ダンジョンで真人間を目指すやつもいる (てばさき)
しおりを挟む

プロローグ
第1話 つまりそういうこと


まったりと、それでいてしつこくなく
時には渋味も忘れずに

そんなギャグが私は大好きです


カイト・アルバトスと言う少年がいる。

産まれたのは寒い冬の日で、ある小国の貧村にある農家の家だった。

そこでカイトは、四年の歳月を過ごした。

 

ある年、かねてより火種の燻っていた隣国からの侵攻が始まった。

カイトのいた村は、侵攻軍の進路上にあった。

 

 

だから

 

カイトが自分の産まれた村で過ごしたのは

 

四年間だった。

 

───────────────────────

黒鉄で造られた無骨な剣が振り抜かれ、首が飛ぶ。

力を失った身体が崩れ落ちた。

 

「シャリオー!!」

 

今しがた、死体となった男の名前を呼ぶ女の声。

ほとんど反射的に、剣の腹を盾のように掲げる。

衝撃はその直後にあった。

 

「殺してやる!!」

 

まるでハンマーのような形状のメイスが、剣の腹を何度も強かに叩く。

 

「こいつ、よくも、よくも皆を!!」

 

女の声には嗚咽が混じり、次第に力も弱まっていく。

 

「返して、皆を、返してよぉ……」

 

ついには攻撃を止め、その場に座り込んでしまう。

 

「ごめんよ」

 

その声に思わず顔を挙げた女の目に、高速で迫る黒い刃が映った。

 

………

……

 

自分以外に動くものがいなくなり、ようやくカイトは剣を納めた。

 

「疲れた」

 

一言、呟きと共にため息が落ちる。

思えば、丸半日は追いかけっこと戦闘を続けていた。

それも、自分より明らかな格上を相手に。

 

「……ごめんよ」

 

顔を半分に断ち切られた女の死体に、もう一度声を掛け、

カイトはその場を後にした。

 

………

……

 

狭い路地を歩いて街中に出ると、辺りには味方側の兵士が集まっていた。

 

「終わったのか?」

 

その中で、一番位の高い格好をした男が話しかけてくる。

 

「はい、ここにいた残党は全て仕止めました」

 

カイトの返答に、周囲の兵士達から驚きと感嘆の声が挙がる。

 

──……マジかよ。

──……すげえ、恩恵持ちを殺っちまった!

 

ざわめく周囲をそのままに、カイトは言葉を続ける。

 

「いくらか散りましたが、そちらには自分の小隊が向かっております。殲滅は時間の問題です」

 

上官の男はそれを聞くと、満足気に頷いた。

 

「よくやった。かつてない戦果と言えるだろう。今のうちに、褒美でも考えておけ」

 

そして周囲へと首を巡らせる。

 

「先遣隊は?」

 

「戻っております! 抵抗は微弱、戦意も低く、落城は目前とのこと!」

 

「隊列は?」

 

「中央広場に展開済みです。皆、部隊長の指示を待っております」

 

やり取りを終えた男は、周囲にいる自身の部下達に向かって声を張り上げる。

 

「この長かった戦争もようやく終わる。我々の勝利で終わる。この期に及んで、もはや諸君らの資質を疑いはしない…………勝つぞ!!」

 

鬨の声が挙がる。

カイトはそれを見て、軽い高揚を感じていた。

思えば人生の半分以上を過ごしてきた戦争が、もうじき終わろうとしている。

 

「アルバトス、お前は他の小隊員と合流し、後衛に加われ。ここまで来たのだ。無理はするな」

 

上官の指示に従い、その場を離れるカイト。

 

「戦奴第七小隊隊長、カイト・アルバトス!」

 

背中から呼び掛けられた声に振り返ると、そこには上官を中心に整然と列を揃えた兵達がこちらを見ていた。

皆、口元には笑みが浮かんでいる。

 

「その戦果と、これまでの働きに!」

 

「総員、敬礼!!」

 

ザッ、と音を揃えた敬礼は、勇壮な光景だった。

カイトは戸惑いつつも返礼を返し、また歩き出す。

 

「まったく、奴隷相手に優しい人達だよ、本当に」

 

飽きれながらも嬉しかった。

そして少しだけ寂しい。

10年過ごした戦争が終わる。

 

それはまるで、自分の居場所が無くなってしまうような、そんな寂しさだった。

 

──────────────────────

マルネシア王国の歴史書には、開戦のきっかけとなった利権から、

後に『林檎戦争』と記されるこの戦乱で、戦争奴隷だけで編成されたある小隊の活躍が残されている。

 

捨て駒として使われるはずだった少年、少女達の軌跡は、まるで英雄譚のようであったという。

 

敵国に突如降臨した『神』とそのファミリアを打ち倒し、母国に勝利をもたらした英雄と。

 

歴史にその存在を刻み込んだ。

文字通りの英雄達は、終戦後、恩赦で奴隷身分から解放された後、その姿を消した。

 

 




導入終わり。
多分もう、この国は出てこない。

シリアスとかマジ勘弁。世界は優しさでできてるはず。
きっと。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 あとは流れでお願いします

土曜日になるたびに、このまま朝がこなけりゃいいのにと思います。

日曜?
あいつは敵ですよ。月曜日のマブダチです。


大地に穿たれた無限に魔物を産み出し続ける大穴。

人はそれをダンジョンと呼んだ。

 

細かな歴史は知らないが、天より降臨した神々が大穴に蓋をして、モンスターの脅威に喘ぐ人々に加護を与えた。

 

加護を与えたられた人々は、背中にその恩恵を刻まれ、ファミリアと呼ばれた。

かつて大穴があった場所には巨大な街が作られ、ダンジョンに潜ることで生計を立てる『冒険者』達の拠点として発展を続けている。

 

……それが、カイトの知るオラリオの歴史だ。

 

 

「だからね! オレぁ言ってやったんすよ……経験値がたりねぇな、ってね!」

 

酒に顔を赤らめた元部下の言葉に、カイトは何度目かもわからないため息をついた。

黒髪にやや浅黒の肌、南方の出だと言う彼は、15と言う歳の割に大きな体躯で胡座をかいている。

右手には酒瓶。透明な液体が、馬車の揺れに合わせて揺れている。

 

「わかった、わかったよリロイ。だから少し黙ってろ」

 

先程から、ため息の数だけ同じ数の話を聞かされている。

同い年だが酒に弱く、また調子のいい性格の部下、リロイ・オーガスタは、酔えば毎回こんな有り様であった。

 

「いやー、のどかだなぁ」

 

「そうですねー」

 

そんな酒に呑まれたリロイと絡まれるカイトを余所に、馬車の小窓から外を眺める2人が、穏やかな陽光とどこまでも続く草原を前に会話を交わしていた。

 

1人はやや燻んだ金髪に色白の肌。座っていても判るほどに長身で、細い。貧弱に見えないのは、相応に鍛えられていることを予感させる筋肉の盛上がりがあるからだろう。

一目で判るほど美形だが、それを台無しにする嘲笑うかのような笑みが口元に張り付いていた。

 

2人目は少女だった。

黒い癖っ毛が綿毛のようにも見える。眠たげな瞳は外へと向けられていて、カイト達からは窺えない。

小さな身体は、痩せてはいない。前腕や脹ら脛など、用途に併せて鍛えていることが判る。

 

「セイル、キリカ……お前らそれは無いんじゃないか?」

 

カイトの視線を受け、2人が振り返る。

 

「はっはっは、あ、旅人さんですか? ちょっとその酔っぱらいが黙るまで話し掛けないでもらっていいすか?」

 

「お酒臭い……そいつは隊長の担当」

 

その目は、どこまでも他人事だった。

 

「なっはっはっは! 仲良いなぁ兄ちゃん達!」

 

御者台に座る商人からそんな声が掛かる。

 

「そっちの酔っ払いの兄ちゃんも、そろそろ醒ましときなぁ。あの丘を越えりゃあ、お目当てのオラリオだぜ!」

 

その声に、4人は思い思いの方法で行く先へ目を向ける。

 

「ついにたどり着きましたね」

 

キリカは呟くように。

 

「我が栄光のオラリオ、いい女との出会いを!」

 

セイルはまるで緊張感もなく。

 

「イエー!! オラリオ、イエー!!」

 

リロイは馬鹿っぽく。

 

「オラリオ……今度こそ、俺は……」

 

カイトは、何かの決意を秘めるように。

 

元マルネシア王国、戦奴第七小隊所属の4名は、かくはともあれ、オラリオへと辿り着いた。

 




取りあえず辿り着きました。

主人公と他数名で視点をザッピングしながら進めていく予定です。
ただ、1話内で何度も切り替えるとかはやらないです。
めんどくさい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 4匹、オラリオで別れる

とりあえずここまでがプロローグ。

なんか、うまく投稿出来てなかったみたいですみません。


「例えばの話だ」

 

勿体ぶったその話し方に、エイナ・チュールは愛想笑いを返すことしか出来なかった。

 

「人は常に冒険という名の大海で揺蕩う木の葉と言える。荒波を恐れ、流れに逆らえず、いつか力尽き沈んでいく」

 

昼休みが終わり、さあ、あと半日頑張ろう! と気合いを入れた矢先、最初の利用者が彼だった。

 

ここは冒険者ギルドの受付窓口であり、自分はギルド職員だ。

つまり、今目の前にいるような輩の相手をすることは、業務範囲対象外と言うことだ。

 

「あの……しつれ──」

 

失礼ですが、失せやがれ──それに類似した言葉をソフトに伝えようとしたエイナは、遮るような男のトークにまたも黙らされてしまう。

 

「だがそれを拒むことこそが冒険! 未踏の荒野に自らの足跡を刻むことが! あの高波の向こうの最初の目撃者になることこそが! 人類全ての悲願、平凡からの逸脱! 即ち冒険!!」

 

男は長身を折り曲げ、受付台の向こう側から身を乗り出してくる。

エイナでなくとも、思わず引いてしまうのは仕方がないことだ。

 

(顔は良いのに……なんで冒険者になろうって人は一癖二癖、変なところが在るんだろう)

 

金髪に優しげな目元、しかし、口元の小バカにするような笑みが全てを台無しにしている。

始めにセイル・アーティと名乗った男は、ひとしきり話し終えると、笑みを一層深めた。

 

「もちろん、こうして職務に忠実足らんとする麗しの君を、悪戯に引き留めてしまうこともまた、冒険」

 

(うざい)

 

恐らく今、自分の顔は笑ってはいないはずだ。笑っていたとしたら、きっと犯罪者のような残酷なものになっているだろう。

 

「アーティさん。申し訳有りませんがご用件がなければお引き取りいただけませんか今すぐに」

 

一息に言い切ると、溜まっていた苛立ちが少しは晴れる。

ついでに男をキッと睨み付けてやる。

 

だが、目の前の男、セイルは答えた風もなく、ただ笑みの形を変えただけだった。

それは先程までとは違う、目元同様に優しげな、それでいて快活な……一瞬だが見惚れるようなものだ。

 

「結構。では用件を話したい」

 

エイナが呆気にとられた瞬間に、セイルは話し出す。

 

「どこでもいい。団員を募集しているファミリアを仲介してほしい。可能なら4人分、全て別のファミリアが良い」

 

おまけに、その用件は割とまともだ。4人分と言うのが引っ掛かるが、ネームバリューの無いファミリアに対して冒険者の仲介を行うのもギルドの職務なのだ。

 

「内訳だが、前衛(アタッカー)が2人、斥候(スカウト)が1人、何でも屋(オールマイティー)が1人だ。戦闘経験有りの10代前半から後半。あるかな?」

 

矢継ぎ早の情報はしかし、しっかりとエイナの頭に刻まれた。手元の資料から該当候補を探していく。

 

「……すみませんがアーティさん。何でも屋、とは?」

 

「どこでも、何でも出来ますよってこと……ああ、戦闘でってことね」

 

途中、一度顔を挙げたエイナが尋ねると、セイルは事も無げに答えた。

 

何を聞きたいのか、すぐに理解している辺り、頭の回転は鈍くないのだろう。先程のような態度がなければ、珍しく好印象だったはずだ。

 

「そうすると……正直、お薦め出来るファミリアはありません」

 

エイナはため息と共に、そう告げた。

 

「えー……戦闘員は飽和してるって?」

 

「はい。薬師や事務員など、探索系以外のファミリアであれば、ご紹介もできますが……」

 

どう話したものか迷い、一旦言葉を切ったところに続けられる。

 

「なるほどね。命を張る場所なら、人の紹介じゃなく自分で見つけに来いと、そういうこと?」

 

「率直に言えば……」

 

そのように考えるファミリア側の意向も理解できる。

そもそも新人など、将来が未知数のお荷物を常時募集し、求めているところなど数えるほどだ。

 

「判ったよ、なら、自分で探すさ。ありがとう」

 

余りにもあっさりと、セイルはその場所を離れようとした。

 

「あ、あの、アーティさん!」

 

気がつくと、エイナはその背中を呼び止めていた。

 

「これ、探索系ファミリアの紹介冊子です。何かの参考になれば」

 

言いながら差し出した冊子を、セイルは微笑みと共に受け取った。

 

「ありがとう。今度は、冒険者として、また来るよ」

 

「……その時は、もう無駄話には付き合いませんからね?」

 

最後は、うまく笑えていただろうと思う。

 

 

 

エイナがようやく午後1人目の対応を終えると、隣にいた同僚のミィシャがすかさず話し掛けてくる。

 

「エイナは、ああいうのが好みなの?」

 

まるで恐る恐ると言った表情だった。

 

「は?」

 

それはまるで、異次元からの問いかけだった。

 

「最初はあんな迷惑そうだったのに、途中からなんだか──」

 

「ミィシャ」

 

その声は鋼のように硬かった。

 

「怒るよ?」

 

笑顔のままで、そう言った。

 

─────────────────────

エイナから受け取った冊子をほどき、各ファミリアごとのページに分割。

それを4人で等分する。

 

「んじゃ、あとは各々でよろしくってことで」

 

セイルの言葉に、他の3人は頷いて見せた。

 

「なんにせよ、先ずはファミリアに入らなきゃ話にならん。落ち着いたら、また飯でも食おうや」

 

取り出した紙巻き煙草に火を着けながら、セイルは雑踏の中に消えていった。

 

「じゃ、またなー」

 

続いてキリカも、

 

「それではお元気で」

 

リロイも、

 

「またな、隊長!」

 

それぞれ違う方向に去っていく。

決めていたとは言え、あまりにもあっさりした別離だった。

 

「ああ……世話になった」

 

最後に残ったカイトもまた、ゆっくりと歩き出す。

ここからだ。

ここから始まるのだ。

戦争ではなく自分の意思で、生き方を決める人生が。

 

見上げた空には雲ひとつ無い。

それがまるで、カイトには初めて目にしたものであるかのように美しかった。




しばらくはカイトを中心に話が続きます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一章 カイト・アルバトスという少年
第4話 自活能力も含めての常識


キャベツの千切りが出来ることが、料理ができる宣言の最低ラインだと思うの。

出来合いフルの食卓を、真心込めたとは言わないのだと問いつめたい。


空が青い。

もう何日も、快晴が続いている。

 

カイトは露店を素見しながら、途中で買った揚げ物を口に運ぶ。

 

「ふう……平和だなぁ」

 

争いなんて無い、真の寛ぎがそこにはあった。

詰まるところは暇だった。

 

ギルド前で仲間達と別れてから一週間。分けてもらった冊子のファミリアに行くも、どこも厳しい台所事情に加えて戦場帰りと言うカイトの経歴を怪しみ、採用には到らなかった。

 

と言うより、そもそも神の姿さえほとんど見ることが出来ていない。

 

最後に寄ったタケミカヅチ・ファミリアの主神、タケミカヅチが唯一、直接頭を下げて断りを入れてきたくらいだ。

聞けばまだまだ零細ファミリアで、とてもこれ以上の食い扶持は養えないのだそうな。

 

「真に憎むは貧しさか、それを恥じる心か……」

 

それっぽいことを言っているが、まんまタケミカヅチの受け売りである。

自分の食い扶持は自分で稼ぐのが当たり前の世界で生きてきたカイトにすれば、当然のように自分を家族として養えないことを恥じ入るタケミカヅチの態度は非常に好感が持てた。

 

「何となく、上官殿に似ていたな……」

 

できればそんな神のいるファミリアに入りたいと思った。

 

「どうしようかな…………はあ、良い天気だ」

 

宿に帰って寝よう、そしてまた明日から頑張ろう。そんな決意が脊椎反射で固まる。

 

「さ、そろそろ帰って──」

 

踵を返したカイトの耳に、路地裏の方から聞き慣れた音が飛び込んできた。

喧騒に紛れていたが、それは確かに聞こえた。

人が人を殴る音、か細い悲鳴──揉め事の気配だ。

 

「よし、横槍を入れて金品を強奪しよう」

 

無表情でそう呟き、慌てて口元を押さえる。

 

「違うな、セイル達にもこれじゃ駄目だと言われたのに」

 

まったく、『変わる』こととは難しい。と、苦笑が零れる。

 

「よし、助けに入って礼金をせびろう。加害者からは根こそぎにむしろう」

 

これでよし、とカイトは音のした路地裏へと足を進めていった。

何も変わっていないし、何も良くはないことには気付かない。

 

……戦う、倒す、奪うが基本的な生活だった自分からの脱却。

言うまでもなく、遥か遠い目標だった。

 

─────────────────────

路地裏でカイトが見たものは、分かりやすい風体の男が3人、1人の小人族(パルゥム)の……恐らくは、少年。

 

フードを目深に被ったその小柄な人物は、男達に蹴られるでもしたのだろう、地面に伏していた。

傍には、少年のものと思われる大きなバックパックとその中身が転がっている。

 

「このクソガキが!! サポーターの分際で調子に乗りやがって!!」

 

男のうちの1人が、なおも執拗に少年の頭を踏みつける。

 

「ううっ」

 

少年は呻き声を挙げるが、身体はピクリとも動かない。

カイトはそれに疑問を抱いた。

 

(頭を踏まれた位で声が出るのに、身体が動かない? 何十発も殴られたようには見えないし……)

 

ダメージを負ったとき、先に出なくなるのは声だ。

人間に宿る生存本能は、例え瀕死の状況であっても必要とあらば身体の動作を可能とさせる。

拷問でもしているなら話は別だが、明らかにそんな様子はない。

 

(逃げる隙でも伺っているのかな? 逃げられたら礼金もらえないし……速攻で片付けるか)

 

カイトは常に腰本に佩いている黒剣に手を掛けながら、手前側に立つ2人の男達に隣接する。

 

「……は?」

 

そこでようやく、1人がカイトの接近に気付いた。

間抜けな声を挙げながら後退りをしかけたところを、隣にいた男とまとめて凪ぎ斬る。

 

1人は腹部、もう1人は胸部に、一文字の血線が描かれる。

さらに腹部を斬られた男に対し、剣を振りきりながら右足で、壁に押し付けるかのように蹴りつけた。

 

「げひゅっ」

 

無傷でくらっても気絶ものの蹴りを、傷の上から受けた男は、そのまま意識を失った。

 

「て、てめぇ!」

 

「何もんだぁ」

 

一方で、残るのは胸に傷を負った男と、無傷で未だ少年の頭を踏みつけている男だ。

 

戦場では、手負いから殺せ──カイトの持つ経験はそう結論した。

 

振り切った剣を、そのまま傷を負った男目掛けて振り下ろす。

 

「う、うおぉっ!」

 

男はナイフを抜いて、すんでのところで剣を受け止め──既に剣を手放していたカイトに頭を掴まれて、地面に後頭部から叩き付けられた。

 

一瞬で意識を失った2人の仲間を前に、残った男は狼狽えたように言った。

 

「なんだてめぇ……こ、こいつの仲間か!?」

 

カイトは答えることもなく、懐からナイフを取り出し一気に距離を詰めた。

男は背中に背負った長剣に手をかけるが、半分も抜く前にカイトのナイフが首元に押し付けられた。

 

その際、男が退かしてしまった足の代わりに、少年のフードの端っこを踏みつけておくのを忘れない。

 

「こ、こんなことをして、う、うちのファミリアが黙っちゃいねえぞ」

 

もはや身動きも許されないことを悟った男が、憎々しげにカイトへ言った。

 

「レベル3までの恩恵持ちなら」

 

カイトは構うことなく脅しの言葉を口にした。

 

「例え耐久特化であっても、アダマンタイト合金の刃を防ぎきることは出来ない」

 

「そ、それが──」

 

男の首に押し付けたナイフを、僅かに動かす。

 

「ひっ」

 

「わからないか? 許可なく口を開いたら殺すと言っているんだ」

 

そこで初めて、カイトの本気を察したのだろう、男は顔を青くして黙り込む。

 

「1つ目、武装を解除しろ。2つ目、金目のものを全て出せ。3つ目、この場でのことを全て忘れろ……どうだ? 一言も喋る必要なんか無いだろう?」

 

そうして、今まで踏んでいた少年のフードを解放し、爪先で軽くその頭を小突いた。

 

「おい、起きてるんだろう? 分け前やるから、倒れてる2人から金を抜いてこい」

 

そう言うと、少年はノロノロと身を起こしてカイトを見た後、倒れている男たちへと向かう。

 

「クソガキが……あっ!」

 

今度こそ、男の首に刃が食い込んだ。

鮮血が地面に伝い落ちる。

 

「年上の癖に飲み込みが悪いな。そんなに出来の悪さをアピールする必要無いから……ね?」

 

恐怖に震えだした男は、何度も失敗しながらも剣を取り外し、財布やウエストポーチを地面に落とした。

 

「良くできました。それじゃあ、これからの話をしようか」

 

カイトは少年が一通り物品を回収し終えたことを確認しつつ、話を続けた。

 

「お前は、他の二人同様に俺に気絶させられた。こんなやり取りは一切無かったし、勿論誰にも話してはいけない……もし、僅かでもお前が同意していないと見なしたら、この場で目と耳を潰し、舌を切り落とし、指を────気絶しやがった」

 

立ったまま、男は気絶していた。股間にはじわじわと染みが広がっている。

軽く肩を押すと、男は崩れ落ちるように倒れた。

 

「よし、少年、荷物纏めたら着いてこい。取り敢えずコイツらの金で何か食おう」

 

カイトは引き攣った顔でこちらを伺っていた少年に声をかけると、男が放り出した荷物を回収して再び露店の建ち並ぶ商店街へと戻っていった。

 

少年は散乱した荷物をバックパックにしまうと、何かを諦めたようなため息と共に、カイトの後へ続いた。

 




加減を知らないのも、常識が無いということ。

淡々と人に暴力が振るえる系主人公、爆誕。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 とあるパルゥムの受難 ~苦しみと絶望を添えて~

ていうか早く神様
早くダンジョンアタック

ベル先輩だって控えてるんだからね!


リリルカ・アーデ

 

ソーマ・ファミリア所属

 

職業:サポーター兼こそ泥(冒険者のみ対象)

 

彼女は今日も、自らの魔法で少年の姿に変わりロクデナシ共のサポーターとしてダンジョンに潜る。

 

いつも通りだ。

今日の連中はあまり金目のモノは持っていない。

だから、リリルカは魔石をくすねることにした。

 

ただ、連中のロクデナシ具合は何時にもまして酷かった。それだけが、リリルカの誤算だった。

連中は四階層を過ぎたところで、リリルカの身ぐるみを剥ごうと襲い掛かって来たのだ。

 

恐らくは、バックパックの中にあるポーション等の必需品を奪い取ろうとしたのだろう。

 

通りで持ち物が貧弱なわけだ。

足りない分は現地調達ということだった。

 

ゴブリンやコボルト程度の安上がりな魔石数個を引き換えに、自分の商売道具を失なっては洒落にならない。

 

慌てて逃げ出し、何とかダンジョンを脱出。

撒こうと踏み入った路地裏で、追い付かれてしまった。

チンピラくさい見た目通り、ホームグラウンドは薄汚い路地裏と言うわけだ。

 

捕まり、殴られ、踏みつけられる。

 

ああ、今日はツイてない。最悪なことだらけの人生でもとびきりに近い。

不運とクソッタレのフルコースだ。

 

そう思った。

今の状況が、前菜どころか食前酒にも過ぎないことを知るのは、このすぐ後となる。

 

 

「よし、少年、荷物纏めたら着いてこい。取り敢えずコイツらの金で何か食おう」

 

 

こんなに躊躇いなく暴力を振るえる人間を、リリルカは初めて見た。

今までの冒険者共は、どんなにゲスなヤツでも自分の行為に対する言い訳染みた理由付けを口にしてから彼女を殴ったものだ。

 

それが、瞬く間に3人を気絶させた目の前の男は一言も発することなく襲い掛かり、口にしたのは脅しの言葉だけ。

 

(あ、悪魔?)

 

もはや、逃れることは叶わないだろう。

最後に気絶させられた男は、低ステータスとは言えレベル2だった。

それを正面切ってどうにか出来るような相手に、逃走など無意味な選択だ。

むしろ、そんなことをすれば今しがた起こった路地裏の惨劇が、自分の身にも振りかかって来るだけである。

 

リリルカは覚悟を決めると荷物を纏め、男の後について路地裏を出た。

せめてもの情けに、自分がくすねていた魔石の入った袋をその場に残して。

 

─────────────────────

「善行の後の飯は旨いね」

 

どの口がほざく、とは言えない。

言わないようにするのに、リリルカはそれなりの精神を費やした。

 

路地裏から出てきてすぐ、目についた食堂で2人は食事を摂っていた。

最も、食が進んでいるのは目の前の男だけで、リリルカはまるで喉を通らなかったが。

 

「怪我は大丈夫?」

 

疑問系ではあるが、リリルカがどう答えようも興味は無さそうな雰囲気だ。

 

「……ええ、お陰様で、あれ以上酷いことをされずに済みました。助けていただいてありがとうございます」

 

一方でリリルカも、口調だけはそれらしく繕いながらも、頭はまるで違うことを考えていた。

 

(あれだけの戦闘力がある人間が、ただの義憤なんかでリリのような怪しい者を助けるでしょうか……あのこちらを見透かそうとするような瞳……)

 

リリルカの価値観では、強い人間とはそれだけ我が強く、弱者なんて平気でゴミのように扱うと決まっていた。

 

(……そう、そうですか。確かに、噂が立ってしまうほどにはやり過ぎましたね……自業自得とは言え、どうして神様、リリだけが!)

 

手癖の悪いパルゥムがいる、と言うのは冒険者界隈でも聞くようになってきた。

今度はその噂を逆手にとって、猫人(キャットピープル)にでも化けようと考えていた矢先だった。

 

(まさか、こんなに早く上級冒険者が出張ってくるなんて)

 

一瞬熱くなりかけた思考を落ち着かせ、なんとかこの場を乗り切るための算段を建付け始める。

 

「あの、冒険者様……リリにどのようなご用件でしょうか?」

 

それが、リリルカの出せる最大限の釣り針だった。

完全にしらばっくれて通るのであれば、わざわざこんなところまで自分を連れてこないだろうと言う読みと、見逃す考えを持っているかを探るための釣り針。

 

「……リリ? ……女の子みたいな名前だな」

 

「っ!?」

 

切り分けた肉を口に運びながら、呟くように言った男に、リリルカは身体を震わせる。

 

(探ることさえ、許さないと? 全てを晒せと、そう言いたいのですか!?)

 

もはや、退路はなかった。それを探すことさえ無駄だと言っているかのような態度の男に、リリルカは身体から力が抜け落ちていくのを感じていた。

 

項垂れたまま、フードをより一層深くかぶり直すと、

 

「【響く十二時のお告げ】」

 

そう唱える。

 

そしてフードを持ち上げ、顔を挙げると、そこには本来の姿であるパルゥムの少女、リリルカ・アーデの素顔があった。

 

「おおぅ」

 

男は驚いた様な声を挙げた。

今更白々しいと、リリルカは苛立つ。

 

「リリルカ・アーデと申します……ご覧の通り、最近のサポーターによるこそ泥騒動は、大抵がリリの仕業です。

その上で、もう一度、お聞きします。冒険者様は、リリを如何するおつもりですか?」

 

その言葉に、目の前の男は初めて笑いを浮かべた。

真っ黒な瞳が、リリルカを視ている。

いや、観られている(・・・・・・)ような気さえしてくる。

リリルカに出来るのは、男の次の言葉を待つことのみ。

 

「俺は冒険者じゃないよ」

 

「え」

 

「それ以前に、ファミリアにさえ入ってない」

 

「は?」

 

「無職って、自由の代名詞だと思うんだ。カイト・アルバトスです。よろしく」

 

「………………はぁああ!?」

 

つまり──

 

(リリは、掘らなくても良い墓穴を掘った?)

 

暴力の恐怖に屈してノコノコと着いてきた挙げ句、魔法を曝し、犯罪を暴露。

 

「あ、ああ……ああああぁ…………」

 

サラサラと、リリルカの精神は砂となった。

 

「まあ、なんだ。また似たようなことがあれば力になるからさ。見てもらった通り、揉め事は慣れてる」

 

励ますように言ってくるカイトに、リリルカは頭を抱えてしまう。

 

「取り敢えずは、どこか俺を入れてくれるファミリアが見つかったら、探索でも手伝ってよ。サポーターって、ダンジョン探索には欠かせない補佐役なんだろ?」

 

仲間に教えてもらったんだ、と笑顔を見せるカイト。

 

「そーですねー」

 

「あ、さっき連中から巻き上げた金だけど、七三でいい? 助っ人料ということで。ここの払いは持つからさ」

 

「はいよろこんでー」

 

バックパックからヴァリスの入った袋を出して、きっちり分ける。

 

「それじゃあ、俺は行くから。また会ったら、そのときはよろしく」

 

「はーいー」

 

立ち去るカイト。

 

しばらくして、

 

「ぅのああああああああっ!!」

 

声にならない叫びを上げるパルゥムの姿が、食堂の隅にあったとかなかったとか。

 




そして神不在のオラリオ。
リリルカは人生がベリーハードモードに突入。

自分で掘った墓穴に頭から嵌まっちゃう系ヒロインが参戦。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 ファミリー

リリ可愛いよリリ。

感想やら評価やらいただいて、とても嬉しいです。
ありがとうございます‼


オラリオに来て、10日が経った。

 

今日は雨だ。

 

「……さ、寝直すとするかな」

 

そして、カイトは今日も無職だった。

これまでの反動なのか。一度暇になると何処までも心が怠惰になっていくのを止められない。

 

もはや第二の自室となりつつある安宿の部屋で、カイトはアクビをしながらベッドに潜り込もうとし──

 

グウゥ

 

空腹には勝てず、外へと出ることにした。

素泊まり基本の安宿では、頼んだって食事など出ては来ないのだ。

 

「傘を買っておけば良かったな」

 

夏前の時期、まだ雨の日は肌寒さを感じる。

傘も差さずに濡れていれば、尚更だ。

 

二日前に露店で衝動買いした外套のお陰で、多少はマシであることに感謝しながら、カイトは食べ物を取り扱う露店が多い広場を目指した。

 

しかし、生憎の天気と言うこともあってか、広場にいつもの活気は見られない。

幾つかの露店は開いているようだが、甘い焼き菓子やパンなど、カイトの食指を動かすものは無さそうに見えた。

 

「いらっしゃーい! 揚げたてだよぅ!!」

 

そんな中、1つの屋台から元気な声が聞こえてくる。

カイトがそちらを見ると、売り子の少女が屋台の下で呼び込みを行っていた。

 

『ジャガ丸くん』

 

横に立つ濡れた幟にはそう書かれている。

確か、ジャガイモを使った揚げ物だったはずだ。

 

「……まあ、たまにはいいか」

 

見れば中々のボリュームだ。

カイトはジャガ丸くんの屋台へと向かう。

 

「お、いらっしゃい! 雨の中お疲れ様だね、たくさん食べていくと良いよ!!」

 

ツインテールに白のワンピース。

胸元から二の腕を回り、首もとで結ばれた紐はファッションなのだろうか、カイトに判別はつかなかった。

 

ただ、露店の売り子にしては、やたらと可愛い子だな、とは思った。

女癖の悪い元部下ならば、取り敢えず口説くところから始めたことだろう。

 

「……プレーンを一つ」

 

注文すると、少女は「毎度あり!」と言って屋台の向こうに入っていった。

揚げたてで湯気の立つジャガ丸くんを、紙に包んで差し出してくる。

 

「はい、熱いから気を付けてね!」

 

料金と引き換えにそれを受け取ると、売り子の少女がニコニコと言葉を続けてきた。

 

「君、傘も差さずにいたんじゃ濡れ鼠になってしまうよ。良かったらここの軒下で雨宿りしていくといい!」

 

あまりに当然のことのように言うものだから、カイトは呆気に取られて何も言えなかった。

 

「今日はお客さんも少ないだろうしね。良かったら雨が止むまで、ボクの話し相手にでもなっておくれよ!」

 

ニコニコと、何がそんなに楽しいのだろうか。

カイトにはわからなかった。

それは不思議な笑顔だった。これを壊してはいけない。そうカイトに思わせる程に。

 

「じゃあ、少しだけ」

 

「ふふふ、ごゆっくり! そう言えば、最近よくこの辺で見かけるね。新顔の冒険者かい?」

 

早速振られた話題だか、カイトには苦笑いしかできない。

 

「いやいや、あちこち回ったが断られてばかりさ。まだ冒険者どころかファミリアにさえ入れていないんだ」

 

すると何故だろう、少女の顔がパッと輝いた。

 

「ほほう! ファミリアに入りたい、とは思っているんだね!?」

 

「もちろんさ。目的があって、国から出て来たんだ。諦められる訳がない」

 

最近はちょっと、あれだ。

遅めの休暇……休息期間……頑張った自分へのごほうび的なあれなのだ。

 

「ふむふむ、うんうん! いいねぇ、ボクは目的のために頑張れる子は大好きさ!」

 

益々嬉しそうに笑う少女は、妙に歳上染みた言葉を使う。

その事を疑問に感じたカイトに、彼女はさらに質問を重ねてくる。

 

「ちなみに……どんな目的なんだい? もちろん、無理に言わなくても良いさ」

 

どんな、と問われると、誰かに語るのは少しばかり恥ずかしいモノだった。

カイトは一瞬断ろうとして──笑顔の中で、あまりに真剣にこちらを見つめる少女と目が合い、気が付けば口が動いていた。

 

「家族が欲しいんだ」

 

少女と目を合わせたままで──

 

「10年前、俺の人生は多分、一度全部が駄目になった。俺はマトモじゃなくなった」

 

「きっと今も、マトモじゃない人間のままなんだ」

 

「誰かにそばにいて欲しかった」

 

──そのためには、誰かの命を奪うしか無かった。

 

「お前は必要なんだと、言って欲しかった」

 

──そのためには、誰かの命を奪うしか無かった。

 

「俺はどうしようもない人殺しだ」

 

「それでも、もし、願うことを赦されるならば」

 

「俺は、家族が欲しい」

 

「血の臭いがする温もりは、もう嫌だ」

 

涙が零れていた。

思えばそれは、一体何年ぶりの涙だろうか。

指先で拭った水滴は、自分から出たものとは思えないくらいに暖かかった。

 

呆然として俯いたカイトの身体が、不意に正面から抱き締められる。

 

「辛いことを、思い出させてしまったようだね。ごめんよ」

 

いつの間にか屋台から出てきた少女が、自分を抱き締めている。

戦場以外で、ここまで誰かと近付くことなど無かったカイトは、どうしていいかわからなかった。

少女の頭が、カイトの肩に預けられる。

 

「君の名前は?」

 

「……カイト・アルバトス」

 

「歳は?」

 

「多分、十五歳」

 

問われるままに答えていく。

少女の身体から伝ってくる温もりと雨音だけが、やたらと鮮明だった。

 

「先に告げなかったことを詫びよう」

 

少女の声が、厳かに響いた。

 

「ボクの名はヘスティア──神だ」

 

カイトは驚くも、どこかで納得している自分に気付いた。

彼女の纏う不思議な雰囲気は、今思えばタケミカヅチのそれと酷似していたからだ。

 

「ボクに眷属はいない。友達の神に世話になってるぐうたらさ」

 

そこまで言うと、ヘスティアは少し身体を離してカイトを真正面から見た。

 

「ボクも君と一緒だ。家族が欲しい」

 

照れくさそうに笑う。

 

「カイト君、僕のファミリアに……家族にならないかい?」

 

心の中心に、響くような声だった。

 

「……神ヘスティア、でも俺は」

 

──そんな資格は無いんです。

自分でも、どこかで理解しているんです。

それを突きつけられるのが、怖くてたまらないんです。

 

お前は一生、死ぬまでそのままだと、わかってしまうのが恐いんです。

 

言葉が出ないまま、頭の中が声で満ちる。

 

「ボクは君を赦そう」

 

「え?」

 

「もちろん、君がそこまで思うに至った行いを、ボクは知らない。でも──」

 

ヘスティアはその小さな手を、そっとカイトの頬に当てた。

 

「君の願いを、ボクは肯定しよう」

 

いつの間にか、雨は止んでいた。

 

「家族が欲しいと、君が願うことを、ボクは赦そう」

 

頭の中の声が、消えていく。

 

「そして誓おう。いつか、君が自分自身を赦してあげられるその日まで」

 

換わりに、目の前の小さな神の想いで満ちていく。

 

「ボクが君を護るから」

 

いつの間にか、涙は止まっていた。

 

「ボクのところに来るといい」

 

「…………ありがとうございます、神ヘスティア」

 

カイトは、自分がついに巡り会えたことに気付いた。

 

「これから、よろしくお願いします。俺を──お願いします」

 

真に家族と、呼べるかもしれない存在と。

 




リリ→out
ヘスティア→in

ヘスティア様の包容力が無限大過ぎた。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 私は悪い子です

お仕事大嫌い


広場でヘスティア・ファミリアへの加入を決めた日の夕方。

 

カイトの姿はヘファイストス・ファミリアの本拠地である武器屋の前にあった。

この時間に、ここへ来るようにとヘスティアから言われたためだ。

 

「でかい武器屋だな……うん?」

 

待っている間に店のショーウインドウを見ていたカイトは、ある武器のところで歩みを止めた。

 

そこには白刃煌めく見事な造りの大剣が飾られている。

 

「凄いな……何でも斬れそうだ」

 

そばの立札には、これを打ったであろう鍛冶師の名前と、作品名が金糸で書き込まれている。

 

『椿・コルブランド

百華千光(トワイライト)

 

例えばこんな剣があったなら、そしてそれを振るうための圧倒的な使い手がいたならば、戦争はきっと、その誰ともわからない『英雄』の独壇場となるだろう。

 

これは、『英雄』のための剣だ。

 

夕陽が更に傾くまで、カイトはその剣の前に立っていた。

 

 

「その剣、気に入った?」

 

不意にかけられた声に顔を挙げると、そこには赤毛の美女が立っていた。

未だ空に残る夕陽よりも艶やかな、焔のような髪だった。黒い眼帯をしていても、明らかに美しい部類に入る顔の造詣に、一瞬、息を呑んだ。

 

「随分見ていたから、気になって降りてきたのよ。私の子ども達の作品は、あなたの目にはどう映っていたのかしら?」

 

私の子ども達……そのフレーズに、ようやくカイトは目の前の女性もまた、ヘスティア同様神の一柱であることを悟った。

 

「大変素晴らしい剣だと思いました。普通に造られた鎧や楯などでは、ひとたまりもないでしょう」

 

カイトのその言葉に、赤毛の神はくすくすと笑う。

 

「可笑しなことを言うのね」

 

「は……その」

 

特に思い当たる事もなく、カイトが言葉に詰まる。

 

「ごめんなさい、いいの、忘れてちょうだい……私はこのヘファイストス・ファミリアの主神、ヘファイストスよ」

 

あなたは? と、視線が聞いていた。

 

「カイト・アルバトスです。ヘスティア・ファミリアに入ることになりました」

 

「そう……よろしくね、カイト。あの子は中にいるわ。いらっしゃい」

 

そう言って、店内へと歩き出した。

 

「待たせてごめんなさいね。うちの居候がついに眷属を見つけたなんて言うものだから、色々話を聞いていたのよ」

 

店に入り、そのまま奥の通路へと入っていく。

 

「いえ、大丈夫です……俺は、あなたのお眼鏡に叶いましたか?」

 

あとに続くカイトの問いに、ヘファイストスはまたも笑った。

 

「ええ、取り敢えず、第一印象はね」

 

階段を登り、奥にある部屋の扉を開いた。

 

「入ってちょうだい。あの子も首を長くして待ってるわ」

 

室内には仕事用の机に、様々な本が置かれた本棚。

所々に剣や槍などが飾られている。

そのどれもが一点ものであることを示すかのように、無二の輝きを放っていた。

カイトは一瞬、それらを見て目を細めると、改めて部屋の主であるヘファイストスへと向いた。

 

「カイト君!! 来てくれたんだね! ボクは嬉しいよ!!」

 

そして相変わらず元気な主神の声。

 

「……え?」

 

声は足元からだった。

視線を下ろす。

 

なんかいる。

 

具体的には正座した状態でニコニコと笑う主神ヘスティアが。

首に『私は悪い子です』と書かれた札を掛けられて。

 

「………………うん?」

 

ちょっと理解が追い付かなかった。

 

「ああ、それ? 人が紹介したバイトを三日で辞めてきたって言うから、お仕置き中なの」

 

ヘファイストスはどこか疲れた風に言った。

 

「理由はあなたという眷属が見つかったからだっていうのは聞いたけど、それなら先ずは私に一言あるべきよね?」

 

あなたもそう思うでしょ? と、視線が言っていた。

 

「あー……神ヘスティア、その、義理は通すべきモノかと」

 

他に言いようもない。

 

「ううぅ、ちょっと浮かれすぎて忘れてたんだよぅ」

 

口を尖らせながら言う主神の姿は、まるで見た目通りの少女のようだった。

 

「まったく……で、よ。こんなだけど、この子は大事な友達なの。その最初の眷属になるあなたには、私も会いたいと思って、こうして同席させてもらっているのね」

 

この子、ここにあなたを呼んでいきなり恩恵を授けるつもりだったから。

 

最後にそう結びながら、ヘファイストスは腕を組んでカイトを見た。隻眼が、何かを見透かそうとするようだ。

厳しいながらも、何だかんだと世話焼きな性格のようだった。

大事な友達と言うのも、本心からの言葉なのだろう。

 

「いくつか質問、良いかしら?」

 

「無理に答えなくても良いからね!?」

 

慌てたように入ってくるヘスティアに、

 

「言われなくても、答えにくいようなら無理強いしないわよ。あんたは座ってなさい」

 

