Fate/strange fake Prototype (縦一乙)
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day.00-ステータス開示

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 ステータスが開示されました。

 

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 ◆サーヴァント

   『アーチャー』英雄王ギルガメッシュ

   『ランサー』神造兵器エルキドゥ

   『ライダー』ヨハネ黙示録のペイルライダー

   『キャスター』劇作家■■■■

   『アサシン』美しき暗殺者

   『バーサーカー』殺人鬼ジャック・ザ・リッパー

 

 

 ◆マスター

   『ティーネ・チェルク』原住民族長

   『銀狼』合成獣

   『繰丘椿』眠り続ける少女

   『署長』二十八人の怪物(クラン・カラティン)の長

   『ジェスター・カルトゥーレ』六連“男装”

   『フラット・エスカルドス』時計塔の魔術師

 

 

 ◆????

   『プレイヤー』

 

 

 

 

 本作は「デュラララ!!」や「バッカーノ!」でお馴染みの成田良悟氏が2008年エイプリルフールにゲームシナリオ(嘘)として発表した「Fate/strange fake(プロト版)」の続編として書いています。

 そのため、本作を読む前に

 

 1.「TYPE-MOONエース」Vol.2付録「Fate/strange fake」

 2.電撃文庫「Fate/strange Fake」①

   (プロローグ部のみ。ただし127ページから132ページは除く)

 3.TYPE-MOON BOOKS「Fate/strange Fake」①

 

 以上三作品の内のひとつは読んでおかねば訳が分からないことになります。

(「day.00 余章」は上記2と3と本作との接続部として書いてます。なので読まなくても大丈夫です)

 

 本作の大部分は「Fate/strange Fake」が発売される2015年以前に書いています。当時はまだエイプリルフールネタだったので、まさか続編が書かれるなど思っていませんでした。従って本作と「Fate/strange Fake」はプロローグ以後については完全に別物です。本作をそのまま楽しんでいただければ幸いですが、原作と比較しながら読んでいただけたら幸いです。

 

 ちなみに、本作は過去作「Fate/strange fake Prototype -Another Player-」と中身はほぼ同じですが、各章を追加修正し、ラストも大幅改変します。その意味では完結しておりません。中身は多少異なりますが、先の展開が気になる方はそちらを読んでください。

 

 最後に、この作品は以下のネタを多分に含んでおります。

「Fate/strange fake」以外にも、読んでいただければもっと面白くなる筈です。

 

 

 Fate/stay night

 Fate/hollow ataraxia

 Fate/Zero

 Fate/Zero アナザーストーリー -Heart of Freaks-(Fate/Zero 画集「Fate/Zero Tribute Arts -死にゆく者への祈り-」収録)

 Fate/EXTRA

 Fate/Apocrypha

 Fate/Apocrypha(「Fate/complete material IV Extra material」収録設定集)

 Fate/Prototype

 Fate/Prototype 蒼銀のフラグメンツ

 Fate/Prototype -Animation material-

 Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ

 氷室の天地 Fate/school life

 ロード・エルメロイⅡ世の事件簿

 空の境界

 月姫

 歌月十夜

 MELTY BLOOD

 Talk.(同人「宵明星」収録)

 the dark six(仮名)(「Character material」収録)



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day.00 接続章 キャラクターメイキング

 

 

 その初老の男は悩ましげな顔をしていた。

 悩んではいる。しかし疲れている様子はない。一見して賢者と見紛う相貌ではあるが、どこか稚気を孕んだその顔は幼子のようにも見える。

 そんな老人が、君の存在に、ふと気がついた。

 

「なんだ、こんなところまで尋ねに来る酔狂がいたのか」

 

 君がここにいることに驚くよりも、この場に誰かが訪れる可能性に老人は驚いている。珍しいことだ。そして珍しいというだけ。有り得ないという程ではない。つまりは、息抜き程度には丁度良い。

 そんな老人の都合など知ることもなく、余裕のない君は老人は誰でここはどこかを不躾に尋ねてみる。

 しかし老人は自らの正体について触れることはない。

 

「ここはどこだと? さてな。そんなことを知ってどうする。異空間か、特異点か、平行世界の狭間か。はたまた交叉集時点(クロスホエン) であるかもしれない。確かに言えることは、君の考えが及ぶ場所ではない、ということだ。

 ――そうだな。強いて言うなれば、これは君の夢の中だ」

 

 夢、と君は繰り返す。

 

 周囲を見渡せば、ここには本当に何もない。老人と厳めしい椅子と机、それに老人の背後には古めかしいダイヤル式の電話。なるほど、夢であれば余計なものを意識できないのも無理はない。電話の色が美しい青であるのも頷ける。

 

 しかし君はふと気になるものを見つける。

 机の上にある開かれた本のページに、髪を金色に染めた眼鏡をかけた少女の姿が描かれていた。

 

 アヤカ・サジョウ。

 

 君と似てるかもしれないし、似ていないかもしれない人物。他にも気になる点は多々あるというのに、君はその人物が気になって仕方がない。君はまったく見ず知らずの人物に対し、異常なまでの興味を抱いている。

 そんな君の様子に老人はようやく合点がいったと頷いた。

 

「なるほど。先ほどコーバックと彼女のことについて話していたわけだが、どうやら回線にまぎれてプロトタイプの情報が引き寄せられたようだな。となれば、君を招いてしまったのは私ということか」

 

 老人は君に理解できないことを納得する。

 しかし君は未だ理解できずにいる。

 

「悩むのも当然だ。君は産まれたての雛鳥さながらの状態にある。何も知らないし、何もわからない。本来であれば別途専用に用意されたプレイングマニュアルに則り、刷り込みが行われる筈だったのだろうがね」

 

 幾万幾億も繰り返せばそういうこともあるだろう、と老人は嘯く。奇跡のような可能性であっても、老人にとっては日常の一コマに過ぎない。そこからどう方向性をつけるのかは老人に委ねられる。

 もっとも、委ねたところでその結果に老人が頓着することはない。

 

「しかし君を元のところへと戻すのは手間だ。面倒だが、ここは私が一肌脱いだ方が手っ取り早いかもしれん」

 

 老人はしばし思案し、やれやれと億劫そうに君へと向き合う。

 老人は君を元来た道に戻すことなく、君をしかるべき場所へと送り出してくれるらしい。

 老人の態度とは反比例するように君は老人に感謝した。

 

「まず君の知識を問うておこう。“偽りの聖杯戦争”を知っているな?」

 

 老人の問いに君は頷く。

 

 君の記憶にある“偽りの聖杯戦争”とは、『スノーフィールドで行われる六人のマスターと六柱のサーヴァントで争いあうバトルロワイヤル』とある。

 そして君はその“偽りの聖杯戦争”の失われた『セイバー』のクラスを補完する存在としてその戦争に参戦することになっている。

 

 君の答えに老人はやや考え込む。そして早々に考えるのを放棄して余計な注釈をいれることなく、君の答えに頷いた。

 

「そんなところだ。君はプレイヤーとして、その戦争に参加する」

 

 そこで老人はちらりと君も気になっていた本に視線を這わせる。

 今の話と彼女がどう関係あるのか、君はわからない。しかし思い切って君は件の人物、アヤカ・サジョウについて問うてみる。

 

「君が気になるのも無理はない。彼女も君と同一の役割を担う存在だ。もっとも、君が彼女と出会うことはありえない。君は普通であっても、彼女は特別だからな」

 

 君が参加する“偽りの聖杯戦争”には君という可能性(キャラクターメイキング) の数だけプレイヤーがいる。対して、私が観測しようとする“偽りの聖杯戦争”に君はアヤカ・サジョウという存在に集約されている。

 

 君がアヤカ・サジョウが気になるのもそれが理由だろうと老人は告げた。

 君はよく理解できない。

 

「細かい事はどうでも良い。分かる必要もないし、分からない必要もある」

 

 老人の答えに君は少し不愉快になる。教えを請うている身ではあるが、もっと有益で分かり易い情報を君は欲している。

 

「仕方がない。ならばその令呪の使い方はわかるな?」

 

 わかる、と君は答える。

 

 令呪は三日前、ラスベガスにて白い髪と白い肌の美女から押し付けられたものだ。

 他のサーヴァントとは異なり、常に召喚し続けることは不可能。

 一度喚び出して力を行使すれば、令呪と共に加護も消える。

 五柱だけ呼び寄せられる、使い捨てのサーヴァント。

 使い方によっては、他のサーヴァント達を屠ることも可能だろう。

 

「呼び出せる英霊はペルセウスやイアソン、スカサハ、ヒュドラといった十数種類の中から選べる。勿論、使い切ってしまえばただの“器”に過ぎない君が生きていられるわけもない。加護を失い退場したくなければ慎重に使うことをお勧めしよう」

 

 老人の助言に君は素直に頷いた。

 

 頭の中には召喚できる英霊のリストがある。それぞれの英霊には簡単な略歴があり、パラメーターも添付されている。それらを参考に君はどの英霊を喚べば良いのか判断できるようだ。

 

 老人は欠陥品に哀れむように、もしくは呆れたような目で君の右手・右肩・背中・左肩・左手にある令呪を順に見る。君はそのことには気がつかない。

 

「ただし、破格の切り札を持つ代わりに君には四つの制約がある」

 

 令呪があるから制約があるのかは疑問だがね、と老人が独りごちるが、君はその貴重な呟きを聞き逃す。

 老人は続ける。

 

 一つ、君は――『エレベーターのある建物に入れない』。

 一つ、君は――『時折、血塗れの女の子の幻影を見る』。

 一つ、君は――かつて、日本の冬木市という街に住んでいた。

 一つ、君は――どうやら何かから逃げてアメリカまで来たようだ。

 

 君がそれらの事象を克服できるかどうか、それもまた君次第だ。

 と、何かを思い出すように説明してくれる。

 

「そうだな、あとスノーフィールドのどこかに『Rin Tohsaka』と刻まれた魔力針がある。序盤で見つければ動くのが楽になるだろう。他に、日本に住む人形師が作った義手もある。腕を失った時には捜してみると良い」

 

 老人の目線が宙を泳いでいる。

 そこに君は疑問に至る。

 

 “偽りの聖杯戦争”の情報は机の上にあるのに、何故思い出すような真似をしなくてはならないのか。

 まるで、老人の観測しようとしている“偽りの聖杯戦争”と君が参加する“偽りの聖杯戦争”が違うものかのようだ。

 

 そして君の質問に老人は首肯してみせた。

 

「その通りだとも。私が観測しようとしている“偽りの聖杯戦争”は未来の物語だ。そして君が参加しようとしている“偽りの聖杯戦争”は過去の物語。たとえ起源を同じくしようとも、もはや両者は別物だ。

 同じ食材を使っても調理の仕方は料理人次第。メディアが違えば演出も違うし、書き手が異なれば結末も違う。舞台と登場人物が同じでも初期値が異なれば尚更だ」

 

 老人の言っている意味を君は反芻する。

 では、二つの“偽りの聖杯戦争”では何が違うのか。

 

「違いを一つ一つ挙げていくには無理がある。それに子細を語れば君の有利に働いてしまう。プレイヤーの名こそあるが、ゲーム盤の駒に過ぎない君が全体を俯瞰するのはルール違反だ」

 

 既にいくつかそのルールに触れていることに老人は頓着しない。あるいはどうでも良いと思っているのかもしれない。

 

「……いや、そもそも私以外にとっては比較することには意味がないか。

 ふむ。いいだろう。ルールに触れずに違いを挙げるなら……」

 

 ひとつ言葉を句切り、老人は考えながら、あるいは思い出しながら、言葉を紡ぐ。

 

「君が参戦する“偽りの聖杯戦争”にはスノーフィールド市の他にスノーヴェルク市というものもある。多くの魔術師がスノーフィールドに集まってきてはいるが、その中にフランチェスカと名乗る少女の姿をした魔術師はいない、というくらいだ」

 

 それだけ抑えておけば、“偽りの聖杯戦争”のプロローグは何ら変わりはない。

 だから安心して君はプレイヤーとなりたまえと、老人は太鼓判を押す。君は訳の分からないまま頷いた。

 

 署長はオーランド・リーヴという名前かもしれないし、そうでないかもしれない。

 キャスターの真名は大デュマかもしれないし、そうでないかもしれない。

 

 曖昧な判断と胡乱な記憶のまま、老人は君にそう助言する。

 ただし君がその真実を得ることは絶対にない、と断言する。

 

 その後、スノーフィールドの地理や情勢について基本的な知識を受け取り、君は礼を述べてその場を辞してその身を翻した。

 

 一体どうやって来たのか分からぬまま、君は老人の前からいなくなる。

 次に気付いた時、君はスノーフィールドの街の入り口に立っていた。

 

 夢を見ていたような気分だったが、そのことを君は不思議に思わない。

 

 ドラッグストアに入り、君は店番をしていたモヒカン刈りの男に平屋の安いモーテルの場所を尋ねる。外見とは裏腹にフレンドリーなモヒカンは道を教えてくれ、そして君の令呪を「いかしたタトゥー」と褒めてきた。君は愛想笑いをしながら店を出た。

 

 

 

 プレイヤーがこの場からいなくなった後、ふと老人はものすごく基本的なことを注意していなかったことに気がついた。

 

 老人が忘れていたのも無理からぬこと。それは老人にとってあまりに基本的で、一般的で、ことさら示唆するようなものではない。プレイヤーがその道に通じていれば、釈迦に説法ということもありえよう。ただの馬鹿なら馬の耳に念仏ということもある。

 

 どうせ今後も幾千幾万幾億ものプレイヤーが誕生していくのだ。そしてそのどのプレイヤーも老人と二度目の接点を持つことはない。

 老人が接点を持つ可能性があるのは観測すると決めたアヤカ・サジョウただ一人。一期一会が確定している存在など、いちいち気にするほど暇ではないし、温情もない。

 

 ゲームの基本ルールはレクチャーしたのだ。それだけでも随分な親切だというのに、それ以上のことなど知ったことではない。

 駒の動き方を知っていれば、自ずと戦術は見えてくるのだ。それに気付かなければ痛い目に合うだけ。死んだところで老人に迷惑はかからない。

 少し気にはするが、気にしただけだった。老人はすぐにその事実を忘れ、自らの作業へと戻っていく。

 

 老人が注意し忘れていた事実。

 つまり、令呪は隠すべきという基本戦略。

 でなければ、すぐさま敵に発見され、プレイヤーは駆逐されることになる。

 

 

 

 プレイヤーの姿を確認したモヒカンが、その後真面目な顔でダイヤル式の受話器に手を伸ばした。そのことを、老人が知る由もなかった。

 

 



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day.01-00 開幕宣言

 

 

 紳士淑女のプレイヤー諸君に告げる。

 これは“偽りの聖杯戦争”のマスターとサーヴァントによる戦いの記録である。

 

 アーチャー、英雄王ギルガメッシュが怒りに我を忘れず、

 

 マスター、原住民族長ティーネ・チェルクが全身を辱められ、

 

 ランサー、神造兵器エルキドゥが役に立たず、

 

 マスター、合成獣の銀狼が空気を読んで行動し、

 

 ライダー、ヨハネ黙示録のペイルライダーが正義を語り、

 

 マスター、眠り続ける少女繰丘椿が肉弾戦を挑み、

 

 キャスター、劇作家■■■■が周囲からこき使われ、

 

 マスター、二十八人の怪物(クラン・カラティン)率いる署長が部下達を裏切り、

 

 アサシン、美しき暗殺者が人助けに奔走し、

 

 マスター、六連“男装”ジェスター・カルトゥーレが流れ弾で死に、

 

 バーサーカー、殺人鬼ジャック・ザ・リッパーがあっさり殺され、

 

 マスター、時計塔の魔術師フラット・エスカルドスが恐怖に怯え逃げ去り、

 

 

 そんな彼らの願いが『全て』叶ってしまう物語である。

 

 

 しかしながら残念なことに、君達プレイヤーは徹頭徹尾、活躍しない。

 

 君達プレイヤーが持つ英霊を時間限定で自由に喚べる五つの令呪、

 君達プレイヤーが背負う四つの制約、

 そんなものは物語の本筋に大した影響は与えない。

 

 君達に待っているのはただ弄ばれ、利用され、使い捨てられる運命だけだ。

 例え活躍してもそれはサーヴァントの活躍であって、君達では決してない。

 

 君達は大量生産の粗悪品にすら劣る廃棄物でしかない。

 度し難く、救いようが無いほど愚かであり低劣。

 そしてここより辿るのは、自ら死を選ぶ道程だ。

 そこに何を感じ、何を思うのかを、是非その目で見て欲しい。

 

 さあ、前口上もここまでだ。

 徹底的に役立たずな君達ではあるが、唯一無二の権利がある。

 ここに、このねじ曲がった運命の開幕宣言を、“君”に託そう。

 

 感謝する必要はない。

 恐縮する必要はない。

 遠慮する必要はない。

 

 開幕の狼煙は分かり易く派手な方が好ましい。

 大きく、広く、全体に波及するかのような衝撃が理想的だ。

 となれば、使い捨ての君達には適役だろう?

 

 

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        Fate/strange fake Prototype

 

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 それは、誰かの放った一撃だった。

 

 拳銃から放たれたのは一発の弾丸。

 日本であれば実物を見る機会はまず皆無である代物であるが、情報だけならいくらでも手にすることができる。兎角、それらの情報の中で最も大切なのは経験せずとも理解できる殺傷能力。

 ある程度距離が離れていては命中など期待できないが、だからといってなんの訓練も受けていない者が銃口を向けられて平気でいられる筈もなかった。

 

 一発目、二発目は見当違いな場所に弾は当たった。運が良かったわけではなく、これはただの威嚇。三発目からは手足が狙われ、銃口が複数になった頃合いからそれもなくなった。

 

 そして、最初の銃弾から数えて一〇発目。

 偶然ではあった。しかしながら、必然でもあった。遅いか早いかの違いに過ぎない。

 予定調和の如く、その一撃は、気づけば眼前にあった。

 銃弾を目視する。あり得ないことではあるが、事実としてその銃弾は不可避の速度、必中の進路を持ってそこに存在していた。

 

 アキレスが亀を追い抜こうとしている、そんな刹那。

 時が止まってみえたのは走馬灯の原理に違いない。しかし走馬灯ならば身体が動かぬのもまた道理。死の間際にあって何かをしている暇などどこにもない。瞼を閉じる事も、祈ることも、座して待つことすら許されない。ただ弾がそこにあるという現実だけを頭は理解する。そしてその先に待つであろう『死』を直視させられる。

 

 だが。

 この身を貫こうとする銃弾は、

 この身を救おうとする白刃に、軌道を逸らされた。

 

 軽やかな無音が戦場を支配する。銃弾飛び交う社交場に現れた無粋者は、ただその存在感だけで静寂を呼び込んだ。

 

「……」

 

 人には到底成し遂げられぬ事をあっさりと成し遂げ、次へと繋げたのは嵐を呼び起こすような静かな呼気がひとつ。他の全ての生物は呼吸を忘れている。

 

 足音などしなかった。

 その場に唐突に現れた影。

 それは今の今まで存在しなかった人物だ。

 

 

「―――問おう。貴殿が、我がマスターか」

 

 

 誰何の声が辺りに響き渡った。

 それは誰に問いかけたというよりも、周囲に自身の存在を知らしめる問いかけ。

 これは現実でありながら夢幻の存在がここにいる、という事実をこの場にいる全員に共有せしめる言葉。

 

「召喚に従い馳せ参じた。

 これより我が刃は貴殿のために振るい、全力を持って貴殿を守ることをここに制約する」

 

 ――聞くところによると、第五次聖杯戦争優勝者、衛宮士郎も自らの危機において最後のサーヴァントを召還したという。この場にもし彼がいればこの光景を自らの過去と被せたことに違いない。

 

 聖杯戦争の開始と見なす時期には諸説ある。

 

 最初の令呪が宿った時――

 全マスターに令呪が宿った時――

 最初のサーヴァントが召還された時――

 マスター全員が開催地へ足を踏み入れた時――

 サーヴァントとサーヴァントが最初に激突した時――

 

 どれを開始とするのか難しいところではある。

 ただ、後世の歴史家や研究者の多くは、ある条件によって聖杯戦争の開始とする者が多い。例えば、第四次聖杯戦争であればキャスターの召還、第五次聖杯戦争であればセイバーの召還である。

 

 即ち。

 

「サーヴァント、新免武蔵藤原玄信」

 

 このスノーフィールドの地に、七人のマスターと七柱のサーヴァントが出そろったこの瞬間こそが、

 

「――押して、参る!」

 

 偽りの聖杯戦争、その開幕である。

 

 



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day.01-01 市街地混戦

 

 

 その一報が入った時、折しもスノーフィールド市警は混乱の最中にあった。

 

 スノーフィールドの治安は様々な事情も相まってさほど悪いわけではない。

 スノーフィールドには警察機構を筆頭に大小幾つもの治安維持組織がある。そのどれもが優秀と言うこともあって、警察署の電話交換手は久しく苦情処理以外の仕事が回らないこともあった。

 

 しかし今回はそれが裏目に出た。

 

 咄嗟の対応ができるよう指示は出されていたが、ほぼ同時刻に殺人・強盗・交通事故の報告(いずれも不確定情報)が舞い込み、ついでとばかりに泥酔した自称アーティストが警察署内でビール瓶を片手にお酒の神様を敬うべしとご高説を垂れていた。間の悪いことに折しもジュニアスクールの社会見学も行われている最中であり、スノーフィールド警察署長はその対応に笑顔で対応しなくてはならなかったのである。

 

 情報が錯綜する。

 効率を考えたシステムとは得てして遊びの少ないものである。混乱したのがわずかに十分少々ということを考えれば優秀であるとも言えるが、その間重要度が低い、と判断された事案は完全にストップした。

 

 タトゥーをした不審な外国人観光客がいる、という情報は本来であればキャスターのマスターたる署長の耳に直ぐさま入る筈だったが、本業を優先した対応者はそのことを署長の耳に入れることをしなかった。

 聖杯戦争を知らぬただの一般職員がそうした対処をしたことを誰が責められようか。

 

 結局、聖杯戦争の参加者たる署長にその件が報告されたのは魔術師としての弟子である直属の戦闘集団『二十八人の怪物(クラン・カラティン)』の一人から直接の連絡があってからである。その時点で、すでに事は早急な対応が必要であった。

 

「――市街にサーヴァントが現れただと」

 

 その報告にわずかな苛立ちを滲ませながら、署長は今後の対応を考え眉間に皺を作った。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)の現時点での任務はサーヴァント及びマスターの発見にある。そのため魔術師としてではなく、あくまで警察官として行動するよう指示してあった。警察の中に魔術師がいることを悟られぬよう、宝具の所持はもちろん禁止、魔術の使用も必要最低限に限るよう通達してある。

 

 とはいえ、これでサーヴァントやマスターが見つかると期待はしていたわけではない。監視カメラをはじめとする警察機構の情報網を利用できるとはいえ、サーヴァントはともかくマスターの一次情報についてはあまりに手がかりが少なすぎる。

 

 それこそ、無防備に令呪をむき出しにしていない限り、マスターの発見は困難だ。

 聖杯戦争のセオリーに則っていれば、そんなことある筈がない――そう考えても無理からぬこと。

 それが聖杯戦争開始早々二人目ともなれば尚更だ。

 

「今度は一体どこの阿呆だ」

 

 周囲を慌ただしく動き情報を整理する部下へ一通り指示を出し終え一区切り。誰ともなく罵ってみるものの、それで過去の失態が帳消しになるわけでもない。

 

 キャスターのマスターである自分にもしもの時があった場合に備え、マニュアルを作成していたことも裏目に出ていた。

 早急な判断を要する際にマスターたる自分と連絡が取れぬ場合、仕留めることが可能なら連携を取りながら通常火器にて対応するよう指示してある。今回の場合も魔力濃度から令呪が本物、もしくはそれに類する能力・性能を持つ警戒すべき魔術結晶であることを現場の二十八人の怪物(クラン・カラティン)が確認し、マニュアル通りの対応が行われた。

 

 その結果、白昼堂々市街地でサーヴァントが暴れる事態となった。

 

 この偽りの聖杯戦争においてはこうした事態に備える監督役が存在しない。

 事後処理をどうするのか正確には聞かされていないが、責任の一端を警察署長としても、戦争に参加するマスターとしても取らされることは間違いない。最悪、事後処理の対象そのものになる可能性すらある。

 どうして初っ端から終わった後のことについて頭を悩ませなければならないのか。どちらにしろ事態を早急に収める必要がある。

 

 ちらり、と時計を見る。指示を下して二分と少々。二十八人の怪物(クラン・カラティン)といえども数と装備を整えねばサーヴァントと相対させることはできない。

 待機状態にあった二十八人の怪物(クラン・カラティン)をフォーマンセル3チームで急遽現場に向かわせたが、これ以上の増援はあと半時間は必要だ。後は一般の警察官を大量動員して対処していくことになるだろう。災害時の退避マニュアルをどこまで適用できるかが鍵となる。

 

「ここまで大胆に動かれた以上、他のマスター達も気付いていない訳もあるまい……」

 

 と。

 不意に今まで使っていた電話とは別の、窓際に置かれた電話が音をたてる。

 

 この聖杯戦争のために署長は二つの電話を用意していた。

 ひとつは関係者にのみ知らせた外向きの回線であり、これには署長の右腕である秘書官を通して連絡をすることになる。

 そしてもうひとつの回線は、署長への直通回線である。緊急性が高く、身内であっても間に入れたくない時にはこれが使用されることになっている。

 音を立てて自己主張を続ける電話は、後者である。

 

「…………」

 

 直通回線はそうそう使われるものではない。重要かつ緊急の時にだけ使われるのであり、最初の第一報はともかく、以後の対応にこの電話が使われることは少ない。そもそも、この回線の存在自体、知る者が極端に少ないのである。

 

 必然、心当たりのある人物は一人しかいない。

 

 迅速な行動が求められる職種の長としては、いささか手を伸ばすのに時間がかかっていた。

 回線が接続されると同時に聞こえてきたのは一般アナログ回線からデジタルの秘匿回線に切り替わるノイズ音。それと、今この場で一番聴きたくなかった男の声だった。

 

『おいおいおい、おもしれぇことになってるっつーのになんで俺に連絡よこしやがらねぇ! 舞踏会への招待状はシンデレラにもちゃんと送っておくように言っておいただろうが!』

 

 思わず怒鳴りつけたくなる衝動を眉間に皺を寄せることで抑え、一応ではあるがマスターとサーヴァントである関係を思い出す。

 どこで知ったのか知らないが、確かに無関係ではない。シンデレラなどという可愛げのあるものではないが。

 

「……キャスター。お前はお前のやるべきことをなせ。すでに二十八人の怪物(クラン・カラティン)が出動している。早晩事態は解決する。何の問題もない」

 

 署長自身も騙しきれない嘘をついてみる。どれもこれも問題だらけで、事後処理も含めれば解決なぞ当分先の話だ。

 

『はっ! 何の問題もないだと! わかってねぇな。ようやく聖杯戦争が開幕したってのに暢気にしていなさる! このままじゃあつまんねえ結果になっちまうからこうしてわざわざ電話したんだぜ?』

「私は忙しい。用がないなら切るぞ」

『いい案があるんだがなぁ? 後で聞いておけばよかったって、後悔するハメになっても文句言うんじゃねぇぜぇ?』

 

 キャスターの挑発的な発言に半ば本気で切りたくなるのを何とか堪えてみる。怒りにまかせるのは簡単だが、キャスターの機嫌を損ねたことで“昇華”の作業が滞るのも馬鹿馬鹿しい。聞くだけなら、まあ損することはあるまい。

 錠剤型の胃薬を一つ、苦虫を噛み潰すようにして飲み下した。

 

「……早く言え」

『まずは二十八人の怪物(クラン・カラティン)を引かせろ。警察もだ』

 

 案という割には、その口調は命令だった。

 

 キャスターは巫山戯た英霊ではあるが、マスターがサーヴァントたる自分に何を求めているのか理解していないわけではない。それ故に“昇華”の作業以外に口を出すことは少なく、それが命令ともなれば初めてである。

 

「……理由をきいてやる」

 

 普段の虚言なら即座に切って捨てるところだが、傾聴に値する言葉をキャスターは持っているらしい。

 

 もちろん「二十八人の怪物(クラン・カラティン)を出さない」という選択肢は署長の中でも最初に見当している。

 序盤での傍観は聖杯戦争(バトルロワイヤル)のセオリーである。ここまで大騒ぎになった以上、他陣営は必ず現場を覗き見ること確実である。迂闊に現場に出すリスクを考えれば二十八人の怪物(クラン・カラティン)の存在を秘匿し続けることができる。

 一般警察官を大量に現場へと投入し、そしてあえて逃げ道を用意しておけば、それで一応の解決もできよう。むしろ警官という立場上現場を押さえることで漁夫の利を得ることも期待できる。

 

 だが今後のことを考えると、早い段階で二十八人の怪物(クラン・カラティン)に対サーヴァント戦闘を経験させることには意味がある。

 準備万端に相対できる敵でない以上、日中の市街地での混戦はかなり好条件とすら言えよう。地理的優位もあり、支援も期待でき、それでいて既に敵サーヴァントの情報も得ている。次の機会などが来る保証もない。

 

 何より、二十八人の怪物(クラン・カラティン)の目的は『人間による英霊の打倒』だ。傍観を続けて最後の一体だけを倒しても意味がないのである。

 それが分からぬキャスターではない。マスターの疑問にサーヴァントは当然のように解答を用意してみせる。

 

『前にも言っただろ。俺は本来できの悪い台本を直すほうが得意だってな。

 ……なぁ兄弟。お前さんは俺以上に現場を知っていると思うんだが、状況を簡単に教えてくれねえか』

 

 今度は頼みというより確認。

 誰か別の者から説明することも一瞬考えたが、この英霊はあえて主人の口から説明させたいらしい。迂遠なことをするより素直に従った方が良さそうである。兄弟について訂正する時間を惜しみ、入ってきた情報を簡単にまとめる。

 

 スノーフィールド市内において令呪を持った外国人旅行者を二十八人の怪物(クラン・カラティン)の一人が発見。

 令呪が本物であることを確認した段階で現場の一般警察官四名と共に旅行者を包囲、通常火器による射殺を試みた。が、射殺直前になってサーヴァントが召還され、同時に令呪のひとつが反応したことからサーヴァントは旅行者のものとみて間違いない。

 名乗りが本当なら、真名は新免武蔵藤原玄信――東洋のサムライらしい。クラスは不明。

 サーヴァントによって二十八人の怪物(クラン・カラティン)も含め追い込んだ警察官全員が負傷。未確認ではあるがその後に町で潜伏中の魔術師多数と交戦している模様。

 現在確認されただけでも負傷者が十三人、倒壊した建物四棟、火事が一件、死者は確認できていない。

 

 詳細な場所などは伏せて署長はキャスターの要望通りに説明する。キャスターがいらぬ好奇心で現場にちょっかいをかけることを防ぐためだ。だがそんなことを追求することなく、キャスターは大人しく署長の言葉に耳を傾け、何かを思案――いや、納得している様子であった。

 

『はん。予想通りだぜ兄弟。こいつぁ確かにできの悪い台本だ。これを仕組んだ奴はとんだ三流だぜ』

「仕組んだ奴だと?」

 

 意図的にキャスターは署長の興味をひく言葉を使っている。それが分かっていながら、この事態においては聞き返さずにはいられない。

 

『言葉の綾だ。いるかもしれねぇし、いないかもしれねぇ。運命の女神は俺のセフレだが、もし仕組んだのが奴なら今度ヒイヒイ喘がせてやる必要がある。知ってるか? アイツ首筋が弱いんだぜ』

「お前の下劣な嘘はどうでもいい。だがこの事件、裏で誰かが糸を引いてると何故言える?」

『確証はねえよ。だがもし俺がこの聖杯戦争の脚本を書くなら、同様の展開にはなっているだろうよ』

 

 これじゃあせっかくの役者が台なしだ、とキャスターはぼやいてみせる。端役には端役の役割があるんだぜ、とも。

 受話器の向こう側でキャスターが笑みをこぼす気配が感じられた。キャスターにしてみれば、ここで署長がその可能性に辿り着くことが、脚本の修正なのだろう。

 署長の脳裏で、一本の線が繋がった。

 

「――他勢力の一掃が目的とでもいうのか」

 

 本来ならば一笑に付す結論ではあったが、キャスターはそれを否定しなかった。

 

 かつて冬木で行われた聖杯戦争はそれぞれのサーヴァントを擁する陣営が戦い、共闘し、裏切り、策謀を尽くして争い、そこに教会が神秘を秘匿するべく監督役として乗り出していた。結果としてそれ以外の勢力はサーヴァントを擁するいずれかの陣営を援護することはあっても、直接開催地である冬木の地へと乗り込むことを抑えられていた。

 

 だがこの偽りの聖杯戦争はそれぞれの陣営が争うことまでは今まで通りだが、教会の監督役は存在しない。そしてマスター以外にも令呪を奪取できるという事実が、いつの間にか多くの魔術師達に知れ渡っていた。

 

 おまけに協会に宣戦布告する真似までしてしまい、結果として驚くほど多くの勢力がそれぞれに優秀かつ命知らずな愛すべき馬鹿野郎をスノーフィールドの地へと派遣している。

 

 となれば、令呪に選ばれなかった他の魔術師達が他のマスターから令呪を得ようと考えるのは自然な流れというものだ。

 現在、百人を超える武闘派の魔術師がスノーフィールド市内に潜んでいることが確認されているが、実際にはその数倍の魔術師が入り込んでいることだろう。スノーフィールド全域まで拡大すれば関係者含め確実に四桁に達している。

 

『よく知らないが、シンメンタケゾウ某といえばグレーテストソードマスタームサシの真名じゃなかったか? ヨシオカ・スクールで大暴れした逸話があるほど問題児なんだろ?』

「――それは見落としていたな。真名が世に知れた通称であるとは限らんか」

 

 キャスターの冷静な意見に想像以上に焦っていたことを実感する。

 一〇〇名近くの吉岡一門を一網打尽にし武蔵の名を一躍全国に轟かせた一乗寺下り松の決闘。多対一に秀でた逸話はこの状況にパズルのピースのように合致していよう。

 ちなみにキャスターは「道場」を「スクール」と翻訳することであらぬ誤解をしているが、それをわざわざ指摘する優しさを署長は持たなかった。

 

『繰り返すが、確証はねえ。確証はねえが、俺はいると睨んでいるし、現状を見てもその通りになってる。

 ――お前さんがもし令呪を持たぬただの魔術師なら、この機会をどう捉える?』

「…………」

 

 キャスターの言うとおり、この状況は令呪を持たぬ魔術師からすれば千載一遇のチャンスだ。

 サーヴァントは確かに強力な戦力だが、強力であればあるほど多対一ではその能力は十分に活かせない。令呪の転写に時間はさほどかからない。直接的な戦闘を行わず、ただマスターとサーヴァントを分断し時間を稼ぐだけならば、リスクに見合う釣果を得られることだろう。マスターが魔術に対して無知であれば尚のこと時間は少なくてすむ。

 あまりに都合の良い条件が整いすぎていた。これを警戒するのは当然であるが、これを大人しく静観するような魔術師なら、最初からこの地に来るべきではない。

 

『時間は、もうないんじゃないか?』

 

 そうキャスターは言い残して、電話は一方的に切られた。少しの間、音声の切れた後にプーッと音の流れる受話器を見つめた後、署長は静かに受話器を置いた。

 時計を見る。二十八人の怪物(クラン・カラティン)はもうすぐ現場に到着する頃合いだ。

 口に手を当て、視線は宙を睨み付ける。

 

 かつての聖杯戦争においては、何も知らぬ第三者に令呪が宿ることはままにあった。だがそれは他に候補がいないためであり、今回の聖杯戦争においては候補はスノーフィールドにいる魔術師の数だけあると言ってもいい。

 

 入ってきた情報によると、旅行者は一般人である可能性が高く、また聖杯戦争についても知らない可能性が高い。だというのに、他の魔術師をさしおいて令呪をその身に宿している。

 畢竟、本件が偶然である可能性は非常に低い。何者かが意図的に旅行者へ令呪を与えたと考える方がよほどしっくりとくる。

 

 とは言えキャスターの言うことをそのまま信じているわけではない。

 状況からしてキャスターの言うことはもっともであるのだが、あれは劇作家としての意見だ。現実的に考えればこんな序盤で令呪を持つ貴重なマスターをそんな雑多な目的のためにリスク覚悟で放り出すわけがない。

 

 理性は告げる、キャスターの言葉は無視するべきだと。

 キャスターはあくまで二十八人の怪物(クラン・カラティン)が潰されないよう連絡をしてきたのではなく、脚本を修正するために連絡してきただけだ。聖杯戦争の勝敗など彼には何の興味もない。

 

「……キャスターめ」

 

 部下へ連絡すべく受話器を再度取りながら誰ともなく呟いてみる。市街で暴れているマスターとサーヴァントの後ろに誰かいるのかいないのか分からないが、少なくとも二十八人の怪物(クラン・カラティン)を率いる自分を操ろうとしている劇作家は存在する。

 そんな皮肉を感じながら署長が新たな命令を下したのはすぐのことだった。

 

 



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day.01-02 宮本武蔵

 

 

 スノーフィールド市内、その路地裏は昼間だというのに薄暗く、腐った水と放置された生ゴミが異臭を放っていた。

 市の発展と共に無秩序に形成されてきたこうした路地裏は、広範囲にわたって犯罪の温床となっている。その気になれば駆除することも容易であるが、どんなものにもゴミ箱が必要とされる場面は多い。

 スノーフィールドの治安が良い理由は、こうしたゴミ箱を用意していることにあった。

 人気もなく、また目も届きにくい。土地が空くたびにビルを建てるという無計画な開発っぷりで、路地が複雑に入り組んでいる。市内地図はかろうじてこの路地裏も掲載してあるが、ゴミで塞がっていたり建物の取り壊しや違法建築やらのせいで地図を作成して三日もすれば改訂が必要となるだろう。

 

 そうした世界から、街から、日常から切り離された空間は、その上更に常識と呼ばれるものまで切り離されようとしていた。

 

 アートと称する壁の落書きに、新たな赤い彩りが加えられる。

 絵筆の如く振るわれる二刀は狭い路地裏であっても十全にその威力を発揮していた。

 路地裏を疾風の如く駆け抜け、足止めせんと出現する魔術師達を次々と切り刻んでいる鎌鼬の正体は、東洋のツインソードサムライ、サーヴァント・新免武蔵藤原玄信――宮本武蔵その人である。

 

 江戸時代初期の兵法者であり、二刀を用いる円明流、後の二天一流の開祖といわれ、生涯に六十余りの試合を行い、その全てに勝利したと云われる極東の剣聖。

 

 偽りの聖杯戦争、その第一回戦はその七番目のサーヴァント・宮本武蔵と令呪を狙う魔術師達という変則的なカードで始まった。

 

 わずか十分足らずでこの戦闘に参加した魔術師達は三〇チームを超え、そして今なおその数は増え続けている。聖杯戦争序盤でなければ共闘する手もあったろうに、この突発的な乱戦ではそれも難しい。

 戦場は混沌としている。しかし目的ははっきりしているだけにその後の推移を考えるに難しくない。狙いとなる令呪を持つマスターが一人である以上、勝ち残るのはただの一チームのみ。それ以外は悉く敗者となることだろう。

 

「――っ!」

 

 再度、二刀が振るわれる。

 不幸にも餌食になった魔術師は一体何が起こったのか分からぬまま、意識を刈り取られた。仲間が倒されたことに気づけた者が一体何人いたことか。集団のど真ん中に突如現れたサーヴァントに咄嗟に対処できた魔術師は一人としていない。

 

「御免」

 

 必要であれば人を斬ることに躊躇いはない。だが本意でもない。わずかばかりの謝罪を胸に宮本武蔵は一息の間に残る魔術師達を戦闘不能に追い込んでいく。

 実を言えば、宮本武蔵は決して強いサーヴァントではない。それどころか、この聖杯戦争においては弱いと言ってもいい。

 

 敏捷さこそ目を見張るパラメーターではあるが、その他の基礎能力値はかなり低く、魔力を秘めた分かり易い宝具を所持しているわけでもない。

 聖杯戦争の召還とは異なる召還方法をとっているため、対魔力や気配遮断といったクラススキルも所持していない。

 外国にあっても比較的知名度の高い英霊ではあるが、いかんせん知名度の恩恵にだって限度もある。

 

 だがそんな武蔵だからこそ、たかが魔術師と侮ることもない。

 実際、この場で争う魔術師のクラスは決して低いものではない。さすがに代行者クラスの魔術師はいないようだが、数で補った強さは戦い方次第でサーヴァントと相対しうるものである。

 なればこそ、戦術は明瞭。

 武蔵に後手は許されず、狙うべきは先手必勝。敵より早く居場所を察知し、初撃で混乱させ、各個撃破へ持ち込む。敵に先を取られぬよう個としての機動力を活かして動き回り、相手の土俵では決して闘わない。

 

 およそ英雄英傑に似つかわしくない戦い方ではあるが、これにより六チーム二十余名の魔術師があっさりと脱落している。武蔵の後ろ姿にうまく誘導され、他の魔術師とかち合い戦闘となったチームも少なくない。

 結果だけ見れば最小の労力で最大の成果を上げているようにも見える。

 

 ただ――

 その事実に、当の武蔵は決して喜んでいるわけではない。

 

 いかに常人離れした魔術師といえど、スタンドプレイが基本である集団など関ヶ原を落ち延びた武蔵の敵ではない。当時のことを思い起こせば、この状況がお遊戯にすら感じられる。そんなものを英霊たる武蔵が誇る気になれるわけがない。

 

 サーヴァントと相対できるのはサーヴァントのみ。

 その事実に早々に気がついた――気付かされた武蔵の心境は如何程のものか。強者との戦闘を渇望するのは強者として自然のこと。武蔵とて例外ではない。

 

 この戦場に他のサーヴァントが直接介入してくる可能性は皆無に等しい。

 何故なら彼らにとって外野の魔術師は腐肉に群がる蛆のようなものだ。それが自分以外の敵へと食らいつき、その上相食もうとしているのだから文句の出よう筈がない。座して見るだけで漁夫の利を得られるなら、動くマスターなどいるわけがない。

 

 故に、武蔵は考えていた。

 この戦場で武蔵に求められる役割は二つあると考えている。

 一つ目の役割は、マスターを安全な場所へ離脱させること。召還された状況が状況なだけに当然とも言えるが、戦場からの脱出だけを鑑みれば他に適した英霊はたくさんいる。あえて武蔵が召還された――選ばれた理由は、それとは別にあると見るべきだろう。なればこそ、二つ目の役割は、マスターへの貢献にあるべきだ。

 幸いなことに、二つの役割について武蔵は何の制約を受けていない。自ら考え実行することが許されている。

 

 武蔵召還より25分――弱い故に魔力効率の良い武蔵である。この調子ならばあと5分といわず15分はなんとか現界可能であろう。戦場は武蔵の手によって十分以上に混沌としており、あとは賞品となるマスターが不在であっても互いに勝手に殺し合ってくれることだろう。戦線を離脱する魔術師が多ければ多いほど、後々のマスターの障害は少なくなる。

 

 ここが境界線。

 これ以上戦闘を続ける必要性はあまりなく、

 これ以上戦場に居続ける意味もさほどない。

 

 つまり、この引き際である七度目の襲撃は唯一、武蔵個人の意思によるもの。

 これを武蔵の我欲ととるのはいささか早計であろう。何せ、武蔵は最後の最後で当たりを引くことに成功したのだから。

 

「――ほう」

 

 思わず、感嘆の声を武蔵はあげた。

 七度目にして武蔵が狙った獲物は三匹の怪物だった。

 

 一人は怖気るような気配を振りまく魔術師で、

 一人は怪異の如き殺意を抱く娼婦のような黒い少女、

 そして最後の一人はそんな二人に囲まれて平然としているだけの青年。

 

 狭い檻の中で二匹のライオンは互いに威嚇し合い、ウサギは隠れもせずに暢気に遊んでいる――そんなちぐはぐな印象が相応しい。

 一見しただけの武蔵にとってこれがどういう状況なのか皆目検討がつかなかったが、まずは明らかな脅威であるライオンを仕留めようとするのは自然なことだろう。

 

 そして七度、狭い路地裏を武蔵は一息に駆け抜け――そして目標を見誤ったことに遅ればせながら気がついた。

 武蔵の一撃によって、魔術師が倒れ伏す。

 白目を剥いたその相貌からして既に意識はなく、その怪我の有様は即死していないと言うに過ぎない。放置しておけば程なく死ぬだろう。そしてその魔術師の背を踏みつける形で武蔵は尚もこの状況を信じられずに――その余韻を楽しんでいた。

 

 武蔵が振るうは二刀――故に同時に相手にできるのも刀の数と同じである。だというのに、計算が合わない。二刀を振るったというのに、倒れたのは、ただの一人。

 

 武蔵のもう一刀は、どこにでもあるようなナイフ――それも女子供が果物相手に使うようなナイフによって受け止められていた。

 切っ先はナイフの半ばまで食い込み、もはや武器としてどころかカトラリーとしてすら用をなさない。幾人もの魔術師を違わず斬り裂いてきた必殺の一撃が、かような少女の細腕に防がれた事実に、武蔵は歓喜せずにはいられない。

 

「その技、誰ぞ指南されたか」

「さあ。知らないわ」

 

 武蔵の歓喜に黒い少女は素っ気なく、応じてみせた。

 防御というものは、素人が考えるよりもはるかに難度の高い技術である。先んじて放たれた一撃を何の工夫もなく正面から受け止めるだけでは、純然たる物理学に則って弾き飛ばされるのがオチだからである。

 武蔵の持つ武器は確かに宝具ではない。しかしながら、切れ味鋭い日本刀であることに変わりはない。下手な――というよりよほど上手く衝撃を受け流さねば、ちゃちなナイフで日本刀を受けることなどできよう筈もない。

 

 名残惜しみながら、武蔵は魔術師を貫いていた刀を引き抜き黒い少女を横に薙ぐ。これを受け止めるのは黒い少女の力量からすれば難しくないが、刀を濡らす魔術師の血糊が少女の顔めがけて飛び散った。

 視界を奪われることを嫌ったことで両者の拮抗は崩れ、黒い少女は大きく後ろへと後退した。間髪入れず一刀を投擲することでその追撃とするが、黒い少女はあっさりと片腕を盾にその一撃を防ぎきる。

 この近距離、鋼鉄すらも射貫くであろうその威力をもってしても、どうしてかその華奢な繊手の掌から肘までしか貫けない。

 更にその身をもって吶喊をしかけることで三撃目とすることもできるが――武蔵はあえてそれを選ばず、その場に留まることを選択した。

 

「……情けをかけたつもり?」

「ここで追い打ちをかけるは無粋に過ぎる」

 

 黒い少女の背後、そこには武蔵がウサギと例えた青年がたたずんでいる。一連の攻防についていけていないのか、この状況に合って未だに構え一つ取ることもせず、それどころか危機感を抱いている様子もない。

 黒い少女が武蔵の投げた一刀を受け止めねば、今頃青年の首は胴から落ちていたかもしれないというのに。

 

「フラット、治療を頼む」

「え? あぁ、うん」

 

 黒い少女は掌から肘まで貫通した刀を無造作に引き抜き捨てると、ものの数秒で元の状態へと再生が果たされる。さすがにここまで無茶な回復となると、生身の人間であるとは考えにくい。

 

「随分と珍妙な業を持っているようだ」

「……慧眼、恐れ入る限りだ」

 

 ただの人間ではそうそうお目にかかれない技巧と、異常な回復力、加えてわざわざ庇いだてした背後のマスターらしき人間――ここまで状況証拠が出そろえばこの少女の正体がサーヴァントであることは確実。

 問題は、この近距離であっても、黒い少女を武蔵はサーヴァントとしてはっきりと認識できていないことか。ステータスを隠蔽する偽装能力というのも過去にあったと言うし、そもそもサーヴァントと認識させない能力があってもおかしくはない。

 しかも、それだけでもない。

 

 武蔵は目線を逸らすことなく黒い少女と周囲に七対三で気を配る。戦闘になればこの配分は致命的ともなりえるが、仕方がなかった。

 

 奇襲とは相手に悟られることなく一撃を入れるための策である。いかに実力があろうとあっさり防がれるほど、武蔵の奇襲は生温くない。

 偽装能力だけでも大した能力であるが、最低でもあと一つ、この黒い少女は何らかの宝具やスキルを用いている筈である。だが、注意して見てはいるものの、その手がかりとなるものは見当たらない。

 

 黒い少女はもはや使い物にならなくなったナイフを捨てて、懐から新たなナイフを取り出し両手に構える。武蔵も空となった片手に新たな得物を手にすべく壁に這っていた鉄パイプを斜めに寸断して即席の短槍を拵えた。

 

 武蔵が片手に持つ一刀は別として、両者が構える得物は聖杯戦争にしては珍しい、殺傷能力の低い武器である。常人を遥かに超えるサーヴァントの肉体に対して、致命打を与えにくいナイフは戦闘向きでなく、元が鉄パイプである武蔵の短槍は錆によってその強度すら怪しい。

 

 黒い少女が左足を前に出し、ナイフを胸の前で構える。

 敵に晒す面積を減らし、身長差を意識した防御の構え。準備は整ったぞ、と姿勢で示す。後は、武蔵が攻めるのを待つばかり。

 これはあからさまな挑発であろう。

 

「面白い――」

 

 思わず漏れ出た言葉に、武蔵はつい背中の荷物を忘れそうになる。

 目的すら忘れて、戦いに没頭したくなる。

 

 ならば、許される範囲で楽しむことにしよう――

 

 思考と同時に、武蔵の足が、地面を噛む。

 既に初撃で武蔵は手の内を晒してしまっている。これではもう意表を突くことは難しいだろう。達人相手に二番煎じは通用しない。むしろ愚策とすら言える。

 

 だからこそ、楽しむにはもってこい。

 

 武蔵の愚策に、黒い少女の動揺が空気を介して伝わってくる。黒い少女の視線が、武蔵を追ってわずかに角度を上にとる。

 かつての聖杯戦争では高層ビルの壁面を舞台とした戦いもあったらしい。

 サーヴァントといえども重力の影響を受ける筈だが、垂直であれ逆さであれ、腿力を込めて踏める足がかりさえあれば、何の問題もない。人を圧倒するパワーを持つサーヴァントにとってその程度のこと得手不得手はあるにしろ、決して不可能ではないのだ。

 

 だが、ここは鉄筋が幾つも入った高層建築の固い壁面ではなく、路地裏の汚く脆い違法建築だらけの襤褸屋である。足場を探すのに困ることはないが、少し力を入れただけで穴が空くこと請け合いである。

 スピードを得るため力を込めれば足場を壊しかねないし、かといって力をセーブすればスピードが得られず、とても戦闘どころの話ではない。避けようのない空中で闘おうとするより、盤石な地面を支えに全力を出した方がサーヴァントにとって遥かに闘いやすいといえよう。

 こんな場所で戦闘を可能とする程の三次元機動を行うサーヴァントなど――

 

 宮本武蔵をおいて、他に誰がいようか。

 

 足場となりうる場所を瞬時に判断する見識眼、肉体への力配分を最適値に設定する制御能力、移動に伴う空気抵抗を殺しながら逆に利用すらする曲芸機動――並のサーヴァントであれば選択肢にすらあがらぬ下策である。

 

 そんな下策ではあるが、これにより武蔵は多くの魔術師を無防備な頭上から奇襲することに成功していた。黒い少女には防がれたものの、頭上の優位に変わりはしない。

 思い出して欲しい。第五次聖杯戦争時、武蔵のライバルと名高い佐々木小次郎は、地力で圧倒的に勝るバーサーカーをして地形の優位とその技量だけでついに突破せしめぬ快挙を成し遂げていたことを。

 

「――参る!」

 

 一声叫び、さながらピンボールが壁に跳ね返るが如く、武蔵は宙へと舞い踊る。跳躍と飛翔を織り交ぜた立体的な疾走をもって人の形をした稲妻は黒い少女へ襲いかかった。

 

 ……もし、ここで無理にでも二人の勝敗を占おうとするならば、それは両者とも切れるカードに何があるのかによる。

 武蔵の奇襲を黒い少女は一度防ぎきっている。しかも今度は奇襲ではない。

 武蔵にとっても、先と今では事情が違っている。対象は二人ではなく一人である。

 そして両者とも、鬼札を出していながらその実は伏せられたまま。

 

 果たして、勝利の女神は誰に微笑んだのか。

 最後まで地に立っていた者か、

 漁夫の利を得たつもりの者か、

 全て目論見通りと笑った者か。

 決着は――

 

 



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day.01-03 放たれた横槍

 

 

 武蔵の勝利、となる筈だった。

 

 少なくとも黒い少女――バーサーカーはこの勝負、最初から負けるつもりであった。

 

 戦闘的職種である騎士や武士などと違い、殺人鬼というものは職種ではなく生来の志向である。故にバーサーカーが戦闘を目的とし勝敗に拘泥することはない。戦闘は手段であって目的ではあり得ない。

 

 この戦場でのバーサーカーの目的は、己が主であるフラットに危機感を植え付けることにあった。

 前線に出張ってくるような魔術師達の殺意を浴びれば、いかなフラットといえど現状を認識せざるをえない。仮に、これで何の変化もないとしても、戦場での彼の動きを把握することで今後の戦闘方針を練ることができる。

 

 状況を鑑みれば他のサーヴァントが出てくる心配も少なく、地形からしてバーサーカーはその能力を最大限利用することもできる。保険も三重に用意しており、これだけあれば命の保証だけはできる。

 初陣としては格好の戦場と言えよう。

 

 奇しくもその思考はキャスターのマスターと同じモノであるが、そのようなことをバーサーカーが知るわけもない。知っていたとしても、同じ結論を出すとも限らない。この戦場の異常性に気付くだけならばともかく、その核心に迫れる者などどこにもいはしないのだから。

 遅まきながらこの戦場が不自然に作られたものと気付いたバーサーカーであるが、その遅さが必ずしも損失であるとは限らなかった。

 

 衝突の半瞬前に、爆発があった。

 威力は小規模。まだわずかに距離があったため、咄嗟に反転したバーサーカーにとってその衝撃は大したものではない。問題は爆心地にいた武蔵の方。

 

 すでに武蔵の身体から勢いは殺されている。

 稲妻のごとき落雷を彷彿とさせる突進は今や影も形もない。宙に漂うその姿は重力に縛られ、ただ凡庸に地へと落ちていく最中にあった。

 

