ダタッツ剣風 〜中年戦士と奴隷の女勇者〜 (オリーブドラブ)
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ダタッツ剣風 〜中年戦士と奴隷の女勇者〜

◇登場人物

・ダタッツ
 本作の主人公。当てのない旅を続けている帝国出身のおっさん戦士。赤いマフラーが特徴。43歳。

・グーゼル
 本作の準主人公にしてヒロインにして、エロ担当。元は公国に仕える少女騎士だったが侵略により祖国を追われ、故郷を取り返すために反乱軍を組織した。24歳。
 スリーサイズは上から102/58/89。

・クセニア
 本作のサブヒロインにしてエロ担当その2。公国の君主の血を引く公女であり、侵略者に囚われ辱めを受けながらも、屈することなく気丈に振る舞い続けている。グーゼルとは幼馴染。17歳。
 スリーサイズは上から91/55/85。

・オリア
 反乱軍の一兵士。達人の域には達していないものの、槍の使い手として優秀な人物であり、その勇猛さから人望も厚い。グーゼルから小隊長を任されている。18歳。
 スリーサイズは上から87/56/83。

・マクシミリアン
 本作のラスボス。帝国出身の傭兵であり、現在は悪魔の勇者として知られる「帝国勇者」を名乗っている。ならず者達を率いてマクシミリアン傭兵団を組織し、帝国の支配を受けていない公国を侵略。国を乗っ取り、国民を奴隷のように酷使している。36歳。

・バルタザール
 マクシミリアン傭兵団の一員であり、ナンバー2。巨大な鉄球を容易く振り回す怪力の持ち主であり、女と見れば誰彼構わず手を出すケダモノ。グーゼルを愛人にしようとしている。38歳。



 ――私達が暮らすこの星から、遥か異次元の彼方に在る世界。

 

 その異世界に渦巻く戦乱の渦中に、帝国勇者と呼ばれた男がいた。

 

 人智を超越する膂力。生命力。剣技。

 

 神に全てを齎されたその男は、並み居る敵を残らず斬り伏せ、戦場をその血で赤く染め上げたという。

 

 如何なる武人も、如何なる武器も。彼の命を奪うことは叶わなかった。

 

 しかし、戦が終わる時。

 

 男は風のように行方をくらまし、表舞台からその姿を消した。

 

 一騎当千。

 

 その伝説だけを、彼らの世界に残して。

 

 ――そして、戦の終わりから三十年が経つ頃。

 異世界に広がる大地の殆どを征服し、数多の属国を従える一大強国である帝国の軍勢は、三十年前の戦で勇者を失ってからも――全ての地を手中に収めんと、遠征を繰り返していた。

 

 だが、帝国の支配が及ばぬ遠い地であれば平和というわけではない。むしろ、属国でないということは帝国という強国の後ろ盾がない、ということを意味する。

 

 中立を維持する国は、いわば狼に囲まれた羊も同然なのだ。

 

 帝国の領土から最も遠く離れ、数百年に渡り独立を保っている公国も、その一つなのである。公国の領土を狙う外敵は、帝国だけではないのだから。

 

 ――その公国を象徴する、巨大な城。その荘厳な姿が伺える森の中を、一人の男が静かに歩んでいた。

 

「……」

 

 青い服の上に分厚い鎧を纏い、剣や盾、一角獣を模した鉄兜で身を固めるその姿は、屈強の一言に尽きる。彼の首に巻かれた赤いマフラーも、風に揺られて滑らかに靡いていた。

 さらに、兜から覗いている黒髪。口周りの野性的な無精髭に、精悍さを湛えた顔立ちからは、男としての力強さが滲み出ているようだった。

 

 そんな彼は、鋭い眼差しで城のシルエットを射抜き――その場所を目指して、歩みを進めている。まるで、今からそこに攻め込もうとしているかの如く。

 

「止まりなさい!」

「……」

 

 すると、突如背後から女の声が轟き――男の足を止めさせた。彼が振り返った先には――見目麗しい女剣士が、こちらに剣を向ける光景が広がっている。

 

 艶やかな黒髪のセミロングに、碧い瞳。透き通るような色白の柔肌。彫刻の芸術品に命が宿ったかのように整った、目鼻立ち。そして、鎧の上からでも伺える程の豊満な胸や臀部。

 

 さらにその肢体は、深緑の服の上に装備されたプロテクター状の軽鎧で覆われている。両手には、この国の象徴である天馬(ペガサス)の紋章を刻んだ盾に、翼を模した鍔を持つ剣があった。

 

 ――見るからに、只者ではない。敵意を隠さず、剣を向ける女剣士に対し、男はあくまで冷静に対応する。

 

「自分に、何か用か」

「何か用、ですって。白々しい! マクシミリアンの手のものでしょう、あなた。この森に近づいた以上、ただでは済まさないわ」

「話をさせてくれるようには見えない――が、これだけは申し上げたい。こちらには、『君達』と戦う意思はない」

「……ッ!?」

 

 男の言及に、女剣士は僅かに身を強張らせる。同時に、彼女の周りにある茂みが音を立てて蠢いた。

 

「気づいていた……というの」

「気配を消さずに姿だけ隠しているようでは、まともに話をすることもできまい。君達が何者なのかは知らないが……まずは、話し合いたい」

 

 男の呼びかけに対しても、女剣士は警戒を緩めず、茂みを庇うように剣を構える。あくまでこちらを敵と認識している彼女の対応に、男も表情を曇らせた。

 

「……仕方が無いな」

 

 そして、やむなく――と言わんばかりに、腰に提げている剣に手を伸ばす。

 刹那。

 

「いたぜバルタザールさん、反乱軍の連中だァ!」

「公国勇者様も御一緒だぜェ!」

 

 突如、違う茂みから男達の下卑た笑い声が響いてくる。次の瞬間、声が聞こえた方向から、毛皮に身を包んだ荒くれ者達が飛び出してきた。

 斧や棍棒で武装した彼らは、嗜虐的な笑みを浮かべて女剣士と男を見遣る。彼らも、女剣士が隠そうとしていた茂みの中に気づいているようだった。

 

「へっへっへ……外国に売り飛ばす予定だったガキどもを積んだ馬車が、破壊されてるって情報を掴んでよ。現場に残った足跡を辿ってみりゃ、ビンゴだったってわけ」

「くっ……あんた達、まさか!」

「外国に行かれたら取り返せないって、焦ったのが運の尽きだったな公国勇者ァ。奴隷商の馬車もそこに積んだガキどもも、最初から反乱軍のアジトを突き止めるための囮なんだよォ!」

「とうとう割り出してやったぜ、反乱軍のアジト。十年もしつこく抵抗しやがってよぉ。俺達『マクシミリアン傭兵団』に従ってりゃあ、ちったぁマシに死ねたかも知れねぇってのに」

 

 荒くれ者達の嘲るような声に怯え、草むらの中から小さな子供達が飛び出してくる。彼らは女剣士の足元に縋り付くと、か細い声で「助けて」と呟いていた。

 全身に傷跡を残し、ボロ布で身を包んだその姿からは、幼い彼らがどのような仕打ちを受けてきたかが容易に伺えた。

 

「なら……あんた達を全員倒すしかないらしいわね」

「おおっと、残念ながらそいつは不可能だぜ。マクシミリアン傭兵団ナンバー2の、このバルタザール様が来ちまったからにはな」

 

 女剣士が改めて剣を構え直すと――荒くれ者達の後ろから、さらに巨大な体躯の男が現れた。禿頭と逞しい口髭を持つその巨漢は、棘だらけの歪な鉄球を振りかざし、女剣士と相対する。

 

「お前も懲りねえなぁグーゼル。最年少の公国騎士だったお前が、公国勇者と名乗って俺様達に反旗を翻して、もう十年。いい加減、諦めて降伏しようとは思わないのか?」

「思わないわ。十年前、貴様らにこの国を侵略され、乗っ取られた屈辱――今でも、昨日のように覚えてる」

「やれやれ。かつて帝国勇者と恐れられた我らのボスに、敵うわけないってのに。この俺様にすら今まで一度も勝ったことがないくせして、どうやってボスを倒そうってんだァ?」

「――甘く見ないで。昔の私とは、一味も二味も違うんだから」

「違ってるのはカラダだけじゃねぇのか? 十年前はションベン臭ぇガキとしか思っちゃいなかったが、なかなかどうして、いい女に育ったじゃねぇか。今のお前なら、俺様の愛人にしてやってもいいんだぜ」

 

 女剣士――グーゼルと対峙するバルタザールと呼ばれる巨漢。彼らは好色な視線で彼女の肢体を舐め回し、舌舐めずりをする。

 その粘つくような眼差しに、グーゼルはさらに憤るように一歩踏み出す。今にも、斬り掛らんとする勢いだ。

 

 赤マフラーの男は、そんな彼女の背中を静かに見守っている。

 

「バルタザールの旦那ァ! もう犯っちゃってもいいっすかァ!?」

「何年もお預け食らって、そろそろ我慢の限界なんすよォ!」

「……構わねぇが、せっかくの上玉なんだ。あんま傷だらけのカラダにすんじゃねぇぞ」

「へっへへ。わかってますよォ、ちょっと骨の一、二本折れてもらうだけっすからァ」

 

