【完結】僕はドラコ・マルフォイ (冬月之雪猫)
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第一章「始まり」
第一話「転生」


 四方を真っ白な壁に囲まれた小さな部屋。それが僕の世界。物心付いた頃から僕の世界はこの個室の中だけで完結している。

 原因不明。僕の病を診た医者は揃って白旗を上げる。遺伝子に問題があるわけでも、ウイルスや細菌に感染しているわけでも、肉体的に問題があるわけでもない。なのに、僕は立って歩くことが出来ず、直ぐに発作を起こして意識を失い、どんなに頑張っても六時間以上起きている事が出来ない。

 昔は足繁く通ってくれた両親も妹が出来てから顔を見せる頻度が減り、今では数ヶ月に一度会えるかどうか……。

 こんな体だから、学校に通う事も出来なくて友達も居ない。一人っきりの病室にはたくさんの本が散らばっている。起きている僅かな時間の大半は本を読んで過ごした。

 特にお気に入りの本は『ハリー・ポッター』。幼い頃に両親を亡くした少年が意地悪な親戚の下で窮屈な生活を送る日々を過ごす。そんなある日、彼の下に一通の手紙が届いた。それは“ホグワーツ魔法魔術学校”という未成年の魔法使いが自らの“力”を学び、磨くための場所からの招待状。その日から彼の生活は激変し、激動の日々を送っていく事になる。

 

「僕にも来ないかな……」

 

 この狭い世界から解き放ってくれる魔法の世界からの招待状。素敵な仲間達と共に憎むべき敵やライバルと競い戦う日々。

 ある時から僕は物語の中の登場人物の一人となって、主人公の仲間の一員となり、一緒に魔法学校での日々を過ごす妄想に耽るようになった。

 まさに文字通りの夢物語。だけど、家族から見放され、友達も居ない僕にとって、妄想に耽っている時間こそが幸福だった。ふとした瞬間に我に返ると、胸に穴が空いたような虚無感に襲われて涙が溢れるけど、それでも止められない。

 

 余命三ヶ月を宣告され、瞬く間にその時が来た。お世話になった看護師のお兄さんが特にお気に入りだった『アズカバンの囚人』を傍で朗読してくれている。この後に及んで顔を見せない両親の代わりに僕の最期を看取ろうとしてくれている。無愛想でいつもムッツリした表情を浮かべ、事務的な事ばかり口にするお兄さん。笑顔の一つも見せてくれた事が無い癖に、今はその顔をくしゃくしゃに歪めている。

 

「……そして、ハリーは」

 

 特にお気に入りの場面。ハリーが名付け親のシリウスと出会うシーン。その後に控えている悲しい展開を知って尚、そのシーンのハリーの喜びを想像して胸が温まる。

 意識が明滅し始め、終わりが近づいている事を悟る。お兄さんも心電図が教える命の終わりに声を震わせる。

 嬉しい。僕を思ってくれる人がここに一人だけ居た。その事実が狂おしい程に嬉しかった。

 お兄さんは最後の一文をつっかえながら読み終えた。同時に僕も意識を手放す。冷たくて暗い死に身を委ねる。最後まで聞こうと頑張り過ぎて、疲れてしまった。

 

「……おやすみ」

 

 おやすみなさい……。

 

第一話「転生」

 

「……あれ?」

 

 覚めないはずの眠りから覚めてしまった。瞼を開き、辺りを見回すと、そこは薄暗い洋館の一室だった。混乱していると、扉をノックする音が響く。

 入って来たのは妙齢の女性だった。驚いた事に外国人だ。呆気に取られている僕に女性はゆったりとした口調で話し掛けて来た。

 

「具合はどう?」

 

 予想通り、彼女が口にした言葉は英語だった。海外小説を原文で読んだり、洋画を吹き替え無しで観ていたおかげか、言葉の意味が驚くほどすんなりと頭に入って来た。

 問題があるとすれば、さっきまで病室で天寿を全うしようとしていた僕がいきなり洋館の一室に居て、見知らぬ外国人女性に具合を聞かれている理由がサッパリだという事。

 

「まだ、体調が戻り切っていないみたいね。後でドビーに薬を運ばせるわ。だから、もう少し寝ていなさい」

 

 そう言って部屋を出て行く女性に僕は何も言えなかった。他人と関わり合う事が極端に少なかった僕にとって、いきなり見知らぬ人とお喋りをする事はかなりの難度だ。

 言われた通り、ベッドで横になりながら、僕は必死に直前の記憶を掘り返す。

 

「……やっぱり、僕は死んだは――――、あれ?」

 

 変だ。声がおかしい。いつも聞き慣れた声よりトーンが若干低い。そう言えば、目の前にチラチラと見えている髪の毛がよく見ると金色だ。しかも、サラサラ。

 上体を起こしてみる。驚くほど体が軽い。まるで自分の体じゃないみたいだ。試しに足に力を入れてみると、簡単に動かせた。今までどんなに頑張っても動かなかった足が自在に動く。

 胸が高鳴る。試しにベッドから降りてみると、アッサリと立ち上がる事が出来た。バランスを崩す事も無く、何の労もなく歩きまわる事が出来る。

 喜びのあまり歓声を上げてしまった。飛び跳ねたりしても意識を失わない。

 

「ぼ、ぼっちゃま?」

 

 大はしゃぎしているといつの間にか目の前に奇妙な生き物が立っていた。ギョロッとした目玉にコウモリの羽のような大きな耳を持つ小柄な生物。あまりにも薄気味悪い容姿。思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 

「だ、大丈夫でございますか!?」

 

 まるで、スター・ウォーズのヨーダのようだ。ギョロッとした目を落ち着きなく動かしながら僕に近づいて来る。

 

「き、君は誰?」

「ぼ、ぼっちゃま? お忘れですか? ドビーでございます!」

 

 キーキーと甲高い声で名乗るドビー。

 

「ド、ドビー……?」

「そうでございます。屋敷しもべ妖精のドビーでございます」

 

 屋敷しもべ妖精。その単語を聞いて、僕はお気に入りの小説を思い出した。

 

「屋敷しもべ妖精のドビーって、あのドビー!?」

 

 唖然とする僕にドビーは困ったような表情を浮かべる。

 

「あの……、お薬とお水で御座います」

「あ、ありがとう」

 

 押し付けるように水と薬を渡してくるドビーに反射的にお礼を言うと、途端にドビーは悲鳴を上げて頭を壁にぶつけ始めた。あまりの光景に唖然としている僕を尻目にドビーは「ドビーは悪い子! ドビーは悪い子!」と繰り返している。

 まるで、あの小説のワンシーンのような光景に僕は血相を変えた。

 

「ど、どういう事!?」

 

 慌てて部屋の隅の姿見に駆け寄る。

 

「うそ……」

 

 鏡の向こうに立っていたのは黒目黒髪の日本人ではなく、薄いグレーの瞳にプラチナブロンドの髪を持つ男の子。あまりの事に愕然となりながら、慌てて自分にお仕置きしている情報源の下に駆け寄る。

 

「ド、ドビー!」

「ドビーは悪い子! ドビーは悪い子!」

「ちょっと、ドビー! 話を聞いて!」

 

 ドビーを壁から離して懇願すると、ドビーはやっと此方を向いてくれた。

 

「ぼ、ぼっちゃま……?」

「あの……、変な質問だけど、答えて欲しい」

 

 僕は止め処なく溢れてくる疑問を一つ一つドビーにぶつけた。ドビーは困惑しながらもキチンと答えてくれて、おかげで現状を把握する事が出来た。

 どうやら、僕は今、ドラコ・マルフォイになっているらしい。小説の中の登場人物の一人になっている。初めは妄想のし過ぎで遂には夢にまでみるようになったかと頭を抱えそうになったけど、明らかに夢ではない現状に思考を切り替えた。

 何がどうなってこうなったのかサッパリ分からないけど、モノは考えようだ。

 ある意味で望んでいた全てが叶ったと言える。

 自由に動き回れる体。大好きな物語の登場人物の一人。ドラコ・マルフォイという少年は物語上だと主人公に敵対する立場だけど、今は素直に喜んでおこう。

 

「ねえ、ドビー。お願いがあるんだけど」

「は、はい! なんでございましょうか?」

 

 僕はその後更にドビーから情報を集めた。特に両親との関係に纏わる事を重点的に。

 確か、ドラコは両親から溺愛されていた筈だ。下手な事をして、折角受けられる愛情を失うなんて真っ平だから、ドラコ少年の在り方を徹底的にドビーから学び受ける。

 前の両親は僕を捨てた。だけど、今度の両親からはたっぷり愛してもらう。物語上だと邪悪な魔法使いの手先だったり、主人公に嫌がらせをしたりと負の側面が前面に押し出されている人物達だけど、そんな事はどうでもいい。重要な事は僕を愛してくれるかどうかだ。

 不審な眼差しを向けてくるドビーに今の一連の流れを決して――両親に対しても――口外しないように強く命令しておく。

 

「いいね。絶対に誰も言っちゃ駄目だからね」

 

 見た目も気持ち悪く、物語上では僕達家族を裏切るドビー。

 

「ドビー」

 

 僕は彼の指を一本折り曲げた。悲痛な叫び声を上げるドビー。彼を抱きしめながら言う。

 

「ドビー。僕を裏切っちゃ駄目だよ? 約束を反故にしても駄目。いいね?」

「も、もちろんで御座います」

 

 涙を流しながら身を震わせるドビー。

 

「ありがとう、ドビー」

 

 そう言って、僕はもう一本折り曲げた。分かってもらうためだ。

 悪い子にはお仕置きをする。将来、僕を裏切らないように躾けておかないとね。

 ペットなんて飼った事も無いけど、しっかりと上下関係を理解させる事が躾の始まりだと本で読んだ事がある。

 

「僕は君のご主人様」

 

 一本折るごとに言い聞かせる。

 

「毎日、僕の所に来て躾を受けること」

 

 めそめそと泣き喚くドビーにしっかりと教えてあげる。

 

「躾の事も皆に内緒だよ? 誰かに言ったら……、焼いた石でも飲んでもらおうかな」

 

 時々、窓辺にやって来た虫をバラバラにした時の興奮を思い出した。

 ドビーの今日の躾を終えた後、ドビーに案内してもらって父の部屋を訪れた。ルシウス・マルフォイは羊皮紙に羽ペンで文章をしたためている最中だった。

 

「おや、ドラコ。もう体調はいいのか?」

 

 顔を上げて微笑む父に僕はバッチリと応えた。

 僕はどうやら高熱を出して寝込んでいたらしい。

 ドビーに聞いたドラコ少年の性格を出来る限り投影した演技で父と接する。どうやら、僕の演技は中々のものらしい。父の顔に疑いの色は無い。元々、ドラコ少年は少々甘えん坊な性格のようで、物語上での尖った部分はまだ無かったらしい。

 だから堂々と甘えた。ルシウス氏の腰に上り、ベッタリとくっつくと彼は困ったように微笑みながら頭を撫でてくれた。

 

 両親は僕にとってまさに理想的な夫婦だった。まず、なによりも僕を愛してくれている。僕が甘えれば、甘えたいだけ甘えさせてくれる上にその事を彼らは至上の喜びと感じている。欲しい物はないかとしきりに聞いてくるのが困り物だけど、その度に「父上と母上が傍に居てくれるだけで幸せです」と答えると頬が緩みっぱなしになる。

 ドビーに対する躾も順調だ。僕が呼び出せば間を置かずに現れ、今では何を命じても間を置かずに行動に移すようになった。疑問を差し挟む様子を見せない。そうなるように頑張って教えこんだ。

 

『なにも疑問に思っちゃ駄目だよ?』

 

 そう言って、肌に“疑問を持ってはいけない”と釘で刻んであげた。

 

『マルフォイ家の不利益になる事をしてはいけないよ?』

 

 そう言って、庭で集めたムカデや蟻を食べさせてあげた。

 両親は彼に対して全く視線を向けていないみたい。彼の耳が二回りくらい――刻んで――小さくなっている事や火傷の跡が散見している事に気付いていない。

 だけど、僕だけは君をずっと見ていてあげる。ずっと、躾けてあげる。

 そう言った時だけ、ドビーは体を震わせた。だから、焼いた鉄串で“友達”と背中に大きく書いて上げた。泣いて喜んでくれている。



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第二話「欲望」

 瞬く間に時間が過ぎていく。僕がドラコ・マルフォイになって数年が経った。

 その間に父上が開いた茶会の席で僕はビンセント・クラッブとグレゴリー・ゴイルに出会った。

 大柄で筋肉質な体を持つ二人は親に言い含められているらしく、僕の命令に絶対服従。僕の行く所にどこまでもついて来てくれて、一緒に食事をしたり、魔法の練習をしたりした。

 二人と交流を繰り返す度に“友達”を得られた実感に酔い痴れる事が出来て温かい幸福感に包まれる。

 ある日、僕はこっそりと二人をドビーの躾の時間に招いた。二人は大喜びでドビーの躾を手伝ってくれた。心地よい悲鳴に笑みが溢れる。

 愛らしいペットや親しい友人と過ごす時間。前なら考えられなかった幸福な時間。ああ、楽しい。

 

「時よ止まれ お前は美しい」

 

 ドイツの文人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの代表作『ファウスト』の中で主人公のファウストが呟いた台詞。

 ああ、この瞬間が永遠になってしまえばいいのに……。

 

第二話「欲望」

 

 更に時が進み、魔法学校入学を直前に控えた日の事。

 僕は両親に連れられてロンドンのマグルから秘された場所にあるダイアゴン横丁を訪れた。

 以前から頻繁に出入りしていて場所に対する感動こそ薄いものの、これから出会うであろう人との会合に対して胸を高鳴らせている。

 ある程度買い物を済ませた後、制服を買うためにマダム・マルキンの洋裁店を訪れ、採寸の間に他の買い物を済ませてくると言う両親を見送った後、僕はこれから来る筈の人物にワクワクしていた。

 この場所こそ、物語の主人公であるハリー・ポッターとドラコ・マルフォイが初遭遇する場所なのだ。

 藤色の服を来た恰幅の良いマダムによる採寸を受けながら一秒一秒を待ち遠しく思いながら待ち続ける。そして……、

 

「いらっしゃいませ」

 

 マダムの手が止まった。痩せたメガネの少年が大柄な男と共に入ってくる。

 おっかなびっくりという感じで店内に入ってくる彼をマダムは台の上に乗せて採寸し始める。

 少年は安全ピンを手際良く止めていくマダムの手捌きに感心しているようだ。

 

「こんにちは」

 

 声を掛けると、男の子は目を丸くした。

 

「君もホグワーツ?」

 

 分かり切っている事を聞く。

 会話の切っ掛けは他愛ない世間話から入るものだと本に書いてあったし、クラッブやゴイルで実践して来ている。

 

「う、うん。そうみたい……」

「僕はドラコ。ドラコ・マルフォイだよ。よろしくね」

「ぼ、僕はハリー。ハリー・ポッター」

 

 うん、知ってるよ。物語の主人公。憧れていた存在。会えて涙が出そうになるくらい嬉しい。

 

「ハリー。ああ、君なんだね。会えて嬉しいよ」

「えっと……」

 

 困った顔を浮かべるハリー。自分が有名人である事実をまだ受け止めきれずにいるみたいだ。

 

「あんまり魔法界に馴染めてないみたいだね」

「……う、うん。僕はその……、つい最近まで自分が魔法使いだって事を知らなくて……」

「そうなんだ。じゃあ、魔法界の先輩として、色々と教えてあげようか?」

「え?」

 

 戸惑うハリーに僕は微笑みかけた。相手を安心させる微笑み方があると本で読み、鏡の前で何度も練習した。

 笑顔というものには種類があるのだ。

 意地悪な笑顔。冷たい笑顔。恐ろしい笑顔。安心する笑顔。

 僕の肌は人より色素が薄い。だから、意図してやらないと冷たい笑顔になってしまう。だから、物にするまで随分と苦労したものだ。

 

「ホグワーツの事でも、魔法界の事でも、何でも聞いて欲しい。君の力になりたいんだよ」

「えっと……、じゃあ――――」

 

 初めは恐る恐るという感じだったけど、直に僕に慣れてくれたみたいで次から次へと質問が飛んで来た。その全てに可能な限り丁寧に答えを返していく。

 それは生まれたばかりの雛に自分が親鳥なのだと誤認させる刷り込みのようなもの。

 未知の世界に足を踏み入れる不安と無知である事への恐怖を和らげてあげる事で彼に“安心”を与え、僕に“親しみ”を持ってもらう。

 

「寮は四つあるんだ。スリザリンは上昇意欲の高い生徒を求め、ハッフルパフは誠実な人材を望み、レイブンクローは知識に対する貪欲さを尊ぶ」

「残る一つは?」

 

 言葉に淀みが無くなり、ハリーは僕に対して信頼感を寄せ始めている。いい感触だ。

 

「グリフィンドール。この寮は猪突猛進型の生徒が多いね」

 

 物語でハリーはグリフィンドールに入った。だけど、彼にはスリザリンに入るという選択肢もあった。彼の選択の裏にはハグリッドや彼の友人となるロンの助言が潜んでいる。彼らはグリフィンドールを尊び、スリザリンを蔑んでいた。

 恐らくスリザリンに入るだろう僕がハリーと親しくなるには同じスリザリンを選んでもらった方が都合が良い。例え、グリフィンドールに選ばれても、ここでスリザリンに対する見方を変えておけば寮の垣根を超えた友情を育む事も出来るかもしれない。

 物語のようにスリザリン自体を毛嫌いされては難易度が跳ね上がってしまうから、まだ何も知らない真っ白な状態の今しかチャンスは無い。

 

「所謂、体育会系の寮なんだ。勉学に励む者を蔑む傾向にある。暴力的な生徒も多いと聞くから、僕は遠慮したいかな」

「ダドリーみたいな奴が多いのか……」

「ダドリー?」

「あ、僕の従兄弟なんだ。凄く暴力的な奴で――――」

 

 上手くグリフィンドールの基質と彼が憎む従兄弟のダドリーを結びつけてくれたみたいだ。

 これは幸先が良い。一度悪印象を持つと、後から覆すのは凄く難しいのだと本に書いてあった。

 

「君はどの寮に入りたいと思っているの?」

「僕は……、出来ればスリザリンかレイブンクローがいいな。両方共叡智を尊ぶ寮だからね。勉強が好きなんだよ。それにスリザリンはクィディッチでも好成績を残し続けている」

「クィディッチ……?」

 

 僕自身、何が面白いのかサッパリ分からない魔法界の競技だけど、彼が夢中になる事を知っている手前、出来る限り褒めちぎっておく。

 

「そうだ。いいものがあるよ」

 

 先に採寸が終わった僕はこうなる事を見越して用意しておいた一冊の本をカバンから取り出した。

 

「『クィディッチ今昔』だよ。このスポーツは魔法界で常に大人気だから知っていれば大抵の人と話題を共有出来る。良ければプレゼントするよ。友情の証だ」

「い、いいの!?」

 

 驚くハリーに「もちろんさ」と答えておく。

 彼にとって、ハグリッドからのケーキを除けば初めての贈り物である筈だ。この後、ハグリッドからヘドウィグを贈られる筈だけど、その前に渡す事で物の質をカバーする事が出来る。

 初めての贈り物をくれた相手として認識してもらえれば信頼を得やすい筈だ。特に純真無垢な今のハリーに対してなら。

 

「僕もスリザリンに入れないかな……」

「大丈夫さ。スリザリンは自らを高めたいと望む者に門を開く。今の自分から脱却したいとか、もっと凄い存在になりたいという気持ちがあれば、きっと選んでもらえるよ」

 

 丁度ハグリッドが顔を出し、ハリーの採寸も終わった。

 

「こんにちは」

「おう、こんにちは。お前さんも今年からホグワーツか?」

「はい。あなたはハグリッドですね? ホグワーツの番人とお聞きしています。ダンブルドアから絶大な信頼を得ていると……、お会い出来て光栄です」

 

 握手を求めると、ハグリッドは顔を真っ赤に染めながら両手で僕の手を包み込んできた。やや乱暴な握手だったけど、彼は実に嬉しそう。彼はマルフォイ家の人間を軽蔑しているから、名乗る前に出来るだけ好印象を与えておきたかった。どうやら、上手くいったみたい。

 

「では、両親が待っているので僕はこれで……っと、そうだ」

 

 僕はふと思いついて言った。

 

「ハリーはホグワーツへ行く方法を知っている?」

 

 首を横に振るハリーに僕は9と3/4番線について教えた上で一つの提案を持ちかけた。

 

「じゃあ、時間を決めて集合しようよ。僕がホームまで連れて行ってあげる」

「いいの?」

「もちろんだよ。友達でしょ?」

「う、うん!」

 

 これでハリーがロンと接触する可能性をかなり削げたと思う。彼はマルフォイ家を毛嫌いしているから、どう頑張っても仲良くなれないと思うから早々に諦める事にしている。代わりにハリーとも仲良くなれないように今のうちから画策しておこう。

 彼の存在はスリザリンであり、マルフォイ家である僕にとって友好関係を築く大きな壁だ。出来るだけ遠ざけておく必要がある。

 

 ハリーと別れた後、彼がハグリッドと交わす会話を想像してみる。

 十中八九、マルフォイ家である事を懸念され、スリザリンを勧められた事に異論を挟むだろう。

 だから、後は今の短い時間でどれだけ彼らの好感度を上げられたかにかかっている。

 ああ、不安だ。不安を抱えたままだと寝不足になってしまう。

 男女双方から好かれる顔立ちというものがある。際立ったハンサム顔やいかつい顔は誰かしらに反感を持たれるから、出来るだけ線の細い女性よりの顔立ちが好ましい。

 幸い、ドラコの顔は元々際立つほど整っている。後は肌の手入れや髪と眉の整え方次第。髪もそれとなく伸ばしている。

 この状態を保つために寝不足はいけない。だから――――、

 

「今日はいつも以上に可愛がってあげるよ、ドビー」

「……アリガトウゴザイマス、ゴシュジンサマ」

 

 歯茎に針を差し込み、反応を楽しみながら僕はホグワーツでの生活を思った。

 あそこには『必要の部屋』というものがある。

 あそこになら、楽しい玩具が揃っている部屋も作れる筈。

 そこにドビーを招こう。

 もし、叶うなら誰か……、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人間を躾けてみたいな」



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第三話「友人」

 魔法学校に入学する日が来た。

 両親と共に早めにキングス・クロス駅に到着した僕は早々にコンパートメントを一つ占拠し、ハリーを持て成す準備を始める。

 クラッブとゴイルには別のコンパートメントに行くように命じた。

 ハリーはまだ不安でいっぱいで、いきなり大勢の見知らぬ人間に囲まれたら警戒してしまう筈だ。

 まずは僕が彼の警戒を解く。その後で紹介してあげればいい。美味しいお菓子を並べておき、ドビーからの報告を待つ。

 彼にはハリーの到着を報せるよう命じてある。

 

「いよいよ始まるんだぁ」

 

 待ち望んでいた物語のスタート。

 友達をたくさん作る。僕を愛してくれる素敵な仲間達を集めるんだ。

 

「ゴシュジンサマ」

 

 バチンという音と共にドビーが現れた。

 

「来たんだね?」

 

 僕はドビーの返事も聞かずに汽車から飛び出した。

 ハリーを迎えに行く為に謝罪しながら人並みを逆行して秘密の入り口を通り抜ける。

 改札まで行くと、ハリーの姿はすぐに見つかった。

 白フクロウを連れて不安そうに歩く少年。

 道行く人々がすれ違いざまに視線を投げかけている。僕は胸を張りながら彼の下に向かった。

 

「ハリー」

 

 声を掛けると、ハリーはビックリした顔で僕を見た。

 

「ド、ドラコ?」

「そうだよ、ハリー。待たせたね」

「う、ううん! 僕、今来た所なんだ!」

 

 まるで初々しいカップルの初デートみたいな台詞を吐くハリーに吹き出しそうになった。

 

「やあ、可愛い白フクロウだね」

「う、うん。ハグリッドが買ってくれたんだ」

「そうなんだね。優しい人だ」

「う、うん……」

 

 歯切れが悪い。顔を覗きこむと、ハリーの瞳は彼の感情を評しているかのように揺れていた。

 

「どうかした?」

「え? あ、ううん。なんでもないよ」

 

 慌てて答える彼に僕は少し過剰に哀しんでみた。

 

「水臭いことは無しにしよう、ハリー。君は悩んでいる。そうだろう? どうか、聞かせて欲しい。君の助けになりたいんだ。友達としてね」

 

 ハッとした表情を浮かべるハリー。

 尚もせがむように彼の顔を見つめる。

 精神分析の本で読んだ事がある。大切な事は瞳を見る事だ。揺るがない瞳は相手に“安定”を促し、“安心”を与える。

 ハリーはポツリと言った。

 

「ハグリッドが君の事を悪く言ったんだ」

 

 まるで苦虫を噛み潰したような顔。

 

「マルフォイ家とは関わらない方がいい。スリザリンは止めた方がいい。君は彼を優しい人と言ったのに、彼は君を……」

 

 ハリーにとって、ハグリッドは自らをダーズリー家から解き放ってくれた特別な人だ。だから、彼に対しては他の誰よりも絶大な信頼を寄せている。その彼が僕の悪口を囁いた。対して、僕は彼を褒め称えている。悪意を口にする者と好意を口にする者なら良識ある人物なら後者に好意を寄せるもの。だけど、この場合の悪意を口にした相手が誰よりも愛しい相手であるが故にハリーは苦悩の表情を浮かべている。

 僕は彼をより安心させる為に甘く微笑んだ。

 

「大丈夫だよ、ハリー」

 

 練習した甘い声で囁きかける。幼い声帯故に出せる蜂蜜のような甘ったるい声。

 

「彼の言葉は僕自身を差したものじゃない。僕の両親は魔法省という場所で働いている。マグルの世界で言うところの官僚というやつでね。官僚というものは人から嫌われる事も仕事の一つなんだ。そして、スリザリンは多くの官僚を排出している」

「そんな……。そんな理由でハグリッドは……」

「仕方のない事なんだよ。むしろ、彼は正しい。官僚の悪口を言う事は国民の権利であり、義務みたいなものだ。官僚が国民の為に正しい行いをする為には国民の声が必要不可欠だからね」

 

 ハリーはため息を零した。

 

「確かにテレビで官僚を厳しくバッシングしているデモ隊の映像を何度か観た事があるよ」

 

 どこか失望した風な空気を纏いながら呟いた。

 

「……ほら、気を取り直してホームに行こうよ。出発の時間になってしまう」

「う、うん」

 

 ハリーは壁の中に足を踏み入れる9と3/4番線のホームへの入場の仕方にビックリして、さっきまでの憂鬱そうな表情を一変させた。

 ホームに溢れかえる同世代の魔法使い達や真紅のホグワーツ特急に歓声を上げる。

 

「さあ、荷物を預けてコンパートメントに行こう」

 

 ハリーのトランクを車掌に預け、あらかじめ取っておいたコンパートメントに向かうと、そこには両親が待っていた。二人はハリーの顔を見ると見事な微笑みを浮かべて彼を迎えた。

 

「君の事はドラコから聞いている。ハリー・ポッター。会えて光栄だよ」

「あの……、はい、ハリーです。その、よろしくお願いします」

 

 ガチガチになっているハリーを労るように母上が紅茶を差し出してきた。

 

「よろしければ一杯いかが? 落ち着くと思うわ」

 

 上品な笑みを浮かべる母上にハリーはコクコクと頷く。

 

「さて、そろそろ出発だな。ドラコの事をよろしく頼むよ、ハリー君」

「あ、あの、こちらこそ」

 

 恭しく頭を下げる父上にハリーも慌てて頭を下げる。

 

「では、御機嫌よう。お手紙を頂戴ね? ドラコ」

「はい。毎週書きます」

「楽しみにしているわ。ハリー君も御機嫌よう」

 

 二人が去った後、ハリーは大きなため息を零した。そんな彼に思わず笑みが溢れる。

 

「ごめんね。二人共、相手に無駄なプレッシャーを掛ける天才なんだ。おかげで我が家は嫌われ者さ」

 

 困ったものだと肩を竦めてみせる。

 すると、彼は僕の期待通りの反応を見せてくれた。恐縮しきった顔で二人のフォローを必死にしている姿は実に愛らしい。

 彼に用意しておいたお菓子を勧め、マダム・マルキンの洋裁店では語り切れなかった魔法界の話を彼に存分に語り聞かせて上げた。

 しばらくして、車内販売が回って来たから色々とお菓子を購入した。全部のお菓子を少しずつ購入し、二人で消費していると、今度は丸顔の男の子が現れた。

 

「ご、ごめんね。僕のヒキガエルを見なかった?」

 

 もう一人の主人公の登場だ。彼の名前はネビル・ロングボトム。物語ではもう一人の主人公として重要な役割を担っている。彼と仲良くなっておいて損は無い。それに彼らの前で善人振りを披露すれば好印象を持ってもらえる。

 僕は見かけなかったと答え、席を立った。

 

「広い車内を一人で回るのは大変でしょ? 一緒に捜してあげるよ」

「え、でも……、いいのかい?」

「もちろんだよ。大切なペットと逸れてしまったら悲しいよね。気持ちはよく分かるよ。僕のペットはホグワーツに持ち込めない種類だったから今は傍に居なくて……凄く寂しい。だから、協力させてもらえないかな?」

 

 ネビルは嬉しそうに頷いてくれた。

 ハリーも僕の言葉に心を動かされたのか一緒に探すと申し出てくれて、三人でカエルの捜索を開始する事になった。

 手分けをして、コンパートメントを回っていると前方から栗色の髪の女の子が現れた。

 

「あら、ネビル! カエルは見つかったの?」

 

 やはりと言うべきか、彼女こそが物語のヒロイン、ハーマイオニー・グレンジャーだった。

 どうやら、ネビルのカエルを一緒に捜してあげていたみたい。

 

「向こう側には居なかったわ。そっちにも居なかったなんて……」

「もしかして、ホームに忘れてきちゃったんじゃない?」

 

 ハリーの言葉にネビルは真っ青になる。

 

「いや、まだ捜していない所があるよ」

 

 僕は言った。物語では彼のカエルはちゃんとホグワーツまでついて来ている。

 どこかに居る事は確かなのだ。そして、残る未捜索場所はひとつ。

 

「貨物車両だよ。もしかして、トランクと一緒に紛れ込んでしまったんじゃないかな? ちょっと待っててよ。車掌さんに確認してくる」

 

 僕は安心させるために笑顔を作り、車掌の下へ向かう。途中、監督生達のコンパートメントにぶつかり、ノックをすると背の高い赤髪の男の子が顔を出した。

 

「やあ、どうしたんだい?」

「あの、友達のペットを探しているんです」

「もしかして、ヒキガエルかい? さっき、女の子が探しに来たよ」

 

 恐らく、ハーマイオニーの事だろう。

 

「はい。ただ、くまなく探したんですけどどこにも居なくて……。貨物車両に隠れているかもしれないと思ったんです」

「ああ、なるほど。ちょっと待ってて」

 

 男の子は他の監督生達と少し喋った後で奥の扉を潜った。しばらく待っていると、その手には大きなカエルが一匹。

 

「居たよ。ごめんね。貨物車に紛れているとは盲点だった。さっきの女の子にも謝っておいて欲しい」

「はい。ありがとうございます」

 

 ニッコリと微笑む監督生にお辞儀をして、僕はネビル達の下に戻った。カエルを渡すとネビルは感激のあまり瞳を潤ませながら感謝の言葉を繰り返してきた。

 

「僕はドラコ。ドラコ・マルフォイだよ」

 

 自己紹介がまだだった事を思い出して、それぞれ名前を名乗り合うと、ネビルは僕とハリーの名前にギクリとした反応を見せた。

 特に僕の家の悪評を家で聞かされているネビルは恐怖に引き攣った表情を浮かべた。

 僕は気合の入った“哀しみ”の表情を浮かべる。すると、ハリーが咄嗟にフォローをしてくれた。

 

「ドラコの両親は実際に会ってみると凄く素敵な人達だったよ。だから、噂を真に受けないで欲しい」

 

 ハーマイオニーも僕がカエルを見つけた事で身の潔白を主張してくれた。

 ダメ押しとばかりに出来る限りの“儚げな笑み”を浮かべて見せると、ネビルは呆気無く陥落した。

 両親が死喰い人に拷問され、精神を壊されたというのに元死喰い人という――実は真実である――噂が流れている両親の事を信じてくれる。

 実に愚かしく、可愛らしい。

 その後、二人を僕達のコンパートメントに招待して、室内を埋め尽くすお菓子の山を四人で協力しながら消化した。

 ネビルはカエルチョコレートのカードを集めているみたいで出たカードを譲るとまたまた感謝の嵐。

 彼は専用のカードフォルダーを持っていると言うから、今度見せてもらう事になった。

 やがて、ホグワーツが近づいて来る頃には僕達の関係は友人と言って差支えのないものになっていた。



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第四話「スリザリン」

 徐々に汽車が速度を落とし始めている。

 着替えを済ませて、これからの学園生活に思いを馳せる。

 いよいよ、ホグズミード駅に到着だ。

 

「イッチ年生! こっちだ!」

 

 汽車から降りるとハグリッドの轟くような声が響き渡る。

 彼はハリーを見つけるとニコリと微笑みかけ、生徒を引率し始めた。

 

「挨拶しようにも混雑しているね」

「う、うん」

 

 ハリーは気まずそうな表情を浮かべている。

 彼が僕の家の悪口を口にした事を未だに気にかけているのだろう。実に良い兆候だ。

 僕達四人は一緒に行動する事にした。

 寮の組み分け次第で離れ離れになる可能性も高いけど、今は何の垣根も遠慮も要らない真っ白な状態。

 この僅かな時間に築いた友情は不変では無いだろうけど長続きするものと信じたい。

 ハーマイオニーと共にホグワーツの歴史から引用した学校に纏わる逸話などをハリーとネビルに語り聞かせていると広々とした湖の畔に出た。

 目の前に広がる絶景に、ある者は歓声を上げ、ある者は息を呑んだ。

 共通している点は対岸に聳える山の上に建つ荘厳な城に対する感動。大小様々な塔があり、点在する小さな窓が星天の如くキラキラと輝いている。

 夢心地のふわふわした感覚のまま、僕達は四人一組でボートに乗り込んだ。

 ボートは勝手に動き出し、対岸へと僕らを送り届ける。ホグワーツの地下に広がる鍾乳洞から長い階段を登り城門へ至る。

 

「ホグワーツ入学おめでとうございます」

 

 玄関ホールで老年の魔女が新入生達を出迎えた。グリフィンドールの寮監であり、変身術の教授でもあるミネルバ・マクゴナガルに違いない。

 厳しい顔付き。硬い口調。鋭く尖った声。

 生徒達は一様に緊張の表情を浮かべている。

 

「では、此方にいらっしゃい」

 

 マクゴナガルは僕達をホールの脇にある小部屋へ誘った。狭苦しい部屋に押し込められ、歓迎の用意が済むまで待機を命じられる。

 生徒達はいよいよ行われる組分けの儀式を前にざわつき始め、ネビルも真っ青になりながら震えている。

 ハーマイオニーはそんな彼を励ましているのか寮の特色について語っている。

 ハリーはその説明に熱心に耳を傾けているけど、殆どが以前、僕が彼に教えて上げた事の復習となった。

 そうこうしている内に部屋の中にゴースト達が現れ新入生を驚かせ始める。体を通り抜けられた生徒が悍ましい感覚に悲鳴を上げ、小部屋は狂乱の渦に包まれた。

 

「さあ、行きますよ!」

 

 そんな混沌とした空気を物ともせずにマクゴナガルが戻って来た。

 いよいよだ。不安そうな表情を浮かべているハリーの手を握って上げた。

 

「大丈夫だよ。組み分けの儀式は痛みを伴うものではない筈さ。ほら、深呼吸をしてリラックスしなよ」

 

 ハリーを励ましながら大広間へ進んでいく。

 宙に浮かぶ蝋燭。キラキラと煌く黄金の杯と皿。並ぶ上級生達。

 まさに映画の中のワンシーン。いや、実際はもっと素晴らしい。

 

「素敵だ」

「……うん」

 

 なによりも目を見張ったのは天井に浮かぶ満天の星空だ。

 魔法が見せる幻影である事は既に承知の事だけど、それを差し引いても美しい。

 次から次へと襲い来る感動の嵐にノックダウン寸前となりながら、僕達が教授達の待つ壇上の前に辿り着くと、マクゴナガルが古ぼけた帽子を新入生達の前に掲げ、壇上にポツンと置かれた小さな丸椅子の上に乗せた。

 そして始まる組み分け帽子による寮の紹介歌。仰天の表情を浮かべる新入生達を尻目にマクゴナガルが組分けの方法を説明し始める。

 

「なんだ、帽子を被るだけでいいんだ。フレッドの奴、ぼくを騙しやがった!」

 

 近くで黒人の少年と囁き合う赤髪の少年の声が耳に入った。

 チラリと視線を向けるとそばかすが目立つ背の高い男の子の姿があった。きっと、ロン・ウィーズリーに違いない。

 僕は彼からそっと視線を外した。彼とは出来る限り距離を置いた方がいい。

 やがて、ABCの順に組分けの儀式が開始された。トップバッターのハンナ・アボットはハッフルパフ。二番手のスーザン・ボーンズもハッフルパフ。だけど、三番手のテリー・ブートはレイブンクローに選ばれて、いよいよ生徒達は自分がどの寮に選ばれるのかで緊張と不安に包まれた。

 僕達の中で最初に名前を呼ばれたのはハーマイオニーだった。さて、彼女には僕がスリザリンかレイブンクローに入りたいと願っている事を伝えてある。ハリーも僕に同調してくれていて、彼女自身、『出来ればレイブンクローがいいかな。グリフィンドールも悪くないと思ってたけど……』と零していた。

 彼女はグリフィンドールの他にレイブンクロー寮への適正がある。彼女がどちらの寮に配属されるのかで未来が大きく変わる。ハリーがスリザリンに選ばれる可能性が大きくなる。

 やがて――――、

 

『レイブンクロー!』

 

 組み分け帽子は高らかに彼女の寮の名を叫んだ。レイブンクローの生徒が彼女を迎えるべく立ち上がっている。

 僕は歓喜のあまり深い笑みを浮かべた。

 

「ハリー。ハーマイオニーはレイブンクローに選ばれたね」

「う、うん」

「僕も出来れば彼女と同じ寮がいいんだけど、きっとスリザリンに選ばれる。本人の資質と共に組み分け帽子は血筋をある程度考慮するんだ。グリフィンドール生の息子はグリフィンドールになるといった風にね。もっとも、必ずしもそうというわけじゃないけど……。ほら、後ろに赤い髪の男の子がいるだろう? 彼は恐らくウィーズリー家の子だよ」

「ウィーズリー家?」

「代々グリフィンドールに所属している一族なんだ。兄弟が大勢いるそうだけど、全員がグリフィンドールに籍を置いている」

「じゃあ……」

「ハーマイオニーとは一緒になれなかったけど、僕は君と一緒の寮がいいな」

 

 僕が囁くと同時にマクゴナガルがハリーの名前を呼んだ。騒然となる大広間。教授達も息を呑んでいる。校長であるダンブルドアでさえ、彼の顔をよく見ようと体を前に倒している。

 ガチガチに緊張しながら、ハリーは組み分け帽子が待つ丸椅子に向かう。マクゴナガルが帽子を被せると――――、

 

『スリザリン!』

 

 間髪入れずに帽子が彼の所属寮を選んだ。

 さっきとは打って変わり、水を打ったように静まり返る大広間。教授達すら唖然としている。ハリーはそんな周りの反応に戸惑い、困惑した表情を浮かべている。

 そんな中、スリザリンの生徒達だけが一斉に立ち上がった。

 

「ハリー・ポッター! 歓迎する!」

 

 満面の笑みと共に迎え入れられたハリー。対して、他の寮の生徒達はしきりに囁き合っている。

 

「あのハリー・ポッターがよりにもよって……」

「……信じられない。魔法界の英雄だぞ」

「ハリー・ポッターがスリザリンに選ばれただと……?」

 

 そんなざわめきの中、儀式は進んでいく。遂に僕の番が回って来た。

 丸椅子に座り、帽子を被る。

 

『ああ、君の寮は既に決まっている。素質も十分過ぎる程ある』

 

 組み分け帽子は高らかに叫んだ。

 

『スリザリン!』

 

 僕は軽い足取りでハリーの時同様に一斉に立ち上がり出迎えてくれるスリザリンの席へ向かった。

 

「ハリー」

 

 僕は――僕のために――空いているハリーの隣の椅子に腰掛けた。

 

「これから七年間の付き合いになる。よろしくね」

「う、うん」

 

 周りの悪意を含んだ囁き声に戸惑っているハリーに僕は言った。

 

「言ってなかった事がある。スリザリンは優等生が集まるんだ。卒業生の殆どが政府の要職に携わっている。つまり、エリートコースなんだよ」

「エリートコース……?」

「そうだよ。だから、他寮から嫉妬されている。加えて、他の寮も君を欲しがっていた。だから、心ない言葉をつい口にしてしまうんだ」

「……そうなの?」

 

 僕はしっかりと頷いて肯定する。

 

「何が言いたいかと言うと……、誰に何を言われても気にする必要が無いという事さ。さあ、お祝いの席だ。精一杯楽しもう」

 

 微笑みかけながら組分けの続きを見守る。組み分けが終わるといよいよ食事会の始まりだ。豪華絢爛なディナーが皿の中に現れる。

 食事風景一つとっても寮には明確な違いが見受けられる。グリフィンドールやハッフルパフは粗暴な食べ方が目立ち、対してレイブンクローとスリザリンは上品だ。

 グリフィンドールからは気取った奴らと僕らを蔑む声が聞こえてくる。その言葉はハリーの耳にも届き、眉を顰めさせている。

 彼が仮にグリフィンドールに選ばれていて、スリザリンに悪印象を持っていたら違う反応を見せていただろう。

 今の言葉にもむしろ肯定的な意見を持った筈だ。

 彼の意識の根底にグリフィンドールへの悪印象を刻むことが出来たという事だ。

 さて、問題は――――、

 

「あの人は……」

 

 ハリーは教授席に座る黒髪の男性を見て呟いた。

 

「スネイプ教授だよ」

 

 僕は彼と面識を持っている。父上と親しい間柄なのだ。

 

「セブルス・スネイプ教授」

「スネイプ……」

「彼がこの寮の寮監なんだ。厳格な方だと有名だよ」

「そう……、なんだ」

 

 問題というのは彼がハリーの父親を憎んでいる事。

 相応の理不尽を味わわされているから仕方のない事だけど、ハリーは彼が愛したリリー・ポッターの息子でもある。

 その辺を何とかアピール出来るといいんだけど……。

 

 皆のお腹がいっぱいになったところでダンブルドアと管理人のミスター・フィルチが注意事項を読み上げた。

 ハリーに分からない点はもちろん僕が丁寧に解説してあげる。

 式が終わり、それぞれの寮に向かう段になるとハリーはウトウトし始めた。

 監督生の後に続きながら学校の地下に向かう。談話室は細長い石造りで、低い天井から緑のランプが鎖で吊られている。

 僕はハリーとの二人部屋を用意してもらい、ふらつくハリーを優しくベッドに寝かせてあげた。

 

「おやすみ、ハリー」

「……うん、おやすみ」

 

 直ぐに寝息を立て始めるハリーを置いて談話室に戻るとスリザリンの生徒達が狭い室内に集結していた。

 殆どの生徒と僕は既に顔見知りだった。父上が開く茶会で何度も顔を合わせている面々だ。

 クラッブとゴイルが傍に控え、上級生が手を差し伸べてくる。

 

「見事だ。あのハリー・ポッターの信頼を勝ち取るとはさすがだよ、ドラコ・マルフォイ」

 

 マーカス・フリント。確か、スリザリンのクィディッチチームのリーダーだ。

 彼の他にも僕と握手をしたがる者は大勢居た。彼ら一人一人と挨拶を交わし、特に“繋がり”の強い者達を選別して「仲良くしよう」と言っておく。

 十年前。まだ、ヴォルデモートの脅威が魔法界を席巻していた頃、父上の配下だった者達の子息と子女達だ。

 彼らには既に色々と教育を施してある。

 出会った時から丹念に……。

 

「よろしく頼むよ」

 

 僕の愛しき友人達よ。



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第五話「魔法学校」

 魔法学校での生活がスタートして数日が経った。僕は常にハリーと共に居る。

 ハリーが少しでも困った顔を見せたら直ぐに解決してあげている。

 その解決法と印象操作にも気を使いながら……。

 おかげでグリフィンドールに対するハリーの印象は最悪に近い。

 なぜなら彼らはハリー・ポッターを手に入れたスリザリンを憎んでいる。

 此方が何もしなくても罵詈雑言を投げ掛けて来てくれるのだ。しかも、愚かな事にハリーがスリザリンを選んだ事を責める者まで居る始末。

 彼らの主張を要約すると、スリザリンである事がそれだけで“悪”なのだ。

 分かり易い差別。ただ、選ばれただけで悪という理不尽さが彼らに対するハリーの印象を悪化させる。

 スリザリンが掲げる“純血主義”を寮生達にしばらくは伏せるよう命じておいた事が功を奏した。

 同じ“差別”でも論理的な説得力を持たせることで良識を持つ人間にも馴染ませる事が出来る。

 

 彼らは優等生を敵視している。それは彼らの中に劣等感があるからだ。

 スリザリンに配属される者の家系の多くは長い歴史を背景に持つ。

 血を繋げ、魔法界の歴史に確かな足跡を残して来た血族の末裔だからこそ、魔法界に対する影響力を持っている。

 血の歴史が浅い者――――、マグル生まれやマグルと交わった者達にとって、いわゆる“純血”の一族が持つ発言力は欲しくても手の届かないものなんだ。

 自分達の手に入らない“力”を持っているから、彼らは僕らを敵視する。特にマグル生まれは……。

 歴史を遡ってみるといい。

 魔法界に限らなくても、マグルの歴史にだって“魔女狩り”という分かり易い事例が載っている。

 彼らは自分達に無い“力”を持っている魔法使いを恐れ、妬み、殺そうと躍起になった。

 例えが極端だと思うかもしれないけど、グリフィンドールの彼らが行っている僕達に対しての敵対行為は魔女狩りの縮図と言っても過言じゃない。

 

 ハリーのグリフィンドールに対する憤りが高まりきった頃を見計らって、そう彼らの行為を説明した。ハリーに対する純血主義への教育の第一歩だ。

 彼らの愚かな行為を存分に利用させてもらった。

 詭弁もいい所だけど、ディスカッションに不慣れなハリーはグリフィンドールに対する憤りも相まって、実に素直に僕の言葉を呑み込んでくれた。

 正直な所、僕自身は純血主義などどうでもいい。

 だけど、スリザリンの大多数が純血主義だから長い物に巻かれている状態を維持しているだけだ。

 ハリーに対する教育もハリーとの友好関係を末永きものにするための手段に過ぎない。

 彼にはスリザリンに馴染んでもらう必要がある。だって、僕はマルフォイ家のものなのだから。

 

 一週間が過ぎる頃には――最初はおっかなびっくりという感じだった――ハリーのスリザリン寮での生活も大分慣れて来たように見受けられる。

 毎夜の如く、僕が主催する勉強会に僕の取り巻きと共に参加させたり、数日に一度の茶会でスリザリンでも特に上流階級に位置するものと会話させる事で度胸や連帯感を持てるように取り計らった成果だ。

 スリザリンの生徒は基本的に文武両道。

 殆どの生徒が授業の内容以上の知識を有し、運動神経も抜群だ。

 加えて、古血の一族の出身者は幼い頃から作法を仕込まれている。一つ一つの仕草が優雅で上品だ。

 傍から見たら嫌味でキザったらしい冷血集団だが、それ相応の努力を重ねて来たからこその能力だと皆が自負している為、塵芥の僻み混じりの戯言を受け流す自信と胆力も併せ持っている。

 加えて、主従関係に対しては素直な点など、学校を卒業した後にこそ輝く能力を持っている。

 身内贔屓な批評かもしれないが、スリザリンに馴染む事は僕やハリーにとって有益だと思う。

 

 ハリーが僕の取り巻きと親しげに話すようになったのは飛行訓練の後からだった。

 グリフィンドールとの合同授業。そこでネビルとの再開を果たした。

 久しぶりに会う彼は僕達に対しておどおどとした態度を見せた。

 どうやら、スリザリンである事が彼にとっても障害となるらしい。

 他のグリフィンドール生からの目も厳しく、僕達はあまり彼と話す事が出来なかった。

 飛行訓練は恙無く進行し、ネビルと親交を深めるのはまたの機会となるかと思ったのだけど、実に運命的というか……、物語で起きた事件が目の前で発生した。

 ネビルが箒の制御を誤って振り回されているのだ。暴れまわる箒に今にも振り落とされそうなネビル。

 グリフィンドール生はおろか、スリザリン生からも悲鳴が上がる。

 いくら毛嫌いしている寮の生徒とはいえ、目の前で死の危機に直面している相手を嘲笑出来る程冷徹には成り切れていないのだろう。

 僕はこの状況を利用出来ないかと考えた。

 物語上で特別な役割を持つネビルとは是非とも親交を深めておきたい。

 例え、このまま落下しても飛行訓練の教師であるフーチが居る以上、大事にはならないだろうけど、ここで行動を起こす事に意味がある。

 

「ちょっと、ドラコ! 何をするつもり!?」

 

 スリザリンの女生徒が声を上げる。

 パンジー・パーキンソン。あまり家格は高くないものの、鋭い洞察力を持つ少女だ。

 成績も優秀で物語上ではドラコとセットで登場する事が多い。

 もっとも、彼女は野心家であり、主従関係よりも自らの利益を求める性格だ。故に少しだけ距離を置いている。

 僕が欲しいのは僕だけを見てくれる人だ。僕の取り巻き達は教育の甲斐もあって、僕に傾倒している。どんな命令も忠実にこなし、文句も言わない。

 

「このままだと危険だからね。何とかネビルを落ち着かせてみる」

 

 出来るかどうかは微妙だけど、“助けようとした”という行動そのものを恩に着せる事が出来る。

 箒に跨がり宙に舞い上がる。フーチが何かを叫んでいるけど、この行動は善意によるものと映る筈だ。ならば、お咎めも説教の一つで済むだろう。

 高度を上げ、僕は杖を取り出した。

 

「何をするの?」

 

 すると、すぐ近くで声がした。

 

「ハリー?」

 

 どうやら、僕の事を心配して追い掛けて来てくれたらしい。

 

「少し大きな音を立てる。ネビルをびっくりさせるんだ。それで正気に戻ってくれると助かるんだけど、駄目でもショックで力が抜ければ箒の暴走も緩和される。その隙に助け出そう」

「了解」

 

 ハリーが頷いた後、僕は杖を振るった。

 爆音が鳴り響く。その衝撃でネビルが目を大きく見開いた。キョロキョロと辺りを見回している。同時に箒の動きも鈍くなった。成功だ。喜んだ拍子に思い掛けない事が起きた。

 ネビルが箒から手を滑らせたのだ。そのまま足を引っ掛ける事も出来ずに落ちていく。

「ネビル!」

 

 大慌てで落下していくネビルを追う。ホグワーツに来る前にコッソリと屋敷で箒に乗る練習を積んでいたおかげで即座に反応する事が出来たけど、ネビルの落下速度が思った以上に早い。

 

「エド!」

 

 僕は取り巻きの一人の名を叫んだ。彼は即座に行動に移った。

 エドワード・ヴェニングス。

 初めての茶会の日に父上から紹介されたヴェニングス家の三男坊。寡黙な性格で僕が命令した事は疑問を持たずに遂行してくれる。

 ドビーの調教も他の取り巻き達の教育も彼に協力してもらった。今では阿吽の仲だ。

 名前を呼ぶだけで僕の願いを聞き届けてくれる。

 エドは呪文を唱えてネビルの落下速度を緩和した。

 彼に限らず、スリザリンの生徒は既に多くの呪文を身に着けているけど、この状況で咄嗟に最適な呪文を選んで発動させる事が出来るのは彼だけだ。

 

「よし!」

 

 なんとかネビルの腕を掴む事が出来た。

 

「っと、やばい」

 

 ところが、ネビルの体は思いの外重かった。いや、単純に体重が重いだけじゃない。緩和されたとはいえ、落下中。腕が軋んだ。

 離してしまおう。ここまでやったんだ。これでネビルに恩は売れた。

 

「間に合った!」

 

 力を抜こうと思った瞬間、ネビルの重量が一気に軽くなった。ハリーが追いついてきたのだ。ネビルの反対の腕を掴み、ハリーはニッコリと微笑む。

 

「ゆっくり降ろそう」

 

 再び手に力を籠めてゆっくりと降下を開始した。

 予想以上に事が上手く運んだ。フーチは僕とハリーを叱りながらも頬を緩ませ、エドを含めた三人にそれぞれ五点くれた。

 グリフィンドールの生徒もネビルの救出劇に感激してスリザリンが相手だという事を忘れたかのように喝采を上げた。

 僕は爽やかな笑顔を作り、皆の中心でハリーと握手を交わす。

 

「君が居なければどうなっていた事か!」

「まったく、無茶をし過ぎだよ」

 

 苦笑するハリー。グリフィンドールまで感心した表情を浮かべているのは想定外だったが、まあ良しとしよう。

 ハリーの純血主義教育に水を刺された感じだが、これでネビルとの友好関係を築く障害がかなり軽減された筈だ。

 もっとも、この光景を面白くないと思った輩がグリフィンドールとスリザリンの両方に居たようだけど……。

 

 この一件でハリーはスリザリンでも一目置かれるようになった。グリフィンドール生を助けた事よりも僕を助けた事が重要なのだ。

 加えて、あの卓越した箒捌きを披露する事が出来た事も大きい。箒に巧みに乗れる者はそれだけでヒーローとなれる。

 おかげで取り巻きの者達もハリーに感心を向けるようになった。

 どうにもネームバリューだけで僕と親しくしている事が気に入らなかったらしい。それも今回の一件でかなり軟化した。

 晴れて、この日ハリーは本当の意味でスリザリンの一員となったと言える。

 そして、同時に僕もハリーを籠絡する以外の時間を確保する事が出来るようになった。

 以前から興味があった『必要の部屋』を求め、8階の廊下に向かう。

 トロールに襲われている魔法使いの絵が描かれている壁掛けの前に人気のない時間帯を見計らってやって来た。さあ、試しに部屋を作ってみよう。

 思い浮かべるのは『隠し物の部屋』だ。様々な生徒の隠し物が入っている部屋。そこには貴重な魔法具が溢れている筈。加えて、あのヴォルデモートの分霊箱もある筈だ。

 三回壁掛けの前を往復すると、壁に扉が現れた。ドキドキしながら中に入ると、そこには大聖堂を思わせる広大な空間が広がっていた。

 中に入ってみると、そこには様々なガラクタで溢れていた。

 無数の家具がグラつきながら並んでいて、珍妙な物や呪いの掛かった物品などが収められている。ここにある筈のティアラを捜して歩いていると、幾つか面白い物を発見する事が出来た。

 例えば、『禁じられし呪いの魔術』という明らかに闇の魔術に関係していそうな本や『常闇のランプ』という点けると闇が広がるランプなどなど。

 好奇心に突き動かされて、あれこれ探っていると、他にも『暗黒の歴史 ~ 魔法界の知られざる闇 ~』というチープなコピーが踊るゴシップ雑誌や『透視メガネ』など、次々に見つかったらマズイ気のする物が出て来る。

 

「あった」

 

 途中で拾った透視メガネが役に立った。家具が透過する中、壁や強力な呪いの篭った道具は透過出来なかったのだ。

 壁が透過しなかった理由はホグワーツに掛けられている守護の一部に阻まれたのだろう。

 透過出来ない道具を順番に検証していると目的のティアラを発見する事が出来た。触れたりはせずにこっそりと近くの布を被せて、その上にライオンを模した銅像を引っ張ってくる。破壊するかどうかも未定だけど、僕以外に見つからないようにしておく必要がある。

 その後も色々と中を見て回り、目ぼしい物を拝借すると部屋を出た。空間拡張の魔法が掛けられたカバンがパンパンになっている。

 まだ、必要の部屋には色々と用事があるのだけど、今日はこのくらいにしておこう。



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第六話「友達」

 必要の部屋は求める者の求める物次第で形を変える。しかも、空間の広さや形だけではなく、内装や設備を整える万能さ。

 試しに書庫を望んでみると、図書室にも無いような貴重な本が並ぶ無数の本棚が現れた。さらに、条件を狭める事によって、ジャンルを絞って部屋を作る事も出来た。

 試行錯誤を繰り返し、望んでいた事の九割が達成出来た。

 

「――――さすがに秘密の部屋への通路は作れないか……」

 

 大抵の望みを叶えてくれる必要の部屋。ところが、サラザール・スリザリンがホグワーツに遺したバジリスクの棲家である秘密の部屋への通路は作る事が出来なかった。

 どこそこに移動したいと望めば大抵の場所にアクセスして道を作ってくれる必要の部屋だけど、さすがにスリザリンの隠し部屋は対象外だったらしい。

 

「まあ、いいや」

 

 いずれにしても、蛇語を使えない状態で秘密の部屋に入ってもバジリスクに殺されるのがオチだ。

 ヴォルデモートの分霊箱を破壊する為にバジリスクをどうにか手中に収めたいところだけど、先にやるべき事がある。

 今、僕は『蛇語を学べる環境』を必要の部屋に作ってもらって勉強している。

 どうやら、生物の扱いも対象外のようで、蛇を入れるケージが並んでいるものの、中身は無い。まあ、蛇を用意するだけなら簡単だから問題ないのだけれど……。

 

「"サーペンソーティア”」

 

 蛇を召喚する呪文を唱え、ケージの中に入れ、本棚から蛇語を学ぶための指南書を手に取る。

 

「……むぅ」

 

 どうやら、蛇語に分かり易い単語や発音の仕方があるわけではなく、指南書にも最も効率が良い方法として"パーセル・マウス”の能力者と向い合って学ぶ方法が推奨されている。

 一応、舌の動かし方なども書いてあるけど、空き時間を利用した練習を何度繰り返しても蛇はそっぽを向き、僕自身、彼の言葉を理解するには至らなかった。

 

 そうこうしている内にハロウィンの日がやって来た。

 もっとも、語るべき事など無い。

 物語通りにクィレルがトロールを校内に引き入れたけど、僕はハリーや取り巻きと共にとっとと寮に避難したし、他の寮の生徒が襲われたという話も聞かない。

 賢者の石はフラッフィーを出し抜く方法が判明する後半まで手を出せない筈だしスネイプがしっかりと警戒している筈。

 さすがに賢者の石をヴォルデモートに奪われる事だけは――現段階で復活されたら面倒だから――断固として回避しなければならないけど、やりようは幾らでもある。

 

「あ、ハグリッドからだ」

 

 ハロウィンの翌日、大広間で朝食を摂っていると、ハリーのフクロウが手紙を運んできた。ちなみに僕の所にも両親が運ばせたお菓子の詰め合わせが降って来ている。

 

「お茶のお誘いかな?」

「うん」

 

 さて、どうしたものかな。ハグリッドは僕の事をよく思っていない。だけど、彼には接触しておく必要がある。クリスマスの前後、彼はクィレルからドラゴンの卵を受け取る筈だ。それはクィレルがフラッフィーの出し抜き方を彼から聞き出した事の証明となる。

 賢者の石を奪わせない為に立てられる策は色々とあるけど、一番手っ取り早い方法を取るには彼との関係を深めておく必要がある。

 この方法が上手くいけば、僕はハグリッドとダンブルドアからの信頼を勝ち得る可能性もある。

 

「……ハリー。僕も一緒に行ってもいいかな? 彼には色々と誤解を持たれていると思うから、もう一度キチンと挨拶をしておきたいんだ」

「ドラコ……。もちろんだよ!」

 

 素直で実に結構。彼の視線からは確かな信頼を感じる。そうなるように仕組んだ。

 きっと、ハグリッドとの挨拶の場でもフォローを入れてくれる筈だ。

 

 ハグリッドからの招待は午後だった。

 授業も無く、僕とハリー、そして、取り巻きの内の二人が同行している。

 言葉や態度にこそ出さないが、彼らは僕がハグリッドの小屋を訪れる事を良く思っていない。

 スリザリンの生徒の多くがそうであるように彼らもハグリッドの野蛮さや粗暴さに嫌悪感を抱いている。

 それでも同行して来た理由は僕が命令したから……ではない。そもそも、僕は彼らについて来いなどと一言も言っていない。

 

「ドラコ」

 

 小屋の前に辿り着いた所で取り巻きの一人、ダン・スタークが声を掛けて来た。

 

「ここには凶暴な大型犬が放し飼いにされていると聞く。僕がノックするから少しさがっていてくれ」

「わかった」

 

 ファングの事を言っているのだろう。あの犬は人懐こい筈だけど、それを知らない彼らの危機感も理解出来る。なるほど、だからついて来たのか……。

 素直に後ろにさがり、ダンに扉を叩かせる。すると、中からのっそりとハグリッドが姿を現した。

 

「おお、ハリー。久しぶりだな。それと……」

 

 ハグリッドはジロリと僕達を睨みつけた。無礼な態度だとエドとダンが青筋を立てているのが長い付き合いのおかげで手に取るように分かる。

 

「ドラコです。改めて挨拶に伺いたいと思い、ハリーへのお誘いに便乗させて頂きました」

「挨拶?」

 

 敵意とまではいかなくても、ハグリッドはかなり鬱陶し気な視線を向けてくる。

 

「ハグリッド。ドラコ達は僕の友達なんだよ。紹介させて欲しいんだ」

 

 ハリーがそっと僕達の間に体を滑りこませた。

 

「友達……。分かった。茶を出すから入っとくれ」

「うん」

「お邪魔します」

 

 初めにハリーが入り、その後にダンとエドが入る。最後が僕だ。

 ダンはファングの姿に警戒心を露わにするが、居眠りの最中らしく動き出す様子は無い。まあ、動き出しても襲って来る事は無いだろうけど。

 ハグリッドの部屋は彼の体に合わせて全てが巨大だった。

 彼が切り分けたロックケーキを少しずつ食べながら、僕達は――主にハリーの――近況報告を行った。

 授業で学んだ事や寮での生活、飛行訓練で起きた事件など。

 

「ほう、スリザリンではそんな事をしとるのか」

 

 寮での茶会や勉強会の話にハグリッドは感心した風に言った。

 

「ええ、数日に一度のペースで開いています。主催する者はその都度違います。会を盛り上げる為の話題を用意したり、人数分の茶やお菓子を用意するなど、面倒な事もありますが結構面白いんですよ」

 

 ハグリッドとの会話は思ったよりも面白かった。

 彼はなにより純朴な人柄だった事が大きい。彼が僕に対して警戒心を抱いていた理由は父が死喰い人だった事。蛙の子は蛙だと思うのは当然だ。

 だけど、決して捻くれているわけじゃない。此方が思うままに印象を引き上げてくれた。

 ここまで扱い易くて分かり易い相手も滅多にいない。

 気が付けば僕達に対してもハリーと変わらぬ親しげな口調で話してくれるようになった。

 彼の懐に入り込む事には一先ず成功したと言える。

 

「ハリー。また、いつでも来るとええぞ。ドラコ、ダン、エド。お前さん達もな」

 

 別れ際にはそんな言葉を引き出す事にも成功した。ダンとエドは口数こそ少なかったものの、その気になれば腹芸も出来るのがスリザリン生の特徴であり、ハグリッドに対して好印象を持たれるように動いていた。

 

 寮に戻ると、ダンに話があると彼の部屋に呼ばれた。この部屋はダンとエドの二人部屋だ。

 

「どうしたの?」

 

 基本的に受け身の姿勢を取る彼らが僕をわざわざ部屋に呼ぶなどかなり珍しい。

 

「……目的を知りたい」

「何故、ルビウス・ハグリッドに近づいたんだ?」

 

 驚いた。この上、更に疑問を口にするとは思わなかった。

 出会った当初から口数少なく、僕の言うことに何でもハイハイ答えてきた彼らが一体どうしたと言うんだろう……?

 

「目的か……」

 

 さて、これは微妙に答え辛い質問だ。僕の最終目的は賢者の石の守護。いくら口の堅い二人が相手でも迂闊には話せない。

 

「……気付いていると思うが、君がネビル・ロングボトムを助けた一件を問題視する連中がいる。今回の一件は彼らを刺激した筈だ。ルビウス・ハグリッドは露骨ではないがグリフィンドール贔屓で有名な男だからな」

 

 なるほどね。そこを心配してくれたわけだ。ネビルを助けた一件を問題視している連中の多くは上級生だ。学年が上がる程、グリフィンドールに対する敵愾心は強くなっていく。不安に思うのも仕方のない事だね。

 

「まあ、簡単に言うとハリーに対する点数稼ぎだね」

「……ポッターに対しての?」

 

 途端に不機嫌になるエド。打ち解けてきたと思ったけど、まだ、あまり心を許していないみたいだね。

 

「ハリーを完全に僕のものにする為には必要な事なんだ。ハグリッドやネビルはハリーと親しくしているから、彼らを蔑ろにしては好感度が下がってしまうよ」

 

 まあ、それだけじゃないけど……。

 

「ポッターは君に十分に懐いているじゃないか。これ以上、君が立場を危うくするような真似をしてまで関係を深める必要は無いと思うが?」

「……そもそも、ポッターはネームバリューこそあるけど、所詮は親も後ろ盾も無いガキだぞ。どうして、ものにする必要があるんだ?」

「二人共、ハリーの事が嫌いなのか?」

 

 いつもは名前で呼んでいる癖にポッター呼びだし……。

 

「君がそこまでする価値のある者なのか疑問だと言っているんだ」

 

 ダンが言った。

 

「もちろん、あるよ」

 

 らしくない。二人はもっと聡明な筈だ。

 

「ハリーをちょっとした有名人程度に思っているなら間違いだね。彼は英雄なんだ。闇の帝王を滅ぼした実績は最近人気のロックハートとも比較にならない。老若男女。如何な権力者が相手でも軽視を許されない覇名だ」

 

 まあ、本音を言うと物語の主人公だし、いずれ復活するヴォルデモートに対して兵器にもなれば献上品にもなるという逸材だ。

 

「上級生の大半が何も言わないのはそれが分かっているからだよ。ハリーの心を完全に支配する為ならどんな相手とも仲良くなるし、どんな苦労も厭わないよ。ドロドロに甘やかして、僕に依存するようになれば大成功だ」

「……俺達みたいに?」

 

 笑みが溢れる。僕の取り巻きは基本的に親から期待されていない。深い孤独と愛情への渇望を抱いていた。実に浸け込みやすい者達。

 彼らは僕に依存してくれている。心理学の本や洗脳術の本で得た知識を元に教育を施した結果だ。彼らは決して裏切らない。

 

「ああ、そうだよ。僕だけを見てくれるように完膚無きまでに支配するんだ。そして……、僕の友達になってもらうんだ」



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第七話「心」

 十一月に入り、いよいよ寒さが厳しくなってきた。

 校内はクィディッチの話題で盛り上がっている。

 スリザリン寮の談話室も御多分に洩れずといった様子。

「スリザリンチームは勝てるかな?」

 さっきまで『クィディッチ今昔』を真剣に読んでいたハリーが不意に顔を上げて言った。

 必要の部屋からコッソリと持ちだした闇の魔術の本から顔を上げ、僕は「もちろん」と答えた。

 ハッキリ言って、他の寮のチームは相手にならない。

 原作通り、ハリーがシーカーに選ばれていれば話は別だが……。

「スリザリンは過去六年間で常に優勝杯を手にしているんだ」

 スリザリンの生徒はほぼ全員が旧き血を受け継ぐ由緒正しき魔法使いだ。

 当然、幼い頃から英才教育を受けている。

 魔法界で一番人気のスポーツであるクィディッチの訓練も重要な教育課程の一つなのだ。

 ハリーのように卓越した才能を持つ者は一握りだろうが、長い時間を掛けて習熟した技術は確実に結果に結びついている。

 加えて、ハッフルパフとレイブンクローの生徒は運動を苦手とする生徒が多い。

 唯一、スリザリンと肩を並べる可能性のあるグリフィンドールも去年までシーカーを勤めていた生徒が引退した為、キャプテンのオリバー・ウッドが今、新メンバー探しに躍起になっていると聞く。

「クィディッチの勝敗を左右する一番重要なポジションがシーカーなんだ。そのシーカーがこの時期に決まっていない時点で今年のグリフィンドールは敵じゃない」

「なら、楽勝って事?」

「……よっぽどの事が無ければね」

「よっぽどの事って言うと?」

「四つの寮にはそれぞれ長所と短所があるんだ」

 グリフィンドールは勇気を尊ぶ寮。

 ダンブルドアや原作のハリーをはじめとした英雄と呼ばれるような人物を多数輩出している。

 反面、その性質故に無鉄砲な性格の人間が多い。

「グリフィンドールはチームワークや個々の能力には目を瞠るものもあるけど、知略を練るのが不得手」

 レイブンクローは叡智を尊ぶ寮。

 貪欲に知識を求め、その知識を活かす類稀な知性を持つ者達。

 反面、その性質故に狭量であったり、自己顕示欲が高かったりと他者を顧みようとしない生徒が多い。

「レイブンクローの練る戦術は侮り難いけど、彼らは仲間意識が薄いから連携に粗があって、立案した通りに試合を運ぶ事が殆ど出来ていない」

「レイブンクローの生徒って仲悪いの?」

 ハーマイオニーの顔を思い浮かべているのだろう。

 ハリーは心配そうな顔をして問いかけてきた。

「他の寮と比べたらね」

 グリフィンドールやハッフルパフはもちろん、我らがスリザリンも寮生同士の仲間意識は極めて高い。

 家同士の付き合いがあったり、同じ思想を尊ぶなど、むしろ他寮よりも深い繋がりをもっている。

 無論、そこに打算が幾分か含まれている事を否定は出来ないけどね。

 対して、レイブンクローは同寮の生徒に対しても仲間意識が非常に薄い。

 原作でもルーナ・ラブグッドに対して陰湿な虐めが横行していて、それを止める者もいなかった。

 嘆きのマートルも寮生からの虐めから逃げるためにトイレに篭っていた。

「あの寮では虐めが常態化していると聞くよ」

「ハーマイオニー……」

「彼女なら大丈夫だよ。賢明で強い女性だからね」

 安心させるように微笑みかけると、ハリーは「そうだよね」と素直に頷いた。

 この頃、ハリーは僕の言葉を疑わなくなってきた。とても良い傾向だ。

 ハリーの疑問や不安に対して、完璧な答えを与え続けた成果が出ている。

 僕の言葉は全て真実なのだとハリーは確信している。

 だから、気づかない。

 レイブンクローにはハーマイオニーの他にも賢明な生徒がたくさんいる。

 なのに、どうして虐めが常態化しているのか疑問に思わなかった。

 僕が大丈夫だと言ったから。

「ハーマイオニーなら大丈夫だよね」

 何一つ疑いを持っていない無垢な笑顔が実に愛おしい。

 レイブンクローで虐めが常態化している原因の一つは止める者がいない事だ。

 一部の賢明な生徒は賢明であるが故に下手に正義感を振り翳せば自分が孤立してしまう可能性がある事に気付き、虐めを見ても関わらないようにする生徒が殆どなのだ。

 だけど、ハーマイオニーは違う。

 彼女は賢明なだけではない。情に厚く、正義感が強く、そして、グリフィンドールに選ばれる程の勇気がある。

 だから、虐めを見て見ぬふりなど出来ない。彼女は既に寮の中で孤立している。

 彼女の周りに人の輪は無く、いつも俯いている。

「ああ、彼女なら大丈夫さ」

 ハリーは入学してからハーマイオニーと殆ど接触していない。

 そう、僕が仕向けてきたから彼女の異常に気付けないのも無理は無い。

「さて、話を戻すよ」

「うん」

「スリザリンの長所は何と言っても文武両道である点だね。グリフィンドールのように武に特化しているわけでも、レイブンクローのように知に特化しているわけでもない。そこが短所と言えば短所なんだけど、足りない武を知で補い、足りない知を武で補う事が出来る。だからこそ、スリザリンは連続優勝の快挙を成し遂げているんだ」

 ハリーは感心したように溜息をこぼした。同時にそんな寮の一員である事を誇らしく感じている様子が表情から見て取れる。

「……もし、よっぽどの事が起きるとしたら、それはハッフルパフだと思う」

「ハッフルパフ……?」

 ハッフルパフは落ちこぼれが集まると言われている。

 ハリーもその噂を聞いているのだろう。少し怪訝そうな表情を浮かべた。

 だが、それは寮が重んじる特性故に卓越した者が選ばれにくい事に起因する。

 卓越した人間には多かれ少なかれ癖があるもの。

 大半がスリザリンに選ばれるような向上心や功名心を持つか、レイブンクローに選ばれるような探究心や好奇心を持つか、グリフィンドールに選ばれるような勇気や冒険心を持っている。

 しかし、誠実さを尊ぶハッフルパフは三つの寮の中で最も清廉かつ高潔な人物が集まる。現に闇の魔法使いの出身者が最も少ない事で有名だ。

 その中には時折傑出した才能を持つ者が現れる。

「ハッフルパフを単なる落ちこぼれの寄せ集めと思うのは間違いだよ。派手さは無くても、コツコツと地道な努力を重ねる事が出来る者達なんだ。その中には稀に才気溢れる人間が混ざり込む。努力する天才。三年生のセドリック・ディゴリーが良い例だよ。ああいう癖の無い、人として完成している傑物が現れるからハッフルパフは侮れない」

 単なる天才なら他の寮にも一人か二人はいる。だけど、凡人が天才に挑むような努力が出来る天才は非常に稀で、そういった人物が現れやすいのがハッフルパフというわけだ。

「とは言え、セドリック・ティゴリーに注意を払っておけば、今年のハッフルパフは全体的に質が悪い。スーパーマンが一人いるだけで勝てる程、クィディッチは甘くないよ」

 そのセドリックも今年はまだ三年生だ。一年生の時点でエース級の実力を発揮した原作のハリーの例もあるから一概には言えないがそこまで脅威にはならないだろう。

 原作のハリーの活躍だって、他のグリフィンドールの仲間達の実力があってこそなのだから。

 総合力も高く、チームワークも抜群のスリザリンに死角はない。

「今年も勝つのは我らがスリザリンさ。それより、勝って当然の今年より、来年に目を向けようよ」

「来年……?」

 首を傾げるハリーに僕はとっておきの情報を披露した。

「テレンスが今年でシーカーを引退するんだよ。だから、来年シーカーの枠が空くんだ」

「それって!」

 ハリーの顔が分かりやすく輝いた。

 瞳には期待の色が満ちている。

「僕達にもチャンスがあるっていう事。一緒に選抜試験を受けてみない?」

 ハリーの瞳に迷いの色は無い。

 初めての飛行訓練での活躍を僕がべた褒めし続けた成果だ。

 事実として、初心者には不可能に近い操縦テクニックを披露したハリーに丹念に囁き続けた。

 君は特別だ。

 素晴らしい才能を持っている。

 卓越している。

 そう、彼の飛行の才能を褒め称えた。

「君なら間違いなくいい線いくと思うんだ」

 ハリーの心を完全に得るために僕は様々な手を使っている。

 これもその一つだ。

 ハリーは魔法界に入った時点で既に有名人だった。闇の帝王を滅ぼした少年として、誰も彼もが彼を賞賛した。

 名声を求めない者などいない。

 如何に清貧を尊ぶ宗教家でも、誰かに求められたい、褒められたい、賛同されたいという思いを捨て切る事は出来ない。

 特にハリーは魔法界に入るまで、マグル達によって虐げられてきた。もっとも価値の低い者としての立場を押し付けられ続けてきた。

 そんな彼にとって、英雄としての名声は恥ずかしかったり、戸惑ったりするだけのものでは無かった筈だ。

 だが、原作で彼を批判する立場にあったスリザリンの生徒達までもが賛美する側に回った事で一種のジレンマが生まれていた。

 批判的意見の無い無垢で不変な賞賛は信仰と言い換えてもいい。

 ハリー個人では無く、魔王を滅ぼした英雄という存在に対しての信仰。

 それはハリーの個を否定しているようなものだ。

 果てにあるものは自己の否定。一度徹底的に無価値な存在だと教え込まれたハリーだからこそ至ってしまう末路。

 そのジレンマを僕は解消させないように飛行訓練の日まで丹念に育て上げた。

 茶会や勉強会の度に僕の息の掛かったスリザリンの生徒達に英雄としてのハリーを事ある毎に褒め称えさせ、彼個人への批判的な意見を彼の耳に届く前に摘み取り続けた。

「だって、君には才能がある。箒乗りとしての抜群の才能が!」

 実に回りくどくて面倒だった。だけど、ハリーの心を得る為には必要な行程だ。

 自分の事を無価値だと感じ始めていた時に自分の価値を見出してくれた人。

 ハリーの中で僕の存在は確実に大きなものになっている筈だ。

「……僕、受けてみる」

「それがいいよ。そうだ! クリスマスに僕の家へおいでよ! 屋敷の敷地内でならクィディッチの練習が出来るんだ!」

「ドラコの家に?」

「君さえ良ければ……」

 僕は懇願するように彼の瞳を見つめた。

 ハリーの迷いは一瞬だった。

「……僕、ドラコの家に行ってみたい」

 ネビルやハーマイオニーとバッタリ出会わないように注意を払い、他のスリザリン生に親しくなっても一定以上ハリーと距離を詰めさせないように指示を出した。

 僕が傍に居ない間、ハリーは心の何処かに孤独感を抱くように仕向けた。

 そして、僕が傍にいる時は全身全霊を掛けて彼の孤独を癒してあげている。

 その成果が如実に現れている。ハリーは僕がいないクリスマスを恐れている。孤独になりたくないと願っている。

 だから、遠慮するべきかどうか迷わなかった。

 だけど、まだ足りない。もっと時間を掛けてハリーが僕無しでは生きていけないくらい依存させなければいけない。

 僕の隣が最も安心出来る場所なのだと彼の心の奥底に深く刻み込まなければいけない。

 まだまだ……、足りない。



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第八話「実験」

 クィディッチの試合は特に語る事も無く進んでいる。スリザリンの圧勝だ。

 グリフィンドールとの第一試合。グリフィンドールの新米シーカーとスリザリンの熟練シーカーの差は歴然だった。

 いや、それどころかチーム全体の練度に大きな開きがあった。テレンスがスニッチを手にするまでにスリザリンは既に40点差をグリフィンドールに対してつけていた。

 レイブンクロー戦では更に点差が開き、残るハッフルパフ戦も消化試合で終わりそうだ。

 ハリーの存在の有無でここまで結果が変わるとは驚きだ。来年、ハリーをシーカーにする予定だが、これは他の寮に対して悪いことをしてしまったかもしれないな。

 もはや、この先七年間も――三大魔法学校対抗試合の年を除き――常勝無敗が約束されたようなものだ。

「凄かったなー、テレンス! あんな素早いスニッチを簡単にキャッチするなんて!」

 多分、君の方が上手いよ。

 内心でシーカーのテレンスを賛美するハリーにツッコミを入れながら、僕は闇の魔術の本を片付けた。

 ハリーは至って健全な魔道書だと思っているけど、内容は実に過激だ。精神や命を弄る術が事細やかに記載されている。

 読み解くには相応の語学力が必要だから、今はハリーの前で堂々と読んでも内容を悟られる恐れは無い筈。けど、いずれ対策が必要になるだろう。

「ハリーはすっかりクィディッチのファンになってしまったね」

「うん! 僕もあんな風に飛んでみたいよ!」

 彼の瞳にはテレンスへの憧れの色が浮かんでいる。原作ではハリーに完敗を期して引退した彼だが、その実力は決して低くないのだ。

「次の茶会の席でテレンスにテクニックを教えてもらおうよ」

 僕の提案にハリーは飛びつくように賛同を示した。

 

 環境が与える人格への影響というものは実に大きいものだ。

 グリフィンドールとの試合の時、スリザリンは所謂ラフプレーをした。

 ルール上反則ではないが明らかな危険行為。実況を務めるリー・ジョーダンもここぞとばかりに非難の声を上げた。

 その光景にハリーは嫌悪感を露わにして言った。

『ルールで禁止されていない以上、勝つために強引な手段をとるのは当たり前だ! フットボールを見たことがないのかな?』

 そう言って、ジョーダンのスリザリンに対するヘイトスピーチを批判していた。

『僕らがスリザリンだから、わざと大袈裟にしているんだ!』

 ハリーの中で着実にスリザリン生である自覚と誇りが芽生えてきている。

 思った以上に順調だ。ハリーが素直過ぎるのかもしれないけど、歯応えがない。

 後一年もすればマグル生まれを見下し、純血である事を誇る立派な純血主義に仕上がっている事だろう。

「警戒すべきはダンブルドアの介入だな」

 ヴォルデモートを滅ぼすためにハリーを自己犠牲精神溢れる英雄に育て上げようと考えている彼にとって、今の状況は不都合に違いない。

 そろそろハリーと接触しようと企む筈だ。

「あんな老いぼれにハリーを渡してたまるものか……」

 ハリーは僕のものだ。

 僕の友達だ。

 僕のためだけに生きれば良い。

 僕のためだけに死ねば良い。

「対策を練らないといけないね」

 ダンブルドアに対する印象を悪くする一番手っ取り早い方法は彼の本性を晒す事だ。

 全ての善なる者の味方であると嘯き、多数を救うために少数を切り捨てるという効率重視の正義を振りかざす。

 そうした穏やかな外面で隠した冷徹な内面が明るみに出れば、ハリーはおろか世間も彼に疑念を持つだろう。

 純粋な悪以上に嫌悪感を持つ者もいるだろう。

 大多数の人間にとって、

 

 結果的に大勢の人々が救われようが、

 その為に自らの身をいくら削ろうが、

 その心に如何な苦しみを背負おうが、

 

 理想を裏切られる事に比べたら瑣末な事なのだ。

 だって、人は夢を見る生き物だから。夢とは素敵なものであるべきなのだ。一片の穢れも無い素晴らしいものでなければならないのだ。

 『おまえは』苦しめばいい、傷つけばいい、だが、『全てを』救え。『わたしたち』に一つの犠牲も敷くな。

 アルバス・ダンブルドアに世の人々が求めているものとは『そういうもの』なのだ。

「けど、過去を暴き出すには駒が必要だな」

 ダンブルドアの醜聞。食いついてくれそうな人物に心当たりがある。

 他人が失墜し、堕落する様を対岸の火事として愉しみたいというあまねく人々の隠された欲望を暴くことに執念を燃やす女が一人いた筈だ。

「けど、今はまだ早いかな」

 今、ダンブルドアの影響力が失墜するのはまずい。

 最低でも賢者の石は守り切ってもらわないと困る。

 よく考えると原作では最終的にハリーがクィレルを倒して守ったけど、恐らくハリーが動かなくてもダンブルドアが勝手に解決してくれる筈だ。

 ダンブルドアがみぞの鏡の安置場所に辿り着くのはハリーとクィレルが対面した少し後。

 クィレルでは賢者の石を手に入れられない以上、ダンブルドアは間に合う。

「……下手に動いて事態を面倒な方向に転がすべきじゃないな」

 静観するメリットは他にもある。ヴォルデモートにハリーの母親が授けた守護の存在を気づかせずに済むという点だ。

 結果として、ヴォルデモートがハリーの血を使わずに復活魔法で復活したとしても切り札が残る事になる。

 まあ、復活の時期が早まる可能性もあるからメリットばかりじゃないけど……。

「となると……。ある程度、ハリーがダンブルドアに傾倒する事を許容しないといけないか……」

 腸が煮えくり返る気分だ。

「……まったく、不愉快だな」

 僕は足元で蹲る犬を蹴り飛ばした。

「ドビー」

 呼び掛けると直ぐにドビーが姿を現した。

「死体を全部片付けておいてくれ。今日の実験はここまでだ。明日までに材料をまた揃えておいてくれ」

「ハイ、ゴシュジンサマ」

 犬が十頭。猿が八匹。鶏が六羽。

 闇の魔術の実験の為にドビーに集めさせた材料達だ。

 魔法と一言で言っても幾つかの分類に分けられる。

 対象を変容させる魔法をスペル。

 対象に働きかける魔法をチャーム。

 遊び心のある呪いをジンクス。

 軽度の呪いをヘクス。

 そして、闇の魔術と呼ばれる強度の呪いをカースと呼ぶ。

 軽度と強度の違いは対象に与える被害の大きさだろう。

「……出来れば人間で試したいな」

 闇の魔術は基本的に精神や肉体、そして、魂に干渉する。

 精神を恐怖で満たされガクガクと震えながら糞尿を垂れ流し死んでいく様は面白かったけど、大雑把なデータしか取れなかった。

 動物の言葉が分かればいいのに。そんなメルヘンチックな願いを本気で抱く程、今の実験の進捗状況に苛立ちを感じている。

「マグルだろうと人間を攫ってくるとさすがにバレるだろうしな……」

 ドビーは便利だし、使い潰したくないと思う程度の愛着もある。

「ねえ、ドビー」

「ナンデゴザイマショウカ?」

「野生の屋敷しもべ妖精なんていないかな?」

「……ソレハ」

「ドビー」

 悲しい。僕はドビーの今の耳の形をとても気に入っていたのに。

 僕はドビーの耳をもう一回り小さくしなければならなかった。

 泣き叫び、血まみれになった耳を押さえるドビーに僕は悲哀に満ちた声で言った。

「僕はもう一匹、屋敷しもべ妖精を望んでいる。分かるね?」

「ハ、ハイ。ワカリマス。タダチニサガシテマイリマス」

 出来れば長持ちする屋敷しもべ妖精が来てくれるといいな。

 ダメだったら、またドビーに頼まないといけない。コレ以上耳が小さくなったらドビーじゃなくてドラちゃんだ。

 

 ドビーが結果を出すまでに一週間も掛かった。結局、耳が更に二回りも小さくなってしまって、なんだかバランスが悪い。

「いっその事、全部切り取っちゃおうか?」

 善意でそう提案すると、ドビーは泣きながら頭を地面に押し付けて謝ってきた。別に謝って欲しかったわけじゃないのに、ちょっと不愉快。

 舌を出してもらって、そこに焼いた石を乗せといた。一時間したら飲んでいいよと言うと、喜びの歓声を上げてくれた。

「さーて、君の名前を教えてくれるかな?」

 既に主従の契約を結び終えた屋敷しもべ妖精はドビーを見ながら呆然としている。

「名前は?」

 もう一度尋ねると、目玉を零れ落ちそうな程見開きながら屋敷しもべ妖精は言った。

「リ、リジーでございます」

 どうやら、女の子だったみたいだ。

「それじゃあ、早速実験に付き合ってもらうよリジー」

「じ、実験でございますか?」

「うん。これから君に呪いを掛ける。呪いを受けて、実際にどう感じたのかを詳細に説明しろ」

 リジーは身を震わせながら焼けた石を舌に乗せたまま涙を流し続けるドビーを見た。

「ど、どういう事ですか、ドビー? は、話が……」

「リジー」

「は、はい!」

「先に言ってあげればよかったね」

「えっと……」

「僕が話している時によそ見をしたら指を一本折る」

 言いながら、僕はリジーの指をへし折った。

 悲鳴を上げるリジーに僕は優しく声を掛ける。

「僕に反抗的な目を向けたら皮を削ぐ。最初だから少しにしてあげるけど、次はもっと大きく切り取るからね?」

 そう言って、腕の皮を三平方センチ削いだ。

 怯えきった目で、荒く息を吐きながら必死に謝るリジー。

「そうそう。いい子にしてたら僕も優しくしてあげるからね。でも、悪い子には罰が必要なのも分かるでしょ? リジーはいい子に出来るかな?」

「は、はい。で、で、できま……す。出来ますので、どうか……どうか」

「じゃあ、実験スタートだ。まずは精神系統の術を試してみよう。精神を分裂させたりするのは最後でいいかな?」

「せ、精神を……?あ、え……、そんな……」

「あれ? やだなぁ。そんな目をされたら直ぐに実験が出来ないじゃないか。悪い子だな」

 結局、この日は少ししか実験が出来なかった。

 けど、今までとは比べ物にならない素晴らしいデータが取れた。

 使い潰す前提だと自由に実験が出来る。ドビーに他にもいないか探してくるように命じた。

 闇の魔術の実験用の他にも治癒魔術の練習台とか、純粋なストレス発散用も欲しい。

 ストレスは肌に悪いからね。

「……今は力をつける事に集中しておこう」

 折角、外を自由に動き回れる体と僕を愛してくれる両親と忠誠を誓ってくれる素晴らしい友人達に出会えたのに、それをみすみす奪われてたまるものか。

 ダンブルドアだろうが、ヴォルデモートだろうが、僕のものは誰にも奪わせない。

 絶対に……。



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第九話「導き」

 クリスマスが近づいて来た。授業の進行速度が徐々に早くなって来ているけど問題ない。

 勉強会で常に授業の内容を先取りしているおかげで、授業は殆ど復習のための時間と化している。

 ハリーも余裕の表情だ。

「……さて、ベゾアール石の効能について知っている者は?」

 魔法薬学の授業でもこれといった問題は起きていない。

 ハリーはスネイプに何を聞かれてもスラスラと答える事が出来たし、スリザリンに選ばれた事で彼のハリーに対するヘイトの度合いも幾分か軟化している様子だった。

 おかげでそこまで理不尽な事を言われる事も無い。

「はい!」

 ハリーが元気よく手を上げた。

 僕のアドバイス通り、母親似の目をまっすぐスネイプに向けながら。

「……ポッター。答えてみろ」

「はい! ベゾアール石には――――」

 当てられて実に嬉しそうなハリー。今のハリーはスネイプを心から尊敬している。

 勉強会では特に魔法薬学を重点的に勉強している。これは他の学問と比べて知識の重要度が高いからだ。

 変身術や呪文学といった主にセンスが求められる魔法は知識を貯めこむよりも反復して実践する方が上達に結びつく。

 予め、練習する呪文とその効能を書き出し、時間を決めて何度も繰り返すだけだから、魔法薬学の勉強の息抜きとして毎日一時間程度を目安に練習している。

 短時間とはいえ、懇意にしている上級生からアドバイスをもらいながらの練習だから結果は上々。既に二年生で習う呪文にも手を出している。

 魔法薬学を学んでいくにつれ、ハリーはこの学問が如何に難解なものなのかを知った。実に奥深く、これを極める事は至難である事を理解した。

 だからこそ、それを極め、教鞭を執っているスネイプを尊敬するに至ったわけだ。

 もっとも、周囲からの影響もあった事だろう。

 スリザリンは文武両道。知性を尊ぶ人間にとって、論理的で頭脳明晰なスネイプはそれだけで尊敬出来る。加えて、寮監として自寮の生徒を大切にしてくれている。

 スリザリンの生徒は他の寮の生徒達と違ってスネイプを敬愛している人間ばかりだ。

 スネイプとハリーの関係改善は僕が特に何もしなくても順調だった。

 強いて言うなら、ハリーをスリザリンに入るよう誘導した事が僕の最大の手柄と言えるだろう。

「……よろしい。よく復習しているな。スリザリンに5点」

「……ッ! ありがとうございます!」

 驚いた。スネイプがハリーに点数を与える事にも驚いたけど、それ以上に微笑を浮かべた事に吃驚した。

 どうやら、既に十分過ぎるくらいスネイプはハリーに籠絡されているらしい。

 元々、彼にとってハリーは不倶戴天の敵であったジェームズの息子であると同時に人生を賭して愛した女性の息子でもある。

 天秤は微妙なバランスを保っていたのだろう。

 スリザリンに入った事。

 意地悪な質問に対しても完璧な解答を返せる程、魔法薬学に精通している事。

 スネイプを尊敬している事。

 僕のアドバイスを聞き入れて、スネイプと話す時は常に――母親似の――目をまっすぐ向けるようにしている事。

 積み重なったものが遂にスネイプの中の天秤を傾けたのだろう。

 スネイプはハリーの母親であるリリーにスリザリンへ入って欲しかった。

 自分の事を見て欲しかった。闇の魔術や魔法薬学に精通している自分を褒めて欲しかった。

 ハリーはそんな彼のリリーへの望みを――無意識の内に――叶えてあげている。

 時間の問題だとは思っていた。

 一度、ジェームズではなく、リリーの面影をハリーの中に見てしまえば、後は坂道を転げ落ちるだけだと考えていた。

 思った以上に早かったな。僕が驚いたのはその点だ。

「ハリー。やったね」

「うん! なんだか、他の先生から点数を貰うより嬉しかったよ」

 不良がたまに良心的な事をすると素晴らしい善人に見える原理と同じだろう。

 常に厳しく接してくる先生が優しくしてくれた事にハリーは感激している。

 今のハリーを見ると、ますますロン・ウィーズリーと接触を持たせなくて良かったと思う。

 恐らく、原作のハリーの勇猛果敢で少し無鉄砲な性格は彼の影響が大きかったのではないかと思う。

 ロンは魔法界に入ったばかりのハリーに様々な事を教えた。

 