「ジャック! 受け止めて!」

 

 一体どうして、あのマスターにしては機敏な命令だと感心しながら、バーサーカーは武蔵と路面との間に割り込みその衝撃を相殺させる。

 華奢な少女の身体に戦士の肉体は相当な負担となる筈であったが――その戦士の肉体が元の半分以下になっていれば、そう難しいものでもない。

 

 宮本武蔵の右半身は、頭部も含めて欠損していた。

 右手は完全に喪失し、右足も千切れて足首から先が傍らに落ちているのみ。むき出しの肌は裂傷と火傷で赤く爛れている。体幹も半分近くがなくなり、鮮やかな色を放つ臓物が零れ落ち、辺りに死と血の匂いが撒き散らされていく。

 

 爆発の中心地はおそらく武蔵が右手に持っていた急拵えの短鎗。

 錆びた破片が残った武蔵の左半身のあちこちに突き刺さっていた。たとえ手足を失おうともそれだけで安心できぬのが英霊という存在であるが、武蔵の損傷はその域を軽く超えている。

 

 どうしようもなく、致命傷。

 

 流れ落ちる血は地に落ちるより早く散っていくが、それはまだ存命の証。動くことすら儘ならぬその身体ではあるが、末期の言葉を残すくらいの時間はある。

 

 ならば、と。

 少しでも有効な情報を引き出すべく、バーサーカーは頭を回転させる。

 

 実を言えば、バーサーカーには何が起こったのかさっぱり分かっていない。

 一見して武蔵の短鎗が爆発したように見えたが、元が鉄パイプなだけに爆発するようなものでもない。武蔵が鉄パイプを爆発させる能力を持っていれば話は別だろうが、寡聞にしてそんな能力は聞いたことがない上に、そんなミスを武蔵がする筈もない。

 元凶は武蔵ではない。当然、バーサーカー自身でもない。

 ならば、この一騎打ちに水をさした者がいるということ。

 

 思考と同速にバーサーカーは戦闘行動のため抑えていた自らの宝具を周囲へと急速展開させる。

 本来の用途とは別に使われた宝具であるが、この場においての効果は絶大。気配遮断スキルでも持っていない限り、バーサーカーの目から逃れることは不可能である。

 

「やはり、反応がないか」

 

 攻撃を受けてからまだ数秒。この絶好のタイミングに追撃もないことから、敵は近くにいない可能性が高かった。そしてバーサーカーの宝具はその推測を裏付けている。

 

 しかしそうすると、敵はどうやって狙いをつけたのか疑問が残る。

 この場は狭い路地裏である。陽もろくに差さない曲がりくねった裏通りは当然、遠方からの観測には適さない。千里眼や使い魔と視界を共有するなど、遠見の法はいくらでもあるが、いずれもこの場に相応しくないし、その反応もない。

 

 名探偵や警察としての可能性を持つバーサーカーではあるが、現状のままではその解答に辿り着くことはかなわない。有力な仮説すら導き出せていない。

 頼みの綱は武蔵の証言のみ――その口をどう割らし何を聞き出せばいいのか、バーサーカーが悩むのも無理からぬことだった。

 

「武蔵ッ!」

 

 武蔵を受け止め思考を巡らしたのはわずかに二呼吸。バーサーカーより先んじて武蔵に声を掛けたのは、マスターであるフラットだった。

 

 武蔵の左手にはまだ刀が握られたまま。瀕死の身であっても決して近づいてはならぬということをこのマスターは知らないらしい。

 苦い顔をしながらバーサーカーは、武蔵の顔をフラットに寄せることでさりげなく武蔵の刀を封殺する位置取りをする。話を遮ることもできるが、邪念のある自分より無垢で真摯なフラットの方が武蔵も口が滑りやすいだろうとバーサーカーは試算した。

 

 ただ、フラットの一言はバーサーカーの思惑を遙かに超えた結果を生み出す。

 

「――後は、俺に任せて」

 

 フラットのその一言に、武蔵の身体は動かなくなった。

 武蔵は重傷だ。ただの一時でも意識を繋ぎ止める努力を怠ればそれだけであっさりと死ぬ。大きく呼吸をし、全力で生気を身体中に漲らせる必要があった。

 それを、武蔵は止めた。

 それだけの衝撃を、武蔵は受けた。

 

 この状況であっても武蔵は残った半身をどう使うかを考えるのをやめていない。残存する選択肢はバーサーカーからみてもろくなものが残っていなかったが、可能性だけはそこにあった。

 

 バーサーカーが武蔵の顔を盗み見る。

 残った武蔵の左目はまっすぐにフラットへ突き刺さっていた。地獄の淵にあってなお諦めぬというその眼光が、そこにはもうない。

 

 武蔵の義務を、フラットが受け継いだ。

 

 宮本武蔵は、フラットの一言を疑いなどしなかった。それ程までに真摯な言葉を、フラットは紡いでいた。

 

 こうして、フラットはバーサーカーにできないことを平然とやってのけてみせる。

 

「――気をつけられよ。あれは種子島に相違ない」

 

 礼をする時間も惜しみ、フラットに、この聖杯戦争を勝ち残る値千金の情報を武蔵はもたらす。

 

「しかもあの種子島、頭上より降るように拙者の短鎗に着弾してきた」

「頭上――」

 

 フラットが上を見上げるが、そこには切り取ったような空が広がっている。

 武蔵の言葉をそのままに取れば屋上に射手がいることになるが、その可能性はバーサーカーの索敵によって潰している。武蔵にしても、頭上に何者かがいれば気付いていた筈である。

 

 それよりも、武蔵の言葉は銃弾という正体のみならず、その運用が跳弾でも曲射でもないことを示している。

 しかも、命中したのは武蔵が急遽拵えた短鎗――

 

「標的に対して自動で軌道修正する弾丸……!」

「おそらく」

 

 バーサーカーの呟きに武蔵は同意した。

 そしてそれだけでもない。

 

「拙者の宝具は拙者が利用したものを望んだ時だけ宝具化する“二天一流”というもの。あの着弾する瞬間、あの短鎗はただの錆び付いた鉄筒などでなく、立派な宝具で御座った」

 

 武蔵のあり得ない三次元機動や、英霊相手の効果の薄い武器の選択はこの宝具の恩恵によるもの。

 武器を握ればその強度が上がり、足場であれば強固な土台と化す。

 

 本来であれば使い勝手の良い、敵からは脅威となり得る宝具であるが……今回の場合、それが仇となった。

 そこそこの強度があれば弾き返すこともできただろうに、やはりパイプを宝具化してもその強度には限界がある。

 ここまでくると攻撃手段は魔術ではなく宝具の域にあるもの。

 敵は在野の魔術師でなく、サーヴァントと確定した。

 

「宝具を狙う宝具、ということか」

 

 これなら狙撃手はそもそもの標的を見つける必要もない。どんなに入り組んだ場所であろうとも、銃弾が通る隙間さえあれば必中の呪いは成就する。

 

「あれが確実に宝具を狙うとも判断はつきかねる。それこそ、サーヴァントそのものや――令呪も対象になる可能性も高かろう」

 

 対サーヴァント用とも言うべき弾丸であるが、これを少し拡大解釈すると対聖杯戦争用とも読み取れる。とするとますます安心できぬ状況と言えよう、この場にはサーヴァントと宝具のみならず、令呪を宿したマスターが『二人』もいるのだから。

 

 いよいよ時間が迫ってきたのか、武蔵の身体からは流れ出る血もなくなり健在だった足も消えつつある。

 

「しからば――後はお頼み申す」

 

 御免、とその頭を垂らし、極東の剣聖は静かに何処かへと消え去っていった。最後までその手から離さなかった武蔵拵と有名な彼の刀も、主人の後を追うように消えていく。

 後に残ったのは、彼が背負っていた荷物だけ。

 

 否。その背にあったのは武蔵がマスターとしていた東洋人の姿。

 

 武蔵が一体如何にして己がマスターを守っていたのか。その謎の正体がこれである。

 サーヴァントの傍らがこの戦場で最も安全な場所であるし、二天一流の効果もあればただの衣服も鎧同然の防御力を誇る。とはいえ、あの機動を行う武蔵についていけるわけもなく、完全に気を失っている。

 

「フラット――」

「ああ、わかってるよ。急いで手当てしないとね」

「……そう言うと思ったさ」

 

 東洋人の手の甲には令呪を使用した痕跡がある。そして令呪はまだ残っている。それが何を意味しているのかフラットは理解しているようで――まるで理解していないのだろう。

 

 溜息をついて、フラットに見えないよう握ったナイフをバーサーカーはそのまま懐にしまい込んだ。

 最初から予想していたとはいえ、万に一つもフラットが「殺せ」と命じる筈がないのである。

 

「さすがにここでの治療は後回しだ。急いでこの場から離れる必要がある」

 

 この場を巡る危機的状況に変化はない。むしろ気絶した人間という荷物がある分、悪化したともいえる。

 それぐらいは理解しているのか、フラットは進んで気絶している東洋人に軽量化の魔術を掛けて背に負ぶる。別にバーサーカーが負ぶっても良かったのだが、見た目少女のバーサーカーに背負わせるのはフラットも嫌だったらしい。

 それくらいはいいか、とバーサーカーは判断した。

 

 そしてそれは間違いだった。

 

「では、私が先導しよう。幸いにも宝具を狙う宝具とやらば私の宝具には無意味だ。安全快適なルートを提供――」

 

 その時のバーサーカーとフラットの彼我の差はほんの二メートル足らず。

 しかし、フラットのすぐ後ろには黒いローブを纏った女がいた。それこそ、手を伸ばせば触れられる距離に。

 

 瞬間的にバーサーカーは思考する。先の索敵でこの周囲に敵影がいないことは確認している。

 もし、ここに敵がいるとするならば、それは――

 

「アサシン!?」

 

 気配遮断スキルを持った(サーヴァント)に他ならない。

 

 思わず先ほど懐にしまい込んだナイフを取り出してみるが、投擲するにはフラットとの距離があまりに近すぎる。

 踵を返し、ならばと腰を屈め上体を低くしてアサシンへ突貫しようとするが、既に有効な選択肢は悉く塗りつぶされた後。

 バーサーカーが一歩踏み出すよりも先に、

 

【……回想回廊……】

 

 女の唇が、そう動いた。

 

 女の中の魔力が周囲の空間に解き放たれる。

 紡がれたのは、力在る言葉。

 善意も悪意もない無色の魔力。

 ただ消費されるだけの純粋な願い。

 魔術ではなく、それは宝具による奇跡の行使。

 

「ぐッ――」

 

 突如として発生した突風に、バーサーカーの身体が押し戻される。大した風ではないが、この一瞬においては命取りともなりかねない。

 

 果たして宝具はいかなる奇跡を成就させたのか――

 

「……消えた?」

 

 宝具の効果を確かめんと、バーサーカーは一瞬たりとも目を離しはしなかった。だというのに、女の姿はどこにもない。

 ただの見間違えかとも思いたくなるが、まさかそんなことがある筈もない。

 

「まさか。いや、しかし……!」

 

 自問自答してみるが、確かにあのサーヴァントは消えていた。

 油断無く辺りを見渡し、自らの宝具を使って今度こそ徹底的に周囲一帯を捜索する。それでも、バーサーカーはアサシンの気配を発見することができずにいた。

 

 アサシンの姿は影も形もなく、霊体化したわけでもない。

 存在そのものがその場から綺麗に消え去っている。

 彼女だけでなく。

 

 フラットと東洋人、二人のマスターと共に。

 

 



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day.01-04 地に伏せる者

 

 

 場所は同じながら、時間はほんの少しだけ経過する。

 黒いローブのアサシンと二人のマスターが消え去り、残されたバーサーカーもあの手この手を尽くした後、ようやくこの場にいても無意味だと悟り、立ち去った頃。

 

 武蔵が消滅した場所の傍ら、自らの血に伏していた屍に変化があった。

 先ほどバーサーカーと立ち会い、武蔵の不意打ちによって為す術もなく倒された魔術師である。

 左肩から入ってきた刃は鎖骨を砕き、左肺にまで達している。今も傷口から血が流れ落ち、程なく死ぬという見立て通りにその人生を終わらせようとしている――筈なのだが。

 

 もぞり、とその身体が動いた。

 

「クァハッ」

 

 邪気だらけでありながら、無邪気な笑い声が路地裏に響き渡り反響する。

 

「クァハッ! クハハハハハハッ!」

 

 子供のように、心の底から愉しそうな、それでいてどこか歪んだ笑いが木霊する。

 

 それは。

 わずか数日前の再現だ。

 

 スノーフィールド東部、湖沼地帯の別荘地の出会いと別れ。

 出会いと別れ――それは召還と殺害だ。

 そして再会と別離も、召還と殺害によって繰り返された。

 

 なれば、と屍は過去を踏襲する。

 そこに意味はない。そんな気分に浸りたいだけだ。

 

「惜しむらくは彼女に殺されず、別のサーヴァントに殺されかけてしまったことだがな! 浮気をしてしまって申し訳ないな!」

 

 アサシンのマスター、ジェスター・カルトゥーレは歓喜に噎びながら二度目の復活を果たそうとしていた。

 

「ふむ! やはり同じサーヴァントでも彼女に殺されるのと別人に殺されるのとでは勝手が違うな! やはり彼女はスマートだ! 殺し方一つとっても美しい!」

 

 上着のボタンを外して左胸部分にある紋様を見てみれば、数日前と同様にまたも黒く変色している。だがその色はアサシンに殺された時のようにどす黒くはない。もうどうにもならず再生不可能な点は同じだが、概念核が完全に機能停止するまで少しばかり猶予があるのだ。

 

 数日前と同じく黒く変色した紋様を回転させ、新たな概念核を装填した。身体つきや顔つきも変化し、まったくの別人へと変身する。同じなのは性別と、その鋭すぎる犬歯くらい。

 

「しかしさすがは噂に聞く聖杯戦争。この調子で死に続ければ概念核も足りなくなる」

 

 今回の死亡はジェスターにとっても予想外であった。

 

 ジェスターも例によって武蔵の召還に引き寄せられた一人だ。

 もっとも、その目的は他の魔術師達とは異なり、異端たる魔術師を一人でも多く排除しようとするアサシンの探索にある。令呪を持つ東洋人を狙う魔術師達を狙ったアサシンを追いかけてジェスターは動いていたのだ。とんだ捕食関係である。

 

 しかしここで思いがけず、ジェスターは先んじてバーサーカーを引き連れたフラットと出逢ってしまった。

 ここで欲を出してしまったのが良くなかったのか、ジャスターはあれこれと思惑を巡らし、何とか交渉をしようという時に、あの有様である。さすがの吸血種も日中サーヴァントから問答無用の奇襲を仕掛けられては他の魔術師同様に抵抗のしようもなかったわけである。

 

「まさか、マスターであるとも知られずに殺されてしまうとは……」

 

 運命の悪戯を感じずにはいられまい。

 ジェスターがマスターであることに、現時点ではアサシン以外誰にも気付かれていない。以前とは姿形も変わっているし、内情を多少なりとも知る弟子達もアサシンによって殺害されている。フラット達とも接点を持ってしまったが、こうして殺されたことでその認識から外れることにもできただろう。

 可能ならもう少し派手に動いた後で大勢に死んだことを認識させたかったが、それはさすがに高望みが過ぎるか。

 

 惜しむらくはアサシンを取り押さえる機会がありながら見過ごしたことだが、ジェスターはこれを前向きに解釈する。

 

「まだその時ではなかったというだけか。彼女を捕まえなかったのも、存外悪いことばかりでもない」

 

 あのままアサシンを捕まえれば、陶酔のままにうっかり殺してしまう可能性もあった。それでは本末転倒――彼女は全てにおいて黒く汚れ、白く穢れ、灰色に塗れて貰わなければ面白くない。ここは我慢をするべきところだ。いらぬ欲をかいて死ぬのは今回の一度だけで十分だ。

 

 それに、とジェスターは一連の出来事を思い返しながら自ら出した結論を追想する。

 宮本武蔵と東洋人、黒い少女とそのマスター、遠距離狙撃の宝具を所有する勢力、そしてアサシン、そしてジェスター本人。この混沌とした戦場で五つもの勢力が交叉した事実はひたすらに大きい。

 各々の断片情報だけであっても、統合すれば各陣営の内情も見えてくるというものだ。むしろこの情報を元手に他の情報を手繰り寄せることも十分に考えられる。

 

 それらを鑑みるに、アサシンについてはひとまず傍観を決め込むのも、悪くない。

 

「クハハハハハハッ」

 

 先のことを考えると、どうにも笑いが止まらない。

 楽しみで愉しみで、仕方がない。

 

 ジェスターが笑いながら胸を確認してみれば六連弾倉は残り四つ。つまりは二回しか死んでいない計算だ。

 アサシンは、やはりジェスターを再度殺してなどいない。姿形が変わっていたとはいえ、魔力供給のパスがあるのだ。これだけ至近距離ですれ違えばマスターであると分からぬ筈がない。

 

 ジェスターは、この聖杯戦争の中にあってアサシンが消滅する可能性をまるで考えていない。――それも当然。彼女の記憶を覗いたジェスターであれば、その強さは手に取るように分かる。

 

 元よりあのサーヴァントは狂信者。逆境であればあるほど、制約を科せば科すほど、その真価を発揮するタイプである。

 

 手綱を握るマスターがいない。他のサーヴァントならば致命的な条件だが、アサシンに対しては到底もの足りぬ制約だ。

 彼女に対してもっと制約が必要なのだ。目を隠し耳を閉じ手に枷を嵌め足を鎖で繋いでやらねばならない。このスノーフィールドの地に相応しいくらいに、彼女の存在を貶めてやる必要がある。

 それでようやく、彼女はその身にあった黄金にも勝る輝きを得ることができる。

 

「クァハッ! クハハハハハハッ!」

 

 幸運なことに、そのための手段は既に確立してあった。イレギュラーだらけのこの聖杯戦争であるが、やはり基本は抑えているようである。

 

「令呪が効いている確認がとれただけでも良しとしよう!」

 

 そういって笑いながら立ち去るジェスターの手に令呪の輝きは――

 

 すでになかった。

 

 

 



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day.01-05 最悪の可能性

 

 

 スノーフィールドの北部、渓谷地帯には数多の洞窟が存在している。

 

 一見すると開拓時代の炭鉱のようにも見えるが、残念なことにスノーフィールドにそうした鉱物資源が採掘されたという記録はない。

 地質学的にもそうした旨みがないことが証明されているにも関わらず、蟻の巣の如く張り巡らされた幾つもの洞窟がある理由は……実のところ誰にも分からない。

 

 何故ならこの洞窟が掘られたのは少なくとも数千年以上前の話だ。いずこの者が一体どのようにして掘ったのか、その回答は長い年月とその間にあった争乱とによって失われている。

 

 内部は迷宮同然の複雑さで、深さは合計すれば優に数十キロ以上あり、最深部には直径一〇〇メートルを超える大広間まである。おおよそ人間業でないことを考えれば、神代の時代に掘られた可能性すらあった。

 

 ティーネ・チェルク率いるスノーフィールドの原住民は、住処を追われて以来七〇年に渡ってこの洞窟を拠点として活動を続けていた。

 

 崩落せぬよう内部の空間を補強し、水と空気を循環させ電線を引き、常時数百人が生活する様は街そのもの。だが、ここに武器弾薬が持ち込まれ、屈強な若者が巡回し、外周に罠が設置されるようになるとこれは街というより要塞のそれに近い。

 

 ティーネがその報告を受けたのは、そんな要塞の深部にして中心部、族長である彼女の執務室とでもいうべき豪奢な部屋である。

 

「全滅……!?」

 

 部下から上がってきた報告書を一読し、ティーネは思わず絶句した。

 これは珍しいことだ。普段であれば、彼女は親兄弟が唐突に死んだとしても冷静に対処することができる。それは十分予想の範囲であり、そのための対処を彼女は決して怠らないためである。

 前族長であった父の亡き後、他の兄弟姉妹を差し置いて幼い彼女が族長に選ばれ何の文句も出なかったのは、その身に溢れる力以外にそういった点が評価されてのことである。

 しかしなまじ優れているだけに計算外のことには、殊の外弱い。計算はできても、経験は圧倒的に足りていないのだ。

 

 そんな彼女の珍しい所作に、愉悦の視線を向ける者がいた。

 燃え立つ黄金の髪に紅玉の如き双眸。彼女をマスターとするサーヴァント、アーチャー、英雄王ギルガメッシュである。

 

 笑い声こそ上げぬものの、アーチャーの口は喜悦に歪んでいた。期待せぬ晩餐の余興で愉しみでも見つけたようである。

 

「少しは幼童らしい態度をとれるではないか」

「……失礼を致しました」

 

 顔を赤らめることすらなく、彼女はまた元の彼女へと戻っていく。

 

 ティーネは部族再興のために幼少時から指導者たらんと英才教育を受けている。

 それは彼女以外の族長候補も同じではあったが、特にティーネはその才覚が目覚ましかった。目的のため親兄弟、そして自らも歯車の一つとして使い潰される覚悟を彼女は最初から持ち合わせていたのである。

 天性の才覚と英才教育は彼女を機械の如く成長させたが、完成には至っていない。自らが自由に出せるほど残ってはないが、捨てきれていない感情はひょんなところで出てくるのである。

 

「よい。……しかし、面白そうな話をしたな。申せ」

 

 アーチャーは部屋の中央に置かれたソファーに寝そべりながらこの地の酒を味わっていた。アーチャーのために用意させたスノーフィールドで最高級のものであるが、英雄王の前では安酒も同然――ともなれば、王が肴を求めるのも道理である。

 探し求める肴に全滅の二文字はいかにも丁度良い。ティーネが多少なりとも動揺してみせた案件であれば尚更であろう。

 

 ティーネはしばし話すかどうか迷ったが、アーチャーの機嫌を損ねるとそれはそれで困る。適当に誤魔化すことも考えたが、後々のことを考えるとそれも良い選択肢とは呼べなかった。

 

「……先ほど、私の指示で街中に配置してあった戦士達が全滅いたしました」

「ほう。そんなものがいたか」

 

 言葉を選ぶティーネにアーチャーは戦士達を労うこともなかった。臣下が王に尽くすのは当然である。その点については、実はティーネも同意見である。

 直接指揮しているティーネにとっても彼らは都合の良い駒ではあるが、同時に使いづらい駒でもあった。血気盛んで無鉄砲な彼等は暴走する可能性の非常に高い急進派であり、族長直轄部隊という肩書きによって仕方なく抑えていたに過ぎない。

 

 そんな彼等にティーネが与えていた任務は、他のサーヴァント陣営及び潜伏中の魔術師達について、スノーフィールド市街で情報収集を行うこと。

 スノーフィールド内での情報網は確立しているが、いかんせんそれは非武装地帯に限っての話。そのため彼らの主な任務先は銃弾が飛び交い、魔術が牙を剥く危険地帯への潜入調査にある。

 彼等を使うには――使い潰すには、ぴったりの場所である。

 

 そうして、街中で暴れるサーヴァント、そしてそれを狙う魔術師や他のサーヴァント勢の情報を掴もうと彼等は戦場に乗り込んでいき――

 

 予定通り、全滅となった。

 

「同時に、街中に潜伏していた他勢力の魔術師共も多くの犠牲が出たとの報が届いております。敗残兵が協力しまとまる様子もなく、現在残存戦力の掃討を実施しておりますが、程なく終了する見込みです。

 これにより事実上サーヴァントを擁する陣営だけが残ったことになります」

 

 投入していた戦士を失ったとはいえ、他にもまだ優秀な戦士はいるし、情報網への損害も皆無である。むしろ余計な情報源が淘汰されてやりやすくなったともいえよう。これで更に原住民の有利が決定的になったことになる。

 

「我が手を下す必要がなくなったのは結構なことだ。どこの暇人かは知らぬが、褒めてやるのも吝かではない」

 

 この偽りの聖杯戦争において、英雄王が最も嫌ったのが街中に蔓延る魔術師達の存在である。

 対魔スキルを持つサーヴァントに並の魔術師が相手になる筈もないが、高位の魔術師においてはその限りではない。

 サーヴァント相手にマスターを守るだけならまだしも、有象無象の魔術師をいちいち蹴散らすのはただひたすら面倒なだけだ。

 単独行動スキルを持つとはいえ、マスターを失うのもアーチャーとしても面白くない。かといって狙われるマスターを守るのも彼の主義ではない。

 

 もしここに事の発端である武蔵が現れたのなら、案外本当にこの英雄王は褒めていたのかも知れない。

 

「…………」

 

 それっきり押し黙るティーネを横に、アーチャーは酒を口内で転がしてみる。

 ただの安酒と最初は馬鹿にしていたが、こうしてみると中々に趣のある味である。古今東西酒を注がせるのは美女と相場と決まっているが、肴にするにはティーネのような者が丁度いい。

 

 酒にはそれぞれ相応しい飲み方というものがある。

 アーチャーが手にしている酒は濁っている。中に異物が混入されていたとしても、これでは気づくまい。だが、例え見た目には分からずとも口に含んでしまえば味を誤魔化すことなどできはしない。

 

 ふと、アーチャーは惜しいと思う。ティーネが成人していれば閨で彼女を辱めるのも一興だっただろう。

 泣き叫ぶ姿を見たくないといったら嘘になる。

 

「賢しい真似はよせ。それだけではなかろう……?」

 

 核心を突かれ、ティーネは己の血が逆流するのを感じ取った。黙っていたのが不味かったのか、臣下が王の顔色を窺うように、王が臣下の顔色を読むのも当然だ。

 

「臣下の奸計は巧妙になればなるほど、その様を我に愉しませてくれる。お前のような小娘如きが我を謀ろうとするのも見物だが、興を削ぐ真似を許すほど我は寛容ではないぞ……?」

 

 それは騙すならもっと上手く騙せというアーチャーなりのダメ出しであったが、ティーネからすると下手な言いわけをするなら首を刎ねるという意味合いにもとれた。死ぬことに対する恐怖はないが、死ぬことで目的が達成できぬ未練はある。

 

「……申し訳ございません。王の耳に入れるまでもないと判断致しました」

「言い訳などどうでもよい。事実なども捨て置け。お前は、何を思って言葉を隠さんと企んだ?」

 

 アーチャーの興味は、情報よりもティーネにあった。

 かつてのアーチャーのマスター、遠坂時臣はアーチャーの無聊を慰めるような男ではなかった。それは彼が生まれながらの魔術師であり、王たるギルガメッシュの興味の外に心血を注いでいたからに他ならない。

 自らの目的に邁進していく点ではティーネも同じではあるが、理知的に目的に突き進む魔術師として完成された時臣と違い、ティーネには幼さ故に時臣にはない迷い悩む余地がある。

 

 (メッキ)の仮面を剥がし落とす様も見物であろう。

 若さ故の苦悩は凡作の歌劇に秀でるものだ。

 

 特に、身近で観察するには都合がいい。

 

「では、事の経緯を説明させていただきます」

 

 そんなアーチャーの考えを知ってか知らずか、ティーネは一礼し事の経緯を説明し始める。

 

 実を言えば、ティーネ達スノーフィールドの原住民は二十八人の怪物(クラン・カラティン)よりも先にスノーフィールドに入った東洋人の姿を捉えていた。

 だが発見した者が非戦闘員だったために接触せず指示を待っていたことで、二十八人の怪物(クラン・カラティン)に先を譲る形となっていた。そのおかげもあって、サーヴァント召喚後についてはほぼ万全の装備で情報収集に挑むことができていた。

 肝心の武蔵本人に接触することそのものは適わなかったが、武蔵に襲われ撤退中の魔術師チームを捕縛することによって情報を得ることに成功している。捕縛の際に負傷者が出たものの、誰一人欠けることなく任務を達成できたので上首尾といえよう。

 

 問題は、この後に起こる。

 

 そうして戦場で得た情報を受け取った伝令役によると、彼らは周囲の魔術師達の情報を集めてから撤収すると言っていたらしい。欲が出たのかどうかは分からないが、それだけその戦場での情報収集が魅力的であったことは確かだ。族長直轄という立場も相まって、伝令役もおいそれと口を出す真似はしなかった。

 

 そして――彼らが戻ることはなかった。

 

 遺体は見つかっていない。だが約束された時間になっても帰っておらず、その足取りもようとして掴めない。

 単純に脱走した可能性もあるが、彼らにそのような兆候はなく、金も家族もそのままに残っていた。彼らの属す急進派にも探りを入れてみたが、匿っている様子もない。

 状況証拠から、彼らが誰かに消されたことは明らかだ。

 

 念のためにと他の魔術師グループも調査してみれば、ほとんどがその行方を追うことができない。同時刻に警察が麻薬グループとの交戦をしたという情報も入っているが、その麻薬グループが魔術師だったとしても、ティーネ達が把握している人数とではかなりの差がある。

 

「何故失踪と全滅を結びつける?」

「他の魔術師に対しては推測でしか話せませんが、我らスノーフィールドの民であれば、この地にいる限りその生死を追うことができます。昨夜確認された人数と、先ほど確認した人数。その差は失踪した戦士達の数と一致しております」

 

 強力な結界内であれば例え生きていても捕捉することはできないが、そこに期待するわけにはいくまい。彼らが生きてる可能性は限りなく低く、聖杯戦争の最中にあっておいそれと大規模捜査できるわけもない。

 

「これは別件ではありますが、スノーフィールド市内だけでなく東部湖沼地帯の別荘に居を構えていた魔術師、ジェスター・カルトゥーレもその弟子もろともに失踪していたことが確認されています」

「何者だ?」

「確認はとれていませんが、マスターの疑いのある強力な魔術師です。しかし手練れのジェスターはともかく弟子まで姿が追えないとなると、何者かによって消されたと考えるのが妥当です」

 

 ジェスターの行方を探すに当たって、ティーネは場合によっては別荘に直接乗り込んででもジェスターと弟子の姿を確認するよう指示していた。魔術師の工房に乗り込むなど本来ならば愚挙ともいえたが、それに見合った対価を得ることができた。

 

 無茶を承知で別荘の中を確認してみたところ、人のいる気配がまるでない。更に中へと踏み込んでみれば、そこは儀式にでも使ったのか白骨化した死体が十体ほどあっただけ。しかし現場の形跡からここを立ち去ったのはせいぜい一人か二人。金銭や装備の類もなくなってる様子がなく、バイクや自動車といった移動手段についても鍵ごとそっくりそのまま残されていたという。

 

 ジェスターについてはアサシンが全ての元凶であるのだが、そんなことをティーネが知る由もない。

 弟子の死体をジェスターが骨だけ残して綺麗に始末してしまったことで、ティーネは一連の失踪と関連づけてしまっていた。血の一滴でも残っていれば話は別だったのだろうが、まさか白骨化した死体が当の弟子だったとは考慮の外だ。それをティーネの落ち度とするのは酷だろう。

 

 スノーフィールドに入っている魔術師の中で五指に入る使い手と目されていただけに、彼の失踪はティーネを次の結論へと持って行く。

 

「サーヴァントの中に、王を殺せる者がおります」

 

 



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day.01-06 気をつける

 

 

 ティーネが出した結論は、英雄王殺しの可能性だった。

 

 自らも駒の一つと言い切れるティーネにあって、たかが一部隊の全滅など予想外どころか織り込み済み。彼女が真に動揺したのは、英雄王の寝首を欠ける存在がいるという一点のみ。

 ティーネが出した結論に、アーチャーは特に憤ることなく、黙って視線をティーネに返した。続けろということらしい。

 一抹の安堵を覚えながら、あくまで可能性だと前置きしてから、ティーネは話を続ける。

 

「先のジェスターの件と、此度の戦士達の失踪。一連の出来事の規模を考えますと、これはただの魔術師が仕掛けているというより、サーヴァントの仕業と考えるのが妥当です」

 

 一人や二人だけならまだしも、現時点でかなりの人数が行方不明となっている。闇雲に魔術師を狩っているというよりは、ソウルイーターとしてかなり大規模に魔力を集めていると考えるべきだ。

 それも、肉体ごと消化するような大食らいである。

 

「それだけでなく、あれだけの数の魔術師を誰に気づかれることなく屠り吸収したとするなら、その筆頭は隠密活動を得意とするアサシンに他なりませんが――」

 

 もちろん、ジェスターがマスターであることを確認できていないティーネに誰がアサシンを召還したのかわかる筈もない。

 が、ここにティーネにとって誤解して無理からぬ判断材料があった。

 

 サーヴァント・宮本武蔵の存在である。

 

 武蔵の情報をティーネは伝令役から手に入れている。武蔵の戦法や能力はあの戦場を脱した多くの魔術師が把握しており、この段階で手に入れずともそう遅くないうちに手に入れていたことだろう。

 正体を知れば、その逸話から能力値を逆算し、それに合わせたクラスを推測するのは当然だ。相手のクラスを特定できれば必然的に他のサーヴァントのクラスを絞り込むことができる。

 

 宮本武蔵――サーヴァントとしての格は高くない。魔力もかなり低く、技術はともかくとして宝具らしい宝具も持ち合わせているようには見えない。

 頭上からの奇襲、卓越した剣技、多数を相手取る心得、そのいずれも高い評価をせざるを得ないが、サーヴァントとして見ればどれも決め手に欠ける。状況から考えるにスキルとしては気配探知、気配遮断、戦術眼といったところか。いずれも正面から正々堂々戦うタイプではない。

 投擲術も得意としているようだがアーチャーのクラスはギルガメッシュによって埋められている。ランサーのクラスも英雄王の口からエルキドゥとも聞いているのでこれも違う。バーサーカーのクラスにもそぐわない。五輪の書を著したことからキャスターのクラスは考えられるが、ああも直接戦闘に及んでおきながらその可能性は低かろう。背中にマスターを背負っていたと情報はあったが、ライダーという風にも見えない。

 第五次聖杯戦争に召還された佐々木小次郎の好敵手ということを併せて考慮すれば、もはや答えはひとつしか出てこない。

 

 宮本武蔵を、ティーネはアサシンと推察していた。

 

「そのアサシンにそうした魂喰いの能力がないことは確認できています。それにああも派手に動きながら現場から逃走した様子がないことと魔力反応が途切れていることから、アサシンはあの場で脱落してしまったと推測されます。

 となれば現状、アサシン並の隠密性を有したサーヴァントがこの街に潜んでいることになります」

 

 ティーネのこの結論を、一笑する者はスノーフィールドのどこにもいまい。そもそもこの“偽りの聖杯戦争”には複数の思惑が深く複雑に絡み合っている。そのため全体像を把握している者など黒幕も含めてどこにもいやしないのだから、無理からぬ誤解である。

 

 だが反面、的を射た推察もある。

 もし英雄王と相対するならば、付け込むべきはその油断と慢心に他ならない。

 

 例えばの話ではあるが、「虚数」と「吸収」を掛け合わせた「影」といったものがあれば、状況次第で英雄王を数瞬で倒してしまうのも十分に可能だと彼女は判断した。

 そのために彼女はまず驚異となる可能性がないことを確認すべく調査をしたわけだが……。

 この事件、最悪の想定である「影」がいる可能性が飛躍的に高まる結果となった。

 

 「影」についての推察は口に出さなかったが、その意図は十分に伝わっていよう。ティーネが平伏したことで報告は終わりだ。これ以上は子細を告げるにしても蛇足だろう。マスターとして、サーヴァントに余計なことまで言いたくはない。

 

「なるほど」

 

 と、英雄王は口にした。

 平伏するティーネからアーチャーの顔を伺うことはできない。

 

「我に斯様なサーヴァントがいるから気をつけろ、いつ何時どこからやってくるかも分からぬならず者に対し注意警戒せよ、と言うわけだな?」

「……御身を大事にすることが現状で最良の方策と心得ます」

 

 英雄王の意地の悪い言い方にティーネは言葉を選ぶ。

 

 ティーネとしてはまだ何も分からぬ「影」の如き存在について、詳細な情報を手に入れたい。正面切って戦う限り、この黄金のサーヴァントに敵う者などそういるわけがないが、正面切って戦わない者に対してはその限りではない。

 

 対処策を練るのはマスターたるティーネの仕事だ。

 しかし、そのためにはこの暴君と名高いギルガメッシュには大人しくしてもらう必要がある。

 奇襲を受けるような場所には行って欲しくないし、街中で事件を起こすような真似も遠慮願いたい。唯我独尊を地でいくサーヴァントがこちらの都合をどこまで慮ってくれることか。

 が、そんなティーネの思惑を余所にアーチャーは軽く応える。

 

「ふん。まあよい。気をつけることにしよう」

「………………」

 

 意外な返答に、ティーネは次の言葉を出すことができずにいた。

 あくまで可能性の話だ。ティーネ自身も全部当たっているなどとは考えておらず、ランサー以外に英雄王と正面から互角に戦えるサーヴァントがいる可能性は現状で一割以下。仮定に仮定を重ねた「影」の存在については可能性が高まったところで一パーセント程度でしかない。

 話せば激昂する、少なくとも機嫌は悪くなるだろうと踏んでいただけに、ティーネとしては拍子抜けである。

 

「俄然面白くなってきたではないか。確かに、我の身体こそがこの世で最も大事にすべきものだ。あやつと再会するまでは万に一つもあってはならんことだ」

 

 言って、すっくとアーチャーは立ち上がった。

 自然な動作である。まだ短いつきあいではあるが、普段から英雄王の行動そのひとつひとつに注意を払っているティーネから見ても、特に何ら変わったこともない。あくまで自然体であるが――その所作に、ティーネの全身に果てしなく嫌な予感が駆け巡っていた。

 そしてもちろん、嫌な予感は嫌な事実として確定することになる。

 

「何を呆けている。出かけるぞ」

「――は?」

 

 間抜けな声だ、とティーネは自分でもそう思う。だがそれより何より理解しがたい言葉が告げられたように思える。

 言葉の意味を咀嚼するのに時間が欲しいティーネを余所に、アーチャーはティーネを待つような真似はせず、正に王者の貫禄を持って外へ通ずる道を行く。

 王の出陣とでも名付けたい様相ではあるが、ティーネの目にはその後ろ姿が仕事終わりの労働者のように見えている。

 戦というより歓楽街へ赴くかのよう。

 

「一体、どちらへ行かれるおつもりですか?」

「決まっておろう。その不可解なサーヴァントとやらを退治しにいく」

「………っ!?」

 

 当然とばかりに応えた英雄王の言葉に、今度もまた彼女は絶句する。

 たった今、このサーヴァントは気をつけると言ったばかりだというのに!

 ティーネの心の叫びがアーチャーに届く筈もない。届いたところでアーチャーが頓着する筈もない。

 

「サーヴァントでなく魔術師を喰らうというなら、まだ幼い小物に過ぎん。でかくなった化け物相手をするのも一興だが、それを待つのは性に合わん」

 

 言われてみれば、そうかもしれないが。

 

「ま、待ってください! せめて! せめて私を共に――」

「当然だ。貴様でなければ一体誰が街を案内するというのだ」

 

 先行する英雄王に慌ててティーネはついて行く。

 本来、サーヴァントに一番気をつけるべきはアーチャーではなく、マスターである彼女自身だ。サーヴァント不在のところを狙われてはいくら気をつけていたとしても対処のしようがない。特に、誰に気づかれることなく痕跡もなく魔術師を消し去っていく者であるなら、尚更。

 

 ちなみに、彼女を共に付けることがアーチャーにとっての「気をつける」にあたるのであるが、予想外な事態に弱いティーネがそのことに気づくにはまだ少し時間がかかるようである。

 

 



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day.01-ステータス更新

 

 

day.01-01 市街地混戦

 

 ついに始まった“偽りの聖杯戦争”、その初戦は昼間の市街地で行われた。

 このあまりにイレギュラーな事態に後手を踏む署長は急ぎ二十八人の怪物(クラン・カラティン)を現場に急行させようとするが、そこにキャスターは待ったをかける。キャスターの助言を頭に入れながら、署長は新たな命令を下す。

 

 

day.01-02 宮本武蔵

 

 市街地に召喚されたサーヴァント・宮本武蔵は、マスターの令呪を狙う魔術師達と戦闘を繰り広げていた。その武蔵が七度目の戦闘で出逢ったのは、バーサーカーとフラットのペア。偽装能力を持つバーサーカーを、武蔵は強く警戒する。そして狭い路地裏を利用した三次元機動で再度バーサーカーと激突しようとする。

 

 

day.01-03 放たれた横槍

 

 激突しようとしたその瞬間、宮本武蔵は謎の一撃を受け重傷を負ってしまう。武蔵の意志を引き継ごうとするフラットに、武蔵はこの謎の一撃を『宝具を狙う宝具』だと告げて消滅する。武蔵消滅後、急ぎ脱出しようとするバーサーカーであるが、フラットの傍には突如現れたアサシンがいた。警戒していたはずのバーサーカーの目の前で、アサシンはフラット達をあっさりと誘拐してみせる。

 

 

day.01-04 地に伏せる者

 

 アサシンにフラット達が誘拐された少し後、武蔵に倒され死んだふりをしていたジェスターは状況を正しく認識していた。この場で様々な勢力図が入り乱れていることを確認し、ジェスターは暗躍を開始する。

 

 

day.01-05 最悪の可能性

 

 昼間の市街地戦闘の報告を受け、ティーネは絶句する。その様子を見たアーチャーは酒の肴にティーネを詰問する。街中の情報網や手駒からの情報から、ティーネは「最悪の可能性」に思い至っていた。

 

 

day.01-06 気をつける

 

 ティーネは街中の失踪事件やジェスター一行が行方不明になっていることから、アーチャーを倒せるサーヴァントがいると推察していた。そんな最悪の可能性を聞いたアーチャーではあるが、予想に反して特に機嫌を損ねることもなかった。そして、何故かアーチャーはティーネを共に夜の街へと繰り出していく。

 

 

-------------------------------------------------------------------------------

 

 ステータスが更新されました。

 

-------------------------------------------------------------------------------

 

 

 ◆サーヴァント

   『アーチャー』

     所属:原住民

     状態:――

     宝具:――

 

   『アサシン』

     所属:――

     状態:異常発生(詳細不明)

     宝具:回想回廊

 

   『バーサーカー』

     所属:――

     状態:異常発生(詳細不明)

     宝具:???

 

   『宮本武蔵』

     所属:――

     状態:消滅

     宝具:二天一流

 

 

 ◆マスター

   『ティーネ・チェルク』

     所属:原住民

     状態:――

     令呪:残り3

 

   『署長』

     所属:二十八人の怪物(クラン・カラティン)

     状態:精神疲労(小)

     令呪:残り3

 

   『ジェスター・カルトゥーレ』

     所属:――

     状態:死亡×2

     令呪:残り0

 

   『フラット・エスカルドス』

     所属:――

     状態:誘拐

     令呪:残り3

 

 



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day.02-01 目覚め

 

 

 長く、彼女はその痛みに耐えてきた。

 

 身体が傷ついていたわけではない。

 病魔に冒されていたわけでもない。

 この痛みは――存在するための証。

 

 生きる、ということはそれだけで茨の道を歩むことだ。

 喜びがあり、苦しみがある。それこそが生きるということ。

 だが、果たして彼女の生に喜びがあったのかどうか。

 

 彼女の人生は全て神のためにあった。

 その過程における悦楽は圧倒的に少なく、神に捧げられるものではない。

 その過程における苦痛は圧倒的に多いが、神に捧げていいものではない。

 神のためと叫びながらも、その実彼女は神へ何も捧げてはいない。

 狂信者と呼ばれながらも、その実彼女は神へ己を捧げてはいない。

 ただひたすらに、必要とされるその日のためだけに、彼女は邁進していた。

 

 結論として、彼女が神に求められることはついぞ来なかった。

 彼女がいじめ抜いてきた体は、全て無駄に終わった。

 彼女が得てきた十八の秘技は、全て徒労に終わった。

 彼女が長年培ってきた信仰は、何の意味ももたらさなかった。

 

 それでいい、と彼女は死の間際に思った。

 自身が必要とされる状況でない、そのことに満足した。

 

 彼女の存在を恐れた長老達は、彼女を封じ込めることにしていた。

 暗殺者と育てながら一切の仕事を与えなかった。

 血脈を絶つため生涯男と交わらせなかった。

 後継者すら残さぬようその秘技を次代へ継がせることすらも禁じた。

 後世の記録の中にすら――彼女の存在はどこにも記されていない。

 

 自身の生きた証をついぞ残すことなく、彼女は誰に看取られることもなく旅立った。

 もう二度と目覚めることはない。

 そう思えば、自身の生涯としては、そこまで悪いものではなかった、と思いながら。

 

 

 

 

 ……音が聞こえていた。

 耳慣れない異国の言葉と靴音と楽しげな笑い声。規則正しく刻まれる時計の音に、時折交わる鳥の囀り。

 

 ぼんやりと、耳だけを覚醒させていた。まだ頭には霞がかかっている。手足は未だ覚醒に至っておらず、呼吸ひとつに激しい疲労感すら覚える。意識がそのまま沈んでしまうのも、時間の問題かと思えた。

 だと言うのに、彼女の目覚めを認識させた声が、間近で聞こえてきた。

 

「ああっよかった! 気がついたみたいだね!」

 

 一体どこから判断したのか。外観的には何の変化もなかった筈。覚醒にはまだしばしの時間が必要だと判じ、このまま無視を決め込むも、声の主はそれらをまとめてきれいに無視してみせた。

 

「っ、――――――」

 

 口元に、水が運ばれた。

 渇いた喉に確かに水は心地よく、不覚にも幾ばくか口へ含んでしまう。決して多くはないそれは体に乾きを自覚させ、それ故に彼女の意識を急速に表層へと押し出すことに成功していた。

 

「――ぁ」

 

 遠慮なしに含まされた水を嚥下し、二度と目覚めぬと思っていた瞼をうっすら開けてみれば、そこには見知らぬ天井が存在した。

 気温は温かく、日は既に高い。カーテンすらない窓から空気が流れ込み、彼女の前髪を撫で伝う。

 

 彼女が寝ていたのは、固いスプリングながら確かにベッドと呼ばれる寝具の上だった。汚れてはいるがこの部屋唯一の布生地の存在を自らの上に感じながら、彼女はゆっくりと確実に意識をその身体に浸透させていく。

 

「大丈夫? 長い間目を覚まさないから心配したんだよ!」

 

 傍らで騒いでいたのは、水差しをもった青年。再度水差しを口元に持ってこられるがそれを彼女は首をふって断った。まだ体は水分を欲していたが、満たされることには抵抗がある。

 

「――あなた、は?」

 

 聞いて、彼女は青年を観察すると――身体の覚醒に引きずられるように記憶も朧気ながら甦り始めた。

 記憶を辿り、心当たりであるところの、彼の手に浮かび上がった刻印に注目する。

 莫大な魔力が秘められた、三画の独特な模様。

 令呪。

 

「俺の名前はフラット。フラット・エスカルドス。この聖杯戦争でバーサーカーのマスターをしているよ」

 

 実にあっけらかんと、フラットは彼女――アサシンに自身の正体を明かして見せた。

 そういえば、とアサシンははっきりと思い出す。

 確か、マスターを二人浚ってきたのだったか。

 その内の一人が、この男。

 

「――っ、あ……?」

 

 身体が反射的に動こうとしていた。何をしようとしたのか、アサシン本人にも分からない。そして分からぬままに、彼女はその瞬間雷に打たれたかのように、その身体を震撼させる。

 

「あっ、ぐっ――」

 

 我が身を蝕む電流はすぐに収まるが、胸元の激しい痛みは収まらない。痛みには慣れている筈だというのに、今日の自分は何故だか痛みを逸らすのが下手である。これは一体どういうことだろうか。

 まるで自分が自分ではないみたい。

 

 ベッドから起き上がるのも難しいアサシンをフラットが介助する。礼をする間も惜しんで自身の胸元を覗き見れば、引きつるような痛みの上から回復呪詛を描かれた包帯が幾重も巻かれている。

 

 二人を浚う直前に、あのサムライサーヴァントの爆発に巻き込まれた影響だ。あの爆発で武蔵の短鎗の破片が胸元に食い込んだのだ。

 

 あの時、アサシンは武蔵の傍で霊体化して気配を殺して隠れ潜んでいた。爆発のあった瞬間も敢えて防御することもなく、酷い怪我を負いながらも気配遮断を続行していたのである。そのおかげでバーサーカーの探索も潜り抜け、あのベストなタイミングで二人を浚うことができたのだ。

 

 が、こうして時間が経ってみるとアサシンの予想よりも遙かにダメージはでかい。収穫はあったが、その後二人を拘束することもできず倒れたことも考えると、これはまぬけとしか言いようがない。

 

 自らの不調をそう解釈し、アサシンは自身の身体を急ぎ調査してみる。

 服を着ていないのは些細な問題だ。身体のあちこちにダメージがあるが、そこまで問題ではない。問題となるのは胸元にうけた傷だ。これだけで彼女の能力を三割近く低下させている。完全回復にはまだ数日ほど必要とするだろう。そして一番の問題である魔力については……

 

「ごめんね、手当するにも服を脱がさなくちゃならなくて……」

 

 フラットは顔を赤らめアサシンから目を逸らしながら、手当てしたことではなく服を脱がしたことを詫びていた。何かずれている印象を受けたが、この事態に比べてみれば些事に過ぎない。

 彼女はフラットを鋭く睨み付けながら、詰問する。

 

「それについてはかまいません。それよりも……これは一体、どういうことですか?」

「これって?」

 

 アサシンが言わんとするところに心当たりがないのか、フラットは首を傾げる。

 彼がしたことといえば、この場に連れて来られるのと同時に倒れた彼女を介抱しただけだ。サーヴァントだから親しくなりたかったし、傷を癒やす術を持っていたから治療した。彼にとって、それは何ら問題のない行為である。

 

「惚けないでください。誤魔化さないでください。巫山戯ないでください」

 

 アサシンが激高するもフラットに響いた様子はない。それが、ますますアサシンをいらだたせる。

 引きつるような胸の痛みを忘れたかのように、アサシンは声を荒げた。

 

「何故、私の魔力が全快になっているのですか……!?」

 

 アサシンの言葉通り、現在の彼女の魔力量は召還された時と同じ、いや、それ以上の魔力を体内に留めていた。

 思い出してみれば、彼女がそもそも倒れてしまったのは蓄積された疲労と胸元の一撃、そして召喚後から幾度となく使用してきた宝具による極度の魔力低下が原因である。ここまで深刻な魔力不足になれば例えマスターから魔力が供給されていたとしても一朝一夕に回復するわけがない。

 

「――ああ。うん」

 

 そんなアサシンの疑問に、フラットはまたも軽く、事実を告げる。

 

「怪我の治療に必要だったから、君と僕とでパスを繋げたんだよ」

 

 ごめんね、とフラットは舌を出してちょっとした悪戯程度の謝罪を彼女に告げた。

 無論、この行為がいかに出鱈目なことか、この聖杯戦争の全てを壊そうとした彼女であっても理解できる。

 

 この男は、あろうことか令呪による束縛なしで、サーヴァントと契約したのである。

 

 これには、二つの偶然が重なっていた。

 一つは、彼女とそのマスターであるジェスターが完全な契約を交わしていなかったことだ。不完全な契約によってパスが安定せず、第三者が介入できる余地を残してしまっていた。

 もう一つは、フラットがこのマキリが完成させた令呪の契約システムを少なからず把握していたことがあげられる。第四次聖杯戦争にマスターとして参加したフラットの師の師であるケイネス・アーチボルトはこの契約システムを解析し、その魔力供給パスと令呪の命令パスを分割することに成功していた。その時の資料をフラットは断片だけであるが時計塔で見た覚えがあったのである。ケイネスの孫弟子である彼だからこそ、このような偶然が生まれたともいえる。

 

 とはいえ、状況的・技術的に可能であるとしても、敵サーヴァントを助けるフラットの思考は常識的に考えて理解しがたいものなのは間違いない。

 令呪による命令パスを同時に繋げるならともかく、魔力供給パスだけを繋げることに意味はない。

 サーヴァントは令呪があるからこそ仕方なくマスターに従うのだ。命令権のないマスターは、殺されないとしても死なない程度に眼を抉り耳を潰し喉を斬り四肢を潰され拘束されたとしても文句は言えまい。

 

「正気ですか、あなたは……」

「だって怪我してたしさ」

「この程度の傷ならばまだ幾ばくか猶予があります」

 

 アサシンの言葉ももっともだ。

 確かに無視していいダメージではないが、今すぐ消滅するほどのものではない。消滅までに猶予があれば、手段を選ばなければいくらでも対処ができる。

 ましてやフラットはすでにバーサーカーのマスターである。バーサーカーに加えてアサシンにまで魔力供給をしようとすれば、負担は単純に二倍――どう考えても数日中に自滅するのがオチである。

 

 けれども、そんなアサシンの言葉にフラットは首を横に振った。

 

「関係ないよ。他人が傷ついていて、自分には治す術がある。なら、俺は治してあげようって思うんだ。

 だって、痛いのってイヤじゃない?」

 

 そんな的外れな意見ではあったが、フラットの言葉に嘘偽りはなかった。そこに自身が殺される可能性を欠片も考慮していない。思いつきさえしていない。純粋なる善意だけで、彼はアサシンを救うことに決めたのだ。

 馬鹿げた行為と人は笑うだろう。だが、そんな愛すべき愚か者を彼女は幾人も見てきたのだ。

 

 自身のことを顧みず、ただ純粋に人のために尽くす者達。

 彼らの多くはアサシンとは異なる教えと異なる神を持っていたが、その行為そのものを間違っているとは思わない。憎むべきは異教と異端、そしてそれを扇動する者であり、その信徒本人ではないのだ。

 

 この青年を殺したくはない。

 聖杯戦争を破壊することがアサシンの目的であり、その意味では目の前にいるフラットは破壊目標の一つではある。とはいえ、この愚かなまでの善意を見せつけられては例え異教徒であろうと無闇に殺すのはアサシンの意に反している。

 

「……もし、生きてこの戦争を脱することができたなら、改宗することを薦めます」

「? よく分からないけど、考えておくよ」

 

 アサシンの薦めにフラットは軽く頷いてみる。宗教に関して特段興味はないが、それでも神と名のつく者に敬意を示す程度のことはできる。

 フラットの答えにアサシンは安堵した。

 これで心置きなく、

 

 彼を排除することができる。

 

「どうし――」

 

 アサシンの異変を感じたのか、フラットがわずかにアサシンの側へ身体を傾け、アサシンが伸ばした手を何の疑いもなく握りしめた。異変を攻撃と思わないことに一抹の裏切りを覚えながら、彼女は力在る言葉を発した。

