ハリー・ポッターと曇天の大鷲 (adbn)
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一九九八年、夏。エピローグ、あるいはひとつの祈りの末路
それは叢であった。叢以外のものではなかった。一つの躯が倒れんでいたとしても。かつてアルテア=レストレンジと呼ばれた青年は、そこにいた。その場所にいた。
否、あるいは居なかったのかも知れない。
その場所には、既に何者も居なかったのかも知れない。
何故って、その地にあるのは一人だけ。そして彼はもう起き上がらない。笑いはしない。泣きもしない。もっとも、それは丸一年も前からそうだったが。
だから、此処には何者もいないのだ。
数知れぬほどの死者を生んだ青年は、緩慢に死者の国への歩みを進める。
神に祈らぬ青年は、誰に祈られることもなく消えて逝く。
友人を捨てたからか。しかし彼が離れなければ彼らは生き延びることはなかったかもしれない。少なくとも彼らの意思は、殺されていただろう。純血にして純潔の魔法族の血統が保証するのは
それとも、ロドルファスとベラトリックスの間に生まれたことが、罪だったのだろうか。
ともかく。
彼はもう、その杖を振るわない。
その青年を看取る者もどこにもいない。
彼を友人と呼ぶ者は二種。
片方は来ない。彼らが望んでいたのは“レストレンジ家の当主”であり“半世紀に一度の呪術の天才”なのだから。
もう一方は、来られない。彼らは何も知らないから。アルテア=レストレンジが殺人者として捕らえられたことも。その後、魔法界における極刑──吸魂鬼の
それが、ただの幻想とは知らず。
それが、都合の良いだけの空想とは思わず。
しかし、それでも。
この終わりはきっと、最善だった。
この地点の他は、全てが英雄の勝利で飾られているから。
たとえ、此処には絶望すら存在していないとしても。
たとえ、未来が勝利者にやって来なかったとしても。
これより良い終わりかたは、他に無かったであろう。
悪は滅びた。
彼は、生まれながらの
これは、絶望に辿り着くまでの物語。灯った祈りが息絶えるまでの、物語。
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一九九二年、夏。邂逅、あるいは無知であることの結果。
赤い煉瓦の舗装。珍しく燦々と照りつける天上の光。足早に行き交う背広の群れ。イギリス、ロンドン。其処に一人の少年が座り込んでいた。年の頃は十四、五ほど、どこかの
「ミスター・レストレンジで間違いないでしょうか?」
五十代と思われる女性。薄く色の付いた七分袖のブラウスに黒のロングスカート。首元にはスカーフ。きつく結んだ黒髪には心なしか白いものが混じっている。
少年──アルテア=レストレンジによる首肯という形の返答。
「
「ええ、そうです。では、余り長居してマグルに不審がられても厄介ですし早速向かうとしましょう」
女性──ミネルバ=マクゴナガルと立ち上がった少年が歩き始める。駅に向かってではなく、人気の無い路地裏の薄暗がりへ。他の人間が見えなくなったところで、マクゴナガルがアルテアに彼女の腕を掴むよう指示する。少年が女性の腕に触れるやいなや、二人の姿が回転し、掻き消える。
姿眩まし。
一瞬の内に彼らは再び姿を現す。だがそれはこの駅前にではない。ダイアゴン
大理石の壁の中。魔法界にて金貨の管理を任される人の子供ほどの背丈をした生物──小鬼。その一匹──クルヌゴンがマクゴナガルとアルテアを先導する。高速のトロッコに乗り、地下の深く、レストレンジ家の金庫へ。水に触れることの無い滝と微かに響く竜の咆哮を越えて飾り文字で724と書かれた扉の前へ。クルヌゴンが扉に指を這わせると、それは霧か霞であったかのように消え失せる。扉を潜った奥には金貨銀貨の山と大量の宝飾品。立ち並ぶ古の武具達。
「現金はどのくらい持てば良いのですか、
「学用品を揃えるだけならば五十ガリオンもあれば十二分でしょう」
言葉を受けて少年は金銀銅貨を合わせ百ガリオンほどを先程小鬼から渡された袋──曰くグリンゴッツ公認の貨幣以外は入らない代わり、相当量入れることができるのだとか──に入れ、ついでとばかりにクルヌゴンに二十ガリオンほど非魔法族──マグルの通貨への両替を依頼する。
「では、まずは制服を揃えましょうか」
ガリオン―ポンド両替窓口から離れたのを見てマクゴナガルがレストレンジに声をかける。
「マダム・マルキンの洋装店に行きましょう」
グリンゴッツを出れば、買い物客で賑わう店の群々。ダイアゴン横丁、イギリス魔法界最大の商店街である。記憶の限り初めて屋敷から出る少年にとっては驚き以外の何物でもない
「此方です」
マクゴナガルの指示に従って進むと、件の店が見えてきた。大きなショウウィンドウの中、エジプシャンブルーのローブ。如何なる仕掛けか“あのギルデロイ=ロックハートが絶賛した新色!今なら二割引!”の文字が
「あらあらこれはマクゴナガル先生。お隣の子は?見慣れない方ですが……」
「新入生です。一通りの制服を仕立ててやってください」
「新入生!ウィーズリーの子でもあるまいに。少し大きめに仕立てましょうか。坊っちゃん、此方へどうぞ」
