呟きを何度も漏らし続ける常盤台の女子生徒は縋り付くような目で佐倉を見ていたが、今更何の情も湧いてこない。顔を見ているだけで不愉快な気持ちになる。こんな……こんな女の、顔なんて。

 視線を伏せたまま、決して彼女の顔を見ることをせず冷淡に言い放つ。

 

「出て行ってくれ。今すぐに」

「や、その……さっきのは、私も言い過ぎたって……」

「……出て行けって言ってるんだよ。聞こえねぇのか第三位(・・・)!」

「っ……!」

 

 なかなか言うことを聞こうとしない彼女にぶつけられた本気の怒声。常盤台生はビクッ! と大仰に肩を跳ね上げると、脇目もふらずに病室から走り去っていった。背を向ける直前に絶望に染まった表情を浮かべていた彼女だが、顔を上げない佐倉が気付く訳もなかった。ポタタ、と生暖かい液体が何滴か佐倉の手に落ちてきたが、まったく気にもならなかった。

 再び静寂を取り戻した病室で、一人窓の外を見る。窓ガラスに映った自分は何故か涙を流していたが、原因は全くと言っていいほど分からない。この苦しい程に締め付ける胸の痛みと、何か関係があるのかもしれないが……今となっては、そんなことすらどうでもよかった。

 ぼんやりと月の浮かぶ夜空を眺めていると、マナーモードにしている携帯電話が棚の上で振動を始める。誰かからの着信だ。こんな時間に誰だろう、と首を捻りながらも通話ボタンを押す。

 相手は、垣根帝督だった。

 

『よぉ、気分はどうだい佐倉。いい具合に絶望しちまってんじゃねぇの?』

「……さぁな」

『ひゅー、つれないねぇ。まぁいいや。そんなことよりか、一つ確かめたいことがあったんだよ』

「確かめたい事?」

 

 普段から無駄話を嫌う傾向にある垣根にしては珍しい。心当たりに思考を巡らせながらも、彼の言葉を待つ。

 垣根はやけに明るい調子で、こんなことを聞いてきた。

 

『テメェは《超電磁砲を守るための力》を手に入れる為に【スクール】に加入したわけだが……その思いは、まだ変わらねぇか?』

「……何言ってんだよ、リーダー」

 

 呆れたように肩を竦める。何をくだらない質問をしているのだろうか。あまりにも馬鹿らしい幼稚な質問に、思わず笑いを零してしまう。

 佐倉の思いは変わらない。暗部に入った目的は、最初から――――

 

「誰にも負けねぇ絶対的な力を手に入れる。【超電磁砲】なんてどうでもいい。邪魔するものを片っ端から捻り潰せるような、最強の力を掴みとる。昔から、そう言ってんじゃねぇか」

『……くははっ。そうか、そうだったな。いや、それならいいんだ。ちっとばかし気になったもんでさ。うん、その言葉で安心したぜ』

「変な奴だな。平和ボケして頭おかしくなっちまったんじゃねぇのか?」

『そうかもしれないな。……まぁいいや。それじゃあまた、明日からよろしく頼むぜ』

「あぁ。よろしく頼むよ、リーダー」

 

 通話を切ると、再び窓の外に視線を移す。吸い込まれるような魅惑的な闇をうっとりと眺めながら、佐倉望は何かに憑りつかれたように口元に笑みを浮かべる。

 

 

 ――――翌日、佐倉望は病室から忽然と姿を消した。

 手荷物はほとんど持ち去られており、少し部屋を空けたわけではないことが分かる。棚の上には、彼が愛用していた緑色の携帯電話と休学届が置かれていた。

 知らせを受けた御坂美琴が第七学区中を捜索したものの、行方を掴むことはできなかった。自宅に帰ってきた形跡はなく、友人の家に泊まったという情報もない。

 ……こうして、佐倉望は学園都市の表舞台から完全に消失した。

 

 

 

 

 

 




 これにて大覇星祭編は終了。次回から新章突入です。


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0930事件編
第四十一話 零れ落ちた想い


 新章突入です。

 ※今回は文字数少なめ


 暗闇に染まる学園都市を、短髪の少女が息咳切って駆け抜ける。

 紫色のパーカーと灰色のデニムに身を包んだその少女は、第八学区を疾走しながら必死に叫び続けた。……愛しい彼の名前を、声が枯れるまで。

 自分の不用意な一言で目の前から消えてしまった無能力者を探し続ける。学園都市には夜の帳が広がり、周囲には通行人の一人も見受けられない。人気(ひとけ)が全くと言っていいほど感じられない第八学区。しかし、それでも彼女は走り続けた。

 なりふり構っていられない。たとえ疲労の余り倒れるようなことになろうとも、自分には彼を探し出す義務がある。

 少女の叫び声が第八学区に空しく響き渡る。慟哭とも取れる彼女の声は残酷にも、不気味に蠢く闇の中に吸い込まれていくだけだった。

 

 

 

 

 

               ☆

 

 

 

 

 

「お姉様! 起きてくださいな、お姉様!」

「ぅ……?」

 

 十代少女特有の甲高い声が耳を打ち、夢の中から引きずり出される。お世辞にも快眠とは言い難いコンディションに若干気が滅入るのを感じながらも、御坂美琴は重たい瞼をなんとかこじ開けながら叫び声の主を見上げた。

 濃い茶色の髪をツインテールに結んでいる一つ下の後輩、白井黒子が腰に手を当てて美琴を見下ろしている。呆れと心配という二つの背反した感情が垣間見られる表情を浮かべる白井は、常盤台中学指定のクリーム色のジャケットを優雅に着こなしていた。ザ・お嬢様、とはこういう生徒のことを言うのだろう。

 白井は壁にかかったアンティーク感満載の鳩時計を指で示すと、

 

「もう八時ですわよお姉様。そろそろ起きないと、朝食なり着替えなりしていたら遅刻してしまいますの」

「あー……もう、そんな時間かぁ……」

「大丈夫ですの? どうも御気分が優れないように見えますが」

「ちょっと夜更かししちゃってね……。ふぁ……」

「過度の睡眠不足はお肌の大敵ですのよ? ここ最近はずっと夜遅くまでどこかに出かけているみたいですけど、しっかり休息は取らないと。倒れてしまってからでは遅いのですから」

「うん、分かってる。心配してくれてありがと、黒子」

 

 不器用ながらも笑顔を浮かべて頭を撫でてやると、先程までの毅然とした態度が嘘のように顔を真っ赤に染めてわたわたとテンパる白井。手足をバタバタ慌ただしく振り回して言葉にならない呟きを漏らしている姿がなんとも可愛らしい。普段は過剰なセックスアピールと変態行為の繰り返しで忘れがちだが、白井黒子という少女は誰よりも純粋で誰よりも健気な可愛い後輩なのである。だから、こうして慌てた姿を見ると心が徐々に安らいでいく。

 ここ最近荒みつつある精神状況が収まりを見せてきたところで、美琴はベッドから起き上がりながら白井に話しかけた。

 

「今から用意するから、黒子は先に行っててくれない?」

「遅刻するのなら一蓮托生ですわよお姉様」

「アンタ風紀委員なんだからそうもいかないでしょ。それに今日は日直だから急がなきゃとか言ってなかったっけ? 私なんかに付き合ってないでさっさと仕事をこなしてきなよ」

「で、ですが……最近のお姉様はどこか元気がないご様子ですし……」

「だいじょーぶ。夏休みみたいなことにはならないからさ。今度はちゃんとみんなのことが見えてるから、心配しないでよ」

 

 不安げな瞳で美琴を見つめる白井を安心させるように穏やかな笑みを浮かべる。

 かつて――――夏休みに行われた【絶対能力進化実験】を止める際に、美琴は一週間程完徹で夜の学園都市を駆け回った経験がある。碌な休息も取らずにがむしゃらに突っ走った結果、自分の異変を白井や初春達に悟られていらぬ心配をかけてしまったのだ。幸い実験に関わらせるという最悪の事態は避けられたものの、友人達に不安を抱かせてしまったことは今でも反省すべき過去である。白井は、その事件を踏まえたうえで美琴を気遣っているのだろう。

 後輩の優しい心遣いに内心礼を言いながらも、美琴は変わらぬ笑顔を張り付けて白井の顔を見る。

 

「だからさ。私のことは気にしないで、黒子は黒子で頑張ってよ。私のせいで黒子の生活に支障が出ちゃったりしたら、逆に落ち込んじゃうしさ」

「……そう、ですわね。分かりました。ですが、これだけは約束してくださいませんか?」

「なに?」

 

 一瞬不安げな表情を垣間見せた白井は、ぎゅっと目を瞑って何かを我慢するかのように震えると、彼女なりの精一杯の笑顔で美琴に微笑みかけた。

 

「本当に耐えられなくなった時は、黒子達を頼ってくださいませ。わたくしや初春、そして佐天の気持ちはずっと変わりませんの。なんといったって、わたくし達はお姉様の友人なのですから」

「……うん。ありがとう。でも心配しないで。本当に、大丈夫だから」

「はい。……それでは、黒子は先に失礼しますの」

 

 美琴を気遣うようにぎこちない笑みを湛えた白井が部屋を出ると、美琴はゲコ太パジャマのまま再度ベッドに倒れ込んだ。淡い光を放つ蛍光灯を見上げる瞳はどこか虚ろで、目の下には痛々しい隈が浮かびあがっている。見るからに調子の悪い美琴は、力なく寝そべったまま呆けたように天井を見上げていた。

 

 九月二十九日。

 

 最愛の少年、佐倉望が美琴の前から姿を消した大覇星祭最終日から、四日が経過しようとしていた。

 

 

 

 

 

               ☆

 

 

 

 

 

 ――――佐倉望に傷ついてほしくない。

 美琴の想いは、終始一貫してそれに尽きた。【絶対能力進化実験】で彼が弾丸を受けた時も、学園都市第二位垣根帝督の襲撃を受けた時も。そして、九月上旬に弱り切った佐倉の声を電話越しに聞いた時も。「美琴の為」と言って命がけで戦い続ける彼の傷ついた姿を見ることが、美琴には耐えられなかった。

 思えば、九月の初めに佐倉と電話した時からすべてが狂ってしまった気がする。彼を止めようとはせず、無責任に「頑張って」と激励の言葉を送ってしまったあの日から、佐倉が壊れてしまったように思える。

 無能力が故に道を踏み外し、無能力が故に強者の言うことを鵜呑みにしてしまう。結果的にすべてが悪い方へと転がっていき、佐倉望は学園都市の闇に呑まれた。今では美琴の手が届かない所にまで堕ちてしまっている。

 流れを止めることは難しかったとはいえ、最後の一押しを決めてしまったのは他でもない美琴だ。自分自身を蔑ろにして美琴に全てを捧げようとする彼が許せなくて、怒りのあまりに放ってしまった不用意な一言が彼を完全に闇の世界へと葬ってしまった。

 

 『佐倉の居場所になる』と宣言したのに、美琴自身が彼を拒絶してしまった。

 

 探さなければならない。闇に堕ちてしまった佐倉を見つけ出し、救い出さなければならない。

 今まで積み重ねてきた日常を壊してしまったのは美琴だ。だから、その日常を取り戻すために動かねばならないのは他ならぬ美琴自身。他の人に任せることはできない。佐倉望は、自分が助け出さなければ。

 

 結局学校を休むことにした美琴は、紫のパーカーと灰色デニムに身を包んで寮の窓から壁伝いに屋根の上へと登り、そこから街へと繰り出した。馬鹿正直に入口を通っては間違いなく寮監に見つかるだろうという予想からである。人間離れした格闘系美女に捕まった挙句に事情を問われるなんて面倒くさい事態はなんとしても避けなければならなかった。

 磁力を操作して屋上伝いに進みながら、ウエストポーチから愛用の携帯端末を取り出す。無線LANと能力の応用によってネットワーク回線には繋いであるから、電波の心配をする必要はない。

 適当な建物の屋上に着地して貯水タンクの上に腰掛けると、美琴は早速ネットサーフィンを敢行した。……いや、より正確に言うならばハッキング。警備員が扱う機密情報や監視カメラの映像が軒並み保管されているデータバンクに、数々のセキュリティを片っ端から通り抜けながら侵入を開始する。

 パチ、と前髪から小さな火花が飛ぶと、画面上に大量のウインドウが表示された。

 明らかに美琴の手の動きよりも速いスピードで画面が展開されていくが、これは彼女が頭に浮かべた流れの余波を反映しているにすぎないために問題はない。本来ならこの三倍の量が表示されていてもおかしくはないのだが、そこは電子機器の限界といったところか。本気を出しても良いが、せっかくの愛用機をわざわざぶっ壊す意味はない。

 しばらく混雑していた画面が一時的に停止すると、警備員の内部サイトに切り替わる。どうやら侵入が成功したようだ。小奇麗に並べられた監視カメラの映像を一つ一つチェックしていく。

 

(第七学区は三日前、第六学区は二日前、そして第八学区は昨日捜索した。入れ違いになった可能性は否定できないけど、望らしき人物の目撃情報や映像を見つけることはできなかった。……他に隠れ家として使える場所と言えば、私が思いつくのは第三学区)

 

 繁華街やエステなど、セレブの奥様御用達な施設が集まる第三学区。サロンやカラオケボックスも充実しているため、夜遊びを楽しみたい少女達が好んで集まる学区だ。噂によると、暗部組織のいくつかもアジト代わりにこの学区を利用しているらしい。無能力者である為に奨学金が少ない佐倉がこんなリッチな施設を本拠地に生活できるとは考えづらいが、今は可能性のある候補を片っ端から潰していくことが先決だ。

 PDAをポーチに入れ直し、再び移動を開始する。平日の昼間ということで人通りはそこまで多くはないが、警備員等に見つかると補導の対象になりかねないので慎重に屋上を伝っていく。こういう時は、自分の能力の利便性につくづく感謝だ。

 二時間ほど学園都市の空を跳び続けると、ようやく第三学区に到着した。セレブ御用達というだけあって建物の細部細部に豪華で細やかな装飾が施されている。芸術的といえば聞こえはいいが、美琴からしてみれば金の無駄遣い及び悪趣味としか思えない。

 パーカーにデニムというラフな格好の美琴は周囲から浮いているようで、子どもでも知っているようなブランド物のコートやドレスを着た奥様方が訝しげな視線を彼女に送っていた。中学生くらいの子供がこんな時間に第三学区にいることが不自然なのだろう。気持ちはわかるが、超能力者である美琴は学園都市内でも屈指の金持ちであることを忘れてはいけない。なんだかなぁ、と飛んでくる奇異の視線に苦笑してしまう。

 気持ちを切り替えるように深呼吸をすると、

 

(……よし。それじゃ、行動開始と行きますか)

 

 気合を入れ直し、佐倉の捜索を開始した。

 

 

 

 

 

 



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第四十二話 佐天涙子

 モバゲー禁書で美琴デッキが作りたい今日この頃。


「……それで結局、御坂さんは学校休んだままどっかに行っちゃったわけだ」

「そうですの……予想はしていましたが、まさか欠席してまで外出するとは……」

 

 深々と溜息をつきながらテーブルに俯せる白井。普段のアクティブな様子がまったく見られない消沈した様子の彼女を見ながらも、佐天はコーラを煽って相槌を打つ。佐天の隣では頭に花輪を乗っけた毒舌系ほんわか女子初春飾利が巨大パフェと悪戦苦闘を繰り広げていた。見ているだけで胃もたれがしてきそうな甘ったるいパフェをよくもまぁ笑顔で食べられるな、と親友ながら苦笑してしまう。

 柵川中学前のファミリーレストラン。いつもならば仲良し四人組で集まっているのだが、最近はもっぱら三人で集まることが多くなっていた。理由を端的に言うと、美琴の不在。失踪した佐倉望の行方を掴むために奔走している美琴は暇さえあれば学園都市中を駆け回っているので、こうした集まりに顔を出す余裕がほとんどないらしい。夏休みにも思ったことではあるが、御坂美琴という人間は一つのことに集中すると周囲が見えなくなるタイプのようだ。以前の【乱雑開放事件】の際に佐天が一度注意したのだが、彼女の根本的な部分がそういった自分で抱え込む性質の様なので改善するのは半ば諦めかけている。大覇星祭の時も似たような感じだったし。

 チーズケーキを頬張りつつも、佐天なりに頭を働かせてみる。夏休みに知り合った佐倉望という人間を思い浮かべながら、自分の意見を纏めてみる。

 

「うーん。でも、あの佐倉さんが御坂さんを見限っていなくなっちゃうって……どんだけ酷い事言ったらそんなことになっちゃうのかなぁ」

「ふん。どうせあの類人猿が自分勝手な解釈をしてヒステリーになっているだけですのよ。だいたいお姉様が他人を傷つけるようなことを仰るはずがありませんわ!」

「そうかなぁ。あたしが言うのもなんだけど、高位能力者っていうのは結構無意識に無能力者(あたし達)を傷つけているもんだよ? 意識するしないに関係なく、さ」

「……それでは、佐天はお姉様が不用意な一言を放って佐倉望を傷つけたと?」

「御坂さん結構頭に血が昇りやすいとこあるからさ。怒りに任せて思わず酷い事言っちゃった可能性もあると思うんだよ」

 

 佐天や初春達の前ではそこまで顕著ではないが、本来御坂美琴という少女は高位能力者特有の高いプライドを持っている。低能力者から努力で超能力者まで登り詰めた自信の表れとも取れるだろうが、やはり佐天達無能力者からしてみれば少なからず優越感を感じているように見えるのも確かだ。学園都市に七人しかいない超能力者で、第三位。学園都市のほぼ頂点に君臨する以上多少のプライドと高揚感を持つのは致し方ない事なのだろうが、それでも言動の端々に『超能力者ゆえの』響きが含まれているのは否定できない。不良達に絡まれても平然としているのは、最強とも言える発電能力を有しているからだろうし。

 だから美琴がどれだけ意識を変えようとしたところで、無能力者が内に抱える心の闇を本当に理解するのはほぼ不可能なのだ。『持つ者』と『持たざる者』とでは精神構造があまりにも異なる。『自分達が出来て当たり前』のことができないことに苛立ちを覚えるように、そもそもの環境が違いすぎるのだから。

 御坂美琴は、高位能力者の中では確かに差別意識が低い方だ。相手が無能力者でも普通に接するし、躊躇いもなく友人にもなる。しかし、そういう『能力意識』に対してデリカシーがないのも事実だ。

 よって佐天涙子は仮定する。佐倉が美琴の無遠慮な言葉に傷ついてしまったのだと。

 

「あたしも無能力者だからさ、佐倉さんの気持ちはそれなりに分かっているつもりだよ。能力至上主義のこの街で、『無能力者』っていうレッテルがどれだけ惨めなのかってことをさ。奨学金も少ないし将来性も低い。大覇星祭じゃ噛ませ役もいいところ。ホント、モブキャラっていう響きが一番合うくらいだよ」

「な、なにもそこまで自分を卑下することは……」

「あぁいや、別に卑下しているわけじゃないんだけどね? でも、たまに思うんだ」

 

 居た堪れない様子で目を泳がせている白井を安心させるように表情を綻ばせながらも、佐天は今まで抱えてきた悩みを正直に打ち明ける。

 

「白井さんや初春は風紀委員で頑張ってる。御坂さんは超能力者だからいつも事件の中心に立つことができる。……でも、あたしには何もできない。能力があるわけでもないし公務員でもないあたしは、一般人として事件を外から見守ることしかできない。皮肉だよね。どれだけ皆を助けたくても、無能力者のあたしは強制的に蚊帳の外。たとえ運よく介入できたとしても、これといって役に立つわけでもない。毎回毎回疎外感と無力感に打ちひしがれなくちゃいけないのに、精神的に疲れない方が嘘だよ」

「そんな、ことは……」

「うぅん、自分でも分かってるからいいんだ。別に今更落ち込むことでもないしね。……でも、やっぱり佐倉さんが可哀想だよ。挫折の中でようやく見つけた『御坂さんの為に頑張る』って目標を、その御坂さん本人から否定されちゃったんだからさ。居た堪れないよ、あまりにも……」

 

 佐天は夏休みに何度か佐倉と遊んだことがあるが、彼は美琴と一緒にいるときが一番幸せそうだった。人生の喜びのほとんどに美琴が関係しているといっても過言ではない程に、彼の中で御坂美琴という存在が占める割合は大きかったと言っていいだろう。第三者視点から見ても、佐倉は自分の全てを美琴に捧げているという風に感じられた。今時珍しい程に一途な彼を見て、思わず感心してしまったのはここだけの話だ。

 佐倉は美琴の為に頑張っていた。無能力者で非力ながらも、自分にできる最大限の努力を行っていたように思える。美琴の為にひたむきに頑張るその姿は、無能力者な自分に劣等感を覚えていた佐天にはとても輝かしく見えたのだ。自分と違って、この人はなんて一生懸命なんだろう、と。

 佐天の告白を目を伏せて気まずい表情で聞いていた白井だったが、所在なさ気にガシガシと頭を掻くと消え入るようなか細い声でぼそぼそと呟いていた。

 

「……分かりましたわよ。わたくしも、少々あの殿方に対して私怨が混ざっていたようですの。お姉様が短気なのは確かに事実ですし、佐倉望が失踪した原因はお姉様にも多少なりともあるかもしれませんわね」

「うん……。とにかく、あたし達も個別で佐倉さんを探してみようよ。御坂さんは関わってほしくないみたいだけど、やっぱり友達としては心配だしさ」

「その提案については大いに賛成ですが……これはわたくしの勘ですが、おそらく今までわたくし達が関わったことのない程の闇に出くわすかもしれませんわよ? 大覇星祭の時よりも深い、手当たり次第に全てを巻き込んでしまうような残酷な学園都市の闇に。下手したら、怪我どころでは済まなくなるかもしれませんの」

「それは……」

「お姉様や佐倉望の為に動きたいという気持ちは称賛に値しますが、そこら辺をもう一度考え直してみた方がよろしいかと思いますわよ。これは貴女だけでなく、わたくしや初春にも言えることですの。お姉様が身を置かれている世界は、あまりにも暗い。表舞台で笑顔浮かべて生活しているわたくし達程度では、おそらく無駄な抵抗すら許されないかもしれませんの。下手に首を突っ込めば、ただではすまないでしょうね」

「……それでも、出来る限りの範囲で手伝いたいよ。我儘だとは、分かってるけどさ」

「まぁ、その点に関してはわたくしも同意ですわ」

 

 以前大覇星祭の際に出会った液体金属の人間や動物型ロボットを操る高校生が脳裏に浮かぶ。彼らは年齢的には自分達とほとんど変わらないのに、人殺しを躊躇しない残忍さを持っていた。どれだけの闇に触れればあそこまで壊れることができるのだろうというくらいに、彼らは佐天達とは違った『裏社会で生きる人間』のような雰囲気を確かに持っていた。佐天を助けてくれた少女も、おそらくはその闇の中で生きているのだろう。

 彼らが身を置いているような世界に自分が介入できるとは到底思えない。これは能力の有無ではなく、死に対する覚悟の違いだ。どれだけ見栄を張っても佐天達は所詮一般の中学生。殺人は愚か、暴力に対してもそこまでの耐性を持ち合わせていないような平和ボケした一般人だ。そんな日和った少女達が首を突っ込んだところで、闇に呑まれて命を落とすなんてことはわかりきっている。

 だが、それでも。たとえ闇に触れることは叶わないと分かっていても、佐天は自分にできることをやろうと思った。どこか親近感の湧く無能力者の少年を、助けたいと思ったのだ。

 話に一先ずの決着がついたところで、気分を切り替える意味もあってお互いに紅茶とコーラを煽る。初春は相変わらずマイペースにスプーンをせっせと働かせていた。

 

「……そういえば疑問に思ったのですが、佐天は何故佐倉望にそこまで肩入れするんですの? 同じ無能力者だからという親近感以上の何かを感じるのですけれど」

「そうかなぁ。自分では普通だと思ってるんだけど」

「佐天さんは佐倉さんのことが好きだから一生懸命になれるんですよね?」

「げほぉっ! いいい、いきなり何言ってんのさ初春! だっ、誰が誰の事を好きだって!?」

「佐天さんが佐倉さんの事をですよぉ。だって大覇星祭で抱き締められた時にはあんなに嬉しそうにいひゃっひゃー」

「ちょっと黙ろうか初春ちゃーん! 涙子姉さんとの約束だよ!」

「いひゃいいひゃいでふよひゃへんひゃーん。ふぁふぁふぁへふいおわっへひゃいんでふはらー」

 

 今まで黙々とパフェと格闘していたくせにとんでもないタイミングで爆弾を放り投げてきた初春の頬を抓みあげる赤面佐天。普段他人を弄り倒すことを生き甲斐にしている黒髪少女は、不意にぶち込まれた発言に顔を真っ赤にしてわたわた狼狽の表情を浮かべていた。

 そんなあからさまに動揺する佐天を死んだ魚のような目で眺めていた白井黒子はというと、

 

「……好みは人それぞれですけど、お姉様と競う気ならば頑張ってくださいな」

「だから違うんだってぇーっ!」

 

 佐天涙子の魂の叫びは、初春がパフェの追加を注文する声に空しく掻き消されたのだった。

 

 

 

 

 

               ☆

 

 

 

 

 

 結局あの後三十分ほど弄られ続けた佐天は、涙目になりながらも半ば逃げ出すようにしてファミレスから出て行った。人生最速の走りができたな、と我ながら感心してしまう程のスプリンターっぷりだった。人間追いつめられると未知の力が出せるものである。

 一人第七学区を寮に向かって歩きながら、佐天は今日最大の溜息をついた。

 

「いきなり好きとか言われても、よく分かんないよ……」

 

 思い返すは、先程の初春の言葉。彼女は冗談半分で言ったつもりなのだろうが、冗談でもそういう言葉が出てくるということは佐天が日頃からそういうことを感じさせる行動を取っているということだ。さすがの彼女も何の根拠もなしに口から出まかせを言ってくることはないだろうし。知らず知らずの内に、佐天は好意的な言動を佐倉に向けていたということか。

 自分が佐倉にどういう感情を向けているかと改めて考えるが、イマイチよく分からない。佐天自身がまだ精神的に幼いという理由もあるが、そういう細かい感情を判断するにはあまりにも材料が足りなかった。つまり、好き嫌いを決めるほど佐天は佐倉と接していないということだ。何度か遊んだと言ってもそれは美琴達の付き添いという形であり、別段特別に関わったわけでもない。一応メールアドレスは持っているし顔を合わせればそれなりに会話もするが、所詮はその程度だ。仲の良い友人程度の認識でしかない。

 だが、佐天が佐倉に対して好意的な感情を抱いているのもまた事実だ。同じ無能力者でありながらも我武者羅に頑張る彼に惹かれている自分がいる。どこか憧れの様な思いが心のどこかに燻っている。……しかし、まだ若干十三歳の佐天にはその気持ちを明確に捉えられるほどの情緒を持ち合わせてはいなかった。ごちゃごちゃした感情だけが頭の中をぐるぐると回って、なんとも気持ち悪いことこの上ない。

 

「くそぅ、初春のヤツがあんな変な事言うからあたしがこんなに悩まなくちゃいけないんだぞー……」

「あらぁ? 通りの真ん中で奇妙な舞踊力を披露している女の子がいると思ったらぁ……貴女、御坂さんと友達の人じゃなぁい」

「へ? って、うわぁっ! 食蜂操祈!」

「人の顔見て飛び上がるなんて、失礼しちゃうゾ☆」

 

 ぶすーっと拗ねたように頬を膨らませる金髪の長身美少女。出るとこ出て引っ込むところ引っ込んでいる世の中の女の敵は何故かキラキラスターの浮かんだ金色の瞳をパチッとわざとらしく瞬きすると、ご丁寧にピースサインを目元に当ててポージングまで披露してくださった。あまりの痛々しさと衝撃の登場に佐天はあんぐりと口を開けて立ち尽くすしかない。

 学園都市の第五位に位置する最強の精神系能力者、食蜂操祈。

 先日の大覇星祭事件の際に佐天達の記憶を奪った張本人でもある超能力者だ。勿論、佐天的に好ましい印象は抱いていない。

 思わず身構えてしまうが、精神系能力の頂点に君臨する【心理掌握】にはお見通しだったようで、食蜂は唇に手を当てると柔らかい微笑みを浮かべた。

 

「もぉ、そんなに怖がらなくてもいいじゃない。ちょっと街中で偶然鉢合わせただけでしょぉ?」

「いや、それはそうですけど……もしかすると、もう操られてるんじゃないかって心配で……」

「失礼しちゃうわぁ。さすがの私でもそこまで無差別力丸出しな能力の乱用はしないわよぉ。あくまでも目的があるときにしか一般人は利用しないしぃ。あんまり無責任に操っちゃうとぉ、佐倉クンみたいに取り返しのつかないことになっちゃうからネ♪」

「っ!? さ、佐倉さんの事、知ってるんですか!?」

「仮にも仕事仲間だったからねぇ。一応アフターケアまではやっておこうかなって洗脳力を駆使して情報を集めてみればぁ……なぁんか大変なことになっちゃってて食蜂ちゃん大・混・乱! 事件に巻き込んじゃった罪悪感感じちゃうわぁ」

「はぁ……」

 

 どこまでも演技がかった調子に思わず脱力してしまうのは何故だろう。この人は相変わらずどこまでが演技でどこまでが本気なのかまったく見当がつかない。飄々で掴みどころがないとはこういう事を言うのだろう。

 罪悪感を感じているとは言いながらもやけに軽い調子だし、本当はそこまで佐倉の事を気にかけてはいないのかもしれない。傲慢で自分勝手な超能力者の事だ、取り換えの効く便利な消耗品とでも思っているのだろう。

 これ以上の会話に有益性を見いだせなかった佐天は適当に話を切り上げてこの場を離れようとする。

 

「それじゃああたし帰りますから、今日はこの辺で」

「あらそぉ? ……じゃなかった、ちょっと待ってちょうだいな佐天さぁん」

「はい? まだ何か用があるんですか?」

「うんっ☆ ちょろっと依頼力を聞いてほしいんだけどねぇ……」

 

 食蜂はそこで一旦言葉を切ると、先程までのふざけた雰囲気を一切合財吹き飛ばすような真剣な表情で言った。

 

「ちょっと話したいことがあるから、御坂さんに明日の放課後私の所に来るように連絡しておいてくれないかなぁ?」

「……別に構いませんけど、御坂さん最近忙しいみたいですから承諾してもらえるか分かりませんよ?」

「それなら心配いらないわぁ。ちゃんと、今から言うことを御坂さんに伝えてくれれば、絶対に約束を守ってくれるだろうしぃ」

 

 ――――おそらくは、食蜂操祈は最初から分かっていたのだろう。

 御坂美琴を効率的に操る方法を、彼女は既に知っていたのかもしれない。

 パチッと可愛らしくウインクすると、いつも通りのポージングを決めながら、

 

「『佐倉望について話がある』って、ちゃぁんと言っておいてねぇ☆」

 

 

 

 

 

 




本誌の方で佐天さん呼び捨てしてた黒子可愛い


※大学受験に伴って
受験が終わるまで更新を停止します。
読者の皆様にはご迷惑と心配をおかけすることになりますが、終了次第最新話をお届けしたいと思っておりますのでご容赦下さい。
それでは、良いお年を。


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第四十三話 少女達の密会

 九月三十日。

 数日ぶりに常盤台中学の制服に身を包んだ美琴は、放課後の喧騒に包まれる第七学区を呆けたような表情で歩いていた。今朝寝坊したところを急かされるままに準備し、白井に学校へと強制送還されたせいだろうか、心なしか普段以上に髪が逆立っているように見える。

 バイオリンケースを抱える美琴に周囲の視線が集まっていく。学園都市内で五本の指に入ると言われる常盤台中学ならではの注目度だ。あまりにもわざとらしいお嬢様グッズであるバイオリンを持っていることがさらに拍車をかけている。度重なる寝不足によって極度に衰弱した表情を浮かべているにも関わらず、周囲は羨望の眼差しを性懲りもなく送り続けていた。

 ――――面倒臭い。

 溜息交じりに呟くものの、彼女を気遣ってくれる可愛い後輩達は風紀委員の仕事とやらで今日は別行動だ。元気娘には先程鉢合わせしたが、急いでいると言わんばかりに用件だけ手短に伝えて去ってしまった。どこかお互いにぎこちなかったのは気のせいではあるまい。何せここ最近顔すら合わせていなかったのだから。どう接していいか分からず、促されるままに相槌を打つしかできなかった。駄目な先輩だな、と疲弊しきった頭でぼんやりと自嘲。

 

『ちょっ、おい、吹寄! そんなに腕引っ張んなくても上条さんは大人しく着いていきますって!』

『うるさいこの歩く騒動起爆剤(トラブルメイカー)! そんなこと言って私が手を放したらどうせ数秒後にはどこぞの美少女とラブコメ騒動を引き起こすんでしょ! 貴様はいろんな意味で危なっかしいんだから、つべこべ言わずに一本釣りされておきなさい!』

『待って待って吹寄さん! 俺さっき土御門ん家でシチューたらふく食ったばっかりだから胃袋付近が爆発寸前!』

『食べ過ぎ? そんな弱っちいこと言ってる貴様はこの【飲むだけでお腹スッキリ! ハラクダスンダーZ】でも飲んでなさい!』

『名前聞く限り下痢の未来しか想像できねぇ!』

 

 死んだように足を動かす美琴の前を、一組の男女が大騒ぎしながら横切っていく。スカートを詰めていること以外は絵に描いたような委員長っぽい女子高生と、どこか見覚えのある、幸薄そうな雰囲気を醸しているツンツン頭の男子高生という二人組だ。強気な女子に男子が振り回されている様子だったが、二人とも笑っていた。楽しそうに、心から幸せそうに、彼らは笑顔を振りまいていた。

 

「…………」

 

 思わず、俯く。通りのど真ん中であるとか、大衆の目前であるとか、そういうことを一切合財ガン無視して。……美琴は、ただじっと足元に視線を投げかけていた。

 

 ――――本当は、私だってあんな風に過ごしたいのに。

 

 押し殺してきたはずの感情が首をもたげ始めるが、それ以上考えることはせずに歩みを再開。このままここに留まっていても、自己嫌悪に陥るだけだ。今はとにかく、目的地に急ごう。

 もはや生気の欠片も感じられない空虚な瞳で、ちらと腕時計を見る。

 

「五時ジャスト……あの馬鹿女との約束まで十分か。まぁ、余裕ね」

 

 放課後にまでこんな街中をぶらついていた理由が、ソレだ。先程佐天から受け取った伝言。『どこぞの変態読心女がとある無能力者の家で美琴を待っている』とかいうツッコミどころ満載のメッセージ。いろいろと言いたいことが溢れかえっているので、とりあえず顔合わせたら顔面凹ませてやろう。日頃の鬱憤を利子つけて返済する気満々で、人知れず拳を握り込む。

 陰鬱な気分を誤魔化すように大きく息を吸うと、お気に入りのローファーでコンクリートの地面を蹴りつける。人混みの中を馬鹿みたいな速度で走り抜けながらも、彼女の顔には笑顔一つ浮かんではいなかった。

 

 

 

 

 

               ☆

 

 

 

 

 

 第七学区の一角に存在する、とある高校の男子寮。あのツンツン頭の少年や、例の無能力者(・・・・・・)が住居を構えるこの場所は、美琴にとっても思い入れの強い学生寮だ。今までも何度か来たことはあるが、その度に騒動に巻き込まれていた気がする。

 在りし日の思い出に軽く吹き出しながらも、備え付けのエレベータを使って七階へと上がる。扉が閉まる際に既視感を覚える白い修道服が通り過ぎる姿を目にしたが、特に気にするほどのことでもなかった。おおかた、晩飯をねだりにウニ頭の少年でも探しに行ったのだろう。基本的に脳内の半分以上を食事事情で埋め尽くしている彼女のことだ、まず間違いない。

 ポーン、と間の抜けた機械音と共に扉が開く。エレベータを出て左に向かい、突き当りから三番目の部屋。もう何度も通った場所だから、迷うこともなくスムーズに到着。左手にあるインターホンを押せば、少しも待つことなくあの馬鹿が出迎えてくれ――――

 

(っ……! 落ち着け、私。今騒いだところで、アイツが戻ってくるわけじゃないんだから)

 

 輝かしい過去に思いを馳せようとした自身を戒めると、呼吸を整えながらインターホンを押す。こんな情けない顔をあの性悪女に見せるわけにはいかない。からかわれるのは目に見えているし、末代までの恥になりかねない。最近はサボりがちだが、学内で変な噂を流されるのも嫌だ。

 そんなしょうもないことを考えていると、中から耳障りな甲高い声が飛んできた。

 

『はぁ~い。ちょぉっと待ってねぇ~♪』

 

 ぶん殴ってやろうか。

 えらく甘ったるい猫なで声に怒りのボルテージが五十ほど上昇した。相変わらずわざとらしく、そして腹立たしい喋り方だ。美琴自身そこまで気の長い方ではないとはいえ、どこからどう見ても作り物ぶった彼女は同性的な観点から言わせてもらうと気色悪いことこの上ない。しかしながら、世の男性はコイツの人工お色気攻撃に耐える間もなく陥落してしまうのだろう。世の中馬鹿ばっかりだ、と額に手を当てて呻くことも忘れない。

 ガチャガチャ言わせながら扉が開かれると、金髪の美少女が視界の先に現れる。

 もうなんというか、とにかく『金』だった。髪も、瞳も、アクセサリーも。どれだけ心頭滅却したらこれほどまでに痛々しいモノの数々に身を包めるのか、と割と心の底から問い詰めたくなるような外見をしたこの女は、幸か不幸か美琴の同級生である。置かれた境遇も酷似した少女。美琴的には絶対に認めたくはないが、おそらく常盤台中学内で唯一美琴に共感してくれるだろう精神系能力者。

 

 学園都市第五位。最強の精神感応系能力者、食蜂操祈。

 

 無駄に整った顔と核弾頭級の胸部を兼ね備えた忌々しい超能力者は、美琴に気が付くや否やいつも通りのアイドルチックなポージングを決めると、

 

「今日も貴女に這い寄る【心理掌握(メンタルアウト)】、学園都市の癒し系、食蜂操祈ちゃんとは私のこと」

「ミコっちゃんぱーんち」

 

 最後にウインクまで決めようとした愚か者の顔面に渾身の右ストレートを捻じり込む。さすがに能力使って速度強化とかはしていないが、割と勢いの乗った拳が食蜂を襲った。悲鳴を上げる余裕もない様子で無様に居間の方へと転がっていくその姿は滑稽と壮観の二言に尽きる。絶賛不機嫌な美琴的には「グゥレイトォ!」とサムズアップしてもいいくらいだ。

 

「がふっ、げぶぁっ……い、いきなり……何、するのかし、らぁ……?」

「あー、ごめんごめん食蜂。急に目の前に出てきたから蠅か何かと勘違いしちゃったわ。最近涼しくなってきたけど、まだいるんだーって」

「……いいわぁ。わかったわよ御坂さぁーん。温厚平和力で有名な私だけどぉ、今回ばかりはちょっとばっかり身体を張るしかないようねぇ……!」

「はん。かけっこ一つマトモにできない超絶運動音痴(通称ウンチ)に凄まれても滑稽なだけよ」

「だ、誰がカッコ通称ウン……もにょもにょカッコ閉じるよぉ! わざわざ手伝いに来た恩人を捕まえていい度胸してるわねぇ!」

「言ってなさいこのホルスタイ……ん? え、手伝い?」

「……そのホルスタイン発言は今だけは見逃してあげるわぁ」

 

 涙目上目遣いという男好きしそうな所作で自分を睨みつける食蜂の顔を二度見してしまう。まるで予想もしていなかった言葉を聞かされた気がするのは勘違いだろうか。というか、他人のことなんて一ミクロンも興味ないはずの女が、あろうことか手伝いを申し出やしなかったか?

 状況が把握できず何度も瞬きを繰り返す美琴。食蜂は憮然とした表情を隠そうともせずに豊満な胸の下で腕を組むと、

 

「御坂さんがここ一週間、学校を休みがちなのは知ってるわぁ。その理由も、私は把握しているわよぉ。私の情報力はぁ、学園都市でもトップクラスだからねぇ」

「……何が言いたいの」

「だからぁ、つまりはぁ……」

 

 勿体ぶるように人差し指で空を突くと、口の端を妖しく持ち上げ、

 

「佐倉クンの捜索、手伝ってあげちゃってもいいかなぁって」

「っ!」

 

 ――――気がつくと、彼女の胸倉を掴み上げていた。

 バイオリンケースが手から離れ、鈍い音と共に足元に落下する。ブレザーの襟を破りかねないほどの力を込める美琴の顔に浮かぶのは、明らかな憤怒の感情。

 

「元はと言えば……」

 

 すべての憎しみを視線に乗せて、溜まった怒りを解き放つ。

 

「元はと言えばっ、アンタが望を巻き込んだのが原因でしょうがっ!」

 

 ……そう。佐倉がいなくなるきっかけを作ったのは、目の前で無表情を浮かべる食蜂操祈だ。

 普通に大覇星祭を楽しんでいただけなのに、そんな佐倉をこの少女は巻き込んだ。他にも候補は無数にいたはずなのに。よりにもよって、佐倉を。

 そんな張本人が、ご丁寧に助力を申し出るだと?