 

【……構想神殿……】

 

 一瞬、周囲に風が発生した。それは彼女が漏れ出た魔力の余波だ。そよ風程度ではあるが、風は部屋の隅々をわずかに洗い、そして静かに消えていった。

 後には、一人残ったアサシンがいるばかり。

 

 フラットの姿は、どこにもない。

 

 現象としては、先に二人を浚った回想回廊とまったく同じだ。唐突に人が消えていなくなる。ただ違う点と言えば、回想回廊は「どこかに出る」のに対し、構想神殿は「どこにも出ない」。

 この業は発動してしまえば他者に抗う術がないのが利点である。強力な対魔能力があろうとも、問答無用で他者を影も形もその場から消し去ってしまう。零距離でなければ使用できないのが欠点だが――このスノーフィールドに集まってきた魔術師程度ならば、何の問題もない。ティーネ率いるスノーフィールドの戦士程度の実力であれば、誰に気づかれることなく、まとめて痕跡すら残らず消し去ることが可能だ。

 

 惜しむらくは、使用したアサシン自身が痕跡がないという痕跡を残していることに気付いていないことか。この静かなる蛮行が巡り巡ってティーネに疑念を抱かせアーチャーを動かしたなどと、彼女が知るのはかなり先の話である。

 

「……願わくば、彼に幸いを……」

 

 わずかな時間、彼女はフラットのことを思い祈りを捧げた。

 フラットを消し去る必要はなかったかもしれない。しかし聖杯戦争に関わる以上放っておくわけにもいかなかった。可愛そうではあるが、他のサーヴァントに出会う前にこうしてやることが、最善ともいえよう。

 盤上の駒を排除する方法が慈悲に溢れたものとは限らない。

 

 祈り終われば、あとは身体に鞭打ちベッドの上で軽く動いて調子を確かめる。

 痛みを無視すれば戦闘行為も不可能ではない。一番の問題であった魔力の供給が解決してしまえば、身体の不調など些末なことだ。魔力さえあれば対処のしようは幾らでもある。フラットから貰ったせっかくの魔力だ。大切に使わなければ――

 

「……大切に使わなければ?」

 

 ふと、自分の思考にアサシンは違和感を覚えた。

 何かが、ひっかかる。魔力の供給が覚束ないのだから、大切に使うのが当たり前――そんな常識的な思考に後先を考えぬ筈の狂信者は納得した。あるいはもっと時間があれば違和感の正体に気付けたのかもしれない。

 

 幸か不幸か、アサシンがその答えに辿り着く前に、それを中断させる者がいた。

 

「……侵入者」

 

 相次ぐ状況の変化や考察の途中であっても、彼女の優秀な感覚器官は黙ることをしなかった。

 彼女の頭の中で優先順位が組み変わる。よくわからぬ違和感よりも、現在進行形で対処が必要な事案の方が重要なのも当然であった。そして下位に落ちた違和感が今後浮上してくることはない。

 そんな重要な分岐点をスルーしたとは露知らず、アサシンは全感覚を総動員して侵入者を分析する。

 

 侵入者は一人だけ。多少周囲を警戒し足音を殺そうとしている感はあるが、訓練を受けた者の足取りではない。その足音の間隔から歩幅を割り出し、身長を計算すれば、心当たりが一人だけ浮上してくる。

 二人浚って一人消してしまえば、これはもはや推理ではなく算数だ。

 

「……あのサムライのマスター、ですか」

 

 確認するように呟いて、どうするべきか検討する。

 フラットを消したのは、彼が未だ健在であるバーサーカーのマスターであったからだ。サーヴァントを失ったマスターである東洋人とは立場が違う。二人が一緒にいたので両方浚ってきたが、彼女が交渉したかったのは東洋人の方である。

 

 交渉のことを考えると、フラットを消してしまったのは拙かったかもしれない。いささか性急に事を進めてしまったことを反省するが、いずれにせよフラットはどのみち消していたし、東洋人の辿るべき運命も決まっている。

 

 穏便に済ますためには、一芝居打つ必要があるだろう。

 手っ取り早く事を進めるのなら洗脳という手段もある。

 

 どちらもあまり得意ではなかったため、彼女は件のマスターが部屋に辿り着くまでのわずかな間、悩むことになった。

 

 



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day.02-02 女医

 

 

 ようやく一息ついたのは、時計の短針が一周半過ぎ去った頃だった。

 

 スノーフィールド中央病院はこの地域で一番大きな総合病院だ。それだけに設備も最高のものであるし、スタッフも一流の人間が二十四時間三百六十五日常時一〇〇人近い体制で働いている。

 職員専用の休憩室で眠気覚ましのコーヒーを炒れている女医も、その一人だ。まだ若く実績には乏しいが、年齢に似合わぬ知識と技術を評価されこの病院で数年ほど勤務している。

 そうは言っても大病院で若手、となれば貧乏籤を引きやすい立場である。それ故に、今彼女は体力の限界に挑戦することになっていた。

 

 原因は昨日に起こった麻薬グループと警察との攻防だ。一連の事件の経緯について彼女は何も知らないが、かなりの大事件であることは推測が付いていた。

 

 運ばれてきた急患の数は彼女が把握しているだけで両手の指では足りないほど。

 彼女が執刀した手術も大小合わせて五件、その内一件は半日がかりの大手術である。他の勤務医も似たようなことを言っていたのだから、最終的な死傷者数はかなりのものだろう。

 

 幸いにも既に山は越えて彼女の出番は必要とされていない。例え必要とされていたとしても今の彼女は前日からの連勤で使い物にならないほどに消耗している。今はもう自分が寝ているのか起きているのか自信がないくらいである。

 

「……けど、あの子の様子くらいは見ておかないとね」

 

 自身を奮い立たせるために気を抜くと落ちそうになる瞼に活を入れてみる。頭は霞がかかったようであるが、不思議と肉体は自身の思い通りに動いていた。

 

 女医があの子と呼ぶのは意識不明の少女のことだ。

 名前は繰丘椿。女医がそこそこ腕を上げ、このスノーフィールドにも慣れた頃に運ばれてきた患者で、彼女が初めて正式に担当した患者でもある。

 

 本来であれば腕が良いとはいえ彼女の手に余る患者ではあるのだが、『経過観察』程度であれば経験の浅い彼女でも十分であると病院上層部は判断したらしい。つまるところ厄介毎を押しつけるのに丁度良かったのであろう。

 

 女医にできるのは、ただ脳波のチェックと簡単な身体検査のみ。その他のことについては治療も含めて上の許可が必要だ。

 それだけに、何もできぬ自分を不甲斐なく思う。

 

 眠気覚ましのコーヒーを胃に入れて、女医は彼女が眠る除菌室へと赴くべく立ち上がる。もう眠たすぎてコーヒーの味すら感じることはできなかったが、彼女を診察しなければ安心して眠ることもできない。

 

 少女の診察は日に三度行われる。病院がてんてこ舞いな状態であってもそれは同様に行われたが、行ったのは看護師や研修医であって担当である女医ではない。やはり些細な兆候を探し当てるのは担当医師である自分の役割なのである。

 

 女医が普段使用している診察室から彼女が眠る除菌室は結構な距離がある。院内感染を防ぐ名目で感染患者は別病棟に隔離してあるためだ。

 当然ながら人通りは少ないし、一般病棟に比べて入るのにも厳しい制限がある。例え親族といえども病棟内に入るためにはそれなりの手続きが必要としている筈なのだが――

 

「あら?」

 

 除菌室の手前にあるロビーの長椅子に、一人の少女が俯いたまま座っていた。

 辺りは電灯が切れているのか薄暗く、柱の陰となった場所には何やら黒い霧が佇んでいるようにも感じられた。

 まるで、黒い霧が少女を見守っているかのよう。

 

 女医は不審に思いしばしその足が止まった。

 この病棟は見舞客を放置するようなことはしない。必ず入り口から出口まで看護師が傍らに付き添い、念入りな消毒は無論、看護師と同じスモックを着せられるのが普通である。幼い少女が普段着のまま一人で放置される状況など有り得ないのである。

 

 通り過ぎることは簡単だっただろう。女医は早く帰って眠りたかったし、仮に話しかけずとも看護師に一言言えば済むことだ。だがマスクもしていない少女の俯いた横顔を見れば、女医としては無視することもできなかった。

 

「――椿ちゃんの、妹さんとかかしら?」

 

 女医がそう判断したのも無理からぬこと。少女の容姿は女医がよく知る繰丘椿と酷似しており、またすぐ側にはその当の椿の病室があるのだ。関係者であろうことは想像に難くない。

 

 あの子に妹がいたかしら、と思考を巡らせるがどうにも疲れた頭では思い出せそうもなかった。結局思い出せはしなかったが、妹でなければ親戚か何かであろう。似ているというだけで声をかけるには十分すぎる理由だ。

 

「え? あっ――」

 

 女医の声に慌てて頭を上げた少女は驚いた声を上げた。

 まるで話しかけられたことが意外であったかのような反応。そんなことを疑問に思うが、少女の瞳に溜め込まれた涙を見れば問いただす気も失せる。

 子供のカウンセリングは専門外であるが、経験がないわけではない。

 

「はじめまして。私、椿ちゃんの担当のお医者さんなのよ」

 

 女医はにっこりと椿とよく似た少女に笑いかける。いきなり椿の名前を出して良かったか一瞬考えるが、子供相手であれば問題ないだろう。

 だが、女医の言葉に少女は身体を硬くした。

 何か、核心に触れる言葉を聞いたかのように。

 

「あの、えっと」

「あら、別にいいのよ。慌てなくて」

 

 何か言葉にしようと慌てる少女をなだめるように、女医は少女の前で腰を落として視線の高さを合わせる。後ろで黒い霧がわずかに揺れ動いたことには気付かない。

 

「英語、分かるかな?」

 

 日本語が話せれば良いのだが、習得していないものは仕方ない。まあジェスチャーだけでもコミュニケーションを成立させることはできるだろう。

 女医は疲れて弛緩した顔を無理矢理動かし、分かり易い笑顔を浮かべてみる。

 

 まじまじと女医が少女の顔を見れば、椿と双子と言っても過言ではないほどに似通っていた。

 違うとすれば髪や健康状態くらいだろう。入院中に髪が伸びてしまった椿と違って少女の髪は首回りまでしかないし、血色だっていい。体つきも少しばかり小さいようにも感じられる。

 入院してきたばかりの――いや、入院する前の元気だった頃の繰丘椿を想像するなら、こんな感じだろうと女医は思った。

 

「いえ、英語、少し分かります」

 

 タイムラグを置いてネイティブとはほど遠い舌足らずな話し方で少女は答える。

 英語に慣れていないという様子ではない。慣れていないのは誰かと喋ることだ。繰丘椿の両親を自然と思い出した。

 

「それは良かったわ。あなた、お名前は? お父さんかお母さんはどこ?」

 

 なるべく問いただすような真似はせず、子供が答えやすいよう声は穏やかに。質問内容も教科書に載っているような定型文で答えやすいものを。それは子供とのカウンセリングの常套手段であるのだが、

 

「……答えにくければ、答えなくてもいいのよ?」

 

 少女の顔を見れば質問の回答を諦めるより他はない。

 少女は女医の質問に答えようと口を開けはするのだが、何か考えがあるのかわずかに幾度か息が漏れるだけ。結局少女の口から何かが発することはない。

 

 少々困ったことになってしまったが、そこまで問題ではない。

 元より本格的なカウンセリングをしたかったわけではなく、浮かぬ顔の少女を放っておけなかっただけの話。どちらにしろ一人でいる少女を病棟の外に連れ出すことに違いはない。そしてそれは自分の役割ではない。

 

「えっとね、この場所は大人の人と一緒でないと入っちゃいけないの。私と一緒に外に行きましょう?」

 

 少女の手を取って促してみるが、少女の顔に変化はない。

 無理強いはあまりしたくないため周囲に看護師の姿を探してみるが、誰もいない。そもそも、女医はここに辿り着くまで誰ともすれ違っていないことに気付いていなかった。

 

 常時人がいてしかるべきナースセンターにすら、誰の姿もない。

 

「――先生」

「あら。何かしら?」

 

 少女の口から質問の答えに代わって問いかけがある。

 拒絶されているわけでないことに安堵しながら、女医は応じる。

 

「あの……あそこ、繰丘椿って書いてあるけど」

 

 少女が指さしたのは繰丘椿が眠る除菌室。

 入り口横のネームプレートには『TSUBAKI KURUOKA』の文字がある。

 つたない英語であったが、繰丘椿の固有名詞の名は滑らか。言い慣れているということは、やはり関係者か。

 

「なんで、その子はここにいるの?」

 

 少女の声は震えている。何か知ることを怖がっているようにも見える。

 答えるべきか否か、女医は逡巡した。

 この病棟のことは病院のパンフレットにも載っている。別段答えて困ることでもないが、だからといって馬鹿正直に全てを話すことははばかられるし、子供相手に小難しく説明することはあるまい。

 

「……ちょっと、身体の具合が悪いの」

 

 女医は言葉を選びながら説明する。

 

「この建物は目に見えないほど小さな生き物が原因で病気になってる人が休んでる場所なの。椿ちゃんも一年前に倒れて、ずっとここで眠っているの」

「……一年、も」

「ええ。身体に異常はないから、目が覚めればすぐに良くなるわ」

 

 少女の顔を見ながら女医は最後に希望的観測を述べてはみたが、……少女の顔は驚愕というより絶望といった色がある。

 例えるなら、死んだことに気付かぬ幽霊が死んでいることに気付いたような、そんな顔。

 

「……大丈夫?」

 

 女医のどの言葉が地雷であったのか、女医自身に判別はつかない。だが話さないというのも酷ではある。この程度の話であれば、調べればすぐにわかること。

 別段自分が話さずとも噂好きの看護師に聞けば、そこそこ口を濁しながらも嬉々として話してくれるだろう。

 それこそ、植物状態から経過観察の経緯、未発見細菌に対するモルモットであるところまで。無責任に。面白可笑しく。

 

「私……もう、帰ります」

 

 女医に対する応えなのか、少女はのろのろと長椅子から立ち上がった。

 それは女医としても望ましい行動であるのだが、いかんせん一人でこの病棟から出すわけにはいかない。

 慌てて逃げるように立ち去ろうとする少女の腕を掴もうとして、

 

「……タトゥー?」

 

 その紋様に気がついた。

 

「いやっ! 離してっ!」

 

 タトゥーに触れられて多少痛むのか、それとも触れることそのものを忌避するのか、少女の声は湿り気を帯びていた。泣かれると厄介だと思いながらも、だからといってこの手を離してしまうわけにもいかない。

 

 女医の脳裏に走ったのはこのタトゥーの原因。

 細菌感染の病気に限らないが、罹患することによって身体にタトゥーのような痣ができることがままにある。もしタトゥーの原因が病気によるものなら、急いで処置する必要がある。

 何せ繰丘椿が感染している細菌は未知の代物。何が起こるか分からないことだらけなのだ。

 

 だが、女医が少女にタトゥーを問いただすようなことはできなかった。

 何故なら女医の後ろでは黒い霧が女医に覆い被さるように蠢いていたからである。

 

 



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day.02-03 困惑

 

 

「――先生、大丈夫ですか! 先生!?」

 

 身体を揺すられ呼びかけられた声に、女医ははっと顔を上げた。傍らには見慣れた看護師の姿があり、テーブルの上にはコーヒーだまりができていた。

 

「あれ? 私、一体……?」

 

 朦朧とする意識を覚醒させながら、女医は看護師を振り返る。

 

「もう、疲れていてもこんなところで寝ていちゃだめですよ」

「寝てた? 私が?」

「先生が机の上でぴくりとも動かないから心配しました。ああ、気をつけてください、コーヒーが白衣に染みちゃいますよ」

「コーヒー……飲んでなかったっけ……?」

 

 女医が起きたことを確認してか、看護師はティッシュを取り出してテーブルの上にぶちまけられたコーヒーを手際よく処理していく。その分量から女医がコーヒーを飲んでいないのは確実だろう。そういえば、飲んだ記憶はあってもコーヒーの苦みを味わった記憶はない。

 

「……あれが、夢?」

 

 時刻はコーヒーを煎れた頃合いに確認している。あれからわずかに数分ほど。記憶に残る内容に要した時間とほぼ一緒である。コーヒーの熱もすっかり冷めていた。

 試しに頬をつねってみれば、確かに痛かった。あれほどリアルであったにも関わらず、現実を鑑みれば夢であったと判断するより他はない。

 

「じゃあ、まだ椿ちゃんのところへ行ってないんだ……」

 

 そういえば夢の中でも、どちらにしろ診察は行っていない。

 

「先生、椿ちゃんのチェックなら私がしますから、仮眠室で少し横になってはいかがですか? すごく顔色が悪いですよ?」

「そう?」

「そうですよ、ほら熱も……すごくあるじゃないですか!」

 

 看護師が女医の額に手を当てると、そこは確かに普段よりも明らかに熱くなっていた。試しに常備している体温計で測ってみれば、医者でなくとも横になることを薦める体温である。

 

「さっきまで大丈夫だったんだけどな……」

 

 先ほどまでは眠くはあっても、決して体調が悪いわけではなかった筈だ。けれども現実に身体は悲鳴を上げているようで、これでは除菌室の中にいる椿の元へ診察しに行くわけにもいくまい。

 

 急激な体調悪化に頭を傾げるも、女医は自ら薬を処方して大人しく仮眠室へ向かうことにした。

 自己診断では疲労によるただの風邪であり、まさかこの体調悪化がサーヴァントと呼ばれる存在によって引き起こされた症状であることなど、ただの一般人である彼女に分かる筈もなかった。

 

 

 

 

 

 ライダーは困っていた。

 黒い霧の形は右へ左へと揺れ動き、マスターたる繰丘椿の周囲を漂い続けている。

 

 人間の感情を理解することのないライダーが『困る』などということはない。しかし、現状を第三者から見れば、確かにライダーは困っていた。

 システマチックに行動する彼はマスターが是とする行動を取ろうとしても、それを解決する手段が明確でなければ何をして良いのかわからないからである。

 

 繰丘椿は、ライダーの前でただひたすらに膝を抱えて泣いていた。

 感情を理解せずとも椿の活力が著しく落ちているのはライダーにも理解できる。それが椿にとって良いことでないことも理解できる。だが、それをどうすればいいのかライダーはわからない。

 

 女医がこの夢の世界に来たのはライダーが原因だ。しかしそれはライダーが意図した結果でなく、「病」というライダーの性質によるものだ。

 たまたま椿の一番近くにいた人間が“感染”しただけのこと。そして感染したとしてもすぐに夢の世界へ来るというわけではなく、感染した人間の抵抗力が落ちた時にだけこの夢の世界へ来ることになる。

 

 つまりライダーに“感染”した人間が風邪でもひけば、この夢の世界へ召喚されることになる。

 先ほどの女医の場合、長時間労働による過労がそのトリガーとなったわけだ。

 もちろん“感染”はライダーの意志ひとつで強めることも弱めることもできるので、夢の世界から追い出すことも簡単である。

 

 椿が苦しんだ、とライダーは判断した。女医が椿の腕を掴み、椿はそれを忌避した。故に苦しみの原因となったであろう女医を夢の世界から追い出したわけだが、何故か状況は好転しなかった。

 

 仕方ない、とライダーが思ったかどうかは定かではない。

 ありとあらゆる手段をライダーは模索するも、なかなか最善の方法は見つからない。ならば、このまま何もせぬよりも次善策として経験上有効であると判定した手段をとろうとライダーは判断した。

 

 次善策はすぐに椿の目の前で行われた。

 現れたのは、一組の夫婦。椿をこの世に生み落とし、実験台として取り扱った二人の魔術師。椿がこの世で一番愛し、愛されたかった人物。そうした背景をライダーが理解しているわけもない。

 唯一ライダーが理解していることは、マスターがこの二人に執着しているという事実だけ。

 ライダーは椿に対する万能鍵として、繰丘夫妻を呼び出したのである。

 

 しかし、

 

「つ……ばき……」

「だ……じょ……ぶ……?」

 

 椿の前に現れた繰丘夫妻は、とても椿をどうにかできる状況にはなかった。

 頬は痩け、目は虚ろ。とても健康的とは言い難い顔色で、二人は立つこともできず床でわずかに蠢動するだけ。壊れかけのレコードの如く同じ言葉を何度も何度も、血反吐と共に吐き続ける。

 両親のそんな姿を見せつけられれば椿もライダーを無視続けるわけにはいかない。両親に抱きつきながら、椿はライダーに懇願する。

 

「お願い! もうパパとママを休ませてあげて!」

 

 椿の悲痛なその願いに、ライダーは満足したかのように身体を揺らめかせ、女医と同じように夫妻を消しさってみせる。同時に、この方法は有効であるという間違った認識を再確認していた。

 

 椿がそもそも病院へとやってきたのは、この両親の変容が原因である。

 

 ライダーが召喚された当初、椿は彼女の理想の両親に囲まれて一時の楽しい時間を過ごしていた。長いこと夢の世界で過ごしてきた彼女が両親に触れ合うのは実に一年ぶりのことであり、ある意味ライダーは聖杯に代わって椿の願いを叶えたと言っても過言ではなかった。

 

 しかし、万能ならぬサーヴァントの能力には限界もあれば制限もある。

 そもそもライダーは“病”という災厄そのものであり、“感染”することで身体の生理的機能や精神の働きを部分的に阻害した結果、操っているように見えるというだけの話。当然、阻害し続ければ弊害も出る。

 

 結果、肉体は時間と共に衰弱していき、糸の切れかけた操り人形の状態となる。

 特に繰丘夫妻は魔術師ということもあって、ライダーは強めに“感染”させてある。夢の中ですらあの状態であるのだから、今頃現実の世界では家の中で倒れ伏していることだろう。早い内に介抱しなければ近いうちに糸が切れてしまうことになる。

 

 そんな状態の両親を見せつければ、椿が何らかの解決策を求め病院へとやってきたのも当然であろう。魔術師としての知識も、ライダーが一体どういった存在なのかも知らぬ椿は、とりあえず薬を手にせんと病院へと訪れ――自らの正体を知ることになる。

 

 少女の精神は限界に近かった。

 

 この広い夢の世界で、女医と出会えたことは果たして幸運だったのか否か。女医という第三者の存在は、彼女にある意味で正しい認識を導き出させてくれた。

 

 自分が本当は意識不明であり、愛してくれた理想の両親も今は慰めることもできぬ有様。見守り続けるライダーは椿の意には沿ってくれるものの、空気を読んでいる様子ではない。

 

 まだ十歳の少女にこの状況を打破すべく動け、というのも無理な話。

 彼女は何もせず、何もできない。

 ライダーから逃げることも、責めることすらしない。

 ただひたすらにしくしくと幼子らしく泣き続け、時折ライダーによって現れる両親の姿に心を痛めるだけ。

 

 そんないたちごっこを何回したことだろうか。気がつけば、椿は一人泣き疲れて眠っていた。椿が眠っている間は、ライダーは何もしない。彼女の意に沿うということは、彼女が何も望まない状況であれば何もしない、ということだ。

 

 だが、しかし。

 運命は思わぬ方向に突き進む。

 

 自分が意識不明だと言うこと、そして女医という両親以外の他者に出会ってしまったという事実。

 真に両親から愛されたわけでもなかった十年。

 誰にも触れ合うことのできなかった一年。

 偽りであっても幸福だった数日。

 そのことが、椿にとってどれだけ大きな衝撃であったのか。人間ならぬライダーは無論、彼女自身であってもそれを推し量ることは難しい。

 

 彼女の願いは今まで表層に現れ出でることはなかった。無意識の奥底に、深く澱のように降り積もるだけ。両親に愛されたいという願いは、一年前にあったもの。今の彼女の願いは、もっと単純にして身近である筈のもの。

 

 他者と触れ合いたい。

 

 椿をマスターと呼ぶライダーと出会った。椿を愛してくれる両親に出会い、そして別れようとしている。自分の担当医だという女医と出会い、そして別れた。

 

 知ってしまったが故の不幸せ。

 繰丘椿が夢の中で夢見た望み。

 

 夢の中で眠る椿は無意識のうちに、こんな言葉を口にしてしまった。

 

「……もう、一人はいやだよ……」

 

 その言葉の意味にはありとあらゆる意味が込められている。両親と別れたくない。友達と遊びたい。誰かと話したい。周囲と触れ合いたい。いろんなことを学びたい。孤独は嫌いだ。現状に不満がある。

 

 ――倒れた両親の代わりが欲しい。

 

 そんなわずかな眠りの中の呟きを、ライダーは聞き逃さなかった。

 サーヴァントはマスターからの命令を受諾した。

 

 受諾してしまった。

 

 大きく頷くようにライダーは黒い霧の形を震わせ、霧散させる。それはまるで風に乗って種子がばらまかれる様に似ていた。現実にはない夢の世界で、彼の姿は北へ南へ、野へ山へと広がってゆく。

 

 それがいかなる結果を生み出すのか。

 ライダーのマスターが結果を知るには、まだしばらく時間がかかる。

 

 



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day.02-04 繰丘邸

 

 

 スノーフィールドには二つの市がある。

 ひとつはスノーフィールドの中心であり元からあったスノーフィールド市。そしてもうひとつがスノーフィールド市のベッドタウンとして近年西部森林地帯を切り開いて作られたスノーヴェルク市である。

 昨今は広大な土地とスノーフィールド市へのアクセスのしやすさからスノーヴェルグ市は工場や研究所の誘致が推し進められ、登録上では三桁に迫る企業や大学が開発に乗り出している。

 

 そんなスノーヴェルク市の中でも森林地帯の最奥、各企業の工場や研究所からも離れたところに繰丘邸は存在する。

 

 繰丘一家はあくまで一般人としてこの地に居を構えたわけではあるが、周囲にある他の企業や研究機関と同様に広大な敷地を保有していた。

 建造物にしても細菌を取り扱っているためか、他企業の施設と遜色ない規模の研究所が複数棟建てられている。もちろん魔術師らしく地下の霊脈はちゃんと抑えているし、重層の幻覚と魔術結界によって中は立派に魔術城砦と化している。

 

 署長率いる二十八人の怪物(クラン・カラティン)が連絡が取れないのにも関わらず放置している理由は、迂闊にこの繰丘邸に入れば全滅するのが明白だからだ。

 

 だというのに、その繰丘邸を訪問し、あまつさえ家の中にまで無許可で侵入してきた愚か者がいる。

 

 工房の迎撃術式はこうした事態に備え、主不在であっても自動で起動するように設定してある。一般道から敷地内に侵入するだけでも突破は容易でなく、敷地内に至っては対サーヴァントを想定したトラップがごまんと用意されている。

 だがそんなことはお構いなく、侵入者は実にあっさりと繰丘邸のリビングで倒れている夫妻の元へと辿り着いていた。

 

「つ……ばき……」

「だ……じょ……ぶ……?」

「いえ、あなた方のほうが大丈夫ですか?」

 

 床の上で蠢動し壊れたレコードのような夫妻に対し、侵入者はそう言わずにはいられなかった。だがそれもおかしな話である。何せ、侵入者は繰丘邸に仕掛けられたトラップを全て解除もせず、その身に受けながら辿り着いていた。

 

 左手はぐちゃぐちゃに潰れているし、右手は氷付け、左足には大きな穴が空いているし、右足は炭化、おまけにその背中から胸に鉄杭が何本も突き刺さったままである。夫妻よりもまず自分の心配をするべきであろう。

 

「これは困った……話ができる状態でないとは」

 

 身体はともかく頭だけは無傷のまま、ランサーのサーヴァント、エルキドゥは涼しい顔をしながら困った困ったと呟いた。

 

 ランサーがこの繰丘邸へ訪れたのは、この場所にサーヴァントの気配をわずかに感じ取ったからだ。

 最高クラスの気配感知スキルを持つランサーにとって、たとえ数日前であっても形跡が残っていればその気配を追うことができる。マスターである合成獣の容体が安定するまであまり移動したくないため、このスノーフィールド西部にある繰丘邸は情報収集に丁度良い位置だったのである。

 

 とはいえ、繰丘邸に残されていたのはサーヴァントによって倒されたであろう魔術師が二人いるだけ。何とか生きてはいるものの意志の疎通はできず、情報を仕入れようにも仕入れ先が倒産状態である。

 

 気配感知によってこの二人がサーヴァントによって倒されたことは分かるのだが、どうやって侵入し、そして立ち去っていったのか、ランサーの鋭敏な感覚をもってしてもまるで分からない。

 

 トラップの中には一度きりの使い捨てのものもあったが、それらが解除されている様子もなかった。でなければ、ランサーがここまでトラップに引っかかりまくることはなかったであろう。

 

 だとすればサーヴァントはトラップを解除するスキルを持たず、かつ回避するスキルか能力を持ち合わせる者か、そもそもこの魔術師からトラップが機能しないよう許可された者かの二択となる。

 現実的に考えれば後者だが、それにしても状況が不可解だ。

 

「この人達のサーヴァントが裏切った……いや、マスターではないのだから三人目の魔術師が……けどこの部屋に残されている気配は最初から二つだけ……」

 

 頭の中であらゆる状況をシミュレートしてみるが、そのいずれもこの状況に合致しない。なまじ手がかりがあるだけに解答を得るのは難しい。

 ここでライダーという正解に近づくためには、まずサーヴァントとしての定義を取り外してみるところから始める必要がある。

 

 と、二人の魔術師の検分も終わり、繰丘邸内を物色するべくうろつき始めたランサーであるが、隣の部屋で硬く魔力の籠もった何かが突然砕け散った。

 

 ランサーの知る由もないが、それは祭壇に祭られた中国は始皇帝由来の一降り。繰丘夫妻がサーヴァント召喚のために大枚を叩いて手に入れた魔術礼装である。

 もし、ここに聖杯戦争とは別の英霊召喚システムがあれば、この触媒を用いて始皇帝を召喚できる可能性もあった。

 

 その可能性が、突然に失われた。

 

 何が起こったのか、ランサーがその目で確かめることはない。ランサーの気配感知スキルは、その必要性を認めないのだ。

 

 隣室にあったのは恐らくは宝具の類。

 神の宝具であるランサーにしてみれば人の手由来の宝具は遙かに劣る格であるが、現代においては破格といえるものだろう。だが、その身に帯びる魔力はともかく、使い手がいなければ発動できぬただの骨董品に過ぎない。

 

 自律起動する様子もなかったため、ランサーの優先順位としては二人の魔術師よりも低かったのである。そして調べるべきは砕け散った宝具ではなく、この状況そのものへと移っていく。

 

「……攻撃?」

 

 呟きは疑問系ではあったものの、確信に満ちたものだった。

 ランサーの気配感知スキルは、単に生体反応に限ったありきたりなスキルではない。生命を宿す動植物は無論のこと、水や空気の流れ、砂や岩といったものにまでそのスキルは網羅することができる。

 霊体だってその例外ではないのだから、森羅万象を網羅していると言っても過言ではない。

 

 現在その気配感知範囲は何故か建物内に限られているが、逆に言えば建物内であれば虫の一匹が飛んでいたとしてもそれを認識することが可能だ。

 

 けれど、建物内にそれらしき気配は皆無。まるで宝具がひとりでに壊れたような印象すら受けるが、破片が一方向へ放射状に散らばっている等、壊れ方があまりに不自然だ。

 信じがたいことだが、その攻撃はランサーが気付けぬほどに超高速で建物外から撃ち込まれたものであるらしい。

 

 一体どうやって、などとランサーは思考しない。より精密に気配を手繰っていけば、外から隣室までの順路にわずかな空気の乱れがある。単に直線や曲線を描いていれば気付かなかっただろうが、ほぼ直角に曲がった軌跡が複数あれば、これはもう確定的だろう。

 同時に脅威度としてはかなり低い筈の宝具が先に壊されたところから、目標の選別ができていないことも看破する。

 

 おそらくは強力で独特な魔力源のみを識別するよう設定してあるのだろう。他に魔力源となるようなものがないので、必然的に次に狙われるのがランサーとなる。

 

 建物の外から感知不可能な速度で迫る、必中の一撃――

 

「困ったな。これは僕と相性が悪い」

 

 呟いたランサーの脳裏に親友の顔が思い浮かぶ。

 ランサーというクラスからも分かるとおり、エルキドゥの戦闘スタイルは中・近距離戦を主としている。遠距離戦もこなせなくはないが、苦手な部類である。

 だからこそ、アーチャーたる親友が遠距離という穴を埋めることで、互いを補い合っていたのである。

 

 けれど、その親友も今は陣営を異にしている。

 それにいない者を頼っても仕方がない。

 

「――ああ。本当に困った」

 

 再度呟いたランサーの脳裏に親友の顔はすでにない。

 何故なら、呟いた直後にランサーの頭部は物理的に吹き飛ばされていたからである。

 

 



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day.02-05 強襲部隊

 

 

 繰丘邸内部は酷い有様だった。

 

 一体どういう状況になれば、こうも無頓着に罠に引っかかることができるのか。猪突猛進という言葉はあるが、猪だって壁に当たればその歩みも止めるというもの。もっとも、猪以上の存在がやったのだから、壁の存在を気にしなくとも仕方あるまい。猛進ならぬ盲進であったのかもしれない。

 

 対サーヴァント仕様の罠は周囲全体を巻き込む形で発動する。そのためターゲットであるサーヴァントのみならず、罠を仕掛けた通路や部屋ごと壊滅的な被害が出ることになる。

 

 本来であれば、罠の発動は一つか二つで済んでいた。灼熱の炎、閃く雷電、押し寄せる衝撃波、超高圧搾の水流、蠢く妖蛆――そのひとつに遭遇するだけでも、この繰丘邸の強固さを実感できる筈なのだ。侵入するからには自らの命を含め、相応の被害を覚悟する必要がある。

 

 魔術師の工房とは元来そういうものであるが、繰丘邸はそれに輪をかけて徹底している。

 何せ捕獲や警告という親切なものは邸宅内にひとつとしてしかけられていないし、幻覚といった命の心配の(あまり)ない罠も、次なる罠の伏線でしかない。むしろ侵入者を念入りに殺せるよう、必要以上に威力を上げてすらいる。

 

 結界は全十二層全て破壊。

 発動した罠は全部で十四。

 緊急停止した魔力炉は四。

 それらの余波だけで城砦級の強度を誇る繰丘邸が半壊したと聞けば、繰丘の徹底ぶりが分かるというものだ。

 

 そしてこの惨状を招いたランサーの周囲に、四つの人影がほどなく到着した。

 

 体格からして男性だろうということしかわからない。

 全員が迷彩色のローブを身に纏い、同じく迷彩色のヘルメットで顔を隠している。パワードスーツを装着しているのか、あるいは魔術による強化なのか、決して広いとはいえない繰丘邸内の通路を時速四〇キロオーバーで駆け抜け、それでいて隊列は少しも乱れない。

 

「――目標を視認。これより排除を開始する」

 

 ぼそりと、サーヴァントを囲む一人が呟くと、全員がローブの中から各々の獲物を取り出す。

 前時代的な装飾の剣、明らかにローブに収まる筈のない巨大な鎌、実用的とは思えない大鎚、そもそも武器と呼べるか分からない長い布――そのいずれも凄まじい魔力が込められた宝具である。

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)、繰丘邸内強襲班である。

 

 そもそも二十八人の怪物(クラン・カラティン)と繰丘夫妻は、言ってみればこの偽りの聖杯戦争の仕掛け人の立場である。

 例えるなら遠坂とマキリの関係に近いだろう。互いに協力関係にありながら、それでいて最後には争い合う間柄。長い目を見据えて事前に対抗策を準備しているのも当然の備え。

 一方的に連絡が途絶えたのであれば、尚更だ。

 

 かねてより二十八人の怪物(クラン・カラティン)は繰丘邸内でのサーヴァント戦闘を想定し、近くには秘密裏にベースキャンプを設け強襲班を常駐させていた。そのおかげで突如として繰丘邸を強襲したランサーにいち早く反応できたのである。

 

 少々イレギュラーではあるが繰丘邸内でのサーヴァントとの戦闘に変わりはなく、またランサーのおかげで懸念されていた罠も排除されている。

 そして敵サーヴァントは二十八人の怪物(クラン・カラティン)の存在に気付いた様子はない。

 

 これを傍観するのは彼らの存在意義を否定するのと同義である。彼らは速やかに本部と連絡を取り、今度こそ自らの手で直接サーヴァントを狩る許可を得たのである。

 

 意気揚々と彼らは初手で頭部を激しく損壊したサーヴァントに剣を向ける。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)はサーヴァントを侮らない。死に体であっても確実に仕留めるよう、宝具も含めて出し惜しみはしない。屋内故に四人一チームのみでの突撃であるが、後詰め(バックアップ)に一チーム配置し、遠距離からも狙撃用宝具で警戒と援護を怠らない。観測班、救護班までも導入する周到ぶりである。

 

 更に言うなれば、繰丘邸は細菌が空気を伝って外へ漏れ出さないよう、邸内と邸外で気圧差を生じさせるバイオ・セーフティと呼ばれる機構が設置されている。いかに最高クラスといえど、ランサーの気配感知スキルが邸内にしか作用しなかったのはそのためである。

 結界と外壁が破壊され外と繋がってしまったため、時間が経てば気圧差はなくなるのだが、今この瞬間は、ランサーの気配感知スキルは限定的にしか利用できない状況にあった。

 

 どちらが優位であるかは一目瞭然。

 片や五体も満足に保持できぬランサー。

 片や数、地形、時間を味方に付けた二十八人の怪物(クラン・カラティン)

 

「さらばだ。名も知らぬサーヴァント」

 

 それは驕りか慈悲か。あくまで事務的に黙々と仕事をこなす二十八人の怪物(クラン・カラティン)がサーヴァントに声をかける。

 無論、声をかけたからといってその間に手が休まるわけでも、とどめを刺すのが遅くなるというわけでもない。

 

 もし五体を潰された状態で敵に包囲され攻撃されたならば、それを凌ぐには英霊といえど無理というものだ。十二の試練(ゴッド・ハンド)のような驚異的な蘇生宝具か、あるいは全て遠き理想郷(アヴァロン)のような外界を遮断する絶対的な防御宝具がそんな状況には必要となってくる。そのどちらも所持しないランサーが二十八人の怪物(クラン・カラティン)の手から逃れる術はない。

 

 しかし。

 けれども。

 それはそもそも、ダメージを受けているという前提があっての話。

 

「「「「――――――!!!」」」」

 

 攻撃は放たれた。四人の攻撃は誤ることなくランサーの身体に吸い込まれている。

 首が落とされ、胸が抉られ、胴が別たれ、四肢は再度潰された。その状況は今もって変じてはいない。

 だというのに。

 

「僕の名はエルキドゥ――」

 

 肉の塊と化したサーヴァントから、自らを名乗る声がする。

 肉塊からの声に対する四人の反応がわずかに違った。二十八人の怪物(クラン・カラティン)において強襲班を任されるほど前衛能力に秀でた彼らではある。それだけに自らの能力に自信を持っているし、宝具の習熟も他の隊員より図抜けていた。

 全力で回避してもなお足りぬかもしれぬ相手の間合い。だが一撃だけならば防ぐことも可能かもしれない。数の利を活かすことが相手への牽制ともなる。

 

 全員の判断にほとんど差はなかった。が、同時ではない。挙動が一瞬遅れただけの二十八人の怪物(クラン・カラティン)の一人が、結果として犠牲となった。

 

「――ランサーのサーヴァント、だよ」

 

 声の調子はそれが日常とでもいうような穏やかなものだった。それに対し、その凶行は恐るべき非常識を以て行われていた。

 ランサーの肉塊の中から、一本の奇妙な槍が内側より破って外へと出る。ひな鳥が卵から孵る様ではあるが、殻を破る嘴はそのまま大鎚を持った二十八人の怪物(クラン・カラティン)をも貫いていた。

 

 槍としては短いと表現するしかないだろう。だがこの槍に長さなど関係はない。その気になればどこまでも長く、どこまでも細く鋭く、剣にも盾にもその形は変化する。

 それもその筈。この槍は母たる海水で作られた、七つの頭を持つ不定なる竜の槍。あらゆる生命の原典、生命の記憶の開始点。

 

 名を、創生槍・ティアマトという。

 

「ところで、君達は一体何者だい?」

 

 創生槍が二十八人の怪物(クラン・カラティン)の一人を貫いたと思えば、ランサーの肉塊は泥となって元の人形めいた身体を再構成する。倒れ伏した状態でなく、立ったままの状態で。

 

 泥人形たるランサーにとって、五体など人を真似ているだけに過ぎない。その気になれば翼だって生やすこともできるし、両手を右手に変化させることもできる。無形こそが彼の正体であるのだから、斬撃の類がランサーに効くわけもない。

 

 ランサーを倒そうとするならば、叙事詩に語られるとおり女神の怒りに匹敵する極大の呪いを用意する必要がある。

 

 真っ当にやり合えば、絶望しかないこの状況。

 それでも、そんな敵の圧倒的な能力に二十八人の怪物(クラン・カラティン)が怯えることはなかった。仲間が倒れたことすらも忘れているかのように、次の瞬間には何の合図も必要としないまま、一個の生物の如くその陣形を変化させてみせる。

 

「やれやれ……答える気はないのかい?」

 

 ランサーの言葉に応じるように、二十八人の怪物(クラン・カラティン)は動いた。

 

 最初に動いたのは刃がコの字に折れ曲がった畸形の鎌を持った二十八人の怪物(クラン・カラティン)

 仲間の身体を貫いたままの創生槍に魔力の篭もった一撃を躊躇なく解き放つ。並の宝具であれば切断とはいかずとも相応の衝撃を与えたことだろうが、ランサーはおろか創生槍すら微動だにしない。だがこれで創生槍を左右に振るうことは許されなくなった。

 

 そしてもう一人、布の宝具を持った二十八人の怪物(クラン・カラティン)はその布を広げランサーを取り囲むようにその視界を遮る。

 ランサーの知る由もないが、その宝具はギリシャ神話の英雄ペルセウスが冥王ハーデスより授かった宝具翻転響界(キビシス)を参考に作られた、即席の簡易隔離結界。結界内からの攻撃を防ぎつつその内部に魔力を溜め込み、耐えきれなくなったところで一気に魔力を解放する束縛型自爆宝具。

 

 そして、最後の一人が行うのは形成された結界内への魔力攻撃。

 布の隙間から繰り出される剣の一撃はマジックによくある串刺しショーのひとつか、はたまた黒髭が中に入った樽を彷彿とさせる。その一撃はランサー自身に何のダメージも与えないが、布の結界内に着実に魔力を蓄積させていく。

 

 コンビネーションの完成度は高い。剣で身体を次々と突き刺されながらランサーは感心していた。

 一つ一つの宝具の威力は決して高くはないが、高い練度の兵士が特定の条件下で運用すればこうも厄介な代物へと変質する。繰丘邸にしかけられた罠など、これに比べれば可愛いもの。

 

 自然、ランサーの口元に安堵の笑みが浮かぶ。

 ランサーが危惧したのは、この正体不明の襲撃者が親友の手の者か否かに尽きる。複数の宝具を持った英霊は少なくないが、連携を可能とする相性の良い宝具を他者に揃え貸し与えることができる英霊は親友くらいなもの。

 

 だがこの宝具は、親友の蔵にあるものではない。蔵の中にある宝具は全て王に捧げられたもの。このような薄汚い紛い物、いかに優れていようとも王の蔵に入れる資格があろう筈がない。

 

 畢竟、宝具を持っている英霊ではなく、宝具を作り出す英霊がこの地にいる。

 

 これは――実に友人が嫌いそうな英霊だ。

 まだ見ぬキャスターの存在を確信しつつ、これでランサーは数多ある疑問のひとつに解答を得た。

 

「喜ぶと良い。君達は――」

 

 僕達が排除すべき、敵だ。

 

 



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day.02-06 現状報告

 

 

 その報告が上がってくるのにそう時間は必要としなかった。

 

「――それが、結果の全てか」

 

 署長の声に落胆の色は隠せなかった。

 市内高層ビルにある警察署とは別に構えられた二十八人の怪物(クラン・カラティン)本部、その中央作戦司令室。元が会議室というだけあって室内は広く、主立った二十八人の怪物(クラン・カラティン)メンバー全員が署長を中心に整列していた。

 

 机に肘をついて指を組み口元を隠しながら、署長は確認するかのように眼前の人物に問うてみた。

 署長の前に立っていたのは、先ほどランサーと交戦していた筈の二十八人の怪物(クラン・カラティン)の一人。ただし、その身につけている装備の中に宝具の存在はない。納めるべき剣を失った空の鞘が寂しげに主張するだけだ。

 

「申し訳ありません。私の失態です」

 

 署長に対しこちらも落胆の色を隠せない。いや、むしろ現場指揮官としてあの場での行動に悔いがある分、慚愧に堪えない様子だった。

 

 ランサーを結界内に閉じ込めた後、彼ら強襲班は全力で撤退していた。宝具を自律起動させランサーを足止めをし、繰丘夫妻と倒れた仲間を引き連れて全力で逃げただけだ。

 

 宝具はランサーが結界を壊した段階で自壊するよう仕掛けられていた。

 結界内に溜められたランサーの魔力と現場に残してきた宝具三つ分の幻想崩壊によって、繰丘邸はその敷地の三割が蒸発することになった。

 

 想定されていた事態ではあったが、だからといって簡単に許容できるものではない。

 上空には隠しようもない程でかいキノコ雲が出現し、汚染された魔力が広範囲に撒き散らされる事態に陥っていた。

 

 繰丘が所蔵していた貴重な資料はもちろん、地下にあった霊脈も完全に潰され、今後数十年は草木も生えない不毛の地となることだろう。これでは仮に『次』があってももう使うことなどできはしない。

 

 イスに深く腰掛けるふりをして周囲を眺める。幸いにしてその現場指揮官である彼を責めるような眼をした者は一人もいない。状況を見誤っている者がいないことにひとまず安堵の息が漏れた。

 

 彼の現場指揮官としての行動は決して間違ったものではない。

 無形の泥人形というランサーの特性を考えれば、斬撃などによる点と線の攻撃は無意味。むしろ、早期に零距離大規模幻想崩壊を仕掛けて撤退した英断は褒められるべき功績である。

 

 事前に準備していたとはいえ、あの程度の装備でランサーは倒せるような存在ではない。

 まともに戦っていいればあっさり全滅するのがオチであり、最悪捕獲され口を割らされることになることも予期された。不用意に敵へ情報を与える真似は慎むべきであり、証拠隠滅も兼ねると考えれば、彼らができることの中では最善策ともいえた。

 

 計算違いだったのは、あれだけの爆発に反して爆心地にいた筈のランサーが全くの無傷であったことか。

 観測班からの報告によると、ランサーは爆発の余韻が収まるのを待つまでもなく、焔に焼かれた繰丘邸から何事もなかったかのように立ち去ったという。

 

 ギルガメッシュ叙事詩によれば、エルキドゥの肉体は創造の女神アルルの手によって作られたものらしい。いわば彼の肉体そのものが神の宝具であることを考えれば不思議なことではないだろう。

 

 宝具、天の創造(ガイア・オブ・アルル)

 

 あの爆発に堪えたことからランクは低く見積もってA以上。叙事詩に倣って強大な呪いを用意できるわけもなく、かといって真っ向勝負したところでランサーを傷つけられる手札は少ない。

 おまけに用意されているそれらの手札は非常に使い方が限定されているため、おいそれと使用することができないものばかりである。少なくとも街中で安易に使用できるような代物ではない。

 

「……ランサーの正体、それに宝具を知れただけでも良しとするしかあるまい」

 

 署長の中でそれ以上の言葉が言えるものでもない。

 情報が戦局を作用するのは世の常である。ならばこの程度の犠牲で敵の情報を得ることができたのならば僥倖とも言えよう。もし英雄王に対し切り札を切った後にランサーとぶつかっていたなら、どうしようもなかったことだろう。

 

 問題は、そのランサーが、署長達が最大の敵と位置づける英雄王の親友という点だ。

 彼らが戦い合うことは間違いないだろうが、それは両者が二人残った場合においてのみ実現する戦いだ。因縁がある以上、出会ってすぐに戦うことは考えにくく、むしろ後顧の憂いを排除すべく協力し合う可能性が非常に高い。

 その場合、二人が真っ先に排除しにかかる標的が二十八人の怪物(クラン・カラティン)であることに間違いない。

 

 ランサーに目を付けられた。この事実が何よりも重い。

 

「それで……今後は如何なされますか?」

「…………」

 

 部下からの問いに、署長は何も答えられずにいた。

 

 英雄王に匹敵する英霊などそうそういるわけもなく、いたとしても策略を用い互いにぶつけ合わせれば済む話だったのだ。まさか何の打ち合わせもなく共闘関係が構築される展開など、まったくの想定外である。

 

 己が主の沈黙に、周囲の部下は一様にその唇が動く瞬間を固唾をのんで見守った。

 彼らだって別に現状が絶望的というほどではないことは理解している。まだこちらの正体を看破されているわけでもなく、温存してある宝具も多数。地の利はこちらにあり、いざとなれば『切り札』を使用すればいいだけのこと。

 

 だが、現段階において二十八人の怪物(クラン・カラティン)が掲げる『人間による英霊の妥当』は不可能とあいなった。現在使用許可を受けている宝具だけではアーチャーとランサー、両名を打倒することはできない。

 

「現状を確認する」

 

 重い重い沈黙を破って、署長は静かに響き渡る声で命令する。

 署長の言葉を聞き違えた者は居ない。マスターからの質問に対し襟を正して応えるのみ。

 

「確認されているサーヴァントは?」

「現状5体。アーチャー・ランサー・キャスター・アサシン、そしてクラス不明のサーヴァントが1体」

 

「確認されたマスターは?」

「素性が判明しているマスターは署長を含め2名。アーチャーのマスター、ティーネ・チェルク。素性は不明ですが、時計塔の魔術師らしき青年がクラス不明のサーヴァントのマスターと判明しています。更に、先の戦闘の発端となった東洋人を含めると計4名となります」

 

「撃破サーヴァントは?」

「1体確認。アサシン、宮本武蔵」

 

忠実なる七発の悪魔(ザミエル)の呪いにかかったサーヴァントは?」

「3体確認。クラス不明のサーヴァントとランサー、キャスター」

 

捲き憑く緋弦(アリアドネ)の呪いにかかったサーヴァントは?」

「2体確認。ランサー、キャスター」

 

「現状を把握できているサーヴァントとマスターは?」

「3体確認。アーチャー、ランサー、キャスター。マスターは署長、ティーネ・チェルクのみ」

 

「我々の損害は?」

忠実なる七発の悪魔(ザミエル)はテストを含め六発使用。Bランク宝具を1つ、Cランク宝具を3つ消失。前線隊員が一名重傷」

 

「……では、」

 

 一呼吸、署長は間を置いた。

 

「このままでの我々の勝率は、いくらだ?」

 

 顔の位置はそのままに、視線だけを傍らで奥ゆかしい妻の如く控え黙ったままの秘書官へと向ける。

 この聖杯戦争における情報のほとんどは彼女に集約される。警察機構から得られる莫大な情報は隊員のフィルターを通して彼女に伝えられ、そこからさらに必要な情報が署長へと受け渡される。

 そして不都合な情報はここで遮断されることにもなる。組織の長として、知らない方が良い情報もあるのだ。署長からの全幅の信頼を受けている彼女だからこそ、許される暴挙である。

 

「……現状での『我々』の勝率は、68パーセントとなっています」

 

 秘書官の口から漏れ出た数字は、現状を理解するのに十分なものだった。

 他勢力の者が七割の勝率と聞けば驚愕するだろうが、その認識を署長は持たない。そんなことよりも、重い口を開いた秘書官に署長は更に追い打ちをかけなければならない。表向きの数字よりも、気にするべきはその中身だ。

 

「その際の二十八人の怪物(クラン・カラティン)の予想被害は?」

「残存戦力は三割以下。そして署長の生存率は二割以下です」

 

 事実上の全滅といっていい数字に、黙って推移を見守っていた他の二十八人の怪物(クラン・カラティン)にも動揺が走る。

 この計画を立案した“上”の面目こそ立てることは可能だろうが、現場にいる二十八人の怪物(クラン・カラティン)は生きて次を紡がねば意味がない。喜んで死にたがる戦闘狂は一人としていないのである。

 

 泰然と座したまま署長は皆の動揺が収まるのを待つが、こっそりと、ため息をつく。部下の手前、所作の一つ一つに注意を払わねばならないのが面倒でたまらない。確か、当初の勝率は96パーセントと高かった筈なのだが、とんだ番狂わせである。

 

 伝播した動揺は表向き数秒で鎮まるが、心の内に走った衝撃はそんなもので収まるわけがない。意図して一分、署長は沈思する。その間会議室は物音一つせず、もしかしたら天啓となるかもしれぬ電話もかかってこなかった。

 

 思考の迷路は、意外にも簡単に抜け出ることができた。

 

「……今夜0000をもって、本作戦はフェイズ3ターン2からフェイズ5へと移行する」

 

 重い重い沈黙を破って、署長は厳かにそう告げた。

 静寂の帳が一瞬にして吹き飛ばされる。誰も何も発さないというのに、その動揺は先のものより隠しようもなく、次から次へと伝播していく。

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)を率いる署長はこの偽りの聖杯戦争の仕掛け人の一人だ。当然その裏も少なからず把握し、勝ち残るための計画も戦争開始のかなり前から進められている。

 

 フェイズ1では対サーヴァント部隊を育成。

 フェイズ2ではキャスターによる昇華宝具の装備・習熟。

 そしてフェイズ3は情報収集を兼ねた部隊の実戦テスト、及びフェイズ4・5への下準備を目的としている。わずか数日でフェイズ3を終了することになるとは思わなかったが、臨機応変に対応するにはこれしかない。

 

「よろしいのですか?」

 

 秘書官の言葉には様々な意味が込められていた。

 

「フェイズ3での経験不足は否めないが、貴重な戦闘データは習得し共有もできている。そして実際に戦果も挙げることもできた。残るサーヴァントの探索は続けるが、現状で確認できるサーヴァントに戦力を優先したほうが効率的だ」

「そうではありません」

 

 意図的にはぐらかした署長の回答に、秘書官は皆を代表するかのように詰め寄った。

 公私ともに長年連れ添った腹心である彼女が、署長の意図を読めない筈がなかった。それでも、言葉にして問わねばならぬことを署長は口にしている。つくづく良い部下を持ったと署長は思った。

