東京喰種√H (三木春)
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東京喰種 [SISTER]
異 郷 : 01
アンドレア:ディノ・デ・ラウレンティス
エドワルド:デヴィッド・ストラザーン
※タグの関係でR18に投稿されていたことに気付き、なんやかんややっていたら話を削除してしまっていたので、表現などをちょこっといじって再投稿です。
…………「人」は生まれるものではなく、形成されるものである。
我々は無垢に生まれながらも、自我の芽生えと時を同じくして、有形無形のあらゆる制約を周囲から課せられる。
曰く、人を殺してはいけない。
曰く、他者とは協力し合うべきである。
曰く、……。
それらを「価値観」として、何の疑問も持たぬよう骨身に叩きこまれて初めて、我々は周囲から、そして社会から「人」として扱われるのである。
しかし、ただ一つの理由から、その過程を経ても社会から「人」とは認められない存在がいる。
我々と同じ社会に暮らし、笑い泣き愛し合うことができてなお「人」とは成り得ない存在。
喰種
「人」として忌避されるべき行い、即ち人間を喰らうことでしか生きることができない彼らは、「人」に最も近く、最も遠い。だが、だからこそと言うべきか、喰種は人間が「人」になるために捨て去り、あるいはその身の内に抑え込んできた数多の衝動と感情を時に鮮明に表すことがある。
ひたすらに肉を求める欲望を。
我が子へ向ける無償の愛情を。
消して絶やさぬ希望を。
その輝きを目の当たりにした時、私は思うのだ。
美しい、と。
喰種は世界中人間が存在する所全てに存在する。その脅威に対応する組織もまた然り。
「
日本では「和修」、ひいてはCCGが担う喰種退治を、欧州イタリアの地で担うのはOSGと呼ばれる組織である。正式名称、
長い歴史を通じ、先達が文字通り命を賭して学んだ戦術と教皇庁の権威でもって、歴代の騎士達は万難を排して喰種と戦ってきたのである。少なくとも記録の上では。
「
しかしながら、騎士団結成から600年ばかり経ったこの現代のイタリアで、2人の喰種捜査官の行く手を阻んだのは、屈強な喰種の赫子でも、それと交わる背教者でもなく、「管轄」という名の見えない壁であった。
「一度引き揚げるとしよう。これ以上居ても収穫はなさそうだ。」
「
肩をすくめ、背中を丸めて路駐した車に戻る中年のイタリア人捜査官とその背中を追う若い日本人捜査官。随分と珍しい光景を見送ったカラビニエリは、あれが例の国際共同捜査班とやらかと記憶をほじくりかえす。世界各国の対喰種組織間の連携と質の向上のため云々という2、3か月前の通達の内容はかろうじて覚えていたが、まぁ、なんだっていい。ここはローマだ。どこから来ようがローマの流儀に従ってもらうさ。それより、昼食は何にするかな……。
時刻は13時半過ぎ。10月に入ったとはいえ日中はまだ強く照りつける陽射しに、先程の記憶は溶けて行った。
一方、カラビニエリから忘れ去られた2人は今日も今日とてさしたる成果を上げらず、自らの不徳を弁明する為、一路OSG本部へと車を走らせていた。
「本部に戻る前にバールでカフェを飲もうじゃないか。」
「14時から捜査会議です。本部まで車で20分はかかるんですよ。遅れればまたエドワルド捜査官から嫌味が飛んできます。」
「会議に出れば同じだ。どうせ言われるなら優雅に行きたい所だね。」
走らせていた、はずだった。
ハンドルを握り、あっけからんと言い放ったのは禿頭の中年イタリア人、アンドレア・アレッサンドリ。叩き上げの喰種捜査官として、豊富な経験と、知る人ぞ知る「特技」を持ち合わせているが、こと時間感覚とチームワークに関しては壊滅的といって良い。おかげで上司からの覚え目出度く、昨今は会議に出れば絶対零度のお褒めの言葉を頂戴してばかりである。
あまりの奔放ぶりに助手席の青年も物申したくなったか、片目を完全に隠すほどに長い髪の奥で目を細める。
「もう5日経ちました。国内で照合できる赫子痕にも該当無し。「食い逃げ」を前提に捜査範囲を拡大しては?」
「そっちは麗しのエドワルド捜査官にお任せするさ。越境捜査はお手のものだろう。」
「とはいえ、チーム単位での捜査活動が前提でしょう。単独行動をしながら情報共有の場にさえ碌に出向かないのは流石にどうかと…」
「向こうは聞きたくないと思ってるからさ。空気で察したんだよ。日本人みたいにな。それにな、単独で勝手に動いているわけじゃない。」
「指示があったので?よくエドワルド捜査官が許可しましたね。」
「いや、そうじゃない。」
「は?」
「お前がいるだろ。2人だ。」
「……」
にやり、と笑ったアンドレアに青年は一瞬面くらう。その言葉を反芻し、そして口から思わず飛び出そうになった罵倒をため息に変え、視線と共に窓の外に逃がした。呆れてものも言えぬとはこのことである。そんな赤子じみた言い訳がそう何度も通用するものか。だが悲しいかな、この中年に何を言っても暖簾に腕押しであると、この2週間ですでに思い知らされている。
「カフェは奢ってやるから、そう腐りなさんな。」
「……どの口がそれを言いますか。」
「これも捜査の内さ。」
「十分な実績があるなら、それも良いでしょう。ですが未だ「ルマーカ」の足取りを掴めていない状態でそれを言っても、エドワルド捜査官は認めませんよ。」
「…フン。」
全く、エドワルドエドワルドとやかましい
日本の喰種対策組織から出向してきて1ヵ月、こうして自分と組まされて早2週間余り。隣で捻くれている青年の、これぞ日本人というべき事務処理能力の高さと勤勉さ、そしてクソ真面目さにはこちらが閉口したいほどである。それでも、足で稼ぐ昔ながらの、
不貞腐れる青年の方も、何となくではあれど、隣の中年捜査官が自分を買ってくれていることは感じていた。それが嬉しいかどうかは全く別の問題であるが。そもそも今の状況全てが、彼の欠片も望んでいないことの積み重ねで成立したのだ。文句の一つも言いたくなろう。
アカデミーを五席で卒業後、CCGに入局して2年。地道に実績を積み重ねていた矢先に突如渡された1枚の紙切れによって、イタリアにおける共同捜査班への出向が決まった時は驚きはしたが、嬉しさもあった。
しかし、世話になった捜査官に挨拶に行った時、わりぃな、貧乏籤引かせちまったと書類から目も離さずに詫びられてその嬉しさも吹っ飛んだ。
「どういうことです?」
「鬼ツネのジイさんがな、正直乗り気じゃないんだわ。」
「とりあえず送っとけってんで、腕は立つ柿崎と、イタリア語できるって聞いたんでお前の名前を挙げといた。」
「柿崎準特等というと…」
「ああ、有馬のガキを目の敵にしてるあいつさ。俺もあのガキはいけすかねぇんだが使えることは確かだからな。あ、出発は1週間後な。」
だったら有馬三等を選んでくれとも言えず、あれよあれよという間に永遠の都で喰種を追いかける青年の日々が始まった。不慣れな土地で共に喰種と立ち向かうはずであった柿崎準特等は単独行動の結果、来伊2週間目に右腕だけで日本に帰る羽目に。相棒を無くした彼にあてがわれたのが、相棒すら置いていくと有名なベテラン捜査官だったのは出来の悪い冗談だろう。
「着いたぞ、若造。」
とはいえ、一日の大半を外回りに費やす彼は、周囲の評価にまだ疎い。
OSGの古株が、かつてどれほど優秀な新人にも決して歩調を合わせたことのなかったアンドレアが、よりにもよって日本人の若者をバールにまで連れまわしていると聞いて驚愕していることを青年は知らない。かつて一顧だにされなかったOSGの新人たちがやっかみ半分で青年に嫌味を投げつけるのも、アンドレアに引きずり回され上司の冷ややかな言葉で胃にメスを入れられるわが身の不幸を呪う青年には、見分けがつかないものであった。
「…14時6分。遅刻は確定ですね。」
「なんだ、まだ気にしてたのか。過去を悔やんでも何にもならんぞ。」
「……行きましょう。遅刻までして寄るんです。さぞ美味しいカフェなのでしょうね。」
アンドレアになんのかんのと言いつつも、遅刻の連絡すら入れずあっさりとバールに足を向ける青年も、相当にイタリアの空気に毒されていると言って良い。多くのイタリア人がそうするように、2人は実に気楽な様子で古いアパルタメントの1階にこぢんまりと納まるバールへと入っていった。
2/3:主人公の設定を調整。23歳で→21歳で+アカデミーを五席で卒業
2/4:再度主人公の設定を調整。一等への昇進を取り消し。
※喰種捜査官入局年齢について
CCGの養護施設上がりだと18歳にアカデミー入学後20歳で入局(11巻より)。
アカデミーエリート組の亜門さんが22歳、暁さんが21歳。Q'sとして特例措置が取られた可能性のある不知、瓜江が19歳。総議長の鶴の一声があった有馬さんが16歳程度で入局していることからも、CCGの新卒採用は最低でも20歳と仮定しています。
2/7追記:16歳で入局したハイルという奴がいました…。しかし、設定はこのままで行きます。作中の動きを見るに、彼女も逸般人の様ですので…。
主人公は原作を読む限りでは年齢不詳。ですが、有馬さんよりは年上かつ過激に動いても肉体年齢的に違和感がない年齢にしたかったので上記の様に調整。
頭でっかち滝澤さんが次席、「目だった成績を残さなかった」平子さんの例もあるので、免許の様に既定の訓練さえ通れば入局できるようですね。
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共 有 : 02
アンドレア:ディノ・デ・ラウレンティス
エドワルド:デヴィッド・ストラザーン
バリスタ :アーシア・アルジェント
シスター :ラウラ・パウジーニ
古びた見た目に反して音一つたてず滑らかに動いた扉の向こう、薄暗い店内に客は2、3人しかいなかった。カウンターの奥で背を向けてカップを拭くバリスタもこちらに気付いた様子はない。客と話し込んでこちらに目もくれないバールの店員など珍しくもないが、逆は青年にとって初めての経験だった。客が居るにも関わらず、店内に会話が一切無いこともイタリアのバールにあるまじき光景といえよう。
「
「あら、ごめんなさい。ちょっとぼうっとしてて。」
応えたバリスタは若い女性だった。丸窓から彼女の左肩に差し込む光、「妖艶な」と言って差し支えない容姿が相まって、どこか話しかけることを躊躇わせる不思議な雰囲気を纏っている。
「カフェを2つ。どうです景気は。シーズンが過ぎて観光客も減ったのでは。」
「元々この辺りは観光客が散策するような地域ではありませんから。常連さんばかりですよ。」
「常連ね、見たところ年齢層は高めのようで。新規層の開拓は必要でしょうかな?」
振り向いた彼女に思わず続く言葉の出なかった青年に対し、詩情あふれる感想なぞ欠片も抱かぬアンドレア。店内を一瞥しながら言いたい放題である。情緒とか静寂という言葉はこの男の辞書とは無縁だ。喰種が解さぬそうした感覚は長年の捜査でとっくに擦り切れていることは、当人が一番よく知っていた。
「あら、そんなことはありませんよ。私と同じ年頃の女性だってよくいらっしゃいます。」
「いやいや、我々の様なカフェの違いの解る男性陣を取りこんだらいかがかな。こんな界隈だ、高嶺の花に手を伸ばす無粋な輩がいないとも限りません。」
「まぁ、お上手。ではカフェと一緒に手の届かないもっと高くに咲こうかしら。」
「これはつれないお言葉ですな。」
「花は愛でるものであって摘み取るものではありません。」
他方、中年からの不躾な評価を軽やかに受け流した彼女は、ずけずけと物を言う男たちを変わった人だと思いながら、笑顔だけは忘れない。ここらでは見慣れぬ顔に日本人とイタリア人という組み合わせ。彼らの素性についてバリスタが答えを抽出する前に、エスプレッソマシンが黒褐色の液体を2杯の小さなカップに満たし切った。
ややあって、どうぞ、と差し出された至福の一杯に、口さがない中年は無造作に、彼女に見惚れていた青年は一瞬遅れて手を伸ばした。
口に含んだ瞬間、オレンジのような酸味と甘みが広がる。アメリカンに比べて遥かに濃く抽出してあるにもかかわらず、苦みは喉を通った瞬間に寧ろ清涼感を伴って抜けていく。
青年は思わず顔を綻ばせ、同時にアンドレアがここを選んだ理由を思い出し、緩んだ顔と気持ちを引き締める。だが、美味しいものは美味しい。別に味わうことを咎められているわけではない。どうせこの後嫌という程別の上司の不興を買うのだ。この一杯を楽しんで何が悪い……。