 

「ふざんけんじゃないわよ、このクソ女ッ……!」

「……勘違いしているようだから言っておくけどぉ、佐倉クンは自分から私の依頼を受けたのよぉ? 元凶だなんて言われる筋合いは無いわねぇ」

「うるさい! そうだとしても、声をかけたのは事実じゃないの! アイツはただ、普通の日常を満喫していただけなのにっ……アンタが暗部(そっち)に引きずり込んだんじゃない!」

「【妹達】が絡んでいた以上、あの場において佐倉クン以外の人選は有り得なかったわぁ。それとも、何ぃ? 何の縁も所縁もない人に貴女の軍用クローンをお披露目しても良かったって言うのぉ?」

「そ、そういう訳じゃないけど……他に、方法があったかもしれないじゃない!」

「……あのさぁ」

「な、なによ……」

「……さっきから聞いていれば、御坂さぁん。貴女偉そうに言っちゃってるけどさぁ」

 

 面倒臭そうに美琴の手を振り払うと、食蜂はようやく核心を突いた。

 

「過程力はどうあれ、佐倉クンを傷つけちゃったのは御坂さん自身でしょぉ? その事実を直視しないまま私を責めるっていうのは、ちょっとばっかし無責任で自分勝手じゃないかしらぁ」

「っ……」

「あらぁ? もう黙っちゃうの御坂さぁん。さっきまでの威勢はどこに隠しちゃったのよぉ」

「……私、は」

 

 力なく項垂れ、気力もないままに惰性で口を開こうとした時だった。

 

「もうその辺で勘弁してやったらどうだ、食蜂操祈? そのままでは我らをそこの小娘に紹介する間もないぞ」

「……?」

 

 不意に聞こえた三つ目の声に、美琴は思わず顔を上げる。

 その声は、食蜂の背後――――居間の方から放たれていた。透き通った、耳触りのいい美声を発したその人物が、玄関へと続く廊下へと歩み出てくる。

 黒いゴシックロリータに身を包んだ少女。左右の眼は右が金、左が紅と異なっている。腰の辺りまで伸ばされた銀髪も相成ってか、まるでおとぎ話の世界から現実に飛び出してきたような印象を抱かせる。年齢は十七歳程だろうか。童顔のせいでどことなく幼く見えてしまうが、その三十センチほど下方で存在を主張する無駄乳を見るにそれくらいの年齢だろう。というか、年上じゃないと美琴の精神衛生上よろしくない。

 あまりにも突飛な格好に思わず目を背けたくなるものの、そういえばゴスロリ研究者やゴスロリの双子、そんでもってオッドアイな風紀委員が知人にいたのを思い出す。……なんか悲しくなってきた。

 銀髪の少女は優雅な所作で銀髪に手櫛を入れると、華麗に身を翻しつつ言い放つ。

 

「いつまでもそんな場所で会話しておくのも無粋というものであろう。些細な諍いはひとまず先送りにして、とにかくこちらで本題に入るとしようではないか。案ずるな、紅茶と茶菓子は準備してある」

 

 勝手知ったる人の家を地で行く銀髪厨二病系巨乳美少女に言いたいことは山ほどあったが、これ以上の揚げ足取りは会話の混乱を招きかねないと判断したために口を噤んだ。腹の立つことだが、その考えは食蜂と一致してしまったらしい。変なところで気が合ってしまい、無意識に表情が歪む。

 美琴達をナチュラルに居間へ招き入れようとしていた少女は何を思ったのか、「そういえば」と口に出すと、再びこちらに端正な顔を向ける。

 

「名乗りがまだであったな。これは失礼をした。偉大なる闇の眷属である我にもこうした失敗は……まぁ、そこそこある。そこまで気にするな、許せ」

「何よこの王様系自己中勘違いガールは……」

「言わないでぇ。私もこの子誘っちゃったことを少しばっかし後悔し始めてるんだからぁ」

「類は友を呼ぶからって、生態系が変化するレベルの生命体連れてこないでよ、この噛ませ犬」

「誰が噛ませ犬よ誰がぁ!」

「あ、の……早く来ない、と……紅茶……冷める、よ?」

「今度は何よ……」

 

 まさかの四人目に驚愕どころか呆れの溜息をついてしまう。なんで佐倉の家に見知らぬ女がこんなに入り込んでいるのか甚だ疑問ではあったが、存在を確認しないわけにもいかないので視線を四人目に向けた。

 白いセーラー服に紺色のスカートという、銀髪少女に比べるとニュートラルな服装だ。ポニーテールにしている亜麻色の髪もいたって普通。しかし、その下で軽く傾げている顔は、同じく女性である美琴が思わず息を呑んでしまうほどの美しさを誇っていた。すべてのパーツがあるべき位置に収まっているとでも言うべきだろうか。世の美人達でも真っ先に膝をついてしまうだろう美貌を持った少女だった。

 先程の少女とのギャップが大きすぎたせいか、言葉を失ってしまう美琴。そんな彼女を他所に、銀髪少女はセーラー服の少女の手を引くと、年相応な明るい笑みを浮かべる。

 

「丁度いい! この際だから貴様も我と共に名乗りを上げるぞ!」

「え……う、ん。わかっ……た」

「よし! それではその耳よぉく開いて音に聞け!」

 

 そう言って馬鹿みたいに金の瞳を強調するポージングを決める少女と、彼女に苦笑する少女は美琴の方を向くと、

 

「我が名はリリアン=レッドサイズ! 愚民共の怨嗟の声を聴きこの世界に降臨した、闇の眷属なり!」

「桐霧、静……よろしく、ね」

 

 ――――いや、よろしくねじゃないわよ。このコスプレコンビ。

 挨拶よりも先にツッコミを入れてしまった美琴に、食蜂が肩を竦めて同意した。

 

 

 



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第四十四話 クイーンズ

 お待たせしました。


 ――――何この状況。

 

 心の中で呻くようにして呟く美琴は、内心の動揺を気取られないように細心の注意を払いながらも佐倉家の居間を見渡す。

 現在居間中央にあるテーブルを囲んでいるのは、美琴を含めて四人の少女達だ。年齢は全員が十代中盤から後半。外見的には四人とも美少女と言っても差し支えない(若干一名を認めるのは非常に癪だが)ので、客観的にみると魅力的に思える状況だろう。

 だが、それはあくまでも普通の美少女であった場合だ。

 

 まず美琴の右手に座っているブレザー姿の金髪少女。

 美琴も通う常盤台中学指定の制服に身を包んだ彼女は何故か手足を金縁レースの手袋&ハイソックスで覆っている。それに加えて金色のポーチ。終いには瞳の中央に十字星が煌めく金色の双眸だ。

 現実には到底有り得ないであろう外見。その上コイツはあろうことか中学生離れしたダイナマイトボディ……いや、これはもう牛だ。少なくともホモサピエンスから逸脱した胸部を抱えている。神は何故よりにもよってこんな性格破綻者に巨大な母性の象徴を授けたのか。世界の残酷さに血涙を流しそうだ。

 

 次に左手の銀髪ゴスロリ少女。

 銀髪に紅と金のオッドアイという漫画の世界から飛び出してきたような外見の彼女は、見た目通りの厚顔無恥な傍若無人っぷりを早くも見せてくれている。そして巨乳。食蜂に負けるとも劣らない逸物を所持する彼女は美琴にとって天敵であることが出会って数分で決定した。たとえ年上であっても巨乳は死すべし。割とマジで。

 

 最後は、向かい側のセーラー服少女。

 亜麻色の長髪を後頭部の辺りでくくったポニーテールで、胸部は美琴と同じくらいかそれ以下。この人は仲間ね、と変な同族意識を持ったのも束の間、なんだあの整った顔は。

 世の女達が総出で反乱を起こしても不思議ではない程に端正な顔立ち。胸は小さいながらもそれを補って余りある、すらりと伸びた色白の四肢。それでいて、健康的な肉付きをしている辺りが忌々しいったらありゃしない。どこのファッションモデルだアンタは。

 

 あまりの女性的偏差値の高さに眩暈が止まらない。胸部に難あり外見それなりの美琴はやけに劣等感を感じてしまってすごすごと黙り込むしかなかった。なんか勘付いたらしい食蜂がニヤニヤと意地の悪い笑顔で自分の方を見ているが、軽く電撃の槍を飛ばして牽制するとじぃっと桐霧の慎ましやかな胸部に視線を集中させる。

 

「ど、どう……した、の?」

「…………さすがに、負けてはいないわね」

「なん、か……失礼なこと、を……言われた、気、が……する」

 

 神妙な面持ちでゆっくりと頷く美琴に頬を引き攣らせる桐霧だったが、性格上会話が得意ではない彼女はそれ以上言葉を発するのを嫌い、追求することはなかった。これがリリアンや食蜂ならば決着がつくまで口論が続いていただろう。あぁ見えて二人とも何気に負けず嫌いの気があるし。

 四人の顔合わせがひとまず終了すると、食蜂が「さて」と場を仕切って口火を切る。

 

「それじゃあ早速だけどぉ、私からこの二人についての補足をしておくわねぇ」

 

 補足、という言葉に少々面倒くさそうな雰囲気を覚える。そういえば二人のキャラクター性が珍妙すぎてすっかり忘れていたが、彼女達はどうしてこの場にいるのだろうか。様子を窺うに桐霧とリリアンは知り合いのようだが……。

 そこら辺も今から説明してくれるのだろう、と茶を啜りながら食蜂の話に耳を傾けた。

 

「まず最初に言っておくとぉ、静ちゃんとリリアンちゃんは暗部組織の元構成員なのよぉ」

「暗部って……望や第二位が所属している集団と似たような感じの組織なの?」

「そうよぉ。目的や信念に些細な差異はあれど、学園都市の裏舞台で暗躍する武力集団みたいなものねぇ。御坂さんも大覇星祭で戦ったでしょぉ?」

「……あの動物型ロボットを操っていたヤツのこと」

「えぇ。あの人達は【メンバー】っていう組織でぇ、学園都市統括理事長直属の暗部組織なのよぉ。まぁ、統括理事会の犬みたいなものかしらぁ」

 

 脳裏に浮かぶのは、犬型やカマキリ型の大型ロボット。操縦者の顔を見ることはできなかったが、あれだけの技術力を持ち合わせているということは背後にそれなりのスポンサーが控えているのだろうとは予想していたけれど……まさか学園都市統括理事会なんていう大ボスだとは思いもしなかった。しかしそう考えるといろいろと納得できる。あれほどの大騒ぎを起こしておきながら警備員に捕まることもなかったということは、学園都市が裏から手を回していたのだろう。かつて【絶対能力進化実験】なんていう最低最悪の実験さえも黙認していた奴らならば、そうであったとしても不思議ではない。

 

「二人が所属していた組織の名前は【カレッジ】。十年くらい前に行われた【人工大能力者量産実験】の被験者が集まった組織よぉ」

「人工、大能力者……?」

「そこから先については、我が説明しよう」

 

 今まで黙っていたリリアンは不意に口を開くと、食蜂の言葉を引き継いだ。

 

「【人工大能力者量産実験】はその名の通り、人工的に大能力者を量産する実験だ」

「人工的に……? 普通の能力開発とは違うの?」

「違うな」

 

 首を傾げながらの美琴の問いに、リリアンは即座に首を左右に振った。

 

「学校などで行われる能力開発は生徒の身の安全を一応ではあるが踏まえている。だが、我らが参加していた実験にはそんな人道的処置など欠片もない。才能があろうが無かろうが無理やりにでも大能力者にまで成長させようとする。そのために科学者達(ヤツら)は我らをまるでモルモットのように扱ったよ」

「それは……【絶対能力進化実験】の【妹達】みたいなもの?」

「まぁ殺されることが目的ではない分我らの方が幸せだったろうが、大まかな部分ではほとんど変わらないと言って良いだろう。現に同僚は何人も科学者達に殺されているしな」

 

 「奴らは科学の進歩に欠かせない止むを得ない犠牲だと言っていたが」と淡泊に言いながらも、リリアンはどこか憤りを隠せない様子でわずかに下唇を噛みしめていた。殺された仲間達のことを思い出し、当時の悔しさを思い出しているのだろうか。厨二病的な外見と言動ながらも、彼女の内面は仲間想いな年頃の少女のようだった。もしかしたら彼女の外見には何らかの事情があるのかもしれない。

 「話を戻そうか」リリアンは軽く咳払いをすると、

 

「量産実験によって我らは大能力を手に入れた。静は身体能力を大幅に強化する【限界突破(アンリミテッド)】、我は一分先の未来を確実に予知できる【未来予知(カオスフォーチュン)】。今は生死不明だが、【カレッジ】の仲間だった奴らもそれぞれ稀有な大能力を持っていたよ。あの実験は大能力者を量産するとともに、珍しい能力を開発することも視野に入れていたからな」

「そんな実験が行われていたなんて……」

「リリアンちゃん達はぁ、その実験で死んだ仲間達の仇を取る為に学園都市への反乱力を起こしたのぉ。そして、襲撃先の研究所で【カレッジ】は【スクール】と戦ったのねぇ」

「【スクール】って、まさか……!」

「佐倉クンが入っている暗部組織よぉ。ちなみにぃ、そこの静ちゃんが佐倉クンと戦いましたぁ」

「え!?」

 

 予想外の情報に弾かれるようにして桐霧に視線を飛ばす。見た目超美人で会話が苦手なこの少女が、佐倉とかつて佐倉と戦ったという事実に驚きを隠せなかったのだ。そういえば先程から足元に日本刀が置いてある。意外と、戦闘好きな性格なのかもしれない。

 美琴の視線を受けて少々気後れした様子ながらも、桐霧はぽつぽつと語り出した。

 

「佐倉、は……暗部にいるべ、き、人間じゃ、ない……。本当は、優しく、て、他人思いな性格なの、に……何かに駆り立てられている、ように、無理矢理戦っていた」

「無理矢理?」

「そ、う。まる、で……後ろめたい自分、を、正当化するように」

「正当化、か……」

 

 途切れ途切れではあるが真っ直ぐな桐霧の言葉を受けて、美琴の心の中では佐倉望への罪悪感が再び生まれ始めていた。

 彼が暗部に入ったのはそもそも【絶対能力進化実験】に関わってしまったことが原因だ。同様に実験に関わり、一方通行を倒した張本人である上条当麻は暗部には接触していないという疑問点が残るものの、佐倉は実験が原因で垣根帝督に襲われ、美琴の命を助ける代わりに暗部に堕ちることになった。美琴が彼を実験に巻き込まなければ、闇に呑まれることもなかったはずだ。普通のどこにでもいる高校生として日々を過ごし、美琴とも普通に友人として関わって行けたはずだ。彼の日常を奪ってしまった張本人として、自分にも反省すべき点は多大にある。

 美琴が俯いて黙り込んでしまったことについて食蜂は何かを悟ったのか、無駄に突っ込むことはせずに話を進めることにしたようだ。ひとしきり三人を見渡すと、仕切り直すように声を張り上げる。

 

「とにかく、ここに集まってもらった皆はそれなりに佐倉クンと関係がある人達よぉ。親交の深さに差異はあれど、一応は彼と関わりを持っている」

「我は顔を見たことすらないがな」

「それはご愛嬌。というかぁ、静ちゃんが佐倉クンを助けたいって言っていたのを聞いたから今日はこの場に集まってくれたんでしょぉ?」

「まぁ、それはそうだが」

「――――って、ちょ、ちょっと待って! 望を助けたいって、え、どういうこと!?」

「見通し力が悪いわねぇ。それでも超能力者?」

「関係ないわ!」

 

 あまりにも唐突な状況展開に着いて行けない美琴は慌てて説明を求めるが、会話を途中で切られた食蜂は不機嫌さを隠そうともせずに露骨に面倒くさそうな表情を浮かべていた。だがそんな顔をされても困るのはむしろ美琴の方だ。何せ今日佐倉家に集められた理由すら聞かされていない。そんな無情報な状況で不意に「佐倉を助ける集団」とか言われても、混乱と焦燥に溺れてしまうだけだ。

 馬鹿にされたことが無性に悔しくて顔を真っ赤にしながら叫ぶ美琴。そんな彼女に溜息をつきながらも、食蜂は口を開いた。

 

「事の起こりから説明するとぉ、私は【冥土返し】の紹介を受けて静ちゃんと出会ったのぉ」

「【冥土返し】……あぁ、あのゲコ太先生ね」

「その表現は非常に不愉快だわぁ。……それなりに罪悪感を感じていた私は、佐倉クンを暗部から救う為に人員を探していたのぉ。一人じゃ無理だから、私達もチームを組んで協力しようと思ってねぇ」

「その人員探しの中で、静を紹介された?」

「その通りぃ。話してみると、静ちゃんも佐倉クンに対していろいろと思うところがあったみたいでねぇ。救出作戦に全力で賛成してくれたわぁ」

「私、は……自分を殺し、て、戦っているあの人を……助けたい、と、思ったの……」

「静……」

 

 表情の変化は乏しいながらも、胸に手を当てて美琴を見つめる彼女が纏う雰囲気はどこまでも真っ直ぐで、真剣なものだった。少し話しただけでも彼女が他人とのコミュニケーションを苦手としていることは窺える。だが、自分の気持ちを表現することが得意ではない彼女が必死に全力で佐倉望を助けたいと主張した。その気持ちは決して冗談などではない。彼女は自分の考えや信条に従って、彼を救いたいと思ったのだろう。

 私と似ているな、となんとなく親近感が湧いた。不器用で、それでもなんとか自分の気持ちを貫こうと奮闘する様が、どこか美琴自身を彷彿とさせた。

 桐霧に続くようにして、リリアンが銀髪をなびかせながら言葉を継いだ。

 

「我はその佐倉とやらについては何も知らんが、静の熱意に打たれてな。まぁ我としては哀れな子羊を助けることもやぶさかではない。自らの無力によって闇に堕ちた人間を救うことは、選ばれし闇の眷属であるこのリリアン=レッドサイズにしか為し得ぬ。つまりは何が言いたいかというと……」

「いろいろ言葉並べまくっているけどぉ、結局はリリアンちゃんも佐倉クンを助けたいってことらしいわぁ」

「普通に言いなさいよ面倒くさい……」

「なっ……! き、貴様には風情というものはないのか!? 何事も格好よく、威厳たっぷりに発言することこそが最重要案件だろう!」

「や、別に心底どうでもよかったりする」

「う、うぅー! うるさいやい! 我が楽しいんだからそれでいいんだもん!」

 

 あまりにも否定され続けたことで涙目になってしまったリリアンは、とても年上とは思えないほどの子供らしい動作で頬を膨らませていた。オッドアイと銀髪のせいもあってか、さらに幼く見えてしまう。なんだこの可愛い生物は、と第一印象からは考えられなかった彼女の意外な一面に少しだけ心が動かされる美琴。いや、何が動かされたかは知らんが。

 

「すっかり馴染んだみたいねぇ」

「まぁ、二人とも結構人当り良いし」

「それじゃあ次は私と仲良くなりましょうよぉ。御坂さぁん」

「死ねこのクサレ外道」

「酷い!」

 

 絶望に顔を染めて四肢を床に着く食蜂は「よよよ」となんともわざとらしく泣き崩れていたが、全力で無視。他人の心を遊び感覚で操る性悪女に同情するような感情の余地は生憎と持ち合わせてはいない。それに、自分とコイツの関係はこれくらいの皮肉を言い合うくらいがお似合いだ。手ぇ繋いで仲良くするなんて生理的に許さない。

 しばらく床をドンドン叩いていた食蜂だったが、周囲から浴びせられる冷たい視線に気がつくと恥ずかしそうに咳払いをして空気の切り替えを図る。まぁ目の端に浮かんだ涙を拭きとれていないので無駄としか言いようがないが、そこら辺は彼女の面目を保つために黙っておいて方がいいだろう。このままだと話が一向に進まないし。

 食蜂は軽く鼻を啜ると、拳を突き上げて堂々と宣言した。

 

「それじゃあこの場を借りましてぇ、佐倉望クン奪還専門部隊【クイーンズ】の結成を宣言するわぁ!」

『……お、おー』

「ちょっ!? 締まらないわねしっかりしなさいよぉ!」

 

 「むきー!」と目を吊り上げて怒りを露わにする食蜂。そんな彼女の無邪気さに、美琴達三人は思わず吹き出してしまう。

 あまりにも凸凹で協調性のない四人。しかし彼女達は一人の少年を助ける為に、手を取り合って学園都市に挑むことを決めた。たとえどんな困難が待ち受けていようとも、佐倉望をこの手に取り戻すまで彼女達は決して諦めない。

 非公式組織【クイーンズ】は、なんとも気の抜けた号令と共に無事に発足したのだった。

 

 

 



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第四十五話 邂逅は唐突に

 こ、更新遅れて申し訳ありません! 


 学園都市の様子がおかしい。

 第七学区を一人彷徨いながら、佐天涙子は普段とは違う学園都市の雰囲気に身を震わせていた。辺りはすっかり暗くなっているが、腕時計で時間を確かめるとまだ夜も七時になるかどうかといった具合だ。完全下校時刻は過ぎているにしても、教師や研究者などの大人達は普通に行動している時間帯である。それにもかかわらず、現在佐天が歩いている第七学区には不自然なほどに人がいない。

 降りしきる雨の中、折り畳み傘で我が身を守りながら進む。佐倉を探すために今日一日学園都市中を歩き回っていたのだが、消息はおろか情報さえ掴めない始末である。初春に頼んで見せてもらった監視カメラの映像にもまったく映ってはいなかったし、目撃情報すら届いていないらしい。一応白井と初春も捜索を手伝ってくれるとは言っていたが、佐天は一抹の不安を拭いきれないでいた。

 

「佐倉さんは見つからないし、なんか学園都市は薄気味悪いし……」

 

 あまりの静けさに普段以上に存在感を露わにしている電灯を気味悪げに見上げつつ、佐天は思わずそんな言葉を漏らす。道路脇には大量の自動車が止まっていることも、暗い雰囲気に拍車をかけていた。一応中を覗いてみると運転手はいたが、何故か全員が全員爆睡していたのだ。ドアを叩いても呼びかけてもまったく応じない。まるでかつての幻想御手事件を彷彿とさせるような光景が目の前には広がっていた。自身も経験した恐怖と喪失感を思い出してしまい、無意識に自分の身体を抱き締めてしまう。

 早く寮に帰った方が良い。

 佐天の中で誰かがガンガンと警鐘を鳴らしている。今の学園都市を歩き回るのは非常に危険であり、すぐにでも部屋に戻って布団を被るべきだ。早く寝てしまった方が良い。恐怖心が首をもたげ、佐天の心が怯懦に染まり始める。面倒事を避けようと内なる自分が必死に叫んでいる。

 だが、それでも佐天は逃げようとはしなかった。脚は震え、歯は打ち鳴らされていたけれども、彼女はなんとか自分を奮い立たせると学園都市の闇に一歩踏み出していく。大切な友人を見つけ出すために、佐天涙子は弱い自分との決別を図る。

 

 ――――と、不意に佐天の視界に特徴的な人物が飛び込んできた。

 

「おっと」

「きゃっ」

 

 周囲に視線を飛ばしながら危なっかしい様子で歩いていた佐天と衝突しそうになったとある青年。横の路地裏から突然飛び出してきた彼は、何故か頭に巨大な土星の輪のような機械を被っていた。何本ものコードが腰の機械に向かって伸びている面妖なハイテクマシーン。科学が他所より半世紀分は進歩していると言われる学園都市内でもなかなかお目にかかれない特殊な格好をした青年。あくまで一般人な佐天であっても思わず彼に注意を引かれてしまったのは止むを得ないと言えよう。

 唐突に飛び出してきた青年に驚いた佐天はたたらを踏んでしまい、そのまま尻餅をつくようにしてアスファルトの道路に倒れ込んでしまう。何気に強い雨が地面を濡らしている現在、佐天の着ていたホットパンツは臀部を中心にして無様にもびしょ濡れとなってしまっていた。無駄に丈の短いホットパンツゆえに中まで水が入ってきてしまい、下着さえもずぶ濡れになっている始末だ。いろいろな不快感が一気に佐天へと襲い掛かり、不覚にも顔を歪めてしまう。

 

(このホットパンツ、意外と気に入ってたんだけどな……)

 

 だがこんなことを考えてしまう辺り彼女はやはり年頃の女子学生である。

 思春期らしい落胆に大きく溜息をつく佐天。彼女の内心を知る由もない目の前の青年は水溜まりの中で尻餅をついている佐天に気付くと、心底慌てた様子で彼女に手を差し伸べる。

 

「だ、大丈夫っすか!? 周り見てなくて、ついぶつかっちまって! 申し訳ないっす!」

「あ、いえ、私もボーっとしていたのが悪いんですし……」

「いやいや! キミは何も悪くないっすよ! 急いでいたとはいえ、周りを見ていなかった俺のせいっすから!」

「はぁ……」

 

 何やらハイテンションな様子で盛んに頭を下げてくる男性に少々気圧された佐天は目を丸くしたまま気の抜けたような声を漏らす。なんだろうこの人は。変な格好している割には常識的で、そして何より無駄にテンションが高い。ベストに長袖シャツという普通の服装に比べて頭の機械が悪目立ちしているのに、本人はまったく気にする様子もない。それどころか、自然に振舞っている。

 青年に手を取られながら立ち上がると、パンツの中に入り込んでいた水が太腿に垂れてきて思わず身震いしてしまった。それを見て再び慌てる目の前の彼。

 

「わわっ、このままじゃ風邪引いちゃうっすよね!?」

「いえ、寮も近いんで大丈夫ですけど……」

「それなら安心っすね。でも、一応償いだけはさせてくださいっす」

 

 遠慮気味に言葉を返す佐天に安堵の溜息をつく青年だったが、何を思ったのか懐から財布を取り出すと、紙幣を何枚か手に取ってそのまま彼女の手に握らせた。予想外の行動に思考を停止させたまま、佐天は恐る恐る手の上を見やる。

 そこにいたのは、十人弱の福沢諭吉。

 弾かれるようにして顔を上げた。

 

「こっ、こんなに貰えませんよ! 返します!」

「いいっすよ、別に。お金には困ってないっすし。それで洋服でも買い直してくれっす」

「お釣りが来ますって!」

「じゃあ友人と飯でも。本当はちゃんと謝りたいんすけど、一応急いでいる身なんすよね」

「いや、そういう問題じゃ……」

「というわけで、ドロンっ!」

「あ、ちょっと待ってくださいよぉー!」

 

 中学一年生にはあまりにも大きすぎる金額に慌てふためく佐天を置き去りにして、青年は無駄に飄々とした返事を残すと彼女の制止の声も聞かずにその場から走り去ってしまった。一歩踏み出すたびにガチャガチャとコードが鳴り続けていたが、彼はまったく振り返ることもなく佐天の前から姿を消していく。一人取り残された佐天は手に大量の紙幣を乗せたまま呆けたようにして立ち尽くすしかない。

 

「なんだったんだろ、あの人……」

 

 随分と変な人だった。貰った大金を財布の中に仕舞い込みながら佐天はポツリと呟く。とりあえず服を着替える為に寮に戻ろうと思った矢先、足元に黒塗りの携帯電話が落ちていることに気が付いた。

 ずんぐりとした開閉式の携帯電話。防水加工が施されているのか、水溜りの中に置いてあったにも関わらず正常に作動している。待ち受け画面はデフォルトの白無地で、時刻のデジタル表示だけが虚しく存在を主張していた。

 

(あの人のケータイかな……?)

 

 タイミングと場所からして、考えられる可能性としては最も高い。佐天と衝突した際の衝撃でポケットから落下してしまったのだろうか。自分との会話が立て続いてしまったせいで携帯電話を落としたことに気が付かなかったのだろう、と佐天なりに仮説を立ててみる。そりゃまぁ、あれだけ大袈裟に頭下げたりリアクションしてきたりしていれば足元の落し物に気が付かないのは当然か。

 「届けた方が良いよね」携帯電話を広い、持ち合わせていたハンカチでボディをある程度拭う。ボタンの部分も軽く拭いておくのが気遣いというやつだ。

 

「っと。ありゃりゃ、間違って変なボタン押しちゃったよ」

 

 ハンカチ越しに指が当たったのか、白塗りだった画面はいつの間にか切り替わり、何やら留守番電話画面が映し出されていた。数件の録音が表示されている中で、一番上の録音の時刻がついさっき。青年が急いでいたのは、もしかするとこの留守番電話が原因なのかもしれない。あんな格好をした人の知り合いってどんな人なんだろ、と無駄に好奇心を刺激されてしまうのは思春期乙女の性みたいなものだろうか。様々な言い訳を心の中で唱えながら、佐天は完全に興味本位で件の録音を再生した。

 数秒経って、音声が流れ始める。

 やけに騒がしい雑音の中、通話相手はいたって平坦なトーンでこう名乗った。

 

『もしもし、佐倉望(・・・)ですが。木原数多との連携についての確認です』

「え……?」

 

 あまりにも意外な展開に、佐天は拍子抜けた声を漏らしてしまう。

 音と人間の消えた学園都市。久方ぶりの豪雨に打たれながら、無能力者の少女はようやく友人への手がかりを手に入れる。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 同時刻、吹寄制理は学園都市を駆け抜けていた。雨の中を走っているせいでクローゼットから出したばかりのセーラー服はずぶ濡れになり、通常よりも数段重い。自慢の長髪も水を吸い、前髪に至っては額に張り付いてしまうほどだ。自分では邪魔と思っている豊満な胸部が走る度に上下するので胸の付け根もじんじんと痛み始めている。しかし彼女は止まらない。友人を探している最中だった。

 大覇星祭の際に熱中症で倒れた吹寄を心配して「買い物に行こうぜ!」と提案してくれたツンツン頭のクラスメイト。あまり自分からそういう事を言い出さない彼らしくない申し出に違和感を覚えながらも、彼なりに自分を心配してくれているのだろうと思うと何気に嬉しく、吹寄はその提案に乗った。その際に心臓が妙に高鳴っていた理由は、彼女にはイマイチ理解できない。勉強はそれなりに得意な吹寄だが、不思議な感情の変化には心当たりがなかった。

 彼と第七学区を練り歩き、地下の商店街で買い物をした。ちょうど携帯ショップでペア登録のキャンペーンが行われていたので、彼と話し合って二人で登録した。ツーショットを取る際に顔を真っ赤にして照れていた彼の顔が妙に印象的で、今でも鮮明に思い出せる。何故だか分からない内に、携帯電話の待ち受け画面はその写真になっていた。画面を見る度に、不覚にも笑みが零れる。

 

『よかった。やっぱり吹寄は怒っているよりも笑っている方が似合うよ』

 

 買い物の最中、あのウニ頭は自分にそんなことを言ってくれた。下心なんて一切ない、まじりっ気のない純粋な笑顔で、上条当麻は自分に微笑みを向けてくれた。その瞬間は強烈な恥ずかしさに襲われて思わず頭突きをかましてしまったが、今改めて思い出すと素直に嬉しい。彼に褒められたことが、何よりも気持ちよかった。

 そんな彼は現在、居候の銀髪シスターを捜索するために吹寄の元を離れている。「すぐ戻るから!」とか言って去ったきり、連絡の一つもありはしない。こちらから電話をかけても気が付く様子はない。捜索に夢中になって着信音が聞こえてないのだろうか。もしかしたら携帯電話の電池が切れたのかもしれない。人並み外れた不幸を背負って生きている彼ならば、その可能性は十分考えられる。

 あるいは。

 

(また何かの面倒事に巻き込まれているとか……)

 

 いつも傷だらけで身体のあちらこちらに湿布や絆創膏を貼って登校している彼の姿が脳裏に浮かぶ。本人はあくまでも「ちょっと色々あってさ」とヘラヘラ笑いながら誤魔化そうとするが、吹寄は彼が様々な事件に巻き込まれていることをなんとなくではあるが悟っていた。勘付いたのは二学期に入った辺りで、確信したのは大覇星祭後。吹寄自身が熱中症で倒れてしまった後のことだ。あくまでも熱中症で倒れたはずなのに、彼は血相を変えて自分の元に駆け寄ると、誰かに対して怒鳴っていた。怒りに燃える上条の顔を吹寄は未だに忘れていない。あの時の彼の様子から察するに、大覇星祭の際にも上条は何らかの事情を抱えていたのだろう。共に入院していた姫神秋沙が「またあの人は。誰かの為に戦っている」なんていう呟きを漏らしていたことも、吹寄がそのような確信を抱くことに拍車をかけた。

 上条当麻はかつて自分の事を『偽善者(フォックスワード)』などと揶揄していたが、実際のところその通りだ。誰かが苦しんでいれば見過ごさず、絶対に手を差し伸べる。究極のお節介焼き。世の中ではそういう人間を『偽善者』と呼ぶらしいが、上条当麻は紛れもなくそういう類の人間だ。本人もそれを分かっている。

 しかし上条はそんな自分を決して嫌ってはいない。誇るとまではいかないが、それなりに好いている節がある。毎回毎回馬鹿みたいに何度も事件に首を突っ込むのは、彼が心のどこかでそういう自分を受け入れているからだろうと吹寄は考えている。

 よって、今回も彼は何らかの事件に巻き込まれている可能性が高い。

 

(それに、学園都市の様子もなんかおかしいし)

 

 人気(ひとけ)がないと言ってしまえばそれまでだが、何も人間がいないわけではない。存在はしているが、何故か全員が全員(・・・・・)眠るように(・・・・・)して意識を(・・・・・)失っている(・・・・・)のだ。

 自動車の運転席でハンドルに頭を乗せている人。

 自転車と共に路上に転がっている人。

 肩を寄せ合うようにして眠りこけているカップル。

 降りしきる雨の中では絶対にありえない光景が吹寄の前に広がっている。平和な日常をぶち壊す非日常が、彼女の背後に忍び寄り始めていた。

 疑問は尽きないが、今は上条当麻を探すことが先決だ。よし、と再び気合を入れると、疲れた身体に檄を飛ばして走り出そうとする。

 その時だった。

 

「あ、あの! ちょっといいですか!?」

 

 不意に背後からかけられた少女の声に吹寄は思わず立ち止まる。おそらく年下らしき声の主に首を傾げつつも、彼女は足を止めて後方に視線を向けた。

 肩の辺りで切り揃えられた茶色の髪。雨の中を歩いていたのか、水を吸っている様子のクリーム色のブレザー。胸元には超有名校である常盤台中学の校章が。気の強そうな勝気な雰囲気を醸している少女が、何やら肩を上下させながら荒い息を整えていた。やけに整った顔と制服の校章を目にした瞬間、吹寄の頭に一人の人物が思い浮かぶ。

 まさか。

 驚愕に目を丸くする吹寄を他所に、目の前の少女――――学園都市第三位の超能力者、御坂美琴は興奮気味に勢いよく彼女に詰め寄る。

 

「佐倉望の知人ですよね!? アイツの行方に心当たりはありませんか!?」

 

 唐突に彼女の口から出てきた名前は、数日前に姿を眩ませた級友のもので。吹寄や上条も心配を向けていた無能力者の名前だった。

 

 

 

 

 

 



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第四十六話 介入開始

「くそっ、なんだってんだあいつらは!」

「【猟犬部隊】だよってミサカはミサカは説明してみたり! 木原数多が率いる暗部組織で……端的に言うと殺し屋集団みたいなものかもってミサカはミサカは恐怖に顔を歪ませながら補足してみる!」

「そんなもんに追われる高校生ってのは随分とお笑い草だな!」

 

 脇に小学生ほどの外見をした白衣姿の少女を抱えながら上条当麻は学園都市の闇を駆けていく。

 現在進行形で、上条は正体不明の黒ずくめ連中から命を狙われていた。……いや、より正確に言うならば傍らのちんまりした茶髪少女と知り合った過程で結果的に追われることになってしまったと言うべきか。打ち止めと名乗る少女はどうも【妹達】関係の人物であるようで、管制塔のような役目を担っていることから追われているらしかった。次から次へと発覚する学園都市の裏事情に正直嫌気が差し始めている上条なのだが、だからといって外見年齢十歳にも満たないような少女を置き去りにして自分だけ逃げるわけにもいかない。これはあくまで上条の勘ではあるが、あの手の奴らは捕まえた奴を五体満足で解放するほど甘っちょろい集団ではないような気がする。たまに見ている外国映画的には、拷問だって平気で行う類の雰囲気だ。

 ガチャガチャガチャと激しい物音が背後から届いてくる。例の連中が暑苦しい装備を打ち鳴らしながら上条達を追いかけてくる音だ。防弾鎧にサブマシンガンとかお前らどこの軍隊だと声を大にして叫び倒したくなる衝動に駆られるが、【妹達】とはそれほどまでに重要であり、機密事項なのだろう。もしかするとまたよからぬ実験に巻き込まれてしまうのかもしれない。学園都市の相変わらずな鬼畜さに溜息が止まらない。

 この街はホントどうなってんだ、と上条が涙目で愚痴っていた時だった。

 

 ボッ! と。

 

 鉄パイプで薄絹を突き破るような破壊音が響き渡った。

 複数のサブマシンガンが火を噴き、近くの車両やガードレールを蜂の巣にしていく。一秒間に何発撃っているのかも分からない連射。鉛玉が死の雨となって上条達に降り注ぐ。背後に忍び寄る死の香りを確かに感じながら、それでも上条は全力で両脚を動かしていた。

 上条当麻の右手には不思議な能力が宿っている。

 【幻想殺し】と呼ばれるソレは、対象物が超能力や魔術と言った非現実的で不可思議な現象ならばたとえ神様の奇跡でも粉砕してしまうという化け物じみた力を持つ。どこぞの宗教家が聞けば顔を真っ赤にして神罰を下しに飛んできそうな内容の能力だが、そんな右手にも弱点があった。

 現実的な物体は打ち消すことができない。

 たとえ魔術的な炎を打ち消せても、それによって発生した瓦礫を壊すことはできない。御坂美琴の砂鉄の剣は壊せても、彼女が飛ばした鉄塊は打ち消せない。

 つまりは、重火器に代表される一般的な武装を前にすると、上条当麻は一切の戦闘力を失う。

 

「くそったれ! あぁいう手合いはある意味能力者とか魔術師とかより百倍厄介だ!!」

 

 いくら世界の理を捻じ曲げるほどの右手を持っていたとしても、上条自身はどこにでもいる何の変哲もない高校生だ。空が飛べるわけでもなく、瞬間移動ができるわけでもない。ちょっとばかし正義感が強いだけの、極々一般的な男子高校生。そんな一般人がどうして武装した集団に対抗することができるだろうか。

 答えは言うまでもなく、ノー。

 だから上条は逃げるしかない。いくら無様と思っても、拳を握って打ち止めごと死ぬくらいなら歯を食い縛って恥をかいた方がいくらかマシだ。

 回避行動に全神経を注ぐ。上条の頭の高さにあるコンクリート壁が撃ち抜かれると同時に、咄嗟に目の前の路地裏に飛び込んだ。ほとんど転がり込むような体勢ながらも打ち止めを離さなかったのは、日頃多種多様な事件に巻き込まれて鍛えられていたからか。今更になって過去の自分に感謝する。

 路地裏を走る。だが、いつまでも走っているわけにはいかない。いずれは体力にも限界が来るだろうし、何より奴らは車を持っている。単純な移動能力から見ても勝負になるとは思えない。

 隠れる場所を見つける必要がある。

 打ち止めは【妹達】のトップだ。ということは能力も電気関係である可能性が高い。となれば、電子ロックを外して建物の中に逃げ込むことも可能になる。

 問いかけると、打ち止めからの返事は期待通りのものだった。

 徐々に大きくなる足音に肝を冷やしながらも打ち止めの作業を見守る。路地裏の先を警戒して、連中が来るかどうかを見張る。

 ピーッ、という高音階の電子音が鳴るや否や、上条は打ち止めを抱えて建物内に転がり込んだ。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

「対象はどうなった?」

『現在追跡中。打ち止めの能力を使用して建物内に侵入した模様。突入班を作成して二手に分かれる予定です』

「一つだ」

『は?』

「突入班は一つでいい。裏口から入って攻撃射程内で待機だ。主だった相手は俺がやる」

『ですが、建物を包囲して追い詰めた方が効果的かと』

「良いんだよ、俺にやらせてくれ。アイツにはちっとばかし借りがあってよ。ここいらで一発返しておきてぇんだわ」

『……了解。これより隊を形成し、裏口から侵入。攻撃射程内で待機します』

「すまねぇな」

『木原さんへの言い訳はお願いしますよ?』

「ま、それなりに」

 

 無線機からの声が途切れ、再び静寂が辺りを支配する。闇に包まれる学園都市。とあるファミリーレストランの正面玄関前にその少年は佇んでいた。

 特撮番組に出てきそうなスマートなフォルムの鎧を纏ったその少年は、通話の切れた無線機を腰のベルトに差し込むと鎧の調子を確かめるように屈伸を始める。全身を黒の金属に包まれた少年がストレッチをする姿はまさに異様とも言うべきものだ。屈伸運動を繰り返すたびに人工筋肉がギチギチとしなり、電灯が浴びせる白色の光によって黒塗りのメタルボディが怪しく光り輝く。あまりにも異質な出で立ちであるせいか、唯一露わになっている平凡な顔がやけに目立っていた。

 クセのない黒髪の少年はゆっくりと息を吐き呼吸を整えると、

 

「さて。それじゃあまぁ、英雄退治といきますか」

 

 拳を前に突き出すという至極単純かつ簡潔な手法でファミレスの壁を粉砕した。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

『佐倉が打ち止めの捕獲行動を開始。その際に幻想殺しと戦闘になっているみたいだけど、どうする? 応援でも寄越す?』

「いらねぇだろ別に。能力打ち消す右手って言っても佐倉は無能力者だし、何より暗部が誇る超高性能駆動鎧まで出してんだ。暗部構成員でもないただの無能力者にアイツが負ける道理はねぇよ」

『あら、帝督にしては珍しく評価が高いじゃない。この一か月の間で佐倉に情でも湧いた?』

「馬鹿言ってんじゃねぇぞクソアマ。俺はただ客観的事実に基づいて一般論垂れているだけだ」

『そうは言っても貴方、今まで誰かを貶しこそすれ力量を認めたことなんて無かったじゃない』

「……部下を信じるのはリーダーの役目さ」

『似合わないわねぇ』

「お前喧嘩売ってんだろ」

『超能力者の怒りを買うような馬鹿な真似は御免だわ』

 

 第七学区に駐車している黒塗りのワンボックスカー。その後部座席でふんぞり返りながら、垣根帝督は電話口の向こうからひっきりなしに聞こえる馬鹿女の減らず口に浮かべた青筋をピクピクと震わせていた。普段から行動の真意が掴めない不可思議な女ではあるが、会話をする度にこちらの怒りを煽ってくるのはいったいどういう所存なのか。からかっているつもりだろうが、元来気が長い方ではない垣根にしてみれば殺意が湧くどころの騒ぎではない。先程から握り締めた携帯電話がミシミシと悲鳴を上げている。視線の先で垣根の八つ当たりが来ないように震えながら黙り込んでいる運転手が若干可哀想に思えてきた。

 息を吐き、思考を切り替える。

 心理定規から届いた連絡は佐倉の行動についてだ。今回【スクール】は学園都市からの指令を受け、科学者木原数多が率いる暗部組織【猟犬部隊】と連携して行動している。聞かされた目的は『打ち止めの確保』と『木原数多の護衛』。一応は学園都市第二位に君臨する垣根的には腹立たしい程にクソ面白くない内容の依頼だが、暗部組織としては言われた通りに動くしかない。学園都市に手綱を握られている現在、余計な抵抗を見せることはあまり得策とは言えないからだ。

 学園都市の力は強大だ。いくら学園都市内で二番目に強力な能力を使役する垣根と言えども、逆らえばただでは済まないだろう。負けを認めるのは垣根の性格上誠に腹立たしいことこの上ないが、時には自分自身を客観的に捉えることも必要である。今の自分だけでは、学園都市には勝てない。それほどまでに奴らは強大で、絶望的に強い。

 だが、垣根もこのまま無様に泣き寝入りするつもりはない。

 今回の依頼は学園都市統括理事会直々のものだ。つまりは、この依頼を完遂してしまえば彼らの中で【スクール】の株が上がることになる。上手く行けば理事会の連中に取り入ることも可能になるだろう。そして内側から学園都市を掌握すれば御の字だ。

 忌々しい依頼も、目的のためならば苦にはならない。

 

「佐倉のバカに伝えとけ。さっさとこのクソつまんねぇ依頼終わらせて焼肉でも食いに行くぞってな」

『貴方はいつから後輩に飯を奢るような心優しい先輩様になったのかしら?』

「なんたって俺ァ学園都市第二位だからな。心と器の大きさも第二位なんだよ」

『短気さは第一位だけどね』

「テメェ……余程愉快なオブジェにされてぇらしいなぁ……!」

『それじゃあ私は仕事があるから、失礼するわよ』

「ちょっ、待てテメェ! せめて謝罪の一つくらい……って、切りやがった」

 

 「あのアマ……」無機質な電子音が延々と鳴り響く携帯電話を八つ当たり気味に雑にズボンのポケットに入れ込むと、ドア部分に頬杖をついて何の気なしに窓の外を見る。

 あまりに人気がない暗闇。科学の為に科学を殺した男が支配する学園都市。

 この暗闇に今まで何人の学生達が呑み込まれてきたのだろうか。自分の無力を見せつけられ、闇に堕ちることを余儀なくされた無様な落ちこぼれ達が。

 

「……強くなりたい、か」

 

 ふと脳裏に浮かぶのは【スクール】構成員の無能力者の言葉。第三位を守りたい、その為の力が欲しい。垣根の提案にそう言って首を縦に振った彼の姿は、何故か垣根の心を揺さぶった。力を求めて無様に這いつくばる佐倉の姿に、垣根はどこか親近感のようなものを覚えていた。頑なに力を求める彼の姿勢は、かつて無力を痛感し、限りない力を願った垣根自身を彷彿とさせたのだ。

 第二位の座に君臨しながらも敗北の二文字を味わった、かつての自分を。

 

「……けっ、腑抜けてやがんな。クソッタレ」

 

 苛立った様子を隠そうともしないでぼやくと、垣根は唐突にワンボックスカーのドアを開いて雨が降りしきる外へと足を付ける。

 

「どちらへ?」

「ちょっとばかし身体動かして来るわ。こんな狭っ苦しい車ン中じゃ身体が鈍って仕方ねぇ」

「【猟犬部隊】との打ち合わせにはない行動ですので、許可が下りるかどうか分かりませんが」

「放っとけよそんなもん。ようは結果さえ帳尻合わせりゃ文句ねぇんだろ? だったら俺は俺のやりたいようにやる。邪魔立てはさせねぇぜ」

「……了解しました。それではお気をつけて」

「クソが。誰に向かって言ってやがる」

 

 事務的な言葉のみを延々と返して来る運転手に心底辟易しながらも、垣根は乱暴気味にドアを閉めると傘も差さずに雨の中を歩き始める。お気に入りの一張羅が水を吸い始めていたので未元物質で自分の周囲を薄く囲むと、両手をスラックスのポケットに突っこんだまま不機嫌さを全面的に表情に露わにして黙々と学園都市の闇へと踏み出した。

 

「学園都市第二位の俺に、常識は通用しねぇんだよ」

 

 苛立ち、驕り、嫉妬。

 様々な感情が乗せられた呟きを虚空に放ちつつ、怪物(垣根帝督)が盛大に物語への介入を始める。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

「佐倉望の居場所を知りませんか!?」

 

 息を荒げてそう尋ねてくる茶髪の少女を見て、吹寄制理は驚きを隠すことができなかった。

 ベージュ色のブレザーに、その胸元で存在を主張する独特な模様の校章。四つ葉のクローバーに「T」のマークが表すのは、学園都市でも五本の指に入ると言われる超名門校。

 常盤台中学。

 強能力者以下ならばたとえ一国の王女であっても容赦なく不合格にするとまで言われる名門のお嬢様、それも学園都市第三位に位置するあの御坂美琴が、今吹寄の目の前にいる。それどころか、何の変哲もない高校生である佐倉の居場所を尋ねてくる始末だ。驚きが臨界点を突破してそろそろ驚愕の域を脱しつつある。なんで自分なんかに話しかけてくるのだろう、とありきたりな疑問が吹寄の脳内でぐるぐると回っていた。

 

「あ、あのぉ……大丈夫ですか?」

「あ、え……えぇ。大丈夫よ、ごめんね」

「いえ、唐突過ぎる自覚はありますから、お気になさらず……」

 

 突然の出来事に呆けてしまっていたのだろう。心配そうに所在なさげに様子を窺ってくる美琴に頭を下げると、雑念を追い払ってから再び彼女との会話を再開する。

 

「それで、佐倉の居場所だっけ?」

「は、はい! 少し前から行方不明で、ずっと探しているんです!」

「うーん、休学してからは姿は見ていないわね。というか、たぶんウチのクラスメイトは誰も見ていないんじゃないかしら」

「そうですか……」

「というか、なんで佐倉を? 御坂さんは……」

「美琴でいいですよ。年上から苗字で呼ばれるのはあまり慣れないから」

「……美琴ちゃんは佐倉の知り合いなの?」

「はい、一応……恋人、みたいなものですかね……」

「うっそ……あのバカ、こんな可愛い彼女がいたわけ……?」

 

 クラスメイトの予想外な一面を知って何気に驚く吹寄。日頃気怠そうにしている不良生徒である佐倉がまさか常盤台のお嬢様、それもかの有名な御坂美琴と懇ろな関係にあるなんていったい誰が想像するだろうか。青髪ピアスや土御門元春あたりが耳にしたら血相変えて襲い掛かりそうな衝撃事実だ。

 そういえば前に上条がそれらしいことを言ってたっけか、とか思っていると、不意に美琴の方からこんな質問が飛んでくる。

 

「あの……」

「吹寄よ。吹寄制理。制理でいいわ」

「制理さんは……制理さんは、あのツンツン頭と付き合っているんですか!?」

「…………はぁっ!? い、いきなり何意味の分からないことを……」

「だ、だって今日仲良さそうに街中歩いていましたし! 手も繋いでましたし!」

「見られていた!? いや、そうじゃなくて、別に私とあのバカはただのクラスメイトで、それ以上の何でも……」

「か、顔が赤いから嘘です!」

「赤くないわよ!」

 

 急に空気が桃色な感じに転換したことで焦る吹寄だが、この誤解を解いてしまわないことには彼女としても後味が悪い。別に上条との仲が嫌とかそういう訳ではないが、正式にそういう仲ではないのだから誤解が広まるとお互いに困るだろうという考えの元に否定しているわけだ。不都合とか出ても困るし。

 

(――――って、私はいったい誰に言い訳しているのよ!)

 

 そうぼやく吹寄の顔は、日が沈んだ夜闇の中でも判別できるほどに真っ赤だった。

 

 

 

 

 

 



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第四十七話 怪物

 上条当麻は一瞬何が起こったのか理解できなかった。

 命からがら逃げ込んだファミリーレストラン。照明は落ちていて、中にいる従業員や客は揃って気を失っている。先程外で見たものと同じ光景が広がる中で、上条は打ち止めを連れたままできるだけ奥の席へと足を進める。人目が多い場所に避難すれば殺される可能性も低くなると思って逃げてきたのだが、意識のある人間がまったくいないこの状況下では条件を満たせない。むしろ気を失っている分、上条の都合に巻き込んで彼らを傷つけてしまう恐れもある。

 とりあえずこの場を離れよう。

 打ち止めが手を掴んでいることを確認すると、周囲の安全を確かめてから身を屈めて自動ドアの方へと向かう。

 

 だが、その時だった。

 

 自動ドア付近の壁。待合用にソファが置かれている辺りの壁が、突然弾け飛んだのだ。けたたましい粉砕音が響き渡り、瓦礫が四方八方に飛散する。風穴が空いたことによって風雨が室内へと入り込み、レストランの床を濡らしていく。あまりにも突発的な事態に思考が停止していた上条は、視線を移動させていく内に穴の辺りに人影があることに気が付いた。

 雨に晒されながらレストラン内へと入ってくるその人物は、全身を奇妙な鎧のような衣装で固めていた。駆動鎧……にしてはあまりにもボディラインが細い。一切の無駄な装備を除去し、必要最低限のパーツで構成されたようなスマートな鎧だ。SF映画に出てきそうな外見のソレは、ギチギチと人工筋肉を鳴らしながら一歩ずつレストランへと足を踏み入れていく。床にばら撒かれた瓦礫を踏み砕き、機械的な規則正しいリズムで歩を進める。

 

(なんだ、あれ……)

(駆動鎧にしては随分とスマートすぎるかも、ってミサカはミサカは学園都市の科学技術の進みっぷりに驚きを隠せなかったり)

(いやいや、最先端技術の結晶みたいなやつが何言ってんの打ち止めちゃん)

 

 アホ毛をぴこぴこ動かしながら目を丸くする打ち止めにやんわりとツッコミを入れつつも、上条は目前に佇む正体不明の駆動鎧に驚愕を露わにしていた。これまでにも何度か学園都市が保有する駆動鎧を目にしてきた上条であるが、視線の先で壁を破壊して侵入してきたヤツのような駆動鎧は見たことがない。そもそも駆動鎧を動かすにはそれなりの機械回線と安全装置が必要不可欠なので、あのような痩せ形の駆動鎧を製作するのは至難の業のはずだ。現実的に言ってありえない形状をしている。

 黒塗りの駆動鎧はファミレスに入ってくると、何かを探しているような様子で視線をあちらこちらに彷徨わせている。タイミングから考えて十中八九上条の事を探しているのだろう。もしくは打ち止めか。どちらにせよ、自分達にとって敵であることに変わりはない。見つかる前にさっさとトンズラするべきだろう。生身の状態で勝負を挑んでも駆動鎧が相手となると勝ち目は薄い。あらゆる超常現象を打ち消す右手は機械に対しては滅法弱いのだ。

 そうと決まれば即行動。念のため打ち止めに逃げることを耳打ちすると、駆動鎧の死角へと回るべく中腰のままそそくさと足を動かす。できるだけ物音を立てないように心がけながら脱出を試みようとする上条だったが――――

 

「情けねぇなぁ上条。ヒーロー気取りの英雄さんはビビってかくれんぼ中か?」

「っ……!?」

 

 不意に放たれた声に、思わず足を止める。

 今の声は考えるまでもなく、駆動鎧を着用している人物が放ったものだろう。名前を知られているのは追手の連中が情報を確認した可能性があるから不思議でもない。やけに馴れ馴れしいのも、基本的に悪役なんてのは相手より上の目線で会話をしようとするという理由で説明がつく。魔術サイドの連中も揃ってそんな奴らばかりだったから、別段違和感もない。そもそも、上条が立ち止まった理由はそこじゃあない。

 聞き覚えがあった。暗闇に包まれるファミレス内に響き渡ったその声に、上条は完全に覚えがあったのだ。

 少し相手を小馬鹿にしたような、斜に構えたような喋り方。擦れたようなハスキーな声。独特な乱暴口調は、つい先日に突然休学するようになったスキルアウト所属のクラスメイトのものではなかったか。

 打ち止めをソファの裏に隠れさせると、上条は駆動鎧との距離を確認しながらゆっくりと立ち上がる。先程からほとんど動いていないらしく、駆動鎧は静かに佇んだまま上条の方に視線を向けていた。

 街灯の灯りがレストラン内を照らし、駆動鎧の装着者を徐々に照らし出していく。

 クセのない黒の長髪。中性的ながらも小生意気な笑みを浮かべた顔。低めの身長をした細身の少年。ゴツゴツとしながらもスマートな作りをした黒塗りの駆動鎧はまるで中世騎士が纏う甲冑の様。床に転がった無数の瓦礫の中央に不敵な笑みを湛えて佇むその少年の名は――――

 

「佐倉、望ッ……!?」

「よォ、久しぶりだな幻想殺し(イマジンブレイカー)。挨拶だが、ちょっくらここで死んでもらうぜ」

 

 第七学区スキルアウト所属、第三位の超能力者御坂美琴のパートナーであったはずの少年は、拳を固めて死刑宣告を行う。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 禁書目録とかいうけったいな名前を名乗った白い修道服のちびっこを病院に向かわせた一方通行は黒塗りのバンから降りると、街道に備え付けてある公衆電話へと足を運んだ。携帯電話を使って連絡するという手もあるが、木原数多が電波を辿って現在地を割り出す可能性を危険視しての選択だ。相も変わらず古めかしい公衆電話のテンキーを押すと、数回の呼び出し音の後に目的の人物が出る。

 ――――はずだった。

 

『はーいっ♪ もしもしこちら操祈ちゃんテレフォンアドバイスセンターだけどぉ、そちら第一位様の一方通行ちゃんで合っているかしらぁ?』

「……誰だ、テメェ」

『あらあらぁ、そんなに怖い声出さないでよ最強様ぁ。仏頂面に怒り指数がマックスで修羅も裸足で逃げ出すような鬼面状態よぉ? か弱い美少女視点から言わせてもらうと怖いの一言ねぇ』

「二度は言わねェ。さっさと名乗るかこのクソみてェな通話を終わらせろ」

『ぶぅー。せっかちな人はモテないゾ?』

 

 『きゃはっ☆』とあからさまに人を馬鹿にした笑い声で一方通行の神経を逆撫でする電話の声。打ち止めの携帯電話にかけたはずの通話に割り込んできたということはそれなりの技術を持った相手。しかも一方通行の事を知ったうえでまったく怯えた様子もない。さらに一方通行の表情を言い当てたことから、おそらくこの付近から彼を監視していることが窺える。

 

(クソッ、この忙しィ時にガキの遊びに付き合わせやがって……!)

