西住みほの恋物語 (葦束良日)
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西住みほの恋物語・短

 

 

「わかった。わたし、もし試合に勝ったら……婚約してみせる!」

「……どういう理屈なんだ、それ」

 

 ぐっと握り拳を作って力強い宣言を放った武部沙織に、その幼馴染である冷泉麻子はどこか冷めた表情のまま呆れたように突っ込みを入れた。

 

 ――ここは大洗女子学園の生徒が暮らす学生寮の一室。年頃の女子高生らしくパステルな色合いと多くのぬいぐるみで彩られた可愛らしい内装は、沙織の向かいに座るこの部屋の主、西住みほの趣味であった。

 そんな家主である彼女は今、目の前の友人が誓った気の抜けるような目標に、何と言ったものかと逡巡するように微苦笑を浮かべていた。

 

 みほから見て左右両側に座り食卓を囲む二人の友人、五十鈴華と秋山優花里もまた恋愛マスターを自称しつつも恋愛経験皆無である沙織が言い出した言葉に、彼女らしいとばかりに笑みを向ける。

 沙織が恋愛に憧れを抱き、魅力的な男性との出会いとお付き合いを夢見ていることは彼女と親しい者であれば誰もが知るところである。しかし肝心の彼女の恋愛経験値がゼロであるため、彼女が掲げる恋愛理論はどうにも独自路線を走っており今のところ実る気配がないのもまた周知の事実であった。

 それゆえの温かい視線であったのだが、そうとは気づかない沙織は、友人たちの視線の先で宣誓の勢いそのままにぐいっと身を乗り出してみほの顔を覗き込んだ。

 

「――みぽりんこそ、彼氏の一人でも作ってみなさいよ!」

「えっ?」

 

 突然話を振られて、みほは思わずきょとんとして間の抜けた声を返してしまう。

 じっと自分を見る沙織。その後ろで勉強机の椅子の上から見ている麻子。左右から視線を向けている華と優花里。

 親友四人に見つめられたみほは、注目されることで僅かに視線を泳がせながら、何と答えたものかと思案する。

 そうだね、と返すのが一番無難だろうか。わたしは皆のことが大好きだから、と心の中にある友人たちへの気持ちを伝えてもいいかもしれない。

 そんなことを考えながら、けれど実際にみほの口から出た言葉は、そのどれでもなかった。

 

「えーっと、わたしは……」

 

 お茶を濁す答えはいくつも浮かんだ。しかし、さすがにこの質問に嘘を吐くのは彼女の良心と相手への罪悪感が許さなかったこともあり、彼女にとっての事実が言葉となって紡がれる。

 

「その……い、一応お付き合いしている人が、いるので……」

 

 気恥ずかしそうに頬を染め、しかしはっきりと告げたその言葉は狭い一室に余すところなく響き渡った。

 そしてみほが周囲を見渡すと、そこには目と口を限界まで開ききって驚愕の極致といった表情で自分を見つめる仲間たちの姿があった。

 

「――……ぇ、ぇええぇぇえええっ!?」

 

 一拍どころか三拍は遅れて絶叫に近い驚きの声を上げた沙織と、負けず劣らず声を上げて驚きを露わにした後に震えだした優花里。そして絶句したまま見つめてくる麻子と華という四人の親友たち。

 それを見てみほは、やっぱりわたしなんかに恋人がいるなんて驚くよね……、などと自嘲気味に笑いながら、それでも確かなその事実を誇るように少しだけ背を伸ばす。

 

 ――今、なにしてるのかなぁ。

 

 この場にはいない大事な人。その姿を脳裏に描きながら、「みぽりん、ちょっとどういうことなのー!」と鬼気迫る表情で詰め寄ってくる沙織を手で制しつつ、みほは少しだけその意識を過去に飛ばすのだった。

 

 

 

 

 

 

 戦車道。

 それは伝統的な文化であり、世界中で女子の嗜みとして親しまれている武道の一種である。

 礼節を学び、協調性を磨き、淑やかで慎ましく、それでいて凛々しく力強い。そんな理想の女性像へと己を昇華させる武芸であり、正しく女子としての道を極めるものとして、華道や茶道と並んで広く認知されている。

 世界中と表現したように、日本においても例外ではない。それどころか戦車道の源流は鎌倉時代の馬上薙刀道であるとされているため、戦車道は元を辿れば日本発祥となる。

 そのためとりわけ日本ではその認知度と人気は格別なものがあり、戦車道を学校教育に取り入れている学校も少なくない。

 競技としての一面を押し出した大会活動も活発であり、全国大会にはじまり世界大会までもが定期的に開催されているほどで、まさに国民的スポーツと呼べる武道なのであった。

 

 そして、その戦車道の日本全国大会では今、一つの伝説が築かれようとしていた。

 戦車道の名門校、熊本県立黒森峰女学園の全国大会十連覇という前人未到の偉業である。

 九連覇という時点で既に並ぶ者のいない記録なのだが、それを更に自身で更新しようとしているのだ。

 怒涛の勢いで突き進む王者の進撃を止められる者は誰もおらず、立ち塞がる者すべてを粉砕して進む様はまさに圧巻の一言。会場中の誰もが今年の優勝も黒森峰で決まりだと確信していた。

 

 たった一つの、アクシデントが起きるまでは……。

 

 

「――……っ!」

 

 みほはぱっと目を開けると、布団を跳ね除けるようにして上半身を起こした。

 その息は荒く乱れ、寝ている間にかいたのであろう汗が前髪を額に貼り付かせている。不快な感触に、しかしそれを直すこともせず、みほはひたすらベッドの上で呼吸を整えた。

 

「……また、あの時の夢……」

 

 黒森峰の十連覇がかかった決勝戦。その最終局面。突然の悪天候の中、相手の放った砲弾が自身が乗るフラッグ車の前を進む車体の足元を削り、バランスを崩したその車両は崖の下を流れる川の中へと――。

 

「――っ……」

 

 ぶんぶんと頭を振って蘇ったその時の光景を脳内から追い出す。

 両手でギュッと布団を握り、内から込み上げて狂いそうなほどの不安を押し殺す。

 しばらくそうしてどうにか気持ちを落ち着けたみほは、ふらりとベッドから降りると学校へ向かう準備を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 ひそひそと周囲の声が耳に届く。

 内緒話のつもりなのだろうそれは、自然とみほの耳に入ってきていた。いや、あるいはわざと聞かせようとしているのかもしれない。耳を塞ぎたくなる衝動をこらえながら、みほは唇をきゅっと結んで黒森峰の校舎の中を歩いた。

 俯いて教室へ向かう最中、聞こえてくるのは自分を責める声だった。

 

 ――あの子のせいなんでしょ、ウチが連覇を逃したのって。

 ――フラッグ車を捨てるなんて、考えられない。

 ――戦車道の友達、すごく怒ってたわ。裏切られたって。

 ――副隊長だったのに、逃げるなんて信じられないわ。

 

 みほは、聞こえてくるその声全てに何も反応しなかった。ただ俯いて、目の奥を熱くさせながら早足で歩くことだけが、今の彼女に出来ることだった。

 

 反論することは簡単だ。

 

 人の命以上に大切なものは無い。自分は勝利よりも仲間が大切だったんだ。

 そう言えば、表だってその言葉に反発する者は減るだろう。何故ならみほの言い分に反対するという事は、仲間の命など捨て置けばよかったと言っているようなものだからだ。

 戦車道はあくまでスポーツだ。命の危険がないよう配慮がされているし、そのような事態があれば真っ先に人命を優先するのがスポーツマンシップである。

 これを公然と批判するような人間はいない。だから、反論すればこの状況が僅かなりとも改善することはみほにもわかっていた。

 けれど、それは表面上の解決でしかない。皆の内心では、学校が得るはずだった大快挙を台無しにしたみほへの敵愾心は決してなくならないだろう。もしかしたら、より陰湿な方法へとシフトするだけかもしれない。

 

 あるいは――これこそがみほが最も懸念する可能性だが――自分ではなく川に落ちた戦車を担当していた子たちに矛先が向くかもしれなかった。そもそもお前たちがきちんと対処できていれば、崖から落ちたりなんかしなければ、と。

 それはみほにとって耐えられないものだった。自分だけならまだしも、彼女たちにまで累が及ぶなど、到底受け入れられなかったのだ。

 

 それなら、このままでいい。

 それが、みほの出した結論だった。

 

 教室のドアを開け、中に入る。クラスメイトの視線が一斉にみほに向けられた。それらの中に込められた感情は苛立ちや侮蔑。

 中には同情的なものもあったが、大半が批判的な姿勢でいる中では、みほに優しくすることも難しい。それに元々みほは引っ込み思案であり、社交的ではない。入学から姉について戦車道一筋だったこともあって、親しい友人がいなかった。

 そのため彼女を庇うような人間はクラスの中には存在せず。

 みほは今日も、誰とも目を合わせることなく下だけを見て授業を受けるのだった。

 

 

 

 授業が終わり、放課後。

 みほは教科書と筆記具を手早く鞄に詰めると、すぐに教室を後にした。

 いつもならこのまま戦車道の訓練に参加するのだが、みほは真っ直ぐ昇降口に向かうとそのまま校門を出て帰路についた。

 みほにとって、もはや戦車道は苦痛でしかなかった。

 

 あの試合の後。

 多くの仲間から責められ、罵倒された。あなたのせいで優勝を逃した。敗北という屈辱を味わった。絶対に許さない。

 それら全てにみほは耐えた。自分の中では正しいと思った行動だったが、それでチームが負けたことは事実だったからだ。だからこそ、これは自分が受けるべき罰なのだとひたすらに受け止めた。

 しかし、そんなみほにも、唯一聞き逃せない言葉があった。

 

 ――西住流の面汚し。

 

 その言葉だけには、どうしても顔を上げざるを得なかった。

 自らの母が家督を持つ戦車道の名門中の名門。西住流。その直系であるみほにとって、その言葉は他のどんな言葉よりも深く心を抉った。

 思わず姉に顔を向ける。この黒森峰を率いる隊長であり、実姉でもある西住まほを。

母に似て、西住流の掲げる『撃てば必中、守りは固く、進む姿は乱れなし』を誰よりも体現する、みほにとっては憧れであると同時に決して自分ではなれないと思う姉を。

 そんなまほは厳しい表情のまま、みほの縋るような視線を受ける。お互いの瞳が交差したのは、僅かの間だけ。

 まほは、すっと目を閉じてその視線を外した。

 

「……――ぁ……」

 

 その瞬間、みほの中で何かが崩れた。

 姉が自分を庇わないことはわかっていた。決して逃げず前に進む西住流において、戦いの場で他事に目を向けた自分は異端である。

 誰よりも西住の後継者であろうとしている姉が自分を認めては、西住流門下である黒森峰の多くの隊員に示しがつかない。だからこそ、まほの行動は隊長として当然のものだった。

 けれど、そうだとわかっていても、まほには否定してほしかった。みほは間違っていないと言ってほしかった。西住の名に恥じることなどしていないと認めてほしかった。

 けれど、まほはそうしなかった。西住をいずれ継ぐ者としてそれは正しい。わかっていた。

 でも、それでは一体。

 

 ――戦車道って、なんなの?

 

 果たしてそれは、仲間の命の危機を見過ごしてまでこだわるものなのだろうか?

 みほにとって、己の全てであった西住流戦車道が音を立てて崩れ落ちた瞬間だった。

 

 

 

「おーい、そこのキミ!」

「…………ぁ、え?」

 

 ぼうっと全国大会の出来事を思い起こしていたみほは、突然掛けられた声に慌てて意識を覚醒させて振り返る。

 すると、後ろから歩いて来ている男性が手を上げて自分を見ていることに気がついた。恐らく今の声は彼のものだろう。そう思ったみほは、小さく会釈をした。

 

「あ……すみません、その、何かご用でしょうか?」

 

 みほがそう問いかけると、目の前の男性は驚いたように目を丸くした。

 

「いや、ご用っていうか……やっぱり気づいてなかったのか」

「え?」

 

 何の事だろうとみほがきょとんとすると、彼は指でみほの後ろを示す。

 その動きに合わせてみほが自分が進もうとしていた道を振り返ると……。

 

「あ……」

 

 そこには工事中の大きな立て看板が立てられていて、道を完全に塞いでしまっていた。

 あのまま歩いていたら、みほは間違いなく看板にぶつかってしまっていたことだろう。目の前の男の人は、声をかけることでそれを未然に防いでくれたのだ。

 そのことに気がついたみほは、顔を赤くしてがばっと深く頭を下げた。

 

「す、すみません! わたし、ちょっとぼーっとしていて……た、助かりました!」

「いやいや、気にしないで。怪我をしなくてよかったよ」

 

 朗らかに笑いながら、男性は謙遜するように手を振った。

 みほは男性を改めてよく見てみる。自然で短めな黒髪、柔和な顔つき、みほより頭一つ分は高い身長、中肉中背、服装にも際立った特徴はなく、目立つ感じではなかった。

 けれど少しだけ笑ってこちらの無事を喜んでいる姿は、なんとなく優しそうな人だなという印象をみほに抱かせていた。

 

「……って、ん? キミ、どこかで……」

「……っ」

 

 そこでふと、男性が何かに気付いたようにみほの顔を見る。

 思わずみほの体が固くなる。黒森峰の学園艦に住む一般人が、いち生徒である自分の顔を知る機会はそう多くない。となれば、全国放送された戦車道の大会で知った可能性が高いのは自明の理だった。

 そしてみほのその予想は間違っていなかった。

 

「ああ、そうだ。黒森峰の戦車道部隊の副隊長の子だよね? いや、この前の大会は惜しかったね」

 

 世間話をするように、男性はみほに話を振る。しかし、みほにとってその話題は雑談として口にすることなどとてもできないものだった。

 思わず押し黙る。この人も自分を責めるのだろうか。もしくは、次は必ず勝ってくれと激励してくれるのだろうか。

 戦車道そのものに疑問を抱き、己の行いを否定され続けているみほにとってはどちらも苦痛であった。

 それでも、やはり掛けられる言葉はそれらなのだろう。諦観とともに身を縮めて待ち構えていたみほだったが、続いた言葉はそのどちらでもなかった。

 

「あの子たちは無事だった?」

「――え?」

 

 耳に届いたのは、誰かの無事を確認する言葉だった。それが、あの時崖から落下してしまった戦車に乗っていた仲間たちを指しているのだと気付くのに、僅かな時間を要した。

 みほにとって、全く予想外の言葉だったのだ。思わず口をついた疑問の声と一緒に恐る恐る顔を上げると、そこにはきょとんとした男性の顔があった。

 

「え? いや、あの川に落ちちゃった子たちだけど……」

 

 なんでみほが驚いているのかわからないのだろう、男性は可笑しなことを言っただろうか、と首を傾げながらもう一度問いかけてきた。

 みほは今度こそその内容を把握して、慌てて返事をする。

 

「は、はい。みんな大きな怪我もなく、無事で……」

「それはよかった」

 

 うんうん、と笑顔で頷く。

 そして、そこで一度言葉が途切れる。

 黒森峰の敗北や自分に対する感想は一つとして出てこなかった。

 そのことにみほは不安を抱いた。今まで責められてきたからこそ、なぜ何も言わないのかがわからなかったからだ。わからないから不安になる。

 だからだろう、みほは、この人が自分やあの決勝戦のことをどう思っているのか、知りたくなった。

 

「あ、あの……」

「うん?」

「すみません、負けてしまって……」

 

 みほが自分からこうしてあの時のことを話題にするのは初めてであった。

 あの決勝戦の後、自分を襲った誹謗中傷の数々は大きなトラウマとなってみほの中に根付こうとしていた。であるから、この問いかけには少なからずの勇気が込められていた。

 そして、みほにとってはかなりの覚悟を持って発せられたその質問に、彼は答える以前に首をかしげるだけだった。

 

「え? なんで謝るんだい?」

 

 本当にわからないといった様子だった。みほは言いにくそうに言葉を重ねる。

 

「だ、だって……応援してくれていたんですよね?」

「そうだけど、まぁ負ける時は負けるさ。それに、負けは負けでも仲間を助けて負けたんだ」

 

 それなら仕方がないさ、と笑う男性の顔をみほは呆然と見つめる。

 

「皆が無事だったんなら、それでいいじゃないか。いい試合だったよ」

 

 あの試合の後、みほのことを誰もが責めた。特に戦車道の隊員たち、それを支援し推してきた学園、その生徒やOG。みほを庇う者は誰もいなかった。

 口をそろえて「最低な試合」「屈辱の試合」「西住と黒森峰の名を貶めた恥」と称し、あの決勝戦そのものを評価に値しないと侮蔑した。

 みほの行動も、その考え方も、試合そのものも。その全てを否定されたのだ。

 誰も認めてくれない、自分の信じる戦車道。西住流に身を置きながらも、静かに己の中に存在していた自分だけの戦車道。それを真正面から屈服させられ、貶められてきたみほにとって、男性の言葉は予想外のものだった。

 あの時、勝利よりも仲間を優先した行動は、みほ自身もまだ自覚していない自分だけの戦車道の発露だった。その結果は敗北だった。そしてそれは間違っているのだと誰もが責めた。

 けれど、認めてくれる人も確かにいるのだ。自分の信じた道を進んだあの試合を、いい試合だったと言ってくれる人が。

 

 自分の戦車道は、間違ってはいないのかもしれない。

 あの敗北の決勝戦を、いい試合だった、と誰かが言ってくれるのなら。

 

 そう思えた瞬間、みほの胸にこみ上げるものがあり、視界が瞬時に歪んでいった。

 

「……っ、ぅ……ぅぇえ……っ」

「って、ぇえ!? ちょ、な、なんで急に泣くの? これじゃ僕が泣かせたみたい……ああっ、おばさん違うんです! 悪さなんてしてないですってば!」

 

 あれからずっと、何もかもを否定されてきたみほは常に精神を張り詰めさせて過ごしてきた。何気ない男性の一言は、そんな緊張の糸を断ち切るに十分なものだったのだ。

 こみ上げる涙をそのまま頬に伝わらせるみほ。そしてわけもわからず目の前で女の子に泣かれた男性が慌てふためく。近くを通りがかった近所のおばさんが眉をひそめて見ていることに気がついた男性が必死に言い訳をしている中、みほは久しぶりに思い切り感情を表に出して胸の内の淀みを洗い流すのだった。

 

 

 

 

 

「……す、すみませんでした……」

「あー……いいよ、いいよ。まぁ、ちょっと、誤解が生まれたかもしれないけど……」

 

 街中の小さな喫茶店。その一角で間にテーブルを挟んで、これ以上ないほどに顔を赤くして小さくなっているみほと、ひきつった笑みを浮かべている男性。

 男性がコーヒーカップを傾け、もう片方の手でみほを促す。彼女の前にもカップが置かれているが、それを一度も手に取っていなかったからだ。

 促されて、みほは未だ顔に赤みを残したままお礼を言ってカップに口を付ける。口の中に広がる苦味が心地よく、思わずほうっと吐息が漏れた。

 

「どう? 落ち着いた?」

「え……あ、はい」

 

 問われて反射的に返すと、それは良かったと男性は微笑んだ。

 みほは目の前に座る彼と会ってからの経緯を思い返す。看板にぶつかるところを注意され、少しだけ話して、突然泣き出した自分。おろおろとしていた男性だったが、泣いている少女をそのままにしておくこともできなかったのか、近くの喫茶店に誘いこうしてコーヒーを注文してくれたのだ。

 思い返せば思い返すほど、なんて失態だろうとみほは恥ずかしさの余りに地面を転がり回りたくなる。実際にすればもっと迷惑をかけることになるので絶対にしないが。

 少なくとも、このコーヒー代はきちんと後でお返ししよう。そう心に決めたところで、目の前の彼がカップをソーサーの上に置いた。

 

「えーっと、西住みほさん、で合ってる?」

「あ、はい。西住みほです。その、よろしくお願いします」

「うん、よろしく。僕は久東俊作。この学園艦に研修で来てる、まぁしがない大学生だよ」

 

 おどけたように言って肩を竦める姿に、みほはくすりと笑みを浮かべる。思えば、こうして笑うのも久しぶりな気がした。

 そんなみほの姿を見て、俊作もどうやら緊張がほぐれたみたいだと胸を撫で下ろす。彼とて面倒事を自ら背負い込む気は甚だなかったが、それでも目の前で女の子に泣かれてしまっては、そのまま立ち去るなど寝覚めが悪すぎる。

 話を聞くぐらいならば自分にもできるし、もし解決可能ならば手を貸してもいい。それぐらいなら、という程度の気持ちでみほと向かい合っていた。

 俊作は自分を決していい人だとは思っていない。実際、もし泣かれるようなことがなければ、暗い表情をした彼女のことが気にはかかってもそのまま別れていただろう。

 だからこれはただのお節介であり、その範囲内のことしかしない。深入りは禁物。そう自分に言い聞かせ、俊作はみほに話しかける。

 

「それで、何かあったの? 随分、参っていたみたいだったけど……」

 

 今日は暇だし話を聞くぐらいなら出来るよ、とも付け加えて俊作はそう促す。

 その言葉を受けてみほはどうしたものかと迷っているようだったが、やがて意を決したように真っ直ぐに俊作を見て、口を開いた。

 

「……あの、わたし……――」

 

 ――そこからみほが語った彼女の悩みは、ただの大学生である俊作にはとんと縁がない類のものだった。

 戦車道の家元、名門中の名門、西住家に生まれて、生まれた時から西住の戦車道を身につけ、体現し、顕示することを課せられた人生。

 戦車道自体に思うところはなく、西住流についても家族が誇るものということで疑問を抱くことなく、家の敷いたレールの上で努力してきたみほ。

 しかし、先の黒森峰の十連覇が懸かった決勝戦。みほは西住の戦車道から外れ、仲間を助けるために勝利を放棄してしまう。

 十連覇という偉業を阻み、西住の名も汚し、戦車道の仲間からすら責められる日々。やがて、みほは戦車道そのものに疑問を抱き、このまま戦車道を続けてもいいのかと思うようになった。

 自分が戦車道をやっても、もう意味なんてない。皆の期待を裏切ったこと、バッシングを受け続けたことで、みほにとって戦車道そのものがトラウマになりつつあったのだ。

 黒森峰にいること自体がもはや苦痛である。そう言わんばかりに思いつめた表情でうつむきながら語るみほは、そこまで話し終えたところで俊作を見た。

 

「……えっと、長々と、すみません……」

「ああ、うん……」

 

 胡乱気に返事をする俊作。

 それも仕方がないだろう。軽い悩み相談のつもりで話を聞いたのに、返ってきた話の内容は一人の少女の人生にすら影響しかねない重いものだったのだから。

 みほより年上であるとはいっても、所詮は大学生。人生経験に大きな差などなく、一般家庭で一般的な育ち方をした俊作にとって、家の重責など背負ったこともないものである。むしろみほのほうが濃い経験をしているとすらいえた。

 であるから、俊作としては「これもう僕の手に余る問題だわ……」と内心で白旗を上げざるを得なかった。

 とてもではないが、自分が手を貸して解決できる悩みとかいう範疇を超えていたのだ。

 だから、俊作に言えることはそれこそ一般的なことに終始したのである。

 

「えーっと、それじゃあ西住さんとしては、黒森峰にいることはもう辛い?」

 

 尋ねると、みほは暗い顔で「正直……はい……」と頷いた。

 さもありなん、そのような目に遭っていればそう思っても仕方がないだろう。頷いた俊作は、「じゃあ、転校するのも手かもね」と提案した。

 

「転校……?」

「そう。ここじゃなければ、そんな批判にも遭わないだろうし、仮に戦車道が科目にない学校ならキミが戦車道をする事もなくなる」

 

 解決策としてはごくありふれたもので、オーソドックスだろう。臭い物には蓋、ではないが、嫌なことからは逃げればいいのだ。

 俊作がそう言うと、みほは呆気にとられた顔をした。

 

「嫌なことからは、逃げればいいって……」

「しょうがないだろ、嫌なんだから。そりゃ、逃げちゃいけない場面もあるかもしれないけど、逆を言えば逃げていい場面もあるってことだろ。逃げる権利があるなら、逃げちゃえばいいんだよ」

 

 と、そこまで言ったところで、さすがに逃げろ逃げろと言いいまくっていては教育に悪いかと思い直して、俊作は言葉を付け足す。

 

「でもまぁ、逃げ続けるのは良くないと思うけどね。けど、先のために逃げる事は悪い事じゃないと思うよ。戦術的撤退とか言うでしょ、もしくは後ろに向かって全速前進とか」

「ぷっ……あはは……」

 

 俊作のポジティブなのかネガティブなのかわからない言い回しに、みほはつい噴き出してしまう。

 

「まぁなんにせよ、キミの人生なんだ。キミが納得できるやり方をすればいいと思うよ。僕が提案できるのは、それぐらいかな。もし立ち向かって状況を変えるっていうのなら、それも有りだしね。相当大変だと思うけど……」

 

 聞く限りの状況を考えれば、後者はかなりの茨の道だと思われた。個人的にはお勧めしたくないとまだ出会ったばかりの俊作でさえ思うほどには。

 

「ありがとうございます、久東さん。会ったばかりのわたしに、こんなに親身に付き合ってくれて……」

「いや、行きがかり上だよ。それに、大したことはしてないし」

 

 それは俊作の本心だった。言ったことだって、せいぜい一般的な範囲内での提案だったし、確実な改善策ではない。彼女が抱えるトラウマが治るわけでもないし、逃げ道を提示しただけなのだから。

 しかし、みほはふるふると首を振ってそれは違うと否定した。

 

「いいえ……わたしに味方はいませんでした。友達もいたんですけど、あれから疎遠でしたし、誰にも相談できなかった……。だから、こうしてお話を聞いてもらえただけでも凄く楽になりました。ありがとうございます」

「えーっと、どういたしまして……」

 

 真っ直ぐに笑顔を向けられて、つい照れが出る。まして、みほは十分に整った容姿をしていたので、その笑みを直視するのに躊躇してしまう。

 俊作は誤魔化すようにコーヒーカップを持ち上げて口元に運ぶ。

 

「わたし、他の学校のことを調べてみます。黒森峰はもう……」

 

 みほはそう言って視線を落とすと、どことなく苦しそうにテーブルを見た。

 その後に続く言葉が何だったのか。それを知る術は俊作にはないが、少なくとも気落ちしたままでいては良くないとは分かる。だから再びカップを置くと、今度はしっかりとみほを見据えた。

 

「キミが決めたのなら、それがキミにとって一番いいことだよ。無理をする必要はないし、やりたければやればよくて、やりたくないならやらなくていい」

「後ろに向かって全速前進! ……ですね?」

 

 先ほど自分が言った言葉を真似して、みほはにこりと微笑む。

 少しだけ呆気にとられるが、すぐに俊作もまた相好を崩して「ま、そういうことだね」と笑う。

 みほは久しぶりの笑顔を浮かべながら、ずっと放置したままになっていたカップに口を付ける。

 中のコーヒーは当たり前だが、既にぬるくなってしまっていた。それでも、何となく体が温まったような気がするみほだった。

 

 

 

 

 その後、僅かな雑談の後に二人は喫茶店を出て別れた。みほはコーヒー代を払おうとしたが、俊作は頑としてお金を受け取らなかった。

 曰く、高校生の女の子と割り勘なんてカッコ悪いじゃないか。

 その言い分にくすりと笑って、みほは「ありがとうございます」と頭を下げた。そして互いに背を向けて歩きだし、二人の邂逅はこの時だけで終わる――はずだった。

 

 しかし、翌日。学校からの帰りにパソコンから印刷した他校の資料を読みながら歩いていたみほに、再び「そこのキミ!」と声が掛けられたのだ。振り返れば、昨日別れた俊作が立っており、みほを指さしている。まさかと思ってみほが歩く先を見直すと、昨日にも見た看板が。

 そう、みほは注意されたにもかかわらず、同じ場所で同じ看板にぶつかろうとしていたのだ。

 これにはさすがのみほも恥ずかしくなり、手元の資料で真っ赤になった顔を隠したのだった。

 

 それからなんとなく昨日と同じ喫茶店に入った二人は、コーヒーを片手に雑談に興じる。その中で、みほが転校先の候補としてどの学校がいいのかについて悩んでいることがわかると、俊作もまた色々な意見を出して協力をした。

 二日続いたことも何かの縁として、みほは明日も相談に乗ってもらいたいと提案。この学園艦で気を許せる存在が少ないみほにとって、隔てなく話せる俊作は貴重な存在だった。それに自分より年上でアドバイスがもらえる存在としても頼りになったのだ。

引っ込み思案なみほにとって、これは決死の提案であった。事実、これを切り出す時のみほの手は緊張で少し震えていたのだから。

 そして研修とはいってもそこまで時間が縛られていない俊作は、これを快諾。かくして毎日放課後に二人はみほの進路についてあれこれと相談をするようになったのである。

 

 時に喫茶店で、時にファミレスで。時には少し街を歩きながら。

 みほを見つけた学園の生徒があからさまに絡んできたこともあったが、俊作はみほを背に回して叩きつけられる批判からみほを守った。

 

 そして二人が会うようになって一か月が過ぎた頃。

 みほはついに転校先を大洗女子学園に決め、黒森峰学園側にもそれを伝えて了承されたのだった。

 

 

 

 

 

「そっかぁ。これでみほちゃん、来年度からは大洗学園に行くわけだ」

「うん」

 

 学園艦の艦上側部、海に沿うように作られた公園の中を散策しながら、俊作がみほからの報告にそう応えると、隣を歩くみほはどこか憑き物が落ちたような顔で頷いた。

 黒森峰からの転校が決まった事は、現在でも周囲から彼女に向けられる視線を考えれば朗報であった。

 黒森峰側も先の決勝戦における敗北の原因となった彼女の扱いに困っていた面もあったのだろう。申請はすんなりと通ったそうだ。

 みほにとっては批判に晒され続けた場所から離れられるのだ。それに、これから自分自身の戦車道そのものに向き合わねばならない彼女にとって、この場所では色々と余計な茶々が入りすぎる。

 みほがこの先戦車道に関わるのか、それとも別の道へ進むのかはわからないが、いずれにしても新天地で気持ちを入れ替えるのは必要なことだと俊作には思えた。

 だから、並んで歩く彼女の頭に手を置き、俊作は不器用に撫でた。

 

「向こうでも、頑張ってね」

「うん!」

 

 撫でられたみほは嬉しそうに笑い、しかしすぐにその表情を悲しげなものに変えていく。

 

「どうしたの?」

「あのっ、俊作さん……もうすぐここを離れるって、本当?」

 

 立ち止まって向き合ったみほの顔は真剣そのものだった。少しだけ悲しげに揺れる瞳に目を合わせ、俊作はバツが悪そうに頭を掻いた。

 

「参ったな……どうして知ってるの?」

「研修生の人たちが、もうすぐ終わりかって話してるのを聞いて、それで……」

 

 不安そうに見つめるみほに、俊作は溜め息を一つ吐いて正面から向き直った。

 

「うん。僕も研修で来た身だからね、今度の寄港で降りることになってるよ」

「そんな……!」

「ただ、誤解しないでほしいのは、別に意地悪をしたくて伝えなかったんじゃないんだ。ただその、言い辛かったというか……」

「え?」

 

 みほの視線の先で、俊作はもごもごと口元を動かしながら、言い淀んだ。

 

「あ、いや、まぁ。でも、まだ時間はあるから、それまではまた一緒に過ごせるから」

 

 すぐにいなくなるわけではないということを強調して、俊作は諭すように言う。そして再び公園内を歩こうと一歩踏み出したところで、袖が引かれる感覚に足を止めた。

 

「………………」

「みほちゃん?」

 

 そこには、無言で手を伸ばして俊作の上着の袖をつかんで離さないみほの姿があった。

 俯いていてその顔は見えないが、伸ばされた指の先が震えているのがわかる。

 一体どうしたのか。大丈夫なのか。心配になった俊作が口を開きかけた、その時。

 

「……わたし、いやです」

「え?」

 

 ぽつりと呟かれた声。それを確認する前に、俯いていた顔ががばっと上げられた。

 顔全体が真っ赤になり、目も潤んで、肩は揺れ、明らかに一杯一杯ですといわんばかりのみほがそこにいた。

 

「しゅ、俊作さん!」

「は、はいっ」

 

 勢い込んだ声に、俊作もつられて返事が上擦る。思わず背筋を伸ばした俊作の前で、みほはいっそ気の毒なほどに緊張しきりなまま、懸命に言葉を紡ごうと唇を震わせた。

 

「そ、その……あの、わたしは、えっと……つまり、しゅ……、俊作さんのことが……ですね。その……す、すっ……! ……その、っわ、わたしとお付き合いしてくれませんかっ!」

 

 最後は目をぎゅっと瞑って一気に言い切ったみほは、そのまま勢いよく頭を下げて、下げたまま頭を上げなかった。

 それは、返って来る言葉が恐ろしいからだった。基本的に自分に自信がないみほは、良い返事が返ってくる可能性は限りなく低いと思っていた。それでもこうして言葉にする決心がついたのは、もしこの艦を降りてしまえば、会う機会がなくなってしまうと思ったからだった。

 もう今を逃せばきっと自分は言えないだろう。そう思ったみほは、駄目で元々でも構わないから、気持ちだけでも伝えておきたいと考えたのだった。

 そのため、告白の後に返って来るだろうお返事のことが、すっかり頭から抜け落ちていたのだ。今更気づいても後の祭りだが、気付いてしまったものは仕方がない。

 せめてどんなお断りを入れられても泣かないようにしよう、と口元をきゅっと引き結んだところで。

 

「……先に言われるとか、カッコ悪すぎでしょこれ……」

 

 頭上から降ってきた言葉に、思わず目を開けた。

 ばっと顔を上げる。信じられないという気持ちがありありと浮かんだ表情のまま、みほは顔を赤くして落ち込んでいる俊作を潤んだ瞳でまじまじと見つめた。

 

「……ぁ、え? えっと、それじゃあ……」

 

 言葉にならない思いに胸を詰まらせるみほ。その前に俊作は立ち、せめてものカッコつけとしてぐいっと胸を張った。

 

「――喜んで。こちらこそ、どうか僕とお付き合いしてください、みほちゃん」

「……あ――! は、はいっ!」

 

 この時の気持ちを、みほは生涯忘れることはないと思った。

 心からの幸福感に包まれて、みほは満面の笑顔で差し出された俊作の手に己の手を重ねたのだった。

 

 

 

 

 

 

 それから、俊作は当初の予定通りに黒森峰の学園艦を降り、そしてみほもまた大洗女子学園へと向かうために黒森峰から去った。

 それまでの間に二人で作った思い出の数々は、みほにとって黒森峰で唯一と言ってもいい宝物だった。短いながらも満たされた時間。戦車道のことすら忘れて、ただの女の子として過ごした時間だった。

 今ではお互いに離れてしまっているが、メールや電話でのやり取りは今もきちんと続けている。今は研修なども終わって資格試験の勉強中ということだった。

 みほが戦車道を再び始めた時、俊作はまずみほのことを心配し、みほが無理をしていないとわかるや、「おめでとう。頑張れ」と応援してくれた。

 戦車道に向き合う決心がついたこと、自分の戦車道を見つけようとしていること、得難い仲間が出来たこと、叶えたい目標が出来たこと。それら全てを含めた「おめでとう」だった。

 みほは遠く離れていても自分のことを思ってくれているその存在に、心から感謝していた。今もどこかで、俊作さんも頑張っている。そう思うだけで、勇気が湧いてくるような気さえした。

 

「みーぽーりーんー!」

「西住殿! い、いったいどこのどなたなのですか!? ああ、西住殿がお嫁にいってしまうぅ!」

「……気が早すぎるだろう。それで、隊長。わたしも気になる」

「私もです。いったいどのような方なのですか?」

 

 みほが物思いに耽っている間に、友人たちはみほの彼氏が気になって仕方がないらしく、ぐいぐいと詰め寄ってきていた。

 特に沙織はその顔に「わたしを差し置いて!」とか「恋愛話プリーズ!」と書かれている。そして優花里は何故だかショックを受けたように涙を流していた。麻子も素っ気ないながらどこかワクワクしたようにみほを見て、華は隠す気もなくワクワクしていた。

 そんな四人に、あはは、と苦笑を浮かべながら、みほは最後に問われた華の言葉にだけこう返す。

 

「わたしとわたしの戦車道の恩人だよ!」

 

 彼に出会わなければ、この学園に来ることも、戦車道と向き合うこともなかったかもしれない。だからこそ、みほはそう言う。

 そして、心の中でだけ口にしづらい言葉を続けて紡いだ。

 

 ――それから、わたしの大好きな人。

 

 声に出さない想いは胸の内で溶けて、みほは胸元でそっと手を組んだ。

 

 

 

 

 




ガルパンはいいぞ(挨拶)

第10話を見た時の妄想を形にしようとしたこのお話ですが、ひとまず完成して良かった良かったです。

ちなみにみほのお相手は機械関係の職業としか決めておらず、特に詳細な設定はありません。名前の由来はガルパン……ではなく艦これを知る方ならわかる方もいると思います。

告白シーンは当初男性側からだったのですが、みほから告白ってしそうにないよなぁと思って、みほからにしました。
凄くテンパって真っ赤になってたりしたら可愛いですよね。

とりあえずそんな感じで初ガルパンでした。
ありがとうございました。


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西住みほの恋物語・あふたー

 

 

「いやー、終わった終わった。なぁんか肩の荷が下りたって感じだよねー」

 

 組んだ両手を天高く突き上げて体を伸ばす大洗女子学園生徒会長の角谷杏は、晴れ晴れとした表情で言うと、小さな肩を軽くとんとんと叩いた。

 

「会長、学園に帰るまでが全国大会ですよぉ」

「あー、そうだったそうだった。あっはっは」

「会長、遠足じゃないんですから……」

 

 副会長の小山柚子が突っ込めば、杏は快活に笑い、広報の河嶋桃は二人の様子に若干呆れたように突っ込みを入れる。

 杏が決め、柚子が動き、桃が助け、杏が締める。そのようにして阿吽の呼吸でこれまでやって来た生徒会メンバーである三人は、常のそんな関係を感じさせるやり取りをかわしていた。

