そよ風に歌声を乗せて(改訂版) (おにぎり(鮭))
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第1話 出会い
3度目のリメイクです。今度こそちゃんと第一部の最後まで行けたらいいなー…なんてぼんやりと思ってます。
多分相変わらずの低頻度更新です。でも新しいことにも挑戦していきたいなとも思っているので、これからもよろしくお願いします
4月。それは出会いの季節。数多くの人間が進級ないし進学、または就職をすることで周囲の環境が変わる季節。多くの人間はそんな未知の環境に期待と不安がない交ぜになった気持ちを抱いて新たな一歩を踏み出そうとしていることだろう。
勿論俺こと
「よし…よし…あとちょい……」
決して楽ではないエリアボスとの戦闘。死にゲーと名高いだけあって今プレイしているゲームは一筋縄ではクリアできそうもない。そんなだから人を選ぶゲームではあるが、決して理不尽な難易度設定というわけではなくクリアできた時の快感はかなりのものだ。
『ぐぁぁあ……』
「あ”あ”あ”あ”あ”!!」
とは言えそこはやはり高難易度アクションRPG。一瞬の油断でこれまでの努力がすべてパーになってしまった。画面から響くプレイヤーキャラクターの断末魔と、でかでかと画面に映る『YOU DIED』の文字。思わず近所迷惑も気にせずに大声を出してしまう。…最も、出来たばかりらしいこのアパートには俺以外には大家さんしかいないのでクレーム付けてくる住人がそもそも存在しないのだが。
それはともかく、あと一歩。もっといえば後強攻撃一発分というところまでボス体力を削ったというのに、最後の最後で緊張からか、はたまた勝利を確信したことで油断が生じてしまったのか判断を誤り6割近く残っていた体力を一瞬にして溶かされてしまった。自分のキャラクターの装備が防御力よりも機動力を重視していたのを差し引いても高火力なボスの攻撃への不満と、最後でミスをしてしまった不甲斐ない自分への怒りで一気にストレスが溜まる。
さらに追い打ちをかけるように、自キャラが復活したところはおおよそボスの待ち構えるフロアから近いと言えるような場所ではなかった。ただでさえ到達するのにはそれなりの労力が必要なので、これには流石にげんなりせざるを得ない。
「……喉乾いたな」
キャラが死んでしまったことでそれまで張りつめていたものがぷつんと音を立てて切れてしまったのか、一気にのどの渇きを覚える。当然だ。かれこれ水分補給をすることなく数時間はモニターとにらめっこしていたのだから。
のどの渇きを癒したいところだったけれど、今家に飲み物らしい飲み物はなかったような気がする。何かありますようにと祈りながら冷蔵庫を開けるも、残っているのは僅かばかりの食糧。ああ、そろそろまた買い出しに行かないとな。
さて、どうしたものかとその場で腕を組みしばらく考え込む。水分補給をする、という目的だけであれば台所の蛇口から出る水道水でも十分目的だ。が、まあ所詮水道水。お世辞にも進んで飲みたいと思えるような味ではない。カルキ臭いし……
とは言え、今から買い出しに向かうというのもなんだか面倒だった。そもそも、まだこの町に引っ越してきてからそんなに経っていない。一応学校と、スーパーへの道筋位は覚えたがそれもちょっとあやふやだ。変に出歩いて道に迷いましたなんてシャレにもならない。
「うーむ……どうしたものかねぇ」
どうしたものかなんて呟いたところで飲み物が湧いて出てくるわけでもなく、あるのは水道水だけという事実は変わらない。散々悩んだ挙句、たまには外に出るのも悪くないと思うことにして最寄りのスーパーまで飲み物を買いに行くことにした。道中で自販機かコンビニを見つけられるといいななんて考えながら。
手慣れた動きで戸締りをし、いざ出発だと振り向くと大家さんの姿が目に入る。落ち着かない雰囲気で視線を道路と時計との間を行ったり来たりさせている。何か、あるいは誰かを待っているみたいだった。まあ大家さんが何を待っていようと俺にはこれっぽっちも関係ない。会話をするのも面倒くさいし、さっさと買うもの買って来よう。
「やぁ天川君!良いところに来てくれた!」
「すいません俺忙しいんでまた後にしてください」
「まだ何も言ってないんだけど」
やかましい。どうせ何か面倒なことをさせるつもりだったんだろう。お断りだ。物だろうが、人だろうが探せと言われても探すものか。というか、そんなことをすればミイラ取りがミイラになりかねん。どっちにしろ無理だ。後留守番をお願いされても困る。割とマジでのどが渇いてるから、早く何か買って飲みたい。
「まあまあそんな嫌そうな顔しないで話だけでも聞いてよ」
「えー……留守番してくれとかやめてくださいよ。俺忙しいんで」
「違う違う。いや実はさ、今日新しい入居者の人が来るんだよ。で、その子2時過ぎには来るって言ってたんだけど……」
そう言われて携帯の時計で時間を確認する。時刻は3時を回ったところだった。成程1時間は遅刻をしているらしい。そりゃひっきりなしに時計と道路を交互に見てたわけだ。
だがやはり俺には関係ない。そもそも、完全に迷子じゃねーか。辺りの地理に詳しくない俺が迷子探しというのは、やはり荷が重すぎる。仮に見つけられたとしても、帰れないなんてことになりかねない。この辺りは閑静な住宅街で、分りやすい目印なんてほとんどない。
「……申し訳ないっすけど、迷子探しは俺には無理っすよ。道、覚えてないし」
「だよねぇ……まあ、どこかに行くんでしょ?見かけたら連れて来てよ」
「連れてきてよって……見た目も知らないのにそんなことできるわけないでしょう」
「綺麗な青緑色の髪をした、超かわいい子。もしかしたら駿君にも春が……」
「失礼します」
「あ!?ちょっとー!」
余計な一言を入れなければ最後まで聞いたかもしれん。が、なんかすごくイラッと来たのでそそくさとその場を離れた。どうせ俺は万年冬男だ。まあ、春を迎える気がハナからないんだが。そもそも他人とそんな関係になろうとすら思わない。なったところで、最後はロクな結末にならないのだから。
結局途中で自販機もコンビニも見つけられず(いつも通ってる道を通っただけなのだから当然だが)、スーパーまで行って飲み物とお菓子、それと軽めの夜食を買って帰路につく。
あとは家に帰るだけ。もしかしたら件の入居者がまだ来ておらず、大家さんがまたアパートの前で待ちぼうけているかもしれないがその時は無視をして家に入ろう。学校が始まる前にまだまだやりたいことがたくさんあるのだから。
(学校……か)
ふと中学時代のことを思い出してしまう。とても、思い出して気持ちのいい記憶とは言えなかった。むしろその逆だ。あんな記憶、さっさと忘れてしまいたい。だからこそ、地元を離れこの都会でもなく、かといって田舎過ぎることもない有賀島市の市立高校へ進学したんだから。
嫌なことを思い出してしまい、やや気分が落ち込む。ふぅ、と小さくため息をついて空を見上げた。
時刻は3時30分を回ろうとしていた。そろそろ夕暮れだ。空も少しずつオレンジ色に染まってきている。
雲一つない空。何の気なしに、俺は空に向かって手を伸ばした。当たり前だけど、何も掴めない。手の届く範囲に掴めるものは何もない。だけど、雲一つない空に向かって手を伸ばせば何もない俺でも何かを掴めそうな気がした。
「まあ、そんなわけ……ねぇよな」
自嘲気味にそう呟く。無いものは無い。ありもしないものを掴もうとしたって、その手は空を切るばかりだ。仮に何かを掴んでも、直ぐに指の間から零れ落ちて行ってしまう。人がその手に掴めるものなんて、そんなに多くはない。
そこまで考えてまた自嘲気味に笑う。高校の入学を前に、少しナーバスになっているのかもしれない。ここの所、こんな暗いことばかり頭に浮かんでしまう。
そんな俺の耳に、小さな音が聞こえてきた。風の音ではない。
(……歌…? 誰か歌ってるのかな?)