 だが、彼女と最初に戦おうとしているのはバルタザールではなく、その両脇に控えていた二人の荒くれ者だった。

 彼らはグーゼルの膨らんだ胸元に厭らしい視線を注ぎながら、ジリジリとにじり寄る。その姿に恐怖する子供達は、涙を浮かべてグーゼルの影に隠れた。

 

「……言っておくけど。ここまで踏み込んできた以上、生かして帰すわけにはいかないわ。今までのように、追い払うだけじゃ済まさないけど――覚悟はいい?」

「へっ、覚悟すんのお前だぜグーゼル! 女に生まれたこと、後悔させてや――あ、え?」

 

 そして、荒くれ者達がグーゼルに飛び掛かる瞬間。眩い一閃が、彼ら諸共周囲の木々を切り裂いて行く。

 上半身と下半身を切り離された彼らは、木々が薙ぎ倒されていく音を聞きながら、べしゃりと地面に墜落していく。斬られたことにも、気づかぬまま。

 

公国式闘剣術(こうこくしきとうけんじゅつ)――征王剣(せいおうけん)

 

 横一閃に振り抜かれた剣が、動きを止め――荒くれ者達が事切れた後。グーゼルは静かにそう呟くと、改めてバルタザールと対峙する。

 

「ほ、ほう。やるようになったじゃねぇか。確かに十年前とは違うな」

「次は貴様の番よ。言っておくけど、逃がすつもりはないわ」

「逃げる必要など――ないわァッ!」

 

 バルタザールは焦燥を隠すように、鉄球を振り上げてグーゼルに襲い掛かる。だが、舞い上がった鉄球が敵方目掛けて墜落するよりも疾く、彼女は剣の間合いまで踏み込んでいた。

 

「ぐっ……!」

「これで終わりよ、公国式闘剣術――征王ッ……!?」

 

 再び、横一閃の切り払い。征王剣と呼ばれる、その一撃が決まろうとしている。

 だが……彼女は、その直前に踏みとどまり、技を中断してしまった。

 

 僅か一瞬、自分を覆った丸い影を目にして――気づいたからだ。自分を飛び越した鉄球の向かう先に――子供達がいることに。

 

「しまっ……!」

 

 振り返った先には、迫る鉄球に怯え、泣き叫ぶ子供達の姿。今から引き返しても、決して間に合わない。

 容赦無く鉄の塊にすり潰され、赤い挽肉になる子供達。その光景を想像してしまった彼女の顔から、一気に血の気が失われる。

 

 だが、結末はその予想から大きく外れた。

 

「……ッ!」

「えっ……!?」

 

 今まで事態を静観するばかりで、動く気配を見せなかった赤マフラーの男が、間一髪というところで子供達を抱え、鉄球を回避したのだ。

 敵とばかり思っていた彼の意外な行動に、グーゼルは思わず目を丸くする。

 

(なんで、あの男が……!? いや、それは後! 今は――)

 

 だが、すぐに気を取り直して敵方へと向き直る。その眼前には、グーゼルの顔面を狙う拳が迫っていた。

 

「このアマァァァァ!」

「――この腐れ外道を、叩っ斬る!」

 

 しかし、グーゼルはすでにそれを読んでいた。瞬く間にバルタザールの頭上へと跳び上がった彼女は、そのまま全体重を掛けるように、縦一文字に剣を振り下ろす。

 禿げた彼の頭頂から、足の爪先まで。グーゼルの剣は、紙を斬るかのようにバルタザールの巨体を両断するのだった。

 

「あ、あぎ、が……」

「痛いでしょう。辛いでしょう。それが、この国の――痛みよ」

 

 そして。もがき苦しみ、死にゆく彼を介錯するかのように――征王剣の一閃で、彼の上半身と下半身を切り分けてしまう。

 四等分されたバルタザールの身体は、激しい血飛沫を辺りに撒き散らすと、今度こそ動かなくなった。

 

「……」

 

 戦いを終えた彼女の視線が、子供達を抱えた赤マフラーの男に移される。だが、その眼からはすでに敵意は失われていた。

 一人の女として、一人の男と話す。そんな意思が、彼女の瞳に現れている。

 

「あなた、名前は?」

「申し遅れたが、ダタッツと申す。当てのない旅を続ける、流浪の一戦士だ」

「私は、反乱軍の司令官グーゼル・セドワ。公国勇者、とも呼ばれているわね」

 

 軽い自己紹介を済ませ、彼女は子供達のそばに歩み寄る。得体の知れない髭男よりは、やはり若い女性の方が安心できるのか、子供達は飛び跳ねるようにグーゼルのそばに駆け付けた。

 

「とにかく、アジトに戻らないと。案内するわ」

「敵は生かして帰さないんじゃなかったか?」

「敵なら、ね」

 

 赤マフラーの男――ダタッツの、訝しむような問い掛けに対し、グーゼルはふっと微笑んで見せた。危険を顧みず、子供達を助けたダタッツの行動は、彼女の心を確かに動かしたのだ。

 

 彼女の笑みを目にして、それを悟ったダタッツは、呆気に取られたような顔を一瞬浮かべると――彼女と同じように微笑み、その後に続いて行く。

 そうして、彼らは森の奥へと進んで行き――山道から、姿を消してしまうのだった。

 

 ◇

 

 かつて、この公国は豊かな緑に囲まれた平和な国だった。大陸の端にある小国ゆえ、帝国の侵略も受けることもなく、この国の人々は穏やかな毎日を過ごしていたのだ。

 

 だが、十年前――その平和が、突如崩れ去った。

 

 三十年前の侵略戦争で戦死したと思われていた「帝国勇者」を名乗る男が、「マクシミリアン傭兵団」と呼ばれる武力集団を組織し、公国に攻め入ったのだ。

 長い平和に馴染み過ぎていた公国は、その怒涛の侵略に抗い切れず、間も無く降伏し――由緒正しき公国は、傭兵団によって乗っ取られてしまったのである。

 

 だが、それで終わりではなかった。

 公国の城や城下町から散り散りに逃げた人々は、やがて一つに寄り集まり、反乱軍を組織したのだ。自らの祖国を、侵略者から取り返すために。

 

 ――その先陣を切り、公国勇者と名乗ってマクシミリアン傭兵団と戦い続ける女がいた。

 十年前、最年少の騎士として公国に仕えていた女剣士グーゼル。彼女は、その天才的な剣の技と持ち前の勇気を武器に、十年に渡って反乱軍の一員として戦い続けてきたのである。公国の矛である騎士団の、唯一の生き残りとして。

 そして今では、二十四歳の若さで司令官を務める程にまで成長を遂げていた。

 

「死んだはずの帝国勇者が、なぜ今になってならず者を率いて傭兵団を組織しているのかはわからない。だけど、帝国の庇護下にないこの国が、奴らのカモであることは事実。奴らはそれをいいことに、この十年で幾度となく略奪を……」

「なるほど、な」

 

 深い森の奥にある、薄暗い洞窟。反乱軍のアジトであるその空間の一室で、ダタッツはグーゼルから公国の現状を説明されていた。

 

「人類の希望と言われる『勇者』を名乗っていながら、力に溺れて略奪と殺戮に没頭していた悪魔の勇者。そんなの、御伽噺の怪物だとばかり思っていたけれど……あの強さと残忍さを見れば、信じざるを得ないわ。帝国勇者は、実在していたんだって」

「そうか。……それで、君はどうしてあそこに?」

「……数日前、奴らが資金集めに城や街で奴隷として働かせてる子供達を、外国に売り飛ばそうとしてるって情報を掴んだの。それで、奴らの馬車から子供達を助けた帰り道で、あなたに会った、ってわけ」

「……今まで、ずっとそうして戦ってきたのだな。兵達の士気を見れば、君が慕われていることもよくわかる」

「ええ、みんなもよく戦ってくれてる。……だけど、十年掛けて戦ってきた今でも、奴らを追い出すことは出来ていない。こうしている間も、街に取り残された人達は奴隷のように働かされてるっていうのに……」

 

 そんな彼ら二人を、反乱軍の兵士達が囲っている。若い男の殆どはすでに命を落としているか、城で奴隷として働かされているかのどちらかであり、残っている兵の多くは女子供ばかりであった。

 だが、彼らの瞳には確かな希望が灯されている。非力なはずの彼らの表情は、歴戦の猛者にも勝る勇ましさを放っていた。

 

 ――彼らにとって。グーゼルの存在は、それほどまでに大きいのだ。そして、それゆえに緊張もしている。

 次の作戦が、この戦いの命運を握っているのだから。

 

「だから現状を打ち破るには――反乱軍の陽動に乗じ、私一人で城に忍び込んで、奴らのボスである帝国勇者マクシミリアンを討つしかないの。今年に入って、ついにそのルートも掴んだわ」