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)は確かに署長が育ててきた者達だが、全員が全員忠臣というわけではない。我が身が可愛い者もいるし、野心を捨てきれぬ者もいる。それに何より、“上”の息がかかった間者もいるのだ。

 戦後を睨めば、おいそれと隙を見せるわけにはいくまい。

 

 現場の意思統一が必要だった。

 

「何故、フェイズ5なのですか」

「聞いての通りだ。フェイズ4を実行しない。だから、フェイズ5だ」

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)におけるフェイズ4とは、サーヴァントとの接触・戦闘を現在許可されているレベル1宝具のみで対処する威力偵察のフェイズである。その選別のためにフェイズ3があるのであり、フェイズ5への移行はフェイズ4の反応をもってするのが常道であった。

 

「既にアーチャー、ランサーについてはフェイズ4での対応は不可能と判断した。残るサーヴァントも我々の網を潜り抜け続けている一筋縄ではいかぬ英霊だ。徒に時が過ぎればそれだけ我々は不利になる」

「……覚悟は変わりませんか?」

「愚問だ。我々が成すべきことに違いはない。総員、作業にかかれ」

 

 秘書官の最後の忠告を機に、署長は号令を発した。同時に部下達が駆け足で自らの班へと戻り、各部署との連携を確認し始める。先程までの静寂が嘘のように周囲がざわめいてきた。

 

 



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day.02-07 配慮

 

 

「お疲れ様でした、署長」

「面倒な役を押し付けた」

 

 会議が終了し周囲がざわめく中、自然な所作で話しかけてきた秘書官を署長は労う。そしてもちろん労うだけではない。

 

「フェイズ5用のレベル2宝具は、いつ解禁できる?」

「明朝には用意してみせます」

 

 署長の言葉を想定していたように、秘書官は即答してみせる。

 なかなか頼もしい意見に両者の信頼関係が見て取れた。

 と、確認のために資料を見せるようにみせかけ、秘書官が署長に顔を寄せる。

 

「……ただし、スノーホワイトの許可には時間がかかります」

「いざという時に使えればそれでいい」

 

 誰に聞こえることもない小声。意味深な視線を両者で交わすが、それ以上の言葉は必要ない。秘書官はすぐさま席へと戻り、自らが指揮する情報職員とミーティングの段取りをとりはじめる。

 署長はといえば、未だ目の前で直立したままとなっている二十八人の怪物(クラン・カラティン)に命令する。

 

「聞いての通りだ。明朝にはレベル2の宝具が用意されるだろう。使用が解禁されるまでに今日の戦闘報告を提出。君には今後の部隊編成も任せる」

 

 指示を出しながらも、そういえば欠員がいたことを思い出し、ついでとばかりにそれについても彼に一任する。死と隣り合わせの前線メンバーである。下手に署長が任命するよりも、現場に任せた方が士気は上がる。

 

「……私が、でありますか?」

「ランサーと直接戦った君だから、だ。君の判断は間違っていない。それどころか、直接サーヴァントと相対した君の経験は今後大きく生きてくることだろう。私は司令官であって現場指揮官ではないのでね。

 やってくれるかね?」

「はっ。拝命いたします!」

 

 同時に、新たな宝具を得ることになった二十八人の怪物(クラン・カラティン)は一秒と無駄にすることなく部屋の外へと出ていく。

 失態から一転しての出世であるが、その光景を周囲の二十八人の怪物(クラン・カラティン)がうらやむことはない。彼らの目的は二十八人の怪物(クラン・カラティン)の勝利であって、個人の勝ち負けはそこにはない。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)は既に動き始めた。もうこの動きはどうにも止まらないだろう。

 

「……と、すっかり忘れていたのだが、そういえば保護された繰丘夫妻の様子はどうかね?」

「かなり衰弱しているようですが、命に別状はないとのことです。ただ、話ができるようになるには、まだかなり先になるかと」

 

 署長の言葉にいつの間にか戻ってきたのか、ミーティングの準備をしていた秘書官が事務的に答える。相変わらず仕事が早いな、と感心する。

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)もランサー同様に繰丘邸の不自然さには気づいている。

 

 伊達に開戦前から繰丘邸を見張っていたわけではない。

 繰丘夫妻は定期的に市内の病院へ行っている以外に取り立てて目立った様子はなかった。戦争準備そのものは一月以上前に終わっており、観測班から魔力反応に変化がないと報告も受けている。となれば、サーヴァントが繰丘邸に召喚された可能性も低く、そのサーヴァントが夫妻に攻撃したとも考えにくい。

 

 一体いつどうやって夫妻をあの状態に追い込んだのか。

 邸内をくまなく丁寧に調べれば何かわかるかもしれないが、蒸発してしまえば調査も何もできることなどありはしない。こうなってしまえば警察の鑑識ではなく安楽椅子に腰掛けた名探偵が必要になってくる。

 なまじ二十八人の怪物(クラン・カラティン)の情報網が優れているだけに完全な密室状態が証明されてしまっている。

 

「現在はスノーフィールド中央病院へ負傷した隊員と共に搬送されています。スタッフ二名が交代で監視中です」

「マスター、ではないんだな?」

「そのようです。令呪も確認できず、また使用した痕跡もありません」

 

 そう言って秘書官は手元の資料を署長へと渡す。一度に何役もやらせているというのにやることにそつがない。気付けば机の上にはまだ入れたばかりなのか、温かいコーヒーが用意されていた。

 

 優先順位は低いが、フェイズ5へゴーサインをだしたところで詳細を詰め始めたばかりだ。あと数十分は署長には時間的余裕がある。それまでに簡単な案件は済ませておきたかった。

 

「ふむ」

 

 繰丘夫妻の保護からまだ時間が経っていないというのに、資料には簡易検査結果と写真資料が添付されていた。

 全身に呪術感染とみられる痣こそあるが、資料によると令呪ではないと確認されている。

 

「何らかの呪術攻撃を受けたのか、体内の魔力は枯渇しています。現代には残されていない、古代源流呪術と似通った痕跡があることから、サーヴァントが関わっている可能性は非常に高いかと思われます」

 

 古代源流呪術というのは、つまるところ他者からの妬みや恨みといった感情を元とした呪術である。

 人間に限らず犬や猫といった畜生でも扱えた事例もあることからそのシンプルさが分かることだろう。単純過ぎる呪いなだけにその威力は低く、せいぜい免疫力が低下する程度。呪術を見下す傾向にある協会にあっては、これを魔術として認めてすらいない。

 

「どうやら観測班の不手際ではないようだな」

「呪いであれば現行手段での観測ではほぼ不可能です。とはいえ網の荒さを放置することはできません」

「そうだな。早急な対応が必要だろう」

 

 ただでさえ効率が悪く直接戦闘に向かない呪いである。仮に古代源流呪術の使い手がいたとして、この毒壺の如き聖杯戦争に参戦する者がいるだろうか。消去法からすると、必然的にサーヴァントの仕業ということになるわけだが……。

 

「詳細なデータが欲しいところだな」

 

 呪術とはある程度文明が進んでいれば、その文明固有の特色が出てくるものである。そのため呪術の特定は比較的簡単にできるのであるのだが、古代源流呪術はその単純さ故にそういった特色が出にくい。特色を出すためには時間を掛けて子細に調べていく必要があるだろう。

 だが、もっと素早く正確に調べる方法も、ある。

 

「病院内に儀式場を構築できるよう一室確保しています。指示があれば一時間以内に調査は可能です」

「許可しよう。敵サーヴァントに繋がるものであれば、どんな小さなものでも構わん。見逃すな」

 

 秘書官の言葉に署長は躊躇なく頷いた。その言葉の意味をはき違えているわけもない。秘書官もまた、敢えて説明するようなことはしなかった。

 ただ、まるで――というよりも本気で言い忘れていたかのように、秘書官は次いで確認をとる。

 

「優先順位の方はいかがしましょうか?」

 

 一応は互恵関係にあった繰丘夫妻である。内情を知れば別段二十八人の怪物(クラン・カラティン)を裏切ったというわけではない。

 

「……確か、夫妻には娘がいたな?」

「はい。繰丘椿、一〇歳。一年前から同病院の隔離病棟で入院中です」

 

 秘書官が資料を捲りながら補足する。

 本来であれば入念に調査するべきところかもしれないが、人気が少ない上に出入りが厳重な隔離病棟で闇雲に調査すれば繰丘夫妻に気付かれる恐れがあった。開戦し明確に敵対するその時まで大っぴらに動くわけにはいかなかったのである。

 結果として、担当医のカルテや看護師の巡回記録といった間接的な記録のみで繰丘椿の調査は終了していた。まさかその担当医が忙しさと体調不良により直接診察しておらず、その手にある痣の報告をまだしていないなど、考慮できる筈もない。

 

 秘書官から繰丘椿の資料に数秒だけ目を通す。

 病状を鑑みれば気の毒だとは思うが、それだけだ。そして夫妻がああなってしまえば、娘である彼女の価値は一気に落ちることになる。わざわざ今動く必要はないだろう。

 

「そうだな。魔術刻印の移植ができる程度には配慮してくれ」

「畏まりました。可能な限り配慮いたします」

 

 調べるために魔術刻印以外切り刻んでも構わない――そう告げた上司の言葉にその場にいた二十八人の怪物(クラン・カラティン)は誰一人として何の反論もしなかった。

 

 



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day.02-08 夜の散策

 

 

 この聖杯戦争に於いてアーチャーが本気であることを、ティーネ・チェルクは正直あまり信じてはいなかった。

 

 こと準備にかけてティーネ率いる原住民達は万難を排していた。

 何せ故郷を取り戻すためであるなら暴力(テロ)をも肯定しつつ、それでいて気長に待つことも厭わないような組織である。すでに独力での目的達成が困難と判断したその瞬間から、彼らは目的達成の手段として偽りの聖杯戦争に全力で挑んでいるのだ。

 

 調査期間だけでも十余年。その間に時計塔をはじめとする各魔術機関には間者を放ち暗躍し、天体科(アニムスフィア)の調査に便乗する形で想像以上に子細な儀式の情報を仕入れることに成功している。念には念を入れ、元となった冬木の地にも少なくない人数を割り振り、場に残された残留思念を子細に読み取らせ裏取りもしている。

 

 令呪が真に戦争を望むティーネ達原住民の者に宿らなかったのは誤算ではあったが、他のマスターから早々に奪い取ることに成功したのも、かつての聖杯戦争から情報を仕入れていたおかげである。

 

 故に、英雄王ギルガメッシュについても、ティーネはかなり詳細に知っていた。

 第四次、そして第五次聖杯戦争における圧倒的強さと――その慢心と傲慢さも。結局最終局面まで勝ち残りながら聖杯を手に入れられなかった理由は、その欠点のせいであることは間違いない。

 

 だからであろうか。ティーネは今この瞬間まで、この黄金のサーヴァントを正しく誤解していた。彼は気の向くままに戦い、飽きればやめるし、面白ければ放り捨てることも厭わない。そんなサーヴァントのやる気とやらが一体どれほどのものか、ティーネが見誤るのも無理はなかろう。

 

 ――スノーフィールドの夜に、その一撃は突然に放たれた。

 

 一撃、というのは語弊があるだろうか。蔵が開け放たれた回数から言えば確かにそれは一撃だ。だがそこから飛び出してきた宝具の数は尋常ではなかった。

 普段であれば必要に応じてせいぜい二〇も解き放てば多い方。それがこの場にあっては一〇〇を軽く超えていた。これだけの数の宝具が雨霰と一瞬のうちに蔵から放たれ消費し尽くされた。

 

 効率、などという殊勝なものはそこにはない。

 単純に数を足し算しただけの威力を追い求めた絨毯爆撃。互いに威力を相殺してしまったせいで、放った宝具の半数は壊れてもう使用することはできないだろう。

 

 普段であれば英雄王とてこのような浪費をするわけもない。放てば回収するし、無闇に壊すような真似もしない。かつて海魔相手に宝剣宝槍四挺を消費したことはあるが、今日の相手は海魔などとはっきりしたモノではない。

 何せ、隣にいるティーネ自身も何が出てきたのか分からないのだから。

 

「――あの、王?」

「なんだ?」

 

 おずおずと口を開くティーネに、アーチャーは特に厭う様子もなく気軽に応じてみせる。どことなく機嫌が良いようにも思える。

 この英雄王がティーネが思っているよりも本気であることは理解した。油断もしない、慢心もしない、惜しむべき財はここにはなく、手加減などもっての外。

 しかし、だからと言って……

 

「せめて、相手を確認をしてから攻撃しても良かったのではないでしょうか?」

 

 ティーネがそう口にするのももっともな話だった。

 アーチャーとティーネは夜の散策に出向いている。主に裏町などの人通りが少なく死角が多い場所をあえて選び、人通りが少しでもある場所は最初から除外してある。

 何せ英雄王の目的は魔術師らを影で捕食するような外道のサーヴァント(仮)である。少なくとも正々堂々と正面切って戦うタイプでない以上、圧倒的能力を持つアーチャーでは餌としてはかなり危険すぎる。敵にとって有利な地形で英雄王の弱点である無防備なマスターを同伴させねば、出てくる者も出てくるまい。

 

 こんなあからさまな罠に果たして引っかかるのだろうか、と危惧していたティーネであるが、それは杞憂であった。

 暗い薄闇の中で二人を待ち受けていたのは背後からの奇襲。その圧倒的な気配は生粋の戦士でもないティーネであっても、はっきりと認識させられるものだった。

 

 いくら奇襲を用心していたとしても、相手に先制のアドバンテージがあることに変わりはない。気配がしたと言うことは既に相手は攻撃態勢にあるということであり、悠長に振り返っている余裕すらない。

 

 だから、アーチャーは振り返ることなく王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)によって、後方に突然出現した襲撃者を容赦なく一掃した。

 

 襲撃者にとって不幸だったのは、アーチャーは点と線による攻撃よりも面による制圧攻撃が得意なサーヴァントだったことである。一振りの剣や槍を得物とするサーヴァントであればここは防御か回避を取ることだろうが、無限に近い財を持つ英雄王にその選択肢はあり得ない。

 

 まさか避ける隙間もない物量攻撃が奇襲に先んじて来ようとは思うまい。おかげで面制圧された一帯は完全に瓦礫の山と化し、遠くにあるビルですら余波を受けて今にも崩れそうである。

 例え襲撃者がサーヴァントであろうとも、これで生き残れと言うのは少々酷であろう。これではあまりに英霊という存在に対して申しわけなさ過ぎる。

 

「王の謁見には然るべき手順というものがある」

「直訴しに来た、という風には見えませんが」

「尚のことだ。我の後ろに無断で立てばどうなるか、思い知らせてやる必要がある」

 

 フハハハハ、とスナイパーならぬアーチャーは笑い声を上げるが、庶民の娯楽を嗜まないティーネには何が可笑しいのか分からない。

 機嫌の良いアーチャーに代わってティーネは周囲に目を凝らした。電灯もアーチャーによって壊されていたが、幸いにして夜目は利くので周囲を軽く窺う分には差し障りはない。

 

 周囲一帯が壊滅したような一撃である。これでまだ敵が潜んでいるなどとは思わない。あると思うのは、まだ残っているかも知れないサーヴァントの残滓である。せめてクラスを特定できれば今後の戦略も変わってくる。

 あまり期待することなく、ティーネは周囲を見回し、ある一点でその視線が止まる。

 

「……これは?」

 

 そう言ってティーネが近づき手にとったモノは、今まさに砂と化して消え逝こうとしている魔力の欠片であった。

 手に取った瞬間に半分以上は即座に光となって消え去ったが、残りの半分は数秒であっても今しばらく世界に留まっていた。死した後、矛盾を嫌う世界から粛正を受けて尚この圧倒的な存在感。触れた瞬間に何か得体のしれぬ寒気が身体を突き抜けるほど。

 これで襲撃者がサーヴァントであったことは確定したわけだが……。

 

「何を見つけた?」

 

 ティーネの声に、アーチャーが問いかける。

 この距離なのだから近くによって一目見れば済むというのに、アーチャーはその場を動かない。そのことを軽く疑問に思いながら、ティーネは言葉を探す。

 

「いえ、それが……」

 

 ティーネが答えを濁すのも当然。世の人々はそれを指して何と答えるのか、専門家でなくとも答えは出る。実際に手にとった感触からも、ティーネは同様の解答を得ている。

 

「おそらく……爬虫類の尾かと」

 

 人はそれをトカゲの尻尾と呼ぶ。

 だがこの場合、比喩としてのトカゲの尻尾とは無縁だろう。恐らく無事であったのは尻尾だけで、本体が助かっているなど有り得ない。

 

「わずかではありますが、確かに少し動いておりました」

 

 件の襲撃者がサーヴァントであることは確定である。そして、尻尾が動いていたということは尻尾は飾りなどではなく、サーヴァントの一部であるということだ。蛇の尾を持つ英霊は世界中に見られるので、そう珍しいものではないかもしれない。

 

「なるほど。俄然、面白くなってきたではないか」

 

 ティーネの言葉にアーチャーは思い当たる節があるのか、その顔には子供のような笑みがある。思い当たる節がないティーネとしては、一体何が面白くなってきたのかさっぱり分からない。

 面倒事が増えたことだけは、確かである。

 

「良いことを教えてやろう」

 

 と、アーチャーはティーネの疑問に気付きながらも答えることもなく、自らが作り出した瓦礫の山を指し示した。

 

「今宵の我は油断なぞしてはおらんぞ?」

 

 言って、先にも増して笑いながら英雄王の姿は消えてなくなった。それ以上の言葉は不要ということなのだろう。となると、答え合わせをするつもりもないらしい。

 指し示された瓦礫の山を見るも、ティーネでなくとも何が言いたかったのか咄嗟に分かるわけもない。圧倒的な物量を持って行われた、圧倒的な破壊がそこにある。他のサーヴァントであっても、これほどの破壊を行える者はそうそういるわけがない。

 

「……どういう意味でしょうか?」

 

 アーチャーに問いに首を傾げるティーネではあったが、肝心のアーチャーは霊体化してさっさとどこかへ行ってしまった。恐らくは悩むティーネを遠巻きに眺め見ながら愉しむつもりなのだろう。

 王の機嫌が取れるのならそれもまた構わないのだが、あいにくといい加減この場に留まるわけにもいかないのである。餌となるサーヴァントが消えてしまった以上、今夜の散策はこれで終了だ。

 

「王には申しわけありませんが、その問いに悩む姿は後ほどたっぷり見せますので」

 

 今夜はこれで失礼します、と誰ともなく断りを入れてから、ティーネは振り返ることなく足早に現場を後にする。

 この場を入念に調査すれば何か出るかも知れないが、ここまで大事になった以上それは望めまい。

 

「官憲が立ち入る前にさっさと帰ることにしましょう」

 

 そう誰ともなしに呟く。

 できれば戦争開始前に行政内に影響力を持たせておきたかったのだが、それはやはり難しかった。

 原住民はテロリスト、という認識が彼らの中にあったのか、上手く取り入ることができなかったのである。おかげでこんな夜間に一人でいるところを警察官に見つかれば、ティーネの補導は確実である。そんな恥ずかしい真似だけはさすがに回避したい。

 

 サーヴァントが一人減った。その事実に少しばかり気を楽にしながら、少女は警察官相手の隠れんぼに身を投じることになった。

 

 



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day.02-09 多頭竜

 

 

 少女と英霊、二人が立ち去ったすぐ後。

 

 瓦礫の山の端から、ぼこりと血塗れの男の腕が飛び出した。

 爪は剥がれ、指は折れ、腕の骨も傷口から覗いていた。さしずめゾンビ映画のワンシーンのようではあるが、腕の主はゾンビなどという低級なモノではない。

 

「二度あることは――」

 

 ゾンビではなく、――吸血種。

 

「三度あるッ!」

 

 ジェスター・カルトゥーレ、その人である。

 

 クハクハと嗤いながら瓦礫の山を発泡スチロールのように宙に刎ね除け、ジェスターはこれ見よがしに登場する。

 その様はホラー映画というよりコメディー映画に相応しいが、押しのけた瓦礫はどれも巨大なコンクリートの塊である。ジェスターが死徒でなければ重機が搬入され作業が開始されるまで、長く押し潰されたままになっていたことだろう。

 

「さすがに三度も死ねば慣れるというものだろう!」

 

 例によってその身体に刻まれた概念核は三つ目をどす黒く染めている。人間死ぬ間際になると脳内物質が分泌され多幸感に包まれることがあるというが、それは死徒にも適用されるらしい。

 

「ふむ。今度の死はさすがに無粋に過ぎる。戦場にいる以上、流れ弾に当たるのも当然ではあるが、これでは自然災害で死ぬのとそう変わらん」

 

 冷静――かどうかは別として、ジェスターは己の死因にそんな感想を漏らす。

 ジェスターの死因は倒壊したビルによる圧死ではなく、アーチャーの放った宝具の一つによるものだ。

 

 広範囲に無作為に放たれた宝具の雨は、ジェスターに防御も回避も許さなかった。例え防御に徹したとしてもその全てが役に立たなかったであろうし、回避するにも避ける隙間がない。

 概念核をひとつ失っただけで済んだのが奇跡のようである。消し炭になるまで連続した攻撃をされていたら、さすがのジェスターであっても甦ることは不可能だ。

 

「あれが噂に聞く最強のサーヴァント、第四次聖杯戦争の英雄王ギルガメッシュか!」

 

 過去に同じ英霊が二度召喚されたことは聞き及んでいる。その可能性がこの偽りの聖杯戦争にも適用される可能性を見越して、ジェスターもティーネ同様に過去に召喚されたサーヴァントを可能な限り調査してあった。

 優勝候補筆頭ともなれば尚更だ。

 

「しかもかつての聖杯戦争の記憶もあるようだな! いかにももってこの聖杯戦争は偽りの名にふさわしい!」

 

 本来であればサーヴァントはごく少数の例外を除き、生前の記憶だけを持って召喚されるという。過去に召喚された際の記憶を持ち合わせることなどあり得ないのだ。

 調査によると英雄王は第四次から第五次聖杯戦争にかけて十年ほど現界していたというのだから、俗世の文化に詳しいのも納得だ。いくら聖杯とはいえそんな必要性のない知識まで聖杯が網羅しているとも考えにくい。

 

 アーチャーは確かに規格外であるのは間違いないが、その在り方は例外的なものではない。だとすれば、例外であるのはサーヴァントではなく聖杯の方だろう。偽りとはいえ、もう少しオリジナルに近づける努力を企画者はすべきだ。

 

 だが推測だけの情報よりも、もっと確かで無視できぬ情報の方が今は大切である。

 

 先ほどの英雄王と襲撃者の戦闘である。

 もしこの場でティーネがジェスターの言葉を聞いていれば眉を寄せたに違いない。ティーネの認識からすればあれは戦闘ではなく蹂躙の類。象が蟻を潰す様に等しい事象である。

 

 だが、その事実は正しいようで――間違っている。

 

 今回、英雄王が倒したサーヴァントの正体はギリシャ神話最強の怪物の一つ、その名も名高きヒュドラである。

 冥府の番人であり、ギリシャ最大の英雄ヘラクレスが唯一単独では倒せなかった、幾つもの頭を持つ不死身の水蛇。

 本来であれば、並のサーヴァントでは歯が立たぬ化け物の中の化け物である。

 

 伝説通りだと中途半端な攻撃はヒュドラの再生能力の前に無意味を通り越して逆効果。斬れば斬るほど頭は増える上、すぐに再生するとはいえその傷口から流れ出る血は有名な猛毒、その呼気ですら近付けば臓器が爛れる。

 サーヴァントならばまだしも、生身のマスターでは近づくことすら危険極まりない。

 

 故に、ヒュドラを倒す方策は幾つかに限られる。

 

 一つ目は、伝説に準えて再生能力を封じた上で切り刻む方法。幸い火によって傷口を灼けばいいだけなので難易度はそこまで高くはないが、松明を作るために森が一つ消えてしまったことを考えれば決して簡単というわけでもない。

 

 二つ目は、同様の事態であった第四次聖杯戦争のキャスター戦の海魔と同様に、一撃のもとに一片の肉片をも残さず焼き払う対城宝具を用いる力技。ただし海魔の時と違ってヒュドラは街中で顕現している。周囲への被害は甚大なものとなるだろう。

 

 三つ目は、聖杯戦争ならではの持久戦。召喚されたのがサーヴァントである以上、マスターの魔力が尽きればいかに再生力が優れていようともガス欠は間近である。魔力を現地調達されては厄介だが、単独で動いているであろうマスターを仕留めるのが一番現実的な策であろう。

 

 そして最後の方策が、ヒュドラの再生速度を上回る攻撃回数を一度に行うことである。無論、一度で仕留めきれなかった場合のリスクを考えればおいそれと実行できるものではない。

 

 アーチャーが一体どれを選択したのかは言うまでもない。

 

 あの一戦は一方的な蹂躙などではない。ヒュドラ自身にその意志があったかどうかは定かではないが、ヒュドラのマスターは明らかに奇襲を意識していたし、アーチャーがいつも通りの反撃をしていればヒュドラを殺しきれず、消滅していたのは逆であった可能性もある。

 

 互いに生死の綱渡りをしているが故の『戦闘』。

 蹂躙と戦闘の違い。これを間違えていることこそが、アーチャーがティーネに放った発言にある。

 

 ――我は油断していない。ならば、貴様はどうだ?

 

 そしてその言葉は、この状況を、アーチャーが正確に把握していることを意味している。

 結局、ヒュドラの姿をアーチャーはついぞ見ることがなかったわけだが、本来の王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)の一撃であれば周囲は瓦礫の山どころか、クレーターになっていなければおかしいのである。

 そこから逆算すると襲撃者の体躯や能力も導き出せるし、ティーネが発見した残滓も併せて考慮すると自ずと正体に気付くというものである。

 

 それに対し、ティーネはアーチャーの実力を実際よりも低く見積もってしまっている。そして他のサーヴァント――この聖杯戦争そのものを、見くびっている。

 

 優秀な彼女だからこそ、アーチャーの発言の真意にまだ気付けない。

 アーチャーは自らの考えをマスターたる彼女に直接伝えるつもりはない。油断しているという自覚のないティーネを、英雄王は今しばらく愛でるがままにする腹づもりらしい。

 

 これは油断ではない。

 アーチャーはマスターたるティーネすら信用していないということだ。

 信用に値する存在として見なしていない。

 でなければ、マスターの危機を黙って見ているわけもない。

 

「クハハハハッ! なかなかに、良い趣味の持ち主のようであるな!」

 

 敵マスターでありながら、ジェスターはティーネ以上にアーチャーの言葉を正しく理解していた。

 宮本武蔵やバーサーカーですら常識に捕らわれ不覚を取り、結果片方は消滅し片方はマスターを奪い去られた。そしてそれらを上回る油断をしていたが故にジェスターは三度も死ぬ羽目になったのである。それだけ死ねば、多少反省はするというもの。どういった行為が油断に繋がるのか、実行はともかく理解はできる。

 

「さて……それはともかく、あの東洋人はどこに行った?」

 

 そもそもジェスターがこの場に居たのは偶然ではない。

 この偽りの聖杯戦争の鍵とみられる東洋人を追跡している最中に、この現場に遭遇したわけである。いずれ東洋人が何かをしでかすのを待っていたのだから、当然の帰結であろう。

 

 あいにくとジェスターは東洋人がヒュドラを召還した直後までしか状況を把握していない。

 距離が多少あったので王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)の掃射でもよほど運が悪くない限り助かっていることだろうが、さすがにもう逃げている筈である。

 今すぐ周囲を探索すれば追跡を再開することも可能だろうが、身体が完全に蘇生し馴染むまでまだしばらくかかる。

 

「……まぁいい。もはやその必要もあるまい」

 

 蘇生の間、状況を整理しながらあっさりと、ジェスターは東洋人の追跡を断念してみせる。

 

 東洋人はこの事態が異常であることに気付いていない。

 ヒュドラというコントロール不能かつ危険極まりないサーヴァントを召喚したことからもそれは明らかだ。召喚のシステムが他のマスターと違うということは、即ち隷属させるシステムも違うということに他ならない。

 この間違いに気付かなければ自滅するのがオチだろう。

 

 ジェスターの推測が正しければ、あの東洋人はただの駒――それも捨て駒に過ぎない。

 盤上に置いた後は勝手に自滅するのを待つばかり。その生存確率を考えれば駒を操るプレイヤーがこの場に現れる可能性は相当に低い。むしろ出てこない可能性の方が遙かに高い。

 

 かつて第五次聖杯戦争においてまったくの無知であった衛宮士郎は同じマスターである遠坂凛に助けられ聖杯戦争に勝ち残ったわけだが、その踏襲をジェスターはしようとは思わない。

 ジェスターはそこまでお人好しにはなれないし、そもそもジェスターは聖杯戦争など既に眼中にない。

 

 聖杯戦争とは他のサーヴァントやマスターについて調査することがセオリーであるのだが、この偽りの聖杯戦争においてはサーヴァントそのものを調べる価値はあまりない。それは聖杯よりも自らのサーヴァントを屈服させるという目的を持っていたジェスターだからこそ見えてきた真実。

 

 調べるべきは、サーヴァントではなく勢力図にある。

 

 盤上の駒は決められたルール通りにしか動くことができない――と、思い込まされている。実際には、そんなルールはどこにもない。ジェスターですら、緒戦の市街地戦を体験しなければ、知らずルール通りに動いていたに違いない。

 

 ジェスターは一連の流れを思い返す。アーチャーの言動、そしてティーネの呟き。ささやかすぎるそれらの手掛かりに、ジェスターは確信を得る。あくまで目的はアサシンではあるが、目的を辿る方法は最良のものを選択をしたい。

 

「俄然、面白くなってきたではないか」

 

 英雄王と全く同じ台詞を口にしながら、ジェスターはティーネが消えたのとは逆の方へと消えていった。

 

 偽りの聖杯戦争の真実に近づいた吸血鬼。

 その暗躍に気付いた者はまだ誰もいない。

 

 



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day.02-10 籠の鳥

 

 

 長い待機時間を終え、二十八人の怪物(クラン・カラティン)の男は息を吐き出しながらゆっくりと伏射を解いた。

 

 凝り固まった筋肉を軽くほぐしながら広げたロングライフルをバラしてアルミケースの中へと片付ける。時計を見ることもなく、雑居ビルの屋上から非常階段で下りてみれば、それほど離れていない場所に見覚えのあるいかにも清掃業者といった風情のワゴン車が待機してあった。

 

 周囲を軽く見渡し他に誰もいないことを確認しつつ、素早くワゴン車の後部座席を開け放つ。リュックサックをぞんざいに放り投げ、アルミケースを慎重に車内で待機していた男に受け渡す。

 

「お疲れさまです」

 

 労う運転席の男にいかにも疲れたといった顔で男は手を上げ、やはり周囲を警戒しながら助手席に身体を滑らせた。

 

「周辺状況はオールグリーン。北部で多少問題が起きたようですが、南部の我々はそのままだそうです」

「次回からは装備品の中にシートを入れておいてくれ。いくらなんでも夜の屋上は寒すぎる」

「他二カ所の奴らからも同様の要望が来てたようですよ。却下されていましたが」

「シート一つ被るだけで発見率が下がるから、か? サーヴァントの目はどんだけ節穴なんだ?」

 

 悪態をつくものの、今後のやることに変わりはない。

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)はその性質上実働部隊の人数が極端に限定されている。その上で街どころかスノーフィールド全域をカバーし、サーヴァントを倒していかねばならない。

 当然、人数が足りる筈もない。

 そこで考案されたのが――この囮作戦。

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)においても様々な担当部署があり、現在のこのチームの最優先事項は情報収集にある。

 こうして分かり易い囮を適当な屋上に配置することでサーヴァントに発見させることが目的である。

 囮を中心に半径100メートルを集中観測することでサーヴァントを逆に補足しようという魂胆だ。

 

「効率的といえば効率的です。囮に対する配慮がない――いえ、ほとんどないのが玉に瑕ですが」

 

 言い直してはみるが、事実はまるで変わらない。

 作戦上、囮に求められるのは魔術師として適度な能力と兵士として適度な練度である。 サーヴァントにとって魔術師が何人いようと問題はない筈だが、強すぎれば警戒されて遠のいてしまいかねないし、弱すぎても警戒されてしまう。隠れるのが上手すぎれば気付かれないし、バレバレではこれもまた逆に警戒されてしまう。

 

 釣りというのはなかなかに難しい、とマーカーで書いた遠目では令呪に見えなくもない落書きを拭い落とす。聞くところによるとこの偽令呪ひとつとっても複数のバリエーションが用意されているらしいが、それにどれだけの意味があることか。実行する本人はともかくとして、マスターをはじめとする作戦部は大まじめなのだから質が悪い。

 

「英霊様が人間の魔術師如きにどれほど警戒してくれるものかね」

「本部は囮を攻撃してくる可能性は一割以下とみているようですよ」

 

 囮役のため息に囮役にもなれない下位の二十八人の怪物(クラン・カラティン)は生真面目に返答する。それで慰めになると思っているところが上位と下位の意識の違いだ。彼等の役割は上位の二十八人の怪物(クラン・カラティン)の補佐であり、周辺観測要員でしかない。仕事の危険度は雲泥の差がある。意識が違うのも当然だ。

 

「まあいい。それよりこれからどこへ行くか聞いているか?」

 

 無用な会話を切り上げ、手元の液晶ディスプレイで状況の確認に務める。先ほど聞いた通り北部区域でトラブルがあったらしいが、事態は既に沈静化。『籠の鳥』の警備状況にも変更なし。

 詳細を探ろうにも閲覧が制限――いや、そもそも情報がアップされていない。フェイズ5への移行中ということもあって、本部が多少なりとも混乱状態にあることは容易に予想できる。

 末端に対して軽くとも情報が伝達されていることから事態はすでに収束しているのだろう。後はどう処理するのかが問題だ。大いに会議室だけで悩んでいただきたい。

 

「ええ、これからポイントチャーリーで下ろすよう言われています。マルタイの監視――ああ、いえ、護衛ですね」

「ほんと、忙しくて嫌になる。英霊よりも睡魔と戦ってる気分だ」

「この戦争中は確実に休めないとは聞いていましたが、こうも休みなく働きづめとは思いませんでしたよ。マルタイが大人しくてくれれば、ちっとは休めるんでしょうが」

 

 互いに苦笑いを浮かべながら、ワゴン車は市街を走り抜けていく。

 

 マルタイ――サーヴァント・キャスターといえば聖杯戦争においてもっとも注意するべき味方である。第五次キャスターの例をみるまでもなく、キャスターのクラスはもっとも裏切りやすいサーヴァントである。

 

 幸いにも現状においては一応の関係性を築くことには成功しているが、あのサーヴァントは「面白いから」という理由であっさりと裏切りかねない危うさがある。これは別に個人的な意見ではなく、マスターをはじめとしてあのサーヴァントと相対した全員の感想である。当のキャスターですらそうした自覚があるのだから始末に負えない。

 それ故に本任務は最初から「護衛」ではなく「監視」であり、そして「ご機嫌取り」である。

 これからのことを考えれば、頭も重くなるの無理はない。それでもキャスターを擁する陣営として、避けては通れぬ道である。

 

「できれば少し休憩したいところだな」

「あと三〇分は市内をドライブしますから、寝てもらっても結構ですよ」

「お言葉に甘えるとしよう」

 

 宣言通り、三〇分の追尾欺瞞行動をとってから市内にいくつもある二十八人の怪物(クラン・カラティン)の秘密施設へと到着する。

 外観はどこにでもある普通のオフィスビルにしか見えないが、実際には一般に秘匿された耐爆仕様の建造物である。合衆国内の至る所によくある汚い仕事の清掃会社であり、他の会社と違う点は地下にあるフロアが魔術的にも神経質なまでに要塞化してあることか。

 当然、彼らは地上ではなく地下に用がある。

 

 イメージとしては地下迷宮(ダンジョン)に近いが、実際にはそれほどのものではない。

 エレベーターに乗ればケージごと半回転して向きを変えたり、五感に負荷をかけて見当識を失わせるような錯覚、その程度だ。富士の樹海を踏破してみせる練度があれば、この程度は気楽な散歩コースと何ら変わりない。

 

 古城よろしく守備を重視し直線の少ない通路を右へ左へと移動し、ようやく目的の扉の前へと辿り着く。

 極太の金属棒で何重にも閂が嵌められたその扉の制御板に事前に渡されていたカードキーを通す。暗証番号を打ち込み認証が確認されると、小さな電子音と共に扉のロックは解除された。

 

 キャスターの居室兼工房と位置づけられたこの部屋は、厳重な監視と強力な結界の張り巡らされたスノーフィールドで最も頑強な部屋の一つでもある。

 物理的にも魔術的にも優れた防御力を発揮するのは無論のこと、例え大統領ですら決められた手順を踏まなければおいそれと入ることのできないよう、法的にも守られた特殊な場所である。まるで女子校みてぇとはキャスターの言。

 

 しかるべき手順を踏んだからこそあっさりと入ることはできたが、それ以外であれば例え内側からでも開かないようになっている。ここまでの厳重さはキャスターに対する保護よりも裏切りを恐れてとしか思えなかった。

 

 一歩二歩と中に入れば後ろのドアが音もなく閉じていき、セキュリティは再度ロックされていく。

 入り口からの光量がなくなれば、室内がいやに薄暗いことにすぐに気付く。電灯は普通に天井に張り巡らせている筈だが、それをどうやら使っていないらしい。部屋唯一の光源は壁に埋め込まれた大型モニターから発せられる映像のみ。

 そのモニターの目の前で、キャスターはやたらでかいソファーに寝転がりながら、にぎり寿司を食べ、ヌードルスープを飲んでいた。

 

 小太りで色黒、きちんとした身なりをしてはいるが、菓子のカスがそれを台なしにしている。一目見る限りではとてもではないが、英霊の類には思えない。

 

「俺は思うに――」

 

 部屋に入ると同時に、口を開いたキャスターに、思わず立ち止まる。何かミスをしでかしたかと自らの行動を振り返ってみるが、そんな心配は杞憂だった。

 

「米とこのヌードルスープ、これはもしかして相性がいいんじゃないか?」

「……その発想は別に珍しくないぞ、キャスター」

 

 周囲を見れば寿司とヌードルどころか、炭酸の抜けたコーラや冷めたピザ、食べかけのフライドポテトにイチゴだけがなくなっているショートケーキもそのまま放置してある。

 どうやらこの英霊は自らに科された作業を放置して食べ合わせ研究でもしているようである。

 

「この俺と同じ発想をした点については大いに褒めるべきところではあるな。ではこのビールとドリアンというのはどうだ?」

「それはやめておけ」

 

 嘆息しつつ、キャスターの背後へとゆっくり近づいていく。

 キャスターの左手はジャンクフードへ手を伸ばし、右手はリモコンで操作を続け、その視線はモニターの中へと注がれている。地元ニュース番組に海外ニュース番組、バラエティもあれば普通に街頭カメラの映像も映し出されている。せわしなく次々と移り変わるモニターの情報を頭に入れているかは疑問だが、唯一片隅のジャパニメーションのモニターだけは変わらない。

 

「ところで、頼んでいた三不粘(サンプーチャン)を用意してきてくれたか?」

「サンプ……?」

 

 モニターから目を離し、振り返ってこちらを見入るキャスターの質問に、足が再度止まる。サンプーチャンとやらが何か、記憶の中を探るが心当たりがない。

 

「……何のことだ?」

「おいおい、ちゃんと頼んだだろう? 卵・砂糖・デンプン・水・ラードしか使わないシンプルな料理。逆にそうであるが故にごまかしがきかない高難易度デザート。皿にも箸にも歯にも粘り着かない不思議食感。故に三不粘(サンプーチャン)! 一度味わって見たくてなぁ」

「――ああ、そんなことも言っていたか。すまないな、キャスター。忘れて――」

 

 いたようだ、と言う言葉は続けられなかった。

 

 かちゃり、と実に自然な動作でキャスターの左手にはソードオフショットガンが握られ、こちらへと向けられていた。

 脂でべと付いた手ではあるが、その引き金は確実に添えられていた。安全装置も最初から解除されている。

 

「……どういうつもりだ、キャスター?」

 

 ひとまずは両手を挙げて無抵抗を演じながら口を開く。

 

 ソードオフショットガンは、ショットガンの銃身を切り詰めた改造銃の一種だ。射程は短くなるものの、通常のショットガンに比べて散弾が拡散しやすくなる。間近で発砲されれば、回避はほぼ不可能の至近距離戦闘特化武器である。

 

 キャスターとの距離はわずかに三メートル。一息で詰められるものの、引き金を引く方が確実に早い。

 そして何より、このショットガンの弾にはハッキリと判るほどに強力な魔力が込められている。一個人に向けるには少々得物が強力すぎる。

 

「はん。脚本としちゃ王道だが使い古されてつまらないな。俺は三不粘(サンプーチャン)なんざお前に頼んだことはねえぜ?」

「誤解だ、キャスター。キミの機嫌を損ねまいと嘘をついた」

「いいや、誤解なんかじゃねえぜ。お前の右足、その小さなイスを蹴り上げようとしただろう? それが何よりの証拠さ。時間稼ぎなんざ無意味なことさ」

 

 図星、であった。

 例え手足を打ち抜かれようとも、即死を防げたのならまだ次がある。ここで唯一の頼みの綱は傍に落ちていたイスを盾にキャスターに接近すること。キャスターに戦闘能力がないことは公然の秘密である。

 接近さえできれば、手負いであっても勝機は必ずある。

 

 いや、本当にあるのか――?

 

 迷いが胸中に渦巻く。覚悟を決めるにはまだ早い。キャスターに指摘されようがとぼけることは十分に可能。第一にわざわざキャスターが指摘したということはまだ時間的にも交渉の余地があることを示し、それからでも決して遅くは――

 

「遅えよ」

 

 男が右足を動かしイスを蹴ろうと思うよりも早く、キャスターは交渉をしようともせずあっさりと引き金を引いた。

 

 



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day.02-11 魔弾

 

 

 魔力を込めた弾は文字通りの魔弾である。

 その効果は様々であり、威力や命中率の向上は無論、後々まで尾を引くやっかいこの上ないものもある。いずれにせよ、当たってしまえばダメージは避けられない。

 

 銃口に点るマズルフラッシュ。

 円形に広がる散弾は豪雨のように降りかかるため、装甲を持たない対象への効果は文字通り致命傷となる。

 回避しようにも狭い屋内ではそんな空間はどこにもなく、防御しようにも貧弱なイスがあるだけでそんな頑強な盾はどこにもない。

 取り得る有効な選択肢は先制攻撃だが、交渉の余地を見いだそうとした男はそれを選ぶことをしなかった。

 

 分かり易い破裂音。

 男の後方に銃弾がめり込んだ後、男は静かに膝を付いた。

 蹴って防御にでも使おうとしたイスはその前に散弾の巻き添えとなって原形も留めずバラバラとなっていた。これでは最初から盾として機能することもなかっただろう。

 

 全ての選択肢は無意味だった。

 キャスターは男があの場に来た時点で銃を向けることを決定し、一片の疑惑でもあれば即座に引き金を引く予定だったのだ。

 あの威力の宝具を最初から用意していたこと、それ事態がこれが罠だという証左。

 

 即死でないことに男は感謝した。

 右手は動く。念のためにと懐に隠しておいた手榴弾が役に立つ。これならピンを抜くくらいの猶予はある。霊体たるキャスターにダメージはなかろうが、これで少しはキャスター陣営にダメージを与えられ――

 

「……うん?」

 

 静かに倒れ伏そうと思ったのだが――わずかな違和感が男を襲った。手榴弾のピンを抜く直前にその事実に気がつく。

 

 これは一体――どういうことだ?

 

 力の抜けた膝に力を入れれば、倒れ込もうとする身体はその場で止まった。右手で身体を触る。左手も――身体を触る。両手で顔を触れてみても、手のひらには自らの汗以上のものは何も見当たらない。

 

 男の視線に、キャスターはワインのコルクを歯で抜き取りながら薄笑いを浮かべる。未練も無く足下へと放り落としたソードオフショットガンが、もう一度構えるつもりはないことを雄弁に語っていた。

 

我が銃は誰にも当たらず(オール・フィクション)

 

 口元のワインを豪快に袖で拭いながら、キャスターはあっさりと手品の種を口にしてみせる。

 

「銃の名手である俺が拳銃自殺をし損ねた逸話が具現化した宝具だ。おそらくこれ以上なくくだらない宝具だな」

 

 こういうときには役に立つ、と続けるキャスターの言葉に男は静かに立ち上がる。

 確かに背後の壁は凄惨たる有様だが、男の身体に傷一つありはしない。対象を決して傷つけぬ必中ならぬ必外の宝具というわけだ。

 

「……なるほど、キャスター、君は最初の問答で私の正体を見破ったのではなく、銃を向けられた時の反応で見破っていたわけか」

 

 魔力を込められた銃を向けられれば、普通の魔術師ならキャスターの行動に何らかの反応をすることだろう。

 回避・防御・説得、または攻撃。キャスターの宝具を知っている者であれば、そんな無駄なことをせず泰然としているだけでよかったのだ。

 

「俺と接触する二十八人の怪物(クラン・カラティン)には俺が銃を向けても気にしないようマスターが暗示を掛けてる筈だからな。例え尋問したとしても口にしなかったろ? その様子だと、俺の真名も知らないようだしな?」

「……それはどうかな?」

 

 内心九分九厘ばれていることを自覚しながら、男はブラフを口にした。

 真実を語ることにはあまり意味はない。確実に倒せる隙があったというのにキャスターはわざわざそれを見逃し、あろうことか正体に関するヒントまで与えている。

 つまりは――下手に出ている。

 圧倒的優位であるこの状況、で。

 

「まあそんなことはどうでもいい。話が通じそうなヤツで安心したぜ。問答無用で先制攻撃をしかけられたら負けるしかねえしな」

「話、だと?」

「俺は同盟を組みたいのだよ、なぁ、サーヴァント?」

 

 キャスターの言葉に。

 男は――二十八人の怪物(クラン・カラティン)の一人に化けていたバーサーカーは、その正体を隠すことなく顕した。

 

 姿形こそは変わりはないが、偽装のために抑えていた気配を解放し、自らの宝具も解放した。

 バーサーカーから湯気の如く立ち上る漆黒はまさしく禍々しき魔力を放つ宝具そのもの。バーサーカーを取り巻く気配が先と一変し、その眸は炯々と猛禽の如く異彩を放ってみせる。

 

 ――無論、全ては虚仮威し。バーサーカーの宝具と変身能力の合わせ技に過ぎない。

 しかしその存在感、殺気、圧迫感は本物以上に本物だ。バーサーカーが殺人鬼である事実には変わりなく、例えその気があろうとなかろうと、むき出しの本性は他者に根源的恐怖を沸き上がらせてくる。

 

「この私と、同盟だと?」

「そうともさ。俺はお前と手を組みたい」

 

 だというのに、張りぼてとはいえこの圧倒的存在を前に、キャスターは動じることなく平然と返答してきた。

 

 キャスターの言葉に嘘偽りはない。

 どう目を凝らしてもキャスターの気配に変化はなく、それどころかごく自然にポテトチップスの脂に塗れた手で握手すら交わそうとする。

 書面の誓約書が良いと言えばその場で何の躊躇もなく作成したことだろう。

 

「もう一度言っておこう。俺にはお前が必要なのだよ」

 

 三顧の礼というやつだ、とキャスターは嘯く。

 それは意味が違うという突っ込みの代わりに、バーサーカーは漆黒の宝具をキャスター本人を取り巻くかのように展開させてゆく。もちろんそれだけでなく、部屋の隅々にまで漆黒を張り巡らし、床に落ちたショットガンの弾倉や、机の下、ソファーの裏、果てはポテトチップスの袋の中までくまなく探索を終了させる。

 

 結論として――キャスターは、何の備えもしていなかった。

 

 部屋の中には様々な火器もある。魔力を持った宝具もある。しかし扱える武器と呼べるものは足下に無造作に落としたオール・フィクションとかいう宝具のみ。効果のオンオフができるかは疑問だが、次弾を込めていない以上脅威にはなりえない。

 つまり、このキャスターは保険もなしに待ち構えていたのだ。

 

「……本気か?」

 

 正気か、と言う言葉を何とか呑み込んだが、吐露した言葉は似たようなものだった。

 思わず眉間に皺を寄せより一層警戒を増すバーサーカーに対し、キャスターは口角を上げた。

 

「どうやらその漆黒、探索能力があるようだな? 俺が何か策でも弄していると思っているのか?」

「まるで策を使わぬのが策といわんばかりだな」

 

 きっと「策を使わない策と思わせておき最終的に使う策」なのだろう。ややこしい。

 

 バーサーカーの言葉にキャスターは何も応えない。

 卑怯卑劣が売りの外道や、先のことなど考えぬ獣であればキャスターの首を問答無用に取ったに違いない。しかし狂戦士のクラスにありながら高い理性を併せ持つバーサーカーに、その選択肢はない。

 未だ知り得ぬ、黄金の粒より尊き情報を、このキャスターは持っているのだから。

 高い理性が徒になる。

 

「ああ、そうだ。先に聞いておこうか。その顔の男、殺したのか?」

 

 バーサーカーの漆黒をまるで無視してキャスターはソファーに腰を沈めて座りこみ、ケースから葉巻を咥えて火を点けながら聞いてきた。その行動を子細に観察はしたが、特に怪しげな様子もない。

 ただ、そんな話題を出しながらも、男の安否を気にしている様子ではなかった。

 

「あの男なら今頃ビルの上で夢の中だ。あと数時間もすれば目覚めるだろう」

「殺した方が面倒がないだろうに」

「無益な殺しは私の主義に反するのでね」

 

 殺人鬼の台詞とは思えぬ大言だった。とは言え、別段嘘というわけではない。あの魔術師らしからぬ魔術師であるフラットがマスターなのである。

 いかにマスターが行方不明といえども、あのマスターに誰かを殺したと後々知られれば、面倒なことになりかねない。

 それにいらぬ騒ぎを起こすのはバーサーカーとしても遠慮したい。

 

「ふん。下手な嘘ではあるが、同じ嘘吐きとして共感はできそうだ」

 

 一体何がキャスターの琴線に触れたのかバーサーカーは判らないが、キャスターのその眸はひどく嬉しそうだった。オモチャを見つけた子供のような好奇心がそこにある。

 キャスターが吐き出した紫煙は室内に篭もり、バーサーカーの漆黒と入り交じる。

 

「換気扇を付けてもいいか?」

「……勝手にするがいい」

 

 何気ない風を装っているのかいないのか、したり顔のキャスターにバーサーカーは内心舌打ちしたい気分だった。同時にバーサーカーは自らの宝具を収め、また元の二十八人の怪物(クラン・カラティン)の男へと姿を戻す。

 

 キャスターにどこまで見抜かれていたのかは分からないが、キャスターはバーサーカーの虎の威を見事に見切っていた。こちらの殺気と威圧と不可解な宝具を前に欠片も動揺しない相手にこれ以上の意味はない。

 むしろ、バーサーカーにしてみれば自らの弱点を覗かれた気分ですらある。偶然であるとは思いたくない。

 

「まあ、同盟を組もう言うのだ。質問があれば答えられる範囲で答えよう。信じるかどうかは別として、それを聞いてから考えても損はあるまい?」

「嘘吐きの語る情報が信用できるものかな?」

「それを見極めるのもお前さんの仕事だろ?」

 

 ずいぶんな大盤振る舞いはキャスターの誠意か、それとも裏があるのか。しかしバーサーカーはおかげで本来の目的を思い出す。

 バーサーカーの目的は何を差し置いても情報なのである。

 

「何でも聞いてくれ。俺は何でも知っている」

 

 聞く相手を間違えたかな、とバーサーカーは少しだけ思った。

 

 

 



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day.02-12 誘導

 

 

 キャスターの大言にバーサーカーは一抹の不安と念のための警戒をしつつ、言葉を探す。

 こうした展開は望む所であるが、当初の予定では顎剃りと呼ばれるウルグアイ軍式の非公式自白強要マニュアルを実行するつもりだったのである。

 理性的な殺人鬼は現代知識に基づく新たな手法を身につけるべく日夜努力するのである。

 

「……ではまず聞こうか。何故、私がこの場に来ることを知っていた?」

「そいつぁ違うな。逆だぜ。俺が、お前を呼んだんだ」

 

 ひとまずジャブとして問いかけたバーサーカーに、キャスターはストレートでカウンターを仕掛けてきた。そのもの言いにバーサーカーは不信感を露わにする。

 

「と言っても、俺が実際にやったのはあの宮本武蔵の退治にマスターが直接乗り込んでいこうとするのを止めただけだ。有象無象の魔術師を間引くのに丁度いい――と吹き込んでおいたが、俺の真意は別だ。あの場にいた他のサーヴァントを特定し、そしてこの場に――この俺の元へと呼び寄せたかった」

 

 その結果が今ここにある。

 

「貴様は予言者か何か?」

「その通りだ。俺は劇作家だからな」

 

 まるで劇作家が予言者のカテゴリに入るかの言い方だが、そうしたことに一々茶々を入れることはない。

 バーサーカーは時計を視界の隅で確認する。キャスターが時間稼ぎをしている可能性を考慮したが、事前に確認したタイムスケジュールではあと十五分は大丈夫である。それだけあるなら、バーサーカーの『保険』は十分に作用するだろう。

 

二十八人の怪物(クラン・カラティン)を投入しないと分かれば、マスターの選択肢はほとんど一つに限られてくる。この弾丸の魔力に覚えがあるだろう?」

 

 そういって床下に無造作に置かれたケースを机の上で開いてみせる。中にあったのはビニールで梱包された弾丸が一発。

 見覚えはないが、身に覚えはある。

 

「俺の能力は知っているな?」

「キャスター陣営について表面的なことについては概ね調べている。宝具を生み出す能力、と聞いているが、合っているか?」

「それはそれで違うんだがな。そいつは機会があればおいおい話してやるさ」

 

 バーサーカーの認識に少し不満げなキャスターであるが、今はこっちが重要と話を戻す。

 

「俺が昇華した宝具、その名も忠実なる七発の悪魔(ザミエル)。これはその試作品の一つだ」

「ザミエルと言えば……これはドイツ民話の?」

「話が早くて結構だ。こいつはドイツオペラの傑作『魔弾の射手』で作られた魔弾だ。もっとも、発見された当時は錆だらけで使い物にはならなかったがな」

 

 込められた魔力と呪いはそのままだが、中身はともかく外側はそうもいかなかったらしい。

 キャスターが手を掛けたのは中の魔力と呪いだけで、外側はその手の職人にそのまま任せている。ビニールで梱包されているということは中には酸化防止のための不活性ガスでも入っているのだろう。