小さな、本当に小さな音だった。けれども、どうしてかその音をたどってみたくなる。もっとちゃんと聴きたいと、なぜか思った。
こっちかな、いやあっちかななんてことを繰り返しながら細い糸を手繰り寄せるように歌が聞こえてくる方へと歩く。そうして吸い寄せられるように小さな公園の前へと出た。どうやらここから聞こえてくるらしい。
一体どんな人が歌っているのだろうと、公園へと近づいていく。そこには、綺麗な青緑色の髪をした女の子がいた。どうやら、歌は彼女が歌っていたらしい。
(……綺麗だな)
それがまず最初の感想だった。透き通るように、それでいて聴いているものを包み込むような優しい歌声。聴いていて、とても気持ちが穏やかになっていくのを感じる。けれども、その歌の歌詞はどこか悲壮感を漂わせているようで……
(はっ…!? 俺は一体何をしているんだ)
そこまで考えて我に返る。これは完全に覗きをしているようなものだ。別に女性の着替えを除いたわけじゃないから警察沙汰なんてことにはならないだろうけど、明らかに今の俺は不審者のようなものだろう。
彼女に存在を気取られる前にこの場を離れなくてはとポケットに突っ込んだ手を勢いよく引っ張り出して踵を返す。そして足早にその場を立ち去った。
公園が見えなくなる辺りまで歩いて、ようやくほっと一息つく。なんだか今日は特に調子がおかしい。やはりそれだけ来る高校生活にナーバスになっているのだろうか。だとしたら……
そんなことを考えていたせいか、後ろから近づいてくる足音に全く気付かなかった。
「あの……すいません」
「のわぁっ!?」
驚きのあまり、変な声が出る。そのことに恥ずかしさを覚えながらも振り返ると、そこには先ほどの少女が慌てた様子で立っていた。
「ご、ごめんなさい!驚かすつもりじゃなかったんです!でも財布を落としていったみたいだから……」
「え……?」
そういわれて、慌ててポケットに手を突っ込む。確かに、財布はなかった。おそらくさっき公園から離れようとしたときに勢いよくポケットから手を引っ張り出した弾みで落としてしまったんだろう。そして、目の前の少女が俺の財布を差し出してくれていた。
「あ……どうも」
非常に気まずい状況だけれど、ひとまずお礼だけは言った。けれど、それ以上話すこともないし何も思いつかない。とにかく頭の中が真っ白になってしまっていた。
どうにかしようにもどうにもならないので、とにかくその場から逃げるようにそれじゃあ、と一言だけ口にして少女に背を向ける。
けれどもそんな俺を再び少女は呼び止めた。
「あっ、あの!ちょっと道を聞きたいんです!」
その言葉を聞いてハッとする。綺麗な青緑色の髪をした女の子……大家さんが言っていた新しい入居者の特徴と一致していた。まさかそんな偶然はあるはずがないだろうと思いつつも、取りあえず応対する為に振り返る。
「あの……私このアパートに行きたいんですけど、道に迷っちゃって……」
そういって少女が差し出してきた手書きの地図には、俺が住んでいる歌田音アパートに印がついていた。どうやら、運命の女神さまとやらは相当にいたずら好きらしい。
とにもかくにも、大家さんが探していた人を見つけてしまった以上は無視するわけにもいかない。そろそろ辺りも暗くなるし、同じアパートに住む人をほったらかしにして何か事件に巻き込まれでもしたら寝覚めが悪い。ひとまず、案内だけはしよう。
「……ああ、このアパート俺が住んでるところっすね」
「え、ホントですか!助かったぁ!」
「……とりあえず、案内するんで」
どうやら相当困っていたらしく、目的地にたどり着けることに安堵のため息をつく少女。そんな彼女を尻目に、俺はさっさとアパートに向かって歩き始めた。その後を件の少女が慌てて追いかけてくる。
そんな俺達を包み込むように気持ちの良いそよ風が吹いた。
これが、この先俺を大きく変えることになる『
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第2話 出会い2
「あ、あの!も、もう少し……ゆっくり歩いて……!」
肩で息をしながら前を行く男の子から離れない様に必死に追いかける。引っ越し用の大きな荷物は明日引っ越し業者の人に持ってきてもらうからそこまで大きな荷物はないけれど、それでもお出かけするには大きすぎる荷物を持っているからあんまり速く歩かれちゃうと私としてはすごく辛い。
だからもう少しゆっくりと歩いてほしいと声を掛けたら、一瞬だけちらりとこっちを見て歩く速度を落としてくれた。良かった。無視されたらどうしようかと思った。
「………………」
「………………」
それにしても沈黙が痛い。さっきからこの人、一言もしゃべらない。私は私でさっきまではついていくので精一杯だったから喋る余裕がなかったっていうのもあるんだけど。それにしたって本当に喋らない。一応、ご近所さんになるんだからもう少しあいさつ代わりの世間話位した方がいいと思うんだけど……
なんて思っても私も何を話したらいいかちっとも思いつかない。何か話さなきゃ、と思えば思う程何を話したらいいかが分らなくなって結局無言でついていくことだけしかできなかった。
それでもこの人を見つけられた時は嬉しかった。初めての一人暮らしってことで勇んで実家から飛び出してきたのはいいんだけど、地図を読み間違えたのか何時まで経ってもアパートに辿り着かなくてたまたま見つけた公園で途方に暮れていたところだったから。
どうしようもなくって気を紛らわせようと自分の好きな歌を歌っていたんだけど、ふと気が付いたら視界の端に誰かがいたような気がした。とにかく道を聞きたかったから慌てて後を追いかける途中で財布を見つけて、今に至る訳なんだけど……
ちょっとホントに沈黙が痛い。もしかして私って避けられてるのかな。……まあ、道に迷ってるんだから面倒だなってくらいは思われてても仕方ないとは思うんだけど。
結局それから一言も会話をすることもなく目的地に着いた。すると前の方からさっきの男の子じゃない人の声が響く。
「あぁ、天川君!見つかったかい?」
見つかったかい、という問いかけを目の前の男の子がされているということは当たり前だけど探されていたみたい。そりゃあ本当だったら2時間近く前に着くってことになっていたんだから当然だ。
(あれ、じゃあこの人は私のことを……?)