「しかし……危険過ぎるのではないか。万一、捕まれば命はないぞ」

「危険など、承知の上よ。正攻法では、奴らには勝てない。……私は、この国の勇者なの。勝たなきゃ、意味がないのよ」

 

 ダタッツの追及に対し、グーゼルは表情を曇らせながらも――主張を変える気配を見せない。

 

「――それはさておき。子供達を助けてくれたことには礼を言うわ。それと……疑ってごめんなさい。武装してこの森に近づいてきたものだから、つい……」

「構わない。自分も結局は戦おうとしていたからな。お互い様、だ」

「ふふ。あなたって随分変わってるのね。巻き込まれただけなのに、嫌な顔一つしないなんて」

「荒事に出くわすのには慣れているからな。……それに、こうなってしまった以上『巻き込まれただけ』と他人事にするわけにも行くまい」

「そうね。私達としても、腕に覚えがある人が一人でも多い方が助かるわ。……けど」

 

 グーゼルはそこで一度言葉を切ると、席を立って踵を返してしまった。もう、話すことなどない、と言わんばかりに。

 

「これはあなたが言った通り、危険過ぎる戦い。この国の出身でもないあなたを、付き合わせるつもりはないわ。例え命に代えても、私は帝国勇者を倒して見せる」

「……あくまで、自分達だけで解決したいと言うのか。グーゼル殿、確かにその勇ましさは賞賛に値する。だが、君がこの国の勇者であるならば……無謀な戦いはするべきではない。例え周りが勝ちを焦っていても、君だけは冷静であるべきだ」

「……なんですって?」

 

 ダタッツの言葉に、グーゼルは鋭い眼光で振り返る。その剣呑な空気に触れ、彼女の強さを知る兵達は揃って息を飲んだ。

 

「ただ強いだけの者を……力で人の意思を押さえ付ける者を、勇者とは呼ばん。件の帝国勇者という男は、勇者と呼ぶには値しない」

「……」

「結果だけを追い求め、自分の価値を見失う者も同じだ。君は、命に代えても――と言ったが。そうやって人々を守ったところで、リーダーを失った彼らは進むべき道を見失ってしまうだろう」

「だから……なんだというの」

「勇者とは、強力な戦闘力の持ち主ではない。誰かに希望と、勇気を与えられる人間のことを言うのだ。万一君を失えば、人々は希望を失う。その重さを、考えたことはあるか? 今日、あのバルタザールとやらを討ったように、地道に敵の戦力を削ぎ落とし、確実に勝てる時を待つべきではないか?」

「……なにがわかるのよ。あなたに、故郷も親も帝国勇者に奪われた私の、なにがわかるというの!」

 

 そしてグーゼルは激情のままに、自分が座っていた椅子を蹴飛ばし――ダタッツの胸ぐらを掴み上げる。その行為に女性兵士達が短い悲鳴を上げる――が、掴まれている当人のダタッツは、表情を変えない。

 怒りと悲しみを混ぜ込んだ彼女の瞳を、ただ静かに見つめている。

 

「帝国の侵略から逃れるために、遠い外国から来た母も。そんな母を助けるために尽力していた父も。同じく帝国に追われて、この国に辿り着いた人々も! 皆、帝国勇者に殺された! 今もそう! 私達がもたもたしてる分だけ、誰かが奴に殺される! だからその前に奴を殺す! もう手段なんて選んでられないの、他所者のあなたとは違ってね!」

「そのために、死んでも悔いはないと?」

「……ないわ。この国に平和が戻るのなら、私の命も魂も、神にくれてやる」

「殊勝なことだ。だが、その憎しみでは何も救えはせんぞ。君について来た反乱軍の勇士達も、助けを待つ街の人々も――そして、君自身も」

「――知った風な口を利くな!」

 

 グーゼルはダタッツの言葉に激昂し、彼を椅子から突き飛ばす。中年の戦士はその勢いのまま尻餅をつくが、それでも顔色一つ変えないまま、立ち去って行く彼女の背を見送っていた。

 そうして彼女がこの部屋を去り、乱暴に扉を閉じられた後。グーゼルの部下である女性兵士達が、甲斐甲斐しくダタッツを助け起こす。

 

「申し訳ありません、戦士様……。グーゼル様は数日前に、母君を奴らに処刑されたばかりで……」

「それに早く降伏しなければ、人質に取られている公女殿下を辱めると……」

「――なるほど。それで、ああも焦っていたのか」

 

 合点がいったように、ダタッツは深く頷く。女性兵士達も、グーゼルの直情的な一面を案じている一方で、このままでは状況が厳しいと感じているようだった。

 

「だが……リスクが大き過ぎるのも事実。件の作戦には、自分も同行させて頂く。彼女には黙っておいてくれ」

「は……し、しかし……あなたを巻き添えになど……」

「気にすることはない。――『帝国勇者』とやらに、少し興味があってな」

 

 自分を気にかける兵達を安心させるように、ダタッツは彼女らの肩を優しく撫でる。逞しい肉体を持つナイスミドルに触れられ、戦いばかりに生きてきて男慣れしていない彼女達は、揃って頬を赤らめた。

 そんな彼女達の反応を尻目に、ダタッツは「帝国勇者」と名乗るマクシミリアンという男のことを考えていた――。

 

 ――その頃。夜の帳が下りが降りた、公国の城では。

 玉座に腰を掛けた一人の男が、杯を手に不敵な笑みを浮かべていた。その視線の先には、反抗的な視線で自分を睨みつける、鎖で繋がれた少女の姿がある。

 

「なかなかやるじゃないか、この国の勇者様も。まさかバルタザールが殺られるとは思わなかったぜ、なぁクセニア公女殿下?」

「あなた達の狼藉も、ここまでということです。早く私の拘束を解き、降伏しなさい。マクシミリアン」

 

 鎖で首を拘束されていながら、気丈な姿勢を崩さない少女を前に、男はほくそ笑むとゆっくり立ち上がった。

 

 燃え上がる炎のような赤い髪に、口周りを覆う逞しい口髭。浅黒い肌に、分厚く鍛え上げられた肉体という名の鎧。玉座の両脇に飾られた、巨大な斧と盾。

 まるで、地獄の鬼が人の姿を借りたかのような――獰猛な出で立ち。それが、マクシミリアン呼ばれる男の風貌だった。

 

 一方、クセニアと呼ばれた少女は――金色のショートヘアと、透き通るような白い肌を持つ、絶世の美少女だった。

 さらに、そのプロポーションは十七歳という若さでありながら、すでに完成された美しさに至っている。豊満に飛び出した胸から腰のくびれ、そこから扇情的な曲線で描かれた臀部。その肢体を、マクシミリアンは獲物を捕らえた獣のような眼差しで見つめていた。

 最小限の布で本当に必要な所しか隠していない、踊り子の衣装のような服を着せられている彼女は、その視線を浴びても身を隠す術がない。それをわかっているからか、彼女は恥じらうこともなく堂々とマクシミリアンと向かい合い、冷ややかな眼光で彼を射抜いている。

 

「相変わらず強気だなァ公女殿下。勇者様によほど期待してると見える」

「グーゼルは……あなたのような外道になど、絶対に負けません。そうやって笑っていられるのも、今のうちです」

「へぇ、そいつは頼もしいな。――しかしあんたといい勇者様といい、澄ました顔してスケベなカラダしてんなァ。もっと熟れてから『味わう』つもりだったが……こりゃあ、ちと前倒しになりそうだぜ」

 

 マクシミリアンは無遠慮にクセニアの豊かな胸に手を伸ばし、揉みしだく。さらにわざと屈辱を与えるかのように、彼女の白い頬をべろりと舐め上げた。

 

「く……」

「どんな気分なんだろうな? 憎い敵に、誇りも貞操も穢されるってのは」

「……好きになさい。帝国の勇者が私欲に塗れた下衆だということは、とうにわかっています。ここに捕らわれた時から、覚悟は出来ていました」

「ははは、そうかいそうかい。だがな公女殿下。帝国勇者のオレが公国勇者のグーゼルに勝てば――正しいのはオレってことになるんだぜ。力で全てを支配してきた帝国が、この世界の正義を左右しているようにな」

「なにをっ……あう!」

 

 やがて、クセニアの胸や尻をひとしきり撫で回し、頬や首筋を舐めた後。マクシミリアンは満足げな笑みを浮かべ、踵を返す。

 その後ろでは、辱めを受けた姫君が、上気した顔で両脚を震わせていた。息遣いも荒く、その肢体は汗だくになっている。彼女は打ちのめされた表情のまま、その敵意に満ちた眼光で、背後からマクシミリアンを突き刺していた。

 

「……まぁ、お楽しみはとっておいた方が、後の悦びもデカいからな。あんたは、グーゼルと一緒に『頂く』とするぜ。この国の誇りである公女殿下と公国勇者が、二人同時にオレに奉仕するんだ。堪らねぇな……フフ、ハハハハ!」

 

 そして高らかな笑い声を上げ、マクシミリアンは彼女の前から立ち去っていく。その声で、城下町から響いてくる民衆の悲鳴が、掻き消されていた。

 

(グーゼル……お願い、早く……!)