 

 一刻も早く打ち止めの所に向かい、彼女を助け出さねばならないというのに。最善策としてはこのまま通話を中断して打ち止めの元へと向かうことだが、通話相手が一方通行の事を知っている以上無下にすると何をされるか分かったものではない。あくまでも最速かつ迅速に用件を聞き、打ち止めに電話を掛けた方が良いだろう。

 苛立ちを隠さない怒涛の貧乏揺すりで公衆電話内の床にヒビが入り始める中、電話の相手はどこまでも馬鹿っぽい喋り方でようやく名乗りを上げた。

 

『私は学園都市第五位の【心理掌握】……常盤台中学の女王こと食蜂操祈ちゃんよぉ。よっろしっくねぇ☆』

「……チッ。誰かと思えば、性根の腐った精神系能力者か」

『少なくとも貴方にだけは性根が腐ったとか言われたくないわねぇ』

「生憎と今の俺ァ虫の居所が悪くてよォ。あンまり舐め腐った会話続けるとテメェの脳髄が頭とサヨナラしちまうことになるぜェ?」

『短気なのは相変わらずねぇ。……用件というか、私から申し出たいのは協力要請よぉ』

「協力要請、だと?」

『そ。打ち止めちゃんと木原数多の居場所まで私がナビゲートする代わりにぃ、今後何かあったら助けてほしいって内容の協力要請ねぇ』

「……テメェ、どこまで知っている?」

『さぁてねぇ。でもまぁ、貴方にとっても私にとっても悪い話じゃないと思うんだけどぉ……どう思うぅ?』

 

 何故食蜂が打ち止めと木原の居場所を知っているかは分からないが、確かに悪い話ではない。二人の居場所が分からない現状で学園都市内を虱潰しにさがしていくのは骨が折れる作業だ。電極のバッテリーも十分ではない現状、時間を無駄に消費することはできることなら避けなければならない。万が一木原を見つけたとして充電切れでマトモに動けないなんていう展開にでもなった日にはお笑い草だ。本末転倒どころの騒ぎではない。

 懸念すべき点としては、食蜂が求める「助け」とやらがどこまでの範囲を含んでいるのかと言うことだが……一応は学園都市最強の名を冠している一方通行にとっては些細な問題だろう。打ち止めをいち早く助けることができるのならば、大袈裟に気にすることではない。

 答えはすぐに決まった。

 

「……分かった。条件を呑もォじゃねェか」

『わお。あっくん意外と話が分かるぅ~♪』

「馬鹿話は後にしろ。俺はテメェの提案を了承した。だったら次はそっちが俺の要望に応える番だ」

『はいは~い♪ それじゃあ今から貴方の携帯電話に直接電話を掛けるから、ちょっとだけ失礼させてもらうわよぉ』

「…………」

 

 何故彼女が一方通行の電話番号を知っているのかについては不毛すぎるので無視しておく。

 

『あ、そうそう。最後に一つだけ言っておくけどぉ』

「……なンだよ」

 

 電話を切る直前、食蜂は一方通行を呼び止めると軽い調子で忠告を始める。何の気なしに聞き流そうとする一方通行だったが、さらっと放たれた台詞の内容に一瞬で意識の興味を持って行かれてしまう。

 食蜂はキャハキャハ甲高い声で笑いながら、あまりにもさらりとこんなことを言った。

 

『あんまり欲張ろうとしないでぇ……今は木原数多を殺すことだけに専念した方が良いわよぉ?』

「……どォいう意味だ」

『どうせ貴方は「打ち止めを無傷で助け出す」と「木原数多を殺す」っていう二つの目的を同時に遂行しようとしているでしょう? そんなどっちつかずの考えだと、結局は一つも達成できないまま終わっちゃうわよぉ』

「この俺を誰だと思ってやがる。あンまりふざけたこと言ってるとブチ殺すぞクソガキ」

『その傲慢さが失敗を招くって言っているのよぉ。二兎追う者は一兎をも得ず。まずは目標を一つに定めることが成功の秘訣ねぇ』

「最近の中学生ってのは説教が好きらしィな」

『ま、どこぞのツンツン頭に影響されたのかもね。後は冥土返しから良い案を得られるかもだからぁ、そっちにも電話してみることをオススメするわぁ』

 

 『それじゃあ、また後でねぇ』最後までふざけた口調のまま通話を終える食蜂。無機質な電子音が鳴り続ける受話器を乱暴に叩きつけると、一方通行は闇夜にそびえ立つビル群を紅色の瞳で睨みつける。

 今の自分にできる最優先事項、それは……。

 

「……あぎゃは。そォだよなァ……考えてみりゃ、簡単なことだよなァ」

 

 冥土返しが勤務する病院の番号をプッシュしながら、一方通行は裂けた笑みを浮かべる。月も星も見えない土砂降りの学園都市。どす黒い雨雲に覆われた夜空を見上げる彼の眼には、殺意と憤怒の炎が見え隠れする。久方ぶりに思い出した、『殺害』への強い欲求。憎い相手をぶっ潰し命を奪いたいという至極原始的な欲望。

 再び受話器を耳に当て、一方通行は静かに決意する。

 

「ぶっ殺す」

 

 ――――怪物が、目を覚ました。

 

 

 

 

 

 




 月一更新になりつつある現状を打破したい今日この頃。
 試験期間に入るので更新遅れます(涙)


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第四十七話 主人公と脇役

 佐倉望。

 上条が記憶を失う以前からの友人、クラスメイトであり、夏には御坂美琴を助ける為に学園都市最強の超能力者である一方通行に戦いを挑んだ高校生。学園都市には掃いて捨てるほどいる無能力者の一人で、不良達が組織した武装無能力者集団の一員。御坂美琴に好意を持っている、少々不器用ながらも一生懸命な少年。

 そんなかつての級友が現在上条の目の前に敵として立ち塞がっている。

 

(どうなってんだ……!? なんでアイツが駆動鎧(あんなもん)を着て俺と打ち止めを襲ってくるんだよ!?)

 

 大覇星祭後に突然休学したことは知っていたが、まさかこのような形で目の前に現れるとは夢にも思っていなかった。確かにスキルアウト所属で少々気性の荒い面はあったが、それが学園都市の暗部組織である猟犬部隊と関わるほどかと言われると答えは間違いなく否だ。不良ながらに優しさと真っ直ぐさを持ち合わせていたはずの佐倉が、何故。

 

「どうした、上条さんよぉ……敵を前にして足を止めるなんて、テメェらしくねぇじゃねぇか……」

「佐倉! なんで……なんでお前がこんなことしてんだよ!」

「はぁ……?」

「大覇星祭での騒ぎの後に急に休学して、久しぶりに会ったら襲撃者だなんて……どうしちまったんだよ! お前はいつも御坂の為に信念を曲げない立派な奴だったじゃないか! それが、どうして……!」

「……テメェ(ヒーロー)には、(脇役)の気持ちなんか分かんねぇよなぁ」

「は……?」

 

 不意に放たれた低く重々しい呟きに上条は思わず言葉を止める。

 黒塗りの駆動鎧に身を包んだ佐倉は湧いてくる嫌悪感と怒りを隠そうともせず、顔中を不気味に歪ませながら上条へと言葉を放つ。

 

「何をやってもうまくいかねぇ。どれだけ努力しても結果が実らねぇ。俺達脇役ってぇのはな、血反吐吐くほどもがいても最終的にはテメェみてぇなヒーローに全部持ってかれちまうんだよ」

「佐倉。お前何を言って……」

「絶対能力者進化実験の時もそうだ。先に一方通行に挑んだ俺は無様に負けて、最後に勝ちを持って行ったのはテメェだったよな? 傷だらけで半殺しにされても頑張った俺の努力を、全部掻っ攫っていったのはテメェだったよなぁ?」

「掻っ攫うとか手柄とか、そんな小さいことを今更気にしてんのか……!? お前にとっちゃあの時の戦いは、御坂を助けることよりも手柄の方が大事だったって言うのかよ!」

「御坂美琴を助けられた。それはそれで嬉しかったさ。元々そういう目的で一方通行に喧嘩売ったんだもんな。嬉しくねぇわけねぇさ」

「だったら……」

「でもな」

 

 上条の反論を言葉を挟むことで妨害する佐倉。ピリピリとした緊張感が走る空気の中、彼は上条を見据えて一人佇む。暗闇に打ち止めが喉を鳴らす音がやけに響いた。

 佐倉は一度大きく息を吸うと、溜まりに溜まったあらゆる負の感情を押し出すように我武者羅に吠える。

 

「どうせテメェが助けるのなら、最初から俺なんて必要なかったってことじゃねぇか!」

「っ!?」

 

 腹の底――――いや、心の奥底から絞り出された佐倉の本音に上条は思わず肩を震わす。今までそれなりに長い間彼と共に過ごしてきた上条ではあったが、ここまで真っ直ぐとした彼の言葉を聞いたことはなかった。常に一生懸命で馬鹿正直に美琴のために奔走していた彼が抱えた心の闇。今の叫びこそが、彼が隠してきた本当の気持ちなのだろうか。

 雨の音をかき消すように、溜まった鬱憤を吐き出すように、佐倉は喉を震わせて上条に本音をぶつける。

 

「大覇星祭のときだってそうだ! 俺は美琴を、そしてミサカを助ける為に命を賭けて戦った! だけど、最後にアイツらを助けたのはやっぱりテメェだったんだ! 無様に操られて先輩達にさえ迷惑をかけちまった俺は結局無力な脇役で、表だって皆を救うのはいつだってテメェだ!」

「違う! 俺が御坂達を救えたのは、軍覇達の協力があったから……」

「俺だって協力ぐれぇはあったさ! 美琴を守れるだけの力を手に入れる為に暗部なんていうクソの掃き溜めみてぇな地獄に飛び込んで、今まで数えきれねぇくれぇ人も殺して! 足掻いて足掻いて足掻いて足掻いてっ、足掻きまくった結果がこれだ! テメェが生きてきた人生なんかより何百倍も薄汚ぇ修羅場を何度も潜ってきたって、最後にはテメェに全部持ってかれちまうんだよ! なんでか分かるか!」

「それは……」

「テメェは人々を救う英雄で、俺はソイツの活躍を指を咥えて眺めることしかできねぇ脇役だからだよ! いつだって主人公はテメェだ! 何が無能力者だ。何が俺と変わらねぇだ! 奇妙な右手を生まれ持ったテメェと何の能力もねぇ俺なんかが同列なわけがねぇだろうが!」

「何言ってんだよ……今更そんなこと言ったって、仕方がないだろ!」

「あぁそうさ! 俺が今漏らしてんのはただの僻みでしかねぇ! 妬んで嫉んで僻んで羨んだ結果出てきた雑魚の弱音でしかねぇよ! だがな上条。コイツは俺だけの怒りじゃねぇ。この学園都市に燻るすべての無能力者が抱える心の闇だ!」

「心の、闇……」

「どれだけ努力しても力なんて手に入らねぇ。足掻くことを諦めた俺達の前を偉そうに走っていくのがテメェら能力者だ! 俺達無能力者がどれだけ手を伸ばしたところで、結局テメェらみてぇな勝ち組に全部搾取されちまうんだよ! 覚えがねぇとは言わせねぇぞ、上条!」

 

 息を切らせて捲し立てる佐倉の言葉に押し黙る。

 確かに、上条にも覚えがないわけではない。一番記憶に新しいのは、大覇星祭の棒倒しだ。能力が低いと言うだけで他校の教師から落ちこぼれ扱いされ、担任教師である月読小萌を泣かせてしまった。能力強度の高いエリート達にとって、上条達無能力者や低能力者なんてものはただの見下す対象でしかない。過去に頻発した無能力者狩りなんていうのも、元を辿ればそういった差別意識から始まったものなのだろう。能力強度であらゆる身分、扱いが決まる学園都市の中では、能力カースト制が顕著に表れる。佐倉の言う通り、この街に住む無能力者の大部分は高位の能力者に対して憎悪に似た感情を抱いていると言っても過言ではない。

 そして、上条が今まで佐倉の手柄を横取りしてきたというのもあながち間違いではない。【キャパシティダウン】なんて代物を使ってさえも一方通行に勝てなかった佐倉。一方で、「あらゆる異能の力を打ち消す右手」を持っていたから一方通行を相手に勝利を掴むことができた上条。共に無能力者という括りである彼らに差がついたのは、どう考えても【幻想殺し】の有無だ。

 インデックスを【禁書目録】の呪縛から解き放ち、御坂美琴を実験の罪悪感と地獄から救い、大覇星祭では木原幻生によって無理矢理絶対能力者へと昇華されつつあった彼女をこの手で助け出した。魔術側との戦いで救った人も数えきれない程いる。どれだけ窮地に陥っても、上条当麻は己の右手を頼りに諦めずに乗り越えてきた。

 【物語の主人公】。まさにそう呼ばれてもおかしくない程の偉業を彼は成し遂げてきた。

 対して、佐倉望はどうだろうか。

 能力を夢見て学園都市に移り住んだにも関わらず、努力虚しく突きつけられた【無能力者の烙印】。自暴自棄になって武装無能力者集団なんてものに所属した彼が新たに手に入れた希望の光である御坂美琴のために命を賭けて死闘を繰り返したが、最後には力及ばず舞台から強制的に下ろされる。愛する女性を守る事すら叶わず、様々なものを奪われて。それでも最後に示された可能性に縋って学園都市暗部の世界に身を落とし、数えきれない程の命を奪い続けたにも関わらず、美琴を救いだすどころか逆に洗脳されて尊敬する先輩達にまで迷惑をかけてしまった。終いにはすべてを捧げてきた本人から心無い言葉を浴びせられる始末。

 たった一つの信念さえも無残に打ち砕かれた佐倉の気持ちを、上条が理解できるわけもなかった。

 

 ――――だが、それでも。

 

「ふざけんなよ……!」

 

 打ち止めをソファの裏へと隠し、上条はゆっくりと立ち上がる。

 新型の駆動鎧に包まれた佐倉が浮かべる怪訝そうな表情にまったく動揺を見せず、上条は視線の先に佇む友人をじっと見据えた。

 彼が漏らした言葉に、佐倉は眉を跳ね上げる。

 

「テメェ、今なんて言った」

「ふざけんなって言ったんだよ、この馬鹿野郎が……!」

 

 腹の底から絞り出すように、上条は叫ぶ。

 

「さっきから黙って聞いていれば、グダグダとくだらない愚痴を吐き続けやがって! 何が妬みだ。何が心の闇だ! 結局テメェが言ってんのは、物事がうまくいかなくて泣き叫んでいるガキの駄々だろうが! テメェの失敗を他人のせいにしてんじゃねぇよ!」

「なんだと……!? 最初から主人公だったテメェに、いったい俺の何が分かるってんだ!」

「主人公とか脇役とか、そんなくだらねぇものにしがみ付いている時点でテメェは終わってんだよ! 自分で勝手に役付して、自分で勝手に限界を決めて。『自分は脇役だからどうせ何をやっても失敗する』なんて斜に構えてっから何もできないんだ! 最初から諦めているから、途中で投げ出しちまうんじゃないのかよ!」

「仕方ねぇだろ! 地べたを這いずりまわっても叶わなかったんだ! 自分のすべてを犠牲にしても、俺はたった一つの信念さえ守れなかったんだ! 諦める以外に、どうしろって言うんだよ!」

「たった数回失敗したくらいで折れてんじゃねぇ! 十回駄目だったら百回やり直せばいい。百回駄目だったら千回挑戦すればいい! いつか来る成功を夢見て、我武者羅に努力していけばいいじゃねぇか!」

「はっ! そんなもん成功者の余裕な論理でしかねぇな! テメェにとっちゃ小さい失敗かもしれねぇがな、俺達にとっちゃ人生が壊れるほどの大失敗なんだよ! 何もできずに目の前ですべてを奪われる弱者の想いが、奪う側のテメェに分かるワケがねぇよなぁ!」

「だけど、あの時お前は満足していたはずだ! 御坂の日常を守れたことに、お前は誰よりも喜んでいたはずだ!」

「あぁ、そうだな。アイツの日常を守ったのがテメェじゃなくて俺だったならなぁ!」

「佐倉……!」

 

 届かない。

 上条の言葉が、想いが、叫びが、佐倉にはまったく届かない。今まで多くの人を助け、救ってきた上条の言葉が、どうしても佐倉にだけは届かない。

 おそらく、佐倉望は自分の中で完結してしまっているのだろう。挫折と失敗に翻弄されていく中で、彼は自分なりの答えを既に出してしまっているのかもしれない。

 正の感情にしろ負の感情にしろ、自分の中に強い芯を持っている人間は基本的に他人の言葉に惑わされない。今まで個としての信念が希薄であった佐倉は多くの他人に翻弄され、他者の言葉に揺らぎ続けてきた。常に誰かの言葉に従い、その結果として失敗を繰り返してきた。数えきれない程の挫折を味わった彼は、これまでの人生で自分の核というものを手に入れてしまったのかもしれない。

 【自分は主人公にはなれない】という考えに、彼は縛られてしまっている。

 

(俺じゃ役不足だ……!)

 

 いくら仲の良い友人だったとはいえ、上条は佐倉にとってはただのクラスメイトでしかない。彼から悩みを聞かされるような仲でもなければ、命を預け合うような戦友でもない。どこにでもいるような友人で、どこにでもあるような友情だ。上条当麻とは、佐倉望にとってはその程度のちっぽけな存在でしかない。

 佐倉を止められる人に心当たりはある。というか、そのたった一人のとある人物しか思い浮かばない。おそらくは佐倉の中で最も大きな存在であり、彼が誰よりも想いを向けている彼女しか。彼の心を動かせるのは、おそらくあの少女しかいない。

 だが、彼女を巻き込むのは気が引けた。佐倉が姿を消したことでただでさえ傷心気味の彼女を戦場に巻き込むのは、果たして正しい選択と言えるのか。自分にはできないからって、年端もいかない少女に押し付けても良いのか。上条の良心と罪悪感が、彼女を巻き込むことを遠慮させたのだ。

 しかし、今回ばかりはその考えが彼の【驕り】となった。なまじ今まで様々な事件を自分で解決できていただけに、上条の頭の中には『誰かに頼る』という選択肢がごっそり抜け落ちていたのだ。

 『主人公』だからこそ、上条は『脇役』を相手にした時に効果的な選択肢を失ってしまう。

 

「……御託を並べるのは、もう終わったか?」

「ま、待て佐倉! 俺の……俺の話を聞いてくれ!」

「これ以上の会話は無駄だ。テメェの考えは俺の考えと相容れねぇ。所詮テメェは主人公で、俺は十把一絡げの脇役だ。取るに足らねぇちっぽけな俺の気持ちを理解できねぇ時点で、テメェの言葉が届くワケがねぇんだよ」

「こんなことをして御坂が喜ぶのかよ!」

「テメェは馬鹿か? そもそも俺の中でアイツは既にその辺の一般人と変わりねぇとこまで小さくなってんだ。今更あの第三位がどう思うとか気にするはずねぇだろ」

「だったら……」

「諦めろ。もうテメェに俺を止められる可能性はねぇよ」

 

 軽く息を吐きながら肩を竦める佐倉。心底小馬鹿にしたような表情で嘆息すると、首の関節を鳴らしてゆっくりと姿勢を低くする。さながらスタート前の陸上選手のように、右足を下げた体勢で床を踏みしめている。

 

「テメェはまだ話し足りねぇみてぇだが、残念ながらこっちにゃ任務があるんでな。そこに隠れているクローンを掻っ攫って、木原のおっさんに引き渡さなきゃなんねぇ」

「お前……この子は御坂のクローンだぞ!? 【妹達】の一人じゃないか! 守るべきじゃないのかよ!」

「あーあーうるせぇ。今更遅ぇ。遅すぎる。今の俺を過去の俺と思っている時点で、テメェの考えは時代遅れなんだよ」

 

 ギチギチ、と鈍い音と共に人工筋肉が伸縮する。どれだけのスピードが出るのか。新型駆動鎧の性能が分からない上条はその音声だけで恐怖を覚える。

 いくら上条が奇妙な右手を有しているとはいえ、駆動鎧を纏った佐倉に勝てるとは限らない。いや、おそらくは勝てないだろう。未知の異能ではない純粋な科学力を前にした時、上条は無力と言っても過言ではない。手から出した炎を消せても、振り回された鉄塊を防ぐことはできないのだ。

 まずい。背筋に悪寒が走る。効果的な打開策はまったく浮かばない。最善策としては打ち止めを逃がすことだろうが、このままでは自分がやられてすぐに捕まるだけだ。駆動鎧を相手に善戦できる自信はない。

 詰まる所、万事休すだ。

 

「それじゃあ、あばよヒーロー!」

 

 けたたましい破砕音の直後に弾丸の如き速度で一気に上条との距離を詰める佐倉。右手は既に引き絞られていて、今すぐにでも上条の顔面を吹き飛ばせる姿勢だ。対する上条はあまりのスピードと衝撃に腕を掲げることもできないまま呆然と立ち尽くしている。

 

「上条当麻、避けて!」

 

 打ち止めの悲痛な叫び声がやけに鮮明に耳を打つ。

 徐々に視界の中で大きくなる黒塗りの拳。指一本動かすことは叶わず、上条は刻一刻と近づく死を待つことしかできない。

 一陣の風が空気を切り裂く。耳をつんざくほどの騒音がガラスを破壊し、想像を絶する勢いの衝撃波がレストランを揺らした。

 

 

 

 

 

 



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第四十八話 介入、そして離脱

 一陣の風が吹き抜ける。

 窓ガラスを吹き飛ばし、レストランを揺らすほどの衝撃波が巻き起こる。ズゥゥン、と唸るような地響きがやけに鼓膜を震わせた。

 そう。

 上条の(・・・)鼓膜を震わせた。

 

(なん、だ……?)

 

 想像していた痛みがやって来ない。人知を超えた速度の攻撃だから痛覚すら反応しなかったのかと一瞬考えたが、未だに意識が顕在していることがそもそもおかしい。しかし音速にも届きそうな駆動鎧の攻撃を上条が防御できる可能性は限りなくゼロで、何故自分はまだ生きているのか彼にはまったく理解ができない。

 

「……理解、できねぇな」

 

 声が響いた。少し擦れた、ハスキーな声。疲れ切ったような声色のソレは、上条のクラスメイトである佐倉望のものだ。ある日を境に暗部に堕ち、上条達の前から姿を消した友人。そして、現在は新型の駆動鎧を身に纏って上条と打ち止めの前に立ちはだかっている襲撃者。そんな佐倉の声が。目の前の現象を把握できていないような上擦った声が、静まり返ったレストラン内に反響する。

 現状が理解できない上条は純粋に首を傾げる。数秒遅れて、それは自分が目を瞑っているからだということをようやく自覚すると、目の前の光景を目視するべく恐る恐る瞼を上げた。

 同時に、佐倉の声が放たれる。

 

「なんでテメェがここにいる」

 

 ――――上条の目の前に、セーラー服を着た長身の少女が立っていた。

 佐倉と上条の間。まるで佐倉の攻撃から上条を守るかのように――――いや、佐倉の拳を自身が持つ日本刀で防いでいることから、ほぼ確実に守ってくれたのだろう――――立っているその少女は、上条の知り合いである天草式の女教皇にどことなく似通った雰囲気を持っている。

 亜麻色の髪を後頭部で括ったポニーテール。白を基調としたセーラー服に、紺色のスカート。やや色白な印象を抱かせる長身かつ華奢な少女。背後からはよく顔を視認することはできないが、見える範囲で判断すると結構な美少女であることが分かる。 

 佐倉の台詞を聞くに、どうやら彼の知り合いらしいが。唐突に目の前に現れた謎の少女に呆気にとられる上条。

 

「……逃げ、て」

「は……?」

 

 不意にかけられた言葉に思わず声を漏らす。あまり話すことに慣れていない様子の引っかかるような話し方の少女は、佐倉の拳を切り払いながら再び上条に声をかける。

 

「ここ、は……私に任せ……て。貴方、は……その子を連れ、て……早、く、逃げ……て」

「な、何言ってんだアンタ! 女の子一人に任せて逃げるなんて、そんなことできるわけが……!」

「いいから!」

「っ!」

 

 まさか怒鳴られるとは思っていなかった上条は彼女の威勢に軽く仰け反ってしまう。

 日本刀を構え直すと、彼女は先程よりも数段殺気を纏わせた状態でゆっくりと息を吐いた。

 

「私な、ら、大丈、夫……。これで、も……大能力者だか、ら」

「けど……」

「今の最優先事項、は……そのクローンを、逃がすこ、と。だから、逃げて」

「……アンタ、名前は」

「……桐霧、静。御坂美琴の、友達」

「っ……そうか。御坂の友達なら、安心だ」

「その子を、お願……い」

「おう! お前も死ぬなよ、桐霧!」

「ちっ……逃がすかよ!」

「やらせ……ないっ!」

 

 打ち止めを脇に抱えてレストランから外に飛び出す上条。標的を逃がすまいと慌てて追撃に移ろうとする佐倉だったが、その行く手を桐霧が封鎖する。即座に回り込むと、佐倉の腹部に向けて日本刀を横薙ぎに振り払う。

 【限界突破】によって底上げされた筋力に押され、佐倉は五メートルほど後方に吹っ飛んでいく。

 

「クソッ……死に損ねぇが、余計なことしやがって……!」

「私を助けたのは、貴方……。だか……ら、私も。貴方を……助け、る!」

「テメェ……! それ以上ふざけた真似できねぇように今度こそぶっ殺してやる!」

 

 二度目の剣戟が、拳撃が、衝撃波と共に激突する。

 

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 とある喫茶店の中。ビルの五階に最近オープンしたばかりの、夜景が綺麗という謳い文句で評判の喫茶店で、食蜂操祈は優雅に足を組んで座りながら無線機を手にしていた。

 

『【第三女王】が佐倉望と交戦状態に入ったようだ。【幻想殺し】と【最終信号】を逃がすことには成功。まぁ、及第点というところだが、任務は達成したようだぞ』

「さっすが、【第三女王】は遂行力が違うわねぇ。自己顕示欲力の強いどこぞの【第二女王】にも見習ってほしいところだわぁ」

『ふん。我儘で悪かったな。そもそも闇の血族の末裔である我にはこういう作業は向かんのだ。もっとこう、血沸き肉躍る惨劇をだな……』

「焼肉食べ放題にでも行けばいいんじゃないかしらぁ? あ、でもぉ、最近下腹部の贅肉力が気になるんだっけぇ? あははっ、ごっめんねぇ」

『貴様……あまり我を嘗めていると夜中に下痢が止まらなくなるぞ……!』

「え、なにその地味に怖い作用」

『覚えておけよ、下痢ピー操祈……』

「だっ、誰が下痢ピッ……って、こらぁーっ! 返事しなさぁーいっ! リリアーンッ!」

 

 顔を真っ赤にして叫ぶ食蜂を小馬鹿にするように鳴り続ける無機質な電子音。プルプルと怒りで震える彼女は荒々しく無線機を鞄の中に突っ込むと、怒りを隠そうともしないまま乱暴に自身の金髪をかき乱す。

 

「むきぃーっ! あの邪気眼娘、いつか絶対痛い目に遭わせてやるわぁ……!」

「アリャリャ。どうやら随分と怒っているようだネ食蜂」

「ニヤニヤと嫌悪力丸出しな笑顔浮かべているんじゃないわよ警策さん……」

「ニャハハ。ごめんごめん。食蜂がブーたれているのが可愛らしくてねー」

「むぅ……」

 

 ケラケラと腹を抱えて笑う黒髪の少女にふてくされた顔を向けるも、霧ケ丘付属中学校の制服を身に纏った彼女がの笑いはいっこうに収まる様子が無い。鼻に貼られている絆創膏を目がけて引っ叩いてやろうかと一瞬画策する。

 

「わざわざ防腐力のあるファッション用の絆創膏作って鼻に貼っている痛々しい女の子に笑われちゃあ私もお終いねぇ」

「ヘッヘーン。コレはドリーが『カッコいい!』って褒めてくれたからいいんだもんねー!」

「子供ねぇ。人から賞賛されたからって変えようとしないのは改変力がない証拠よぉ?」

「そんなこと言ったら食蜂だって、ドリーに頼まれてからパジャマがゲコ太一色に……」

「警策さぁああああん!? 余計なことを言うのは節操力のないこの口かしらぁあああああ!?」

「いひゃぁぁああ! ひょひゅひょう、いひゃいひょおお!!」

 

 先程とは違う羞恥心的な意味で顔を真っ赤に染めた食蜂に両頬を容赦なく引っ張られる絆創膏の少女。警策と呼ばれている彼女は彼女の凶行に涙を浮かべながらも、どこかこの取っ組み合いを楽しんでいるような笑みを浮かべている。

 そんな彼女の名前は警策看取(こうざくみとり)。かつて大覇星祭の際に起こった事件において、御坂美琴や白井黒子と戦った能力者だ。

 『ドリー』という訳ありな少女の為に黒幕である木原幻生と協力関係にあった彼女ではあるが、事件解決後の現在は件のドリーと二人で仲良く寮暮らしをしている。暗部関係の人間として行動していたせいで書類上は故人とされていたのだが、そこは学園都市内でもかなりの影響力を持つ【冥土返し】と第五位である食蜂が色々とコネやら能力やらを総動員して普通の生活ができるように手配をしたのだ。今ではすっかり普通の女子高生として楽しい日々を送っている。

 だが、そんな警策が何故今回食蜂と共に行動しているのか。

 その理由は、意外にもシンプルなものだった。

 

「でもまさか、ドリーの方から佐倉クンを助けるように頼まれるとは思ってなかったわぁ」

「イテテ……はぇ? 今更何言ってんの食蜂」

「んー? いや、今回の【クイーンズ】にわざわざ警策さんが関わることはなかったでしょうにねぇって思っただけよぉ」

「それはそうだけどサ。でもま、ドリーに頭を下げられちゃ断ることもできないってわけだヨ。いやぁ、私って友達思いだなぁ」

「……人柄と胸囲は比例しないみたいねぇ」

「年下のくせに生意気だネこの牛乳女は」

「年上のくせにまな板なのもどうなのかしらねぇ」

「アハハハハハハハ」

「うふふふふふふふ」

 

 バチバチバチッ! と不可視の火花が両者の間で激しく飛び散る。片や精神操作系最高の超能力者。片や学園都市でも珍しい液体金属を自由に操る大能力者。少しでも能力を行使すればそれなりに周囲に被害を及ぼす二人が現在、女性の胸部的理由で青筋を浮かべて睨み合っている。一応は警策の方も標準くらいのサイズを誇っているにもかかわらず、比較対象が年齢不相応のバストをお持ちの常盤台の女王であるからわけの分からない結果となっているのだ。もはや同年代とは思えない目の前の巨乳女に敵意さえ剥き出しにする警策。

 

「……ソロソロ食蜂とは決着をつけないといけないナァとは思っていたんだよネ……」

 

 ビキリと青筋を浮かべた警策は太腿の辺りに手を伸ばすと、ホルダーに差してあるサバイバルナイフを手に取ってニコリと引き攣った笑みを浮かべる。

 

「あら奇遇ねぇ。私としてもぉ、色々な意味で女子力が足りない警策さんにはそろそろ引導を渡してあげないといけないかなぁって思っていたところよぉ?」

 

 対する食蜂も冷ややかな凍りつくような笑みを顔全体に張り付けて、肩から提げた鞄から愛用のリモコンを取り出す。汎用性が高すぎる能力を正確に使用するための道具なのだが、食蜂はリモコンを構えると相変わらずの優雅な動作で椅子から腰を上げる。

 

 ――――絶対に負けられない戦いがここにある。

 

「……せっかく戦うのだから、勝者には豪華賞品をプレゼントしましょうかぁ」

「ソレジャ、見事勝利を掴み取った方はドリーと一日デートをする権利を与えよっか」

「いいわねぇ。ますます負けられなくなったわぁ」

「ヘヘッ、洗脳能力だけで私に勝てるなんて思わないことだネ!」

「警策さんこそぉ、その悪趣味な水銀人形に頼りっきりじゃ駄目なんじゃないのぉ?」

「……いくヨ」

「いつでもいいわよぉ」

 

 ジリ、と同時に摺り足で相手の様子を窺う。少しずつ、円を描くようにゆっくりと移動しながら相手の隙を狙う二人。食蜂の場合はボタン一つでどうにかなるはずなのだが、彼女の中でどういう葛藤があったのかすぐには勝負を決そうとはしないようだ。

 喫茶店内に緊張感が走る。少しでも無駄な動きを見せた方が敗北。一瞬の隙が命取りになるこの状況で、お互いにどのような一手を繰り出すのか……。

 

「…………」

「…………」

 

 相手の一挙手一投足に全神経を研ぎ澄ます。じわりと滲む汗がもはや気にならないくらいの緊迫感に支配された二人はほぼ同じタイミングで生唾を呑み込むと、軸足を踏み込んで一斉に飛び出し――――

 

「あーっ! やっと見つけたっスよ食蜂操祈! 垣根さんからの連絡でいろいろ邪魔しているらしいアンタを今ここでぶっ殺して――――」

『うっさい! 邪魔!』

「へ? ぎゃぶるちっ!」

 

 突然喫茶店に突入して来た土星の輪のようなゴーグルを頭に被った青年を水銀人形がぶっ飛ばすと、怒りに燃える食蜂がゴーグル少年のあらゆる記憶の改竄を行った。

 

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 御坂美琴は混乱していた。

 吹寄制理と出会い、他愛もないガールズトークに花を咲かせていた美琴達だったが、さすがにこんなことをしている場合ではないことにようやく気がつくと、慌ててそれぞれが求める少年達の捜索を再開。一時間ほど学区中を走り回ったものの、結局手がかりさえ見つけられない始末。何一つ進展がない泥沼の状況に、美琴と吹寄は疲労の色を浮き彫りにしていく。

 そんな中、彼女達は脇目も振らずに雨の中を走っていく二つの人影に遭遇した。

 一人は科学絶対主義の学園都市では似合わない純白の修道服を着た銀髪の少女。あちこちを安全ピンで補強した針のむしろ状態の修道服で夜道を走るその少女は、例のツンツン頭の少年といつも一緒に行動しているインデックスとかいう名前だった気がする。自分の事を『短髪』なんていう失礼な名称で呼んでくるちびっこが、何やら必死の形相で学園都市の中心付近――――正体不明の光が幾本も発生している方に向かって小さな足をせかせかと動かしている。

 そしてもう一人はというと、吹寄が夕方から捜索していたツンツン頭の少年、上条当麻その人だ。

 何やら身体中傷だらけで満身創痍の様子ながらも、彼はインデックスと同様に空に向かって乱雑に伸びる気色悪い光の物体に向けて走り続けていた。脇目も振らず、一心不乱に。だが、どこか焦ったような様子があるのは何故だろう。

 その理由はすぐに分かった。上条を追うようにして、彼の後方から何人もの黒ずくめの集団が姿を現したのだ。手に機関銃やらアサルトライフルやらを持った彼らは軍用の防具に身を包んで、なりふり構わず逃げる上条に銃口を向けて狙いを定めている。武器も持たない普通の一般人相手に武装した集団が襲い掛かるとか、いったいどこのB級映画だ。

 

(あぁもう、なんだってんのよ……)

 

 静かに怒りがふつふつと湧く。明らかに事態に置いてけぼりにされ、何も理解できないままに騒動に巻き込まれている現状に、美琴は八つ当たりにも似た感情を密かに覚えていた。そして結局、騒動の中心にはまたいつものウニ頭がいることにも呆れるしかない。あのバカはいったいいくつ修羅場を乗り越えれば気が済むのか。

 やれやれ。徐々に臨界点を突破していく怒りを抑えつけることもせず、美琴はスカートのポケットからゲームセンターのコインを取り出すと――――

 

 

「少しは私にも説明ぐらいしなさい! この馬鹿野郎共がぁあああああああああああ!!」

 

 

 上条を追う黒ずくめの集団目がけて、【超電磁砲】を容赦なくぶっ放した。

 唐突に放たれた力の奔流に、【猟犬部隊】の面々は何の抵抗もできずに呑み込まれていく。舗装された道路を削り取る程の勢いで発射されたコインは凄まじい衝撃波を発生させ、彼らを容赦なく宙に巻き上げた。パラパラと細かく削れたアスファルトが地面に落下する中で、美琴は呆気にとられて立ち止まっている上条とインデックスを睨みつけると、鬼の形相で二人を怒鳴りつける。

 

「手伝ってあげるから、今この街で起こっていることを一から十までしっかり全部私に説明しなさい!」

 

 背後に般若のオーラを纏わせて仁王立ちする美琴を前に、二人は冷や汗を浮かべながら素直に頷いた。

 

 

 

 

 

 




 物語が進まないナァ


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第四十九話 因縁、再び

 とりあえず、本編をどうぞ。


 ――――ガインッ!

 

 夜の帳。漆黒の闇に吸い込まれる、激しい剣戟。拳戟。

 駆動鎧に身を包んだ少年が拳を振るえば、セーラー服姿の少女が刀身を靡かせる。飛び散る火花。響く金属音。何者かの手によって物言わぬ人形と化している民間人を他所に、二人の狂戦士は互いの武器をぶつけ合う。

 拳と刀。武器のリーチ、有利性は火を見るよりも明らかだ。無手は武器に比べると威力と殺傷性において著しく劣る。骨と鉄は、比べるまでもない。

 だが、それはあくまでも本人が生身である場合だ。

 学園都市警備員開発部が計画し、暗部研究班が総力を挙げて完成させた新型駆動鎧。従来のものに比べると機動性、俊敏性が上昇し、よりスマートな戦闘ができるようになった。かつては図体の大きさで力押しするだけだったが、人工筋肉の発達とバネの応用によってさらに効率的に威力を上乗せできる。

 まさに、人を殺すための鎧。

 

 民衆を守るために作られた兵器の、なれの果て。

 

 上段から振り下ろされた刀を右腕で防ぐと、振り払う勢いを利用して横腹への蹴撃。ミシ、と鈍い音と共に吹き飛んでいく桐霧。最新型の兵器が放つ攻撃は、彼女ごとレストランの壁を粉砕する。

 ゴッ! と、けたたましい粉砕音。

 突如開かれた風穴から、しとしとと雨が降り注ぐ。

 水が溜まったアスファルト。歩道の中心で、少女は膝をついていた。

 

「……クソが」

 

 思わず漏れ出る、苛立ちの声。

 しぶとい。しつこい。鬱陶しい。

 人間一人くらいであれば一撃で殺せるはずの兵器を操っていながら、目の前の少女一人殺せない事実に腹が立つ。たとえ彼女が奇妙な能力を持っているせいだとしても、自らの実力不足を痛感してしまう。

 弱い自分を。

 能力(チカラ)のない自分を、嫌と言う程自覚してしまう。

 

「……優しい、ね」

 

 不意にかけられた声に、佐倉は思わず顔を上げる。

 視線の先。先程まで片膝をついていたはずの少女が、日本刀を杖代わりにして荒い息をついている。

 

「キミ、は……本当、に、優しい……ね」

 

 ゆっくり、ゆっくりと。 

 まるで母親が我が子に言い聞かせるように、じっくりと。

 いやに透き通った彼女の声が、佐倉の鼓膜を震わせる。

 

「なんだ、と……?」

「佐倉、は……優しい、よ……?」

 

 何を言っている?

 ナニヲイッテイル?

 唐突な戯言だと思った。頭がおかしくなっただけかと思った。……いや、現に目の前の女は狂っているのかもしれない。

 だが、今この少女は何と言った?

 佐倉は優しい(・・・・・・)と、そう言ったのか?

 ありえない。馬鹿馬鹿しい。なによりもまず、意味が分からない。

 自分を殺そうとしている相手にぶつける言葉ではない。

 驚愕に目を見開く佐倉を前に、桐霧は立ち上がる。限界を迎え始めているのか、大仰に両肩を上下させながら。満身創痍な状態に似合わない、澄んだ凛とした瞳で。

 

「前に、も……言ったよ、ね」

「何……?」

「私と貴方、が……初めて、会った……あの日、に」

「……覚えてねぇな」

「本当、は……誰かを殺したく、ないんで、しょ……?」

「っ!」

 

 以前。九月前半の、大覇星祭前。

 カレッジとスクールが衝突した、第一学区での抗争。能力者データバンクの第四通路で巡り合せた佐倉と桐霧。美琴の為と自身に言い聞かせて戦闘を行う佐倉に対し、桐霧が言い放った台詞が前述のものだ。

 暗部に向いていない。

 そんなことをしても誰も救われない。

 我武者羅に、ひたすらに力を求める佐倉を、桐霧は無理をしていると評価した。

 無能力者故に力を求める道を選んだ佐倉に対して、やり方を間違えている、と彼女は酷評した。

 ズキン、と。

 佐倉の中で、何者かが叫ぶ。

 

「空しい、よ。力だなんて、そんなもののため、に……命を捨ててま、で……そんなの、空しい、よ……」

「……うるせぇんだよ、クソッタレが」

「佐倉……?」

「横からゴチャゴチャ口出してんじゃねぇよ、クソ」

 

 憐憫の視線を向けてくる彼女を見ていると、無性に苛立ってくる。何故か自分が、情けなく思えてくる。

 これ以上耳を貸したくなかった。無理矢理入り込み、説教じみた戯言を中断させる。勘違いした馬鹿女を黙らせるために、佐倉は自ら口を開く。

 向ける感情は、嫉妬と憎悪。

 

「テメェらに俺の何が分かる? 無能力者で、周囲から蔑まれて、社会の底辺で這いつくばっていた俺の気持ちを……大能力なんていう恵まれた能力授かったテメェが、どうして分かるってんだ?」

「人間の、価値、に……能力強度、は……関係、ない」

「いいや、関係あるね。研究所暮らしのテメェは知らねぇだろうがな、学園都市(この街)には、テメェが思っているよりも遥かに醜くてくだらねぇ能力差別が蔓延ってんだ! 上位能力者がデケェ顔して、無能力者が怯えて暮らすようなクソッタレな社会差別がよ!」

「社会、差別……」

「能力強度は関係ない? ハッ、よくもまぁそんなお子様レベルの綺麗事を吐いたよな。世の中を知らねぇ平和ボケしたガキの言い分だぜ、それはよ!」

 

 困惑の表情を浮かべる桐霧に向けて、ありったけの感情を込めた叫びをぶつける。自分の中で徐々に大きくなる【何か】を誤魔化すように……膨らみ続ける【違和感】を押し殺すように。佐倉望は、憤怒と嫉妬に心を預ける。

 彼が武装無能力者集団に入ることになったそもそもの原因は、低級能力者を格下に見た高位能力者による【無能力者狩り】だ。ただ無能力者であるというだけで襲われ、蔑まれる。自分達は何もしていないのに、ただ落ちこぼれと言うだけで迫害されてしまう。

 力が欲しい。何度もそう願った。能力を得る為に時間割もこなしたし、真面目に補習もやった。

 それでも、力は手に入らなかった。

 どうしようもなく追い詰められて、麻薬染みた都市伝説……幻想御手(レベルアッパー)にも手を出した。初めて明らかになった能力に興奮し、今まで自分を見下してきた能力者達に報復を行ったりもした。……だが、所詮は借り物の力で、夢のような日々は脆く崩れ去った。

 どれだけ求めても力は手に入らなくて。どれだけ望んでも平穏は離れて行って。

 不条理な人生を何度も呪った。その度に、力があればと世界を呪った。

 

 力があれば、幻想御手に頼ることもなかった。

 

 力があれば、一方通行や垣根帝督に負けることはなかった。

 

 力があれば、御坂美琴なんていう人間と知り合うこともなかった。

 

 力があれば、もっと平和に生活できていた。

 

 すべては力だ。力が必要。自らを確立させるために、佐倉望は全てを捨てて力を手に入れる道を選んだ。それがたとえ修羅の道でも、強大な力を手に入れるためならば、何も恐れはしないと。

 ……そう、決めたのだ。

 

「力がいる! 力が……どんな奴にも負けねぇ、絶対的な力が! 周囲から認められるためには、誰も手を出そうと思わなくなるぐれぇの無敵の力が必要なんだ!」

 

 無能力者だから、力が無かったから。落ちこぼれと蔑まれ、社会不適合者と罵られ。

 力があれば、もう誰にも傷つけられなくて済む。自分の意見を通し、大切な人達と一緒にいられる。

 被差別階級から、脱することができる……!