もしも大家さんの言葉通りなら、この目の前の『天川』と呼ばれた人は私を探しに来てくれたってことになる……のかな。
「見つかりましたよ。この人でいいんでしょう?それじゃあ俺はこれで」
そういって天川君は私の前からどいて、そのまま自分の部屋へと向かって行ってしまった。
「あっ……折角だから初音さんとあいさつ位……全く、そんなに嫌がらなくてもいいだろうに」
「……」
「おっと、待たせてごめんね。初音未来さん……で、いいかな?」
「はい。今日からお世話になります、初音未来です」
自己紹介をして頭を下げる。そんな私に大家さんはあははと笑った。
「そんなに固くならなくていいよ。まだうちも出来たばかりだし、入居者は初音さんとさっきの男の子しかいないからね」
「さっきの子って……」
天川と呼ばれた男の子が去っていった方に目をやる。もう自分の部屋に入ってしまったのか、そこに彼の姿はなかったけど。
「天川君っていうんだ。あの子もついこの間越してきたばかりでね。今年から高校に進学するっていうんだけど、実家から離れてるみたいだから友達もいないらしいんだ。ちょっと不愛想だけど悪い子じゃないから良ければ仲良くしてあげてな」
「はい。頑張ります」
それから少しアパート生活について説明された後、部屋の鍵を渡された。私に鍵を渡すと大家さんは自分が101号室にいることを告げてゆったりとした足取りで自分の部屋へと歩いて行った。
そんな大家さんの姿を目で追いながら、私はさっきの天川君のことを考えていた。
(あの人……今年から高校ってことは私と同い年ってことだよね。同じ高校なんだろうし、仲良く……出来たらいいなあ)
第一印象は不愛想な人。アパートに着くまで結局一言も話してくれなかったし、大家さんとのやり取りからもそんな印象を受けた。少なくともフレンドリーな人でないのは確かだと思う。
大家さんには仲良くしてくれって言われたけれど、正直ちょっと自信ない。だけど、なんとなく……なんとなくだけどあの人とは仲良くなれそうな気がした。根拠なんてない。ただ本当に直感的にそう感じているだけ。
(とにかく、一通りのことをやったら挨拶しに行こう)
初めての一人暮らしで、不安なこともたくさんあるけれどきっと何とかなる。そう自分を勇気づけて、私はこれから我が家となる部屋の扉を開けた。
まさか本当に帰り道に大家さんが探していた新しい入居者とやらに出くわすとは思っていなかった。神様っていうのがいるんなら、随分と悪趣味な悪戯をされたもんだと小さくため息をつきながらスーパーで買ってきたものを冷蔵庫に入れたりする。
その最中、あの綺麗な青緑色の髪をした女の子のことを思い出す。腰まで届きそうなほどのツインテールに女を見る目のない俺ですらも分かるほどの可愛い顔。そして聞いたものを引き込むあの歌声……
他人、特に女子なんて今までこれっぽっちも気にかけたことがないというのに、妙に印象に残っていた。まるで一目惚れでもしたみたいだ。
(ハッ……馬鹿馬鹿しい。んな訳ねえだろ。あほらし)
自分で馬鹿らしいことを考えて即座に否定する。俺が誰かに好意的な感情を向けることなんて、この先一切ないだろう。そんなことをしたところでロクな目に合わないっていうのは中学時代に嫌という程思い知らされたんだから。
パッと見たところ気が強そうには見えないし、かといって裏でこそこそと何かをしようとするような人には見えなかったから彼女自身は悪い人じゃないのかもしれない。が、まあ別に彼女が俺を嫌おうがそうでなかろうが恐らく彼女の取り巻きが俺を嫌ってくるんだろうからそんなことは関係ない。迎える結末が変わることはない。
俺が努力をすればもしかしたら――なんてことを考えようとも思ったけれど、今までそういう類の努力は裏目に出るかまともな結果を出せずに終わっていることを思い出してすぐに止める。考えるだけ無駄なことに時間を使っても空しくなるだけだ。
(そういえば、あの人は一体いくつなんだろうか。パッと見俺と同じくらいに見えたけど)
飲み物を買いに行ったついでに買ってきたポテトチップスの袋を開け、バリボリとむさぼりながらぼんやりとそんなことを考えてみる。年が離れていればそこまで付き合う必要もないだろうが、同年代だとすると少々厄介だ。同年代だとするとこの時期に引っ越してくるということは十中八九俺と同じように進学してきたということだろうし、何よりこの辺りに高校は一つしかない。
となれば同じ学校に進学する新入生同士となるわけで、さらに運が悪ければ同じクラスになるかもしれないということだ。まぁ、そんなことは天文学的な確率だと思ってるからあまり心配はしていないが。
とにかく、同じ学年ということは図らずも学校で顔を合わせなくてはならないということで、それはそれで面倒なことになりかねないということだ。同じアパートに住んでるからと言って面倒に巻き込まれないことを切に願う。俺が吹っかけなくても、相手の方から吹っかけてくる可能性は決して低くない訳だし。
そう思ったら、ついつい大きくため息をついてしまう。トラブルというものは厄介で、こちらが避けようとしていても向こうからぶつかってくるのである。
高校ではひっそりと植物のように静かに過ごしたいな、などと思うが果たしてそう上手くいくだろうかとも思ってしまう。現に中学時代は――
ピンポーン……
中学時代の忌まわしい思い出を思い出しそうになったところで、来客を知らせる気の抜けたチャイムの音が部屋に響き渡った。
一体誰が、と考えておおよそ大家さんあたりだろうと思い玄関に向かう。特に問題行動をしたわけではないはずだから、なんか文句を言われるようなことはないはずだと言い聞かせつつ扉を開けた。
しかし、そんな俺の予想を大きく裏切って目の前に立っていたのはあの女の子だった。そういえば名前を知らないからなんて名前なのかわからない。
それにしたっていったい何の用事でここにいるのだろうとやや困惑していると、女の子が少し気まずそうにしながらおずおずと話しかけてきた。
「あ……さっきはありがとうございました。隣の104豪室に引っ越してきた初音未来です。これから色々とよろしくお願いします」
つまり彼女はわざわざお隣さんである俺に挨拶しに来たということか。とても礼儀正しいその様は評価に値するしご苦労なことだとも思うが無駄なこった。どうせ顔を合わせても話すことはなくなるのだから。
が、まあわざわざ挨拶しに来てくれたので最低限の対応はしておく。
「どうも。天川っす。よろしくお願いします」
「天川君か……もしよければ下の名前も聞かせてもらってもいいですか?」
目の前の少女……初音さんの意図が分らず思わず眉をひそめてしまう。下の名前を聞いたところでどうしようというのだろうか。俺の名字は決してありふれたものでもないはずだから、俺という個人を指し示すための認識票としては名字の天川だけで十分だと思うのだが。
しかしまあ、たかが下の名前だ。それに同じ学校に通うかもしれない以上、いつかはばれる。今教えても早いか遅いかの違いだけだろう。そう考えた俺は何ということもなくただ文字を読み上げるように名乗った。
「
「駿君……いい名前ですね」
「…………」