そう言って、ヘファイストスはカイトに向けて微笑んだ。

 

「そう言うことだから、良い?」

 

「構いません」

 

どうやら、自分が試されようとしている事をカイトは理解した。

とは言え、取り繕うことに意味は無い。

神に嘘は通じない。

そのことは、このオラリオに来る前からわかっていたことだ。

 

「ありがとう……かと言って、何も問い詰めようという気もないし、そうね…………この街の生まれ?」

 

神の質問が始まる。

 

「生まれはここより南部の、ラグウェルという国です」

 

「っていうと、確か戦争中の国家よね?」

 

「はい。しかし、二ヶ月ほど前に事実上の終戦を迎えています。正式な宣言は、事後の整理がある程度着いてからになるでしょう」

 

「それはよかったわね。勝ったのかしら?」

 

「……ラグウェルは、敗戦しました。来年の地図からも、名前は消えているでしょう」

 

故国が戦争に敗れた、という言葉に、ヘスティアが息を呑む気配が伝わってくる。

 

「そう、申し訳ないことを聞いてしまったわね。ごめんなさい」

 

「いえ」

 

「あなたも、その戦争に参加を?」

 

「はい」

 

「まだ年若いようだけど、幾つから?」

 

それは、純粋な興味から出た質問だった。

ヘスティアからは十五歳の少年と聞いていたが、実際会って話をした彼は、とてもそのようには思えなかったからだ。

 

(何より、危うすぎる)

 

目の前にいる少年の正体不明の不安定さを、ヘファイストスは感じ取っていた。

 

(まるで積み重なった鉄屑が、偶然ヒトの形をしているような……何処にも芯がなく、それでいて重く、なのに今にも崩れそう)

 

怖い、と素直に思った。

同時に、彼がその芯を得て重心が定まった時、果たしてどのように変わるのか。

それが無性に見たくなる。

 

多くの眷属を持つヘファイストスでさえ、稀有と断言できる性質。

打ち方次第で、魔剣にも聖剣にも成りうる、不定形の素質。

いずれにせよ、何らかの形で頭角を現して来るであろうことは間違いないと感じていた。

 

「最初の戦場に立ったのは、五歳の時だったと思います」

 

一瞬、自身の思考に意識を向けていたヘファイストスは、その言葉を聞き違いと思った。

 

「え?」

 

「五歳です。最前線に配置されました」

 

嘘は、言っていない。神であるヘファイストスにはそれがわかった。

 

「それは……どういう…………」

 

だからこそ起こる混乱に、初めて彼女は言い淀む。

そしてカイトは、その反応を予測していた。

ここにいる神達のように、優しければ、多かれ少なかれそういった態度になることを、カイトはよく知っていたのだ。

 

「これは、正式に神ヘスティアの眷属になる前に、言うつもりだったことです。その結果、俺を拒絶されても構わないと思っています」

 

「そんなこと──っ!」

 

「俺は戦争奴隷でした」

 

二人の神は、目を見開いてカイトに向けた。

 

「村を強襲した部隊に捕虜として捕らわれて、敵国のマルネシアへ行った後、ラグウェルが捕虜交換を拒否したため奴隷になりました」

 

「戦争奴隷として最初の仕事は、最前線で立ち尽くし、敵兵の戦意を落とすことでした。その時は確か、似たような境遇の子ども百人ばかりで戦場に立ったんです」

 

「怖くて、泣き叫んでいました」

 

「隣にいた子が、馬蹄に踏み潰されました」

 

「泣いても誰も、助けてはくれませんでした」

 

「その時生き残れたのは、本当に只の奇跡でした」

 

「報酬はパン一つだけで、それを僅かな生き残りで分けて食べました」

 

「戦場で戦わない者に、糧を得る権利はない」

 

「それが飼い主の言葉でした」

 

 

 

 

「だから殺した」

 

 

 

 

「ラグウェルの兵士を殺した」

 

「子どもだからと、同情して剣を引いてくれた相手に、後ろから襲い掛かり、動かなくなるまでナイフを刺し続けた」

 

「初めて殺した相手は、女だった」

 

「可哀想にと、泣きながら、死ぬまで抵抗しなかった」

 

「その日はパンに、スープが付いた」

 

「次の日も、その次の日も」

 

「十年間」

 

「俺は──」

 

 

 

「やめろっ!!」

 

飛び込んできたヘスティアに、視界を遮られる。

いつの間にか俯いてしまっていたカイトが顔を挙げると、そこには小さな神の小さな背中があった。

 

「もういいだろ、ヘファイストス!! これ以上は、もう……!」

 

足が震えているのは、今の今まで正座をしていたせいだろう。

勢いよく立ち上がったからか、首から掛けていた札が背中に回ってしまっている。

 

『私は悪い子です』

 

それが、カイトの目の前でぷらぷらと、揺れている

 

「あ、その、ごめんなさい……こんなつもりじゃなかったのよ」

 

「彼はボクの家族だ!! 泣かせるようなことをしたら、いくら君だって許さないぞ!!」

 

ぷらぷらと。

 

「ごめんなさいヘスティア、本当にごめんなさい。確かにこれは、私がイタズラに聞き出して良い話ではなかったわ」

 

「彼のことは、ボクが絶対に護ると約束したんだ。これまでにどんなことがあったかなんて、関係ない。大事な大事な、ボクの家族なんだよ、だから……」

 

揺れている。

 

「ボクを信じて、ヘファイストス」

 

「……ええ、わかったわ。あなたの意思を尊重する。でもね、別に、気にくわなかったら反対するってつもりじゃなかったのよ?」

 

『私は悪い子です』が。

 

「知っているさ! 初めて眷属を持つボクを心配してくれたんだろ? ありがとう、ヘファイストス」

 

「──ぷはっ」

 

堪えきれずに、吹き出した。

いくらなんでも、この状況はシュール過ぎた。

 

「カ、カイト君!? 大丈夫かい?」

 

慌ててこちらを向くヘスティア。

すると今度は、その背中を見たヘファイストスが、

 

「──あふっ」

 

決壊する。

 

「うえっ!? 君もかい、ヘファイストス! 一体、どうしたっていうんだよう!」

 

二人の笑いは、夕陽が完全に沈む少しの間だけ続いた。

 




え、なんか投稿しようとしたら半端無いくらいUAと感想と評価が増えて、るんですけど。

まさかと思ったらランキング載ったし。

皆様、読んでいただいてありがとうございます‼


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 剣の毒

シリアスとか重い話は書いててしんどい。
明るく楽しい脱力系こそが至高。


「ありがとう、ヘファイストス。拠点まで世話になってちゃって、ボクはもう、君に足を向けて寝られないよ!」

 

ヘスティアが、ヘファイストスの手を握りながら言った。

 

「いいのよ。さっきも言ったけど、これはお詫びよ。あなたとその眷属に、不快な思いをさせてしまったから」

 

ヘファイストスは、これから新興ファミリアで頑張っていく親友のために、自分の管理する物件の一つを提供することにした。

 

珍しくヘスティアを怒らせてしまったことに対する詫びとして。

 

もちろん、その眷属となるカイトに対しても謝罪をしたのだが、

 

「いえ、俺こそ、変な話になってしまい申し訳ありません。昔の話は、誰に話すときでもああなんです。神ヘファイストスの気になさることではありません」

 

と言い切られてしまった。

 

結局、生来の世話焼きからも手伝って、ヘスティア・ファミリアの門出にと、今は使われていない教会跡を提供する運びとなったのだった。

 

「神ヘスティア、俺は宿に荷物を取りに行かねばなりません。もう暗くなっていますし、明日、直接その教会跡へ伺います」

 

カイトにそう言われ、ヘスティアは名残惜しそうにするも、ヘファイストスからも同様に、

 

「念のため、うちの子に少し改めさせておくから。明日の午後まで待ってなさいな」

 

焦らなくても、この子は逃げないわよ、と嗜められて、諦めた。

 

 

 

カイトが見えなくなるまで手を振って見送ったヘスティアは、明日が待ちきれないといったように身体を震わせて、

 

「よし! 早く明日が来るように、ボクは寝るからね!」

 

言うなり自分に宛がわれた部屋へと向かい──

 

ガシッ、と、その肩を掴まれ阻まれた。

 

「あら、誰が反省は終わり、なんて言ったかしら?」

 

不思議よね? なんであなたはいきなり部屋に?

 

「ヘ、ヘヘヘヘ、ヘファイストス! 違うんだ、これは!」

 

「さ、私の部屋に戻りましょうね? ゆっくりとお話しましょう?」

 

「し、しょんな……」

 

ズルズルと連行されていくヘスティアの姿を、他の団員達は憐憫の情を込めて見送った。

敬愛する主神は、世話焼きだが怒ると怖いのだ。

 

 

それから月が天頂に昇るまで、二人は部屋から出てこなかったという。

 

 

「うぴー……」

 

既にグロッキー状態のヘスティアを置いて、ヘファイストスは部屋を出た。

向かうのは、階下にある武具屋店内だ。

 

ショーウインドウに飾られた、今ファミリアにある中では最高峰の一振り。

 

百華千光──それを手に取る。

 

「おや?」

 

そこへ、背後から声が聞こえた。

 

「どうされましたか? 手前の剣に何か?」

 

椿・コルブランド……ヘファイストス・ファミリアの団長を務める、オラリオ最高の鍛冶師。

浅黒の肌に艶のある黒髪をまとめた、ハーフドワーフの彼女は、風呂上がりだろう寝間着に羽織姿でそこに立っていた。

 

「椿……この剣、良い出来よね」

 

ヘファイストスは、室内に漏れ入る月明かりに、刀身をかざした。白刃が僅かに黄金の輝きを帯びる。

一部の曇りもない。

正真正銘の、最上級大業物である。

 

「ふむ……主神様にそのように誉められては、こそばゆいというもの」

 

照れ臭そうに頭をかくと、椿は笑う。

 

「それで、どうしてこんな時間に?」

 

椿は鍛冶師でありながらレベル5という、第一級冒険者だ。主神ともそれなりに長い付き合いである彼女は、別に真意があることを感じ取っていた。

 

「……今日、一人、これから冒険者になるだろう子と会ったわ。ヘスティアの眷属にね」

 

その言葉に、椿はほう、と洩らした。

 

「なるほど、ご親友様の眷属ですか」

 

「ええ……彼はね、この剣を見て、普通の鎧や楯なら問題なく斬れる、そう言ったの」

 

可笑しいでしょ? と笑う。

 

「その感想がね、まるであなたがこの剣に込めた想いと違うから、私、笑ってしまったわ」

 

椿は黙って聞いている。

 

「でもね、話を聞いてみたら……多分、こと争い事というものにおいては、そこらの冒険者よりも遥かに異質の価値観を持っていた」

 

「異質の……価値観、ですか」

 

その言葉を計りかねたのか、椿が反芻するように呟く。

 

「武器は戦うための道具。それは当たり前。だからこそ、なんのために振るうのか、なんのために造るのか……それが重要になってくる」

 

そして、そんなこととは関係無しに、武器は砕ける。

冒険者は死ぬ。

 

腕の良い鍛冶師ほどそれを知っているし、抗おうとしている。

 

「どんなに高潔な想いを込めた武具に身を包んでいても、どんなに戦う理由が尊いものであっても」

 

人は殺せる──

 

その事実を体験をもって知ることが、どれだけ人にとって無惨であるのか、ヘファイストスは理解していた。

恐らくは、ヘスティアも。

 

「多分彼は、そういったもの(・・・・・・・)に一切触れることなく殺人に慣れてしまった。最初は強制的に。その後は自分から、その世界に身を置いてきてしまった。敵対すれば殺す。それは彼の戦いにとって当然起こり得ることであり、だからこそ、戦う理由無く武器を振るえる」

 

「武具の良し悪しすら、その者に無価値だと?」

 

「等価値なのよ。一級品だろうが、錆びた剣だろうが、関係ないと思っているんだわ」

 

だって、どっちにせよ相手が殺せればいいんだもの、と、事も無げに言い切る主神に、椿は僅かな寒気を感じた。

 

「己の武器に拘らない冒険者は二流以下。でも、その人間が拘ることなく同じ結果を得られることを知っていたら? そんな冒険者と関わる鍛冶師は、きっと不幸になる」

 

ヘファイストスは持っていた剣を、再び台へと戻した。

 

「ヘスティア・ファミリアとは、今後、可能な限り敵対しないようにするわ。もっとも、あの子ならそんな心配いらないだろうけどね」

 

あのカイトという少年が恩恵を得た上で、その戦闘に対する価値観が変わらなかったとしたら……

 

「戦いになればきっと、子ども達の半分は殺られて(・・・・)しまう」

 

「ふむ、それはそれは……鬼子というやつですな」

 

「武具に関しても注意して。無いとは思うけれど、もし、専属の鍛冶師を求めるようなことがあれば」

 

「下の者には預けるな、と?」

 

「どんな武器でも戦えてしまう冒険者なんて、鍛冶師の腕を腐らせるだけじゃ済まないもの。そんなもの、もはや毒だわ、鍛冶師にとってのね」

 

極論してしまえば、あの少年は、鍛冶師が精魂込めて造った剣と、台所にある包丁の、どちらであっても同じ結果を出すことが出来るということだ。

 

もし駆け出しの頃の自分がそんな冒険者と出会っていたら、と、椿は考える。

 

「束の間の歓喜、しかる後に槌を捨て、炉の火を落とすでしょうな」

 

自分の全てを込めた武具、しかしその想いは使い手に伝わることがない。

くたびれ果てるまで使われて、また次、だ。

そんな一方通行のやり取りに、前途ある鍛冶師は耐えられない。

 

「まったく、ようやく眷属を見付けたと思ったら、とんだ厄ダネだったわ。本当に、手のかかる子なんだから」

 

困ったように笑う主神に、

 

「しかしまあ、そう言いつつも面倒見てしまうのが、我らが主神様の良いところと存じております。手前どもも、最大限ご協力いたします故」

 

椿は快活な笑みを見せて言った。

 

「苦労をかけるわ」

 

「なんの」

 

二人が店内から出て行く。

先程までヘファイストスが手にしていた百華千光は、何も言うこと無く、静かに月の光をその身に映していた。

 




鍛冶師にとっての疫病神染みた扱いを受ける系主人公、見参。

うちのヘファイストス様は行間で語っていくスタイル。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話 戦場の流儀

ここまで、長かった。
リリが可愛いのがいけない。




「お~~~っ!!」

 

ヘスティアの歓喜に満ちた悲鳴が響く。

 

そこは、今日からファミリアの拠点となる教会跡。

見た目的には廃墟の一歩手前だが、基礎はしっかりしているらしい。

殆どの壁や屋根は残っている。

 

カイトはといえば、紛争地帯で潜伏先を撰ぶときはもっと酷い条件の家屋を根城にしていたこともあり、屋根があるだけで満足していた。

 

「地下に使える部屋があるんだって! 家具とか、使ってないやつをヘファイストスが運んでくれたって言ってたよ!」

 

ヘスティアは子犬のようにはしゃぎながら、カイトの手を引いて地下へと続く扉を開いた。

 

「お~~っ、ベッドまである!」

 

そこは、ちょっとした宿屋の一室程に広かった。

手狭なようにも見えるが、それは部屋の真ん中に置かれた大きなベッドがあるせいだろう。

 

「カイト君、今日からここがボクたちの新しい住処だ! 拠点だ! 愛の巣だっ!」

 

最後のは違う、多分、違うはずだ。

 

「なんなら実家と言っても良い!」

 

「なるほど、つまりは俺たちの家というわけですね」

 

「そうともさ! ただいま!!」

 

叫ぶヘスティア。その後、じっとカイトを見てくる。

 

「……お帰りなさい、神ヘスティア」

 

「うんうん、で?」

 

じっと。見つめられる。

 

「た……ただいま」

 

「ぅおかえりぃー!! イーッヤッフー!!!!」

 

叫びながら抱き付いてくる。

カイトは身体ごと飛び付いてきたヘスティアを落とさないよう、結果抱き上げるような形で受け止めた。

 

「これから頑張ろうね、カイト君!」

 

「は、はは」

 

首もとに手を回されて、ぎゅっと抱き締められる。

カイトの首筋に、ヘスティアの小さな鼻が擦り付けられている。

 

何が、と言うわけではない。

が、何かが不味いような気がした。

 

「か、神ヘスティア……その、取り敢えず降ろしてもよろしいでしょうか?」

 

「むっふー、照れてるのかい? しょうがにゃいにゃあ」

 

誰だお前は、と言いたくなるのを懸命に堪えた。

 

「じゃあ、取り敢えずボクをベッドまで運んでくれるかい?」

 

「……わかりました」

 

ああ、と気付く。

そういえば昔、隊に入って来たばかりのキリカがこんな感じだったと。

 

(あのときはまるで、妹が出来たみたいだったなぁ)

 

ひたすらに過去の思い出に浸りながら、カイトは主神を運んでいった。

要するに現実逃避だった。

 

「ありがとう。さ、カイト君も上の服を脱いで横になるんだ」

 

しかし現実は簡単に逃がしてはくれなかった。

 

「……何をなさるおつもりでしょう?」

 

声は、固くなっていないはずだ。

 

「むふふ、何を照れてるのかな、君はぁ?」

 

しかし主神にはバレバレだった。

 

「『神の恩恵(ファルナ)』を刻むんだよ、カイト君」

 

悪戯が成功したような顔で笑う主神に、どっと湧いて出る疲れを意識しないわけにはいかなかった。

 

「ああ、良かった。本当に良かった」

 

言いながら、上着を脱いでいく。

 

「おんや~? こんな美少女神に誘われておいて、随分な反応じゃないか。ウブなのかなぁ?」

 

「いえ、その……そういう経験自体はあるのですが、その……」

 

「その?」

 

何とも言えない顔で、カイトは言った。

 

「アマゾネスだったんです」

 

「ああ……」

 

「やたら力は強いし、乱暴だし、噛むし、引っ掻くし……下手な戦闘より疲れたことしか記憶にないんです」

 

何だろう、この少年の過去に安らぎは無いのだろうか。

 

「ま、まあ、気にするなよカイト君! それにボクは処女神だからね! こう見えて身持ちは固いのさっ」

 

役割が謎の紐に支えられた胸が揺れる。

カイトは何とも言えない気持ちになった。

どう見ても言動と振るまいが一致していない。

この無防備な神が、例えばセイルのような人間に見付からなくて本当に良かったと思うばかりだった。

 

「では、脱ぎますが……傷痕が結構あるので、気持ち悪いですよ?」

 

それで一度、娼館で泣かれたことがあるのだ。

それを未だに、セイルにはからかわれる。

 

インナーを脱いだカイトの身体は、言葉通りに傷痕だらけだった。

縦横に走るそれらには、全く統一性が無い。

 

ヘスティアは一瞬、込み上げてくる涙を堪えながら、自分の眷属となる子の身体を見つめた。

 

刺されたのだろうか。

斬られたのだろう。

火傷が見える。

矢傷があった。

まるで抉られたような傷だ。

 

そしてその全てが、既に痕となっている。

 

「それは、君が頑張ってきた証だよ。どうして気味悪がったりするんだい」

 

もっと早くに出会いたかった。

この少年を、支えてあげたかった。

そうできなかった自分が、情けなかった。

 

「さ、ここに寝るんだ」

 

ぽんぽん、とベッドを叩く。

カイトはそこにうつ伏せで横たわった。

 

「それじゃ、始めるよ」

 

「はい」

 

ヘスティアはカイトの腰にまたがると、取り出した針で指先を突いた。

溢れ出る一滴の血が、前面同様に様々な傷痕が残る背中に落ちる。

 

『神の恩恵』が、顕現する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え」

 

ヘスティアは、まず自分の目を疑った。

 

(なんで?)

 

自問するも答えは出ない。

 

 

 

力 :I0

耐久 :I0

器用 :I0

敏捷 :I0

魔力 :I0

 

 

ここまではいい。

初めて『神の恩恵』を受けた者は、皆等しくここからのスタートだからだ。

 

問題はその続きである。

 

対人 :C

 

≪魔法≫

 

≪スキル≫

戦場の流儀(ウォードレス)

・対多数戦闘時に各ステイタス上昇補正。

・追い詰められるほど効果上昇。

・庇護対象が多いほど効果上昇。

・敵対対象を殺害するたびに効果上昇。

 

 

(なんで発展アビリティがもう……ていうか、対人って何!? あとこれどう見てもレアスキルじゃ……)

 

「神ヘスティア……どうしましたか?」

 

カイトの問いかけに、ハッと我に返る。

 

「あ、何でもないよ、えへへへ」

 

慌てたように言うと、顕現したステータスを紙に写していく。

 

(発展アビリティとスキルは……ごめんよ!)

 

あえて紙には残さない。

残さなかったとしても、致命的なことにはならないとヘスティアは判断した。

 

(こんなレアスキル持ってるなんて知られたら、他の神たちがどんな動きに出るか、わかったもんじゃない)

 

それに、とヘスティアは思う。

 

(変わりたいって、ここに来たんだ。来てくれたんじゃないか! それなのに、こんな、戦うことが全てみたいなスキル……あんまりだよ!)

 

出来上がった紙を、カイトへ渡す。

受け取ったカイトは、何とも言えない微妙な表情になった。

 

「I0、ですか。なんかこう……パッとしないですね」

 

「始めはみんなこんなだよ。これからさ、カイト君!」

 

自分は上手く笑えているだろうか。

なったばかりの眷属に、嘘を着かなければいけない。

あまりに惨めな自分を、隠せているだろうか。

 

「一緒に頑張ろうぜ、ね?」

 

嬉しそうに笑うこの少年に、伝わらなければ良いと、願った。

 




ぼくのかんがえたさいきょうのすきる。

次回、楽しいダンジョンアタック



リリ出す。絶対出す。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 楽しいダンジョンアタック 前編

寒くね? って思ってたら雪降ってた。
ヤバくね? って思ってたら電車停まってた。

会社に行けなくて、僕はとても困ってしまいました(小並感)





拠点で荷物整理の後、ささやかなお祝いを開いてから一晩。

 

「うわぁ、凛々しいねぇカイト君!」

 

ヘスティアの感心した視線の先には、完全装備に身を固めたカイトがいた。

 

インナーの上にチェインメイル、その更に上から大きめにあつらえた耐火繊維製の襟つきシャツ。

これだけで、火矢くらいなら防ぎきれてしまう逸品だった。

色は灰色で、最後にややくたびれた黒のジャケットを着ている。

ジャケットには背面と上腕部を守るように鋼板が仕込まれていた。

特徴として、何故か左前腕部の袖が丸々切り取られている。

 

濃緑色のズボンは少し太めだが、耐火シャツと同じ素材を用い、脚部の各所を守るプロテクターを内蔵していた。

足元は靴底に硬い樹脂を使った特注品のショートブーツで、何かを踏み砕く(・・・・・・・)のに重宝する。

 

「どれもいい加減骨董品ですよ。かなり助けられもしましたけど。出来の良い軽鎧なんかはすごく高くて。こんな服の延長線みたいな装備になっちゃいました」

 

苦笑しながら、カイトは安宿から運んできた荷物のうち、立方体に近い箱を開く。

 

中にはまるで人間の肋骨に似た金属製の何かがあった。

ヘスティアはその用途がわからず、首をかしげた。

 

「それは?」

 

()です。神ヘスティア」

 

その肋骨の真ん中に、ジャケットの袖が落とされた方の腕を通して、残った右手で何やら操作する。

 

ガポン、と音がして、肋骨が腕を挟み込むように閉じた。

 

「視界を遮らず、小回りが聞くんです。デザインとか仕掛けは、こういうのが好きなやつがいて」

 

そうして出来上がったカイトの姿は、戦場で見たときと何ら変わりないものだった。

ただ一つ違うのは、その表情。

 

もう、人を殺さなくて良い、ということからか、知っているものが見れば信じられないくらい穏やかだった。

 

最後にいつもの黒剣を腰に佩くと、準備は完了だ。

 

「って、カイト君、荷物を入れるバッグなんかは良いのかい?」

 

逆に言うとそれ以外は何も持っていないカイトに、ヘスティアが慌てた様子で声を掛ける。

 

「大丈夫です。神ヘスティア」

 

カイトは笑みを浮かべた。

 

当てが(・・・)ありますから」

 

─────────────────────

リリルカは困窮していた。

 

今すぐどうにかなるわけでもないが、ダンジョンに潜れなければいずれそうなることだろう。

全ての原因は、あの男にあった。

 

確かにリリルカは、自身の不覚から犯罪を起こしていたことをカイトに告白してしまった。

しかし、それだけならば実は大きな問題にはならなかったのである。

 

カイトはあの時点で冒険者ではなく、わざわざリリルカのことを告発するような善性の人間ではない。

あのことだけであれば、リリルカはいつも通りのこそ泥ライフを満喫していたはずなのだ。

 

全てはあの路地裏で、カイトがロクデナシ三人組を容赦なくしばき倒したことに原因があった。

 

どうもあの三人は、あの運命の日の前日に、酒場で自慢気に話していたらしい。

 

サポーターが冒険者を狩るなんて生意気だ、俺達が逆に狩ってやる、と。

 

無差別ながらも的を得た復讐の結果は、知っての通りだった。

 

三人ともに重傷。

レベル2の男は、恐怖のあまり幼時退行を起こす程だったという。

 

その話は、当日のうちにオラリオに広がった。

 

曰く──

「パルゥムのサポーターは冒険者狩りだ」

「弱い見た目で油断させて、正気を失うほどの拷問をするらしい」

「実はレベル5相当の用心棒がついている」

「叩きのめしたのはその用心棒で、拷問はパルゥムがやったらしい」

「パルゥムは仮の姿らしい」

「もうなんか怖い、サポーター怖い」

「小さい子供を見ると身体が震えるようになった」

「逮捕」

「逮捕」

「ちょっ」

 

途中から暇をもて余した神々も参加して、実に曲解された噂がばら蒔かれたのだ。

そうして、素性の定かではないサポーターの働き口が大きく減った。

しっかりとファミリアの名前を出せば一定の信用は得られるが、リリルカはそこに難がある。

 

ソーマ・ファミリア──色々と話の種にのぼることが多い、金に汚いチンピラ集団である。

 

当然信用など望むべくもない。

 

いっそのこと、再び冒険者としてダンジョンに潜ってしまおうか。そんな自暴自棄な考えさえ浮かんでくる。

 

「あの男さえいなければ……!」

 

今思えば、あのまま路地裏で連中の良いように殴られていれば……

 

(殴られて、誰も助けてくれなくて……?)

 

まるで容赦のない暴力ではあったが、それは結果としてリリルカを助けた。

助けたが、今はそれが原因となって彼女を苦しめる。

 

(これじゃあ、お礼を言って良いのかどうかもわかりませんよ……)

 

まだ早朝を少し過ぎたくらいの時間。

ギルド前の広場で、所在無さげに立つリリルカの姿は、今にも消えそうなくらい儚げだった。

 

リリカル(・・・・)!」

 

本当に、この瞬間までは。

 

「リリカール!!」

 

まさかそれが、自分を呼ぶ声等とは夢にも思わない。

 

思いたくない。

ましてやその声が、数日前に聞いたばかりのものであるなど、そんな訳がない。

ないったら無いのだ。

 

「リリカル・アーデ、探したよ」

 

知らん、誰だそいつは。どこの魔法少女だ。

 

「今日から俺も冒険者でね。早速ダンジョンに潜りたくて、君を探してた」

 

独り言ですか? まだお若いのに、大変ですね。

 

「リリカル、見たところ暇だな? ぜひ、サポーターとして一緒に──」

 

「リリの名前はリリルカ(・・・・)・アーデですっ! 名前を間違えるなんて失礼じゃないですか! 大体リリは忙しいんです! これからだって、ダンジョンに、ダンジョンに……!」

 

堪忍袋の緒が切れた。

 

「そいつはすまなかった。ごめんよリリルカ。どうやら、自分でも知らないうちに舞い上がっていたらしい」

 

しかし、目の前の男、カイトはどこ吹く風だ。

それが一層、リリルカをイラつかせた。

 

「何なんですか一体! 助けてくれたのは百万歩譲って感謝しましょう! でも、だからってこんな仕打ちは無いでしょう! お陰でリリは無職ですよ! 干されちゃいましたよ! どう責任を取ってくれるんですか、アルバトス様!!」

 

するとどうたろう。

カイトはあろうことか、今のリリルカからでさえも『頼り甲斐』があるように見える笑みを浮かべた。

 

「心配するなよリリルカ。責任なんか、いくらでも取ってやる」

 

言葉に詰まるとは、まさにこのことだろう。

 

「え、あ、え?」

 

ようやく開けた口からも、意味ある言葉が出てこない。

 

「一緒に冒険しよう!」

 

なんだその笑みは。路地裏のお前はどこに行った。

 

「干されたって? 気にするな。それなら俺が一緒にいてやる。いざとなれば、癖は強いが仲間もいる」

 

カイトはしゃがむと、リリルカの両肩に手を置いた。

 

「事情は知らん。でもお前が望むなら、二度と盗みなんてしなくてもいいように、何だって協力してやる」

 

「な、なんで……」

 

「俺の神は、そう言って俺を前に進ませてくれた。俺は善人なんて柄じゃないが、それでも、もう二度と、何かを切り捨てる生き方はしたくない」

 

勝手な理由だ。

だが、肩に乗る手は、初めて知る暖かさで──

 

「なんでだって? なら答えてやる。そうすることを、俺が望んでいるからだ」

 

「……なら」

 

それでも、とリリルカは考えてしまう。

それでもどうせ、いつか裏切られるなら、と。

 

「ならまずは、お試しということで……」

 

まずはこの辺から、始めるくらいでいいだろう、と。

 

「それにお前は、この街に来て最初の知り合いだからな。困ってるなら助けるさ」

 

「……まさか、あの時リリを食事に誘ったのは?」

 

「一週間も一人飯してたら、なんか虚しくなったから」

 

つくづく、あの時の緊張を返せと言いたい気分だった。

 

「まあ、元々は助けに入って礼金でもせびるつもりだったんだけどな」

 

「小者臭が凄いです!?」

 

「そしたらやられてるのが子供だったわけで」

 

……ん?

 

「子供から金を巻き上げるのは、うちの隊則でも禁止されてたし」

 

「ちょっと、アルバトス様」

 

「どうした?」

 

「失礼ですが、おいくつですか?」

 

「十五歳、多分」

 

見た目はもう少し上にも見えるが、まあそんなものだろうとリリルカは納得する。

 

「それなら、リリと同い年ですね」

 

フン、と鼻息で笑いつつ。

 

「はっはっは、冗談きついな。こんなにちいちゃいのに」

 

「ちいちゃいとか子供言葉で言わないで下さい! リリも十五歳です! 小さいのは、そういう種族なんです!」

 

「よしよし」

 

「頭撫でないでください!」

 

「飴食べるかい?」

 

「ぐ、このっ」

 

「あ、ないや飴」

 

「何がしたいんですかっ!」

 

「飴って言うか、武器以外なんも持ってきてないや」

 

「ほあっ!?」

 

「先に買い物に行こう。何が良いとか必要とか、アドバイス頼む。夕飯奢るから」

 

あれよあれよと言う間に、カイトはリリの隣に立って歩き出していた。

その足は、冒険者がよく立ち寄る朝市へと向かっている。

 

「……言っときますけど、お金は貸しませんからね」

 

仕方なく、リリルカも着いていく。

お試し期間ではあるが、頼られては仕方ない。

仕方ないのだ。

 

「ああそうか、財布も無かったな」

 

「ホント何しに来たんですか!? ぜっっったいに貸しませんからね!」

 

仕方ないから、取ってくるくらいは待ってあげますが。

 

「そうだな……お?」

 

カイトがふと、視線を横に移す。

釣られてそちらを見たリリは、朝から最悪の光景を目撃した。

 

同じソーマ・ファミリアに所属する、カヌゥと言う男とその取り巻きが、リリと似たような境遇であろう小柄なサポーターの少年の胸ぐらを掴み上げていた。

 

あの少年は無事では済むまい。リリルカはそう思った。

恐らく、リリルカと同じように仕事が無くなり、それでも頑張って売り込みを続けていたのだろう。

だが、相手が悪かった。

カヌゥ達はリリルカが知る中でもトップクラスのロクデナシだ。

そこそこ腕が立ち、容赦がない。

恐らくは殺しに近い犯罪にも手を染めているが、それが表立たないようにする頭もある。

 

「……よし」

 

そう呟いて、そこへ向かっていくカイト。

 

あの少年はさらに無事ではなくなるだろう。リリルカはそう思った。

カイトはリリルカが知る中でもトップクラスの残虐性を持つ……お人好しになりたい野蛮人だ。

アホみたいに腕が立ち、容赦という言葉を恐らく知らない。

絶対に一人二人じゃきかない数の人間を再起不能にしていることは間違いない。

しかも、そんな雰囲気を実に効果的に垂れ流している。

暴力の権化だ。

 

『神の恩恵』を受ける前からそうなのだ。

今のカイトを止められるとすれば、それこそ武闘派ファミリアの上級冒険者のみだろう。

 

リリルカが見ていると、カイトは掴み上げられているサポーターをカヌゥの腕から解放し、何事かカヌゥ達に話しかけた。

 

カヌゥ達は怒りを露にしつつも、カイトの装備を見ると嫌らしい笑みを浮かべ、傍の雑木林を指した。

 

頷いたカイトが、彼らを連れ立って林に入っていく。

 

十秒数えた。

 

物音一つしない。

 

更に十秒。

 

パンいちになったカヌゥ達が、顔面をボコボコにされた状態で、泣きべそをかきながら走り去って行った。

 

その後からカイトが、連中から巻き上げたと思われる財布と装備を持って現れた。

そして、実に良い笑顔でほざく。

 

「悪の栄えた試し無し、だな」

 

サポーターの少年はドン引きしていた。

リリルカは何一つ予想から外れていない光景に、晴れやかな空の下を駆け抜ける爽やかな風を感じる余裕さえあった。

要は現実逃避だった。

 

「大丈夫だったかな、少年。危ないところだったな」

 

カイトが笑顔のまま振り向くと、憐れな少年は震えながら泣き出し、なけなしの財産であろう小さな財布を差し出した。

 

仕方あるまい。

同じ状況なら、リリルカだって同じことをする。

 

「おいおい、見損なうなよ。俺がそんなもの(・・・・・)、欲しがると思うか?」

 

だから、そういう発言がマズイのだ。

リリルカが止める間もなく、少年はその場で土下座を敢行した。

 

「家に病気のお姉ちゃんがいるんです。どうか売るのだけは勘弁してください!」

 

外道にしか見えない男がそこにいた。

 

「……アルバトス様は少し黙っていてください」

 

流石に見ていられず、リリルカは間に割って入った。

 

「もう大丈夫ですよ。さ、立ち上がってください」

 

努めて優しく、リリルカは少年を諭すように言った。

 

「良いですか? この人はどの角度から見ても危険人物ですが、あなたに危害を加えたりはしません多分。怖がっても良いですから、涙を拭いてください?」

 

あんまりな台詞だった。

 

「……ほ、本当ですか?」

 

涙を拭りながら、少年はリリルカに尋ねる。この場において、唯一の味方と思ったのだろう。

 

「はい。何かしようとしたら、私が止めますから大丈夫です」

 

多分。

 

「お、お姉さんは、その人の、お友達ですか?」

 

「違います。言うなれば、仕事仲間というやつです」

 

少年はカイトを見る。

やや憮然とした顔で、手の中の戦利品(・・・)を玩んでいる。

何かを察したように、再び少年はリリルカを見た。

先程より大量の涙が溢れ出す。

 

「い、命だけは」

 

「何でそうなるんですか!? 私、今変なこと言ってないですよねっ!? って言うか、なんでアルバトス様が金目的で私が命狙いだと思ったんですか!?」

 

「拷問しないで……」

 

「あっ、わかりました! 全部アルバトス様のせいですね! いい加減訴えますよ!?」

 

リリルカまで涙が溢れてくる。

 

「……理不尽だ」

 

頭をかきながら呟くカイト。

何一つ理不尽ではない。

あえて言うなら悪乗りした神々も悪い。

が、カイトも確実に悪かった。

 

「……あなた、お姉様がいらっしゃるんですね?」

 

「お姉ちゃんだけは助けてください!」

 

「それはもういいんです!!」

 

荒げた声を一度落ち着ける。

 

「薬を買うために、ダンジョンに入るつもりだったんですか?」

 

少年は頷く。

 

「薬はいくらするか知っていますか?」

 

「い、一万ヴァリス……」

 

リリルカはカイトへ振り返る。

 

「アルバ──」

 

「任せろ少年。そんなもん、今日一日でどうにかしてやる」

 

カイトは少年に歩み寄ると、しゃがんで目線を合わせる。

 

「夕日が沈む頃、もう一度ここに来い」

 

笑う。

この男はよく笑う。

初めて会ったときよりも、よく。

 

「大丈夫だ。俺達を信じると良い」

 

「……ありがとうございます!」

 

だからこんな簡単に、誰かに信じてもらえるのかも知れない。

……誰かに。

 

リリルカは気付く。

何故今、自分はカイトへと振り返ったのか。

何を期待して、何を言って欲しくて──

 

何を言ってくれると信じて(・・・)自分は……

 

頭を振って、慌てて考えを否定する。

 

冗談ではない。

自分はそんなに、簡単ではないのだ。

 

「行くぞリリルカ。行けるとこまで行って、チョロく稼いで日帰りだ」

 

「かしこまりました。ところでアルバトス様、装備はどうなさるのですか?」

 

「今、拾った」

 

カヌゥ達から巻き上げた装備から、ポーションの入ったウエストポーチを掲げて見せながら歩き出す。

 

「残りは売ってしまいましょう。あの子に預けると、後でトラブルになるかもしれません。ギルドに預けて、帰りに回収しましょう」

 

「わかった。リリルカ、サポート頼む」

 

「……リリとお呼びください、アルバトス様」

 

「カイトと呼んでくれたら、考える」

 

「かしこまりました、カイト様」

 

「頑張ろうな、リリ」

 

二人は言い合いながら、ギルドの中に消えていった。

 




あ、ありのままに起こったことを話すぜ。
俺は装備紹介の後、さっさとダンジョンに潜ってひたすらリリがいじられるシーンを書こうとしたら、リリパートだけで5000文字を超えていた。

何を言ってるのかわからねえと思うが俺にもわからねえ(ry

リリ可愛いよリリ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 楽しいダンジョンアタック 後編


悲報、ダンジョンの影が薄い。

なお、カヌゥは今作のタグにもある、原作変化有りの影響を最も強く受け続けるキャラです。
好きな人にはゴメンナサイ。反省してまーす。




カイトとリリルカの二人は、ダンジョンに入ってすぐの開けた場所で今後の計画を立てていた。

 

「リリの見立てでは、カイト様は上層部であれば問題なく探索出来るだけの実力をお持ちです」

 

三階層までの地図を見ながら言う。

 

「根拠ですが、先程のカヌゥ達です。彼等はゲスですが、キラーアントの群れをある程度捌くくらいの実力はあります」

 

「……カヌゥって誰だっけ?」

 

「名前も知らない相手によくあそこまで……って、今更でしたね。先程カイト様が身ぐるみを剥いだ中にいた人ですよ。ほら、丸い耳の」

 

「ああ、あの汚いタヌキか」

 

「酷すぎる」

 

思わず口から出た言葉を誤魔化すように咳払いをし、リリルカは続けた。

 

「キラーアントは個体としても厄介ですが、瀕死になると仲間を呼び寄せ、群れをなすことで危険度が跳ね上がります。奴らをあしらうことができるカヌゥ達は、上層を狩り場とするには充分な力がありました」

 

「なるほど。あれくらいでいいのか。思ってたよりは簡単だな、ダンジョン」

 

「とんでもありません!」

 

リリルカは地図から顔を上げずに言った。

 

「そう言って、一体何人の冒険者が命を落としていったかわかりません。ダンジョンでは臆病なくらい慎重に行動してもまだ足りない程、危険が溢れているんです!」

 

「そうか……ごめんよリリ。少し調子に乗っていたみたいだ」

 

「全くです。カイト様がお強いのはわかります。ですが、それでもなお途切れぬ緊張を強要するのがダンジョンなのです」

 

一度頷くと、リリルカは地図を折り畳んでバックパックにしまった。

 

「まずは肩慣らししてから、三階層まで行きましょう。カイト様のお力がどれ程のものなのか、ダンジョンに通用するのか、試しながら進みます」

 

ダンジョン探索において、カイトは正真正銘の素人だ。

その為、この日の行動指針は予めリリルカが一任されていた。

もちろん、最終的に一万ヴァリスという大金を稼ぐことは至上命題でもある。

 

「よし……わかった。頼りにさせてもらうな、リリ」

 

「お任せください!」

 

小さな身体で胸を張るリリルカ。その顔は、どこか得意気だった。

 

「安全第一に、きっちりかっちり、稼がせて差し上げますっ!」

 

………

……

 

(そんな風に考えていた時期が、リリにもありました)

 

「おらぁっ!」

 

ひゅんひゅんひゅん、ぐちゃっ

 

すぐ横に、回転しながら飛んできたコボルトが墜落する。

頭が半分しかなく、手足は付いていない。

 

「…………」

 

無言で、リリルカは解体用のナイフを使って魔石を取り出す。

憐れなコボルトは塵となって消えた。

 

「たあっ!」

 

ひゅううぅぅぅぅん、べちゃっ

 

今度はダンジョンリザードだ。

胴体が千切れかけている。

 

「…………」

 

魔石を取り出す。塵になる。

 

「せいっ!」

 

ぶちぶちぶちぃ、どちゃ

 

音の方へ目をやると、舌を引きちぎられるフロッグ・シューターがいた。

次の瞬間、異形のカエルは真っ二つになり、塵と消えた。体内の魔石ごと斬ってしまったのだろう。

そして、それまで二十匹はいた魔物の群れは全滅と相成った。

 

「リリ、おかわり」

 

(空が見たい)

 

間髪入れずにリリルカは思った。

とにかく何か雄大なものを見て心を癒したかった。

 

在りもしないものを求めるように、ダンジョンの天井を見上げる。

 

ぷらーん

 

空の代わりに岩の天井が。

そして雲の代わりに、頭から天井に叩き付けられてぶら下がる、ゴブリンの死体が三体あった。

 

「はあ……お空が綺麗です」

 

リリルカは現実逃避を始めた。

 

「リリー! こっちに階段あるぞ! ちょっと行ってみよう!」

 

しかし現実は非情にも回り込んできた。

 

見ると、下の階層へ降りていくカイトの後ろ姿があった。

 

「カイト様ー、勝手に行ったら殺しますよー無理ですけどー。言っても聞いてくれないのも知ってますけどー」

 

光を喪った目で呟きながら、リリルカは足下の石を拾って投げつけ、落ちてきた雲……もといゴブリンの死体から魔石を回収する。

 

「リリー! 初めて見るやつだ! うはははは、コイツらも楽勝だなっ!!」

 

階下から聞こえてくる楽しそうな声に、ますます目が死んでいくリリルカ。

 

「……今度は何ですかね。もう六階層(・・・・・)ですし、ウォーシャドウか何かでしょうか。どのみちまだまだ降りても大丈夫そうでなによりです」

 

はは、と乾いた笑いが後に続く。

 

「どういう経験したらレベル1からあんな戦える様になるんですか。ここまで傷ひとつないとか……リリは常識と言う言葉がわからなくなりそうです」

 

一説によると、独り言とは強いショックを受けた人間がとる、自己防衛行動の一つという。

自分の声を聞くことで、精神の崩壊を防ぐのだと。

 

「インファント・ドラゴンでも出たら……いや、無理ですかね」

 

でかい蜥蜴だ、と嬉々として襲いかかっていくカイトの姿が目に浮かんだ。

 

(安全マージンがどこか未だにわかりません。もしかしなくても、ミノタウロスくらいなら一人でどうにかできるんじゃ……)

 

大誤算だ、と思う。

人間に対しては強くても、モンスターならそうはいかない。そんな当たり前の常識はしかし、未だにカイトの前に姿を見せることはなかった。

 

(一万ヴァリス、多分もう貯まってますね)

 

リリルカ達がダンジョンに入って三時間程。

派手に暴れ回るカイトは、辺りを徘徊するモンスター達を誘蛾灯の様に引き付けては、虐殺していった。

その数は百を軽く越えているだろう。

 

「ゴブリンとか、途中から普通に逃げてましたもんね。下の階層の方が、同じモンスターでも好戦的なはずなのに」

 

そして、当然のように追い付かれ、強烈な蹴り上げをくらい天井の染みと消えたのだ。

 

「っていうか、ここまで無傷なのはリリも同じですか。それも大概ですね」

 

死んでいた目が、少しだけ輝きを取り戻す。

 

各階層で乱戦を繰り返して来たのだ。

何度かリリルカにモンスターが迫ってきた瞬間があった。

しかしそのたびに、雷光のような速度で飛び込んできたカイトが、庇うようにしてそれらを打ち払った。

 

「まあ……ちょっとは頼りに、なりますけど」

 

何だか納得がいかないけれど。

認めてあげてもいいかな、とは、思わなくもない。

 

甚だ非常に、全くもって不本意ではあるが。

 

あんなにも守ってもらえたのは、生まれて初めてだったのだ。

 

リリルカは何となく弾む気持ちを抱え、階下から響く剣戟の音に向かって歩き始めた。

 




ダンジョンにおける初戦闘を九割方カットされる系主人公、推して参る。

思ったよりあっさりしてしまった。

でも4000文字くらい同じテンポで虐殺し続ける主人公を見るよりはリリの方が良いかなって。

リリ可愛いなって


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話 黒剣

どう頑張っても主人公が上層で苦戦する光景が想像できない。

オリ主は扱いが難しい。


カイトは戦争奴隷だった。

本来使い捨てにされる筈だった彼は、他の兵士のような物資の供給も満足に受けることはできない。

 

武器は戦場で拾ったものを使う。

食料はその日殺した敵の首と交換。

 

そんな中でカイトは、慢性的に武器の扱いに頭を悩ませていた。

正しい剣の振り方など知らない。

手入れの仕方もまた然り。

 

当然、その手に握る武器は瞬く間に磨耗し、砕けた。

 

ある時、制圧した村に鍛冶場があるのを見付ける。

鍛冶屋の息子だったという隊員に、カイトは自分が使っていた武器の整備を頼んだ。

 

鉄が足りない、という隊員に対し、カイトは自分が予備として取っておいた、殺した相手の武器を全て渡す。

 

出来上がったのは、原材料として使ったどの剣も似つかない、漆黒の剣だった。

 

元より、見よう見まねの技術で打たれた剣は、斬れ味も鈍く、振るわれた時の音は棍棒のようだった。

 

しかし、妙にしっくりくる何かがカイトにはあった。

 

以来、殺した相手の武器は融かして黒剣へ混ぜ混むことが習慣になった。

 

何度も繰り返されるうち、剣は長く、重くなっていく。

欠けたり、砕けたりすることもあったが、徐々に斬れ味鋭く、頑丈になっていった。

 

ある時、カイトが戦場で戦った相手は、まだ少年であるカイトに涙し、剣を収めた。

 

なんと酷い、それが彼の最期の台詞だった。

 

後ろから首を撥ねたカイトは、相手が持っていた剣を回収し、何時ものように炉で融かしてもらった。

 

「変だな」

 

隊員がそう言う。

見てみると、回収してきた剣を融かした鉄が、同じく赤くなるまで熱せられた黒剣の上で砕けている。

 

どんな鉄も呑み込んで来た黒剣は、しかし、今回の剣とは相容れないとでも言うように、混ざり合うことを拒んだ。

 

結局それがどう言うことか、判明する前にその隊員は戦死。村も戦闘の際に火災に見舞われ、鍛冶場は失われた。

 

それが十一歳頃の話。

それからずっと、黒剣はカイトの手で多くの死体を作り続けてきた。

 

戦いの場が、戦場からダンジョンに移った今も、それは変わらない。

相変わらず、振るときの音は汚く、斬れたり斬れなかったりする、やたらと頑丈なまま。

 

その剣はカイトの手に握られている。

 

─────────────────────

 

十階層──

 

度重なるリリルカの制止を振り切って、カイトはそこにいた。

 

「ふっ!」

 

ブォン!