 

「…………」

 

 桐霧は無言で佇んでいる。日本刀に身体を預けたまま、疲弊した様子を隠そうともせずに。何を考えているのか、何を思っているのか。佐倉の言葉に顔を伏せたままの彼女は、その幼い心の中で何を感じているのか。

 静寂が辺りを包み込む。雨が降りしきる音だけが、二人を囲んでいた。

 しとしと、しとしと、と。

 降り注ぐ雨は、果たして誰の涙であるか。

 沈黙が続く。

 下着が透ける程に全身が濡れそぼった桐霧が、ようやくと言っていいだろう感覚で顔を上げた。

 そこに浮かぶのは、憐憫と同情の陰り。

 

「……一つだけ、聞かせ、て」

「……なんだよ」

「貴方は……いったい、誰から認められたいの?」

「誰から、だと……?」

 

 質問の意図が分からず、佐倉は首を傾げる。このタイミングで何故今の質問を行ったのか。どういう考えがあってのことなのか理解できない佐倉は、頭の上に疑問符を浮かべる。

 佐倉が力を欲するのは、周囲に認められたいから。だが、その周囲とはいったい誰だ?

 考える。そんな場合ではないことは分かっているが、どうしても無視することはできず考え込んでしまう。

 ――――その隙を、桐霧は見逃さない。

 杖代わりにしていた刀を腰だめに構え、道路を蹴りつけると佐倉との距離を詰める。街灯に照らされる刀身。銀色の煌めきが、闇夜を一閃する。満身創痍とは思えない剣速に、考察に気を取られていた佐倉は一瞬反応が遅れ、横っ腹に斬撃を食らってしまう。

 踏ん張る事すら間に合わず、腕力に負けて吹き飛ばされる。ソファとテーブルを巻き込むと、けたたましい騒音がレストラン内に響き渡った。

 

「がっ……!?」

「……このま、ま……イく、よ!」

「っ!」

 

 間髪入れずに飛び込んでくる桐霧。頭上から振り下ろされる日本刀を転がって回避すると、倒立の勢いを利用して倒れ込むように頭部を狙う。

 ビュオンッ! と風を切り裂く駆動鎧の脚部が、桐霧の側頭部を襲った。

 が、桐霧は左腕で跳ね除けると、大腿部を狙って刀を振るう。

 駆動鎧の防御を貫通できるとは思っていない。おそらく、彼女の狙いは殴打による行動の抑制。

 【限界突破】によって強化された攻撃が、華麗な軌道を虚空に描く。

 

「甘ぇんだよ!」

 

 駆動鎧のサポーター……機動性を重視した鎧の中で特に堅固な部位である膝をぶつけ、威力を相殺した。斬撃を跳ね返された桐霧はたたらを踏み、佐倉は後転の要領で再度立ち上がる。

 即座に放たれる斬撃。フローリング製の床を切り裂きながら無数の衝撃波が佐倉を襲う。刀が直接当たっているわけではない。人間離れした、化物級の腕力によって振り回された刀によって放たれる、飛ぶ斬撃(・・・・)。空気を衝撃波に変化させる程の威力。桐霧の身体にどれだけの負荷がかかっているのか、想像すらできない。

 飛来する無数の斬撃を横っ飛びで躱すものの、桐霧は既に次の動作へ移っている。

 床を踏みしめ、跳躍。弾丸の如き速度で距離を埋めると、切っ先を全力で突き出す。狙いは、露わになっている顔面。彼を止めることを目的としている桐霧が自分を殺すことはありえないだろうが、二度と動けなくなるくらいの重傷を負わせてくる可能性は否定できない。

 四肢による回避は間に合わない。だとすれば――――!

 首を捻る。咄嗟に頭を移動させ、突撃を寸でのところで躱す。

 ズドンッ! と。

 床を貫いた刀が、半分ほど地面に埋まったところで停止した。

 

「…………!」

 

 地面に倒れ込むような体勢になった桐霧は、状況を有効活用して佐倉の上に馬乗りになる。日本刀から手を放すと、両腕を巻き込みながら、佐倉の頭部を抱きかかえて自らの胸部に押し付けた。両脚部で締め付けるように彼の胴体を抑え込むと、能力を四肢に総動員して動きを完全に止める。

 柔道で言う縦四方固め。その劣化版。人並み外れた筋力で動きを止める、彼女なりの拘束術。

 抜け出そうともがく佐倉だが、斬撃と打撃を繰り返し受け続けたせいで機能の一部に異常が出ているらしく、思ったように駆動鎧が動かない。唯一動く両脚を赤子のように暴れさせるが、固め技の都合上攻撃が桐霧に届くことはない。その上、胸部による圧迫から呼吸さえ遮られ、意識を失う寸前だ。

 それでも、佐倉は脱出しようともがき続ける。

 

(クソッ! クソッ! なんだよ、なんだってんだ! こんなところで!)

 

 酸素欠乏によって徐々に遠くなる意識の中で、佐倉はただ叫び続ける。自らの弱さと、世の中の不条理さを呪いながら。

 ――――そんな中、先程の問いが不意に脳裏に浮かび上がった。

 

 

【貴方は、誰に認められたいの?】

 

 

「か……は……っ!」

(だ、れ……に……?)

 

 認められたい。認められたい。認められたい。

 それだけを思って生きてきた。それだけを願って戦ってきた。それだけが自分の支えだった。

 暗部入りした理由は、力を得るため。自分を見下してきた強者達よりも強い力、最強の力を手に入れて、彼らを見返すため。他者から尊敬され、敬われている彼らに、自分と言う存在を認識させるため。

 そして、〇〇を、守るため――――?

 

(あ、れ……?)

 

 もはや視界すらマトモに機能していない中で、佐倉は首を捻る。脳裏に浮かぶ姿。短髪で、常盤台中学の制服に身を包んだ、勝気な美少女。

 いつも佐倉の中心にいて、彼を気にかけてくれた少女。

 そして、自分の努力を踏み躙り、自分のすべてを否定した女。

 最低の超能力者だ、と佐倉は思っていた。かつて気を許していた相手とはいえ、自らの価値観すらも否定されるとは思っていなかった。今では、ただ唾棄すべき存在だと確信している。

 なのに。

 それなのに。

 

 どうして、自分の頭の中で真っ先にこの電撃姫が思い浮かんだのだろう?

 

 

(み、こ……と……)

 

 意識が途切れる。五感のすべてが消失し、闇の中へと堕ちていく。

 そんな中、唯一消えずに残っていたのは、あの少女の姿。かつて自分が守ろうとしていた、最強の超能力者。今では殺してやりたいと思っている、憎き強者の代表。

 彼女に対する好意は消失した、廃棄した。もう二度と蘇ることはない。

 そう、思っていたのに。

 佐倉の瞳が最後に映したのは、温かい表情で微笑みかけてくる、御坂美琴の面影。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

「こち、ら……第三女、王……。佐倉を捕縛したか、ら……今から、そっちに、向か……う」

 

 りょーかいよぉ、という伸びきった間抜けな返事を合図に、チョーカーの電源を切る。肉弾戦を主とする彼女が通信機の類を所持していると戦闘中に壊す恐れがあるとのことから、食蜂が用意した特注の無線機だ。トランシーバー型のものに比べてこちらの音が拾いにくいという欠点はあるものの、普通に使う分には問題はない。両手がふさがっていても使用できるという利点もある。

 そう、男一人背負っていても、容易に通信ができるのだ。

 

「…………」

 

 自身の背中で意識を失ったままの少年に視線を投げる。

 既に駆動鎧は外されていて、ウエットスーツのような衣服のみとなっている。装甲の類も一応は持って帰った方が良いのかと思ったものの、荷物になる上に桐霧自身も満身創痍なためにレストランに放置していた。あれが後に誰かに拾われようが、自分にそこまでの責任は持てない。

 雨に濡れた黒髪が顔に貼りついている。ストレスのせいか若干やつれている様にも見えた。

 心身ともに限界を迎えていることは、素人目から見ても分かる。

 

(どうして、こんな……)

 

 以前第一学区で対峙した時よりも、今回の佐倉は遥かに不安定だった。精神状態然り、その挙動も然り。彼がここまで薄く、危険な状態に陥ってしまっているのは、十中八九彼女の存在の有無だろう。

 御坂美琴。おそらくは佐倉の中で最も大きな位置を占める超能力者。

 上条との会話で本人は否定していたが、佐倉は今でも美琴のことを大切に思っているはずだ。一度愛した人間を完全に忘れ去ることはできない。それがかつて心酔していた相手ともなれば尚更だ。元々不安定な人間である彼が自らの核として認識していた彼女を、そう易々と見限られるわけがない。

 無能力者故の失墜に我を失っている佐倉だが、そもそも彼は他人を思いやる優しい人間だ。主人公ほどではないにせよ、それに準ずる素質を持っている。暗部なんていう暗がりが似合わない程の善良さを。

 このまま放っておくわけにはいかなかった。

 

(早く、美琴の元、へ……連れていかない、と……)

「そんな感じの事考えているだろう所悪いが、ちょっと邪魔させてもらうぜ」

「っ――――!?」

「おっと、無駄無駄」

「がっ!?」

 

 背後。しかも耳元で放たれた男性の声に桐霧は慌てて振り向こうとする。

 が、彼女が首を向けるよりも先に横腹に鋭い激痛が走った。まるで誰かに殴られたような鈍痛が、腹部から一気に全身へと広がる。咄嗟の出来事で【限界突破】による強化が間に合わない。

 体力も限界に達していた所に不意打ち紛いの打撃を食らい、抵抗もできずに倒れ込む。

 

「な、に……?」

「細かいことは説明すんのも面倒だ。だがまぁ、コイツを倒した褒章代わりに命だけは助けてやるよ。佐倉(コイツ)の成長に、たぶんアンタは不可欠だからな」

「…………?」

「クイーンズ、だっけか? まぁた面倒な組織立ち上げてくれたよなぁ、あの女王蜂は」

 

 指一つ動かせない桐霧の耳に入ってくる男の台詞。クイーンズ、という単語を知っている辺り、暗部の人間であることは間違いないだろう。だが、明滅する視界では彼の正体を見ることはできない。

 水溜りに沈む彼女の眼前に、ふと何かがひらひらと舞って落ちる。

 それの正体は、白銀に輝く一枚の羽根。()()()()()()()()()()()()()()、幻想的な雰囲気を漂わせる創造の象徴。

 

 まさ、か。

 

 桐霧の脳裏に一人の人物が浮かび上がる。佐倉を助ける可能性が最も高く、かつ桐霧を一撃で撃破できるほどの実力を持ち合わせた人物と言えば、誰か。

 答えはおそらく、一人しかいない。

 動揺が表情になって現れる。虚ろな瞳ながらに、桐霧は目の前に佇む人物の方へと視線を移した。

 ニィ、と。

 口元が吊り上っている。

 

「お前んとこの女王様に伝えておきな。後、第三位の腰抜けにもだ」

 

 右肩に佐倉を持ち上げると、青年は口を開く。赤紫のジャケットをはためかせ、桐霧に背を向けながら。

 その背中に六枚の白翼を湛えた垣根帝督が、女王達に宣戦布告を行う。

 

 

「佐倉を奪い返したきゃ、スクール(俺達)を潰すことだな」

 

 

 それ以上の言葉を聞く前に、桐霧の意識は闇の中に呑まれていた。

 

 

 

 

 

 




 お待たせして申し訳ありません。
 三か月ぶりの更新です。うん……感想で更新待ってくれている方々がいて泣きそうでした。こんなに待たせてごめんなさい。
 でも……「更新待ってます」だけの感想はちょっと精神的にきついです。本編についてとか、文章についてとか。そういう方面の感想をお待ちしています。批評、助言は大歓迎です。
 ……なんか久しぶりの更新なのに偉そうなこと言ってごめんなさい。
 次こそはできるだけ早く更新したいです。
 0930編も佳境を迎えつつあります。(あ、章の名前を暗部編から0930事件編に書き換えてありますのでご確認を)
 完結までもうちょっとかかりそうですが、最後まで付き合っていただけると幸いです。
 それでは。


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第五十話 最悪の善意

 お久しぶりです


『私達の祈りで救ってみせる。この子も、ひょうかも、学園都市も!』

 

 その言葉を最後にプツンと通話が切れる。インデックスの方からかけてきたくせに一方的に通話を終了させた自分勝手な修道女に若干苛立ちを覚える美琴だったが、もはや通じていない相手に怒りを向けても仕方がない。ふつふつと湧いてくるこの憤りをぶつけるには絶好の相手がいるのだ、今、この場で、目の前に。

 

「制理さん。この一発で終わらせるから、ちょっとだけ耳を塞いでて」

「だ、大丈夫なの!? いくら貴様が超能力者だとは言っても、相手は学園都市の最新鋭兵器を持った集団なのよ!?」

「誰に言ってるんですか。それに、相手の戦力も後僅かです。今の私なら、この一発で全部吹っ飛ばせます」

「で、でも……」

「安心してください」

 

 建物の壁に隠れながら【猟犬部隊】の様子を窺う。美琴の言葉に不安を隠せない様子の吹寄は戸惑いの声を上げているが、それを制すと美琴は軽く笑顔を向けた。心配なんて何一つない、自身満ち溢れた輝かしい微笑みを浮かべる。

 プリーツスカートのポケットから愛用のコインを一枚取り出す。そこらのゲームセンターでいつでも手に入るような何の変哲もないコイン。だが、美琴にとっては必要不可欠、なくてはならない相棒のような存在。彼女の代名詞ともいえる必殺技の憑代。

 コインを指に乗せ、【猟犬部隊】の方に向ける。

 ニィと、どこか楽しそうに口の端を吊り上げながら――――

 

アイツ(・・・)を助けるまで、私はもう誰にも負けないって決めたんだから!」

 

 ――――キィンッ! と、一筋の閃光が夜の学園都市を貫く。

 アスファルトを巻き込み、周囲の障害物を砕きながら、群れとなって襲いくる黒塗りの集団を次々と吹っ飛ばしていく。銃器は爆砕し、車両はひしゃげ。ありとあらゆるものを破壊し尽くしていく。塵一つ残さない。無慈悲な一撃が、学園都市の暗部を破壊する。

 それは、御坂美琴の決意を表しているのかもしれない。

 一度失ったあの人を。かつて手放した大切な人を。自分から離れてしまった最愛の人を。

 

 佐倉望を、絶対に闇から引きずり上げるという彼女なりの決意が。

 

 激しい爆音。パラパラと残骸が降り注ぐ中、吹寄は言葉を失って呆然と立ち尽くしている。これが超能力者の本気。学園都市最強クラスの一撃を前にして、思考が停止してしまっているのだろう。まぁ、無理もないが。

 しかし、このまま立ち止まっているわけにもいかない。美琴には、目的がある。

 

「制理さん」

 

 名前を呼ばれ、ようやくはっと我に返る吹寄。慌ただしい様子で美琴に視線を向けるのを確認すると、彼女に指示を与える。

 

「貴女は、あのツンツン頭の所に行ってあげて」

「……私が駆け付けたところで、上条の役には立てない。足手纏いになるのが目に見えている」

「そんなことはないです。確かに制理さんは戦えないかもしれません。お世辞にも、戦力になるとは言えない」

「だったら……」

「だけど、制理さんにはあの馬鹿を労うことができます」

「労う……?」

「はい。それは、貴女にしかできないことです」

 

 吹寄制理は無能力者だ。それに、喧嘩もからっきしで、戦えるわけではない。むしろ、上条の邪魔をしてしまう可能性は大いにある。しかも、敵は未知数で、自分達の知らない力を使う。相手の能力が欠片も分からない以上、吹寄の助力なんてほとんどいらないかもしれない。

 だが、現在。上条当麻はたった一人で戦っているのだ。友人、知人、初対面を問わず、学園都市を守るために。不思議な右手一つを握り締めながら、未知の敵とたった一人で。誰にも頼ることなく、頼ることもできず、彼は己の身一つで単身立ち向かっているのだ。

 支えてほしい、と美琴は思う。孤独で戦った結果、すべてを失った無能力者を知っているから。支えることができず、自分から離れてしまった一人の少年を知っているから。

 だから、美琴は吹寄を彼の元に行かせる。

 もう二度と、同じ過ちを繰り返さないように。

 

「行ってください、制理さん。あの馬鹿を支えてあげられるのは、今はきっと、貴女だけだから」

「……えぇ、分かったわ。気を付けてね、美琴ちゃん」

「はい。制理さんも、気を付けて」

 

 天空を這うように広がる閃光の触手。爆音が鳴り続く学園都市の中心部へと走っていく吹寄の背中を見送りながらも、先程上条達が走ってきた方向に足を進める。クイーンズからの通信と上条の話から総合するに、佐倉はこっちの方にいるはずだ。今は桐霧が彼と戦っているはず。いち早く駆けつけて、彼女の加勢をする必要がある。それに、一刻も早く佐倉の無事を確かめたかった。

 

(待ってて、望)

 

 雨に濡れるのを気にすることなく学園都市を駆け抜けていく。最愛の少年を救い、光の世界に連れ戻すために。

 

 ――――彼女の下に作戦失敗の連絡が送られるのに、そう時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 雨は徐々に酷くなっていく。歩く度にお気に入りのズボンが濡れていくことに若干苛立ちを覚える垣根帝督だったが、そんなことを気にするよりもまずは肩に担いだ無能力者をアジトまで運搬することの方が重要だ。傘代わりに【未元物質】を使っているけれども、もしかしたらさっさとひとっ飛びしてアジトまで向かった方が早いかもしれない。あまり人目につくのは避けたいところだが、このまま水溜りに溢れた道を素直に歩くのも癪だ。

 どうしようか、と顎に手を当てて一人思考に耽る。そんなくだらないことに頭を悩ませていたからだろうか。気が付かない内に、不意に背後から声をかけられた。

 

「あ、あの! あ、貴方……学園都市第二位の、垣根帝督さんですよね!」

「あん?」

 

 唐突にかけられた場違いな声に、垣根は佐倉を担いだまま視線を背後に向ける。第二位の垣根帝督を知る者は多くいるが、彼がどんな人間であるか、どんな姿であるのかを知っているものはそこまで多くはない。暗部という環境に身を置いている以上、他者との接触はできうる限り避けているからだ。自分の正体を知っているということは、暗部もしくはそれに準ずる何かの関係者だろうか。いつでも【未元物質】を発動できるように気を向けつつ、声の主を見やる。

 そこにいたのは、黒髪の少女。雨の中行動していたのだろうか、全身が濡れそぼっており、髪も服もずぶ濡れになっているようだ。背丈は高いが、纏う雰囲気とあどけなさから察するに中学生くらいだろう。走っていたのか息遣いが荒い。

 目の前の少女にあまりにも殺気を感じられず、少々困惑してしまう。あまりにも関係者っぽくない。殺気を隠している場合も考えられるが、少女の様子を鑑みるにその可能性は薄いようだが――――

 と、そこまで考えたところで、彼女に見覚えがある事を思い出す垣根。記憶の隅に追いやって忘れかけていたが、確かこの少女は……。

 

「……超電磁砲の友人、だっけか?」

「あ、あたしのことを知っているんですか!?」

「あー。まぁ、ちょっとな」

 

 佐倉の身辺状況を調査している時に、見たことがある。佐天とかいう名前だったか。いつも超電磁砲達と一緒にいる無能力者の女子中学生だ。そういえば覚えがある。

 

(だとすると……このお嬢ちゃんの目的はコイツか)

 

 御坂美琴の目的は佐倉望の救出。だとすると、その取り巻きである佐天の目的も当然同じだろう。大方、学園都市の騒ぎに違和感を覚えて走り回っていたら偶然垣根を発見したとかそんなところか。これはまた面倒臭い流れになったなぁと内心溜息をつく。

 そんな垣根を他所に、佐天は佐倉を指で指し示すと、

 

「そ、その人を……佐倉さんを、どうするつもりなんですか」

「あん? どうするってそりゃ、連れて帰るが。仮にも貴重な構成員だからな。むざむざ失うのも馬鹿らしいしよ」

「構成員って……」

「それ以上の詮索はあんまりオススメしないぜお嬢ちゃん。世の中には知らなくていいこともたくさんある」

 

 好奇心は猫をも殺す。知らぬが仏。

 知的好奇心に従って行動するのは大変結構なことだが、行き過ぎた探究心は身を滅ぼすことになりかねない。垣根は悪人だが、何も罪が無いいたいけな少女を殺す趣味なんて持ち合わせてはいないのだ。できることなら穏便に済ませたいと思っている。

 これ以上話すことはない。彼女に背を向けて歩き出そうとした。

 その時。

 

「待ってください。垣根さん」

 

 今までとは違う、落ち着いた調子の声にはたと足を止める。無視しても良かったが、彼女の何かを決意したような据わった口調に違和感を覚えたのだ。このまま見逃して立ち去るのは、少々惜しいと心のどこかが判断した。

 ゆっくりと振り向き、佐天と視線を交わす。佐天の目には、どこか形容しがたい覚悟を秘めた輝きがあった。

 嫌な予感――――いや、これはもしかしたら、一種の期待かもしれない――――を密かに覚えながらも、垣根は佐天の呼びかけに答えた。

 

「なんだい、お嬢ちゃん」

「お願いがあります」

「……言うだけ言ってみな」

「あたしも、貴方の仲間に入れてください」

 

 馬鹿が。と思うと同時に、やはりなという気持ちが浮かぶ。予想はしていたが、まさか本当にそんな提案をしてくるとは。見かけ以上に馬鹿なのか、それとも何かそれなりの考えがあっての事なのか。思い付きでの言動なら非情に切り捨てているところだが、彼女の様子を見るにどうやら冗談半分ではないらしい。彼女なりに考えての提案。

 

(佐倉といい、このお嬢ちゃんといい、無能力者ってのは馬鹿ばっかりなんかねぇ)

 

 あまりにも単純で、愚かで。そして何より面白い。

 内心ほくそ笑む垣根だったが、表面上は彼女を訝しむように装いつつ質問を投げかける。

 

「一応聞いておくが、理由は? ガキがヒーローごっこ感覚で飛び込んでいい世界じゃないってことくらい知ってんだろ?」

「はい。貴方がいる場所がいつも死と隣り合わせで、平和とは程遠い世界だっていう事は知っています。人を殺し、殺され、いついかなる時でも命の危険が付きまとうことも分かっています」

「だったら、お前みたいな無力なチビッ子がどうしてこの世界に入りたがる? 俺からしてみりゃ、考えなしの馬鹿にしか思えないんだが」

「それは……」

 

 そこで一旦言葉を切ると、数回頷いてから垣根の目を真正面から見つめ、彼女は言った。

 

「あたしは、佐倉さんを支えたいから」

「……支えたい?」

「はい。佐倉さんはきっと一人で苦しんでいます。理解者がいない現状で、誰にも頼れずに。きっと、その人は心の中でもがいているんだと思うんです」

「お前が、理解者になるっていうのか?」

「なれるって断言できるわけじゃありません。でも、少なくとも、なれるように努力はしたいんです」

「そんなに簡単にいくとは思えねぇけどなぁ」

「……あたしは、無能力者だから。多少なりとも、佐倉さんの気持ちは分かっているつもりです」

 

 どこか自嘲気味にぽつりと呟く佐天。そんな中、垣根は彼女にばれない程にくつくつとこっそり喉を鳴らす。面白いことになってきた。佐倉を追い詰め、追い込み、破壊する為のピースがどんどん揃っていく。すべての善意が結果として裏目に出て、悪意を生み出す。その過程が目の前で進んでいることが、どうしようもなく面白い。

 感情を押さえつつ、表情に出ないように努めながらも、垣根は佐天に右手を差し出す。

 

「佐天涙子。ようこそ、【スクール】へ」

 

 物語は加速する。

 無力な少女を巻き込み、何よりも最悪な結末に向かって、ゆっくりと。

 

 

 




 一応これで0930編は終了となります。次回からは新章です。
 賛否両論あるかと思いますが、ご容赦を。
 それでは、次回もお楽しみに。


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踊らされる少女編
第五十一話 場違いな少女


 新章突入です。


「……暇だなぁ」

 

 自動販売機やソファが置かれた休憩室のような空間で、佐天涙子は窓際に頬杖を突きながら溜息をついていた。何気なく目の前のガラスをコンコンと拳で突く。一見すると普通の窓にしか見えないそれは、対戦車ライフルの直撃にさえも耐えると言われる暗部御用達の防弾ガラスだ。それだけの防御性を持ち合わせていながら、普通に音は通るという優れもの。息をかけてガラスを曇らせ、子供が悪戯をするように落書きをしながらも、彼女は窓の向こうで一心不乱に作業に没頭している少年をぼけっと眺めていた。

 白いワイシャツに黒い学ラン。上着と同色のスラックスというどこにでもいそうな風貌の男子学生。クセのない髪は男子にしては長髪で、目にかかる前髪を時折鬱陶しそうに掻き上げている。外見的には目を惹く特徴はない普通の少年だが、最近この世界(・・・・)に入ってきた佐天は知っている。彼が服の内側に装備を外した駆動鎧を着込んでいることを。コンピュータ制御は切っているものの、戦闘時には装甲なしでも人間離れした動きで敵を排除できるということを。コンピュータ制御を切っている理由が、長時間の駆動鎧の使用は自己としての感覚を失ってしまうからということはさすがに知らないようであるが。

 

(物騒な話だよね……)

 

 はぁ、と。今日何度目になるか分からない溜息を漏らす。同時に、パァンと乾いた音が窓の向こうから響いた。見れば、人型の的に何個目かの風穴が空いている。

 暗部において最早必須事項とも言える、射撃訓練。他を圧倒できるほどの能力を持つ垣根は例外であるとして、何の力も持たない佐倉にとって射撃能力の向上は死活問題である。装備が入ったボストンバッグを常備しているとはいえ、不慮の事態に絶対対応できるかと言われると断言はできない。一応最新鋭の駆動鎧であるため、装甲を外してもそれなりの防弾性、耐衝撃性は備えているものの、敵の排除は必要不可欠だ。それに、駆動鎧に不具合が出た場合の対策も必要。他の構成員に比べて圧倒的に弱点が多い佐倉は、誰よりも熱心に射撃訓練に取り組んでいた。現在も防音ヘッドホンを着用して黙々と標的を撃ち続けている。

 淡々と銃のリロードを行う佐倉を眺める。佐天がこの場に待機している理由は、彼女に与えられた役割に他ならない。

 【スクール】の構成員となった佐天に課せられた使命。それは、佐倉望の監視兼管理。

 元々気が強いとはいえ、元々佐天はどこにでもいる普通の女子中学生だ。御坂美琴のように最強の超能力を持っているわけでも、佐倉望のように駆動鎧を操れるわけでもない。戦闘力はゼロに等しい無力な存在。そんな彼女に戦闘以外の役目が与えられたのは、当然と言って差し支えないだろう。足手纏いにしかならない佐天の暗部加入を許可した垣根の思惑は不明だが、佐倉を支えるという本来の目的さえ達成できるなら佐天は満足なので知らないとしても問題ではない。

 

「佐倉さーん。そろそろ休憩しないと身体に悪いですよー?」

 

 ガラス越しに佐倉へと呼びかけてみるが、防音ヘッドホンのせいか聞こえている様子はない。そもそも聞く気が無いという可能性も捨てきれないが。最近の彼は昔に比べて他人に対して希薄な部分が目立つ気がする。他者に興味が無いというか、強くなることに欲求のすべてを注いでいるというか。さすがに知り合いである佐天に対してはそれなりの反応をしてくれるものの、夏休みや大覇星祭の頃に比べると別人と言っても過言ではない程に淡泊な態度を取られている。嫌われているわけではないというのは彼の様子からなんとなくわかるものの、少々気持ち的に傷ついてしまうのは多感なお年頃故か。

 

「無視しなくてもいいのに……」

「あんまりじっと見つめていると色んな人から微笑ましい温かな視線向けられるッスよ?」

「ひゃぁぁあああ!?」

「ちなみに向けてたのはオレなんで悪しからず」

「ご、ゴーグルさん!」

 

 不意に背後からかけられた軽い調子の声に、完全に油断していた佐天は素っ頓狂な悲鳴をあげながらガタガタと椅子を鳴らして勢いよく立ち上がる。恥ずかしそうに赤面しながら睨む相手は、いつものようにヘラヘラとした間が抜けた顔で佐天に微笑みかけていた。ゴーグル、とだけ呼ばれる青年。【スクール】内では主にムードメイカーとして立ち振る舞っている飄々とした大能力者。能力名は【念動力波(サイコウェーブ)】だったか。今はオフなようで無造作ヘアが露わになっているが、普段は土星の輪のような面妖なゴーグル風の機械を装備している。彼の呼び名はおそらくその兵装からきているのだろう。本名は知らない。以前垣根や心理定規に尋ねたこともあるが、返事は決まって「知らない」の一点張りだった。隠しているというよりは本当に知らない、覚えていないと言った様子。常に死と隣り合わせの暗部において、本人が執着しないのならば本名なんていうのは飾りみたいなものなのだろう。死体になってしまえば、名前なんて意味は為さないのだから。

 そんな一風変わった能力者を睨みつけつつも、佐天は椅子に座り直すと口を開く。

 

「……で、何の用ですかゴーグルさん。あたしは特に仕事を言いつけられていないはずですが」

「別にこれといった用はないッスよ? ただ暇潰しに佐倉クンの様子を見に来ただけッス」

「はぁ、そうですか……」

 

 特に興味もなかったので、紙コップに入れられたコーヒーを傾けながらテキトーに相槌を打つ佐天。暗部の人って暇なんだなぁとか何気に失礼なことをぼんやり考えつつ佐倉の射撃訓練に再び視線を戻す。

 

「……佐倉クンのこと、好きなんスか?」

「ぶぇふぅっ!?」

「あっつぁっつぁぁああああ!?」

 

 あまりにも唐突過ぎる爆弾投下にコーヒー噴いた。なぜか瞬間的にゴーグルの方を向いたことによってゴーグルの顔面にコーヒーが炸裂。熱湯風呂もかくやといった具合のアッツアツな襲撃に、やってやったとニヨニヨしていた彼は一瞬で激痛の地獄へと叩き落されたようだ。椅子から転げ落ちてゴロゴロと無様に悶え苦しんでいる。一方の佐天は様々な感情が混ざりに混ざった結果、身体が耐え切れず咳込む始末である。

 お互いにひとしきり苦しみ終えると、睨み合う両者。

 

「い、いきなり何を言い出すんですかぁ!」

「そんな柔らかい笑顔で幸せそうに見てたら誰だって言うに決まってるッスよ! アホか! 乙女か! 少女漫画もびっくりなコッテコテのヒロイン顔なんて久しぶりに見たわ!」

「べ、別にそんなんじゃないです! 好きとか嫌いとか、そういうんじゃ……」

「…………」

「…………」

「…………にやにや」

「制裁!」

「二発目は駄目ぁっつぁあああああ!!」

 

 今度は紙コップから直接の熱々コーヒーをモロに顔面に受け倒れ込むゴーグル。本来ならば火傷してもおかしくはない温度であるが、そこはイロモノ担当の彼。自動的に能力が発動したのか、見えない補正がかかったのかは定かではないが、これといった外傷はないようだ。願わくばそのまま害虫のように焼け死んでくれないかと中学生らしからぬ願望に行き着く佐天である。日頃溜まったストレスをゴーグルにぶつけている感が否めない。

 足元でピクピクと痙攣を繰り返す害虫Gの鳩尾を思いっきり踏み潰すと、椅子に座り直して三度(みたび)佐倉の射撃訓練に視線を投げる。今の騒ぎすら聞こえていないのか、そもそも反応するつもりがないのか、先程とまったく同じように黙々とターゲットを撃ち抜き続ける彼の姿に、何とも言えない溜息が漏れた。

 

「佐倉さん……」

 

 悲壮な響きが込められた呟きは空しく虚空に呑み込まれ、空虚感をより一層覚えさせるだけだった。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 10月7日。

 佐天が暗部組織【スクール】の構成員になってから早1週間が経とうとしている。佐倉望の監視役として日々の生活を送っている彼女であるが、当初の目的である『佐倉望を人知れず支える』を達成できているかと言われればそれは微妙なところだ。そもそもあまり他人と会話をしない佐倉は当然佐天とも必要最低限の言葉しか交わさない。さすがにゴーグルや心理定規に比べると口数を多くしてくれている方であるが、それにしても他人レベルで話さないというのが現状だ。これではわざわざ暗部に堕ちてきた意味がない。

 無能力者としての自分を否定され、ただ強くなることだけを目的に闇の中で這いずりまわっている佐倉望。

 弱冠13歳で中学生でしかない佐天に世の中の事はイマイチ分からないが、彼がどういう気持ちで我武者羅に行動し、強くなろうとしているのかくらいは分かる。学園都市で重宝される高位能力者とは正反対な自分達無能力者。彼らから認めてもらう為に、目に物見せる為に、日夜血反吐を吐く程に自分を追いつめている彼は無能力者の鏡だ。超能力者や大能力者には決してわからない苦しみ。佐倉の苦悩を分かってあげられる数少ない存在。少なくとも、知人の中では自分が最適であるという自負くらいは持っている。

 しかし現実は非情だ。今日も今日とて、射撃訓練を終えた彼に水を渡すくらいしかできていない。せめて話を聞いてあげるくらいの事はしたいものだが……。

 

「なかなか厳しいねぇ」

「何が厳しいんですか?」

「う? いやいや、こっちの話だよ初春」

 

 神妙な面持ちでそんな事を呟いた佐天に違和感を覚えたらしい初春が首を傾げる。妙な物言いに一瞬怪訝な視線を向ける彼女だったが、そこまで気にすることでもないと判断したらしい。絶賛格闘中のジャンボダイナミックパフェにスプーンを突き入れると、再び甘味とのダンスに酔いしれ始める。日頃ほわほわしているくせに、こういう時だけ妙に鋭い時があるからこの花飾り少女はおっかない。

 いつもは紺と白のコントラストが映えるセーラー服に身を包んでいる自分達であるが、今日は幸い土曜日だ。午前中は【スクール】提携の射撃場で佐倉のサポートをしていた疲れもあって、現在はイマドキの女子学生っぽいラフな格好で親友の初春と共に喫茶店で寛いでいる最中である。暗部入りしているというのに普通に学校に通い、こうして初春とも会えているというのはひとえに自分が戦力外扱いされている証拠に他ならない。情報が漏れてはまずいのだろうが、そもそもそこまでの重要機密を知らされていないので仮に拉致監禁されても安心だ。……いや、佐天的には安心もクソもないのだが。

 ちなみに佐天が暗部に入ったことは未だ誰にもバレてはいない。隠蔽力はさすが馬鹿にならないようだ。

 目の前で幸せそうに超巨大パフェを平らげていく初春になんともいえないジト目を向ける。

 

「初春はいつも幸せそうだよねぇ」

「ふぁい?」

「悩みが無いとは違うけど、パフェ食ってるときはストレスフリーじゃん? あたしにもそんな癒しがあったらなぁって思ってさぁ」

「んくっ。よく分かりませんけど、そういうストレス解消法って何でもいいんじゃないですか? 私は甘味食べてる時が一番幸せですけど、白井さんは御坂さんとじゃれ合っている時が最大級に幸福そうですし」

「あの人は世間一般で言うストレス解消法と結びつけちゃダメな気がするけどね……」

 

 脳裏に浮かぶはおそらく学園都市でもトップクラスの知名度を誇るであろう大能力者の風紀委員。仕事は誰よりも迅速で、可憐な風貌から隠れファンも多いとかいう噂であるが、その実は学根都市第三位御坂美琴をお姉さまと慕って日々変態行動に明け暮れる自称・淑女である。美琴にお仕置きされている時は傍から見ても分かるくらいに幸福そうな顔をしているのは確かだが、彼女の場合美琴へのセクシャルハラスメントがライフワークと化している部分があるのでストレス解消とはまた違った意味合いを持っている気がする。というか、あの変態と一緒にされるのは心底御免だった。

 しかしまぁ、そういうストレスフリーな姿があるというのは見習うべきかもしれない。

 

「そう考えるとあたしのストレス解消法は初春のスカートめくりなのかなぁ」

「なにをさらっと私の尊厳踏み躙る行動でストレス解消しているんですか」

「いやいや、あぁいうルーチンワークっていうのは大切なんだよ? 初春のスカートを捲って毎日パンツを拝むことによって、『あぁ、今日も一日平和だなぁ』って世界の安寧さを噛みしめることができるんだから」

「約一名不幸な一日を予感していますけどね」

「そこはまぁ、あれよ。哀れな子羊は時によっては尊い犠牲にもなりえるっていう神様の教えよ」

「そんな理不尽な教えはいますぐ聖書から消し去ってください早急に」

 

 やれやれと肩を竦めてパフェへのアタックを再開する初春。佐天自身彼女に多少の迷惑をかけている自覚はあるのだが、いかんせん佐天にとっての精神安定剤として機能している節があるのでスカート捲りはやめられない。そして佐天は知っている。自分にスカートを捲られるのを前提条件として毎日穿いていくパンツを吟味してから登校しているのだということを。たまに紐的な大人なパンティーを穿いてきた時は正直ビビった。後にそれが白井黒子の入れ知恵であると発覚するまでひたすら弄られた初春の心中やお察しである。

 方法はどうあれ、ストレスを解消するというのは大切なことだ。ましてや佐倉のように精神的に弱いにもかかわらずヘヴィな暗部の最前線で戦っている人には尚更必要。ここはひとつ、彼のストレスを和らげるべく一肌脱ぐのもいいかもしれない。

 

「よっし。そうと決まればこの佐天涙子ちゃんが世にも驚き山椒の木と言わんばかりのサプライズプレゼントしかけてあげますか!」

「ほぉん。まぁ、頑張ってください。あ、店員さん私おかわりで」

 

 二杯目の超巨大パフェが運ばれてくる背景で、人目も気にせずガッツポーズする佐天。気合の炎が瞳の中で燃え上がる。

 これはちょっとした間のお話。アビニョン事件の裏側で、あまりにも場違いな少女が場違いな努力をする場違いな物語。

 

 

 

 

 

 




 なんだかほっこり感あるけど、結局は『とある科学の無能力者』なので結末はお察し。この作品のひねくれっぷりは自分でも驚きです。

 そういえばもう二周年ですね。そんなに経ったのかと思う反面、どんだけ更新してねぇんだよと自己嫌悪。うぅ、ごめんなさい。
 完結まで後少し。もう終盤近くなのですがなかなか話数も進まない。人生壁しかないのかよと一人落ち込む始末。ですが二周年です。なんだかんだここまでやってこれたのはひとえに皆様のおかげ。こんな遅筆な作者を見捨てないでくださり感謝のしようもございません。
 ただでさえ筆が遅いのに二周年記念とかやっていたらもっと完結が遠のくということで特にこれといったものはないですが、三周年を迎える前に完結できればナァと思ったり思わなかったり。
 読者の皆様。いつも感想いただけて涙が出るほど喜んでおります。いろいろ停滞したり一章丸々消したり物語全く変わったりと右往左往な拙作ですが、今後ともお付き合いいただけると幸いです。
 ではでは。次回もお楽しみに!





 0930編って一年半もやってたのかよ……。




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第五十二話 クローバー

 お久しぶりです!


 そうと決まれば即実行。行動力だけが取り柄、人並み外れたアクティブさをモットーとする佐天はパフェと初春をレストランに置いたまま、目的を遂行すべく行動を開始していた。

 ……とはいえ。

 

「佐倉さんが何を欲しがっているとかまったく知らないから、何を渡すにも見当がつかないんだよねぇ」

 

 そこいらの自動販売機でテキトーに購入したスポーツドリンクを煽りながら一人ごちる。女性相手のプレゼントならば小物や化粧品を、普通の男性相手ならば衣類などが無難な贈り物として挙げられるのだが、現在暗部で精神をすり減らしまくっている絶賛病み期な佐倉に贈るものとしては不適当だろう。以前の彼ならいざ知らず、強くなることにしか興味がない現在の佐倉が衣服を貰って喜ぶとは到底思えない。

 かといって、拳銃を代表する武器火器兵器を贈呈するわけにもいかない。いくら暗部入りしているとはいえ、佐天はあくまでもそんじょそこらにいるような普通の女学生だ。ツテを目一杯使ったところで入手できるとは到底思えない。というか、自分的にも渡したくない。

 

「うーん。どうしようかねぇ」

 

 腕を組み、首を捻って考える。現在の佐倉望に適していて、なおかつ貰って嬉しいだろう贈り物を。

 そんな時だった。

 近くを通り過ぎた二人組の会話が、佐天の耳に飛び込んできたのは。

 

「四つ葉の、クロー……バー……より、たくさんの、クローバー……?」

「うむ。極稀に見つかるクローバーの突然変異種らしくてな。ものによっては五十枚以上のものも見つかるらしい」

「へぇ……。じゃ、あ。五つ葉以上のもの、にも……込められ、た、意味、が……?」

「無論。こういうのは本来オカルトの分野に属するのだろうが、まぁ、そこはこのリリアン=レッドサイズの情報力よ。何つ葉でも答えてみせるぞ!」

 

 セーラー服のポニテ少女と、銀髪ゴスロリの人形めいた少女が何やら話しながら佐天の背後を通り過ぎていく。背中に身の丈ほどの長さを誇る日本刀を背負った少女はあまりにも存在が浮いているのだが、違和感が一周回ってしまい、誰も彼女に声をかけようと考える愚か者はいない。人並み外れた美貌も敬遠に一役買っているのだろう。男女問わず視線を集めているにもかかわらず、彼女に近づくものは存在しなかった。

 そんな彼女の隣で自慢げに豊かな胸を張る銀髪の少女。漫画の世界から飛び出してきたようなメルヘンな出で立ちに周囲がざわつく。だが、本人に注目されている自覚がないのか、少しの羞恥心も浮かべる様子はない。腰に手を当て、実に偉そうに薀蓄を垂れ流していた。

 

「クローバー、かぁ」

 

 メルヘンチックなコンビの背中を何の気なしに見送りながら、ぽつりと呟く。お金をかけてプレゼントを購入しようと画策していた佐天にとって、その発想は天より舞い降りた閃きのように思えた。

 よくよく考えてみれば、中学生、それも無能力者の財力なんてたかが知れている。今から金策に走ったところで、自分が満足するような品物を入手することは難しいだろう。プレゼントという形式上何を贈っても喜ばれるとは思うが、その場だけではなく今後にも影響、もしくは使ってもらえるものを贈呈したいというのが佐天の願うところだ。

 一応は候補に入れておくとして、まずはそれについて情報を集める。スマートフォンを起動させると、検索エンジンを開いて文字列を打ち込んだ。

 少しのタイムラグの後、検索結果が表示される。

 そこに表示されたのは、一つ葉から十二つ葉までの花言葉だ。クローバーに花言葉が存在すること自体は佐天も知っていたが、まさか葉の枚数によって意味が異なるとは正直驚いた。占いや験担ぎが大好きな思春期女子の琴線に見事に触れた多数葉のクローバー。

 それぞれの意味を簡単に説明すると、

 

 一つ葉「始まり」

 二つ葉「平和」

 三つ葉「希望」

 四つ葉「幸運」

 五つ葉「経済的繁栄」

 六つ葉「地位と名声」

 七つ葉「無限の幸福」

 八つ葉「無限の発展」

 九つ葉「高貴」

 十つ葉「成就」

 十一つ葉「無限の愛情」

 十二つ葉「真理」

 

 五つ葉以上のクローバーを見たことがない佐天からしてみればこんな花言葉はこじ付けではないかと邪推してしまうのだが、オカルトチックな響きは彼女の嫌うところではない。むしろ好ましいものだ。験担ぎというのはいつ何時でも人々の心を落ち着かせてくれる。プロアスリートでさえも「ルーティーン」と呼ばれる行動で気持ちを落ち着かせ、最高のプレイを引き出すのだ。意味合いは違えど、佐倉のためになるのならばうってつけの贈り物になるに違いない。

 それぞれの花言葉を何度も読み返しつつ、絞っていく。

 そして。

 

「……佐倉さんの『強くなりたい』って願いから判断するに、八つ葉のクローバーかな」

 

 『成就』を意味する十つ葉にしても良かったのだが、『強くなること』に終わりがあるとは到底思えない。御坂美琴を倒し、果ては垣根帝督や一方通行さえも打ち倒せるほどの力を求める彼の研鑽に終着点はないはずだ。悲しいが、彼の望みの障害になるようなプレゼントを贈りたくはない。

 『幸運』を意味する四つ葉を避けたのは、生まれ持った才能の無さに絶望した佐倉にとって、運なんて言葉は最も忌むべきものであろうと考えたからだ。強さとは、血反吐を吐きながらも懸命に努力したものだけが得られる至上のものであると信じる彼に、『幸運』の四つ葉は相応しくない。

 だから、八つ葉のクローバーを。『無限の発展』を司る八つ葉を贈ることで、せめて彼の研鑽に終わりなき成長を願いたい。それが佐天の独りよがりな考えであったとしても。自分が彼にできることは、縁起を担ぎ、神に願い、ただひたすらに彼を信じることだけなのだから。

 

「さって、と」 

 

 スマートフォンをズボンのポケットにぐいっと入れ込むと、既に傾き始めた太陽を仰ぎ見る。できることならば、今日中にプレゼントを渡したい。最低でも明日の明朝までには。それ以降の時間に贈るのはマズイ、と佐天の勘が囁いていた。どうしてかは分からない。そのような考えに至った理由も分からない。それでも、常識を超えた『何か』が佐天の心にそう投げかけていた。

 クローバーは主に河川敷等の原っぱに生息するらしい。科学が結集したこの街において、自然植物が生えている場所はそう多くはない。八つ葉のクローバーなんていう凄まじく珍しい突然変異種が果たして無事に見つかるかどうかは不明だが、挑戦するに越したことはない。挑戦してみなければ、分からない。

 

「そろそろあたしも、本気を出してみようかな!」

 

 よし、と拳を握り込み。えいえいおーと突き上げて。

 秋の日が差す青空の下、佐天は一人近所の河原へと足を進めた。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

「失礼しやっしたー」

 

 気が抜けるような間延びした声で扉を閉め、部屋を後にするゴーグルの少年。面倒くさいお話がようやく終わって凝り固まった筋肉を伸ばしていると、右方から誰かがこちらに歩いていくる気配を感じた。纏う雰囲気と足音の間隔から正体を探り当てたゴーグルは視線を移動させると()に声をかける。

 

「おっす佐倉クン。こんなところで会うなんて奇遇っスね」

「……垣根に用があるんですよ」

「だと思いましたよっと。オレも今の今まで垣根のリーダーと話していたところっスよ。いやー、相変わらずあの人は怒ると怖いのなんの。ここ最近ドヤされてばっかりだから、いつか怒りが大爆発するんじゃないかと気が気で仕方ないっスわ」

「特に俺に用事がねぇのなら、用件を済ませてぇので失礼させてもらいますが」

「つれないなー。背中を預ける大切な仲間なんだから、もうちょっとくらい優しくしてくれてもバチは当たらないっスよー?」

「……失礼します」

 

 普段通りの飄々とした態度でフレンドリーに話しかけるゴーグルだが、当の佐倉はあまり会話を続ける気概がないらしい。ロクな返事をすることもなく、軽く会釈を返すとそのまま垣根が待つ部屋へと入っていってしまった。残されたゴーグルは唇を尖らせながら一人不貞腐れたような表情を浮かべる。

 ――――そして、

 

「ちょっとずつではあるけれど、垣根さんの暗示が効いてきているみたいっスね」

 

 ニィ、と。廊下に誰もいないことを確認したうえで、ゴーグルは口の端を吊り上げる。

 先程まで佐倉と会話をしていた、飄々としたギャグ担当の彼はもうどこにもいない。ここに存在するのは、暗部組織【スクール】の正規構成員であり、何のためらいもなく人殺しをやってのける人格破綻者の大能力者。