別に自分の名前が嫌いな訳じゃないが、かといって好きなわけでもない。なのでいい名前だねと言われてもああそうなんだ程度にしか思えない訳で。それを表に出すのもなんだか失礼かなと思うわけだから結局のところ俺にとれるリアクションは黙り込むというものしかなかった。
そのおかげでものすごく気まずい雰囲気になる。俺は俺でどうしてくれんだこの空気、もう閉めてもいいかな。なんて思い始めてるし向こうも向こうで地雷を踏んでしまったか!?みたいな焦った顔になっている。いやまあ原因は俺なんだろうけど。
そんな状況をどうにかしようと動いたのは初音さんの方だった。
「あ……えっとぉ……天川君は最近引っ越して来たって大家さんに聞きましたけど、もしかして今年から高校生……?」
「まぁ、そっすね」
「ホント!?それじゃあ同い年なんですね!」
私も今年から高校生なんですッ!と嬉しそうに笑顔を作る初音さん。そりゃそうか。自分の故郷から出て一人暮らしするってことは中学時代の友達なんかはほとんど周りにいない訳だ。普通は寂しいだろうし不安で一杯なんだろう。俺はむしろ清々してるけどな。
それから二言三言言葉を交わして、お互い同じ高校に進学するということ(同い年と発覚した時点で確信していたから驚かなかった)、入学式当日は一緒に行こうという誘いを受けた(正確には頼み込まれた)ので一緒に行くことを約束して別れた。
やっとのことで玄関を閉めると、なんだか急にどっと疲れが出てくる。途中からうすうす思っていたけれど、初音さんは俺が苦手とするタイプの人種らしい。一緒にいると無駄に疲れるというか、振り回されるというか。もう既に植物のように静かに過ごすということが出来なさそうで頭が痛くなりそうだった。
とにもかくにも、下手に関わり合いにならないほうがお互いの為だろうし入学式の朝だけ一緒に登校して後は基本的に顔を合わせない様に動こうなんて考えながら俺は再び部屋でポテチをむさぼり始めた。
先ほどのやり取りを思い返しながら、どこか満更でもないと感じている自分がいたような気がしたが気のせいだと決めつけてさっさと忘れた。
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第3話 晴れやかな入学式、晴れない心
ホントに亀更新で申し訳ありません。
リアルの方が忙しかったり他にやりたいことがあったりでなかなか手を付けられませんでしたがようやく最新話の更新となります。
今後も決して速いペースでの更新はできませんがのんびりとお待ちください。
まだ春先のやや肌寒い朝。自分の体温で程よく温まった布団の中でぬくぬくとしている俺の鼓膜に突然けたたましい音が叩き付けられた。
「んぁ……うっせぇクソが……」
そう毒づいて、心地よい睡眠時間を邪魔して来る元凶であるアナログの目覚まし時計のボタンを寝ころんだまま腕を伸ばして殴るように押してアラームを止める。
が、寝ぼけていたせいかちゃんとボタンを押せ無かったようでアラームは止まらなかった。まるでさっさと起きろと親にお小言を言われ続けているみたいだ。
「ハイハイわかりましたよ……」
別にそういったところでそれに応えてくれる人がいるわけじゃないが、そう呟いて体を起こし今度こそしっかりとアラームを止める。
ここ数日はアラームなんて設定してなかったが、今日は高校の入学式。つまり今日から俺は高校生ということになる。
流石に初日から寝坊して遅刻だなんてかっこ悪いにもほどがあるし、初音さんとの約束もあった。だから今日初めてこっちに引っ越してきてから買った目覚まし時計のアラームを設定していたというわけだ。
基本的に俺は時間厳守が当たり前だと思ってるからアラームの時間も早めに設定してある。滅多なことが無ければ家から歩いて20分くらいで学校に着けるのだが、何かしらのトラブルが起きるかもしれない。
備えあれば患いなしともいうわけだし、早め早めの行動をとっておいた方が色々と楽なのだ。主に精神的な面で。
そんなこんなでゆっくり、しかしだらだらしすぎない程度に登校する準備を進めているうちに時計の針は7時45分を指していた。初音さんと落ち合う時間は8時なのでまだ少し余裕がある。
とは言ってももうやることがない。かといって何かをするには時間が無さ過ぎるし、何もしないで待つには少し時間がありすぎた。
ほんの少しどうしたものかと悩むが、どうしようもないので素直に早めに家を出て初音さんを待つことにする。一応スマホがあれば多少の時間は簡単に潰せるし。
そうと決まれば行動を起こすまでは早かった。窓がしっかり施錠されているか、ノートPCやゲーム機に電源が入っていないかを確認し、最後に忘れ物が無いかカバンの中を確認する。
すべて大丈夫であることをしっかりと確認した俺は、すたすたと玄関まで歩いて行った。
「……行ってきます」
別に誰も俺に返事をしてくれるわけじゃない。けれど、何となく部屋の方を見てそう呟いた。きっと今までの癖だろう。つい一週間ほど前までは親父がいたから。
そんなことを考えて、少し目を細める。今更ながら本当に一人暮らしを始めたんだなという実感が湧いてきていた。
寂しいとか、そんな風に感じているわけじゃない。断じて。ただ、一人になったというのは気楽になった反面張り合いがなくなったとも言える。
一人暮らしを始めてからようやく一週間経とうとしているけれど、とても気楽なものだ。親にあれこれ言われることもないし、気を使う必要もない。本当に自分の好きなようにできるのだから。
もちろん今まで親がしてくれていたことを自分でしなければならないから面倒に感じることも多いけれど、それを補って余りあるほどの自由さと言えるだろう。
だけど、やはり話し相手がいないというのも退屈に感じたのは確かだ。一人で飯を食う時、一番それを感じた。軽口をたたきあえる相手がいないと、食事も本当にただの作業と化してしまう。
そこまで考えてハッと我に返る。これじゃあまるで自分がいまだに親離れのできてないガキみたいじゃあないか。15にもなって親離れできていないなんて、恥ずかしいにもほどがある。
俺は断じて親父に依存なんかしていない。しているとすればむしろ親父が俺に依存しているのであって、決して俺のほうじゃない。
なんて考えているうちに、スマホの時計が8時になった。初音さんとの集合時間だ。……その肝心の初音さんはまるでくる気配を見せないが。
まあ女って生き物は準備に時間がかかるものだから多少の遅刻は仕方ないだろう。本当には仕方がないで済ませたくはないけれど、そういう風に思って諦めておいたほうが精神的に楽なのだ。わざわざストレスのたまる方向に物事を考えるほど俺もマゾヒストじゃない。……多分、そうだと信じたい。
それから約10分。未だに姿を現す気配すら見せない初音さんに対して流石にピリピリしてきてしまった。いくら準備に時間がかかるとはいえ、10分も遅刻するのはどうかと思う。別に学校に行くだけなのであって、旅行に行くとかそういうわけではないのだからそんなに準備に時間がかかるとは思えないのだが。
一緒に行くと約束を交わした手前、来るまで待つほうが良いんだろうけどこちらは既にかなりの時間待たされている。