 魔法界の常識。

 クィディッチの魅力。

 友達という存在。

 親しい者と力を合わせる事。

 純血主義が悪しき風習である事。

 誰が良い人で、

 誰が嫌な人で、

 誰が悪い人なのかまで全てを……。

 

 ただの脇役なんかじゃない。恐らく、彼こそが英雄ハリー・ポッターを真の意味で育てた存在だ。

 ダンブルドアの想像を超えた結果を出したのもロンの存在が大きかった筈だ。

 

 ハリーが唯一憎しみを交えずに喧嘩をした相手。

 誰よりも近くにいた存在。

 鬱屈した人生の中で初めて対等な存在として語りかけてくれた友達。

 

 両親を生後間もなく失い、折角会えた後見人と死に別れ、憎みながらも育ててくれた伯母一家からも引き離され、信じていた偉大な男に裏切られたハリーがそれでもヴォルデモートの前で決死の覚悟を決め、そして、あの世ではなくこの世を選べた理由。

 愛する恋人の存在も大きかった事だろう。だけど、それだけではなかった筈だ。

 最高の親友が居なければ、ハリーの決断は無かった筈だ。

 その証拠が今目の前にいるハリーだ。純粋で染まりやすい孤独を恐れる少年。

「ハリー」

「なに?」

「……明後日からクリスマス休暇だ。たくさん遊ぼうね」

「うん!」

 ここにロンはいない。ここにいるのは僕だ。

 僕が導くんだ。僕が一番近くにいるんだ。

 僕がハリーにとっての一番の親友なんだ。

 

 ◆

 

 リジーはとても役に立った。ドビーがいつまで経っても新しい屋敷しもべ妖精を捕獲して来てくれないから、代わりに治癒魔術の練習台にもなってもらったのだけど、思いの外長持ちしてくれている。

 何十種類もの闇の魔術の呪いを受け、全身を刻まれても尚、リジーは正気を失わず、死ぬ気配も無い。

 特に体感時間を何十、何百倍にも伸ばすという精神系の闇の魔術『刹那の牢獄』に耐える姿は素晴らしいの一言だった。

 彼女は僕と会わない間、この部屋に縛り付けられ、この呪いで何倍にも引き伸ばされた長い時間待ち続けている。体感時間では既に数ヶ月が経過している筈だ。

 無の時間が終われば闇の魔術による拷問、それが終われば再びの無。まさしく地獄の中に彼女はいる。

「『悪夢の再現』はどうだった?」

 今度の呪いは過去に受けた苦痛を再体験するという『刹那の牢獄』と同じ精神系統に属する闇の魔術。

 どの程度の苦痛が再現されるのか、

 どれくらいの数の苦痛が再現されるのか、 

 再現される苦痛の再現度はどのくらいなのか、

 一つ一つ聴取していく。

「ぁ……はじめにゆ、指を……お、折られ、れました……。そ、それから――――」 

 この呪文はかなり有用だ。数回試した結果、コツを掴むと再現する苦痛を指定し、増幅したりも出来るらしい。

「じゃあ、もう一度やるよ。爪の間に針金を突き刺す苦痛を増幅して再現するね」

「あ……や……たすけ……」

「レペテンス エクスターレイ」

 再現したい苦痛を意識し、そこに負の感情を上乗せする。

 鼓膜が破けるかと思うような絶叫がリジーの喉から迸る。

 もはや、それは獣の雄叫びだ。ひっくり返り、暴れ回っている。目は血走り、全身から色んな液体が止めどなく飛び出している。

 ここまで来るとさすがに醜悪過ぎて気色が悪い。蹴り飛ばして術を中断してあげると、リジーは一瞬良くない目をした。

「ダメだよ、リジー」

「あ、いえ、い、今のはちがっ」

「……そろそろ治癒魔術も一段階上を目指そうと思っていた所なんだ。君のその目を貰うね」

「や、やだ……、やめてください!! それだけは!!」

 ガーガーと喧しい。声縛りの呪いを掛けて黙らせる。

 丁度その時だった。パチンという音と共にドビーが現れた。隣に二匹の屋敷しもべ妖精がたっている。

 ドビーは手をこすりあわせて言った。

「オ、オマタセイタシマシタ、ゴシュジンサマ」

 喉を何度も焼き、汚物を飲ませ続けた影響で屋敷しもべ妖精特有のキーキー声が更に耳障りになっている。

 だけど、僕はドビーの成果に満足だった。要求通り、二匹連れて来たのだから、僕を散々待たせた罰も軽い物にしてあげよう。

 リジーが必死になにか叫ぼうとしているけど二匹は首を傾げている。

 僕はそんな二匹に契約の話をした。二匹共、快く頷き契約を交わしてくれた。

 野生の屋敷しもべ妖精とはすなわち、使えていた家から追い出された者達の事だ。

 彼らは自らを卑下しながら、必死に新しく仕える主人を探し求めている。

「それじゃあ、君達はドビーと一緒に魔法薬の材料を集めて来てくれ」

「魔法薬でございますか?」

 年老いた感じの屋敷しもべ妖精、ラッドはキョトンとした表情を浮かべた。となりのペテルと名乗った若い屋敷しもべ妖精も似たような表情を浮かべている。

 基本的に屋敷しもべ妖精とは名前の通り、屋敷の中だけで生きるもの。家事などの雑用をこなすのが普通だ。

「どのような物を探してくればよろしいのですか?」

 とは言え、彼らは主人である魔法使いの命令には絶対服従だ。直ぐに気を取り直して必要な事を聞くと直ぐに立ち去った。

 後に残されたリジーは怯えきった表情で僕を見ている。

「……リジー。これで君は必要不可欠な存在では無くなったね」

 そう言った瞬間、リジーは自らの手で目玉を抉り出した。

 僕はその目玉を近くの――薄緑の液体が入った――瓶に入れさせ、よく見えるように持ち上げた。

 リジーは今までの僅かな抵抗の色さえ浮かべずに虚ろな表情のまま跪いている。

 闇の魔術の実験台。治癒魔術の実験台。そして、苦痛と恐怖による洗脳の実験台。

 彼女はとてもよくやってくれた。

 血が溢れだす眼窩に杖を向け、痛み止めと止血の呪文を掛ける。彼女の体で何度も試したおかげで術の精度はかなり高くなっている。

「ご、ご主人様……」

 うつろな表情に僅かに色が戻った。ありえない。そう顔に書いてある。

 洗脳の仕上げだ。

「素晴らしいよ、リジー」

 僕は彼女を初めて褒めた。とても優しくしてあげた。

 彼女に与えた苦痛から比べれば雀の涙程と言っても言い過ぎなくらい僅かな優しさ。

 それだけで彼女は歓喜のあまりむせび泣いた。

 要はストックホルム症候群だ。極限まで追い詰められ、遂に心が折れた彼女は僕の僅かな優しさに親愛の情を持った。

 人外に対して有効なのかどうか不明だったが、少なくとも屋敷しもべ妖精には有効だったらしい。

「さあ、僕のために実験の手伝いをしてくれるね? 大丈夫。もう、君を実験台にはしないよ。あの二匹で実験するからね」

「はい、ご主人様。なんなりと御命令を」



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第十話「純血主義」

 クリスマスの日、僕達はホグワーツ特急に乗ってロンドンに戻って来た。

 キングスクロス駅のホームには既に生徒を迎えに来た保護者達でごった返している。

「さあ、行こうかハリー」

「う、うん」

 ハリーは少し緊張しているみたいだ。他人の家に呼ばれる経験が極端に少ない為だろう。その心境は痛いほどよく分かる。

 僕もこの体になってからの数年、色々と苦労して心労を重ねたものだ。

「ドラコの家にはどうやって行くの? 自動車? それとも、電車?」

 ハリーはまだ魔法使いの常識を分かっていない。

「父上と母上がホームで待っている。二人に『付き添い姿くらまし』で家に送ってもらうんだ」

「『姿くらまし』!」

 ハリーは嬉しそうに頬を緩ませた。

 一瞬の間に遠く離れた場所へ転移する事が出来る高難易度の魔法。一定の年齢に達するまでは練習する事さえ禁じられている危険な術だ。

 ハリーだけではない。大抵の魔法使いの子供は『姿くらまし』に一定の憧れを抱いている。

 マグルの子供がバイクや車に憧れるのと一緒だろう。

「ドラコ! 待っていたぞ、愛しい息子」

 両親は列車から降りて直ぐの柱の傍で待っていた。

「父上! 母上!」

 二人に駆け寄ると、父上は僕を抱きしめてくれた。

「また、背が高くなったのではないか?」

「さすがに三ヶ月程度で背は伸びませんよ、父上」

「いやいや、前は頭がもう少し低かった気が……」

「そ、それより、ハリーを紹介させて下さい」

 よほど僕との会話に飢えていたらしい。話を遮るとあからさまに寂しそうな表情を浮かべた。

 正直に言えば嬉しい。跳ね回りたい気分だ。だけど、両親に甘えるのは後だ。

「ハ、ハリー・ポッターです」

 ハリーがおずおずと挨拶をすると、父上は作り笑いを浮かべた。傍目には自然な表情に見える完成された笑顔。

 内心、いろいろ考えている事だろう。けど、それを表に出さない。まったく、腹黒い人だね。

「久しぶりだね。入学式の日に会ったのを覚えているかい?」

「も、もちろんです!」

「それは嬉しいな。学校では息子が世話になっているようだね、感謝しているよ」

「いえ、そんな! 僕こそドラコには色々と――――」

 ハリーの挨拶が終わるのを待って、僕達は館へ移動した。

 出現ポイントは館の門前。ハリーは我が家の壮麗さに驚いている。

 魔法界でも随一の名家であるマルフォイ家の邸宅はちょっとした宮殿くらいの規模がある。

「す、凄い……」

「さあ、中に入ろう。ようこそ、ハリー・ポッターくん。我が邸宅へ」

 父上は満足そうに門を杖で開きハリーを中へ誘う。

 ハリーの足はすぐには動かなかった。

「どうしたんだい、ハリー?」

 僕が声をかけるとようやく金縛りから脱する事が出来たみたい。

「な、なんでもないよ」

 門を潜る時も少しだけ躊躇していたようだから、背中を押してあげた。

「ほら、歓迎の準備をしている筈だから」

「う、うん」

 館の中は当たり前だけど閑散としている。規模は宮殿クラスでも、あくまで三人家族の一軒家なのだ。

 ドビーが寝る間も惜しんで家事に励む事で我が家の清潔は維持されている。

 とは言え、冷たい印象を抱かれる事は無い筈だ。屋敷の中はクリスマスの飾りでいっぱいだった。

「今夜はみんなでパーティよ。腕によりをかけて素敵なディナーを作るからね」

 母上は僕に向かってニッコリと微笑むとハリーを見つめた。

「寛いでいってくださいね、ハリー・ポッター。ところで、苦手な食べ物はあるのかしら?」

「い、いえ、大丈夫です。好き嫌いは無いので……」

「そうなの? じゃあ、食べたいものはある? どうか、遠慮はしないでね」

「えっと……、じゃあ、糖蜜パイを……」

「わかったわ。とびっきりのを作るから楽しみにしてちょうだい」

 そう言うと、母上は父上とキスをして奥へ引っ込んだ。

「妻の料理は世の名立たる名店よりも極上だと保障しておこう。妻も言っていたが、寛いでいってくれたまえ、ハリー・ポッター。なにか、不自由な事があれば何でも言って欲しい」

「あ、ありがとうございます」

「ドラコ。まだ、陽も高い。折角だから、彼にストーンヘンジを見学させてあげなさい。魔法使いたるもの、先人の遺したものを直に見る事は良い経験になる」

「はい。荷物を整理したら行ってみます」

 僕の返事に満足そうに微笑むと、父上も去って行った。

「ストーンヘンジって、あの有名な?」

「そうだよ。ここはウィルトンシャーなんだ」

 イングランドの南部、ウィルトンシャー州の外れに我が家はある。

「他にも白馬やキーウィの地上絵が見所かな。どれもすごく離れてるけどね」

「さっき、君のお父さんが先人の遺したものって言ってたけど……」

「ああ、地上絵は違うけど、ストーンヘンジは先史時代の魔法使いが作ったものなんだ。まだ、マグル達が宇宙という概念すら持たなかった時代、魔法使い達は既に星の並びの意味に気付いていたんだ。あそこは星詠みの祭壇。魔法使いが未来を視るための場所なんだよ」

「なんか、凄いね」

「凄いさ。凄いからこそ、魔法使いは崇められた。そして、影へと追いやられた」

「追いやられたって……?」

「マグル達が魔法使いをどういう存在だと考えているか、君なら分かるだろ?」

「えっと……」

 答えが分からないというより、質問の意味が分かっていないみたいだ。

「つまり、幻想の存在だとマグルは捉えているんだよ。君もマグルの家で育ったのなら、最初は魔法なんて信じられなかったんじゃない?」

「あ! う、うん」

「太古の昔、まだ、世に十字教が広がる前、魔法使い達は表立って活躍していたんだ。かの偉大な魔法使い、ソロモン王は自らが使役した悪魔によって巨大な城塞を作り上げた事で有名だよ」

 魔法使いが表世界との干渉を今のように制限するようになった理由は幾つかあるが、その最たるものが十字教による奇跡の否定だ。

 当時、魔法使い達は自分達の力を神が齎したものだと考えていた。その考え方が一神教である十字教にとって許し難い事だったのだ。

 星の紋章は悪魔の記号となり、不死鳥は悪魔の化身とされ、海神の槍は悪魔の槍となった。

 十字教の教えによって、魔法使い達は悪しき者とされ、表世界から排斥されていったのだ。

「もっとも、十字教は完全に魔法使いを排そうとしていたわけじゃないんだ。その証拠にキリストの聖遺物である聖杯を求めたアーサー王の傍にはマーリンという魔法使いが忠臣として仕えていたし、他にも表舞台で活躍する魔法使いが僅かにだけど居た。でも、現代に近づくにつれ、魔法使いは更に影へと追いやられた。今みたいに自分達の存在をひた隠しにするようになった」

「どうして?」

「古の魔法使い達はマグルにとって偉大なる存在だった。触れる事も許されない超常の存在として君臨していた。だけど、十字教によって、その地位を追われた事でマグルと魔法使いは距離を縮めてしまった」

 その結果、魔女狩りが起きた。

「魔法使いは神の使いから、ただの人間になってしまった。だけど、魔法使いの力は健在なまま……。強大な力は恐怖と嫉妬の感情をマグルに抱かせたんだ」

 歴史的に見ても恐るべき惨劇だった。

 ただ、疑わしいからという理由で苛烈な拷問を受け殺された人間が何千人、何万人といた。

「ハリー。魔法使いとマグルの間にはどうしても溝が出来るんだ。だから、今のような魔法使いが影に隠れる世界になった。争いを避けるためにね」

 僕は寂しそうな表情を作って言った。

「マグルと魔法使いは分かり合えないっていう事?」

 ハリーは暗い表情を浮かべて問い掛けてきた。

「……難しいと思う。杖を振るだけで素晴らしい奇跡を起こせる魔法使いの存在をマグルは決して許してくれないからね」

 僕の言葉にハリーは苦い表情を浮かべた。うまく、彼の叔母夫婦の顔を思い浮かべてくれたようだ。

「彼らは僕らの事を恐れているんだ。そして、同時に羨んでもいる。自分達には決して敵わないものとしてね……」

「そんな……」

「魔法使いとマグルは一緒にいるべきじゃないのかもしれない。そう考える魔法使いは少なくない」

「ドラコも……?」

「結局、傷つけ合う事になるならいっその事……。そう、思う時もあるよ」

 ハリーは少しの間考えこむように視線を落とした。

 やがて、顔を上げたハリーは言った。

「僕のおじさんやおばさんもそうなのかな?」

 ハリーは案内した部屋の椅子に座り込むと、暗い表情で自分の身の上話を語った。

 ダーズリー家での忌まわしい日々の思い出を……。

「普通が一番だって、おじさんは言ってた。普通になれって……」

「……ハリー」

 僕は慰めの言葉を紡ぎ続けた。決して、解決する方法を口にしない。

 それは無理な事だとハリーに思わせる為に。

 魔法使いとマグルは決して分かり合えない。世界が違うのだ。両者は一緒に居るべきではない。

 そう、彼が信じこむように丹念にハリーを慰め続けた。

 可哀想に、

 辛かったね、

 それは仕方のない事なんだ、

 だって、おじさんとおばさんは魔法使いじゃないから、

 そして、君が魔法使いだから、

 だから、君達は永遠に分かり合えない。

「マグルはマグルだけの世界で、魔法使いは魔法使いだけの世界で生きる方が幸福なんだよ……、きっとね」

「でも、マグルの間に生まれた子供はどうなるの?」

「例え、魔法の才能に目覚めても、教育を受けなければ魔法使いにはなれない。でも、魔法使いにならなければ、マグルの一員としてマグルの世界で幸福に生きられる」

「……でも、それは」

 ハリーは何かを言おうとして、口を噤んだ。

 今日はここまでにしておこう。ハリーの中で純血主義の思想が芽生え始めている。でも、急げば事を仕損じる。

 ゆっくりでいいんだ。

「……ハリー。そろそろ出かけよう。難しい話は置いといて、折角のクリスマスだし、楽しもうよ」

「う、うん」

 ゆっくりと染み込ませていこう。

 そんなに時間は掛からない。



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第十一話「クリスマス」

 寒さで目が覚めた。窓の外を見ると、雪が降っている。

 身支度を整えて、ハリーの部屋に向かうと彼も起きていた。窓辺に佇む白い羽毛のふくろうから何かを受け取っていたようだ。

「やあ、メリー・クリスマス。ハリー」

「メリー・クリスマス。ドラコ」

「それは?」

 ハリーは木彫の筒のようなものを握っている。

 誰から何を貰ったのか、僕は勿論知っているけど、知らない振りをした。

「ハグリッドからのプレゼント。自作の笛だってさ」

「彼らしいね」

 ハリーが試しに吹いてみると、耳心地の良い音が響いた。

「良い音色だね」

 言いながら、僕は用意しておいたプレゼントをハリーに渡した。

「これは?」

 プレゼントは分厚い冊子だ。だけど、ハリーは間違いなく喜ぶ筈。

「開いてみて」

 僕が言うと、ハリーは首をかしげながら冊子を開いて、大きく目を見開いた。

 そこには幾つかの写真が並んでいる。

「……ドラコ、これ」

 声が震えている。

 本当ならハグリッドが渡す筈だったもの。

 その前に『みぞの鏡』が見せる筈だったもの。

 僕がハリーにプレゼントしたものは彼の両親の写真。

「色々とコネを使って集めたんだ。そこに映っている人達は君の御両親だよ」

 それなりに苦労した。たくさんの人に手紙を何枚も送ったし、スネイプやマクゴナガルに頭を下げた。

 前にハグリッドがハリーを小屋に招待した時に付き添った理由も実はこれだ。彼を懐柔し、後々、このアルバムを作る為に協力してもらうためだった。

 こっそりと一人で彼の小屋に顔を出し、彼にも集められるだけの写真を集めてもらった。

「僕の……?」

 確認するように僕の顔をみるハリー。震えている。

「そうだよ。ほら、赤ん坊の君も映っているよ」

 笑顔を振りまく二人の男女。その間には無垢な笑顔を浮かべる赤ん坊。

「あっ……」

「……朝ごはんは遅らせてもらうよ」

 そう言って、僕は部屋から出て行った。

 扉の向こうから泣き声が聞こえる。

 苦労した甲斐があった。コレ以上の贈り物など無いだろう。

 僕は談話室へ向かった。そこにはプレゼントが山のように積み重なっている。

「さてさて……」

 僕自身への贈り物にはさして興味が無い。僕は目的のものを探した。

「……無いな」

 別に盗もうと思ったわけじゃない。これはただの確認だった。

 ダンブルドアがクリスマスにハリーへ贈る筈の『透明マント』が無い。

 もしかしたら、スリザリンの談話室に置いているのかもしれないけど、これで一つ分かった。

 ダンブルドアは僕を……、少なくとも、マルフォイ家を警戒している。

 ここがウィーズリーの家だったら、ダンブルドアはきっとハリーの下に透明マントを送った筈だ。

「面倒だな……」

 ダンブルドアが僕を警戒している。必要の部屋は常に誰もいない事を透視メガネやドビーを使って確認しているが、今後の使用には少し注意が必要かもしれない。

 相手は老獪だ。完璧に騙し通す事など不可能だと考えるべきだ。

 

 しばらくして、ハリーが部屋に入って来た。目元が赤い。

「ドラコ……、ありがとう」

「喜んでもらえて良かった。ほらほら、プレゼントは他にもたくさんあるよ」

 僕が言うと、ハリーは目の前のプレゼントの山に目を丸くした。

「そっちが君の分」

「ぼ、僕にもこんなに!?」

 ハリーの分もかなり大きな山が出来ている。

 これらは他のスリザリンの生徒達からだ。

「どうしよう、僕、みんなに用意してないよ!」

 ハリーは狼狽えた表情で僕を見た。

「ホグワーツに戻ったら感謝の一言でも言えばいいよ。みんなもお返しを期待しているわけじゃないからね」

 実際、これらは単なる献上品だ。ハリー・ポッターに名を覚えてもらうためのもの。

 ハリーだって、僕やいつも一緒にいるメンバーの分は用意していた。

 用意していないのは名前すら覚えていないようなその他大勢の分。

「で、でも……」

 弱り切った表情を浮かべるハリー。

「旧家の魔法使いほど、こういう機会にプレゼントをばら撒くんだ。言ってみれば、挨拶みたいなものだよ。日頃の感謝とか、友好を深めたいとかじゃなくて、縁を作っておきたいだけだから、そこまで気にする必要は無いさ」

 もっとも、相手は選ぶけどね。

「うーん……。なら、いいのかな?」

「いいんだよ。それより、さっさと開けよう」

「う、うん」

 気を取り直してプレゼントの開封に取り掛かると、途端、ハリーが声を張り上げた。

「ど、どうしたの?」

「スネイプ先生からだ!」

「え……?」

 一体、彼の中でハリーに対する好感度はどうなっているんだろう……。

 まさか、クリスマスプレゼントを寄越すとは思わなかった。

「な、何をくれたの?」

 ハリーが開いた包みを開くと、そこには様々な雑貨が詰まっていた。

「なにこれ?」

 思わず目を瞠ると、手紙が同封されている事に気付いた。

「えっと……」

 手紙を開いたハリーは口をぽかんと開けた状態で雑貨を見下ろした。

「どうしたの?」

「これ……。ママが学生時代に使っていたものなんだって……」

「え……?」

 まずい、スネイプの中のハリーへの好感度の上昇率と反比例して、ハリーの中のスネイプへの好感度が急降下しそうだ。

「な、なんで、先生がママの羽ペンとか教科書を持ってるの?」

 恐る恐る手紙を読み進めるハリー。

 僕はその様子を引き攣った表情で眺めていた。

 しばらくして、ハリーはほっと溜息をこぼした。

「どうだった?」

「これ、ママが学生時代に学校に置いていったもので、校内に保管されてたものなんだって」

「ああ、なるほど」

 教科書みたいな備品を買えない生徒や忘れた生徒の為に卒業生が自分の使っていた持ち物を学校に寄付するのはよくある話だ。

 原作でスネイプも魔法薬の教科書を学校に寄付している。

「相応しいものが持つべきだろうって書いてある」

「……そっか」

 粋な図らいというヤツだろう。

 ハリーは嬉しそうに教科書を開いている。

 僕としては非常に遺憾だ。僕のプレゼントしたアルバムの価値が若干下がってしまった。

「うわぁ……、走り書きだらけだ。でも、これがママの字なのかな? って、これはパパの字!?」

 どうやら、リリーの教科書にはジェームズからの愛の文章がそこかしこに残されていたらしい。

 そんな物を寄付するとは……。

「パパって……、こんな恥ずかしい事を言うタイプだったのか……」

 ハリーの顔が引き攣っている。

 横から見ると、その顔に納得。

「『君の笑顔は野原に咲き誇る花のようだ。ああ、この世界の誰よりも美しい』……」

「これ、寄付したんじゃなくて、廃棄しようとしたのを学校が回収しただけじゃ……」

「は、はは……」

 何も言えない。

「それにしても、七年生までの教科書が揃ってるね。君の母上は勉学に長けていたと聞くし、今後の授業で非常に役に立つと思うよ。そうだ! 今度の勉強会ではその教科書を使おう」

 名案だと思ったのだけど、ハリーは嫌そうな表情を浮かべた。

「パパの迷文を大衆に公開するのはお断りだよ」

「そっか……」

 しばらく二人でリリー・エバンスの教科書を読んだ後、他のプレゼントの開封にとりかかった。

 ハリーは包装を開ける度に悲鳴染みた声を上げている。

 スリザリンの生徒からの贈り物はどれもこれも高級品ばかりだからだ。

 庶民派の英雄には刺激が強過ぎたらしい。

「ほ、箒が三本もあるんだけど……」

 最新型のニンバス2000や長距離飛行に長けたコメット260、やたら値の張るツィガー90が並ぶ様は中々圧巻だ。

 他にも高級杖磨きセットや高級魔法薬調合セット、高級クィディッチ用品各種などなど。

 頭に高級とつかない物がほとんど無いという有り様だ。

 付き合いが疎遠になって尚、お菓子のセットをプレゼントしてくれたハーマイオニーが良心と言える。

 ちなみに、ニンバス2000を送ったのは僕の両親だった。まさか、箒が被るとは思っていなかったらしく、昼食の席で恐縮するハリーの前で若干二人の笑顔がひきつっていた。

 二人は僕にも同型を送ってくれて、屋敷の敷地内を二人で飛び回ったら中々快適だった。

「コメット260はまだしも、ツィガーを贈るなど、何も分かっていない愚か者だ。そういう輩とは距離を置きなさい」

 父上は時々大人げない姿を見せる。ハリーもその時ばかりは苦笑いを浮かべるしかなかった。



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第十二話「一年目の終わり」

 クリスマス休暇が終わると、再びホグワーツでの生活が始まった。

 特に劇的な変化は無い。昼間は授業に出て、夕方までテキトウに時間をつぶし、談話室で勉強会を開く。その繰り返し。

 そう、何も変わらない。クィレルがヴォルデモートを後頭部に飼いながら暗躍している事を知りながら、僕は何もしていない。

 結局、透明マントは寮にも無かった。だから、ハリーが一人で寮を抜けだして『みぞの鏡』を見る事もなく、平穏な時間が流れている。

 もっとも、闇の魔術や治癒魔術の実験は順調だ。以前とは異なり、今はリジーに予め『必要の部屋』で必要な部屋を作ってもらい、そこに『付き添い姿現し』で移動している。

 ダンブルドアを警戒しての対策だ。屋敷しもべ妖精の魔法なら、加護が働いているホグワーツ内でも自由に移動出来るから実に便利だ。

 部屋の中にはたくさんの水槽と檻がある。水槽にはそれぞれ生き物の内臓や死体が浮かんでいて、檻には生きた実験動物達が入っている。

 僕は今、一つの大きな計画を立てていて、その為の方法を模索している最中だ。

 

 闇の魔術は大きく分けて、三つに分別される。

 死の呪文を筆頭とした『霊魂』を弄るもの。

 磔の呪文を筆頭とした『精神』を操るもの。

 服従の呪文を筆頭とした『肉体』に干渉するもの。

 例えば、『悪霊の火』は名の通り、悪霊を呼び集め、その魂を燃やすことで発動する。つまり、『霊魂』の系統に属する闇の魔術という事になる。

 僕の目的は主に魂を弄る事で達成出来る可能性が高いと睨んでいる。 

 

 僕は一つの檻の前で立ち止まった。

 実験動物は虚ろな目を僕に向けた。ドビーが連れて来た屋敷しもべ妖精の片割れだ。

 もはや、自分が何者なのかも覚えていない。精神や脳ではなく、魂を刻み、撹拌し、磨り潰した結果だ。

 死んではいないけど、生きてもいない。魂の搾り滓が肉体を瀬戸際で維持しているだけだ。

 これから、彼で一つの実験をしてみようと思っている。

 それは僕の目的を達成する上でとても大切なものだ。

 きっと、彼も喜んでいる事だろう。だって、彼は言った。

『わたしを雇ってくださったドラコ坊ちゃまに忠誠を捧げます』

 そう、彼は僕に忠誠を誓った。だから、僕は彼の心意気に答えた。

 原作でマルフォイ家を裏切ったドビーや初めに反抗的な態度を取ったリジーとは違う。

 初めから謙虚な姿勢で忠誠を誓ってくれた年寄り妖精のラッド。彼の魂はその一片足りとも無駄にはしない。僕の役に立ててあげる。

 僕は近くの檻から一匹の蛇を取り出し、その首を撥ねた。同時に死体へ杖を向ける。

「セルビトゥテ スピリテニマ」

 呪文を唱えると共に蛇の肉体から白い煙のようなものが零れ落ちた。

 これは意図的にゴーストを作り出す呪文だ。

 闇の魔術の三系統はそのまま人間を構築する三つの要素に対応している。

 即ち、『霊魂』、『精神』、『肉体』。これを錬金術では三原質、十字教では三位一体などと呼ぶ。

 本来、霊魂と精神は肉体に宿っていて、肉体が滅びると共に精神と霊魂は分かれてしまう。

 この不文律が乱れる事が稀にある。例えば、肉体から精神のみが失われた場合、『亡者』と呼ばれる存在になる。原作ではヴォルデモートの分霊箱を守っていた化け物だ。

 そして、肉体から抜け落ちた霊魂と精神が何らかの理由で結びついたままの状態を維持すると『ゴースト』になる。

 ちなみに、霊魂が失われた場合、精神も失われてしまう。霊魂とは精神の土台であり、精気の源だからだ。

 肉体を殺し、霊魂と精神を束縛する事で『蛇のゴースト』を創り出した僕はそのゴーストをラッドの中へ注ぎ込んだ。

 要はハリーとヴォルデモートの魂の断片との共生状態を意図的に作り出したわけだ。

「……さて」

 ここから先は未知の領域だ。

 ラッドは霊魂を限界まで削った状態。ここに蛇のゴーストが入り込んだ事でどうなるのか。

 知りたい事は三つ。

 一つ目は他者との霊魂を共有が可能かどうか。

 二つ目は霊魂が削られた場合、精神はどうなるのか。

 三つ目は蛇の精神が知性を持つ存在の中に入り込んだらどうなるのか。

 二つ目と三つ目は一つ目の疑問の結果に掛かっている。

「……ぁぁ」

 しばらく待つと、ラッドが僅かに目を見開いた。

「ラッド」

 僕は実験の成功を信じて声を掛けた。

 すると、ラッドは突然絶叫した。

「な、何をしたのですか!? わ、わたしに何を!? な、なんだ、これは!! あ、あが……あぎゃあああああああああああ!?」

 次第に体を檻の壁にぶつけ始め、しばらくすると、白目を向いて気絶してしまった。

「ラッド……?」

 違う。よく見ると、ラッドは死亡していた。

「……これは」

 完全に失敗だ。ラッドが意識を取り戻した理由は恐らく、肉体に残っていた魂の残滓が蛇のゴーストの侵入によって驚き、最後の一滴まで振り絞ってしまったからだろう。

「被験体が妖精だったからかな? それとも、異種族の魂は適合しないのか?」

 まあ、失敗という結果を得られただけでも上々か……。

「リジー。ラッドの死体を解剖するから準備して」

 リジーに命じると、彼女は直ぐに手術台と幾つかの水槽を用意してくれた。

 魂は使い切ったけど、肉体にはまだまだ利用価値がある。

 僕はまずラッドの首を切断した。

 治癒魔術の腕を上げる上で重要な事は生命について深く知る事だ。その為に生き物の構造を見る必要がある。

 初めはネズミだった。次に猫。そして、犬。順番に解剖していく内に手馴れてきたのか大分丁寧に解体する事が出来るようになった。

 取り外したパーツはどんどん水槽に入れて保管する。屋敷しもべ妖精の眼球はこれで五つ目になった。

 この調子なら人間も綺麗に解剖出来そうだ。 

 床や服に飛び散った血を綺麗にして、僕は余った肉を別の檻に入れている治癒魔術の実験用屋敷しもべ妖精に食べさせた。

 ラッドと違って、実に悪い子だったから丹念に躾をしたけど、未だに素直になってくれない困った子だ。

 既に目玉と歯と指と耳を失い、それでも僕の実験を嫌がるのだから……。

「美味しいかい?」

 痙攣したようにコクコクと頷きながら同族の肉を食べるペテル。

 食べ終わった頃を見計らって、また今日も実験を始める。

 耳障りな雑音を『声縛りの呪い』で防ぎ、僕はペテルの足を折る。それを癒やす。その繰り返しを十回。

 次に足に十センチ程の切れ込みを入れ、それを癒やす。その繰り返しを十回。

 次に腕に火を付けて、それを癒やす。同じく十回。

 そうして、様々な実験を繰り返して今日の日課を終える。不快に震えるペテルを蹴り飛ばして檻の奥へ戻すと、リジーを見た。

「そろそろ代わりが欲しいね。頼めるかい?」

「もちろんです、ご主人様」

 リジーはパチンという音と共に消える。彼女なら早々に結果を出してくれる事だろう。

 それにしても、屋敷しもべ妖精というのは不思議な生き物だ。一度主従の契約を結べば、例えどんな目にあっても主人に逆らおうとしない。

 よく分からない感覚だけど、それが生まれた理由だかららしい。だが、中途半端だ。

 それが存在理由なら、たとえ体をバラバラにされようと、主人の為なら歓喜に打ち震えるべきだろう。

 

 そのようにして日々を過ごし、やがて冬が終わり春が来る頃、一つの事件が起きた。

 その日、ハリーはクリスマスプレゼントのお礼を言うためにハグリッドの小屋を訪れていた。

 そこで暖炉に巨大な卵を置いているハグリッドの姿を目撃した。

 ハリーにはそれが何なのかサッパリ分からなかった。だから、勉強会の席で気軽に話してしまった。

 正直、ハグリッドに対して思い入れも無いし、ホグワーツを追い出されようがどうでも良かったけど、思いの外周囲の反応が慌ただしくなり青褪めるハリーが可哀想だった。

「この件は僕が預かる」

 これでも、勉強会に集まるメンバーのリーダーは僕だ。僕の言葉に真っ向から逆らえる人間はいない。

 それでも、人の口に戸は立てられない。明日には全校生徒が知る事となるだろう。

 そう予測して、すぐに校長室へ向かった。正直、頼りたくなかった。そもそも、彼とはなるべく接触したくなかった。

 だけど、ハグリッドを守る為にはダンブルドアに事情を説明する以外に道が無い。とりあえず、ハリーは置いてきた。

 ガーゴイルの銅像の前で少し待っていると、ダンブルドアが現れた。

「儂に何か用かな?」

 胡散臭い微笑みを浮かべながら訪ねてくるダンブルドアに僕はハグリッドがドラゴンの卵を孵化させようと企んでいる事。

 そして、その危険性を口にした。

「ドラゴンが孵化したら校内はパニックです。そうなると、ハグリッドの立場も……。どうか、孵化する前に彼を説得して頂きたいのです」

「ドラゴンの卵とは、相変わらずじゃな」

 本当は知っていたんじゃないかと思うほど手応えのない反応。

「あいわかった。ハグリッドとドラゴンの卵の事は任せておきなさい。悪いようにはせんよ」

「お願いします。……あと、せめて、ドラゴンに名前をつけさせてあげてもらえますか?」

「……君は優しいのう」

「本当に優しかったら、知っている人間の口止めをして、見ていない振りをしてますよ」

 おかしな事を口走った。そこまで言うつもりなんて無かったのに、僕は余計な事を口にしていた。

 焦りを覚えながらダンブルドアを見ると、彼のキラキラした瞳が僕をまっすぐに貫いていた。

「それはどういう意味かね?」

 その目に見られていると、自然と口が動いてしまう。

「例え、ドラゴンがこの地に適応出来ずに死んでも、ドラゴンに襲われる犠牲者がいくら出ても、ドラゴンが孵化して暴れ回る姿を見るのがハグリッドにとっての幸せなんだと思います。今の立場や人としての倫理なんて、彼にとって幸せを謳歌する為には邪魔でしかない。本当は人里離れた場所で動物や魔法生物に囲まれている方が彼にとっては良いんだと……」

 そこまでペラペラ喋って、ようやく口が止まった。

「……何をしたんですか?」

 体が震えるのを抑えながら、僕はつい聞いてしまった。

「……実に賢い。そして、その賢さの意味と隠す術を身につけておる」

 今直ぐ背を向けて走り出したい衝動に駆られた。まるで、僕の全てを知っているかのような目。それが堪らなく恐ろしい。

「ミスタ・マルフォイ。儂はいつでも君の味方でありたいと願っておる。そして、君にはその賢さをもって、皆の味方であり続けて欲しいと願っておるよ」

「……皆とは?」

「言わずとも、君ならば察せよう? さて、儂はハグリッドの小屋に行かねばならん。教えてくれた事、感謝しておるよ」

 そう言うと、ダンブルドアは僕の頭を撫で、背を向けて去って行った。

 肌が粟立つ。

 感情が制御出来ない。思わず、壁を殴りつけてしまった。

 怒りなのか、

 羞恥なのか、

 恐怖なのか、

 色々な感情が混ざり合って、わけが分からなくなっている。

 

 その後の経過は実にあっけないものだった。

 ダンブルドアはハグリッドにドラゴンが孵化するまで面倒を見る許可を与えた。

 ただし、場所は禁じられた森の奥に作った教師数人掛かりの強力な結界が張られた空間。

 そして、孵化したら直ぐにドラゴンの保護区に移送する事になっている。

 ダンブルドアはあろう事か僕の名前をハグリッドに喋ったらしく、ハグリッドから事の成り行きと感謝、そして、僅かな恨み事の書かれた手紙を貰う羽目に……。

 

 そうして、更に時が過ぎていく。春が過ぎ去った。

 結局、あれから警戒していたダンブルドアによるハリーへの接触は無く、ハリーは賢者の石の存在すら知らないまま事件が終わった。

 クィレルは学校を去り、『闇の魔術に対する防衛術』の授業が学年末まで休講になってしまった事を不思議に思いながら、生徒達は真実を何も知らない。

 当然、ハリーを含めて生徒は誰も賢者の石の防衛を行っていないから、劇的な逆転劇もなく寮対抗杯はスリザリンの圧勝だった。



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第二章「蛇の王」
第一話「日記」


 待ちわびた日が近づいている。この年、父上は憎しと思っているアーサー・ウィーズリーとダンブルドアの地位失墜を目論見、ちょっとしたイタズラを計画している。

 僕はそのイタズラに使う『小道具』を横から掠め取るつもりだ。

 今、僕が進めている計画が成功した暁にはダンブルドアでさえ手を出せない究極的に安全な実験場と実験動物を確保する手段が手に入る。

 使い方次第でダンブルドアをいつでも始末出来る程の強大な力と共に……。

 

 その日は晴天だった。父上と共にダイアゴン横丁を歩いていると、父上は何かを見つけたらしくほくそ笑んだ。

「ドラコ。次は教科書を揃えるとしよう」

「はい、父上」

 フローリシュ・アンド・ブロッツ書店。そこには長蛇の列が出来ていた。ギルデロイ・ロックハートのサイン会を開催している為だ。

 その列に赤髪の集団が紛れていた。

「ドラコ。リストは持っているな?」

「はい」

「よろしい。では、買い忘れなど無いようにな。私は少し野暮用がある」

「わかりました」

 父上がウィーズリー家の一団の下へ歩み寄っていくのを見送り、コッソリとリジーを呼び出した。

「リジー。父上が小さな手帳をあの中の誰かの荷物に紛れ込ませる筈だ。それを回収しろ」

「かしこまりました」

 リジーは優秀だ。僕が買い物を終え、父上とアーサー・ウィーズリーが乱闘を開始した直後、目的の物を僕の下に届けてくれた。

「素晴らしいよ、リジー」

 目的をアッサリと達成した僕はゆっくりとウィーズリー家の下へ向かった。

「やあ、ハグリッド」

 父上達の大人げない事極まりない喧嘩を仲裁していたハグリッドに挨拶をすると、ハグリッドも戸惑いがちに挨拶を返してくれた。

「いや、父上もまだまだお若いな」

「ド、ドラコ・マルフォイ」

 髪を乱し、肩で息をしている子供っぽい父上の姿についつい頬を緩ませていると隣に居た少年にフルネームで呼ばれた。

「おや、ロナルドくん。そうか、あの方は君の父上だったんだね。ずいぶんと二人は仲が良いらしい」

 クスクスと笑うとロンはギョッとした表情を浮かべた。

「仲が良いだって!? 馬鹿も休み休み言えよ、マルフォイ!」

 いきなり喧嘩腰だ。彼自身に何かした覚えは無いが、恐らく父親からマルフォイ家に対して色々と言われているのだろう。

 だが、こちらにその気はない。

 ハリーと接触させるつもりはないが、僕は彼に一定の敬意を持っている。

 ハリー・ポッターを英雄に導く男。その生き様はダンブルドアなどよりもずっと勇ましくて素晴らしい。

 勇気とは恐怖に抗う強さの事。彼は物語の中で一度恐怖や嫉妬といった負の感情に負け、それでも尚、ハリーと共に巨大な悪に立ち向かった。

 絶対的な強さや特別な資質もなく、本来なら逃げ出しても誰も文句を言わない平凡な男。だからこそ、その勇気の価値は計り知れない。

 まさに勇者と呼ぶに相応しい存在だ。あまり嫌われたくない。

「喧嘩するほど仲が良いという言葉がある。本当に嫌い合っていたら互いに無関心になっている筈さ」

「はあ? 何を馬鹿な事を言って……」

「おい、ロン! 誰と話してるんだ?」

「おい、ロン! 誰と話してるんだ?」

 これは思った以上に奇妙な光景だ。まったく同じ顔の人間の口からまったく同じ声でまったく同じセリフが流れてくる。

 一瞬、言葉に詰まってしまった。

「いきなり割り込んでくるなよ!」

「いいじゃないか! 我らが父上は忙しそうだし!」

「その通り! 暇を持て余す我らを持て成すのが末弟たるロナルド・ウィーズリーの使命である!」

「ふっざけんな! 向こうに行ってろ!」

 実に愉快な人達だ。僕は双子に声を掛けた。

「お初にお目にかかる。僕はドラコ。ドラコ・マルフォイ。あそこで君達の御父君とじゃれ合っている人の息子だよ」

「え?」

「マジ?」

「マジだよ」

 双子にジロジロ見られるけど、あまり不快じゃない。驚きながら僕と父上を見比べている二人の様子は見ていて面白い。

「これはこれは! かの偉大なるドラコさまで御座いましたか!」

「お噂はかねがねと!」

「興味深いね。どんな噂を聞いているんだい?」

「ああ、なんでも――――」

「何をしている、ドラコ」

 双子が口を開きかけたところで父上がやって来た。

「教科書は揃えたな? では、行くぞ」

「はい、父上。それでは失礼するよ、ロナルドくん。そちらのお兄さん達もホグワーツで会いましょう」

「お、おう」

 父上は僕がウィーズリー家の息子達と話していた事が気に入らないらしく、如何にあの家の物が下賎であるかを丁寧に説明してくれた。

 どうやら、あの家の男は性欲旺盛との事。どの代でも子沢山で有名らしい。中にはマグルと結ばれた者も少なくないと言って、父上は面白い顔芸を披露してくれた。

 目的を達成出来たし、普段見れない父上の可愛らしい一面を見ることが出来たから大満足な一日だった。

 まったく、ウィーズリー家には感謝だ。

 

 屋敷に帰って来た僕は早速回収した一冊のノートを開いた。

 日記帳だ。この中には伝説の魔法使いであるヴォルデモートの若き頃の魂の断片が封じ込められている。

 本物の分霊箱を前に少し興奮しながら、僕は杖を振るった。強力な闇の魔術の結晶である分霊箱も言ってみれば魂の断片を特定の媒体に保管しているだけだ。

 如何に闇の魔術に精通しているヴォルデモートも学生時代の……、しかも、魂の断片では大した事も出来まい。

 油断するつもりはないけど、多少のリスクは飲み込むしかない。

「分霊箱。正確には『分裂した魂を隠すもの』。これがある限り、本体の魂は完全に消滅する事なく、現世に留まるという」

 分霊箱の保持者が死亡した場合、ゴーストとも異なるナニカになると言われている。

 僕は恐らく『霊魂のみの存在』になったのだろうと予想している。

 霊魂は精神の器。注がれるべきものが無ければ輪廻を転生し、新たな肉体の内で新たな精神を育む。

 転生した赤ん坊が前世の記憶を持たずに生まれてくる理由がこれだ。

 記憶や性格といった精神に由来するものは死によって霊魂から分かたれ消滅してしまうが故、人は生まれてくる度に経験を積み、精神を育まなければならない。

 その本来は永劫終わりなき苦行の輪からはじめて解脱を果たした人が釈迦だとされている。

 分霊箱はその輪廻転生の法則を歪める魔法だ。

 物語の中で分霊箱に封じ込められている魂には精神も宿っていた。恐らく、分霊箱のシステムとは、分霊箱に保存されている精神によって本体の霊魂を無理矢理現世に繋ぎ止めているのだろう。

 ならばやりようもある。確かに本体の魂を繋ぎ止めている分霊箱の精神を全て滅ぼし、現世に繋ぎ止める鎖を破壊した上で本体を滅するのもヴォルデモートを倒す有効的な手段の一つだ。

 だが、闇の魔術には霊魂に干渉する技術がたくさんある。今までは分霊箱の特性自体が殆ど知られていなかった上、それに対処する側が闇の魔術に対して無知だったからこそ方法が限定されていたに違いない。

「……分霊箱を破壊しなくてもヴォルデモートは始末出来る筈。なら、折角だ。道具は有意義に使わないとね」

 既に動物実験には成功している。あれからリジーに捕らえさせた屋敷しもべ妖精でも実験して成功しているし、上手くいく筈だ。

 杖を何度か振るった後、不意に日記のページがペラペラと開いた。

 そこに黒い文字が浮かんでくる。

『お前はなにものだ?』

 答える義理は無いし、答えた途端、形勢が逆転してしまう。

 日記に文字を書くという行為は霊魂を注ぎ込む事と同義だ。

 実験の結果、同種の生物なら霊魂をある程度共有出来る事が分かった。

 もっとも、これは物語中の描写で出来るとある程度の確信を持っていたからただの確認だったが……。

『何をするつもりだ?』

 答えない。僕は淡々と杖を振るい続けた。

『やめろ』

 僕が行っているのは精神に干渉する闇の魔術。中でもとびっきりの呪いだ。

 対象の最も悲惨な悪夢を反芻させ、その精神を自壊に追い込むもの。並大抵の魔法を跳ね返す分霊箱も強力な闇の魔術までは完全にシャットアウト出来なかったらしい。

 効果があるか確認し、無かったら暫し様子を見ようと思っていたのだが、これは行幸だ。

 徐々に浮かび上がる文字が支離滅裂になっていく。

『ぼくは違う。ぼくは特別だ。マイケルがぼくを侮辱したから犬をけしかけた。なにもしていない。なぜ、僕をしんじてくれないんだ? ぼくはただ……。違うちがうチガウ違うちがう……、こんな事を望んだわけじゃない。ただ、とくべつな血筋である事をしめしたかっただだだだけけで殺したかったわけじゃない。ちがうんだちがうんだ』

 文字の形が乱れていく。

 肉体が滅びる事ばかりが死ではない。

 精神が滅びても人は死ぬ。

 だが、精神は肉体よりも堅いもの。壊し、滅するまでには時間が掛かる。

 気長にやっていくしかないね。

 その霊魂の断片を貰い受ける、その日まで……。



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第二話「友達」

 ホグワーツの新学期が始まるまでの間、僕はハリーに会わなかった。手紙だけを送りながら、彼の中でダーズリー家の人々に対する憎悪を深めてもらった。

 あの一家は良くも悪くもハリーの事をよく見ている。ハリーの中に芽生えた純血主義の萌芽に彼らは直ぐ気付くはずだ。敵意は敵意を煽り、それが更なる敵意を生む。

 既に怒りと憎しみの悪循環を繰り返している所へ燃料が投下されたわけだ。

 今、キングスクロス駅のホームで彼を待っているけど、果たしてどんな表情を見せてくれるか実に楽しみだ。

「ハリー……」

 彼が物語中で純血主義に反発した大きな理由は二つある。

 一つはロン・ウィーズリーの影響。彼が純血主義を悪と教えたから、ハリーはそれを信じた。

 もう一つは彼の中にダーズリー家での教えがあった事。

 ダーズリー家では『まともである事』こそが正義だと信じられている。それも、マグルとしてのまともさだ。

 赤ん坊の頃からその教えを受け続けたハリー。それはもはや洗脳と言っても間違いではない。

 だから、ハリーには常に『自分はマグルとしてまともでなければならない』という思考が働いていた。

 どんなにマグルに酷い目に合わされても、マグルを憎まなかった理由がそれだ。

 自分もマグルなのだという無意識下での自覚が彼にあったからだ。

 既に一つ目の条件を遠ざけ、二つ目の条件にも種を撒いた。

「来た……」

 遠くからハリーが歩いてくるのが見える。駆け寄ると、ハリーは嬉しそうに顔を綻ばせた。

 だけど、その瞳に昏い光が灯っている事に気付いた。

「どうかした?」

「え、どうして?」

 首を傾げるハリーの耳元に口を近づけて囁いた。

「友達だからね。分かるよ」

「……敵わないな」

「話はコンパートメントで聞くよ。おいで、随分と細くなってしまったみたいじゃないか」

 どうやら、随分酷い仕打ちを受けたらしい。よく見れば頬が痩け、全体的にもやせ細ってしまっている。

 可哀想に……。

「コンパートメントにお茶の用意をしてある。ゆっくり心と体を休めるんだ。話はそれからでもいい」

「うん」

 どうやら大分無理をしていたらしい。今では演技を止め、憔悴しきった表情を浮かべている。

 コンパートメントに移動すると、彼は紅茶を飲みながらダーズリーの家で行われた虐待の数々を口にした。

 部屋に鍵を掛けられ、窓にも鉄の柵をつけられたらしい。

 料理は一日に一回。扉に付けられた『餌入れ』から入れられるコップ一杯の水とパンくずのみ。それを忘れられた日もあるという。

 その上、彼の従兄弟が一日一回、まるで日課のトレーニングのようにハリーをサンドバッグにしたと言う。 

「すまない、ハリー。君がそんな辛い境遇にいた事も知らずに……。君からダイアゴン横丁に行けないという手紙を受け取って、何かあったのではと心配はしていたんだけど……」

 僕は涙をこぼした。

「君の学用品は全て揃えてある。だけど、そんな事じゃ、詫びにもならないね……」

 悲しげな顔を作って、僕はハリーを抱き締めた。

「……来年からは僕の家に泊まりに来ればいい。父上と母上も歓迎するよ」

「ありがとう……」

「それにしても酷いな……あまりにも」

 僕は涙を浮かべたまま、怒りに満ちた表情をつくり椅子に戻った。

「……『魔法使い』に生まれた事はそんなにも罪深い事なのかな」

 僕の言葉にハリーの瞳が揺れた。

「マグルと魔法使いは一緒にいるべきじゃないのかな……」

 僕は何も言わなかった。

 自分の中で答えを決定させる為に。

 

 ホグワーツの二年目は一つの衝撃的なニュースで幕を開けた。

 ギルデロイ・ロックハート。魔法界のトップスターがクィレルの後釜として『闇の魔術に対する防衛術』の教師に招かれたのだ。

「僕はストレスで頭がどうにかなりそうだ」

 取り巻きの一人、ダン・スタークが眉間に皺をよせて言った。

 彼はロックハートの最初の授業で指名を受けて――只管使えない呪文を繰り返すという――辱めを受けたのだ。

 しかも、呪文が発動しない事を彼の才能の欠如が原因と言われた。

「しかし、教師として最悪な部類だな。自己を過信した無能が教師とは……ハァ」

 いつも無口なエドワード・ヴェニングスまでが饒舌に彼を貶めている。

「嫌われてるね……」

 僕としては面白い人だと思っている。彼の書いた小説……いや、教科書は実に読み応えがあった。

「素直に小説家としてデビューしておけば良かったのにね」

 ハリーも中々辛辣だ。まあ、ハリーもダンと同じく公開羞恥プレイを強制された被害者だから仕方がない。

「クラッブとゴイルはどうだい? 彼のことをどう思う?」

 エドやダンに更に輪をかけて無口な巨漢二人組に問いかけると、二人揃って吐き気を催したような顔をした。

「……せめて言葉で表現して欲しかったな」

 僕は他のメンバーに視線を向けた。

「フリッカ。君はどうだい?」

 フレデリカ・ヴァレンタインは少し考えた後に言った。

「顔も良いし、小説家よりハリウッドスターになった方が良いと思う。サインの書き方も様になってるし」

 そう言って、ロックハートのサイン色紙をどこからともなく取り出すフリッカ。

 ほぼ全員がギョッとした表情を浮かべている。

「ふぁ、ファンなの?」

 ハリーが恐る恐る問いかける。

「別に彼の著作は初版で全巻揃えてるけど、それだけだよ?」

 結構コアなファンだった……。

 付き合いが長い方だけど、知らなかった。意外とミーハーなのか……。

「アンよりマシ。さすがにプロマイドまで手を出す気は無いもん」

「え?」

 全員が勉強会に参加している女性メンバー三人の内で一番真面目な少女を見つめた。

 アナスタシア・フォードはそっぽを向きながら頬を朱色に染め、ボソボソと答えた。

「……しゅ、趣味は人それぞれでいいじゃないですか」

「お、女はああいうのが好みなのか……」

 ダンががっくりと肩を落としている。まあ、ロックハートとはキャラが大分違うしね。

「いや、一緒にしないでよ。私は違うから」

 真顔で否定するアメリア・オースティンにエドが心から安堵した。

「あと、エドもタイプと違うから」

 いっそ清々しい容赦の無さだ。エドが実に悲しそうな表情を僕に向けてくる。

 後で少し慰めてあげよう。

「それよりドラコ。もうすぐ、シーカー選抜試験があるじゃない? 受けるの?」

「ああ、そのつもりだよ」

「どんまい、ダン」

 アメリアがケラケラ笑いながらダンに言葉の槍を投げはなった。

 ダンまで悲しそうな顔で僕を見てくる。

「ドラコが志願するなら辞退する」

 声が震えている。

 まったく、アメリアは厳しいんだか優しいんだか分かり難いな。

「だったら僕が辞退するよ。ただし、ハリーも志願するから簡単にはいかないと思うけどね」

「待ってくれ! そういうつもりでは!」

 ダンが立ち上がって声を張り上げる。

「ダン。僕もクィディッチが好きだし、選手になりたいとも思ってる。けど、どうしてもって程じゃないんだ。本気でなりたい君が僕に遠慮して辞退するくらいなら、僕が降りるよ。ただし……、これはハリーにも言うけど、シーカーになった暁には一度の敗北も許さないよ」

「ド、ドラコ……」

「ドラコ……」

 正直、僕はクィディッチなんてどうでもいいんだけど、この二人にとっては違う。

 折角だから二人の好感度を稼ぎつつ、無駄な体力を消費するイベントを避けたわけだが、二人は感動に打ち震えている。

 まったく、可愛いな。スポーツに燃える熱血は僕が愛おしく思う人間の美徳の一つだ。

 勇気とか熱血とか、僕は持っていないから羨ましい。

「そう言えば、選抜試験の受付は今日だったと思うけど、二人はもう申し込んだの?」

 フリッカの言葉にダンとハリーが顔を見合わせる。顔色がみるみる悪くなっていく。

「ああ、それなら……」

「ちょっと行ってくる!!」

「急ぐぞ、ハリー!!」

 飛び出して行ってしまった。

「……二人の参加についてはフリントに話を通してあるから僕の辞退について後で言っておくだけで良かったんだけど」

「二人はそれほど本気という事だな」

 エドの言葉に僕は思わず噴き出してしまった。実に熱血しているな。

「ドラコ」

 フリッカが僅かに声色を変えた。

「どうしたんだい?」

 僕の配下としての顔を見せるフリッカ。

「寂しい」

「え?」

 僕は思わずエドと顔を見合わせた。

「一年目は我慢したけど、もう少し私に構って欲しい」

 別に蔑ろにしたつもりはなかったんだけど……。

「ハリーはもうドラコにゾッコンだよ。だから……」

 この勉強会に参加しているメンバーはハリー以外、幼少期から一緒にいる。

 丹念に僕への忠誠心を植え付けてきた。だけど、まさか構って欲しいと頼まれるとは思わなかった。

「分かった。僕に出来る事なら何でもするよ。何をして欲しい?」

「……もっと、私を見て」

「見てるつもりなんだけど……」

「あなたが目的のために手段を選ばない事は知ってる。今はハリーの心を手に入れるために行動していて、その行動全てに計算が入っている事も……」

「僕の行動って、大体打算だって知ってるだろ?」

「知ってる。だから、そうじゃなくて……」

「……デートでもするかい?」

「する」

 どうやら、満足行く答えを返せたみたいだ。

「……エド達は何かあるかい? この際だから聞いてあげるよ?」

「私もデートでいいよ」

「……私もデートでいいです」

「俺もデートでいい」

「……オーケー。ダンにも聞いておこう」

 困った。口元が緩んでしまう。

「しかし、エドはアメリアが好きなんじゃなかったのかい?」

「たった今、振られた」

「うん……、悪かった」

「それにアメリアは好きだが、ドラコも好きだ」

「うん。僕も好きだよ」

 前はこまめにそれぞれと二人の時間を作っていたけど、その時間を今はハリーにばかり使っていた。

 その事を不満に思っていたらしい。まったく、愛しい友人たちだ。

「とりあえず、順番は先着順にさせてもらうよ?」

 だけど、これはハリーの籠絡に使える一手だ。

 敢えて放っておく事も愛を深める為に重要な事なのかもしれない。



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第三話「エドワード・ヴェニングス」

 エドワード・ヴェニングスはヴェニングス家の四男として、この世に生を受けた。

 物心ついた時、既に母親の姿は無く、乳母に手習いなどを教わりながら育つ。

 十人を超える兄弟は全て敵だった。

 ヴェニングス家の当主、アラン・ヴェニングスは好色家として有名で、兄弟姉妹全員の母親が違うという恐ろしく複雑な関係を家庭内で築いた。

 その癖、家庭を顧みず、権力と金集めに執念を燃やす男だった。

 生まれた時から愛憎渦巻く修羅場の中で育った彼はドラコと出会った時、既に完全な人間不信に陥っていた。

 母親は父に愛想を尽かして出て行き、育ててくれた乳母は弟の母親になった途端彼を突き放し、兄弟姉妹は互いを憎み合っているのだから無理も無い。

 

 エドワードがドラコ・マルフォイと出会ったのは1987年6月5日の事。ドラコが七歳になった日だった。

 初めて、父親が外へ連れ出してくれた。その事が嬉しくて、エドワードは生まれて初めて笑顔を浮かべた日でもあった。

 アランはドラコの父、ルシウスの前で跪き、エドワードを差し出した。

『いいか、これからお前はドラコ・マルフォイに仕えるのだ。決して、彼の不興を買ってはならない。もし、彼に死ねと命じられたら、お前は死ななければならない』

 ルシウス・マルフォイに謁見する直前、アランは息子にそう言って聞かせた。

 媚を売り続けろ。ドラコ・マルフォイの関心を引け。いずれ、お前の妹を彼の下へ嫁がせ、マルフォイ家の血を我が血族へ取り入れる為に全てを捧げろ。

 お前の人生の価値はそれだけだ。

 それが最初で最後の父親との会話だった。要するに奴隷として売られたのだ。

 アランはルシウスが闇の魔術に耽溺している事を知っていた。そして、その実験台に使っても構わないとルシウスに許可を出した。

 まだ誕生日を迎えていない、六歳の幼子が理解してしまった。

 誰からも愛されていない。誰からも必要とされていない。ただ、道具として消費される日を待つだけの存在。

 それが自分なのだと悟った彼の心は壊れる寸前まで追い詰められていた。

「なら、僕に全てをくれ」

 ドラコ・マルフォイは彼の望んだ言葉を望むだけ与えた。

 必要として欲しい。愛して欲しい。道具としてでもいいから……、大切にして欲しい。

 そんな彼の切実な願いをドラコは聞き入れた。

 

 本来、ルシウスはエドワードをドラコに近づける気が無かった。

 アラン・ヴェニングスが如何に下劣な人間かを彼は理解していたからだ。

 物語中、息子がマグル生まれの女に負けたと聞いた時、彼はマグル生まれを貶めるのではなく、そんな女に負けた自らを恥じよと息子を叱った。

 純血主義であり、権力を愛し、闇の帝王に平伏した彼だが、その心は高潔であり、例え旧家の純血だろうと品性が下劣な者を彼は軽蔑する。

 だが、息子がエドワードを欲しがった。驚く程賢く育ち、我儘を滅多に言わない息子が『欲しい』と口にした。

 ならば、与えてみようと思った。そして、息子がエドワードをどう使うのか見てみようと思った。

 息子がヴェニングスの下劣な品性に染まるようなら突き返せばいいと考えた。

 

 ドラコはエドワードに対してとても親切に接した。

 孤独を癒やし、求めるものを与え、時には痛みを覚えさせ、彼の心を支配した。

 それがエドワードにとって幸福な事なのか、不幸な事なのか、彼自身でさえ分からない。

 ただ、ドラコの求めに応じる事が至上の喜びとなった。

 ドラコは全ての行動に計算を挟み込む。それはつまり、彼の行動に無駄な事など無いという事だ。

 彼が苦痛を与えてくるという事はそれが彼にとって必要な事だからだ。ならば、受け入れる。

 

 

 その日、俺はドラコに必要の部屋と呼ばれる部屋へ招かれた。

「明日はシーカーの選抜試験だね」

 生き物の死体が浮かぶ水槽に囲まれながら、ドラコはいつものように作り笑いを浮かべている。

「どっちがシーカーになると思う?」

 ハリーとダンの事を聞いているのだろう。

 上級生にもシーカーの席を狙う人間はたくさんいる。

 だけど、こういう言い方をするという事は彼が二人の内、一方がシーカーになる事を確信しているからだ。

 ダンには無理だ。彼には熱意がある。だが、技術は平凡なものだ。つまり……、

「ハリー・ポッター」

「……そう。きっと、ハリーがシーカーになる」

 これは単なる確認だ。俺が如何にドラコの事を理解出来ているのか試したのだ。

「ドラコ……」

「なんだい?」

「……俺は何をすればいいんだ?」

「座っているだけでいいよ。ただし、すごく苦しいかもしれないから、耐えろ」

「わかった」

 俺はドラコの道具だ。彼が必要としてくれる限り、生きる価値がある。

 痛みも、苦しみも、それがドラコにとって必要な事なら、俺は生きる実感を持てる。

「レジリメンス」

 それは未知の感覚だった。過去から現在に掛けての記憶が一気にフラッシュバックして、それをドラコに覗かれている。

 隅から隅まで覗かれて、生理的な嫌悪感に吐き気がした。

「……ああ、素晴らしい」

 呪文が終わった後、ドラコは愉しそうに嗤っていた。

「エドワード。君は心の底から僕を必要としている。そして、必要とされたがっている」

 分かり切った事を何故今更?

「……僕は割りと疑り深いんだ」

 知ってる。

「だから、開心術の実験ついでに『お前』の心を覗いた。嬉しいよ。お前は僕を裏切らない」

「当たり前だ。君が必要とする限り、俺は生きられる」

「ああ、必要だとも」

 ドラコの言葉に胸が暖かくなった。

「今、僕はちょっとした計画を立てている。それを手伝ってもらうよ」

「わかった。何でも命令してくれ」

「まだ、少し早いな。準備に時間がかかってね」

「なら、準備も手伝う」

「ダメだよ。今は僕にしか出来ない事ばかりだからね」

「……わかった」

「そう、悲しそうな顔をしないでくれよ。春が来る前には準備が終わる。その時になったら良い物を見せてあげるよ」

「わかった」

 ドラコはこの部屋で長い間、闇の魔術の研究をしていたらしい。

 わざわざ説明するという事は必要な事なのだろうから、その研究の内容を記憶に焼き付けておく。

「俺を実験台にすればよかったのに」

 屋敷しもべ妖精や動物を使うよりもずっと詳細なデータが取れた筈だ。

 ところが僕の言葉にドラコは首を振った。

「闇の魔術の多くは後遺症を伴う。それをお前達に使うわけにはいかないよ。クラッブやゴイルはともかく、特にお前は僕の重要な手駒だ」

「……なるほど」

「一応、フリッカにも協力させる予定だ」

「アン達は?」

「アンには何も教えない。アメリアは……、少し考える。ハリーとダンは論外だ」

「どうして?」

「アンはある意味で誰よりも信用出来るが、誰よりも信頼出来ない。アメリアはスイッチが入るとな……。ハリーは教育段階だし、ダンはあの性格だから緻密な計画に取り入れる事は出来ない」

「フリッカと俺は特別って事かい?」

「特別だ」

 即答だった。

「僕の本質を知りながら、心から忠誠を誓ってくれている。裏切る心配を欠片もしなくていい」

 ドラコは一枚の羊皮紙を持ち上げた。

「今、少し研究しているものがある」

「計画とは別にかい?」

「ああ。過去、ヴォルデモート卿が死喰い人達の腕に刻んだ刻印を知っているかい?」

「……いいや」

「彼が自らに忠誠を誓った者達に掛けた首輪のようなものさ」

「首輪……」

「とりあえず、模様を先に考えてみたんだ。どうかな?」

 ドラコが見せた羊皮紙には幾つもの人の影を抱きながら天を仰ぐ一匹のドラゴンの絵が描かれていた。

「……う、うーん」

「そ、そうか……。いや、みなまで言わなくていい」

 ドラコにデザイナーの才能が無い事だけは確かだね。

「術を刻印に練り込む方法はわかってるし、練り込む呪文の種類もある程度決まっているから、あとはデザインと最後の仕上げだけだったんだけどな……」

「えっと……、とりあえずフリッカに頼んでみたらどうかな? 彼女は絵心があるし……」

「グリとグラを体に刻まれたら僕は相手が何者であっても軽蔑すると思うよ」

「……お、俺も考えてみるよ」

 確かにフリッカの絵は絵本の挿絵みたいな柔らかいタッチだ。

 ドラコが配下の首輪として刻む刻印には似合わないか……。

「……り、力作だったのに」

 ドラコが聞こえるかどうかという小さな声で呟いた。多分、今のは本音だ。聞かなかった事にしよう。

 ドラコの紋章か……。



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第四話「ダン・スターク」

 ダン・スタークは純血ながら反純血主義派である両親の間に生まれた。

 彼自身も純血主義ではない。マグル生まれだろうが、純血だろうが、彼にとって面白いと思えるかどうかが全て。

 ドラコ・マルフォイは彼を典型的な快楽主義者だと捉えている。

 人としての倫理観や一般常識、法律から逸脱した事でも彼自身が楽しいと感じる事は彼にとって全て『正しい事』になる。

 そんな彼の幼い頃の趣味は暴力だった。

「ヘイ! 可愛い子ちゃん、ちょっといいかい?」

 両親すら手を焼く乱暴者とドラコが初めて出会ったのはノクターン横丁だった。

 闇の魔術に関係する商品を取り扱う『ボージン・アンド・バークス』で父親が商談をしている間、暇になったドラコは店の近くを見て回っていた。

 ダンはいきなりドラコに殴りかかった。

 理由は特に無い。ただ、人を殴りたくなって、目の前に殴りやすそうな子供がいたから殴りかかった。

「……前にどこかで会ったかな?」

 あまりにも理不尽な暴力を前にドラコは不快に思うよりも先に疑問を抱いた。

 殴られたからには理由がある筈だと考えたのだ。

「無いぜ、多分。けど、オレは殴りたいんだ。誰でも良かったが、お前が最初に目に入った」

 生前、心理学や人類学の本も山程読み漁ったドラコだったが、衝動的過ぎるダンの行動原理を理解するのは至難だった。

 あまりにも野性的過ぎる。まるで、山から降りて来た猿や猪のようだ。

 だから、興味を惹かれた。

「なるほどね。一つ条件を呑んでくれるなら僕を好きなだけ殴っていいよ。ただし、顔だと父上にバレてしまうから首から下で頼む」

 その返答はダンにとっても予想外だった。たいてい、今まで殴ってきた人間は怒るか泣くかして反撃してきたり逃げたりした。

 自分を殴って良いと柔らかく微笑むドラコにダンもまた、興味を惹かれた。

「条件ってのは?」

「僕と友達になってくれ。君が望むなら暴力を好きなだけ振るえる機会を作ろう」

 それはドラコの屋敷の屋敷しもべ妖精ドビーにとって悪魔の契約だった。

 ドビーの躾はダンに感じたことの無い恍惚感を与えた。ただの暴力だけでは味わえない快楽に酔いしれた。

 ドラコ自身の体もダンが望む限り傷つける事を許した。ドラコ自身、興味があったのだ。人間はどう壊せば、どう感じるのか。

 リジー達を使った本格的な実験を始める前に既にある程度ドラコが治癒呪文に精通していた理由は自らの体で何度も試した結果だった。

 腕を折る痛み、肌に針を突き刺す痛み、火で肌を炙る痛み、爪を剥がす痛み、そして、それらを完璧に治癒する時の脳を焼くような痛み。 

 熟達すれば痛みを取り払う事も出来るのだろうが、幼い頃のドラコは高度な治癒を行えても痛みは残り、皮膚や骨が再生する時に強烈な痛みを覚えた。

 

 初めはダンも興奮し、楽しんでいた。人の壊し方に精通していく事を誇らしく思い、壊す事を許すドラコに感謝していた。

 ある日を境にダンの興奮が冷めてしまった。

 まるで、人形遊びをしているような気分になった。いくら壊しても、ドラコは面白がるように微笑むばかり。

「……つまんねぇ」

 ドビーへの躾もつまらないと感じるようになってしまった。

「君は張り合いを欲しているのかもしれないね」

 情熱が冷めてしまった理由に悩んでいると、ドラコが言った。

 彼はダンにマグルの格闘技やスポーツを薦めた。

 ドラコとの接触によって、対外的には大人しくなったように見えたダンに彼の両親は実に寛容だった。

 マグルの格闘技道場への入門を快く許したのだ。そこで初めて、誰かと競い合う楽しさを知った。強くなる事への興奮を知った。

 嬲るだけでは得られなかった快楽を知った。

「……けど、なんか物足りねぇんだ」

 ダンはつまらなそうな顔をして言った。

 足りないものがある。だけど、それが何なのかが分からない。

 ドラコなら答えを教えてくれる気がした。

「君に必要なものは恐らく目標だよ。ただ漠然と修練に勤しむなんて、ただの苦行だからね。君にとって、それはそれで楽しいのかもしれないけど、その修練によってどうなりたいか、何を得たいかを明確に決めた方がずっと身が入るし、楽しいと思うよ」

 まさに求めていた答えだった。ダンは早速、どうなりたいかを考えてみた。

「オレは最強になるぞ!」

 まずは道場で最強になる。そして、イギリスで一番になり、欧州で一番になり、やがて世界で一番強い男になる。

 そう野望に燃えた。だが、彼は肝心な事を忘れていた。

 彼は純血の魔法使いであり、当然、彼の両親も魔法使いだ。

 彼がマグルの世界で格闘技の世界チャンピオンを目指すと言った瞬間、道場を止めさせられた。

 嘆き悲しむダンにドラコは呆れてものが言えなかった。

「……いや、そうなるに決まってるじゃないか」

「だが、君が言ったんだぞ! 目標を定めろと!」

「せめて、両親に対する説明の仕方を考えるべきだったね。世界最強を目指すって目標は悪くないと思うけど……」

「だろう! 親父もお袋も頭が固すぎるんだ!!」

「いや、頭の固さはあまり関係ないと思うよ。魔法使いなのに魔法を捨ててマグルの世界で生きていくっていうのは君が想像してるよりずっと過酷だろうしね」

「だけど!! ……ックソ、オレはこれからどうすればいいんだ」

「別に格闘技に拘る必要は無いと思うよ?」

「どういう事だ?」

「言ったじゃないか。格闘技やスポーツがオススメだって」

「そうか、スポーツか!」

「魔法界のスポーツ。クィディッチなら、君の御両親も納得してくれると思うよ? それこそ、プロになれば収入も得られるし、世界最強を目指す事も応援してくれる筈さ」

 ドラコの言葉にダンは目から鱗が落ちる気分だった。

「ドラコ!! オレは決めたぞ!! クィディッチの選手になる!!」

「……薦めておいてアレだけど、他にも色々あると思うよ? もう少し、考えてみても……」

「いいや、ドラコが言うなら間違いなんて無い!! 今までだって、お前の言葉に間違いなんて一つも無かった!!」

 断言するダンにドラコは肩を竦めた。

「お褒めの言葉をどうも」

「ドラコ! オレは頭の出来が悪いから、これからもオレを導いてくれ!」

「構わないよ。君はいつも期待以上に僕を楽しませてくれるからね」

 ドラコは薄く微笑んで言った。

「だけど、君は僕に何かくれるのかい? まさか、何の代償も無く、これからずっと僕に面倒を見させる気かい?」

 ドラコの言葉にダンはニカッと笑った。

 この頃にはドラコがどういう人間なのか、ダンもよく知っていた。

 その残忍さ、悪辣さ、欲深さ。

「オレを好きに使っていいぜ。お前の目的の為に必要なら幾らでも力を貸す」

「いいね、その答え」

 ドラコが満足そうに微笑むと、ダンは「それに」と続けた。

「お前がオレ以外の誰かに壊されそうになったらオレが守ってやる」

 ダンは前に火で炙って自分の名を書いたドラコの右腕をさすった。

「お前に傷をつけていいのはオレだけだ。だから、他の誰にも傷をつけさせるな。それをオレを使う条件に付け加えておいてくれ」

「……オーケー。独占欲の強いやつだな。だが、だからこそ気に入ってるよ」

「独占欲についてはお前にとやかく言われたくねぇな」

「だけど、僕の手駒となるからには色々と勉強もしてもらうよ?」

 ウゲッとした表情を浮かべるダンにドラコは言った。

「格闘技にしても、スポーツにしても言葉遣いや知性は重要さ。まず、僕の事はこれから『お前』じゃなくて、『君』と呼ぶように」

「ヘイヘイ。了解だぜ、我が君」

「……結構、大仕事かもしれないな」

 

 

 スリザリンのクィディッチチームによるシーカー選抜試験の日がやって来た。

 僕は両親にせがんでニンバス2001を買ってもらった。クィディッチの選手を目指すと言った日から両親は全力で応援してくれている。

 ドラコが僕のために選抜試験を辞退した。なら、絶対に負けられない。

「ハリー」

 隣でニンバス2000を抱えるハリーに僕は宣戦布告した。

「絶対に負けないぞ」

 ドラコに散々言われて直した言葉遣いを今だけは封印する。

 ハリーの箒乗りとしての腕前は一流だ。いい子ちゃんの振りをしていて勝てる相手じゃない。

『獣染みた本性はここぞという時だけ見せるんだ。平時は感情を貯めて、いざという時に爆発させろ』

 ドラコ。今がその時だろう?

「オレがスリザリンのシーカーになる。そして、ドラコに勝利を捧げる!」

「……負けないよ、ダン。僕だって、シーカーになりたい。ドラコと肩を並べられるように」

 その瞳に静かな闘志が燃えている。

 笑っちまう。ドラコはハリーの気を惹こうとあらゆる手を尽くしているが、既にそんなものが必要無いところまで来ている。

 だが、負けない。

「オレは最強になるんだ。クィディッチだけじゃねぇ。どんな戦いでも負けねぇ、最強にな! 叩き潰してやるぜ、ハリー!」

「僕が勝つ」

 オレは本当ならダームストラング専門学校に入学する筈だった。ドラコも闇の魔術に理解あるダームストラングを選ぶと思っていたし、オレ自身の気質とも合うと思っていたからだ。

 だけど、ドラコがホグワーツに決めたからついて来た。

 選択は正しかった。オレはこの日、ハリーと競い合う事でその事を実感した。



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第五話「シーカー」

 シーカー選抜試験のルールは単純明快。フィールドに放ったスニッチをキャッチするまでに掛かったタイムを競う。

 シンプルだけど、意外とえげつない。ルールの都合上、タイムリミットがどんどん減っていくのだ。

 最初の一人はスニッチを三十分で確保した。すると、次の挑戦者は三十分を超えた時点で失格となった。

 挑戦が終わった者は自分の叩き出したタイムを後続の挑戦者が塗り替えないように祈り、後続の挑戦者は最速タイムを塗り替える為に必死になる。

 タイムリミットが減る度に後続の挑戦者には大きなプレッシャーが襲いかかる。その逆境を跳ね除け、スニッチを最速で確保した者にシーカーの座が与えられるわけだ。

 現在の最速タイムは八分二十三秒。四年生のマイケル・ゲイシーが叩き出した。

 試合中とは違い、遮蔽物の無いフィールドでは意外とスニッチが見つけ易いとはいえ、そのタイムは圧倒的だった。

 次はダンの番。

「残念だけど、ダンには厳しいかもしれないね」

 エドが言った。否定する声は上がらない。

 フリッカ達もダンに記録を塗り替える事は出来ないと思っているみたいだ。

「……どうかな」

 ダンがニンバス2001に跨がり上昇していく。フリントがスニッチを放つと、空中でピタリと止まり深呼吸をした。

 一分経過、二分経過、三分経過……。

 他の挑戦者達は多かれ少なかれ動き回っていた。対して、身動ぎ一つしないダンの態度は異様だった。

 やる気を問う他の挑戦者達の声が飛ぶ。フリントが抑えるけど、彼も怪訝そうにダンを見上げている。

 五分経過、ダンが動いた。

 その動きはさながら獲物に食らいつく鷹のようだった。

 瞬きする間にダンはスニッチを確保していた。

 誰からも言葉が出てこない。

「お見事」

 僕の拍手は静かなフィールドに響き渡った。

 ダンがコチラに笑顔を向ける。少し懐かしい。僕の教育によって封じ込められていた獣が顔を出している。

 実に楽しそうだ。

 

 去年、ダンブルドアにハグリッドの事を聞かれた時、僕はこう答えた。

『今の立場や人としての倫理なんて、彼にとって幸せを謳歌する為には邪魔でしかない』

 恐らく、開心術を使われたのだろう。それは正しく僕にとっての本心だった。

 僕がそう思った理由はハグリッドをダンと重ね合わせたから。

 ダンにとって、僕が教えた倫理や常識は幸福を妨げる鎖でしかないのかもしれない。

 本当は彼の思うまま、自由に暴れさせてあげた方がいいのかもしれない。

「……ダン」

 だけど、彼の首輪を外すつもりはない。

 僕を裏切らないと確信をもって言える数少ない内の一人。

 手放す事など出来る筈が無い。

 だから、せめて発散出来る場を作ってあげよう。今はまだ無理だけど、いずれ時が来たら……。

 

 ダンの塗り替えたタイムは後続の挑戦者達を悉く振るい落とした。

 五分十七秒。スニッチを見つけるだけでタイムリミットを超えてしまう者が殆どだった。

 やがて、挑戦する前に棄権を宣言する者が出始めた頃、ハリーの番がやって来た。

「うそ……」

 誰の口から零れた言葉なのかは分からない。

 だけど、この言葉は僕を含めた全員の意思を代弁している。

 開始一分十三秒。ハリーは片手でガッチリとスニッチを掴んでいた。

「……天才ってヤツ?」

 アメリアが唖然とした表情でハリーを見上げる。

 他のみんなはフリーズしたまま動けずにいる。

「ハリー」

 降りて来たハリーに声を掛けると、ハリーは唇の端を吊り上げてスニッチを僕に見せた。

「僕がシーカーだ」

 異論など出る筈が無かった。もはや、このタイムを塗り替える事は他の誰にも不可能だ。

 上級生達でさえ、ハリーに畏敬の念を向けている。

 この瞬間、スリザリンの中でのハリーに対する評価は変わった。

「ブラボー」

 フリントは拍手をした。他のみんなも釣られたように拍手をする。

 ハリーにクィディッチの才能がある事は知っていた。だけど、ここまで圧倒的な才能とは思わなかった。

 このだだっ広いフィールド内を自由自在に飛び回る極小サイズのスニッチを一瞬で視界に捉え、見ると同時に箒を飛ばし、ぶんぶんと揺れ動く球体をすれ違いざまにキャッチする。

 マイケルやダンも十分過ぎるくらい凄かった。だけど、ハリーには及ばなかった。

 ダンは悔しそうに俯いて涙を零している。

「ハリー・ポッター。正直、君の事を見くびっていた。心の何処かで名前だけの男だとね。その非礼を詫びよう。今年から、我がスリザリンのシーカーは君だ。共に勝利しよう」

 フリントの言葉にハリーは力強く頷いた。

「スリザリンの名に泥を塗らないよう頑張ります」

 固い握手を交わす二人に観客席が一斉に湧いた。

 

 その日の夜は談話室でハリーのシーカー就任祝いのパーティーが開催された。

 主役のハリーはあちこちに引っ張りだこで、パンジー・パーキンソンをはじめとした女生徒達から熱い眼差しを向けられていた。

 上級生がどこからか拝借して来たバタービールを飲みながら、僕はその光景を横目で見つつ、選抜に落ちたダンを慰めていた。

「ちくしょう!! オ、オレだって、五分だったんだぜ!? 十分過ぎるくらい結果を出したぞ!! なんだよ、一分って!!」

「そう落ち込まなくても、シーカー以外のポジションなら来年空きが出るし、もう一度挑戦すればいいさ」

「オレはシーカーが良かったんだ!! ちくしょう!!」

 ざめざめと泣き叫ぶダンにフリッカ達も慰めの言葉をかけるが焼け石に水。

 そうこうしている内にハリーが戻って来た。

「ハリー!!」

 ダンはハリーの胸倉を掴んだ。

 ハリーは澄ました顔でダンの目を見つめている。

「いいか、絶対に負けるんじゃねぇぞ。オレに勝ったからには負ける事なんて許さねぇ!!」

「……もちろんさ」

 ハリーは言った。

「僕は負けない。ようやく、本当に誇れるものを持てたんだ。誰にも負けるもんか……」

 ハリーはダンの手を振り解いて僕の所にやって来た。

「ドラコ。僕は勝つよ。勝ち続ける。君に誇りに思ってもらえるように」

「ハリー……」

 なんて、嬉しい言葉だろう。

 ハリーはもはや僕の手に落ちている。それを今、実感出来た。

 今まで、ハリーが僕を盲信するように様々な手を尽くして来た。

 ハリーの知りたい事を僕は全て知っている。

 ハリーの出来ない事を僕は全て出来る。

 それは同時にハリーの中で劣等感を育てさせた。

 今、ハリーはクィディッチの才能によって劣等感を払拭する事が出来た。

 彼は僕と肩を並べる事が出来るようになったと考えているのだ。

 だからこそ、ハリーは勝つと声高に叫ぶ。僕に『誰にも負けない』と宣言する。

 

 本人が気付いているのかどうかは分からない。

 今、ハリーは自分の中で初めて見つけたクィディッチの才能という誇りを僕と肩を並べる為の道具にしている。

 ようやく手に入れた立場を維持しようと必死になっている。

 僕の手から抜け出そうとは微塵も考えずに……。

 

 喜びに打ち震えてしまいそうだ。

 あのハリー・ポッターの心を手に入れた。

「ハリー」

 僕は言った。

「僕に勝利を捧げてくれるかい?」

「ああ、もちろん」

 ハリーは僅かな疑問を挟む事すらせずに即答した。

「ハリー。とても嬉しいよ。シーカー就任おめでとう。ああ、僕は君が親友でとても誇らしいよ」

「……へへ」

 はにかむように笑うハリー。

 僕は今までよりも一層強く思った。

 誰にも奪わせてなるものか! ハリー・ポッターは僕のものだ!