 物騒な台詞を残し、彼は部屋の前から立ち去っていく。佐倉と垣根のくぐもった声が聞こえてくるが、殊更気に留めるようなものでもないだろう。ゴーグルの少年のやることは変わらない。

 誰よりも強く、誰よりも高みを目指そうと奮闘している佐倉の姿は、ゴーグルの少年から見ても微笑ましいものがあった。努力を諦め、殺戮と暴力の世界に身を落とした人生の脱落者である彼からしてみれば、未だに強さなんてものを愚直にも追い求めている佐倉は愚かであると同時に尊いものであるように思える。

 だが、だけど、それでも、だとしても。

 身の丈を越えた努力は、勇気とは呼ばない。己を顧みずに我武者羅に行動するのはただの無謀だ。無能力者の佐倉がいかに鍛錬を重ねたところで、垣根や一方通行のような高位能力者に勝利を掴むことはできないだろう。それどころか、大能力者であるゴーグルの少年相手でも勝つことはおそらく不可能だ。超能力というのは、それほどまでに人知を超えた力。持たざる者が持つ者に勝利することはできない。それは必然であり、運命だ。

 それでも佐倉が強くなるためには、それこそ人間としての心を犠牲にして兵器のようにただひたすらに力を奮っていくしか方法はない。垣根が彼に行った暗示はただ一つ。

 

 『強さ以外求めるな』

 

 友人なんていらない。仲間なんていらない。恋人なんていらない。

 垣根の未元物質と心理定規の能力を使って行われた暗示に無能力者の佐倉が抵抗できる道理はない。あっさりと暗示を受けた彼は、あまりにも予想通りに人の良心を失っていた。

 もうすぐ完成する。

 人間の形をした、単純明快な殺戮兵器が。

 

「絶望のさらに先。すべてを失ったその瞬間、佐倉クンはどんな表情をするんスかねぇ」

 

 人気のない廊下に、彼の足音だけがやけに響き渡る。

 ――――無様な無能力者に審判が下される日は、そう遠くない。

 

 

 

 

 

 



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第五十三話 気まぐれ

 今回で本章は最後でございます。


 気分転換を兼ねて、ちょっとだけ外の空気を吸おうと思った。

 普段から地下の射撃場やら工場やらで息苦しい生活をしているのだから、ちょっとした休みの日くらい外の新鮮な空気に全身を浸そうと考えた。愛用のゴーグルはアジトに置いてきている。万が一の事態に陥る可能性も否定できないが、こういう時くらいは暗部との関係を一切合財絶っておきたい。夢も希望も手放した自分にとっての、最後の日常。最後の砦。

 

「クレープでも食べに行くっスかねぇ」

 

 爽やかなアクティブ系青年(自称)であるゴーグルだが、こう見えても甘味ものに目がない根っからのスイーツ大好き系男子である。行きつけの洋菓子店は毎週チェックしているし、スタンプカードは既に五枚目に突入しようとしているくらいだ。暗部に身を置く彼にとって、スイーツは唯一の清涼剤とも言える代物であった。

 そんな彼が最近ハマっているクレープ店。第七学区の公園付近に不定期で開店する移動洋菓子店の営業日が、見事に今日と重なった。これは何かの奇跡か、それとも神の思し召しか。なんにせよ、スイーツジャンキーのゴーグルとしてはここで向かわなければ自らの矜持が廃る。明後日(・・・)に決行される【スクール】最大の任務のことを考えても、今この休暇を使って最大限のリラックスをしておいた方がいい。万が一の事態になってからでは遅いのだ。堪能できるときに心行くまで堪能しておくというのが暗部組織に身を置く人間のすゝめである。

 アジトを出て、件の公園へと足を進める。途中に学園都市を流れる川沿いを通るのだが、科学と機械が溢れるこの街においてなかなかにミスマッチな自然の風景を眺めるのも彼は好んでいた。整地されている為完全な天然ものとはいかないかもしれないが、それでもそこに広がる自然風景には、普段彼が生活する世界に塗れる血と硝煙の臭いは存在しない。学園都市に残された数少ない平和の象徴。

 

(まだ平和な日常なんてものに縋っている辺り、オレもまだまだ甘いっスけどね……)

 

 暗部の世界に飛び込んでそれなりの時間が過ぎた。今までに殺した人間の数なんて覚えてはいない。悲鳴や怒号も腐るほど聞いてきたし、死体なんてそれこそ脳裏に焼き付くほどに目にしてきた。今更この世界から抜け出そうなんて気は毛頭ない。

 しかし、彼の心はどこかで安息を求めているのかもしれない。休暇の度にこうして河原の近くを歩き、公園でクレープを食べるという『どこにでも存在する平凡な日常』を、ゴーグル自身が欲しているのかもしれない。

 

 ――――そんなものを求めたところで、『彼女』は帰ってこないというのに。

 

「っ……あー、やめやめ! 今くらいは楽しいことを考えるっスよ!」

 

 頭を振って雑念を追い払う。せっかくの休暇なのにこんなじめったいことに思考を支配されてしまっては元も子もない。心身ともに休み、リラックスすることが今回の最大の目的なのに、これでは休暇の意味がない。パンパンと頬を叩いて気分を入れ替えると再び足を動かし始める。

 その時、彼の視界に見覚えのある少女が引っ掛かった。

 背中の辺りまで伸ばした艶のある黒髪に、花を模した髪飾りを付けた中学生程の少女。年齢にしては少々大人びた身体つきだが、まだどこかあどけなさが残る。

 柵川中学一年生、そして現在ゴーグルが所属する暗部組織【スクール】の同僚でもある佐天涙子が、雑草が生い茂る河原に四肢をついて何かを探すように一生懸命な様子で辺りをきょろきょろ見回していた。手足が汚れることも気にしていないのはお転婆な彼女らしいとは思うが、つい数時間前までアジトの地下施設で佐倉を気にかけていたはずの彼女が何故こんなところにいるのか。

 疑問に思い軽く首を傾げるゴーグルだったが、答えはすぐに提示された。

 

『あーもー! 八つ葉のクローバーなんて本当にあるのー!?』

「クローバー……?」

 

 溜まった疲労を吐き出すように天を向いて声を荒げる佐天。彼女の叫びを耳にしたゴーグルは手に入れた情報を脳内知識と照らし合わせると、合点がいったと軽く頷いた。

 幸せを運ぶ四つ葉のクローバー。それだけでも随分なレアアイテムだが、世の中にはそれをさらに超える枚数のものが存在するらしい。そして、複数葉のクローバーすべてに特別な意味合いがあり、その意味に合った願いを込めてお守りにするのが最近流行っているのだとか。以前暇つぶしに流していたニュース番組の特集で見た覚えがある。

 ということは。現在の状況と彼女が置かれている環境、その他諸々を照らし合わせると、佐天の目的は手に取るように分かった。

 

(ようするに、佐倉クンにお守りとしてクローバーを渡そうとかいう寸法っスね)

 

 思春期の佐天らしい考えだと思うが、それと同時にくだらないという嘲笑も生じた。

 科学至上主義の学園都市、その中でも一際深いところにある暗部世界。その地獄に身を置く立場の人間が占いや迷信に頼ろうとしている時点で甘えているとしか形容の仕様がない。たとえ彼女が非力な無能力者で、大切な人に少しでも力になれるという思いから生じた行動だとしても、だ。一方的な想いは相手の身を苦しめ、滅ぼす枷となる。ようするに、愚かな行動だと表現するしかない。

 ……が、不意に脳裏に浮かぶ忘れたはずの光景。

 

 ――――の為に作ったの、少しでも力になりたくて。

 

「っ! クソッ!」

 

 白衣の女性。自らに向けられる笑顔と言葉。慈愛と優しさに溢れた、今では感じることすらできない温もり。

 そんな忌まわしい記憶(・・・・・・・)を舌打ちと共に霧散させると、ゴーグルは足早にその場から立ち去る。これ以上、自分を惑わさなくて済むように。思い出したくもない過去を、思い出さなくていいように。

 いつもなら無骨なヘッドギアがあるはずの頭部を、無意識に触っていることには終ぞ気が付かないまま。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 太陽もすっかり沈み、完全下校時刻が近づき始める。

 スマートフォンの懐中電灯機能で周囲を照らしながら、佐天は未だに目的の代物を探し続けていた。

 

「うぅ、見つからないよぅ……」

 

 もう何度目になるか分からない泣き言が口をつく。すっかり汚れてしまった右手で汗を拭うと、そのままの勢いで草むらの上に仰向けに寝そべった。黒に染まる世界の中で、月明かりだけが煌々と佐天を照らす。

 

「……やっぱり、無謀だったのかな」

 

 ぽつり、と。

 そんな言葉が内から溢れ出す。そっと右腕で両目を隠すと、生暖かい感覚が伝わってきた。遮られた視界の中で、疲労感に苛まれながらも彼女は静かに、それでいて確かに内心を吐露していく。

 

「あたしがやろうとしていたことは全部無駄でしかなくて、佐倉さんにとっても余計なお世話でしかなくて……所詮は、ただの自己満足でしかなくて……」

 

 思い出す。今までの佐天と佐倉の会話を。蘇る。今までの佐天と佐倉の関係を。

 特別仲が良い訳ではなく、二人っきりで行動するようなことをしてきた訳でもない。自分と彼はあくまでも『御坂美琴を通じて知り合ったただの友人』だ。彼からしてみれば、何故自分が暗部に入ったのかすら不思議に思う程だろう。実際、佐天本人も確かなことは分かっていない。彼の力になりたい、支えたいとは垣根に言ったが、何故自分がそこまで佐倉の為に行動しようとしているのかすらマトモに理解してはいない。

 何かで助けてもらったとか、借りがあるとか、そんなことはないけれど。

 それでも、理由は分からないけれど、佐倉望という少年を支えたいと思った。その思いだけで今までやってきた。薄っぺらい覚悟だけで、ここ数日過ごしてきた。

 だが、そんな思いでさえ、自分には貫き通すことも許されないのだろうか。

 

「無能力者だから、とか言い訳する気はないけれど……もしあたしにも能力があったら、あの人の助けになることができたのかな……」

 

 分かっている。そんなことは有り得ない。たとえ自分に能力があろうが無かろうが、彼を一番近くで支えることは佐天には出来なかっただろう。あの超能力者の少女が常に傍にいた。友人でしかない自分がその位置に立つことはできない。所詮は荒唐無稽な妄想だ。無理で無茶で無謀で……非現実的な空想だ。

 現に、自分はクローバー一つ見つけることができないではないか。

 

「……もう、帰ろう」

 

 最初から可能性の低い勝負ではあったが、ここまで駄目だとむしろ清々しい。いいではないか。誰にも迷惑をかけていないのだから、諦めても問題ないではないか。

 頬に残った涙を拭うことも忘れ、虚ろな瞳で空を見上げながらゆっくりと立ち上がる。空元気とは裏腹に重い足取りで帰路に着こうと足を動かす。

 そんな時だ。

 背後から、彼女に向かって声がかけられたのは。

 

「クローバーってのは根本で繋がってるんっスよ。だから、四つ葉以上の代物を探したいのなら、それを一度見つけた周辺で探すのが一番手っ取り早い。手当たり次第に全体的に探すのは愚策もいいところっスわ」

「え……?」

 

 聞き覚えのある声。それでいて、この場では聞こえるはずがない声。状況の把握が追い付かないまま、佐天は目を丸くして背後に視線を向ける。

 荒い質感の短かい髪。長袖のシャツにベストを着込んだどこにでもいるような風貌の青年。普段ヘラヘラしているはずの顔は今まで見たことがないくらいに真面目な表情を浮かべている。彼を現すシンボルと言っても良い土星の輪のような無骨な機械は見えないものの、目の前にいるのは確かに佐天が知る彼だ。

 仲間達からゴーグルと呼ばれる少年は、右手を伸ばすと佐天の目元をぐいっと拭う。

 

「らしくないっスね。佐天ちゃんは泣いてる顔より笑ってる顔の方が似合うっスよ?」

「ゴーグル、さん……?」

「はいな。皆さんお馴染みゴーグルさんっス」

「どう、して……?」

「……まぁ、こっちにも色々と思うところがありまして。つーかアンタ見てると思い出したくないヤツ(・・)を思い出して無性にイライラするんスよ。だから、さっさと終わらせてアジトに帰りましょ」

 

 若干気恥ずかしそうに目を逸らし、軽く舌打ちを見せるゴーグル。何故彼が佐天の事情を知り、かつこの場に来て手伝おうとしてくれているのかまったく分からない。ぽかんと間が抜けた表情で彼を見上げたままの佐天だったが、慌てて正気に戻ると口を開いた。

 

「で、でも! 探すって言ってもそもそも四つ葉自体が見つからないし……」

「オレに任せるっスよ。一分あれば余裕で見つけてみせる」

「一分なんてそんな無茶な……」

「念動力の波を辺りに放って、探査機みたいに使うんス。海豚や蝙蝠は超音波を使って周囲の様子を探るっていう話は知ってるっスか?」

「た、確か前に授業で……」

「それと同じ原理っすよ。そんで、オレはなんだかんだ大能力者っス。四つ葉のクローバー? 八つ葉のクローバー? そんなもん、オレが本気出せば夕食前っスよ!」

「ゴーグルさん……」

 

 先程とは打って変わって自慢げな様子で胸を張るゴーグル。予想だにしない彼の善意に止まっていたはずの涙が再び溢れ出す。それだけではない。疲れ切っていたところに不意打ち染みた優しさを浴びせられ、ついには嗚咽までもが止まらなくなってしまった。

 

「う、ふぐっ……ありがとぉ、ございます……」

「女の子が泣くもんじゃないっスよ。常に綺麗な笑顔でいなきゃ、可愛いのに勿体ないっス」

「でも……どうして、あたしの為にわざわざ……」

「……さーてね」

 

 泣きじゃくる佐天の頭にポンと手を乗せ優しく撫でながら、彼は明後日の方向に視線を向ける。

 その顔に浮かんだ表情を、佐天は終ぞ忘れることができなかった。

 

「場違いなヤキでも回ったんでしょ、たぶん」

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

「……似合わないことしちまったっスねぇ」

 

 日付変わって10月8日。以前【アイテム】とかいう暗部組織に殺されたスナイパーの補充が行われ、砂皿緻密が新たに【スクール】に加わった。今はそんな彼が自己紹介を丁度終えたところだが、窓の桟に頬杖をついてぼんやりと外を眺めるゴーグル。ぽつりと口をついて出た言葉は、昨日佐天の手助けをした自分に対する嘲笑だ。

 自分は暗部組織の人間であり、佐倉望や佐天涙子を利用しているだけの存在。彼らに対する善意なんて欠片も持ってはおらず、助けるなんてもってのほかだ。自分の課せられた使命は、おそらくは彼らの障害になるものでしか有り得ない。

 ……それなのに、どうしてあんなことをしてしまったのか。

 

「はぁ……」

 

 溜息をつきつつも、何の気無しにスマートフォンを取り出すとそこにぶら下がるストラップを眺める。ラミネート加工された、四つ葉のクローバー。幸福を象徴するその植物は、今朝佐天からお礼として渡されたものだ。佐倉にだけ渡しておけばいいものを、なんとも余計な事ばかりする子供である。

 渡された時の言葉が、これまたどうしてゴーグルの頭から離れない。

 

 ――――あたしは、ゴーグルさんにも死んで欲しくありません。

 

「……こっちの気も知らないで、好き勝手言いやがって」

 

 愚痴を零すが不思議と彼の表情は綻んでいた。本人はおそらく気づいてはいないのだろうが。

 再び溜息をつくと、スマートフォンをポケットに戻す。そろそろ明日の準備をしないといけない。運命の日がやってくる。自分達【スクール】が革命を起こす、学園都市転覆の日が。

 

 10月9日。学園都市独立記念日。

 

 悪役達が蔓延る抗争(ステージ)の幕が、今上がろうとしていた。

 

 

 

 

 

 




 次回からは皆様お待たせ暗部抗争編。やっとここまでこれた……!


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暗部抗争編
第五十四話 決戦前


 暗部編始まります。


 カチャカチャと音を鳴らしながら黙々と手を動かす黒髪の小柄な少年。右手に持ったドライバーでフルフェイスヘルメットの緩んだネジを締めていく。彼の周囲には、のっぺりとした光沢を放つライダースーツのような装甲服が各パーツバラバラになって置かれている。駆動鎧の整備、と言えば聞こえはいいが、今からの任務を考えるともっと忌々しい呼び方をすべきだろう。ひとつ例を挙げるならば、暗器の手入れ、だとか。

 静寂の中で手を動かす少年の目に、光はない。ペイントツールのバケツ機能でまとめて塗りつぶしてしまったのではないかという程に暗く曇った彼の眼は、とても今を生きる人間のものだとは思えない。どれだけのものを失い、どれだけのものに絶望したとしても、本人だけでは為し得ない程に歪んだ空虚な瞳。黙々と、淡々と。スイッチを押されたままの機械のように、ただ手を動かすだけの佐倉。

 学園都市第二位、垣根帝督の話術と未元物質。そして、心理定規による洗脳と能力行使。

 暗部界隈でもトップクラス。防ぎようのないレベルの外的操作を受けた今の佐倉に、心なんていう無駄なものは存在しない。彼の中にあるのはただ一つ。『力』への、飽くなき欲求。

 整備が終わった駆動鎧を、今度は次々と装着していく。手、足、身体……先程まで細身の線が浮かび上がっていた肉体のすべてを覆うようにして存在を主張する、黒塗りのゴツゴツした外殻。その姿はさながら、中世の鎧騎士の如く。

 

「準備はできたみたいだな」

 

 突然の声に背後を向くと、扉の前に立つ一人の青年。赤茶色のブレザーに身を包んだ、端正な顔立ちをした茶髪の青年が佐倉に声をかけていた。ホストのような外見をしているが、彼はこう見えても学園都市で二番目に強いと言われる超能力者だ。【未元物質】を操る能力者、垣根帝督。学園都市第二位であり、暗部組織【スクール】のリーダー。

 垣根は佐倉の反応を確かめると、右手に持っていた缶ジュースをぽいっと投げ渡す。

 

「これは?」

「決戦前の餞別だ。こういうの、ちょっと憧れてたんだわ」

「無駄な事を」

「いいだろ別に。浪漫ってのはいつどんな時も色褪せないものなのさ」

「そうかよ」

「愛想悪いなぁ」

「お陰様でな」

 

 すっと煽って一息に飲み干すと、そのままきゅっと手の中で握り締める。

 そこまで力を入れた様には見えなかったが、缶は一瞬のうちに無様な鉄塊へと変貌していた。

 

「それ一応スチール缶なんだけどな」

「関係ねぇよ」

「そうかい」

 

 あくまでも飄々とした態度を崩さない垣根に対し、佐倉は悉く無愛想を貫く。それが自分の意思によるものか、はたまた誰かによって植え付けられた感情であるのかは、本人の知るところではない。真相は、彼以外が知っている。

 垣根が訪ねてきたということは、そろそろ頃合いなのだろう。丁度いいタイミングだ。どちらかといえば、待ちくたびれたと言っていいかもしれない。待ちに待った殺戮と混沌の宴を前にして、興奮からか身震いが止まらない。ニィ、と口の端が吊り上るのを無意識ながらに感じる。

 

「行くぞ」

「あぁ」

 

 10月9日。

 学園都市の独立記念日として位置付けられた祝福すべき暦。今この時は、知る人は少ない。

 この日が、学園都市史上に残る忌々しい抗争の日として記録されることを、何人も知る由はない。

 

 さぁ、殺戮の宴を始めよう。

 

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

「素粒子工学研究所?」

「そ。上から渡された情報によると、【スクール】の連中は親船最中暗殺に乗じて本命のそっちを狙っているらしいのよねぇ」

「え、待って。話が見えない。親船最中ってあの統括理事会の人よね? その人が暗殺されるって、え? 本当なのそれ」

「忌々しい限りだけどぉ、こと情報に関しては誰よりも信用できる上司だから間違いないわねぇ」

 

 第七学区南西端に位置する小さな街、【学舎の園】。女子生徒、それもお嬢様ばかりが集まる男子禁制の楽園。その一角にある小さな喫茶店に、【クイーンズ】の四人は集合していた。

 「あのクソ女……」となんとも苦悶に満ちた表情で舌打ちをしかねない程に不機嫌面を披露する食蜂。唐突に聞かされた前代未聞の情報に、頭の整理が追い付かない。そもそもなんでこの女はこんな的確な情報を持ってこれたのか、と素直な疑問が浮かぶものの、場をかき乱すことにしかならないだろうと判断して口を噤む。

 紅茶を飲んで大人しく耳を傾けることにした美琴を他所に、優雅にココアを嗜んでいた銀髪紅眼の少女が何やら「ふむぅ」と神妙な溜息を漏らした。

 

「妙だな。ほとんど万能と言っても良い【未元物質】を有する垣根帝督が、今更何を求めようとしているのだ」

「まぁ、【未元物質】でもできないことはあるってことなんでしょお? 彼らの目的が分からない以上、私達にできるのは現地に赴いて実際に聞いてみることくらいねぇ」

「真正面から真っ向勝負とは、これまたお主にしては珍しい作戦だな。何かに感化されでもしたか?」

「仕方ないでしょお? 潜入させている下部組織の木偶人形によればもう【スクール】は動き出しちゃってるらしいしぃ、現在の状況を鑑みて、最適な作戦が正面突破しかなかったのよぉ」

「その木偶人形とやらに情報を集めさせればいいだろう」

「下部組織の下っ端が中枢の情報を得られるわけないでしょお」

「確かに、それもそうか」

「なんにせよ、面倒な話よねぇ」

 

 愛用のリモコンで額をトントンと突きながら愚痴る食蜂を尻目に、美琴は一人静かにケーキを食べ続けている端正な顔立ちの美少女へと声をかけた。

 

「ねぇ静。【スクール】が素粒子工学研究所を襲撃って話だけれど、そこに望は現れると思う?」

「間違い、ない……戦力的に、考えて……佐倉は、きっと姿を現す……」

「願わくば、そこでさっさと終わりにしたい所ね……」

「それは、難しいか、も……」

「どうして?」

 

 あくまで前向きな美琴に対し、桐霧は冷静な予想を返す。

 

「洗脳されてる、かもしれない……向こうには、【心理定規】がいる、から……」

「心の距離を操るとかいう能力者だっけ?」

「そ、う。リリアンから、聞いた話でしかないけれ、ど……愛すべき人を憎み、憎むべき人を愛する。精神的に弱い、佐倉なら……能力にはまっている可能性が、高い」

「洗脳か……面倒かつ悪質な能力を使う人間がいたものね……」

「こら御坂さん。どうして私の方を向きながら溜息をつくのかなぁ?」

「うっさいわね悪質代表」

「うぐぐ、電磁バリアーさえなければ操って通路のど真ん中でストリップさせるのにぃ……!」

「アンタ、今自分の株を落としていることに気づきなさいよ」

 

 食蜂の洗脳能力が効かない美琴は彼女にとっては天敵らしく、仕返しができないという意味では憎たらしい存在であるらしい。こうやって罵り合うのはもう何度目だろうか。最近では周囲から「超能力者二人は仲が良い」とまで言われている始末だ。いい加減にしてくれと声を大にして叫びたい。

 

「というか、仮に望が洗脳されているとしても、食蜂が能力使って解いてしまえばいい話じゃないの」

「もちろん、実際に出くわせば洗脳の一つや二ついくらでも解いてあげるわよぉ。でもでも、たとえ洗脳を解いたところで、佐倉クンがこちらの味方になってくれるかと言われればそれは違うわよねぇ」

「で、も……素の状態で戦った方、が……私達の声も、届きやすくなる、から……」

「まぁなんにせよ、とにかく佐倉クンを見つけて接近することが重要ねぇ。桐霧さんには先陣を切ってもらうとしてぇ、誰を護衛につけようかしらぁ」

「あん? 静が先頭で突っ込むなら、私とリリアンでアンタを守ればいいだけでしょ?」

「佐倉クンがその場にいるかもしれないのに、御坂さんが大人しく私の傍で待機力を発揮してくれるとは思えないんだけどぉ?」

「……否定はできないわね」

 

 ジト目でこちらを睨んでくる食蜂から目を背けつつ、気まずそうに頬を掻く。確かに、否定はできない。過去何度も自分勝手に突き進んでは仲間達に迷惑をかけてきた実績を持つ美琴が暴走しないとは断言できない。いや、というかおそらく無理であろう。佐倉を前にした時、計画段階の作戦を維持できるとは到底思えない。悔しいが、食蜂の言う通りだ。

 むぅ、と口籠る美琴に呆れの視線を送る食蜂だったが、そもそも元からある程度の解決策はあったらしい。「まぁ、なんとかなるでしょ」と適当に流すと、話し合いを続行。

 

「私達の目的はただ一つ。佐倉クンの確保だけよぉ。もうこの際だから言っちゃうけど、別に【スクール】の目的とか学園都市の命運とかどうだっていいわぁ。佐倉望を確保して、闇の世界から引きずり出す。具体的な方法に関しては……まぁ、各自のアドリブ力でなんとかするんだゾ☆」

「そのアドリブ力とやらが著しく低いメンバーの集まりのような気がするが、大丈夫なのか? 我が言え事ではないが、ほぼ間違いなく実力行使に出ると思われるぞ」

「さっさと解決してくれるならなんでもいいわよぉ。そもそも、この件自体私的には片手間みたいなもんだしぃ、本筋はそこのお二人さんがどうにかしてくれるでしょぉ?」

「当たり前よ。アンタなんかに任せておけるかっての」

「大丈、夫……佐倉は、絶対、助けてみせる」

 

 パチ、と前髪から軽く火花を飛ばして応答する美琴と、力強く頷く桐霧。多少心配は残るものの、力量的にはおそらく学園都市でも屈指の実力の持ち主達だ。きっとうまくいくだろう。不安を拭えたのか、落ち着いて紅茶を啜るリリアン。

 ……ところで。

 美琴は前々から不思議に思っていることを桐霧に尋ねる。

 

「そういえばさ、前にも理由は聞いたけど、静はどうして望にそこまで執着してんの? 自分を殺して戦っているアイツを助けたいとかどうこう言っていたけど、それだけにしては随分と熱が入ってるみたいじゃない?」

「別、に……大したことじゃ、ない。でも……」

「でも?」

「なんか、こう……言いづらい、けれど……」

 

 何やら口籠る桐霧に怪訝な表情を向ける。様子がおかしい。美琴の勘違いかもしれないが、頬の辺りに若干の朱が差しているようにも見える。まさか、いや、そんなはずは……嫌な予感が脳裏に過ぎり、額に汗が滲み始めた。何かが告げている。乙女の勘が告げている。良からぬ結果を招きかねないと、美琴の第六感が警鐘を鳴らしている。

 そうして、彼女は口を開いた。

 

「初め、て、私の全力をぶつけた相手だからかも、だけど……胸の辺りが、ポワァって……いいなぁ、って、思ってきてる、かな?」

「……気のせいよ、それは。勘違いよ、全力で」

「あらあら御坂さぁん。何を焦っているのかしらぁ?」

「うううううるっさいわねこの金ピカ! あぁくそ! このタイミングで予想外の敵が出現だと!? ふっざけんなぁー!」

 

 長身。スレンダー。そして、この世の美を凝縮したような端正な顔立ち。

 先程とは別の意味での最強の敵が、美琴の前に立ち塞がろうとしていた。

 

 

 

 

 

 



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第五十五話 第一関門

 第十八学区、霧ヶ丘女学院を近くに置く、素粒子工学研究所。

 あれから準備を整えて目的地へと向かった【クイーンズ】一同は、現在その正面入口付近にワゴン車を止め、中から様子を窺っているところだ。本来ならば物静かで優雅な雰囲気が漂う霧ヶ丘女学院周辺だが、現在美琴達の鼓膜を震わせるのは騒々しい爆音と恐怖を誘う破壊音。ズン、と学区全体を揺らすような震動がワゴン車の中にいる彼女達にも容易に伝わる。

 窓の外。視線の先にそびえ立つ素粒子工学研究所の惨状を前にして、リリアンがぽつりと呟いた。

 

「地獄絵図とはまさにこの事だな」

 

 彼女の言葉に重々しく頷く一同。普段からちゃらけている食蜂でさえも軽口を叩くことができていない所に現状の悲惨さが窺えるだろう。

 もくもくと止むこともなく上がり続ける灰色の粉塵と、それに伴い傾いていく建物。時折空に向かって放たれるオレンジ色の光は、おそらく【アイテム】のリーダーであり学園都市第四位の超能力者、麦野沈利の【原子崩し(メルトダウナー)】だ。かつて【絶対能力進化実験】の真相を追っていた際に彼女と対峙した美琴は、覚えがある殺人的な光線に軽く身を震わせる。あの日の死闘はいつ思い返しても身が竦み上がりそうになる。

 そして、そんな麦野に何発も【原子崩し】を使わせる程の相手。それは紛れもなく学園都市で最強クラスに君臨する男。夏休みに激突し、そして子供を相手にするかのように軽くあしらわれた仇敵。佐倉望が暗部に堕ちることになった直接の原因。

 学園都市第二位。【未元物質(ダークマター)】を操る超能力者、垣根帝督。

 学園都市第一位である一方通行を除けばトップクラスの実力を持つ最強の能力者が、今あの場所で麦野と激闘を繰り広げているのだ。彼が率いる【スクール】と麦野率いる【アイテム】の抗争。その中には勿論、美琴が探し求めている無能力者の少年も含まれているはずだ。

 あの戦場に、佐倉がいる――――

 

「落ち着きなさぁい。今ここで闇雲に飛び出しても、【スクール】の面々にタコ殴りにされるだけよぉ」

「……わかってるわよ」

「ま、どーせ突っ込むことには変わりはないんだけどぉ。御坂さんの突破力なら垣根帝督とあの女(・・・)以外には負けないだろうしぃ」

「あの女……?」

 

 ようやく佐倉と対峙できる。その事実に今にも飛び出してしまいそうな美琴を制止する食蜂。日頃ちゃらんぽらんしているくせに、こういう時はリーダーらしくなるから気に食わない。だが、このメリハリが彼女の女王たる所以なのだろうと理解する。

 そして、食蜂の言葉に首を傾げる。垣根に負けるかもしれないというのは百歩譲ってわかるとしても、あの女とはいったい誰のことだろうか。【スクール】にはそんな厄介な能力者がいるのか、と以前彼らと戦った経験をもつ元【カレッジ】の二人のほうに視線を向ける。桐霧はなにやらキョトンとしていたが、一方のリリアンは苦虫を噛み潰したような表情で苛立った様子を見せていた。もしかすると、彼女が戦った能力者とやらがその女なのかもしれない。

 だが、美琴がそれ以上の追及を行うことはできなかった。別に心情の変化があったとかそういうことではまったくない。

 当の彼女が、こう言ったのだ。

 

 

時間だ(・・・)佐倉が分かれるぞ(・・・・・・・・)

 

 

 リリアンの言葉に全員がキョトンとした反応を返す。美琴自身も、彼女が何を言い出したのか理解が追い付いていない状況だった。何が時間なのか、その説明を聞き返そうと口を開く勢いだった。これが普段ならば、そのまま聞き直していただろう。

 しかし、美琴は思い出す。リリアン=レッドサイズの能力が如何なるものなのかを。

 【未来予知(カオスフォーチュン)

 一分先の未来を確実に予知する、予知能力系の頂点。単純な精度だけならば学園都市でも最高といっても間違いではない能力者が、「時間だ」と告げた。その言葉が意味することは、つまり。

 

 刹那。

 

 第十八学区全体を揺さぶるような爆音と共に、素粒子工学研究所の上層が消し飛んだ。

 

「なっ……!?」

「ぼけっと突っ立ってる時間はないぞ御坂美琴! 【ピンセット】を巡って【アイテム】と【スクール】の一部が佐倉から離れた! 今が絶好のチャンスだ、さっさとあの馬鹿無能力者の顔面をぶん殴ってこい!」

「アンタと食蜂はどうすんのよ!?」

「仮に佐倉が洗脳されていた場合、この金ピカに一役買ってもらう必要がある。だがそれでも隙が必要だろう? 我と食蜂は気づかれないルートで侵入するから気にするな! 貴様と静はとにかく走れ!」

「わ、わかったわ!」

 

 リリアンに捲し立てられるように桐霧を引き連れて素粒子工学研究所の中へと向かう。作戦も何もあったものではないが、そもそも【クイーンズ】の方針は「当たってから考えろ」だ。どちらかというと体育会系に属する美琴と桐霧ならば尚の事。ぐだぐだ言っている時間があるなら一歩でも前へ。探し続けていた人物がそこのいるのだから、一刻も早く。

 

「望……!」

 

 ポケットの中のコインを無意識に握り締めながら、超能力者の少女は物語の舞台へ飛び込んでいく。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

「……クソッタレ。あのゴリラ女、相当な無茶しやがって」

 

 無造作に散らばった瓦礫の山。その中の一部がボゴンと破裂したかと思うと、下から這い出てくる血だらけの少年。服はあちこちが破け、土星の輪のようなヘッドギアから腰の機械に繋がる無数のプラグは何本かが途中で引き千切られたかのように分断されている。仲間内からは『ゴーグル』と呼ばれている少年は、満身創痍の身体を瓦礫の中から引きずり出すと近くの柱に背を預けながら息をつく。

 

「第四位が本気を出す前に垣根さんが【ピンセット】を奪って【アイテム】を蹴散らしてくれたのは不幸中の幸いっすね……あのまま戦っていたら間違いなく死んでたっスよ。ラッキー」

 

 脳裏に甦るのは橙色の光線をバンバン飛ばしながら追いかけてくる長身の美女。近づくものすべてを薙ぎ倒す勢いでこちらの命を刈り取ろうとしてくる化物から生還できたのは正に幸運だったと言わざるを得ない。麦野と対峙した瞬間に死ぬ覚悟はできていたのだが、自分の運もまだまだ捨てたものではないらしい。

 やれやれと溜息をついたところで、ふとズボンのポケットから飛び出しているストラップに目が行った。ラミネート加工された四つ葉のクローバー。最近仲間になった何故か放っておけない少女からプレゼントされたものだが、それが意味するものを思い出すとどこか自嘲気味に鼻を鳴らす。

 

「後で佐天ちゃんにお礼を言っとかないといけないっスねぇ」

 

 神頼みやら運試しやらの類は信じないタチなのだが、今回ばかりは感謝してもいいかもしれない。飯の一回でも奢ってやるか、と軽口を叩きつつも、ヘッドギアと腰の機械に調子を確認しながらゆっくりと立ち上がる。

 そして(・・・)目の前の(・・・・)敵に向かって(・・・・・・)

 

「思ったより遅かったっスね。そんでもって、どうやらハズレを引いたみたいだ」

「……望はどこ」

「さぁてね。この乱戦だ。自分の身を守ることで精一杯っスよ」

 

 前髪からパチッと火花を飛ばしながら威嚇気味に問いかけてくる茶髪の少女に、相変わらずの飄々とした態度で応答するゴーグル。態度だけは余裕を見せてはいるが、体力的には既に限界ギリギリのラインを割っている。第四位とはいえ学園都市最強の一角を担う超能力者と命を賭けた死闘を繰り広げたのだ、その疲弊は計り知れない。もしかしたらあと一押しで倒れてしまうのではないかという程に、ゴーグルの身体は限界を迎えつつあった。

 彼の状況を分かっているのだろう。【超電磁砲】は静かに告げる。

 

「望の居場所を答えなさい。GPSでもなんでも使って今すぐに教えなさい。見た限り限界が近いんでしょ? 無理はしない方がいいと思うのだけど」

「…………」

 

 対するは、無言。

 彼女の言葉は正論で、正確で、正解だ。今のゴーグルに彼女とマトモに渡り合う力は残されていない。今ならば下級の能力者にすら遅れを取ってしまう程だ。

 しかも、別段関係もない佐倉望を庇って無理に戦う必要もない。所詮はビジネスライクな関係だ。自分の身を守るために切り捨ててしかるべき関係だ。わざわざ死にかけてまで尽くしてやるような義理も恩もあったりはしない。

 だけど、でも。

 脳裏に浮かぶ無能力者の少女は。

 記憶の中で浮かび上がる不器用な少女は。

 

 彼女は何故だか、悲しげな表情を浮かべていた。

 

「……まぁ、このまま負けっぱなしってのは男としてつまらないっスよねぇ」

 

 ゴーグルの位置を整えると、電撃姫と視線を交わす。表の人間でありながら、彼女の顔には油断が一切見えない。今の彼女は目的のためならば人すらも殺しかねない勢いだ。邪魔立てすれば容赦なく殺す。そしてそれは、現在のゴーグルにも漏れなくあてはまるのだろう。

 やれやれと、再び溜息を吐く。

 既に後悔はなかった。

 

「佐倉クンは全てを投げ打ってでも強くなろうとしている。それを邪魔立てする理由が、アンタにはあるんスか?」

「たとえアイツ本人が望んでいるんだとしても、それを私がおかしいと思ったから止める。それだけよ」

「自己満足と我儘を理由に選択するのは少々精神年齢が幼いと思うっスよ?」

「いいのよそんなの。こういうのはシンプルイズベスト。気に喰わないからやめさせる。それが正しいとか間違っているとかはどうでもいい。私はとにかく、あの馬鹿を一度思いっきりぶん殴ったうえで面と向かって話し合いたいの」

「それが傲慢って言うんだと気付けないんスかね」

「女ってのは少しくらい(おご)るくらいがちょうどいいのよ」

 

 バチ、と火花が放たれ、ズン、と地面が揺れる。飛び交う力場の応酬が素粒子工学研究所を大きく揺らす。彼らの戦いを邪魔するものはこの場には一人たりとも存在しない。己の信念とプライドのみが交錯する空間で、二人は独りよがりなエゴと共に能力を奮う。

 しばらくの静寂の後、どちらともなく放たれる開幕の宣誓。

 

『行くぞ』

 

 電流が、奔流が、電撃が、衝撃が。

 あらゆる破壊の数々が、戦場を染め上げていく。

 

 

 

 

 

 




 ゴーグルくんがブレッブレすぎてつらひ。


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第五十六話 足掻き

「女を殴るってのは、あんまり趣味じゃあないんスけどねぇ!」

 

 吐き捨てるように叫ぶと、ゴーグルは瓦礫の一つを踏み台に美琴の懐へと潜り込む。本来の飛び込みではありえない程の速度。おそらくは、念動力を足元に展開した上でのジェット噴射。ライフルの如きスピードで美琴との距離を詰めた彼は、同じく念動力で強化された拳を握ると真っ直ぐに突き出す。

 狙うは――――顔面。

 

「っ! ん……のっ!」

 

 本来の反射神経では回避できない程の速度。それを、美琴は磁力を使って強引に避ける。瓦礫の中に埋め込まれた鉄柱。金属が無数に存在するこの研究所内において、彼女の能力は多少の無理を可能にする。

 一撃で頭蓋を粉砕する拳が頬横ギリギリを通り抜ける。まさに紙一重。電磁波によるセンサーが無ければ反応が遅れていただろうことを考えると冷や汗が止まらない。超能力者である彼女がそれほどまでに危惧する攻撃。満身創痍になってもなお、目の前の敵はそれだけの戦闘を行うというのか。

 接近戦では分が悪い。そう判断した美琴は体勢を立て直す間も置かず足元に電撃を放つ。

 

「あっぶ……!」

「ほらほら! 足を止めてると黒焦げになるわよ!」

「ち……!」

 

 不意に行われた牽制にたじろぎながらも再度攻撃に移ろうとするゴーグル。が、追撃は許さないとばかりに雷撃の襲来は続く。磁力で後退しながらの電撃。接近戦を得意とするゴーグルにとって、美琴が取った戦法(ヒット・アンド・アウェイ)はまさに必勝法と言えた。

 本来、美琴の能力は接近戦には向いていない。

 【砂鉄の剣】に代表される近接攻撃法を有する彼女だが、通常【電撃使い】が得意とする射程は中距離。磁力による高速移動や電撃、果ては彼女の代名詞ともいえる【超電磁砲】もその代表格と言えるだろう。それでも美琴が近距離戦に置いて満足に戦えているのは、ひとえに彼女自身の身体能力、格闘技術ゆえに他ならない。

 そして、今回のゴーグルのような『触れるだけで危険な相手』に対しては距離を置くのが定石だ。いくら彼女の身体能力が高いとは言っても、念動力によって底上げされた格闘術に勝てる可能性は低い。たかが一撃と侮ることなかれ。その一撃が致命傷になり得るのが武闘派の怖い所なのだから。

 距離を取り、【雷撃の槍】を投げまくる。

 

「ち、ぃ……! ちょこまかと鬱陶しいっスねぇ!」

「生憎と、フットワークには自信があってね!」

「余裕綽々もそこまでっスよ!」

「甘い!」

 

 美琴の回避行動に業を煮やしたゴーグルは念動力を衝撃波に変えて放つが、足元の瓦礫を前方に展開することでなんなく防いでみせる。攻守共に特化したオールラウンダー。単純な能力の汎用性に関して言えば、【電撃使い】の頂点に君臨する美琴に圧倒的に分がある。

 無数の雷撃に加え、磁力によって操った瓦礫の数々も武器として加えていく。手数ならば絶対に負ける道理はない。ゴーグルの射程外から放つ攻撃。近接攻撃メインの彼は防御に徹する他はない。

 

「ぐ……!」

「さっさと降参して望の居場所を教えなさい。勝ち目がないのは分かってるでしょ?」

「…………」

「どうしたの? 追い詰められすぎて、反論する余裕さえなくなったのかしら?」

「…………」

 

 寸でのところで攻撃を避けていくゴーグル。追い詰められているせいなのか、美琴の挑発にもまったく反応を見せない。先程までとはまったく違う様子の変化に、どこか違和感を覚えてしまう。

 恐怖に脚が竦んだ、とも違う。現に身体は動いているし、美琴の攻撃を捌く余裕はあるようだ。

 それでは、何故。

 何故ゴーグルは、急に黙り込んだのか。

 

(何か仕掛けられてからじゃ遅い! 早いところこいつを倒して、望の居場所を吐かせないと!)