スマホのバッテリーだって無限というわけではないし、何より入学式から遅刻だなんていくらなんでもたるんでると思われかねない。クラスメイトからの印象なんて気にしないけれど、教師陣にそれで目をつけられてしまうのだけは勘弁願いたい。
そこまで考えて俺が出した結論は、集合時間を指定したのに遅刻してくるやつが悪いということで先に一人で登校するというものだった。
いや、実際その通りだと思う。慈悲はない。というか集合時間を過ぎてから10分も待ってやったのだからまだ有情なほうだと思う。恨むなら時間までに家を出れなかった自分を恨んでくれ初音さん。
「あ!天川君、待って!!」
どうやら眠り姫様はようやく家を出てきたらしい。時間にして13分の遅刻だ。実に遅い。
なので足を止めてこちらに向かって走ってくる初音さんを肩越しに見返して、またそそくさと歩き始めた。
正直いちいち突っ込んでやる気にもならない。とりあえず彼女が時間に厳しい人種でないことが今日証明された。
とりあえず今後、初音さんと待ち合わせするとするならそこを頭に入れて行動したほうが良いのは間違いないだろう。そんな機会が二度とないことを願うけれど。
「いやあ、本当にごめんなさい。昨日ドキドキして眠れなかったら朝起きれなくって……」
ようやく追いついてきた初音さんが横に並んだとたん、息を整えながら聞いてもいない言い訳を語り始める。
しかし入学式程度で興奮して眠れなかったとは理解に苦しむ。林間学校とか、修学旅行とかならばまだわからなくもないけれど今日はあいにくとただの入学式である。興奮する要素がどこにあるというのだろうか。
「それにしても楽しみだなあ。どんな人に会えるのかな。友達たくさんできるかなあ!」
こいつあれか、友達百人できるかなを地で行くタイプの人種か。やはり俺とは相いれないタイプの人種だった。頼むから俺と一緒に行動をするのは今日限りにしていただきたいところである。
「ところで天川君は今日から行く学校に知り合いとかいるの?」
「いないよ。だからこの高校にしたんだ」
「え……?」
一瞬、俺の言葉がうまく呑み込めないといった表情をする初音さん。まあ普通はそうだろう。
知り合いがいないから、わざわざ一人暮らしになってまでここに進学してきたなどというおかしな理由を持つ高校生など日本中を探しても俺くらいなものだろう。他にもいるかもしれないが、相当のレアケースであることに違いはない。
けれども俺は、レアケースだろうと何だろうともこの選択に後悔はない。少なくとも今のところは正しい選択をしたのだと思っている。
後はこれまでのように悪目立ちしないように大人しく過ごしていればこれから三年間、特に大きな面倒ごとに絡まれるようなことはないだろう。火のないところに煙は立たない。火種さえ起こさなければ炎上することも避けられよう。
……寂しいとは思わない。決して。変につるんで後から繋がりを断ち切られる痛みに比べれば、繋がりを持たない空虚さのほうがまだマシだ。
「ね……ところで天川君はさ……」
先ほどからひたすら初音さんは下らない世間話の類の質問を繰り返して来るが、その全てを俺は生返事で返す。彼女には申し訳ないが俺は友達の枠からは外させてもらいたかった。
彼女は彼女でちゃんとして応対をしてもらえなかったことに不満であるようだが、むしろ不満に思って貰った方が都合がいい。
それに、どうしてもお喋りをしたいならどうか学校で別の人を見つけてほしいものだ。
時間に間に合うか少しひやひやしたが、思ったよりも早く到着したので昇降口に張り出されたクラス分けの紙を見て自分の名前を探す。
当然他の新入生も大勢いるから、奴らにもみくちゃにされながらも自分の学籍番号と紙に書いてある名簿とを照らし合わせて何とか自分名前が書かれているクラスの紙を見つけた。
(……俺は三組か)
この学校は特に成績によってクラスを分けられたりしているわけではないから、どのクラスに入れられようともそこまで差がない。だから、本当にどのクラスでも気にしていなかった。
この時までは。
とにかくさっさと教室まで行って、早めに席についてのんびりとしたいところだ。こう人が多いとどうしても人酔いを起こしそうになる。
それに、ここまで騒がしい空間はどうにも肌に合わない。無駄にエネルギーを消耗してしまう前にここから離れるのが得策だと俺は結論付け、そそくさとその場から離れた。
教室までの案内板に従い、どうにか迷うことなく自分の教室を探し当てて自分の学籍番号が書かれたシールの張られている席に座る。
教室には既に半分くらいの生徒が集まっているようで、知り合いっぽそうな連中はそれぞれ集まって喋っていた。その光景を見て、別に驚くようなことはない。
いくら中学以上に広範囲から様々な生徒が通学するとは言え、そのほとんどは地元中学から進学してきた生徒たちの方が俺のような他所から来た奴よりも断然多いのだからこんな光景は決して珍しくもなんともないのだ。
当然知り合いが一人もいない俺は暇だし何となく体がだるく感じられたので、担任の先生が来るまでは机に突っ伏して寝ることにした。
持ってきたかばんを机の上に置きその上に腕を置いてさあ寝ようとそのまま突っ伏そうとした瞬間、隣の席の椅子が引かれる音が聞こえた。そしてさらに聞き覚えのある声も聞こえてきてしまった。
「あ、天川君も三組だったんだ。それなら一緒に来てくれても良かったのに」
「……すまんな」
最悪だ。よりにもよってこんな目立つ奴と同じクラスだなんて。それも妙になれなれしく俺に構ってくるのがもっと悪い。これでは嫌でも目立つことになる。
頼むからこれ以上俺に話しかけないでくれと心の中で念じながら、初音さんを横目でちらっと見てからすぐに突っ伏そうとした。
だが、その瞬間に教室の扉が開かれこれまた独特な雰囲気をした人物が入ってきた。
「皆の者、着席するでござるよ」
服装はいたって普通にスーツを着込んだ男性だが、目立つのはその髪。紫色で、後ろで束ねた腰までかそれ以上に長い髪の毛。
そして何より特徴的なのは、生まれてくる時代を間違えてきたのではないかと錯覚してしまいそうになる言葉使いだった。
「拙者は今日から一年三組の担任を務める神威がくぽと申す。自己紹介は後でするとして、今から今日のこの後の日程について説明するでござるよ」
正直な話、余りにもイロモノな教師が出てきたことに軽いめまいを覚えそうになる。教師としての技量や知識が十分であるのなら良いが、それにしたって訛っているというわけでもないのに標準語を使わない教師などよく雇おうという気になったものだ。
しかし特に性格がぶっ飛んでるということでもないらしく、そのまま淡々とタイムスケジュールを通知されたところで俺達は入学式をする為に体育館へと向かうことになった。
「ただいまより、第三十九回有賀島高等学校の入学式を始めます。新入生、入場」
まあ特に変なことが起きるはずもなく、平凡な入学式が始まった。きっとこれから一時間ほど退屈な時間が続くのだろうと考えると今から眠たくなってしまう。
だが、その考えはすぐに改めさせられることになった。
「校長式辞」
司会のアナウンスに応じるように校長らしき人物が壇上に登る。懐からカンペを取り出し、少し咳払いをしてその人物は話し始めた。
「新入生のみなさん、まずはご入学おめでとうございます。私はこの学校の校長を務めております