 その為には手段を選ばない。誰が敵になろうと、僕のものは誰にも奪わせない。

 準備はちゃくちゃくと進んでいる。力を手に入れるための準備が……。

 

 

 クィディッチの試合が始まると、ハリーは獅子奮迅の大活躍だった。

 一度、スニッチが姿を現せば絶対に逃がさない。

 恐れを知らぬかの如き地面スレスレまでの急降下、時には相手のシーカーを弾き飛ばす力強いプレイ。

 ハリーを加えたスリザリンチームは正に歴代最強を名乗るに相応しい強豪チームへ進化を遂げた。

 圧勝につぐ圧勝。緑のユニフォームを纏い、スニッチを掲げるハリーを見て、誰もが思った事だろう。

 彼が自分達の寮に入っていてくれたら、スリザリンの連続優勝を阻止出来たかもしれないのに、と。

 誰もが認めた。

 ハリー・ポッターはただの名前だけ有名な無能ではない。最高のクィディッチ選手である。



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第六話「秘密の部屋」

 ようやく念願が叶った。広々とした部屋の中心に置かれている一冊の日記帳から一つの『意思』が消滅したのだ。

 既に季節は春を過ぎ、夏を迎えようとしている。思った以上に時間が掛かった。

『僕はただ、認められたかっただけなのに……』

 精神が完全なる死を迎える直前、日記帳に刻まれた一文。それがゆっくりと消えていく。

 三位一体が崩れた事で日記自体に異変が起こり始めた。

 分霊箱を破壊する方法は分かっているだけで二つ。バジリスクの毒と悪霊の火だ。

 どちらも強力な守護を打ち破る『破壊の力』によって媒体を破壊する。

 分霊箱の媒体は三位一体の『肉体』の役割を担っている。それが壊れる事で分霊箱としての機能が失われるのだ。

 だが、どうやら『肉体』を破壊しなくても、三位一体を崩す事さえ出来れば分霊箱は破壊出来るらしい。

 日記帳から夥しい量のインクが溢れる。やがて、そのインクは人の形を作り上げた。

 虚ろな目をした青年がどこか遠くを見つめている。

 徐々にその体が空気に解けるように消えていく。

「……カプテムアニマ」

 呪文を唱えると、消滅する筈だったトム・リドルの霊魂が小さな光の玉になった。

 僕はその魂に杖を向け、ゆっくりと自分の胸へ誘導した。

 彼の魂が完全に僕の中へと消えた瞬間、目の前が真っ白になった。

 

 

 気が付いた時、僕はリジーに介抱されていた。

「何時間経った?」

「一時間程でございます」

 意外と短い。霊魂の融合は精神や肉体にも大きな影響を及ぼすから、適応までに時間が掛かる筈なのに。

 人間だったからなのか、分霊箱の霊魂があくまでも本体から切り離された一部だったからなのかは分からない。

 しばらくの間、僕は自問自答を繰り返した。今の僕が完全にドラコ・マルフォイであり、トム・リドルではない事を確認する為だ。

「……大丈夫そうだな」

 僕は杖を振った。

「サーペンソーティア」

 杖の先から一匹の蛇が飛び出す。

『な、なんだ!? ここはどこだ!?』

 僕は歓喜に打ち震えた。

 分かるのだ。召喚した蛇が驚きの声を上げている事が。

『おい』

『え? 今、お前、オイラに『おい』って言ったか?』

 蛇はギョッとした様子で体をのけぞらせた。

『僕の言葉が理解出来るか?』

『おいおいおい!! オイラ、お前の言っている事の意味が分かるぞ! どうなってるんだ!?』

 素晴らしい。僕は蛇に消滅呪文を掛けて処分しながら満面の笑みを浮かべた。

 ハリー・ポッターが蛇語を話せる理由はヴォルデモートの魂の一部をその身に宿していたからだ。

 だから、出来る筈だと思っていた。

 だけど、成功するかどうか、不安が無かったわけじゃない。 

「行くぞ、リジー」

 魂が抜け落ちた『分霊箱だったもの』をポケットに仕舞うと、僕はリジーと手をつないだ。

 パチンという音と共に目の前に鏡が現れる。

 視線を下げると、蛇の紋章が刻まれた蛇口。ここは3階の女子トイレ。別名『嘆きのマートルのトイレ』だ。

『ちょっと!』

 背後からキンキンとした声が響いた。振り向くと、そこには半透明な女の子が立っていた。

「マートル・エリザベス・ウォーレンか」

『あら? 私の事を知っているの?』

 フルネームで呼ばれた事にマートルは目を丸くしている。

 僕は今、とても機嫌が良い。彼女に杖を向けて言った。

「いつまでも縛られているのは辛いだろ?」

『ちょ、ちょっと、何をする気なの!?』

「イータアシエンション」

 柔らかい光が杖から伸びる。これは意図的に作り出したゴーストを消滅させる呪文だ。

 どうやら天然物にも効果があったようだ。

『なに、この光……。なんだか、すっごく……落ち着く』

 マートルは静かに光の粒になって消えた。

 分類的には闇の魔術に属しているが、これは効力的に考えると魔法使いよりも僧侶が使いそうな魔法だ。

「安らかに眠るといい」

 僕は光の粒が完全に消え去るのを待ってから蛇の刻印に視線を戻した。

「さてと……、『開け』」

 蛇口が白い光を放ちながら回転し始めた。

 みるみる内に洗面台が地面へ沈み込み、太い配管の丸い口が剥き出しになった。

 迷わずにリジーと共に穴へ飛び込むと、暗く長い滑り台を延々と下り続けた。

 やがて、管の勾配が平になった途端、広い場所に放り出された。

「ご主人様、ここが?」

「そうだ。 秘密の部屋だよ、リジー。さあ、奥へ進もう」

 仄暗い洞窟には動物の骨がそこかしこに散らばっている。

 しばらく進むと、巨大な蛇の抜け殻と直面した。

「こ、これは……」

「バジリスクの抜け殻だ。この部屋に封印されている魔獣だよ」

「バジリスクですか……? ご主人様はそれを……」

「ああ、手に入れる。もっとも、本当の目的は秘密の部屋自体だけどね。でも、バジリスクは色々と便利だ」

「は、はあ……」

 更に進んでいくと、そこに丸い扉が見えた。絡み合う二匹の蛇が刻印されている。その瞳には大粒のエメラルド。

「リジー。君はここで待っていてくれ」

「え? で、ですが……」

「一筋縄ではいかないかもしれないからね」

「……どうか、ご無事で」

「ありがとう」

 リジーは本当にいい子だ。目玉を僕に捧げた日から、その忠誠がブレた事は一度もない。

「さて……、『開け』」

 扉が開く。僕はリジーに軽く手を振りながら奥へと踏み込んだ。

「ここが秘密の部屋か……」

 ほのかに明るい部屋に出た。

 幾つもの石柱が立ち並んでいて、そこに二匹の蛇が絡み合う様が刻印されている。

 天井はあまりにも高くてよく見えない。

 一番奥へまでたどり着くと、壁を削って作った魔法使いの像が見えた。

『何者だ?』

 不意に声が響いた。辺りを見回しても声の主の姿はどこにも見当たらない。

『私を探しても無駄だ。それよりも答えろ。汝は何者だ? ここを偉大なる魔法使い、サラザール・スリザリンの領域と知って踏み入れたのか?』

『そうだ』

 僕は蛇語で答えた。

『僕の言葉を理解出来るな? 蛇の王よ』

『お前は私を知っているのだな。ならば、答えよ。汝は何者だ?』

『僕はドラコ。スリザリンの新たなる継承者だ』

 その瞬間、目の前の地面から巨大な生き物が現れた。巨大な蛇だ。

 念の為に目を瞑ると、バジリスクは言った。

『汝、双眸見開きて、我を見よ』

 僕はゆっくりと瞼を開く。すると、目の前に蛇の頭があった。

 瞼を閉じている。

『我は古の契約により、スリザリンの継承者に仕える。ドラコよ、汝は資格を示した。必要とあれば呼ぶがよい。我は常に汝の隣に潜んでおる』

 蛇が地面へ沈み、消えた。

 思わず、膝を屈してしまった。蛇の顔を見た瞬間、死んだかと思った。

 全身が震えている。

「クハッ」

 僕は嗤った。

「ハハ……、アハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

 手に入れた。最強の力と秘密の部屋。

 こんなにアッサリと。

『バジリスク。僕の声が聞こえているかい?』

『聞こえている。汝、何なりと命じるが良い』

『そうだな……。まずはお前に名前をつける。今後はそれを名乗れ』

『人は個を識別する為に記号を必要とする。汝の思うがままに』

『……お前の名は『シグレ』だ』

『承知した』

『シグレ。これより、この部屋の主は僕だ。これから客人を連れて来る事もあるが、その者達に危害を加える事を禁じる』

『承知した』

 僕はシグレに秘密の部屋の事を詳細に聞いた。

 蛇の王と呼ばれ、長い年月を生きたバジリスクは知性も相応に備わっているらしい。

 この部屋の成り立ちや使い方を色々と教えてくれた。

 どうやら、秘密の部屋へ入る方法はマートルのトイレ以外にも色々とあるようだ。

 

 僕はリジーを呼び、バジリスクに教えてもらった秘密の部屋にある継承者の部屋を訪れた。

 そこには大量の書物と実験に使われた器具や生物の標本が無数に飾られていた。

 本棚から適当に一冊引き出すと、そこには必要の部屋で手に入れた本以上の闇の知識が詰まっていた。

 他にも歴代の継承者が綴った研究資料や医学書などもあった。

 その部屋にいるだけで時間があっという間に過ぎてしまうくらい、素晴らしい空間だ。

 

 秘密の部屋内には他にも牢獄のようなものやスリザリンの遺した財宝があった。

 中には歴代の継承者が遺したものもあるみたいで、面白そうなものがわんさかある。

「リジー。ここに姿現しは出来そうかい?」

「大丈夫です」

「オーケー。じゃあ、明日までにマグルを一匹捕らえて牢獄に繋いでおいてくれ。出来るだけ遠くから攫ってくる事。いいね?」

「かしこまりました。性別や年齢はいかがしますか?」

「……そうだな。性別は不問とするが、年齢は十代後半から三十代前半までにしてくれ」

「かしこまりました。では、行ってまいります」

 バチンという音と共にリジーが姿を消す。

 僕は再び継承者の部屋に戻ると、緑の瞳を持った二匹の絡み合う蛇の刻印が刻まれている奥の扉に手を掛けた。

 脳裏にスリザリンの寮の近くにある秘密の抜け道を思い描き、扉を開いた。

 すると、扉の出口は秘密の抜け道の途中に出現した。扉を閉めると、一匹の蛇だけが壁にひっそりと残った。

 通路自体、光源が無いからとても暗く、よほど注意していても刻印の存在に気付けないだろう。

「二年目が終わる。来年、物語通りならシリウス・ブラックが動き、ピーター・ペティグリューを狙う筈。その結果、ピーターが逃げ出し、ヴォルデモートの下へ向かう筈」

 途中でイレギュラーが起こらない限り、ヴォルデモートはピーターが手元に戻った時点で復活を図る筈だ。

「さて……、これからどう動くべきかな」

 いずれにしても、力が必要だ。バジリスクを手に入れたが、それでもまだまだ足りない。

 あの継承者の部屋の知識を全て得る。その為に実験を繰り返す必要がある。フリッカやエドにも手伝ってもらわないとね。

 出来ればヴォルデモートとダンブルドアに互いを消耗させ合ってもらう。そして、チャンスが来たら両方を始末する。

 そして、僕は……、

 

「理想の世界を作る」



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第七話「双竜」

 ロンドン南東部の街、ウーリッジ。そこは犯罪と暴力が渦巻く英国の吹き溜まり。

 人口の半数が移民であり、百以上の言語が飛び交う。

 貧困と格差、そして、宗教。争いの種は常にそこかしこに散らばっていた。

 ジェイコブ・アンダーソンはその街で育った。十二歳という若さで全身に無数の傷を刻んでいる。

 喧嘩に明け暮れる毎日。瞳をギラギラとさせながら、常に獲物を探している。抜身のナイフのような少年だ。

 そんな彼にも心を許す事が出来る人間が一人だけいる。

「ジェイクは相変わらず無茶ばっかりするね」

 マリア・ミリガンは自らの悲惨な境遇を物ともしない芯の強い少女だった。

 娼婦である母親から商売道具として育てられた彼女は人という種族の暗部をそれこそ、善悪の区別がつく前、物心ついた瞬間から理解していた。

 世の中には二通りの人間しかいない。

 道具と道具を使う人。彼女は自分自身を人に使われ、消費されるだけの道具なのだと考えていた。

 

 ジェイコブとマリアが出会ったのは母親同士の喧嘩が切欠だった。

 喧嘩の発端は驚くほど低俗な理由。

 当時、七歳のジェイコブは心の底から母親を軽蔑していた。どうか、取っ組み合いでもして、頭を路肩にでもぶつけて死んでくれと本気で願った。

 街灯に背を預け、醜い女同士の罵り合いを俯瞰していると、隣に一人の少女がしゃがみ込んだ。

「……わーお」

 一目見た瞬間、ジェイコブは恋に落ちた。

 マリアは生まれた瞬間から男を誑かすためだけに育てられて来て、当時既に男を知っていた。

 その色香はとても同世代の少女が出せるものではなく、粋がっているとは言え未成熟な少年であったジェイコブには抗い難い魅力を持っていた。

 親の喧嘩を無視してジェイコブはマリアに話し掛けた。

「君、名前は何て言うんだい? どこに住んでるの? 今、フリーかい?」

 捲し立てるように話し掛けて来るジェイコブにマリアは驚いていた。

 同世代の子供と会話をしたのはそれが初めての経験だった。

 夜の相手をしている大人達と比べて、格段に幼稚な言葉遣いと内容に思わず噴き出してしまった。

 それを話がウケたのだと勘違いしたジェイコブは有頂天になってマリアに抱きついた。

「ジェイコブ。私はいつも昼過ぎに一時間だけこの先の通りを抜けた所にいるわ。いつでも会いに来てちょうだい」

 別に話がウケたわけではないが、マリアもまたジェイコブを気に入っていた。

 彼の好意はあまりにもまっすぐで、そして、大人達が向けてくるものよりもずっと健やかだと感じたからだ。

 一日の内で貴重な休息の時間を彼との逢引に費やす程度の好意を抱いていた。

 

 そして、彼らの関係は今日で五年目になる。

 ジェイコブは既にマリアの仕事を知っている。

 彼女との逢瀬の一時間。それは他の顔も知らない男達が彼女に好き放題な事をしている合間の一時。

 その事に気が狂いそうな程苦悩し、そのストレスを暴力で発散していた。

 一度、彼女に仕事を辞めさせようと彼女の家に殴りこみを掛けた事がある。その時、彼は彼女の母親とその愛人達に立ち上がれなくなるほど殴られ続けた。

 そして、朦朧とする意識の中、彼女が嬲られる姿を見せられ、自分の非力さに絶望した。

 今日も哀しみと怒りを必死に心の底に仕舞い込みながら彼女との逢瀬の場所に向かった。

 だけど、そこに彼女の姿は無かった。

 彼女の家に決死の覚悟で突入しても、彼女の姿は無く、逆に彼女の母親から問い質され、血を吐くまで蹴られ続けた。

 ふらふらの状態で彼女を探したが、どこにもいない。

「マリア……。どこにいるんだ……」

 

 ◆

 

 秘密の部屋を訪れると、リジーは見事に仕事を完遂していた。

 スラム街に住む、移民の子供。居なくなっても誰も気にしない存在。パーフェクトな人選だ。

「……あなたは?」

 牢獄に足を踏み入れると、鎖に繋がれた少女は口を開いた。

「ここはどこ?」

「僕はドラコ。そして、ここは僕の研究施設だ」

 近づくと、何とも美しい娘だった。瑞々しい褐色の肌と大粒な黒い瞳。完成された美とはこの事だろう。

 リジーは審美眼も優れていたようだ。後で褒めてあげないといけないね。

 その瞳を見ていると吸い込まれそうになる。

 彼女にとって、今の状況はわけのわからないものだろうに、その瞳に揺らぎを一切感じられない。

「……驚いた。君は面白いな。この状況で恐怖を一切感じていない」

「感じる必要がありません」

「必要が無いだって? 誘拐された人間の言葉とは思えないな」

「だって、あなたは別に私に恐怖を感じてほしいなんて思っていないでしょ?」

 今度は本当に驚いた。意趣返しをされてしまった。

「なるほど……。僕も人間観察には自信を持っているが、君も中々だな」

「物心付いた時から仕込まれてきましたので」

 それから会話をしばらく続けていると、僕は彼女にどんどん興味が湧いた。

 驚く程豊かな知識と類稀な知性を持っている。話す度により長く話をしていたいと思わせる。

 そして、気付いた。

「……君は凄いな。まさか、この僕をマインドコントロールしようとはね。しかも、言葉だけで」

 僕の言葉に彼女は薄く微笑んだ。

「残念。あなたは思ったよりガードが堅い」

 まるで、母が子に向けるような優しい微笑み。敵意というものをまるで感じない、純粋な笑顔に僕はゾッとした。

 どうやら、リジーは思い掛けない大物を釣り上げてきたらしい。

「君の名前は?」

「……マリア。マリア・ミリガン」

「マリア。君は非常に興味深い存在だ。だから、その中身を見せてもらうよ」

「中身を……?」

 初めて、マリアは表情を強張らせた。

「安心しろ、マリア。別に頭部を切開するわけじゃない。それよりもずっと優しく、ずっと強制的な方法だよ」

 僕はマリアに杖を向けた。

「レジリメンス」

 呪文がマリアの心をこじ開け、彼女の精神が脳内に投影される。 

 エドワードに仕掛けた時よりも深く、彼女が生まれた瞬間から現在までの歴史を全て暴く。

 娼婦である母親が客の一人の子を孕み、その子供を商売道具として育てた十二年間のダイジェストを十分掛けて検分した。

 望まれずに生まれ、道具であれと育てられた歪な存在。

 それは僕がちょうど欲していたものだった。

「君を使い潰すのは惜しいな」

 僕はポケットから一枚の羊皮紙を取り出した。

 そこにはエドワードが考えてくれた美しい紋章が描かれている。

「お前を僕のペットにしてあげるよ。後遺症の残るような魔法は使わない。代わりに人を超えた存在にしてあげよう」

「魔法……? 人を超えた存在?」

 彼女の知性を持ってしても不可解な単語だったのだろう。

「光栄に思うがいい。この紋章を刻むのは君が最初の一人だ。ノータ インシグン」

 杖を彼女の腕に突き立て、呪文を唱える。

 すると、頭に思い描いた紋章がそっくりそのまま彼女の腕に刻まれていく。

 相当な痛みなのだろう、彼女は絶叫した。正体不明の存在に突然誘拐され、牢獄に繋がれて尚余裕を崩さなかった女の悲鳴。それは実に甘美なものだった。

 苦悶に歪める顔を愛でながら、僕は更に呪文を唱えていく。

「この紋章は首輪だ。君はもう逃れられない」

 刻まれた紋章に僕が触れると、彼女は再び絶叫した。

 紋章に注ぎ込んだ呪文の数は七つ。

 その内の一つが苦痛の再現と呼ばれる闇の魔術。人生の中で耐え難いと感じた痛みを脳内で再現する呪文だ。

 紋章を刻まれた者は僕が紋章に触れるか、眠る度にこの呪文が発動する。

 マリアは強い女だ。自らを道具であると自認しているが、その持ち主は母親のまま。

 手に入れるには今の持ち主が誰なのかを確りと理解させなければならない。

 更なる苦痛を覚えさせ、毎夜の如く濃厚な苦痛を思い出させ続ける。

「一月後、忠誠を問う。その時にお前が僕に永遠の忠誠を誓うなら、その苦痛を軽くしてやろう」

 僕は彼女の体に通電による痛みと火による痛みと窒息による痛みを教え、牢獄を後にした。

 一月後まで精神が壊れていなければ、彼女を使って色々と実験してみるつもりだ。人という種の限界を超える実験を……。

「期待しているよ、マリア・ミリガン」

 

 

 丸一日探し回っても彼女を見つけ出す事は出来なかった。

 ここはスラム。年若い女は格好の獲物だ。いつの間にか行方不明になっている人間なんて、幾らでもいる。

 それでも諦め切れなかった。彼女は生きている。そう信じ、オレは彼女を探し続ける。そして、見つけ出す。

 これから先、何年掛かろうと、必ず……。

 

 一年後、ウーリッジにジェイコブ・アンダーソンの姿は無かった。

 彼がドラコ・マルフォイと出会う日まで、後……、■■■■日。



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第八話「ハーマイオニー・グレンジャー」

 魔法の世界はもっと夢と希望に溢れたものだと思っていた。

 レイブンクローに選ばれて、私は魔法使いもマグルと何も変わらない現実を知った。

 他の寮の事はよく知らないけど、この寮の生徒達はどいつもこいつも陰湿で嫌になる。

 一年生の時、二年生の先輩が虐められている所を目撃して口を出したのが運の尽き。それ以降、誰も私の名前を呼んでくれなくなった。

 前歯が大きい事をからかわれて、ついた渾名が『ビーバー』。物を隠される事も日常茶飯事。

 助けた先輩はと言えば、罪悪感など欠片も感じさせない顔で私をビーバーと呼びながら頭に紅茶を掛けてきた。

 レイブンクローは知性を重んじる寮だとホグワーツ特急で居合わせたドラコという少年が話していたけど、とんでもない。

 知性など欠片も感じない。あるのは貯め込んだ知識と他人を蹴落とすための悪知恵ばかり。

 ガリ勉のストレスを発散する為に毎年数名、新入生の中からサンドバッグを選ぶ伝統なんて、とても知性のある人間が作るものとは思えない。

 今年も新入生の中からターゲットが選ばれ虐められている。ルーナ・ラブグッドという女の子。渾名は『ルーニー』。

 腰まで伸びるダークブロンドと銀色の瞳が特徴的な可愛らしい女の子だけど、格好が非常に奇抜だった。

 バタービールのコルクで作ったネックレスと蕪のイヤリングはさすがにセンスを疑う。

 彼女が物を盗まれたり、悪口を言われている所を見掛けても、私は動く気になれなかった。

 あの二年生の先輩みたいに恩を仇で返されるだけだと思い、気力が湧かなかった。

 授業が終われば図書館に引き篭もり、夜になったら虐められている後輩から目を背けてそそくさと寝室に潜り込み、嫌味を言うルームメイトを無視して眠る毎日。

 気がつけば頭の中は他人への恨み事でいっぱいになっていた。

 いつから私はこんなに狭量な人間になったんだろう。

「魔法の世界はもっと夢や希望に満ちたものだと思っていたのに……」

 魔法学校もマグルの学校と何も変わらない。

 杖を振って物を浮かせたり、針をネズミに変身させても心にもやもやが渦巻いていて、ちっとも楽しくない。

「……うーん、アンタにとっての夢や希望って、具体的に何なの?」

 図書館で黄昏れていると、突然頭の上から声が降ってきた。

 慌てて振り返ると、そこにはルーナ・ラブグッドが立っていた。

「みんなが手と手を繋いで笑顔を浮かべてる?」

 ルーナは羊皮紙の隅に描いた私の落書きを見て首を傾げた。

 恥ずかしさのあまり、叫びだしそうになった。

「み、見ないでちょうだい!」

「あ、ごめん。でも、いい絵だね」

「うるさいわよ! 私に何か用なの!?」

 ヒステリックに後輩を怒鳴りつける私。吐き気がする。

 一番嫌いなタイプの人間になってる。

「怒らせちゃったかな……。ごめん。一度、アンタと話がしてみたかったの」

「話って何よ? どうせ、私があなたを助けなかった事が不満なんでしょ! 自分も虐められてる癖に同じ苦しみを後輩が味わってる事を知りながら何もしない、最低最悪な女だって!」

「……そう思ってるんだ」

 消えてなくなりたい。一人で勝手に盛り上がって、馬鹿みたい。

 一歳年下の少女が憐れむような目で私を見ている。

 悔しくて涙が流れた。

「アンタみたいな人、あんまりいないよ」

「ええ、そうでしょうね。こんな――――」

「優しくてかっこいい」

「最低な……って、はぁ?」

 意味がわからない。

「アンタ、私が今まで見てきたどんな人より優しいし、かっこいいよ」

「……馬鹿にしてる?」

「なんで? アンタ、馬鹿じゃないでしょ?」

 彼女はまっすぐに私を見つめている。私は居た堪れなくなった。

「馬鹿にしてるわ。だって、私のどこが優しくてかっこいいの?」

「去年、虐められてる先輩を助けてあげたって聞いたよ」

「ええ、確かに去年、私をビーバー扱いして、紅茶をぶっかける先輩を助けてあげたわね」

「あんまり居ないと思うよ。虐められてるからって、年上の人間を助けようとするなんて」

「馬鹿だったのよ。魔法の世界に夢を見てたの。正しい事がまかり通って当たり前な世界だなんて、幼稚な考え方をしていたのよ」

「でも、アンタに助けられた先輩が言ってたよ。『あの子も別に何も言わないし』って」

「何の話よ……」

 ルーナは夢見るような眼差しで言った。

「アンタに助けてもらったのに、どうして虐めに加担するのか聞いてみたの」

「はぁ!?」

 馬鹿じゃないのか、この子。

 あまりの事に唖然としてしまった。

「そうしたら、『別に助けて欲しいなんて誰も頼んでないわよ。あの子も別に何も言わないし、どうでもいいでしょ』だってさ」

「あ、あなた、そんな挑発の仕方をしたら!」

「カンカンに怒ってた」

「なんて考え無しな事をしたの!? 次に会った時、あなた! 何をされるか分からないわよ!?」

「別に気にしないもん」

「気にしなさいよ! ああもう、何て事かしら……。あの人、平気で淹れたての熱い紅茶を掛けてくるのよ。火傷して、マダム・ポンフリーへの言い訳を考えるのが大変だったんだから」

「アンタ、やっぱり優しいね」

「茶化してる場合じゃないでしょ!?」

「ううん。茶化してなんかいないよ。邪魔してごめんね。バイバイ」

「ちょ、ちょっと待ちなさい!」

 思わず大声で呼び止めてしまった。

 まずい、司書のイルマ・ピンスが厳しい目をコチラに向け歩いて来た。

「騒ぐのなら出て行きなさい!」

 追い出されてしまった。

「図書館で騒いだらいけないんだよ?」

「ええ、そうね。その通りだわ、オホホホホ」

 ルーニーの肩をガッチリ掴んで私は空き教室に彼女を引き摺り込んだ。

「あれ? なんだか目が怖いよ?」

「何でかしらねぇ? それより、ルーナ・ラブグッド」

「なーに? ハーマイオニー・グレンジャー」

「……あなた」

 彼女がやった事はやり方こそ少し違うけど、私が去年やった事と同じだ。

「どういうつもり?」

「なにが?」

「なにがって……、このままじゃ!!」

「うーん。失敗だったかもね」

「そうよ、大失敗よ! このままじゃ、去年の私みたいに……」

「話し掛けなければよかった」

 ルーナは溜息をこぼした。

「ハーマイオニー」

「な、なによ?」

「私は大丈夫だよ。だから、アンタも気にしないで放っておいてね」

 そう言って、ルーナは身を翻した。

「お・ま・ち・な・さ・い!」

 その腕を無理矢理掴んで引き戻す。

「えーっと……」

「ええ、あなたの言いたい事はとても良く分かるわ! 先輩達に喧嘩を売ったから助けて欲しいと!」

「別にそんな事言ってない……」

「リピート・アフター・ミー」

 彼女の両肩を掴み、極めて優れた発音で言った。

「私は助けて欲しい。はい、繰り返して!」

「……別に助けて欲しいわけじゃ」

「ノンノン。ルーナ。ルーナ・ラブグッド。そうじゃないでしょ? ちゃんとリピートしなさい。『私は助けて欲しい』」

「……ハァ。思ったより面倒な性格だね、アンタ」

「いいから、さっさとリピートしなさい!」

「……私は助けて欲しい」

「まったく、最初からそう言えばいいものを」

「とても不本意なんだけど、アンタ、どうするつもりなの?」

「もちろん、ルーナに対する虐めを止めさせます。ついでに私に対する誹謗中傷他色々全て!」

「どうやって?」

「それはこれから考えるわ。あなたと一緒に」

「わーお。レイブンクローの生徒とは思えない無計画っぷりにびっくり仰天!」

「そうと決まったら、さっさとアイデアを……」

 その時だった。急に教室の扉が開き、私は凍りついた。

「……あれ、ハーマイオニー?」

 ギギギと首を曲げて扉の方を見ると、そこには見覚えのある黒髪の少年が立っていた。

 ハリー・ポッターは私とルーナを見た。ちなみに今、私はルーナの両肩を掴み、顔を少し彼女の顔の方に寄せていた。

「……わーお。これはその……えっと、失礼しました」

 綺麗に腰を折り曲げてお辞儀をした後、ハリーは丁寧に扉を閉めた。

「…………私、すごく不本意な勘違いをされた気がするの」

 ルーナが哀しみに満ちた声で呟く。

 私は大急ぎで扉の外の勘違い男を部屋に引き摺り込んだ。

 間が良いのか悪いのか分からないけど、勝手な勘違いをして私達に不快な思いをさせた彼には少しの代償を支払ってもらいましょう。

 時間と知識を少々。

「あ、あの、僕は何も見てないよ? 本当だよ? あの、ドラコが待ってるからその……」

「シャラップ、ハリー・ポッター。シャラップよ。いいわね? お・だ・ま・り・な・さ・い!」

「イ、イエス、マム」

 ずり落ちたメガネを直して上げると、彼は全身をガタガタ震わせ始めた。

「と、ところで僕はこれからどうなるの? 生きて帰れるの? ねえ、何で答えてくれないの? 本当に何をされるの!? ああいや、やっぱり何も言わずに僕を寮へ帰して下さい!」

 あまりにもあんまりな反応に言葉を失っていると、ハリーはついに悲鳴を上げ始めた。

「ハーマイオニー。とりあえず、スマイル。顔が怖いってば」

 ルーナが言った。失礼な……。

 でも、確かにスマイルは必要かもしれない。ここ一年、硬い表情ばかりで笑顔を作った記憶が殆ど無い。

 満面の笑みを浮かべてハリーを安心させた。

「違う、そうじゃないよ」

 ルーナが戦慄の表情を浮かべる。どういう事だろう……。

 ハリーはもはやパニックを起こしている。

「助けて、ドラコォォォ!!」

「ちょ、ちょっと!?」

 すると、扉がバタンと音を立てて開いた。

「どうしたんだ、ハリー!」

 入ってきたのはドラコ・マルフォイだった。彼は教室の中の状況に目を丸くしている。

「え? これはどういう状況だ?」

 そのセリフは私が今まさに言いたくて堪らない言葉だ。

 本当にこれはどういう状況……?



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第九話「いじめ対策クラブ」

 油断していたのだろう。ハリーの献身と秘密の部屋の入手に浮かれていた。

 まさか、空き教室でハーマイオニーがルーナと密会していて、そこにハリーが突入するとは思わなかった。

「とりあえず、ハリーを解放してもらえるかな?」

 何故か分からないけど怯えきっている。

「え、ええ」

 ハーマイオニーが手を離すと、ハリーはよろよろと僕の所に歩いて来た。

「えっと……、どうしたの?」

「いや、雰囲気的にこういうノリがベストかなって」

「……そ、そう」

 ダンに毒されている。

 最近、秘密の部屋での実験に時間を掛け過ぎていて、ハリーとの交流の時間を中々取れずにいた。

 その間、ハリーはダンと一緒に居る事が多くなり、何というか、感覚的に動く事が多くなってしまった。

 僕が長い事時間を掛けて丁寧に染め上げたハリーをものの数日でフランクな性格に変えやがって……。

 クィディッチの事で話が盛り上がるらしく、気が付けば二人は旧知の親友同士のように仲が良くなっている。

「とりあえず、ノリで動くのは火傷の元だから程々にね?」

「う、うん。ドラコがそう言うなら……」

 良かった。まだ、僕の言葉は力を失っていない。

「それで、どういう状況なのか説明してもらってもいいかな?」

 僕が話の矛先を向けると、ハーマイオニーは少し迷う素振りを見せてから口を開いた。

「えっと……その、私達……実は……」

 歯切れが悪い。隣に立っているルーナが肩を竦めて彼女の前に躍り出た。

「私達、虐められてるんだよ。それをどうにかしたくて考えていた所にハリーが飛び込んできたの。だから、飛び込みついでに相談に乗ってもらおうと思ったわけ」

「ちょ、ちょっと、ルーナ」

 慌てるハーマイオニーにルーナがやれやれと首を振った。

「さっきまでの勢いはどこにいったの?」

「いや、あれはその……」

 ハーマイオニーとルーナの関係が面白い事になっているね。

 物語ではあまり絡みの無かった二人だけど、ルーナの方が大人びて見える。

 いや、むしろ、ハーマイオニーの方が子供っぽく見えるというべきかもしれない。

「虐めか……」

 しかし、これは参ったね。ここまでストレートに頼まれてしまったら、断ったりしたら僕のイメージに傷が出来る。

「そういう事ならもちろん相談に乗らせてもらうよ。何と言っても、僕達は友達同士だからね」

 正直言って、ハーマイオニーの存在は僕にとってどうでもいい。彼女は物語上、ハリーとロンが壁にぶつかった時の相談役でしかない。

 穢れた血な上、自我がこの上なく強い彼女は手駒にも不適当だ。

 だけど、こうなってしまったら仕方が無い。ここは僕が『マグル生まれに対しても優しい人間』というイメージを植え付けておこう。

 ハリーの純血主義教育にあまり良い影響を与えてくれるとは思えないけど……。

「友達……」

 ハーマイオニーは照れたように口をすぼめた。

「とりあえず、詳しい事情を教えてもらえるかな? その上で対策を練ろう。ハリーもそれでいいね?」

「う、うん。もちろんだよ」

 僕達は空き教室の椅子にそれぞれ腰掛けて二人の話を聞いた。

 

 レイブンクローは思った以上に陰湿だ。

 まあ、物語中でも最終決戦の前にこぞって逃げ出そうとした連中だ。自己愛の強い人間の集まりである事は知っていた。

 しかし、これは非常に難しい問題だと言わざるを得ない。

「とりあえず、取れる選択肢は三つだね」

 既に出来上がってしまっている人間関係にメスを入れるわけだ。

 生半可な方法で解決出来る事じゃない。

「凄いね。聞いただけで解決法を思いつくなんて」

 ルーナが感心してくれるけど、そう大した案じゃない。

「一つは先生に出張ってもらう事だ。むしろ、今まで寮監がこの問題を放置していた事が問題だし、僕からスネイプ教授を通してダンブルドアに言伝を頼んでもいい。僕の父上は学園の理事を兼任しているから、確実に動いてもらえる筈さ。最悪、寮監を変えられるかもしれないけど、これからは寮内の陰湿な伝統は撤廃される筈だよ。ダンブルドアに逆らってまで虐めを続けようとする程骨のある人間なら、そもそも虐めなんて下らない真似はしないだろうし、これが一番最適な解決策だと思う」

 問題は色々とあるけど、彼女達の学園生活はずっと快適になる筈だ。

「むしろ、他に解決策なんてあるの?」

 ハリーが首を傾げる。

「あるにはあるよ。一応、先生に言いつける案にもデメリットがあるから、三つとも聞いてからどうするかを考えてみてくれ」

 僕の言葉にハーマイオニーとルーナが揃って頷く。

「デメリットについては後で話すとして、二つ目はコネを使って上級生を無理矢理動かす方法だ」

「どういう事?」

 今度はハーマイオニーが首を傾げた。

「僕はこれでもマルフォイ家の次期当主だし、僕の友人には魔法界に強い影響力を持つ家の者が大勢いる。そのコネを使って、上級生の家に圧力を掛ける。この方法だと一つ目とは違うメリットとデメリットが発生する」

「それって?」

 ルーナが問う。

「質問は最後に受け付けるよ。三つ目は長期的な考えになるんだけど、虐められないようにする事」

「えっと……、虐められないようにする方法を話し合ってる筈なんだけど?」

 ハーマイオニーが困ったように言う。

「今言ったのは方法じゃなくて、手段だよ。要は誰にも虐められないくらい強くなるって事さ。なにも暴力的になれって言ってるわけじゃないよ? レイブンクローは知性を重んじる寮だからね。学業の成績で学年トップを取れば、それだけで大きな発言権を得られる。後はその発言権を上手く活かせれば誰も君達を虐める事なんて出来なくなる筈さ。まあ、これは確実とは言えない上に少なくとも一年以上の時間が掛かる長期的な考えだけどね」

「それで、それぞれの方法のメリットとデメリットって?」

「一つ目の方法のデメリットは生徒の自治区である寮に学校からの介入を促してしまう事。これは学校の伝統や生徒の自由とプライバシーが侵害される。それに寮内での規定を定められ、窮屈な学園生活を送る事になるかもしれない。それに他の寮やこれから入学してくる新入生達にも影響が及ぶかもしれないね」

 僕としては一番最悪な方法だ。スリザリンの寮にまでダンブルドアの介入を許す事に成り兼ねない。

 だから、この方法を出来る限り選び難いように誘導する。

「二つ目の方法のメリットは学校側の介入無しで実行出来る事だね。レイブンクローの寮生にも旧家の出身者が大勢居るから、迅速に行動出来る点も優れている」

「デメリットは?」

「寮内がとてもピリピリする事かな。今まで我関せずを通して来た人間を無理矢理舞台に引き摺り出す方法だからね。正義がどちらにあるかは明確でも意見が二つに分かれた時点で人は争いを始める。そこかしこに軋轢が生まれて喧嘩が日常茶飯事になるかもね。虐めなんかよりずっと健全だけど」

「うーん……、難しいね」

 ハリーが腕を組みながら考えこむ。

「どの方法にもメリットとデメリットがある上に代償が大き過ぎる」

「普通に考えたら二つ目がベストだけどね」

 僕は言った。

「そもそも、目の前で虐めが起きているのに、それを見て見ぬ振りをしている人間も実際に虐めを行っている人間と何も変わらない。巻き込んだところで良心を痛める必要なんて無い」

「……うーん。でも、それって完全に人任せな方法なのよね」

 ハーマイオニーが苦悩の表情を浮かべて言った。

「一つ目と二つ目。どちらを選んでも僕は全面的に協力するつもりだよ?」

「ありがとう、ドラコ。でも、やっぱり……」

 ハーマイオニーは横目でルーナを見つめた。

「……いえ、そうね」

 何かを決意したかのように僕を見つめて口を開くハーマイオニー。

 その彼女の口をルーナが隣から押さえ込んだ。

「もがっ……!? な、何するのよ、ルーナ!」

「ハーマイオニー。アンタ、三つ目がいいんでしょ?」

「え?」

 ルーナの言葉に図星をつかれた表情を浮かべるハーマイオニー。

「でも、私の事を考えて妥協したんでしょ?」

「そ、それは……」

「アンタはアンタの思う通りにした方がいいよ。だって、アンタは頭がいいもん。自分の考え方を押し通した方が最終的に良い結果になると思うの」

「でも、ルーナ。あなた、これからずっと……」

「私は気にしないもん」

「学年トップを取るのだって、大変な事なのよ!?」

「私、アンタと一緒になら頑張れる気がする」

「……ぅぅ」

 これは決まったね。ハリーもクスリと微笑んでいる。

 どうやら、彼女は素晴らしい後輩に恵まれたらしい。

 結局、ルーナがハーマイオニーの背中を押して三つ目の方法を取ることになった。

「学年トップ……、取れるかしら」

 不安そうなハーマイオニーに僕は助け舟を出した。

「協力するって言ったよ? ここには去年の学年トップが居るんだから、頼ってくれないかな?」

 彼女は運が良いと言えるかもしれない。

 僕は計画がスムーズに進んでいる事と可愛いペットを手に入れた事で結構機嫌が良いのだ。

「い、いいの?」

「もちろんさ」

「スリザリンはみんな大悪党って聞いてたけど、アンタ達は違うんだね」

「あはは……。ハリー・ポッターの寮だよ?」

「あ、そっか!」

 ルーナはハリーを見つめて満面の笑みを浮かべた。

「あーあ。私もスリザリンに入れば良かったー」

「……同感」

 二人の言葉にハリーが吹き出した。

 さて、面倒事を抱えてしまったね。

「とりあえず、学年末で首位を目指そうか。それだけだと足りないだろうけど、まずは足掛かりだ。それから来年、全試験で首位を取る。それで漸く第一段階クリアだ。大変だけど、覚悟はいいかい?」

「もちろん!」

「が、頑張るわ!」

 二人が元気いっぱいの返事をすると、隣でハリーがボソリと呟いた。

「つまり、ハーマイオニーはドラコに勝たないといけないわけか……」

「あ……」

 その点については僕も少し困っている。ハーマイオニーに負けるという事はドラコ・マルフォイが穢れた血に負けるという事。

 それは僕の評判に傷をつける。

「……まあ、学年トップじゃなくても、レイブンクローでトップを取れば問題無いさ」

「ま、負けないからね、ドラコ!」

「お手柔らかにね……」

 僕も勉強に少し本腰を入れる必要があるかもしれない。

 彼女は本気を出せば満点を超えた点数を平気で叩きだすからね。



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第十話「人ならぬもの」

 勉強会のメンバーにハーマイオニーとルーナを入れた事にフリッカとアメリアが難色を示した。

 フリッカの方は単なるヤキモチだから問題無い。

 問題なのはアメリアだ。

 オースティン家は『聖28一族』にカウントこそされていないものの、魔法界でも有数の由緒正しい旧家だ。

 その家の長女であるアメリアは生粋の純血主義者であり、他のメンバーとは一線を画す程のマグル嫌いだ。

 ルーナはともかく、ハーマイオニーの事は『穢れた血のビーバーちゃん』扱い。

 ハリーの前では隠させているけど、彼女の本性は極めて苛烈だ。

「冗談じゃない。どうして、私達の輪に穢れた血を招かなければいけないの? 虐められている? 良い事じゃない。マグルの穢らわしい血が混じった魔法使いの紛い物なんて、とことんまで追い詰めて自殺させるか自主退校に追いやるべきよ。ドラコ、あなたが応援すべきはあのビーバーちゃんじゃない。賢明なレイブンクローの生徒達よ」

 他人が聞いたらマグル贔屓じゃなくても眉を潜める内容だが、これが彼女の本心だ。

 無理に付き合わせたらハーマイオニーやハリーの前で何を口走るか分かったもんじゃない。

 彼女のマグル嫌いはもはや生理的嫌悪感を感じるレベルだからな……。

 僕だって、ゴキブリと仲良くなれと言われても無理だ。

「……だが、一度交わした約束を取り下げる事は僕の沽券に関わる」

「でも!」

「なら、こうしよう。勉強会は一度解散して……」

「どうして!?」

 アメリアが泣きそうな声を出して叫んだ。

「なんで、マグル生まれの女なんかの為に私達が犠牲を払わないといけないの!?」

「……アメリア。別に犠牲という程でも無いだろう」

「ド、ドラコにとって、私達ってそんな程度の――――」

「ストップ。勘違いをしないでくれ」

 激情家でもある彼女が一度ヒートアップしてしまうと手間が掛かる。

 僕は彼女の頬に手を当てて目線を合わさせた。

「勘違いって……?」

「元々、勉強会を一度解散するつもりだったんだ。君達……、アメリアとフリッカとエドの三人に頼みたい事があったからね」

「頼みたい事?」

 彼女はドビーの躾に誰よりも嬉々として参加するくらいの生粋のサディストだが、僕に対してだけは犬のように従順だ。

 マグルの利益になる事以外の頼み事なら心の底から嬉しそうな笑顔を浮かべて引き受けてくれる。

 そう躾けたからね。

「フリッカとエドも呼ぼう。良い機会だから君達に見せてあげるよ。僕の秘密基地を」

「秘密基地?」

 僕はアメリアを待たせてフリッカとエドにだけ声を掛けて呼び寄せた。幸い、ダンとハリーはフリントによるクィディッチ必勝講座に熱心な様子で耳を傾けている。

 アンは部屋に居るらしい。彼女には下手に秘密を打ち明けてはならない。

 

 三人を連れて、僕は秘密の部屋へ向かった。寮の近くの隠し通路に作り出した隠し扉を潜ると、三人は目を見開き、僕の解説を待った。

「諸君。ここが伝説に名高い『サラザール・スリザリンの秘密の部屋』だ。

「ひ、秘密の部屋!?」

 アメリアは慄くように部屋を見回した。

「……この部屋が君の言っていた『準備』ってヤツかい?」

 エドの言葉に「まあね」と答えておく。正確に言うと、あの時言った準備云々は日記の霊魂を僕の中に取り込む事だけど、結果を出すのはこれからだから間違ってはいない。

「ドラコ……。ここで私達は何をすればいいの?」

 フリッカが問い掛けてくる。

「研究の手伝いだよ。やっぱり、一人だと手が足りないからね。こっちだよ」

 僕は三人を右側の壁面へ連れて行った。何もないように見える。

「『開け』」

 蛇語で唱えると、壁がゆっくりと動き、瞬く間に中へ繋がる通路が現れた。

「今のって……ッ」

「蛇語さ。詳しい事は中で話すよ」

 通路を奥へと進んでいく。ネットリとした空気が肌に絡みつき、何とも言えない不快感が募る。

 しばらく歩くと、三つの扉が現れた。

 扉の手前にはそれぞれ赤、青、黄色のランプが取り付けられている。

 僕は赤いランプの扉を開いた。

 中に入ると、奥から人のうめき声が響いてくる。

「な、なに……?」

 フリッカが僕の腕に絡みつく。可愛い反応だ。女の子はこのくらい臆病な方が可愛げがある。

 その顔がこれから更に歪む事を想像すると心が沸き立つ思いだ。

 更に奥へ進むとそこには牢獄の扉が並んでいた。

 三人が息を呑む音が聞こえる。

「中を覗いてごらん」

 僕が促すと、フリッカは一瞬だけ表情を引き攣らせた。

 だが、僕の言葉には素直に応じる。恐る恐る、牢獄の扉を開いた。

 その瞬間、フリッカは恐怖の表情を浮かべ、口元を押さえた。

 彼女の後ろから覗き込んだエドも表情を凍りつかせている。

 ただ一人、アメリアだけは表情を輝かせた。舌舐めずりしながら、中の様子を見ている。

「なに……、これ?」

 フリッカがやっとの思いで声を吐き出す。

「リジーに命じて捕らえさせたマグルだよ。実験台に使っている。そいつは治癒魔術の実験台だ」

 牢獄の中には一人の男が繋がれている。

 一見するとのっぺらぼうに見える。眼孔も口も耳孔も鼻孔も無い。

 だが、よく見れば壁に釘打ちされている右手の掌に口があり、動いている。うめき声はそこから出ていた。

 目も膝の辺りをよく見れば発見する事が出来るが、鼻と耳は体内にあるから見えない。

 最も目を惹く所は何と言っても胸から腹部にかけての部分だ。そこには体内の様子が分かるように皮膚をそぎ落として、代わりにガラスが嵌めこんである。

 人体模型をイメージすると分かりやすいかもしれない。

「この状態でも生きていられるんだから、人間って凄いよね。ついでに精神強度の実験もしてるんだ。闇の魔術には正気を失わせるものも多いけど、逆に正気を保たせる呪いもあるんだよ。彼は今の自分の状態を確りと理解し、その救いがたい現状に絶望しながらも正気を失わずにいる。声を聞かせてあげようか?」

 僕が杖を振ると、うめき声は確かな声となって辺りに響き渡った。

 口の付いている手を打ち付けた壁には設置型の結界が張ってあり、それを解除したのだ。

「殺してくれ!! こんな状態はもう嫌だ。痛いんだ!! 苦しいんだ!! お願いだ、殺してくれ!! 血と糞尿の匂いが四六時中するんだ!! ゴロゴロと耳障りな音が止まないんだ!! どうして、俺は正気を失わないんだ!? こんなの嫌だ!! 苦しい!! 助けてくれ!! 殺してくれ!! 誰でもいいから俺を早く――――」

 再び結界を起動させると周囲が静まり返った。

「どうだい? 未だに彼は元気いっぱいさ」

 僕はその後も牢獄に繋いである実験体達を順繰りにフリッカ達に見せて回った。

 十八の人格による肉体の奪い合い。

 地獄の苦痛を受け続けながら正気を保たせ続けたらどうなるかの実験。

 五感を全て失った人間はどうなるかの実験。

 魔法薬の被験体。マグルの薬物の被験体。

「君達に頼みたい仕事はこれらの経過観察がまず一つ」

 アメリアは大層嬉しそうに引き受けてくれたが、フリッカとエドは少し涙ぐんでいる。

「次はこっちだ」

 一度、三つの扉の所まで戻って来た。

 次に青いランプの部屋に入る。そこは赤いランプの扉の通路よりも大きな牢獄が並ぶ通路だった。

「ここでは思考実験を行っている」

 ここの牢獄は壁にガラスが嵌め込まれている。

「まだ、一つの実験しか出来ていないんだ」

「な、中の連中は何をしているんだ?」

 エドはガラス越しに中を覗き込みながら恐れるように問い掛けた。

「殺し合いだ。この部屋の五人は他人同士。一人だけ助けると約束して殺し合いをさせている」

 隣の牢獄は仲の良い家族だった者達。此方はリジーも確保に手間取り、結局、移民の三人家族という些か物足りないサンプルしか手に入らなかった。

 その隣は恋人同士。

 この牢獄の間にはココと赤いランプの通路の牢獄に繋いである実験台と合わせて二十人が収容されている。

 スラムや各国の魔法省の息の掛かっていない周辺国からヒッソリと集めているから中々思うようにいっていないのが現状だ。

 だが、贅沢も言えない。下手に魔法省に気づかれでもしたら全てが終わりだ。

「な、なんで、こんな事を?」

 フリッカが涙目になりながら互いを殺し合う人間達を見つめている。

「人間の思考をより深く理解するためさ。一つ目の部屋は一般的な倫理観の限界。二つ目の部屋は家族愛の限界。三つ目の部屋は情愛の限界を確認出来る。二つ目と三つ目は全員が生き残っているけど、一つ目は床に死体が二つ既に並んでいるだろ? これが三日間観察した結果さ。面白いと思わないかい? 最初の一日目、彼らは互いに協力し合って、ここから出て行こうと一致団結していたんだ。なのに、二日目で一人が殺され、一気に疑心暗鬼に満ち溢れ、三日目で更に一人死んだ事で実に緊張感に溢れた空間が形成された」

「……ドラコ」

「君達の僕に対する忠誠心はこんな貧弱な物ではないと信じているよ」

 微笑みかけると、エドワードは瞼を閉じた。

「もちろんだ、ドラコ。僕に開心術を使ってくれ。これを見て、君が僕をこの状況に叩き込んだとしても、僕の忠誠心は変わらない」

「良い心がけだ。レジリメンス」

 開心術を使うと、彼の言葉が正に本心である事を確信する事が出来た。

 素晴らしい。僕はアメリアを見た。

「君は? 僕に忠誠心を試させてくれるかい?」

「もちろん。むしろ、より深く忠誠を誓いたくなったわ。だって、ここは最高だもの」

 彼女の心もまた嘘偽りの無い本心を口にしたのだと実証してみせた。

「フリッカ」

「……ドラコ」

 フリッカの瞳は揺れていた。

「僕に愛を示してくれるね?」

「……はい」

 彼女の心は他の二人程完璧では無かった。彼女は罪悪感に苦しんでいる。今直ぐに彼らを解放し、その罪を自分の死で贖いたいとさえ思っている。

 だが、この状況は僕が望んだものだ。その事で彼女は苦悩している。僕の望みは彼女の中で何よりも優先されるのだ。

 例え、僕に理不尽な命令をされても……、それが『僕を楽しませる為に死んでみせろ』という命令であっても彼女は喜んで実行するだろう。

 それ程の深い愛情を抱いている。

 彼女の心は以前、粉々になるまで徹底的に壊された。それを癒してあげたのが僕だ。

 人としての倫理も良心も何もかも僕より優先すべきものなど存在しない。

 だから、彼女の事は誰よりも信頼出来る。

「……次だ」

 僕は最後の黄色のランプの部屋の扉を開いた。そこは一段と大きな部屋だった。部屋の中央には目と耳と口を塞がれ、全身を拘束具で包まれている一人の少女がいる。

 マリア・ミリガンはその状態にあって尚、僕達の来訪に気づき、僅かに動かせる首を振った。

「彼女は……?」

 フリッカの問いに僕は杖を振りながら答えた。

 呼び寄せ呪文によって、一冊の本が飛んでくる。

「彼女は実験体の中でも少し特別なんだ。というか、他の実験体は彼女を完成させる為のものなんだよ」

 本を開いて、フリッカ達に僕が書き込んだ実験内容を見せた。

「薬物の投与を行い肉体を強化し、魔法を使って強化のリスクを極限まで落とす。既に彼女は人を超越した身体能力を保有している。魔法を使わずに超人的な運動能力を発揮し、傷を負った猛獣の如き鋭い五感を持つ。もっとも、それでも魔法使いと戦わせたら負ける程度だ。だから、これから更に強化し、そして、精神に干渉して絶対に裏切れないように洗脳を施す」

「……ドラコ。あなたは何をするつもりなの?」

 フリッカが震えた声で問う。

 僕は微笑みながら答えた。

「もうすぐ……、後一年か二年でヴォルデモートが復活する。その時に戦力が必要になるからね。その用意というわけさ」



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第十一話「アナスタシア・フォード」

 ドラコ・マルフォイの取り巻きの一人、アナスタシア・フォードは黒髪と金の瞳が特徴のフォード家の四女。

 ちなみにフォード家はハリー・ポッターの祖母であるユーフェミアの血族。

 当代当主がマグル生まれ支持者であった為に聖28一族入りを許されなかったが魔法界の旧家の一つでもある。

 彼女もマグル生まれを差別しているわけではない。

 真面目な性格故にどんな情報も直ぐには鵜呑みにせず、満遍なく収集してから結論を出す彼女から言わせれば、既にマグル生まれが魔法界の中枢に入り込み過ぎている。

 純血の魔法使いのみで魔法界を動かすのはもはや不可能。

 つまり、今更そんな主張を振りかざした所で手遅れなのだ。

 実に合理的な考えだが、彼女がその答えに至ったのは年齢が一桁の時だった。

 彼女の両親は生粋の純血主義であり、三人の姉と二人の兄も親の主張が正しいと信じている。

 幼さ故の迂闊。彼女は自分の主張を家族の前で披露してしまったのだ。

 それからは無惨なもので、ドラコと出会った時、彼女は手酷い虐待を受けていた。

 ドラコが父親の用事に付き添い、フォードの家を訪れた時に出会った彼女の顔は十一歳の子供が作る表情ではなかった。

 何もかも虚しいと感じる顔で折れた腕を庇っていた。

『その怪我は?』

 ドラコの問いに答えは返って来なかった。

 それが当時の彼には堪らなく不快で、無理矢理聞き出した。

『兄に折られました』

 話を聞く内に彼女の思考回路が常人とかけ離れたものだと分かり、ドラコは彼女に興味を示した。

 彼女にとって、全ての人間がどうでもいい存在なのだ。親兄弟姉妹友人全てがどうでもいい。

 今でもそうだ。彼女はある意味でドラコにもっとも近い存在。

 全ての行動に計算が挟まっている。

 彼への忠誠も生きる上でそれが一番不利益が少ないと判断したが故のもの。

 本心からドラコを慕っているわけではない。

 いつものオドオドとした態度も偽物。それが他者との軋轢を一番生み難いと判断して作った偽りの人格だ。

  

 

 最近、一人になる事が多くなった。

 ドラコはハリーやダンと共にレイブンクローの女生徒達との交際に励んでいるし、フリッカ達は三人でこそこそと何かをしている。

 ぽっかりと時間が空いてしまった。

 学年末試験が終わり、勉強をする気にもなれない。

 別に寂しいわけじゃないけど、暇だ。

 談話室でボーっとしていると、誰かに肩を叩かれた。

 振り向くと、ビンセント・クラッブとグレゴリー・ゴイルが手持ち無沙汰の様子で突っ立っていた。

 この二人は苦手だ。何を考えているのか分からない。この二人と比べたらドラコの方がまだ分かりやすい。

「……えっと、何か御用ですか?」

 問い掛けてみても、「うー」とか「がー」とか言うばかり、トロールだってもう少し感情表現豊かな筈だ。

 これで人間だと主張するなら、せめて人語だけでもマスターして欲しい。

 獣の唸り声を理解する

 二人は私達よりも先にドラコの側近となった。私達が知らない頃のドラコを知っている。

 彼らならドラコがああいう風になったルーツを知っているかもしれないけど、聞き出すのは骨が折れそうだ。

「とりあえず……、ソファーに座って下さい」

 二人は小さく頷くと素直にソファーに腰掛けた。

 ドラコ・マルフォイはとても危険な思想の持ち主だ。上手く立ち回れば甘い汁を啜える程度に有能だけど、あの精神構造には未知の部分が多過ぎる。何かミスをして、彼の牙が此方に向くような事だけは断固として避けなければいけない。

 彼は人間を同じ種族と見なしていない。恐らく、家畜程度の認識しか持っていない。かの闇の帝王だって、もう少し温厚だったと思う。少なくとも、自らに忠誠を誓う者には寛容だったと聞く。

 ドラコは彼に愛を捧げているフレデリカでさえ、いつか自分の為に殺してしまいかねない。

 悪辣とか冷酷とかではない。そこが何より問題だ。

 肉屋が家畜の肉を何の感慨も無く解体するように彼は人間を使い潰す。

 それを隠すだけの理性と知性を併せ持っているから厄介極まりない。

「あの……、二人に聞いてみたい事があるんですけど」

 彼の両親に何度か会った事がある。マルフォイ夫妻は至って普通の夫婦だ。純血主義者であり、貴族階級の人間としては至って平均的な人格を維持している。

 その二人の間で育った彼がどうしてああいう人格を形成するに至ったのか、その謎を捨て置く事は出来ない。

「二人はドラコと一番長い付き合いですよね? ちょっと、昔のドラコの事を聞いてみたいのですが……」

 いつもの演技の仮面を被りながら問い掛けてみた。

 すると、二人の顔が一瞬にして土気色に変わった。よく見ると、少し震えている。

「ど、どうしたんですか?」

 目を丸くする私の前でクラッブがゆっくりと口を開いた。

「ば……」

「ば?」

「化け物……」

 あまりにもストレート過ぎる言葉に私が狼狽えてしまった。

「化け物って……」

「あれは怪物。逆らえば殺される。殺されるよりも酷い目に遭わされる」

 私は慌てて周囲に視線を走らせた。

 誰もいない。試験が終わった解放感から、みんな外に出て遊んでいる。

 安堵した。

「クラッブさん! 幾らなんでも言い過ぎですよ。こんな場所で……」

 こんな場所。その言葉にクラッブは恐怖の表情を浮かべた。

「ご、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」

 ざめざめと涙を流し始めた。見ればゴイルも顔をくしゃくしゃにしている。

 私がドラコと出会った時、既に彼は言葉で人を誑し込む術を身に付けていた。

 だけど、その技術を身に付けたのはいつ? その前はどうやって人に忠誠心を植え付けたの?

 彼らはきっと、ドラコ・マルフォイの真なる闇を目撃した事があるに違いない。

「ごめんなさい。何か、悪い事を聞いてしまったみたいね。大丈夫よ。ここで聞いた事を私は他言しない。だから、あなた達も忘れてしまいなさい。今日、ここでは何も起こらなかった。そうでしょ?」

 二人は必死な顔で頷いた。

 あまり踏み込み過ぎるとドラコの逆鱗に触れ兼ねない。けれど、時間を掛けてでも聞き出すべきだと思った。

 今はここまででいい。

 別にドラコと敵対したいわけじゃない。私はドラコと良き友人関係を続けていきたいだけだ。

 彼が私に利益を齎してくれている限りは……。

「ところで、私に用があったのでは?」

 問いかけると、二人は再びトロールに戻ってしまった。

「さっき、普通に喋ってたじゃないですか!?」

「……ドラコに『お前達はアンと一緒に遊んでいろ』って言われた」

 ゴイルが言った。

 前から思っていた事だけど、ドラコの二人に対する態度はかなり冷たい。

 それでも裏切らないと信頼しているのかそれとも……。

 私に対してもフリッカ達と比べると冷たい気がするけど、そもそも私が本心から彼に従っているわけではないと、彼自身も知っているから仕方がないと理解している。

 けど、蔑ろにされている者同士、少しは優しくしてあげるべきかもしれない。

「チェスでもしますか?」

「……する」

「……うん」

 トロールから幼児レベルまで進化してくれただけ良しとしよう。

 ドラコ達が忙しくしている内に二人を完全に私の手駒にしておくのもいいかもしれない。

「ルールは知ってる?」

「……よく知らない」

「……ごめん」

「大丈夫ですよ。ちゃんと手解きしてあげます」

 ドラコの教育もあるのだろうけど、二人は実に素直だった。

 思ったよりも可愛げがある。私はジックリ丁寧に二人にチェスのルールを教えてあげた。

 それ以来、ドラコの命令が無くても、ドラコが居ない時は常に私の傍に控えるようになった。

 なんてチョロ……、良い子達なんだろう。

 

 

 学年末。寮対抗杯は当たり前のようにスリザリンが獲得し、他の寮の生徒達からいつものように敵意に満ちた視線を送られた。

 その翌日、荷物の整理を終えた私はドラコ達を待つために談話室で寛いでいた。

 そこに一人の少年が近づいて来た。

 セオドール・ノット。一匹狼の彼が話し掛けて来るとは驚き。

「アナスタシア・フォード。ちょっと、いいかな?」

「……どうしたのですか?」

 仮面を被って応対すると、やや予想外の事を言われた。

「夏休み中、君を我が屋敷に招待したいんだ」

「……私をですか?」

 目的が分からない。彼はドラコとさえ交流が殆どない人だ。

 私もこうして彼と会話をしたのはこれが初めての事。

「ああ、色々と話をしてみたくてね」

 怪しい。この男は頭が切れることでも有名だ。

 何か裏があるに違いない。

「……申し訳ないのですが」

「以前、ここで君は友人と何やら話し込んでいたね」

 鳥肌が立った。

「何の話ですか?」

「……別にドラコに密告しようとか、君を脅そうとか考えているわけじゃないよ。ただ、色々と話がしたいだけさ」

「話とは……?」

「いろいろさ」

「いろいろ……ねぇ」

 どうやら、私に拒否権は無いようだ。

 だが、ドラコとはまた別のベクトルで危険な香りのする男の家に一人で乗り込むのは不安で堪らない。

「友人を一緒に連れて行ってもいいですか?」

「……それは遠慮してほしいな。僕は君に来て欲しいんだ」

「……ですよね」

 ノットが去った後、私は深い溜息をこぼした。

 私の周りに居る男達はどうしてどいつもこいつも頭のネジが一本外れているような連中ばかりなんだろう……。



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第十二話「真実を求める者達・Ⅰ」

 この世には常識では説明出来ない摩訶不思議な事件が数多く存在している。

 例えば、十年ほど前の話になるが、いくつかの村から村人が集団失踪を遂げ、その行方は今も不明のまま。

 他にも飛行中に突如旅客機が消息不明になり、数日後にそこから数百キロも離れた場所で発見された例もある。

 これらはイギリス国内で起きた事だ。他国に目を向ければ、それこそ数え切る事など不可能な量だ。

 一連の事件には幾つかの共通点があり、殆どの場合、被害者及び周辺区域に住む住民の記憶に異常が見られる事。

 そして、警察組織及び、それに類する組織に圧力が掛けられ、捜査の続行を阻止される事だ。

「……胸糞が悪いな」

 ロンドン警視庁専門刑事部に所属するフレデリック・ベイン警視長は一冊の分厚いファイルに目を通しながら一人呟いた。

 若くして警視長の座についた彼には一つの目的があった。

 それは『真実』を識る事。

 十年前、村人が集団失踪を遂げた村の一つが彼の故郷だった。

 ゴーストタウンと化した村を彷徨い、廃墟と化した自らの生家を前に涙を流した。

 毎日大学に通い勉学に励む自分を尻目に幼馴染達は今も畑を耕し、面白おかしく生きている筈だと思っていた彼を打ちのめした事件。

 誰に何を聞いても理由を知る事は出来ず、失踪した村人達の消息も掴めなかった。

「そんな馬鹿な話があるものか! 百人以上の人間が失踪したんだぞ……」

 当時、他にも同じ事件が幾つも起きていた。

 事件の真相を掴むために警察組織に入った彼は当時を知る老齢の警察官に話を聞き、その事を知った。

 彼は悔しそうに顔を歪めながらフレデリックに話した。

『事件の糸口さえ掴めなかった。周辺の住民に聞いても村人の行方を何も知らないと言い張る。たった一晩で百人以上が集団失踪したのに、目撃情報一つ無いなどありえるものか!! 私は悔しかった。私だけでは無い!! ポールもマイケルもエドモンドもみんな躍起になって情報を探した。だが、何も見つからなかった!! 車は各家にそのまま!! 近くの山を虱潰しに探しても人影一つ見つけられない!! その内、上から急に捜査の中止を命じられた。理由は分からない。上司に抗議をしても無駄だった……』

 今読んでいる資料は彼から受け取った物だ。当時、彼が調べあげた内容や彼と親交のあった捜査官達の集めた情報をまとめたもの。

 他の資料を一切合切没収される前に密かに隠したものだと言う。

『国家ぐるみの犯罪かもしれん。故にこの資料の取り扱いには慎重に慎重を重ねなさい。君を真の正義を心に掲げる警察官だと信じて託すのだ。どうか、真実を解き明かしてくれ。私だけではない。当時の悔しさを知る多くの捜査官の願いだ。その為ならば我々は君に出来る限り力を貸す』

 資料を閉じ、フレデリックはいつものように地下に隠してある金庫の中へ資料を仕舞い込んだ。

 既に内容は頭の中に事細かく刻まれているが、資料を託してくれた先輩の警察官への恩義と自らの使命を忘れない為に時折こうして目を通している。

「……そろそろ出掛けないとな。今日はウーリッジの方に出向かねばならん……、頭が痛いな」

 ウーリッジ近郊は治安の悪さが尋常ではなく、無警戒に入り込めば身包みを剥がされ、下手をすれば躯を晒す事になりかねない。

 元々、軍需産業の工場が立ち並ぶ区域だったが、軍縮の煽りを受けて失業者が大量発生し、おまけに移民が大量に入り込んだせいで今や中国の九龍城と並ぶ程の魔都と化している。

 他の四人の警視長から『若者は現場を知るべきだ』という御高説と共に命じられたスラムの視察にフレデリックはついつい溜息をこぼしそうになる。

 だが、警察官としての勤めを疎かにするわけにはいかない。更に出世して、『真実』に手を伸ばす資格を得る為にもっと働かなくてはならない。気を引き締めた。

 

 

 フレデリックがウーリッジを視察する為にグリニッジ警察署を訪れると何やら揉め事が起きていた。

 どうやら、一人の少年が受付で何やら喚き立てているらしい。

「これは何事かな?」

 近くに居た署員に話しかけると、その内容は何とも物々しく、それでいて微笑ましいものだった。

 少年のガールフレンドが行方不明になったのだ。連れ去ったのは妖精らしい。

 受付の女性職員が困り果てているのを見て、フレデリックはお節介を焼く事にした。

 署長への挨拶とウーリッジ近郊をパトロールしている警察官から話を聞く予定だったのだが、大分早く到着してしまい、どうしたものかと困っていた所だ。

「坊や、どうしたんだい?」

 声を掛けて、フレデリックは軽い驚きを覚えた。

 歳はまだ十歳前後だろうに、その目は子供とは思えない程ギラギラしている。

 とても『妖精』などというファンシーなものを信じているようには見えない。

「マリアが妖精に攫われたんだ!! 本当なんだよ、信じてくれ!! 目撃者が居るんだ!!」

 あまりにも必死な形相にフレデリックは表情を引き締めることにした。

 十年前。村が大きな事件に巻き込まれたに違いないと声高に叫ぶ彼の訴えを大人達は子供だからという理由で相手にしなかった。

 子供だから。そんな言葉を吐く者に真実を得る事など出来ない。

「詳しい話は私が聞くよ」

「あ、あんたは……?」

「私はフレデリック。これでも階級はこの署の誰よりも高いよ」

 そう肩の階級章を見せながら、フレデリックは少年に微笑みかけた。

 安堵と罪悪感の入り混じった表情を浮かべる女性署員に軽くウインクを飛ばし、フレデリックはそのまま少年を署から連れ出し、近くのレストランへ連れて行った。

「好きな物を選びなさい」

「い、いいのか?」

 疑わしそうな目を向けてくる少年にフレデリックは「もちろん」と答えた。

 料理とジュースが運ばれてくると、少年は初めて子供らしい表情を浮かべた。

「あの……」

「話は食事が終わってからにしよう」

「お、おう」

 よほど腹が減っていたのだろう。少年はゆうに三人分はあるだろう料理をペロリと平らげた。

 

 食後のコーヒーを啜りながら、フレデリックは彼から詳しい話を聞いた。

 少年の名前はジェイコブ・アンダーソン。ウーリッジのアパートメントに娼婦の母親と二人で暮らしているらしい。

 彼の子供とは思えない眼光の正体が分かり、フレデリックは少しだけ悲しくなった。

 親に無償の愛を注がれ、友人と共に夢を語りながら馬鹿な事をするべき年頃なのに、彼は並みの大人が経験するよりもずっと過酷な環境を生き抜いている。

「マリアの客の一人があの日見てたんだ。マリアを誘拐する妖精を……。最初はすっとぼけてやがったけど、足腰立たなくなるまで殴ってやったら吐きやがった。いっつも俺達が会っている所を見てて、その事をアイツに……」

「そうか……」

 聞いていて腸が煮えくり返ってくる。

 幼子が性を売り物にさせられるというスラムで常識的に起こっている事。それが堪らなく腹立たしい。

 人間とは理性を持つ生き物だ。力無き者を食い物にするなどあってはならない。それがフレデリックの信じる世界の真理だ。

「まあ、二度と使い物にならないようにしてやったけどな」

 悪辣に笑う少年にフレデリックは微笑みかけた。

「よくやった」

「……アンタ、警察官のくせにそれでいいのか?」

 呆れられてしまった。

「コホン。内緒にしておいてくれ。大人はあまり本心を顔や口に出してはいけないものだからね」

「あいよ」

「それで、妖精と言っていたが、具体的にはどんな姿だったのかな?」

「……こんなヤツ」

 ジェイコブは一枚のチラシをテーブルに乗せた。

 そこには奇妙な生き物が描かれている。

 耳が大きく、目がギョロっとしている。

「これが妖精か……」

 ディズニーのティンカーベルとは比べ物にならないくらい不細工だ。

 夢も希望もあったものじゃない。

「手掛かりとなりそうなものは他に無いかな?」

「……なんにも。色々なヤツ殴ったけど、出て来たのはそれだけさ。俺だって……、本当はあんまり信じてない。だけど、本当に他に何もないんだ。わけがわからねぇ……。表通りで店構えてる奴らも客待ちのババァ共も誰も見てないって言うんだ……。それどころか、その時何をしていたのかも覚えてないって……」

「なんだと?」

 気付けばフレデリックは少年の両肩を掴んでいた。

「そう言ったのか!? 記憶が朧げだと!」

「お、おう」

 常識ではあり得ない事件。その共通項は周辺住民の記憶の異常。

 妖精はさすがに目撃者が嘘を吐いているか、もしくは幻覚を見たのだろうが、この少年のガールフレンドの身に起きた事は間違いなく十年前の事件と同じ性質を持っている。

「クソッ、時間が……。ジェイコブ! 今から渡すメモの場所に行きなさい。そこに私の知人が探偵事務所を構えている。既に警察組織を引退した男だが、君のガールフレンドが巻き込まれたような事件を追っている。私も後で顔を出すから彼を頼れ。連絡は入れておく。これを持っていけ」

 フレデリックは腕時計を憎々しげに見た後、財布から札束を出し、一枚の名刺を少年に渡した。そこには『レオ・マクレガー探偵事務所』と書かれている。

「いいか、必ず行くんだ。君のガールフレンドは必ず助け出す。私を信じてくれ」

「……ああ、わかった! アンタは俺の話をちゃんと聞いてくれた。俺はアンタを信じる」

 フレデリックは力強く頷くと、彼に探偵事務所への行き方を詳細に伝えた。

 

 ジェイコブと分かれた後、フレデリックは拳を握りしめた。

 この事件が必ずや十年前の事件の解決に結びつく筈だ。

 幼馴染達や親兄弟の顔を頭に浮かべ、彼は決意を燃え上がらせる。

「必ず掴んでやるぞ、『真実』を!!」



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第三章「アズカバンの囚人」
第一話「アズカバンの囚人」


 三年目が始まった。僕がもっとも好きな『アズカバンの囚人』の年。毎日『日刊預言者新聞』に目を通し、ウィーズリー家の人々の笑顔が映っている記事を見つけた時の歓喜は忘れられない。

 現在アズカバンという魔法界の監獄に投獄されているシリウス・ブラック。十二年前に起きた大量殺戮の犯人とされている人物だ。

 実は彼は無実であり、自らを陥れた男の存在をこの年の『日刊預言者新聞』を読む事で知り、脱獄してくる。

「……ハリーの後見人。彼の無実は必ず晴らす」

 僕がいつも憧れていた光景。

 シリウスはハリーの両親からハリーの後見人になって欲しいと頼まれている。

 本当の家族を失い、愛のない親戚の家庭で育ったハリーが初めて得る『愛してくれる家族』。

 原作では離れ離れになってしまったが、必ず一緒に暮らせるようにする。

「ピーター・ペティグリューを捕らえる事が出来れば、ヴォルデモートの復活を遅らせる事も出来る筈だ。それだけ力を蓄える時間が得られる」

 日刊預言者新聞をクシャクシャに丸め、僕は決意を新たにした。

「絶対に逃さない。今の僕が使える全ての駒を使ってでも……」

 家族は一緒にいるべきなんだ。子供は愛されるべきなんだ。

 それを邪魔するなら、誰だろうと排除する。

 だが、短慮は禁物だ。

 ピーターを捕まえる事が目的じゃない。

 シリウスの無実を証明する事こそが大切なのだ。

 その為にはピーターとシリウスをよく知る人物達を巻き込む必要がある。

 それも決定的瞬間を目撃するように……。

 

 手始めにギルデロイ・ロックハートをホグワーツから追放した。

 これは別に難しくなかった。もしかしたら、僕が何もしなくても追放されていたのかもしれない。

 単にホグワーツの理事を親に持つ生徒達全員を炊きつけたのだ。

『来年もロックハートに授業を習いたいと思う?』

 誰も反対意見を出さなかった。清々しいくらいの満場一致。

 父上もロックハートの授業のあまりの杜撰さに呆れ返り、ダンブルドアに抗議の手紙を送ったほどだ。

 理事以外の親達からもダンブルドアに手紙がいっている筈。

 それでも継続して雇用したいと思う程の魅力がロックハートにあるとは思えない。

 ダンブルドアも賢明な判断を下す筈だ。

 これでシリウスの親友であるリーマス・ルーピンが来る事になった筈。

 後は立ち回り次第だ。

 僕はハリー・ポッターの親友。それが既にホグワーツの生徒達全員の共通認識となっている。

 だから、僕がハリーの両親の死について調べていても変に勘ぐられる事はない。

 目的達成の為には物語を読んで得た情報を改めて収集する必要がある。

 

 

 ある程度必要な情報が揃った頃、日刊預言者新聞がシリウス・ブラック脱獄のニュースを報じた。

 それから更に数日が経つと、ハリーから手紙が来た。

 物語中では親戚のマージョリー・ダーズリーを膨らませる事件を起こす筈だったが、ハリーには予め、どうしても我慢出来ない事があったら遠慮せずに頼ってくるよう伝えておいた。

 それが功を奏したのか、ダーズリー家は至って平和な様子。代わりにハリーの中でマグルに対する憎悪が一気に膨れ上がり、手紙には怨嗟の言葉が延々と綴られていた。

 素晴らしい。既にハリーはマグルを下に見ている。手紙にはマグルという種族そのものを軽蔑しているかのような言葉もあった。

 僕は口元が緩むのを抑えきれなかった。

「……だが、ここでマグルに手を出して下手に罪悪感など抱かれては台無しだ」

 僕は計画の第一歩としてハリーを屋敷に招待するべく、迎えに行く事にした。

 完璧なマグルの格好と態度で『完璧な』挨拶をしてこよう。ダーズリー家の人々がハリーの目の前でどんな対応の仕方をするのか楽しみで仕方がない。

 

 出来る限りダーズリー夫妻の不興を買うために敢えて来訪の知らせは送らなかった。

 ハリーにはサプライズのつもりだったと言っておけばいい。ついでに『魔法界で』大人気のお菓子の詰め合わせも用意した。

 プリベット通りに到着すると、目的の家はすぐに見つかり、僕は意気揚々とチャイムを鳴らさずに扉をドンドンとノックした。

 魔法使いとしては当然の、マグルとしてはまともじゃない来訪の仕方をコンプリートしてみせる。

 中から不機嫌そうな足音が響いてきた。扉が開くと、鼻の穴を大きく膨らませた不細工な女が現れた。

「やあ、どうも」

 僕は相手を見下しきった口調で先手を打った。そのまま、返事も聞かずに中に入る。

「ハリーはいるかい?」

 綺麗に掃除してあるフローリングの床に足跡をつけながら中に入ると、ダーズリー夫人がキチガイ染みた声を張り上げた。

 罵詈雑言の嵐を聞き流し、僕は丁寧に磨かれた調度品を素手で触った。

「安っぽいね」

 ヒステリックな悲鳴が木霊した。

 その声に反応して、上の階から誰かが降りて来た。同時に奥の扉も開く。

「ハリー!!」

 夫人が階段を降りてくるハリーに険しい視線を向けた。それに対して、ハリーは実に冷たい目を向け、その後に僕を見て目を大きく見開いた。

「ドラコ!?」

「やあ、会いに来たよ、ハリー。君を我が屋敷に招待しようと思ってね。来るだろ?」

「もちろん!」

「なりません!!」

 二つ返事をするハリーの声を遮るように夫人が叫んだ。

「こんな礼儀を知らないボンクラとの縁なんて切りなさい!!」

「なっ……」

 ハリーは夫人の言葉に絶句した。

 その間に夫人は僕に対する罵詈雑言をこれでもかと披露してくれた。

 そこにアシスタントの如く登場したバーノン・ダーズリーとダドリー・ダーズリー。

 三人が繰り広げる茶番劇に僕は笑いを堪えるのが大変だった。

 必死に吹き出しそうになる口を押さえて哀しそうな表情をハリーに見せつける。

 効果覿面。ハリーはみるみる内に顔を真っ赤にした。階段を駆け上がり、一分後にトランクをガタガタ言わせながら降りて来た。

「行こう、ドラコ!」

 僕の腕を掴むと、ダーズリー一家にコレ以上ない憎しみの視線を向けると、家を飛び出した。

 大成功。あまりにも思い通りに行き過ぎて頬が緩みそうになる。

 いけない。ここは確りと傷ついた振りをしておかないとね。

「ごめん、ドラコ。“あの人達”が君に失礼な事を……」

 僕の家族という言葉すら口にしたくないようだ。

 僕は首を横に振った。

「いいや、僕が悪いんだ。君から話を聞いていたのに、どうしても君と会いたくて……」

「ドラコ……」

 感じ入った表情を浮かべるハリーに微笑みかける。

「迷惑だったかい?」

「そんな筈ないよ。君の顔を見れて嬉しい」

「ありがとう、ハリー」

 クスリと微笑むと、ハリーも微笑んだ。

 

 

 電車を乗り継ぎ、僕の屋敷に到着すると両親は以前と同じように仰々しくハリーを出迎えた。

 だけど、今回ハリーは前回と違い少し嬉しそうな表情を浮かべていた。

 それからの数日、僕達は夏休みの課題を片付けたり、息抜きにクィディッチの練習をしたりした。

 フリッカ達も招き、実に健全で学生に相応しい休日を過ごした。

 ちなみに秘密の部屋に監禁したマグル達はマリアを除いて全員死んでしまい、マリアの世話はリジーにやらせている。

 そして、夏休みが終わるまで後2日と迫った日、僕は彼らと共に紅茶を飲みながらシリウスの話を切り出した。

「シリウス・ブラックの事は知ってるかい?」

「ああ、アズカバンから脱獄したって聞いた。そんな事、あり得るのかな……」

 エドワードが眉間に皺をよせて言う。

「どういう事?」

 ハリーが聞いた。

「アズカバンには吸魂鬼がいるのよ」

 アメリアが言った。

「吸魂鬼?」

 ハリーが首を傾げる。

「吸魂鬼っていうのは人の感情を食べる幽鬼の事だよ」

 エドワードの説明にハリーはますます不可解そうに首をひねった。

「感情を食べるって、どういう事?」

「うーん。言葉にするのは難しいな……」

 エドワードは救いを求めるように僕を見た。

「感情というより精神だね。人を構成する三つの要素の内の一つを彼らは食べる。それも陽の気を」

「陽の気?」

「陰陽道を知ってるかい?」

 ハリーが首を横に振る。

「中国から伝わった概念なんだけど、森羅万象は陰と陽の二つの分類にカテゴライズされるらしい。精神もそうだ。陰と陽の気が混ざり合う事で精神は構成されている。要は希望とか喜びの感情が陽の気で、絶望とか哀しみの感情が陰の気だと理解してくれればいい。この内、陽の気のみを吸魂鬼は吸う。すると、精神は陰の気に満たされてしまう。陰陽の均衡が崩れれば、後に待っているものは崩壊という結末だ。この場合は精神の崩壊だね」

 羊皮紙に陰陽の図を描きながら解説すると、ハリーはなんとなくだが理解出来たみたいだ。

「アズカバンに収容された者は四六時中吸魂鬼に精神を吸われ続ける。故に囚人達は早かれ遅かれ精神崩壊を起こす。吸魂鬼を出し抜いて脱獄する気力なんて残る筈がないんだ。だから、みんな驚いているんだよ」

「そうなんだ……」

「ハリー」

 僕はハリーの瞳を見つめた。

 ここからが重要だ。慎重に言葉を選ばなければいけない。

「シリウス・ブラックは……、君の両親の親友だった男なんだ」



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第二話「シリウス・ブラック」

 シリウス・ブラックはハンサムで才気に溢れる人気者であり、僕の父親であるジェームズ・ポッターの親友だった男。

 彼らはいつも肩を並べて歩き、まるで兄弟のように通じ合う関係だったという。

 ドラコが口にするシリウスとジェームズの関係に僕は衝撃を受けた。

「シリウス・ブラックは犯罪者なんでしょ……?」

 大量殺戮の犯人。その恐ろしいイメージとドラコに貰ったアルバムの中で手を振るパパの親友というイメージが反発し合い、シリウス・ブラックという男の人物像が上手く想像出来ない。

 ドラコが僕の問い掛けた質問に深刻そうな表情で頷いた。

「……うん。しかも、彼は当時、闇の帝王の片腕として動いていたと言われている」

「闇の帝王って……、ヴォルデモートの!?」

 驚きのあまり声を張り上げてしまった。

 ヴォルデモート。僕の両親を殺した張本人だ。その片腕だった……? パパの親友が……?

 直後、頭の中に奇妙な声が響いた。

『リリー! ハリーを連れて逃げるんだ! ヤツだ! 僕が食い止める!!』

『どうして!? 何故、ここが……ッ』

『アイツが裏切ったんだ! それ以外に考えられない……、信じたくないが』

 それが誰の声だったのか考えつくより先にダンに肩を揺さぶられた。

「おい、大丈夫か?」

「え? あ、うん……」

 ダンに促されるまま椅子に腰掛ける。

 僕に紅茶を勧めながらドラコが話を続けた。

「もっとも、帝王の片腕云々は逮捕後に広まった噂だから鵜呑みには出来ないけどね」

「でも、ブラックは大勢の人を殺害したんでしょ?」

 未だに脳内にこびり付く奇妙な声を振り払いながら尋ねる。

「……僕にはそれがどうしても信じられないんだ」

「どういう事……?」

 ドラコの言葉に驚いたのは僕だけじゃなかった。エドワード達も不思議そうな顔をしている。

 現行犯逮捕だったと言ったのは彼だ。死体の山の中で高笑いをしていたと……。

 だけど、ドラコの言葉だ。彼は軽はずみな言葉を使わない。彼がこういう事を言うからには確信を持つに至る何かを掴んでいるという事だ。

 つまり……、シリウスは無罪?

「ハリー。僕は君の御両親の事を少し調べていたんだ」

「え?」

 突然、話が切り替わった。一瞬、ボーっとしていたから、その間に話題がシフトしたのかとさえ思った。

「君に生前の御両親の話をしてあげたくてね……」

「ドラコ……」

 不意打ちはやめてほしい。嬉しさのあまり頭の中が一瞬真っ白になってしまった。

 考えるべき事が多い中で思考停止に追い込む悪行を働いたドラコを軽く睨むと、彼はクスリと微笑んだ。

 どうあっても敵わない……。

「……その時に信じられない話を聞いたんだ」

「信じられない話?」

 ドラコが信じられないという言葉を口にするからには相当衝撃的な事を知ったのだろう。

 僕は耳を澄ました。

「君の御両親の結婚式の日、シリウスは新郎の付き添い役をしていた。その時に御両親から君の後見人になって欲しいと頼まれたらしいんだ」

「こ、後見人!?」

 衝撃は予想以上だった。寝耳に水とはまさにこの事。

 後見人とは保護者みたいなものだ。

 これまでの十三年間を思い出す。ダーズリー家で虐げられ続けてきた十三年間を……。

 だけど、ブラックが犯罪を犯さなければ、もしかしたら違う人生があったのかもしれない。

「ジェームズ・ポッター。君の御父上は誰よりもシリウスを信頼していたらしい。ホグワーツ在籍時の彼らを知る人からすれば、ジェームズとシリウスはまさに一心同体。互いの事を何よりも想い合っていたという」

「シリウス……。パパの親友……」

 頭の中で魔法使いの保護者の下で過ごす十三年間を夢想した。

 理不尽な事など言われない。暴力を振るわれない。狭い物置に閉じ込められたり、食事を抜かれる事もない。

 美味しい魔法界の料理を食べて、義父から魔法の手解きを受けて、箒を幼い頃から乗り回し、ドラコとの関係も違ったものになっていたかもしれない。

 助けられるばかり、喜ばせてもらうばかり、僕から何も返せない、恩義ばかりが累積する関係。

 パパとシリウスのような関係になれていたかもしれない事に深い哀しみが湧いた。

「ハリー。調べれば調べるほど、僕にはシリウス・ブラックが殺人を犯すような人間には思えなかったんだ。しかも、例の事件で犠牲になった人の中には彼の旧友もいた」

「旧友?」

「ピーター・ペティグリュー。学生時代、ジェームズとシリウスを慕って行動を共にしていた男だよ。臆病で思慮の浅い劣等生だったと聞く。彼は当時、シリウスと言い争いをしていたらしいんだ」

「言い争いを……?」

「……詳しい事はさすがに分からなかった。ただ、その言い争いの後、シリウスはアズカバンに投獄され、ピーターは指を数本残して消し飛んだ」

 指を数本残して……。

 自分の手を見ながらゾッとした。

「あまりにも残虐な犯行だ。それ故にシリウスの人物像と一致しない。友情を何よりも大切にしていた男らしいからね」

「……つまり、君は事件の真相が別にあると睨んでいるわけだね?」

 僕の言葉にドラコは小さく頷いた。

 その時点で僕の中でシリウスは無実となった。

「シリウスはアズカバンから何らかの方法で脱獄した。なら、彼は真相が真実であれ、嘘であれ、必ず君と接触しようとする筈なんだ」

「僕と……?」

「真実なら、君を再び殺す為だ。本当にヴォルデモートの片腕なら、ヴォルデモートを倒した君を殺したいと願う筈だからね」

 恐ろしい事を平然と言う。だけど、それは彼が真実ではないと確信しているからだろう。

「嘘なら、君に会いたいと願う筈だ。君は親友が遺した子供であり、家族も同然と考えているだろうからね」

 ドラコは言った。

「どちらにせよ、いずれシリウスは君の前に現れる。その時に真相を知る為には色々と準備が必要なんだ」

「準備というと?」

 それまで黙って聞いていたエドが身を乗り出した。

 当然のように協力する態勢を整えてくれている。

 フリッカとダンも真剣な面持ちでドラコの言葉に耳を傾けている。

 アメリアは何かを考えこんでいる様子だけど、きっと彼女も協力してくれる筈だ。

 僕の後見人の無罪を証明する事に。

「一つ目は万が一の事態に備えてハリーを守る手段を構築する事。二つ目はシリウスが無罪だという証拠を探す事」

「万が一って言うのは真相が真実だった場合の事かい?」

 エドが問う。

「それもあるけど、父上によればシリウス脱獄の一報を受けた魔法省がホグワーツに吸魂鬼を送り込む事を決定したらしいんだ」

「吸魂鬼を!?」

 これには全員が一斉に声を上げた。

 その性質を聞いただけでも恐ろしい怪物がホグワーツを跋扈する。

 背筋が寒くなった。

「だから、まずは全員に『守護霊の呪文』を覚えてもらう」

「守護霊?」

 僕が聞くと、ドラコは杖を一振りした。

「エクスペクト・パトローナム」

 すると、杖の先から白い光が溢れだし、その光が一匹の美しい蛇になった。

「これが守護霊だよ。高等呪文の一つだから、取得が難しいものだ。だけど、これを全員に絶対に覚えてもらう。如何に魔法省が管理していても、奴らは人を襲う化け物だ。いつ何時、その本性を露わにして牙を剥いてくるか分からない。これについてはハリーを守る為だけじゃない。君達全員を守る為に必須の技能だ。取得出来なかったなんて言葉は聞かない。絶対に取得しろ」

 ドラコは本気で吸魂鬼を脅威と捉えているらしい。

 僕達は確りと頷き、ドラコから守護霊の手解きを受けた。

 

 守護霊の呪文は幸福な感情を浮かべながら、呪文を唱える。

 簡単な事に聞こえるけど、僕は中々上手く出来なかった。

 ダンやアメリアも梃子摺っている。

「エクスペクト・パトローナム」

「エクスペクト・パトローナム」

 エドとフリッカの二人だけはあっという間に取得してしまった。

 二人の杖から飛び出した狼とウサギが部屋の中を駆け回る姿に思わず羨望の眼差しを向けてしまう。

「いいかい? 最も幸福だと思う事をイメージしながら杖を振るんだ」

 ドラコの言葉に僕は今までの人生の中で幸福だと思った事を順番にイメージしながら杖を振った。

 だけど、ホグワーツに向かう日まで続けた練習の成果は靄が少し飛び出す程度だった。

 魔法の存在を知った日の事。

 初めて杖を振った時の事。

 初めて箒に乗った時の事。

 どれも素晴らしい幸福な記憶の筈。なのに、どうして上手くいかないんだろう。

「ねえ、二人は何をイメージしたの?」

 躍起になって杖を振っても全然進歩しない事に嫌気が差し、嫉妬心を押さえて成功している二人に聞いた。

 すると、二人は揃って同じ事を口にした。

「ドラコと出会った事」

 一字一句違わずにハモった二人の言葉に僕は衝撃を受けた。

 それは二人が如何にドラコを慕っているのかを知ったからじゃない。そんな事は先刻承知している。

 僕が驚いたのはその守護霊呪文成功の秘訣に何の疑問も抱かず納得した自分自身だ。

 試しに杖を振ってみた。

「エクスペクト・パトローナム」

 すると、今までとは全く違う光景が目の前に広がった。

 一匹の牡鹿が部屋の中を飛び回っている。

「成功した……」

 ドラコとの出会い。それが今までのどんな記憶よりも幸福な事。

 そう気付いた瞬間、あまりの照れ臭さに頭を抱えそうになった。

 初めて出来た友達。僕に魔法界の事を教えてくれて、困った時はいつでも助けてくれる。

 この世の誰よりも尊敬し、この世の誰よりも慕っている相手。

「おお、これは何というか……、照れくさいな」

 どうやら、ダンも成功したらしい。馬の守護霊が寄り添っている。

「わーお。私って、思った以上にドラコの事が好きだったのね……」

 アメリアも目の前のカラスに引き攣った笑顔を向けている。

「……これは中々、嬉しいような恥ずかしいような……うーむ」

 ドラコも頬を少し赤くしている。

「ま、まあ、結果オーライという事で……。ホグワーツに向かう前に全員が取得出来た事は素晴らしい結果だ。みんな、よくやった!」

「ああ!」

「はい!」

「う、うん」

「お、おう」

「えっと……、うん」

 エドとフリッカ以外の歯切れが悪い。僕も……。

 いや、この空気は中々恥ずかしい……。

「そう言えば、アンは大丈夫なの?」

 アメリアが空気を入れ替えるように話を振った。

 アンは今回招かれていない。ドラコも誘ったらしいけど、来れなかったみたいだ。

「アンは用事があるみたいだから、折を見つけて覚えさせるよ」

「ドラコよりも優先するべき用事……?」

 フリッカが中々怖い目つきをする。

 金髪に蒼い瞳の天使のような愛らしさを持つ彼女の怒り顔はそれもまた可愛らしいけど、ドラコの事で怒った時は別だ。

 結構、怖い。

「……アンはノットから先に招待を受けていたんだ」

「ノット……?」

 あの不気味なノッポの事かな?

「セオドール・ノットがどうしてアンを?」

 アメリアも眼差しを鋭くして問う。

「そう警戒する必要は無いよ」

「……でも、アイツは不気味なヤツだ。何を考えているのかサッパリ分からない」

 ダンの言葉に誰もが頷いている。

「ノットは割りと分り易いよ?」

 なのに、ドラコだけは気楽に構えている。

「アイツが分かり易い? 誰とも関わらないで、ロクに喋りもしないヤツだぜ?」

「ノットは基本的に他人を信用していないだけだよ」

 ドラコが言った。

「同時にとても賢い男だ。恐らく、アンと接触したのはアンの事をある程度分析出来たからだろう」

「何が目的でアンを分析なんて……?」

 アメリアの疑問にドラコはクスリと微笑んだ。

「僕に近づく為だよ。以前から、彼からの視線を受けていた。恐らく、魔法界の裏側の情勢に気付いて、僕の陣営に入りたいと思っているんだ」

「裏側の情勢……?」

 僕は何の事だかチンプンカンプンだった。

「……ハリー。一年生の時の『闇の魔術に対する防衛術』の先生を覚えてる?」

「う、うん。一応……」

 クィレル先生のあのオドオドとした態度と独特な喋り方は中々忘れられない。

 一年の終わりを迎える前に急にやめてしまって、そのせいでロックハートが来た。

 どっちの授業も杜撰な内容だったけど、まだクィレル先生のままの方が良かった。

「彼は死喰い人だったんだ」

「え?」

 あまりの事に言葉がすぐ出てこなかった。

「ど、どういう事!?」

「詳しい話は知らないけど、クィレルは死喰い人として行動し、当時ホグワーツの城内に隠されていた『何か』を盗もうと動き、ダンブルドアに返り討ちにされたらしい」

「うそ……」

「本当だよ。他にも色々と物騒な噂が水面下で流れている。きな臭いと感じている人間はノットだけに限らないと思うよ」

 ドラコはまるで睨むように窓の外を見た。

「ハリー達にも接触を試みる輩が現れる筈だ。その時に受けるかどうか、僕に相談して欲しい。悪しき思いを腹の底に隠している人間もいるだろうからね」

 僕は確りと頷いた。僕にはとうてい分からない大きな流れが生まれている。

 なら、僕よりも流れが見えているドラコに判断を委ねるべきだろう。

「ああ、三年目がはじまる。今年も楽しく過ごそう」



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第三話「吸魂鬼」

 セオドール・ノットから招待……という名の脅迫を受けた後、私は素直にドラコに事の次第を話した。

 間違っても裏切ろうとしたなんて勘ぐられたら後が恐ろしい。 

 クラッブとゴイルに彼の過去を聞こうとした事も話した。ノットの口から彼に伝わるよりマシだと判断したからだ。

「……そんなに僕の事を知りたいなら言ってくれればいいのに」

 優しく微笑むドラコが心底恐ろしかった。

 思わず安堵してしまいそうになる優しい笑顔。作り物とは到底思えない自然な表情。

 目も口もきちんと笑っている。

「私はただ……」

「安心してよ、アナスタシア。君は何も悪いことなんてしていない」

「で、でも……、ごめんなさい」

 彼の言う通り、私は悪い事なんて何もしていない。

 だけど、謝らずにはいられなかった。親兄弟や教師にだって、ここまで心を込めた謝罪をした事は無かった。

 頭を深く下げる私にドラコは言った。

「アナスタシア。人という生き物は常に『安心』を求めて生きている。人は勉強したり、働いたり、時には悪事を働く。それらは総て、安心したいからなんだ」

 意識しなくても、一字一句聞き漏らすまいと耳を澄ませる。

 その声、その口調、その言葉。総てが暖かく私を包み込む。

 彼の本性を知り、彼の所業を知り、それでも尚、安心感を抱いてしまう。

 喉を掻き毟りたくなる程、私はその事実が恐ろしい。

「誰にも傷つけられたくない。だから、知識を蓄える。だから、金を求める。だから、暴力を振るう。アナスタシア、君もそうだ。僕を知りたいと思ったのは安心したいからなんだ。僕という存在に依存する為には僕の事を知らな過ぎる。だから、恐れている」

 体が震えている。涙が溢れだしている。

「それは人として普通の事だ。それは罪では無い」

 気づけば唇を塞がれていた。彼の舌が口の中に入り込んでくる。

 彼の唾液が流れこんでくる。そこに不快感はない。ただ、頭の芯がジンジンとして、思考が茹だっていく。

 ああ、この男は既に女を知り尽くしている。相手はフリッカだろうか? それとも、アメリア?

 それが心の底から残念だと、流す涙の意味が変わった。

「安心しろ、アナスタシア。お前が心から安心出来るようにしてやる」

 ドラコが微笑む。それだけで頭の中が花咲いたように幸福な気持ちになる。

「人間だから、不安になるんだ。だから、人間ではなくしてやろう」

 それは言葉通りの意味だった。家に帰って、両親に挨拶をした後直ぐに私は誰よりも早くドラコの屋敷へ向かった。

 両親は私に欠片も愛情を抱いていない。兄弟も……。

 私は今や彼らにとって、ドラコ・マルフォイの子種を孕み、フォード家にマルフォイ家の血を取り入れる為の道具でしかない。

 故にドラコの名前を出せば帰って直ぐに家を出ても誰も文句を言ってくれない……。

 そして、マルフォイ邸を訪れた後、私はドラコに奇妙な場所へ連れて来られた。屋敷しもべ妖精の『姿くらまし』で移動した先は真っ暗な部屋。

 そこで、私は人間ではない別の生き物にされた。そして、その事を心の底から幸福だと感じるように中身を変えられた。

 ノットの家に向かう日までの二週間。思考が抜け落ち、ただ本能のまま過ごした。

 

 今は頭の中も冷静で、以前の私と同じように思考する事が出来ている。だけど、それはドラコが居ないからだ。

 腕に刻まれたもの。彼が私につけた首輪は彼が望めば一瞬で私を人ではない別のなにかに変える。

 彼は暗闇の中で言った。

『アナスタシア。人間という生き物の最大の弱点は欲が深い事だ。麻薬や酒が人類史に刻んだものを見れば分かるだろ? その欲に浸け込めば、どんな人間も魂の抜けた人形となる。絶大な快楽は一度覚えてしまうと忘れる事など出来ず、それを失う事が他のどんなものよりも恐ろしくなってしまうからだ。例え、人間性を捨てたとしても求めずにはいられなくなる』

 もはや、ドラコの未知の部分を恐れる事もなくなった。

 それ以上にあの快楽を失う事が恐ろしいからだ。地獄の底のような這い上がれない程の快楽。

 刻み込まれたもの、注がれたものを忘れる事など出来ない。

 私にはもはや、ドラコを裏切る事は絶対に出来ない。

 セオドール・ノットとの会合の間、私が考えていたのは私自身の安全ではなく、如何にドラコに迷惑を掛けずに済むかという事ばかりだった。

 ドラコからノットがドラコと友好を結びたいと申し出てきたら頷いてもいいと言われている。

 案の定、彼の目的はドラコに接触する事だった。

 

 キングスクロス駅でドラコと合流し、その事を報告すると彼は優しく微笑んだ。

「パーフェクトだ。後で御褒美をあげないとね」

 その言葉で悶たくなる程嬉しくなる。

 そんな私を見て、ドラコは少しだけ哀しそうに表情を歪めた。

 どうして……?