 

 姫君の心の叫びは、誰にも届かず……ただ、傭兵団の蹂躙に泣き叫ぶ民の慟哭だけが、今日も公国の城下街に轟くのだった。

 

 ◇

 

 そして――翌日の深夜。この世界が、月明かりに照らされる頃。

 城下町が間近に伺える草原には、陽動を任ぜられた反乱軍が布陣していた。その視線を一身に浴びるグーゼルは、剣と盾を構えながら全員に告げる。

 

「――これより我々は、城下町に侵入し傭兵団との交戦に入る。私は城内に潜入し、速やかに帝国勇者を討ち取るわ。それまで……なんとしても持ち堪えて」

「はっ!」

「お任せください、勇者様!」

 

 彼女の呼び掛けに、兵達は強く頷いて見せた。集まった人数は僅か二百。傭兵団の人員は五百。戦力差は倍以上だが――彼らの瞳に恐れはない。

 信じているからだ。グーゼルなら、必ずやり遂げてくれると。

 

「……」

 

 そして、陽動に赴く軍勢の中には――ボロ布を継ぎ接ぎして作られたマントを纏う、中年の戦士もいた。救出された子供達の力作を身に付ける彼は、グーゼルの決意に満ちた背中を静かに見つめている。

 

 やがて、グーゼルの合図と共に城下町の直前まで進み出た彼らの先遣隊は――

 

「ん〜……? なんだぁ? 誰かいるの――ひぎッ!?」

「今だぁッ! みんな進めぇえぇえ!」

 

 ――酔いつぶれていた傭兵団の見張りを一瞬で斬り捨てると、怒号を上げて城下町に攻め入っていく。

 

「おおぉおぉお!」

「祖国の誇りを取り戻せぇぇえッ!」

 

 その勢いに乗じて、残る反乱軍全員が一気に城下町へとなだれ込む。突然の夜襲に驚く傭兵団の歩哨達は、抵抗する間も無く――次から次へと斬り伏せられて行った。

 

「なんだぁ!? なにがどうなってんだぁ!?」

「反乱軍だ! 反乱軍が夜襲を仕掛けてきやがった!」

「なにぃ!? この十年、こそこそと暗殺みたいな真似しかして来なかったのに……!」

「とにかく全員叩き起こせ! 奴ら、もうそこまで来てるぜ!」

 

 自分達の勝利を盲信し、警戒を怠っていた傭兵団は、反乱軍の迅速な進撃に翻弄されつつあった。彼らが目を覚まし、武器を手に夜の城下町に集まる頃には――すでに百人以上の同胞が犠牲となっていたのである。

 

「舐めた真似しやがって!」

「皆殺しだァァァ!」

 

 その光景を前に、激昂する野獣達。彼らは斧や鉈を振り上げ、反乱軍の女性兵達に襲い掛かるが――

 

「公国式闘剣術ッ……征王剣ッ!」

 

 ――その中から飛び出してきたグーゼルの一閃により、瞬く間に上半身と下半身を両断されてしまうのだった。

 

「勇者様!」

「ここは任せたわ、なんとか皆を守り抜いて!」

「はい! ――どうか、ご武運を!」

「ええ!」

 

 グーゼルはその勢いのまま直進し、城を目指して城下町の路地を駆け抜けて行く。行く手を阻む傭兵達は好色な笑みを浮かべて彼女に踊り掛かるが、反乱軍の兵達が必死にそれを食い止めていた。

 

(ダタッツ……今頃、どうしてるかしら。今朝には、もう姿が見えなくなっていたけど……)

 

 一方。路地裏に入り込み、反乱軍と傭兵団の激戦区から逃れた彼女は、潜入ルートを目指しながら――あの戦士のことを考えていた。自分が彼にしたことを思い返し、グーゼルは人知れず眉を顰める。

 

(私は……なんてことをしたのだろう。なんてことを、言ってしまったのだろう。彼は会って間もない私のことを、本気で心配してくれていたのに……私は、自分のことばかりで。彼の言葉を聞こうともしなかった)

 

 怒号を上げながら、慌ただしく城から駆け出して行く傭兵の群れに見つからないよう、息を殺し、気配を消して。彼女は城の地下水路を渡り、城内へと潜入していく。

 だが、そんな時でさえ。彼女の頭からは、ダタッツへの謝罪の思いが離れずにいた。

 

(もし、無事にこの戦いを終えて、生きてもう一度彼に会えたら……その時は、誠心誠意を込めて謝ろう。そして、ちゃんと言わなきゃ。心配してくれて、ありがとう――って)

 

 そんな思いを胸に抱きながら、女勇者は少しずつ――そして着実に。帝国勇者が待ち受けているであろう、玉座の間へと近づきつつあった。

 

 一方。

 城下町で交戦を続ける反乱軍の兵士達は、徐々に傭兵団の反撃に押され、路地裏に包囲され始めていた。

 

「くっ……!」

「へへ、さっきまでの威勢はどうした子猫ちゃん達ぃ。まさか、これだけナメた真似しといて、もう降参ってわけじゃねぇだろうな?」

「女だてらにここまで暴れてくれたんだ。相応の礼はさせてもらうぜ? そのカラダでな」

「ひ……!」

 

 女性中心の兵士達を囲う荒くれ者達は、厭らしい笑みを浮かべて得物の刃を舐める。その獣欲に滾る眼差しに晒された女性兵は、怯むように身を竦ませた。

 いかに気勢に溢れていようと、若い男に代わる「予備」でしかない彼女達は、戦闘経験でも数でも勝る傭兵団に苦戦を強いられている。……だが、そんな女性兵の中にも、気丈さを失わずに立ち向かおうとする者がいた。

 

「……馬鹿にしないで。あんた達になんか、死んでも好きにさせないんだから!」

 

 そう言ってのけた、明るい茶髪をポニーテールで纏めた十八歳前後の少女は、手にした槍の切っ先を傭兵団に向ける。強い意志を宿した彼女の瞳は、この窮地の中でひと際煌めいていた。

 

「ほっほぉ。まだ活きのいい嬢ちゃんがいるとはな。お前さんからひん剥いてやろうか」

「やってみなさいよ、ブタ野郎!」

 

 挑発的な態度を取るならず者に対し、罵声を浴びせて槍を振りかざす少女。そんな彼女を見遣る男達は、動揺することも逆上することもなく、ただニヤニヤと口元を吊り上げている。

 こういうタイプほど、屈服させた時の征服感がたまらない。それが、彼らの価値観なのだ。

 

「オ、オリア、無茶よ……!」

「奴らの注意はあたしに向いてるわ。あたしが時間を稼ぐから、皆はその隙に包囲網を抜けて体勢を立て直して。広場に出れば後方の部隊と合流できるわ」

「でも! オリアはどうなるの!」

「大丈夫! これでもグーゼル様から直々に小隊長を任されてる身よ? そう簡単にやられたりしないわ!」

 

 不安げな表情の仲間達に向け、オリアと呼ばれる少女は太陽のような笑顔で応えて見せた。……だが。彼女と付き合いが長い仲間達は、その真意にはとうに気付いている。

 この少女は今、自分達を逃がすために捨て石になろうとしているのだと。それを悟らせないために、この状況下でありながら……何でもないことのように笑っているのだと。

 

「勇ましいねぇ。その顔がどう歪むか……楽しみでたまんねぇッ!」

「……さあ行って! 何としても生き延びて、小隊長としての命令だからねっ!」

「オ、オリアーッ!」

 

 そんな彼女目掛けて、ならず者達が一斉に飛び掛かる。その悪意の波に、少女は槍を手に真っ向から向かっていった。その後ろ姿に手を伸ばし、女性兵達は悲鳴を上げる。

 

「……でぇいッ!」

「ごはッ!?」

 

 オリアの一閃は、男達の読みを超える速さで獲物を捉え……一瞬にして、向かってきた傭兵の一人を貫いてしまった。だが、仕留められたのはたった一人。

 彼女の背後には、何人もの新手が迫っている。

 

「く……!」

「はい残念、快進撃もここまでぇ!」

 

 咄嗟に背後に振り返り、迎撃に移ろうとするが……切っ先を向ける前に、彼女の眼前に剣の刃が迫っていた。反射的に柄で受け止め、致命傷は回避した彼女だったが、その衝撃により壁まで吹っ飛ばされてしまう。

 

「あぐっ!」

「へへ、ゲームセット。惜しかったなぁ嬢ちゃん」

 

 そして。

 勢いよく壁に打ち付けられ、身動きが取れなくなった彼女に……野獣の影が忍び寄る。

 

「あっ……! い、いやぁ!」

「いい反応だが、ちっとばかり遅かったなぁ。さぁて、お楽しみと行くか!」

「オ、オリア!」

 

 プロテクターを外され、服を脱がされ。あられもない姿にされていく槍使いの少女。恐怖心から助けに入ることもできず、女性兵達は目を伏せることしかできなかった。

 そんな彼女達を覆い尽くす傭兵団の笑い声が、反乱軍の心を追い詰めていく。そして、露にされた自分の胸に手を伸ばすケダモノの手を前に、オリアの気丈さが崩れかけ――

 

