美柑と黒猫と金色の闇 (もちもちもっちもち)
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ミカン

 吾輩は転生者で憑依者でトリッパーで逆行者である、名も結構色々とある。

 

 一生に一度でもあればいい経験を四度も体験したのは、幸運なのか不運なのか。

 神様なんて者には会っていなければ、怪しげな黒魔術に手を染めた訳でもない。

 転生も憑依もトリップも、全部が全部、いつの間にか行われていたことに過ぎない。

 死因が何だったのかは思い出せないが、死んだということだけは明確に理解していた。

 だから、目が覚めた時、全くの別人に生まれ変わった自分は、恐らくは転生者というのだろう。

 そして、年を重ねるうちに、外見が前世の創作物の登場人物に瓜二つであることに、この世界がまんま創作物の世界観と同じであることに気付いたから、憑依者でありトリッパーでもあるんだと理解せざるを得なかった。

 憑依する人間への罪悪感が湧かなかったのは、憑依してから時間が経過していたから。

 時が解決するとはよく言ったもので、その頃にはこの体は自分のものだと、違和感なく思えるぐらいには順応していた。

 だからといって、憑依する人間に何も思わないほど薄情な人間ではないつもりだった。

 

 ――よし、原作改変とやらをしてみよう。

 

 それが、唯一の罪滅ぼしだと思った。

 自分が憑依した体は、創作物では重要な位置づけ――ぶっちゃけると主人公である。

 主人公故に世界に与える影響力は大きいが、別に全知全能の神様という訳ではない。

 誰かが幸せになれば、別の誰かが不幸になる。

 創作物の結末はハッピーエンドだったが、それが誰かの不幸の結果に成り立つものだということは、読者という視点で読み進めたからこそ知っていた。

 知ってるから、見て見ぬフリが出来なかったから。

 前世とは比べものにならない強大な力が宿る体と原作知識を総動員し、少しでも彼等を幸せに! なんてそんな馬鹿げた理想を抱いたものだ。

 

 ――そう思っていた時期が、自分にもありました。

 

 殺されるはずだった両親を救ったら、本来なら育て親で仇な殺し屋に拉致られ。

 児童虐待なんざ生温い修業時代を経て、一人前だと認められたのでお礼と復讐を兼ねて半殺しにしたら、その様子を見ていた黒ずくめな組織にスカウトされて。

 紆余曲折を経て、妙な部署に放り込まれ、物凄く見覚えのある拳銃を貰い、いい加減足を洗うかとトンズラかましたら、実は組織の正体がとある秘密結社だと気付き、始まった恐怖の逃亡生活。

 壁に仏像を彫るのが趣味の女剣士と不可視の剣を使うヤンホモを見たら逃げの一択だ。

 少しでも彼等を幸せに? 自分の幸せも掴めない奴が何寝言ほざいてんだ馬鹿野郎。

 とはいえ、東奔西走な逃亡生活の全てが不幸だったのかと聞かれればそうでもない。

 本来なら死ぬはずだった捜査員を助けたり、どこぞの闇の武器商人のアジトを壊滅させたり。

 その結果、本来なら賞金稼ぎになる筈だった彼は捜査官を辞めることはなく、本来なら生体兵器として幼少期を送る筈だった彼女は生みの親である博士の元で過ごすことができた。

 これで良かったのかは分からない。

 でも、死ぬ筈だった同僚と、生体兵器とは無縁の穏やかな日々を、笑顔で謳歌する彼等が不幸だなんて、絶対にある訳がない。

 原作では仲間だった彼等に今更のように助力を願うなど、原作改変なんていう究極のエゴを押し付けた自分にいう権利なんてないのだから。

 

 故にこの結末は、誰にも頼らず己の力を過信した自分の末路は、当然の結果だったんだ。

 その日はヤンホモに追われ、偶然逃げ込んだ場所が、何の偶然か博士と少女の隠れ家で。

 初対面だった彼女達に、原作知識故に親しげに話し掛ければ、何をトチ狂いやがったのかあのヤンホモ、組織を抜けたのは彼女達が原因だと、この魔女め! などと抜かしやがったのだ。

 正史なら故人になる≪親友≫の救済方法として会わないことを徹底していたが、まさか彼女の役目を彼女達が負背わされることになろうとは。

 結果的には何とかヤンホモの撃退に成功したが、彼女達を庇って負った傷は致命傷。

 厄介事に巻き込まれた彼女達には罵倒する権利だってあるのに、感謝の言葉を紡いでくれた。

 薄れゆく意識の中、涙を流す彼女達をヤンホモの毒牙から守れないことが唯一の心残りで。

 

 ――目が覚めたら、体が縮んでいた。

 

 今度は逆行かい! と叫んだら、驚き何も無いところで転ぶ博士の見た目は若返っていた。

 介抱してくれた博士に話を聞けば、彼女のクローン体である少女はまだ生まれていないとか。

 これ絶対逆行だわという確信の元、転がり込んだ博士のところで世話になり。

 生活能力皆無のドジっ娘の代わりに生まれてきた少女の世話をすれば、何故か嫌われ。

 理由は不明だが、襲ってくる襲撃者は、縮んだことによって習得した電磁銃で余裕の撃退。

 その後、色々あって離れ離れになってしまった彼女達は今、どうしているんだろうか。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

「……平和だ」

 

 

 公園のベンチに寝そべり、牛乳を一口。

 幸福に満ち溢れた吐息を吐き出し、少年は澄み渡った晴天を仰いだ。

 

 

「そうだよ、これが普通の日常なんだよ。今までが非日常だったんだ。つか凶器振り回す女剣士やヤンホモに追われる日常ってなんだよ。なんなんだよあいつら絶対人間辞めてんだろ。女剣士、お前の≪滅界≫って反動でかいんじゃなかったのかよ普通に連発してんじゃねぇよ婚期逃がせ一生独り身でいろ。ヤンホモ、お前の虎徹会う度にパワーアップさせてんじゃねぇぞ最後の絶対LV.MAXだろなに最終決戦兵器投入させてんだ馬鹿野郎。ちくしょう絶対復讐してやるテメェ等揃いも揃って謎の超進化遂げやがって俺は技の実験台じゃねぇんだぞ覚えてやがれ次会ったらテメェ等の眉間に≪炸裂・電磁銃(バースト・レールガン)≫ぶち込んで風穴どころかその身ごとこの世界から消滅させてやるからな」

 

 

 どす黒く濁った瞳から流れ出る一筋の涙。

 彼ほど平和という日常を噛み締めている人間はいないのではないだろうか。

 泣きながら高笑いする少年の姿があったと、暫くの間この界隈に流れるのだった。

 

 

「なー」

 

「ん?」

 

 

 トンっと軽やかな音を立て、馴染み深い生き物がこちらを見上げる。

 糸目なデフォルメ顔の気が抜けるような造形の生物。

 白猫はこちらを一瞥しただけで、興味は既に手に持つ牛乳瓶に注がれていた。

 

 

「なー」

 

「……やらねぇぞ」

 

「んなー」

 

「やらねぇからな」

 

「ふしゃー!」

 

「やんねぇつってんだろ!」

 

「んにゃおあー!」

 

「何人たりとも俺の至福の時は壊させねぇ! 例え相手が猫であってもだ!」

 

 

 バチバチ火花散らす両者。

 白猫は研ぎ澄まされた爪を引き出し、少年は懐の相棒を掴んだ。

 まさに一発触発。

 互いが牽制し、己の必殺技を抜き放つ機会を虎視眈々と狙う、その空気は戦場の如し。

 

 

「――あの」

 

 

 突然の声に、少年は声の主に一瞥だけ送る。

 

 

「何か用か、パイナップル頭」

 

「ぱっ!?」

 

「今立て込んでんだよ。話があんなら後にしろ」

 

「いや、あのね――」

 

「おらどうした猫公。腰が引けてんぞビビってのか」

 

「にゃ、にゃにゃ、ふしゃー!」

 

「吠えたな猫! テメェのご自慢の爪と俺の≪黒爪(ブラッククロウ)≫とどっちがスゲェか! 勝負だ!」

 

「ごろにゃんごー!」

 

「人の話を聞きなさーい!」

 

 

 ドンっ! と音を立て、対峙する両者の間に突き立てられた、牛乳パック2ℓ。

 目の前のご馳走に瞳を輝かせる両者をそれぞれ見比べ、少女は嘆息を零した。

 

 

「これあげるから。だから、そんな馬鹿らしい理由で喧嘩なんかしないで――」

 

「おい猫! その辺探せば器ぐらい落ちてるだろ! 急いで拾って来いよ半分こしようぜ!」

 

「にゃー!」

 

「…………」

 

 

 外見より大人びた雰囲気を纏う、髪を頭頂部で束ねた少女は、落ち着けと自分に言い聞かせる。

 深呼吸を重ね、恐ろしいマイペースっぷりに乱された心を静めると、嬉々としながら牛乳パックを開封する少年を眺めた。

 黒い髪、金の瞳、鈴付きの真っ赤なチョーカー、左鎖骨に刻まれた≪XIII≫のローマ数字。

 天真爛漫を絵に描いた少年の見た目は、少女と同い年ぐらいだろうか。

 一通りの観察を終えた少女は買い物袋をベンチに置き、自身も少年の隣に腰掛けた。

 

 

「君、この辺じゃ見ない顔だけど……」

 

「おう。最近この街に来たばっかなんだ」

 

「そうなんだ」

 

「さっきはきつくあたって悪かったな。あと、牛乳サンキュー。お前って良い奴なんだな」

 

 

 邪気のない、純粋無垢な笑顔は、同年代の男の子にはドライな対応しかしてこなかった少女の警戒心をあっと言う間に解き解してしまった。

 次いで少女が口を開いた時、自己紹介の言葉が出たのが少年に心を開いた何よりの証といえる。

 

 

「私は美柑。結城美柑」

 

「酸っぱそうな名前だな」

 

「むっ、そういう君の名前は?」

 

「トレインだ。トレイン=ハートネット」

 

「……速そうな名前だね」

 

「だろ。結構気に入ってんだ」

 

「ふーん。ちなみに私は少しだけ自分の名前が嫌いになった」

 

「……怒ってんのか?」

 

「怒ってない」

 

「……美味そうな名前だよな、ミカンって」

 

「いい加減食べ物の蜜柑から離れて。あと漢字が違う。それと女の子の名前を酸っぱそうだの美味しそうだの、トレイン君ってどういう神経してんのよ」

 

「うへー、ミカンって口煩い奴だな。母ちゃんみたいだ」

 

「小学生の女の子に母ちゃんは失礼。以後気を付けるように」

 

「へーい」

 

「返事ははい」

 

「はーい」

 

「のばさない」

 

「はいはい」

 

「はいは一回」

 

「……本当に母ちゃんみたいな奴だな」

 

「何か言った?」

 

「いいえ、言ってません」

 

「ふふっ……」

 

 

 気付けば零れた、花の咲いたような笑み。

 男女の差異が芽生え始めた男子の心など容易に貫く美柑の表情は、しかし牛乳を煽る花より団子なトレインが気付くことはなかった。

 

 

「んなー」

 

「おっ、遅ぇぞ猫。全部飲んじまうところだったぜ」

 

「なー!」

 

「冗談だよ冗談。ほれ、皿寄越せ。お前の分も入れてやっから」

 

「にゃんにゃんにゃーお!」

 

 

 どこからか銜えてきた小皿に牛乳を注ぐと、白猫は飛びつくように舐め始めた。

 動物が醸し出すオーラと言えばいいのか、微笑ましい光景に美柑の表情が綻ぶ。

 幸せそうに牛乳を堪能する白猫とトレイン、彼等を静かに眺める美柑。

 ありふれた、それでもどこか神聖な空気は、午後の公園に流れる。

 そんな空気を打ち破ったのは、ぷはーっと口に付いた牛乳を拭ったトレインだった。

 

 

「ほい、ミカンも飲めよ」

 

「……へ?」

 

「いや、元々これお前んだし。まだだいぶ残ってるからさ」

 

 

 ずいっと差し出される牛乳パック2ℓ。

 だが、美柑の視線が注がれているのは、開封された飲み口。

 外見は大人びていても、僅かに染まった朱の頬は、彼女が年頃の女の子だという証拠。

 飲み口とトレインの口を何度も行き来し、美柑の顔は徐々に紅潮していく。

 

 

「ほら」

 

「う、うん……」

 

 

 受け取るが、すぐに飲むようなことはしない、できなかった。

 視線は変わらず飲み口に。

 顔を上げれば不思議そうなトレインの顔。

 葛藤の時間は、しばらく続く。

 

 

「じゃ、じゃあ……飲むよ」

 

「おう」

 

「……本当に飲むよ?」

 

「もしかして牛乳嫌いなのか?」

 

「そんなこと、ないけど」

 

 

 目を瞑り、覚悟を決め、僅かに湿った飲み口に唇を付け、冷たい牛乳が喉を通り――

 

 

「あっ、間接キス」

 

「ぶぅ――――――っ!!」

 

 

 白濁した液体が美柑の口から噴き出され、漏れ出た汁が細やかな糸を引く。

 

 

「ぎゃはははははは!? ナイスなリアクションだぜミカン!!」

 

「と、と、とと……っ!! トレイン君の馬鹿ぁあああああ!!」

 

「なー」

 

 

 よく晴れた、とある公園での一幕。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

「なーミカン、いい加減機嫌直せよ。さっきは本当に悪かったって」

 

「……怒ってない」

 

「いや、絶対怒ってんだろ」

 

「怒ってないもん」

 

「……はぁ」

 

 

 牛乳のお礼とからかった詫びにと持った買い物袋をぶら下げながら、前を歩く美柑の後をトレインは追従する。

 頭頂部で揺れる黒髪は、美柑の怒りを露わすかのように激しく揺れていた。

 

 

「なぁ、ミカンの家までは後どのくらいなんだ?」

 

「…………」

 

「無視かよ。まっ、別にいいけどさ」

 

 

 気まずい空気など物ともせず、呑気の鼻唄なんかを歌いだす。

 ちらりと振り返った美柑は、そんなトレインの態度にむすっと唇を尖らせた。

 らしくないとは思う。だけど、溜飲はちっとも下がってはくれない。

 大人びた性格故に同年代には一目置かれている何時もの美柑はそこにはなかった。

 しかし、物事というものは時間が経てば自然と解決へ向かうもの。

 子供っぽいトレインではなく、自分から折れねばと、そんな子供らしくない考えの元、立ち止まった美柑は後ろにいる彼の方へ振り返り――

 

 

「――――え」

 

 

 瞬間、買い物袋だけをその場に残し、トレインの姿が掻き消える。

 一瞬遅れ、すぐ近くで響いた破砕音に驚き急ぎ正面へ向き直ると、何かを振り抜いた姿勢で静止するトレインの姿があった。

 

 

「あっぶねぇな。誰だよ、こんなもん飛ばしてきたのは」

 

 

 トレインの視線の先にあったのは、拳ほどの大きさのブロック。

 声の当人は呑気だが、もしあれが自分に当たっていたならと思うと、生きた心地がしなかった。

 

 

「地球ってのは相も変わらず物騒なとこなんだな。美柑も、怪我とかなかったか?」

 

「う、うん……ありがとうトレイン君」

 

「おう、気にすんな」

 

 

 笑顔を浮かべるトレインの手に握られた、異彩を放つ黒光りの得物。

 黒と白、そして金の意匠が施された、リボルバー式の装飾銃。

 銃身に刻まれた≪XIII≫のローマ数字が目を引くそれが本物であることは、拳銃とは無縁の生活を送る美柑でも理解できた。

 様々な疑問が浮かぶも、どれもが口から出てこない。

 自分と変わらぬ年齢のトレインが持つ不釣り合いな装飾銃が、自分目掛けて飛んできた石礫が、全てが非日常過ぎて、同居人の影響で非日常には慣れ親しんだ筈の美柑でさえ混乱してしまって。

 

 

「どわーっ!?」

 

 

 混乱の渦中にいる美柑の耳朶を、聞き親しんだ声が打った。

 曲がり角から飛び出し、血相を変えて駆け寄ってくる、高校生くらいの男性。

 

 

「リト!?」

 

「み、美柑か!?」

 

「ん、二人は知り合いなのか?」

 

 

 トレインの質問には答えず、リトは美柑に背を向け、盾のように両手を広げた。

 

 

「逃げろ美柑! 君も早く!」

 

「ちょ、ちょっとリト! 一体何が――」

 

「説明してる場合じゃないんだ! 早くしないとヤミの奴が!」

 

「…………ヤミ?」

 

 

 騒ぎの元凶は、間を置かずに現れた。

 

 

「待ちなさい、結城リト!」

 

 

 漆黒が舞い降りる。

 金の髪、赤い瞳、身に纏う黒い戦闘服。

 普段は感情の乏しい顔が怒りに赤く染まっているのを確認した美柑は、リトの背中をそっと前へと押し出した。

 

 

「ちょっ、美柑!?」

 

「えっちぃこと、ヤミさんにしたでしょ」

 

「うぐっ!? で、でもわざとじゃ――」

 

「ヤミさん、久しぶり」

 

「無視!?」

 

「……美柑、久しぶりですね」

 

「愚兄が本当に申し訳ないことをしました。なので、遠慮なくやっちゃってください」

 

「はい、了解しました」

 

「オレの意思は……ないんですよね、分かります」

 

 

 背中で涙を流す兄だったが、ここは心を鬼にせねば。

 悪気がないことは分かってはいるが、リトのラッキースケベは少々――いや、かなり過激だ。

 折檻だけで済むだろうからと、でも晩御飯はリトの好物でも作ってあげようと、これから先の計画を美柑は練っていた。

 

 

 

 

「やっぱり……久しぶりだな、姫っち!」

 

 

 

 

 喜色混じりのトレインの声を聴いたのは、そんな時だった。

 そして、直後の変化は劇的だった。

 

 

「……………………え?」

 

 

 限界まで見開かれた赤い瞳。

 呼吸すら忘れてしまったかのように開く小さな口。

 あれほど満ち溢れていたリトへの殺気は消え去り。

 ヤミという少女の存在全てが、トレインへと注がれていた。

 

 

「何年ぶりだよ元気してたか! 相変わらず怒りっぽいとこは変わってねぇんだな! あっ、姫っちがいるってことはティアの奴も近くに居るのか? もしかしてこの街に住んでるとか!」

 

 

 怒涛の質問に、しかしヤミは反応せず。

 代わりの漏れ出た言葉は、それこそ風にでも掻き消されてしまいそうな、消え入るような声。

 

 

「……トレイン」

 

 

 その四文字には、ヤミの万感の想いが込められていて。

 何故か美柑には、必死に泣くのを我慢しているみたいに聞こえたのだった。

 

 

 

 

 



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ヤミ

注)本作はラブコメディです。


 いつから、期待することをやめてしまったのだろう。

 

 (博士)が研究所から出て行ってからか。

 生体兵器としての生き方を強要されてからか。

 宇宙一の殺し屋と言われるほど、沢山の命を奪ってからか。

 

 ――あの笑顔が、私の前からいなくなってからだ。

 

 生体兵器としての日常は、私の表情から感情というものを欠落させた。

 

 ――だから、いつもへらへらと笑っている彼を思い出すと殺意しか湧かなかった。

 

 生体兵器として強要された肉体強化は、私の体に確かなものとして蓄積されていった。

 

 ――それなのに、唯一勝ちたいと切望する彼には全く勝てるイメージが湧かなかった。

 

 生体兵器として標的の命を奪い、返り血で身を穢す日々が、私に与えられた存在意義だった。

 

 ――だからこそ、野良猫のように自由気ままに生きる彼が羨ましくて仕方がなかった。

 

 生体兵器としての私を生み出した(博士)は、いつも彼を目で追っていた。

 

 ――故に、(博士)が彼と一緒に消えたと聞いて、私は捨てられたんだと思った。

 

 私は生体兵器だ。

 私は殺し屋だ。

 私は化物だ。

 

 生体兵器に感情は不要だ。

 殺し屋に必要なのは命を殺める術だけ。

 化物と彼とでは生きる世界が違う。

 

 だから、彼と過ごした時間は不要なものしかない。

 野良猫のように、自分が望むがままに送った日々など。

 一緒に読んだ本の楽しさも、一緒に食べた甘味の美味しさも、一緒に飲んだ牛乳の爽快感も。

 彼といた時間の全ては、実にくだらないものでしかないのに。

 

 栄養補給にと口にした携帯食を食べると、彼と一緒に食べた甘味の味を思い出してしまう。

 命を殺めようとする瞬間、彼の笑顔が脳裏を過り、途端に躊躇してしまう。

 幸せそうに遊び回る子供達を見る度に、自分と彼の姿を彼等に重ねてしまう。

 

 私は生体兵器だ。

 私は殺し屋だ。

 私は化物だ。

 

 だったら、どうしてこんなにも苦しいんだ。

 だったら、どうしてこんなにも悲しいんだ。

 だったら、どうしてこんなにも心が痛いんだ。

 

 こんなに辛いのなら。

 こんな想いをするくらいなら。

 こんな気持ちになるくらいなら。

 

 ――私は、あなたと出会いたくなかった。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 金色の闇ことヤミについて、美柑が知っていることはそう多くはない。

 口数が少なく、表情が乏しい、それでもたい焼きを頬張る時は幸せそうで、だけどいつもしかめっ面で牛乳を一緒に飲む、そんな少しだけ変わった、友達になった女の子。

 自分のことを喋りたがらない故に、また美柑自身の年不相応な大人気質が、ヤミのついての情報を探ろうとすることをしてこなかった。

 だからこそ、美柑は驚きが隠せないでいた。

 

 ――≪姫っち≫。

 

 偶然会った男の子、トレインがそう呼んだ途端、変貌したヤミ。

 驚愕という感情を顔に貼り付け、その視線はトレインにのみ注がれている。

 

 

「にしても、姫っち変わったな。仏頂面にですます口調もだけど、なによりもその服! 全身真っ黒にベルト巻き巻きってお前さん、そういうお年頃か! 今はいいかもしれないけど、年食うとベットの中でも悶え苦しむことになるんだからな! お兄さんは勿論そんなことないけど! なかったけれども!」

 

 

 美柑やリトが息を呑む中、一人だけズケズケとものを言うKYが一人。

 

 

「ちょっと姫っち聞いておりますの! お兄さん破廉恥な恰好は許しませんよ!」

 

 

 驚愕に固まるヤミに言い寄り、その手を伸ばす。

 

 

「…………へ」

 

「――――ぁ」

 

 

 パシっと、乾いた音を立て、トレインの手が払われる。

 固まるトレインだが、自分の行動にショックを受けるヤミの様子は彼からは見えない。

 美柑が見守る先で、ヤミは俯き、拳を震わせる。

 

 

「……姫っち?」

 

「……今更、私に何の用ですか」

 

「いや、再会のハグでもしようかなと思いまして。はっ、これが世にいう反抗期……!?」

 

「はぐらかさないでください」

 

「それは姫っちもだろうが! アレか、お父さんとは洗濯物は別にしてってヤツか! スモールな俺は見た目子供だから加齢臭とかは無縁だよきっと!」

 

 

 キッと、顔を上げたヤミはトレインを睨め付けた。

 

 

「どうしてですか!」

 

 

 苛烈ともいえる、明確な感情の塊。

 美柑もリトも、普段のヤミとはかけ離れて様相に、静止の言葉が出てこない。

 

 

「どうして! 今更のように私の前に現れて! マイペースにズケズケと! 人の気持ちも知らないで! 何で私の前に現れたんですか!」

 

 

 吐き出す言葉は癇癪。 

 振り乱された頭髪が空を舞い乱れ、次第に感情のうねりとなって変貌していく。

 ≪変身(トランス)≫――。

 ヤミを宇宙一の殺し屋たらしめる、変幻自在の異能。

 腰まで伸びた金髪を拳状に固め、唖然とするトレインに目掛けて振り下ろした。

 

 

「私の前から――消えろ!!」

 

 

 死んだ――。

 そう思ってしまったのは、暗殺対象であるリトに放ってきたものとは比べものにならないほどの規模、威力を誇った一撃だったから。

 立ち込めた粉塵の中、クレーターのように陥没した地面が、先の攻撃の威力を物語る。

 

 

「トレイン君!?」

 

「――呼んだか?」

 

「うひゃあ!?」

 

「ちょいと失礼」

 

 

 宙に浮かぶ感覚の後、仰ぎ見た先にあったのは、無傷のトレイン。

 美柑を横抱き――俗にいうお姫様抱っこ――にし、スタコラサッサとその場を離脱。

 別のシチュエーションなら赤面ものだが、慌てて首元にしがみ付いた美柑にはそんな余裕は勿論ある筈もなく。

 

 

「えっ、ちょ、トレイン君大丈夫なの!」

 

「いや、大丈夫じゃねぇよ。マジどうしよう反抗期説は濃厚です」

 

「いやいや! そんなことは今はどうでもいいでしょ!」

 

「ミカンに年頃の娘を持つ男の気持ちなんて分かるわけねぇだろ! この先に待ってんのはゴミでも見るような眼で、トレインの洗濯物と一緒に洗わないでルートなんだぞ!」

 

「トレイン君子供だから関係ないよね!?」

 

「見た目は子供だけど頭脳っつーか中身はいい年してんだぞ俺は!」

 

 

 意味の分からぬことを言うトレインは、そのままどんどん人気のないところへ。

 周囲の喧騒が聞こえない、そんな場所になってようやく足を止め、美柑を下ろす。

 

 

「ふぅ、此処まで来ればとりあえずは大丈夫だろ」

 

「……ねぇ、今更なんだけどリトは?」

 

「リトって、美柑の親しげだったあの兄ちゃん?」

 

「親しいっていうか、私達は兄妹なんだけど……」

 

「それなら問題ねぇよ」

 

 

 直後、霞むような速さで懐から何かを引き抜くと、死角から飛び出し、前方に腕を突き出した。

 

 

「わぁ!? オレだオレ! だから撃たないで!」

 

「こんな風に、逃げる前に落ち合う場所だけ言っといたって訳。にしても兄ちゃん、結構早かったな。流石は地元民」

 

「……オレからすれば、美柑を抱えた君の方が早く到着してたのがびっくりだよ。後、オレのことはリトでいい」

 

「俺も君じゃなくてトレインでいいぜ。でもまぁ、ミカンがもうちょっと重くなきゃリトも抱えていけたんだけどな」

 

「トレイン君って本当にデリカシーがないよね」

 

「惚れるなよ、火傷するぜ?」

 

「うん、絶対に有り得ない」

 

 

 下らない軽口は、それだけで緊張を解してくれる。

 故意なのか、天然なのか。ヤミへの言動からして恐らくは後者だろう。

 

 

「トレインは、これからどうするんだ?」

 

「消えろっていうから消えてみたんだけど……許してくれると思う?」

 

「本気で許してくれると思ってるなら、トレイン君って大物だと思う」

 

「だよなぁ……」

 

 

 嘆息を零し、どうすっかなぁとトレインは膝を折って頭を掻いた。

 かと思えば、すぐさま立ち上がり、手に持った装飾銃で肩を叩く。

 真っすぐぶれることのない決意の眼差しに、否応なく美柑の視線が惹き付けられる。

 

 

「取り敢えず、面と向き合って話し合って見るわ」

 

「いやそんな無茶な!? だったらオレが最初に説得を――」

 

「今なら言葉の代わりに拳が飛んでくるぜ? そうなったらリト、あんたは対処できんのか?」

 

「……今更だけど、ヤミさんと知り合いってことは、トレイン君って宇宙人?」

 

「うんにゃ、地球生まれの地球育ちだ」

 

「宇宙人だろうが強かろうが関係ねー! トレインみたいな子供に全部背負わせて、オレだけ見て見ぬフリなんて真似できない! 泣きそうなヤミを前に黙って見てるだけなんてできる訳ないだろうが!」

 

 

 食ってかかるリトもまた、本当に真っすぐで。

 自分には持ちえない気質に、こんな時だというのに羨ましく思えてしまう。

 どうせ無理だ、今の自分の言葉なんて届くわけない。

 無意識に零れる言い訳に自嘲染みた笑みが零れ、俯く美柑の頭に、無遠慮に置かれる掌に思わず頭上を仰ぐ。

 

 

「問題ねぇ。今の姫っち程度なら、俺一人で十分だよ」

 

 

 だから大丈夫、落ち込まなくていい。

 こちらの心を見透かす、金色の瞳が緩み、口元が弧を描く。

 見る者を安心させ、大丈夫だと信じ込ませる、そんな力がトレインの笑顔にはあって。

 

 

「俺が届けんのは幸福だ。不吉を届ける黒猫の分も皆を幸せにするって決めたんだから」

 

 

 そう言って頭を下げるトレインに、リトが折れるのはさして時間がかからなかった。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 見渡しの良い河川敷で、両者は対峙する。

 

 

「せっかく消えてやったってのに、姫っちは一体俺にどうしてほしいわけ?」

 

「…………」

 

 

 殺意が形を持ち、場の空気を圧迫する。

 明確な憎悪に表情を歪ませるヤミを前にしても、トレインの軽口は止まらない。

 

 

「私が望むことはただ一つ、あなたの完全な消滅」

 

「つまり、一生引き篭もってろと?」

 

「いいえ、例え辺境の惑星に監禁しようとも生温い。あなたが存在していることが、私には許容できない。生死が曖昧だった今までさえ、心休まる時は一日だってなかった」

 

 

 頭髪を拳状に。

 両手を鋭利な刃物へ。

 背中から伸ばした翼を硬質化させ。

 己の持ちうる攻撃手段の全てを、標的へと向ける。

 

 

「トレイン=ハートネット。あなたは私の手で始末する」

 

「出来もしねぇことは口にするもんじゃねぇぞ?」

 

「減らず口を……!」

 

 

 一斉掃射。 

 翼の羽が、拳が、多量の弾幕となってトレインへ殺到。

 躱すことなど叶わない筈が、ヤミは立ち込める土煙へ向けて駆け出す。

 そのまま、土煙から飛び出してきたトレインに、振り被った腕を叩き付ける。

 

 ≪ナノスライサー≫。

 極小レベルまで薄く研ぎ澄まされた刃。

 防御しようと翳された装飾銃ごと断ち切ろうとして、

 

 

「なっ!?」

 

 

 ガキンと音を立て、≪ナノスライサー≫の一閃が阻まれる。

 

 

「悪ぃが、俺の≪ハーディス≫は特別製なんでね」

 

 

 傷一つない装飾銃。

 様々な戦場を駆け抜けてきたヤミでさえ未だ出会ったことのない神懸かったトレインの銃技に対応することから、普通の銃ではないと思っていたが、これほどの強度を誇ろうとは――。

 即座に距離を取り、背中と腕から生やした羽を掃射。

 壁のように殺到する≪羽根の弾丸(フェザーブレッド)≫の弾幕の僅かに空いた隙間。

 そこを縫うように進み、近寄ってくるトレインに、ヤミの中で焦りが募っていく。

 

 ≪桜舞≫。

 星の使徒と呼ばれた組織の頭を務めた最強最悪の道使いでさえ、最後まで捉えることの叶わなかった、達人でも会得するのに10年はかかるという無音移動術。

 ヤミは知らない、知る由もない。

 世界を牛耳る秘密結社を、≪(タオ)≫と呼ばれる異能を扱う革命組織を相手に、たった一人で彼等を翻弄し、それぞれの最高戦力から何度も逃げおおせた、トレインの底知れぬ実力を。

 仲間の助力を願えないトレインは、敵の技術を盗み、己のものとすることで、彼等に対抗した。

 例えスモール化し、全盛期の力がなくとも、身についた技術がなくなった訳ではない。

 

 長剣≪クライスト≫を振るい、≪アークス流剣術≫を極めた女剣士。

 担い手の心に反応し、成長する≪幻想虎徹≫を操る星の使徒のリーダー。

 彼等と比べ、激情に任せて闇雲に力を振りかざすヤミの何と取るに足らぬ存在であろうか。

 潜ってきた修羅場の質が、戦闘経験値が、全てが、トレインには遠く及ばないのだ。

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 

 ≪変身(トランス)≫の連続使用に、ヤミの息が上がる。

 ≪桜舞≫をやめ、なおも余裕の態度を貫くトレインは徐に懐を漁り、取り出したサイズの合っていないサングラスをそのまま装着。

 身構えるヤミの前で、ヤミの大嫌いな笑みを浮かべ、ヤミの大嫌いな軽口を吐き出す。

 

 

「似合う?」

 

「ふざけないでください!」

 

 

 やれやれと肩を竦め、広げられた掌で転がる二つの白球。 

 デフォルメされた猫のイラストが描かれたそれらを握りしめ、

 

 

「そいや!」

 

 

 そのまま真下へ叩き付けた。

 途端に発生する閃光と煙幕。

 昼間の河川敷を、それらは瞬く間に侵食し、視界は完全な零へ。

 しかし、そこは宇宙一の殺し屋と謳われる金色の闇。

 寸前のところで閉じた瞳によって閃光の効力は半減、次いで髪を扇型へと≪変身(トランス)≫させ、視界一杯に広がる煙幕を払おうと力を籠め、

 

 轟音と閃光。

 

 一条の光がすぐ傍を通過するのを理解したのは、ヤミでさえ暫くの時間を必要とした。

 生物の知覚できる限界を超越した、防御不可の一撃必殺。

 

 ――≪電磁銃(レールガン)≫。

 

 目の当たりにした威力に戦慄するヤミだが、同時にチャンスだとも思った。

 ≪電磁銃(レールガン)≫は連射できず、反動も大きい。

 この煙幕の中、トレインとて狙いを外してもおかしくはないだろう。

 ≪電磁銃(レールガン)≫の飛んできた方向からトレインの位置を逆算。

 頭髪を拳状へ≪変身(トランス)≫させ、渾身の一撃を前へと突き出す。

 

 

「残念、はずれ」

 

「っ!?」

 

 

 背後から飛来する装飾銃。

 咄嗟に≪変身(トランス)≫で硬質化させた手刀で弾いたそれは、しかし物理法則を無視した動きを見せる。

 まるで磁石のように引き戻され、それがグリップ部分から伸びるワイヤーの仕業だと気付いた時には、全てが遅かった。

 

 

「本当はそっちがはずれだ」

 

 

 トレインは、正面から突き進んでくる。

 閃光に煙幕、≪電磁銃(レールガン)≫、唯一の武器すら囮に回したのも、全てはこの奇襲のため。

 戦闘中にも関わらず浮かんだトレインの不敵な笑みが、ヤミの逆鱗に触れる。

 

 

「負ける……もんかぁ!」

 

 

 伸ばした髪を引き戻し、トレインの背後への死角攻撃。

 直撃を確信したヤミの前で、空中へ飛び上がったトレインは引き戻した相棒を掴み取り、その勢いのまま回転。

 装飾銃≪ハーディス≫に備わった爪を解き放った。

 

 

「≪黒爪(ブラッククロウ)≫」

 

 

 刹那の間に刻まれた、四筋の爪痕。

 ≪変身(トランス)≫によって固められた髪が解け、金糸のように広がる光景を背に、ヤミへと向き直ったトレインが肉薄する。

 負ける――。

 そう思って放たれた手刀は、単なる悪足掻きでしかなかった。

 

 

「終わりだ」

 

 

 手刀を掻い潜り、振りかぶられた装飾銃。

 振り下ろされる終幕の一撃に、ヤミは≪ハーディス≫の名の由来である冥府の神を幻視した。 

 

 

「トレイン君、ダメ――――!!」

 

 

 目を閉じたヤミの耳に、美柑の叫びが届く。

 

 

「ていっ」

 

「~~~~~~~~っ!!」

 

 

 ごんっ。

 重い音が頭上に鳴り響き、瞼の裏が真っ白に染まる。

 あまりの痛みに声もでず、ヤミに唯一出来たのは頭を抱え蹲ることだけ。

 痛みは治まらず、視界は涙で滲み、そしてようやく戦闘中であることに気付いて。

 慌てて頭上を見上げたヤミは、懐かしい光景を目にした。

 

 

「へへっ……俺の勝ちだな、姫っち」

 

 

 そこにあったのは、笑顔だった。

 昔と変わらない、変わってしまった自分とは違う、変わることのない不変の笑顔。

 まるで太陽が降り注ぐみたいに、トレインの笑顔は、冷え切ったヤミの心を温める。

 気付けば浮かんだ、痛みとは別の涙が、ヤミの瞳から溢れ、零れ落ちていく。

 

 

「…………トレイン」

 

「ん」

 

「……トレイン……トレイン」

 

「おう」

 

「トレインっ」

 

「なんだよ、姫っち」

 

 

 堰き止めていたものが外れてしまったみたいに、零れる言葉を止める術はなかった。

 差し出された手を握り、立ち上がったヤミはトレインの背中に両手を回し、力一杯抱き締めた。

 

 

「どうして、いなくなったんですか」

 

「…………」

 

「どうして、私を置いていったんですか」

 

「…………」

 

「どうして、私も連れて行ってくれなかったんですかっ」

 

 

 もう、失いたくなかったから。

 目の前にあるのに、次の瞬間には消えてしまうのではないのか。

 あの時のように、何も告げずにいなくなってしまうのでないか。

 そんな恐怖を拭うように、伝わるぬくもりを離さすように。

 縋りつくヤミに、トレインは黙ってされるがままで。

 

 

「ただいま、姫っち」

 

 

 それだけで、救われた気がした。

 帰ってきてくれたんだと、心の底からそう思えたから。

 だからこそ口に出た言葉。

 唐突に消えてしまったトレインに言えなかった、ヤミの想い。

 

 

「……おかえりなさい、トレイン」

 

 

 届いた気持ち。噛み締める幸せ。

 黒猫が運んだ幸福を、ヤミはただただ感受するのだった。

 

 

 

 

 



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リョーコ

「今すぐこの男を追い出してください! この男はいい年して女の子と一緒にお風呂に入る変態です!」

 

「頭洗うのにビビってたから俺が洗ってやったんだよな。懐かしいぜ、確か姫っちが生まれたばっかの頃だっけ。あっ、目に入っても痛くないシャンプーって今も使ってんの?」

 

「あ、朝一に女の子を抱きしめる変質者なんですよ!」

 

「そういや一人じゃ眠れないの、いい加減治ったのか? 夜に怖いからってトイレまで付いていくのはもう嫌だからな」

 

「ひひっ、人の食べ物を取り上げる悪魔の戯言に耳など――」

 

「姫っち、好き嫌い多過ぎだぜ。毎回俺の皿に嫌いなもん入れるの止めろよ。まぁ、俺はたくさん食えるからいいんだけどさ」

 

「ち、ちち、ちっ、小さな子供に暴力を振るう性格破綻者が何を……!」

 

「失礼な。大体、お前から求めてきたんだろうが」

 

「ヤミちゃん……」

 

「ちっ、違います!? この男の言葉を真に受けないでください! 全て出鱈目です!」

 

「毎日毎日、嫌がる俺に姫っちは執拗に迫ってきたんだ。もう一回、次こそはと、何度も何度も……」

 

「…………」

 

「誤解です! トレインもいい加減なこと言わないでください!」

 

「で、実際のところはどうなの?」

 

「事ある毎に喧嘩吹っ掛けてきて、毎回俺が適当にあしらうからムキになって何度も襲ってきた」

 

「なるほど」

 

「貴方達は……っ!!」

 

 

 ヤミと大喧嘩し、和解してから時間が経ち。

 彩南町の外れ、奇怪な雰囲気の洋館は夜半にも関わらず賑やかだった。

 

 

「にしても、まさかリョーコがティアの知り合いだったとはな」

 

「私もビックリしたわ。なんとはなしに夜の散歩に出てみれば、ヤミちゃんと一緒にあなたがいたんだもの。ティアからよく話を聞いてたから、トレイン君だって一目で分かったわ」

 

「へぇ、ティアから。ちなみにどんな話だったんだ?」

 

「ふふっ、内緒」

 

 

 羽織ったガウンから覗くのは、今にも零れ落ちてしまいそうな巨大な双丘。

 熟れた肢体を惜し気もなく晒す妙齢の美女、彩南高校の養護教諭を務める≪御門涼子≫は、クスクスと口元を綻ばせる。

 

 

「年頃の男女が一つ屋根の下なんて、そんなことは私が許しません!」

 

「あら、トレイン君がそんな節操なしだったら、ティアも襲われてると思うんだけど」

 

「どっちかっつーと俺の方が襲われたわ。あんにゃろう、どこでも構わず転びやがるからな」

 

「死人以外ならどんな病気も治せるつもりだけど、あのドジッ娘気質は私でも治療できないの。ごめんなさいね、トレイン君。ティアの友人として謝るわ。あの子の相手、大変だったでしょ?」

 

「リョーコは話が分かるぜ。安心しろ、住まわせてくれるお礼じゃなくても、リョーコを狙う奴は俺がぶっ飛ばしてやるからな」

 

「よろしく頼むわね、小さなナイト君?」

 

「おう、任せろ!」

 

「私を無視して話を進めないでください!」

 

 

 空気を読まない、敢えて空気を読まないマイペースコンビの舵取りは相当な負担なのか、早くもヤミの息は荒くなっていた。

 

 

「どうして御門涼子のところに住まうなどということになるんですか! 居住場所なら私の≪ルナティーク号≫があります!」

 

「ごめん、俺宇宙船だけはホント駄目なんだ」

 

 

 ヤミとの争いの発端、唐突にトレインが消息を絶った原因。

 研究所内で迷子になりそのまま偶然乗り込んだ宇宙船で辺境の星に、というのが真相だったり。

 地球に流れ着くまでの顛末は割愛するが、二度と宇宙船なんぞに乗るかというのがトレイン談であり、付き合いの長いヤミでさえ見たことのないクソ真面目面が謎の説得力を発揮する。

 説得が無理と悟り歯軋りをするヤミと、そんな彼女の初めて見る顔を楽し気に傍観する涼子。

 

 

「な、なら私も此処に住みます!」

 

「いや、リョーコに迷惑が掛かるだろ」

 

「既に迷惑を掛けてる身で何を偉そうに!」

 

「勝手に話を進めるのは感心しないけど……別に構わないわよ、部屋はまだまだ余ってるし」

 

「悪ぃなリョーコ、うちの姫っちがワガママばっかり言って」

 

「いいのよトレイン君、気にしないで」

 

「……何でしょう、この釈然としない気持ちは」

 

 

 こうして、御門涼子の洋館に二人の新しい住人が仲間入りするのだった。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

「さっ、脱いでちょうだい」

 

「……おたく、ショタコンだったの?」

 

 

 唐突の脱衣宣言に、トレインは身の危険を感じ後ずさった。

 

 

「私が気付かないとでも思った? ヤミちゃんが宇宙船に荷物を取りに行っている間にさっさと治療を済ませちゃいましょ。左腕、完全に折れてるでしょ」

 

「…………」

 

「大丈夫よ。誰にも言わないから」

 

 

 観念したのか、左手に嵌めた手袋を脱ぎ捨て、露わになる左手首は時間が経過していたからか、紫に色に変色し、醜く腫れ上がっていた。

 こんなになるまで放置など普通なら説教コースだが、涼子は淡々と治療を進めていく。

 

 

「≪電磁銃(レールガン)≫だったかしら? ティアの言う通り、本当に無茶ばかりする子ね」

 

「……お喋りめ」

 

「同じ不器用者同士、お相子でしょ? そんな大技なんて使わなくても、あなたの腕ならヤミちゃんを無力化する方法なんて幾らでもあっただろうに」

 

 

 口を閉ざすトレインを一瞥すると、涼子は徐に口を開く。

 

 

「≪アークス流剣術≫、≪エルヴァルト槍術≫、≪無双流≫、≪ガーベルコマンドー≫」

 

 

 ピクリと肩を震わす姿に、涼子の唇が弧を描く。

 そんな彼女を見上げるトレインの瞳は、ぞっとするほどに鋭利で冷たい。

 空気が急速に張り詰め、冷え切っていく。

 

 

「……あんた、本当にただの医者か?」

 

「ええ。ちょっとだけ物知りで、色んな組織から狙われて、ドクター・ミカドなんて呼ばれてる、そんなどこにでもいるただの闇医者」

 

「…………」

 

「逆に質問するけど、あなたって本当に何者なの? 自分の意思で≪細胞放電現象≫を起こし、宇宙一の殺し屋と謳われる金色の闇にただの地球人の子供が勝つなんて、一体誰が信じるのかしら」

 

 

 正史ならば最強の抹殺人と恐れられる≪黒猫(ブラックキャット)≫の威圧。

 表面上こそ笑みを浮かべる涼子だが、先程まで淀みなく振るわれていた指先が僅かに滞っていることに、トレインは気付いていた。

 住居の提供に無償の治療行為。

 恩を仇で返す訳にもいかず、嘆息とともに圧を霧散させる。

 

 

「ふふっ、ゾクゾクしちゃった」

 

「一々言動が卑猥なんだよエロ医者」

 

「そういう一面もあるのね。だとしたら嬉しいわ、身も心も曝け出してくれるなんて」

 

「……今からでも姫っち説得して追い出すか」

 

「手遅れだと思うわよ」

 

「……俺もそんな気がしてきた」

 

 

 腹の探り合いは終わり、治療も終盤。

 あれほど酷かった腫れも平常に、肌色も健康そのもの。

 簡単な応急処置程度の知識があるからこそ、此処まで完璧な処置を行う涼子の施術に、トレインは内心唸るしかなかった。

 

 

「ティア、今でも元気なのかしらね」

 

「……分かんねぇ。でも、どっかの星で元気にやってんだろ」

 

「随分と彼女を信用してるのね。なんだか妬けちゃうわ」

 

「言ってろ」

 

「ふふっ」

 

「……あの天然が、自分の娘残してくたばるわけねぇよ」

 

「……そうね……きっと、そうよね」

 

「ったりめぇだ」 

 

 

 治療が終了したのか、患部を包み込むように触れられても、痛みは全く感じない。

 お礼を言おうと顔を上げれば、涼子の瞳は真っすぐこちらを向いていて。

 離せと手を引こうとすれば、それを拒むように強く、より強く握り込められて。

 

 

「……あなたの気が済むまで、此処にいていいから」

 

 

 強かな彼女は、そこにはいなかった。

 

 

「私も、一秒でも早くティアを見つけ出せるよう頑張るから」

 

 

 友人を心配し、無事だけを祈る、友達想いの優しい女性が、窓から差し込める月明かりに照らされ、慈しむような慈愛の眼差しでトレインを見詰める。

 気付けば浮かんでいたのは作り笑いではない、心の底からの笑顔で。

 

 

「世話になるぜ、リョーコ」

 

「歓迎するわ、トレイン君」

 

 

 夜は、静かに更けていく。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

「ぷはぁ! やっぱり風呂上がりの牛乳は格別だぜ!」

 

 

 髪を湯で湿らせ、首にタオルを掛け、腰に手を当て、コップに注いだ牛乳を一気飲み。

 この一杯の為に生きていると言っても過言ではないとはトレイン談。

 

 

「トレイン」

 

 

 唐突に響いた幼声。

 闇に浮かび上がるように、白い肌と金髪、真っ赤な瞳がこちらを見据える。

 胸に抱いた紙袋からは、ほんのりと甘い香りが漂っていた。

 

 

「お、姫っち帰ってきたのか」

 

「はい」

 

「姫っちも飲む?」

 

「……いただきます」

 

 

 コクリと頷くヤミに、トレインは自分の飲んだコップに新しい牛乳を注ぎ込む。

 

 

「あ、あの……」

 

「ん、どったの?」

 

「いえ、その……なんでもないです……」

 

 

 言いよどむヤミに首を傾げつつ、トレインは並々と牛乳が入ったコップを差し出す。

 恐る恐る受け取り、視線が何度もコップとトレインとを行き来する。

 薄暗い中でもハッキリ分かるほど紅潮する頬が、実に印象的で。

 

 

「で、では……いきます」

 

「牛乳飲むのに何故それほどの覚悟が必要なのかは知らねぇが……おう、召し上がれや」

 

 

 横一文字に引き結ばれた口が、僅かに開口する。

 コップの淵に口付け、白濁した液体がヤミの喉へと流れていく。

 コク、コクっと鳴り続ける喉音が、静まり返った洋館に響き。

 最後まで飲み干し、淵に残った一滴さえ舐め取ると、ほっと息つく間もなく黙り込む。

 大事そうにギュッと胸に抱いたコップはただの市販品なのに、まるで唯一無二の宝物みたいで。

 

 

「……ぉ……美味しかった、です」

 

「おう、そりゃあ良かったぜ」

 

「……はい」

 

 

 消え入るような声は、反響することなく掻き消えた。

 かと思えば次の瞬間、俯いたままのヤミは、胸に抱いた紙袋をトレインへ突き出す。

 

 

「そ、その……これ、どうぞ……」

 

「食いもんか!」

 

「……たい焼きです」

 

「サンキュー姫っち! ちょうど腹減ってたんだよ! いやっほーい!」

 

 

 飛び上がって喜び、嬉しそうにたい焼きを頬張るトレインの姿に、ヤミの表情が綻ぶ。

 二人はそのままソファに腰掛け、揃って食事をスタート。

 バクバクとチビチビという咀嚼音以外に会話はなく、パンパンに膨らんでいた紙袋は、徐々にその膨らみを失っていく。

 ヤミが話し掛けたのは、残すたい焼きが後一つになった頃だった。

 

 

「……トレイン」

 

ふぁんふぁふぉふぃふぇっひ(なんだよ姫っち)

 

「その……実は、こんな夜中なので、行き付けのたい焼き屋が閉まってまして」

 

ふぉーん(ふーん)ふぉれふぇ(それで)?」

 

「あ、あの、ですね……そ、その店のたい焼きは、その……大変、美味しく……」

 

ふぉんふぉん(ふんふん)

 

「で……ですので……」

 

ふぉぐ(ふぐ)!?」

 

 

 バッと、ヤミは真っ赤になった顔を上げた。

 

 

「こ、こここっ、今度私と一緒に――!!」

 

 

 バッと、トレインはヤミの抱いているコップを奪い取り、水分摂取のため流し台に急行。

 

 

「し、死ぬかと思った……」

 

 

 死因がたい焼きの食い過ぎによる窒息死とか洒落にならん。

 簡単な水洗いの後にコップを乾燥機の中に入れ、振り返った先でトレインは奇妙な光景を見た。

 

 

「…………」

 

 

 口はパクパクと酸欠寸前の魚のように、顔色は深層から打ち上がった真鯛のように。

 ヤミの謎の行動に、魚に味噌汁に白米と、懐かしの日本食が恋しくなったトレインは、今度涼子にお願いしてみようと決意するのだった。

 

 

「悪ぃ、姫っち。行き付けのたい焼き屋が美味くて、それがどうしたって?」

 

「……いえ、なんでもないです」

 

 

 ズゥーンと沈み込むヤミに、トレインは声を掛けた。

 

 

「でも、久しぶりだよな。こうして一緒にメシ食うの」

 

「……ごめんなさい」

 

「姫っち?」

 

 

 深々と、ヤミは頭を下げた。

 

 

「私はあなたに刃を向けました。その命を殺めようと凶器を振るいました。心の鼓動が止まってしまえと思いました。そんな私が今この場にいるのは、トレインに言わなければいけないことがあったからです」

 

 

 淡々と紡がれる謝罪の意。

 

 

「ごめんなさい。許してくれとは言いません。そんな厚顔無恥なつもりもありません。先程は御門涼子に此処に住まわせて欲しいと要求しましたが、それは取り消させてもらいます。今すぐ此処から立ち去ります。この星からも出ていきます。もう二度と、あなたの前に姿を現したりなどしません。そんな資格、私にはありません」

 

 

 でも、すぐに声が震えてきたのが分かった。

 でも、すぐに肩が震えているのが分かった。

 でも、すぐに手が震えているのが分かった。

 

 

「未練がましい私が望んだ愚かな願い……あなたの耳に届かなくてよかった」

 

 

 その言葉を最後に、ヤミは踵を返す。

 透明な雫が月明かりに照らされ、幻想的な美しさを奏でる。

 生体兵器が、宇宙一の殺し屋が、化け物が、自分はターゲットを殺し損ねたことはないという自負を無視し、己の意思で選んだ苦渋の決断。

 月明かりの届かない暗闇へ消えゆくヤミの手を掴んだのは、自分と同じ幼い手だった。

 

 

「悪いんだと思うんなら、此処にいろよ」

 

 

 振り払おうとする手を、より強くトレインは握りしめた。

 

 

「自分だけで自己完結すんのか。ごめんなさいしてそれでお終いってか。償いもせずに逃げ失せる方がはるかに厚顔無恥なんじゃねぇのか」

 

 

 掴んだ腕から伝播する震え。

 嫌々と全力で振り解こうとするも、トレインの手が離れることはない。

 強引に振り向かせた時、トレインが見たのは、赤い瞳から涙を流すヤミの顔だった。

 

 

「でも、私は……!」

 

「粋がんなよ。力の扱いも満足に出来ねぇ奴が俺を殺す? 出来るわけねぇんだよそんなこと」

 

「私は嫌なんです! この力が! 私の身に宿った異能が! あなたを傷つけてしまったかもしれないということが! 自分の全てが怖くて仕方がないんです!」

 

「…………」

 

「私は生体兵器です! 私は殺し屋です! 私は化物なんです! そんな存在があなたの傍にいていいはずがない! そうに決まってます! そうに違いないんです!」

 

 

 真っすぐ、反らされることのない、金色の瞳。

 赤い瞳が見返す中、懐から取り出した装飾銃を、トレインは遠くへ投げ捨てた。

 かと思えば、掴んだヤミの腕を胸の前に引き寄る。

 突然の行動に瞠目するヤミに、トレインは平坦な声で語り掛ける。

 

 

「殺れよ」

 

「……え?」

 

「どうした。今なら殺り放題だろ。俺は丸腰で、≪ハーディス≫も拾える距離じゃねぇ。指先だけを≪変身(トランス)≫させるなら、俺が動く前に心臓を貫くなんざわけねぇだろ」

 

 

 普段の温かな笑顔はない。

 深淵を覗き込むように、冷酷でほの暗い金の双眸に、ヤミの体が震える。

 

 

「生体兵器ならできんだろ。殺し屋なら殺る時に躊躇すんなよ。化物なら罪悪感なんざ感じる必要はねぇ」

 

「ぅ……ぁっ……」

 

「ほら、どうした。あんだけ能書き垂れといて出来ねぇのか」

 

 

 叩き付けられる殺気、迫られる殺人行為。

 自分が殺す側なのに、まるでこちらが命を握られているような錯覚。

 生体兵器としての、殺し屋としての、化物としての本能が、全力で警鐘を鳴らす。

 今すぐ殺せ、迷うな、一思いに、さもなくば殺されるのは自分だ。

 

 

「…………ぃ…………ゃ、だ」

 

 

 それでも、例え自分が殺されるようなことがあっても。

 

 

「……殺したく、ない」

 

 

 トレインには、死んでほしくないから。

 

 

「私は、もう……誰も殺したくないっ」

 

 

 下した想いに、縫い止められていた体が応えてくれる。

 あれだけ固く握られた手は容易に解け、直後に被さるぬくもり。

 抱き締められているんだと、ぼやけた頭が遅れて理解する。

 