 

剣が振られ、胴体を切断されたオークが仰向けに倒れる。

 

「カイト様っ! 右!」

 

リリルカの呼び声に視線を向けると、数えるのも馬鹿らしい数のインプ達が群れをなして向かってきている。

そのさらに向こうにはオークらしき影。

 

「リリ! 隠れてろ!!」

 

言うやいなや、右手に黒剣、左手にナイフを引き抜いてモンスターの群れへと向かっていく。

 

カイトは空を飛ぶインプに対して、有効な攻撃手段を持たない。

 

 

だから向こうが噛みついてくるまで待つ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

「っつぅ!」

 

装備を貫通してくる痛みを堪え、そこにナイフを突き立てていく。

 

繰り返す内、インプの数が減ってくる。

だが、全滅よりもオークが近づいてくる方が速かった。

 

醜悪な豚面のモンスターは、その手に棍棒のような武器を持っている。

 

「豚の分際で……!!」

 

速度が足りなかった。

 

インプを処理する。

 

ポーションを服用する。

 

そして体勢を調える。

 

そのための速度が。

 

(なるほど、これがダンジョン……冒険か!)

 

焦れても事態は変わらない。

変えたければ、自分で動くしかない。ずっとそうやって来た。

 

「カイト様!」

 

リリルカの声、直後に飛びかかってきたインプの数匹が地面に落ちる。

見ると小さな矢が身体に突き刺さっていた。

リリルカの袖口に仕込まれたバリスタだ。

 

「リリ! 退いてるんだ!」

 

僅かな隙に、カイトは自分の身体に取り付いたインプを全て仕留めた。

残り、インプ凡そ十、オーク三。

 

生き残りのインプ達が、仲間を撃ち落としたリリルカへと殺到する。

 

ヤバい。

 

そう考えたとき、カイトの身体から一切の重さが消えた。

停止した状態からの急加速。

圧倒的な速度でインプ達を追い越し、リリルカの前へと移動する。

 

「ギキッ!?」

 

「一丁前にぃ……」

 

飛ぶ。

自分自身を砲弾のように、空中へと飛び上がらせて。

 

「ビビってんじゃねえ!!」

 

剣を振る。

 

 

真後ろで見ていたリリルカは、飛び上がった後のカイトの動きを理解出来なかった。

 

「……は?」

 

身体が回転した。

 

何回転かはわからない。

 

しかし、回転のたびに刃の向きが変わり、着地したときにはインプ達は細切れにされて地面に落ち始めていた。

 

「どういう反射神経してるんですか」

 

もはや、唖然とするしかない。

懐に忍ばせた魔剣を使うつもりだったリリルカは、その動作の途中で引き攣った笑いを浮かべることしかできなかった。

 

「あとは豚だけだ!」

 

カイトはポーチから取り出したポーションを煽りながら叫ぶと、こちらへ突進してくるオーク達へ走り出す。

 

その勢いを殺さずに、一閃。

 

三方向から迫るオークに対して、カイトは身体を半回転させながら黒剣を振り抜いた。

 

肉の塊が弾けるような音とともに、オーク達の腹部が抉り千切られる(・・・・・・・)

 

(……もう間違いない。カイト様は何らかのスキルを持っている。それも、状況によって効力の変動する(・・・・・・・・・・・・・)、ステイタス強化タイプの自動発動型(オートスキル)を)

 

リリルカは確信した。

でなければ、初めて遭遇するモンスター相手にあの一方的な戦い方は不可能だ。

 

「……リリ、怪我はないか?」

 

こちらを向くカイトは、なんでもなかったかのように聞いてくる。

ポーションで癒しきれなかった傷から血が滴っているが、無事のようだ。

 

「はい、リリは大丈夫です。それよりカイト様は?」

 

「問題ない……とはいえ、疲れた。戻りも考えると、今日はここまでかな?」

 

「そうですね。一先ず魔石を回収したら、上へと戻りましょう。カイト様は周囲の警戒を」

 

「任せろ」

 

また、守られてしまった。

たまにピンチになったかと思えば、直後に先程の様な動きを見せる。

 

(あれ……もしかしたら、カイト様って、リリが知る中でも──)

 

上位に入るほど、強い。

 

そんな考えが浮かぶ。

 

魔石を回収する手を動かしながら、リリルカは想像することが止まらない。

 

──勇者(ブレイバー)九魔姫(ナイン・ヘル)、そして剣姫……名だたる冒険者達と比べては、どれ一つとしてすんなり負ける様子が浮かばない。

 

(いやいやいや、流石に勝てませんって。何を考えているんでしょうね、私は)

 

馬鹿な妄想を、頭を振って忘れる。

 

「……疲れすぎです。全く今日は散々です」

 

呟きながら、最後の魔石を回収し終える。

 

「カイト様、終わりました!」

 

「よし、それじゃあ、帰りは流して帰るか」

 

「また立ち止まって派手にやらかされるようでしたら、リリはカイト様をお見捨てすることも考えなければなりません」

 

嫌味のつもりだった言葉はしかし、予想以上に相手には届かなかった。

 

「さっきは素晴らしいアシストだった。だが、もしまた同じ状況になったなら俺のことは見捨てて逃げろ」

 

剣を納め、何度か確かめるように腕を回しながら。

 

「リリが怪我するのは、凄く嫌だ」

 

歩き始めるカイトの背中は、まるで疲れなど残っていない様に見えた。

 

「……考えておきます」

 

リリルカはフードを深く被り直してその後に続いた。

 

目の前の背中が、振り向かないことを祈って。

 

きっと今、自分の顔は赤くなっているだろうから。





実は、ダンジョン編は三部構成だったのさ!

というのは嘘。
さすがにバトルカットはねえなと思い直し、剣エピ入れて追加。

しかしまあ、最後は結局リリっていうね。

可愛い、っていうね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 邪悪なる支配者、酒場に降臨す 前編


ここからはソーマ・ファミリア絡みのお話。

なお、カヌゥ君は人生がルナティック・エクストラ・クレイジー・DMC・ハードモードに突入しています。
詳しくは次回。

仕方ないね。リリに(原作で)意地悪したから仕方ないね。



カイトとリリルカがギルド前の広場に戻ってくると、辺りは夕陽に照らされ橙の中にあった。

 

「少し早かったかな?」

 

カイトは周囲を見渡すも、例の約束した少年の姿はない。

 

「どうでしょう……取り敢えずベンチにでも座って待ちましょうか」

 

リリルカはそう言いながらベンチに腰掛けると、ふう、と一息吐いた。

 

「まさか、半日足らずで二万ヴァリスを超えるとは思いませんでした」

 

二人の初冒険、その成果は、二万六千ヴァリスという色々と常識外れな結果となった。

 

「何、前半の階層を無視して、十階層に篭ればもっといけるさ」

 

「前半の階層とかないですから。普通初めては行っても二階層までですから」

 

あと、十階層はレベル1が一人で長時間稼ぐ場所じゃないですから。

 

「それと、もし先程の換金所でのようなことをしたら、リリはもう二度とカイト様とは冒険しません!」

 

語尾が強い。

私は怒っているんです。そんな感じだ。

 

「悪かったよ、リリ。二度としない、約束だ」

 

カイトはただ謝るのみ。

 

 

 

話の元は換金所での一幕。

手に入れた二万六千ヴァリスを、まず、カイトは二等分した。

ここまでは、リリルカも黙って見ていた。

 

「よし、あの少年に渡しても三千残るな」

 

その台詞に、割と本気でリリルカはキレた。

 

「バカにしてるんですか!! 何のためにリリが一緒に行ったと思ってるんですか!?」

 

これではただの施しだ、と。

一緒に冒険して、目的だって共有して、だからパーティーなんだと。

 

「あのカヌゥ達だって、共通の目的があってパーティーを組んでいるんです! それともカイト様は、そんなものリリとの間には不要だとお考えなのですか!!」

 

その言葉を受けたカイトは、リリルカが初めて見る表情を浮かべた。

 

まるで捨てられた子犬みたいに心細げな、泣き出しそうな顔だった。

 

「…………ごめん」

 

なんとなく居たたまれなくなって、リリルカはカイトの手から金を奪うと、一万一千ヴァリス抜いてから等分した。

 

「完治に一万ヴァリスかかるような薬が必要なら、あの子のお姉様は相応に消耗されているはずです。一千ヴァリスあれば、二人分の温かい食べ物を用意できます」

 

リリルカとカイトの手元には、それぞれ七千五百ヴァリスが残る。

 

「……お約束通り、そのお金でリリに晩ご飯を奢ってください。その、大丈夫ですカイト様。リリはこんなことで、カイト様を嫌いになったりはしません」

 

そっと、所在なさげなカイトの右手に触れた。

 

「考えてみれば、カイト様が世間と大分ズレていることは今更な話です。知らないのであれば、リリが教えて差し上げます」

 

笑って見せる。

 

「大丈夫ですよ」

 

もう一度そう言うと、カイトはその日の内で一番柔らかな、安心したような笑顔になった。

 

「うん、わかった、ありがとう」

 

 

 

それから、広場までの道すがら、どれだけカイトの振るまいが常識と外れているか、リリルカの説教は続いた。

 

「カイト様、そもそもイタズラに人様を傷付けてはいけません」

 

「……殺してない」

 

「カイト様、それは暴力を受ける側からすれば微細な差なのです」

 

「……じゃあ」

 

「カイト様」

 

「ごめんなさい」

 

その様はまるで、飼い主と項垂れる犬のようにも見えた。

 

ちょっと可愛いじゃないか、そんなことをほんの少し考えてしまったリリルカは、カイトに見えないようにクスリと笑った。

 

 

 

「あの子のお姉様、元気になると良いですね」

 

何度も頭を下げながら去っていく少年サポーターの姿を見ながら、リリルカは言った。

 

「そうだな、家族だもんな」

 

カイトも珍しく優しい言葉を口にした。

 

「……さ、リリ達も行きましょう。お腹がペコペコです」

 

「ああ、どこか旨い店は知ってるか?」

 

「では、豊饒の女主人はいかがでしょうか」

 

「……知らないな」

 

「リリも行ったことはありませんが、いつか、冒険した帰りに寄ってみたいと思っていました」

 

ちょっとした夢なんです。と、照れたように笑うリリルカに、

 

「よし、それじゃあそこに行こうか」

 

カイトも笑って応じる。

 

 

思えばこの時、別の店で済ませておけば、リリルカはあんな目に合わずに済んだ。

今更、どうしようもないことではあったが。

 

─────────────────────

 

豊饒の女主人──それは、オラリオにいる多くの冒険者達にとっての憩いの場である。

少々値は張るが、上質の料理に酒、気っ風の良い女将に見目麗しい店員達。

どんな荒くれ者も、ここでは口論以上の問題は起こそうとしない──多少の例外はあるが──、まさに冒険者の店である。

 

「いらっしゃいませニャ!」

 

キャットピープルのウェイトレスに案内されて、カイト達はカウンターに並んで座った。

 

「取り敢えず何か飲み物を……酒はいい」

 

「果実酒を二人分(・・・)下さい。それと、お薦めをお願いします。ああ、こちらの人の注文は無視して下さい」

 

「かしこまりましたニャ! こちら、果実酒二つ、お薦め二つニャ!」

 

どうやら、ウェイトレスはリリルカの注文を優先したらしい。

 

「カイト様、ここは酒場です。まずはお酒というのが作法です」

 

「……俺は下戸なんだ」

 

「果実酒一杯で酔う冒険者なんていません」

 

「マジなんだ」

 

「リリのお酒が飲めないってんですか?」

 

「……いえ、すみません」

 

「よろしい」

 

何やらテンションの高いリリルカに、カイトは逆らうことを止めた。

 

「ムフーッ」

 

鼻息が荒い。

本当に夢だったのだろう。

 

「お待たせニャ!」

 

ウェイトレスが二人分の酒とツマミを持ってくる。

透明なジョッキに、爽やかなオレンジ色の液体が並々と注がれている。

小皿にはナッツの類いが盛り合わせで乗っている。

 

「では乾杯しましょう!」

 

掲げられたジョッキにの向こうに、笑顔のリリルカがいる。

カイトも覚悟を決めると、ジョッキを合わせた。

 

………

……

 

「美味しいですねぇ、カイト様!!」

 

「あい」

 

「お料理も最高です!!」

 

「あい」

 

「さあさあ、もっと飲みましょう!!」

 

「うぇあぁぁ」

 

「飲めー!!」

 

「これこれ、無理させちゃいかんよ、おちびちゃん」

 

果実酒一杯で呂律の回らなくなったカイトを攻め立てるリリルカに、カウンターの向こう側から声が掛かった。

 

「人には向き不向きってのがあるもんさ」

 

そこには、この店の女将であるミア・グランドがいた。ドワーフの立派な体躯は、カウンター越しにも力強さを感じさせる。

 

「ま、そこの若いのは確かにちょっと情けないけどね」

 

快活な笑みを浮かべながら、ミアは水の入ったグラスをカイトの前に置いた。

 

「むぅ、確かにお弱いです。まさかこれほどとは」

 

「これから徐々に慣らしてきゃ良いのさ。酒なんて、そんなもんだ」

 

「うぇいぃ」

 

水を啜りながら、カイトも同意したように頷く。

 

「仕方ありません、お酒はこの辺で勘弁してあげましょう」

 

「おぉう」

 

「もう、カイト様ったら、だらしないですよ?」

 

「おまいう」

 

「あ゛?」

 

「うみまえん……」

 

「おやおや、あんた達、冒険者のカップルかい? 年若いのに、楽しくやってるじゃないか」

 

カップル、という言葉に、リリルカの耳がサッと赤くなった。

いやいや、お酒のせいだこれは。

だってこんなん、いやいやいや。

 

「ち、ちがっ」

 

「はっはっは! なんだい、まだだったかい? そいつは悪いことをしたねぇ」

 

ゆっくりしてきな、そう言い残して、ミアは厨房へと消えた。

 

「リィリ?」

 

多少はマシになったカイトが、どうしたのかと尋ねてくる。

が、リリルカはぷい、と横を向いてしまう。

どうにも顔が合わせづらい雰囲気だったのだ。

 

──顔を背けた先に、男が立っていた。

こちらを見ながら、口元を抑え、今にも笑い出しそうな顔をした男が。

 

長身、金髪、文句なしの美形。

ただし、どこか違和感のある。

 

リリルカは何となく、そこにいる男からカヌゥ達と同じような陰湿さを感じた。

 

「何やってんのお前、ぎゃはははは!!」

 

ついに堪えきれなくなったのか、笑いながらこちらへ向かってくる男を見て、リリルカは自分の感じた違和感の正体がわかった。

 

(ああ、きっと──)

 

酒の回り始めた頭で、思う。

 

(この人、悪い人だ(・・・・))

 

 





感想返しでも書きましたが、カイトの剣は形状で言えばハッピーターンが一番近いです。
あれの片側が平らに揃えられていて、柄が出ているのがカイトの剣です。


色々と似てると言われましたが、まあそんなこともあるか位でやっていきます。
オリジナルでも書くときは気を付けよう、と教訓にしつつ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話 邪悪なる支配者、酒場に降臨す 後編

結局のところ、類は友を呼ぶというお話。


ある意味喜劇だ。と思った。

 

「ぎゃはははは!」

 

エルフにさえ見劣りしないような美丈夫が、その口を歪めて大笑いしている。

野性味さえ感じさせる男は、さぞ色街では浮き名を馳せることだろう。

 

だが、

 

「くっくっく、ぶっひゃひゃひゃひゃ!」

 

だが、醜悪だ。

笑い様一つで、彼がマトモではないことがわかる。

こんな相手は初めてだと、リリルカは思った。

 

「ま、さ、か、カイトが女連れで酒場に来るなんてなぁ! は、腹がいてぇ!!」

 

笑っている理由は大したものでもない癖に、まるで悪巧みが成功したことを喜ぶ悪党にしか見えない。

 

そんな男が、リリルカの横に腰を下ろす。

 

「かーのじょ、何、コイツとはどこまで行ってるの?」

 

ゴトリ、と、持っていた槍をカウンターに立て掛けると、男はイキナリブッ込んできた。

 

「……冒険者様、私はただのサポーターです。今日はこちらの方のご厚意で、食事をご馳走になっているだけです」

 

務めて冷静に、リリルカは答えた。

悪い人間だというのはわかる。しかしその度合いがわからなかった。

慎重にならざるを得ない。

 

「おいおい、警戒すんなって。確かに俺は見ての通りの色男でワイルド、おまけにミステリアスで天才だが、ツレの女に手は出さねえさ」

 

ツレ、と言うのが、未だグラスをチビチビやりながら復帰を試みているカイトであると悟るのに、時間はかからなかった。

 

「カイト様の、お知り合いですか?」

 

このチンピラ レベル2が?

 

「そ。昔馴染みってやつ? 戦友と言っても良い」

 

終始嫌らしい笑みで話続ける男が?

 

 

──いざとなれば、癖は強いが仲間もいる。

 

 

カイトが昼間、言っていた仲間が?

 

(癖が強いって言うか、癖そのものじゃないですか! どういう交遊関係を持ってるんですかカイト様!?)

 

賭けても良い。

カイトに加えてこんなのとダンジョンに潜ったら、まず間違いなくリリルカは胃がネジ切れて死ぬ。

 

だというのに、男は締めの言葉にとんでもない爆弾を投下してきた。

 

「五日前からソーマ・ファミリアの団長(・・・・・・・・・・・・)やってる、セイル・アーティだ。よろしくな、リリルカ・アーデ(・・・・・・・・)

 

口端がつり上がる。白い歯と、真っ赤な舌が見えた。

 

「こそ泥稼業は順調かい? 我が団員よ」

 

リリルカの時間は、凍りついたように止まった。

知らぬうちに、肩が震えだす。

 

「おいおい、おいおいおーい、ビビんなって。俺がたかだか手癖が悪いくらいで、なんかする人間に見えんのか?」

 

見える。

殺されるだけならまだ平和的だと思えるようなことを、実際やったことがあるように見える。

カイトは言葉のチョイスが悪く、相手に誤解を与えるが、こいつは意図的にそれをやっている。

そう確信した。

 

「は、あはは……」

 

リリルカの口から笑いが漏れた。

 

道理で、今日は恵まれ過ぎていたはずだ。

楽しかったはずだ。

嬉しかったはずなのだ。

 

(こんな振り返しがあるなら、当然じゃないですか)

 

何を勘違いしていたのか。

自分はただの小悪党だ。

より大きな悪に、搾取されるだけの存在に過ぎないのだ。

 

あんなにも明るい道を、誰かと歩いてしまったから。

勘違いをしてしまったのだ。

 

(なんで、どうして、リリは……)

 

涙が溢れ出てくる。

 

「セイル」

 

俯こうとしたリリルカの耳に、カイトの声が届いた。

 

「──すぞ」

 

振り向くと、ウェイトレスから水のお代わりをもらっているカイトの姿があった。

 

グラスの中の水を一気に煽ると、椅子から立ち上がったカイトはキッとセイルを睨み付けた。

周囲の冒険者達が、何事かと注目する。

 

……何人かのウェイトレスは、ワクワクしたような視線を向けていた。

 

「リィリぬにゃんはいらら、ろろすぞ」

 

キリッとした表情とは裏腹に、酷くもの悲しくなる光景だった。

 

「はぁん? 何ですかぁ?」

 

セイルの聞く人間の神経を、須らく逆撫でするような声。

 

「……みう」

 

通りかかった美しいエルフのウェイトレスに、空になったグラスを差し出すカイト。

 

「どうぞ」

 

直ぐ様並々と注がれたそれを、一息に飲み干して、再度口を開く。

 

「──こいつに触るな」

 

手を伸ばし、肩を抱き寄せる。

 

「今日からリリは、俺の家族だ」

 

観客達が、一斉に沸き上がった。

銀髪と獣人のウェイトレスが、きゃあきゃあ言いながら見ている。目がキラキラだ。

 

「ぅっ……!? ぉ?……ぴっ!?!?!?………………オソラキレイ」

 

なお、爆心地にいたリリルカは、静かに現実から飛び立とうとしていた。

 

 

─────────────────────

 

「よーし、落ち着いたかぁ、アーデ?」

 

一頻りの騒ぎが収まったあと、相変わらず居座ったままのセイルが口を開く。

 

「…………リリはもう、生きてゆかれません」

 

顔を抑えたまま、リリはカウンターに突っ伏していた。

 

「……むふん」

 

同じくカウンターに伏したカイトから、気持ち悪い呻きが漏れる。

こちらはリリルカと違い、完全に潰れていた。

 

なんのことはない。先程エルフのウェイトレスがグラスに注いだのは、偶々手に持っていたドワーフ謹製の蒸留酒だったのだ。

ショットグラス一杯で大の大人を酩酊させる高濃度のアルコールながら、スッキリとした飲み心地でファンも多い。

 

つまり、下戸に飲ませて良いものではない。

 

酒の勢いで一瞬舞い戻った凛々しさは、発言の五秒後には言った本人を夢の世界へと旅立たせた。

 

「まあ気にすんなよ。こいつにとって自分の側にいて欲しいヤツはみんな家族なのさ」

 

頼んだ麦酒を飲みながら、セイルは続ける。

 

「戦場にいた頃からそうさ。この街じゃ多分、主神の他はお前だけだろうしな」

 

それに、こいつは言葉選びが下手だから。

 

ぎゃはは、と笑う様子は、多少さっきよりはマシな人間に見えた。

 

「あ、それともホントに家族になっちゃう? 結婚式でカヌゥ達に裸踊りさせてやろう」

 

見えただけだった。

 

「……結構です、団長様。それより、リリに何のご用でしょうか?」

 

僅かに顔を上げ、陰鬱とした目でセイルを見た。

 

「リリは、ペナルティを受けるのでしょうか?」

 

それこそが、リリルカの最大の懸念。

もうカイトと、冒険に行くことはできないのだろうか、という。

 

「え、まさかぁ」

 

ニヤニヤとしながら、勝手にナッツを噛み砕きながら、セイルは言った。

 

「おめえがカイトのツレじゃなきゃ、今頃は身ぐるみ剥いで娼館行きだよ?」

 

でも、こいつに唾つけられてちゃなぁ、とため息。

 

「ケンカになったら、俺負けちゃうし」

 

その言い様を、信用するしかない。

いざとなったら、カイトに助けを求めてみよう。

先程の言葉が嘘でなければ、きっと守ってくれるはずだ。

 

目の前の男よりは、遥かに分のある賭けだった。

 

………

……

 

セイルは残った麦酒を飲み干して、通り掛かったウェイトレスにグラスを渡す。

先程と同じ、エルフのウェイトレスだった。

 

「ハイ、彼女。澄んだ瞳だね、何て名前なの?」

 

「ご注文をどうぞ、お客様」

 

冷淡な、そう表現して差し支えない抑揚でウェイトレスは返事を返した。会話する気はない、と言外に告げていた。

 

「じゃあ、美しい君の髪と同じ色の酒を」

 

「……かしこまりました」

 

去っていくウェイトレスの後ろ姿を見送りながら、セイルはリリルカに話し掛けた。

 

「彼女はリュー・リオンって言うんだ。あのナリで、レベル4の元冒険者なんだぜ?」

 

「……凄腕じゃないですか。って言うか、知ってるなら名前なんて聞かなければ良いじゃないですか」

 

「バカか」

 

わかってないね、という言い方。

 

(うざい)

 

リリルカは反射的にそう思った。

 

「情報として知っていることと、直接あの小さな唇から零れ出る音として聞くのじゃ、価値は雲泥の差じゃねえか。女の名前は特に」

 

「お待たせしました」

 

ウェイトレス……リューが酒を持ってやって来た。

 

「良い色だ。君には及ばないが、良いブドウ酒だ」

 

「酒と比べられて、喜ぶ女はおりません」

 

そこでリューは、瞳を細め、睨むようにセイルを見た。

 

「どこかで、お会いしましたか?」

 

ヒヤリと、リリルカの背中に走るものがあった。僅かな殺気、それが目の前のウェイトレスから発されている。

 

「まさか! 君との出逢い(そんな奇蹟)があったなら、俺は空だって駆け上がってみせるさ」

 

「……私の名前と、経歴をどこで?」

 

「隠れたモノを探すのは得意なのさ。それが美女絡みなら尚更にね」

 

セイルに話す気が無いことを察したのか、リューは向けていた殺気を静かに収めた。

 

「もしも──」

 

「俺が君の過去を吹聴して、傷付けると? そんなことするくらいなら、君に逢いに何度でもここに来るさ。よっぽど健全で、前向きだ」

 

「軽薄ですね。最低だ」

 

リューは断じた。

これで話は終わりだと、立ち去ろうとする。

 

「その軽さが癖になる」

 

背中に向けて、セイルは言った。

 

「また来るよ。その時の最初の一杯は、これと同じブドウ酒で」

 

グラスを掲げるが、リューは止まることなく厨房へ入ってしまう。

 

「……見たか?」

 

殺気から解放され、安堵の息を吐いたリリルカは、心底呆れたようにファミリアの団長を睨む。

 

「何がですか?」

 

「俺のことを、気になって仕方ないって風だった。ありゃ、次はいの一番に俺のとこに来るね」

 

「全く相手にされていないようでしたが?」

 

「冷たく突き放して、ろくに相手をしなくても、自分になびいてくる相手にゃ情を持っちまうのがリュー・リオンって女さ」

 

ブドウ酒で口を濡らして、セイルは笑った。

 

「だから無愛想でも、ここじゃ人気がある。友達も美人揃いときてる」

 

やたら詳しい分析に、リリルカはうすら寒いモノを覚えた。

 

「暇潰しには、最高だぜ」

 

だってこの男はゲスだから。

カヌゥ達とは比べ物にならない程上位に位置する、邪悪な存在だから。

人を不幸にすることに、躊躇いを覚えない人間だから。

 

 

夕陽は完全に落ち、月が壇上に上がる。

 

「団長様は、どうやってその地位に?」

 

未だ目覚めぬカイトを待ちがてら、リリルカは質問を口にした。

 

「話すと短くなるが、まあいい。酒の肴になる程度には、愉快にしてやろう」

 

セイルは次の酒を頼みながら、取り出した紙巻き煙草に火を着ける。

立ち上る紫煙は、ホールの客を見下ろすように登っていき、解けるように消えていった。

 

 

──────────────────第一章 了




一方その頃

カヌゥはカツアゲ未遂の罰ゲームとして、セイルからノリと力づくで発せられた『ゴブリン一万匹倒すまで帰れまてぇん』に明け暮れていた。

逃げた場合、男色の上位冒険者達で彼の身体が競りにかけられることになっているため、必至だった。


3か月後、後に『ゴブリンおじさん』の二つ名を戴くレベル2の冒険者が誕生する。

超レアスキル、≪ゴブリンと一緒(マイ・フェア・ゴブリン)≫を発現し、ゴブリン以外からは経験値を取得できなくなった彼は、駆け出し冒険者たちの教導役として、その生涯を終える。

さすがの団長も、ドン引きだったという。



─────────────────────
カイト編、ちょっとお休み!
この話、オリキャラ複数いるんで、それぞれにスポット当てながら進みます。

20160127追記

気にされてる方がいらっしゃいましたが、セイルは分類的にはギャグ世界寄りのキャラです。

カイトはギャグシリアスが半々です。

なので、変にヘイトを集めるようなことはしないつもりです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章 ゲスとエルフと小人と昔話
第15話 陽だまりのような嵐


セイルくんのお話です。

ゲスだ胸糞だと言われてますが、まあ、その辺りのお話。


ギルド前で他の四人と別れたセイルは、エイナからもらった冊子をしまうと、目的の場所に向けて歩き出した。

 

ソーマ・ファミリア──そこが目的の場所だった。

 

下界に降臨し、その神威を封じられてなお、神酒(ソーマ)を造り出す酒造りの神。

 

セイルは多くの人を笑顔にしたかった。

幸せにしたかった。

その中で笑っていたかった。

 

だから、匠の酒造りから技術を学び──

 

 

「ちょ、ちょ、ちょ」

 

聞いていたリリルカの待ったが入る。

 

「いきなり盛らないでください。そこ変わったら着地点までブレるじゃないですか」

 

「えー、感動のサクセスストーリーだったのにぃ」

 

「そう言う演出はいいんです。なんなら要点だけでも構いません」

 

「ファミリア入った、ザニス君ボコった、団長就任」

 

「……ああもう、大体理解出来た自分が嫌になります」

 

カイトの戦友と言うのなら、どうせこの男も非常識な強さを持っているのだろう。

リリルカはボヤきながら、二杯目の果実酒に口をつける。

一緒に頼んだドライフルーツと、実に相性が良い。

 

「前団長様は、今どうしているのですか?」

 

「使い込みかましてたからな。恩恵剥奪した上で、イシュタル・ファミリアんとこで向こう三十年は下働き」

 

「エグい」

 

と言うか、

 

「イシュタル・ファミリアと親交が?」

 

この男の容姿ならさぞ持て囃されただろうが、それはそれで危険だ。

あそこはアマゾネスの支配地域なのだから。

 

「団長以外なら、美人揃いの良いトコだよ。まあ、結局主神が一番良い女だけどな、あそこは」

 

「……よく魅了されませんでしたね」

 

そうして、帰ってこなくなる男が何人いたことか。

 

「スキルのお陰でな。俺にゃ神の支配が効かないのさ」

 

「──は?」

 

何やら、凄いことを言われた気がした。

 

無神論者(アンビリーバー)っての。ステイタス更新を含めた、あらゆる神からの干渉を無効化出来るわけよ」

 

通り掛かったリューに、再度ブドウ酒を頼むと、セイルはリリルカのドライフルーツに手を伸ばした。

 

リリルカにぺし、と手を叩かれても止めず、皿の中を鷲掴みに拐っていく。

 

「調べたが、過去例があった。そいつは神って存在を生物進化の発展系と定義して、神性存在の解明を目指してたらしい。要は、そう言う生き物だって(神秘を否定)することに、躍起になってたのさ」

 

バレて狩り殺されたらしいけど、と、フルーツを咀嚼しながら言う。

 

「団長様も、神秘の否定を?」

 

どうでもいいかな、そんなこと(・・・・・・・・ ・・・・・)

 

持ってこられたブドウ酒を受け取ると、セイルは声を潜めて続けた。

 

「所詮、ちょっと痛めつければ(・・・・・・・・・・)、泣いて命乞いする連中だ」

 

目を見開いたリリルカに笑いながら、

 

「俺の人生に干渉するには、少々役者不足さ」

 

赤い口腔が覗く笑みは、まるで悪魔のようだとリリルカは思った。

 

「……昔色々あって、俺は大の神嫌いでね」

 

 

──だから、眷属に興味のない神こそが理想だった。

 

 

セイルがソーマ・ファミリアを選んだのは、単にそれが理由だった。

 

「人間が治めてる猿山なんざ、やり方次第でどうとでもなる。面倒くせえことに、この街で生きてくにゃ『神の恩恵』だけは必須だ。だから俺には、ソーマ・ファミリアこそが最高だったのさ」

 

わかるだろ? という言葉が、嫌でもリリルカには理解出来た。

眷属と関わろうとせず、ひたすら酒造りに没頭する趣味神、ソーマ。

そのファミリアは、団長だったザニスによって歪んだ利益を産むための集団へと変えられてしまった。

 

だからこそ、自分はあのファミリアを抜けるために、あらゆる手を使って金を貯めていたのだ。

 

小悪党の巣窟となった、人と()による支配が行われるあの場所は、さぞやこの男にとっての楽園になっただろう。

 

「今後、あのファミリアは生まれ変わる。良くも悪くも、今までの面影なんざ残さない」

 

「わからないことがあります。神嫌いのあなたが、どうしてこの街に?」

 

リリルカの疑問に、セイルは事も無げに答えた。

 

「ツレが行くって言ったからな。こんな世間知らず一人で行かせたら、現地の皆様にご迷惑だろうよ」

 

「その割に、カイト様は初めてお会いしたときから一人でしたが?」

 

「今まで散々助けられてきたから、こっからは一人でやりたいんだと。俺らも自分のねぐらが必要だったしで、一旦解散にしたわけ」

 

「っていうか、リリは結構苦労したんですが。主にこの人の振る舞いや、非常識さに」

 

「いいじゃん、生きてんだし」

 

ははん、と笑い、酒を煽るセイル。

 

カイトが仲間と言うくらいだ。何処かに信頼する要素があるのだろう……今は微塵も見えないが。

リリルカの印象は、愉快犯的で残酷、そしてゲス。

遊びで人を傷付けて、それを笑える人間だ。

 

だが、時折妙な顔をする。

出会ったときにしていたような嘲笑とは違う、極々普通と言って良い、ただの笑顔を浮かべることがあるのだ。

 

その顔がどうしようもない違和感として、リリルカの中に残った。

 

「他に……あなたの目的はないのですか?」

 

「秘密♪」

 

つまりはある(・・)と言うことか。

 

「……今更ですが、カイト様と戦友とおっしゃっていましたよね? お二人はどこか戦地にいらしたんですか?」

 

「あれ? 聞いてないの?」

 

意外そうにセイルは言う。

 

「マルネシアとラグウェルの十年戦争さ。こっちでも、話の種くらいにゃなっただろ?」

 

「あの小国同士の紛争ですか……確か、今年が十一年目でしたね」

 

記憶を辿るように、リリルカは思い出す。

ごくたまに、そうした話題を聞いたことがあった。

両国共に林檎の産地で、利権を巡った諍いが絶えないことで有名だった。

 

「いや、もうほとんど終わってる。今は後腐れがねえように、残党狩りの真っ最中だろうぜ」

 

セイルは片手に持ったグラスを振って見せる。

無言で次のブドウ酒を持ってきたリューが、空きグラスを回収していく。

 

「そこで六年間、同じ小隊だったのさ」

 

「……つまりカイト様は、九歳頃から戦場に?」

 

であれば、あの非常識さにも頷ける。実力も、内面も、だ。

 

「うんにゃ、こいつは開戦からずっとだから、足掛け十年だよ。五歳から戦場に立ってんの」

 

「はぁっ!?」

 

「貴重だぜ? なんせ、百人も残ってない最古参だからな」

 

んー、旨い。

飽きもせずブドウ酒を傾けるセイルに、リリルカは言葉を失った。

 

(五歳!? いやむしろ、なんで生きてるんですか? おかしいでしょうが色々と!)