 

 敵の様子がおかしい時に手を緩めるのは愚の骨頂。そういう時は大抵隠し玉が出てくるものだ。次の一撃で決着をつけてしまおう、と美琴はプリーツスカートのポケットに右手を突っ込む。

 取り出したのは、一枚のコイン。

 ゲームセンターで使われている五百円玉程の大きさのそれは、美琴の能力の象徴と言っても良い代物だ。学園都市第三位に位置する彼女は、コインを利用した最強の攻撃にあやかってこう呼ばれる。

 

 【超電磁砲(レールガン)】、と。

 

「吹っ……飛べぇえええええ!」

 

 足元から、胴、頭と帯電していき、すべての電力が右手に集中する。メダルゲームのコインをローレンツ力で加速させ、音速の三倍もの速度で放つ御坂美琴の必殺技。

 叫びと共に放たれたコインは、圧倒的な空気摩擦によって空間を焼き、一筋の閃光となってゴーグルへと襲い掛かる。能力の余波は周囲の瓦礫を吹き飛ばし、爆音だけでも研究所を崩落させかねない程だ。

 ゴーグルへと着弾した瞬間、耳をつんざくほどに響き渡る爆音。その振動は大地を揺らし、もくもくと土煙を上げ続ける。そこに広がるのは、目を疑う程の破壊の惨状。

 

(……やりすぎちゃった、かな)

 

 佐倉の居場所を聞く腹積もりだったのだが、この状態だとそれも叶わなさそうだ。そもそも人間としての形が残っているかも定かではない。

 普段から()()()()()()()を持つ少年によって無効化されているから勘違いするかもしれないが、この技は本来人間に向かって放っていい代物ではない。駆動鎧や重戦車をまとめて葬る程の破壊力を秘めた【超電磁砲】を受けて、人の身が無事なはずはないのだ。

 戦いの終わりを悟った美琴は彼の亡骸の横を通りすぎようとする。居場所は分からなかったが、この研究所内にいることは間違いない。虱潰しに探していけばいつか鉢合わせになるはずだ。モタモタしている時間はない。

 無駄な時間を喰わされたことに若干苛立ちを覚えながらも、目標を捕捉すべく足を踏み出した御坂美琴は、

 

「……っ!?」

 

 不意に、周囲を見渡すようにしてその足を止めた。その顔にはどこか驚愕のような表情が浮かんでいる。信じられない、と言わんばかりに、目を見開きながら彼女はとある一点に目を向けた。

 ここで余談だが、御坂美琴は【電気使い】という能力上、常に全身から微弱な電磁波を放出している。これによって彼女は猫を初めとした動物から避けられてしまうのだが、利点として反射波によるレーダー……つまりは広範囲における索敵を可能としているのだ。ゆえに彼女に死角は存在せず、いかなる角度からの攻撃も即座に察知し対処する。彼女が中距離戦闘に置いて無類の強さを発揮するのも、この電磁波によるところが大きい。

 彼女が足を止めた理由。それは前述の通り、電磁波レーダーに何かが引っ掛かったからだ。彼女に脅威を為す何かが、この場に残っているからだ。

 有り得ない、と目を見張る。

 だが間違いなく、電磁波は『彼』の存在を示していた。どんな機械よりも信用できるだけあって、美琴はその結果を信じざるを得なかった。

 彼女は一点――――先程【超電磁砲】をぶち込んだ辺りに視線を固定したまま、わずかに身を震わせる。

 

「……そもそもさぁ」

 

 声が聞こえた。

 どこか飄々とした響きを湛えた男の声。すべてを不真面目に捉えているようなその声は、もう誰一人残っていないはずの土煙の中から聞こえた。

 

「アンタは佐倉クンを助けるだのなんだの言ってるけどさぁ」

 

 徐々に晴れていく土煙。それに伴い現れる『彼』の姿。

 土星の輪のような形をしたヘッドギアは半分が消し飛び、かろうじて頭に引っかかっている。無数のプラグが繋がった腰の機械も、既に見る影もなくボロボロだ。見れば、彼自身全身から血を流しており、そこに立っていることすら奇跡と言っても過言ではない程。

 彼は両手を突き出していた。より正確には、両の掌を前に突出し、壁を作るような体勢でそこに立っていた。

 

 ――――カラン、と乾いた音が木霊する。

 

 彼の足元。タイルは捲り上がり、ここが室内である事を忘れさせるような惨状。その床に、何か小さな金属片のようなものが落下した。

 それは黒焦げになった、金属の欠片。本来の最大射程で放てば空気摩擦で溶けてしまうはずのそれは、至近距離で放たれた結果わずかに形を残していた。

 ゲームセンターのコイン。

 御坂美琴の真骨頂、必殺技にも使われる愛用の武器が、彼の足元に転がった。

 防いだ、と言うのか。

 念動力で作った防壁で、自分の切り札を凌ぎ切ったというのか。

 動揺が顔に現れる。まさか、という思いが、有り得ない、という感情が、心を越えて表情に現れる。同時に、恐怖に似た何かが美琴の心を染め上げる。

 そんな中、彼は言った。

 暗部組織【スクール】の構成員としてではなく、一人の人間として。

 

「あいつを突き放したのは、他でもないアンタだろ」

 

 ――――呼吸が、止まった。

 図星を突かれた、とも違う。言葉尻を言うならば、核心を突かれた、と言った方が正しいかもしれない。

 以前佐倉の寮で【クイーンズ】を結成した時に食蜂にも言われたことだ。佐倉を取り戻す、助け出すとは言っているが、彼が自分から離れる原因を作ったのは他でもない自分ではないか、と。

 違う、と。叫ぼうとはするものの、肝心の声が出ない。そう言ってしまうことが、彼が去った原因は自分にあると認めてしまうことに繋がるように思えて。

 美琴の内心を知ってか、ゴーグルは更に捲し立てる。

 彼女の心を揺さぶっていく。

 

「アンタは甘えていたんだよ。佐倉クンの優しさに。相手の事なんて微塵も考えないで、自分の理想を押し付けて。だから拒絶した。自分の思い通りにならなかったから、癇癪を起こして突き放した。違うか?」

「そんな、こと……」

「そんなことない、と本当に言えるのか? 考えてみろ。佐倉クンは常に誰の為に行動していた? そして、アンタは少しでもそれを認め、労ったことがあるか?」

「っ…………」

「んでもって、最後に少し」

 

 もはや頭を抱え、視点が定まらない様子の美琴に向けて、ゴーグルはトドメの一言を放った。

 

「アンタは一度でも、弱い奴の立場になって物事を考えたことがあるか?」

「あぁぁ……」

「弱者がどんな気持ちでアンタと一緒にいようとしたか、考えたことはあったか?」

「あぁぁぁぁぁああああああああああ!!!!」

 

 バヂバヂバヂッッッ!! と空気が爆ぜる。意識の暴走によって能力が暴発し、至る所に電撃が襲い掛かる。辺り一面を、焼け野原にしていく。

 見れば、先程までそこにいたはずのゴーグルはいつの間にか姿を消していた。能力によって姿を消しているのか、もしくは電撃に巻き込まれて消し炭になったのかは分からない。

 もう、そんなことはどうでもよかった。

 佐倉の事を第一に考えながらも佐倉のことを何も考えていなかった自分が。

 彼が如何なる気持ちで自らを殺し、美琴に認められようとしていたのかを理解できなかった自分が。

 そして、自分勝手に彼を傷つけることしかできなかった自分が。

 許せない。

 

「うぁあああああああああああ!!」

 

 破壊。蹂躙。殲滅。

 まるで、周囲に八つ当たりする子供のように。手当たり次第にぶっ壊していく。

 その姿は学園都市第三位でも最強の電撃姫でもなく――――

 

 ――――たった一人の、無垢な子供だ。

 

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

「いつつ……くっそ、もうこれは使い物にならないっスね」

 

 外壁に凭れ掛かりながらも、既に無用の長物と化したヘッドギアと腰の機械を身体から外す。【超電磁砲】を防ぐ際に増幅器(ブースト)として利用したのだが、さすがに超能力者の一撃を耐えきる程の性能はなかったようだ。結果的に、愛用の兵器は御釈迦になっている。

 あの後、美琴が混乱している隙に能力で姿を消したゴーグルは、瓦礫と爆発に紛れながら素粒子工学研究所の裏口から外に抜け出していた。今は研究所を取り囲むようにして設置された外壁にて一息ついているところである。

 しっかし、と溜息をつくと、

 

「馬鹿な真似してないで、とっとと逃げればよかったっスねぇ」

 

 何故あの場で佐倉を庇おうと思ったのか、自分でも理解に苦しむ。何の得もないはずなのに、命を賭してまで御坂美琴を止めようとした自分の感情の変化に戸惑いが生まれる。

 ただ、なんとなくではあるが。

 誰かを守るために、強くなろうと我武者羅にもがき続けるあの少年の姿が……。運命に翻弄されながらも無様に足掻き続けるその姿が……。

 かつて絶望の淵に立たされ、最愛の人を失った、とあるクソ野郎(・・・・)にとてもとても似ていた。

 

「オレもつくづく馬鹿ってことか……そう思わないっスか? 伏兵さん」

「アリャ。気づいてたんだ? 弱ってもそういうところは暗部らしいんだネ」

 

 壁に背中を預けたまま、少し離れたところにある貯水槽に向けて言葉を投げる。

 その陰から現れたのは、ブレザー姿をした高校生程の少女。黒髪のツインテールを揺らす彼女の両手には、怪しく輝く二振りのサバイバルナイフ。

 追手の姿を視認すると、ゴーグルは肩を竦める。

 

「警策看取、だったっスか? 学園都市に良いように使われていた操り人形風情が、今更オレに何の用っスかね」

「残念だけど、今は【クイーンズ】とかいう組織に与しているんだよネ。ま、そんなことはどうでもいいんだけど……私の仕事はあくまで残党狩りだからサ」

「ちっ……あの女王蜂、余計な手間増やしやがって……」

 

 食蜂が何を考えて残党狩りなどという無駄な任務をやらせているのかは見当もつかないが、ゴーグル自身が窮地に追い詰められているという現状だけは理解できた。そして、その窮地をあの第五位があえて作り出したということも。

 頼みのヘッドギアは大破し使い物にならない。既に体力も尽きかけていて、戦う力なんて微塵も残っていない。

 勝ち目は間違いなくゼロ。なりふり構わず逃げるのがベスト。だが、今の満身創痍な肉体では逃げられるわけもない。殺されるのを待つだけだ。

 暗部という世界に身を置いている以上、殺される覚悟はできている。自分自身今まで数えきれない人の命を奪ってきたのだ、今更殺されるのが怖いなんていう甘い考えはない。

 だけど、でも。

 こんな時になっても、あの無力な少女の言葉が脳裏から離れない。

 

 

 ――――あたしは、ゴーグルさんにも死んで欲しくありません。

 

 

「約束、しちまったっスもんね……」

 

 膝に手を置き、ふらつきながらも立ち上がる。もはや覚束ない思考ながらも、必死に演算を組み立てていく。

 すべては、あの少女との約束を守るために。

 

「こんなところで死んでたまるか」

 

 拳に念動力を纏わせて、ゴーグルは最後の足掻きを始める。

 

 

 




 ゴーグルくんどうしてこんな立ち位置に……。


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第五十七話 栄誉を望め、万能なる化物よ。

 夢を見た。

 

『貴方が新しい被検体の子? ふふっ、これはまた、随分と無愛想な子が配属されたものね?』

 

 そんな事を言いながら一人で笑う二十歳ほどの女性。対して、笑われているのは十五歳くらいだろうか、どことなく幼さが抜けていない髪質の荒い少年だ。ナイフのように鋭い目つきで女性を睨む少年だが、当の彼女は気にする様子を全く見せない。それどころか、白衣のポケットに手を突っ込んだまま、『子供ねー』と笑う始末。あまりにも失礼な態度に少年は眉を顰めるものの、それでも女が気にする様子はない。

 しばらく女性を睨みつけていた少年だったが、不意に驚いたように目を見張った。目の前に差し出された右手。見れば、先程まで笑っていた彼女が、どことなく優しい笑顔を浮かべて少年の方に手を差し伸べていた。

 意図を掴めない少年に、彼女は言う。

 

『今日から貴方の担当になる、木原定理よ? 是非ともよろしくお願いするわね?』

『…………』

『もー。挨拶くらいはしっかり返さないと駄目よ?』

 

 戸惑いからか言葉も返さず手を握りもしない少年を嗜めながら、優しく彼の手を握る女性。いきなり触れられ一瞬びくっと反応するものの、敵意がないことを察したのかされるがままにされている。殺意と敵意に塗れていた顔は、いつの間にか戸惑いと驚愕に染められていた。今まで出会ったことがない種類の人間に、うまく対応できないのだろう。

 研究者にロクな奴はいない、というのはここ学園都市の常識だ。

 自分の目的の為なら被験者を傷つけることを厭わない。脳をケーキのように切り分けようが、四肢をプレス機で圧縮しようが顔色一つ変えない。そんな頭のおかしい集団が、研究者というやつだ。

 それなのに、この女性は何故か友好的な態度で少年に接してくる。彼女の思惑が予測できず、狼狽えるしかない。実験対象を甘やかす、とまではいかなくとも、しっかり一人の人間として接してくれる。あまりにも研究者らしからぬ木原定理とやらの異常性に、思考が追い付かない。

 目を白黒させながら困惑の表情を浮かべるこちらに対し、木原定理が取った行動は至極単純だった。

 

『今日から一緒に頑張りましょう? 落ちこぼれの私をサポートしてくれると助かるかしらね?』

 

 シンプルな笑顔を浮かべ、平凡に微笑みかけ、ありきたりな挨拶を与え。

 学園都市内において畏怖と恐怖の対象として知られる『木原』の中でも、突き抜けて平々凡々とした木原定理。そんなどこまでも極々普通な研究者との出会いは、こんな感じだ。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 彼が知っている実験と言えば、脳味噌をケーキのように切り分けられたりやら、頭蓋骨にドリルで穴を開けたりやらする残虐非道なラインナップだ。生死の境とかどうでもよくなるほどに、生きていることが馬鹿らしくなるほどに非人道的な実験の数々を、少年は今までに目の当たりにしてきた。そして、これから行われる実験も、その例に漏れない極悪非道なものだろうと予想していた。それはもはや確信の域に至っていたと言っても過言ではない。

 どんな悪行が自らの身に降り注ぐのか。半ば無理矢理覚悟を決めながら研究室へと足を運んだ少年。こんな地獄に足を踏み入れた時点で死ぬ覚悟はできている。やってみろよクソ野郎共。そんな事を頭の中で反芻しながら目の前の女研究者にメンチを切る。

 あまりにも敵対心丸出しで睨みつけてくる少年に対し、木原定理は隠すことなく苦笑いを浮かべ、こんなことを言った。

 

『ねぇ、キミはどんな形状の兵器が欲しい?』

『……は?』

 

 馬鹿にするとか呆れたとか、そんな感情が少しでも浮かんでくるとかいう以前に、まったくの無意識から反射的に声が漏れた。もしかしたら、自分が気づかない内に相当な間抜け面を浮かべていたかもしれない。研究者を調子に乗らせないように普段から表情を出さないように心がけてはいるのだが、まだまだ未熟な面が残る少年はボロを出してしまっていた。

 どれだけ悲惨に身体を弄られるか、そのことだけに意識を置いていた少年にとって定理の言葉はあまりにも突拍子もない内容だ。当然、向こうも呆気にとられることは把握していたのだろう。クスッと大人びた笑みで表情を綻ばせると、

 

『いきなりでビックリしたわよね? えっと、つまりはどういうことかというとね? 能力強化の為に実験をするのは極々自然の事だけれど、それ以外の方法もあるんじゃないかっていうのが私の考えなのね?』

『それ以外の、方法……?』

『被検体を酷使して壊してはまた新しいのを用意するなんて、コストパフォーマンスが悪すぎるじゃない? だから私は考えたのよね? 体内からではなく、身体の外から能力を補助するような……増幅器(ブースト)変換機(マルチタスク)でより高い能力を目指すっていうのが、私の専攻する内容ってわけね?』

『……オレは他の奴らみたいに、脳味噌をバラバラにされたりはしないのか?』

『しないわよ? だって勿体ないじゃない? せっかく貴方みたいな汎用性の高い能力者の担当になれたのに、ここで手放すなんて馬鹿のする事よね?』

 

 そう言って少年の頭を優しく撫でる定理。不思議な、それでいて奇妙な感覚が彼の中に芽生えていく。あまりにも研究者らしくない彼女の考えは、おそらくは間違いなく異端だ。能力者をモルモットとしか考えていないこの街の中でも極めて異例。どちらかというと愛玩動物的に考えているであろう彼女は、それでも他の研究者に比べると少年の目には眩しく見えた。このくそったれなアンダーグラウンドで、唯一光る眩い太陽に見えた。この人となら、もっと強く……苦しい思いなんてせず、素直な気持ちで実験に臨めるのではないだろうか。そんな似つかわしくないことまで考えてしまう。 

 だからだろうか。

 少年は頭に置かれた手を無造作に除けると、定理の顔を見上げてぽつりと呟いた。

 

『……名前』

『うん?』

『名前で呼んでよ。キミとかいう他人行儀な呼び方じゃなくてさ。そっちの方が、やる気が出る』

『あらら? こりゃまた可愛らしいツンデレっぷりね? おねーさんドキドキしちゃうなぁ?』

『う、うるさい! いいから名前で呼べよ!』

 

 羞恥心からか顔を真っ赤に染めて怒鳴る少年だったが、その表情はどこか明るい。胸の中に生まれつつある温かい何か、それがどんなものかを把握、理解する頃には、既に少年は大人になっているだろう。

 あまりにも素直で子供らしい、それでもおそらくは久しぶりに出したであろう年相応の表情に定理は驚いたような、それでいて母親のような慈愛に満ちた笑顔で、再び少年の頭を撫でた。

 

『それじゃあ、よろしくね? 私の大事な……』

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

「ゴーグルさん!」

 

 鼓膜を破りかねない程の大声と、大袈裟に揺らされる全身の感覚で目が覚めた。混濁した意識の中で、どうにか力を振り絞って瞼を上げると、声の主に焦点を定める。

 

「佐天、ちゃん……?」

「っ……! ゴーグルさん! 大丈夫ですか!?」

 

 視界に飛び込んできたのは黒髪の少女。花弁のヘアピンを付けた快活そうな雰囲気の女の子が、顔をくしゃくしゃに歪めながらこちらを覗き込んでいた。痛む身体に鞭を売って状況を把握すると、今現在自分は彼女に抱きかかえられているようだ。闇からは程遠い光の世界の住人である彼女の顔を見ていると、不思議と心が安らいでくる。

 だが、何故自分はここにいて、佐天に抱かれているのか。意識の覚醒と共に、気を失う直前までの記憶が蘇ってくる。場所は動いていない。素粒子工学センターの裏口。確か自分は【超電磁砲】の少女と戦闘を行った後、後始末に来た警策看取に襲撃されて……。

 

(あの女……腹の立つ真似しやがったっスね……)

 

 見逃された、というのは正解なのだろう。というか、最初から自分を始末する気などなかったのではないだろうか。【クイーンズ】という名前からして指揮官はあの忌々しい第五位だ。どちらかというと光の世界の住人である彼女の指示ならば、自分が見逃されたのも分からないでもない。前線に出ていなかった佐天が何故ここにいるのかは理解に苦しむが……大方また第五位が暗躍したのだろう。余計な事をしやがって、と思わず悪態をついてしまう。

 とにかく今は状況を確認しなければ。痛みに呻き声を漏らしつつも上体を起こす。

 

「佐天ちゃん……【スクール】の状況は……?」

「……作戦開始から半日が経過。安否確認が取れたのは心理定規さんだけです。垣根さんと佐倉さんの生死は不明。作戦は……失敗です……」

「そっスか……まぁ、薄々分かってはいたっスけどね……」

 

 聞かされた内容に驚くことはなかった。そもそもが分の悪い賭けのような任務であったのもあるが、学園都市を敵に回す今回の作戦がうまくいくはずがなかったのだ。いくら上位能力者、それも学園都市の第二位が統率する組織であったとしても、敵は学園都市理事長と無敵の第一位。勝てるはずがなかったのだ。

 失望感や落胆はない。むしろこんな作戦に加担して生きていることに対する安堵感の方が強い。作戦失敗の報は残念ではあるが、結果として生存したのだから個人的には勝利だ。生きていれば、またやり直せる。

 そんなことをぼんやりと考えていると、手の甲に何やら生暖かい液体のようなものが落ちてくる感触を覚えた。雨でも降ってきたのか、と空を見上げるものの、雨雲らしき物体は見えない。それでは、何が降ってきたのか。

 答えはすぐに分かった。

 視界の端。ゴーグルを支えている少女が小刻みに震えていた。肩を震わせながら、顔を俯かせながら。表情が窺えないその顔から、無数の液体が降り注いでいた。

 佐天涙子が、泣いていた。

 

「ちょっ、おいおいどうしちまったんスか佐天ちゃん。人のボロボロな惨状を前に泣くほど笑うとか失礼っスよ~?」

「ふぐ……ぇぐ……」

「待て待て待て待て。なんで? なんで泣いてんスか佐天ちゃん!? 分からない、ゴーグルさん分からないよ!?」

 

 最初は冗談めかして反応してみたものの、基本的に女性の涙に抵抗がないゴーグルは普段の飄々っぷりが嘘の様に取り乱してしまう。しかも泣いている理由が分からないとかいう理不尽っぷり。だから女は苦手なんだ、と心の中で愚痴りながら頭を掻く。

 そんな中、佐天が漏らした一言が、彼の思考を停止させた。

 

「よかった……」

「……はい?」

「無事で、よかった……! 生きててよかった……!」

「っ……!」

 

 今度こそ、隠しきれない動揺が表情に表れる。受け慣れていない優しさに戸惑いが隠せない。同時に、かつて自分に向けられた、()()()()()()()()()()()()()を思い出してしまい、平常心を保つことができなくなる。

 気がつくと、佐天の胸倉を掴み上げていた。

 

「やめろよ……」

「ゴーグル、さん……?」

「そんな優しさを向けるなよ……! なんで、どうしてお前も()()()もオレに優しくするんだよ! おかしいだろ! 実験体だぞ、暗部の構成員だぞ!? もっと突き放せよ、見捨てろよ! 普通の奴らにするように優しくするんじゃねぇよ!」

「…………」

「揺らぐんだよ……オレの全部が、覚悟がさ……。中途半端に救いの手を差し伸べられると、変な希望を持っちまうんだよ……」

 

 普段のゴーグルらしくない怒声。それでも、今の姿こそが彼そのものだった。我儘で、幼稚で……そんな自分を隠して頑張ってきたのに、それさえも優しさで包まれてしまって。何のために暗部に堕ちたのか分からなくなってしまうのだ。()()()の復讐を遂げられる力を手に入れたくて闇の世界に足を踏み入れたのに、その覚悟さえ揺らいでしまいそうになる。

 

「定理を殺したこの街を、定理を殺した科学者どもをぶち殺すために頑張ってきたのに……そのために何人も何十人も殺してきたのに、なんでそんなオレに優しくするんだよ……。なんでお前も定理も、俺を人間として扱うんだよ……」

 

 どうせなら、いっそ死刑囚を見るように突き放して欲しかった。そうした環境に置いてほしかった。そうすれば一片の後悔もなく復讐に力を注げただろうから。変な希望を持つこともなく、自分を擦り減らせただろうから。

 そうすれば、こんな中途半端な覚悟を持つこともなかったはずだから。

 情けなかった。好きな女一人守れない自分が惨めだった。彼女の復讐すら遂げられない自分が、その為の覚悟さえできない自分が、嫌いだった。

 ……だが、それでも。

 それでも()()は、

 

「そんなに誰かの為に怒れる貴方が、人間じゃないわけないじゃないですか」

 

 ふわっとした、女性特有の甘い香りがゴーグルを包み込む。柔らかい感触が、彼の全身を抱き締める。

 

「覚悟が揺らぐとか、希望を持ってしまうとか……それは、ゴーグルさんが優しい何よりの証拠じゃないですか。優しい貴方は、誰よりも人間らしい」

 

 彼女の言葉が徐々に染みこんでいく。なんでもない、絵に描いたような綺麗事。聖書にでも書いてありそうなテンプレートな台詞。それでも、何故か聞き流すことができない。

 ――――そして、

 

「そんな優しい貴方だったから、定理さんは優しくしてくれたんじゃないですか?」

 

 瞬間。まさに一瞬。

 佐天が浮かべたその笑顔が。涙交じりの優しい表情が。

 記憶の中の、木原定理と重なった。

 

「あ……」

 

 思い出すのは、運命のあの日。

 定理の研究結果だけを奪いに来た学園都市暗部との戦い。ゴーグルは善戦したものの、隙を突かれて定理を殺された。長い時間を共に過ごした女性が……儚い想いを向けていた大切な女性が、目の前で殺された。全身から血を流しながら、見るも無残な姿で。

 でも、だけど。

 彼女は最期に、確かに笑っていた。もう少しも動かせないはずの右手で彼の頭を撫でながら、目から血の涙を流しながら……血まみれの顔に笑顔を浮かべ、木原定理は今際の際にこう言ってくれたのだ。

 

 

 ――――ありがとう、と。

 

 

 自分が彼女に何をできたのか、それは今でもわからない。最期の謝辞が本当に自分に向けられたものなのか、それさえも真実は闇の中だ。本当は実験に対する感謝だったかもしれないし、自分の事を実験動物としか思っていなかったのかもしれない。

 それでも、彼女との日々は本物で、自分の中ではかけがえのないものだ。真偽なんてどうでもいい。彼女と彼の想い出は、確かに優しさに満ち溢れた幸せなものだったのだから。

 佐天に抱き締められたまま、ゴーグルは小さく口を動かす。

 

「……名前」

「はい?」

「……名前で呼んでくれよ。そっちの方が、いい」

「ふふっ。ツンデレですか?」

「うるせぇよ。仲間に対する最低限の礼儀だ、黙ってろ」

「はいはい。でもあたし、貴方の名前知りません」

 

 ニコニコと腹の立つ笑顔を向けてくる佐天にイラッとするものの、不思議と怒りは湧いてこない。それどころか、いつか昔に忘れたはずの()()()が胸の中に再燃するのを、わずかながらに感じる。それは過去においてきたはずの日常。かつて好きだった女性と共に忘却したはずの感情。

 

 ――――感謝するのはこっちの方だよ、定理。

 

 

「……誉望だよ。誉望万化(よぼうばんか)

「はい。よろしくお願いしますね? あたしの大事な仲間の、万化さん……」

 

 木原定理はもういない。彼女との日々も返っては来ない。

 それでも、まだ自分は生きている。彼女との想い出と共に生きている。それを忘れない限り、定理は自分の中で生き続ける。

 まったく似ていないようでどこか彼女を彷彿とさせる小生意気な中学生に抱き締められながらも、ゴーグル……誉望万化は今まで見せたことがない幸福に満ちた表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 




 まずは謝罪を。更新が滞っており申し訳ございません。ようやく身の回りが落ち着いたので、書けるものから更新しております。
 忙しかったとか大会が期間でテニスに時間を割いていたとか理由は多々ありますが、二か月ほど時間ができたので書けるうちに書いて更新したいと思います。後は禁書原作でモチベーション保ちたい……。
 お待たせしてしまい申し訳ございません。完結まで後少しですので、最後までお付き合いいただけると幸いです。


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第五十八話 限界、さらにその先へ

 遅れて申し訳ございません。


 素粒子工学センターから少し離れた、学区端にある廃ビルの一室。家具どころか壁紙すら貼られていない、コンクリート丸出しのその場所で、桐霧静は標的と対峙していた。

 

「……追いついた……よ」

 

 言葉を話すことに慣れていないような詰まった台詞を漏らす彼女の前には、一人の男。全身を漆黒の鎧……最新鋭の駆動鎧で覆った彼の性別を判別することは難しいが、既に何度か接触を果たしている桐霧には容易に分かる。顔が見えなくても、目の前の人物が纏う殺気から、判断できる。

 桐霧の呼びかけに駆動鎧はわずかに反応する素振りを見せるが、言葉が返ってくる様子はない。

 それでも、彼女は声をかけ続ける。

 

「これ、で……三回目、かな……? つくづく縁がある、ね……」

「…………」

「……こんなこ……と、もう、やめよう……? キミ、に……人殺しは、向いて……ない」

「…………」

 

 返事はない。ただ、相手の姿勢が変わった。

 両の拳を握り込み、わずかに腰を落とすその姿勢。明らかに敵意を向けているその姿に、桐霧は内心溜息をつく。どうやら言葉は届かないらしい。返事もしないところを見ると、おそらくは洗脳か何かを受けているのか。かつての会話、接触状況を思い返しながらの予測を立てつつ、こちらも意識を切り替える。

 背中に差した一振りの巨大な刀。並大抵の腕力では抜くことすら叶わないであろう日本刀を、いとも容易く抜刀する。時差にして九時間程離れたとある欧州の国にも似たような刀を扱う女傑がいるが、彼女にも匹敵するであろう筋力を以てして、桐霧はその刀を振るう。

 【限界突破(アンリミテッド)】によって増強した身体能力は、人間のソレを超える。時によれば、魔術サイドで俗に【聖人】と呼ばれる彼らと相違ない程の力を得る。

 人間が人間を超える能力。不器用な少女は、人並み外れたその能力で、可哀想な無能力者を救済する。

 

 ――――先に動いたのは、桐霧だった。

 

 ぐ、と踏み込み一気に跳躍。足元のコンクリートを削りとりながら一瞬のうちに佐倉へと肉薄。腰だめに真っ直ぐと日本刀を構え、柄の尻部分に右の掌を合わせて突き抜ける。その姿は一陣の烈風。数メートル離れていた距離を、わずか一歩で埋める。

 鼻の先。まさに目の前といった距離。佐倉の駆動鎧がギギギと駆動音と共に回避を試みているが、隙は与えない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 状態を捻り、誤差を調整。狙いは真っ直ぐ、彼の鳩尾。

 

「真っ……直ぐ……!」

 

 柄に添えていた右手、掌底を全力で前へ。押し出される刀身は目にも止まらぬスピードで目標へと迫る。

 反応次第では回避されていたかもしれない。いや、桐霧だけの力ではおそらく避けるなり防御なりされていただろう。駆動鎧の反応速度は時に【限界突破】を上回る。

 だが、今の桐霧は一人ではない。

 

『大丈夫だ、安心しろ静。()()()()()()で、お前はその馬鹿を吹っ飛ばしている』

 

 耳元に装備したイヤホンマイクから声が聞こえる。幼い頃から一緒に戦ってきた、誰よりも信頼できる少女の声。予知能力者の頂点に立つ彼女の指示が、桐霧の行動をより確かなものへと昇華させる。

 わずかに切っ先を動かすことで軌道を変え、前へ。回避したと思っていたらしい佐倉は咄嗟に身を翻そうとしていたが、その程度の反応速度では間に合わない。リリアンの予知と桐霧の身体能力は、さらにその上を行く。

 ガッ! と確かな手応え。鎧を貫くことはできないものの、おそらくは鳩尾を寸分違わず抉っている。駆動鎧で身を護っていようが関係ない。薄手の鎧であることが、今回ばかりは命取りになった。フルフェイスメットに覆われた顔から苦悶の声が漏れ出る。

 力いっぱいに刀を突きだす。攻撃を開始した()()()、佐倉は壁をぶち抜きながら隣の空間へと吹き飛んでいた。ズガガッ! と周囲の床を巻き込むようにして雑に落下する。

 

「が……ぐ……!?」

「……一、閃……っ」

「っ!」

 

 堪え切れずに呻き声を漏らす佐倉に対して、桐霧は追撃の一手。腰の高さに構えた刀を横薙ぎに振るうと、刃が届いていないはずの壁に一本の傷跡が入る。人並み外れた腕力によって放たれる斬撃の衝撃波が、無防備な佐倉に容赦なく襲い掛かった。

 倒れ込みながらもアスファルトの床を殴り、大穴を開けながら下の階へと逃れる佐倉。不自然な体勢ではあるけれども、最新鋭の駆動鎧は完璧な着地を成功させる。

 だが、彼が華麗に身を整えるまでのほんの少しの時間さえあれば、桐霧は懐まで潜り込むことができる。

 ビー! と耳障りな警報音が室内に響き渡った。予想だにしない速度での接近に、アラートを鳴らすことで使用者へと警戒を呼びかけているらしい。最新型ともなるとレーダーでさえ高性能のものが搭載されるようだ。不意に鳴った警告に一瞬狼狽える桐霧ではあったけれども、躊躇うことなく真っ直ぐ刀を振り下ろす。

 しかし、このままやられっぱなしの佐倉でもない。駆動鎧の硬度を生かして刀を腕で弾くと、ガラ空きになった側腹部へと拳を叩き込む。

 メギィ、という鈍い効果音が鳴った。能力によって防御力をぐんと底上げしているはずの桐霧の肢体が悲鳴を上げる。内臓に損傷でも入ったのか、我慢できない吐き気と共に胃液と血液が飛び散った。

 

「がう、ごぇ……!」

『足を止めるな! 首を刈られるぞ!』

「ぐぅっ……」

 

 がっくりと膝をついてしまう桐霧。リリアンの怒声になんとか意識を繋ぎ留めると、首筋に向かって放たれた蹴りを両腕を盾になんとか受け止める。鞭のようにしなるソレはまさに死神の鎌。トラックの衝突さえ優雅に受け止める桐霧のパワーを総動員したにもかかわらず、真っ先に脚へと触れた左腕の骨がスナック菓子を折るかのような小気味よい音を立てて砕け散った。

 

「あああぁぁぁぁあああ!! ああああああぁっぁぁあああ!!」

『静! くそっ、やっぱり生け捕りなんてジリ貧もいいところだぞ食蜂! さっさと息の根を止めてしまわねば、このままだと静が殺される!』

『……駄目よぉ。心苦しいけど、彼女にはちゃぁんと()()()()()()()をしてもらわないと』

『だが……っ!』

「……大、丈……夫」

『静……?』

 

 耳元の端末から聞こえてくるリリアンと食蜂の口論を遮るように、息も絶え絶えな桐霧が応答する。もはや使い物にならなくなった左腕を庇うこともせず、右腕一本で刀を支えながら……能力を使い続けるのも既に限界だろうに、目だけは真っ直ぐ佐倉を捉えたまま。ふらついた足取りにもかかわらず、しっかりと決意の炎を瞳に灯して。

 

「まだ、やれる……。戦え、る……!」

『無茶だ……。まだ前の怪我も完治していないんだぞ。その状態じゃあ時間稼ぎすら危うい!』

『……後10分よぉ。それまでになんとか、佐倉クンをその場に繋ぎ止めておきなさぁい』

「了、解……!」

『おい待て! それ以上の能力行使は、お前の身体を――――』

 

 それ以上、リリアンの声が聞こえてくる事はなかった。イヤホン状のデバイスを、桐霧自身が握り潰したからだ。指示を聞きながら戦えるほど、目の前の敵は弱くない。

 

「……仲間との最後の会話は終わったかよ、雑魚」

「久しぶり、に……話したかと思った、ら。随分と……可愛げがない、ね」

「はン。遺言ぐれぇは話せる時間を与えてやったんだ。むしろ感謝してほしいぐれぇだぜ」

「……人間には……ね、どうやっても越えられ、ない……壁みたいなの、が、あるんだよ」

「あぁ?」

 

 殲滅に集中するまでもないと判断したのか初めて口を開いた佐倉に、いつも通りの無表情で語り掛ける。急に何を話し始めたのか、意図が分からないらしい彼は怪訝そうに首を傾げるが、桐霧はそれに刀を投げ捨てることで応じた。さらに顔を険しく歪める少年。

 

「例え、ば……長期間、生活できる限界高度、は……約5000メートル。酸素を呼吸しながら、の……限界高度は、約10000メートル。生身での潜水、も……普通なら2、3分が限度、で……水深も8メートルが、精一杯。それ以上になる、と……水圧に引かれて、自力で浮かぶこと、は……無理」

「……なんだぁ? 死を前にして、勝てなかった言い訳でも始めやがったのか?」

「普通、人間は……20%くらいの力しか、出せないって言われている、けど……それは、脳がリミッターをかけているから、と言われている、ね。そうしない、と……身体自体が、過度の使用に、耐えられない……から」

「……何が言いてぇ」

「【限界突破】、は……身体能力、の、限界を無視して、行動できる能力だけ、ど……それで、も、どこかで脳がストッパーを……かけている、の。で、も……このままだ、と、駄目だから。私は、何を捨ててでも、佐倉を助けないといけない……から」

 

 脳裏に浮かぶのは、つい最近知り合った不器用な中学生。

 誰よりも向上心に溢れ、誰よりも正義感の強い彼女は、桐霧本人とは正反対の人間だ。周囲の人達から尊敬の眼差しを受けるヒーロー。学園都市のトップ集団に君臨する彼女は、自分からしてみれば雲の上の存在だった。手を伸ばしても届かない、憧れだけの超能力者。

 だが、彼女は。もはや超能力者という偶像にされかけていた少女は、すべてをかなぐり捨ててでも一人の少年を救うことを誓った。自らの手で傷つけてしまった彼と仲直りをしたいという、初めて見せた我儘を押し通すために。その姿は皆の憧れた超能力者ではなく、どこにでもいるような平凡な女子中学生そのもので。そんな彼女が恋い焦がれる佐倉望という男がどんな人なのか、気になったというのもある。

 これまで、三回にも渡って彼とぶつかった。最初は敗北。二回目は勝利。わずか三度の戦闘、接触ではあったものの、彼がどういう人物なのかを掴むには十分すぎる回数だった。自らの心に蓋をして、学園都市の闇にいいように弄ばれながらもなんとかもがこうとしている彼を、救ってあげたいと思うようになっていた。それはいつしか、また違った感情に昇華されていた。

 だから、と桐霧は呟く。あの不器用な第三位に心の中で頭を下げつつ、ふらつく足取りでアスファルトを踏みしめ。のっぺりとしたマスクに顔を覆われている佐倉を真っ直ぐ見据えながら、声高らかに。

 

「私は、佐倉が好きだから。私のすべてを失ってでも、キミを闇から引き摺り上げてみせる」

 

 ――――瞬間、桐霧の姿が佐倉の視界から消えた。

 慌てて周囲を見渡すが、同時に背中へと走る衝撃。振り向きざまに腕を振り回すものの、次は真下から顎を蹴り上げられる。

 

「ぐぎっ……!?」

「……百倍」

 

 空中に蹴り上げられたのとほぼ同時に、海老反りになった状態の腹部に激痛が走る。真上からの打撃。瓦を割るように一直線に走る拳を視認した頃には、背中から思いっきり床へと叩きつけられていた。ほとんどタイムラグがない上下からの襲撃。内臓をサンドされた佐倉はマスクの内側で血の混じった咳を余儀なくされる。

 

「がふっ!? ごぇっ!?」

「……二百、倍!」

 

 蜘蛛の巣のように亀裂の走った床に貼り付けられた佐倉の腹部に思いっきり手刀を振り下ろす。人体の限界、その二百倍の速度、パワーで繰り出される一撃によって発生した衝撃波が天井を、壁を瓦礫へと変える。おおよそ人体で披露するには不可能が過ぎる芸当。そんなものを食らっては駆動鎧を着ているとはいえ佐倉も無事では済まないのだが、先程の衝撃で床が弱っていたのが功を奏したらしい。駆動鎧に無数のヒビが入っただけで、そのまま階下へと落下していく。

 徐々に剥がれていく鎧。中に着ていた特殊スーツを露わにしながら落ちていく彼を、神速のスピードで回り込んで受け止める桐霧。

 

「ぐ、ぅ……!」

 

 だが、桐霧自身も限界を迎えていた。度重なる能力の使用に、本来の限界を超えたストッパー解除。既に右目は眼球が破裂しており、左腕は粉砕。今は根性で動かしているが、両脚とも本来の形をしているとは到底言えない。気を失った佐倉を右腕で支えたまま、ドサ、とその場に倒れ込む。もう動けない。ここで佐倉が意識を取り戻すか、【スクール】の残党でも駆けつければ為す術はなしだ。すべての努力が水の泡になる。

 ……だが、幸運の女神はようやく彼女に微笑んだ。

 

「ちょぉっと遅くなっちゃったけど、大丈夫ぅ? 意識力、はっきりしてるぅ?」

「大丈夫に、見え、る……?」

「それだけ肉体粉砕されてて声を出せるなら大丈夫よねぇ。にしても、さすがは私が見込んだ能力者。十分すぎる働きだったわぁ」

 

 目に悪そうな金色の髪が視界を過ぎる。幾本ものリモコンをくるくると手の中で回すゴールデンガールは背後に引き連れた常盤台中学のエリート達に命じて桐霧を担架へと乗せると、佐倉の傍にしゃがみ込んだ。どうやら、暗部でかけられた洗脳を解く作業に入ったらしい。

 

「あーあー。なによこの稚拙力極まりない洗脳はぁ。どうせやるならもっと完成度の高いやつにしなさいよねぇ」

「佐倉、は……治る、の……?」

「はぁ? 当然よ。私を誰だと思っているわけぇ? 頭を弄らせたら学園都市の誰にも負けない、【心理掌握】の食蜂操祈ちゃんだゾ☆」

「…………」

「安心しなさぁい。私にかかればこんなの、一日で治して見せるわぁ」

「……良かっ、た」

 

 ふ、と。

 自然に浮かべた笑みを最後に、桐霧は意識を失う。無表情な彼女が見せた心からの笑顔に表情を綻ばせながらも、金色の女王蜂は目の前の少年を治療しつつ呟く。

 

「さぁて、これで後は貴女の仕事よ超電磁砲。どこで不貞腐れているか知らないけれどぉ、さっさと立ち直って痴話喧嘩の一つや二つしちゃいなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 




 今回も読了ありがとうございます。
 完結まであと少し、お付き合いいただけると幸いです。


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終章
第五十九話 総体


 ――――ずっと、何かの夢を見ていたのかもしれない。

 いつからだろうか。先の見えない真っ暗なトンネルを永久に歩き続けているような、そんな悪夢ばかり見るようになったのは。そして、その夢が現実と区別ができなくなったのは、いつからだっただろうか。

 もちろん意識はあるし、暗部として活動しているときの記憶もある。夢遊病者になったわけではない。あくまでも『佐倉望』は自らの意志で生活はしていた。

 だが、いつからだろう。佐倉望の人生が、破壊の方向へと傾いていったのは。取り返しのつかない破滅へと転がり始めたのは。

 

 いったい、いつのことだろう。

 

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 気が付くと、佐倉は再び暗闇の中にいた。

 

「また、か」

 

 もう驚くこともない。肩を竦め、いつものように歩き出す。終わりが見えない闇の中で、ただ自分の足だけを信じて歩を進める。目的もなく、ただひたすらに。この先に何があるのかなんて見当もつかず、歩いていけば何かを見つけられるのかさえも分からぬまま。

 今まで何日も同じことを繰り返していた。まるで現実のような夢だ、とも思った。歩き続けると次第に疲労が募っていく。それは通常の何倍もの重量で佐倉の心を、身体を縛っていく。いつしか、一歩踏み出すことすら億劫となるくらいに。それでも佐倉は歩き続けた。このまま立ち止まるのだけは、どうしても避けたかった。

 ……しかしながら、今回はいつもと勝手が違うらしい。

 しばらく歩き続けると、トンネルの先に光が見えた。今まで何回、何十回も行き止まりのまま終えてきた悪夢。そんな深淵に差し込んだ一筋の光。信じられない光景ではあったものの、一切の迷いなく走り出す。逡巡している暇なんてない。ようやく見えた希望をここで手放してたまるものか、と既に棒のようになった脚を根性で動かす。

 

 ――――果たして、そこには見覚えのある景色が広がっていた。

 

 無数のコンテナが積まれた空間。砂利が敷き詰められた上に走る幾本ものレール。夜の帳に包まれたその中で、月だけが明るく存在感を放っていた。周囲を見渡すも、佐倉以外の気配は感じられない。

 

「操車、場……?」

 

 そう、ここは。コンテナと線路が特徴的なこの場所は、学園都市第十七学区に存在する操車場だ。同時に、かつて佐倉が最強の超能力者と死闘を繰り広げた……いや、より詳細に言うと、第一位の化物に蹂躙された、忌々しい戦場。そして、自らの手柄を幻想殺しの少年に奪われた、挫折の空間。

 できることなら記憶の底に沈めておきたい場所の出現に見るからに戸惑う佐倉。何故、どうして? いたって当たり前の疑問が脳内を駆け巡るものの、答えが出る気配はない。当然だ。そもそも、あの闇に包まれたトンネルのことすら何も分かってはいないのに、その延長線上で現れたこの場所の意味なんて分かるわけがない。しかも今まではトンネルを歩いた末に目が覚めていたのだ。こんなパターンは初めてである。

 とにかく情報を集めなければ。幸い地形は彼が知っている操車場のままのようであるから、迷うことはない。くまなく調べようとコンテナで作られた路地へと向き直った時だった。

 

「やほー/return。あいっかわらずしけたツラしてんね佐倉ちゃんは/return」

 

 不意に上から投げかけられた女の子の声。それだけなら別段おかしなことではなかったが、ここで佐倉は思い出す。さっきまで誰もいなかったはずの操車場で唐突に声をかけられるなんていう摩訶不思議な出来事を前に、警戒レベルを一段階上げた。この二か月間暗部で身に着けた殺意を前面に押し出しながら、声の主を見やる。状況だけではなく、その声の質がさらに彼の警戒心を煽ってもいた。明らかに聞き覚えのあるその声に、頭の奥が痛み始める。

 見上げた視界の先。何段にも積まれたコンテナの上に、()()は座っていた。クリーム色のサマーセーターに身を包んだ短髪の少女。プリーツスカートを靡かせながら両脚をバタバタさせている茶髪の彼女は、佐倉を見下ろしながらケラケラと笑っていた。一見すると華奢な少女であるけれども、額のあたりに装着された無骨なゴーグルがなんともなミスマッチ感を醸している。

 彼女に心当たりがあった。だが、佐倉が記憶している少女と目の前の少女をイコールで結ぶことがどうしてもできない。外見は確かにあの少女ではあるけれども、内面は別人というか……あの少女の皮を被った知らない人、といえばいいだろうか。拭えない違和感に苛まれてしまう。

 だからか、自らの疑問を再確認するかのように、彼女の名前を呼んでいた。

 

「ミサカ……?」

「それが10032号の事を表しているのなら、半分正解ってところかな/return。この肉体は10032号のものだけど、私は別人/return。強いて言うなら、ミサカネットワークそのもの、っていうのが一番近いかな?/escape まぁ、あんまり難しい事を言ってもこんがらがるだけだろうから、今は10032号()()()()()()ってことにしておいてよ/return」

「……そのミサカもどきとやらが、俺なんかに何の用だってんだ」

「うわーお/return。やっぱりというかなんというか、言葉の隅から隅まで卑屈っぽさが表れているねぇ/return」

「…………」

 

 本当に何なのだろうかこの正体不明野郎は。

 ミサカの身体を使ったネットワークそのものとか言っていたが、そういう頭が痛くなるような話題はあまり得意ではない。そもそも、コンテナの上で行儀悪く足を組んでニタニタ気分の悪い笑みを浮かべている彼女は、佐倉の知っているクローン達とあまりにも異なっていた。彼女達はここまで表情豊かでもなければ、口達者でもない。

 そしてなにより、一応は佐倉の夢の中であるはずだ。そこに介入できるような能力者は、佐倉の知っている内では一人しか思いつかない。他人の心を意のままに操る精神操作系能力者の頂点である少女ならば、他人の夢に入り込むことなんて容易にやってのけるだろう。このミサカもどきも、食蜂が何かしら手を回しているのではなかろうか。

 だが、ミサカもどきはあっさりとそれを否定した。

 

「今回に限っては、【心理掌握】は関係ないかな/return。言ったでしょう?/escape 私はミサカネットワークそのもの/return。簡単に言っちゃえば、20000体のミサカ全体の意思が一つになった存在/return。つまり、私こそが真のミサカというわけだよ!/return」

「はぁ……」

「あー、もしかして信じてないでしょ/return」

「そういうのはどうでもいいから、目的だけ簡潔に頼む。そんなに暇じゃねぇんだ」

「【限界突破】にぶっ飛ばされた挙句、【心理定規】や【未元物質】にかけられた戦闘用の洗脳を【心理掌握】に解除されているとかいう間抜けな状態なのに、よくもまぁそんなクチが叩けるもんだね/return。周囲に迷惑かける為に暗部に堕ちたの?/escape」

「……喧嘩売ってんのか、テメェ」

「べっつにぃ/return。だけど/backspace、アンタに助けられた一人の意思としては、自分の価値を見失って不必要な努力と無駄な劣等感背負い込んでる姿は見ていて居た堪れないってことは言っておきたいかな/return」

「っ!」

 

 なんでもないように、しかしながら確かな悪意を込めて目の前のミサカはそう言った。下手をすればこの二か月間すべてを否定しかねない発言に、佐倉の頭が一瞬で沸騰する。元来そこまで我慢強い方ではない上に、過剰なストレスで精神状態が不安定になっている彼が怒るのも無理はない。足元の砂利を掴みとると、偉そうにこちらを見下ろしているクローンへと投げつける。

 ……が、一直線に飛んで行った先には、既に誰もいなかった。一瞬で虚空に消えた彼女を探し、視線を彷徨わせる。

 

「そういう短気なところも、佐倉ちゃんの欠点だよね/return。感情的っていうのは長所の一つかもしれないけれど/return」

 

 背後。まるで最初からそこにいたかのように、ミサカの声が後ろから聞こえてくる。トン、と背中に寄り掛かられる感触。妙な汗がぶわっと湧き出し、全身に悪寒が走った。

 背中合わせのまま、決して目を合わせることはなく会話は続く。

 

「佐倉ちゃんは強くなりたいって言っていたけど/backspace、具体的にはどうなりたいの?/escape」

「……誰よりも強く。この世界のどんな奴が相手でもぶちのめすことができるぐれぇ強くなる」

「ふぅん/return。じゃあさ、そんなに強くなったとして、その後は?/escape 『最強』のその先で、佐倉ちゃんはどういう風に生きたいの?/escape」

「それは……」

「お節介焼くようだけどさ/return。最強になったってなんの得もないワケよ/return。行き過ぎた力は孤独を生むだけで、何の幸せにもつながらない/return。一方通行がいい例じゃん/return。人間適度が一番なんだって/return」

「そんなの……でも、強くならねぇと、俺はいつまでたっても――――」

御坂美琴(オリジナル)を守れない?/escape」

「――――――――っ。そ、そんな奴、今はもうどうだって……」

「どうでもいいはずないじゃない/return。過程がどうであれ、そもそものきっかけは『ソレ』だったんだからさ/return。『御坂美琴の前に立って彼女を守りたい』っていうのが、アンタの根本的な願いだったわけでしょ?/escape」

 

 ミサカの問いに思わず口を噤む。佐倉自身を否定し、彼が堕ちることになった最大の原因である少女、御坂美琴。無能力者である佐倉の努力を「無駄」だと切って捨てた彼女に対する感情なんてとうの昔に捨て去っていた。今はただ己の為だけに力を求め、暗部で生きている。その思いに嘘偽りはない。

 ……そのはずなのに、どうしても美琴の顔が脳裏から離れない。それどころか、彼女と決別してからというもの、心のどこかで引っかかっていたのは事実だ。吹っ切ったはずなのに、どこかでまだ彼女の事を気にしていた。垣根や心理定規が佐倉に洗脳をかけたのも、彼のそういった部分を察していたからかもしれない。

 美琴を守れない自分が嫌いだった。

 美琴に守られるだけの自分が恥ずかしかった。

 男としてのプライドもあったのだと思う。自分とはあまりに正反対な彼女に、異常なまでの劣等感を覚えていたのもある。彼女と対等になるためには、彼女に負けないくらい強くなるしかないと思った。そうすれば、自他共に彼女と一緒にいることを認められると思ったから。

 だけど、美琴はそんな彼を否定した。『無能力者のくせに私を守るなんてふざけるな』と、佐倉のすべてを踏み躙った。その一言が、佐倉にとってどれだけの絶望を与えるか知っていただろうに。

 その時から、自分の為だけに力を求めた。邪魔する者すべてをぶっ潰す、圧倒的な力を。けれども、それでもやはり根本的な部分は否定できない。どこまで耳を塞いで走ろうとも、彼女の姿は立ち消えない。

 表での生活を捨てて、泥を啜る想いで努力してきた。それこそ、何度も死ぬような目に遭いながら這いずり回ってきた。そんな二か月間を過ごしてきたにもかかわらず、桐霧静に敗北した自分は、本当に強くなっているのだろうか。努力は、無駄だったのではないだろうか。

 ぐるぐると思考が頭の中を駆け巡る。意識が主体の夢であるせいか、一度思考のループに嵌るとなかなか抜け出せない。背後にミサカの存在を確認しつつも、記憶の情報量に支配されていく。

 そんな中、ミサカはポツリと、

 

「そもそもさ/return」

 

 佐倉の意識を呼び戻すかのように、確かな声と意思を以て、

 

「まず前提としての話をさせてほしいんだけど/backspace」

 

 今までの会話は全部前置きだったのだと言わんばかりにあっけらかんとした口調で、

 

 

「一度挫折して諦めたアンタが、どうして諦めずに頑張ってきた御坂美琴や上条当麻を自分と同列に考えているの?/escape」

 

 

 そう、言い放った。

 

 

 

 

 

 




 今回も読了ありがとうございます。
 そこ、更新間隔に首を傾げない。


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第六十話 真実

 


 呼吸が、止まった。

 心臓を鷲掴みにされたような、そんな気分に襲われる。目を背けてきた現実を唐突に突きつけられ、反応が遅れてしまう。ミサカから提示された真実から、脳が無意識に目を逸らそうと反抗する。

 

「駄目/return。これ以上逃げるのは、妹達全員(ミサカ達)が許さない/return」

「っ……」

 

 顔を伏せようとした佐倉の頬を両手で挟むと、がっちり固定したまま真正面から見据えるミサカ。ほとんど表情筋を動かすことのないミサカからは想像もできない程に怒りの籠った形相。有無を言わせぬ迫力に、佐倉は言葉を失う。

 

「自分でも分かっているはずだよ?/escape しょうもないプライドに縛られて、努力の方向性を間違っているって/return。自分の傲慢さにかまけて、御坂美琴や上条当麻の努力を踏み躙っているんだって/return」

「そんな、こと……」

「そんなこと、あるよ/return。御坂美琴は元々低能力者で、上条当麻は右手以外は一般人となんら変わらない上に、他人に比べて遥かに不幸体質/return。この二人が主人公(ヒーロー)になれているのは、それだけ血を吐く思いで頑張ってきたからなんだって/return。だったら、アンタが少し努力したところで彼らに勝てるわけないことは、分かっているじゃない/return」

「……でも、だからって何もしねぇ訳にはいかねぇ。時間がねぇなら、命を削ってでも、暗部の世界に飛び込んででも強くなる方法を探すっていうのは、そんなに間違っていることなのかよ……!」

 

 彼女の両手を振り解くと、自らの想いをぶちまける。

 能力開発に見捨てられたあの日。一方通行に敗れたあの日。そして、垣根帝督にあしらわれたあの日。自分の大切な人一人すら守れない自分自身に絶望した。地べたを這うしかない己の弱さに辟易した。だから、それがたとえ世間的に褒められない方法であったとしても、垣根帝督が差し出した光が、どうしようもなく輝いて見えた。すべてを諦めていた佐倉に提示された、唯一無二の解決策に思えたから。

 だが、ミサカは。最後の最後にようやく掴んだ諸刃の希望を、

 

「間違っているに、決まっているよ/return」

 

 いとも容易く、否定した。

 

「なに、をっ……!」

 

 耐えられなかった。気がつくと、彼女の胸倉を掴み上げていた。あくまでも中学二年生の身体は軽々と引き寄せられる。しかしながら、激昂した佐倉に詰め寄られながらも、ミサカの表情は変わらない。佐倉の虚勢を吸い込むような真っ直ぐとした眼差しに、優位に立っているはずの佐倉の方がたじろいでしまう。

 蛇に睨まれたよう、というのはこういう時に使うのかもしれない。ぶわっと全身に冷たいものを感じ、汗腺が開くのを感じた。

 精神的に追い詰められつつも、表面的にはあくまで優位に立った状態を維持。それでも、目の前のクローンは瞬き一つせずこちらを見つめ続けている。かつて愛した人と同じ顔で、同じ強さを持った瞳で。

 ふっくらとした唇が上下に割れると、ミサカにしては感情的な言葉が並べ立てられる。

 

「誰かを傷つけて得る力になんて価値はない/return。蹴落とすって意味じゃないよ/return。今までアンタがやってきたような、誰かの命を奪って、殺して、食らいつくして力を手に入れるなんて、絶対に認められない/return。そして、そういう馬鹿みたいな方法を、佐倉望が容認することだけは、絶対に許さない!/return」

「何を今更……俺がどうしようと、お前らには……」

総体()には関係ないかもしれない/return。でも、アンタが命を懸けて守り抜いた10032号(この子)が認めない/return。10032号は、佐倉望に未来を貰った/return。誰が何と言おうと……たとえアンタが否定しようと、この事実だけは絶対に覆らない!/escape」

「10032号、が……?」

「誰も守れない?/escape 力がないと認めてもらえない?/escape ふざけたこと言わないで/return。アンタがどれだけ自己否定しようが知ったこっちゃないけれど、佐倉望に救われた人達を貶めることだけは言わないで!/escape」

「俺に、救われた……? 違う、そんなわけねぇ。だって俺は何もできなかった。一方通行の時も、垣根の時も! 俺は途中でリタイアしただけで、決定的なことは何一つできちゃいねぇ!」

 

 信じられない、とばかりに首を横に振り続ける。それは、彼にとって最後の砦。自らの行いを正当化するためには、認めるわけにはいかない真実。「自分は何もできなかった。だからすべてを捨ててでも力を求めた」という状況を黙認する為に、目を逸らし続けてきた事実。

 佐倉望は無能力者だ。上条当麻のように不思議な右手を有しているわけでも、初春飾利のように情報処理能力に長けているわけでもない。どこにでもいるような平々凡々な高校生で、その中でも落ちこぼれと呼ばれる部類だ。不満を垂れ流すことはできても、誰かの為に立ち上がる事なんて到底できやしない。そんなありふれた一般人だ。

 今まで誰にも認められなかった。それこそ、最愛の少女にまで否定された。無能力者の価値を、真正面から突きつけられた。

 

 ――――だけどそれは、本当に『佐倉望』を貶めたのか? 『佐倉望そのもの』を否定したのか?