 戦車の中においても、杏の指示で柚子が走らせ、桃の装填によって杏が撃つ。まさしくいつも通りにすれば(桃が締めの砲撃を行わなければ)非常に頼りになるのが彼女たちだった。

 

 戦車道全国大会の決勝。母校である大洗女子学園の廃校が懸かったその戦いにおいて、苦難に晒されながらも見事に優勝を果たしたメンバーである大洗女子戦車道の彼女たちは、真っ赤な夕日に照らされた会場の中を選手の待機室に向けて歩いていた。

 先を行く三人の生徒会メンバーの後ろからは、ぞくぞくと他のメンバーたちが歩いてくる。

 

「なんにせよ、勝ってよかったよね!」

「これでわたし達って学校を救った救世主!?」

「帰ったらモテモテかもー」

「やったー!」

 

 続く一年生チームは、山郷あゆみが喜びの声を上げ、大野あやが目を輝かせ、宇津木優季が想像を膨らませれば、阪口桂利奈が快哉を叫ぶ。

 それらの騒ぎを纏め役である澤梓が窘め、丸山紗希がその横をぼうっとした表情でひょこひょこと歩く。

 大洗のチームの中で最も人数が多く、またそれぞれが騒ぐことが好きなメンバーが多いだけあって、梓はリーダーとしてなんとも苦労が絶えない。

 今にも羽目を外してお祭り騒ぎになりそうな仲間たちに、やんわりと注意を促す姿は一目で彼女が戦車の中では車長なのだとわかる。

 そんな一年生たちの後ろでは、他のチームもまたそれぞれが互いに顔を合わせて笑みを浮かべながら楽しそうに会話をしている。

 皆で掴み取ったこの優勝という結果に、高ぶる気持ちが抑えられないのだろう。誰もが勢い込んで喜びを露わにしている様は、まさに彼女たちは一つのチームであることを表しているかのようだった。

 

 そしてそんな皆のことを、大洗女子戦車道チームの中心にして旗頭である――西住みほ、武部沙織、五十鈴華、秋山優花里、冷泉麻子の五人で構成される「あんこうチーム」は一番後ろから見守っていた。

 

「あはは……みんなテンション高いねぇ」

「……まぁ、気持ちはわかる」

 

 沙織と麻子が苦笑い気味にそう言うが、その顔は前を歩く彼女らと同じように緩んでいた。

 

「なんといっても優勝ですからね! 全くの無名かつ戦車道の未経験者が多くを占めた我々が優勝する! これは戦車道の歴史に残る快挙ですよ!」

 

 大洗に戦車道チームがあったのは過去の話。今や完全なる無名校である大洗が、たった八台、それも機種も特徴も性能もてんでバラバラの戦車を使い、隊長を除いて全員が戦車道未経験の初心者という中で、突然出場して優勝を獲得したのだ。

 優花里が興奮するのも致し方ない話で、これはまさしく戦車道の歴史に残る類稀な偉業だった。事実、彼女たちは知らないが、後に今大会は「大洗の奇跡」と称されて長く大会史に刻まれることになる。

 優花里の声を受けて、隣を歩く華は艶やかに微笑む。そして自身がみほから受け取った優勝旗をぎゅっと握った。

 

「本当に、とても価値のある勝利でしたわ」

「うん」

 

 華が持つ優勝旗を見ながら、みほもまた心底嬉しそうに微笑んだ。

 見渡せば、勝利の喜びに沸く沢山の笑顔が見える。そんな彼女たちの姿を見つめて、ふとみほの脳裏にこれまでの出来事が蘇ってきた。

 

 黒森峰での出来事のせいで戦車道そのものに忌避感を抱いていた自分。戦車道のコースそのものがない大洗女子学園に転校したものの、何の因果か自分の代で戦車道が復活し、最終的に決めたのは自分だとしても流されるように戦車道を再び始めた。

 しかし大洗の戦車道は一からのスタートだった。そもそも戦車がなく戦車を探すところから始め、操縦やルールさえもみんな知らない。ようやくまともに動かしたと思ったらいきなり模擬戦、それほど間を置かずに全国大会に参加ときた。

 初心者だらけ、戦車の数も向こうが上。質も量も大きく劣りながら、それでもみほの采配とチームの協力、一人一人の機転と奮闘で勝ち進んだ。

 そしてそんな中、なぜ会長がこうまでして戦車道を推し、性急に大会出場まで敢行したのかをみほたちは知る。

 それは、大洗女子学園が廃校の危機に晒されており、それを回避するには政府が推し進めている戦車道、その大会で優勝して実績を作ることしかないということだった。

 そういう約束を交わしているという事実を知ったみほたちの取った行動はただ一つ。決して諦めず、お互いを信じ、最後の最後まで全力で戦って勝つ。そのために心を一つにする。ただそれだけだった。

 

 その結果が、この目の前にある笑顔である。

 

 仲間全員、互いが互いを思いやり、決して見捨てず、一丸となったからこそ得られたもの。かつて黒森峰でみほがついぞ得ることが出来なかったものだった。

 仲間と共に、仲間を大切にして戦う。そして勝つ。それがみほの戦車道。

 それを見つけることが出来たこと。気づかせてくれた得難い仲間が出来たこと。見つけた道を憧れである姉に見せて認められたこと。そして皆で帰る場所を守れたこと。

 その全てが嬉しくてたまらなかった。

 

 待機室に戻ったらすぐに電話を掛けよう。そしてあの人にも伝えたい。今の自分の、このどうしようもなく溢れてくるこの気持ちを。

 そんなことを考えながら、ふと顔を上げて歩く皆の先を見て。

 みほは思わず立ち止まった。

 

「みほさん?」

 

 そのことに気付いた華が名前を呼ぶ。

 しかし、それに応える前にみほの視線の先――大洗の戦車道チームが進んでいた先に立つ一人の男性が、片手を上げて口を開いた。

 

「――みほちゃん」

 

 笑顔で柔和な声が紡いだのは、彼女たちの隊長の名前だった。

 彼の前に立ち止まったメンバーたちが訝しげに顔を見合わせる。

 

「……誰?」

「さぁ。隊長の知り合い?」

 

 ぼそぼそと言い合う一年生たち。他のメンバーも「待ち伏せぜよ」「奇襲か!」「いや、そんなんじゃないだろ」「じゃあわたしたちのファン?」「それなら隊長のファンってことじゃない?」と小声で囁き合った。

 

 そしてそんな声の中で、みほはなんてタイミングだろうと驚いていた。すぐにでもその声を聴き、思う存分自分のことを聞いてもらいたいと思っていた相手が目の前にいるのだ。

 ずっと電話とメールでしかお互いのことを知れず、黒森峰から降りる時に別れたっきりになっていたその人が、目の前にいるのだ。

 長い苦難の先に掴んだ優勝と廃校撤回という、ただでさえ胸がいっぱいになる出来事の後。その後に、長く逢えなかったその人が目の前にいる喜び。

 

 それを考えた瞬間、みほの足は全く無意識に地面を強く蹴っていた。

 

 みほが見る視線の先では、生徒会長である杏が干し芋を片手に持ってぷらぷらとさせながら、その男性に問いを投げているところだった。

 

「それで、おたくは誰? 西住ちゃんのお友達?」

「あ、えーっと僕は――」

「俊作さんっ!」

 

 そんな杏のことも目に入らず、みほは最後尾からチーム全員の間を割って走り抜け――その勢いのままに目の前の男性に抱きついた。

 

「えぇええぇえッ!?」

「……あ、あの引っ込み思案で奥手な西住ちゃんが男の人に抱きついた……!?」

 

 当然、全員の目の前でのことであったので、大洗女子全員が目を限界まで見開いて叫び声を上げることとなった。あの杏が驚きの余り干し芋を地面に落としたほどだった。

 杏が言うように、彼女らの中でみほはとてもそんな大胆なことをする性格ではなかったのだから、驚きはひとしおだった。

 しかし、そんな驚きも今のみほには見えていないのか、抱きついて抱きとめられたまま下から見上げて俊作を見た。

 

「どうしてここに!? ここ、一応関係者だけのはずじゃ……」

「いや、僕も出口で待ってたんだけど、まほさんがね……」

「お姉ちゃん?」

「そう。彼女が出てきたところに出くわしてね。「行ってあげてください、あなたがいた方がみほが喜びます」だって」

「お姉ちゃんが……」

 

 姉からの心遣いに、じーんと感動するみほ。しかし、はたとおかしい事に気がついた。

 

「あれ? でもわたし、俊作さんのこと、お姉ちゃんに話してない……」

「ああ、それはね。口止めされてたけど、黒森峰の頃からまほさんは知ってたよ」

「ええ!?」

「一回僕にも会いに来たしね。最初はだいぶ警戒されてたけど、最後には「今の私ではみほを守れません。チームを捨てることも出来ない情けない姉ですが……妹をよろしくお願いします」って頭を下げられた」

 

 なんか、一緒に街の中を歩いてたのを誰かから聞いたみたい。俊作がそう言うのを、みほは呆気にとられたように聞いていた。

 

「……お姉ちゃん……」

 

 みほは自分がいかに幸せであったのかを思い知らされたような気分だった。

 見捨てられていたわけではない。姉はきちんと自分のことを見てくれていたのだ。見知らぬ男性と自分が一緒にいると聞いて、きっと心配してくれたのだろう。警戒していたというのだから、きっとそういうことだ。

 西住流の後継者、黒森峰の総隊長、戦車道の天才。それら全ての評価に挟まれて、その上で母からの期待と妹を取り巻く環境……それらに葛藤して苦しんでいたのは実は姉のほうだったのかもしれない。しかし、そんな中でもきちんと姉は自分のことを見てくれていたのだ。

 つい先ほど姉と交わした会話と、見守るように微笑んでくれた顔がよぎり、みほは目頭が熱くなるのを感じた。

 

 やっぱり、お姉ちゃんは凄いや。そう心から思った。

 

 嬉しくなって、そして涙が零れそうになって、みほはぎゅっと更に強く俊作にしがみついた。

 それを仕方がないなと肩をすくめ、しかしながら嬉しそうに受け止めた俊作は、その押し付けられた頭の上に手を置いてぽんぽんと撫でる。

 朱を筆に乗せて走らせたような夕焼けの中、二人はそうして互いの存在を確かめ合うように抱き合っていた――のだが。

 

「あのー、ちょーっといいですかねー?」

 

 割って入る声。

 俊作が視線を落とし、みほが俊作の胸から顔を離して後ろを振り向くと、そこにはこれでもかとばかりに顔をニヤつかせて干し芋でみほを指す杏の姿があった。

 そして、そこでみほは周囲を見て気付く。チーム全員の目が、俊作に抱き合ったままの自分に向けられていることを。

 

「……。~~~っ!」

 

 一瞬呆け、そして瞬時に皆の前で男の人に抱きついたという事実を客観的に自覚して、みほの顔はまるで瞬間湯沸かし器のごとく、立ち昇る湯気すら幻視するほどに真っ赤に染まる。

 そしてぱっと俊作から離れると、両手で頬を抑えてそのまま背中を向ける形でしゃがみこんだ。

 ジャケットのあんこうマークがよく見える。そんなみほに、杏は意地悪い笑みを浮かべたまま、ここぞとばかりに近づいていく。

 

「いやーあたし知らなかったなー。西住ちゃんが衆人環視の中で男の人に抱きついちゃうぐらい積極的な子だったなんてー」

「い、言わないでくださいぃい……」

 

 涙目で抗議するみほに、杏は満足げな笑みを浮かべる。満面の笑みだった。

 

「会長、西住をからかうのもその辺に。それで貴方は……まぁ、おおよそもう想像は出来ていますが」

 

 桃が溜め息交じりにそう言うと、俊作は苦笑した。

 

「うん、そうだろうね。とりあえず自己紹介すると、名前は久東俊作。みほちゃんとは、黒森峰の頃からお付き合いさせてもらってるよ」

 

 改めて俊作がそう宣言すると、途端に一同からおぉーっと歓声が上がった。

 

「先輩、彼氏いたんだー!」

「隊長の凄さの秘密はまさか彼氏?」

「ということは私たちも彼氏を作ればバレー部復活も夢じゃない?」

「そうか! なら根性で彼氏を作るぞ!」

「根性じゃ流石に無理じゃないですかぁ?」

 

 と一部では間違った解釈と共に「すごい!」とたたえられ、

 

「彼氏かー。まぁでもあたしらは」

「クルマが彼氏みたいなもんだよね」

「……ボクたちの彼氏……?」

「……ネットの中ならワンチャンあるナリ?」

「校外だけれど、これは風紀委員の取り締まり対象かしら?」

 

 と、これまた独特な感性で納得したり首を傾げたりしていた。

 そんな彼女たちの様子を眺めて、俊作はうん、と一つ頷いた。

 

「個性的な子たちだね」

「それで纏めちゃうのもどうかと思いますけどー……」

 

 何ともシンプルかつ強引に戦車道チームの感想を述べた俊作に、柚子が苦笑して突っ込みを入れた。

 

「はーい、はいはい! それよりわたしから聞きたいことがあります!」

 

 そんな中、後方にいた沙織が手を挙げて自己主張しながら近づいてくる。その後ろには麻子と優花里、華の姿もあった。

 俊作は彼女たちが誰なのか予想しつつ、確認のために問いかける。

 

「えっと、君は?」

「わたし、武部沙織っていいます。みぽりんの友達!」

 

 元気よく返ってきた言葉に、俊作はやはりと納得して頷いた。

 

「ああ、みほちゃんから聞いてるよ。誰とでも打ち解けられる、優しい素敵な人だって」

「え? えへへ、みぽりんったら、やだもー」

 

 俊作がみほから聞いていた彼女についての説明をそのまま伝えると、沙織は頬に手を当てて恥ずかしそうに腰を捻っていた。

 後ろにいる麻子が、そんな幼馴染の姿にはぁと溜め息をこぼす。

 

「それで聞きたいことって?」

「え、あ、そうでした。ぜひみぽりんとの出会いや諸々を教えてください!」

「ちょ、ちょっと沙織さん!?」

 

 改めて質問の内容を確かめれば、その内容を目をキラキラさせながら沙織が言う。

 それを受けて驚いたのは俊作以上にみほだったようで、みほは蹲っていた状態からぱっと立ち上がると沙織に詰め寄った。

 

「いいじゃなーい。だってみぽりん、聞いても教えてくれなかったじゃん」

「そ、それはだって……は、恥ずかしいし……」

 

 聞くに、みほは自分のことを彼女たちには伝えていたようだと俊作は判断する。

 だがその詳細までは知らなかったようで、それを知りたいと思っているようだが……肝心のみほが、今のように赤くなって口を閉ざすものだから、知りたいのに教えてくれないというフラストレーションが溜まっていたのだろう。

 だからこそ俊作に問いかけたのだろうが、またしてもみほが恥ずかしがって止めに入り、沙織は唇の先を尖らせた。

 そして、そんなやり取りを優花里たちはいつものこととばかりに見つめていた。

 

「西住殿は照れ屋さんですからね」

「そこがみほさんの可愛いところですよ」

「……違いない」

「み、みんなぁ」

 

 優花里、華、麻子と続く三人の言葉に、みほは眉を八の字にして情けない声を出した。

 その姿は、とても先程まで強敵に正面から立ち向かったチームの隊長とは思えない。そのギャップが可笑しくて、沙織たちはついこらえきれずに笑い声をあげるのだった。

 

 そんな彼女たちの姿を見て、俊作は喜びと安堵を感じて微笑んでいた。

 黒森峰のころとは違う、本当にみほのことを好きでいてくれる友達を、みほはようやく得ることが出来たのだと実感したからだった。

 常に下を向き、笑ったと思えば自嘲気味な笑み。影を纏っていたあの頃の西住みほはもういない。顔を上げて前を向き、隣に立つ仲間に心からの笑顔を見せて進む、きっとこちらが本当の姿なのだろうみほの姿がここにはあった。

 みほを受け入れ、見守り、そして成長させてくれた大洗の学校と戦車道の仲間たちには感謝してもしきれない。からかわれながらも笑みを浮かべるみほの姿を見て、俊作はその思いを強くするのだった。

 

 そんなみほの姿を見れただけでも、本当に来てよかった。そう喜びつつ俊作は腕時計に目を落として、みほに呼びかけた。

 みほは俊作が腕時計を見ているのを見て察したのだろう、残念そうな表情が浮かぶ。

 

「もう、いっちゃうの?」

「いつまでも関係者じゃない人間が長居するわけにもいかないからね」

 

 まほの好意で入らせてもらえているが、長く居てはまほに迷惑をかけることにもなるだろう。それは避けたいと俊作は思っていた。

 その返事を受けて、しゅんと肩を落としたみほの頭をぐりぐりと撫でる。わ、わ、と声を上げるみほに微笑んでから、俊作は沙織のほうを見た。

 

「というわけで、武部さんの質問に答えるのは難しいかな。長くなるし、そこまで時間はないしね」

「そうですかぁ、それじゃしょうがないですね」

 

 沙織は残念そうにそう言うが、最初から駄目で元々という感じではあったのだろう。そこまで堪えてはいないようだった。

 

「ごめんね。それじゃ、そろそろ僕は行くよ」

 

 みほの頭から手を離し、俊作は一歩後ろに下がる。そしてぐるりと大洗のメンバーを見渡した。

 

「優勝おめでとう、大洗女子学園の戦車道チームの皆さん! それと、みほちゃんのことをこれからもよろしくお願いします」

 

 俊作が言って頭を下げると、僅かにきょとんとした彼女たちは、すぐにそのお願いを受け入れて「はーい!」と全員の大きな声が返ってきた。

 そのことに俊作は心から安心して、ここでならみほはきっと楽しくやっていけるだろうという確信を深めた。そして最後に、己の恋人であるみほに向き直った。

 

「改めて、おめでとうみほちゃん。また後で連絡を入れるから、その時にね」

「うん! 待ってるね!」

 

 お互いに大きく手を振り、俊作は踵を返して出入り口のほうへと歩いていった。

 その背中を名残惜しそうに見送るみほ。その姿はまさに恋する乙女そのものと言うべき儚さと可憐さに満ちていた。

 が、そんな余韻を気にしてくれる者は今この場には一人もいなかった。

 

「西住ちゃーん?」

「はい?」

 

 俊作の背中を追っていた視線を、くるりと反転させて背後を見る。そこには、何とも嫌らしい笑みを浮かべたチームメイトたちの生温かい視線が待っていた。

 これはまずい。みほの口元がひくひくと引きつって苦しい笑みを浮かべる。

 

「あ、あの……」

「いやー、西住ちゃんが彼氏持ちとはねぇ。そりゃもう驚いたけど、まぁ納得でもあるかな。西住ちゃんは可愛いし、真面目だしねぇ」

「あ、ありがとうござい――」

「で、西住ちゃん。吐け」

「え?」

 

 にっこり笑顔で言われたことに、みほは顔色を悪くしながら、疑問の声を上げた。

 しかし杏の笑顔は微塵も崩れなかった。そして一同に向かって振り返り、すーっと息を吸い込むと、その小さな体からは想像も出来ない大声を張り上げたのだった。

 

「お前たちー! 今日の祝勝会はガールズトークだぁ! 西住ちゃんの彼氏について根掘り葉掘り聞くぞー!」

「おぉー!」

 

 杏の提案に、ノリのいい声が一斉に返ってくる。

 ぽかんとしたまま聞いていたみほだったが、その内容を理解すると途端に慌てて杏に駆け寄る。

 

「ち、ちょっと、会長さん!?」

「まぁまぁ、みんなもっと西住ちゃんのことが知りたいんだよ。もっと仲良くなって、友情を深めたいのさ……」

 

 ふっと気取って、もっともらしく言う杏だったが、それで騙されるほどみほも甘くはなかった。

 なにせ。

 

「顔が笑ってます!」

「あり? まぁ、いいじゃん。減るもんじゃないし」

「へ、減りますよぉ!」

 

 主に精神的な何かが。ただでさえ恥ずかしがり屋なみほにとって、これは苦行である。そう訴えるみほに、杏はその肩をポンポンと叩いて干し芋をかじる。

 

「ま、あたしらも度が過ぎることがないようには目を光らせるからさ。それに、西住ちゃんのことをもっと知りたいっていう気持ちは嘘じゃないよ。黒森峰でのこととか、西住流のこととか、あたしらは元々門外漢だったから詳しくないしね」

 

 戦車道に携わっていれば西住の名を知らぬ者はいない。しかし彼女たちは今年から戦車道に触れた者達ばかりであるため、西住のことも黒森峰のことも知らず、みほの背景についてはノータッチな面々が多かった。

 

「西住流や黒森峰の西住みほが知りたいんじゃない。西住ちゃんのことだから西住流や黒森峰のことも知りたいんだ」

「会長さん……」

「ついでに西住ちゃんの恋愛についても聞ければ言うことなしだね!」

 

 そう言って笑う杏に、みほは毒気を抜かれたように肩をすくめる。

 強引なのに憎めない。考えなしのように見えて思慮深い。我が儘に見えて誰かのために動いている。それが角谷杏という人物だった。

 杏があれだけ柚子や桃に慕われ、そして全校生徒の信任を受けて生徒会長をやっている理由が、なんとなくわかった気がするみほだった。

 

「はぁ……わかりました」

「悪いね。よーし、それじゃみんなー。帰るぞー!」

 

 干し芋を掲げて言った杏に、全員が「おー!」と声を上げる。

 みほもまた苦笑しつつ同じように声を上げた。そうして再び待機室へと向かう中、気付けば自分の横には沙織が並び、優花里がついて、華が寄り添い、麻子がいた。

 自分には勿体ない、素晴らしい仲間たち。大洗に来たからこそ得ることが出来た友人と充実感に、みほは今日までの日々を思いながら満足げに浸る。

 

 その時ふとみほは思い出した。そういえば、いま抱いている気持ちをあの人に伝えようと思っていたのに、つい忘れてしまっていたことを。

 突然の再会だったから仕方がなかったとはいえ、やはり自分の口から伝えたかった。かつて黒森峰で苦しんでいた時に、自分を救ってくれた人だからこそ。

 

 ――わたし、いますごく幸せです。

 

 その偽りのない気持ちを。

 

 

 

 

 




みぽりんかわいい(断言)

今回は第十二話、最終話の大会終了直後のお話となります。
戦車道チーム全員の紹介も兼ねようと思っていたんですが、人数が多すぎたのであえなく断念。誰が誰なのか台詞で判断して考えてもらえればと思います。

みほの彼氏の存在が知れ渡るお話であり、まほの格好いい姉っぷりを知るお話であり、会長の良さを伝えるお話であればいいなぁと思います。伝わっていたら嬉しいです。

何より伝わっていてほしいのはみほの可愛さですけどね。西住殿ほんとうにいい子だわぁ。

それでは、目を通していただきありがとうございました。


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西住みほの恋物語・あふたー2

 

 

 久東俊作は学園艦のメンテナンスを担当する技師である。

 幼いころ、学園艦という超弩級の艦船を見上げた俊作は、その威容に一目ぼれした。それ以来、俊作の夢は学園艦を造ることになった。後にそれが難しそうだとわかると、その夢は整備士へと移っていった。夢の形は多少変わっても、学園艦への憧れはそのままに俊作は時を過ごしていく。

 

 学園艦は特殊な艦船ゆえ、その整備に必要な技術や知識は多岐にわたる。またその大きすぎる船体もあり、作業が短期で終わることはほぼ無い。そのため、その艦で一ヶ月以上生活することもままあった。必然的に拘束時間も多い、なかなかハードな仕事なのだ。

 ちなみに大規模なメンテナンスは定期的に寄港して行っているし、航行中にはその学園の一部生徒たち(学園艦の運営に関わる専門科が存在する)がメンテナンスを担当している。にもかかわらず、なぜ俊作のような整備士が必要とされているかといえば、それは役割の違いであるといえるだろう。

 学園艦の整備専門科の生徒たちはあくまで生徒であり、勉強中の身だ。その技術はいまだ成熟しておらず、中には生徒たちの手に余る事態も往々にして存在している。

 しかし寄港にはまだまだ距離があったり予定が先だったりで、整備が間に合わない時。そんな時に、外部の学園艦整備士である俊作らに出番が来るわけだった。

 ある程度のメンテナンスは生徒たちが。中規模のメンテナンスは外部整備士が。大規模なメンテナンスは寄港してドックにて。そのように学園艦はその巨体を維持して運営されているのだった。

 

 俊作はかつて黒森峰の学園艦にてその整備士となるための研修を積み、最近試験にも合格して晴れて新人学園艦整備士となっている。

 これまでは研修や試験勉強で時間が取れなかったのだが、合格して整備士となってからも各学園艦の間を短い時は一週間、長ければ一ヶ月以上飛び回る生活を送らねばならない。そのためなかなか恋人に会いにいく時間を作れないことが、目下の彼の悩みである。

 

 そして、そんな俊作は今、ある学園艦の上にいる。

 その名は、聖グロリアーナ女学院といった。

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様です」

「ああ、いえ。ありがとうございます」

 

 聖グロリアーナ女学院内に存在する施設の一つ、大食堂。こちらでは大カフェテリアなどとも呼ばれるそこに、俊作は居た。

 グロリアーナでの仕事を終えた俊作を含めた整備士たちは、その労をねぎらいたいという学院側からの好意で食事をいただくことになっていたのだ。

 こういった対応は実は結構あることだった。学園艦が大きすぎて忘れそうになるが、ここはあくまで海上なのだ。陸地とは違い、何かあった際にできる対処にも限度がある。そんな中において、もし艦の運営そのものに支障をきたす事態が起きた場合、それこそ大惨事にも繋がりかねないのだ。

 であるから、それを未然に防ぎ艦の安全な運行を助けてくれる彼らに学校側は感謝を忘れないのだ。また学生を多数乗せている関係上、こうして人に対する感謝を明確に示すことは生徒の道徳教育的にも良いことだとされ、奨励されていたりもした。

 

 そんなわけで、俊作はこうして食堂の長いテーブルの前に座り、出された紅茶に口を付けているのだった。

 ちらりと目線を周囲に向ければ、他の整備士仲間たちの姿も見える。各自、談笑して楽しんでいるようだった。

 ちなみにメンバーの大多数は女性で、男性は俊作を含めてもごく僅かだ。女学院という場所ゆえ、こういった学校に赴く際のメンバーは女性を中心に選出されるためだ。とはいっても、全体で見れば女性の学園艦整備士の数は男性より少ないため、女性のみとするのはなかなか難しい。男性がある程度混じるのは仕方が無いことだった。

 

 カップから口を離し、ほうと息を吐く。

 これでこの艦ともお別れか、と少し目線が遠くなった。

 とりわけ思い入れが強い学校というわけではないが、それでも僅かとはいえ滞在していたのだ。愛着がないというわけではなかった。

 特に、この学園の戦車道チームは全国でも名うての実力者だ。己の恋人のことを思えば、無関心にはなれなかったのだ。

 

「戦車道チームか……」

 

 そういえば、仕事に集中していたからこの学校の戦車道を見てなかったな、と思い至った。

 すっかり自分も戦車道が好きになっていた俊作は、戦車道がある学校に行けば何度か見学に行くようになっていた。しかし今回はまだ一度も見ていない。

 残念だけど仕方がないか、ともう一度カップを持ち上げたそのとき。

 ふと俊作の後ろを通り過ぎようとした靴音がぴたりと止まった。

 

「あら、戦車道に興味がおありなのですか?」

「え?」

 

 突然かけられた声に、俊作が後ろを振り返る。

 そこには聖グロリアーナの制服を示す青いニットセーターを着た少女が居た。顔を見れば青い瞳と視線が交錯し、金色の髪は美しく後頭部でまとめて結い上げられていた。

 そしてその隣には、彼女より少し背が低い、赤みがかったブロンドの少女。そばかすが可愛らしいその少女もまた、観察するように俊作を見ていた。

 俊作はその人物の正体に気づいて、僅かに目を見張る。高校戦車道を知っていれば、彼女の名前を知らない者は居ないだろう。

 

「聖グロリアーナ戦車道の隊長さん……ダージリンさん、ですか?」

「ええ、そうです。お初にお目にかかります。失礼ですが、お名前を伺っても?」

「あ、これは失礼しました。僕は久東俊作といいます。いきなり名前を呼ぶなんて、不躾でした」

「ふふ、気にしていません。改めて、聖グロリアーナで戦車道チームの隊長をしております、ダージリンですわ」

「オレンジペコと申します」

 

 礼を欠く行為だったと俊作が謝ると、ダージリンはたおやかに微笑んで隣の少女と共に改めて名乗った。

 

「それより、私の質問にはお答えいただけませんか?」

「は……ああ、そうでしたね。まさか独り言を聞かれているとは……」

 

 参ったな、と俊作は苦笑を滲ませつつ答える。

 

「返答はイエスです。実は、戦車道のファンでして」

「まぁ。若い男性には関心が低い武道と思っておりましたので、嬉しいですわ」

 

 ダージリンが言葉通りに表情を綻ばせる。隣のオレンジペコもまた嬉しそうに微笑んだ。

 

 ダージリンが言う通り、戦車道というスポーツは若い男性にはあまり馴染みがないものだった。何故なら戦車とは女性が乗るものであるため、基本的に男性が興味を向けることが稀だからである。

 男性はそれよりも野球やサッカーなどの自ら体を動かして競う競技を好む傾向が強かった。同じ乗り物関係でもF1のほうが人気がある。やはり戦車=女性というイメージが二の足を踏ませるのだろう。

 その辺りは戦車道の世界大会を誘致するなどして力を入れている政府もわかっていて、近年では見目麗しい戦車道チームの女性を雑誌の表紙に起用するよう働きかけるなど、てこ入れを始めている。少しでも戦車道への興味を持ってもらうための方策だった。

 そんな背景があるからこそ、ダージリンとオレンジペコは俊作の言葉に驚きを示したのだった。

 

「いや、実は近い所に戦車道をやっている子がいまして。その関係で僕も興味を持って、すっかりハマってしまったんですよ。あなたのことも、その子から聞きました」

 

 とても戦略的で凛々しくて凄い人だと言っていましたよ。そう付け加えて言うと、ダージリンはその言葉に、「あら」と少し驚いたように目を見張って気恥ずかしそうに頬を染めた。

 

「面映ゆいものですわね、他人の口から聞く自らの評価というものは……」

「私はダージリン様が多くの人に認められているのが聞けて嬉しいです」

 

 隣から笑顔で言われ、からかわないで頂戴、と上気した頬で素っ気なく返すダージリンは俊作から見ても非常に可愛らしかった。

 故に思わず微笑ましい目を向けていると、それに居心地の悪さを感じたダージリンは仕切り直しだと言わんばかりに、こほんと小さく咳払いをした。

 

「……それにしても、そのように評価していただけるという事は、その方は私たちと対戦したことがある方なのかしら」

「ええ。とても感謝していましたよ。本来自分たちの様な弱小校からの試合など断られて当たり前なのに、受けてくれたこと。そのおかげで前に進めた、と」

 

 みほはよく言っていた。あの試合がなければ、きっと大会に出たところですぐに負けていただろうと。だから心から感謝していると。

 そのことを思い出しながら俊作が何気なく口にした言葉に、ダージリンとオレンジペコはびっくりしたように目を見開く。

 

「……もしかしてそのお知り合いの方は、大洗の方なのでは?」

「あ、はいそうです。西住みほといって、大洗女子の隊長をしていて……って、ダージリンさんなら知っていましたよね」

 

 対戦したこともあるし、曲がりなりにも全国大会で優勝したチームの隊長だ。目の前の彼女が知らないはずがないことに気付いて、これは余計であったかと俊作は気まずそうに頭を掻いた。

 対してダージリンとオレンジペコは先程以上に驚きを露わにしていた。

 

「まさか偶然声をかけた方がみほさんのお知り合いなんて……」

「世間は狭いですねぇ……」

 

 彼女たちにとって、西住みほという名前は特別なものだ。だからこそ、驚きもひとしおだった。

 ダージリンとしてもあの模擬戦はどこかで強豪校として驕っていた部分が心にあったことを突きつけられた、反省の多い試合だった。

 素人ばかりの集まり、すぐに片付くだろうと油断していたところに、たった僅かな隙から反撃に出られ、あわや負けるかというところまで持ち込まれたのだ。

 口では全力と言っていたが、決して本気ではなかった。その驕りに気付かせてくれたみほに、ダージリンは感謝していた。

 そして、みほ自身の人となりや、大洗チームの応援したくなる姿に、彼女自身もいつの間にかあのチームのことが好きになっていた。

 それはあの時対戦していた全員にとって同じ事。聖グロリアーナの戦車道チームは、ある意味で最初の大洗女子チームのファンといえた。

 ダージリンは驚きから立ち直ると、ふっと優雅に微笑んで俊作を見た。

 

「みほさんにお伝えしてもらえるかしら。また近いうちに、お会いしましょうと」

 

 大会優勝を記念して行われるエキシビジョンマッチの話は、先日ダージリンに届いていた。もちろん、ダージリンは即日にOKの返事をしていた。

 大洗にもそろそろ知らされることであろう。再び砲塔を交えるのが本当に楽しみだと、その時のことを思いダージリンの笑みにも力が入る。

 当然、そのような試合があることを知らない俊作は、ダージリンの言葉を単にライバル校に向ける激励の言葉であると捉えて頷いた。

 

「もちろん。みほちゃんもきっと喜びます」

 

 俊作としても、否やはない。これは今日の電話でいい土産話ができたぞと心を弾ませる。

 その時、横で微笑んでやり取りを見ていたオレンジペコが「そういえば」とばかりに何気なく俊作に話を振った。

 

「みほさんのことを名前で呼ばれていましたけど、親しいんですね」

「ええ、まぁ。一応、付き合っていますので」

 

 照れ臭くはあるが、隠すことでもないので俊作ははっきりと答える。

 すると、途端に目の前の二人の表情が今日で最大の驚きを形作った。

 

「…………え?」

「…………え?」

 

 何故かひどく驚いた顔になる二人に、俊作は首をかしげるのだった。

 それからも話をする俊作だったが、聞く側である二人はどこか気もそぞろといった様子でその話を聞いていた。

 

「……ねぇ、ペコ。こんな言葉を知っていて? “心に愛がある女性は、常に成功する”」

「……ヴィッキイ・バウムですね」

 

 よもやみほに恋人がいようとは思っていなかった二人は、何故か負けたような気持ちになり、若干ブルーな空気が胸中に満ちる。

 特に勝負をしていたわけでもないのに、この先を越された感はなんなのだろう。みほのことを照れ臭そうに話す俊作に、ダージリンとオレンジペコは言い様のない動揺を隠しきれずに、常の様な格言のやり取りを小声で交わした。

 愛だけが理由ではないだろうが、それがみほの力になっていたことは事実であろうから、その言葉も間違いではないのだろうと思いながら。

 

 

 その後も少し雑談をして、二人と俊作は別れる。カフェテリアを出た二人は、本人の前では我慢していた溜め息を同時に吐き出した。

 そして、ダージリンがキリッと凛々しく顔を上げて前を見た。

 

「……ふふ、さすがみほさんね。私も負けていられないわ」

「ダージリン様、目が泳いでいます。でも私たち、出会いがないですからね……」

「それは言ってはダメよ、ペコ……」

 

 はぁ、ともう一度だけ溜め息を吐いて、二人はなんだかしょっぱい気持ちを抱いて歩き出すのだった。

 

 

 

 

 

 

「あれ? ダージリンさんから何か届いてる……」

「ダージリン殿からですか! ひょっとして戦車のパーツでしょうか?」

「さすがにそれはないんじゃないかな……」

「ですよねー。あ、開いてみますか?」

「うん。……あ、紅茶だ」

「さすがダージリン殿ですね! でも、どうしたのでしょう、急に」

「あ、お手紙もあるからここに書いてあるのかも。えーっと……『ごきげんよう、みほさん。ところで、こんな言葉を知っていて? “愛とは、お互いを見つめ合うことではなく、共に同じ方向を見つめることである”。そのような関係になれるよう、お二人の幸福を祈っていますわ』……。そういえば、俊作さん、聖グロリアーナで会ったって言ってたっけ」

「こちらはオレンジペコ殿からですね。『サン・テグジュペリですね。たまたまみほさんの彼とお会いしまして、お祝いをとダージリン様が仰ったので。同じくお二人の幸福を祈っております』だそうです」

「………………」

「って、どうしたんですか西住殿。手紙で顔を隠して」

「……な、なんだか改めて言われると、その……て、照れるよね?」

「西住殿、顔が真っ赤ですね。でも照れている西住殿も可愛いです!」

「も、もう、優花里さんー!」

 

 みほの部屋にちょうど遊びに来ていた優花里と共に、突然届いたダージリンからの届け物を開けたみほ。

 優花里にからかわれてみほは拳を振り上げて怒ってみせるが、顔が赤いために怖くは全くなかった。

 今日も平和な大洗女子学園艦での一幕であった。

 

 

 

 

 

 

 




西住殿は軍神かわいい(確信)

今回はダー様ことダージリンさんのおわす聖グロリアーナでのお話となりました。
ちなみに学園艦の整備云々の話はオリジナルな妄想なので、話半分でどうぞ。

ちなみに一番最後の格言をふと思い出して、ダー様に言わせたいなぁと思ったのがこのお話の切っ掛けでした。
あまり長くなってもあれなので、短めに纏めてみました。

そして、実は何気にみほに全勝しているダー様。
ガルパンFebriによると、「大洗は奇策を用いるから質実剛健な黒森峰には強いけど、大局的な視点を持ってるダージリンに奇策が通用しないから聖グロに負けてしまい、聖グロは正攻法で攻めてくる黒森峰に戦力差で勝てない」という三竦みの関係にあるようで。
思わずなるほどと思ったものです。

それでは、またお目にかかれたらその時はよろしくお願いします。


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西住みほの恋物語・あふたー3

 

 