 

「ま、そんなわけで、お前が思ってる以上にこいつはヤバくてキレてる」

 

リリルカは言葉が出ない。

話が本当だとするならば、カイトは、生身でレベル2の冒険者を倒せるような実力を身に付けるまで、一体どれほどの経験をしたというのか。

 

脳裏に掘り起こされる記憶は、最初に出会った路地裏。

竜巻のような暴力を振るう、冷たい目をした少年。

 

そして食堂。

思ったよりも普通に話す、ぎこちない笑顔の少年。

 

今日。

よく笑う。楽しそうに、嬉しそうに。

自分を守った頼もしい背中に、肩を抱いてくれた暖かい手の少年。

 

その全てが、人生の大半を戦争で育った、カイト・アルバトスという存在の上に乗っている。

 

「……理解が追い付かねえか?」

 

セイルはリリルカを見ていた。

リリルカは気付かない。今、自分が見られているということにさえ。

 

 

ただ、涙が流れていた。

 

 

だって、あんなに笑っていたのだ。

 

自分を励ましてくれた。

 

守って、心配してくれた。

 

今日は間違いなく、リリルカ・アーデの人生にとって最良の……陽だまりのような時間だったのだ。

 

ならば間違いなく、リリルカを照らしていた陽はカイトそのものだった。

 

その暖かさの裏側に、想像も出来ない暴風が吹き荒れていたのに。

 

 

『……殺してない』

 

 

リリルカに叱られるカイトが言った言葉の、本当の重さに。

 

 

『もう二度と、何かを切り捨てる生き方はしたくない』

 

 

その言葉の意味するところに。

 

「……なんにも、気付きませんでしたよぅ」

 

千切れそうな声だった。

ただカイトは、手段はどうあれリリルカに優しかった。

偶然知り合っただけのこそ泥の、名前を呼んでくれた。

間違えていたけれど、大声で呼んでくれた。

 

「い、一緒に冒険しようって、言って、くれたのに!」

 

「助けて、くれる、って!」

 

「怪我したら、嫌だって!」

 

「何度、も、守って、くれて!」

 

「こんなリリを、家族だっ、て!」

 

嗚咽が止まらない。

涙が、堰を切ったように溢れ出てくる。

 

「何も知ろうとしなかった、リリを!」

 

顔を覆ってしまったリリルカに、何事かと店内の視線が集まる。

 

「あ゛ぁん?」

 

が、セイルが睨み付けると一瞬で散ってしまった。

一目でヤバいとわかる目付きだった。

 

「どうして──!?」

 

「……お前は、まず間違いなく恵まれて無い側で生きてきた癖に、優しいんだなぁ」

 

「よげいなおぜわでず!」

 

鼻水が垂れ下がり、ぐしゃぐしゃになった顔をこする。

 

「……使って下さい」

 

さっとリューが、おしぼりを差し出して来た。

受け取って顔を拭う。

 

「君も優しいね」

 

セイルが声を掛けるが、

 

「死ね」

 

素っ気なさ過ぎる返しだった。

 

「え? 愛してる?」

 

しかしセイルは懲りなかった。

 

「腐れ死ね」

 

ちょっと死に方に注文がついた。

 

「あっはっはっ、そんなに警戒すんなよぉ。心配しなくても、君やそのお友達には何もしやしないって」

 

「僅かでもそんな素振りを見せてみろ。生まれてきたことを後悔させてやる」

 

「え? 抱いて?」

 

恐らくは苛立ちに、肩を震わせながらリューは離れていった。

 

「照れ屋だな」

 

「死ねばよろしいのに」

 

復活したリリルカまでもが、ジト目でセイルを見つめていた。

 

「さて、どうやらなんも知らねえみたいだし、何なら昔話でもしようか?」

 

しかしセイルはどこ吹く風だ。

 

「……それは」

 

「賭けてもいいが、こいつはどうせ、戦場にいた、殺した、以上のことは言わねえよ?」

 

だって、自分がどんな具合にイカれてるのかわかってねえんだもん。

 

酒のせいか、随分と柔らかくなった笑みを見せる。

 

「………………聞かせてください。リリは、知っておきたいです」

 

ずび、と鼻をすする。

 

「でないと、リリにはこの人の横にいる資格もありません」

 

赤く腫らした目は、真っ直ぐにセイルを見た。

 

「お願いします」

 

「ああ、良いぜ。長くなる。何か食いながら話そうか」

 

先程から、警戒心を露わにしてセイル達の給仕を一手に行っているリューが、非常に不機嫌そうな顔で近付いてきた。

 

「ご注文は?」

 

「君の好きなものを」

 

「…………かしこまりました」

 

ああ、なんとなく、この人とは話が合いそうな気がする。

リリルカはそう思った。

 




多分恩恵受けるシーンを書くことはないので。

セイル・アーティ
種族:ヒューマン

レベル1

力 :I0
耐久 :I0
器用 :I0
敏捷 :I0
魔力 :I0

対人 :F

≪魔法≫
雷乗り(サンダライズ)
・速攻魔法。

≪スキル≫
無神論者(アンビリーバー)
・ステイタス自動更新(ただし減少もする)を獲得。
・種族:神から発生するあらゆる干渉を無効化する。



さあ、頑張って過去編行ってみよう!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話 命を乞う少年

過去編。

マルネシアはもう出ないと言ったな。

あれは嘘だ。

しかし辛い。
完全オリストでドシリアスでリリがいない。
主に三つ目の理由で辛すぎる。

ここを越えたら、ついに白兎さんが出せる!
つまり、原作編スタート!

悲報、い ま さ ら


ラグウェルの方が大国に近い。

それが全ての発端だった。

 

マルネシアは山一つ挟んだ隣国だが、そのせいで何年もの間、大国への輸出の際、関税をラグウェルに支払い続けていた。

 

このことは二国間の最大の課題として燻る火種だった。

 

ある日、マルネシアで林檎の品種改良に成功した。

林檎は両国の特産だが、関税のせいでマルネシア産の方が値が高い。

品質で差を付けることは、必須だった。

 

「この林檎を、両国の共有財産としよう」

 

一部関税の撤廃を条件に、ラグウェルはそう提案した。

 

撤廃される関税に、林檎は含まれていなかった。

 

拒否を表明したマルネシアの外交大臣は、帰国途中で賊に襲われ命を落とした。

ここまでは、事故であったと言われている。

 

自国内でのことに、ラグウェルは陳謝と共に見舞金を贈る。

 

マルネシアはこれに対し、関税に関する交渉継続のため再度、今度は王子を使者に立てて大規模な護衛と共にラグウェルへ派遣。

関所の役人は、彼らの荷を確認した際に林檎を発見する。

 

先の外交大臣が関税に対し否定的であったことを知る役人は、マルネシアに良い感情を持っていなかった。

また、大国との交易で利益を挙げるラグウェルは、隣国よりも格が高いという考えもあった。

 

「税を払え。例え王への貢ぎ物であっても、条約は守っていただく」

 

……少し考えればわかることだ。

何故ラグウェルが、マルネシアの品種改良した林檎に対し、関税撤廃まで掲げて共有の意思を見せたのか。

 

自分達が懇意にしている大国が、それを求めたからに他ならない。

だから、自国内でもそれが生産できるようにしなければならなかった。

 

何故、撤廃する関税の中に、林檎が含まれていなかったのか。

 

大国にとってラグウェルは、特段懇意でもなんでもない、ただの取引先に過ぎなかったからだ。

新しい林檎を提供出来なければ、彼らはすぐにでもマルネシアとの直輸入ルートを開拓するだろう。

そしてその際に発生する関税を、懇意にさせてもらっている(・・・・・・・・・)ラグウェルは徴収することが出来ない。

丸損だった。

 

わかりきっているから、林檎は関税撤廃リストから外された。

わかりきっているから、外交大臣は断った。

 

後は、お互いの持ち寄った条件をどう擦り合わせるかの問題だったのだ。

 

だが、関所の役人はわかっていなかった。

 

「使者ならば見逃して貰えると思っていたのか?」

 

致命的に。

自国内で、他国の重役が殺されることのマズささえ。

 

「まるで物乞いだな」

 

見下した笑みを浮かべたまま、役人の首は宙に舞った。

 

この後、十年にも及ぶ『林檎戦争』の始まりであった。

 

………

……

 

やたらと殺しの上手いガキがいる。

セイルがそのような噂を聞いたのは、十四歳の半ばを過ぎた頃だった。

 

国力で劣るマルネシアは、徴兵年齢の引き下げは元より、奴隷でさえも戦線へ投入していた。

それは開戦と同時に行われ、倫理観などかなぐり捨てた、なりふり構わない選択だった。

 

歴史的に見ても、マルネシアは常にラグウェルの属国として扱われてきた。

 

それが史上初めて、武力による反意を示した。

 

敗けた後にどうなるかなど、大抵の国民が理解していた。

 

セイルはそうした国風の中、志願兵として十二歳から戦場に立っていた。

一緒に志願した友達はもうほとんど残っていない。

それに思うところはない。みんな望んだ結果だ。

 

とは言え、率先して死にたいと言うわけでもない。

 

自分より年下で、かつ戦果を挙げている子供。

これから先を戦っていくために、何か得られるものがあるかもしれない。

そんな思い付きのもと、セイルは噂の人物に会いに来ていた。

 

「……なんだこれ」

 

国境際で起こった小規模な小競り合いは、二日で終了していた。

自身の所属する中隊を脱け出したセイルは、先程まで最前線だった場所に立っていた。

 

辺りには、両軍の死体が転がっている。

百は届かない程度。小競り合いだ、こんなものだろう、と思ったセイルは、違和感に気付く。

 

「ラグウェルの死体、多くないか?」

 

見渡す限り、七分三分で敵国側の被害が多かった。

 

「いつからうちは、こんなに強くなったんだ?」

 

有り余る兵の数に質が追い付かないまま、早四年が過ぎようとしている。

 

非人道的、子殺し、救いなき軍、悪し様に言われる自国軍だが、一つだけ無縁の評価があった。

 

強い、ということだ。

 

「そんなに戦力差はなかったはずだけど……ん?」

 

少し離れた所で、何かが動いた。

 

残党か? と槍を構えたセイルが見ると、折り重なった死体の下から、子供が這い出て来た。

 

少年兵であるセイルよりもなお若い。いや、もはや幼いと言っていい外見だった。

真っ黒な髪に血色の悪そうな肌。

 

初めセイルは、新種のゴブリンでも出たのかと思った。

 

「君……迷い混んだのか?」

 

槍の穂先を上げながら、セイルはその少年に歩み寄る。

 

少年が一息に間合いを詰めて、赤茶色の剣を振るってきたのは直後だった。

 

「うおっ!」

 

慌ててその一撃を槍で受ける。

所詮は子供の一撃であり、然したる衝撃もない。

 

が、次の瞬間、剣は刃先を下に向けて降り下ろされた。

向かう先は、槍を握るセイルの左手、その指だ。

 

「お、おい!?」

 

槍を手放すか、突き放すか、迷う間もなくセイルは大きく後ろへ飛び退った。

 

直前までセイルの足があった場所に、短剣が突き刺さった。いつの間にか取り出されたそれは、少年の右手に握られていた。

 

小さな身体が地を這うほど低く伏せられている。

 

突き放そうとしたりしていれば、空振りしたあげく足を止められていた。

 

(こんな子供が? 随分と手慣れたハメ方じゃないか)

 

辺りを見渡すと幾人かの死体には共通点があった。

 

武器を持っていない。いや、持てなくなっている。

指の欠損、引き切られたような手首、膝に突き立ったナイフ……そして、ぐしゃぐしゃに泣きわめいた死に顔。

 

(そりゃ痛いし、恐いよなぁ。あんな錆びた(・・・)刃で切られたり、関節抉られたりするんだ。武器も持てなくなって、動けなくされて……)

 

少年が手にした武器は、赤茶色の錆が至るところに浮かんでいた。

ろくに研ぎもしていないのだろう。まるでノコギリのようだった。

 

(なるほどね……この少年が噂の殺し上手か)

 

合点がいったセイルは、その場に槍を捨てる。

 

「止めよう。()はマルネシアの兵士だ。君の友軍だよ」

 

笑って見せたセイルに、少年は訝しむような目を向けると、

 

「そうなの?」

 

それだけ聞いた。

 

「そうだよ。君に会いに来たんだ」

 

「ふぅん」

 

少年は剣を収める。

ギャリギャリと、耳障りな音が鞘から響いた。

 

「ああ、首を集めに来たんだね。もう少しだから、待ってて」

 

襟元から手作りと思しき笛を取り出すと、大きく息を吸い込んで吹いた。

不安定な、しかし大きな音が辺りに響き渡る。

 

「……でも、珍しいね。いつもなら、首持って本営まで来いって言うのにさ」

 

「……いや、君に会いに来たんだって」

 

「? だから、会って首を回収しに来たんだよね?」

 

すぐ来るよ、そう言って少年は辺りを見回している。

 

「君、名前は?」

 

「カイト」

 

「今の戦いで、何人殺した?」

 

「さあ……十人以上は数えてないよ」

 

大戦果だった。

 

「正規兵じゃないよな? どこの所属だい?」

 

「戦奴第七小隊」

 

──ああ、じゃあ君は、自由を勝ち取るために殺しているのか。

 

口から出かかった言葉を止める。

いくらなんでも、友軍の、それも子供に言う言葉ではない。

 

「戦争奴隷は確か、小隊長クラスで二つの首を獲れば、解放されるよね。それを目指しているのかい?」

 

つまり、常識的に言えば無理だと言うことだ。

 

「よくわかんない。首一つでパン一個。十で小隊みんな分のパンとスープになるから」

 

「……はあ?」

 

訳がわからなかった。

少なくとも、一つの戦場で十も殺せば、昇進から除隊まで選択肢には事欠かない。

それが、パン? スープ?

 

「それ、誰が決めてんの?」

 

「……飼い主。名前は知らない」

 

「へえ」

 

セイルは初めて、友軍に殺意を覚えた。

こんな子供を戦場に立たせて、ろくな武器も与えないで、大の大人でも挙げられないような戦果に対して、まるで足りていない報奨。

 

確かにマルネシアは今、汚い戦争をしている。

人の命を湯水のように焼けた鉄にぶちまけて、戦線を維持している。

 

だが、だからこそ……

 

(守られるべきものはあるはずた。軍として最低限の規律はせめて)

 

小さな足音が幾つも聞こえてくる。

周囲には、子供の群れが集まっていた。

 

それこそカイトより幼い少女や、セイル位の少年もいる。

皆、死んだ目で、手には切り取ったと思しき生首を携えて。

 

「カイトくん、集めてきた」

 

そう言って首を差し出してくる。その手は傷だらけで、濁り固まった血に塗れていた。

 

「カイト、全部で十六個ある」

 

「カイトさん、こっちにはなかったよ」

 

ああ、その言葉を止めてくれ。

まるで悪夢だ。

 

例え圧倒的戦力差による虐殺が起こった戦場でも、こんな地獄は拝めない。

 

子供が、食べるために死体を漁っている。

首を切り落とし、運んでいる。

 

「こんなのって、ないだろ」

 

「ねえ」

 

カイトの呼び掛けに、セイルの肩が震えた。

 

「これでいい? 出来れば食べ物貰いに、陣地へ帰りたいんだけど」

 

「……わかった、一緒に来てくれ」

 

もはや取り繕うことも出来ず、セイルは目の前の子供たちに怯えていた。

興味本意でこんなところへ来てしまった自分を殺してやりたいとさえ思った。

 

「すまん」

 

セイルの口から、押し出されたような言葉が漏れた。

 

何が?(・・・)

 

それ以上の言葉など、用意できるはずもないのに。

ましてや聞き返されても、何も言うことなど出来はしないのに。

 

「……すまん」

 

まるで自分の中にあったマトモな部分を吐き出すかのように、セイルは繰り返した。

 

─────────────────────

 

「ちょっと」

 

酒で赤らんだ頬の上にジト目を浮かべて、リリルカが言った。

 

「盛りました?」

 

「え? まさか、真実百パーセントでお送りしております。このお話はノンフィクションです。ヤラセなどは一切ございません」

 

セイルはグラスに残った酒を飲み干して、二本目の煙草に火を着けた。

 

「団長様が『僕』とか? ハッ」

 

鼻で笑っちゃいますね、と言わんばかりの反応だった。

 

「そう思われませんか?」

 

お代わりのブドウ酒を持ってきたリューに尋ねる。

 

「虫酸が走りますね。誰も誉めてくれないからと、美化はよろしくない。聞いていて寒気を堪えきれませんでした」

 

さらっと毒を吐きながら、リューは離れていった。

 

「おいおい、()にだって、純粋な時代があったんだよ? 明日を信じ、希望に燃える少年時代がさ」

 

「うわっ、今、リリの身体に悪寒が走りました! 温かい飲み物下さい!」

 

「どうぞ…………お客様、当店ではそのような悪質で猥褻的な会話はお控えください」

 

「こらこらこら、人の青春時代を捕まえて猥褻とはなんだね」

 

「気色悪いです」

 

「え? キスして?」

 

「死ね」

 

短い言葉を残し、リューは去っていった。

 

「……まあ、それで色々あってな。あいつの飼い主を俺がぶっ殺したせいで、俺まで戦争奴隷落ちよ」

 

どうにもそうした人物が、目の前にいる男と同一とは思えず、リリルカは熱い茶を啜りながら考える。

 

「……ん? じゃあそれから六年間、最前線に?」

 

「おう。何せ満足に武器も無いとこだったからな。作戦も悪辣過ぎるって程煮詰めてよ。こいつが殺して、俺がケツ拭き。その連続だった」

 

懐かしむように、セイルは煙を吐き出した。

 

「ああ、その六年間で歪んだんですね」

 

「歪んだんじゃねえ。あの戦争で必要とされる考えを身に付けたのさ」

 

「……その事については、リリには何も言えません。リリは、戦争を経験してはいませんから」

 

「まあまあ、結構上手く回ってたんだぜ? 何せ、戦果だけは挙げてたからな。待遇だって、そこらの正規兵よか上にしてやった」

 

でもなぁ、と、灰皿に灰を落としながら言う。

 

「どんどんガキが増えるから、こいつ最後まで奴隷身分を捨てなかったんだよ。面倒見なきゃってよ」

 

赤ら顔で眠り続けるカイトを見ながら、

 

「多分まだ、こいつは普通に戻れた。殺しを止めて、戦場から離れて、羊飼いでもやってりゃな」

 

何かを悔いるように、セイルは続ける。

 

連中(・・)さえ来なけりゃ、そうなってた」

 

「連中?」

 

「ここじゃお馴染みだろうが」

 

ジリジリと、煙草が燃え進む音がする。

 

「神とそのファミリアが、来やがったのさ」

 

 




長い!

リリがちょっとしか出ない!

過去編は次で終わり!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話 ヒトからの逸脱

今話には残酷な表現が普段よりマシマシになっております。閲覧の際にはご注意を。






─────────────────────
「我々は悪しき者達に振るわれるべき鉄槌」
「我々は生きとし生ける清らかな命達の木陰」
「我々は秩序であり、戒律であり、故に自由を縛るだろう」

「代わりに正義を成そう」

「悪を縛り、縋る人々を守るため、鉄槌を振り降ろそう」

「我が前での一切の悪行を、断罪しよう」

マルネシア・ラグウェル国境線
ユースティティア・ファミリア主神
ユースティティアの宣言より


「ユースティティア・ファミリア、連中はそう名乗った」

 

知ってる? セイルの視線に、リリルカは首を振った。

 

「そう。この街から来たらしいんだけどね」

 

湯気の立つシチューに手をつけながら、セイルは反対側を振り返った。

 

「君はどう?」

 

そこに立つリューは、話しかけるなというオーラを全開にしつつ、口を開いた。

 

「確か、三年前までオラリオの探索系、中級ファミリアに属していたはずです。主神のユースティティア様は、正義を重んじ不正を許さぬ、厳格な方であったかと」

 

戦争の悲劇を止めるため、ギルドの制止を振り切って戦地に向かった、そのようなファミリアだったと。

 

「そうそう。そんな感じだった」

 

あんがと、と言う感謝は甲斐なく無視される。

 

「そんなバカ(・・)に率いられたマヌケ共がな、三年前のある日突然、戦場のど真ん中に乗り込んできて、好き勝手宣言した後、敵国のラグウェルについた」

 

その言葉に、リリルカは軽い驚きを浮かべる。

中級ファミリアと言うことは、レベル4か3の冒険者を筆頭に、数十人規模の集団であったはずだ。

 

素直に、よくセイル達は無事だったな、というのが感想だった。

 

「締めの言葉は、『咎無き幼子を戦場に立たせ、イタズラに出血を強いる悪を、私は許さない』……だったかな? それを聞いたマルネシアの連中は皆思ったもんさ」

 

何をいまさら(・・・・・・)──と。

 

「そうして戦闘は始まった。俺達は慌てて戦場から逃げ出したよ」

 

酷いもんだった、と語るセイルの横顔は、その日の光景を思い出しているようだった。

 

………

……

 

「セイル! 皆をまとめて退却してくれ!!」

 

カイトの声には焦りがあった。

 

「アホか! あんなんに遅滞戦闘なんて無理に決まってんだろ! 命令なんざ無視してお前も逃げるんだよ!!」

 

一方でセイルも、小細工の弄しようがない平野での圧倒的不利な戦況に、早々に見切りをつけていた。

 

「だか、それじゃ後で──」

 

「その命令を出したヤツなら、さっきエルフの魔法で天幕ごと吹き飛ばされたよ! 急げ! こっちの軍は数だけは多いんだ、一歩先に逃げねえと、どっかで列が詰まって捕まるぞ!」

 

既に確保してあったぼろ馬車に、小隊員である子供達を乗せ込み、後はカイトだけという状況だった。

 

「……わかった」

 

カイトも分の悪さは理解していたのか、最後は素直に従った。

 

 

ガタゴトと揺れる馬車は、乗り心地こそ悪いがそこそこの速度で街道から外れた裏道を走行していた。

 

十二歳となったカイトは、逞しさを宿した腕で黒剣を抱え、考え込むようにうつ向いていた。

 

「……なあ、セイル」

 

「あぁ?」

 

「よくわからないな」

 

煙草に火を着けようとしていたセイルは、怪訝な顔で御者台から振り返った。

 

「何が?」

 

「あいつらの言ってたことさ」

 

取り出した銅製の火種入れから、煙草に火を着ける。

吐き出した煙は後ろへ流れた。荷台に座る子供達から迷惑そうな視線がセイルに向けられた。

 

「お、ワリイ」

 

言いながら、煙草を外に放る。

 

「で、何が?」

 

「……俺達は悪いことをしているのか?」

 

余りにも予想外だったその言葉に、セイルはマジマジとカイトを見た。

 

「何、拾い食いでもしたの?」

 

「真面目な話だ」

 

「お前こそ、何様だよ」

 

薄ら笑いを浮かべたセイルは、遠慮なく教えてやることにした。

初めて会ったときに感じた恐怖はもうない。

この三年で、カイトと言う少年がいかにポンコツで、子供であるかを知った。

 

自分とて、もう少年兵ではない。

この子供だらけの部隊で、残酷であることに徹する必要性を、誰より理解していた。

 

「パンと人の命を交換してた奴が、今さら善悪論議か? 薄ら寒いんだよ。お前にゃそんなことで思い悩む権利なんてねえんだ」

 

「でも、あいつは神だって」

 

「ああ、あの女か? 中々見ない美人だったな。胸が良い。キツめの目付きがクールだった」

 

「神が、俺達を悪だって」

 

「娼館にいたら買うね。マジにいくならパスだわ。重そう」

 

「なら、俺が今まで殺してきたのは──」

 

「関係あるかよ」

 

遮って、セイルは続けた。

 

「戦場で殺すことに、善悪なんて関係あるか」

 

カイトは顔を挙げ、不安げな目でセイルを見た。

 

「お前のそれはな、ただの同情乞いだよ」

 

突き放すように、セイルは敢えて言葉を選んだ。

 

「今まで考えなしにぶっ殺しまくってきた僕は、可愛そうなんですって。善悪なんて考えたこともなくて、ただ必死なだけだったんですって、よ」

 

そして笑う。

心底相手をバカにしたように、この三年でだいぶ板についてきた笑みを浮かべてやる。

 

「だから、僕を責めないで(・・・・・・・)って」

 

「ち、が……」

 

「悪いことしたなんて欠片も感じてねえくせに、てめえは何様だっつってんだよ」

 

今度こそカイトは黙り込み、そのまま逃げ切った友軍と合流するまで、馬車の中で口を開くものは誰もいなかった。

 

………

……

 

「うわ」

 

リリルカの引いた声。

 

「子供に言う台詞じゃないですね」

 

「やはり外道」

 

酒を注ぎにきたリューと合わせて、ジト目をセイルに向けている。

 

「誤解だ」

 

空になったシチューの皿をリューに渡しながら、セイルは心外だ、と言わんばかりに首を降振る。

 

「こいつはな、あのとき無自覚に許してもらおうとしたのさ」

 

注いでもらったブドウ酒を煽り、さらに続ける。

 

「もしも俺が神父なら──」

 

「「嫌すぎる」」

 

「なにその連携……ともかく、俺が聖職者なら、それは間違った行為じゃなかった。精々励まして、優しく諭して、残りの人生を償いと懺悔にあてることを訥々と説いてやっただろうさ」

 

「「エグい」」

 

「仲良くない!?」

 

苦笑を漏らしつつ、

 

「お前は悪いことをしている。気付いたのなら、そう言われたのなら、もう止めろ。そう言って欲しかったんだよ」

 

続けられた言葉に、リリルカは疑問を感じる。

 

「何故、言ってあげなかったのですか?」

 

その言葉があれば、カイトは止まれたかも知れないのに。

セイルの言う、マトモになれたかもしれないのに。

 

「必要になったからだ。こいつが、戦況打開の為に」

 

二杯目のシチューをかき混ぜながら。

 

「連中が出張ってきた初戦で、こいつはレベル1を三人殺してる」

 

「っ!?」

 

「お陰で俺たち方面への追撃はほとんど無かった。単独で恩恵持ちを殺れる存在がいると知れたから、一般兵がビビったのさ」

 

だから、と。

 

「投入ドコさえ間違わなけりゃ、こいつは鬼札になり得た。必然的に、今、戦いから離す訳にはいかなかった」

 

「……にわかには信じ難い。戦い慣れているとはいえ、子供が冒険者を?」

 

何時の間にやら、リリルカの脇に立つようになったリューが漏らす。

 

「四、五人規模で、数の多い格下を中心に戦ってきた弊害だろうな。直線的に命を狙ってくるモンスターとは違う。高効率に痛みを与えてくる熟練者は、さぞやり辛かったんだろうよ」

 

そいつらの死に様も、これまでのやつらと同じだった。

 

セイルの言葉にリューは戦慄を禁じ得なかった。

 

今見ても少年と言っていい男が、更に幼い頃、レベル1とは言え冒険者を殺害するなど。

異常と言っても過言ではない。

 

一方でリリルカは、どこか納得していた。

路地裏でもそうだった。

後ろから襲い掛かっておきながら、その剣は一人の急所ではなく、二人を同時に斬れる軌道で振られていた。

殺すつもりが無かったにせよ、相当の深手を与えていたのだ。

 

慣れていたからだ。

一撃で倒せないことを前提にした戦い方だったのだ。

彼は痛みの与え方を知っていた、この街に来る、はるか前から。

 

「こいつは殺し続けた。マトは恩恵持ち。低レベルなら、俺含め戦闘担当四人で掛かれば、倍の数までは何とかなった」

 

「なんと非常識な……」

 

「そう言うなよ。いつもギリギリの戦いだったんだぜ?」

 

ブドウ酒のグラスが空く。

リューが何も言わずに次を注いだ。

 

「ありがと」

 

「いえ、別に」

 

「ちょっとは信用してくれた?」

 

「あり得ません」

 

「照れちゃって」

 

「……ちっ」

 

「え? 揉んで?」

 

「殺すぞ」

 

怖っ。リリルカは素直にそう思った。

 

「で、だ。そんな状況なもんで、こいつはいつまで経っても殺しから離れられない。神の語ったガキみたいな善悪論に縋りたくなるくらいだ」

 

くつくつと笑いながら、セイルの回想は続いた。

 

「決壊すんのに、時間は掛からなかった──」

 

………

……

 

「カイト!? カイトでしょ!?」

 

冒険者で組まれた偵察隊を撹乱、分断し奇襲をかける。

恩恵持ちと対峙するために、セイルの編み出した戦術を、その日もいつものようにこなしていた。

 

セイル、リロイ、キリカ、カイトが前衛。

後衛、支援は無し。

いつも通りだ。

 

「どうしてこんなところに……! でも、無事で良かった」

 

誤算というべきか、奇跡というべきか。

襲った中に、カイトの同郷がいた。

 

「私よ、覚えてる!? 隣に住んでいたじゃない!」

 

しかも向こうは、カイトのことを覚えていた。

奇跡的な光景だった。

相手の女は、泣き笑いを浮かべながらカイトへと歩み寄る。

 

「村が焼かれた日、オラリオの親戚の所へ行っていたの……でも、皆のことを忘れた時はなかったわ!」

 

真に迫る、感情で溢れた声。

きっと、女の語る話は真実なのだろう、と思わせた。

 

「え?」

 

呆けたようなカイトの声。

 

しかし、振り降ろされる剣の勢いは普段と何も変わらなかった。

 

「あ」

 

女は涙で濡れた表情を僅かも変えることなく、頭頂部から腹部までを両断された。

 

静寂が辺りを包む。

たった今まで、この場には奇跡に対する感動と驚嘆、僅かな緊張があった。

 

戦場にもこんな物語があるのだという、奇妙な高揚。

 

それが、一気に消え去った。

 

「あ、あ、あ、あ……間違えた」

 

だからそう呟いたカイトが剣を構え直して、次の相手に向かっていくことを、誰もが見送ってしまった。

 

「どうしよう」

 

二人目の脳漿が、地面にブチまけられた。

 

「間違えた」

 

三人目、我に帰って武器を構えるも、その武器を持つ手を瞬く間に破壊され、蹲った所で首を跳ねられる。

 

「間違えた、間違えた、間違えた、間違えた」

 

抑揚の無い声は途切れることがない。

四人目は構えた盾が壊れるまで剣で叩かれた後、心臓を突き殺される。

 

「……リロイ、俺と右をやれ。キリカはカイトの援護。切り替えは俺が指示する。皆殺しにするまで足を止めるな」

 

残る冒険者は五人。

 

ようやくその全員が臨戦態勢を整える中、セイルの指示の下、戦奴達が動き始めた。

 

 

 

「間違えたんだ、セイル」

 

戦闘後、カイトは言い訳するように言った。

 

「まさか」

 

「同じ村の人がいるなんて思わなかった」

 

「間違えたんだよ」

 

「俺は、殺すつもりなんてなかった」

 

「だってそうじゃないか」

 

「今まで俺に戦場で、あんな風に近付いてくる人なんていなかった」

 

「どうして良いかわからなかったんだ!」

 

「間違えたんだ。剣は、使わなくてもよかったんだ」

 

「そんなの、知らなかった」

 

顔面を返り血で真っ赤にして、カイトは泣いていた。

涙の通り道だけ、肌の色が露出する。

 

「俺は、悪いことをしたのか!?」

 

「それさえわからないんだ!!」

 

「うるせえ」

 

セイルは取り出した煙草に火を着けた。

腹立たしいことに、風も無いのにその火は震えていた。

 

本質的なところで何一つ変われていない自分を殺したかった。

 

「ああ、そうだよ」

 

「お前は悪いことをしたんだ」

 

「今までだってそうだ」

 

「殺されたコイツらからすりゃあ、お前は紛れもない悪魔そのものだろうよ」

 

だからなんだ(・・・・・・)

 

「言っただろうが」

 

「何様のつもりだ」

 

「てめえこの前、同情で引いた野郎をぶっ殺したろうが」

 

「その時と今の、何が違えってんだ!」

 

「少しばかり高尚な教えを聞いたくらいで、わかったような後悔並べやがって」

 

「間違えただぁ? なら教えてやる」

 

「大正解だよ」

 

「お前は何一つ間違っちゃいねえ」

 

「戦場で、武器も構えずマヌケ晒してるカスの顔を、二目と見れねえザマにしてやるのがお前の仕事だ」

 

「そうやってお前は、今まで生きてきたんだろうが」

 

半分まで灰になっていた煙草を一息に吸いきり、思い切り空へ向かって吐き出す。

 

「だからあのガキ共は、今まで生きて来れたんだろうがよ」

 

「投げ出すんじゃねえ」

 

「それが、戦場(ここ)で生きてるヤツの、責任だ」

 

しばらく、セイルとカイトは見つめ合った。

 

「……そうか、俺は、悪いヤツなのか」

 

「そうだよ」

 

「マトモじゃ無いんだな」

 

「今さら抜かすな」

 

「これからもそうなのかな」

 

「……全部終わって、お互い生きてたら、その辺は俺がどうにかしてやる」

 

「どうやって?」

 

「知るか」

 

あまりな言い草だったが、カイトは何かに納得するように頷いた。

 

「そうか」

 

大半が赤く塗り潰された顔で、やけに澄んだ目で──

 

「じゃあ、頑張ろう」

 

そう言った。

 

痛々しいまでの、純粋な言葉だった。

 

唐突に、セイルは神という存在がわからなくなった。

救いを口に、したことは戦場を引っ掻き回して多くの人死にを出しただけ。

 

地上に降りてきて、その神威の殆どを封じられてなお、不変の影響力を持つ神。

それに従う人間達。

 

そんな連中が関わったせいで、今、自分は大切な戦友が残していた最後の人間性を摘み取らなければいけなくなった。

 

戦いを止めたいという、善性を。

 

わからなかった。

 

何しに来たんだ、あいつらは。

 

戦争を終わらせたい。

そんな、戦場にいる人間なら当たり前に持っている感情を、これ見よがしに振りかざし。

 

今、戦友はこのザマだ。

 

しばらく考えた後セイルに残ったのは、半ば八つ当たりに等しい、神への怒りだった。

 

………

……

 

「それからな、こいつは俺が口出しする必要もないくらいエゲつなくなった」

 

三枚目のシチュー皿を空にし終えると、セイルはリリルカ達を見た。

 

「続ける?」

 

リリルカの顔色は悪かった。

どうやら、戦場での光景を想像してしまったらしい。

 

リューは戸惑うように二人を見る。

こんな時に限って、忙しさの素になる冒険者の客は控えめだ。

しばらくは手が足りなくなるようなこともない。

 

やたら飲み食いするセイルは、初来店で既に上客扱いだ。店主であるミアからも、そいつらに着いてろ、というアイコンタクトが飛んできている。

 

「……話をお願いしたのはリリです。最後まで、聞きます」

 

酔いも覚めきった顔で、リリルカは真っ直ぐセイルを見た。

 

考えあぐねているうちに、リリルカが結論してしまう。

リューは、まんまと立ち去る機会を失ってしまった。

 

「まあ、こっからは細かく聞かせるような内容じゃねえし、いいけどな」

 

流石に満腹となったのか、セイルは追加注文をすることなく、再び話し始めた。

終わりは、近付いていた。

 

………

……

 

「拷問をやろう」

 

ある時、何度目かになるかわからない冒険者との戦闘の後、カイトはそう言った。

 

ユースティティア・ファミリアが戦場に現れて、一年が経とうとしていた。

その間、優に百は下らない冒険者を殺してきた。

 

だが、一向にその数は減らない。

むしろ増えている。

 

ユースティティアが、ラグウェルの民を眷属として迎え入れていることは明白だった。

 

「もう二度と、戦えないようになるまで痛めつけよう。最後は背中の恩恵だけ残して、皮を剥ぎ取ってから返してやるんだ」

 

出会ってからの四年で、大分背の延びたセイルを見上げるように、カイトは言った。

 

「戦意を挫く気か?」

 

「そうだ。ファミリアなんかに入らなければ、こう(・・)はならないってことを教えてやる。そうすれば、無駄な戦死者も減る」

 

あの日から、カイトは変わった。

元々の容赦の無さがより凶暴性を増し、残酷であることに躊躇いを覚えなくなった。

 

少なくとも以前のように、善悪を基準にしたがる傾向は全く見られない。

 

「こいつらの神は戦争を止めに来たんだ。ファミリアがその手伝いをするなら、きっと喜ぶよ」

 

セイルはカイトの言葉の真意が読めなくなっていた。

まるでヒトガタの何かと、言葉を交わしているような気分になる。

 

だが、目をそらすことは出来なかった。

そうしたのは、自分であることを知っていたから。

 

「……わかった。それは俺とキリカでやる。お前はリロイと、ガキ共んとこでメシでも喰ってろ」

 

「そう、じゃあ頼んだ。行こう、リロイ」

 

二人が夜営地に向かい去っていくのを見送ると、残ったセイルとキリカは彼女達(・・・)を見た。

 

「ひっ!」

 

「た、助けてください!」

 

カイトと同い年位の女と、それより幼い少女は、身を寄せ合って言った。

自分の身に何が起ころうとしているか、知ってしまったためだろう。

 

むしろ、自分達以外の死体となった仲間を、羨ましいとさえ思っているのかもしれない。

 

「ポーションは持ってる?」

 

そんな彼女達に、セイルは尋ねる。

 

「あ、あります、差し上げますから──」

 

「なら」

 

目の前にしゃがみこみ、視線を合わせる。

 

「最低限自分の足で歩けるようになってもらって」

 

ニコリと笑う。

 

それ以外全部(・・・・・・)、ここに置いていこうか?」

 

絶望を、その口から吐き出した。

 

 

そうして、戦奴第七小隊は地獄を作り始めた。

 

遭遇した冒険者は可能な限り生かされたまま無力化(・・・)され、ラグウェルへと帰還させる。

自らの足で、列を成し、国へと向かうその様は、『赤坊主の行進』と呼ばれ恐れられた。

 

初めはただ恐怖と、復讐心を煽るだけだったその行為は、一年もしないうちに別の変化をラグウェルの人々にもたらした。

 

──神などいるから、同胞がこんな目に……

 

上級冒険者であるファミリア中枢戦力は無傷で残っていた故に、その考えはより強く燃え上がった。

 

ユースティティア・ファミリアは救いに来たはずの国で、居場所を失いつつあった。

 

………

……

 

「あとは簡単。完全に求心力を失い、ろくに補給もままらなくなったところを、本隊の精鋭と協力して囲い込んで狩り殺した」

 

リリルカは顔を伏せ、懸命に最後まで、話を聞き遂げた。

 

「軽蔑は俺に向けろ。こいつをそうしたのは間違いなく俺だ」

 

だがな、と、

 

「出来ればこいつのこと、頼まれちゃくれねえかな」

 

「俺や他の連中じゃ駄目なのさ」

 

「壊れそうなのを知ってて、戦わせた」

 

「壊れてるのを知ってて、戦わせた」

 

「人を殺させたんだよ」

 

「そんな連中をこいつは、家族と呼ぶんだ」

 

「他にそういう存在を知らねえから」

 

セイルは長身を折り曲げて、リリルカに頭を下げた。

 

「多分、お前やこいつの主神が初めてなんだ。血の臭いがしない、身内ってやつは」

 

リューの息を呑む気配が伝わってくる。

 

「リリルカ・アーデ、礼はしよう。無理の無い範囲で構わない。カイトを見てやっちゃ、くれねえか?」

 

頭を上げ、リリルカを見据えるセイルの目は、かつて自分を『僕』と呼んでいた頃の、青臭さの残る熱が込められていた。

 

「…………リリは」

 

そんなセイルに対し、青い顔のまま、リリルカは口を開く。

 

「リリは、家族がいません」

 

泣きたいのに泣けない、そんな表情のまま。

 

「誰も助けてくれませんでした。虐げられ、搾取されることが人生のほとんどでした」

 

記憶を反芻するように言葉を噤み、一度大きく息を吸う。

 

「カイト様は、そんなリリを助けてやるって言いました。守ってくれると。それは、本心からの言葉だったと思われますか?」

 

問い。セイルは速やかに答えを口にした。

 

「違うな。そうすることが、自分がマトモになるために必要だと思ったからだ。知り合いになれたお前の、気を引こうとしたんだろうな」

 

そうですか、と、リリルカはため息を吐いた。

 

「では、致し方ありませんね」

 

断言に、横にいたリューは思わずリリルカを見る。

 

「仕方ないので、お付き合いいたしましょう(・・・・・・・・・・・・)

 

「リリが面倒を見て差し上げます」

 

「例え偽善でも、救われる者はいます」

 

「リリがそうです」

 

「カイト様は今日一日で、不幸の中に埋もれてしまっていたリリを見つけ出し、初めて一緒に、陽だまりを歩いて下さいました」

 

「何度も守ってくれました」

 

「カッコ良かったんですよ?」

 

最後には、リリルカの顔に笑顔が戻っていた。

 

 

 

気を惹かれてしまった(・・・・・・・・・・)よしみです。カイト様のことは、リリにお任せ下さい」

 

 

 

呆気にとられる、そんな久方ぶりの体験に、セイルは吹き出る笑いを堪えきれなかった。

 

「くっはっはっはっ!!!! よぅし、任せた!!」

 

仲間達が見れば驚愕を隠せないほどに、セイルは心からの純粋な笑いを浮かべていた。

店内の客やウェイトレス達が、その笑い声に振り返っている。

 

「祝いの日だ! リュー、酒をくれ!」

 

「かしこまりました」

 

反射的に従ってしまい、ブドウ酒を注ぐリューは、自分に向けられる好奇の視線に気付いた。

 

「………………」

 

同僚であり親友の、銀髪のウェイトレスが瞳を輝かせてこちらを見ていた。

 

リューに春が来た、瞳はそう言っていた。

 

「リューに春が来た」

 

実際言いやがった。

 

「シル、言っておきますがこれは──」

 

「へい、そこの銀髪の彼女! こっちで一緒に楽しまない!?」

 

高まるテンションのままに騒ぐセイルの言葉が、ささくれ立ったリューの心を逆撫でする。

 

「死ねっ!!」

 

高速の肘鉄は、綺麗にセイルの顎を打ち抜いた。

 

「へぶちっ!」

 

空中二回転捻りを決めながら床に顔面着地したセイルを見て、リリルカも笑った。

 

ああ、早くこの人も、目を覚ませば良いのに。

 

そんなことを考えながら。




長かった……
前書きにまで侵食するシリアスなど糞くらえだ!

今回は表現とか展開を、一切加減せずに考えていたまま書いてみました。
もう、こんな無茶はしない!