現れた女性─店主マダム・マルキンに言われるままにレストレンジ少年の採寸が始まる。飛び回って明らかに仕立てには不必要な部分まで体の各部位を測るメジャーへの不快感をおくびにも出さず、かといってマダム・マルキンの話に付き合うこともせず、アルテアは黙って立っている。制服と言っても、ホグワーツのそれは余り厳密ではないようで、マダム・マルキンはレストレンジ少年に好みのデザインを聞いている。最終的に、ローブはフードの付いた腰元をベルトでとめる前開きの物、三角帽はつばが小さく高さも低いカジュアル仕様、マントは比較的薄手の襟付きとなった。インバネスコートの可否を聞いて却下されたのは余談である。安全手袋は魔法薬やその原料の取扱店の方が良質な品があるとマクゴナガルは言う。
「そういえばミスター・レストレンジ、鞄の類いはあるのですか?」
「……そうですね。失念していました」
という会話を経て、今しがた彼らが扉をくぐったのはビュットナー皮革鞄工房。工房と名が付くとおり、商品の並びは見栄えや販売促進効果よりも空間の有効活用に重きを置いているように思える。入って五秒としない内に店主らしき中年男性が出てくる。
「ようこそ、ビュットナー皮革鞄工房へ。お客さん、一体何が欲しい?」
愛想という物を知らないとみえるぶっきらぼうな態度で男性が問う。そんな接客態度に戸惑い一つ見せず、
「ホグワーツの学用品が一通り入るトランクの類いと、教科書類を持ち歩く為の鞄を一つづつ」
此方もまた必要最低限のやり取りで済ませたいという意識が透けて見える淡々とした声音で少年が応える。
「あいよ。トランクならこいつだな。ちょいと値は張るが拡張呪文が掛かってるんでこのサイズでも全部入る。箒やら大鍋やらを含めても、だ。軽量化は掛かって無いんで気ぃ付けろ」
バーントアンバーの革にシナモン色のベルトとくすんだ金色の金具の小型トランクを奥まったところの棚から持ってくる男性。
「保証書も書いてやる。よっぽど妙なこと、まあ呪いかけられるとかだな、がなけりゃ五年に一回かけ直せば十分だ。んで鞄は正直どれでも大して変わらん。好きなの選べば良い」
「ならこれを。合わせて幾らだ」
「三十四ガリオンと十二シックル」
マチの広い、非魔法族の会社員が使うような鞄と例のトランクと引換に、躊躇いなく全額を支払う少年。
「まいど」
店主の声を背後に出ていく少年をマクゴナガルが追い掛ける。
魔法薬の原料を売る店で、黒いドラゴン革の安全手袋と銀製と鋼鉄製の小刀も購入。梟便での宅配サービスの登録。レストレンジの名は悪名高い。危うく拒否されかかる。しかしマクゴナガルがホグワーツの正規教員として仲裁し事なきを得た。
大鍋の店はその直ぐ隣、錫製であることに加え、直径まで決まっているためこれは指示通り購入。授業中に調合を間違えて溶かしたと思われていたが、余談である。
大鍋店の向かい、総合魔法道具店とも言うべき場所にて秤とクリスタル製の魔法薬保存用小瓶、小型で高性能な真鍮の望遠鏡、それに伸縮自在な真鍮の物差し。望遠鏡は横のツマミで倍率を変えられるもの。この辺りは魔法の面目躍如である。
インク、羽ペン、羊皮紙。ホグワーツに通うとなれば必須の物。羽ペンを思考対応の自動筆記用と通常の物を同数買い、インクを消せる消しゴムを購入。別段ピンクの羊皮紙を買ったりはしない。
教科書を購入しようと向かったはずの書店だが、出てきた時少年が抱えているのはその他の本の方が多い。そればかりか他学年の指定教科書まで購入する始末。理解出来るのかとマクゴナガルに呆れられる少年の図。
「残るは杖だけですね。オリバンダーの店に行きましょう。英国随一の杖の店ですよ」
マクゴナガルが告げ、即座に歩きだす。ダイアゴン横丁本通りの奥の奥、古びた店住まいの小さな店。ショウウィンドウには色褪せたクッションに杖がたった一本だけ。とても英国で最高の店には見えないが、本通りに店を構えるなら、相応に稼がねばならない。なれば確かに良い物を売るのだ。マクゴナガルは店の前で待つと言う。杖を手に入れると言うのは神聖な儀式にも等しいとか。アルテアが入店する。外観と同じく古びた内装。壁一面に積み上がった細長い箱。アルテアが眺めていると、音もなく一人の老人が店の奥から現れた。老人──オリバンダーがアルテアに声をかけたところで初めて彼はオリバンダーに気が付いたようだ。挨拶代わりかオリバンダー翁はロドルファスとベラトリックス=レストレンジの杖について話す。レストレンジ少年に杖腕を出すよう言い、測定を始めた。マルキンが用いた物と同じ浮遊するメジャー。杖についての説明。芯はドラゴンの心臓の琴線、ユニコーンの尾あるいは鬣、不死鳥の尾羽。一つとして同じ杖の無いこと。一通り測った後、一面の箱から無造作に一つ引き抜く。
「楡にユニコーンの鬣、二十六センチ。柔軟で妖精の魔法に向く」
そうオリバンダーは評し、アルテアに手に取るよう促す。しかし彼が手に取るやいなやオリバンダーは杖をもぎ取り、合わなかったようだと次の箱を抜き出す。紫檀に不死鳥の尾羽。次々と。百日紅に竜の心臓の琴線。柿にユニコーンの尾の毛。杉に不死鳥の尾羽。桜に不死鳥の尾羽。マホガニーに竜の心臓の琴線。
「李にドラゴンの心臓の琴線、三十七センチ。強靭。呪術に向き、攻撃的」