 

「生体兵器としても中途半端。殺し屋としても中途半端。化物としても中途半端。だったら、こうして殺すことを迷っているのは、人としても中途半端だからだよ。生体兵器でも、殺し屋でも、化物だったとしても、人であることには変わりはねぇ」

 

 

 トレインは、あたたかかった。

 

 

「此処にいろ。ゆっくりでいいから、少しずつ人間になっていけばいい。だから、此処にいろよ」

 

 

 だから、掴んだぬくもりを離さないよう、ヤミは力一杯抱き締めた。

 

 

「私は、この星にいていいんでしょうか」

 

「星に住むのに必要なものってなんなんだろうな。住民票?」

 

「私は、此処にいていいんでしょうか」

 

「リョーコがいいって言ったんだからいいんじゃねぇの?」

 

 

 赤色と金色の視線が交差する。

 涙で濡れた瞳が、可笑しそうに笑うトレインの姿が映す。

 

 

「私は、トレインの隣にいても、いいんでしょうかっ」

 

「俺は姫っちにいてほしいぞ」

 

 

 返すトレインの言葉に、迷いはなかった。

 

 

「……トレイン」

 

「ん?」

 

「今回買ったものとは違う、行き付けのたい焼き屋があります」

 

「おう、それで?」

 

「そこは餡子がぎっしりで、くどくなくて、とても美味しいたい焼きが食べられます」

 

「そいつはぜひ食ってみてぇな」

 

「はい。なので、私から提案があります」

 

 

 心の底から、ヤミは微笑んだ。

 

 

「今度、私と一緒に食べに行きませんか?」

 

「もちろん」

 

 

 誰がどう見ても、今のヤミは人間の女の子だった。

 

 

 

 

 




作者の気分転換で始めた本作。
最近トレインのヒロインをどうするかで悩んでいるんだけど、何故か毎回ヤンホモの影がチラつくのは、作者が疲れているからなのだろうか。


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リト

注)ラッキースケベはリトさんの担当です。


「んなぁ!? おまっ、ずっけーぞトレイン! それあたしのアイテムなのに!」

 

「ふははははっ! ナナの物は俺の物! 俺の物も俺の物!」

 

「どこのガキ大将ですかあなたは……」

 

「そいや」

 

「きゃあ!? 私の操作キャラに爆弾が!?」

 

「モモ、爆殺! お姫様はキノコ王国のピーチ城にでも引き篭もってろや!」

 

「ドラグーン完成! 行っくよーみんなー!」

 

「姉上姉上! トレインだ! トレインを狙うんだ!」

 

「……お姉様。私何とも思ってません。何とも思っていませんが――トレインを殺ってください」

 

「そ、そうしたんだけど、トレインの動きが速すぎて……!」

 

「す、スゲェどうなってんだ!? オレでもこんな動きは無理だぞ!?」

 

「わはははは! これが≪桜舞≫の真髄よ!」

 

「まうっ」

 

「あ、セリーヌがトレイン殿のコントローラーを」

 

「姉上今だ!」

 

「今こそ引き金を引く時です! お姉様!」

 

「は、離しやがれ桃色姉妹!? お前等ゲーム中に生身拘束するとか卑怯だぞ!」

 

「み、みんな……! うん、私やるよ!」

 

「ピンクの悪魔共がぁあああああああああああ!!」

 

 

 しゅきーん。

 

 

「やたー!」

 

「まーうっ!」

 

「ははは! ざまーみろ! 正義は必ず勝つんだよ!」

 

「はっ、汚い花火ですね」

 

 

 大喜びの女性陣。

 

 

「…………」

 

「ごめん、トレイン。あそこでお前を助けたら、オレがどやされてたから……」

 

「ご冥福をお祈りします。このペケ、これほど自分の非力さを呪ったことはありません……!」

 

「……リトやペケも苦労してんだな」

 

「……トレイン」

 

「トレイン殿……!」

 

 

 友情が深まる男性陣+α。

 

 

「……よくもまぁゲームの勝敗であそこまで一喜一憂できますね」

 

「ま、楽しければいいんじゃない? あ、ヤミさんお皿出してもらっていい?」

 

「これでよかったでしょうか?」

 

「うん、それそれ。ありがとねー」

 

 

 昼時。

 彩南町の住宅街の一角。

 

 

「みんなー、お昼の準備できたよー」

 

 

 庭付き2階の一戸建て。

 

 

「おいこら桃色姉妹。さっきの勝負は反則だろうが、罰としておかず一品ずつ寄越せや」

 

「あらあら、負け犬の遠吠えですか?」

 

「そうだぜトレイン! 敗者が勝者に従う、これ世の常識! おかずを献上するのはお前の方だろうが!」

 

「献上したところで吸収できねぇんじゃ意味ねぇだろうが」

 

「どこ見て言ってんだ!」

 

「壁」

 

「ペタンコで悪かったな!」

 

「それじゃあ、ナナの分も私がいただきましょうか」

 

「太るぞ」

 

「……本当に可愛くない子供ですね」

 

「化けの皮が剥がれてんぜお姫様? それがおたくの素か」

 

「まあ、化けの皮だなんて人聞きが悪い。でも、仕方がありませんわね。女の子の扱いすら満足にできないお子様なら見間違えるのも当然のことですし」

 

「…………」

 

「…………」

 

「あたしを無視すんなー!!」

 

 

 広いリビングに、彼等彼女等は一堂に募う。

 

 

「ナナ様やモモ様にあれほど早く打ち解け合えるとは……! さすがですトレイン殿!」

 

「本当にねー! リトもそう思うでしょ?」

 

「仲が良いっていうか、喧嘩するほど仲が良いと言えばいいのか……」

 

「早く席についてください、結城リト。プリンセス、早く彼女達を止めてください。せっかく作ってくれた美柑の料理が冷めてしまいます」

 

「もうあの人たちはほっとこうよ。私達だけで食べちゃお」

 

「まーうっ!」

 

 

 結城兄妹、宇宙植物のセリーヌ、デビルーク三姉妹、そしてペケ。

 普段の面子に加え、結城家に遊びに来たトレインとヤミを交え、昼食はスタートした。

 

 

「トレインのせいで出遅れたじゃねーか! どうしてくれんだ!」

 

「それはこっちのセリフだ。ナナと違って俺は栄養を必要としてんだよ。成長期なんだよ」

 

「お前、ホントいい加減に……!」

 

「もう、二人とも喧嘩はめっ! 私のおかずを分けてあげるから……トレインどうしたの?」

 

「い、いや……なんでも……」

 

「おや? お姉様の美しさに見惚れてしまいましたか? これだからませたお子様は」

 

「見惚れるというか……大丈夫かトレイン。お前、顔が真っ青だぞ」

 

「そ、その……ララの怒った顔が、どうしてか一瞬女剣士に……」

 

「女剣士?」

 

「まう?」

 

「は、ははっ……そうだよ、気のせいだよ。もうあいつはいないんだ。俺は手にしたんだ、掴み取ったんだよ平和な日常ってヤツを。女剣士やヤンホモに追い掛け回されてたのは遠い昔の出来事。はっ、そういや俺って逆行してんだっけ。てことはあいつ等がそのうちどっかから突然湧いて出てくる可能性も。いやいやいやいや、それはあり得ない秘密結社に入らなきゃ女剣士やヤンホモには出会わない筈そうだそうに決まってる同じ過ちを繰り返してたまるか俺は俺は――!!」

 

「と、トレイン殿――!?」

 

 

 新顔であるトレインを中心に騒ぎは拡大。

 

 

「……トレイン君、急にどうしたの?」

 

「いつものことです。御門涼子の見立てでは、精神的なものではないかとのことでした」

 

「……それって大丈夫なの?」

 

「問題ないと、御門涼子からお墨付きをいただいているので大丈夫ではないかと」

 

「ならいいんだけど……」

 

「……話は変わりますが」

 

「ん?」

 

「……き、今日はありがとうございます。お昼までご馳走してもらって」

 

「気にしなくていいよ。それに、私はヤミさんと一緒に入れて嬉しいし」

 

「……美柑」

 

 

 ある晴れた、昼時の出来事。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

「ちくしょう、暴力女と腹黒女め、本当に人のおかず奪いやがって」

 

「まぁまぁ、オレやララのおかずを分けたんだし、それでいいじゃん」

 

「あいつ等に盗られたってことが重要なんだよ。なんなんだよあいつ等、本当にお姫様なのかよ」

 

 

 穏やかな日差しが降り注ぐ、此処は結城家の庭。

 多種多様な園芸植物の内の一つの前に立ち、手に持ったジョウロを傾ける。

 

 

「ははっ……でも、ありがとうなトレイン。こうして水やり手伝ってもらって」

 

「タダ飯くらったんだからこんぐらいはな……中の方はどうにも居心地が悪ぃし」

 

「分かるよその気持ち。いつもなら男はオレだけだから、なんか疎外感というか、テンションの違いというか……」

 

「良かったな、ハーレムだぞ」

 

「は、ははっ、ハーレムじゃねーよ!?」

 

「いや、んなマジになんなくても……」

 

 

 赤面症も驚きなほどの真っ赤になりながら、リトは雑念を忘れるように一心不乱に水やりを。

 女所帯にいるからこの手の冗談は軽く流すと思っていたが、想像以上に初心なようで。

 にやけるトレインだったが、急にこちらへ向き直るリトに、表情を改める。

 

 

「ありがとう、トレイン」

 

「だから、水やりの件ならもう――」

 

「違う違う。……その、ヤミのことなんだけど」

 

 

 言葉が見つからないのか、視線は所在なしげに、指で頬を掻く。

 

 

「なんていえばいいのかな……雰囲気っていうか、表情が柔らかくなったっていうか……うん、なんか女の子らしくなったっていうか」

 

「つまり今までは男勝りなゴツゴツ女だったと。おーい、姫っちやーい」

 

「わああああああ! そういう意味じゃなくって! 今までもその……可愛かったよヤミは!」

 

「いや、突然惚気られても」

 

 

 こいつ無自覚な女たらしだと、リトの評価を修正。

 

 

「今回みたいに家に招いて一緒に食事なんて、今までなら考えられなかったんだ。たぶん、ヤミが変わったのってトレインのおかげだと思うから……ありがとうって、そう言いたかった」

 

 

 でも、物凄く良い奴でもあるんだろう。

 ヤミが殺し損なっていたのも、そんなリトの優しさに触れていたから。

 デビルーク三姉妹がリトの家に住んでいるのも、リトの優しさに惹かれたから。

 先程は冗談でハーレムといったが、あながち間違いではないのかもしれない。

 とはいえ、リトを好きになる奴は苦労するなと、他人事のように思うトレインだった。

 

 

「で、リトさんや。話は変わるけどさ」

 

「ん?」

 

 

 そんなリトに、トレインはどうしても気になっていたことを訪ねてみた。

 

 

「リトの本命って誰なの?」

 

「はあ!?」

 

 

 返答は、多量の水だった。

 

 

「ご、ごめんトレイン!」

 

「……いや、今のは俺も悪かった」

 

 

 振り返った拍子に浴びた、ジョウロに入っていた水がトレインの全身から滴る。

 濡れ鼠ならぬ濡れ猫状態トレインが、不意にひとくしゃみ。

 

 

「待ってろトレイン! 今タオル持ってくるから!」

 

「いや、このくらいならそのうち乾く――」

 

「たった今くしゃみした奴が何言ってんだよ! 風邪ひいたら大変なんだからな!」

 

 

 そう言って踵を返し、リトは家の中へと飛び込んでいった。

 

 

「……なんだかんだで聞きそびれちまったな、リトの本命」

 

 

 まあいっかと零し、見上げた空は青かった。

 肌に纏わりつく衣服の感触は依然として気持ち悪いが、それ以上に心地よい午後の日差し。

 膨れた腹は眠気を誘い、視界が徐々にぼやけていくのを頭の片隅で考えていた時だった。

 

 ――宇宙船?

 

 ≪黒猫ブラックキャット≫の常人離れした視力が、遥か彼方を飛行する飛行物体を捉えたのは。

 別に宇宙人が珍しいという訳でもなく、というかこの彩南町には自分の知っているだけでも相当数の地球外生命体がいる訳なのだが。

 ぞくりと、感じた悪寒は果たして、水を浴びて体が冷えてしまったからなのか――

 

 唐突に響く、甲高い悲鳴。

 

 

「姫っち……ミカンもか!?」

 

 

 瞬時に頭の思考を切り替え。

 駆け出すと同時に相棒ハーディスの感触を確かめながら、悲鳴の発生源である結城家の中へと突き進んでいく。

 玄関から入り、廊下を掛け、確信とともに伸ばしたドアノブの繋がる先は――脱衣所。

 

 

「お前等、さっきの悲鳴は――」

 

 

 思考が、完全停止する。

 

 

「ちょっ、リト!? 早く離れ――ひゃんっ」

 

「ふぁ……っ、結城、リト……毎度毎度、どうしてあなたは……!」

 

 

 濡れた肢体に御髪を張り付かせ、瑞々しい肌に朱が差す。

 浴室から僅かに空いた扉から湯気が漂うのは、先程まで入浴していたからか。

 生まれた姿のまま脱衣所にいるのは不自然なことではなく、故に今の彼女達の裸体を隠すのは、リトの顔と手と足と彼の持つタオルのみ。

 裸の美柑とヤミを押し倒し、胸元を弄り股間に顔を突っ込むという構図は、一体どのようにすればそのようなことになるのだろうか。

 苦しそうなリトの声と美柑とヤミの嬌声が響く、そんな状況が暫し続き、

 

 

「……お邪魔しました」

 

 

 トレインは空気を読んで退室することを選択した。

 

 

「トレイン君!?」

 

「ち、ちがっ!? これは……!!」

 

 

 背にする扉から伝わる、どんどんと叩く物音と衝撃。

 返すトレインの声は、全てを悟る仏のように穏やかだった。

 

 

「大丈夫、俺は何も見てない」

 

「その発言が既に大丈夫ではありません! 此処を開けて話を――」

 

「大丈夫、俺は何も聞いてない」

 

「誤解してる! 絶対に誤解してるからトレイン君! これはリトのラッキースケベが!」

 

 

 カッと目を見開き、トレインは天井を仰ぐ。

 

 

「漫画やアニメじゃあるまいし! ラッキースケベなんてもんがそう簡単に起こってたまるか!」

 

 

 世の理を叫ぶその声は、トレインの心の叫びだった。

 創作物の世界に転生し、可愛くて綺麗なヒロイン達とそのような関係になれればと思ったことがないと言えば、それは嘘になるだろう。

 トレインも男であり、ラッキースケベなどある意味野郎共の夢なのだから。

 しかし、トレインが進んだのは桃色な夢世界ではなく、暗黒色の茨道だ。

 幼い頃に両親と引き離され、気付けば立っていた原作通りの立ち位置、秘密結社や革命組織に命を狙われ、女剣士やヤンホモに追い掛け回される毎日。

 女の子と言われて真っ先に思い浮かぶのは≪滅界≫を連発する女剣士、デレと言われて真っ先に思い浮かぶのはなんか色々とイっちゃってるヤンホモ。

 ラブでエッチな展開など、とうの昔に存在しない夢物語だと、トレインは悟ったのだ。

 

 

「何があったんだトレイン! さっきの悲鳴、もしかしてまたリトのズッコケか!」

 

「セリーヌが先程やらかして、汚れを落とそうと浴室に向かわれたのは美柑さんとヤミさん……なるほど、そういうことでしたか、さすがリトさん」

 

 

 だからラッキースケベなど起こりえない。

 自分の理不尽と戦うトレインにナナとモモは追い打ちを掛ける。

 

 

「リトっていつもあんな感じなの。だから、トレインも気にしないでね」

 

 

 笑顔でそのようなことを平気で宣うララに、トレインの心は完全に折れてしまった。

 どうして自分ばかりがこんな目に。

 走馬灯のように、逆行する前の修羅道が脳裏を駆け巡っていく。

 あんまりな自分への仕打ちに膝が折れ、目頭が熱くなり、同時に胃が悲鳴を上げ、結城家のドアホンが鳴ったのはそんな時だった。

 

 

「……はい、今でます」

 

 

 目の前の現実から逃げたくて、トレインは来客の応対をしようと腰を上げる。

 

 

「失礼。ララ様、先程の悲鳴は一体……」

 

 

 しかし、来客は応対する前に扉を開いてきた。

 言動からして、結城家と親しい間柄なのだろう。

 一体どのような面なのだろうかと、見上げるような高身長の相手の顔を拝もうとし、

 

 

「何……だと……!?」

 

 

 超ド級の悪夢が蘇る。

 

 

「問題ないよ。リトがいつものアレをやっちゃったってだけで」

 

「まったく、リト殿には困ったものだな。ララ様達でなかったのはせめてもの救いか」

 

「いや、そういう問題じゃねーだろ」

 

「それで、唐突にどうしたの? こうして直接訪れたということは、何かしら事情があってのことだと思うんだけれど」

 

「はい、モモ様。実は皆様に直接お伝えしたいことがありまして」

 

 

 口を開けばトレイン。暇があればトレイン。どんな時でもトレイン。

 トレイン以外は生きる価値がない、君さえいれば僕はそれだけで満たされるなどとほざく変態。

 秘密結社を抜けてからは執拗に勧誘、断れば発狂、ならば四肢を切り落としてでも連れていくなどというとんでも発想で襲い掛かってくるキチガイ。

 どうして仲間になってくれない、僕の気持ちに応えてくれない、ねぇトレイン僕のトレイン。

 半殺しにすれば恍惚とした表情を浮かべ、会う度に≪幻想虎徹≫を使いこなし、レベルを上げ、お前俺を殺す気かとキレれば、どうして僕達は殺し合わなくちゃいけないんだと逆ギレ。

 終いには君を殺せば永遠に僕の物だと宣った瞬間から、奴のことはヤンホモで決定だった。

 

 

「実は、セフィ様のことで――」

 

 

 心休まる時は一時だってなかった。

 常時警戒、恐怖とストレスでどうにかなってしまいそうだった。

 それほどまでに、ヤンホモはトレインの心に一生消えない爪痕を残していった。

 故に、トレインは激怒していた。

 掴み取った平和な日常、絶対に壊してなるものかと、決意を秘めた眼差しで向き合う。

 

 

「おや、君は……子供?」

 

 

 全身を覆う怪甲冑。

 中性的な顔立ちに縁取られた実直な眼差し。

 陽光にきらめく銀の髪。

 

 

「ララ様、彼は……」

 

 

 だがもし、怪甲冑が悪趣味な黒装束になったら。

 だがもし、実直な眼差しに影が差せば。

 だがもし、下ろした銀髪をかきあげれば。

 

 

「うん。この子はね、リトの友達で、トレインっていう――」

 

 

 クリード=ディスケンス、その人の出来上がりである。

 

 

「死ねぇヤンホモぉ!!」

 

「ぐぼあぁ!?」

 

 

 勘違いが、加速する。

 

 

 

 

 




おまたせ(笑


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ザスティン

「ごめんなさい」

 

 

 土下座。

 人生で最初の土下座である。

 

 

「……顔を上げてくれ、トレイン君」

 

 

 頭上から降り注ぐ声に、しかしトレインの頭が上がる気配を見せない。

 デリカシー皆無の無神経男ことトレインの殊勝な態度に、遠巻きに彼を見守る住人達は言葉が出ないようであり、ヤミなどは早々に偽者説を唱え出す始末。

 だが、現実としてトレインは自分にできる最大限の謝罪方法を取っている。

 

 

「謝罪は受け取った。君が反省しているという気持ちも、土下座という姿勢から十二分に伝わってきている。なにより、反省している者に追い打ちを掛けるほど、私は非道ではないつもりなんだ」

 

 

 朗々と紡がれるのは、確固とした意志に基づく言葉。

 これにはトレインも折れるほかなく、床に擦り付けていた頭をゆっくりと上げた。

 

 

「……あの、もう一度確認しますが」

 

 

 全身を覆う怪甲冑。

 中世的な顔立ちに縁取られた実直な眼差し。

 陽光にきらめく銀の髪。

 

 だがもし、怪甲冑が悪趣味な黒装束になったら。

 だがもし、実直な眼差しに影が差せば。

 だがもし、下ろした銀髪をかきあげれば。

 

 

「おたく、本当にクリードじゃないんだよね?」

 

「何度も言うが、私の名前はザスティンだ。断じてクリードという名前ではない」

 

 

 ザスティンの容姿は、クリード=ディスケンスに酷似したものだった。

 

 

「……本当に?」

 

「本当だ」

 

「……実はクリードの親戚とか?」

 

「親戚どころか、クリードという名前を耳にしたのは今日が初めてだ」

 

「……嘘とかついてないよね?」

 

「騎士の名に懸けて、嘘ではないと誓おう」

 

 

 真っすぐに目を合わせるザスティンの眼差しは澄んでいて、暗く濁って腐りきっていたクリードとは対極的だった。

 それに、改めて観察すれば身長ははるかに高く、髪色も微妙に違うし、声だって全然だ。

 他人の空似。その結論に至り、ようやくトレインは警戒心を解いた。

 

 

「ねぇ、トレイン君。結局クリードってどんな人なの?」

 

 

 そんな時、皆を代表し、美柑が訪ねてきた。

 

 

「クリードがどんな奴かって、それは――」

 

 

 悪夢、再び。

 

 

「……ヤンホモ怖いヤンホモ怖いヤンホモ怖いヤンホモ怖いヤンホモ怖いヤンホモなんて嫌いだヤンホモ来んなヤンホモ失せろヤンホモヤンホモヤンホモヤンホモヤンホモヤンホモヤンホモ――」

 

「トレイン殿――!?」

 

 

 当時の恐怖体験がフラッシュバック。

 以後、トレインにクリード=ディスケンスについて聞いてはいけないという暗黙の了解が自然と出来上がるのだった。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 四方を壁で囲む、此処はザスティンの所有する宇宙船の一室。

 主に模擬戦を目的として使用される、そんな空間に二人は向かい合っていた。

 

 

「準備はいいかな、トレイン君」

 

「おー、こっちはいつでも」

 

 

 柔軟を止め、取り出したのは相棒の装飾銃。

 子供の身には持て余すほかない大仰な拳銃だが、それを持つ姿は不思議と堂に入っていた。

 対するザスティンはあくまでも自然体、しかしその眼差しは鋭く研ぎ澄まされ、纏う雰囲気は見た目子供なトレインを相手にするとは思えないほど剣呑だ。

 

 

「なあ、本当に止めなくてよかったのか?」

 

 

 そんな二人を、ナナは強化ガラス越しに見守る。

 

 

「あら、ナナったらトレインの心配? いつの間にそんなに親しくなったのかしら?」

 

「そうじゃねー。モモも分かってんだろ。ザスティンの奴、あの眼はマジだぞ」

 

「……分かってるわよ。ホント、あんなのザスティンらしくないわ」

 

 

 同意するモモの声にも、確かに戸惑いの色が見え隠れする。

 誰に対しても律儀で誠実、騎士道精神を重んじるザスティンを知る彼女達に、子供のトレインを相手に全力の姿勢を見せる姿は、あまりにも異質に見えるのは仕方のないことだった。

 

 

「恐らく、トレインを警戒しているのでしょう」

 

 

 集中する視線を相手にはせず、ヤミはガラス越しの二人から目を離さない。

 

 

「それこそ冗談だろ。だってトレインだぜ? 口が悪くて意地汚くてデリカシーのねー悪ガキが相手なんだぜ? お灸を据えるにしたってやり過ぎだろ」

 

「あのような銃を隠し持っていたことには驚きですが、ザスティンの相手になるとは到底思えません。ザスティンはデビルーク星王室親衛隊隊長、即ちデビルーク星最強の剣士なのですから」

 

 

 その一撃は地割れを引き起こし、身体能力はデビルーク星の中でも随一。

 普段の間の抜けた一面のせいで忘れられがちだが、純粋な戦闘能力で言えば、王族であるナナやモモよりも上であり、三姉妹の中で最もデビルークの血を色濃く受け継いだララ相手に、パワーという一点以外は全てを上回っているのだから。

 

 

「……私は一度もトレインに勝ったことがありません」

 

「へっ?」

 

「はぁ!?」

 

 

 呆けた声がモモから漏れ、信じられないとナナが叫ぶ。

 

 

「詳しい経緯は話せませんが、少し前に全力で挑みました。しかし、結果は私の惨敗。宇宙一の殺し屋などと言われていますが、トレインには意味などないということを思い知らされました」

 

「凄かったよね、ヤミさんとトレイン君の戦い。遠目からだったけど、全然目で追えなかったし」

 

「その節は、美柑には大変迷惑を掛けました」

 

「いいよいいよ、全然気にしてないし。あっ、それよりヤミさん、あの時凄い音したけど、頭は大丈夫なの?」

 

「……大丈夫です。それと、そのこともその後の出来事も忘れてくれるとありがたいです」

 

 

 紅潮した顔を隠すように俯くヤミに、ナナとモモは言葉が出ない。

 総合力ならザスティンに分があるが、ヤミの≪変身(トランス)≫は暗殺にこそ真価を発揮する。

 客観的に見て、ザスティンとヤミの実力は均衡しているといっていい。

 そんなヤミが、トレインには一度たりとも勝てなかった。

 言葉を失ったナナとモモは、改めてトレインを注意深く観察する。

 

 

「……あいつって実は宇宙人とか? 父上みたいに力を使ったら小さくなるとか、そういう系の」

 

「トレイン本人は地球人だって言ってたぞ」

 

「……どうなってんだよ地球人って。リトみたいな能力持ちが溢れかえってんのか?」

 

「オレみたいなってどういう意味だよ!」

 

「さすがリトさんって意味です」

 

「誤解だって!」

 

「あっ、始まるみたいだよ。リトはどっちを応援するの?」

 

「ララ! 今はそれどころじゃ――」

 

「私はどっちも勝ってほしいし怪我もしてほしくないから……頑張れートレイン! 負けるなーザスティン! どっちも怪我だけはしないでねー!」

 

「…………」

 

「まうっ」

 

「ドンマイです、リト殿」

 

「……オレの味方はセリーヌとペケだけだよ」

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

「なんか、向こうは随分と盛り上がってんな……」

 

 

 余所見をするトレインは隙だらけだが、ザスティンが仕掛けることが出来なかった。

 装飾銃を肩に預け、姿勢は脱力。

 しかし、意識が依然としてこちらへ向き、警戒心も解いていないことは明白だった。

 

 ――やはり、この少年は危険だ。

 

 思い出すのは、最初の邂逅。

 突然の攻撃に面食らったが、躱せない速度でも距離でもなかった。

 だが、結果としてザスティンはトレインの攻撃を受けた。

 射殺すような眼差し、ザスティンはそれに竦み上がり、動けなかったのだ。

 あれほどの殺気、銀河大戦を生き抜いたザスティンでも数えるほどしか浴びたことはない。

 

 聞けば、トレインはヤミと親しい間柄だとか。

 横目で伺えば、ララ達に混じる、宇宙一の殺し屋≪金色の闇≫の姿が確認できる。

 護衛として、それはあって欲しくない光景ではあったが、ザスティンとしても彼女達の意思を無視する訳にもいかない。

 一時ではあるが本来の職務を放棄し、人違いによる負い目に付けこみ、今回の試合を設けた。

 トレインの人間性がララ達に害を及ぼさないか、それを見極めるために。

 

 ――瞬間、トレインの姿が掻き消えた。

 

 

「なっ――」

 

 

 条件反射の抜剣、愛剣≪イマジンソード≫の柄から伸びた光の刃を、振り向きざまに一閃。

 

 

「へぇ、ライトセイバーかよ。カッコいいじゃん」

 

 

 火花散らす先で、好奇心に光る金の瞳を捉える。

 常軌を逸した速度と戦闘中にも拘らず軽口を叩く余裕。

 一瞬とはいえ油断した己に活を入れ、裂帛の気合と共にトレインを弾き飛ばす。

 

 

「いざ、参る!」

 

 

 間髪入れずに肉薄。

 縦横無尽に振るう光子剣の太刀筋がトレインを襲うが、そのどれもが空を切る。

 

 

「ならば――」

 

 

 横薙ぎに振るった光子剣を勢いのまま回転。

 トレインに背を向け、光子剣が死角になった瞬間、刀身のリーチが倍加。

 質量を持たない光子剣だからこそ可能な芸当であり、振り向き様に伸びた刀身が襲う、ザスティンの得意技の一つだ。

 

 

「ほいっ」

 

 

 トレインにとっては初見の技。

 しかし、彼は屈むことでこれをやり過ごし、即座にザスティンへ接近。

 急ぎ引き戻した光子剣が、振るわれた装飾銃とぶつかり合う。

 

 

「何故、私の攻撃が……っ」

 

「奇襲性は上々、アイデアとしても面白いとは思うんだけどなぁ」

 

 

 鍔迫り合いの中、動揺を隠せないザスティンに、トレインは静かに告げる。

 

 

「刀身が見えてる時点で、俺には届かねぇよ」

 

 

 脱力と同時に後退。

 前へつんのめりたたらを踏むザスティンに、黒猫の爪が襲い掛かる。

 

 

「≪黒爪(ブラッククロウ)≫」

 

 

 描かれる四筋の爪痕。

 鎧越しに伝わる衝撃に息が詰まり、後退を余儀なくするザスティンだが、その顔に浮かぶ苦悶の色は時間を置かずに色褪せていく。

 

 

「……軽いっ」

 

 

 速度はザスティンより上。

 だが、パワーは圧倒的に格下。

 華奢な外見は、見た目通りの筋力しか持たないのだろう。

 トレインの未成熟な身体では、鋼のように鍛え抜かれたザスティンには十分な威力を発揮させることが出来ないのだ。

 

 

「へぇ……」

 

 

 決まったと思ったのか、僅かに見開かれる金色の瞳。

 だが、次の瞬間には細まり、口元は弧を描く。

 

 

「目には目を、歯には歯を」

 

 

 そう言って突き出した装飾銃の銃口は、あらぬ方向を向いていた。

 

 

「剣士には剣士が相手をしなくちゃな」

 

 

 銃声。

 一瞬遅れ、もう一度。

 ザスティンの動体視力では線でしか捉えられないが、銃弾はそれぞれが全く関係のない方向を直進し、そのまま四方に存在する壁へ。

 誤射か、それにしてはあからさま過ぎるのでは。

 トレインの行動が読めず、視線を戻したザスティンの耳に、異音が響く。

 その直後だった。

 

 

「――っ!?」

 

 

 何の前触れもなく、手に持つ≪イマジンソード≫が弾かれる。

 そして、再び響く異音。

 驚愕に固まるザスティンだが、視線は光子剣に向けられ、だからこそ次の瞬間に起こった現象を捉えることが叶った。

 

 ≪リフレク・ショット≫――。

 跳弾を利用した、射線外からの奇襲攻撃。

 先の二射は、そのどれもが一見関係ないようで、緻密な計算のもとに放たれ、跳弾したそれぞれの銃弾が空中でぶつかり合い、その一発がザスティンの持つ光子剣の柄を射抜いたのだ。

 まさに神業、そうとしか形容できないトレインの絶技。

 弾かれた光子剣は、再度の≪リフレク・ショット≫によって遠くへ弾き飛ばされ、回収しようと駆け出すザスティンの目の前を黒い旋風が駆け抜ける。

 

 

「いただき」

 

 

 得意げな顔で光子剣を拾い上げたのは、トレインだった。

 犯した失態に表情を歪ませるザスティンだが、例え剣がなくともその戦闘力は一級品。

 回収を諦め、肉弾戦を選ぶザスティンだが、壁へと突き進むトレインの速度は衰えを知らない。

 あのままでは壁に激突する。

 そう思った次の瞬間、勢いそのままに飛び上がったトレインは空中でくるりと方向転換し、両足で壁に着地。

 限界まで曲げられた両膝が速度を吸収、光り輝く刀身の剣尖が標的(ザスティン)を射抜こうと突き立つ。

 

 

「≪雷霆≫」

 

 

 身構えていなければ、躱せなかった。

 それほどまでに凄まじい、迅雷の如き威力と速度。

 一条の矢となったトレインの一撃は、顔を反らしたザスティンの頬を薄皮一枚で削り取り、

 

 

「っ!?」

 

 

 直後に感じた、手首への違和感。

 突然の負荷に無理矢理反転させられ、それが装飾銃から伸びるワイヤーの仕業だと理解し。

 ワイヤーを巻き付けたザスティンの腕を軸に向き直ったトレインの間合いは、完全にザスティンを捉えていた。

 

 

「塵も残さねぇ」

 

 

 ≪アークス流剣術≫、終の第三十六手。

 

 

「≪滅界≫」

 

 

 視界一杯に広がる突きの壁。

 逃げ場はない、あまりの手数に防ぐ術もない。

 戦意を刈り取り、≪死≫を予兆させる、まさに≪必殺≫と呼ぶべき剣技は、

 

 

「降参だ」

 

「おう、じゃあ俺の勝ちだな」

 

 

 ザスティンの心を折るには、十分だった。

 寸でのところで静止した切っ先の先に、無邪気に笑うトレインの顔が映る。

 元からその気がないのには気付いていた、手心を加えられて悔しい気持ちがないのは嘘になる。

 それでも、全ては己の弱さが招いた結果。

 

 

「……先の技は?」

 

「なんちゃって技。あいつの技は殆ど盗んだけど、≪滅界≫だけは本家の足元にも及ばねぇよ」

 

 

 格が、違い過ぎた。

 

 

「切っ先が見えただろ? 本物は見えねぇぞ。気付いたら技が終わってんだ」

 

 

 完敗だ。

 己の未熟さ、相手の強さに敬意を表し、噛み締めるように閉じた瞳を静かに開けた時だった。

 

 

 

 一人の青年が、佇んでいた。

 

 

 

 不可思議な装飾の付いたジャケットを羽織り、顔に携えるは不敵の笑み。

 大仰で手に持て余していたはずの装飾銃は、その青年にはよく栄えていて。

 何故か思い浮かべたのは、自分の仕える宇宙の覇者。

 ≪鬼神≫と呼ばれ畏怖される最強の男に匹敵するほどの覇気が、目の前の青年から感じられて。

 

 

「……………クロ?」

 

 

 かつて剣を交わし、任務を共にした知人と、目の前の青年の容姿があまりにも酷似していて。

 そんなはずはない。そう思って目をこすり、瞳を瞬かせ、

 

 

「ザスティン?」

 

 

 次の瞬間には、青年の姿は何処にもなかった。

 代わりにあったのは、自分を見上げるトレインの金色の瞳だった。

 

 

「この剣、返すよ。悪かったな、勝手に使っちまって」

 

「あ、ああ……ありがとう。大事な剣なんだ、この≪イマジンソード≫は」

 

「え゛」

 

 

 スイッチが入ったように真っ青になるトレインを見下ろすザスティンの目は、穏やかだった。

 先の光景は、きっと幻に違いない。

 どことなく知人を彷彿とさせる容姿だが、常に無表情な彼とでは性格が違い過ぎる。

 トレインがザスティンを間違えたように、きっと他人の空似だろうと、そう決断を下す。

 それよりも、ザスティンには言わなければいけないことがあったから。

 自分の実力が及ばない強者が護衛の傍にいることへの危機感は、そこにはなかったから。

 

 

「これからも、ララ様達とは良き友人でいてください」

 

 

 剣を通して心を交わす。

 彼の心を体現したように、トレインの剣筋は何処までも真っすぐだったから。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

「やはり自分は剣士。そして、二束の草鞋が履けるほど、自分は器用な人間ではないんだ。だから、漫画家としての道は諦めると、そうリト殿の父君にはお話をするつもりだ」

 

「……お前って漫画家だったんだな」

 

 

 宇宙船から場所を移し、再び結城家のリビングに集う一同。

 態々椅子に座らず直接床に正座してから放った感想として、トレインは小さく呟いた。

 

 

「……そっか。親父も寂しがるだろうけど、きっと応援してくれると思うよ」

 

「マウルとブワッツについては、今後もアシスタントを務めたいと本人達たっての希望です。ですので、リト殿はこれからもララ様の傍にいてもらえると助かります。ですが、仮に才培殿のピンチとならば! 締め切りが間に合わないというのなら何時でも何処でもこのザスティン! 必ず駆け付けると誓いましょう!」

 

「未練タラタラじゃねぇか」

 

 

 デビルーク星王室親衛隊隊長兼漫画アシスタント。

 どんな肩書だよと、燃え上がる熱血漢を見下ろすトレインの目は冷ややかだった。

 

 

「ところで、トレイン師匠」

 

「誰が師匠だ!?」

 

 

 いい加減ツッコミが追い付かなくなってきた。

 

 

「では、トレイン殿。実は先の模擬戦で新しい技を思いつきまして。刀身が見えてる時点で俺には届かない、そうおっしゃったトレイン殿の言葉を参考に、自分なりに考えてみたんです。限りなく透明に近い光子で構成された、伸縮自在な不可視の剣。地球にある有名な侍ブレードの名前を冠してみた、名を≪イマジンブレード≫と――」

 

「おい馬鹿やめろ」

 

「必殺技っぽく漢字で書くと≪幻想虎徹(イマジンブレード)≫と――」

 

「その名を口にすんじゃねぇええええええええ!!」

 

 

 歩くトラウマことザスティン。

 本人としては無自覚にトレインの古傷を容赦なく抉るその手腕は、トレインがツッコミに回らなければならないほどの領域に達していた。

 恐るべしザスティン。

 口撃による精神攻撃は、なるほどデビルーク星最強の剣士は伊達ではなかった。

 

 

「ねーねーザスティン。そういえば最初に此処に来た時に、何か言いかけてなかったっけ?」

 

 

 自然な流れで反ることが出来た会話の流れに、トレインはララに救いの神を見たとか。

 そう言えばと表情を改め、ザスティンが向き合ったのはデビルーク三姉妹。

 

 

「お話というのは、セフィ様についてのことです」

 

「ママがどうかしたの?」

 

 

 トレインは知らない。

 

 

「通信を用いては盗聴等の恐れがあるため、こうして直接報告に参ったのです。保安上の理由で公には出来ないのですが、あなた方に知らせぬ理由はないですから」

 

 

 トラウマ(ザスティン)が運んできたものが、更なるトラウマであることを。

 自分には関係のない話だと適当に聞き流していたことを、後に死ぬほど後悔することを。

 怒り顔のララにトラウマ(女剣士)が重なった理由を、もっと深く考察していれば対策も取れたことを。

 

 

「実は、近日セフィ様が地球に訪れます」

 

 

 既に、運命の賽は投げられているということに。

 この時のトレインは、知る由もなかった。

 

 

 

 

 




セフィ様が地球に訪れます(大事なことなので2回言いました


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コーチョー

注)ヤンホモや女剣士のせいで忘れがちだけど本作は一応恋愛ものです。


「いいですか、トレイン。先日の脱衣所での一件は事故であり、決してあなたが想像したような事態ではありません」

 

「……もういいよその話。つか何回目だよ。いい加減聞き飽きたぜ」

 

 

 尖がった黒髪と流れるような金髪。

 似たような背丈に色白な肌は、共に優れた容姿ゆえに行き交う人々の視線を集める。

 それが微笑ましい者を見る眼差しであることに、とうの二人は全く気付かない。

 

 

「いいえ、この際なのでハッキリとさせなければなりません。結城リトのあれはもはや能力の領域に達しています。この私の警戒網を掻い潜るあの手腕、そうでなければ説明がつきません」

 

 

 感情の起伏が薄い表情に物静かな雰囲気。

 奇抜な服装と神出鬼没なミステリアスにより、彩南町の住人にとってはある種の名物的存在になりつつある、≪金色の闇≫ことヤミが、感情豊かで饒舌に話す様子は、それだけ衆目を集める。

 だからこそ、遠目から見守る人々は総じて同じ思いを抱く。

 

 

「……姫っちも大人になったなぁ」

 

「なんですか、唐突に」

 

「いやなに、≪決してあなたが想像したような事態ではありません≫って、つまりはどういうことなわけ?」

 

「そ、それは……その……」

 

「姫っちのエッチ」

 

「~~~~~~~っ!!」

 

 

 ヤミの隣に並び立ち、彼女を弄ぶあの少年は、一体誰なのかと。

 

 

「え、えっちぃのは嫌いです!」

 

 

 真っ赤になったヤミの顔を面白げに眺め、トレインのにやけ面は更に深まっていく。

 

 

「大丈夫、大丈夫だよ姫っち。お兄さん悪いことだなんて全然思ってないから」

 

「その発言が既に問題ありです!」

 

「姫っちは本の虫だし、なんつーの……耳年増?」

 

「だ、誰が耳年増ですか!?」

 

「きゃー、耳年増が怒ったー。もしかして図星だったりー? なにそれ、ウーケールー」

 

「その喋り方を止めなさい!」

 

 

 怒髪天を衝く。

 感情がうねりとなって金髪がうねるが、衆人環視の中、≪変身(トランス)≫を使うことは躊躇われた。

 なにより、そんなことをしてムキになれば、それこそトレインの思う壺。

 深呼吸と共に気持ちを落ち着かせ、チラリと横目でトレインの方を伺った。

 

 フード付きのジャケットにハーフパンツという普段着のトレインは、そこにはいない。

 スポーティでいてカジュアルな装いは、同居人である涼子のチョイスだ。

 そして、普段の黒い戦闘服ではなく、地球の女の子と然とした服を、ヤミもまた纏っている。

 若干フリルの多いゴシック調なのは、涼子の趣味なのだろうか。

 出かける二人に、特にヤミに向かって意味深なウインクを送ったのが印象的だったが、たかが外出程度でこのような装いをしなければならないとは、地球人とは複雑怪奇な生き物だ。

 

 

「着きましたよ、トレイン」

 

 

 昼前ということで、小腹がすき出す時間帯だからだろうか。

 目的の出店の前には長い行列ができ、自分の目論見が外れたことに表情に出さず落胆する。

 涼子の家に住まうと言ったあの夜、トレインに持ち出した提案。

 美味しいたい焼き屋を紹介するというヤミの公言通り、こうして訪れた訳だが、もう少し時間帯をずらすべきだったと後悔する。

 

 

「あの、トレイン。この行列ですので、また後日に――」

 

「早いとこ並んじまおうぜ!」

 

「きゃっ」

 

 

 言葉を遮り、腕を掴んだトレインはダッシュで行列の最後尾へ突入。

 

 

「この行列、この匂い! 楽しみだな、姫っち!」

 

「……ええ、私も楽しみです」

 

 

 心躍らせるトレインに笑顔に、ヤミは先の言葉を再び紡ぐことはなかった。

 そして、ふと今もなお繋がれた手をじっと見つめる。

 指と指が絡み合い、肌と肌が触れ合う。

 温かいトレインの手が、冷たいヤミにぬくもりを送ってくる。

 

 

「…………」

 

 

 雑多な商店街で、少しずつ音が遠ざかっていく。

 ドクドクと心臓が高鳴り、重なり合った手が熱くて、でも心地よくて。

 何時までもこうしていたいと、ヤミはそれだけを願っていたのに。

 

 

「あっ……」

 

 

 唐突に重なる指が剥がれ、繋いだ手は離れてしまう。

 茫然とするヤミが顔を上げると、行列の先が気になるのか、トレインは仕切りに顔を列からはみ出させ、先頭の先にある出店の様子を伺っていた。

 

 

「なぁなぁ、姫っち。此処のたい焼きって何味があんだ?」

 

「…………」

 

「姫っち?」

 

「ぁ……そ、その、餡子とカスタードの二種類です」

 

「へー、ちなみに姫っちのおすすめは? やっぱり餡子?」

 

「……はい」

 

「ふーん。ま、片方だけ買うのもアレだし、両方買うか。今から楽しみだぜ」

 

「そう、ですね……」

 

 

 無意識に繋いだ手を搔き抱き、ギュッと握る占める。

 残り香のように残ったぬくもりが、少しでも長くこの手に残るように。

 どうしてそのような行動をとったのか、その意味すら理解できずに。

 

 

「お、ヤミちゃん久しぶりだね。初顔の君もいらっしゃい」

 

 

 それから十数分。

 ようやく訪れた順番に、トレインは嬉々として声を張り上げる。

 

 

「姫っちのおすすめは餡子って言っていたけど、別にカスタードも嫌いじゃないよな?」

 

「はい、どちらも好きですから」

 

「じゃあ、おっちゃん! 餡子とカスタード、どっちも10個ずつな!」

 

 

 何度も足を運んだことのあるせいか、店員はヤミのことを覚えていたようだ。

 人の好さそうな顔で注文を反芻し、慣れた手つきで生地を型に流し込んでいく。

 たい焼きが焼ける様を興味深そうに眺め、店員に色々と質問を投げ掛けるトレイン。

 年相応な、見る者によってはより一層幼げに映る姿に、ヤミは眦を緩めて見詰める。

 そんな風に時間を潰し、出来上がったたい焼きを種類ごとに紙袋に詰め、店員はトレインとヤミにそれぞれ一つずつ手渡した。

 

 

「はい。ヤミちゃんの方が餡子で、トレイン君がカスタードね」

 

 

 直後の店員は体を乗り出し、二人の耳元に顔を寄せた。

 

 

「どっちも一つずつサービスしといたから。他の人には内緒だよ」

 

 

 そう言ってウインクする仕草が、洋館から二人を送りだした涼子と重なる。

 

 

「サンキュー、おっちゃん」

 

「どういたしまして。ヤミちゃんをよろしくね、トレイン君」

 

「……ありがとうございます」

 

「デート、楽しんでね」

 

「でっ!?」

 

 

 身を固くし、両手に抱えた紙袋が零れ落ちる。

 慌てたトレインが寸でのところでキャッチするが、ヤミはそれどころではなかった。

 

 

「ち、違います! どうしてデートなどどいうことに!」

 

「あれ、違ったの? トレイン君ってヤミちゃんの彼氏さんなんじゃ……」

 

「彼氏!?」

 

「姫っち、後が閊えてんだから早く行こうぜ」

 

「今はそれどころでは――!!」

 

「聞く耳もたん」

 

 

 再び手を掴むトレインだったが、先程の胸の高鳴りがヤミに湧くことはない。

 ズルズルと引き摺られ、ヒラヒラと手を振る店員を恨めし気に眺めるしか出来なかった。

 

 

「姫っちや。男と女が一緒に出掛ければ、それ即ちデートなんだよ」

 

 

 赤面するヤミとは対照的に、トレインの反応は実に淡白で。

 というより、既にヤミなど眼中になく、視線は紙袋に入ったたい焼きをロックオン。

 色気より食い気、花より団子、色事など既にトレインの頭には存在していない。

 そんな食いしん坊に当てられたのか、自分だけが意識していたことを恥ずかしく思ったのか。

 顔は尚も熱いが、ムスッと唇を尖らせるヤミは、去れるがままにトレインに引き摺られていく。

 

 

「お、良さげなベンチ発見! あそこで食おうぜ!」

 

 

 途中、立ち寄ったコンビニで購入したパック牛乳の入った袋を片手に、ベンチに座ったトレインは早々に紙袋を開け、中に入ったたい焼きを頬張った。

 ヤミもトレインに習い、餡子味のたい焼きを口に運ぶ。

 パリッとした食感の後、即座にやってくる餡子の甘味。

 サクサクと口当たりの良さがシットリとした餡子の食感と合わさった絶妙なハーモニー。

 甘さは決してしつこくなく、二口三口と続けて口に運んでも全くくどくない。

 美味しい――気付けば食べ終わったたい焼きに、ヤミは満足げに息を吐いた。

 

 

ふぉふぁいふぁ(美味いな)ふぉのふぁふふぁーふぉ(このカスタード)!」

 

 

 口一杯に頬張ったたい焼きに、トレインもまた満足げだった。

 購入したパック牛乳を流し込む様は一見味わっていないようだが、これがトレインなりの味わい方だというのは長年の付き合いでヤミは知っていた。

 そんなことよりと、ヤミはトレインの方へ身を寄せ、指を伸ばし、 

 

 

「じっとしていてください」

 

 

 頬についたクリームを掬い取る。

 キョトンとするトレインと合わさり、あまりの子供っぽさに自然と笑みが零れる。

 

 

「はむ」

 

「ひゃっ」

 

 

 かと思えば、トレインは突然ヤミの指先を咥えた。

 生温かな、それでいてザラザラした感触に身を強張らせ、それがトレインの舌だと理解した途端、顔に炎を浴び去られたように熱くなる。

 

 

「ご馳走さん、美味かったぜ」

 

 

 悪戯が成功した悪ガキのような笑みに、ヤミは揶揄われていると悟る。

 

 

「……ぇ、えっちぃのは、嫌いです」

 

「悪ぃ悪ぃ。ちょいと姫っちには刺激が強かったかな。そういう訳で、そっちの餡子ちょうだいな」

 

 

 伸ばされる手に、ヤミは反射的に紙袋を搔き抱き遠ざけた。

 突然の反応に困惑するトレインに対し、ヤミが取ったのは、

 

 

「……あ……あーん、してくだ、さい……」

 

 

 餌付け作戦敢行。

 自分の取った行動に、何をやっているのだと猛烈に後悔する。

 

 

「あーん」

 

「…………っ」

 

「ん? どったの姫っち? 言われた通りあーんしてんだけど?」

 

 

 そして、全く気にするそぶりのないトレインに、猛烈に腹が立った。

 そのうえあのにやけ面、絶対に面白がっているのは明らかで。

 絶対に負けてなるものかと、ヤミはおもむろに紙袋から餡子味のたい焼きの頭部分を口に銜え、

 

 

ふぉ()ふぉうふぉ(どうぞ)……」

 

 

 そのままトレインへ咥えたたい焼きごと顔を突き出す。

 口渡し作戦、どうやら成功したようだ。

 あれだけ浮かんでいた揶揄い顔は見る影もなく、トレインの表情は驚きに染まっている。

 浮かんだ溜飲は下がり、流石のトレインもヤミの誘いに乗っては来ないだろうと、乗り出した体を支える両手を引こうとした時、その上に別の手が重なる。

 

 

「……そっちから誘ってきたんだからな」

 

 

 普段からは想像できないくらい、トレインの眼差しは真剣だった。

 両手を抑えられては身を引けず、直後にトレインはたい焼きの尻尾部分を咥える。

 互いの呼吸が、心臓の音さえも聞こえそうなほどの至近距離。

 思考が真っ白に染まり、少しの間を置き、トレインは尻尾部分を食べ進めていく。

 ゆっくりと、しかし確実に、トレインの顔が近付いてくる。

 ≪ポッキーゲーム≫――。

 書籍で読んだ記憶とは若干異なるが、今の状況はまさにそれと言えたから。

 鼓動が凄まじい速さで刻まれ、体中の血液が顔に集中しているみたいで、何故か息遣いが荒くなり、視界が潤んでいく。

 理性が、これ以上進む状況に静止を掛けるのに。

 どうしてか、拒絶しようと行動に移すことが出来なくて。

 まるで、この先を望んでいるみたいじゃないかと自問し。

 

 

「ふぁ……」

 

 

 零れた吐息は、自分のものとは思えないほど艶っぽく、熱を帯びていて。

 どうにでもなれ。

 そう思って、ヤミもまた、たい焼きを食べ進めていった時だった。

 

 

「ヤミちゃあああああんっ!!」

 

 

 奴が、姿を現す。

 

 

「「っ!?」」

 

 

 バッと音を立てて互いに距離を置き、咥えていたたい焼きの残りが二人の真ん中に落下。

 とてもではないがトレインの方など見ることは出来ず、先程の声の方を見遣れば、

 

 

「奇遇だねヤミちゃん! こんな街中で出くわすなんて!」

 

 

 尖った髪、丸サングラス、そして何故かパンツ一丁の不審人物。

 肩書は彩南高校校長、その実態は己の欲望に忠実な変態。

 何故かメインターゲットとして付け狙われることとなったヤミは、ことあるごとに校長に襲われ、それを撃退するというのが一種のテンプレ的になりつつあったのだが。

 

 

「…………」

 

 

 ブチ――。

 ヤミの何かが、音を立てて切れた。

 

 

「……校長」

 

「なにヤミちゃん! それはそうとわしとその辺でお茶でも――」

 

 

 神速。

 それほどまでの、過去に類を見ない速度で成された≪変身(トランス)≫。

 拳、翼、刃――。

 千手観音さながらの武器を頭髪から形成し、その物量は、さすがの校長といえどただでは済まないだろう威力に規模だということは容易に想像できたが。

 ヤミは、己の中に巣くうどす黒い何かを吐き出すように、感情の赴くままに殺到させる。

 

 

 

 

「おやめなさい」

 

 

 

 

 あまりにも美しく、心安らぐ声。

 凪いだ海面のように、荒れ狂っていた心が平静に切り替わる。

 

 

「争いはなにも生み出さない。必要なのは、相手を許そうとするその心。自分の非を認め、頭を下げる勇気なのです」

 

 

 現れたのは、美の化身。

 波打つピンクの髪は清流の如く煌めき、纏う異国の装いは煽情的でありながら、卑猥さを微塵も感じさせない。

 究極の美とは、美しいという感情以外には抱けないというのか。

 

 

「……そうか、わしは間違っていたんだな」

 

 

 除夜の鐘でも払えない煩悩の権化が、己の過ちを認めた。

 無駄に洗練された無駄の無い無駄な動きで、校長はヤミに頭を下げる。

 

 

「すまなかったヤミちゃん。わしは此処を立ち去ろう。そして、これまで行ってきた過ちの償いを行うのだ。そうだな……まずは宝の山(エロ本)を処分することから始めよう」

 

 

 ≪校長・浄化モード≫爆誕の瞬間である。

 言葉を失うヤミに、ヴェールで顔を覆い隠した女性がゆっくりと歩み寄ってきた。

 

 

「初めまして、金色の闇さん。ヤミさんとお呼びしてもよろしいかしら?」

 

 

 どうして自分の名前を、それも殺し屋としての通り名である≪金色の闇≫までも。 

 警戒心に身を固くするヤミは、女性の傍らに控えるザスティンの姿に、彼女の正体が自分と同じ宇宙人であることを悟る。

 

 

「そして、もう一人の方がトレイン君……あら?」

 

「……トレイン?」

 

 

 顔色は蒼白。

 体は極寒の地に裸で放り出されたように震えていた。

 周囲がトレインの様子を訝しむが、女性だけを見つめ続けるだけで気にする素振りすらなく。

 

 

「あの……つかぬことを、伺いますが……おたくの名前は?」

 

 

 震える声で紡がれたトレインの言葉には、縋るようななにかが感じられた。

 

 

「私としたことが……名乗るのが遅れて申し訳ありません」

 

 

 流れるような所作で胸に手を当て、ヴェール越しに女性が微笑むのが分かる。

 

 

「娘たちがお世話になっています。私、ララ達の母にあたる、名をセフィと――」

 

「せ、ふぃり……あ……!!」

 

 

 途端、よろけるトレインが足をもつれさせ、後ろに転び掛け。

 危ないと声をかけかけたヤミの前で、咄嗟に手を伸ばしたセフィがトレインの手を掴む。

 自然と近い距離で目を交わす二人。

 次の瞬間、吹き抜けた一陣の風により、セフィの顔を覆い隠していたヴェールの奥が露わに。

 驚愕に見開かれた金の瞳が、突然の事態に固まるセフィの瞳と交差する。

 