細かい箇所などは、その内直すかもしれません。
何分長いので、どっかで不整合出てないか不安で 


最後に一言。

来いよ、エルフ連合! 武器なんて捨ててかかってこい!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18話 お酒の勢いって怖いの


今更ですが、タグにあるリリカワとは、

『リリ可愛いよリリ可愛い』

の略です。

挨拶や接続詞、文頭から文末まで、あらゆるところに使えます。

意外と知らない人が多そうですよね(笑)


「あたまいたい」

 

フラフラと、月明かりの下を歩く人影がある。

 

「すごくねむい」

 

鈍そうな話し方をするその少年はカイトだ。

 

「そりゃあ、あんなに強いお酒を一息に空けたら、そうもなりますって」

 

その横を、大きなバックパックを背負う小さな人影が寄り添うように歩いている。

 

「ダメですよカイト様。お酒は飲んでも呑まれるなというのが大人の嗜みなのです」

 

赤く火照った顔で、得意気に説教する少女はリリルカだった。

 

「リリがのま……すいません」

 

言いかけてカイトは、とても良い笑顔のリリルカを見て謝った。

 

「ねえ、カイト様?」

 

「うん?」

 

「リリは、カイト様にとってどういう存在ですか?」

 

「う……」

 

「カイト様?」

 

「家族……だと思ってる、俺が勝手に」

 

非常に言いにくそうに、カイトは言った。

 

「まだお会いしたばかりのリリを、ですか?」

 

「そういうことを、考えたことはないんだ。俺のとこにいてくれるなら、みんな家族さ」

 

平淡な声で。

しかし、控え目な笑みで。

 

ああ、やはり。

彼は無理して(・・・・)笑っている。

聞くまでは気付かなかった。

 

感情の起伏はあるのだろう。趣味嗜好だってあるだろうし、それを楽しむこともできる。

 

しかし、今のリリルカはカイトの笑みに言い表せない拙さを感じた。

 

(……まるで何度も練習したような、必死に身に付けようとしたような)

 

セイルは戦いの後、カイトに『マトモ』な人間としての生き方を教えたという。

 

考え方、話し方、笑い方さえ。

カイトは教えてもらわなければ、わからなかったのだ。

 

今だって必死に、そう在ろうとしている。

 

「カイト様、世には様々な関係があります」

 

そして、懸命にそれを、リリルカに悟らせないようにしている。

そんな様子が──

 

「家族以外にも、友達や恋人、好敵手、商売敵……」

 

マトモである、とは、どういうことか。

セイルからの問いに、カイトは考えた後こう答えたという。

 

 

『優しい人……優しく出来る人』

 

 

それこそが、カイト・アルバトスにとっての目指すべき理想。

 

「大丈夫です。お優しいカイト様なら、きっとたくさんの関係に恵まれることでしょう……リリだってその一人です」

 

殺戮にまみれた人生で、何度かは向けられたことのあるその感情に、カイトはとても憧れていた。

 

いつか、自分もいつかは、と。

 

「リリはカイト様にとって、最初のお友達になれたらと思っています」

 

 

『一応女を知らねえ訳じゃねえが、こいつが家族と呼んでる連中にそう言う感情持つことは無いよ』

 

脳裏に甦る、ゲスな笑み。

 

『定石通り、まずはお友達から(・・・・・・・・)始めてみるのが吉だろうな、ぶっひゃっひゃ!』

 

 

やむを得まい。

あの笑い方は心底苛ついたがやむを得まい。

 

「カイト様はお嫌ですか? リリとお友達になることは」

 

「まさか……! すごく嬉しいよ。本当だ」

 

どういう顔をしていいか、迷ったのか。

心底、といった風な声の後、遅れて口が笑みを浮かべた。

 

そのちぐはぐな様子が──

 

「可愛い」

 

「え?」

 

「では、今日からリリとカイト様はお友達です」

 

十五年の人生における最高硬度を発揮したリリルカの精神は、咄嗟の発言を完全に流れから抹消して会話を続けることを成功させた。

 

「え、今」

 

「カイト様は明日もダンジョンに?」

 

成功させた。

 

「うーん? あ、多分」

 

「では、またあの広場でお会いしましょう。お昼前くらいからでいかがですか?」

 

「……わかった」

 

「今度は、きちんと計画的に探索しますから、ね?」

 

むしろそうしないとブッ殺す。

そんな穏やかな目付きだった。

 

「あ、ハイ」

 

そんなやり取りをしつつ、差し掛かった三叉路の真ん中で、リリルカは立ち止まった。

 

「それではカイト様、リリはこちらですので」

 

バックパックを背負い直すと、リリルカは笑顔でカイトへ言った。

 

「また、明日」

 

その少年が、言われたこともない言葉を。

 

「……ああ! また明日!!」

 

嬉しそうな声、ぎこちない笑み。

 

背中を向けて歩き出すリリルカの耳に、もうひとつカイトの言葉が飛び込んできた。

 

「俺はリリの方が可愛いと思う!!!!」

 

「ぶはっ」

 

今、あの少年がどんな顔をしているのか、非常に興味が湧いた。

湧いたがしかし、振り返ることは出来ない。

 

とてもじゃないが今の自分の顔こそが、誰かに見せられるようなものじゃないからだ。

 

「カイト様のばかあぁぁぁぁ!!」

 

仕方なくリリルカは、自身の泊まる安宿まで、全力疾走するしかなくなったのである。

 

 

────────────────────

 

「おかえりっ! 怪我してないかい? カイト君」

 

ホームへ帰ると、ヘスティアが待ちわびたように出迎えた。

 

「ただいま、神ヘスティア。怪我は……大したことありません」

 

ポーションで浅くなった、インプの噛み傷が僅かに残るだけ。

無傷と言って良いレベルだ。

 

「おいおい、無茶だけはしないでくれよ? 君がいなくなってしまったら、ボクは盛大に泣くぞ?」

 

少しばかり眉根にシワを寄せ、カイトの腕を掴みつつ言った。

 

「無茶はしません。明日も、その……友達のサポーターと一緒に潜ります」

 

友達、というフレーズにヘスティアの肩がピクリと動いた。

 

「ほうっ! 友達が出来たのかい!?」

 

なんとめでたい。

少年のこれまでを思えば、この街で新たに繋いだ絆はまさしく、彼の目指す『マトモ』な人生への大きな前進に思えた。

 

「どんな子だい?」

 

教会地下の隠し部屋で、ヘスティアはベッドに腰を降ろすとポンポン、と自分の横を叩いた。

 

「ステイタスの更新でもしながら、その辺をゆっくり聞こうじゃないか」

 

ただし、女だったら暴れる。

そんな内心を秘めつつも、ヘスティアはニコニコと笑った。

 

ステイタス更新開始三秒で、うがーっ、と言う主神の叫びがホームに響いた。

 

………

……

 

(お、おぅ…………)

 

更新されたカイトのステイタスを見ながら、ヘスティアはそう呻いた。

 

 

力 :I0 ➡ 58

耐久 :I0 ➡ 85

器用 :I0 ➡ 30

敏捷 :I0 ➡ 55

魔力 :I0 ➡ 0

 

 

些か伸びすぎだが、こういうこともあるのかもしれない。

何せ初めてできた眷属だ。

イマイチ勝手がわからない。

 

前回同様、問題はその続きであった。

 

 

対人 :C

 

≪魔法≫

 

≪スキル≫

戦場の流儀(ウォードレス)

・対多数戦闘時に各ステイタス上昇補正。

・追い詰められるほど効果上昇。

・庇護対象が親しいほど(・・・・・)効果上昇。

・敵対対象を殺害するたびに効果上昇。

 

 

(スキルの内容が、変わってるんですけど)

 

「神ヘスティア? どうかしましたか?」

 

カイトの伺うような問い掛けに、我に返る。

 

「な、何でもないよ! それよりも、そのリリルカ某とはどこまでいったんだい?」

 

強引に話の方向を変える。

そもそも、最初の主題はそれだ。

 

自分の初めての眷属に、悪い虫がついたのではないか。

それこそが最大の関心事である。

 

「どこまで?」

 

一方カイトは、質問の意図が読めず、ただ思い付くままに言ってしまう。

 

「ダンジョンだったら、十階層まで行きました」

 

「はあぁぁぁん!?」

 

今この子は何と言ったか。

 

そこから、夜を徹したお説教が始まった。

 

(そういえば、腹減ったな……なんか、酒場じゃほとんど何も食べなかったし)

 

取り敢えずこのプリプリと怒る主神様は、一度自分の上から退いてはもらえないだろうか。

 

「聞いているのかい、カイト君!!」

 

「はい、聞いてます、すみません」

 

言えるはずもなく、夜は静かに更けていった。

 

──────────────────────

 

そうして、カイトがオラリオに来てから、一月半が経った。

彼の不器用な生き方は、リリルカに何度も怒られたり励まされたりしながらも、あまり変わることなくそのままだった。

 

が、注意するパルゥムも、される少年も、不思議と楽しそうに見えた。

 

 

このおかしな組み合わせの二人の名前が、上層でそこそこ売れ始めた頃、

 

「僕をこのファミリアに入れて下さい!」

 

そんな懇願と共に街中のファミリアを回る、少年の姿が見られるようになった。

 

白い髪に赤目、兎のような少年が。

 

──────────────────第二章 了

 




過去編終りである。

次回より原作に突入する!

残り二人のオリキャラは、完全にリリが絡まないので今の精神状態で書くと死にます、私が。

世の中にはリリカワが足りない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章 こんなの絶対おかしいよ byベル
第19話 ご注文は白兎……のムニエルですか?


うおぉ、仕事が、仕事がオラの休日を奪う……

クラウドとか考えたやつは死刑。

ちょっとリハビリがてら、軽めな話にしました。


「お前みたいなチビが、何の役に立つってんだ? 帰れ帰れ!」

 

思いきり突き飛ばされて、少年……ベル・クラネルは道端に転がった。

 

「うわぁっ!」

 

痛みに顔をしかめている間に、目の前の扉は閉まってしまう。

 

「あ……」

 

しょんぼりと、ベルは顔をうつ向かせてしまう。

これでいくつ目のファミリアを門前払いされたことだろうか。

 

「うう……どうしよう」

 

服についた土ぼこりを払い落とすと、ベルは立ち上がってフラフラと大通りに向かって歩き出した。

 

(冒険者になるって飛び出したのはいいけど、そりゃあ、僕みたいな子供を入れてくれるファミリアなんてそうはないよね)

 

肩を項垂れるその姿は、小さな身体を一層小さく見せた。

 

真っ白な髪に、ルベライトの瞳。

まるで兎のような──漂う雰囲気も含めて、ベル・クラネルはそのような少年であった。

 

「ぎゃはは」

 

つまり、

 

「どうしたね少年、そんなショボくれて」

 

セイル・アーティにとって、実に面白そうな弄り対象に見えた。

 

………

……

 

「なるほどな、そいつぁ難儀だ」

 

とある喫茶店で、紅茶を飲みながら話す二人の姿があった。

 

「やっぱり、僕みたいな子供じゃ無理なんですかね……」

 

すっかりしょげかえる少年、ベルは突然声をかけてきた歳上の男に、特に疑うこともなく着いてきていた。

 

彼がセイルに話し掛けられ、喫茶店へと向かう最中、その小さな背中には憐憫の視線が絶えず向けられていた。

 

──おい、あれ……

──うおっ、『邪王』セイルじゃねえか!

──あの子、終わったな。

──くそ、あんな小さな子まで!

──止めとけよ。変に首突っ込んで、丸々消息不明になったファミリアもあるって話だぜ?

──すまねえ……無力な俺を許してくれ、少年!

 

……主にそんな感じだった。

 

オラリオに来たばかりのベルは知らなかった。

目の前にいる男が、この二ヶ月足らずの間に何をしたのかを。

 

レベル1ながらも不吉極まりない『邪王』という二つ名を戴く彼の所業を。

 

その愉快犯的な気まぐれのような行為の被害者たちが、どれだけいるのかを。

 

「何、気にすることはないさ。誰もが最初はガキだった。生まれながらの英雄が、もし仮にいたとして、それは断じてお前を拒んだ連中のことじゃねえ」

 

至極真っ当な言い分である。

 

「人生は挑戦と失敗、そして僅かな成功で出来てるのさ、少年。だからお前は、そんな風に自分を卑下するよりも前を向くと良い」

 

なんとも前向きな、力の出る言葉である。

 

「もし良かったら、俺が知っているファミリアを幾つか紹介しよう」

 

ニタァ、と、実に邪悪な笑みが零れた。

 

それを見た他のテーブル客は、思わず天を仰ぐと神に祈った。

あの憐れな少年の、安らかな冥福を。

 

「ほ、本当ですか!? ぜひお願いします!!」

 

ああ、きっと、あの少年は素朴でも心根の優しい、素直な子なのだろう。

見る者全てにそう思わせる言動に、涙さえ流れた。

 

何の因果で、あのような悪魔に捕まってしまったのだ、と。

 

「任せてくれ。もちろん、入れるかはお前次第だがね」

 

そう言って席を立ち、連れ立って向かった先はイシュタル・ファミリアの支配地域である歓楽街。

 

その意図はお察しであった。

 

その喫茶店はしばらく、誰一人動くことなく神へ祈りを捧げる人だけの場所となった。

 

無論、届くことはない祈りだ。

 

そも、祈っている中に本物の神が数柱混じっている時点で、救いなど起こるはずもなかったのではあるが。

 

………

……

 

歓楽街、『夜の街』。

その名の通り、夜ともなれば見目麗しい娼婦達が、まるで蝶のように飛び交い、男と言う名の蜜を根こそぎ平らげていく。

 

セイル曰く、男のワンダーランドである。

 

「つう訳で、一発頼むわ」

 

「どんな訳?」

 

真っ昼間に起こされて、蝶とは程遠い不機嫌な目付きでアイシャ・ベルカは言った。

 

「いやぁ、何? 純真な性根の前途ある若者に、俺なりのエールってヤツ?」

 

馴れ馴れしくアイシャを抱き寄せながら、セイルは下卑た笑みを隠そうともせず言った。

 

「……意味無いウソついてんじゃないよ」

 

ため息。

 

視線の先では、数人のアマゾネスに囲まれ、つつき回される(・・・・・・・)ベルの姿があった。

 

「本音は?」

 

「やだ、何この子、俺にからかわれるため生まれてきたの!? よし、弄ろう、的な?」

 

「ムゴい」

 

「童貞卒業した瞬間に踏み込んで、みんなでお祝いしよう」

 

「エグい」

 

「ケーキが要るな。あ、赤飯かな……めんどくせえ、ジャガ丸くんでいいか」

 

「あたしアマゾネスだけどさすがに引くわ」

 

「「「あ」」」

 

揃った声に視線を向けると……

 

「……きゅぅ」

 

鼻血を垂らしながら気絶する、ベルの姿があった。

 

「ははっ、純だな」

 

「清々しい声出さないでよ。本当にゲスいね」

 

「ふふん」

 

「なんで得意気……」

 

崩れ落ちたベルを片手にぶら下げながら、アマゾネスの一人がこちらへやって来た。

 

「どうする?」

 

「うーん、まあ、気絶しちゃ面白さ半減だな。今日は撤収」

 

「えー、あたしのことはー?」

 

「また今度な。遊びに来たら、君を探しに行くよ」

 

そう言って、ショートカットで童顔な戦闘娼婦の、瞳と眉間の間に唇を落とす。

 

「約束だよ?」

 

「もちろんさ。例え死んでも、俺は女との約束は守る」

 

「アハハ、キモーイ」

 

「えー、じゃ、もう来ないー」

 

ニヤニヤとした笑みで、事も無げに言い放つ。

 

「え、え、嘘! 嘘だから! ごめんね、セイル」

 

途端に不安そうな声音で、媚びるようにすがり付く彼女に対し、

 

「なんつって」

 

おどけた仕草で頭を撫でながら、セイルはベルを受け取ると襟首を持ったまま引き摺って歩き始めた。

 

「……何しに来たのさ、あんた」

 

アイシャの問いに、セイルはニヤついた顔で宣った。

 

「このガキが入れるファミリアを探してやってるのさ」

 

「……本音は?」

 

「本音だよ」

 

「ちっ……だったら、初めからこんなとこに連れて来るんじゃないよ。ウチの団長に見つかったら、絞り尽くされて干物になっちまうさ」

 

団長、その言葉にセイルは顔をしかめつつ、

 

「まあ、必要なことさ」

 

とだけ言って、歓楽街を去っていった。

ズルズルと、ベルを引き摺りながら。

 

「あー、行っちゃったー」

 

先程までセイルと話していたアマゾネスが、残念そうに呟いた。

 

「……あんま肩入れするんじゃないよ」

 

無駄だろうな、と思いつつ、アイシャの口から零れ出た忠告は──

 

「ああ……セイル」

 

残念ながら届くことは無かった。

 

色街で娼婦にモテる男はクズだと相場が決まっている。

この街に限れば、そこに金持ちか英雄も入る。

 

つまりはどのみち、マトモな人間ではない。

そんな中でもあの男、セイル・アーティは異質な存在だった。

 

羽振り良く、程々に強く、それでいて捉えどころがなく、何処か子供っぽい。

 

あれだけの美形にも関わらず、彼に買われた女は皆、口を揃えてこう言うのだ。

 

『可愛くて頼もしい』

 

アイシャはため息を吐いた。

 

見れば、お天道様はまだまだ空の真ん中に座している。

叩き起こされた身は睡眠を欲しており、そう思えば強烈な眠気ものし掛かるようにやって来た。

 

アイシャは再び惰眠を貪るために、ベッドのある自室へと向かうことにした。

 

部屋には大きめなベッドがあり、先程起きた時の乱れがそのままに残っていた。

 

「だる」

 

呟くように吐きながら、そのままベッドへ倒れこむ。

 

ふと、枕の下の違和感に手を入れると、何か小瓶の様なものが触れた。

 

「ん?」

 

取り出してみると、薄緑の液体が密封されている。

蓋を開けると、穏やかな森のような香りが立ち上ってくる。

 

「香油?」

 

しかし、覚えがない。

昨日までは無かったはずだ。

それが今あると言うことは、昨晩自分と寝た男の置き土産だろう。

 

「あの、バカ」

 

好みなど話したことは無いはずなのに、それはアイシャにとって非常に、まあ、悪くない……外してはいない……つまりは好きな香りだった。

 

「あぁ、まったく」

 

蓋を閉めた瓶を枕元に置くと、アイシャは呟きながら目を閉じた。

 

「ガキ臭くてええ格好しいなやつ」

 

あの金髪のゲス男は、まったく。

 

開けっぱなしの窓から緩やかな風が吹き込んで来る頃、アイシャはもう夢の中にいた。

 

………

……

 

「いやいやいや、なんか綺麗な感じになってますけども!」

 

復活したベルに、何やら不明なツッコミを受けながら、セイルは次なる目的地へと向かっていた。

 

「はっはっはぁ! どうした少年、まだまだこれからだぞう?」

 

「セイルさん、なんか面白がってません!?」

 

「な、なぜそれを!?」

 

「わかりますよ!」

 

半泣きになりながら喚くベルに、セイルはいつものゲスマイルを向けた。

 

「ちなみに、今のファミリアな、お前がここ数日回ってきたトコをまとめて潰せるくらいにゃでかくて強い。もしお前が男を見せてたら、俺が直々に主神に売り込んでやったのになぁ?」

 

胡散臭い。

とにかくその発する言葉や仕草の尽くが。

ベルは初めて、疑いを持って接しなければいけない人間がいることを学んだ。

 

「さ、次だベル。選ばせてやる」

 

とは言え、もはやベルにだってアテなどない。

足を棒にして街を歩き回り、結果は何一つ得られなかったのだ。

一応、セイルが紹介するのは本物のファミリアであることも相成り、渋々でも従うしかない。

 

「勇壮無比! でも九割ホモか、純情可憐! ドSの巣窟」

 

「オジーチャアァーン! タスケテ!!」

 

「はっはっは、まあ、どっちも行くけどね」

 

ズルズルと、襟を掴まれ引き摺られる。

 

「イヤアァァァ!」

 

憐れな子兎の悲鳴が、オラリオの空に響き渡った。

 




調子良くないですね。。
取り敢えず、仕事落ち着くまでは更新遅くなりそうです(泣)

アイシャさん出したのは良いけど口調忘れてます。
後で原作読んで直そう(決意)

また、感想に対するご返答が遅れております。
必ず、どのようなものに対しても、返答はさせていただきます。

いつも励みにさせていただき、感謝の言葉もございません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話 白兎リブート

ざわ……

 

街を行き交う人々の視線が集まる。

 

「うぅ……」

 

その先にはベルがいた。

頬にキスマーク、白い癖ッ毛は方々へ飛び跳ね、何故かウサミミをつけ、目が死んでいる。

 

『やだっ、この子可愛いじゃない!? アタシとイイコトしましょ?』

 

と男に襲われかけ、

 

『兎さん、お耳がないわよ? 外したら尻尾も着けちゃうからね』

 

と女に無理矢理つけられた結果だった。

 

憐れみを誘うその姿に、しかし、歩み寄る人はいない。

ニヤニヤと、その先を歩く男、セイルがいたからだ。

 

「いやー、なかなかいいとこが見つかんねーなぁ」

 

誰か、誰かあの少年を助けてやってくれ。

 

そんな願いは珍しく、割とあっさり叶うことになった。

 

 

「団長様?」

 

大きなバックパックを担いだ、パルゥムの少女が、男に声を掛けたのだ。

 

口元は引き攣り、目付きも険しい。

 

「何やってんですか? え、何やってんですか?」

 

なんて勇敢な少女なのだろう。

人々は今、英雄を目撃していた。

 

「いや何、田舎から出てきたばかりの少年に、この街の手ほどきをな」

 

「遊び転がした様にしか見えませんが?」

 

「誤解だ。俺は──」

 

「今すぐその方を解放して、洗いざらい話さない場合」

 

「……場合?」

 

「リュー様に言い付けます」

 

その言葉に、セイルの顔が強張る。

 

「容赦なくシバいていただけるよう、リリは懇切丁寧に団長様の所業をご報告いたします」

 

少女……リリルカはにこやかな笑みを浮かべる。

 

セイルはカイト同様、レベル1では非常識なほど強いが、レベル4で元凄腕であるリューには一対一では敵わない。

 

以前、路地裏で似たような現場を見つかり、ゴミのように転がるセイルをホームまで運んだのは、リリルカとカイトだ。

 

……その癖、その日の夜に行った『豊穣の女主人』では何食わぬ顔で酒を注ぎ、注がれ言葉を交わすのだから、イマイチ理解できない関係ではあるが。

 

「どうせ今日だって、あの方とは遭遇しないように行動されていたんですよね?」

 

「落ち着くんだアーデ、冷静に──」

 

「そういう姑息なところがあると、カイト様がおっしゃっていました」

 

ねえ? と目線をセイルの後ろへやる。

 

「姑息というか、安全策をそれとなく取るのが巧かったな。それで何度も助けられた」

 

一応はフォローしようという感じの声が返ってきた。

 

「と……カイトじゃねえか。元気でやってる?」

 

振り向いたセイルは、そこに戦友の姿を見た。

黒髪に黒目、胸部は鉄製の軽鎧に覆われ、腰元には黒い剣。どこからどう見ても冒険者といった風体をした男だ。

 

「ぼちぼちだ。まだ慣れないことも多い」

 

「ま、取り敢えずは順調そうで何よりだよ」

 

安心した──そう呟いて、セイルはポケットに両手を突っ込んで歩き出した。

 

 

 

 

 

髪を揺らす風に、空を見上げる。

あまりに蒼い空。

浮かぶ雲さえもが、セイルには眩しかった。

自分がそんな心境になるなんて、と、自嘲気味に笑うと、一人帰路へと──

 

「行かせるわけないですよね? リリを小馬鹿にしてるんですか?」

 

死にます? 死んじゃいます?

そんな副音声が聞こえそうなほど、黒いオーラを立ち昇らせるリリルカに止められた。

 

「おま、今どう見てもエピローグ最終行な空気だったろうが」

 

引くわー、その無粋な突っ込みに引くわー、と、目が言っていた。

 

「セイル」

 

カイトの声が、厳かに響いた。

 

「兄弟、この不調法なレディに言ってやってくれ、俺は──」

 

「瀕死か半殺しかリリの言う通りにするか、選んでいいぞ」

 

「ア、ハイ」

 

かくして、ベル・クラネルはようやく悪魔の元より解放される運びとなった。

 

………

……

 

「災難だったな」

 

露店で買ってきた果実水を手渡しながら、カイトはベルの隣に腰を降ろした。

 

場所は街中より移り、傍にあった広場のベンチである。

 

「あ、ありがとうございます」

 

憔悴しきった風なベルは、それを一息に飲み干すと大きなため息を吐いた。

 

「まあ、なんだ。運が悪かったと思って諦めてくれ。つまずいて転んだら落ちてたゴミに顔から突っ込み、それを好きな女に見られたあげくその子は別の男とデート中だった、くらいの」

 

「自殺するほど……」

 

「ちなみに元部下の実話だ」

 

「凄惨過ぎる!」

 

思わず涙が零れそうになる。

そうか、自分などまだまだだ。

ベルはあまり褒められない類の立ち直り方を果たした。

 

「セイルから聞いたが、冒険者になりにこの街へ?」

 

カイトは励ますことに成功した、と思っているベルの相談に乗ってやることにした。

困っている人がいれば、出来る限りでいいから助ける。

リリルカと話した、優しい人への第一歩計画のために。

 

「……僕、ずっとお祖父ちゃんと二人で暮らしてて、子供の頃から色々な英雄譚を聞いて育ったんです」

 

それから始まるベルの昔話に、カイトはしばし耳を傾けた。

 

 

 

……なお、リリルカは少し離れた場所にいた。

正座したセイルに対し、日頃の鬱憤を晴らすかのように説教を続けていた。

 

それを見た人々を皮切りに噂が広まり、彼女はある二つ名を非公式に戴くこととなる。

 

『邪滅姫』──神の意思が一切介在しないがゆえ、ただ人々の目に映ったままの、リリルカ・アーデを示す称号を。

 

 

知ったリリルカが引きこもりになるのは、ほんの一週間ばかり未来の話だ。

 

………

……

 

「つまり、英雄になって色々な女にモテたいと」

 

「う……その、ごめんなさい」

 

萎縮して謝るベルに、

 

「良いじゃないか」

 

と、カイトは言った。

励ますため、と言うより、素でそう思ったからだ。

 

「さっき言った元部下な、彼も君と同じような目的で冒険者になったんだ。可愛い恋人が欲しいって」

 

「え?」

 

「ゴミが犬の糞に代わったバージョンに遭遇したが、ステイタスのお陰で無事に躱せたと喜んでたよ」

 

「メンタルが強過ぎる」

 

「でも、諦めてない」

 

カイトは真っ直ぐにベルを見つめた。

 

「目指せば良いじゃないか。ここはそういう街だろ?」

 

その言葉に、ベルの瞳に精気が戻ってきた。

 

「い、いいんですか?」

 

「誰かに許可を求めるなよ。お前はたった一人でここを目指し、冒険者になるって決めたんだろう? 一人で決めて、行動したんだ。そんな風に自分を育ててくれた、今までの全てを無駄にする気か?」

 

「っ! 嫌です!!」

 

「なら、進むだけだ」

 

カイトはにこりと笑ってやった。

 

「もし、どうしても行くあてが見つからなければ……そうだな、あそこ」

 

指を指す。

ベルが目をやると、そこには『じゃが丸くん』と書かれた旗がたなびいている屋台があった。

 

「あの屋台で昼前から売り子をしている女の子に、身の上話をすると良い」

 

「身の上話、ですか?」

 

不思議そうに聞き返すベルに、カイトは続けた。

 

「大丈夫。優しい神だって、ちゃんといる」

 

立ち上がり、いい加減言葉が尽きてきて疲れ気味のリリルカへと向かうカイト。

カイトが一声かけると、リリルカは何事も無かったかのように駆け寄っていった。

 

説教から解放されたセイルは、疲れた様子で立ち上がると、

 

「──っ!?」

 

ひどく男臭い笑みをベルに向けた後、背中を向けて去って行く。

 

トラウマが残ったかビクリとしたベルに、カイトは手を振り、リリルカはペコリと頭を下げて歩いていった。

 

残ったベルは、一度大きく伸びをすると、やる気に満ちた顔で呟く。

 

「よしっ、頑張ろう!」

 

………

……

 

ヘスティア・ファミリアに新しい眷属が増えるのは、この三日後であった。




主人公、ちょっとだけ柔らかくなってます。

うーんしかし、終電逃してホテル泊まりな生活はしんどい。
セイルさんはお話書く上ではすごい便利キャラなんですけど、使いすぎでしたね。

しばらくお休みです。

感想だけは、ご返答します。
恐らく一週間くらいは更新出来ないです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話 可愛い後輩、それはさておき

すみません。
諸々が落ち着くのに今日までかかってしまいました。

また少しずつやっていきます。


ヘスティア・ファミリアのホームにて。

 

「カイト君、ちょっといいかな?」

 

自分の主神が遠慮がちに切り出して来たのは、その日の夕方のことだった。

その様子に、カイトは胸の内がザワつくのを抑えきれなかった。

 

「……なんでしょうか、神ヘスティア」

 

最近装備を新調し、人生最大の出費をしたばかりのカイトは、脳裏にリリルカから言われた言葉の数々がよぎっていた。

 

 

『やっちゃいましたね、カイト様』

 

『どこの駆け出し冒険者が、軽鎧に五十万ヴァリスも出すんですか?』

 

『しかもローンまで組んで……主神様に怒られても知りませんよ?』

 

『…………もう、仕方のない人ですね、もう』

 

 

──……今のところ、バレてはいない。が、もしかしたら正に今日、それがバレたのかもしれない。

ファミリアに納めるべき額は入れている。

だが、この心配性で優しい神に、借金したなどといえばどうなるか。

 

それはとても嫌な予感がした。

 

「誤解です、神ヘスティア」

 

とは言え、カイトはこれまで、誰かに対して弁解などほとんどしたことがない。大抵が力尽くでどうにかしてきたのだ。

当然の結果として、放っておいても自滅するのは確定と言えた。

 

「違うんです、これは先を見据えた、そう……攻めの出費なんです」

 

聞かれてもいない、言わなくても良いことばかりが口から零れ出る。

言葉を重ねるごとに、どうしようもないマズさが募っていくのを感じた。

 

「カイト君」

 

首を傾げながら、ヘスティアは困ったように笑う。

 

「なんのことだかわからないけど……話っていうのはね、その、新しい眷属を迎えようってことで」

 

──好機。

カイトは瞬時に、これまでの会話をなかったことにすることを決めた。

 

「ああ、神ヘスティア、素晴らしい話です。俺も頼りになる仲間が増えるのは嬉しい」

 

「そ、そうかい? じゃあ、連れてきてもいいかな? 実は今外で待ってもらってるんだ」

 

「もちろんですとも! 後輩ですか……楽しみです」

 

なんとか躱しきった。

カイトはそう確信した。

 

「そうだ、カイト君」

 

その新しい眷属を迎えるため、外へ駆け出しかけたヘスティアが足を止めた。

 

振り返ることなく、

 

「攻めの出費……永くを生きてきた僕も、寡聞にして聞いたことのない言葉だよ」

 

いつも通りの明るい、

 

「あ と で、詳しく聞かせてくれないかい?」

 

カイトが震えるような声だった。

静かに頭を抱えるカイトを置いて、ヘスティアがホームから出ていった。

 

(明日、リリに相談しよう)

 

今日、無事に生き延びられたらの話ではあったが。

まずはそのために、出来ることがあるはずだ。

 

カイトは逡巡の後、それを行動へと移すことにしたのであった。

 

………

……

 

その少年とヘスティアの出会いは、多少の作為はあったにせよ運命的と言えた。

 

少年……ベル・クラネルは必死になって街を駆け回り、多くのファミリアの門戸を叩いていた。

追い返されてもめげずに、突き放されても腐らずに。

 

そんなベルのことを、ヘスティアは何とはなしに目で追っていた。

いじらしくも健気な少年が、しかし、強い意思を感じさせる瞳で、決して俯くことなく挑み続ける姿を。

 

いてもたっても居られずに、次見掛けたら自分から声を掛けようと決意した日のこと。

 

件の少年が、客として職場の屋台を訪れたのである。

 

 

『やあ少年、最近よく見かける顔だね。なりたての冒険者かな?』

 

 

それは、きっと故意的に。

自身の初めての眷属と出会った時のような言葉で。

 

 

『混み始めるまで少しあるんだ。よければそれまで、ボクの話し相手になっておくれよ!』

 

 

ヘスティアは、ベル・クラネルとの邂逅を果たしたのである。

 

元々、目で追う程度でも伝わってくるほど一途で、素直そうで、歳上の女性からすれば可愛らしくさえ思える風貌だ。

 

少しの会話のあと、その印象が全くもって正しいことを知ったヘスティアは、ベルを自身のファミリアへと勧誘する運びとなったのである。

 

………

……

 

そして今、ベルは晴れて冒険者としての新しい人生を始めるため、誘われるままにヘスティア・ファミリアのホームへと訪れていた。

 

念願叶った今、ベルの心はこれまでにないほど高揚していた。

 

向かう先に見えた、廃墟気味な外観の教会でさえ、趣あるアンティークな風景と捉えてしまえるほどに。

 

無邪気な笑みがとても似合う少女の姿をした神が、自分に待つように言って、そのアンティークなサムシングにイントゥドアして「ただいまー!」という声が聞こえても、

 

(秘密基地、そう、まるで秘密基地みたいだ!)

 

と、V字高評価を出せるほどに。

 

その高揚はいつまでも続くかに思われた。

 

 

『僕は悪い子です』

 

 

そんな札を首から掛けて正座する、見覚えある人物とホームたる教会の居住スペースで再会するまでは。

 

「あ、ちょっとよくわからないです」

 

一瞬で素に戻ったベルは実に明快な言葉を口にした。

 

「彼はカイト・アルバトス君。キミの先輩で、ボクの初めての家族さ!」

 

にこやかに話すヘスティアはしかし、ベルの疑問を解くことはなかった。

 

「カイト君、この子はベル・クラネル君。今日からボクたちの新しい家族になるんだ。ケンカしちゃだめだよ?」

 

「わかりました、神ヘスティア……ベル、今日からよろしくな!」

 

キリ、そんな効果音がつきそうなキメ顔だった。

意味不明なポーズでなければ、さぞや頼りになる先輩として見えただろうに。

 

「……ベル・クラネルです、カイトさん、先日はお世話になりましたけど何事ですか?」

 

何か悪いことをしたのだろう。『僕は悪い子です』って書いてあるし。

 

わかるのはせいぜいそれくらい。

 

「なに……人は罪を犯さずして生きられない存在だからな。俺は今、その清算の時がやって来ているというだけさ」

 

「いやわかりませんよ」

 

「ベル君」

 

なおも食い下がるベルに、ヘスティアが慈愛に満ちた顔で語り始めた。

 

「罪は……償わなければいけないのさ。悲しいことだけどね」

 

二人揃ってふわっふわな説明だったが、取り敢えず何かしらの謝罪が必要な行為をカイトがしたらしい、と言うのだけは理解する。

 

「えっと、そのぅ、が、頑張って下さい」

 

励ましの言葉が、取り繕うように出てくる。

 

 

 

借金の存在が露呈し、説教モードに入ったヘスティアが意外と怖いということを、ベルはこの日知ることになる。

 

だが、このパッとしない日が、後に続いていく大いなる、眷属の物語(ファミリア・ミィス)の最初の一日となることを、まだ誰も知らない。

 




リハビリがてら、リリは少な目で。


ご存知ですか?
IT業界ってブラックなんですよ。

歳上の部下がね、言うんですよ。
『なんでミスしたかわかりません』
『私は一生懸命やってますよ』
『てばさきさんの態度は目上の人間に対してどうなんですか』

不思議ですね。
僕はミスした部下にヒヤリングしてモチベーション確認して対応経緯をまとめろって言っただけなんですけどね。

まあ、三日で五回もミスりあそばされた部下なんで、最後の方はちょっと敬語とか使ってなかったですけど。

一ヶ月で十日漫喫泊まりは新記録でした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話 穏やかなる昼下がりの一幕

温かなご感想、誠にありがとうございます。
ついつい愚痴を書いてしまうのは、もう止めにします。

とはいえ、しばらくは低速運転です。
リハビリがてら、どうぞ。


奴隷であるだけで、人としての価値は数段落ちる。

中には高値がつく者もいるが、その売値が本人に利益として還元されることはない。

奴隷として売りに出される者達は年若い女子供が最上とされている。

知恵が足りず、反抗する力もない。

 

一人一人、売値の異なる札を掛けられて、商品として棚に並ぶ(・・・・)

 

 

戦奴は違う。

彼らは、特別な力や特技を持たない限り、その出自を問わず、量り売り(・・・・)が基本だ。

 

買い手は店に入ると、檻を購入する。

大小様々なサイズの檻に、入るだけ、それが戦奴の買い方だった。

 

カイトもそのように、一人頭に換算すれば百三十ヴァリス程度の捨て値で買われた。

これから需要が増えることを見越した商人の、ささやかな初回割引の結果だった。

 

身寄りの無い生まれた国さえ違う子供が、倫理から解放された戦地で辿るには、それでもまだ上等な末路と言えた。

 

カイトの人生は、未だその末路の延長線上にある。

 

同じ様な子供を何人も見てきたし、何度もその死を経験してきた。

 

そんな中でいつしか一番の古株となっていたカイトは、実のところ、意外と面倒見が良かったりする。

 

 

………

……

 

「ベル、ナイフを構えるなら持ち手を引いて半身になるんだ」

 

「はいっ!」

 

「ベル、片手持ちの武器で刺すな。足が止まる」

 

「はいっ!」

 

「ベル、足を止めるな。駆け抜け様に傷を与えるんだ」

 

「くっ……はいっ!」

 

そこはホームにある裏庭。

泥だらけで転げ回るベルと相対するカイトが訓練に勤しんでいた。

 

「ベル、腿を斬るときは膝に近いところをやるんだ。歩行に支障をきたし易い」

 

「は、はいっ!」

 

カイトからすれば、それは至極当然の知識を教えているにすぎない。

生き抜くために、必要なことを。

 

「ベル、コンビネーションは金的、膝、金的だ。お前の背丈じゃまだ頭は狙わなくていい」

 

「はいっ!」

 

そんな二人を眺める人影が、二つ。

もはや隠すことさえままならない、苦笑いを浮かべ訓練を見物している二人。

 

「ああ、ベル君が変わっていく」

 

ヘスティアと、

 

「いや、なんで人間相手が前提なんですか? 何をハントするおつもりなんですか?」

 

リリルカの二人だ。

 

「……時にサポーター君。ここはいつからキミのホームになったのかな? ボクの眷属にキミみたいな子はいなかったよねえ?」

 

ピシリ、と音が鳴りそうな笑みを口元にだけ張り付けて、ヘスティアは言った。

 

「ご機嫌よう、ヘスティア様。何やら不思議なことをおっしゃいますね? 鍵も塀もない場所を、歩いていたらここにたどり着いただけのリリに」

 

不思議ですね、不思議ですね、と、にこやかな笑みを返すリリルカ。

 

「ふがー!!」

 

煽り耐性の無いヘスティアの忍耐は、秒で決壊した。

 

「ここは、ボク達の、愛の巣だぞぅ!? カイト君から可愛がられてるからって、ボクまで懐柔しようなんて考えていないだろうね!?」

 

「懐柔とはどのような意味の言葉でしょう? リリは初めて聞きました。さすが、権謀術数渦巻く神界で永く(・・)を生きられた神様は、仰ることが違いますね。年の功というものですね」

 

「あっ! 嘘だ、嘘ついたね! 知ってる癖に! 知ってる癖にぃ!! それに、ボクは永遠の美少女神なんだぁ!」

 

「?」

 

「キョトン顔とはいい度胸だ!!」

 

 

二人が顔を合わすのは、これが三度目になる。

初対面では萎縮したリリルカにひたすら『カイト君はボクのもの』発言を繰り返すヘスティアの圧勝。

 

二回目は、『そもそもそんな恐がる必要ある? ただの嫉妬じゃん』という開き直りをしたリリルカが一矢報いる。

 

そして三回目。

リリルカはおおよそ、この女神がポンコツであることを見抜いていた。

それと同時に、何故カイトがこの女神を選んだのかも。

 

明け透けで、隠そうともしない好意。

信頼している、そんな感情の込められた瞳。

 

成る程、なんて居心地の良いファミリアだろう。

こんなにも子を愛し、裏表の無い神を、リリルカは知らなかった。

 

が、それはそれだ。

 

初対面時にカイトの腕にこれ見よがしにしがみつき、ふふん、という挑発をされたとき、萎縮しながらもリリルカは思ったものだ。

 

こいつは──敵だ、と。

 

 

それは当然、ヘスティアも同じ認識だったが。

 

自分の大切な初めての眷属が、『友達』だと連れてきたパルゥムの少女。

一目で理解できた。

 

──ああ、この子は、悪い虫だ。

 

初対面でこそ遠慮がちであったが、ヘスティアがカイトの腕に身体を密着させると、明らかに苛立ったような素振りを見せた。

 

その遠慮も、次の時には無くなり、今ではすっかりこの様だ。

 

カイトが彼女を信頼しているのはよくわかる。

それだけで、人格的には疑いようもない。

恋愛感情などとは無縁の人生を過ごしてきた彼を相手に、ささやかな好意を寄せる姿は意地らしくも応援したくなる。

 

だが悪い虫なのだ。

ヘスティアにはそれを理由に、実に子供じみた意地の張り合いを続ける準備があった。

 

奇しくも、リリルカとて同様ではあった。

 

 

「カ、カイトさん、止めなくて良いんですか?」

 

チクチクと繰り広げられる応酬に、怯えたようにカイトへ尋ねるベル。

 

「よし、逝くんだベル。土下座、マジ泣き、土下座のコンビネーションだ」

 

にっこりと笑みを浮かべ、カイトは決断した。

 

「僕が悪いみたいになってるんですがそれは。あと、カイトさんの教えてくれるコンビネーションは基本エグいです」

 

「ベル……」

 

「ワガママ言ってるみたいな感じ出さないで下さい!」

 

 

二人の、見ていて胃がヒリつく女の争いに、男達はあまりに無力だった。

止めに入ればそれを口実にまた言い争い、泣いたり(嘘泣き)、抱きつかれたり。

かと思えば、お互いに心底嫌い合ってるようでもない。少なくともカイトからは、有り体に言えば仲が良さそうにしか見えなかった。

 

一方で、タイプは違えど美少女達のピリピリとした言い争いは、ベルにとって大いに胃壁を削る光景だった。

 

しかも言い争う理由が理由だけに、ベル的にはどう転んでもとばっちりでしかない。

 

(ヘスティア様はカイトさんのお母さんみたいだし、リリルカさんはもうなんか……もう!)