 重厚な駆動音が空気を震わせる。

 巨体が地面を噛みしめるように行進し、キャタピラの動きに巻き込まれた土塊が粉々に砕かれながら巻き上げられて、車体の後部へと飛ばされていった。

 きゅらきゅら、と履帯から発せられる独特の金属音。正常な動作を継続中であることを示すその音が不意に止まると、今度はその上から鉄と鉄が擦られる音が生まれる。

 それは、地面とほぼ水平に設えられた長い鉄筒。黒鉄色に陽光を反射する砲塔が回転していく音だった。

 やがて、砲塔がぴたりと止まり、同時に全ての音が止む。

 一瞬の静寂。直後。

 

「撃て」

 

 鈴が鳴るような音で発せられた二音の命令から一瞬、あたりに轟音が響く。

 その声を発した主、砲塔部分上部のハッチから上半身をまるまる外に出した少女は、目視にて砲弾が行く先を確認していた。

 そして、その結果をしっかりと見届けると、気弱に見えるが整った相貌を笑みに崩した。

 

「命中確認。静止射撃とはいえ、この距離を三連続命中なんて、すごい華さん!」

 

 ハッチから身を屈めて車内に声をかけると、彼女の足元に座っていた少女が振り返り、謙遜するように手を振った。

 

「大げさです、みほさん。今日は風もありませんでしたし、運もありましたから」

「それでもさすがですよ、五十鈴殿! 絶好調ですね!」

 

 華の逆サイドで砲弾の装填を担当している優花里がその腕前を絶賛する。

 みほとしてもその言葉には同意だった。確かにこの距離を当てられる砲手は多いし、超人的な腕前というわけではないだろう。しかし、戦車に触れてまだ一年未満であることと、ほとんど技術的な指導がなかったことを考えれば、その射撃センスは驚異の一言に尽きた。

 幼い頃から戦車道に触れ、黒森峰という名門にいたみほだからこそわかる。だから二人の賞賛は心からのものだった。とはいえ、言葉を重ねても華は謙遜するばかりだろうと考えて、みほもそれ以上は言わなかった。

 すると、今度は車内の前方から声が上がる。

 

「よーし、これで今度のエキシビジョンマッチもイケるかもね! えーっと、確かグロリアーナ女学院とプラウダ高校が組んで、ウチは、えっと……ち、ちは……?」

「知波単学園だ。……なんでもう忘れてるんだ」

「う、し、仕方ないじゃない。大会では対戦しなかったし……」

 

 麻子の呆れ気味な突込みに、沙織はばつが悪そうに唇を尖らせる。みほたちはそんな二人の姿に微笑むのだった。

 彼女たちが今いるのは、大洗女子学園の近くにある山の側。戦車道の練習に使われる場所だった。彼女らが使うⅣ号中戦車から離れた位置には、八九式やヘッツァーなど、みほたち「あんこうチーム」以外のチームの戦車の姿も確認できる。

 

 今、大洗女子学園戦車道チームは全国大会優勝を記念して行われるというエキシビジョンマッチに向けた練習をしているところなのであった。

 もちろん、会場は優勝校である大洗女子学園の地元、大洗。そして対戦相手はエキシビジョンに相応しく強豪校であり優勝経験校でもある、聖グロリアーナ女学院とプラウダ高校の連合チームだ。

 無論、二対一というわけではなく大洗側も他の学校と組んでの戦いとなるのだが、二校の強さは身に染みてわかっている大洗女子のメンバーは、これは油断できないと気を引き締めて訓練に励んでいるのである。

 

 そして、大洗女子と組むことになっているのが、先ほど麻子が言っていた知波単学園なのだった。

 沙織は車中から車長席に立つみほを見上げた。

 

「ね、みぽりん。知波単学園ってどういう学園なの?」

「え? うーん……知波単学園とは試合で当たったことがないから、ちょっと覚えがないかな」

「そっかぁ。でも強い学校だといいよね。相手が相手だし……」

 

 練習試合と準決勝の戦いを思い出しているのか、沙織がうへぇと渋い声をこぼす。

 みほも二校それぞれとの戦いを思い起こせば苦戦の記憶が強いので、沙織の気持ちもよくわかった。

 

「確か、今大会では黒森峰戦で遠距離から苛烈な攻撃に晒されて苦戦されていましたね。知波単側は近づこうとしていたので、近接戦が得意な学校なのでは……」

「五十鈴殿が言うように、知波単学園は果敢に相手に切り込んでいく突撃スタイルが得意な学校です。かつては全国大会ベスト4に輝いた実績もありますね」

 

 優花里がそう華の言葉に付け足すと、沙織の顔がパッと輝いた。

 

「すごい! それじゃあ、わたしたちが足を引っ張ったりしないように頑張らないとね!」

「うん」

 

 みほは頷いて顔を上げる。そこには、自分たちと同じように練習に励む仲間の戦車の姿があった。

 相手は聖グロリアーナとプラウダ高校。噂では継続高校にも打診していたというが、そちらは参加を見合わせてきたと聞いている。かつて黒森峰にいた頃に練習試合で継続高校の実力を間近で見たみほとしては、ぜひ味方になって欲しい高校であったが断られては仕方がない。敵に回らなかっただけ良かったと捉えることにする。

 ただでさえ相手は強敵だ。こちらも大洗女子一校だけではないとはいえ、油断は禁物。沙織が言うように、間違っても自分たちが足を引っ張るようなことはないように頑張らなければならないだろう。

 

 情けない試合を俊作さんやお姉ちゃんに見せるわけにはいかない。そう決意を新たにしたところで、ふとポケットの中の携帯がぶるぶると震える。

 

「? なんだろう」

 

 携帯電話を取り出し、ぱかっと開く。

 ぽちぽちとボタンを操作し、メール画面へ。受信フォルダから、最新のメールを選択し、開いた。

 

「え? ………………」

 

 そのまま無言でボタンを何度か操作すると、みほは静かにポケットへと携帯を戻した。

 

「よーし、みぽりん。次はどうする?」

「………………」

「……あれ、みぽりん?」

 

 返事がないため、沙織はみほを見上げてみる。

 そして、ぎょっと目を剥いた。

 何故なら、みほが眉尻を吊り上げて頬を膨らませていたからだ。

 

「……次は行進間射撃の練習を行います、その後は戦車機動の確認、その後は全員で集まっての模擬戦を行う予定です。絶対勝ちましょう」

「あ、はい……」

 

 心なしか冷たい声音に、沙織はそそくさと自分の仕事に戻る。他の面々も常と違うみほの様子から下手なことは言わない方がいいと判断したのか、無駄口もなく静かに自分の行うべきことへと集中する。

 きゅらきゅらと動き出すⅣ号戦車。その車長席から顔をのぞかせたみほは、むすっとした顔のまま先ほど届いたメールの内容を思い出していた。

 

 送り主は恋人である俊作から。

 内容は以下の通りである。

 

『まほさんからちょっと相談を受けて、たまたま会えそうなので会おうと思うんだけど、いいかな?』

 

 きっと、何かの拍子に浮気だと勘違いされないように、ということなのだろう。事前にみほに許可を求めるメールだった。

 もちろん、みほにとってもまほは大切な姉だ。しっかり者の自慢の姉である。その姉から相談があるというのだから、きっと姉は本当に困っているのだろう。

 それがわかるから、みほは当然のように『もちろん大丈夫だよ。お姉ちゃんをよろしくね』と返した。

 

 しかし、理性ではそう納得していても、感情がそれについてくるかは話が別なわけで。

 たとえ敬愛する姉の為だとわかっていても、自分とはなかなか会えないのに、姉とはいえ自分とは別の女性と会っていると聞かされていい気分になれるはずもない。

 

(……俊作さんのばか)

 

 故にみほはむすっとした顔をして、胸中でそう呟くのだった。

 

 

 ――その日の反省会。他のチームは、今日のあんこうチームはやけに攻撃的だった、とこぼしたという。

 

 

 

 

 

 

 

 戦車喫茶、というところがまほから指定された待ち合わせ場所だった。

 俊作もそういったカフェがあることは噂で聞き及んでいたが、実際に入るのは初めてである。戦車道といえば女性の競技であるため、利用客も女性が多く、男一人で入るにはなかなかに躊躇する客層であるためだ。

 外から中を覗く限りでもやはり男性の姿が少ない。待ち合わせしているとはいえ、女性だらけの中に入っていくのは勇気がいるなぁ。そんなことを内心思いながら、意を決して俊作は入り口のドアを開いた。

 からんからん、とベルの音が鳴り、「いらっしゃいませー」と女性店員の爽やかな声に出迎えられる。

 俊作はその場で一度店内を見渡す。すると、奥の席に見知った顔を見つけることが出来た。男性一人のままでは居心地が悪すぎる。俊作は気持ち急いで、そちらへと歩を向けた。

 

「待たせちゃったみたいで、すみません。まほさん」

「いえ、私も今来たところですので」

 

 小さく頭を下げつつ、まほがそう言って向かいの席に手を向ける。俊作は勧められるままにまほの向かい側へと移動して腰を下ろした。

 そしてまずは注文をということで店員を呼ぶと、お互いにホットのコーヒーを頼む。店員が一礼をして去っていくと、俊作は「それにしても」と前置いて口を開いた。

 

「連絡が来た時は驚きました。確かに連絡先は交換していましたが、まさかこうして連絡をもらうとは思っていなかったので」

 

 まほはそれを受けて、少し申し訳なさそうな顔になる。

 

「すみません、突然。みほと現在も親しく、それでいて私と繋がりがある人となると、あなたしか思い浮かばなかったものですから」

「いえ、お気になさらず。ちょうど今は仕事もひと段落したところでしたから」

 

 実際、あと数日は俊作の予定は空いていた。そのため気にすることはないと伝えると、まほはそれにも少しだけ困ったような顔を見せた。

 

「あの、出来ればもう少し砕けて話していただいても構いません。私は年下ですし、年上の男性に畏まられるのも、その……」

 

 それではこちらも恐縮してしまう、と、まほは申し訳なさそうな顔をしながらそう口にする。

 俊作はそれを見て、これはこちらの気遣いが足りなかったと丁寧すぎた言葉づかいを内心で反省した。年下の子に気を使わせるようではまだまだだな、と頬を掻く。

 しかし、俊作としても別段意図的にこのような口調になったわけではなかった。

 

「いや、すみませ……っと、ごめん。どうも最初の印象が強かったせいで、つい」

「最初の?」

「えーっと、まほさんが僕のところに乗り込んできた時かな」

 

 俊作がその瞬間のことを思い起こしながら言うと、疑問符を浮かべていたまほの顔がはっとなり、白い頬に僅かな朱が走った。

 

「あ、あれはその……、我ながら少し気が急いていましたので。……その、忘れていただけると、助かります」

 

 凛々しい顔のまま、少しだけ頬を染めた姿は、年相応でとても可愛らしい。

 お姉ちゃんは本当は凄く可愛いんだよ、とみほが言っていたのが実感できる姿に微笑ましさを感じながら、俊作はまほが自分のところに訪れた時のことを思い出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 現在、黒森峰の学園艦では学園艦整備士を目指す大学生たちの研修が行われていた。毎年、各学園艦が持ち回りで担当することになるこの研修では、学園艦内にある整備士たちの宿舎がそのまま研修生たちに貸し与えられている。

 艦内にある学園もあれば、街の中に宿舎があることもある。黒森峰では街の中にある少し年季を感じさせる寄宿舎が彼らに割り振られていた。

 今年の研修生はあわせて十名程度。その中の一人である俊作は、一階にある談話スペースで一人、テレビ番組をBGMにして本を読んでいた。

 

 その時、ふいに入口である硝子扉の前に誰かが立つ。目線を向けると、ちょうどその人物が中に入ってくるところだった。

 俊作はその顔を見て目を見張る。何故なら、そこにいるのはこの黒森峰の誇る戦車道チームの隊長である西住まほであったのだ。

 特に俊作は彼女の妹であるみほと最近になって交流を深めていることもあり、姉であるまほの登場には驚きを隠せなかったのだった。

 切れ長の目が、談話スペースに座る俊作を見た。

 

「――失礼します。こちらに久東俊作という男性はおられますか」

 

 凛とした澄んだ声だった。そして、その問いかけはこの場に唯一いる自分に向けたものであることは明白であった。

 俊作は立ちあがると、本を閉じてテーブルに置く。

 

「えっと、久東俊作なら僕のことだけど……」

 

 俊作がそう答えた瞬間。

 まほから向けられる視線が、苛烈な炎を感じさせる厳しいものへと急変した。思わず俊作の背筋が伸び、緊張が互いの間に走った。

 

「……そうですか。私は西住まほといいます。西住みほの姉といえばわかりますでしょうか」

「は、はい」

 

 俊作が頷くと、まほが小さく頷いて目が少し細められる。

 

「申し訳ないですが、少々私にお付き合いいただけないでしょうか」

 

 確認の問いかけではあったが、その口調はどこか断定めいていて肯定以外の返答を許さないという意志が込められていた。

 相手から発せられる威圧的ですらある迫力に、息を呑む。これは年下の女の子だと思って接すると痛い目を見そうだ、と気持ちを引き締めた。

 

「わかりました。出かける準備をしてくるので、少しだけそのままお待ちください」

 

 内心で、みほちゃんのお姉さんにしてはキツめの子だなぁ、などと思いながら俊作はテレビの電源を消した。

 

 

 

 

 連れられて来たのは、広い公園だった。いわゆる市民公園に近い造りをしており、緑あふれる広い園内には散歩コースや休憩所などが設けられているため、この学園艦に暮らす人々の憩いの場として親しまれている場所であった。

 学園艦の側面に沿った場所にあるため、公園の端にある欄干の向こうにはひたすら海を望むことが出来る、絶好のデートスポットとしても有名な場所である。

 

 しかし、そんな憩いの場所であるはずのところに連れてこられた俊作の顔はあまり晴れやかではなかった。誘ってきたのはとてもかわいい女の子だったというのに、だ。

 喜べない理由としては、まず俊作には既に気になる相手がいるという事が一つ。そしてもう一つ、こちらが主な理由になるが、彼女がとても険しい顔をしているからだった。

 いくらなんでも、そんな相手を前に無邪気にデートだなんだと浮かれられるほど、俊作の精神は図太くなかった。

 

 そして、この状況を作り出した発端である少女は、公園の中ほどで立ち止まり、周囲に誰もいないことを確認すると、くるりと振り返ってその鋭い目で俊作を見据えた。

 

「――私は回りくどい事が苦手です。単刀直入に尋ねます。久東さん、あなたはみほとどのような関係なのですか?」

 

 そう尋ねられた時、俊作が思ったことは「やっぱり」ということだった。

 まほが自分を訪ねてきた時から、予想はしていたのだ。自分と彼女に直接の関係性はない。しかし、妹であるみほを通じてならば彼らの間に関係性は生まれるのだ。

 なら、彼女がわざわざ訪ねてくる用事など、みほに関する事であるのは間違いない。そうわかったからこそ、俊作は彼女が危惧していることもすぐに察することが出来た。

 

(要するに、妹のことが心配なわけだ。このお姉ちゃんは)

 

 彼女にしてみれば、妹が知らない間に男に引っかかったと感じても無理はないだろう。なにせ、みほはあの決勝戦以来、多くの批判に晒されて精神が弱っていた。そこに付け込まれたのではと不安になるのは当然である。

 正直、俊作はみほのことを何を捨ててでも庇わなかった姉にあまりいい印象を抱いていなかったが、こうして気持ちのままに乗り込んでくる姿を見ればその印象はすっかりなくなってしまった。

 むしろ今では、彼女には彼女の事情があったのだろう、と思えるほどになっていた。それは、みほを守る、という意志が今の彼女から強く感じられるからであった。

 

「……返答は、いただけないのですか」

 

 と、俊作がそんな物思いに耽っていると、答えない俊作に尚更不信感を募らせたのか、まほの表情が更に険しいものになっていた。

 俊作としても、全く覚えも予定もない濡れ衣で悪く思われたくはない。何より、相手はもっと仲良くなりたいと密かに思っている女の子の実の姉である。ここで悪印象を定着させるなどもっての外だった。

 背筋を伸ばし、改めて目の前の少女に向き直る。

 

「いえ、答えます。僕とみほちゃんの関係は、友達、といったところでしょうか」

 

 俊作自身の気持ちがどうあれ、少なくとも今の二人の関係を表すならばそうとしか言いようがない。

 それゆえの正直な答えに、まほは少し疑わしげな目になる。

 

「失礼ですが、みほとあなたが知り合う機会があるとは思えません。一体どのように知り合ったのですか?」

「そうですね……。最初は、彼女が立て看板にぶつかりそうになっていたところを注意したのが出会いですか」

 

 答えると、疑わしげな目の中に呆れた色が現れた。

 

「……みほ。あれほど周りをよく見ろと言っているのに……」

 

 心なしか、肩からも若干力が抜けているようにも見える。やはりというべきか、みほが普段の生活で見せるおっちょこちょいなところは家族であるまほも了解している点であるらしかった。

 まほも心の中で「ありそうだ」と思ってしまったのが、思わず表に出てしまったのだ。緊張していた空気も僅かに弛緩するが、俊作はとりあえずまほに安心してもらうためにも、このまま続きを話すことにする。

 

「えーっと、続けますよ?」

「ああ、すみません。お願いします」

 

 まずは何より疑いを晴らすためにも、事実を話すことに専念する。

 みほとの出会い。その時のみほの様子。みほから聞いた彼女の現状。たまたまなし崩し的に話をする事になり、その後偶然もあって再会してたびたび彼女の相談に乗るようになったこと。

 

 それから相談以外にも会話が増え、時には一緒に出掛けるようになったこと。

 その時のみほの様子、徐々に笑顔が増えていった事。

 からかうと頬を膨らませて怒る姿に和んだ事。

 最初の彼女からは考えられないほど明るい表情を見せてくれるようになった事。

 やがて相談などなくとも会うようになり、他愛もない話が楽しい事。

 その時間が楽しみになっている事。

 彼女の笑顔が好きな事。

 影響されて戦車道に興味を示すようになると、みほが熱心に教えてくれた事。

 今ではすっかり自分の前では落ち込まなくなった事。それが嬉しい事。

 

 と、そんなことをつらつらと話していると、いつの間にやら自分でも熱が入ってしまっていたらしい。ふと我に返った俊作がまほをみると、彼女は頬を上気させつつも何とも言い難い表情で立っていた。

 

「どうしました?」

「……いえ、その……どうも私の取り越し苦労だったようなので、安心したのです」

 

 その割には、まほの表情は複雑そうだった。

 

 後に俊作は、この時の気持ちを食事の席でまほから直接聞かされる。この時のまほは「何故自分はいま、妹との惚気話を聞かされているのだろう」となんとも微妙な気持ちだったのだという。

 だが、それが逆に「これほど妹のことをよく見て考えてくれている人ならば、騙しているという事はないだろう」という信用に繋がったのだという。

 なにしろ、とても楽しそうにみほとのやり取りを事細かに話しているのだ。そこまでは聞いていないというのに、みほの笑顔が好きだ、とまで言ってのけた辺りで、まほは疑う気持ちがほぼなくなったと俊作に語った。

 当時、既にみほのほうは相手の男のことを憎からず思っていることをまほは知っていた。だからこそ焦って行動に移ったわけだが、まさか男のほうもベタ惚れとは思わなかった、とまほは笑う。

 ちなみに俊作は無意識に出ていた言葉だったので気にすることもなく、そうなのか、程度で頷いていたのだが、食事に同席していた隣のみほは、それはもう顔を真っ赤にして俯いていたという。

 

 閑話休題。

 

 まほの内面ではこのやり取りで、少なくともみほを騙して何かしようということはなさそうだと一定の警戒が解けた。しかしながら、やはり信用しきれない所があるのは否めなかった。

 まほにとっては、やはりいつまで経っても可愛い妹なのだ。そう簡単に心から信じて任せることなど出来ようはずもない。

 自分がそうすることが出来るのは、きっとみほが将来選ぶ人だけになるのだろうとまほは思う。現段階では、目の前の男性がその人となるかどうかは定かではない。だからこそ、みほの全てを任せるという決断はまほには出来なかった。

 けれど、本当にみほのことを好きでいてくれるのなら。一緒にみほのことをよく見て、守っていく協力はしていけるのではないかと思うのだった。

 まほは真っ直ぐに俊作を見た。俊作も何かを感じ取ったのか、その視線を正面から受け止めて決して逸らさない。

 

「……みほは、私にとって大切な妹です」

「はい」

「ですが同時に、私は西住流の後継者でありこの学園の戦車道の隊長でもある。みほのことを最優先には出来ないこともあります」

「はい」

「……ですがそれでも、みほのことを大事に思う気持ちに変わりはない」

「はい」

 

 そこでまほは、すっと息を吸い込んだ。

 

「……久東さん。あなたは、みほのことをどう思っていますか?」

「――好きです。異性として」

 

 気恥ずかしさを押し殺し、俊作はまほの目を見たままそう告げた。ここは目を逸らしてはいけない場面だと、理解していたからだった。

 まほはその答えを聞いて、ふぅと大きく息を吐き出した。その表情からは、どこか険がとれているようにも見える。

 

「……その言葉と、お気持ちを信じます」

 

 ふっと小さな笑みを見せるまほに、俊作の気も緩む。しかし直後、まほの目が途端に鋭さを帯びた。

 

「ただし、万が一にもみほを泣かせるようなことがあれば、決して許しません。良いですね?」

「……はい」

 

 怖い、とその眼光に思わず腰が引けそうになる俊作だったが、意地を張ってしっかりと直立を維持してみせた。

 さすがは西住流の申し子にして、全国トップクラスのチームを率いる隊長。乗り越えてきた修羅場の数が違うのだろうな、と、このとき彼女が年下であるという意識がすっかりなくなった俊作であった。

 まほは頷く俊作を確認すると、肩の力を抜いて向かい直る。

 

「……家もチームも、みほも。私にとってはどれも大切なものです」

 

 まほは心の中で思う。けれど、全てを守りきることなど出来ないのだろうと。自分にはそんな大それたことは出来ない。謙遜ではなく、それが自分に出来る精いっぱいなのだとまほは思っていた。

 雑誌やテレビは自分のことを天才だなんだと持て囃しているが、決してそんなことはない。実際に自分がしたいと願うことを自分は出来ていない。みほを守れてはいないのだから。

 戦車道でも、必死に知識と経験と応用力を鍛えて、それを続けているから今の自分がいるだけだ。只人を凌駕するような閃きを、まほはついぞ手に入れられなかった。

 

 ――そうだ。むしろ、そう評されるべき者は……。

 

 思い浮かんだのは、小さな頃から一緒だった自分の半身ともいえる存在だった。

 悔しいが、才能とはあの子が持っているようなもののことを言うのだろう。

 しかし、そんなあの子でも、自分のことを守ることは出来なかった。

 彼女が自分で自分を守れず、まほは敗れたチームの維持と学園側への説明に加えてOGや後援者への対処等に手を取られてしまい、彼女を守れていない。

 だからこそ、俊作の存在はまほにとっても一つの希望であったのだ。

 本当なら何を置いても守りたかった妹を、守っていくために。

 

「今の私では、みほを守れません。チームを捨てることも出来ない情けない姉ですが……妹をよろしくお願いします」

 

 そう言って真摯に頭を下げたまほに、俊作はしっかりと頷いて答えた。

 

「はい。僕にとっても、守りたい人ですから」

 

 強くそう言い切った俊作に、顔を上げたまほは小さく笑んだのであった。

 

 

 

 

 

 

 あの時のことを思い返すと、最初に威圧的だったことと脅された時に、年下の女の子を相手にするような対応をしない相手、と俊作の中でインプットされてしまったのだろう。そのため、今まほから指摘されるまで敬語で接し続けていたのだ。

 俊作としては懐かしいなぁ、という程度であるが、まほにとってはかなり警戒して敵を見るように俊作を睨みつけていた自分の行いが、すっかり自分だけの空回りだったように感じられて、恥ずかしいのだという。

 そのため、あの時のことを引き合いに出すと居心地が悪そうにするのであった。

 

 その後、コーヒーが届くとそれを口に含みながら相談を兼ねたお喋りへと移行した。

 それというのも、まほからの相談というのがほぼみほの近況に終始したからだ。

 どうやら、まほは一人暮らしをしているみほのことが大層心配だったそうだ。黒森峰にいたころは互いに分担して協力し合い、私生活でたまに抜けたところがあるみほをまほがフォローしてきた。

 転校した先となる大洗では本格的に一人となるために、実はずっと気にしていたのだとか。

 しかしながら、わざわざ聞くことでもなく、黒森峰でのことがあって自分からは連絡がしづらかった。みほの友人たちに聞こうにも親しくないし、連絡先も知らない。

 そのため、たまたま俊作にそういったことを聞いてみようと思い至ったのだという。俊作は頻繁にみほに会うわけではないが、連絡は毎日取り合っているからまほよりは詳しい。それでいてまほも連絡先を知っている人物だったので、適任だと思ったのだ。

 思いついたが吉日、ということで連絡を取ったというのが顛末である。とはいえ、もし俊作に予定があるようだったらそれでいいとも思っていたらしいのだが、俊作の予定が空いていたので、こうして会うことになったのであった。

 俊作は本格的な相談かと身構えていたので、若干拍子抜けではあった。しかし、それならそれで普通に話をするのも悪くはないかと思い直して、電話で聞いたみほの近況を話しながらのブレイクタイムとなったのだった。

 

 コーヒーを片手に二人は、主に共通の話題であるみほを中心に会話に花を咲かせる。

 まほさんはまほさんでどこか抜けているなぁ、と改めてどこか似たところがある辺り姉妹なんだなと感じながら、俊作はまほの言葉に相槌を打つのであった。

 

 

 

 

 やがて二人のお喋りも終わり、お開きとなると、俊作は二人分のコーヒー代を払って外に出た。まほは恐縮して払おうとしたが、そこはやはり譲らない俊作だった。

 先にまほが折れて、ご馳走様ですと一緒にお礼を述べて頭を下げる。それに、気にしないでと手を振って、それを合図にして二人は別れた。

 

 遠ざかっていく背中を僅かな間だけ見ていたまほは、踵を返して歩き出した。

 ほとんど思いつきのような自分の連絡に、まほは少し後悔していた。向こうも暇ではないだろうに、もう少し考えてから判断すればよかったと。

 しかし、それでも俊作は応じてくれ、全く嫌な顔をすることなく来てくれた。それに、みほの話題が中心ではあったが、俊作との会話は久しぶりにまほにとっても楽しい時間だった。気負うことなく気軽に話せる相手は貴重だ。特に、しがらみのある人間にとっては。

 みほのことを話す俊作の姿を脳裏に描く。本当にみほのことが好きなんだなと伝わってくるその姿は、まったく姉として嬉しいやら照れ臭いやら。

 

「……少し、みほが羨ましいな」

 

 遠ざかっていった背中が閉じた瞼の裏に映る。

 まほは曖昧な笑みを浮かべながら、ゆっくりとした足取りで帰路についた。

 

 

 

 

 




4DXはすごいぞ(小並感)

今回は以前に感想でも話が出ていた、まほが俊作に会いに行った時のお話です。
回想という形で出てきました。
実際の時間軸ではエキシビジョンマッチの前となっております。

まほは本当にお姉ちゃんしていていいですよね。
劇場版ではテレビ版以上にお姉ちゃんしていて、凄く良かったです。

それでは、また何か思いついたら書くかもしれません。
もし見かけたら、またぜひ目を通していただければ嬉しいです。
その時はよろしくお願いいたします。


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西住みほの恋物語・あふたー4

 

 

 その日、西住みほは朝から上機嫌だった。

 

 

「フーンフーフフーン、フフーン――♪」

 

 満面の笑みで小気味よくパンツァーリートを口ずさむみほの姿は、普段の彼女を知っていれば驚く他ないほどに浮かれている。

 机に座り、教科書と筆記具を鞄から取り出している間もその様子が変わることはなく、クラスメイトたちはそれぞれ困惑して互いに顔を見合わせた。

 そして、やがて彼女たちの視線は一点に収束する。視線の先にいるのは、沙織と華。みほと同じく戦車道を履修して同じ戦車に乗るチームメイトであり、同時に親友と言ってよいほどに親しい二人だった。

 

 クラスメイト達の視線は、「どうして機嫌がいいのか聞いて!」と雄弁に語っていた。複数のそんな眼差しに晒された沙織と華は、自分で聞いてみればいいのにと思いながらも頷いて、みほへと近づく。

 沙織と華も、あんなに喜びを露わにするみほを見ることはなかなかない。二人もその理由は気になっていたのだ。

 

「おはよう、みぽりん」

「おはようございます、みほさん」

 

 まずは無難に朝の挨拶。すると、みほは顔を上げてぱっと笑顔を見せる。

 

「おはよう! 沙織さん、華さん!」

 

 向けられた笑顔に、おおぅ、と沙織が僅かに後ずさる。輝くような笑顔に、まるで目が眩んだかのような錯覚を覚えたからだった。

 その横で、華が淑やかに片手を頬に当てながらみほに問いかける。

 

「みほさん、今日はご機嫌ですね。何かいい事があったのですか?」

 

 華の口からその疑問が出された瞬間、教室中の生徒たちが耳を一斉にみほたちのほうに向ける。

 全員がその口から出てくる言葉に注目しているとは知らず、みほは喜びの感情そのままに口を開いた。

 

「えへへ、実はそうなんだ。明日、大洗に寄港するでしょ?」

「ええ。エキシビジョンマッチも、もうすぐですからね」

 

 既に、大洗女子学園の全国大会優勝を記念するエキシビジョンマッチまであと数日と迫っていた。開催地である大洗では着実に準備が整えられていたが、既にほぼその準備は終わり、あとは他校を迎えるだけになっているという。

 大洗女子学園は主催地の学校として、大洗町でそれらの準備を行ってくれた人たちを労うために一足早く現地入りすることになっているのだった。

 

 その日が明日。華も沙織も当然ながら、この学園の生徒全員がすでにその事は知らされていた。

 では、久しぶりに陸地の上にしかない大型のショッピングモールに行き、ショッピングできるのが嬉しいのだろうか?

 

 クラスメイト達が自分に当てはめてそう考えたその時。

 笑顔のまま口に出された理由は別のものだった。

 

「実は俊作さんも今、大洗の整備士宿舎にいるんだって! 明日、一緒にいようって約束したんだ!」

 

 俊作とは、みほの彼氏である久東俊作のことである。沙織と華はもちろん知っているし、俊作のことは知らなくても、みほに彼氏がいるという事はクラスでも周知の事実であった(普段の会話の中から察せられたため)。

 ちなみに、その名の通りに女子校である大洗女子学園では彼氏持ちの生徒は極端に少ない。たとえば戦車道チームにおいても現在彼氏持ちなのはみほだけであり、このクラスにおいてもそうであった。

 

 みほが喜んでいる理由を語った瞬間、クラスメイトたちは「そういえば西住さん、彼氏いたねー」と和やかに会話しながら納得した様子を見せた。

 が、中には「ちっ」とか「彼氏、ほしいなぁ……」とか「私いるし。画面の中に」などとこぼす者もちらほら。その表情に浮かぶのが嫉妬と羨望と諦めであるのは言わずもがな。

 ちなみに舌打ちをした少女は友人に肩を軽く叩かれて慰められていた。

 

 なお、一番羨んだ顔をしていたのは華の隣にいる沙織である。

 

「まぁ。それはみほさんが笑顔になるはずですね」

「わ、わかっちゃいますか? 華さん」

「ええ、もちろん」

 

 そりゃ鼻歌まで歌っちゃってたしねぇ、とクラスメイトは心の中で思ったが、口に出さないのは恥ずかしがり屋のみほを思っての優しさであった。

 そんなクラスメイト達の視線が実は集中している中で、それに気がついていないみほは、はぁと溜め息をこぼして少しだけ天井を見上げた。

 

「早く明日にならないかなぁ……」

 

 本当に待ち遠しそうにそう呟いたみほに、華と沙織は顔を見合わせて苦笑する。

 これから大洗と知波単のチームは聖グロとプラウダのチームと戦うのだ。優勝校としては挑戦を受ける側になるのだろうが、そんな気持ちは誰にも更々なかった。こちらが挑戦する気持ちで戦わなければ、きっと勝てないだろう。

 かつてのように大洗女子学園の存亡がかかっているというわけではないが、それでもやはりやるからには勝ちたい。そのためには、みほの力が不可欠である。

 であるから、せめてこの数日ぐらいはリフレッシュしてもらいたい。二人は頼りになる隊長の緩んだ笑みを見て、そう考えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 しかし、翌日。

 朝一番にかかってきた電話に出たみほは、予定変更を余儀なくされた。

 

「えっ……風邪?」

『うん。ちょっとその、油断しちゃってね。ごほっ、はは、見事に風邪をひきました』

「わ、笑い事じゃないよ。……大丈夫?」

『そこまで心配するようなほどじゃないよ。37.8度。ただ、外に出るのは厳しいから、今日は一緒に出掛けられないと思う』

「……うん、残念だけど、しょうがないね」

『ごめんね。ごほっ、この埋め合わせは絶対にするから』

「ううん、気にしないで。体を温かくして、ゆっくりしてね」

『うん。ありがとう』

 

 それから二言三言、短く言葉を交わし合って、みほは携帯電話から耳を離した。

 

 大きな溜め息がついその口から漏れる。

 

 みほは本当にこの日を楽しみにしていたのだ。普段、他の学園艦に長時間勤務しては移動を繰り返す俊作と、大洗女子学園で勉学に励むみほ。二人が会える日はそう多くはない。

 であるからこそ、たまたま二人が同じ場所に揃ったこの日はみほにとっては待ち望んだ日だった。もちろん俊作にとってもそれは同じであった。

 しかし、まさか俊作が体調を崩してしまうとは。こういう時、みほは学生である自分が少し煩わしくなる。自分も社会人なら、もっと自由な時間が取れて、会いに行けるのにと思ってしまうのだ。

 ともあれ、風邪を引いてしまったのなら仕方がない。みほは学生寮の自室の中、既に着替えた私服のままベッドの縁にぽすんと腰を下ろした。

 

「……大丈夫かなぁ、俊作さん」

 

 ぽっかり時間が空いてしまったみほだが、頭に浮かぶのは結局俊作のことしかなかった。

 風邪を引いて寝込んでいる彼のことを考えると、きゅっと胸が締め付けられる。何か出来ることはないかなと考えてしまう。

 

 しばらくそのままぼーっと天井を見つめていたみほは、やがてその視線を下ろして正面のテレビの横に置かれたボコのぬいぐるみを見つめる。

 ボコと無言で見つめ合ったみほは、やがて「よし」と呟くと立ち上がるのだった。

 

 

 

 

 

 その頃、俊作は学園艦の整備士たちに割り当てられた宿舎の一室にて分厚い布団をかぶってベッドの上に寝転がっていた。

 一人一部屋が許されているため、俊作は好きにこの一室を使っていた。テーブルの上には読みかけの雑誌や飲みかけの水が入ったコップが置きっぱなしになっている。これもどうせ自分一人しかいないから、という開放感からくる不精であった。

 しかし今、そんな俊作の部屋には彼以外にも一人、人の姿があった。

 

「あーあー、次の日が楽しみすぎて当日風邪ひくとか。遠足前の小学生じゃねぇんだから」

「ごほっ……う、うるさいな」

 

 布団から顔を出して、俊作は半目でその声の主を睨む。

 そこには、呆れたような顔で床に伏せる彼を見下ろす同僚の姿があった。

 その同僚は、テーブルの上に広げられたままになっている雑誌を一瞥する。開かれたページには、大洗女子学園の全国大会優勝を称える内容と、その記念として開催されるエキシビジョンマッチの紹介が載っていた。

 彼はおもむろにその雑誌を手に取って、俊作の前で掲げてみせた。

 

「せっかくエキシビジョンマッチの時期と被って大洗に来れたんだ。これで試合を見逃したらお前、一生悔やむぞ!」

「ごほ、ごほ。まぁ、お前ならそうだろうなぁ」

 

 勢い込んで言う友人に、俊作はしみじみと返した。

 目の前の同僚は何を隠そう、戦車道のファンだった。男性においてはなかなか珍しい趣味であるといえる。

 しかし、だからこそ彼と俊作は意気投合したのだった。みほの影響で、それまでさして興味がなかった戦車道にハマっていた俊作は、整備士仲間の中に戦車道のファンがいると知って大いに喜んだ。

 それは向こうにとっても同じようで、これまで同性で詳しく戦車道について語り合える存在はいなかったのだという。

 結果、二人は急速に仲良くなり、今ではすっかり気心の知れた仲となってしまっていたのだった。

 少なくとも、こうして看病に来てくれるほどには仲良くなっていた。

 

「ったく、しょうがねえな。とりあえず薬と飯だな。今日は医者はやってねえし、市販で両方とも何か買ってくるわ」

「あー……悪い」

「気にすんな。にしても、彼女と会えるってだけで風邪ひくぐらいに舞い上がるとは、純だねぇ」

「ぐ……」

 

 実際、舞い上がっていたのは事実なので俊作は思わず言葉に詰まった。

 

「どうせ今日の夜は燃え上がる予定だったんだろうが、ま、残念だったな」

 

 そう言って下世話に笑う同僚に、俊作はたっぷりの苦悩と苦々しさを織り交ぜた顔になった。

 

「……そんなわけないだろ。相手は高校生だぞ」

 

 言ってから、俊作はしまったと思った。風邪でつい意識が弱くなってしまっていたらしい。普段であれば口にしないであろうことを口走ってしまったのだから。

 案の定、目の前の友人の顔が驚愕に染まる。そして玄関へ向かおうとしていた体を反転させて、ベッドまで戻ってきた。

 

「は、え、マジ? お前、高校生と付き合ってるの?」

「……まぁ、そうなる、かな」

 

 出てしまった言葉はもう呑み込めない。渋々ながら俊作はその問いかけを認めるしかなかった。

 頷くと、彼は「そりゃ今まで教えてくれないわけだ」と納得したように肩をすくめていた。

 