 

「た、大変っ。美しい私の素顔が露わに!? このような子供まで魅了してしまうとは、なんて罪な私の美しさ……」

 

 

 慌てふためくセフィだが、なおも固まり続けるトレインに眉を顰める。

 それが有り得ないものを見るような、息を呑むような気配に切り替わった。

 

 

「なんとも、ない? そんな……あり得ない……!? この子、私の≪魅了≫が効いてないっ」

 

 

 あまりの異常事態に、セフィはトレインとの距離を更に詰め、

 

 

「あなたはいったい――」

 

「ぎぃやああああああああああ!? でたぁああああああああああ!?」

 

 

 全力の拒絶と絶叫に、目が点となるのだった。

 勘違いが、再び加速する。

 

 

 

 

 




セフィリア CV.井上喜久子
セフィ   CV.井上喜久子

あっ……(察し


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セフィ

 月の綺麗な夜だった。

 宝石のように色とりどりの光が夜の街を照らし、人々の雑多な声が行き交う。

 しかし、それは表通りに限っての話。

 一度でも裏路地に入ってしまえば、人の波は途絶え、静寂だけが支配する。

 そんな時、ふと見上げた月は、腐敗したこの世のものとは無縁だと言わんばかりに、周りのことなど素知らぬ顔で、悠然と夜空に浮かび続けていた。

 

 

「ハートネット」

 

 

 凛とした声だった。

 気品に溢れ、気高く、纏う雰囲気は静謐。

 高潔を絵にかいたような、その立ち姿は傾国の美姫であり、その前に彼女は剣士だった。

 その身は、心は、己の全てを、彼女は自身が所属する組織に捧げ続けてきた。

 それが当たり前だと思ってきたから、物心がつく頃からそうだったから。

 それ以外の生き方を、彼女は知らなかったから。

 

 

「どうしてですか」

 

 

 空に浮かぶ月のように、彼の瞳は暗闇が支配する裏路地でもはっきりと浮かんでいた。

 暗色の髪、金の瞳、鈴付きの真っ赤なチョーカー、左鎖骨に刻まれた≪XIII≫のローマ数字。

 獲物を狩る捕食者のように、鋭く細められた眼光に、竦みそうになる体を意思の力で抑える。

 

 

「何故、クロノスを抜けたのですか」

 

 

 その力は、まさに一騎当千。

 秘密結社≪クロノス≫に存在する、本来12人で構成された最高戦力≪時の番人(クロノ・ナンバーズ)≫に例外として迎え入れられた、不吉の名を冠する13番目の抹殺人(イレイザー)

 彼は強かった、最強の名を欲しいままにしていた。

 入所した時点で12人のナンバーズの誰よりも強く、今となっては自分を含む全てのナンバーズが束になって掛かっても、彼には敵わないだろう。

 

 

「何故、私の前から姿を消したのですか」

 

 

 だからだろうか、≪クロノス≫は彼の存在を恐れている。

 死を持って世界の安寧を保つ≪クロノス≫と、不殺を誓う彼。

 ≪時の番人(クロノ・ナンバーズ)≫の抹殺人(イレイザー)として籍を置きながら、与えられた任務の全てにおいて、彼はただの一度も人の命を奪ったことはなかった。

 不殺の抹殺人(イレイザー)という矛盾を咎める者は誰もいない

 ≪死≫以外の方法で彼は抹殺対象の生き方を変え、それは世界の安寧を守る結果となったから。

 大義の為に、人を殺すことの矛盾。

 世界の安寧のため、剣を振るい引き金を引く、それが≪クロノス≫の、己の在り方。

 故に、不殺で同じ結果を成す彼の在り方は、自分の全てを否定することを意味する。

 

 

「何故、この手を取ってくれないのですか」

 

 

 最初は嫌悪を、何時しかそれは憧憬へと。

 彼のようになりたいと思い、強さを磨き続けた。

 彼の隣に立ち、不殺という生き方を、彼の瞳に映る景色を、自分は見てみたい。 

 その強さ故に、孤独を強いられた彼に寄り添い、支えとなりたい。

 

 

「……やはり、答えてはくれないのですね」

 

 

 だが、隣に並び立つ前に、彼は組織を抜けてしまった。

 目指した背中を失った後に残ったのは、虚しさだけだった。

 

 

「≪ハーディス≫を抜きなさい、ハートネット」

 

 

 やり直したい。

 進んだ針が元に戻ることはないけれど、せめてもう一度、機会をくれないだろうか。

 彼を目指し、強くなった己の剣を見てはくれないだろうか。

 ≪クロノス≫を変えるために、その力を貸してはくれないだろうか。

 

 

「何度でも言います。私が勝てば、あなたは≪クロノス≫に戻る。私が負ければ、あなたはこのまま自由に生きる。逃げることは許さない。雌雄を決するまで、私は何度でもあなたに挑み続けます」

 

 

 人は変わることが出来る。

 彼と出会い、変わることのできた自分のように。

 生まれた時から≪クロノス≫のために戦うことを宿命付けられた自分に、こうして自分の意思で未来を決めることを教えてくれたように。

 野良猫のように、自由に生きることの尊さを、彼は自分に教えてくれたのだから。

 

 

「例え≪クライスト≫が折れようと、私の心が折れぬ限り、何度でも」

 

 

 もし仮に、この戦いに勝利し、共に≪クロノス≫を変えることが出来たのなら。

 死よりも生を以て罪を贖わせる彼の在り方を、自分の理想を叶えることが出来たのなら。

 

 

「私は、絶対に負けません。必ず、あなたを超えて見せます」

 

 

 セフィリア=アークスという一人の女として、伝えたいことがあった。

 胸に秘めたこの気持ち、あなたに伝えたかった。

 

 

 大好きです、トレイン。――愛しています。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 以下、女剣士が話し掛けている時のとある男の思考。

 

 

 ――≪滅界≫怖い≪滅界≫怖い≪滅界≫怖い≪滅界≫怖い≪滅界≫怖過ぎるいつ来る≪滅界≫はいつだ今かいつだよ一瞬後か1秒後かはたまた一体いつから≪滅界≫を放っていないと錯覚していたとか言うんじゃねぇだろうな≪滅界≫怖い怖すぎる≪滅界≫≪滅界≫気付いたら技終わってるってなんだよ≪滅界≫それが≪滅界≫どうする≪滅界≫ヤバすぎる≪滅界≫なんて大嫌いだ≪滅界≫≪滅界≫≪滅界≫――

 

 

 以上、女剣士が話し掛けている時のとある男の思考。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

「セフィ様は少数民族≪チャーム人≫最後の末裔です」

 

 

 ベンチに腰を下ろした美柑は、ペケの言葉に耳を傾ける。

 

 

「種族を問わず、あらゆる生物を虜にする。それはもはや≪魅了≫という能力であり、セフィ様の顔を見た男はどんな紳士であろうと心奪われ、ケダモノと化してしまう……はずなのですが」

 

 

 隣に座るリトとヤミ、周囲にいるデビルーク三姉妹、そしてセフィは一か所に視線を集めた。

 

 

「他人の空似なんてレベルの問題じゃねぇだろ。声も容姿も体格もセフィリアと同じじゃねぇか。アレまんまセフィリアだ、セフィリアの2Pカラーだ。でもザスティンって前例もあるし本当に他人の空似だけ? でもあの女剣士結構な頻度で髪型変えてたし実は金髪碧眼って髪色変えたカラコン説も。つか何考えてたんだあの女剣士。頻繁に髪型変えてその度に≪ど、どうでしょうか?≫じゃねぇよ俺に感想を求めんな。聞くならジェノスあたりが無難だろうが。≪時の番人(クロノ・ナンバーズ)≫の男連中の大半がお前にホの字なの気付いてねぇのか。毎回殺気全開で睨まれてんだぞ。バルドリアスとか≪悪い、手が滑った≫とか言って≪ヘイムダル≫ぶん投げてくんだぞ。ベルーガとかも≪すまん、誤射だ≫とか言って俺にバズーカぶっ放してくんだぞ。ジェノスもジェノスだ、なんで可哀想なものを見る目で俺を見てんだよ助けろよリンスにフラれろフラれてしまえフラれやがれ馬鹿野郎が」

 

 

 なにかに憑りつかれたみたいに、何事かを呟くトレインは不気味の一言に尽きる。

 そんなトレインに、セフィはおもむろに近付き彼の正面で屈み込むと、周りには見えぬよう、顔を覆い隠すヴェールを持ち上げた。

 

 

「ぎゃああああああああああああああ!?」

 

 

 悲鳴、そして全力後退。

 

 

「本当にお母様の≪魅了≫が効いてない……」

 

「トレイン、すごーい!」

 

「顔を見ただけで≪魅了≫されるなんて、そんな大げさな――」

 

「ケダモノは母上見んな!」

 

「ちょっとー!?」

 

 

 周囲の喧騒など見向きもせず、しゃがみ込んでいたセフィは再び立ち上がる。

 その視線は公園に聳え立つ大木の根元で背を向け震えるトレインをロックオン。

 トコトコと歩み寄り、再びヴェールを持ち上げ、絶叫――その繰り返し。

 

 

「あの――」

 

「来んじゃねぇええええええええええ!!」

 

「話を聞いて――」

 

「ぎにゃあああああああああああああ!?」

 

「トレイン君――」

 

「≪滅界≫怖い≪滅界≫怖い≪滅界≫怖い≪滅界≫怖い≪滅界≫怖い――!!」

 

 

 初めて出会った時、その凛とした佇まいに、ララ達を生んだ母親としての貫禄を感じた。

 少々天然ボケしたところはあるが、それすら魅力に感じられるほどで。

 でも、逃げるトレインを追い掛けるセフィの横顔には、それは影も形もない。

 ヴェール越しに伝わる必死さは、まるで自分と同じ子供のようだった。

 

 

「捕まえたっ」

 

 

 ドレスが汚れるのも構わず、飛び込み捕獲したトレインをギュッと抱き締める。

 服越しでも分かる起伏に富んだ体が、必死に抵抗するトレインによってムニュムニュと形を変え、その姿に美柑は自分の体を思わず見下ろしてしまうのだった。

 

 

「誰と間違えているのかは知りませんが、私の名前はセフィ・ミカエラ・デビルーク。あなたとはこれが初対面です。それなのに、なぜそれほどまでに私を畏怖するのですか」

 

 

 ヴェールを外したセフィの顔は、後ろ姿ゆえに確認はできない。

 代わりに、ダラダラと冷や汗を流す蒼白なトレインの顔はハッキリと認識できた。

 

 

「私達に必要なのは話し合いです」

 

「すみません、勘弁してください、後生ですから、だからお願い、お願いだから離して」

 

「ザスティンの時は他人の空似だったというではないですか。最後には互いに手を取り合うことができた。なら、私とも手を取り合うことが出来る筈です」

 

 

 セフィに決意を感じ取ったのか、トレインは彼女と目を合わせた。

 ものすっごい貧乏揺すりしていて脂汗もダラダラなのは変わらないが。

 

 

「まずはセフィリアという女性との相違点から述べましょうか。なんでもいいから質問をしてみてください」

 

「……壁に仏像を彫るのが趣味とか」

 

「随分と変わった趣味をお持ちですのね、そのセフィリアという方は」

 

「……和食って好き?」

 

「まぁ、和食! 地球の食文化については事前に調べましたが、和食は特に興味深かったの。ぜひ食べてみたいと思っているのよ」

 

「やっぱりこいつ過去のセフィリアだー!?」

 

「ちょっ、暴れないでください!」

 

「うるせぇー女剣士! テメェがそのうち≪滅界≫無双すんのは分かってんだ! なんつー化物剣術編み出してんだ! 返せ! 俺の平穏な毎日を返せ馬鹿女!」

 

「馬鹿とはなんですか馬鹿とは! 私は政治外交を務める才女なのですよ!」

 

「自分で才女とか言ってる時点でマヌケ丸出しなんだよボケェ! なにが≪美しい私の素顔が!≫だ! 自画自賛とか完璧ナルシストじゃねぇか! アレか、趣味は毎日鏡を見ることですってか! ヤンホモと同じ趣味とか救えねぇんだよ馬鹿女!」

 

「一度ならず二度までも! 背の低い男というのはどうしてこう馬鹿なのかしらね!」

 

「誰がチビだ、このデカ女!」

 

「デカくありません! あなたがチビなだけでしょう!」

 

 

 何故か勃発した罵り合い。

 深窓の令嬢のように物静かな印象だったため驚きしか湧かず、実際にデビルーク三姉妹はセフィの様子に言葉が出来ないようだ。

 

 

「……懐かしい。昔のギド様とセフィ様を見ているようだ」

 

 

 ザスティンの目は、何故か穏やかで。

 

 

「…………」

 

 

 対し、ヤミの目は剣呑な光が宿っていた。

 

 

「……ヤミさん?」

 

「トレイン、楽しそうです」

 

「楽しそうっていうか、暴言吐いてるけど」

 

「鼻の下など伸び切っていました。抱き締められている時は特に」

 

「冷や汗全開だったと思うんだけど」

 

「どうせ私は子供です。お子様ですから。ええ、御門涼子のような女性的な身体ではない、未成熟な身体でしょうよ。ですが、私はティアを元に生まれた存在。故に将来的には彼女達に匹敵するほどの成長を遂げる筈です。そのはずなんです」

 

 

 先程の自分のように、己の体を見下ろしながらブツブツと呟くヤミに、今は触れてはいけないと思った、空気を読める女こと美柑。

 現実逃避も含めてか、視線を明後日の方向へ向けた時だった。

 

 

「…………へ?」

 

 

 しんじられないものをみた。

 

 

「ふぅ、ゴミ拾いとはかくも素晴らしいものだったとは。ゴミを拾う度に、若かった己の過ちを一つまた一つと捨てているような気分になれますよ」

 

 

 昼間の日差しから流れる汗を拭い、せっせと美化活動を務める中年男性。

 

 

「こ、校長がゴミ拾いをしてる!?」

 

 

 天変地異の前触れだろうか。

 美柑の声に顔を上げた校長は、まるで好々爺のような気軽さで手を上げ挨拶。

 何度目を擦っても、頬を抓ろうとも、目の前の光景が白昼夢ということはなかった。

 

 

「おや、ごきげんようご婦人。また会えるとは奇遇ですな」

 

「あら、あなたはあの時の……」

 

 

 そう言って振り返ったセフィの顔には、ヴェールが掛かっていなかった。

 女性の美柑ですら、そのあまりにも美しい素顔に顔が熱くなるのが分かる。

 同性でこれなら、ペケの言うことも決して誇張ではなく、セフィの素顔を直視してもなんとも思わないトレインの精神構造はどうなっているのだろうかと思う美柑だったが、

 

 

「…………あ」

 

 

 セフィと校長が、ヴェールを挟まず直接目を合わせた。

 

 

「むひょ――――――――――!!」

 

 

 次の瞬間、そこにいたのはいつも通りの校長だった。

 

 

「母上、顔! 顔隠して!」

 

「そ、そうだったわ! トレイン君に≪魅了≫が効かないからとついうっかり……!」

 

「はい言い訳ぇ! お前のミスだろうがうっかり女!」

 

「あなたは黙っていなさい!」

 

 

 ピューと何故か吹く風。

 

 

「ああ!? 私のヴェールが! ま、待ってー!」

 

「セフィ様! ここは私にお任せを――」

 

「ぜひわしとお茶を!!」

 

「ぐっはぁ!?」 

 

「ザスティンよっわ!?」

 

「デビルーク最強の剣士を瞬殺って! リトさんといいトレインといい、本当に地球人って出鱈目すぎるわ!」

 

「護衛の奴らは何やってんだよ! ザスティン以外にもいる筈だろうが!」

 

「こ、公園周囲の警戒を! ザスティン殿がいるので、必要ないと判断したと思われます!」

 

「そのザスティンがあのザマじゃねーか!」

 

「ララ! お前の発明で何とかなんないのか!」

 

「ごめんリト! ≪デダイヤル≫も含めて全部修繕中なの!」

 

「そんなー!?」

 

 

 ぬっと、校長の前にヤミは立ちはだかる。

 

 

「えっちぃのは嫌いです」

 

 

 ドゴバコズドドンカッキーン。

 

 

「ヤミちゃ――――――――――ん!!」

 

 

 そして、校長は星となった。

 

 

「ミッションコンプリート」

 

「グッジョブ、ヤミさん」

 

 

 再び公園は静けさを取り戻す。

 

 

「……あれ、ママは?」

 

「トレインの奴もいないぞ」

 

 

 二人の存在を欠いて、だが。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

「……ま、迷子になってしまいました」

 

 

 置かれた現状は、まさに言葉の通りだった。

 風に飛ばされるヴェールを追い、気付けば見知らぬ裏路地へ。

 

 

「そ、そうよ。こういう時こそ、ララからプレゼントされた発明品の出番――」

 

 

 懐を探るセフィだが、その動きはすぐに止まってしまう。

 久しぶりの愛娘達との再会、メンテナンスにと道具を収納する発明品≪デダイヤル≫をララに預けたのは自分だったではないか。

 ≪デダイヤル≫は通信機能も備わっているため、今の自分の装備は身に纏う服だけ。

 完全な孤立無援に、セフィは途方に暮れてしまった。

 

 

「ま、まずは何か顔を隠すものを探さないと。このままでは道を尋ねることもままならない……はぁ、美しさって本当に罪」

 

 

 表通りとは反対、薄暗い裏路地の更に奥を目指し、歩みを始めようとした時だった。

 

 

 

 

「初めましてだな、セフィ王妃」

 

 

 

 

 何の前触れもなく、彼女は現れた。

 腰まで伸びた黒髪に褐色な肌を丈の短いワンピースが彩る、童女のような出で立ち。

 暗がりの中で妖しく光る、トレインと同じ金色の瞳。

 だが、トレインが自由気ままな野良猫なら、彼女は獲物をいたぶる無邪気な狩人のようで。

 

 

「……あなたは?」

 

 

 声を固くするセフィに、少女は静かな笑みを浮かべる。

 

 

「ネメシス。≪エデン≫が推進してた≪プロジェクト・イヴ≫と並行して進められていた変身兵器開発計画、≪プロジェクト・ネメシス≫によって生み出された疑似生命兵器だよ」

 

「……随分と親切丁寧に教えてくださるのね」

 

「なに、何も知らずにというのはあまりにも哀れなのでな。手向けとして受け取ってくれ」

 

 

 無造作に突き出された腕が、次の瞬間には鋭利な刃へ。

 突然の変貌に目を見開くセフィに、少女――ネメシスは一瞬で距離を詰める。

 

 

「新たなる銀河大戦の始まりを告げる狼煙。お前の死は、そのための火種となるのだよ」

 

 

 突き立てようと迫る剣尖。

 訪れる痛み、そして≪死≫に、セフィは目を閉じる。

 ララ、ナナ、モモ――大切な愛娘が浮かんでは消え、だからこそ願う。

 死にたくない、生きたいと、此処にはいないう最愛の夫を想って涙を流す。

 それでも、ネメシスの刃は止まることなく、セフィの心の臓を目掛けて進んでいく。

 

 

 轟砲。

 

 

 直後、澄んだ音を立て、ネメシスの腕先で刃が消失する。

 瞠目し、距離を取り、ネメシスは表通りへ続く道を見遣る。

 訪れない≪死≫に、ゆっくりと目を開け、セフィは銃声の発生源へ顔を向けた。

 

 

「ったく、ようやく見つけたと思ったらどういう状況だよこれ」

 

 

 硝煙を立ち上らせる装飾銃を肩に置き、彼はゆっくりと歩み寄ってくる。

 

 

「迎えに来たぜ、セフィ」

 

 

 真っすぐな瞳。

 ≪魅了≫の能力に惑わされることなく、真っすぐ自分を見詰めてくれる金の瞳が。

 出会ったばかりの、幼き頃の夫の瞳と重なり合う。

 

 

「――――」

 

 

 トクン――。

 高鳴った胸の鼓動が、熱く胸を刻んだ。

 

 

 

 

 




Q.どうして主人公はセフィリアの話を聞こうとしなかったの?
A.≪滅界≫が原作以上のバグ技であり、それを警戒するあまり、会話どころではなかったから。

結論:全部≪滅界≫が悪い。


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メア

「で、誰だお前」

 

 

 日中だというのに、そこは光が殆ど届かない。

 裏路地というには幅広い、そんな空間で相対した。

 セフィを背に、装飾銃≪ハーディス≫を肩に置くトレインは、鋭い眼差しをネメシスへ向ける。

 

 

「…………」

 

「あ? なんだよ、だんまりか?」

 

「は、はっ……そうだ、奴が生きている筈がない……そうだ……そうに、違いないんだ……」

 

「おーい、人の話聞いてますかー?」

 

「……不愉快だ。こんな辺境の惑星まで来て奴のことを思い出すなど」

 

「人の顔見て不愉快ですって。ちょっとセフィさん聞きまして? 最近のお子ちゃまってホント躾けがなってませんこと。おいたが過ぎるようだし、懲らしめてやろうじゃありませんの」

 

「……あなたも最近の子供という枠組みに入っていると思うのは私だけなのかしら」

 

 

 驚愕から一転、トレインと同じ金の瞳は隠すことのない苛立ちに細まる。

 そのまま無造作に広げられた両手が、別々に変化。

 刃だった右手は元通りの手に、左手が黒い霧のように朧げになって空気へ溶けていく。

 

 

「それ以上口を開くな紛い物。今すぐ私の前から消え失せろ」

 

 

 予兆などまるで感じさせない。

 突如発生した黒刃が、死角からトレインを串刺しにしようと襲い掛かる。

 

 

「なっ」

 

 

 だが、無造作に翳された≪ハーディス≫が黒刃を阻んだ。

 まさかの反応にネメシスの瞳が見開かれ、ギシリと憎しみに歯を食いしばる。

 

 

「……なら、これはどうだ!」

 

 

 四方八方。

 あらゆる角度から、黒刃はセフィさえも巻き込むようにトレインへ殺到。

 躱せるはずがない。

 必殺を確信したネメシスは、勝利の笑みを口元に刻もうとし、

 

 

「きゃっ」

 

 

 次の瞬間、セフィの悲鳴を残し、トレインの姿が掻き消える。

 

 

「がっ!?」

 

 

 轟音とともにネメシスの体が吹き飛び、周囲のガラクタを巻き込む。

 セフィを肩に担ぎ、≪ハーディス≫を振り抜いた姿勢のまま、トレインはポツリと呟いた。

 

 

「……今度ザスティンに謝り直そう。勘違いで命狙われるとかマジ理不尽だわ」

 

 

 手ごたえは十分。

 骨の二、三本くらいは折るつもりの攻撃だが、これでも手心は加えたつもりだった。

 勝負はこれで着いただろう。

 そのため、トレインの意識は、既にセフィへと向けられていた。

 

 

「お、お強いのね」

 

「お前一応お姫様なんだろうが。護衛振り切って単独行動とか何考えてんだ」

 

「……ごめんなさい」

 

 

 しゅんと落ち込むセフィに、追撃の言葉の代わりに零れたのは嘆息。

 ≪魅了≫の効かない異常事態は、それだけセフィにとって大事だったのだろう。 

 そして、そんな彼女を見て、トレインの中で芽生え出した、セフィとセフィリアの差異。

 セフィが過去のセフィリアだったとして、彼女がこのようなポカを犯すだろうか。

 なにより、セフィリアは独り身だったと記憶している。

 セフィの声がセフィリアの同じだったためそれどころではなかったが、確か彼女は自分のことをララ達の母親だと名乗っていなかっただろうか。

 セフィはセフィリアではないという推測は、トレインの中では確信へと変わり始めていた。

 

 

「ネメちゃんをイジメるな」

 

 

 自分の体に影が差し、濃密な殺気が降り注ぐ。

 

 

「あの、トレイン君――」

 

「舌噛むぞ!」

 

 

 飛び退き、直後に発砲。

 直前まで居た場所に無数の刃が突き刺さり、威嚇射撃に相手は距離を置く。

 油断なく見据えた先で、一つに結われた長い赤髪が揺れる。

 

 

「あはっ、凄い反応速度。まるで黒猫みたい」

 

 

 無邪気に笑う少女の年は、ヤミと同じくらいだろうか。

 好奇心に輝く瑠璃色の瞳に、尻尾のように揺れる赤毛のおさげ。

 

 

「また女かよ……」

 

「素敵なナイトさん。あなたのお名前、聞かせて欲しいな。例えこの後死んじゃったとしても、頭の片隅くらには留めておきたいもの」

 

「――私も聞かせて欲しいものだな」

 

 

 ガラクタの山から出てきたネメシスには、傷どころか衣服の損傷すら見られない。

 明らかに不自然。 

 しかし、不可能な芸当ではない。

 ネメシスが赤毛の少女同様、≪変身(トランス)≫能力を有するのなら。

 

 

「一思いにと思ったが予定変更だ。この世に存在するありとあらゆる苦痛を貴様にくれてやる」

 

 

 前方に赤毛の少女。

 後方にネメシス。

 

 

「トレイン君……」

 

 

 更には足手纏いが一人。

 

 

「厄日だ」

 

「両手には花。傍には傾国の美姫。羨ましい限りじゃないか、小僧」

 

「トレインだ。おいこらキチロリ、赤毛連れてさっさとお家に帰れ」

 

「見た目だけではなく名前まで……そうか、そんなに私の気分を害したいのか貴様という存在は」

 

「……ネメちゃん、今日はどうしたの? すっごく怒ってるみたいだけど」

 

「なに、昔を思い出しただけだよ」

 

「怒ってるネメちゃんも素敵だけど、いつものネメちゃんの方がもっと素敵だよ?」

 

「メア……」

 

「教えて? ネメちゃんはどうしたいの? ネメちゃんのお願いなら、私は何だって聞くよ?」

 

 

 獰猛に、ネメシスは哂う。

 

 

「私はあの紛い物を消し去りたい」

 

「素敵。やっぱりネメちゃんはそうでなきゃ」

 

 

 足元から突き立つ黒刃。

 足捌きのみで躱すが、剣山のように次々と突き立つ剣製能力に終わりは見えない。

 ≪変身(トランス)≫は見た目の修復こそ可能だが、ダメージまでは回復できないはず。

 今のネメシスに先程のダメージがある様子はなく、なによりも周囲を漂う黒い霧。

 ネメシスの体から漂っていることから、黒霧が彼女の一部であることは間違いないだろう。

 

 

「黒猫くん! 私を忘れないでよ!」

 

 

 通路を塞ぐように殺到する髪の剣群は、≪ハーディス≫だけでは捌ききれない。

 かといって、片腕は荷物(セフィ)で埋まっていて使用は不可。

 

 

「セフィ!」

 

「何でしょう!」

 

「高い高ーい!」

 

「きゃああああ!?」

 

 

 なら、取るべき選択肢は両手足による近接格闘。

 上空へセフィを放り投げ、その間に両手足を使って剣群の全てを叩き落とす。

 重心を沈め、意識を集中。

 イメージするのは、拳で銃弾を弾き敵を制圧する格闘術。

 

 

「――――」

 

 

 悪寒。

 反射的に発動させた、≪細胞放電現象≫。

 ≪黒猫(ブラックキャット)≫の相棒である装飾銃の飾り布が逆立つ。

 

 轟音と閃光。

 

 剣群を貫き、メアのすぐ傍を通過する≪電磁銃(レールガン)≫。

 その威力は、≪変身(トランス)≫が解けた髪越しに見えた、メアの表情が物語る。

 何が起きたのか、メアには理解が出来ないだろうから。

 しかし、生き物としての本能が、先の攻撃の危険性を物語り、大して動いてもいないのに過呼吸のように息は荒く、滝のような冷や汗は止まることはなかった。

 

 

「と、トレイン君! あなたという人は、もう少し丁寧な扱いというものを――」

 

 

 だが、脂汗を流すのは、落下するセフィの体に片腕を差し伸べ、体捌きで衝撃を受け流しながら抱き抱えたトレインもまた同じだった。

 

 

「あなた、腕が折れてっ」

 

「……どうしてくれんだよ。セフィが重すぎて、結果がこのザマだ」

 

「うぇ!? わ、私ってそんなに重かったの!」

 

「冗談だ、真に受けんな」

 

 

 ≪電磁銃(レールガン)≫の反動。

 少なくとも、この戦いの中では片腕は使い物にはならないだろう。

 

 

「まさか≪肉体支配(ボディジャック)≫を初見で対処するとはな」

 

 

 だからこその、ネメシスの余裕。

 幾らでも攻撃する隙はあったのに、それを行わない理由など、それ以外にはない。

 全盛期なら絶対に侵さなかっただろうミス、平和ボケし過ぎだと、襲い掛かる激痛を歯を食いしばって耐え忍ぶ。

 

 

「例え髪の毛一本だろうと、触れてさえいれば対象の肉体、及び精神との融合を可能にする第2世代の≪変身(トランス)≫能力者であるメアの特殊能力。格闘戦で応戦しなかったのは英断だったな」

 

「……姫っちの親戚か。技術ってのは日々進化するもんなんだな」

 

「無駄口はそこまでだ、と言いたいところだが……姫っち、だと……!?」

 

 

 驚愕に見開かれたネメシスの双眸が、直後には歓喜の色に染まる。

 

 

「は、ははっ、はははははははは!? 生きていたか!! 生きていたのかトレイン!! 変身(トランス)兵器に姫っちなどとふざけた渾名を付けるのはお前くらいだものな!! 逢いたかったぞ!!」

 

 

 両掌を顔に沿わせ、全身を悦びで染め上げる。

 裏路地に響き渡る狂笑に、セフィは身を固くし、トレインはネメシスにヤンホモと同じ匂いを感じ取って絶望するのだった。

 

 

「ドクター・ティアーユと一緒に死んだと思っていたが……そうか……死んでなかったのだな」

 

 

 だから、気付けなかった。

 俯いたネメシスから、透明な雫が零れ落ちたことに。

 こいつヤンホモと同類なんじゃねぇのか――そんな恐怖と戦っていたからこそ。

 肩を震わせ、僅かに漏れ聞こえる嗚咽に、トレインは気付くことはなかった。

 

 

「生きていて、くれたんだな……」

 

 

 トラウマに凍り付いた思考が、生き延びるべく高速で働いていく。

 触れた相手の肉体を支配するメア。

 自身の肉体を霧状に変換させるネメシス。

 後者については憶測だが、これまでの攻防から物理攻撃は効果が薄いとみていいだろう。

 ただでさえ数で不利なうえに足手纏い付き、更に相性まで最悪ときた。

 本当に今日は厄日だと、トレインは顔を俯かせる。

 

 

「トレイン君、逃げなさい」

 

 

 凛とした声音に、しかしトレインは顔を上げない。

 

 

「彼女達の狙いは私。足手纏いのいない状態なら、あなたなら逃げ切れるはず。さぁ、急いで」

 

 

 なおも顔は上げず、横目で伺ったセフィの腕は、震えていた。

 トレインの逃亡は、即ちセフィの死を意味している。

 そんなことが分からないセフィではない筈なのに、自分の身よりもトレインの心配とは。

 

 

「なんで俺がお前の命令に従わなきゃいけねぇんだ」

 

「トレイン君! 私はあなたが――」

 

「誰も俺の目の前で、殺させはしねぇ」

 

 

 数は不利。

 足手纏い付き。

 相性は最悪。

 

 だからどうした。

 

 

「俺が届けるのは幸福だ。見殺しなんて不吉、ララ達に届けるわけねぇだろうが」

 

 

 いつだって数はこちらが不利。

 市街戦になれば、住民という足手纏いはそこら中にいた。

 相性など、有利だったことの方が少ない。

 

 

「俺は負けねぇ。絶対に勝つ。だからセフィ、下らねぇこと言ってねぇで黙って見てろ」

 

 

 だから、何時ものことだから。

 

 

「トレイン君……」

 

 

 眦に浮かんだセフィの涙を、トレインは拭い取る。

 他人の空似であろうと、セフィとセフィリアが別人であろうとも。

 誰かのために涙を流す、そんな心根の優しさは、同じだから。

 不敵な笑みを顔に刻み付け、顔を上げ、心配すんなとセフィを見詰めた。

 

 

「茶番は終わりか?」

 

 

 ぞっとするほど、ネメシスの声は冷え切っていた。

 先程トレインへ向けられていた以上の感情をセフィへと向ける。

 大切な玩具を他人に盗られた、そんな表情を浮かべて。

 

 

「待ってくれてありがとさん」

 

「ふん、今更なんだ。命乞いでもするつもりか? 今なら特別に下僕にしてやらんこともないぞ?」

 

「悪ぃが、今の自由気ままな野良猫ライフが気に入ってんだよ。せっかくの誘いだが、お断りだぜネメシス」

 

「それを聞いてなおのこと従わせたくなったぞ、下僕候補」

 

「あんま調子に乗ってっとお兄さんお仕置きしちゃうぞ、キチロリ」

 

 

 ≪ハーディス≫のシリンダーを外し、内蔵された弾丸全てを取り出す。

 地面に転がり奏でる金属音に、何をするつもりかとネメシスは訝しむ。

 片腕が使えないため、≪ハーディス≫を上へ放り投げ、漁った懐から取り出すのは、それぞれが赤と青に塗り分けられた二種類の弾丸。

 その数、赤が一発、青が五発。

 その全てを≪ハーディス≫のシリンダーに装填。

 

 

「痛いのは最初だけだ。すぐに気持ちよくしてやんよ」

 

「できるものならな!」

 

 

 全身から黒霧を吐き出し、トレインとセフィを囲い込もうと向かってくる。

 セフィを抱えての守勢か、彼女を放置してからの攻勢の二択しか取れない現状、セフィを巻き込む範囲攻撃は最も有効。

 一度でも攻められればそのままジリ貧になるのは明白。 

 なら、その前にこちらから仕掛ける。

 

 

「そいやっ!」

 

 

 叩き付けられる煙幕玉。

 裏路地を覆い尽くす煙幕が視界を奪い、標的を失ったネメシスの黒霧の動きが一時的に止まる。

 

 

「ぉ――」

 

「≪黒爪(ブラッククロウ)≫」

 

 

 何かを言いかけるが、その暇すら与えない。

 一足で肉薄し、叩き込まれる黒猫の爪。

 手ごたえはあったが、打撃部位の損壊が瞬く間に塞がっていく。

 物理攻撃の効果が薄いのは百も承知。

 だが、苦悶に歪むネメシスの表情から、痛みが存在しない訳でもない。

 事実、黒霧へ粒子化しない部分への攻撃には、確かな手ごたえが存在するのだから。

 

 

「≪黒十字(ブラッククロス)≫」

 

 

 故に、一気に畳みかける。

 描くは十字。

 ≪オリハルコン≫と呼ばれる特殊金属で構成された≪ハーディス≫による二段攻撃。

 吹き飛ぶネメシスに、トレインは容赦なく銃口を向けた。

 

 

「おまけだ」

 

 

 爆裂。

 吹き飛ぶネメシスの腹部を射抜く弾丸が小規模ば爆発を巻き起こした。

 特殊弾、≪炸裂弾(バースト・ブレッド)≫。

 正史ならば相棒の発明品なのだが、彼の運命を変えたのは他ならぬトレイン。

 試行錯誤の末、開発に成功したトレインの技術力がとうの昔に相棒を凌駕していることに、彼が気付くことはなかった。

 

 

「……さてと」

 

 

 目指すは各個撃破。

 だが、ネメシスの攻略法が浮かばない以上、あくまでも彼女に採れる手段は足止めのみ。

 獲物を狩ろうと爛々と輝く黒猫の瞳は、最初に狩るべき標的を捕捉。

 視界はなおも最悪だが、煙幕越しに体を固くするのを気配で捉えた。

 

 

「っ!?」

 

 

 予め動くなと命じたセフィを隣になった時、ようやく視界が晴れてくる。

 果たして、そこにいたのは体を震わすメア。

 先の≪電磁銃(レールガン)≫による射撃は、なにも苦し紛れの一発ではない。

 毒がゆっくりと体中を回るように、文字通り必殺技たる威力を秘めた≪電磁銃(レールガン)≫が与えた死の恐怖は、遠慮なく向けられるトレインの殺気と相まり、メアの自由を奪う。

 セフィを一人残したのは、メアが恐怖で動けないという確信があったからに他ならなかった。

 

 

「く、来るな!?」

 

 

 悲鳴と一緒に、髪を剣状に≪変身(トランス)≫させた剣群が押し寄せてくる。

 対し、トレインは真っすぐ≪ハーディス≫を向け、引き金を引いた。

 

 

「なっ」

 

 

 特殊弾、≪冷凍弾(フリーズ・ブレッド)≫。

 着弾と同時に拡散する冷気が、≪変身(トランス)≫させた頭髪ごと凍り付かせた。

 ≪変身(トランス)≫とは、ナノマシンを用いた変換能力を差す。

 よって、ナノマシンの活動を止めてしまえば、≪変身(トランス)≫は使用できない。

 呼吸をするように行なえていた≪変身(トランス)≫が使えないという現実が、メアを更に追い詰める。

 

 

「う……わあああああああああ!?」

 

 

 右手、左手、右足、左足。

 武器形態へ≪変身(トランス)≫したそばから、その全てを≪冷凍弾(フリーズ・ブレッド)≫が撃ち抜く。

 

 

「あぐっ!?」

 

 

 凍結した四肢ごと、≪ハーディス≫から伸びたワイヤーがメアを縛り上げた。

 拘束から逃れようと抵抗するが、当然解ける訳もなく。

 ならばと凍結から逃れた部位を鋭利な形状に≪変身(トランス)≫させるが、切断される兆候は見られない。

 

 

「ど、どうして……」

 

「悪ぃが、ワイヤーも特別性なんだよ」

 

 

 ナンバーズ≪VII≫、ジェノス=ハザード 。

 彼の武器である≪エクセリオン≫とトレインのワイヤーは、同素材で出来ている。

 数ミクロン以下の極薄刃であるヤミの≪ナノスライサー≫ですら切断できない≪オリハルコン≫製のワイヤーに捕らえられたメアに、逃れられる術は残されていなかった。

 

 

「くっ……殺せ!」

 

「何故にくっ殺。お兄さんはおたくの将来が心配です」

 

「私は兵器だ! 死なんて恐れない! お前なんか全然怖くない!」

 

 

 そう言って声高に叫ぶメアが強がっているのは、誰の目にも明らかだった。 

 メア自身も、それは理解せざるを得ない。

 初めてなのだ、トレインのような格上と相対するのは。

 自分の力がまるで歯が立たないのも、為す術もなく追い詰められるのも、身の竦むような殺気を浴びせられるのも、≪赤毛のメア≫として生きてきて、初めての経験だから。

 未知の感情に振り回され、必死に自分を奮い立たせるメアの眼前に、トレインは銃口を向ける。

 

 

「じゃあ死ねよ」

 

 

 セフィの静止の言葉も。

 迫り来る死に目を瞑るメアも。

 全てを無視して、トレインは≪ハーディス≫の引き金を引く。

 

 ――カチン。

 

 響いた音は、しかし撃鉄を叩く音だけだった。

 

 

「ありゃりゃ、そういや全弾撃ちきったんだった」

 

 

 呑気に呟くトレインの前で、メアは力なくへたり込む。

 ≪ハーディス≫の装弾数は六発。

 ネメシスに一発、メアの髪と四肢にそれぞれ一発ずつ。

 銃を扱うトレインがそのことに気付かない訳もなく、それは余りにも白々しい演技だった。

 それでも、メアが感じた恐怖は、そのことに気付かないほどに、あまりにも深く強大で。

 

 

「随分と怖がりな兵器なんだな」

 

「……っ!!」

 

「兵器ごっこなら他所でやれ。死ぬことにビビってる今のお前を兵器だと思う奴なんていねぇよ」

 

 

 心の折れる音が、聞こえた気がした。

 攻撃手段を削がれ、体を拘束されたメアに、残された手立てはない。

 殺気を霧散させたことで極限状態という緊張から解放された影響か、倒れ込んだメアは気を失ってしまった。

 

 

「さて、続きと行こうかネメシス」

 

 

 空になったシリンダーに次弾を装填していく。

 赤、青、通常弾。

 六つの穴を埋め尽くし、ゆっくりとトレインは振り返る。

 ネメシスは満身創痍だった。

 纏っていたドレスはボロボロで、褐色の肌が見え隠れし、腹部には大きな風穴が。

 既に表情に余裕はなく、悔し気な歯軋りが妙に大きく聞こえた。

 

 

「化け物め……!!」

 

「今頃気付いたか小悪党。ご褒美にプレゼントをやろう」

 

 

 触れてはならぬ、禁忌を犯したのだと。

 ネメシスが、メアが踏んだのは、ただの野良猫の尻尾ではない。

 不吉の名を冠する元≪時の番人(クロノ・ナンバーズ)≫の≪XIII≫、正史では最強の抹殺人(イレイザー)とされる≪黒猫(ブラックキャット)≫の尻尾なのだ。

 

 

「不吉を届けに来たぜ」

 

 

 守護する者には幸福を。

 だが、そんな彼女等に仇なす者へ届けるのは、受取拒否のできない不吉なのだから。

 

 

 

 

 




女剣士・ヤンホモ「不吉(トラウマ)を届けに来た」
主人公「」

注)不吉(トラウマ)の受取拒否は出来ません。


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ネメシス

 トレインは自分よりも強い。

 それも、圧倒的なまでに。

 

 

「不吉を届ける、だと? この私に? 大きく出たじゃないか、トレイン」

 

 

 見た目こそ今の自分とさして変わらないというのに。

 恐ろしく戦い慣れした、その戦闘経験値を得るために、どれほどの修羅場を潜ってきたのか。

 その身を≪ダークマター≫で構成されたネメシスに、物理攻撃は効果が薄い。

 例え四肢が欠損しようと、何度でも復元が可能なのだから、普通なら別の手段を取る筈なのに。

 

 

「腹の風穴は治さねぇのか?」

 

 

 間違いない。

 トレインは気付いている。

 

 

「おたくの再生能力、限界があんだろ? 俺の攻撃をくらう度に、再生速度が目に見えて落ちてる。その黒霧がおたくの≪変身(トランス)≫能力のネタなんだろうが、服や腹の損傷部位を治さねぇところを見るに、その黒霧がおたくの本体なんだろ? だから、他の部位へ気を回す余裕がなくなった。俺の攻撃が有効で、再生能力の限界が近付いているからだ」

 

 

 子細については分かってはいないだろう。

 それでも、ネメシスの本質的な部分への理解が及んでることは明らか。

 老獪のごとき考察力、つくづく外見との懸隔の激しい男だ。

 

 

「セフィに土下座して謝れ。二度とこんな真似はしないと俺に誓え。それが出来たんなら、今回に限っては見逃してやるよ」

 

「……ジョーダンじゃない。誰かを跪かせるのは好きだが、逆はあり得んよ」

 

「…………」

 

「それに、もう勝った気でいるとはな。メアを人質にでもして、私が降参するとでも思っているのか? 変身兵器であるこの私が? その気になれば、貴様の命など容易に――」

 

「あっそ」

 

 

 メアを縛る≪ハーディス≫のワイヤーを取り外し、直後に発砲。

 咄嗟に飛び退き躱すネメシスの両足に、トレインは≪冷凍弾(フリーズ・ブレッド)≫を打ち込む。

 急速に凍り付いていく肢体に、ネメシスは自身の体を思念体へと切り替える前に。

 胸を踏みつけ、苦悶の声を漏らす様などお構いなしに、マウントポジションを取ったトレインは、銃口をネメシスの額へ突き付けた。

 

 

「粋がんなよ三下。こちとらテメェ程度の再生能力持ちなんざ嫌になるほど相手にしてきたんだ」

 

 

 ≪ダークマター≫の闇すら呑み込みそうな、深淵のようなトレインの瞳。

 叩き付けられる殺気に、ネメシスの体が竦んでしまう。

 

 

「三度は言わねぇ。地獄見るか、五体満足で逃げ帰るか。あまり俺を怒らせるな」

 

 

 ネメシスには、逆転の手段があった。

 自分の能力が黒霧化する≪変身(トランス)≫だけだと、そう思っているトレインへの切り札をまだ切っていないから。

 にも拘らず、ネメシスは動けない。

 自分は、何時消えても構わない存在だと考えていたはずなのに。

 生まれた時から常に死と隣り合わせだったネメシスが、初めて直面した、本物の死の恐怖。

 常なら吐き出せていたはずの軽口は浮かばず、折れない筈の心が罅入っていくのを感じ、

 

 

 

 

「トレイン君!」

 

 

 

 

 救いの声が聞こえたのは、そんな時だった。

 霧散する殺気に乗じ、霧散させた≪ダークマター≫を黒刃へ変換。

 飛び退くトレインには届かないが、そんなことは百も承知。

 

 

「すぐに逃げろミカン!?」

 

「えっ……?」

 

 

 本当の狙いは別にあるのだから。

 虚空を漂う≪ダークマター≫が、二方向へと伸びていく。

 舌打ちしながらトレインは駆け出すが、それでは遅いと、ネメシスはほくそ笑む。

 

 

「形勢逆転だな」

 

 

 セフィと美柑、それぞれの首元に突き立つ黒刃。

 

 

「なに、これ……?」

 

「……ごめんなさい、トレイン君」

 

 

 動けないトレインを悠々と眺め、人質とした二人に近付く。

 トレインを屈服させ、先程までの屈辱を晴らそう。

 次々と思い浮かんでいく下劣な考えが、ネメシスの嗜虐心をくすぐる。

 

 

「小娘一人ならどうとでもなったものを。守りやすいからとセフィ王妃を逃がさなかったのは失策だったな」

 

 

 人質となった二人を背に、ネメシスはトレインに向き直った。

 

 

「私に土下座しろ。永遠の忠誠を私に誓え。お前のような生意気な下僕を私好みに調教する、最高に面白い暇潰しになりそうじゃないか」

 

 

 トレインが膝を折る姿は、想像するだけでゾクゾクする。

 吐き出す吐息が熱を持ち、触れた頬は熱く、下腹部が僅かに熱を持つ。

 ネメシスの目的は、セフィを殺すことで巻き起こるだろう銀河大戦の再発。

 だが、当初の目的が霞むほどの執着心が、ネメシスの心に間欠泉のように沸き起こっていた。

 トレインを従わせたい。自分だけのものにしたい。彼の全てが欲しくて仕方がない。

 抑えようとも思えない感情が、ネメシスの表情を歪ませる。

 

 

「……はぁ」

 

 

 その嘆息を、ネメシスは諦めと捉える。

 武器である≪ハーディス≫を投げ捨て、それが己に屈した証だと笑みを深める。

 だから、理解できなかった。

 

 

「だからお前は三下なんだよ」

 

 

 顔を上げたトレインの双眸に、諦めの色はなかった。

 

 

「――――!!」

 

 

 突然の衝撃。

 ネメシスの顔面を撃ち抜き、間髪入れずに鳴り響く異音が、人質を捉える黒刃を打ち砕く。

 仰向けに倒れ込むネメシスが見たのは、セフィと美柑を守護せんと庇い立つ、片腕でファイティングポーズを取るトレインの姿。

 

 

「俺の遠距離攻撃手段が≪ハーディス≫だけだと思ったのか?」

 

 

 ≪ソニックフィスト≫――。

 銃器を持った相手に対抗するべく編み出された≪ガーベルコマンドー≫唯一の遠距離攻撃。

 音の壁を突破した拳速が生み出す衝撃波が、遠く離れたネメシスの顔面を撃ち抜いたのだ。

 勝利を確信したネメシスには、何が起こったのかすら理解できないが。

 

 

「喰らっとけ」

 

 

 そして、そんなネメシスに、トレインは容赦はしない。

 全体重を乗せたコークスクリューの拳撃。

 ≪ガーベルコマンドー≫、必殺の≪サイクロングレネイド≫がネメシスの体を貫く。

 

 

「だが、甘い!」

 

 

 貫通したトレインの腕を掴み、確信するは勝利。

 掴んだ腕に≪ダークマター≫が侵食していき、肌色から闇色へと染まっていく。

 メアの≪肉体支配(ボディジャック)≫の上位互換、ネメシスの奥の手≪変身融合(トランスフュージョン)≫。

 いかに強者と言えど、体を乗っ取ってしまえば意味はない。

 

 

「甘いのはテメェだ」

 

「ぐっ……」

 

「俺の体は俺のもんだ」

 

 

 しかし、トレインはその更に上をいく。

 ≪細胞放電現象≫。

 電撃がネメシスを襲い、≪変身融合(トランスフュージョン)≫の証である侵食が引いていく。

 勝利を掴んだ筈が、握った指の間からすり抜けていく、直面するのは敗北の二文字。

 仰いだ先に見たのは、この程度かと不敵に染まったトレインの表情で。

 

 

「な……め、るなぁああああああああああ!!」

 

 

 その表情が、ネメシスの逆鱗に触れる。

 

 

「お前は私のものだ!!」

 

 

 歪な独占欲が、運命を逆転させる。

 引いていた侵食が止まり、徐々に、しかし確かに≪変身融合(トランスフュージョン)≫が進んでいく。

 果たして、勝利の女神はネメシスに微笑んだ。

 押し寄せる一体感は、≪変身融合(トランスフュージョン)≫が成功した確かな感触。

 精神空間を遊泳し、体中を駆け巡るのは圧倒的な全能感。

 ≪変身融合(トランスフュージョン)≫したからこそ分かる、トレインという人間の持つ驚異的な才能。

 敗北などありえない、そんな存在を支配した自分。

 

 

「……ははっ、やった! やったぞ! 私の勝ちだ! トレインが私のものになったんだ!」

 

 

 もう何も恐くない。

 

 

「――――」

 

 

 だがそれは、ネメシスが本当の恐怖を知らなかったからだ。

 

 

「……どういうことだ」

 

 

 より深い一体感を求め、精神世界の更なる奥へと流れていった。

 体だけの支配ではない、記憶を覗き、トレインの全てを知り尽くすため。 

 だが、忘れてはいけなかった。

 

 

「私は≪変身融合(トランスフュージョン)≫したんだぞ。此処は精神世界だぞ。私とトレイン以外には、誰も存在しない空間の筈なんだぞ」

 

 

 深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いていることに。

 

 

「お前は、誰だ」

 

 

 精神世界が、悲鳴を上げる。

 闇色の世界で、なおもその存在を主張する、二つの輝き。

 金色のそれは、精神世界に視界が慣れるにつれ、その姿をハッキリと浮かび上がらせた。

 

 暗色の髪。

 金の瞳。

 左鎖骨に刻まれた≪XIII≫のローマ数字。

 同様のローマ数字が刻まれた大仰な装飾銃。

 

 依代と見紛う、多くの共通点。 

 だが、目の前の存在とトレインは、決定的な違いがあった。

 青年のような成熟した肢体、鋭く研ぎ澄まされた眼光。

 そう、トレインをそのまま成長させた存在が、ネメシスの前に姿を現す。

 

 

「俺を飼い慣らせるのは、オレだけだ」

 

 

 向けられた装飾銃の銃口が、光り輝く。

 危険だ。アレは危険だ。絶対に食らってはいけない類のなにかだ。

 本能が警鐘を鳴らし、理性が逃げろと叫ぶ。

 でも、体が動かない。

 それまでトレインから浴びせられた殺気がそよ風に思えるほどの、殺意の波動。

 気付けば、熱い何かが頬を伝い、流れ落ちていく。

 

 

「≪炸裂電磁銃(バーストレールガン)≫」

 

 

 極光。

 

 

「――――ひっ」

 

 

 暗転。

 

 

「ネメシス」

 

 

 光が差す。

 閉じた目を開き、見上げた先にあるのは青空。

 そして、あどけなさを残す、自分と同じ金の瞳。

 

 

「お前の負けだ」

 

 

 その瞳に映った自分の体は、消えかかっていた。

 

 

「……そうか……私は、負けたのか」

 

 

 いつの間に精神世界から現実世界に切り替わったのか。

 先程の光景は一体何だったのか。

 だが、不思議と胸中は穏やかだった。

 自分を構成する≪ダークマター≫が消えていく感覚に、ネメシスは己の消滅する未来を悟る。

 元々、メアを依代として繋いできた命。

 実体化すれば自然とエネルギーを消耗し、それが今尽きようとしていた。

 

 

「トレイン君っ、この人、体が……!?」

 

 

 降り注ぐ陽光が、こちらを覗き込む顔によって遮られる。

 

 

「ミカン、と言ったか。すまなかったな、巻き込んでしまって」

 

「そんなことより自分の体の心配しなよ!」

 

「……別に、いつ消えても悔いはない。たまたま今日がその日だっただけだよ……」

 

「そんなの……そんなのって……!!」

 

 

 自分らしくはないと思う。

 兵器の自分が、人質に謝罪など。

 だが、こんな自分にも悲しみ涙する美柑の優しさが、何故か心地よく思えて。

 

 

「ネメシスさん……」

 

「……メアは私に操られていただけだ。此度の一件、全ての責は私にある。だから、後生だと思って聞き入れてはくれないだろうか、セフィ王妃。メアのこと、よろしく頼むと」

 

「……お優しいのですね、ネメシスさんは」

 

 

 つくづく、らしくない。

 だが、その甲斐あってか、最後にいいものが見れた。

 微笑を浮かべ見下ろすセフィの素顔は、それほどまでに美しかった。

 

 

「えっ、なにこの空気」

 

 

 この男、最後くらい良い気持ちで終わらせられないのだろうか。

 

 

「お通夜ムードのとこ悪ぃけど、やることやらねぇといけねぇから。ほらお前等、どいたどいた」

 

 

 犬猫でも相手にするようにしっしっと払うトレインを美柑とセフィが睨み付ける。

 そんなことには一切構うことなく、トレインは真っすぐにネメシスを見下ろした。

 

 

「ほれ、ネメシス。早いとこ俺の体に憑依しろ。そうすりゃ、取り敢えずはなんとかなんだろ?」

 

 

 何言ってんだこいつ的な感じでネメシスは見つめ返した。

 

 

「さっきの技、俺の体を乗っ取る系のか? なんでかは知らねぇけど、憑依は出来ても乗っ取ることは出来ねぇみたいだし、実際に食らった感想としては害もなさそうだから別にいいかなって。お前が死んだら、なんか俺が殺したみたいで寝覚めも悪ぃし。つか、自分死ぬからあの子をお願いって、重いんだよ色々」

 

 

 好き勝手にほざくその抗弁。

 嫌いじゃない、それどころか愛おしくすら思える。

 

 

「くくくっ……宇宙の転覆を図り、お前の大事な者にも手を掛けようとした私を生かすと? どこまでお人好しなのだお前は? 私を助ける理由などないだろうに」

 

「うるせぇ、負け犬は黙って勝者の言うことに従ってりゃいいんだよ」

 

「……何故そうまでして私を生かそうとする。所詮、私はメアと同じ変身(トランス)兵器なのに」

 

変身(トランス)兵器だからだよ」

 

 