 

カイトが鈍いのが悪い。

ベルは改めてそう思った。

 

余談だが、街中での邂逅以来、ベルとリリルカの間に自己紹介以上のやり取りはなかった。

 

ただ、

 

「少し鍛えたら、ベルも一緒にダンジョンへ行く」

 

そう言ったカイトのセリフに対し、ひどく慈愛と哀愁に満ちた目を向けられたのが印象的だった。

 

なんにせよ、ベルは一刻も早くダンジョンへ行き、冒険へと繰り出したい気持ちを日々募らせていた。

カイトとの訓練は今日で三日目になる。

少しずつではあるが、ステイタスも上がってきている。

 

だから──

 

「ベル、明日からダンジョン行ってみるか」

 

カイトのそんな問いかけに、

 

「──はいっ!!」

 

今日一番の大声で返事をしたものだった。

 

ああ、とりあえず二人の言い争いは棚上げするんだな、と、頭のどこかで思いつつも。

 

 




次回、はじめてのだんじょん Case Rabbit


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23話 はじめてのだんじょん Case Rabbit 前編

そして、やはりダンジョンは前後編になるという。

ああ、リリ可愛いよリリ。
気苦労してるとことか最高。

なお、ベル氏は実害担当。


ベルがファミリアに入って一週間。

ついに念願のダンジョンへと挑戦する日がやってきた。

 

装備はカイトのお下がりであるチェインメイルの上から厚い生地で作られた冒険者用の服。

ファミリア入団初日にギルドから支給(後払い)された申し訳程度に急所を守る軽鎧。

そして、同じくカイトから譲られた大振りのナイフである。

 

「ベル君、絶対に無理しちゃダメだよ? くれぐれも、サポーター君の言うことを良く聞くんだ」

 

心配そうに声をかけるヘスティアに、ベルは不思議そうに聞き返す。

 

「リリルカさん、ですか?」

 

そこはカイトではないのか。

普段言い争っているのを知っているだけに、奇妙なお願いだと思った。

 

「……少なくとも、キミ達三人の中では彼女が一番のベテランさ。なあ、ベル君……くれぐれも、くれぐれも!」

 

力を込めて、ヘスティアは言った。

 

「カイト君を、一人で突っ走らせないでおくれ」

 

大事な家族である。

信頼しよう。

心から愛そう。

 

だが──

 

「カイト君はね、ほんの少しだけ特殊な環境で育ったんだ。決して、彼が悪いとか言うつもりはない。けどね……」

 

言わなければならない。

 

「彼とキミでは、命に対する価値観が違いすぎるんだ。自分自身はもちろん、他人に対しても。そもそも、命に価値が見出だせないのかもしれない」

 

大切なことだからこそ。

 

「それは不幸なことなんだ。同じようになんて出来っこないし、出来ちゃいけない」

 

業腹だが、リリルカにも前に、同じことを頼んだヘスティアである。

 

「彼自身、それに気付いていて、変えたいって頑張ってる。ボクもいつか、きっといつかは、変われるって信じてる。でも今はまだ──」

 

────ゆっくりと歩いてくれる人が、隣に必要なんだ。

 

「カイト君の生き方は、ベル君とは大きく違う。でもだからこそ……ベル君こそが、彼を救ってあげられるかもしれない」

 

真剣な瞳を向けてくる主神に、ベルは懸命に言葉を探していた。

 

「よくわからないことを言っていると思う。でも、カイト君は──」

 

「神様」

 

ベルは同じく真剣に、目の前の女神に向き合った。

 

「確かによくわかりません。でも、きっと大丈夫です」

 

同じファミリアに属して、まだ七日目だ。

初めて出会った時をいれたって、お世辞にも長い間とは言えない程度の付き合いである。

 

それでも、わかることはあった。

 

「カイトさんはズレてます」

 

「……うん」

 

「結構、エグいです」

 

「うん」

 

「でも、おっかなびっくりな感じですけども……優しい人だと思います」

 

「うん……そうだね」

 

「それに、こんなにも心配してくれる神様や……リリルカさんがついてます」

 

ベルは穏やかに、見るものを安心させるように笑った。

 

「僕だって、そんな人たちの一人で、家族です」

 

「うぅ……ベル君!!」

 

堪えきれないで、ヘスティアはベルに抱きついた。

 

「キミは、キミはなんて良い子なんだ!! 可愛いだけじゃなく良い子とかなんだ! ボクへのご褒美なのか!? 遠慮しないぞボクはぁ!!」

 

「わっ、わっ、か、神様!?」

 

「絶対に無理しちゃダメだからね!? キミだってボクの大事な大事な、家族なんだからね!?」

 

泣きわめく主神と兎のじゃれあいは、リリルカを伴ったカイトが戻るまで続いた。

 

………

……

 

「それでは、心の準備はよろしいですか? ベル様」

 

泣きながらいってらっしゃいと送り出すヘスティアの姿が見えなくなってから、リリルカはそう切り出した。

 

「リ、リリルカさん、様は止めてって……」

 

申し訳なさそうに言うベルだったが、リリルカには通じなかった。

 

「ダメです。サポーターが冒険者様と対等である姿など、他の方々に見られでもしたらどんなトラブルに遭うか、わかったものではありません。ベル様も、リリとお呼び捨てください。敬語も不要です」

 

「と、トラブルって…………もう、わかったよ、リリ」

 

「結構です。それで、覚悟はお決まりですか?」

 

にこりと笑い、リリルカは再度問う。

 

「うん……いや、少し怖い、かな。でも、それ以上にドキドキしてるよ」

 

楽しみで──言わなくても伝わってくるような、嬉しさと緊張の入り交じった顔だった。

 

「……お気持ちはわかります。誰もが初めはそういうものです」

 

苦笑を返しながら、リリルカはさらに続ける。

 

「振り返ってみてください、ベル様」

 

「え?」

 

言われるままに振り返ると、まだ閑散とした街並みが目に入る。

 

「上です」

 

そこには、遥かに広がる蒼穹の光景。

 

「忘れないでください」

 

リリルカの声が、ベルへと。

 

「ダンジョンでは決して見られないこの空を、決して忘れないでください。目を閉じれば思い出せるように」

 

「……忘れられっこないよ、こんな綺麗な空を」

 

「現実逃避に必要となります」

 

「ん?」

 

「世を儚きたくなったり、精神的に『あ、これダメなやつだ』とか思ったり、今ベル様が抱えている期待や希望が粉微塵に砕け散ったりしたときに、目を閉じてこの空を思い出してください。辛い現実が忘れられます。三秒くらい」

 

思わず視線を戻すと……そこには、初めて見る死んだ目のリリルカがいた。

 

「え、なにそれ怖い」

 

「大丈夫ですよ、慣れているリリも三秒が限界値です。追い付かれますから、現実に」

 

「なにそれも怖い」

 

「おい、どうしたんだ?」

 

立ち止まった二人に対し、カイトが声をかける。

リリルカは渇いた笑みを返した。

 

「いえいえ、別に。ちょっとした心構えのお話です。今日これからダンジョンに挑まれるベル様の」

 

そしてベルは、何となく理解する。

 

──……ああ、つまり、この人が現実(・・)なんだな。

 

と。

 

………

……

 

三人はダンジョンへと続く入り口で、同じように冒険へと挑む冒険者達の列に並んでいた。

 

「取り敢えず、今日はまず一階層でベル様のデビュー戦といきましょう。行っても二階層までです」

 

いいですね、と、リリルカはカイトに対して告げた。

 

「わかった」

 

「いいですか、まずは一階層ですよ。そこで三戦以上してから、二階層です。それ以上には進みません。いいですか」

 

わかりましたね、と、リリルカはカイトに対して強く繰り返した。

 

「わかったとも、大丈夫だ」

 

「ベル様は今日が初めてなんです。二階層だって、まだ早い位なんです。戦いに慣れない者にとって、ダンジョンとは本当に危険な場所なんです。くれぐれも──」

 

「リリ、そんなに念を押さなくとも大丈夫だ。俺だって、無茶はさせないさ」

 

カイトはうっすらと笑いながら返す。

 

「──二十分の三回、カイト様がリリのこうした予定をお守りいただけた数です」

 

え、と、ベルの驚愕が漏れる。

マジですか、勘弁してくださいよカイトさん。

そんなニュアンスだ。

 

「カイト様、本当に、本当にお願いします。いつもみたいに、『ちょっと興奮してよくわからなくなった』とかくれぐれも無しでお願いします」

 

「僕からもお願いします、カイトさん」

 

もはや、ベルは半泣きであった。

だって、リリルカの顔がマジだったから。

同時に、『まあ、どうせ望み薄ですけど。仕方のない人ですね、もう』という変な理解が入り交じった声だったのだ。

 

そんな惚気は外でやって欲しい。

実害は全てベルに来る惚気とか絶対におかしい。

 

ベルはそっと目を閉じた。

先ほど見た空が、ありありと思い出せる。

 

ベル、記念すべき一回目の現実逃避であった。

 

「ベルなら大丈夫さ」

 

──1秒ジャストで、現実が肩を叩いた。

 

「もう、カイト様ってば……」

 

こんなの絶対おかしいよ、ベルは心の中で叫んだ。




自分がオリキャラを何人か入れているのは、様々なキャラクターの書き分けや視点の変更を練習するためでもあったりします。

そういう意味で、次章は少し毛色が違うものになる予定です。

もう少し先のお話ですが。。。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24話 はじめてのだんじょん Case Rabbit 後編

戦闘シーン程、疲れるものはない。
リリなら話は別だけど。

次は少し開きそうです。
その間に、感想返しをさせていただきます。

いつも読んでいただき、ありがとうございます。


「お」

 

カイトがそう言って足を止めた。

リリルカは即座に背後へ気を配り、小さく「問題ありません」と言葉を送った。

 

ベルが何事かと、カイトの見る方へ目をやれば、そこにはゴブリンが三匹、何をするでもなく突っ立っていた。

 

「丁度いいかな」

 

カイトは呟き、

 

「そうですね」

 

リリルカも同意する。

 

どうやら、ベルのデビュー戦相手が決まったらしかった。

 

「ベル、まずは手本を見せるから、俺の後で五秒数えたらついてこい」

 

「は、はい」

 

僅かな緊張と共に返事をするベル。

先程までの高揚など嘘のように、戦いへの恐怖が頭をもたげてきた。

 

「大丈夫、チョロいもんだ」

 

安心させるように言い放つと、カイトは黒剣を引き抜きながら走り出した。

 

「ぜりゃあ!」

 

ブツッ、ビリビリビリィ!

 

剣で斬られた生物が、上げてはいけない音がダンジョンに響いた。

 

「ギギィッ!!」

 

あっという間に、仲間の内の一匹が物言わぬ──

 

「キィ、キイィ……」

 

……なんで生きているのか不思議な姿にされて、残る二匹のゴブリンは恐慌状態に陥った。

 

「せいっ」

 

内一匹の顔面に、カイトの蹴りが入る。

 

ブチュ

 

憐れなゴブリンの頭部は見事に四散した。

 

「よし、ベル、残りは任せた」

 

カイトが振り返ると、そこには一歩踏み出した姿勢のままで固まったように動かないベルの姿があった。

 

いや、一ヵ所だけ動いている。

顔……頬だ。

震えながらに動く表情筋は、ややあってある表情を作り出した。

 

苦笑いである。

 

「ギ…………ギギギィッ!!」

 

多分、こんちくしょうとか、やったるわー、といった具合の言葉だろう。

後にリリルカはそう語った。

 

ともあれ、五体満足な唯一のゴブリンは駆け出した。

この場でただ一人隙だらけの様相を晒すベルへと向かって。

 

「ベル様っ! 構えてください!」

 

慌てたリリルカの叫びに、微かに残留したベルの正気が反応した。

……リリルカの予想を大きく裏切る形で。

 

近づいてくるゴブリンに対して、ベルは態勢を低く、利き脚を前にしてスタンスを広くとった。

いつの間にかその顔は、思考を読ませない無表情なものへと変わっていた。

 

そのまま、三Mの距離までピタリと静止。

ゴブリンがその距離に侵入した瞬間、ベルが動く。

 

ゴブリンよりも低く頭を下げて、飛び込むように距離を詰めた。

その勢いに思わずといった具合で速度を緩めたゴブリンの真横を、すり抜けるように駆けていく。

一筋、赤い血線を曳きながら。

 

ゴブリンの左足、その膝が、半ばまで断ち切られていた。

 

 

距離が離れていたリリルカには、その後のベルの動きを一部始終、捉えることができた。

 

 

駆け抜け様に膝を切り裂いたベルは、身体を支えきれず左側に傾き始めたゴブリンの背後で、反転。

軸足を地面に打ち下ろし、残った方の足を大きく弧を描くようにしながら身体の向きを変えた。

 

そのまま、軸足で身体を前方へ弾き出すように加速する。

 

「ギビィッ!」

 

ゴブリンが崩れながら、ベルが駆け抜けた方へ顔を向けた。

 

もはやそこに、白兎の姿は残っていなかった。

 

ゴブリンの身体を中心に、往復するように戻ってきたベルは、左斜め下から無防備なその背骨を切断した。

 

「……嘘でしょう?」

 

ゴブリンが動かなくなった後、リリルカの呟きが落ちるように響いた。

 

ゴブリンはダンジョン最弱のモンスターだ。

多くの冒険者が最初に倒す相手であり、一対一でなら負けるなどあり得ないだろう存在。

 

だからリリルカも、例え初心者とはいえカイトの指導を受けたベルが負けるなどとは露ほども思わなかった。

 

問題なのは、勝ち方だった。

 

ベルの戦い方は、一言で言えばカイトの様であった。

悪辣に痛みを与え、一番隙の大きい急所を狙い打ち。

 

「ダンジョン初心者がゴブリンにする勝ち方じゃないですよ……」

 

驚くべきは、たった一週間でこれをベルに仕込んだカイトか。

実際にやってのけたベルか。

 

「……あ、勝てた」

 

呆けたように漏らしたベルが、その場にへたり込んだ。

その顔は、すっかり年相応のものになっている。

 

先程の僅かな戦闘時間に見せた、感情を削ぎ落としたものではない。

ただの少年のようだった。

 

(踏み出してから切り返しまで、まるで迷いが無かった……多分、ご自分の射程距離を完全に把握して、その中でできる動きを反復してきたのでしょうね)

 

ほぼ死に体だったゴブリンにトドメを刺したカイトが、こちらへ歩いてくるのが見えた。

 

「ベル……」

 

初戦闘を終えた後輩を労うのか、そうリリルカが思っていると、

 

ゴン

 

と、ベルの頭にカイトの拳が振り下ろされた。

 

「ぅあいてっ!」

 

「なっ……」

 

驚くリリルカを余所に、頭を押さえて蹲るベルの前へカイトがしゃがみこんだ。

 

「何故、膝頭を狙った?」

 

「うぅ……丁度、重心が乗っていたので、バランスを崩せると思いました」

 

「膝頭は強度の違う骨が組まれた場所で、刃が止まりやすいと教えたな?」

 

「あ……」

 

「ああいうときは、内腿の筋肉を斜めに抉れ。踏み込みは弱まるし、体重をかければ傷が開きやすい」

 

「それは……」

 

「結果論で話していいのは戦略家だけだ。俺達みたいな近接職(アタッカー)はな、どう殺すかを突き詰めていかなけりゃ、その内死ぬのさ」

 

カイトが最初に斬り裂いたゴブリンを指し示す。

 

「いつか、あんな具合に」

 

苦しみという言葉を体言したようなゴブリンの姿に、ベルは何も言えなくなってしまう。

 

表情を消して、頭を冷静に、繰り返した動作のイメージをなぞる最中で、初戦闘という緊張が攻撃の選択肢に影響を与えた。

 

カイトがくれたナイフだったから、膝を半ばまで断てた。支給品であれば、こうはいかなかった。

 

「ご、ごめんなさい……」

 

すっかりしょげてしまったベルの頭を、カイトはそっと撫でた。

不器用な、恐る恐るといった具合ではあったが。

 

「だが、背骨を狙ったのは良い判断だ。同じ展開なら、俺もあそこだった」

 

顔を上げるベルに、カイトは微笑んだ。

縦に割れる構造の背骨は、横一文字に斬るには手こずるが、斬り上げたなら話は別だ。

 

「切り返しからの斬り上げは、今までで一番の角度だった。あれなら例え背骨を断てなくても、深く背筋を抉ることが出来ただろう。そうなれば出血が止まらず、放っておいてもお前の勝ちだ」

 

「カイトさん……ぼ、僕、次はもっと上手くやって見せます!」

 

「ああ、大丈夫だ。お前ならできるよ」

 

心暖まる師弟の会話──当人達にとっては──であった。

 

 

「笑顔で交わす内容じゃないでしょうに。なんですかこのエグい会話は」

 

あと、最初の一匹が気の毒過ぎる。

リリルカの指摘は、届かぬままに反響して消えた。

 

………

……

 

それからも、ベルはカイトの指導のもと、小規模な戦闘を繰り返し行い経験を積んでいった。

ゴブリンを二十匹も倒す頃には、カイトからの指摘もほとんどなくなっていた。

ベルをダンジョンに慣らすという当初の目的は、ほぼほぼ達成されたと言って良かったのだ。

 

 

 

 

 

ここが、五階層(・・・)でなければ。

 

 

 

 

 

「オソラキレイ」

 

「あああぁ、ベル様っ!? しっかり! ちょっとカイト様!」

 

「ベルなら大丈夫だ!」

 

「アホですか! 見てくださいよ! 先程から虚ろな目で現実逃避しながら戦ってるんですよ!?」

 

「戦ってるなら大丈夫!」

 

「ぐおぅ……」

 

リリルカは頭を抱えてしまう。

いつもは十階層を越えるまで続くカイトの『あとちょっと』が、五階層で止まったのは奇蹟と言って良い。

 

「ハー、オソラキレイダヨゥ」

 

とはいえ、お陰でベルはこんなんだった。

 

ウォーシャドウは成り立てのレベル1が一人で相対するには危険だし、戦ってはいけない代表格のモンスターだ。

 

そして、そんなウォーシャドウを現実逃避しながら斬り刻むようにして惨殺できるレベル1などそうはいないし、いてはいけない。

 

そう、リリルカ最大の誤算は、ベルがこの階層に至ってなお、なんとか通用している(・・・・・・・・・・)ことであった。

 

(とにかくエグい! あぁ、ウォーシャドウの爪、もう一本も残っていませんね……あ、それでも今度は足回りに行くんですね…………動かなくなりました)

 

そうして、通路で遭遇したモンスターは全滅した。

その間、ベルには目立った外傷も無い。

 

「オッキナ クモガ ナガレテ イクョ」

 

(あかん)

 

リリルカは今、ベルが自分よりも高みへと至ったことを確信した。

 

すなわち、『現実逃避しながら殺し』の習得である。

 

的確に相手の戦力を削ぎ落とし、次いで機動力を奪い、動くだけで深くなるような傷を無数に与え続ける。

 

目は虚ろ。

ここではないどこかを幻視しながらも、手は止まらず。

 

成果で言えば、それこそ非常識極まりなく──

 

「ベル、グッジョブ!」

 

黙れ現実。今考え中だ。

 

戦い方ならば、間違いなくカイトのせいだ。

が、リリルカがもはや見慣れたそれよりも、ベルのやり方は遥かにエゲつなかった。

 

それは単純に、獲物の問題であろうか。

極めて殺傷性能の高い武器を持つカイトは、積み上げた経験と相成り、傷を負わせることと殺すことを平行して処理できる。

 

一方でベルの獲物は大振りなナイフのみ。

経験も浅い彼には、必然的にまず傷を与え、弱らせてから仕止める方法を選ばざるを得ないわけだ。

 

武器が一緒なら、恐らくカイトも似たような戦い方となるのだろう。

なるほど、理解した。

 

納得……

 

「できますか!」

 

「リリは間違ってないですよね!?」

 

「ベル様は恩恵を授かってまだ一週間ですよ!?」

 

「何ですかあれは! 普通にリリより強いんですけど!?」

 

「別に悔しくないですけども!!」

 

「なんか納得いきません!!」

 

「別に悔しくないですけどもー!!」

 

リリルカはひとしきりダンジョンの天井に向かって叫ぶと、息を荒げながら二人を見た。

 

二人も、リリルカを見ていた。

 

「リリ、どうしたんだ急に。腹でも減ったか?」

 

「オソラガ……はっ、ど、どうしたのリリ!?」

 

「……別にぃ、なんでもぉ、ありませぇん」

 

酷くヤサぐれたパルゥムの姿がそこにはあった。

 

「ふんだ。いいんですよそうやって、リリを除け者にしてお二人でいつまでも楽しく、勝手に殺戮を続けていればいいんです」

 

ぷいっ

 

「別に、今日初めてダンジョンに潜るベル様にお姉さん面してやろうとか、面倒見の良いところを見せちゃおうとか、いつも二人で潜っているコンビの姿を印象付けて、ベル様経由で主神様を懐柔しようだなんて」

 

あ、懐柔知ってたんだ、とベルは思った。

 

「これっぽっちも思ってませんでしたし!!」

 

ぷいぷいぷいっ

 

「リ、リリ、落ち着いて……そうだ、目を閉じて空を思い出そう! 気が付くと色々終わってて便利なんだ!」

 

「そ、れ、は! こっち側の住人のスキルです! あっち側のベル様には勿体無いってもんです! 何勝手に昇華させてるんですか! 返してください!!」

 

「いや、返せって言われても……て言うか、あっち側って何?」

 

困ったように尋ねるベルに、リリルカはこれ以上無い程簡潔に答えた。

 

「カイト様は勿論のこと……団長──セイル様とも同じ側です!」

 

「………………ッゴハ」

 

その答えがベルに与えたダメージは計り知れなかった。

まるで魂が抜けたように、ベルは膝から崩れ落ちた。

 

「ぼ、僕が、せ、せ、せっ、セイルさんと、おおお、同じ?…………オソラキレイ」

 

ベルは再び、遥かな大空へと旅立った。

 

「何を言うかと思えば」

 

カイトは呆れたように続けた。

 

「俺がこうやって、まるで真っ当な人間みたいな生活できてるのは、神ヘスティアや……リリが居てくれるからじゃないか」

 

いや、特に真っ当ではないです。

虚ろな目をしたベルは思った。

 

「俺達だけで勝手に、とか、そんな寂しいこと言わないでくれよ」

 

そんなカイトの言葉に、頬を膨らませたリリルカは暫し置き、

 

「もう一回言ってください」

 

こしょこしょと呟いた。

 

「俺が──」

 

「そこはいいです」

 

「神ヘスティアやリリが──」

 

「前半は余計です」

 

「……リリが居てくれるから、俺はとても楽しい」

 

「………………えへ」

 

にへら、そんな音が聞こえてきそうな笑みだった。

 

もうなにこいつら、爆発しちゃえよ。

ベルは穏やかに思った。

 

「……少し休憩して、戻りましょうカイト様。これ以上は、ベル様も限界のようです」

 

落ち着きを取り戻したリリルカは、優秀なサポーターとして職務を全うしようと動き出す。

 

(僕を限界にしたのはリリだけどね……)

 

言葉にできない何かを抱えて、ベルはまた一つ大人になった。

 

………

……

 

三人は静かになった通路で軽食を摂りながら、それぞれに身体を休めていた。

警戒はしていたし、幸い近くの壁からモンスターが産まれることも無かった。

 

あとは既に産まれ落ちているモンスターの接近にだけ気を付ければ、問題は無い。

 

だから、

 

ガラッ

 

石の崩れる音に、三人は同時に顔を向けた。

 

 

最初にベルは、『あれ、現実逃避のし過ぎで幻が見えるようになっちゃったのかな?』と思った。

 

カイトは、『こんなところにも牧場があるのか』と感心した。

 

リリルカだけが、まずあり得ない緊急事態の起こりを認識できた。

 

三人が身体を休めているダンジョンの通路、その先にある曲がり角から──

 

 

 

 

 

二頭の牛(・・・・)が、頭を覗かせていた。

 

 

 

 

 

「ミ……ミノタウロス!?」

 

 

ベル・クラネル初めての冒険は、まだ終わらない。

 




速報、原作突入

リリが可愛すぎるため書いていて無理やり可愛くしすぎているんじゃないかってすごく心配だけど、そもそもリリが可愛いのはもう仕方ないことだから気にしないことにした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25話 猛牛惨華


長い。
戦闘挟んでるとはいえ、さすが原作主人公の初ダンジョン。

そう言えば、カイト君も何気にまともな戦闘シーンは少なかった。
見辛かったら申し訳ない。


英雄ベル・クラネルは、自らの冒険譚を振り返るとき、初めてダンジョンへと挑んだ日のことを決まってこう話した。

 

『私の中の子供じみた憧憬は、あの日に塵と消えた。しかしだからこそ、きっとあの日から、我が人生が始まったのだ』

 

『今も色褪せることのない、過激かつ黄金の日々は、まさしくあそこがスタート地点だった……』

 

ベル・クラネルは懐かしむように目を細め、酒の入ったグラスに手を──

 

『……ねえ、待って、そんなに注がないで、飲めないから! ダメでしょ! ちょ、お父さん!? お子さんが暴走してますよ! 止めて! お酒に生きた虫入れないで!!』

 

『お母さんも! 笑ってないで!………………お前はそっから一歩たりとも近付くなよクソ金髪ゲス野郎!!』

 

『え、あ、嘘、嘘です! 止めて! 人の娘を抱いてどこかへ行こうとしないで!』

 

英雄ベル・クラネルへ直接インタビューして綴られた本、『ベルと愉快な仲間たち』は、そんな出だしで始まっていた。

 

─────────────────────

 

ミノタウロス────中層において、単独ではレベル2でさえ不覚を取ることもある、重量級モンスターの代表格。

 

筋骨隆々とした巨躯に牛の頭。

狂暴かつ獰猛な気性。

 

なまじ人体に近いからこその多彩な攻撃手段を持ち、これを打倒できるかどうかがレベル2となった冒険者の最初の関門と言ってよかった。

 

 

「逃げましょう。お二人とも、装備以外は捨てて行きますよ」

 

通路の角から姿を現した二匹のミノタウロス。

距離は二十M程度。しかし楽観は出来ない。

少なくともリリルカの知る常識において、今、追い付かれれば死は避けられない。

 

「よし、二人は先に行け。俺は連中の味が牛と同じなのか確かめてみる」

 

「止めてください! お腹壊しますよ! こんなときくらい言うこと聞いてください!」

 

「……逃げに徹するなら、相手をある程度手負いにしておくことが望ましい。これは勘だけど、そうしないと多分追い付かれる…………リリ、ベルを連れて出口へ向かえ。俺も後から行く」

 

カイトは言いながらミノタウロス達へ一歩踏み出し、剣を抜いた。

 

「ベル、リリを頼んだ」

 

返事は聞かずに、駆ける。

 

「リリ、行こう」

 

ベルは既に荷物をまとめ終えていた。

食料の類いは放り出し、魔石を集めた袋と武器のみを持っている。

 

「でも!」

 

「カイトさんが僕達へ逃げろっていったのは、あいつらと戦うのに足手まといになるからだよ」

 

不思議と冷静なベルの言葉に、リリルカは何も言い返せない。それが事実であるからだ。

 

接敵したカイトが剣を振るい、前に出ていたミノタウロスの右脚を深く抉った。

構わずミノタウロスが放った拳は、バックステップにより宙を切る。

 

「急ごう。今はそれしか、僕達にできることはないよ」

 

ベルはリリルカを促し、走り出した。

リリルカもそれに追従する。

 

二人は共通して、悔しそうな表情でその場を後にしたのであった。

 

 

 

二人の足音が遠くなるのを聞きながら、カイトは改めて戦況を分析する。

 

(でかくて堅くて、近接極振りか……苦手なタイプだ)

 

こんなときには、豊富な間接攻撃手段を持つ相方が欲しい。例えば、セイルの様な。

 

「ベル、槍とか使ってくれるかな……いや、向かないよな」

 

というか、武器全般の適正が低い。

体格や素早さからナイフを使わせていたが、今後のためには戦う手段を増やさねばならないだろう。

 

(ともあれ、こいつらか……抉った感じ、首さえ狙えればどうにかできるな。二匹ってのが難点だが──)

 

思い起こされる、戦場での記憶。

 

(まあ、経験がない訳じゃないか)

 

そもカイトの戦闘経験は、自分より大きな相手とのものが大半だ。

一対一など稀であったし、一撃もらえばお仕舞いなのはそれこそ今更だ。

 

元より、手負いにする程度で済ませるつもりなど毛頭になかった。

 

「ようし」

 

一息、そして突貫する。

狙うは無傷のミノタウロス。

 

丁度鼻息も荒く、カイトへ向かってきている。

もう一匹も前に出ようとしたが、抉られた脚の痛みか苦鳴を挙げて膝をついた。

 

カイトの黒剣は、カミソリのような切れ味で外皮を切り裂き、ノコギリのように傷口をズタズタにしていた。

もはや、あのミノタウロスがベル達を追うことは無いだろう。

 

「おおっ!」

 

ミノタウロスが凪ぎ払うようにして振るった腕を、体勢を屈めてやり過ごす。

どうやら頭は良くないようで、目の前でしゃがみこんだカイトへ蹴りが続くことはなかった。

 

ミノタウロスが振るったのは左腕だった。

だから、カイトのいる位置からは良く見えていた。

 

腕が振りきられた後、がら空きとなった左脇腹が。

 

そこへ、カイトは思いきり剣を突き立てて、身体の外側へ向けて振り抜いた。

 

剣幅分、胴体を抉られたミノタウロスは、悲鳴の様な声を挙げてカイトへと脚を突き出す。

技術も何もない、ただ脚を下から前方へ蹴り出すだけのそれを、カイトは左斜め前に踏み出しながら躱す。

 

同時に、振り上げていた剣の柄頭を思いきりミノタウロスの膝に叩き込んだ。

パキャッという、湿った破裂音が肉の内側から響く。

 

「ブモァアアアアッ!!」

 

狂ったような悲鳴を挙げながら、ミノタウロスは振りきっていた左腕をカイトに向けて叩きつけようとした。

怒りに燃えるその瞳には、憎い人間の姿しか写されていなかった。

 

その人間は、自分の膝に剣の柄を打ち込んでいた。

 

──だから(・・・)、剣の刃はまるで膝から生えるようにそびえていた。

 

その刃は、ミノタウロスへと凶悪な切れ味を向けていた。

 

ミノタウロスは腕を止めなかった。

そこまでの判断は出来なかったし、何より痛みと怒りは只でさえ低かったその知能を完全に奪い去っていたのだ。

 

結果として、ミノタウロスは自分から剣の刃に腕を叩き付けることとなった。

 

分厚い筋肉に覆われた腕の半ばにまで、刃は食い込んで──……止まった(・・・・)

 

「……マジか」

 

カイトはそう漏らしながらも、地面を蹴ってバックステップを開始していた。

理由は単純である。

 

姿勢を崩しかけながらミノタウロスが放った一撃は、刃の迎撃を受けてなお、その圧力が減ることが無かったからだ。

 

飛び退ろうとするよりも速く、その圧力はカイトの身体を五Mは離れたダンジョンの壁へと吹き飛ばした。

 

「っ痛ぅ…………なるほどな」

 

壁への衝突で、一瞬息が詰まりそうになったカイトは、剣を下ろして握りを緩める。

 

「一発の交換じゃ、分が悪過ぎるのか……リリが逃げろと言うわけだ」

 

幸い、そこまでの痛手は受けていない。

カイトが大枚叩いて手に入れた軽鎧は、さる中堅どころの鍛冶系ファミリアで特注した逸品だった。

……金さえ払えば例え駆け出し相手であっても、不相応な装備を提供することでも、有名なところだ。

セイルの紹介である。

 

背中から固いダンジョンの壁に衝突したカイトの胴体を、軽鎧は中層以下で採取される素材で作られた装甲でもって、見事に護りきっていた。

 

「まあ、でもそれだけだ」

 

剣の握りは緩めたままで、前傾姿勢になる。

 

「行くぞ牛頭。俺相手に手足に傷を負って、生き延びたやつはいないんだ」

 

戦いの途中で、気分が高揚することはカイトにとって珍しかった。

 

「肋切り落として、あいつらへの土産にしてやる」

 

不思議と悪い気分にならないのは、相手が人間ではないからか。それとも、戦う理由そのものが変わったからか。

 

疑問は尽きぬまま、カイトは再び、ミノタウロス達へと走り出した。

 

 

一方で、二匹のミノタウロス達は生意気な人間を潰し殺してやろうと戦意をみなぎらせていた。

先に脚を抉られた方はなんとか立ち上がり、もう一匹はその場に膝立ちとなったままでカイトを睨み付ける。

 

「そんなに睨むなよな……」

 

カイトは、膝立ちになったミノタウロスへと向かう。

動線を工夫し、もう一匹と一直線になるよう調整。

接敵に時間差を作り出す。

 

「怖くなるだろうが」

 

膝立ちのミノタウロスが振るう右腕を掻い潜り、カイトの剣はこれまでにない速度で牛頭の突き出た鼻を斬り上げた。

下顎から眉間近くまでを両断されたミノタウロスは、右手で傷を押さえて音にならない鳴き声を漏らす。

 

カイトは構わず身体を屈め、右へと跳躍。

背後から迫ってきていたもう一匹のミノタウロスは、仲間の身体が妨げとなり、一瞬カイトの姿を見失った。

 

「少しは笑って見せろ!」

 

そのミノタウロスの、さらに背後から回り込んだカイトは、両腿を通るように剣を振り切り、すぐさま斬り返した。

 

下腿筋の切断により重心をコントロール出来なくなったミノタウロスは、その場に尻餅を突きながら、背後を見やる。

 

最後に写ったのは、自分の首へと迫る黒い刃だった。

 

 

「まずは一匹、と」

 

首を切断したミノタウロスを一瞥すると、カイトは残る一匹へて目を向ける。

 

左半身をボロボロにされ、顔面の三分の一を真っ二つにされたミノタウロスは、戦意はあれど既に死に体だった。

 

荒い息が止まらず、立ち上がることさえ出来ない。

 

「チョロいもんだ」

 

カイトはミノタウロスの左手から回り込んだ。

それでもまだ、両腕を滅茶苦茶に振り回しながら飛び掛かれば、極僅かな勝機はあった。

 

──が、

 

突如、金色の光が走ったかと思うと、カイトがまさに斬り掛かろうとしていたミノタウロスは、五体をバラバラにされて散らばった。

 

「あぁ?」

 

「……ごめん、なさい。勢いが止まらなくて……」

 

金色の正体は女だった。

薄暗いダンジョンにおいてなお、『光輝く』という言葉が似合うほど美しい金髪。

カイトをしてほとんど察知できなかった接近、剣閃の煌めき……確信に時間は掛からなかった。

 

(レベル4……いや、5以上はあるか)

 

カイトの人生史上、出会った中でも間違いなく最強の存在だった。

 

「別にいいさ……それで、何か用か? 無ければ、仲間の後を追いたいんだが」

 

敵対すれば勝ち目はない。

一分の隙もなく、紙一重の逆転目もない。

奇跡は起こり得ず、万に一つの救いもない。

 

(凄いなぁ……本当に化け物ってのはいるんだなぁ)

 

腰にある剣は、紛れもない一級品だろう。

それと先程の剣閃だけで、彼女が近接職としてどれだけの高みにいるか、想像に固くない。

 

(自分の得意分野で、ここまで上をいかれたのは初めてだ)

 

きっと戦場で、自分に殺された連中は同じような気持ちだったのだろう。

 

どうにもし難い絶望感。

 

(敵として会わないで良かった)

 

そこに尽きる。

 

「用は、とくに。ただ、私達が取り逃がしたから……迷惑をかけたかと」

 

女はどこか感情の薄い声で話した。

 

「そうか……あ、カイト・アルバトスという。冒険者になって二ヶ月の、駆け出しだ。ぜひ今後とも、敵にならないことを願う」

 

剣を納め、自分が斬り落としたミノタウロスの頭を持ち上げる。ついでと言わんばかりの自己紹介に、女は首をかしげる。

その瞳は驚きに見開かれていた。

 

「二ヶ月……? じゃあ、レベル1?」

 

「ああ、そうだ」

 

「強いんだ、ね……あ、アイズ・ヴァレンシュタインです」

 

アイズ、と名乗った女は、たどたどしい感じに話を続ける。

初対面の人間と話慣れていないのだろう。

どことなく親近感を覚える不器用さだった。

 

「どうやって……そんなに強くなったの?」

 

「強い? あんたに言われると、嫌味にさえ思えないな」

 

腕を組み、憮然といった表情で吐き落とすカイト。

 

「レベル1で、ミノタウロスは普通、倒せない。それも、二匹は絶対無理」

 

だが、目の前の男はそれをやった。

自分は最後の最後で、余計な手出しをしただけだ。

あのままであっても、この男の勝ちは揺るがなかっただろう。

 

それは、同時期のアイズには出来なかったことだ。

 

「あー……その、どういう答えを望んでいるか判らないし、さっき言った通り仲間を追い掛けなきゃならん。話はまた後でも良いか?」

 

しかしカイトにも事情がある。

 

「また今度、会ったときにでも。な?」

 

「……わかった。私、ロキ・ファミリア。あなたは?」

 

「ヘスティア・ファミリアだ」

 

アイズはその名前に聞き覚えが無かったが、主神であるロキならば心当たりがあるかもしれない。

これが最後の対面とはならないだろうと判断する。

 

「おーい、アイズー! 先に行き過ぎだよー!」

 

「ちっ、うるせえ女だ。黙って走れねえのかよ」

 

通路の向こうから、アイズを呼ぶ声が響いてきた。

どうやら、会話はこれまでのようだった。

 

………

……

 

「も~アイズってば、あんだけ戦った後なのに、元気有り過ぎ! 置いてかれたあたし達が悪いんだけどさ」

 

そう言ってアイズの首に抱きついたのは、とにかく元気そう、という印象のアマゾネスだった。

 

「ごめんなさい」

 

彼女……ティオナ・ヒリュテに対して頭を垂れるアイズは、

 

「そもそもテメエが道を間違えたりしなけりゃあ、問題なかっただろうがバカ女が」

 

ベートの悪態にティオナを見る。

 

「あ、あはは……もう、なんで言うの!? このバカ犬!!」

 

「誰が犬だ! バカゾネス!」

 

「カッコ付け犬!」

 

「ぶっ殺す!」

 

「シャー!」

 

「おい」

 

完全に置いてきぼりだったカイトは、嫌々ながら声を掛けることにした。

 

「あ……」

 

アイズもそれを聞いて申し訳なさそうに漏らした。

 

「うん? あなた見ない顔ね……あっ、もしかしてアイズに助けてもらった? いやー、危ないとこだったねえ」

 

コロコロと表情の変わるティオナに、カイトは引き気味だ。

苦手な……アマゾネスと言うだけでもその部類に入る彼女のテンションに、ついていける気がしなかった。

 

「違うよティオナ。私が来たときにはほとんど終わってた」

 

アイズの言葉に、ティオナは大きな瞳を見開いた。

 

「えーっ! この階層のこんな端っこにいるってことは、あなたレベル1とかじゃないの!?」

 

「まあ、そうだけと……」

 

「レベル1でミノタウロスに勝ったの!? 強いんだね!!」

 

「う、うん、ありがとう」

 

近い。距離が近い。

離れてください、お願いします。

 

「けっ、どっちにしろザコに用はねえ。こっちもまだやることがあるんでな」

 

狼人(ウェアウルフ)特有の、見下し気味な物言いは、かえってカイトを窮地から救う助け船となった。

 

「……そいつはすまない。だが、こちらとしても早いとこ仲間と合流しなきゃならん」

 

「なら、とっとといっちまえ」

 

吐き捨てるように、ベートは続けた。

 

あと一匹(・・・・)、どっか逃げたままだからな」

 

その言葉に、背中を嫌な汗が伝う。

 

「まだ、いるのか?」

 

「あと一匹だっつったろ。すぐ片付く」

 

今カイト達がいるのは、五階層の本道から外れたエリアだ。

ぐんぐん先に進んでいくカイトを抑えるため、リリルカが誘導したからだ。

 

そして、ここには今まで二匹のミノタウロスがいた。

 

では、残る一匹は?