 

 狙った獲物は例え物陰に隠れようとも外さない必中伝説。

 ただし、伝説の魔弾には七発中一発は射手ではなく悪魔の狙う場所に当たる致命的な呪いがあった。いかに強力であろうと、その呪いは聖杯戦争においても致命的になりかねぬ危ういものだ。

 

「もちろんそのままじゃ使えねぇ。だから弾丸にはサーヴァントや宝具といった高い魔力を持ったものだけに当たるよう目隠しを施しておいた」

 

 射手が狙いを付けなければ、標的があるわけもない。必然的に忠実なる七発の悪魔(ザミエル)は射程内にあるターゲットをランダムで狙撃するロシアンルーレットのような宝具へと昇華してしまった。

 使用前に射程内から友軍を追い出せば、必然的に敵の誰かに当たるという寸法である。二十八人の怪物(クラン・カラティン)という数の利と連携があるからこそ使える宝具だ。

 

 そこまでであれば、武蔵の助言を得てバーサーカーも辿り着くことができていた。

 いつどこから狙われるか分からぬ必中の宝具。事前に知り得ていても心休まることもないだろうし、知らねば武蔵のように不意を突かれて消滅するのみ。

 

 よく考えられている――と言いたいところだが、この宝具の真の意図は全く別のところにある。ただ必中というだけの宝具であれば、バーサーカーのような宝具を持っていれば何の脅威にもなりはしない。

 バーサーカーがマスターたるフラットの行方を差し置いても優先してキャスターを捜さねばならなくなった理由は必中の呪いとは別にある。

 

 ことり、とキャスターは次なる品を机の上に出す。

 水筒サイズのボトルではあるが、中に入っているのは何らかの粉末のようである。

 

「二〇〇年に渡って遺体が埋葬された墳墓の塵や不凋花、木蔦の葉を用いて製作した粉でな。そこに俺がちょこちょこっとブーストをかけたものだ」

 

 ハハハハとアメリカ人のように笑うキャスターを思わず殴りたくなる。

 俗に、このアイテムの名を《イブン=ガズイの粉末》という。かの有名なネクロノミコン断章にも伝えられる、霊を物質化させる霊薬だ。珍しくはあるが、現在でも入手可能なありきたりな呪具である。当然、サーヴァントにかければ霊体化は拒絶され、実体化を強制されることになる。

 

「俺達についてについて少し調べたんなら分かるだろうが、戦争初期段階での二十八人の怪物(クラン・カラティン)の活動はこの粉末をサーヴァントに振りかけ、実体化させることにある。霊体化してカメラに映らないままだと、いかに警察の監視網があるとはいえ無意味だからな」

 

 そのために忠実なる七発の悪魔(ザミエル)は着弾と同時に周囲に四散するよう調整されている。バーサーカーは見事にそれに引っかかった形である。保険を用意していなければ詰んでいてもおかしくなかった。

 

 霊体化できないということは、ただそれだけで圧倒的に不利となる。

 特にバーサーカーは奇策を用いた搦め手こそ真価を発揮する英霊である。サーヴァントにとって当然である霊体化も彼にとっては切り札にも等しい。そのアドバンテージを失ったとなると早急にその対処策を練らねばならなかった。

 

「それで、こいつの解除方法は?」

 

 あらゆる可能性の写し身として、バーサーカーにも魔術師の知識はある。だが、彼の知っているこの霊薬の効果は短時間だった筈。にも拘わらず、すでに丸二日以上経過した今もって彼の実体化は解除されていない。

 

「無理無理。サーヴァントの霊体と上手く交じるように特別に調合してるからな。魔力を持っていればいるほど長時間実体化するぜ。サーヴァントくらいになるとたぶん消滅ぎりぎりまで実体化する感じだな。下級霊に実験したら二日間は怨霊からゾンビにジョブチェンジしてた」

 

 そしてサーヴァントに対する実験はキャスター本人に行われている。マスターとの信頼関係がどうなっているのかよくわかる実験である。

 

 聞くだけ聞いてみたが、やはり無駄であった。

 苦虫を噛み潰したような顔をしてみるが、その実この情報はバーサーカーには吉報ともいえた。この状況はバーサーカーにとって決して悪いだけの話ではないのだが、そんなことをわざわざキャスターにばらす必要もあるまい。

 

「あとは……そうだな、この資料を見てくれ」

 

 もう予め用意していたとしか思えぬ手際の良さを鑑みるに、キャスターは本気でここにサーヴァントが来ることを確信していたのだろう。

 

「魔術師百五十六名に対して確認できた死者は四名、逮捕者四十二名、逃亡者三〇名、そして行方不明者七十八名……これが一体何を意味しているか分かるか?」

「あの市街地戦への参加者、か?」

「まあその通りだ。警察ってのは探偵と違って地道な捜査が基本でね。街中のカメラから画像データを引っ張り出して一人一人丹念に検証してたわけだ」

 

 キャスターの言葉にバーサーカーは嘘だと断じた。

 いかに警察機構の捜査能力が凄いとはいっても、仕事がいささか早すぎる。情報量が莫大なのだ。現代社会にあってもその解析には不眠不休でも数日はかかる。

 資料に目を通してみれば、内の何名かはあの現場で見かけた記憶もある。偽情報と疑うのは簡単だが、この精度の情報を人数分用意するだけでも相当な労力を必要とするだろう。

 

 それでも、バーサーカーは、この資料が本物であると判じた。

 本物であれば作る必要性はあるが、偽物を作る必要性は低い。「地道な調査」には懐疑的であるが、「地道でない調査」ができる何か裏技めいた監視網でも別途構築されている可能性が高い。

 バーサーカーの行動が読まれていたのも、そうしたところが関係しているのだろうか。

 

 そんなバーサーカーの思惑に気付く様子もなく、キャスターは二枚の写真を更に差し出してくる。一人は見覚えのない目つきの悪い男。そしてもう一人は見覚えはない……が、これもまた身に覚えはある。

 

「戦場に入った人間の顔は過去一ヶ月に遡って全てチェックされている。だというのに、出てきた者の中に二人ほどチェックされていない者がいた」

「………」

「この内どちらか、もしくは両方がサーヴァントの可能性が高いと睨んだわけだ。現場検証の結果両者とも《イブン=ガズイの粉末》を浴びており、写真の骨格鑑定から変身もしくはそれに類する能力を持っていることも判明」

「そこまで言うのなら、私がここに来るまでのヒントは全てお前の差し金というわけか?」

「いいや? 先も言ったが、俺がしたのは忠実なる七発の悪魔(ザミエル)を使わせるようマスターを誘導しただけだ。必要ならヒントも出しただろうが、その必要もなかったみたいだしな」

 

 ここまで来られたのはお前が優秀だからだ、と賞賛し喝采までするキャスターではあるが、気分は釈迦の手のひらで小便をする小猿と大差ない。

 

 事実、バーサーカーはあの戦場での違和感から調査を開始し、その後の魔術師の大量確保という普通ではあり得ない事態から警察組織が怪しいと睨んでここに辿り着いた。だが忠実なる七発の悪魔(ザミエル)という特殊な宝具を使われていなければ早期の段階で下手をうち逆に二十八人の怪物(クラン・カラティン)側に補足されていたに違いない。

 

 実体化の不便を感じつつも変身能力を駆使して警察内部へと侵入し、資料を漁り、不自然な改竄から内部情報を掴む。なまじ不正行為をしている「お巡りさん」が多いだけに二十八人の怪物(クラン・カラティン)に辿り着くまで無駄な時間を浪費してしまった。

 

「あとお前さん、二課のパソコンをいじっていただろう? あれがあったからそろそろ来るだろうと思ってたんだ」

「……」

 

 資料を漁った結果、どうみても非合法くさい情報が本文から抜け落ちていた。リムーバブルメディアか何かに入れて作業していたのだろうが、専用ユーティリティを使ってゴミ箱のファイルを全修復してまで情報を漁ったが、あいにくと不正の証拠は見つかれど二十八人の怪物(クラン・カラティン)への手がかりはそこにはなかった。

 

「少しばかり騒ぎにはなりかけたが、そこはフォローしといたぜ。たぶんマスターにも気付かれてねえよ」

「幻滅したかね?」

 

 いかに優れたスキルをもったサーヴァントといえど、過去の人間であることには違いない。最新技術をいじれるほうが異常なのだ。ミスがない方がおかしい。

 

「いや、ますます気に入ったぜ」

 

 キャスターの言葉は嘘っぽくとも、その語気は本気だった。

 控え目に言ってもこの同盟は魅力的であろう。バーサーカー単騎でこの聖杯戦争を勝ち残るのは至難であり、根本の戦力からいって戦術以上の戦略が求められる。

 だがこの同盟は明らかに一方的だ。いかに下手に出ようとも情報を制するキャスターの上位は揺るがない。キャスターはバーサーカーのちょっとしたミスをいつの間にか処理してみせる手段を持っているのだ。

 

 キャスターは手足がないからバーサーカーを欲したのではない。思い通りに動く手足を今以上に増やしたいだけなのである。

 今この場でキャスターを殺すのは簡単でも、同盟後にキャスターを殺せる可能性はゼロに等しいだろう。それだけの情報力の差が両者にはある。

 

 半ば諦めにも似た気持ちでバーサーカーは次の手を考えようと――した。

 何かもっと別の優位となり得る情報を知りたい、がそんなことは不可能だろうと、バーサーカーは諦めかけていた。そんな想いが天に通じたのか、はたまた無駄に高いバーサーカーのラック判定によるものか。次のキャスターの言葉にバーサーカーは我が耳を疑った。

 

「いやいや、俺は本気でお前さんでよかったと思ってるんだぜ? 傲慢なアーチャー、交渉余地なしのランサー、引っかき回して消滅したアサシン、瞬殺されたバーサーカー。組みするなら、もう一人しかいないだろう――」

 

「なぁ、『ライダー』?」

 

 



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day.02-13 誤解

 

 

 それは。

 キャスターからすれば、出し惜しみしても意味のない情報の筈だった。

 キャスターの誤算は、バーサーカーが知り得ていた情報をキャスターが知り得ていなかったこと。圧倒的とも言える情報差が裏目に出た瞬間だった。

 

 これがバーサーカーからの質問であれば、キャスターはそこに違和感を持てたかもしれない。誤解を咀嚼し、逆手にとって、翻弄したことに疑いはない。嘘と真実を揃えて並べ売り飛ばすのが劇作家の真骨頂であり、そこにつけ込ませる隙などありはしない。あったとしても、それは罠だ。

 

 バーサーカーの驚愕はキャスターにも通じている。いかに偽ろうともキャスターの目を誤魔化すことはできはしない。しかし何に驚愕しているのかについては、キャスターの目は節穴でしかなかった。

 

「なんだ、知らなかったのか? この偽りの聖杯戦争にセイバーのクラスは存在しないし、エクストラクラスも有り得ないらしいぜ」

 

 わざと少しばかり論点をずらしたキャスターではあるが、当然バーサーカーはそんなことに驚いているわけではない。

 

 最初に遭遇したサムライサーヴァント、宮本武蔵。

 同じ場所で遭遇した気配遮断スキルを持ったアサシンとおぼしきサーヴァント。

 この二人の英霊と遭遇した段階でバーサーカーは気付いてしかるべきだったのかもしれない。違和感を押さえ込み、偶然や勘違いと思い込んでバーサーカーは闇雲に……定石通りの行動をとってしまった。

 定石通り――自らの間抜けに自殺したくなってくる。

 これが『聖杯戦争』ではなく、『偽りの聖杯戦争』であることをようやく自覚する。

 

「キャスター」

「あん?」

 

 少しばかり遠回りに二十八人の怪物(クラン・カラティン)の情報を披露していたキャスターではあるが、バーサーカーの言葉に不審を抱いても不満の声はあげなかった。

 

「なぜ私をライダーだと思った?」

「そりゃ……」

 

 バーサーカーの言葉にキャスターは思考を巡らせる風を装うが、現段階で困るようなことがキャスターにあるわけもない。なにも全てについて赤裸々に話す必要はないが、キャスターの目的は外部協力者の確保にある。聖杯戦争の定石など彼にとっては保身くらいにしか意味はないのだ。

 バーサーカーがキャスターの思考を読んだ通りに、キャスターの舌は滑らかだった。

 

「アサシンの消滅は知ってるよな。あの場にいたんだからよ」

「ああ。宮本武蔵は消滅した」

 

 確認するように、バーサーカーはあえてアサシンとは言わず武蔵の名を強調する。既に多くの勢力が知っている事実だ。別段不自然なことではない。

 

「次にランサー、真名はギルガメッシュ叙事詩のエルキドゥ。これはつい先日うちの連中とやり合ってな。現在は西の森林地帯に居座っている」

 

 手元のリモコンを操作して、モニターの一部をクローズアップすれば、確かに森林地帯の中にやたら人形めいた影が静かに立っている。カメラのアングルと木々の大きさから数キロ以上離れた場所からの撮影だと分かる。

 

「そんでアーチャー、第四次聖杯戦争最強を謳った英雄王ギルガメッシュだ。北を根城とする原住民をマスターとしている。そしてこれが、」

 

 ピッ、と更にキャスターがリモコンを操作すれば、ビルが瓦解していく様子がモニターに映し出された。

 

「これが、少し前に繰り広げられたその英雄王とバーサーカーの映像だ」

 

 巻き戻し、再生された映像は、一瞬にして実体化された巨大な多頭の怪物と、それを瞬殺する英雄王の姿が映し出されていた。

 

「この化け物が英霊――バーサーカーだと?」

「幼体ならともかく、こいつは誕生から長い年月が経過している成体のヒュドラだ。英霊の定義はともかく、聖杯クラスのシステムでもなけりゃそうそう簡単に召喚できるものでもないしな」

 

 ふと、キャスターの言い方にバーサーカーは違和感を覚える。

 この偽りの聖杯戦争に参加しながら、召喚方法を『聖杯』ではなく、『聖杯クラス』とキャスターは語る。

 些細な違いだ。言葉の綾だと気にするほどのものではないが、今のバーサーカーにはそれだけで十分だった。

 

 キャスターが同盟を結ぼうとしている裏の理由にも納得するというもの――なるほど、キャスターはこの『偽りの聖杯戦争』の真の姿を知っている。

 

 そして――それだけなのだ。

 

 他には何も知らない。

 キャスターは盤上の駒でありながらプレイヤーを気取り、ゲームを眺めているつもりだろう。確かにここは安全な場所だ。盤上にありながら、盤上の駒に注意する必要はない。それだけに、プレイヤーの背後に忍び寄る者を予想だにしていない。

 

 既にバーサーカーはキャスターの言葉を聞いていない。消去法だの、状況証拠だの、スキルだの、そんな的外れな推測など聞くに値しないし、時間の無駄だ。真実が中に混じっているかも知れないが、そんなことを一々確認するのも馬鹿らしい。

 

 はあ、とため息をつきたくなる。

 バーサーカーの予想によれば、彼の悲願たる己の正体を知るには想像以上に障害は多く、難度も高く、それでいて正解への道のりがあるのかすら分からない。

 それでも、とバーサーカーはため息を吐いたその口で、笑みを浮かべ、むしろ高らかに宣言する。

 

「――いいだろう、キャスター!」

 

 先とは一転して明るい表情のバーサーカーに、さすがのキャスターも怪訝な表情を浮かべる。

 その豹変に多少眼を細めるが、劇作家たる彼の驚きはその程度だ。内心の動きを身体で表現することに長けていても、ただそれだけ。それが一体何を意味ししているのか、彼の目からは分からない。分かる筈もない。

 

 故にキャスターのスタイルは変わらない。情報をバラ撒き、上手く誘導し、同盟を組み、動きを扇動し、傀儡に仕立て上げ、舞台の総仕上げに使い潰す。唯一の誤算というならば、キャスターはバーサーカーを見誤っていた。

 

 元より彼は殺人鬼。自らの嗜好を優先し、損得を考えるような存在などではあり得ない。悪魔とでも契約した方がよっぽど御しやすいというのに、このキャスターはそんなことも知らずに同盟を申し出ている。

 

 これは罠などではない。ミスなのだ。

 

「俺が言うのもなんだが、情報を引き出すだけ引き出して、反故にする選択肢もあるんだぜ?」

 

 そんなバーサーカーの思惑を知ることなく、キャスターは白々しくも再度選択肢を与えてくれる。嬉しくて涙が出そうである。

 

「必要はない。私の目的にはかなりの修正が必要とわかったからな。キャスター、君と私は一心同体だ。君が持ちかけた同盟だ。今更異存などないだろう?」

 

 脂塗れのキャスターの右手を先とは打って変わって積極的且つ無理矢理にバーサーカーは握り込む。握手と呼ぶにはいささか粗暴にすぎるが、それでもシェイクハンドに違いはない。

 急なバーサーカーの変化にここにきてようやくキャスターの顔に露骨な疑問符が浮かぶ。その顔だけでもバーサーカーは十二分に満足である。そしてこの調子なら、もっとこの顔を拝めることになるだろう。

 

 と、ここでタイミングよくバーサーカーの懐で短く振動が起こった。てっきり電波遮断施設かと思いきや、そうした対策まではしていなかったらしい。必要性がなかったということか。これも嬉しい収穫だ。

 

「なんだ、悪い知らせか?」

 

 キャスターは他人ごとのように……それでいてバーサーカーの反応に興味津々といった様子で問うてくる。ポーカーフェイスを気取りたいところだが、それは少々難しかった。この携帯電話にかけてくる人間に心当たりは一人しかいないのだから。

 

「……便りがないのが良い知らせだったのだがね」

 

 中身を確認してみると、案の定返答に困る内容だった。

 一難去ってまた一難。これは一体どうしろというのだろうか。さすがは我がマスターである。魔力の供給がないので死んでいる可能性も高かったのだが、そうは問屋が卸さないらしい。どこかで仮死状態になってでもいたのだろうか。

 

「さてキャスター。同盟を組むにあたって要望と依頼がある」

「おいおい、次は俺の要求を聞いておく番じゃないのか?」

 

 そこは笑って無視しておく。

 何はともあれ、この二点を通しておかねば話が進むことはない。これ以上口を挟んでこないようにバーサーカーはさっさと要望を口にする。

 

「まず要望だが……私のことはジャック、と呼んでくれ。私のマスターもそう呼んでいる」

「ジャック?」

「ジョン・ドゥでも構わない。私をライダーと呼ばなければ」

 

 元々切り裂きジャックという通り名にしても有り触れた名前というだけで付けられたものだ。真名には違いないが、マスターたるフラットがキャスターと後々遭遇したことを考えると非常に拙いことになるし、どちらかというと自分の正体がバーサーカーとばれることの方が問題である。

 ライダーである誤解を解いてはいないが、誠意の証として真名を明かしたのだ。同盟関係としてはここが境界線だろう。

 ちなみに名なしのジョン(ジョン・ドゥ)というのは身元不明の死体の呼び方で、明らかな偽名という意味である。これもある意味では真名には違いない。

 

「いいぜ。これからはジャックと呼ぶことにする。それで、依頼とは?」

「ああ、それは簡単だ」

 

 大きく頷いて依頼内容を切り出す。

 古今東西、足元を見るのは交渉術の大原則だ。その大原則に則り、バーサーカーはキャスターに宝具と情報と金と時間、ついでにバックアップを依頼した。

 おかげでバーサーカーは疑問符を浮かべるキャスターよりももっと珍しい、引きつった笑顔のキャスターを拝めることになる。

 

 一抹の後悔を覚えた株主のようなキャスター、そして大海原に旅立つ船長のようなバーサーカーの顔はさながら大航海時代を彷彿とさせた。そしてリスクとリターンを考えればその関係は決して間違ってはいない。

 

 キャスター&バーサーカー同盟が、ここに結成された瞬間である。

 

 



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day.02-ステータス更新

 

 

day.02-01 目覚め

 

 武蔵による市街地戦のどさくさに紛れマスターを二人誘拐したアサシンであるが、魔力不足と負傷とで倒れてしまっていた。そんなアサシンを介抱するべく、誘拐されたフラットは魔力供給のパスだけを繋いで助けていた。その行為に呆れながらも、アサシンはフラットを慈悲を持って退場させる。

 

 

day.02-02 女医

 

 スノーフィールド中央病院では市街地戦に巻き込まれた人々が担ぎ込まれ大騒ぎとなっていた。

 繰丘椿の担当である女医はそんな中、繰丘椿とよく似た顔の少女と出会う。繰丘椿について尋ねてくるその少女に、女医は言葉を濁しながら現状を伝える。逃げるように帰ろうとする少女の手を思わず掴んでしまった女医だが、その手に繰丘椿と似たような痣があるのを確認する。しかし女医が何をするよりも早く、その背後から黒い霧が襲いかかろうとしていた。

 

 

day.02-03 困惑

 

 繰丘椿と似た顔の少女と出会う夢を見た女医は自らの体調不良を自覚し休息を取ることにする。

 一方、夢の世界で椿は深く悲しんでいた。女医との接触により、椿は自らの置かれた状況を認識する。泣き疲れ眠りに落ちる椿は、その寂しさから「一人はいやだ」と言ってしまう。その言葉を、ライダーは聞き逃すことなく、その命令を受け取り動き始める。

 

 

day.02-04 繰丘邸

 

 スノーヴェルク市にある繰丘邸へランサーは情報を求め侵入した。しかしそこには死にかけの繰丘夫妻がいるだけで肝心の手掛かりはなかった。周囲を物色するランサーであるが、不可解な攻撃を受ける。すぐさま攻撃の正体を見破るも、ランサーは抵抗することもできずに頭部を撃ち抜かれる。

 

 

day.02-05 強襲部隊

 

 繰丘邸でランサーを強襲したのは二十八人の怪物(クラン・カラティン)の部隊だった。五体を損壊させたランサーを囲む彼らだが、圧倒的優位な状況でありながら反撃に遭う。状況証拠からランサーは宝具を作り出す英霊がいることを推察し、明確に彼らを敵と認識する。

 

 

day.02-06 現状報告

 

 繰丘邸を崩壊させるほどの攻撃に、ランサーは無傷で立ち去った。そんなランサーの実力を見せつけられた署長は現状を確認する。想定以上に悪い状況に、署長はこれを機に作戦を一段階進めることを決定する。

 

 

day.02-07 配慮

 

 ランサーが気付いたのと同様に、二十八人の怪物(クラン・カラティン)も繰丘邸で不可解な事態が起こったことを察知していた。一刻も早くこの案件を片付けるべく、署長は非常な手段を命じる。

 

 

day.02-08 夜の散策

 

 夜の街を散策するアーチャーとティーネは謎のサーヴァントに奇襲される。アーチャーはこれを見向きすることなく撃退したため、その正体にティーネは気付けなかった。少しでも情報を得ようと形跡を探るティーネに、アーチャーは謎の言葉を残して立ち去る。

 

 

day.02-09 多頭竜

 

 アーチャーの攻撃に巻き込まれ、ジェスターは三度目の死を迎えていた。しかしそのおかげでジェスターは一連の流れを把握し、アーチャーの謎の言葉の意味も理解していた。そしてティーネのちょっとした呟きから、この偽りの聖杯戦争の真実に近づくことになる。

 

 

day.02-10 籠の鳥

 

 街中で囮作戦を実行していた二十八人の怪物(クラン・カラティン)の男は次なる任務のためキャスターのいる『籠の鳥』へと入っていく。厳重な警備の中、キャスターの元へと赴く男だが、キャスターはそんな男に自らの宝具を向け力を解き放った。

 

 

day.02-11 魔弾

 

 キャスターの策に嵌まったバーサーカーは、その正体を顕わにする。威嚇し脅しをかけるバーサーカーであるが、キャスターはまったく相手にせず、それどころか同盟を持ちかけてくる。

 

 

day.02-12 誘導

 

 同盟を持ちかけらたキャスターはその手付けとばかりに、己の情報を開示する。その中身についておおむね信頼にたると判断したバーサーカーであるが、情報格差の前に敗北感を植え付けられる。しかしそんなことを露知らずキャスターはバーサーカーを「ライダー」と呼ぶのだった。

 

 

day.02-13 誤解

 

 情報格差に圧倒されるバーサーカーであるが、キャスターの誤解によって“偽りの聖杯戦争”の一端に気付く。つけ込むべき隙を見つけたバーサーカーは条件付きでキャスターと同盟を組むことにする。

 

 

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 ステータスが更新されました。

 

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 ◆サーヴァント

   『アーチャー』

     所属:原住民

     状態:――

     宝具:王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)

 

   『ランサー』

     所属:――

     状態:強制現界の呪い、異常発生(詳細不明)

     宝具:天の創造(ガイア・オブ・アルル)

 

   『ライダー』

     所属:――

     状態:感染拡大(小)

     宝具:――

 

   『キャスター』

     所属:二十八人の怪物(クラン・カラティン)、サーヴァント同盟

     状態:強制現界の呪い、異常発生(詳細不明)

     宝具:我が銃は誰にも当たらず(オール・フィクション)

 

   『アサシン』

     所属:――

     状態:強制現界の呪い

     宝具:回想回廊、構想神殿

 

   『バーサーカー』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:強制現界の呪い

     宝具:???

 

   『宮本武蔵』

     所属:――

     状態:消滅

     宝具:二天一流

 

   『ヒュドラ』

     所属:――

     状態:消滅

     備考:???

 

 

 ◆マスター

   『ティーネ・チェルク』

     所属:原住民

     状態:異常発生(詳細不明)

     令呪:残り3

 

   『繰丘椿』

     所属:――

     状態:精神疲労(中)

     令呪:残り3

 

   『署長』

     所属:二十八人の怪物(クラン・カラティン)

     状態:精神疲労(小)

     令呪:残り3

 

   『ジェスター・カルトゥーレ』

     所属:――

     状態:死亡×3

     令呪:残り0

 

   『フラット・エスカルドス』

     所属:――

     状態:退場

     令呪:残り3

 

 



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day.03-01 要塞戦

 

 

 作戦開始より七一〇二秒。

 原住民要塞内の中心部付近。中枢より直線距離にしてわずか一〇〇メートルの場所に、その一団はいた。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)精鋭十二名からなる対アーチャー戦闘部隊である。

 

 現在、最大目標であるアーチャーを打倒するためだけに、二十八人の怪物(クラン・カラティン)はその全戦力を傾け、作戦を遂行中であった。頭目である署長がこの部隊を直接率いていることからも、その意気込みが分かるというもの。失敗すれば後がないという意味では背水の陣とも言えよう。

 それだけに、事前準備に抜かりはないし、出し惜しみもない。

 

 つい数時間前、この要塞内では原住民同士の諍いが勃発していた。

 スノーフィールド最大の組織力を持つ原住民である。これだけの人数がいれば派閥が生まれるのも当然。この地を取り戻すという目的こそ同じであるが、そのための手段が一つというわけではない。

 

 聖杯戦争が開始したことで状況は動き出した。一枚岩にならねばならぬ最中に反乱とは正気の沙汰とも思えないが、もちろんこれが偶然というわけもない。裏で糸を引いていたのは署長である。

 

 実を言えばこの反乱をしかけた派閥を作り上げていたのは署長――より正確には署長を裏で操る“上”である。

 彼等には聖杯戦争勃発よりかなり前から金と武器と情報を巧妙に流している。そうすることによって他所からの流通を閉め出し、その内部構造を赤裸々にすることができるのである。

 武器の動きはもちろん、金の流れから横流しの額まで推測できるし、その着服具合から派閥勢力も推察できる。ここまでの情報と長年の事前準備があれば反乱を『自発的に』起こさせるのも簡単である。

 

 本当は戦争も終盤に差し掛かったところで仕掛ける予定であったのだが、ランサーという予想外に強大な敵の出現によりそのタイムスケジュールの前倒しが決定したわけである。

 

 そしてそのタイムスケジュール通りに反乱は発生した。

 そしてそのタイムスケジュール通りに反乱は鎮圧されつつある。

 

 反乱に最中に反乱分子と共闘してアーチャーを討つ、という案は最初からない。

 いくら武器や情報で後押ししようと反乱分子にそこまでの戦力はないし、ティーネは彼等の想定以上に強い。だというのにわざわざ反乱を起こさせたのはアーチャーとティーネを分断し、注意を分散させるためである。

 

 族長という立場は、メリットにもなればデメリットにもなる。

 反乱が勃発すれば集団の長として集団をまとめる義務が発生する。族長としての威厳を周囲に直接見せつけねば、組織の弱体化は避けられないのである。

 

 ポイントはティーネの陣頭指揮の必要性がありつつも、サーヴァントの力を必要としない程度の反乱に抑えること。このさじ加減が、本作戦の成否を握っている。そして“上”のバックアップもあってこれ以上ないほどに成功していた。

 

 予定通りティーネは陣頭指揮に当たり、面倒事を嫌うアーチャーの動きは自然と制限され、要塞の深部にて待機を選択した模様。なまじ能力に秀で性格が分かり易いからこそ、両者の動きは読みやすい。

 

 狙うべきは、反乱鎮圧直後にある息切れのような瞬間。

 要塞内部に剣戟や銃声が響かなくなり、代わりに周囲を警戒する余裕もない慌ただしい足音が増え始める。

 

 敵本陣にこれだけ近付きながら、未だに原住民は署長達対アーチャー戦闘部隊の存在には気付いていなかった。それを可能にしたのはこの要塞の特徴である蟻の巣の如く張り巡らされた穴である。

 大きさも様々で迷宮同然の複雑さも相まって、要塞内の通路として使用されないものも数多くある。当然管理もされていないので穴は埃と蜘蛛の巣だらけであるが、それだけにこの侵入通路は確実に原住民の裏をかいていた。

 

 そうした要塞内部への侵入するために彼等が装備しているのは、ペルセウスの《空を駆ける羽のサンダル》やナタク太子の《風火輪》といった飛翔宝具である。

 宙を自在に飛べる機動性は戦闘においても遺憾なく発揮できるだろうし、接地しないことで足音を立てることなく無音で高速移動できる利点もある。

 

『――モスキート1よりアント0、前方二〇〇にクランクです』

「アント0より各員、手前三〇で反転全力噴射、壁面を蹴って強制姿勢制御二回――音を消すのを忘れるなよ」

 

 先頭を任された部下からの報告に署長は常軌を逸した指示をこともなげに告げた。

 この速度でクランクに突入するのも無茶であり、それに加えて進入路はただでさえ狭い。先頭がしくじれば後続は玉突き事故の如く確実に巻き込まれ全滅しかねないが、そのことに異論を挟む半端者がここにいるわけもない。

 

 こうした時のために部隊には宝具と併せて小型のロケットエンジンを改良した立体起動装置を装備させている。

 個人装備としては非常識この上ないが、対アーチャー部隊としてはこの程度の非常識では驚くに値しない。これでまだ常識的な範疇だと言えば、初期計画がどれほど無茶で無謀であったかは推して知るべし、である。

 

 危うげなく全員が最大速度でクランクを突破した直後に、ヘッドセットのスピーカーから署長の耳に吉報がもたらされた。

 クランクのリスクを許容してまでスピードを優先した甲斐がある。タイムスケジュールはコンマ5パーセントの狂いもない。不確定要素が多分にある作戦なだけに、この状況は理想的とも言えた。

 

「アント0よりモスキート1、十二時方向へ指向索敵一回」

 

 半ば願うように署長は命令した。索敵に長じた装備を持っているモスキート1は即座にセンサーを前方に集中させる。

 

『こちらモスキート1。十二時方向、距離八〇〇に感あり! 数は三、ライヴラリデータの照合を確認! 当該目標、アーチャーを確認しました!』

 

 署長の願いに応えたかのように、理想的な解答をモスキート1が告げる。

 タイムスケジュールを確認、誤差はコンマ3パーセントに修正。最大加速をすることでさらに改善することができる。タイムスケジュールのズレはそのまま勝率へと影響する。つまりは、タイミングが命。そのタイミングはすぐに訪れる。

 

 緊張が伝わってくるのが分かる。

 アーチャーは多対一に秀でた英霊である。無限の財を持つが故に――と聞けば納得しそうだが、二十八人の怪物(クラン・カラティン)が真に脅威としていたのはその砲門の数である。どんなに強力な弾があろうと銃が無ければ無力でしかない。

 

 ヒュドラとの戦闘で、アーチャーが同時展開できる砲門数は一〇〇以上と判明している。となれば、二十八人の怪物(クラン・カラティン)といえど真っ正面から相手取れる存在ではない。喩え英霊級の猛者が軍勢を以てアーチャーに挑もうとも、英雄王はあっさりとその難事を切り抜けることだろう。

 

 アーチャーに挑むためには、まずはその砲門の数をなんとかせねばならない。

 だから、この作戦では敢えて狭い場所を戦場としていた。

 

 戦場となるのは直径二メートル足らずの通路である。

 

 通路の狭さはそのまま射出できる宝具の数に直結する。手数を頼みにするのなら、それ相応の広さが必要なのだ。

 仮にアーチャーの宝具が一辺25センチ四方の面積が必要だとしても、これなら一面に展開できる宝具の数は最大でも十六でしかない。対して二十八人の怪物(クラン・カラティン)十二名の両手は二十四。手数ではアーチャーの上を行く。

 

 それにここは要塞の深部付近、つまりは地下だ。宝具で戦闘に適した空間を確保しようにも、頭上にある数百万トンの土砂がそれを阻んでくる。よしんば無理矢理実行したとして、生き埋めは確実だ。

 アーチャーがこちらを迎撃するには、この狭い空間を上手に使うしかないのだ。

 

「総員、兵装自由! 目標以外に構うなッ!」

『了解!』

 

 接敵まで数秒に満たない状況。署長の号令に全員が頼もしげに唱和し、彼等はアーチャーの御前に直径5センチ程度の『空気孔』から躍り出た。

 

 宝具、大黒天。

 

 大黒天と言えば、ヒンドゥー教から密教・仏教・神道と多くの流れを汲む神である。この宝具はそんな神の由来の逸品――俗に『打ち出の小槌』と呼ばれる富をもたらす象徴である。

 富、という曖昧な定義ではあるがキャスターはこれを『大きさ』にのみに限定し、特化させている。即ち、ここでいう打ち出の小槌はかの一寸法師を大きくした代物と同一である。さすがに対象の大きさを問答無用に変える力はないが、本人の承諾さえ得ればその大きさは自由自在である。

 大きくすることもあれば――小さくすることも、できる。

 これにより対アーチャー部隊はアーチャーと手数で上回るために、その身体を2センチ足らずにまで縮小させている。

 

 さすがの署長も巨人との戦闘経験があるわけもないが、そこは昨今のゲームを参考にシミュレーションを重ねている。まさかこの年でテレビゲームをするハメになるとは思いもしなかった署長であるが、それだけの価値はあった。

 

 アーチャーにとってこの通路は狭い棺桶だろうが、小さな二十八人の怪物(クラン・カラティン)には広いグラウンドも同然である。

 攻撃力が低くなるデメリットはあるが、こちらの攻撃の命中率とアーチャーが放つ宝具の回避率は通常時とは比べものにならない。同時に、その身体は例え目撃されようとも無視される可能性が高く、脅威度認定の錯誤と視認の難しさを期待できた。

 その期待通り、最大戦速で突入する彼等の存在にアーチャーが気付いた様子はない。アーチャーの背後に追従する原住民戦士らしき男達もまるで気付いてはいない。

 

 奇襲は成功だ。

 初手は確実に署長の手の中に――

 

「――■■■■?」

 

 そう思った瞬間、アーチャーが何かを呟いた。大きさが異なるため耳が捉える音は間延びしており、何を言っているのか理解できない。ただ、アーチャーの視線が、僅かに動いたのを署長は見逃さなかった。

 

 その視線の先には、二十八人の怪物(クラン・カラティン)がいる。

 

 何かを考える暇もなく、署長の目の前で、先陣を切って突撃したモスキート1の身体が左右に分かたれた。突如として目の前に現れた剣を避けることができず、加速のついた身体は壁を赤く汚すことになる。

 

 続いて突撃した残りの二十八人の怪物(クラン・カラティン)は何とかその剣を避けるが、突撃の速度もあって陣形の乱れは即座に戻らない。そして何より、出鼻を挫かれたという衝撃が各員の心に吹き荒れている。

 

 戦闘が、開始される。

 

 



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day.03-02 雷神

 

 

「総員構うな! 立体機動により攻撃を開始せよッ!」

 

 隊員が動揺したのもほんの数瞬。致命的な隙となる前に署長は一喝し、署長の視線とハンドサインにアント2がモスキート1の穴を埋めるべく前に出る。

 

 図らずも先手を取られた形になっているが、署長はアーチャーがまだこちらの存在に確信を持てていないと判断した。

 確信を持てていたのなら、宝具が一本だけというのもおかしいし、次撃が即座に来ないのも腑に落ちない。

 恐らくは何となく、というだけでアーチャーは動いているのだ。

 

 ヒュドラの奇襲は要塞の外でのこと。アーチャーの警戒レベルが想定よりも遙かに高いことは確認していたが、まさか自陣奥深くでも気を抜いていないとは想定外である。

 

 まだ全滅はしていない。切り札も失っていない。被害想定の範囲内に収まるレベルでしかない。

 まだ機はあるのだ。

 最悪の展開を脳裏で無理矢理否定しつつ、署長は動く。

 今はただ確率の高い状況にその身を振るしかない。

 

「モスキート隊はそのまま突撃、アント隊は宝具の設置、スパイダー隊は両者の援護、急げ!」

 

 署長の言葉にモスキート隊は異論を唱えることなく、予定通り立体起動装置の出力を最大にして、果敢にアーチャーへと飛び込んでいく。

 

 前衛部隊である彼等はアーチャーの気を引き、後衛を守る役割を担っている。

 主武装は五〇〇の年月を経た日本刀を元に作られた剣である。カッターのように刃先を折ることで切れ味を持続させる仕組みだが、対英霊装備としては心許ない。宝具で縮小されたことで刃渡りはわずか五ミリ。一寸法師のように体内に入りこまない限り、ダメージは到底期待できないだろう。

 

 それでも彼等が英雄王を相手に尻込むことはない。

 アント2はアーチャーの耳を斬り割き、モスキート2は目を狙う。さすがにこれは防がれ、脱出の間に合わなかったモスキート2はアーチャーの両手によって蚊のようにその足を潰される。しかしその隙をモスキート3と4は逃さず、わずか五ミリの刃でありながらアーチャーの左手小指を落とす快挙を成し遂げてみせた。

 

 アーチャーの意識は完全にモスキート隊に縫われていた。

 さすがにこれが奇襲である事実には気がついただろうが、部屋の中に何匹の虫が入り込んだのか確認できているとも思えない。加えて、一度視界の外に出た虫を再発見するのは相当に難しい。

 

 そもそも奇襲を受けたことに気づかぬ二人の原住民従者は、英雄王が突如奇行に走ったように見えて困惑していた。

 間抜けにも、アーチャーの傍らに立ち、ただでさえ狭い通路を更に狭くしてくれる。その体に隠れることで二十八人の怪物(クラン・カラティン)は更なる優位を獲得してみせる。

 

 この作戦で最も難度の高い数秒はこうして過ぎ去る。

 モスキート2は即刻手術が必要な状態で、アント2とモスキート3は無茶な機動により骨折と内臓損傷。無傷のモスキート4も立体起動装置が損傷したことで機動力を失っていた。

 被害を出しつつも、しかし彼等はやり遂げた。切り札を設置するための貴重な時間を見事に作り出してくれた。

 

『アンカーボルト、固定確認』

安全装置(セーフティ)解除』

 

 甲高い充電音が辺りに満ちる。

 

 その宝具はトール、ヴァジュラ、レイ=ゴン、ユピテル、ペルクナスと名付けられてある。何れも世界各地に伝わる雷神の名である。もちろん本物ではなく雷神由来の霊媒が基であるが、そこに蓄積された電気は都市を一つ余裕で賄えるほど。雷神の名を称しているだけあって、サイズが小さいからといって気付かぬ代物ではない。

 周囲に撒き散らされる凄まじい魔力に、さしものアーチャーも次撃が生半な威力でないことに気付いた。

 

 状況の不利は十分に実感している。反撃することは可能だが、的が小さく、そして数が多い。これを解消せねばならぬと即座に判断し、そして同時に動こうとして、一瞬、迷ったようにアーチャーの動きが止まった。

 

 アーチャーは油断していない。そして手加減をするつもりもないし、勝つための手段にもそこまで頓着しない。危機に陥れば周囲を顧みるつもりもないのである。

 

 有効利用できる空間が狭ければ、空間を作り出せば良い。

 アーチャーの火力なら、頭上の要塞を『蒸発』させれば良いだけのこと。アーチャーにとってはこれほどの要塞であっても安宿程度にしか思ってないし、原住民がいくら死のうと興味もない。

 アーチャーが唯我独尊であることに変わりはない。

 

 例外は――マスターであるティーネ・チェルク、ただ一人。

 

 故に、署長は確実に弱点を突いてみせる。

 つい数秒前にもたらされた吉報によれば、今、マスターであるティーネ・チェルクはアーチャーの頭上わずか数メートルの位置で捕らえられている。タイムスケジュールに気をつけていたのは、この作戦がアーチャーとティーネの二面作戦だからである。

 

 ティーネの令呪は初撃で右手ごと爆破。意識も速やかに奪ったので反撃される怖れもない。そして魔力のパスが繋がっている以上、アーチャーがティーネの居場所を誤ることはない。

 アーチャーがティーネを切り捨てると決断するのに、迷った時間は想像以上に短かかったが、想定の範囲内でしかなかった。

 

 この隙は十分すぎる価値があった。

 今から何を出そうとも、もう遅い。

 

「――てぇ!」

 

 署長の号令に、荒れ狂った雷神の力が収束していく。莫大な力が一様に並べ整えられ、幻想的な虹色の光輪が幾つも顕現した。

 

 目映い光条が五つの宝具から解き放たれ、斜線軸上にいた二人の従者が訳の分からぬまま血を周囲に撒き散らして死んでいく。

 

 その武器は俗に電磁投射砲(レールガン)と呼ばれている。

 

 理論自体は古くから提唱されており、目新しいものではない。

 通常の砲弾は火薬の爆発によって射出されるのが一般的である。だが電磁投射砲(レールガン)は電力によって磁場を発生させ、ローレンツ力によって砲弾を加速、射出する仕組みだ。この方法ならエネルギーロスも少なく、火薬では実現不可能な威力をもたらすことができる。

 

 取り回しの悪さや事前準備の必要性から実戦でそう簡単に扱えるものではない。だがそれを差し引いても、現在二十八人の怪物(クラン・カラティン)が行使できる宝具の中でぶっちぎりの威力を有しているのである。

 

 それがこの狭い空間に五門もある。回避を許す空間を署長は徹底的に奪っていた。

 

 射撃時間は短かった。

 発射速度も尋常でなければ、そのローディング速度も尋常ではない。射撃時間が異様にに短かった理由は、単純に弾切れだからである。

 

 数ある電磁投射砲(レールガン)の欠点だが、その高威力故に弾そのものもにも頑強性を求められる。でなければ空気との摩擦で弾が溶けて着弾する前に消失してしまうのである。

 

 対サーヴァント用の弾丸はただでさえ貴重だ。そこから更に特殊処理を施そうと思えば、どうしても増産は難しくなる。生産体制が整っていなければこの宝具は到底使用することができないのだ。

 せめてあと三日猶予があれば、もっとマシな作戦を立てることはできた筈だったが、そういう訳にもいかなかった。

 

 聖杯戦争序盤で『原住民反乱』のカードは消え、弾丸を使い切った電磁投射砲(レールガン)はその価値を大きく落とす。二十八人の怪物(クラン・カラティン)の人的被害も軽視できる訳もない。

 

 そうした諸々の事情を承知の上で、署長はこの作戦を敢行している。

 

 ランサーの登場で切り札を惜しんでいる場合ではないと考えていた矢先に、あのアーチャーとヒュドラとの戦闘である。あの一戦で署長はアーチャーの危険度を更に上方修正し、これ以上座視することはできぬと判断した。

 

 アーチャーとランサーの連戦は用意周到に進めたとしても回避したいし、二人がタッグを組んで敵対することになれば完全に勝機がなくなる。二十八人の怪物(クラン・カラティン)として、早急にどちらかを葬る必要性があったのである。

 

 その結果は。

 

「散開!」

 

 署長が叫ぶ。が、遅い。

 

 血煙を貫いて飛来する宝具。直撃を受けた電磁投射砲(レールガン)が一瞬にして破壊され、飛び散った破片によって二人の部下が目の前で肉塊(ミンチ)となる。

 署長自身も、破壊に伴う衝撃に吹き飛ばされていた。

 

「―――■■■ッ」

 

 血煙の向こうで、アーチャーが毒づく『音』がする。

 血煙を貫く宝具によってアーチャーの様子が垣間見えた。

 

 アーチャーの両腕は欠損。脇腹にも大穴。流れ出た血で右眼は封じられ、その端正な顔立ちには顎がない。けれど、その左眼ははっきりと二十八人の怪物(クラン・カラティン)を捉え、その両の足は、大地を踏みしめている。

 

「これで、倒れないか」

 

 英雄王のその姿に、署長は敵ながら畏敬の念を抱かずにはいられない。

 

 あの一瞬で、アーチャーは先手よりも後手を取る覚悟を決めていた。

 この英霊はそうした受け身の姿勢を嫌っていた筈だ。だというのに、相手の攻撃を受け止め、捌き、耐え凌ぐ覚悟をあの短時間で決し、実行に移す離れ業をやってみせる。故に蔵から取り出すのは剣ではなく、盾。それも、あの一瞬で四方を四枚の盾で囲い込み防備を固めていた。

 

 本来であれば、ここで勝負は決していた。

 取り出した盾が一体どのようなものであろうと、電磁投射砲(レールガン)の前には紙切れに等しい。

 電磁投射砲(レールガン)は縮小されているが、飛び出た瞬間に弾は実物大の大きさに解除されている。その威力に減衰はない。

 そして単純な威力だけでもさることながら、その弾頭は特に貫通力を重視したペネトレーター。目標が固ければ固いほど運動エネルギーは残さず盾に伝播する。仮に盾がこれに耐えられたとしても、盾ごと吹き飛ばされるのがオチだ。

 

 反撃の隙は与えない。

 回避できる広さもない。

 防御してもその防御ごと叩き潰す。

 

 この策でもし生き延びようと思うなら、それは単純な身体能力とは別の、幸運値に頼るしかない。

 

 ……いや、それだけの訳もない。

 署長はアーチャーの傷つき具合を判じ、考えを改める。

 

 署長がわざわざ砲門を五つも用意したのは、アーチャーに避ける隙間を与えないためだ。射線上は完全なキルゾーンであり、厳格な計算に基づいて行われた射撃に幸運だけで全て対処できよう筈もない。

 射線軸から考えると、欠損部位も不自然すぎる。

 

「これは、まずいな」

 

 眉根を寄せて署長は暢気に嘆息する。

 署長はそれ以上を考えようとして――考えるのをやめた。

 目の前に迫るアーチャーの巨大な足が、全身粉砕骨折の上内臓破裂で動けぬ署長に振り下ろされからである。

 

 署長が最期に見た光景は、遠く離れた場所から必死に手を伸ばそうとするアント1の姿であった。

 

 



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day.03-03 盧生の夢

 

 

 ――目が覚めれば、そこには見慣れた天井があった。

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)本部にある会議室の一室。臨時の救護室としても可能なこの会議室は今、所狭しと寝袋が占領している。その大半は既に空っぽだが、署長のようにまだ覚醒しきれていない者も多い。

 

 目覚める直前の感覚を思い出す。

 若い頃、戦闘機に乗って耐G訓練を受けたことがあったが、その時と似ている。もっとも、自分の何倍もの圧力に身体が悲鳴を上げるのは同じだが、軋む頭蓋が破裂する瞬間は二度と経験したいものではない。

 

「……今回の死に様は、格別だな」

 

 署長は起きると同時に傍らへ手を伸ばした。そこに誰かいるかを確認した訳ではない。ただなんとなく、彼女ならそこにいるだろうという直感があった。

 

「君は、生き残ったか」

「いいえ。残念ながらアーチャーと共倒れになりました」

 

 長年連れ添った秘書官は、当然のようにそこにいる。差し出された署長の手にミネラルウォーターと報告書を渡してくる。

 

 この短時間で報告書を作ったのかと一瞬驚いたが、時計を見れば時計の長針は四周もしていた。

 どうして早く起こさないと他の部下ならば叱責しているところだが、そこは秘書官の思いを汲んでおく。生き残れなかったということは、彼女もあの戦いで死んでしまったということだ。

 精神的に疲れているのは彼女も同様。むしろ休息時間が短い分、署長より疲れている筈だ。

 

 喉を通るミネラルウォーターは、温かった。その事実に、彼女が署長の傍にどれくらい前からいたのか分かるというものだ。

 

「この宝具も史実ほどではないな」

「そのようですね」

 

 茶化すように強がる署長に秘書官も微笑して同意した。

 

 宝具、夢枕回廊(ロセイ)

 

 粟粥を煮ているわずかな時に人生の栄枯盛衰全てを味わったという『邯鄲の夢』。この唐代の故事をキャスターは昇華し、精緻な仮想シミュレーションを行う宝具と化したのである。

 これにより二十八人の怪物(クラン・カラティン)は扱いの難しい宝具をわずかな時間で習熟し、更にこうした大規模な予行演習を可能としたのである。

 

 ただし、夢の中での怪我や死は、夢から覚めた後も尾を引きかねないリアリティがある。今ここで寝袋から起き上がることができない者は、全員夢の中で壮絶な死に方をした者ばかりだ。

 肉体の疲れはゼロであるが、精神的な疲れは圧倒的である。

 

 この宝具の試運転には留置所の犯罪者が使われた。

 宝具解放時間はわずかに一〇秒。だというのに、一割がその後自殺し、二割が精神病院へそのまま入院、三割がノイローゼとなり、四割が罪を悔い改め発覚していない過去の罪まで自白してきた。その後に教会の門を叩いた者は数知れず、再犯者は皆無である。まさかスノーフィールドの治安の一端がこんなところで保たれているとは誰も思いもしないだろう。

 

 その気になれば一瞬で数万時間を体験できる宝具である。あまりの性能に署長は慌ててリミッターを付けざるを得なかった程だ。そのリミッターの出力を見極めるために署長が一体何度この夢の世界で戦ったのか、数えるのも馬鹿らしい。

 

 署長は既にこの宝具で三桁近くも殺されている。他の二十八人の怪物(クラン・カラティン)が平均四回殺されていると聞けば、その精神力がわかるというものだ。生粋の魔術師である署長の精神力は並ではない。

 

 重たい身体に鞭打ち、署長は無理を押して自らの執務室へと足を運ぶ間に報告書に目を通した。

 

「失敗、だな。アーチャーを倒せても相討ちでは意味がない」

 

 目を通した資料を執務室の机の上に投げ、署長は感想を述べた。疲れ切った精神が更に疲弊していくのが感じ取れる。

 

 署長が倒れた後は秘書官――アント1が指揮を引継いでいる。

 この時点で部隊戦力は五割を切り、現有戦力での打倒を諦めたアント1は生体宝具《シュレディンガー》を解放。あらゆる可能性を内包したコントロール不可能な生物兵器によってアーチャーを倒すことには成功。ただし、その後要塞までまるごと呑み込み暴走したシュレディンガーは、空爆による飽和攻撃を受けるまで暴れ回ったという。

 

 まったく以て、頭が痛い。

 とりあえずシュレディンガーは封印だ。いくらなんでも危険過ぎる。それにこの作戦も見直し――いや、ベストな状況でこれでは、そもそも廃案にするしかない。もっと別の手を考える必要があるだろう。

 

 それよりも、署長には思うところがある。

 

「……君は、どう思うかね?」

「……申し訳御座いません」

 

 ヴィクトル・ユーゴーの手紙のように、あまりに端的な質問に秘書官は誤解することなく、顔を伏せて詫びた。

 

 質問が分からなかったからではない。

 問題点が、はっきりとしていたからだ。

 

 実戦では足下の小石一つ、飛び出た釘の一本に至るまで、不確定要素が山ほど関わってくる。一〇〇の実力も、七〇出せれば上等と言えよう。

 

 署長の手元にある資料の中には、各員のバイタルデータもある。アーチャーと対峙する直前まで各員のパフォーマンスは通常値よりも高くあった。それが、アーチャーと遭遇後、見る間に低くなり、最低値は通常値の三割にまでパフォーマンスが落ちている。

 

 原因は明らかだろう。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)は軍人からではなく、警察官の中から選抜されたメンバーである。選抜基準は才覚が中心であり、その性格や信条はあまり考慮されてはいないのである。

 

 チラリ、と秘書官に視線をやるが、秘書官は顔を伏せたまま未だ微動だにしない。

 彼女のバイタルデータが著しく落ちたのは署長が死んだ直後だ。思い返せば、無謀にも彼女は確実に死ぬと分かっている状況で、署長を助けようと動いていた。一個人としてその行動は素直に嬉しいものであるが、組織として考えた時、彼女の無謀な行動は褒められたものではない。

 

「あまり頭を下げる必要はない。今までも言ってきたことだが、一朝一夕に直るものではないのだから」

 

 慰めるように署長は語ってみせるが、内心では頭を抱えたいところだ。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)は、こうしたメンタルに弱いところがある。勿論ある程度の耐性は付けさせたが、それを払拭させるまでには至っていない。幾度となく注意もしてきたが、注意はすればするだけ比例して良くなるというものではない。くどければ返って害悪ともなりかねない。

 

 本番である聖杯戦争は既に始まっている。この弱点を短時間で矯正するのが不可能ならば、ここで論うのもあまり良い手ではない。戦後を鑑みれば薬に頼りたくはないが、場合によっては仕方がないだろう。

 少なくとも、今回の演習で弱点が明確になっただけでも良しとしなくてはならない。

 

「……現在、原住民達はどうなっている?」

 

 これ以上の話題は危ないと、署長は敢えて話題を逸らしてみせる。これ以上この秘書官に頭を下げられると、男としても立つ瀬がない。

 

「はい。外観からは原住民達に変化はありませんが、ティーネ・チェルクの容態に変化がありました。原住民の中枢付近では鼻が利く者から動きが活発になりつつあります」

「ヒュドラの毒か」

「おそらくは」

 

 署長の確認に秘書官は頷いてみせる。攻めるなら今とばかりのタイミングだが、それにしては解せない。

 瞬殺されたとはいえ、ヒュドラと至近距離で遭遇したのだ。毒に当てられたことにアーチャーが気付いていない筈がないし、宝物蔵には解毒剤もある筈。事前に飲ませておけば、容態が急変するようなこともあるまい。

 

「罠か?」

 

 欺瞞情報の流布は古来より使い古されてきた手だ。しかし署長の言葉に秘書官は首を横に振った。

 

「いえ、容態が急変したのは硬度の高い情報ですし、情報の秘匿レベルも高すぎます。罠として機能させるには効果的とは思えません」

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)の協力者はもう数十年も前から原住民中枢で動いているため、その内部情報は筒抜けである。それを逆手にとられることを署長は憂慮したわけだが、秘書官の言う通り多角的に分析するとその可能性もない。

 

 そしてふと、署長はあることを思い出す。机の上に放り投げた資料に再度手を伸ばし、同時にパソコンのロックを解除して、上位権限でのみアクセスを許される資料に目を通し始める。

 

「何か、疑問でも?」

「ああ。アーチャーの挙動に気になることがある」

 

 夢枕回廊(ロセイ)は最新データに基づいてあのリアルな夢を使用者に見せる。過去のデータでシミュレートした時には、アーチャーはもっと与し易い相手であった。疑り深くなければ辛抱強くもなかった。

 

 ログを確認してみれば、アーチャーは電磁投射砲(レールガン)の発射直前に盾を展開している。紙切れ同然とあの時は軽視していたが、アーチャーの姿を隠す程度なら紙切れにだってできる。

 アーチャーが盾を取りだしたのは防御のためではない。自らの姿を隠し、電磁投射砲(レールガン)の射線軸から退避させるためだ。そう考えれば、欠損部位が不自然であったことも納得できる。

 

「……最悪だな」

「はい。これではアーチャーの予測が的確すぎます」

 

 シミュレートが正しいとするならば、アーチャーは一目でこちらの思惑と作戦、そして練度を見抜き、更に初見である宝具の威力を正しく推測できていることになる。それはいくら英雄といえどでき過ぎといえた。

 

 だが、もしこのシミュレートが正しいとすれば、アーチャーが予めティーネに解毒剤を飲ませなかった理由とリンクすることができる。

 些か予想の斜め上かつ最悪なことだが、ここを読み間違えると大変なことになりかねない。

 

「至急、アーチャーの動きに警戒するよう通達。一般隊員から原住民への接触も二十四時間の制限を加える」

「署長はアーチャーが独自に動くとお考えですか?」

 

 署長の命令に秘書官は手を動かしながらも確認を取る。

 

 聖杯戦争においてマスターの役割は基本的に後方支援である。前線を担うのがサーヴァントであるのだから、役割分担としては順当だろう。特に情報収集に関しては現代社会に生まれた者でなければ対応しきれるものではないし、数に頼らねばできぬことも多い。

 真っ当に考えれば、アーチャーが独自に動くのはデメリットこそあれ、メリットはないのだ。

 

 秘書官の確認に署長は即答しかねていた。

 否定する要素は多い。考え過ぎと言われればそれまでだ。

 

 ただ、今のアーチャーはマスターという束縛から解き放たれた状態にある。これがアーチャーが意図したものか確認が取れない限り、迂闊に動くこともできない。

 

 最悪、原住民の情報が署長に筒抜けであることを、アーチャーに悟られている可能性もある。

 

「……可能性だ」

 

 長く沈思しながら、ひねり出した答えはありきたりなものだった。その返答に秘書官が納得するわけもないが、納得する必要もない。何か言いたげな秘書官であったが、彼女は事務的に対応し、そのまま署長の命令を履行するべく退室していった。

 

 退室していった秘書官の後ろ姿を思い出しながら、署長は「スマン」と呟く。長く連れ添ったからといって、何でも話すわけにはいかないのだ。

 

 夢枕回廊(ロセイ)のシミュレートは最新の情報に基づいたものだ。では、その最新の情報はどこから来たのか、そしてどうやって調べたのか。それを具体的に知っているのは二十八人の怪物(クラン・カラティン)の中でも署長だけだ。

 秘書官も“上”が絡んでいることに気付いているだろうが、だからといって迂闊に漏らしていい情報ではない。この地に住まう住人にプライベートが皆無と知ったところで気分が悪くなるだけで良いことなど一つもない。

 

 “上”にとってこの聖杯戦争は檻の中で行われている猛獣同士の殺し合いでしかない。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)もその中の一匹でしかなく、調教され期待されてはいるが、少しでも気にくわない行動を取れば容赦なく駆除されかねない。

 戦中であってもその可能性は否定しきれず、戦後であれば尚更だ。

 

 フェイズ5に移行しておきながら守りに入った署長である。その行動を“上”がどう捉えているのか気になるが、気にしていては何も始まらない。その心配は申し訳ないが秘書官に押し付けておくことにする。

 

 できることならもう一度夢枕回廊(ロセイ)を使って全体演習を行いたいところだが、不確定要素を多分に含んでいる中、迂闊に使うわけにもいくまい。それに、署長としても精神的余裕はありそうになかった。

 

 仮に、であるが。

 もしここで、署長が再度夢枕回廊(ロセイ)を使ったのなら、この戦争は新たな局面に移行していたことだろう。

 この署長の余裕のなさが、夢世界でのライダーとの遭遇を回避し、結果として二十八人の怪物(クラン・カラティン)を救うことになろうとは、神ならぬ署長が気付くわけもなかった。

 

 



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day.03-04 安堵

 

 

 長く、銀狼はその場に伏せていた。

 

 野生の獣というのは自らの怪我に対して自覚的だ。痛みに呻くことはあっても傷口を労わらない動きを絶対にしない。

 安易に薬に頼ろうとする人間よりも彼等は自らに備わった治癒能力を最大限に活かすことを考える。そういった本能は例え合成獣であろうとも変わらないものであるらしい。

 

 枯れた木の洞でじっと動くことなく療養すること数日、結果として銀狼の傷は無理をすれば動けるまでに回復していた。

 銃弾で風穴を空けられながら数日で回復するとは脅威の一言に尽きるが、これが無茶でないわけもない。

 

 ランサーによる治癒も多少後押ししているが、持ち前の異常な数の魔術回路を治癒のために全力活動させたことが最大要因である。代償として短くない寿命を更に消費しているが、死ぬこととの天秤を考えれば安い買い物には違いない。

 

 この数日飲まず食わずで体力は限界に近付きつつあるが、これもまた野生の獣と同様に空腹に対する忍耐も銀狼は持ち合わせている。限界に近付いても限界値を超えてはいないのだ。

 

 しかし、銀狼もまた狼の血をひいており、狼とは群れる獣でもある。

 一匹狼とさも孤高の存在の如く扱われることもあるが、犬科の動物は一匹だけで生きてはいけない。それは狩りの成功確率にも影響する故の、これも本能だ。

 

 現在、銀狼が群れとして認識しているのは一人の――否、一体の人形。ランサーのサーヴァントたるエルキドゥただ一体。そして彼は、この場にはいない。

 

 出逢って少しした後にこの洞を出て行ったきり、銀狼は彼の姿を見ていない。何やら色々と語りかけられたような気もするが、怪我による発熱で朦朧とする意識と元より言語を解せぬ脳構造では如何ともし難い。

 

 つまるところ、銀狼は何の理解もしていなかった。

 

 銀狼にとってランサーは己の従僕どころか、己の主人なのである。そして偽りの聖杯戦争を始めとする諸々の事情と自らの置かれた位置についても、何の疑問も持ち合わせているわけもなかった。

 

 故に、ではあるが。

 

(主、身体は大丈夫ですか?)