 間髪入れずに、トレインは答える。

 

 

 

 

「姫っちも変身(トランス)兵器として生まれたから。だから俺は、お前に生きててほしいんだ」

 

 

 

 

 それは、遠い昔の記憶。

 まだメアの体を依代とする前、≪プロジェクト・ネメシス≫の結果偶然この世に生を受け、世界を認識してからしばらくした時だった。

 ≪プロジェクト・ネメシス≫は凍結、成功したのに失敗の烙印を押され、誰にも認識されぬまま幽霊のように研究所内を漂っていた時だった。

 打算と欲望で満ち溢れた研究所で、そこだけは違った。

 笑顔が、思い遣りが、純粋無垢な喜怒哀楽が溢れていた。

 そして、その感情の中心には、決まっていつも同じ人間がいたんだ。

 何故か惹かれた。暇さえあれば眺めていた。いつしかそれだけでは物足りなくなっていた。

 どうして気付いてくれない、自分は此処にいる、だから気付いて、私を見て。

 それが、いつの間にかトレインを自分のものにしたいという歪んだものへと変わったんだ。

 金色の闇に、変身(トランス)兵器に向ける、彼の優しい眼差しを、自分にも向けて欲しかったから。

 

 

「ああ……そうか……」

 

 

 死んだと思っていた。

 ティアーユと一緒に、組織に抹殺されたとものだと思っていたから。

 思えば、あの時からだ、この世界がどうでもよく思えたのは。

 こんな世界、いっそのこと滅んでしまえと、そんな破滅願望が、空っぽになった心に巣食う。

 思念体に過ぎない、生きる意味も持てなかった自分にとって、彼は存在意義だったから。

 

 

「そうだった……そうだったんだな……」

 

 

 でも、彼は生きていた。生きていてくれたんだ。

 彼に会いたいと、見つけて欲しいと、自分だけを見て欲しいと、その願いは忘れていない。

 いつ消えるかも分からぬこの身、それでも諦めず生きようと思ったのも。

 必死に生にしがみ付き、メアの体に≪変身融合(トランスフュージョン)≫したのも。

 全ては、彼のためだった。

 生身の肉体を知ることで、完全な具現化の術を知ることで。

 彼と触れ合い、言葉を交わし、気持ちを伝える術を、手にすることが出来た。

 それだけで嬉しいと思えるほど、彼の存在は、完全に忘れられないくらい、大きかったんだ。

 

 

「答えなんて、聞くまでもなかった……お前は、そういう奴だものな……」

 

 

 でも、無理だ。足りない。全然、これっぽっちも。

 触れただけじゃ、言葉を交わしただけじゃ、気持ちを伝えても、満たされない。

 彼の手で引導を渡される、それだけでも嬉しいはずなのに。

 幸せに、笑顔で逝けた筈なのに、悔いなんて無いはずなのに。

 それでも、消えたくないと。

 彼を求める気持ちが、止まってくれない。

 

 

「そんなお前だから、私は……トレインが……」

 

 

 もっと触れ合いたい。 

 もっと言葉を伝えたい。

 もっと自分の気持ちを知ってほしい。

 でも、素直になれない自分には、言葉にする勇気はなかったから。

 彼を傷付け、追い詰め、怒りを買ってしまった自分には、そんな資格はないけれど。

 それでも、伝えたかったから。

 言葉にするのは憚られても、想うだけなら、神様だって許してくれる筈だと。

 

 ――だから、ネメシスは、トレインに伝えたいことがあります。

 

 

「……いいだろう。その要求、受けようじゃないか」

 

 

 ありがとう、私を見つけてくれて。

 あなたは私に生きる意味を与えてくれた。

 喜びを、悲しみを、怒りを、楽しみを、感情を与えてくれた。

 でも、私にはなにもないから。

 返せるものをなければ、なにを返せばいいのかも分からないから。

 だから、私の全てを、あなたに差し上げます。

 生かすも殺すも、あなた次第。

 その代わり、この命尽きるまで、あなたの傍にいさせてください。

 いつか消えるその時まで、どうかあなたの心に寄り添わせてください。

 

 

「今日から私はお前のものだ、トレイン」

 

 

 ネメシスは、トレインが好きです。

 この身を全て捧げてもいいと思えるほどに、あなたのことが大好きです。

 

 

 

 

 




ネメちゃん「トレインとは主従関係を結んだ仲」
女剣士・ヤンホモ「!」
ネメちゃん「あと合体もした」
女剣士・ヤンホモ「!?」
ネメちゃん「そして身も心も一つになった」
女剣士・ヤンホモ「」

注)≪変身融合(トランスフュージョン)≫の話です。


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シズ

「助けて、リョーコえもん」

 

「ふふっ、嫌よ」

 

 

 怪我人の切なる願いを笑顔で切り捨てる、闇医者こと御門涼子。

 裏路地から場所は移り、仮宿である洋館にトレインは帰宅していた。

 

 

「なんて薄情な女なんだ。トレイン、このような女に構うな」

 

「一応こんなでも俺をタダで住まわせてくれてる恩人なんだぞ。こんなだけど」

 

「不満なら出ていく? なら早速お金の話をしましょうか。今日までの滞在費プラス今までの治療代を含めて、ざっと数百万――」

 

「おいこらキチロリ。リョーコの悪口は俺が許さねぇぞ」

 

「……お主、プライドというものはないのか?」

 

 

 にょきっと、そんな音を立てながら、少年の体から少女が生えてくる。

 相当に奇天烈な光景だが、時間が経てば慣れたもの。

 ドクター・ミカドとして数多の宇宙人を治療した経験からか、涼子が動揺したのも最初だけ。

 いつもの掴み所のない笑みで、いつも以上に面白げな眼差しを浮かべいた。

 

 

「男の子なんだから我慢なさい」

 

「そんな唾付けとけみたいに言われても。俺、一応骨折してんですけど……」

 

「前回はヤミちゃんが責任を感じると思ったから、バレないよう特別な治療を施しただけよ。別に治療をしない訳じゃないけど、あくまでも一般的な処置だけ。前回の治療法は即効性のぶん体への負担が大きいの。だから、医者としては自然治癒をオススメするわ」

 

「いや、でもよリョーコ――」

 

「駄目なものは駄目」

 

「……どうしても?」

 

「絶対に駄目」

 

 

 暫し見つめ合っては見たが、涼子の意思が揺らぐ気配はなく。

 ヤミを筆頭に、骨折の理由をどう誤魔化すかと嘆息した時だった。

 

 

「おい、御門涼子」

 

 

 ぞわっと、トレインの体から闇が噴き出す。

 

 

「トレインの頼みが聞けないというのか?」

 

 

 トレインという依代を得ても、一度は消えかかったネメシスにさしたる力はない。

 それでも、妖しく輝く金の瞳は、射殺さんばかりの威圧を持って涼子を射抜く。

 

 

「……さっきも説明したように、特段理由もなしに患者に負担のかかる治療法をする訳にはいかないわ。医者として当然の判断よ」

 

「そのような理屈などどうでもいい。トレインが治せと言っているのだぞ。ならば、黙って治すのは当然のことだろう」

 

 

 だが、涼子とて引くつもりはなかった。

 バチバチと火花を散らし、重苦しい空気が治療室を支配する。

 

 

「ふぎゃ!?」

 

 

 ゴンっ――殴打する音が、張り詰めた空気を弛緩させた。

 力を失った現状、体を構成する≪ダークマター≫の分散を行えない今のネメシスに打撃は有効。

 頭を押さえ、涙交じりになった金の双眸を同色の瞳を持つ依代へと向けた。

 

 

「な、なにをするのだトレイン!?」

 

「うるせぇぞネメシス。さっきも言ったように、リョーコを酷く言う奴は俺が許さねぇ」

 

「だ、だが私はっ、お前のためを思って――」

 

「それはリョーコだって同じだろうが」

 

「うぐっ……」

 

 

 しゅんっと俯くネメシスの表情は、トレインからは見えない。

 

 

「……お前の怪我は、私達が原因なんだぞ……私だって、トレインの力になりたいのだ……」

 

 

 でも、どんな表情をしているかなど、容易に想像できたから。

 これ以上強く言えないのは、戦闘中とのギャップが激しすぎるせいなのか。

 あまりにも殊勝な態度、気まずげに反らされた先では、一台のベッドが。

 薄く掛けられたシーツからは、波打つ赤毛が覗いていた。

 

 

「メアさん、目を覚ましませんね」

 

 

 涼子の助手を務める村雨静ことお静が、沈痛な声音で告げる。

 先の戦いの後、事を大袈裟にすることを嫌ったトレインとセフィの判断で、美柑が迷子のセフィを見つけたという設定の元にララ達と合流を、トレインは気を失ったメアを連れ、自分を依代として憑依したネメシスと一緒に涼子の洋館に向かった。

 そして、今に至っている訳なのだが、手足の凍傷以外には外傷のないメアは、依然目覚める兆候を見せることはない。

 

 

「トレイン君、もう少し何とかならなかったんですか?」

 

「無茶言うなよ、シズ。足手纏いに、途中から片腕ってハンデ抱えた上で二人を相手にしたんだぞ。凍傷だけで済んだのは御の字だろうが」

 

「女の子として言わせてもらうなら、女性に銃を向けること自体どうかと思うんですけどね」

 

「俺、とある女剣士に出会った時から男女平等を掲げてるんだ」

 

「……もういいです」

 

 

 ジト目のお静は、直後に嘆息。

 乱れたシーツをかけ直し、メアの顔に浮かんだ汗を拭おうとタオルを取りに席を立った。

 

 

「……すまん」

 

「謝るくれぇなら、最初からあんな真似すんな」

 

「……本当に悪いと思ってる」

 

「うむ、なら許す」

 

「……は?」

 

 

 呆けたように見上げるネメシスの頭にポンッと手を置く。

 トゲトゲしい自分とは対照的な、女の子らしいサラサラと零れ流れる黒髪を手で弄ぶ。

 

 

「だけど約束しろ。もう二度と誰も殺さねぇって。それが守れるんなら、俺はネメシスを許すよ」

 

 

 人殺しの罪とは、償わせるべきなのか。

 不殺を貫いてきたトレインには、その答えを導き出すことはできない。

 ネメシスもメアも、殺し屋として生きてきたヤミも、多くの命を殺めたのは間違いないけれど。

 自衛のために、快楽のために、生きるために。殺しの理由はそれぞれあったとしても。

 答えを出すのはトレインではない。

 被害者の親族だったり、直接殺めた彼女達が決めることだと思うから。

 だから、トレインに出来ることは、もうこれ以上彼女達の手を汚させないことだけなのだ。

 

 

「あっ、言っとくけど、俺は許したけどセフィや美柑については別だからな。それは俺が決めることじゃねぇし」

 

「……分かっているよ。なんだかんだで有耶無耶になってしまったが、キチンと謝罪の機会を設けるつもりだ。もっとも、今の私はトレインを依代にどうにか生きながらえている身。謝罪はまたの機会にならざるをえんが」

 

「そういうことなら、今から行こうぜ」

 

 

 思い立ったが吉日。

 

 

「突撃! 結城家訪問だぜい!」

 

「その前に腕の治療だけはしていきましょうね?」

 

「あっ、はい」

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

「極楽極楽っ」

 

「…………」

 

 

 やってきました結城家――から何故か繋がっていた温泉地。

 トレインとネメシスは、ともに一糸纏わぬ生まれた姿のままに温泉を満喫していた。

 

 

「んで、何時まで拗ねてんだよネメシス」

 

「……ふんっ、私の裸を見ても欲情せぬ不能の言葉など聞く耳もたん」

 

「おいこら待て、誰が不能だ」

 

「褐色ロリに興奮せぬ男など皆不能なのだ。裸のおなごを見ても襲い掛からぬなど、男として欠陥もいいところ。据え膳食わぬは男の恥という言葉を知らんのか、ばかものが」

 

 

 ある程度は回復してきたのか、片腕を残し実体化したネメシスは、不貞腐れ顔のままにコテンとトレインの肩へ寄り掛かる。

 温泉地ということなのか、唐突に上半身を実体化させて謎ポーズをとって誘惑をしてきたネメシスだったが、そんなものなど眼中にないと温泉を堪能すれば、この通り拗ねてしまったのだ。

 

 

「はっはっは、お兄さんな俺はお前みたいなお子様体型なんざ見てもなんとも思わんのだよ。十年経ってから出直してこいやお子ちゃまネメシスちゃま」

 

「ほう、それはいいことを聞いた」

 

 

 ぽよん。

 そんな音と時を同じくして、柔らかな感触が腕に伝わる。

 何事かと見下ろせば、見渡す限りの大平原が雄大な双丘へと地殻変動を起こしていた。

 

 

「……ネメシスさん?」

 

「それで、他にはないのか? 胸の大きさはこれくらいか? 尻も大きいのが好みなのか? 髪の長さは? ロングか、それともショートか? ほれほれ、言ってくれねば分からぬではないか」

 

「お、おまっ」

 

「先程は不能といったが、見た目が少々マニアック過ぎただけだったか。安心したぞ、トレイン」

 

「いい加減に……!!」

 

 

 金と金、同じ瞳が交じり合う。

 ネメシスの頬が真っ赤に染まっているのは、はたして温泉に浸かっているせいなのか。

 濡れた掌をトレインの頬に這わせ、密着させた豊満な肢体をしな垂れ掛からせ。

 抑えがたい情念を宿す甘い吐息が、トレインの鼻孔をくすぐる。

 

 

「私はお前のものだと言っただろう。だから、私を好きなようにしてよいのだぞ」

 

 

 折れた腕に力を入れたのは、無意識のことだった。

 

 

「いっ!?」

 

 

 霞む思考が、痛みによって活を入れられる。

 悶絶するトレインは、今頃になって接近する気配を察知した。

 

 

「……トレイン君もリトと同類だったんだね」

 

 

 絶対零度の眼差しに、急激に体が冷え込む。

 

 

「ふふっ、若いっていいわねトレイン君」

 

 

 トラウマ(女剣士)の声に、ガタガタと体が震えた。

 

 

「むぅ、いいところだったのに……」

 

 

 唇を尖らせ、ネメシスは元の子供体型へ。

 寄り掛かった体を起こし、最初と同じようにトレインの隣に居座り、湯船に浸かった。

 ほっと息をついたトレインは、声の主へと視線を向ける。

 笑顔のセフィと仏頂面の美柑。

 タオルで体を隠しても、両名の体格は完全に正反対。

 まるでネメシスみたいだと、見比べたトレインがそんな感想を抱いた時、ぎろりと美柑が睨む。

 

 

「……なに見てるの?」

 

「いや、あの……」

 

「……トレイン君のえっち」

 

「ぐっはぁ!?」

 

 

 見られていたのか、先程の醜態。

 羞恥心に胸を押さえ、痛みとは別の意味で悶絶する。

 

 

「ご一緒してもよろしい?」

 

「……はい、よろこんで」

 

「それと、予備のタオルがあるの。必要?」

 

「……はい、とてもありがたいです」

 

 

 セフィからタオルを受け取り、岩場の陰で腰に巻く。

 風呂にタオルを浸けないのがマナーだが、混浴となっては話は別。

 嫌がるネメシスの体にも問答無用でタオルを巻き付け、岩場の陰から姿を出す。

 

 

「美柑さんと話したいことがあったからこうして別の温泉に来てみたけれど、まさかトレイン君とネメシスさんに会えるなんて」

 

「こちらもてっきり向こうの温泉に浸かっているのだと思っていたのだがな。それと、事後承諾になってしまったが、結城美柑。鍵も掛けぬとは不用心だと思い、勝手に邪魔をさせてもらったぞ。中に入ってみればワープ装置があったのでな、こうして温泉に浸かっているという訳だ」

 

「……それについては構いません。こちらにも非があるので」

 

「ふむ……なにを不貞腐れているのかは分からぬが」

 

 

 改まって姿勢を正し、ネメシスは頭を下げた。

 命を狙ったこと、人質として利用したこと、もう二度とあのような真似はしないということ。

 謝罪は死に際に聞いたし、この場での陳謝にネメシスの気持ちは十分に伝わったのだろう。

 ネメシスの行いを許してくれた二人に、トレインは内心でほっと息をつく。

 一般人の美柑とは違い、セフィは銀河統一を果たしたデビルークの王妃。 

 王妃暗殺なんて、ましてやそれが銀河転覆を目的としてのものなんて、公になればネメシス達がどのような末路を辿るのかなど言うに及ばず。

 

 

「トレイン君」

 

 

 思考の海に沈んでいた意識が浮上する。

 思ったよりも近くに寄ってきたセフィに、彼女が別人だと理解してもなお鳴り響く警鐘。

 咄嗟に顔を反らしたのは、無意識のことだった。

 

 

「私を守ってくれてありがとう。あの時は結局言えずじまいだったから」

 

「……いえ、お気になさらず」

 

「でも、もう無茶はしては駄目よ? 助けてもらった身としてはあまり強くは言いたくないけれど、あなたが傷付くことで、同じように心を痛める人がいるということは忘れてはいけないわ」

 

「……はい、以後気を付けます」

 

 

 セフィはセフィリアとは別人。戦闘能力も皆無。≪滅界≫を連発することもない。

 滝のような冷や汗を流しつつも、ガンガンと警鐘は鳴りまくり、胃が悲鳴を上げる。

 戦闘時は気にする余裕などなかったが、ザスティンのようなパッと見似てる人レベルではなく、セフィの外見は髪と目の色以外はまんまセフィリア。

 顔を見ずとも、鼓膜を揺さぶる声は、トレインにかつての悪夢を連想させて、

 

 

 ――ちゅっ。

 

 

 完全な不意打ちだった。

 湿ったリップを音が、頬に熱い軌跡を残す。

 

 

「私はセフィです。セフィリアではないと言ったでしょ?」

 

 

 既視感が、トレインを襲う。

 初めて見る、セフィの微笑が。

 かつて浮かべたセフィリアの微笑と、完全に重なって。 

 

 

「夫には秘密よ。あの人、怒ると何をしでかすか分からないから。でも、命を賭けて私を守ってくれた小さな騎士に何もしないわけにはいかないから」

 

 

 触れた頬が、信じられないくらいの熱を持つ。

 あれほど鳴り響いていた警鐘が掻き消え、周囲の音が完全に時を止める。

 

 

「もしトレイン君が大人で、私が夫と出会っていなかったら、あなたを好きになっていたかもね」

 

 

 そう言って、セフィは悪戯が成功した子供のように微笑んだ。

 ララのように無邪気に、ナナのようにお転婆で、モモのように小悪魔染みていて。

 なるほど、彼女はセフィリアとは完全な別人だ。

 セフィは紛れもなく、ララ達三人の母親だと、思い知らされてしまった。

 

 

 

 

「なにを、しているのですか?」

 

 

 

 

 全身の産毛が総毛立つ。

 

 

「もう一度聞きます。さきほど、あなたは、なにを、していたのですか?」

 

 

 女剣士やヤンホモに襲われた時に匹敵する、例えるなら生命の危機。

 ギギギ、と壊れかけの発条人形のように振り返ってみれば、そこにいるのは金色の修羅。

 タオルが巻かれた肢体は幼く華奢で、剥き出しの肩や頬は湯のせいか、仄かに赤い。

 ――なんてことには当然のごとく目がいかず、血のように真っ赤な瞳が恐ろし過ぎて、湯船に浸かっていても体の震えが止まらない。

 

 

「答えないのなら、仕方がありません」

 

 

 次の瞬間、ヤミの髪や両手が刃物へ≪変身(トランス)≫。

 トレインの動体視力が異常ではなければ、その≪変身(トランス)≫速度は≪滅界≫に匹敵するほどだった。

 

 

「あなたの体に直接聞きます」

 

 

 これまでの経験が、トレインに逃走の選択させる。

 

 

「協力しよう、金色の闇。さすがに今のは納得がいかん」

 

 

 だが、体が鉛のように重くなり、闇色に染まった手足は思うように動かない。

 

 

「ヤミさん。こっちは私が抑えとくから、遠慮なくやっちゃっていいよ」

 

 

 その隙に、背中をガッチリとホールドされてしまって。

 

 

「…………」

 

 

 ヤミの、ネメシスの、美柑の視線が集中する。

 針の筵とは、今のトレインの状態を指す言葉に違いない。

 

 

「セフィ、ヘルプ」

 

「修羅場って知ってる?」

 

 

 救援要請は、世話のかかる息子を見守るみたいな眼差しのセフィによって却下されるのだった。

 

 

「なに、これ」

 

 

 背中に美柑、正面にネメシス。

 タオルのみを纏ったヤミが歩み寄ってくるのに。

 背中と正面から伝わってくる人肌の感触とぬくもりは、まさにお色気展開なのに。

 生まれてから初めて体感した男のロマン、ラッキースケベを味わっているというのに。

 

 

「……ホント、なにこれ」

 

 

 全然嬉しくないのは、どうしてなのだろうか。

 

 

 

 

 




後日談

セフィ「男の子、欲しくなっちゃった」
ギド「え」


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クリード

 着物、というものがある。

 ジパングに古くから伝わる伝統衣装であり、この衣服には一つの特徴があった。

 とにかく、着る者を選ぶのだ。

 着こなすには色々とあるが、似合わない人には絶対に似合わない。

 ましてや、プロポーションに恵まれ、華美な雰囲気を醸し出す西洋人には似合わないという先入観が、自分達とは対照的であるがゆえに、ジパングの人間には存在していた。

 

 

「……美味しい」

 

 

 綻ぶ唇は、綺麗な桜色。

 波打つ金髪を結い上げ、覗くうなじが色気を醸し出す。

 本人の醸し出す優美さ、体の線から窺わせる艶美さと合わせた、体現された究極の和洋折衷。

 うっとりと細まる碧眼が、僅かな熱を帯びて正面へと投げ掛けられた。

 

 

「お口にあうでしょうか、ハートネット」

 

 

 返答の言葉はない。

 代わりにガツガツと音を立て、並べられた料理が次々に消えていく。

 料理の質、座敷から覗く景観、部屋を彩る小物、従業員の応対、どれをとっても最高級の料亭。

 それを、まるでそこいらの定食屋で食事をとるような雑な食べ方は、とてもではないが店の格式に見合うような客ではないことは確かだった。

 

 

「……どうやら、聞くまでもなかったようですね」

 

 

 しかし、セフィリア=アークスは咎めない。

 そして、トレイン=ハートネットもまた、気にする様子はない。

 

 ≪時の番人(クロノ・ナンバーズ)≫のリーダーと不殺の抹殺人(イレイザー)

 本来は上司と部下の関係だが、休暇中にまで上下関係を持ち込むつもりもない。

 トレインが≪クロノス≫に属して、今日で一年。

 当の本人に自覚はなく、こうして食事に誘われて初めて気づいた程度の、どうでもいい記念日。

 しかし、共に食事をするセフィリアにとってもどうでもいいかと問われれば、そうでもない。

 ちょうど今から一年前。

 それがトレインと初めて会った日であり、同時に敗北した日でもあった。

 外部からスカウトされ、力量を図ろうと設けられた一対一の戦いの場。

 僅差だったが、接戦の末セフィリアは敗れ、それからトレインを意識するようになった。

 

 

「アークス先輩」

 

 

 自分としては距離を縮めたと思っていたが、それは思い違いだったのか。

 他の≪時の番人(クロノ・ナンバーズ)≫とは距離を縮める中、自分だけが未だに他人行儀。

 特に仲の良いジェノスを筆頭に、他の団員には名前で呼ぶのに、自分だけ苗字呼び。

 何時ものように断られるのを覚悟で食事に誘ってみた結果、奇跡的に了承を貰ったというのに。

 距離の遠さを滲ませる硬い声音に眉根を下げ、箸を置き揃える。

 

 

「今日はありがとうございます。昼メシ、ご馳走してもらって」

 

「いえ、構いませんよ。私の方こそ、無理に付き合わせてしまって……もしかして、迷惑だったでしょうか?」

 

「……いや、別に」

 

 

 一瞬の逡巡。

 言外の意味を感じ、気落ちし俯きかけたセフィリアの耳に、それは聞こえてきた。

 

 

「……先輩、着物とか着たりするんすね」

 

「え、ええ……」

 

 

 会話の意図が掴めず、言葉に詰まってしまって。

 

 

「似合ってますよ」

 

 

 そして、言葉の意味を理解した途端、火が点いたように顔が熱くなる。

 そっと上目に盗み見たが、トレインは食事をする手を止めない。

 箸と器が重なり合う音だけが、会話の途絶えた空間に僅かな彩を添えていた。

 だが、その僅かな物音さえ、今は気になって仕方がない。

 なにか、なにか喋らなければ、なにか会話の糸口になるものはないか。

 出口の見えない思考の迷宮から抜け出そうと必死になったセフィリアは、咄嗟に口にしていた。

 

 

「せ、セフィリアとっ」

 

 

 抜け出しと思ったら、再び迷い込んでしまう思考の迷宮。

 焦燥と羞恥で一層熱くなった顔を隠す様に俯き、膝の上に乗せた両拳を握りしめる。

 

 

「そ、そのっ、何時までもアークスでは他人行儀ですし、ハートネットと出会って今日で一年が経ちますし、他のナンバーズのことは、なっ、名前で呼んでいますし……ですから……あのっ」

 

 

 一気に捲し立て、何をやっているんだと後悔する。

 これでは、≪時の番人(クロノ・ナンバーズ)≫のリーダーとしての威厳もあったものではない。

 落ち着けと必死に言い聞かせ、気持ちを切り替えようと湯呑を手に取り、

 

 

「セフィリア先輩」

 

「っ!?」

 

 

 予想外の熱さと不意打ちに、湯呑は中身を残したままトレインの方へ。

 綺麗な山なりの放物線を描き、飲み口を逆さにして、やがてトレインの頭部へ不時着。

 逆立った髪は濡れて垂れ落ち、突然の事態に箸と茶碗を持った状態で固まってしまう。

 

 

「す、すみませ――きゃっ」

 

 

 急ぎ立ち上がるが、着慣れない着物の裾に足を取られ、前のめりに。

 持ち前の運動神経は、パニックになろうが反射的に働き、姿勢を正そうとして。

 それよりも早く割り込む黒い影が、倒れ込もうとするセフィリアの体を支えた。

 何事かと目を白黒させ、仰ぎ見た先にあったのは、見慣れた金の瞳。

 

 

「……大丈夫っすか?」

 

 

 垂れ落ちたお茶の雫が、セフィリアの頬を濡らす。

 気まずい沈黙。

 荒事ならば、幼少期から培ってきた経験でどうとでもなった。

 だが、色事に関する経験など、セフィリアにある筈もなく。

 湧き上がる途方もない羞恥に口元と横一文字に引き結び、キッと眦を吊り上げる。

 何故か固まるトレイン。

 思考はとうの昔に沸騰状態、呂律など回る筈もなく、謝罪の言葉すら出ない。

 一向に打開策の浮かばない窮地に、涙すら滲み出しそうになった時だった。

 

 

 

 

「なにを、しているんだい?」

 

 

 

 

 濃密な殺意が、部屋を充満する。

 咄嗟に伸びた手は空を切り、忘れたように愛剣を帯刀していないことに気付く。

 

 

「……クリード」

 

 

 トレインの言葉に、突然の乱入者の正体を知った。

 華美な装い、煌めく銀の髪、野心に染まった双眸は憤怒に燃えている。

 トレインと同時期に≪クロノス≫に入り、最強と謳われる≪黒猫(ブラックキャット)≫には劣るが頭角を現してきた、名前は確かクリード=ディスケンス。

 その実力は自分達≪時の番人(クロノ・ナンバーズ)≫にも引けを取らない。

 

 

「何をしているんだと聞いているんだ女狐。早く僕のトレインから離れろよ」

 

 

 今にも切られかねない、腰から下げられた愛刀≪虎徹≫の鯉口。

 礼節を重んじるが故に、クリードの言動はセフィリアの目に余った。

 

 

「なんの真似ですか――」

 

「酷いじゃないかトレイン。僕からの誘いを断っておいて、こんな女狐と食事をともにするなんて。言ってくれればこんな店よりずっといい場所を用意するのに。さぁ、今からでも遅くはない。君のために用意していた最高の料理があるんだ。そこで僕達の輝かしい未来について語り合おうじゃないか。おや、でも今の今まで食事をしていたんだったね。こんな程度の低い粗末な品を口にしてしまうなんて、なおのこと口直しをしなければ。それとも、もう満腹になってしまったかな。ははっ、健啖家な君のためにと用意したフルコースだったんだが、無駄になってしまったね。なに、気にすることはないんだよトレイン。僕が勝手にしたことだ、君が気に病む必要はないんだ。なら、食後のティータイムとしよう。僕がワインで、君がミルク。トレインはパックよりも瓶のミルクが好みなんだよね。君の好みを全て網羅した僕に抜かりはないよ。僕自ら厳選に厳選を重ねた至高の瓶牛乳を君に味わって欲しいんだ。きっと君の舌を満足させることが出来ると思うよ。そして語り合おう、打ち明け合おうじゃないか。僕は知りたいんだ、君の全てを。代わりに打ち明けようじゃないか、僕の全てを。君になら僕の秘密を打ち明けていい。いや、違うな。知って欲しいんだよトレイン。僕の全てを、君に知って欲しいんだ。だから教えてくれないか、トレインの全てを。互いを完璧に理解してこそ、真の相棒たり得ると僕は思うんだ。僕の背中を任せられるのは君だけ。そして、君の背中を任せられるのもまた僕だけだ。例え今は力不足だとしても、いつか必ず、絶対に並び立ってみせるよ。今日はそのための決意表明でもあったんだが、早くも言ってしまうなんてね、僕は自分でも思っていた以上にせっかちだったみたいだよ。さぁ、こんなところで何時までも話さず、僕と一緒に行こうトレイン。最高の食事、最高のミルク、そして最高のホテルで一夜を明かそう。きっと長い話になるだろうからね、念には念をと思ってホテルを予約しておいたんだ。ホテル全てを貸し切ったから、邪魔者はいないよ。ふふ、今夜は寝かせないよ。休暇は今日までだけど、大丈夫。寝坊しそうになっても僕が起こしてあげるよ。なんなら明日も休暇にしてしまうかな。ちょうど此処には女狐もいることだし、手間が省けて良かった。という訳だ、セフィリア=アークス。僕とトレインの休暇は延長すると≪クロノス≫の老害共に伝えろ。そして今すぐ此処から消え失せるんだ。いい加減目障りなんだよ」

 

 

 敬愛――いや、狂愛か。

 トレインへ向ける眼差しは常軌を逸し、道端に転がる塵芥のような眼差しをセフィリアに。

 醜悪な笑みと怒りを同居させた、同時にセフィリアの警鐘が全力で告げている。

 クリードは、≪時の番人(クロノ・ナンバーズ)≫として抹殺してきた者達をも凌駕する危険性を秘めていると。

 武器はなく、服装は戦闘には不向き、だからどうしたとトレインの前に屹立する。

 

 

「聞こえなかったのか、女狐。消えろと僕は言ったんだよ?」

 

「消えるのは貴方の方です、クリード。私とトレインとの会食に突然割り込んでおいて、その言い草はなんですか。恥を知りなさい」

 

「恥を知るのは君の方だろ。大方嫌がるトレインを上司権限でも使って無理矢理誘ったんだろう? でなければトレインが僕の誘いを断るわけないじゃないか」

 

「それは……」

 

 

 続けようとする言葉が、最後まで紡がれることはなかった。

 避けられている自覚はある。

 今日の食事だって、駄目元で誘ってみたのだ。

 柄にもなく粧し込み、心なしか浮かれていたのだって、トレインが誘いに乗ってくれたからで。

 なんて独り善がりなと、自己嫌悪に苛まれる。

 

 

「クリード」

 

 

 今まで静観していたトレインが口を開いたのは、そんな時だった。

 立ち尽くすセフィリアに並び、遠ざかっていく背中に、掛けれる言葉はない。

 暗雲たる黒い感情が、セフィリアの心を巣食っていき、

 

 

「消えるのはテメェだ。俺は今、先輩とメシ食ってんだよ」

 

 

 その力強い言葉が、陽光のように自分の心を照らし出す。

 

 

「と、トレインっ、僕は――」

 

「お前の誘いを断ったのは、先輩との先約があったからだ。妙な勘繰りしてんじゃねぇぞ」

 

「……すまない」

 

 

 彼の背中は、クリードという脅威からセフィリアを守護するように不動を貫く。

 大きくて、逞しくて――手を伸ばせば届くのに、遠いと感じてしまう。

 初めて会って、敗北を喫したあの日から、研鑽を詰まなかった日はない。

 それでも、トレインとの距離を縮めた気はせず、彼との距離は遠ざかっていくような。

 だから、せめて今だけは。

 

 

「……分かったよ、トレイン。君の言う通り、消えるのは僕の方だ」

 

 

 顔に悲愴を刻み付け、退室する背中に背負っているのは絶望の二文字。

 まるで雨の中、道端に捨てられた子犬のように、今のクリードは儚い存在だった。

 

 

「次会った時にお前の言っていた牛乳、飲ませてくれ」

 

 

 先程までの絶望の全てが歓喜に変換されたようだった。

 切れ長な双眸を限界まで見開かせ、まるで童心に帰ったような笑みをクリードは刻み直す。

 

 

「や、約束だよトレイン! 破ったら絶交だからね!」

 

 

 来た時同様、クリードは嵐のように去っていく。

 張り詰めていた緊張感は霧散し、室内は元の静けさ取り戻す。

 

 

「…………」

 

 

 殺すことも視野に入れていた。

 物心付く頃から≪クロノス≫にいたからこそ、染み付いた抹殺人(イレイザー)としての性。

 だからこそ、眩しく感じてしまう。

 死よりも生を持って諍いを静める、彼の生き方が。

 死を持ってしか世界の安寧を保てない自分には出来ない、選択する強さを持つ彼の有り様が。

 

 

「……ありがとう、ございます」

 

 

 伸ばした指先が、彼のトレードマークである青いジャケットに触れた。

 きゅっと掴んだ布地を手繰り寄せ、額の刻まれた≪I≫の刻印に突き合わせる。

 決して消えることのない、≪クロノス≫という宿命を象徴する呪印。

 命を奪った罪と返り血に染まり切った手は、決して拭い去ることは出来ないけれど。

 

 

「メシ、冷めちゃいますよ。早いとこ食いましょうや」

 

 

 トレインと一緒にいる時だけ、忘れることが出来る。

 自分の宿命も、己が抹殺人(イレイザー)であることも、全て。

 何物にも縛られない、自由気ままな黒猫と過ごす、この瞬間だけは。

 ただの女として、セフィリア=アークスとしていることが出来るから。

 

 

「……追加、頼みます?」

 

「うす。ゴチになります、セフィリア先輩」

 

 

 思えば、この時には既に芽生えていた。

 彼への恋心は、この瞬間も、静かに育まれていたのだ。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

「――はっ!?」

 

 

 跳ね起きた直後、グサッと何かが枕に突き刺さる。

 真っ暗な室内に、唯一の光源は窓から差し込む月明かりのみ。

 全身を汗で濡らし、不快感から顔を顰め、至った原因を思い出し顔を青褪めさせた。

 

 

「よりにもよってヤンホモと女剣士の夢、だと……!!」

 

 

 速攻で悪夢認定。ついでに封印指定も忘れない。

 さっさと寝て忘れるに限るが、バクバクと高鳴る心臓が否応なしに意識を覚醒させる。

 というか、夢にまで出るとかどんだけトラウマになってんだ俺と軽く絶望。

 唯一の救いだったのが、夢の内容が≪クロノス≫を抜ける前だった時のものぐらいか。

 あの頃もあの頃で忘れ去りたい記憶など腐るほどあるが、逃亡生活の暗黒時代に比べれば月とスッポンくらい違いはあると思う。

 

 思えば、ヤンホモと女剣士をクリードとセフィリアだと認識出来なかったのは何故なのか。

 当時はまだ自分が転生者だという自覚はあっても、憑依者の自覚はなかった。

 更に言えば、ヤンホモと女剣士の性格の違いも大きい。

 スカウトされた組織が≪クロノス≫と知らず、なんか同期の中でハブられてる奴がいるなと、そんな軽い同情交じりな気持ちで声を掛けたのが、確かヤンホモだったはず。

 以来、妙に懐かれてしまい、気付いた時には病んでいたが、それに目を瞑れば良い奴だった。

 同様に、おっかない先輩だと敬遠していたのが、かの女剣士だ。

 出会い頭に切りかかってきたので死に物狂いで撃退、それが自分の上司だと知って絶望した。

 上下関係の大切さを知るが故に、適当に理由を付けて誘いを断り続けていた後ろめたさに限界を感じ、いびられるのを覚悟で食事に誘われれば、意外と気のいい人だと一時は心を許しかけた。

 しかし、名前呼びを強要されたので名前で呼べば熱い茶を浴びせられ、転びそうになったのを抱き留めれば気安く触んなと睨まれるという理不尽。

 これが噂に聞く後輩いびりかと戦慄したのは今でも記憶に鮮明に刻まれている。

 ヤンホモと女剣士、どちらも親交を深めていく中で、違和感が芽生え始め。

 ≪クロノス≫を抜け、追われるようになって初めて、奴等が原作に登場するクリードとセフィリアだと、自分が主人公であるトレイン=ハートネットだと自覚したんだ。

 

 

「おバカっ、昔の俺ってばホント馬鹿。なに二大トラウマと仲良くなってんだ、クソがっ」

 

 

 思いつく限りの罵詈雑言を当時の自分に投げ掛け続け、ふと感じた違和感。

 現在、トレインがいるのは涼子所有の洋館の一室。

 年頃かつ男性ということで気を利かせてくれた涼子のおかげで、自分の部屋は完全個室。

 ≪変身融合(トランスフュージョン)≫したネメシスは、温泉の際にトレインの体を阻害したことで本格的に力を使い果たしたのか、あれ以来姿を見せず、こちらの呼び掛けにも応じない。

 とはいえ、内に彼女の存在を感じるため、力を取り戻すために休眠状態に入ったのだろう。

 故に、今この部屋には自分以外誰もいない筈。

 首を傾げたトレインは、なんとはなしに横を向いてみた。

 

 

「…………」

 

 

 ギラリと妖しく輝く刃。

 肌触りの良かった羽毛枕に突き立てられた刃物は、気のせいか途中でおさげに。

 ゆっくりと刃物から髪の毛へと視線を伝わせ、後頭部から伸びるおさげを通過し、暗闇の中でこちらを凝視する一対の大きな瞳へと辿り着く。

 襲撃時に気を失って以降、眠り姫となっていたが、様子を見る限り元気そうだ。

 

 

「……夜這い?」

 

「ネメちゃんを返せ!」

 

 

 ネメシスの仲間――メアの激情は烈火の如し。

 再び始める闘争に、長くなるだろう夜に、トレインは嘆息を零すのだった。

 

 

 

 

 




Q.どうして主人公はセフィリアを避けてたの?
A.主人公の力量を図る模擬戦で、負けそうになったセフィリアが≪滅界≫を使ったから。

結論:やはり≪滅界≫が悪い。


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ヘイキ

気が向いたらやるかもしれない番外編一覧。
要望は感想欄ではなく活動報告やメッセージで送ってね。

1.深刻なトレイン成分不足によって≪幻想虎徹(イマジンブレード)≫が超進化! 
  タイトル:【ヤンホモが異世界から来るそうですよ?】

2.主人公がいなくなった後の≪BLACK CAT≫世界の様子を幾つかの短編でまとめてみた。
  タイトル:【うわっ……主人公不在、ヤバ過ぎ……?】

3.本の虫こと姫っちが偶然手に取ったのは、もう一人の黒猫が歩んだ軌跡だった。
  タイトル:【もし宇宙一の殺し屋の金色の闇が矢吹氏の≪BLACK CAT≫を読んだら】

4.主人公と女剣士の追いかけっこを別視点で描いてみた。
  タイトル:【もうお前ら結婚しろ】


「このっ」

 

 

 ひょーい。

 

 

「やぁ!」

 

 

 ぴょーん。

 

 

「待て!」

 

 

 てってれー。

 

 

「逃げるな!」

 

 

 すたこらさっさ。

 

 

「私と勝負しろ!」

 

 

 未明の彩南町を縦横無尽に飛び交う二つの影。

 一人はその顔を憤怒に染め上げ、刃へ変身(トランス)させた髪を振り回す赤毛の少女。

 もう一人は辟易とした表情を隠そうともせず、貫かれた羽毛枕に思いを馳せる金目の少年。

 漏れ出た欠伸を噛み殺し、そんな態度が更なる怒りを増長させる。

 

 

「この泥棒猫! ネメちゃんを返せ!」

 

「にゃー」

 

「ふざけるなぁ!」

 

 

 感情の赴くまま、殺到させる無数の剣群。

 ≪赤毛のメア≫の二つ名で名を馳せた、その実力は賞金稼ぎとしても一流。

 本気を出したことなど数える程度、手加減しても名のある宇宙の荒くれ者共を一蹴してきた。

 慢心していたと問われればその通りであり、それを許される実力が、メアにはあったから。 

 だが、それは地球でいうところの井の中の蛙だったのだ。

 

 

「よっ、はっ、そいやっ」

 

 

 本物の強者を、メアは知らない。

 少なくとも、地球に降り立つ以前までは。

 超硬度を誇る装飾銃も使わず、≪桜舞≫のような特別な技術を用いた訳でもないのに。

 メアの攻撃は悉く空を切り、一度だってトレインを捉えることは叶わない。

 圧倒的戦闘経験値から導き出される先読みは、もはや未来予知の領域に達していた。

 

 

「だからさぁ、何度も言ってんだろ」

 

 

 降り立ったのは、夜の彩南高校。

 屋上に着地し睥睨してくるメアに、トレインは道中繰り返してきた説明を口にする。

 

 

「ネメシスが俺の中にいるのは、自分を維持するエネルギーがなくなったからで一時的なもんだ。俺はただの仮宿、分かる?」

 

「だったら今すぐネメちゃんを出せ! ≪変身融合(トランスフュージョン)≫の依代なら私が適任だ! 今までだってそうしてきたんだ! この先もずっとそうなんだ!」

 

「…………」

 

「私は変身(トランス)兵器だ! ネメちゃんだけなんだ! 私を導いてくれたのは! 理解してくれたのは! 一人だった私の居場所になってくれたのは! お前なんかが奪っていいものなんかじゃない! 奪わせてたまるか!」

 

 

 孤独、不安。

 己の半身を失い、どうすればいいのか分からない。

 メアにとって、ネメシスは母親であり、姉であり、友達である、そんな唯一無二の存在。

 今のメアは、独りぼっちで迷子になってしまい泣き喚くただの女の子だった。

 

 

「ネメちゃんを返せ! トレイン=ハートネット!」

 

 

 メアの慟哭に、トレインはゆっくりと目を閉じる。

 意識を集中させ、己が心に呼びかける。

 隙だらけのトレインにメアが仕掛けないのは、彼の行動の意味を理解しているからだ。

 依代である彼は今、内に眠るネメシスとコンタクトを取っていると、そう思っていたのに。

 

 

「おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないためかかりません」

 

 

 その言葉が、メアの逆鱗に触れる。

 

 

「ふ……ざ、けるなぁああああああああ!!」

 

 

 いつの間にか握られていたのは、長大なバスターライフル。

 相変わらず質量保存の法則など無視して生み出された銃口が光り輝き、直後に発射。

 圧縮されたエネルギーの塊が、一瞬でトレインへと到達。

 耳を劈くような爆音が鳴り響き、発生した粉塵が視界を覆い尽くす。

 

 

「うわああああああああああ!?」

 

 

 続けざまに二発、三発と打ち込んでいく。

 激音が鼓膜を蹂躙し、着弾と同時に伝わる衝撃が屋上を、学校全体を揺らす。

 メアのライフルに弾数などという概念はなく、本人の体力が続く限り連射は可能。

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……っ」

 

 

 即ち、打ち止めはメアの体力の限界を意味していた。

 珠のような汗を額に浮かべ、乾いた口腔に酸素を満たそうと喘ぐ。

 足元が覚束ないのは、≪変身(トランス)≫の使用回数の限界すら突破したからか。

 ライフルを支えに、徐々に晴れていく粉塵の中心点を凝視する。

 

 

「相変わらず、随分と感情豊かな兵器じゃねぇの」

 

 

 二度目だ。

 心が折れる音を聞いたのは。

 

 

「地球人のガキ一人殺せねぇなんて兵器としてどうよ。欠陥品もいいところだぜ」

 

 

 爆心地のような屋上に、トレインは埃すら纏わず無傷で立っていた。

 完全な無手、装飾銃を抜いた様子すらない。

 賞金稼ぎ≪赤毛のメア≫の全力は、≪黒猫(ブラックキャット)≫にとって歯牙にも掛ける必要もないのだ。

 心身ともに限界、いつもなら内から聞こえてくるネメシスからの励ましの言葉もない。

 

 

「…………返して」

 

 

 それでも、メアは決して膝を折ることはしない。

 

 

「……返して……お願い、だから……返して……」

 

 

 折れる心があるのは、ネメシスが与えてくれたから。

 剥き出す感情があるのは、ネメシスが与えてくれたから。

 心が折れても、剥きだす感情が朽ちても、ネメシスと過ごしてきた思い出が、楽しかった日々が、メアを支え続ける。

 一歩、また一歩。

 トレインとの距離を詰め、縋るように必死になって手を伸ばす。

 掛け替えのない大切なものを取り戻すために、メアは足掻き続ける。

 

 

「私から……ネメちゃんを……奪わないでよぉ……っ」

 

 

 伸ばした手が、トレインに触れる。

 だけど、≪精神侵入(サイコダイブ)≫するだけの余力は、今のメアにはなかった。

 そして、限界を超えたメアの体は、ゆっくりと崩れ落ちていく。

 同時に意識を失っていく時、メアはその声を耳にした。

 

 

「……ホント、感情豊かな兵器だな」

 

 

 優しい声音、心地よいぬくもり。

 抱き留められたトレインの腕の中で、メアは静かに気を失った。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 彼女についての一番古い記憶は、金色の瞳だった。

 

 

「お前、名はなんというんだ」

 

 

 壊滅した研究所。

 壊れた培養カプセル。

 朽ちかけの襤褸切れを纏い、瓦礫の中をあてもなく彷徨っていたメアは、彼女と出会った。

 

 

「……名前って?」

 

「ふむ……なるほど。お前は私と同様、名無しなのだな」

 

 

 顎に手を添え、思考すること暫く。

 高台で屹立する彼女を、メアは何をするでもなく淡々と見上げ続けた。

 

 

「イヴ……いや、奴の名を拝借する訳にもいくまい。となると、識別名か……科学者どもの付けた名で呼ぶのは思うところがあるが、この際致し方があるまい」

 

 

 頷いた後、高台から降り立った彼女は、メアと向き合った。

 

 

「よし、お前は今日からメアと名乗れ。私もネメシスと名乗るからな」

 

「……了解、マスター」

 

「むっ、何故ネメシスと呼ばぬ。せっかく付けたのに」

 

「……別に、どっちでも同じだから」

 

 

 彼女が口にしたように、所詮自分と他を識別するための呼び名だ。

 自分が何者なのかも分からない、この先どうすればいいのかも分からない。 

 だから、彼女を頼ろう。従おう。命令されてば、その通り実行すればいい。 

 そういう存在をマスターと呼ぶのだと、己の中の知識が教えてくれたから。

 

 

「マスターなどという呼び名は味気なくて面白みに欠けるな。ふむ……」

 

 

 再び思案顔になった彼女だが、ふと表情が綻んだ。

 

 

「ネメちゃん」

 

 

 笑顔。

 知識でしか存在しないそれが、今の彼女が浮かべているものだと、自然と理解する。

 転がすように反芻し、納得したのかメアへと向き直った。

 

 

「悪くない……素敵な響きだとは思わないか?」

 

「……素敵?」

 

「これは愛称と言ってな、親しみを込めて呼ぶ特別な名前なんだそうだ」

 

「……どうして、親しみを込めるの?」

 

「なに、さしたる意味はないさ」

 

 

 差し伸べられた掌の意味を、メアは知らない。

 

 

「強いて言うなら、未練だよ。変身(トランス)兵器を愛称で呼ぶ、あいつの真似事がしたかっただけだ」

 

 

 でも、彼女が浮かべている感情なら知っている。

 悲しみ――。

 見ていて、何故か胸が締め付けられたから。

 先程みたいに、笑って欲しくて。

 

 

「……ネメちゃん」

 

 

 ギュッと握った彼女の掌は、温かかった。

 口遊んだ響きは、心地よかった。

 

 

「……やはり、悪くないな」

 

 

 その言葉を残して、彼女の体が闇へと解けていく。

 病的な白さだったメアの肌が闇色に染まっていき、己がうちに異物が入り込むのを認識する。

 空っぽだったメアという器が、彼女によって満たされていく。

 恐怖はなかった、拒絶しようとも思わなかった。

 

 

「……素敵」

 

 

 自分は一人ではない。

 身も心も彼女と一つになれたから。

 だからもう、寂しいとは感じなかった。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 心地よい振動に、メアの意識はゆっくりと浮上していく。

 埋めていた何かから顔を上げ、何時もより若干高い視線に首を傾げる。

 両足が地面を捉えず、視界は絶えず上下し、胸越しに伝わるぬくもりを離し難かった。

 

 

「重い」

 

 

 目覚め頭にそう宣う、その声に。

 自分の置かれた現状を理解して、拒絶しようと心が抗う。

 だが、自分の意思は無情にも、脱力した肢体を動かすことは敵わない。

 トレインに背負われ、帰路に就くその行動に、メアは抗うことが出来なかった。

 

 

「女抱えて軽いとかほざく奴はアレだね、強がってるだけだね絶対。骨折した腕庇いながらおんぶってなんの罰ゲームだよ。なんで勝者が敗者の面倒見なきゃいけねぇんだよ。お前もそうは思わねぇか、メア?」

 

「……知らない」

 

「お兄さん無賃乗車は許しません。この貸しは近日中に利子つけて請求します」

 

「……ケチンボ」

 

「トイチにすんぞこの野郎」

 

 

 憎まれ口を叩き合い、それでも争いには発展しない。

 既に勝敗は決し、駄々を捏ねても意味はないと、どちらも理解しているのだ。

 

 

「……ネメちゃん、元気してる?」

 

 

 それだけが、ずっと気掛かりだった。

 言葉に不安を乗せ、受け取った声にトレインは鼻を鳴らす。

 

 

「元気過ぎんだよあんにゃろうは。死にぞこないのくせに火事場の馬鹿力で俺の動き阻害するぐらいには元気だったよチクショウめ。おかげで姫っちやミカンから逃げ損なうし、散々だったわ」

 

 

 ざまあみろと内心ほくそ笑んだ。

 気掛かりだった心配事が消え、途端に疲れが押し寄せる。

 ぽふっと顎を預けたのは、意外と柔らかな髪質のトレインの後頭部。

 息を吸う度に香るお日様の匂いは、あれほどあったトレインへの警戒心を削いでいく。

 

 

「……ネメちゃんは、黒猫くんのところの方が居心地がいいのかな」

 

「んだよ、藪から棒に」

 

 

 だから、普段は頑なだったメアの心から、口にもしたくなかった本音が零れ落ちる。

 

 

「ネメちゃんね、よく私に聞かせてくれたんだ。昔、研究所で面白い奴がいたんだって。口じゃあ散々なこと言ってたし、言ってる本人は隠せてるつもりなんだろうけどね。ネメちゃん、楽しそうなんだ。その人のことを話すネメちゃんが一番素敵だと思えるくらい、楽しそうに笑うの」

 

 

 認めたくない。

 メアにとって、ネメシスは一番の存在だから。

 だから、ネメシスにとって、自分が一番ではないことが悔しくてたまらなかったから。

 

 

「黒猫くんなんでしょ。ネメちゃんの大切な人って」

 

「……まるで覚えがないんだけど」

 

「ネメちゃん、思ったことをそのまま言ってるようで、全然素直じゃないから。たぶん、恥ずかしくて話し掛けられなかったんだと思うんだ」

 

「えっ、俺ってストーカーを自分に住まわせてるの?」

 

「……どうしてそうなるのかなぁ」

 

 

 愕然とする鈍感男、その名はトレイン。

 どうしてそう物事を曲解するのか、そんな価値観を育んだトレインの過去を≪精神侵入(サイコダイブ)≫で覗き見たいと思うメアだった。

 

 

「……此処でいいよ」

 

「はっ? まだ涼子ん家までだいぶ――」

 

「此処でいい。体が癒えたら、この星から出ていくよ」

 

 

 諦観の念が、メアを支配する。

 

 

「ネメちゃんの願いが、私の願い。ネメちゃんが黒猫くんと一緒にいたいのなら、その気持ちを尊重するだけ。私はもう、必要ないの」

 

 

 此処にいれば、また同じことを繰り返すだろう。

 醜い嫉妬心に駆られ、トレインからネメシスを奪い返そうとするに違いないから。

 トレインに嫌われるのは、耐えられるけど。

 ネメシスに嫌われてしまったら、メアはきっと耐えられないと思うから。

 

 

「ごめんね、黒猫くん。ネメちゃんのこと、よろしくお願いします」

 

「えっ、普通に嫌だけど」

 

 

 間髪入れず、トレインが示したのは拒否の意。

 思考停止に陥るメアを置いてけぼりに、トレインは自分の意思を主張する。

 

 

「ネメシスにも言ったけど、お前等色々と重いんだよ。一緒にいたいんならいりゃいいじゃん。最初に言ったけど、俺はあくまでも仮宿なの。ネメシスの本当の居場所はメアのところだろうが」

 

 

 当り前のように口にされて、メアは言葉に詰まる。

 

 

「で、でも……私はまた、黒猫くんを襲うかもしれないんだよ」

 

「そしたらまた撃退するだけの話だ。お前の相手くらいなら片手間で十分だからな」

 

「……いっぱいいっぱい、迷惑かけるかもだよ?」

 

「現在進行形で迷惑かけてる奴が偉そうに。つかいい加減降りろ。そんだけ喋れる元気があんなら大丈夫だろ。俺みたいな幼気な少年に何時までもおんぶさせてんじゃねぇ」

 

 

 本当に振り落とそうとするので慌ててしがみ付き、そんなメアにトレインは隠そうともせずに舌打ちを漏らす。

 

 

「……私は、変身(トランス)兵器なんだよ?」

 

「なんだ。まだ兵器ごっこやってんのか」

 

「私は真面目にっ」

 

「お前がどう思おうが知るか。俺の中じゃあ、メアはとっくに兵器失格なんだから」

 

 

 湧いてくるのは、理解不能な未知の感情。

 兵器としての在り方の、メアのこれまでを否定する言葉に、以前のような怒りは湧いてこない。

 メアには、トレインという人間が理解できなかった。

 

 

「だから、今度は人間ごっこでもやってみろよ」

 

 

 だから当然、その提案の意味も理解できるわけもない。

 

 

「……え?」

 

「だから、人間ごっこ。俺の周り限定だけど密かなブームになってんだ」

 

「……面白いの?」

 

「俺が知る訳ねぇだろうが。人間が人間ごっこってなんだよ。新手のイジメ?」

 

「……する意味ってあるの?」

 

「あるよ」

 

 

 帰路に就くトレインの足取りは、最初と変わらず一定のペースを刻む。

 月明かりに照らされた夜半、人の影は完全に皆無。

 人々の寝静まった彩南町にいるのは自分達だけだと、そんな錯覚すら抱いてしまいそうで。 

 

 

「最初はごっこ遊びでも、そのうち遊びじゃなくなる。兵器は人間になれるんだ」

 

 

 どうしてか、不安に駆られてしまって。

 ネメシスの依代ではないメアは、生まれて初めての孤独を味わっていた。

 

 

「……無理だよ」

 

「無理じゃねぇ」

 

「……どうして、そんな風に言い切れるの?」

 

 

 振り返った時、メアが見たのは金色の瞳だった。

 ネメシスと同じ、優しさを宿した素敵な色だった。

 

 

 

 

「知ってるからだよ。メアと同じ変身(トランス)兵器で、人間になった女の子を、俺は知ってるから」

 

 

 

 

 だからだろうか。

 寂しくて、不安で、孤独に耐えきれなくなって。

 今まで肩に置いていた両手を、トレインの首に回す。

 彼の存在をより感じられるよう、二人の間に空いた隙間を埋めるように強く密着する。

 

 

「……なれるのかな」

 

 

 トレインは、あたたかかった。

 

 

変身(トランス)兵器な私でも、人間になれるのかな」

 

 

 温かくて、心地が良くて、酷く安心できて。

 自分は一人ではないんだと、そう思えたから。

 溢れだす涙は、止まってはくれなかった。

 

 

「なれるかどうかはメア次第。だから、此処で頑張ればいい。好きなだけ、此処にいればいい」

 

 

 今ままでずっと、辛く当たってきたくせに。

 女で子供な自分にも、全然容赦しなかったくせに。

 不意打ちなんて卑怯だ。

 トレインの優しさは、反則過ぎた。

 

 

「クロちゃん」

 

 

 必死に隠そうと堪えた嗚咽が零れ、鼻を啜り、声は掠れる。

 それでも、伝えたいことがあった。

 

 

「親しみを込めて呼ぶ特別な名前。今日から黒猫くんは、クロちゃんだよ」

 

 

 好きの反対は、無関心。

 好きと嫌いは、コインの表と裏。

 メアは、トレインが大嫌いだったから。

 

 

「よろしくね、クロちゃん」

 

「おう。よろしくな、メア」

 

 

 大嫌いと大好きは、表裏一体。 

 だからメアは、トレインが大好きになっていた。

 

 

 

 

 




本日はエイプリルフールなり。
前書きで番外編募集をしたな、あれは嘘だ。

悲報)タイトルのキャラ名ネタが尽きた、どないしよう。


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ニチジョウ

 トレイン=ハートネットが失踪して、1年が経った。

 季節は一巡し、日は昇り沈み、月は満ち欠け、時間は変わることなく過ぎていく。

 一人の存在を欠いたからといって、世界に大きな変化など起こりうるはずもない。

 それでも、トレインを知る者にとって、彼の存在を欠いた世界は、あまりにも違い過ぎて。

 

 

 ――出来うる限りのことはしました。

 

 

 思い出すのは、深い悲しみに彩られた彼女の顔だった。

 ナノマシンの世界的権威である天才女史、ティアーユ=ルナティーク。

 革命組織≪星の使徒≫のリーダー、クリード=ディスケンスとの抗争に巻き込まれ、致命傷を負ったトレインを治療してくれた。

 現代医学では、とてもではないが治療不可能なほどの深い傷。

 故に、ティアーユが用いたのは、トレインの体にナノマシンを移植するという施術だった。

 手術は無事終了、それでも成功は五分五分だったそうだ。

 しかし、その結果を待たずして、床に臥していたトレインは姿を消してしまった。

 トレインが危篤だという情報を聞きつけ、ティアーユの隠れ家を突き止めた時、彼女は泣きながら謝罪をしてきたのを今でも鮮明に覚えている。

 自分が強ければ、庇われなければ、もっとトレインをしっかりと見ていればと。

 

 

 ――私が余計なことをしなければ、あの人は傷付かずにすんだの?