開き直った青年は、元々量の少ないエスプレッソをことさらゆっくりと飲み干した。
その上で、これは「当たり」ではないかと隣を見やる。
見やって、後悔した。「当たり」どころではない。「大当たり」だ。
エスプレッソを飲み切り、こちらを品定めするかのようにながめるアンドレアは、いつもの如く人を食ったような表情を浮かべ、しかし目つきだけはがらりと変わっている。小さく頷き、バリスタに
獲物を狙う鷹の様な目つきをし、風を切って歩くようになったこの男がどれだけ好き勝手動き出すか、青年は知っている。これまでも、これからもそれにつき合わされ、後始末に奔走するのは彼自身なのだから。
もはや諦めの境地に達し、せめて素晴らしい店に連れてきてくれたことだけは感謝しようと、すでに店の外に出つつあるアンドレアの背中を追いかけようとした青年は、しかし後ろから艶のあるバリスタの声に呼び止められた。
「どうしました?」
「代金。2ユーロです。」
あの、禿中年。
車に戻った開口一番、アンドレアがどう思う、と問い詰めてくる。
聞くのは構わないが、尋問同然の圧力で迫ってくるのはやめてほしい。後、奢ると言った約束はどうした。青年は頬を引き攣らせつつ、しかしはっきりとした口調で「
「いるとは思います。ですが、バリスタの彼女かどうかはわかりません。」
「お前の勘じゃ、どっちだ。」
「……難しいですが、違うのではないかと。」
「正解だ、若造。上出来だ。」
彼が何時でも何処でもバールに入り浸るのは、何もさぼり癖によるものだけではない。
無類のカフェ好きだったアンドレアに神が与え給うた恩恵、それは「カフェの味でそれを好むのがどのような喰種かが解る」こと。15年以上ローマで喰種を狩り続けた彼は、その才能を経験でもって昇華させ、「それが喰種の淹れるカフェかどうか」まで山を張れるようになった。
「一杯のカフェと一分の会話で喰種を嗅ぎ分ける」と称えられた、イタリアに7人しかいない
「ついでに言うとだ、あの手の味を好む喰種は大抵腹に一物かかえてる。舐めてかかると痛い目見るぞ。」
「…肝に銘じます。「ルマーカ」好みの味でしょうか?」
惜しむらくは、「特技」にひっかかった喰種が自分たちの捜査している喰種かどうかは別問題ということであろう。結果的に喰種を討伐できても蓋を開ければ他班の獲物だったことなどざらであり、青年の意識はせめて自分たちの獲物が引っかかってくれる可能性があるかどうかに向いていた。
「赫子を出して人を殺した癖に、何処も喰わずにほったらかす様な奴だ。ああいうお上品なカフェは似合いだよ。」
どうやら余計な始末書は書かずに済みそうだと安堵する青年。
一方、目下捜索中の喰種の下馬評を彼の頭に叩き込みつつ、アンドレアは先程のやりとりに心中頷いていた。やはり、この若造はいい感覚を持っている。OSGで組まされた新人は腕や頭は良かったが、アンドレアの持つ感覚を理解できなかった。それでは、無意味だ。腕も、頭も、自分以外の連中がどうとでも磨いてやれる。自分が育てるべきは自分の経験を五感で受け取れる奴でなければ駄目なのだ。
そう思いながらも傍からは新人潰しと敬遠され、半ば厄介払いで送り込まれた国際共同捜査班でのことだ。この若造を見つけたのは。
「レートはA~。いえ、貴方の言を踏まえれば確実にSは行くでしょう。殺しだけで捕食しないとなると、食料を持ってくる別の喰種がいる可能性もあります。万全を期すならやはり増援を要請すべきではないでしょうか。」
とはいえ、課題は山積みである。まだまだ舌は粗いし、尻も青く度胸も足りない。なにより殺し合いの腕が平凡だ。成れても騎士、あちらで言うところの準特等に滑り込むのがやっとだろう。単独でレートSS討伐経験のある自分はともかく、この若造にそれを求めるのは余りに早い。
「ま、確証が取れればあの頭の固い紅茶野郎も動くだろう。それまでは大人しく捜査するとしよう。」
「大人しく、慎重に捜査しましょう。私は五体満足で帰国したいんです。」
「なんだ、恋人でも残してきたのか?」
「いえ、猫を一匹。飼っているわけではないのですが、可愛くて。」
「猫なんぞ、アレア・サクラに掃いて捨てるほどいるだろうに。飼うなら犬にしろ。従順で飼い主を裏切らない。」
「…だから嫌いなんです。猫みたいに自由奔放に生きる姿が動物の本来の姿でしょう?」
「ほう。お前、女に振られたことあるだろ。」
「……プライベートな質問には答えません。」
図星であった。大方仕事に没頭しすぎて愛想を尽かされたクチだろう、と口には出さなかったアンドレアの予想も100点満点大正解である。いわゆる「仕事と私とどっちが大事なの?」の二者択一に失敗し、彼女に振られたのは1ヵ月と少し前。その直後に実質左遷され、赴任先で上司が殉職して碌でもない中年とコンビを組まされと、落ち目が続く今日この頃。
忘れようと努めていた古傷を抉られ、燃え尽きている青年を横目に、色恋についても教えることが増えたとアンドレアは内心一人ごちる。だが、悪くない。久しぶりに手ごたえのありそうな喰種が相手で、隣には面白い若造がいる。決して、悪くない日々だ。
かつて多大な功績を挙げながらも、後進を認めない独断専行にOSG内で孤立したアンドレア。やがて一人永遠の都を彷徨うことにも慣れた。だが小生意気とはいえ同類の若造が隣にいる今、徐々にかつての志が色を取り戻していることを、確かに感じていた。
ほんの僅か口元を緩めつつ、この若造をどう仕込んだものかと思案する禿頭の中年捜査官と、なぜわかったのだと内心冷や汗をかきつつ表情を取り繕う青年捜査官。
2人の乗る車はヴィットーリオ・エマヌエーレ2世橋を越え、騎士団の本部の置かれる場所にして世界20億とも言われるキリスト教徒の総本山、バチカンへと向かっていた。
不思議な2人組だったな、と2ユーロ硬貨をキャッシャーから取り出しつつバリスタは思う。彼女自身、自分の店を持ってまだ1年だが、接客経験はバイト時代から通算で5年。決して短くはないキャリアの中でも、あの2人は一風変わっていた。
カフェを出した時。日本人の青年は意識の全てをカフェに向けた。まるで彼女の様に。一方、舐めるように味わった後一気に残りを飲み干したイタリア人の方は日本人しか見ていなかった。あの目は、カフェのいろはを叩きこんでくれた祖父が、自分の手際を見る目と同じだった。
「ごめんなさい。遅くなったわ。」
「あら、いらっしゃいシスター。いつもの時間に来ないからどうしたのかと思っていたのよ。」
「ちょっと子供たちが喧嘩しちゃって。まだ、開いている?」
噂をすれば影、というわけではないが、意識がいったと同時にバールの扉が開き、件の彼女が現れた。あの日本人の様に、初めて自分のカフェを見てくれた人。こうして自分が店を持つという夢の、後押しをしてくれた人。今日も相変わらず孤児院の悪ガキに翻弄されたらしい。
「大切な友人が来たのよ。御馳走するわ。ドルチェが余っているけどどう?」
「いいえ、あの子と食べてきたの。カフェだけでいいわ。でもどうしたの?いつもよりもちょっと機嫌がいいみたい。」
「あなたが来なかった代わりに、変わったお客さんが来てね。バリスタの修行をしてるのに
「…ええ、そうね。変わってるわ。ねぇ、どんな人達だったかもうちょっと聞かせてくれる?」
いつもは向かい合って静かに楽しむカフェだが、彼女も興味を持ってくれているようだし、たまにはおしゃべりしながらでもいいだろう。手際よくエスプレッソマシンを操りながら、時計に目を向ける。
時刻はそろそろ16時。永遠の都に夜の帳はまだ、降りない。
※コーヒーについては淹れるも飲むも素人です。
※主人公の名前は当分出ませんので、あしからず。
2/8:バリスタとシスターの会話における表現を一部修正
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異 端 : 03
アンドレア:ディノ・デ・ラウレンティス
エドワルド:デヴィッド・ストラザーン
ロベルタ :アレッシア・テデスキ
バチカン。世界最小の独立国家であり、欧米において今尚絶大な影響力を持つ価値体系を作り上げた
その宮殿の一室で革張りのオフィスチェアに座り、スクエア型の眼鏡の奥から一片の情も感じさせぬ視線を放つ男と、その視線を歯牙にもかけず気の抜けた姿勢で突っ立っている男。2人の発する雰囲気は、かつてこの場所で行われた血みどろの権力闘争の原因の一つがなんだったのかを見事に伝えてくれる。
すなわち、「お前のことが気に食わない」という感情である。
「で、なにか言うことはあるかね?アンドレア捜査官。」
「目下我が班は「ルマーカ」の足取りを追跡中。しかし殺害現場を偶然目撃したカラビニエリからの聞き取りでも、その後の周辺捜査でも目ぼしい情報は現状挙がっておりません。引き続き捜査を続行いたします。報告は以上です、サー・エドワルド。」
白髪が目立ちながらも、なお豊かな髪をきっちりオールバックにまとめ上げた男性は、自身とは対照的にすっかり禿げ上がった頭を視線で
「ほう、君の口から「
このキザ野郎、揚げ足取りやがる。こういう時こそ、言質を与えぬ謝罪に関しては天下一品の日本人が出張るべきではないのか。
カフェを奢るとの自分の言をテベレ川の向こうに置いてきたせめてもの代価として、一人この場に立つアンドレアは早々にその選択を後悔しはじめていた。
「はて、そんなことは言いましたかな。いやはや、最近物忘れが多くなってきましてね。変な具合に老いたくはないものです。最近じゃ
「ふむ、確かに。だが老いすら楽しむ我々英国人としては、
アンドレアの皮肉を一刀両断して書類に目を落とす男性――エドワード・キングストン。
若干37歳にして対喰種組織を率い、ロンドンにおける喰種被害を激減させた功績からロイヤル・ヴィクトリア勲章を下賜された、英国喰種捜査官の誉れ。以降10年、霧の都の平穏を守護してきた男は後進の育成と他国との連携強化のために、自ら望んでここにいる。
「我々はチームだ。チームとは互いの不足を補い合い、一つの生き物のように滑らかに動いてこそ意味がある。そして君は、
別に彼とて、部屋に入ってきてから一度たりともこちらに視線をやらぬ、自分とさほど変わらぬ歳の喰種捜査官を無意味に毛嫌いしているわけではない。
シェンゲン協定、そして連合の創設によって、国境が喰種を隔てる役割を失いつつあった時代。
地続きの欧州の地は不十分な連携体制の隙を突かれ、「食事」した後捜査の手の及ばない他国に雲隠れする、喰種の「喰い逃げ」に心底悩まされた。
それに曲りなりにも対処してきたのが、自分やアンドレア達だ。あの年代を駆け抜けてきた捜査官として共感できる部分は少なくない。
だが、それを覆い隠して余りある程の欠点があるのだ、このイタリア人には。
「ですから、日本人にこちらのやり方を教えているんじゃないですか。」
「それは君のやり方だ。イタリアのやり方ではない。そしてイタリアで通用するやり方であって、欧州で通用するやり方ではない。」
時間にルーズで単独行動主義、勘頼みの捜査方法と枚挙に暇なく。何より問題なのが、後進の育成をこれまでまともにしてこなかったという、エドワードからすれば度し難い「怠慢」であった。
無論、これに関してはアンドレアにも言い分がある。これまでのキャリアと、それに基づく育成方針が異なる以上、互いが互いを理解しかねるのはむしろ当然のことだった。
結果、畑違いの天才達は自分の土俵にずけずけと口を出してくる相手を次第に疎むようになり、今では顔を合わせるたびに嫌味を言い合う仲になった。
片や、現場に固執して時代の変化を理解できない愚か者。片や、机にへばり付いて己の体一つで喰種に立ち向かう術を忘れた臆病者、と。
だが、彼らは同じ場所で数世紀前に至高の座を巡って争い合い、同じように嫌味や皮肉を投げ付け合った聖職者とは一線を画する違いを有している。
「捜査会議の内容は騎士ロベルタから君の相棒に共有するよう伝えてある。もはや止めんが、こちらの邪魔だけはするな。得た情報は…」
彼らは喰種捜査官。力なき民を護り、神敵たる喰種を駆逐することに全てを捧げた、現世の守護聖人なのだ。その本分を忘れたことなど、お互い一度もない。
エドワードが言葉を紡ぎながら剃刀の如く鋭い視線をくれた瞬間、虚空を見つめていたアンドレアと目が合う。