今度は取り上げなかった。
オリバンダーからの忠告。ややもすれば狂気を孕む。悪に堕ちないことを願う。
杖の代金は七ガリオン。
店から出れば、マクゴナガルが。ロンドンからダイアゴン横丁に入る正規の方法を教えた後、別れを告げる。九月に会いましょう、と。
李(すもも)の木言葉は忠実、困難、独立、疑惑、変わらない信仰。はてさてどうなることやら。
なおこの杖は致命的なレベルで“
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一九九二年、九月一日。入学、あるいは帽子の見た本性。
レストレンジ邸。食事を取る少年、アルテア。食事が終わった頃、一人の筈の少年が鋭く何者かの名を呼ぶ。ケリー。人の名か。答えは即座に現れる。人ではない。小鬼に似た外形。ずっと卑屈な態度。シーツをトーガのように纏った生き物。
駅のホーム。人でごった返すそこにアルテア=レストレンジもいた。背中にバックパック。手に革のトランク。九番線ホームと十番線ホームの間の柱にもたれ掛かり、通る人間を観察している。自らの立つ柱の一つ進行方向側の柱、其処に向かって走って行く青少年達を見つけると、移動を始める。件の柱を通り抜け、
十分ほど経った後のこと。男女三人組が相席の可否を尋ねる。了承。
「私、ハーマイオニー=グレンジャー。こっちがネビル=ロングボトム。どっちもグリフィンドール二年。この子は新入生で、ジニー=ウィーズリー。貴方は?」
「アルテア=レストレンジ。名字では呼ばないでくれると助かる。諸事情で入学が遅れたから、学年は其処のミス・ウィーズリーと同じ」その科白をアルテアが言い終わらない内に、ロングボトムが口を開く。
「レストレンジって……
「ああ、そのレストレンジで合っているはずだ。……ロングボトム、両親が済まなかった。」
女性二人に向き直る。
「同じコンパートメントに居たくないならご自由に。なんなら俺が出て行こう」
「き、君は君のご両親とは違う人だ」
「有難う。ミスター・ロングボトム」
「ネビルで良いよ」
会話は其処までで途切れ、三人組の中で話し始めた。
二時間も経ったろうか、車内販売が回ってくる。ロングボトムが蛙チョコレートを買ったのを契機に、三人は食事を始める。
アルテアは読書中。題名は遥かなる神代~マグル伝承から考察する失われた魔法~。いつまでたっても食事を取らないアルテア。気になるのか時折目を向けるが言い出せない三人。そのまま時間が過ぎて行く。
アナウンス。後三十分ほどで到着。グレンジャーが着替えるから出ていけと言う。コンパートメントの扉越しに話し声が聞こえてくる。
十分ほどで入れ替わり今度はアルテアとロングボトムが着替える。アルテアがシャツを脱いだときロングボトムが驚きの声を上げる。
「ど、どうしたの、その左手!」アルテアの左手首には包帯。
「ん?……ああ、ちょっと怪我しただけだよ。そんなに心配することじゃないさ」本人が流せば、ロングボトム少年もそれ以上追及はしなかった。少女二人をコンパートメント外に放っておくわけにもいかない。少年たちがローブを着込み、女性陣を中に入れる。
列車の停止。ホームに降りる。
「イッチ年生はこっち!」ぼさぼさの髪と髭。毛皮のコート。とてつもない大男が呼びかける。二手に別れる。グレンジャーとロングボトム。ジニーとアルテア。
暗い水面。遠く聞こえる大きな波が崩れる音。一年生の列は湖の岸に着く。六人ずつ小舟に乗り込み、波に揺られて反対の岸まで。小舟から降り、再び列を成して進む。夜風の中で煌めく光。見上げて猶先の見えない尖塔。ホグワーツ城。彼らが七年間学ぶであろう場所。その威容に少年少女が呑まれるが、列は進んで行く。グリンゴッツの扉同様、五メートルはゆうに有るだろう扉を抜けた玄関ホールにはマクゴナガル教授。ディープロイヤルパープルに金刺繍のローブに、同色に細かい銀の五芒星を散らした三角帽という魔女としての正装である。先導を大男から代わり、新入生に組分けの儀式を行うと告げる。途端に不安から色めきたつ一年生達。しかし実際にマクゴナガルとアイアンブルーのローブを着た老人──ホグワーツ校長、アルバス=ダンブルドア──が儀式の用意をスツールに古びた三角帽を置くという形で始めれば、何を求められるのかと静かになる。帽子の裂目が口のように開き、各寮の選考基準を唄う。
組分けの儀が、始まった。
アッカーソン、ヘレン──グリフィンドール。
アルフォード、ロビンソン──ハッフルパフ。
バクスター、セドリック──ハッフルパフ。
組分けは進み、アルテアの名が呼ばれる。
「レストレンジ、アルテア」
ざわめき。
アルテアが帽子を取り上げ、スツールに座る。帽子を深々と被る。
内側から、声。
曰く、難しい。
アルテアが呟く。誰でもそうではないのか。人は多面的で不可解で予測不可能な存在だろう、と。
答えはない。
曰く、無謀に近いと云えど勇敢。これはグリフィンドールの特徴だ。
曰く、知識欲が強い。これはレイブンクローの特徴だ。
曰く、目的が必ず手段に先行する。これはスリザリンの特徴だ。
曰く、向くはスリザリンとレイブンクロー。より偉大になれるのは、スリザリン。