 一応はもう成人して社会に出ている大人が、未成年の学生とそういう関係になっている。それに対して純粋な愛情ゆえだと理解してくれる者は世の中に多くない。邪推する者も当然いるだろう。

 それがわかっているから、俊作は今まで彼女の関係者で彼女が知る人間以外に自分との関係を明かしたことはなかった。それは余計なところからの干渉を彼が嫌ったからであった。

 

 俊作のそんな心情を理解したのだろう、今まで教えてくれなかった恋人の情報を聞いた彼は、「安心しろ、言わねぇから」と約束をしてくれる。俊作はそれに、「悪い、助かる」と返してほっと安堵するのだった。

 

「さて、と。ちょっと衝撃の情報はあったが、とりあえず薬と飯買って来るわ。試合までには治してくれなきゃな。一緒に見る奴がいないのはつまらねぇし」

「ありがとう、頼む」

 

 改めて俊作が感謝をすれば、相手はひらひらと手を振って玄関へと向かう。

 

 それと同時に、ピンポーンと来客を告げる電子音が部屋の中に鳴り響いた。

 

 何か荷物でも届いたのだろうか。覚えがない俊作であったが、誰かが来た以上は出迎えなければなるまい。そう思ってベッドから降りようとする俊作を、目の前に突き出された手が止めた。

 

「いいって。俺が出とくよ」

「悪い」

 

 言って、彼はそのまま玄関に向かっていく。

 そして「はいはい、どちらさ――……ま?」という何とも珍妙なお迎えの言葉と共に誰かと応対していた。

 何かあったようだと思った俊作は、だるい体を押してベッドから降りると彼の後を沿うようにして玄関へ向かう。

 扉を開けたまま固まっている彼の後ろから顔を覗かせる。そして、俊作もまたその来訪者を見て驚いた。

 

「あ……よ、よかった。ここ、俊作さんのお部屋って聞いてたのに、違う人が出てきたから……」

 

 視線の先で、大人しめのワンピースとカーディガンに身を包んだ少女があからさまに胸を撫で下ろす仕草を見せる。

 

「みほちゃん……?」

 

 名前を呼ばれ、みほは手に持ったバケットを胸元で掲げながら、はにかんだように笑った。

 

「風邪をひいてるなら苦しいかな、って思って……その……き、来ちゃった」

 

 どことなく申し訳なさそうに微笑んで言う姿は、あまりに俊作が知るみほそのもので、目の前にいるのが当人であると実感する。

 そのとき、俊作の心にまず生まれたものは安心感であった。次いで嬉しさ、その次に感謝の気持ちが生まれ、俊作の心がみほへの気持ちで満たされていく。

 風邪を移す可能性や世間体を考えるなら喜んではいけないのだろうが、心に嘘はつけなかった。弱っているところにこれは卑怯だ、と俊作ははにかむみほに手を伸ばした。

 

「わ、わっ」

 

 その頭を撫でてから、俊作は「ありがとう」とまずは告げた。

 

「来てくれて嬉しいよ」

「ほ、本当? うん、ならよかった」

 

 えへへ、と照れ臭そうに笑うみほは問答無用で可愛かった。俊作はこみ上げる気持ちを誤魔化すように、こほんと咳払いをする。

 それを体調不良による咳だと思ったのか、みほの表情が僅かに陰る。

 

「大丈夫? あ、中に入らせてもらってもいい?」

「え? あ、うん……」

 

 つい了承の返事をした俊作の隣に立ち、「お邪魔します」と言いながら靴を脱ぎ始めるみほ。それを見て、俊作は追い返すのも何だし、と言い訳をしてみほを部屋の中へと招待することを決める。

 とりあえずは、と固まったままでいる友人の肩を強めに小突いてから、俊作はみほを連れて部屋の中へと戻っていくのだった。

 

 

 

 

 

 その後、我を取り戻した友人は「なんで西住みほ選手がここに!」とか「お前の彼女って西住選手かよ!」と散々騒いだ。高校戦車道も勿論チェックしていた彼は、当然みほのことも知っていたのだ。

 「ファンです!」と困惑するみほの前で宣言していた彼だったが、その後何か質問をするでもなく、「あとで話を聞かせろよ!」とだけ言い残して帰っていった。

 色々と話したい事や聞きたい事があっただろうことは俊作にもわかる。それでも、久しぶりに彼女に会う俊作の事を考えてくれたのだ。つまりは気を使ってくれたのだろう。そのあたり、本当にいい奴であると思う俊作であった。

 

「えっと……俊作さんのお友達、だよね?」

「うん。戦車道のファンでね。それで話が合ったんだ」

 

 馴れ初めと言うほどでもない友人との出会いを語れば、みほは嬉しそうにそうなんだと頷いた。

 戦車道はかつて茶道・華道と並ぶ淑女の嗜みであり、ステータスであった。しかし、それも今は昔。今でも両者と並び称されはするが、その実態は比べるべくも無く落ち込んでいた。

 競技人口は減り、認知度も下がり、名ばかりの武道となっていたのは間違いない。

 まして、男子にとってともなれば言わずもがな。関心を示す者は稀であった。

 であるから、みほは一人の戦車道を愛する者として、こうして男の人でも戦車道を好きでいてくれる人が居る事が嬉しいのだった。

 

「ほら、俊作さんは寝てて。無理をしちゃダメだからね」

「あー、うん。了解」

 

 ベッドを指差して促され、俊作は若干重い足取りでベッドの中へと戻っていく。単に体調が悪いだけではなく、彼としては家主としてみほを持て成したかった。その気持ちが動作を鈍らせているのだ。

 しかし、それで無理をして心配をかけては本末転倒。それがわかるから、俊作は大人しくベッドに横になるのだった。

 横になった俊作を確認したみほは、よし、と満足そうに笑う。そしてふと落とした視線がテーブルの上に広げられたままになっている雑誌に向かい、「わっ」と焦りの声が飛び出した。

 俊作はその視線を追って、みほの反応に納得する。彼女が見たページは、彼女へのインタビューが掲載されたページだったからだ。

 俊作は小さく笑う。

 

「普段はあまり雑誌は買わないんだけどね。こればっかりは迷わず買ったよ」

「うー……恥ずかしい。なんだかわたし、偉そうなこと言っちゃってるし……」

 

 みほは熱くなった頬を冷まそうと、両手を頬に当てていた。

 偉そう、という言葉を聴いて、俊作はベッドから僅かに身を乗り出してテーブルの雑誌を指先で引き寄せた。

 

「えーっと、ああ、これとか? 『わたしには出来る確信がありました』って。記事の小見出しに書かれてるやつ」

 

 確かに偉そうともとれるが、これはあくまで一部を抜き出してピックアップしたからだ。インタビュー記事で該当部分を読むと、『全員が同じ目的に向かって、一生懸命でした。わたしたちの学校をなくしちゃいけない、って必死でした。そのことを知っているから、わたしには出来る確信がありました』となる。

 このあたり、いかに一目で読者を引き込むかに重きを置く編集ならではといえるだろう。まぁ、悪意ある編集といえるほど酷くはないので、ある程度は仕方がないのかもしれない。

 

「まぁ、みほちゃんは実際に偉い立場だったんだから。ね、西住隊長?」

「や、やめてよぉ、もう」

 

 からかい混じりに俊作が言えば、みほはくすぐったそうに体を揺らして困ったような顔になる。

 みほとしては、あくまで全員で勝ち取った結果であると思っているから、こうして自分だけが評価されることに抵抗がある。そのうえ、本人が前に出たがらない性格なので、過度に持ち上げられると恐縮してしまうのだった。

 尤も、俊作はそれを知っていてからかっているのだが。けれどまぁ、何事もやりすぎはよくない。このあたりで勘弁してあげようじゃないか、と気を抜いたところで。

 

「ごほっ、ごほっ」

 

 体が思い出したように不調を訴え始める。つい、みほが傍にいることで無意識に強がってしまっていたようだ。

 気を抜いた途端にこれとは。自分の体のことながらもどかしく思う俊作であった。

 

「ほ、ほら、無理はしないで。ちゃんと横になって」

「あ、うん」

 

 大人しく従い、枕に頭を預ける。きちんとした体勢で布団に入っただけで、なんだか楽になった気がする。それだけ日ごろの疲れが溜まっていたのかもしれない、そんなことを思った。

 

 取り留めもない思考に意識が傾き、徐々に眠気に襲われてぼうっとしかけてきた時。ふと、額に触れるひんやりとした感触に、俊作の意識は半覚醒してその感触の元を目で辿る。

 それは、自分の額に乗せられたみほの手であった。

 

「んー……熱は、そんなに高くないかな?」

 

 どうやら、みほは手を額に当てることで自分の体温を確かめているらしい。

 そう判断した俊作は、重たくなってきた意識に逆らうようにして瞼に力をこめた。

 額に乗せられていた手をそっと掴む。

 

「あっ、ごめんね。ちょっと今の体温だけ確認したくて……」

 

 うつらうつらしていた俊作を見ていたからか、みほは自分の失敗を詫びた。

 対して、俊作は胡乱な思考のまま口を開いた。

 

「……なら、手よりも額のほうがわかるかも……」

「え……――きゃあっ!?」

 

 俊作に軽く手首を引かれ、それを予期していなかったみほの体勢が簡単に崩れる。

 掛布団を挟んで俊作の上に倒れ込んだみほは、手首を掴まれたまま身をよじらせた。

 

「し、しゅ、俊作さん!?」

「……額で測ってくれないの?」

 

 驚きと焦りと恥ずかしさとで赤くなっていたみほだったが、その言葉を受けて更にその色が濃くなる。

 重なり合った体勢のまま、身をよじるのを止めたみほは、存外近くにあった俊作の顔をじっと見つめる。

 もともと内気なみほにとっては刺激が強すぎる現状に、顔に集まる熱は収まるところを知らない。心臓がどきどきとなる五月蠅い音を聞きながら、恥ずかしさのあまり潤み始めた瞳を俊作に向けて、みほは僅かに上体をその顔に近づけていった。

 瞼を震わせながら目を細め、徐々にお互いの顔が近づいていく。ゆっくり、しかし着実に。自分からそうしているという事が、みほは自分でも信じられなかった。

 しかし、そんな思考はすぐに意識の外に追いやられる。みほはまるで吸い寄せられるように俊作の顔へと自身のそれを近づけていき――。

 

 ――やがて、互いの額は軽くこつんと合わさった。

 

「……どう?」

 

 俊作が問いかける。

 その吐息がみほの長い睫毛を震わせた。

 

「……ぁ……、――っ!」

 

 瞬間、今お互いの状況がいかに危なげなものであるかをみほは認識してしまう。一気に耳まで真っ赤になったみほは、勢いよく顔を上げて転がるようにベッドの脇に降りると、体を丸めて座り込むのだった。

 自身に背を向けて座る恋人に、横になったまま俊作は顔を向けた。

 

「……どうだった? 熱はあった?」

 

 それは意地の悪い質問だった。俊作自身、そのことは自覚していた。

 しかし、みほの可愛らしく恥ずかしがる姿を見て、つい聞きたくなってしまったのだった。

 その声音にあるからかい混じりの空気を感じ取ったのだろう。くるりと俊作に振り返ったみほは、林檎のような顔で半泣きになりながら、俊作に怒った。

 

「――ぅう、ば、ばかぁっ!」

 

 残念ながら、迫力はあまりなかったが。

 それを受けて、ごめんごめん、と謝りながら、もう一度枕に頭を預ける俊作であった。

 

 

 

 

 

「――ん……」

 

 ふと、目を覚ます。そして、それによって初めて俊作は自分が眠っていたことに気がついた。

 体にあった気怠さはだいぶなくなっている。視線を窓に移せば、まだ日は出ていて空も赤くはない。時計を見れば、午後の四時。記憶にある時間がお昼前であったことを考えれば、随分と長く寝てしまっていたようだった。

 

「あ、起きた?」

 

 かけられた声に、その声の主の姿を探す。

 目だけを動かして見た先には、本を読んでいたらしいみほがベッド傍のテーブルの前に座って俊作のことを見ていた。

 本を閉じて、テーブルの上に置く。そしてベッドの横で膝立ちになると、微笑んだ。

 

「体は? 大丈夫?」

「……ああ、うん。だいぶ楽になったみたいだ」

「よかった」

 

 そう、心底嬉しそうに笑う姿に、俊作の心はギュッと締め付けられた。

 そして衝動的に、手を伸ばしかけた。

 手を伸ばして、肩を掴み、その身を抱き寄せて自分のものにしたい、そんな衝動。それを、ぐっと心に力を入れて抑え込んだ。あくまで自身の内の中で。

 それは俊作がみほを想えばこそ、決めたことだった。

 

 みほには、高校生として、戦車道の選手として、やるべきことが沢山ある。だからこそ、成人男性と肉体的な関係があるなどという、ともすれば大問題となりかねない可能性を生むわけにはいかなかった。

 付き合っているという事だけでもかなり危ないのだ。それでも、やはりそこは誤魔化したくはないと二人で決めたからこそ、その一線だけは守るつもりだった。

 たとえお互いの気持ちがそれ以上を望んでいたとしてもだ。

 

 俊作は、無言でみほに手を伸ばして、その頬を撫でた。

 みほもまた何も言わず、それをただ受け入れて、その上から手を重ねた。

 

「――好きだよ、みほちゃん」

「――うん。わたしも」

 

 二人は穏やかに笑い合った。

 

 ――幸せだな。

 

 そんな気持ちが、等しく二人の心に満ちていた。

 

 

 

 それから、みほは持ってきたバケットから作って来たというサンドイッチを俊作にご馳走してくれた。

 友人である武部沙織という少女に教わりながら作ったというそれは、ただのサンドイッチというにはとても凝っていて、具の種類も多くこだわっているように見える。

 

 体の調子が良くなり、寝てばかりいた俊作のお腹は既に空腹を訴え続けている。すぐさま一切れ掴んで口の中に入れると、口内全部を使って頬張った。

 不安と期待が入り混じった表情で、みほが「ど、どう……かな?」と問いかける。それに対して、俊作はしっかり味わってから呑みこむと、満面の笑みで「めちゃくちゃ美味しい! 最高!」と親指を立てるのだった。

 ほっと息を吐いて「よかった」とこぼすみほと、テーブルを挟んで向かい合いながら、二人はサンドイッチを口に運んでいく。

 

 互いの近況を話し、ふざけ合い、笑って、からかわれては、拗ねて、謝って。最後にはもう一度笑って。

 そうして気がつけば、時刻は午後の七時を回っていた。外も徐々に紫色を帯び始めている。女の子が一人で帰るにはギリギリの時間と言えるだろう。

 

 俊作はみほに送っていくと申し出たが、病み上がりであることと、大洗駅が近い事からみほはその気遣いを断った。それよりも暖かくして寝てほしい、と言って聞かなかったのだ。

 仕方なくそこは俊作が折れて、部屋の前での見送りとなる。空になったバケットを持ったみほは、靴を履いて、玄関の扉を開けた。

 外に出たみほに代わって俊作が扉を抑え、二人は部屋の中と外の境界で見つめ合った。

 

「……応援、絶対に行くよ。頑張って」

「うん。俊作さんが見ていてくれるなら、百人力だよ」

 

 俊作が言い、みほは笑った。

 それから、お互いに言葉を探して無言の時間が訪れる。

 次に何を言おうか。けれど、結局二人はいい言葉が思いつかずに、顔を見合わせて苦笑した。

 

「じゃあ、またね。あとでメールするよ」

「うん。今度はちゃんと、その、で、デートしようね」

「うん。次は絶対にそうしよう」

 

 そう約束をかわせば、ぱっと顔を明るくして、みほは一歩扉から離れた。

 それが合図となって、俊作は手を胸の前まで上げて横に振る。みほも手を挙げて振りながら、宿舎の出入口に向かって歩き始める。

 階段の前に着いてもお互いに手を振っていた二人だったが、みほが階段を下り初めて姿が見えなくなると、俊作は振っていた手を下ろして、部屋の中へと戻って扉を閉める。

 そして、そのまま扉にもたれかかって、ふーっと長い息を吐き出した。

 

「あー……危なかった」

 

 弱ってるところに看病に来てくれるとか反則、笑顔やばい、マジ俺の恋人って天使、可愛すぎてやばかった、と口々に漏れ出す心の声。

 風邪で意識のブレーキが緩んでいたこともあったのだろうが、実はかなりギリギリな場面があったことに、俊作はショックを受けると同時に自分を褒めていた。よく踏みとどまった、と。

 しかし、同時に新たな不安が生まれたことも、俊作は理解していた。

 

「……高校卒業まで、耐えられるかな……」

 

 これまでは大丈夫だと自信を持って言えたが、この日、ちょっぴり自分に自信がなくなりかけた俊作なのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜、寝る前。

 軽食を取り、薬を飲んで、歯を磨き、さぁ後は寝るだけだとなったところで、俊作は携帯電話にメールの着信があることに気がつく。

 みほからだろうか、と思って携帯を手に取って確認すると、そこにあった送り主の名前は恋人とは違うものであった。

 

「……アズミか」

 

 それは、大学の後輩からのものであった。内容は、最近あまり連絡してなかったですが息災ですか、というもの。

 そういえば学園艦の整備士と正式になってからは忙しくて、大学の仲間とはあまり連絡を取っていなかったと俊作は初めて気がついた。

 これは申し訳なかったなと思いつつ、仕事も順調だし大丈夫だ、と返す。すると五分後に再び着信があり、また今度お会いしましょう、隊長も寂しがっていましたよ、と返ってきた。

 その文面を見て、そういえばと俊作は後輩に紹介された小さな女の子を思い出した。

 

「……戦車道の隊長をやるって言ってたっけ、あの子」

 

 アズミの後ろに隠れるようにして、挨拶を交わした女の子。その後少しはマシになったが、どこか内気で前に出るタイプではなかった。そのあたり、今思うと少しみほに似ていると俊作は思った。

 飛び級で大学に入った幼いながらもかなりの才媛で、今は後輩も所属しているという戦車道チームを率いているとか聞いた気がする。

 当時は聞き流してしまっていたが、今なら戦車道の話を興味津々で聞ける自信がある。そう考えると、なかなか悪くない。

 

 俊作は、また今度な、とメールを返す。そして携帯電話をテーブルの上に置いてベッドに入り、静かに瞼を閉じるのだった。

 

 

 

 

 

 




みぽりんは天使、はっきりわかんだね。

エキシビジョンマッチ直前のお話です。
あとはもう劇場版の話に入っていってしまうので、もし続きを書くとすれば劇場版になりそうです。
手元に資料がないのが劇場版は痛い。まぁ、印象には残りまくっているので問題ない気もしますが。

そんなわけで、あふたーの4でした。
また今後ともよろしくお願いいたします。


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西住みほの恋物語・劇場版1

※劇場版のネタバレが含まれます。未視聴の方はご注意ください。


 

 

 今日は最高の一日になる。そう誰もが思っていた一日だった。

 

 

 

 

 

 

「……本当に、みほさんとの試合は気が抜けないわ。まるでビックリ箱のよう」

 

 聖グロリアーナ女学院の戦車道チーム。その総隊長であるダージリンは、自身の乗機であるチャーチルの中で、紅茶を片手にしみじみと言う。

 みほの戦術はこれまでにない奇策が多く、予想がつかない。だからこそ気を抜く暇など全くない。いつ、どこから、その策が牙を剥いてくるかわからないからだ。

 周囲を木に囲まれたゴルフコース。そのバンカーの中に追い詰められた状況の中、吐息と共にこぼしたその呟きに。

 

「でも、それが楽しいんですよね?」

 

 装填手としてダージリンの前に座っていたオレンジペコが振り返って反応する。

 それに対して、ダージリンはふわりと微笑んだ。

 

「さぁ。どうかしら?」

 

 目は口ほどにものを言う、という言葉がある。それに当てはめれば、微笑むダージリンの目は、まさにオレンジペコの指摘通りの色を見せていた。

 大洗・知波単の連合チームからの砲撃が傍を掠める。着弾の振動に揺られながら、ダージリンはこれから取るべき戦略を脳裏に描き、ゆっくりと紅茶を啜った。

 

「あとはカチューシャがいつ抜けてくるか、ね。その後は……大洗の町はとても入り組んでいるから、大変そうだわ」

「ダージリン様は、みほさんがまた市街戦に持ち込むと?」

 

 オレンジペコの問いかけに、ダージリンは微笑んだ。

 

「ペコ。みほさんの一番恐ろしい所は、思いもよらない策を思いつく閃きよ。そして同時に、それを信じて疑わずに遂行する実行力。普通であれば、避けるだろう方策だというのに」

 

 カップをくいっと傾けて口の中を潤す。

 

「街中は建物や物が多く、道は狭い。みほさんにとっては最高の戦場ね。なにせ、周りが作戦に利用できるものばかりなのだから」

「なるほど……」

「だからこそ、私も頭を休める暇がないのだけれど」

 

 ダージリンが嘆息混じりにこぼすと、同じく車内に座っていたチャーチルの砲手――アッサムが振り返った。

 

「……ダージリン様のお考えでは、この後は?」

「さぁ? 勝負は水もの。“勝利の女神は気まぐれだから”。けれど――」

 

 手に持ったカップをソーサーに置く。今も行われている砲撃に晒されながら、バンカーを越えた向こうにいる好敵手の姿を思い描きながらダージリンは笑う。

 

「視野を広げて、“少し高い所”から見ればわかることもある。私が言えるのは、それぐらいかしら」

 

 何も気負うことはないとばかりに常の泰然とした態度で言ったダージリンの姿に、オレンジペコとアッサムは改めてその頼もしさを感じていた。

 戦場を俯瞰して捉える、という言葉にすれば簡単な事。しかし、それは本来人間には難しく、類稀な空間把握能力が要求される。

 一流のスポーツ選手であっても限られた存在しか持ち得ないそのセンス。そして、それを如何なく発揮できる指揮能力。それでいて驕ることなく分け隔てなく人に接する人柄。

 

 聖グロリアーナ女学院の誇る総隊長、ダージリン。

 

 絶え間なく降る砲弾の中にあっても、この人がいれば何とかなる。そう思わせてくれる姿に、車内の二人は力強い表情で前へと向き直り、覗き窓から周囲への警戒を始めるのだった。

 

 

 

 

 

「うー……! なんなのよ、あいつら! チマチマチマチマ撃ってきて! このカチューシャの進路を妨害するなんて、粛清ものよ!」

『落ち着いてください、カチューシャ』

 

 ガンガンと近くの機材を蹴る音まで律儀に拾う通信機越しに、ノンナは激昂しているカチューシャを諌めた。

 彼女らプラウダ高校は今、聖グロリアーナ女学院とチームを組んで、大洗・知波単連合チームと対戦している最中である。そして、ダージリンからの要請を受けて合流を目指したところで、いきなり丘の上からの集中砲火を受けて立ち往生しているのだった。

 足止めを食らう。自分の思惑とは反した状態に置かれていることに、カチューシャは癇癪を起こしているのだった。

 

『みほさんのことですから、我々が迂回して合流を目指すことを読んでいたのでしょう。地の利を活かした伏兵……地元ならでは、といったところでしょうか』

「ミホーシャの考えなんて、カチューシャにも読めているわよ! ただ、知波単もいるのにあそこまで役割に徹するなんて思わないじゃない!」

『挑発すれば突っ込んでくる、というのはカチューシャが言っていましたね。どうやら、大洗の方々が上手く抑え込んでいるようです』

 

 知波単学園といえば、何はともあれ突撃、というのが近年多くの学校にて認知されているイメージである。そのため、実に組みしやすい相手であるとも言われていた。

 カチューシャもそのことをよく知っていたからこそ、挑発すれば耐え切れずに突撃してくるだろうと高をくくっていたのだ。

 しかし、実際はそうなっていない。ノンナが言うように大洗が上手く抑えているのか、はたまた指示を覆すほど考え無しではなかったか。カチューシャはどちらにせよ予想外のことに、歯ぎしりをした。

 

『せっかく、ダージリンさんに大きな顔が出来るところだったのに、残念ですか?』

「う、うるさいわね! それより、何とかならないの!?」

『今は隙がありません。焦らず、時を待ちましょう』

『Катюша. Я тоже так думаю(カチューシャ。私もそれがいいと思います)』

「ぐぬぬ……クラーラ! 日本語をしゃべりなさいよ!」

『Что?(はい?)』

 

 ロシアからの留学生、T-34/85に乗るクラーラからも通信が返ってきたが、ロシア語がさっぱりわからないカチューシャには理解できない。

 そのため、クラーラがカチューシャらと行動を共にするようになってからというもの、このやり取りはプラウダの面々にとっては見慣れたものとなっていた。

 まったく、と車長席にてふんぞり返りながら、カチューシャは丘の上に陣取っている幾つかの戦車をギロリと睨みつけた。

 

「見てなさい! 絶対にミホーシャに、今度こそは土をつけてやるんだから!」

 

 全国大会準決勝での悔しい思いをカチューシャは忘れたことはない。みほのことは嫌いではないが、それとこれとは話が別だった。

 負けたからには、勝ってやり返す。そう、カチューシャは負けず嫌いなのだ。

 ノンナが言う動く時。その時を決して見逃さないよう、カチューシャは集中して戦況を眺めた。

 

 

 

 

 

 かくして、大洗女子学園の全国高校戦車道大会優勝を記念したエキシビジョンマッチは、白熱した様相を呈していく。

 そんな中、大洗・知波単連合を率いるみほは自身の愛機であるⅣ号戦車から顔を出して周囲を警戒しつつ指示を飛ばしていた。咽喉マイクに手を当て、チームメンバーたちに次の行動を示していく。

 そうして自分たちも移動していく中、僅かに空いた時間に、足元の優花里から声が掛けられた。

 

「こちらはもうほぼウチだけになってしまいましたね。知波単の方々も頑張ってくれましたが……」

 

 みほは、優花里の残念そうな声音に頷きながらも、その顔には少し苦笑が浮かんでいた。

 

「そうだね。なにかと突撃したがるのには、ちょっと驚いたけど……」

「勇敢な方々ですよね。今回は裏目に出てしまいましたけど……」

 

 華が言うように、知波単の戦術は実に勇敢で、かつシンプルだった。砲撃で牽制し、隙があれば突撃して一気呵成に勝利を掴む。細かな策略を取っ払ったその戦いぶりは、ハマれば恐ろしく強敵なのだろうとみほに思わせるには十分だった。

 しかし、それは様々な事前準備によって状況が整ってからの話である。少なくとも、今回はまだその状況は形作られていなかった。

 最初に突撃をし始めてしまったのは、恐らくグロリアーナがバンカーの中に籠もって動かなかったからだろう。その中で、撃破出来たというのも大きい。結果として、知波単のメンバーの一部は「今が好機!」と勘違いしてしまったのだ。

 

 このあたりの原因は、知波単のメンバーとしっかり事前に意思疎通をしておらず、グロリアーナのやり方や大洗のやり方を熟知させることが出来なかった点にある。

 それをどうにかするのが隊長の役目であることは明白で、みほはこれを自分のミスであると考えていた。もう少し西さんと話をして互いのことを知っておくべきだったと、今更ながらに思う。

 味方の特性を最大限に生かすのが指揮官の役割だ。みほは知波単の人たちが撃破されてしまったことで、悔やみながらそのことを実感した。

 

 西さんには申し訳ないことをしてしまった。あとできちんと謝って話をしよう。そしてお互いの戦車道について理解を深められたらいいな。

 

 そうみほは思うが、しかしそれが出来るのはこの試合が終わってからである。

 であるから、今はこの一瞬一瞬に全力を傾ける。きっと自分達を見てくれている、これまでずっと応援してくれた沢山の人に、勝利と喜びを届けるために。

 

 ――見ていてね、俊作さん……。

 

 ぎゅっと胸元で一度両手を握りこんで、みほはそう胸の奥で決意を新たにする。

 こうして彼の前で自分が戦車道をする姿を見せることは、そうそうあることではない。だからこそ、みほは自分の今の精一杯を彼に見てほしかったのだ。

 

「みぽりん!」

 

 車内から沙織に呼びかけられ、送られてくる通信にしっかり耳を傾ける。その中で自分が今いる位置と相手の思惑、それら全てを頭の中に巡らせて、みほは車内に顔を突っ込んだ。

 

「麻子さん、次を左折! そのまま一度、通りに出ます!」

「了解」

 

 短いが力強く返ってきた答えに頷いて、みほは再びハッチから上半身を出して周囲を睥睨する。

 感じるのは、風と煙と、心地よい揺れ。聞こえるのは、砲撃と地を這う履帯の音。

 

 ――自分はきっと、今感じているこの空気からは離れられないんだろうな。

 

 そんなことを改めて思い小さく笑んで、みほは再び指示を出すべく咽喉マイクに手を添えた。

 

 

 

 

 

 

 エキシビジョンマッチは、聖グロリアーナ・プラウダ連合チームに軍配が上がり、大洗・知波単連合チームは敗れた。

 その試合を、試合開始から勝敗が決する時まで見続けていた俊作は、知らず詰めていた息を吐き出して、緊張していた体を弛緩させた。

 

「……負けちゃった、かぁ」

 

 俊作が見つめる大きなモニターには、一面に聖グロ・プラウダチームの勝利という文字が躍っている。見間違いなどではなく、みほが率いる大洗・知波単のチームは負けてしまったのだとモニターをみて改めて実感する。

 どこか呆然としたように呟いた俊作に、隣で同じく観戦していた同僚が複雑そうな顔で声をかけた。

 

「……残念だったな、なんか」

 

 それは、直前に俊作とみほの関係を知ったがゆえの気遣いだった。自らの恋人が所属するチームが負けたとなれば、きっとショックも受けるだろうし思うところがあるだろうと俊作を慮ったのだ。

 しかし、変わらず画面を見る俊作の顔には、そういった様子は一切なかった。そのことに、声をかけた同僚は驚く。

 

「うん、残念だった。――けど」

 

 その気持ちがあることは肯定した俊作だが、その表情は柔らかく微笑んでいた。

 

「みほちゃんが笑っていてくれるなら、僕はそれでいいよ」

 

 画面の向こう。みほは笑顔でダージリンと握手を交わしていた。その隣では、カチューシャと知波単の隊長である西が。今度は握手の相手を交換し、再び。

 そうして四人はそれぞれ違った笑顔で、互いの健闘をたたえ合っていた。

 

 カチューシャが偉そうに胸を張り、ダージリンがそれに澄まし顔で突っ込みを入れ、カチューシャがムキになって声を荒げる。西は次こそはときりりと眉を上げて拳を握り、そんな彼女たちをみほが一歩引いて苦笑と共に見守っている。

 

 そこに敵だなんだという気持ちは一切なく、ただ純粋に戦車道に向き合って熱中する姿だけがあった。

 だからこそ、勝っても負けても彼女たちは笑っている。もちろん勝利の喜びと負けた悔しさはあるだろうが、それとはまた別のところで、彼女たちの心は通じ合っているのだろう。

 

 彼女たちだけの戦車道を通じて。

 

 だから、俊作としてはそれで良かった。黒森峰にいた頃とは違う、戦車に乗ることを楽しんでいるみほの姿は、それだけで俊作の喜びでもあった。

 

「……お疲れさま、みほちゃん」

 

 画面の向こうで、今度は仲間たちに囲まれて笑っている彼女に労いの言葉をかける。

 面と向かって声をかけることも後で出来るが、それでも、自己満足だとしても俊作は今その頑張りを認めて言葉を贈ってあげたかったのだ。

 今日の夜、みほたちは学園艦へと帰っていく。また暫く顔を合わせることは難しくなるだろうが、その時はまた電話やメールでお互いのことを伝え合っていけばいい。

 

 とりあえずは今夜、みほがその声と言葉で、どんな喜びの気持ちを聴かせてくれるのか。そのことを想像して、頬を緩ませる俊作であった。

 

 

 

 

 

 ――しかし、その俊作が予想した未来は訪れなかった。

 

 何故ならその夜。

 俊作の携帯にかかってきたみほの声は明らかに暗く、涙混じりだったからだ。

 

「……何があったの?」

 

 それは俊作に彼女の異常事態を知らせるには十分で、表情を真剣なものにしてみほに事情を聴く。

 そして、語られた内容はあまりにも彼女たちの努力とそれに伴った喜び、何よりこれから待つ未来を無碍にするもので、俊作の顔は途端に厳しいものになった。

 携帯電話を持つ手にも知らず力が籠もる。普段温厚といわれることが多い俊作にしては珍しい、それは本気の怒りだった。

 

 

 

 

 

 

 今日は最高の一日になる。そう誰もが思っていた一日だった。

 

 けれど、現実は異なる。

 

 廃校という現実を全国大会優勝という快挙で乗り越えた大洗女子学園。その面々に再び、大きな危機が迫っていた。

 

 

 

 

 

 




みぽりんはかわいい(かわいい)

今回は劇場版のお話となります。
前回の最後に劇場版のキャラクターの名前を出していましたし、エキシビジョンマッチ直前だったので、次のお話はやはり劇場版となりました。
前書きにも書きましたが、まだ見たことがない方はご注意くださいませ。

エキシビジョンマッチでは大洗・知波単連合と聖グロ・プラウダ連合が対決したわけですが、既にみほのことを知るダージリンとカチューシャがどんな感じだったのかを想像して書きました。
カチューシャは書いていて楽しかったです。

ダー様の”少し高い所”という表現は、彼女は大局的な視点を持っているという事(ガルパンFebri)から、サッカーなどでよく言う俯瞰的視点、いわゆる「鳥の目」で戦場を見ていると考えたからです。
あふたー2でも書きましたが、大洗と黒森峰と聖グロの三竦みの関係って面白いですよね。

続きでは出来れば愛里寿も書いてみたいですね。
また続きを投稿しましたら、その時はまたぜひよろしくお願いいたします。


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西住みほの恋物語・劇場版2

 

 

 

『戦車道で学校を守った少女たち裏切られる』

 

 

 そんなタイトルのニュースがネットを駆け巡ったのは、エキシビジョンマッチが行われてから数日後のことであった。

 戦車道ニュースWEBにて取り上げられたその内容は、大洗女子学園の廃校問題が再燃したことを知らせるものだ。

 

 曰く『戦車道では全くの無名校であった大洗女子学園大躍進の原動力となったのは、ただひとつ。優勝すれば学校の廃校が撤回されるというそのことである』。

『ところがその約束は無慈悲にも反故にされた。文部科学省学園艦教育局は、その約束事を「口約束」であるという言いがかりにも似た大人げない大人の事情で、その約束をなかったことにした』と綴られている。

 そして、その後には『世界大会誘致やプロリーグに予算を増額して力を入れると言いながら、筋の通らない横暴』『当然、学生や一般市民からは怒りの声が上がっている』『これではどこからも信用を得ることはできない』『そんな中での世界大会など暴挙、世界に恥を晒す大会になるだろう』と辛辣な文章が続いている。

 

 

 

 俊作は、その記事を読みながら、歯を強く噛みしめた。

 エキシビジョンマッチが終わったその日の夜。みほから聞いたその衝撃的な話。こうして他者の手で文章に起こされているのを見ると、改めて間違いのない事実であることを強く認識する。

 

 ――俊作さん……わたしたち、頑張ったよね?

 

 まるで縋るように呟かれたその言葉に、俊作は勢い込んで「もちろんだ!」と返した。みほたちの姿がどれだけ力強く、多くの人に影響を与えたか。どれだけ素晴らしい試合だったか。その思いがどれだけ貴かったか。

 俊作はそれらを一つ一つみほに訴えていった。

 けれど、彼にもわかっていた。どれだけ俊作がみほたちの努力と功績を讃えたところで、それは何の意味もないのだと。この現実を変える力にはなり得ないのだという事を。

 

 しかしそれでも、虚しい事だとわかっていても、俊作はみほを慰めるために言葉にし続けた。

 

 みほの涙を見たくなかった。悲しんでほしくなかった。そして自分たちが成し遂げたことを、無意味なことだったのだと思ってほしくはなかったのだ。他ならぬ彼女には。

 それから、みほは少しだけ笑みを滲ませた声で「ありがとう、俊作さん」と返した。しかし、俊作は今にも叫びだしそうな気持ちで一杯だった。

 みほが無理をしているのは間違いない。そんなこと、わかっているのに。

 わかっているのに、それをどうにかしてやれる力が自分にない。その事実が、俊作には情けなくてたまらなかった。

 

「わたし、引っ越しの続きをしなきゃ」と幾つかの会話の後にそう言って、みほとの電話は終わる。

 その瞬間、俊作は携帯をベッドに放ると、思い切り拳を床に叩きつけた。

 

「――くッ!」

 

 下から苦情が来るかもしれないが、今はただ身の内に荒れ狂う激情を少しでも逃がすことが先決だった。

 こんなことがあるか。彼女たちがどれだけ努力したと思っている。何もかもない状態から、手探りで進んでいくことが、どれだけ大変だったと思っている。決して通常であれば敵わない相手と目標、逃げてはいけない重圧、それでも彼女たちはやってのけたというのに。

 

 ――その決意を、想いを、その結果の喜びと幸せを、一体なんだと思っているんだ!