にこやかな笑顔で寒いジョークを飛ばす校長に開いた口が塞がらない俺。しかし、周りの奴等には面白かったらしくそこかしこでクスクスと笑っている声が聞こえた。
周りの連中とはどうやら感性も違うらしい。いよいよもって俺は悪目立ちしない様に立ち回る必要がありそうだ。
それからは特に笑うようなことも(そもそもこういう場所でそういう事が起きること自体おかしい)、ハプニングがあるわけもなく普通に入学式が終わった。
そして新入生がそれぞれの教室へと戻っていく。俺達もそれに倣って自分たちの教室へと戻った。
全員が席についていることを確認すると、例のエセ古代人じみた教師が自己紹介を始めると言い出した。まあ、ある種の通過儀礼ではある。
「それでは早速拙者から自己紹介しよう。先ほどは名前だけだったから今度はもう少し詳しく紹介していくでござるよ」
やはり語尾がおかしい。ござるってなんだ。サムライか何かか。
「拙者の名前は神威がくぽ。好きなモノはナスと自然で、苦手なものはでぃじたる?とかいうものでござる。まだ皆分らないことがたくさんあると思うが、どんどん聞いてほしいでござる。これから一年間、よろしくお願い申す」
スマホがこれだけ普及している現代において、デジタル機器が苦手であるとは致命傷ではなかろうか。本当にこの先生は生まれてくる時代を間違えてしまったのではないかと柄にもなく同情の念を覚えずにはいられなかった。
その後生徒の自己紹介の番になったが、様々な奴らがいた。普通に自己紹介する奴、受けを狙いに来てる奴、途中で何か語り始める奴。色々いたが初音さんの番が回ってきたらしく、彼女は教壇へと立った。
「えっと、初音未来です。好きなことは歌を歌うこと。将来の夢とかはまだ決まってないけれど、これからこの学校で皆と仲良くやっていけたらいいなと思ってます。よろしくお願いします!」
初音さんが教壇に上がる直前から少しざわめていたのは聞こえていたが、彼女が自己紹介した途端一気にあちこちで小声で会話をする輩が増える。
「見たかよあの子。めっちゃ可愛いな!」
「可愛いなあ。それにすっごいいい子そう」
勿論その声は本人にも聞こえているが、当の本人は少し恥ずかしそうに顔を赤らめてうつむき加減に下を向いて自分の席へと戻る。だが、まんざらでもなさそうな表情をしていた。
それから俺の番が回ってきたが、別に特にいうこともないので当たり障りのなさそうなことだけを述べてさっさと自分の席へと戻った。
その時「感じの悪い奴」だとか「根暗っぽそう」という声が聞こえたが、特に気にしなかった。むしろそうやって俺のことを遠ざけてくれた方が俺としては助かるから作戦通りと言えば作戦通りだ。
それから翌日以降のスケジュールについての連絡などがされ、ホームルームが終わった。
高校生活一日目が何とか無事に終わったことに胸をなでおろしつつ、さっさと家に帰ろうと教室を後にする。
初音さんは既に人気者となっていたようで、クラスの連中に囲まれていたのでこれ幸いと放置した。
それから早足で昇降口を抜け、人ごみの凄まじいエリアを一気に抜ける。校門までの道なりに様々な部活の勧誘があったがすべて無視し、ようやく校門を抜けた頃には大分人もまばらになってきていた。
特に話し相手がいるわけでもないから一人でぼうっと空を眺めながら家までの道を歩いていると、後ろの方からパタパタと革靴の足音が響いてくる。
大方早く家に帰って遊びたい奴が走っているんだろうとかぼんやりと考えながら空を眺めたまま歩調を変えることなく歩き続けた。
だが、その足音は俺に近づいてくると一気にその速度を緩める。そして、またも聞きなれた声が聞こえた。
「はぁ…はぁ…やっと追いついた! もう、天川君私のこと置いて行っちゃうんだから!」
「……あんた、なんで俺なんか追いかけてきたんだ? お友達いっぱい出来たんだからそっち優先すればいいだろ」
正直言って迷惑だった。一緒に登下校などすれば変な噂が立つのは明らかだし(初音さんは女に疎い俺が見ても可愛いしな)、それが原因でトラブルが起きたっておかしくない。
だからこそ放っておいてほしくてさっさと一人で帰って来たというのに、こいつはわざわざ俺を追いかけてきたというのだ。
「確かに友達はいっぱい出来たよ。でも、私は天川君とも友達になりたいから」
本当に、理解が出来ない。どうしてそこまで俺に固執するのか。俺とこいつは、まったく逆のタイプの人間だというのに。
とにかく距離を取りたかった。折角中学時代の連中と縁を切る為にはるばるこんなところに出てきたというのに、あの時の二の舞になるのだけはごめんだった。
だから、ため息を一つつくと初音さんの方に向き直って正直に言うことにした。
「俺は、アンタと友達になる気はない。だから放っておいてくれ」
「どうして?」
「んなことアンタに関係ない。じゃあな」
じゃあな、と言ってそそくさと歩き出すが初音さんは俺の後をついてくる。当然だ、アパートの部屋が隣同士なのだから帰り道も同じ。
しかしこのままついてこられるのもなんか気分悪いので適当な路地へと道を逸れて彼女を撒くことにした。
「天川君、そっちはアパートじゃないよ!」
後ろから戸惑ったような初音さんの声が聞こえたが、無視をしてそのままどんどんと進んでいった。
もう、後ろからついてくる足音は聞こえなかった。
そのことに胸をなでおろし、再び空を見上げる。だが、どうしてだか綺麗に晴れた青空が俺をバカにしているように見えて直ぐに視線を前へと戻す。
再び足を前に出す前に足元に転がっている石ころを思いきり蹴飛ばした。
邪魔者を撒いたはずなのに俺の心はどこか荒れていて、でもどうしてそうなのかが分らなかったから余計にイライラする。
原因の分らない気分の悪さにイライラしながら、俺は再び歩き始める。
空は、俺の心とは裏腹に相変わらず変わることなく綺麗に晴れていた。
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第4話 独りの少年
次回行進は未定ですが、早めに上げられたらと思います。
初音さんから逃げる様に帰り道を外れた俺は、当てもなく辺りをさまよっていた。何も考えず、ただただ分かれ道に突き当たる度に右へ左へと曲がっていく。
そんなことをしている内に、俺の目の前には長い階段が現れた。階段の横には『有賀島公園』と言う木で出来たありふれた立札が立っている。
階段の両脇には桜の木が大量に植えられており、文字通りの桜のトンネルを作っていた。そよ風が吹くたび、枝が揺れて花びらが舞っている。
そんな光景を目にして何となく右手を出すと、一枚の花びらが俺の手に乗りそうになる。かと思ったが、花びらは指をすり抜けて落ちて行ってしまった。
「あ……」
花びらが指の間をすり抜けて落ちていったのを見て、思わず小さく声が漏れる。空に向かって開かれた俺の手のひらには、何もない。
地面に落ちた花びらをもう一度見て、それからまた空っぽの手のひらを見つめる。まるでそれは、これからの俺の人生を象徴しているような気がした。
ふっと息をつき、空っぽの右手をグッと握りしめる。それから、上へと続いているであろう長い階段を見上げた。