「あ、え?」

 

 ――た、その時。

 オリアを辱めていた男の影が、真っ二つに裂け。

 

「……そこまでだ」

 

 彼が立っていた場所が、真紅に染め上げられた。次いで、その背後から男の呟きが響いてくる。

 

「え……ッ!?」

「て、てめぇ新手か!」

 

 そして、その場に現れたボロ布を纏う男に注目が集まる瞬間。オリア達反乱軍が目を丸くする一方で……傭兵団は状況を素早く判断し、一気に襲い掛かる。

 だが――男の力は、彼らの予測を遥かに凌いでいた。

 

「……シッ!」

 

 目にも留まらぬ速さで剣を振り上げた彼は、一斉に迫る荒くれ者達を次々と斬り捨てていく。斬られたことにさえ気づかせないほどの速さで命を絶たれ、男達は何が起きたのかわからない、という表情のまま息絶えていく。

 

「野郎ォォォ!」

「だっ、駄目ぇぇぇえっ!」

 

 だが、傭兵達は背後にも大勢いる。ボロ布の男が正面の敵を全員切り裂いた瞬間、背後の伏兵が全体重を掛けた斧の一閃を振り下ろした。オリアの悲鳴も虚しく、その一撃は確実に男の背中に命中し、激しい衝撃音を上げる。

 

「……なにっ!?」

 

 そう。「衝撃音」が響いたのだ。肉が刻まれる音ではなく。

 それが意味するものと、己の肌に伝わる手応えから、伏兵は真実にたどり着いた。

 

「こ、こいつマントの下に盾を仕込んでッ――!」

 

 だが、その頃にはすでに彼自身の命も絶たれていた。振り向きざまに振るわれた剣の一閃に首を刎ねられ、残された胴体から鮮血が噴き上がる。

 

「な、なんだこいつの強さ! ふ、普通じゃねぇ! 反則だぜあんなの!」

「逃げろ! まともやりあえる相手じゃねぇ!」

 

 その光景に恐怖を覚えた荒くれ者達は、それ以上闘うことを望まず――蜘蛛の子を散らすように路地裏から逃げ出していく。そんな彼らの後姿を見遣りながら、ボロ布を纏う男は自分が斬り捨てた傭兵から毛皮のマントを剥ぎ取り、オリアの体にそっと被せた。

 

「せ、戦士様……あたし、あたしっ……!」

「――間に合ってよかった。君の小隊が路地に追いやられていると、別動隊から報告があってな。もう、大丈夫だ」

「オリア……よかった、よかった……!」

「う、あ……ああああぁ……」

 

 自分に寄り添い、すすり泣く仲間達の肩を抱きながら――槍使いの少女は、緊張の糸を切られた反動から……恥も外聞もなく泣き出してしまう。そんな彼女の背中を優しくなでながら、ボロ布の戦士――ダタッツは、城の方向に視線を移す。

 

(そろそろ……彼女が潜入している頃だろうか)

 

 ――そして、その城の中にいるグーゼルは。

 

「ようこそ、公国勇者。歓迎するぜ」

「帝国勇者……ッ!」

 

 玉座の間に続く螺旋階段まで行き着いたところで――武装した赤毛の武人と対峙していた。荘厳な斧や盾で身を固める、人の姿を持つ鬼と。

 マクシミリアンという名を持つその鬼は、勇ましく剣を構えるグーゼルの姿を前に、厭らしい笑みを浮かべる。

 

「ここにいれば会えると思ってたぜ。極上のカラダによ」

「……全て、お見通しだったというわけね。でも、同じことよ。この狭い場所では、仲間と一緒に戦うことはできない。一対一で私に勝てるとは思わない方がいいわ」

「試してみるか? 一対一ならどうなるか」

 

 上の段からこちらを見下ろし、下卑た笑みで得物を構えるマクシミリアン。その挑発に乗るように、グーゼルは素早い踏み込みで切りかかって行く。

 目にも留まらぬ斬撃の嵐が、マクシミリアンを襲う――が、彼は巨大な盾でその全てを受け切っていた。並の剣士なら、盾で防いでも力押しでガードを崩され、その隙に斬られていただろう。

 それほどまでにグーゼルの斬撃は一つ一つが重く――それら全てを受け切るマクシミリアンの筋力も、常軌を逸しているのだ。

 二人は激しいぶつかり合いを繰り広げながら、螺旋階段を駆け上がって行く。玉座の間を目指すかの如く。

 

 そのさなかで、巨漢の盾と女勇者の剣は幾度となくぶつかり合い、お互いを削りあって行く。剣の刃が砂のようにこぼれていき、盾の傷が益々深くなっていく。

 

「公国式闘剣術――征王剣ッ!」

 

 そして、全てを切り裂く横一閃の居合切りが――宙を斬る。

 

 マクシミリアンはその技を前に、初めて回避という行動に出たのだ。その体躯に似合わない軽快なジャンプで征王剣をかわした彼は、階段を登りきると玉座の間へ逃げ込んで行く。

 すぐさま彼を追いかけたグーゼルは、玉座の間で迎え撃ってきた彼の縦一閃をかわすと、再び剣を振るった。

 

 二度目となる斬撃の嵐を浴び、マクシミリアンの盾が徐々に耐えきれなくなって行く。その攻勢の激しさに、彼は僅かに頬に汗を伝わせた。

 

「公国式闘剣術ッ!」

 

 その様子を目撃したグーゼルは、もうすぐ勝てると確信し――決め手となる一閃を放つべく、上体を捻る。

 あとは反動に任せるまま剣を振るえば、勝敗が決する。彼女はそう確信し、剣を握る手に力を込めた。

 

「がっ――!?」

 

 だが。その直前、柄を握るグーゼルの手がマクシミリアンの蹴りで弾かれてしまった。手から離れた彼女の剣は、高く舞い上がり――床へと深く突き刺さる。

 

「振り抜く瞬間の、一瞬の硬直。見切ったぜ、あんたの剣」

(まさか! 今までの防戦は、征王剣を見切るための布石だったというの!?)

「バルタザールを殺った技なだけはある。なかなか手強かったぜ。ま、オレの敵ではなかったがな」

 

 剣を失い、手を蹴られた痛みで片膝を着く彼女の首筋に、斧の刃が当てられる。微かに肌に触れただけで、そこからは一滴の鮮血が滴っていた。

 

「さて……いよいよお楽しみの時間だ。喜びな勇者様、公女殿下にもうすぐ会えるぜ?」

「……!?」

 

 下卑た笑みを浮かべ、グーゼルににじり寄るマクシミリアン。その手には、クセニアに着せていたものと同じ――恥辱の衣装が握られていた。

 

 ◇

 

「あ、ああ……そんな……!」

「勇者様……!」

 

 鮮血と怒号と、慟哭が絶えぬ戦場――だったはずの城下町は今、数刻前の激戦が嘘のように静まり返っている。

 反乱軍の兵達は、皆一様に絶望の色を表情に滲ませ――ある者は目を伏せ、ある者は両膝をついて落胆していた。

 対して、傭兵団の面々は下卑た笑みを浮かべて舌舐めずりをしている。この先の展開を、今か今かと待ち侘びている表情だ。

 

 そんな両陣営の視線は、城下町を一望できる王室のバルコニーに集中している。

 彼らの眼前には――三人の人影。

 

 その中央には、赤毛の巨漢――マクシミリアンの姿が伺える。彼の両脇には、公女クセニアと公国勇者グーゼルが立っていた。

 ――娼婦の如し、扇情的な衣装を身につけて。

 

 小さな布で大事な部分だけを隠したあられもない姿で、首を鎖に繋がれた彼女達の姿を見せつけられた反乱軍は、誰の目にも明らかなほどに戦意を喪失していた。

 この光景は――彼らの支えだった公国の誇りと希望が、傭兵団の手に落ちたということを意味しているのだから。

 

「野郎ども! 反乱軍の諸君! 見えるかな、彼女達が!」

「ウオォーッ! 見えるぜ団長ォーッ!」

「ついにやったなァァ! オレ達の勝ちだァァ!」

「とうとうあの生意気女をモノにしてやったぜェ!」

 

 荒くれ者達はグーゼルとクセニアの肢体に粘つくような視線を注ぎ、歓声を上げる。そのケダモノ達の雄叫びに、反乱軍の女性兵達は先ほどまでの勇猛さが嘘のように萎縮していた。

 

 そんな彼女達の姿を見下ろし、グーゼルは鎮痛な面持ちを浮かべる。クセニアはその横顔を、心配そうに見つめていた。

 

「グーゼル……」

(ダタッツの……言う通りだった。私がこうなったばかりに、あの子達は戦う勇気を――勝つ希望を見失ってしまった。私の軽率な行動が、反乱軍を……クセニア姫を……公国をっ……!)