 

 俊作はただ行き場のない怒りに身を震わせる。

 しかし、何よりも。

 何をしてでもこの結果を覆したいと思いながらも、決して自分にはそれをする力がない事こそが、一番俊作には堪えていた。

 

「……ちくしょうっ……」

 

 ただの整備士であり、特別なツテなどない俊作に出来ることはあまりに少ない。

 それが何よりも悔しくて、惨めだった。

 

 

 

 

 

 

 みほたちがその事実を知らされたのは、エキシビジョンマッチが終わり、いざ大洗学園へと帰って来た時だ。

 試合後、慰安と選手同士の親睦を兼ねたお風呂での交流の後。それぞれがそれぞれの学園艦へと戻っていった。その際、やけに大洗の学園艦の周囲に大型のトラックが多いことを不思議に思いはしたが、あまり気に留めることはなかった。

 

 そしていざ学園に戻ってみれば、校門は封鎖。明かりは消え、町を見ても出歩いている人間は極端にいない。

 

 これは一体どういう事なのだろう。疑問を抱く彼女たちの前に現れた一人の男、固めた髪に眼鏡と背広というビジネスマンのテンプレートのような格好をした男が、訳知り顔で立っていた。

 どういうことかと問うも、その男は答えず、代わりにその背後にいた角谷杏から答えはもたらされた。

 お風呂で和んでいる時、突然呼び出しを受けて先に退出していた杏。その彼女が誰よりも先に知らされた情報は、あまりにも彼女たちにとっては酷な内容だった。

 

 ――大洗女子学園、廃校の決定。

 

 それを聞いて、誰もが呆然としたのは致し方がない事だろう。なにせ、彼女たちはそれを撤回するために全国大会に出場し、優勝したのだから。

 当然、杏に質問をぶつけた。優勝すれば、それはなかったことになる筈だったんじゃ、と。

 それに対して、杏は感情を押し殺したような顔で一言。

 

「……口約束は、約束ではないそうだ」

「そんな……!」

 

 あまりの暴論に絶句する。それは、あんまりではないのか。

 あの眼鏡の男。学園艦教育局の役人は、そう唐突に告げたのだという。しかも、既に引越しの手配は始まっており、学園艦の解体に関しても業者と話が進んでいると。

 八月いっぱい、新学期を迎えることなく大洗女子学園は廃校。これは決定事項であり、もし反対するようならば大洗の学園艦に暮らす全ての人々の再就職は斡旋しない、と。

 そんな、ご丁寧な脅しまでつけられた決定だった。

 

 はじめは納得できないと騒いだ面々も、町の人たちを引き合いに出されては強く言うことも出来なかった。自分たちの我が儘で、全ての人の生活を狂わせるわけにはいかないからだ。

 誰もが下を向いた。肩を震わせ、胸の内にどうしようもない感情を渦巻かせた。

 大人たちの事情で、あれだけ必死に守った学校はなくなってしまう。頑張った事実すら、軽んじられて。

 そのことを悔しく思わないわけがない。

 しかし、現実問題として彼女たちに出来ることは何もなく。生徒会メンバーによる指示の下、彼女たちはそれぞれ荷物を纏めて家族と話すために解散したのだった。

 

 みほが俊作に電話したのは、そうして部屋の整理に区切りがついた時だった。

 あれだけ帰ったらすぐに話そうと思っていたのに、今の今まで忘れていたことにみほは驚いた。それだけ杏の口からもたらされた事実が衝撃だったのだ。

 

(俊作さん……)

 

 携帯電話を取り出し、押し慣れた手順でボタンを押す。微かに震える手で携帯電話を握り直し、みほは耳に当てた。

 

『もしもし、みほちゃん?』

 

 その声には、どこか明るい調子があった。きっと試合を見て、みほがどんな気持ちでいるのかを正確に察してくれていたからだろう。

 確かに、みほは負けたとしても笑っていたに違いない。それをわかっているから、俊作の声も明るいのだ。

 楽しくて嬉しかった気持ちを隠すことなく、俊作と笑い合えただろう。あんなことがなければ。

 

 悔しい。

 

 そう強くみほは思った。

 自分の戦う姿を見て、これだけ感情を露わに喜んでくれる人がいるのに。

 その喜びに「わたし頑張ったよ!」と胸を張って応えたいのに。

 応援してくれてありがとう、と言いたいのに。

 今のみほでは、心からそう言うことが出来ない。そのことがたまらなく悔しかった。

 

「……っ、俊作さん……あ、あのね……」

 

 その気持ちが溢れて、声が上擦る。

 きっと心配させてしまう。そうさせてしまうこともまた、悔しかった。

 

『……何があったの?』

 

 俊作の声が真剣みを帯び、気遣うような色を持つ。

 ああ、やっぱりこの人は優しいから。

 そう改めて思った瞬間。みほはもう感情をこらえることはできなかった。

 涙交じりに、自分が今置かれている状況を話す。何故こうなったのか、自分たちがしてきたことは一体なんだったのか。疑問が尽きることはない。

 

 頑張ったつもりだった。そして結果を出したつもりだった。けれど、その結末がこれでは、一体これまでのことは何だったというのか。

 その気持ちが、つい口をつく。

 

「……俊作さん。わたしたち……頑張ったよね?」

『もっ――! もちろんだよ! 誰が何と言おうと、みほちゃんも、大洗の皆も、精一杯に一生懸命に戦っていたじゃないか! それを否定することは、誰にもできないよ!』

 

 それから、俊作はいかにみほが頑張っていたかをまくし立てた。黒森峰にいた頃から、大洗に転校して、それから全国大会に出場して、勝ち進んで優勝するまで。その全てを、俊作は見てきた。

 直接ではない。けれど、たとえ離れたところにいようとも、みほたちの頑張りは一試合でも見れば伝わってくる。それが嘘であるはずがない、と。

 

 俊作の言葉には熱があった。心の底からそう思っていると確信させられる、そんな熱だ。

 みほは、それが嬉しかった。この人は例えどんな状況になっても絶対に自分のことを見ていてくれる。改めてそのことを感じさせられて、そのありがたみと幸福に胸の奥が温かくなる。

 

「……ありがとう、俊作さん」

『そんな……お礼なんて。僕には、みほちゃんが苦しんでいても、何も出来ない。こうして話すぐらいしか……――悔しいよ』

 

 みほは苦渋を滲ませる声に、小さく首を振った。

 

「そんなこと、ないよ。わたし、すごく嬉しかった。わたしたちの頑張りは、やっぱり無駄じゃなかったんだって思えたから」

『みほちゃん……』

「だから、ありがとう俊作さん。話を聞いてくれて」

『そんな、そんなこと……』

「大丈夫、しばらくは新しい生活に慣れなきゃいけないから大変だけど、頑張るから。――あ、まだ引っ越しの続きをしなきゃ。それじゃあ……またね」

『……うん。またね、みほちゃん』

「うん」

 

 携帯電話を耳から離し、通話を切る。

 折りたたんでそれを制服のポケットにしまうと、そのままみほは立ち上がった。

 荷物をまとめた段ボール箱の山。それらの横を抜けて玄関の扉を開けて外に出る。

 

 向かう先は、学校だ。

 

 役人によれば、自分たちの戦車はどこかに売られることになるという。この機会を逃せば、もうその姿を見ることはないだろう。

 みほにとって、戦車は相棒であり大切なチームメイトでもあった。自分たちを語る上で、あの子たちの存在を欠かすことはできない。

 俊作と話して改めてそのことを強く思ったみほは、学園に向かって走った。最後になるかもしれない戦車との時間を過ごすために。

 

 そう思ったのは自分だけではない。辿り着いた先――学園の倉庫に戦車道チームのメンバー全員が集まっているのを見たみほは、そのことを知る。

 そして、仲間たち全員が同じ気持ちでいたことが嬉しくて、みほは破顔してその輪に加わるのだった。

 

 

 

 

 

 

 現在。

 みほたち大洗の面々は戦車を移動手段としつつどうにか生活していると俊作は聞いていた。

 売られるはずであった戦車が手元にあるのは、生徒会の面々が機転を利かせ、「いつの間にか紛失してました」という遺失物として書類を通したからだそうだ。実際にはサンダース校の協力で逃がすことに成功し、現在はそれを返してもらったのだという。

 あんなデカい物どうやって紛失するんだって話だが、そこは野暮ってものだろう。俊作としても、彼女たちの一部ともいうべき戦車が無事であったことは喜ばしい事だった。

 

 そして、みほたちは学園艦から大洗の町に降り、町内にある古い宿舎に泊まっているのだという。それぞれの転校先が整うまでの仮宿だそうだ。

 そこで彼女たちは戻ってきた戦車を生活に利用しつつ暮らしているというわけだ。買い物の際には戦車を使うとか。戦車でコンビニに乗りつけるなど、なんともシュールな光景である。

 しかし、何とか今はやっていけているということに、俊作はほっとしていた。

 それならすぐさま彼女たちがどうにかなるということはなさそうだからだ。

 

 しかし、いつまでもそのままではいられないだろう。いずれ、それぞれが転校していき別れていくはずだ。

 きっとそれは、彼女たちの誰も望んでいないことだ。けれど、どうしようもないから受け入れているだけ。

 それはあんまりだろう。それが俊作の偽らざる気持ちだ。

 

 だからこそ、俊作は藁にもすがる思いで行動する。何が出来るかなどわからないが、それでも何か出来ることがないか探すことを止めたくはなかった。

 その思いから、いま俊作はかつて自分が通っていた大学のキャンパスにいた。

 何度となく昼食をとったり時間を潰したサロンの、テラス席。そこに腰を下ろしている俊作は、腕時計に視線を落とした。

 彼は今、ここで待ち合わせをしているのだった。それは、自分には何も思いつかなくても、戦車道に詳しい者であれば違うかもしれないと考えたからだ。

 

 こつこつ、と靴音が徐々に近づいてくる。その音が俊作のすぐ目の前で止まると、椅子を引いて靴音の主が向かい席に腰を下ろした。

 俊作は座った人物を見た。最近はあまり顔を合わせていなかった、しかしゼミや講義を通じて友人となった後輩の姿がそこにあった。

 

「急に呼び出してごめんな、アズミ」

「いいんですよ。お久しぶりです、久東先輩」

 

 ふわりとした茶色のミディアムヘアーを掻き上げつつ、戦車道大学選抜チームに所属する俊作の後輩――アズミはにこりと微笑んだ。

 

 

 

 

 




みぽりんは可愛い。OK?


今回は短く、ストーリーもあまり進んでおりません。
というよりは動きがないお話となります。
大洗女子学園に何があったのか、という周辺の状況説明が主となっております。

何はともあれ、劇場版を見た人間なら誰もが思ったであろうことです。
あの役人クズやん……と。
あまり人を貶めたくはないですが、あれはさすがに酷いですよね。

ちなみにニュース記事の中では、教育局と解体業者などとの癒着の疑いも掲載されていました。そんな疑いもある程もともと不透明であったのに、これではどこからも信用されない、という形で。

何はともあれ、大洗女子学園廃校の危機再びです。
これにどう関わっていくのか、またぜひとも目を通していただければ幸いでございます。


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西住みほの恋物語・劇場版3

 

 俊作とアズミの出会いは、ある講義を通してのものであった。

 

 たまたま同じ講義を取っており、席で隣り合ったのだ。その際、講義内でわからない事があったらしいアズミが、隣の俊作に質問してきたのが交流の切っ掛けであった。

 それから講義で会うたびに会話をするようになり、それが縁で昼休みを共に過ごすこともあり、やがて二人は友人と呼べる関係になっていたのだった。

 その友人関係は俊作が大学在学中はもとより、卒業してからも継続しており、ときおりメールなどで連絡を取ることもあった。

 

 とはいえ、俊作が本格的に学園艦整備士として働き出してからは余裕も少なくなり、連絡することもあまりなくなっていたのだが。

 俊作は整備士を目指して。アズミは戦車道の選手として上を目指して。そうして互いに目標に向かって進んでいた当時を、彼女の顔を見たことで少し懐かしく思い出す俊作であった。

 

「それで、一体どうしたんです? 確かに近いうちに会えたらいいなと連絡をしましたけど、こんなに早く叶うとは思いませんでしたよ」

「ん、まぁ……」

 

 疑問符を浮かべた顔で問われた当然の質問に、俊作はどう言葉にするべきか少し口の中で吟味する。

 言い淀む俊作に首をかしげるアズミを見て、俊作は本題は置いておいて世間話としてまずは口を開くことにした。

 

「……そういえば、大学選抜チーム凄いみたいじゃないか」

 

 一瞬虚を突かれたような顔になるアズミだったが、それが賞賛の言葉だったからだろう。嬉しそうに笑って答えた。

 

「はい。さすがは愛里寿隊長ですよ。まさか社会人チームに勝てるだなんて。私とメグミとルミだけだったらきっと無理でしたから」

 

 そう、彼女たち戦車道の大学選抜チームは、社会人で構成された大人のチームに勝利を収めたのだ。これはアマチュアがプロを破ったと言い換えてもいいほどの事であり、まさに快挙と言ってよかった。

 そのチームにおいて、アズミは彼女の姉妹でもあるメグミとルミと共に中隊長を務めているのだ。それを率いているのが、隊長である島田愛里寿。飛び級で大学に在籍している弱冠十三歳の天才少女である。

 俊作としては、おどおどしている小さな子というイメージが強いためそこまで凄く思えないのだが……と考え、それはみほも同じだったかと苦笑する。みほもまた、あまり強そうなイメージを持たれない方だからだ。

 そんなことを考えつつ、俊作は大学選抜チームの大金星を生んだ試合について思い返す。

 

「隊長車はセンチュリオンだったっけ。あの戦車も凄かったよなぁ。MBT(主力戦車)の概念を生み出したってのは伊達じゃないんだなって思ったよ。ああ、もちろん愛里寿ちゃんやアズミたちの戦術ありきなんだけど」

「……え、ええ」

「忍者戦術、とも言われてるんだっけ? 確かに相手が動くたびに即時対応、って感じで先を読んでるみたいに動いていたもんな。これまでは実感がなかったけど、愛里寿ちゃんが天才って言われるのがよくわかったよ」

 

 うんうんと頷く俊作に、アズミは目を丸くして驚いていた。

 

「は、はい。……えーっと、先輩?」

「え、なに?」

「……先輩、そんなに戦車道に興味持ってましたっけ? 私たちが話している時、いつも聞き流していた気がするんですけど」

「あー……いや、今更ながらあの頃は悪かったよ。ただ今は、ちょっと切っ掛けがあって戦車道にハマっちゃってね」

 

 俊作が頭を掻きながら言うと、アズミは「あら!」とばかりに口に手を当てて驚いてみせた。

 

「ふふ、それはいいですね、隊長も喜びますよ! もちろん、私もですけど」

 

 本当に嬉しそうに言うアズミに、俊作の中で張りつめていた気持ちも僅かに緩む。

 今なら気負うこともなく話せそうだと考えた俊作は、心内でよしと呟いてから、携帯をポケットから取り出して開いた。

 

「ところで、戦車道といえばだけどさ、アズミはこの記事は知ってる?」

「記事?」

 

 訝しげな顔になるアズミに、携帯で検索したニュース記事を見せる。それはもちろん、戦車道ニュースWEBで取り上げられていた大洗女子学園の廃校に関するものである。

 その記事を見た途端、アズミの整った眉が僅かに顰められた。

 

「……知っていますよ。これ、ひどいですよね。うちのメンバーの中でも少し話題になっていましたから」

「そうか……」

 

 やはり、戦車道に携わる者にとっては思うところがあるのだろう。アズミは当事者ではないが、それであっても快く思っていないのが伝わってくる表情だった。

 そんな彼女は、「この記事がどうかしたんですか?」と俊作に尋ねてくる。突然見せられたからには、何か理由があると思うのは当然だ。

 そんな当たり前の質問を受けて、俊作は少しだけ言うべき言葉を考える間を置いてから、目の前に座る後輩の顔を真っ直ぐ見た。

 

「アズミ」

「はい、なんですか?」

「今日の話というのは、他でもない。この記事のことに関してなんだ」

「まぁ、そう思いましたけど……一体どうしたんですか?」

 

 次の瞬間。俊作はテーブルに手をついて、頭を下げた。

 

「ちょ、先輩!?」

「僕は、この大洗の子たちを助けたい。けど、そのために何が出来るのか、わからないんだ。正直、見当もついていない。だから、何でもいい。もし何か思いつくことがあれば、教えてほしいんだ。僕でも力になれる方法があれば、何か」

 

 普段クールな彼女には珍しい慌てた声を上げるアズミに、しかし俊作はただ頭を下げて言葉を紡いだ。

 言ったように、皆目見通しが立っていない今、俊作は本当に藁にも縋る思いでいるのだ。であるから、これはそんな俊作の焦燥感に似た必死さが表れた結果であった。

 

「切っ掛けでもいい。小さなことでも。その相談に乗ってもらいたくて、今日は連絡をしたんだ」

「わ、わかりました! わかりましたから、ひとまず頭を上げてください!」

 

 その必死さゆえに頭を下げたままでいる俊作に、アズミは取り乱した声で頭を上げるように要求する。

 それに従って俊作が一度頭を上げてアズミを見ると、彼女はなんとも居心地が悪そうに手で顔を仰いでいた。火照った顔を冷ますような仕草だが、なぜ今? と俊作が疑問に思っていると、アズミはジト目で俊作を見て周囲を見るよう促した。

 見れば、ちらほらとこちらを見ている視線。そういえば、ここは人も多いサロンの一角だった。そのことを思い出した俊作は、自分のとった行動が悪目立ちするものであったことを自覚する。

 今度は頭を下げることを避けて「ごめん」と言った俊作に、アズミは「別にいいですよ」と溜め息をこぼした。思わず、申し訳なさが募る俊作であった。

 

「……ひょっとして、先輩が戦車道に興味を持った原因って、この大洗女子学園ですか?」

 

 先ほどの発言から、俊作が大洗女子学園に何かしらの思い入れがあることは察せられる。その事から想像してアズミが問えば、俊作はすぐに頷いてその疑問を肯定した。

 それを受けて、アズミは、はーと長い息を吐く。

 

「私たちがいくら話しても、興味を示してくれなかったあの先輩が……ですかぁ」

 

 若干責めるような色を持たせて俊作を見れば、俊作は「うっ」と短く呻いて首をすくめた。

 実際、去年は彼女や愛里寿に色々と聞きながらも、最後まで俊作は戦車道に触れることはなかった。

 だというのに、今はこれである。アズミが思わず責めたくなるのも、俊作がバツが悪く感じるのも、無理ない事であった。

 

「まぁ、先輩は学園艦の整備士ですものね。大洗で生活する中で交流して、他人事ではなくなったってところでしょう?」

 

 アズミは俊作の職業を考えて、大洗女子学園を助けたいと言ったその理由を推測する。

 俊作がかなりのお人好しで優しい性格であることは、大学生活の中で充分にアズミは理解していた。それゆえ、その言葉には確信の響きさえ籠っていたのである。

 

「いや、そういうわけじゃないんだけど……」

 

 しかし、俊作はそれをバッサリと否定する。

 そのことに、アズミは驚きを露わにした。まさか推測が間違っているとは思わなかったのだ。

 

「じゃあ、どういうわけです? まさか女子高生の色香に惑わされたとは言いませんよね?」

 

 思わず俊作は何と言っていいものか迷い、言葉に詰まる。

 それはある意味では、あながち正解から遠いとも言えない答えだったからだ。

 しかしながら、その「さもその通りです」と言わんばかりの反応はアズミに衝撃をもたらした。先程以上に、アズミの顔が驚き一色に染め上げられた。

 

「え、うそ、まさか先輩、本当に!?」

「ち、ちがう! その言い方は語弊があるぞ!」

「じゃあ、何なんですか!?」

 

 バシン、とテーブルを叩いて迫るアズミに、「なんで半ギレなんだ!?」と思いながらも、俊作はこちらが頼みごとをする側である以上は誤魔化すことなく伝えるべきだろうと考える。

 それが誠意というものだと思った俊作は、少しだけ迫る後輩から顔を逸らしつつ、ぶっきらぼうに口を開いた。

 

「……単に、僕の彼女が大洗にいるから。その子が悲しんでいるから、許せないだけだよ」

 

 そう告げられると、アズミの顔は鳩が豆鉄砲を食らったように、ぽかんとしたものになった。

 

「……え……彼女、ですか?」

「うん」

 

 なぜだか茫洋した様子で言うアズミに、俊作はすぐにその通りだと返す。

 しかし、それでもアズミの様子は回復しなかった。

 

「え、本当に? 嘘じゃないですよね?」

「僕に彼女がいるのが、そんなに変か?」

「い、いえそういうわけじゃないですけど……いえ、でも……そうですかぁ……」

 

 要領を得ない反応をしつつ、大きな溜め息が彼女の口から漏れる。そして、これ隊長に何て言おうかしら……という呟きも。

 一応俊作も釘を刺しておく。あくまでアズミ個人に話したことなので、あまり他言しないでほしいと。相手が高校生であることを考えれば、アズミとしても俊作の考えはわかるため、了解の意味で首肯する。

 ただ、その間もアズミはどこか戸惑っているような雰囲気を漂わせていた。

 

「……アズミ。それで、どうだろう。相談に乗ってくれないか?」

「……はぁ。わかりました。他ならない先輩の頼みですし、お力になります」

 

 そんな状態であるアズミであったが、真剣に頼んでくる俊作を見て、無碍にはできないと思ったのだろう。協力することを了承すれば、俊作の表情に明るさが灯った。

 

「ありがとう……! 助かるよ!」

「ただし、私は戦車道には明るいですが、それだけです。明確なアドバイスなんて、たぶんできませんよ?」

 

 しかし、一応はそう付け足しておく。あくまでアズミは戦車道の選手であり、それ以上でも以下でもない。何かしら特別な要素を持っているわけではなく、俊作よりも少しは戦車道やその内部事情に詳しいが、それだけだ。

 あまり期待されても応えることはできない。そのことは間違いないので、申し訳ないがあらかじめそう言っておかなければならなかった。

 しかし、それは俊作としても理解していたのだろう。すぐに構わないと頷いた。

 

「それでも、一人で頭を悩ませるより、何倍もマシだよ」

 

 俊作がそう言うと、アズミは諦めたようにわかりましたと返して居住まいを正す。

 そうしていよいよ今日の本題である話し合いが始まったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、相談兼話し合いが始まって小一時間。

 二人は現在、難しい顔をして口を閉ざしていた。

 

「――……色々話しましたけど、やっぱりいち学生と一般人には厳しいですね」

「そう、だな……」

 

 二人の顔は暗い。

 最初こそ、文科省ならばここに聞いてはどうか、戦車道連盟ではどうか、ああしよう、こうしよう、と案は出ていた。快調な滑り出しで俊作の相談は始まったといえるだろう。

 しかし、出てきた案について話していくにつれ、二人の顔は曇っていく。理由は簡単、どの案にも現実性がなかったからだ。

 

 文科省に乗り込んだところで相手にしてくれるはずもなく、しかるべき場所を通そうにも、一般人である俊作では素通りとはいかないだろう。つまり、時間が足りない。

 戦車道連盟であれば多少はと思わなくもないが、やはり一個人の感情的な理由で動いてくれるかといわれれば、甚だ疑問であった。それは文科省も同じことだ。

 結局のところ、個人で出来ることには限りがあるということだ。まして、何も彼らの興味を引くものを持っていない俊作であれば、尚のことである。

 

「政府、もしくは戦車道の上に伝手があれば話は別なんでしょうけど。けど、それにしたって政府の思惑に逆らった行動を、何の見返りもなく行ってくれるとは思えませんし……」

 

 アズミは重い息と共に、厳しい事実を吐き出す。俊作の気持ちは立派だと思う。大洗の子達もかわいそうだと思う。けれど、そう思ったところで、実際に事を成せるかと言われれば、とてもではないが展望がない。

 これは、そんなどうしようもなく現実的な話だった。

 

「………………」

「先輩……」

 

 黙って厳しい顔をする俊作を、アズミが気遣わしげに見る。

 その視線に気づいて、俊作は後輩に気を遣わせまいと、意図的に表情を崩して苦笑した。

 

「いや、もともとわかっていたことだから。無茶な話だってことは……」

「それは……」

 

 それは、アズミにもわかっていた。何とかなる、なんて言って行動に移せるほど、俊作は楽天家ではない。だから、事前に考えて彼の中でも結論は出ていたはずなのだ。

 とてもではないが、無理だ、と。

 しかし、それなら何故俊作は諦めなかったのか。わかっていても、誰かに相談して知恵を借りようと思ったのか。

 そのことを疑問に感じて、アズミは問う。

 

「どうして、わかっていても諦めないんですか?」と。

 

 それに対する返答は、力のない笑みと迷いのない言葉だった。

 

「それでも……何か力になってあげたかったんだ。あの子の力に……」

 

 あの子、というのは大洗にいるという恋人のことだろう。

 そのことが容易に察せられて、アズミはなんだか胸が痛んだ。その理由に思い当たって気持ちが沈む。しかし、それでも顔を俯かせてはならないと意地で顔を上げた。

 すると、目に飛び込んでくるのは、自然と自分の前に座っている男となる。言葉とは裏腹にどこか諦念を漂わせた俊作の姿だ。

 そんな姿を見たアズミの心は大いにイラついた。それこそ、怒りすら湧き上がるほどに。

 

 その気持ちを言葉にするならば、そう。「勝手に彼女なんて作ったくせに幸せそうにしていないなんて、ふざけるな」であった。

 

「……っああ、もう! あげたかった、なんて過去形にしてどうするんですか!」

「あ、アズミ?」

 

 内心に生まれた激しい感情のまま、いささか声を荒げて噛み付いたアズミに、俊作は目を白黒させる。

 しかし、そんな俊作の様子には構わず、とにかく言いたいことを言ってしまおうとアズミは言葉を続ける。

 

「先輩にとって、その子は大切な人なんでしょう!? だったら、諦めちゃ駄目じゃないですか! そんなに物分かりがいいのは、先輩の柄じゃないでしょう!」

 

 優しくて、思いやりがあって、相手の立場に立って考えることが出来る人。それでいて、友人や仲間のためなら歯を食いしばって頑張れる人。それがアズミにとっての俊作であった。

 大学生活でも、プライベートでも。友人として過ごす中で、そんな俊作の人となりを知っていったからこそ言える。今の俊作は、らしくないと。

 少なくとも、アズミたちが知る俊作なら友人のためとなれば、諦めたりはしないはずだった。それが大切な人ともなれば、尚更である。

 

「絶対に、何かある筈ですよ。先輩だからこそ出来ることが。だから、女の子より先に諦めちゃ駄目です。いつだって男の子に助けられるのを夢見るのが、女の子なんですからね」

 

 確かに俊作に出来ることは少ないだろう。もしかしたら、頑張ったところで大洗の子達を救うには足りないかもしれない。

 それでも、決してマイナスになることはないはずだった。自分だったら、俊作が自分のために何かしてくれたのなら、それだけで嬉しいだろう。そう思うからこその言葉だった。

 そしてその言葉は、俊作の顔を上げさせるには十分であった。

 

「……そう、だよな。本当にそうだ。……僕が先に諦めて、どうするんだ」

 

 みほはきっと、今も苦しみながらも諦めてはいないはずだ。きっと心のどこかに希望を持っているはずだった。

 だというのに、当人ではない自分がこんなことでどうするのか。アズミに言われ、俊作はそんな自分を省みた。ぐっと腹に力をこめて背筋を正す。

 

「ありがとう。もう少しで僕は、情けない男になるところだった」

「まったくですよ。いつだって、カッコよくいてください。あなたは、私の……先輩なんですから」

 

 微笑んで、しかし言葉の最後は微かに言い淀み、アズミはそう答えた。

 そんな後輩に、俊作もまた笑みを返す。

 

「そうだな。ちゃんと、後輩にとって恥ずかしくない先輩でいないとな」

「ええ。そうですよ」

「本当にいい後輩を持ったよ、僕は。ありがとう、アズミ」

 

 心からの感謝をこめた顔を向けられたアズミは、変わらず笑みを湛えたままだった。しかし、その笑顔はどこか寂しげであった。

 

 

 

 

「……はぁ。やっぱり私は、いい後輩どまりなのよね」

 

 それからも幾つか話し、改めて考えてみると言った俊作を見送って二人は別れた。

 ありがとうと感謝を素直に表す先輩の姿を脳裏に浮かべ、アズミの心に走った小さな痛みは、きっと彼女が彼のことを先輩後輩とは違った意味でも見ていたからだった。

 

「私はともかく、隊長にはショックが大きすぎるかぁ。……暫くこのことは言えないわね」

 

 なぜか殊のほか彼に懐いていた小さな己の上司を思い出して、アズミは溜め息をもう一つ。

 まったくもって、やれやれだった。久しぶりに会えると喜んで来てみれば、その内容は思い人の彼女を助けるための相談ときた。根気よく付き合った自分は褒められてもいいと思うアズミであった。

 しかし、誰かとくっついたのならちゃんと幸せになっていてもらいたいものだ。そうでなければ、こちらとしても綺麗に気持ちにケリをつけられない。諦め甲斐がないではないか、と。

 そう考えるからこそ、アズミは先ほど俊作に怒ったのだった。まぁ、あちらはこちらの気持ちを知らないのだから、そのあたりを慮れというのは無茶な話なのだが。

 

「まったくもう……頑張ってくださいね、先輩」

 

 そう俊作の後姿を思い浮かべてエールを送るアズミだったが……彼女は知らない。

 これから少し先、自身こそが大洗女子学園の前に立ちはだかる敵の一人となることを。

 その時、一人の戦車道選手として私情を挟むことなくチームの勝利を目指して奮闘したアズミだが……よりにもよって自分が乗り越えるべき壁となった現実に、少しばかり頭を抱えてしまったのは、まぁ仕方がないことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 そしてアズミと別れて帰路についた俊作は、彼女から言われたことについて思い返していた。

 

「僕にしか出来ないこと、か……」

 

 果たしてこの問題に対して、そんなことがあるのだろうか。俊作には、今回のことに関してあまりに力がない。だからこそ、俊作は悔しさに身を震わせていたのだから。

 けれど、アズミに改めて自分にしか出来ないことはないのかと問われて、俊作はもう一度頭を絞り始めた。

 もしかしたら、何かあるのかもしれない。まだ気づいていないだけで。自分にも何か、みほのために出来ることが……。

 

 そう考えていった時、ふと俊作の頭に思い付いたことがあった。

 それは、今日のことでもわかるように自分だけの力などたかが知れているということだった。

 

「だったら……」

 

 俊作は早足になって家路を急いだ。そして家に着くや否や、深呼吸をして居住まいを正す。

 そして俊作は、神妙な面持ちで目の前にある受話器を手に取るのだった。

 

 

 

 

 




みぽりんが出てこない……。
まぁ、みぽりんは今は力を溜めているだけだから(震え声)

今回は俊作のお話となりました。
アズミとの付き合いは、内容にもあるように講義を通してのものです。
ちなみに愛里寿や他の姉妹とも一応面識がある設定です。

そして、大学生活の中でなんやかんやあって、本編のような感じになったわけです。

ともあれ、悩む時間はとりあえず終わりました。
あとはどのように劇場版と絡めていくか……頑張っていきます。

早くみぽりん書きたい(本音)


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西住みほの恋物語・劇場版4

 

 

「なんだか、久しぶりだな……」

 

 物心ついた時からずっと見てきた、大きくて古い木造の門。その奥へと続く由緒ある家屋へと続く入り口となるそれを見上げて、みほは感慨深く呟いた。

 

 みほが現在いる場所は、大洗の町ではない。彼女は今、その出身地でもある九州は熊本に戻ってきていた。

 それというのも、大洗女子学園から新しい学校へと転校する際に必要な書類に保護者の署名と印鑑が必要だったからである。

 しかしみほは、門の前に立ったはいいが中に入ることを躊躇していた。それはやはり、母との確執が未だに尾を引いているからであった。

 

 みほにとって、母であるしほと顔を合わせるのはとても気まずいことだった。なにせ、母の教えを体現する黒森峰で十連覇を逃す原因を作り、その後文字通り逃げ出し、かと思いきや大洗にて戦車道を再び始め、西住流とはまた違うみほが信じる戦車道を貫いて黒森峰に勝利を収めたからだ。

 それも、対戦時の隊長はみほの姉でもあるまほ。つまりは西住流の後継者筆頭だ。

 見ようによっては、みほの行動は西住流に対する痛烈な皮肉とも取れるのである。

 みほは母がどれだけ西住流に心血を注いできたかを知っている。だからこそ、みほが帰りづらいと感じてしまうのも無理はない事だろう。

 

 それでも、書類のこともあるし一度帰らなければならないとなった時。迷わずみほは帰省を選んだ。郵送という手段はとらなかった。

 それはやはり、どこまでいってもみほとしほの関係は母と娘であるということであるのかもしれなかった。

 

「みほ」

 

 門の前で佇んでいると、不意に声を掛けられてみほはそちらに顔を向けた。

 そこには犬の散歩をしていたのだろう、首輪から繋がったリードを手に持ち、リラックスした格好で歩く姉、まほの姿があった。

 

「お姉ちゃん」

 

 まほは少し早歩きでみほのもとへと歩いてくると、犬の頭を撫でながら立ち止まった。

 そして、僅かに周囲に視線を走らせた。

 

「? どうしたの?」

「いや……彼はいないのかと思ってな」

 

 まほの言葉に、みほは小首をかしげる。何故ここで俊作さんのことが出てくるのだろう、と。

 そんなみほに、まほは少し悪戯っぽく笑いかけた。

 

「てっきり私は、みほが母さんに彼を紹介しに来たんだと思ったんだがな」

「ふぇっ!?」

 

 想定していなかった姉からの言葉に、瞬時にみほの顔が赤くなる。

 その想定通りの妹の反応に、まほは「冗談だ」と笑って門の扉に手を掛けた。

 

「ほら、入るんだろう? おかえり、みほ」

「うー……もぅ。――ただいま、お姉ちゃん」

 

 まほの冗談に頬を膨らませるも、しかしそれも長続きはしない。

 優しく微笑まれて手招きを受けると、みほもまた同じように微笑んで、久しぶりの我が家へと足を踏み入れるのだった。

 

 

 

 

 

 勝手知ったる家の中を、まほの後をついて歩いていく。

 途中、ふすま越しにしほがまほに声をかけた時は心臓が止まるかと思ったみほだったが、まほはみほのことを「学校の友人」だと誤魔化した。しほとみほの複雑な胸中は、まほも当然わかっている。それゆえの配慮だった。

 それから実家での自室へと案内されたみほは、まほから書類を渡すように言われて素直に渡す。そのまま「待ってろ」と言われて部屋の中に佇んでいると、やがてまほは帰ってきた。

 その手に、母の名前と印鑑が押された書類を持って。

 

「お姉ちゃん、これ……!」

 

 母が書いてくれたとは思えない。ならこれは、まさかまほが代筆したもの?

 そんな驚きを込めて目を向ければ、そこには片目をつぶって指を口に当て、「しー」とそれ以上の言葉を止める姉の姿。

 葛藤の末に実家に帰ってきて、それでも母との微妙な関係に踏ん切りがつかないみほの心中を、まほは気遣ってくれたのだ。

 その気持ちが嬉しくて、みほは笑みを浮かべて「ありがとう」と返したのだった。

 

 

 

 ――それから、二人は部屋の中で幾らか話をした。

 みほが大洗での生活や何気ない日常の出来事を話せば、まほも黒森峰の今と戦車道でのチームの出来などについて話す。

 みほが友人と遊んだ事を話せば、まほはチームメイトの成長を話す。みほがボコの魅力について語れば、まほはぎこちなく頷いて賛同を示す。みほが戦車道の話をすれば、まほも戦車道の話をする。

 そこまで話して、突然みほは小さく噴き出した。まほの表情が困惑に変わる。

 

「どうした? 私は何かおかしなことを言ったか?」

「ううん。でもお姉ちゃん、戦車道の話しかしないんだもん」

 

 言われて、はっとなるまほである。

 これまでの会話の中で話したのは、黒森峰での戦車道活動のこと、チームの事、チームメイトの事ばかりだ。そのことを思い返し、まほはわざとらしく咳をした。その頬は僅かに赤い。

 

「し、仕方ないだろう。私にとって、もう戦車道は生活の一部なんだ」

「うん、わかってるよ。だから、お姉ちゃんらしいなぁって思って」

 

 みほの顔には穏やかな笑みがあった。自分がよく知る姉の姿と、見慣れた自分の部屋と。それらを前にして、みほは急速に家に帰ってきたんだなぁという気持ちを抱いていた。

 幼い頃、二人で泥まみれになるまで戦車と共に遊びに出かけた記憶を思い出す。黒森峰の頃にはそんなことを思い出す余裕もなかった。色々なしがらみを知った二人は、いつしかあの頃の二人のようには振る舞えなくなっていた。

 しかし、今は違う。ただただお互いを思いやって戦車を好きでいられた、あの頃。その時の気持ちが蘇り、みほは懐かしさと嬉しさがない交ぜになった不思議な気持ちに身を浸していた。

 

 しかしながら、みほがそんな気持ちでいることなどまほは知る由もない。まほにしてみれば、みほの柔らかく包み込むような微笑みは、子供を見守る母親のものであるかのように思えたのだ。

 しょうがないなぁお姉ちゃんは、と言われているかのようにすら感じる。それを気恥ずかしく思ったまほは、意趣返しのつもりで口を開いた。

 

「その、みほは変わったな。強くなったし、前よりもっと可愛くなった」

「ぇ、ええ!? そ、そんなこと……」

「それはやはり、か、彼氏が出来たからか?」

「ぇえっ!? い、いいいきなり何を言うの、お姉ちゃん!?」

 

 戦車道の天才にして、力強く他を圧倒する西住流の後継者。決して屈しない鋼のような精神を体現する、黒森峰の総隊長。西住まほ。

 そんな自慢の姉が、何やら興味を覗かせた顔で自身に迫ってきて質問をぶつけてきている現実に、みほは混乱していた。

 

「私だって、人並みに恋愛に興味はある。だが、周囲にそういった話題を振れる者がいなかっただけだ。この際だし、みほに聞いてみようと思ったんだ」

「き、聞くって、な、何を……?」

 

 恐る恐る問いかけると、まほはごくりと唾液を嚥下して勿体ぶる。

 一体何を聞かれるのかと、更にみほが戦々恐々としていると、いよいよまほの表情が真剣みを帯びて、その重い口が開かれた。

 

「……キスとは、レモンの味がするというのは本当なのか?」

 

 ――お姉ちゃーん!?