 

 脳裏に響くランサーの言葉にすら、銀狼は軽く反応はしつつもあまり興味を示さなかった。

 

 最初こそ周囲を見渡しランサーの姿を探し求めていたりもしたのだが、何度となく響く言葉と経過する時間、そして変わらず不在である事実にすっかり慣れてしまっていた。

 生まれて間もない銀狼でも夢を見ることもあるのである。

 なまじ知能が高かっただけに、現実の不在と脳内の呼びかけを同一のものとして取り扱うことがなかったのである。

 

 ただ、今回のそれは銀狼の身体を労るだけのものではなかった。

 パスを通して治癒の進み具合を確認しようとする感覚は同一のものであるが、なにやらもっと込み入った複雑な感情も同時に受け取っていた。

 

(申し訳ありません。情報を仕入れた以上すぐにでも側に戻りたいところなのですが、そうもいかぬ事情ができてしまいました)

 

 マスターとサーヴァントの間にあるパスは、ただ魔力だけを通すパスではない。生存の有無や記憶の共有、互いの位置といったものもパスを通せば分かるのだ。特に銀狼とランサーは互いに『人』という括りではないためか、かなり詳細な意思疎通までも可能としていた。

 

 パスを通して密度の高い情報をやりとりしている銀狼とランサーであるが、残念ながら高度な情報処理能力のない銀狼の脳構造で明確に分かるのはランサーが気遣う感情のみ。それを承知の上で、ランサーは話しかけることをやめようとはしない。

 銀狼としての認識は全くの逆ではあるが、ランサーは銀狼のサーヴァントなのである。無駄と知りつつも気遣わないことなどできないのである。

 

(敵との交戦により、僕には二種類の呪いがかけられてしまいました。強制的な実体化、そしてマーキング……特に後者はやっかいです。

 僕とマスターが接触すれば、奴らにマスターの位置が露見してしまう。それは絶対に避けなければなりません)

 

 憤りと焦り、そして自らの不甲斐なさが伝わるが、銀狼は何の反応も返さなかった。

 ただランサーの感情からこの場に帰ることができないとだけ理解する。それすらも、現実と夢との境界の曖昧模糊とした記憶として処理されてしまう。

 そうした銀狼の反応をランサーも当然承知している。それを踏まえつつも、ランサーは続ける。

 

(僕はマスターから数キロほど離れた森林地帯で奴らを待ち構えています。いまだ仕掛けてくる様子はありませんが、複数の視線が絶えず感じられるので何らかのアクションがあるのは時間の問題でしょう)

 

 共有されるランサーの焦りが具体的なものになってくる。

 全身を舐め回されるような不快感。時折刺すような痛みは殺気によるものか。いずれも意識せねばそうと分からぬ程に些細なものであるが、その些細なものが尋常でない程あれば受ける感覚も違うだろう。

 

 つい先日創造主より殺されかけた身として、こうした殺気に過敏に反応してしまう銀狼である。我が事のように思わず身を捩ってしまうが、傷の痛みに呻くだけに終わった。

 

 焦れるようなランサーのストレスを受け取りつつも、銀狼に共有された情報はそれだけではなかった。

 感覚的にしか受け取ってはいないが、ランサーが銀狼からほんの数キロしか離れていない場所にいることは理解した。理屈のわからぬ理解であろうと、確認をするだけなら今の銀狼だって難しくはない。

 

 ひくり、と銀狼は鼻をあげる。

 微かではあるがランサーの匂いが遠方からの風に交じって届いている。雨と霧に洗われた樹々の香り、森の中にあって尚自己主張する原初の森――ランサーのこの匂いをマスターである銀狼が過つことはない。匂いの薄れ具合から一足で駆け抜けることのできぬ距離である。

 

 それでも不確かな脳裏の言葉よりも、その匂いは銀狼の心に刻み込まれた。

 主人の身体は遠くにあるが、その意志は近くに居る。ただそれだけで、傷の回復を促進させるべく、自らの魔術回路を無意識のうちに全力稼働させる。その行為自体は体力を過剰に消耗するだけのものであまり意味はない。だが効率を優先しうる気力の充実がそこにはある。

 

(今しばらくお休みください。時が来れば、お迎えに上がります)

 

 限界に近付きながら、銀狼の身体は更なる酷使を開始する。欠損した傷跡をピンクの肉が覆い、肉体を駆け巡る血の量が明らかに増えつつある。肉体にかかる負荷は苦痛となって全身を襲っている筈だが、それに耐えるだけの精神力を、銀狼は遠くに感じる微かなランサーの気配で補っていた。

 

 銀狼がその場で抱いた感情は『安堵』。その感情は、例えその意志がなく言語としても成り立っていなくとも、確かにランサーの元へと伝わっていた。

 

(わかりました。安心してお休みください)

 

 脳裏のメッセージに銀狼は満足し、再度深い眠りの途についた。

 

 そうして促された眠りが、長く銀狼を縛ることになろうとは、ランサーが気付くわけもなかった。

 

 

 



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day.03-05 集合

 

 

 次に目が覚めたのは、満天の星空の下だった。

 

 確か木の洞で寝ていた筈だと銀狼は軽く混乱するが、周囲を見渡せばここはランサーに連れられて傷を癒やした河原である。となれば、近くにランサーがいる可能性は高いと銀狼は判断した。

 いきなりこの場で目覚めた理由をあっさりと放棄し、銀狼は周囲を見回し己が主人の姿を探し始める。

 

 身体が軽いことを不思議とは思わない。

 傷などまるでなかったかのように銀狼の身体は自由に、そして羽毛の如く軽く動かすことができた。

 

 周囲を小一時間も駆けてみるが、はて、おかしい。ランサーの匂いがどこにもなければ、それ以外の動植物をはじめとしたありとあらゆる匂いも感じ取れない。

 確かに河原の近くというのは匂いが流されやすいものではあるが、これだけ探して何もないということもあり得ない。

 

 銀狼は自らの鼓動がやけに大きく聞こえることに気付く。当然だ。周囲には臭いと同様に音を発する存在がないのだから。

 

 ほとんど本能的に下された結論に従って、銀狼は河原から離れ、森林地帯を移動し始める。

 銀狼が潜んでいた洞は覚えている。ランサーの匂いがした時の風向きも。その時のわずかな記憶を頼りに、銀狼は森林の中を風のように駆け抜けていく。

 

 幸運にも、銀狼のこの行動は彼自身の命を救うこととなる。洞の位置とランサーがいたと思われる位置の直線上にはスノーフィールドの街があり、それ以外の地域に行っていたのなら、彼が助かる見込みは誇張なくゼロであった。

 

 疲れ知らずの肉体を走らせること更に小一時間。既に森林地帯を抜けて、いつの間にか銀狼の足はアスファルトの上へと乗せていた。

 アスファルトについての知識を銀狼は持ち得ない。だがこれが道であり、そしてその先に何かがあるというのはすぐに理解できた。道の先にはスノーフィールドの街があり――何かが蠢いている。

 

 これが野生の獣であれば、警戒心というものを持ち得ただろうが、あいにくと彼は人工的に作り上げられた合成獣であり、そして生まれたばかりでもある。

 知識として知っている他の生命体は創造主たる魔術師とサーヴァントたるランサーのみ。痛みによる恐怖は心に刻み込まれているが、ランサーによる癒やしと安堵は銀狼に『好奇心』を植え付けていた。

 

 だから最初にそれを見つけた時も、その異常性に銀狼がすぐさま気がつくことはなかった。

 

 銀狼が見つけたもの。それは人間だ。

 その人間は地元の農夫らしき人である。農作物が詰まっているであろう布袋を必死でボロいトラックの荷台へと乗せていた。そしてその近くを若いビジネスマン風の男が携帯を片手に公園の周囲を歩いていた。公園内ではまだ年端もいかない男の子がよたよたと慣れぬ手つきで自転車の練習をしていた。

 

 そのいずれも、銀狼に何の興味も抱いていなかった。

 

 若いビジネスマンは銀狼にぶつかり転けたが、何事もなく立ち上がり銀狼に何をするわけでもなくそのまま立ち去った。自転車の練習中の男の子に至っては進路上に銀狼がいたにも拘わらずまるで避けようともしない。

 

 銀狼の観察眼ではそれだけであるが、これが人間の観察眼であればもっと別の面も見ることができたであろう。

 

 農夫は荷台に布袋を積み込み、そして次の瞬間には地面に下ろし始める。ビジネスマンは公園の周囲をひたすら歩き続け、男の子は延々と自転車の練習をし続けながら一向に上達する気配がない。これは明らかに異常であろう。

 ましてや、こんなろくに光のない真夜中にそんなことをするなど。

 

 街中を巡り歩き、そうした人間を百人も見た頃合いになると、そんな光景にも銀狼は慣れつつあった。銀狼を足止めしていた好奇心が消えてなくなると、本来の目的を思い出したように脇目もふらず街中を横断する。

 

 その最中に、銀狼はその身体を急に止めて、進路上の傍に建つ大きな建物へと首を向けてみた。

 

 相変わらず匂いはない。だが嗅覚が利かないことで研ぎ澄まされる感覚というものもある。そんな感覚に誘われるように――引きずられるように、銀狼はその建物の敷地内へと侵入した。

 

 スノーフィールド中心部にある一際大きな建造物。周囲の建物と異なり敷地面積は隣接するビルの倍以上で、植えられている木々の数も多く、それでいて開けた空間があちらこちらに見受けられる。

 赤十字のマークがあることから人はそれを病院と判断することができるが、そんな知識を銀狼は持っていない。

 

 心なしか人の数が他の場所よりも多いと思いながら、銀狼はやや躊躇しながらも病院の中へと足を進めていった。

 

 銀狼が病院へと入った理由――それはランサーに似た気配を感じ取ったからだ。

 

 匂いを感じぬこの世界。人間でいえば目隠しをされたに等しい制約を銀狼は受けているが、ただの人でもただの狼でもない彼には特異すぎる魔術回路が存在する。

 暗闇を見通す視力、周囲数キロの物音を聞き逃さぬ聴力、その毛並みは周囲の空気を余さずに読み取ってみせた。それだけのことを無意識に行いながら、銀狼は更にそこから魔力の波を感じ取る。

 

 ランサーの優しげな魔力とは違う、ただそこにあるというだけの無色にして無味乾燥とした莫大な魔力。

 それはサーヴァントという特殊な存在のみが持つ固有の魔力であるが、その違いは分かってもその違いが何を意味するのか銀狼は分からない。

 

 病院の敷地内に入れば、その気配はいよいよ濃くなっていく。

 ここでようやく、銀狼の本能が警戒を促した。

 

 人口密度は街中の比ではない。結構な広さの敷地があるというのに、その敷地全体で誰かが何かを常に行っている。病院着を着た患者が無表情にバレーボールを打ち上げ、皺だらけの老人が車椅子でゴーカートに興じ、敷地の片隅では物静かにギャンブルが行われ、そうした隙間を子供が走り回っている。

 

 いかに無害と認識しようとも、いくら何でも多すぎた。仮に今ここで全員が銀狼に襲いかかれば、これを回避する術などない。そうでなくとも、何かがあればすぐさま逃げられるような場所ではないのだ。

 

 銀狼に爪と牙はあるが、生まれてこの方それを利用したことは一度としてなかった。襲われたとしても、この爪牙を有効利用できる自信が銀狼にはなかった。

 

 銀狼の躊躇を弱さと受け取るか、優しさと受け取るかは意見の分かれるところであろうが、その境界線が、銀狼の生死を分けることとなった。

 

 銀狼が足を止めた時には既に遅かった。敷地半ばにあって気配は濃厚。どこへ逃げようとも必ず人の傍を通ることとなるし、そして何よりどこに逃げればいいのか銀狼には判断がつかなかった。

 

 これが経験を積んだ獣であれば警戒感からそもそも中に入らないし、逃げ場を確保しながら移動する。そして何より、敷地のど真ん中で立ち止まる愚は犯さない。

 

 故に――。

 魔の手は、あっさりと銀狼の背に伸びていた。

 

 一瞬の黒い影。

 いかに生まれたての銀狼といえど本能が身体の全てを支配しているわけではない。ありとあらゆる情報が銀狼の全身を錯綜し、緊張が全身を覆い尽くす。尻尾は自然と後ろ足の間に隠れ、己の牙も、爪も、筋肉が硬直して一ミリだって動かすことはできなかった。

 そして魔の手は、銀狼の背へとよじ登り――

 

「ワンちゃんだー!」

 

 歓声を上げた。

 

 ゆっくりと、銀狼は背後に目線を上げる。背にかかった重さは人の子供ぐらいであり、大きさも同じ程度。腕力は非力であり、跨がる足も覚束ない。人の顔など判別できぬ銀狼はあるが、これはそれほど悩まなかった。

 

 これは、子供だ。

 

 銀狼はとりたてて大きくはないものの、子供からしてみれば十二分な巨体である。子供がまたがるには都合が良く、それでいて銀狼の毛並みは掴むのに丁度良い。

 

 振り落とすには簡単だ。二度三度と揺らせば、子供はバランスを崩し転倒することだろう。もしくは銀狼が横に自ら転倒すれば子供は為す術もない。首をねじり、その口と牙でもって子供を突き落とすことだって可能だ。

 

 一瞬で思いつくいくつもの選択肢。しかしその一つだって銀狼は実行することはできない。

 現状を把握したにもかかわらず、相変わらず銀狼は一ミリも動けないし、尻尾は後ろ足に挟んだまま。失禁しなかったことを褒めるべきか。

 恐怖という名の魔の手は今も銀狼の身体を掴んで離さない。

 

「ライダー! ワンちゃん動かないよ!」

 

 子供の声に、ようやく銀狼は身体が自由になったことを自覚する。

 呼吸すら忘れていたのを思い出し、ゆっくりと肺の中に酸素を取り込んでみる。心の臓は相変わらず早鐘のように動いていたが、銀狼の身体はあらゆる束縛から解き放たれている。

 

 だが、銀狼には分かる。今逃げれば、自分は殺される。そして、銀狼がライダーと似た気配と思った存在は、この子供の傍らに確かに存在しているのだ。

 

 おそるおそる銀狼は足を動かしてみる。バランスが上手く取れなかったのか子供の手が銀狼の毛皮を掴み痛むが、そんなものは全て無視した。

 

 どこに行けばいいのかわからず、まずはひたすら前へ前へと歩み始める。幽鬼の如く纏わり付く気配を振り切ろうなどとは思わない。ほんのわずかな接触ではあるが、あの存在は明らかに銀狼よりも素早く動き、束縛することが可能であろう。

 

 ようやく分かった元凶。この周囲一帯にいる人間は全員この正体不明の何者かに支配されている。その証拠に、銀狼の歩む先々で、遊びに興じる大人達がモーセの如く道を開けてみせるではないか

「ねー、ワンちゃんはお名前なんていうのー?」

 

 間延びした子供の質問に、人間の言葉をそもそも解さない銀狼は当然答えられない。それでも話しかけられたことを理解した銀狼は、首を後ろに向けて子供の顔を仰ぎ見た。

 

「私はねー、繰丘椿っていうの。ツバキ、わかる?」

 

 繰り返される名前に、恐怖と戦いながらも銀狼はそれが子供の名前であると認識する。

 生き残るために最大限に回転させている銀狼の脳細胞は、ここでの一言一句を漏らさず記憶し糧とする。

 ここで恐怖が限界となっていれば、その前足に宿った令呪が反応していただろうが、幸運にもそこに至るまでには猶予があった。

 

「それでねー、」

 

 と、椿は銀狼の右耳を引っ張り上げる。

 右に行けばいいのかと銀狼はその足を右へと向けた。その先に病院の入り口がある。そこにもスリッパで卓球をするナースや、赤ん坊のごとく背に少女を縛って何かを捜している青年の姿があった。

 

 不思議な光景であるが、銀狼にそこまで高度な判断能力はない。判断能力はないが、ふと銀狼は入り口に佇む人間の中に異質な者を見つけた。何せ、これまで会ってきた人間は悉く銀狼を無視してきたのだ。

 銀狼と視線を合わせる者など、異質以外の何者でもあるまい。

 

 少女を背負った青年と、銀狼の視線が絡み合う。

 今まで出遭ってきた全ての人間にはなかった理性の灯火が、そこにはっきりとあった。

 青年の視線が銀狼の周囲を確認するように動き、椿が連れている不確かな存在も認識している。だというのにその顔には銀狼のような恐怖は微塵も感じられない。

 

「あのお兄ちゃんが、フラットお兄ちゃんだよ」

「どうやら椿ちゃんも友達を見つけたようだねー」

 

 実にフランクに話しかけてくるフラットと呼ばれた青年が、遠慮もなければ警戒すらなく近付いて徐に銀狼の前足を掴んでくる。人間で言うところの握手であるが、銀狼にとってそれは不可解な行動でしかない。不快感もあったが、それを我慢しされるがままにその身を任せる。

 

「あれ? お兄ちゃんも?」

「そうそう。ほら、僕の背にいる女の子。ティーネちゃんって名乗ってたかな」

 

 言って、腰を屈め背中を椿に見せる青年の背には、確かに少女の姿があった。一体何があったのか、その身体に意識はなく力なく腕が垂れ下がっている。

 

「うん? あれ?」

「どうしたのお兄ちゃん?」

「この犬なんだけどさ、ほら、ここ」

 

 フラットが銀狼の前足を掴み、それを見ようと椿が身を乗り出した。バランスをとるのに窮屈ではあったが、未だ拭えぬ恐怖心から銀狼は椿を守らんとする意志を持ちつつある。

 

「なんか変な痣があるね」

 

 椿の言葉に、フラットが同意する。

 銀狼はそれが何なのか理解できないながらも、遅まきながら、青年の手にも何かを感じる痣があることに気付いた。そして身を乗り出した椿の手にも、同種の痣が刻まれていた。

 

「あ、このお姉ちゃんにも同じ痣があるよ」

 

 椿もフラットが背負い力なく垂れ下がった少女の腕に痣を見つけてみる。銀狼はその毛並みから見つけにくいが、他の三人は隠すこともしていないので見つけるのは容易い。

 

「こんな偶然って、あるんだねぇ」

「まったくだね!」

 

 二人で笑いあう様を銀狼は内心冷めた目で見つめていた。

 銀狼が感じていたのは、椿という少女の背後にいる存在。そして、指し示されれば理解できる、銀狼と同様の魔力を持つ奇妙な痣。獣としての第六感がこれは異常であると、これまで以上に警告している。

 今すぐにでも逃げ出したい銀狼をよそに、事態はまた一歩前進した。

 

 ここに、聖杯戦争参加者の三分の二を占めるマスターが集合した。

 

 そもそも聖杯戦争を知る由もないライダーのマスターである繰丘椿。

 そもそも聖杯戦争が何なのかを知らないランサーのマスターである銀狼。

 そもそも聖杯戦争の根本を理解できていないバーサーカーのマスターであるフラット・エスカルドス 。

 唯一聖杯戦争を理解していながら気絶しているアーチャーのマスターであるティーネ・チェルク。

 

 前代未聞にして空前絶後になるであろうこの四者の会合は、ティーネが目覚める三時間後に、開始されることになる。

 

 



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day.03-06 王の裁定

 

 

 スノーフィールドの夜は思いの外冷える。

 

 渓谷地帯ともなればそれは顕著で、吹き上げる風の中小一時間も外にいれば身体の芯まで凍えることとなる。高所であるが故に周辺警戒の重要性は増すが、この厳しい環境に好きこのんで見張りを行う者などいるわけがない。

 

 そういった理由もあって、原住民の中で高所での見張りは賭け事の代価として数ヶ月前からローテーションが組まれていることが多々あった。

 そして残念ながら、そのローテーションがそのまま実行されることはない。予定表に書かれた名前は先の戦闘で行方不明となり、その名は赤く二重線で消され、そしてそのままとなってしまっている。

 

 管理者の融通が利かなかったのだろう。空いてしまった穴を直前の担当者の時間延長で穴埋めをした結果、かなり無茶なスケジュールとなってしまっている。

 それを見かねた老人が仕方なく、空いた代理として見張りに志願したのがおよそ十分前。何やら後ろで悶着があったようだが、思った以上にあっさりと老人の希望は聞き届けられた。

 

 担当となっている見張り台は要塞上部の一番見晴らしの良い場所だった。

 最も寒い場所であることには違いないが、老人にとってそこまで苦痛ではない。こうして見張りに立つ機会など数十年ぶりだ。当時を思い返せば懐かしさすらある。

 

 そんなことを思いながら老人が見張り台へと上がってみれば、連絡を受けていたのか、挨拶どころか礼もそこそこに、まだ若い戦士が逃げるようにして老人の傍らを抜けて去って行く。

 

 先達への敬意と謝意を表さないことを咎めはしないものの、多少の疑問を覚えながら老人は見張り台へと立ってみる。そうすればなるほど、急ぎこの場を去った理由に合点がいった。

 

「これは英雄王。このような場所で何をなさっておられるのですか?」

 

 老人の目線の先には一体いつから居たのか、豪奢なコートを纏ったアーチャーの姿がある。

 悶着がありながらやけにあっさりと受理されたと思ったら、こういうことかと老人は得心した。場慣れした老人ならいざ知らず、青二才の若造にこの空気は耐えられまい。

 

 決して広いとは言えぬ見張り台は、岩場の出っ張りに作られている。地盤の安定しているところまでは簡易の柵が設けられているが、安全の確保できぬ部分には何も作られず剥き出しのままである。

 アーチャーが腕を組みスノーフィールドの街を睥睨しているのは、触れれば今にも崩れそうな先端部分である。

 

「……何者だ貴様は」

 

 本来の見張り位置よりわずかに離れて立ち止まった老人を、目線だけでアーチャーは射貫いた。ただの誰何、というわけではない。明らかな威圧に老人は怯えた様子もなく礼をしてその場に胡座をかいて座った。

 

「ただの老いぼれにございます。が、族長の相談役の末席を汚しておりますので、見覚えがあってもおかしくはないかと存じます」

「フン。ただの老いぼれにしてはできるようだな」

 

 名乗りもしない老人に機嫌を損ねることなく、それでもアーチャーの視線は睥睨していた市街から離れ、老人から離れない。

 老人の形はそこいらの見張りと何ら変わることはない筈だが、唯一手にした武装だけが他と違って英雄王に注視させる。その視線に気付き、老人は己が獲物を前に差し出してみせた。

 

「昔取った杵柄でございますが、今はもう腐りかけの技にございます」

 

 笑う老人が手に取った棍棒はどこにでもあるごく普通のもので、別段珍しいものではない。だが年季の入ったそれは、いくつもの傷が刻み込まれている。長年通じた武器は使用者の手足となるという話があるが、この老人の棍棒はまさにそれだった。

 

 魔術のなんたるかを理解せずとも、老人が手に取り軽く気を通すだけで、霊体にも効果のある魔具へと棍棒は瞬時に昇華されていくことだろう。老人が丹念に練り込んだ気を以て全力で放てばサーヴァントを一撃で仕留めることだってかなうかもしれない。

 

 だがそれだけならアーチャーは何の反応も示すことはない。アーチャーの興味を引いたのはその距離だ。

 いざ戦闘になっても邪魔にはならず、背中を守れる位置にいる。それでいて一挙動で襲えるほどに近い距離ではない。

 

 この聖杯戦争に召喚されてから数々の原住民戦士を見てきたが、礼節と武芸、共に優れた者はまだ見てはいなかった。これで相談役だというのだから、知略においても優れているのだろう。

 

「ティーネはどうした。まだ寝ているか」

「英雄王より頂戴した秘薬が効いているようであります」

 

 アーチャーによるヒュドラ退治から丸一日が経過していた。

 ほとんど瞬殺であったとはいえ、一瞬だけでも現界したヒュドラはただそれだけで猛毒の塊だ。

 ティーネがいかに強力な魔力を身に帯びていようとも、そんなヒュドラに一片とはいえ触れてしまえば身体が毒に蝕まれるのも当然であった。要塞に戻った時には既に意識は朦朧とし、高熱に魘されながら今も意識が戻らない。

 

 幸いにも英雄王の蔵にはヒュドラの毒に効く薬がある。しかし強い薬は量を誤れば毒にもなるので現在は薬を希釈し、慎重に効果を見定めながら経過観察をしているところである。

 毒が微量だったこともあってティーネの体調は快方に向かいつつあり、この調子であるならば数日中に回復する見込みである。

 

 逆に言えば、この数日は動くことができない。

 それはアーチャーとて承知の事柄。

 

「……このスノーフィールドを見ていた」

「スノーフィールドを、ですか」

 

 長い沈黙の後、急に口を開いた英雄王に思わず鸚鵡返しをするが、そういえばこの場に来た早々に老人はアーチャーに何をしているのか問うていたのを思い出した。

 あれはただの挨拶のようなものであったが、何が気に入ったのか英雄王はこの老体と話す気になったらしい。

 

「この景観、英雄王の眼鏡にかないましたかな?」

 

 確かにここからの眺めはスノーフィールド全体を一望できる。左に湖沼地帯、右に森林地帯、そして中央にバベルの塔が如く立ち並ぶビル群はそのアンバランスさをもって絶景となっている。

 

「どこにでもある風景だ。この我にとっては何の価値もない」

「そうでしょうな」

 

 さも面白くなさげに応える英雄王に老人も素直に同意した。

 老人自体、この風景は見慣れたものであり、そして見飽きたものでもある。スノーフィールドの名所となりうる場所ではあるが、絶景と言うなればもっと良いところはいくらでもある。

 

「では、何故ご覧になられているのでしょう?」

「……あそこには我の朋友がいる」

 

 若干の沈黙にそれは嘘だと老人は確信する。

 ランサー・エルキドゥの話はティーネから聞かされてはいるが、あの英雄王の性格からしてここで思索にふけるわけもない。少なくとも街中にあのサーヴァントが軽々に現れることはあるまい。

 

「では、我が族長に成り代わりまして、私めを供に散策でもいたしますか?」

「……必要ない」

 

 老人の稚気に溢れた提案に、今度の沈黙には多少の怒気が込められていた。答えの分かりきった質問をしたことには気付かれたらしい。

 

「これは失礼を。

 ……しかし、英雄王も我らが族長をあまりからかわないで頂きたく存じます。此度の毒はあの娘の不用心なれど、あなた様ならばあの場で制することもできたのではありませぬか?」

 

 余りに直截な老人の不服申し立てに、さすがの英雄王も先に流した怒気を呼気一つで露と消す。

 

 ティーネの毒はその量もあって、確かに大したものではない。だが一歩間違えれば死にかねない危険極まりないヒュドラの猛毒である。

 アーチャーにとっては大したことのないマスターであっても、老人にとって掛け替えのない一族の長。相手が相手だけにアーチャーに意見する者はいなかったが、老人は機会があれば話すつもりではあった。

 その機会が思いの外早かったのは想定外だが、やるべきことに違いはない。

 

「なかなか言うではないか」

 

 今すぐ首を刎ねられてもおかしくない状況で、老人は黙って首を垂れる。老人にとっては攻撃しにくい距離であるが、アーチャーにとっては攻撃しやすい距離である。

 その首を刎ねるのに、苦労はない。

 

「あれは必要不可欠な試練だ。如何に優秀なマスターであろうと、我が朋友と決着をつけるまではどうあっても生きていてもらわねばならん」

「そのための、我々でもあります」

 

 族長が犯すべきリスクは我らが負う、と老人は語る。

 王として、こうして直訴してきた者の言葉を軽く見るつもりはない。老人は本気であり、そのためなら何だってするだろう。

 

「信じられんな」

 

 だがそんな老人の言葉をアーチャーは一蹴した。

 

「我ら、と言ったな。それは一体、誰のことだ?」

「それは……」

 

 言葉に詰まる老人に全ての答えは集約していた。

 この見張りひとつ満足にこなすことのできぬ組織で、一体どれほどのことができるというのか。どれほどの者が、ティーネのために死ぬことを選ぶのか。

 甚だ、疑問でしかない。

 

 ティーネが倒れたことで水面下で蠢く不平不満が、鎌首をもたげている。

 組織は大きくなればなるほどその地盤が問われるものであるが、思った以上に弱かったようである。敵対工作が行われたのは確かであろうが、綻びをこの聖杯戦争までに排除しきれなかったのはティーネの落ち度だ。

 

 アーチャーは為政者である。その組織の有り様を見抜けぬわけもなかった。

 

「何故、あの娘が族長なのだ?」

「……あの娘が、最も強くこの地と結びついているからに御座います」

 

 質問を変えて老人に聞いてみれば、苦渋に満ちた答えが返ってくる。

 スノーフィールドの原住民は、スノーフィールドによって力を与えられた者達である。必然的に族長ともなれば、その中で最も力を与えられた者でなくてはならない。確かにその意味ではティーネは適合しているのだろうが、それ以外について適合しているかといえば首をひねらざるを得ないだろう。

 

 王制にあっては幼い子供を神輿にするのは理解できるが、この地の奪還を目指す原住民に必要なのは強力な指導者だ。血筋や能力に申し分なく最も強力な魔力を秘めるティーネであっても、実績が伴わなければ下の者はその指示に従うまい。命を懸けるのであれば、尚更だ。

 

 まがりなりにも原住民がティーネを中心にして組織としてまとまっていられる理由は、彼女を支える周囲の者にある。その周囲の者に認められているからこそ、彼女は族長であり続けることができる。

 

 有り体に言えば、彼女は指導者として相応しくなかった。

 

「成る程。貴様のような側近であればある程、忠誠心が高いというわけか」

「否定は、致しません」

 

 それは組織の末端にいる者程ティーネへの忠誠心は薄い、と言ってるのと同義だ。

 彼らが忠誠を誓っているのが一体何であるのか。族長たるティーネに忠誠を誓っているのか、原住民の血に誓っているのか、あるいは巨大なコミュニティとしての組織に誓っているのか、それは全く分からないのである。

 

 フン、と英雄王は鼻で笑う。その顔は老人からは決して見えないが、その顔は、確かに笑みといえるものだった。

 

「貴様、この景色の有り様に気付いているか?」

 

 英雄王の質問に老人は沈黙した。

 急な質問ではあるが、話が変わったというわけではない。

 それにこれはただの質問でもない。老人に対するテストである。真に族長たるティーネに忠誠を誓う者として、英雄王の期待に耐えられるかのテストだ。

 

 外せば英雄王からの信はなくなり、ティーネはただの道具として英雄王に使い潰される。反面、正解すれば英雄王のパートナーとしてわずかではあるが、対等な関係へと近付くことができる。

 ハイリスクローリターン。だが、こうしたチャンスは英雄王との信頼関係の構築には必要不可欠な通過儀礼だ。

 

 深い呼吸を五回、老人は行った。

 薄い暗闇が広がる中、見渡す景色は先とは何も変わりない。当然だ。ほんの数分で変化するわけもない。

 

「……明かりが、減っておるように見えます」

 

 実を言えば既に出ていた答えを、老人は時間を掛けてひねり出すように答えた。

 

「此度の戦争、今日で初戦から三日が経とうとしています。その間市街や西部で大きな動きはありましたが、それにしても明かりの数が減りすぎたように見受けられます」

 

 実に愉しげに、英雄王は老人の言葉を聞いた。

 

 アーチャーは召喚された当初からこの北部の要塞部とスノーフィールド都市部を歩き回っている。今日この場にアーチャーがいたのも何も今回が初めてというわけではない。

 確かに伊達や酔狂で動くのがこの英雄王ではあるが、市井を見て回ることは決して無駄なことなどではない。

 

「なかなかの慧眼ではないか」

「恐れ入ります」

 

 満点、とは言いがたいが、おおよそアーチャーの答えと同じ解答である。

 

 アーチャーが召喚当初に見た街の明かりを100とすれば、現在は95といったところ。誤差の範囲と言ってみれば済むところだが、ここ数日暗くなることはあっても明るくなることがない。

 恐らく明日には94か93になり、90を割り込めばそこからは一気にスノーフィールドの崩壊が進むことだろう。

 

 都市部で何が起こっているのか、歩き回っていたアーチャーにも分からない。だが何かが蠢く気配は遠く離れたここまではっきりと伝わってくる。それは何もサーヴァントだからという理由だけでもなさそうである。

 

「貴様、相談役、と言ったな?」

「はい」

「では、ここの備蓄はいかほどある?」

 

 アーチャーの言葉に老人は記憶の底から必要な知識を引っ張り出す。具体的な資料は見ていないが、倉庫の様子や搬入頻度から計算することは可能だ。

 

「ここにいる者だけならば何もせずとも一月は保ちましょう。ここの内部でもある程度食料生産もできますので、節約をすれば更に耐えることができます」

「足らんな」

 

 本来であれば十分すぎるほどの備えだというのに、アーチャーの感想は真逆のものだった。

 

「水、食料、資材、燃料、上限を設けずありったけを集めよ。それから内と外との区別を分けるように指示しておけ。この渓谷の入り口を監視し、中の者を外に出さず、外の者を中に入れるな」

 

 恐らく初めてとも言うべきアーチャーの具体的な指示に、老人はその言葉の意味を量りかねていた。

 

「……それは、一体何に対する備えでありましょうか?」

 

 籠城の指示、という様相にも思えたが、それにしては内と外を区別するのは異常である。これはまるで疫病に対する免疫措置にしか思えない。

 わざわざそれを指示するまで事態が進行しているとでも言うのか。

 しかし英雄王はその言葉に応えない。

 

「数日以内。事態に何の変化もなければ、街を灼くことにする」

 

 軽く、ではあるが。

 英雄王は、スノーフィールドを、壊滅させると宣言した。

 否――これは英雄王の『決定』である。

 何人たりとも覆せぬ、王の裁き。

 

「なっ」

「ようやく驚く顔が見られたな。したり顔の老いぼれを驚かすのも中々に一興だ」

 

 老人が驚くのと同時に、アーチャーは霊体化してどこへなりとも姿を消した。

 

 あれが冗談――というわけではあるまい。

 あの英雄王がやるといったら、本当に目の前の都市は壊滅することとなる。

 

 アーチャーの話しぶりから灼く範囲の線引きにこの砦は含まれていないが、だからといって奪い返す地が焦土と化すのを良しとするわけにはいかない。座して待つのは簡単だが、先ほど族長への忠誠が試されたばかりである。動いて状況を変えるのが誰か、言うまでもない。

 

 見張り台には緊急警報を鳴らす装置が付けられている。猶予こそ明確にしていないが、数日あるからと言って、悠長に一分一秒を無駄にして良い場合ではなかった。

 

 しばらくして、要塞内部で緊急警報が鳴り響いたが、その後誤報であるとアナウンスが流された。

 ただし、その後の要塞深部で行われた原住民相談役の極秘会議は長く続くこととなる。

 



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day.03-07 残業

 

 

 その男は気怠げに階段を上がってきた。

 

 四〇代前半のサラリーマン。見るからに動くのが得意といった体格ではなく、疲れがあるのか足取りも重い。煙草の灰が落ちるのもそのままに、胡乱な目つきで周囲を見やる。砂漠化の進んだ頭皮をかきむしれば周囲にフケが飛んだ。

 

 もう定時もとっくに過ぎたというのに、酒が入っていないのが不思議なくらいである。それでもわざわざ一度は明かりを落とした二階のオフィスへ足を向ける理由は、まだ仕事がたくさん残っているからに他ならない。

 

 つまり男は貧乏籤を引いていた。

 

 まだ夜も浅いというのにサイレンの音がよく耳につく。救急車かパトカーか。無数のサイレンが、夜のスノーフィールドのあちこちで響き渡り、共鳴して、奇妙な音楽を作り上げていた。

 その数だけ事故や事件があるのかと思うと、一つ一つのサイレンが悲劇に群がる腐肉くらいのように思えてくる。

 理性と切り離されたところで、益体のない妄想が膨らみ続ける。

 

 スノーフィールドの夜は徐々に剣呑な雰囲気につつまれつつあった。昨日よりも今日の方がその傾向が強い。そして今日より明日の方が、その傾向はより強くなることだろう。

 そんなことを他人事のように思いながら、誰とも知れぬ暗躍者にご苦労様と言いたくなる。そして自分にも誰か労ってくれないものかと嘆息する。

 

 会社から残業は控えるよう命じられていた。何せ、昼間は会社の命令で外回りをするほどだ。

 自警団という訳ではないが、社内の人間を本業そっちのけで外に出回らせ、取引先を巡り「ここだけの話」をして警戒を促している。それにどれほどの効果があるか分からないが、信頼関係の構築には意味があるらしい。

 だが取引先といくら信頼関係を構築したとしても、男の仕事量が減るわけではない。どうせなら「控えろ」ではなく「禁止」と命令して欲しいところだ。

 

 役所に提出する書類の数を思い返す。

 期日を考えれば、余裕などあるはずもない。そして社長の意向が働けばそれだけ後ろにずれ込むことになるだろう。少なくとも今日一日が無駄に潰れたことでより締め切りが厳しくなったことは確かである。

 となれば、生半可な残業をして一人寂しく帰宅するより、ここで一夜を明かした方が仕事も進むし安全でもあろう。

 

 給湯室に隠しておいた酒はまだあったかと、男はドアノブに手をかけた。もう片方の手でポケットの中にある鍵を探って――

 かちゃり、と軽い手応えに思わず口が開く。

 咥えていた煙草が火のついたまま床に落ちるが、口から零れたのは煙草だけで済んだ。叫びそうになる口を反射的に手で押さえ、無理矢理悲鳴だけは抑え込む。

 

 鍵が、かかっていない。

 

 連想されうるべき状況に、一瞬で頭がパンクしそうになる。

 今朝方行われた社長の訓示でもあったのだ。強盗や殺人が起こる可能性が高い。なるべく複数人で行動し、少しでも違和感があれば大声を出し異変を知らせる。そしてすぐさまその場から退避するように。

 まだ階下に人はいる。叫ぶまでもなく、少し声をかけるだけで人は来る。センサーこそ設置していないが、万が一のことも考えて警備会社と契約もしているのだ。電話一本で呼びつけても責められることはない。

 

 けれども、男はそうしない。

 きっと、鍵をかけ忘れたのだ。もしくは同僚の誰かが既に中にいるのだろう。

 ありもしない幻想に、男は縋る。

 

 この騒ぎが始まりだしてから鍵は厳重に管理されているし、かけ忘れなど有り得ない。他に鍵を持つ同僚はついさっき別れたばかりである。帰宅の途につこうとしている彼らが、わざわざ別階段から迂回して男に先んじることなどあるわけがない。

 

 ドアに取り付けられている擦りガラスの向こう側から明かりは見えない。オフィス街なだけに外に光源はたくさんあるが、だからといって明かりなしで何かすることができるわけもない。

 もし明かりをつけるのを忌避する者がいるとしたら、それは泥棒か、あるいは――

 

 脳裏に走った妄想に慌てて男は首を振る。

 傍目から見ると、男は明らかにおかしな事をしていた。

 けれどもその理由を察すれば、おかしな事ではない。

 

 人を呼べば、この中を検めなくてはならない。この中に他人の目を入れることなど、絶対にあってはならない。何かがあったとしても、何もなかったことにしなくてはならないのだ。

 

 敵以上に、味方に見られることは避けなければならぬ情報が、ここにある。

 

 さっさと逃げ出すという選択肢を忘れてしまうほどに、男は取り乱してしまった。

 本来知りえぬ事実を知っていたが故に、男はこれ以上にないほど、慌ててしまった。

 それでありながら、恐怖に引っ張られて口端からよじれた声を漏らすことをしない。

 

 本当の混乱は身体からスタートすることを、男の肉体はよく教え込まれていた。身体が感情を引っ張るから、収集がつかなくなる。だから頭がどれだけ混乱していても、頭の中だけにとどめていればエスカレートはしない。

 

 数秒の後に男は正気を取り戻し、正しい選択肢を思い浮かべ実行することができる――筈だった。

 喚き散らしたくなるのをじっと耐える、という特殊な訓練を受けていなければまずできることのないファインプレー。

 

 それが男のミスだった。

 

「――お前、聖杯戦争を知っているな?」

 

 何を、などと男は思わない。

 男は、この聖杯戦争でここが調査される可能性を、知っていた。

 ただの一般人の筈である男が、聖杯戦争の名前を、知っていた。

 

 闇夜から零れ落ちるような怪しげな声と共に、ドアの隙間から赤い影が這いより男の手を無造作に掴んでくる。

 熱いのか冷たいのかすら分からずとも、熱く荒い息遣いは瞬時に冷やされる。とても人間の力とは思えぬ力によって、ズルリと男の身体がドアの内側へと呑み込まれる。その様子は蛇が獲物を丸呑みする様を連想させた。

 

 ドアの外に、静寂が戻る。

 

 床に落ちた煙草が、しばらくして燃え尽きた。

 

 



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day.03-08 裏の裏の裏

 

 

「これはこれは。なかなか面白い事実ではないか」

 

 クハクハと笑いながら、その吸血鬼は薄暗いオフィスの中で愉しげに笑っていた。

 あまりに愉快なので拍手喝采したいところであるが、それはさすがに自重しておく。

 

 ジェスターが部屋に無理矢理引きずり込んだ男は、今はもう力なく椅子に座り項垂れていた。

 男の目は虚ろで焦点を失い、弛緩しきった唇から涎が垂れ、そして時折ひくひくと身体を痙攣させている。普段であれば暗示を施すのにもう少し手加減をするのだが、色々と喋ってもらうのに強く効かせすぎていた。

 

 男は、この会社の経理をしている者――と言えばこの聖杯戦争には一見無関係のように思えるが、実体はそうではない。

 

 この会社はスノーフィールド原住民、しかも武器弾薬を専門に調達するための会社であり、男はその部門の経理主査である。つまりはトップが組織の全体像を見るための資料を作る者だ。ある意味で、原住民の情報は全て彼に集約されているのである。

 もっとも、情報はあってもそれを判断するモノサシを経理主査は持っていない筈だった。

 

 スノーフィールドの原住民とはいえ、その全員が聖杯戦争のことを周知しているわけではない。むしろ人数が多い分だけ混乱が起こる可能性が高く、大半は何も知らずに上の命令に従っていることが殆どだ。

 

 経理主査も他の原住民と同じく情報を与えられていない立場に違いはない。

 そもそも魔術を解する素養がないからこそ、この役職に抜擢された、という理由もある。本来であれば、経理主査は一般人に限りなく近い、どこにでもいるような男なのである。

 

「こんなどこにでもいるような男が、まさかこの戦争の裏を知っているなどと、一体誰が信じる?」

 

 再度クハクハと笑い、ジェスターは手にしたファイルをパラパラと捲ってみせる。

 ジェスターが捲っているのはこの会社の帳簿である。それが、ジェスターの手には三冊ある。

 一冊は表向き提出するためのもの。もう一冊は表に出せぬ裏帳簿。ならば、最後の一冊は何なのか。ご丁寧に各帳簿には付箋が貼られており、その差違は一目で分かるようになっている。

 

「さあ答えろ、この裏帳簿は、誰に見せるためのものだ?」

「はい……族長に見せるためのものです……」

 

 二冊目の裏帳簿を見せるジェスターの問に、男は緩慢に答える。

 この会社はいわゆる死の商人である。後ろめたい者が顧客なのは至極当然の流れ。表に出せない情報がふんだんにある以上、裏帳簿くらい作られていてもおかしくはないだろう。

 テロ紛いのことをしている組織が正しく税金を払うのもおかしな話でもある。

 

 問題は、表に出せない帳簿が何故複数あるのか、だ。

 

「なら、この三冊目の帳簿は、一体誰に見せるものだ?」

「それは、――」

 

 男の答えた名前は、原住民の幹部の一人の名前だった。

 役職としてはただの相談役であるが、その発言力は他の相談役よりはるかに大きい。武器弾薬の調達などしていればそれも当たり前か。

 詳しく聞けば、好戦的な連中を集めた急進派、そのまとめ役をしているという話。族長を中心とした組織でこうも露骨に台頭する者が現れれば、一枚岩になれぬのも無理からぬことだ。

 

 その相談役がトップである族長に対し、偽らねばならぬことが書いてある裏の裏帳簿。

 裏の裏は表と決まっているのだが、裏の裏はやはり裏なのである。もっとも、やっていることは至極ありきたりな内容だった。

 多めに発注して中身をちょろまかす。業務の流れで減耗損が出たり不良在庫があったりして棚卸に誤差が出るのもよくあること。昔からよくある着服の常套手段である。

 

 しかし、これはいささか着服するにしても限度があるように思える。

 実際の数と額を比べてみれば、反乱を疑われてもおかしくないレベルにまで横領が横行していた。なまじ格安で仕入れている分だけ不正の余地が生まれてしまっている。

 人間武器や大金を手にしていると気が大きくなってしまうのだろう。さすがにこれだけの誤差があるものを族長に見せるわけにはいくまい。

 

「いや……注目するべきは、そこではない、な」

「……はい」

 

 ジェスターの独り言に経理主査も同意する。偽っているのは、そこだけではない。

 

 着服している相談役ならば、武器の数や金の額に着目するかもしれない。自分の手にどれほどの武器がどれくらいあり、金が幾らくらいあるのか。それにより行動指針を立てようとする。それは別段おかしな事ではない。

 注目すべきは、数などではなく、供給源だ。

 

「この会社とこの会社とこの会社、実体は全部同じ会社だな?」

「……はい」

 

 帳簿に書かれている会社名を指摘すれば、経理主査はあっさりと首肯した。

 

 搬入経路こそ色々と誤魔化されてはいるが、少し調べれば武器の供給源は実質一つだけとすぐ分かる。武器の市場価格に比べ、原住民に卸されている価格はかなり安すぎる。普通に考えれば、この取引先の会社はアホなのかと思われても仕方あるまい。これで儲けなど出る筈がない。

 

 しかし儲けだけが利益でもない。

 

 この取引先会社の目的は、供給源の独占にある。これがいかに危険なことであるのか経営者ならずとも察しはつくだろう。

 供給元に何かあった場合、その影響は露骨に波及する。連鎖倒産する可能性は一気に高くなるし、いざという時には見捨てられる上に足元を見るような交渉が行われかねない。

 

 これを容認するには相当な信頼関係が必要である。件の相談役と取引先との間にどんな蜜月があったのか、容易に想像が付く。そして、その思惑も。

 

 裏の裏には、更に裏がある。

 

「裏で糸を引いてる者がいるな?」

「……はい」

「お前はそこの、スパイだな?」

「……はい」

「組織の名は?」

「……二十八人の怪物(クラン・カラティン)

「……クハハ」

 

 いともあっさりと、欲しかった情報にジェスターは辿り着いた。

 

 この偽りの聖杯戦争、その真実の一端が、これだ。

 族長を裏切る相談役。その相談役の駒として動く経理主査。その経理主査の背後にいる別の組織。一陣営が一陣営を影で操り誘導する仕組みが、既にできあがっていたのだ。

 

 おそらく、この事実を知っているのはこの男と、二十八人の怪物(クラン・カラティン)の一握りの人間だけだ。つまりは頭と手足である。

 この手の悪巧みは露見しないよう少数精鋭がセオリーであるし、こうもピンポイントの役職にスパイを送り込めたのなら、余計な人員を増やす必要はない。

 

 では何故ジェスターがそれに気付けたかというと、昨夜ティーネが警察の動向を気にしていたからである。

 