喰種も食わぬ喧嘩を捜査の場に持ち込むことほど愚かなことはない。やるべきことはただ1つ。
喰種を探して、狩る。
先程までのやり取りはどこへやら、瞬時に思考を切り替えた男達は、そのたった一つのルールの下に狩りの手順を詰めていく。
「詳しい報告書は今日中に若造から。尻尾を掴んで手に余る様ならすぐに泣きつかせて頂きますよ。仕留める時は一気にやらにゃ、後が面倒だ。」
「以上だ、下がっていい。」
解っているならそれでいいと、あっさり話を切り上げるエドワードにそれでは、と部屋を後にするアンドレア。
「Ciao.捜査会議をさぼるとは、時間にうるさい
ふわり、と緩くウェーブのかかった髪を靡かせ、アンドレアから押し付けられた報告書に取り組んでいる青年に声をかけたのは超が付くほどの美人だった。健康的な小麦色の肌、ぱっちりとした目、少し大きめの唇もチャーミングポイントに数えてよかろう。
「……何の用です。」
「随分なご挨拶ね。せっかく何処かの誰かが知らない会議の内容を教えてあげようとしてるのに。」
そんな美女からお声がかかったにも関わらず、当の青年は蛇に睨まれた蛙のような渋面を作る。
中年親父の誘いに乗って、会議をさぼったことは事実。より正確に言うなら「途中から入って来るな」と門前払いされたのだが、憂鬱な気分は美女からの挨拶程度では払拭されない。
その美女がただで気を効かせてくれたことなどこれまで一度たりともないなら尚更だ。
「…次は何をさせる気です?」
「ひどいわ、そんな安い女だと思われてたなんて。こんな紙切れ捨てちゃおうかしら。」
よよよ、と顔を覆った手の隙間から、青年の反応を窺う。相変わらず辛気臭い顔だ。2週間程前に彼の上司が殉職した時よりはマシだが。自殺者みたいな顔から片腕喰種に喰われた捜査官みたいな顔になったわね、と100万ドルの美貌の裏でとんでもない感想を抱きながら、残った片手で会議録をひらひらと泳がせる。
「お気遣い、ありがとうございます。」
「それでね、最近リノベーション途中のアパルタメントに喰種目撃情報が入ったの。私は国際共同捜査班の仕事で忙しいから、
「……」
伸ばされた彼の手から議事録をひょい、と遠ざけつつ、OSG所属・騎士ロベルタ・フェレッティは同い年の青年に天使の微笑を向ける。青年からすれば、悪魔の囁きだった。
事実彼女は忙しい。無数の情報の中から有益なものを選別し、優先順位をつけてまとめ上げる精度と速度を買われたロベルタ。副班長として彼女を引っ張り上げたエドワルドの下、その才能に更に磨きをかけていると聞く。
一方の自分はと言えば、現地捜査と称して、うだつの上がらぬ元伝説の捜査官とバールを梯子してカフェを飲む日々。
だれがどう見ても穀潰しである。ここで断れば何がどうなるか分からない。反論すれば首が飛ぶ。流石にあの鉄面皮のエドワルド捜査官が彼女の色香にどうこうはなかろうが、彼女の笑顔と指先一つでオフィスの自分の席が消えてなくなる程度は十分あり得る未来である。
その証拠に、周囲の雰囲気に敏い彼は、今オフィスにいる班内の若手捜査官から向けられる殺意の込もった視線に気付いていた。日本人のエアリーディング能力万歳。但し彼女のお願いを聞いてさっさと話を終わらせることでしか、状況の解決策は無い。
「…わかりました。明日捜査のついでに寄ってきます。」
「あら、親切にありがとう。助かるわ。」
敏い割に、青年はエドワルド捜査官が自分達を嫌っていないとは気付けていない。ロベルタが善意と打算ではなく、命令として議事録を共有しに来ていることもだ。更に付け加えるなら、周囲の殺意の内訳に、美女の視線を独占することに加えて、伝説の捜査官に手取り足取り指導してもらっていることへの嫉妬が含まれていることも青年の与り知らぬことであった。
ロベルタが笑顔の裏でそれを周囲に口止めしていること、そして彼女のお願いが割と命に係わるレベルであること。
以上2点が、何とも居心地の悪いオフィス内での青年の平穏を維持していた。
「貴方達の「ルマーカ」もまだ進展は無いようね。」
「完全に無いわけでは…」
「言っておくけど、カフェの味は進展の内に入らないわよ。」
せめてもの言い訳もあっさり見透かされた。そして反論できない我が身の情けなさに身が縮こまるばかりである。
青年が書く、要点を押さえた素晴らしい報告書を一瞥し、ロベルタは渋面を更に濃くした彼をしげしげと眺める。机の前では一流。現場に出れば二流。顔は甘く見積もって一流半か。総合評価は中の上。だが、自分ですら認めてくれなかったアンドレア――
最初はイタリア語が堪能な日本人程度にしか思っていなかった。
だが、出合って2、3日後、小規模な喰種の集団を共に狩った時、青年が喰種捜査官としては
やがてアンドレアが彼を相棒にしたことで、見ているだけでは好奇心が収まらなくなり、今ではこうして折りにつけちょっかいをかけている。
一体何が彼を喰種捜査官に成さしめたのか。そして喰種に何を見ているのか。イタリア人喰種捜査官として、そしてロベルタ・フェレッティ個人として、興味は尽きない。
青年に背中を向けて自分の仕事に戻りつつ、彼女はその切っ掛けとなった一言を思い出す。
さして強くなく、醜く足掻く喰種の首を刎ねる瞬間、彼は確かに言ったのだ。
※捜査官の呼称について
:re第5巻、カナエの回想において和修政がドイツの上司に対し「準特等」の呼称を使用しています。日本の階級制度が海外でも共通している可能性有。
ですが、OSGは元々教皇直下の組織だったと設定しているので、階級や呼称も当時のものを流用しているということで、お目こぼしください。
CCGに対応するOSGの階級は以下の通りです。
特等 :聖騎士
準特等・上等:騎士
一等~三等 :従士
同階級同士が混在する作戦では、基本昇進時期の早い者が指揮を執ります。
~うらがき~
初稿では「ボーン・アルティメイタム」のノア・ヴォーゼンの如く嫌味で権威主義な冷血漢だったエドワード。
だがデヴィッド・ストラザーンにそんな三下な設定を付けられず、書いているうちに出来上がったのがこちらの紳士。
改稿途中にHELLSINGを見たのが良くなかった。
そして、3話まで書き、思ったことが一つ。
あれ、これ東京喰種の小説だっけ。
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邂 逅 : 04
とりあえず、自分で判明した部分は編集し直しました。
内容が二転三転して申し訳ありません。
≪登場人物モデル≫
アンドレア:ディノ・デ・ラウレンティス
ロベルタ :アレッシア・テデスキ
天使の笑顔を伴った悪魔が去って行った後、2人の喰種捜査官は、コーヒーの入ったカップを片手に作戦会議を行っていた。
「それにしても毎度毎度、お前も相当物好きだな。面倒事ばかり引き受けてきやがって。甘い一夜でも期待してるのか?」
「いえ、そういうわけでは…」
「止めとけ。アイツお前をちょっと変わった芸のできる犬位にしか見てないぞきっと。顔も性格も母親に似てとんでもないからな。育て方を間違ったんだろう、ほいほい釣られるような男なんぞ扱き使ってなんぼだと思ってる。」
「…とにかく、さっさと行って調べてしまいましょう。」
元はと言えば、貴方が捜査会議を何度もさぼるからでしょうが。後、
ロベルタから渡された建物の見取り図を広げつつ、叔父からこき下ろされるここにはいない彼女を気遣う青年。だが自分が、11歳の誕生日に「私、叔父さん嫌い。笑って見せても言うこと聞いてくれないんだもの」と面と向かって言い放った悪魔を心配していることは、知らぬが仏というやつである。
こうして喰種が目撃されたという古いアパルタメントに赴こうとしている時点で、すでにその悪魔に扱き使われている気がするが、目撃されたのが「ルマーカ」とあれば放置しておく訳にもいかなかった。
「さて、どう攻めたもんかね。中途半端にオンボロな建物だ。こっちの気配を殺してもくれんし、連中の赫子を防いでもくれん。」
「見取り図ではエレベーターがありますね。」
「乗るか?」
小馬鹿にしたような口調でアンドレアが問う。無論、戦隊ものの特撮の如く、こちらの準備が終わるまで行儀よく待ってくれる喰種など現実には存在しない。自分から身動きの取れない場所に入るのは避けるべきだ。
「待ち伏せされる危険もありますし、木造の扉を手で開ける古いタイプのものです。喰種がその気になれば内部に侵入するなり、扉ごと赫子で攻撃するなりできます。乗るのは最終手段にしましょう。階段は…」
「狭い。おまけに柱に纏わりつくような折り返し形の階段だ。見通しも悪い。4階までしかないのがせめてもの救いだな。」
「…やはり、2人で調べるには危険ですね。」
思ったよりも難易度が高いと分かった調査にか、それとも眠気覚ましに淹れた安物のインスタントコーヒーのまずさにか、青年が顔を顰めながら言葉をこぼす。
「エレベーターも階段も駄目。いっそヘリが使えりゃ楽なんだが。」
「只の調査に使えるわけないじゃないですか。燃料代だって馬鹿になりません。でも、ヘリ、か…」
実際の所、聖騎士の位階にある自分なら申請書と報告書を提出すればいくらでも使えるのだが、若造を鍛えるべくここは黙って見守ることにする。
決して、書類を書くのが面倒なわけではない。
それにこの若造、こういう時に意外と面白いやり方を思いついたりするのだ。
「ちょっと待っていて下さい。騎士フェレッティから資料を貰ってきます。」
図面をじっと眺めていた青年はエレベーターと階段の位置を確認し、これならなんとかなるかな、と呟いて席を立つ。どうやらアパルタメント攻略の糸口を見つけ出したようだ。
「驚いたな、またあのお転婆に借りを作るとは。お前、尻に敷かれて嬉しくなるタイプなのか?」
「違います。私だって借りは作りたくないですが、喰われるよりはマシですよ。というか、解ってるなら貴方の口から一言言ってやっては頂けないでしょうか。」
「言って聞くような娘なら、端っから喰種捜査官になんぞ成らせんよ。あざとい性格は母親譲りだが、強情な所は父親に似すぎた。」
「……」
「なんだその顔。ほらさっさと貰うもん貰ってこい。」
「…失礼します。それと、あの、」
「昔の話だ。気にしちゃいない。」
申し訳なさげな顔をして出て行った青年の背中を見やりつつ、相変わらず妙な所で気をまわしやがると苦笑する。
ロベルタ・フェレッティの父親、すなわち自分の弟もまた、優秀な喰種捜査官
もう10年近く前の話。一生分の語彙を尽くして止めたことは覚えているが、何を言ったかは覚えていない。あの時泣きながらも決意を曲げなかった弟の一粒種が今や若くして騎士となり、男を顎で使っているとは、自分も歳を取ったものだ。
益体もないことを考えていると、先程送り出した青年がオフィスに入って来る所が見えた。
手に抱えている資料を見るに、おねだりは成功したようだ。代わりに何を犠牲にしたかは知らないが。まぁ、次こそはちゃんとカフェを奢ってやろう。さて、喰種好みのカフェを淹れるバールは後何処があったかね…。
頭の隅で次に青年を連れまわす場所を選びつつ、アンドレアはこれなら比較的安全に突入できると思います、と口火を切った青年に近づいて行った。
翌日。街が目覚め、人が日々の営みを始めるにはまだ少しばかり早い時間。2人の捜査官は件のアパルトメントに踏み込もうとしていた。
「始めるぞ。」
「お願いします。」
短いやり取りの後、アンドレアはアパルタメントの入り口をくぐり、エレベーターを起動させる。地上階に到着したことを確認して扉を開け、②の数字を押すと、古びたエレベーターはゆっくりと目的の階まで上昇していった。
古びた音が2階に響いた瞬間、“彼”は背後を振り返った。エレベーターの音だ。“彼女”が来てくれたのだろうかと顔を綻ばせ、同時に疑問が鎌首をもたげる。そうであるならいつもの如く階段を駆け上がってくるはず、エレベーターを使うなんて変だ。刹那、移民街に居る友人から聞いた言葉を思い出し、背中に氷塊を落とし込まれたかのように前進が総毛立つ。
「6日前にトラステヴェレ橋の近くでイタリア人を殺した喰種がいるらしくてよ。辺りに捜査官がうようよしてるらしいぜ。」
捜査官は
“喰種捜査官に出会ったら、赫子で作った武器で八つ裂きにされる――”
“監獄に送り込まれて、一生外から出られない――”
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ死にたくない。
“――コロシチャエバ?”