 

「思い出して、佐倉望/return。周囲と手を取り合って目標に向かっていた頃のアンタと、孤独のまま力を求めた頃のアンタは、どちらが本当に『佐倉望』らしかったかを/return」

「俺、は……」

「答えはもう、出ているはず/return。足りないのは、近しい人からの一押しでしょ?/escape 佐倉望が本当に望んだものは、他を圧倒する力でも、他者からの賞賛でもない/return。もっと単純で、愚かしくて……それでいて、どうしようもなく尊い想い/return。本当は手に入れていたのに、あまりに近すぎて気づけなかった宝物/return」

「なんだよ……それはいったい、何だってんだよ……!」

「私から言えることは、ここまで/return。後は()()()でなんとかしなさい/return」

「向こう……? ――――っ」

 

 分からない。分かろうとしない。分かるわけがない。

 答えを得ようと手を伸ばすが、最悪のタイミングで意識が遠くなる。いや、この場合は意識が浮上すると言った方が正しいかもしれない。夢の奥底に囚われていた意識が、現実世界に引き戻されようとしているのだから。ここはあくまで虚構の世界。佐倉の無意識が生み出したのか、ミサカネットワークによって形成されたのかは分からな。ただ一つ判っているのは、おそらくはもう二度とここには戻ってこないだろうことだ。

 視界が揺らぐ。疲労困憊の中布団に入った時のような感覚。意識が明滅し、身体が急激に重くなる。もはやミサカを視認することすらできない。残っているのは、うすぼんやりと音を拾う聴覚と、地面を掴む触覚のみ。

 そんな中、佐倉の手を握る《何者か》の感触。うっすらと鼓膜を打つ、《何者か》の言葉。

 

「大丈夫だよ、佐倉望/return。アンタが思っている以上に、この世界は優しさで溢れているから/return」

 

 その声は、まるで我が子をあやす母親のように。無償の愛に溢れた優しい響きを伴っていて。

 夢の中で意識を落とし、佐倉望は夢の中から引き戻されていく。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 目が覚める。視界の先に広がるのは、もう馬鹿みたいに見慣れた病室の天井。どれくらい意識を失っていたのだろうか。頭の中を滅茶苦茶にかき回されたみたいに気持ちが悪い。

 

「目が覚めましたか? とミサカは満身創痍の貴方を気遣います」

 

 不意に聞こえた少女の声に慌てて視線を向ける。茶色の髪に、ベージュのブレザー。額に無骨な電子ゴーグルをつけたその少女は、最愛の彼女にそっくりだ。しかしながら、佐倉には分かる。のっぺりとした無表情は、彼女の軍用クローンが持つ特徴だから。その中でも佐倉と関係があるとなれば、それは一人に絞られる。

 

「ミサカ、か……?」

「はい。ミサカ10032号ですよ、とミサカは識別番号を言うことによって自己の証明を行います」

 

 抑揚のない単調な言葉を並べるミサカ。一見すると無感情だが、彼女とそれなりに交際してきた佐倉には分かる。どこかほっとしたような、安堵の感情がそこには込められていた。

 確認を終えたところで、佐倉は顔を俯かせてしまう。ミサカと顔を合わせるのは大覇星祭以来だろうか。木原幻生によって狙われた彼女を守る為に奮闘した佐倉であったが、結果は惨敗。それどころか、木原に洗脳され、手駒として操られてしまう始末。今更どのツラを見せればよいのだろうか。自分は彼女に、何もしてやれなかったというのに。

 顔を伏せて黙り込んだ佐倉の表情を窺うように覗き込むミサカ。

 

「いったいどうしたのですか、とミサカはやけに落ち込んでいるらしい貴方を励まそうと観察を始めます」

「……お前は、俺を軽蔑しねぇのかよ」

「はい? 軽蔑、ですか? とミサカは質問の意図を読み取れず首を傾げます」

「俺はお前を守れなかった。一方通行の時も、木原幻生の時も。無能力者のくせに無駄な意地張って、結果も残せなくて。その末に暗部なんて道を選んだ情けねぇ俺を、ミサカは軽蔑しねぇのかよ」

 

 昔から、軽蔑されるのには慣れていた。能力開発に挫折し、武装無能力者集団なんてものに加入して。社会から汚物扱いされるのなんて日常茶飯事ではあったし、それが当然だと思っていた。唯一自分を受け入れてくれた少女からも否定され、居場所なんてどこにもないと我武者羅に走り続けた。だけど、その先で自分は何を手に入れたのだろうか。何かを、手に入れることができたのだろうか。

 佐倉の言葉に何度か頭を捻るミサカだったが、熟考の末にこう口にした。

 

「軽蔑なんてしませんよ、とミサカは当然の結論を伝えます。だって佐倉望は、ミサカにとってのヒーローなのですから」

「……ひー、ろー?」

「はい、とミサカは即答します。貴方は命の恩人で、紛れもなくミサカのヒーローです」

「……何を」

 

 言っているんだ、という言葉は続かなかった。彼女の言っていることを理解するのに数十秒を要した。ヒーロー? 誰が? 自分が? 誰一人守れなかった、弱いだけの無能力者が?

 困惑する佐倉を他所に、ミサカは淡々と言葉を続ける。

 

「確かに、貴方は途中でリタイアしてしまったかもしれません。一方通行戦の時は力尽き、木原幻生戦の時は洗脳され。ただの一回として、最後まで戦い抜いたことはないかもしれません、とミサカは今までの戦績を思い返しながら事実を伝えます」

「……そうだ。俺は誰も守れなかった。力のない、弱いだけの無能力者だから――――」

「ですが、貴方がミサカやお姉様の為に危険を顧みず真っ先に立ち上がってくれたということも、紛れもない事実なのです、とミサカは変えようのない真実を貴方に伝えます」

「――――は?」

 

 予想だにしなかった言葉に虚を突かれる佐倉。それでも、ミサカの台詞は途切れない。

 

「最後まで立っていたとか、誰が決定打を決めたとか、そういうことではないのです、とミサカは貴方の手を握りながら答えます。結果はどうあれ、貴方はミサカ達を守ろうとしてくれた。誰よりも先立って、ミサカやお姉様を助ける為に勇気を振り絞ってくれた。ただの軍用クローンであるミサカの日常を守る為に、ミサカが貴方の隣に立つために。それだけでもう、ミサカにとってはヒーローなのです、とミサカは貴方への感謝を伝えるべく、優しく貴方を抱き締めます」

 

 ふわり、と。

 抱き締められると同時に鼻孔を擽るミサカの香り。何か月かぶりに感じる他者の温もり。殊更特別でもないただの抱擁にも関わらず、佐倉を覆っていた殻が少しずつ割れていく。既に忘れかけていた、『かつての佐倉望』が取り戻されていく。

 価値がある、と彼女は言ってくれた。たとえ力がなくたって、行動したという事実に敬意を表してくれた。守れなかったと思っていた張本人が、直接言葉で伝えてくれた。その事実に、佐倉は胸の奥が熱くなるのを感じる。

 

「貴方とお姉様の間に何があったのか、ミサカはよく知りません。そして、それはミサカにはどうしようもないことなのでしょう。ですが、そんなミサカにも一つだけ確かに言えることがあります」

 

 抱きしめていた腕を離し、佐倉の瞳を射抜くミサカ。その時彼女が浮かべた表情に、佐倉は思わず言葉を失った。

 わずかに目を細め、口角を上げ。その顔は、彼女の表情は、世間一般で言う――――

 

 

「お姉様と一緒にいるときの貴方は、間違いなく幸せな顔をしていましたよ、とミサカは正直な感想を貴方に述べます」

 

 

 ――――紛れもない、笑顔だった。

 

 

 

 

 

 




 今回も読了ありがとうございます。
 クライマックスまで、もう少し。


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第六十一話 決意

 少し駆け足気味。


 ――――挫折と屈辱の多い人生を送ってきた。

 

 昔から何をやっても上手くいかず、凡庸と評される人間だった。成績は中の下。特段運動が得意なわけでもなく、何か特技があるワケでもない。大人達からは期待もされず、優秀な奴らの踏み台扱いされてきた。いつしかその扱いに違和感を覚えなくなっていたし、平凡な自分がこのように扱われるのは当然だとさえ思っていた。

 何かが変わるかもしれない、と学園都市に入学したのだが、その願いも夢となって消え。手に入ったものは傷を舐め合うご同輩と、無情にも突きつけられる「0」の数字。能力に目覚めた優等生達から馬鹿にされるだけの日々。この関係は永遠に崩れることがないのだと、半ば諦めかけていた。

 だが、そんな時。

 絶望に打ちひしがれていた彼を救ってくれたヒーローが、確かにそこには存在していた。

 

『私が受け入れるっ!』

 

 とある夏の昼下がり。佐倉の自室で怒鳴り散らし、まるで自分の事のように涙を流す超能力者がいた。今まで誰にも認めてもらえなかった彼を、彼自身を、真正面から見てくれる一人の少女がいた。「諦めたふりをして自嘲するのは許せない」と心の支えになることを宣言してくれた彼女がいた。

 それはかつて、【幻想御手】なんてものに手を出してしまった佐倉を地獄の底から這い上がらせてくれた声で。

 それはやがて、【暗部】という闇の中に飛び込むきっかけを作ってしまう声で。

 結果はさておき、今になって思う。

 彼女は、何を思って自分に声をかけてくれたのか。何を考えて、佐倉の理解者になると言ってくれたのか。そして、何を願って関係を絶つことになった例の台詞を吐いたのか。

 

 彼女はただ本当に、佐倉を罵倒する為だけにあんなことを言ったのだろうか――――

 

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

「思い出してください。貴方は……佐倉望は、お姉様と一緒にいた時間を、本当に無駄なものだと切り捨てることができますか? と、ミサカは貴方を抱きすくめたまま問いかけます」

 

 ミサカの柔らかな感触に包まれながら、佐倉は彼女の質問について考える。暗部として活動していた時とは違い、やけに脳内がすっきりしていた。今までかかっていた靄のようなものが取り払われたような感覚。心理定規がいた以上、何か精神操作をされていてもおかしくはなかったが……もしかしたら、あの忌々しい金髪超能力者が手を出したのかもしれない。

 御坂美琴といた時間を切り捨てることができるのか。その答えを考える。

 意識を失っている間に変な夢を見ていた気がした。詳細まではぼんやりとしか覚えていないものの、何か重要な会話を行った気がする。最愛の人に似た誰かから、何か、心を動かすようなことを――――

 

 

 ――――思い出して、佐倉望/return。周囲と手を取り合って目標に向かっていた頃のアンタと、孤独のまま力を求めた頃のアンタは、どちらが本当に『佐倉望』らしかったかを/return

 

 

「……なぁ、ミサカ」

「なんでしょうか、とミサカは首を傾げます」

「美琴はさ、何も考えずに相手を罵倒するような人間だと思うか? たとえば、『無能力者のくせに超能力者を守るなんて大それたことを言うな』なんてことを、何の憶測もなしにただぶつけるような奴だと思うか?」

「……なるほど。そういうことですね、とミサカは貴方とお姉様の間に何があったのかを聡く理解します」

 

 そこでミサカは一度佐倉から離れると、改めて居住いを正す。いつものような無表情。しかし、圧迫感というよりは黙々と語りかけるような顔つきで、彼女は。

 

「それはおそらく、貴方自身が一番よく分かっているのではないでしょうか、とミサカは()()()()()()を行います」

 

 ……そうだ。わざわざ確認するまでもない。佐倉望は最初から分かっていた。

 大覇星祭の終わり。病室で交わした会話を思い出す。既に忘れ去っていた内容。だが、その中で、彼女は確かこう言っていた。

 

『アンタ自身を蔑ろにしてまで守ってほしいなんて、いつ誰が言ったっていうのよ!』

 

 文脈全体が佐倉を責める台詞だったので頭には入っていなかったが、美琴は激昂しながらこう叫んでいた。

 彼女の真意は、おそらくこうだ。

 『独り善がりな行動を続けるのは止めて欲しい。少しは私にも弱い所を見せて、助けさせてくれ』、と。

 大覇星祭での一件を経て、彼女は焦燥したのだろう。美琴の為に自らを省みることなく突っ走る佐倉が、いつかぶっ壊れてしまうのではないだろうかと。元々精神的に強いわけではない彼がすべてを一身に背負いこむ姿を見ていられなかったのだろう。だから、言いすぎだとも捉えられる台詞を吐いた。これくらいしないと、佐倉は止まってくれないと思ったから。

 救出から時間が経っていなかったこともあり、彼女も疲弊していたのだと思う。ロクに頭も回らない中で、それでも彼女なりに佐倉を気遣って言ってくれたはずだ。超能力者ゆえのプライドに溢れた彼女ではあるが、自尊心のみで他人を傷つけるような馬鹿な性格はしていない。ただ、少し他人に比べて不器用なだけだ。

 要領は良いくせに、大事なところで不器用な女の子。超能力者のくせに、人一倍照れ屋な中学生。年齢に似合わずゲコ太なんてものが大好きで、後輩からよく弄られている可愛らしい普通の少女。

 御坂美琴は、そういう子だ。

 そして、そういう女性だからこそ、佐倉望は好きになったのだ。

 確かに一度は愛想を尽かした。好意なんて消え果てたし、殺意しか湧かなかった時期もある。

 でも、だけど。

 こうして一人の理解者によって話を聞いてもらって。会話をしてもらって。冷静になった頭で考えて、答えは出た。

 腕に貼り付いた点滴を引き剥がし、いつの間にか壁にかかっていた学ランを羽織る。大方、あのカエル顔の医者が自宅から持ってきたのだろう。履き慣れたスニーカーを身に着けると、ベッドから降りる。

 

「答えは出ましたか? と、ミサカは今更聞くまでもない質問をぶつけます」

「あぁ。今まで馬鹿みてぇに迷惑かけて、悲しませた俺がいう事じゃねぇかもしれねぇが、やることは一つだ」

「結構面倒くさい状況で、たぶん命一つ捨てる覚悟でいかないといけない程に荒れ果てていますよ、とお姉様の現状を簡単に説明します」

「荒れ果ててる? どういう意味だ?」

「……【スクール】との戦闘で精神的にやられちゃったんだゾ。誰かさんのせいでねぇ」

 

 ミサカとの会話に入り込むようにして挟まれた台詞。ぶりっ子染みたその声は、佐倉の交友関係の中でもトップレベルで面倒くさい部類に属する女のものだ。視界の端にちらちら光る金髪に溜息をつきつつも、顔を向ける。

 

「……よぉ、食蜂」

「あら、わざわざ助けてもらった恩人に対する反応力とは思えないわねぇ」

「ぐ……」

「ぐっちゃぐちゃにかき回されていた脳内をクリーンアップしてあげたのはどこの誰だと思っているのかしらぁ?」

「……そこは感謝してるよ。すまなかった」

「……貴方が素直に謝るなんて、間違えて洗脳でもしちゃったかしらぁ?」

「ぶっ飛ばすぞ」

「冗談よぉ」

 

 ひらひらと軽い調子で受け流す食蜂。元から言動が読めない少女ではあったが、今になってもイマイチ掴めない。相変わらず悪趣味なキンピカシリーズを身に纏い、中学生とは思えない巨乳を揺らしながら佐倉の元へ歩み寄ってくる。

 

「御坂さんがいるのは第十七学区。人がほとんど居住していない、無人力溢れる工業区よぉ。彼女、すっかり参っちゃったみたいでぇ。工業施設やら警備用の駆動鎧を掌握して籠城しているみたいなのぉ。先陣切った警備員は全滅しちゃってもうてんてこまい☆ さすがは腐っても超能力者ってところねぇ」

「美琴が籠城……?」

「原因は貴方と……あの変なゴーグルくん。なんでも、佐倉クンのことでちょっといけない責められ方をしたみたいでねぇ。ただでさえ不安定だったのに決壊しちゃってもう大変。今やだれの話も聞こうとしない引き篭もりってワケ」

「…………」

「それでぇ……貴方は、どうする?」

 

 美琴の現状を知り、わずかに黙り込む佐倉。根っからのヒーロー気質である彼女だが、精神的に弱い面は否定できない。以前行われていた【絶対能力者進化実験】の際に、破壊衝動に走ってしまった例もある。今回も彼女にとってのウィークポイントである『佐倉への罪悪感』を突かれてしまったのだろう。ゴーグルの少年は飄々としているが、話術に置いては非情に長けていた。彼女の弱点を的確に狙撃し、憔悴させてしまったとしても不思議ではない。

 そして、いくら無人学区だとはいえ、彼女が本気で籠城戦を決め込んでいるとしたら相当厄介だ。電気系能力者の頂点に立つ彼女が学区全体の機械科指揮系統を握った場合は、その規模は軍隊に匹敵する。それこそ、警備員の一大隊程度では太刀打ちできない程。並大抵の軍備では彼女の本丸に辿り着くことは叶わないだろう。

 それを踏まえて、佐倉は決心する。総合的に判断して不可能だと断じられながらも。佐倉は覚悟する。

 すべては、自分の為にすべてを懸けてくれた彼女を救う為。

 へらへらとした笑みを浮かべている食蜂に向き直ると、

 

「俺が行く。俺はアイツに謝らねぇといけねぇ。腕が捥げようが足が吹き飛ぼうが、地面に額擦り付けて土下座しねぇといけねぇんだ」

「そうは言うけど、また一人で飛び込むワケ? 何の力もない、それこそ駆動鎧すら失った貴方が? そんなのただの自殺でしかないわぁ」

「分かってる。だから……」

 

 そこで一度言葉を切る。確かに一人では土台無理な蛮行だ。無駄に一つ命を散らすだけにしかならない。今までの佐倉ならば、勝率がゼロに近くても意地を張って飛び出していただろう。そして、無様に負け戻ってきていたはずだ。何の実力もない無能力者がたった一人で向かったところでできることなんてタカが知れている。

 

 そう、()()()()()

 

 食蜂とミサカ。それぞれの顔を見やると、その場に膝をつく。額を病室の床に擦り付け、病院内であることなんてまったくお構いなしの声量で、恥も外聞もなく彼は叫んだ。

 

「手伝ってくれ、二人共! 力も知恵もねぇ無能力者な俺だけど、美琴のことを助けてぇんだ! お礼なら何だってする。それこそ、命を張ったってかまわねぇ! だけど、今この瞬間だけ! アイツに謝るまでは、俺に力を貸してくれねぇか!」

「ちょっ、佐倉望……!」

「あらぁ、いい恰好ねぇ」

「頼む……!」

 

 佐倉らしからぬ行動に狼狽えるミサカと、心底楽しそうに肩を震わせる食蜂。元来プライドが高く、自分から頭を下げることなんて絶対にしない彼が懇願、それも土下座をしている事実。彼をよく知る人間ならば確実に驚くであろう光景がそこには広がっていた。だが、彼の顔に屈辱や後悔は見受けられない。美琴を助ける為に必要な行動であると判断したからだ。

 ――――佐倉に必要なのは、他者を蹂躙する力でも、すべてを見抜く知恵でもない。

 彼に足りなかったのは、仲間を頼る心だ。誰かの力を借り、集団で目標を達成するという選択肢が佐倉には存在しなかった。それ故に孤軍奮闘し、それ故に敗北してきた。だからこそ、いつまでも誰も頼ろうとしない彼の姿に、美琴は激怒したのだろう。

 「そんなに自分は頼りないのか」と。

 もう間違えない。もう誤らない。これ以上独り善がりな事をして、道を踏み外すのはたくさんだ。

 ……決して顔を上げない佐倉に対し、食蜂は表情を引き締めると彼に近づく。一歩の距離。彼が顔を上げれば、スカートの中に眠る財宝ががっつり見えてしまう程まで歩み寄ると――――

 

「70点。まぁ、及第点ね」

 

 ポスン、と。

 彼の頭を優しく撫でた。

 突然の事に理解が追い付かない佐倉はそのまま硬直してしまう。様子を見ていたミサカも何が起こっているのか分からないようで、無表情を崩さないながらも目を見開いていた。「女王」とまで称される彼女らしからぬ行動。彼女が他人を、それも無能力者を褒めるなんていうことは到底考えられない。何を企んでいるんだ、と一瞬疑ってしまった佐倉を誰が責められよう。

 しかし、彼女はそれ以上何をするでもなく立ち上がると、そのまま病室を出て行こうとする。

 

「食蜂……?」

「なぁに呆然力丸出しな顔しているのぉ? 五日も寝込んでいたから、神経系がイカレちゃったのかしらぁ?」

「馬鹿にしてんじゃ……って、五日!? 俺、そんなに寝ていたのか!?」

「洗脳やら精神疲労やら、廃人レベルに追い込まれていたんだゾ☆ まったく、私がいなかったらどうなっていたか……」

「うぐ……」

「そ、れ、よ、り! さっさと現場に向かうわよぉ。ぼさっと突っ立っている時間はないんだからぁ」

「だ、だけど、さすがに三人ってのは……」

「その点については心配いらないわぁ」

 

 どこから取り出したのか、いつの間にか手に持っていたスマートフォンを佐倉とミサカに突きつける。ビデオ通話になっているらしいそこには――――

 

「貴方の人生も、大概捨てたもんじゃないみたいよぉ?」

 

 ――――見覚えのある顔が、それこそ数十人単位で映っていた。

 

 

 

 

 




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第六十二話 想い

 ラストスパート。


 第十七学区。

 学区全体をほぼ無人化させることで、最高効率での生産を可能にした工業地区だ。一応は工場の管理者及び最低限の労働者が居を構えているものの、現在は警備員と風紀委員の指示によって他学区へと避難している。現在においてこの学区は、オートパイロット状態の駆動鎧や重機が蠢くゴーストシティと化していた。

 そんな工業地区を眼前に控え、緊張したように息を呑む佐倉。

 

「この先に、美琴が……」

「……あら、もしかして、怖気づきましたの? 腰抜けなのは相変わらずですわね」

「……白井か」

 

 高飛車を孕ませた声で罵倒してくるツインテールの少女。常盤台中学のベージュ色ブレザーに身を包んだ彼女は、手のひら大の鉄棒をじゃらじゃらと転がしながら佐倉の視界へと入ってきた。この場においてあまりにも似つかわしくない『表側』に属する白井が何故ここにいるのか。最初に知った時は驚きを隠せなかった。

 佐倉の隣に腰を下ろすと、大仰に溜息をつく。

 

「まったく……貴方もお姉様も、どうしてこう身勝手に突っ走る猛牛ばかりなんでしょうかね。ブレーキかける私の身にもなってほしいですの」

「……お前は、どこまで知っているんだ?」

「別に、なーんにも。だから、あそこでせっせと作戦準備をしているお姉様そっくりの集団が誰かは皆目見当もつきませんし、今まで失踪した挙句お姉様の心を掻き乱した馬鹿のことも記憶にありません。だって私は、いつだって蚊帳の外でしたから」

「…………」

 

 バイクやトラックといった移動手段機器のメンテナンスを行っているミサカ達に視線をやりつつも、やるせない表情を浮かべる白井。彼女達の元には半蔵率いるスキルアウトの一団が群れを成していたりもするが、それはひとまず置いておく。

 御坂美琴を誰よりも愛し、心酔している彼女は、軍用クローンの存在を知って何を思っているのだろうか。

 

「……たまに、貴方のことを羨ましく思います」

「何だよ急に」

「貴方は、お姉様が心を許した珍しい殿方です。あの人は周囲にオープンなようで、実のところ非常に内向的。誰かに対して心を開くなんてことは稀有ですのよ。しかもそれが恋愛感情ともなると、胸を張っていい程です」

「超能力者の想い人が無能力者ってのも変な話だけどな」

「だからこそ、ですの。落ちこぼれのくせに虚勢を張って、人並みであれと命を張って。自分の心に嘘をついてでも強くなりたいと願った貴方を、お姉様はかつての自分自身と重ねていたのではないでしょうか。低能力者として周囲に蔑まれていた過去の自分と、貴方を」

「そんなもんかねぇ」

「さて、どうでしょう。……そして、私はこうも思いますの。もし、貴方の立場に私がいたとして、お姉様は同様に心を許してくれたのでしょうか、と」

「白井……」

 

 彼女らしからぬ弱った様子に戸惑いを覚えてしまう。同時に、彼女が抱く不安や劣等感に覚えがある事も察した。尊敬の念を抱いている相手と自分は本当に吊りあっているのか。彼女の迷惑に、足枷になってはいないか、という雑念を。対象の彼女があまりにも優れた存在であるが故に、自らがあまりにも霞んで見えてしまう。

 それはかつて、浜面仕上という一人の青年が、駒場利徳というスキルアウトを束ねるリーダーに対して向けていた感情に似ていて。

 人は時折、自分自身の評価に疑問を覚える。そして、疑問を形にしたいと願った挙句、結果的に物事が悪い方向へと進んでいく。その最たる例が佐倉望なのだが、こういった傾向はだいたいの人間が持ちうるものだ。白井も、その一人なのだろう。それがたまたま行動にまで移らなかっただけであって。

 だが、佐倉は彼女に答える。今までの彼では到底辿り着かなかったであろう解答を。そして、今の彼ならばいとも容易く手繰り寄せることができる真実を。

 数か月ぶりに浮かべるであろう、笑顔と共に。

 

「美琴は、そんな薄情な奴じゃねぇよ」

「っ……!」

「俺よりもアイツとの付き合い長ぇんだから、分かってんだろ? アイツはおそらく……いや確実に、白井の事を信頼しているよ。それがどんな立場だって関係ねぇ。表向きはどうあれ、美琴が自分の為に行動してくれる奴を嫌うなんてことは有り得ねぇよ」

「どんな立場でも、関係ない……」

「テメェの馬鹿みたいなプライドとやっすい自己顕示欲で美琴の真意を測れなかった馬鹿野郎の台詞じゃねぇけどな」

「……そんなこと、ありませんの。人間精神的に追い詰められれば、本当に大切なものを見誤ったりするものですわ」

「え、なに。もしかして慰めてくれてんの? 万年高慢チキのお前が?」

「~~~っ! うるっさいですわ! バカ! 類人猿! お姉様に全身黒焦げにされなさい!」

「それが今から本人の前に飛び込もうとするやつに贈る言葉か」

「絶対辿り着きなさいという意味です! まったく、不在表を出すために教官に説教喰らった私の怒りを少しは分かってほしいですの!」

「結局私怨じゃねぇか」

 

 先程までのしんみりとした雰囲気はどこへやら。目を三角にしてギャースカ騒ぎ立てるですの口調の風紀委員。揚げ足を取られたのが相当恥ずかしかったのか、珍しく顔を真っ赤に染め上げながら佐倉を殴りまくる。なかなかに腰の入った攻撃を加えてくるため、想像以上にダメージが大きい。明らかに淑女の攻撃力ではない。風紀委員はどういう訓練をしているのだろうか。

 しばらくポカポカと佐倉を叩いていた白井だったが、おおかた満足したらしい。取り乱した姿を誤魔化すように咳払いを漏らすと、背を向けてミサカ達の方へと歩き出す。

 

「もういいです。私は妹様達とスキンシ……いえ、手伝いをしてきますわ。貴方のような類人猿に構っている暇はありませんの」

「下心丸出しだが、ミサカ達に変なことしたら許さねぇぞ」

「あら、独占欲丸出しですわね。それよりも、少しでも効率的にお姉様の元に辿り着く算段でも練っていてくださいな」

「……やけに協力的だな。そんなに好感度が高かった覚えはねぇんだが」

「別に。貴方の為ではありませんの。私はただ――――」

 

 その場で立ち止まると、佐倉を流し見るようにして。

 学園都市が誇る風紀委員の彼女は、腕章を高々と掲げつつ、宣言するのだった。

 

「風紀委員として、お姉様を意地でも止める。その約束を果たしたい。ただ、それだけですのよ」

 

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

感電棍(スタンロッド)に催涙スプレー。後は軍用衝撃吸収チョッキと絶縁スーツってとこかな」

「パイルバンカーなんてどうよ。一撃で沈められるぜ?」

「痴話喧嘩にしちゃあちょいとばかし物騒すぎんかね」

「すみません、半蔵先輩に浜面先輩。色々手伝ってもらっちゃって……」

「なぁに、今に始まったことじゃないさ。それに、可愛い後輩の為だからな。これくらいお安い御用ってもんよ」

「俺は滝壺の看病もあるからあんまり手伝えないけどな。だがまぁ、大事な後輩がオトコ見せるってんだ。ここで何かやらないってのは、先輩失格だろうよ」

「先輩方……」

 

 大量の武器を用意、調整してくれている半蔵と浜面に頭を下げる。以前大覇星祭の際に助けてもらって以来、少々彼らと顔を合わせるのが気まずい佐倉ではあった。特に浜面に対しては、それ以外の事情もあり引け目を感じている。

 お礼を言いつつも、どこか遠慮がちに俯く佐倉。そんな彼の様子に二人は顔を見合わせると、ニィっと野性味溢れる笑みを浮かべる。明らかに何か怪しいことを思いついた顔つきだが、視線を落とす佐倉が気づいた様子はない。そして、じわじわと歩み寄ってくる周囲のスキルアウト達にも気が付いていないようだ。

 数にしておよそ三十人ほどの男女が佐倉を中心に輪を縮めていく。半径が三人分あたりにまで小さくなったところで、ようやく佐倉は異変に気が付いた。あちらこちらに視線を泳がせて見るからに混乱している。

 

「えっ、はっ? み、みんな、そんな近づいて何を……」

「今だ、テメェら!」

「胴上げ開始ぃいいいいい!!」

「はぁっ!?」

『うぉおおおおおおお!!』

 

 屈強な男共を中心に、佐倉を空高く投げ飛ばす。ただでさえ小柄の彼はとても胴上げレベルでは収まらない高度を上下している。そして眼下にはいわゆるチンピラ共の集団。知らない人が見ればどこのスラム街かと勘違いされそうな光景だ。当の本人達は非常に楽しんでいる様子ではあるけれど。佐倉を除き。

 

「急に何なんだよお前らぁああ!!」

「ハッハァ! スキルアウトのくせに小せぇこと気にしてんじゃねぇよノゾム!」

「アタイらは家族みたいなもんだろ? だったらゴチャゴチャ言ってないで、どんどん頼れってもんさ!」

「うじうじ悩んでんのはオレ達らしくねぇよ! お前もスキルアウトなら、細かいこと考えてないでその場の勢いで突っ走っちまえ! そっちの方が、断然楽しい!」

「お前ら……」

 

 口々に佐倉を励ましてくれる仲間達。予想だにしない言葉の連続に目頭が熱を覚える。能力開発に挫折し、学園都市の裏側で身を寄せ合って生きてきた彼らはもはや家族も同然。そんな彼らからわざわざ口に出されないと頼ることもできない自分の馬鹿さ加減に笑えてくる。何の意地を張っていたのだろう、と今までの悩みがどうでもよくなっていく。

 十数回宙を舞ったところで、ようやく地面を踏みしめた。アクロバティックな体勢の連続で少々目を回してしまったが、浜面がすんでのところで支える。

 

「浜面先輩……」

「【スクール】だとか【アイテム】だとか、そんなくだらねぇしがらみは捨てちまおうぜ。昔がどうであれ、今の俺達はただのダチだろ? だったら、変に気を使うのも馬鹿らしいってもんだ」

「でも俺は……俺の組織は、【能力追跡(AIMストーカー)】を……」

「だぁかぁらぁ、そういうのはもういいんだって言ってんだろ! アレはあくまで【スクール】の仕業で、お前のやったことじゃねぇ。それに、今のお前は暗部でも何でもない、ただの佐倉望なんだ。だったら敵対する理由なんて一つもねぇじゃんかよ」

「……すみません。本当に、感謝しています」

「俺に頭下げる余裕があんのなら、さっさと目的果たして来いよ。テメェの女に土下座すんだろ? 覚悟しろよ佐倉。女ってのは、喧嘩の後が一番怖ェんだ。あいつら可愛いナリして平気でタマを踏み潰そうとしてくるからな……」

「ははっ、なんですかそれ!」

 

 苦い経験でもあるのか、顔を青褪めつつ肩を震わせる浜面。彼のひょうきんな様子に、佐倉はようやく顔を崩して笑顔を浮かべる。そこには、およそ数か月前には当たり前のように存在した光景が広がっていた。暗部だとか超能力者だとか無能力者だとか、そんな縛りも何もない。ただの『仲間達』との日常が、そこにはあった。

 そして、もう一人。

 この場にいるはずの人間が。いなければいけない人間が、佐倉の背中を押す。

 彼の様子を眺めていた半蔵は、ふと思いついたように彼の肩を叩くと、懐から何やら黒塗りの物体を取り出した。一見するとただの拳銃のようだが、通常のものより大きい。引き金の手前に太いマガジンが日本突き刺さったような奇妙なフォルムのそれを、佐倉に突き出す。

 

「これは……?」

「【演算銃器(スマートウェポン)】って言ってな。赤外線で標的の構造やら距離やらを計測して、そいつをぶっ壊すのに最適なタマを発射してくれるってスグレモノだ。超電磁砲を殺すのに使えってわけじゃねぇが、辿り着くまでの橋渡しにはなるだろ。ただでさえ火力がないテメェへの、せめてもの援助だ」

「はぁ、ありがとうございます」

「お礼なら俺じゃなくて駒場の旦那に言うんだな。まぁ、今や雲の上の人になっちまったけどよ」

 

 冗談めかして言う半蔵だったが、駒場利徳の名前が出た途端に周囲が一気に静まり返る。先程まで豪快に笑っていた浜面でさえ、神妙な面持ちになっていた。

 かつて第七学区のスキルアウトを束ね、無能力者達を守る為に奔走していたリーダー。誰よりも破壊的な外見をしているくせに、不要な争いを好まない冷静沈着な大男。他グループのスキルアウト達からも一目置かれていた彼は、10月3日にこの世を去った。学園都市統括理事会によって派遣された暗部の構成員によって粛清されたのだ。誰よりも無能力者のことを考え、守る為に命を懸けていた彼の死は、スキルアウト達に決して少なくない衝撃を与えた。結果としてスキルアウトとしての組織はほとんど壊滅に追い込まれ、臨時にリーダーを請け負った浜面は責任を取って暗部へと堕ちてしまう。暗部時代においては外界との接触をほとんど断絶していた佐倉が彼の死を知ったのはつい先程の事ではあるが、未だにショックが抜けきらない。それほどまでに、彼の存在は大きいものだった。 

 ……だが、半蔵はあくまで笑みを崩さないまま、演算銃器を佐倉の手に無理矢理持たせる。

 その上で、周囲の馬鹿共にも聞こえるくらいの大声で、高らかに叫んだ。

 

「たとえ旦那が死んじまってもな! 俺達のやることは変わらねぇ! 能力者共をぶっ飛ばしつつ、俺達の居場所を守るだけだ! そんでもって、家族のためにタマァ張る! それ以外に、必要な事なんてあるかよ!」

「半蔵先輩……!」

「心配すんな、佐倉。たとえ旦那の最期に立ち会えなかったとしても、あの人はギリギリまでお前の事を気にかけていたさ。かけがえのない仲間としてな。だから誇れ。胸を張れ。あの人の想いを、こんな中途半端なところで眠らせるな」

「……はいっ!」

「よし、じゃあ準備すっぞ! 駆動鎧なんざ俺達の敵じゃねぇ! 能力者だろうが兵器だろうが関係ない。無能力者の底力ってやつを見せてやろうじゃねぇか、ヤロウ共!」

『おおぉぉぉぉぉ!!』

 

 半蔵の叫びを受け、実に三十人を超えるスキルアウト達の雄叫びが第十七学区に木霊する。おそらくは、最奥で引き篭もっている超能力者にさえも届いているであろう地響きとなって。ちっぽけな仲間の恋路を舗装する、一筋の道となって。

 後に、彼らの様子を眺めていた無能力者の少女は口にする。

 

 「あれはマジで、絶対に負ける気がしなかったですね」、と。若干引き攣った笑みを浮かべながら。

 

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 超能力者は嗚咽を漏らす。かつて傷つけてしまった相手との邂逅を望まず、心に蓋をしきったまま。

 

 無能力者は雄叫びを上げる。かつて傷つけてしまった相手との再会を望み、胸の内を打ち明ける為に。

 

 御坂美琴は拒絶する。再び彼を傷つけてしまうことを恐れたから。

 

 佐倉望は呼応する。もう二度と傷つかないことを伝えたかったから。

 

 

 

 ――――そして、『人間』は眺望する。

 男とも女とも子供とも老人とも黒人とも白人とも言えるであろう『人間』は、最後の観察を続ける。

 

 

 

 

 まるで、昆虫の死に際を興味深そうに眺める、好奇心に塗れた子供のように。

 

 

 

 

 

 




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第六十三話 前へ

お待たせ致しました。




 第十七学区の工場群、その最奥。

 周囲を学園都市と外部の壁に囲まれている為、正面突破しか侵入方法がない難攻不落の砦の中で、ベージュ色のブレザーを纏った茶髪の少女が膝を抱えて座り込んでいた。俯かせるその顔には普段のような輝きは微塵も存在せず、油断すると奥底に吸い込まれてしまいそうな程に虚ろになった表情が貼り付くだけ。彼女を知る人達が見ても、一瞬同一人物か疑ってしまう程に、変わり果てた姿の超能力者がそこにはいた。

 あるきっかけから学園都市中を駆け回り、邪魔するものをぶっ飛ばして、ついにはこの辺境に辿り着いた。機械と建物に支配されたこの一角で、御坂美琴を邪魔するものは誰一人いない。規則的にパトロールを続ける警備ロボットや監視カメラ達が無限に集めてくる情報を垂れ流しつつ、彼女は何日も機械化された楽園で置物と化していた。

 もう何も、誰もいらない。他人を傷つける化物が、何かを欲するわけにはいかない。ただ、誰とも分かり合えないのなら、いっそのことすべてをぶち壊してしまえばどれだけ楽であるだろう。

 

「……望」

 

 ぽつり、と名前を呟いた。それはおそらく、世界の中で最も愛しい彼の名前で。ひょっとしなくても、二度と戻ってこないであろう人の名称で。

 ――――美琴の心を無に帰した、最大の原因でもあった。

 

「望……」

 

 再び、彼の名を口にする。たったそれだけなのに、内側から大切なものがぽろぽろと剥がれ落ちていくような感覚に襲われた。今まで積み重ねてきたものが少しずつ消失してしまうような、取り返しのつかない空虚感のようなものに包まれる。

 心が死んでいく、とはこういうことを言うのだろう。

 もう、何もかもがどうでもよかった。誰にも見つからず、このまま一人で朽ち果てていたい。言い知れぬ破滅願望だけが心の中に募っていく。自殺癖とも破壊衝動とも違う、生物として決して抱えてはならない消滅願望が徐々に彼女を覆っていく。

 黒い靄のようなものに包まれる幻覚を見るようになった。同時に、謎の声が直接脳内に響くようにもなった。

 それはまるで男性のような、それでいて女性のような、それどころか聖人であるような、はたまた罪人であるような。だけれども、確かに『人間』であると疑いようのない声が、美琴の認識外から聞こえてくる。

 

『人間とは不思議なものだ。どれだけ深い関係を持っていたとしても、些細なきっかけ一つで赤の他人に戻ってしまう。嫉妬や羨望、怨嗟に悲観。理由なんて何でもない、それこそ取るに足らないような出来事だけで、人間は平気で他者を突き放す生き物だ』

「……何が言いたいのよ」

『別に、それといって伝えたいことはないよ。というか、言葉だけで伝えられる事柄なんてたかが知れている。それはキミも実感しただろう? 音なんていう偏った媒体のみで発される言葉に説得力なんてものは存在しないし、人間がそう考えているものは、得てして聞き手が勝手に解釈しているに相違ない。ようは伝言ゲームみたいなものなのさ。思い込みであたかも会話が通じ合っているように見えるだけ。本当は、お互いに何も通じてはいないのに。外国人とコミュニケーションを取るときに、ボディランゲージと拙い呻き声で会話が成り立っているように錯覚することがあるだろう? あれと同じなのだよ』

「…………」

『まぁ現時点でキミが、私の言葉をどう捉えるか。それも思い込みによるものでしかないけどね』

 

 無言のまま、身体を横たえる。もうこれ以上無駄なことを話すな、という美琴なりのアピールだ。幻聴が聞こえ始めて数日が経つが、こうすることで『人間』の声はそれ以上聞こえなくなる。胡散臭い上に遠まわしな事しか言わない『人間』の言葉は、割かし、いや間違いなく耳触りなものだった。……それでも時折耳を傾けてしまうのは、彼/彼女の言葉に何か思うところがあるからか。ただ、それも美琴の思い込みによるものかもしれない。

 ――――だが、今回だけは例に外れた。

 

『狸寝入りをしているところに悪いが、今は少々そんなことをしている場合ではないようだよ』

「は……?」

『お客様だ。それもとびっきりのね』

 

 怪訝そうに身体を起こす美琴を他所に、どうやって操作しているのか、眼前の監視モニターが起動する。第十七学区全体をカメラごとに画面分けして映し出している画面の一つ――――おそらくは、学区の入り口付近に設置されたカメラが捉えた映像に、彼女は思わず目を見張った。

 武装した数十人のスキルアウトめいた集団に、自分によく似た少女達。ツインテールの後輩や、金色に染まったいけ好かない超能力者。

 そして、その中心にいる、見覚えのある無能力者の少年。

 見間違う訳がない。それは、ここ数週間にかけて美琴が探し求めていた、愛する彼の姿だった。

 

「望……なんで……?」

 

 佐倉の姿に、口をつくのは疑問の言葉。自分だけでは手を掴むことすらできなかった彼が、どうして今あの場所に立っているのか。美琴では為し得なかった偉業を、美琴以外の誰かが成し遂げたとでも言うのか。

 困惑する美琴に、『人間』が囁く。

 

『彼が立ち直るのに、キミは必ずしも必要じゃなかったということだろう? 現に、佐倉望はこうして舞台に上がっている。キミとは顔すら合わせていないのに、彼は日常を取り戻した。これが意味することは、たった一つしかない。キミも気が付いているはずだよ?』

「私は……望には、私なんて必要なかった……?」

『人間とは得てして薄情な生き物さ。口では存分に甘い言葉を吐いておきながら、いざとなると相手を見限る。実に合理的で残酷な生命体だ。そういった物語を好む物好きも世間には存在するらしいが、さながらキミは当事者だね。まさに悲劇のヒロインといったところか』

「そんな……嘘……それじゃあ私は、いったい何のために……?」

『そんなの、分かり切っているじゃあないか』

 

 頭を抱え、絶望の二文字に支配された感情に顔を染める美琴。そんな彼女の様子を見て、心底愉快そうにくつくつと笑う『人間』。声しか聞こえないはずなのに、引き裂くような笑みを浮かべた彼/彼女が幻視された。

 バヂィッ、と空気が爆ぜる。それが混乱した美琴が放った火花であることを指摘するものは誰もいない。

 

 バヂッ、バヅヅッ、バヂヂヂヅヅヅヂヂヂッヅヅヂィィィィィィッ!!