 

 あまりにも予想外のところから飛んできた質問に、みほは思わず叫びだしそうになった。

 今どき小学生でも信じていなさそうな定説である。それを疑ってはいるものの未だに信じていることにみほは驚きを隠せなかった。

 

 確かに自分たちは昔から戦車漬けの生活をしていたし、それは高校になってもそうだった。生まれた家のこともあり、同年代の子たちよりも様々な知識や経験が日常の中で足りない部分が出てくることも、これまでになかったわけではない。

 しかし、その辺りはみほの場合、漫画やテレビ、インターネットや雑誌などから自然と知識を獲得して世間一般での常識を身に付けていった。

 それが普通のことだろうし自然の流れだと思っていた。だから言わずとも、まほもそうだろうと意識することもないほどに漠然と思っていたのだが……。

 

 ――そういえば、お姉ちゃんって漫画読んでたっけ?

 

 ふと思い返せば、あまりそういったシーンを見たことはない。歴史書や戦車道の関連書を読んでいる姿は容易に思い出せるのだが……。

 となれば、読んでいたとしてもかなり頻度は少ない。そしてテレビやネットものめり込むほどに見ることはない、と言っていた。雑誌も、基本的に戦車道に関係するものが多く、漫画雑誌やファッション誌は読まなかったはずである。

 そこまで思い出して、みほはひょっとして、とついに疑いを持つ。自らの姉は、実はちょっと天然なのではないだろうか、と。

 

「えーっと、確かにファーストキスはレモン味っていうけど、特別、その……そうとは限らないよ?」

 

 とりあえず何か答えねば。そう思ったみほは、問いかけに対してそう答えた。

 誰も彼も同じ味なわけがないのは、理解できることだろう。みほがそう思った通り、まほはやはりそうかとばかりに納得気だった。

 

「それじゃあ、みほの場合はどうだったんだ?」

「えぇっ!?」

 

 まさかの返しに、動揺を露わにするみほ。

 しかし、まほにじっと見つめられて、みほは視線をあちこちに泳がせながらもその視線の圧力に耐えられなかった。

 

「わ、わたしは、その……えっと…………………………こ、コーヒー……かな?」

 

 みほはもう第三者がこの場にいれば、見ている事すら可哀想になるほどに真っ赤になってそう答えた。

 身内からいきなりこんなことを聞かれて答えなければならないなど、苦行でしかないのは当然である。

 ちなみに、コーヒー味なのは、直前に俊作が飲んでいたためだ。二人きりで俊作と話をしている最中、ふと互いの目が合って、何故か話は途切れ、無言となった時。どちらからともなく自然と、そうなっていたのだ。

 もちろん、みほにとってファーストキスであった。そんな懐かしくも嬉し恥ずかしい記憶を呼び起こされ、何だか顔が熱くなってきたみほである。

 

 対してまほはまほで彼女も少し恥ずかしそうに聞いていたが、同時に興味深そうに頷いてもいた。

 

「なるほど……。しかし、キスか……」

 

 神妙な顔で、キスか……とか言うの止めてほしい。みほは火照った顔を手うちわで冷ましながら、そんなことを思った。

 

「みほも、やることはやっていたんだな」

「その言い方はやめて!?」

 

 いささかならず誤解を招きかねない表現に、たまらずみほは待ったをかける。

 しかし、当のまほは首を傾げて不思議そうにするだけだった。

 

 ――うちの姉が純粋すぎて辛い。

 

 いつも頼りになる自慢の姉だが、この世に完璧な人間など存在しない。

 その普遍的な事実を再確認したみほなのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからも暫く話した後、気がつけば大洗へと帰る時間になっていた。

 みほは改めてまほに感謝を伝え、まほは「家族だろう、気にするな」と笑う。それにみほも頷いて笑い、西住の邸宅を後にしようとしたところで、まほから送っていくと提案される。

 それに甘えることにしたみほは、じゃあ駅まで、とお願いした。まほは頷くと、家の中にあったⅡ号戦車を動かして家の前につける。

 みほは早速中に乗り込み、それを確認したまほは駅に向かって戦車を発進させる。二人にとっては思い出深い地元の田んぼ道を、小刻みな振動に揺られながら二人は進んでいった。

 

「……懐かしいな、昔はこうしてよく遊びに行ったものだ」

 

 まほが運転しながらそんな言葉をこぼす。

 車内から顔を出していたみほは、その言葉を聞いて昔と変わらない故郷の景色に視線を向けた。

 

「……うん。懐かしいね」

 

 脳裏に去来する、幼い日々の記憶。まだ純粋に世の中の全てを楽しんでいられた頃の記憶だった。

 二人で遊んだ日々は、今でも掛け替えのない思い出だった。その情景を思い出しながら遠くの景色を見るみほの頬を風が撫でては通り過ぎていった。

 

「――大丈夫か? みほ」

 

 その時、ふとまほが問うたのは、とてもシンプルな言葉だった。

 けれど、その中に込められた意味は多種多様である。少なくともみほには、まほが様々な心配から発してくれた言葉であると、すぐに察せられていた。

 大洗女子学園の廃校問題、それに伴う転校、環境の変化。友人との別れ、これからへの不安。

 それらをひっくるめた上での、言葉だった。

 

「――うん、大丈夫」

 

 だからみほも、それらの意味を全て理解した上で答えを返す。

 そこに諦観や絶望はない。ただ真っ直ぐに未来を見る気持ちだけがあった。

 

 みほは、このまま大洗女子学園が終わるとは思っていなかった。きっと、あの人が終わらせない。そう戦車道チームの多くが思っていたのである。

 生徒会長、角谷杏。

 彼女が今、大洗の臨時宿舎にいないということこそが、希望を持つことへと繋がっていた。

 彼女が何をしているのか、誰も知らない。けれど杏のことを信じているのだ。きっと、あの人ならば何とかしてくれるだろうと。

 だから、みほは諦めない。きっと来るであろうチャンスのために、心から諦めるような真似はしないのである。

 どんな問題があろうと、そこにチャンスがあるのなら。その時に、きちんと全力で立ち向かえるように。

 みほは大洗女子学園の未来を諦めていないからこそ、そうまほに答えられるのだった。

 

「そうか……やっぱり強いな、みほは」

「そんなことないよ。ただわたしは、あそこで皆と一緒にいるのが、わたしの“やりたいこと”だから」

 

 だから、頑張った。だから、今も諦めない。言うなれば、これはみほの我が儘だった。

 けれど、いつか彼は言っていた。「やりたければやればよくて、やりたくないならやらなくていい」と。一見無責任な言葉だが、その判断をするにはまず“自分がどうしたいか”をはっきりさせていることが前提である。

 自分は一体何がしたいのか。それを考えた時、みほの頭に浮かんだのは大洗女子学園での、皆と過ごす時間だった。

 それがみほの正直な気持ちであり、望みである。それがわかったなら、あとはその未来を目指して信じ続けるだけだ。それがみほの“やりたいこと”だから。

 

 ――俊作さん、わたし頑張るから。

 

 いつも自分のことを応援してくれている大切な人。今回のことを、まるで自分の事のように怒り、悲しんで、悔しさを露わにしていた優しい人。

 俊作は大洗の人間ではない。だから当然、沙織、華、優花里、麻子、皆のように同じ場所で一緒に戦うというわけではない。

 けれど、みほは例え戦場に彼が立っていなくても、一緒に戦ってくれていると考えていた。自分と彼の気持ちが一緒で、二人が勝利を願っているのなら。それはきっと、一緒に戦っていると同義なのだと信じていた。

 俊作はその事を歯がゆく思っているかもしれないが、みほは同じ気持ちでいてくれることだけでも十分すぎた。負けるな、と願ってくれるだけで力になる。それは確かなのだから。

 

 そして、俊作は今、みほたちの置かれた状況に憤ってくれている。みほも同じ気持ちだ。

 だから、今もきっと自分たちは一緒に戦っているのだ。

 

 ――もしチャンスが本当にあるのなら、わたしは……。

 

 みほは広く澄み渡った蒼穹を見上げて、決意を新たにする。自らのやりたいことのために、戦うことを。

 

 

 

 

 

 そして、大洗にみほが戻って数日。ついに杏が彼女らの元に戻ってきた。

 その手に“大学選抜チームと対戦し、勝利すれば今度こそ廃校は撤回される”という、文部科学大臣、学園艦教育局局長、戦車道連盟理事長、大学戦車道連盟理事長、高校戦車道連盟理事長の名前が書かれた念書付きの確約を携えて。

 その知らせを受け取った全員が歓喜の声を上げる。大洗女子学園の存続は、まだ首の皮一枚で繋がっている。その現実を知って喜ばないわけがない。ようやく見えた希望に、誰もが興奮を露わにした。

 

 そしてそんな中。みほはついに明確になった目標をしっかりと見定めて、真っ直ぐ前を見て拳を強く握るのだった。

 

 

 

 

 




西住姉妹は最高なんだよなぁ(恍惚)

今回はみほが転校の書類のために帰省した時のお話でした。
姉妹の会話を書いてみましたが、まほさんがあんな感じなのは本作における私のイメージですので、あしからず。

そしてようやく大学選抜チームとの対戦が決まりました。
劇場版の後半戦に入りますね。

ちなみに最後に出てきた念書の方々ですが、大学戦車道連盟理事長は島田千代さん。愛里寿のお母さんですね。高校戦車道連盟理事長は西住しほさんです。
更に文科大臣含めたあれだけのお歴々に話を通した会長って、やっぱりすごいです。

それでは、次話もぜひともよろしくお願いします。


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西住みほの恋物語・劇場版5

 

 

「――せ、殲滅戦っ!? そんなっ……こっちは八輌、相手は三十輌なんですよ!?」

 

 大学選抜チームとの大洗女子学園廃校を懸けた一大決戦。

 その前日、会場入りしたみほたちの前に現れたのは、学園艦教育局の役人の男。その男が薄ら笑いを浮かべながら告げた言葉に、みほは愕然となって抗議の声を上げた。

 しかし、そんな抗議の声に目の前の男が耳を貸すはずもなかった。

 

「今後発足するプロリーグでは殲滅戦が基本ルールとなる予定なのでね。それに準じてもらう、それだけの話ですよ」

「だからって、こんな急に……!」

「嫌なら断ってくれても結構。ただしその場合は当然、試合を辞退したとみなして廃校となりますがね」

「…………ッ!」

 

 言って、役人の男は踵を返してみほたちの控え室から出ていった。

 みほたちはただ、悔しさに唇を噛みしめてそれを見送ることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦車道の試合には主に二つの形式が存在する。

 一つはフラッグ戦。各チームが選んだ戦車一輌に旗を取り付けてフラッグ車とし、先に相手チームのフラッグ車を撃破した方が勝利するというもの。

 もう一つが殲滅戦。先に相手チームを全滅させた方が勝利するというものだ。

 そのうち、日本で主流となっているのはフラッグ戦であった。その理由には諸説あるが、ある識者曰く「フラッグ戦は殲滅戦よりも戦術性が問われるため、より繊細な戦闘が見られ、日本人の感性に合っているから」。

 無論、殲滅戦にも多くの知略が問われているのだが、強力な戦車を用意し、数を揃えればほぼ勝敗は決する一面があるのも事実だった。

 

 より戦術的な戦闘を見たいならフラッグ戦。より豪快なパワーゲームを見たいなら殲滅戦。

 心躍る大逆転劇が見たいならフラッグ戦。激しくぶつかり合う激戦が見たいなら殲滅戦。

 

 このように戦車道ではそれぞれの長所を持つ試合形式を二つ用意することで、試合を画一的なものにせず、戦車道それ自体の魅力の向上につなげているのだった。

 

 みほたちは、当然のようにフラッグ戦が今回の試合ではとられると考えていた。

 何故なら、戦車道とはスポーツだからだ。公平であり、公正であり、平等であらなければならないし、なるべくそうであるように努力しなければならない。それがスポーツというものだった。

 大洗女子学園の戦車の保有数は八輌。大学選抜チームの保有数は三十輌。この車輌数に異議を唱えることをみほ達はしない。それもまた学校ごとの力であるとわかっているからだ。

 しかし、そのままぶつかり合えば圧倒的な数の差によって大洗の敗北は見えている。であるから、少なくとも試合という形を取るからには試合形式はフラッグ戦しかないのだ。

 でなければ、大洗女子学園に逆転の目はほぼなくなる。それはとても試合とは呼べない、一方的な展開になってしまう。

 

 しかし。あの役人は、殲滅戦だと言った。

 

 それはつまり、これは試合ではないと言ったことと同義であった。ただ大洗女子学園を叩き潰すためだけの見せしめであると言ったことと同義であった。

 八対三十。これまで幾つもの奇策を閃いてきたみほであっても、優に四倍近い戦力差をどうにかする方法など思いつかなかった。

 これがフラッグ戦であれば、可能性はあった。四倍の戦力差であろうとも、相手のフラッグ車一輌を撃破すれば勝利できるのだ。無論、残り二十九輌が立ち塞がる以上、大洗が勝つ可能性は低い。それでも、まだ可能性を見出すことはできていた。

 だがしかし、殲滅戦では……。

 

(……それでも、やるしかない)

 

 みほは、決して諦めてはいなかった。

 絶望的な状況ではあったが、だからといって戦う機会すら放棄するわけにはいかなかった。

 杏がこの試合を勝ち取るまでに、一体どれだけの苦労があったことだろう。みほには想像もできない、様々な手を使ってここまでこぎつけたに違いないのだ。

 その思いを無駄にするわけにはいかない。そして、あの全国大会での事をなかったことにするわけにはいかない。今、自分がいたいと願っている場所をなくすわけにはいかない。

 その気持ちが、みほの心を折らせなかった。

 

 だからみほは今、地図やコンパス、双眼鏡、メモ帳など、様々な必要な道具を持って会場の下見に来ていた。

 明日、自分たちの戦車が駆ける場所を念入りに調べるためだ。無茶で無謀、勝てる可能性など微塵もないとわかっている。

 けれど、諦めきれないのだ。何か手があるはずだと今でも考えるのだ。それがたとえ奇跡に奇跡を重ねたような、ある筈がないと誰もが言う確率の先にあるものだとしても。

 それでも、諦めるわけにはいかない。自分たちが願うたった一つの願いのために。

 大洗学園に帰るんだ、という絶対に譲れない願い。

 みほはその気持ちを胸の内で強く持って、再び周囲の観察に戻っていく。

 

「……西住ちゃん」

「え?」

 

 その時、背中から掛けられる声があった。

 生徒会長である杏のものだ。

 振り返れば、そこには確かに杏がいた。その表情は真剣そのものであったが、どこか影が落ちており、いささか精彩に欠いていた。

 

「前も今も、ごめんね。いつも西住ちゃんには負担をかけて……」

「いえ、そんな……」

 

 いつもの杏の調子ではない。そのことはみほにもすぐにわかった。

 

「今なら、辞退も出来るよ。西住ちゃんが無理だと思うなら――」

 

 杏らしくない弱い言葉。けれど、その言葉が出てしまうほどに、杏もわかっているのだ。

 明日の試合は、恐らく一方的な展開になるだろうということが。

 みほも当然わかっている。今の自分の行動が、ただの悪足掻きでしかないことも。無駄になる可能性の方が高いことも。

 そうわかっていて。みほはそれでも、微笑んで首を横に振った。

 

「会長さん。わたし、この学園に来てよかったです」

「え?」

「みんなに会って、もう一度戦車に乗って。みんなと一緒に練習して、戦って。……わたしにとって、もう大洗女子学園は母校なんです。とても大切な居場所なんです」

 

 瞼を閉じれば蘇る、転校してからずっと駆け抜けた日々。戦車道を通じて多くの人と出会い、触れ合ってきた思い出。

 それらを思い返して、みほは杏の目を真っ直ぐ見つめた。

 

「だから、諦めません。――絶対に」

 

 その力強い眼差しを受けて、杏はなんとも胸が詰まる思いを味わっていた。

 はじめ、みほを戦車道に引き込んだのはほとんど脅迫同然であり、強引すぎるものだった。あの時、杏はとにかく学校の廃校を阻止することが最優先として、みほの事情を知りつつもわざと目を瞑っていたのだ。

 そのことに良心の呵責はあった。けれど、それを表に出すことはなかった。無理やり引き込んだ当人が、さも苦渋の決断だったとアピールするような、無責任かつ恥知らずな真似を杏は出来なかったのだ。

 だから、あの時の申し訳ない気持ち――みほにとって辛い選択を強いてしまったという後悔の気持ちを、杏はずっと仕舞い込んでいたのだ。

 だというのに今、みほは大洗女子学園のことを母校と言った。自分の居場所だと言ったのだ。

 あの時、自分の言葉に辛い顔をして俯いていたみほ。そのみほが杏にとって何よりも大切な学園を、杏と同じように守りたい場所だと思ってくれている。

 そのことが杏には嬉しくてたまらなかった。

 

「そっか……」

 

 杏は強張っていた体から力を抜き、微笑みを浮かべた。

 言いたいことはいっぱいあった。お礼も言いたいし、最初の時のことを謝りたいし、挙げればきりがないほどに溢れてくる。

 けれど、それら全てに今は蓋をして、杏はみほに改めて向き直った。

 言いたいことはいっぱいある。しかし、今はそれを言う時ではない。

 

「明日は頑張ろう、西住ちゃん」

「はいっ!」

 

 全ては、明日が終わってから。

 大洗女子学園に帰ってから、思い切り言葉を交わせばいい。

 杏はそう考え、みほと同じく決意のこもった瞳で明日への気持ちを高ぶらせるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 大洗女子学園対大学選抜チームの決戦当日。

 両チームは大きく距離を開け、既に試合が行われる広大な草原にて向かい合っていた。

 その両者の間、中央には審判が立っており、その前には大学選抜チームの隊長である幼い少女が佇んでいた。みほもまた試合前の挨拶のために向かうが、その視線は地面を向いており、前を見ていない。

 その額には、まだ試合が始まっていないにもかかわらず、じわりと汗が浮かんでいた。

 

「まず高台に陣取って、攻撃しつつ逃げれば……それからは、でも……ううん、それだけじゃ……」

 

 小声で、昨晩考えた作戦をひたすら確認するように呟く。何度も何度も、頭の中でシミュレーションを繰り返しては、浮かぶ汗が増える。

 

 ――結局、みほは大学選抜チーム相手に勝つビジョンを持つことが出来なかった。

 

 どうやっても、何度やっても、こうすればあるいは、という可能性ですら浮かばないのだ。

 彼我の戦車数の差は圧倒的。それだけでも致命的であるというのに、相手側の隊長は自らの姉同様に天才と呼ばれ、加えて戦車道の申し子とも称されるほどの逸材。

 色素の薄い長い髪を左側頭部でまとめた表情に乏しい少女――島田愛里寿。目の前にいるその少女の姿を、みほは知っていた。

 西住流と双璧を為す戦車道の流派、島田流。その家元の娘であり、幼いながらに聡明で、既に飛び級して大学に在籍しており、彼女自身が指揮を執った選抜チームは社会人チーム相手に勝利を収めるほど。

 普段の彼女自身は、みほと同じくボコのファンであり、それだけで言えば親しみを持てる相手でもある。大洗町にあるボコミュージアムで出会った少女が、大学選抜チームの隊長であると気付いた時、みほは本当に驚いたものだった。

 あの時の少女が、今はとてつもなく大きな壁となって目の前にいる。その運命の奇妙さには眩暈すら覚えるほどであった。

 みほは眉根を寄せながら、ゆっくりと彼女の前へと歩いていく。少しでも作戦を練る時間が欲しい、そんな気持ちを表すかのようなスピードだった。

 

 しかし、やがてその時間稼ぎすら終わりが来る。審判が見守る中、愛里寿の前に辿り着く。

 涼しげな愛里寿とは正反対に苦しげな顔を浮かべているみほ。どれだけ確認し、どれだけ考えようとも、やはり八輌対三十輌ではやれることに限度がある。

 それは、どうしようもない現実であった。

 

(諦めたくはないけど、今度ばかりは……――ううん、でも……それでも……!)

 

 たとえ、決して勝てないだろうと思う他ない試合であっても、諦めるわけにはいかない。

 勝たなくてはならないのだ。絶対に。

 そんな悲壮な決意を固め、どうにか顔を上げる。

 それを見て、審判が手を上に掲げた。

 

「それでは只今より、大学選抜チーム対大洗女子学園の試合を――」

『待ったぁあ――ッ!!』

 

 試合開始の合図を告げるその時、割って入って響き渡ったのはスピーカー越しの女性の声であった。

 そしてその声に、みほは聞き覚えがあった。幼い頃から、ずっと傍で聞いてきた声だった。

 

(い、今の声って……まさか……)

 

 そんなみほの推測に頷くようにして、草原の向こうから轟く戦車の走行音。

 誰もが目を向ければ、そこには試合会場に向かって突き進んでくる四輌の戦車。その先頭を走っているのは、黒森峰女学園の校章を装甲につけたティーガーⅠであった。

 誰もが呆気にとられながら、近づいてくるティーガーらの姿をただ見つめる。その視線の先で、みほの近くまで来たティーガーが停車すると、その中からみほの予想した通りの人物が現れる。

 

「お、お姉ちゃん!?」

 

 そう、中から現れたのは、みほの姉、まほであった。副隊長である逸見エリカもいた。

 そして二人ともなぜか、大洗女子学園の制服を着ていた。

 みほをちらりと見たまほは、ボードに挟まれた書類を一枚取り出すと、それを全員に見えるように突きつけた。

 

 その書類に書かれている文字は、“短期転校届”。

 

「大洗女子学園、西住まほ」

「同じく、逸見エリカ」

「以下十八名、試合に参戦する」

 

 みほ、審判、また両チームのメンバー全員がぽかんと目を見開いてまほたちを見た。

 たった今告げられた言葉がそれぞれの耳から脳に届き、ようやく理解するに至った頃。まほはみほに顔を向けて小さく笑みを見せた。

 

「短期転校の手続きは済ませてきた。今の私は大洗の生徒だ」

「……お姉ちゃんっ……」

 

 みほは感極まったように声を震わせた。

 確実に負ける。廃校になってしまう。それがほぼ間違いのない未来であったと、勝利を信じるべき隊長であるみほですら思ってしまうほどの絶望的な状況の中。

 まさかこうして助けに来てくれるなんて、思ってもみなかった。

 

 黒森峰にいた頃のような、余裕のない関係であった二人はもういない。色々なしがらみに苦悩し、妹に差し出す手を伸ばし損ねた姉も。起こしてしまった結果に苦悩し、ひたすら自らの殻の中に閉じこもった妹も。

 そんな二人はもういない。あの全国大会の決戦を経て互いを認め合った今、ここにいるのはただの姉妹である二人だった。

 

 ――お姉ちゃんは、自分が困っていると助けてくれる。いつも、いつだって……。

 

 小さな頃から変わらない、姉の優しさ。諦めかけていた状況の中でそれに触れて、思わず瞳を潤ませるみほであった。

 そんなみほに笑みを見せていたまほは、やがて顔を僅かに逸らして丘の向こうへと視線を向ける。

 そして小さく呟いた。

 

「まぁ、我々だけではないがな」

「え?」

 

 つい疑問の声を上げ、しかしすぐにみほは気づく。

 まほが視線を向けた先から聞こえる音に。

 それは、もちろん彼女にとっても聞き慣れた戦車の走行音だった。

 

「まさか……!」

 

 そんな予感と共に見つめる先で、丘の向こうから何かが顔を出す。

 見えたのは、ダークグリーンに彩られた戦車たち。それは、かつて全国大会の一回戦でしのぎを削った高校の主力戦車、シャーマンであった。

 その中の一輌、長い砲身を持つシャーマン・ファイアフライからスピーカー越しに声が響く。

 

『今からチームメイトだから』

『覚悟なさい!』

「ナオミさん! アリサさん!」

 

 間違えるはずもない。サンダース大学付属高校の副隊長である二人の声に、みほは驚きと喜びが混ざり合った声で彼女たちの名前を叫んだ。

 

「サンダースが来たであります! まさか、サンダースも短期転校を!?」

 

 後方にて戦車やチームメイトと共に待機していた優花里の口から驚きが言葉となって飛び出す。そして彼女が想像した通り、サンダース校もまた黒森峰と同じく大洗に短期転校という形で協力しにやって来たのだった。

 そして、同じ手段でこの場に来たのはこの二校だけではない。

 

『もう! 一番乗り逃しちゃったじゃない!』

『お寝坊したのは誰ですか?』

「この声……!」

 

 今度はまた違う方向から、白い戦車の群れが走ってくる。

 白い体躯に、赤い校章。それは、準決勝で砲塔を交えた強豪校、プラウダ高校が誇るT-34を中心とした戦車たちであった。

 

『一番乗りしてカッコいい所を見せたかったんですよね?』

『ノンナ! いちいちうるさいわね!』

「カチューシャさん、ノンナさん……」

 

 そして、それだけではない。またもう一方から現れた戦車は、チャーチルとマチルダにクルセイダー。

 そう、聖グロリアーナ女学院の所有する戦車群であった。

 

「ダージリンさんたちも……!」

 

 みほが思わず口元を手で抑えながら現れたかつての強敵たちの姿に身を震わせている時。

 チャーチルの中では、ダージリンが大洗女子の制服に身を包んだまま紅茶を飲んでいた。

 

「ふぅ……。試合が始まったら元のジャケットを着ましょうか」

「じゃあなんでわざわざ大洗の制服をそろえたんですか?」

 

 結局自校のパンツァージャケットを着ると言い出したダージリンに、オレンジペコが突っ込みを入れる。

 全員分を用意して全員着ているのに、後から着替えるのでは意味がない。それゆえに口をついたその質問に、ダージリンは微笑んで答えた。

 

「みんな着てみたかったんだって」

 

 そんな返事に若干の呆れと苦笑を返したオレンジペコ。

 そんなやり取りを車内で交わしつつ、徐々に近づいてくる各校の戦車たちの姿を、みほは万感の思いを込めた目で見つめていた。

 

「グロリアーナや、プラウダの皆さんまで……」

 

 言葉に詰まる。まほだけではなく、彼女たちまでもが助けに来てくれたことに、みほは胸がいっぱいになって何も言うことが出来なかった。

 これで、全車合計で二十二輌。八輌しかなかったことを考えると、比べ物にならないほどに希望を感じさせてくれる数字だった。

 そして、まだ大洗女子学園にとっての希望は途絶えていなかった。

 

『大洗の諸君! ノリと勢いとパスタの国から、ドゥーチェ参戦だー! 恐れ入れぇ!』

 

 軽快な走行音と共に、今度は小柄な戦車CV33が戦場に姿を現す。快速戦車と呼ばれる小さな戦車は、大洗女子が二回戦で戦ったアンツィオ高校のものである。

 

「今度は間に合ってよかったっすねぇ」

「カバさんチームのタカちゃーん、きたわよぉ」

 

 隊長であるドゥーチェことアンチョビの隣にて、副隊長のペパロニとカルパッチョがそれぞれ口を開く。

 カルパッチョは大洗女子に在籍する親友、カバさんチームのカエサルに向けて。ペパロニは今度こそ間に合ってよかったと笑いながら。

 これは、かつてアンツィオ高校が大洗女子と黒森峰の決勝戦に大洗の応援として駆け付けた際、前日夜に現地に到着するも騒ぎ過ぎて、決勝戦を寝過ごしてしまった失敗を言ってのことであった。

 そしてそんなアンツィオ高校に追随するように、白い戦車が一輌、飛び出してくる。

 

『こんにちは、皆さん。継続高校から転校してきました』

 

 それは、フィンランド軍が開発した戦車であるBT-42であった。

 その車内では、継続高校戦車道チームの隊員であるアキが、背後でフィンランドの伝統楽器であるカンテレを演奏している隊長のミカを振り返っていた。

 

「なんだかんだ言って、助けてあげるんだね」

「違う。風と一緒に流れてきたのさ」

 

 当初、この戦いに意味があるとは思えない、などと発言して参加に消極的であるかのように見えたミカが、結局は参戦を表明したことにアキがそう言えば、ミカは煙に巻くような言い方で返事をする。

 この隊長の哲学的かつ思わせぶりな言い方は今に始まったことではない。アキは肩をすくめて、くすりと微笑むだけだった。

 そしてまた違う方向からは、戦車の大軍が押し寄せてきた。

 

『お待たせしました! 昨日の敵は今日の盟友! 勇敢なる鉄獅子二十二輌推参であります!』

 

 エキシビジョンマッチで大洗と連合を組んでいた知波単学園。その隊長である西が大きな声でみほに呼びかける。

 旧日本軍が使用し、知波単学園の名前にもある九七式中戦車チハを筆頭として、総勢二十二輌もの戦車が向かってきていた。

 これにはみほも呆気にとられて口をぽかんと開けるしかなかった。

 すかさず、グロリアーナから注意が飛ぶ。

 

『増員は私たちで二十二輌と言ったでしょう? 貴女のところは六輌』

『すみません! 心得違いをしておりました! 十六輌は待機!』

 

 どうやら西は、全校合わせて二十二輌という話を自校だけで二十二輌と勘違いをしていたようだ。

 すかさず十六輌の戦車に待機を命じている西の姿を見て、いかにも西さんらしいとみほの表情が緩んだ。

 

 これで、大洗女子学園の八輌を加えれば合計で三十輌。ついに大学選抜チームと同等の戦力となった。

 

 居並ぶ多種多様な戦車を見渡して、みほは涙をこらえることに必死になっていた。

 戦車道を通じて知り合った友人たちが、こうして学校の垣根さえ超えて助けに現れてくれたことに、感謝と喜びが渦巻いて言葉にならない。湧き上がる感情が涙となって零れ落ちないようにすることが、みほにとっての精一杯であった。

 自らの戦車道を貫いた先にあったのは、再びの廃校という現実だけではなかったのだ。こうして駆けつけてくれる仲間たち。たとえ学校は違えども、いざとなれば何を置いても助けてくれる絆こそが、みほの信じる戦車道が紡いだものであった。

 

 これならば、勝てるかもしれない。

 

 絶望的であった状況に、強烈に差し込んだ光。その輝きは、みほの心に十分な活力を与えてくれていた。

 

『試合直前の増員はルール違反じゃないのか!?』

 

 ふと、審判の耳につけられたマイクからそんな声が響く。それは、みほ達も知るあの役人の声であった。

 それに、審判は小さく口元に笑みを乗せて愛里寿を見た。

 

「異議を唱えられるのは相手チームだけです」

 

 彼女もまた、このあまりにも惨い、試合と呼ぶことすら烏滸がましい状況に憤りを抱いていた。審判としては公平にあらねばらないが、それはあくまで試合に対してだ。

 試合とも呼べない公平性に欠いていた状況には、一人の戦車道を愛する者として彼女も一言あったのである。

 であるから、役人の焦った声は痛快でもあった。それゆえの笑みと共に愛里寿を見れば、愛里寿は変わらない表情のままで、審判に対して頷いた。

 

「我々は構いません。受けて立ちます」

 

 そう愛里寿が答えた瞬間、大洗女子学園の戦力は八輌から三十輌へと正式に変わることとなった。

 これで希望が見えた。そうみほたちの心に火が灯った時。

 空から聞こえてきた音に誰かが気がついた。

 徐々に近づいてくる空気を切り裂くような音。空を見上げて目に映ったものに、その誰かが声を上げた。

 

「あ、あれ!」

 

 指を指して空を示したその声に、地上にいる誰もが顔を上げて上空に視線を飛ばした。

 そこには、大きな航空機が悠然と空を舞っているのが見て取れる。その航空機の側面に書かれているのは、サンダース校の名前であった。

 そしてその機体は、みほたちにも見覚えのあるものであった。

 

「あれは、わたしたちの戦車を運んでくれた……」

 

 大洗の学園艦から退艦する際に、彼女たちの戦車を運んでくれたサンダース校の巨大輸送機。それと寸分たがわぬものが再び彼女たちの視界で空を飛んでいた。

 

『ハーイ、みほ! お届け物よ!』

 

 シャーマンから降りてきたアリサが小脇に抱えたスピーカー。そこから聞こえてきた声は、みほもよく知るサンダース校の隊長である少女の声であった。

 

「ケイさん!」

 

 そういえば、シャーマンが現れた時、ケイの声だけ聞こえてこなかった。それはどうやら、彼女だけ別行動をしていたかららしかった。

 その理由が、輸送機の操縦。それはお届け物の為らしいが、みほには心当たりがなかった。

 

「お届け物って……?」

 

 疑問がそのまま口をつく。

 それを拾ったケイは、通信機越しでもわかる明るい声で答える。

 

『ふふ。大洗女子学園のことを気にしているのは、私達だけじゃないってことよ』

「え?」

『ハーイ、それじゃ皆どうぞー♪』

 

 ケイがそう誰かに促した後。

 続いて聞こえてきた言葉は、みほにとって驚きのものであり、また予想外の相手であった。

 

『ヴァイキング水産高校です! 大洗女子学園の皆さん、負けないでください!』

『コアラの森学園です! 負けるな、大洗女子! 頑張って!』

『ボンプル高校です! 応援しています! 絶対に勝ってください!』

『マジノ女学院ですわ。皆さんの健闘と勝利を祈っております』

 

 聞こえてきたのは、多様な女子生徒たちの大洗女子を励まし応援する声だった。

 しかし、その応援をしてくれている相手が大洗女子学園と全く接点がない高校ばかりで、みほたちは目を白黒させる他なかった。

 そんなみほたちを余所に、更に、BC自由学園、ヨーグルト学園、ワッフル学院、青師団高校、西呉王子グローナ学園、ギルバート高校、と激励の言葉はどんどん続いていく。

 その数はまさに現在活動中の戦車道チームを有する高校のほとんどに昇り、また聞こえてくる声がスピーカー越しではあれど肉声であることから、それぞれの高校の人間があの航空機の中に実際に乗っていることは明白だった。

 つまり、全国の高校からそれぞれがわざわざ大洗女子学園の試合を応援するためだけに駆け付けてくれているのだ。

 

「こ、これって……」

 

 みほは、驚愕と同時に不思議に思った。

 黒森峰や聖グロをはじめとする各高校は、どこかしらで大洗と接点があった。継続に関しては直接接することはなかったが、それでも優勝時には祝電をもらうなど学校同士での付き合いはあった高校である。

 しかし、今回こうして激励に来てくれた各高校は全く交流がない所も含まれている。そのことがみほには不思議だったのだ。

 もしかしてと思って杏のほうに目を向けるも、杏はみほに対して手をぶんぶんと顔の前で振り、自分も知らなかったことをアピールしている。

 杏でもないとすると、本当にわからなかった。確かに大洗の廃校はネットニュースにも取り上げられたほどであったが、それだけで彼女たちがわざわざ足を運ぶ理由になるものだろうか?