応えて聞こえぬ声を落とすレストレンジ少年。
それは、狼煙。それは、祈り。訪れ得た世界への、渇望の一片。
──俺は、
ならば、と声がする。
レストレンジ、アルテア──レイブンクロー。
おまけ:アルテアのスペルはALTAIR。日本語で言うところのアルタイル。鷲座の一等星。発音はアルト+エアー。
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一九九二年、秋。ホグワーツ、あるいは友人という救済の可能性。
ホグワーツ城の内部構造はひどく複雑である。百をはるかに超える階段、その殆ど全てに仕掛け。廊下と廊下を繋ぐ隠し通路。見えない隠し扉。余程運に恵まれていないかぎり新入生は誰しもが授業間に移動を終えられず、一週間は苦しむことになる。アルテア=レストレンジもまた例外ではない。三日目の魔法薬の授業には、始業だけでなく教師の入室にも間に合わなかった。
「初回から遅刻とは随分と余裕があるようですな、ミスター・レストレンジ」アルテアが息も荒く地下牢にも似た教室の扉を開くと同時、そんな嫌味が教壇から飛んできた。
「始業から七分と二十四秒の遅刻。それでは繰り上げて……レイブンクローは八点減点。どうした、早く席に着きたまえ」入学後一週間と経っていない新入生相手にしては随分多い減点を課しつつ、常磐色の刺繍が施された濡れ羽色の詰襟の教師が着席を促す。黒髪の男性教師──セブルス=スネイプの言葉に従い、アルテアは空いていた窓際、中ほどの席に腰を下ろす。
スネイプが告げる。
魔法薬は一見魔法らしくないと思えるかもしれない。
だがそれは、最も高きに辿り着ける方法。栄光を醸造し、死に蓋をする術である、と。
不意にスネイプの声が鋭くなる。
「マクベイン!」
「は、はい!」ブロンドをおさげにしたハッフルパフの女子生徒が返事をする。
「ベゾアール石を見つけてこいと言われた場合、どこに探しに行くかね」
「え、えーと、ベゾアール石、ベゾアール石はたしか……羊の心臓……?」
「ハッフルパフの新入生としては上出来の部類だろう。雄山羊の胃だ。稀に小腸や排泄物からも見つかる。ではレストレンジ。レイブンクロー生であるからしてベゾアール石の効能が解毒であるというのは先刻承知と思う。故に……ふむ。ベゾアール石を構成物とする解毒剤以外の魔法薬を挙げよ」
「
「その通り。レイブンクローに二点。ただし毒性の強い魔法薬に必ずベゾアール石が使われる訳ではない。例えば誤解されがちではあるが先日発表された
一通り生徒がノートに書き込み終わった頃合いをみて、二人一組にして単純な薬を造らせる。席の大幅な移動をスネイプが認めなかったこともあり、アルテアはすぐ前の席に座っていたハッフルパフ生徒と組んだ。
相手生徒──エドワード=カートリッジが生の角蛞蝓にナイフを入れようとすると、アルテアが声をかける。
「違う」
「え?」話しかけられるとは思わず手に力の入るカートリッジ少年。
「角蛞蝓は丸のまま茹でて、それから切る。体液も必要だから」
「え、あ、ああ。けどもう……」哀しげに血が流れ出し始めた蛞蝓に目を落とす。
「一匹使って良いぞ」
「あ、ありがとう。思ったより好い人だね」
「……思ったよりってのはどういう意味だ」半眼になって睨むアルテア。
「あ、ごめん」
「いや、気にしなくていい。親が親だからな。こういう扱いは慣れている」諦観の混ざった声音。
その日は特に鍋が溶かされるような騒ぎも無かった。
しかし、慣れている?レストレンジ邸から出たことも数えるほどしかないのに。
薬草学の授業は二寮の合同。グリフィンドールとハッフルパフ。レイブンクローとスリザリン。スリザリン寮には、純血の旧家の子弟の七割方が入寮する。魔法族の純血は年々減っており、彼らの価値観ではより格式高い一族の人間と学生時代に繋がりをつくれるよう努力するのは当然。当代当主ロドルファス=レストレンジとその妻ベラトリックスにより一般からの評価は地に落ちたといえども家柄、すなわち血統としてのレストレンジの価値は健在。つまり、今ポモーナ=スプラウトが四人から六人組を作れと指示を出したことで、アルテアの周辺にスリザリン生徒が集まったのも宜なるかな、ということだ。
「レストレンジ!僕たちと組んで欲しい!」
「私たちのグループに入ってくださいませ!」
「申し訳ありませんが、お断りさせていただきます」我先にと詰め寄る生徒達をにべもなく切って捨てるアルテア。そもそも顔も知らない相手なのだから仕方あるまいが。
「ミスター・アルテア=レストレンジ」物静かな声がかかる。灰色に近い髪の男子生徒。動きやすい軽量仕様のローブを着ている。傍には十一にしては背の高い黒髪の男、赤毛に碧の眼をしたふっくらとした背の低い男子生徒、そして栗毛に近い金髪を後ろ手に纏め、銀縁の眼鏡を掛けたた女子生徒。
「はい。なんでしょうか」アルテアが男子生徒の方を向く。
「僕はアシュトン=ブラッドウェル。この背丈が一番高いのがウィリアム=リルバーンで赤毛のまるいのが──」
「アッシュ貴様!誰がまるいのだ!すいませんミスター・レストレンジ。パーシヴァル=スペンサーです」
「ガブリエラ=ティンバーレイクと申します」眼鏡の少女。
「今日だけでも班を組んでいただけますか」再びブラッドウェル。