 

 

 人間の人格とはいとも簡単に変わる。

 如何に勤勉で真面目な人間も宝くじがあたって、急に莫大な財を得れば仕事も勉強も放り出すだろう。

 如何に温厚で心優しい人間も理不尽な暴力を振るわれたり、大切な人を殺されたりでもしたら憎悪に身を焦がすだろう。

 どんな人間もドラッグを一度でも使えば廃人となる。

 確かに怠け者を勤勉な人間に変えたり、野蛮な者を温厚な人間に変える事はとてもむずかしい。

 だが、堕落させるだけならとても簡単だ。

 僕はアナスタシアを『堕落』させた。今後の事を考えて、イレギュラーの発生を抑えるためだ。

 だけど、変えてしまった事に一抹の寂しさを感じた。

 ただ、自らの欲を満たす事しか考えられなくなった彼女は以前のように物事総てを冷静に見極める力を失った。

 僕を第一に考えるとはそういう事。思考に偏りが出来た時点で彼女の長所は消え去るのだ。

「行こうか、アン。ハリー達がコンパートメントで待っている」

「うん、ドラコ」

 ウットリとした表情を浮かべるアン。もはや、彼女は友達でも仲間でもない。

 単なる家畜だ。

 もう少し愚かだったら、もっと長く友達でいられたのに、残念だ。

 

 コンパートメントに戻ると、合計七人になった。さすがに狭過ぎる。

 去年までは極力ハリーと二人っきりの時間を過ごす為にフリッカ達を別のコンパートメントに居させたのだが、今年は僕の屋敷で全員一緒に過ごした事もあって、同じコンパートメントに乗っていた。

「向かいのコンパートメントは空いてるかな?」

 僕が言うと、エドがすっと立ち上がり、向かいのコンパートメントの扉を開いた。

 中では一人の男が安らかに眠っていた。

 これは驚いた。別に意図したわけでは無かったが、ルーピンがいた。

 リーマス・ルーピン。ロックハートが退陣して、代わりに闇の魔術に対する防衛術の教師となる予定の男。

 ダンブルドアはやはり彼を雇ったらしい。

 既にアン以外には守護霊呪文を覚えさせてあるから、特に列車内で彼と接触する予定は無かったのだが、この際だ……。

「どうやら、次の闇の魔術に対する防衛術の先生のようだね。ルーピン先生か……」

「どうして、名前が分かるの?」

「荷物に名前があるよ。折角だから挨拶をしておきたいけど、グッスリ寝ているみたいだね……」

「とりあえず、ここを使わせてもらおう。騒がなければ怒られたりしないと思う」

「部屋割りはどうする?」

「別に気にしなくても適当でいいんじゃないか? 隣同士なんだし」

 ダンの言葉にフリッカとアンがニッコリと微笑んだ。

「じゃあ、ダンはルーピン先生のコンパートメントで決定!」

 そう言うとダンを除く全員が元のコンパートメントに帰っていく。

「……え!?」

 扉が閉まると、ダンの呆気にとられた声が響いた。

「……えっと、やっぱり一人は可哀想だよね」

 優しいハリー。苦笑いを浮かべながら、ダンのコンパートメントに戻って行った。

「……もうちょっと反応を楽しんでから行けばいいのに」

 アメリアがボソッと呟いた。

 

 汽車に揺られながら、僕達はお菓子を抓みながらチェスに興じて時間を潰した。時々、隣の様子を伺うと新発売の箒について暑苦しく語り合っていた。

 炎の雷の名を冠する史上最高の箒。それ一本で家が立つ程の値段。

 スポーツマンである二人にとって、なによりも価値ある逸品なのだろう。

 そうこうしている内に汽車が突然急停止した。

 どうやら、連中の到着らしい。

「全員、杖を抜いてくれ。僕は隣のコンパートメントにいく」

「ドラコ……」

 フリッカ達を手で制して廊下を横切る。遠くの車両から悲鳴が聞こえてきた。

「ドラコ!」

 ハリーとダンは既に杖を抜いていた。

「吸魂鬼だ。恐らく、シリウス・ブラックを探しているんだろう。だが、連中は油断出来ない」

 徐々に近づいて来る。突然、酷い耳鳴りが始まった。

 これは吸魂鬼の接近による影響か……?

 急に目の前に大きな影が現れた。扉をこじ開け、入って来る。そいつは僕とハリーだけを見ていた。

「……ぁ」

 油断していたつもりはなかった。だけど、対処法を身に付けている以上、問題はないと考えていた。

 だけど、甘かった。吸魂鬼という生き物が僕に齎す影響を深く考えていなかった。

 頭が痛い。嫌な記憶が過る。

 やめろ。見せるな。来るな。近づくな。見るな。聞くな。消え失せろ。違う。どうしてだよ。僕は何もしていない。違うんだ。

 止めて……。

「……ぉとう……さ」



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第四話「悪夢」

 まるで冷水を浴びせ掛けられたかのような悪寒が走った。扉の向こうに吸魂鬼がいる。触れられたわけでも、その姿を見たわけでもないのに、壁を一枚隔てているというのに恐怖が全身を駆け巡る。

 だけど、その恐怖は次の瞬間消し飛んだ。

 悲鳴が聞こえたのだ。僕達の知る声が僕達の知らない声を発している。

「二人に近寄るんじゃねぇ!! エクスペクト・パトローナム!!」

 ダンの怒声と共に眩い光が扉の隙間からコンパートメントに入って来る。

 それを見て、ようやく体が動いた。

 扉を勢い良く開け放ち、目の前で苦悶する異形に対して、僕達は一斉に杖を向けた。

 一瞬にして頂点に達した怒り。

 目の前の異形が如何に恐ろしい生き物だろうと関係ない。存在する事自体が許せない。

「エクスペクト・パトローナム!!」

 三つの声が重なると共に白い光を纏う狼と兎と烏が異形を粉砕した。そのまま、光の獣達は汽車を取り囲む吸魂鬼達にも牙を剥き、次々に蹴散らしていく。

 だけど、その様子に目を向けている余裕など無かった。

「ドラコ!!」

 フリッカが倒れ伏すドラコに駆け寄り大声で泣き叫んだ。

 その向こうでダンが憤怒の表情を浮かべている。その更に隣ではルーピン教授が何故か狼狽えた表情で立っていた。

「ア、アイツ……、ドラコに近づいた。顔を寄せてた……、アレをやるつもりだったんだ!!」

 アレ。ダンの言ったソレが何を意味するのか僕達にはすぐに分かった。

 口にするのもおぞましい。

 吸魂鬼の接吻。対象の魂をその口で吸い込み、自らの仲間にするという……。

 怒りで頭がどうにかなりそうだった。

「……馬鹿な。生徒に接吻をするなど……」

 ルーピン教授が呟く。

 目の前で起きた事に動揺しているようだ。

「先生」

 吹き荒れる嵐のような感情を何度も呼吸する事で必死にやり過ごしながら、僕はルーピンに声を掛けた。

 吸魂鬼がドラコに与えた影響が不明な以上、一人は冷静さを保たなければならない。

 辛い。泣き叫びたい。僕の魂よりも大事な存在の命が脅かされた。

 穢らわしい口をドラコに近づけた吸魂鬼共を根絶やしにしてやりたい。

「ドラコとハリーは大丈夫なんですか?」

 ドラコの隣でハリーも気を失っている。

「あ、ああ。彼に吸魂鬼が触れる前に君達の守護霊がヤツを退散させたからね。しかし、その歳で守護霊をあそこまで完璧に使いこなすとは驚きだ」

「御世辞はいいから、二人を助ける方法を教えて下さい!!」

 呑気な言葉を口にするルーピン教授につい苛立ってしまった。

 だけど、僕だって必死なんだ。喚き散らしたいのを必死に堪えている。

「……すまない。だが、二人は大丈夫だ。ただ、精神的な負荷が掛かって、一時的に気を失っているだけだよ。とりあえず、これを」

 ルーピン教授は懐から何故かチョコレートを取り出した。

「こんなもの……ッ」

「食べなさい。精神への負担が和らぐ筈だ。彼らにも起きたら食べさせてくれ」

「……これで?」

 半信半疑のままチョコレートを受け取り、試しに一欠片食べてみた。

 すると、胸がじんわりと温まり、さっきまでの感情の嵐が少しだけ穏やかになった。

 驚いてルーピン教授を見ると、彼は優しく微笑んでいた。

「これでも私は今年から君達の先生になるんだ。生徒に嘘は吐かない。二人は大丈夫だ。だから、安心しなさい」

「あっ……」

 限界だった。涙が溢れだして止まらない。

「……ありがとぅ……、ごめんなさい」

 僕が泣きながら頭を下げると、ルーピン教授は表情を引き締めた。

「この事はダンブルドアに報告するよ。生徒に接吻を行使するなど……、絶対に許されない事だ。だから、反対だったんだ」

 拳を固く握り締め、ルーピン教授はフリッカ達が寄り添うドラコの体を持ち上げた。

 咄嗟に怒声を上げた彼女達にルーピン教授は言った。

「床に寝かせておくのは可哀想だ。せめて、椅子に寝かせてあげよう」

 その言葉に慌てて頷いている。

「あ、あの、ありがとうございます」

「あ、ありがとぅ……」

「ありがとうございます……」

 口々にお礼を言う彼女達に微笑んだ後、ルーピン教授は僕に顔を向けた。

「すまないが、君達の名前を教えてもらってもいいかな?」

「あ、僕はエドワードです。エドワード・ヴェニングス。それから――――」

 僕がそれぞれの名前を口にすると、ルーピン教授はまたしても驚いたような表情を浮かべた。

「マルフォイ……。それにフォード、ヴェニングス……という事は君達はスリザリンの生徒なのかい?」

「は、はい」

 スリザリンに悪感情を抱く人間は少なくない。

 親切にしてもらった相手からそういう感情を向けられるのは嫌だな。

 そう思っていたら、ルーピン教授は何故か嬉しそうな顔を浮かべた。

「そうか! セブルスは実に良い生徒達を獲得したものだね!」

「えっと……、スネイプ教授と親しいのですか?」

「親しい……とはちょっと言い難いかもね。少なくとも、僕は嫌いじゃないよ。だけど、向こうからは……うーん」

 どうやら、スネイプ教授から嫌われているらしい。

 よく見ると、ルーピン教授はスネイプ教授と歳が近そうに見える。

「もしかして、グリフィンドールだったのですか?」

「……あー、うん。その通り」

「なるほど……」 

 僕はあまり気にした事が無いけど、寮同士の諍いは根深いものだ。

 特にグリフィンドールはその気質がスリザリンと正反対の位置にあり、互いを嫌悪し合っている。

 下手にグリフィンドールと仲良くなってしまうと、寮内での立場が危うくなる程だ。

 だから、僕は以前、ドラコがグリフィンドールのネビル・ロングボトムを助けた時に一言彼に言った。

「セブルスは良い先生かい?」

「もちろんです。授業はとても分かり易いし、僕達にもとても良くして下さっています。……まあ、他の寮の人間が教授をどう思っているかは御想像にお任せしますが……」

 僕の言葉にルーピン教授は吹き出した。

「なるほど、彼は昔とちっとも変わっていないみたいだね。会うのが楽しみだ」

 なんとなく、スネイプ教授は嫌そうな表情を浮かべそうだと思った。

「じゃあ、私は車掌に報告してから先にホグワーツに向かうとするよ。ホグワーツ特急にのんびり揺られながら向かうのが楽しみだったのにな……」

 溜息を零しながら、ルーピン教授はコンパートメントから出て行った。

 僕はすぐにフリッカを挟んでドラコの表情を見た。苦悶の表情を浮かべている。

「みんな、これを食べておいてくれ。ルーピン教授に頂いた」

 みんなにチョコレートを配り、それからダンが見ているハリーの様子を伺った。

「ったく、炎の雷が如何に素晴らしい箒かハリーに説明してやっている最中だったのによ……、クソが」

 忌々しそうにダンは舌を打った。

「それにしても、一緒に居た君が大丈夫だったのに、ハリーとドラコだけが倒れたのは何故かな?」

 ダンはピンピンしている。それが不思議だ。

 単純にダンが単細胞だからかもしれないけど……。

「ルーピンに聞いとけば良かったな。まあ、ホグワーツに着いたら、誰か先生に聞けば分かるだろ」

「……そうだね」

 二人が目を覚ましたのはそれから半日も後の事だった。

 ホグワーツに到着した直後、ハグリッドが慌てた様子で迎えに来てくれた。

 一年の頃はその凶暴そうな姿に警戒心を持ったが、ハリーを通した付き合いを重ねる内に彼の為人を知り、それなりに心を許せるようになった。

 彼ならドラコとハリーを慎重に保健室まで運んでくれるだろうと信じられる程度に……。

 

 

 四方を真っ白な壁に囲まれた小さな部屋。

 それが僕の世界だった。

 物心付いた頃から僕の世界はこの個室の中だけで完結していた。

 原因は不明。高名な医者も匙を投げた。

 遺伝子に問題があるわけでも、ウイルスや細菌に感染しているわけでも、肉体的に問題があるわけでもない。

 なのに、僕は立って歩くことが出来ない。

 日に何度も発作を起こし、その度に気を失う毎日。

 いつも一人。生きているのか、死んでいるのか、それすら曖昧……。

 家族は僕の命を維持する事にウンザリしていた。意味の無い事に金を湯水の如く浪費していると……。

 妹は顔を合わせる度に僕を責めた。

『私のお小遣いが少ないのはアンタのせいよ!! 折角、友達と遊園地に行ったのに、私だけお土産が買えなかったのよ!! この穀潰し!!』

 それが僕の日常。

 

 その日も僕は考えていた。僕に生きている意味があるのかどうか。

 ただ、いつか死ぬ日を待つためだけに生きている。

 時々、発狂しそうになる。

 だから、僕は本を読んだ。本の世界に逃げた。そして、僕は少しだけ本の力を借りた。

 家族からも疎まれて、寂しかった。誰も優しくしてくれない世界に嫌気が差して、その文章を言葉にした。

 ただ、優しくして欲しかっただけ。

 

 

 最悪な夢見だ。保健室で目を覚ました僕は思わず近くにあった花瓶を地面に投げつけてしまった。

 吸魂鬼は最悪の記憶を呼び覚ます。

 最初に感じたのは死の苦痛だった。

 死のストレスを少しでも緩和する為に脳がドーパミンをせっせと吐き出すから、まるで自分の命が水底に消えていくような感覚だった。

 その恐怖と苦痛に一瞬で意識を持って行かれた。

 その後は悪夢の連続だ。

「……だが、あれはただの過去だ」

 僕は辺りを見回した。そこには僕の看病をしていたのだろう、エドワード達が眠っている。

 僕の愛しい友達。何よりも大切な仲間。最高の手駒。

「今の僕は幸福なんだ……。この幸福を絶対に壊してたまるか……ッ」



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第五話「出陣」

 思わぬことに吸魂鬼が僕に接吻を行使しようとした件は大きな波紋を呼んだ。

「ドラコ!! 無事か!?」

 血相を変えた父上が真っ青な顔の母上を連れてホグワーツに乗り込んで来た。

 相当慌てていたらしい、いつもは完璧にセットしてある髪が乱れている。

「具合はどうだ? 苦しくないか!? 何か違和感があるなら直ぐに言うんだぞ!!」

「ああ、あの穢らわしい吸魂鬼!! わ、私達の息子に……ッ!」

 二人は本気で僕を心配してくれている。

 悪夢の余韻がスッパリ消え去る程、僕の心は喜びで満たされた。

 そこまでは良かった。

「ダンブルドアに抗議してくる」

 憤怒の表情を浮かべ、保健室から出て行く父上を僕は止めるべきだった。

 だけど、僕を心配し、僕の事を想って動いてくれた父上の好意を踏み躙る事は出来なかった。

 その結果、吸魂鬼はホグワーツから撤退した。

 元々、ダンブルドアも反対していたし、他の教師や生徒の保護者達も難色を示していた措置だった為に今回の事件が決定打となった。

 代わりに闇祓い局が動いてしまった。

 

 

 ホグワーツの三年目がスタートして二日目、授業は始まらず、代わりに生徒全員が大広間に集められた。

 何事かと戸惑う生徒達の前で壇上に上がったダンブルドアは咳払いの後に口を開いた。

「まずは諸君らに謝っておかねばならんな。みなが楽しみにしておった学年最初の授業を台無しにしてしまった事を深くお詫びする」

 幾人かの生徒のクスクスと笑う声が聞こえる。

「じゃが、諸君らにどうしても伝えておかねばならん事が三つある」

 ダンブルドアは言った。

「まず、一つ目は昨日申し上げた吸魂鬼の件を撤廃するという事」

 大広間がざわついた。

 昨日、始業式の場でダンブルドアはアズカバンから脱獄したシリウス・ブラックを警戒して、魔法省が吸魂鬼をホグワーツの警備に宛がう事を決定したと生徒達に伝えた。

 それが昨日の今日で撤回されるという異常事態に生徒達は顔を見合わせた。

 ダンブルドアは大きく咳払いをする事で生徒を静かにさせると、沈痛な面持ちを浮かべて言った。

「知っておる者も居ると思うが、昨日、吸魂鬼がホグワーツ特急の車両の抜き打ち調査を行った際、生徒の一人に害を為そうとした。彼の極めて優秀な友人達が咄嗟に吸魂鬼を退散させた事で事無きを得たが、これは由々しき問題じゃ。ホグワーツの理事達とコーネリウス・ファッジ魔法省大臣を交え、昨夜の内に話し合いが行われた。その結果、吸魂鬼の配備を撤回する事に決まったというわけじゃ」

「で、でも、それじゃあ、シリウス・ブラックの対策はどうなるのですか!?」

 生徒の一人が声を上げた。

 シリウス・ブラックと言えば、かの闇の帝王の片腕であり、十三年前に大量殺戮を行った巨悪な犯罪者だ。

 魔法省はその対策の為に吸魂鬼を導入しようと考えた。

 吸魂鬼という恐ろしい存在を子供達の近くに蔓延らせるという蛮行を『必要』と感じる程の脅威をシリウスに感じたからだ。

「無論、シリウス・ブラックに対する警戒は解かん。吸魂鬼に変わる警備員を雇い入れる事になった」

 吸魂鬼は魔法界の重罪人を監視する為に配備される凶悪にして、強力な魔法生物だ。

 その代わりとなる存在。

 生徒達は口々におぞましい魔法生物の名前を上げた。

 吸血鬼、人狼、亡霊、ドラゴン、ケルベロス。

 どれも吸魂鬼以上に意思の疎通が難しく、そして、同じくらい凶暴な生き物たちだ。

 生徒達は恐怖の表情を浮かべながらダンブルドアの言葉の続きを待った。

「これより、ホグワーツを守ってくださる警備員の方々を紹介しよう。みな、歓迎すべき人達じゃ」

 ダンブルドアは昨日、吸魂鬼の件を口にした時とは大違いの御機嫌な笑みを浮かべて言った。

「闇祓い局の方々の入場じゃ!」

 その言葉と共に大広間の扉が大きく開かれた。

 最初に入って来たのはライオンの鬣を思わせる髪が特徴的な男。

 彼に続くように次々に強面の男女が大広間を横切り、壇上へ上っていく。

「や、闇祓い局だって!?」

 生徒達は口々に囁き合う。

 闇祓い局といえば、魔法界における対テロ組織だ。

 闇の帝王が最盛を誇った時代、善なる者達を守る為に活躍した戦士達。

 生徒達は恐ろしさと頼もしさを半々にしたような気持ちで壇上に立ち並ぶ彼らを見た。

「諸君、静粛に!!」

 鬣の男の声は生徒達を一瞬にして黙らせた。

 まさに獅子の咆哮。

 生徒達は燃えるようなオーラを放つ男の次の言葉を待った。

「私は今日より、吸魂鬼に代わって君達の学園生活を守護する任に当たる事になった、闇祓い局局長のルーファス・スクリムジョール。以後、お見知り置きを願う」

 スクリムジョールは横に立ち並ぶ他の闇祓い達に視線を向けた。

 すると、彼のすぐ隣に立っていた青年が一歩前に出て口を開いた。

「私はガウェイン・ロバーズ。スクリムジョール局長の補佐官をしている。如何なる巨悪が相手だろうと、我々は君達に完璧で安全な学園生活を保障する。どうか、安心して欲しい」

 青い瞳の奥に強い意思の光を宿すハンサムな青年に女性達が歓声を上げた。

 清廉な空気を身に纏う、まるで騎士物語に登場する騎士のような男だ。

 彼に続き、紅いローブが印象的な強面の男が前に出た。体格とは裏腹にどこか神経質そうな顔をしている。 

「ロジャー・ウィリアムソン。君達に誰一人手出しをさせない。その事を心より誓う。よろしく頼むよ」

 そんなロジャーの挨拶が終わる前に快活な笑みを浮かべる黒人の魔法使いが前にズイッと躍り出た。

 ダンブルドアに次ぐ長身の持ち主で、やたらと目立つ男が張りのある声で生徒達に声を掛ける。

「俺はブラウドフットだ。ダリウス・ブラウドフット。気軽にダリウスでいいぜ? よろしくな、ボーイズアンドガールズ」

 ダリウスに対する反応はまちまちだった。

 本人は気にした様子も見せずに生徒達を視線で舐め回している。

 そんな彼を隣の女性が小突いた。

 コホンと咳払いをすると、赤毛の魔女が前に出る。

「アネット・サベッジよ。アネットでも、アーニャでも構わないわ。警備員としても頑張るけど、相談も受け付けるわよ。悩み事とかあったらいらっしゃい」

 実に魅力的な笑みを浮かべる彼女に男子生徒が元気な返事を返した。

 そんな彼らに手を振りながら一歩下がるアーニャの後に小柄な男が前に出る。

 まるで少年のような体躯。

 生徒が一人間違って壇上に上がってしまったのかと首を傾げる生徒達に彼は優しく微笑んだ。

「私はクリストファー・レイリー。クリスと呼んでくれ。これでも、この中ではかなり年長者だ。どうにも若く見られてしまうがね」

 多くの生徒が彼の横に並ぶ面々を見て、彼の発言をジョークと受け取った。

 皺も無ければ白髪も無い。黒髪の美少年という形容詞がこれ以上無くピッタリと当て嵌まるクリスに一部の女生徒達が熱い眼差しを向けた。

 次の男はロジャーよりも更に逞しい筋骨隆々という言葉がよく似合う男だった。

「俺はディエゴ・ヴァン・ルイス。よろしくな」

 顔にはいくつも痛々しい傷が刻まれていて、見る者に恐怖を与える。

 最後の一人はガウェインと同じくらいハンサムな男。ただし、目つきがかなり鋭い。

「エドワード・ウォーロックだ。もしかしたら、君達には少し窮屈な思いをさせてしまうかもしれない。だが、それも君達の安全のためだと理解して欲しい」

 エドワードは言った。

「まず、この学校には幾つか学外へ通じる抜け道があるが、全て閉鎖させてもらう」

 その言葉に何人かの生徒が悲鳴を上げた。

「それから、我々が定期的に校内をパトロールする事になる。極力、君達のプライバシーを尊重するつもりだが、違反行為などを発見した場合は教員各位に報告する義務があるから迂闊な行為は控えるように」

 今度は多くの生徒達が悲鳴を上げた。

 最後にスクリムジョールが宣言する。

「君達に相応の代償を払ってもらう以上、ここを世界のどこよりも安全な場所にすると誓う。そして、同時に逃亡犯であるシリウス・ブラックを一刻も早く逮捕し、不安の根を取り除く事を約束しよう!」

 スクリムジョールの言葉に生徒達の胸から不安や恐怖の感情がスッパリと消えた。

 ただ、一人を除いて……。

 

 

 最悪だ。

 原作でシリウスがホグワーツに乗り込めたのは警備が吸魂鬼だけだったからだ。

 これではシリウス・ブラックがホグワーツに来れなくなるかもしれない。

 来れたとしても、無罪を証明する前にアズカバンに送還される可能性が高い。

 ハリーとシリウスを家族にする。その為にはあまりにも大き過ぎる壁が立ちはだかってしまった。

 だが、絶対に諦めない。

「……計画を見直さないといけないな」 



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第六話「三羽烏」

 闇祓い局の干渉によって、ホグワーツの環境は一変した。

 廊下を歩けば必ず闇祓いの顔がある。

 寮にも二人の闇祓いが常駐するようになり、息の詰まる日々が続いた。

 その日の朝、食事をしに大広間に行くと、全ての抜け道を封鎖された事に不満を爆発させているグリフィンドールのイタズラ好きトリオがいた。

 今の状況に一番影響を受けている三人だ。彼らが何か悪戯を実行しようとする度に優秀な闇祓い達が阻止してしまう。

 その度に説教を聞かされて、鬱憤が相当溜まっているようだ。

「全部だぞ、全部!! 我らが費やした多くの時間をたった一日で無にしたのだ!! このような横暴が許されていいのか!?」 

 フレッドが悲嘆の表情を浮かべながら叫ぶ。さながら、その姿は愛と孤独に苦悩するオペラ座の怪人のようだ。

「許される筈がない!! 我らだけの問題ではないぞ!! これから先、夢と希望を信じて探索に乗り出す筈だった後輩達から未来を奪ったのだ!!」

 まるで劇を見ているような気分だ。周りの生徒達も彼らを見てクスクス笑っている。

「でも、仕方ないわ。シリウス・ブラックから私達を守る為なんだから」

 トリオを諌めたのは赤毛の女の子。ジニー・ウィーズリーだ。

「だが、ジニー! 警備が吸魂鬼のままなら、このような悲劇は生まれなかった! それがどっかの誰かさんのせいで!」

 そう言って、トリオの一人、リー・ジョーダンが敵意に満ちた視線を僕に向ける。完全なあてつけだ。

 咄嗟にエドとダンがジョーダンを殴ろうとしたから慌てて二人の腕を掴んで止める。

 今の彼らは大広間中の人間から注目を受けている。

 常駐している闇祓いや数人の教師も上座の方で食事を取っているし、ここで挑発に乗るメリットなど一つも無い。

「行くよ、みんな」

 そう言って、ジョーダン達に背を向けようとした時、さっきまで背後にいたハリーの姿が無い事に気付いた。

 ジョーダンの悲鳴が聞こえる。視線を向けると、ハリーがジョーダンを殴り倒していた。

「あっ……」

 あまりの事に一瞬思考が止まってしまった。

 僕だけじゃない。何しろ、あの有名なハリー・ポッターが公衆の面前で人を殴ったのだ。

 咄嗟に動けた人間など一人もいない。

「訂正しろ!!」

 ハリーは床に倒れこんだジョーダンに馬乗りになる。

 ジョーダンも呆然としている。彼は八つ当たりを兼ねたちょっとしたジョークのつもりで言ったのだろう。

 まさか、ハリーに殴り倒されるなど夢にも思っていなかったに違いない。

 僕もハリーが手を出すとは思っていなかったから驚いた。同時に堪え難い歓喜の渦が胸中で巻き起こった。

 だけど、このままではハリーが処罰されてしまう。僕はハリーを止めるためにエドとダンの腕を離してハリーの下に向かった。

「ドラコは殺されかけたんだぞ!! それをよくも!!」

 怒り心頭のハリーが更にジョーダンの顔面を殴ろうと腕を振り上げる。

 他の誰が止めるより先に僕がその腕をそっと掴む。

「そこまでだよ、ハリー」

「ド、ドラコ……」

「ありがとう。君の気持ちは嬉しい。だけど、暴力はいけないよ」

「……ごめん」

 僕はハリーの頭を優しく撫でた。

「謝る事じゃないよ。君は僕の為に怒ってくれた。とても嬉しかったよ」

 ハリーに微笑みかけてから、僕はジョーダンを見下ろした。

 相手にする価値も無い男。か弱い子犬がいくら吠えた所で怒る必要も理由も無い。

 だけど、こうなった以上、話は別だ。

「大丈夫かい?」

 ジョーダンに手を伸ばす。

 彼は呆然とした表情のまま僕の手を取って立ち上がった。

「怪我の具合はどうかな?」

 人をほんの一時操る程度なら呪文なんて必要ない。

 

 

 その光景の意味を真に理解出来た人間はいない。

 目撃した生徒達はドラコ・マルフォイの手を借りて立ち上がったリー・ジョーダンが反撃に打って出たのだと理解した。

 それは間違いではないが、正解でもない。

 リーに反撃の意図などなかった。その証拠にドラコを殴った直後、彼は呆然と自分の拳を見下ろしていた。

 彼は操られたのだ。ドラコは呪文一つ使わずにほんの一瞬、言葉を交わしただけで一人の人間に暴力を強要した。

「これで相子にしてもらえるかな?」

 口元から一筋の血が流れている。彼の取り巻きの生徒達は怒りを通り越して、リーに殺意を向けている。

 そんな彼らを手で制して、ドラコはリーに微笑みかけた。

 それは作られた美。魔法の助けを借り、十年近い歳月をかけて磨き上げられたもの

 ドラコにとって、肉体とは『人から愛されたい』という欲望を叶える為の道具であり、その為なら肌を焼かれようが、刻まれようが構わないと考えている。

 平均よりやや小柄な体躯。幼さが色濃く残るも整っている容貌。四肢もほっそりとしていて、爪一つ見ても優美である。

 その容姿に加えて、ドラコは表情や仕草、声色すら完璧に操る事が出来る。

 後はやり方だけだった。それもマリア・ミリガンの記憶が教えてくれた。

 生まれた時から男を誑かす事だけを教え込まれたマリアの記憶には男を籠絡する術が詰まっていた。

 リーはドラコの匂い立つような色香に思考回路を焦がされていく。流れ落ちる血すらも美しく感じてしまう。

「リー・ジョーダン」

 囁くような声に目眩を感じる。

「僕を許してくれるかな?」

 気付けば、リーは何度も首を縦に振っていた。その言葉に従いたいという抑えがたい欲求に翻弄され、無意識に体が動いていた。

 

 

 それが三日前の事。僕は一人で廊下を歩いていた。

 目的はこそこそ校内を動き回っている三人組に会う事だ。

 リジーからの報告でここに居る事は間違いない筈なんだけど、見当たらない。

 どうやら、どこかに身を隠しているらしい。先日の事があって、僕と顔を合わせ辛いと思っているのかもしれない。

 それは困る。わざわざジョーダンに僕を殴らせたのはグリフィンドールの寮内で動ける駒が欲しかったからだ。

 僕はポケットの中で杖を振った。耳に様々な音が飛び込んでくる。余計な情報は無視して、目的の音を探す。

『なんで、こんな所に?』

『っていうか、別に隠れなくてもよくね?』

『あーけど、殴っちゃったからなー……』

 声は前方にある銅像の物陰から聞こえる。三人がお喋りに夢中になっている間にそっと近づくと、彼らは一枚の羊皮紙を覗きこんでいた。

「さーて、そろそろ行ったかなー……って、おかしいな」

「どうしたんだい?」

「いや、なーんか、忍びの地図の表示がおかしいっていうか、ドラコが俺達の直ぐ傍にいるみたいっつーか……あっ」

 フレッドがようやく僕に気付いた。見上げる姿勢で固まっている。

 ジョージとリーもフレッドにつられて顔を上げ、同じような姿勢で凍りつく。

「こんにちは」

 ニッコリと微笑みかけると、三人の表情は面白いようにコロコロ変わった。

「え、えええええ!?」

「ド、ドラコ・マルフォイ!?」

「なんで、ここに!?」

「面白そうなものを見ているね。『忍びの地図』っていうのかい? これはホグワーツの地図に人の名前がいっぱい……。これは凄いね」

 三人の反応を無視して、僕は忍びの地図を食い入るように見つめる。

 実際、これは凄い道具だ。ホグワーツ内部に存在するあらゆる人間の動向を観察する事が出来る。

「なるほど、抜け道なんかも記入されているんだね」

「えっと……」

 未だに戸惑いが抜け切らない三人に僕は少し挑発染みた事を言った。

「なるほどね。君達が今まで見つけてきた抜け穴はこの地図に教えてもらってきたという事か」

「それは違う!!」

 フレッドが勢い良く立ち上がった。

「誤解してもらっては困るね! 我々の汗と涙の結晶たる抜け穴探索の日々はこの地図に頼り切りだったわけではないのだ!」

「まあ、結構助けてもらったけどね」

「特に外に繋がる抜け穴は自力じゃ分からないものばっかりだし……」

 そっと視線を逸らすジョージとジョーダンにフレッドはショックを受けた表情を浮かべる。

「いや、それはそうだけど……」

 シュンとなるフレッドに僕はクスリと微笑んだ。

「相変わらず陽気だね。ところで、こんな所に隠れて何をしていたの?」

「いや、えーと……」

 フレッドが助けを求めるようにジョージとジョーダンを見る。

「あー……、俺達は塞がれてない抜け穴の調査をしていたんだ」

「も、もちろん、ホグワーツの安全を守るためだぜ?」

 僕は興味を唆られた顔を作った。

「どういう事? 塞がれていない抜け穴なんてあるの?」

「あるさ! それもいっぱいね!」

「闇祓いも先生達も節穴揃いさ」

「なら、この前騒いでいたのは何だったの?」

「僕達程、この学校の抜け穴に詳しい人間はいないだろ?」

「その僕達が抜け穴を全部塞がれたと騒いだらどうなると思う?」

「……ああ、なるほど。大人達はもう抜け穴調査をしなくなるって事か」

「大正解! 実際は使える抜け穴が山程残ってる。試しにここのレンガを四回杖で叩いてみなよ」

 言われた通りに杖でレンガを叩くと、レンガがガタガタと音を立てて動き、あっという間にアーチ型のトンネルを作り出した。

「わーお」

「凄いだろ。ここは自力で見つけた抜け道の一つさ。この先は地下教室の通気口に繋がってる」

「よく見つけたね。凄いよ」

 これは本音。

 一体、どう探したらこんな抜け穴を見つける事が出来るのか不思議で堪らない。

「へっへー、そうだろう? 凄いだろ!」

「ここは特に苦労したものの一つだからね!」

「えっへん!」

 トリオは煽てられる事に弱いみたいだ。僕は心からそう思っているような表情を作りながら彼らを散々褒めそやした。

 するとあっという間に心を許してくれた。

 お調子者でノリがいいからこそなのかもしれないが、未だ嘗て、こんなにチョロいと思った相手はいない。

「前にフローリシュ・アンド・ブロッツで会った時も思ったけど、君って結構取っ付き易いね」

「我が父上が悪鬼羅刹と呼ぶマルフォイ家当主の嫡男とは思えぬ穏やかさだ」

「とりあえず、人の父上を悪鬼羅刹呼ばわりしないで欲しいね」

 僕の言葉に三人はゲラゲラ笑った。

「それにしても、この前は悪かったよ。ハリーが怒るのも無理無いや。ああいう事は言うべきじゃなかったよ、ごめん。それと殴った事も」

「構わないさ。あ、でも悪いと思うなら一個お願いしたい事があるけどいいかな?」

 大分空気が砕けてきた所で僕は言った。

「以前から君達に興味があったんだ。ホグワーツの暴走機関車トリオにね。だから――――」

 表情と仕草を入念に作り上げる。

「僕と友達になってくれないか?」



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第七話「疑惑」

 公にはされていない情報だが、シリウス・ブラックの狙いはハリー・ポッターだ。

 奴はアズカバンの監獄で頻りに呟いていたらしい。

『奴はホグワーツにいる……。奴はホグワーツにいる……』

 恐ろしい程の執念。十年以上もアズカバンで吸魂鬼の監視を受けて尚、主であるヴォルデモートの仇を取ろうとは敵ながら見上げた根性だ。

 だが、今のホグワーツは我々が完璧な警備状態を維持している。吸魂鬼如きは欺けても、我々を欺く事は出来まい。

 それよりも少し気になる事がある。

 件のハリー・ポッターが嘗て帝王の最盛期に側近として動いていたルシウス・マルフォイの息子と行動を共にしている事だ。

 ドラコ・マルフォイ。警護の為の身辺調査という名目で部下に調べさせた限りでは父親と似ても似つかない人格の持ち主との事だが……。

「どうにも臭いな……」

 彼の人物像は一言で言って完璧だった。成績は学年トップ。類稀な人格者であり、友人達から愛され、他寮の生徒達ですら彼を慕う者がいる。

 聞き込み調査を進めていると、スリザリンの不倶戴天の敵であるグリフィンドールの生徒が彼を褒め称える場面もあった。

 一年生の時、彼はネビル・ロングボトムという生徒をその身を挺して救った事があるそうだ。

 その件程大きな事件は無いが、彼の小さな親切を受けた者は数え切れない程いる。

 レイブンクローの生徒には『ドラコ・マルフォイの身辺調査』を不快に思う者もいた。

『彼は信頼出来る人よ。こそこそと嗅ぎ回って、あまりにも失礼だわ!』

 少女は非常に頭の良い生徒で、彼の父親についても知り得ていた。その上で彼を信頼出来ると断じた。マグル生まれの少女が……。

 これがスリザリン内部だけの話なら別に不思議に思わなかった。だが、彼はあまりにも慕われ過ぎている。

 スリザリンの寮はその性質上、他の寮の生徒達を見下す傾向にある。他の寮の者と親しくなろうとすれば、寮内で孤立する可能性が高い。

 だが、彼はスリザリンの寮内でも高い地位に立っている。マルフォイの名だけではなく、彼自身の人徳がその地位を支えているらしい。

 私は過去にも似たような人物の話を聞いた事がある。

 類稀な知性と美貌を持ち、誰からも敬愛された少年。

 彼は後に世界を震撼させる犯罪者となった。その名を口にする事すら恐ろしいと思わせる程の大悪党。

 若き頃のヴォルデモート卿。

「ダリウス。この少年は要チェックだ。不審な行動を取ったら直ぐに報告しろ」

「あいよ、局長。けど、そこまで警戒する程か? 随分といい子ちゃんみたいじゃねーか」

「だからこそだ。マルフォイ家の嫡男がマグル生まれも分け隔てなく愛する善の申し子だと? 悪い冗談だな」

「まーた、始まった。局長の悪い癖だぜ? すぐに相手を悪と決めつける」

「だからこそ、私は局長となった。貴様も出世したければ、人の悪意を見抜く訓練を積め」

「へいへい」

 軽薄な返事をするダリウス。アメリカのスラムで育った過去を持つせいか規律を乱しがちだが、その能力の高さは確かだ。

 命令した事は完璧に達成する。だからこそ、多少の態度の悪さは大目に見る。

 

 ダリウスからの報告を受けたのはそれから一月後の事だった。

 それは私の望んだものとは些か異なる内容だった。

「思った以上に行動的で大変だったぜ」

 この一ヶ月、ドラコ・マルフォイは彼の言う通り実に行動的だった。

 授業が終わればハリー・ポッターを含めた数人の友人達とレイブンクローの女生徒達を集めて個人的な勉強会を開き、それが終わると今度はグリフィンドールの友人達と夜の散歩に洒落込む毎日。

 ルーティンが変わるのは数日に一度寮内で開かれる茶会の時のみ。そこでは如何に彼がスリザリンの生徒達から慕われているのかが伺える光景が広がっていたという。

 多くの旧家の子供達が率先して彼と話したがるそうだ。

 その多くは死喰い人の疑いを掛けられた者達の子供。だが、それ以外のスリザリンでは数少ないマグル擁護派の家の子供も彼の取り巻きの中に混じっているという。

 思想による区別無く、万人から慕われる人物。

 報告を受けて私が感じたものは『恐怖』だ。あまりにも得体が知れない。

 どんな人間にも表と裏がある。闇祓い局の局長として、様々な人間の裏側を見てきた私だからこそ断言出来る事だ。

 あの偉大なるアルバス・ダンブルドアでさえ、叩けば埃の一つや二つは出てくるのだ。

「ダリウス。目を離すなよ」

「この報告を受けても疑うのかよ。ったく、仕方ねーなー」

 後頭部を掻きながらダリウスは少し言い難そうな口調で言った。

「……これは俺が感じた印象っつーか、直感みたいなもんなんだけどよ」

 ダリウスは表情を引き締めて言った。

「時々娼婦みたいな仕草をする」

「娼婦……?」

「バカバカしいだろ? 十三歳のガキ……しかも、男だぜ? なのに、変な色香を放散してる時がある。茶会の時にあの坊主に話し掛けてるガキ共の中には完全に恋心を向けてる奴がいた。女も多いが、男も少なくなかった。俺の勘違いって線もあるし、ガキの色恋沙汰を報告するのもアレかと思ったけどよ、そういう側面も確かにあったって事だけ言っておくぜ」

 そう言って、部屋を出て行くダリウス。

 ドラコ・マルフォイという少年は確かに中性的な美しさをもっている。その顔を最大限活かせば、人の心を容易く揺さぶる事が出来るだろう程に。

 一瞬、脳裏に中国の伝承が過った。傾国と呼ばれる程の美貌を持つ一人の女が国一つを滅ぼし掛けた逸話。

 後に日本に渡り、玉藻の前という名で再び災禍を撒き散らしたと言われる禍々しき妖魔、妲己。

「バカバカしい……。幾らなんでも飛躍し過ぎだな」

 実際、妲己は実在した。

 日本の魔法学校である『マホウトコロ』では歴史学を学ぶ上で必ず教えられる歴史的大事件だが、かの妖魔は既に封印されて久しい。

「だが、娼婦のような仕草とは言い換えれば男の心を誑かす行為。それは人心掌握術に繋がる一種の技術だ」

 やはり、注意を向けるべき人物である事に間違いは無いか……。

 

 

 動きにくい。フレッド達と行動を共にするようになってから気付いた事だが、僕は監視を受けている。

 忍びの地図に闇祓いの一人であるダリウス・ブラウドフットの名前が僕の後を追うように動いているのが表示されていた。

 以前から僕の事を闇祓い達が嗅ぎ回っている事は知っていたがここまで執拗に監視されるような行動は控えていた筈だ。

 何が闇祓いを警戒させたのかが分からない以上、身動きが取れない。

「大丈夫かい?」

 地図上でウロチョロと僕の近くを歩きまわっているダリウスにウンザリとした表情を浮かべる僕にフレッドが心配そうに声を掛けてきた。

「……僕は相当闇祓いに警戒されているようだね」

 哀しそうな顔を作って言うと、フレッドとジョージ、リーの三人組は揃って顔を歪めた。

「コソコソと嗅ぎ回って、姑息な奴らだ!」

「ドラコ・マルフォイが如何に悪と正反対の人物か、彼らは全く理解していない!」

「いっそ、俺達が説教してやろうか!」

 ヒートアップする三人を宥めながら、対策を考える。

 だが、いくら考えても理由が明確にならない限り、行動のしようがない。

 下手に動けば一層の疑いを掛けられる事になる。

 そもそも、何を疑われているのかも分からない現状なのだが……。

「とりあえず、これを君にプレゼントするよ」

 フレッドは忍びの地図を丸めると、僕にポンと手渡してきた。

「え? で、でも……」

「我々、ホグワーツの抜け穴調査団の中でこれを最も必要としているのは君だ。いずれ、後輩に譲るつもりだったし、君にあげるよ」

 悪戯っぽく笑うジョージ。

「プライバシーを四六時中侵害されてたらウンザリするだろ? これを使って目にもの見せてやれ!」

 リーの言葉に僕は曖昧に微笑んだ。

 実際にそんな事をしたら致命的だ。

 だが、彼らの気持ちはありがたく受け取る事にした。実際、この地図は役に立つ。

「使い方は分かってるね?」

「もちろん」

 僕は地図を懐に仕舞うと、三人に感謝の言葉を告げた。

 いつものように表情と仕草に気を使いながら。

「……うっ」

 三人が揃って初な反応を見せる。マリアの技術は男相手に実に効果的だ。

 今まで、一人の人間の心を掌握する為に費やした時間が大幅に短縮される。

 彼らは多少無理な頼みでも僕が言えば大喜びで実行してくれるようになった。

 こうして、忍びの地図という彼らにとって大切な宝物を自分から僕に献上する程、彼らは既に僕に夢中になっている。

「それじゃあ、今日はそろそろお暇するね」

 僕が別れを切りだすと、決まって寂しそうな顔をするようになった。

「ま、また、明日な!」

「ごめんね。明日は寮の茶会なんだ」

「そ、そっか……」

 絶望の表情を浮かべる三人に僕は『完璧な笑顔』をプレゼントした。

 アナスタシアにしたような性欲を支配するのではない。

 愛の力による支配だ。闇祓いの監視さえなければいつでも計画を実行出来る段階まで来ている。

 ああ、忌々しい。

 僕の邪魔をする者は誰だろうと許さない。



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第八話「裏道」

 闇祓いの監視を解く方法は一つだ。彼らが僕を問題視する理由を掴み、解決してやればいい。

 僕はフレッド達から受け取った忍びの地図を使い、監視の目が遠退いている瞬間を利用してリジーの転移魔法を使い『秘密の部屋』に入った。

 ホグワーツの結界はあくまでも対人を仮定したモノだから、フェニックスや屋敷しもべ妖精などの魔法生物の魔法は擦り抜けてしまう。

 他の魔法使い達は屋敷しもべ妖精という存在を軽んじているが、実に愚かだ。彼らは使い方次第で最強の手駒になる。

「リジー。相変わらず、君は実に有能だ」

 頭を撫でながら褒めると、リジーは恍惚の表情を浮かべた。

「さて……」

 僕は口調を変えた。

『シグレ。お前に仕事を与える』

『何なりと命じるが良い』

『現在、ホグワーツの城内を跋扈している闇祓い達については把握しているかい?』

『無論。かの者達はシリウス・ブラックなる死喰い人の侵入を警戒し、魔法省と現校長が招き入れたのだろう?』

『そうだ。……よく知ってたね?』

『言った筈だ。我は常に汝の隣に潜んでおる』

 言葉を失った。

『え、あれって文字通りの意味だったの!?』

『……うむ。我は汝がホグワーツに居る限り、常に傍に潜んでおる』

『そうだったのか……。え? じゃあ、わざわざココに来なくても、君に命令しようと思ったら壁にでも囁き掛ければいいのかい?』

『然様』

『……そ、そうか』

『して、命令は?』

『あ、ああ。僕の傍に控えていたなら、僕を常に監視している者達がいた事にも気付いているね?』

『無論』

 なら、一言くらい忠告するなりしろよ。

 いや、蛇に対して気を利かせろなどと言っても無駄か……。

『……不満そうだが、主よ。安易に我が汝に言葉を投げ掛ければ、汝の隣に常に控えておるハリー・ポッターにも我の『声』が届く事になるぞ。彼もまた、我の言葉を解する者なのだろう?』

『君の傍で口を滑らせていたのか……』

『もう少し、周囲に気を配る事をすすめる』

 前言を撤回しよう。思った以上に気が利く蛇だ。

『でもそうなると、ハリーも資格者という事になるけど、その辺はどうなるのかな?』

 ハリーが蛇語を解する事が出来る事をシグレに知られた事はかなりの痛手だ。

 万が一にも裏切られる可能性が出てしまった。

『今代の主は汝だ、ドラコ・マルフォイ。例え、先代たるトム・リドルが目の前に現れたとしても、汝が我との契約を絶たぬ限り、汝の命令が優先される』

『……そうか』

 少しだけホッとした。いずれ、ヴォルデモートは復活する。

 その時、苦労して手に入れた手駒が奪われる可能性を危惧していたが要らぬ心配だったらしい。

『なら、命令だ。僕以外の命令に決して従うな。僕の命令だけを聞き入れ、命令通りに実行しろ』

『承った』

『……よし、それじゃあ――――』

 漸く本題に入れる。僕はシグレに闇祓い達を逆に監視するよう命じた。

 彼らがどこで何を話したか、正確に僕に伝えるよう命じると彼は迅速に動いてくれた。

 

 結果が届いたのはその日の夜だった。ハリーが完全に寝静まるのを待って、壁面に耳を押し当てる。

『主よ。どうやら汝を危険視している存在がいるようだ』

『誰だ?』

『その者の名はルーファス・スクリムジョールというらしい』

『闇祓い局の局長か……。理由は?』

『どうやら、汝の出自に対して、その人物像に差異があると感じたようだ』

『……どういう意味だ?』

『我は人間の感情に聡くない。故、我が聞いた監視者の言葉をそのまま伝える』

『頼む』

『監視者は【局長にも困ったもんだぜ。シリウス・ブラックの警戒に全力を注がないといけねぇって時にガキの身辺調査をさせるとかあり得ねぇよ。確かにマルフォイ家の出身にしちゃ、いい子ちゃん過ぎるとは思うけど】……と、仲間と話していた』

 関係ない事だけど、シグレは存外渋い声だ。その声で軽薄な言葉遣いをされると違和感が凄い。

『聞いているのか?』

『あ、ああ、もちろん。ありがとう、シグレ。大体分かったよ』

 とりあえず、事情は分かった。

 要は完璧を演じ過ぎたのだ。完璧なだけでは不完全だったという事だ。

 確かにマルフォイ家の人間に相応しい闇を僕は極力表に出さないようにしてきた。

 それが今回の監視に繋がったというわけだ。

 ハリーを始めとした善性を尊ぶ人間に対して好意的に思われる人物像を作ってきたが、今後は少しやり方を変えるべきなのだろう。

 分かってしまえば対処は実に簡単だ。

 監視者の目がある所であやまちを犯してやればいい。十三歳の少年らしい軽はずみなあやまちを……。

 

 その日はグリフィンドール対スリザリンの試合があった。今回もスリザリンの圧勝。吸魂鬼が現れる事も無く、シリウスの姿も見えず、ハリーはいつものように颯爽と勝利を決めた。

 僕は子供らしく勝利に浮かれて見せた。

 そのまま、アナスタシアを誰もいない空き教室に招き入れた。予め、エドワードにフリッカ達を近づけないよう命じておいたから完全に二人っきりの状態。

 忍びの地図を確認し、僕達と監視者だけがこの教室で行われる事を目撃する事になる。

「アン。今日は気分が良いから、ここで御褒美をあげるよ」

 それだけで蕩けるような表情を浮かべるアナスタシア。

 空き教室の中で彼女の喘ぎ声がこだまする。品行方正と思われている生徒が女生徒と性的な快楽に耽る。

 絵に描いたような醜聞だが、それが明るみに出る事は無いだろう。

 監視は僕に気づかれないように慎重に行われている。ここで乗り込んでくる事も無い筈だ。後は監視者が上司にこの件を報告すれば一件落着。

 スクリムジョールもドラコ・マルフォイという人間に決定的な人間性を見出す筈だ。

 案の定、アナスタシアを組み敷いている机の脇に広げた忍びの地図に監視者が離れていく様が表示されていた。

 十分だという結論に至ったのだろう。

 

 それから更に数日後、廊下を歩いていると僕を監視していたダリウスという男が話しかけてきた。

 若い内は程々に健全な関係を保っておけとありがたい忠告をしてくれた。

 僕は罪悪感と羞恥心の入り混じった顔を作って、彼から逃げるように走り去った。

 これで漸く問題が片付いた。そろそろ計画を実行に移すとしよう。

 

 

 走り去るドラコ・マルフォイの背中を見て、俺は思わず笑いそうになった。

 わざとらしい。

 どうやら、局長の考えは当たっていたようだ。アレは見た目通りの優等生じゃない。

 恐ろしく頭が良くて、人間を弄ぶ悪癖を持っている。

「俺達の監視に気付いて、その目的まで察したか? ったく、仕事で何ヶ月も御無沙汰な俺に見せつけてくれやがって……」

 奴に抱かれてウットリした顔を浮かべていた女の子が哀れでならない。

 アレは俺に奴の失態を目撃させる為の舞台だったのだ。その為だけに見ず知らずの男に彼女は痴態を見られたわけだ。

 自分に惚れている女を道具扱いとは相当イカれてやがる。

「だけど、まだまだガキだな。局長が危険視する程じゃねーや」

 本人は完璧な対処をしたつもりだろうが、俺から見れば稚拙過ぎて笑えてくるレベルだ。

 むしろ、警戒している相手に自分の本質を悟らせるという大失態をやらかしている。

 闇の帝王なら幼少期でももっとマシな方法を取った筈だ。

「問題無しって報告しとくか。これでやっと、面倒な雑務から解放されるぜ」

 

 

『――――との事だ』

『御苦労様』

 僕は秘密の部屋でアナスタシアに本当の御褒美をあげながらシグレからの報告を聞いていた。

「仲間に愚痴を零す程だから、僕の監視を彼が面倒に思っている事は分かっていた。だから、彼に僕が小物で取るに足らない存在だと確信してもらった」

 狂ったように悶えるアナスタシアの唇をそっと撫でる。

「結果は聞いての通りさ。これで彼から僕に対する関心は完全に消えたと思っていいはず。一応、引き続きシグレに彼を追跡させておくけどね」

 瞳を潤ませ、慈悲を懇願するアナスタシアに僕は微笑みかける。

「まったく、面倒だったよ」

 彼女に杖を向ける。

「君は今回、とても役に立った。だから、御褒美だ。今夜は楽しませてあげるよ。じっくりとね」

 彼女の瞳は歓喜の色を浮かべた。

 実に浅ましい姿だ。だが、だからこそ、彼女には利用価値がある。

「可愛いね、アン」

 いつでも使い捨てられる従順な駒というのは実に便利だ。



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第九話「正体」

「現在、シリウス・ブラックは『叫びの屋敷』を拠点にしてホグワーツの周囲を彷徨いております」

『闇祓い達は叫びの屋敷からホグワーツに侵入する隠しルートの存在に気づいていないようだ。命令通り、一日監視していたが奴らの目は無かった』

 リジーとシグレからの報告を聞きながら、僕は時間的猶予が少なくなりつつある事に気付いた。

 叫びの屋敷と暴れ柳を繋ぐ隠し通路の存在をダンブルドアが知らない筈がない。元々、リーマス・ルーピンの人狼化を鎮めるための場所として、ジェームズ達に叫びの屋敷を提供したのは彼だ。

 当然、当時利用していたルーピンや彼の秘密を探ろうと侵入を試みたスネイプも知っている。その情報を闇祓い局に提供しない理由も無い筈だ。

 その通路を封鎖する事もせず、監視の目も置いていないという事は……。

「既にシリウスの捕縛準備を進めている状況とみて間違いないな」

 泳がせて、最適なタイミングを図っているのだろう。

 早ければ今日中、遅くても一週間以内には決着がついてしまう。闇祓い局の精鋭達とホグワーツの優秀な教師陣に取り囲まれて、シリウスが切り抜けられる可能性はゼロに近い。

 行動を開始する時が来た。既に準備は整えてある。

「ご主人様、どちらへ?」

「我が友人達に会いに行ってくるよ」

 忍びの地図を片手に僕はフレッドとジョージ、リーの三人組の下へ急ぐ。

 彼らは都合の良い事に大広間で寛いでいた。

 僕が入って来た事に気づくと、三人揃って手を振ってくれる。

 大広間で大っぴらにグリフィンドール生と接触を取る。以前までなら双寮から顰蹙を買っていた事だろうが、漸く三年間の努力が実を結び始めている。

 スリザリンの生徒達はノットを始め、ザビニやブルストロード、グリーングラス、パーキンソンといった『聖28一族』の末裔達を籠絡し、ハリーやダンを通じてクィディッチ・チームの選手達にもより深い関係を持たせてもらった事で一層の発言権を得る事が出来た。個人的感情よりも家格が優先されるスリザリンにおいて、今の僕に敵意を向けられる人間など存在しない。

 グリフィンドールの生徒達にもフレッド達やネビルを通じて僕という存在を徐々に認めさせてきた。

 こうして、僕とフレッド達が親しげに話しても誰も文句を言わない環境を作り上げる事に成功した。

「やあ、ドラコ!」

「御機嫌よう!」

「朝から拝顔賜り恐悦至極にございます」

 仰々しい挨拶をしてくるフレッドとジョージにそれとなく合わせてあげながら、僕はコッソリと彼らに忍びの地図を見せた。

「ちょっと、この地図に気になる名前があったんだけど、聞いてもいいかな?」

「気になる名前?」

 僕はグリフィンドールの寮でロンの傍について回っている一つの名前を指差した。

 ピーター・ペティグリュー。

 その名前にフレッド達は首を傾げた。

「こんな名前の奴、グリフィンドールに居たっけ?」

「いや、俺は知らないぞ」

「ロンの友達か? けど、ピーターなんて奴の名前は聞いた事が無いな……」

 忍びの地図を手に入れる事が出来た事で計画は大幅に簡略化された。

 僕は少しミステリアスな表情を作りながら言った。

「僕には一つ心当たりがあるんだ」

「へえ、どんな奴?」

「……君達は少し驚いてしまうかもしれない。だから、覚悟を持って聞いて欲しい」

 僕がもったいぶった話し方をすると、彼らは早く言えと囃し立てた。

「ピーター・ペティグリュー。十三年前にシリウス・ブラックに殺された筈の男と同じ名前なんだ」

 その言葉に三人組の表情は凍りついた。

「い、いや、それは……」

「単に名前が一緒なだけだろ?」

「けど、そう考えると面白くないかな? グリフィンドール生であり、ロンの兄でもある君達すら知らないロンの秘密の友人。その正体が十三年前に死んだ男」

 僕は三人が興味を示すように仕草、表情、声、口調全てを丁寧に操った。

 惹き込まれるように三人がゴクリと唾を飲み込む。

「……僕の推理を聞いて欲しい。些か突飛かもしれないけどね」

「聞かせてくれ、ドラコ!」

「へいへい、面白くなってきたじゃあーりませんか!」

「どんどんぱふぱふー!」

 三人の反応に周囲の人間も聞き耳を立て始めた。その中にはダリウスという闇祓いの姿もある。

 僕が発したピーターの名前に一瞬、顔を歪めた。状況は整っている。

「この忍びの地図はホグワーツのあらゆる抜け道や隠し部屋が描かれていて、誰がどこにいるかも正確に分かる魔法の地図だ。つまり、地図上に名前があるという事は実際にその人がその場所に居る事を示している」

 これはダリウスに向けた説明。

「なら、ピーター・ペティグリューは今、グリフィンドールの寮でロンと一緒に居る事になる。さて、ここで注目すべきは二人が寮のどこに居るかだ」

 僕は彼らの名前のある部屋を指差した。

「寝室。二人が名前を知らなかったという事はロンのルームメイトにピーターという人物は居ない筈だ。なのに、今は二人っきりで寝室にいる」

「おいおい、これはどういう事だ!?」

「わ、我が弟に何が起きているんだ!?」

「……つまり、どういう事だ?」

 口調や声はおどけているけど、その表情には緊張の色が浮かんでいる。

 十三年前に死んだ筈の男が弟と寝室で二人っきり。胸騒ぎを覚えているのだろう。

「ここで君達に一つ聞きたい事がある」

「なんだい?」

「なにかね?」

「なんだ?」

「ロンのネズミについてだよ。僕は以前、彼のネズミを見た事がある。哀れな事に指を数本失っていたね」

「あ、ああ」

「言っとくけど、それはロンが虐待したとかじゃねーぞ。アイツがパーシーからスキャバーズを譲られた時には既にああなってたんだ」

「そうか……。もう一つ質問。スキャバーズは何年くらい生きているのかな? 既に僕が知っている限りで三年以上生きているよね。しかも、パーシーが育てていた期間もあるとなると……」

「えっと……、少なくとも七、八年くらいかな?」

「ネズミの割に長生きだよな」

「ネズミの寿命は長くても三年程度なんだよ。なのに、随分と長生きだよね」

 僕の言葉にフレッド達は曖昧に頷く。それぞれの顔が少しずつ青褪めていくのが分かる。

 彼らは悪戯が大好きな問題児だが、頭は悪くない。

「ねえ、どうして今年、ブラックは脱獄して来たのかな?」

「それは……、なんでだ?」

 フレッドがジョージを見る。

「わからん。リーは?」

 ジョージはリーを見る。

「さっぱりだよ」

 リーは僕を見た。

「彼の目的はホグワーツにある。父上から聞いたんだけど、ブラックはアズカバンで寝言で頻りに『奴はホグワーツにいる』って言ってたらしいんだ。魔法省や闇祓いがホグワーツを厳重に警備している理由はそれさ。まあ、彼らはブラックがハリーを狙っていると思っているみたいだけど、僕の考えでは違う」

 僕の言葉に三人は息を呑む。

「夏休み。ブラックが脱獄する少し前、新聞の一面にある一家の写真が掲載されていたよね?」

 フレッドとジョージの顔が強張った。

「そこにはスキャバーズの姿もあった。こう考えてみると、どうかな? もしも、ピーター・ペティグリューが『動物もどき』だったとしたら? ブラックはピーターと学生時代、とても仲が良かったらしい。ブラックがピーターの変身後の姿をよく知っていて、新聞の写真からでも彼の正体に気付けたとしたら?」

「おいおい、まさか……」

「ちょっと待て……じゃあ、なにか? ブラックの目的は……」

「……っていう推理。面白かった?」

 僕の言葉に三人は大きな溜息を零した。

「お、面白いっていうか……」

「まあ、本当にピーターが動物もどきだったとして、ブラックから逃げ果せていたとしたら、その後に変身を解いてダンブルドアか闇祓いの下に身を寄せていた筈。未だに正体を隠したまま生きているなんてあり得ないよね。まあ……」

 僕はダリウスに聞こえるように少しだけトーンを上げた。

「全てが逆だったとしたら辻褄が合っちゃうけど」

「全てが逆って?」

 リーが首を傾げる。

「実は……ブラックはハリーの後見人になる筈の人だったんだよ。学生時代、ハリーの父上とすごく仲が良くて、加えて性格も良く、頭も良かったから学校中の人気者でもあったそうだ。対して、ピーターは卑屈で臆病な生徒だったらしい。だから、僕はブラックが死喰い人で闇の帝王の腹心だったという噂をどうしても信じる事が出来なかった。むしろ、ピーターが死喰い人だったとする方がずっと納得出来る。十三年前の事件でも、本当はピーターが死喰い人で、ブラックが彼を捕まえる為に追い詰めていたとしたら? その時にピーターが逃げる為に周囲にいた人々を巻き添えにして自爆した振りをしたとしたら? 自分が死んだと思わせる為に指をわざと現場に残し、自分はネズミの姿でペットとして今も生き永らえているとしたら? 変身を解かない理由は実は死喰い人でダンブルドアや魔法省を頼る事が出来ないとしたら?」

「……じょ、冗談だよね?」

「冗談……のつもりだけど、証明する手段はあるよ?」

「どうやって……?」

「実際にスキャバーズに変身解除の呪文を使うのさ。それでピーターに変われば僕の説が正しい事になる。その腕に闇の刻印でもあれば完璧さ」

 僕は三人に言った。

「ものは試しで実験してみない? 単なる変身解除の呪文だから、もしも単なるネズミなら、スキャバーズに何の害もない」

「……俺達、何をすればいいの?」

 リーはやや表情を引き攣らせながら問う。

「ロンにスキャバーズを連れて来させてもらえるかな? ここに」

 いつの間にか、ダリウスが移動していた。壇上で食事を取っている先生達や闇祓い達に声を掛けている。

 僕は最後のひと押しをした。

「ねえ、三人共。お願い」

 三人の心の奥底に丹念に植え付けた密かな忠誠心を揺さぶる。

 時間が無いから些か強引な論法を披露してしまったけど、これが最後のチャンスだ。逃す訳にはいかない。

「分かったよ、ドラコ。君がそこまで言うなら……」

「万が一が起きたら怖くて夜も眠れなくなりそうだけどな……」

「俺、スキャバーズの事、結構好きなんだけど……。うわぁぁ、頼むからピーターとかいうおっさんなんて関係ない普通のラブリーなネズミでいてくれよぉぉぉ」

 それから一時間後、フレッドとジョージが困惑した表情を浮かべるロンを連れて来た。

 大広間内にはいつの間にか闇祓いと教師陣が勢揃いしている。みんな、壇上でお喋りに花を咲かせているように見せながら此方に注意を向けている。

 フレッドとジョージが言葉巧みにロンからスキャバーズを受け取り、僕が教えた変身解除の呪文を唱えた。

 すると……、そこには一人の中年男が立っていた。



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第十話「解決」

「ス、スス、スキャバーズ!? え、なにこれ!?」

「えええええええええ!? マジか!? マジなのか!?」

「嘘だろ!?」

「おっさん!? スキャバーズ、おっさん!?」

「誰あれ!? いつの間にいたの!?」

「ピ、ピピ、ピーター!?」

「どっひゃー!?」

「ペ、ペティグリュー!? 生きとったんか!?」

「オーマイゴッド……」

「おい……、これ、どうすんだよ……」

「ちょ、こいつがマジでアレなら彼って……、嘘!?」

「わ、私は初めからブラックは無実だと信じていたのです」

「苦しいと思いますよ、その主張は……」

「おい、アネット! とりあえず、魔法省に報告してこい!」

「局長にもな!」

「見た? キュートなネズミちゃんが一瞬で中年のおっさんになったわよ! ファンタスティックね!」

「あれって、変身術!? なんて、キモい変身なのかしら!!」

「落ち着け!! みんな、落ち着け!! ネズミがおっさんになっただけだぞ!!」

「おい、パーシー!! ネズミがおっさんになったって、結構な大事件だぞ!!」

「そ、そうよ!! どういう事なの、アレ!!」

「あーもう、飯喰ってる最中に騒ぐなよ!!」

「喰ってる場合か!?」

「っていうか、いつまで食べてるのよ!!」

「ちょっと、誰か私のお尻触った!?」

「誰が触るか!! 鏡を見てこい!!」

「名誉毀損だわ!!」

「だーまーれー!! とりあえず、全員黙れ!! うるさい!!」

「そうだ!! うるさい!!」

「うーるーせー!! うーるーせー!!」

「お前等が一番ウルセェ!!」

「おい、百味ビーンズ食べようぜ!」

「ウゲッ、鼻くそ味じゃねーか」

「え、お前、鼻くそ食った事あるの?」

「ち、ちげーし!! そんな感じだって思っただけだしー!」

「ジニー! 君の兄さん達はどうしていつも大事件を巻き起こすんだい?」

「それはフレッドとジョージだからよ。それ以外に理由が必要?」

「ハーマイオニー! 見た!? ネズミは仕事に疲れたおじさんの成れの果てという説が立証されたよ!!」

「やめて、ルーナ!! 怖い上に哀しすぎるわ!!」

「おい、セドリック!! 次のクィディッチでスリザリンを叩きのめしてくれよな!」

「う、うん。頑張るよ」

「わたし、あのおじさま結構好みかも」

「嘘でしょ!?」

「ハゲが好きなら俺なんてどうかな?」

「寝言は寝て言え」

「あのでっぷりしたお腹……、美味しそう」

「カニバリズムは駄目だと思います」

「性的な意味だから大丈夫よ」

「それもどうなんだ!?」

「ぼ、僕のカエルは大丈夫かな!? いきなりおっさんにならないよね!?」

「そう言えば、トレバーがさっき廊下を歩いてたぜ」

「また逃げ出したの!?」

「何故、可愛い女の子にならなかったんだ……」

「せんせー、ここに頭が悪い子がいますー」

「とりあえず、そろそろ授業の時間じゃない?」

「あ、ハグリッドだ!」

「そろそろ飽きてきたし授業行こうか!」

「あー、俺のフクロウも女の子に変身してくれねーかなー」

「だからモテねぇんだよ」

「ぶっ殺してやる!!」

「あははー、大混乱だね」

 

 

 その光景を前にして、俺は笑う他なかった。

 大広間は今、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図と化している。突然の事態に大はしゃぎしている生徒を教師が大広間から追い出し、俺達闇祓いが奴を包囲するまでに五分も掛かってしまった。

 万が一にもあり得ない事だと高を括っていた為に致命的な隙を作ってしまった。この間に逃げられていたらと思うと肝が冷える。

 だが、奴は俺達の作る円陣のど真ん中でボケッと突っ立っている。十三年前に死んだはずの男、ピーター・ペティグリュー。

 禿げ上がった頭の中年男が突然の事態を前に逃げようともせず呆然としている様は実に滑稽だ。

 折角のチャンスを不意にした愚かな男をガウェインとロジャーが捕縛し、服の袖を捲って腕を見た。

 そこには一見すると何もない薄汚れた肌があるだけだが、ガウェインが呪文を唱えると、そこに隠されていた刻印が姿を現した。

 その瞬間、数々の前提が崩れた。

「ピーター・ペティグリュー。この刻印は貴様が闇の帝王の配下であった証に違いないな?」

 ガウェインが杖を突きつけながら問う。

「……あ、え?」

 男はアホ面下げてガウェインの杖を見つめる。この期に及んで状況を理解出来ていないらしい。とんだウスノロだ。

 俺は奴の背中を思いっきり蹴りつけた。

「お、おい!」

 ガウェインが窘めるように声を荒げるが無視する。

「とりあえず、逃げられないようにしとかねーとな」

 奴の両腕両足の骨を折ってやると、聞き苦しい悲鳴を上げやがった。

「うるせぇぞ!」

 思いっきりゲンコツを喰らわせてやると、奴は涙を浮かべて震え始めた。

「おい、ダリウス!! まだ、私が尋問している最中だぞ!! そうではなくても、私刑目的の暴力はよせ!!」

「バーカ、そんなんじゃねーよ。まだ、近くに生徒達がいるだろ? こいつが人質に取ったり、危害を加えたり出来ないようにしただけさ。ついでに逃走防止も兼ねてな」

「し、しかし……」

「それより、尋問なんてまどろっこしい事してる場合じゃねーだろ。真実薬でとっとと情報を吐かせるぞ」

 十三年間、平和な時代が続き過ぎた。ガウェインは局長の副官を務める程の優秀な男だが、如何せん、まだ若過ぎる。

 経験が足りない。

 闇の帝王の陣営を相手にする時は容赦などしてはいけない。

 教師の一人が持ってきた真実薬を無理矢理口の中に突っ込むと、奴の口からは情報が駄々漏れとなった。

 十三年前の真実が明らかとなり、その場に居た者達の顔は一斉に青褪めた。

「決まりだな」

 俺はガウェインの肩をバシッと叩いた。

「シリウス・ブラックは無実だった。後はファッジや局長に頑張ってもらおうぜ」

「おい、ダリウス!」

「俺にはちょっとやる事が出来たから、行ってくる」

 去り際に喉を潰していく。これで呪文も唱えられない。

「ネズミに変身されると厄介だ。逃がすんじゃねーぞ」

 後ろでギャーギャーと喚く後輩達を尻目に俺はシレッと姿を消しやがったクソガキを探しに行く。

 数人のガキに聞くだけで居場所はすぐに分かった。悪ガキトリオと一緒にハゲの飼い主やってた坊主を慰めてやがる。

「元気だせよ、ロニー! 今度、俺達で金出しあって、フクロウを買ってやるからさ!」

「そうだぜ! フクロウは便利でいいぞー」

「スキャバーズの事は忘れなよ! な?」

「ほら、元気を出してよ、ロン」

「……スキャバーズがおっさん。スキャバーズがおっさん」

 ロン・ウィーズリーは見てて哀れになるくらいヘコんでいる。

 無理もない。ペットがいきなりおっさんになったら俺だってショックだ。

「おーい、ガキ共」

 声をかけると、悪ガキ共や不運な飼い主はギョッとしたような表情を浮かべたが、ドラコの奴は待ってましたと言わんばかりの余裕の表情で出迎えやがった。

「とりあえず、お手柄だったな」

「えっと……?」

「あー……って事はマジなのか」

「ウッゲェェェ。俺、立ち直れないかも……」

「勘弁して欲しいぜ」

「あはは……」

 約一名、事態を飲み込めてない奴がいるが無視しておく。

「ドラコ・マルフォイつったな?」

「ええ、そう言うあなたは……ダリウス・ブラウドフット?」

「覚えててくれたか、嬉しいねぇ」

 白々しい。

「お前さん、今回の事はどこまでが筋書き通りなんだ?」

 こいつは近くに俺が居る事を見越して、あの推理を繰り広げた。

 そして、その推理は完璧に真実を言い当てていた。

 あまりにも異常だ。俺達闇祓いやダンブルドアでさえ辿り着けなかった『解答』を学生という時間や知識を縛られた立場の人間が短期間で導き出すなど……。

 しかも、ピーター・ペティグリューが絶対に逃げ出す事の出来ない完全な包囲網に陥れた。

「……何の事だか」

「よう、ドラコ。ここはいっちょ、腹を割って話そうぜ。お前は何が目的だ? どうして、奴を捕まえさせた? ルシウス・マルフォイの息子が隠れ潜んでいた死喰い人を表舞台に引きずり上げた理由はなんだ?」

「お、おい、アンタ!」

 喚き立てようとするガキ共を一瞥して黙らせる。

「……俺に『嘘』は通用しないぜ。『真実』を話しな」

「僕が嘘を吐いてるって言うんですか?」

「むしろ、一度でも正直になった事があるのか?」

 そう言うと、初めてドラコは顔を歪めた。ほんの僅かだが、少しだけ人間味が見えてホッとした。

「ドラコ。俺と友達にならないか? お前の頭脳と能力は年齢を考えりゃ、桁外れだ。それを正義の為に使ってみないか?」

「……僕は十分、正義の為に使ってると思うんだけど?」

 十三歳のガキが『妖艶な笑み』なんてものを使いこなす。

 耐性の無いガキなら一発だろうが、俺には通用しない。

「ほう、今回の事も正義の行いだってのかい?」

「そうだよ。僕は単純にシリウス・ブラックの無実を証明したかっただけさ」

「それはまたどうして? 親戚の好ってヤツか?」

「そんなんじゃないよ。ただ……」

 そこで初めて、ドラコは本当の意味で子供らしい表情を浮かべた。

「シリウスはハリーの後見人なんだ」

「……らしいな」

「僕はハリーを大切な友人だと思ってる」

「……みたいだな」

「ハリーは叔母であるペチュニア・ダーズリーとその一家から虐待を受けてるんだ」

 そう言って、ドラコは昏い目を窓の外へ向けた。

「僕は二年前、ハリーの両親のアルバムを作って、彼にプレゼントした。僕はシリウス・ブラックという人が如何にハリーの両親と仲が良く、そして、気高い人物だったのかを知っているんだ。僕には彼が世間の言うような事件を起こしたり、帝王に傅く人間とは思えなかった。だから、彼が無実である可能性を信じていた。もし、彼が無実なら……」

 参った。こいつは今、何一つ嘘を言っていない。

 嘘と真実が分かる俺が言うんだから間違いない。

「今度は写真じゃない。本当の家族をプレゼント出来ると思ったんだ。彼をちゃんと愛してくれる……、本当の家族を」

「……どうして、そこまで?」

「だって……」

 ドラコは言った。

「ハリーは僕の大切な友達なんだ。友達の為に何かしてあげたいと思うのは、そんなに不思議な事かな?」

 一瞬、俺の勘が鈍っているのかと思った。

 まるで、ドラコ・マルフォイが本当に友達思いの優しい少年に思えてしまった。

「ドラコ。一つだけ教えてくれ」

「なに?」

「お前が望んでいるものは何だ? ルシウス・マルフォイの息子がスリザリンの宿敵であるグリフィンドールやレイブンクローの生徒と親しくしたり、マグル生まれとも別け隔てなく接する理由はなんだ?」

「……僕が望んでいるものは」

 ドラコは言った。

「幸福……。みんなと仲良くなりたいんだ。家族とも、友人とも、みんなと一緒に『この広い世界』で『幸せ』になりたいんだ」

 その言葉に嘘偽りは何一つ混じっていなかった。

 だから、俺はその言葉を信じる事にした。

 現に今回の件で得をした人間は冤罪を掛けられていたシリウス・ブラックのみ。

「ドラコ。みんなと仲良くなりたいか……。そのままでいろよ? お前さんとは敵対したくない。友達のままでいような」

「……うん、もちろん。僕とダリウスは友達だよ。これからずっとね」

 さて、少し頑張るかな。

 ハリー・ポッターに本当の家族を……か、いい願いだ。その為に子供が頑張ったんなら、次は大人が頑張らないとな。

 俺は気合を入れなおして彼らの傍を離れた。



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第十一話「家族」

予約投稿を間違って明日に設定してました・゚・(つД`)・゚・


 薄暗い部屋。僕はふかふかの椅子に腰掛けている。

『……忌々しい』

 腸が煮えくり返る。賢者の石さえ手に入っていれば、今頃は肉体を完全な状態で蘇らせる事が出来たものを……、あの老いぼれめ。

 どうにかして、手駒を手に入れなければならない。だが、どうやって?

 ルシウスを始め、配下達の内でアズカバンへの収監を免れた者達は信用出来ない。

 今の私はあまりにも非力だ。奴らは私への忠誠よりも己の保身を優先させるだろう。

 だからこそ、今も呑気に過去を忘れて生きている。

『手駒が必要だ……』

 この哀れな状態の私にも忠誠を誓う従順な下僕が必要だ。

『一つ、賭けに出てみるか……』

 

 

 精神を殺した状態で魂の融合を行っても、こういう事が起きるのか……。

 僕は今、ヴォルデモートと意識を同調させていた。

 隣のベッドではハリーが同じ夢を見ているようで、傷口を抑えながら苦悶の声を上げている。

「ハリー。大丈夫かい?」

 肩を揺さぶり、強引に目を覚まさせる。

 ハッとした表情を浮かべて起き上がるハリーを抱き締める。

「大丈夫かい?」

「う、うん……」

 頭を優しく撫でてあげながら、僕はハリーが見た悪夢の内容を聞いた。

 やはりと言うべきか、内容は全く同じだった。薄暗い部屋の中で怒りを滾らせるヴォルデモートとの同調にハリーは酷く動揺している。

「大丈夫だよ、ハリー。僕がついてる。だから、安心するんだ」

「ドラコ……」

 僕はハリーの瞳をジッと覗き込んだ。不安を他の感情で払拭する。

 ハリーはのぼせたように頬を赤らめ、そっと目を伏せる。

 そんな彼の顔を両手で包み込み、少し強引に僕の目を見させる。

「ハリー。嫌な夢なんて忘れて、明日の事を考えよう。明日、シリウスが君に会いに来るんだ」

「シリウス……。僕の後見人……」

 シリウス・ブラックの無罪は無事に証明された。魔法省内でゴタゴタが起きたり、日刊預言者新聞に掲載された哀れな冤罪被害者のニュースに世間も沸き立ち、それが落ち着くまで待っていたら三年目が終わる直前になっていた。

 試験やクィディッチの試合も全て終わり、今年もスリザリンが圧勝した。

 闇祓いの介入やピーターの逮捕劇などもあったけど、概ね平和な一年となった。

「明日会ったら、いっぱいお話をするといい。彼は聞きたがる筈だよ」

「……僕はシリウスと暮らす事になるのかな?」

「君が望むならね。それが何よりも優先される筈さ。ただ、彼はきっと君を愛してくれる。他の誰よりもね」

「……そうかな?」

「不安かい?」

「だって、今まで一度も会ったことがないんだ。夏休みに君から言われるまで、そんな人が居る事自体知らなかったし……」

「ハリー……。君は僕の事をどう思う?」

「え……?」

「僕は君が大好きだよ。出会えて良かったと心から思っている。君のためならそれこそ何だって出来るくらい、君を想っているつもりさ」

「ド、ドラコ……」

「君はどう?」

「……えっと」

 ハリーは照れたように唸る。

「……僕も君の事が大好きだよ。知ってるだろ!? この世で誰が一番大切かを聞かれたら、迷わず君を選ぶくらい大事に思ってる!」

 嬉しくて頬が緩む。思い通りの言葉だったけど、それを実際に彼が言ってくれた事に心から喜びを感じている。

「だけど、僕達が出会ったのはほんの三年前さ」

「それは……」

「たった三年でも、これだけの絆を作れるんだ。だから、君とシリウスの絆だって直ぐに出来る筈だよ。シリウスは君を愛してくれる。後は君が愛してあげるだけなんだから」

「でも……」

「僕が保証する」

「ドラコが……?」

「どうしても不安なら、僕を信じればいい。僕を頼ればいい」

 僕は彼に微笑みかけた。

「いつだって、どこでだって、僕は必ず君を助ける。だから、ドンとぶつかってきなよ!」

「ドラコ……、うん」

 ハリーは漸く笑みを浮かべてくれた。

「君は僕のためにシリウス・ブラックの無実を証明してくれた」

「たまたまだけどね」

 僕の言葉を彼は全く信じていない。だけど、その表情に批難の色は一欠片も見えない。

「ありがとう、ドラコ。君が道を作ってくれた。なら、進む勇気くらいは持たなきゃね」

「……ハリー。君は幸せになるべきだ。その権利があるし、義務もある」

「義務?」

「君の御両親はきっと君の幸福を祈っていた筈だ。それに僕だって、君が幸せになれなきゃ嫌だ」

「あはは……、それは責任重大だなー」

「そうさ、君は僕らの願いを背負っているんだから、幸福にならなきゃいけない義務があるんだよ」

「……幸福にならなきゃいけないって言うけど、もう僕はとっくに幸福さ。僕も君に出会えて良かったよ、ドラコ」

「ハリー……」

 夜が更けていく。明日、ついに僕が待ち望んでいた日がやってくる。

 

 

 心臓が高鳴っている。今、僕はダンブルドア校長先生の部屋にいる。

「大丈夫だよ、ハリー」

 ドラコの微笑みには力がある。勇気を奮い立たせる聖なる力が。

 僕がどうしても一緒に居て欲しいと懇願すると、彼は「もちろん」と頷いてくれた。

 もうすぐ、ここに彼が来る。僕の家族となる人が……。

「来たようじゃな」

 ダンブルドアの言葉と共に扉がパッと開いた。そこに少し痩せ気味の男が立っていた。

「……シリウス……おじさん?」

 僕が呟くと、シリウスは涙を流しながら僕の下へ駆け寄ってきた。

「ハリー!! ハリー・ポッター!!」

 彼は僕の頬を両手で包み込むと、嗚咽を漏らしながら何度も僕の名前を呼んだ。

「ああ、ずっと会いたかった。ジェームズとリリーの息子。顔や髪はジェームズにそっくりだ……」

「でも、目はママにそっくり?」

 僕の言葉にシリウスは面食らった表情を浮かべ、やがて吹き出した。

「その通りだ! 誰の心も鎮めてしまう優しい瞳。紛うことなき、リリーの瞳だ」

 そう言うと、シリウスは表情を強張らせた。頬を紅潮させ、何度も咳払いをした。

「そ、そのだね。きょ、きょきょ、今日は君に提案があ、あ、あ、ある、あるんだけど……その、えっとな」

 ドラコは凄いと思う。彼の言葉はどんな奇跡も実現する。

 僕は初対面のシリウスの事が大好きになった。

「シリウス。僕、あなたの家族になりたい」

 先手を打たれたシリウスが口をあんぐりと開ける。そして、突然踊りだした。

「うっひゃーおおおうううう!! 聞いたか!? 聞いているか、みんな!! ああ、こんな素晴らしい事が待っていたなんて!! あああああああああ!! 報われたぞ!! 十三年、アズカバンで耐えていた甲斐があった!! うっひょおおおおお!! ハリーが!! ハリーが私の家族になるんだ!! 見ているか、ジェームズ!! リリー!! 私は絶対にハリーを幸せにするぞ!! 絶対に……絶対……」

 今度は泣き出してしまった。泣き喚きながら、彼は僕に必死に謝ってくる。

 彼の過去の過ち。ジェームズとリリーに秘密の守り人をピーターにするよう進言してしまった事を何度も地面に頭を擦りつけながら謝った。

 僕が何を言っても、泣きながら「ごめん。ごめんよ、ハリー」と……。

「ダーズリー家の事を聞いた!! 君を……辛い目に……グゥゥゥゥゥ。だが、もう誰にも君を傷つけさせんぞ!! 私が守る!! 私の人生全てを掛けて、君を幸福にしてみせるぞ!!」

 十三年間溜め込み続けてきた感情を一気に放出している。

 気がつくと、僕は涙を流していた。

 こんな人がいたんだ。

 僕の家族になりたいと心から願っている人。

 ドラコを見ると、彼は我が事のように嬉しそうな笑みを浮かべている。

 みんな、僕とシリウスが家族になる事を祝福してくれている。

 もう、理不尽な事を言われたり、暴力を振るわれたり、食事を抜かれる事なんて無いんだ。

 僕を愛してくれる人と一緒に暮らせるんだ。

「シリウス!!」

「な、なんだい、ハリー?」

「これから、よろしくお願いします!」

「……ああ、ああ!! よろしく頼むよ、ハリー。わ、わ、我が息子よ!!」

 シリウスは感極まった表情を浮かべながら僕を抱き締めた。あまりにも力強いハグに全身が痛くなるけど、僕は全く気にしなかった。

 むしろ、全身全霊で彼を感じたかった。

 三年目が終わりを迎えるこの日、僕は新しい家族を手に入れた。



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第十二話「真実を求める者達・Ⅱ」

 1989年、短いスパンの間に総勢五百人を超える人間が忽然と姿を晦ました。警察の捜査員が千人以上も投入されたにも関わらず、目撃情報や手掛かりになるような痕跡が一切見つからないまま捜査終了の命令が下り、迷宮入りとなった空前絶後の大事件だ。

 捜査員の中には命令に反発して独自の調査を進める者も大勢居たが、彼らはある時ふらりと行方を晦まし、戻って来た時には事件の事に酷く無関心となっていた。その変心振りはあまりにも恐ろしく、同じ事が数件も続くと、情熱を燃やしていた捜査員達の多くが無念を抱いたまま調査を終えた。

 レオ・マクレガー警視長はそうした捜査員達がまとめた資料をこっそりと集めて保管した。三年後、引退する日まで他の者達に倣って――余計な事に首を突っ込まない――真面目な警察官を演じ続けた。

 そして、引退後に友人のジョナサン・マクレーンを巻き込んで探偵事務所を開業した。

 この世の『真実』を暴く為に……。

 

 

 グリニッジの警察署で偶然出会ったフレデリック・ベインという男に導かれ、レオ・マクレガー探偵事務所で世話になるようになって丁度一年が経った。

 表向きは一般的な探偵事務所。猫探しから不倫調査まで何でも手広く請け負っている。

 その裏の顔は世に蔓延る常識では計り知れない事象の調査を行う秘密結社。

 まるで、バットマンかスーパーマンみたいなファンタジックな場所。それ故に所員も癖のある人物ばかりだ。

 ソファーで寛いでいる東洋人はワン・フェイロン。元は中国マフィアの一員だったらしいが、とある事件を切っ掛けに組織が壊滅し、その原因を探る為にこの事務所に所属している。いつも穏やかな笑みを浮かべているが、目がまったく笑っていない。この事務所に密かに持ち込まれている銃火器は彼がマフィア時代の伝を使って入手している。

 テレビを見ながらお菓子を摘んでいる男はマイケル・ミラー。元傭兵で『俺はドラゴンを見た事があるんだ』というのが口癖の変人だ。

 窓際の席で机に足を投げ出し、タバコを吸っている金髪の女はリーゼリット・ヴァレンタイン。十年程前、家に押し入った何者かに家族を皆殺しにされ、その犯人を追うためにここにいる。顔には大きな傷跡があり、初対面では思わずビビッてしまった。彼女には特別な才能がある。身体能力がずば抜けているのだ。それこそ、オリンピックに出場したらどんな競技でも金メダルを掻っ攫っていける程。視力もあり得ないくらいよく、本気を出せば彼女の目は三キロ先の米粒に書いてある文字が読めるという。

 今現在、事務所にいるのは所長であるレオと俺を除けばこの三人だけだが、他にも四人いる。彼らも負けず劣らず変人揃いだ。

 よく、こんな濃いメンバーを集められたなと感心する。

「ジェイク。腹減った」

 リズがタバコの火を消しながら言った。

「ハンバーガーが食いたい。十分以内でダッシュだ、オーケー?」

 フレデリックと出会った時は希望に満ち溢れていた。同じ志を持つ仲間達と直ぐにマリアを助け出す事が出来る筈だ……、と。

 現実は非情だ。ここでの俺の仕事は所員達の使いっ走り。十三歳のガキに出来る事なんて何もねーって言いやがる。

 それでもここに居座っているのは――腹が立つが――ここに居ることがマリアの行方を掴む一番の近道になると理解しているからだ。

「フェイロンとミラーは?」

「チーズバーガーとオレンジジュースを頼む」

「俺はコーラとポテト! あと、チーズバーガーのダブル」

 俺が言うのもなんだけど、ガキみたいなチョイスだ。マフィアの元幹部や元傭兵がハンバーガーとジュースって……。

「別にバーガーショップ以外でもいいけど?」

「チーズバーガーだ。それ以外はいらん」

「とりあえずポテトだ。あと、ヤツによろしく言っておいてくれ!」

「あいよ」

 ミラーはバーガーショップのマスコットキャラクターであるあの不気味な道化師をいたく気に入っている。

 彼の部屋にはグッズが幾つもある。夜に見ると些か心臓に悪い。

「レオは?」

 所長室の方に声を掛けると、レオもチーズバーガーと答えた。

「チーズバーガー大好き倶楽部に改名しちまえよ、この事務所」

「いいな、それ!」

「……いってきまーす」

 ミラーが食いついてきたけど、面倒だから無視して事務所を出る。

 バーガーショップは直ぐ近所にある。入り口の道化師に簡単に挨拶してから中に入るといつもの店員が愛想の良い笑みを浮かべた。

「よお、ジェイク! また、チーズバーガーかい?」

「俺の好物みたいに言うな! あのチーズバーガー大好き倶楽部の奴らに頼まれたんだよ!」

「あっはっは! いいねー、チーズバーガー大好き倶楽部か! 確かにいっつもチーズバーガーばっかりだもんね!」

「あいつら、絶対高コレステロールが原因で死ぬな、間違いない」

「おやおや、随分と難しい言葉を使うようになったね!」

「馬鹿にしてんのか!!」

 この一年間、使いっ走り以外の時間はすべて勉強に充てている。

 レオが言ったのだ。

『お前に必要なものは知識と礼節だ。その二つが無ければいつまで経っても恋人の下には辿り着けん』

 俺に必要な知識と礼節が身に付くまで、調査には参加させてくれない。そう断言して来た時には事務所を飛び出そうかと思ったが、俺が真面目に勉強している限り、代わりに他のメンバーがマリアの居場所を探ってくれると約束してくれたから何とか踏み止まった。

 今、事務所にいない四人の内、二人はマリアの居場所を探してくれている。結果は芳しくないが、顔を合わせる度に必ず見つけると約束してくれるから信じる事にしている。

 もう読み書きや足し算掛け算はマスターしたし、事務所の本を何冊も読破した。

 十四歳の誕生日が来たら、本格的に調査に協力させてくれる許可も出た。

「俺はレオ・マクレガー探偵事務所の所員だぜ! このくらいの常識、知ってて当然だろ!」

「そうだったねー。よーし、今日はお詫びにナゲットをプレゼントしよう!」

「マジ!? やったー!」

 誕生日まで、後三日。漸く、始められる。

 

 瞬く間に時間が過ぎた。誕生日、俺はレオから正式な所員としての証である社員証を貰った。

 他にもフェイロンからは護身用のスタンガンや特殊警棒をプレゼントされ、リズからは何故か妹の写真を貰った。

「可愛いだろ? 生きてればお前と同い年になっていた筈なんだ」

「ふーん」

 確かに可愛いと思う。リズをそのまま幼くして、顔から傷跡を取り払った顔立ち。

 愛らしい笑みを浮かべながら今の俺と同い年くらいのリズに抱きついている。

 幸せそうだ、二人共……。

「どうして、俺に?」

「私の元気の源だからな、お裾分けってヤツさ。どうしても辛かったり、苦しかったりする時はその写真を見て元気を出しな」

「お、おう……」

 俺にとっては話した事どころか会った事すらない他人なんだけどな……。

「名前は何て言うんだ?」

「フレデリカだ。フレデリカ・ヴァレンタイン」

「フレデリカか……」

 この子はもう死んでいる。殺されたのだ。 

 俺はレオに買ってもらった財布の中に彼女の写真を仕舞った。

 折り目一つつかないように慎重に……。

「ジェイク」

 財布をポケットに仕舞うと、レオが声を掛けてきた。

 白髪が目立ち始めているけど、六十五歳とは思えないくらい若々しい。

「九月からお前には学校に行ってもらう」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

「が、学校!? 俺を正式な所員にしてくれる約束だろ!!」

「ああ、そのつもりだ」

「なら、なんで……」

 ショックだった。明日からいよいよマリア探しを開始出来ると信じていたのに、あんまりだ。

「勘違いするな。これも調査の一環だ」

「学校に通うことのどこが調査なんだよ!!」

 俺が怒鳴ると、レオは表情を引き締めながら言った。

「お前にしか出来ない調査だ。ダドリー・ダーズリーという若者と接触しろ」

「ダドリー・ダーズリー……?」

 知らない名前だ。

「彼から義弟である『ハリー・ポッター』の事を聞き出すんだ」

「だ、誰だよ、ハリー・ポッターって……」

 レオは言った。

「十三年前の事だ。街中に謎の集団が姿を現した」

 十三年前という単語に心臓が高鳴った。

 確か、フレデリックが言っていた村人の集団失踪事件が起きた年だ。

「高速道路。ロンドンのメインストリート。繁華街。ところ構わず、奴らは大騒ぎをしていた。ローブを身に纏い、明らかに人智を超えた奇跡を国中で巻き起こした。情報統制が行われ、記録はあまり残っていないが一連の騒ぎは俗に『ワルプルギスの夜』と呼ばれている」

「ワルプル……なんだって?」

「ワルプルギスの夜。本来は寒季から暖季に移り変わる境目の時期に行われる古代ケルトの慰霊祭だが、この場合は意味合いが少し異なる。『魔女の饗宴』という意味合いで名付けられた」

「魔女の饗宴……?」

「その日は実に奇妙な一日だった。昼間から空をフクロウが飛び交い、ローブやマントを身に付けた者達が至る所で同じ話題を囁き合う。ケント、ヨークシャー、ダンディー州では流れ星の土砂降りだ」

「囁き合うって、どんな内容を?」

「『例のあの人』がいなくなった。マグルも魔法使いも今宵は関係ない。みんなで喜ぼう。みんなで祝おう。帝王を滅ぼした赤ん坊、生き残った男の子、ジェームズとリリーの息子、ハリー・ポッター万歳!」

 レオは言った。

「私は長年、このハリー・ポッターという人物を探し続けてきた。この国にハリー・ポッターという名前の人間は少なくなかったが、その中で十三年前赤ん坊だった者で母親がリリーという名の人物を漸く見つけ出す事が出来た。彼の事を知る事が十三年前の事件の真実を知る大きな手掛かりとなる筈だ。そして、君の恋人の身に起きた不可思議な事態の解決の手掛かりにも……」

 漸く、話が繋がった。そういう事なら学校にでも何でも通ってやる。

「分かったよ、レオ。そのダドリーってヤツからハリー・ポッターの事を聞き出せばいいんだね」

「そうだ。だが、慎重に動け」

「あいよ! 任せとけって、必ず手掛かりを掴んで来てやるからさ」

「ああ、期待している」

 ハリー・ポッター。漸く、足掛かりが見つかった。

 待っていろよ、マリア。必ず、お前の下に辿り着いてみせるからな!