そうだ、あの時と同じだ。やられる前に、やるのだ。この階についた瞬間、“あれ”を出せば、あの時と同じ様に、力で負けていても相手を倒せる。やるんだ。やらないと、やらないと
エレベーターが重い音を立てて到着を知らせた瞬間、“彼”の腰から伸びた「血の様に赫い何か」が、古びた箱をなぎ払った。
上手くいったが、上手くいって欲しくなかったな…と青年は轟音を響かせたアパルタメントの
彼の立てた作戦、それは問題のアパルタメントの隣に存在するビルから屋上へ跳び移るというシンプルなものだった。これなら階段もエレベーターも使わずに済む。
このプランに基づき、一方が屋上から、他方が地上から侵入することにし、保険として骨董品のエレベーターの構造を利用したブラフもしかけた。ガラス張りのドアを閉め、外側からガラスを割って通した細長い棒か何かでボタンを押し、あたかも誰かが乗って来ると錯覚させる小細工だ。改装途中だったのか、ガラス自体が取り払われていたのは僥倖だった。
ロベルタに頼んで調べてもらったのは、跳び移ることの出来る建物が近くにあるかどうか、そしてエレベーターの型式と構造。おかげで次のオフに彼女を含めた女性捜査官たちにランチを奢るというとんでもない約束をする羽目になったが、こうしてものの見事に引っかかってくれたのだ、それだけの価値はあったと言うことにしておこう。
階段を一気に駆け下り、踊り場に出る。人影が一人。いや、一匹。
こちらに背を向け、腰から伸びた赫子を背中で縦に蜷局の様に巻いている。成程「
「ルマーカ」へ走り寄りながら、左手に持ったアタッシュケースのスイッチを入れる。何がどうなってそうなっているのかは未だに良く解らないが、2秒とかからぬ間に飾り気もそっけもないアタッシュケースは赫黒い刀身を持った剣へと変貌していた。
イタリアに渡る際、餞別代りに受領した専用の
自分が携えているクインケは尾赫。鱗赫持ちの「ルマーカ」とは相性は良い。
アンドレアはまだ来ていない。ここで気を引き、アンドレアと共に仕留める。青年はそう判断して「ルマーカ」に斬りかかる。
瞬間、蜷局を待いていた赫子がうねり、進路を塞ぐような叩き付けがやってきた。クインケで赫子を受け流し、攻撃の勢いも借りて峰についたセレーションで赫子を半ばから切断。更に踏込む。
まずは、一撃。「Bauta」と呼ばれる、口元の空いたヴェネチアンマスクに向かってクインケを突き出す瞬間――
「若造!!」
弾かれたように踏み込もうと溜め込んだ足の力を後方に解き放ち、「ルマーカ」から距離を取る。一拍おいて狭い踊り場を包み込むような赫い驟雨が「ルマーカ」に襲い掛かった。「
たまらず
赫包を2つ、持っていたのか。そのまま踏み込んでいたら死角から串刺しにされていた。青年は肝を冷やしつつ、窓側へ移動する。階段とエレベーター側にはアンドレア。逃がしはしない。
青年を見やり、仕切り直せると判断したアンドレアは一度攻撃を止める。さて、次はどう出るかね。赫子を死角に温存するという小細工を弄してくる程度には賢しい奴だ。こっちに仕掛ければ背中を若造が斬ること位は解るだろう。優劣関係の無い羽赫の攻撃。再生能力の高い鱗赫の特性。そして逃走を妨害するためとはいえ、通常ならば避けるべき、3人がほぼ一直線に並んだ位置関係。こいつなら――
La Tempestaの攻撃によって巻き上がった粉塵を切り裂いて、「ルマーカ」が若造に突進する。読み通りだな。確かにくっ付いちまえば援護も難しくなるし、さっきみたいな面攻撃もできなくなる。が、こちとらそれを解っててこんな位置取りをしたんだよ。馬鹿が。
人殺しは6日前の事件が初めてだが、それ以前にも「ルマーカ」のものと同様の赫子痕が共食い現場で確認されていた。故に複数個の赫包を保有していることも初めから想定済み。先の戦闘で確認が取れたからレートはSに繰上げだ。やはり若造一人で討伐は無理だろう。程々に高レート相手の戦闘経験を積ませてやったら、さっさと仕留めちまうとするかな。
――とか、思ってるんだろうなぁ、あの顔。青年は肉薄してくる「ルマーカ」に相対しつつ、その後ろで唇を歪める中年を一瞥する。なんだあれ、子供に見せたら泣くぞ。
と、袈裟掛けに襲い掛かってきた赫子を打ち払いながら思う。どうやら後ろのなまはげを警戒し、右腰から突き出た赫子は背中で盾の如く丸めている。自分の相手は一本あれば十分という訳か、舐められたものだ。視線を惑わせるようにうねりながら地を這って伸びる赫子を受け流し、引くと見せかけ一気に接近して根元から断ち切る。恐らく「ルマーカ」は赫子2本が本来の戦闘スタイルだ。間合いの中に入り込んでしまえば、咄嗟に2本目が出る。
予想通り、体の右側を前面に出して2本目の赫子を使ってきた。
受け止める。が、重い。流石は鱗赫といったところか。
だが、これで決まりだ。
無防備になった「ルマーカ」左半身に雷鳴のような音を伴った光が撃ち込まれる。
雨の様に拡散させて広範囲を牽制することも、雷の様に収束させた赫子を見舞うこともできる、まさに嵐の名に相応しい、アンドレアのクインケからの一撃であった。
予想外の攻撃にぐらりと体勢を崩す「ルマーカ」。その首を刎ねるべく、青年はクインケを持ち上げる。
その時、絹を裂いたような悲鳴が踊り場に響き渡った。
※アンドレアのクインケについて
アヤトの羽赫のような範囲攻撃と、法寺の持つ「ホロウ」のようなビーム。
両方を切り替えて撃つことができるレートS+クインケ。
~うらがき~
中途半端に強い感を文章で出すのがおっそろしく難しい。
ちなみにアンドレアの一撃がなければ、足が止まった所で主人公は殺られてます。赫子を切断できたのも相性が良かっただけ。現在の彼の実力は二等以上一等未満。
それでレートSとやりあってんじゃねーよというツッコミへの回答は本編でいたします。
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少 女 : 05
アンドレア:ディノ・デ・ラウレンティス
エドワルド:デヴィッド・ストラザーン
ロベルタ :アレッシア・テデスキ
ルナ :ナタリー・ポートマン(『レオン』のマチルダをもう少し幼くした感じ)
ジャンニ :ジェイク・ロイド
子供2人は某SFファンタジーから。顔立ち的にジェイク・ロイドはどうなのよとも思いつつ、意志の強い悪がきをイメージすると彼以外に思い浮かびませんでした。
「馬鹿野郎!!!」
怒声と共に飛んできた拳骨を甘んじて受ける。鈍い音と共に口内に広がる鉄の味。
止めの瞬間に踊り場に入ってきたのは、年端もいかない少女であった。思わずそちらに目をやった隙に、力任せに振り払われた赫子で距離を取られ、アンドレアの追撃を受けながらも持ち前の再生力で「ルマーカ」はアパルトメントから逃亡した。
「わかってるだろうが、喰種ってのは人間よりも遥かにしぶとく、頑丈なんだよ。首飛ばすまで目ぇ離してんじゃねぇ。殺されてぇのか?!」
「…申し訳ありません。」
「全く…。だがまぁ、それ以外は及第点だ。次は俺抜きであの動きをやれ。」
「…それは」
厳しいのですが、と続けようとした青年の言葉はあっさりアンドレアに遮られる。
流石はイタリア人というべきか、一度口を開くと湯水のように言いたいことを言いきるまで止まらない。おまけに声が大きい。
トラムやバス、喧噪の中でも聞こえるように自然と大声になるらしいのだが、ここは今しがた廃墟一歩手前になったアパルタメントである。近隣住民に配慮してくださいと言いたい。言えないが。
こうなってはどうしようもない。大人しく終わるのを待つばかりだ。
「阿呆。向こうのやり方は解ったが、向こうもこっちの手札を知った。次はこうはいかねぇぞ。」
「…了解です。」
「問題は手数だな。お前はクインケ一本だが、向こうは手が4つあるようなもんだ。もう一本獲物増やすか?」
「いえ、そんな器用な真似はできません。」
有馬三等ならできるだろうな…。班を共にしたとある捜査官をして、「神に触れた」と言わしめた技量なのだ。その位はお手の物な気がする。今日も喰種を鱠切りにしているだろう天才の姿が脳裏をよぎる。彼のことだ、戻ってみれば上等どころか準特等になっていても可笑しくはない。
…対する自分は一等位にはなれるだろうか。
「…おい、こら。ボケッとしてんじゃねぇ。」
再度、目に火花が散る。青年の意識は遠く海の向こうの島国からざっと10,000kmばかり引き戻されることとなった。
「で、あの嬢ちゃんは何なんだ。」
「どうやら、この近辺に住む少女の様です。この建物が秘密の遊び場になっていたのでは。」
「平日の早朝だぞ。遊び歩くにゃ早すぎる。おまけに1人だ。」
喰種じゃないのか、との言葉を飲み込んで、アンドレアは会敵の知らせを聞いて飛んできたエドワルド以下共同捜査班の集団を見やる。
件の少女は現在その中心で、同性かつ最も柔和な(内実を知っている身からすれば失笑ものだが)人相をしているロベルタから事情聴取を受けていた。
「運が良かったな。」
その集団から外れ、こちらに話しかけた男が1人。エドワルドだ。発した言葉は目当ての喰種と遭遇したことに対してか、或いは暫定Sレートに2人で挑んで無傷だったことに対してか。
欠片も感情の乗っていない言葉に応じたのは、欠片の敬意もない言葉であった。
「で、首尾は?」
「市内全域に警戒網を敷いているが、まだ発見の報告も連絡が途絶した班もない。これまでの手口から見ても、どこかに潜伏しているのだろう。」
「場所の当ては?」
「それは君の方があるのではないかね。子飼いの「犬」がいるのだろう?」
そのために話しかけたのだ、さっさと言え。視線で促してくるエドワルド特等。だがやれやれと肩を竦める中年の隣の彼には、さっぱり話が分からない。
「もうちょっと待ってくれ。嬢ちゃんの方は?」
「確認が取れた。人間だよ。両親ともにな。」
「…すみません、「犬」というのは?」
「若造、今は黙ってろ。それで、何だってこんな時間にここへ?」
呈した疑問をあっさりと片付けられ、不服そうな表情になる青年。
一方その質問に対し始めて、エドワルドの声に僅かに「苛立ち」という名の感情が付与された。
「それが聞きたいのだが、宥めすかしても存外口が堅い。誰を相手にしても口を割らない。」
「おやおや、知られたくないと来たか…。」
「9歳の子供が相手だ。無理に吐かせるわけにもいかん。」
エドワルドが
届いたメールを一読して目を細める。成程これが黙っておきたい理由かな、嬢ちゃんや。
「エドワルド、嬢ちゃんに会わせてくれ。」
「…「犬」が何か嗅ぎ付けたのか?」
「そんな所さ。行くぞ若造、お前が聞くんだ。」
「…了解です。」
相変わらず自分の勝手で相方を連れまわす男だ。あれに反論もせずついていくなぞ、忍耐と寛容は日本人の美徳とはよく言ったものだな。エドワードは面には出さずに呆れつつ、青年の背中を見やる。彼らをロベルタと交代させるよう目線で指示しつつ、組織における協調性と柔軟性は評価すべきと、考課表に少しばかり加点した。
それでも、止めを刺し損ねた失態と日頃の勤怠も相まって、青年への考課はマイナスのままだった。
どうしよう、とルナは地面を見つめながら必死になって考える。ちょっと前から目の前にとってもきれいな人がすわって色々聞いてきた。けど彼との「ひみつのやくそく」がある。それをやぶっちゃったら二度と彼には会えなくなるかもしれない。それはいやだ。だから何を聞かれても答えなかった。
でも、心配なのだ。最近中々会うことができなくなって、心配していた時にたまたま道を走っていく彼を見つけ、思わずおいかけた。でもついた先に彼はいなくて、代わりにまっかなけんを持った大人と、“何か”が居た。“あれ”は一体何なのだろうか。彼は大丈夫なのだろうか。どこかけがしていないだろうか。
ぐるぐると頭の中でまとまらない考えが渦巻いている少女の姿に影が差す。
見上げると、“あれ”とたたかっていた男の人が自分を見下ろしていた。なんだか変な顔。シスターにおこられたと言っていた“彼”もそんな顔をしていた。
座ってもいいかな、との言葉にうなずく。ありがとうと言って目線を自分に合わせた男の人は、ごめんねとあやまってきた。
「………どうしてあやまるの?」
「怖い所を見せてしまったからね。怪我はないかい?」
「……大丈夫」
「良かった。ご両親と連絡がついたから、じき君を迎えに来てくれるそうだよ。」
それきり、男の人は何も聞いて来ない。他の人とはぜんぜんちがう。
だからほんのちょっとだけお話ししてもいいかな、と少女は思いたった。
「…“あれ”は」
「ん?」
「“あれ”は何なの?」
「あれは「
「私も、食べられちゃうの?」
「いやいや、お兄さんたちがちゃんと護るから大丈夫だよ。でも…」
「でも?」
「
「…うそ。」
どうしよう、私が黙ったまま、彼が、ジャンニが食べられてたら。
「ほんとさ。だからもし君が何か知っていたら、お兄さんに教えてくれないかな。その子も護ってあげたいんだ…。」
言って、少女を見つめる青年。
恐ろしい怪物に襲われる少年の姿を想像したのか、少女の瞳が揺らぐ。固く閉ざされていた唇がゆっくりと開く。青年はそれを見つめつつ、人の弱みに付け込むとはこの事か、と内心嘆息した。
「ご苦労さん。良いお兄さんっぷりだったぞ。」
「…致し方ないとは言え、幼気な子供を騙すのは気が引けます。」
「騙しちゃいない。喰種の顔を見たかもしれんのだ。狙われる可能性はあるゼロじゃない。
「
捜査員に護衛された両親と手を繋ぎながら、こちらを振り返る少女に手を振った青年は、軽くため息をついて後ろの詐欺師共に向き直る。両親がやってきたため質問はあれでお開きになったものの、自分とて詐欺の片棒を担いでいるのだ。少女の心配など頭の中に無い彼らへ物申したくなっても、批判などできたものではないことは重々承知である。
「先に教えて下さい。言われた通りにしましたが、男の子の情報はどこから出て来たんです?」
「俺が個人でやり取りしてる連中からだ。乞食だったり、ちょっとやんちゃしてる連中だったり、まぁ素性は色々あるが、捜査官をぞろぞろ連れて行けない場所には便利でな。見張りなんかもやらせてる。」
「…それで「犬」、ですか。」
先のメールは周囲を見張っていた「犬」からというわけだ。こちらが突入すれば把握できない建物の人の出入りを監視していたのだろう。気取られたくないとはいえ、増援を呼ばなかったのはこの手があったからか。永遠の都の酸いも甘いも噛み分けた、老練な捜査官のやり方であった。
「で?」
次はお前の番だと顎をしゃくるアンドレア。事前に青年に何も伝えていないのか、阿呆か貴様と隣の紅茶野郎が目線で言ってくるが、知ったことか。気付かない若造が悪い。
「家の近くを走っていく友人の姿を見たから追い駆けた、と。黙っていたのはどうやらその少年に口止めされていたそうです。」
「その子の名前は?」
「ジャンニです。どこに住んでいるかは知らないと言っていました。」
「成程…。おい「犬」は付けていないのか?」
「冗談言うなよ。連中の方がこっちより感覚が鋭いんだ。下手に尾行させたら喰われかねん。」
「他には何と?」
「家族構成なども知らないと。」
「なんだそりゃ、お手上げじゃないか。」
「黙っていろ。何故口止めされていたかは聞いたか?」
「それがなんとも。お互い2人だけの秘密にしようと約束していたと言うだけです。」
ふむ、と青年の報告を聞き顎に手を当てて考え込むエドワード。
類似した赫子痕も過去に確認されているなら、市外に潜伏する喰種と見て良かろう。先の戦闘で手負いとなったなら、兎にも角にも隠れ家で羽を休めるはず。
検問で締め上げたいが、自分のホームグラウンドたるロンドン同様、観光客で狂ったように人が出入りするローマ。捜査網を今のレベルで維持し続けることはあまり現実的ではない。奴とて傷を癒すためにも食事は必要だろう。仲間がいるにしろいないにしろ、全くの沈黙を守っておくこともできまい。
やはり、今後2、3日が勝負。切り札はあの少女。「ルマーカ」もその姿は見ているだろうし、件の少年とも繋がりがある。
右手の親指と中指で眼鏡のフレームの両端を押さえて位置を直しつつ、2人の喰種捜査官に目を向ける。野郎、扱き使う気だなと睨みつけてくる中年の視線を一蹴し、エドワードは諸君、と実に紳士的に今後の動きについて切り出した。
※「犬」について
物乞いや不法滞在者などが普通に街をうろつくローマなら十分考えられるのではないでしょうか。どこに居ても不思議はないですし、彼ら独自のコミュニティも持っています。アンダーグラウンドでの捜査にはうってつけでしょう。
とはいえ、「犬」の側も喰われかねないレベルまで協力する義理は無いですし、使えると言ってもせいぜい見張りや目撃情報の収集までではないかなと思い、本話のような扱いにしました。
~うらがき~
こんなの東京喰種じゃないわ、ただの設定パクった三流刑事小説よ!