 冷静に考えてみて欲しい。ティーネは長年に亘ってスノーフィールドを奪い返そうという組織の長なのである。それが何故、警察などを今更警戒しなくてはならないのか。

 魔術などに頼らずとも、札束で顔を叩けばそれで済む話だ。短期的には無理でも、長期的に接触を図れば綻びなど簡単に見つけられるというのに。

 この地の警察が職務に忠実で聖人君子であるならば、それも納得できるだろう。でなければ、原住民を意図的にそうした状況に陥らせようとする何者かがいるだけだ。

 

 ジェスターがどちらを睨んで動き裏を取ったのかは、言うまでもない。この調子なら警察内部にも二十八人の怪物(クラン・カラティン)とやらの手が伸びているのだろう。もしくは、警察そのものが二十八人の怪物(クラン・カラティン)であるのかもしれない。

 

「さて……しかしこれは一体どうしたものか。これではやることが多すぎるな。なぁ、これから私はどうすればいいと思う?」

「………」

 

 その問に答える舌を経理主査が持つわけもない。別にそれに腹を立てたわけではないが、ジェスターが頭を軽く小突けば経理主査はあっさりと椅子から転げ床に崩れ落ちる。殺したわけではない。必要がなくなったので眠って貰っただけだ。

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)という組織について、ジェスターは尋ねる真似はしない。

 この経理主査は二十八人の怪物(クラン・カラティン)の末端の更に末端である。戦争の最中だというのに緊張感を欠いていたのがその証左であろう。

 

 おそらく原住民の情報を一方的に渡していただけで、二十八人の怪物(クラン・カラティン)からの情報は皆無に近かったに違いない。

 ディスインフォメーションの可能性が高い以上、下手に探りを入れるのは危険すぎる。はっきり言って、二十八人の怪物(クラン・カラティン)という名前もジェスターはあまり信じていない。

 

 原住民が何者かに操られている、という事実だけで収穫は十分だった。他にも調べる方法はたくさんあるし、調べることもたくさんある。多すぎて目移りするくらいだ。

 

「手が足りないな。弟子を失ったのは失敗だったかもしれん」

 

 アサシンの素晴らしさの前には小事と割り切っていたが、時間が経つにつれ手足の欠落を痛感させられる。

 誰かと組むことも考えるが、令呪を使い切りサーヴァントとも別行動のジェスターではいくらマスターであろうと組もうとする者もいまい。原住民に情報をリークすればあるいは手を組めるかもしれないが、情報が筒抜けの組織と組むのはいかにも拙い。

 

 せめてあのアサシンをどうにかしてくれないかとジェスターは頭を悩ませる。

 できれば一日中アサシンを眺めて過ごしたいところだが、死徒であるジェスターは昼間は動けないし、当初の目的を考えればそれだけで良いというわけにもいくまい。

 

 後先を考えぬアサシンは、ある意味で最も脱落しやすいサーヴァントである。今はまだ片手間の調査であるが、調査に本腰を入れるなら遠目で見守ることも難しくなる。ジェスターの見えぬところで退場されては、いくらなんでも本末転倒だ。

 今は東洋人がその役を担っているが、あの体たらくで御せるわけがない。

 

 では一体誰なら御せるのか。

 

 アサシンは忠犬にして、猟犬にして、狂犬だ。神という飼い主がいる限り、手懐けることなど不可能で、手綱を握ることすら一苦労だ。

 

 彼女の根底をよく理解し、敵対行動をとらず、アサシンからも非攻撃対象の認識を受け、適切な距離で彼女を見守り、その上で彼女の行動をフォローしてくれる人物でなければならない。

 

 そんな都合の良い人物が一体どこにいるというのか。

 

「……意外と近くにいるものだな」

 

 思考の迷宮、その入り口でジェスターは立ち入ることなく立ち止まる。

 何気なく見やったビルの外に、闇夜に紛れて侵入しようとする者がいた。

 

 クハハと小さく笑ってジェスターは給湯室の換気扇を付ける。そしてその人物と鉢合わせにならぬよう、手早く証拠を隠滅させ、ジェスターは静かにその場を立ち去った。

 

 



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day.03-09 黒幕

 

 

 ――スノーフィールド、市内某所。

 市内でひっきりなしに鳴り響くサイレンはここでは遠い。同じ市内でありながら、この地域一帯は夜間の人口密度が異なっているためか実に平穏なものである。単に事件が表沙汰になるまで時間がかかるというわけではない。実際、この区画一帯過去10000時間遡ったところで事件は何ひとつとして起こっていない。

 

 一種の結界と言い表して差し支えあるまい。が、そこに魔術の二文字は介在しない。この異常を現実のものとしているのは魔術などではなく、ただの技術のみ。

 同じく聖杯戦争に参加する者であるならば、おいそれと尻尾を掴ませる真似は厳に慎むべきなのである。第四次聖杯戦争にて、若かりしロード・エルメロイⅡ世が化け物揃いの参加者の目をかいくぐり如何にして生き残ったのか、この実例を参考にせぬ訳がないのである。

 

 薄暗い部屋の四隅に剣を持った甲冑がじっと見守る薄暗い部屋の中。彼らの守護によるものとばかりに、煌めくモニターやスクリーンからこの場が安全である証拠をリアルタイムで淡々と映し出していた。

 スクリーンの中身を理解するのに特にこれといった知識は必要としない。赤が危険、黄色が注意、青が安全、といったわかりやすい色分けである。中央スクリーンに表示されたスノーフィールド全域の地図は幾つか黄色く表示された場所こそあれど、その大部分が青色で統一されていた。

 

「――つまらんな」

「ええ、まったくですね」

 

 そんな面白くとも何ともないスクリーンにぼやく声がひとつ。芸のない阿諛追従もひとつ。

 一人は一面青色のモニターを見つめる眼光鋭い小柄な初老の男性。一人はサイレンだけで叫び声のひとつも聞こえぬスノーフィールドの夜景を眺めるやり手ビジネスマンを連想させる熟年の男性。

 

 二人は、この“偽りの聖杯戦争”を仕掛けた側の人間である。

 トップ、ではない。意思決定者とは縁遠い悲しき中間管理職ではあるが、現場レベルで言えば間違いなく最上位に位置している。

 黒幕といって差し支えない立場であるが、かつて冬木の聖杯戦争で同じく黒幕然と暗躍した言峰綺礼や間桐臓硯と異なり、彼らは徹底的にこの“偽りの聖杯戦争”に参加していない。

 ただひたすらに傍観者であり続け、観察者を気取るのみ。一番近しい立場を挙げるなら、アインツベルンのアハト翁か。

 しかしながら、同じく黒幕の一面を持ちながら絶対的に違う点というなれば、彼らは自らの駒に何の期待もしていないことである。

 

 聖杯戦争開始より早数日。すでに幾つかの衝突はあったが、この二人が手を叩いて喜ぶような展開には至っていない。

 つまりは、何のイレギュラーも起こっていなかった。

 全ては彼らのシナリオ通り。日中市内でサーヴァントが召喚される事態に陥ったことも、協力関係であったはずの繰丘が早々にリタイアしたことも予想の範疇。そしてそれらの事態を見た各陣営が様子見に徹し始めるのも当然だった。

 想定通りだ。

 だからこそ、つまらない。

 観察のし甲斐がない。

 

「こうなってくるとフェイズ5への移行は悪手でしたか」

 

 男の言葉には様々な意味が込められている。

 この場にいる二人ならば、ほんの気まぐれ程度の思いつきで署長が行う必死の努力は水泡へと帰すことになる。いくら署長がフェイズ5移行を宣言したとしても、管理者権限はこちらにあるのだ。

 署長の行動を制限するのに苦労はない。理由など幾らでもあるし、作ることだって幾らでもできる。

 だが幸いにして、同じ立場にいながらも両者の考えは同一ではない。

 

「それはいかんよ君。さすがにマナー違反だろう」

「これは失礼を」

 

 半ば予想していたであろう老人の回答に返す言葉は悪びれたものではなかった。

 ルール違反ではなく、マナー違反。

 実際、彼らが全力で署長のバックアップに回れば一日どころかものの数時間で勝敗は決することになる。ワンサイドゲームほど退屈なものはない。ならば、これ以上退屈にすることは控えるべきだろう。

 

「それに、だ。このスノーフィールドが火薬庫である事実には違いあるまいよ。何のきっかけで爆発が起こるか予想は難しい」

「それが大爆発であれば良いのですが」

 

 二人は軽く笑い、そして軽く溜息をつく。

 予測は難しいが、可能性を論じ、確率を算出することに難しくはない。当然、この二人もその数字を知らないわけがなかった。

 現状において何かしらの爆発が起こる可能性はほとんど0パーセントに等しい。一時間後の数字も似たようなものであり、一日後であっても10パーセント程度。天気予報の降水確率のようなものなので時間が経てば経つほど当てにできないが、素人の判断よりかは当てにできよう。

 

 それに、小さな爆発が起こることは聖杯戦争であれば確定的であるが、それが連鎖することはあっても大爆発まで拡大することは稀であろう。

 理由は幾つかあるが、その筆頭は署長の存在である。

 全てを掌握する彼らに比べて、署長が把握する情報は限定的で確度の低いものばかり。だが現実は攻略本があるわけでもなし、少ない情報から全体を推測し現状にあって最善であろう手を打つことしかできることはない。

 

 聖杯戦争での勝利を目指すための最善最適最短手の評価値を100とするならば、現在の署長の評価値は40から50の間にある。多くの経験を踏んできた優秀な指揮官ですら30前後と聞けば、その凄さが分かるというもの。全知ならぬ身で評価値50に一瞬でも届けば、それは十分神業なのである。

 このまま署長の才腕がふるわれたのなら、誰に気付かれることなく知らぬ間に各個撃破されることは想像に難くない。そんなことで大爆発など期待するだけ無駄だろう。

 

「……やはりフェイズ5への移行は止めさせておくべきか」

「それはマナー違反なのでは?」

 

 あっさりと前言を翻すのに躊躇はない。署長が優秀であればあるほどつまらなくなることは彼ら黒幕の共通認識となった。いや、これは最初から想定されていたことでもある。

 欲しかったのは、口実。そして同意。

 

「アンパッサンやキャスリングがチェスの誕生と同時に存在したわけではあるまい。ここはひとつ、一石を投じてみるのも手だろう」

「致し方ありませんな。しかし我らだけで勝手に事を進めてしまうのも良いとは言えません。然るべき手順に乗っ取る必要がありませんか?」

 

 ここまでのやりとりは別段打ち合わせたものではない。だが、このフリこそが一番重要なところだった。

 まあこれくらい察することができねば魔術師ならぬ身でここまで出世することもなかっただろう。この程度のことで老人の機嫌を取ることができるのなら安いものだと男は思案して言葉を紡ぐ。

 

「確かにな。では、明日にでもスノーフィールドを発つことにしよう。署長への足枷はそれからになりそうだな」

「それが良いでしょう。この場は私にお任せください」

 

 ただの了承だけならば電話でも事足りる。やれやれと思いながら男は欲しかったであろう言葉を投げかける。

 どうやら、ようやくこの老体にも危機感という貴重で分かり辛い感覚を抱いてくれたらしい。率直に喜ばしいことだろう。開戦前に抱いてくれればもっと良かったのだが。

 夜景を眺めながら男はガラスに写っている自分の口元が歪んでいるのに気がついた。

 

 男は署長を内心高く評価している。

 目障りである事実には違いないが、それは署長の高い能力故。そんな彼が当初想定していた予定を一蹴してフェイズを独断で進めたのである。臆病風に吹かれたなどと表向き笑いはしたが、そんな当たり前の感性を持っていたのなら偽りの聖杯戦争なんぞに参加するわけもない。

 その署長が早々に最大限安全マージンを取らねばならぬ事態に陥っているのだ。立場上同調するわけにはいかないが、こちらもこちらで警戒せざるを得まい。事前準備は万端であるが、リスクを分散するに越したことはない。

 

「君はどうするかね?」

「私には私の職務がありますので。ここで私までいなくなってしまえば後が困ることになります」

 

 暗に同行しないと告げておく。現地スノーフィールドへの実質的権限を委譲する形となるが、職務に忠実とあれば無碍にもできまい。

 

「それに万が一のことを思えばここから道中のフォローも必要です。ファルデウスに護衛させましょう。ラスベガスまでならそう問題もないでしょう」

「いや、あれに貸しを作るのは好かんな。それに子飼いの護衛なら何人かいる」

「……それは、」

 

 いささか不用心なのでは、という言葉を男は飲み込んだ。

 ああも大役を務めたファルデウスが今現在ゲーム盤の上にいない理由は、単純に信用されていないだけである。だから権限を制限し、玩具を取り上げ、冷遇する。そんなことをするから怯え逃げ帰る羽目になっているのだと気付かないのである。

 

「警備が些か手薄になるが、不安かね?」

「……いえ。ご心配には及びません」

 

 老人の言葉はこの場での護衛が少なくなることへの懸念だった。この場所を隠蔽するために防備は最低限に止められている。二人の重役がいるからこそ、今の警備レベルが維持されているのである。

 だが男にとってその程度の警備など誤差の範囲内。むしろ警備など邪魔だとすら思っている。認識の違いを改めて感じてならない。

 

「いつお発ちになさいますか?」

「そうさな。ならば早い方が対処もしやすい。明朝までには出立しよう」

 

 などと言いつつちらりとモニターをちらりと盗み見ていることに気づかぬふりをする。

 最重要人物であるアーチャーが明日にも動き出そうとする気配がある。彼の王への最大の対処策は眼中に入らぬことである。如何に王の目が優れていようとも、その範囲は極限られたモノになるだろう。

 

 フム、と男は沈思する。老人の考えは男とそう変わるものではない。アーチャーの危険度を考えれば、安全策は幾らあってもありすぎるということはあるまい。

 それになにより、

 

「幸いにしてジェスター・カルトゥーレの所在が市内に確認できていいます。移動の際には市内を迂回するようお気を付けください」

「ジェスター? ……ああ、脱落者といえど侮るべきではないか。分かった。考慮しておこう」

 

 あまり理解している口ぶりではないが、注意喚起を最低限しただけでも良しとするべきであろう。

 ジェスターが脱落した事実はない。単純に令呪を使い切り、サーヴァントとも没交渉なだけである。その事実誤認を伝えるのは簡単であるが、これ以上の説明は老人のプライドを傷つけかねない。

 どうせこれからいなくなるのだ。リスクが低いという事実を無理して伝える意味もあるまい。

 

 先に署長の評価値が40から50の間にあるとしたが、ジェスターの評価値は10を下回る。故に老人はジェスターを侮っているわけだが、二十八人の怪物(クラン・カラティン)の存在にこんな序盤から勘付いたジェスター・カルトゥーレがそんな低評価で良いわけがない。

 聖杯戦争での勝利を目標としないのだから、その評価も当然である。これはこれで、侮るどころか脅威と判ずるべきである。

 

 今この場で思いついた割には準備が整いすぎていたが、それに何か意見を言うことなく老体が退散して行く姿を見届ける。これからのことを考えれば男も一緒にスノーフィールドを脱出するべきかもしれないが、あいにくと男が注視する存在がもう一人。

 評価値不明ながら、暫定評価値60オーバーをたたき出しているマスター、フラット・エスカルドスの行方が分からぬのである。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)がその行方を掴めぬことにさして不思議ではないが、スノーフィールド全情報を誇張なく網羅している筈の我々黒幕ですら杳としてその消息を知らぬことに恐怖すら覚える。

 

 おそらくこちらの情報網が通用しないような異空間に潜伏しているのだろう。完璧に身を隠しているだけに軽々に動く可能性は低いが、好機と見れば躊躇しないだろう。あの老体が餌としてどれほどフラットの興味を誘発するのか疑問であるが、黒幕が序盤から危機に晒されれば実験どころの話ではなくなる。

 スノーフィールド脱出時の隙は男にとって看過できるものではないのだ。

 

 老人が用意する護衛が如何ほどのものか不明だが、あのロード・エルメロイⅡ世の直弟子を相手に生半な戦力で相対するなど怖気が走るというもの。老体が無事スノーフィールドから脱出できればそれで良いし、失敗したのならそれはそれで構わない。危険があると判明すればその時は黒幕らしく全力で聖杯戦争に介入するだけである。

 

「……愚かなことを」

 

 老人がいなくなり人口密度の減った部屋で男は呟く。

 この場が安全であると分かっていながら、老人はそれを信用しようとはしなかった。サーヴァントの戦闘力を目の当たりにして事前情報が当てにならぬと悟ったのだろう。相手を過大評価し、そして二十八人の怪物(クラン・カラティン)の不甲斐なさにこちらの戦力を過小評価した。

 

 いや、と男は頭を振る。

 ありとあらゆる技術により確保された安全地帯。直接戦力として配置された警備は最小限。万が一にもサーヴァントに狙われれば到底逃げ切ることなどできはすまい。怖じ気づくのも無理はない。

 ましてや、その身に直接被害が出るであろうその瞬間まで、隠密性を重視したこちらの切り札は起動しないよう設定されてあるのだから。

 部屋の四隅で剣を構える甲冑を一瞥し、男は低く声を殺して嗤った。

 

 屋内戦闘用自動機械人形。

 対英霊特化仕様の先行量産型(EMD)

 サーヴァント相手でも一対一を三〇秒間保証された竜の骨より削り出された鬼札、それが四体この場にある。

 人の身では仮に重武装で乗り込んだとしても無力な装飾品に過ぎないが、周囲一〇〇メートル以内にサーヴァントを感知すれば、この甲冑は究極の護衛へとその身を顕現させることになる。

 

「さあ来いよサーヴァント。俺はどこへ逃げも隠れもしないぞ」

 

 スノーフィールド市内の一区画。

 サーヴァントがただの一体でも踏み込めばその瞬間、偽りの聖杯戦争は終結する。可及的速やかに全サーヴァントはなりふり構わず排除され、事情を知る関係者は早々にいなくなることになる。

 それを回避するためには、徹頭徹尾この場に近寄らぬか、遠距離より瞬時にこの地区を焦土とするか。あるいはサーヴァントによらぬ戦力によりこの場を制圧するしかないが――残念ながら、そんな都合の良い情報を知る者なぞ、この黒幕を除いてどこにもいはしないのである。

 

 



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day.03-10 偽物達

 

 

 丸一日ほど大人しく潜伏を続けた後、目立たぬ装いでスノーフィールド市街の様子を伺いに出た。途中適当な伊達眼鏡も購入して顔を少しでも隠しておく。マスクも購入するが、これは非常時のためのもの。隠したいのは山々だが、この状況下でこれ以上顔を隠せば悪目立ちしかねない。

 

「やはり戦法を変えてきたか……」

 

 市内の中心周辺を一回りすると、行き交う人々の中に閑散とした地方都市には似合わない人種が混じっていた。

 外見は、どこから見ても市井の男、あるいは家事に勤しむ妻といった様相で、カモフラージュしているが、その程度で誤魔化せない。

 羊の皮を被っても狼の素性は、跫音に出る。一定で、規則正しく、それでいて必要以上に体重をかけない、専門的な訓練をされた人間に特有の跫音だ。

 

「サーヴァントではなくマスターを狙っている? いや、それにしては魔術に対する警戒もない……」

 

 初日の市街地戦等を考慮するならばこのような輩を配置するのも一定の効果もあるのだろうが、幾ら数を投入しようと魔術師ならば簡単に網の目をかいくぐることだろう。顔が割れていなければ恐れる必要はない。もしくはこうして調査に乗り出す者に対し圧力(プレッシャー)でもかけているのか。どこの陣営かは知らないが、ご苦労なことである。

 変装用に誂えた大きめの帽子を被り直し、何事もないのを装った態度で、相手の視界の外へと立ち去った。

 

 太陽が昇って沈む間に更に周辺状況を確認しつつ、知らぬ間に上着の内ポケットの中に入っていたメモに従い指定の場所へと足を運ぶ。

 いかに休業中の店が多かろうと、開いている店が皆無というわけではない。明確な危険がない以上、24時間営業の看板を外すことはできぬのだろう。東は米国から、西はジンバブエまで。世界中、どこに行ってもあるという。ファーストフード界のトップランカーは今日も元気に営業中だった。

 

 珈琲一杯を注文し二階席へと上がれば、思いの外簡単に目的の人物に会うことができた。閑散とした窓際でシャカシャカ音楽を聴くフリをしながら陽気に手を振って合図してくる。

 ハンドシグナルの使用符丁から察するに3桁ナンバーの諜報員。シングルナンバーでないことに少し安心する。こちらもただの平諜報員なのだから上役を相手にサシで話をするのは苦手である。

 

「若い女性と聞いていればこちらも若い格好に合わせたんだが」

「必要ないよ。今時、年の差カップルなんて珍しくないでしょ。けどお前伊達眼鏡にあわねー。グラサンで良かったんじゃない?」

 

 ケラケラ笑いながら不良娘を演じる仲間はそれでも周囲の気配に変化がないことを手信号で告げてくる。伊達眼鏡も少し困りながら隣の席へ腰を下ろした。

 

 この場所は周囲を監視するには視野が広く誂え向きだが、夜ともなれば条件は異なる。昼間は逆光となって店内の様子は分かりづらいが、夜間は店内の明かりが外に漏れだし丸見えとなる。おまけに今日のスノーフィールド市内は連日の煽りを受けてやや明かりが少なく暗がりが強い。見通せる範囲は数百メートルが限界か。こうも店内の明かりが強ければ暗闇に目が慣れるということもない。

 

「グラサンだとよく見渡せん」

「けど視線は隠れるっしょ?」

「光源を視界の中央において視界の端でモノを見るんだ。無闇に視線を動かすのは素人のやることだ」

 

 伊達眼鏡の言葉に不良娘は敵機を探す戦闘機パイロットの如く、額を薄汚れた窓ガラスに押しつけるようにして夜のスノーフィールドを睨み付けるが、それが簡単にできるなら街中の監視に伊達眼鏡が配置されることはないだろう。

 簡単にできるようなら、それに特化した自分の立つ瀬がない。

 

「それで? なんかあった?」

「街中に怪しいヤツがいるってくらいだ」

「それは知ってる、つか常識。つまり戦果なしってこと?」

「お前こそどうなんだ?」

「闇雲に動いても、ターゲットは捕捉できないっていう仮定の立証をしてたのよねー」

 

 互いにロクな情報を持ってないと報告し合うが、そこは問題ない。情報は一人で集めるものではないのでないし、仲間であればと闇雲に共有すれば良いというものではない。特にこの不良娘に先の羊の皮を被った狼を事細かに教えれば、要らぬ警戒心からボロが出る可能性もある。

 

「キャスターが二十八人の怪物(クラン・カラティン)を裏切ってバーサーカーと同盟を組んだわ。それにアーチャーとそのマスターの間に問題があったみたいで原住民の動きが忙しい。二十八人の怪物(クラン・カラティン)はT1000みたいなランサーへ注力してる」

「T1000?」

「液体金属みたいってこと。どうやらこてんぱんに一度やられてやっきになってるみたい――これ塩の効き過ぎ。けどなんで無性に食べたくなるんだろ? フィッシュアンドチップスもいいんだけどさ」

 

 ポテトを一本つまんで囓りながら、スノーフィールドで起こった極秘事項を不良娘はこともなげに言ってくる。

 街中をぶらつくだけの自分と違い、有益な情報を吸い上げれた仲間がいたことは幸いだった。もとより戦力的には他のどの陣営よりも弱い自陣である。せめて情報戦において先手を取らねば勝ち目がない。

 まだどの陣営にも気取られてはいないが、ここから優勝を狙うにこの程度のリードでは安心できよう筈もない。

 

「先は長そうだな。生きて終戦を迎えられれば良いのだが」

「多分私ら無理だろうけどね」

「可能な限り長生きをする努力は怠らぬようにしよう」

 

 科学忍者隊の最後の武器は特攻で、腕時計で動く巨大ロボの最後の武器は自爆だった。

 直接戦闘能力が低い以上、第四次聖杯戦争のアサシンのように無謀な特攻を強要され死ぬ可能性は低いが、蜥蜴の尻尾切りで始末される可能性は非常に高い。そうでなくとも、聖杯が手に入れば仲間達は悉く死に絶える運命である。

 レミングスの集団自殺じゃあるまいし、よくもまあこんな分の悪い作戦に大人しく従っているものだ。さっさと逃げたした方が余程建設的だろう。そんな輩が仲間内にいるとも思えないが。

 

 伊達眼鏡は己が運命に肩をすくめながら紙コップの珈琲を一口啜り、その味に顔をしかめる。

 薄い。確かに珈琲の味だけれど、臭いもほぼほぼ感じられない。自分の知っている珈琲との差異に戸惑いミルクを入れて誤魔化してみようとするが、しかし何だか自分の知っているミルクとも違うような気がする。

 

「……まるであたし達みたいだよね」

「何がだ?」

 

 唐突に眼を細めて見つめてくる不良娘に伊達眼鏡は少したじろぐ。不良娘の性格(キャラクター)が作戦のために作られたモノであることは承知している。つまりはこれが素ということだろう。

 彼女の視線の先には珈琲があった。

 

「味の違い、分かる?」

「俺の知ってる味と違うとは思うが」

「それ、生クリームじゃないよ。生クリームは保存が難しいから、コストを考えると提供できるわけないってことかな。それは白く着色した植物性の脂肪なの。牛乳由来ですらない安価な代用品」

 

 代用品という言葉がやや強かった。

 脂肪分のコクだけあれば良い。だから日持ちのする植物性の油脂を使う。全く合理的である。人間は合理性のために偽物までわざわざ用意するらしい。

 

「舌に自信があるようだな。料理人だったのか?」

「そんなとこ。まあ色々味見してたから多少鋭いかな。最初は珈琲を飲み慣れてないせいだと思ってたけど、よくよく味わえば納得だよ。ミルクの風味はなくても油分で飲み口は円やか。バランスは悪くないよね」

 

 言われてみれば、と珈琲を口に含んで舌で転がす。

 薄い珈琲と代用品の植物油。合わせてみればほんのりと、本来の珈琲とミルクを合わせた時のイメージが淡く透けて見える。材料の質(クオリティ)は最初から諦めるという前提で、この珈琲は成り立っている。

 

 偽物の珈琲に垂らされる安い代替品のミルクを思いながら伊達眼鏡は不良娘の言葉に頷いた。

 なるほど。偽りの聖杯戦争なのだから代替品が溢れかえることに不思議はない。

 十把一絡げの我々が活躍するに相応しい戦場である。

 

 天井に埋め込まれた質の悪いスピーカーから店内に流れていた無難で無害なクラッシック音楽が切り替わり、現在時刻を告げてラジオキャスターがリスナーのお便りを読み上げ始めた。

 300メートルは離れたストリートにワインレッドのセダンがライトを3回点灯させて走り去っていった。伊達眼鏡の広い視野と暗視術がなければ誰も気付くまい。

 

「時間だ。封限命令書R3を開封しろ。印字の酸化消滅は30秒だから注意しろよ」

 

 念のため時計で時間を再度確認してから伊達眼鏡は不良娘に要請する。命令書を所持するのは不良娘で、開封タイミングを知るのは伊達眼鏡。不良娘のスカートの裏側から命令書は出てくるが、そこに色気を感じている暇はない。

 

『出歯亀と給仕はポイントベクター、ゼロ、ナイン、ファイブ、セブン。痕跡を消しつつ速やかに魔術師の下へ集合』

 

 シーザー式換字による簡易暗号化が施された命令文を三度読み返し字が消えるのを確認すれば、不良娘と伊達眼鏡は命令書を二分割してくしゃっと丸めて躊躇なく口に頬張る。珈琲と一緒に嚥下すれば、証拠はこの世から消えてなくなった。魔術などを介す必要すらなく、実に確実な方法である。

 

 真北をゼロポイントとした右回り95度、距離7000――東部湖沼地帯に撤収か。周辺監視に秀でた伊達眼鏡をわざわざ不得手な場所に移動させるのだから、何らかの意図が介在したと見るべきであろう。

 それに魔術の心得のあまりない二人をわざわざシングルナンバーの魔術師と接触させるということは、次の任務は対魔術師、あるいは対サーヴァントを想定した大規模作戦なのだろう。一応覚悟だけはしておくべきか。

 いや、そんなことより。

 

「おまえ、料理人じゃなくウェイトレスかよ。盗み食いで舌を肥えさせてたのか?」

「悪いか覗き見変態野郎」

 

 コードネームという名の本性を互いに暴露され、多少ギスギスしながらスノーフィールド市街から二人の姿が消えるのに時間はさほどかからなかった。

 同時刻、市内にある数十ヶ所にて同様の命令によって、正体不明の集団、およそ三桁にも近い駒が市内から一斉に撤退した事実に、気づく者はいなかった。

 

 



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day.03-ステータス更新

 

 

day.03-01 要塞戦

 

 原住民の北部要塞にて、署長は二十八人の怪物(クラン・カラティン)の精鋭を引き連れて侵入していた。「原住民反乱」というカードを利用して首尾良く無傷のままアーチャーの元へと辿り着くが、油断していた筈のアーチャーに何故か先制を許されてしまう。

 

 

day.03-02 雷神

 

 先制は許されたが署長は策を弄し、切り札たる雷神の名を冠した宝具で一時的ながらアーチャーを圧倒してみせる。しかし大きな代償を払いながら、アーチャーはそれを乗り切り署長を踏みつけ圧殺する。

 

 

day.03-03 盧生の夢

 

 宝具による大規模シミュレーションの結果は事実上の失敗に終わる。署長はこの結果に二十八人の怪物(クラン・カラティン)の弱点とアーチャーの不審な動きを見いだした。折良くティーネがヒュドラの毒に冒されたという情報も舞い込み、署長は原住民に対しての接触を制限する。

 

 

day.03-04 安堵

 

 怪我で動けぬ銀狼とランサーは念話で意思疎通を図る。ランサーは二十八人の怪物(クラン・カラティン)との戦闘から呪いを受けたため、銀狼を危険から遠ざけるために自らを囮とする。ランサーの声に安堵しながら銀狼は眠りについた。

 

 

day.03-05 集合

 

 ランサーの姿を探しスノーフィールドを横断する銀狼であるがその途中、繰丘椿に捕まってしまう。直後にフラットとティーネとも合流し、互いの令呪を確認し合うことになる。敵対するマスターが一堂に会するという異常事態が引き起こされる。

 

 

day.03-06 王の裁定

 

 要塞で一番高い物見台の上で、アーチャーはたまたまやって来た原住民の相談役と問答をする。市街の異変に確信を持ったアーチャーは相談役に指示を出し、街を壊滅させると宣言し砦を去っていく。

 

 

day.03-07 残業

 

 オフィス街にてどこにでもいるような男が残業しようとしていた。男は社内に入ろうとするが、ドアに鍵がかかっていない事実に驚愕する。悲鳴を押さえることに成功した男であるが、次の瞬間彼の体はドアの向こう側に引きずり込まれる。

 

 

day.03-08 裏の裏の裏

 

 ティーネのちょっとした動きから原住民を怪しんだジェスターは、原住民の息のかかった会社に忍び込み経理主査を尋問する。二十八人の怪物(クラン・カラティン)が原住民を影で操っている事実に、ジェスターは本腰を入れて調査をすることにする。そして自分に代わってアサシンを御する者をビルの外に見つける。

 

 

day.03-09 黒幕

 

 一向に変化の訪れぬ状況に二人の黒幕は焦れていた。署長のフェイズ移行が黒幕達にとって望むべきものでないことから、それを阻止すべく黒幕の一人はラスベガスへと旅立つことを決定する。そしてスノーフィールドで状況の推移を見守る黒幕は、対英霊特化仕様の自動人形を用意してサーヴァントを待ち構える。

 

 

day.03-10 偽物達

 

 正体不明の集団がスノーフィールド市街で暗躍している。その一人である伊達眼鏡は同じく仲間である不良娘と接触する。各陣営が極秘とするべき内容をあっさりと口にする不良娘は、同じ口で珈琲についてその分析を語る。そして新たな指令を受けた正体不明の集団は、一斉にスノーフィールド市内から撤退する。

 

 

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 ステータスが更新されました。

 

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 ◆サーヴァント

   『アーチャー』

     所属:――

     状態:――

     宝具:王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)

 

   『ランサー』

     所属:――

     状態:強制現界の呪い、位置情報露呈の呪い

     宝具:天の創造(ガイア・オブ・アルル)

 

   『ライダー』

     所属:――

     状態:感染拡大(小)

     宝具:――

 

   『キャスター』

     所属:二十八人の怪物(クラン・カラティン)、サーヴァント同盟

     状態:強制現界の呪い、位置情報露呈の呪い

     宝具:我が銃は誰にも当たらず(オール・フィクション)

 

   『アサシン』

     所属:――

     状態:強制現界の呪い

     宝具:回想回廊、構想神殿

 

   『バーサーカー』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:強制現界の呪い

     宝具:???

 

   『宮本武蔵』

     所属:――

     状態:消滅

     宝具:二天一流

 

   『ヒュドラ』

     所属:――

     状態:消滅

     備考:毒

 

 

 ◆マスター

   『ティーネ・チェルク』

     所属:原住民

     状態:ヒュドラの毒、感染(夢世界)、体力消耗(大)

     令呪:残り3

 

   『銀狼』

     所属:――

     状態:感染(夢世界)、体力消耗(大)

     令呪:残り3

 

   『繰丘椿』

     所属:――

     状態:精神疲労(小)

     令呪:残り3

 

   『署長』

     所属:二十八人の怪物(クラン・カラティン)

     状態:精神疲労(中)

     令呪:残り3

     宝具:夢枕回廊(ロセイ)(封印)

 

   『ジェスター・カルトゥーレ』

     所属:――

     状態:死亡×3

     令呪:残り0

 

   『フラット・エスカルドス』

     所属:――

     状態:感染(夢世界)、魔力消耗(大)

     令呪:残り3

 

 



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day.04-01 変身

 

 

 スノーフィールドの街には不穏な空気が漂っていた。

 理由は簡単。ここ数日スノーフィールドで大事件が連続したからである。

 

 突然今まで市民の間で噂にすら上がっていなかった麻薬組織の大規模な抗争と鎮圧作戦があったかと思えば、西の空には馬鹿でかいキノコ雲が出現して西部一帯に非常線が張られ今も封鎖されたまま。ついでとばかりに突如として街の一区画が瓦礫の山と化す不自然なテロが敢行され、周辺住民からも体調不良者が続出し医療機関が繁盛した。

 

 これで警戒するな、と言う方が無理だろう。

 

 特に先日のテロが致命的であった。

 これまでスノーフィールドにおける『テロ』は人的被害を出さない誇示活動が主だ。市民に被害を出さなかったことで市議会の一部はテロリストと密接関係にあると噂の原住民と癒着――もとい協調する者さえいる。

 一般市民の中でも公然と彼等を支持する者も大勢いるのだ。このような無差別かつ適当とも言えるテロは彼らの主義でない。長年この地に暮らす者であれば容易に理解できるものだった。

 

 何かが起こっている――起こりつつあるのはもはや明白だ。

 深夜の事件だったにも関わらず翌朝の新聞の第一面を独占し、そして二日経ってもまだ一面を飾ってるのである。それだけスノーフィールド市民の関心が非常に高いことを如実に顕していた。

 

 無論、それらが単なる抗争や事故、テロでないことは魔術を囓ったことのある人間であれば分かることだろう。聖杯戦争のことを知っていれば尚のこと。だが事実を知ったところで市民の対応が変わるとも思えない。

 

 数日前と比べ、スノーフィールドの街を歩く人間は極端に少なくなっていた。

 大部分の店は開いているが、休日でもないのにシャッターを下ろしたままの店もちらほらと見かけている。アイスクリームやホットドッグの移動式屋台はそもそも見当たらない。ガソリンスタンドに列ができているのは一連の事件の影響だろうか。店頭からも消耗品の類がよく売れているように思える。

 

 そして、そうした光景の中で通りを歩く警察官は日常にある非日常として、非常に目立っていた。

 

「一区画一時間毎に二人一組での警邏……一体何人いる?」

 

 そう呟いたのは、アラブ系の女性である。

 スノーフィールド中心地の一角にある小さなカフェテラス。太陽の熱い日差しを遮る傘の下で、彼女――アサシンは注文したフルーツジュースを口に含みながら、スノーフィールドの町並みを眺め見ていた。

 

 既に彼女の格好は街中に溶け込むために現代風の女性と変わりはないものとなっている。

 暗い色のキャミソールに深いスリットの入ったロングスカート、あとは日差し避けの帽子と目線を隠すサングラスといった風体。あいにくとアサシンにオシャレという感覚もなければ概念もないので四肢を強調する大胆な格好とは裏腹に、意外と地味な印象である。

 

 素肌を晒すことに抵抗はあったが、背に腹は代えられまい。人里に紛れることができねば、優れた『暗殺者』にはなり得ない。実地訓練こそ受けていないが、その為の仮面を被る教育は幼少時に受けていた。

 

 結局、内部葛藤こそあったものの、アサシンはこうして街中に溶け込んでいる。

 この姿を見れば、彼女を知る者であれば驚くことだろう。自らの愚直なまでの信義を捨てることができず、街中どころか人の世そのものに溶け込めぬから狂信者なのだ。

 この事実に、アサシンは違和感すら抱いていない。全ては些事とこの聖杯戦争に全力で挑もうとしていた。

 

「……やはり、警察の中にマスターがいる可能性が高い……」

 

 サングラスの奥の眼は警邏する警官の一挙手一投足を捉えて離さない。

 彼女には低いながらも真名看破のスキルを持っている。信徒か否かが暗殺の基準となっていた狂信者だからこそのスキルであろう。さすがにサーヴァントの正体について看破しうる程ではないが、一般人に混じった魔術師を見つける程度なら、理屈はさておき『何となく』判別がつく。

 

 朝から何人も警察官を子細に観察しているが、少人数ながらも彼女の感覚に触れた魔術師らしき警察官が存在している。これが偶然であるわけがない。

 

 警察内にて魔術師が育成されているのは確定だ。

 

 この狭い区域で数人の魔術師が警察官の格好をし、警察官の仕事をしているのである。スノーフィールド全体にすれば、最低でも数十人となる。これほどの人数であれば魔術師が警察官に扮していると考えるより、警察官を魔術師として育成していると考えた方が自然だろう。

 

 特に優れた者が対サーヴァントの精鋭部隊として動き、そのレベルに達しない者はこうした哨戒任務についているというところか。

 となれば、これだけの魔術師を育成し指揮している者は当然魔術師であり、警察官としても相当上の立場の者でなければ実行できまい。一朝一夕に魔術師が育つ筈もなく、使えるレベルに達するには数年来の時間がかかる。

 

 彼らがこの偽りの聖杯戦争のために用意された存在であることに間違いない。

 つまり、この魔術師の大量生産を仕掛けた人間はこの偽りの聖杯戦争を予め知っていたこととなる。マスターの一人である可能性は非常に高い。少なくとも、関係者であることに間違いない。

 

 警察に対し調査する必要がある。

 

 彼女の目的はあくまで聖杯戦争を壊すこと。実際の駒をいくら倒したところで聖杯戦争そのものを壊したことにはなるまい。

 本来であれば、今すぐにでも乗り込んでいきたいところだが、霊体化ができない今の彼女でそれは許されない。

 

 異教である魔術の知識をアサシンはあまり持ち合わせていない。状況から推測するにあの侍サーヴァント宮本武蔵が仕留められた際の爆風が怪しい――のだが、原因が分かったところで彼女に練られる対処策はこうした変装程度でしかないのだ。

 

 無論、十八の秘技を持つ彼女であれば自ら侵入せずとも調査する方法がないこともない。

 例えば、暗殺教団を組織した初代『山の翁』の業に《狂想楽園》というものがある。《狂想楽園》は対象を自らの忠実な信徒へと変える洗脳の業だ。これを魔術師の警察官に使用すれば、後は勝手にその警察官が調べて報告してくれることだろう。事によっては自白させるだけで済む可能性もある。

 しかし魔術師相手に安易な洗脳手段は褒められたものではない。相手もそれなりの洗脳対策はしているだろうし、そもそも末端には情報を与えないのがこの手の組織の鉄則である。下手に洗脳が発覚して警戒されてしまっては元も子もない。逆にこちらが危うくなる可能性もある。

 

 事を上手く運ぶためには戦略が必要となるが、あいにくとアサシンにそうした心得はない。しかもこうした時に必要となってくるラック判定ですら生前の彼女の不遇からEランク判定という事実がある。

 彼女が二十八人の怪物(クラン・カラティン)の存在に気付けたのも、偶然などではなくスペックの高さ故の必然である。

 

 今後のことを考えながら、彼女はフルーツジュースを口に含んだ。彼女が生前に味わったことのない味であるが、元から質素な食べ物を好いていた彼女にとってファッションと同様、これもポーズの意味合いでしかない。必要以上に摂取すれば身体も重くなってしまう。

 

 だから、ウェイターが彼女のテーブルに新たなジュースを置いたことに嬉しいとも思わなかった。

 

 店の中で働いている給仕姿の数は三。客の数も店内に散らばりながらもそれほど多くなく、アサシンは店内に入った段階でそれら全ての顔を記憶していたし、その中に魔術師らしき姿はなかった。新たに入店してきた客に関しては多少注意するものの、最初から店に入っていた者に関しては怪しい行動をしない限り放置している。

 ウェイターの顔は最初から店内に居た者の中に含まれている。彼の行動に多少の疑問はあるが、現段階に於いて危険度は低い。

 

「……頼んでいないわよ?」

「あちらのお客様からです」

 

 アサシンの不機嫌な言葉にひるむことなく、そのウェイターはテーブルを一つ挟んだ男性客を指してみる。ちらりと視線だけでその男性客を見てみるも、当然見知らぬ男性である。照れているのか、新聞紙で顔を隠しこちらと視線を合わせようともしない。

 

 アサシンより後に入店したので多少注意していたが、こちらを殊更注視するようなことはしていなかったと記憶している。いや、そういえば「すかんぴん空回りかっぽれ団十郎」と謎の呪文を唱えていたような気もするが、もしやするとあれがウェイターへの合図だったのかもしれない。

 一体いつこちらを見初めたのか、それともそうした癖なのか、ナンパという知識は知っていたが、こうしたものなのだろうかとアサシンは嘆息してみるが――

 

 息を吐いた瞬間、空間に鋭い軌跡が描かれた。

 

「――っ!」

 

 その事実に最初に気付いたのはアサシンの脳ではなく肉体だった。

 視界の外から喉元に迫る銀閃をアサシンの右手は咄嗟に掴み取った。掴んだ瞬間にそれが銀ナイフであるとよく解る。対魔仕様の呪詛が描かれているのか、触れると同時に手のひらが焼け付いた。

 

 手のひらの熱に反比例するように、ヒヤリとした感触がアサシンの全身を駆け巡る。当然、それで終わりというわけもない。

 

 個体同士の闘争においては、先制こそが最大の武器となる。それが凌がれた今、セオリーに則れば次なる有効手はそのまま畳みかけるか、撤退するかの二択となる。

 そしてまずいことに、アサシンはナイフをつかみ取る際完全に腰を落としてしまっている。これでは咄嗟に動くことができず、二の手三の手に対処はできても畳み込まれてしまえば遠くない将来王手をかけられることになる。

 撤退でなければ、選択肢は事実上一つだ。

 

 脳内に響き渡る警鐘。早急な判断が必要なのが分かっているというのに、アサシンの身体は動こうとしない。咄嗟の攻撃に反応できても、咄嗟の選択を判断することができていない。

 覚悟すらもできないままに、アサシンはそのまま状況に流され――

 

「……何の真似?」

 

 座したそのままに、襲撃者へ問いかけた。

 

 生前の彼女は業こそ体得したものの、上から危険視されたために暗殺者らしい仕事をした経験がない。咄嗟に対応できたのは彼女自身の天才性によるものであり、こうしたリアルな命の危機を感じたことは実のところ初めてである。

 

 その気があれば、アサシンなどとっくの昔に殺されている。こうして生きているということは、最初から襲撃者はアサシンを殺す気などなかったのだ。

 サーヴァント相手に随分と舐めたことをする。

 

「実戦経験に乏しいようだな、お嬢さん?」

 

 襲撃者から返された言葉にアサシンは何も言い返すことができない。

 それは事実であり、そんな基本的なことを隠すことすらできなかったアサシンに一体何が言えようか。

 

 ギシっと音を立てて襲撃者はアサシンの対面へと無造作に腰を下ろした。

 アサシンに握られた銀ナイフからアッサリと手を離し、武器の類を持っていないことをアピールしながら自然な動作で自ら持ってきたジュースを口にしてみせる。

 

 視線飛び交う店内でありながら、周囲からこれら一連の攻防は全く見られていない。逆光とはいえ店外からだって見られる可能性もある。こうした無音瞬殺の真似事ならアサシンも習得してはいるが、これほどスマートに実行できる自信はさすがにない。

 

 アサシンの目の前には見知らぬ顔の見知らぬ男がいる。

 一瞬前まで確かに彼は店のウェイターであった筈なのに、今はもうそんな人間はどこにもいない。顔も違えば、体格も違う。利き手も違えば纏う気配いも全く異なる。それに何より、個々人がもつ筈の魔力の質すら別人だ。

 

 ――変身。

 

 それは言葉で聞くよりも簡単なものではない。

 顔面整形、声帯手術、体格改造、骨格矯正――変身と呼ばれる技術は古今東西様々あるが、その程度ではまだ『変装』程度の技術でしかない。

 外見だけでなく、内面すらも偽り周囲に溶け込む能力。アサシンと同時代に生きたハサンも似たような業を持っていたが、これはそれを超えている。

 

 そんな人物が、ただの人間である筈がなかった。

 

「サーヴァント――」

「いかにも」

 

 そんなわけがない、と苦々しく呟くアサシンに対し、男は紳士然とした態度で肯定してみせる。

 確認しなければ、アサシンはこの襲撃者をサーヴァントと認識することができないのだ。

 サーヴァントは互いにサーヴァントであることを認識できるのが聖杯戦争の常識であった筈。そしてそんな隠蔽能力を持つサーヴァントが何人も居るわけがない。

 

 アサシンは確信する。

 この襲撃者は、宮本武蔵が戦ったあのサーヴァンに違いなかった。

 

 



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day.04-02 面接

 

 

 バーサーカーのサーヴァント、殺人鬼ジャック・ザ・リッパーの変身能力がいかに凄まじく厄介なものか、聖杯戦争に関わる者なら理解することができるだろう。

 

 狼の皮を被った羊という言葉があるが、バーサーカーがやっていることはその逆である。それがどれだけ戦略に幅を与えるのか、知略に疎いアサシンでも容易に想像がつく。

 戦闘能力が低くとも、存在しているだけで警戒に値するサーヴァントである。例え死んだとしても、安心することなどできはしない。

 

 しかし幸いなことに、アサシンは唯一このサーヴァントに対してのみ、アドバンテージを有していた。

 

「あなたのことは少しだけだけど耳に入れているわ、バーサーカー?」

「……うちのマスターはお喋りでいけないな。しかしその名は止めておいて欲しい。私のことはジャックと呼んでくれ」

「ジャック……ねぇ?」

 

 バーサーカーの言葉にアサシンは意味深に繰り返す。

 

 バーサーカーが自らのクラス名を隠す理由は多々あるが、理性あるバーサーカーというのはただそれだけで大きなメリットだ。

 キャスターがバーサーカーをライダーと誤解したように、序盤において然程メリットはないが、中盤以降にあっては正体不明のサーヴァントとして俄然その意味を増してくる。

 

 クラス名をフラットから知らされているアサシンにそうした意味はさほどない。それどころか真名を推測される危険が大きいが、それならそれなりの布石にもなり得る。

 

 今更ではあるが、バーサーカーは自らの特性を認識しつつある。周囲の情報を操作し誘導し、偽装する。伊達にスコットランドヤードの捜査の手から逃げたわけではないということだ。

 

「それで? 一体何の要件かしら?」

「何、少し君と話し合いがしたくてね」

「話し、合い?」

 

 白々しく話すバーサーカーにアサシンは訝しげな表情を隠せない。最初の用件は、最初から決まっている。

 

「それで、うちのマスターはどうした?」

「殺したわ」

 

 次いで尋ねるバーサーカーの言葉に、アサシンは衒いもせずに即答した。

 

 アサシンとフラットは魔力パスだけとはいえ契約を完了している。そして、今現在そのパスから魔力はまったく供給されていない。同じマスターから魔力供給を受けている筈なのだから、その点についてはバーサーカーも気付いていないわけもない。

 だが、当のバーサーカーがそんなことを気にする様子もなかった。

 

「ふむ。ちゃんと呼吸は停止させたかね?」

「……?」

 

 バーサーカーの言い方にアサシンは違和感を覚える。

 呼吸の停止を確認したのなら意味は分かるが、停止させたとなると絞殺したか、という意味になる。

 

 バーサーカーの問いかけにアサシンが戸惑っていると、まるで教師が駄目な生徒に質問するように、バーサーカーは問い続けた。

 

「ちゃんと首を斬ったかな? 心臓も潰しておいただろうな? 魔術師は脳をちゃんと破壊しておかないと蘇ることもある。主を生かそうとする魔術刻印も忘れてはならない。

 ――それで、君は一体フラットをどう殺したのかね?」

「苦しまぬよう、処理したわ。跡形もなく、ね」

 

 やけに言及してくるバーサーカーに、アサシンは虚言を弄することなくありのままを答えた。

 

 構想神殿――あれに入れば、何人も外に出ることはできないと聞いている。そして中に入れば待っているのは緩慢なる死。誰も抵抗できぬままゆっくりと魔力を吸われ、枯死していくことになる。あの業は食虫植物ならぬ、食人結界なのである。

 

 運が良ければまだ生きている可能性はあるだろう。しかし、バーサーカーとアサシン、両方の魔力を供給していたため、フラットの魔力はあの時点でかなり危なかった筈。とてもではないあの結界の中で今も生きている可能性はない。

 

「また随分と手抜きではないかね?」

「謝罪でも要求するのかしら?」

「手ぬるいと言っている」

 

 瞬間、突き刺さるような殺意の刃にアサシンは戦慄する。

 本物と錯覚しかねぬ殺意の塊。有り得ぬ数が、有り得ぬ方向から、有り得ぬ速度で、アサシンを狙っていた。

 

 アサシンはバーサーカーの正体を知っている。であれば、その実力が一般人をこっそり殺す程度でしかないことも分かっている。警戒すべき能力なのは認めるが、所詮はその程度であり、こうして正面切って対峙するのに恐ろしい相手ではない。

 

 だというのに、アサシンはただの殺気に過剰なまでに反応してしまった。

 

 身体を貫こうとしたのはただの殺気に過ぎない。

 所詮は妄想の産物であり、実体には何の影響もない。とはいえ、錯覚であろうと認識してしまえば同じ事。精神に直接刺さる刃は精神力でしか抗えない。心を強く持てば無傷で済むが、弱ければ後に引く痛みを延々と感じることになる。

 

 狂信者が実体のない刃をどれほど恐れるのか。覚悟をもってあたれば恐るるに足らない児戯を、しかしてアサシンは反応してしまった。

 思わず距離を取ろうと立ち上がろうとして――失敗した。

 

 周囲からは椅子に座り直したようにしか見えなかっただろう。対面に座るバーサーカーは片手で肘を突き、片手で自らのジュースを飲んでいる。第三者目線で彼がしたことといえばそれだけだ。

 意表を突かれたのは確かだが、この程度の挑発で、アサシンは警戒レベルを最大にまで高めてしまった。

 

「……一体何を」

 

 視線だけでアサシンは足元を確認するが、汚れた床があるだけでそこには何もない。だが確かに、立ち上がろうとしたアサシンの足を掴んだ何かがあった筈だ。

 変身能力で足を腕にでも変えてアサシンの足を引っ張ったのなら分かる。だが、あの感覚はもっと別の何かだった。

 まるで霧のようだとアサシンは思う。

 そして、自らの心の中にも霧が纏わり付いている。

 

「先にも告げたが、君には圧倒的に経験が足りていないな。単純な能力値だけなら君と私では話にならないというのに、君を倒すことは難しくとも、君を殺すことは実に容易い」

 

 既に二度、バーサーカーはアサシンを真っ向から殺すチャンスを見逃している。

 アサシンは気付いていないだろうが、バーサーカーがアサシンをただ殺すだけなら十回以上殺せている。

 

 彼女がキャスターと接触する前に出会えたことに、バーサーカーは感謝していた。

 アサシンの経験不足では手玉にとられるばかりで話にならない。バーサーカーが唯一アサシンに勝っているラック判定には大いに感謝するべきである。

 

 ここでの彼女の査定を、バーサーカーはわずかに誤っていた。

 彼女が“狂信者”であると知っていたのなら、おそらくここでの出会いがどれほどの奇跡かわかるまい。だがその誤解が解かれることはない。

 実は自身以上の狂気をその身に秘めたアサシンに対し、バーサーカーは口を開く。

 

「私は狂気を象徴とした存在だ。狂気と人は向き合った時、人は理性を放棄し、正常な判断を下せなくなる。

 多くのサーヴァントはその正体を知られることで弱点となるが、私は例外だ。私は私の名を知られることで、その恐怖をその相手に植え付ける。伊達に倫敦(ロンドン)を恐怖に陥れたわけではない。

 私の正体とクラスを知って、安心したつもりだったのだろう?」

「……ッ」

 

 虚仮にされたことにアサシンは腹を立てる。バーサーカーにも腹を立て、そして何より、身構えて置きながらそれに対処できずにいた自分に腹を立てる。

 

 先の過剰反応は、どう言い繕っても取り返しの付かない失態だ。例えどのような猛者であろうと、あのような体たらくを晒しては実力差など関係なく、あっさりと殺されても仕方がない。

 バーサーカーにとって、実力差など何の障害にもなりはしない。むしろ相手が強ければ強いほどその弱さが際立ち、驕らせ、侮らせる――

 

「それが、あなたのスキルというわけですか」

「何を馬鹿な。こんなもの、スキルですらないただの知識だ」

 

 アサシンの言葉をバーサーカーは一蹴する。

 そして事実、バーサーカーがやっていることはその程度でしかない。

 

 確かにバーサーカーは自らを過大評価させる技術に優れている。ただし、サーヴァントとしての能力はそこまでで、それをどう活用するかは工夫次第。隙を見せた瞬間に何かが起こるのは恐怖映画の鉄則だ。バーサーカーがやっているのはそれの延長線上に過ぎないのである。

 誇るようなことですらないし、実際に劇作家相手には無駄でもあった。

 