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第四章「魔王再臨」
第一話「新生活」


また、予約投稿ミスってましたOTL


 キングス・クロス駅から徒歩で二十分。グリモールド・プレイス十二番地に普通の人の目には見えない秘密の屋敷がある。

 そこが僕の新しい家。

 二週間前、シリウスと出会い、正式な養子になる為の手続きを行った。色々と面倒な手順を踏む必要があったけど、なんとか全てを終える事が出来た。

 ダーズリー家には一度だけ挨拶する為に帰ったけど、僕がシリウスの養子になる事を告げると「せいせいする」の一言だけだった。

 初めて訪れたブラック邸はかなり荒れていた。十年近く放置されていたせいだ。

 掃除をしようにも下手に触れると呪いの掛かる物や屋敷しもべ妖精の生首を剥製にしたものなど、一筋縄ではいかないものばかりで生活出来るように環境が整うまで丸一週間もかかった。

 その間、僕達はルーピン先生の家に泊まった。先生はシリウスやパパと学生時代よく行動を共にした仲らしい。先生の家に厄介になっている間、僕は二人から両親との思い出話をこれでもかというくらい聞かせてもらった。どうやら、パパは思っていたよりもずっとワイルドな人だったみたい。

 僕からも今までの十四年間で起きた事を簡単に説明した。自分の身の上話を家族にするのは実に不思議な気分だった。

 ダーズリー夫妻は僕の学校生活に欠片も興味を示さなかったから……。

 その過程でシリウスが僕の友人関係に懸念を抱いている事が分かった。そもそも、寮がスリザリンである事にも不安を抱いている。

 一時は決定的な亀裂が入り掛けた程だ。

 折角家族になれた僕達に早々訪れた危機を救ってくれたのは他でもないドラコだった。屋敷の清掃を手伝いに来てくれた彼がシリウスを説得してくれた。

 シリウスも無罪証明の立役者であるドラコ本人には強く出れないみたいで説得に折れるまでに一時間も掛からなかった。

 フリッカ達も手伝いに来てくれて、彼らの人となりを見て、シリウスもやがて自分を恥じ、友人関係に茶々を入れてしまった事を謝ってくれた。

 調度品の一部を売り捌いたり、特に手の施しようのない物をダンブルドアの力を借りて処分したりと大忙しの一週間を乗り越えた後、シリウスはすっかりドラコ達を気に入るようになっていた。

 当然の事だと思う。だって、彼らはみな、僕の素敵な友人達なのだから。

 

 新生活がはじまって直ぐ、僕はある事に気がついた。

 シリウスに家事を任せてはいけない。

 彼は一言で言うと子供のまま大人になってしまった人だ。自分で言ってて酷いと思うけど、実に的を射ていると思う。

 興味のある事には凄い集中力を発揮するけど、興味のない事……例えば、料理や掃除は適当にやろうとする。

 彼に掃除を任せた部屋は埃を軽く払っただけで水拭きすらしていなかったし、料理は味付けすらまともにしていない具材を焼いただけのものをまな板に乗せて直接食卓に置いた。

 その一件以来、家事は完全に僕の担当になった。ほんのちょっとだけ、料理や掃除の指導をしてくれたペチュニア叔母さんに感謝しながら、今日も朝ごはんを作っている。

 夏休みの間は大丈夫だけど、学校が始まったらシリウスは一人で生活出来るのだろうか? 最近、その事ばかり心配している。

 家族が出来ると無邪気に喜んでいた頃が懐かしい。義父が出来たというより、体ばっかり大きくて手の掛かる子供が出来てしまったみたいだ。

「悪い気分じゃないんだけどね……」

 新品の包丁で野菜を切り、湯だった鍋に落としていく。

 魔法を使った料理は難易度が高過ぎて手が出なかった。

 料理の為に色々な道具や材料を適度に動かすのは相当な集中力と経験が必要でドラコでさえお手上げ。僕達の中だと出来るのはフリッカだけだ。

 料理の仕上げに取り掛かっていると、シリウスがリビングに入って来た。

「うーん、いい匂いだ」

「おはよう、シリウス。朝ごはんはスープとスクランブルエッグだよ」

「ああ、ハリーの料理はこの世で何よりも美味い! 生きてて良かったと心から思うよ!」

「……あはは。手を洗って、うがいをしてきてね。後、ヒゲもちゃんと剃らなきゃだめだよ?」

「オーケイ。ハリーは本当に母親似の性格だな。リリーもいつも……」

「その話は十回目だよ、シリウス。いいから、早くして! もう、出来るから!」

「アイアイサー!」

 やれやれと肩を竦めながらエプロンを取る。すると、コンコンという音が鳴った。

 窓の外に見慣れたフクロウがいる。

「ヘドウィグ!」

 ハグリッドに買ってもらったシロフクロウはいつも完璧な仕事をしてくれる。

 足に括りつけられている手紙を解くと、ドラコからのメッセージが記されていた。

「わーお!」

「ん? どうしたんだ?」

 手洗いうがいを終えたシリウスが丁度戻って来た。

 僕は手紙を彼に見せる。

「見てよ! ドラコがクィディッチ・ワールドカップのチケットを手に入れてくれたんだ! シリウスの分もあるよ!」

「オーマイガー!」

 シリウスはひっくり返ってしまった。あまりのオーバーリアクションにドン引きしながら恐る恐る声を掛けるとガバリと起き上がり、僕から手紙を奪い取る。

「イヤッホー! やはり、持つべきものは友だな! さすが、ドラコ・マルフォイだ!」

 2週間前の自分のセリフを思い出してからもう一回言ってみろ。思わず声に出しそうになり、必死に深呼吸をする。

『マルフォイ家の子だって!? ハリー! マルフォイは邪悪の代名詞と言っても過言じゃない悪辣な一族だ。悪いことは言わないから付き合う相手を選んだほうが良い!』

 あの時は大喧嘩だった。ドラコが仲裁に入らなかったら、僕達の新生活は始まる前に終わるところだった。

 本当に仕方のない人だ。

 子供みたいにはしゃぎ回るシリウスを落ち着かせるのに結局三十分も掛かり、僕は朝食を温め直さなければならなかった。

 シュンとする義父に慰めの言葉は掛けない。たまにはちゃんと叱らないと分からない人だからね。

 心を鬼にする決意を固めて朝食を並べていく。

「……そう言えば、シリウスは贔屓のクィディッチ・チームってあるの?」

 決意は五分で崩れた。どんどん萎んでいくシリウスに僕が根負けしてしまった。

 話しかけると、まるでご主人に構ってもらう犬みたいに嬉しそうな顔をするものだから堪らない。

 朝食を食べながらシリウスのクィディッチ談義を聞き、クィディッチ・ワールドカップに思いを馳せる。

 世界中からやって来る刺客達に我が国が誇る公式チームは勝てるだろうか?

 朝食後はダンと共に買い漁ったクィディッチ専門雑誌を開き、二人であれこれと議論を交わした。

 たまらなく幸せな時間が過ぎていく。

 

 

 手に入った。

 ハリーの新居であるブラック邸に清掃の手伝いを申し出た目的は二つ。

 一つは当然、ハリーにより良い新生活を送ってもらうため。

 残り一つはブラック邸にある分霊箱だ。

 もっとも、盗み出したわけじゃない。

 あそこにはブラック家そのものに仕えている屋敷しもべ妖精がいるから盗み出したりしたら直ぐにバレてしまう。

 だから、僕は堂々と分霊箱である『サラザール・スリザリンのロケット』を『手の施しようのない闇の魔術品』のところに投げ込んだ。

 後で、これらはダンブルドアに処分を依頼する予定になっている。

 ダンブルドアは今、ニワトコの杖を所有している。あの杖で死の呪文を唱えれば分霊箱に封じられている魂の一部を完全に消滅させる事が出来る筈だから、後は任せておけばいい。

 2週間前に見た夢。ヴォルデモートは復活を企み、行動を起こそうとしていた。

 賭けに出ると言っていたが、具体的な事が分からないまま同調が切れてしまった事が悔やまれる。

 何かが起きるとしたらクィディッチ・ワールドカップか三大魔法学校対抗試合だろう。

 ピーターが居ない以上、ヴォルデモートも三大魔法学校対抗試合の情報は掴んでいないかもしれないから、本命はワールドカップの方だ。

 警戒しておくべきだろう。

 いずれにせよ、時が迫っている。



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第二話「真実を求める者達・Ⅲ」

 歴史ある名門私立『スメルティングズ男子校』に入学して、初めて感じた事は違和感だった。

 勉学に勤しみ、友人と語り合い、夢を見る事が当たり前とのたまう同世代の少年達に俺は少なからず衝撃を受けていた。

 明日食べるご飯の心配をした事など一度も無い。幸福である事が当たり前の者達。

 今までの自分の人生と比べ、あまりにも恵まれた環境で生きる彼らの輪に溶け込むのはまるで泥沼に浸かるみたいな気持ちの悪い感触だった。

 だけど、俺には為すべき使命がある。レオの下で学んだ社会の中で生きる為の礼儀(じんかく)で何もかも正反対な奴らに取り入り、それなりの友好関係を築けるまでに一ヶ月を要した。

 その日々の中でダドリー・ダーズリーについて色々な噂が耳に入って来た。

 どうやら、相当な悪童らしい。実際、遠目で何度かその姿を見かけたが、驚く程の肥満体質だった。その上、底意地の悪い乱暴者らしく、よく非力な生徒を虐めて喜んでいるらしい。

 ヤツと接触するのは中々骨が折れそうだ。いろんな意味で……。

「とりあえず……」

 俺はヤツが参加しているボクシングのジムに入る事にした。

 これが一番手っ取り早い。同じジムにいれば嫌でも言葉を交わす機会が生まれる筈。

 そこでハリー・ポッターの事を聞き出す。

 それで任務は終了だ。

 

 あまり、ここには長居していたくない。

 幸せそうに生きる同級生達が羨ましくなってしまう。

 親しげに接してくる友人達に囲まれて、居心地が良く感じてしまう。

 それはダメだ。俺はマリアを見つけて助けださなければいけない。こんな所にいてはいけない。

 

 ボクシングのジムでダドリーを間近で見ると、奴は本当にデカかった。

 俺もここ数年で一気に身長が伸び、筋肉もついてきたが奴は縦にも横にも只管デカい。

 困った事にガタイの差はそのままクラスの違いになっている。ライト級の俺ではヘビー級のヤツと同じ訓練が出来ないのだ。

 とは言え、あんな巨体になる気は無いし、なれるとも思わない。

 全くの他人から身内の話を聞けるくらい深い関係にならないといけないんだ。焦りは禁物。

 慎重に……それでも、迅速にヤツにとりいる。その為にはヤツと一勝負する必要がある。

 方法は一つ。

 ヘビー級であるヤツと戦うにはライト級の王者となって、ヤツの感心を引き、勝負の場に引きずり出す以外に道は無い。

「っていうわけで俺にボクシングを教えてくれ」

「……ジムで教えてもらえよ」

「ジムでも学ぶさ! けど、手っ取り早く王者になるにはどうしても経験が足りないんだ。だから、ジムの誰よりも強いアンタに稽古をつけてもらいたいんだ!」

 俺の言葉にリズは大きな溜息を零した。

「フェイロンやロドリゲスに稽古を頼めばいいだろ。女のアタシよかよっぽど役に立つぞ」

「アイツらよりアンタの方が強いだろ!」

「……仮にも乙女に向かって、そういう事を言うもんじゃ――――」

「ジョークは後にしてくれ! 俺は一刻も早くアイツと戦わないと……って、リズ?」

 そこに阿修羅が立っていた。

 俺は何かまずい事でも言ったのだろうか? リズは憤怒の表情を浮かべていた。スカーフェイスの彼女がそんな表情を浮かべると本気で怖い。

「……何がジョークだって? アタシが乙女ってのがそんなにおかしな事か? あ?」

「いや、さっきのは言葉の綾っていうか……」

「いいだろう。稽古をつけてやる」

「あ、いや……やっぱり、フェイロンかロドリゲスにでも……」

「遠慮するなよ、ジェイク」

 リズは笑みを浮かべながら言った。

 実に不思議だ。微笑みとは本来安心感を相手に与える表情(もの)である筈。

 なのに、彼女の笑顔に俺は今、底知れない恐怖を感じている。

 本能が警鐘を鳴らしている。

 

――――俺、殺されるかもしれない。

 

 逃げ出そうとした所を掴まれた。

「ヘイ……。ヘイ、ジェイク。デートに誘ったのはそっちだろ? 女をほっぽり出して行こうなんざ、男のする事じゃーないよな?」

「はいはい、そこまでだ。あんまり、ジェイクを虐めるなよ」

「フェイロン!」

 リズから俺を引き離してくれたのは部屋に入って来たフェイロンだった。

「けどな、ジェイク。お前もあんまりデリカシーの無い事を言うのは慎むようにしろ。学校生活にも支障が出るぞ」

「お、おう……」

 マフィアの元幹部のくせにフェイロンは実に常識的な事を口にした。

「テメェ、聞いてたのかよ……」

「途中からな。あんまり喧嘩するなよ? ファミリーが仲違いする事程哀しい事はない」

 その言葉に俺とリズは押し黙った。

 フェイロンの昔のファミリー……マフィアは彼が居ない間に突然殺し合いを始めた。

 理由は定かじゃない。ただ、彼らが殺し合う映像が残されていて、その中で彼らは叫んでいた。

『もうやめてくれ!!』

『どうしたっていうんだ!?』

『体が勝手に動く……、なんなんだこれは!?』

『嫌だ嫌だ嫌だ!!』

『逃げろ!!』

 彼らは一様にして正気だった。正気のまま、望まぬ殺し合いをしていた。

 そのあまりにも異常な光景こそ、フェイロンがこの探偵事務所に参加した理由。

 彼が仲間同士の争いを嫌う理由の重さを知るが故に俺達は押し黙った。

「湿気た空気だな、おい! まーた、暗い話でもしてたんだろ!」

 沈黙を打ち破ったのは外回りの多いアレックス・ロドリゲスだった。

 いつもサングラスをしている陽気な黒人だ。元々はアメリカのスラムで育ったらしく、同じスラム育ち同士で色々と話が合う。

 俺が正式に所員になるまでマリアの事を探してくれていた内の一人だ。今も仕事の合間に色々な場所へ飛び回り、情報を集めてくれている。

 どれもそっくりの別人っていうオチばっかりだけど、それでもありがたい。

「いいところに来たな、ロドリゲス。ジェイクに稽古をつけてやりな。ボクシングで最強を目指すんだとよ」

「はぁ? なんでまた!?」

 サングラスがずり落ちる程驚くロドリゲス。

「話が飛び過ぎだ。それに、ジェイクに頼まれたのは君だろ、リズ」

「……アタシじゃ壊しちまうかもしれないだろ」

 昏い顔で言うリズにフェイロンは「そうか」とだけ言って、彼女が出て行くのを引き止めなかった。

 彼女はずば抜けた身体能力を持っている。普段は抑えているけど、本気を出せば人外染みた動きが可能だ。

 その力が彼女の制御を外れた時、人間など単なる血の詰まった風船と化す。

「リズ……」

「アイツはトラウマを山盛り抱えてやがるからなぁ。まあ、あんまり気にしてやんな! 逆にトラウマ抉る事になっちまう」

「……わかった」

 ロドリゲスはリズをここに連れて来た男だ。彼女の過去を一番よく知っている。

 彼がそう言うなら、俺は従うまでだ。

「それより、稽古ってのは何の話だ?」

「ああ、実は――――」

 俺がボクシングのジムに入った流れと目的を話すとロドリゲスは大笑いした。

「確かにそうだな! 一発でダチになれる最善の方法だぜ! しかし、探偵の調査で対象と殴り合うとか、なんつーぶっとんだ発想だよ、おい!」

「そ、そんなにぶっとんでたか?」

「いや、最高だぜ。そういう事なら任せな。これでもボクシングはガキの頃から嗜んできたからな。しっかり仕込んでやれるぜ」

「サンキュー。頼むよ」

「ヘッヘー! ガキの頃を思い出すな。ダチと一緒にチラシでポーズ取ってるチャンピオンのベルトを腰に巻いてみせるって息巻いていたもんだぜ」

「ダチって、例の?」

「おう。俺の探しているヤツさ」

 ロドリゲスは俺ととても良く似ている。

 ここに参加した理由もスラムから突然居なくなった友達を見つける為だ。

 兄弟のように仲が良かったらしく、事ある毎に彼はその友達の事を話題に出す。

「ビシバシ鍛えていくからな! 覚悟しとけよ?」

「おう!」



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第三話「復活」

 事件はクィディッチ・ワールドカップが始まる前日に起きた。

 日刊預言者新聞の一面に『クィディッチ・ワールドカップの会場に闇の印現る!』という見出しが踊っている。

 僕が手に入れたチケットは当日会場に向かえば問題無く、その頃はハリーの新居でボードゲームを楽しんでいた。

 初めは父上を始めとした死喰い人の残党が原作のように悪巫山戯でもしたのかと思った。

 その考えが間違いである事に気付いたのは両親からの緊急の呼び出しを受けた時だった。

 不安そうな表情を浮かべる友人達に安心するよう説き伏せてから屋敷に戻ると、両親は血相を変えた様子で僕を抱き締めた。

「ああ、よく我慢した。浮かれて、必要も無いのに数日前から会場周りのテント村で寝起きしている馬鹿者共とは大違いだ!」

「な、何があったのですか?」

 僕が目を白黒させて聞くと、父上は青褪めた表情で言った。

「あの方が戻られた……」

 

◇◆◇

 

 まるで一匹の竜が暴れ回っているような光景だった。

 燃え盛る炎が大地を蹂躙し、逃げ惑う人々の命を刈り取っていく。

 その様を見ながら、一人の男が笑う。

――――これは祝福の火。あの方の復活を祝う狼煙。

 まだ二十にも満たない歳の青年の心は歓喜に打ち震えていた。

 

 数日前、クィディッチ・ワールドカップの観戦の為にテント村で寝泊まりしていた彼は奇妙な夢を見た。

 自らを誘う声。闇の中から自らに手を伸ばしてくる手。赤い瞳。

 その声を聞くだけで脳髄が蕩けるような快感を覚えた。その瞳を見つめるだけで心が沸き立った。

 伸びて来る手に向かって手を伸ばす。往年の友と再会したかのような錯覚を覚える。固く握手を交わすと彼は突然目を覚ました。

 深い森の中。遠くで会場の喧騒が聞こえる。

『君を待っていた』

 甘美な声が響く。生まれてこの方、聞いた事のない極上の声。

 有名なオペラ歌手や恋人の声など比べ物にならない。まるで、鼓膜を愛撫されたかのよう。

『私は君に会いたかった』

 その言葉を聞いた瞬間、彼はまるで人生で初めて褒められたかのような喜びを感じた。

『私には君の力が必要だ』

 生まれたばかりの赤子が母乳を求めるように、

 砂漠を彷徨う遭難者が水を求めるように、

 薬物中毒者が麻薬を求めるように、

 彼は声の主の力になりたいと願った。

 まるで、それこそが自らの生きる理由であるかのように……。

『ウィリアム。ウィリアム・ベル。私の名を覚えているか?』

「……ヴォルデモート卿」

 それは彼にとっても予想外の事だった。聞かれた瞬間、当然のことのように答えていた。

 大の大人ですら恐れ戦く恐怖の代名詞。嘗て、世界を混沌に陥れた魔王。闇の帝王・ヴォルデモート。

 何故、目の前の存在が彼である事を確信出来たのか、彼自身も理解出来ない。

 彼は至って普通の家庭で育った。家族はもちろん、親戚や友人に死喰い人だった経歴を持つ人間は一人もいない。闇の魔術に触れた事もない。

 なのに、彼は敬愛すべき人物として、ヴォルデモートを知っていた。まるで、往年の友と再会したかのような奇妙な感覚。

『私の手足となるのだ、ウィリアム。私を助けるのだ』

 些細な疑問などその言葉の前では無意味だった。

 彼の心は既に帝王に支配されている。

 帝王は知っていた。分霊箱という命のストックがあるとはいえ、万が一、命を落とした時、復活は容易で無いだろう事を。

 帝王に真の忠誠を誓う者はアズカバンに収容され、そうでない者は自らの身の安全を優先する。故に仕掛けを施した。

 帝王が最盛を誇っていた時期、幾人かの妊婦に呪いを掛けたのだ。その赤ん坊の魂を穢す呪い。帝王が望まぬ限り、本人ですら自覚出来ない一つの思想を植え付けた。

 ダンブルドアの目につかないよう、闇の陣営でも不死鳥の騎士団でもない有象無象の中から選んだ家の赤ん坊。その一人が彼だった。

 上手くいくかは賭けだった。仕掛けはあくまで試験的なもので、一度結果を確認するつもりだった。だが、その前にハリー・ポッターによって滅ぼされてしまった。

 その上、呪いの影響によって多くの赤ん坊が死産していた。生き残っていたのはウィリアムただ一人。その彼に呪いが正しく作用しているかどうか分からなかった。

 だが、賭けは成功。完全なる無垢の状態に刻み込んだ帝王への忠誠心は成長し、多くの経験を積み、確固たる人格を形成した今尚、彼の心の奥底に潜んでいた。

 

 帝王は復活した。彼が帝王の指示に従い、復活させた。

 そして……、壊れた。

 呪いは帝王が想定していた以上の効果を発揮した。

 無色透明な水に黒いインクの詰まったカプセルを入れたとしよう。

 時が経つにつれ、(こころ)には経験という名の様々な色が溶けこんでいく。だが、一度黒が混ざれば、全ての色が失われる。

 水は黒一色となる。

 ヴォルデモートに対する狂信的な忠誠は帝王の復活に役立った事で暴走してしまった。

 それが目の前に広がる光景だ。

 獣の姿を象る炎が会場近くのマグルの村を燃やしていく。

 その魔法の名は『悪霊の火』。

 水では消えない闇の魔術が生み出す業火。

 彼が村を燃やした理由は単純。マグルを殺せば帝王が喜ぶと思ったからだ。

 彼は笑う。

「褒めてくれますか、帝王よ! ああ、また私はあなたの役に立った! あはッ! アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

 そして、彼自身も炎の中に呑み込まれていく。

 目の前に炎が迫ってきても彼は逃げなかった。当然働くべき自衛の思考すら失われていたのだ。

 その光景を帝王は遠くからつまらなそうに見つめていた。天に自らの印を刻みながら……。

 

◇◆◇

 

「戻って来たって……、それは」

「闇の帝王が戻られたのだ」

 僕の思い違いであるという微かな希望は打ち破られた。

 刹那の間、僕の脳裏に最悪の光景が浮かんだ。

 帝王にハリーを差し出すよう命じられる光景。拒否すれば殺される。

 なら、取るべき選択肢は一つ。ハリーを差し出すのは論外だ。それは狼に羊を渡すようなもの。

「父上……」

 けど、問題がある。リジーを使えば万が一の場合でも僕は逃げられるけど、両親は別だ。

 父上と母上が殺される。そんな事は容認出来ない。

 ハリーも父上も母上もみんな僕のものだ。

 だから、万が一を起こさない為に思考しなければならない。ヴォルデモートを排除する方法を考えなければいけない。

 手っ取り早い方法はシグレを呼び出す事。既に実験で可能である事は分かっている。

 それにマリアを使えばヤツが魔法を使うより先に奴の杖を奪える筈だ。どんなに短い呪文でも唱えきるまでに一秒以上はかかる。それだけの時間があればマリアなら三度は殺せる。

 そこまで思考した所で父上が口を開いた。

「ドラコ。帝王は大層喜ばれていた」

「……ハリーの事?」

 父上は口元を歪ませた。

「聡い子だ」

「献上しろと……?」

 僕の言葉の刺に気がついたのか、父上は慌てたように首を横に振った。

「慌てるな、ドラコ。そうではない。帝王はハリー・ポッターを手懐けたお前の手腕に感動されていた。かの御方はハリー・ポッターの事をお前に任せると言われたのだ」

 まるでそれが誇らしい事かのように父上は言った。

 些か予想外だ。帝王がハリーを軽んじる筈がない。あの予言の事もあるし……いや、知らないのか?

 原作では五巻の時にわざわざ予言を手に入れようと動いていた。ある程度の内容は知っていても、完全に把握しているわけではないのかもしれない。

 片方が生きていれば、片方は生きられない。帝王が復活を果たした以上、いずれどちらかの命が潰える。それは決定された運命。

 だが、それを知らなかったら? 一年の時、クィレルの対応を完全にダンブルドア任せにした事で帝王はそもそもハリーがどうやって己を滅ぼす事が出来たのかも現段階で分かっていない可能性が高い。

 だから、ハリーを警戒している。そして、なんとか味方に引き入れたいと願っている。その為に一番リスクが少なく、可能性の高い方法を取っているとしたら……。

「父上。僕は帝王に謁見しなくてもよろしいのですか?」

「そ、それは……いや、身の程を弁えよ。お前如きが帝王に謁見を許される筈が無かろう。引き続き、帝王の期待に応え、ハリー・ポッターを籠絡するのだ。それがお前の為すべき使命であると心得よ」

 厳しく言い聞かせているつもりなのだろうが、僕からすれば本音が駄々漏れだ。

 父上は僕をヴォルデモートに会わせたくないと思っている。僕を心配しているのか、それとも別の理由か、そこは定かじゃないけど、それならそれで好都合だ。

 まだ、準備には時間が掛かる。完璧な状態でヴォルデモートを返り討ちにする準備には……。

「分かりました、父上。帝王と父上の御期待に沿えるよう精進致します」

「ああ、それで良い」

 今は我慢の時だ。父上をヤツが好き勝手に使うのを……、僕のものを弄ぶ事を許そう。

 だが、最後にはその代償を必ず支払ってもらう。

 その間はしっぽを幾らでも振ってやる。



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第四話「禍津」

 クィディッチ・ワールドカップは中止になった。

 万全の対策を練っていた筈の会場をテロリストに襲撃された一件でイギリスの魔法省大臣であるコーネリウス・ファッジは各国の魔法省から抗議を受け、その処理に追われている。

 近隣のマグルの村がテロリストの行使した『悪霊の火』によって全滅させられた件の処理も加わり、彼の業務は多忙を極めた。

「ルーファス! 事件の調査の進捗状況はどうなっている!?」

 ピリピリとした空気が満ちる執務室。

 苛立つファッジに問われた闇祓い局局長ルーファス・スクリムジョールは彼に負けず劣らず険しい表情を浮かべていた。

 犯人の名前は分かっている。だが、動機を掴む事が出来ない。親兄弟友人全てを洗ったが、彼は至って真面目な好青年だった。決して、人に害を為す性格では無かったらしい。

 事件が起きる直前、彼は友人達とワールドカップの結果を予想し合い、試合開始の時を今か今かと待っていたそうだ。

 その男が『闇の印』を天に掲げ、マグルの村を焼き尽くし、数人の魔法使いを殺害した。これはあまりにも異常だ。

 そもそも、『闇の印』を掲げる方法を知っている者は死喰い人のみ。

「……現在は彼が死喰い人と接触し、操られた可能性が濃厚であると見て、聞き込みを続けています」

 過激思想の死喰い人が背後にいる。それが一番現実的な可能性だ。

「大臣。日刊預言者新聞で全魔法使いに警戒を呼び掛けて頂きたい。黒幕を捕らえない限り、再び――――」

「同じ事が起きるというのか!? 今年はアレがあるのだぞ!! 魔法省の威信を掛けた一大プロジェクトだ。ただでさえ、ワールドカップの件で信用が失墜している。絶対に失敗するわけにはいかん。早急に黒幕を見つけ出せ!!」

「……承知いたしました」

 ファッジの執務室を出た後、スクリムジョールは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 簡単に言ってくれる。既に十分過ぎる調査を行った。にも関わらず、手掛かりが一つも掴めていない。

 この事件は一人の哀れな青年を生贄に捧げ、自らの野蛮な願望を実現させる悪辣な知恵を持った者の犯行だ。

 マグルの村に火を放ち、魔法使いを幾人も殺害した犯人の目的。それを推理する事が何よりも大切だ。

 恐らく、事件はまだ続く。あれほど過激な事件を巻き起こしておきながら、犯行声明の一つも残さなかった理由は目的を完全に達成出来ていないからに違いない。

 次の犯行を予期し、待ち構える。それが最も利口な策だ。

「三大魔法学校対抗試合……」

 犯人は死喰い人で間違いない。ならば、その目的はある程度絞られる。

 自らの存在、ひいては闇の帝王の脅威を世に今一度知らしめる為の示威行為か、あるいは二代目ヴォルデモート卿として名乗り出る為のパフォーマンスか……。

 帝王消滅後、数年の間はそうした連中が何度か事件を起こした。

 行き過ぎた純血主義を掲げ、マグルの村を全滅させた者も一人や二人じゃない。あの時代、多くの罪無き命が犠牲になった。

 次に犯人が狙う可能性が一番高いのはホグワーツで開催予定の『三大魔法学校対抗試合』だ。

 帝王を滅ぼしたハリー・ポッターへの報復行為。魔法省の一大プロジェクトを台無しにする事による政治的主張。

 死喰い人が狙う理由など、幾らでも考えつく。それほど、打ってつけの標的なのだ。

「今回のように替え玉を投げ込んでくるかもしれん。それに、ここが狙いだと思わせておいて、他の場所を襲撃する可能性も……」

 同時に問題点も山のように思いつく。

 短絡的になってはいけない。

「一先ず、ダンブルドアに手紙を書くか……」

 三大魔法学校対抗試合に警備の名目で入り込む。そこで敵の襲撃を待ち構える。

 ダンブルドアは政治の介入を快く思わない人物だが、ワールドカップの一件がある以上、反対は出来ない筈だ。

 問題は他の場所への襲撃だ。本命にはそれなりの人数を割かねばならない。残ったメンバーのみでイギリス全土を監視するなど現実的ではない。

「……警戒網を敷くにはどうしても人数が必要になるな」

 ジレンマだ。本命に人数を割けば警戒網を敷く事が出来なくなる。警戒網を敷けば本命には僅かなメンバーしか残せない。

「だが、どちらかに偏れば、逆を突かれた時に致命的だ」

 

 

 スクリムジョールからの手紙を受け取ったアルバス・ダンブルドアは彼の苦悩を正確に汲み取っていた。

 平和な時代が続いた事で慢性的な人手不足に悩まされている闇祓い局にホグワーツの警護とイギリス全土に警戒網を敷く事を両立させるのは困難であると手紙が来た時点で悟っていた。

 ダンブルドアは手元にある小さなロケットペンダントを見つめた。

 これは数ヶ月前、シリウスから対処を求められた闇の魔術品の中に埋もれていたものだ。ダンブルドアは瞬時にこの品の真実に気づき、様々な思考を巡らせた。

「分霊箱。やはりか……」

 悪い予想があたってしまった。だが、確信を得られた事は行幸。

 ダンブルドアは校長室の中をゆったりと歩きまわる。

「……今回の事件。魔法省は単なる死喰い人の残党による暴走だと考えておる」

 ダンブルドアの視線は部屋の中にいるもう一人の人物へと注がれる。

 セブルス・スネイプは服の袖を捲り、その腕に刻まれた紋章を彼に見せた。

「ヴォルデモートは復活しました。やはり、魔法省に伝えた方がよろしいのでは?」

「今、真実を語った所で突っぱねられるのが関の山じゃよ。警告はするが……」

「ダンブルドア。ポッターがブラックの養子となった事……、止めるべきだったのではありませんか?」

 これで五度目になる問答。ダンブルドアは顔を顰めた。

「古の加護はハリーがシリウスの養子となった時点で消え去った。それは確かに痛手となった。特にヤツが復活した今ではのう……」

「ならば……」

「だが、止めた所で意味などない。ドラコ・マルフォイによって、ハリーは既にシリウスを特別視しておった。自らの真の家族として」

 ドラコ・マルフォイ。彼はシリウスの無罪を証明される前から彼の無罪を確信し、ハリーに様々な事を吹き込んでいた。

 無罪が証明された時点でハリーにとって、家族とはダーズリー家の人々ではなく、シリウス一人を指す言葉になっていた。

 古の加護はハリーがダーズリーの家を帰るべき場所と認識していなければ効果が無い。

「まさか、ドラコが帝王の復活を見越してポッターから加護を取り去る為に動いたと?」

「早合点はいかんぞ、セブルス。じゃが、その可能性もあるという話じゃ」

 あの者の行動原理は不可解な部分が多過ぎる。

 セブルスにそれとなく監視するよう命じ、その報告を聞く限り、彼は実に素晴らしい善意溢れる少年だ。

 グリフィンドールの生徒が事故にあった時、その身を挺してその者を助けようとした。

 レイブンクローの生徒から虐めの相談を受け、真摯に悩みを聞き、その解決の為に労力を惜しまない。

 他にも数えればキリがないほど、彼は善行を積んでいる。

 他寮の生徒……例え相手がマグル生まれであろうと分け隔てなく接する所からグリフィンドールの生徒にも一目置かれるようになっている。

 にも関わらず、スリザリンの生徒からも信望を集めていると聞く。

 死喰い人だった者の血を受け継ぐ者もそうでない者も彼に心からの忠誠を誓っている。

「彼に注意を払う必要がある。彼の選択によって、魔法界の行く末は大きく変わる筈じゃ」

「……まだ、学生の身ですよ?」

「彼は既に多くの者の心を掌握しておる。ハリーの心も……。今や、あの子は他の誰の言葉よりもドラコ・マルフォイの言葉を重要視しておる。シリウスの無罪を証明した事が決定的だった。彼がヴォルデモートに傅けば、生徒達の多くが彼に続こうとするじゃろう」

「まさか……」

「……彼が見た目通りの品行方正な学生である事を願いたいのう」

 スネイプはダンブルドアの言葉に心を揺さぶられていた。

 あのダンブルドアがここまで明確に危険視する存在など限られている。

 その理由が分からない。ドラコは誰からも愛される魅力的な少年だ。ダンブルドアがわざわざ監視するよう命じた理由が分からない程、悪しき点など見当たらなかった。

 だが、ダンブルドアはドラコがまるで第二のヴォルデモートになるのではないかと恐れている節すらある。

 だが、知的で他者を思い遣る心を持ち、多くの崇拝を寄せられる姿はヴォルデモートなどよりもむしろ……、ダンブルドアを想起させる。

「……なるほど」

 やっと、ダンブルドアが警戒している理由が分かった。

 恐らく、他の誰が同じ疑問を抱いても答えは得られなかっただろう。

 だが、スネイプはダンブルドアという人物の本当の姿を知っている。

 善を為すためなら、どこまでも冷酷になれる非情さ。

 目的の為なら手段を選ばない彼の在り方。その危険性……。

 スネイプは冷や汗を流しながら呟いた。

「……それは危険ですね」



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第五話「深淵を覗くもの」

「世の中物騒だねー」

 ベッドで『日刊預言者新聞』を読みながらルーナが呟いた。

 トップクラスの成績をキープし続けている私達に手を出してくる人間はかなり減ってきたけど、私とルーナの友情に変化はない。

 夏季休暇の間も互いの家に泊まり、一緒に楽しい思い出をたくさん作っている。

 ルーナの家は奇想天外な物で溢れていて飽きる暇が無かった。その点、私の家は至って普通。何の面白みもない。

 それが悔しくて、ロンドンのマグルが経営するお店やテーマパークにルーナを連れ込み笑顔を引き出すのに躍起になった。

 ルーナはマグルが作り出す娯楽をいたく気に入り、特にジャパンの玩具メーカーが発売した携帯型ゲーム機に夢中になった。

「どうしたの?」

 私はまだ今日の日刊預言者新聞に目を通していない。ルーナが「これこれ」と見せてくる記事の一面に視線を向けると、思わずギョッとした。

 そこには『闇の印現る!』の文字が夜空に浮かぶ髑髏の写真の上にデカデカと書いてある。

 闇の印といえば、十四年前に魔法界で猛威を振るった闇の魔法使いが好んで使った紋章だ。

「クィディッチ・ワールドカップの会場でって……、ドラコやハリーは大丈夫かしら?」

 二人は寮の友人達とワールドカップを観に行くと手紙に書いていた。

 特にハリーは十四年前の事で闇の魔法使い達から恨みを買っている。

 恐怖に慄きながら記事の隅から隅まで目を通して、彼の名前が無い事を確認し、安堵した。

 ハリーに何かあったら、必ず新聞に名前が載る筈。

「二人は当日会場に行けば良いVIP用のチケットなんでしょ?」

「けど、フライングして会場入りする人も多いらしいし……」

「あの二人に限って、それは無いと思うなー」

 ルーナの言う通り、ドラコとハリーが浮かれて大はしゃぎしている姿は想像出来ない。

「それもそうね。……っと、ママの声だわ」

 耳を澄ませると、扉の向こう……の廊下の奥の階段の下からママの声が聞こえる。

 どうやら、朝ごはんが出来たみたい。

「行きましょう、ルーナ」

「うん! ハーマイオニーのママの御飯は絶品だよね。羨ましいなー」

 ルーナは私のママにとても懐いている。その理由を彼女の家に行った時に知った。

 彼女の母親は彼女が幼い時に事故で亡くなったらしい。

「だからって、食べ過ぎないようにね」

「わかってるってー」

 初めてママの御飯を食べた時、嬉しそうに何度もおかわりをしてお腹を壊してしまったおバカさんが何か言ってる。

「ルーナ。今日もいっぱい遊びましょうね」

「うん!」

 彼女の屈託の無い笑顔につられて頬が緩む。

 その表情からは辛い境遇の事など欠片も連想出来ない。私はそんな顔が出来る彼女の強さに憧れを抱いている。

 私は根拠の無い言葉が嫌い。論理の成立しない会話は不愉快ですらある。融通のきかない性格だと、マグルの学校に通っていた頃、よく言われていた。

 そんな私にとって、夢想的な話題ばかり口にするルーナは本来対極の位置にいて苦手だった筈。

 だから、彼女と友情を結べた事は奇跡に等しい。

 面と向かって言葉にするのは恥ずかしいけど、私は彼女の事が大好きだ。

 

 朝食の後、私達はいつものように外に出た。

 今日は少し遠出をする予定。完璧なマグルの装いで出発する。

 始め、ルーナはマグルの格好に違和感を感じていたみたいだけど、今では完璧に着こなしている。元々、彼女は口を閉じてジッとしていればとても可愛らしい女の子だから、大抵の服がよく似合う。

 私も出っ歯が治れば少しはマシになるのにな……。

「こんにちは」

 ネガティブな方向に思考が走りそうになった時、突然声を掛けられた。

 驚いて振り返ると、そこには見た事のない女性が立っていた。

「……どうしました?」

 髪は金色だけど、東洋人風の顔立ち。

 だけど、観光客には見えない。

「あなた、ハーマイオニー・グレンジャーさん?」

「失礼ですが、あなたは?」

 名前を呼ばれた事で一気に警戒心が膨れ上がった。

 周囲には大勢の人が居るし、家も近い。早々おかしな事にはならないと思うけど、念の為にルーナと手をつなぐ。

 いざとなったら走って逃げるためだ。

「おっと、失礼。私はアヤ・ハネジマ。日本人です」

 日本人と聞いて、少しだけ安堵した。東洋人の中では比較的温厚な人の多い国だ。

「私に何か用が?」

「はい。あ、その前にこれを」

 アヤは私に一枚の名刺を差し出してきた。

「『アイリーン探偵事務所』……?」

 非情に胡散臭い。

「探偵ですか……」

「私はパートタイマーだけどね。本業は他にあるんだけど、貴女に話し掛けたのはコッチの用件」

 私が名刺を受け取ると、彼女は次に一枚の写真を取り出した。

「これって、貴女よね?」

 一瞬、言葉を失った。

 そこには体の半分を壁に埋め込んだ状態の私の姿があった。

 キングス・クロス駅の9と3/4番線ホームに入る瞬間を写されたものだ。

 頭の中が真っ白になった。魔法の事をマグルに知られる事は魔法使いの中でタブーとされている事の筆頭だ。

「し、知らないわ……」

「その反応は知ってるって白状しているようなものよ?」

 アヤはニッコリと微笑んだ。

「これ、どうやったの?」

 アヤの質問に私は「知らない」と言いながらルーナの手を取って背中を向けた。

「一人二人じゃないのよねー。毎年、時期が来るとフクロウだとかカエルだとかをカゴに入れた子供達がキングス・クロス駅に現れるのよ。ロンドン版都市伝説ってヤツで裏の世界だと有名なの。この写真も私が撮ったものじゃないよ? こういう情報を売り買いしている人間から買ったものなの」

 恐怖のあまり叫びだしそうになった。

 裏の世界? 知らない人間が私の写真を売り買いしている? あまりの嫌悪感に体が震えた。

「怖がらないで欲しいな。私は幾つか質問をしたいだけなんだよ。答えてくれたら大人しく消えるわ。二度と貴女の前には現れない」

「質問って……?」

「あなた、魔女?」

 あまりにも直球な質問に言葉が出なかった。

「……可愛い子。次、ハリー・ポッターって子の事を知ってる?」

 アヤは私が答える前にうんうんと頷き、次の質問を投げ掛けてきた。

 何も答えていないのに、まるで答えを得られたみたいに笑顔で……。

「あなた――――」

「ていやー!」

「イタッ!?」

 何が起きたのか直ぐには理解出来なかった。

 気付いた時、ルーナがアヤの脛を蹴り、その隙に私の手を取って走りだしていた。

「え、え?」

「ハーマイオニーは一々真面目過ぎるよ」

「ちょ、ちょっと、ルーナ!?」

「逃げるが勝ちー!」

 あっという間に痛みに呻くアヤの姿が見えなくなった。

「私達の折角のデートを台無しにするんだから、アイツは悪党! 相手にする必要なんてないよ、ハーマイオニー」

 ルーナはまた私の心を掴んで離さない『あの笑顔』を浮かべた。

「気を取り直して遊ぼう! 今日はどこに行くの?」

「……楽しいとこ!」

 

 

「……普通人の脛を何の躊躇も無く蹴るかなー」

 アヤ・ハネジマと名乗った女は髪の毛と顔の肌を剥ぎながら文句を宣った。

「ブーブー言うな。いきなり現れた怪しい女にあんな質問されたら誰だって怖いさ」

 マスクとカツラを取った女は話し掛けて来た男を睨みつける。

「怪しい言うな!」

「はいはい、おっかない顔は無しだぜ、セニョリータ」

「ロドリゲス!」

 ロドリゲスと呼ばれた黒人の男はニヤリと笑みを浮かべた。

「とりあえず、ずらかろうぜ。フェイロンが調べに行ってる例の大火災。動画が手に入ったって話だ。結構、ショッキングな映像らしいぜ」

「ふーん、楽しみだね」

 短くカットされた黒い髪を軽く整え、女はハーマイオニーとルーナの走り去った方角をジッと見つめた。

「これで六人目。全員、同じ反応。ビンゴっぽいね」

「けど、気をつけろよ、マヤ。お前さんが例の記憶喪失障害にでもなったら俺は立ち直れないぜ」

「わかってるよ。心配どうも」

 アヤではなく、マヤと呼ばれた女は懐から手帳を取り出した。付箋だらけの手帳の裏には『羽川摩耶』という名前が書いてある。

 それが彼女の本名。ジェイコブ・アンダーソンが所属する『レオ・マクレガー探偵事務所』の一員。

「でも、少しは冒険しなきゃ、真実は得られないよ」

「おい、お前まさか……」

「私の記憶が消えたら、後の事は頼むよ?」

「それだったら俺が……」

「だーめ。君は友達を探すんでしょ?」

「けど……」

「大丈夫。何とか戻ってくるよ」

 

 その数日後、彼女はごった返すキングス・クロス駅のホームにいた。

 九月一日の午前九時十三分。何度か子供やその親と思われる人々が壁の中に消えていく事を確認した後、彼女はゆっくりと壁に向かって歩き出した。

 そして……、



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第六話「交差路」

 クィディッチ・ワールドカップが死喰い人によるテロで中止になろうと、ヴォルデモートが復活しようと、九月一日になれば僕達はキングス・クロス駅に向かう。

「それにしても、魔法学校に行く手段が汽車っていうのは何度経験しても不思議な気分だね」

「あー、その気持ち分かるなー。まあ、電車じゃないだけまだマシだけど」

「……ホグワーツに電車で通学って嫌だな」

 駅前の広場で僕達はハーマイオニーとルーナに会い、そのまま一緒に9と3/4番線を目指して歩いている。

 後ろでハリーがハーマイオニーとマグルの世界出身者特有の話題で盛り上がっている。

 確かにホグワーツに電車通勤は嫌だ。電車自体に罪は無いけど、魔法と最先端の科学が混ざり合う光景は歪だ。

 旧時代の産物。煙を吐き出しながら走るアナログ式だからこそ、汽車はホグワーツへの移動手段に相応しい。

 魔法に科学的なアプローチを試みる光景をライトノベルやアニメの中でよく見掛けたけど、まったくもってナンセンスだ。

「……そう言えば、この前変な人に話し掛けられたの」

 歩いている途中、ハーマイオニーが声を落として言った。

「変な人?」

「うん。実は……」

 ハーマイオニーの話を要約すると、『見知らぬマグルの女が9と3/4番線へ続く秘密の入り口を潜ろうとしているハーマイオニーの写真を持っていて、その秘密を探ろうとしていた』という事らしい。

 実に不可解だ。

「ハーマイオニー。それは……」

「うん。冷静になって考えるとあり得ない事よね」

 僕の言葉の先を読んでハーマイオニーが眉間にシワを寄せながら答える。

「ホグワーツ自体に魔法が掛けられているように9と3/4番線にもマグルに気づかれない為の魔法が掛けられている。写真を撮ろうとしてもまともに映らない筈なのに、どうして……」

「しかも、ハリーの事を知っていた……」

 怪しい。その女はこそこそと嗅ぎ回って、何が目的なんだ?

「写真自体は魔法使いが撮影したものなのかもしれない」

 エドが言った。

「入り口に掛けられている隠蔽魔法はあくまでも無防備な相手を対象にしている。魔法使いなら撮影は可能だし、魔法の掛かっているカメラを使えばマグルにだって不可能じゃないかもしれない。ただし、後者の場合はあらかじめ隠蔽魔法の存在を認知している必要があるけどね。そこが入り口だと知らなければ、そもそも意識を向ける事さえ出来ないから」

 ブラック邸や漏れ鍋と同じ原理だ。どちらも存在を知らなければ目の前に立っていても人の出入りを認識する事が出来ない。

「あの女……、裏の世界だと有名だって言ってたの」

「情報を流している人間がいるって事かもね」

 僕は少し考えた上で言った。

「純血主義の対を為すもの。反魔法使い派の人間の仕業かもしれない」

「反魔法使い派?」

 ハリーが首を傾げる。

「そういう言葉があるわけじゃないけど、一定数存在するんだよ。魔法使いの存在自体を悪だと考えている人間が」

 アンチテーゼを掲げる人間はどんな世界にも少なからず居るものだ。

 万人が美しいと称する芸術を貶す者、万人が偉大だと褒め称える者を糾弾する者、万人が美味だと感じる食事を唾棄するもの。

 魔法使いの社会にもそうした人間が存在する。

「人の思想は多種多様だからね。そうした変わり者も居るのさ。大抵、そうした連中は無意味だと知っていても魔法省に抗議の手紙を送る事でストレスを発散しているけど、一部の過激な思想を持つ者達は魔法使いの存在を世間に公表しようとしたり、マグルに革命を唆したりする。殆どの場合、魔法省の役人に捕縛され、そのままアズカバンか精神治療の為に特別な施設に送られる。だが、中には例外もいる」

「つまり……?」

「その女の背後に良からぬ事を企んでいる反魔法使い派の人間がいる可能性は否定出来ないね」

 わざわざハリーの名前を出したという事は最悪、ハリーを狙っている可能性もある。

 そのネームバリューの大きさ故か、他に目的があるのかは不明だが、手を出そうとするなら排除するだけだ。

「……けど、そんなに気にする必要は無いよ」

「え?」

「所詮、マグルが魔法使いに手を出す事なんて不可能に近い。嗅ぎ回っていても、延々と幻影を追うだけさ。真実を掴もうとした瞬間、魔法省が対処するし、僕達が取り立てて行動する必要は無いさ。一応、魔法省かダンブルドアにでも報告をしておけばその女も余計な記憶を消されて普通のマグルらしい生活に戻るさ」

「そう……」

 ホッとした表情を浮かべるハーマイオニー。

 僕の言葉は歴然とした事実だ。僕達が杖を一振りするだけで、マグルは簡単に屈服する。それほど力の差が歴然なのだ。

 それが分かっているから反魔法使い派の人間も過激派以外は魔法省に抗議する程度の事しか出来ない。

「それよりも急ごう。汽車に乗り遅れる事は無いと思うけど、コンパートメントがいっぱいになってしまうよ」

「そうね、行きましょう!」

 

 

 ドラコ・マルフォイの言葉は真実だ。事実、その日の朝、9と3/4番線のホームに侵入を試みたマグルの女性がホームに常駐している魔法使いに捕縛され、忘却術師によって記憶を抹消されている。

 だが、その時女には二つの幸運が働いている。

 マグルが何かの拍子にホームへ入り込んでしまう事自体は珍しい事では無かった事。

 彼女を捕縛した魔法使いがそれほど仕事熱心な人間では無かった事。

 彼女が捕まった時、咄嗟に母国語を叫んだ事。

 それらの条件が重なって、彼女は『駅のホームに入り込んだ数分間の記憶』のみを消されるだけで済んだのだ。

 結果、彼女の意識は『キングス・クロス駅にある秘密の入り口を調査する為に乗り込んだ瞬間、駅構内のトイレでうたた寝していた』という奇妙な状態に陥る。

 咄嗟に、ポケットを漁り、彼女は一つの機械を取り出した。それを押収されなかった事が二つ目の幸運であり、魔法使いの失態であった。

 それはマグルの世界の機械。ICレコーダーという音声を記録しておく為の機械。それがカメラや写真の形状をしていたのなら、魔法使い達も機械の用途に気付き、万が一を危惧して回収していた筈だが、その機械は魔法使いにとってあまりにも見慣れない物だった。

 彼女が写真と共に一人の『情報屋』から買った秘密道具。その中には彼女が望んで止まなかった真実に至る為の手掛かりがバッチリと残っていた。

「……やった。やったわ!」

 この幸運を離すわけにはいかない。羽川摩耶は仲間達の下へ急いだ。

 手に入れた決定的な情報を共有する為に。

 

 

 人々の知らない場所で時代が大きく揺らいでいる。

 その揺らぎの中心に程近い場所で一人の青年が罪を犯した。

「……ッハ」

 彼はずっと待っていた。信じていたのだ。闇の帝王が何時の日か復活し、再び世界を支配する刻が来ると……。

 帝王の復活を知った彼が初めに行った事。それは親殺しだった。

 まるで毎朝の日課として顔を洗うかのように、当たり前の様子で彼は人類の三大禁忌を犯した。

 悪びれる様子も見せず、彼は父親の死体を踏みつけながら恍惚の表情を浮かべる。

「待っていて下さい、帝王よ。今直ぐ、御身の下へ馳せ参じます」

 その事件が世に出る事は無い。闇の印は上がらず、死んだはずの男はその数ヶ月後、ホグワーツに現れたのだから。

 

 帝王からの命令を受け、彼は父親になりすまし、多くの子供達の前で演説を行う。

 それは開催の言葉。ホグワーツ魔法学校とボーバトン魔法アカデミー、ダームストラング専門学校の三つの魔法学校が競い合う歴史的行事。

 三大魔法学校対抗試合に目を輝かせる生徒の一人に彼は熱い眼差しを向ける。

 会いたかった。まるで生き別れた兄弟か、遠く離れた恋人か、死に別れた親と再会したかのような熱い感情が心中で荒れ狂う。

 偉大なる王をその卑しい身で脅かし、英雄と持て囃されている小僧。

 その身を八つ裂きに出来る日を待ち侘びていた。

 

――――さあ、その身で我が憎悪と憤怒を鎮めるといい。

 

――――さあ、その血で王の苦悩と嘆きを癒やすといい。

 

――――さあ、その死で愚かな者達に絶望を刻むがいい。

 

『ハリー・ポッター。恐れることはない。全てを本来あるべき姿に戻すだけだ。死ぬ筈だった赤子は死に、絶望するべき者達が絶望するだけだ』

 

『恐れるなかれ、ハリー・ポッター。“死”こそが汝の(まこと)運命(さだめ)なのだから』



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第七話「龍脈」

 ホグワーツに到着した僕達を待っていたのは『三大魔法学校対抗試合』開催の報せだった。

 生徒達は大興奮だ。約百年もの永き眠りについていた歴史ある祭典の復活だ。しかも、生徒達こそが当事者となって、その祭典に参加する事が出来る。

 初め、クィディッチの試合が中止になると言われて頭を沸騰させていた生徒達も歓声を上げている。

 日を跨いでもその熱気は冷めず、我も我もと参戦の意思を表明し、抽選の時を待っている。

 

 ハロウィンの日、ボーバトン魔法アカデミーとダームストラング専門学校の代表団が到着し、いよいよ炎のゴブレットのお披露目となった。

 ハリーも壇上で誇らしげに演説を行っている魔法ゲーム・スポーツ部部長のルドビッチ・バグマンの一言一句を聞き逃すまいと耳を傍立てている。

 だけど、僕の目は彼の隣に向いていた。

 バーテミウス・クラウチ。国際魔法協力部の部長で、彼の隣ではパーシー・ウィーズリーがこれまた誇らしげな顔をしている。

 去年、ホグワーツを卒業したパーシーは魔法省に入省し、そこでクラウチの補佐官の座を射止めたのだ。

 可哀想に思う。彼が慕っている男は偽物だ。男の正体はバーテミウス・クラウチ・ジュニア。奴は帝王の為にと自らの父親を殺害し、その顔を剥いだ。ヴォルデモートが羨ましくなる程の狂心振りだ。

 奴に与えられた命令は『バーテミウス・クラウチ・シニアとして、魔法省内部に根を張り巡らせておけ』というもの。

 ハリーの事は僕が一任されている。奴がここに来た理由は単にバーテミウス・クラウチ・シニアとして行動した結果に過ぎない。

 闇祓いが警備している中、帝王も殊更騒ぎを起こそうとは思っていないようだ。

 今は力を蓄える時というわけだ。既に多くの死喰い人達が帝王の下に集まってきている。

 四年間で主たる死喰い人の縁者とつながりを作る事が出来た。おかげで情報が潤沢に集まってくる。

 大人達は子供の存在を軽んじていて、そのネットワークの早さと大きさを理解していない。

 

 その日の茶会はセオドール・ノットが主催者だった。

 最近の茶会はハリーと比較(イト)的に仲の悪い生徒が主催するようになっている。理由は当然、ハリーに茶会で話す内容を聞かれない為だ。

 今頃、ダンと共にクィディッチの練習をしている事だろう。

 質の良い茶葉を淹れた紅茶を飲みながら、親達が隠したつもりでいる情報を交換する。

 茶会に参加しているスリザリンの生徒にとって、ヴォルデモートの復活は既に知っていて当たり前の情報と化していた。

「それにしても、両親が必死になって御機嫌伺いに奔走している姿は醜悪の極みだったね」

 ロジエール家の三男坊が生意気な口調で言った。

「……それは仕方の無い事だよ。相手は闇の帝王なわけだし……」

 神経質そうな顔立ちのドロホフ家の長男がボソボソと呟く。

「っていうか、本物なの? だって、『例のあの人』って、十四年前にハリーにやられちゃったんでしょ?」

 ヤックスリー家の長女が肩を竦めながら言った。

「偽物か……、その可能性もあるよな。普通、死んだ人間が生き返る事なんてあり得ない事だし」

「でも、相手は闇の帝王だよ?」

「ロートル共が昔の栄光を取り戻したくて嘘吐いてるだけじゃね?」

「うわぁ、マジであり得そうで困る……」

「おい、無礼だぞ!」

 ヴォルデモートの復活に対する子供達の反応は千差万別だ。中には帝王の復活自体に疑いを抱いている者もいる。

 そういう風に思想を誘導して来たからだ。

 元々、家同士の交流や社交界の練習の為だけの場だったスリザリンの茶会。そこに子供同士の情報交換というスパイスを加えた事で彼らは親兄弟や教師から教えられる一方通行な『情報』以外の『知識』を得られるようになった。

 僕が一度目の死を迎える前の世界。ネット社会という個人が無限に等しい情報を得られる環境にあった事で人々の思想は年を追う毎に多様化していった。

 多量の情報。

 多様な価値観。

 それらは社会に出た後で学ぶべきもの。

 与えられた『情報』による基礎に自ら得た『知識』を合わせる事で人は『知恵』を持つ。

 だけど、僕はその基礎の段階で知識を得られてしまう場を整えた。

 それは土壌を緩ませる行為。今や彼らは何事においても信疑の念を挟み悩むようになっている。時には嘘を真実と思い込み、時に真実を嘘と思い込む。

 彼らには確固として信じられるものが無いのだ。

 

 宗教が持て囃される理由。それは教えを絶対と信じる事で己の芯を作る事が出来るから。

 生まれ落ちた理由。罪を犯してはいけない理由。果ては人を愛する理由まで、あらゆる理由付けをしてくれるから、宗教は衰退する事なく受け継がれていく。

 教えの違いで殺し合う事もあるけれど、それは己の芯を守るため。

 そういう『芯』を持てない者はブレる。

 

「ねぇ、みんな。仮に帝王が復活したとして、これからどうなると思う?」

 僕はそんな疑問を彼等に投げ掛けた。

「これから? それはもちろん、帝王が死喰い人を率いて立ち上がり、再び魔法界を支配するのでは?」

 ノットの言葉に一部から反論の声が上がった。

「でも、一度失敗してるじゃないか」

「それはハリー・ポッターがいたからだ」

「今だって、ハリーは生きているわ!」

 話の中だけで聞くヴォルデモートと生身で四年間接し続けたハリー。

 大人達がこぞって怯える伝説の魔王とそれを滅ぼした若き英雄。

 実際にどんな事をしていたのかも分からない謎の人物とクィディッチの試合で大活躍する友人。

 親しみが湧くとしたらどちらか、答えるまでもない。

「何度復活したって、ハリーが居る限り、どうせまた尻尾巻いて逃げるのが落ちよ!」

 過激な意見も飛び出すが、それを窘める声の方が少ない。

 その光景はハリーが四年間スリザリンで過ごした結果だ。

 純血主義を謳い、闇の魔術に耽溺する者もヴォルデモートよりハリー・ポッターを選ぶ。

 芯が無い事は悪ではない。むしろ、芯を失った事で彼等は悪の化身を崇めるのではなく、身近に接した友を信じる。

「帝王が逃げたら……、その先はどうなるんだ?」

「そ、それは……」

「前回は帝王が滅んだ途端、闇の陣営は一気に崩壊した」

 エドの言葉に茶会の参加者達がざわめきだす。

「なら、今回も……?」

「そうなったら、僕達はどうなるんだ?」

「わたし、アズカバンなんて嫌よ!?」

「俺だって! でも、まさか……。親が勝手に帝王について行っただけだぜ?」

「でも、当時未成年だった魔法使いも死喰い人の疑いを掛けられて闇祓いに殺害された人もいるって聞いたよ」

「おいおい、冗談じゃないぞ」

 その光景こそ、僕が帝王の復活に対して準備していたものの一つ。

「みんな」

 僕の言葉に皆が口論を止める。

「流されるままで良いと思っている人はいないよね?」

 みんなが揃って頷く。僕は満足しながら言葉を続けた。

「この中でハリーの死を願っている者なんて、いないよね?」

 今度は少しバラついた。全員が頷くまでに掛かった時間は二秒。遅れた者達の名前と顔は覚えた。

「なら、僕達も行動しないといけないよね。僕達は親が帝王に貢ぐ為の献上品や功績を上げる為の道具じゃない。人間なんだ」

 僕は彼等一人一人の瞳を見つめる。

「世界を動かすべきは帝王やダンブルドアみたいな老害じゃない。僕達若者であるべきなんだ」

「で、でもさ……」

 一つ年下のジムロックが恐怖に慄く表情を浮かべる。

「相手は闇の帝王なんだよ?」

 その言葉に僕は笑顔を向ける。

「だけど、使っている物は同じだ」

「同じ……?」

 僕は杖を掲げた。

「マグルの世界には……、都市一つを丸ごと焼き尽くす兵器がある」

「え?」

「戦場を地獄に変える細菌兵器。死をバラ撒く毒ガス兵器。これらは単純に人を殺す事だけを目的に作られた物だ。一度発動すれば、死の呪文とは比較にならない広範囲に影響を及ぼし、万を超える人間に確実な死を与える」

「マグルの兵器が……? 冗談だろ?」

「本当さ。それも、作られたのは何十年も前の話。今はもっと画期的で恐ろしい兵器が続々と作られている。そういうモノを相手にするなら、僕達は彼等の使う知識や道具を理解しなければならない。だけど、ヴォルデモートが使うものは僕達が当たり前のように使っているものと同じなんだ」

 彼等を安心させる為に口調を緩める。

「一つの組織を纏め上げ、政府に対して反逆行為を行ったテロリストだけど、ヴォルデモートは僕達と同じ魔法使いだ。同じなんだよ」

「でも……、死の淵から蘇る事なんて、普通の魔法使いには……」

「出来ないと思う?」

「だって!」

「ヴォルデモートは神じゃない」

 脳裏に、心に刻むように僕は言った。

「彼の復活にもトリックがある。種明かしをしてしまえば簡単な事かもしれない」

「でも……」

「恐れる事は何もない。彼は人だ。僕達と同じ生き物だ。だから、ダンブルドアを恐れた。だから、ハリーに滅ぼされた。所詮、その程度なんだ」

 僕は一人一人の目をもう一度見てから言った。

「その程度の人間に僕達の未来を預けてもいいのかい? 命運全てを賭けられるのかい? 一度、敗れた者に」

「……よくない」

 誰かが言った。

「いいわけないよ!! そうだ、所詮は赤ん坊だった頃のハリーに負けた『負け犬』だ!」

「私達の未来は私達のものよ!」

「老害共になんて任せてられるもんか!」

 駒の用意は出来た。後は時が来るのを待つだけだ。

 ヴォルデモート。お前にハリーは渡さない。誰の命も心も体も渡さない。

 逆にその全てを奪ってやる。



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第八話「我が闘争」

 男は一冊の本を読んでいる。タイトルは『我が闘争』。著者はアドルフ・ヒトラー。

 約七十年程前、ヒトラーはクーデターを画策して失敗し、監獄に入れられた。その時、獄中で書いた物がこの本だ。

 後に世界を震撼させる独裁者の原点がここにある。

 本の中で彼は二つの敵を定めていた。

 ユダヤ人と共産主義である。

 

 当時は世界恐慌の真っ直中。人々は飢えと貧困に喘ぎ、絶望していた。

 ヒトラーにも強い影響を与えたアメリカの自動車王、ヘンリー・フォードは自社出版の新聞や本の中でこう主張している。

『拝金主義のユダヤ人こそ、金融界を牛耳り、共産主義を蔓延らせている元凶だ』

 反ユダヤ主義者として有名だった男。同時に世界的に発言力を持つ男でもあった。

 彼の言葉からインスピレーションを得たヒトラーはソ連を筆頭に広がりつつある共産主義とユダヤ人を敵として定め、覇道を歩き続けた。

 その結果がアウシュビッツ強制収容所であり、第二次世界大戦である。

 

 彼の掲げたファシズムは一定の成果を上げた。

 世界恐慌の中、ドイツは奇跡的な経済成長を遂げ、あらゆる技術で世界のトップに君臨した。

 現在、世界各地に配備されている大陸間弾道ミサイルの原型たるV2ロケットを作ったのもナチスだ。

 独裁者による統治。あと一歩の所で彼はその成功例となれた。だが、他の独裁者……ベニート・ムッソリーニやヨシフ・スターリンと同じ末路を辿った。

 

 男と同じく革命家であり、独裁者だった彼等の失敗に彼は多くを学んだ。

 マグルを愚鈍な劣等種として軽蔑している彼が認める数少ない偉人。

 魔法という彼等には無かった技術を使い、一度は上手くいきかけた。

 だが、失敗した。彼等と同じ立場になる事すら出来なかった。

 たった一人の赤ん坊によって、彼の覇道は阻止された。

「……実に滑稽だ」

 並ぶ所じゃない。赤ん坊に滅ぼされた革命家など他に類を見ない。

「ハリー・ポッター……」

 ヴォルデモート卿は仇敵の名を口の中で転がす。味わうように、堪能するように、赤ん坊だった少年の顔を脳裏に浮かべる。

 今、かの少年は彼の手下の息子に傾倒していると聞く。ドラコ・マルフォイ。実に優秀な子供だと手下共は褒め称えていた。

 いずれにしても、今は手を出すべき時ではない。故に、その手腕を見守る事にした。

「知っているか、ハリー・ポッター」

 彼はペットの蛇を撫でながら囁く。

「魔法使いはマグルに怯えている。だから、隠れているのだ。虐げられた過去を忘れる事が出来ず、まるで肉食動物に見つかる事を恐れている仔ウサギのように……」

 帝王は言う。

「あまりにも惨めではないか……。あまりにも情けないではないか……。何故、かような劣等種が表通りを闊歩する? 何故、表通りだけでは飽きたらずに魔法界にまで手を伸ばす『奴等』の蛮行を許しておける?」

 帝王は呟く。

「目を覚まさねばならん。不当な扱いに屈してはならん。立ち上がらねばならん」

 彼がまだ学生だった頃、一人のゴーストに出会った。

 ほとんど首無しニックと呼ばれる男のゴーストは切れない斧で何度も首を切りつけられ、惨殺された。

 魔女狩りの時代。

 逃れた者と逃れられなかった者がいた。

 逃れられなかった者の多くは子供だった。杖を持たず、力を完璧に制御する事が出来なかった子供達はマグルに見つかり、虐待を受けた後に惨殺された。

 その歴史から目を逸らし、マグル生まれを迎え入れようとする者達。彼等こそ、魔法界を衰退させる元凶。マグル生まれ共々排除しなければならない癌細胞。

「マグルは変わらん。何時の時代も魔法使いを排斥しようとする」

 思い出すのは幼き日の事。孤児院で彼は世の理不尽を知った。

 怪物を見るような目。下劣な言葉。痛み。

「私が……、世界を変える」

 その為には力が必要だ。今のままでは足りない。

「まずは駒を揃えねば……」

 

 

「いよいよだね! 誰が代表選手に選ばれるのかな?」

 ハリーが夢見るような表情を浮かべて言った。

「ダンから聞いた話なんだけど、1792年のトーナメントではコカトリスが大暴れしたんだってさ!」

 最近、少し忙しく動いていたせいでハリーとの時間を取れなかった。

 久しぶりにジックリと会話が出来て楽しいと感じているのはハリーも同じみたい。

「コカトリスはとても凶暴な魔法生物だからね。ゾッとするよ」

「今回のトーナメントはどんな種目になるのかな?」

「うーん。きっと、歴代のトーナメントに負けず劣らずの派手な試合になると思うよ。ドラゴンと一騎打ちとか」

「ドラゴンと!?」

 それにしても、ハリーは実に表情豊かになった。出会ったばかりの頃とは比べ物にならない。

 僕とばかり行動を共にしていた頃とも違う。

 ダンの影響だ。彼はいつだって、自分の思うがままに行動する。

 最近、二人で格闘技の真似事をしている所をよく見かけるようになった。ちょっと複雑な気分。

「それかハグリッドの尻尾爆発スクリュートと一騎打ち」

「……それは嫌だな」

 去年からハグリッドが魔法生物飼育学の教師になり、色々と凶暴な魔獣を僕達にけしかけて来る。

 五体満足でいられる事が不思議な程、彼の授業は緊張感に満ちていて、スリザリンばかりではなく、全ての寮の生徒が彼の授業を恐れている。

 人柄だけで彼の授業は存続しているようなものだ。授業の内容もあまり将来の役に立つとは思えないし……。

「せめて、アドバイスを聞き入れてくれたら……」

 ハリーも若干ウンザリしている。何度か彼に授業の教材の事でアドバイスをしたのだけど、聞く耳持たずといった感じ。

 彼の凶暴な魔獣に対する愛は生徒の安全よりも大切らしい。ハーマイオニーやルーナも愚痴を零していた。

「おっと、そろそろみたいだね」

 皿から食べ物が綺麗さっぱり消え去った。

 二日に渡って開かれたハロウィンパーティーも終わり、ついに炎のゴブレットが代表選手を決定する時が来た。

 ダンブルドアが壇上に上がると、その両脇にボーバトン魔法アカデミーの校長とダームストラング専門学校の校長が立ち、その隣にバグマンとクラウチも続く。

「……あれ?」

 ダンブルドアが杖を振り上げた瞬間、ハリーが不思議そうに首を傾げた。

「どうしたの?」

「いや、あのクラウチって人と目が合って……」

 途端、大広間内の蝋燭の明かりが一斉に消えた。

 ただ一つ、青々としたゴブレットの炎だけが冴え冴えと輝いている。

 その光が一際強くなった時、焦げた羊皮紙がゴブレットから飛び出した。ダンブルドアがその長い手で掴み取り、名前を読み上げる。

「ダームストラング専門学校の代表選手はビクトール・クラム!」

 クィディッチのナショナルチームに所属しているクラムはホグワーツでも大人気だ。

 スリザリンの生徒も彼の活躍に期待を寄せている者が多い。

 ダームストラング専門学校は偉大なるブルガリアの魔女、ネリダ・ブルチャノバによって創立された。

 マグル生まれが入学する事を決して許さない徹底した純血主義を掲げていて、スリザリンの気質と非常に似通っている分、共感を示す生徒が多いのだ。

「ボーバトン魔法アカデミーの代表選手はフラー・デラクール!」

 ダンブルドアに名を呼ばれたボーバトンの女生徒はシルバーブロンドの髪を靡かせ、レイブンクローとハッフルパフの席の間を優雅に歩く。

 ハッとするような美人だ。確か、魅了の能力を持つ魔法生物との混血だった筈。

 その力は絶大で、彼女の歩みを目で追わない男子生徒が一人も居ない程だ。

「ホグワーツ魔法魔術学校の代表選手はセドリック・ティゴリー!」

 ハッフルパフの生徒が大歓声を上げた。

 これまで、影に隠れがちだった彼等の寮の生徒が栄光ある三大魔法学校対抗試合の代表選手に選ばれたのだ。

 寮の生徒全員が一斉に立ち上がり、絶叫した。拍手だけでは物足りぬとばかりに足で地面を踏み鳴らし、その振動で城全体が揺れているかのような錯覚を覚えた。

「結構! これで三名の代表選手が決まった。選ばれなかった生徒諸君もあらん限りの力を振り絞って、彼等を応援するのじゃ! 声援を送り、試練に挑む彼等に主等の力を貸し与え――――」

 その時、あり得ない事が起こった。

 炎のゴブレットが再び焦げた羊皮紙を吐き出したのだ。

 三人の代表選手が決まっている以上、もう新たな名前がゴブレットから飛び出す事は無い筈だ。

 全員の視線がダンブルドアに向かう。

「……ハリー・ポッター」

 長い沈黙の後、ダンブルドアが羊皮紙に記された名を読み上げた。

「……え?」

 誰も声を発しない。ただ、視線をハリーに向けている。

「どうやったんだ……」

「ち、違う! 僕は名前なんて入れてない!」

 僕が呟いた言葉にハリーが反応を示す。

「分かってる。ハリーじゃない。他の人間だ」

 僕の声が静まり返った大広間の中でよく響いた。

 予想外の事態だが、犯人の目星はついている。問題は他の生徒が騒ぎ出す事。良からぬ手段で代表選手の座を射止めたと勘違いした生徒達によってハリーが孤立する事を防がなければいけない。

 それはヤツの思う壺だ。

「炎のゴブレットには闇祓いが常駐していたし、年齢線もある。加えて、ハリーは僕かダンと四六時中行動を共にしていた。ハリーが自分で名前を入れる事は不可能だ」

「なら、他の人に入れてもらったんじゃ……。上級生とかに」

 恐る恐るといった様子で近くにいた生徒が囁く。

「それもない。炎のゴブレットには本人が名前を書いた羊皮紙を入れなければならない。上級生に頼んで入れて貰っても無意味だ」

「で、でも、実際にハリーの名前が!」

「だから、不思議なんだよ。少なくとも、学生には不可能だ。炎のゴブレットには強力な魔法が幾重も掛かっている。そのゴブレットを騙すとなると、高度な闇の魔術を使われた可能性が高い」

「ドラコ! なら、誰がハリーを代表選手にしたんだ? 何の目的で?」

 グリフィンドールの席からフレッドの声が飛んで来た。 

「ダンブルドアがやったのでは? ホグワーツの生徒を二人選出して勝利を確実のものにするために!」

 僕が答える前にダームストラングの生徒が荒々しい声で叫んだ。

「そんなワケないだろ! 相手を考えてから喋れよ、ウスノロ!」

「なんだと!?」

「っていうか、マジで誰がハリーを代表選手に?」

「そう言えば、クィディッチ・ワールドカップで闇の印が……」

「もしかして、死喰い人!?」

 生徒達が騒ぎ始めた。だけど、誰もハリーを責めていない。

 先手を打った甲斐があった。教員や闇祓い達もハリーを壇上に呼ぶ事無く、互いに囁き合っている。

「ハリー。炎のゴブレットに選ばれた以上、君は代表選手として試練に立ち向かわなければいけない」

「で、でも、僕……」

「古代の魔術による契約なんだ。拒絶は出来ない」

 ハリーに現状を説明しながら、僕は横目でクラウチを見た。

 どっちだ? ただの暴走か、それとも、帝王から密命を受けているのか……。

 判断材料が無い今、断定は出来ない。

 いずれにしても、僕はハリーの友人だ。この立ち位置は帝王が望んでいる事でもある。

 だから、今の行動で僕の立場が悪くなる事は無い筈だ。

「ハリー。これは十中八九、死喰い人が仕掛けた罠だ」

「なっ……!」

「僕達が全力でバックアップする。勝てなくてもいい。とにかく生き残るんだ。目的が何であったとしても、君の害となる事は間違いない」

 その後、やはりハリーの参加を取り消す事は不可能という結論が出て、ハリーは選手の控室へ連れて行かれた。そこで説明を受けるらしい。

 その間、大広間ではあれこれと憶測が飛び交い、軽いパニックを起こす者も出始めた。

 やむなくダンブルドアが爆音で無理矢理黙らせたが、それでもヒソヒソ声は止まらない。

 結局、その日は解散する事になった。

 

 スリザリンの寮に戻った僕達は談話室で今後の事を話し合った。

「クラウチの暴走。それが一番可能性として高いと思う」

「でも、ひょっとしたら帝王から密命を受けたのかも……」

「だが、今は水面下で勢力の拡大を図っている時期だろ?」

 話し合いの最中、様々な意見が飛び交った。

 だが、これだという意見は中々出て来ない。

 結局、ハリーが帰って来ても結論を出せないままだった。

 とりあえずの方針としては帝王から指示が下るまで、僕の主導でハリーのバックアップを行うという事で決まった。



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第九話「オクラホマミキサー」

 歓声が響き渡る。『三大魔法学校対抗試合』の第一試合の内容はドラゴンから卵を奪取する事。クラムは結膜炎の呪いで見事にドラゴンを打ち破った。フラーは魅惑の呪文でドラゴンを眠らせたが、炎で服の一部を焼かれてしまった。セドリックは少し変わった手段を取り、岩を変身させた犬でドラゴンを撹乱して卵を奪った。

 そして、いよいよ最後の代表選手が登場する。全員が固唾をのむ。闇祓い達は最悪の事態に備えて臨戦態勢を整えている。

 生き残った男の子。箒乗りの名手。スリザリンの名シーカー。既に多くの二つ名で呼ばれている彼に今年、新たな名が追加された。

『選ばれる筈のない第四の代表選手』

 彼にとっての敵はドラゴンだけではない。何者かが彼を代表選手の座に押し上げた。その目的が善意のものであるとは誰も考えていない。

 明らかに罠だ。数ヶ月前、クィディッチ・ワールドカップで猟奇殺人を行った死喰い人。その仲間かあるいは……。

 闇祓い局局長補佐官という長い肩書きを持つ男、ガウェイン・ロバーズは険しい表情を浮かべながら敵の存在を探し続けていた。

「ああ、ハリー。なんと勇敢な姿だ……」

 隣で感動の涙を流しているハリーの名付け親を小突く。

「おい、ブラック! 試合に集中するな!」

「そ、そうは言うが……っと、おお! あ、危なかった!! ハリー!! 頑張れー!!」

「……親馬鹿め」

 義子の活躍に一喜一憂するシリウス・ブラックにガウェインは溜息を零す。

 十年以上も冤罪でアズカバンに入れられていた男。半年程前に晴れて無罪が証明され、親友の息子と養子縁組を結び、漸く輝かしい未来へ歩き始めたばかり。

 はしゃぐなと言うのはあまりにも酷だ。

 だが、今だけは心を鬼にしなくてはいけない。

 闇祓い局は陣営を二つに分けた。一方がハリーを守り、もう一方がイギリスを守る。

 その為にシリウス以外にも引退した者や信頼のおける協力者を総動員してメンバーを配分した。

 おかげで人数が大幅に拡充出来たが、やはりイギリスの国土全体を監視するには人手が掛かる。

 ハリーの守護に動員出来た者はわずか六名。ダンブルドアを始めとしたホグワーツの教師陣を含めれば少しはマシになるが一人足りとも遊ばせておく余裕など無い。

「お前の息子の命が掛かっているのだぞ!」

 その言葉にシリウスはハッとした表情を浮かべ、名残惜しそうにハリーを一瞥した後、敵の捜索を再開した。

「……すまん」

「いや、こちらこそすまなかった。どうかしていた……。ハリーの命が掛かっているのだ」

 獰猛な目つきで観客席を見回すシリウス。彼を監獄送りにしてしまった責任は闇祓い局にもある。

 彼の為にもハリーを絶対に守り切らねばならない。ガウェインは決意を新たにした。

 

 

 結局、クラウチは第一の試練で何もちょっかいを掛けて来なかった。

 ハリーは誕生日にシリウスが大枚を叩いて購入したファイア・ボルトを使い、見事ドラゴンを出し抜いてみせた。

 流れは物語と同じ。だからこそ、不安になる。第二、第三の試練の内容も分かっているから、アドバイスは簡単だ。

 だけど、クラウチの目論見が物語通りだとしたら、第三……つまり、最後の試練でハリーに勝利されると非常に不味い。 

「……いや、第二の試練も油断は出来ないか」

 何しろ、水中を舞台にした試合になる。ハリーを殺そうと思えば幾らでも方法が浮かぶ。

 どうしたものか……。

 悩んでいると、肩をポンと叩かれた。振り向くとハリーがダンと腕を組んでブイサインをして来た。

「その様子だと、オーケーをもらえたみたいだね」

 二人は迫るクリスマスのダンスパーティーに向けてパートナー探しに出掛けていたのだ。

 相手はハーマイオニーとルーナ。

 アンにはノットの心を繋いでおく為に彼と踊るよう命じてあるし、アメリアはエドをパートナーにしている。

 他にもスリザリンには女性がたくさんいるけど、二人にとって、フリッカ達の次に親しい女性はハーマイオニー達という事になるらしい。

 恋愛感情があるのか聞いてみたけど、二人は真っ赤な顔をしながら否定した。

 あの反応から察するに友情以上のものを感じてはいるけど、恋愛感情には至らないという実に甘酸っぱいものなのだろう。

 要するに、そういう方面では二人ともまだまだ子供という事だ。

 意外だったのはハリーがルーナを誘い、ダンがハーマイオニーを誘った事だ。逆だと思い込んでいた。

 どうやら、ダンがハーマイオニーをいたく気に入ったらしい。

「ダン・スターク!!」

 三人で会話に花を咲かせていると、急に怒声が飛んで来た。

 何事かと振り向けば、そこにはビクトール・クラムの姿。怒り心頭といった様子でズカズカとこっちにやって来る。

「どうしたんだい?」

 僕達がいるのは大広間。当然、他の生徒達も大勢いる。皆もびっくりした顔をしてこっちを見ている。

「ヴォ、ヴぉくと勝負しろ!!」

 訛りの酷い英語を解読すると、要するにこうだ。

『ハーマイオニーをダンスパーティーに誘ったら、先に君から誘いを受けて了承したと言われた。納得出来ないから決闘しろ!!』

 との事だ。

 アホらしい。

「先に彼女を誘ったのは俺だ!! お前が遅かったのが悪いんだよ、ノロマ!!」

「な、なんだと!? ヴォくは彼女に贈り物を見繕っていたんだ!!」

「はん! そんな小細工をしないと女一人も口説けないようならやめとけ! 彼女のハートを射止めるのは俺に任せな、トロール野郎!」

 ちなみに、このおもしろおかしい事態を当の本人であるハーマイオニーも入り口でルーナと聞いていた。

 おお、顔がみるみる真っ赤になっていく。

 あ、倒れた。

「とりあえず、ストップ。君達のアイドルがあそこで気絶してるよ」

 僕が言うと、二人はこの世の終わりかのような顔でハーマイオニーに向かって駆け出していく。

 二人共巨体だ。二人共強面だ。足跡はタッタッタ、じゃなくて、ドスドスドスだ。

「ハーマイオニィィィィ!!!!」

「ヴォォクのハームォウンニニー!!!」

「誰がテメェのだぁぁぁぁ!!!」

 周囲から『猪に好かれるビーバー』とか、『トロールにチヤホヤされていい気なものね!』とか、散々な嫌味が聞こえる。

「……青春してるね」

 ハリーが変な事を言う。

「青春……、かなぁ?」

 マッスル二人に担がれて保健室に運ばれていく様はまるで……いや、止めておこう。

「とりあえず、僕達も見舞いに行こうか。心配は欠片も要らないと思うけど……」

「っていうか、行ったら邪魔にならない?」

「程々に邪魔しておかないとハーマイオニーの身が危ないと思う」

「……同感」

 僕はハリーと一緒に保健室に向かって歩き出した。途中、大広間の入り口で放心状態になっているルーナに声を掛けると、

「ハーミィがゴリラに誘拐された!!」

 言っちゃったよ、この娘。

「っていうか、ハーミィって?」

「ハーマイオニーの事だよ。可愛いでしょ?」

「……うん。これからは僕達もそう呼ぶよ」

 とりあえず、三人で保健室に向かった。

 

 保健室では実に醜い争いが巻き起こっていた。

 本人の目の前で如何に自分が彼女を愛しているか熱弁している。

 どうやら起きているらしいハーマイオニーが顔を真っ赤に染め上げ、涙を浮かべてこっちに応援を求めている。

「ハーミィは俺が分からない所を丁寧に教えてくれた!! こんなに根っから優しい女は初めて見た!!」

「図書館で見た彼女の可憐な姿!! まるで一枚の宗教画のようだった!! こんなにうづくしいヒトを他に見た事がない!!」

 どうしよう……、非常に面白い。

「と、止めるべきなのかな……」

「私、こんなに楽しい光景、止めたくないよ」

「ああ、同感だ」

 ハーマイオニーが涙目のまま怒り顔になるが、この光景は些か面白過ぎる。

「彼女の為に俺は歌を作るぞ!!」

「ならば、ヴォくは詩を謳おう!!」

「俺はロンドンの広場のど真ん中でだって歌えるぞ!!」

「ヴォくは魔法省のど真ん中で!!」

 ヒートアップしていくゴリラ達。

「なんだか楽しそうだね!!」

 ルーナがウキウキした顔をしている。

「な、何故か参加したくなるね」

 ハリーが世迷い言を言い出した。

「やーめーてー!! お願いだからやーめーてー!! 恥ずかしくて死ぬ!! 死んじゃうから!!」

 ハーマイオニーが羞恥心で死にそうになっている。

 断腸の思いだが……、そろそろ止めるか。

 二匹に声を掛けようとしたその時……、

「あなた達!!」

 マダム・ポンフリーが仁王のような顔で登場した。

 雷鳴が轟く。

「騒ぐのなら出て行きなさい!! ここはオペラの舞台ではなく、医務室です!!」

 追い出された。

「貴様のせいだぞ!!」

「お前のせいだ!!」

 二人はバトル再開。そこに部屋からヌッと顔を出す般若。

「どうやらホグワーツから追い出されたいようね」

「滅相も御座いません!!」

 僕達の声が一言一句違わず重なった。全員が走る。息が切れるまで走り続ける。

 そして、

「ハーミィはヴォくのものだぁぁぁ!!」

「俺のだぁぁぁぁ!!」

 見た目だけじゃない。彼等は頭もゴリラのようだ。

「やれやれ!!」

 ルーナは実に楽しそうだ。

「あはは。負けるなー、ダン!」

 ハリーは煽りだした。

「……よし、頑張れ二人共!」

 なんだか僕まで楽しくなってしまった。

 そこに、

「あなた達……」

 マクゴナガル教諭が阿修羅のような表情を浮かべて現れた。



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第十話「真実を求める者達・Ⅳ」

 迫る拳を紙一重で躱し、顎を撃ち抜く。奴のダンプカーのような巨体が崩れ落ち、勝敗が決した。

「……あ、あれ?」

 奴の取り巻きが困惑の表情を浮かべる。負けるとは欠片も考えていなかった。そう顔に書いてある。

 俺は床で目を丸くしているダドリー・ダーズリーの肩を揺すった。汗でベットリしている。ゲンナリしながらズボンで手を拭い、奴が自然に起きるのを待った。

 数秒後、漸く目を覚ましたダドリーは負けた事に腹を立て、掴み掛かって来た。

 馬鹿な奴だ。自分が何の勝負で負けたのかを忘れている。俺は奴の足を引っ掛けて転ばせた。コンクリートの地面に転がる奴の足を踏みつける。

 ここにレフェリーは居ない。ジムからの帰り道、突然、ダドリーが勝負を仕掛けて来た。思っていた以上の単細胞。だが、この状況は俺にとっても望んでいた事。

 ダドリーを観察する内に気付いた事がある。こいつは基本的に他人を見下している。こいつが他人の意見に耳を貸す事があるとしたら権力者や圧倒的な強者に対してだけだ。

 だから、ハリー・ポッターの事を聞き出す為には温厚な手段など取っていられない。一度、徹底的に痛めつける必要がある。

「おい、ダドリー。もちっと、本気を出せよ。じゃねーと、骨を折るぞ」

「ウガァァァァ!!」

 もはや人間というより野獣だ。言葉すら使わなったダドリーは単調な攻撃を繰り返す。

 奴は軽い挑発に全力で引っ掛かった。

 俺は一方的にダドリーを叩きのめした。奴がもはや反撃する気にもなれないくらい徹底的に。

 他の奴も逃げ出そうとしたから顔を判別出来ない程度に殴った。

 全員が俺に対して怯えている。だが、まだだ。この程度では意味がない。

 スラムで学んだ事だ。怯えている内はまだまだ序の口。

「オラッ」

 死なないように、後遺症を残さないように傷めつける技術は元々持っていた。

 殺される。そう、相手が確信するレベルの暴力。奴から必要な情報を得るにはそのくらい傷めつける必要がある。

「ダドリー。俺はお前に幾つか聞きたい事があるんだ。答えてくれるよな?」

「は……はぃ」

 呼吸をするだけでも辛い程の怪我を負いながら、ダドリーは必死に答えようとする。

 答えなければ殺されると本能レベルで悟ったのだ。殺さないけどな。

「単刀直入に聞く。ハリー・ポッターについて教えろ」

 その時の奴の顔は実に奇妙だった。

 恐怖、憎悪、憤怒、嫌悪。様々な負の感情が交じり合った悍ましい顔。

 死の恐怖の中で尚、奴はそれだけの感情を噴出した。

 ハリー・ポッター。一体、何者なんだ? 俺は奴に答えるよう強要した。

 だが、驚いた事に奴はこの状況で口を噤んだ。

「おいおい、俺の質問が聞こえなかったのか?」

 更に暴力を加えても、奴は答えなかった。ただ、その目がズタボロになっている取り巻きの連中を見ている事に気付いた。

 知られたくない。そう言っているような気がした。だから、俺は取り巻き連中の意識を刈り取った。

「別に殺しちゃいねーよ」

 思ったより仲間思いだったらしい。一瞬、殺意に満ちた視線を向けられた。

 一方的にボコられている状況でそれだけの意地を見せられる奴とは思っていなかったから、少し見直した。

「それで? 奴等に聞かれたくなかったんだろ。もう、今は俺以外誰も聞いてない。答えられるよな?」

 俺は奴の眼球近くに近くに落ちていた釘を向けながら言った。

「言わねーなら、二度と友達や家族の顔を見る事が出来なくなるぜ?」

 それがトドメになった。奴は漸く喋り始めた。

 俺の望んでいた答え。俺が恐れていた答え。この世の裏側に蔓延る『真実』。

 十四年前、ダーズリー家の玄関先に捨てられていた男の子。

 ダドリーの母の妹の子だと言う。

 ハリーは幼い頃から奇妙な力を持っていた。髪を短く切っても直ぐに元通りの長さに戻ってしまったり、気付けばあり得ない程遠い場所に瞬間移動していたり、数を上げていけば両手の指では足りない程、奇妙な事件を巻き起こした。

 そんなハリーの元に四年前、奇妙な手紙が届いた。ダドリーの両親はその手紙を恐れ、国中を駆け巡り逃げ続け、果ては孤島に身を寄せた。

 そこにハグリッドと名乗る巨漢が現れ、ハリーを魔法界に連れて行った。

 そう、ハリー・ポッターは魔法使いだったのだ。この国……いや、世界には魔法使いがたくさん居て、その子供達は魔法学校に通い力の扱いを学ぶらしい。

 魔法の杖を振り、箒に乗って空を飛ぶ。そんな化け物との生活はダーズリー家の人々にとって恐怖以外の何者でもなかった。

 少しでもまともに……人間になるよう必死に教育を施したが無駄に終わり、奴は何度も彼等を脅したという。

 やがて時が経ち、半年前。ハリーは監獄に入れられていた後見人と養子縁組を結び、姿を消した。清々するというより、恐怖を感じたとダドリーは呟いた。

 テレビでも散々報道されていた猟奇殺人鬼と手を組んだハリーがいつ彼等を殺しに来るか、その事が只管恐ろしく、彼は他者を傷つける事で恐怖を紛らわせていたという。

 そこまで聞き、俺は奴が急に哀れになった。

 ダドリーもまた、『真実』の被害者なのだ。

「ジェイコブ・アンダーソン。お前はどうしてハリーの事を聞くんだ? お前の目的は何なんだ?」

「……俺達の目的は『真実』を知る事だ。世の中の裏側に潜む理不尽の元凶を見つけ出す事。それが俺達の目的だ」

「怖くないのか?」

 まるで体の中に溜まっていた膿を吐き出したみたいに奴は晴れやかな表情で俺に問う。

「怖くない……と言えば、嘘になるな」

「なら、どうして奴等を追うんだ?」

「……取り戻したいからさ。理不尽に奪われたものを」

「そっか」

「おう」

 痛みが引いてきたのだろう。ダドリーはゆっくりと立ち上がった。

「僕は奴の事が心の底から憎い。アイツが居るから、パパもママも怯えていた。愛し合って、仲の良い二人がハリーの事で何度も喧嘩をしたし、何度も泣いた。その癖、勝手に居なくなって、僕達に恐怖の種だけ残していきやがった……」

 その瞳にはメラメラと燃える炎が宿っていた。

「僕の家族に散々傷をつけた奴を僕は許さない」

「……それで?」

「グリモールド・プレイス 十二番地」

「は?」

「グリモールド・プレイス 十二番地……。アイツは後見人と共に姿を消す前、そう呟いていた。もしかしたら、そこに住んでるのかもしれない」

「ダドリー……」

「奴に一発お見舞いしてくれ。お前の拳を! それで今日の事はチャラだ」

「……オーケー。了解だ」

 ダドリーは仲間を起こすと俺に向かって言った。

「また、ジムに来いよ? 次は僕がお前を叩きのめす番だ」

「……ッハ。また、地面を舐める事になるぜ?」

「次はリングの上だ。ルール無用の喧嘩じゃないんだぜ?」

「吹っ掛けてきたのはお前だろ……ったく、分かったよ。次はリングの上で勝負だ」

「おう!」

 俺はダドリー達と分かれた後、直ぐに探偵事務所に戻った。そこには驚いた事にメンバー全員が勢揃いしていた。

 

 所長のレオ・マクレガー。

 副所長のジョナサン・マクレーン。

 スカーフェイスの女、リーゼリット・ヴァレンタイン。

 元中国マフィア『崑崙』の幹部、ワン・フェイロン。

 元ドイツ傭兵部隊『イェーガー』のメンバー、マイケル・ミラー。

 日本人ジャーナリスト、マヤ・ハネカワ。

 アメリカ人バーテンダー、アレックス・ロドリゲス。

 情報屋、アネット・サベッジ。

 俺を含め、総勢九名からなる多国籍軍とロンドン警視庁のフレデリック・ベイン警視長を始めとした外部協力者達によって、この探偵事務所は運営されている。

「勢揃いなんて珍しいな」

「収穫があったもんでね」

 マヤと会うのは特に久方振りだ。彼女とロドリゲス、それにアネットは本業が別にある。

 マヤはジャーナリストとしてイギリス全土を飛び回っているから帰ってくるのは月に一度か二度程度。

 正式な所員になるまでの間、俺は彼女の帰りをいつも心待ちしていた。それというのも、彼女はロドリゲスと共にマリアの捜索を続けてくれていたからだ。

「そっちもか!」

「という事はそっちも?」

「おう!」

 どうやら期せずして同じタイミングで情報が揃ったようだ。

 幸先の良さを感じながら、俺はリズとフェイロンの間に座った。

 いつからか忘れたけど、気が付くとそこが定位置になっていた。

「ジェイクも帰って来た事だし、早速聞いてみて!」

 マヤはボイスレコーダーを取り出すと、スピーカーに接続した。

 再生ボタンを押すと、スピーカーからガヤガヤと音が響き始める。

 やがて、罅割れた音声の中に『魔法』や『ホグワーツ』、『9と3/4番線』、『魔法魔術学校』、『呪文』などという単語が混じり始め、やがて明確に『魔法界』という言葉が現れた。

「アーニャの情報は確かだったのよ!キングス・クロス駅には秘密の出入口があった!」

「魔法界……。魔法ねぇ」

 フェイロンは忌々しげにその単語を呟いた。

「ホグワーツってのは、そのいけ好かないペテン師共の巣窟ってわけだ」

 ロドリゲスが吐き気がするといった表情を浮かべて言い捨てた。

「魔法なんて、マジであんのかよ……」

 リズが半信半疑の様子で呟く。

「ある……、みたいだ」

 俺はダドリーから聞き出した情報を口にした。

「……とりあえず、敵の正体は分かった。その根城も」

 フェイロンは口元を歪めて言った。

「でかしたぞ、ジェイク。グリモールド・プレイス 十二番地か……。しばらく、そこを張ろう」

「一人だとさすがに危険だ。私も行こう」

 ジョナサンの言葉にロドリゲスが待ったを掛けた。

「爺さん、無理すんな! 俺が行くよ」

「私も行くよ!」

「俺も行くぞ!」

 漸く掴んだ敵の居所。留守番したいと思っている者は一人もいない。

 結局、話し合いの末にマヤとロドリゲス、フェイロン、ミラーの四人が当番制でグリモールド・プレイス 十二番地を監視する事に決まった。

 俺は反論したけど、奴等は頑として俺の言葉を聞き入れなかった。

「お前さんにはもう一つ仕事があるだろ?」

 ロドリゲスが言った。

「折角、ライバルが出来たんだろ」

 

 俺は任務が終われば学校を辞めるもんだと思っていた。だけど、俺の学生生活はまだまだ続くらしい。

 その事を嫌だと思えない自分に戸惑いながら、結局、次の日も登校する。その次の日も、そのまた次の日も……。

 やがて、ダドリー達と一緒に遊びに出掛けたり、まるで普通の子供のような生活を送るようになった。

 奇妙な日々が続く。

 違和感と幸福感に包まれながら日々を過ごしていく。

 やがて……、



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第十一話「魔刻」

「ミスタ・マルフォイ」

 考え事をしながら廊下を歩いていると、不意に背後から声が掛かった。

 振り向くと、意外な事に立っていたのはマクゴナガル教諭だった。

 授業中以外で彼女と話す事は極めて稀だ。普通、教師から生徒に話がある場合、寮監を通すもの。僕の場合はスネイプだ。

「どうしました?」

「ハリー・ポッターの第二の試練について話があります。ついて来なさい」

 ああ、そういう事か……。

 ダンスパーティーも無事終わり、いよいよ第二の試練が数時間後と迫っている。

 対策として、鰓昆布をスネイプ教授から譲ってもらった。

 今のところ、問題と言えば魔法界のパパラッチこと、リータ・スキーターが些か鬱陶しいくらいだ。

 品性を持たない女は醜悪の極みだ。

 奴はハリーがスリザリンに入寮した事を面白おかしく記事にしようとしていた。

 さすがに影響力の強い名家の人間が多く在籍しているスリザリンを挑発する真似は出来ず、記事は穏便なものに差し替えられたようだが。

「ミスタ・マルフォイ?」

「あ、すみません」

 いけない。考え事は後にしよう。

 打てる手は全て打った。後は天命に任せるのみ。

 しかし、試練で救出する人間はダンスパーティーのパートナーが担うものだと思っていたがアテが外れたな。

 

 結局、第二の試練も問題なく終わった。鰓昆布の力は絶大で、ハリーは一番乗りでゴールした。

 物語のように他の『人質』を救出する為に待機する事もなく、淡々と水面まで浮上したようだ。

 クラムのパートナーがハーマイオニーでは無かった事や、チョウ・チャンとあまり親しくなかった事も要因の一つかもしれないけど。

 チョウといえば物語中ではハリーの初恋の相手だった女生徒だが、ハーマイオニーとルーナの虐めの件があって、ハリーはレイブンクローの生徒をあまり好ましく思っていないみたいだ。

 それにしても、万が一に備えてリジーやシグレを待機させていた甲斐が無かった。

 もっとも、最悪の場合、ハリーはメガネを装着しているからバジリスクの魔眼で全てを死滅させる事も考えていただけにホッとしている部分もある。

「それにしても、奴の狙いは何なんだ?」

 第三の試練まで一週間と迫る日の茶会の席でノットが言った。

「僕達の支援で作戦が上手くいっていない……、という事では?」

「そうなると、ますます奴の暴走という可能性が高まるな。奴の行動が帝王からの密命を受けてのものなら妨害している僕達に何らかのアクションがある筈だ」

「だけど、第一、第二の試練で何も行動に移らなかった理由は? 支援と言っても、危害を加えようと思えば幾らでも……」

「ただ臆しただけの可能性は?」

「馬鹿な……。奴が十四年前に何をしたのか知らないのか? 大胆不敵とは奴のためにある言葉だぞ」

 議論は何も進展を見せない。

 欠片でも奴の計画の片鱗が見えれば話も違うのだが、奴は試練に対して傍観を決め込んでいる。

 やはり、最後の試練に的を絞っているのか?