→押井版です(白目)
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決 壊 : 06
アンドレア:ディノ・デ・ラウレンティス
バリスタ :アーシア・アルジェント
シスター :ラウラ・パウジーニ
ジャンニ :ジェイク・ロイド
老医師 :ゲイリー・オールドマン
「何故、ついて来たの。」
「…だって、何処かに行っちゃうんじゃないかって思ったんだ。ねぇ、何処にも行かないよね?」
聡い子だ。だが、今はそれが状況を悪くしている。と彼女は歯噛みした。
一昨日訪れたカフェで、思った以上に捜査官共の手が伸びていることを知った。伝え聞いた風貌から、どうやら聖騎士の一人が動いているらしいということもだ。どこまで誤魔化せるかはわからない以上、何らかの手を打つ必要があった。
OSGに目撃情報を連絡したのは彼女自身。恐らくやって来るだろうあの2人組を殺した後、彼らのクインケで相打ちを装い自殺すれば、「ルマーカ」と呼ばれる喰種の捜査と討伐はそこで打ち切られる。相手が聖騎士とは言え地の利も含め勝算はあった。この子の為でもあるが、同族殺しを繰り返して蓄えた力は伊達ではない。暗く視野の狭まる路地、屯する浮浪者、奇襲を掛けやすい夜のローマは捜査官共にとっては戦い辛い。やっきになって探しているのだ。ずるずる日をおくとも思えない。調査するなら明日明後日の早朝だろうと山を張り、あのアパルタメントで待ち伏せた。そこまでは良かった。
だが自分を追って、当のこの子があの場に来てしまった。
なんとか2人が共にいたことは捜査官共に見られずに済んだが、仮にあの場で当初の計画を実行しても、あの子との繋がりが捜査官たちに露見してしまっては無意味だ。
事実、重要参考人としてすでにこの子の人相書きがローマ中に配られている。警戒網も緩む気配がまだ無い。そして、どう行動すべきか逡巡している間に捜査官から手痛い一撃を受けてしまった。まさか面でも点でも攻撃でき、味方に当てずに自分だけ撃ち抜けるとは。武器の種類は羽赫だったが、まだ傷は癒えない。
「ねぇ、どうしたの?」
「…大丈夫よ。でも、そろそろお引っ越しをしないといけないわね。」
「僕が、あんなことしたから?」
「違うわ。それにあなたは悪くない。
「でも…。」
「あの女の子のこと?」
「…ごめんなさい。」
か細い声で謝る少年を抱きしめる。しょうがない子だ。そして、なんて忌々しい偶然。捜査官と有利に戦える場所として真っ先に思いつき、ここからも離れたアパルタメントだったが、この子達の方が一足先に遊び場として目を付けていたらしい。
聞けば、誰にも見られず、隠れられる場所がたくさんあって遊べると思ったのがあそこだったと言う。自分が教えた、捜査官共から逃れる術をちゃんと覚えていたのだ。
やはり、院から出すべきではなかった。まだ「人」の悪意に疎いこの子が、人間社会でうまく立ち回ることなどできないとわかっていたのに。
それでも、しばしば自分の目を盗んで外へ出ていく少年が、追いかけた先で同じ年頃の人間の少女と遊び笑い合う姿を見て、どうしても止めることができなかった。
「あの子には、後でお手紙を書きましょう。今はお引っ越しの準備をしないと。ね?」
「…うん。」
全て、自分の甘さが招いたことだ。今朝も。あの時も。自分が非情になっていれば、まだ手の打ち様はあったのかもしれない。しかしもはや過去のことだ。今更どうこう言っても仕方がない。
幸い、伝手はまだある。この子を安全な場所に運んでもらうために呼んだ仲間も、まだ市内にいる。できるだけ多くの捜査官を引き付けて、その隙にこの子を逃がす。
辛い思いをさせてしまうが、この子の為だ。
自分の腕の中でぐずる少年の髪を梳かしながら、彼女は一人決意を固めていた。
「もう1週間前になるから、死体自体は火葬して、残っているのは提出した記録だけだよ。」
「いえ、記録というより、貴方の話を聞きたくて。」
次の日、青年は7日前に「ルマーカ」の犠牲となった男性の検死を担当した医師の下にいた。
ロンドンから移住したという老医師は紅茶でいいかね、と席を立ちつつ話を促す。
「それで、何が聞きたいのだい?」
「どんな小さなことでも。遺体に何か不自然な点や、違和感を抱いた点はなかったですか?」
「本職なのだ、気付いているだろうけど…」
「喰われていない、ということ以外でお願いします。」
「やれやれ、せっかちだな君は。老人の話は最後まで聞くものだよ。」
はぁ、と気の抜けた返事を返す青年を横目に、沸騰までもう少しのお湯をコンロから引き揚げ、ポットに注ぐ。中の茶葉はレディグレイ。アールグレイをベースにしたブレンドティーの一種である。骨格マニアの女性とは、一切関係ない。
程なくして、気分転換にどうだね、と差し出されたカップを青年は受け取った。オレンジかレモンか、爽やかな香りが鼻腔を満たす。美味しいですね。呟きに一つ頷いた医師はカップとソーサーを手に口を開く。
「喰われた遺体の検死も、もう随分長いことやってきた。それは酷いものさ。新人の頃は胃を空にして臨んだものだよ。」
一口、紅茶を飲む。今日は上手く淹れられたな。目の前の青年も、今度は遮ることはしないようだ。よしよし、若いの。焦っちゃいかんぞ。
「喰種にとって人体は食物だ。私たちにとっては猟奇的享楽的殺人かもしれないが、彼らからすれば日々の糧だ。余さず食いたいだろうが、胃の容量という物理的な問題がある。そこでだ、全部食べてもいいが、食べきれないビュッフェに行った時、君は何を先に食べるかね?」
「自分の好きなもの、でしょうか。」
「彼らも同じさ。自分の好きな部位を食べる。人が食事をする感覚を持って多くの遺体を見るとだ、その喰種の食へのこだわりというか、好みというかそういう類のものがなんとなくではあるが見えてくる。その背景もね。」
「我がロンドンには雑に食い荒らされた遺体が多い。エドワードがやんちゃしたせいで喰種はすっかり肩身が狭くなってしまったからね。日々の糧にもこと欠く連中は、食に好みなんて反映させる余裕はないのだろう。」
「それに比べると、ローマはまだ喰種が人間らしい。けど、あの遺体。「ルマーカ」だったかね。あれは違う。喰わなかったのではなく、
口を開きかけた青年を手で制し、更に紅茶を一口。二口。
「私の勘ではね。「ルマーカ」は人を殺してその肉を喰らったことがない。だから死体を見ても食事しようという気になれなかった。滑稽な話だが、あの遺体からは溢れ出る食欲や、暴力的なまでの生物としての衝動の発露を読み取ることはできなかった。
喰種みたいな爺さんだったな。
2杯目の紅茶を丁重に断った青年は、車を走らせつつ先程の会話を反芻する。先輩捜査官の如く醜い
「仕切り」と総称される地区を統率する喰種たちからのおこぼれにあずかるもの。
自殺の名所で食料をかき集めるもの。
人を見下し、ゴミのように扱う喰種もいれば、人間社会に適応しようと、実に涙ぐましい努力を重ねる喰種もいる。
だが、人間は喰種と「共存」できても「共生」はできない。人を狩らないことはできても、喰わないことはできないのだ。共食いでもしない限りは。
喰種と「共生」するとはすなわち、人間社会における価値観の崩壊を受容して生きることにほかならない。自らが「人」たりえる基盤が揺らぐ社会など、そもそも人間が「人」でいられない。
しかし、喰種の中でも忌み嫌われる共食いを行い、人間を食物と見なさない「ルマーカ」ならば、或いはその壁を越えうるのではないか――。
そこまで考え、そして無意味な思考を積み重ねたことに気付く。あの医師の妙な喰種哲学に自分も毒されたかと苦笑した青年は、気持ちを切り替えるかのように大きくハンドルを切る。
本当に、無意味だ。
いずれ奪われ、壊されると知りながら、それでも尚喰種が積み上げる「平穏」という名の楼閣。
それがどれだけの骨と肉で作られているか知りながらもマスクで全てを覆い隠し、生の意味を知るために必死に「人」との繋がりを求める、そのいじらしさ。
命の価値を知るからこそ、それに鈍化し、或いは恐怖する魂の輝き。
それが、それこそがこの「人」の世界における喰種の価値であり、唯一無二の美しさなのだ。
日々の安寧に身を委ね、埋没するなどとんでもない。
そんな
余人が聞けば耳を疑う美学を胸の内で燻らせる青年。
バックミラーに映ったその口元はほんの僅か、歪んで見えた。
向かった先は、一昨日訪れたバールだった。
相変わらず音もなく滑らかに青年を迎え入れる扉。そして今回も、客はいれど会話は無い。不思議な静謐を醸す店内。だが、基本的に客と店員の会話がない日本のカフェに慣れた青年にとっては、その静けさが心地良い。
今回は来客に気付いて顔を上げたバリスタは、あら、とばかりに微笑む。どこぞの誰かとは違う、掛け値なしの純真な微笑み。
「今日は師匠さんと一緒じゃないのね。」
「師匠?あぁ、彼は職場の同僚といいますか、上司といいますか、そういった関係です。」
「あら、そうだったの。てっきりバリスタを目指してる方だと思っていたのよ。」
カフェを、との注文に頷きながら、青年が左手に持つアタッシュケースに目をやる彼女。
その視線に気づき、最近こういうのを持つ人ってあんまり居ないですよねと言いつつ、ほんの僅か左手を持ち上げる。起動させれば周囲を薙いで牽制できる位置だ。しかし、彼女にも周囲にも特に反応は無い。
「まぁ、商売道具のようなものです。本当はもう少し小さい方が持ち運びやすいのですが。」
「いつも持ち歩かないといけないなんて、大変ですね。ちなみにお仕事は何を?」
「しがない公務員ですよ。」
世間話に花を咲かせつつ、どうしたものかなと青年は思考する。
来てみたは良いが、そもそも別に何かを期待していたわけではない。あの妙な老医師の話を聞き終わったら、日本人の感覚からは長すぎる昼休みになっていた。本部に戻ってもアンドレアはいないだろうし、針の筵のような視線を受けつつオフィスで仕事をする気にもなれない。それならばと足を向けた。ただそれだけだ。
視線を泳がせていると、ふとカウンターの奥に目が行った。小さなコンロとマキネッタが一組、ぽつねんと置いてある。勿論、カウンターのすぐ横には業務用のエスプレッソマシンが彼の注文に応えようと目下稼働中だ。
「ごめんなさいね、それは売り物じゃないの。」
目線の先に気付いたバリスタがさらりと青年の疑問に答える。
「アンティーク、というわけでもなさそうですが。」
「私が自分のお店を持つのを応援してくれた人がいるの。今でも毎日来てくれるのよ?これはその人の為に用意してあるものなの。」
最近はあんまり来てくれなくなっちゃったけど、と寂しそうに付け加え、今日は来てくれるだろうかと彼女の姿に思いをはせる。
「それは素晴らしい縁ですね。ちなみにその人はどのような方で?」
「シスターよ。ここから少し離れた、観光客も寄りつかない小さな教会に住んでいるの。悪ガキと一緒にね。はいどうぞ。」
「ありがとうございます。」
カップを受け取り口に近付け、一口、の前に懐から着信音。アンドレアからだ。
名残惜しそうにカップを置き、バリスタに断わって通話ボタンを押す。
「はい、わた…」
「俺だ。今から
「わかりました。すぐに向かいます。」
味わう暇も無し、か。溜息をついてカフェを一息に飲み干す。バリスタに申し訳ないと思いつつ、代金を置いて外へ出る。
「お仕事ですか?」
「ええ、そんな所です。ごちそうさま。また来ます。」
「あら残念。シスターがそろそろ来る頃なのに、今日も入れ違いなのね。」
ふと、車に向けた足を翻す。
――赫子を出して人を殺した癖に、何処も喰わずにほったらかす様な奴だ。ああいうお上品なカフェは似合いだよ。
――シスターよ。ここから少し離れた、観光客も寄りつかない小さな教会に住んでいるの。悪ガキと一緒にね。
――