 

 今になって、自分がいかに自分自身を軽んじていたかを思い知り、グーゼルは唇を強く噛み締める。何もかも、手遅れになってしまったと。

 

「さァて。じゃあオレ達マクシミリアン傭兵団の勝利を記念して……あんた達二人には、オレの慰み者になって貰おうか」

「くっ……下衆がっ!」

「……」

 

 そんな彼女の懺悔を他所に、マクシミリアンは二人の胸を無遠慮に撫で回す。その厭らしい感触にクセニアは顔を顰め、彼を罵倒するが――グーゼルは心を折られたまま、反応を示さない。

 

「ほぉ。さすがに熟れてるなァ、このカラダは。やっぱこれくらい実ってる方が好みだぜ」

「あぅっ……ああっ!」

「グーゼル! マクシミリアン、あなたっ……!」

 

 そんな彼女に目をつけたのか、マクシミリアンは狙いをグーゼルに集中させる。首筋や頬を舐め、胸や腹、腰周りや尻、脚を撫で回し、思うままに彼女の肢体を蹂躙していった。

 クセニア以上に豊満な胸を、形が変わるほどに強く揉みしだき、その先端を指先で撫でる。黒い髪とは対照的な白い肌を、舌先で味わうように隅々まで舐め回す。

 

 その度に荒くれ者達は歓声を上げ、女性兵達は悲鳴を上げる。クセニアも、何もできない事実に耐えかね、目を伏せていた。

 

「う、く……ぅん……」

「へへ、いいねぇ。これだから略奪はやめられねぇ。さて――そろそろ、あんた達のカラダを皆に見てもらおうぜ?」

「……!」

 

 すると――マクシミリアンの手が、二人の胸を辛うじて隠している布を鷲掴みにする。彼の膂力を考えれば、少し手に力が入るだけで簡単に破けてしまうだろう。

 その先に待ち受けているであろう光景を予想し、傭兵団は怒号にも似た歓声を上げ、反乱軍からは悲しげな声が響いてくる。

 

「や、やめなさい!」

「やめっ――!」

 

 グーゼルとクセニアの反抗も虚しく。胸を隠す布が、紙切れのように破かれた。

 

 ――と、誰もが信じて疑わなかった。

 

 しかし。

 

「ぎゃあぁ!」

「なんだてめっ――ぐぎぃあ!」

 

 マクシミリアンの背から、傭兵達の悲鳴が聞こえた時。赤毛の巨漢は布から手を離すと、表情を一変させて振り返る。

 感じたからだ。ただならぬ、強者の気配を。

 

「……話に聞いたことがある。かつて、帝国将軍として名を馳せていながら、不要な略奪を繰り返す余り帝国から追放された騎士がいたと」

「……!」

 

 悲鳴が聞こえた方向――玉座の間から、男性の低い声が響いてくる。聞き覚えのあるその声に、グーゼルはハッとして振り返った。

 

(そんな……どうして!? あんなに……あんなに酷いことを言ったのに! 許されるはずが、ないのに!)

 

 そして――彼女の視界に、ボロ布で作られたマントを纏う男の影が現れる。

 

(どうしてよ――ダタッツ!)

 

「その男は大陸を放浪し、ならず者達を掻き集め、一大傭兵団を組織したという。――そして今。その男は帝国勇者の名を騙り、帝国の影響下にない国々を相手に略奪を繰り返している」

「ほう、よく知ってるな。――何者だ?」

 

 その影に向かい、マクシミリアンは一気に間合いを詰め、斧を振り下ろす。ボロ布の男はそれをかわすこともなく、手にした鉄の盾で受け流すと――鮮やかにジャンプし、距離をとった。

 

「何者でもない。そう珍しくもない、流浪の一戦士だ」

「珍しくない、だと? オレの攻撃を凌げる奴がか? 嘗められたものだな」

 

 マクシミリアンは額に血管を浮き上がらせる。怒りに任せ、水平に振るわれた斧の一閃は空を裂き――ボロ布の男は、マクシミリアンの頭上を飛び越して背後をとった。

 

帝国式投剣術(ていこくしきとうけんじゅつ)――飛剣風(ひけんぷう)!」

 

 刹那。男は腰から剣を引き抜くと――大きく上体を捻り、手にした剣を矢の如き速さで投げつける。一角獣(ユニコン)の幻影を、その刀身に纏わせて。

 そして、切っ先はマクシミリアンの頬をかすめ、彼の視線の先にある壁に突き刺さった。

 

(けん)の……(かぜ)……」

 

 人間の業を逸した、光速の投剣。その一閃が生む風に頬を撫でられたグーゼルは、唇を震わせ――呟く。

 

「……」

 

 一方。自らの頬に手を当て、マクシミリアンは自分の手を見やる。そこには、久しく見ていない自分の血があった。

 すると彼は一転して冷静になり、ゆらりと振り返る。その眼は――狂喜に歪んでいた。

 

「……オレも知っているぞ。三十年前、帝国勇者が使っていた、伝説の対空剣術」

「……」

「遥か昔。魔王の配下である飛竜に対抗するため、当時の帝国騎士が編み出した帝国式投剣術。大砲や投石機の発達に伴い、廃れて行った古代の剣技であるそれは、三十年前の戦争で久方ぶりに実戦で使われた」

 

 体ごと向き直り、マクシミリアンは高らかに斧を振り上げる。この瞬間を待っていた、と言わんばかりの悦びを、全身で表現するように。

 

「……帝国勇者、あんたの手でな!」

 

(帝国勇者!? ダタッツがっ!?)

(どういうことですの!? あの殿方が、帝国勇者!?)

 

「……その呼び名は捨てた。三十年前にな」

「抜かせ! オレは待ち侘びていたんだ。力こそ正義という理念を体現したあんたに会って、あんたを超える。そうすりゃ、オレが正義だ。オレが絶対だ! 誰もオレに逆らえねぇ!」

 

 そんな彼に対し、男は冷静な面持ちのまま、するりとマントを脱ぎ――鎧を纏う、逞しい肉体を露わにする。一角獣を模した鉄兜の先端が煌めき、首に巻かれた赤マフラーが、その弾みでしなやかに靡いた。

 その男――ダタッツの全貌を目の当たりにして、マクシミリアンはさらに興奮するように口元を吊り上げた。一方、グーゼルとクセニアは、本物の帝国勇者だというダタッツの姿に、目を奪われていた。

 

「あんたは三十年前に死んだと言われていたが……オレは信じちゃいなかった。帝国騎士団にいた頃は、どれだけ成果を上げても言われたものさ。『帝国勇者の伝説には敵わない』とな。本当にそうなら、一度や二度の戦争であんたが死ぬはずがねぇ。だから騎士団を抜けてでも、あんたを探し続けたのさ。オレがこの世界で一番強くて、一番正しいんだってことを、証明するために!」

「それで、わざわざ帝国勇者を騙ったと?」

「ああそうだ。偽物が好き放題暴れてるって知りゃあ、きっと本物が成敗しにやってくる――ってなァ。現に、こうしてあんたが現れた! この時を、オレは待ち侘びてたんだ!」

 

 真の姿を現したダタッツを前に、マクシミリアンは斧を振り回して襲いかかる。だが、中年の戦士は鮮やかな身のこなしでそれをかわし、防戦に徹していた。

 

「あんたを殺せば、帝国勇者の座はオレのものだ。そして、オレこそが正義になる。力こそ正義、力こそ勇者なんだからな!」

「違う。ただ戦うことに秀でているだけの者は、強者であって勇者ではない」

「……!」

 

 その時。ダタッツが発した言葉に、グーゼルは思わず顔を上げる。

 

「勇者とは。その生き様を以て、今を生きる人々に希望を灯せる者のことを言う。力などではない。その者の勇気が人々を動かすから、その者は――勇者は尊いのだ」

「なにをわけのわからねぇこと、抜かしてやがる!」

 

 マクシミリアンの一閃をジャンプでかわし、ダタッツは壁に突き刺さったままの剣を引き抜く。そして再び、飛剣風と呼ばれる投剣術の体勢に入った。

 

「確かに自分はかつて、力こそが全てであると――己の行いで表現してしまった。帝国勇者が、勇者を穢してしまった」

「ダタッツ……」

「だからこそ。そんな自分だからこそ。今を生きる本当の勇者に伝えたいのだ。――勇者の資質は、力などではないのだと。人を動かす、優しき心にあるのだと」

「……ッ!」

 

 グーゼルは、その言葉を耳にして――感極まった表情を浮かべ、頬に雫を伝わせる。

 ようやく理解したからだ。なぜ彼が、自分をあれほど気にかけていたのかを。

 

(ダタッツは……私に、同じ轍を踏ませないために……!)