「構いませんよ、ミスター・ブラッドウェル」先刻の慇懃無礼な態度が嘘のように対応するアルテア。血筋でなく目的意識で選ばれたスリザリン生徒が知性と勤勉を尊しと成すレイブンクロー生と合わない筈も無く。この五人組は薬草学を中心に見ることのできる組合せとなるのだった。
フィリウス=フリットウィックは
「いいですか皆さん。妖精の呪文、三年生からは呪文学と呼ばれることになりますが、これは魔法薬や変身術ほど如実な差違は産まれません。ですが、それは真面目に取り組めばの話しです。故にあまり楽観視しないよう願います。また、魔法の呪文は非常に多彩なもので、少しの違いが簡単に失敗に繋がります。このとき、単に何も起こらないのならこんなに嬉しいことは有りません。一年生、二年生の内は生死に関わる失敗に繋がることは少ないですが、油断は禁物です。確かにこの三百年呪文学及び妖精の魔法の授業内で死者は出ていません。ですが逆に言えば三百十二年前の二月、死者が出たということです。もう一度だけ言います。油断は禁物です」
妖精の魔法では入学後最初の一ヶ月は実際に呪文を使うことはない。先に理論と危機意識を叩き込むのだ。学生に限らなければ実例は豊富に存在する。
アルテア=レストレンジが変身術の教室に足を踏み入れると、教卓の上に一匹の虎猫が載っていた。
始業のベルが鳴る。その時には全員が揃っていた。虎猫が教卓から勢い良く飛び下りる──その姿が空中で変化。虎猫から黒縁眼鏡の女性へと。
「何時まで魚のような口をしているつもりですか、呆けていないでしゃっきりなさい」レイブンクローの生徒は総じてプライドが高い。無理矢理にでも意識をマクゴナガルの方へ向ける。
マクゴナガルもまた、警告から入った。二時間続きの授業の前半は基礎理論のさわりの座学。後半は実践である。最も初歩の変身術は変化の過程と結果を意識することで発動する為、知識を得るのと同程度には杖を振って感覚を掴むことも重要なのである。
教室のあちこちで想像力を駆使し、教わったばかりの呪文を呟く声がする。
尤も如何にレイブンクロー寮とはいえ、成功者は中々出ない。
羊皮紙の上で計算していた羽ペンが止まる。杖をローブの内ポケットから取り出し、配布された燐寸に向ける。
「
燐寸の縁が削れて細く尖った輪郭に変わる。爪楊枝のような状態に成り、そこで変化は止まる。
「ダメか」
もう一度呪文を唱えれば糸を通す穴もでき、色も銀に変わった。
しかしそれでは不満らしく、アルテアの表情は晴れなかった。
魔法史の授業担当、カスバート=ビンズは此岸に残った霊魂、
この年の
青と銅を基調とした高価そうなカーペット。群青の布地に銀で星座をあしらった天井。ホライゾンブルーに薄い銅の縦縞模様の壁紙。四隅の内三つに置かれたスタンド以外に照明は無いが、不思議と部屋の中で暗いと思うことはない。レイブンクロー寮塔、談話室。暖炉の向かい側の壁に掛けられたコルクボードに、一年生が群がっていた。飛行訓練の予定日が発表されたのだ。ハッフルパフとの合同訓練。
曇り空。イギリスの基準ならば良い天気。問題はむしろ強い風。
芝生。円形の広場。地面から空へ伸びた計六本のゴールポスト。クィディッチ競技場。等間隔で並べられた箒。
ぼさぼさしないで箒の横に立て。
手を箒の柄の真上に出して「上がれ」と言え、と。
あまり飛び上がった箒は多くない。
痺れを切らして怒鳴る生徒。何度も何度も繰り返し言い続ける生徒。
無言でプレッシャーをかける生徒。諦めて拾い上げる生徒。
全員の手に箒が握られると、フーチは跨がらせて箒の握り方を修正する。結局のところ飛べれば何でも良いという実も蓋もない言葉が付いてきた。
その日は四メートルほど上がっただけだったが、回を追うごとにアルテアの飛行能力のなさが露呈し、寮生からのからかいに拍車がかかることになる。
おまけ
一九九二年、秋・冬。友情、あるいはハッフルパフとレイブンクローの外れ者。
「ミスター・カートリッジ、そうじゃない。マンドレイクの葉は主な葉脈を取り除くと黒板にあっただろう」
「え、あ!ありがとう、ミスター・レストレンジ」
「アルテアで良い。というか名字は止めてくれ」
「あ、うん。じゃあ僕のこともエドワード、いやエドで良いよ」
「ところでカートリッジ、」
「僕の話聞いてた?」
「カートリッジ、吹き零れるぞ」
「うわわわわ」(慌てて火を弱める)
「ねえ、
「別に構わない」
「だーかーらー、箒を信用しなくちゃだめだってば」
「そんなことを言われてもな。別に信用していない訳ではないのだが、気にしなくてはならない範囲が広すぎて」
「今、授業中だよ?」
「どうしても癖でな......」
「もう!そんなんだからいつまで経ってもまともに飛べないんじゃないか」
「アルトは口調が堅い!いまだに
「あー、努力はしよう」
「カートリッジ、黒板を読めと何度言ったら解るんだ」
「へ?」
「良いからその手に持ってる瓶を下ろそうか。そして黒板を見るんだ」
「え、何かおかしかった?」
「沸騰してるところに入れるなというのが見えないのか?」
「何処にさ」
「一番下だよ。注意事項のとこ!」
「おー。ところでこれ入れたらどうなるの?」
「知るか」