――待ち伏せされてたんじゃねえかと疑ってたんだが、当てが外れた。
なんとなく、引っかかる。
「あの、最後に一つすみません。私たちのこと、そのシスターにお話されました?」
~うらがき~
思いつくままに書いているのですが、プロットの大切さを痛感させられております。設定を活かしきれなかったり、後で展開が苦しくなったりと四苦八苦。
後、極力ご都合主義も排して書こうとか初心者の分際で無謀なことも考えてもいたんですが、結局いくつか偶然に頼らざるをえなくなっております。
あ、イタリア喰種がおわったら、ちゃんと主人公の名前出して東京喰種やりますんで、もう少しお待ちを。なんで隠すのかって?その方がかっこいいからだよ。
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聖 母 : 07
シスター :ラウラ・パウジーニ
ルナ :シャーリー・テンプル
ジャンニ :ジェイク・ロイド
老シスター:ヴァージニア・アン・リー
ジャンニはもう見つかったのかな。
少女は学校からの帰り道、未だ行方の知れない少年を案じていた。
まだ年端もいかない我が子が勝手に家から跳び出し喰種に襲われかけたと聞いた両親の動揺は凄まじく、ルナは初めて父から頬を平手打ちされ、母に抱きしめられて号泣された。普段は温厚な父がそれ程までに怒り、いつも明るく笑う母が堰を切ったように泣くのを目にした少女もまた自分の軽挙を深く反省。今日は大人しく学校へ登校していた。それでも少年の姿が頭から離れてくれない。結局授業も上の空で、気がつけば学校は終わっていると言う有様であった。
気分が晴れないまま、帰宅したルナを最初に迎えてくれたのは母ではなく、スーツをきっちり着こなし、アタッシュケースを持つ強面の男達。どうせ守ってくれるなら、あのきれいなおねえさんか、やさしいおじさんがよかったのにな、と思いつつ玄関の扉を開く。ちなみにその「おねえさん」は「おじさん」よりも年上であると少女は知らない。無知と無邪気とは実に恐ろしい。
ドアの向こうには、母ともう1人。件の「おじさん」がいた。こんにちは、と柔らかに話しかける青年。だが、子供心ながらに、彼の身に纏う雰囲気が昨日よりも冷たくなっているように思え、ルナはか細く、こんにちはと返した。
「ジャンニは?」
「まだ見つかっていないから、助けて欲しくてここに来たんだ。一つ教えて欲しいことがあってね。」
「最後にジャンニ君と会ったのは何時?」
なんでそんなこと聞くんだろう。と思いながらも、すぐに答えることはできなかった。母に聞かれたくない内容が混ざっていたからである。母がお茶を持ってくるために席を外した隙に、時間や場所も言わないと駄目?と問うと、それも約束かい?と返された。コクンと頷く少女を見て、青年はしばし黙考。
応えたくない内容が混ざっていると見て良い。一瞬だが母親に目をやったから私にというより親に聞かれたくないのだろう。問い詰めるなら今の内か。
「最後に会ったのは何日前か教えてくれるかい?」
「……1週間前」
「じゃぁ、これが最後の質問。会ったのは朝?それとも夜?」
「…夜」
うつむきがちに答えると、ありがとうといって青年は席を立った。
その後すぐに家を後にする青年を見送りながら、何故か自分が取り返しのつかない事をしてしまったのではないかという思いに、ルナは心を苛まれていた。
最初はただの気紛れだった。
観光客など見向きもせず、人が居るのかも定かではない荒れかけた教会。隠れ家にでもなるかと忍び込んだその先には、1人の老いたシスターがいた。こんばんは、こんな時間にいらっしゃるなんてお祈りですか?と問われ、喰種はとっさに頷いた。
案内された聖堂は、磨きこまれた石でできているとはいえ、ぞろぞろと外からやって来る人間共が群がる絵画も彫刻もない。
ただ、その最奥に一体の像があった。赤子を抱いた女性の像。神の子とその母親。神がそこにいるわけでもなかろうに、こんなものに毎日祈るとはやはり人間というのは理解しがたい。
――そもそも、
神の御意志の下になどとふざけたことをほざきながら襲い掛かってくる喰種捜査官など、文字通り吐いて捨てるほど目にしてきた。お前たちなどいなければ、喰種は今よりは穏やかに暮らすことができたかもしれないのだ。
その像を睨みつけていると、立ち去ったはずのシスターがいつの間にか背後に立っていた。
「汝の隣人を愛せよ。主はそう仰りました。」
「…そうですね。」
胸糞悪い。喰ってやろうかこの婆。
「信仰を持ったその時から、主は常に私達の傍で、心の支えとなり、愛を伝えて下さります。」
「ですが、私達の心は弱い。信仰を持っていようとも、孤独の中でそれを保ち続けること程、困難なことはありません。だからこそ、主はこの教えを私達に残して下さったのです。貴方が貴方の隣人を愛し、隣人もまた貴方を愛する。その繋がりを作り保つ場所がこの聖堂です。貴方が何に祈っているのか私には解りかねます。ですが今日、貴方は私の隣人となり、私も貴方の隣人となりました。苦しい夜、孤独に苛まれる夜はいつでもここにいらして下さい。」
言うだけ言って、自分もまた黙して祈り始める老婆。
結局その日、シスターを喰うことはできなかった。
その日から喰種は、この教会に度々足を向けた。いつ来ても良いと言われたのだ。痕跡を残さず食事をした夜。うっとおしく絡んでくる同種を面白半分で壊した夜。適当に忍び込んで朝まで時を明かしても、シスターは何も言わず、やはり近くで祈るだけだった。
稀に、彼女が朝食を持ってくることがあったが、祈りの場所を貸して頂くだけで結構ですと断った。なら代わりに席だけでもご一緒してくださいなと言われ、小さな机を共に囲む回数が増えた。何が嬉しいのか、微笑みながら日々の糧を口にするシスター。自分の前には湯気の立つカフェの入ったカップが一つ。いつも自分が先に飲み終わり、彼女の食事を眺める羽目になる。
……自分も同じものが食べられたらなら、彼女の様に微笑むことができるのだろうか。
そう思うと、人肉を漁る自分が少し惨めになった。
生来会話を楽しむ性格ではなく、シスターも口数が多い方ではなかったため、互いの間には大抵静寂が満ちていた。乏しい会話の中で、シスターは喰種に神の教えを伝え、喰種はその日見たささいな光景を言葉少なに語る。何故この老婆は外に出ないのだろうか。
シスターとはそういうものだと随分後で知った。もう長い間、1人この教会に住んでいるという。貴方とお話しするのが楽しいわ。とにこにこしながら彼女は立ち去る喰種を見送ってくれた。
……自分も人間に生まれていれば、彼女の様に他者との関わりを喜べたのだろうか。
そう思うと、人を喰らう自分が、何を楽しんで生きているのかわからなくなった。
次第に喰種は狩りを控えるようになり、死体を見つけて食べるようになった。教会へ訪れる回数が増え、シスターに話しかけることも増えた。今日は彼女に何を話そうか、そう思って歩くと、いつもの街が何故か新鮮に見えた。
少し、毎日が楽しくなったような気がした。
ある夜のこと。喰種は同族狩りに遭った。数こそいれ、どいつもそこまで強くはない。全盛の自分なら十分対処できる連中。
だが、肉を食べる機会の減った喰種は戦闘に勝ったものの、負った傷を治しきることができずにいた。更に面倒なことに戦闘を喰種捜査官に嗅ぎ付けられ、市内には警戒網まで敷かれていた。
折しも降り出した激しい雨で、臭いが薄れることを幸い、喰種は件の聖堂に転がり込んだ。
シスターは見当たらない。この近辺にも捜査官がうろついている。あまり長居はできない。それでも、すっかり慣れ親しんだ場所が喰種の警戒心を一段階下げた時。
扉の開く音がした。
とっさに赫子を展開し、扉の奥に見えた小柄なシスターの姿に安堵する。だが次の瞬間、自分が何をしたのかに気付く。自分の正体を、晒してしまった。呆然となっている喰種に追い打ちをかける様に、聖堂に隣接したシスターの住む家の側のドアを叩く音がした。
喰種に何も言わず、そちらへ向かう老婆。今の隙に逃げなければと思いながらも、体が動かない。
「夜分遅く失礼致します。先ほどこの付近で喰種の縄張り争いがありまして、何か不審な人影などご覧になってはいないでしょうか、シスター。」
もう、ここまで来たのか。神の家に転がり込んだ自分の下にやってきたのは、死神だったという訳だ。皮肉すぎる結末に笑えてくる。喰種には、すがる神などいないのに。だが、シスターが発した言葉が喰種の運命を変えた。
「ごめんなさいね。ここから出ていないものだから、怪しい人や知らない人など見てはいないの。」
ご用心を、捜査官が去って行った後、シスターは喰種の所に戻ってきた。
喰種の体は、まだ思うように動かない。
「どうして、嘘をついた。」
汝偽証するなかれ。神の教えではなかったのか。
「シフラとプアという助産婦は、「ヘブル人の女性が男の子を産んだら殺せ」という王の命令を、神を敬う心から拒否しました。彼女らが嘘をついて王の詰問をやり過ごした時、神はむしろ彼女らを祝福なさいました。人よりも神に従い、王よりも神を畏れたからです。それに、貴方は怪しくも、見知らぬわけでもありません。気紛れにやって来るけれど、私がここから出ない事を不憫に思って、私が行くことのできない場所や、見ることのできない光景を教えてくれる、優しい「人」ですよ。」
それから、喰種はシスターの家に住むようになった。死体を探すか、目に余る同族を倒すことで糧を得、シスターと共に、あるいはその代わりに祈りを捧げて暮らす日々。
だが、そうして過ごせば過ごすほど、自分がここにいる意味がわからなくなった。平穏ではあるが、もしシスターがいなくなったら、自分の生はまた、誰からも必要とされないものに戻ってしまう。
そして、そうこう悩んでいる内にシスターは逝ってしまった。貴方はこれまで、孤独な私に生の喜びを与えてくれた。だからこれからは私以外の誰かにその喜びを分けてあげてね、という言葉を残して。
教会に1人住みながら、それから抜け殻のように過ごした。誰かと関わろうにも、「人」と関わることは難しい。今更喰種の世界に戻ることも嫌だった。
自分はこのままこうして死ぬまで日々を消費するだけなのだろうか。これまで犯した背負いきれぬ罪から、目をそらし続けて。
そんなある日。死体探しの途中、喰種捜査官が徘徊する地域で、同族の流す血の匂いに気付いてふと路地に入った。
血の主は女性であった。腕に何かを抱えている。こちらに気付くと後ずさったが、臭いで同族とわかると、逆に懇願するような表情でこちらに近付いてきた。
「お願い。この子だけでいいの。どうか安全な場所に匿って下さい。」
腕に抱いていたのは、あどけない表情で眠る子供だった。喰種は母親を見やる。出血がひどい。恐らくはクインケによるものだろう。この傷で接近しつつある捜査官から逃げられるとは思えない。
瞬間、今際の際のシスターの言葉を思い出した。
そうだ、私は、私が、これから母を亡くし、世界に絶望してしまうかもしれないこの子供に、生きる喜びを与えてあげられるのではないだろうか。シスターにしてあげたように。シスターがしてくれたように。それが、私が生きる意味になるのではないだろうか。私の罪は消えずとも、それを贖うことができるのではないだろうか。そう思うと、この場に居たことが運命にすら思えてきた。
「…この子の名前は?」
ジャンニという名の男の子を引き取ってからは、毎日が驚きの連続であった。子供というのはこれ程までに危なっかしいのかと肝を冷やしたことも数えきれない。
教会の近くに住む人間には、玄関に置き去りにされていた捨て子だと偽った。すると、住民たちから食料などが届けられるようになり、見向きもされなかった教会に人の声が響くようになった。
食事は自分の肉を切って与え、どうしても入用になった時だけ、身寄りのない者の葬儀にかこつけて遺体の一部を頂いた。人も狩らず、その身が無垢のまま育つ少年。