 

 彼女の横顔を見遣るクセニアも、それを察して――その涙には、気づかぬ振りをした。そして、彼女のために剣を振るわんとしている戦士の姿に、熱を帯びた視線を送っている。

 

 そう。彼女は、気づかぬ振りをするためにグーゼルから視線を逸らしていた。だから、気がつかなかったのだ。

 瞳に希望の炎を取り戻した彼女が――鎖を引きちぎろうとしていることに。

 

「け、優しき心!? ヘドが出るぜ! 血も凍る非情の帝国勇者が、なにを今更綺麗事ほざいてんだ!」

「お前のような男が正しさを語ろうというのだ。綺麗事の一つも言いたくなろう」

「面白れぇ。だったら証明してみろよ、オレの納得するやり方でなァ!」

「……やむを得ぬか」

 

 そして――再び、ダタッツの手から光速の剣が射ち放たれる。だが、今度はマクシミリアンも完全に反応していた。

 構えた盾で、飛剣風の一閃を受け止める。グーゼルの猛攻で装甲が弱っていたためか、弾くことはできず、そのまま盾に突き刺さってしまったが――その切っ先は、貫通するまでには至っていない。

 これでダタッツは得物を失った。マクシミリアンはその事実から勝利を確信する――が。

 

 その時にはすでに――ダタッツは姿を消していた。

 

「なっ……! ど、どこに――ッ!?」

 

 刹那。ふと見上げた上方には――こちら目掛けて飛び蹴りを放つダタッツの姿があった。

 

「上だとォォ!?」

帝国式対地投剣術(ていこくしきたいちとうけんじゅつ)ッ――!」

 

 彼の蹴り足は、盾に突き刺さった剣をさらに押し込むかのように――柄頭に命中する。

 その衝撃に押し込まれた切っ先は、そのまま盾の中を直進し、取っ手を握る持ち主の手を貫いて行った。

 

「――飛剣風(ひけんぷう)稲妻(いなづま)』ァッ!」

「ぐがぁあぁあぁああッ!」

 

 盾を貫く一閃で、腕を串刺しにされたマクシミリアンは、悶絶してのたうちまわる。その光景に、クセニアはダタッツの勝利を確信して笑顔を浮かべる――が。

 

「……!?」

 

 息を切らし、片膝をついている彼の姿を目にして、表情を変える。明らかに、消耗している様子だ。

 

「……少しばかり、年甲斐もなくはしゃぎ過ぎたようだ」

「ぐ、ぎっ……く、くふふ。やはり年には勝てないか? 古代の遺物! どうやら、最強の座は――真の勇者の座はオレのもののようだな! まだオレには、右腕があるぞ!」

 

 マクシミリアンは貫かれた左腕をぶら下げたまま、右手に握った斧を振りかざし、ダタッツに襲いかかる。間一髪、それをかわしたダタッツは、すれ違いざまに盾から剣を引き抜くと、再び彼と相対した。

 

「あぐっ! ……無駄な抵抗をッ!」

「マクシミリアン。一つ思い違いをしているぞ。自分を倒したところで、最強の座も真の勇者の座も、手に入らぬ」

「けっ、負け惜しみか!?」

「事実を言っているだけだ。その座が欲しくば、勇者として自分を超えた者に勝ってみせろ」

「そんな奴がどこにいる!」

「――お前の後ろだ!」

 

 ダタッツはマクシミリアンの頭上を飛び越すように、持っていた剣を山なりに放り投げる。激しく回転しながら落ちていくその一振りを――こちらに向かって疾走してきたグーゼルがキャッチするのだった。

 彼女は自力で鎖を引きちぎり、拘束から脱していたのだ。

 

「おぉおぉおおおおぉッ!」

「てめぇか! 大人しく飼われていればいいものを――ッ!?」

 

 だが、グーゼルの剣はすでに見切っている。それを自負していたマクシミリアンは、己の勝利を疑わなかったが――

 

「はぁッ!」

「なっ――にィ!?」

 

 ――鎧も服も脱がされ、盾も取り上げられたことで却って身軽になり、さらにダタッツの激励を受けて気勢を取り戻したことで。彼女はマクシミリアンの見立てを遥かに凌ぐ疾さを発揮していた。

 さらに、今のマクシミリアンは片腕しか使えない。斧一本では彼女の連撃を捌くことは出来ず――彼の全身に次々と傷が入って行く。

 

「ぬがぁああァァァ!」

「あうっ!?」

「許さねぇ! この場で叩き斬って晒し首にしてやる!」

 

 だが、まだマクシミリアンを打ち破るには足りない。彼は憤怒のままに斧を振るい、風圧で彼女を吹き飛ばす。

 鎧を失い、身軽になっている彼女は容易に転倒し、床の上を転がって行く。

 

「くっ――あんっ!?」

 

 そんな彼女に猛烈な勢いで迫るマクシミリアン。その巨大な敵を目前にして、グーゼルはなんとか立ち上がり――臀部に当たる、冷たい感覚に思わず振り返った。

 

 そこには――マクシミリアンに弾かれ、床に突き刺さったままの剣があった。彼女は、自分の愛剣と迫る仇敵を交互に見遣る。

 

(一か八か、この一閃に懸ける! ダタッツ、もう一度だけ……私に力を貸して!)

 

 そして、意を決するように勇ましい瞳でマクシミリアンを射抜き――右手に握る剣を水平に構える。

 

「その技は見切ってるぜェエェエエッ!」

公国式闘剣術(こうこくしきとうけんじゅつ)ッ!」

 

 巨大な斧が、勇者の頭上に振り下ろされて行く。そのさらに先――巨漢の懐へと踏み込んだ時、彼女の手元を狙う蹴りが飛んできた。

 いかに速さを増しても、その弱点は克服できず――彼女は再び剣を弾かれてしまう。

 

「もらったァァァ……ァッ!?」

「――二連(にれん)ッ!」

 

 だが。マクシミリアンは気づかなかった。それと同時に、彼女の左手に二本目の剣が握られていたことに。

 

征王(せいおう)けぇぇえぇんッ!」

 

 そして、一撃目と全く同じ軌道を描く、二撃目の横一閃が――マクシミリアンの肉体を上下に両断する……かに見えた。

 

 だが、彼女の剣は彼の巨体を切り裂く寸前。微かに、刃が肌に触れる程度のところで――二連征王剣は、その一閃を止めてしまうのだった。

 

「……」

「ひ、ひひ……っ、ひぁあ……!」

 

 時が止まったかのように、険しい表情のままマクシミリアンの腹に剣を当てるグーゼル。そんな彼女に対し、先程まで高圧的だった赤毛の鬼は、別人のように萎縮していた。

 やがて尻餅をつき、股間から湯気を上げる彼を、公国勇者は彼に着せられた扇情的な衣装のまま、冷酷に見下ろしていた。

 ――斬るまでもない、と言わんばかりに。だが、その眼差しの奥には、勇者だけが持ち得る「優しさ」の色が滲んでいた。

 

「マクシミリアン。貴様を、逮捕する」

「……は、はいぃ……」

 

 その問答を目の当たりにして――反乱軍も。傭兵団も。この戦いの勝敗を悟るのだった。

 

「や……やった! 勇者様が、グーゼル様が勝ったァァァ!」

「公国万歳! クセニア姫万歳っ! 勇者グーゼル、万歳ぃぃい!」

 

 今までの落胆が嘘のように、反乱軍の兵達が沸き上がっていく。一方、指導者を失った傭兵団は、恐怖に顔を歪め――我先にと戦場から逃げ出して行く。

 

「ボ、ボスが負けた! そ、そんな……ありえねぇ!」

「逃げろ! 奴ら本物の……本物の化け物だァァァ!」

 

 悲鳴を上げ、這うように城下町から逃走する傭兵団。そんな彼らの後ろ姿を見送り、反乱軍はさらに高らか歓声を上げた。

 その声に反応するように、街に囚われた人々も顔を出してくる。今まで奴隷のように傭兵団に働かされていた国民達は、ようやく反乱軍にいる家族との再会を果たしたのだ。

 

「父さん! 母さぁんっ!」

「オリア! オリアか! 無事でよかった……! ありがとう、本当にありがとう!」

「よく生きていてくれたわ……。あなたは自慢の娘よ、オリア!」

「父さん、母さん……う、うわぁあぁん!」

 

 女性兵達は、喜びの涙で顔をくしゃくしゃにしながら、武器を捨てて愛する家族の胸に飛び込んで行く。長く封じ込めていた喜びという感情を、人々はようやく解き放つことができたのだ。

 

「……ふぅ」

「よくやった。やはり、君こそ本当の勇者だ。グーゼル」

「あ……戦士様……!」

 

 そんな人々を暖かく見下ろすグーゼルとクセニアに、ダタッツは纏っていたボロ布マントを被せる。彼のために作られただけあってサイズは大きめであり、彼女達二人の身体がすっぽりと収まっていた。

 

「……あなたも、その一人じゃないの? 本当の帝国勇者さん」

「自分は、そう名乗るには手を汚し過ぎた」

「そうかな。――私は、汚れた手には触れないのだけど」

「えぇ。私も……」

 

 ダタッツのゴツゴツした硬い手を、グーゼルとクセニアは愛おしげに握り締める。その温もりを肌で感じ、硬い表情のままだった彼は、初めて頬を緩めた。

 そして、喜びに涙する民衆に視線を移す。グーゼルとクセニアも、その光景を瞳に映し――十年間の戦いの終わりを、実感した。

 

「本当の勇者は、人々に希望を灯すためにある。――あなたの教え、私はきっと忘れない。ずっと……忘れないわ」

「グーゼル……」

「そうだな。……君にしか、できないことだ」

 