 

『あなたたちは孤独じゃないのよ、大洗の皆! 私たちも、それに全国の高校も、みーんなあなたたちの味方なんだから! ね、皆!』

『おー!』

 

 ケイが炊きつけるように言えば、威勢のいい声が後に続く。

 何十人もの声が一つになったその掛け声は、それこそ万の軍にも等しい頼もしさをみほに感じさせてくれた。

 何故そこまで、どうして、と不思議に思う心はある。けれど、応援してくれるその気持ちは疑いようのない本当の気持ちなのだろう。たった八輌で立ち向かおうとしていた数分前に比べて、なんと心強い事か。

 かつての強敵、交流のある学校、そして全く交わりのない他校すらも自分たちの為に勝利を願ってくれている。

 そんなまるで奇跡のような一体感は、みほの中にあった不安も疑問も余すことなく吹き飛ばした。そして今胸の内にあるのは、絶対に勝つという意志と、彼女たちへの感謝の心であった。

 だから、みほたちは大きくサンダース校の輸送機に向かって手を振り、その激励に対してのお礼を空に向かって思い切り叫んだ。

 

「……っ、皆さーん! 本当に、ありがとうございまーす!」

 

 通信機越しに、『おー!』とか『頑張ってー!』と再び声が帰ってくる。そんな声に一層励まされるような気がして、みほたちは大きく手を振り続けた。

 

 

 

 そして輸送機が中の面々を降ろすために離れて行った後。審判の声によって、ついに試合開始が告げられた。

 これ以後は各チーム作戦を練る時間となる。もうこの場での用は済んだとばかりに背を向けて戻っていく愛里寿を見送ってから、みほはぎゅっと拳を胸の前で握りしめた。

 絶望的な戦力差はなくなった。あとは、どれだけ上手く戦闘を進めていけるかだった。

 

 そしてそれは、隊長である自分にかかっている。

 

 みほの肩に大きな責任がのしかかる。しかし、緊張はあれど気負いはなかった。

 戦車と共に駆けつけてくれた多くの人たち。そして戦車はなくとも、激励のためにこの地までやって来てくれた全国の高校の人たち。その力強い支えがどれだけ有り難いものか、今みほは実感していた。

 共に戦えなくとも、頑張れ、負けるなと背中を押してくれる。なぜ彼女たちがここまで大洗女子学園を応援してくれるのかはわからないが、その声は確かに力になっている。

 みほは決意を新たに作戦を立てるために用意された場所へ向かおうとして、再びアリサが持っている通信機からケイの声が届いた。

 

『あ、ちょっと待って、みほ。もう一人、これはお手紙になるけれど、紹介させてもらうわね』

 

 ケイに再び声を掛けられ、みほは歩き出そうとしてた足を止める。

 手紙、ということだが、一体誰からだろうか。首を傾げながらも、みほは紙が擦れる音をスピーカーを通して聞きながら、ケイの声を待った。

 

『みほへ。あなたが今、大変な窮地に立たされていると聞きました。悩みましたが、居ても立ってもいられずこうして筆を執りました。まだ私は自分の戦車道を見つけられていません。けれど、いつの日かあの日の約束を果たせるよう、諦めないで見つけていきます』

 

 ケイの声で紡がれる手紙の内容。

 それを聞き始めた時は首を傾げていたみほだったが、その表情は見る見るうちに驚きのものへと変わっていく。

 まさか、と小さくみほの口から声が漏れた。

 

『だからみほ、あなたも諦めないでください。そして、いつか約束を果たしましょう。最後に……負けるな、みほ! ドイツより親愛を込めて。エミ』

 

 最後の力強い応援と名前を聞いて、みほは手で口元を覆った。

 

「う、うそ……エミ、ちゃん……?」

 

 まったく想像もしていなかった相手からの手紙に、驚き一色に瞳の色が染まる。

 中須賀エミ。それはまだみほが小学生のころ、戦車を通じて友情を育んだ仲間の一人であった。ドイツ人と日本人のハーフの少女であり、他二人の友人と一緒に戦車道について学び、共に遊んだ仲だった。

 互いに衝突することもあったが、それがあったからこそ今のみほがいる。家族の帰国に合わせて彼女もまたドイツに帰ってしまったが、今でもエミはみほにとって大切な友達であった。

 去り際に交わした約束は、今もきちんと覚えている。けれど別れて以来連絡を取っていなかった彼女から、こうして自分のために激励が届くなんて。

 

 嬉しい。ありがとう。また会いたい。元気にしているってわかって良かった。

 溢れ出てくる感情はとめどない。それらがつい形となって目尻に浮かぶ涙として現れると、みほは指で目元を擦った。

 

 まだ、泣くわけにはいかない。泣くのは、全部終わってからだ。そう思ったからだった。

 本当に多くの人に、応援されて、励まされて、支えられて、自分たちは今この瞬間を迎えている。

 

 ――必ず勝つ。

 

 そう改めて胸の中に誓いを立てたところで、不意にみほの横に立つ人がいた。

 今は大洗女子の制服に身を包んでいる、聖グロリアーナ女学院の隊長であるダージリンであった。

 

「ダージリンさん……?」

 

 みほが名前を呼べば、ダージリンはたおやかに微笑んだ。

 

「黒森峰、プラウダ、サンダース、アンツィオ、知波単、継続……。あなたと実際に戦ったところ、またエキシビジョンマッチの話が行った高校は、快く協力をしてくれたわ。今回の助太刀にね」

 

 その言い方に、みほははっとした。

 今のを聞く限り、今回の各校の応援はダージリンが主導したものであると取ることが出来たからだ。

 

「ひょっとして、ダージリンさんが……?」

「あくまで、今挙げた六校に関してはね」

 

 ダージリンはみほの肩に手を置いた。

 

「けれど、他の学校のことは考えていなかったわ。だから、これだけの高校が動いたのは、それとは別。あなたの素敵な恋人の力なのよ」

 

 柔らかく、慈しむような声でダージリンが言う。

 その内容に、みほは目を見張った。恋人と言われれば、浮かぶのは当然たった一人。

 

「俊作さん、が……?」

「そうだよ、みほ」

 

 答えたのは、みほのもう片方の隣に立ったまほだった。

 思わず姉を見ると、そこには優しげな微笑みがあった。

 

「みほたちは今日の試合に集中していてまだ気づいていないかもしれないが、今日の朝、各学園艦の理事の連名でこの廃校問題に関して遺憾のコメントが発表された。戦車道が存在するほぼ全学園艦からだ」

 

 まほが言うことは事実で、この日の朝、テレビなどのマスコミを通じて報じられた各学園艦の理事による発表は、関係者に驚きをもって迎えられた。

 

 曰く、今回の決定は健全な学生の活動と意欲を著しく損なう行為。また戦車道の推進を図る政府の発表と矛盾しており、全く一貫性がなく、政府への信頼を揺るがすものである。

 曰く、廃校の撤回を約束しつつ勝手に反故にする。学園艦の廃艦は我々理事との綿密な協議によって決まるものであり、教育局が恣意的に操作して良いものではなく、運営を担う理事として遺憾の意を表明する。

 

 と、そう発表したのである。

 

 つまりは理事と協議して決定すれば廃艦してもいいと言っているわけだが、ここで注目するべきは教育局が学園艦の運営を恣意的に操作したということにある。

 

 当然だが、大洗女子学園の学園艦にも理事会がある。

 かつて大洗女子学園の理事は廃校やむなしという判断をしていた。それに抗議したのが杏であり、それならば君が直接話してみなさいと理事に言われて教育局に乗り込み、「全国大会で優勝したら廃校を撤回する」という約束を取り付けたのだ。

 それを杏から聞いた理事は、当然教育局に確認を取った。この時、件の役人は確かに「はい」と答えて、杏の言葉が事実であることを認めているのだ。

 であるから、理事会は戦車道チームの結果に全てを任せようという立場になった。そして優勝したのだが、にもかかわらず教育局は廃校を撤回しない。

 このことを、理事との協議で決まった事を蔑ろにして恣意的に艦の運営を操作している、と今回批判しているのである。

 その批判が、なんと各学園艦から連名で出されているため、今回大きなニュースとなって取り上げられたのだ。

 

「さすがにここまで一致してコメントが出るのを不思議に思って調べさせたんだがな。どうも発起人の名前は久東俊作というらしい。そう、彼だったんだよ、みほ」

 

 笑みを浮かべたまま、まほは「私もまだ今朝のことで充分に調べられたわけではないが……」と前置きをしてから、みほに語る。

 

 俊作は、これまでに訪れた数隻の学園艦にいる知り合いや同期の学園艦整備士、仲の良い上司やプライベートでの友人などを辿って、様々な学園艦にコンタクトを取り続けた。

 彼らは俊作の人となりを知っているので、真剣に頼まれれば嫌とは言わなかった。結果として、学園艦の運営側の人間、戦車道チームの人間、そういった人物に俊作は会うことに成功した。

 そこで俊作は訴えた。「今後の戦車道の未来のために政府の横暴を許すのは良くない」とか「生徒の教育にも悪い」などなど、他にも学園艦の運営と教育局の関係含め、事前に調べた様々な要因を語って、各学園に説得を続けていた。

 しかし、そんないかにも耳触りのいい主張は、彼らの心に届くことはなく、上滑りするだけで実を結ぶことはなかった。それぐらいの言葉など、誰もが聞き飽きていたのだ。

 今更同じようなことを言われたところで、協力しようという者が現れることは皆無だった。

 結果が出ない日々に、俊作の中に焦りとフラストレーションが溜まっていく。そんな中、ある学園艦で生徒からされた質問が、その流れを変えた。

 

「その学園で戦車道を専攻する生徒に、こう質問されたそうだ。“どうして、そこまで必死になっているんですか?”と」

 

 その質問に、半ばやけになっていた彼は、大洗女子学園の現状とそこに通う生徒や戦車道チームの葛藤や悩みを感情のままに語った。

 やけになっているがゆえに情感たっぷりに語られたそれは、同じく戦車道を愛する彼女たちの心に徐々に響いていった。

 

 そして最後に、俊作がここまで憤って行動し続けている根本的な理由を、思いきりぶちまけたのだ。

 

「“惚れた女が泣かされて、黙っていられるか!”……だそうだ、みほ」

「あら、お熱い」

「……ぁぅ……」

 

 まほとダージリン、双方からからかうような目で見られて、みほは真っ赤になって身を縮こませた。

 そんな妹の姿に更に笑みを深くして、まほは続けた。

 

「ふふ、それで学園というよりは戦車道の各チームを一気に味方に引き込めたらしくてな。彼女たちの協力もあって、学園の運営側もついに動いたんだ」

 

 そして、繋がりのある戦車道チーム同士を通じて他の学園艦にも動きは波及。徐々にその動きは大きくなっていき、もはや俊作の手を離れて広がりは大きくなっていった。

 

「各校のツテから、海外にもその動きは伝わった。繋がりのある国外の学校にも話が届き、その中であの時の子にも今回の事が伝わったそうだ」

 

 あの時の子、というのがエミのことである。ドイツで思うようにいかない現状に苛立っていた彼女も、親友の危機と聞いてはそんなイライラも鳴りを潜める。

 未だ約束は果たせていないため会うことは叶わないが、それでもせめて、ということで手紙をしたためたのだ。

 

 また、大洗女子学園という全国大会優勝校の廃校問題は、多くの戦車道チームにとっても重大な関心事だった。

 そんな中、教育局の約束破り、そして俊作の話も伝わって、一気に彼女らのムードは大洗女子頑張れとなり、各学園艦での動きとその熱に浮かされて、現地で声を届けるという行動にまで出ることになったのである。

 

 「今、学園艦の教育局や文科省には様々な問い合わせが来ているようだぞ」とまほは締めくくった。

 実際、今この時も試合観戦のために戦車道連盟の理事長の横に座っている役人の携帯電話には多くの電話が来ていた。

 テレビでニュースになって報道されたため、学園艦、戦車道関係者に留まらず、世間の一般の人々、マスコミ、海外の関係者などからの注目度が爆発的に上がってしまったのだ。

 いま、関係者はてんやわんやの大騒ぎといったところであり、その切っ掛けとなった青年は「ここまでする気はなかったんだけど……」と自分の手を離れて一気に拡散した騒動に、少し引き気味であったりした。

 

 そんなわけで、現在この大洗女子学園対大学選抜チームの試合は数多くの人間の注目の的であった。

 果たして大洗女子学園は勝利を収め、廃校を阻止できるのか。その結末は今現在、世間の大きな関心事となりつつあったのである。

 

 しかし、そこまでの騒ぎになっていることは知らない彼女たちは、今はただ目の前の試合に勝利することだけを考えていた。

 

「みほ。あの人はきっと、みほのことを思って行動に出たんだ。それは、お前が誰よりもわかっているだろう」

「……うん」

 

 みほは、しっかりと頷いた。

 俊作は男で、年上で、大人の人だ。どこまでもみほとは違うから、当然一緒に試合で戦うことも出来ない。

 それがきっと、俊作にとっては辛かったのだろう。だからこそ、彼はそれ以外でみほの力になれることを探してくれたのだ。

 その結果が、ああして応援に駆け付けてくれた全国の高校戦車道の仲間たちだ。顔も知らない人たちだが、同じ道を歩く仲間たち。彼が動かなければ、決して先ほどのような力強い応援がみほに届けられることもなかっただろう。

 実際に届けられたその応援は、みほの心に大きな気力をくれた。そしてそのために尽力してくれた俊作の気持ちは、みほの心に大きな勇気をくれた。

 自分には過ぎた人だと思う。けれど同時に、自分じゃなきゃ嫌だとも思う。

 そんな大切な人が自分の為にしてくれたこと。それを無駄にするつもりなど、みほには毛頭なかった。

 

 顔を上げて、前を見る。彼がみほを思ってしてくれたこと、その思いに応えることこそが、今の自分が彼に対して出来る一番の“ありがとう”なのだと信じて。

 

「……いい顔になった」

 

 まほがふとそう呟く。

 それから軽く背中に手を添えて、まほはみほのチームメイト――大洗女子学園のメンバーが待つ後方に目を向けた。

 

「いくぞ、みほ。絶対に勝とう」

「――うんっ!」

 

 まほの言葉に力強く頷き、みほは一歩を踏み出す。

 それに続いて、まほもダージリンも歩きだし、それはやがてこの場に集った全ての他校メンバーの足音となる。

 敵であった時には手強く、味方となった今では頼もしい彼女たちの存在を背中で感じながら、みほは視線の先で待つ大洗の皆に手を振った。

 みほの心の中は、既に皆の元から歩き出した十数分前とは大きく異なっている。

 

 ――絶対に勝って、帰ろう。わたしたちの学校に!

 

 様々な思いを込めた決意を胸に、みほはまた一歩大きく足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 




リトルアーミーのみほもかわいいぞ(宣伝)

そんなわけで劇場版5でした。
今回は俊作が何をしていたのかという内容も含む、劇場版でも名シーンと名高い各校が馳せ参じるシーンですね。
あのシーンとBGMは卑怯です。何度も見たのに、今でも見ると感動します。

ちなみに俊作がしていたことは、まぁそんなに凄い事でも大きなことでもありません。
可能な限りの人の繋がりを辿って、大洗の現状を訴えただけですね。
ただ、その結果としてああいう結果に結びついたわけです。

学園艦理事からの遺憾の意とかまでは想定していませんでした。
俊作としては、他の戦車道チームの子から応援のメッセージが届けば、みほの力になるんじゃないかと思っての行動でした。

そしてリトルアーミーのキャラクターであるエミもちょっと顔出し。
みほにとって、駆けつけてくれた各校に負けず劣らない嬉しい応援となりました。

最後に長くなってしまってすみませんでした。
劇場版もそろそろ終わりですが、そこまで付き合っていただければ幸いです。



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西住みほの恋物語・劇場版6

 

 

 大洗女子学園の廃校を賭けた、大洗女子戦車道チーム対大学選抜チームの試合。この試合、俊作にとっては恋人のチーム対友人のチームという形の試合でもあった。

 あの時、知り合いの中で最も戦車道に通じているという理由で会いに行った後輩のアズミが今、みほたちの願いを阻む存在となって立ち塞がっている。そのことに、運命の奇妙を感じずにはいられない俊作であった。

 そのうえ、アズミたちを率いているのは島田愛里寿。俊作にとっては歳の離れた友人であり、接する際には妹のようにも思っていた子であった。

 どちらとも関わりがあり、恋人であろうと友人であろうと大事な存在であることに変わりはない。であるから、俊作としては複雑に思うところがあるのも事実だった。

 

 しかしそれでも、俊作はアズミや愛里寿に内心で謝ると、迷うことなくみほの応援に回っていた。

 

 それはやはり、みほが俊作にとって何にも変えがたい一番の存在であったからだ。そのうえ、彼女は今理不尽な理由で居場所を奪われようとしている。そんな彼女を心から応援するのは彼氏として当たり前であった。

 今回の件はどう考えても大洗女子学園側に非はない。であるのに、ここまで彼女たちが追い込まれていることそのものが俊作には許せないことだった。正義だ悪だとくさいことを言うつもりはないが、少なくとも教育局側のやり方に納得することは出来なかった。

 きっと、多くの人がそう思っている。だからこそ、各学園艦は動いてくれたし、多くの戦車道に関わる生徒たちも彼女たちに声援を送っているのだろう。

 

 観客席にいる俊作は、ちらりと視線を客席の一角に向ける。そこには、全国から集まった各校の代表の子たちが集まって、口々に画面のみほたちに声をかける姿があった。

 腕を振り上げ、表情を厳しくして、「がんばれ!」「そこだ!」「危ない!」と彼女たちはまるで我が事のように声を張り上げていた。 

 

 カール自走臼砲などという兵器まで持ち出してきた時には、誰もが悲鳴のような声を漏らし、それを辛くも撃破した時には喝采をあげた。

 廃園となった遊園地にみほたちが移動し、そこに大学選抜チームが乗り込んできた時には固唾を呑んで画面から目を離さず。

 すり鉢状のホールに追い詰められれば辛そうに瞼を閉じ、観覧車を転がして乱入させることで生み出した混乱に乗じて脱出した時には大きな吐息と共に胸を撫で下ろす。

 各校がそれぞれ活躍し、撃破し、撃破され。そのたびに彼女たちは拳を握り締めて大洗女子学園に負けるなと声をかけ続けた。

 

 誰もが、みほたちの勝利を願っていた。

 その理由を、俊作は彼女たちから聞いて知っていた。

 

 俊作の行動はあくまできっかけに過ぎない。きっとみんな、今回のことに怒っていたとその子は言った。

 

「だって、大洗は今年の全国大会優勝校だから」

 

 俊作が、どういうこと、と尋ねると、その子は笑った。

 

「みんなね、戦車道が大好きで自信があるの。大洗と戦って負けた人たちは、次は負けないと思ってるし、戦ってない人たちは自分たちだって強いって思ってる。大洗女子学園は、つまり全国の高校戦車道選手たちの倒すべき目標であり、努力を続ける目的なの」

 

 いつか自分たちが大洗を破って、優勝を手にする。かつて黒森峰が九連覇を成し遂げていた時も、対象が黒森峰になっていただけで、みんな同じようにそう思って頑張ってきたという。

 

「なのに、その目標が勝手な思惑で、皆は全く悪くないのに奪われようとしている。頭ごなしに。そりゃあ、わたしたちだって怒っちゃうよ」

 

 それを聞いて、俊作はなるほどと思った。彼女たちがこれだけ積極的にみほたちの応援をしてくれているのは、そういう理由もあったのかと。

 感心して頷いていると、その少女は最後に一言付け足した。

 

「まぁ、要するに。今回の事は気に食わなかったってことだよ、皆」

 

 理不尽な大洗女子学園への対処に、誰も納得などしていなかった。けれどそれに対して何か声を上げる切っ掛けもなかった。それを俊作が与えたことによって、これ幸いと全員が立ち上がったのだという。

 そんな彼女たちだから、みほたちの勝利を心から願っているのだ。

 

 これだけの大勢がみほたちのために声を張り上げてくれている。その光景を見ると、俊作は頼もしさと共に大きな希望を感じずにはいられなかった。

 皆の願いと祈りと、みほたち自身の決意。負けるなという願いと、負けないという断固たる意志。

 それらがすべて一つとなった今の姿を見ていると、俊作は彼女たちならやってくれるとより一層信じることが出来た。

 

 視線の先、大きなモニターの向こうでは今、みほが乗るⅣ号とまほが乗るティーガーが愛里寿が乗るセンチュリオンと一進一退の攻防を繰り広げている。

 テーマパークの中心、大広場。その中をみほとまほが連携しながら愛里寿を倒すべく戦車が縦横無尽に駆け回る。

 残る車輌は、大洗女子学園側が二輌。大学選抜側が一輌。

 つまりはこれが最終決戦。

 会場中の誰もが固唾をのんで、三輌が織りなす戦いの行く末を見つめていた。

 

(みほちゃん……)

 

 モニターに映し出される、険しい顔をしながらも凛として指示を出し続ける恋人の姿に、俊作は胸がいっぱいになった。

 

 優秀な姉と比較するがゆえに自分に自信がなく、十連覇を逃した責任から暗く俯き、向けられる失望と中傷によって戦車道そのものから逃げ出した。そんな、かつてのみほ。

 自らの全てでもあった西住流すら投げ打ち、ただの高校生として過ごしたいと願ったみほは、何の因果か再び戦車道に関わることになった。

 その中で出会った仲間たち。越えてきた幾つもの試練、強敵。やがては決して敵わないと思っていた姉にも打ち勝ち、西住の名に囚われず、自分が貫きたいと思う戦車道を見つけ出した。

 廃校という事態すら大会優勝によって退けて望んだ居場所を遂に勝ち取った少女は、大人の思惑によって理不尽に訪れた再びの危機にも今、こうして正面から立ち向かっている。

 

 黒森峰で出会った時から、俊作はずっとみほの姿を見てきた。

 

 この場所から逃げたいと泣いた時も。戦車道を止めると複雑な顔で告げた時も。大洗で初めて友人が出来たと喜んだ時も。もう一度戦車に乗ると不安そうに言った時も。大会に出ることになったと言った時も。

 優勝をかけて憧れであり敵わないと思っている姉に挑むと震える声で言った時も。そして、優勝を決めて体全体で喜びを表して抱きついて来た時も。

 

 そうして少しずつ自分に自信を持って、強くなっていくみほを、俊作はずっと見てきた。

 

 あの時、泣いていた彼女が今、こうして力強く前を見て戦っている。

 自分がようやく見つけた居場所を守るために。

 戦車道を通じて得たチームメイトや友人、仲間たちの思いに応えるために。

 

 あの頃、会ったばかりだった自分の前で一人で泣いた少女はもういない。

 

 咽喉マイクに手を当て、間断なく変わる状況に合わせて声を張る姿は、みほが成長したという証だった。

 

(みほちゃん……!)

 

 広場に設置されている富士山を模した高台。その上に陣取ったみほとまほ、そしてそれを直線状の地上から見上げる愛里寿。

 一拍の間。僅かな音すら観客席から消えたその直後、二輌が勢いよく高台の斜面を駆け下りていく。

 ティーガーの前をⅣ号が走り、センチュリオンへと迫っていく。その姿を見ながら、俊作は知らず力を込めて組んでいた両手に、更に力をぐっと込めた。

 

(――頑張れッ、みほちゃん!)

 

 そう、一層力強く祈った俊作の目の前で。

 

 Ⅳ号の後ろにつけていたティーガーが発砲。空砲であったそれの衝撃で押し出されたⅣ号は、急加速してセンチュリオンへと体当たり気味に向かっていく。そんな不測の事態にも関わらず、すぐさま愛里寿は対応する。

 そして、急接近したⅣ号と迎え撃つセンチュリオンから同時に発砲された砲弾が両者を激しく打ち付けた。

 立ち上る煙。その向こうからⅣ号の白旗が上がり、ほぼ同じタイミングでセンチュリオンからも白旗が上がる。つまりは両者撃破の相打ちだ。

 

 これで大洗女子学園チームに残ったのは、まほが乗ったティーガーのみ。しかし、大学選抜チームにはもう戦える戦車は残っていなかった。

 

 大洗女子学園、残存車輌一輌。大学選抜チーム、残存車輌ゼロ。

 

 

 ――つまりは、大洗女子学園の勝利だった。

 

 

 瞬間、爆発を起こしたかのように観客席から歓声が上がる。

 隣にいる者と抱き合い、涙を流す者もいた。それでなくても、両手を振り上げて喜びを表し、誰もが立ち上がって興奮を露わに叫び声をあげていた。

 圧倒的不利な条件の中、彼女たちが為した偉業を皆理解していた。理不尽に晒されながらも、決して諦めずに戦い抜いた少女たちの姿に、何も感じない者などこの場にはいなかったのである。

 

 それはもちろん、俊作だってそうだった。

 勝利が決まった瞬間、俊作は一瞬呆然とし、その結果が間違いないと理解すると、周囲と同じように両拳を天に突き出して大声で叫んだ。

 何と叫んだのか、俊作は自分でも覚えていなかった。ただ、喜びのままに口をついて歓声を上げてしまったのだ。それほどまでに、我が事のように嬉しかった。

 

 モニターの向こうでは、Ⅳ号から顔を出した各メンバーにみほが抱きつかれている姿が映っていた。

 その顔はみんな太陽のように明るく、目尻に光るものを見せながら笑っていた。

 それはみほも同じで、その心からの笑顔は何よりも俊作の心に響くものだった。

 

「おめでとう……みほちゃん」

 

 早く直接この言葉を届けたい。

 みんなで笑い合うみほの姿を見ながら、俊作はそう強く思うのだった。

 

 

 

 

 

 今回の戦いの場所として選ばれた北海道。俊作の実家は本州なので、彼はもちろんホテルに部屋を取ってこの地へと訪れていた。

 それはみほたちも同じであり、彼は早速みほから聞いていたホテルへと足を向けた。もちろん、お祝いの言葉を贈るためだ。

 しかし、いざホテルの前まで辿り着いた時。俊作はその玄関口とロビーを見つめて「うわっ」と声を漏らした。

 

「なんだ、あの人の数……」

 

 入口の付近には静謐なホテルの雰囲気とは正反対に、人でごった返してざわついていた。

 彼らの手にあるのは大きなカメラ。それはよくテレビなどで報道関係者が使っているような仰々しい物で、一般のファンなどではないのは明らかだった。

 

 これは、それだけ今回の試合が世間から注目されていたということの証左だった。

 幾つかの学園艦による連名での抗議、政府の理不尽な対応、全国の戦車道チームから応援に駆けつける者が続出した事や、海外にも情報が飛び出して注目を集めている事。

 今朝に抗議と政府の対応がニュースとなり、昼ごろに全国の関係高校が現地まで足を運んだ事が流れたことで、すっかり大洗女子学園に起こった一連の出来事は多くの人間が知るところとなっていたのだ。

 

 そんな中で、試合に勝ち、廃校の撤回を勝ち取ったのだ。政府の手酷い対応に遭いながらも、諦めずに立ち向かって学校を守った少女たち。

 こんなセンセーショナルなニュースにマスコミが飛びつかないはずがない。

 そのため、報道陣が彼女たちの泊まるホテルにまで駆けつけ、少しでも話を聞けないかとこうして陣取っているわけなのだった。

 

 俊作にはそのつもりはなくとも、実のところ彼はその流れを作った原因である。しかし、当然ながらこのような事態になっているとまでは把握していないため、この状況を見ても「さすがに今回の事は注目されてたんだなぁ」と思う程度であった。

 入口を囲んでいるというわけではないが、それでも沢山の人が集まっているホテルを遠目に見ていた俊作は、やがて溜め息と共に踵を返した。

 

「……ま、僕はここ以外でも会えるしね」

 

 そう呟いてホテルに背を向けたところで、ポケットにしまってあった携帯電話が震え始める。

 なんだろうかと取り出してみると、着信を知らせるランプがついていた。ぱかっと開いてみれば、画面に出ている名前は上司のもの。

 これまで休日に掛けてくることはほとんどなかったので、どうしたんだろうと疑問に思うものの、出ないわけにもいかず俊作は通話ボタンを押して耳に電話を移動させた。

 

「もしもし、久東ですが」

 

 定型句で電話に出た俊作は、電話口の向こうから話しかけられるたびに「はい」とか「ええ」と相槌を打って先を促す。

 その途中、唐突に「えっ!」と大きな声を出すと、今度は「ほ、本当ですか!?」と心なしか前のめりになって確認を取った。

 その後も暫く、相槌を続けた俊作は、最後に「ありがとうございます!」と感謝の言葉を電話越しに伝えて、頭を下げた。もちろん相手からは見えない。それでもそうしたのは、それだけ彼にとってありがたい内容だったからだ。

 そうして電話を切ると、俊作はふぅと息をつく。その表情は、どこか嬉しそうに笑っていた。

 

「こうしちゃいられない。早く僕も合流しなきゃ……」

 

 隠しきれぬ興奮を滲ませながらそうこぼす。よほどのことなのだろう、歩き出した足はどこか急いでいた。

 ふと、ホテルをもう一度振り返る。そこから見えるのは、やはり詰めかけた報道陣と、幾人かの客の姿だけで、知った人を見かけることはできない。

 それでも良かったのか、俊作は何も言わずにホテルから視線を外す。そして今度こそ振り返ることもなく歩き出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 大学選抜チームとの試合が終わり、辛くも勝利を収めて大洗女子学園の廃校撤回を勝ち取った戦車道チーム一行。

 今日は彼女たちが北海道から大洗へと帰る日だった。

 苫小牧と大洗町を結ぶ直通船であるフェリー《さんふらわあ》。その船上にて仲間と一緒に過ごしながら、どこかみほの表情には浮かないものがあった。

 

「西住殿、どうしたのでありますか?」

「みぽりん、昨日もちょっとぼーっとしてたよね?」

 

 それに気づいた優花里と沙織が両隣からみほの顔を覗き込む。

 はっとしたみほが手を振って「なんでもない」と示すも、二人の視線はみほを捕らえて離さなかった。

 みほが思わず困った顔をすると、華がくすくすと口元を手で隠して笑った。

 

「ふふ。お二人とも、それぐらいにしましょう。みほさんの気持ちも考えなければ」

「むむ、じゃあ華はみぽりんの気持ちがわかるっていうの?」

 

 沙織が唇を尖らせてそう問いかければ、華は「たぶんですが」と答えた。そしてその隣にいた麻子もまた「私もわかった」と続く。

 

「冷泉殿。一体どういうことなのでありましょう?」

 

 優花里が首を傾げながら聞くと、麻子が一つ頷く。

 慌ててみほが止めようとするが、その行動はすんでのところで間に合わなかった。

 

「あっちで久東さんの姿を見なかったから、きっとそれを気にしているんじゃないか」

 

 みほの頬に朱が走る。その通りだったからだ。

 試合が終われば、きっとすぐに会えるとみほは思い込んでいた。だから、結局試合後に俊作の姿を見ることが出来なかったことに、落ち込んでいるのだ。

 俊作にも仕事などで都合があることをすっかり忘れ、会える気でいたのだから、悪いのは勝手に期待していた自分のほうだ。そう思うから、みほは一人で地味に落ち込んでいたのであった。

 そんな図星を指されて赤くなったみほ。それを目敏く見てとった沙織が、目を細めて口元に笑みを乗せた。

 

「ははーん。なーるほどねぇ……」

「さ、沙織さん……?」

 

 怪しい目つきで自分を見る沙織の姿に、みほが僅かに身を引いた。

 その直後、沙織はその手をみほに伸ばすと、その首に腕を回してみほの体を大きく揺らし始める。

 

「わわっ、さ、沙織さんっ?」

「彼氏の姿が見えなくてアンニュイになっちゃうなんて、みぽりんは可愛いなーもー! やっぱり彼氏はすぐ傍にいてくれないと、寂しくなっちゃうものね!」

「お前は彼氏いないだろ……」

 

 何をわかったようなことを、と呆れた目で麻子が言えば、沙織はびしっと指を突きつけて「うるさいっ」とちょっと物寂しげな声で突っ込みを入れた。

 そんないつものやり取りを見て、沙織に組みつかれたままみほは笑みを漏らす。優花里もまたその光景に笑いつつ、みほに笑みを向けた。

 

「大丈夫ですよ、西住殿。久東殿も何か用事があったのでしょう。西住殿の事を見ていないはずがありません!」

「そうですね。お忙しいお仕事をされているのですし、たまたま顔を出す時間がなかったのではないでしょうか?」

「うん……うん、そうだね。ありがとう、優花里さん、華さん」

 

 二人がそう言って微笑み、みほはそんな二人の言葉に頷いた。

 二人はきっとみほの気持ちを汲んでそう言ってくれたのだろうが、みほもまた二人の推測は当たらずとも遠からずだろうと思っていた。

 俊作の事を、みほはよく知っている。だからこそ、本当にどうしようもない理由があったから顔を見せに来れなかったのだと思っていた。

 それでも、やはり寂しいものは寂しい。その気持ちがつい態度に出てしまっていたが……皆に心配をかけるようではいけないと、二人の励ましを受けて強く思う。

 気持ちをいったん切り替えていこう。そう思い直して優花里と華に笑みを見せたところで。

 

「あっ! みんな、あれ見てっ!」

 

 響いた風紀委員であるそど子の声に、船上に散らばって思い思いに過ごしていた面々が「なんだなんだ」と集まってくる。

 みほたちもその例に漏れず、そど子がいる方へと足を向ける。そして、彼女が指を指している方向へと視線を飛ばして――その次の瞬間には、デッキの欄干を引っ掴む勢いで駆け出していた。

 それはなにもみほたちだけではない。大洗の戦車道チームの全員がそうだった。

 

 全員が全員、デッキの端に集まる。そして、その視線は海の向こうの一点を捉えて離さない。

 誰かの口から、ああ、と声が漏れた。万感の思いが籠もった声だった。

 

「私たちの学校っ、……大洗女子学園の学園艦だ……!」

 

 フェリーの目的地である大洗町の港。そこに浮かぶ大きな学園艦。

 取り上げられ、泣きながら解体されるために出航する姿を見送った、自分たちの居場所。

 もう二度と見ることはない。そう思っていた姿が、今目の前にある。

 沢山のことを思って、いっぱい考えて、苦しんで、悲しんで、けれど諦めずに、全員が一丸となって掴んだ勝利。

 その結果がもたらした成果を目の当たりにして、ようやくこれまでのことが報われたような気がして、みほは目尻に浮かんだ雫をそっと指先で拭うのだった。

 

 

 

 

 

 フェリーから降りた大洗女子一同は、荷物を引っ掴むと我先にと走り出した。それを制止する者はいない。本来その役目にあるべき風紀委員も生徒会員も、むしろ率先して走り出していた。

 早く早く。全員の気持ちにあるのはそれだけだった。一刻も早く、あの学園艦へ。自分たちが帰るべき場所へ。

 その一心で足を動かす。細かく切れる息を弾ませて、誰も彼もが笑顔で、フェリーの発着場から学園艦までの一本道を無我夢中で駆けていく。

 

 そうして、遂に辿り着いた艦内へと繋がるタラップの前。そのまま乗り込む前に自然と彼女たちはそこで立ち止まって、大きなその姿を見上げた。

 日の光を遮るほどの鉄の巨体。学校と町をその背に乗せて海を往く、自分たちの大きな家。

 それを間近でこうして見上げることが出来ている事実に、涙ぐむ者までいるほどだった。

 

 みほも同じだった。様々な思いを胸に、大洗女子の学園艦を見上げる。

 もう駄目だと思ったことは、何度もあった。けれど今、諦めずに頑張ったことで得られたものがこうして目の前にある。

 なくしたくないと思った、自分の居場所。大切なことを教えてくれた、自分の母校。

 これからはちゃんと、この学校に通えるんだ。そのことをようやく実感する。

 たまらない嬉しさがこみあげてくる。守ることが出来て良かった。

 

 その喜びを胸いっぱいに抱えて学園艦を見上げるみほは、ふとタラップの上で立っている人物がいることに気がついた。

 整備服に身を包んだその姿から、メカニックなのだろうということがわかる。向けた視線を徐々に上向け、それが顔に到達したところで、みほの目が大きく見開かれた。

 

 一歩、気がつけばみほの足は前に進んでいた。次の瞬間には、もう一歩。またすぐに、もう一歩。そうして歩き出したみほは、ついにタラップに足をかけた。

 

「西住殿?」

 

 気がつけばタラップを昇っていたみほに気付き、優花里が思わずその名前を呼ぶ。けれど、みほは振り返ることなくただ上へと足を進めた。

 他の面々もみほが艦内に向かっていることに気付く。そしてみほが行く先を視線で追って、誰もが微笑んで成程と納得の顔になった。

 杏が脇に抱えた干し芋袋から干し芋を取り出し、ぷらぷらとそれを振る。いつも通りの仕草だが、その表情はこれ以上ないほどの優しさで満ちていた。

 

「西住ちゃんには本当に苦労ばっかりかけちゃったからね。私らはもう少しここで待ってようか」

「ふっ、そうですね」

 

 杏の言葉に、桃が頷く。彼女の表情もまた、柔らかく微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 彼女たちが見つめるその先。そこには、重なり合った一組の男女の姿があった。

 喜びと安心で満ちた顔を胸元に押し付けて微笑む少女と、それを受け入れて力強く腰に回した手で腕の中の体を引き寄せる男。

 男が少女の耳元で何かを囁く。すると、腕の中で少女の体が身じろぎして、顔が上を向いた。

 少女の足がつま先を残して地面から離れる。男の頭がゆっくりと下がる。

 数秒。顔の一点で繋がった二人の姿が再び離れ、少女が下から男を見上げる。

 そこに浮かぶのは、様々な困難を乗り越えたからこその表情。

 

 空に浮かぶ太陽よりも眩しい、少し照れたような満面の笑みだった。

 

 

 

 

 




劇場版編完結です。
いやー、なんとかここまでこぎつけられて良かったです。

みほたちの戦いの詳細を描きながらの進行も考えましたが、そうなるとどう考えても俊作が出てこない。
出すと絶対に冗長になってテンポが悪い。
出さなければいいか、と思ったがそうなると劇場版の展開をなぞるだけになる。

というわけで、今話のような形となりました。
大洗の学園艦に俊作がいたのは、あのかかってきた電話が原因です。
そのあたり、どこかで補完できたらいいなと思います。

それでは、これにて。
ガルパンはいいぞ。


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西住みほの恋物語・おまけ

 

 

 温かな陽ざしがカーテン越しに降り注ぐ朝。

 ベッドの上で俊作は絶賛就寝中であった。

 

 時おりもぞもぞと布団の中で動いては体の位置を変え、しかしそれでもまだ目は覚まさない。

 時刻は七時。そろそろ起きて準備をしなければならない時間だった。そのためもちろん昨晩に目覚まし時計はきっちりセットしてあるのだが、そのけたたましいベルの音は今日も鳴ることなく、小さな手に上からボタンを押されて沈黙した。

 そのことにも気づかない俊作に近寄る一つの影。そして唐突に、俊作の身を包んでいた布団がガバッとめくり上げられた。

 

「……ぅ……」

 

 呻くような声が彼の口から漏れる。

 奪われた布団の温かさを名残惜しんでいるような響きを含むそれに、そんな彼を見つめている布団を剥ぎ取った犯人である少女がくすりと笑みを浮かべた。

 

「おはよう、俊作さん! 朝だよ!」

 

 陽の光による眩しさに目を細めつつ俊作が見るその先には、大洗女子学園の制服の上からエプロンをつけた恋人の満面の笑み。

 俊作はすっかり慣れてしまった彼女がいる朝に苦笑しつつ、少し掠れた声で返した。

 

「おはよう、みほちゃん」

 

 

 

 

 

 

 俊作がここ大洗の学園艦に勤務することとなったのは、ひとえに彼の上司による気遣いのおかげであった。

 

 大洗女子学園が大学選抜チームに勝利したことで、既に廃艦の作業に取り掛かっていた大洗の学園艦は急遽現場復帰と相成った。

 しかし、船体はともかく内部では幾つか既に解体業者の手が入った箇所があり、航行には問題ないものの決して万全とはいえない状態にあったのがあの試合直後の状況であった。

 とはいえ、廃校がなくなった以上は即時返還して復帰させなければ新学期を迎えることが出来ない。航行には問題ないから、ドックでの整備は必要ない。しかし新学期を迎えたばかりの学生に任せるには酷だし負担が大きい作業だった。

 

 そのため、急遽学園艦の整備士に召集がかかったのだ。

 

 俊作の上司もその話を受けた一人である。そして、誰か出すことはできないか、という話になった際に俊作を推したのである。

 俊作自身に自覚がなかったとはいえ、彼が起こした行動が様々な事態に波及していったのは多くの人間の知るところだった。今のところ一般的には知られていないが、戦車道や学園艦の関係者にはすっかり名前を知られるようになっている。

 もちろん、上司であるその男も知っていた。そして大洗女子学園が部下にとってとても大切なところなのだと察した彼は、その話を聞いて真っ先に俊作の名を挙げてくれたのだった。

 

 その話が俊作本人に届いたのが、北海道で上司からかかってきた電話だった。もちろん俊作は二つ返事で了承し、上司には深く頭を下げて感謝したのだった。

 

 そうして、俊作は大洗女子学園の学園艦に勤務することとなった。仕事内容は、航行しながらの解体作業の手が入った箇所の修繕。並びに、この際だからと出来る範囲でメンテナンスも行うようにと言われている。