「炙り出そうとしている?」

 一人の生徒がポツリと呟いた。

「どういう事?」

 近くの女生徒が尋ねる。

「僕達を泳がせているのかも……。反乱因子を見つけ出す為に」

「だから、それはあり得ないってば。ハリーの事はドラコに一任されてるんだから」

「でも……。他に思いつかないよ」

「とりあえず……」

 僕は一同を見回して言った。

「最後の試練に備えよう。気の緩みかけている今この瞬間を狙ってくる可能性もある。油断大敵だ」

 

 

 ついに最後の試練の日がやってきた。

 競技場に作られた大迷宮。そこに得点が高い順に入って行き、最初に突破した人間が勝者となる。

 僕は試合開始の直前、ハリーを呼び止めた。

「ハリー。これを持って行ってくれ」

「これは?」

「お守りみたいなものさ」

 渡したのはキーホルダー。何が起きるか分からない状況だから、僕はリジーに変身呪文を掛けた。

 緊急時には正体を明かしてハリーを守るよう命じてある。

 水中戦である第二の試練ならともかく、こんな場所でシグレを使う事は出来ない。

「……油断をしないでくれ。十中八九、罠を仕掛けた者はこの試練の間に仕掛けてくる筈なんだ」

「うん。わかってる。安心してよ、ドラコ。僕は必ず無事に試練を潜り抜けてみせる」

「ああ……」

 試練自体に不安はない。ハリーは勉強会や試練に向けての訓練で既に最終学年の魔法も取得している。

 知識も知恵も十分。

「頑張れ、ハリー」

「うん!」

 ハリーは颯爽と選手の集合場所へ向かっていく。

 

 現在の順位はハリーがトップだ。第一の試練ではカルカロフのクラム贔屓によって二位に甘んじたが、第二の試練を一番乗りでゴールした事で一気に他を引き離した。

 トップバッターとして、大迷宮に入って行くハリー。

 此処から先はもう見守る事しか出来ない。

「ハリーは大丈夫かな?」

「心配すんな! 彼はハリー・ポッターだぞ!」

「頑張れ、ハリー!」

 スリザリン寮の生徒達が声を張り上げてハリーを応援する。

 その声に続くように他の寮の生徒達もハリーの名を叫ぶ。

「ゴー! ゴー! ハリー!!」

「頑張れ、ハリー!!」

「いけぇぇぇぇ!!」

 そして、二番手のセドリックが出発する。

「セドリック!!」

「がんばれぇぇぇ!!」

 すると、今度はハッフルパフを中心にセドリックコールが始まる。

 その後のクラムとフラーが出発した時もそれぞれの学校の生徒達が声を張り上げた。

 もはや、自分の声すら判別出来ない程の声の嵐。

 そして――――、

 

 光が大迷宮の上空へ放たれた。

 何事かとざわつく僕達にバグマンが嬉しそうな顔で宣言する。

『勝者が決まった!』

 みんなの目がバグマンに釘付けとなる。

『今、大迷宮の壁が崩れ、勝者の姿を我々に見せてくれるだろう!』

 彼の宣言通り、大迷宮の壁が崩れていく。

 その時になって気付いた。

「……クラウチはどこだ?」

 バグマンの近くにも、教師や闇祓いが座る席の近くにもいない。

 そうこうして、僕がクラウチを探している間に迷宮の壁が完全に消え去り、そして、誰もが言葉を失った。

 ゴールらしき台座にいるべき者がいない。

「何故だ……」

 問題が起きたのならリジーが転移を使う手筈になっている。

 なのに、何故すぐ戻ってこない?

 僕は気付けば駆け出していた。

「ハリー!!」

 バグマンの静止を振り切り、ハリーの姿を探す。

「どこだ、ハリー!!」

 物語通り、ポートキーを使われたのか、それとも……。

 いや、いずれにしてもリジーの存在に気付ける筈がない。そして、気付けなければリジーの転移を妨害する事も不可能。

 どうなっている……。

「き、君、落ち着きたまえ!」

 バグマンが僕の肩に手を掛ける。その瞬間、バチンという音が響いた。

 目の前に血塗れの小人が姿を現す。

「リジー!?」

 駆け寄ると、リジーはゼェゼェと息を吐きながら必死に口を動かした。

「も、申し訳ありません。ハリー・ポッターをお守りする事が出来ませんでした。優勝杯がポートキーだったのです。咄嗟にハリー・ポッターをお連れして転移しようと思ったのですが、奴が近すぎました」

「……すまない、リジー。もう一仕事してもらうぞ。まずは僕を奴の場所へ連れて行け」

「かしこまりました」

「待つのじゃ、ミスタ・マルフォイ!!」

 ダンブルドアが駆け寄ってくる。だが、待っている時間などない。

 リジーの手を掴むと、僕は次の瞬間、見知らぬ土地に立っていた。

 

◇◆◇

 

 最初、何が起きたのか分からなかった。僕は数々の障害を乗り越えて優勝杯に手を伸ばした。その瞬間、まるで何かに引っ張りあげられるみたいに空へ舞い上がり、見えない力の渦に呑み込まれた。そして、気が付けばここにいた。

 目の前には嬉しそうな顔で僕を見るバーテミウス・クラウチの姿。

 直ぐに理解した。

「……お前が罠を仕掛けた死喰い人か」

「大正解。素晴らしいぞ、ハリー・ポッター」

 瞬間、ドラコから貰ったキーホルダーが震え始めた。

「なんだ、それは――――」

 奴が手を伸ばした瞬間、キーホルダーは奇妙な生き物に変身した。

「屋敷しもべ妖精だと!?」

「ハリー・ポッター!! 離脱します!!」

 その生き物が何者なのか僕にはサッパリ分からなかった。

 だけど、疑う気持ちは欠片も湧かなかった。

「させるか!」

 僕と妖精の手が触れ合う寸前、クラウチが詠唱無しで放った赤い光によって妖精が吹き飛ばされた。

 妖精はすぐに起き上がると、クラウチに衝撃波を放ち、直ぐに僕の下へ戻ろうとする。

「ハリー・ポッター!! 御主人様……、ドラコ・マルフォイの下へ!!」

「あ、ああ!」

 僕も彼女の方へ走る。

「邪魔はさせんぞ、しもべ妖精!!」

 今度は僕の体が宙に浮かんだ。もがく暇も無く、離れた場所に放り出される。

 その間に妖精は赤い光に呑み込まれた。ふらふらになっていく彼女の姿に怒りが湧く。

 彼女の正体は分からないままだけど、少なくとも僕を助けようとしてくれている事だけは分かる。

 その彼女を痛めつけるクラウチの暴挙が許せない。

「やめろ!!」

 無言呪文なら僕にも使える。麻痺呪文を放ち、奴を妨害しようと試みた。

 だが――――、

「鬱陶しい!!」

 僕の呪文を飲み込み、紫の光が走る。

「いけない!!」

 バチンという音と共に目の前に妖精が姿を現す。その身で呪文を受ける。

 瞬間、彼女の全身に無数の切り傷が生まれた。

「あが……あぁぁぁ」

 地面を転がる妖精に僕が手を伸ばした瞬間、再び僕の体が浮いた。

「屋敷しもべ妖精め……。あの小僧の手先か。だが――――」

 殺される。このままじゃ、僕を助けてくれた妖精が殺されてしまう。

「逃げろ!! 僕に構うな!!」

「黙れ、ハリー・ポッター!!」

 僕の叫び声にクラウチが反応した。その隙をついて、妖精は立ち上がる。

「……直ぐに戻ります」

 バチンという音と共に妖精が姿を消した。

「しまった!!」

 憤怒に表情を歪めながら、クラウチは僕の下へやって来る。

「僕を殺す気か?」

「ああ、そうだ! 帝王に貴様の命を献上する」

 表情が歪んだ笑みに変わった。恍惚とした顔で僕を見つめる。

 狂っている。

「……お前は馬鹿だ。死んだ奴の為にこんな事――――」

「死んだ奴? ああ、お前は何も分かっていない」

 クラウチは心底おかしそうに笑った。

 背筋に冷たい汗が流れる。

「帝王はとっくの昔に復活している。今頃、アズカバンに囚われた盟友達を解放している筈さ」

 思わず、耳を疑った。

「馬鹿な……。そんな筈ない!! 奴は死んだ筈だろ!!」

「愚かだなぁ、ハリー・ポッター」

 クラウチは嬉しそうに僕に手を伸ばした。咄嗟に反撃しようと杖を振ると、逆に奴の放った呪文によって杖を弾き飛ばされてしまった。

 そのまま、奴の杖から飛び出したロープによって体を拘束されていく。

 もがくほど、ロープが締め付けてくる。

「いい格好じゃないか。実に扇情的だぞ」

「ふざけた事を――――」

 その瞬間、バチンという音が鳴り響いた。

 音の方向に顔を向けると、そこには豊かな金髪を夜風に靡かせる親友の姿があった。

 その顔は僕の知る彼のものではなかった。

「クラウチ……。やってくれたな、貴様」

 憎悪に満ちた声。

「ハッハッハッハ!! 手柄を取られる事が悔しいか、ドラコ・マルフォイ!!」

「手柄……?」

 僕が首を傾げると、クラウチは言った。

「ああ、哀れだなぁ。お前は何も知らない。帝王の復活の事も、親友と思い込んでいる男の企みも」

「な、何を言って……」

 嫌だ……。聞きたくない。

 何故か分からないけど、猛烈に嫌な予感がした。聞けば世界が崩壊してしまうような、そんな恐怖を感じた。

 だが、奴は口を閉ざさない。嬉しそうに、愉しそうに、奴は言った。

「ドラコ・マルフォイは帝王から命令を受けていた。お前を籠絡しろ、と」

「う、嘘だ!!」

 帝王の命令? 何を言っているんだ。そんな筈ない。

「本当だとも。こんな場所まで来るなんて、よほど焦っているんだな。ハリー・ポッターの命を帝王に捧げるのは自分だと思っていたのだろう。だが、残念だったな!! この者を殺すのは貴様ではなく、この俺だ!!」

 僕はドラコを見た。

 否定してくれ。そんなの嘘だと言ってくれ。

「……ハリー。奴の言葉に偽りはない」

 その言葉は容易く僕を絶望に追い込んだ。

 まるで、足場が崩れたみたいに起き上がり掛けていた体が地面に沈んだ。

「嘘だ……。嘘だ……。嘘だ……」

 帝王の命令……?

 僕を籠絡しろって言われた?

 その為に今まで……?

 

 

「そんなの……嘘だ」

「クハハハハハッ! 実に愉快だな。なるほど、この顔を見せれば帝王もさぞや喜ばれた事だろう。まるで、何もかも失った抜け殻のような顔。ああ、帝王がお前に期待を寄せる気持ちも分かる」

 クラウチは心底愉しそうにドラコとハリーの顔を見比べた。

「満たされていた心が一気に枯れ果てる程の絶望。ああ、認めよう。俺にもこんな芸当は出来ない。芸術家の如き才覚だ」

 闇に満たされた草原でクラウチは只管笑い続ける。

「だが、その成果を帝王に見せる事は叶わない。この小僧の命は俺のものだ」

「ハリーの事は僕に一任されている筈だぞ」

「ああ、その通りだな。だが、俺も帝王から命令を受けている」

「命令……?」

 クラウチは言った。

「帝王は今宵、アズカバンに囚われる盟友達を解き放つ。その為に騒ぎを起こせと命じられた。内容は俺に任せると……」

「だから、ハリーを殺すのか?」

「そうだ」

 ドラコは嗤った。

「なるほど……。僕達の考えはある意味で正解でもあり、間違いでもあったわけか」

「何の話だ?」

「別に……、こっちの話だよ。それよりもバーテミウス・クラウチ・ジュニア」

 ドラコは口元を歪めて言った。

「そろそろ返してもらうよ。僕の友達を」

「は?」

 バチンという音が鳴り響く。また、屋敷しもべ妖精かとクラウチは杖を握りながら周囲を見回した。

 だが、屋敷しもべ妖精の姿はなく、代わりに一人の女が立っていた。

「実戦データを取る良い機会だ」

 女は赤い瞳をクラウチに向けた。

 その手には細身の剣が握られている。片方にしか刃の無い奇妙な形状。

 クラウチは咄嗟に杖を振った。その直後、彼女は十メートル離れた場所に現れた。

 魔法による転移ではない。単純に速いのだ。何度呪文を放っても、魔法が届く前に大きく距離を取られている。

「馬鹿な……! アバダ・ケダブラ!!」

 緑の閃光が飛ぶ。だが、その閃光が杖から飛び出した時には既に女はクラウチの背後に回っていた。

「殺せ、マリア」

 間の抜けた顔。胴体から切り離されたクラウチの首は自分に起きた出来事を理解出来ずにいる。

 そのまま、首は地面を転がる。

「上出来だ」

 刃を収めるマリア・ミリガンにドラコは満足気な笑みを浮かべた。

「……さて、お前はリジーと秘密の部屋に戻れ」

「かしこまりました」

 バチンという音と共にリジーが現れる。

「リジー。すまなかったね」

 治癒呪文を施しながらリジーの頭を撫でる。

「お疲れ様。ゆっくり休んでくれ」

「……はい、御主人様」

 二人が転移するのを見届けた後、僕はハリーを見下ろした。

 涙を流しながら呆然と夜空を見つめている。

 僕はそんな彼の隣に腰を下ろし、同じように仰向けになった。

「ハリー。少し、話をしよう」



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第十二話「我龍転生」

 話をしよう。そう言っておきながら、ドラコはいつまで経っても口を閉ざしたままだ。

 眠ってしまったのかな? なら、仕方がない。

 星空を眺めながら、僕は笑った。

「どうかしたの?」

「なんだ、起きてたのか」

「起きてるさ。話し掛けておいて、眠ったりしたら、僕は失礼な奴になってしまうよ」

「ヴォルデモートの命令で僕を籠絡しようとしておいて、今更そこを気にするのかい?」

「ああ、気にするね。僕は礼儀正しい人間なんだ」

「そっか……」

 また、沈黙が続く。

「あ、流れ星!」

「え、嘘!?」

 時々、そうやって口を開くけど、それ以上の事は何も話さない。

 静かだ。とても、穏やかだ。

「ねえ、ドラコ」

「なーに?」

「僕の事を殺すの?」

「殺されたいのかな?」

「嫌だよ。僕はまだまだ生きていたい」

 そう思わせたのは君だ。

 ただ漠然と『死にたくない』と思いながら生きていた僕に君が生きる楽しさを教えてくれた。

 僕の居場所を作ってくれた。

「初めて出会った日の事を覚えてる?」

「もちろんさ。君は不安でいっぱいって顔をしてたね」

「そりゃそうさ! いきなり現れた大男に『お前は魔法使いだ』って言われて、そのまま魔法使いが跋扈する街に連れて来られたんだよ? まるで、夢の中を歩いているみたいな気持ちだった。いつ、目を覚ましてしまうか怖くて仕方がなかったんだ」

「その気持ちは僕にも理解出来るよ。今だって、僕は怖い。目を覚ましてしまうんじゃないかって……」

「あはははは。君は目を覚ましても魔法使いだろ? だって、あんな素敵なパパとママがいるんだから!」

「ああ、本当に素敵な人達だよ。だから、怖いんだ」

「どうして?」

「だって、目を覚ましてしまうかもしれないから……」

「言ってる意味がわからないよ」

「……うーん。説明し難いな」

「そっか……」

「そうなんだ」

 僕は月に向かって手を伸ばす。

「君は今が幸せなんだね」

「ああ、幸せだよ」

「僕もだよ。今が幸せなんだ」

 いつも、怯えていた。狭い個室の中だけが僕に安息を与えてくれた。

 蜘蛛の巣と埃だらけの物置。そこだけが僕の世界だった。

「ハリー」

「なーに?」

「僕を殺したい?」

「殺して欲しいの?」

「うーん、悩みどころだね」

「悩むんだ……。生きていたくないの?」

「……『最近』、生きていたくなった。うん。今はまだ生きていたいかな」

「変な答えだね」

「そう?」

「うん。とても変だよ。ある意味で君らしい」

「それは僕の事を変だって、言ってるの?」

「そうだよ?」

「え……」

 ショックを受けているみたいだ。どうやら、自覚が無かったらしい。

「君ほどの変人はそうそういないと思うよ」

「そうかな……」

「そうだよ」

「そっか……」

 哀しそうな声。思わず吹き出しそうになった。

 君は他の人と違う。何から何まで。

「試しに聞くけど……、どんな所が変?」

「そうだなー」

 僕は少し考えた後に言った。

「君って、嘘を吐かないよね」

「そう?」

「うん。君は敢えて言わない事はあっても、嘘を吐かない。それと……君って、僕が『教えられた事を何でも信じる素直な奴』って、思ってるでしょ?」

「うん。君は実に素直でいい奴さ」

「そのいい奴って言葉に何を含ませているのか、僕もさすがに気付いてるよ」

「え……」

「ほら、意外そうに……。褒めてるようで、実は馬鹿にしてるよね」

「いや、そんなつもりは……」

「まったく、酷い奴だよ」

 僕はクスクスと笑った。

「君に何かを教えられる度、僕は本を読んだよ。僕に声を掛けてくる人に逆に質問したよ。気付いてた?」

「え……」

 僕は大袈裟な溜息を零した。

「君は頭が良いけど、頭の良い君の考えが必ずしも世界の真実とは限らないんだよ」

 一年生の頃、スリザリンの他の寮生達は僕から距離を取っていた。あまりにもあからさまで分かりやすく避けられていた。

 マグルの学校に通っていた頃……、ダドリーが僕に友達を作らせない為に周りに距離を置かせていた頃の空気と同じだった。

 そんな状態を作る人間を僕は直ぐに信用する事が出来なかった。だから、ドラコの言葉の真贋を一つ一つ確かめた。『ハリー・ポッター』の名前に近づいて来るミーハーな生徒達にそれとなく話を聞き、図書館で魔法使いの歴史を学んだ。

 ドラコの言葉に嘘が一つも無い事が分かると、ようやく彼の思惑を理解する事が出来た。

「君は僕を独占したかった。だから、僕に他の友達を作らせない為に他の寮生達を僕に近づけなかった。違う?」

「うっ……」

 図星だね。

「怒ってる?」

「うん。僕は内心、とても寂しかったんだよ。折角、『この場所』で始められると思ったのにさ……」

「始める?」

「友達を作って、夢を持って、やりたい事をやる。僕は『幸せ』を始められると思っていたんだ」

「あ……」

「なのに、友達が全然出来ない。明らかに何か企んでる君としかまともに会話をする事も出来ない」

 責めるように言うと、ドラコは気まずそうに押し黙った。

「……ごめん」

「許して欲しい?」

「う、うん。出来れば……」

 僕は笑った。

「だーめ」

「……そっか」

「だって、別に怒ってないし」

「え……?」

 意外そうな声。

「君は僕の事を見ているようで全然見てないよね」

 クスクスと笑いながら言うと、彼は上半身を起こして僕を見下ろした。

 その瞳に宿っている感情を僕は確信を持って言い当てる事が出来る。彼は戸惑っている。

「ドラコ。君がクラウチの言葉を肯定した時、僕が何を考えたか分かる?」

「……裏切られた。そう思った筈だ。だけど――――」

 僕は爆笑した。涙が出る程笑った。

「うん。ちょっとだけ正解かな。一瞬、君が嘘を吐いたんだと思った。クラウチの言葉を真実だなんて思いたくなかったからね。だけど、直ぐに思い直したよ。やっぱり、クラウチの言葉は真実で、君も嘘なんて吐いてないって。それで、少し考えてみた。ヴォルデモートが君に僕を籠絡しろって命じた事は本当かもしれない。だけど、それはいつ? 数年前って事は無いよね。だって、その時はまだ復活出来ていなかった筈だ」

「ハリー……、君は」

 僕は唇の端を吊り上げて言った。

「これでも僕は君達と一緒に勉学に励んできたんだよ? この傷の痛みと共に見た夢が単なる妄想なんかじゃないって事くらい分かるさ。何と言っても、この傷は最悪の闇の魔法使いが最悪の闇の魔術で付けたものなんだから、ヴォルデモートと何らかのつながりが出来ていたとしてもおかしくない」

 ドラコが息を呑む音が聞こえる。やっぱり、僕が気付いていないと思っていたみたいだ。

 まったく、バカにして……。

「そうなると、君は少なくとも今年に入ってから命令を受けた筈だ。なら、少なくとも去年までの僕に対する態度は命令を遂行する為じゃなかったって事。違う?」

「違わないよ。今だって……」

 その言葉を聞いて、僕の心に歓喜が湧いた。

「君はこの世で誰よりも僕の事を理解していると思っているよね? だけど、それは違うよ。まったくもって見当違いだ」

 僕も上半身を起こし、彼を見た。

 その微笑みは誰よりも優しくて穏やかだ。その声に誰もが癒される。その顔は誰もが一目置かずにいられない。完成さ(つくら)れた美。

 その姿はそのまま彼の在り方を示している。

「逆だよ。この世で誰よりも君の事を理解しているのが僕さ。だから、僕は君の考えている事を言い当てる事が出来る」

 僕はその頬に手を伸ばし、その耳元に口を寄せて囁いた。

「君はヴォルデモートを倒すつもりだ。だけど、今はその段階じゃない。チャンスを待っている。そうだろ?」

 まるでひきつけを起こしたみたいに彼は体を震わせた。

「ドラコ。君は僕を手に入れる為に頑張ってくれたんだよね。ヴォルデモートを倒すのも僕を手に入れる為だろ」

 僕に素直と彼は言った。だけど、それは違うよ。誰よりも素直なのは君だ。

 だって、こんなに分かり易い。

「僕はとっくに君のものだよ」

 ああ、口元が緩んだ。喜んでいる。

「だから、僕にも君をちょうだい」

 今度は戸惑っている。僕は彼の唇に人差し指をあて、微笑んだ。

「君の隠している事を全て教えてくれ」

 その手に握っていた杖を掴み取り、僕は彼に杖を向けた。

 咄嗟に抵抗しようとするけど遅い。

 駄目だよ。所有物が所有者に隠し事をするなんて。代わりに僕の全てを教えてあげるからさ。

「や、やめ――――」

「レジリメンス!」




やっと、ハリー闇堕ちまでこれましたー(∩´∀`)∩長かった―


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第五章「炎上魔都」
第一話「ウロボロス」


 その男の子は物心付いた時から病室にいた。

 窓の外には高層マンションが聳え、ロクに景色を拝む事も出来ない。

 テレビや本の知識だけが彼と世界のつながりだった。

 訪れる人間も少ない。医者と看護師を除けば両親と妹だけだ。

 学校どころか幼稚園にも通った事が無いのだから仕方がない。

 友達という言葉自体は知っていても、実際に友達付き合いなどした事もない。

『ぼくはなんのためにいきているんだろう』

 子供が口にするには重すぎる言葉。だけど、それが彼の口癖だった。

 たしかにもっともな言葉だ。彼が生きている事に意味など一つもない。

 むしろ、『生きているだけで両親の稼いだ給料を使い潰す疫病神』だ。

 実の妹から浴びせ掛けられた罵倒に何の疑問も湧かない。

 さっさと死んだほうがいい。

 それで初めて人の役に……いや、迷惑にならずに済む。

 

『ねえ、せんせー。ぼくはいつになったらしねるの?』

 何の気なしに呟いた言葉。

 それを聞いた医師は表情を強張らせた後に病室を後にして、二度と彼の前に姿を現さなかった。

 言葉が人に齎す影響をその時初めて知った。

 彼の言葉で医師は傷ついたのだ。

 その頃、もう両親と妹は彼を見放していた。罵倒を浴びせに来る事すら面倒になったのだ。

 ただ、世間体の為に生かしているだけで、心の底では彼の一刻も早い死を願っている。その事を彼もよく理解していた。

 実の家族から憎しみ以外の感情を受ける事無く育った彼は始めて経験する『言葉で他者に影響を与える事』に興味を示した。

 それまで内容がイマイチよく理解出来なかった小説を読む事も増え、担当の医師を相手に会話の練習をした。

 まともな会話をした事が殆どなかった男の子。その喋り方はあまりにもたどたどしく、内容もまとまりがない。だが、医師は辛抱強く彼に付き合った。

 やがて、流暢に会話が出来るようになると、彼は医師に愛を求めた。

『先生。僕を愛して』

 本の中で主人公はいつも愛に囲まれていた。

 どんな憂鬱な内容でも必ず一人、主人公を支える人がいた。

 実感は湧かなかった。けれど、それがとても良いものだという事だけは分かった。

 だから、欲しくなった。

『……あ、ああ、いいとも』

 初めはやましい事などなかった。

 家族からの愛に恵まれなかった少年に医師は必死に愛情を注いだ。

 病院食以外の食べ物を持ってきたり、彼の為に本を読んだり、時には頭を撫でる。

 医師が彼に愛情を示す度、男の子は嬉しそうに笑った。

 

 悲劇の切っ掛けを数えればキリがない。

 ただ、決定的だったのは看護師がお風呂に入れている時に彼が発作を起こした事。

 その時に見た彼の裸体を見た医師は過ちを犯してしまった。

 彼は別に医師を恨んでなどいない。

 看護師が告げ口をするまでの三ヶ月は彼にいろいろな事を学ばせた。

 人の欲望。

 言葉の力。

 体の使い方。

 痛みの意味。

 快楽の扱い方。

 顔立ちや髪型の重要性。

 ……愛の種類。

 

 後任の医師は厳格な男だった。試しに誘惑してみようと企んだ彼を叱った。

 その医師にも多くを学んだ。

 性格の違い。

 感性の違い。

 思考の違い。

 知性の違い。

 品性の違い。

 気付けば多くの感情を識った。

 

 美しい少年だった。哀しい少年だった。淫らな少年だった。恐ろしい少年だった。

 多くの人間が道を踏み外した。老いたもの、幼いもの、男も女も気付けば蜘蛛の巣に縛られていた。

 結果として、彼はたくさんの愛を手に入れた。

 だけど……結局、彼の死に際を看取ったのは一人だった。

 規律を尊び、彼のしている事にいつも目くじらを立てていた男だけが彼の死を悲しんだ。

 彼のお気に入りの本を朗読しながら涙を零した。

 彼は最後の最後でようやく本当の『愛』を知った。

 

――――欲しい。もっと……、欲しい。

 

 

 底すら知れない愛への渇望。それがドラコの心を占めていた。

 言葉が直ぐに見つけられない。

「……見たの?」

 泣きそうな声で彼は言った。

「うん。不思議な光景だったよ。君じゃない君がいた。そこでは僕の事が小説になっていた」

 あれは未来の光景なのか、それとも……。

 たぶん、考えても分からない事だ。それに大した問題じゃない。

「君の事はドラコでいいの? それとも……」

「ドラコだ!! 僕はドラコ・マルフォイだ!!」

 必死な形相。彼は今が幸せだと言っていた。

 ドラコ・マルフォイである今が幸せだと。

「分かったよ、ドラコ。それにしても、色々やってるみたいだね」

 思わず嗤いそうになる。可愛い顔して、裏でとんでもない事をやっていた。

「バジリスクに改造人間? ダドリーの好きなアメコミみたいな内容だね」

「……軽蔑したか?」

 鋭い眼差しを向けてくる。答え方次第で彼は僕をクラウチみたいに殺すだろう。

 少し、いじめ過ぎた。反省しないといけないね。

 クスリとほほ笑み、僕は言った。

「するわけないだろ? それとも、軽蔑した方がいいのかな? なんて、酷い真似をするんだ! ……って、君を糾弾した方がいいの?」

「だって……」

「ドラコ。僕は今幸せなんだ」

 ドラコは怪訝そうに眉を顰める。

 まったく……。これで僕の事を理解しているつもりだったのだから笑えてくる。

 ちっとも理解出来てないじゃないか!

「僕は不幸だったんだ。そう思う事すら出来ない環境だったよ。ダーズリー(マグル)のせいで……」

 ドラコの記憶でマグルが悲惨な目に遭っている光景を目撃しても、僕の心は哀れみを感じなかった。ただただ、いい気味だとしか思えなかった。

 生ぬるいとすら思えた。

「ドラコ。僕の今の感情を言葉で表現する事は出来ない。どんな言葉を使っても足りないからだ。だから、見てくれ」

 彼に杖を押し付ける。

「……レ、レジリメンス」

 ああ、僕の心がドラコに流れ込んでいく。僕の過ごした十四年間が……。

 見てくれ、ドラコ。ダドリーのお古をペチュニアおばさんが泥水に浸している。あれが僕の制服になる所だったんだよ。

 見てくれ、ドラコ。バーノンおじさんが僕の髪を丸刈りにしている。実に惨めな姿だろう。

 見てくれ、ドラコ。ダドリーに事ある毎に殴られ、存在自体を否定され、罵倒される日々を……。アイツの取り巻きにサンドバッグにされている僕の姿を見てくれ。

「それでも僕は彼等を憎めなかった。心が否定していたんだ。だって、他に家族なんていなかった。友達もいなかった。彼等しかいなかった!!」

 気が付けば涙がこぼれていた。

「僕の世界は階段下の物置だけだった。分かるだろう? 君になら僕の気持ちが……。君だって、君を見捨てた両親を嫌いになれなかった筈だ」

「……ぁぁ」

 どうして、こんなにも彼の事が好きなのか分かった。

 どうして、こんなにも彼が僕に執着したのか分かった。

 あまりにも似ている。

 何も持っていない。誰からも愛されない。狭苦しい世界。

 僕だけが彼を理解出来る。彼だけが僕を理解出来る。

「……ようやく手に入ったんだ。僕達はようやく幸せになれたんだ」

 だからこそ、それを邪魔する存在が許せない。

「ヴォルデモートを殺そう。出来ない筈がない。僕と君が手を組んで、不可能な事なんて何もない」

 彼に手を伸ばす。

「……ああ、そのつもりさ」

 ドラコは優しく微笑み、僕の手を取った。

「僕達で――――」

 その瞳には穏やかな殺意が宿っている。

「ヤツを殺そう。他の邪魔者も全て消そう。僕達は幸せに生きるんだ」

「うん!」

 僕達は笑い合った。

 例え、何者が立ち塞がっても邪魔はさせない。容赦もしない。

 僕達の幸せを邪魔する者は一人残らず殺してしまおう。

 ああ、とても清々しい気分だ。まるで起き抜けにシャワーを浴びたみたいにスッキリとしている。

「とりあえず、帰ろうか」

「うん。みんなが待ってるしね」

「後で秘密の部屋を案内するよ」

「楽しみにしとく」



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第二話「Point of no return」

 ハリーがクラウチに連れて来られた場所。そこは驚くべき事に『クィディッチ・ワールドカップ』が行われる予定だった場所。

 会場自体は既に解体されていて、ただの草原が広がっている。だが、会場周辺に敷かれた大規模な結界は残っているようだ。

 効果は一年前と比べて格段に落ちている。時間経過と共に篭められた魔力が霧散していき、自然消滅するようになっているようだ。

「それにしても、一年近く経つのに残っているなんて凄いね」

 ハリーが言った。

「いや、恐らくクラウチが魔力の注ぎ足しをしたんだと思うよ。いくら何でも一年以上……あっ」

 下山ルートを探していると、二人は突然青白い光と遭遇した。よく見ると、それは人の形をしている。

 酷く虚ろな表情を浮かべ、ふわふわと空中に浮かんでいる。

「ゴースト……?」

「……そのようだね」

 しばらく見上げていると、ゴーストは急に見えなくなった。

 不思議に思いながら再び歩き始めると、しばらくして、また違うゴーストを見つけた。

「どうして、ゴーストがこんなに?」

 少し歩けばゴーストに出会う。その繰り返し。

 ハリーは首を傾げた。

「囚われているみたいだ」

「囚われてる……?」

 ドラコは興味深げに辺りを見回した。

「結界が死者の魂を囲い込んでしまっているんだよ。魔法省はよほど慌てて会場の解体作業を行ったみたいだね。三大魔法学校対抗試合の事もあったから仕方のない事かもしれないけど……」

 ハリーはドラコの言葉の意味がいまいち理解出来なかった。

 これは闇の魔術の深淵に触れた者にしか分からない事なのかもしれない。

「ハリー。魂は本来輪廻を転生するものなんだ。一部の例外もあるけどね」

「えっと……、仏教の概念だっけ?」

「仏教に限らないよ。世界中の宗教や文化にこの概念は根付いている。実際、人が死ぬと肉体から魂が抜け落ちる。そして、精神と霊魂の結びつきが解け、霊魂だけが次の肉体に宿る。これが輪廻転生のシステムなんだ。だけど、この結界が魂の檻となり、転生を妨害している」

 ドラコはゴースト達を見上げる。

「覚えてるだろ? 去年、ここで起きた惨劇の事。死喰い人の放った『悪霊の火』によって村一つが焼かれ、ワールドカップの観戦に訪れた数人の魔法使いが殺害された。彼等はその時の犠牲者達さ。ゴーストになる為には幾つかの条件を満たす必要があるんだけど……ここではその条件が揃ってしまう」

「条件って?」

「まず一つは現世に未練を持つ事。肉体を失って尚、現世に留まろうと思う程の強烈な未練が必要だ。ホグワーツのゴースト達を見れば分かるだろ? 誰一人、穏やかな死を迎えられた者はいない。『血みどろ男爵』も『ほとんど首無しニック』も凄惨な死を遂げたからこそゴーストになってしまった」

「……ビンズ先生は?」

 魔法史を担当しているカスバート・ビンズ教授もゴーストだが、ハリーにはとても凄惨な死を迎えた人物とは思えなかった。

 ドラコは押し黙った。

「……そう言えば、あの人もゴーストだったね。あれ……、おかしいな」

「よっぽど魔法史の授業が好きだったのかもね」

「あの内容で……?」

 大半の生徒が始まると同時に居眠りを始める程、ビンズの授業はつまらない事で有名だ。

「……あれー」

 ドラコは頭を抱えた。

「なんで、あの人……ゴーストになったんだろう。ホグワーツに居たからなのかな……? でも……条件は満たしやすいけど、やっぱり未練の無い魂は天に召される筈だし……」

 ハリーはクスリと微笑んだ。

 ドラコ・マルフォイという男は実に頭のいい人間だ。そして、その事を自覚している。だから、自分の考えている事が常に正しいものだと誤解している。

 今みたいに自分の考えている事に綻びを見つけると簡単に取り乱す。

「ドラコ。未練なんて、人それぞれだよ」

 ドラコには幾つか弱点がある。一つは自分の考えている事が世界の真実だと誤解している事。

 もう一つは、人の感情を知ってはいても、識ってはいない事。だから、ハリーの本心に気付けなかった。

「僕達にとってはつまらない授業でも、ビンズ先生にとっては最高に楽しい時間なのかもしれない」

「……なるほど」

 ドラコ――の前世の少年――は歪な環境の中で育った。

 本来、人と接しながら学んでいく筈の知識を本やテレビで学んでしまった。

 彼の弱点はそうした成長過程における歪みが齎した弊害だ。

「それで、他の条件っていうのは?」

 ハリーは内心喜んだ。今までは、何から何まで一方的にドラコから教えられるばかりだった。

 漸く、ドラコに教えてあげられる事が出来た。それは人の感情という実に曖昧で説明の難しいものだけど、それでも教えてあげようと思った。

 ドラコが長い時間を掛けて、様々な知識を教えてくれたように。

「もう一つは霊体を留めておく為の『場』を用意する事だよ」

「どういう事?」

「幽体は霊子(エーテル)の集合体なんだ。要は細かい粒の集まりって事。人体でいう所の細胞にあたるものだね。これが肉体を離れると同時に失われていくんだ。だからこそ、霊魂は新たな肉体を求める。完全なる消滅を防ぐために」

「つまり、『場』は霊子の流出を止める為のもの?」

「そういう事。肉体の代わりを務めるのさ」

「ここの結界が『場』として機能してしまったから、死者の魂がゴーストになってウロウロしているって事か……」

「……ただ、ここの結界は少し弄られているみたいだ」

「弄られている?」

「ゴースト達の霊子が結界に奪われているんだ」

「……霊子を?」

「霊子……即ち、魔力を結界の維持の為に吸われ続けているんだ」

「え、霊子が魔力なの?」

 驚くハリーにドラコは言った。

「霊子って言葉でピンと来ないなら、記憶や精神力に置き換えてもいい。同じものだからね」

「そうなの?」

「霊子というものは魂を構成するものなんだ。そして、魂とは精神と霊魂が結びついたもの。ほら、闇の魔術を使うには強い精神力が必要だったり、守護霊の呪文を使うには楽しい思い出を振り返る必要があるだろ? それはつまり、精神力や記憶といった霊子の一部を消費して魔法を発動させているんだ」

「……それって、大丈夫なの?」

「大丈夫じゃなきゃ、魔法使いは滅んでるよ。霊子っていうのは生きている限り増え続けるものなんだ。細胞と同じようにね。記憶の積み重ねや感情の震えによって」

「なるほど……」

 ハリーは納得すると同時に眉を顰めた。

「生きている限りって事は……」

「そうだよ。ゴースト達の霊子は増えない。だから、結界に霊子を奪われて、消滅寸前の状態に陥っている」

「え……」

 ハリーは浮かんでいるゴーストを見た。ホグワーツのゴーストと比べると色合いが薄い。顔も虚ろだ。

「助けてあげられないの?」

「出来るよ」

 アッサリとドラコは言った。

「簡単さ。結界を解除すればいい。それでゴーストは輪廻の輪に戻る」

「なら……、早く助けてあげようよ」

「そう来ると思った」

 ニヤリと笑みを浮かべ、ドラコは杖を空中に向けた。

「フィニート・インカンターテム」

 その瞬間、空気がガラリと変わった。まるで、止まっていた時が動き出したかのような感覚。

 ゴースト達の姿が次々に消えていき、やがて静寂が訪れた。

「崩壊寸前の結界なら、停止呪文で十分なんだ。さて、思いがけず長居をしちゃったけど、そろそろ帰ろうか」

「……うん」

 ハリーは空を見上げた。あと少しで輪廻の輪に戻る事すらなく、彼等は消滅する所だった。

 そう仕向けたのはクラウチ。

「怒ってる?」

 ドラコが問う。

「別に……」

 クラウチはもう死んでいる。それに彼等と面識があったわけでもない。

 だから、怒りを感じる理由もない。

 そう、冷静に判断している自分にハリーは少し驚いた。ただ、それだけだった。

「助けられて良かったなって……」

「そっか」

 助けられて良かった。その言葉に嘘は無い。だけど……、それはドラコがそう考える事を期待していると思ったからだ。

 仮に助けられなかったとしても、本当は――――、

 

 

 

 

――――どうでも良かった。

 

 

 

「さあ、帰ろう」

 ハリーはドラコの手を取った。結界を消してしまった以上、魔法を使うことは出来ない。

 そもそも二人は『姿現し術』はまだ未習得だ。

「うん。と言っても、リジーを呼べば直ぐなんだけどね」

「あの屋敷しもべ妖精の女の子? そう言えば、お礼を言いそびれたな。ちゃんと、言わなきゃ」

「喜ぶと思うよ」

 クスリと微笑んでから、ドラコはリジーを呼んだ。

 けれど、いつまで経っても現れない。

「怪我の具合が酷いのかな?」

 ハリーは心配そうな顔を作って言った。

「癒やした筈だし、リジーなら怪我を負っていても僕の命令を優先する筈だ」

 ドラコは眉を顰めた。

「……もしかしたら、厄介な事が起きているのかもしれない」

「厄介な事?」

「リジーとシグレには万が一の時、『フリッカ達を守れ』と命じてあるんだ。その時は強制召喚命令以外を無視して構わないと言ってある」

「それは……」

「ホグワーツで何か起きているって事だね。まあ、リジーとシグレが付いているからフリッカ達の安全は保証されている。他の連中の事は分からないけど……」

「……どうする?」

「とりあえず、少し待ってみよう。命令は届いている筈だから、時間を置けば来てくれる筈――――」

 その言葉とほぼ同時にバチンという音が響いた。

 現れたリジーは頭を地面に擦りつけ、謝罪の言葉を叫んだ。

「申し訳ありません、ご主人様!!」

「謝罪は要らない。何があったか報告してくれ」

 リジーは隻眼に涙を浮かべながら語った。ホグワーツで起きた事件だけではなく、イギリス全土で起きている事件について……。



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第三話「魔都」

 世界が一変するまでに掛かった時間はわずか二時間だった。

 何処かへ消えたハリーとドラコの行方を探す為に闇祓い局は捜索隊を編成し、各地へ散った。それが失敗だった。

 ヴォルデモートが率いる死喰い人の集団がアズカバンを襲撃したのだ。闇祓い局が事態を悟った時には全てが手遅れとなっていた。

 大勢の邪悪な魔法使いが自由を手に入れ、同時に悍ましき魔法生物が世に解き放たれてしまった。

 それからの一時間――――、イギリスは阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。

 

 魔法省の制御から離れた吸魂鬼は無差別に人を襲い始めたのだ。

 マグルの目に彼等の姿は映らない。だが、その存在が齎す災厄に気付けない程、愚かでもなかった。

 初めにロンドンの中心部で百人を超すマグルが一斉に意識を失った。

 その直後、上空一万メートルを飛行していたジェット機が墜落した。

 そして、大勢の死傷者が運ばれた病院の機能が停止した。

 前代未聞の大事件。国民はパニック状態に陥り、政府は次々に報告される大規模な被害の対応に追われた。

 

 燃え盛る都市。人々の悲鳴。渦巻く絶望が吸魂鬼を更に活性化させていく。

 彼等は遠慮無く接吻を施していき、仲間を増やしていく。そして、更なる絶望を振り撒く。

 闇祓い局はドラコとハリーの捜索を中止せざる得なかった。直ちに全戦力を吸魂鬼の除去に充てねば人類史上に残る災禍を止める事が出来なかった。

 彼等の動きは迅速かつ的確だったが、全ての吸魂鬼を消滅させるまでに被害は大きく拡大してしまった。

 歴史的建造物が燃え尽き、万を超える人命が失われ、都市機能が完全に麻痺してしまった。今後も二次災害が増加していく事を考えれば、被害の全貌を測る事すら出来ない。

 それでも、彼等はよくやった。これ以上の結果など誰にも出す事が出来ない。それ程迅速に事を解決した。

 局長のルーファス・スクリムジョールは優秀だった。最善の手を打った。

 だから、彼等を責めてはいけない。彼等が居なくなった後のホグワーツで起きた事件の責任を追求してはいけない。

 なぜなら、彼等がホグワーツに戻れば、イギリス全土に更なる災禍が広がっていた筈だからだ。

 

 ホグワーツで大勢の死者が出た。その殆どが子供だった。そして――――、

「アルバス・ダンブルドアが亡くなりました」

 リジーは声を震わせた。

「不意打ちでした。帝王はアズカバンから解放した死喰い人達を伴い、ホグワーツに現れたのです。彼等の行動は迅速でした。初めに生徒を数人、人質にしたのです。彼等はマグル生まれでした。彼等が要求を告げる前に一人の生徒が殺され、残りの生徒は磔の呪文を受けました……」

 恐怖で身を震わせながら、リジーは自らが目撃した一連の流れをハリーとドラコに伝える為に頬を抓った。

「それを見て、生徒の家族が悲鳴を上げました。無防備の状態で死喰い人の前に飛び出し、アッサリと殺されました。そして、気付けば周囲を『悪霊の火』が取り囲んでいました」

 リジーは瞼を閉じ、当時の光景を脳裏に描く。

「恐ろしい光景でした。目の前に炎の壁が立ちはだかっている事を分かっていながら、それでも尚、恐怖から逃れる為に飛び出す生徒がいたのです。その生徒は絶叫しながら無惨な死を遂げました。やがて、死者の数が二桁に達した時、死喰い人達は要求を口にしたのです。『アルバス・ダンブルドア。今ここで自害しろ』……、と」

 呑める筈のない要求。唯一、帝王に対抗出来る力を持ったダンブルドアの命はなにものにも代えられない尊きもの。

 だが、パニックに陥った生徒や保護者達に道理など通じなかった。

「逃げるため、守るためにアルバス・ダンブルドアを守ろうと立ちはだかる教師達を打ちのめしたのです。一人は死に、他の者も大きな傷を負いました。やがて、彼等はダンブルドアの死を求め始めた。『命を差し出せ!!』。そう、死喰い人ではなく、生徒や保護者達が口を揃えて彼に言いました。狂気です……。狂気が蔓延していました。死喰い人が現れて、まだ一時間も経っていないのに、彼等は自らの命惜しさに希望の種を自ら摘み取ろうとしたのです」

 ダンブルドアに選択の余地は無かった。

 逃げる事は出来た筈だ。不死鳥の転移を使わずとも、ホグワーツの校長特権を使えば、『姿くらまし術』で何処へなりとも逃亡する事が出来た。

 だが、目の前で無惨に摘み取られていく命を見捨てる事は出来なかった。

 ダンブルドアは自らの杖をセブルス・スネイプに投げ渡した。

「その杖で自らを殺すよう指示しました。そして……」

 スネイプの放った『死の呪い』がダンブルドアの胸を穿ち、彼の絶命をその場にいた全ての者が目撃した。

 

「その後、死喰い人達は高笑いをしながらホグワーツの教師達を拘束し、城内に入って行きました。生徒達から杖を奪った上で……」

 あまりにも急転直下な展開にドラコとハリーは唖然としていた。

 まさか、ダンブルドアが殺され、イギリス全土でそこまでの規模の事件が起きているなど想定外だった。

「……いきなりホグワーツに襲撃をかけるなんて、大胆不敵というか……」

 ハリーの言葉にドラコは顔を顰めた。

 ヴォルデモートがここまで大胆不敵な行動に移れた理由は一つ。ハリーが僕を介して手元にあると思い込んでいるからだ。

 予言によって脅威であるとされたハリーが手の内にある事で、残る最大の不安要素の排除に全力を傾ける事が出来た。

「帝王にとっても賭けだった筈だ。だが、勝算は高いと判断したんだろう」

 今までアズカバンに収監されていた憔悴状態の軍勢を率いてでも、後々ダンブルドアに対策を練られてから行動するより勝算が高いと……。

 結果は大成功だ。ダンブルドア亡き後、ヴォルデモートに怖いものなどない。

「どうする?」

 ハリーがドラコに問い掛ける。

 ドラコは一呼吸置いてから言った。

「ヴォルデモートを殺す算段はついている。だけど、今はその時じゃない」

「殺す算段って?」

 ドラコはハリーの耳元に口を寄せると自らの考えを口にした。

 ハリーは大胆不敵とも思えるドラコの作戦に悲鳴を上げそうになった。

「で、でも、その作戦だと君に危険が――――」

「その程度のリスクも負えないようじゃ、帝王には勝てないよ。まあ、いずれにしても直ぐに行動を起こすわけじゃない。タイミングを見計らうんだ」

 ドラコはリジーに視線を向けた。

「フリッカ達はどこに?」

「一度、秘密の部屋に移動しましたが、今は他の生徒達と共に大広間にいます。姿が無い事を勘繰られては危険だとエドワード様が……」

「良い判断だ。君は僕達を……そうだな、グリモールド・プレイス12番地に届けた後、再び、みんなの守護にあたってくれ」

「承知しました」

 リジーは深々とお辞儀をした後に僕達をグリモールド・プレイス12番地に届けた。そのまま、再び姿を消す。

「どうして、僕の家に?」

「ある程度、状況が落ち着くまで身を隠しておいた方がいいと思ってね。ハリーを守る為にダンブルドアが色々と呪文を掛けてくれた。ここなら帝王にも直ぐには見つけられない筈さ」

「なるほど……。とりあえず、中に――――」

「おい!」

 二人がブラック邸に入ろうと歩き始めると、突然、後ろから声を掛けられた。

 振り返ると、そこには見知らぬ少年が立っていた。何故か怒気を表情に浮かばせている。

「えっと……?」

 困惑するハリーを尻目に少年は声を張り上げる。

「お前がハリー・ポッターだな!?」

 自分の名前を見知らぬ人が知っている。そんな奇妙な事がハリーにとっては日常茶飯事だった。

 闇の帝王を滅ぼした少年として、物心付く前から有名になってしまった弊害だ。

「そうだけど?」

 驚きもせず、普通に肯定してしまった。

「お前が……、魔法使い」

 その言葉を聞いて、初めて違和感を覚えた。

 ハリー・ポッターの名前は確かに有名だ。だけど、それは魔法界に限った話。

 目の前の少年の言葉は魔法使いの発する言葉というよりむしろ……、

「君はマグルだな」

 ドラコが言った。

「マグル!?」

「……な、なんだよ、マグルって」

「魔法族では無い者を僕達はそう呼ぶ」

「ド、ドラコ!?」

 ようやく、ハリーの頭が目の前の展開に追い付いた。

 目の前の少年はマグルであり、その少年に向かってドラコは自らの正体を明かしている。

 魔法使いの存在をマグルに教えてはいけない。それが魔法界でもっとも重要なルールなのだと教えてくれたのは彼なのに。

「ハリー。彼は君の名前を知り、『魔法使い』という単語に辿り着いている。なら、隠した所で無駄さ」

「で、でも……」

 ドラコは物言いたげなハリーの口に人差し指を当て、それから少年に向き直った。

 最大限、相手に好意を抱かせる顔を作る。

「それで、君はハリーに何の用なの?」

「あ、えっと……」

 ドラコが顔を寄せると、少年は狼狽した。

 勝負あり。ハリーは少年に同情を寄せた。

 男だと知っていても、フレッド達のように籠絡されてしまうドラコの呪文を必要としない魔術。性別を知らなければ対抗するのは更に難しい。

 初見でドラコの性別を見破るのはもはや不可能に近い。髪、顔、声、語り口調。何から何まで見事に中性的で本人の使い方次第でどちらにも見えてしまう。

「……落ち着いてよ。話がしたいだけなんだから。君もハリーに用事があるんでしょ? まずはリラックスして」

 聞いている内にこっちまでクラクラしそうになる。蜂蜜のように甘い声。耳を愛撫するような口調。

 見事だと拍手喝采したくなる。

「お、俺は……」

「ほら、リラックス。安心していいんだよ? ここに君を傷つける人なんて誰もいない。まずは君の名前を教えてほしいな」

「……ジェイコブ。ジェイコブ・アンダーソン」

「ジェイコブ……。うん。ジェイコブ。素敵な名前だね」

 薬も呪文も使っていない。ただ、語りかけているだけなのに、少年は蕩けるような表情を浮かべ、ドラコに支配されていく。

「とりあえず、家の中に入ろうか。そこでジックリ話を聞かせてよ」

「あ、ああ……」

 大人しく付き従うジェイコブにハリーは溜息を零した。

 なんだか、更に事態がややこしい方向へ滑りだした気がする。







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第四話「真実」

 紅茶を淹れ、ソファーで寛ぐドラコ。彼に半ば無理矢理連れ込まれたジェイコブと名乗る少年は初めて見る魔法使いの家に興味を惹かれている様子だ。

 さて、奇妙な状況になった。

「ドラコ」

「なんだい?」

「どうするつもりなの?」

 僕は視線をジェイコブに向けた。

 ドラコの魅了に取り憑かれていた彼の瞳に正気が戻る。ようやく、自分の置かれた状況を理解したらしい。

 それでも、パニックを起こさずに己を律する胆力は大したものだ。

「俺を殺すのか?」

 ジェイコブの言葉にドラコはクスリと微笑んだ。

「殺して欲しいのかい?」

「自殺願望なんかねーよ」

「なら、野暮な事はなしにしよう。折角の出会いだ。嫌い合うより仲良くしたい」

「仲良く……。そうだな、仲良くしよう」

 ジェイコブはとても仲良くする気になったとは思えない程獰猛な笑みを浮かべた。

 たかがマグルと侮ってはいけない。そう、本能が囁いた。

 三大魔法学校対抗試合の第三試合で嫌というほど遭遇した凶獣達と同じ空気を発している。

「俺はお前達に聞きたい事がある」

「……答えられる範囲で答えよう。でも、あまり期待を持ち過ぎないようにね。僕達も全知全能ってわけじゃない。例えば、世界平和を実現する為にはどうしたらいい? なんて質問をされても答えられない」

「そんな質問しねーよ。人間を皆殺しにでもしなきゃ無理だろ」

「……なるほど、皆殺しにすれば世界は平和になる。君は頭がいいね」

「馬鹿にしてんのか?」

 ドラコは挑発しながらジェイコブという人間を量っている。

 ここで暴れ始めるようなら論外。目的を忘れるなら愚か者。

「さて、どうかな」

 ジェイコブを鼻を鳴らした。

「お前……、顔は可愛いけど性格は悪いな」

「褒め言葉として受け取っておくよ」

 見る者全てを惑わす魅惑の微笑み。それが猛毒であると知っていても、耐える事は難しい。

「ああ、好みだ」

「……そ、そうなのか」

「おう」

 思わず噴き出してしまった。中々出来る返しではないと思う。

 ドラコもさすがに戸惑っている。イレギュラーに弱い所は直したほうがいいね。

「それより、そろそろ質問に答えてくれないか? 可愛い子ちゃん」

「う、うん」

 珍しい光景だ。ドラコが押されている。

 そう言えば、昨夜も僕が迫った時はしおらしい態度を見せた。

 なるほど、基本的に自分から攻めていくタイプだから、逆に攻められると弱いんだな。

 また一つ、弱点が分かった。結構、弱点が多いな、ドラコ……。

「……聞きたい事は山程ある。だから、一つ一つ聞いていくぞ。まず、『マリア・ミリガン』を知っているか?」

 初め、僕には何のことだかサッパリ分からなかった。ドラコも困惑の表情を浮かべている。

 けれど、一拍置いた後に思い出した。その名前はドラコが秘密の部屋に監禁している少女の名前だ。

「そのマリア・ミルガンがどうかしたのかい?」

「行方不明なんだ。目撃者から聞いた話だと、『妖精』に攫われたらしい」

 リジーの事に違いない。

「妖精か……。魔法界には人を攫う妖魔の類がそれなりにいるんだけど、特徴とかは聞いた?」

 実に白々しい態度だ。

「……いや、詳しくは聞いてない。ただ、妖精が攫っていったとだけ……」

「そのマリアと君の関係は?」

「友達だ。ただ、一方的に惚れてて告白もした。けど、返事を貰う前に攫われた……」

 そう、事も無げに言った。

「そうか……」

「とりあえず、妖精自体は実在するんだな?」

「うん」

「なら、一歩前進か……」

 気軽な調子で言う。

「他に質問は?」

「あるぜ。十五年前の事だ。幾つかの村で集団失踪事件が起きた。その事について知っている事を教えてくれ」

「十五年前か……。なら、十中八九、ヴォルデモート卿とその配下の仕業だね」

「ヴォルデモート?」

「ああ、魔法使いの中でもとびっきりの悪党さ。一度そこのハリーに殺されたんだけど、最近復活しちゃって、世間を騒がせている傍迷惑な大魔王さ」

 その言い方はあんまりだと思う。ジェイコブもあっさりと返って来た答えとその内容に面食らっている。

「一度死んで蘇った……? そいつ、キリストかよ」

「神と魔王は対をなす者だからね」

「……その理屈は合ってるのか?」

「さて、どうかな。実際、ヴォルデモート卿は蘇生した。今、ロンドンで起こっている事件も全て彼が元凶だよ」

 それにしても、ドラコはどういうつもりなんだろう? マグルに魔法界の情報を渡すなんて……。

「あれもか……」

 ジェイコブは頭を掻いた。

「飛行機の墜落事故で街一つが壊滅状態だ」

 その瞳に怒りを宿しながら、ジェイコブは窓の外を見た。

 遠くの空が赤く染まっている。火はまだ消えていない。

「最初はお前等が元凶だと思ってたんだけどな」

 溜息を零し、再びドラコに向き直る。

「他にも質問していいか?」

「もちろん」

「なら、八年前の香港で起きた事件についてだが――――」

 ジェイコブの質問は多岐に渡った。

 中国マフィア『崑崙』の内部分裂を裏で操った者。

 元ドイツ傭兵部隊『イェーガー』の乗っていた輸送機を襲撃した生物。

 日本で起きた猟奇殺人の真実。

 ワシントン郊外で起きた失踪事件の真相。

「中国の魔法使いはイギリスと違い、国が運用している。恐らく、その組織が国に害を為すと判断され、処理されたんだろう。輸送機を襲撃した生物は恐らくドラゴンだ。何かの拍子に輸送機が結界の中へ紛れ込んでしまったんだろう。ドラゴンは縄張りを犯したと判断して襲いかかったに違いない。アメリカの失踪事件については……、すまないが分からない。アッチは表世界同様に魔法界も混沌としているからね。魔法省と近しい組織はあるけど、完全に管理し切れていないと聞く。日本の件は……恐らく妖魔が関わっている。あの国は特に凶暴な妖魔が多く生息していると聞くからね」

「……なるほどね」

 望んでいた解答を聞けたはずなのに、ジェイコブの顔色は優れなかった。

「どうしたの?」

 僕が聞くと、ジェイコブは瞼を瞑った。

「全部、ヴォルデモートって魔王が原因だと良かったのにな」

「どういう事?」

 ジェイコブは曖昧に微笑む。

「フェイロンのファミリーは国に処理された。ミラーの輸送機を襲ったのは縄張りを守ろうとした動物。ロドリゲスの友達の失踪には犯罪者が絡んでいる。マヤのクラスメイトが皆殺しにされた事件は妖魔の仕業……。どっかで思ってたんだ。誰か一人を殴れば全て解決するって……」

「世の中、そう単純なものじゃないさ」

「だよな。中国って国に喧嘩を売るわけにもいかない。縄張りを守ろうとした動物に文句なんて言えない。アメリカの犯罪者や日本の妖魔なんて、俺達の手には負えない……」

 悔しそうにジェイコブは顔を歪めた。

「魔法使いが全て悪い。だから、そいつらをぶん殴る。それでみんな笑顔になれると思ってたんだけどな……」

「なら、殴る? 魔法使いを代表して、好きなだけ甚振っていいよ?」

「ちょっと、ドラコ!?」

 あまりにも軽はずみな言葉に僕は飛び上がった。

 確かにドラコは殴られるだけの事をしているし、ジェイコブには殴る権利がある。だって、マリアを攫ったのは実質ドラコだけど……。

「だったら、僕を殴ればいい。元々、君が探していたのは僕だろ? なら――――」

「いや、お前等殴っても意味ないし」

 折角覚悟を決めて言ったのに、ジェイコブの反応は実にアッサリとしたものだった。

 いや、意味なら多少はあると思う。だって、犯人はドラコなんだから。

「まあ、ダドリーに頼まれたから一発だけ殴っとくな」

「え? って、イタッ」

 人差し指でトンとおでこをつつかれた。

「これで良し」

「良しじゃないよ! ダドリーって、どういう事!?」

「お前の事やココの事はアイツから聞き出したんだよ。そん時に頼まれた。僕の家族をめちゃくちゃにした悪党をぶん殴ってくれって」

 いっそ清々しいと感じてしまった。

 そこまで憎まれていたのかと……。

 ジェイコブはダドリーが語った言葉を全て教えてくれた。

「そっか……」

 笑えてくる。僕がいたから、彼等は不幸だった。彼等は僕の存在を求めた事など一度も無かったのだ。ただ、無理矢理押し付けられて、魔法で脅されて嫌々育てただけ。

 本当なら楽しいだけの毎日を僕という存在がぶち壊しにした。抱えなくていいストレスを感じ、しなくていい喧嘩をした。

「あはは……」

「ハリー?」

「お、おい……、大丈夫か?」

「あはははははははははは」

 涙が出るほど滑稽だ。憎んだり、妬んだり、縋ったり……全て、筋違いだった。

「そっか……、そうだよね。あの人達にとって、僕は疫病神でしかなかったんだ! 最初から! あはははははははははは! 知ってた筈なのに、なんでこんな……あははははははは!」

 疎まれている事を知っていた。嫌われている事を知っていた。

 なのに、この期に及んで僕は……、

「なんで、ショックを受けてるんだろ。馬鹿過ぎるよ! あっはははははは!」

 僕だって嫌いだった。どんなに気を引こうとしても応えてくれない彼等の事が心から……、

「あはっ! あははははははははははははははははははははははははははは!」

 殴られた記憶。物置に押し込まれた記憶。髪を剃られた記憶。罵倒された記憶。家畜のような扱いを受け続けた記憶が蘇る。

 それでも、僕は……、

 

 

 

 

 

 

 

 

……『あの人達』に愛して貰いたかった。



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第五話「乱気流」

 妙な事になった。

「……えっと、元気だせよ。な?」

 何の因果か、俺は今、殴るつもりで会いに来た男を慰めている。

 ダドリーの言葉をそのまま伝えたらいきなり笑い泣きを初めて驚いた。

 どうやら、相当なショックを与えてしまったようだ。

「何も泣く事はないだろ……」

 参った。想像と違う。魔法使いはもっと凶悪で傲慢で俺達人間とは全く違う悪魔的な生物なんだと思っていた。

 ところがどっこい、ハリー・ポッターは俺以上に人間的だ。スメルティングズに通っている脳天気な奴等と同じ。

 普通に傷つくし、普通に涙を流す。どこにでもいる普通の少年だ。

「……ごめん。もう、大丈夫」

 しばらく背中を擦ってやっていると、ポッターはようやく顔を上げた。

 スッキリした顔をしている。泣いた事で気分が落ち着いたのだろう。

「とっくに吹っ切った筈なのに、中々思い通りにならないものだね」

「みたいだな」

 俺は立ち上がった。

「帰るよ」

「……帰る?」

「おう。なんか、思ってたのと違ったけど、答えは得られたし……」

 マリアを攫った妖精を特定する事は魔法使いにとっても難しい事らしい。

 仮に特定出来ても、生存している可能性は絶望的に低い。

 殴るべき相手も見つからず、虚しさだけが残った。

「それは駄目だよ、ジェイコブ。君を帰すわけにはいかない」

「ア?」

 気付けば背後にあの女が立っていた。そう言えば、名前を聞いていない。

 なんとなく、マリアに似ている気がする。顔も髪型も似ていない筈なのに、どうしてだろう……。

「君は知り過ぎた。魔法使いはマグルにその存在を気づかれてはいけないんだ。だから、このまま帰るのなら君の記憶を消さないといけない」

「あー……そっか、そうくるよな」

 あまりにも簡単に質問の答えを教えてくれるものだから、俺は失念していた。

 この世界の『真実』に触れた者は記憶を消される。

 知っていた筈なのに、俺は警戒を怠っていた。

「ジェイコブ。君には二つの道がある」

 危険な光を瞳に宿し、女は言った。

「一つは記憶を消され、このまま先も見通せない霧の中を歩き続ける道」

「……もう一つの道は?」

 ヤツは言った。

「僕の物になれ、ジェイコブ・アンダーソン」

 何言ってんだ、コイツ……。

「断る」

「そうしたら特別に見逃が――――は?」

「いや、なんでお前の物にならなきゃいけねーんだよ」

 どういう思考回路してるんだ?

「君は自分の立場を分かっているのかい?」

 冷酷な表情だ。俺の解答次第で記憶どころか命も消すって感じ。

 実際、こいつは俺を簡単に殺せるのだろう。記憶も弄り放題なのだろう。

「おう、分かってるさ」

「記憶を消されてもいいと?」

「駄目に決まってるだろ」

「……我侭だね、君」

 ひょっとして、魔法使い特有のジョークなのか?

「だけど、このまま帰るつもりなら記憶を消す。道は二つに一つだ」

「いいや、もう一つある」

「……逃すと思っているのかい?」

「誰が逃げるって言った?」

「え?」

 俺は不意打ち気味にヤツの唇を奪った。そのまま、口の中を掻き乱す。

「ちょっと!?」

 ポッターが目を見開いて止めようとするが、構う必要はない。

「おい! 何をしてるんだ!」

 怒りで顔を歪めるポッター。もしかして、こいつらはそういう関係だったのかもしれないな。

 だけど、俺だって記憶を消されるわけにはいかない。

「離れろ! さもないと――――」

 ポッターは杖を取り出した。魔法使いに杖……、なるほど。

 俺はヤツの腕を蹴りあげた。

 宙に浮いた杖を捕まえると、ポッターは狼狽した。実に分かり易い。どうやら、こいつが無ければ魔法は使えないみたいだ。

 そのままヤツの足を引っ掛けて転ばせ、その上に座る。もがいても、上に人間二人を乗せたうつ伏せ状態ではどうにもならない。

 さて、唇は十分に堪能した。俺は片手で女の服を弄った。案の定、杖が入っている。それを握ると――――、ん?

「や、やめろ!」

 放心状態だった女の意識がいきなり戻った。

 杖は確かにあった。だが、他にもおかしな手触りが……、あ。

「お前、男かよ」

「……そ、そうだ。だから、離せ」

「いや、離したら記憶消されちまうんだろ?」

 ある意味で好都合かもしれない。

 俺は手に力を込めた。

「な、やめっ」

「とりあえず、名前を教えろよ。じゃねーと、潰してマジで女にしちまうぜ?」

 必死になって抜け出そうともがくが、生憎ともやし二人に押し負ける程やわな鍛え方はしていない。

 とりあえず、反抗的な態度を改めさせる為に更に力を加えておく。

 ただでさえ青褪めて見える顔が更に白くなっていく。

「や、やめろ……」

「やめて欲しかったら、名前をいいな」

 唇を噛み締め、此方を睨んでくる。さっきよりも一層扇情的だ。

 まあ、本人は威嚇しているつもりなんだろうけど、急所掴まれた時点でどんなにかっこつけようとしても無意味だ。

「いいのか? 多分、メチャクチャいてーぞ?」

 可愛い子ちゃんは何回か痛みを与えてやると、ようやく名前を教えてくれた。

「ドラコか、随分と大層な名前じゃねーの」

 俺はドラコの髪を撫でながら、その顔の作りを観察した。

 間近で見ても女にしか見えない。

「僕の物になれだ? 逆だぜ。お前が俺の物になりな」

「なっ!?」

 俺はもう一度手に力を込めた。

「ひぐっ」

「その顔なら別に男のままでも一向に構わねーけど、お前の態度次第だな」

 笑い掛けると、尻の下でポッターが暴れ始めた。ドラコも必死に抵抗しようとする。

「ふ、ふざけるな! ドラコを離せ!」

「いや、ふざけてねーよ。正当防衛って奴だ」

 俺はもう一度ドラコの唇を塞いだ。一向に魔法で反撃される気配がない。

 やっぱり、魔法使いには杖が必要らしい。俺は二人の杖を遠くに投げた。

「あっ!」

 ポッターが声をあげる。

 こいつら本当に分り易いな。

「なあ、ドラコ。俺は別にお前と喧嘩がしたいわけじゃねーんだよ」

「ど、どの口が……」

 唇を開放すると、ドラコはわなわなと体を震わせた。怒りと羞恥で頬が赤い。

「お前が悪いんだぜ? 言い方ってものがあるだろ。俺にはお前達に恩義がある。色々教えてくれた恩義が」

 ああいう言い方をされたら抵抗しないわけにはいかない。

「友達になれって言えば良かったんだ。それなら、俺は快く了承したし、お前の為に何でもしてやる気になった」

「何を言って……」

 不思議そうな顔をするドラコ。

「お前が俺の事を欲しがる理由は何かをさせたいからだろ? なら、脅迫なんざ最後にとっとくべきだぜ。一旦、お前の言葉に従っても、後で絶対反発する」

 どうやら図星のようだ。こういう行動の前に思考を置くタイプの人間はペースを乱してやれば簡単にボロを出す。

 人生経験が足りてないぜ、ドラコ。

「もう一度、言葉を改めな、ドラコ。そうしたら、俺は快く『イエス』と応えるぜ」

「……この状態で言えって?」

 ジト目で睨んでくる。

「おう、言え」

「……僕と友達になれ」

「断る」

 愕然とした表情を浮かべるドラコ。こいつ、面白いな。

「お、おい、ジェイコブ! 話が違うぞ!」

 ハリーが喚く。酷い誤解だ。

「俺は言葉を改めろって言ったんだぜ? 友達相手に命令形はないだろ。『卑しい僕とどうかお友達になって下さいませ、偉大なるジェイコブ様』。そのくらいへりくだるべきだ」

「それもなんか違うだろ!」

「オーケー。妥協してやる。『僕と友達になってください』。それでいいぜ。プリーズを忘れるな」

 ドラコは眉をピクピクさせながら深呼吸をした。

「……ぼ、僕と友達になってください」

「イエス。オーケーだ、ドラコ」

 解放してやると、ドラコはツカツカと杖を拾いに行った。

「これだけの事をして、まさか無事に帰れるとは思ってないよね?」

「思ってるさ。お前は邪悪だが、嘘は吐かない。友達に危害は加えないだろ?」

「……僕は思いっきり危害を加えられたんだが?」

「それは友達になる前の話だからノーカウントだ。それに脅迫したのはお前だぜ? 逆にあの程度で済んで御の字だろ」

 ククと笑いながら俺はドラコに言った。

「一つ、お前にアドバイスだ。相手を見下して行動するのはやめておけ。死角が増える。いつか手痛いしっぺ返しを受けるぞ」

「もう受けたよ……」

 イライラした表情を浮かべるドラコ。

「それで、俺に何をさせたかったんだ?」

 ドラコは押し黙った。実に疑わしげな表情を浮かべている。

「おいおい、信用しろよ。期待に応えてみせるさ。少なくとも、お前を裏切ったりしない」

「どうだか」

「あの程度で警戒し過ぎだろ。どんだけ初なんだ?」

「初とか関係ないだろ」

「もう一つアドバイス。喧嘩で相手の急所を狙うのは常套手段だ。実践的な武術には大抵そこを狙う技がある。どんなに頑丈なヤツでも、痛みに強いヤツでも、ここを狙われると耐えられないからな」

「君は武術を?」

「ボクシングと……他に幾つかな。ああ、そうそう。もう一つアドバイスだ。ハリーも聞いとけよ? 杖を堂々と相手に向けるな。蹴り飛ばしてくれって言ってるようなもんだぜ」

「……ああ、肝に命じておくよクソ野郎」

 どうやら、そうとう怒らせてしまったようだ。

「おい、頼むから信用してくれよ。しっかり、役に立ってみせるからよ。その代わり、マリア探しを手伝ってくれ! な!」

「……マリアにそんなに会いたい?」

「ああ、会いたいに決まってる。会って、返事を聞かねーと」

「……そうか。なら、馬車馬のごとく働く事だな」

「任せろ」

「いいだろう。なら、お前は――――」

 その時だった。いきなり、部屋の扉が開いた。

 何事かと驚くハリーの下に男が飛び掛かる。

「危ねぇ、ハリー!」

 咄嗟に回し蹴りを放った。カウンター気味に直撃した相手の男は悶絶しながら地面に蹲る。

「シ、シリウス!?」

「うわー……、キレイに決まったな……」

「あれ? 俺、やらかした?」

 その後からゾロゾロと怪しい団体が入って来る。

「ここに居たか、ハリー! それに、ドラコ!」

 一際ボロい服を着た男が笑顔を浮かべた。

「ああ、無事で良かった!」

「ル、ルーピン先生もよくぞご無事で……」

「無事……と言っていいかわからないが……」

 苦々しい表情を浮かべ、ルーピン先生とやらは口を濁した。

「とりあえず、現状を伝えよう。……既に知っているかもしれないが、ヴォルデモートが蘇った。それだけじゃない。落ち着いて聞きなさい……。実はダンブルドアが――――」

 俺はそっと窓辺に近づき、窓の鍵を開けた。

「我々はこれよりここを拠点として『不死鳥の騎士団』を再結成するつもりだ」

 盛り上がってるところで悪いとは思うが、さすがにこの状況を呑気に傍観していたらヤバい事は分かる。

 丁度、一団の一人が俺に気付いた。

「おや、君は?」

 やたら爽やかな伊達男が俺の服装を見て訝しむ。

「ハリー。君の友人かい?」

「あー、ガウェイン。彼は……」

 頃合いだな。

「おい、ドラコ! それに、ハリー! 話の続きは今度にしよう!」

 俺はドラコに向かってポケットをポンポン叩く仕草をして見せた後、窓を全開にした。

「お、おい、君!」

「あばよ!」

 俺は窓から身を投げた。魔法使い共が駆け寄って来るのが見え、その直後、地面に向かって急降下した。

 このままなら死ぬ。だが、もちろん死ぬつもりなんてない。

 窓の外にリズが居る事は確認済みだ。恐らく、俺を追い掛けて来たんだろう。

 飛行機事故の件で胸騒ぎを覚えて、今日ここで張り込みをしていたロドリゲス達の事が心配になり、居ても立っても居られなくて飛び出しちまったからな。

「リズ! 全速力で離脱だ!」

 俺が落ちながら叫ぶと、リズは悲鳴のような声を上げた後、俺を見事にキャッチして、人一人を抱えているとは思えないような圧倒的早さでグリモールド・プレイスを後にした。



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第六話「選択」

 一人になって漸く一息吐けた。思った以上に疲れている。

 不調という程じゃない。ただ、思考能力が低下していて、それを取り繕う為に神経を擦り減らしたからだ。殆ど取り繕えていなかったけど……。

「あの反応は予想外だったな……」

 僕の中でハリー・ポッターは正義の味方だった。友情や愛情を尊び、悪を決して許さない。まさに、英雄に相応しい人物。

 ハリーが開心術を使った時、驚きのあまり頭の中が真っ白になった。僕の中で彼のその行動は『絶対にあり得ない事』だった。だから、咄嗟に閉心術を使い、秘密を守る事も出来なかった。

 隅から隅まで覗かれ、秘密の部屋で行っていた非道の数々まで全て暴かれた時、絶望的な気分になった。

 嫌われたと思った。ずっと、会いたかった人。折角、手に入れた友達を失ったと思った。その喪失感は果てしなく……いっそ、彼をこのまま殺してしまおうかとさえ思った。

 殺して、永遠に僕の傍に置いておこうと思った。彼が僕を糾弾する前に、僕を軽蔑の目で見る前に……。

 だけど、出来なかった。

 杖を取り上げられていたからじゃない。僕はハリーを傷つける事が出来なかった。考えただけで怖気が走る程、僕にとってハリーは大切な存在になっていた。

「ぁぁ……」

 思い出しただけで悶そうになる。

 あのハリーが僕を受け入れた。全てを知りながら、尚も僕を友と呼んだ。

 その時の感情を言葉で表す事は容易じゃない。

 驚いた。

 悲しくなった。

 嬉しかった。

 憎らしかった。

 

――――そうじゃないだろ? 君は僕を許してはいけない筈だ。

 

 そうなるように仕向けておいて、実に我侭な事を思ってしまった。

 僕は彼に受け入れられた事を喜ぶと同時に、僕の理想だったハリーが正義に反する事を口にした事に哀しみと怒りを覚えた。

 その後はもう滅茶苦茶だ。ずっと、相反する感情がせめぎ合った。

「……ぅぅ」

 彼に滅茶苦茶にされたい。彼を滅茶苦茶にしたい。

 その手で殺して欲しい。この手で殺したい。

 その記憶を消して、英雄の道に引き戻したい。その精神を穢し尽くして、魔王の道に誘いたい。

「アハァ……」

 ああ、ハリー・ポッター。僕の友達。僕だけのもの。

 胸を掻き毟りたくなる。

 もっと、見たい。もっと、聞きたい。もっと、知りたい。もっと、味わいたい。もっと……もっと……もっと!