「フム、五年前は爆発して三人ほど医務室に運び込まれましたな」
「本当ですか、
「嘘を吐いて何になると言うのかね」
「......カートリッジ、頼むからちゃんと説明文は読んでくれよ?ってちょっと待てってば!」
「何ー?」(だばだば)
(どーん)
「鍋は買い直しだなこりゃ」
「......ハッフルパフは五点減点」
おまけのおまけ:“アルト”はアクセントが“A”にあって最後の“t”が小さいので“アル”にも聞こえる。
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一九九三年、冬。日記帳、あるいは過去の再臨。
その年のホグワーツは暗闇の中にあった。
ハロウィーンに甦った亡霊が還らなかったというように。
初めは一匹の猫。
ミセス・ノリス。
管理人アーガス=フィルチの愛猫。
それから人間が。
襲われた。
凍りついた。
石になって、動かない。
鶏。ずたずたに引き裂かれた。
そんな事件がもう何度も起きた後、そんな日のこと。
大広間、朝食の席。シリアル、トースト、パンケーキ。ベーコン、ハム、ソーセージ。スクランブル、
赤毛の少女──ジニー=ウィーズリーが三番目の兄のもとに現れる。
隣のテーブルに座っていた少年が立ち上がる。アルテア=レストレンジ。再び彼女の鞄に目をやると、赤毛の少女に声をかけた。
「ウィーズリー妹。ちょっとその本見せてくれないか」
反応は即座。あまり芳しいものではなく。
「は?嫌よ。ハリーならともかく何であんたに見せなきゃいけないのよ」
「ジニー!そんな言い方をするもんじゃない。相手は上級生だろう?」
年季の入ったローブ。傍らに大きな鞄。燦然と胸元に輝くバッジ。グリフィンドール監督生、パーシー=ウィーズリー。ジニーの三番目の兄。
「パーシー、今年の組分け見てなかったの?彼はレイブンクローの一年生よ。」
「そういう問題でもないだろう!というか君もだ。婦女子の日記帳を見ようだなんて──」
「ウィーズリーいも──いや、ジニー=ウィーズリー、頼むよ。中身は絶対に見ないから。実家にあった本と装丁が似ていたから気になっただけなんだ。相応に礼もする」
「ふーん。まあ、古本だしそういうこともあるのかしらね。ま、良いわよ。でもほんとに何も見ないか見張らせてもらうわ。それとここじゃダメ。今日の妖精の呪文の授業の後でね」
「わかった。ありがとう」
「どーいたしまして。お礼、期待してるわよ」
「君たち、話を聞きたまえ!」
返答は無い。どちらからも。
「
生徒達の唱和。一斉に各人に割り当てられた羽根や小石、古い教科書が浮かび上がる。
「よし、問題ないようですな。では次の授業からウォームアップは別の呪文にします!」
少年のそれともまた違う甲高い男の声。そこいらの生徒よりも上背の低い教師。フリットウィック呪文学教授。
「では今日の課題ですが、みなさん教科書の八十七ページを開いてください。そこに今週練習する呪文が載っています。では三人一組になって。ああ、ファベール、ありがとう。でもマンゴーはこちらで運ぶから気にしなくて良い」
三人組。前回までは二人一組であったのに。ざわめき。今までのペアの変更が必要であることに。いくらかの二人組は目を見合せて、あるいは一言二言言葉を交わして立ち上がる。そしてつかつかと。別々の組のところに。別れたうちの一組は赤毛と黒髪の二少女。
「レストレンジ、組みましょ。あ、良いかしら?えっと......」
赤毛の少女、その視線の先には乳白色の髪の。夏の空の群青と冬の海の青灰が交差して。
「あたしは気にしないよ」
「俺も構わない。こっちはルーナ=ラヴグッド。後できれば俺を呼ぶ時は
「“ウィーズリー妹”なんて妙な呼び方してるやつに言われたくないんですけど?要するにアルテアって呼べば良いのね?」
「ああ」
その返答も聞かず。青い目の少女達は忽ちに。もう一人の男など忘れてしまったかのように。二人で話に興じていく。
「ねえ、あなたのこと、ルーナって呼んでも良い?」
「もちろん。あたしもあんたのことジニーって呼ぶね」
「みなさん、三人組はつくれましたか?では一人に一つマンゴーを配るので、歩かせようとしてみてください。
ふ、と果実が宙を舞う。音も無く机の上。
プラチナブロンドの少女は杖を引っ張り出して、一番近いマンゴーを叩く。
「
黄金の果実はふらりと立ち上がる。丸い方を下にして。薄いオレンジの足はぺたりと踏み出して、そろりそろり。しかしそれはあまりにも唐突で。苦情。赤毛のグリフィンドール生。
「ルーナ、やるなら先に言ってくれない?」
「あ、ごめん」
マンゴーはゆっくりと机上を一周。それを満足げに見る青灰色の瞳の少女。鞄から雑誌を広げて読み始める。
BANG.突然に破裂音。その前には杖をマンゴー
「危な!ちょっと、自信無いなら止めてくれない?」
「できないから練習するんだろ......」
「そうかもしれないわねー。しっかし誰かさんと違ってルーナは優秀よね。何せ一発で成功したんだし。流石レイブンクロー!それに比べてこの男は......何であんたレイブンクローなのかしら」
「お前だってスリザリンかレイブンクローかの二択だったら迷う余地なくレイブンクローだろ」
「あ、成程。でもコネとか要らないの?」