桜のトンネルで彩られたその階段は、まるで天国へと続く階段のようにも見えた。もしかしたら、ここを昇ってみたら本当に天国へと行けるのかもしれない。
そんな馬鹿げたことを考えながら、ゆっくりと階段を昇っていく。一段一段、ゆっくりと。
綺麗に整備された階段は、特に足を引っかけそうなところもなく昇りやすい。桜の時期というのもあって、足元は常に桜の絨毯で埋め尽くされている。
そんな桜色の階段と、ピカピカの革靴を眺めながら俺はゆっくりと階段を昇っていく。
そうして昇り続けているうちに、桜の絨毯が敷かれた階段は唐突に終わりを迎えた。階段を昇り終えたのだ。
階上に待ち受けている光景を見るべく、俺は顔を上げて前を見る。
そこには桜色に染め上げられた空間が存在していた。地面も、植木も、ベンチも、全てが桜色に染まっている空間だった。
そんな光景を目の前に、俺は言葉を忘れて立ち尽くすしかなかった。具体的な言葉なんか思いつかない。ただただ『綺麗だな』という感想が思いつくだけだ。
けれど、驚くことにその空間には俺一人だった。こんなに綺麗な場所に、俺一人しかいなかった。辺りに響くのは小鳥のさえずりと、そよ風が木々を揺らす音だけ。
だから俺は、ふらりとした足取りで奥へと進んだ。もっとこの美しい空間に溶け込んでいきたかった。他に誰もいない今なら、それが出来るだろう。
階段から少し進むと、唐突に視界が開ける。一か所だけ、桜の木々がないエリアがあった。どうやら展望台の様で、そこからは有賀島町が一望できた。
学校も、駅も、商店街も全てが見渡せた。きっとあそこでは色んな人がいつも通りの日常を送っているのだろう。時間やお金、仕事、課題、色んな物に追われた人達がせわしなく動いているに違いない。
しかし、この場所だけは違う気がした。人々の生活と切り離された特別な場所。ここに来れば何もかもを忘れていられるのではないか。そう思わずにはいられなかった。
とにかく、今は学校やその他のことなんて何も考えずにゆっくりとしたかった。そう思い、振り向くと丁度いい具合にベンチがあった。このベンチも他の物と同じように桜色に染め上げられている。
自分の座るスペースの分だけ、ベンチに広がった桜の花びらを払ってゆっくりと腰を下ろす。背もたれに背中を預け、ゆっくりと目を閉じる。すると色々な物が感じ取れた。
遠くから聞こえる町の喧騒、頬を撫でる優しい風、木々の隙間から俺に降り注ぐ暖かな太陽の光。全てが心地よく感じられる。
やがて、それらがゆっくりと遠ざかっていって、俺の意識は緩やかに闇の中へと落ちていった。
・
・
誰かに呼ばれている気がした。
聞き覚えのある、澄んだ綺麗な声。
「……君! 天川君!」
「ん……?」
重たい瞼を少しだけ開ける。途端に眩い光が俺の視界を埋め尽くした。
「うっ……」
突然強烈な光を目にしたことで驚いた俺は、思わず俯いて瞬きを何度かしながら軽く頭を左右に振る。
その後、ゆっくりと顔を上げるとそこには太陽を背に立つ初音さんがいた。
一度家に帰ったのだろう。服装は赤い上着(カーディガンというのだろうか)にチェック柄の洋服(トップスとボトムスで別れていないところを見るにワンピースなる物)を着ている。
「あ、やっと起きた」
「あぁ……?」
とにかく状況が呑み込めない。いや、この状況的に初音さんが俺を起こしたのだろうけれど、どうして都合よく彼女が俺の目の前にいるというのだろうか。
そんな疑念が顔に出ていたらしい。初音さんは小さくため息をついて、今の状況を説明してくれた。
「あの後いつまで経っても帰って来る気配はないから、散歩がてら歩いていれば見つけられるかなと思って歩いてたの。そしたらここで天川君を見つけたってわけ」
「……あぁ、そう」
随分と不確実な方法で探そうとしたものである。いくらそこまでの都市ではないとはいえ、歩いて移動するには有賀島市は広すぎる。確率で考えれば会えない方がずっと高い。
最も、初音さんも『散歩がてら』と言っていたから本気で探す気はなかったのだろう。むしろ本気で探されたらこっちが困る。
「こんなところでお昼寝なんて……いくら春になって温かくなったっていっても……」
「人の心配より、自分の心配をしておけよ」
「っ……!」
傍にある鞄を手に取りながら立ち上がって出した声は、自分でも驚くほど冷たく低い声だった。
それは本気の拒絶を示す声。中学の時、何度となく他人に向かって使った俺のたった一つの
どうやらその
驚きと、戸惑い。そして気まずさだろうか。目を見開き、それから泳がせる。
何かを言おうとして、結局何も言えずゆっくりと閉じられる半開きの彼女の唇。
何も言えない自分への失望、
それでもこの場を立ち去ろうとせず、何かを言おうと模索している。
こんな反応をされたのはいつ以来だろう。余りに久しぶりに見る反応に、思わずこちらが動きを止めてしまう。
だって今まで、この
唯一たった一人だけ、例外がいた。
親父だ。親父だけは、他の奴らとは違っていた。
不器用で、気の利いた言葉なんて言えるような性格でもないくせに、必死になって何か言おうとしていた。
結局口にしたのは『なんかあったら俺に話せよ』なんてバカみたいなセリフ一つだけ。
初音さんはそんなこと言わないだろうし、言えないだろうけど。
どうしてだか、あの時の親父に被って見えた。
それがなんだか俺をモヤモヤした気分にさせる。今すぐここを離れたいという気持ちをより追い立てる。
だから俺は、逃げるように初音さんに背を向けて歩き出した。
後ろから俺を呼び止める声が聞こえる。無視をした。
歩く。歩く。どこへ向かっているのか自分でも分らない。
とにかく曲がり角があれば曲がり、分かれ道が来れば迷うことなくどちらかの道を選ぶ。
気が付いた時には、自分の部屋の前についていた。
思わず、隣の――初音さんの部屋の玄関に目をやってしまう。
ぴたりと閉じられた扉は、既に住人を招き入れた後だろうか。それとも、未だ帰らぬ住人を待っているのか。
どちらにしても、物言わぬ扉は俺に何を教えてくれるわけでもない。
視線を前に戻し、ポケットから部屋の鍵を取り出して鍵を開け、扉を開けつつ部屋の中へと足を踏み入れる。
「ただいま……親父ィ、飯の……」
そこまで言ってから自分が何を言っているかに気付き、氷漬けになったかのような錯覚を覚える。
驚きの余り、開いた口が塞がらない。誰に言い訳するわけでもないのに、勝手に目を泳がせてしまう。
どうしようもなくなって、肺の中に残っていた酸素を絞り出すように息を吐き出す。
そのままフラフラと部屋の中心に敷いてある布団の方へと歩いていき、どさりと腰を下ろした。
なんというか今日一日だけで、ものすごく疲れたような気がする。というか、実際すごく疲れた。
公園のベンチで眠ったくせに、また眠気が襲い掛かってきている。
制服にしわをつけるわけにはいかないから、寝間着に着替えはするけれども、着替えたらすぐに眠ってしまいたいくらいには眠い。
着替えたら、寝よう。疲れた、というのも事実だし、それ以上に精神的になんだか大分参っているみたいだから。
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第5話
入学式が終わり、一週間が経った。
あれから初音さんとは一言も言葉を交わしていない。