 

 徐々にけたたましく空間を焼き尽くす雷撃の中心で、電撃姫は絶望に直面する。銀髪の『人間』に耳元で、あるいは脳内で囁かれながら、確実に闇への階段を駆け足で降りていく。

 最後に覚えていた言葉は、確かこんな感じだった。

 

『キミの頑張りは、決意は、ただの自己満足に過ぎなかったという事さ』

「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」

 

 プツン、と。

 何かが焼き切れる音を、『人間』だけが耳にした。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

「――――なんだよ、アレ」

 

 誰が言ったか、恐怖を帯びた声が漏れる。数十人のスキルアウトに、数人の能力者。超能力者を相手取るには少々心もとない集団の中で、ぽつりぽつりとざわつきが広がり始める。

 無数の警備ロボットや無人駆動鎧を薙ぎ払い、数人がかりで抑え込みつつ進んでいた佐倉達。そんな彼らが思わず足を止めてしまう程の現象が今目の前で起きていた。

 ――雷電。

 まさにそう表現するしかない程の音と光が学区の最奥から放たれる。誰かを狙ったと言うよりは、手当たり次第に放出しているような……まるで、普段の第3位が苛立った時に行う放電。ただあの雷は、佐倉が知ってる彼女の電力をゆうに超えていた。もはや自然の猛威とも遜色つかないくらいの災害。機械集団の一部がショートしていることがどうでもよくなってしまう。

 

「……美琴」

 

 ぽつり、と呟くのは愛する超能力者の名前。佐倉の我儘、弱さによってすれ違い、対立することになってしまった恋人の名前。彼女が今どういう気持ちで彼らと相対しているのか。

 そもそも、今の彼女に自分の声が届くのか――

 

「大丈夫です、とミサカは貴方の不安を拭います」

「ミサカ……」

「貴方は無能力者で、馬鹿で不器用なスキルアウトですが、誰よりもお姉様のことを考えています。胸の内を正直に、それこそバカ正直に伝えれば、きっと分かってもらえるはずです、とミサカはあくまで客観的な感想を述べます」

「……そうだな。ぐだぐだ考えても仕方ねぇ。今の俺にできるのは、とやかく考えるよりも――!」

 

 ミサカの背後に忍び寄っていた駆動鎧に銃口を向け、演算銃器で右腕を吹き飛ばす。それだけで破壊することは難しいが、それだけあれば充分。咄嗟に振り向いたミサカの放電が駆動鎧の回路を焼き飛ばす。

 背中合わせにそれぞれ武器を取り、目指すは電撃姫の城。

 

「さっさと身体を動かして、アイツへの気持ちを伝えるだけだな!」

「……ふふ。それでこそ、ミサカが好む佐倉望です」

「俺もだよ、ミサカ。……ここは任せたぜ」

「お任せを。無事に戻ったら、デート1回で手を打ちましょう」

「考えとく!」

 

 背後の処理をミサカに任せ、警備ロボットを蹴飛ばしつつ奥へ。迫り来る機械の数々はスキルアウトの仲間達が抑え込んでくれている。

 ――だが、如何せん数が多い。人間の足で踏破するには、距離と時間と突破口が足りない。演算銃器のおかげで少しずつ道を開いてはいるものの、それもいつまで持つか……。

 だが、そんな窮地を打破するように、慇懃無礼な声が響いた。

 

「あら、そんなところで諦めるなんて。お姉様の認めた類人猿としては落第点ですわね」

 

 ズゥン、と膝をつく駆動鎧。発砲音は無く、破砕音もない。まったくの無音。よく見れば、関節部のコードを抉りとるように突き刺さる鉄矢。

 まるで最初からそこにあったかのように、白銀に煌めく裁きの矢。

 タンッと軽快に降り立ったのは、栗色のツインテールを華麗に揺らす年下の少女。右肩の腕章を見せつけると、可憐なウインクを佐倉に向ける。

 

「風紀委員ですの。果てしない距離を物理的に埋めるのは、私の専売特許ですわよ」

「――ハッ、遅ぇんだよ白井」

「口が減らない類人猿ですわね。ほら、さっさと手を取りなさい。少しでも距離を稼いであげますわ。そこからは、御自分で」

「でもこの人混みだ。人間一人背負っての空間転移座標計算も簡単じゃ――」

「だったら、荷物だけ転移させれば問題ないでしょう?」

「は?」

 

 ニヤ、とさっきとは違う白井の笑顔。悪巧みしていますと顔に書いてるような彼女は佐倉の手を取ると、ジャイアントスイングの要領で思いっきり振り回し――

 

「吹っ飛びなさい佐倉望! 少しは痛い目見せないと私がすっきりしませんわ!」

「てめ白井、この期に及んで――」

「助っ人も呼んでますから安心しなさいな。それと、お姉様のこと、頼みましたわよ」

「白井……」

「ほら、さっさと飛んでけ――!」

「やっぱりテメェ嫌いだわぁぁ――ってぇ!!」

 

 一瞬の浮遊感。存在が曖昧になった感覚が終わると、そこは最奥の建物の前。背後からは激しい戦場の音が聞こえてくる。本当に、入口まで飛ばしてくれたらしい。

 この先に、美琴がいる。

 喉が干上がるような緊張感を胸を叩いて吹き飛ばすと、あらかじめの計画通り、最強のオペレーターに連絡を開始。

 

「――リリアン、出番だ」

『任せろ佐倉。我の魔眼で貴様の未来を華麗にナビゲートしてみせよう』

「頼む、今はテメェの未来予知が頼もしい」

『素直な感謝は大事だぞ。褒美として我の豊満な胸で包み込んで――痛い痛い静! 分かったから! 手は出さないからやめてくれ!』

「本当に大丈夫かよ……」

『応援、してる……から……。きっと、美琴を……助けて、あげて……』

「……分かってるよ、桐霧。迷惑かけたな」

 

 か細く笑う声を最後に彼女の声が途切れる。能力があるとはいえ、生きているのも不思議な重傷を負っているのだ。こうして声を発しているだけでも奇跡に近い。それも、佐倉を助けるために半身を犠牲にした結果だ。彼女の誠意に、愛に応えるためにも、今はとにかく前へ。

 

「待ってろよ、美琴……!」

 

 前へ、前へ。ひたすらに前へ。

 クソみたいな人生を彩ってくれた皆。佐倉望を支えてくれた馬鹿野郎共が彼の背中を押してくれている。それならば、たとえ両足を失ったとしても、前へ――!

 

 

 

 



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第六十四話 そして、すべてが――

 お待たせ致しました。


 ――どこで、間違えたのだろう。

 

「あ、ぅ……ず、ぁ……あぁぁぁ……!」

 

 言葉にならない、いや、もはや『声』と形容していいのかさえ分からない唸りを口から漏らしながら、学園都市第三位は頭を抱える。覚束ない足取りで、今にも倒れそうなほどにふら付きながら。

 何も、何も分からない。見たくない、聞きたくもない。監視カメラを通して近づいてきている『彼』の存在を、認知したくはない。今更、今更彼の顔なんて見たくもない。そして……何よりも、今の自分の姿をあの無能力者にだけは見せたくなかった。

 

『人間という生き物はつくづく不思議だな』

「…………」

『消えてなくなりたい、死んでしまいたいと思っているのに、何故キミはまだしぶとく生きているのか。もう、すべてを忘れて消え去りたいと願っているはずなのに、いったい何を待っているというのかね』

「…………」

『結局は、子供が駄々をこねているということなのかな? 自分だけではどうしようもない、どうすることもできない。だから、一縷の望みをかけて彼を待っている、と。彼なら自分を助けてくれる、と。自分は彼を助けることも、救い出すこともできなかったというのに』

「…………」

『どこまでも自分勝手な思想だよ、第三位。しかもそれを十把一絡げの無能力者に押し付けるなんて、力不足も甚だしい」

「…………」

 

 いつまでも頭に響いてくる『人間』の声に、一言も答えることはしない。そもそも、会話に割くような余裕なんてどこにも残ってはいなかった。

 自分の行いがすべて無駄に終わったという残酷な事実を突きつけられた今の彼女に、余裕など、少しも。

 

『……ふむ、まぁいい。私はこのまま最後まで傍観者として見届けさせてもらおう。「主人公」ではないただの「無能力者」が、いったいどこまで抗えるかをね』

 

 どこか興味深そうな、それでいて呆れたような声色を最後に、『人間』の声は聞こえなくなった。代わりに、バチバチと体内から発せられる火花、電流、電撃。出鱈目に放たれる電撃が部屋中の機械を壊していく。監視カメラにも被害が出ていたのか、先ほどまで外の映像を映し出していた画面は漆黒に塗り潰されていた。水を打ったように、何もかもが静まり返る。

 ――だが、その静寂を引き裂くように、()()は突如として響いた。

 

「……やっと見つけたぜ、美琴」

 

 ぐるん、と。

 先ほどまで下を見つめていた両の眼が声のした方に向けられる。瞳孔が開ききった双眸が見つめるのは、黒髪の少年。仰々しいずんぐりとした防弾チョッキのようなものに身を包み、右手に武骨な拳銃を持った無能力者。顔中が傷と痣に覆われた痛々しい姿の彼は、美琴に向けて軽く笑みを浮かべていた。

 

「の、ぞ……っっ」

 

 愛しい彼、何日も、何週間も追い求めた彼の姿に、無意識に彼の名前を呼びかけ……口を噤む。目に生気はない。顔に血の気はない。ただ、絶望と怒り、焦燥と諦念……何もかもをぶちまけたい気持ちだけが、そこにはあった。言葉を紡ぐ代わりに、青白い火花を全身に纏い始める。

 あまりにも見ていられない彼女の姿。これが学園都市で七人しかいない超能力者の姿か、と思わず目を背けそうになる佐倉。……だが、ぐっと堪え、一心に見据える。自らが招いた結果から、逃げることなく、真正面で。

 

「……お前に、謝らなくちゃならねぇことがたくさんある」

「……今更、何を」

「ずっとずっと、勘違いしていたんだ。美琴が何に怒っていて、何を許せなかったのかを」

「どうでもいい。私は、何も話したくない」

「馬鹿な俺のために命を張ってくれていたって、色んな奴から聞かされた。暗部に首を突っ込んでまで、俺を助けようとしてくれたって」

「……うるさい」

 

 いつまでも、どこまでも平行線。以前までとは正反対の立場。お互いの言葉が何一つ届くことのない境界線。

 ただ言い聞かせるだけの段階は、とうの昔に通り過ぎていた。言葉だけで相手の心を動かせるフェーズは、とっくに終了してしまっていた。

 だったら、やるべきことは一つしかない。

 

「だから、今度は――」

「黙れ――」

 

 演算銃器と特殊警棒を構える。リリアンからの指示に耳を傾けつつ、目の前の超能力者を見やる。

 磁力で作り上げた砂鉄を構える。目の前の敵対者を焼き尽くすように、我武者羅に電気を放つ。

 ――そして、

 

「俺が! お前を助ける番だ!」

「黙れぇえええええええ!!」

 

 戦いの火蓋は、いとも容易く切って落とされた。

 

 

 

 

 

                ☆

 

 

 

 

 

 発条包帯と多少の耐衝撃ジャケットで補っているとはいえ、超能力者を相手取るのは簡単なことではない。

 

『佐倉、上から二本、左右から一本ずつだ! 前方に突っ込んで回避しろ!』

「簡単に、言ってくれるぜ……!」

 

 インカムから届くリリアン・レッドサイズの指示で美琴の攻撃をなんとか避けていく。発条包帯によって底上げされた身体能力とリリアンの予知能力が噛み合って初めて成功する戦い方だ。だが、発条包帯による身体へのバックファイアは無視できるものではない。

 ミシ、と大腿筋が悲鳴を上げる。軽くよろめきかけるものの、なんとか踏ん張り銃口を美琴へ。カスタマイズした演算銃器は自動で彼女を昏倒させる威力の弾丸を生成してくれるが、そもそも当てることができなければ意味はない。

 引き金を二回。盾代わりに展開されていた砂鉄を蹴散らすことには成功するも、貫通した弾丸は彼女の背後、分厚い壁をぶち抜いただけ。その後何発か同様に放ちはするが、同じく四方の壁を蜂の巣にすることしかできない。返す刀で放たれた鉄片を浴び、逆にこちらが膝をつく形になってしまう。

 

『佐倉!』

「結構……しんでぇな……っぅ」

 

 リリアンの悲鳴でなんとか意識を保ちはしたが、戦況は劣勢だ。そもそも相手に攻撃が通っていない現状、勝率は限りなく低い。普通ならば、すぐにでも尻尾を巻いて逃げるべき状況だ。

 ……だけど、こういう状況は初めてじゃない。

 

「第一位、第二位に続いて第三位なんて……無能力者には荷が重すぎるってぇの」

 

 ボヤきつつも、腰に下げていた小型ラジオのような機械に手を伸ばすと、そのまま幾つかのスイッチを順番に押していく。彼の行動を不審に思った美琴が間髪入れずに無数の鉄塊を発射。体捌きで回避できるような量、密度ではない。

 万事窮す、と思われたものの、不意に横合いから放たれた電撃が鉄塊を撃ち落としていく。それも、一つや二つではない。複数もの方向から、()()()()()()()()能力の塊が佐倉を攻撃から守っていた。佐倉の力ではない。だとすれば――

 突然の乱入者に狼狽しながらも視線を四方に飛ばす。

 扉自体は開いていない。先ほど佐倉が入ってきたまま、それ以上侵入してきた者はいない。

 

 だが、()()()()()()はそうはいかない。

 

 美琴の攻撃、そして佐倉のあてずっぽうに放たれた……放たれたように見えた演算銃器の弾丸によって作り出された無数の穴。サッカーボール大に開かれた風穴の向こうから、細い少女の手が何本も。それぞれの穴から休まずに電流を放ち続けている。

 美琴の眉が跳ね上がる。それらの存在に、あまりにも心当たりがあったからだ。

 忌々し気に歯を軋ませる彼女に、単調な声がかけられる。

 

「……お姉様(オリジナル)には悪いですが、今回ばかりは歯向かわせていただきます、とミサカ一〇〇三二号は人生初の姉妹喧嘩に心を震わせます」

「アンタ、どういうつもりよ……!」

「どうもこうもありません、とミサカは鋭い眼光でお姉様を睨みつけます」

「はぁ……?」

「以前にも言った通りです」

 

 怪訝な表情を浮かべる美琴に対して、壁を一枚隔てた場所からではあるものの、ミサカは精一杯の笑顔を浮かべて愛する姉へと本心をぶつける。

 

「『ミサカにも生きるという事の意味を見いだせるよう、これからも一緒に探すのを付き合ってください』とミサカはお姉様と佐倉望にお願いしました。まだ。その約束を守っていただいていないのです、とミサカは約束を破ろうとするお姉様に妹として説教をくれてやることを決意し、戦う覚悟を決めます」

「……だとよ、美琴。俺のことは後で半殺しにしてもいい。だけど、こいつらの気持ちまで踏みにじろうとするのはいただけねぇな!」

「なにを……なにを今更! 私の気持ちなんて知らないくせに、私がどんな思いでアンタを追いかけてきたか、何も知らないくせに!」

「ちっ……!?」

 

 美琴の全身から放たれる電撃。もはや狙いすら定めていない、ヤケクソにも見える放電が佐倉に襲い掛かる。物理的な攻撃ならば待機しているミサカ達の協力で防御することはできるが、彼女達より数段上、そのうえ怒りでさらに向上している超能力者の攻撃を捌けるとは思えない。

 発条包帯の機動力を使ってなんとか部屋からの脱出を試みる。

 

「――っ、ぅ……くそ、ここに来て限界が……!?」

 

 踏み込もうとした矢先に両腿へと走る激痛。逃げなければならないというのに、思わずそのまま膝をついてしまう。……発条包帯によるバックファイアに、佐倉自身の筋肉が耐え切れなくなっていた。今のまま戦い続けると、最悪の場合歩行すら困難になってしまう可能性も否定できない。

 だが、さすがに直撃は避けなければ。すかさず床に演算銃器を向け発砲すると、反動で部屋の隅まで退避する。その際に背中を強く打つことにはなったが、高圧電流の直撃を受けるよりは百倍マシだ。

 

『佐倉!』

「佐倉望!」

「ぐ、ぅぉ……!?」

 

 インカムからリリアン、壁際からミサカの悲鳴が響き渡る。直撃は避けたとはいえ、攻撃の余波は計り知れないほどに甚大だ。うつ伏せに丸くなったまま、皮膚が電気に焼かれくぐもった声をあげてしまう。

 だが、それでも致命傷を負わずに済んでいるのは、まだ美琴が自分に対して本気の攻撃を浴びせていないからだろう。彼女が手を緩めなければ、佐倉はもう十回は死んでいる。

 

「……全部、無駄だったのよ」

 

 うずくまる佐倉にゆっくりと近づきながら、暗い瞳で美琴が口を開く。

 

「私がやってきたことは、全部。食蜂がいなかったら足取りを掴むこともできなかった。アンタを連れ帰ってきたのは、私じゃなくて静だった。アンタの心を動かしたのは、ミサカ(あの子)だった」

 

 青白い火花を飛ばし、ポケットから何かを探るように。目前で立ち止まると、ゲームセンターのコインを乗せた指先を、佐倉に向けて。

 

「私は何も守れなかった。アンタに対して、何もしてやれなかった。それどころか、アンタに理想を押し付けて、あまつさえ突き放すようなことをして……もう、何もかも終わったのよ。元になんて、戻れない。私じゃ、アンタの隣になんていられない……!」

 

 ――ポタ、と。

 佐倉の髪に雫が垂れた。この場には似つかわしくない、少女の嗚咽。武器を向け、殺意を放ちながらも、それでも止まることなく溢れ続ける、彼女の涙。

 彼女を苦しめているのが、かつて誉望万化から放たれた言葉だということを佐倉は知らない。彼によって信じていたものを壊された事実を、佐倉が知ることはない。むしろ、ようやく現実を知ってくれた美琴に現状に対し、そのまま突き放すべきなのかもしれない。

 以前、御坂美琴から受けた言葉をそのまま返すように、報復をすべきなのかもしれない。

 だけど、

 

「……安心しろ、俺も、美琴と同じだからよ」

「望……?」

 

 ゆっくりと、損傷しかかっている筋肉に鞭を打ちながら身体を起こしていく。

 

「相手に理想を押し付けて、突き放すような真似をして……何一つ守ることができなくて、オメェに何もしてやれなくて……あまつさえ、自分に絶望させるような展開をみすみす見逃しちまった……無能力者云々以前に、俺は最低なんだろうさ」

 

 壁に背中をつき、なんとか体勢を整える。頭痛、眩暈、激痛……その他一切を気合で押し殺しながら、唯一残った武器である演算銃器を静かに構える。

 

「テメェがどうしても納得できないのなら、力で分からせればいい。もう二度と俺の隣にいたくないのなら、この場でぶち殺せばいい。……けどな、今更何を言ってんだと思うかもしれねぇが、これだけは聞いてくれ」

 

 空いた左手に握るのは、先ほどいじっていた小型ラジオのような機械。試作品、と半蔵は言っていた。効果は一分もないと。以前使用していた大型のものに比べると、抑え込む力自体も弱い、と。だが、それだけでも十分だ。

 

「俺ァ弱いからさ……誰かの怪我を治すことも、強ぇヤツをぶっ倒すことも、誰かの夢を叶えることもできやしねぇ……テメェの言う通り、超能力者を守るために強くなるなんて、世界を何度滅ぼそうと無理だろうよ。それに関して、もう何も反論はねぇ」

「…………」

「けど、だけど、だ」

 

 息を吐く。震えはない。今まで負けっぱなしだった人生でも、最高の負け戦をするときだ。勝てなくていい。勝つ必要なんてない。

 何一つの能力も持たない無能力者が。主人公の素質なんてない最弱が。今回ばかりは最高の、最強のピエロになって見せる。

 

「――好きな女の隣でずっとソイツ笑わせることができるなら、俺は弱くても無能力者でも構わねぇ! 見せてやるよ超能力者。始めようぜ、最高の痴話喧嘩をよぉ!」

「ふ、ざけ……! アンタが、私に勝てるわけ――!」

 

 銃口を向ける佐倉に対し、慌てて指先へと電気を流す美琴。だが、いくら彼女の代名詞である『超電磁砲』が音速を超える速度だとしても、至近距離の敵を相手取るには相性が悪い。そして何より、佐倉の本命は演算銃器ではないのだから。

 彼女の動きを見て即座に銃を捨てる佐倉。

 

「なっ……!? 自分から、武器を……!?」

「必要ねぇんだよ、こんなもん」

 

 代わりに、と見せつけるように突き出したのは、左手の機械。ボディの前面にスピーカーがついているソレが何か美琴には分からない。……だが、能力者に対する音響兵器という特徴には、心当たりがあった。

 佐倉望は無能力者。それも無能力者武装集団に所属している。彼らがかつて能力者と戦う為に手に入れていた兵器と言えば――

 

「キャパシティ、ダウン……ッ!?」

「ご名答! ちょっち頭ぁ痛むが我慢しろよな!」

「なっ!? が、ぅ……ぎ……ぁああああ!!」

 

 超音波のような高音が室内に響き渡る。先ほどまで待機していたミサカ達には合図を出して既に退避させていた。もう誰も巻き込まない。一方通行戦のような過ちは繰り返さない。

 能力者だけを苦しめる音響兵器、キャパシティダウン。その簡易版。軽量化、小型化に伴い威力も効果時間も大幅に弱体してしまっているが、一瞬でも美琴を止められるのならば破格の性能だ。無能力者が唯一超能力者に対抗できる武器。

 キャパシティダウンの効果で頭を抱え、美琴はたまらずふら付き始める。だが、その状態でも僅かながら放電できているのは彼女の能力強度故だろう。相変わらず出鱈目な出力だ、内心ボヤきつつも、こちらも足元は覚束ないながら彼女との距離を埋めていく。

 

「イヤだ、嫌だ……来ないで、来ないで! 私は……私はもう、アンタを傷つけたくなんか――!」

「大丈夫だ、美琴。もう傷つかねぇ。俺はもう、何があってもオメェの傍を離れねぇ」

「嘘よ! だって、だって私はまた酷いことを言ってしまう! アンタの気持ちなんか考えないで、自分の理想を押し付けちゃう! アンタを……アンタを苦しめる!」

「そんなのお互い様だろ。互いに理想を押し付けて、それで気に入らなかったらこうして喧嘩すりゃいい。気の済むまで殴り合って、それぞれの理想に寄り添っていけばいい。無能力者と超能力者の凸凹カップルなんだ。それくらいドタバタしねぇと分かり合うなんて無理に決まってらぁ」

「駄目……嫌……来ないでぇえええええええ!」

 

 感情の暴走に反応したのか、ひと際強い電撃が佐倉を襲う。キャパシティダウンの効果も重なって、加減もできていない暴力の奔流。超能力の塊が、迷うことなく佐倉の右腕を消し飛ばした。

 血飛沫があがる。想定外の事態に目を見開く美琴が返り血に染まるのを見ながらも、佐倉は慣れない笑顔を浮かべる。

 

「っ、ぅ……!」

「ぁ……ぅ、そ……」

「……ったく、とんだじゃじゃ馬だな、ホント」

「あぁ……いや、そんな、そんなこと……!」

「――大丈夫だ。俺は、大丈夫だから」

 

 ゆっくりと、一歩ずつ。

 ふらつく足取りで、彼女へと近づいていく。後ずさりする美琴よりも大きく踏み込んで。今まで擦れ違い続けた距離を埋めるように、一歩ずつ。

 

 ――最初は、ほんの憧れだった。

 

 能力に目が眩み、昏睡状態にまで陥ることになった幻想御手事件。もう覚めることはない、そう思っていた彼らを救ってくれたのが、他でもない御坂美琴。彼女の叱咤激励を受け、佐倉は再び前を向くことができた。絶望していた人生が、ちょっとだけ明るくなったようにも感じた。

 

 それからは、色んなことがあった。

 

 好きな人を助けるために、学園都市最強と戦った。不思議な右手なんて持っていない自分はまったく歯が立たず無様にやられてしまったけれど。守りたいもののために真っ先に立ち上がることができた。

 

 学園都市の第二位とも戦った。自らの無力さを痛感し、力を求めるようになった。その道が闇の底に、地獄に続いていると分かっていながらも、愛する人を守るために自ら暗部に入ることを望んだ。一縷の望みをかけて、絶対に強くなってみせると意気込みながら。

 

 他の暗部組織と争うこともあった。仲間の仇を討つために学園都市への復讐を誓う『カレッジ』。その構成員の一人である桐霧静とは何度も死闘を繰り広げた。幾度となく行われた戦いの中で、もしかすると彼女とは奇妙な縁が生まれていたのかもしれない。

 

 大覇星祭では、多くの知人を巻き込みながらもミサカを助けるために奔走した。結果的には足を引っ張り、美琴との決裂を招くことになってしまったが。互いの擦れ違いの結果、決定的な仲違いをすることになってしまった。あの時もう少し気持ちに余裕があれば、こんなことにはならなかったかもしれない。

 

 そして、暗部抗争を経て、夢の中で『ミサカ』と出会って。目が覚めた先で食蜂に発破を掛けられ、ミサカからの激励を受け……今まで知り合ってきた仲間達の協力を受け、ここまで来た。佐倉の馬鹿な願いのために、多くの犠牲と長い年月をかけてようやくここまで来たのだ。

 

「……馬鹿だよな、ほんと。俺も、お前も、みんなも」

 

 残った左手を彼女の背中に回し、肩に顎を置く。右手が残っていれば彼女の涙を拭うこともできたのだろうが、無いものねだりをしても仕方がない。代わりに、一本の腕で強く、強く抱き締める。

 

「……許して、くれるの?」

 

 もう抵抗する様子も見せない美琴がぽつりと呟く。それは、どういう気持ちから発されたものだったのだろうか。彼に対する仕打ちを強く悔いているのか。それとも、彼の気持ちを分かってやれなかった自分自身を責めているのか。ただでさえ精神的に打たれ弱い彼女のことだ、佐倉に負けないくらい馬鹿みたいな自己嫌悪で苦しんできたのだろう。ずっと一人で、誰に気持ちをぶちまけることもなく。

 つくづく似た者同士だな、とそっと微笑んでしまう。無能力者と超能力者という似ても似つかない関係のくせに、精神的な部分はどちらも子供で、負けず嫌いで、すぐに抱え込んで。だから、自分達は惹かれ合ったのかもしれない、とも思う。

 どちらにせよ、佐倉の答えは一つだ。

 背中に回していた手を彼女の後頭部を支えるように移動させる。僅かに耳が赤くなるのを見て久しぶりに感じる日常を尊く思ってしまった。が、まだ終わっていない。

 大量出血で今にも飛びそうな意識を繋ぎ留め、久方ぶりの笑顔を見せながら、佐倉は言った。

 

「許してやんねー」

「……は」

 

 美琴の気の抜けた声が漏れる。インカム越しに聞いていたらしいリリアンも同様の声を上げていた。佐倉だけが、笑顔を浮かべている。

 だが、これも彼なりに考えた結果の答えである。

 

「口だけで許すって言ってもどうせオメェは納得しねぇだろ。だから、許さねぇ。そん代わり、俺のことも許さなくていい」

「許さなくて、いい……?」

「あぁ。互いに許さずにぶつかり合って、馬鹿言って、悪態つき合って……いつか許せるその日まで、いつまでも隣で悪口言い合う。そんな仲がお似合いだとは思わねぇか?」

「そんな、仲……」

「そっちのが気ぃ遣わなくていいだろ。幸い俺もオメェも、人の気持ちに疎いって部分に関しちゃ超能力者級だからな」

「……なによソレ。結局、何も解決してないじゃない」

「そもそも何も変わっちゃいねぇよ。俺も、オメェも。初めて会ったあの日から、何一つさ」

 

 変わる必要なんてなかった。変化を求める必要なんてなかった。

 答えは最初から持っていたのだ。最強の力を求める必要なんてどこにも無い。ただ彼女の隣にいられるだけで幸せを感じていたあの頃の自分が、すべて正解だったんだ。

 砂埃と砂鉄で汚れてしまった美琴の髪をクシャクシャと撫でていると、表情の見えない美琴が静かに呟き始める。

 

「……ゲコ太」

「あん?」

「アンタの怪我が治ったら、ゲコ太ショップに連れて行って。その後は買い物して、公園にでも出かけて……アンタの奨学金精一杯の金額で夕飯を奢って」

「……じゃあ俺も、一つだけいいか?」

「……なによ」

 

 相変わらずの不愛想な口調。だが、ようやく取り戻すことができた彼女との日常だ。ずっと聞きたかったその声に内心安堵しながらも、佐倉は――

 

「好きだ、美琴。ずっとずっと、オメェの事が。……だから、どこにも行かねぇでくれ」

「……馬鹿。もう二度と放さないから。望がどれだけアホなことやろうと、絶対に」

 

 その言葉を聞いて緊張の糸が切れたのか、ふっと佐倉の身体から力が抜ける。慌てて抱きかかえる美琴の腕の中で、佐倉は今まで見せたことがないような安らかな笑みを浮かべていた。運命に翻弄され続けてきた哀れな無能力者が、ようやく掴んだ幸せ。その一片を確かに噛み締めながら。

 彼の短いようで長い戦いは、すべてが無駄に終わりながらも、ようやく終焉の時を迎えるのだった。

 

 

 

 

 

 ――――どこかで、『人間』の笑い声が聞こえていることに、微塵も気が付くこともなく。

 

 

 




 次回、最終回です。


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第六十五話 とある科学の無能力者

 連続更新です。
 ついに最終回!


 十月三十日。

 

「世界じゃ第三次世界大戦が行われているっつうのに、学園都市はいつも通り随分と平和なこって」

「平和じゃないと困るでしょ。戦いの最中でアンタの義手の調整するのイヤよ私は」

「そもそもオメェが能力使うと色々壊れちまう可能性もあるわけだが……」

「なに? 文句でもあんの?」

「ねぇです」

 

 病院のベッドに寝転がったまま機械の右手をグーパーしている少年と、そんな彼に火花を向けながらメンチを切る少女。それぞれ無能力者と超能力者に属する二人なのだが、傍から見れば喧嘩ップルにしか見えない。まぁ佐倉と美琴の関係はそういう表現でもあながち間違いでもないあたり何とも言えない気持ちになってしまう。一応は三週間ほど前に死闘を繰り広げた仲ではあるものの、すっかりかつての二人に戻っているようだった。

 そんな二人を微笑ましそうに眺めつつも、佐倉の左手を両手で握り締めたまま放さない美琴そっくりの少女は相も変わらない単調な話し方で諫めるように口を開く。

 

「望は怪我人なのですから丁重に扱わなくてはいけませんよ、とミサカはお姉様のあまりに粗暴な振る舞いに呆れつつも、これならばミサカの付け入る隙もありますねと内心ほくそ笑みます。ふふふ」

「あぁん? なによアンタ喧嘩売ってんの? ていうか! いつの間にか名前呼びになっている上になんか距離近くない!? その手ぇ放しなさいよ!」

「これは彼の生態電気を計測することによって体調に異変がないかを検査しているのです、とミサカは自らの正当性を訴えます。だからもっと密着する必要があるのです。えいっ」

「うわっ柔らか」

「あああああアンタねぇええええ!!」

「お姉様、ここは病院内なのでお静かに」

「誰のせいだ! 望もニヤニヤヘラヘラすんなこの浮気者!」

「えっこれ俺が悪ぃの」

 

 あまりにも理不尽な言われようにもはや涙目気味の佐倉。恋人が目の前にいる状況で自らの胸に彼の手を押し付けているミサカこそが責められるべきなのではないかと思うのだけれど、噴火寸前の彼女がそれを聞き入れてくれるとは到底思えない。こういう時は大人しく制裁を受けるのが一番穏便に済むのだとこの数か月間で誰よりも理解はしていた。

 結局あの騒動の後佐倉はすぐさまカエル医者の病院に搬送され、右腕の治療が行われた。まぁ消し飛んでしまった以上元通りにするのは不可能だったため、代わりに最新鋭の技術で作られた義手を付けることに。修繕費やら治療費、義手のメンテナンス代は「学園都市統括理事会からの贈り物らしいね?」とかなんとか。基本的に理事会には良い印象を持っていない佐倉ではあるけれども、くれるというのなら素直に貰っておくのが得策というものだろう。

 そして、ミサカもあれから色々と心境の変化があったようで、佐倉のことを名前で呼ぶようになっていた。なんだか距離も近くなり、美琴に対抗するアプローチが強引になってきているのは気のせいではないだろう。男としては嬉しい限りなのだけれど、身の安全的にはあまり喜ばしくない佐倉だったりする。愛する恋人からの折檻で死ぬとか冗談ではない。

 佐倉を挟んで御坂姉妹が睨み合っている中、病室に入ってくる三人目の少女。亜麻色のポニーテールに整いすぎている顔立ちがあまりに目立つものの、それ以上にセーラー服と巨大な日本刀という組み合わせがこれ以上ないくらいの異質さを醸し出している。そのうえ、機械感を隠そうともしない左手の義手と、右目を覆うようにつけられた眼帯が彼女の不審さに拍車をかけていた。

 そんなアンバランス極まりない少女――桐霧は美琴の隣から佐倉の肩に手を置くと、人形じみた無表情に僅かに朱を差しながら口元を綻ばせる。

 

「よかっ、た。元気そう、で……」

「オメェもな。……両脚はもう大丈夫なのかよ」

「私の『限界突破」な、ら……快復力も、底上げできる、から……さすが、に、破裂した右目と、砕け散った左手、は、どうにもならなかった、けど」

「……すまねぇな、俺のせいで」

「何度も言って、る。佐倉が謝る必要、は……ない。これ、は……私、が、貴方を助けた勲章だか、ら」

 

 そう言うと桐霧は愛おしそうに眼帯を撫でる。同じく重傷を負って搬送されていた彼女も佐倉と同様に義手を付けることになったのだが、義眼をはめることだけは頑なに拒否していた。「せめてこれだけでも彼との繋がりを持っていたい」とカエル医者に頼み込んでまで。リリアンの反対を押し切る彼女の姿は、以前の桐霧からは考えられないくらいに強情なものだった。

 佐倉と三度の死闘を繰り広げ、身体の各所を失いながらも彼を助けた張本人。かつては敵であったが、彼女には頭が上がらないのが本音だったりする。

 

「まぁその、アレだ。退院したらいつかお礼をさせてくれよ。桐霧には感謝してもしきれねぇしさ」

「……静」

「へ?」

「静、って呼ん、で。それが、一つめの、私のお願い」

「はぁ……まぁいいけど。ありがとな、静」

「……うん」

 

 それくらいでいいのなら、と早速名前で呼ぶと、彼女にしては珍しく目尻を下げた見てわかるくらいの満面の笑みを浮かべ。旧友の復讐のためにすべてを捨て暗部に入っていた彼女がこのような表情を浮かべられるようになった事実に思わず佐倉も微笑みを零した。長い間戦ってきた彼女達にもようやく平穏が訪れたのだと。

 ……だが、そんな微笑ましい光景に異議を唱える少女達が二人ほどいるわけで。

 

「あら静。()()()望への見舞いは終わったんだから、もうそのまま帰ってもらって大丈夫よ?」

「佐倉とは、まだ話したいこと、が……ある、から……」

「後、不用意に望に近づかないでください、とミサカは元々敵だった貴女に対して未だに警戒を解いていないことを伝えます。後そのナチュラルに頭を撫でている右手を今すぐ放しなさい」

「いやそれはアンタもよ」

「別、に……私は気にし、ない」

『私達が気にするの!(するんです)』

「び、病室だから静粛に……」

『望(佐倉)は黙ってて(ください)!』

「ひぇぇ」

 

 もはや反論の意志さえ刈り取ってくる程の怒りの形相で睨みを利かせてくる三人の美少女に委縮する元暗部。佐倉が半年以上をかけて取り戻した日常はここまで殺伐としたものだっただろうか。どこぞの青髪ピアスが聞いたら血涙流しながら胸倉掴んできていただろうハーレム状況なのだが、当の本人的には命の危機に瀕しているわけで。おそらく傍観者の立場であったなら唾の一つでも吐きかけてやったのだろうけれど、今はとにかく身の安全を確保することが優先だった。

 とりあえず話題を変えねば。無能力者として培ってきた生存技術その三十二から必死に頭を回転させて、忌々しくもなんだかんだ腐れ縁が続いている暗部仲間の話を切り出す。

 

「そ、そういえば誉望さんは今頃何してんだろうな」

「誉望万化ならば、今も佐天涙子がつきっきりで看病しています、とミサカは健気な少女の頑張りに涙をちょちょ切らせながら近況報告を行います」

「恋する乙女、は……無敵」

「私としてはあのクソゴーグルは今すぐにでもこの手でぶち殺したい気持ちでいっぱいなんだけどね……! 佐天さんが止めるから仕方なく見逃してあげているけどね……!」

 

 バチバチと火花を飛び散らせながら殺意のこもった表情を浮かべる最愛の恋人に正直言って震えが止まらない。こんなところで超能力者の片鱗を見せてもらわなくてもいいのだけれど。

 かつて『スクール』の仲間であった誉望万化。御坂美琴にやられる寸前に彼女のトラウマを掘り起こしたとかいう過去から美琴から死ぬほど毛嫌いされている自業自得の少年なのだが、紆余曲折の末に佐天涙子と懇ろな仲になっているらしかった。『スクール』加入時期後半の記憶が洗脳のせいで若干曖昧な佐倉はよく覚えていないが、なんだかんだおせっかい焼きな誉望のことだ、悩んでいる佐天に絡んだ結果気に入られでもしたのだろう。佐天も結構な世話焼きであるから、お似合いな二人だと佐倉的には思うところだ。まぁ、押しが強すぎる佐天に若干タジタジしているのだろうけれど。誉望に対して恨みはないが、『スクール』関係で若干の遺恨があるので精々幸せに苦しんでくれと切に願うばかりだった。ロリコン死すべし慈悲はない。

 

「佐倉も、人の事言え、ない……?」

「み、美琴がロリなのは一部だけだから……」

「先にアンタを殺すわ。ていうか、胸がロリなのは静もでしょ!」

「…………は?」

「怖い怖い怖い今まで見たことないくらいの般若顔で日本刀引き抜くな静! ココ、病院!」

 

 片目しかないくせに殺人鬼みたいな形相で日本刀に手をかける長身美女が怪談並みに恐ろしい件について。

 学園都市第三位と暗部仕込みの日本刀大能力者とかいう二人の争いはおそらくこの病室が吹き飛ぶどころでは済まないのでちょっと矛を収めてほしかったりする佐倉望だ。こういう時に限って知らんふりで外の風景を眺めている軍用クローンに軽く怒りを覚えるものの、まぁ自分でもこの場にいたら傍観者Aの立場を貫くだろうなと思うのでこれ以上責めるのはやめておくことにした。殴っていいのは殴られる覚悟を持っている奴だけである。

 陰と陽の関係に近い二人の諍いを暖かく(心の中は冷たく)見守りつつ何の気なくテレビに視線を向ける。未だに第三次世界大戦の中継を行っている命知らずのテレビ局に敬意と馬鹿らしさを覚えていると、思いもしない人物が画面に飛び込んできた。

 

「……何やってんだ、アイツ」

 

 思わず言葉を漏らした佐倉につられ三人の少女達もテレビに向き直ると、即座に似たような表情を浮かべることになった。一様に驚きつつも、どこか「やっぱり」と言わんばかりの感情。彼ならそうするのだろう、と心のどこかで全員が分かっていた。

 ロシアに広がる一面の銀世界。その美しい光景をぶち壊すように展開される戦火。その中で一人、学生服というあまりにも場違いなツンツン頭の少年が画面には映っていた。武器らしい武器なんて一つも持たずに、ただ己の右手一つだけを握り締めて。彼はそこがロシアでも、第三次世界大戦でも関係なく、大切な人を守るためにあらゆる幻想をぶち殺しにいくのだろう。

 そこが彼の長所でもあり、短所でもある。佐倉も諸事情あったが、少しは頼ってくれてもいいではないか、と口を尖らせてしまう。

 ……と、そんな彼に揃ってニヤニヤと腹の立つ顔を向けてくる三人。なぜそんな顔をされているか分からない佐倉は不機嫌そうに首を傾げるも、三人は同時に顔を見合わせると、してやったりと言わんばかりの表情で佐倉に笑みを向けながら。

 

『私(ミサカ)達の気持ちが、少しは分かった(分かりましたか)?』

「……あぁ、痛ぇほどにな。くそ、あーあー俺の負けですよ」

「困っているときほど頼ってほしいっていうのは、皆同じなのよ。一人で抱え込まないで。そういう時に頼るべきなのが、恋人や友達ってもんでしょ?」

「……ったく、ホントいい女だよオメェは」

「そんなの知ってるっての」

 

 ニッと快活な笑顔で親指を立てる第三位に溜息を一つ。他の二人も同様に彼を見守るような様子で柔らかな表情を浮かべている。……本当に、敵わない。

 ベッドから降り、掛けられてあった学生服を着る。入院患者である彼が急に外出の準備をしたことに当然驚きとめるのが正しい反応なはずだが、彼女達はむしろそれを待っていたかのようにそれぞれの荷物を持ち始めていた。その顔に迷いも後悔もない。

 

「……じゃあ、俺が今から言うことは、言わなくてもわかるよな?」

「当然です、とミサカは長い付き合いからくる予測力で貴方の発言を先回りします」

 

 愛用の軍用ゴーグルを取り出すミサカ。ボストンバッグの中には組み立て式の武器が幾つも入っているようだ。病院にそんなものを持ち込むな、なんていうのは野暮なツッコミなのだろう。

 

「私、は……貴方を守ると、決めた、から……。どこにだって、ついて、いく……よ」

 

 そう言うとぎこちないながらも確かな笑顔で胸を張る桐霧。かつては恐るべき強敵だったが、人間離れした身体能力と刀捌きを持つ彼女がいれば心強い。隻眼と義手というハンデをハンデと思わせない桐霧となら、どんな敵だって怖くはない。

 ……そして、最後に()()が言う。

 

「どうせ言ったって聞かないんでしょ? だったら、一人でなんて絶対に行かせない。今度こそ、ずっとアンタの隣に立ってやるんだから。そんでもって、ここに帰ってきたら馬鹿みたいにイチャついてデートするんだからね!」

 

 トン、拳を突きつけてくる勇ましい美琴にこれ以上ない安心感を覚えた。お互いに独り善がりで、意地っ張りで。人に頼るなんてことをしてこなかった自分達が、まさかこんなことを言うようになるなんて。変わらないものばかりの中で、変わるものもあるのだな、と一人感慨に耽ってしまった。

 その時、携帯端末に入る一通のメール。見れば宛先は誉望万化。画面に表示されている件名は淡白ながら、こちらにとって嬉しい申し出であった。おそらくは、彼も信頼できる彼女と共に戦場へと再び赴くのだろう。かつて暗部として暗躍していた佐倉と誉望が、誰かを助けるために動くことになるなんて誰が予想しただろうか。

 

「……ほんと、退屈しねぇな。この街は」

 

 学ランを羽織り、立ち上がる。

 暗部時代の繋がりで以前に心理定規から齎された情報によれば、尊敬する浜面先輩もロシアに行っているはずだ。愛する想い人を救うために、無能力者でありながら。今度こそ、恩返しをしなければならない。

 そして、おそらくは一方通行も現地に到着しているのだろう。アレイスターと通じているらしい土御門からの情報だ。信頼したくはないが、何よりも信用できる。

 佐倉望は主人公(ヒーロー)なんかじゃない。物語の中枢にもいられないような、どこにでもいる脇役だ。

 でも、だけど、だからこそ。

 とっておきの脇役にしかできないことが、彼にはできる。主人公達の引き立て役として、舞台袖で暗躍することくらいはできる。

 

「それじゃあ行くか、三人共」

 

 佐倉の呼びかけに、三人が強く頷く。リーダーが無能力者なんて不安にもほどがあるだろうに、誰も彼についていくことを疑いもしない顔で、彼と共に戦う決意をしていた。その事実に、再び言い知れない喜びを感じてしまう。

 カエル医者が止めに来る様子はない。おそらくは彼も分かっているのだ。だったら、絶対に帰ってくると約束して、書き置きすら残さずに行ってやろう。

 

 能力なんて一つもない。主人公的な素養の欠片もない。強い意志や固い信念がある訳でもない。どこにでもいるような、十把一絡げの無能力者だ。

 だが、だからこそ、そんな彼でしか紡げない幕間(if)を見せてやろう。腹立たしい世界に、脇役の意地を見せつけてやろう。

 

 

「こっから先は、引き立て役の土俵だ。せいぜい足掻いてやるから覚悟しやがれ」

 

 

 とある科学の世界に生きる無能力者の物語が、今新たに始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 読了ありがとうございます。そして、まずは最大級の感謝を。

 「能力なんてまったくない、チートとは正反対な主人公が書きたい」という思いから始まった「とある科学の無能力者」。結構強引な展開や、大幅に改稿を行うという暴挙にも関わらず、五年の時を経てこうして無事に完結させることができました。これもひとえに更新間隔が亀並みの本作を見捨てずに最後まで応援してくださった皆様のおかげでございます。

 原作微改変、と銘打ちながら結構変わってしまっているのには目を瞑ってほしかったり。自分なりになんとか整合性合わせたつもりですが、多少の粗は二次創作の醍醐味ということでここは一つ。科学的な間違いとかは普通に間違っているだけなのでスルーしてくれ。

 なんか打ち切りエンドみたいな感じになってしまってはいますが、これにてしっかり完結です。「最終回美琴との絡み少なくない?」とか思ってしまいますけれども、これくらいあっさりしていた方が彼ららしいかな、なんて。
 個人的にはリリアンがお気に入りです。あの子なんだかんだ使いやすい。桐霧は口調に毎回苦労しました。でも可愛い。美琴のいい恋敵になってくれ。
 なんだかんだ本作の根幹を担っていたのはミサカで。一方通行編から始まった佐倉の敗北劇を唯一「負けていない」と考えていた少女だったのではないでしょうか。ある意味で登場時から既に正解に辿り着いていたのかもしれません。

 長くなりましたが、彼らの物語はこれからも続いていきます。本作は完結しますが、僕の中や皆様の中で、原作の隅っこでしれっと頑張っていくことでしょう。義手になった方が佐倉くん戦闘力高いんじゃね? なんて言ってはいけない。

 最後に。
 更新が年に一回とかいうエタり寸前の状態になりながらも見捨てずに感想を、評価を送ってくれた読者の皆さん。本当に励みになりました。更新しても感想がまったく貰えないなんてことがザラにはる本作で、勇気をもって送っていただいた皆様の感想は毎回読み返させていただいております。厳しいお言葉もありましたが、それもすべては本作を想ってくれているが故。本当に感謝しております。

 五年という長い月日をかけてしまいましたが、無事に完結することができました。今までお読みいただき、本当にありがとうございました。どうか、皆様の中で佐倉達の物語が永久に続いていきますよう、作者として心より願っております。

 また、いつの日か。『人間』の嘲笑を跳ね返す脇役になってくれることを祈りつつ。



 ふゆい


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