「嫌でも向こうから寄って来るな」
「何それ。自慢?」
「
「要らないから」
新しいマンゴーが飛んでくる。教卓に目を向ければ移動魔法を使ったばかりの小さな教師。杖を振りつつ魔法が働かないと唸る少女。もう一度、今度こそと杖を向け、空しく爆破音を響かせる少年。
彼が果実を5つ割った後、授業の終わりを意味するチャイムが鳴って。がやがやと生徒達は教室を出て、昼食の席へ。周囲よりも頭抜けて背の高い、少年と赤毛の少女はひっそりと隠し通路に繋がる角を曲がる。
向き直って、少年。
「お礼、何が良い?」
「あ、何。私が決めて良いんだ」
「あんまり無茶な要求は勘弁してくれよ?」
「そーねー、じゃあ、梟が欲しいわ。夏休みで良いわよ。でも私に選ばせて頂戴」
少女、にやりと笑って。
「はいはい。畏まりましたよ、
「え、良いの?半分冗談だったんだけど。まあ良いや、貰えるんなら。はい、日記。そんな面白いものじゃないけどね。私も使ってないし」
少なくとも、見た目は。
表書きは“
裏返して
トム=マールヴォロ=リドル。
マールヴォロ=リドル。
それは悪夢の姿。記憶に潜む。
それは絶望の声。獄卒の悪鬼。
その名を、かつて囚われた地獄の中で聞いた。
そして
「待って、何す──」
「
絞り出すように。
確信は無かった。今、この時までは。
「ああ、そうか。
そうして少年は。
少年は。
もう一度と、杖を。
「
その呪文は、禁断。
その呪詛は、絶対。
その術式は、絶望。
殆ど密着状態から放たれた緑の閃光は、あっさりと日記帳に吸い込まれる。
悲鳴も上がらぬまま。
インクも流れぬまま。
闇の帝王の一欠片は、崩れて消えた。
器の無傷のまま、崩れて消えた。
「え、な、ちょ、なにしてくれてんのよあんた!」
当然の非難。少年は取り合わず、日記帳を握ったまま迷いもなく歩み出す。三歩進んで振り返り、大股に戻って乱暴に少女の手を掴む。
「ついてこい」
「はあ!?てか何処行く気よ!」
「校長室」
「はい?何、わざわざ怒られに行ってくれるワケ?」
「俺としては
「いやだから意味わかんないってば」
進んで、進んで。疑念の目で見られていることに気づきもせず、少年は。迷いなく早足で歩む。そうして辿り着いた先に屹立する一対の
「しまった。校長室の合言葉わかんねえ」
「ばっかじゃないの!?」
少年少女二人、互いに言い争う。その音に掻き消えて、足音。こつりこつりと、黒革の靴の。角の奥から
「何の騒ぎだね」
「す、スネイプ!」
「ウィーズリー妹、
「え、要る?だって
「お前よく本人目の前にしてそんなこと言えるな......」
「あっ」
「グリフィンドール五点減点。それで?」
「うぎゃ」
「
「何の用で、だ」
「貴方には関係ありません。恐らく私の両親に関わるとだけ」
この場の誰も想定していなかった言葉。
ジニー=ウィーズリーは震える声を。
絞り出すように。零れ落ちるように。
恐怖と驚愕。
それは、絶望にも似た。
「どういう意味よ、それ」
だって“彼”は、友人だったのだ。
T.M.リドル。
トム。
初めての、全てを話せると思った。
それが、関わっている。あの、
少女の動転を掻き消すように、魔法薬学教授は口を開く。必要以上に大きな声で。その無生産な思考を押し流すように。
「
その音を聞くと
高い天井。豪奢な装飾。脇の
「
「通しなさい、此方で話を聞こう」
返事。二階から。
螺旋を描いた昇降は、三人が乗ると動き始めた。ぐるりと一回転して校長、アルバス=ダンブルドアの前へ。二階は天井の比較的低い、手狭な感覚すらする空間。純銀の魔法具は煙を吐き、羽ペンと羊皮紙は宙に舞う。四方の壁には幾つもの中身の詰まった
「いらっしゃい、アルテア、ジニー。まずは掛けると良い」
流れるように杖を振る。融けた金のようなものが宙を泳いで、椅子が二脚。少年少女が腰掛けると同時、黒髪の教諭は口を開く。
「では、我輩はここで失礼させていただきます」
男が螺旋階段に消える。それを見届けて、白髭に覆われた口から声を。アクアマリンに似たその瞳で、じっと何十も年下の少年を見据えて。
「話したいこととは、何かね」
答えて、少年。左手の日記、それを差し出す。
「
老人は受け取り、隅々まで検分。中身は白紙。七十年間誰にも使われなかった日記帳。書かれたかつての持ち主の名を呟く。トム、と。
「
つ、と顔を上げ。半円のレンズの奥から見つめる。視線の先。少年ではなく赤毛の少女。
「ジニーや、この日記を君はどういう風に使ったのかね」
努めてやわらかく。怒りはしないと。少女の責任ではないと。続けた言葉に触発されたか、少女。ぽつりぽつりと言葉を連ねた。
“彼”。トム=マールヴォロ=リドル。かつてのホグワーツ生。監督生で
「私のせいなの」
「いいや、君のせいなどではない」
「ああ。あれは、いやあれ
即座の否定。
眼鏡の奥。瞼で目を隠して老人。考え事。君のせいではない、と繰り返し。
不意に。
羽ペンが踊る。同時に浮き上がった羊皮紙になにやら書き付ける。羊皮紙はくるくると纏まって、蝋も無く印章が捺された。老人はそちらを見もせずに。
「フォークス、ウィーズリー夫妻にこれを届けてくれるかの」
不死鳥。下階にいたはずの。嘴に手紙。
消失。
焼失。