喰種として生まれながらも、間違いなく「人」として生き、少女と心を通わすこともできる。賢く、すばしっこく、そして優しい、私の下に舞い降りた天使。
この子のおかげで、外に出て再び「人」と交流することができた。そして、大切な友人すらできた。ただ、死と罪の上に日々を積み重ねていたあの頃があってなお、自分もまた「人」であれることを教えてくれた。
我が子を抱くマリアの慈愛に満ちた瞳の意味が、今ならわかる。自分勝手であることは解っている。それでもこの子は、私の生の全てなのだ。
だから、何があっても護り抜いて見せる。この子には、決して罪を背負わせない。――
「目標発見。「ルマーカ」と思われます。本隊の到着まで、こちらで引き止めます。」
これが、私の命の最後の使い道。
~うらがき~
未だ名前の出ていない主人公が東京喰種の中で一番好きなのですが、
鉢川さんが2番目に好きです。3番目は平子さん。
鉢川さんと入見さんの悲恋ものとか、読んでみたいと思うのは私だけでしょうか。
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断 絶 : 08
アンドレア :ディノ・デ・ラウレンティス
エドワルド :デヴィッド・ストラザーン
ロベルタ :アレッシア・テデスキ
アーデルフ :マティアス・ハビッヒ
ジェルメーヌ :ノラ・アルネゼデール
「状況報告。」
「現在確認されているのは「ルマーカ」のみ。ポルトゥエンセ通りをテベレ川に沿って北上しています。アーデルフ準特等旗下で追跡していますが、すでにシュテファン上等、アダムズ一等が殉職。」
「アンドレア班の現在位置は?」
「ガルバルディ通りとアンジェロ・マシナ通りの交差点付近です。」
「すぐ呼び戻せ。トラステヴェレ周辺5ブロックに警報発令、住民を出歩かせるな。ヘリを出して「ルマーカ」を上空から追跡。ジェルメーヌ班をパラティーノ橋から直援に回せ。アーデルベルト班とで挟撃する。」
面倒な場所に出てくれた。エドワルドは舌打ちしたい気分を堪えつつ、矢継ぎ早に指示を出す。この位置からなら、観光客の巣窟であるサンタンジェロ方面にも、この時間帯リストランテには大勢の人が居るトラステヴェレ中心部にも抜けられる。しかも、教会へと先行させていたアンドレア達と行違いになってしまったため十分な足止めができていない。
しかし、準特等1名、上等1名、一等1名、二等2名で構成されたアーデルフ班を半壊させておきながら、奴は逃げていない。基本、奇襲かもぐら叩きに徹せざるを得ない人口密集地においては、地の利は喰種にある。人命の危機をちらつかせつつゲリラ戦を展開されるだけで、こちら側は手出しができないからだ。にも関わらず、捜査官を振り切らずに北上しているということは、「見失われたくない」理由があるということ。ロンドンでも幾度となく見てきたその戦法。加えてこれ程タイミング良く出てきたのだ、二等の勘頼みの推論は恐らく当たりと思って良いだろう。
――すなわち、自分を囮にした陽動。
「OSGに協力を要請して、少年を探しますか?」
こちらの意図を酌んだか、ロベルタが振り向かずに問うてくる。
ふむ、とエドワルドは顎に手を当て黙考する。少年を捜索したとしても、今から確保できる可能性は低い。どのみち追うのは実害の出ている「ルマーカ」のみ。アーデルフ班の被害を見るに手抜きができる相手でもない。急造の国際捜査班が初めて対峙するレートS。ここは確実に奴を処分して班員に連携と経験を積ませることが優先だろう。しかし、仕込み程度はしておくべきか。
「先の5ブロックを取り囲むように警戒網を縮小し、OSGを各ブロックに1班ずつ配置。「ルマーカ」を確殺する布陣に切り替えると
「罠ですか?しかし、あまりにも…」
「その通り。子供騙しだよ、騎士ロベルタ。だが、どの道アンドレア達が追跡しているのだ。逆走してCブロックに来る可能性は低いが故に構築の優先度も低い。最優先は目の前の害虫退治だ。」
それに、と胸の内で言葉を重ねる。君の叔父が突破されると言うことは警戒網なぞ無意味だろうしな。
先手取って動いてきやがったな。
荒々しくハンドルを切り、道路をかっ飛ばしながらアンドレアは相手の思い切りの良さに素直に感心していた。バリスタの話から辺りを付け、昨日の朝の襲撃前後に「犬」がシスターを見ていたことを確認した若造から推論を聞かされたのが15時過ぎ。そこからエドワルドに話を通し、聖騎士の権限も使って半ば無理矢理布陣を整えたのが20時。仕掛けようとした矢先にこれだ。小僧の方を逃がすためだろうが、まさか自分から打って出てくるとは。
「おい、エドワルド。どっちを取る?」
帰ってきた声には「不本意」という感情が僅かに滲み出ていた。
「まず確実に「ルマーカ」をこちらで仕留める。もう一匹は騎士ロベルタを通じてOSGに捜索を厳命させた。お前たちが合流するまでの時間は稼げる。必要なら増援も出す。」
「ほう、ようやく椅子の上からご出勤か。」
「どこぞの老害が仕事もできなくなっていれば、そうせざるを得んな。」
「言ってろ5分で着く。」
挨拶代りに皮肉を交換しつつ素早く捜査官側の体制を確認し、やっぱ人手が足りねぇな、とぼやくアンドレア。
本来ならもう1人準特等が班を率いることで、現場と本部双方に十全の体制を構築できるのだが、その準特等はすでに中身がすっからかんの棺桶で日本に送り返されている。彼の与り知らぬことではあったが、単体で特等を殺害した喰種の出現により棺桶の中身の後任人事自体が日本で宙に浮いていた。そうでなくとも自国を優先させたいのはどこも同じ。優秀な捜査官を他国に貸し出す余裕があるわけでもない。志願してきたエドワルドなど例外中の例外である。
そんなこんなで大体の国が実力も一癖もある連中を厄介払い込みで放り込んだため、結局十分な連携や包囲網を敷けずにいるのが国際共同捜査班の実情であった。どうしたもんかねと、心中嘆息する中年捜査官。自分がその最右翼にいる自覚は無い。
だが四の五の言っている暇がないのも確か。
状況を聞くに、アーデルフ準特等では勝てるかどうかかなり怪しい。準特等の肩書は伊達ではないのだが、如何せん緻密な連携と奇襲がお家芸であるドイツ人の捜査官。喰種から逆に奇襲を掛けられ相方を失い、国も異なるひよっこ2人の世話をしつつ戦っていてはお家芸もくそもない。フランスの新鋭ジェルメーヌ上等の班にしても、レートSと真正面から戦ったことはない。文字通り決死の覚悟で向かってくる喰種を相手取るのがどれ程神経を削るのか、肌で解っている捜査官が戦場にはいなかった。
運が悪けりゃアーデルフの石頭以外はかち割られてるかもしれねぇな。幾多の別れを経験した聖騎士の頭に冷徹な予想が浮かぶ。
だが、目下最大の懸念事項は組織の人材不足でも現場の面子の経験不足でもない。
――こいつ、何を隠してやがる?
アンドレアは先程から一言も発することなく瞑目している隣の若造を睨みつける。
カフェの常連だと言うシスター、彼女と共に暮らしている少年、自分達の情報を漏らしたバリスタ。喰われていなかった死体とアパルタメント襲撃の前後に通りかかったシスター。
一つ一つは偶然とも片づけられる些細な出来事。だが世の中の大体が、そして真実は、往々にしてその些細なことの積み重なりで成り立っているものだ。状況証拠とカフェの品評も手伝って、青年の推論に賭けてみたことは良い。このタイミングで出てきたならほぼ正解だろう。
とはいえ、それでも説明できないことは残る。
そもそも、何故捕食もせずに人間を殺したのかという疑問もあるが、殺された男からは薬物反応が出ている。ラリってちょっかいかける相手を間違えたなら説明は付く。だが少年も喰種だったとして、何故「ルマーカ」が自分達を待ち伏せたのか。偶然カフェで捜査の事を知ったにせよ、わざわざ自分達を襲撃するメリットがあの時点で合ったかはかなり疑わしい。
それを説明できないので「勘」なのです。と若造は携帯電話越しに言った。
嘘だ。それこそ勘に過ぎない。だが合流した若造の胸倉を掴みあげて問い質す位に、彼の嘘は性質が悪いと15年来の付き合いであるアンドレアの直感が今も囁いている。
無論、こうして「ルマーカ」が出現した事実に比べれば青年の勘や嘘など些末なことである。喰種捜査官の本分は「喰種を探すこと」ではなく「喰種を殺すこと」だ。どれだけ変態的な嗜好をしていようがどれ程腑に落ちないことがあろうが見つけて根絶やしにしてしまえばそれで良し。一々かかずらっている暇があるなら喰種の一匹も殺してこいというのが大抵の喰種組織の基本方針であり、また多くの捜査官のスタンスでもあり、そしてどこの国においても喰種対策組織と警察機構が犬猿の仲になる原因であった。
アンドレアとてそれは理解している。結局若造は口を割らず、その考えは解らないまま。
しかし、自身の直感に幾度となく救われてきた男は、だからこそそれを無視するわけにはいかなかった。
とにかく、とアクセルを更に強く踏み込みながらアンドレアは覚悟を決める。
接敵しなければ話にならない。幸か不幸か自分は遠距離、若造は近距離が専門だ。外から援護しつつ、やばくなったらまとめて撃つ。腹は括った。後は野となれ山となれだ。
サイレンを鳴らして爆走する黒のフィアットの車内には、既に痛いほどの緊張が張り詰めている。折しも、無線からはジェルメーヌ班が「ルマーカ」と接敵したとの知らせが流れていた。
サイレンの音が迫っている。方角から察するに教会から引き返してきたのだろう。第一陣で自分を狩りに来て、かつまだこの場に姿の無い捜査官はあの2人しかいない。喰種の鋭敏な聴覚でもって狩人の接近を悟る。そろそろ仕掛けるべきかと「ルマーカ」は思案する。
瞬間、眉間目掛けて突き込まれた赫黒の大剣を左腰の赫子で弾き、右腰の赫子で大剣の持ち主の胴を薙ぎ払う。だが、脇から差し込まれた槍がその赫子を受け止めた。幅広の穂先が揺らぎ、腹を削ごうと回転するのを目にした彼女は赫子を根元付近から強引に振り回して間合いを仕切り直す。
ジェルメーヌ班が到着してから、戦闘は一進一退の様相を呈していた。
前衛をアーデルフ準特等とジェルメーヌ上等が担当し、残りの班員で包囲網を形成。捜査官たちはアンドレア班の到着まで「ルマーカ」の攻撃を凌ぐ体制を取っている。
「ジェルメーヌ上等、前に出過ぎだ。」
「前に出なければ化物を殺すことはできません。」
「じきアンドレア特等の班が到着する。我々の仕事は、」
「
言葉に正確を期すなら、十分な連携が取れないために耐えの体制を取らざるを得なかった、というのが正しい。その原因、あしらわれていることにも気付かずもう何度目かの攻撃を試みるジェルメーヌ上等。腕が立つのは確かだが、甲赫を材料にした大剣タイプのクインケを使う彼女はいかんせん「ルマーカ」とは相性が悪い。
だが、相性云々の前に喰種への憎悪と宗教的な情熱に浸りすぎ、致命的なまでに連携ができないということが、この現状の原因にして彼女が異国の地で母国の料理を恋しがる羽目になった原因であった。
喰種が神に仕える真似事など、反吐が出る。
迫ってきた赫子を叩き斬って「ルマーカ」に接近しつつ、ジェルメーヌは眼前の喰種に一層の憎しみを募らせる。
彼女は敬虔なクリスチャンの家系に生まれた。厳しくも温かく自分を見守る父と優しい母、可愛い弟に囲まれた穏やかな日々。それを奪い取ったのが喰種だ。
誰に恥じることも、何に悖ることもしてはいなかった自分の家族が何故喰われなければならなかったのか。家族を喰われ、1人にこされることが私への試練なのか。だとしても両親や弟が喰われるほどの罪を負っていたどうしても思えない。彼女は教会に篭り、ある時答えを得た。