 

 

 思い出すのは、空虚な赤い瞳でこちらを見上げる、幼い彼女の顔だった。

 ティアーユの遺伝子を基に生み出されたクローン体、イヴ。

 イヴもティアーユ同様、クリードとの抗争に巻き込まれた被害者の一人だった。

 だが、≪変身(トランス)≫と呼ばれる異能を有していたイヴは、良かれと思ってトレインの加勢をした。

 その結果が、クリードの怒りに触れ、イヴに凶刃を向け、それをトレインが庇うという結末。

 本来ならば忌むべき異能、それでも親しい者を護れればと思って受け入れた優しい力。

 間接的にとはいえ、トレインが傷付く原因を生み出したイヴは、以降心を閉ざしてしまった。

 しかし、普段は人形のように無感情だった彼女が、眠っている時だけ感情を露わにするのだ。

 ごめんなさいと、どうしていなくなったのと、わたしがいなければと、生まれてこなければと。

 絶望、後悔、悲愴――そんな感情を浮かべ、届かぬ言葉を口にしながら涙を流すのだ。

 

 

 ――絶対に見つけてやる! 紳士の名に懸けて! 俺はまだ奴に礼すら言えてねぇんだぞ!

 

 

 思い出すのは、激情のままに行方を晦ませた黒猫を草の根を分けて探す、捜査員の顔だった。

 国際捜査局≪IBI≫所属の捜査官、スヴェン=ボルフィード。

 かつて、とある犯罪組織に捕まり、駆け付けたパートナー共々殺されそうになったところを、トレインに命を救われたと言っていた。

 裏世界を牛耳る秘密結社≪クロノス≫と、表世界の正義の番人である≪IBI≫。

 表と裏、両方が手を組んだからこそ、今までトレインを捕捉することが出来たのだ。

 だからこそ、ティアーユに治療を施されたのを最後にトレインの行方が掴めないことの意味。

 一人、また一人と捜査の手がなくなっていく中、彼はなおもトレイン捜索に尽力していた。

 自分を、パートナーの命を救ってくれたことの礼を言う、その想いを糧にして。

 

 

「…………」

 

 

 そして、セフィリア=アークスもまた。

 絶海の孤島を、一人彼女は歩いていた。

 空が啼いている、風が悲鳴を上げている、動物どころか虫一匹ですら姿を消していた。

 明王の進撃を阻めるのは、限られた力ある存在だけだった。

 

 空間を越えて離れた場所への移動を可能にする≪GATE()≫。

 様々な特性を持った大小様々な大きさの虫を生み出す≪INSECT()≫。

 力場を操る≪GRAVITY(重力)≫。

 自身の想像した空想の世界へと対象を落とす≪WARP WORLD(歪世界)≫。

 空気を操る≪AIR(空気)≫。

 銃に氣を送り込み、弾丸として放つ≪SHOT(銃撃)≫。

 魂を放出して、それに触れた者の容姿、頭脳、力を自分のものにする≪COPY(複写)≫。

 触れた者から生気を奪い、一瞬で腐らせる≪ERODE(腐敗)≫。 

 氷の礫を飛ばしたり、触れた相手を凍結させる≪FREEZE(凍結)≫。

 

 だが、出来るのは阻むことだけだった。

 一時の障害には成り得ても、それ以上のことを成すことは出来ない。

 彼等は弱過ぎた。

 だからこそ、セフィリアが焦がれた彼の強さがより浮き彫りになってしまう。

 絶対不可避だった筈の必殺技ですら、彼には届くことはなかった。

 そのことを悔しく想い、同時に嬉しいとも思っていたのだ。

 自分の憧れた背中の遠さを痛感し、その背中の逞しさに恋い焦がれたのだ。

 

 

「やぁ、久しぶりだね」

 

 

 でも、目指した背中はもういない。

 全ては、過去の話に過ぎなかった。

 

 

「いつ以来だろう、こうして顔を合わせるのは。ねぇ、セフィリア=アークス」

 

 

 古城の玉座に座ったまま、彼は悠然とこちらを見下ろした。

 華美な装い、煌めく銀の髪、彼の醸し出す雰囲気はまさに王の風格。

 だが、かつては野心に染まった瞳には、爛々としていた光がない。

 あれだけ嫌悪していたセフィリアにさえ、語り掛ける声音は慈しみすら宿していた。

 

 

「懐かしいな。でも、随分と昔のことの筈なのに、今でも昨日のことのように覚えているよ。僕達はいつもいがみ合っていた。互いに譲れないものがあったから、そのために引くことをしなかったんだ」

 

 

 セフィリアは答えない。

 クリードは構わず喋り続ける。

 

 

「でも、そんな僕等の間に、彼はいつも割って入ってくれたんだ。仲を取り持って、時には叱ってくれて……僕はね、セフィリア。君が彼に恋慕を抱いていたように、僕は彼に友情を感じていた。君が僕に彼を盗られたくないと思っていたように、僕も君に彼を盗られたくなかったんだ」

 

 

 異常な緊張感に、場が張り詰めていく。

 クリードが口を開くたびに、≪彼≫を語る度に。

 セフィリアの脳裏に、かつての光景が蘇ってくる。

 一年という時が経ち、徐々に色褪せてしまう記憶が、クリードの言葉で補強されていく。

 それが、どうしようもなくセフィリアの心を刺激していく。

 

 

「ははっ……僕達、実は似た者同士だったんだね。だからかな、君の気持ちが僕には分かるよ」

 

 

 心がどうにかなってしまいそうだった。

 無意識に食い縛った歯から呻き声が漏れる。

 握り締めた≪クライスト≫の柄から赤い血が滴り落ちた。

 

 

「……逢いたいな、トレイン」

 

 

 その言葉で、限界を迎えた。

 

 

「――――」

 

 

 一瞬だった。

 瞬きすら挟む間もない、そんな間隔を経て、クリードの体が消し飛んだのは。

 首から上を残し、玉座から転がり落ち、室内を静寂が支配する。

 かと思えば、次の瞬間には失った筈の体が元通りになり、クリードは何事もなかったように立ち上がり、俯けていた顔を上げ――

 直後には、再び四肢が消し飛んだ。

 セフィリアはいつの間にか≪クライスト≫を突き出したまま、首だけの存在を見下ろした。

 

 

「感謝します、クリード=ディスケンス」

 

 

 ≪アークス流剣術≫、終の第三十六手≪滅界≫。

 突きの壁で逃げ場を奪い、眼にもとまらぬ刺突の連射が痛みもなく対象を絶命させる奥義。

 だが、それは過去の話。

 予備動作や過程すら挟まず、≪死≫という結果だけを残す、極限まで突き詰めた動作や流麗な体捌きが可能にした、感知も予測もさせない究極奥義。

 過去に一人、≪滅界≫が通用しないのは、セフィリアが最強だと信じる彼だけ。

 だが、今となってはもう一人、≪滅界≫を受けても死なない存在が、目の前にいた。

 

 

「不死のナノマシン、≪G.B(ゴッドブレス)≫。その力であなたは不死となった。つまり、幾ら殺そうが、あなたは蘇り続ける。百回でも、千回でも、幾万幾億でも、私はあなたを殺し続けることができる」

 

 

 再生、≪滅界≫、再生、≪滅界≫、再生、≪滅界≫、再生、≪滅界≫、再生、≪滅界≫――。

 愛剣≪クライスト≫がブレる度にクリードの体が消し飛び、次の瞬間には再生される。

 終わりの見えない無限ループに、しかしセフィリアは作業のように淡々とこなす。

 そこに、彼女が焦がれ、目指した剣はなかった。

 死よりも生を持って罪を贖わせる、そんな彼の、セフィリアの理想などどこにもなかった。

 感情の赴くまま、行き場をなくした力を闇雲に振るう、そんな光景だけだった。

 

 

「死でも償えない、永遠の苦しみ。そんな不吉を、私は届けに来たのです」

 

 

 憎悪と殺意。

 愛する者を奪われたセフィリアは、復讐の刃を振るい続けるのだった。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 曇天の空、ジメジメと不快な空気、薄暗い室内。

 そんな中でも、彼女の黄金色の髪は輝きも清涼感さえも失うことはない。

 

 

「……よしっ」

 

 

 鏡の前に立ち、左右それぞれの髪を結い上げ、準備万端。

 同じ黒を基調としたものだが、普段着だった戦闘服とは趣の異なる部屋着で気分を一新。

 解れはないか、皺になっていないか、身嗜みを入念に確認。

 背中を確認しようとスカートを翻し、覗きかけた純白の布地に慌てて裾を抑えて隠す。

 羞恥に赤く染まった頬をふんすと鼻を鳴らして誤魔化し、鏡の自分を彼だと仮想する。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 謝罪の後、一礼。

 最上級の角度まで下げ、顔を上げた後は相手の目を見て反らさず。

 

 

「先日の温泉での一件、非はこちらにあります。頭に血が昇ったとはいえ、それが暴力を振るっていい理由にはなりません。本当にご迷惑をおかけしました」

 

 

 そして、締めにもう一度頭を下げる。

 そっと覗き見た、鏡の中の仮想相手は一瞬ポカンとするが、次の瞬間には笑って言った。

 ――≪気にしてねぇよ。でも、もうすんじゃねぇぞ≫と。

 果たして、それはヤミの希望的観測なのか。

 でも、例え怒られたとしても、それはそれで構わない。

 温泉での一件以来、気まずくなった関係を元通りに出来るのならば。

 

 

「……トレイン」

 

 

 昔のような、素直な自分になれたのなら。

 温泉での一件など、一夜明ければ簡単に忘れてしまえただろうに。

 邂逅一番に暴力など、トレインと再会した時の二の舞ではないか。

 何も成長していないと、ここ最近で数え切れないほどついた溜息を零す。

 

 

「…………」

 

 

 不意に脳裏を過る、温泉での光景。

 姿を消した美柑とセフィを探し、周囲を歩き回っていて、ようやく見つけて。

 成熟した大人の肢体、タオルでは隠しきれない巨大な双丘、そんな彼女が顔を近付けて。

 確かに触れた彼女の唇、見たこともないほど赤くなった、彼の頬――

 

 

「っ……」

 

 

 不意に湧いた、どす黒い衝動にはっと意識を戻す。

 再生されかけた映像を頭を振って追い出し、そっと触れたのは己の胸部。

 躓く程度のなだらかな丘は、息を呑むような彼女の急勾配な双丘とは比較にもならず。

 

 

「……大きい方が、好みなのでしょうか」

 

 

 現実から目を反らすように、鏡を後にし自室の扉を潜り抜けた。

 外見こそ不気味だが、内装は小奇麗な洋館は見た目通りの巨大な規模を誇る。

 涼子がヤミの滞在を二つ返事で了承してくれたのは、その圧倒的な空き室にあったが。

 目的の部屋は、廊下を挟んだ向かい側、目と鼻の先にあった。

 右を確認、左を見て、再度右へ。

 廊下に自分以外誰もいないことを確認後、手櫛で身嗜みの最終確認。

 頭の中で何度も行った謝罪をシミュレートし、煩く暴れ狂う心臓を落ち着けようと深呼吸。

 

 

「トレイン――」

 

「おはよう、クロちゃん」

 

 

 ノックしようと伸ばした手が、寸でのところで止まる。

 

 

「……私も一応起きているのだがな、メアよ」

 

「ふんだ。お寝坊さんなネメちゃんなんか知らないもん」

 

「……あのな、私とて一度は消滅寸前までエネルギーを消耗した身だったんだぞ。昨夜の顛末は聞いたが、別に無視をしていたわけじゃない。単純に声が届かなかっただけで――」

 

「心配した。すっごく、心配したんだから」

 

「……すまん」

 

「うん、じゃあ許す」

 

「…………」

 

「……ネメちゃん?」

 

「くくっ……私の寝ている間になにがあったかは知らんが、随分とトレインには毒されたようだな。正直見違えたぞ、メアよ」

 

「え、そう? えへへ~」

 

 

 一つは聞き覚えがあるが、もう一つは初めて耳にした、恐らくは女性の声が二つ。

 部屋を間違えたかと思ったが、扉に掛かった黒猫印のプレートは確かにトレインのものだった。

 即座に気配を殺し、音を立てぬよう扉を開き、中を盗み見る。

 

 

「ところでネメちゃん。さっきからクロちゃんが動かないんだけど」

 

「おお、ようやく動き出したぞ。それと、慌てて服を着ているかの確認をし出したな。安心しろトレイン。裸なのは私で、お前はちゃんと服を着ているぞ。何の問題もない」

 

「なんかゾクゾクしちゃうな。昨日のきりっとしたクロちゃんも素敵だけど、こういうクロちゃんもそれはそれで……」

 

「人の裸を拝んでおいて平気な顔をしているかと思えば、妙なところで慌ておって。本当にトレインはおかしな奴だな。だが、嫌いではないぞ」

 

「私も好きだな。知ってる、ネメちゃん。クロちゃんってお日様の匂いがするんだよ。あっ、それとこれは……ミルク? 甘くて素敵な香り。ペロペロしていい?」

 

 

 扉を粉砕する勢いで開け放った。

 

 

「おお、金色の闇ではないか。温泉以来だな」

 

「えっ、じゃあこの人が私のお姉ちゃん?」

 

 

 褐色肌に金目の幼子。

 赤毛をおさげにした少女。

 言いたいことは色々あったが、ヤミがなによりも優先して告げねばならないことは。

 

 

「な、なな何なのですかあなたたちは! 一人は裸でもう一人は下着丸出し!? 非常識です!」

 

 

 パジャマにナイトキャップな恰好で凍り付くTHE・寝起きなトレインは問題ない。

 だが、薄手のシャツに縞パンな赤毛の少女と褐色の肌を晒す全裸な幼子には物申さねば。

 怒髪天を衝く勢いで、火照った頬など気にする余裕もなくズンズンと進撃。

 トレインの教育上よろしくないと、お姉さん思考に染まったヤミの思考は、

 

 

「……姫っち」

 

「なんですか!」

 

 

 泣きそうな声で語りかけてきたトレインに条件反射で返し、  

 

 

「俺、汚れてないよね?」

 

「なにを言っているのですかあなたは!!」

 

 

 意味不明な問いかけに、ヤミは絶叫で返す。

 涼子所有の洋館は、今日も変わらず穏やかで平和で賑やかだった。

 

 

 

 

 




≪BLACK CAT≫世界「トレインー! 早く来てくれー!」
≪ToLOVEる≫世界「ふふふ……トレインは絶対に渡さないわ……」


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ナカナオリ

「美柑ちゃんは好きな男の子っていないの?」

 

 

 空気はジメジメ、肌はベトベト、気分はドンヨリ。

 その上、美柑が最も苦手とする話題の前兆に、気持ちは更なる落ち込みを見せる。

 

 

「何度も言ってるけど、いないものはいないよ」

 

「そうそう。美柑には素敵なお兄ちゃんがいるから。いつも騒いでるお子様な男子なんて眼中にないもんな」

 

「ちょ!? だ、だからリトはそんなんじゃ――」

 

「この前も大好くんや小菅くんにラブレター貰ってたもんね。良いなー、私も一度でいいから美柑ちゃんみたいにモテモテになりたいなー」

 

「マミじゃムリムリ。なんてったって美柑は魔性の女なんだから。マミみたいなお子様じゃなくて、せめてあたしくらい大人っぽくないと」

 

「……サチちゃんはおませさんなだけじゃない」

 

「なんだとー!」

 

「きゃー!?」

 

 

 学校からの帰り道。

 追いかけっこを始める友人、サチとマミを尻目に、見上げた空には分厚い八雲。

 大量に貯め込まれた水分は、今にも自分達の頭上に吐き出されてしまいそうだ。

 同時に、ここ最近胸の内に溜めこまれた悩みについて、どうしようかと溜息を零す。

 

 

「……なんて言って謝ろう」

 

 

 思い出すのは数日前、セフィが地球に来訪した日。

 迷子になった彼女を探し、ようやく見つけた時、巻き込まれたトラブル。

 リトのようなエッチなとらぶるではない、命を奪い合うような本物のトラブル。

 トレインに助けられ事なきを得て、本来ならばお礼の言葉の一つでも紡ぐのが当たり前なのに。

 温泉地での一件では、恩を仇で返すような仕打ち。

 

 

「……嫌われちゃったかな」

 

 

 言った途端、鼻の奥がつんとした。

 ランドセルの肩紐を握りしめ、自然と足取りはゆっくりに、そして立ち止まる。

 不意に零れた、ぽたっと落下した一滴。

 見上げた空は相も変わらずの曇り空だけど、一滴だって雨粒は降っては来ていなかった。

 

 

「おいメア、聞いたかよ。彩南高校の屋上、ぶっ壊れてんだってよ」

 

 

 その声に、美柑は瞬時に辺りを見遣る。

 そして見つけた、声の主は周囲の視線を独占していた。

 多量の湿気でも変わらぬボサボサ頭を逆立たせ、件の少年はニヤニヤと口角を上げていた。

 

 

「一体何者の仕業なんだろうな。あれか、宇宙人が屋上でドンパチ繰り広げたとか。例えばの話だけど、どこぞの赤毛がバスターライフル何十発もぶっ放したとか。例えばの話だけれども」

 

「うっ」

 

「メアってば心当たりとかねぇの? 赤毛で、所構わず銃弾ぶっ放す、癇癪持ちの女の子とか。あっ、何度も言うけどこれは例えばの話だから。俺の勝手な犯人像だから。真犯人別にいるから」

 

「う……ううっ……」

 

「あれれ~? メアの様子がおかしいぞ~?」

 

「う~~~~~っ!」

 

「あらやだこの子ったら。急に涙目になって怒り出すなんてどうしたんざましょう。ちょっとネメシスさん。あなたのお子さん、躾がなってないんじゃございません?」

 

「クロちゃんがイジメる~~~~っ!!」

 

「おーよしよし、泣くなメア」

 

 

 小学校高学年くらいの褐色肌の女の子に慰められるおさげな女子高生の図もあれだが、そんな彼女をイジメて愉悦に浸る小学校高学年男子な絵面も相当なものだった。

 咄嗟に他人のフリをしようとした美柑の判断は、実に正しいものと言える。

 

 

「お、ミカンじゃん」

 

 

 だが、他人のフリしよう作戦は空気を読まないと定評のある男には通用するわけもなく。

 

 

「学校帰り? つかミカン、お前って小学生だったのな。うわー、ランドセルとか懐かしい」

 

 

 ズンズンと距離を詰めるトレインに、美柑は先程とは違った意味で逃げたくなった。

 温泉での一件以来、久しぶりの再会。

 何を話せばいいのか、全くと言っていいほど心構えのなかったが故のパニック状態。

 

 

「……ミカン?」

 

「えっ……と、その……」

 

「はっ!? まさかミカンの学校の屋上もリトの高校みたいな爆心地に……!」

 

「クロちゃんのバカー!」 

 

「犯人マジ許すまじ」

 

「イジワル人間! 性格破綻者! 黒猫!」

 

「はっはっは、もっと褒めろ」

 

「うが――――――っ!!」

 

 

 街中でも構わず使われた≪変身(トランス)≫だが、此処はかの彩南町だ。

 ヤミという前例のせいか、遠目でヒソヒソとされる程度で通報などされることはなかった。

 というか、あの赤毛のおさげな人は普通に≪変身(トランス)≫能力を使っているが、もしやヤミの関係者かなにかなのだろうか。

 ともかく、一時とはいえ与えられた考える時間。

 どうやってトレインに謝ろうかと思考をフル回転させた時、ポンっと両肩に置かれる重み。

 何事かと振り返ってみれば、物凄く嫌な予感のする表情を浮かべた友人二人がいた。

 

 

「えっと……」

 

「あの男子って誰? 他校の子? というか美柑の知り合いだよね間違いなく! どういう関係! ほらほらとっとと白状しなさいよ! どうなのよ美柑! ねえったら!」

 

「学校のマドンナな美柑ちゃんにあんな風に普通に話し掛けれる男の子って私初めて見たよ! そ、それに結城じゃなくて美柑って下の名前で、しかも呼び捨て……うわっ、うわー!?」

 

 

 日頃からこの手の話題には目のない二人だ。

 しかも、相手は数多の男子から好意を寄せられながらも浮いた話皆無な美柑。

 片やキラキラと、片や真っ赤な顔で詰め寄られては逃げられるわけもなく。

 慌てふためく美柑の前で次の瞬間、まるでスイッチが切れたように二人が脱力する。

 

 

「さ、サチ! マミ!?」

 

「――心配はいらんよ」

 

 

 ぞわっと、肩口ほどで切り揃えられたマミの黒髪が蠢く。

 ぎょっとする美柑の前で、周りから死角になる位置から金の瞳が姿を見せた。

 

 

「……ネメシス、さん?」

 

「ご名答。困っている様子だったからな、いらぬ世話だと思いつつも加勢したというわけだ」

 

「二人は……」

 

「心配はいらんよ。すぐにでも目を覚ますだろうさ」

 

 

 ほっと胸を撫で下ろすが、なおもネメシスの瞳は美柑に固定されていた。

 訝しむ美柑に、ネメシスは小さな嘆息を零す。

 

 

「……先程の件も合わせて、これで貸し借りはなしだ」

 

「えっ?」

 

「今日限りの出血大サービスだからな」

 

 

 答えを聞く前に、マミとの≪変身融合(トランスフュージョン)≫を解除し、見慣れた子供の姿に。

 そのまま追いかけっこをするメアの体に憑依すると、ピタリと諍いは収束した。

 暫く固まるメアだが、すぐに踵を返すとこちらに近付き、意識を失っている二人を抱える。

 

 

「じゃあ、そういうことだから」

 

「えっ、え?」

 

「あ、ちなみに私の名前はメアだよ。それとごめんね、ネメちゃんが迷惑掛けたみたいで」

 

「えと、その件はその、ネメシスさんが謝ってくれたから……」

 

「そっか。ありがとね、美柑ちゃん」

 

「……どういたしまして?」

 

 

 くるりとメアは反転。

 状況についていけず置いてけぼりな美柑は、次のメアの言葉でようやく彼女達の意図を悟る。

 

 

「クロちゃーん! この子達は私達が家まで送るから! クロちゃんは美柑ちゃんをお願いね!」

 

 

 そして、事態は既に取り返しのつかないところまで来ていて。

 静止の言葉を投げ掛けようとするも、メアは聞く耳持たずにスタコラサッサ。

 遠ざかる赤いおさげに、美柑の心境は見知らぬ土地に置いてけぼりをくらった幼子な気分。

 

 

「……あいつ等、二人の家の住所とか知ってんのか?」

 

 

 ついこの前は命を狙う死神だったのに。

 今となっては幸運の女神が遠ざかっていくように思える美柑だった。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

「降ってきたな」

 

「……うん」

 

 

 神は死んだ。

 溜めこんだ水分を吐き出す雨空を見上げながら、そんなことを思った。

 メアとネメシスのお節介で謝罪の機会は得られたものの、口火を切ることが出来ず。

 こんな時でも足は自然とスーパーに向かい、買い物を済ませる辺り、自分も相当に所帯染みてるなと思う、小学生で六年生な11歳、その名は結城美柑。

 謝罪方法に迷走していたが故の問題の先延ばしとしての寄り道だったが、当然のようにトレインは付き合い、更には自分は何も持っていないからと買い物袋を持たせる結果に。

 気まずさと後ろめたさ、積み重なる負債は美柑の口を余計に重くしていた。

 

 

「やみそうにねぇな」

 

「……うん」

 

「俺、傘持ってきてねぇんだ」

 

「……うん」

 

「借りパクってありだと思う?」

 

「……うん」

 

「駄目だこりゃ」

 

 

 嘆息を零すトレインに、何か不始末でもしてしまったのかと焦ってしまう。

 ただでさえ先日の一件では大迷惑を掛けたのに、今日は今日で荷物持ちなんて不当な扱い。

 

 

「えと……そ、そのっ……」

 

 

 思考はぐちゃぐちゃ、呂律は回らず、雨もやむ気配を見せない。

 とにかく何かを口から紡ぎ出そうと、必死になって頭の中身を言葉にしようとする。

 周囲に目を走らせ、じっとこちらを見詰めるトレインは傘を持ってなくて、このままではずぶ濡れで、でも自分は傘を持ってて、だけど一本しかなくて――

 

 

「相合傘、する?」

 

 

 いまなにをくちばしった。

 

 

「…………」

 

 

 吐き出した言葉を吟味し、理解した途端だった。

 首から昇ってくる熱に頭が沸騰し、顔が火でも浴びせられたように熱くなる。

 もっと他に言い方があるだろうと、恐る恐るトレインの反応を伺う。

 

 

「やだっ、ミカンってば大胆……!」

 

 

 最高に意地悪なニヤケ面をしていた。

 

 

「ち、ちがっ!?」

 

「小学生の身でありながら過激な発言。将来は魔性の女で確定ね」

 

「トレイン君までサチみたいなこと言わないでよ!」

 

「間接キスで真っ赤になってたミカンはもういないのね。トレイン、ショック」

 

「そ、そのことはもういいから! 忘れて!」

 

「優しく、してね?」

 

「なにを!?」

 

「もうっ、ホントはわかってるくせに。ミカンのハレンチさんっ」

 

「どうしてそうなるの!」

 

 

 クネクネと身を躍らせ、気色の悪い言動を繰り返すトレイン。

 揶揄われていると分かっていても、反論せずにはいられない。

 だからこそ、止めたい一心で振り上げた拳に、熱くなった思考が急速に冷え込んでいく。

 拳を解き、胸に引き寄せ、何をやっているんだと自己嫌悪。

 俯きかけた視線の先で、持っていた傘がヒョイっと掠め取られた。

 

 

「あっ……」

 

「サンキュー、ミカン。傘は俺が持つからさ。相合傘、しようぜ」

 

 

 頭上で花開く傘のように、トレインは純粋無垢な笑顔を咲かせる。

 言われるがまま、ランドセルの肩紐を握りしめ、傘を開いたトレインの隣に寄り添った。

 

 

「んじゃ、行きますか」

 

「……うん」

 

 

 雨の中、一つの傘に二人。

 不意に肩が密着し、慌てて離れ、でも反対の肩が濡れてしまうからと距離を縮める。

 もどかしいジレンマ。

 謝りたいのに謝れない、そんな今の自分の心境を現す様な距離感。

 隣を盗み見ても、トレインは気にする素振りすら見せずに淡々と前を向いている。

 そのことが、どうしてか悔しいと感じてしまって。

 

 

「…………」

 

 

 イジメっ子気質で、デリカシーのない、騒がしくて落ち着きのないクラスの男子と変わらない。

 でも、真っすぐなところとか、さっきみたいに素直にお礼を言えるところとか。

 美柑が濡れないよう、傘をこちらに寄せていることには気付いていた。

 風上に立ち、勢いを増す風雨から壁になろうと肩を濡らすトレインを見遣り、出会った時の記憶や命懸けで守ってくれた彼の背中を思い出す。

 良くも悪くも、トレインという存在は野良猫のようなものなのだ。

 心赴くままに、自分のやりたいと思ったことを実行に移すその行動力。

 大人っぽいとか、しっかり者だとか、ランドセルを背負う姿を意外に思われたように。

 だけどそれは、見栄を張っているだけだ。

 両親が共働きで、家にいるのはリトだけだったから、寂しくないと言われれば嘘になるから。

 だから、敵を作らないよう、嫌われないようにと取った行動の結果が、今の自分の評価。

 家に帰った途端に、リトの前で隙だらけになってしまうのは、その反動。

 人から拒絶されることを恐れる美柑には、野良猫気質なトレインが羨ましくて仕方がなくて。

 

 

「――――っ」

 

 

 嫌われたくない、愛想を尽かされたくない、一人になりたくない。

 だけど、謝りたいけど、拒絶されるかもしれないという恐怖が、踏み出す一歩を躊躇させる。

 今まで築いてきた外面の強固さが、殻を破ろうと奮闘する美柑を阻む。

 トレインはそんな人ではないと知っているのに、もしもがあるかもしれないと思ってしまう。

 心細さと歯がゆさ、己の矮小さ、自分自身が大嫌いになってしまいそうで、

 

 閃光、そして轟音。

 

 漏れ出た悲鳴は落雷に掻き消され、横殴りに襲い掛かる風雨が肌を刺す。

 僅かな痛み、急速に体温を奪う雨粒に、しかし美柑は何もできない。

 抱き着いたせいか、傘を飛ばされたトレインの胸の中で震えることしかできなかった。

 

 

「ご、ごめっ……ごめんな、さい……!」

 

 

 離れなければと思うのに、震える両手はトレインの背中で固く結ばれて解けない。

 このままでは傘も拾えず、二人まとめてずぶ濡れ、風邪だって引きかねない。

 トレインだって迷惑だろう、鬱陶しいだろう、早く離れろと思うだろう。

 

 

「は、離れるから……すぐに、退けるから……」

 

 

 情けない自分を、嫌いになるだろう。

 

 

「だから……ご、めんっ……」

 

 

 嫌われる。

 嫌われてしまう。

 鬱陶しい奴だと思われる。

 嫌だ。

 そんなの嫌だ。

 一人は嫌だ。

 嫌われたくない。

 嫌われたく――

 

 

「大丈夫」

 

 

 音が遠ざかる。

 風雨が弱まる。

 冷え切った体が熱を取り戻す。

 

 ――違う。トレインが覆い被さってくれているからだ。

 

 

「大丈夫。大丈夫だから。怖くない。怖くないぜ。だから大丈夫。怖くないから」

 

 

 呪文のように、耳元で囁かれる言葉に意味はない。

 口から漏れ出された言葉は、次の瞬間には形になることなく雨の音で掻き消されてしまった。

 思い出したように響く落雷が恐怖を蘇らせ、より一層強くトレインにしがみ付く。

 それでも、トレインは呟き続ける。

 あやすように、慈しみを込めて、美柑の背中を優しく叩く。

 雨か、それとも涙なのかは分からないけれど。

 零になった距離を開き、濡れそぼった彼の金色の瞳を見詰める。

 

 

「安心しろ、ミカン」

 

 

 トレインは、笑顔だった。

 

 

「俺がついてるから」

 

 ――兄ちゃんがついてる。

 

 

 心の底から、大丈夫だと思えた。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

「トレイン君」

 

「んー?」

 

「その、この前の温泉でのことだけど」

 

「……ああ、アレね」

 

「で、でね……その……ごめん。酷いことして」

 

「気にしてねぇって言ったら嘘になるけどさ。もういいよその件は」

 

「……怒ってる?」

 

「もうやらねぇって言うんなら、俺は怒らねぇよ」

 

「……ごめんなさい」

 

「おう」

 

 

 雲の合間から、光が差し込む。

 落雷は止み、風雨は消え、それでも空は相変わらずの曇り空。

 全身ずぶ濡れになりながら、トレインと一緒に帰路に就く。

 

 

「ぶえっくし!」

 

「凄いクシャミ……っくしゅ」

 

「随分と可愛らしいクシャミだことで」

 

「ははっ……家、上がってく?」

 

「ミカンってば大胆――」

 

「濡れたからお風呂に入っていかないかって意味!」

 

「きゃー!?」

 

「ち、ちちち違うから! 風邪引かないようにって意味で……っ、なに想像してんのバカ!」

 

「ほほう。俺がどんなことを想像したと?」

 

「うぐっ……そ、それは……」

 

「一体何を想像したのやら。お兄さん、そのあたりが気になります」

 

「……トレイン君のえっち」

 

「ミカンもエッチ」

 

「ばかっ。もう知らないっ」

 

「サーセンした」

 

「……いい。特別に許す」

 

 

 当たり前のことが、嬉しいと感じる自分がいる。

 下らない軽口が、彼の纏う空気が、全てが、心地よいと感じる。

 リトのような家族とも違う、ヤミのような友達とも違う、クラスの男子とも違う。

 世界で唯一、トレインと一緒にいるからこそ感じることのできる、そんな気持ち。

 

 

「……トレイン君」

 

「どした」

 

「……さっきはありがとう。正直助かった」

 

「おう、いいってことよ」

 

「……皆には、言わないでね」

 

「言わないでって、雷のことか?」

 

「……うん」

 

「言わねぇよ」

 

「……ホントに?」

 

「疑り深い奴だな」

 

 

 恋愛とか、自分にはよく分からない。

 鈍い兄が身近にいるせいか、好意というものに触れる機会はあるけれど。

 自分の外面の良さに惹かれた男子に告白されることも何度かあったけど。

 誰かに恋をして、付き合ったことのない自分には、全てが未知の世界でしかない。

 

 

「誰にも言わねぇよ。ミカンと俺と、二人だけの秘密だ」

 

 

 だから、好きな男子はいないけれど。

 最近、とある男の子のことが気になってしまう。

 イジメっ子気質で、デリカシーのない、騒がしくて落ち着きのないクラスの男子と変わらない。

 でも、野良猫のように気まぐれに、自分を守ってくれる、強くて優しい、そんな彼のことが。

 

 

「……うん。私とトレイン君、二人だけの秘密だから」

 

 

 美柑は、トレインのことが気になって仕方がありません。

 

 

 

 

 




1.ヤミに学校に通わないかと提案、トレインも一緒ならということで美柑の小学校に転入。
2.紆余曲折を経て、メアとネメシスも小学校に転入。
3.原作では高校教師だったティアーユが、小学校教師としてやってくる。

没ネタとなったプロットの一つでは、ヤミやメア、ネメシスはランドセル背負ってました。
なんで主人公が小学生やってるのかって? 
スモールトレインの中の人があの人だからやらなきゃ駄目だろ(使命感


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サンニンムスメ

いい加減物語を進めようと思った作者でした、マル。
最近主人公が平和なので、起爆剤(トラウマ)をぶち込もうと思うんだ。


 一閃。

 

 赤と金の剣群を斬り抜け、返す刃で絡まった髪を振り落とす。

 ハラハラと宙を舞う極上の絹糸にも似た御髪は、抵抗もなく切断された。

 柄から刃まで、全てが黒く塗り潰されたナイフの感触を確かめた後、静かに呟く。

 

 

「次」

 

「了解した」

 

 

 闇が蠢く。

 トレインの一言に、彼の内に宿るネメシスが≪変身(トランス)≫を行使。

 黒のナイフが霧散し、次の瞬間には黒いグローブへと変化した。

 左手に嵌められたグローブの感触を確かめ、無造作に振り払う。

 直後、空間に無数の黒い閃きが走り、二色の髪が粉微塵に斬り裂かれる。

 

 

「ヤミお姉ちゃん、短い髪も素敵だね」

 

「お姉ちゃんと呼ばないでください」

 

 

 質量保存の法則に捕らわれず、≪変身(トランス)≫によって短く切られた髪の毛は元通りに。

 ヤミは背中から両翼を、メアは長大なバスターライフルを生み出し、そのまま一斉掃射。

 しかし、トレインが腕を振るうことで、二人の攻撃は届くことなく阻まれてしまう。

 

 

「むむっ」

 

 

 目を凝らして漸く視認可能な極小のワイヤーこそ、不可視に思えた防御壁の正体。

 だが、二人の波状攻撃を前に、次々に千切れてしまう。

 

 

「……やっぱオリハルコン製のもんと同じってわけにはいかねぇよな」

 

「トレインの≪ハーディス≫のような出鱈目金属と一緒にするな」

 

「ははっ、違いない。つーわけでネメシス、次頼むわ」

 

「全く、兵器泣かせなご主人様だよ」

 

 

 嘆息を零しながらも、ネメシスの吐息に滲むのは主人に必要とされているという至上の喜色。

 グローブとワイヤーが掻き消え、次いで姿を現したのは黒い羽衣。

 殺到する羽根の弾丸を、エネルギー弾を受け流していく。

 闘牛士さながらの華麗な布技、全ての攻撃を捌き切ったトレインは、不敵な笑みを浮かべた。

 

 

「カモーン、変身(トランス)姉妹」

 

 

 挑発するように羽衣をヒラヒラと靡かせる姿に、二匹の暴れ牛(ヤミとメア)はピクリと反応。

 

 

「……メア」

 

「アイアイサー」

 

 

 一瞬のアイコンタクトの後、メアは弾幕を張り続け、ヤミは両腕に≪ナノスライサー≫を生成。

 背中の両翼を羽ばたかせ、上空からトレインを強襲する。

 

 

「そいやっ」

 

 

 払い、掬い上げられた粉塵だが、後衛を務めるメアの弾幕には一瞬の目眩ましにしかならず。

 前衛のヤミが振り上げた必殺の≪ナノスライサー≫だが、

 

 

「ヤミさん」

 

「っ!?」

 

 

 観戦している筈の友人の声に、剣筋が鈍る。

 粉塵が晴れ、トレインの場所に替わって立つ美柑の姿に、その隙は致命的なものとなった。

 友人の顔に刻まれる、人を喰った笑みを見た瞬間、ヤミは全てを悟るも時既に遅し。

 振るった羽衣が≪ナノスライサー≫の横から払い、即座にヤミの全身を包むように拘束。

 必死に抵抗するも緩まない束縛に、ヤミは悔しさと羞恥の眼差しで標的を仰ぎ見た。

 

 

「油断大敵だぜ、姫っち」

 

「声帯模写に変装術とは、つくづくトレインは器用なのだな」

 

「連中の魔の手から逃れるために死ぬ気で覚えた」

 

「おお、連中というのがなんなのかは分からぬが、トレインは努力家なのだな」

 

「しかし、連中には何故か通じなかった」

 

「……その、無駄な努力は嫌いではないぞ?」

 

 

 羽衣が遮蔽物の役割を、その間に体表面を≪ダークマター≫が覆う。

 疑似的な高速変装術の種明かしにと、美柑の顔と声のまま、口調はトレインに。

 

 

「ヤミお姉ちゃん!」

 

「動くな」

 

「ぐぬぬ……人質を取るなんて卑怯だぞ!」

 

「卑怯だってよ、ネメシス」

 

「……耳が痛いな」

 

「メアさんよ、動くなって俺は言ったぜ。それでも動くっつーんなら……」

 

 

 拘束したヤミを抱き寄せ、顔を近付け見つめ合う。

 百合の花咲き乱れる急展開。

 ボッと顔を赤くさせるヤミに、美柑の顔のまま迫るトレインは最高の決め顔。

 

 

「えっちぃこと、しちゃうぞ?」

 

「な、ななっ……なぁ!?」

 

「なにその素敵な展開! ヤミお姉ちゃん、動いていい?」

 

「駄目に決まっているでしょう!」

 

「……駄目、なの?」

 

「うっ……!!」

 

「……女の敵」

 

 

 涙目に首こてんとあざとい仕草で責めるトレイン。

 友人の顔に想い人の声のダブルコンボにたじろぐヤミ。

 ワクワクと瞳を輝かせるメア。

 そんな彼女等を冷めた眼差しでネメシスは見詰める。

 

 

「ふんっ」

 

「でえ!?」

 

 

 あわやそのまま口付けするかに見えた百合色展開は、突然の乱入者によって終止符を打たれる。

 後頭部の打撃で地面と熱い口付けを交わし合い、激痛に疼く頭を押さえながら反転。

 勝者であるトレインに微笑むのは、満面の笑顔に青筋を走らせる勝利の女神こと美柑であった。

 

 

「人の顔でなにしてんのかな?」

 

「わ、私と同じ顔!? まさか、あなたは生き別れた私の双子の……!!」

 

「そんなわけないでしょうが!」

 

「ですよねー!?」

 

 

 怒髪天を衝く。

 背筋を刺す殺気に、飛び退くトレインは見た。

 全身を戦慄かせ、怒りと恥ずかしさに顔を紅に染め上げたヤミの姿を。

 前門の(美柑)、後門の(ヤミ)

 温泉地での顛末の再来を予感したトレインは変装道具一式を脱ぎ捨て、元の姿で戦略的撤退。 

 

 

「待ちなさいトレイン!」

 

「逃げるなトレイン君!」

 

「あはは~! 待て~クロちゃん~!」

 

 

 悪戯好きな黒猫と被害者こと美柑とヤミ、面白さ故に参戦したメア。

 ドタバタしていて少しだけエッチで、でも平和な鬼ごっこが始まった。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 広大な砂漠と無数に点在する朽ちた遺跡群。

 その全てが仮想の物質で構成された電脳空間にいるのは、なにもトレイン達だけではなかった。

 

 

「なにやってんだあいつ等……」

 

「あら? もしかしてナナも加わりたいの、鬼ごっこ」

 

「そんなわけないだろ!」

 

「隠さなくたっていいじゃない。お子様なナナにはピッタリな遊びだと思ったのだけど」

 

「お子様っていうなー!」

 

 

 毎度お馴染みな姉妹喧嘩を勃発させるのは、双子であるナナとモモ。

 

 

「トレイン用の≪デダイヤル≫、かんっせーい!」

 

「トレイン、携帯持ってないって言ってたし、喜んでくれると思うよ。ありがとう、ララ」

 

「ううん。ミカンもだけど、ママもトレインにはお世話になったみたいだし。私も何か恩返しがしたいって思ってたから」

 

「まうまう!」

 

「ダーメ! セリーヌはまだ子供なんだから! ケータイは大人になってから!」

 

「まう~」

 

「ら、ララ様……っ、ご立派になられて……!」

 

 

 砂漠のオアシスに集い、リトにララ、セリーヌ、ペケもまたトレイン達を観戦していた。

 一種の溜まり場になりつつある結城家に訪れたトレイン一行。

 今回も例に漏れずゲームに漫画と楽しい一時を過ごしていると、唐突に提案したトレインの話に流され、そして現在のような模擬戦が勃発した次第だった。

 

 

「……美柑って、学校ではあんな風なのかな」

 

「どうしたの、リト?」

 

「いや、美柑ってあんまり学校でのこと話してくれなくてさ。友達を家に呼んだりもしないから、前から気になってたんだ。だから、正直スゲー嬉しいんだ」

 

「……美柑、楽しそうだもんね」

 

「ホント、トレインには頭が上がらないよ」

 

 

 両親は共働きで家を空けがちで、兄であるリトはお世辞にも家事が出来るとは言えない。

 だからだろうか。

 家事の全てを一手に引き受ける美柑は、早熟で大人びた言動が多い。

 周りが年上ばかりであってもそれは変わらず、しっかり者の美柑は皆に頼りにされている。

 でも、そんな美柑が少しずつ変わっているのに、リトは気付いていた。

 ムキになってトレインを追い掛け回す美柑は、どこにでもいる普通の小学生にしか見えない。

 やんちゃで悪戯好きな、そんな同年代の男の子との出会いに、リトは感謝の念を抱くのだった。

 

 

「……これで、良かったんだよな」

 

 

 そして、ほんの少しの寂寥感。

 ずっと一番近くに居た美柑が離れていくような。

 そんな気がして、胸に抱いた蟠りを揉み消すように、リトはしっかりと前を向いた。

 

 

「いいや。ちっとも良くないぞ」

 

「うわあ!? ね、ネメシスっ?」

 

 

 いつの間に横にいたのか。

 寝間着のような黒いドレスを靡かせるネメシスの姿に、リトは跳ね上がるように驚いた。

 

 

「……お前、実体化なんてして体はもういいのか?」

 

「リハビリだと言って何度もトレインから追い出された身としては、お前の優しい言葉が心に染みるよ。体の方は、心配せずとも短時間なら苦もなく実体化できる程度には回復したさ」

 

 

 胸を撫で下ろすリトとは対照的に、ネメシスは鼻を鳴らし憮然と腕を組む。

 

 

「借りがあったから一度だけ協力してみれば、まさかその一度で芽生えてしまうとは。まったく、トレインの奴め。私だけでは満足できんのか」

 

「……何の話?」

 

「気付いていないのか?」

 

「いや、だから何が?」

 

「……これだから男という生き物は」

 

 

 トレインと同じ金色の瞳を閉じて、ネメシスは大きな溜息を零す。

 

 

「ところで、話は変わるが」

 

「ん?」

 

「男という生き物は、どのように奉仕すれば喜ぶのだ?」

 

「はぁ!?」

 

「何を驚いている。所有物が主人に尽くすのは当然のことだろう。お前はどことなくトレインと同じ匂いがするからな、参考程度に聞こうと思ったのだ」

 

 

 リトはネメシスとメアがどういう経緯でトレインと知り合ったのかを聞かされていない。

 それは当事者以外の全員が例外なく当て嵌まり、だからこその驚きようでもある。

 日々のとらぶるでほんの少しは耐性を付けたとはいえ、同年代に比べればまだまだだ。

 赤面して言葉を失うリトに、ネメシスの嗜虐心が刺激されるのは当然の帰結と言える。

 

 

「光栄に思え、結城リト。お前を調教し、ありとあらゆる苦痛と快楽を与えてやろう。そうすれば、おのずと答えも見えてくるだろうさ」

 

「何言ってんのこの人!?」

 

「下僕にしてやろうと言っているのだ。お前は男としての悦びを、私は男への尽くし方を学べる。どうだ、悪くはない話だろう?」

 

 

 後退るリトに、ネメシスは距離を詰める。

 瞳は細まり、口元は弧を描き、じりじりと獲物を追い詰めるように。

 次の瞬間、三方から伸びる腕が、リトを掴んで引き寄せた。

 

 

「ちょっとネメシスさん! リトさんになんてことをしているんですか!」

 

「ち、調教にげげっ、下僕ぅ!? リトはケダモノだけどお前になんか絶対に渡さないからな!」

 

 

 ナナが、モモが、威嚇するように殺気立ち。

 リトを背中から抱き締めながら、ララは決然と言い放つ。

 

 

「駄目だよ、ネメシス。リトは誰かのものじゃない。リトがどうするのかは、リトが決めるの」

 

 

 対し、俯いたネメシスは静かに肩を震わせる。

 

 

「くくく……冗談だよデビルークの姫君。お前達の恋路を邪魔するつもりはないさ。ただ、あまりにも結城リトがからかい甲斐がありそうだったのでな。少し揶揄っただけだ」

 

 

 尚も警戒心を解かない三姉妹には取り合わず、顔を上げたネメシスが向く方角。

 怒る美柑、恥かしがるヤミ、楽しそうにはしゃぐメア。

 そして、彼女達の視線の先には、一人の少年が駆けていた。

 

 

「惚れた男を盗られたくない。お前達の気持ちは、私とて理解しているよ」

 

 

 顔を背けても隠せない。

 褐色の肌を赤く染め上げ、潤んだ金色の瞳が映すのは、たった一人の存在だけだった。

 

 

「……知らなかったよ。自分がこんなに欲張りだったとはな」

 

 

 生きてくれていただけで良かった。

 触れただけで、言葉を交わしただけで、気持ちを伝えただけで満足だった。

 傍にいられれば、それだけで幸せだった。

 

 

「……これ以上の幸せなんてないのにな」

 

 

 誰よりも傍にいたヤミ。

 素直に気持ちを伝えることのできるメア。

 心の距離を縮めた美柑。

 

 身も心も一つとなっても、蠢き続ける負の感情。

 嫉妬に狂いそうになってしまう、そんな自分をネメシスは心底嫌悪してしまう。

 

 

「……人ではない、生き物であるかも怪しい私がこれ以上を望むのは、罰が当たるというものか」

 

 

 掴まれた腕を振り解き、リトはネメシスの隣に立つ。

 

 

「トレインは、きっと気にしないと思う」

 

 

 横目で見遣るネメシスには取り合わず、リトは前を向き続ける。

 

 

「生まれとか、身分とか、トレインは気にしないよ。オレ達が必死になって悩むことでも、トレインには些細な問題でしかないんだ。だから、ネメシスのことも、トレインは笑って受け入れてくれるさ」

 

 

 そう言って、リトは笑った。

 不敵な笑みでもない。純粋無垢な笑顔でもない。

 優しい彼の心を映し出したような、そんなあたたかな笑顔を浮かべる。

 

 

「トレインが届けるのは幸福なんだ。だから、トレインはネメシスを幸せにしてくれるよ」

 

 

 僅かに瞠目した双眸を細め、リトを見詰めるネメシスの瞳に宿った光は穏やかだった。

 トレインのように力を持たず、パッとしない見た目に、綺麗事しか吐かないお人好し。

 今まで不思議で仕方のなかった疑問が、すとんと綺麗に嵌ったような。

 ララ達がリトへ好意を抱く理由が、少しだけ分かった気がしたから。

 

 

「……馬鹿者。分かり切ったことを聞くんじゃない」

 

 

 口元を綻ばせ、リトと同じ方向を向く。

 長年共にしてきた家族が、その姉が、彼女の友達が。

 そして、自分の全てを捧げてもいいと思えるご主人様が、一緒になって笑っていた。

 

 

「惚れた男と、大好きな者達といられるのだ。私は宇宙一の幸せ者だよ」

 

 

 そんな彼等の輪の中に、駆け出したネメシスは飛び込んでいく。

 その顔に浮かんでいるのは、どこにでもいる人間の女の子の表情だった。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

「手伝うぞ」

 

「…………え」

 

「なん……ですって……!?」

 

 

 美柑とモモが立つ台所に、トレインはごく自然に立ち入った。

 炊飯器のスイッチを押したまま、食材を取り出し終えた冷蔵庫のドアに手をかけ固まる二人を余所に、まな板の上に置かれた玉葱に、トレインは手を伸ばす。

 皮を剥ぎ、玉葱に切れ込みを入れ、慣れた手付きで粗微塵に。

 リズミカルに包丁を上下させる手に淀みはなく、基本の猫の手もバッチリ。

 怪我もなく、全ての玉葱を切り終えたトレインは、ようやく周りの異変に気付いた。

 

 

「……なんだよ」

 

「と、トレイン君……」

 

「……あなた、料理が出来るのですか?」

 

「おう。簡単なもんしか作ったことねぇし、レパートリーも全然だけどな」

 

 

 平然と言ってのけるその姿に、美柑とモモは災厄を予兆したとか。

 料理などさせようものなら、調理器具で遊ぶなんてことが容易に想像できそうなトレインの意外過ぎる特技が与えた衝撃は、それだけ大きなものだった。

 

 

「そんな……ありえない……!?」

 

「おい」

 

「お、お姉様の発明品だわ! それ以外に有り得ない! 有り得る筈がないもの!」

 

「喧嘩なら買うぞコラ」

 

「どうしたんだよ。なにかあったのか?」

 

 

 異変に気付き顔を覗かせるナナも、トレインが持つ包丁と粗微塵にされた玉葱に目を見開く。

 

 

「と、トレイン!? お前、料理できんのか!?」

 

「え、ナナって料理も出来ねぇの?」

 

 

 素早い切り返しに、ナナは言葉を詰まらせる。

 

 

「ざ、ザスティンが危ないからって包丁握らせてくれなかったんだから仕方ないだろ!」

 

「モモは普通に料理できんじゃん」

 

「うっ」

 

「料理くらいできないといいお嫁さんにはなれませんから」

 

「……どうせあたしは不器用だよ」

 

 

 不貞腐れるナナの肩に、トレインは優しく手を添えた。

 

 

「どんまい」

 

「ケンカ売ってんのかー!」

 

 

 心底憐れむトレインの眼差しが、負けん気の強いナナの対抗心に火を灯した。

 