数分。沈黙のうちに。老人は不死鳥の帰還を待て、と。
焔が再び、燃え上がる。虚空に火の鳥と一組の男女。ともに赤毛。
「ジニー!」
来訪者を見て、少女。驚嘆。
「お母さん、お父さん、どうしてここに!」
「ダンブルドア先生に呼ばれたのよ。ジニー、大丈夫?どこも痛くない?」
娘を抱きしめて、母親は。本心からの心配を吐露。
「ちょっと、お母さん、そうゆうのじゃないから。て言うかなんて聞いてるのよ」
「あなたが事件に巻き込まれたって......ねえジニー、本当に平気?無理はしてないかしら」
「ミセス・ウィーズリー。彼女に怪我は無いはずです。
立ち上がった少年は女性に告げる。目に見える傷は無い。何も間違ったことは言っていない。心の傷をつけたのは、少年自身であるけれど。
ホグワーツ校長は語る。この年の出来事。石化。猫と人。死者は出ていない。五十年前に同様の事件。死者が一人。今回は幸運である。
日記を差し出す。ジニー=ウィーズリーは操られていた、と。彼女は責められるべきではない。誰でも同じだった。“彼”にかかっては。
「マダム・ポンフリーのところへ行くと良い。きっと温かいココアを用意してくれることじゃろう」
朱い髪の三人。退出。老人は残った少年に向き直る。
「さて、アルテアや。この名が何を意味するか解るかね」
「アナグラム。“I am Lord Vol-de-mort”」
「何故、そう思った?」
「
「本人、じゃと?」
「ええ」
風の無い冬の日のような冷えきった声。抑えることも揚げることもせず。もうこれ以上聞いてくれるなと言うように。これ以上訊いてくれるなと言いたげに。
「君が話したくないのならこれ以上訊きはしないが──」
「では訊かないでください」
「ならば、話を変えよう。この日記帳と
眼光鋭く、老人の問う。声変わり最中の声は、返して冷然に。
「あまり思い出したいことではありませんが、
「ふむ。時に君は
額に皺を寄せ、どさりと椅子に腰を下ろす。手は両目を覆い。俯く。泣き出しそうな。哭き出しそうな。この半年でできてきた蓋を抉じ開けるのだ。心の瘡蓋に針を刺して剥がしていく。忘れてしまいたかった。もう
「
「然り。君の言っているのは、
「なら自分で調べる。禁書棚の閲覧許可を」
未だ混乱の抜けきらぬように、少年。口調の乱れたまま。
「ならぬ。知って良いものではない」
それは、死刑の宣告にも等しく。
彼は他に道を与えられ無かった。レストレンジ家の屋敷、
だから、知りたかった。
自分は何処にいたのかくらいは。
自分が何をしていたのかくらいは。
自分が何を知っているのかくらいは。
「......自分が何に触れていたのかを、せめて知りたいのです。
「解った。仕方あるまい」
羊皮紙に自筆で書き付け、手渡す。“この者に禁書棚を含むホグワーツ図書室のあらゆる書籍の閲覧・貸出許可を与える。校長、A.P.W.B. Dumbledore”。
「ありがとう、ございます」
ふらりと立ち上がる。一礼して、階段へ。その後ろ姿に声がかかる。懺悔のような。謝罪の。
「すまなかったの。儂は君を助けてやれなかった」
「いえ」
少年に失望は無かった。
失望は期待の後に来るものだから。
希望が無ければ、
おまけ 進級試験、あるいは才能の有無
「うわっ。成績上位者貼り出されてる。個人成績表に順位書いてあるんだからいらないでしょ」
「......おい。薬草学実技二位ってこれ」
「えへへへへ」
「そして魔法薬は下から二番目、と」
「止めて。て言うかアルトこそ、妖精の呪文何があったのさ。筆記三位がどうやったら真ん中以下になるの?」
「いや、うん。結局できなかったんだよ」
「爆発したんだ?」
「......はい」
「そっかー。あ、
「どうも」
「あんま嬉しくなさそうだけど何かあったの?」
「どうして俺の魔法は悉く過剰防衛な方向に行くのか」
「あー。そっか、威力高ければ評価上がるもんねー。あの先生派手好きだし」
「あ、フリットウィック教授が言ってたけど
「いえーい。レイブンクローはお祭り騒ぎ?」
「そこまではしゃがないけどそんな感じ。ところで大丈夫だった?進級できそうか?」
「大丈夫!総合はともかく大概の実技はアルトより上だし」
「つまり理論は......」
「それは言わないお約束。てか魔法なんて使えればそれで良いの!」
おまけのおまけ:ざっくりとした成績(一年時)。
上から順にO(Outstanding), E(Exceed Expectation), A(Acceptable), P(Poor), D(Dreadful), T(Troll)。
Pから下は落第点。平均がA-未満、あるいは落第点三つで進級できず。
アルテア=レストレンジ:筆記は殆どが横並びにE~E+。妖精の魔法と変身術が高い(使えないから頑張った。O-)。実技は、DADA(O+)≧魔法薬学(O)≫薬草学=天文学(E-)>変身術(A)≫妖精の魔法(D-)
エドワード=カートリッジ:理論は壊滅的。+-はあるが、全部P。実技は薬草学(O)≫妖精の魔法(E+)≧天文学(E)>DADA=変身術(A+)≫魔法薬学(D)。
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