 そのため、大洗での滞在期間はなかなか長くなりそうだというのが現在の見解。少なくとも一か月以上はこのままの予定だった。

 ここから更に他の予定が追加されれば更に伸びる。よほどそんなことはないのだが、この短い間に幾度もすったもんだがあった大洗だけに、ないとは言い切れない。

 

 もっとも、彼としてはそうなってくれた方が嬉しかったりするのだが。

 なにせ、そうすればもっと長い間、彼女と一緒にいられるのだから。

 

「……な、なに?」

 

 そんな気持ちから、小さなテーブルの向かいに座っているみほを見つめていると、その視線に気づいたみほが不思議そうに首をかしげる。

 みほが作ってくれた朝食を間に挟み、視線が合う二人。ふっと相好を崩した俊作は、きょとんとした顔をしているみほに、何でもないと手を小さく振る。

 

「ただ、みほちゃんは可愛いなぁと思ってね」

「ぇうっ!?」

 

 素っ頓狂な声を上げて驚いたみほの頬が見る見る赤くなる。

 やはり可愛い。そう改めて思って、俊作の笑みが深くなった。

 そして、「ありがとう……」と消え入りそうな声で呟いた後、みほはちらちらと俯きながらも俊作を盗み見る。

 

「……そ、その……しゅ、俊作さんも、か、カッコいい、よ?」

 

 それは、可愛いと言われたことに対するお礼のつもりなのだろうか? だとしたら、なんとも真面目で素直な事だった。

 思わず噴き出してしまった俊作に、みほは眉を逆八の字にして「な、なんで笑うの!?」とおかんむりだった。彼女としては結構頑張った台詞だったからだった。

 

 ぷんすか怒る彼女に「ごめんごめん」と謝って、俊作はすっとその手をみほに向けて伸ばした。

 その指がみほの頬に触れ、僅かに撫でる。その瞬間、みほの体がぴくんと強張った。

 

 そして何かを期待するようにみほの目がゆっくりと閉じられようとしていく。

 対する俊作は、その顔に苦笑を浮かべて指先を微かに動かして。

 

 そしてそのまま指を離した。

 

 あれ、と目を開けたみほ。そんな彼女に向けて、俊作は引っ込めた指先を顔の前で掲げた。

 

「ご飯粒、ついてたよ」

 

 人差し指と親指に挟まれた、小さな白い粒。それをしっかりと両目で認識した瞬間。

 つまり、すっかりキスをするのかと待ち構えていたみほが自分の勘違いに気付いた瞬間。

 

 今度こそみほは顔中を真っ赤にして、声にならない悲鳴と共に俯いた。

 

 

 

 

 

「い、いってきまーす」

「うん。いってらっしゃい」

 

 結局顔の赤みが引き切らぬまま、みほは微かな動揺と共に俊作の部屋から外に出る。

 それを玄関口で見送る俊作は、そんな彼女の姿を微笑ましそうに見ていた。

 それがまるで子供と大人の差を如実に表しているようで、みほの赤みがかった顔に不満の色が浮かぶ。彼女としては早く彼と見合う年齢になりたいと思っているのだから、尚更だった。

 そんなみほの内心を正確に察した俊作は、察しつつもこればかりは仕方ないと肩をすくめる。

 しかし、口を尖らせているみほに、ふと悪戯心が芽生えて、こちらに背を向けて歩き出し始めたみほに後ろから声をかけた。

 

「ああ、ちょっと待ってみほちゃん」

「はい?」

 

 振り返ったみほが、たったっと小走りで俊作のところまで戻ってくる。

 そして「どうしたの?」と不思議そうに見上げてくる。

 その顔に狙いを定めて、俊作はさっと身を屈めて自身の顔を近づけた。

 触れ合う唇と唇。一瞬の感触であったが確かに触れた感触に、俊作は満足げに笑って姿勢を戻した。

 呆然としたままのみほに、声をかける。

 

「さっき、期待に応えられなかったからね。いってらっしゃい、みほちゃん」

「――……ぃ、いってきます……」

 

 茫洋とした表情でふらふらと歩き出す。千鳥足で俊作の部屋があるアパートの二階から一階に下りる階段の前まで辿り着いたみほは、そろっと俊作に振り返った。

 そこで再び目が合って俊作が手を振ると、みほは手を振り返しつつも火がついたようにその顔が赤色を取り戻し、耐え切れないとばかりに階段を駆け下りていった。

 

 それを見送った俊作の口元には思わず笑みが浮かぶ。しかし、意地が悪いことをしたという自覚はあったため、自省しながら部屋の中へと戻っていった。

 みほがこうして朝に生活のお世話に来てくれるようになったのは、俊作が大洗で働き出してすぐの事だ。

 食事や洗濯など、俊作は何も言っていないが、自ら進んでやってくれている。もちろん俊作も手伝っているが、特に朝はなかなか起きられずにみほに任せてしまうことが多かった。

 通い妻、という単語がふと脳裏によぎり、俊作は「いやいや」と首を振った。

 

「まだ早いよな、うん。相手は高校生、高校生」

 

 ぶつぶつと自分に言い聞かせながら、俊作は職場に向かうべく着替えを取り出した。

 

 彼女は勉強と戦車に乗るために学校へ行き、自分は艦の整備という仕事をするために職場に行く。

 彼女が勝ち取ったこの大洗女子学園という場所で。

 

 それが今の二人が送る、他愛のない、けれどどこか満ち足りた生活であった。

 

 

 

 

 

 




おまけ話。
前回の上司からの電話についてなどの補足が入っております。

あとは俊作がしばらく大洗で生活することになりましたので、それにかこつけてみほが積極的にお世話しに来ています。
今までずっと離れていたので、その反動もありますが。

女の子が照れたりする姿って可愛いですよね。
だから西住殿も可愛い(迫真)
だから西住殿も可愛い(再確認)


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西住みほの恋物語・おまけ2

 

 

 ある日の放課後。

 大洗女子学園の校門付近は異様な雰囲気に包まれていた。

 

「……ねぇ、ウチの校門前にいる人って誰?」

「明らかに大人の男の人だし……一人でずっといるし、怪しくない?」

「ちょっと不審だよね……誰か呼んだ方がいいんじゃ……」

 

 ひそひそと囁き合いながら、校門に目を向けて顔を寄せ合う大洗女子学園に通う生徒たち。

 彼女たちが向ける視線の先にいるのは、片手に持った携帯を操作して時間を潰しているかのような不審な男。

 

 背恰好は中肉中背、奇抜ではないカジュアルな装いに身を包んでいて、髪は黒く短めで真面目な印象を抱かせる。

 

 しかし、そのような印象を感じさせるとはいえ、立っている場所が女子高の前となればその程度の真面目イメージなど吹き飛ぶというもの。校門前の男は、すっかり彼女たちの目には不審者として映っていた。

 一応、その男が立つ辺りを避けるように校門の端を通って下校していく生徒たちはいるが、彼女たちもどこか不思議そうにしているのは明らかだった。

 男は何やら難しい顔で携帯に視線を落としているから気がついていないようだが。

 

「あ、いま首をかしげた。何見てるんだろ?」

「それより、不審者よ不審者。風紀委員呼ぼうよ」

「それより先生の方がいいんじゃない?」

 

 遠巻きに様子をうかがう生徒たちの疑心が高まり、いよいよ行動を起こそうかとなった時。

 校門に近づく三人に、生徒のうちの一人が気付いた。

 

「あっ、見て! 角谷会長よ! 小山副会長と河嶋広報もいるわ!」

 

 その声を聞いて全員が振り向くと、そこには確かに校門に向かう生徒会メンバーの姿が見えた。

 ほっと周囲から安堵の声が漏れる。

 

「良かった、会長なら安心ね」

「きっとあの不審者を追い払ってくれるわ」

「そうね、あの会長だもの」

 

 安心して彼女たちは歩いていく会長の姿を見送る。

 彼女たちにとって生徒会長である角谷杏は全幅の信頼を寄せる生徒会長だ。この学校の事に関してならば、あの人は全力で守ってくれるだろう。もちろん自分たち生徒の事も。

 その信頼が全員の表情に表れていた。

 

 そんな彼女たちの視線の先で、ついに杏が件の男と接触する。

 

 杏が片手をあげて声をかける。

 それに男が気付き、一礼する。

 男が何やら笑って話しかける。

 それに杏が笑い返し、隣の柚子と桃も穏やかな笑顔で頷く。

 

 そして幾つか会話をした後。

 三人はそのまま戦車倉庫のほうへと向かっていった。

 

「――って、ええ!? 会長まさかのスルー!?」

「な、なんで!?」

 

 その時彼女たちに電撃走る。彼女たちは、すっかり杏があの不審者を追い払ってくれると信じていたのだ。

 だというのに、この学校の為ならば全力を尽くすあの会長がスルーである。これに驚くなという方が無理だった。

 

「ま、まだよ皆! 向こうから来るのは風紀委員よ!」

「そど子、ゴモヨ、パゾ美のジェットストリームアタックね!」

「あの三人ならきっと注意してくれるわ!」

 

 そうして彼女たちが見る先には、いつものように乱れのない服装に風紀委員の腕章を巻いたおかっぱ頭の三人組。

 彼女たちがついに校門にいる男性の存在に気がつき、ずんずんとその男性の元へ向かっていく。

 よし、さすが風紀委員! と誰もが思った。

 

 そしてその期待通りに、風紀委員の中でも特にそど子が何やら注意をしている。

 ぺこぺこと頭を下げる男性。

 それに対して腰に手を当てて溜め息をこぼすそど子。

 そして、そど子はもう一度男性に何事かを注意する。

 

 その後、彼女たち三人もそのまま男性を残して校門を離れていった。

 

「な、なにぃィイイ――!?」

「あの三人まで見逃すなんて!?」

 

 ルールに厳しい彼女たちは、生徒会に次いでこの学校の今を守っている存在だ。その彼女たちまでもが明らかに怪しい男をスルーした事実に、彼女たちは驚きを隠せない。

 そうして驚愕冷めやらないままいると、今度は集団で騒ぎながら、ある一団が近づいて来ていた。

 

「あ、あれは!」

「知っているの、貴女!?」

「我が校が誇る戦車道チームのメンバー! カバさんチームとウサギさんチームとアヒルさんチームだぁ!」

「むしろなんで知らないのよ……」

「いや、言わなきゃいけない気がして……」

 

 そんなやり取りをする彼女たちを余所に、戦車道チームの皆もまた校門にいる彼の存在に気付く。

 そして騒がしいまま各々が声をかけ、苦笑した彼がそれぞれに対応している姿が見えた。

 そして結局彼女たちもそのまま見過ごし、それどころかウサギさんチームに至っては親しそうに手を振って別れていった。

 

 そのすぐ後、レオポンさんチームとアリクイさんチームの面々もやって来たが、結果は同じ。共に笑みすら浮かべて会話をした後、それぞれ別れていったのだった。

 

 ここまでくると、それを見ていた彼女たちも気づく。

 

 ――あれ、あの人ひょっとして不審者じゃない? と。

 

 さすがにあれだけの人間が見逃しているのだから、少なくとも悪い人間ではないのだろうということは察せられていた。

 

 となると、次に気になるのは一体何者なのかということだった。

 

 生徒会、風紀委員、それに戦車道チームのメンバー。彼に接触しに行ったのは、よくよく考えれば全員が戦車道を専攻している人たちばかりだった。

 となると、戦車道の関係者だろうか、と彼女たちは推測した。大人の男の人だし、教官とか? と想像が膨らむ。

 危険な人物ではないとわかれば、そこはお年頃の女子たち。すっかり校門前の彼の事は話題の一つとなって、なかなか接する機会もない年若く比較的近い年齢の異性ということで、話が盛り上がる。

 が、その時。

 

「あ、みぽりん! もう来てるよ! 校門で待ってる!」

 

 ふとそんな声が響き、彼女たちの話はピタリと止まった。

 

「さ、沙織さん! 声が大きい、大きいからぁ……!」

 

 声の出所へと振り返れば、そこには昇降口から出てくる五人の少女たちの姿。

 

 武部沙織、冷泉麻子、五十鈴華、秋山優花里、そして西住みほ。

 

 この学校に通う者ならば、いやこの学園艦に住む者ならば知らぬ者はいない。廃校にされかけた学園と艦を取り戻してくれた立役者、大洗女子戦車道の隊長チームである、あんこうチームの面々がそこにいた。

 彼女たちの視線の先には、沙織が張り上げた声を抑えるようにみほがその腕にすがりついて指を口に当てている姿がある。

 困り顔で友人に縋りつく姿は、とても各強豪校や大学選抜チームを相手取って撃破の山を築き、この学校を優勝へと導いて、今を勝ち取った隊長には見えない。

 しかし、それでも彼女は確かに多くの戦車を率いて戦い、この学校を守ってくれた人なのだ。この学校の誰もがそんな彼女に感謝していた。

 そういう意味で彼女、みほは有名だった。しかし最近、それ以外の場所でも名が知られて、これまで以上に有名人になっていた。

 

 それというのも、大学選抜との試合がその経緯と共に世間に暴露されたことが原因であった。

 一部学園艦理事からの抗議に端を発したニュースにより、大洗女子学園に降りかかった騒動はその結果も含めてすっかり世間の知るところとなっている。

 結果、ただでさえ今年の全国優勝校(それも廃校撤回を懸けた、当初は素人だった集団による参加の結果)ということで注目されていたのに、社会人チームにすら勝るとされた大学選抜にまで勝ったということで更に注目が集まり。

 そのうえ、政府が彼女たちにした仕打ちによって同情や義憤によって注目が集まり。

 極めつけに、みほたちの容姿が見目麗しい少女たちとなれば、マスコミが放っておくわけがない。

 特に隊長であるみほは事あるごとに大洗の代表として顔を出すことになり、数々のインタビューや特集記事のコメントにと引っ張りだこであった。

 

 つまり、みほは既にこの学校内の有名人というだけではなく、全国的な有名人となっていたのである。

 

 だからこそ、校門前の男性を生徒たちは不審者だと真っ先に疑ったのだ。みほのファンという可能性が否定できなかったからである。

 しかし、戦車道チームの姿を見ていると、そういう輩ではないようだった。それどころか、沙織の言葉を聞くにあのみほが呼んだかのようにもとれる。

 一体どういうことなのか。西住さんが本当に呼んだのだろうか、と疑問がぐるぐると胸に渦巻く。

 それを表に出さずに押し込んで、校門へと近づいていくあんこうチームを遠巻きに見つめる。

 固唾を呑んで見つめる先で、みほは沙織から離れてその男性の前に立った。

 

「……なんか西住さん、嬉しそうじゃない?」

「そうね。周りの四人も気を許してるみたいだし、やっぱり知り合いな――」

「あっ!」

「ああっ!」

「いま頭撫でた!」

「西住さん、照れてる! でも顔がによによしてる! あんな西住さん初めて見た!」

「こ、これは、まさか……」

 

 囁き合いつつ、彼女たちは少しずつ校門に近づいていく。

 ゆっくり、ゆっくり歩を進めていくと、徐々に会話の断片が聞こえる距離まで辿り着いた。

 静かに耳を澄ませる。そして、ついにその言葉を聞き取った。

 

「っ! 武部さん、いま羨ましいって言った!」

「秋山さんが、彼氏の前では西住殿も……って言ったわ!」

「ということは、あの人――西住さんの彼氏!?」

「不審者じゃなかったのね……」

 

 それはあの面々がスルーするはずだわ、と全員が納得する。

 戦車道チームの人たちは、既にみほの彼氏のことを知っていたのだろう。だから、話しかけはしてもそのまま見過ごしていたのだ。

 

 はーっ、とその場の全員からため息が漏れる。すわ不審者かと気を揉んでいた自分達の懸念は杞憂だとわかったからだ。

 少し肩透かしな気もするが、何事もないならそれが一番いい。彼女たちはようやくその緊張していた体から力を抜いた。

 

「それにしても、ねぇ」

「うん」

 

 視線が再び校門に向く。そこには、やはり親しそうに話す二人の姿がある。

 

「西住さん、かわいいよね」

「うん。楽しそうだし」

「あんな顔して笑うんだねぇ、彼氏の前だと」

 

 学校の中でみほの笑顔を見たことがないわけではないが、いま彼女が浮かべている笑顔はそれとはどこか質が違う笑顔のような気がした。

 

「……彼氏、欲しいなぁ」

「言うな」

「何話してるんだろうねぇ、二人……」

 

 疑問は綺麗になくなった。懸念も杞憂であったとわかった。

 けれど、代わりに何か隙間風のような寂しさが胸に去来する彼女たちなのだった。

 

 

 

 

 

 

 一方その時。

 周囲の生徒に不審者と間違われた俊作は、それに最後まで気付くことはなく、みほと相対していた。

 

「それでみほちゃん、来てほしいってことだったけど……」

「あ、うん」

 

 彼がわざわざ大洗女子学園の前まで来た理由。みほが自分を呼んだ理由を尋ねると、みほはもごもごと口ごもった。

 優花里たちは近くにいない。少し距離を置いてみほを待っていた。どうやらこの後、少し五人で出かける予定らしい。

 だというのに、その前に自分に伝えたいこととは何なのだろう。俊作がじっとみほを見ていると、みほはどこか申し訳なさそうにしながら口を開いた。

 

「ごめんなさい、俊作さん。その、バレちゃった……」

「バレちゃったって、何が?」

「お母さんに、俊作さんとのこと……」

 

 一瞬、俊作は言葉をなくした。

 けれどすぐにその意味を理解する。理解するが、しかし。

 

「………………え?」

 

 思わず、そんな間抜けな声が出てしまったのは、動揺があまりに大きかったからだろう。

 

 恋人の親御さんに自分が知られている。となればもちろん、挨拶はしておかなければならない。いや、本当はこちらから赴くべきだったのだ。ただ、みほと母親との関係を考えて先延ばしにしていただけで。

 その時が来たということ、それだけだ。

 

 けれど、何故だろう。

 ただ挨拶をするだけだというのに、必要以上に湧き出てくる緊張を隠せない俊作なのだった。

 

 

 

 

 

 




【悲報】俊作、不審者と間違われる。

ちょっと視点を変えて、大洗のその他生徒たちから見たお話でした。

みほは有名人という扱い。
リトルアーミーでもテレビに出てましたが、それよりもう少し人に知られるようになったと思っていただければ。
そのうちその辺りも書けたらいいなぁ。

そして最後に、あからさまなフラグを残しておきました。


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西住みほの恋物語・おまけ3

 

 

 その日、西住しほは日本戦車道連盟を訪ねていた。

 

「そういえば、みほお嬢様はさすがでしたね、師範」

 

 日本戦車道連盟本部にある談話室。その中にて今、三人の女性が座ってひと時の休息を楽しんでいた。

 

 高校戦車道連盟理事である西住しほ、大学戦車道連盟理事である島田千代、そして自衛隊の富士教導隊に席を置く蝶野亜美一等陸尉。

 しほと千代は立場的に当然、亜美は成り行きもあって今回の大洗女子学園廃校に関する騒動に深く関わった。そのため、本日はその後の経過や今後の対応についての会議に呼ばれて出席していたのであった。

 今はその会議も終わり、出席者はそれぞれが本部を後にしている。そんな中、三人は予定が詰まっていないこともあって、こうして顔を突き合わせてお茶をしているのだった。

 

 そんな中でふと亜美の口から出たのが、先の言葉だった。

 今回の騒動、そしてその前の全国大会優勝。そのどちらも、彼女が置かれていた状況を考えれば、通常ではありえない成果だ。そこに至るまでの決意、頑張りを純粋に称えての言葉だった。

 それを受けたしほは、持っていた湯呑みをそっとテーブルに置いた。

 

「……そうですね。ですが、殊更に特別な扱いをする必要はありません。今の、あの子を持ち上げる風潮には辟易しています」

 

 そう告げる表情には、全く乱れがない。

 娘を褒められれば少しぐらいは表情が緩みそうなものだが、それもなかった。それどころか、みほを頻繁に雑誌などで取り上げることに苦言を呈する始末である。

 しかし、それは彼女にとっていつもの事。それがわかっている亜美は、全く気にしなかった。

 

「あはは、師範らしいですね。でも、大洗の皆は本当に良くやってくれましたよ。私も教育局のやり方には腹が立っていましたから。仲間たちや、彼のような人がお嬢様の傍にいたことは本当に喜ばしい事です」

 

 そこで、ぴくりとしほの細い眉が動いた。

 

「……彼?」

「ええ。他校の戦車道チームを味方につけ、学園艦理事を動かした人物ですよ。久東俊作さん。みほお嬢様も本当に良い人を見つけられましたよね。なにせ彼が行動を起こした理由が、みほお嬢様の涙に激怒したからだそうですから」

 

 いまどき、そんな男はそうはいない。亜美自身、その話を聞いた時はみほのことを羨ましいと思ったほどだ。

 女として、一人の男にそこまで惚れられれば嬉しくないわけがない。周囲の目を気にせず恋人の為に奔走するなど、なかなかできることではなかった。

 本当にいい人を捕まえたものだ。そう心から思って、うんうんと亜美が頷いていると、しほは湯呑みから一口お茶を啜り、それをやや乱暴に置いた。

 

「なるほど。――どうやら、みほに聞くことが出来たようですね」

 

 その表情は、明らかに先ほどより厳しかった。

 

「……あれ?」

 

 その表情を見て、亜美は「ひょっとして、やってしまっただろうか?」と自らの失敗を悟るが、今さら後の祭りであった。

 思わず固まる亜美。その横で、千代が口元に手を当てて優雅に微笑む。

 

「ふふ。西住理事、ちなみに私は知っていましたよ。みほさんと、その恋人さんの事。ねえ今どんなお気持ちですか? あなたがご存知ない娘さんのことを、私が知っているなんて、母親として少々ショックでしょう?」

「黙れ、千代」

「あら。素に戻っているわよ、しほ」

「お、お二人とも、落ち着いてください」

 

 テーブル越しに、千代を睨みつけるしほと、それを受けて微笑む千代。

 しかしその身に纏う雰囲気のあまりの剣呑さに、亜美はたまらず間に入って諌める役に回った。

 西住流をライバル視する島田流、とは戦車道関係者の間では有名な話だ。

 長く続いてきたその対立は、両家に生まれた子供たちにも少なからず影響を与えている。

 学生時代、幾度となく互いをライバル視して競ってきたしほと千代。突っかかる千代と受けて立つしほ、という間柄で子供の頃から過ごしてきた二人は、今日もまたこうして些細なことでいがみ合うのだった。

 

 二人を見た面々が、「相変わらず喧嘩するほど仲がいいなぁ」などと思っているとは露知らず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして現在。

 俊作は痛む胃を必死に無視しながら、静かすぎるほどに静かな一室でしほと向かい合っていた。

 現在地、九州は熊本の西住家本邸。その中で来客を迎えるための客間にて、やたらと光沢のある年季の入った木製のテーブルを間に挟み、しほと向かい合う形でみほと俊作は座っている。

 一応、お茶は出されているのだが、俊作は一度たりとも口をつけていなかった。緊張のため、「あ、どうも遠慮なく」などと言いながら湯呑みを持つ気にはなれなかっただけである。

 ちなみに、俊作の隣に座るみほも固くなっていた。実の親子であるはずのみほでさえこうなのだから、それだけしほという存在がこの家では大きいということなのだ。

 

 日本戦車道の重鎮、西住流の家元。戦車道そのものを支えてきた功労者の一人。

 そんな肩書きを持つ彼女は今、ただ真っ直ぐに二人を見ていた。

 

 現在、この部屋に通されて腰を下ろし、持ってきた和菓子の詰め合わせギフトを使用人に渡した後、互いの紹介を終えてすぐの事である。

 

「それでは、みほ。まずは、あなたの口から彼との関係について聞かせなさい」

 

 そのお告げのように力を持った言葉にびくりと肩を震わせたみほは、まるで小動物のようであった。

 無理もないと俊作は思う。彼女と西住流の確執については知っている。母親とはいえ、やはりまだしこりはあるのだろう。黒森峰で彼女が負った傷は深いのだ。

 しかしそれでも、みほはぐっと力を込めて顔を上げた。自分を射抜く母の視線に対してしっかりと目を合わせた。

 その上で、ゆっくりと口を開いて、みほはこれまでのことを説明していく。

 俊作との出会い、その時の気持ち、それからのいきさつ、どのような付き合いをしているのか。

 それらを臆することなく伝えた上で、最後にこう言った。

 

「わたしの戦車道は、皆と見つけました。そして、わたしの人生は、この人と……俊作さんと見つけていきたいと思っています」

 

 その言葉を聞いて、しかししほは何も言わなかった。

 ただ今度はその顔を俊作に向けただけである。

 

「それで、久東さん。みほはこう言っていますが、あなたは?」

 

 そう問われ、俊作はすぐには話し出さなかった。

 一度小さく呼吸を整えた。

 それは気持ちを落ち着けるためでもあったし、しっかりと自分の声と言葉に力を乗せるためでもあった。

 膝の上で拳を握り締め、俊作は言う。

 

「彼女と同じ気持ちです。私も……いえ、僕も彼女と共に自分の人生を見つけていきたいと思っています。ずっと、死ぬまで」

 

 隣でみほが息を呑む音がした。

 その理由が、最後に付け加えられた言葉にあったことは間違いなかった。

 ぴく、としほの眉が動く。

 

「みほは西住家の娘。まほが現状は後継者の最有力ですが、みほが西住を継ぐ可能性もあります。その場合、あなたは入り婿となる可能性もありますが」

「構いません。その時は西住のことを学び、彼女を支えます」

「社会人であるあなたに対し、みほは学生です。そのことについては?」

「……ご心配は尤もです。しかし、誓って不用意な行動はしていません。それが彼女にとって良くない事であると、理解しています」

「しかし、そもそもあなたと付き合っていなければ起こらない心配ですが」

「っお母さん……!」

「黙っていなさい、みほ」

「ううん、お母さん。これはわたしの事でもあるんだから、黙っていられないよ!」

「いや、いいんだよみほちゃん。しほさんの言う通りだ」

「俊作さん……っ」

 

 思わず腰を浮かしかけたみほを俊作は宥める。

 みほは俊作の顔を見て、その表情に浮かぶ苦笑を見て、ゆっくりと浮かしかけた腰を下ろした。

 

 どれだけ俊作が自分の立場を気遣ってくれているか、みほは知っている。だからこそ、そんな彼の気持ちを軽んじるようなしほの発言に気を高ぶらせてしまったのだ。

 けれど、当人から諌められては、みほとしても止まらざるを得なかった。彼本人がその通りだと言っていて、ある意味それはその通りだからだ。

 みほはきゅっと唇を噛んで、不安そうに俊作を見た。

 俊作はそんな視線に、ただ頷いて応える。

 全てわかっていると言わんばかりの仕草だった。

 その上で、俊作は再びしほと目を合わせた。

 

「……しほさん。確かに、そもそも僕と付き合っていなければ、そんな心配はありませんでした。けれど、それは“もし”の話です。もう僕とみほちゃんは出会って、知り合い、お互いを知りました」

「だから何だと言うのです。仕方がない事だと思えとでも?」

「その通りです」

 

 きっぱりと俊作は断言した。

 しほの目が少しだけ大きく開かれた。

 

「仕方ない事だと僕は思っています。誰も、誰と誰が出会うなんて、わからないんですから。――僕は彼女と会った。そして、幸運なことにお互いに好きになった。このことはもう覆しようのない事です。ですから、そのことを悔やんでも仕方がないと思います」

 

 俊作は真っ直ぐにしほを見た。あれだけ胃を刺激していた緊張は、既にどこにもなかった。

 

「僕はみほちゃんのことが好きです。離れたくありません。愛しているのかと問われれば、はいと答えます。そして彼女の為なら、彼女が悲しまない範囲で僕は何でもする事でしょう」

 

 俊作はそこまで告げて、勢いよく頭を下げた。

 

「今日は、何よりその事をお伝えしたかったのです。僕はみほちゃんのことを愛しています。彼女の事が何よりも大切です。これから、様々なことがあり、その中には問題もあると思います。けれど、絶対に彼女の傍にいて彼女のことを支えて、悲しませないようにしていきます」

 

 そこで一度言葉を切って、俊作は己の心を叱咤した。

 男なら、最後まで言うんだ。そう自分を奮い立たせて、唇を震わせる。

 

 

「なので、しほさん。――僕に、娘さんをください」

 

 

 言った。言ってやった。

 俊作の心の中では、そんな言葉が躍っていた。

 

 同時に、忘れていた緊張が思い出したように蘇ってくる。どのような返答が来るのか全く分からず、その未知が恐怖と不安になって俊作の身に襲い掛かってきた。

 心臓が早鐘を打つ。血が顔に集まる。反面、指先はまるで氷に突っ込んだかのように冷えていた。

 反対されるだろうか。許してもらえるだろうか。一体何と言われるのだろうか。怒りを買ってしまってはいないか。

 想像できる限りの事が全て今の俊作にとっては不安の元でしかなかった。いっそ今すぐに顔を上げてしほの顔を見たかった。そうすれば、その表情からある程度の推測を立てることが出来るだろう。

 しかし、俊作はただ頭を下げたままでい続けた。顔を上げるように言われるまで、上げないのが礼儀だと思ったのだ。勝手に頭を上げるのは、自分が言った言葉を軽くする。そんな気がしていた。

 それは恐怖だった。自分の言葉が信じてもらえないことは恐怖だった。それはつまり、みほとの仲を認めてもらえないということになるからだ。

 だから、俊作は頭を上げない。ただひたすら、同じ姿勢のままでいる。

 そうして、一分経ったかどうか。俊作としては数十分にも感じた沈黙は、やがて頭上から掛けられた声によって終わりを告げた。

 

「――顔を上げなさい」

 

 変わらず怜悧な声で言われ、俊作はゆっくりと顔を上げた。

 そして、しほの顔を見る。

 俊作は、その表情に違和感を覚えた。

 その原因にはすぐに気付いた。厳しかったしほの表情に、呆れにも似た色が加わっていたからだった。

 

「あなたの気持ちはわかりました。みほの気持ちもです。その上で、もう一度問います」

 

 しほがきっちりとした姿勢のまま俊作を見据える。俊作は背筋を出来るだけ伸ばして姿勢を正した。

 

「みほのことを何よりも大切にしてくれますか?」

「――はい。誓います」

 

 それは言われるまでもない事だった。けれど確かに確認が必要なことでもあった。

 だから、俊作は視線を決して逸らさずに頷いた。少しでもこの胸の内にある真剣な思いが伝わって欲しいと願いながら。

 そんな俊作の姿をじっと見つめて、しほはやがて軽く目を伏せると、ふぅと息を吐いた。

 

「……それならば、二人の関係を認めましょう。ただし、いくつか条件があります」

「はい」

 

 大切な娘の事なのだから、当然だ。俊作は再び背筋を伸ばした。

 

「結婚の許可については、別問題とします。今後のあなた達を見て、判断します」

「はい」

「みほはまだ高校生です。節度ある行動をしなさい。これは特に、男性であるあなたの問題です」

「はい。わかっています」

「最後です。――これから二人がどう付き合っていくのかはわかりませんが、結果的にみほが傷つくこともあるかもしれません。あなたが気を付けていてもです」

「……はい」

 

 もちろん俊作はそうならないように気を付けるつもりだが、不慮の事柄でそういった事態が起こらないとも限らない。事故や誤解など、それはあり得ることだ。そのことを言っているのだと理解して、俊作は頷く。

 その反応を見届けてからしほは続けた。

 

「そんな時でも、常から誠意を以ってあなたがみほに対していれば、傷は小さく、癒えるのも早いでしょう。つまり、みほのことを蔑ろにせず、大切にするということです」

 

 その後、しほが俊作を見る。その視線には、かつてないほどの力が込められていた。

 

「――もし無碍に扱うようなことがあれば、決して許しません。以上です」

「はい。――ありがとうございます」

 

 絶対にそのようなことはありません、とそんなことを言おうとして俊作はやめた。口で言うことはいくらでもできる。それよりもこれからの態度で示していこうと思ったからだ。

 だから、ただみほとの付き合いに許可をくれたことへの感謝を口にした。そして頭を下げる。

 不意に心の奥から湧き上がってくる喜びを俊作は感じていた。体を丸ごと熱くさせるようなその熱に、顔は緩み、飛び上がってしまいそうになるが、その衝動を必死に抑えて俊作は頭を上げてしほを真っ直ぐに見つめた。

 しほの目線が、俊作から隣へと移る。

 

「みほ」

「は、はい。お母さん」

「何かあれば頼ってきなさい。それから……」

 

 そこで少し口ごもり、それから何でもない事のように言葉が続けられた。

 

「この間の試合ではよくやりました。あれが、あなたの見つけた戦車道なのね」

「え?」

 

 その予想もしていなかった言葉に驚くみほ。しかし、それを尻目にしほは、すっと立ち上がった。

 

「久東さん。申し訳ありませんが、この後にも予定がありますのでこれで失礼させていただきます」

「あ、いえ、はい」

「みほのこと、よろしくお願いします」

 

 その言葉に、俊作ははっとして、正座のままもう一度力強くしほを見ると、「はい」と真剣な声音で応えた。

 それを見届けて、しほは客間から出ていく。

 その姿を二人で見送った後、みほと俊作はお互い同時にしほが出ていった襖に向かって深く頭を下げた。

 そして二人ともがまったく同じことをしていることに気づき、顔を見合わせて噴き出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 家を出たしほは、移動中の車の中でおもむろに携帯電話を取り出すと、短縮ボタンを押して耳に当てた。

 数度続くコール音。そのあと、聞き慣れた声が耳に届く。

 

「もしもし。……ええ、いま終わったわ。ええ、みほも一緒」

 

 頷きながら、しほは話す。その視線は遠い物を見るように車窓の外を映していた。

 

「ええ、認めました。悪い人ではなさそうだったし、みほも信じているようで……、そう? ……ええ、そうね。私にしては、甘い評価だったかもしれないわ」

 

 けれど、としほは笑った。

 

「彼、あなたと同じことを言うんですもの。つい認めてしまったわ」

 

 電話口から聞こえる驚く声。それに気を良くして、しほは続ける。

 

「西住のことを知り、私を助ける。それから、私の為なら私が悲しむこと以外で何でもする、だったかしら。懐かしいわね。……ああ、はいはい。まったく、もうそんなに恥ずかしがる歳でもないでしょう」

 

 しほが肩をすくめる。彼女の脳裏には、在りし日の記憶が浮かんでいた。

 夫が自分との仲を認めてもらおうと、西住の家を訪ねてきた日の事だ。今日の二人のように。

 

「自動車と学園艦という違いはあれど、同じ整備士なのだし、あなたとも気が合うかもしれないわね。……え? はぁ、まぁいいですが。あなた自ら問い質すとしても、あまり言い過ぎるとみほに嫌われるわよ?」

 

 溜め息を吐きながら言うしほだったが、返ってきた言葉にぴたりと動きを止めた。

 

「……うるさいわね。西住の戦車道は勝つ戦車道。それは変わらないし、変えるはずもない。私はただ西住流の家元として正しいことをしただけよ」

 

 ただ、それが母親として正しかったかは別だった。同時に、みほの気質に合っているかどうかも別だった。

 そしてそのことにしほは気づかなかったし、気づいても意識して目を逸らしていた。その結果が、すれ違ってしまった今の二人なのであった。

 

 それはひとえに、みほの持つ才能を知っていたがゆえだった。まほもきっと気づいていただろう。戦車道をするのならばみほのほうが向いているということに。

 その才能を感じたからこそ、しほは長女であるまほだけでなく、次女であるみほにも西住流としての在り方をまほと同じレベルで頑なに求めた。その才能を西住の名のもとに開花させれば、西住流としても良い事だし、みほにとっても才能を発揮できることは喜ばしいと思ったからだ。

 しかし、しほのそんな思いとは裏腹に、みほはいつまで経っても気が弱く、敵に対しても情けを見せるような性格だった。それは西住流としては間違っている。

 

 せっかくの才能を腐らせるわけにはいかない。それはみほにとっても不幸なことだ。

 

 その思いから厳しく西住流を求めすぎていたこと。それが過ちであったことをしほが悟ったのは、あの全国大会決勝戦を見てからだった。

 そして過ちに気付いたはいいが、生来の気の強さが邪魔をしてみほになかなか向き合うことも出来ず、ずるずると今日まで来ているわけだった。

 それをもちろん、電話の向こうの相手はよく知っている。知っているのに、その点を突いてきたのだ。

 憎らしい事だ、としほは少しだけ眉を寄せた。

 

「とりあえず、ひとまず二人の事を見ていきましょう。その後については、今後の二人次第ね。……ええ。……そうね。……ええ、それじゃまた後で」

 

 会話を終え、耳に当てていた携帯電話を下ろすとボタンを押して通話を切る。

 そして車窓の向こうへと再び視線を向け、流れる景色を見つめた。

 

「……それにしても、やはり親子は似るのかしらね」

 

 職業も整備士で、同じ事を母親に言う辺り、どこかしら夫とあの彼は似ているとしほは思った。そして、そんな彼を伴侶にしようとしているのだから、やはり自分とみほも似ているのだろう、と。

 まったく……。そう呟きながらもどこか嬉しそうな顔のしほを乗せて、車は静かに目的地を目指して走り続けるのだった。

 

 

 

 

 

 




しほさんの行動はみほを思う愛からのものであったに違いない。
だからこそ厳しくみほに接してきたんだ、と「あれはしほさんなりの愛だったのだ」と勝手に捉えて妄想しました、今話でした。

同時に、俊作くん腹を決めるの回でもあります。
ずっと死ぬまで、というのは言葉のとおりです。まんまです。

そして常夫さんも登場。
電話越しかつ台詞もないですが。
だってどんな人なのかまったくわからないんですもん。
それでもやはり家族の問題な以上は外せないので、このような形でご登場です。
まほについては、既にみほと俊作の事は了解しているのでこの場にはいませんでした。

そして冒頭、しほと千代の関係が昔からというのは勝手な妄想です。
学生の頃から何かと張り合っているけど結局はお互いを認めていて親友と書いてライバルと読む関係だったらいいなーと思った結果です。

以上、俊作くんしほさんと対面するの回でした。


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