いや、初音さんから話しかけてくることは何度かあった。けれども、それをことごとく俺が無視をしたのだ。
悪い、とは思わない。確かに彼女にとっては辛いことだろうけれども、これからの高校三年間を考えればそんなもの一瞬だ。
俺と関わり合いになった奴は、ろくな目に遭わない。俺自身としても、誰かと関わればろくな目に遭わない。
だから、誰かと関わることは絶対に避けなければならないのだ。関わったとして、せいぜい学校行事の時に最低限会話をするくらいか。
そうすれば自然と周りは俺との関わろうとは思わなくなる。そして皆が嫌な気分になることも無くなるはずだ。
だというのに。
「あ、天川君!」
俺はそう言うシナリオで高校生活を過ごしたいと願ってやまないのに。
「ねえねえ、一緒に学校行こう?」
初音さんは俺に声をかけることを止めなかった。
「今日はいい天気だね」
どれだけ無視をされても、俺がどんなに関わるなと言っても。
「今日って、数学の課題の提出日だよね?」
初音さんは変わらず、笑顔で俺に話しかけてくる。変わらず、花が咲いたような笑顔で。
「私、数学って苦手なんだ。どうしてもこう……好きになれないっていうか」
どうして彼女がここまで俺に関わろうとするのか、理解ができない。
「天川君はどう?」
俺は別にアラブの石油王とか、どこかの王子様だったりとかするわけじゃないのに。
「…………」
ただの、疫病神だっていうのに。
「……そ、そういえば、今日はグループ実習があったんだっけ」
周りに何を言われても、彼女が俺に声をかけることを止めることはなかった。
「同じ班になれるといいね!」
どうして、彼女は俺に屈託のない笑顔を向け続けられるのだろう。
既にクラスの中では俺は孤立しつつある。そうなるように俺が行動した、努力の成果とも言えるだろう。
だが、初音さんはその努力を無駄なものにしようとでもいうのだろうか。平穏無事な高校生活を、俺に送らせるつもりがないというのだろうか。
「……川君? 天川君!」
「ッ…………」
そんな思考の海に沈んだ俺を、初音さんの声が現実へと引き戻す。辺りを見渡せば、既に学校の校門前までやってきていた。
「学校ついたよ。早く行こう?」
綺麗な花が、その手のひらを俺の目の前に差し出す。俺にはあまりに綺麗すぎる、その手のひらが眩しくて。
「どうして俺に構うんだ。ほっといてくれ」
彼女の横を通り過ぎると同時に返したものは、ドブを流れる汚水のように濁った言葉。それはズルズルと心の中に染みこんで、俺の心も腐らせる。
でもそれでいい。元より俺の心など腐った果実みたいに崩れかけている。それに、いっそ崩ちまった方が楽になれる。
鉛のように重たくなった体を引きずるように、俺は自分の教室へと向かう。そんな俺の近くに、初音さんの姿はない。
それでいいんだ。そうあるべきだともいう。そうすれば、もうあんな地獄は味わうこともないのだから。
自分の教室へ向かう途中にすれ違う奴、追い抜いていく奴、たくさんの学生とすれ違うけれど、誰一人俺を見ることない。大勢の人の中に、たったヒトリ。
願ってやまない、俺の理想郷。最高じゃないか。
握りしめられた拳と噛み締められた奥歯を無視するようにそう言い聞かせて、俺は教室の扉を開いた。
入学式の日から一週間と少し。あれから天川君とはほとんどお話ができていない。
あの日、放っておいてくれって言っていた天川君がどうしても気になって散歩がてらとは言ってもあちこち歩き回りながらあの人のことを探し回った。
しばらく歩き回っていたら、太陽も西に傾いた頃ようやく丘の上の公園で天川君がベンチで眠っているところをみつけられた。
いくら春になって暖かくなってきたといっても、太陽がなければまだ肌寒いんだから風邪でも引いたら大変だと思って彼を起こしたけれども……
今思い出しても胸が痛くなるほど私のことを拒絶する声色に、何もできなかった。
それから何日かは登下校のタイミングとかで話しかけてみたけれども、私の話に付き合ってはくれなかった。結局、いつものとおり放っておいてくれと冷たく言われただけ。
正直に言って、かなり傷ついた。私自身、別に自分のことを人付き合いが上手なタイプだと思ってるわけじゃない。
けれどもここまで拒絶されることは初めてだった。
嫌われることはあっても、拒絶されるということはほとんどなかった。だから、辛かった。
今日も私は一人で登校している。天川君はもう学校についているのかな。あの人は私と違って朝はしっかり起きられる人みたいだから、遅刻するってことはあまりないと思うけれど。
「みーくちゃん! おはよう!」
ボンヤリとお隣さんのことを考えていたら後ろから元気な声が聞こえて、ポンと肩をたたかれた。
「あ、白川さん! おはよう!」
声の主は昨日学級委員長に決まった
白川さんは明るくて優しいし、意外と物をハッキリという強いところもあって憧れているところもあるかな。できることなら卒業までずっと仲良くしていたい。
「ねえねえ未来ちゃん。未来ちゃんはもう学校生活慣れた?」
「んー、まあまあかな。白川さんみたいな良い人とも友達になれたし、滑り出しは好調って感じ!」
白川さんの問いかけに小さくガッツポーズして見せる。天川君のことは残念ではあるけれど、少なくとも私は今一人じゃない。それは素直に嬉しいことだった。
そんな私の言葉に満足してくれたのか、白川さんは太陽のような笑顔を浮かべてくれた。
「そっかそっか! 委員長としても友達としても楽しい学校生活送れてることが分かって私は嬉しいよ!」
このまま素敵なクラスを作るぞ、と一人気合を入れている白川さんを見て思わず頬が緩んだ。
それから白川さんと他愛のない会話を交わしながら学校の近くまでやってくると、何やら校門の辺りが騒がしい。
「んー? 何かあったのかな?」
「さあ……」
一体何があったんだろうと思いながら近寄ってみると、校門の目の前にリムジンが止まっていてそこからレッドカーペットが昇降口まで敷かれていた。
「え、来る学校間違えたかな?」
そう呟いた白川さんは何も間違っていないと思う。正直私ですら目の前の光景が信じられなくて同じことを思ったから。
でも、校門の横にある『有賀島高校』と書かれたプレートが現実であることを示していた。
「……なんかすごい人が来るみたいだけど、遅刻しそうだから急ごう?」
どうしてこんなところに来てまでこんなものを見なくちゃいけないんだろう。私は、こういうのを見るためにここに進学したんじゃないのに。
「未来ちゃん? 大丈夫?」
余り思い出したくない少し前のことを思い出して気分が沈みかけたところで、葵菜ちゃんの声が私を現実へと引き戻してくれた。
「あ……うん。大丈夫。ほら、早く教室に行こう? 遅刻しちゃうよ」
「え、あ……ちょっと未来ちゃん!?」
葵菜ちゃんの手を引いて校門前で物珍しそうにリムジンやレッドカーペットを眺める他の学生を押しのけるように昇降口へと歩く。
こんなことなら、髪の毛を黒染めにでもしておけば良かったかもしれない。
そんなことを考えつつ、どうかこのリムジンで送り迎えをされている学生と出会いませんようにと祈った。
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