 彼には僕の知らない一面があった。

 彼が僕の言葉を逐一文献や他者の証言と照らし合わせていた事は知っていた。

 だけど、知らなかった。

 彼に……あんなにも情熱的な一面があった事を。

「僕の杖を取り上げ、僕の心を暴き立てるなんて……ぁぁ、ハリー」

 ああ、期待以上だ。

 あの時、僕は待っていた。

 裏切られたと感じた筈の彼が自ら僕に対する信頼感を回復するのを。

 それで漸く完成する筈だった。裏切られて尚、忠誠を誓う最高の友達が。

 まさか、ここまでとは思わなかったよ。良い意味でも、悪い意味でも裏切られた。ああ、悪いヤツだ。酷いヤツだ。

「さい、こう……。あぁ、だけど反省しないといけないね」

 心をかき乱されたまま、普段通りの態度を取ろうとして、無様な姿を晒してしまった。

 マグル相手に手玉に取られて、ハリーの前であんな醜態を晒す事になるとは……。

「焦り過ぎたな……」

 ジェイコブの言うとおり、脅迫など最後の手段にするべきだった。普段の僕なら絶対にしないミスだ。

 あの年頃の少年を篭絡する事なんて赤子の手を捻るよりも簡単な事だったのに、逆に唇を奪われ、弄ばれた。

 それでも、逆に彼を支配する事も出来た。だけど、ハリーの前で男を誑し込む事に抵抗を感じた。

 羞恥心なんて、今更過ぎる。この体も魂もとっくの昔に……。

「まあ、結果としては悪く無いか……」

 幸か不幸か、彼に好印象を植え付けられた。加えて、此方を御し易いと感じてくれた筈。少なくとも、魔法使いを絶対的な脅威と認識される事は避けられたようだ。

 この状況下でマグルに伝を持つ事は非常に有益だ。

 ポケットにいつの間にか忍ばせられていたメモには彼が指定した待ち合わせ場所と時刻が記されている。

「……マリアに会いたい、か」

 頬が緩む。

 ああ、会わせてあげるとも。最後の最後まで役に立ってもらった後でね。

「散々使い倒して、ボロ雑巾のように捨ててあげるよ」

 楽しみだ。

 

 さて、少し思考を切り替えよう。これからの事だ。

 今の僕は『死喰い人の一員の息子』という立ち位置。ハリーの友達としての実績もあって、いきなり拘束される事は無かったけど、不死鳥の騎士団達は僕から杖を取り上げ、窓のない鍵の掛かった部屋に監禁した。

 ルーピン教授やシリウス、ハリーは猛烈に反対してくれたけど、他の騎士団の面々が断固とした態度を貫いた。

 脱出する事は簡単だけど、ここで不死鳥の騎士団と完全に対立する事は無意味だ。

「クリーチャー」

 僕はこの家に“仕えていた“屋敷しもべ妖精を呼び出した。

「お呼びで御座いますか?」

「ああ、呼んだとも」

 クリーチャーは元々ブラック家に仕えていた。だけど、当代当主であるシリウスは家風に染まり、純血主義を掲げるクリーチャーを疎ましく思い、彼に辛くあたっていた。

 僕はシリウスを言葉巧みに唆して、クリーチャーを失職させた。その後で僕に仕えないかと声を掛けた。母上の事を話すと喜んで従ってくれた。

 完全なマッチポンプだが、クリーチャーの存在を野放しにしておく事は非常に危険だった。手元に置いておくに越した事は無い。

「少し情報を集めてきて欲しい。今この瞬間も魔法界の情勢は目まぐるしく変わっている筈だからね。状況に置いてけぼりを喰らいたくない」

「かしこまりました。……ですが、あの不埒者共を皆殺しにしてしまった方が早いのでは?」

 物騒な事を言う彼の目はどこまでも本気だった。

 僕を監禁している事に怒りを通り越して憎悪を抱いている。

「彼等は有益だ。……今のところは。だから、利用出来る内は殺せないよ」

「ですが……」

「ありがとう、クリーチャー。安心してよ。いつまでも監禁されたままじゃ、僕だって困る。手段を講じるさ」

「……差し出がましい事を申しました。どうか、お仕置きをして下さい」

「ああ、わかった」

 僕は彼の指を折り曲げた。骨を折る音というものは実に良いものだ。

 ある落石事故に巻き込まれた炭鉱夫は重い岩石に押し潰された時、全身の骨が折れる音が聞こえたと言う。その音は痛みを忘れる程の素晴らしい音だったという。

 乾いた破裂音が心地よい。気が付けば、彼の左手は奇妙なオブジェになっていた。

「……ぁりがと、うござい、ます」

「さあ、行っておいで」

 クリーチャーが去った後、再び静寂が訪れた。聴覚を拡大する魔法を使い、階下の声を拾う。五感を活性化させる呪文も分類上は闇の魔術になる。

 拾う音を取捨選択しないと頭が痛くなってくるのが難点だ。

 どうやら、僕の事を議論しているらしい。ハリーが賢明に僕の事を弁護してくれている。他のメンバーも僕の事を知っている者達は監禁に難色を示してくれている。

 だけど、全体的な感触としては芳しくない。

「……果報は寝て待てって言うけど、ちょっと焦れったいな」

 その後、ホグワーツの現状や今後の打開策についてなども話し合われた。

 

 結局、僕が解放されたのは四日後の事だった。

 僕は憔悴し切った表情を作って待ち構えていた。この四日間、彼等が用意した水や食料に一切手を付けていない。

 クリーチャーに色々用意してもらったから、別に空腹でもなんでもないけどね。

「ドラコ!」

 ハリーは知ってる癖に過剰に心配そうな表情を作って駆け寄ってきた。

「言ったのに! ドラコは大丈夫なんだ! 彼の覚悟が分かったでしょ!」

 ひどい茶番だが、ハリーの熱演の効果は凄まじかった。

 シリウスやルーピンが同調し始め、最終的にほぼ全員が僕を信用してくれた。

 まだ疑っているぞ、と脅しかけてくる者もいるにはいたが、その目には罪悪感がありありと浮かんでいた。

 元々、善人の集まりだから、子供を監禁する事に抵抗感を抱いていたのだろう。

「ドラコ、大丈夫かね?」

 シリウスは僕にスープをすすめてくる。

「ぁりがとう、シリウス」

 掠れた声を作って、彼の好意に甘える。

「すまなかった。だが、これで君に愚かな疑いを向ける者はいなくなった筈だ」

 ルーピンが心底申し訳無さそうに言った。

 他のメンバーを眺める。総勢十一名と闇の陣営に対抗する正義の団体にしては少ない気がするが、一部屋に押し込むには多過ぎる。。

 闇祓いのダリウスとガウェインは知っている。

 後のディーダラス・ディグル、エルファイアス・ドージ、スタージス・ポドモア、エメリーン・バンス、マンダンガス・フレッチャー、ヘスチア・ジョーンズ、アーサー・ウィーズリーの七人は初見だ。

「構いませんよ。僕を疑う事は仕方の無い事です。だけど、僕はハリーを守る為なら命だって惜しみません。この事だけは信じて欲しい」

「信じるとも!」

 アーサー・ウィーズリーが息巻いて言った。

「君は単身でハリーを救いに行き、見事助けだした! これ以上ない証拠だ!」

 驚いた。よりにもよって、父上と反目している筈のアーサーが僕の擁護に回るとは思っていなかった。

 僕の反応に気付いたらしく、アーサーは気まずそうに咳払いをした。

「あー……、息子が言っていたんだ。ロンやフレッド、ジョージの事は知っているね? あの子達が家で頻りに君の事を話題に出すんだ。悪口なんて一つも出ない。恥ずかしながら、私は君の父上の事で君にまで疑念を抱いていた。その事で息子達に叱られてしまったよ。私はあの子達の人を見る目を信じている」

「……フレッド達が」

 僕は心から喜んだ。彼等は僕の理想通りの動きをしてくれている。

「俺達もお前は大丈夫だって言ったんだぜ? だけど、頑固者が多くてよ」

 ダリウスが茶目っ気たっぷりな笑みを浮かべて言った。

 この男の言葉を額面通りに受け取ってはいけない。相手は闇祓い。しかも、彼の上司は僕を疑っている。

 恐らく、泳がせる意味合いが強い筈。逆に好都合だ。

「……さて、いきなりで悪いが君には一つ重大な選択をしてもらう事になる」

 闇祓い局局長補佐のガウェインが重苦しい口調で言った。

「君は御両親と敵対する事になっても、ハリーを守る為に戦えるかい?」




ちょっと、ドラコの心理描写が遅くなり申し訳ありませんOTL
ここ数話の展開で各主要人物の立ち位置が大きく変動する為にハリーやジェイコブの心理描写を優先しました。
残り十八話。よろしければお付き合い願います。


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第七話「風雲」

 思わず笑ってしまいそうになった。僕が両親と敵対する? あり得ない

「……どうやら、あなた達は前提を間違えているようだ」

「なに?」

 本当に分かっていない様子だ。ガウェインだけじゃない。他の騎士団員達も困惑の表情を浮かべている。

「まさか、あなた達は闇の帝王と真っ向勝負でもする気ですか?」

「……今直ぐというわけではないが、いずれは――――」

「なら、はっきり言います。それでは死者を量産するだけだ。意味が無い」

 会話の主導権を握る為に少し強めの口調で言った。このままだと手駒にすらならない。

 案の定、彼等は険しい表情を浮かべた。

「どういう意味かな?」

 比較的冷静さを保ったルーピンが問う。

 他の人達が割って入る前に結論を言ってしまおう。

「ダンブルドアが死んだ以上、盤面は圧倒的に帝王が有利なんだ。だから、僕達は絶対に彼等と真っ向勝負をしてはいけない。さもなければ、待っているのは死だ」

「おい、ドラコ。それは言い過ぎだろ。確かにダンブルドアを失った事は痛手だ。だが――――」

「痛手どころじゃないんだ、ダリウス。前提を間違えていると言った筈だ」

「前提?」

 ダリウスが眉を顰める。

「そもそも、君達は盤面を『死喰い人の陣営』と『不死鳥の騎士団の陣営』に分けている。そこが間違いだ。盤面の上に立つ資格を持っているのは三人だけなんだよ」

「……三人ってのは?」

「無論、帝王とダンブルドア、そして、ハリーだ」

「ドラコ。その例えは間違ってるんじゃないか? 盤面で例えるなら、その上に立つのはやっぱり俺達だ。ダンブルドアやヴォルデモートは指し手だろ」

 ダリウスの言葉を支持するように他の人達も頷く。

「違うよ」

 僕は言った。

「確かに騎士団や死喰い人はダンブルドア達にとって重要な手駒だ。だけど、違うんだよ」

「何が違うんだ?」

「騎士団と死喰い人。言い方は悪いけど、結局は消費されるだけの物という事さ」

「……なんだと?」

 一斉に殺気立つ騎士団達。ハリーが咄嗟に僕を守ろうと動いた。

 だけど、必要無い。

「十五年前を思い出せば分かる筈だ。帝王亡き後、死喰い人達は為す術無く囚われた。ダンブルドアと帝王。どちらかが倒れた時点で勝負はほぼ決している」

「随分と断定的に言うね。勝負がほぼ決しているって? 冗談じゃない! ダンブルドア亡き今も、彼の意思を受け継ぐ者達がいる!」

「なら、ヴォルデモートが復活した方法を分かる人はいる? 二度と蘇らないよう、完全に消滅させる方法が分かる人は?」

 誰もが押し黙った。分かる筈がない。よほど、闇の魔術に精通している者でなければ、決して辿り着く事の出来ない解答だ。

「君には分かるとでも?」

 アーサーが言った。

「……さあ、それは僕にもわからない」

 失望したような視線が突き刺さる。だけど、これだけ言えば十分だろう。

「僕が言いたい事は一つ。少なくとも、ヴォルデモートが復活したメカニズムを解明するまでは手を出してはいけないという事だよ。さもなければ、殺しても蘇る不死の存在を相手に終わらない闘争を繰り広げる事になる。何人死ぬか想像もつかない」

「し、しかし! 放っておけば、マグル生まれやマグルが死ぬんだぞ!! 前回を知らないから悠長な事が言えるのだ!! 何人死んだと思っている!!」

 キーキー声でディーダラスが喚く。

「だから、みんな揃って自滅するの?」

「黙れ、若造!! 何も知らない子供が――――いや、お前はルシウス・マルフォイの息子だったな」

 憎悪に満ちた目を向けてくる。

「おい、ディーダラス!」

「騙されるな!! この小僧は我々を謀るつもりなのだ!! 帝王に通じておる!!」

 単細胞もここまで来ると笑えてくる。彼が必要以上に騒いでくれたおかげで他のメンバーが冷静になれた。

「待って、ディーダラス! だけど、この子の言葉には一理あるわ」

 エメリーンの言葉にディーダラスは顔を赤く染めた。

「何を言っておるのだ!! では、お前は戦わないと言うのか!? 何の罪も無い者達が無惨に殺されていく様を傍観すると!? そんな真似が出来る筈無い!! あんな哀しい光景を見てしまったら……」

 ディーダラスは涙を流した。

「分かっておる。何の策もなくヤツに挑む事は無謀だと……。だが……、だが……!」

「……何も挑むばかりが戦いじゃない」

「ドラコ。お前には何か考えがあるのか?」

「とりあえず、今はマグル生まれの魔法使いを保護する事に専念するべきだ。悲しきかな、純血の魔法使い達の多くは帝王の主張を多かれ少なかれ支持している。特に魔女狩りの時代の事を今に伝える一族は」

「バカバカしい! 時代は変わったのだぞ! もはや、純血主義など少数派だ!」

 豊かな髪を振り乱し、スタージスが言う。

「僕は事実を言っているだけだ。マルフォイ家の嫡男として、多くの旧家と付き合いがある。その中で知った事だけど、表向きはマグル生まれを賛美していても、裏では軽蔑している者が殆どだ。あなた達にも覚えがある筈だ。魔法力を持たないマグルやスクイブを見下す節が。その考えの行き着く先が純血主義なんだ」

「し、しかし――――」

「マグル生まれは決して純血主義と相容れない。故に大人しく排斥されるか、抗うしかない。まずは彼等を守るんだ。それこそが戦いの第一歩となる。その間に僕の方で帝王に探りを入れる」

「お前が?」

 ダリウスが怪訝そうに表情を歪める。

「信じるかどうかはそちらに任せるが、他に適任などいない筈だ」

 後は彼等の判断次第となる。ここで肝になるのはジェイコブの存在だ。

 彼と僕達が親しくなった事はハリーの口から伝えられている筈。大分言葉に気を使った上で……。

 僕がマグル生まれどころか、マグルと友好的に接している事はここで大きな判断材料となる筈。

 

 結果が出るまでに要した時間は二日だった。

「信じるぞ、ドラコ・マルフォイ」

 ガウェインの言葉に僕はしっかりと頷いてみせた。

 全てが変わった夜からほぼ一週間が経過し、世界はより一層絶望的な方向へと転がっていた。

 彼等の判断の後押しをしたのは日刊預言者新聞の一面だった。実質的な『魔法省の陥落』を意味する記事。

 もはや、猶予は残されていなかった。

 

◆◇

 

 探偵事務所の空気は最悪だ。俺がドラコ達から聞いた情報を伝えてから、みんな昏い表情を浮かべている。

 フェイロンは特に気が立っている様子で誰とも話をしようとしない。

 俺はみんなを刺激しないようにそっと席を立った。そういえば、昔はこんな気遣い出来なかったな。いつの間にか、すっかり文明人の仲間入りをしていた。

 ここのみんなには返し切れないくらいの恩がある。

 フェイロンはここのメンバーをファミリーと呼んでいるけど、俺にとってもそうだ。

「どこに行くの?」

 事務所を出た所でマヤと出くわした。

「あれ? 今日は仕事じゃなかったっけ?」

「仕事って言っても、記事を編集長に渡すだけだからね。それより、どこに行くつもり? なんか、顔が恐いよ?」

「ちょっと遊びに行くだけだよ」

「遊びに……ねぇ。じゃあ、お姉さんが一緒について行ってあげる」

「なんでだよ!?」

 意味がわからない。

「あれれー? お姉さんが一緒だと照れちゃうのかにゃー?」

「ウゼェ」

 そろそろ約束の時間が迫ってる。ここで長居しているわけにはいかない。

「いいから放っておいてくれよ。俺はこれでも忙しいんだ」

「遊びに行くのに?」

「遊ぶのに忙しいんだよ! 子供なら当然だろ」

 何がおかしいのか、マヤは吹き出した。

「あはは、そうだよね! ジェイクはまだまだ子供だもんね!」

「な、なんだ、その反応……」

「いやー、いっつも難しい顔してるし、子供っぽい所とか全然無いから……。うん! ちょっと、安心」

「……なんか、腹立つ反応だな。まあ、いいや。俺はこれから友達に会いに行くんだよ。だから、ついて来ないでくれ」

「はーい! そういう事ならついて行ったら悪いもんね!」

「そういう事。じゃあな!」

 俺はマヤから離れて待ち合わせ場所に急いだ。今日はドラコに渡したメモに書いた待ち合わせの日。

 一度は逃げられたけど、二度目があるか分からない。だから、誰にも今日の事は言ってない。

 ポケットには情報屋のアネットから貰った特別製のボイスレコーダーがある。何かあっても、これで情報を残せる筈だ。

 みんなが本当の笑顔を取り戻す為には、もっと世界の真実……その深層に踏み込む必要があると思う。

 ドラコが言っていた事が真実かどうかも分からない状態じゃ、今までと何も変わらない。

 

 待ち合わせの場所には予想通りというか、ドラコとハリーの他にも二人いた。

 大人だ。どちらも怪しい服装。

「よう! 一週間振りだな」

 景気付けに元気よく挨拶をすると、ドラコが苦笑した様子で手を振り返してきた。

 相変わらず、良い女だ。……いや、男だったな。

「相変わらず、元気だね」

「それが取り柄だからな。それより、そっちの二人は? お仲間か?」

「そうだよ。彼はダリウス」

 黒人の方を指差して言う。

「彼はシリウスだ」

 今度はやたらハンサムな白人男だ。

「ダリウスにシリウスか、よろしくな。俺はジェイコブだ」

「ああ、二人から話は聞いているよ。……本当にマグルなんだね」

 マグル……ああ、魔法族じゃない者って意味だったな。

「おう! 生まれも育ちもマグルだぜ。それで、ここに来たのは俺の記憶を消す為かい?」

「もちろん、違うよ。分かってるから顔を出したんでしょ?」

 ドラコの言葉に笑って答えた。

「記憶を消す為なら、姿を見せない方が効率良いしな」

「なら、無駄な説明は省こう。ジェイコブ。君の所属している組織の長に会わせてもらえないかな?」

「駄目だ」

「……どうしても?」

「当然だろ。お前達と会話するのも、取引するのも俺だけだ」

 軽く睨みつけながら言うと、ドラコはクスリと微笑んだ。

 嫌な笑い方だ。何かを企んでいる。

「……なら、せめて君の仲間と話をさせてくれ。別に危害は加えない」

 そう言って、ヤツは路地に視線を向けた。

 そこには険しい顔をしたマヤの姿があった。

「……来るなって言ったのに」

「ジェイコブ。これはどういう事?」

 どうやら、相当怒っているみたいだ。だけど、今は説教を聞いている場合じゃない。

「おい、ドラコ。マヤには手を出すな。お前が杖を抜く前に一人は必ず殺すぞ」

「おお、怖い。だけど、安心してよ。彼女に手なんて出さない。ただ、君以外の信用ある大人に話を聞いてもらいたかった」

「俺に信用が無いってのか?」

「子供が持てる信用なんて、君が思ってる程高く無いよ」

 この野郎、言ってくれるぜ。

「その通りだけど、むかつくぜ」

「ほらほら、リラックスしてよ。僕達は警告しに来ただけなんだ」

「警告? 俺達に何かさせたかったんじゃねーのか?」

「君達には僕達からの警告を広めて欲しい。その代わり、騒動が收まったら君達に助力を約束するよ。人探しとかに限られるけど」

「……それで、警告ってのは?」

 ドラコは言った。

「前に教えた魔王の事を覚えてるね?」

「おう」

「ヤツが魔法界の中枢を支配してしまった」

 ……関係ないが俺はマヤが貸してくれた日本のゲームが大好きだ。

 魔王か……。さて、ロトの勇者はどこにいるのかな? 




今日、Fate/GOでアストルフォをゲットしましたー!
なんでも、確率0.4%だとか! うれしー!!
弟子零号は十二話完結で書く予定なのですが、その次は士郎がアストルフォを召喚する内容で一本書いてみようと思います!
ふっふー!


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第八話「魔王」

 ダンブルドアとコーネリウス・ファッジを殺し、魔法省を支配下に置いた。順調だ……、極めて!

 だが、問題はここからだ。一先ず、ヤックスリーに命じて、洗脳済みの魔法法執行部部長パイアス・シックネスを魔法省大臣の座に据えた。

 革命とは、既存の権力を打ち倒して終わりではない。打ち倒した後に新しく、恒久的な『世界』を作る事こそが革命なのだ。

 だが、新世界の創造には幾つもの難題を乗り越える必要がある。その一つが過去の権力への信奉者だ。

 ファッジはどうでもいい。問題はアルバス・ダンブルドアだ。死して尚、人々の心のなかに根付く、その英名が私の覇道を阻害する。

 マグルをまるで親しい友人のように語る『嘘つき共』。奴等の心を折る事は容易ではない。やはり、決定的なものを見せる他あるまい。

「スネイプ」

 私はダンブルドアをその手に掛けた男に微笑みかけた。拷問では口を割らなかったが、薬の魔力には敵わなかった哀れな男。

 ダンブルドアもよほど焦っていたのだろう。

 あの場でわざわざ自らを殺す役目をスネイプに割り振った事、このヴォルデモート卿が不審に思わないとでも考えたのだろうか? 

 真実薬によって齎された情報は実に有益なものだった。

「まずは貴様の真実を人々に語ってやろう。嬉しいだろう? お前を罪人だと信じる者達を驚かせてやるのだ」

 虚ろな顔。体は生きていても、心は既に壊れ切っている。今頃、愛しい女との妄想の世界を楽しんでいる事だろう。

「哀れな男よ。お前ほどの道化を私は知らない。だからこそ、これは慈悲と思え」

 男から取り上げた『最強の杖』を持ち上げながら、私は言った。

「私を裏切り、討ち倒す為に偽善を振り翳す老獪に忠誠を誓った半生を……私は許そう」

 

◇◇

 

 1995年8月21日――――。

 その日の日刊預言者新聞が報じたニュースに魔法界は再び揺れた。

 二ヶ月ほど前、アルバス・ダンブルドアを殺害し、死喰い人である事を表明したセブルス・スネイプの処刑日が告知されたのだ。

 一面を飾る青白い肌の男。彼の半生が記事に載せられている。

 赤裸々にされたスネイプ氏のプロフィールには彼が如何に哀れで、純朴で、愚かで、一途な人物であったかが事細やかに記されていた。

 誰もがヴォルデモートの腹心だと信じていた男の真実。愛した女性の息子を守る為に、その身命をダンブルドアに捧げていた事を知った者達は等しく衝撃を受けた。

 

 翌日、アルバス・ダンブルドアの真実と銘打たれた記事が一面を飾る。

 そこには善の体現者として知られていた彼の隠された過去が記されていた。

 大罪人ゲラート・グリンデルバルドとの秘密の関係が明らかとなり、更に彼の妹に纏わる醜聞が知れ渡った。

 

 人の心とは移ろいやすいもの。

 如何に絶対と信じるものがあっても、そこに僅かな罅が入れば一気に崩壊していく。

 瞬く間にダンブルドアの名は力を失っていった。

 

 そして、一週間が過ぎ、ホグワーツの再開が報じられた。

 二ヶ月前の事件から、生徒達は誰一人、家に帰っていない。

 最悪の事態を予期していた保護者達は一面に掲載された子供達の写真の中から自分達の子供の顔を血眼になって探した。

 

 その頃、ホグワーツでは生徒達が軟禁状態で過ごしていた。

 反抗する教師達は軒並み服従の呪文を掛けられ、生徒達には死喰い人による授業の受講が義務付けられている。

 純血主義の歴史。闇の魔術。マグルの愚かさ。

 その教えに反抗する生徒は徹底的に痛めつけられた。

 何度か学園に乗り込んで来た保護者の内、マグルと交わった者やマグルを賛美する者の前にはその生徒の生首が返還され、その保護者の遺体も家族のもとに花を添えられて送られた。

 同じ寮の生徒がアッサリと殺され、反抗すれば苛烈な拷問を受ける日々。

 中には精神に異常をきたす者も現れ始めている。

 校内では純血主義が正義となり、マグル生まれやマグルを賛美する者は攻撃の対象となった。

 窮屈な日々、恐怖の日々に対するストレスの捌け口として暴行を受ける生徒は助けを求めた教師(死喰い人)によって処罰される。

 そのあまりにも捻れ狂った倫理の中で子供達は歪んでいく。

 

 そして、その状況の中で一つの群体が蠢く。

 

 9月1日――――。

 ハリー・ポッターとドラコ・マルフォイはキングス・クロス駅からホグワーツに向かった。

 他に誰も乗客の居ない空っぽの汽車の中で二人は呑気に笑い合う。

 二人が到着した時、空はすっかり暗くなっていた。

 湖にはダームストラング専門学校の船が変わらず停泊している。禁じられた森の方角にはボーバトン魔法アカデミーの馬車もある事だろう。

 両校の生徒も家に帰れぬ日々を過ごしている。

 二人を出迎えたのはドラコの父、ルシウスだった。二人の無事を確かめ、安堵した直後、帝王の機嫌を損ねた事について叱責した彼は二人を力強く抱き締めた。

 彼に付き添われ、ホグワーツの門を潜り、大広間に入ると、その中央に奇妙な舞台が用意されていた。

「……誰の趣味だ?」

 ドラコは思わずそう零した。

 その舞台には中世で活躍した処刑器具の一つ、『鉄の処女』が置かれていた。

「……おお、よく戻って来た。お前たちの無事な姿を見て、ホッとしているぞ」

 その舞台の先、壇上には一人の男が立っていた。

 蛇のようなのっぺりとした顔。二人はハッと表情を固くした。

「直接会うのはこれが初めてだな。私がヴォルデモート卿だ」



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第九話「簒奪者」

「どうした? 何を驚いている? 私がここに居る事が不思議なのかな?」

 面白がるようにヴォルデモートは僕を見つめた。

「ハリー・ポッター。私はお前に会いたかった」

 ぞわりと鳥肌が立った。

「……っ」

 怒りで頭が真っ白になるところだった。ギリギリの所で踏み留まれた。

 ここでヤツを糾弾する事に意味はない。

 冷静に使う言葉を選ぶ。

「――――お会いできて光栄です、ヴォルデモート卿」

 練習した通りに傅く。その光景に周りの生徒達が一斉に息を呑んだ。

 ここにヴォルデモートがいる事自体は想定の内。

 

 今日はホグワーツの再開日。

 そして、スネイプ教授の処刑日でもある。

 この日、ヴォルデモートは世界に知らしめる気なのだ。

 

――――この世界に、もはや希望の光などない。

 

 もし、ここで反抗的な態度を取れば、僕は殺される。

 結果は同じだ。

 ヴォルデモートは反逆者達の希望の芽を摘み取る事だけを望んでいる。

 だから、ここで忠誠を誓っておけば殺されない。むしろ、ハリー・ポッターの名前を利用する為に保護してくれる筈だ。

「……素晴らしい」

 ヴォルデモートは言った。

「ならば、お前にスネイプ処刑の栄誉を授けよう」

「……ありがとうございます」

 満足そうに微笑むヴォルデモート。

「ドラコよ。どうやら、父親とは違うようだな。奴は私の信頼を裏切った。およそ、最悪に近い形で」

「……申し訳ありません、我が君。どうか、私に罰を」

 頭を下げるドラコ・マルフォイ。ヴォルデモートは言った。

「頭を上げよ。お前は優秀だ。まさか、ハリー・ポッターをここまで完全な形で手懐けるとは……。他の誰にも出来まい。大衆の前で私に傅く事の意味、分からぬ筈がない。今まで、その名を賛美していた者達が一斉に掌を返すぞ。裏切り者。悪魔。反逆者。恥知らず。口汚く罵られる事だろう。それを理解している筈だな? ハリー」

「勿論です」

「……結構。ならば、お前も頭を上げろ。そして、舞台の上に登るのだ」

 頭を上げると、大柄な男が目の前に立っていた。男は布地の袋を抱えている。人一人入りそうな大きい袋だ。

「よう、ポッター。俺はワルデン・マクネア。よろしくな」

 マクネアの後に続き、舞台の上にあがる。すると、マクネアは布地の中身を乱暴な手付きで取り出した。

 出て来たのは案の定、スネイプ教授だった。

 人の母親に横恋慕した末にダンブルドアに利用された哀れな男……。

 僕がこれから殺す男。

「……リリー?」

 虚ろな目が僕の目を捉えた途端、涙を流した。

「僕はハリーですよ、先生」

 彼に僕の声は届いていなかった。うわ言のようにリリーの名前を呼び続ける。

 執念深い情念……、気持ち悪い。

「おい、ポッター! そいつをコレに入れるんだ」

 鉄の処女の蓋を開け、その恐ろしい内装を露わにしながらマクネアが言った。

「最高だと思わねーか、おい。これを使う案を出したのは俺なんだ。死の呪文で小奇麗に殺してやるだけじゃ物足りないからよ。それに、こっちの方がガキ共への良い見せしめになるぜ」

「……そうですね」

 僕は無数の刺を見て微笑んだ。確かに、これから起こる惨劇を忘れられる生徒は多くない筈。

 二人がかりでスネイプ教授を拘束していく。

「や、やめて、ハリー! 自分が何をしているのか分かっているの!?」

 誰かが叫んだ。視線を向ければ、そこには涙を浮かべるハーマイオニーの姿があった。

 他の誰かが手を出す前に杖で失神させる。

「話し掛けるな、穢れた血め」

 出来るだけ、冷たく言った。まったく、心臓に悪い。

 眼下で我が親愛なる友人がいきり立つ死喰い人に何かを囁いている。これで生首になる事は免れそうだ。

 この状況で下手に勇気を振り翳さないで欲しいものだ。

「後は閉めるだけですね」

「……おう」

「どうしました?」

「いや、随分アッサリしてるなって思ってよ。仮にもお前の寮の寮監だった男だぞ?」

 笑ってしまった。今更、この男は何を言っているんだろう。

「偉大なる帝王に牙を剥いた男だ。殺されて当然……、違いますか? それとも、あなたも帝王に――――」

「そ、そんなわけないだろ!! 滅多なことを言うんじゃねぇ!!」

「……安心しました。スネイプ教授の後に、今度はあなたを一人で拘束するとなると……骨が折れそうだ」

 肩を竦ませながら微笑むと、マクネアは後ずさった。

「テ、テメェ……」

「さっさと済ませてしまいましょう」

「あ、ああ」

 重い石造りの蓋を閉める。聖母を象る石棺の中から微かにくぐもった断末魔の悲鳴が響いた。

 心が壊れていても、全身を針が貫く激痛には反応してしまうようだ。破損した『精神』の残滓が激痛によって一時的に増幅してしまうのかもしれない。

 これは面白い。今度、秘密の部屋で検証してみよう。

「……おお、生きてますね」

 血の涙を流す乙女に耳を近づけると、中からスネイプの息遣いが聞こえてくる。

 この中世の拷問器具の凄い所は対象を即死させないところだ。

 急所を悉く外し、これだけでは致命傷にならないのだ。しかも、針が突き刺さったままだから、出血多量でも死ぬ事が出来ない。

 お伽話のようなものだと思っていた。実際、ドイツの学者がこの器具の存在を『根拠のないフィクション』と断じている。

 そもそも、魔女狩りはキリスト教徒の手によって行われていた。彼等が敬愛する聖母を拷問器具の意匠に使う事などありえない。『鉄の処女』あくまでも伝説上のもの。

 だから、これはちょっとした感動だ。伝説の拷問器具が魔法使いに対して使われている。

「後は放置しておくだけ……。何時間生きていられると思いますか?」

「……お前、何を言ってるんだ?」

 マクネアは舌を打った。

「終わりました」

 マクネアの言葉に頷くと、ヴォルデモートは両手を高く掲げた。

「見たな?」

 その目がグリフィンドールに向けられる。

「見たな?」

 その目がレイブンクローに向けられる。

「見たな?」

 その目がハッフルパフに向けられる。

「見たな?」

 その目がスリザリンに向けられる。

「今、ダンブルドアが遺した最後の希望が潰えた。セブルス・スネイプは死に、ハリー・ポッターは我が軍門に下った!」

 生徒達の目に絶望の色が浮かぶ。

 ヴォルデモートの言葉が心を染め上げていく。

「さあ――――」

「うわぁぁぁぁぁぁ!!」

 悲鳴が上がった。

「助けて、お母さん!! お父さん!!」

 小柄な男の子。恐らく、一年生だ。

 彼は近くの死喰い人に持ち上げられた。

「こ、こんな所に来るべきじゃなかった!! イヤだ!! うちに帰らせて!!」

 死喰い人は少年を乱暴に投げ捨てた。

「アバダ・ケダブラ」

 誰もが言葉を失った。

「我が君の御言葉を遮るとは、不届き千万」

 物言わぬ躯と化した十一歳の男の子。そのあまりの残酷さに生徒達は慄く。

 ここでは人の命が恐ろしく軽い。

 重い空気が流れる中、ヴォルデモートは素知らぬ顔で演説を再開した。

 誰が支配する者で、誰が従う者なのか、明確な線引が為された。

 

◇◆

 

 マグル生まれの子供は所属寮に関係なく一纏めにされ、地下牢に押し込められていく。

 これは教育。純血の者だけが重宝され、混ざり者は虐げられる。それを当然と生徒達に捉えさせるためのもの。

 

 スタンフォード監獄実験と呼ばれるアメリカ合衆国のスタンフォード大学で行われた心理学の実験がある。

 無作為に選ばれた二十一人の学生を看守役と受刑者役に分け、刑務所の環境を模した空間でそれぞれ演じさせた。

 実験が進むに連れ、学生達は次第に狂っていく。

 ただ、命じられた事だけをしていればいいのに、看守役の学生は受刑者役の学生の――存在しない――罪を糾弾し、暴行に及んだ。

 虐待行為が横行し、受刑者役の学生達は身も心も憔悴し切り、心を病む者も出始める。

 この実験は中止されるまでの僅か六日の間にこれ以上ない成果を上げた。

 元々の性格に依らず、強い権力を与えられた人間とあらゆる権利を奪われた人間が狭い空間内で常に生活を共にすると、次第に理性が麻痺し始め、暴走してしまう。

 人格とは肩書きや地位によって簡単に変わってしまう。

 

 ヴォルデモートが去った後、マクネアが生徒達に言った。

「不満があるなら穢れた血共で発散しろ。奴等を殴ろうが、穢そうが、殺そうが自由だ。お前達にはその権利がある!」

 その言葉の魔力が徐々に生徒達の心を穢していく。

 家畜の身分に堕とされた者と一定の権力を与えられた者。その心は徐々に歪んでいく。

 一人の男子生徒がマグル生まれの少年を殴った。だが、それを咎める者はいない。それどころか、彼は褒められた。

 それが二度、三度と続いていく内、マグル生まれに同情を寄せていた者達の心にも魔が差していく。

 僕達はその光景を他人事のように眺めていた。

 マグル生まれが死んでも、義憤に駆られた者が拷問されても、善人が罪人に堕ちていく様を見ても、僕達は何もしなかった。

 怒り、憎しみ、全てを心の底に貯めこんで、ただ、密やかに準備を進めていく。

 

 そして、冬が通り過ぎた日の事だった。準備は整ったところでヴォルデモートが僕達の前に姿を現した。

 僕とドラコは校長室に招かれた。

 ヴォルデモートの他にも側近の死喰い人達とその子供達がいる。

「よく来たな、ドラコ。そして、ハリー」

 ヴォルデモートは僕達に微笑みかけた。

「頃合いだ。ドラコよ、ハリーを私に捧げろ。さすれば、お前に格別の地位を授けよう」

「……かしこまりました、我が君」

 僕は隣の親友に杖を向けた。驚いている。演技が上手いな。

 失神呪文を掛ける。気を失った彼を尻目に僕はヴォルデモートに近づいた。

「我が君、お願いがあります」

「申してみよ」

「私にも闇の刻印を頂戴したいのです。父上のように」

 夢見るような眼差しを向ける。ドラコが当たり前のように使うものだけど、練習が中々大変だった。

「……クク」

 ヴォルデモートは嗤った。

「ああ、よかろう。近くに寄るがいい」

 僕は微笑んだ。素直にヴォルデモートに近づいていく。

 そして、その顔を掴んだ。

「――――なにっ!?」

 ああ、ドラコの言った通りだ。僕の手の中で急速に命が失われていく。

「な、なんだ、これは!?」

 ヴォルデモートが悲鳴をあげる。僕は笑いながら彼の杖を奪い取った。

 ニワトコの杖。最強の杖。僕はその杖をヴォルデモートの崩れゆく体に向けた。

 魂を束縛する呪文。あらかじめ用意しておいた宝石の中に彼の魂を封じ込める。

「はい、おしまい」

 振り返ると、自分達の親に服従の呪文をかけ終えた友人達が微笑んでいた。

 子供の居ない死喰い人は失神している。彼等から杖を取り上げ、ロープで縛っておく。

「やったな、ハリー!」

「早く、ドラコを起こしてあげましょう!」

「見たかよ、あのヴォルデモートのバカ面!」

 僕は僕の姿をしたドラコに気付けの呪文を唱えた。

 リジーに調合してもらったポリジュース薬で僕達は互いの姿を入れ替えていた。

 四ヶ月も自分じゃない姿で過ごすのは大変だったけど、これでおしまいと思うと寂しさも感じる。

「……終わった?」

「うん! バッチリだよ!」

 僕が手を貸して起こしてあげると、ドラコは欠伸をした。

「これで君の姿とおさらばかと思うと、ちょっと寂しいな」

 その言葉に僕は思わず吹き出した。

「どうしたの?」

「同じこと考えてるからさ」

「なるほど」

 僕達は嗤った。虚ろな顔を浮かべる大人達に囲まれながら。

「さて、始めようか! 老害は排除出来た事だし。僕達の手で理想の世界を作ろう」



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第十話「魔帝」

 人は裏切る生き物だ。

 どんなに口で愛を語っていても、心が清らかでも、簡単に裏切る。

 それが僕の一度目の人生で得た結論。二度目の人生でも、結論は変わらない。

 秘密の部屋で何度も試した。

 愛とは装飾だ。利害の一致した者同士の関係を清らかなイメージで飾り立てる為の言葉。

 

 ヴォルデモートの作り上げた体制は完璧だ。彼自身が表舞台に出る事なく、全てが回るように出来ている。

 僕達は服従の呪文で従えた死喰い人達を使い、その体制を維持した。

 一方で、不死鳥の騎士団に死喰い人の情報を与えている。残忍なだけの者、下手に賢い者を彼等に始末させる為だ。

 役目を終えるまでは生かしておく。その後は……、態度次第かな。

「ドラコ! スクリムジョールを私のパパが捕まえたよ! どうする?」

 明るい笑顔でアメリアが言った。

 

 彼女の両親は不死鳥の騎士団に参加する程勇猛な性格ではないが、マグル生まれに対する差別の横行に難色を示すタイプだった。

 祖父の影響で純血主義に染まった彼女を両親は良く思わず、彼女も両親を軽蔑した。ある日、その溝が決定的な亀裂となり、彼女は家を飛び出した。

 当時、僕は彼女の家にいた。茶会の席で彼女に誘われたのだ。ところが、マルフォイ家の長男を連れ込んだ事に彼女の両親は激怒した。

『自分達はマグル生まれを差別するべきじゃないとか言っておいて、マルフォイ家だからって理由で差別するお前達は何なんだ!?』

 その言葉が致命的だった。どちらも苛烈な性格である事が禍し、決して言ってはいけない類の言葉を互いに何度も浴びせかけた。

 結果として、彼女を僕の家で匿う事になり、手駒が欲しかった僕は彼女にとても優しく接した。

 掲げる主張の違いから、両親と上手くいかず、愛情に飢えていた彼女の忠誠を手に入れる事は容易かった。

 

 幼い少女に金だけを握らせて放逐した人間が差別の反対を訴え、多くの支持を得る姿は見事というほかない。

 おかげでスクリムジョールの捕獲が容易だった。

「ありがとう、アメリア。彼と会わせてほしい」

「うん! あ、あとさ! もう、パパとママを殺していい?」

「いいよ。待たせて悪かったね。玩具は足りてる?」

「十分! ふっふっふ、この日の為に鍛え上げた治癒魔術の腕が鳴るわ!」

 楽しそうでなによりだ。

「ハサミで指を一本ずつ切り取って、それをママに食べさせるの! うーん、楽しみ!」

「眼球と耳は最後にしておきなよ? 楽しみが減る」

「わかってるって! ささ、スクリムジョールはコッチよ!」

 彼女に導かれて向かった先には裸で縛り上げられているスクリムジョールの姿があった。

 物語中でロックハートがハリーに施した治療もどきを真似て、彼の両腕と両足から骨を抜き取ってある。

 もはや、自分の力だけでは身動き一つ取れない無様な姿。

「久しぶりですね」

「……そうだな」

 この状況に驚いた素振りを見せない。鋭い眼光を向けながら、彼は言った。

「……殺せ」

「アッサリしてるね。命乞いでもすればいいのに」

「殺せ」

 取り付く島もない。

「お断りします。あなたには色々と――――」

「そうか、ならいい」

 そう言って、スクリムジョールは舌を噛み切った。

「無駄な事を……」

 治癒呪文を施す。

「自殺なんて、させると思いました?」

「……この人非人が」

「そう嫌わないで下さい」

 微笑みながら、彼の肌を撫でる。

「あなたは珍しい人だ。自他共厳格な態度を貫き、自らの信念を曲げない」

 その心を穢したい。

「アメリア。後で御褒美をあげるよ」

「ほんと!? やったー! じゃあ、私はパパとママで遊んでくるね!」

 陽気な笑顔で走り去る彼女を見て、スクリムジョールは苦い表情を浮かべた。

「狂っている……」

「そう思います?」

「あれで狂っていないとでも言うつもりか?」

「ええ、彼女は狂ってなんかいませんよ」

「……何故だ?」

 スクリムジョールは哀しそうに瞼を細める。

「何故、お前達は……」

「それをあなたが気にする必要はありません」

 僕は部屋の隅に置いてある箱を杖で呼び寄せた。

 蓋を開けると、そこには工具が並んでいる。

「……ルーファス」

 その中からハサミを取り出す。

 まずは親指からパッチン。

「グァァァッ!?」

 人差し指をパッチン。

「アァァァァァァァ!!」

 中指をパッチン。薬指をパッチン。小指をパッチン。

 両手両足の指が無くなる頃にはルーファスの喉が嗄れていた。

 痛みに喘ぐ姿は実に扇情的だ。だけど、まだまだ序の口。

 杖を傷口に向け、治癒呪文を掛ける。

 日記のヴォルデモートの魂を取り込んだ要領で、マダム・ポンフリーの魂を取り込み得た力だ。

 彼女の知識は素晴らしい。指を生やす事などお茶の子さいさいだ。

「な、なんだ、これは!?」

 その異様な光景にルーファスは悲鳴をあげる。

 ああ、素晴らしい。頑強な肉体と卓越した精神を持つ大人の男が幼子のように泣き喚く姿は最高だ。

 僕は何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も彼の指を生え変わらせた。

「やめ……やめてくださぃ。な、なんでもするから……もう、もぅ、やめてください」

「駄目だよ、ルーファス。そんなに簡単に折れたら、闇祓い局局長の肩書きが泣いてしまうよ? さあ、もっと続けよう」

 彼の眼球を潰す。マダム・ポンフリーの知識があれば眼球すら蘇る。

 だから、潰した目玉を食べさせても問題ない。

「ぃぁだ。もぅ、ぃあぁだぁぁあ」

「ああ、ルーファス。次は舌を切り取ろう。君の舌を何枚も重ねて首飾りを作ってあげる」

「ぁめて……。いあぁぁぁだぁぁぁぁぁ」

 僕は時間を忘れて楽しんだ。

 手足をもぎ、眼球を繰り抜き、その様を写真に撮ってから元に戻す。

 戻す時の絶叫は何度聞いても心地よい。

 ダルマ状態の自分の姿を写真で見た時の彼の顔は傑作だった。

「ころして……。おねがぃします、ころしてくらさぃ」

 呪文で正気を保たせていたけど、そろそろ頃合いかな。

「殺さないよ。ただ、君に刻印を刻むだけだ」

 エドがデザインした僕の印。腹を切り開き、その内側に刻む。

 今まで以上の悲鳴が轟いた。

「この刻印はいつでも君に痛みを思い出させる。試してみよう」

 僕は腕に刻んだ印をなでる。すると、ルーファスは悶え苦しみ始めた。

 今、彼の中で記憶のフラッシュバックが起きている。痛みすら再現する鮮明なものだ。

 これが刻印に込めた呪いの一つ。これを僕に従う者達や従わせた者達に刻んである。誰も僕を裏切る事が出来ないように……。

「君の痛みは刻印を通じて他の者の脳でも再現する事が出来る。ルーファス・スクリムジョールさえ屈服する痛みだ」

 いずれ、僕に従っている者達の心にも魔が差す時が来るだろう。その時こそ、ルーファスの記憶は役に立つ。

「君を死なせはしないよ。大切にしてあげる」

 涙を浮かべる彼に微笑みかけると、誰かが扉をノックした。

「どうぞ」

「入るよ」

 顔を見せたのはハリーだった。

「どうしたの?」

「とうとう、君の仕掛けた火種が本格的に燃え始めたみたいだよ」

 そう言って、彼は一枚の新聞を渡して来た。

 そこには杖を使って魔法を使う男の写真が掲載されている。魔法界の新聞ではなく、マグルの世界の新聞の一面に。

「いいねぇ。さて、それじゃあ……いよいよ、戦争を始めようか」



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第十一話「王・飛竜」

 魔王の復活。『魔法使い』と再接触したジェイコブと摩耶が持ち帰った情報を聞くと、フェイロンは歓喜した。

 やり場のない怒り。その矛先を見つけたのだ。

「ジェイク。今後も魔法使い達と接触する事は可能かい?」

「う、うん。一応、一週間後に」

「そうか……。なら、次は俺が行くよ」

「え、フェイロンが!?」

 ずっと塞ぎ込んでいたフェイロンが急にやる気を出した事にジェイコブは驚いた。

 まだ、心の傷が癒えていない筈なのに大丈夫なのか? 

 言葉にはしないものの、彼は心配そうにフェイロンを見つめた。

「ジェイク。交渉事に関して、俺の右に出るものはいないよ。彼等の言葉の真贋、真実の場合の対策、他にもいろいろと話すべき事が山程ある。俺に任せろ」

「……わかったよ」

 ジェイコブは渋々頷いた。彼も交渉事が不得意というわけじゃない。だけど、得意というわけでもない。

 ダドリー・ダーズリーやドラコ・マルフォイを相手に見事情報を引き出してみせたが、それは状況が噛み合ったからこそだ。

「ありがとう、ジェイク」

 

 一週間後、フェイロンは護衛としてリーゼリットを引き連れ、魔法使いとの接触場所に赴いた。

 そこには既に二人の男が待っていた。

「やあ、君達がジェイクの言っていた魔法使いかい?」

「あなたは?」

「俺はワン・フェイロン。こっちはリーゼリット・ヴァレンタイン。よろしく頼むよ」

「私はガウェイン・ロバーズ。こちらはリーマス・ルーピンだ。こちらこそ、よろしく」

 互いに手を伸ばし、固い握手を交わす。

「ここでは話がし辛い。来てくれ。近くに行きつけの店がある。内緒話にはもってこいの場所なんだ」

 フェイロンは友好的な笑みを浮かべて彼等を自らのテリトリーに導いた。

 

 元中国マフィア『崑崙』の幹部、(ワン)飛龍(フェイロン)は組織内でも特別な立場にいた。

 他の組織とのパイプ役だ。その見事な交渉術で多くの組織を取り込み、『崑崙』を中国最大の犯罪組織に押し上げた。

 最初は田舎でちまちまと活動する小規模な組織だった。彼が育てたのだ。

 そんな彼から見た魔法使いはまるで子供のようだった。あまりにも純真で隙だらけ……。

「……それで、今後の事ですが」

 酒を飲ませ、誘導してやれば、彼等は簡単に情報を吐いた。

 魔法使いの事。魔法の事。魔法界の事。

 必要な事だ。誰にも話さない。信じて欲しい。そんな言葉を簡単に信じ込んだ。

 フェイロンの交渉術が巧みだった事もある。だが、なによりも彼等はフェイロンを……、マグルを見下していた。

 

 魔法使いとの接触は十度に及んだ。

 彼等の都合に合わせる形を取り、彼等を裏切る素振りを全く見せず、フェイロンは彼等から欲しい情報を欲しいだけ手に入れた。そして、同時に彼等の信頼を手に入れた。

「マグル生まれの魔法使い達を有事の際に避難させるにはルートの構築が不可欠です」

 そう言えば、魔法使いの住処を簡単に明かす程、彼等はフェイロンを信頼した。

 知り合いの殺し屋が嘗てフェイロンに言った言葉がある。

『知恵ある者は力で殺す。力ある者は知恵で殺す。なら、知恵と力の両方を持ち合わせた者はどうやって殺す? ……君はきっと、誰よりも怖い殺し屋になれるよ』

 

 魔法界でルーファス・スクリムジョールが捕らえられる二日前。

 フェイロンはジェイコブに問い掛けた。

「彼等の話では、こちら側の政府も魔王の手に落ちたようだ。フレデリックも警察組織全体の動きがおかしくなっていると言っていた。この後、何が起こると思う?」

「……嫌な予感がする。それだけは分かる」

「上等だ。そう、これから起こる事は惨劇だよ。魔王はマグルの存在を憎んでいる。マグル生まれの魔法使いさえ虐待し、死に至らしめる程に」

「まさか……」

「虐殺だよ、ジェイク。虐殺が起きる。ただ、魔法使いではないという理由の為に大勢が殺される。十六年前よりも更に多くの命が奪われる」

「そんな……」

「なら、どうすればいいと思う?」

 ジェイコブは眉間にシワを寄せながら唸った。

「……やっぱり、魔法使いと一緒に戦うしかない。魔王に抗う善の魔法使いと一緒に――――」

「ジェイコブ。お前は一つ勘違いをしている」

「え?」

 フェイロンは言った。

「善の魔法使いなんて存在しない」

「で、でも、実際に魔王と戦おうとしている奴等が……」

「それはあくまで魔王と敵対しているだけだ。いいか、ジェイコブ。俺は魔法使い共と接触して、確信したことが一つある」

「それは……?」

「奴等が俺達を見下している事だ」

 フェイロンは目を細めた。

「それに、十六年前の事を思い出してみろ。奴等が善の存在なら、どうして行方不明者を行方不明者のままにした? その頃、魔王は一度滅ぼされ、平和な世界になっていた筈だろ? にも関わらず、目撃者の記憶だけを消して、真実を隠した」

「……それは」

「奴等は根本的に俺達と相容れない存在なんだよ、ジェイク。ただ、奴等の都合で踊らされるだけの道化に甘んじるなど……、俺には我慢ならない」

 フェイロンは立ち上がる。

「フェイロン……?」

「ジェイク。お前にこれを渡しておく」

 そう言って、フェイロンはジェイクに一丁の拳銃を渡した。

「これは……」

「俺がずっと使ってきた愛銃だ。弾丸は俺の部屋にある」

「フェイロン!?」

 フェイロンは立ち上がるジェイクに向けて微笑んだ。

「ジェイク。マリアを見つけられるといいな。見つけられたら……、普通の子供にもどれ。学校に通って、一流の企業に就職して、結婚して、子供を作って……、天寿を全うしろ」

 フェイロンは音も無くジェイクに近寄るとその意識を刈り取った。

「愛しているぞ、我が若きファミリーよ。どうか、その未来に幸あれ」

 事務所を出ると、そこには元ドイツ傭兵部隊『イェーガー』のリーダー、マイケル・ミラーが待っていた。

「待たせたな、マイケル」

「……ジェイクは?」

「子供はおネムの時間だ」

「そうか……。いいんだな?」

「もちろんだ。俺は魔法使い共を許さない。奴等を一匹残らず駆除してやる」

 憎悪に燃える瞳を天に向け、フェイロンは歩き出す。

 しばらく進んだ先の広場に物々しい格好の集団が待っていた。

「さて、諸君。戦争を始めよう」

 その者達は嘗て『崑崙』と手を結んでいた犯罪組織のメンバー。

 その一部だ。他の者達はイギリス全土に散っている。

 百を超える犯罪組織が手を結び、この夜、多くの命を刈り取る事になる。

 それは更なる惨劇の呼び水。世界を巻き込む闘争の序曲だった。



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第十二話「理想郷」

 新月の晩……。

 暗闇を五台の車が走っている。その先頭の車両の窓が開く。

「魔法使いの家は魔法で隠蔽されているものらしい。だが、そこに存在しないわけじゃない」

 地球の面積を変えられるのならお手上げだが、そうじゃないなら隠れているだけだ。

 フェイロンは窓を開け、魔法使いの住処がある筈の場所に携帯対戦車グレネードランチャー、通称RPGを構えた。

 廃墟に見える空間へロケット弾が発射される。すると、奇妙な現象が起こった。

 ロケット弾が見えない壁にぶつかり爆発した。その衝撃は凄まじく、見えない壁にゆらぎを起こした。

「一撃では足りないようだな」

 二発目、三発目を着弾させると、見えない壁に亀裂が走った。

 壁が完全に砕け落ちると、さっきまで、廃墟だと思われていた場所に一軒の家が姿を現した。

「いくぞ」

 フェイロンは他の車から飛び出してきた目出し帽姿の男達に指示を出し、敷地内へ乗り込んだ。

 

 ガウェイン・ロバーズとリーマス・ルーピンから聞き出した情報。

 魔法使いは科学技術に対して無知であり、近代兵器への対策を殆ど取っていない。

 加えて、一般的な魔法使いは戦う為の魔法を殆ど覚えないまま一生を終えるらしい。

 家に敷くセキュリティの質にも差があり、特に血の浅い家の守りは脆弱と聞く。

 フェイロンは優先度をつける為と言って、セキュリティ強度の低い家を魔法使いにリストアップさせていた。

 

 玄関を爆破し、中に踏み込む。すると、恐怖に怯えた表情で杖を握る男がいた。

 銃声が響く。先頭の男が杖を持つ手を撃ちぬいた。続けて、他の男が家主と思しき男を手際良く拘束していく。

 拘束した男が身体検査を行う一方で、他の男達が別室を調べ始める。ものの数分で、その家の妻と幼い娘を拘束した。

「お、お前達は何者だ!? 何故、こんな事を!?」

「何故……? 何故と聞くのか……そうか、そんなに予想外か」

 フェイロンは娘と妻を拘束している男に指示を飛ばす。

「連れて行け」

「お、おい! 二人に手を出すな!!」

「それは君の態度次第だな。私達に協力するなら良し。さもなければ、あの二人の命は保障しない」

「ふ、ふざけるな! 誰が――――」

 フェイロンは銃の引き金を引いた。

「え?」

 銃声と共に倒れる妻の姿を見て、男は呆気に取られた。

「君が素直にならないと、次は娘の番だ。目が覚めたら返事をくれたまえ。あと、君以外にも何名かに同じお願いをするつもりだ。一番早く、我々の願いを叶えてくれた者以外、全員に死んでもらう予定だからあしからず」

 そう言って、男にスタンガンを押し当てた。

「ずらかるぞ」

「はっ!」

 男と娘を黒い袋に詰め、裏手に停めてある乗って来た車とは別の車に乗り込む。

 カモフラージュとして、乗ってきた車を別方向に向かわせ、用意したアジトの一つに向かう。

 道すがら、他の家を襲ったメンバーからの報告を受け取ると、どうやら『全て』うまくいったらしい。

 奇妙なほど、すんなりと事が進んだ。救出に来た魔法使いと戦闘になる事もなく、捕らえた魔法使いを脅迫したり、拷問しても、誰も助けに来ない。

 不気味に感じながら、フェイロンとその部下達は事を進めていった。

 

◇◆

 

「……よくやってくれたね、アーニャ」

 ドラコ・マルフォイは虚ろな目をした女性に言った。

 彼女の名前はアネット・サベッジ。『闇祓い局局員』と『情報屋』という二つの顔を持つ女。

「それにしても、君には色々と驚かされたよ」

 ドラコが彼女と出会ったのは二年前。

 彼女はシリウス・ブラックがアズカバンから脱獄を果たした時、ホグワーツの警備の為にやって来た闇祓いの一人だった。

 明るい女性。差別意識を持たず、マグル生まれにも、スリザリンの純血主義者にも、別け隔てなく優しさを振り撒く女。

 多くの生徒が彼女に悩みや相談を持ち掛けた。

 他の闇祓い達からの信頼も厚く、穢れた一面など、ある筈が無いと誰もが信じた。

「魔法使いを憎む魔法使いか……」

 彼女が闇祓い局に入った本当の理由――――それは、魔法使いを殺せるから。

 ただ、それだけ。

 裏ではレオ・マクレガー探偵事務所を始めとした一部のマグルに情報を流し、魔女狩りが横行した時代に戻そうと画策していた。

「裏稼業で本名を使うなんて、大胆不敵にも程があるよ」

 ジェイコブとの二度目の接触の時、ドラコは彼に開心術を使った。彼の持つ全ての情報を引き出すためだ。

 彼の記憶を都合のいいように改竄した後、レオ・マクレガー探偵事務所の人間全ての身元を洗った。

 その中に驚くべき素性を持つ者が“二人”いた。その内の一人が『情報屋のアネット・サベッジ』。

 ドラコは初め、単なる同姓同名の別人だと思った。

 彼の知るアネットが反魔法使い派の人間とは思わなかった上、情報屋などというアンダーグラウンドの稼業で本名を使う者が居るなんて想像もしなかったからだ。

「確かに、アネットの名前も、サベッジの姓も、どちらも珍しいものじゃないけど」

 マグルでは、魔法使いの個人情報に辿り着く事など不可能という事も織り込んでの事なのだろうが、それにしても感心してしまう。

「……しかし、君がレオ・マクレガー探偵事務所の者達と懇意にしてくれていた事が、今回大いに役立った」

 情報屋として動く時、彼女は他の魔法使いにバレないように慎重を期していた。

 だからこそ、リジーに攫わせるのは簡単だった。探偵事務所の人間と接触する瞬間を狙えばいいのだから。

 彼女を使ったおかげで闇祓い局の人間や不死鳥の騎士団の人間の半数以上を手中に収める事が出来た。

 フェイロンを唆し、力添えをしたのも彼女だ。

 魔法使いの家にはマグルが近づけないように魔法が掛かっている家が殆どだが、その結界を超え、守護を破れるように細工を施したのも彼女だ。

「い、言うとおりにしたわ……。だから……、こ、これをもう……」

「まだ、そんな事を言う余裕があるのか……」

 ドラコは嗤いながら腕を擦った。

 その瞬間、アネットは絶叫した。

 脳を焼くような痛み。

 スクリムジョールが味わった苦痛や彼女自身が味わった苦痛、他の者が味わった苦痛の記憶が彼女の脳に流れ込む。

 彼女には常に見張りの目がある。その目が彼女の裏切りを許さない。

「ゃめ……もぅぅ、ぃぁ……やめ……ぉねがぃ……」

 小さく身を屈め、必死に懇願する様は実に滑稽だ。

「君は自分の意思で魔法使いの道を選んだわけじゃない。ただ、魔法使いになれると言われ、親がノリ気になってしまったから、この世界に入る事になっただけ……。その上、選ばれた寮はスリザリン。マグルの友達と疎遠になり、マグル生まれという事で純血主義の者達に蔑まれ、不幸な青春時代を送った。確かに哀れだ……」

 ドラコは愉しそうに怯える彼女を見下した。

「その果てに魔法使いの身で魔法使いを憎むようになり、自分を偽りながら復讐を企て、そんな自分に酔っている……。こんな哀れな生き物は少ないよ。だから、これは慈悲だ」

 ドラコは杖を彼女に向ける。

「アバダ・ケダブラ」

 緑の光がアネットの体を貫き、その命を奪った。 

 ドラコは躯と化した女から興味を失い、マグルの新聞に視線を落とした。

 そこには数日前、テレビ放映された映像の真贋を議論する有識者達の写真が掲載されている。

 フェイロンは家族を人質に取り、魔法使いに全国ネットのテレビの前で魔法を使うよう命じた。その結果、世界中から映像の真贋を問う声が沸き起こっている。

 今はまだ、ただのガセであるという説が優勢だ。だが、今頃は街頭でも魔法使いが曲芸師のように人前で魔法を披露している筈。

 

――――娘を、息子を、母を、父を殺されたくなければ魔法を世間に公表しろ。

 

 その命令に逆らう者は殺され、従う者達はテレビや普及し始めているインターネット上の人気者になっている。

 同時に魔法使いの『悪行』が誇張して世間に流布され始めている。

「喜べ、アネット。お前の望みはもうすぐ叶うぞ」

 世間は魔法使いの存在を徐々に認知し始める。そして、魔法使いを悪と定め、攻撃を始めるだろう。

 そうなるように仕向けている。

「魔法使い達よ、選ぶがいい。滅びるか、団結するか……、残された道は二つに一つだ」

 

 人は裏切る生き物だ。ならば、裏切れないようにしてやればいい。

 革命家レフ・トロツキーは第二次世界大戦直前にナチス・ドイツが勢力を高めていく様を指してこう言った。

『ボリシェヴィズムかファシズムかという選択は多くの人々にとって、サタンか魔王かの選択と同じようなものである』

 結果、ナチスは絶望に苦しむドイツの人々によって勝利にまで押し上げられた。

 同じように絶望を突きつけてやればいい。

 悪意と悪意の狭間で押し潰されるか、一方の悪意に縋りつくか。

「裏切れば死ぬ。だから、誰も裏切れない」

 ドラコは嗤った。

 一度大きな傷跡を作れば、もはや世界が元に戻る事はない。

 魔法使いはマグルを憎み、マグルは魔法使いを憎む。

 共通の敵は団結を強めていく。

 魔法使いが魔法使いと、マグルがマグルと手を取り合い、一致団結する世界。

 戦争こそ、理想郷(ユートピア)だ。



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最終章「夢幻郷」
第一話「クルセイダーズ・Ⅰ」


 狂っている。誰が、ではない。誰もが狂っている。

 ホグワーツの中だけでも狂気は際限無く高まっている。マグル生まれへの虐待行為が常態化し、何人も死んだ。

 勇気ある生徒が彼等を救おうと動き、物言わぬ死体となってから、誰も救いの手を伸ばそうとしなかった。それどころか、当然の権利として受け入れて、虐待に手を染める者が後を絶たない。

 同じ寮に住み、共に学び、共に過ごした仲間を傷つけ、穢し、平然としている。それが当たり前となっている。

「……どうして、こんな事になったんだろう」

 自分の弱さに嫌気が差す。助けるべきだと思っているのに、行動を起こす事が出来ない。

 死喰い人によって死体を吊るし上げられた上級生の姿が瞼の裏に焼き付いて離れない。

「みんな、苦しんでいるのに……」

 父や母が今の僕の姿を見たら、どう思うかな……。

 苛烈な拷問に最後まで耐え抜いた勇敢な両親。彼等はきっと、僕を弱虫だと糾弾する筈だ。

 立ち上がれ。声を張れ。悪を許すな。そう、心が叫んでいるのに、頭が……理性(よけいなもの)が邪魔をする。

 

《お前には何も出来ない》

    《ただ殺されるだけだ》

 《余計な事をして、また誰かの迷惑になるだけだ》

《いくじなし》

        《それでもグリフィンドールの生徒か》

《死にたくない》

  《意味もなく死にたくない》

 

 頭の中でグルグルと声が聞こえる。

「……イヤだよぉ」

 こんな状況を認めたくない。

 苦しんでいる人達を助けてあげたい。

 勇気が欲しい。

「――――そこで泣いているのは誰?」

 吃驚した。まさか、声を掛けられるとは思っていなかった。

「だ、誰!?」

 振り返ると、そこには見知らぬ女生徒が立っていた。

「ルーナ。ルーナ・ラブグッド」

「……えっと、君はここで何を?」

「お話しをしてるの」

「誰と?」

 他の人の気配は感じられない。

「彼女だよ」

 最初は誰の事を言っているのか分からなかった。だけど、暗がりに目を凝らすと、そこには確かに人がいた。

 人といっても、体が半分透けているけど。

「灰色のレディ?」

 確か、レイブンクロー寮のゴーストだ。

「そうだよ。彼女はいつもここにいるの。静かで良い場所だから。私も気に入ってるんだ」

「……ここには人が来ないからね」

 だから、僕もここにいたんだ。狂った友人達の姿を見たくなかったから。

「それより、どうして泣いているの?」

「それは……」

 言えない。今の状況を嘆いていると知られたら、死喰い人に通報されて処罰を受ける事になる。

 死喰い人の機嫌次第で処罰が処刑に変わる可能性もある。

「アンタも私と同じ?」

「……え?」

 ルーナは哀しそうに僕を見つめた。

「それとも、他の連中と同じ?」

「違う!!」

 気付けば声を荒げていた。

 ハッと我に返り、目の前で呆然とした表情を浮かべているルーナに慌てた。

「ご、ごめんよ。脅かすつもりは――――」

「そっか!」

「え?」

 何故か、ルーナは嬉しそうに顔を綻ばせた。

「アンタも同じなんだ!」

「えっと……、うん?」

「アンタも今の状況がイヤなんでしょ? ハーマイオニー達を助けたいんでしょ!」

 ハーマイオニー。それが誰の事か直ぐに分かった。

 だって、僕にとって彼女は初恋の相手だ。とても優しくて賢い女の子。

 一年生の頃、ホグワーツに向かう汽車の中で出会った彼女はカエルのトレバーを見失った僕の為に迷わず手を差し伸べてくれた。

「……そうだよ、助けたいんだ」

 涙が滲む。

「でも、助けられない……」

 死喰い人の耳に入れば処罰を免れないと知りながら、止まらない。

「みんなが苦しんでる。みんながおかしくなっていく。誰かが立ち上がらなきゃいけない……。僕は……例え、一人でも戦わなきゃいけない。そう思うのに……でも、怖いんだ」

 体が震える。刻一刻と死が広がる世界。目を逸らす事など出来ないのに、見えない振りをして生きている。それが耐えられない。

「……そんなの当たり前。一人じゃ無理だよ」

 ルーナが言った。

「アンタ、名前は?」

「ネビル……。ネビル・ロングボトム」

「ネビル。私は嬉しいよ! アンタと出会えて、やっと二人になった!」

「ル、ルーナ!?」

 突然手を握られて、僕はドギマギした。

 女の子に手を握られる事なんて滅多にない。去年のダンスパーティーも結局、パートナーを見つけられず仕舞いだった。

「二人になれたら、次は三人になる! それから、もっと増える!」

「ど、どういう事?」

「仲間を見つけよう! 私達と同じように戦いたいけど、怖くて震えている人がたくさん居る筈だよ!」

「で、でも……」

「ネビル! 戦おう!」

 僕がどんなに及び腰になっても、ルーナはどんどん迫ってくる。

 逃げられない。逃げ……あれ? どうして、ルーナから逃げるんだ?

「ネビル。一緒に、ハーマイオニーを助けよう! みんなを助けよう!」

 僕は誰が怖いんだ? ルーナが怖い? 違う。僕が怖いのは狂っていくみんな。狂わせている死喰い人。

 逃げたいのは誰から? ルーナから? 違う。僕が逃げたいのは……逃げたい? 違う。僕は……、僕は!

「死ぬかもしれないよ?」

「知ってる」

「死ぬより酷い目に遭うかもしれないよ?」

「知ってる」

「僕は弱虫でドジで間抜けで……」

「戦う勇気を持ってる!」

 ああ、そうだよ。僕は逃げたいわけじゃない。

「……怖いんだ」

「知ってるよ」

「ルーナ。一緒に戦ってくれる?」

「もちろん!」

 僕は泣いた。今までとは違う涙を流した。

 やっと、僕は勇気を出せた。逃げたくないのに、逃げてしまう自分をルーナが引き止めてくれたから、背中を押してくれたから。

「……僕、戦うよ」

「うん!」

 

 ◆

 

 新聞とテレビが今日の死者数を発表した。

 毎日、人が死んでいる。一人二人じゃない。何十人も……。

「フェイロン……」

 事の要因を作り出した男。俺の家族。

 アイツがテロを起こした事を知ったのは事件の三日後。

 その間、俺はリズが借りたアパートメントで眠っていた。

「リズ。俺達はどうしたらいいのかな?」

 こんな気持ちは初めてだ。泣きそうになる。

「俺はこんな事、望んでなかった。ただ、マリアと会いたかった……。ただ、みんなの本当の笑顔が見たかった」

 気付けば、みんなの事が大好きになっていた。

 娼婦の息子に生まれ、スラムで喧嘩に明け暮れ、全てに絶望していた頃とは比較にならない程穏やかで幸せな日々をくれた探偵事務所のみんなの事が……。

「……私もだよ」

 顔に刻まれた痛々しい傷跡を指でなぞりながら、リズは財布の中の妹の写真を見つめた。

「ただ、妹に……、フレデリカに会いたかった。だから、必死にここまで来た。だけど、こんな風に誰かが不幸になる事なんて望んでなかった」

 涙を零すリズ。

「アイツを止めるのは私達の仕事だ……」

「……でも、もうフェイロンを止めても」

「ああ、世界はもう……、致命的に変わってしまった」

 魔法使いの存在が世間に認知され、時代は中世に逆戻りしてしまった。

 魔女狩りを謳い、魔法使いの疑いを掛けられた者を襲撃する者が後を絶たない。

 一体、どのくらい本物が混じっていて、どのくらい偽物が混じっているのか分からない。

「それでも、アイツは止めなきゃいけない。フェイロンだって、こんな事を望んでいたわけじゃない筈だ……」

 フェイロンはいつも言っていた。

『ファミリーが仲違いする事程哀しい事はない』

 マフィアの幹部で、汚い事も数え切れない程して来た筈だけど、こんな風に人と人が無意味に争う事を望むヤツじゃない。

 全ての責任は俺にある。俺がドラコと接触したから……、ヤツから手に入れた情報を考えなしに伝えてしまったから、アイツの闇が……。

「……泣き言なんて、言ってる暇は無いよな」

 俺達に出来る事なんて高が知れている。

 それでも、世界をこんな風にしてしまった責任を取らなきゃいけない。

 例え、この命を散らす事になっても……。



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第二話「クルセイダーズ・Ⅱ」

 世界は変わった。

 真実を知らない者達はヴォルデモートに憎しみと恐怖を抱きながら大きな波のうねりに身を任せている。

 真実を知る者は自らを特別な存在だと錯覚し、その地位に酔い痴れている。

 だが、いつの時代も運命に抗う者が現れる。

 

 嘗て、ドラコ・マルフォイは言った。

『万人が美しいと称する芸術を貶す者、万人が偉大だと褒め称える者を糾弾する者、万人が美味だと感じる食事を唾棄するもの。アンチテーゼを掲げる人間はどんな世界にも少なからず居る』

 それは時代や運命であっても同じ事。

 集合意識に依らず、個人の意識によって違和感を見出す者。

 時にそうした者は既成概念を打ち崩す『革命家』となる。

 時にそうした者は邪悪を討ち倒す『英雄』となる。

 

 ◆

 

 吐き気がする。どうして、こいつらは笑っていられるのかしら。

 ついさっきまで、地下で何をしていたか私が知らないとでも思っているの?

「あら、そうなの! 凄いわね!」

 なんで、私はこいつらに愛想を振り撒いているの?

 友達が辱められて、傷つけられて、殺されていく。目の前の化け物共の手で……。

 どうして、彼等の手を振り払えないの?

 どうして?

「……ごめんなさい。気分が悪くなっちゃった」

 間違っている事を間違っていると言えない。こんな世界でいいわけない。

 分かっている癖に、どうして私は流されるままでいるの?

「吐き気がするわ……」

 私自身に……。

 

「おい、大丈夫か?」

 昨夜は早い時間に寝てしまったから、夜も明けきらない時間に起きてしまった。

 談話室でのんびりしていると、不意に男の人の声がした。

 振り向くと、一つ上の兄が立っていた。

「大丈夫よ」

 ロンは今の状況をどう思っているのかな?

 彼が地下に向かったという話は聞かない。だけど、それは私が彼の妹だから、みんなが気を使った可能性もある。

 実の兄が欲望を満たす為に無抵抗の人間を虐げている話など誰も聞きたくない。

「ねえ、ロン」

 この兄は他の兄よりもずっと流されやすい性格をしている。

 確固たるものがない。だから、地下に行っていると言われても驚けない。

「地下の様子はどうだった?」

「地下? ……僕、行ってない」

 ムッとした表情でロンは言った。

 私は思わず彼の顔をまじまじと見てしまった。

 嘘を吐いていない事はすぐに分かる。伊達に長年、彼の妹をしていない。

「ロン!」

 気付けば抱きついていた。

「ジ、ジニー!? どうしたの!?」

「ロン! ああ、あなたを疑った私を許してちょうだい!」

 彼は地下と聞いて嫌悪感を露わにした。彼は地下の事に怒りを覚えている。

 その事が嬉しくてたまらない。

「……ジニー?」

 この世界は狂ってる。

 悪事が罷り通って当たり前なんて、間違ってる。

「泣いてるの? ……えっと、よしよし。大丈夫だぞ! 兄ちゃんがついてるからな!」

 いつもなら恥ずかしいから止めてって怒鳴りつけるところだけど、今日だけは甘えよう。

「……お兄ちゃん」

「ジニー。本当にどうしたんだい?」

「狂ってるわ……。みんな、狂ってる……」

「……うん」

 私はお兄ちゃんの胸の中で幼い頃に戻ったみたいにわんわんと泣いた。

 太陽が昇り、みんなが目を覚ますまで、そのぬくもりに包まれて、久しぶりに安心した。

 

 ◆

 

 全てが後手に回った。魔法省が完全に死喰い人の手に渡り、闇祓い局や不死鳥の騎士団も壊滅状態だ。

 もはや、誰が敵で誰が味方かも分からない。

 ドラコ・マルフォイの言葉が脳裏に浮かぶ。

「盤面の上に立つ資格の持ち主はアルバス・ダンブルドアのみ……、か」

 その通りだ。もし、ダンブルドアが生きていたら、彼の事だけは信じられた。

 彼の下に集う者も信じる事が出来た。

 何があっても失ってはいけない人だった。

「……俺達の敗北だな」

 あの小僧にまんまと嵌められた。気付いた時には遅過ぎた……。

 奴はヴォルデモートと組んでいる。恐らく、ハリー・ポッターも。

 信じてはいけない相手だと分かっていたのに、気付けばヤツの言うとおりに行動していた。

「笑うしかねぇな……」

 魔法界は徐々に追い詰められている。

 マグルが魔女狩りを始めた。俺は止めたのに、ガウェインのヤツがスクイブやマグル生まれの連中の住処の情報を流しちまったせいで、被害は甚大だ。

 あの頃、既にガウェインは操られていたのかもしれないな……。

「ッハハ、疑心暗鬼ってヤツか」

 何も信じられない。このダリウス・プラウドフットともあろう者が、思春期のガキがほざきそうな言葉をほざきたくなってやがる。

「……ダンブルドアか」

 確か、彼には弟がいた筈だ。名前は確か……、

 

 ◆◇

 

「ドラコ……。これがあなたの本当の望みなの?」

 少女は一人呟く。

「戦争を引き起こして、本当にみんながあなたを愛してくれると思っているの?」

 少女は涙を零す。

「ねぇ、ドラコ……。そんなに顔も知らない人からの愛が大切なの?」

 少女は嗚咽をもらす。

「ドラコ……。私はこんなにあなたを愛しているのに……」

 少女は嗤った。

 

 ◇

 

 一人の哀れな少年がいた。彼は本に囲まれながら育ち、本を通して世界を見続けた。

 誰からも愛される事のなかった子供。心を与えられなかった子供。

 この世界の誰も、彼に悪意を向けなかった。

 父と母は惜しみない愛情を注ぎ、友は友情を示し続けてきた。

 誰も彼を裏切ってなどいない。

 その事に彼は気づかない。気付けないまま、悪魔になった。

 

 後に『とある男』が彼をこう評する。

『彼は良心を持たない。

 彼は他者と共感しない。

 彼は平然と真実を隠す。

 彼は自らの行動に責任を持たない。

 彼は罪悪感を持たない。

 彼は自尊心が高く、どこまでも自己中心的だ。

 

 だけど、彼は魅力的に見えてしまう。それが何よりも恐ろしい』



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第三話「クルセイダーズ・Ⅲ」

 屍が積み重なっていく。マグルと魔法使い、両方の死体が日を追う毎に増えていく。

 ホグワーツの地下ではロクな食事を与えられないまま、ストレスの捌け口となる為だけに生かされているマグル生まれの生徒が監禁されている。

 ハーマイオニー・グレンジャーもその一人。杖を取り上げられ、逃げる事も出来ない状況下で、彼女は周りに声をかけ続けている。

 その顔に刻まれた傷は純血の魔法使いに付けられたものばかりじゃない。最底辺に貶められ、助け合わなければいけない筈の相手に殴られ、蹴られ、傷つけられた。

 それでも、彼女は生きている。弄ばれて死ぬ者、自ら死を選ぶ者、死を待ちわびている者が溢れかえる地獄の中で心を折らずに前を向いている。

「――――おまたせ、ハーミィ!」

 悍ましい臭気を気にも留めず、彼女は堂々とやって来た。

 他の生徒達は彼女の存在に怯えている。ココに来る女子生徒は男子生徒以上に苛烈な暴力を振るう。

 目を抉られ、骨を砕かれ、内蔵を引き摺り出される。目を背けたくなるような残虐行為を平然と行う。

 アメリア・オースティンが現れたら、必ず一人死ぬ。他の女子生徒でも、運が悪ければ殺される。

「久しぶりね、ルーナ」

 私の親友は自然な手付きで大きな棍棒を持ち上げた。

「わーお」

「しっかり、死んでね!」

 私は瞼を瞑り、意識を手放した。栄養失調と疲労は私に望まぬ特技を与えたのだ。いつでもどこでも、私は気を失う事が出来る。ただ、緊張の糸を手放すだけでいい。

 

 目が覚めた時、私は知らない場所にいた。

 たくさんの人がいる。中にはゴーストも混じっている。

 一番近くにいたルーナが私に気がついた。

「おはよう、ハーミィ!」

「おはよう、ルーナ。ここは?」

「必要の部屋! ヘレナが教えてくれたの!」

「ヘレナが?」

 私はルーナの後ろでふよふよと浮いている女性に視線を向けた。

 灰色のレディと呼ばれているレイブンクローのゴーストだ。

《大丈夫ですか? ハーマイオニー》

「ええ、大丈夫よ」

 彼女はルーナの友達で、私も時々話をする仲だ。

 ホグワーツの創始者の一人、ロウェナ・レイブンクローの娘。

「必要の部屋って?」

《ここは求める者に応える部屋。ここならば、身を隠す事が出来ると思い、ルーナに教えました》

「ここは凄いんだよ! なんでも、思い通りの部屋が作れるの! 例えば、トイレに行きたいって思いながら作ると、百のトイレがあなたをお出迎え!」

 とりあえず、言いたいことは分かった。ホグワーツの今昔にも載っていない情報だけど、隠し部屋や隠し通路の事は敢えて省かれているから仕方がない。

「……それで、彼らは?」

 見覚えのある顔とない顔が揃っている。

「今の状況を憂いている人達。ゴースト達が集めてくれたの!」

「ゴースト達が?」

 グリフィンドールの『ほとんど首無しニック』が赤毛の兄弟やクィディッチの実況を担当している黒人を始めとしたグリフィンドール生達に囲まれながらウインクした。

 ハッフルパフの『太った修道士』は三大魔法学校対抗試合で活躍したセドリック・ティゴリーを始めとした大勢のハッフルパフ生に囲まれながら哀しそうにしている。

 驚いた事にスリザリン生の姿もあった。『血みどろ男爵』の下に十人にも満たないが、スリザリンの制服に袖を通した生徒の姿がある。 

 残念な事にスリザリン生よりは若干多いものの、レイブンクローの生徒はまばらだ。チョウ・チャンを始めとした、我が寮の善良な生徒がヘレナの後ろから私に微笑みかけている。

「――――彼らが干渉するとは思っていなかったの。だからこそ、こうして集まる事が出来た」

 その声はスリザリンの生徒のものだった。

「あなたは……」

 私の知っている人だった。

「……フレデリカ・ヴァレンタイン」

 ドラコといつも一緒にいた女の子だ。以前は妖精のような可憐さを持つ少女だったけど、今は愛らしさの中に美しさを持つようになっている。

「よろしく、ハーマイオニー・グレンジャー」

「フリッカがいろいろと教えてくれたんだよ」

「なにを?」

「死喰い人の目が逸れる時間帯とか、誰が敵なのかとか、……黒幕の事とか」

「黒幕……? それはヴォルデモートでしょ? それに、どうして彼女が死喰い人の目が逸れる時間帯なんて知ってるのよ」

 それに、ドラコはどこにいるの? この状況を彼なら……、あっ。

 長い監禁生活の中で忘れていた。ドラコとハリーがヴォルデモートに跪いた事実を……。

 いや、忘れた振りをしていただけだ。

 私とルーナが虐めで悩み苦しんでいた時に手を差し伸べてくれた二人。彼らが悪に傅く姿など、記憶に留めておきたくなかった。

「……どうして、あなたはここにいるの?」

「彼を止めるため」

 フレデリカは言った。

「彼は間違えている。だから、私はここにいる」

 その言葉を信じていいのか分からない。だって、信じていた二人が悪の道を選んだ。

「ハーミィ、信じようよ。フリッカの事だけじゃない。ここにいるみんなの事。ここにはいないけど、一緒に戦う決意をしてくれた人達の事」

「ルーナ……」

 私は改めて部屋の中にいる“仲間達”の顔をみた。

「……そうだね。誰を疑うべきかじゃない。誰を信じるべきかを考えなきゃね。ルーナが信じたのなら、私も信じるわ」

 私はフレデリカを見つめた。

「フレデリカ。黒幕って、誰の事? ヴォルデモートの事を言ってるわけじゃないのよね?」

「ヴォルデモートはもういない」

「もういない……?」

「正確には、復活出来ないように封印されているの。ドラコとハリーの手で」

 一瞬、喜びそうになった。二人はやっぱり悪の道に進んでなどいなかったのだと……、錯覚しそうになった。

 だけど、今の状況を思い返せば、それがあり得ないと分かる。

 ヴォルデモートが居なくなっているのなら、どうして、世界はこのままなの?

 黒幕と彼女は言った。ヴォルデモートを封印したのが本当なら、黒幕として世界に絶望を広げているのは誰?

「……待って」

 聞きたくない。

 だって、彼らは私達を助けてくれた。

 一緒に勉強して、一緒に笑って、一緒に競った。

「――――黒幕の正体は」

 フレデリカは言った。

「ドラコ・マルフォイとハリー・ポッター。二人はヴォルデモートが作り上げたものを乗っ取り、マグルを裏で扇動したの。悪意をもって、悪意を増長し、世界を地獄に貶めた」

「うそ……、嘘よ! 何の理由があって、あの二人がッ!」

「二人の目的は戦争状態そのものよ」

「戦争状態そのものって……、どういう意味!?」

「マグルの世界と魔法使いの世界を完全に切り離す事で、それぞれの世界は団結する。誰も裏切らない……いえ、裏切れない世界。恐怖と絶望が支配するディストピアが彼らの理想」

「何を言って……」

 わけがわからない。

「貴女にあの二人を理解する事は出来ないわ。他の誰にも出来ない。あの二人は狂っているもの。彼らを理解したいなら、自分も狂うしかない」

「……あなたは狂っているの?」

「ええ、狂っているわ。そう、自覚している。私が貴女達に協力する理由は一つよ」

 フレデリカは嗤った。

 その笑顔を見ていると、不安な気持ちになる。まるで、深淵を覗き見てしまったような、底知れない恐怖を感じる。

「彼を止めたい。彼に教えてあげたい」

「……あなたは彼をどうしたいの?」

 フレデリカは言った。

「愛したい。愛されたい。だから、名も知らない有象無象の愛に価値なんて無い事を教えてあげたい。私だけが彼の望みを叶えてあげられる事を教えてあげたい」

 たしかに、彼女は狂っている。その瞳に正気の色が一欠片も見つけられない。

「……ハーミィ。彼女は裏切らないよ」

 ルーナが言った。

「だって、フリッカはこの状況を望んでいないもん」

「……だけど」

 以前読んだ本の中で革命家レフ・トロツキーの言葉があった。

『ボリシェヴィズムかファシズムかという選択は多くの人々にとって、サタンか魔王かの選択と同じようなものである』

 これは同じなのでは? どちらを選んでも、結局は狂気に満ちている……。



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第四話「禁じられた決断」

 魔法使いの集落であるホグズミード村には『ホッグズ・ヘッド』という薄汚れたパブがある。いつも胡散臭い連中がたむろしていて、繁盛しているとは言い難い店。そこに今、老若男女を問わない大勢の魔法使いがすし詰め状態になっている。

 店主であるアバーフォース・ダンブルドアは喧しい客人達を鬱陶しそうに睨んだ。

「――――要は、ドラコ・マルフォイとハリー・ポッターを倒せばいいって事だろ!」

 血気盛んな若者が叫ぶ。

「バカ! そんな簡単な話じゃないぞ!」

「ドラコとハリーを倒しても、現状を打破する事にはならない」

「どうして!?」

「今、問題になっているのはマグルとの関係だ。互いに憎しみを積もらせ過ぎた。ここまで拗れてしまった以上、生半可な手段では……」

「マグルの連中なんて、ちょっとお灸を据えてやれば黙るさ!」

「それは死喰い人の考え方よ!」

「一番の問題点がマグルとの関係ってのは分かったけど、ドラコとハリーを何とかしないと、どんどん拗れていくばっかりだぜ?」

「あの二人を倒すのは容易じゃないぞ。あのヴォルデモート卿がもののついでみたいに封印されたんだ。他の誰にも出来ない事をアッサリとやってのけた。俺には勝てる気がしないぜ」

 アバーフォースはこうした“いつまで経っても進展しない話し合い”に飽々していた。

 半月前、闇祓いのダリウスが力を貸せと迫って来た時に断れば良かった。

 この連中に今の状況をひっくり返す力は無い。

「アバーフォース。君も何か意見を言ってくれないか?」

 意見ならある。だが、言ったところで終わらない議論が続くだけだ。

「なーんも無いわい」

 バタービールを飲みながら、アバーフォースは妹の肖像画に目を向ける。

『助けてあげないの?』

「十分、助けとる」

『彼らが本当に望んでいる事を知っている筈でしょ?』

「……知らん。儂はなーんも知らん。知っていたとしても、儂では力不足じゃよ」

『そんな事――――』

 アバーフォースは羊の毛で作った耳当てをして、聞こえない振りをした。

 彼らがわざわざここに集まる理由。それは偉大なるアルバス・ダンブルドアの弟であるアバーフォースに旗頭になって欲しいから。

 まとまりのない集団が団結する為の中心に立つ事を望まれている。

 

――――冗談じゃない。そんな玉じゃないし、面倒だ。それに、彼らが望んでいるのはあくまで『アルバスの(代わり)』……、冗談じゃない。

 

「憧憬、尊敬、畏怖……。掻き集めるだけ集めておいて、無責任に死にやがった老いぼれの責任なんぞ、誰が取るか」

『でも、兄さんならきっと……』

「粗野で無学な弟に、あの賢い兄上殿は何も期待なんてしていないさ」

『素直じゃないなぁ……』

「アリアナ。儂ほど素直な人間は世界広しと言えど、多くはないぞ」

『はいはい、そうですね。ひねくれ者』

 愛しい妹からの罵声を聞き流しながら、アバーフォースは思った。

 世界を地獄に叩き込んだ二人の悪魔。アルバス亡き今、対抗出来るとしたら、それは――――……。

「やはり、儂には無理だ」

『お兄ちゃん?』

「儂の思いつきは世界をより悍ましい深淵に引き摺り込みかねない」

『それは?』

「……地獄を楽園とのたまう二匹の悪魔。対抗できるとしたら――――、

 

 アバーフォースの囁くような声は不思議とパブ全体に響いた。

 さっきまで、あれほど喧しく議論を交わしていた者達が揃って口を閉ざしている。

 アルバス・ダンブルドアの弟の意見。誰もが願っていたもの。その口から飛び出すものが世界を救うと信じている。

 

――――『ヴォルデモート』をおいて他にいない」

 

 ◆

 

 正気じゃない。誰もが私と同じ事を思った筈だ。

「ヴォルデモートを味方につけるって事!?」

 私の悲鳴染みた叫び声にアバーフォースは眉を顰めた。

 聞かれるとは思っていなかった顔だ。だけど、私の耳はバッチリ聞いてしまった。

「アバーフォース。考えがあるのなら教えてくれ!」

 ダリウスが懇願するように彼に迫る。

『お兄ちゃん。みんなに話してあげて』

 絵の中の妹に諭され、アバーフォースは鬱陶しそうにダリウスを振り払うと、渋々と自らの考えを話し始めた。

「――――ヴォルデモートは悪党だ。だが、今の地獄を作り上げている悪魔共よりはマシだ。奴等はただ滅ぼそうとしているだけだ。少なくとも、ヤツにはヤツなりの理想があった。闘争の果てに築こうとしていたものがあった」

「で、でも、例のあの人も散々人を殺したよ!」

 ハッフルパフの男の子が叫ぶ。

「……言えと言ったのはお前達だ。別に無理強いなどせん。耄碌爺のたんなる妄言だと聞き流しとくれ」

 不貞腐れたようにアリアナの肖像画に向き直ろうとするアバーフォースをダリウスが止めた。

「アバーフォース。まだ、続きがあるんだろ?」

「……奴は単なる殺人鬼ではない」

 ダリウスの熱意に押されたのか、アバーフォースは再び話し始めた。

「奴は革命家じゃ。自らの思想の下、新世界を作り上げる為に手段を問わぬ残忍さを持っておる。だが、同時に多くの魔法使いを惹きつける闇の魅力を持っておる。王の資質とでも言うのかのう……」

 今度は誰かが口を挟もうとする度に他の誰かが口を押さえて黙らせた。

「既に世界は壊滅的じゃ。ならば、ヤツに世界を預けてみるのも一手かもしれん。兄貴は言っていた。『あやつがその気にさえなれば、誰よりも魅力的な人間になれた』……と」

 アバーフォースは言った。

「ヤツをその気にさせる事さえ出来れば、もしかしたら」

 誰もがバカバカしいと鼻で笑おうとして、出来なかった。

 現実的に見て、今のドラコやハリーに対抗出来る人が居るとしたら、それはヴォルデモートだけ。

 だけど、彼を復活させて本当にいいの? 多くの嘆きと絶望を産んだ魔王を私達の手で蘇らせるなんて、それこそ世界を終わらせるような選択なのでは?

「待ってくれ!! 万が一、ヴォルデモートがドラコ達と手を組んだらどうする!? それこそ、手のつけようがなくなるぞ!!」

 セドリック・ティゴリーの言葉にみんながハッとした表情を浮かべた。

 そうだ。復活させたとしても、ヴォルデモートがドラコ達と戦ってくれるとは限らない。下手をしたら今以上の地獄に……。

「それは無いな」

 アバーフォースは私達の懸念を一笑に付した。

「な、何故、そう言い切れるのですか?」

「言ったじゃろう。ヴォルデモートには理想がある。破壊は創造の為であり、破壊そのものを目的とするドラコ・マルフォイやハリー・ポッターとヴォルデモートは決して相容れない。だからこそ、奴等はヴォルデモートを封印したのだろうよ」

「し、しかし……」

「言った筈じゃ。所詮、こんなものは老い先短い老人の戯言だと。忘れてしまえ」

 そう言い捨てると、今度こそアバーフォースはアリアナとの二人だけの世界に戻ってしまった。

「どうする、ハーミィ?」

「ヴォルデモートを復活させるなんて……、いくらなんでも」

 答えなんて出るはずがない。例え、それが唯一の解答だとしても、天秤に乗せるものが魔王とサタンでは選びようがない。

 ここに来れば全てが解決する。そんな儚い希望を抱いていた頃の自分を蹴り飛ばしたくなる。

「……ハァ」

 この世界にはまだ、希望が残っている。そうルーナに言われたのが数時間前の事。ルーナがそう考えるに至ったのは更に一週間程前の事だった。

 ルーナとネビルがヘレナに導かれて、最初に作り上げた必要の部屋。それは『助けを求める者の部屋』だった。

 部屋の中には一つの絵が飾られていた。ダンブルドア校長がホグワーツに遺した希望の光。アリアナ・ダンブルドアの肖像画だ。

 アリアナはルーナとネビルの助けを求める声に応え、アバーフォースの居る『ホッグズ・ヘッド』に道を繋いだ。

 そこには既にダリウスの集めた同士達が集結していて、戦いの準備を始めていたのだ。

「溜息を吐くと、幸せが逃げるんだってさ」

「……ルーナはどうして平気な顔をしていられるの? フレデリカを信じるかどうかでさえ散々悩んだのに、今度はヴォルデモートを信じろって言われて……、私はもうどうしたらいいのかサッパリよ!」

「うーん……。悩むのも大切な事かもしれないけど、もっと単純に考えたほうが見えてくるものもあると思うよ?」

「単純にって?」

「まず、ハーミィは世界を何とかしたいと思っているよね?」

「もちろんよ」

「なら、次は世界をどうしたいか考えてみて」

「どうしたいか……?」

 何とかする。それはあまりにも漠然とした言葉だ。

 どうしたいかと問われたら、急に言葉に詰まってしまうくらい。

「……平和にしたい」

「それは誰の平和? 純血の魔法使いの? マグル生まれの? マグルの? それとも、みんなの?」

「みんなのよ!」

「じゃあ、平和の為に必要な事は?」

「戦う事」

「誰と戦うの?」

「それは……」

 分かっているのに、言葉にするのを躊躇ってしまう。

 ルーナは何も言わない。ただ、ジッと私の答えを待っている。

 いじわる……。

「ドラコとハリー」

「二人だけ?」

「え?」

 私は一瞬ポカンとしてしまった。

「……あっ、違う!」

 戦うべき相手は二人だけじゃない。ホグワーツで暴虐の限りを尽くしている死喰い人や戦争を煽っている人達。

 裏で操っている二人だけを止めても意味が無い。全てを止めなきゃ、この地獄は終わらない。

「それを私達だけで出来ると思う」

 思わない。こんな纏まりのないメンバーだけでは数が足りないし、力も足りない。

「無理よ……。足りないものが多過ぎる」

「その足りないものを補えるとしたら?」

 結局、結論は変わらない。

「……ヴォルデモート」

「なら、次はヴォルデモートを味方にする方法を考えてみようよ」

「ヴォルデモートを……?」

 とてもじゃないけど思いつかない。

 相手は生粋の純血主義者。その思想の為に大勢の人の命を奪った冷酷な殺人鬼。

 今の状況の大本を作り出した人物でもある。

「そんなのアバーフォースが言っていたみたいに世界をあげるしか……」

「なら、あげちゃおうよ」

「は?」

 私はルーナの正気を疑った。

「あなた、何を言っているのか分かっているの!? アバーフォースも手段の一つと言ったけど、世界をヴォルデモートに明け渡したりしたら……」

「うん。きっと、酷いことになる。マグル生まれは決して幸せになれない世界になってしまう」

「それが分かっているのなら……」

「だから、住み分けをしようよ」

「住み分け……?」

 ルーナは言った。

「どっちみち、マグルと魔法使いは二度と仲直りなんて出来ないよ。あまりにも人が死に過ぎたもの」

 哀しそうな声。

「この地獄が終わっても、爪痕は残り続ける。魔女狩りの時代以上に深く大きく刻まれてしまったから……。だから、魔法使いは純粋な魔法使いのものだけにしてしまう方が良いと思うの」

「なら……、マグル生まれはどうしたらいいの?」

 涙が溢れた。

 私がヴォルデモートを否定している理由。その一番大きなものは私がマグル生まれだからというもの。

 私は排斥される側。そんなの耐えられない。例え、地獄が続いたとしても、排斥なんてされたくない。私は死にたくない。

 そんな身勝手な本心に絶望する。なんて、情けない……。

「ハーミィ。私も杖を捨てるよ」

「え?」

 何を言っているのか、すぐには分からなかった。

「マグル生まれはマグルの世界に戻るの。マグルと離れたくないなら、純血の魔法使いも杖を捨てるの」

「……貴女はそれで平気なの? お父さんはどうするの?」

「お父さんの事は大好き。だけど、私の人生は私が決めるの。私はハーミィと離れたくない。だから、ハーミィとどこまでも一緒にいく」

 また、涙が溢れた。

 私はいつも一人ぼっちだった。マグルのスクールに通っていた頃、頑固で融通の利かない私を誰もが疎み、友達を作る事が出来なかった。

 だけど……、ここまで言ってくれる親友が出来た。

 彼女と一緒に居られるのなら、他に何を望むというの?

「……ルーナ。一緒に居てくれるの?」

「一緒に居たいんだよ、ハーミィ。ずっと!」

「そっか……」

 なら、いいや……。

 この歳でマグルの勉強を再開するのは骨が折れそうだけど、がんばろう。

 パパとママの跡を継いで歯科医になろう。

「……ルーナ。私、決めたわ」

 周りを見る。いつの間にか、みんなが私達を見ていた。

「裏切り者と蔑まれるかもしれない。勝手に決めたと糾弾されるかもしれない。憎まれるかもしれない。だけど、私は今の世界がずっと続いていくなんてイヤだわ!」

 ニンファドーラ・トンクスという名の魔女が言った。

「……魔法使いを辞める、か。でも、こんな世界で魔法使いを続けても……、苦しいだけだよな」

 マグル生まれらしい青年が言った。

「ヴォルデモートに仲間を何人も殺されたわ……。ああ、悔しい!! 憎らしい!! 吐き気がする!! どうして、私って、力が無いのかしら!」

 老年の魔女が叫んだ。

 みんなが口々に何かを叫び、そして結論を下していく。

「――――それで、具体的にはどうするんだ? ヴォルデモートの封印を解くって言うけど、どうやって?」

 みんな、同じ顔になった。

「……あっ」

 誰もその事に考えが至っていなかったみたい。

 ダリウスは頭を抱えている。

「おいぃぃぃ!! そこが一番肝心なところだろ!! 決意固めても方法が無いんじゃ――――」

「私がやるわ」

 みんなの視線が一人の少女に集まった。

 ずっと、カウンター席の端で静かにしていたフレデリカが立ち上がっていた。

「他に適任も居ないでしょ?」

「……信じていいの?」

 私の言葉に彼女は嗤った。

「今更でしょ。この話を私が聞いた以上、貴女達には私を信じる以外の選択なんてない。だって、私が裏切るのなら、結果は変わらないもの」

 フレデリカは言った。

「貴女達の望み通り――――、魔王を復活させてあげるわ」



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第五話「暗黒の光」

 『死』を体験するのは二度目だ。

 滅びの瞬間は痛みよりも喪失感が大きい。命が終わり、存在が消えていく恐怖。何度経験しても嫌なものだ。

『同じ相手に負けるとは……』

 無邪気な笑顔で私を葬った赤ん坊が成長し、またも私を葬った。

 恐怖も、憎悪も、悲哀も抱かず、私に一切の関心を持たない顔で物の序でのように私を殺した。

 

 宝石の中に封じ込められても、意識は継続していた。

 虚無の闇の中で延々と物思いに耽り続ける。それ以外にやる事が見つからない以上、仕方がない。

 初めは私を罠に嵌めたドラコ・マルフォイとハリー・ポッターへの復讐を考えた。それから脱出の方法に思考が逸れ、気が付けば『死』の記憶を振り返っていた。

 暗黒の中、時の概念すら失われ、私の意識は闇と混濁していく。

 ああ――――、また過去の記憶が再生される。本能が自我の崩壊を防ごうとしているのだ。

 

 最初の記憶は一番嫌な記憶だった。

 それはマグルの孤児院に居た頃の記憶。

『――――ねぇ、みんな! 僕も一緒に……』

『近寄るな、化け物!!』

『ば、化け物じゃないよ! 僕は――――』

 私は幼い頃から魔力を自在に操る事が出来た。人が生まれ落ちた瞬間に呼吸を開始するように、母乳を体内に取り入れようとするように、当たり前に出来た。

 だから、私は手を触れずに物を動かしたり、蛇と会話出来る事が当たり前の事だと思っていた。

 当たり前の事じゃない。そう言われても、私は特別な才能を持っているだけだと思った。ピアノを自在に弾けるような、優雅な踊りを踊れるような才能と同じものだと思った。

『化け物じゃない!! 僕は化け物じゃない!!』

 気が付けば、それが口癖になっていた。

『みんな! トムが可哀想よ!』

 中には庇ってくれる人もいた。だけど……、

『――――どうして、あんな事をしたの?』

『だって、マイケルが僕に《化け物は死ね!》って言ったんだよ!』

『だから、犬をけしかけて怪我を負わせたのね……』

 僕を庇ってくれた人が僕を化け物みたいに見る。

 イヤだ。その目はイヤだ。

『違うよ。だって、僕は……』

 それ以来、誰も僕を助けてくれなかった。誰も僕を信じてくれなかった。

『トム! メアリーの靴を隠したでしょ!』

『トム! また、マイケルに怪我を負わせたわね!』

『トム! どうして、アリスを虐めるの!』

 身に覚えのない事で怒られる事も増えた。

『……違うよ。僕は何もしてないよ』

 誰も僕の言葉を聞いてくれない。

『嘘吐き!!』

『最低なヤツだ!』

『気持ち悪い』

『悪党め!!』

『死ねばいいのに』

 違う……。僕は化け物じゃない。僕は嘘なんて吐いてない。

 やめてよ……。酷いことを言わないで……。

 

 ある時、孤児院に一人の男が現れた。

 アルバス・ダンブルドアを名乗る長身の男は僕を見て言った。

『トム。お主は魔法使いじゃ』

 彼は僕を魔法の世界に連れ出してくれた。

 夢のようだ。僕の事を誰も異常だなんて言わない。僕を受け入れてくれる世界が広がっていた。

 嬉しい。誰も僕を化け物だと言わない。蔑まない。

『――――ここが僕のいるべき場所』

 ホグワーツ魔法魔術学校に入学してからの日々は常に輝きで満ちていた。同じ力を持つ仲間達と競い合い、笑い合い、夢を語り合う。そんな日々に僕は確かな幸福を感じた。

 だけど、いつの頃からか、ダンブルドア先生が僕を見る目が変わった。

 まるで、あの孤児院にいた連中のように冷たい目を僕に向ける。

 イヤだ。そんな目で見ないでくれ!