家族に罪はない。何故なら喰種は神の摂理に背く存在だからだ。神が自らを模して創造した人間を喰らう化物に神の意志等が働くはずがない。そして、1人自分が生き残ったことこそが、神の意志なのだ。私の生を神の使徒として喰種を滅ぼすことに捧げよと。自分はまさしく、神に選ばれたのだ。
首を狙った踏込を牽制する為地面を抉るように迫ってきた赫子を、ジェルメーヌは手首を翻して切断する。一気に間合いの内に入り込む。後ろでアーデルフ準特等が叫んでいるが、憎しみと自己陶酔に身を任せた彼女には届かない。もう一本の赫子を、右足を軸に回転して躱し、その勢いを借りて「ルマーカ」の胴を輪切りにせんと大剣を振り切る。
喰種は皆死ねばいい。
だが、その憎悪の乗ったクインケが喰種の命を刈り取ることはなかった。
剣先が「ルマーカ」に触れる直前、すさまじい力がクインケに激突し、腕に灼熱が走る。何が起きたのかまだ理解できていない彼女の目に映ったのは、それまでとは比べ物にならない程大きい「赫」。そして一拍おいて耳に届いたのは、掻き消えそうな喰種の言葉。
喰種に神が微笑むものか、思わず言い返そうとしたジェルメーヌ上等の首から上は、次の瞬間宙に飛んでいた。
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相 対 : 09
アンドレア :ディノ・デ・ラウレンティス
エドワルド :デヴィッド・ストラザーン
シスター :ラウラ・パウジーニ
ロベルタ :アレッシア・テデスキ
アーデルフ :マティアス・ハビッヒ
色々展開を考えていると2ヶ月経ってしまっていました。
エタるよりは書きたいと思って投稿です。
連携もせずに突っ込んできた捜査官の命を
シスターの言葉を裏切るようで人間を喰えず、かといって喰種を襲っても、その度ジャンニを自分に託した母親の顔が脳裏をよぎる。命を奪うことでしか生きられない我が身を呪った夜は数えきれない。にも関わらず、今夜だけで既に3人の命を奪っている自分の何と醜く愚かなことか。
思考の海に漂ったわずかな瞬間に、倒れた仲間に目もくれずにもう一人の捜査官が迫る。
クインケの形状は槍。踏込と同時に心臓目掛けて穂先が突き込まれる。左足を下げて半身になり回避。同時に右足を軸に回転し、クインケに背を向けながらも1本目の赫子で柄を絡め取る。
赫子の間合いの外に包囲網を作り、援射に徹する三下共を2本目の赫子をなぎ払って牽制。
得物を掴まれ、間合いに入り込まれて進むも引くもできなくなった捜査官の胴体を本命の赫子で狙う。
だが、対する捜査官――アーデルフ準特等とて肩書に足る実力を持っている。
間合いに入り込まれた瞬間、槍を手放して倒れ込むように姿勢を低くして転がり、胴体狙いの赫子を掻い潜って間合いを開ける。愛槍を手放すに忍びないが、命を手放すよりはマシ。もともと自分が仕留めねばならない相手でもない。
……勝ちなのだが、こちらの動きに即座に対応して背後から軌道を変えて迫ってくる赫子の気配を察するに、今回ばかりは勝ちを拾うのが相当に難しいことは認めざるを得なかった。
間合いを取ることを諦めて弾かれた様に起き上がり、転がった先に落ちていたジェルメーヌ上等のクインケを引っ掴み、力任せに後方に向かって薙ぎ払う。
遠心力と重さを乗せて振り切られたクインケは追撃に伸びた「ルマーカ」の赫子を断ち切り、その勢いも借りてアーデルフ準特等は体を回転させ即座に喰種に向き直る。
そこでようやく自分とジェルメーヌ班の二等捜査官からの援射が入るが、喰種は怯まずに突撃してきた。
「
野郎、と大剣を模したクインケを構えるが、アーデルフ準特等の顔は喰種が人間の食事を取った時の如く苦い。手にした得物の相性の悪さもそうだが、元々彼にジェルメーヌ上等程の膂力はない。連携を前提にした付かず離れずの一撃離脱が彼のスタイルであり、それと人体構造そのものに反した力任せの先程の一撃で、攻めに守りにフォローにと酷使した利き腕の筋が悲鳴を上げていた。
おまけに今の今まで援射が入ると素直に引き下がっていた相手が逆に一気に間合いを詰めてきたことで虚を突かれ反応が遅れた。無論3本の赫子は待ってなどくれない。
無理矢理持ち上げた大剣でなんとか初撃を受け流し、大剣の腹に身を隠して追撃を避ける。
だが最後の赫子と先の2本を支点に突っ込んでくる本体に対しては、無駄な足掻きと言わざるを得ない。
だが、迫ってきた「ルマーカ」が鼻先でたたらを踏んだ。
一拍遅れて、あと一歩踏み込んでいれば「ルマーカ」の居たであろう位置に雷鳴を伴った一撃が突き刺さる。踏み止まったのも束の間、今度は風と共に吹き付けるかのような羽赫の弾丸の雨。
「失礼、遅れました。」
「……とりあえず下がってろ。残りの連中は包囲網を崩すな。指示は今から俺が出す。邪魔すんじゃねぇぞ。」
嵐の後、喰種の前に立っていたのは濃いカフェの匂いを染みつかせ、傍目から見ても不機嫌な表情を崩さない中年捜査官と、何が楽しいのか微笑みを浮かべる東洋人の捜査官だった。
最後まで抵抗していた捜査官を仕留める直前、嵐と共に死神がやってきた。
できれば余計な邪魔が入らないようにしておきたかったのだが仕方がない。この2人、特に羽赫持ちの聖騎士に背中を晒すのは危険であると身に染みて解っている。
隙を窺っていると、青年が実に気楽な様子でこんばんは、と話しかけてきた。
思わずマスクの下で目を見開く。
喰種相手に会話をする捜査官は少ない。特に欧州ではだ。古くは悪魔が人に似せて作ったとされた喰種と言葉を交わすこと自体が、地上におけるその存在を認めるという神への冒涜に繋がるとされたためだ。それを知ってか知らずか自分に声を掛けてきた彼は何を考えているのだろうか。
訝しみながらも警戒する姿勢を崩さない「ルマーカ」だが、次に彼の口から流れ出た言葉は彼女を更に驚かせた。
「
人間に紛れ、日々偽りの仮面をつけて生きながら、人間を喰う罪を重ねる喰種を否定する詩編の一節。それを詩人の如く滔々と語る当の本人からは陶酔も嘲笑も憐憫も感じられない。
強いて言うなら問いかけるようなその口調に対して、「ルマーカ」は僅かな間を置き、こちらも同じく詩編の一節で応える。
「……
青年は更に笑みを深め、人間よりもなお「人」らしい喰種に更なる言葉を投げかける。
「おかしなことを。「人」は神の被造物であるが故に、過去の行いの如何に関わらず慈悲を与えられうるのです。人に似せて悪魔が作った「人でなし」には慈悲も憐みも適用されませんよ。
「……例えそうであっても、神は時に
例え喰種であっても、救われることはある。事実自分がそうだった。
確かに青年の指摘も正しい。自分が救われたのは神によってではなく、あくまで「人」によってだ。それでも、自分の救いとなった「人」が、あの夜が、その教えによって生まれたという点においては、「ルマーカ」――シスター・マッダレーナはありもすがりもしなかった神に感謝していた。
「成程、それがあの少年というわけですか。」
「…どういう」
こと、と言葉を続けようとした矢先、再び雷鳴と閃光が彼女を襲った。
闇に慣れた目に突き刺さる光が、僅かに反応を鈍らせる。
咄嗟に距離を取ったマッダレーナは視界の片隅に赫い影を捉える。赫子で叩き落としたそれは先程仕損じた捜査官の槍だった。そして案の定合間を縫って青年が接近してくる。
彼が何を言おうと関係ない。陣形を整えるための時間稼ぎか何かだろう。そう気持ちを切り替えて赫子を振るう。
細身の剣の形状をした尾赫は受け止めずに流す。
足を止めては聖騎士の一撃を喰らってしまう。
赫子を基点に急所を隠して体を浮かせ、自身を中心に残り2つの赫子を回転させる。
姿勢を低くしてこれを躱し、更に踏み込んでくる青年。
迎え撃つために赫子を引き戻すが、彼は反応して下がろうとする。
それに追い縋ろうとした瞬間、彼の首が不自然に傾いた。
一瞬視界がホワイトアウトし、咄嗟に顔を覆った赫子に光が突き刺さる。
青年が隙を付いて来ることを予見し、進行方向を遮るように2本の赫子を交差させて薙ぎ払う。
鈍い手ごたえを感じて目をやるが、その先に居たのは槍の太刀打ちで赫子を食い止める捜査官だった。
――青年は、すでに間合いの内にいる。
身を捩って心臓目掛けて突き込まれた剣先を躱し、返しにその鳩尾目掛けて蹴りを見舞う。
青年は無理をせずに後ろに跳びつつ剣身で蹴りを受けて間合いを取った。
マッダレーナは内心歯噛みしながらも間合いを仕切り直す。
先だっての戦闘に比べて青年の動きが良い。付かず離れずの間合いを保ちつつ赫子に対処してくる。こちらの間合いに持ち込もうとすると仕損じた方の捜査官が邪魔をし、踏み込もうとすれば後ろの聖騎士がそれを許さない。何よりあのクインケの射撃の度に、目と耳がほんの一瞬潰されるせいで思うように踏み込めない。
夜の戦闘は喰種に有利な状況のはずなのに、今はそれが仇となっていた。
――基本的に人間よりも五感に優れる喰種だが、アンドレアのクインケ、テンペスタはそれを逆手に取り、射撃の際に発生する光と高周波の音で喰種の視覚と聴覚を阻害できる。実際の所は初動がワンテンポ遅れる程度ではあるが、人間には追随できない反応速度をぎりぎり人間の枠に引きずりおろせるだけでも効果は絶大といって良い。
階級詐欺の天才ならいざ知らず、中の上程度の実力の青年が曲りなりにも打ち合えているのはこのテンペスタによる援射と、要所要所でフォローに入るアーデルフ準特等、青年たちに閃光の影響が及ばないよう背後で絶妙な位置取りを行うアンドレアによるところが大きい。
加えて包囲網を形成する捜査官たちからの援射も、アンドレアの指示によって急所狙いの一点集中へと変化していた。マッダレーナは赫子の1つを防御に回し、残りの1つと自身で前衛の捜査官2人を、そして最後の1つを聖騎士への備えにすることで攻撃を凌ぐ。
鱗赫であるが故に治癒力も高く現状戦闘に影響は出ていないが、徐々に攻撃のための手数が減り傷を負う回数が増えている。押されつつあることは否めなかった。
そしてもう一つマッダレーナの神経をささくれ立たせているのは、あれから一言も言葉を発することなく斬りかかってくる青年の瞳の中に見え隠れする「何か」だった。
それは自分が先程命を奪った女性捜査官の様な喰種への憎しみでも、哀れな同族の様な種としての欲望でも、そして勿論シスターやジャンニが向けてくれる慈愛や優しさでもない。
強いて言うなら好奇心や期待といった類のものだ。
何故この状況でそんな感情が浮かぶのかが分からない。ともすれば死すらありえるこの場に、殺し合いの相手に一体何を期待すると言うのか。纏わりついてくるような青年の目がただただ気色悪かった。
だが、差し迫って対処すべきなのはやはり聖騎士の羽赫からの攻撃だ。あれがある限りどうしても出鼻を挫かれる。少しでも明るい場所に出て目を慣らさなければいずれは押し切られてしまう。
――彼女の視線の先にはかつて大天使の舞い降りたとされた信仰の砦、カステルサンタンジェロが橋と共にライトアップされテヴェレ川沿いの道を照らしていた。
「「ルマーカ」はサンタンジェロ方面に北上中。現在損失、損耗はありません。」
「成程…。電力会社とサンタンジェロ城の管理室に連絡しろ。こちらの任意で周辺の照明を落としたい。」
「了解しました。」
テンペスタの光を嫌ってたか、それとも本命から遠ざけたいか。
どちらにせよ見通しの良い場所に出てくれるなら好都合。これ以上手間を掛けてもいられまい。
トレードマークの眼鏡を胸ポケットに収め、ジャケットを脱いで重厚なオフィスチェアに引っかけながら、エドワルド特等捜査官は目を細めつつ言葉を続ける。
「それと騎士フェレッティ、クインケを持って同行したまえ。以降は上空で指揮を執る。ああ、
会敵から約30分。戦闘は膠着しながらも捜査官側に主導権が移りつつあった。
re:第6巻を読んでの感想
鉢川さんが…。
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