 

「美柑! あたしにもなんか手伝うことないか!」

 

「えっと……その、ナナさんにはセリーヌの相手をしてもらえると助かるな?」

 

「事実上の戦力外通告ですね」

 

「適材適所ってやつだな」

 

「お前らなんか大っ嫌いだー!!」

 

 

 眦から流れ落ちた涙で軌跡を残し、ナナは台所を飛び出す。

 

 

「なになに? ナナちゃんどうかしたの?」

 

「……大方の予想はつきますがね」

 

「ナナ姫もまだまだお子様だということだよ」

 

 

 入れ替わるように、ヤミとメア、ネメシスの三人娘が台所へ入ってきた。

 

 

「あっ、クロちゃん料理してるんだ。私も手伝おっか?」

 

「そう言って手伝ってもらった結果、惨状になった台所の光景を俺は忘れない」

 

「えへへ~。だって、斬るのって想像以上に素敵なんだもん」

 

「まったく、メアには困ったものだな」

 

「お前も同罪だろうが、ネメシス」

 

「……スイッチが入ってしまったら止まらんのだ」

 

「まったく、あなたたちときたら。周囲の迷惑を少しは考えたらどうなのですか」

 

「姫っちも人のこと言えねぇだろ」

 

「なっ!?」

 

 

 口ではなんだかんだと言っても、新しい同居人(ネメシスとメア)のことをヤミは受け入れているのだろう。

 トレインへの対応で既に片鱗を見せていた、世話焼きという一面を開花させたヤミは、トレインの言葉に心外だと柳眉を逆立てる。

 

 

「私は≪変身(トランス)≫で材料を刻むなんて横着もしなければ、妙なスイッチも持ち合わせてはいません」

 

「味噌汁にたい焼きぶち込んだ時点で同類なんだよ俺にとっては」

 

「か、隠し味です!」

 

「隠せてねぇだろ。たい焼きの頭、味噌汁から飛び出てたぞ」

 

 

 忘れもしない、あの光景。

 点々と餡子の浮かぶ味噌汁の中央に鎮座した、真っすぐにこちらを見上げるたい焼き。

 だが、真に間違っていたのは、それらが並んだ御門家の食卓での出来事だった。

 

 

「え~? ヤミお姉ちゃんのたい焼き入りのお味噌汁、とっても素敵な味だったよ」

 

「地球には鯛味噌なる食べ物があるそうじゃないか。組み合わせとしては何ら間違っていない筈だ。だからそう落ち込むでない、ヤミよ。お前の作ったたい焼き入り味噌汁、中々に美味であったぞ?」

 

「メア……ネメシス……っ」

 

 

 住人の半数に絶賛された、ヤミ作のたい焼き入り味噌汁。

 以来、涼子とお静が彼女達を決して台所には入れないようにした判断は英断と言えた。

 

 

「なるほど。トレインの料理スキルはそのようにして磨かれたのですね」

 

 

 トレインが彩南町に来て、早いもので一月。

 その間涼子所有の洋館に住まわせてもらっているのだから、義理堅いトレインのことだ。

 タダで住まわせてもらっている礼にと料理を覚えたのだろうと、そう思ってのモモの発言だったが、

 

 

「……いえ、トレインが料理を覚えたのはずっと前です」

 

「ヤミさん……?」

 

 

 ヤミの声音に訪れた変化を察したのか、美柑の表情には戸惑いがあった。

 

 

「前の同居人の料理スキルが壊滅的だったんだよ。作る度に料理黒焦げにするし、姫っちは今よりずっとガキだったから料理なんて全然だし。んで、自然と俺にお鉢が回ってきたってわけ。それまで料理なんてやったことなかったんだけどな」

 

 

 続くトレインの言葉に滲む、懐かしい響き。

 事情を知るネメシスは閉口し、ヤミから聞かせられた過去を美柑は思い出し、言葉を失う。

 モモやメアも、重くなる空気を敏感に察知してか、黙り込んでしまった。

 ティアーユ・ルナティーク。

 トレインと同じく、彼女の存在はヤミにとっては余りにも大きすぎたから。

 

 

「姫っちの料理スキルって、あれから上達したのか?」

 

 

 だが、この男は空気を読むような真似はしない。

 この場の誰よりもヤミの過去を知っていてなお、語る内容は失ってしまったかつての日常。

 トレインがいて、ヤミがいて、ティアーユがいた、始まりの記憶。

 

 

「ティアの真似して指切って以来、危ないからって包丁握らせてもらえなかったもんな」

 

「……馬鹿にしないでください。あの頃の私とは違うということを教えてあげましょう」

 

「ほほう。前回は味噌汁にたい焼きぶっこんだだけで有耶無耶だったからな。だが、子は親に似るもんだぜ姫っちや。黒焦げだけは勘弁してくれよ」

 

「同じ遺伝子でも、育ちや環境が違うのです。ティアなんかと一緒にしないでください」

 

「確かに、今の姫っちとティアじゃあ色々と違うのかもな。この前リョーコの手伝いしてたら見つけた昔のティアの画像のことを思えば、それも納得か」

 

「画像って?」

 

 

 事前に持ち込んだデータを取り込み、完全にトレインのものとなった≪デダイヤル≫。

 そこに映る、学生服だろう衣服を纏った二人の少女の姿に、一同は揃って声を上げた。

 

 

「ティア……」

 

「わあ! この女の人、ヤミお姉ちゃんにそっくり!」

 

「この人が、ヤミさんの元になった……」

 

「隣に居るのは涼子か? あのけしからん胸はこの頃には既に健在だったというわけか」

 

「リョーコ曰く、この画像は今の姫っちくらいの時に撮ったもんなんだと」

 

「ヤミさんと、同じ歳……」

 

 

 そして、一同の視線は揃ってヤミの一部へ向けられる。

 

 

「同じ遺伝子でも、育ちや環境が異なれば別人。なるほど、その通りだな」

 

「この画像を見れば納得せざるを得ませんね」

 

「ヤミお姉ちゃんの胸、本当にちっちゃいね」

 

「め、メアさん!? 言っていいことと悪いことがあるよ!」

 

 

 両手で胸を隠し、プルプルと俯き震えるヤミの肩に、トレインは優しく手を添える。

 ≪デダイヤル≫から響く着信音には取り合わず、慈しみを込めて言い放つ。

 

 

「どんまい」

 

 

 その後暫く、トレインの姿を見た者は誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 差出人:リョーコ

 件名 :ティアーユの行方

 

 本文 :見つかったわ。

 

 

 

 

 




後日談

姫っち「…………(ぐびぐびぐび)」
メア「……ネメちゃん」
ネメシス「なにもいうな」
涼子「牛乳で胸が大きくなるって迷信なのよね」
お静「トレイン君の姿が見当たらないんですけど」


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セフィリア

 折れた。

 

 不壊物質≪オリハルコン≫で構成された長剣≪クライスト≫。

 剛ではなく柔で、力ではなく技術を持って敵を圧倒する≪アークス流剣術≫。

 加えて、超速奥義≪滅界≫に耐えうることのできる唯一の剣が、その美しい原型をなくす。

 粉々に砕け散り、僅かに残った刀身と柄だけの存在へ≪クライスト≫はなり果ててしまった。

 幾百幾千、あるいはそれ以上に放たれた≪滅界≫に、≪クライスト≫の耐久が限界を迎えたのだ。

 だが、限界を迎えたのは、担い手もまた同じで。

 そして、度重なる≪滅界≫により、彼の命もまた、限界を超えてしまった。

 

 

「…………」

 

 

 欠損した四肢が、再び元の形を取り戻そうとする。

 数えるのも億劫になるほど繰り返された光景。

 だが、その再生速度は当初とは比べものにならないほど緩やかだった。

 その上、再生箇所は歪。

 完璧を至上とする彼を知る者なら、それは絶対に起こり得ることのない修復。

 ≪G.B(ゴッドブレス)≫と言えど、基を辿ればただの機械であり、人間の手で造り上げたものに過ぎない。

 この短期間で再生能力を酷使されれば、機能不全を起こしても何らおかしくはなかった。

 

 

「……これで、最後です」

 

 

 だからこそ、セフィリアは悟る。

 次の≪死≫が、クリードの最後だということを。

 

 

「……僕の負けだよ」

 

 

 空から降り注ぐ光の粒子。

 ≪幻想虎徹(イマジンブレード)≫と呼ばれる、≪SWORD()≫の≪(タオ)≫を基にして形作られた異能の残骸が、光の粒子の正体だった。

 クリードの体の一部であり、彼の心の具現化したものこそが、≪幻想虎徹(イマジンブレード)≫LV.MAX。

 しかし、己の一部が砕けてもなお、クリードの表情に変化はない。

 とうの昔に、クリードの心は折れていた。

 トレインに致命傷を負わせ、彼が死んだと悟った時点で、修復など不可能なほどに。

 

 

「……殺してくれ」

 

 

 それは、懇願だった。

 心からの、クリードの願いだった。

 

 

「彼のいない世界なんて、生きる意味などないんだ。君だけなんだ。僕では、僕自身を殺し切れない。≪G.D(ゴッドブレス)≫の製作者も匙を投げた。だから、君だけなんだよセフィリア=アークス。君だけが、不死となった僕を殺せる、唯一の存在」

 

 

 クリードの力、≪幻想虎徹(イマジンブレード)≫は諸刃の剣だ。

 担い手の心に反応し、その姿をより強力に、禍々しい姿へと進化していく。

 だが、それは同時に、≪幻想虎徹(イマジンブレード)≫とクリード自身の心との密接な同調を意味する。

 ≪幻想虎徹(イマジンブレード)≫の進化は、彼自身の弱点の露呈に繋がるのだ。

 そして、クリードはこの戦いでは、最初からレベルを最大限にまで引き上げていた。

 防御を捨て、最大の攻撃を持って圧倒することもなく、≪滅界≫に無抵抗に殺され続けた意味。

 

 

「僕を……殺してくれ…………頼む…………っ」

 

 

 クリードは、最初から死ぬつもりだった。

 

 

「…………」

 

 

 だからだろうか。

 閉じた瞳から涙を流すクリードを見て。

 懺悔と懇願を受け止めて。

 

 

「――――」

 

 

 生まれて初めて。

 心の底から。

 セフィリアはキレた。

 

 

「ふ……ざけるなぁあああああああああああああっ!!」

 

 

 咆哮。

 激情のままに折れた≪クライスト≫をクリードの横へ突き立て、胸倉を掴み上げる。

 

 

「そうまでハートネットが大事なのなら! 掛け替えのない存在なのだと分かっていながら! どうしてあなたはそのような選択しか取れなかったのですか! なぜ関係のない者まで巻き込んだのですか!」

 

 

 トレインの人となりを知る者なら、誰もが理解していることだ。

 最強の存在でありながらも、彼は完璧な強さを手にしてはいない。

 例え無関係の間柄であっても、目の前で失われそうな命を彼は見て見ぬ振りなどできはしない。

 不殺の抹殺者(イレイザー)は、死よりも生を持って罪を贖わせる彼の在り方は、誰よりも優しい彼が差し伸べる救いの手こそが、最強であっても完璧な強さには成り得ない、トレインの唯一の弱点。

 だからこそ、セフィリアはトレインとの戦いには一対一に拘り続けた。

 手段を選ばぬ≪クロノス≫にも、加勢を願う≪時の番人(クロノ・ナンバーズ)≫にも譲らなかった、己に課したルール。

 卑劣な真似をしてまで叶える理想など、なんの意味もないのだから。

 

 

「イヴが! ティアーユが! スヴェンが! 彼女達だけじゃない! ハートネットに救われたたくさんの命達が! ハートネットの無事を願う彼女達が今この瞬間もどんな気持ちでいるか! 大切な人を傷付けられた彼女達のことを少しでも考えたりはしたのですか!」

 

 

 だから、叫ばずにはいられなかった。

 自分と同じように、幾度もトレインに挑んだクリードだからこそ。

 セフィリアと同じ気持ちを抱いている筈だと、そう思っていたから。

 

 

「友として、ハートネットと歩む道はなかったのですか!」

 

 

 トレインに友情を感じていたと、そうクリードは言っていたのだから。

 

 

「は、ははっ……どうやら、君には隠し事は出来ないようだね……っ」

 

 

 折れた筈の心が、色を失った瞳に宿るもの。

 判別の付かないほどに深く混ざり合った、混沌然とした感情をクリードは爆発させる。

 

 

「歩みたかったさ! トレインは僕にとって唯一無二の存在だった! 友と呼べるのは後にも先にもトレインだけだったんだ!」

 

「なら、どうして……!!」

 

「これしかなかったんだよ! 弱い僕が最強である彼と対等になれる唯一の方法! 愚かな過去の僕にはそんな間違った選択しか出来なかった!」

 

 

 激情と激情。

 剣の代わりに感情が入り乱れ、憎み合うも似た者同士だった両者は初めて向き合う。

 

 

「≪クロノス≫にいてはトレインは飼い殺しにされるだけと思った! 彼の居るべき場所はあそこじゃない! だから創ったんだ! 彼に相応しい場所を! ≪星の使徒≫を! でもトレインは僕の元に来てくれなかった! だから実力行使に出るしかなかった! そのために僕は≪G.B(ゴッドブレス)≫を造りだしたんだ! 強過ぎる彼と対等になるために! その為の不死だったんだ! だけど! それでも! 最強である彼には届かなかった! ならどうすれば良かったんだ! どうすれば僕はトレインと対等になることが出来たんだよ! 昔のように彼の友達でいたかったのに! それだけが僕の願いだったのに!」

 

 

 劣等感。

 幼少時代から娼婦であった母親に存在を否定され、助けてと縋った警察官からはストレスの捌け口にされ、世の中から爪弾きされてきた、トレイン以外には語ったことのないクリードの過去。

 トレインを友だと思えば思うほど、友達で居続けたいと願えば願うほど。

 ふとした時、クリードは考えてしまうのだ。

 最強であるトレインが、弱い自分を必要としなくなる、そんな考えたくもない未来を。

 認められたい、対等でありたいという願いが、いつの間にか歪んだものへと変わってしまった。

 決して届くことない、最強の名を冠したトレインの背中の遠さに気付いてしまったから。

 

 

「勧誘も失敗! 実力行使でも敵わない! なら手段なんて選んでいられない!」

 

 

 今だからこそ分かる。

 大切な者を失ったクリードだからこそ、過去の自分が愚かだったのだと理解している。

 

 

「どんな手を使ってでも僕はトレインに勝つ必要があったんだ! だから彼女を利用したんだ! 利用してしまったんだよ僕は! 勝利という誘惑に負けてしまって! イヴを庇うトレインの心の臓に≪幻想虎徹(イマジンブレード)≫を突き立ててしまったんだよ!」

 

 

 その選択が、トレインが最も忌み嫌うものだと気付いたから。

 目の前で奪われそうになった命を前に、トレインがどんな行動を取るのかに気付いたから。

 卑劣な手段で得た勝利に、意味などないことに気付いていたから。

 

 

「僕は……ぼく、はっ……この手で、友を……殺めてしまったんだ……!!」

 

 

 でも、気付くのが遅すぎだ。

 取り返しのつかないことしてしまったということに、気付いてしまったんだ。

 

 

「……ははっ……笑ってくれよ、セフィリア。君と僕は決定的に違う。同じトレインに敗れた者同士でも、君は最後まで諦めなかった。正々堂々、トレインを越えようと挑み続けた君は、本当に気高く美しかった。卑劣な手段を使ってさえ、勝利を得ることのできなかった僕は、さぞ醜いことだろう」

 

 

 実力でも、トレインへの想いさえも、自分は負けていたのだと。

 自嘲的な笑みを刻み、翳した掌で顔を隠し、それでも隠しきれない感情。

 僅かに覗く口元は戦慄き、続く声音は言葉にならなかった。

 

 

「…………」

 

 

 そんなクリードを見下ろしながら、セフィリアは思った。

 

 

「……醜いですね」

 

 

 まるで、自分を見ているようだと。

 

 

「本当に、どうしようもないほどに、醜い」

 

 

 トレインの強さに折れ、畜生の道に堕ちてしまった、そんな自分。

 理想などかなぐり捨て、手段を選ばず、勝つことのみに固執し、トレインを屈服させる。

 気分がいいだろう。トレインの弱点を知る自分なら容易だ。それで彼の全てを手に出来るのだ。

 卑劣な手段で得た勝利に意味などない?

 そんなものが霞んでしまうほどの価値が、トレインにはあるではないか。

 

 

「ハートネットの迷惑を顧みず、自分の想いだけを押し付ける。なんて自分本位な考えでしょう」

 

 

 後悔と懺悔の念に呑まれるクリード、糾弾するセフィリア。

 だけど、この構図が入れ替わることは十分にあり得たんだ。

 気高く美しく見えたのは、醜い本心を隠そうと躍起になっていたからだ。

 トレインに挑み、一蹴され、それでも挑み続け、その度に力の差を見せつけられて。

 何度も心が折れた。正攻法では勝てる訳がないと何度も諦めた。勝利のためには手段を選んではいられない、そんな誘惑に幾度となく負けそうになった。

 

 

「勧誘の手を掴まないのも、実力行使が叶わないのも、全部が全部、当然です」

 

 

 だけど、叶えたい理想があったから。

 それでも、伝えたい思いがあったから。

 

 

「ハートネットに嫌われて当然のことをしてきたのですから」

 

 

 死よりも生を持って罪を贖わせる彼の在り方で、≪クロノス≫を変えたい。

 胸に秘めたこの気持ち、彼に伝えたい。

 

 

 

 

「ハートネットは、生きています」

 

 

 

 

 セフィリアを突き動かすのは、たった一つの想いだった。

 

 

「ティアーユが、ナノマシン移植の施術をハートネットに施しました」

 

 

 折れた心は治せばいい。それでも折れてしまったなら、また治せばいい。

 勝てないのなら、更なる研鑽を詰むまでだ。勝てるようになるまで、強くなればいい。

 

 

「スヴェンが、失踪したハートネットの行方を追っています」

 

 

 何度折れても、何度諦めても。

 弱い自分が、容赦のない現実から逃げだしそうになったとしても。

 絶対に、この想いだけは曲げる訳にはいかないんだ。

 

 

「イヴが、ハートネットの無事を願っています」

 

 

 大好きです、トレイン。――愛しています。

 

 

「ハートネットに救われたたくさんの命が、彼の帰還を待っています」

 

 

 真っすぐに、彼の目を見て、自分の気持ちを伝えるその時まで。

 

 

「クリード=ディスケンス。あなたはいつまでそうしているのですか。ハートネットは死んだと、自分のせいだと、そうやって自分を責め続けることに、一体何の意味があるというのです」

 

 

 セフィリアは、微笑む。

 

 

「立ちなさい。立って、前を向きなさい。後ろを振り返ることは大事なことです。でも、それは今ではない。ハートネットを見つけた時に、好きなだけ後悔なさい。気の済むまで謝り続けなさい」

 

 

 理想の体現。

 死よりも生を持って罪を贖わせる、そんな彼の在り方を実践する。

 今はいない、いなくなってしまった彼の代わりに。

 トレインなら、きっとこうしていたと思うから。

 

 

「ハートネットを友だというあなたが、彼の無事を信じなくてどうするのですか」

 

 

 掴んだ胸倉を離し、折れた≪クライスト≫を拾い上げる。

 なおも動かないクリードを一瞥して、セフィリアは背を向けた。

 

 

「……ありがとう」

 

 

 その言葉が、風に舞う。

 

 

「ありがとう、セフィリア」

 

 

 背中の独白に、セフィリアは何も言わず。 

 ふわりと唇を綻ばせ、静かにその場を後にする。

 激戦の爪痕を残す古城に降り注ぐ光が、あたたかく二人を照らし出した。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 セフィリアは歩いていた。

 ≪星の使徒≫のアジトである絶海の孤島を、目的もなく彷徨い渡っていた。

 どこに向かえばいいのか分からなくて、ただただ歩き続けていた。

 

 

「…………」

 

 

 アレだけ偉そうなことを言っておきながら。

 去った時に上げていた顔を俯かせ、笑みを潜ませ、確かにあった覇気は何処にもない。

 やるべきことは果たした。

 失意の底に沈んだクリードを叱咤し、前へと向かわせる。

 革命組織≪星の使徒≫が有する≪(タオ)≫の力は、必ずトレイン捜索に役立つはずだ。

 ≪クロノス≫、≪IBI≫、≪星の使徒≫。

 これ以上にないほどの組織が結託すれば、必ずトレインを見つけ出すことが出来る筈なのだ。

 するべきことなど、山のようにあるのに。

 一秒でも早く、動き出さなければいけないのに。

 

 

「…………」

 

 

 針を刺す様な激痛、絶えず付きまとう倦怠感。

 何度放ったかも分からない≪滅界≫の反動は、確かな傷をセフィリアの体に残していた。

 極限まで無駄を削ぎ落とすことで連発を可能にしたとはいえ、塵も積もれば山となる。

 休息を訴える体を無視して、それでもセフィリアは歩き渡り続けた。

 

 

「…………」

 

 

 トレインは生きている。

 ティアーユにも、スヴェンにも、イヴにも、クリードにだって。

 トレインの生死を疑問視する彼等に、セフィリアは言ってきた言葉だ。

 呪文のように、事実のように、当然であるかのように、言い続けてきた言葉だ。

 考えないように、その可能性に至らないように、現実と向き合わないために言い聞かせてきた言葉だ。

 他の誰でもない。

 セフィリア=アークスが、自分自身に言い聞かせてきた言葉だ。

 

 

「…………」

 

 

 一年だ。

 常に掴めた所在が掴めず、消息を絶たれてから、既に一年が経っている。

 生きているのなら、痕跡の欠片くらいは掴めて当然の年月だ。

 なのに、≪クロノス≫も≪IBI≫でさえ、トレインの消息は一向に掴めない。

 では何故、トレインを見つけ出すことが出来ないのか。

 そんなの、子供だって分かることではないか。

 

 

「…………ぁ」

 

 

 やめろ。

 やめろ。

 やめろ。

 

 

「…………ぁ……ぁぁっ……」

 

 

 考えるな。

 考えるな。

 考えるな。

 

 

「ぁ……ぁぁ……っ、ぁ……ぁぁぁ……」

 

 

 トレインは生きている。

 トレインは生きている。

 トレインは生きている。

 

 

「…………」

 

 

 本当に?

 

 

「――――」

 

 

 侵される。

 精魂共に尽き果てた心に、可能性という名の怪物が侵食していく。

 次々と思い浮かんでは消える、トレインと過ごした記憶。

 入団して、共に任務に当たり、憧れ、惹かれて、恋をして、脱退して、追い掛けて――。

 壊れる音が聞こえる。

 大切なものが、掛け替えのない思い出が、次々に壊れ、失っていく。

 

 

「…………ぅ、ぁぁっ、ぁぁぁああああああああああああ!?」

 

 

 絶叫を迸らせ、震える体を抱き締める。

 壊れた欠片を掻き集め、失った大切なものを探そうと躍起になる。

 それでも、壊れ、失っていく、大切なトレインとの思い出の数々。

 同時に砕けていく、セフィリアの心。

 

 

「ぅ、ぁ……ぁぁ、ぁあ……」

 

 

 セフィリアは泣きじゃくった。

 高潔を絵に描いたような佇まいを歪め、崩れ落ちたセフィリアは泣き続けた。

 両の目を瞑り、それでも流れ出る涙をこぼし、溜め込み続けていた弱音を吐き出した。

 

 

「…………ハートネット」

 

 

 たった一つの願いなのに。

 

 

「……どこですか」

 

 

 愛する人に逢いたい。

 

 

「どこに、いるのですか……っ」

 

 

 それだけなのに。

 たったそれだけの願いなのに。

 

 

「トレイン……っ!!」

 

 

 それは、一時の過ち。

 不意に視界の端で捉えた、≪クライスト≫の折れた刀身。

 覚束ない手付きで手繰り寄せ、逆手で握り締め、剣尖を自分自身に向ける。

 一年という年月は、少しずつ、セフィリアの心を蝕み続けていた。

 普段の彼女なら絶対に取り得ない選択をさせてしまうほど、今のセフィリアはボロボロだった。

 

 

「……最初から、こうすればよかったのです」

 

 

 トレインは、生きている。

 違う。

 トレインは、死んだんだ。

 

 

「……今、あなたのところに、向かいます」

 

 

 だから、旅立った彼の元へ向かう、たった一つの方法。

 唯一の手段を取ろうと、≪クライスト≫を持つ手に力を籠めた。

 

 ――パキン。

 

 瞬間、突き立てようとした剣尖が届く前に、残った刀身全てを失った。

 柄と鍔だけになり果て、胸に沈む≪クライスト≫を見下ろすセフィリアの意識が白く染まる。

 陽の光か、それとも別の何かか。

 閃光のような眩しさの中、僅かな力を振り絞って、閉じようとする瞼を開いた。

 

 

「…………ぁ」

 

 

 意識を失う寸前、見上げた空に浮かんでいたもの。

 最愛の人と同じ金色の月が、静かにセフィリアを見守っていた。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 目を開ければ、無機質な金属製の天井が映った。

 申し訳程度の明かりが室内を照らす。

 見覚えのない景色に高鳴る警戒心だが、全身を襲う気怠さがセフィリアのやる気を削ぐ。

 だが、徐々に近付いてくる足音に、疲れた体に鞭打って体を起こし、腰に手を伸ばす。

 

 

「……≪クライスト≫が、ない」

 

 

 空を切る感触。

 辺りを見回し、長年共にしてきた愛剣の姿を探すも、長くは続かない。

 ≪クライスト≫は刀身を失い、武器としての死を迎えてしまったのだから。

 

 

「――あっ!」

 

 

 消沈するセフィリアの耳に、その声は届く。

 記憶にあるものよりも幾分か華やいだ声音に、セフィリアは顔を上げた。

 

 

「良かった! 目が覚めたのね! どこか痛いところとかない? 気分は大丈夫?」

 

 

 矢継ぎ早に語られる質問に面食らったのは、セフィリアの知る彼女との差異を感じたから。

 研究者らしい、自分の興味のあること以外には淡々としていた様子は欠片もなく、人間味溢れる豊かな表情を次々と変えていく表情は、顔だけ同じで中身を入れ替えたみたいで。

 

 

「……ティアーユ」

 

「へっ? あの、どうして私の名前を……」

 

 

 戸惑いの表情を浮かべる彼女の容姿は、最後に見た時と何ら変わりはない。

 長く伸びた金髪に眼鏡、その奥に見えるクローン体である彼女と同じ赤い瞳――

 

 

「……緑の、瞳」

 

 

 縁のない眼鏡に彩られるのは、鮮やかな緑色の瞳。 

 声も容姿も瓜二つだが、たった一つの違いが強烈な違和感となってセフィリアを襲った。

 

 

「……あなたの、名前は?」

 

「あ、はい……えと、私はティアーユ・ルナティーク……はっ!? そそ、そのっ、このことは内緒で! その私っ、正体を隠して……だから、そのっ……!?」

 

 

 あたふたするティアーユの姿は、やはり自分の知る彼女とはかけ離れていた。

 だが、他人の空似にしては似過ぎている。

 イヴと同じクローンだと言われた方が納得できるほど、目の前のティアーユはセフィリアの知るティアーユとあまりにも共通点が多過ぎた。

 疲労を色濃く残す頭が納得のいく答えを導けず、なんとはなしに見た窓の先。

 赤、緑、青――。

 暗い夜空に浮かぶ、見慣れた金色の月は影もなく。

 見たことのない色とりどりの大小さまざまな星が、燦然と存在を主張していた。

 

 

 

 

 




Q.どうやって世界線を越えたの?
A.愛の力です。

本作開始当初から女剣士だのトラウマだの散々な扱いでしたが、それは全て主人公視点での話。
ちなみに、もし女剣士が敗北していたら、ヤンホモが来てました。

女剣士「でも大丈夫! 何故って? (トラウマ)が来た!」
主人公「」


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ティアーユ

前回の話を投稿してから寄せられた膨大な量の感想。
読んだ感想としては、皆セフィリアさんのことが大好きなんだと思いました(小並感


 時刻を確認。

 現在、お昼過ぎ。

 空を見上げる。

 夜空である。

 星の色は赤やら緑やら青やらだった。

 見慣れたお月様の姿はどこにもなかった。

 

 

「わけわかんねぇ」

 

「ネメちゃん、クロちゃんの様子が変だよ」

 

「宇宙船だけは駄目だと言っていたからな。船旅が堪えたのだろう。暫くそっとしておけばじきに良くなるだろうさ」

 

 

 転生して、トリップして、憑依して、逆行して。

 つまり、現時点では自分は過去の世界にいる筈なのだが、ふとした時に疑問に思ったりする。

 件の創作物って宇宙にまで世界観が広がっていたのだろうかと。

 

 

「描写されてなかっただけってオチ? ナノマシンとか普通にあるから医学面とかは進んでるけど、基本舞台設定って現代だった気が。車とか飛行機とか普通にあったし、クロ様なあいつも普通に女子高生してたから疑問に思ったことなかったけど……ハッ!? 実は俺が知らなかっただけで普通に宇宙人と交信してたってのか。だったら≪クロノス≫とか絶対そうだよ。だってそうだろ。普通に意思疎通できてたから疑問にすら思わなかったけど、犬が≪時の番人(クロノ・ナンバーズ)≫って普通にあり得ないだろ。番人じゃねぇだろアヌビス、お前番犬の間違いだろ。ヤベェわ。俺ってば気付いてないだけで地球外生命体と仲良くなってたってのかよ…………はっ!? つーことは必然的に女剣士やヤンホモもアヌビスと同類! 奴等の正体は地球外生命体!? そうだよ、そういうことなら全部説明がつくぜ。あいつら会う度に謎の超進化遂げてやがったからな。どこぞの戦闘民族の血を引いてるって訳か。おいおい、だったらデビルーク人ってアレか、野菜人の親戚かなんかか。尻尾ってそういうことなの? あいつら尻尾弱点なの? 満月見ると変身すんの? ≪細胞放電現象≫続けまくって≪ハーディス≫に充電しまくってぶっ放した≪炸裂電磁銃(バーストレールガン)≫で月とか破壊できないかな?」

 

「ネメちゃん、クロちゃんもう手遅れかもしれないよ」

 

「大丈夫だメアよ。私はどんなトレインでも受け入れる覚悟があるからな」

 

 

 一番新しい記憶が結城家で、気付けば宇宙船の中、只今銀河の外れの星に。

 目が覚めて最初に見たのが窓から見える宇宙空間だった、そんな当時の心境は語るに及ばず。

 事情を聴けば、今まで行方不明だったティアーユの消息が掴め、ヤミが所有するかつての住居である宇宙船≪ルナティーク号≫で迎えに行くことになったとか。

 それは朗報だと浮かれるトレインだが、素直に喜べない理由があった。

 

 

「なぁ、姫っちや」

 

「話し掛けないでください」

 

「なんか怒ってね?」

 

「怒ってません」

 

「結城家でクッキングしてからの記憶がないんだけど」

 

「知りません」

 

 

 取り付く島もないとはこのことか。

 ムスッとしてプイッとそっぽを向き続けるヤミは、目が覚めてからずっとこの調子だった。

 

 

「助けて、リョーコえもん」

 

「ふふっ、嫌よ」

 

 

 そして、相も変わらず、心の病を負った患者の切なる願いを笑顔で切り捨てる涼子だった。

 

 

「もうっ、皆さん浮かれ過ぎですよ。特にトレイン君!」

 

「シズさんや。なんでもかんでも俺のせいのするのはどういう了見ですかね?」

 

「トレイン君だからです!」

 

「なんやねんその理屈……」

 

 

 がっくりと肩を落とし、荒廃した大地を歩いていく。

 ティアーユがいるという星に着陸し、こうして歩き続けること数分。

 草木の生えない荒地に、点々と建つ住居は掘っ立て小屋のように頼りない。

 お世辞にも生活水準が高いとは言えない、目立つような特産品や観光名所があるとも思えない。

 つまり、組織に抹殺されそうになった人間が隠れ住むにはもってこいの場所とも言える。

 

 

「此処よ」

 

 

 目の前に立つのは、一言でいえばボロ小屋だ。

 宇宙生物工学の分野で並ぶ人なしと評される天才科学者の住居には相応しいとは言えない。

 

 

「此処が、ティアの……」

 

「あのポンコツ、こんなところに引き篭もってやがったか」

 

 

 思い詰めたように呟くヤミとは対照的に、トレインの吐いた言葉は辛辣だった。

 

 

「トレイン君、女性にポンコツというのはあんまりなのでは」

 

「ポンコツをポンコツと言って何が悪い」

 

「ティアーユ博士って私達の生みの親なんだよね?」

 

「一応そうなのだがな……」

 

「彼女、研究以外はてんで駄目なのよね。家事なんてさせようものならもう……」

 

 

 揃って遠い目をするのは、ティアーユの人となりを知るネメシスと涼子。

 ネメシスに至っては遠目で観察していただけだが、あの様子だと知っているようだ。

 

 

「あのポンコツが、最終的にはヘドロ製造機になるかもしれねぇのか」

 

 

 知識と記憶、それぞれのティアーユとの差異に、唯一知るトレインだからこその畏怖が湧く。

 既に自分の知る道筋など跡形もなくなりつつあるが、油断は禁物だ。

 おっちょこちょいで何もないところで転ぶドジッ娘気質は当時から既に健在。

 一番新しい記憶の段階で料理に興味を持っていたのだから、もう手遅れなのかもしれない。

 

 

「…………」

 

「ヤミお姉ちゃん?」

 

 

 怖いもの見たさな心境だったが、メアの戸惑う声がそれを打ち消す。

 

 

「……やはり、私は遠慮します」

 

「今更になって怖じ気づいたか?」

 

「……否定はしません。実際、ネメシスの言う通りですから」

 

 

 自嘲するように、ヤミは言葉を続けた。

 

 

「私はもう、ティアの知る昔の私ではありません。純粋無垢だった≪イヴ≫はもういない。今、こうして此処に立っているのは、宇宙一の殺し屋と恐れられる≪金色の闇≫なのですから」

 

 

 生体兵器で、殺し屋で、化物で。

 それでも、少しずつではあるけど、ヤミは人間になりつつある。

 リトに出会い、美柑と友達になって、トレインと再会し、ネメシスやメアという仲間も出来た。

 彩南町で過ごした日々は、人間である≪イヴ≫の心を取り戻させてくれた。

 だけど、≪金色の闇≫が、生体兵器で殺し屋で化物だった自分が消える訳ではない。

 ≪イヴ≫と≪金色の闇≫、対極である両者が混在している状態が、今のヤミなのだ。

 

 

「ティアが生きている。それが知れただけでも、此処に来る価値がありました」

 

 

 ≪ルナティーク号≫に戻ってます――。

 その言葉を残し、踵を返そうとするヤミの手を、トレインは掴んだ。

 身を固くするヤミ、引き留めるトレイン、そんな二人を見守る彼女達。

 一体何を語るのかと、場に緊張感が満ちていく。

 

 

「えっ、もしかして悲劇のヒロイン気取り? 姫っち、リアルお姫様になっちゃうの?」

 

 

 周囲のトレインを見る目が微妙なものに変わっていく。

 だが、呆れ顔のトレインはどこ吹く風だった。

 

 

「姫っちさぁ、問題の先延ばしだって自覚ある? どうせ帰りの宇宙船の中で鉢合わせすんだから、今会ったって同じだろうが」

 

「…………」

 

「それとよ、姫っちが≪金色の闇≫だってティアはもう知ってんじゃねぇの? 伝手とかその手の技術からっきしの俺と違って、ティアはポンコツだけど一応天才科学者なんだし」

 

「……それなら、尚更会わせる顔がありません」

 

「あー、大丈夫大丈夫。ティアならその辺問題ないって」

 

 

 所詮は他人事。

 どこまでも呑気なトレインの物言いに、沸々と湧き上がる衝動がヤミの金髪へと伝播していく。

 周囲にも波状し、まさに針の筵な、当の本人ことトレインはどこ吹く風で。

 

 

「俺は姫っちの全部、受け入れたぜ」

 

 

 優しい声音だった。

 呆れ顔は打って変わり、聞き分けの悪い子供を諭すような穏やかな表情へ。

 

 

「俺に出来たんだ。ティアに出来ねえわけがねぇ。あいつはなにもないところで転ぶし毎回料理黒焦げにするポンコツだけど、自分の娘が可愛くて仕方がねぇ親バカでもあるんだ。時間が掛かるかもしれねぇし、簡単にはいかないかもしれねぇけどさ。ティアは絶対、受け入れてくれるよ」

 

 

 楽観視している訳でもなく、根拠がない訳でもない。

 原作知識を有しているからとか、それだけでものを言っているのでもなくて。

 ティアーユとヤミ、二人と過ごした時間はそれほど多くはなかったかもしれないけれど。

 創作物を第三者視点ではない、実際に接して目で見て耳で聞いて心で寄り添ってきたからこそ。

 (ティアーユ)(イヴ)を誰よりも近くで見続けてきたトレインだから、こうして断言できるのだ。

 

 

「それでも怖いって言うんならさ」

 

 

 自分と同じ、小さな手を握りしめる。

 俺は此処にいるからと、そんな声なき想いを伝えるために。

 

 

「手、握っててやるから。だから、一緒にティアを迎えに行こうぜ」

 

 

 返事もなし、顔も背けたまま。

 それでも、トレインの隣に並び立ち、ヤミは小さく頷いた。

 ギュッと握り返された手が、肯定だという声なき想いを伝え返していた。

 

 

「うしっ。じゃあ、皆でせーのでいくとしますか」

 

 

 ドアノブに手を掛け、後ろを振り返る。

 何故かジト目なネメシスを視界からカットしつつ、頷く一堂に笑顔で返す。

 

 

「んじゃ、せーの゛!?」

 

「アークス!! …………へ?」

 

 

 今から扉を開ける、まさにその瞬間。

 先に開いたドアがトレインの顔面を強打した。

 

 

「…………はっ!? ご、ごめんなさい! 私慌てて――」

 

「そそっかしいところは相変わらずね、ティア」

 

「……ミカド、なの?」

 

 

 見開かれる、緑の双眸。

 顔の造形も髪色も、唯一違う瞳の色以外は、その女性は驚くほどヤミと酷似した容姿だった。

 かつての旧友との再会に、成熟した肢体に似合わぬ幼き笑みで応える。

 

 

「久しぶり! 何年ぶりかしら? 他にもたくさん連れの人達が……」

 

 

 そして、次の瞬間には笑みが驚愕へと移り変わる。

 

 

「……イヴ」

 

「……ティア」

 

 

 同じ遺伝子を持つ、同じ顔を持つもの同士。

 赤と緑の瞳が、長い時を経て今、交わり合う。

 

 

「ひ、久しぶり……元気そうで良かったわ、イヴ――」

 

「今の私は≪金色の闇≫です。あなたの知る≪イヴ≫は、もういません」

 

「っ……」

 

 

 予期していたヤミとは違い、予期せぬ再会をしたティアーユは言葉に詰まってしまう。

 聞きたいことがあるだろう、伝えたいこともあるだろう。

 それでも、記憶にある≪イヴ≫とは想像もつかぬ、鋭利な表情に言葉が出ない。

 傍から見れば虚勢に過ぎない、≪金色の闇≫という仮面を張り付けたヤミにさえ気付けない。

 双方が持つ後ろめたさが、離れてしまった心の距離を取り戻すのは簡単なことではないのだ。

 同じ遺伝子を持ち、性格は正反対だけど、同じ不器用者同士だからこそ。

 

 

「あの、ヤミちゃん……ゴメンなさ――」

 

 

 それでも、伝えなければならないことがあるから。

 口火を切るティアーユの背後に、その男は幽鬼のように忍び寄り、両の拳を彼女の頭に固定。

 

 

「ポンコツてめ――――――っ!!」

 

「きゃああああ――――――っ!?」

 

 

 ぐりぐり攻撃。

 

 

「出会って早々この所業か! また俺が被害者か! なんで毎度毎度テメェのドジっ娘気質に俺を巻き込みやがんだ! ワザとなのか! ワザとなんだな! あ゛あ゛!?」

 

「ああ!? この女子供だろうが情け容赦のない辛辣な言動! トレイン君なのね!」

 

「どういう思い出し方してんだ天然娘がぁああああああ!!」

 

「よがっだぁああああ!! 生ぎででくれでぇええええ!!」

 

「ぎゃあああああああ!? 鼻水ぅううううううううう!?」 

 

 

 熱い抱擁でトレインを捕獲し、鼻水と涙交じりの顔を押しつけすりすり。

 涼子に匹敵する爆乳に顔を埋め、酸素を求め背中をタップするもティアーユは気付かない。

 

 

「どれいんぐ~~~ん!!」

 

「ん――――――――――っ!?」

 

「わぁ、凄いおっぱい。画像で見たけど、実物で見るとやっぱり違うな。素敵」

 

「こらーっ!! トレインから離れんかー!!」

 

「あらあら。女の胸の中で死ねるなら、トレイン君も男冥利に尽きるんじゃないかしら?」

 

「あの、トレイン君、赤を通り越して青くなってますよ。わりとシャレにならないのでは……」

 

 

 緊迫した空気から一転、ドタバタ騒ぎへ。

 ティアーユがおいおいと泣き、トレインがタップし、メアが感心し、ネメシスが怒髪天を突き、涼子はあらあらうふふとしたり顔、お静が冷静に診察を下す。

 そんな馬鹿騒ぎに一人置いてけぼりなヤミはといえば、怒るでもなければ呆れるでもなし。

 

 

「……もうっ、ティアったら」

 

 

 童心に帰ったように、あどけなく微笑む。

 それは、かつて存在していた、失った筈だった光景。

 この時確かに、≪金色の闇≫は≪イヴ≫だった頃の心を取り戻していた。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 ティアーユ・ルナティークはトレインにとって恩人と呼べる存在である。

 逆行して最初に出会った人間であり、住所不定無職なショタっ子になった自分に雨風を凌げる寝床と温かくて異臭を放つ黒焦げの料理を提供してくれた、そんなお人好しがティアーユだった。

 だからこそ、世話になった恩を返そうと彼女の面倒を見だしたのは自然な流れだった。

 巷では天才科学者と評されてはいるが、研究をすれば寝食を忘れるほど没頭し、料理をすれば作るもの全てを黒焦げにし、そこら中で転ぶ、そんなポンコツを見ていられなかったからである。

 だが、後にトレインはこう語る――あれが苦難の始まりだったのだと。

 

 かつての職場≪エデン≫で連日のように研究室に泊まり込む彼女を社畜かお前はと定時直後に自室まで引き摺って行くのがトレインの日課だった。

 その結果作業速度は大幅に落ち、当然のように研究者共に煙たがられ、なんか物凄く見覚えのある変態ドクターに実験材料だと付け狙われてしまったので取り敢えず半殺しにして島流しの刑に。

 一向に上達しない料理スキルに業を煮やし、料理をし出したのはこの頃からだったか。

 自分もなにか手伝うと言い出したドジっ子が皿を割れるわ包丁を飛ばすわ発火させるわで余計に仕事が増えるので役立たずの烙印を押し何もするな黙って座ってろとブチ切れたのは一度ではない。

 そして、なにもないところで転ぶ奴のドジっ子スキルには常に巻き込まれていた。

 これって逆ラッキースケベじゃね? とか一瞬思いもしたが、何度も繰り返されれば色気よりも殺気の方が勝ってきてどうでも良くなった記憶しかないのだが。

 そんなティアーユに巻き込まれ続けたのが原因だったのだろう、当時生まれたばかりで幼女だったヤミことイヴが親代わりのポンコツを盗られたとトレインを嫌ってしまう結果に。

 ある日突然丁寧な口調で、えっちぃ人は嫌いですと言われた日は反抗期かと泣きそうになった。

 

 

「あのポンコツいつか絶対に復讐してやる」

 

 

 恩人? 

 もう十分恩義返したよね?

 だからもう報いてもよくね? 

 我慢する必要なくね?

 地獄に突き墜としてもいいんじゃね?

 

 

「くくく、手を貸そうではないかトレイン。して、どう調教するのだ?」

 

 

 のりのりであくどい笑みを浮かべるネメシスは、トレインの体に≪変身融合(トランスフュージョン)≫状態。

 主従とは似るのか、ネメシスに染まったのか、トレインに染まってしまったのか。

 ドSコンビに狙われたティアーユの明日はどっちなのだろう。

 次々に飛び出す物騒な手法は、耳にした者がいればドン引きするようなものばかりだったとか。

 

 

「にしても、傍迷惑な奴もいたもんだぜ。病人なら大人しく寝てろってんだ」

 

 

 話の切り上げにと発したのは、二人がこうして出歩いている原因だった。

 出会い頭に扉と接吻を交わしたトレインだったが、あれだけティアーユが慌てていたのには原因があり、なんでも介抱していた人物がどこにも見当たらないのだとか。

 せっかくの再会、ティアーユだってヤミと話したいことは山のようにあることだろう。

 聞けば、今回のように抜け出すことは何度もあるそうで、一見慌てていたように見えたティアーユも、よく見れば焦りより怒りの方が強いように思えた。

 本来なら出歩けるような体ではなく、いる場所は決まって近場にある小高い丘の上。

 ならばとトレインが捜索に名乗り出て、付き添う形でネメシスが同伴する流れになったのだ。

 

 

「トレインはよかったのか? かつての同居人だったドクター・ティアーユとの再会なのだ、積もる話もあっただろうに」

 

「いいっていいって。ティアとはあんな感じの付き合いだったから、俺なんかより姫っちの方が問題ありなんだからよ」

 

「……羨ましいよ」

 

 

 内から響くその声には、僅かな影を帯びていた。

 

 

「ネメシス?」

 

「そうまでもトレインに想われているヤミが、私は羨ましくて仕方がない。私はこんなにもお前に尽くそうとしているのに、トレインは何時だってヤミに尽くそうとしていることがな」

 

「尽くすって、お前な……」

 

 

 私はお前のものだとか言っていたが、アレってマジだったのか。

 調教だの下僕だのと女王様気質なネメシスだからこそ、冗談なんだと流していたのだが。

 

 

「私では駄目なのか? トレインが望むなら、私はなんでもしてやれるのだぞ?」

 

 

 突然の発言に面食らうトレインの頬を、実体化したネメシスの両掌が包み込む。

 冗談の類だと笑って流そうとするが、真剣な金色の瞳がそれを阻んだ。

 荒廃した大地を踏む足音、時折吹き抜ける風音だけが二人の間に流れる。

 

 

「幸せになって欲しいんだよ」

 

 

 自分と同じ金色の瞳を、真っすぐに見詰めた。

 

 

「姫っちも、ティアも、俺のせいで不幸にしちまったからな」

 

「二人のことはトレインのせいではないだろう。ドクター・ティアーユが≪エデン≫に抹殺されそうになったのも、ヤミが≪金色の闇≫になってしまったのも、トレインは何一つ悪くはないぞ」

 

 

 ――そうじゃないんだよ、ネメシス。

 泣きそうなネメシスに掛けたかった言葉を、トレインはぐっと飲みこんだ。

 だって、言ったところで誰も信じてくれる筈がない。

 未来の彼女達を庇い、致命傷を負って、過去の世界に逆行したなんて、そんな荒唐無稽な話。

 争い事とは無縁だった彼女達を巻き込み、涙を流させたのは自分だ。

 逆行した世界で出会ったヤミとティアーユが、トレインの知る未来の彼女達とは同一人物であっても別人だということは理解しているつもりだった。

 だから、これはトレインの自己満足に他ならない。

 

 そっと抱き締め、ぐずるネメシスの頭をポンッと叩く。

 探し人の元へ向かう足は止めず、あやす様に何度も、何度も。

 男女平等を掲げるトレインだが、女の涙だけは別だった。

 自分などのために涙を流す、彼女達(イヴとティアーユ)と重なってしまうから。

 

 

「――おっ、あの人じゃね?」

 

 

 ティアーユの言葉通り、近場の小高い丘の上にいるのが目的の人物だろう。

 遠目なので後ろ姿しか視認できないが、波打つ金髪は特徴通りだった。

 

 

「ほれ、ネメシス。何時まで泣いてんだよ」

 

「……うるさい。ずっとこうしていろ」

 

「俺のもの発言はどこいったんだよ。主従逆転ってか?」

 

「ふん、トレインはもっと私を大事にすればいいのだ。立派なご主人様になりたいのならご褒美を寄越せ。鞭ばかり与えて見限られても知らんぞ」

 

「ネメシスに憑りつかれずに済むってんなら、これからも飴はあげられねぇな」

 

「……ばか」

 

 

 不貞腐れたのか、トレインの内に戻るネメシスからの応答はなし。

 苦笑を零し、緩やかについた傾斜を昇っていく。

 

 

「……おろ?」

 

 

 気のせいか、手足が震えている。

 ネメシスの仕業かと疑うが、そんな感じではないように思えた。

 首を傾げるが、震えは一向に収まらず、心なし増しているような気さえしてきた。

 挙句の果てには、第六感とでも言えばいいのか、それが懐かしい響きを打ち鳴らす。

 それが警鐘だと気付いたのは、小高い丘を登り切り、目的の人物を背中を捉えた時だった。

 

 

「…………ははっ」

 

 

 顔が引き攣る。

 冷や汗が噴き出す。

 震えは直立が困難なほどにまで増していく。

 

 

「…………嘘、だ……嘘に、決まって……」

 

 

 紫を基調とし、軍服のような意匠を凝らしたロングコート。

 波打つ金髪は腰まで届き、風に靡く様は息を呑むほどに美しい。

 後ろ姿だけでも相当な美人だと、立ち姿や雰囲気だけで誰もが察するだろう。

 条件反射のように腰元に目が行き、何もないことに心底安堵して。

 だから、前の時と同じなのだと、他人の空似なのだと思った。

 

 

「セフィ、さん?」

 

 

 女性が振り返った。

 

 

「…………え?」

 

 

 ぐしゃっと、鳴ってはいけない音が胃からした。

 

 

「…………」

 

 

 息を呑むほど、その女性は美しかった。

 輝く様な金髪も、涙で潤んだ碧眼も、なにもかも。

 その容姿であらゆる異性を魅了する、宇宙一の美女であるセフィに引けを取らない。

 髪色だとか、瞳の色だとか、服越しでも伺える筋肉の付き方だとか。

 多少の差異はあれど、目の前の女性はセフィと瓜二つだったが、中でも目を引く相違点。

 

 ――わぁ、素敵な刺青ですね。

 

 自分の≪XIII≫を彷彿とさせる、額に刻まれた≪I≫のローマ数字が、彼女の正体を告げていた。

 

 ――あっ、この人モノホンのセフィリア=アークスだわ。

 

 

「……あ、あなたは、は……!?」

 

 

 何故か自分同様に驚愕を張り付けるセフィリアだったが、その疑問に裂く思考など皆無。

 かつてないほど頭が働き、この場を切り抜ける膨大な量の作戦案が浮かんでは消える。

 これって走馬灯じゃね? とか思ったりもしたが、次の刹那には消滅。

 逆行して初めて会うんだから正体隠す必要ないだろうという、冷静に考えれば湧く筈の当然の解に辿り着く可能性は、生死にかかわるほどの重要な局面に直面しているトレインにある訳もなく。

 そして、思考時間では悠久、実際には一秒にも満たぬ時間を経て、トレインは答えを導き出す。

 セフィリアに自分がトレインだと悟らせない、その為の最適解、それは、

 

 

「あれれ~? お姉さんだ~れ?」

 

 

 自分のショタっ子な容姿を最大限利用した、自分ただの子供ですよ作戦である。

 

 

 

 

 




スモールトレイン CV.高山みなみ
江戸川コナン   CV.高山みなみ


突然の報告。
また懲りずに新作を投稿してしまったぜ。

原作:≪遊戯王≫
タイトル:≪トマトとナスとバナナと紫キャベツ≫

暇潰し程度の気持ちでご覧あれ。
報告はこれにて終了っす。


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サイカイ

「僕、クロって言うんだ! お姉さんはなんていうの?」

 

「え、ええ……セフィリアといいます」

 

「そっか! セフィリアさんって言うんだ! よろしくね!」

 

 

 誰がよろしくだ、よろしくなんてしたくねぇよ。

 

 

「その、クロ君……あなたの左鎖骨の絆創膏は……」

 

「あ、これ? この前机の角でごっつんしちゃって痣になっちゃったから、ママが貼ってくれたんだ。もう痛くないから大丈夫だよ」

 

「そう、ですか……お節介かと思いますが、気を付けてくださいね」

 

「うん! ありがとう、セフィリアさん!」

 

 

 あれか、子供だから心配するのか。

 その気遣いをほんの少しでいいので過去の俺にも回してはくれませんかね。

 具体的に言うとね、≪滅界≫とか、≪滅界≫とか、≪滅界≫とか、≪滅界≫とかね。

 先制必中即死技をね、連発とかね、頭おかしいんじゃないの。

 そんなに俺のこと嫌いなの? 殺したいほど憎いの? ≪クライスト≫の錆にしちゃうの?

 ≪クロノス≫時代から人のこと目の敵にして、俺が何をしたっていうんだよ!

 

 

「あの、クロ君。先程、私のことをセフィと――」

 

「あ、僕ママからお使い頼まれてたんだった! 帰らなきゃ! バイバイ! セフィリアさん!」

 

 

 早くも活動限界寸前である、主に胃が、なんか動くたびにぐちゃぐちゃ鳴ってるし。

 外面は笑顔で、内面ではトラウマに遭遇したことによる拒絶反応でボロボロ。

 装飾銃と左鎖骨の≪XIII≫の刺青はなんとか誤魔化せたが、だからといって油断はできない。

 セフィリアがティアーユの探し人である以上、あのポンコツがベラベラと要らぬことを話して正体がバレるなんてことは普通に起こりうる未来だ。

 よって、急ぎティアーユ達の元へ戻り、口裏を合わせてもらわなければ。

 

 

「まっ、待って――」

 

「ひぃ!?」

 

 

 全身の産毛が総毛立つ。

 一瞬だけ触れたセフィリアの手を全力で払い除け、次の瞬間己の失態を自覚し青褪める。

 トラウマによる拒絶反応だったが、今の行動は明らかに不自然だ。

 そう思って、慌てて後ろを振り返ったトレインが見たのは、

 

 

「っ…………」

 

 

 どさっ。

 

 

「…………へ?」

 

 

 地面に倒れ伏したセフィリアの姿だった。

 油断させてからの≪滅界≫の線を危惧した、事実過去に一度騙されて死にかけた。

 しかし、額に脂汗を浮かべ、荒い息を吐く様子は明らかに普通ではない。

 棒でもあれば距離を取って触診できるのだが、無いものねだりだ。

 やむを得ず、細心の注意を払い、警戒心を最大限に引き上げ、即座に飛び退ける心構えで、ゆっくりと、恐る恐る、怪音を奏でる胃に考え直し、それでもと、だけどやっぱり、いやでも、だけどここで見捨てるのは人として、しかし、だがしかし、いやいやいや――

 

 

 ――何をやっているんだ、トレイン?

 

 ――ネメちゃん!? いいところに!