 

最短ルートで、さらに上へと向かった可能性が高かった。

 

「もし……今日初めてダンジョンに入った子供が、あの牛頭と遭遇したとして」

 

猛烈に、込み上げてくる予感。

 

「逃げ切れるか?」

 

「無理じゃない?」

 

「難しいと、思う」

 

「まあ、死ぬな」

 

先に、逃がすべきではなかった。

一緒にいてやれば。

 

そんな後悔がカイトを襲う。

 

「俺は、探索はいつもサポーター頼みだ」

 

だが生憎と、後悔で足を止めるような生き方を知らなかった。

 

「すまん、後輩がアレと出くわした可能性がある。すぐにでも追い付きたい」

 

「んなこたぁ、テメエが面倒見ろよ!」

 

ベートの言い分は正しかった。

 

「道がわからん」

 

「えぇ……」

 

「はぐれたら、置いていって構わない」

 

持っていたミノタウロスの頭を放り捨て、カイトは三人へ頭を下げた。

 

「俺も、同行させてくれ」

 

 

 





ベートのコレジャナイ感ががが

ロキ・ファミリアではティオナかママ・リヴェリアが好きです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

断章1 礼拝堂で神は悩む


色々考えた結果、主人公の能力は主人公自身に明かさない方がやり易いなと。
少なくとも、今はまだその方針です。

ただ、それだと説明が不親切な描写も増えそうなので、ちょくちょくこういったものを入れていこうかと。

……ただのギャグ回になる可能性も微レ存。


ヘスティアは眷属達を見送ると、バイトが始まるまで暫しの暇をもて余す。

 

大抵はバイトが始まる頃にカイトも合わせて出発するため、途中までは一緒だったりするのだが、今日はベルがいる。

 

初めてのダンジョンと言うことで、人が増え始める前に一階層での戦闘を経験させておきたいと言う、リリルカの提案のためだった。

 

「どうか無事で、怪我をしたって……良くはないけど、どうか笑って、帰ってきておくれ」

 

朽ちた礼拝堂で、誰ともなしにヘスティアは呟いた。

 

神と言うのは不便なものだ、と思う。

こんなとき、祈る相手もいやしない。

 

 

さて、祈りはせずともやることもなし。

ともなれば寝てしまいそうにさえなる長閑さを醸し出す礼拝堂で、ヘスティアは胸元から二枚の紙を取り出した。

 

ちょくちょく出くわすたびに、自分をデブだの脂肪の塊だのと宣う板胸女神に、いつか見せつけてやるための練習として、ヘスティアはたまにそんな物の収納を練習していた。

 

……さすがに下品なので、カイトやベルからは止められたが。

 

「うーん」

 

唸る。

 

「不可思議だ」

 

ヒラヒラと、紙が揺れる。

それは大切な二人の眷属、そのステイタスを更新したときに作った写しであった。

 

………

……

 

ベル・クラネル

種族:ヒューマン

 

レベル1

 

力 :I45

耐久 :I88

器用 :I54

敏捷 :H103

魔力 :I0

 

≪魔法≫

 

≪スキル≫

 

──────────────────────

 

カイト・アルバトス

種族:ヒューマン

 

レベル1

 

力 :F380

耐久 :F386

器用 :G220

敏捷 :F304

魔力 :I0

 

対人 :C

 

≪魔法≫

 

≪スキル≫

戦場の流儀(ウォードレス)

・対多数戦闘時に各ステイタス上昇補正。

・追い詰められるほど効果上昇。

・庇護対象が親しいほど効果上昇。

・敵対対象を殺害するたびに効果上昇。

 

………

……

 

「誰かに相談しようかな……」

 

なんか、眷属の成長率が聞いていたのと違うんですけど、と。

 

ベルに関しては、何となく納得ができる。

何せ、毎日カイトと訓練をしているのだ。

抜き身の剣(・・・・・)で、ボロボロになるまで。

 

そりゃあ、耐久は上がるし、逃げ回れば敏捷もこうなろう。

 

ただカイトは……

 

「下地があるから成長が早いとか、そう言うことは無いはずなんだけどなぁ」

 

恩恵を受けてから戦場に立ったのであれば、この伸びは納得ができるし、むしろ少ないと思うかもしれない。

 

二ヶ月なら、行けても三から五階層──……それが所謂、普通の冒険者としてのペースだった。

間違っても、初日から今日に至るまで平均十階層へと潜り、ほとんど怪我もなく帰ってこれるものではない。

 

「んー……考えられるのはスキルだよねぇ。結局、この対人ってアビリティもまだ調べてないし。ミアハかタケ辺りなら、誠実だし秘密は守ってくれそうだけど」

 

どちらも零細ファミリアとして苦労しているところだ。

あまり詳しくは無いかもしれない。

とはいえ、ヘファイストスは……

 

「なんでもっと早く言わないの!って、怒られるのが目に見えてるんだよなぁ……」

 

正座は嫌なのである。

それに、他でもない自分の、初めての家族なのだ。

そのことで誰かに相談なんて、だって、なんだかとても、情けない神にも程があるじゃないか、と。

 

悶々とするヘスティアは、暫し考え詰めた後──

 

「……よし、バイト中にミアハかタケが来たら話してみよう。来なかったら、ヘファイストスに聞こう」

 

他でもない、可愛い子供の為である。

ヘスティアは静かに覚悟を決めた。

 

………

……

 

「どう? 調子は。真面目に働いているかしら?」

 

「えぇー……」

 

昼前に、店を訪れた最初の()は、こともあろうかヘファイストスだった。

 

「な、なによ、近くを通り掛かったから、ちょっと様子を見に来ただけじゃない」

 

そんなリアクション、しなくても良いじゃない。

 

「うぅー……」

 

「その……ごめんね?」

 

何か悪いこと、しちゃったかしら。

 

「違うよ! ヘファイストスは何にも悪くないよ!」

 

ちょっと間が悪すぎて、心の準備と覚悟が音を立てて崩れてしまっただけなのだ。

 

「ヘファイストスぅ…………」

 

「……ちょっと、本当にどうしたの?」

 

「眷属の……カイト君のことで相談があるんだ」

 

思い詰めたような神友の言葉に、

 

「あら、それならバイト後、ウチにいらっしゃいな」

 

世話焼きな鍛冶神は、そのように即答したものだった。

 

………

……

 

ヘファイストスが去って数分後──

 

「おお、ヘスティア、息災か?」

 

「やあミアハ、元気だよ」

 

「実は、眷属のことで相談があってな。今度時間を──」

 

「うがー!!」

 

今日も、晴れやかな空が広がっていた。





短っ

実は本編内に混ぜ混む形で説明回パートを書いていて、あまりのテンポの悪さに抜き出しました。

構成が崩れる原因にもなるので、ちょっと色々と作り直します。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話 呼び声の聴こえる方へ

入院しました。
出てきたら仕事が僕を待っていました。

はい、すみません。
ぶっちゃけ書くことが出来る余裕がありませんでした。

少しずつですが進めて行きます。
感想も勿論返していきます。


「ベル様! こちらです!」

 

リリルカの先導する声が、ダンジョンの二階層に響く。

 

「っと」

 

後に続くように走っていたベルは、慌てて方向転換を行い、その小さなサポーターに追随する。

 

 

カイトと別れてからすぐ、少なくとも表面上、リリルカは落ち着きを取り戻していた。

自分達がカイトの助けになれないことを飲み下し、助けを呼ぼうという目的が出来たからだ。

 

しかし、頭の中は沸き上がる焦燥でいっぱいだった。

 

負けるなんて想像もしたくない。

だが、どうしても、ダンジョンの怖さをパーティーの誰よりも知るリリルカには、無事で済むという考えを許容出来なかったのだ。

 

「早く、早く行かなくては」

 

心を許せる存在を、求め続けていた。

こんな自分を、暗闇からさらっていってくれた人なのだ。

それを、一人っきりになんて、そんなの、

 

「ダメに決まってるじゃないですか!」

 

早く助けに戻り、また明日から、いつものように──

 

「──リリ!!!」

 

「え?」

 

大声で呼ばれ、振り返る最中、違和感に気付く。

 

暗い。

 

リリルカが知るダンジョンは、もう少し視界が明るかった。

 

暗い。

 

その割に、視界の端に映るベルの姿はハッキリと見える。

 

暗いのは、リリルカのすぐ横に、影を落とす何か(・・)がいるからで──

 

「あっ」

 

この階層のモンスターで、こんな大きな脚は知らない。

 

「ああ」

 

太い胴も、大きな肩も。

 

「そんな……」

 

牛の頭、感情の読めない瞳が自分を捉えていた。

 

巨木のような腕が、振り上げられて──

 

「リリ! ごめん!!」

 

脇腹に追突するような勢いで、ベルがリリルカを突き飛ばす。

二人が地面に転がる直前に、地響きのような音が、ミノタウロスの叩きつけた腕によって発生した。

 

「こんなの」

 

もし受けていれば、リリルカなど粉々になってしまうだろう。

 

「リリ、怪我はない!?」

 

ベルは身を起こしながらナイフを抜く。

もはや逃げを取れるだけの距離的優位は存在していなかった。

 

頭の中が、火を点けたように熱い。

地面に立つ己の足から感覚が消えていく。

ナイフを持つのが右手か、左手か、わからなくなる。

 

「落ち着け、落ち着けよ、僕!」

 

震えているのは声、手足、心──

 

「ベル様、無理です!」

 

知っている、そんなことは。

やるしかないんだ、今は。

絶対に(・・・)、負けられない!

 

 

今にも思考を止めてしまいそうな頭の中を、カイトに教わったことが早送りに流れていった。

 

「リリ、急いで上から、誰か呼んできて」

 

──デカイ相手なら、常に体勢を低く。

 

「それまでは、僕がこいつを止めてみせる!」

 

──初撃をかわしてやれば、どいつもこいつも前のめりに突っ込んでくる。

 

「やれる……やってやる!」

 

──ただし、自分が前のめりになっちゃいけない。

 

「うああああっ!!」

 

──小兵が一撃に賭ける姿ってのは、驚くくらいに惨めで、隙だらけなもんだ。

 

いくらでも、思い出せるのに。

ベルの身体はまったくその通りに動くことはなかった。

 

大きな踏み込みと共に、叩き付けるように振るわれるナイフ。

カイトの剣に良く似た黒色の、歪なシルエットをした刀身は、

 

「あ……れ?」

 

音もなく、姿を消した。

折れた、ミノタウロスの突き出した腕とぶつかって。

 

ああ、そうか。

だからか。

 

ベルの思考だけが、緩やかにそれを認識していた。

 

自分に向かって、蹄に覆われた拳が、今にも──

 

 

 

グチッ

 

 

 

「ベル様!!」

 

その、たった一度の交錯で、ベル・クラネルは新人冒険者から死体未満のボロ雑巾へと変貌した。

 

「やあああっ!」

 

リリルカが懐から引き抜いた魔剣を破れかぶれに振るうと、赤色の刀身から迸る火炎が、ミノタウロスの顔面を捉えた。

 

「ブモゥ!」

 

煩わしそうにそれを払いながら、巨躯が後ずさる。

 

「ベル様、しっかりしてください! ベル様っ!」

 

直ぐ様駆け出したリリルカは、走りながら取り出したポーションをありったけベルの身体にぶちまけた。

回復を待たず、襟首を掴んでその場を離れる。

 

「ううっ」

 

じわじわと身体を癒すポーションの効果か、ベルが僅かな呻き声を挙げた。

 

「こ、こんなところで、死なないでください! リリだって、死にたくありません!」

 

足が震える。

喉が緊張で焼き付く。

こんなにも『死』が間近にあったことは、リリルカの人生でも数えるほどしかない。

 

それも──

 

ズシッ

 

振り返ることすら──

 

ズシッ、ドス! ドス! ドスッ!

 

怖くて出来ない程の死は。

 

「うわあああっ!!」

 

片手にベルの襟首を。

もう片方の手に魔剣を握り、リリルカはろくに狙いもつけず背後へ振り切った。

 

恐怖に瞑りそうになった瞳に映ったのは、

 

「ブゥウゥオオオ!」

 

迫りくる炎を分厚い胸板で弾きながら突進してくる、ミノタウロスの姿だった。

 

「いいぃいやああああ!」

 

涙が溢れ出てくる。

歯がしっかりと噛み合わず、生まれてこのかた出したことの無い悲鳴を上げた。

 

「カイト様ーっ! 助けてくださいぃぃぃ!!」

 

そんな、気がつけば叫んでいた助けを呼ぶ声と、願いは、

 

 

「任せろ」

 

 

狙い済ましたかのようなタイミングで、成就する運びとなった。

 

………

……

 

「……結構、着いてくるね」

 

ティオナの呟きに、アイズは僅かに後ろへ目をやった。

そこには、先程出会ったばかりの同い年くらいの少年が後を着いてきていた。

 

「すぐハグレるかと思った。さすが、ミノタウロスを撃破しちゃうだけのことはあるってこと?」

 

ベートを含め三人は、カイトの頼みを結局は了承することにした。

 

『好きにしな。まあ、次の曲がり角まで着いてこれりゃあ、お慰みってヤツだ』

 

ベートの言葉が三人の心情を物語る。

それほどまでに、レベル1と自分達には大きな差があるのだ。

 

しかし、そう(・・)とはならなかった。

既に三階層。

黒髪の、イマイチ雰囲気が掴みづらい彼は、彼女達を追い抜けず、然りとて離されないようにしっかりと着いてきていた。

 

「ねえねえ、スカウトしたらウチのファミリアに来てくれるかな?」

 

ティオナは大きな瞳を好奇心に輝かせながら言った。

 

「くだらねえこと言ってんな、バカゾネス」

 

不機嫌そうなベートの口調に、あらやだ、と、褐色の少女は口元を笑みに象った。

 

「やだー、こわいねーアイズー、何だか機嫌も悪そうだしー……しばらく近付かないでおこうねー?」

 

隣を走るアイズの腕に……走りながら絡み付く、無駄に高性能な身体能力を発揮しながらも、速度は落ちない。

 

「テメエ! マジで噛み殺すぞ!!」

 

「こわーい、アイズゥ、助けてぇん?」

 

「……えっと、ベートさん、仲間にそういうの、良くないです」

 

「がああああ!」

 

「あー、負け犬の遠吠えが心地いいわー!」

 

「あと、ティオナも、走り辛いから」

 

なんだこいつら。

 

とてもじゃないが追い付いて、じゃれあいに混じるような真似は出来そうにないカイトは、どことなく元部下達を思わせるような会話に僅かな頭痛を感じていた。

 

そんなやり取りは、二階層へと続く階段の直前まで続いた。

いや、何も起こらなければ、もっと長くなっていただろう。

 

──急転は、突然だった。

 

 

「──うわあああっ!」

 

 

悲鳴だ。

少女のものだ。

 

眉を潜めるアイズ。

驚きを素直に表情に出すティオナ。

舌打ちを漏らすベート。

 

そんな三人の間を、風、と言うにはあまりに乱暴で肉厚な物体が駆け抜けていった。

 

カイトだった。

 

悲鳴の主を知っていた。

初めて聞く、恐怖に染まった声色だった。

自分の手が届かない所で、彼女がその様な悲鳴を挙げていた。

 

 

「えっ!?」

 

後ろで誰かの驚く声が挙がった。

 

関係ない。

 

「リリ……!」

 

その心に湧く焦燥の真因を、カイトはまだ知らない。

 

………

……

 

身体が軽い。

駆けながら、カイトは焦る頭の片隅で思考する。

 

オラリオに、ダンジョンに潜るようになってから、度々経験する不可思議な身体能力の上昇。

リリルカからはスキルの存在を説明されていたが、ヘスティアはそんなもの無いと言う。

 

……自分の主神は何かを誤魔化すとき、決して相手の目を見ようとはしないため、真実は明白ではあったが。

 

なんにせよ、カイトの力や速度に大幅な補正が発生するとき、大抵リリルカが側にいたことは確かであった。

 

それくらいは、カイトにだって理解できている。

 

つまりは、こんな──

 

「いいぃいやああああ!」

 

こんな、自分が──

 

「カイト様ーっ!」

 

手にするなんて余りにも──

 

「助けてくださいぃぃぃ!!」

 

「ああ────任せろ」

 

幸せに過ぎる、力じゃないか。




続きます。
週末には次をあげたい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第27話 夢から醒めた紅兎


書き始めたら一気だった件について。
自分の端末が未だにリリカワを一発変換できることに感謝しつつ。


果たして、アイズ達が現場を視界に収めた時、既にミノタウロスは両膝を断ち切られて尻餅を突いている状態だった。

 

「うわ」

 

ティオナが声を漏らす。

あり得ないことが起こっている。

 

カイトが先程五階層で二匹のミノタウロスを倒したという仲間の言葉を、信じきれていなかったことが今になってわかった。

 

だが、現実はどうか。

 

少なくとも、意識があるかもわからない少年や、その襟首を掴んだまま鼻をすすり上げているパルゥムの少女よりは。

 

血の滴る黒剣を携えたカイトがそれをやったと言われた方が、何十倍も説得力のある話であった。

 

「う……ぅ」

 

その時、意識が無いように思われた少年が呻き声を挙げた。

見れば血塗れではあるものの、外傷は無いに等しい。

ポーションを投与されていたのだろう。

 

うっすらと赤目が開き、目の前の光景を視野に収める。

 

「!?」

 

驚愕の吐息が裂くように響いた。

 

ミノタウロスは尻餅を突いたまま、荒い鼻息で周囲を見渡している。

脚を失いなお、中層の暴れ屋はその闘志を失ってはいなかった。

自分は動けない。

なら、せめて、手の届く範囲にいる生き物を叩き潰す。

 

そんな思惑が透けて見えるような動作だった。

 

カイトは恐らく狙って、ギリギリその範囲外で剣を構えていた。

今のミノタウロスが向きを変え、襲い掛かるためには両腕を使わなくてはならない。

その瞬間を狙っているのだ。

 

(怖くないのかな)

 

ティオナは考える。

 

もし、今のカイトと同じ場所に置かれたら、オラリオにいるレベル1の冒険者は九割九分が逃げ出すだろう。

悲鳴を挙げて、武器を放り出し、脇目も降らず、仲間など見捨て、走り出すのだ。

 

それは当たり前のことである。

 

自身より想定レベルの高いモンスターと対峙するということは、そのような弱者を平然と生み出す出来事なのだ。

 

(だって、下手すれば死んじゃうし)

 

神がいて、奇蹟の加護が存在し、英雄だっているようなオラリオにおいてさえ、不変で在らざるを得ない事実。

 

死者は生き返らない。

 

当たり前過ぎる常識は、決まって死の影が色濃く覆った者の所へ顔を出す。

 

(驚いたなぁ)

 

カイトの顔に、恐怖の色は無い。

ただ当たり前のように、命を奪う瞬間を待っている。

 

(あんなの、他にもいたんだなぁ)

 

感心のような、呆れのような、ただ一息『ほうっ』と漏れた溜め息を合図に、状況は動き出した。

 

………

……

 

(生きてる)

 

目覚めてすぐに、ベルが思ったのはそれだった。

目の前が真っ暗なのは、自分が目蓋を閉じているから。

 

そして、動物のような呼吸音が聞こえるのは……──

 

「!?」

 

外気に触れた瞳が映したのは、2M先で座り込む暴牛の姿。

 

慌てた心と裏腹に、身体の動きはすこぶる悪かった。

まず、痛い。

次に、痺れ。

 

何よりも、血を失ったことから来る寒さ。

 

全てが初体験の中、今日初めて冒険に来たベルに抵抗の手段は存在しなかった。

 

ただ、恐怖の象徴であるかのように鎮座するミノタウロスの斜め前、自分に横顔が覗く位置で剣を構える、見慣れた姿。

 

「ぁ……」

 

(カイトさん……)

 

口が動かない。

 

(カイトさん……ごめんなさい)

 

涙も出ない。

 

(僕はリリを任されたのに)

 

背後から、嗚咽が聞こえた。

 

(何も出来なかったんです)

 

苦痛にまみれた身体を余所に、思考だけで言葉を紡いだ。

 

(教えてもらったのに)

 

「リリ、よく頑張った」

 

(全然、言う通りに出来なくて)

 

「ベルを連れて、逃げろ」

 

(今だって、助けてもらってて……)

 

なんて、情けない。

 

こんな自分──消えてしまえばいいのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰かの────溜め息が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぉあぁっ!」

 

 

ベルが人生で一番自分を嫌いになった瞬間、手足に力が舞い戻る。

それは、ようやく効き目の全てを発揮し終えたポーションがもたらした結果であるが、ベルには関係無い。

 

みっともない自分の暴走を、身体も後押ししている。

 

そうとしか思えなかった。

 

「逃げてたまるか!」

 

立ち上がり、目の前の牛頭を睨み付ける。

 

「かかってこいよ、このやろうっ‼」

 

最早、刃など欠片も残ってはいないナイフを手に、ベルは自らミノタウロスの殺傷半径へと足を踏み出した。

 

………

……

 

「ンのザコが!」

 

ベートが飛び出すために身を屈め、自分も同じく前へと駆け出す。

 

(間に合わないっ)

 

ティオナは瞬時にそれを理解した。

ベートも同様に、顔を歪める。

 

距離があり、少年は誰の目にも明らかな前のめり、逃げる気がない。そして何よりも、ミノタウロスは既に腕を振り上げていた。

 

「崩して!」

 

叫びを置き去りに、ティオナのすぐ横を恐ろしく綺麗な奔流が駆け抜けて行った。

 

その金色の奔流は、オラリオ最高の女剣士。

 

剣姫・アイズ・ヴァレンシュタイン。

 

僅か一足で、ミノタウロスへの距離を半分潰す。

 

まだ足りない。

降り下ろされ始めた巨腕を、その持ち主ごと細切れにするためには。

 

時間こそが、最も足りていなかった。

 

そしてそれを、誰よりもアイズ本人が理解していた。

 

だから叫んだ。

 

それで十分、通じると確信して。

 

 

「ふっ!」

 

 

当たり前のように、カイトは動いた。

 

剣を捨て、1Mの距離まで踏み込み、跳ぶ。

凡そ戦場で使ったことなど一度もない、助走をつけた跳び蹴りが、ミノタウロスの脇腹へと突き刺さる。

 

「ブゥオォウ!?」

 

バランスが崩れたことで、ミノタウロスの身体が揺れる。脚がない巨躯は、それを立て直すことが出来ない。

 

千金に値する時間が生まれる。

 

 

奔流は風を纏い、金糸を曳いて閃光となった。

 

 

まるで絵の具をぶちまけたような、それが、オラリオ史上初めて二階層まで進出したミノタウロスの最期だった。

 

 

………

……

 

場違い。

 

今、ベルが感じている感情がそれだ。

全身はミノタウロスの血でどす黒く染まり、惚けたようにへたりこんでいる。

 

凄かった。

煌めきを放つ、冗談のような美女に助けられた。

カイトとの連携も見事だった。

 

それこそなんで、

 

(僕は……なんで)

 

ベル・クラネルはここにいるのか。

 

何の必要もないのに。

 

「君……大丈夫?」

 

綺麗な人の声がする。

 

「ベル、良い気合だったが少し無茶だ。怪我は大丈夫か?」

 

頼もしい先輩が、自分を気遣う。

 

「ベル様ぁ……ご無事で良かったです……ヒック」

 

涙でグシャグシャな顔で、心配された。

 

何も出来なかった自分を。

 

 

先程までの自棄的な感情は薄れている。

まるで傷から生まれた熱が、悪意をもって身体を突き動かしたような気分だった。

 

外傷はポーションのお陰で殆ど残っていない。

傷とはすなわち、心にとってのモノだった。

 

敵わないなんてわかりきっていたのに、勝手に期待した。

 

もしかしたら、自分の力は通用するんじゃないかと。

 

結果は散々で、ともすればリリルカさえも巻き込んで、挽き肉になるところだった。

 

惨めだった。

 

ベルは息さえ殺して、込み上げてきた涙を堪えた。

 

怖かった。

 

死ぬかと思った。

 

カイトから頼まれたリリルカのことは、間抜けにも助けが来てから思い出す始末だった。

 

勘違いをしたのだ。

 

カイトがそうしたように、自分にだってミノタウロスを食い止める力くらいある。

英雄になるのだ。

それくらい出来なくて、どうするんだ。

 

さあ、行けベル・クラネル。

お前は冒険者なんだ。

 

そんな都合の良い励ましを、他ならぬ自分自身にかけ続け、ナイフを引き抜いたのだ。

 

勘違いだったのに。

 

怖くない、大丈夫、きっと大丈夫。

英雄になるんだろ?

 

目的が、自分の力になるなんて、都合の良い夢を見て。

足を踏み出したのだ。

 

結局それは、勘違い等ではなく、ただ──

 

怖くない、英雄になる、だから大丈夫。

 

粋がった間抜けの、妄想に過ぎなかったのだ。

 

挙げ句の果てに、この様だ。

心配をかけ、気遣われ、言葉も発せない。

 

最後に見た、カイトと女剣士の戦い様は、正しく自分がなりたい英雄そのもので。

キラキラと輝いていた。

 

ゴッコ遊び(・・・・・)などではない、果てしなく上の存在。

 

「おいおい、なんだぁこのトマト野郎は。かました挙げ句これとか、ちっと惨め過ぎんぜ」

 

自分を笑う声がする。

 

「う……」

 

「怪我は平気? 怖かったね」

 

その、綺麗な女剣士の言葉が切っ掛けで、

 

「うわああああぁっ‼‼」

 

何もかもから目を背け、ベルはその場を逃げ出した。





この章はあと二話くらいで終わります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話 風よりも速く


思ったより長くなったので分けることにしました。

感想でアンチヘイト的なご意見をいただきました。
確かに、と納得してしまう反面、僕はこの原作が大好きです。

なので、どうかもう少し見ててもらえると嬉しいです。


ダンジョンを出ると、陽に朱色が混じり始めようという時間だった。

 

「さて、どうするかな」

 

そう呟くカイトのもとへ、魔石の換金を終えたリリルカが走り寄る。

 

「どう、ではないですよ! 早くベル様を探しにいかないと!」

 

先程ダンジョンでこぼした涙の跡はもうない。

いつものしっかりとした……若干鼻の頭が赤いリリルカである。

 

「落ち着けリリ。新米が怪我や、血を浴びてハイになるのはよくあるんだ」

 

「ハイになった後に心がバッキバキになってましたが!?」

 

可哀想に。

無茶して、怪我をして、みっともなく助けられた。

 

それが、どれだけ幸運なこと(・・・・・)か。

 

ベルはまだ知らないのだ。

 

「落ち込んでますよきっと。ご自分だけ何の役にも立てなかった、とか、身勝手な行動でみんなに迷惑をかけてしまったとか」

 

「……そうなのか?」

 

「少なくともリリにも昔、似たような経験があります」

 

まだ、冒険者と言うものにさほど絶望しておらず、自分が頑張ることで何かが上手くいくという、根拠のない自信があった頃の話だが。

 

「リリの場合、その当時パーティーを組んでいた方々が……その、カイト様みたいに率先して助けようとかする事がなかったので、早々にその勘違いに気付きましたが」

 

「勘違い、と言うと?」

 

取り敢えずはと、街へ向けて歩き出すカイトの問いに、リリルカは何かを懐かしむように返す。

 

「どれだけ強い想いや、目的があったとしても」

 

声は平淡で、

 

「死ぬんです、人は」

 

瞳には揺らぎの一つもない。

 

「だから、それを(・・・)頼りにしてはいけないんです。信じていれば何かが起こるなんて、嘘です」

 

「……うん」

 

「それに気付いて生きているのなら、それは、この街では、とても幸運なことなんですよ」

 

でも、と、

 

「その心にある目指すべきモノの輝きは、それでもなお、価値を下げてはいけないのです……それは、きっととても、尊いものですから」

 

「リリにもあるのか? その、目指すべきモノって」

 

「ありません」

 

リリルカの返答は一言であった。

 

「リリは、それを持ち続けることが出来ませんでした……何もしてくれないモノなんて不要だって勘違いをして、捨ててしまったんですよ」

 

その顔に浮かんだ微笑みは、カイトが初めて見る哀しそうな色を漂わせていた。

 

「ベル様は今きっと、自分の目的も含めて絶望し、消えてしまいたくて堪らなくなっていると思います」

 

「……ああ」

 

「だから、見つけてあげなくては、いけないんです」

 

リリルカの言葉に、カイトはふと想いを馳せる。

 

そうなのだろうか。

自分には経験がない。

 

何かに打ちのめされたことも。

 

──あったはずなのに。

 

もう立ち上がりたくないと思ったことも。

 

──何度もあったはずなのに。

 

だって、自分はそのいずれの時において──

 

何も感じてはいなかったから。(・・・・・・・・・・・・)

 

悔しくも、辛くもなかった。

あの当時の自分には、リリルカの言う尊い何かなんてものはなかったのだ。

 

──では、今は?

 

ある、と思いたいが、心当たりはまるでなかった。

 

「リリは……」

 

疑問のままに口を開く。

 

「消えてしまいたいと、思っているのか?」

 

大切な何かを捨ててしまった彼女は、今こうしているときでさえ、そのように思っているのだろうか。

 

「毎日思ってました」

 

余りも軽く、当然のように返ってきた返答は、少なからずカイトを驚かせた。

 

「朝起きても、歩いていても……そうですね、まるで風が草を撫でるような音が近付いてくるんです」

 

ざざざ、と、声で音を表現するリリルカ。

 

「一度聞こえてくると、もうダメです。心が潰れてしまいそうな毎日ですよ」

 

眉根にシワを作り、リリルカは続ける。

 

「夜眠る前なんて最悪です。周囲から音が迫ってきて、リリは世界に独りぼっちで、誰からも嫌われていて…………生きているのが嫌になるんです」

 

「……そうか」

 

「でも」

 

リリルカがカイトを見る。そこに浮かぶ笑みは、先程とはまるで違う、喜びに満ち溢れているような──

 

「不思議ですね。カイト様と、冒険に出掛けたあの日から」

 

柔らかな……そう表現して差し支えない微笑みで、

 

「あの音は、聞こえないんです」

 

締め括る。

 

カイトは何も言葉を発する事が出来なかった。

ああ、綺麗だな、と思う反面、怖かった。

 

今自分は感情を向けられている。

殺意でも、害意でもなく、同情や憐憫とも違う。

 

ごく僅かに経験していた優しさとも違う。

 

正体不明の感情を、リリルカはカイトに向けているのだ。

 

わからないことが怖いのではない。

 

ただ、その感情がもし、人間が持つ当たり前の何かなのだとしたら……それが理解出来ない自分は、果たして人と呼べるのだろうか。

 

そんな考えに至り、そこから先を考えることが怖くなった。

 

「さ、行きますよカイト様。あの格好です。きっと走り去るベル様を目撃した人は多いはずです。聞き込みですよ!」

 

歩き出すリリルカの後ろ姿……大きなバックパックで足元以外が隠れてしまった彼女に向けて、カイトは呟くように言った。

 

「俺は……リリに優しく出来ているのかな」

 

小さな声は、雑踏の中に消えていく。

 

「リリ、俺は変われているのかな」

 

どんどん歩いていく姿を追いかけながら、

 

「何も持ってない俺は…………いつか、消えてしまうのかな」

 

カイトの言葉は、ついにリリルカへ届くことはなかった。

 

………

……

 

ベル・クラネルは歩いていた。

正確には、勢いのままに走り出し、初の冒険で疲弊していた身体がそれを維持出来なかったため、もはや這々の体であった。

 

「……はあぁぁぁぁ」

 

深い溜め息が出る。

 

ざわ……

 

周囲の人混みからざわめきが立ち上がり、サッとベルの進む方向から人が消える。

 

それはそうだ。

自分のではないと言え、血塗れの少年が街中を歩いているのである。

冒険者で溢れるこのオラリオ市民にとっても、早々見慣れたものではなかった。

 

「カイトさん達に合わす顔がないよ……どうしよう」

 

先程の光景が脳裏に過る。

 

世界で一番みっともない人間がいるとすれば、あの瞬間、まさしく自分がそうだった。

 

ベルはそう思う。

 

なんであんな無謀なことをしたのか。

無茶をしても、助けてくれると期待していたのか?

どうにかなるなんて、都合良くも思っていたのだろうか。

 

「……きっと、思ってたんだ」

 

だってあんなにも強くて、

 

「頼ってた」

 

戦い方を教えてくれた。

 

「僕はそれだけで、自分も強くなった気でいたんだ」

 

そんなわけ、あるはずもないのに。

 

「僕なんかが、英雄になれるのかな……おじいちゃん」

 

こんな夢を持ったがために、今、苦しい。

 

「あぁ……消えちゃいたいよ」

 

ベルの瞳に涙が浮かび、堪えることも出来ずにこぼれ落ちる。

 

「──っうぅっ」

 

声までは、あげてなるものか。

懸命に歯を食い縛り、肩を震わせる。

 

ざわざわと、音がした。

 

まるで風が草原を走るような。

 

音がした。

ざわざわと、音がした。

 

 

 

 

「そこの君っ!」

 

 

 

 

そんなベルに、声が掛かる。

 

涙に滲んだ視界を上げると、そこには──

 

「大丈夫? 見たところ怪我は無いようだけど、凄い格好だね」

 

困ったように笑いながら、目には心配そうな色を浮かべる女性が立っていた。

 

「冒険者さんかな? 名前は?」

 

尖った耳が、彼女が森の妖精と呼ばれる種族の血を引く者なのだと悟らせる。

 

(エルフ……?)

 

「ああ、私はね」

 

何も言わないベルに、

 

「エイナ・チュールと言います。こう見えて、ギルド職員なのよ?」

 

そう名乗り、今度は安心させるように、もう一度笑って見せた。

 

………

……

 

「結局、戻ってきてしまいましたね」

 

遠くに暮れ行く夕陽を背にギルドを見上げ、リリルカは些か疲れた表情で言った。

 

「大通りをほとんど往復したからな。全く、途中で妙なチンピラに絡まれなければ、もっと速かったものを」

 

カイトもその眉間に、疲弊染みたシワを作りボヤいた。

 

「……カイト様は初対面の人に何かを尋ねるなら、もう少し以上に言葉を勉強してください」

 

リリルカの言葉に、

 

「え?」

 

そんな心外な、という具合の反応がカイトから返される。

 

「ちょっと挑発された位で下段から崩しにいく人がありますか!? あとビンタ! 人間が音も無く崩れ落ちるレベルとかダメに決まってますよね!?」

 

「彼らは素直じゃなかったんだ」

 

「物理的に素直にすることはぁ、会話とは呼ばないんですよカイト様ぁ!」

 

リリルカは膝から崩れ落ちそうになるのを必死に耐えた。

 

この人に人混みで聞き込みやらせたらダメだ。

 

この一時間あまりでリリルカが悟った真実である。

 

まず一言目。

 

『おい』から始まる。

 

分岐は2つ。

 

攻撃的な反応ならば足首を蹴り払い、泣きが入るまで折檻。話が聞けそうならば終始威圧して尋問。

 

そもそもなんで、明らかにチンピラ然とした連中に絞って聞きに行くのか。

リリルカが親子連れや女性を中心に聞き回っている後ろで、定期的に響く打撃音。

話をしている親子の顔がどんどん青ざめていき、子供から笑顔が消える。

 

そして、懸命に聞こえないふりをするリリルカに、声がかかるのだ。

 

「リリ、こいつらは外れだった。そっちはどうだ?」

 

子供は泣き叫び、それを庇うように震えながら前に出る親。

 

「おいおい……まだ何もしてないのに、そんな怯えることないじゃないか」

 

なあ? と、リリルカの肩を叩く。

 

そんなことが二度続き、最終的に十人目のチンピラから、『ベルが美人エルフに手を引かれてギルドに向かった』という情報を得るまで、リリルカはひたすら空を見上げて過ごすこととなった。

 

 

 

「ああいう連中の方が、その、話し掛けやすいんだよ。扱いにも慣れてるし」

 

「色々と言いたいことはありますが、今はベル様が優先です。良いでしょう、ええ、良いですとも」

 

むしろ得物に手をかけなくなった分、成長はしているのだ。

そう思い込むことで、リリルカは何とか自分を沈静化した。

 

「行きましょうカイト様。リリは先達として伝えなければいけないことがあるのです」

 

「ああ、俺だって、頑張った後輩を励ますことくらいできるさ」

 

二人は頷くと、ギルドの扉に手を掛けた。

 

 

 

後にカイトは語る。

 

『ああ、あの扉はまさに、地獄へ続く門に違いなかった』

 

──と。

 





たくさんの感想ありがとうございます。

そろそろお返しをしていこうと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第29話 誰しもが笑い、そして不幸だ

すっごい離れてしまった…またよければ


ベルは血塗れになった服をエイナに剥ぎ取られると、ギルドの備品である毛布を頭から被り、蓑虫のような体でソファに座っていた。

ギルドの応接スペースであるそこは、遠目に忙しそうな窓口が見える。

 

「幸い、まだ日は出てるから、乾くのは早いんじゃないかな」

 

見る相手を落ち着かせるように笑いながら、向かいのソファに座るエイナは言った。

二人の間にはテーブルがあり、湯気をたてる紅茶が二人分、注がれていた。

 

「あ、ありがとうございます」

 

一方でベルは落ち着かない。

自分で思い返してみてもだいぶみっともないところを見つかり、理由も聞かずに優しくされた。

それも美人に。

 

しかもベルは彼女にそうされて、心底救われたと思ってしまった。気恥ずかしさはソファに腰掛けた瞬間、津波のように押し寄せてきた。

 

ついでに、毛布の下はパンツ1枚のみ。

 

ぐうの音すら出ない、男としての敗北である。

 

とはいえ、エイナのお陰で先程までの潰れてしまいそうな悲壮感は薄れている。

良くも悪くも、ベル・クラネルという少年は純朴だった。

 

「ベル・クラネルさん、だったよね? 先程までの格好からして、冒険者だと思うけど、あってる?」

 

エイナはゆっくりと、友好的な声色で目の前の少年に話し掛けた。

この、白髪で赤目の小柄な男の子は、少なくともエイナには放っておけないような有り様で街を彷徨っていた。

 

今も、ましにはなったものの、その顔からは陰が完全に消えてはいない。

 

そしてエイナは、そんな顔をする冒険者をよく知っていた。

希望を抱いてダンジョンに潜り、挫折や恐怖を味わった者が浮かべる顔なのである。

 

「いやー、ビックリしたよ。私、今日はお昼が食べられなくって。ようやく休憩がとれたから、せっかくだしっていつもとは違うお店に行ったんだ」

 

紅茶を飲みつつ、エイナは努めて明るい声色で話を始めた。

 

「ケーキが美味しいの。まあ、男の子のクラネルさんはあまり興味ないかもしれないけど」

 

「あ、いえ、その……」

 

おずおずと、そんな動作が妙に似合うというか、冒険者らしくない……言うなれば年相応な可愛らしさを持つ少年。

エイナのベルに対する第一印象はそんなところだった。

 

「うん?」

 

相手が話そうとしたら、決して遮らずに先を促す。

多くの冒険者と触れ合う仕事をしてきたエイナにとって、そうした会話力は一種の技能として身に付いていた。

 

「僕も、甘いものは好き、です」

 

恥ずかしそうに唇をすぼめ、こちらを窺うような上目遣いで。

ベルはぽしょぽしょと言葉を発した。

女子か。

 

「そっか。じゃあ今度行ってみるといいよ。あの辺りは、結構美味しい店が多いから」

 

さて、とエイナは声に出して区切りを入れた。

 

「それで、クラネルさんはどうしてあの様な格好で街中に?」

 

「…………僕は今日、初めてダンジョンに入ったんです」

 

ポツリポツリと、ベルは語り始めた。

 

初めてのダンジョン、ゴブリンを相手に、ファミリアの仲間に見守られて戦闘、勝利……この辺までは、エイナも笑顔で聞いていた。

 

「あ、でも五階層からはモンスターの強さもがらっとかわっちゃって──」

 

「ミノタウロスなんて、僕本でしか知らなくって、びっくりしちゃって──」

 

「勝てるわけなんて無いのに、でも悔しくって情けなくて──」

 

「クラネルさん」

 

最終的に、エイナの表情はただ笑っているだけであるというものに変わっていた。

 

「クラネルさん、あのね」

 

窓口にいる同僚が、怖いものを見たように目を逸らした。

 

「あ、はい、ごめんなさい。僕話してばかりで」

 

しかしベルは気付かない。

 

女性経験が無いに等しい彼にとっては、笑顔の美人はそれだけで素晴らしいのだ。

 

だから気付かない。

感情が伴わない笑顔の美人が、怖いのだと。

 

「君……ギルドの初心者講習って、受けた?」

 

そこからベルの地獄が始まる。

 

………

……

 

カイト達がギルドに入ると、そこは普段と変わらない慌ただしさで二人を迎えた。

 

「さて、ベルはどこかな」

 

呟き見渡すも、あの特徴的な白色の頭はどこにもない。

 

「ともかく、窓口に行きましょう。ベル様を連れていったのがギルド職員であれ、ただの通行人であれ、誰かしらの目には止まっているはずです」

 

リリルカの促しで、二人は窓口に向かった。

 

「ああ、すまない。ここにウチの者が連れ込まれたと聞いたんだが……案内してもらえないか?」

 

カイトは窓口に座る職員に、努めて真摯に語りかけた。

……ニコリともせず、剣の柄に手を掛けながら。

 

「あの……えっと、え?」

 

「どうした? 俺のツレをどこへやったのか聞いてるんだ」

 

「わ、あの、上の者に確認しますので──」

 

ガコンッ

 

窓口に身を乗り出して、置いた腕に強い力がこもる。

 

「難しい話ではない筈だ。知らなければそう言ってくれ。他を当たらせてもらうからな。ただ……俺はとても心配をしている。解決は早い方が、お互いのためになると思わないか?」

 

ミシミシミシミシ

 

「ひぃ」

 

そんなやり取りの横で、リリルカは深く、非常に深くため息を吐いた。

 

「カイト様」

 

「ん?」

 

振り向いたカイトの目に、リリルカの笑顔が飛び込んできた。

 

「あのですね」

 

「……ごめんなさい」

 

圧力を感じる笑みだった。

 

「どきましょうか、そこ」

 

「はい」

 

カイトは脇に退くと、所在なさげに腕を組んだ。

何となく、雨に濡れた大型犬を彷彿とさせる姿に、リリルカはちょっと和んだ。

そもそも精神に負荷を与えてきたのは、その大型犬なのだということに気付き、やはりため息を吐いた。

 

………

……

 

「講習室?」

 

「はい。ベル様を保護した職員が、先程連れていったと」

 

二人は歩きながら会話を交わす。

 

「何しに?」

 

「それは……講習では?」

 

「何の?」

 

「……ちなみにカイト様、ファミリア登録の際、初心者講習は受けられましたか?」

 

「え……なんで?」

 

まるで子供のように純真な瞳だった。

ああもう、この人はもう。

 

「初めてダンジョンに入るなら、基礎的な戦術や低階層での生き抜き方、アイテムの選択やパーティーを組む時の注意点など、必須と言える知識をですね…………はい、知らないのですね、大丈夫です、リリは存じております」

 

何にせよ、初見であの深さまで潜れるような人間に、講習が意味を成すかは微妙なところだった。

 

「そんな便利なものがあったのか……」

 

しみじみと、カイトは呟いた。

 

「ベルにも受けさせておけばよかったな」

 

「え、なんて?」

 

「え?」

 

「……数日前までただの子供だったベル様を、知識なしでダンジョンに連れていったと?」

 

そう言えばなんだか、周囲への気の配り方がやけに下手くそであったが……と、リリルカは思い出す。

なんというかあれは、この後何が起こるのか、起こり得るのかが、まるで予測できていないような感じだった。

 

「いや、誤解だリリ。ちゃんと教えたさ」

 

「ナイフの使い方以外に?」

 

「……リリは頼りになるから、安心しろって」

 

「知らない間にリリの責任がエライことになってるんですが!?」

 

わちゃわちゃと、何の危機感もなく二人は歩いていく。

いつものように。

その平穏の終わりまで、あとわずか。

 




かなり空いてしまったので、練習がてら。
また少しずつ書いていきます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第30話 様々な帳尻は、唐突に、かつ同時に合うことがある


仕事に行きたくないから徹夜で書いてみた。
さ、目が覚めたら仕事だ。


「それじゃあ、今知っている事を軽くテストしてみようか、ベル君」

 

エイナの朗らかな声に、ベルは肩を震わせた。

先程、初心者講習という聞き慣れない言葉に対し、ベルはこう答えた。

 

『え、何ですかそれ』

 

『うん、わかってた。それじゃあ、今日から私がクラネルさんの担当アドバイザーになりますね。これから何度も顔を合わせるようになるし、堅苦しいのは無しにしましょう。ベル君って、呼ばせてもらうね? さ、行きましょうか』

 

唐突な流れに逆らうことも出来ず、講習室へと連れ込まれ、今まさに講習の真っ最中であった。

 

「ゴブリンと戦うときの注意点は?」

 

エイナは問い、

 

「えっと……あっ、関節を狙うときは骨の──」

 

ベルは答え……

 

「うん、違うね?」

 

切られる。

 

「じゃあ、ゴブリンの生態や習性、能力について講義するね」

 

エイナは白紙の束とペンをベルに手渡した。

 

「は、はいっ! これにメモすれば……」

 

「ベル君はその紙に、ゴブリン、ってひたすら書いていこうか。百回くらい」

 

「え」

 

「うん?」

 

笑顔であった。

 

「メモを作っても、忙しい冒険者さんは中々読み返す時間がとれないでしょう? だから、骨の髄(・・・)までゴブリンって言葉を染み着けてもらって、講義の内容をそれとセットで頭に入れていくの」

 

「え」

 

「うん?」

 

笑顔であった。

 

「そうすれば、自然と思い出せるようになるわ。さ、始めるよ?」

 

ベルは背筋が、うっすらと寒気を覚えるのを感じた。

 

「大丈夫! もし、講義の後のテストがダメだったら──」

 

ここにきて、いくつかあった選択肢の全てを、自分は間違えていたのだと言うことを悟る。

 

次は(・・)千回だから」

 

そして、自分がもはや手遅れの状態であるということも。

 

………

……

 

たどり着いた講習室前は、付近に人がいないことも相成り非常に静かであった。

僅かに、部屋からは女性のものらしき穏やかな声が漏れ聞こえる程度。

 

「ここですね」

 

「よし、とにかく入るか」

 

カイトはそう言っていきなりドアノブに手を掛けて……

 

「おっと、こういうときはノックだったな」

 

少し迷ってから手で扉を叩いた。

 

「……何故迷ったんですか?」

 

「蹴るか叩くか斬るかで」

 

「良かった…………正解で本当に良かった」

 

二人のそんないつもの会話に続き、

 

「はい、どなたですか?」

 

若い女の声と共に扉が開いた。

 

「今は初心者講習中なのですが……」

 

眼鏡をかけた、長耳が特徴的な美女が顔を出す。

誠実そうな面立ちと、清潔感のある雰囲気。

何故だか一瞬、カイトを仰ぎ見るリリルカであった。

 

「人を探しているんだ。ここにいると聞いて来た」

 

至極普段通りのカイトに、思わず安堵の息を吐く。

 

「ああっ! ヘスティア・ファミリアの方ですか?」

 

目を細めて笑う美女。

リリルカは一瞬、ゾクッとする何かを感じた。

これはまずい、何かよくわからないがまずいことが起ころうとしている。

そう感じた。

 

「──や、そうでもない」

 

カイト様が返事をボカした!?