 僕は異常じゃない。僕は化け物じゃない。僕は――――、

『ダンブルドア先生は僕がこの世界に相応しい人間では無いと考えているんだ……』

 僕がマグルの世界に居たから……。

 スリザリンの寮生達も常々口にしている。マグルは劣等種であり、その血は穢れている。その混血に魔法を学ぶ資格などない。

 両親を知らない僕の血筋を仲間達は誰一人疑わなかった。僕の卓越した魔法技術は純血の中でしか生まれない筈だと誰もが信じているからだ。

 だけど、真実は? 僕の血は本当に純血なのか? 

 ダンブルドア先生の目が僕の中の真実を見抜いているような気がして、恐ろしくなった。

『違う……。僕は純血だ。僕はここに居ていい人間なんだ。僕は……』

 確かめよう。大丈夫な筈だ。僕は学年一の秀才だと言われている。そんな僕の中にマグルの血なんて一滴足りとも混じっている筈がない。

 

 やっぱりだ! 僕は素晴らしい血筋に恵まれていた! 僕の母親は伝説の魔法使いの末裔だった!

 偉大なるサラザール・スリザリン。ホグワーツの創立者の一人。

 喜びに酔い痴れながら、僕は更に父の事を調べ始めた。そして、絶望に叩きこまれた。

 父はマグルだった。卑しく、品性の欠片も無い男。そんな男を母は愛し、卑劣にも魔法で誘惑し、僕を身籠った。その果てに洗脳の解けた父は母から逃げ出した。

 呆然とした。

 僕は穢れた血。それも偽りの愛の中で出来た子供。

『嘘だ……。こんなの嘘だ……』

 ダンブルドア先生は知っていたのだ。だから、あんな目を向けてきたのだ。

 イヤだ……。みんなからあの目を向けられるなんて耐えられない。

 やっと、友達が出来た。やっと、居場所が出来た。失いたくない。

『……一人ぼっちは嫌だ』

 それが始まりだった。誰よりも魔法使いらしくあろうと、知識を深め続けた。

 旧家の子息達ともより深い繋がりを作った。

 トム・リドルという忌まわしい売女の付けた名前を捨てる為に新しい名前も考えた。

『僕は……いや、私は『ヴォルデモート卿』。世界の誰よりも魔法に詳しく、誰よりも魔力の大きい、魔法使いの中の魔法使い』

 ホグワーツを卒業してから、私に傾倒する者を束ねて、一つの組織を作り上げた。

 忌まわしき過去。穢らわしき劣等種との決別。私は魔法界からあらゆるマグルの要素を取り除こうと運動を開始した。

 だが、愚かな者達が私の邪魔をする。

『何故、わからない!! マグルの血など、百害あって一利無しだという事に!!』

 私の思想に反発する者が現れ始め、その勢力は次第に大きくなっていった。

 ダンブルドア先生が立ち上げた不死鳥の騎士団はその勢力の中でも一際大きな力を持ち、私を苦しめた。

『……そうか、そんなにも邪魔をしたいのか。ならば……もう、容赦はしない』

 私は奴等を敵と定めた。

 歯向かう者は誰だろうと殺し、いつからか『例のあの人』と呼ばれるようになった。

 みんなに魔法使いとして認められたら呼んでもらおうと思っていた『ヴォルデモート』の名を誰もが恐れた。

 

 もう、誰も私を人とは思わない。魔法使いすら、私を化け物だと、怪物だと言う。

『――――これが私の望んだもの?』

 何十回、何百回と繰り返される過去の映像を見続けて、私の中で疑問が生まれた。

 私はただ、認めて欲しかっただけだ。

 化け物じゃない。ただ、人間なのだと認めてもらいたかっただけなんだ。

『とんだ道化だ。正真正銘の化け物になって漸く思い出すとは……』

 人間である事を自ら止めた化け物を誰も認めてなどくれない。

 

 ◇◆

 

 変化は唐突に起きた。闇の中に光が降り注ぎ、まるで魂そのものを捻じ曲げられるような苦痛に襲われた。

 指先からヤスリで削られているような、汚泥を口や鼻から流し込まれているような、マグマの中に沈み込むような得も言われぬ苦痛に私は恥ずかしげもなく悲鳴を上げた。

 何かが私の中に入り込んでくる。懐かしい何かが……。

 

 気付けば無数の人間の姿が目の前に浮かんでいた。

 私を責めるように睨んでいる。その口からは怨嗟の声が漏れ出している。

 ああ、彼らは私が殺した者達だ。

『……なんと、救い難い』

 どうやら、私はこの期に及んで過去を悔いているらしい。

 好き勝手な事をして、多くの屍を積み上げて、今更……、

『これが地獄というものか』

 単なる暗闇よりもずっと、この光の世界は恐ろしい。



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第六話「ヴァレンタイン」

 フレデリカ・ヴァレンタインが去って行く。結果を出すには時間が掛かると言い残して……。

「あの小娘。使い続けるのは危険だな」

 アリアナ・ダンブルドアの肖像画を見つめながら、アバーフォース・ダンブルドアは呟いた。

「あれの心は狂気に穢されている。まともな人間が理解出来る思考ではない。いつなんどき、考えを一変させるか分からんぞ」

 言われなくても、誰もが気付いている。

 彼女を信じてはいけない。

 私達の常識や倫理、損得勘定さえ通用しない。

 最後まで裏切らないかもしれないし、ある時唐突に、何の先触れも無く裏切る事もあるだろう。

 その時、私達にはどうして裏切ったのか最後まで理解出来ない筈だ。

 それだけは理解出来る。

「なにか、保険が必要だな」

 誰かが言った。

「……一つ、心あたりがある」

 ダリウス・ブラウドフットは言った。

「あの女には一つだけ弱味になり得る存在がいる」

「弱味になり得る……? それはドラコの事? まさか、ドラコを人質に取るつもり? 本末転倒じゃない」

「それが出来たら苦労は無い。俺が言っているのはヴァレンタインの身内の事だ」

「身内って、親族の事?」

 確か、彼女は両親と不仲だと聞いた。それが偽りである可能性も確かにあるけど……。

「恐らく、お前が想像している顔触れの中にヤツの弱味となるような者はいない」

「なら、誰の事を言っているの?」

「そもそも、奴の両親を名乗るアドルフ・ヴァレンタインとエドナ・ヴァレンタインの間に実子はいない」

「実子はいない……?」

 なら、フレデリカはなに?

「表向き、死喰い人に襲われた親戚の娘を善意で引き取った事になっている」

「……なっている?」

「当時の資料の中にはヴァレンタイン家の事件についても記載があった。だが、事件当時の現場写真を見て、奇妙な部分が目についた」

「それは?」

「闇の印が無かったんだ。死喰い人は自らの引き起こした惨劇の舞台に必ず髑髏の御旗を掲げていた。それがこの家には無かった。これはその事から推察した事なのだが、アドルフとエドナは自分達で親戚のシド・ヴァレンタインの邸宅を襲撃し、その娘を拉致した可能性がある」

「どうして、そんな事を?」

 まさか、娘が欲しいから?

「理由は分からない。だが、そう考えるに至る根拠が幾つかある。まず、一つ目は闇の印。アレは死喰い人と一部の魔法使いにしか作り出せない特別なものだ。二つ目はエドナ・ヴァレンタインの体質。彼女は生来子供を産めない体だったらしい。三つ目はヴァレンタイン夫妻の人格。彼らは双方共に苛烈な性格をしている。フレデリカ・ヴァレンタインを幼少期に虐待し、自殺の一歩手前まで追い詰める程な。他にも悪評を数え上げればキリがない。そういう者達が子供を欲しいと思った時、どんな行動に出るか……」

「で、でも、子供が欲しいと思って手に入れたのなら、どうして、虐待なんて?」

「犬猫を欲しいと思う心理と同じだ。一時、その愛らしさに心を奪われても、実際に育てたり、世話をする段階になって鬱陶しいと感じたり、面倒に感じる者は少なくないだろ? その感情を人間の子供に当て嵌めただけだろう」

「でも、それは全て推測でしょ?」

「ああ、推測だった」

「だった……?」

 引っ掛かる物言いだ。

「数ヶ月前。思えば、ドラコ達がヴォルデモートから政権を奪いとった後の事だ。ヴァレンタイン夫妻が殺害されている。恐らく、彼女が殺したのだろう」

「え……?」

 殺した? 両親を?

「家を調査した仲間が夫妻の手記を見つけた。そこに推測を裏付ける内容が記載されていた」

「そんな……」

 ダリウスは私を見つめた。

「俺と一緒に来てくれるか?」

「私……?」

「ああ、マグル生まれのお前さんに来てもらえると心強い」

「ど、どういう事?」

 ダリウスは言った。

「フレデリカ・ヴァレンタインには実の姉がいる。彼女は惨劇の難を逃れ、マグルの世界で生きてきた」

 一枚の写真を取り出し、私に見せてくる。

 そこにはフレデリカをそのまま成長させたような綺麗な女性が写っていた。

 ただ一点。頬に刻まれた大きな切り傷だけが彼女の美貌を損なっている。

「リーゼリット・ヴァレンタイン。この戦争状態を引き起こした立役者の一人、ワン・フェイロンと行動を共にしていた探偵社の一員だ。彼女の居場所は捕捉している。現在、ジェイコブ・アンダーソンという少年と行動を共にしている」

 ワン・フェイロン。今やその名を知らぬ者は魔法界にもマグルの世界にも殆どいない。

 世界でもっとも多くの魔法使いを殺したマグル。魔法使いの憎悪を一身に集める男。

「ドラコもリーゼリットがフレデリカの姉である事には気付いている筈だ。手を出していないのはそれだけ慎重に扱う必要があると判断したからだろう。だからこそ、チャンスは一度切りだ。俺達が接触したと知れば、さすがに放置していられないだろうからな」

「説得……、か」

 確かに私が一番の適任だ。子供で、マグル生まれで、女。他の誰がやるより、相手を刺激しにくい。

「ハーミィ。私も……」

「ううん。ここは少数で動いた方がいいと思う。だから、ルーナは待ってて」

 心配そうに表情を翳らせるルーナを慰めながら、私はダリウスからリーゼリットのプロフィールを聞いた。

 ただのマグルと侮ってはいけない。彼女はフレデリカと同じく魔法使いの才能がある。その才能を魔法学校に通わずに『身体能力強化』という方向性で伸ばしたようだ。

 時折、存在する。呪文を使ったり、特別な道具を使わなくても、魔法以上の現象を起こす事が出来る特異な能力の持ち主。

 身近な所では、『ハリー・ポッターとヴォルデモートの関係性を予言した』シビル・トレローニー教授などが該当する。

 

 数時間後、私はダリウスに『付き添い姿現し』してもらって、ロンドンの繁華街にやって来た。

「あのアパートメントの一室に二人がいる」

 魔法使いの家とは比べ物にならないけど、マグルの世界の建物としては古めかしい感じのアパートメントをダリウスは指差した。

 そこから丁度出てくる二人の男女の姿が見える。

「あの二人?」

「ああ、タイミングが良かったな」

 近づこうと歩き出した瞬間、リーゼリットと目があった。

 此方は物陰に隠れているし、距離だってあるのに、彼女は私をまっすぐに見つめている。

「見つかった!?」

 話には聞いていたけど、それにしても目が良いなんてレベルじゃない。

 驚いている内に彼女達の姿が見えなくなってしまった。

「クソッ、逃げられたか――――」

「――――誰が逃げたって?」

 鳥肌が立った。気が付くと、真後ろにスカーフェイスの女が立っていた。

 その手には二本の杖が握られている。片方は――――、

「私の杖!?」

「よう、クソ野郎。久しぶりだな」

 杖をポケットに仕舞いこむと、代わりに拳銃を取り出してリーゼリットはダリウスに向けた。

 拳銃の知識なんて殆どないけど、撃鉄が上がっている。つまり、後は引き金を引き絞るだけで銃弾が出る状態になっているという事。

「待って! 私達は戦いに来たわけじゃないの!」

「お嬢さん。空気を読もうぜ。発言権はこっちにある。無駄口叩くつもりなら、その口を縫っちまうぜ?」

 私には押し黙る事しか出来なかった。

「それで? 今更、どの面下げて現れやがった? フェイロンに面倒な事を吹き込みやがって……」

「その口振りから察すると、お前さんはヤツの考えに賛同していないわけだな?」

「質問はこっちがする。それとも、眉間に風穴を空けられたいのか?」

「……俺達がここに来た理由は一つだ。取り引きがしたい」

「取り引き……? いいぜ、言ってみな」

 ダリウスは慌てたり、怯えたりする素振りも見せず、堂々としている。

 さすが、百戦錬磨の闇祓いね。

「お前さんを妹と引き合わせる。代わりに、妹さんに対する抑止力になってもらいたい」

「……おい、クソ野郎。尻の穴を二つにされたいのか?」

「冗談言ってる顔に見えるか?」

「私の妹は十六年前に死んだ。殺されたんだ。お前達に!」

 あまりの怒気に私は口を挟む事が出来ない。

 完全に萎縮してしまっている。

「違う。お前さんの両親を殺したのは俺じゃない。まあ、魔法使いという点では正解だけどな」

「犯人を知ってるって口振りだな」

「知っている。犯人の名前はアドルフ・ヴァレンタインとエドナ・ヴァレンタイン。お前さんの父親であるシドの兄夫婦だ」

「……アドルフとエドナか」

「言っておくが、復讐を考えているなら無駄だぞ?」

「お前には関係無い」

「そういう事じゃない。夫妻は既に殺されている。お前さんの妹の手で」

「……なんだと?」

 銃声が鳴り響いた。ダリウスの右肩から血が吹き出す。

「もう一度言ってみろ。次は眉間を吹っ飛ばす」

「……嘘じゃない。お前さんの妹、フレデリカ・ヴァレンタインは生きている。今は戦争を止める為に一緒に行動しているが、精神に異常をきたしている。育ての親を殺す程度に……」

 再び、銃声が響いた。

 今度は腹部だ。早く治療しなければ危険な場所に銃弾を撃ち込まれながら、ダリウスは皮肉気な笑みを浮かべている。

「それで気が済むなら、俺を殺しな。だが、俺を殺すからには、そっちの嬢ちゃんの話を聞いてもらう」

「何を言っているの、ダリウス!?」

 思わず悲鳴をあげる私にダリウスは微笑みかける。

「……ちなみに嬢ちゃんはマグル生まれってヤツだ。パパもママも魔法使いじゃない。痛くてこわーい、歯医者さんだ」

「黙れ」

 リーゼリットが撃鉄を起こした。

 今度こそ、ダリウスが殺されてしまう。そう思ったら、体が動いていた。

「止めて!!」

 ダリウスとリーゼリットの間に体を滑り込ませる。

 すると、リーゼリットと目が合った。

「……ぁ」

 リーゼリットの目が大きく見開かれ、体を震わせ始めた。

「……お前さん。さっきから俺に釘付けだったよな。やっぱり、妹と同い年の女の子が相手だと強く出れないか?」

 リーゼリットは泣きそうな顔でダリウスを睨みつけた。

「卑怯者!!」

 銃声が響く。だけど、銃弾は私達から大きく擦れて、近くの建物の壁を穿った。

「卑怯者!!」

 そのまま、リーゼリットはダリウスを殴りつけた。

「卑怯者!! 卑怯者!! 卑怯者!!」

 何度も何度も殴りつける。

「リズ!! さっきの銃声は――――」

 その時、アパートメントに取り残されていたジェイコブ・アンダーソンがやって来た。

 目の前の惨状を見ると、慌ててリズを抑える。

「ど、どうしたん、リズ!?」

「離せ、ジェイク!! このクソ野郎!! この卑怯者!!」

「だ、ダメだ。そいつが死んじまう!!」

 ジェイコブに羽交い締めにされると、あれほど荒れ狂っていたリーゼリットが顔を覆って泣き始めた。

 彼女なら、彼の事なんて簡単に振りほどける筈なのに……。

「……よう、ジェイコブ。助かったぜ」

「動くな」

 リズから銃を奪い、ジェイコブはダリウスに向けた。

「止めたのはリズを人殺しにさせない為だ。妙な動きをしたら撃つ」

「おお、怖い。安心してくれ。杖は彼女に奪われた。今の俺には何も出来んよ」

「なら、袖のところを捲って見せてみろ」

 ジェイコブの言葉にダリウスは口笛を吹いた。

「さすが探偵だな」

 袖口には奪われた筈の杖があった。

「な、なんで!?」

 私は思わず叫んでしまった。

「……油断させる為に獲物(にせもの)を敢えて奪わせる。常套手段だよな。クソ野郎」

「油断と言ってくれるな。安心させる為だ。俺達は敵じゃない」

「武器隠し持って、敵じゃねぇも何もあるかよ!」

 ジェイコブの言葉にダリウスは微笑んだ。

「そうだな。その通りだ」

 ダリウスは杖を放り投げた。

「なんなら、裸になってやろうか? それなら、安心出来るだろ?」

 本当に脱ぎだそうとするダリウス。

 ジェイコブは舌を打った。

「……何の用でここに来た?」

「この戦争状態を止める為だ」

「お前等が仕向けた事だろ」

「違う。少なくとも、俺は違う」

 ダリウスはまっすぐにジェイコブを見つめた。

 私にはどうしたらいいか分からない。杖がないと何も出来ない。

「何が違うってんだ?」

「俺はこんな事、望んじゃいない。人が無闇に、無差別に殺し合うなんて状態はな……」

「なら、何が出来るってんだ? 止められるってのか? この戦争を!」

「止めるさ。その為に動いてる」

 ……これじゃあ、あの忌まわしい地下に居た頃と変わらない。

 抗いたいのに、無力で何も出来なかった。今も……。

「ぅ……」

 ダリウスが呻いた。顔色が悪い。

 当たり前だ。彼は肩と腹部を銃で撃たれている、

 今まで平気な顔でお喋りが出来た事の方が不思議だ。

「ダリウス!! は、はやく、癒者に見せなきゃ!!」

「――――いい、このまま死なせろ」

「何言ってるの!?」

 ダリウスは正気を失ってる。

「いいわけないでしょ!! この人達とは話にならないわ!! はやく、お医者様に見せなきゃ!! あなたが死んじゃう!!」

「……耳元で大声を出すな。傷に響く。それより、俺には構うな。これが誠意ってヤツだ」

「誠意ですって!?」

 あまりの言い草に私は壁を殴りつけてしまった。

「冗談じゃないわ!! まさか、そのつもりで来たの!? もういい!! あなたを死なせるわけにはいかないもの!!」

「……ハーマイオニー」

 ダリウスは私の頭を撫で付けた。

「冷静になれ。これが最善なんだ」

「どこが最善だっていうのよ!?」

「……ダンブルドアが死に、ヴォルデモートが討ち取られた。その時点で俺には分かってた」

「何を……」

「時代は移り変わっていくものなんだって事」

 分からない。私にはダリウスが何を言いたいのかサッパリ分からない。

「旧時代の遺物は新世代の礎になるのが最後のお勤めって事さ。なあ、ジェイコブ」

「……なんだ?」

 今にも死んでしまいそうなダリウスにジェイコブも感情を抑えているみたい。

「俺の命を対価として渡す。だから、世界を救って欲しい」

「……俺に何を望むんだ?」

「大した事じゃない。離れ離れになった姉妹が感動の再会を果たした後、幸せに生きられるように支えてくれるだけでいい」

 ダリウスは蹲って、肩を震わせながら泣くリーゼリットを見つめた。

 その視線の意図を悟り、ジェイコブは目を見開いた。

「生きているのか!?」

「ああ、生きてる。だが、彼女にはストッパーが必要だ。元々、ドラコの傍に居たからな」

「……相当ヤバイ女に成長しちまってるわけか」

「そういう事だ……っと、そろそろヤバイな」

 ダリウスは立っていられなくなり、よろけた。

「っと」

 その体をジェイコブが支えた。

「へへ、優しいねぇ。このまま、看取ってくれるか?」

「看取らねぇよ。ここまで体を張られちゃ、疑えねぇさ。オーケー。アンタの事だけは信じるよ」

「……そっちの姉ちゃんが納得しないさ。俺の命でも、その姉ちゃんの御機嫌を取れるなら上出来なんだ。このまま――――」

「冗談じゃねーよ」

 ジェイコブは舌を打った。

「テメェなんかの命、リズに背負わせられるか。ただでさえ、いっぱいいっぱいになってる」

「……なら、どうすんだ? 俺の身を張った説得は単なる撃たれ損か?」

 二人が睨み合う。その間にも彼らの足元には血溜まりが大きくなっていく。

「リズはそんなに物分かりの悪い女じゃない。アンタがここまでしたんだ。分かってくれるさ」

「俺が騙してる可能性は? 内心じゃ、ヘラヘラ笑ってるかもしれないぜ?」

「……よく、そんな顔でペラペラ喋れるよな。本当に何もしなくても死なないんじゃないかって誤解しそうになるぜ?」

「へへ……。死ぬ寸前まで俺の口は止まらねぇよ。っと」

 ダリウスは血の塊を吐き出した。

「……内蔵やられてんじゃねーか。治せるのか?」

「生きてりゃな」

「なら、さっさとお前の所の医者に診てもらえよ」

「駄目だな、それは。リーゼリット・ヴァレンタイン。彼女から答えを聞くまでは」

「俺が聞いといてやる。お前の命より、俺の言葉の方が伝わるよ」

「……すっげー、傷つくな」

「そういうもんだろ?」

「……そういうもんだな。けど、それもダメだ」

「なんでだ?」

「遅かれ早かれ、お前等の所にドラコの刺客が来る。フレデリカの姉がリーゼリットである事をヤツも知っているからな。だから、何が何でも返事を聞く必要がある」

「……それを先に言えよ」 

 ジェイコブは溜息を零すと、ダリウスを座らせた。

「5分寄越せ。おい、そこの女」

「わ、私!?」

「お前しかいねーだろ。お前も魔法使いなら、なんか応急処置とか出来ないのか?」

「……簡単になら」

「なら、やってやれよ。死なれたら面倒だ」

「……わかったわ」

 なんか、一々言い方が乱暴な男の子だ。

 だけど、気にしている余裕なんてない。

「ダリウス。腹部の傷を見せて」

 私はジェイコブがリーゼリットに話しかけている姿を横目で見ながらダリウスの傷を治療した。

 

 それから5分。ジェイコブは宣言通りにリーゼリットから答えを引き出した。

「――――二つ条件がある」

「言ってみろ」

「一つは俺達の命の保証。もう一つはフェイロンを止める為に力を貸してもらう」

「オーケー。俺の命に換えても、お前等の事は守ってみせる。フェイロンについても……、言われなくても協力するさ。出来る限り、穏便に」

 話がまとまったみたい。果たして、私は来た意味があったのだろうか?

 何とか一命だけは取り留めたダリウスと二人のマグルを引き連れて、私は魔法界に舞い戻った。



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第七話「王の帰還」

 ダリウス・ブラウドフットとハーマイオニー・グレンジャーがリーゼリット・ヴァレンタインとジェイコブ・アンダーソンを連れて来ると、ホッグズ・ヘッドは奇妙な沈黙に包まれていた。

 その理由をダリウスとハーマイオニーの二人はすぐに察した。

 バー・カウンターでリーゼリットをそのまま幼くしたような少女が宝石を弄んでいたからだ。

「……フレデリカ。もう、手に入れてきたの?」

 フレデリカは嗤った。

「当然よ。あの二人が私を疑うなんて、絶対にあり得ない事だもの」

 自信があるというより、それが確固たる事実であるようにフレデリカは語った。

 実際の所、彼女とドラコ・マルフォイの関係性は一方的なものなのではないかと誰もが疑っていた。

 だから、可能だとしても、彼女が結果を出すまでに一月は掛かると思われていた。

 ここまで迅速に事が進むほど、あの二人が彼女を信頼しているとは誰も想定していなかった。

「私は全てを識っているの。彼の事なら全て……」

 微笑む彼女の表情は恋する乙女のもの。

 なのに、どうしても不安になる。

「フ、フレデリカ!!」

 リーゼリットは叫んだ。

 死んだと思っていた妹が生きていた。その事を今、彼女は漸く信じる事が出来た。

 成長しても、幼い頃の面影が色濃く残っている。なにより、いつも鏡で見る顔とそっくり。

「……え?」

 フレデリカは近づいて来る、同じ顔をした女に驚いた。

 泣いている。

「えっと……、誰?」

 その言葉は鋭利なナイフとなって、リーゼリットの心を刻んだ。

「――――お前さんの実の姉ちゃんだ」

 ダリウスの言葉にフレデリカの表情が強張った。

「私の……、お姉ちゃん?」

 不可解だ。そう顔に書いてある。

「だって……、私の本当の家族はみんな……」

「生きてたんだ。ずっと、マグルの世界で」

 フレデリカはダリウスを睨みつけた。

 妖精のような顔を醜く歪め、憎悪の感情を露わにした。

「……随分と小狡い真似をするのね」

「言ってくれるな。お前さんに裏切られると、俺達は詰むんだよ。それに、実の家族と再会出来たんだぜ? ちょっとは感謝してくれよ」

 フレデリカは杖をダリウスに向けた。

「感謝……? 記憶にも残っていない、死んだと思い込んでいた赤の他人と引き合わせて、それで感謝?」

「え……」

 フレデリカの言葉にリーゼリットは哀しげな声を発した。その声にフレデリカは舌を打った。

「欲しかったのはこれでしょ」

 乱暴に宝石をダリウスに投げつける。

 そのまま、リーゼリットの下へ歩み寄った。

「……同じ顔で泣きべそかかないでよ」

「え?」

「お、おい! お前、実の姉ちゃん相手になんて言い草だ!!」

「アンタ、誰よ」

 口を挟もうとしたジェイコブをひと睨みで黙らせると、リーゼリットの手を取った。

「……ちょっと、付き合いなさい」

「お、おい、待て!」

 ジェイコブがフレデリカの肩を掴むと同時に三人の姿が掻き消えた。

「おいおい、あの歳で『付き添い姿くらまし』が出来るのかよ……」

 ダリウスは感心したように口笛を吹いた。

「ところで、ダリウス」

 それまで黙っていたアバーフォースが声を掛けた。

「なんだ?」

「それを手に入れたのはいいとして、肝心の復活の手立てはあるのか?」

「…………あ」

 アバーフォースは深々と溜息を零し、カウンターから何かを取り出した。

 それは小さな小瓶だった。

 ダリウスはアバーフォースに渡されたそれに首を傾げる。

「これは?」

「命の水。ニコラス・フラメルから貰い受けたものだ」

「ニコラスって、あの大錬金術士か!?」

 賢者の石の作成者として知られる錬金術士の名前にダリウスは驚きの声を上げた。

「復活させる方法なんて、俺には他に思いつかなかった」

「……サンキュー」

「……ダリウス」

 ハーマイオニーは不安そうな表情を浮かべる。

「これで条件は揃った」

 ダリウスは同じように不安の表情を浮かべる仲間達に笑い掛ける。

「それじゃあ、一世一代の大博打を始めようぜ!」

 宝石と命の水を持って、ダリウスは部屋の扉に向かう。

「どこに行くの!?」

「いきなり、こんな所で復活させられないだろ。万が一の時は逃げられるように準備をしておけ」

 そう言うと、部屋を出て行った。

 残された者達は互いに顔を見合わせあい、揃って頷いた。

 既に私達の立つこの場所は帰還不能点(ポイント・オブ・ノーリターン)だ。

 覚悟はとうに決まっている。

 

 ◇◆◆◇

 

 普通の人間なら叫び声を上げ、無様な醜態を晒したであろう異常事態に『男』は目を細めるだけで順応した。

 自らの手足の挙動を確認し、用意されていたローブに袖を通す。

「趣味が悪いな」

 まるで、舞台俳優のような整った顔立ちを僅かに歪めた。

 同じく用意されていた杖を手に取ると、軽くローブを叩く。すると、黒一色だったローブに金の刺繍が入った。

「……さて、待たせたな」

 男は真紅の瞳を目の前の男に向ける。

 その瞳に見つめられただけで、闇祓いのダリウス・ブラウドフットは呼吸が荒くなった。

 まるで、蛇に睨まれた蛙のような心境。

「――――ッ」

 ダリウスは大きく深呼吸をした。呑まれるな。そう自分に言い聞かせて、目の前の男を睨みつけた。

「俺達がアンタを復活させた理由は一つだ。単刀直入に言う。世界を救って欲しい。代わりに――――」

「引き受けよう」

「世界を……って、は?」

 ダリウスは目が点になった。

 まるで全てを見透かすように彼を見つめ、男は言った。

「私をニコラス・フラメルが所有している貴重な『命の水』を使ってまで復活させたのだ。もはや、後が無いのだろう?」

 嘲笑する男にダリウスは唇を噛み締めた。

 その通りだ。此方からの提案など通る筈がない。全ての決定権は奴にある。

「恐れる必要はない」

 金砂の髪をかきあげ、伝説的な大悪党は言った。

「ダリウス・ブラウドフット」

 ダリウスは密かに衝撃を受けた。

「……へぇ、俺の名前を知っているとは驚きだ」

「生憎、記憶力は良いものでね。一度聞いた名前は忘れない」

 ヴォルデモート卿は薄っすらと微笑んだ。

「さて……。今更、損得勘定など無粋だと思わないか?」

「……は?」

 ヴォルデモート卿はクツクツと笑う。

 まるで、悪戯を企む子供のように。

「ダリウス。私と友達にならないか?」

 ダリウスは体が震えている事に気がついた。

 死の恐怖さえ受け入れてみせた彼が目の前の男の一言一句を恐れている。

 否、その存在に畏れを抱いている。

「……友達か。いいな、それ」

 必死に動揺を抑える。だが、抗い難い恐怖心が声を震わせる。

 兎が獅子に勝てるか? 獅子が例え格好だけでも友好を示そうと伸ばす爪に触れる事が出来るか?

 呑まれてしまった。その圧倒的過ぎる存在感に身も心も魂さえ呑み込まれ、身動きが取れない。

「恐れるな、ダリウス。恐れる必要など一欠片も無いのだ」

 哀しげに歪められた顔を美しいと思ってしまった。

 男とは思えぬ沸き立つような色香に目が眩みそうになる。

 ドラコ・マルフォイのように女の真似事をしているわけじゃない。

 まるで、巨匠が作り出した芸術品のような美しさに眼球を通して、意識そのものを奪われる。釘付けにされる。逸らす事など出来ない。

 息が荒くなる。

「さて、案内してもらおう。私が治めるべき者達の下へ」

 これがヴォルデモート卿。嘗て、二度も世界を二つに割った男。

 脳内でまとまりのない思考が荒れ狂う。

 確かに、この男なら状況を逆転させる事も容易いかもしれない。

 だが、その後はどうなる? 

 何があろうと、この男を復活させるべきではなかったのでは?

「この先か……」

 気付けば、みんなが待っている部屋の前まで来ている。

 殆ど意識していなかった。まるで、それが当然の事のように彼の命令に従い、彼をここに導いてしまった。

「そう緊張するなよ。心を落ち着かせろ」

 そう言って、ヴォルデモート卿はダリウスの肩を抱いた。

 すると、どうした事だろう。

 ダリウスは温かい安心感に包まれた。まるで、母に抱かれているような絶対的な安心感に理性や本能が働く前に体が緊張を解いた。

「さあ、入ろうか」

 手を離された時、猛烈な寂々感に襲われた。

 気付けば扉が開かれ、仲間達の視線が突き刺さった。

 敵意。嫌悪感。怒気。期待。

 あまねく感情を肩で受け流し、ヴォルデモート卿は彼らの顔を見回した。

「……宣言しよう」

 彼の言葉を遮ろうと口を開く者は一人もいない。

 たった一言。それだけで場にいる全ての者の身動きを封じ、その耳を傾けさせた。

「世界を在るべき姿に創り変える」

 彼の微笑みを見た者は困惑した。

 あまりにも穏やかで優しい。その瞳に見つめられていると、安心感を覚えてしまう。

 彼が千を超える屍の山を築いた悪の帝王だなどと、到底信じる事が出来ない。

 ダリウスが震えた理由。畏れた理由は一つ。

 彼と接していると、彼を信じてしまいそうになるからだ。心の底から、彼を信頼してしまいそうになるからだ。

「……ヴォ、ヴォルデモート卿!!」

 一人の少女が声を張った。

 ハーマイオニー・グレンジャーは泣きそうな顔でヴォルデモート卿を見つめる。

「どうした?」

「わ、私はマグルの間に生まれました。こ、この戦いが終わったら、マグル生まれの魔法使いはマグルの世界に帰ります! ですから、どうか私達に御慈悲を……ッ」

 勇気ある行動だ。だが、あまりにも無謀。

 確かに、マグル生まれの処遇については提言する必要があった。だが、なにもこのタイミングで言わなくても良かったはずだ。

 恐らく、何かを言わなければならないと強迫観念に突き動かされたのだろう。

 殺されてしまう。誰もが思った。

「――――君の名前を教えて欲しい」

「ハ、ハーマイオニー・グレンジャーです!」

「……ハーマイオニー・グレンジャー。勇気のある娘だ」

 そう言うと、ヴォルデモート卿は彼女の頭を優しく撫でた。

 それだけで、恐怖に引き攣っていた彼女の顔が緩む。

「ハーマイオニー。君はマグルの世界に戻りたいのかい?」

「……いいえ。でも――――」

「今のマグルの世界に戻れば、如何にマグル生まれの魔法使いであろうと、ただでは済まない。無惨な死体が積み重なり、両世界の憎悪が高まるだけだ」

 その言葉の意味を取り違えてしまいそうになる。

 心安らぐ声に、思わずマグル生まれを受け入れてくれるのではないかと錯覚してしまう。

 そんな筈はない。誰もが必死に心を抑えつけた。

「戻る必要はない」

 ヴォルデモート卿は言った。

「つまらぬ線引は止そう。私に従う意思を持つ魔法使いは皆、私の庇護下に置く。そこに純血と混血の区別を付ける事はしない」

 誰もが口を開きかけ、言葉が出て来ない。

 嘘だと思った。そんな言い草を信じるものか、と叫ぼうとした。

 だが、それに何の意味がある? 結局、この男を信じる以外に生き残る道などない。

「それから、私の事はこれからヴォルデモート卿とは呼ばないでくれ」

 彼は見る者全てを魅了する微笑みを浮かべて言った。

「トム・リドル。親愛を篭めて、トムと呼んでくれたまえ」

 戸惑う一同を見つめ、トムは手を叩く。

「では、諸君。世界を救うとしようか」



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第八話「始まりと終わり」

 世界を救う。そう宣言したのが三日前の事。今、トムはアバーフォースに注がせたバタービールに舌鼓を打った。

「美味しいな。ああ、この味だ。ずっと、好きだった」

「……おい」

「もう一杯、お代わりを頼む」

「おい!」

 しびれを切らしたダリウスがトムのグラスを奪い取った。

「……どうした?」

「どうした? じゃねーよ! この三日間、バタービールを飲んでばっかりじゃねーか!」

 ダリウスの言葉通り、トムはこの三日の間、ただバタービールを飲み、アバーフォースが愛読している山羊の飼育法の本を読み耽っていた。

 この瞬間も人が死んでいる。にも関わらず、悠長な態度を貫くトムに苛立ちを感じているのはダリウスだけではなかった。

 ハーマイオニーを始めとしたホグワーツの生徒達は直接口にこそ出さないものの、不満そうな表情を浮かべている。

 伝説的な魔法使いの復活は即座に大きな影響力を発揮するものだと誰もが期待していたからだ。

「そうは言っても、準備には相応の時間が掛かるのだよ」

「準備って、バタービールを飲む事のどこが準備なんだよ!?」

 怒声を上げるダリウスにトムは顔を顰める。

「やかましい男だ。私を信じると決めたのだろう?」

 トムは溜息を零した。落胆の表情を浮かべる。すると、ダリウスはいとも簡単に態度を軟化させた。

 その様子をアバーフォースは呆れた様子で見ている。

 ホッグズ・ヘッドの空気は三日の間に一新されていた。誰もがトムに対して気安く接し始めている。

「……怖ろしい男だ」

 トムの口にした準備とは、ホッグズ・ヘッドに集う魔法使い達の心を掌握する事に他ならない。

 世界を分けた男の『人心掌握術』は尋常ではない効果を発揮した。

「なあ、トム。俺達はこんな所に燻っている場合じゃない。世界を救う筈だろ! 打って出るべきだ!」

「……必要無い」

「は?」

 怪訝そうな表情を浮かべるダリウスにトムは頓着する事もなく言った。

「手は打ってある。これ以上、被害が拡大する事は無い」

「いつの間に!?」

 トムは袖を捲り、禍々しい紋章が刻まれた腕を見せた。

「……十六年前、私がハリー……ポッターに討ち倒された時、多くの者が裏切り行為に走った。保身の為に仲間を売り、私を堂々と罵倒した」

 穏やかな表情のまま、懐かしむようにトムは言った。

「だから、考えたのだよ。二度と裏切る事が出来ないように仕組み(システム)を作ろうと」

「仕組み……?」

「大きく分けて、三つ」

 トムは指を三本立てて言った。

「まず、一つ目は服従の呪文や開心術、真実薬に対するカウンター。呪文は跳ね返し、薬は特殊な薬液を混ぜ込む事で無効化する。理論上、私の配下を洗脳したり、情報を吐かせる事は不可能だ。……私が存在する限り」

「どういう事だ?」

全自動(オートマチック)ではないという事さ。さすがに単体では呪文の反射や薬液の生成は不可能だし、私の呪文や薬の投与も不可能になってしまうからね。故に私が直接的、もしくは刻印同士の繋がり(ライン)を通じて間接的に干渉する必要がある」

「……へー。それで、後の二つってのは?」

「二つ目は服従の呪文の遠隔操作。刻印を介して、私は配下にいつでも服従の呪文を仕掛ける事が出来る」

 ダリウスは表情を引き攣らせた。

「も、もう一つは?」

「死の強制だ」

「死の……、強制だと?」

 剣呑な単語にダリウスは顔を顰めた。

「私が命じれば、真実薬を無効化する為の薬液が大量に生成される。薬も過ぎれば毒となり、数秒で死に至らしめる」

 ダリウスはゴクリと唾を飲み込んだ。

「……何をしたんだ?」

「必要な者に必要な仕事を与え、不要な者は始末した」

「不要な者ってのは……?」

 警戒するような眼差しを受けてもトムは動揺一つ見せない。

「残忍なだけの者は処理したよ。一先ず、被害拡大の阻止が最優先だったからね」

「お前の配下だろ?」

 空気を震わせる程の怒気に遠巻きで聞いていた子供達は飛び上がった。

「……ダリウス。お前はマグルの二人と交わした約束を果たして来い」

 立ち上がり、本をアバーフォースに返しながらトムは言った。

「その間に全てを終わらせておいてやる」

「……は?」

 ポカンとした表情を浮かべるダリウスに微笑みかけ、トムは言った。

「神は世界を七日掛けて創造した。ならば、私は五日で世界を再編しよう」

「じょ、冗談……、だよな?」

「ジョークに聞こえたかい?」

 冗談でも飛ばすかのように、トムは微笑んだ。

 とても、ジョークとは思えない。

「マジかよ……」

「マグルの世界の安寧にも力を貸すが、肝心な所はマグル自身の手で解決させろ」

「アンタ……」

 トムはアバーフォースに何かを囁きかける。

 もはや、語る事は無いと言うかのように、カウンター席に腰掛けて、バタービールを飲み始めた。

「……いいぜ。俺は俺のやるべき事をやる。だから……、世界を頼んだぞ」

「ああ、任せておけ」

 トムは顔も向けず、ダリウスに向けて一枚の紙片を投げ渡した。

 そこにはワン・フェイロンが根城にしている住居の所在地が記されていた。

「……さすが」

 

 ◇◆◇

 

 リーゼリットとジェイコブはホグズミード村の外れにある寂れた民家を拠点にしている。

 ダリウスは道すがら、トムの言葉を思い出して舌を打った。

「五日で再編するって……、俺がマグル相手に五日以上も掛けると思ってやがるのか?」

 ダリウスが出掛けている間に全てを終わらせるとトムは言った。

 つまり、そういう事。

「あークソッ! 居場所も分かってる相手にどう苦戦したら五日も掛かるってんだよ!」

 むしゃくしゃしながら歩くダリウス。

 彼の心にはトムを見返したい、価値を示したいという思いが自然と沸き起こっていた。

 その事に何も疑問を抱かず、彼は意気揚々と命じられた任務の遂行に向かう。

 

 二人の家に到着すると、そこには見慣れた顔がリーゼリットと話し込んでいた。

「なんだ、お前さんもいたのか」

「悪い?」

 フレデリカ・ヴァレンタインはダリウスに冷たい視線を向けた。

「誰もそんな事、言ってないだろ」

 ここ最近、彼女はホグワーツに戻っていない。

 どうやら、リーゼリットの存在はダリウスの想定した以上の成果を挙げたようだ。

 リーゼリットも再会した妹との時間に至福を感じている様子だと、ジェイコブから聞いている。

「それより、リーゼリット。ジェイコブはいるか?」

「上にいる。気にしなくていいのに、フリッカが顔を見せると上に引っ込むんだ。邪魔したくないって」

 この家は二階建てで、上の階が寝室になっている。

「そっか。おーい、ジェイコブ! ちょっと、降りて来てくれ!」

 ダリウスが声を張ると、ジェイコブは欠伸を噛み殺しながら降りて来た。

「ダリウスじゃねーか。どうした?」

「寝てたのか? 悪いな」

「いーよ。その様子だと朗報を期待していいんだろ?」

 ジェイコブの鋭さにダリウスは舌を巻いた。

「ワン・フェイロンの居場所が分かった」

「本当か!?」

 リーゼリットが椅子をひっくり返しながら立ち上がった。

「おう。これから直ぐにでも攻め込みたい。準備はいいか?」

「いつでもいい!」

 リーゼリットとジェイコブの瞳に燃えるような決意が灯る。

「……ふーん」

 まるで、その雰囲気に水を差すようにフレデリカは呟いた。

「ダリウス・ブラウドフット。あなた、その情報を誰から貰ったの?」

「トムのヤツだ。さすが、行動が早いよな。ただのんびりバタービールを飲んでるだけだと思ってたのによ。やる事はやってんだ」

「……それで、何か言われた?」

 ダリウスはフリッカの意味深な言い回しに引っかかりを覚えながら、トムに言われた言葉をそっくりそのまま口にした。

「なるほど……。魔王の癖に随分とお優しい事」

 フレデリカは憎しみに満ちた表情を浮かべて言った。

「ど、どうしたんだ?」

 戸惑うリーゼリットを見つめ、フレデリカは言った。

「私がここに居る事を彼は知っていたのよ。お姉ちゃんが火事場に飛び込もうとしてる事を聞いたら、私も放って置けない……。彼の目的は私を遠ざける事よ」

「遠ざける? お前の事を疑っているって意味か?」

 ジェイコブの言葉に苛々した様子でフレデリカは首を横に振った。

「当たらずとも遠からずね。彼はドラコを殺すつもりなんだわ!」

 フレデリカがダリウス達に協力している理由は一つ。ドラコ・マルフォイの計画を挫き、彼の目を不特定多数ではなく、己に向けさせる事。

 彼女は決してドラコを憎んでいるわけでも、善意や倫理観で動いているわけでもない。

 ドラコの死は彼女にとって最悪の結末であり、協力する条件として、彼の身柄をフレデリカに一任するという契約が取り交わされている。

「お姉ちゃん。ワン・フェイロンの事は後回しにしてもらえる?」

「フ、フリッカ……?」

 深い闇を瞳に宿し、フレデリカは言った。

「ドラコを殺すなんて許さない」

 杖を握り、フレデリカは玄関に向かう。

「お、おい、どうするつもりだ!?」

 ダリウスが慌てて肩を掴むと、フレデリカは無言呪文でダリウスを吹き飛ばした。

「フリッカ!?」

 リーゼリットの声を無視して、フリッカは家を出た。

「――――っつぅ。なにをするつもりなんだ……?」

 壁にぶつけられ、痛みに呻きながらダリウスは彼女の後を追う。

 リーゼリットとジェイコブも後に続き、四人はホッグズ・ヘッドへ向かった。

 店の中に入ると、ダリウスが出て行った時と変わらず、トムはカウンターでバタービールを嗜んでいた。

「……ふむ。選択肢は与えたぞ?」

「ドラコを殺させはしない!」

 真っ向から睨みつけるフレデリカをトムは静かに見つめた。

 一触即発の空気に誰もが息を呑む。どちらも特大の火薬だ。一度火が点いたら誰にも止められない。

「……別に、彼らを殺すとは一言も言っていないが?」

「え?」

 まるで、いたずらに成功した子供のように微笑むトム。フレデリカは眉を顰めた。

「どういう事?」

「そもそも、必要がない」

「必要が無い……?」

 今の地獄を作り上げている張本人を処理してしまえば、世界は劇的とはいかなくても、改善される筈だ。

 己の配下を不必要と判断して処理した男の言葉とは思えない。

「……まあ、口で説明するより、実際に見た方が早いか」

 トムはアリアナ・ダンブルドアの肖像画を見上げた。

「通してもらえるかい?」

 アリアナはアバーフォースを見つめた。

 アバーフォースはトムを少しの間見つめ、それからゆっくりと頷いた。

「……感謝する。さて、メンバーを選定しよう」

 トムはバーに集う面々を一人一人見つめた後、数人の名前を呼んだ。

 その中には魔法使いを差し置いて、ジェイコブとリーゼリットの名前もある。

「恐らく、君達は見たくないものを見る事になる。理想とは違う『真実』。私が名前を呼んだ内、覚悟がある者だけ、ついてくるといい」

 秘密の通路へ向かって歩いて行くトムの後を一人、また一人と追いかけていく。

 この期に及んで、覚悟の無い者はいなかった。

「……どうして、俺達まで?」

 最後に残ったジェイコブとリーゼリットは揃って首を傾げたが、結局後に続く事にした。

 真実と言われた以上、立ち止まってはいられない。それに、フレデリカは既に通路の先に行ってしまった。

「行ってみりゃ、分かるさ」

「だな」



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第九話「終着点」

 始まりを語ろう。

 全ては『終わり』から始まった。

 

 ◇◆◇

 

 トムは堂々とホグワーツの校内を歩いて行く。

 背中を追う私達は気が気じゃない。今や、ここは敵の本拠地だ。いつ、誰が襲い掛かって来るかも分からない。

 元々、ヴォルデモート卿の配下だった旧世代の死喰い人はトムが無力化させたけど、ドラコが引き入れた新世代の死喰い人は未だ健在の筈。

「心配するな、ハーマイオニー・グレンジャー」

「え……?」

 頭を撫でられた。それだけで不安が吹き飛ぶ。

 頼もしいと思ってしまう。相手は世界を滅ぼし掛けた悪の化身なのに……。

「既に校内の掃除は終わっている」

「終わっているって……、それはどういう意味?」

「ドラコ・マルフォイの私兵は私の配下に服従の呪文を使わせ、支配下に置いた。今は解放したホグワーツの教師達が生徒達の心と身体のケアに奔走している。このルートを通る者はいない」

 一体、この人はどこまで見通しているのだろう?

 偉大なるアルバス・ダンブルドアが最後まで勝てなかった最強の魔法使い。その瞳の先に見えている世界とは?

「ボーっとしている暇は無いぞ。そろそろ到着する」

「到着って……、女子トイレ?」

 そこは『嘆きのマートル』と呼ばれるゴーストがいた女子トイレだった。

「そう言えば、マートルはどこに行ったのかしら? いつの頃からか、見なくなったのよね」

「彼女なら、輪廻へ還った。長く……、苦しめてしまったからな」

「トム……?」

 トムは洗面台の蛇口に視線を向けた。

 口から奇妙な音が流れる。

「……本当にドラコを殺すつもりは無いのよね?」

 フレデリカが警戒の眼差しをトムに向ける。

「当然だ。彼らも……、被害者だ」

「被害者……?」

 その言葉にダリウスが怪訝な表情を浮かべる。

「どういう意味だ?」

「いずれ分かる事だ」

 話していると、急に蛇口が動き出した。みるみる内に洗面台が地面に吸い込まれていき、代わりに大穴が現れた。

「では、行こうか」

「行こうか……って、どこに!?」

「『秘密の部屋』だ」

 そう言って、トムは迷わず大穴に飛び込んだ。その後にフレデリカが続く。

「お、おい、フリッカ!」

「ま、待てよ!」

 リーゼリットが次いで飛び込み、その後をジェイコブが追う。

「ったく、とんでもねーな。『秘密の部屋』だと? スリザリンの継承者が受け継ぐ部屋だって話だが……」

 頭を掻きながら、ダリウスも飛び込んでいく。

「ハーミィ! 行くよ!」

 ルーナがダリウスの後に穴へと飛び込んでいく。

「い、行こう!」

 ネビルも意を決した様子で飛び込む。

「ああ、もう! なるようになれよ!」

 私も覚悟を決めた。

 

 ◇

 

 澱み切った空気は吐き気がする程甘ったるい。

 壁はまるで生き物のハラワタのように脈動している。

 誰も口を開かない。思考よりも先に本能が悟る。ここより先は死地。一瞬の隙が命取りとなる。

 人一人が漸く通れるくらいの細い道を突き進む。その先は直ぐに壁となっていた。

 トムは再び奇妙な音を口から出した。すると、壁は瞬く間に消えてなくなり、先へ続く道が姿を現した。

 水に濡れた岩肌をゆっくりと歩く。

「ど、どこまで続くんだろう?」

 ネビルが怯えた声を上げる。

 まるで、奈落へ通じるかの如く、なだらかな斜面はどこまでも下に続いていく。百メートル近く下った頃、急に視界が開けた。

「ここが……、サラザール・スリザリンが遺したという伝説の『秘密の部屋』か?」

 そこは幾つもの石柱が立ち並んでいて、それぞれに絡み合う二匹の蛇が刻印されている。

 見上げても、天井はあまりにも高く、闇が広がっているようにしか見えない。

 更に進んでいくと、急にトムが立ち止まった。

「全員、瞼を閉じろ」

 その言葉は不思議な魔力を伴い、聞いた者に服従を強要した。

 闇の中、何かが蠢いている。

 しばらくすると、物々しい破壊音が連続して響き渡った。

「――――もう、目を開けていいぞ」

 言われた通り、瞼を開くと、そこには巨大な蛇がいた。

 悍ましい形相を浮かべている。

「なに、これ……」

「バジリスクだ」

 伝説の部屋に相応しい、伝説的な怪物を軽々と翻弄しながら、トムは言った。

 大蛇の両目からは痛々しい程の血が流れている。

 死の魔眼を持つと言われる蛇の王も眼球を潰されてしまえば、大きいだけの蛇だ。

 怒り狂い、襲いかかるが、トムは瞬く間に息の音を止めてしまった。

「……すまないな」

 哀しそうにトムは呟いた。

「トム……?」

 何故か、胸を締め付けられた。

 彼を見ていると、いつも調子が狂う。まるで、ずっと一緒に居たような錯覚を覚えてしまう。

「……大丈夫だ。行こう」

 蛇の死体を跨ぎ、更に奥へ進む。すると、今度は一人の女の子が立っていた。

 赤い瞳を持つ褐色の肌の少女が、銀色に煌めく刃を握り、私達を見つめている。

 

 ◇

 

「止まれ」

 刃を向けて、少女は言う。

「ここから先へは通さない。大人しく帰るのならば、後は追わない」

 その少女の顔を見て、反応する者が一人いた。

「……マリ、ア?」

 ジェイコブは他を押し退けて彼女の前に立った。

「マリア……。お前、マリアだろ?」

 その名前はジェイコブがずっと探し求めていた少女のもの。

 彼女が妖精に攫われた事を切っ掛けに彼はここまで来た。

 離れ離れになってから六年近くが経過している。顔立ちや背丈も大分変わっている筈だ。にも関わらず、ジェイコブは彼女がマリアだと確信している。

「マリア! 俺だ! 分かるだろ? ジェイコブだよ。ジェイコブ・アンダーソン」

「……ええ、分かります。変わりませんね、ジェイク」

 表情一つ変えず、マリアは言った。

「なあ、どうしてこんな所にいるんだ? お前は妖精に攫われた筈だろ?」

「ええ、その通りです。ドラコ・マルフォイ様の屋敷しもべ妖精リジーによって誘拐され、ここで人体実験を受けていました」

 淡々とした口調で身の上話をするマリア。

 ジェイコブは目を大きく見開き、彼女に迫った。

「ど、どういう事だよ!! アイツがお前を攫ったのか!? その癖、俺に――――」

「ジェイク。そこから一歩でも進めば殺します」

 ジェイコブの言葉を遮り、マリアは彼の鼻先に刃を向けた。

 確か、日本のサムライが持っていた太刀という武器。

 人を斬り殺す。その一念で鍛え上げられた芸術品にジェイコブは身動きを封じられた。

「ジェイコブ!!」

 リーゼリットが動いた。彼女はジェイコブの身体を引っ張り、自分の背中に隠した。

「おい、マリア・ミリガン!!」

「貴女は?」

「私の事はどうでもいい。それより、お前はジェイクが探し続けてた女で間違いないんだな?」

「……探し続けてきたかどうかは知りませんが、恐らく正解でしょう」

「なら、その刃物はどういうつもりだ?」

 怒気を向けるリーゼリットにマリアは素知らぬ顔をして言った。

「御主人様からの命令を遂行しています。ここより先には一人も通さぬよう言われています」

「……だから、お前の事を必死になって探してきた男でも殺すってのか?」

「ここを通るのなら、誰が相手でも同じです」

 唇を噛み締めるリーゼリット。怒りが彼女の中で際限無く溢れていく。

 彼女はずっとジェイコブの傍にいた。彼が如何にマリアとの再会を望んでいたか、彼女は知っている。

 だからこそ、マリアの言葉が許せない。例え、操られているのだとしても、言ってはいけない言葉、やってはいけない事がある。

「おい、魔王!!」

 リーゼリットは振り向きもせずに怒鳴った。

「この女は私が殴る!! だから、先に行け!!」

「ああ、そのつもりだ」

 トムはまるで初めからこうなる事を予期していたかのように返事をした。

「お前達にはまだ仕事が残っている筈だ。その事を忘れるなよ?」

「通しません!」

 先へ進もうとするトムにマリアが刃を向ける。その手をリーゼリットが掴んだ。

「お前の相手は私だ」

 そのまま、彼女を遙か後ろの方へ投げ飛ばした。

 女の細腕が生み出したとは思えない程の強大な力によって、数百メートルの距離を飛んだマリアの目に僅かに動揺の色が広がる。

 目の前に己を投げ飛ばした女が拳を振り上げて現れたからだ。

 二人の人外が戦う様を呆然と見つめていたハーマイオニー達にトムが声を掛ける。

「行くぞ」

 それぞれがゆっくりと歩き始める中でジェイコブだけが足を止めたまま、彼女達の戦いを見つめている。

 頭の中には様々な疑問と迷いが渦巻き、彼の動きを堰き止めている。

 声を掛けようか悩む者、心配そうに見つめる者をトムが止めた。

「ここは彼らの旅の終着点だ。私達の終着点はこの先にある。立ち止まっている暇はないぞ」

 特に付き合いのあったダリウスとハーマイオニーだけが声を掛け、そのまま彼らは奥へ進んだ。

 そこには幾つもの扉があり、トムは迷うことなく、その内の一つを開いた。

 その先には更に扉が五つ。

 やはり、迷うことなく扉を開く。

 そこに、彼らはいた。

「……どういう事?」

 ハーマイオニーは握り締めていた杖を落としてしまった。

「……嘘よ」

 フレデリカは部屋の中に飛び込み、ドラコ・マルフォイだったものを抱き上げて悲痛な叫び声を上げた。

 その部屋にあったモノは死体が二つ。

 地獄を作り上げた悪魔達は杖を握りしめたまま、永遠の眠りについていた。



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第十話「死の先へ」

 薄闇が支配する空間の中、向かい合う二人の女。互いに人を超えた身体能力を持つ者同士の戦いは実に静かなものだった。

 耳が痛くなる程の静寂の中、彼女達の耳には互いの呼吸音や心音がハッキリと聞こえている。その瞳は瞬き一つ見逃さない。

 どこかで水の滴る音が響いた。極限まで集中力を高めた彼女達の均衡が崩れる。

 二人は同時に大地を蹴る。マリアは前へ、リーゼリットは後ろへ跳ぶ。

 同時に銃声が響き渡る。リーゼリットの両手に握られている拳銃からそれぞれ放たれた銃弾はマリアの脳天に向かって突き進む。

 

 二丁拳銃という技術は本来フィクションの世界だけのものだ。

 普通、銃という武器は右手で扱う事を前提に作られている為、左手で握る為の拳銃は希少であり、加えて、両手で握るという事は弾丸の再装填も極めて困難になる。

 それ以前に両手で同時に弾丸を放った所で、まともに狙いを付ける事など出来ない。

 しかも、彼女の握っている銃はどちらも常人が両手で握らなければ腕の骨を折りかねない反動をもたらす大型のもの。

 

 彼女の人知を超えた身体能力は右手と左手を完全に支配し、寸分違わず敵を狙い撃つ。その反動で腕を震わせる事もない。

 そして、片方の銃を一瞬手放し、滑空している間にもう片方の銃の再装填を完了させるという離れ業まで成し遂げた。

 まさに怪物と呼ぶ他ない妙技を前にマリアは太刀を振るう。

「マジか……」

 銀光が煌き、弾丸は彼女の目の前で四つの軌跡に分かれた。

 二丁拳銃という、常人には真似出来ない掟破りの業を使うリーゼリット・ヴァレンタインはまさしく怪物。

 ならば、その怪物の放った音速を超える弾丸を真っ二つに切り裂く絶技を見せたマリア・ミリガンも紛れもない化け物。

 同じやりとりが地面に着地するまでの1.5秒以内に三度行われた。

「化け物が!」

「貴女に言われたくないわ」

 地面を蹴りつけ、リーゼリットは壁面を駆け上がる。

 その後を当然の事のように追いかけるマリア。

 秘密の部屋に立ち並ぶ石柱や壁を蹴りながら、二人は瞬く間に天井付近まで駆け上がる。

 空中を縦横無尽に駆け回る二匹の化け物。

 リーゼリットは石柱に身を隠しながら銃弾で銃弾を弾く。無理矢理軌道を変えられた銃弾が石柱の裏側に回り込み、標的を狙う。

 対するマリアは石柱を『まるで豆腐を切るかのように』斬り裂き、リーゼリットに肉薄しようと近づいていく。

 

 その光景を見上げながらジェイコブは密かに溜息を零した。

「……俺が惚れる女って、どいつもこいつも人間辞め過ぎだろ」

 魔法使いでもない癖に当たり前の顔をして空中戦を繰り広げている二人にしても、世界を地獄に叩き込んだ悪党にしても、人の手に余る事を平然とこなし過ぎだ。

 彼女達への思慕はまるで、太陽に手を伸ばしているかのような気分になる。

 ちっぽけな存在に過ぎない己には遠過ぎる存在だ。

 二人の戦いを止めるどころか、介入する事すら出来ない。

「空飛ぶなよ……、人間なのに」

 砕けた石柱の一部が落ちてくる。避けなければ潰されて死んでしまう。なのに、ジェイコブには避ける気力が湧かなかった。

 

 マリアが刃を向け、殺すと宣言した瞬間、ジェイコブの中の何かが切れてしまった。

 彼女が行方を眩ました事を知った日から六年と二ヶ月。

 激情に身を任せて、目撃者を探しまわり、掴んだ眉唾ものの情報を手に警察署へ飛び込み、フレデリックに出会った。そこからあれよあれよという間にレオ・マクレガー探偵事務所の仲間入りを果たし、家族を得て、学校にも通うようになった。

 そんな生温くて幸せな時間を過ごした結果がこれだ。

 彼女の殺意を見て、気付いた。

 彼女は今でも辛い日々を送っている。薄汚い大人達に体を弄ばれていた頃と変わらずに……。

 対して、ジェイコブは幸せだった。本来ならば得られなかった筈の幸福を『マリアを探す』事で手に入れた。

 いつの間にか、マリアを探す事が幸福な時間を長引かせる為の手段になっていた。だから、彼女の殺意に対して、何の感慨も抱けなかった。

 怒りも、哀しみも、喜びも、何も……。

 彼女自身の事はどうでも良くなっていた。

 その事に気付いて、愕然とした。

 

 支えていたものが無くなってしまった。

 薄汚い己の本性を知り、自分自身に嫌気が差した。

「……リズ。マリア、フェイロン……。みんな……」

 石柱が迫る中、ジェイコブは涙を流した。

「――――ジェイク!!」

 押し潰される直前、巨大な力が石柱を吹き飛ばした。

 リーゼリットはジェイコブを抱き締めた。その直後、彼女の背中をマリアの刃が貫いた。

「ぁ……ぐぁ……」

 刃はそのままジェイコブの胸を貫いていた。

「……ぁ、ぁぁ」

 口から血を吐きながら、リーゼリットはジェイコブの頭を撫でた。

「ジェイコブ……」

 フェイロンの事、フレデリカの事が頭を過ったが、それよりも残された時間をジェイコブの為に使わなければならない。

 哀しいなら、慰めてあげないといけない。

 己を突き刺したマリアの事も意識から外し、彼女はジェイコブの頭を撫で続けた。

 彼の体温が冷たくなっていっても、その命が尽きるまで……。

 

 ◇

 

 ――――?日後。

 ロンドンの中心部にあるビルの一室で、ワン・フェイロンは一人の男と向き合っていた。

「……卑怯者め」

 フレデリック・ベインは哀しげにフェイロンを見つめて呟いた。

 彼が部下と突入した時、既にフェイロンは息を引き取っていた。

 おかしいとは思っていた。居所を掴んではいても、今まではこのビルにどうしても入る事が出来なかった。

 その不思議な守りの力が五日前から忽然と消え去った。

「あと一歩早ければ……」

 近くに落ちている拳銃を拾う。まだ、少し温かい。

 防音設備が整っている為、銃声は聞こえなかったが、撃ったのはほんの少し前だろう。

 まるで、中世の魔女狩りのように多くの罪もない人間を拷問に掛け、殺し回った大悪党の末路としては、あまりにも安らかな顔だ。

「罪も償わないで、一人で逃げやがって……」

 もはや、誰が悪で誰が善なのか、その区別をつける事すら出来ないほど、多くの人が死んだ。

 異国の地でも、反魔法使い主義が動き出し、凄惨な事件が巻き起こっている。

 その首謀者が死んだ。とうの昔に誰かが責任を取れば解決するなどという段階は通り過ぎたが、それでも世界は生贄を求めている。

 終わらない闘争を止めるための人柱を欲している。

 何人捧げればいい? 誰を捧げれば、この地獄は終わる?

 テロが横行し、大国では核の使用を指示する者まで現れ始めている。

 明確な敵も分からず、破壊を求める群衆をどうやったら止められる?

「警視長!!」

 フェイロンの所持品や資料を検分していると、部下の一人が慌てた様子でフレデリックの下に駆け寄ってきた。

「どうした?」

「テレビを御覧下さい!!」

 室内にあるテレビをつける。すると、そこには一人の男の姿があった。

 息を呑むほど美しい、まるで神が作り出した芸術品の如き存在が画面越しに見つめてくる。

「世界各国のどのチャンネルもこの映像が映っています」

 部下の言葉に耳を疑った。どんな手を使えば、そんな事が可能なのかと。

 困惑するフレデリックの耳にスピーカーを通して、男の声が流れこんでくる。

 その声は例え手の離せない作業中でも、会話の間でも、意識を無理矢理引き付けた。

「――――諸君、ゲームは楽しんで頂けたかな? 私の名は『ヴォルデモート』。世界を壊し、世界を創る者である」

 男はそんな巫山戯た事を口にした。

 

 ◇◆◇

 

 ――――?日前。

 ドラコ・マルフォイの死体に縋りつくフレデリカを尻目にトム・リドルは室内の一画に目を向けた。

 そこには一本の杖が置かれている。

「――――説明して」

 ハーマイオニー・グレンジャーが痺れを切らしたように言った。

「どうして、ドラコとハリーが死んでいるの? あなたは何をしたの!?」

「……何もしていない。いや、してしまった……、と言うべきか」

 悩ましげな表情を浮かべ、トムは言った。

「安心しろ。疑問には応えるさ」

 ニワトコの杖を一振りする。すると、部屋の中にふかふかの椅子が幾つも現れた。

「長い話になる。座りなさい」

 フレデリカ以外の面々は素直に椅子に座った。

 トムは二つの死体を静かに見つめ、それからゆっくりと語り始めた。

「始まりを語ろう。全ては『終わり』から始まった。ヴォルデモート卿という邪悪な魔法使いが勇猛果敢な英雄ハリー・ポッターに滅ぼされた日から」

 トムは杖を振るう。すると、虚空から一冊の本が現れた。

 タイトルは『ハリー・ポッターと賢者の石』。



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最終話「真相」

 トムは懐かしむように本のページを開いた。

「その本は……?」

 ダリウスがタイトルを見つめながら眉を顰める。

「ハリー・ポッターと賢者の石。今より、八十年程後に出版されるハリー・ポッターの伝記だよ」

「は、八十年後……?」

 間の抜けた表情を浮かべるダリウスにトムは微笑んだ。

「歴史上の偉人達の例に漏れず、英雄として名を馳せたハリー・ポッターの逸話は脚色され、マグルの世界にも伝わった。全てを理解して貰うためには、この伝記の内容から語り始めなければならない」

 作者の名前はアルバス・ポッター。彼は父親の偉業を他人の好き勝手な妄想で脚色される事を恐れ、筆を取った。

 幼き日、父に語り聞かせられた思い出話を全七巻の小説形式でしたためた。

 時が流れ、当時の出来事を実際に体験した者がいなくなった時代。伝説の英雄の真実に魔法界は沸き立ち、その本は色々な人の手に渡った。

 特に魔法学校を有する国での普及率は高く、アメリカ、中国、日本でもベストセラーとなった。

「第三巻ではシリウス・ブラックが脱獄し、彼の真実をハリー・ポッターが知るまでの流れが描かれている」

 トムの口から語られる物語の経緯は聞いている者達が知っているものとは違っていた。

 第一巻ではハリー・ポッターはグリフィンドールに選ばれ、そこでハーマイオニー・グレンジャーやロン・ウィーズリーと出会い、賢者の石を守る為に戦う。

 スリザリンに選ばれた事、ドラコと友情を結んだ事、なにもかもが正反対。

 困惑の色を深めていく聴衆に構わず、トムは第七巻までのあらすじを簡潔に語り終えた。

「――――私がこの本に出会った日は窓辺に桜が咲いていた」

「出会った日って、これは八十年後に出版されるんだろ? っていうか、なんでそんな物をお前が持ってるんだ?」

 ダリウスの言葉にトムはクスリと微笑んだ。

「簡単な話だよ、ダリウス。私は一度生まれ変わったのだ。ハリー・ポッターとの決闘に破れ、死んだ後に八十年後の未来へ」

「……は?」

 ダリウスは耳を疑った。突拍子の無い事だらけになってしまった世界。何を聞いても驚かないつもりだった。それでも尚、トムの発言には度肝を抜かれた。

「う、生まれ変わっただと!?」

「そうだよ。日本を知っているかい? そこで第二の生を受けた」

 言っている言葉の意味は理解出来る。

 だけど、ダリウスには……いや、他の誰にも彼の言葉を理解する事は出来なかった。

「生まれ変わるなんて……、そんな事あるわけが――――」

「あるさ。それを『僕』はこの場所で試して確認した」

 輪廻転生のシステムは確かに存在する。肉体が滅びた時、精神と霊魂は解き放たれ、精神は集合的無意識に溶け消え、霊魂は次なる魂を求めて彷徨う。

「色々と実験を繰り返して得た結論さ。僕は常に死を恐れていた。だから、死を回避する方法を求め続けていた。分霊箱もその一つ。だけど、どんなに嘆いても『終わり』は必ずやって来る。だから、死後も自我を継続させる方法を探した。スリザリンのロケット・ペンダントを隠していた洞窟に潜ませていた亡者も研究の一環で人為的に生み出したものだ」

「人為的に亡者を……?」

「やり方は単純さ。闇の魔術の分野だから、君達には馴染みが無いかもしれないけどね。死者の肉体に霊魂を降ろせば亡者となり、霊魂と精神の分離を防げばゴーストになる。だが、ゴーストを肉体に降ろしても上手くいかない。肉体には脳に記憶された記録が残っている為に、その記録が精神と反発し合う為だ。だが、賢者の石や蘇生魔術による復活にも言える事だけど、新しい肉体を使えば問題無く蘇生出来るんだよ」

「つまり……?」

 ハーマイオニーは恐れ慄く表情を浮かべながら問う。

「赤子に転生するのなら、何も問題無いという事だよ。つまり、精神と霊魂を繋いだまま、輪廻の輪に乗ってしまえばいい。実に簡単な話だ」

 人体実験も行った。トムの復活を助けたウィリアム・ベルを含めた、数人の赤ん坊に死亡した死喰い人の魂を植え付けた。

 上々とはいかない成果だった。なにしろ、ウィリアムを除く全ての赤ん坊が流産してしまい、ウィリアム自身、死喰い人としての記憶によって精神と脳の両方が壊れてしまった。

 ウィリアムの部分的な成功を糧にヴォルデモートは術の改良を行い、再び実験を行った。だが、肝心の成果を確認する前にハリー・ポッターの手で再び殺されてしまった。

 分霊箱も悉く破壊され、輪廻の輪に引き摺り込まれたヴォルデモートは辛うじて精神との繋がりを保ち、転生の時を待った。

 

 八十年後の未来。日本の小さな都市で無事、生まれ変わる事には成功した。だが、問題も起きた。赤子の脳ではヴォルデモート卿という一時代を築いた魔王の精神を受け止める事が出来なかったのだ。おまけに強大な魔力が肉体に負荷を掛けた。技術の進歩した未来の医師が軒並み匙を投げる原因不明の病の正体がソレだ。

 精神の記憶も殆ど脳に出力されず、辛うじてハリー・ポッターという存在への興味だけを残す事が出来た程度。

「――――一人で立ち上がる事さえ出来ず、僕は日本人の少年として、短い生涯を終えた」

 それで終わりの筈だった。だが、三度目の死を迎えた時、ヴォルデモート卿の魂に宿る魔力は極限まで高まっていた。

 常人が一度使えば根こそぎ魔力を奪われる死の呪文を何度でも使う事が出来る程強大な魔力を持つ魔王の極大の魔力が更に増幅されていた。

 その魔力が死の直前、哀れな少年の願いに呼応し、時間を遡った。

 嘗て、ヴォルデモート卿だった少年の魂は過去の己の魂と混ざり合った。

「ハリー・ポッターへの執着が彼と確実に接触出来る方法を求めたのだろう。その答えが『日記』だった。もちろん、ただの日記じゃない。ヴォルデモートの分霊箱の一つだよ。だが、日記では完全な状態の魔王の魂は受け止めきれず、保管していたルシウス・マルフォイが確認の為に保管場所から出す程度の異変を起こしてしまった。それが悲劇の始まりさ」

 幼い日のドラコ・マルフォイは夜中に飛び起きた。父親が慌てた様子で屋敷内を駆けまわっているからだ。

 不思議に思い、母を求めて歩き出した彼は扉の開いている部屋を見つける。

 そこには宙に浮いた一冊の本。幼子が興味を示すには十分な現象だった。手を伸ばし、彼は自らの内側に邪悪の種を招き入れる。

 決して、その時に全てを受け入れたわけではない。ただ、魔王の魂の一部が流れこんでしまっただけだ。

 だが、幼く無垢な精神は汚染された。日本人として生まれ、哀れな一生を終えた少年の記憶が上書きされてしまった。その記憶を撥ね返すには心が幼過ぎたのだ。

「待ってよ……。じゃあ、ドラコは……」

 ハーマイオニーは体を震わせた。

「彼はあなただったの……?」

「それは違うよ。彼は確かにドラコ・マルフォイだった。確かに記憶を上書きされ、邪悪な意思に翻弄されたが、それでもハリー・ポッターに『君をどう呼べばいい?』と聞かれた時、迷うことなく言った、『僕はドラコ・マルフォイ』……、と。日本人の少年がヴォルデモートのハリーに対する執着だけを残していたように、彼は愛する両親から貰った自らの真名だけは守り通していた。だが、ハリー・ポッターの伝記の中でも語ったが、分霊箱は持つ者の心を穢す。邪悪に歪める。本体の一部を近くに置くだけで、それほどの影響を齎した。ならば、その本体を受け入れたら、どうなると思う?」

 ドラコは自らを転生者と思い込み、その記憶が導くまま、突き進んだ。

 彼がヴォルデモートの魂を吸収しようと考えたのも、マートルを成仏させたのも、ハリーに近づいたのも、何もかも全て……。

「ドラコ・マルフォイは自らの糧にしようと行動したつもりだが、それは違う。ヴォルデモートの魂が誘導したのだ。そして、その器に乗り移ったのだ。ずっと傍にいたハリー・ポッターも傷跡と共に宿ったヴォルデモートの魂を通じて大きな影響を受けた。二人の魂に埋め込まれた邪悪の種子はやがて世界を地獄に変えた」

「なら……、ドラコとハリーはどうして死んだの?」

 哀しそうにルーナ・ラブグッドが問う。

「……僕は彼らに封印された時、多くの事を考えた。そして……、後悔してしまった」

 その言葉に誰もが息を呑んだ。

「それが今の状況を作り出した。分霊箱というものは魂の一部を切り裂く事で魂のストックを作り出す魔法だ。その切り出した魂を本体に戻す為には本体が後悔し、改心する事が条件なのだ。その条件を満たした時、ドラコ・マルフォイとハリー・ポッター両名の中のヴォルデモートの魂が私の中に還って来た。平行世界とでも言うのかな。僕とは違う時間を歩んだ私もまた、僕の中へ還って来た。それはつまり、二人の中から邪悪の種子が消え去った事を意味する」

「それって……」

 ネビルは恐怖に怯えた。想像してしまったのだ。

 邪悪な意思に唆されるまま、怖ろしい事件を引き起こした後、その邪悪な意思が消え去り、良心だけが戻った光景を……。

「その通りだ」

 トムは言った。

「彼らは嘆き悲しんだ。何故、こんな事をしてしまったのか……、と」

「なんだよ……、それ」

 ダリウスは頭を抱えた。

「彼らの死は互いに『死の呪文』を撃ち合った結果だ。決して、仲違いしたわけじゃない。ただ、死を望む友人に情けを掛けたのだよ」

 それで話は終わりだとばかりにトムは立ち上がる。

「悪党は一人だけ。彼らはただの被害者だ」

「ふざけないでよ……」

 フレデリカは怒りに満ちた声を上げた。

「ふざけないでよ、魔王!! それじゃあ、全部お前のせいじゃないか!!」

「その通りだ」

 彼女の激情を真っ向から受けても、トムは表情を崩さなかった。

 ただ、哀れみの眼差しをフレデリカに向けている。

「フレデリカ・ヴァレンタイン。世界を救いたいか?」

「世界なんて、どうでもいい!! 私には……ドラコしか……、彼しか……いなかったのに」

 涙を零すフレデリカの前にトムはしゃがみ込む。

「ならば、言葉を変えよう。ドラコ・マルフォイを救いたいか?」

「当然よ!!」

 間髪入れずに応えるフレデリカの前でトムは杖を振った。

 虚空から奇妙な物体が現れる。細い鎖に砂時計がくっついている。

「ならば、それを……そうだな、十回ひっくり返してみろ。それで、君の望みは叶う」

「これって……、逆転時計(タイムターナー)?」

「それはお前を救うものではない。それに、この世界は救われない。例え、過去を改変しても、この世界の歴史は既に定まっているからな。だが、哀れな少年が邪悪な意思に翻弄されず、幸福に生きられる歴史を生み出す事は出来る」

「これを使えば……、ドラコを」

「だが、その歴史で生まれるドラコ・マルフォイはこの世界の彼と似て非なる別人だ。……使うかどうかは君に任せる」

 それだけ言い残すと、トムはダリウスに声を掛けた。

「それでは、ここでの用事は終わった事だし、世界を再編しに行くか」

「終わったって……、よく分からない話をしただけじゃねーか。それに、これからどうするつもりなんだ?」

「ここに来た理由はドラコ・マルフォイとハリー・ポッターの死とその原因を君達に教える為だ。世界を救うのはここからさ。まずは、世界の敵となる事から始めよう」

 そう言って、出て行くトムの後をダリウスだけが追い掛けた。

 

 数日後、彼らは全世界のテレビチャンネルを占拠して声明を発表する。

『――――諸君、ゲームは楽しんで頂けたかな? 私の名は『ヴォルデモート』。世界を壊し、世界を創る者である』

 世界は地獄を作り上げた元凶の登場に沸き立ち、憎悪と共に立ち上がる。

 言葉と行動をもって、あまねく人民の怒りを集めた男が屍をロンドンの中心に晒された時、悪夢は漸く終わりを迎える。

 誰かが用意した復興プランを元に人々は何かに誘導されるように元のそこそこ不穏でそこそこ平和な世界を作っていく。

 彼は宣言通り、五日で世界を作り直す。

 だが、それは彼らにとって、どうでもいい事。

 

 彼らの眼差しは一人の少女に向けられている。

「どうするの?」

 ハーマイオニーが問い掛ける。すると、フレデリカは言った。

「……私はドラコを愛している」

 そう言って、鎖を自らの体に掛ける。

「世界なんて、どうでもいい」

 砂時計を掲げる。

「彼が私を知らない世界なんて、耐えられない」

 砂時計をひっくり返す。

 一回、二回、三回、四回、五回……、六回。

「……それでいいと思うわ」

 時が遡る寸前、ハーマイオニーは去りゆくフレデリカに言った。

「今度は間違えないように、見張っておきなさい」

 フレデリカは返事をする事なく、時の旅路へ去って行く。

 それで世界が変わる事などない。破滅的なシナリオに変更はない。

 多くの嘆きと哀しみはこの世界に刻まれた大きな傷と共に永劫続いていく。

 それでも、どこか違う世界で平和に彼や彼女と笑い合えている光景が生まれるのなら、それは良い事だと思う。

「邪悪な意思でもなんでも、彼に救われた人は大勢いた。なら、根本から変える必要なんて無いと思うの」

「……そうだね。腹黒い計算とかも盛り沢山だったかもしれないけどね」

「それでも、ルーナとこんなに仲良しになれたのは彼が私にレイブンクローという選択肢を与えてくれたからよ」

 ハーマイオニーはルーナの手を握った。

「こっちもこれから大変なんだから、そっちも精々苦労しなさい。フリッカ」

 元凶が分かっても、その過程の謎が解明されても、世界は何一つ変わらない。

 歴史とはそういうものだ。起きてしまった事に取り返しのつく事などない。後はその中でどう折り合いをつけていくかだけだ。

 その折り合いを付けられない者は……。



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エピローグ「君の笑顔」

 多くの人が僕を見ている。

 

 お前のせいだ。       お前は生きてはいけない。

          人殺し。

  悔いろ。     死ね。   殺してやる。

       あらゆる責め苦を受けろ。     腕を切り落とせ。

    糞尿を喰らえ。    眼球を捧げろ。     脳髄を晒せ。

 血を流せ。    幾度でも死ね。   その魂に呪いあれ。

 

 幾千、幾万の呪いが僕を包み込む。

 

『御主人様』

 片方の眼孔がポッカリと空いている屋敷しもべ妖精が立っていた。

『あなたの眼球を私に下さい。だって、あなたが奪ったのだから』

 

『坊や』

 知らない女性が立っていた。

『愛する人との殺し合いを見せてちょうだい。だって、あなたがやらせたのだから』

 

『ドラコ・マルフォイ様』

 赤い瞳の少女が立っていた。

『あなたの尊厳を捨てて下さい。だって、あなたが捨てさせたのですから』

 

 知らない。僕はやってない。お前達の事など見た事も無い。

 消えろ。どっかに行ってしまえ。

 

『何故、こんな事をしたの?』

 知らない老婆が問う。

 

『どうして、僕は死ななければいけなかったの?』

 知らない少年が問う。

 

『なんで、私に人を殺させたの?』

 知らない女性が問う。

 

 やめろ。やめろ。やめろ。やめろ。やめろ。やめろ。やめろ。

 僕は知らない。僕はやってない。僕じゃない。僕は違う。僕は……僕は、

『違うよ。君がやったんだ』

 大切な親友が僕の知らない表情を浮かべて言った。

『身勝手な我侭を通して、人々に絶望を与えた。忘れる事なんて許されない』

 忘れたわけじゃない。そもそも、知らない事だ。僕には関係の無い事だ。

『苦しむ顔を見たくて拷問に掛けた。人の心を弄び、愉しんだ』

 そんな筈がない。苦しむ人がいたら、助けてあげるべきだ。人の心を弄ぶなんて、唾棄すべき事だ。

『どうして、否定するの? いいじゃないか。君は当然の権利を行使しただけだ。強者として、弱者を玩具にする事は罪じゃない』

 罪だ。それこそ、糾弾されるべき悪だ。

 弱き者は救え。強き者は支えろ。それこそが知恵を持った人類という生物のあるべき生き方だ。

『……そうか。本当の君は以前の君を否定するのか……』

 何度も言わせるな。そんな悪党は僕じゃない。

『だけど、彼は確かに君だった。悪魔の種子を植え付けられたとはいえ、世界を地獄に変えた張本人は紛れも無く君なんだ』

 巫山戯るな。ならば、何故止めなかったんだ。君なら止められた筈だ。

 すぐ傍に居た君なら、僕が悪の道へ逸れたとしても、止められた筈だ。

『止められる筈がない。だって、僕は君だ。君の生きる道が僕の生きる道で、君の選択が僕の選択だ。君が止まらないのに、僕が止まるわけがない。止めるわけもない」

 だけど、止めて欲しかった。

 僕は……、『ドラコ・マルフォイ』は君に止めてもらいたかった。

 だから、君をクラウチの手から救った時、僕は無防備を晒した。

 あの時、僕は君に殺されたかった。自分では止められない悪意を君に否定してもらいたかった。

『手遅れだった。僕は既に染められてしまった。僕の魂に根付く悪魔の種子が君の中の種子と呼応し、心に根を張り巡らせていた。だって、君の中には魔王の魂が宿っていた。その傍にいて、僕に何の影響も無かったと思うかい? 言っただろう。僕は君なんだ鏡の向こうの自分に違う事をしろと言っても無意味だろ?』

 なら、僕達はどうやったら止まれたんだ?

 多くの嘆きを生み出した悪魔に救いはあるのか?

『あるわけがない。いや、あってはならない。僕達は救われてはいけない。ハリー・ポッターとドラコ・マルフォイの名は永劫忌み名として語られる。その魂を人々は延々と呪い続ける』

 君は耐えられるのか?

『耐えられない。耐えられては意味がない。僕達は苦しまなければいけない。いつまでも』

 

 ◇

 

 恐ろしい夢を視た。

 哀しい夢を観た。

 悍ましい夢を見た

「……あれ?」

 目を覚ました僕はホグワーツの保健室にいた。

 隣のベッドにはハリーの姿もある。

「――――おお、目が覚めたか」

 ドキッとした。その声には聞き覚えがあり、二度と聞けない筈の声だった。

「……ダンブル、ドア?」

「いかにも。儂はアルバス・ダンブルドアじゃ」

 キラキラとした瞳は僕の全てを見透かしているようだった。

「……僕は死んだ筈だ。ここは……、夢の世界? それとも、死後の世界?」

「どちらも違う。ここは紛れも無く現実の世界じゃ」

「でも、あなたは死んだ筈だ」

「それはお主の夢の世界で起きた事。老い先短い老いぼれじゃが、役目を終えるまで死ぬわけにはいかぬよ」

「……全部、夢だったのか?」

「それも違う。お主が見た夢は現実に起きた出来事じゃ」

 起き上がると、体の動きが妙にぎこちない。

 窓に視線を向ければ、そこにはホグワーツに入学したばかりの頃の僕がいた。

「何故……」

「フレデリカ・ヴァレンタインが儂の所へやって来た」

「フリッカが……?」

 僕が心を弄んでしまった人の一人。彼女は今、どこに?

「彼女はトムがニワトコの杖で創り出した強力な逆転時計を使い、この時間まで戻って来た。そして、儂に未来の出来事をあます事無く教えてくれた」

 全てを識ったダンブルドアはドラコとハリーの中から悪魔の種子を取り除いた。

 それを可能とする知識をフレデリカが有していたからだ。

 彼女は悪魔的な実験を繰り返し、闇の魔術に精通した未来のドラコと常に行動を共にしていた事で多くの知識を身に付けていたらしい。

 分霊箱やその破壊の方法。他にもダンブルドアには知り得ない暗黒の法を彼女は彼に提供した。

「クィレル教授に取り憑いておったトムを捕獲する事も出来た。アヤツにはたっぷりと仕置きをしておる。未来の世界で改心出来たのだから、この世界でも必ず改心する事が出来る筈だと信じておるよ」

 ダンブルドアは全てを終わらせていた。

 もはや、物語のようにハリー・ポッターが英雄としての道を突き進む事も、夢で見た未来のように僕とハリーが悪魔の種子を芽吹かせる事も無い。

「……僕は誰ですか?」

「お主はドラコじゃよ。小心者で、臆病で……そして、仲間思いの心優しい少年じゃ」

「……これが僕の罰ですか」

「どう捉えるかはお主次第じゃよ」

「……では、これは慈悲ですね」

 罪を忘れれば、その時こそ僕は……。

「だけど、ハリーの記憶は消してほしい」

「彼は望まぬと思うが?」

「彼が道を踏み外した責任は全て僕にある。彼の罪は全て僕の罪だ。だから――――」

「そして、君の罪は僕の罪でもある」

 寝ている筈のハリーが言った。

「……起きてたのかい?」

「君の小鳥のような声のおかげでね。ピーチクパーチク」

「……その捻くれ方は未来のハリーだね」

「酷いな。僕はいつだって素直だよ。素直過ぎて……、君を苦しませた」

 悔いるような表情を浮かべるハリーに僕は目を細めた。

「ハリー。僕達の罪は例え過去を改変しても無くならない。むしろ、償う機会さえ無くなったと言える」

「うん」

「君には明るい世界を歩いてもらいたい」

「君の隣以外、僕にとっては暗闇だよ。それに、僕もこの罪の記憶を忘れたくない。いや、忘れてはいけないと思う……。多くの人々に絶望を与えた事を……」

 ハリーと僕は同じだ。まるで、鏡合わせのようにそっくりだ。

 だから、何を言っても無駄だと分かる。

「ハリー」

「なーに?」

「僕は魔法使いとマグルが共存出来る世界を作りたい」

 あの地獄は魔法使いとマグルの世界の間に広がる溝が僕達の悪意によって一気に広げられた事に起因する。

 その溝がある限り、地獄が再現される可能性は常にある。なら、僕は……、

「大変な事だと思う。生涯を捧げても無意味に終わるかもしれない。だけど……」

「それは償いとして?」

「……償える事じゃない。ただ、地獄に向かう前に不安の種を取り除きたいだけだよ」

「そっか」

 ダンブルドアは何も口を挟まない。

 ただ、静かに僕達を見つめている。

「うん。なら、僕も協力するよ。大丈夫さ。僕達が協力し合って、出来ない事なんて何もないさ」

 微笑むハリーに僕は小さく頷いた。

「……それが君達の選択ならば、儂は何も言わぬ。若者の未来に光あれ。救われぬ魂などない。如何に邪悪な者でも、悪しき行いに手を染めた者でも、悔いる事を知り、罰を受ける気概があるのなら、必ず救いの光は訪れる」

「簡単に言ってくれますね……」

「言うとも。そうでなければ、彼女が救われない」

「彼女……? そう言えば、フリッカはどこにいるんですか?」

「彼女はいない」

「いない……? どういう意味ですか?」

 ダンブルドアは酷く哀しそうな表情を浮かべた。

 嫌な予感がする。

「どこにいるんですか!? フリッカは!!」

「彼女は自ら命を断った」

「…………ぁ」

 フレデリカはダンブルドアに全てを語り、全てが終わる時を見届けた後、ダンブルドアの隙をつき、隠し持っていた毒を飲んだ。

 彼女はドラコ・マルフォイを愛していた。だけど、この世界の僕は彼女のドラコではない。だから、彼女は彼の後を追った。

「……彼女は君に救いを与えにきた。時の迷子になってでも、ドラコ・マルフォイに光り輝く未来を贈りたいと願ったのじゃよ……。そして、彼と結ばれる為に世を去った……」

「……フリッカ」

 どうして、僕は気付けなかった?

 分かっていた筈だ。彼女が僕というどうしようもない男を愛してくれていた事を。

 何故、彼女の愛に応えなかった? 愛を求めておきながら、彼女をどうして拒んだ?

「馬鹿野郎……。馬鹿野郎!!」

 エドワード。ダン。フレデリカ。アメリア。アナスタシア。ハリー。父上。母上。

 彼らはみんな、僕を愛してくれていた。なのに、僕は悪魔の種子の囁きに耳を貸してしまった。

 馬鹿だ……。

 求めていたものは初めから僕の手の中にあった。

「彼女は未来の世界の住人じゃ。君とは本質的な意味で出会う筈の無かった存在じゃ」

「でも、フリッカだ!! 僕を愛してくれた女性だ!! なのに、僕は……ッ」

「……ドラコ。彼女がお主に未来のお主の記憶を授けた理由。それが何だか分かるかい?」

「僕に罪を忘れさせない為だ」

「違う。そうではない」

「何が違うと言うんだ!? 他にどんな理由がある!! 彼女は僕を戒めてくれたんだ!!」

「……ドラコよ。彼女は強い女性だった。じゃが、それでも求めてしまった。彼女は己の存在を君に忘れないで欲しかった。愛した事を覚えていて欲しかった。君に記憶を授けた理由はただそれだけじゃよ。彼女が君に苦しんで欲しいなどと思う筈が無かろう。」

 願望を押し付けず、彼女の本質を見ろ。

 彼女の利己的なまでの愛を見よ。

 本当に為すべき事を知れ。

 そう、ダンブルドアの目が語りかけてくる。

「お主は不幸になってはならぬ。罪を償うも良い、世界の為に働くのも良い。じゃが、幸せになれ。それが彼女の望みであり、君の使命じゃ」

「……ぁ、ぁぁ……ぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 なんて、ひどい話だ。

 幸福になど、絶対になってはいけないのに。

 心も体もズタボロになって、惨めな最期を遂げるべきなのに。

 その僕に幸せになれ? そんな事、許される筈がない。

 そんな事……、耐えられない。

「フレデリカの抱く『たった一つの祈り』をお主は叶えてあげねばならん」

 ああ、これが罰か……。

 フリッカの祈りを否定する事など……そんな事……。

「――――ドラコ!!」

 その時、保健室の扉が開いた。

 僕の知識よりも少し若い友人達が飛び込んできた。

 彼らは僕を心配そうに見つめている。

「ドラコ、大丈夫!? 苦しくない!?」

 フリッカは泣きそうな顔で僕を見つめる。

 僕が不幸にしてしまった女性。僕を愛してくれた女性。僕を愛してくれている女性。

「フリッカ……」

 気付けば、彼女を抱きしめていた。

「ド、ドラコ……?」

 戸惑う彼女を気遣う事も出来ない。

 最低で、最悪で、愚かで劣悪で……、醜悪だ。

 僕は彼女が愛おしい。そんな資格など無い癖に手放せない。離れられない。

 

 多くの人が僕を見ている。

 僕に呪いを囁き続けている。

 僕が殺した人が僕に笑顔を向け、陽気な挨拶をしてくる度、心が壊れそうになった。

 死に逃避したいと思った。だけど、そんな事は許されない。

 僕は……。僕は……。

 

『幸せになって、ドラコ。あなたの幸せは私の幸せ。愛しているわ、ドラコ』

 

 彼女の言葉が僕を生に縛り付ける。

 僕は我武者羅に生きた。

 ハリーと一緒に魔法使いとマグルの世界を少しだけ近づけた。 

 フリッカと小さな家庭を築いた。

 自分の首を絞め殺したくなる。包丁を腹に突き立てたくなる。

 それでも僕は……、

 

「ドラコ。大好き!」

 

 君の笑顔()に救われてしまう……。



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