 

 ――ねねっ、ネメちゃん!?

 

 

 救いの女神、降臨である。

 

 

 ――お願い。後生だから、一生に一度のお願いだから。

 

 ――ど、どうしたのだトレイン? いつにも増して今日は様子がおかしいぞ?

 

 ――この女の人にさ、≪変身融合(トランス・フュージョン)≫してくんね? そんで内から検査をさ。あと介錯も。

 

 ――わ、私に他の女のところへ行けというのか!

 

 ――ネメちゃんの! ちょっといいとこ見てみたい!

 

 ――しょ、しょうがないなぁ!

 

 

 ちょろいな。

 

 

「待っててセフィリアさん! 僕、誰か他の人を呼んでくるから!」

 

 

 トレインは走った。

 倒れ伏したセフィリア、締まりのない顔のネメシスを残して、走り出した。

 逃走――否、これは戦略的な撤退である。

 ティアーユ達への口裏合わせを行うためにも、此処はネメシスと二手に分かれるのがベスト。

 決してトラウマから逃げるためだとか、ネメシスに嫌なことを押し付けた訳でもない。

 

 

「わはははは! マスール銀河最強の賞金稼ぎ、ガチ・ムーチョ様の登場だ!」

 

 

 そして、そんなトレインに神は試練を与える。

 背中に強大な金砕棒を背負った変な恰好の宇宙人が、突然現れた。

 

 

「てめーは手を出すんじゃねーぞ、ガチ・ムーチョ。このガキ共を人質にすりゃ、≪赤毛のメア≫も手が出せねーはずだ。オレ様の宇宙海賊バロック団を壊滅させた恨み、晴らさでおくべきか」

 

「その案には賛成だが、とどめを刺すのはボクだよ。全身サイボーグ化された、その恨みをね」

 

「私も引くわけにはいかぬな。彼女への雪辱を晴らすため、一睡もせずに鍛えたのだから」

 

 

 更に湧いてきた、変な三人組が。

 

 

「悪いが坊や。あんたはこのあたし、≪暴虐のアゼンダ≫が利用させてもらうよ。あのクソガキ、≪金色の闇≫に復讐する、そのための人質としてね」

 

 

 エロい服着た女の人まで登場してきた。

 

 

「…………」

 

 

 そのままスルーすることにした。

 

 

『ちょっと待てぇえええええええええ!!』

 

 

 しかし、回り込まれた。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 曰く、賞金首である≪金色の闇≫と≪赤毛のメア≫を捕らえるために。

 曰く、≪赤毛のメア≫への復讐のために。

 曰く、同じ殺し屋である≪金色の闇≫に負けて地に堕ちた信用を復活させるために。

 

 

「すんません。やっぱ俺帰ってもいいっすか?」

 

 

 結論。

 全部ヤミとメアの仕業だった。

 

 

「……どうやら、痛い目見なきゃ分からないようだねぇ!」

 

 

 そう言って、アゼンダは腰に巻かれた鞭を振るってきた。

 速度は相当なもの、常人には到底目で追うことのできないだろう速度。

 

 

「なっ!?」

 

「あのさぁ。こう見えて俺、急いでんだよね。だから、あんた等の相手してる暇はないのよ」

 

 

 だが、トレインには止まって見える。

 かつての同期、≪時の番人(クロノ・ナンバーズ)≫の鞭使いに比べれば、アゼンダの技量は天と地ほどの開きがある。

 無造作に翳した手が鞭の先端を掴み取り、唖然とするアゼンダを見据えた。

 

 

「邪魔だ、失せろ」

 

 

 言葉に殺気を込め、格の違いを知らしめようと言い放とうとして、

 

 

「うっ……」

 

 

 背後からセフィリアの呻き声が聞こえた。

 

 

「わぁあああああああ!? 僕怖いよぉおおおおおお!?」

 

 

 全力で無力な子供ですよアピールを敢行した。

 掴んだ鞭を放り捨て、全力で後ろへと駆け出す。

 はたして、そこにはゆっくりと立ち上がるセフィリアとなにやってんだこいつ的な目を向けてくるネメシスがいた。

 

 

「お、驚かせやがって……ただのマグレか」

 

「ボクでも見切ることが出来ないアゼンダの鞭を、あんな子供が見切れる筈がないよ」

 

「ふ、所詮はただの子供ということか」

 

 

 自分の演技力には脱帽するしかない。

 敵を欺くその技量、子役デビューも夢ではないとトレインは思った。

 

 

「も、申し訳ありません。手を煩わせてしまって……」

 

「いや、気にするな。私はただ、トレインに頼まれただけで――」

 

「危ないネメちゃん伏せろぉおおおおおおお!!」

 

「うきゃぁあああああああああああああああ!?」

 

 

 ネメシスを押し倒した。

 

 

「ネメちゃん怪我はない! どこか痛む? 大丈夫だよ僕が着いてるから!」

 

「どどど、どうしたのだ? 本当に今日のトレインは変――」

 

「僕の名前はクロだよネメちゃん! まさか名前を間違えるなんて!? くそぉ、あいつ等めぇ! 絶対に許さないぞぉ! あまりのショックでネメちゃんがおかしくなっちゃったじゃないか!」

 

 

 ネメシスの顔を搔き抱き、セフィリアの死角へと隠す。

 内緒話の為の至近距離だが、突然の事態にネメシスの顔が爆発したように真っ赤になった。

 

 

「俺、クロ。ネメシス、ご近所の幼馴染。設定説明終了。アンダスタン?」

 

「ち、ちち、ちか、ちっ……か、かお、ちかっ……!?」

 

「――あのっ」

 

「ぎゃあああああああああああっ!?」

 

「どうしたのですかクロ君!?」

 

「怖いよネメちゃぁああああんっ!?」

 

「くっ、こんなに怯える子供を人質にするなんて……なんと卑劣な!」

 

 

 連中じゃないよ、お前が怖いんだよ。

 

 

「うるせーぞお前等!!」

 

 

 轟音と迸らせ、地面に金砕棒を突き立てたガチ・ムーチョが怒鳴り上げた。

 

 

「いいか! お前らは≪金色の闇≫と≪赤毛のメア≫を誘き寄せるための餌だ! しらばっくれても無駄だぞ! お前らガキ共が二人と親しいことは調べがついてんだからな!」

 

 

 屈強な体格から繰り出される強力な一撃は確かに脅威だ。

 だが、スピードがまるでない、典型的なパワータイプなのだとガチ・ムーチョを評す。

 この中で最弱だろうネメシスでも、楽に処理できる相手だと判断する。

 

 

「……ネメちゃん、どのくらい回復してる?」

 

「ふぁ……んんっ、その……実体化しての戦闘は無理だ。短時間なら可能だが、これだけの人数が相手だと内包しているダークマターの方が先に尽きる」

 

 

 しかし、あくまでもそれは全快状態だったらという前提での話。

 短期間とはいえ≪変身融合(トランス・フュージョン)≫の依代だったんだ、ネメシスが現状戦力になることといえば、トレインの補助が精一杯だろうことは想像に容易い。

 ≪プロジェクト・ネメシス≫がどのようなコンセプトなのかは知らないが、ヤミやメアのように自身が戦うのではなく、誰かに≪変身融合(トランス・フュージョン)≫しつつ不定形であるダークマターの特性を生かした自由度の高い≪変身(トランス)≫でサポートに徹する方が、実体化の維持にエネルギーを消耗するネメシスには理に適っているのだから、別に問題はない。

 しかし、今回ばかりは得手不得手など度外視してでも戦ってもらいたかった。

 

 

「それで、クロはあの女にはどこまで隠すつもりなのだ?」

 

「僕の正体に繋がる全て。トレイン? 誰それ、電車男? 僕はただの子供だよ?」

 

「別にバレても構わんだろう? 最悪、力尽くで口封じをしてでも……」

 

「……滅界怖い滅界怖い滅界怖い滅界怖い滅界怖い滅界怖い滅界怖い滅界怖い――」

 

「すまん。すまんクロ、私が悪かった。悪かったから、頼むから戻ってきてくれ」

 

「…………正体がバレるのは死ぬとき……か……」

 

 

 ネメシスは勿論、今回はトレインも戦力外だ。

 よって、連中の相手はセフィリアに全部丸投げしよう。

 傍迷惑な連中だが、セフィリアを相手にする彼等に心底同情するトレインだった。

 ≪桜舞≫で翻弄、≪雷霆≫で超接近、≪滅界≫、相手は死ぬ。

 幾度となく喰らってきたセフィリアの必殺コンボを思い出し、ホロリと涙が頬を伝う。

 

 

「…………」

 

 

 ざっ、と前に立つセフィリア。

 立ち姿は歪み、息遣いは荒く、脚は小刻みに震え、腰にある筈の絶対相手殺すウェポンが――

 

 

「ひょ?」

 

 

 この時、脳裏を過ったのはティアーユの顔。

 彼女はなんと言っていただろう、何故自分達はセフィリアの迎えに行ったのだろう。

 

 ――今のセフィリアは、本来ならば出歩けるような体ではない。

 

 全盛期のトレインが、唯一守勢に回らざるを得なかった最強剣士。

 だが、彼女の奥義である≪滅界≫を放ってきた愛剣≪クライスト≫は、どこにも見当たらず。

 立つことさえ一杯一杯の今のセフィリアからは、その面影を感じることさえ難しかった。

 

 

「なんだ、女。用があるのはガキ共だ、テメーは引っ込んでろ」

 

「……そうは、いきません」

 

 

 睥睨するガチ・ムーチョに、セフィリアは真っすぐ見返す。

 

 

「どうするよ?」

 

「ヒヒ……必要なのはガキ二人だからね。彼女は必要ないよ」

 

「……邪魔者は、消す」

 

 

 直後、三人組が動き出した。

 上空から一人、左右に一人ずつ、ガチ・ムーチョはその場で不動。

 いや、傍にある瓦礫に向けて、強大な金砕棒を振りかぶった。

 反射的に懐の装飾銃に手が伸びそうになり、身構えるセフィリアに動きを止める。

 

 

「おらぁ!」

 

 

 豪快なスイングの後、粉砕された瓦礫が散弾となって殺到。

 対し、振り返ったセフィリアはトレインとネメシスを抱え、その場から飛び退った。

 

 

「あばばばばばばばばばば」

 

「く、クロ君!?」

 

「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ殺される」

 

「大丈夫ですから! 私が守りますから!」

 

「胃が胃が胃が胃が胃が胃が――!!」

 

「……なんなのだろうな、この状況」

 

 

 セフィリアに触れられた瞬間、再発するトラウマ現象。

 全身が震え、汗が吹き出し、胃が有り得ない音を奏でる。

 それを恐怖から来る異変だとセフィリアは思い、安心させようと強くトレインを抱き締め、余計に悪化する拒絶反応、これぞまさに悪循環。

 あまりにも奇天烈な光景に、セフィリアに抱き抱えられ、ネメシスは遠い目をするのだった。

 

 

「潰れろぉ!」

 

 

 三人組の一人、海賊風の出で立ちの男が自らの武器の先端を分離させ、そのまま射出。

 セフィリアは最小限の動きで躱し、本体と繋がるワイヤーの上に降り立つ。

 

 

「こいつっ」

 

 

 三人組の一人、サイボーグ男が翳す掌が発光し、幾つもの光弾がセフィリアを襲う。

 しかし、ワイヤーの上という悪条件な足場であっても、彼女の足運びは流麗だった。

 踊るように光弾を捌き、流れ弾がワイヤーを直撃、そのまま焼き切れてしまう。

 

 

「どこ狙っていやがる!」

 

「す、すまない!」

 

「――斬る!」

 

 

 地面に降り立つセフィリアに、三人組の最後の一人、着流し男が肉薄。

 着地する軸足目掛け、鞘から抜き放った刀の一撃を見舞うが、

 

 

「ふっ――」

 

「なんと!?」

 

 

 足場なき空中で体を捻り、繰り出された踵落しが刀身をへし折った。

 

 

「……引きなさい。命までは奪おうとはしません」

 

 

 額に汗を浮かべ、荒い息を付くセフィリアは、なるほど確かに全快には程遠い。

 しかし、宿る意思の光は消えることはない。

 明王を彷彿とさせるセフィリアの威圧に、三人組は揃って後ろ足を引いてしまう。

 

 

「や、やるではないか、セフィリアとやら」

 

「……こちらこそ、手荒な真似をしてすみません」

 

「ネメシスだ。別に気にすることはないぞ」

 

「それは良かった。ところで、クロ君は……」

 

「…………」

 

 

 返事がない、ただの屍のようだ。

 

 

「クロ君――」

 

「あたしを無視すんじゃないよ!」

 

 

 迫り来る鞭に飛び退くが、地を這う蛇のように絶えずセフィリアを追尾。

 執拗に追いかけてくる鞭から逃れることは、今のセフィリアには困難だった。

 だからといって、この体では長期戦は得策ではない。

 足を止め、迎え撃とうと身構えるセフィリアに、アゼンダは片腕を突き出す。

 

 

「体がっ」

 

 

 念動波。

 高速の鞭と並び、≪暴虐のアゼンダ≫の得意とする異能。

 お静の霊能力には劣るが、本調子ではないセフィリアの動きを阻害するには十分すぎた。

 

 

「そぉら!」 

 

「くっ……!!」

 

 

 トレインとネメシスの矢面に立ち、アゼンダの鞭がセフィリアを襲う。

 一閃、二閃、三閃――。

 服が弾け、皮膚が裂け、血が滲み、それでも鞭の嵐は止まない。

 それでも、絶対に傷付けさせまいと歯を食いしばるセフィリアに、傍観を決め込むネメシスではなかった。

 

 

「お、おいクロ! 起きろ! 起きないか!」

 

 

 必死の呼び掛けに、しかしトレインが反応することはない。

 うわ言のように「滅界怖い滅界怖い滅界怖い」と繰り返すだけだ。

 

 

「くそっ」

 

 

 だからこそ、ネメシスが動く。

 内に蓄積されたダークマターを解き放ち、周囲へ散布。

 ≪変身(トランス)≫による防御壁が展開され、アゼンダの鞭を防ぐ。

 

 

「ネメシスさんっ」

 

「長くはもたん! 早く此処から離れろ! ドクター・ティアーユ達に助けを求めるんだ!」

 

「ですが……」

 

「いいから行け!」

 

 

 暫くの逡巡の後、踵を返そうとするセフィリアは、足をもつらせてしまう。

 倒れ伏し、立ち上がろうと両手を支えにするが、それさえも叶わない。

 

 

「邪魔だクソガキぃ!!」

 

「あぐっ!?」

 

 

 轟音、そして粉砕。

 ≪変身(トランス)≫によって構成された防御壁を突き破り、ガチ・ムーチョの金砕棒がネメシスを襲う。

 直撃こそ免れたが、実体化と合わさり急速に消費されるダークマターに、ネメシスの体は無意識のうちに思念体へと変換され、緊急避難先としてトレインへと≪変身融合(トランス・フュージョン)≫されてしまった。

 トレインは使い物にならず、セフィリアも負傷が重なり立つこともままならない。

 

 

「さぁて、凌辱タイムの始まりだよ」

 

 

 背後にガチ・ムーチョを、囲い込むように三人組が油断なく距離を詰める。

 絶対絶命の状況下、それでもセフィリアはトレインを守ろうと力一杯抱き締め。

 そんな彼女達を、嗜虐的な笑みを顔に刻み、鞭を扱き、アゼンダは迫る。

 

 そこから先は、嬲り殺しのように一方的なものだった。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 自分が犯した罪を見せつけられているようだった。

 

 クリードとの激戦の後、度重なる≪滅界≫により、体はかつてないほど消耗されていた。

 この世に生を受けた直後、抹殺人として生きることを宿命付けられた、この身に施された治癒能力向上の強化手術がなければ死んでいてもおかしくはない、それほどの消耗。

 でも、体が全快だったならば、もう一度命を断とうとしていただろう。

 もし≪クライスト≫が無事ならば、躊躇なくその刃を心臓に突き立てていただろう。

 ティアーユの静止を振り切り、何度もこの丘に足を運ぶのは、身投げでも考えたからか。

 彼の居ないこの世に、もう未練などない。

 だから、今度こそはと思って足を運んだ丘の上で、少年と出会った。

 暗色の髪、金の瞳、鈴付きの真っ赤なチョーカー、左鎖骨に刻まれた≪XIII≫のローマ数字。

 もういない、最愛の彼を彷彿とさせる、そんな少年とセフィリアは出会ってしまった。

 

 クロと名乗る少年は、まるで罪の象徴のようにセフィリアの心を抉っていく。

 瞳に宿るのは過度の怯え、行動一つ一つが自分を拒絶するような挙動を取られてしまう。

 それでもと、距離を縮めようと、連中の脅威から守ろうとして。

 アゼンダから執拗に振るわれる鞭の連撃に晒されながら、そんな自分の過ちを悟った。

 まただ、また自分は一人善がりな行動を取ってしまったのだと。

 相手の迷惑を顧みず、自分の想いだけを押し付ける、なんて自分本位な考えだ。

 また繰り返すのか、最愛の彼を彷彿とさせる少年に、また。

 

 

「あはははっ! これで何発目だい! 一体いつまでもつんだろうね!」

 

 

 セフィリアは不器用な人間だ。

 生まれてから今まで、その身は≪クロノス≫に捧げ、培った力は対象を抹殺する術だけ。

 そんな人間が、誰かのことを想うなど間違っているのだろうか。

 

 

「決めたよ! あんたは殺さない! 死ぬ寸前までいたぶって、どこかの金持ちに売り飛ばすんだ! 幸い顔だけはいいんだ! その体を上手に使えば妾くらいにはしてもらえるだろうさ!」

 

 

 それでも。

 例え間違いだったとしても。

 何度同じような局面に出会ったとしても。

 

 

「でもね! そんなあんたにチャンスをあげようじゃないの!」

 

 

 もう、何もしない選択だけはしたくないから。

 自分の居ないところで、最愛の人が傷付き、息絶え、その身を散らしてしまうなんて。

 嫌なんだ、なにも出来ないなんて、そんなの嫌だから。

 

 

「そのガキを差し出しな! そうすればあんたは助けてやるよ! だから選ぶがいいさ! 我が身可愛さにガキを犠牲にするか! それともご立派な自己満足に浸って地獄を見るか!」

 

 

 だから、セフィリアは――。

 

 

「…………い、やだ」

 

「あ?」

 

 

 鞭の嵐が止み、倒れ込みそうになる体を意思の力で奮い立たせ。

 背を向けていたセフィリアは、振り返り、アゼンダを見上げる。

 不屈の心を宿した、真っすぐな目で。

 

 

「この、子、は……渡さない……絶対に、渡す、もんか」

 

 

 体力が底を尽き、体はボロボロ、虫の息寸前の体だ。

 それでも、セフィリアの言葉には芯があった、強い響きが込められていた。

 

 

「今度こそ……私は……絶対にっ……!」

 

 

 生まれてから培ったものは全て、この時のために。

 人殺しの技術も、強化手術を施された肉体も。

 自分の知らぬ場所で、知らぬ時間に、失ってしまった最愛の人は守れなかったけれど。

 それでもせめて、この少年だけは。

 最愛の人を思い出させる、背中の少年だけは、絶対に。

 

 

「守るんだ! この命に代えてでも!」

 

 

 返答は、冷淡だった。

 

 

「あっそ。じゃあ、死ねば?」

 

 

 念動波によって硬質化された鞭の刺突。

 躱せる体力はない、例え合っても躱さない。

 今セフィリアが避ければ、後ろのクロに当たってしまう。

 華奢な身体を目一杯に広げ、迫り来る痛みに、それでもセフィリアは目を閉じなかった。

 

 

 轟砲。

 

 

 鋭利だった鞭の先端が裂け、潰され、微塵にされる。

 それは、一発の銃弾では有り得ない現象だった。

 時が拍を刻むのを忘れてしまったかのように、静まり返る丘で唯一、セフィリアの思考は回る。

 常人より遥かに優れた、セフィリアの聴力だからこそ、その音を捕らえることが出来た。

 

 ――六発。

 

 一度の銃声で、六発の銃弾を射出する、神がかった銃技。

 そんな芸当が出来るのも、それを可能にする銃も、セフィリアが知る限りは一つだ。

 だって、≪六連続早打ち(クイック・ドロウ)≫は、彼が最も得意とする技なのだから。

 

 

「すんません。俺、あなたに嘘をついてました」

 

 

 止まっていた拍が、再び刻み出した。

 幾つもの金属音を響かせ、排出し終えたシリンダーに、新たな銃弾を装填。

 その小さな体には不釣り合いなほど大仰な装飾銃を握り締め、少年はセフィリアの前に立った。

 だが、誰もが言葉を発せない。

 少年が醸し出す、誰もが膝を屈してしまいそうな覇気は、発言の自由すら彼等から奪い去る。

 

 

「何者だい、あんた」

 

 

 それでも、沈黙の方が苦痛だと。

 やっとの思いで紡がれたアゼンダの問いかけに、少年は淀みない口調で答える。

 

 

「秘密結社≪クロノス≫所属。No.≪I≫、セフィリア=アークス率いる特務部隊≪時の番人(クロノ・ナンバーズ)≫のNo.≪XIII≫、トレイン=ハートネット。授かりしオリハルコン製の武器は装飾銃≪ハーディス≫」

 

 

 その言葉の後、準備は終わったと、握っていた装飾銃を横へ突き出した。

 周りに見えるように、銃身に刻まれた≪XIII≫の刻印を見せつけるように。

 ≪時の番人(クロノ・ナンバーズ)≫へ入隊時、セフィリアから授かった、この世に二つとない、世界最高最強の超金属≪オリハルコン≫によって生成された自慢の相棒、装飾銃≪ハーディス≫を、誇らしげに。

 

 

「……っ……ぁっ……」

 

 

 幾度となく口にした言葉が出てこなくて。

 枯れ果てた涙が幾度となく溢れだしてきて。

 瞳から大粒の涙を流し、懸命に絞り出したのは、返ってくることのなかった六つの言霊。

 

 

「ハート、ネット」

 

 

 紡ぎ出す、最愛の人の名前。

 振り返り、笑みを浮かべた少年の顔が、懐かしい青年の笑顔と重なる。

 

 

「セフィリア先輩」

 

 

 たった一つの願いは、成就された。

 愛する人に逢いたい。

 決して叶うはずのなかった願いが、今。

 

 

「後は任せてください。今度は俺が、あなたを守ります」

 

 

 自由気ままな野良猫が今、最強の抹殺人(イレイザー)である≪黒猫(ブラックキャット)≫として、セフィリアの前に立つ。

 背中の守護する者に幸福を、眼前の仇なす者へ不吉を届けるために。

 

 

 

 

 




女剣士視点「ハートネット……(ズキューン)」
主人公視点「滅界怖い滅界怖い滅界怖い……!!」

すれ違いって怖いなー(棒


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ナンバーズ

 殺し屋≪暴虐のアゼンダ≫に賞金稼ぎ、ガチ・ムーチョ、そして復讐者である三人組。

 彼等彼女等は、言葉を発することを忘れる。

 何かが変わった訳ではない。

 標的は子供二人、そして邪魔者が一人。

 うち一人は何処かへ消え、もう一人は傷付き、そんな彼女の前に少年が立ちはだかる。

 少年になにか特別な変化が訪れた訳ではない。 

 唯一、その小さな体には不釣り合いな大仰な装飾銃を持っているだけなのに。

 

 

「ガハハハハハハっ!!」

 

 

 そう、たったそれだけのことなのだ。

 何を恐れることがあると、ガチ・ムーチョは勇ましく吠える。

 鋼のように鍛え抜かれたその体、例え銃弾だろうが致命傷になどなりはしない。

 

 

「秘密結社≪クロノス≫? ≪時の番人(クロノ・ナンバーズ)≫? 知らねーな! そんな組織も! そんな部隊名も!」

 

 

 相棒である金砕棒を振り回し、悠々とトレインへと歩み寄る。

 相対する彼等の身長、体付き、全てが大人と子供以上の隔たりがあった。

 

 

「テメーみたいなガキ、このマスール銀河最強の賞金稼ぎ、ガチ・ムーチョ様の敵じゃねーぜ!」

 

 

 だが、ガチ・ムーチョは知らない、知る由もない。

 ≪クロノス≫の恐ろしさも、≪時の番人(クロノ・ナンバーズ)≫の強さも。

 此処とは別の世界、全十二人で構成され、各々が世界最強硬度の超合金で造られた武器を持ち、それらを限界まで極めた超常の戦闘集団。

 目の前の少年は、特例として≪時の番人(クロノ・ナンバーズ)≫に迎え入れられた、最強の存在であることを。

 

 

「≪マルス≫」

 

 

 言葉と共に、トレインの手に具現化する、黒いナイフ。

 同時に装飾銃を懐に仕舞い、舐められているのだとガチ・ムーチョの怒りを買う。

 

 

「そんなチャチなナイフで俺様の武器と張り合おうってのか! 舐めてんじゃねーぞ!」

 

 

 振り下ろされる金砕棒に、誰もが幻視するだろう光景は凄惨なものだった。 

 だが、アゼンダ達は、不思議とそのような結末にならないだろうと直感した。

 

 ――瞬間、トレインの手が黒いナイフと共にブレる。

 

 No.≪IV≫、クランツ=マドゥーク。有する武器はナイフ。

 内に眠るネメシスの≪変身(トランス)≫により忠実に再現された超振動に、卓越したトレインの技量が合わさり、ガチ・ムーチョの金砕棒はバラバラに斬り裂かれてしまう。

 有り得ない事態にガチ・ムーチョは言葉を失い、その大仰な身体を硬直。

 その時には既に、トレインは懐へと潜り込んでいた。

 

 

「≪ディオスクロイ≫」

 

 

 No.≪V≫、ナイザー=ブラッカイマー。有する武器は一対のトンファー。

 黒いナイフが消え、代わりに具現化された二振りのトンファーを握り締め、振り抜かれる。

 豪雨、そうとしか形容できないラッシュ。

 数百に迫る打撃がガチ・ムーチョに体に沈み、その巨体が吹き飛ぶ。

 

 

「こいつ、ただのガキじゃない!」

 

 

 堪らず声を上げ、三人組のサイボーグ男が翳した掌が発光。

 殺到する光弾を避ければ、後ろにいるセフィリアに当たってしまうだろう。

 

 

「≪エクセリオン≫」

 

 

 だからこそ、トレインは避けなかった。

 N0.≪VII≫、ジェノス=ハザード。有する武器は鋼線付きグローブ。

 瞬時に張り巡らされたワイヤーに阻まれ、光弾が二人に届くことはない。

 

 

「これならどうだい!」

 

 

 すかさず、アゼンダが動く。

 念動波がトレインの体を縛り、動けない隙を突き、再び光弾を掃射。

 即席ながら見事な連携プレイに、トレインは為す術もなく。

 その瞳に恐怖を宿すことなく、次の一手を静かに呟く。

 

 

「≪ア・バオア・クー≫」

 

 

 着弾、しかしその全てが弾かれた。

 No.≪XII≫、メイソン=オルドロッソ。有する武器は内に無数の武器を秘めた強固な鎧。

 

 

「≪グングニル≫」

 

 

 防御から攻撃へ。

 No.≪II≫、ベルゼー=ロシュフォール。有する武器は大鎗。

 速度と手数に重きを置く≪アークス流術≫と対を成す、≪エルヴァルト槍術≫。

 重厚な一撃が空いた距離を蹂躙し、生み出された衝撃波がサイボーグ男に直撃。

 最後の遠距離攻撃手段を失い、着流し男が抜刀しながらトレインへ迫る。

 

 

「いざ!」

 

「≪ヘイムダル≫」

 

 

 応戦すべく、瞬時にトレインは次の一手を具現化。

 No.≪VIII≫、バルドリアス=S=ファンギーニ。有する武器は鎖付きの鉄球。

 鎖を握り締め、頭上で旋回させた鉄球を投擲するも、速度がないため簡単に躱されてしまうが、

 

 

「なんとっ」

 

 

 突如軌道を変えた鉄球が着流し男を襲い、その体に鎖が巻き付き自由を奪う。

 ≪ヘイムダル≫の各所に設けられた噴出孔からのブーストによる軌道修正。

 

 

「≪ウルスラグナ≫」

 

 

 必死になって拘束を解こうとする着流し男に、影が差す。

 No.≪XI≫、ベルーガ=J=ハード。有する武器はバズーカ。

 その強大な砲身は弾切れになろうとも鈍器として使用でき、落下速度と≪ウルスラグナ≫自身の重量が加わり、振り下ろされる一撃が着流し男を叩き潰した。

 

 

「野郎! クソガキの分際でぇ!」

 

 

 三人組の最後の一人、海賊風の男が取り出した歪な球体に、アゼンダの目の色が変わる。

 

 

「小型重力爆弾……ばっ、ガキだけじゃなくあたしらまでお陀仏だよ!?」

 

「うるせー! 殺らなきゃ殺られんのはオレ達だ! 後はどうにでもなる!」

 

「これだから男って生き物は……!!」

 

「おいガキ! これがオレ様の切り札、小型重力爆弾だ! 爆発したら最後、ここいら一帯を吹き飛ばすトンデモねー代物だぜ! 分かったら大人しく降参を――」

 

「≪セイレーン≫」

 

 

 No.≪X≫、リン=シャオリー 。有する武器は羽衣。

 具現化させた黒い羽衣を閃かせ、地面から粉塵を巻き上げる。

 それはアゼンダ達をも呑み込み、視界が失われてしまった時だった。

 

 

「ガキが向かってるよ! 早く爆弾をあたしに寄越しな!」

 

「っ……アゼンダ!」

 

 

 声の方向へ、海賊風男は小型重量爆弾を投げ渡し、

 

 

「≪アルテミス≫」

 

 

 返答は、無数の矢。

 No.≪III≫、エミリオ=ロウ。有する武器は弓矢。

 粉塵が晴れ、そこにいるのは高速射出術により、大量の矢を射たトレイン。

 その足元に転がる小型重量爆弾に、最後の一人であるアゼンダは歯軋りをする。

 

 

「あんた、あたしの声を……!?」

 

 

 粉塵で海賊風男の視界を奪い、アゼンダの声を真似、トレインを彼女だと誤認させる。

 切り札である小型重力爆弾を奪取され、残りはアゼンダ一人だけ。

 

 

「くそ、ガキがぁ!」

 

 

 激情のままに、彼女の代名詞である、予備の鞭を繰り出す。

 だが、目には目を、歯には歯を、

 

 

「≪オシリス≫」

 

 

 そして、鞭には鞭を。

 No.≪VI≫、アヌビス。有する武器は鞭。

 ≪暴虐のアゼンダ≫として、長い年月を経ることで漸く可能になった、変幻自在な鞭捌き。

 しかし、トレインの鞭捌きはそれを上回っていた、比べることすらおこがましい。

 撓る鞭の先端を正確に捉え、弾き、絡めとる。

 堪らず片手を突き出し、念動波を行使するアゼンダよりも早く、トレインは動く。

 

 

「≪ジークフリード≫」

 

 

 No.≪IX≫、デイビッド=ペッパー。有する武器は54枚1束のトランプ。

 ばら撒かれ、その全てが意思を持つかのように標的であるアゼンダへと襲い掛かる。

 念動波で止めようにも数が多過ぎ、避けきれないと防御の構えを取り。

 直撃する瞬間、≪ジークフリード≫は霧散。

 慌てて反撃に打って出ようとするが、トレインは既に彼女の間合いの内へ肉薄していた。

 

 

「≪クライスト≫」

 

 

 高潔を絵に描いたように、その剣は美しかった。

 気品に溢れ、気高く、纏う雰囲気は静謐。

 これまで生成された武器の全てが≪変身(トランス)≫による模造品にも関わらず、トレインの手に握られた漆黒の長剣の完成度は、本物と見紛うほど、細部に渡る細かな意匠さえも再現されていた。

 

 

「≪アークス流剣術≫、終の第三十六手」

 

 

 速度と手数に重きを置く、全三十六手存在する流派の最終奥義。

 放てば必中、先の先を取り、あらゆる障害を突き崩す、刹那の閃光。

 明王の前で痛みも苦しみもなく一瞬で塵と化す、その技の名前は。

 

 

「≪滅界≫」

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

「――よし、逃げるか」

 

 

 トレインは心に誓った。

 必ずや、かの女剣士から逃げねばと決意した。

 トレインには女心は分からぬ。

 トレインは今まで、女性と付き合ったことはない。

 青春時代は修業や仕事に忙殺され、逃亡時代は物理的にも精神的にも殺されかけて。

 逆行してからご覧の通り、色事とは無縁のスモール状態だった。

 けれども女性の恐ろしさには、人一倍触れているという自負があった。

 セフィリアに命を狙われ、ヤミに命を狙われ、ネメシスに命を狙われ、メアに命を狙われ――。

 

 

「……ははっ、俺が何をしたと?」

 

 

 そのうち女性恐怖症とか、新しいトラウマでも発症しないだろうか。

 既に≪滅界恐怖症≫なるものに悩まされている身としては、全くもってシャレにならない。

 早いところティアーユ達のところへ向かい、救助を頼もう。

 涼子やお静もいるのだから、セフィリアの怪我なんてあっという間に治せるはず。

 これまで何度もお世話になったのだ、彼女達の腕は信頼している。

 

 

「……そうと決めたんなら、急がないとな」

 

 

 ネメシスに残ってもらえれば良かったのだが、生憎彼女は現在眠りについていた。

 脱退したとはいえ、≪クロノス≫には一応ながら義理がある。

 思い入れのある組織を馬鹿にされ、だからこそ≪クロノス≫の象徴である≪時の番人(クロノ・ナンバーズ)≫の力で奴等を倒そうと思ったんだ。

 そのためにはネメシスの≪変身(トランス)≫は必要不可欠で、だから彼女に助力を願った。

 具現化は一瞬、細部に渡るイメージを行ったから、消耗は最低限で済んだ。

 とはいえ、これ以上ネメシスに頼るのは、あまりにも酷というものだから。

 

 

「だから……だから、これはそう、仕方がないんだ……」

 

 

 トラウマのある自分では、セフィリアの介助は出来ない。

 だから、それが可能である者に応援を願う。

 別になんら不自然ではない、当たり前のことではないか。

 

 

「…………」

 

 

 歩んだ足が、止まる。

 地面に縫い付けられたみたいに、そこから先には動いてはくれない。

 そして、肩越しに後ろを振り返ろうとして――

 

 

「……やめろよ」

 

 

 見ないように。

 後ろを振り返らないように。

 今の自分に出来ることをしようと。

 ティアーユ達に助力を願おうと。

 

 

 

 

「…………ハート、ネット……」

 

 

 

 

 耳を塞ぐ。

 何も聞こえないように、見えないように。

 目を閉じ、呼吸を止め、五月蠅い心臓の音だけに集中し――それでも耳から離れない。

 

 

「…………なんなんだよ」

 

 

 振り返った時、目にしたのは地に伏したセフィリアだった。

 服が破れ、皮膚が裂け、血が流れている。

 しかし、一見酷い状況だが、セフィリアの傷は鞭によるものだ。

 別段致命傷という訳でもなく、少々処置が遅れたって後遺症が残るほどでもない筈だ。

 

 

「……なんなんだよ、あんた」

 

 

 見捨てるという訳ではない。

 ただ、自分ではどうすることも出来ないから。

 だから、一刻も早く助けを呼ぶだけなのに。

 

 

「……ふざけんなよ」

 

 

 沸々と、沸き起こる感情は、怒り。

 自分の正体を偽るため、セフィリアを騙し、その結果負った傷。

 最初から自分が戦っていれば、こんなことにはならなかった。

 セフィリアが傷付くことも、ネメシスに負担を掛けることもなく、全てが一件落着で済んだ。

 なら、責任は全て自分にあるというのか。

 でも、そうなる原因を作ったのは誰だ。

 実力を隠すなんて面倒な真似をしなければならなくなった、そんな理由を作ったのは。

 未だに色濃く、根を張る、トラウマを自分に刻み込んだのは、一体誰なんだ。

 

 

「ふ……ざっけんなぁあああああああああああああ!!」

 

 

 全部が全部、セフィリア=アークスが原因じゃないか。

 

 

「何なんだよ! なんなんだよ! せっかく過去に流れ着いて! 平和を手に入れて! 脅威に怯えなくてすむような! そんな当たり前の日常を手に入れたっていうのに! またあんたが! あんたが俺の前に現れたから! 全部が全部、あんたのせいじゃないか!」

 

 

 感情のタガが外された。

 怒鳴り散らさなければ。

 そうでもしなければ。

 

 

「散々俺を振り回しといてまたか! またあんたは俺を振り回すのか! 俺が何したっていうんだよ! ほっといてくれよ! 俺なんか忘れて世界平和でもなんでもやってればいいだろ! 俺の関係ないところでやればいいだろ! 邪魔なんかしないから! だから巻き込むなよ! 俺が! 俺がどんな気持ちでいたのか! あんたなんかに分かる訳ない! 分かってたまるかよ!」

 

 

 いつの間に握っていたのか。 

 ≪ハーディス≫の銃口がセフィリアに向けられる。

 震える指が引き金に掛かる。

 

 

「死なないとでも思ったか! だから≪滅界≫を俺に放ったんだろ! そうだよな! ああそうさ! 俺は死ななかった! 他の奴なら死んでただろうさ! それでもだ! 俺はあんたの≪滅界≫から逃げ続きてきたさ! だけどな! 躱せるからって無事じゃないんだよ! 痛いんだよ! 心が痛くてどうにかなりそうだった! 怖かった! 次の瞬間には自分が死ぬんじゃないかって思うと気が気じゃなかった! 毎晩悪夢に魘された! まともに眠れた日なんて一日だってなかった! 何度も! 何度も何度も何度も何度も何度も! 気が狂いそうになるくらい≪滅界≫浴びせられて! 怖くて仕方がなかったんだよ! それなのに! 俺はあんたにやめろって言ったのに! 何考えてんだよあんた! 人の命弄んでそんなに楽しいのかよ! やっていいことと悪いことがあるって普通に分かれよ! 俺は技の実験台じゃねぇんだぞ!」

 

 

 紫電が、≪ハーディス≫に纏わりつく。

 銃口に収束する、必殺の光が今にも放たれようとしている。

 特殊弾、≪炸裂弾(バースト・ブレッド)≫。

 帯電性質を有する≪ハーディス≫と≪細胞放電現象≫を組み合わせた必殺、≪電磁銃(レールガン)≫。

 この二つを同時に放つことで可能となる、最大の切り札があった。

 

 

「消えろ! 消えろ消えろ消えろ! 俺の前から! あんたなんか消えてなくなればいいんだ!」

 

 

 ――だけど。

 

 

「だから……だから……っ、返事しやがれ! セフィリア=アークス!!」

 

 

 どれだけ待っても、セフィリアは応えてはくれなかった。

 痛みに魘されているのか。

 意識はとうの昔に失っており、荒い呼吸だけが機械的に繰り返されるだけで。

 

 

「ち……く、しょうがぁあああああああああああああ!!」

 

 

 咆哮。

 長い、天高くまで響き渡るような。

 直後に、トレインは駆け出した。

 

 

「ふざけんな! ふざけんな! ちくしょう! ざけんな! ざけんじゃねぇ!」

 

 

 ≪ハーディス≫を懐に捻じ込み、倒れ伏すセフィリアを抱き起す。

 途端、悲鳴を上げる拒絶反応。

 それでも、そんなものは関係ないのだと。

 力一杯にセフィリアを抱き締め、元来た道を全速力で進んでいく。

 

 

「分かってんだよ! 後悔してるって! 昔の自分を悔いてるんだって! こんなボロボロになってまで俺を守ろうとしてくれた! 死んでも守るって! そう思ってくれたあんたの決意が本物だって分かっちまったから!」

 

 

 負担となる振動は最小限に、最短距離で、セフィリアを治療するために。

 

 

「だから! だからさぁ、先輩! 早く治ってくれよ!」

 

 

 搔き抱くセフィリアから伝わる、確かなぬくもり。

 彼女が生きていることに、心の底から安堵している自分がいる。

 例え命を狙われた、トラウマを刻んだ相手だったとしても。

 セフィリアには恩がある。

 上司として、一人の人間として、≪クロノス≫時代に世話になった。

 何度も食事に誘ってくれた、模擬戦を申し込んでくれた、こんな自分の為に尽くしてくれた。

 

 

「言いたいことが山ほどあんだよ! 一つや二つなんてレベルじゃねぇぞ! 一晩語り明かしたって足りねぇくらいあるんだからな! 終わるまで絶対寝かさねぇからな! 覚悟しやがれ!」

 

 

 創作物の登場人物として知るセフィリアは、厳しい女性だった。

 だけど、それ以上に優しい人だった。

 死んだ部下のために涙を流す、優しい心根の持ち主だった。

 

 

「だから! だから頼むから! お願いだから!」

 

 

 実際に目にしたセフィリアは、おっかない人だった。

 出会い頭に斬りかかってきたり、後輩いびりをするようなハチャメチャな人だった。

 だけど、見ず知らずの子供のために命を賭けることの出来る、優しい心根の持ち主だった。

 

 

「頼むから眼を開けてくれよ! セフィリア先輩!」

 

 

 もっと、きちんと向き合えば良かった。

 今更のように、そんなことを思ってしまって。

 

 

 

 

「ご……めん、な……さい……」

 

 

 

 

 風に攫われてしまいそうなほど、それは小さな声だった。

 走り続けるトレインの胸の中で、繰り返し、何度も。

 

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 

 セフィリアは、泣いていた。

 意識を失い、それでも、懺悔のように、謝罪の言葉を口にする。

 子供のように、嫌わないでと、トレインの服を握り締めながら。

 

 

「……謝るくらいなら、最初からやるな」

 

 

 やっぱり女の涙は嫌いだ。

 ムスッと口を引き締め、ティアーユの隠れ家へとトレインは急ぐのだった。

 

 

 

 

 




緊急速報:主人公、トラウマを自力で克服する(一時的


突然の報告。
またまた懲りずに新作を投稿してしまったぜ。

原作:≪ヒカルの碁≫
タイトル:≪佐為と進藤ともう一人のヒカル≫

暇潰し程度の気持ちでご覧あれ。
報告はこれにて終了っす。


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マヨイネコ

「ぎゃぁああああああああああああああああ!?」

 

 

 彩南町のとある住宅街の隅。

 外見不気味な、内装はモダンな洋館のとある一室。

 必要最低限な家具が配置された質素な、黒猫印のプレートが掛けられたとある室内。

 

 

「ふぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 

 部屋の主ことトレインは、こんもりと盛り上がった布団の中にいた。

 悶え苦しむように絶叫を迸らせながら。

 生み出してしまった黒歴史という精神攻撃が時間差で襲い掛かって来たみたいに。

 

 

「何言ってんの! 何言っちゃってんの! 元上司で命の恩人な先輩になんてことを!? 死人に鞭打つような真似もしたし! 体張って守ってくれた人にアレはないだろ!? 先輩怒ってるよ! プッツンしちゃってるよ! 傷が癒えたら即殺だよ! 黒・猫・斬! ≪滅界≫で仕留められるよ! ≪クライスト≫の錆にされちゃうよ! 会いたくねー! つかどうしろと! 大体どの面さげて会えと!? 嘘ついてごめんなさいって言うの!? なら何で嘘付いたって流れになるじゃん! そしたら原因が先輩だって説明することになるじゃん! そしたら絶対先輩落ち込むじゃん! 怪我人の傷口に塩塗り込む所業じゃん! マジでどの面さげて会えばいいのぉ!?」 

 

 

 全ての始まりは、ティアーユを探して降り立った辺境の惑星。

 目的の人物には無事再会し、めでたしめでたしで終わる筈だった宇宙旅行。

 だが、再会出来たのは、なにもヤミとティアーユだけではなく。

 元上司にしてトラウマの元凶、セフィリアにもまた、再会してしまい。

 バレまいと初対面を装うなんて真似をして。

 妙な連中の乱入でピンチに陥り。

 正体を隠している故に全力を出せない自分を庇い。

 

 

「……ほんと、どの面さげて会えってんだよ」

 

 

 セフィリアは、今も眠ったままだった。

 帰りの宇宙船、その医務室のベッドの上で、顔には幾つもの傷跡。

 それ以上に目に焼き付いて離れない、彼女が流した涙の軌跡。

 

 

「…………マジで俺ってば最低だな」

 

 

 ざまあみろと思った。

 散々人の平穏を脅かした罰が下ったのだと。

 でも、胸の内を全て打ち明けて。

 ティアーユや涼子の元にまで担いで運んで。

 改めて見た、セフィリアに刻まれた痛ましい傷跡に、そんな考えは吹き飛んでしまって。

 

 

「…………」

 

 

 吐くべき相手のいない、懺悔の言葉。

 全部が全部、面と向かって話さなければいけないのに。

 それが出来ない間柄であることは、過去の出来事が物語っている。

 セフィリアにとって、自分は組織を抜けた裏切者。

 例えセフィリアがトレインを襲撃したことに罪悪感を抱えていたとしても、それは変わらない。

 いや、そんな葛藤があったからこそ、セフィリアは涙を流したのではないのか。

 

 

「……はぁ」

 

 

 むくりと布団から顔を出し、重い溜息を一つ。

 全ては、セフィリアが目覚めなければ分からない。

 医療は涼子が、彼女の助手はお静が、医学面にも顔の利くティアーユもいる完璧な布陣。

 さわり程度の知識しかない自分がいても邪魔になるだけ。

 それが言い訳染みたように思えるのは、セフィリアに逢いたくないという気持ちがあるから。

 彼女は自分にとってのトラウマ、天敵、害悪と言ってもいい。

 でも、本当は分かっているんだ。

 今のセフィリアは≪クライスト≫を持たず、≪滅界≫を放てるだけの体力もないことくらい。

 それでも、頭では分かっていても、ハイそうですかと納得できるわけもなく。

 

 

「……腹減った」

 

 

 グーと、腹は空腹を訴える。

 地球に戻ってからというもの、こうして自室に引き篭もってばかり。

 大食漢な自分が碌に食事もとっていない現状、改めて意識すれば余計に胃が悲鳴を上げる。

 幸い無職なこの身、時間だけは余りあるほどあり、こうして何度も自問自答してみた。

 それでも答えは出てこず、だったらと気分転換も必要だろう。

 殺風景な自室から、トレインは久方ぶりに外へと抜け出す。

 

 

「「――あっ」」

 

 

 そして、出会った。

 金と赤、二色な変身姉妹に。

 

 

「…………」

 

 

 盗み聞きしていたのか、扉に耳を当てるような格好で固まる二人と相対す。

 金のは気まずげに視線を彷徨わせ、赤いのは下手くそな口笛を吹き出したではないか。

 だが、トレインにはそんなことよりも気になることがあって。

 

 

「……何時からそこに?」

 

 

 一抹の望みを、その問いに込め。

 

 

「その……」

 

「……素敵な独り言だったよ?」

 

 

 しかし、現実は非情だった。

 

 

「実家に帰らせて頂きます」

 

 

 トレインは駆け出した。

 

 

「トレイン!? ま、待って――」

 

「クロちゃ――――ん!!」

 

 

 後ろから聞こえるヤミとメアの声は無視した。

 黒歴史のような懺悔を聞かれる、まさに傷口に塩を塗り込むような行為。

 なるほどと、トレインはほんの少しだけセフィリアの気持ちを理解するのだった。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

「このページに乗ってるの全部。それとライス特盛。ドリンクバー追加で」

 

「…………」

 

 

 笑顔のまま固まる店員を無視し、スタスタとジューススタンドに。

 最近のファミレスってスゲーなと、豊富なラインナップにトレイン感動。

 取り敢えず全てのジュースを混ぜ、どこぞの川の水のように濁ったドリンクを作成する。

 

 

 ――前から聞こうと思っていたのだが、トレインのその資金源はどうなっているのだ?

 

 

 胸の内から聞こえるその声に安堵を覚えるのは、彼女に無理をさせた自覚があったから。

 ストローをぶっ刺し、席へと戻ったトレインは頬杖をつきながら応えた。

 

 

「賞金稼ぎの真似事してたら自然とな。貰えるもんは貰う主義だし、生活する以外には使い道とかなかったから貯まる一方だったんだよ」

 

 ――……ちなみに、何か呼び名のようなものは?

 

「あー……目立つ行動控えてたから、掃除屋って自称してたな。どったのよ、ネメシス。」

 

 ――はは……はっ……面倒だからと賞金稼ぎのネットワークを頼らなかったのが仇となったか。

 

「……ネメちゃん?」

 

 

 ドンヨリオーラにブツブツと独り言。

 最近になって漸く目を覚ましたが、途端にこれでは不安にもなる。

 これはネメシスに気付けが必要だと、取り出したのは真っ黒な靄の入った透明な小瓶。

 禍々しいオーラを放つ、グルマン星の特産品、その名はダークマター。

 本来ならば大部分が香辛料が占め、ダークマターは微量しか含まれてはいないのだが、これは逆に主成分の大半がダークマターで造られた特注品。

 ネメシスの回復にはこれが一番だと、前にメアより渡されたものだ。

 

 

「お、お待たせしました……」

 

「待ってました!」

 

 

 次々と運び出された料理は、すぐに机を占領してしまった。

 香ばしい匂いが空っぽの胃袋を刺激し、早く食べろと急かしてくる。

 しかし、生憎と前準備が必要なのだ。

 小瓶を開け、靄が立ち込めるヘドロ状のダークマターが料理へと注がれていく。

 新しい料理を運んで来る店員の物申したい視線には取り合わず、合掌の後に箸を取った。

 

 

「いっただっきまーす!」

 

 

 まずは照り焼きチキンから。

 箸で摘み、口に運ぼうと距離を縮める度に増す芳醇な香り。

 口に含み、まずはタレが、噛めば香ばしい皮が、そこから溢れ出る肉汁が。

 ぶわっ、パリっ、じゅわっと、ジューシーな濃厚なエキスが口一杯に広がっていく。

 

 

 ――ふぁ!?

 

 

 ダークマター独特の苦み、それを彩る僅かな甘み。

 甘味大好きな変身姉妹には大不評だが、トレインには堪らないアクセントとなる。

 濃い口な甘辛いタレに加わる、ダークマターの独特の苦み。

 何時までも噛み締めていたいと、味わうように噛み締めていく。

 

 

 ――んっ……ぁ……だ、め……!!

 

 

 ライスだ、ライスが欲しくて堪らない。

 肉の余韻が冷めぬうちに、艶めく白米を掻き込めば、残ったソースと絡み合って。

 彩南町に、日本に来て良かったと心から思う。

 ライスだけでは味気なく、ハンバーグだけだと諄くなる。

 それがどうだ、二つが合わされば、なにものにも劣らない、至高の一品に化けるではないか。

 

 

 ――や、だっ……くる……きちゃ、う……い、やぁ……!!

 

 

 ハンバーグにパスタ、オムライス、ドリア、ピザ、デザートだって忘れていない。

 机一杯に広がる、ダークマターの掛かった料理を片っ端から口に運んでいく。

 空腹が最高のスパイスとは言うが、箸が、スプーンが、フォークが止まらない。

 あまりの美味さに無限に食える自信すら湧いてくるほどだ。

 

 

 ――ダメ……ダメっ、だめだめ……らめぇ……っ!?

 

 

 だけど、幸せな時間は終わりを見せてしまう。

 最後の一口、名残惜しい気持ちもあるが、残すなんて言語道断。

 残ったライスとソースを絡め、仕上げの一口を口に運んだ。

 

 

 ――あぁ~~~~~~~~っ!!

 

 

 合掌。

 感謝の祈りを捧げ、残った一口を惜しむように嚥下。

 

 

「ごちそうさんです」

 

 

 正直、ファミレスだからと舐めていた。

 もちろん、専門店には劣るのだろうが、この安さと早さなら納得がいく。

 元々柔らかな高級肉よりも歯応えのある安っぽい肉の方が好みなのも大きいのだろう。

 べた付く口内をジュースで洗い流し、満足げに溜息を零し、満腹感の余韻に浸る。

 

 

「……美味かったぜ」

 

 ――いい……最高だっ。

 

 

 ネメシスも同じだったのだろう。

 ダークマターを補充した彼女もまた、艶っぽい溜息を長々と吐き出していた。

 

 

「久しぶりに熱々のもん食ったけど、やっぱ出来たてが一番だな」

 

 ――うむ。トレインを通じて熱いのが私の体内に注ぎ込まれてきたぞ。

 

「いっつも手作りだけど、たまにはこうして外食も悪くねぇな」

 

 ――ああ、こんな快感があるなど知らなかったよ。新境地を見た気さえする。癖になりそうだ。

 

 

 にゅっと腹から顔を出し、膝に乗る様にネメシスが実体化。

 長い黒髪から覗く耳は真っ赤で、息も絶え絶えだと言わんばかりに呼吸が荒い。

 まさか実体化が可能になるほど回復するとは、本当にダークマター調味料様々である。

 トロンとした目で、物欲しそうに見上げて来るネメシスに、トレインは笑顔で口を開く。

 

 

「――で、さっきのってなに?」

 

「……トレインは意地悪なのだな。そんなこと、私の口から言わせるなんて……」

 

「うん、メシ食っただけなのに何でそうなるんだろうね。後、何故に膝の上? そして、何故しな垂れ掛かって来る? 艶っぽい声出すなそんな目で俺を見るなマジでやめろネメシスお願い」

 

 

 力づくで隣に座らせ、メニューを開き、呼び出しボタンをぽちっと。

 発情した黒髪金目の褐色ロリ猫が恨めし気に口を尖らせているのを視界の端に映しながら。

 

 

「ほれ、ネメシスもなんか頼め」

 

「……私をもので釣ろうというのか」

 

「黙らっしゃい。おっ、このみたらし団子パフェとか美味そうじゃね?」

 

「むー……なら、それでいい」

 

「はいよ。すんませーん、みたらし団子パフェとミルク追加で。あ、この皿全部片付けてもらっていいっスか? それと、ごっそさん。美味かったっス」

 

 

 短時間でこれだけの量を平らげたからだろう。

 驚愕の表情を張り付け、店員が机の上をサッパリさせてから待つこと五分。

 黄金を溶かしたような蜜がふんだんに塗りたくられた煌びやかなパフェが運ばれる。

 鼻孔を擽る甘い香り、瞳を輝かすネメシスに苦笑し、一緒に運ばれたミルクを口に運ぶ。

 

 

「た、食べていいのか!?」

 

「どーぞ。なんならもっと頼んでもいいぞ」

 

「今日のトレインはやけに優しいのだな。ご主人様に優しくされる……うむ、悪くない」

 

 

 ニッコリと、花が咲いたように微笑むネメシス。

 気まずげに顔を背けてしまうのは、後ろめたい気持ちがあるからで。

 

 

「……この前は悪かった」

 

「トレイン?」

 

「……色々と無理させた。最初から俺が戦ってたら、あんなことにはならなかったから……」

 

 

 一瞬の沈黙。

 

 

「トレイン」

 

 

 背けた顔を戻した途端、口に差し込まれ、広がる甘味。

 視線の先には、ネメシスがパフェスプーンをこちらに突き出していた。

 

 

「悔やむ必要などない。言っただろ、私はトレインのものだと。だから、謝る必要などない」

 

 

 差し出したパフェスプーンを引き抜き、ネメシスはみたらし団子を乗せ。

 その小さな口を一杯に広げ、パクっと。

 幸せそうに金色の瞳を細め、そのままこちらへと笑い掛ける。

 

 

「でも、これだけは言わせて欲しい。私は嬉しかった。トレインがセフィリアを見捨てないでくれて。あの者は昔の私だ。大切なものを失い、自暴自棄になっていた、かつての私そのもの。初めて見た時から、他人のような気がしなかった。願わくば救われてほしいと、心から思うほどに」

 

「ネメシス……」

 

「だから、嬉しかったんだ。私を救ってくれたように、トレインがセフィリアを救ってくれて」

 

 

 本当に嬉しそうに。

 普段の女王然とした顔を、童女のように綻ばせながら。

 

 

「ありがとう、トレイン。さすがは私のご主人様だな」

 

「…………」

 

 

 言いたいことを言い終えたのか。

 山のように盛られたパフェを崩すのに、ネメシスは夢中になり。

 グイッとミルクを煽り、空になったグラスにジュースを注ごうとスタンド目指して席を立つ。

 

 

「……顔あっつ」

 

 

 火照った顔を冷やすために。

 冷たいジュースが注がれたグラスを頬に当て、真っ赤な顔を冷やすのに専念するのだった。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 あれから暫く。

 ファミレスを後にし、≪変身融合(トランス・フュージョン)≫したネメシスを伴い、トレインは街中を放浪していた。

 

 

 ――で、これからどうするのだ?