 

驚愕のリリルカを余所に、会話は続く。

 

「あの、違うのでしたら、人違いではないかと」

 

「ファミリアがどうこうじゃないんだ。ただ心配で、探しに来たんだ」

 

「……つまり、ベル君のお知り合いだと?」

 

「仲良くやらせてもらってる」

 

「そうですか……まあ、そろそろ休憩でしたし、中へどうぞ」

 

「感謝する」

 

そう言って部屋に踏み込むカイト。

リリルカも追従し、入った先に、ベルを見つけた。

 

「ベルさ──」

 

パンいちだった。

 

毛布を羽織ったパンツ一丁のベルが、机に向かって一心不乱に何かを紙に書き留めていた。

 

「……え、ん? あれ、ベル、様?」

 

ベルは反応を示さない。

ただ黙々とペンを走らせている。

 

リリルカは懸命に状況を把握しようとして、すぐ匙を投げた。

もういいや、今日は疲れた。

本人に聞いちゃおう。

そんな結論を出してベルに近寄る。

 

リリルカの耳に、か細い呟きが聞こえた。

ともすれば聞き逃してしまいそうなその声は、ベルの口から発せられていた。

 

「ベル様?」

 

「リ………………リ」

自分の名前が呼ばれた気がして、リリルカは更にベルへと近付いた。

 

「ベル様!」

 

ようやく声が、鮮明になった。

 

「ゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリンゴブリン」

 

「ひぃっ!?」

 

人生最高速度で、リリルカは後ずさる。

 

「ベル……無事でよかった」

 

「どこが無事ですか!?」

 

「俺もリリも心配していたんだ。色々あったかもしれないが、それが一番大事だよ、ベル」

 

「ダメです! これはスルーして話を進めていいレベルではないですよ!?」

 

「いやいや、俺の元部下もたまにこんなだったし」

 

「それはその部下さんがおかしいんです! カイト様だって────」「カイト?」

 

リリルカの言葉を、女が遮った。

 

「カイト・アルバトスさん?」

 

振り返った二人の瞳に、講師用の机で、恐らくはベルが書いたであろう答案の添削をしている女が映った。

 

にこやかな笑みで、答案から目をそらすことなく。

 

「ヘスティア・ファミリア団長で、一月半前に冒険者となって、一度としてギルドの講習を受けた形跡がなく、今日初めてダンジョンに挑んだベル君をいきなり五階層まで連れていったカイト・アルバトスさん?」

 

笑顔である。

 

昔セイルが言っていた言葉を思い出す。

 

『ああいう笑い方してる女には、絶対逆らうな。男じゃ勝てないようにできてる』

 

石畳の上で正座して、二人揃ってキリカに詰められていた時の話だった。

 

思えば顔を合わせたときすでに、その予感はしていた。

だから慣れない誤魔化しなど使って、自分に対しての明言を避けたのだ。

恐らく、リリルカが名前を呼ばなければ、決定的な証拠もなくこの場を切り抜けることが──

 

「まあ、わかってましたけどね。嘘ついてたのは。ヘスティア・ファミリアの黒剣使いと、それに付き添うサポーター……お二人は、低階層ではそれなりに目立っているんですよ?」

 

どうやら、希望も救いも無いらしかった。

 

「……ふぅ」

 

採点が終わった答案をまとめ、女はようやくカイト達を見た。

 

「エイナ・チュールと申します。僭越ながら、本日よりベル君の担当アドバイザーとなりました」

 

立ち上がる。

 

カイトとリリルカはそれだけで、半歩後ろへ下がった。

リリルカなど、軽く震えながらカイトのズボンの裾を握っている。

 

「さ、ベル君、採点終わったよ?」

 

エイナが声をかけると、ベルは正気に返ったように顔を上げた。

 

「け、結果は!?」

 

ぷるぷると、震えながらの声。

 

「んー……」

 

エイナは眉にシワを寄せて唸る。

 

それだけで、ベルは顔を絶望に染め上げて歯を震わせ始めた。

 

「さ、三千回は嫌だ、三千回は嫌だ、三千回は嫌だ……」

 

何のことかはわからないが、とにかく嫌なことだけは伝わってきたカイト達であった。

 

「ベル君」

 

「はいっ!」

 

笑顔。

 

「合格よ!」

 

「いぃぃぃぃぃいやったあぁぁぁぁあああ!!」

 

安堵、

 

「じゃあ次はコボルトね」

 

「あああぁああぁあああぁあああぁぁあ!!!?」

 

からの絶望。

 

どうしよう、可愛い後輩が完全に調教されている。

 

カイトはため息を吐いた。

これがセイルやリロイなら、何のためらいもなく見捨てておける。

二人が女関係で窮地に陥るときは、大抵本人に原因があったからだ。

 

だが、ベルがそういう真似をやらかすとは考えにくい。

 

「なあその、今日はダンジョンで疲れてるんだ。講習ならまた今度に──」

 

「アルバトスさん達も」

 

エイナがぐりん、と顔を向けてくる。

 

リリルカが小さく悲鳴を漏らした。

 

「早く席に座ってください。ヘスティア・ファミリア向けの初心者講習を始めますよ?」

 

「リ、リリはヘスティア様の眷属じゃ──」

 

「もちろん、ソーマ・ファミリア所属でアルバトスさんとずっとコンビを組んでいて、今日もベル君を色々と手助けしてくれたリリルカ・アーデさんも、ね?」

 

「いえ、ですから──」

 

「ね?」

 

「………………はい、承知いたしました」

 

………

……

 

この日、月が空に上る頃、講習室には大量の紙が散乱することとなった。

そのほとんど全てに、低階層で出現するモンスターの名前がまんべんなく何度も書き込まれていた。

癖のないちょっと崩れた字と、丸っこい字で書かれた紙は、所々に涙が落ちたと思しき滲みが見てとれた。

 

 

たまにスペルミスの目立つ汚い字の紙は、途中からモンスターの名前ではなく子供がやるような文字の書き取りに変わっていた。

 

「ほら、これが『あ』です、綺麗に書けるまで練習しましょうね、今、ここで」

 

後輩と女の子の横で、ひたすら五歳児レベルの書き取りをやらされたカイトの心には、大きな傷が残ることとなった。

 





ベルに伝えなければいけないこととはなんだったのか。

次回、晩餐


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第31話 安息への帰還


さ、ベル編の終わりが見えてきた。
どんどん書きたいことが増えるから、もういっそと思い全部書いてます。


豊穣の女主人は、その日も大いに賑わっていた。

 

様々な種族が入り雑じり、酒を酌み交わし料理を平らげる。

ここは冒険者達の集う酒場だった。

 

そんな賑わいの中、恐ろしく静かなままカウンターに突っ伏す三人がいた。

カイト、リリルカ、ベルである。

 

運ばれてきた酒にも手をつけず、通夜のような空気が流れている。

 

「……疲れたね、リリ」

 

ベルが虚ろな瞳を横にやり、埃も動かないようなか細い声で言った。

 

「そうですねー……リリが何か悪いことでも…………しましたね、カイト様を甘やかしすぎました」

 

リリルカは幾分力のある声で、嘆きを漏らす。

 

「そう言えばさ、リリ知ってる?」

 

「何がでしょう」

 

「僕みたいな初心者が、初ダンジョンで五階層まで降りた時の生存率」

 

「いえ、存じません」

 

「ちゃんと記録がある訳じゃないけど、二割が良いとこなんだってさ。だからエイナさん、あんなに怒ったんだよね……笑ってたけど」

 

エイナ、という単語にリリルカの肩がビクリと震えた。

 

「怒っていましたねー、笑ってましたけど」

 

「なんでこんな厳しいんだろうって思ったけど、全部、僕にとって必要な知識だった」

 

「まあリリも、全てを知っていた訳ではありませんでしたね。勉強になったことは確かでした」

 

「ごめんね、リリ」

 

「何をおっしゃいますか、ベル様は何も悪くありませんよ」

 

「一緒にダンジョンに入った先輩が、大丈夫大丈夫チョロいよって言ってましたって話しちゃったから」

 

「ほら、悪いのはリリでもベル様でもないじゃないですか」

 

もはや疲労はかつてないほど大きくなっており、荒んだ心が少しだけリリルカを素直にしていた。

 

「それだけにさ」

 

「ええ、それだけに」

 

「「納得いかない(いきません)よね」」

 

ぐりっと首だけを回して、二人は未だ無言のままのカイトを見た。

二人の脳裏には、先程までの講習の様子がまざまざと呼び起こされていた。

 

………

……

 

「では、アルバトスさん、ゴブリンと戦うときの注意点はわかりますか?」

 

講習の最初、ベルの地獄の始まりにされた質問が、エイナからカイトへ投じられた。

 

「……注意点?」

 

訝しげなカイトに、エイナは続ける。

 

「そうです。どんなモンスターであろうとも、油断をすれば命が危険に晒されるんです。何も知らないということは、許されないんです」

 

特に、と一拍置く。

 

「あなたのように、団長として周りをリードしていかなければならない人は」

 

エイナの瞳は、真っ直ぐにカイトへ向けられている。

それは責めるように、願うようにカイトを捉えていた。

 

「簡単だろ」

 

ああ、これでカイトさんも書き取りかぁ、ベルに歪んだ仲間意識が芽生えようとしたとき、

 

「サイズと数、あとは、怪我をしないことだ」

 

予想外に根拠のありそうな発言が、その口から漏れた。

 

「……もう少し、具体的にお願いします」

 

探るようなエイナの返しに、

 

「面倒だな……大抵の人間より小さいだろ、あいつら。だから簡単に潰せる、と思い込みやすい」

 

カイトは言葉を探しながら話を続ける。

 

「だが、あいつらの振り回す爪はちょうど大人の腹や膝……怪我を負うにはリスクが高い場所に当たるんだ。だから、近付けないようにするか、すぐ距離がとれるように戦うのが一番安全だってことだ。欲を言えば短槍か手斧が欲しいところだが、無ければ只の剣でもいい」

 

「サイズは、わかりました。では、残りは?」

 

「数はそのままだ。対多数の戦闘では常に相手の位置を把握する必要がある。雑魚だからと突っ込んで行く素人は長生きできないだろう。可能なら一対一、数が多いなら奇襲が最適だ」

 

どの口が、と思わなくもないリリルカだが、それを言ったらカイトはその対多数戦闘の熟練者と言ってもいいのだ。

 

「自分より弱い相手と戦う時の注意は、無駄な傷を負わないようする事が一番だ。傷を負えばその分弱る。勝てる相手に勝てなくなる。そうなったら死ぬだけだ」

 

エイナを見返したカイトは、どうだろうか、と最後に問うた。

 

「……概ね正解です」

 

少し驚きを顔に出したエイナは、一瞬考えた後にそう漏らした。ベルなどは『嘘やん、え、嘘やん』といった瞳でカイトを見つめている。

 

「講習は受けた記録がありませんでしたが……独学ですか?」

 

「まあ、そんなところだ」

 

「その割に、ベル君はその事を知らなかったようですが?」

 

「教えたさ」

 

エイナはそれを聞いてベルを見た。

本当に? あれ、ベル君あれ? 瞳が言っていた。

違うんです、僕は無実なんです、信じてください。涙目で子犬のように震えたベル。

 

「心当たりがないようですけど……」

 

「いや、闘い方で教えた。今のベルは、自分が怪我をしないで、相手に出血と痛みを強いることができる。無意識にな」

 

「え」

 

「戦闘中は容赦とか、思いやりとか、そういう余計なもんは一切生じない、優秀な戦士さ」

 

「えちょ」

 

ベルはがく然として、リリルカへ顔を向ける。

ちょっと、あんなこと言ってますよあの人。怒っちゃっていいんだよリリ。

 

「え、お気付きではなかったんですか? ベル様。その年頃の人間がしちゃいけない闘い方でしたよ?」

 

味方はいないようだった。

 

「なるほど……ですが、知識としてあるかどうかは別です。当然モンスターの生態によって、そうした闘い方も変化が必要になるでしょう」

 

「………………一理ある」

 

「さ、座りましょうか」

 

「どうしてもか?」

 

「ええ、もちろん」

 

エイナはにこりと笑い、カイト達三人が驚愕する事実を口にした。

 

「セイルさんから、無茶ばかりする大事な友達をよろしく、と頼まれていますからね」

 

「「は?」」

 

「セイルが?」

 

「機会があれば、ダンジョンで生き抜く術を教えてやって欲しいって……ダメですよ、あんなに良いお友達(・・・・・・・・・)を心配させたら」

 

まるでかのド外道が、まっとうな人間だとでも思っているような口振りだった。

ベルは震えた。

エイナとセイル。この組み合わせは駄目だ、犯罪臭がする。主に被害者と加害者的な意味で。

いや、今の話振りを見るに、既に手遅れでさえあるのかもしれない。こんなに憤りを感じたことは、ベルの人生で今までなかった。

 

一方でリリルカも思った。

あのロクデナシ、本当に余計なことしかしませんね。天罰が下ればいいのに、と。

 

「あいつは……仕方ない、とっとと終わらせるぞベル、リリ」

 

カイトは既にその現実を飲み込んだのか、早々と席に着いた。

 

三十分後。

字の汚さ、うろ覚え故の誤字、そもそも字が大きくて紙を無駄に消費すると三拍子揃ったポンコツ具合を発揮したカイトは、早々に書き取りへと移行。

後日補習が確定し、ベルとリリルカもそれに付き合うことがか決まった。

拒否権は、当然のように与えられなかった。

 

………

……

 

「闘いに関しては、本当にすごいよねカイトさん。まあ、補習には思うこともあるけど」

 

「そうですね、そこに関しては、リリも全面的に賛成いたします。ただ、カイト様だって苦手なものはたくさんあるんです。補習は許容範囲ですよ」

 

さっき甘やかし過ぎたって言ってたじゃないか。

 

「あと、セイルさんはあの、あれ、なんなの?」

 

「紛れもないゴミです。リュー様に言い付けましょう。ギルド窓口のエルフをだまくらかしていると。可愛そうですが、しばらくはお肉も食べられないような体になっていただく他ありません」

 

「本当に可愛そうって思ってる?」

 

「まさか」

 

二人揃って、暗い笑みがこぼれるのであった。

 

「ベル」

 

カウンターに伏したままのカイトが、唐突に呼び掛ける。

 

「すまん、本来なら不用意にお前を危険な目に合わせてしまったことを、何よりも謝りたかったんだが…………こんなに追い込まれたのはあの戦場以来なんだ。もはや屁も出ない」

 

「それは……」

 

「お前は俺とは違う。いや、そうじゃないな……同じであっちゃ駄目なんだ。ああ、そんなことあの戦場で嫌って程に思い知ったはずなのに、今日エイナに教わるまで忘れていた」

 

カイトはしんどそうに身体を起こす。

釣られてリリとベルも、ようやく顔を上げて向き合った。

 

「あんなにも学ぶことが多かったことを、俺は知らなかった。お前が必死にその知識を飲み込もうとしているのを見て、ここではまず、それこそが必要なんだと思い知った。お前や俺は武器を握る前に、やれることがある」

 

不器用な笑みを浮かべ、

 

「だから、一旦仕切り直しだ。思えば、勉強なんざ生まれて初めてするようなもんだしな。これも経験さ。補習付き合わせるのはすまんが」

 

どこか頼りなく、でも見ていて安心するような、そんな雰囲気を発したカイトは、二人の目にはまるでただの青年のように見えた。

 

「それが、終わったら、二人でモンスターの安全な殺し方を考えような。八つ裂き三昧だ」

 

見えただけだった。

 

「ベル様、リリも伝えたいことがあります」

 

唇を湿らすように酒を飲み、リリルカもまた、真剣な面持ちでベルと向き合った。

 

「ベル様は今日、大変な経験をされました」

 

思い返すまでもなく、初めてのダンジョンでこれ程までの経験をした冒険者はそういないだろう。

良いか悪いかは別にして。

 

「後悔されていますか?」

 

「してる」

 

迷いなくベルは答えた。

そして、二人に向かって頭を下げる。

 

「今日は、迷惑かけてばかりですみませんでした。僕は自分の仕事なんて何一つこなせてなかった。なのに調子に乗って、リリも危険な目に合わせて、一人で逃げてしまいました」

 

リリルカが何かを言う前に、カイトが口を開いた。

 

「ベル、リリから聞いた。二階層で、身を呈して庇ってくれたとな」

 

「そんなことは──」

 

「ありがとう。お前がいてくれて良かった」

 

その言葉に、ベルは目の奥がじんわりと熱くなってきたのを感じた。

それは、自分を諦めようとしていたベルが、一番欲しかった言葉であったからだ。

 

「ベル様。その後悔は正しいものです」

 

リリルカは微笑を浮かべつつ、ベルが膝の上で握り締めている手に触れた。

 

「でも、乗り越えられるんです。カイト様やリリが、そのお手伝いをいたします」

 

零れる。

熱い水が自分の目から落ちていくのを、ベルは拭うこともせずにリリルカを見た。

 

「リリ達は、何があってもベル様を一人にはしません。苦楽を共に、誰しもがそうして一流の冒険者となっていくのです………………だから、言わせてください、ベル様」

 

心の底から、そう感じさせる声だった。

 

「ご生還、おめでとうございます。今日のベル様は、確かに格好悪くて無茶ばかり、でも、間違いなく冒険者でした。リリを助けてくれて、ありがとうございました」

 

「リリ……カイトさん!」

 

うつむいたベルの瞳から、次々と涙が落ちる。

 

「あ、あ、あり、がとう、ございますっ!」

 

ようやく、ダンジョンから日常に帰ってきたという実感が湧いた。

もうどうしようもないと思っていた状況は、なんとかここに落ち着こうとしていた。

 

安堵の息を漏らすリリルカは、ふと思い出す。

 

 

 

そういえば前もこの店で──

 

 

 

『ご予約の団体様でーす!』

 

 

 

なんだかとても──

 

 

 

『あのエンブレム……巨人殺しのロキ・ファミリアか』

 

 

 

とてつもなく、不安な何かに襲われたような。

 

 

 

その予感は、すぐに当たることとなった。

 

 





感想ありがとうございます。
全然返せてなくて申し訳ないです。

エイナさん。あんまり可愛く書けないのが目下の悩み。
面倒見良いお姉さんにしたいんだけども。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第32話 邪滅姫 ~胸一杯の勇気を~

リリ回


──……顛末、とは物事の起こりから末までを指した言葉である。

であれば、リリルカがその場で見たものは正しい顛末とは言えないのかも知れない。

 

しかし、この日リリルカは豊穣の女主人を出た後、一人で安宿に戻り眠りに落ちた。

だから、リリルカにとっての顛末とはまさに、この後酒場内で起こることだけを指していた。

 

 

 

 

ロキ・ファミリア──言わずと知れたオラリオにおける武闘派最大派閥の一翼とされる集団だ。

 

勇者(ブレイバー) フィン・ディムナ

九魔姫(ナイン・ヘル) リヴェリア・リヨス・アールヴ

そして剣姫、アイズ・ヴァレンシュタイン

 

よく名前の知られている中核のメンバーは、誰しもが英雄と呼ぶに相応しい力と実績を持つ。

当然のようにリリルカは彼らの名前を知っていたし、今日に至っては実際顔を見て、僅かだか言葉を交わした。

 

その、ロキ・ファミリアの面々が、主神ロキと共に豊穣の女主人へ来ていた。

それは錚々たる面子で、このままダンジョンの深層にだって挑めそうな顔ぶれであった。

 

ふと横に目をやれば、ベルがぼうっとそちらへ目を向けていた。

視線の先にいたのは、アイズ・ヴァレンシュタイン。冗談のような美女であり、その経歴はさらに輪をかけて頭のおかしい、オラリオ最強を目される剣士である。

 

どうやらこのルーキーは、ダンジョンでの一件よりひどく彼女のことが心に焼き付いてしまったようだ。

もしかしたらそれは、吊り橋効果に挙げられるような、命を救われたことに対する感謝の入り雑じった……一目惚れであるのかもしれない。

 

リリルカはそっとため息を吐いた。

 

なんとも報われぬ、身の程知らずな想いを抱いたものだ。他のファミリア、挙げ句相手はあの剣姫。

スタート時点で既に勝ち目がない。それこそ神の奇跡でも必要なくらいだ。

 

反対を向けば、カイトはカウンターに向かいグラタンをパクついている。恐らく、一度として振り向いてはいないだろう。

背後の喧騒そのものに興味が無いといった風だった。

 

 

「それにしても、あのザコは傑作だったぜ! なあ、アイズ! ありゃあ狙ったんだろ? お前にあんなセンスがあったとはなぁ!」

 

 

そんな言葉が聞こえたときも、カイトはピクリとも反応を示さなかった。

ベルは……見ているリリルカが可愛そうになるくらい肩を震わせて俯いている。

ようやく引っ込んだ涙が、また目の縁に浮かんでいた。

 

 

「二階層でアイズ達が出会ったという冒険者かい?」

 

「ああ、俺達が見つけた時にゃあ、自分の血で真っ赤でよぉ。何をトチ狂ったのか、素手でミノに踏み込んで行きやがったのさ!」

 

「ベート、騒ぎすぎだ。そんな低層でミノタウロスと出くわして、平静を保てるルーキーがいるものか」

 

「はっ、挙げ句にゃ目の前でアイズ助けられてよ! 返り血で、そりゃ見事なトマトっぷりだったぜ!」

 

 

どんどん小さくなっていくベル。

動かないカイト。

リリルカは何故だろう、無性に悔しかった。

 

 

………

……

 

「あ……」

 

そんな、酒の席でも辟易とするような仲間にため息を吐いたアイズがそらした視点の先に、カイト達を見つけた。

 

黒い剣を提げた、黒髪の青年。

パルゥムのサポーター。

そして……

 

「あんなガキを抱えてるようじゃ、あのファミリアも長くはねえな! ちっとばかりやれそうなのがいたが、いずれガキ共々くたばっちまうだろうぜ!」

 

「なあ、アイズよ。お前あのガキに逃げられたのを気にしてたがよ、同情ならやめとけよ? 変に期待持たせちまったら」

 

「自分はアイズ・ヴァレンシュタインと釣り合うなんて勘違いさせちまったら……みっともなさに拍車がかかって、顔隠さなきゃ歩けなくなっちまうぜ!」

 

アイズが見た先で、白い頭の男の子が立ち上がった。

隣にいる仲間に何言が告げて、そのまま踵を返して店を飛び出して行った。

 

チラリと見えたルべライトの瞳には、大粒の涙が今すぐにでも零れそうな程──

 

 

………

……

 

「ごめんなさい、僕のせいで」

 

ベルは確かにそう言った。

リリルカが伸ばした手よりも速く、ベルは駆けていく。

 

「やれやれ……」

 

ようやくカイトが振り返り、ベルが飛び出して行ったばかりの扉を見やった。

 

「なんやぁ、この店で食い逃げたぁ、えらい度胸のあるやっちゃなぁ」

 

主神ロキの呟きに、

 

「いや、今のはこちらの連れだ。騒がせてすまない」

 

カイトはそう返した。

その声に、それまでテーブルにいたティオナは思わず振り返り、実に気まずそうな表情をした。

 

「あー、はは、えっと、さっき振り?」

 

その言葉に、リヴェリアは眉をひそめ、フィンは頭痛を堪えるような素振りを見せた。

 

「ティオナ、まさかそちらが?」

 

「えっと、そう。今しがたベートが言ってた、あたし達が二階層で会ったファミリアです、はい」

 

ティオナの返答に、リヴェリアは深いため息を吐いた。

 

「……すまない、大変に不快な思いをさせてしまった。そこの馬鹿者にはこちらできつく言っておくので、どうか許してくれまいか」

 

「んだぁ? ザコの肩持つ気かよ」

 

「ベート、いい加減にしないか。悪い酒になっているのかい?」

 

「……っち」

 

フィンも加わり、場は何とか落ち着きを取り戻そうとしていた。

 

「まったく今日は色々起こるな」

 

立ち上がったカイトはため息を吐いた。

そして、リリルカが見ている目の前で歩き出すと、グラスを手に真っ直ぐベートへ向かった。

 

「……なあ、あんた」

 

「んだぁ?」

 

「やるよ」

 

まるで毬でも放るように、グラスは中身を伴ったままベートの顔に飛んだ。

 

それを、リリルカでは視認も出来ないような速度で払うベート。

目の前でカイトは、既に剣の柄を逆手に握っていた。

一方でベートは、グラスを払ったのとは別の手を目の前の標的へ──

 

 

ズッガァン!!

 

 

凄まじい質量が叩き付けられた、そんな音が店内の全てを停止させる。

 

「ここは暴力御法度だよ馬鹿共。血の気が余ってんならダンジョンでくたばるまでやって来な! さもなきゃ出禁にするよ!」

 

店主のミアだ。

その太い腕が叩き付けられているのはカウンターだ。

どの様な技法で作られたものか、ヒビひとつ入っていなかった。

かつては凄腕の冒険者としても知られる彼女には、そこらの一般人には出し得ない迫力がある。

 

カイトはその圧力故。

ベートは自分の行いがファミリアそのものにも迷惑が及ぶことに、思い至ったが故に。

 

店内は静まり返り、ほぼ全ての人間が動きを止めた。

 

例外は慌ただしいキッチンのスタッフと────カイトの背後に椅子を置き、その上に立つリリルカ、すぐ横で水の入ったグラスを手渡すリューだけだった。

 

カイトとベートは互いに睨み合うも、動かない。

店内の誰もがミアを、そしてそこから二人に視線を移動させ、背後のリリルカで止まる。

 

バシャ、と、グラスの水がカイトの頭に浴びせられた。

 

「……………………冷たい」

 

「何してるんですかカイト様」

 

水以上に冷たい、リリルカの声が店内に響く。

 

「この期に及んで乱闘ですか? 随分と軽率ではないですか」

 

見上げるカイトに対して、リリルカは怒鳴ることなく、しかし反論を許さない威圧感を醸していた。

 

「後輩を貶されて、怒りましたか? その割りにはまるでいつも通りですねカイト様。まさか体が勝手にとか言うつもりではありませんよね?」

 

「か……」

 

よせばいいのに、誰もが思った。

 

「体が、自動的に」

 

にこり、リリルカが嗤う。

口元だけが。

エイナやヘスティアなど足元にも及ばないほどの恐怖がカイトを襲う。

目に何の感情も浮かんでいない笑顔。

カイトの後ろで、ベートがこっそり息を呑んだ。

 

「それで? よしんばそちらの方と戦ったとして、その後でベル様を追い掛ける事ができるのですか?」

 

「いや、多分勝てないから、耳だけでも引きちぎってやろうかなって」

 

「かなぁ?」

 

「耳を引っこ抜いてやるつもりでした! 俺は……まあ、死んだかも?」

 

「そうですかそうですか」

 

うんうん、と、リリルカは頷いた。

 

「明日の朝、そちらの拠点にお伺いします。その時までにベル様が見つかっていなかったら」

 

「い、いなかったら?」

 

「……リリは泣きますよ。大泣きして、大声挙げてベル様を探して回ります。補習には、カイト様お一人で行かれればよろしいかと」

 

それはいかなる理由からか、まるでこの世の終わりであるかのような表情になったカイトは、そのままフラフラと店の外へ出ていった。

 

 

 

──ベルゥゥゥゥ! どこだぁぁぁぁ! そこのお前ぇ! 知っているか!? 知ってそうだなぁ!? 動けなくなる前に思い出せぇぇぇ!

 

──ヒイィィィィィ!!!

 

 

 

すぐに外の、遠くから声が聞こえてくる。

 

まったく、あの人は。

リリルカは荒い鼻息を吐くと、茫然とした様子の店内でこちらを見るベートへと顔を向けた。

 

ビクッ、と、ベートの肩が震えた。

 

「連れの者が大変失礼をいたしました」

 

リリルカは椅子から降りつつ言った。

ベートの脳裏を満たすのは、

 

「あー……いや、つうか……なんだぁ?」

 

困惑、紛れもない困惑であった。

 

「申し訳ありませんでした」

 

ペコリと頭を下げるパルゥムの少女に、ベートは何も言えない。

状況はよくわかっていた。

 

自分が扱き下ろしたルーキーが、そのファミリアと一緒に同じ場所にいた。

ルーキーは居たたまれなくなって飛び出していった。

その仲間が噛みついてきて、別の仲間に止められた。

 

挙げ句、先に謝られた。

発端は自分であったのに。

 

チラと見れば、今にも噴き出しそうな主神とアマゾネス姉妹、面白そうに状況を見守る団長、明らかに自分への折檻メニューを思案する副団長の姿があった。

 

つまり、味方はいない。

 

「……けっ、身の程知らずが」

 

今更撤回も出来ない。

ベートは突き通すことに決めた。

 

「身の程知らずですか……そうですね」

 

頭を上げたリリルカは、抑制がない声で呟いた。

 

「ところで、今日はありがとうございました。まさかあんな階層でミノタウロスに出くわした挙げ句に、かの御高名なロキ・ファミリアの方々にお助けいただくなど、そうそうあることではありませんでした」

 

張っているわけでもないリリルカの声は、ただただ染み入るように辺りへ広がっていった。

 

「もしよろしければ、教えていただけませんか?」

 

「はっ、急になんだぁ? 教える義理があるとでも思ってんのかよ?」

 

なら、反応すんなよ。ロキ・ファミリアの面々が同時に思ったが、誰一人口を開くことはなかった。

 

「あのミノタウロスは、歩いて(・・・)来たのでしょうか、それともあそこで産まれた(・・・・)のでしょうか。ご存じですか?」

 

「知るか──」

 

「不自然ですよね? 三匹ですよ? 仮に偶発的に産まれたにせよ、五階層に三匹です。もしこんなことが起こり得るなら、それを知った冒険者は直ちにギルドへ報告し、然るべき調査と、共有が必要なはずです」

 

「ごちゃごちゃと──」

 

「私達は、ついさっきまでギルドにいました。でも、そこではそんな騒ぎは一向に起こらなかった。何故でしょうね?」

 

「っ、お──」

 

「ならきっと、そんなこと(・・・・・)は起こっていなかったと言うことでしょうか。おかしいですよね? 五階層から二階層に、ミノタウロスが三匹ですよ?」

 

端から見ていると、もはやどう足掻いてもベートが優位に立てる道がない。

暴力にでも訴えれば話は別だが、それがまかりとおせるならロキ・ファミリアはここまで憧れや称賛を集めることはできない。

 

「ロキ・ファミリアのような経験豊富な集団なら、これがどれだけおかしいことか、気付かないハズないですよね?」

 

「てめ──」

 

「そう言えば」

 

そもそも、ベートが先程から一体どんな抵抗が出来ているというのか。

リリルカの『質問』は止まらない。

 

「カイト様に、教えていただけたそうですね」

 

答えなど最初から求めてはいないかのように、次々と。

 

あと、一匹だ(・・ ・・・)、と」

 

止まらないのだ。

 

「何故、知っていたのでしょうね?」

 

「いい加減に──」

 

「ああ、そもそも、ミノタウロス三匹ごとき、剣姫含めた三名で追うと言うのがもうおかしな話でしたね」

 

リリルカは首をかしげ、白い歯を見せて嗤う。

 

「何処かの馬鹿(・・)が、中層でミノタウロスの群体(クラスター)でも追い散らしたんでしょうか。それで、追いかけっこの途中だったとか、ねえ、ベート・ローガ様?」

 

その質問で、ベートはリリルカが最初から全てを予測した上で言葉を重ねていたことを悟った。

言葉が詰まったベートの様子が、リリルカの予測を証明した。

 

「ベル様は、今日が初めての冒険でした」

 

沸々と、籠る感情は怒りだ。

穏やかな声にヒビが入っていく。

 

「あんなくだらない事故さえなければ、きっと今日は、あの方にとって掛け替えの無い思い出となったのに」

 

怒りだ。

小さなパルゥムの少女が迸らせるこれこそが。

 

「無謀でした。でも、懸命だったんです」

 

そしてそれが向いているのは、決してベートだけではない。

 

無関係でもない(・・・・・・・)あなたに、あそこまで悪し様に言われる必要がどこにあったのでしょうか」

 

明らかに、冒険者としては力の無い少女が。

明らかに、力のある相手に向かって。

怒りを、止めないのだ。

 

「あなたにだって、初めてダンジョンに挑んだ時の記憶があるんじゃないんですか? その時周囲の人間は、あなたを無様と貶したんですか? そんなことがあったとして、ファミリアの仲間はそれを肯定したんですか?」

 

ベートは何も言えない。

言うべき言葉が何一つ、見つからない。

 

「身の程知らずですって? 不始末の片棒を、私の仲間に担がせておいて、みっともない? あなたはそんな言葉だけを糧に、冒険者をやって来たとでもいうのですか? ただ、無事であったことを喜び、おめでとう、これからも頑張って……そんな祝福が欠片も無かったハズがありませんよね!?」

 

真っ直ぐに、リリルカの瞳はぶれることなくベートを見つめ続けている。

 

「あなたは! この街でも有数の第一級冒険者で、出来ることだってたくさんあって、理不尽にも抗える心の強さをお持ちでしょうに──」

 

ついに怒りが、リリルカの表情にまで覗いた。

見つめていた瞳は睨み付けるものに変わり、声が揺れる。

 

「そんな簡単なことが、どうしてわからないんですかっ!!」

 

再び店内に、静寂が満ちる。

 

リリルカはもう、何も言わない。ただベートを睨み付けている。

目尻に涙が浮かんでいる。

肩が震えている。

 

ああ、怖いのだ。

 

見ている周囲は理解した。

このパルゥムの少女が、どれだけの勇気と怒りを振り絞ってここに立っているのかを。

 

誰かが、立ち上がる音がした。

 

静かな店内に、足音が響く。

 

その誰かは、リリルカの横まで来ると、そっと膝を着く。

 

「なっ」

 

ベートのうめき声。

 

「あっ」

 

リリルカの驚き。

 

それは、ロキ・ファミリア団長、フィン・ディムナだった。

数ある冒険者達の中でただ一人、勇者を二つ名とする正真正銘の英雄が、薄汚い生意気なサポーターの自分などに対して、膝をついているのだ。

 

「名も知らぬ同朋よ。君達の冒険を汚し、侮辱した非礼を詫びさせて欲しい」

 

「いえ、そんな、リリ、あっ、私こそ……」

 

限界だった。

既に今夜、リリルカの精神は許容範囲を遥かに越える負荷にさらされ続け、ろくに言葉も出てこなかった。

 

「君の言う通り、あのミノタウロスは我々が遠征の帰還中に取り逃がしたものだ。消耗があった、などと並べ立てるつもりはない。ただただ我々の不手際だった。誰一人死人が出なかったことがどれだけの僥倖だったのか、改めて思い知らされた」

 

フィンはその端整な顔に、見る者を安心させるような笑みを浮かべる。

 

「僕はロキ・ファミリア団長、フィン・ディムナ。良ければ、名前を教えてはくれないだろうか。僕の知る限り、最も勇気ある優しき同朋よ」

 

手を胸に、

 

「そして誓おう。ロキ・ファミリアは今の件に関し、一切の反論を行わず、またそうする者を許さない。君の言葉はこの場の誰よりも真摯で、何よりも誠実で、正しい糾弾だった」

 

言い切った。

僅かに場がざわついた。

あのロキ・ファミリアが、公の中で、自らの非を認めたのだ。

 

「ロキ、みんなも、それでいいね?」

 

団長の声掛けに、テーブルを囲むファミリアの誰もが頷く。

 

「かまわんよー。なんやもう、聞いてて気持ちの良くなる啖呵やったしなぁ。ベートにゃええ薬や」

 

ひらひらと手を振って主神ロキがまとめる。

その目は細く、考えを正しく読み取ることが難しかったが、怒りがないことだけはわかった。

 

「わ、私は……ソーマ・ファミリアの、リリルカ・アーデと申します」

 

ソーマ・ファミリア、その言葉に、フィンの表情に軽い驚きが浮かぶ。

 

「ソーマ・ファミリア……先程の二人も?」

 

「違います」

 

リリルカは頭を下げて、

 

「今日、この場であなた方に無礼を働いた痴れ者は、ソーマ・ファミリアのリリルカです。彼等は、私の仲間ではありますが……私があなた方に思うこととは無関係です」

 

その拍子に零れ落ちた涙を拭いもせずに。

 

「そうか……それで、ベートと揉めそうになった彼を外に行かせたんだね。最初に飛び出していった少年を庇い、君が一人で戦うために」

 

「ち、ちが──」

 

「ベート」

 

フィンは、後ろに座るベートへ振り返ることなく呼び掛けた。

 

「僕は珍しく怒っているよ。自分自身に、そして君にもね……何か、言うことはあるかい?」

 

「…………………………………………悪かった」

 

その言葉に、ベートを知る誰もが驚愕を露にした。

あの、格下は見下すのが当たり前であるというスタンスを崩すことがないベートが、まさか、謝罪を?

 

「ザコはザコだ。だが……くそっ、それでも、笑いもんにする必要までは無かった」

 

リリルカはその言葉を聞くと、ようやく落ち着いたように、大きく深呼吸をした。

 

「確かに、そのお言葉をベル様へお伝えさせていただきます」

 

唐突に、拍手が鳴った。

ミアである。

 

「ああまったく、勇敢なお嬢ちゃんだ! あんた、また三人で来なよ? サービスしてやるからさ!」

 

場の緊張感が、緩やかにほどけていく。

そうなればここは酒場で、騒ぐのが大好きな冒険者達が集まっている。

 

「あのイカしたサポーターの嬢ちゃんに! 乾杯だオラァ!!」

 

誰かがグラスを掲げ、

 

「「「かんぱーい!!!」」」

 

何人もがそれに唱和する。

そこからは、いつも以上に賑やかな宴がそこかしこで始まった。

 

リリルカは今にも崩れ落ちそうな体で、懸命に涙を堪えようとするも、止まらない。

次から次へと溢れてくる。

 

「お疲れさまでした」

 

そんなリリルカを、そっとリューが支える。

彼女は、もしベートが凶行に及べば直ぐにでも割って入れるよう気を張っていた。

 

温めたおしぼりをリリルカへ渡しつつ。

 

「どうか胸を張ってください。あなたはミア母さんの言う通り勇敢で、勇者の言う通り優しい。お仲間も、あなたを誇りに思うことでしょう」

 

「あ、ありがとうございます……っ!」

 

「ソーマ・ファミリア、リリルカ……ああ、君が!」

 

何かに思い至ったように、フィンが声を上げた。

 

「私が、何か?」

 

「巷で御守りのモチーフになっている、邪滅姫(ピュア・リトル・プリンセス)だよね」

 

言葉に、リリルカの動作思考全てが停止する。

 

「ピ、リト……プリ?」

 

「悪名を馳せているセイル・アーティを、街中で説教して正座させたそうじゃないか。以来、彼を恐れる人達はそのときの君の勇姿を掘った御守りを持ち歩くのが密かに流行しているんだよ」

 

意味がわからない。

何言ってんだこの勇者。

リリルカは真顔でフィンを見返した。

緊張も恐怖も、一瞬で消し飛んでしまったのだ。

 

「もしかしたら、この街で一番名前を知られているサポーターじゃないかな、リリルカは」

 

涙が止まったことにも気付かずに、リリルカは上手く言葉が出せないでいた。

 

「おままごとでも、プリンセス役は大人気だそうで、今度舞台にもしようかって動きもあるみたいだね」

 

姫って、姫って……

 

「同朋のことだからね、僕もそれとなく情報を集めていたんだけど……実物がこれほどに勇敢で強いとは、思わなかったよ」

 

おままごと、舞台……舞台!?

 

「あれ? でも確か、御守りの版元は、ソーマ・ファミリアだったような……」

 

怒りが、先程を大きく上回る怒りがリリルカを支配した。

やつだ、間違いなくやつの仕業だ。

自分の汚名を代償に、なんてことしやがるのか。

 

そして……──

 

 

「ハッハァ! 良い夜だなクソ共! リュー、いつもの酒頼むぜぇ!」

 

 

現れる、オラリオ有数の汚物。

 

 

リリルカは手早く荷物をまとめると、大きく息を吸い込んだ。

 

「今入ってきたセイル・アーティ団長は、ギルド職員のエイナ・チュール様を弄んだ挙げ句、悪質な結婚詐欺に引っ掛けようとしていますー!!!」

 

そして、叫びながら走って店を出て行った。

 

「あん? 今のはリリルカか? 全く、一体何のことやらあの痛いんですけどリューさん、やめてもげる、俺の大事なトコが折れちゃう」

 

一笑に片付けようとしたセイルの肩を極めるリュー。

その瞳は氷のように冷たかった。

 

「愛が痛いぜリュー、ちょ、あ、肩が! 肩がネジ切れる!」

 

そんな二人の前に、新たな人影──リヴェリアが立った。

 

「ヒュウ、中々の美人さんじゃねーのって痛い! リュー、痛いから!」

 

「リューよ」

 

「はい」

 

「エイナ・チュールの母親は私の親友でな」

 

リヴェリアの言葉に、セイルは動きを止めた。

 

「そうですか……ところで新作のメニューはいかがでしょうか。クズ男の痛め物などお薦めです」

 

リューは淡々と、処刑宣告を発した。

 

「ふむ」

 

「肩、ひじ、膝、腰、背骨……どこから痛めますか?」

 

「まずは、命に別状が出るまで行こうか」

 

「火加減はいかがいたしましょう」

 

「強火で、消し炭になるまで」

 

「かしこまりました」

 

「ちょ、それマジなトーンのやーつ? やーつ!」

 

 

──……ギィィイヤアアアアアア!!!

 

 

背後から聞こえてくる悲鳴を振り切って、リリルカは走った。

 

これより一週間以上に渡り、リリルカは宿に引きこもることとなる。

 

カイトとベルに引きずり出されるまで、彼女が外に出ることはついに無かったのであった。

 




長くなってしまった。
リリは献身的可愛い。

しばらくギャグが書きたい。すごく書きたい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。