 そんな彼女の力強い宣言に、クセニアは顔を綻ばせ、ダタッツは強く頷いて見せた。

 

 やがて、そんな彼らの前に――眩い光が差し込んでくる。

 その煌きは、公国の夜明けを祝福するかのように……暖かく、この世界を包んでいた。

 

 ――そして。朝日が昇り、青空が晴れ渡る頃。

 

 この国を救った英雄である、戦士ダタッツは――何処ともなく姿を消した。

 

 ◇

 

 それから、一ヶ月。

 戦場となった街や城の復興を終えた反乱軍は、新生公国軍として再編成され――新たな時代に向け、生まれ変わろうとしていた。

 今日は、その日を祝うパレードが大々的に行われている。

 

「勇者様! 勇者グーゼル様ぁーっ!」

「クセニア姫ぇーっ!」

 

 路地の脇に集合した民衆が、声高々に英雄達に賞賛を送る。彼らの歓声を浴びる新生公国軍の面々は、守り抜いた人々に満面の笑みで応えていた。

 そんな彼らの先頭では――煌びやかなドレスに身を包んだ二人の美姫が、輝かんばかりの笑顔で手を振っている。

 

 公国勇者として十年に渡り戦い続けてきたグーゼル・セドワと、この国の新たな君主として立ち上がった公女クセニア。

 公国の歴史に名を刻むであろう彼女達を一目見ようと、民衆は窓や屋根にまで登り、このパレードに集まっている。中には、噂を聞きつけ、外国からやって来た者達もいた。

 

 ――そう。十年間の暗黒時代を打ち破り、ついに公国は平和を取り戻したのだ。

 しかし。

 

 民衆の賞賛を浴びるべき英雄の一人が、ここにはいなかった。マクシミリアン傭兵団と戦い、勇者グーゼルと公女クセニアの窮地を救った、あの戦士は――姿を消したまま、戻ってくることはなかったのだ。

 

(ダタッツ……)

 

 あの日見失った、逞しい背中を思い出し――グーゼルは微かに、表情に憂いを滲ませる。平和の到来に歓喜する民衆は、その変化には気づかなかったが――彼女の隣にいたクセニアは、それを見逃さなかった。

 

 ――そして、そのパレードを終えた後の夜。城では、多くの人々が集まっての宴で盛り上がっていた。

 新生公国軍の兵や街の人々、救出された子供達が皆……泣き、笑い。長い戦いの果てに掴んだ平和を謳歌している。そんな彼らの様子を見守りながら、クセニアはグーゼルを連れ、騒がしさから距離を置くようにバルコニーに向かった。

 

 月明かりに照らされた美しいブロンドのショートヘアが、ふわりと揺れ――華やかな香りが風に流されていく。その香りを感じつつ、グーゼルは艶やかな黒髪を靡かせ、クセニアの隣に立つ。

 ドレスを押し上げている二人の豊かな胸は、一歩踏み出すだけで大きく揺れていた。

 

「クセニア姫……何の御用でしょうか」

「グーゼル。私にはわからないと思いますか? あなたが最近、何を考えているか。誰を想っておられるのか」

「……! そ、それは……」

 

 クセニアの言及に、グーゼルは目を見張る。

 彼女としては、うまく隠したつもりだったのだろう。見透かすように目を細めるクセニアを前に、思わず言葉を濁してしまった。

 そんな彼女の仕草が、クセニアに自分の見立てが的中していることを確信させる。

 

「彼は……ダタッツ様は、この国に留まることを良しとせず、旅立たれてしまわれた。恐らくは、私達のように苦しんでいる人々を、己の剣で救うために」

「……はい」

「私は、彼に留まっていて欲しかった。そばにいて欲しかった……。きっとそれを見抜いておられたからこそ、何も告げずに去ってしまわれたのでしょう。引き留められると、わかっていたから……」

「……」

 

 切なげな面持ちで、月明かりに照らされた夜空を見上げる絶世の美姫。その横顔を見つめ、グーゼルも表情に陰りを見せる。

 

「ですが。私は、諦めるつもりはありません。いつかまた、彼に会える日が来るまで……ここで待ち続けます。彼とあなたが救って下さった民を、一生守り抜いて。いつ彼が帰ってきても、心からの笑顔で迎えられるように……」

「クセニア姫……」

「ですが……あなたは待ちきれないのでしょう? 昔から、あなたは気が短かった。パレードの時も、ジッとしているのが耐えられない、という顔でしたよ?」

「い、いえそんな……!」

「十年以上も一緒にいれば、嫌でもわかりますわ。恋敵の考えていることくらい」

「こ、恋敵……」

 

 クセニアに言及され、グーゼルは頬を赤らめる。自覚していることとはいえ、他人にそれを指摘されると、恥じらいのあまり身体が熱くなってしまうのだ。

 自分は、あの戦士を愛してしまったのだと。

 

「グーゼル。生まれ変わった公国の君主として、命じます。彼を探す旅に出なさい」

「ク、クセニア姫っ!?」

「公国のことなら、心配いりません。今は亡き父に代わり、私が見守って行きます。あなたはあなたのやり方で、ご自分の気持ちに向き合いなさい。彼をこの場に引き摺り出して婚姻を結ぶまで、私も『戦い』が終わったとは思いません」

「こ、婚姻って……! クセニア姫、彼が三十年前に消息を絶った帝国勇者だったのなら、どう若く見積もっても今は四十代半ばですよ!? 姫の相手としては、些か年が離れすぎているかと……」

「たかが二十歳程度の差など、気にすることはありません。彼に恋慕している女性兵達も、同じでしょう」

「そ、それは……」

「私に奪われるのが嫌なら。私より先に彼を探し出し、愛を伝えることです。これは早い者勝ちですわ」

 

 クセニアは、そう宣戦布告すると――挑戦的な眼差しで、グーゼルを射抜く。

 彼女はいつかダタッツが帰って来るまで、ここで待ち続けるつもりなのだろう。再会した瞬間、彼を伴侶とするために。

 そうならないためには――ダタッツが公国に戻ってくる前に、彼を探し出さなければならない。そして……彼と結ばれるしかない。

 

(そ、そんな……そんなことって……。で、でも……!)

 

 彼を想いながらも、公国の勇者としてここに留まらねばならないと思っていたグーゼルは、突然舞い込んできた決闘の内容に目を回す。

 しかしそれは、もう一度彼に会える千載一遇のチャンスでもあった。

 

 グーゼルは、どうしても彼に会わねばならなかった。伝えていない言葉があるからだ。

 

(……ごめんなさいと、ありがとうを。私はまだ、彼に伝えてない。行かなくちゃ。この気持ちを届けなくちゃ!)

 

 それを決断した彼女には、もう迷いはない。

 

「クセニア姫、申し訳ありません……暫しの間、失礼しますっ!」

「ええ。……行きなさい、勇者グーゼル」

 

 グーゼルは踵を返すとバルコニーを飛び出し、パーティ会場を駆け抜け――自室で素早く緑の服と軽鎧を纏う。

 そして愛用の剣を腰に提げ、盾を背負うと瞬く間に城から飛び出してしまうのだった。

 さながら、一迅の風のように。

 

「公女殿下! 先ほど、勇者様が息を切らせて城を飛び出されたと報告がありました! 一体何があったのです!?」

「グーゼルなら、旅に出ましたわ」

「た、旅ですと!?」

「ええ。……この国の英雄を探す、旅です」

 

 彼女の行動を問い詰める兵達に、背中を向けたままクセニアは笑顔で答える。その瞳は、城下町を猛スピードで駆け抜けていくグーゼルの姿を見下ろしていた。

 

「じゃあ……行ってきます、お母さん!」

 

 一方。城を出てから立ち止まることなく走り続けていた彼女は、戦没者を弔う記念碑の前でようやく足を止める。

 そして、この地に眠る母に祈りを捧げると――再び、外の世界に向けて走り出して行った。あの日見失った背中を、抱き締めるために。

 

「待ってて、ダタッツ。あなたを、独りになんて――させないっ!」

 

 夜空に向かって叫ぶグーゼルは、少女のように溌剌とした眼差しで、これから進んでいく道を見つめていた。この地平線のどこかで、彼と繋がっているのだと信じて。

 

 

 

 

 

 ――私達が暮らすこの星から、遥か異次元の彼方に在る世界。

 

 その異世界に渦巻く戦乱の渦中に、帝国勇者と呼ばれた男がいた。

 

 人智を超越する膂力。生命力。剣技。

 

 神に全てを齎されたその男は、並み居る敵を残らず斬り伏せ、戦場をその血で赤く染め上げたという。

 

 如何なる武人も、如何なる武器も。彼の命を奪うことは叶わなかった。

 

 しかし、戦が終わる時。

 

 男は風のように行方をくらまし、表舞台からその姿を消した。

 

 一騎当千。

 

 その伝説だけを、彼らの世界に残して。

 

 だが。

 

 男はもう、独りにはならない。独りにさせまいとする者の想いは、やがて男を繋ぎ止め、その心に安らぎを与える。

 

 その日はきっと――遠くはないだろう。

 



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