 

「さーな。まだ考えはまとまらねぇし、姫っちやメアにも出来るなら顔合わせたくねぇし」

 

 

 只でさえセフィリアのことで一杯一杯なのに、追い打ちをかけるような黒歴史の傷跡。

 あの二人のことだ、心配してくれていたんだろう。

 とはいえ、元々気分転換に町へと繰り出すつもりでいたのだ。

 当初の予定とはズレているが、結果オーライだと割り切ることに。

 取り出した≪デダイヤル≫で涼子宛にメールを作成。

 夕食までには戻る旨を記し、そのまま送信した。

 

 

「うっひょ~~~!!」

 

 

 直後、響き渡る間の抜けた声。

 振り返った先にいるのは、全世界にいる女の敵だった。

 

 

「……真昼間から何やってんだ」

 

 

 パンツ一丁の不審者が、そこにはいた。

 常習犯にも関わらず、アレが校長という地位に着き続けて事実。

 間違いなく彩南町最大の謎であることは間違いないだろう。

 そして、今も性懲りもなく、一人の女性を追いかけ爆走中。

 他人のフリをするのが一番なのだろうが、セフィリアの一件がある手前、無視も出来ない。

 

 

「仕方ねぇ……」

 

 

 腹を括り、女性の後を追い裏路地へと消えた校長の後に続く。

 陽が当たりにくく薄暗いが、ド派手なピンクのパンツは良く目立つ。

 適当に気絶させるかと、懐から≪ハーディス≫を取り出した、まさにその時。

 

 

「――なっ!?」

 

 

 一瞬にして、薄暗かった裏路地が昼間のような明るさに。

 

 

「ぎょわぁああああああ!?」

 

 

 悲鳴を上げる校長の体が、あっと言う間に炎に包まれる。

 火達磨と化すも、さすがは校長と言うべきか。

 うわ言のように吐き出す言葉全てが桃色な煩悩に染まり切っていた。

 だからだろうか、普通に重傷なのに全く心配する気になれない。

 

 

「校長よ、安らかに眠れ」

 

 

 静かに合掌した直後だった。

 

 

「もー! しつっこい!」

 

 

 目の前に広がる、強大な火炎。

 しかし、それはトレインにとって脅威となり得ない。

 数千度の熱にも耐えうる超合金で造られた≪ハーディス≫を一閃。

 掻き消された炎の先には、唖然と佇む一人の女性の姿が。

 

 歳は、女子高生と言ったところか。

 肩に掛かる程度の黒髪を二つに縛り、見開かれた瞳を眼鏡が彩る。

 というか、髪型も違う上に眼鏡装着しているが、滅茶苦茶見覚えがあるのは気のせいか。

 その上、先程の炎、自然と答えは導き出される。

 

 

「キリサキ=キョウコ……!?」

 

 

 表の顔は女子高生、裏の顔は革命組織≪星の使徒≫に所属。

 超高熱の炎を生成する(タオ)、≪HEAT()≫の異能を持つ怪獣娘。

 だが、これまでのような他人の空似である線は限りなく薄いだろう。

 声や容姿、能力に至るまで、目の前の彼女がキリサキ=キョウコであると告げているのだから。

 

 

「な、なんでこの子にも私の変装がバレてるのぉ!?」

 

 

 三度、勘違いが加速する――。

 

 

 

 

 




キリサキ=キョウコ cv.千葉千恵巳
霧崎恭子      cv.千葉千恵巳

髪や瞳の色が違うセフィと違って、声や容姿、能力に至るまでそっくりという。
とりあえず≪ToLOVEる≫世界の恭子に「クロ様!」って言ってもらうことを目標に頑張ります。


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キョーコ

恭子にキョウコ成分が混じっている気がしてならない。
登場回数が少なくてイマイチキャラを掴むことの出来ない非力な作者を許してください。


「大丈夫? 火傷とかしてない? 辛いなら病院に行くの付き添うよ?」

 

 

 眼鏡越しに見える彼女の瞳に宿っているのは、心配の色だった。

 表通りに面した喫茶店に腰掛け、注文した牛乳を飲みながら、トレインは此処に来るまでに何度も交わした問答に疲れたように息を吐く。

 

 

「いや、ほんと大丈夫。怪我とかほら、全然だし」

 

「……ゴメンね。勘違いで攻撃とかしちゃって、トレイン君も怒ってるよね……」

 

 

 シュンと落ち込む彼女の姿は、トレインの知る彼女とは掛け離れたものだった。

 眼鏡を掛けているからか、自分の外見が小学生程度なのが理由か。

 トレインの知識にある、感情的でキレやすい、良くも悪くも天真爛漫な彼女はそこにはいない。

 どちらかというと、年上のお姉さん然とした落ち着きが雰囲気から滲み出ていて。

 

 

「……あの、キリサキさん?」

 

「言い難いならキョーコでいいよ? 私もそっちの方が言われ慣れてるから」

 

「んじゃ、キョーコ。謝罪とかいいから、代わりに俺の質問に答えて」

 

「別にいいけど……本当に火傷とかしてない?」

 

「しつこい。それともアレか、俺が素っ裸になれば納得すんのか」

 

「な、なんでそうなるの!?」

 

「此処に来るまでも散々確認しただろうが。人の体ペタペタ触ったりしまくっておいてまだ納得しねぇんだから、服脱いで見れるとこ全部見ないとお前、絶対に納得しないだろ」

 

「……はい」

 

 

 正直に白状する恭子に嘆息し、どうすれば彼女を納得させることが出来るのか。

 

 

「おい、キリサキ=キョウコとやら」

 

 

 にゅっと。

 何時ものように、何の断りもなく、トレインの胸からネメシスが生えてきた。

 ネメシス曰く、彼女はトレインの所有物らしいが、断りなく出て来るのは相変わらずである。

 

 

「あまりトレインを馬鹿にするな。あの程度の炎、火遊びにもならんのだからな」

 

「……なんでネメシスはキレてんの?」

 

「私でさえ、私でさえあんなにトレインの体に好き放題触ったことがないというのに……!!」

 

「今すぐにでも俺の体から出てけ、キチロリ」

 

「私を捨てるというのか!? こんなにもお前に尽くしているというのに!」

 

「お前ほんと黙れ。マジで黙れ。締め出すぞゴラ」

 

 

 声を潜め、遠巻きにこちらを見遣る通行人の方々。

 ネメシスの頭を引っ掴み、無理矢理に隣に座らせれば、ムスッと彼女はこちらを見上げる。

 どちらも見た目は子供だからセーフだが、トレインの中身的には完全に通報ものだ。

 

 

「……えっと」

 

 

 そして、置いてけぼりをくらった恭子はと言えば。

 

 

「その……間違ってたらゴメンね。ネメシスちゃん、でよかったかな?」

 

「なんだ、キリサキ=キョウコ」

 

「何故か嫌われちゃったみたいだけど……あなたって、宇宙人だったりする?」

 

 

 身を乗り出し、声を潜めて放つのは、可能性の一つだった答えへの糸口。

 これまでと同じように、どうやら自分の懸念は杞憂に終わりそうだった。

 

 

「トレインは違うが、私は宇宙人だよ。そういうお前こそ、先程の炎、もしやフレイム星人か?」

 

「……は?」

 

「うん。一応、地球人とのハーフ」

 

「……フレイム、星人? ハーフ?」

 

 

 当り前のように交わされる会話に含まれる、トレインにとっての重要事項。

 疑問が解決されたのか、恭子は乗り出した体を引っ込め、ネメシスも静かに目を閉じる。

 しかし、しかしである。

 

 

「キョーコさんや」

 

「どうしたの、トレイン君」

 

「……≪神氣湯≫や≪星の使徒≫って単語に心当たりは?」

 

「んー……特にないかな。それがどうかしたの?」

 

「いや……」

 

 

 ≪星の使徒≫に所属する前という線を予測したが、先程のネメシスの会話がそれを否定する。

 知識にある彼女の能力、≪HEAT()≫は≪神氣湯≫を服薬して目覚めた≪(タオ)≫によるもの。

 しかし、目の前の彼女は宇宙人であり、異能は宇宙人特有のものだという。

 ≪怪獣娘≫の異名を持つハイテンションは影すら見えず、似ているには容姿だけ。

 以上のことから導き出される答えは、一つだけだった。

 

 

「またかよ」

 

 

 ザスティンやセフィに続く三度目の勘違い――他人の空似。

 なまじ声や容姿、能力に至るまで同じだっただけに、判明した今でも信じられない気分だ。

 逆行して平和を謳歌しているのに、忘れた頃にやって来る過去の因縁。

 その度に厄介事に巻き込まれ、余計な苦労を背負わされてしまう。

 ザスティンの時は模擬戦を、セフィの時には実際に命まで狙われた。

 だからこそ、過去の経験故に、恭子と会ってから今まで、身構えていた自分がいる。

 彼女のことは知識でしか知らず、実際には会話は勿論、会ったことがないにも関わらずだ。

 

 

「……創作物の知識、ね」

 

 

 自分にとっての武器であり、余計な気苦労を背負い込むことになる、諸刃の剣。

 逆行する前は、正直なかったらトレインは此処にはいなかっただろう。

 相手の武器や技などの予備知識は、戦いに置いて非常に重要な位置を占める。

 ≪滅界≫などを筆頭に、今のトレインを構成する技術の大半はそこから得ているのだから。

 しかし、逆行してからは、逆に振り回されてばかりだ。

 最初に出会ったティアーユ、生まれたイヴことヤミ、そして目の前の恭子にしても。

 知識に頼っていたからこそ、恭子のことを知識の彼女と同じ性格だと決めつけた。

 だけど、実際に話してみると、落ち着いていて一緒に居てほっとしさえするくらいで。

 でもそれは、こうして恭子と面と向かって言葉を交わしたからこそ分かったことだから。

 

 

「そうだよな……話してみないと、色々と分かんないことってあるよな」

 

 

 同じことが、その逆もまた、セフィリアにも言えるのかもしれない。

 自分の命を狙う、≪滅界≫というトラウマを刻み込んだ最強の女剣士。

 だけど、それだけがセフィリアの全てではない筈だ。

 知識として知っているセフィリアは、自分にも他人にも厳しい人だった。

 それ以上に、仲間のために涙を流せる、そんな優しい人でもあったから。

 ≪クロノス≫という呪縛を背負いながらも、それでも非常に徹しきれない、そんな人だから。

 

 

「悪ぃ、キョーコ。俺、もう行くわ」

 

「トレイン君……?」

 

 

 自分と恭子、二人分の飲食代を置き、席を立つ。

 突然の行動にポカンとする彼女は、座っているのに目線はさほど変わらない。

 既に知識の中の彼女とは別人だと分かってはいるが、それでも零れる苦笑。

 逆行してのスモール化と原因は異なるが、今の自分と恭子の組み合わせに既視感があった。

 

 

「サンキューな。キョーコと話したら、色々と悩んでたことがスッキリしたぜ」

 

「えっと、どういたしまして?」

 

「おっ、そうだもう一つ」

 

 

 戸惑う恭子に近付き、懐から取り出した≪ハーディス≫を眼前に翳す。

 さながら、騎士の誓いのように。

 

 

「校長に浴びせた炎。正当防衛なのかもしんないけどよ、やり過ぎは良くねぇ。だから、代わりに誓うぜ。もし誰かに何かされそうになっても、返り討ちにせずに我慢できるって言うんならよ」

 

 

 恭子を真っすぐに見詰め、誓いの言葉を呟く。

 

 

「俺がお前を守ってやる。――全力で!」

 

 

 知識の中に存在する、彼女の憧れを脳裏に思い浮かべながら。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 霧崎恭子はアイドルである。

 子供向け特撮番組≪爆熱少女マジカルキョーコ≫の主役を務めるなど、その知名度は全国区。

 とはいえ、堂々と歩いていれば案外バレないものだが、認識を改める必要があるようだ。

 おさげに眼鏡という、完全オフな恰好でさえバレるのだから。

 しかし、今の恭子の考えを占めているのは、変装などではなかった。

 

 

「トレイン君、か」

 

 

 帰路に着く恭子の口から、そんな言葉が零れ落ちる。

 そんな彼女の心を占めているのは、黒髪金眼の小さな、だけど妙に大人っぽい雰囲気を纏う、真っ赤な鈴付きのチョーカーを首に巻いた、黒猫みたいな少年だった。

 

 

「ふふっ。トレイン君、チビクロみたいで可愛かったなぁ」

 

 

 必要以上に心配してしまったのは、たぶんだけどそれが原因なのだろう。

 自宅で飼っている黒猫とトレインを重ね、帰宅したらたくさん可愛がろうと、頬を綻ばせる。

 同時に、もっとトレインと一緒に居たかったなと、そう思ってしまって。

 急用があったようだが、それでなくとも引き留めるのは難しかったと思われた。

 

 

「あーんなに可愛いガールフレンドがいるんだから、デートの邪魔しちゃいけないよね」

 

 

 トレインと会話する自分に嫉妬し、蚊帳の外にされてむくれていたネメシス。

 肌の色こそ違うが、彼と同じ黒髪金眼。

 どういう経緯で知り合ったのかは不明だが、中々にお似合いなカップルではないか。

 しかし、ガールフレンドの前でのあの誓い、あれだけは頂けない。

 まるで御伽噺の中に出て来る騎士のような誓いを、ネメシスではなく自分にするなんて。

 後ろで凄い顔をしていたネメシスを思い出し、小さな苦笑が漏れ出てしまう。

 

 

「守ってやる……か」

 

 

 そして、不覚にもドキッとしてしまった自分にも。

 見た感じ小学生くらいだろう、もう少しトレインが成長していたら危なかったかもしれない。

 将来有望なトレインは、果たしてどんな風に成長するのだろうか。

 自分を守ると宣言した小さな騎士の成長が楽しみで仕方がない。

 女子高生になっても王子様だのお姫様だっこに憧れを抱く、乙女思考な霧崎恭子なのであった。

 

 

「むっひょ~~~~っ!!」

 

 

 その声を聞いた途端、全身を寒気が襲った。

 

 

「な、なんでぇ!?」

 

「キョーコちゅわ~~~~ん!!」

 

 

 土煙を巻き上げ、こちらに向かって爆走してくる特徴的なシルエット。

 スーツこそ着ているが、覗く肌は赤い。

 フレイム星人の火焔を浴びてなおピンピンしている生命力は、恐怖しか湧かなかった。

 

 

「もうっ、なんでいつもいつも……!!」

 

 

 さっと周囲に目を走らせ、人気の多さに舌打ち。

 すぐさま路地裏へと走り込み、掌の炎を生成する。

 

 

「本日も燃やして解決! マジカルフレイムだ!」

 

 

 悪い者を成敗する、さながらマジカルキョーコのように。

 性懲りもなく追い回してくる不審者(校長)に天罰を下さねば。

 温和な何時もの自分は鳴りを潜め、好戦的な思考はフレイム星人としての血がそうさせるのか。

 何も我慢する必要はない、全て焼き尽くしてしまえばいい。

 自分にはそれを可能とする力があるのだから。

 

 

「――――だめっ」

 

 

 でも、出来なかった。

 トレインとの約束を思い出してしまったから。

 やり過ぎは良くない、必要以上に相手を傷付けることを良しとしないという、彼との誓いを。

 

 

「トレイン君と約束したんだから!」

 

 

 掌の火球を握り消し、踵を返して前へ、左へ右へ、日の当たらない奥へ。

 障害を飛び越え、時には蹴散らし、追っ手を撒こうと必死に走って。

 その結果に辿り着いたのが、袋小路だった。

 

 

「そんな……!?」

 

 

 そして、唯一の退路に立ちはだかるのは。

 

 

「滾ってきた……滾ってきましたぞ……!!」

 

 

 不審者にして女の敵、校長の降臨である。

 

 

「キョーコちゅわーん!! わしにもう一度燃え滾るような熱いヤツをー!!」

 

「きゃーっ!?」

 

 

 スーツを脱ぎ捨て、飛び掛かって来るパンツ一丁の不審者。

 身を固くし、瞳を閉じ、約束なんて無視すれば良かったと思ったけれど。

 約束を守ったと、どこか誇らしげな気持ちでいることがおかしくて。

 

 

 世界が停止した。

 

 

 もちろん、そんなのはただの錯覚で。

 そう思ってしまうほどの何かが、路地裏を支配していて。

 皮膚が泡立ち、全身を襲う寒気に体を抱き締め、それでも震えは止まらない。

 時間にすれば一瞬にも満たない。

 それでも、心臓を直接握られているような、そんな感覚が何時までも残っていて。

 

 カツン、と音が鳴る。

 

 聞こえる音は徐々に近付き、それは真っすぐに自分へと向かっていた。

 俯けた顔を上げることが出来ず、かといって此処から逃げることも出来ず。

 近付く足音が止まり、視線の先に映るのは誰かの靴。

 

 

「立てるか?」

 

 

 今も体を戒める緊張感とは裏腹に、耳に届いたのは穏やかな声だった。

 ゆっくりと顔を上げるも、声の主の顔は逆光ゆえかハッキリとは伺えない。

 でも、見上げるような長身や声の低さから、相手が男の人だということが理解した。

 

 

「ちょいと失礼」

 

 

 そう言って伸ばされる手が腋と膝裏に差し込まれる。

 身を固めた直後、訪れる浮遊感に漏れかけた声を必死に押し殺す。

 咄嗟に伸ばした手が、自分を抱き上げる彼に回り、落ちないようにとしがみ付く。

 

 

「……悪い、怖がらせちまったみたいだな」

 

 

 相変わらず顔は良く見えなかったが、彼が笑ったのが分かって。

 途端、不思議と巣食っていた緊張感が解けるのを自覚して。

 自分を気遣ってくれたんだ、優しい人なんだと思って。

 

 

「さてと……」

 

 

 だけど、一息の間を置いた、次の瞬間。

 

 

「あのさぁ」

 

 

 まるで真逆、いっそ冷酷と言えるほどに、雰囲気が激変する。

 

 

「これは警告だ。次はねぇと思え。それでももし、同じことを繰り返すっつーんならよ」

 

 

 校長が動けないのは、身が竦むように叩き付けられる怒気のせいか。

 サングラスの奥にある感情は分からずとも、震える体がその正体を如実に表している。

 己の欲望のためになら如何なる困難にも立ち向かう、煩悩の権化が。

 

 

「テメェのお宝全部燃やすぞ」

 

「ごめんなさい」

 

 

 無駄に洗練された無駄のない無駄な動きで土下座を敢行。

 彼は一瞥するだけでそれ以上には何も言わず、軽やかに飛び上がり、左右を壁を蹴って上へ。

 降り注ぐ昼下がりの陽光に目を顰め、屋上へと降り立つ。

 

 

「これに懲りて、もうちょい校長らしくしてくれりゃいいんだがなぁ」

 

「……あ、あの」

 

「っと、悪ぃ。抱えっぱなしだったな」

 

 

 その言葉で、今の自分の体勢を今更のようにを自覚する。

 ドラマでもされたことのない、生まれて初めてのお姫様抱っこ。

 赤くなった顔を見られたくなくて、下ろされてもなお、相手の顔を見ることが出来なくて。

 

 

「にしても……」

 

 

 それでもと。

 勇気を出して、上目遣いで見上げた先には、今度こそハッキリとした姿を捉えることが出来た。

 

 

「あの――」

 

「スゲェじゃねぇか!」

 

「きゃっ」

 

 

 でも、彼が纏う雰囲気は、これまでのどれとも違っていて。

 

 

「俺との約束守ってくれたんだな! 良く頑張ったな! 偉いぞ、キョーコ!」

 

 

 最初は訳が分からなくて、次は優しくて、今度は恐ろしくて、今はたくさん褒めてくれて。

 顔は見えても、捉えることの出来ない彼の内面を、歯痒いと思ってしまう。

 

 

「校長の姿見かけたからさ、もしかしてって思って後付けたんだけど正解だったぜ。キョーコはちゃんと我慢できてたし、今度は俺が守らねぇと思ってさ――」

 

「あ、あの! ごめんなさい……私、あなたのこと、その……覚えがなくて……」

 

「……へ?」

 

 

 戸惑う彼に、罪悪感が募る。

 でも、本当に覚えがない。

 職業柄、様々な人間が入り乱れる現場にいるからか、人の顔を覚えるのは得意な方だ。

 だから、断言できる。

 目の前の彼は、恭子が今日、初めて見た人間だと。

 

 

「いや、いやいやいや!? 忘れるとかねぇだろ普通!? お前あんだけ俺の名前呼んで――」

 

 

 丸い装飾が付いた青のジャケットを羽織り、右足には装飾銃の入ったホルスターが。

 身長は彼の方が頭一つは高く、こちらを見下ろす金の瞳とぶつかり合う。

 

 

「……ごめんなさい。本当に、知らないんです」

 

 

 一度見たら、絶対に忘れる筈のない容姿。 

 下した推論は、自分のことを一方的に知っているというものだった。

 アイドルという立場上、今回のようなことが起こっても不思議ではなかったから。

 だから、今の自分に出来るのは、誠心誠意謝罪をすることだけだった。

 

 

「…………あ、そっか」

 

 

 ポンッと、気の抜けたような音が耳朶を打つ。 

 

 

「出会った時はスモール状態だから、≪変身(トランス)≫した俺なんて分かんねぇのが普通か。脅すんならガキの姿よりこっちの方がって思ったけど、一回り成長した姿なんだし。そっかそっか」

 

 

 彼は一人納得するように頻りに頷くだけで。

 でも、何故だろう。

 こちらを見下ろす金の瞳に、妙な安心感を覚えるのは。

 実家で飼っているチビクロ、そしてもう一人のことを連想してしまうのは。

 大人なのに子供みたいな彼とは真逆、子供なのに大人みたいな少年の姿が、彼と重なる。

 

 

「んじゃ、今度こそさよならだ。姫っち達も心配してる頃だろうし、俺もう行くわ」

 

「あっ――」

 

 

 踵を返し、駆け出そうとする彼へ掛ける言葉が出てこない。

 この機会を逃せば、次に会えるのは何時になるか分からない。

 この一生会うことが出来ないなんて可能性だって、あってもおかしくはない。

 

 

「待って!」

 

 

 気付けば、引き留める言葉を投げ掛けていた。

 

 

「また、逢えますか」

 

「さあ?」

 

「ええっ!? じゃ、じゃあ名前だけでも!」

 

「教えない!」

 

「なんで!?」

 

「そっちの方が面白そうだから!」

 

 

 クルリと彼は振り返るも、止めることのない歩みは確実に二人の距離を離す。

 空いた距離を詰めようと、止めていた歩みを始めようとした時。

 

 

「俺がお前を守ってやる。――全力で!」

 

 

 視線の先で、騎士の誓いをした少年がいた。

 

 

「ヒントはやった。答え合わせは次会った時だ。キョーコがピンチならいつだって駆け付けるぜ」

 

 

 暗色の髪、金の瞳、鈴付きの真っ赤なチョーカー、左鎖骨に刻まれた≪XIII≫のローマ数字。

 宇宙人ではないから、子供だったから、目の前の彼は青年だから――。

 情報だけを鵜呑みにして、容易に至れた筈の答えを無意識のうちに除外していた。

 背格好は違えど彼の容姿は、少し前に会った少年と酷似している。

 先の少年が成長すれば、こんな大人になるのではないかと、そう思わせるほどに。

 

 

「それまでは俺のことをクロ様と呼ぶがいい!!」

 

 

 去り際に、そんな言葉を残して。

 劇的な出会いとは裏腹に、別れは呆気ないものだった。

 屋上から飛び降りた彼を探そうと急ぎ縁へと走り真下に広がる通りを見下ろす。

 しかし、時間帯故か行き交う通行人が多く、彼の姿はどこにも見えなかった。

 

 

「……行っちゃった」

 

 

 嵐のように現れ、嵐のように去っていく。

 屋上に吹く風が髪を乱し、押さえようと頬に当てた手は熱かった。

 今もなお吹き荒ぶ風に負けないくらい、心臓がうるさかった。

 

 

「クロ様……」

 

 

 初めてだから、どうすればいいのか分からない。 

 年下なのか、年上なのか、あれが本当の姿なのか、それともまた別の姿があるのか。

 次にあった時、どんな彼と出会えるのかは分からないけれど。

 

 

「また、逢おうね……クロ様(トレイン君)

 

 

 トクン――。

 自分だけの騎士様に、また逢えるその時まで。

 胸の内で燃える、この情熱の炎が消えることはきっとないだろうから。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 トレインは悪寒を感じていた。

 

 

「…………」

 

 

 握るは≪デダイヤル≫、表示されているのは着信履歴。

 煩わしいからとマナーモードにしていたからか、電話に気付かなかったのだろう。

 涼子の洋館に戻り、誰とも出くわさないことを不思議に思いつつ、ふと≪デダイヤル≫の画面を開いてみれば、三桁などとうの昔に超えてしまった履歴の数。

 その全てがヤミとメアからなのだが、正直後ろめたさよりも恐怖が勝った。

 

 

「なにこいつ等、病んでんの? ヤンデレキャラなの? 変身(トランス)兵器ってそういう種族なの?」

 

 ――なにやら不当な評価を受けているようだが。

 

 

 内から響くのは、ヤンデレ筆頭だろうネメシス。

 ≪変身融合(トランス・フュージョン)≫の依代になって結構経つが、いい加減に巣立ちの時なのではないだろうか。

 

 

「さっきは≪変身(トランス)≫ありがとう。おかげで久方ぶりに相手を見下ろせたよ。話変わるけど俺から引っ越しする気とかない? メアんとことか個人的にオススメだよ?」

 

 ――あれれ~、さっきの≪変身(トランス)≫でまた体から力が~。

 

「おい、それ俺のお家芸」

 

 

 下らないやりとりで気を紛らわせるも、いざ確認しようとして躊躇してしまう。

 ≪デダイヤル≫を持つ手は、さながら中二病でも発症したかのように震えていた。

 

 

「鎮まれ、鎮まるんだ俺の右腕。ははっ、ビビってるていうのか、この俺が? あの二人に?」

 

 ――ところでトレイン、話は変わるのだがな。

 

「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ――!!」

 

「トレインの体に≪変身融合(トランス・フュージョン)≫した時にもしやと思い、ずっと疑問に思っていたのだが、先程の≪変身(トランス)≫で確信したことがある」

 

 

 実体化し、真剣身を帯びる金色の瞳を視界の端に捉えつつ。

 いざ、履歴の中身を開こうとボタンを押そうとして。

 

 

「お前の体だが、ヤミやメアの≪ナノマシン≫と酷似したものが――」

 

 

 突如響く、新たな着信音。

 漏れ出そうになる悲鳴を気合で押し殺し、しかし手からは≪デダイヤル≫が零れ落ち。

 落ちた拍子にボタンが接触したのか、重低音の後に宙に映し出されたのは立体映像。

 

 

「久しぶりね、トレイン君」

 

 

 金髪でも赤毛でもない。

 画面一杯に広がるのは、波打つピンクの髪。

 床に伏している筈の彼女の登場に身構え、別人であることに気付き緊張を解す。

 

 

「……なんだ、セフィか」

 

 

 相変わらずの心臓に悪い顔に、ウンザリするように返事をする。

 

 

「むっ、随分な言い草ね。意中の彼女を見つけて私のことなんてどうでもよくなったのかしら?」

 

「言い方に気を付けろ。それじゃあまるで、俺があのポンコツに気があるみたいじゃねぇか」

 

「嫌よ嫌よも好きのうちよ」

 

「どこで覚えたそんな言葉」

 

「ツンデレ、だったかしら? 地球の言葉って面白いわね」

 

「お前に地球の文化紹介した奴呼んで来い。色々といいたいことがあるから」

 

「――お呼びでしょうか、トレイン殿!」

 

 

 セフィのアップで気付かなかった。

 後ろに控えていた、怪甲冑を着込む今のザスティンを例えるのなら、それは忠犬。

 その姿にかつての悪夢、同期にハブられ憐れに思い声をかけ懐かれたヤンホモが重なる。

 途端、脳裏を過るのはかつての悪夢。

 別人だと分かっていても、容易に拭い去れるものではなかった。

 

 

「私もトレイン殿にご報告したいことが! つい先日、ようやく完成へとこぎ着けたのです! 光子に擬似的な意思を持たせることで予測不可能、変幻自在な動きを可能にする生きた剣! その名も≪幻想虎徹(イマジンブレード)LV.2≫――」

 

「それ以上喋るな、風穴開けるぞ」

 

 

 今度会ったら謝ろうとか思っていたが、速攻で殺意に代わってしまった。

 相変わらず、こちらの古傷をピンポイントで抉って来る奴である。

 

 

「お楽しみのところ申し訳ないのだけれど」

 

「ははっ、さすがは馬鹿女。外見ばっか気にして頭ん中はスッカラカンだな」

 

「あの時の私は余裕がなかったのね。あなたを見ていると若い頃のギドを思い出してなんだか微笑ましい気持ちになるわ」

 

「年増め」

 

「ふふっ、本当に昔のギドにそっくり」

 

「……で、なんか用?」

 

「ティアーユ博士、見つかったのね。良かったわ」

 

 

 言葉に詰まる。

 セフィは微笑のまま、ザスティンはこちらを注視するだけで何も言わない。

 

 

「……無駄骨になっちまったけど、正直助かった。ティアの奴を探すのに協力してくれて」

 

「素直に謝るトレイン君ってとっても新鮮」

 

「…………」

 

「あなたには命を助けてもらった借りがある。私はその恩を返しただけ」

 

「……ほんと、マジで助かった」

 

 

 決定打はティアーユと涼子の学生時代の写真だった。

 だが、デビルーク王家が築き上げた人脈は伊達ではなく、紹介された情報屋は数知れず。

 顔写真と人海戦術、その二つがあったからこそ、辺境の惑星に隠れ住んでいたティアーユを見つけ出すことが出来たのだ。

 命の恩人という立場を利用してまで頼る、それほどの価値がセフィにはあった。

 

 

「だから、これで貸し借りはなし。次に会う時には対等な立場で、普通にお話しをしましょう」

 

 

 だが、トレインの胸の内など既にお見通しのようだ。

 流石はデビルークの王妃、そして三女の母親か。

 敵わないなと、脱力してしまうトレインだったが、

 

 

 

 

「ええ!? あ、アークスが二人!?」

 

 

 

 

 驚愕一色に染まった声が、洋館の廊下に反響する。

 

 

「……ティア、声がデケェ。あと、この人は先輩とは別人――」

 

 

 振り返り、驚き立ち尽くす、長い金髪を背中で一つに纏めたティアーユの背後。

 開け放たれた扉の両側にヤミとメアが、室内には涼子とお静が。

 

 

「――――え」

 

 

 そして、寝台から身を起こし、彼女はその碧眼で真っすぐにこちらを見ていた。

 容姿はセフィと瓜二つ、しかし波打つ髪色はピンクではなく黄金。

 なによりも、額に刻まれた≪I≫のローマ数字こそ、彼女がセフィではないという何よりの証。

 

 

「……私と」

 

「そっくり……」

 

 

 セフィリア=アークスとセフィ・ミカエラ・デビルーク。

 両者が相見えた、これが最初の瞬間だった。

 

 

 

 

 




次回予告

女剣士「……誰なの、その女?」
主人公「先輩落ち着いて話せば長くな――」
王妃様「彼とは(私から)キスを(頬に)した仲よ」
主人公「ちょ!?」
ギド様「とーれいーんくーん、あーそーぼー」

※うそです、たぶん。


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フリダシ

 セフィ・ミカエラ・デビルークについて、トレインの印象は才女(笑)だった。

 全宇宙統一を果たした現デビルーク王が武なら、政治の一手を引き受ける彼女は知の王妃。

 政治の苦手な夫に代わり各星々との外交に勤しみ、恒久的な宇宙平和が保たれているのはセフィ王妃のおかげだとは、ザスティンの談である。

 正直に言おう、今日の今日まで完全にポンコツ(ティアーユ)と同一視していた。

 本人曰く悩みの種であるチャーム人の特性が交渉を有利に進め、実際には大したことはない。

 そんなセフィについての評価は、この瞬間にも改まりつつあることをトレインは自覚していた。

 

 

「まあっ、ではアークスさんも日本がお好きなのね?」

 

「……日本、というのがジパングを指すのなら」

 

「随分と古い呼び名を使うのね。そう、あなたの言うジパング、つまりは日本。今の私達がいる島国独自の文化は素晴らしいわ。以前お邪魔したお宅で出た煮物がまた格別で!」

 

「はぁ……」

 

「ちなみに、アークスさんは何がお好き?」

 

「……寿司、でしょうか」

 

「寿司! あれでしょう、寿司はシースーとも呼ぶのよね! ザスティンが言っていたわ!」

 

 

 またお前か、ザスティン。

 立体映像の隅でグッと指を立てる姿にイラッとする。

 

 

「そう言えば、トレイン君から聞きましたよ」

 

 

 唐突に出された話題に、こちらを伺う碧眼と目が合う。

 だが、それも一瞬のこと。

 バッと音がするような早さで元に向き直り、心なしセフィリアは肩を縮こませる。

 

 

「ハートネット、から……」

 

「ええ、アークスさんは和食がお好きだと。そのようなプライベートなことまで知っているなんて、随分と親しい間柄なのね」

 

「…………」

 

 

 親しいというか、一方的に刃凶器向けられた間柄です――なんてことは口が裂けても言わない。

 セフィリアも同じ考えにでも至ったのか、室内に気まずい沈黙が下りる。

 ゴホンと一咳、集まる視線と遠ざかる気配にゲンナリしつつも、会話を勧めようと口を開く。

 

 

「……昔、先輩にメシに誘われたことがあったから、それでだよ」

 

「食事会……つまりデートね!」

 

「ちげぇよ」

 

 

 トンデモないことを口走るセフィ。

 条件反射での否定だが、照れ隠しなんて可愛いものからではない。

 下手に感情を刺激して≪滅界≫を放たれては堪らない。

 長年に渡る逃亡生活で染み付いた、トレインの自己防衛本能である。

 誤解されてセフィリアもいい迷惑だろうと、恐る恐るそちらを見遣れば。

 

 

「…………」

 

 

 顔を真っ赤にして俯くセフィリアの姿が。

 まさか自分に気がある――なんて思うほどトレインは自惚れてはいない。

 何処の世界に、気になる異性に先制必中即死技を連発してくる輩がいるというのか。

 物心付く頃から≪クロノス≫に仕えてきたセフィリアのことだ、恋愛事に現を抜かす暇があるなら己を鍛える時間に充てるのは、彼女の性格的に当然の帰結。

 反応が初心なのは、恋愛事への耐性がからっきしなせいに違いない。

 灰色の青春を過ごしたのだなと、その結果があの≪滅界≫なのだなと遠い目になるのだった。

 

 

「ふふっ……アークスさんも苦労をしているのね」

 

 

 セフィは意味深に微笑み、セフィリアの頬へと更なる朱が差す。

 顔が瓜二つなせいか、それは不器用な(セフィリア)を見守る(セフィ)という構図を見る者に連想させた。

 共に部下を持ち、上に立つ者同士。

 彼女達に違いがあるとすれば、夫を持ち、三人の娘を育てた母親という経験の差か。

 あのセフィリアが手玉に取られる姿は、トレインに大きな衝撃となって襲う。

 

 

「容姿が似ているせいかしら、あなたのことは他人だとは思えない。だから、これはアドバイス――いえ、これは忠告と思って下さって構いません。あなたがこの先、後悔をしないために」

 

 

 普段はヴェールに隠された、チャーム人としての力が集約された瞳。

 まるで心の奥底まで見透かすようにセフィは真っすぐセフィリアを見詰めた。

 

 

「争いは何も生み出さない。アークスさんならばこの意味、理解してくれると信じています」

 

「…………」

 

「初めてトレイン君と会った時、彼は怯えていた。何の力も持たない私に、あなたに似ているというだけで」

 

「っ……」

 

「トレイン君は強い。そして、そんな彼があなたに畏怖している。アークスさん、あなたはお強いのでしょう。その力を身に着けるために、血の滲むような鍛錬を積んだことでしょう」

 

「…………」

 

「ですが、力とは目的を果たすための手段。使い方を見誤れば、それはただの暴力です」

 

「わたし、は……」

 

 

 続く言葉は出てこず、セフィリアは押し黙る。

 セフィリアにとって、自身の力とは己の存在価値であり、彼女の全て。

 抹殺人(イレイザー)として生を受けたからこそ、力でしか何かを伝える術を持ちえない。

 

 

「……私にも、力がある。≪魅了(チャーム)≫という、生まれた時からある、呪いのような力が」

 

 

 そして、それはセフィも同じ。

 種族を問わずあらゆる生物を魅了する、無作為な能力。

 それは否応なしに、常にセフィが果たそうとする目的の前に障害となって立ちはだかった。

 ≪魅了(チャーム)≫の能力を介してでしか、セフィは何かを伝える術を持ちえなかったのだ。

 

 

「でも、私は変われた。≪魅了(チャーム)≫の力に惑わされることなく私を見てくれた、彼等のおかげで」

 

 

 まるで、恋をする乙女のように。

 濡れた眼差しがトレインへ、そして彼を通して愛する夫へ。

 

 

「あなたもきっと、変わることができる。だって、トレイン君は今もこうして真っすぐにあなたを見ようとしているのだから」

 

「デビルークさん……」

 

「セフィと、そう呼んでください。そして、あなたのことも是非、セフィリアと」

 

「……はい、セフィ」 

 

「これからもよろしくお願いしますね、セフィリア」

 

 

 ぎこちなくはあった。

 それでも、ずっと強張っていたセフィリアの表情が、僅かだが綻ぶ。

 そんな彼女を引き出したセフィは、なるほど大した器だとトレインは感心するのだった。

 

 

「セフィ様、そろそろお時間の方が」

 

「あら、もうそんな時間なのね。楽しいことって本当にあっという間に過ぎちゃうわ」

 

 

 ザスティンの言葉に、セフィは困ったように嘆息する。

 

 

「ごめんなさいね。どうしても外せない用事があって……」

 

「構いません。王妃という責任ある立場に着いているのです、そちらを優先してください」

 

「そう言って貰えて嬉しいわ。では、続きはまた今度に」

 

「ええ、必ずまた」

 

 

 このまま通話は終了。

 そう思えたが、「そう言えば――」と思い出したようにセフィは呟く。

 その際、トレインを一瞥し、ニッコリと聖母のような笑みを零す。

 

 

「セフィリアって、随分と変わった趣味をお持ちなのね」

 

「と言いますと?」

 

「壁に仏像を彫るのが趣味なんだとか」

 

「……はい?」

 

 

 ――ちょっと待て。

 顔を青褪めさせるトレインを余所に、セフィの語りは止まらない。

 

 

「≪滅界≫と言ったかしら? トレイン君が言ってたわ。あなたが生み出した化物剣術だと」

 

「…………」

 

「女剣士だの、馬鹿女だの。本当に失礼しちゃうわ。私と同じ美し過ぎるあなたをそんな風に言うなんて。セフィリア、やり過ぎはただの暴力だけど、懲らしめるくらいならいいと私は思うの」

 

 

 ファイト! と両拳を胸の前で握り締める。

 それが、トレインが見たセフィの最後の姿だった。

 立体映像はこちらの空気など微塵も読まず、無慈悲なまでに途絶える。

 後に残るのは痛みを伴うほどの沈黙。

 虚空を見上げていた顔を俯かせ、プルプルと震えるセフィリアを極力見ないようにしつつ。

 トレインが思うことは、たった一つだけだった。

 

 

 ――あ……あの女ぁあああああああああああああ!?

 

 

 セフィはとんでもないものを残していきました。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 美柑は目の前の光景に、言葉が出てこなかった。

 

 

「うぅ……私は所詮都合のいい女に過ぎないのだ。当事者なのにこうして蚊帳の外に追いやられているのがいい証拠だ。そのうち飽きられて捨てられるんだ。そうに違いないんだ」

 

「まーまー、ネメちゃん落ち込まない。クロちゃんがそんなことする訳ないでしょ?」

 

「年頃の男女が密室で二人っきり……!? ミカド、私は一体どうすれば!」

 

「トレイン君がそんな節操なしなら私達、とうの昔に美味しく頂かれちゃってるわね」

 

「ななっ、何言っちゃってるんですかミカド先生!?」

 

 

 トレインが家出したとの一報を受け、やって来たのは御門邸。

 チャイムを鳴らしても反応がなく、中からは物音がするし、何度も訪れているからと無断で入り、訪れたのは広間。

 てんやわんやの騒ぎは、既に美柑の処理能力を大きく超えていた。

 

 

「というか、あのヤミさんそっくりの人って……」

 

「――不本意ながら、彼女がティアーユ。私のオリジナルです」

 

 

 突然の声に隣を見れば、何時の間に立っていたのだろう。

 いつにも増して仏頂面を引っ提げたヤミがいた。

 

 

「わっ、ヤミさん。ごめんね、黙って入ってきたりして」

 

「いえ、応対しなかった私も問題ありですから」

 

「ところで、話が変わるんだけど……」

 

 

 言葉は、最後まで続かなかった。

 

 

「ヤミよ、どうだったのだ!?」

 

 

 ネメシスを先頭に、部屋に居た皆がヤミへと詰め寄る。

 だが、ヤミが頭を振った次の瞬間には、大なり小なり落胆の表情を浮かべるのだった。

 

 

「暗殺のプロフェッショナルであるヤミでも無理だったか」

 

「近付くこと自体は可能でしたが、会話を聞き取れる範囲内へは無理です。トレインも唯一の出入口を陣取っているので、こうなることは想定済みなのでしょう」

 

「よっぽど聞かれたくないことなのでしょうか?」

 

「はわわわ……!?」

 

「あらあら? ティアったら何を想像しているのかしらね」

 

「素敵。さすがはヤミお姉ちゃんのオリジナル、えっちぃ想像ばっかり」

 

「…………」

 

「どうどう、ヤミさん落ち着いて」

 

 

 無言で折檻の体勢に入るヤミを後ろから羽交い絞めに。

 悪戯っ子なチェシャ猫染みた笑みで揶揄うメアを睨むが、それで態度が改まる訳もなく。

 ララが結城家に居候してから、ドタバタな毎日に常識人故にフォローに回ることは多かったが、トレインと出会ってからは益々増している気がするのは、きっと気のせいではない筈だ。

 

 

「それで、トレイン君がどうかしたんですか?」

 

 

 気苦労から出る嘆息を零し、事情を尋ねようと口火を切る。

 

 

「未亡人のような雰囲気を纏う妙齢の美女と密室で二人きりなのだ」

 

「……ごめん、用事を思い出した」

 

「どうどう、落ち着くのです美柑」

 

 

 逆に羽交い絞めにされ、はっと正気に。

 もやっとした胸のわだかまりを吐き出すようにゴホンと咳払い。

 

 

「えっと……ネメシスさん曰く、未亡人のような雰囲気を纏う妙齢の美女? それって誰なの?」

 

 

 妙齢の美女と言えば涼子、そしてティアーユが該当するが、とうの本人達は目の前に。

 色々と謎の多いトレインの交友関係、知っていれば御の字程度の気持ちだった。

 そんな美柑の質問に、羽交い絞めを解いたヤミが答える。

 

 

「プリンセス・セフィのそっくりさんです」

 

「……ん?」

 

「トレイン曰く、滅界怖いさんです。名前は確か、セフィリアだったかと」

 

「…………んん?」

 

 

 怯えるトレイン、悲鳴を上げるトレイン、逃げ惑うトレイン。

 最強は誰かと聞かれ、真っ先に名前の挙がるトレインを恐怖のどん底に堕とす存在。

 今までその存在だけがまことしやかに囁かれるだけで空想上の怪物かなにかなのではないかと本気で思っていたのだが、まさか本当に実在していたとは。

 頭の中に乱立していた疑問符を消し、美柑が尋ねたかったことは一つだけだった。

 

 

「トレイン君、大丈夫なの?」

 

「……私はトレインの無事を信じています」

 

 

 ヤミは質問に答えてくれた。

 決してこちらと目を合わせることはしなかったが。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 (セフィ)は去った。

 しかし、刻まれた爪痕の大きさは中々に直視し辛くて。

 

 

「…………」

 

 

 俯いたままのセフィリアの表情を伺うことは出来なかった。

 微動だにすらせず、薄い病衣が僅かに上下しなければ、生きているのかすら怪しい。

 露出した肌を彩る、痛々しい包帯が表すのは、彼女が心身ともに傷心なのだと。

 まるで壊れた人形みたいだと、その姿を黙って見ていたトレインだったが、

 

 

「先輩」

 

 

 埒が明かないと、トレインは背にしていた扉から体を離した。

 その後に起こった変化は劇的だった。

 

 

「――――!!」

 

 

 シーツを頭から被り、トレインに背を向ける形で縮こまってしまう。

 真っ白な山を前に、らしくないセフィリアの奇行も合わさり、トレインは固まる。

 

 

「……ごめん、なさい」

 

 

 静まり返った部屋に響くのは、シーツが擦れると音もう一つ。

 

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……!!」

 

「……先輩?」

 

 

 今のセフィリアは、≪クライスト≫を有していない。

 だからなのだろうか。

 ≪時の番人(クロノ・ナンバーズ)≫を率いていた女剣士は見る影もない。

 悪いことをして、叱られることを恐れる幼子のように、今のセフィリアは儚く脆い。

 情けない姿を見られまいとしているのが、かつての剣士としての矜持からか。

 

 

「セフィのいう、通りですっ」

 

 

 そして、始まったのは懺悔だった。

 

 

「ハートネットは最強だと、無敵だと。そんな理由から、私はあなたに刃を向け続けた。私の想いを知って欲しい、そんな理由からだった。それだけしか当時の私には考えることが出来なかった。あなたの必死な姿を見ていたはずなのに。拒絶の言葉を聞いていたはずなのに。それでも私は伝えることを止めようとはしなかった」

 

 

 シーツ越しに聞こえるのは、くぐもった嗚咽。

 ポタポタと聞こえるのは、零れる涙。

 

 

「クリードによって負わされた致命傷。あれが私の手によって負わされる可能性は十分にあり得た。いえ、そうならなかったのが不思議だったのです。私はあなたを殺そうとした。そして、それは私の身勝手な想いなどでは到底免罪符になるようなものではありません」

 

 

 その光景は、トレインに既視感を与える。

 先程盗み聞きに来た、セフィリアと同じ金髪を持つ少女なのだと理解する。

 

 

「私の全てで償います。死ねというのなら喜んで命を断ちます。二度と顔も合わせたくないというのなら今すぐにでも此処から立ち去ります。私に出来ることならばなんでもします。言って下さい。そして、決して私を許さないでください」

 

 

 あの時は、どうしたのだったか。

 本気で怒って、本気で脅して、そして――。

 嘘や誤魔化しなんて一つだってない。全部が全部、トレインの本音だった。

 だから、最後は笑って彼女の行いを許すことが出来たのだ。

 

 

「…………」

 

 

 今頃になって、ようやく理解できた。

 セフィが去り際の行動は、セフィリアの罪を有耶無耶にさせないためだったのだ。

 全部をなかったことにして過ごすことは、たぶんだけど出来るのだろう。

 だけど、そんな関係はきっと、近い将来に破綻する。

 セフィリアが後悔していることも、トレインが彼女を許そうと思っていることも。

 全て分かっていて、だからこそセフィは傷口を掘り返す様な真似をしたんだ。

 

 

「……なんで俺ばっかりって、ずっと思ってました」

 

 

 正面からぶつからなくちゃいけない。

 

 

「俺はただ、普通に暮らしたかっただけだった。普通に美味いもん食って、普通に遊んで、たまに昼寝して。そんな野良猫ライフが過ごせるだけで良かった。セフィリア先輩。そんな俺の望みを奪ったのはあんただ。だから、俺はそんなあんたを絶対に許さない」

 

 

 恭子と出会い、見たものだけが全てではないと悟った。

 セフィに背中を押され、逃げてはいけないのだと思い知らされた。

 

 

「今までずっと、そう思ってた」

 

 

 近付く足取りに、迷いはなかった。

 ≪クライスト≫がないから、怪我人だから、≪滅界≫を放つ体力など残っていないから。

 理由は幾らでもあって、でも、どれもが一番の理由ではない。

 

 

「でも、それだけじゃなかった。先輩ばっかが悪い訳じゃないってようやく分かったんスよ」

 

 

 手の伸ばせば、白い小山に触れることが出来る。

 ベッドの上で、シーツを被ったまま、罪人のように懺悔する、過去の姿など見る影もない。

 女の涙は苦手だ。

 気の利いたセリフの一つも浮かばなければ、見て見ぬ振りをするほど非情にもなり切れない。

 でも、真っすぐに気持ちを伝えることくらいなら、今のトレインにも出来るから。

 

 

「ごめんなさい、セフィリア先輩。あんたの気持ち、俺は聞こうともしなかった」

 

 

 そっと手を伸ばせば、セフィリアは身を固くする。

 固く結ばれた手は、掴んだシーツを頑なに離そうとはしなかった。

 他の誰でもない、セフィリア自身が、情けない自分の泣き顔を見られたくなかったから。

 

 

「ありがとうございます、セフィリア先輩。こんなになるまで、俺を守ってくれて」

 

 

 とんっ、軽い重みがセフィリアの背にもたれ掛かる。

 背中同士を密着させ、二人を隔てるものは薄布一枚だけ。

 

 

「……どうして、謝るのですか? 私に感謝など……」

 

「先輩にだけ頭下げさすとか、≪時の番人(クロノ・ナンバーズ)≫の連中が知ったら俺、殺されますよ」

 

「そんなことは……」

 

「メイソンの爺さんが面白おかしく脚色したのを皆に言い触らして、戦闘狂のクランツとバルドリアスのコンビがまず襲い掛かって来るでしょ。遅れて駄犬(ケルベロス)共が騒ぎを嗅ぎ付けて、他の連中は高みの見物。で、最終的にはベルゼーの奴が雷を落として終わり。俺が≪クロノス≫に居た頃は、それこそ毎日のようにあった光景じゃあないっスか」

 

 

 たったこれだけのことに、どれだけ回り道をしたのだろうか。

 普通に言葉を交わす、こんなにも容易なことが、あの頃の自分達には出来なかった。

 まるでこれまで溜めこんでいたものを吐き出すように、トレインの口は饒舌で。

 あれだけ恐れていたセフィリアとこんなにも密着しているにも関わらず。

 

 

「先輩、俺に自分を許さないでって言いましたよね。なら、俺のことも許さないでください。先輩を騙して助けなかった薄情なこの俺を、ずっと恨んでください」

 

 

 セフィリアもまた、可笑しな気分だった。

 もう話せないと、死んだと思っていたトレインとこうして再会できて。

 だけど、許されないことをしたことには変わりないと、ずっと自分を責め続けてきたのに。

 これではまるで、ご褒美ではないか。

 こんな風に、触れ合って、伝え合って、ぬくもりを感じることが出来る。

 当り前のことが、セフィリアは堪らなく嬉しくて。

 

 

「それで、お相子です」

 

 

 背中にいるトレインは、あたたかかった。

 そのぬくもりは、彼が生きている何よりの証だった。

 

 

「だから、先輩。泣かないでください」

 

 

 大粒の涙を流しながら、シーツの中でセフィリアは微笑む。

 トレインは死んでいなかった、生きていた、確かに此処に存在していた。

 とめどなく溢れる涙に、申し訳なさを浮かべながらも、それでも改めて思うのだ。

 

 

「…………」

 

 

 たった一つの願いは、成就されたのだと。

 愛する人に逢いたい。

 決して叶うはずのなかった願いが、こうして。

 

 

「ハートネット」

 

「なんスか、セフィリア先輩」

 

 

 生きていてくれて、ありがとう。

 守ってくれて、ありがとう。

 慰めてくれて、ありがとう。

 

 

「いえ、呼んだだけです」

 

「……なんスか、それ」

 

 

 やってしまったことは、もうやり直しが効かない。

 進んだ針が元に戻ることはないけれど、機会は何度だって訪れる。

 彼を目指し、強くなった己の剣を見せることは、この先二度と叶わないかもしれないけれど。

 想いを伝える方法は、なにも一つだけではないのだから。

 

 

「ハートネット」

 

「……先輩?」

 

「ハートネット、ハートネット……ハートネット」

 

「……マジでどうかしましたか?」

 

「呼びたかっただけです。あなたの名前を呼びたかった、ただそれだけですよ」

 

 

 被ったシーツを外し、振り返る。

 焦がれ続けた、愛しい金色の瞳と碧眼の視線が交じり合う。

 

 

「傷が癒えるまで、此処に泊めて頂けないでしょうか」

 

「リョーコは患者を途中でほっぽりだしたりしませんから。OKなんじゃないっスか?」

 

「それまでの御恩、必ず返すと約束します」

 

「そんな風に重く考えなくても大丈夫大丈夫。それに、返すのなら俺じゃなくティアとかに」

 

「分かっていますよ。ルナティークにはよくしてもらいましたから」

 

 

 今はまだ、伝えることの叶わない想い。

 

 

「ハートネット」

 

 

 大好きです、トレイン。――愛しています。

 

 

「不束者ですが、よろしくお願い致します」

 

「こちらこそ。よろしくお願いしますね、セフィリア先輩」

 

 

 胸に秘めた、この気持ち。

 いつの日かきっと、伝えてみせると心に誓いながら。

 セフィリアは淡く微笑むのだった。

 

 

 

 

 




一体いつから――これがデレフィアさんだと錯覚していた?
次回、デレフィアさん降臨の巻。


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