「この程度で動揺して貰っては先が思いやられるな。もっとも、そのおかげで私のマスターは助かったわけだが」

「助かった……?」

「フラットは生きている。直接会ってはないが、間違いないだろう」

 

 なまじ信じがたいバーサーカーの言葉ではあるが、証拠とばかりに渡された携帯電話を覗き見れば、フラットが綴ったと思しき文面がある。

 

『ちょっと困ってる子がいるから助けてくるね(^^)/ 困ったことがあったら呼びに来て! すぐ駆けつけるから!』

 

 黙って携帯を返却するアサシン。

 バーサーカーはそれを無言で受け取った。

 

 誰かがフラットを騙っている可能性は確かにある。だが、「駆けつける」のに「呼びに来て」というセンスはフラットをよく知らねばできることではあるまい。この状況で何故か日本流の顔文字を使っているのもフラットらしい所作である。

 

「……実に、彼らしい文面ね」

 

 本当に短い時間しか接触していなかったが、アサシンもこれでフラットの生存を確信した。

 本来の構想神殿の術者でないアサシンでは、この業のどこに欠点があり不具合があるのか完全に把握しているわけではない。時計塔で長年研鑽を積んできた(?)魔術師であるフラットであれば、わずかな時間で脱出できる可能性は大いにあった。

 信じがたいことではあるが。

 信じたくないことであるが。

 

「私としてもフラットを助けに行きたいのは山々だが、いかんせん居場所が判然としなくてね。大方、どこかの結界内にまた閉じ込められたのだろう。仕方なく、私は私で動くことにしたわけだ」

「私にマスターの居所を吐かせるつもりではなかったのかしら?」

「それはこのメールを見たときから考えていなかったよ。私が最初にしたかったのは君という存在の査定だ。フラットを確実に殺さなかった君が、あのフラットの居場所を知っているとも思えなかったからな」

 

 棘のある言葉ではあるが、フラットが生きている以上アサシンが口を開けることはできない。

 そして「それに」とバーサーカーは言葉を続ける。

 

「――私の目的は君達にある」

 

 君達、とバーサーカーは一人で行動していたアサシンに言った。

 

 



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day.04-03 合否

 

 

 誤魔化すのは、さすがに無理だろうとアサシンは判断した。

 恐らくアサシンが持つカードの殆どは露見している。わずかな会話で性格も見抜かれているのだ。舌戦が得意でないのも当然のように見抜かれている。

 

「君が浚った東洋人については、殺そうとしていないようだな」

「アレには利用価値があるわ」

「今、どこにいる?」

「別行動中。時間が来たら合流予定よ」

「なら結構」

 

 アサシンの答えに満足したように、バーサーカーは懐から黒いスカーフを取り出す。そこいらのフリーマーケットで手に入りそうなありきたりな品である。しかし手で触れて確かめればその異常性は明らかだ。

 

 長い年月を経たスカーフだというのに、触り心地は新品同然。織り込まれた黒色は臨月の女性の髪によるものだ。それに加えて染み込まれた血文字は聖人が直々に綴ったもの。こんなおどろおどろしいものを気軽に身につけることができるのなら、それは既に人の域の者ではない。

 

「中東の遺跡から発見された近年珍しい宝具級の魔術礼装らしい」

 

 元々は昇華のための材料として用意されていたものらしいが、あまりの禍々しさと使い勝手の悪さが乗じて放置してあったのをバーサーカーがもらい受けたのである。このままでは誰も使用できないが、バーサーカーにはこの宝具を使える者に心当たりがあった。

 つまり、このアサシンだ。

 

「何のつもり?」

「現状のままでは君は遠からず補足され消滅する。多少の重圧はあるだろうが、防御にも優れ、隠蔽効果もある。これがあれば、実体化していてもしばらくは安全だ」

 

 君に消滅されると困る、と笑うバーサーカーの手を払いのけられればどれだけ簡単だろうか。すでに二度殺されかけた身としてそれはできない。

 

 バーサーカーを睨みながらもアサシンはスカーフは丁重に受け取った。バーサーカーは気にくわないが、このスカーフに罪はない。

 更にスカーフの中に手を入れると、薄い板のようなものがある。

 

「通信機?」

 

 知識と照らし合わせればそれが一番近い表現だろう。しかし知識のある通信機とは何か違和感がある。試しに陽に透かして見てはしたものの、紙幣でもないそれにどれほどの意味があることか。

 結局アサシンが違和感の正体に気付くことはできなかった。

 

「……ふむ」

 

 この初めてスマートフォンを見た田舎者のようなアサシンの行動にバーサーカーは眼を細め、アサシンの評価を改めていた。

 

 下方ではなく、上方修正。

 

 知識や経験の裏打ちがあるスカーフなら、その正体や真価を推察することは可能だろう。だが、知識や経験ではどうにも気付くことができぬ仕掛けが施された通信機に、そうした推察は通用しない。

 

「私にも良く分からないが、それには電子的にも魔術的にも防諜できないようにしてあるらしい」

 

 つまりは魔術だけでなく電子工学にも精通していなければ、その通信機に施された仕掛けを見破ることはできない。この街でこれを見破れる者は、せいぜいフラットぐらいだろう。

 

「そうですか」

 

 色々と端折ったバーサーカーの説明にアサシンは興味もないように聞き流し、大胆にも胸元へ収めてみせる。男として(女にも変身できるが)手を出しづらいところに仕舞ったということは、返すつもりはないということか。

 

「意外だな。罠とかそういうのは想定していないのか」

「あるのかしら?」

「いや、確かにないんだが」

 

 アサシンの解答に、バーサーカーは苦笑いしかできない。

 確かに、この通信機には色々な仕掛けをしてはいても、アサシンに対して罠は仕掛けていない。ただ、その事実をアサシンは自らの直感だけで潜り抜けていた。

 

 狂戦士のクラスでありながら理性的なバーサーカーでは理解できぬ事だ。バーサーカーは理屈と理論を検証しながら罠がないことを証明する。そこには莫大な労力を必要とするが、アサシンは違う。自らの直感を信じ、罠がないと感じればそこで終了だ。そこの理屈と理論は存在せず、労力など毛ほどもない。

 

 バーサーカーは、そこにアサシンという女の一端を垣間見た。つくづく惜しいサーヴァントである。

 

「それで」

 

 と、アサシンは通信機のことなどまるでなかったかのように、バーサーカーに向き直る。

 

「私に、一体何をしろと?」

「現状で東洋人と君が同道していてくれたのなら、それでいい。願わくば、周囲の敵から守ってあげて欲しい」

「それに何の意味が?」

「まだ分からないが、いずれ鍵にはなるだろう」

 

 それだけ言って、カランと氷だけになったカップを置いてバーサーカーは席を立つ。

 

「ジャック。あなたは何をしに来たの?」

「当面の目的は恐らく君と一緒だ。最終目的こそ違うがね」

 

 そう言って立ち去ろうとするバーサーカーをアサシンは視線だけで追いかける。背を向けるバーサーカーはあからさまに隙だらけだが、かといってアサシンに殺せる自信はなかった。

 

「ああ、そういえば一つだけ」

 

 トレンチコートの刑事の如く、案の定バーサーカーは振り返り、懐から出した写真をアサシンに見せる。

 

「この男を知っているのなら、教えて欲しい」

 

 手にして見せたのは、バーサーカーがスカーフと共にキャスターから貰ってきた一枚の写真。

 あの武蔵の起こした戦場で、キャスターがバーサーカーと共にサーヴァントとかと睨んだもう一人の目つきの悪い男。

 バーサーカーに心当たりはない。キャスター曰く、この男は身体に《イブン=ガズイの粉末》を付着させているらしかった。と言うことは、あの場の近くに居た可能性が高い。あの場に潜んでいたアサシンなら、何か知っている可能性はあった。

 写真を受け取ったアサシンは眼を細めて男の容貌を眺め見る。

 

「……ジェスター・カルトゥーレ。私のマスターだった者よ」

「ほう?」

 

 九割方知らないだろうと踏んでいただけに、アサシンの解答はバーサーカーの予想外のものだった。駄目で元々。よしんば名前まで聞けるなど思いもしなかった。しかも、これは予想の斜め上の解答だ。

 

「敢えてマスターには触れなかったのだが、敵対でもしているのかね?」

「そんなところね。ちなみにあなたのマスターと契約もしたのだけど」

 

 そこまでは知らなかった? とアサシンの視線は語る。それは聞きたくなかったな、と苦い顔でバーサーカーは呻く。

 あのマスターの出鱈目具合はよく認識しているが、自分の知らない間に別のサーヴァントと契約するなど浮気どころの話ではない。そしてこのままだと三股くらい平然としてのける怖さがある。

 

 眉間に皺を寄せながらもバーサーカーは脳裏のマスターを必死に排除する。余計な情報は後で精査するとして、今やるべきことは他にあるのだ。

 

「……しかし聞き及んでいるジェスターはこんな顔や体格ではないぞ?」

 

 キャスターの元から抜き出した情報には一通り目を通している。

 マスターの可能性が高く、当然魔術師としても超一流、現在消息不明で危険度はレベル3。本来なら最高のレベル5でもおかしくない人物だが、事前調査で既に殺されている可能性が高いことから要注意の範囲に留まっていた男だ。

 

「殺したのは間違いないわ。あなたが注意した通り、心臓を握りつぶしてね」

 

 誇らしげに答えるアサシンではあるが、バーサーカーとしてはある意味で最悪の答えだ。この女は何故そう後先考えないことを平然と実行しているのだろうか。

 色々とこの女の正気について問い質したいことが次々出てくるが、それも置いておくことにする。できれば問い質す機会がないほうがありがたい。

 

 様々な思考を振り払うように咳を一つ。

 

「そこから復活した、とでも?」

「あなたと出会ったあの場で武蔵に倒された男から私に魔力が供給されていた。そして今現在もどこからか私に魔力の供給が成されている」

 

 コップの縁をなぞりながら、アサシンは周囲を軽く見渡してみる。

 契約が不完全だったせいで一体どこにマスターがいるのか、アサシンにはさっぱり分からない。しかし、例えわずかであろうと確かに流れ込んでくる魔力はジェスターが生存している証である。

 

「死ねば復活する能力や魔術は珍しくはあるが、不可能ではない。良い情報を得ることができた。礼を言おう」

「……ジャック、あなたは何をしに来たの?」

 

 再度、先ほどと同じ問いかけをアサシンは口にした。

 アサシンとしては、てっきり同盟か何かをもちかけられると睨んでいたが、結局そういう話にはなっていない。

 

 最後のジェスターに関しては別だが、それ以外は一方的な施しだ。忠告程度の意味合いであろうが、具体的にアサシンに何かをさせようということもない。それでいて、バーサーカーは目的を達成している。通信機を渡すだけが目的ではあるまい。

 

「……君の聖杯戦争の目的は?」

「この聖杯戦争を破壊することよ」

 

 即答するアサシンに、バーサーカーもニヤリと口元を歪ませて即答してみせた。

 

「私の今の目的は、この聖杯戦争を暴くことだよ」

 

 紙幣を二枚、テーブルの上に置いてバーサーカーはアサシンを振り返ることなく店を立ち去っていく。その姿は事件を追う刑事を連想させるが、狂気に溢れた復讐鬼にも見えなくもない。

 

 手にしたスカーフを眺め見る。長年使用してきたようなしっくりとした感触である。この魔術礼装がアサシンを主人に選んだことを痛感する。作りからして同郷のものであり、そういう意味でも使用に抵抗はない。

 

 バーサーカーはこれをアサシンに使って欲しがっている。効果からして正体の露見を恐れているのだろう。宮本武蔵がアサシンと誤認されていることからも、それはアサシンとしても望むべきことだ。

 しかし、それならバーサーカーはこの宝具を渡すよりもアサシンを殺すべきではなかったか。露見する心配もなく、勝利にまた一歩近付くことができる――

 

「……いや、違う。ジャックは『暴く』と言った」

 

 アサシンは安易に『破壊』と答えたが、その直接的な手段としてサーヴァントやマスターの排除を行っているわけではない。対峙するべきはシステムそのものであり、従来のルールと照らし合わせ、その全てを排除し整理していけばそれが間接的に破壊に繋がると漠然と考えていただけだ。

 

 アサシンは歯噛みをする。

 だとすると、バーサーカーの目的はそのことに気付かせること。

 取っかかりに気がつけば、あとは芋づる式に気付くことができる。

 そもそもバーサーカーはアサシンが手に持っているこのスカーフさえ、「らしい」という伝聞で伝えていた。

 あの顔写真だってあのアングルは明らかに監視カメラのものだ。バーサーカー個人で手に入れたものとは考えにくい。

 それに、バーサーカーはマスターであるフラットとはまだ合流できていない。

 

 バーサーカーは既に何者かと協力関係にある。それも恐らく警察内部にいるサーヴァントとだ。だというのにその協力関係をアサシンに広げないのは、それなりの事情があるか、そもそも眼鏡に適わなかったか。

 

 最初からバーサーカーは接触が目的だとも言っていた。とすれば、これはバーサーカーからのテストとみるのが妥当だろう。

 無闇に突進するなら討ち取るまで。あくまで己に固執し周囲を窺うなら利用するまで。狡猾に潜み機を窺うくらいでなければ、協力関係として成り立たない。

 

「舐められたものね」

 

 わずかな怒気は抑えられぬものの、こうも失態を演じ、去った後から事実に気がつけばそれはもう間抜けとしか言いいようがない。そこに言い訳をしていては恥の上塗りだ。狂信者といえどそうした分別はある。

 

「分かったわジャック。私も、あなたの手のひらで踊ってあげる」

 

 手にした宝具を首に巻き、特に急ぐでもなく、暇そうにレジの前に立つ店員の横をすり抜ける。直接会計を済ませることもなく店の外へと出たというのに、店員は机の上の紙幣すら確認もしない。

 これで最低限宝具が機能していることは実証された。魔術師相手にどれほど通じるかは疑問だが、街中から外に出るくらいなら何の問題もあるまい。

 

 しかし、アサシンは最後に犯した自らの失態に気付くことはなかった。

 客の不在に数分後に気付いた店員は慌てることになる。彼が気づかぬ間に客は金を置いてどこかに行っていたからだ。空になったコップは二つだが、机の上に置かれた紙幣は一つ分しかなかったのである。

 

 まさか提供したキャスター、受け渡したバーサーカーも、食い逃げなどに宝具が使われたなどとは思うまい。

 

 



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day.04-04 身体検査

 

 

 ティーネ・チェルクは辱めを受けていた。

 その恥辱に、下着を身に着ける手がわずかに震えた。

 

 族長としてそう遠くない将来、夫を迎え子を孕むであろうとは予想していたし覚悟もしていた。が、こうも早く男の手によってこの肌を露わにされようなどとは思ってはいなかった。

 男に身体を見られるのは親族を始めとして決してなくはないが、その手で触られたことは紛れもなく初めてである。

 

 先の行為を思い返せば臓腑が熱くなり、不覚にも瞼の裏側も熱くなる。

 身体の中を隅々まで調べ尽くされるのは恥辱の限りであり、そしてその魔の手は次の少女へと手を伸ばしている。

 まだ年若い、聞くところによるとまだ十歳の少女。拘束から解放されたティーネであれば彼女をあの魔の手から助け出すことも可能なのだろうが、精神的に疲れ切ったその身体は鉛のように動かない。

 

 傍らにいた銀狼がティーネを慮ったのか、擦り寄ってきてその顔を舐めてくる。その行為に多少は癒やされるが、畜生とはいえ他の敵マスターに心配されたことに自己嫌悪すら覚える。

 

 しばらくして、元凶が扉を開けて中へと入ってきた。どうやら、椿ももう終りつつあるらしい。

 今ここで魔術を使えれば、と何度思ったことだろうか。そう思うたびに魔術を行使しこの男を消し炭へと変えようとしているのだが、既に何度となく繰り返し試してもその効果が顕現することはない。

 

 自分が殺されかけていることに気付いているのかいないのか、フラットはのんきな言葉でティーネに声を掛けてきた。

 

「あれ? まだここにいたの? 椿ちゃん終わりそうだよ?」

「屈辱です……」

 

 いろいろと言いたいことを全て呑み込んで出た言葉は、どちらかと言えば自分に向けてのものだった。

 のろのろとフラットの後について隣の薄暗い検査室の中へと入る。光を出しているのは壁にあるモニターとガラス越しに見える隣室の光だ。

 

「君の身体からは異常は見つからなかったよ。少し数値が高いようだけれど体内の毒素はほとんど中和されたようだね。あと、もう少し牛乳は飲んだ方がいいよ?」

「最後の一言は一体何に対する助言ですか?」

 

 笑うフラットにもはや嫌悪しか覚えぬティーネではあるが、現状この場で最も頼りになるのは残念ながらこの男なのも事実だった。

 

 二人がいるのはスノーフィールド中央病院、その集中検査室である。そんなところでフラットが何をしたかというと、各人の健康診断であった。

 

 ここが普段ティーネが見ているスノーフィールドでないことは明かである。それはフラットも同意見であり、ならばどうしてこの世界に入り込んだのかということをまずは解き明かす必要があった。

 そのトリガーの解明こそが、この健康診断の目的である。

 

 フラットは極度の魔力不足、ティーネはヒュドラの毒、銀狼には銃創が見つけられた。現在それらは全て回復状況にあるのを確認しているが、これらの衰弱状態が原因なのはもはや確定的だった。

 

 他に取り込まれた者達と違って自我を保っているのは魔術師としての防衛本能か、令呪の加護か、それとも他に何か条件があるのか。そうした謎を解き明かすにはもっと詳細なデータが必要である。

 

 診察室のモニターに映し出されたのは、そうした検査によって撮られた人体の断面図とそれらを繋ぎ合わせて3Dで再構成された臓器各種。MRIによるものとのことだが、MRIを根本的に知らぬティーネがフラットに聞けば「核磁気共鳴断層撮影装置だよ!」と感嘆符付きで言われ尚更分からなくなった。原理をなにやら言っていたような気もするが、それは最初から聞いていない。

 とはいえ、これによってティーネは言葉通り頭の先から足のつま先まで全てをフラットに覗き込まれたことになる。

 

 ちなみに、フラットは以前モーションを掛けてきた女性に「君が添い寝してくれたらぐっすり眠れそうだね」と答え、共にベッドに入りながら朝まで本気でぐっすり寝るような男である。

 ティーネには悪いが、その身体に性的な興味は欠片も抱いていない。

 

「しかし魔術師としてはなかなかに興味深いね。魔術回路が凄く特殊だ」

 

 この画像の一体どこから魔術回路を読み取ったのか、食い入るようにティーネの身体(正確には各種臓器)を隅々まで覗き込むフラットにティーネはどん引きである。これならモニターの隅で全体像として全裸を晒している3Dモデルに鼻息荒くして貰った方が健全であろう。そうして欲しいというわけではないが。

 

 それはともかく、フラットがティーネの身体に興味を抱くのも無理はない。

 ティーネの魔術回路は酷く極端で、馬鹿みたいに魔力を必要とするのに、燃料となる魔力の生成能力があまりに低すぎる。アメ車みたいだねと評されたが、それにどう答えろというのか。燃費が悪い自覚はあるが。

 

「私達一族はこの地に縛られた者です。魔力は自ら生み出すものではなく、スノーフィールドから得ていくもの。だからこそ、我々はこの……――この地の神を大切に敬っているのです」

「うん、まあバックアップが整えられていないと機能しないのは確かだね」

 

 ティーネは敢えて踏み込んだ発言をしてフラットの様子を伺うが、フラットは魔術回路の仕組みに納得するばかりでそれ以外に何かに気付いた様子はなかった。

 

 大源たるマナと小源たるオドによる魔術行使は質と量からもはや別種であるとも言える。ティーネはスノーフィールドのマナを扱い魔術を行使するが、自ら生成するオドによる魔術行使はほとんどできない――とフラットは簡単に解釈した。

 

 しかし、このティーネの発言は裏に隠された真実とは別に、重要な事実を示唆している。

 それはつまり、ここがスノーフィードであって、スノーフィールドでない、ということを意味している。

 

 場所的に言えば、確かにここはスノーフィールド中心部、スノーフィールド中央病院である。地図や標識はここがスノーフィールドであることを誇示しているし、地元民であるティーネは無論、旅行者であるフラットだって過つことはない。

 そこは疑いようのない事実だというのに、ティーネの魔術は作用していない。ここはスノーフィールドではない、とティーネの魔術回路は判断しているのだ。実にシンプルな判断方法である。

 

 もっとも、原因はハッキリしている。

 現在MRIで検査を受けている椿の周囲には、黒い影であるライダーが漂っている。原因はライダー――ではなく、椿も含めた両方にある。

 

 時系列を整理すれば推理は難しくない。

 1年ほど前に椿はこの空間に閉じ込められたらしい。カルテから椿が意識不明になった時期とも一致している。

 そして数週間前にライダーが召喚。聖杯戦争開始時期とも重なる。推測するに、最も初期に召喚されたのだろう。

 数日前から他人がこの地に呼び込まれ始め、一昨日にフラット、昨日はティーネと銀狼が呼び込まれた、ということになる。もちろんその間にもどんどん人は増えている。

 

「だとすると、この空間を作ったのは椿、他人を取り込んだのはライダーと考えるのが妥当ですね」

「攻略すべきはライダーってことかな?」

 

 その質問の答えは既に両者の内にある。結論は同じであることを二人は視線を交わして再確認した。

 

 マスターたる二人には、サーヴァントであるライダーのステータスを読み取ることができる。意識の有無に拘わらず眼に入ってくるのだから仕方がないが、そのステータスはハッキリ言って極めてバランスが悪く、大いに判断に困る内容となっている。

 

 魔力がA++。幸運がD。あとは宝具を含めて残らず測定不能というアンバランスさ。しかも狂化されているわけでもないのに、マスターである椿のごく単純かつ簡単な命令しか聞き入れようとしない。

 ついでにいうと、敵である筈のフラットやティーネ達マスターを脅威として認識すらしていない。

 

 試しに小石を投げても素通りするだけで無反応だし、フラットの血を媒介に極小規模の魔術的罠に椿の協力の下ライダーをひっかけても黒い影が多少分散するだけですぐに元通り。

 形も不定形なら大きさも不安定。先ほどの罠を参考にティーネが試算してみると、あの罠の約八〇倍の威力でようやく全体を吹き飛ばすことが可能と出た。仮にそれができたとしても、それによって消滅する可能性は皆無であろう。むしろ平然と元通りになるオチが簡単に予測できる。そしてそのまま何事もなく漂うことだろう。

 

 無論、元の世界に戻して欲しいとライダーにも願い出たし、椿に依頼して命令もしてもらったが、ライダーは理解できないかのように揺らめくだけ。もっとも、仮にそれで元の世界に帰ったとしても、ライダーに因らないこの世界の主たる椿はここに残されたままだろう。

 

 心配しているであろうバーサーカーには申し訳ないが、フラットとしてはそれは絶対に解決しておきたい問題である。一応バーサーカーには連絡しておいたので問題はきっとない筈である。

 

「まだ椿ちゃんの頭を切開した方が確率があるけどねぇ」

「それはさすがにライダーが黙ってはいないでしょう」

 

 検査結果を見る限り、椿の脳に何かがあるのは確かだ。カルテには新種の細菌の可能性とあると書かれているが、フラットの見立てではかなり緻密な魔術回路が形成されている可能性が高かった。

 今現在も活発に活動していることからもフラットの見立ては濃厚だろう。

 

「それで、どうします?」

「んー、どうするって言われてもなぁ……ティーネちゃんの意見は?」

「それを私に聞きますか」

 

 無神経とも言えるフラットの言葉に、ティーネは確かな嫌悪感を覚える。フラットがこういうキャラであることは出遭って数分で理解したが、なんとも魔術師らしからぬ現状認識能力である。

 

 今のティーネに魔術は使えない。そもそもティーネ達原住民はその由来から魔術を感覚的にしか扱っておらず、知識や成果を集積することはない。つまるところ、この魔術的現象に対して何の貢献もできないのである。

 

 ここにアーチャー・英雄王ギルガメッシュのマスターであり、強力な魔術を軽々と行使し、数千人の一族を率いる族長などどこにもいない。ここにいるのは、無力な十二歳の少女が一人いるだけだ。

 

 唯一の希望たる令呪は今も少女の手に存在するが、貴重な令呪をただの確認のために何が起こるか分からぬこの空間で安易に使うわけにもいくまい。

 

 手近な凶器で他の全マスターを殺すことも考えてもみたが、魔術師として圧倒的上位にいるフラット、ライダーという守り手のいる椿、そして純粋に生物として敵いそうもない銀狼、真っ当にぶつからなくても到底敵いそうもない。

 

 普段ぼけっとしているフラットでさえ、出会い頭に奇襲で襲いかかったというのに逆に気絶させられて捕まってしまう始末だ。「ごめん、確認もせず攻撃しちゃった!」とか英雄王と同じようなこと言って謝られた。誠に以て腹立たしい限りである。

 

「手がかりがあるとすれば、彼女の家でしょう」

「基本だね。けど、たしかジャックによればもう崩壊しちゃってなくなったって話じゃなかったかな?」

 

 フラットが語るジャックとは彼のサーヴァントのことだろうかと脳内にメモしながら、ティーネはフラットの話を否定する。

 

「ここは椿が作り出した空間です。となれば、この空間に形成されているのは一年前のスノーフィールド。現実世界では失われていても、この世界ではまだ手がかりは残っている筈です」

 

 すでにこの空間の異常性は十二分に理解しているが、真に恐るべきは作り出した本人でさえ理解・把握していない箇所すらもこの空間は現実に即して補っていることである。

 

 本人が普段使っていたとしても意識していない階段の数。本人の知らない部屋の中身。仕組みさえ理解していないのに実際に使える高度な医療器具。例を挙げて行けば枚挙に暇がないが、重要なのはその例の中には椿本人へ行われた処置に関する資料も含まれていることである。

 

「決まりだね。調べれば住所も分かるだろうし」

「その心配には及びません。この地の魔術師の居場所はすでに頭の中に入っています」

 

 外来の魔術師こそ全て把握はできないが、この地に長年留まるような魔術師については既に調査済みだ。特に霊脈を抑える程の家ともなれば、要注意人物としてティーネの耳には優先事項として入ってくる。

 

 と、結論が出てきたところで、検査室から検査着を脱ぎながら椿が診察室へと入ってくる。ショーツ一枚の実に開放的な姿である。長らく人と会っていなかったせいか、羞恥心などはないらしい。

 

「椿、男の人の前でそのような姿になってはいけません」

 

 将来に期待だねー、と娘を見守る父親のような笑顔から椿の姿をティーネは隠す。無力な少女と彼女は自虐的であったが、彼女の保護者としての役割はあるようである。

 

 まずは彼女にブラジャーを身につけさせようとティーネは思った。

 

 



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day.04-05 発覚する事実

 

 

 その戦闘の報告は事態が収束し、わずか数分の後にまとめられていた。

 戦闘直前における詳細はほぼ不明。ただし、現場で二十八人の怪物(クラン・カラティン)が配置についた段階で既に二体のサーヴァントが戦闘の最中にあり、そして決着がつく直前であった。

 

 場所は東部湖沼地帯。両サーヴァントの実力は拮抗しており、剣劇の火花が鬼火(ウィルオウィスプ)と化して周囲を暗く照らす。決着のきっかけは湖沼地帯ならではの泥濘である。足を取られた一方がもう一方の一撃を捌ききれずその身を貫かれ、我が身を囮として足を取られた方も一撃を喰らわせる。

 

 両者ともほぼ相打ち。ただ、霊核を抉られたサーヴァントは即刻その形が崩れ光と化したのに比べ、もう一方は膝を付くだけに留まっていた。

 

 この絶好の機会を、二十八人の怪物(クラン・カラティン)は逃すことはなかった。

 都合の良いことに両者の決闘は湖沼地帯の真ん中。この時点で付近の草むらに隠れるように隊員八名がツーマンセルで周囲を包囲していた。宝具の展開も完了し、あとはゴーサインを残すのみであった。

 遠方観測で周辺状況のクリーニングが終了し、かなりの余裕を持ってゴーサインは出された。

 

 この時使用されたのは英霊にも効くとされるバチカン直輸入の法儀礼済み水銀弾頭。用意された火器はM240機関銃。毎分900発近く発射される秒速900メートルの7.62ミリ弾が全方向から負傷したサーヴァントへ何の意外性もなく、ただ漫然と襲いかかる。

 

 耐えたのは、1秒か2秒か。3秒を超える頃には既に原型はなく、5秒を超えたときには標的が何かすら分からない。事前に決められた合図によって射撃を止めたときには、既にサーヴァントだったものが粒子となって消えていく瞬間だった。

 

 レベル2宝具の実戦証明(コンバットプルーフ)。これ以上ない結果に終わったが、報告結果はそんなものを意に介することのできない事実を浮き彫りにしていた。

 

 戦っていた二体のサーヴァントの正体はクラスすら結局分からずじまい。だが反応からしてサーヴァントであることは間違いなく、そこに疑う余地はない。

 が、

 

「これではサーヴァントの数が合わないではないか……!」

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)本部、中央に位置する署長の怒号のような呻きを聞き逃した者は誰一人としていなかった。

 

 サーヴァント戦直後なだけに、ある程度の情報共有は必須である。会議というわけではないが、どういった顛末があり、どういった報告があったのかは自然と耳を傾けるようになっている。

 そして、その署長の言葉には全ての作業を中断してでも傾聴する必要があると、その場にいた全員が判断した。

 

「あの場にいたサーヴァントは現在確認されているアーチャー、ランサー、キャスターのいずれでもありません。そして、我々が確認している正体不明のサーヴァントとも一致しておりません」

 

 現場指揮官、そして戦域指揮官からの報告にも今なお信じられぬとばかりに、署長は提出された資料を何度も捲りながら確認する。

 

「残るクラスはライダーのみ……だとしてもこれでは英霊が七体になる……!」

 

 この偽りの聖杯戦争において、七体目のサーヴァントは致命的だ。存在してしまった段階で計画は根底から覆ってしまう。

 この聖杯戦争で召喚されるサーヴァントは六体だけ。本来の七体よりも減らすことでイレギュラーを減らし、サーヴァントや令呪のシステムの安定を図る。

 そういう計画であった筈なのだ。

 

「……いや、違うな」

 

 最悪の事態を想定し、何か手を打とうと考えるが、その考えを改める。

 署長の手にある令呪の輝きは今もって健在だ。キャスターとの繋がりは今も感じるし、魔力を突然に過剰供給する様子もない。少なくとも今すぐに暴走する危険性は低いだろう。

 

 見かけの上では、システムそのものに問題はない。署長達が知らなかっただけで、サーヴァントは既に規定数を超えていたのだから、異常が発覚するとしたらもっと以前からでなければ理屈としておかしなことになる。

 

 話が違うと“上”に掛け合うのも手だが、子供じゃあるまいし盤上の駒が何を言おうと取り合う筈がない。むしろ、“上”はその事実を知っていて放置していたと考えた方が打倒だ。

 

 念のために、と受話器を外し外線ボタンを押す。スピーカーから聞こえてきたのは、聞き覚えのあるデジタル秘匿回線の電子リレーのノイズ音だった。

 

『どーしたってんだ。こちとら特定のワードに入ったエロ動画を自動でダウンロードしてリネームしてタグを付けるクライアントを作るのに忙しいんだが』

 

 挨拶もなしに乱暴な言葉で応対するのは、もちろん署長のサーヴァントである。

 背後で流れる頭の痛くなるようなジャパニメーションのバックミュージックは我慢する。それでもこちらの予想以上の早さで電話に出たことは評価に値した。ものすごくくだらないところではあるが。

 

「お前の身体に変わった様子はあるか」

『ん? なんでお前が知っているんだ?』

「何かあるんだな?」

『最近ちょっと尿の切れが……ああ、いや、待て。冗談だ。冗談です。てか一体なんの連絡だ?』

 

 受話器越しに署長の怒気を感じ取ったのか、慌ててキャスターがテレビのボリュームも落として取り繕う。そこは停止か電源を切れよと言いたいところだが暖簾に腕押し、糠に釘、キャスターに説教である。無駄な時間をわざわざ費やす必要はない。

 

 既にキャスターはサーヴァントとしての役割はほとんど終わっている。そのため昇華作業よりも既存の宝具のメンテナンス作業を優先させている。もし何らかの異常がキャスターに起こっているのだとしたら、その作業を見直す必要が出てくる。

 

「一応、無理をさせていないかの確認だ。先ほど例の宝具を実戦に投入してみた。余裕があれば確認を頼む」

『あの宝具をか? 余裕があっても確認作業だけでどれくらいかかると思ってやがる? それにお前等があの玩具に触るなーっつって俺から取り上げたんだろうが』

「状況が動いたのはお前とて理解しているだろう。簡単でいい。制作者として確認作業だけしてくれ。後で資料は送らせておく」

 

 強引に話を終わらせると、返事を待たずにそのまま受話器を置いて待機状態の二十八人の怪物(クラン・カラティン)全員を見渡す。今の会話はありのままこの場にいる全員に聞こえている。

 念のために走らせておいたキャスターのバイタルモニターは会話中も平常値をずっと示し続けていた。

 機械計測も署長の考えを肯定している。

 

「……キャスターの様子におかしな点はない。が、奴に渡す資料には七体目のサーヴァントについては上手く伏せておけ。システムはA-01から再チェック、情報部は過去の資料を総浚いしろ」

 

 了解しましたと、各々作業を開始すべくある者は机につき、ある者は会議室へと向かい、ある者は受話器を片手に作業を開始する。しかし、的確とはいえ署長の指示内容はあまりに簡潔で、そして作業は膨大だ。

 

「確か、予備部隊と手空きの人間が何人かいたな? 警邏に回している人間もこちらに回せ。全て、だ。この際不審に思われてもかまわん」

 

 フェイズ5に入った以上、警邏活動の優先順位はかなり高くなっている。部隊を迅速に展開することを重視しているためだ。それを割くということはそうしたメリットを犠牲にするという意味だが、それを承知の上でも早急に手を打っておく必要がある。

 

「畏まりました、上級隊員を四名、下級隊員を七名大至急呼び戻します」

「……待て。七名だと?」

 

 隣で指示を出す秘書官が確認のための報告を読み上げるのを、署長は遮った。

 

「私の記憶では十一名の筈だが、何があった」

 

 単純に署長の記憶違いとも考えられるが、そんなわけがない。四名の欠員を署長は把握していない。署長の考えを先読みした秘書官から資料を受け取ると、確かに四名の欠員がそこに記されている。

 理由は――病欠。

 

「申しわけありません。医師の診断もあり、魔術を使っての治癒も薦められなかったため私が受理いたしました」

 

 秘書官の言葉に署長は黙る。

 処置として、これは何の問題もない。上級隊員ならともかく下級隊員の欠員までいちいち確認してはトップとして忙しすぎる。秘書官の行動も越権行為をしているわけでもない。

 

「……この四人の名前にはつい最近見た記憶があるな。確か何らかの任務を言い渡していた筈だ」

「はい。繰丘夫妻の調査を担当しておりました。書類は以前に提出しております」

「その資料は見ている。が、担当した者全員が病気というのは偶然か?」

「儀式場を構築したのが病院ですし、今市内では風邪が流行っているようです。珍しくはありますが、有り得ないことではないかと」

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)としても病院への患者数は魔力吸収等の事件の可能性から注視している。

 確かに現在病院への患者数は急激に右肩上がりではあるが、ギリギリではあるが予測の範囲内であり、また状況からしてサーヴァントが介入しているにしては遠大過ぎる。

 これらの見地から情報部はこれを放置していた。資料としても作成しているが、重要度が低く、秘書官は署長にこれらの資料を見せてはいなかった。

 

「健康診断でのワクチン接種は義務だった筈だが」

「全員クリアしています。免疫機能の低下、と症状にありますからハードワークであった可能性も否定しきれません」

 

 秘書官の言い分はもっともではあるが、この状況でこれは偶然か疑わしく思えるのも確か。自らが疑心暗鬼に陥っているのを自覚しながらも……無視することはできなかった。

 

「呼び戻す下級隊員には全員市内の電気・病院・交通・経済、あらゆることを調べさせろ。軽微な変化も見逃すな」

「既に市役所を通して実施しておりますが、不十分でしょうか?」

「役人に任せるな。足で稼ぎ、目で確認し、肌で感じろ、と伝えておけ」

 

 この聖杯戦争で一番忙しくなると想定される瞬間にそうした命令は異常とも言えたが、どうにも署長はその不安を払拭しきれない。

 一気に噴出してくる課題に胃だけでなく頭も痛くなってくる。それでいて、これから更に頭の痛くなることをしなくてはならない……。

 

「署長、どちらへ?」

「ことがことだ。これから“上”へ直接出向いて報告に行ってくる」

 

 上着を羽織り、出かける準備をしながら署長は自然と口が重たくなるのを感じていた。

 現状出された報告書は簡易版ではあるが、詳細が煮詰まってから動き出したのでは遅すぎる。そして今後の対策を考え動くためにはやっかいなことに腰の重い“上”を説得しなければならない。

 

 なるべくなら“上”の中でも全体を俯瞰できる幹部クラスの人間に会いたいところだが、それは無理だろう。署長が会うことができるのはせいぜいが中間管理職程度。目先の利益に飛びつかずにはいられない無能共である。

 

 例の宝具に2ポイント使用分を上乗せするのでも相当ごねた連中だ。それをようやく呑ませた直後だというのに、それ以上の要望を結果も出していないこの状況で陳情するのだ。その後のことを考えると頭が痛い。

 

 フェイズ5の判断を署長は間違っているとは思わない。だが計画の根幹が揺るいだ以上、彼等は責任転嫁をするべく署長の判断ミスとして責め、幹部連中に自らが有利となるよう報告することだろう。

 

 既に計画の微調整で事が済むとは思えない。これが発覚すれば確実に横槍が入ってくる。しかも、その横槍は幹部連中が糸を引いている可能性がある。

 

 このシナリオが“上”の想定通りである可能性が一番怖い。その場合、署長は何もできずにその席を退くことになる。後に残った二十八人の怪物(クラン・カラティン)がどうなるか、想像に難くないだろう。

 

 机の中から忘れぬようビンごと胃薬をカバンの中に突っ込んだ。念のため胃の中にも二錠ほど突っ込んでおく。魔術師らしく魔術に頼れとも言われるが署長は敢えてそれをしない。植物科(ユミナ)の胃腸薬にでも頼れば数百ドルを一瞬で消費するが、これならコストを百分の一にも節約できるのだ。

 薬漬けになる署長に秘書官の顔が厳しくなるが、そこは見ないふりをする。

 

「では私も同行させて――すみません、少々お待ちください」

 

 共に動こうとする秘書官の手が耳のインカムへと動く。秘書官を通しての急な外線……秘書官の視線と動きから誰からかかってきたものか想像はつく。居留守――を使っても無駄だろう。出かけた後であれば多少は時間稼ぎができたかもしれないが。

 まったく、ツキがない。

 

「署長、二番外線に」

「分かった」

 

 秘書官の言葉を最後まで聞くことなく受話器を取る。胃薬を先に飲んでおいて良かったなとこの場で唯一の救いに感謝する。

 

「代わりま――」

『初めましてだな。署長?』

 

 それは、署長の聞いたことのない声だった。

 

 



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day.04-06 自由への誘惑

 

 

『何を黙っている。私は初めましてと挨拶したのだぞ、署長』

 

 覚悟して声を出した署長を遮ってきたのは、予想していた人物ではなかった。

 確かに秘書官から具体的な名前を聞いてはいないが、あの様子は間違いなく“上”からのもの。回線を確認しても、連絡してきたのは間違いなく“上”の一人。幹部連中とのパイプ役として虎の威を借ることに夢中な小物の筈である。

 しかし、電話口から漏れるこの声には聞き覚えがなかった。

 

「……何者だ?」

 

 ペンで手近な紙に『逆探(trace)』と殴り書きして指示を出す。直前に電話を受け取っていた秘書官は一瞬不思議そうな顔をするが、すぐさま我に返り逆探知の指示を部下に出す。

 

 電話の逆探知に時間がかかったのは大昔の話である。全ての回線がデジタルで管理された現在、即座に探知することが可能だ。元が秘匿回線なだけに処理が複雑になってはいるものの、逆探知は即座に完了した。

 発信元はやはり変わらなかった。

 

『落ち着いてるじゃないか。ああ、大丈夫。君が心配している人間には簡単な暗示をかけただけだ。色々と喋ってもらったが、殺しちゃいないし傷つけてもいない』

 

 今後の生活には多少支障が出るかも知れないがね、とからかうように嘯くが、それを相手にしてはいられない。いっそのこと処理してくれた方がよほど嬉しいくらいなのだが。

 

「何者かと聞いているのだが?」

 

 自然と受話器を握る手に力が篭もる。

 捜査員をすぐさま派遣することも可能だが、恐らく電話の主はそれも織り込み済み。何分で到着するか測ることでこちらの網の目を推測することだろう。

 

 通常の工作員などであればそこから騙し合いへと突入していくのだろうが、ここまで大胆に行動してくる以上、相手は間違いなく一級の魔術師。いかにこちらがそうした手合いに長けていようとも、逆に返り討ちになる可能性は非常に高い。

 

 近場に二名、一〇分以内に現場に急行可能です、と殴り書きにしては丁寧な字で秘書官がメモ用紙を差し出してくる。

 近くのカメラは“上”の意向もあってこちらからは見られないように設定してあった。面倒ではあるが、顔だけでも押さえるのなら直接出向く必要がある。

 

 現場ではなく近場のビルで監視。間に合わないだろうが、二十八人の怪物(クラン・カラティン)を対サーヴァント装備で現場に急行させるよう指示を出す。サーヴァントの数が合わないと発覚した後だ。相手が何者かは関係ない。

 まずは情報を確実に蒐集することが重要である。

 

『私の名前などどうでもいいではないか。まずは話し合いをしよう』

「話し合いだと?」

『そろそろこの聖杯戦争にイレギュラーが交じっていることに気付いたのではないかね?』

「……何のことだ?」

 

 我ながら下手だな、と思いながらも少しでも話を長引かせるべく署長はとぼけてみせる。しかし、いくらなんでもこの話題はタイミングが良すぎる。

 

『東部の検問は少々ハデ過ぎじゃないのか? 何があったのかバレバレだ』

「テロリストが潜伏しているという情報が入った。警察ならば当然の措置だろう」

 

 対外的常套句を用いるが、これにしても情報が早い。

 検問は消滅した二体のサーヴァントのマスターを確保するために敷いたものだ。近場にマスターがいればかなり動きづらくなっただろうが、これで捕まえられるとも思っていない。敢えて網は粗くしてあるし、二十八人の怪物(クラン・カラティン)も投入してはいない。

 

 要はできる限り多くの手がかりを得ることが先決なのである。今は捕まえずとも顔写真の一枚でも撮れれば十分だ。その後で逃走ルートでも割り出せば行動予測も立てやすいし、このまま泳がせば餌としても機能するだろう。

 

『一応伝えておくと、湖畔の別荘近くに上半身のない死体があるぞ』

 

 どうやらその餌はとっくに喰われてしまったらしい。

 真に受けるわけではないが、調べないわけにもいくまい。

 

「情報提供には感謝しよう。だがその程度で私に何をさせたいのかな?」

『“偽りの聖杯”、どこにある?』

 

 受話器の向こうでクハハハハと笑う声がした。

 リスク管理の観点から“上”の幹部以外に詳細情報は敢えて知らされていないことも多い。特に“偽りの聖杯”に関しては存在はともかくとして具体的な場所を知る者は少ない。そして、その全体像を知っている者も。

 署長だって、全体を把握しているとは到底言えないのだ。全体を把握できていないということが分かる程度にしか、情報を与えられていない。

 

「知らんな。何の話だ?」

『土産話くらい渡すつもりだぞ? 例えば――七番目のサーヴァントとかな』

 

 即答してみせはしたものの、提示された条件はこの聖杯戦争とは別個に署長が今最も欲する情報でもあった。後々の、この戦争終了時に処理されないための。

 だからといって、おいそれと喋っていい内容ではない。

 

「知らないと言っている」

『では私が勝手に話すことにしよう。そちらで確認でもなんでもしてくれ』

 

 会話のペースを完全に握られている。

 向こうとしては署長が何を言おうとこの筋書きを最初から通すつもりだったのだろう。それを強制的に遮断するには受話器を置けば済むだけの話。だが、それはリスクの高い行動だ。

 たとえ益体のない話であっても、時間稼ぎはせねばならない。

 

「………っ」

 

 状況を認識すればするほど、苛立つ自分に苛立ってくる。

 こうして連絡してきているということは、受話器越しのこの何者かは二十八人の怪物(クラン・カラティン)、そして“上”についても詳細を掴んでいるに違いなかった。その情報を他勢力へ受け渡せば二十八人の怪物(クラン・カラティン)は一気に窮地に立たされるし、この戦争の根幹も今以上に揺らいでしまう。

 特にアーチャーとランサーを同時に相手にするのはマズすぎる。

 

『まず、君らが危惧しているであろう七番目のサーヴァントだが、安心したまえ。あれは君達の用意した“偽りの聖杯”によるものではない。霊脈に多大な負荷をかけることだろうが、大した問題にはなるまいよ』

「随分と詳しいじゃないか」

『ただの観察だ。特にヒュドラの召喚は致命的だったな』

 

 何だと、と喉から出かけた言葉を署長は呑み込む。ここで焦りを見せればつけ込まれかねない。

 

「ヒュドラがどうだというのだ?」

『クハハッ。あれの存在がそもそも不可思議だとは思っただろう? あのヒュドラが簡単に人間の召喚に応じる存在だと思うか? そもそも英霊というカテゴリにすら入るかも怪しい化け物だぞ?』

「否定はしないが、事実としてヒュドラは召喚されている。そもそも我々の及ばぬところでイレギュラーが発生することは珍しいことではない」

 

 正々堂々と戦争しようと考える方がおかしいだろう。相手の裏をかくことこそが戦争の本質だ。そこに汚いも卑劣もない。

 

『なら、もうひとつ尋ねようじゃないか。署長、君はあのヒュドラがコントロールの利く存在だと思うかね?』

「それは――」

 

 おそらくは、無理だろう。

 あの巨体にあの魔力、獰猛な性格に無差別に撒き散らされる毒。制御しなければならぬ点は多いというのに、知性体としてのコミュニケーションは不可能。

 残った手段は令呪だが、一体どんな命令をすればあれをコントロールできるのか皆目見当もつかない。よしんば令呪でコントロールできたとしても、たった三画では到底足りはしないだろう。

 

『故に、だ。あのヒュドラはそもそもコントロールを受け付けるシステムを実装していないことになる』

「馬鹿な。それでは一体何のための召喚だ」

 

 相手の言葉を一笑する。

 コントロールできなかったが故に失敗したのが冬木の第一次聖杯戦争であり、そのために用意されたのが令呪のシステムだ。元より英霊という高位の存在を召喚するのだから、召喚者の目的に沿った行動をとってもらわなければ召喚する意味がない。

 

 かといって、完全に無意味というわけではない事実が状況判断を曇らせる。英雄王を打倒の可能性を論じるのなら、下手な小細工よりも余程効果的だ。目的を狭め用途を限定すれば、ヒュドラ召喚は十分に意義の在る物になるのである。

 

『もっと分かり易く言おうか。この聖杯戦争で召喚された六柱のサーヴァント以外は、全員コントロール不可能な英霊だ。この“偽りの聖杯”戦争を荒らすためだけに用意された盤上外の駒なのさ』

「外部からの妨害工作とでもいいたいのか?」

 

 実際に教会と協会に喧嘩を売っている以上、そうした手勢は少ないどころか多いくらいだ。だが、もし英霊を別枠として召喚できる手段があるとするならば、こんな回りくどいやり方などしないだろう。

 

 聖杯戦争としての規模は冬木のオリジナルに劣るが、極論、街一つ潰す理由にはなり得る。ヒュドラクラスの化け物を数体放置すれば、スノーフィールドはその余波だけで怪獣映画の如く壊滅することになるだろう。

 

『外部かどうかは定かではないがね。少なくとも、ヒュドラを召喚した当事者に、そうした意図や危機感はなかっただろうよ。背後で操っているのが誰かは知らないが、目的は『妨害』ではなく『横取り』というところだろう』

 

 声の質に嘲笑う影がある。まるで見当違いなことをしている黒幕を滑稽だと、腹を抱えて笑っている。

 対して署長は笑えない。電話の主の言うことは真に受けることこそできないが、大きく外れてはいないだろう。

 

 ヒュドラの情報を切って捨てた署長に対して、子細に観察し出された結論は至極納得いくものだ。そしてそれを見せつけられただけにこの人物が持ち得る情報はあまりに危険すぎる。

 それこそ、署長達が絶対に隠し通さねばならぬ情報まで、この男は握っている。

 

「……貴様、どこまで知っている?」

『この偽りの聖杯戦争のシステムについてはおおよそ予測できているつもりだ。ただ、それを影で操る人間がいるとなると、全容がどうにも掴めなくてなぁ』

 

 実にあっさりとした告白ではあるが、署長の顔色は見る間に青く変わっていった。この発言は致命的すぎた。

 咄嗟に二十八人の怪物(クラン・カラティン)で秘匿しているシステムの裏コマンドや報告していない宝具、イレギュラーな事態に対するマニュアルなどを思い浮かべる。

 反乱を企てられていると思われても仕方のない裏切り行為であるが、“上”の情報が漏れている可能性がある以上、必要とされるのは“上”に知られていない保険の数々だ。

 署長が原住民に対して仕掛けようとしたことを、そっくりそのままやり替えされてもおかしくはない。

 

「では、貴様は全サーヴァントを把握しているということか」

『ひっかけるにしたってもっとマシな手を考えるんだな。そもそも、サーヴァントを把握する必要があるのはお前達だけだろう? 互いに戦い合う必要なんてどこにもないのになぁ?』

 

 署長のかまかけにもやはりひっかからない。

 相手の手の内を多少なりともさらけ出させただけ十分だが、それだって意図してさらけ出したものだろう。今の手札で交渉するにはあまりに危険が大きすぎる。

 

『まあいい。そろそろ君の手駒も来る頃合い……おっと。これはしまったな。この距離で抵抗できぬほど未熟とは思わなんだ』

 

 隣で秘書官から派遣された隊員がシグナルロストしたことを報告される。必死に応答を求めているようだが、機械は正直だ。何をされたのかは知らないが、状況から通信機だけを器用に破壊したとも思えない。

 

『すぐに手当をすれば何とかなるかもしれんな』

「貴様の目的は何だ?」

『最初に言っただろう? “偽りの聖杯”はどこにあるのか、と。他にもやりたいことは沢山あって私としても困っているが、そうさな……』

 

 署長の怒声を柳のように受け流すが、答える声に沈黙が交じる。ここに来て、はじめて声の主は沈思している。

 

『署長に悪いようにするつもりはない。ちょっと“上”に黙ってもらうくらいのことはするがね』

「恩でも売っているつもりか」

『まさか。しかしこれで君ならば三日間は自由にできるのではないかな?』

 

 期限付きの自由。

 確かに二十八人の怪物(クラン・カラティン)はその任務の性質上、横紙破りな強権を認められている。だからといって上限がないわけではなく、“上”に対してはそれなりの手順を踏み、許可を得なければならないことも多い。

 そこには現場の意向を無視した政治的思惑もあり、“上”にとって二十八人の怪物(クラン・カラティン)の命は想像以上に軽いことを意味していた。

 

 その楔を、三日間とはいえこの男は解き放つという。

 

『“上”が機能を取り戻してからは私の知ったことではないが、それまでに決着を付ければ問題はあるまい?』

 

 先のランサー戦を思い起こす。あの戦いをきっかけに戦況は大きく動いた。そのため仕方なく、署長は作戦フェイズの移行を断行した。これ以上のフェイズ移行は署長の権限にないためできないが、“上”が機能不全に陥るような状況であればその限りではない。

 

 フェイズ6で使用可能となるレベル3の特殊宝具の開帳ができれば、この戦争を即座に終わらせることは可能だろう。

 逆に言えば、これで成果を出さねば“上”は即刻署長を――二十八人の怪物(クラン・カラティン)そのものを処断することとなる。

 

 ハイリスク・ハイリターン。いや、傍観というローリスク・ノーリターンという手もないこともない。だが後者をとるような人間ならば、最初から聖杯戦争に参加するわけもない。

 

『また改めて連絡をしようじゃないか。何、今すぐに返事は期待しておらんよ。確認するぐらいの猶予は与えようじゃないか。それまでに無様なリタイアだけはしてくれるなよ、署長』

 

 署長の言葉を欠片も待つこともなく、通話は終了する。

 暗躍する何者かは、どうあっても署長に動いてもらいたいらしい。

 

 仮に、ここで署長があらゆる制限を外し自由に動くとなれば、この戦争での勝利は間違いない。その代わり、この聖杯戦争のシステムが外部に露見する可能性は極めて高くなる。三日間という制約が積極攻勢を選ばざるを得ないからだ。

 

「いかが……いたしますか?」

 

 さすがの万能秘書官も事態の困惑を隠せない。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)の中には“上”からの監視として入っている者もいるが、この部屋の中にそうした間者は予め排除してある。つまり、相手の口車に乗るのも、ありのままをそのまま報告することも署長の自由である。

 

 時間はあまりない。それでなくとも忙しいのだ。これ以上時間をかけることはできない。

 

「……まずは裏をとる。現場に部隊はもうすぐ到着するな?」

「あと一分です。倒された下級隊員も、かけつけた他の隊員により心肺蘇生措置がとられています」

 

 本来であれば心肺蘇生よりも先に任務を優先させるところだが、何人で向かわせても碌な結果にはなるまい。秘書官の判断は至極真っ当だ。

 

「スノーホワイトの使用率を既定値から五ポイントだけ上げて周辺クリーニングを開始。足取りを追えるようなら追尾し潜伏先を特定しろ」

「五ポイント……ですか。周辺クリーニングでしたら二ポイントの底上げで十分かと思いますが」

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)にはその性質上、スノーホワイトと呼ばれるレベル3の特殊宝具の優先使用権が限定的に認められている。とはいえ、既定値を超えた分に関しては厳密な報告義務が課されており、同時に見返りにあった成果も求められる。

 署長が魔術師として表に出ず穴熊にならざるを得ない理由の一つが、この下らぬ報告書の作成のためである。

 

「虎穴に入らずんば、だよ。これなら言いわけとしてギリギリ通る範囲だ。これで“上”の反応を見る。そして余剰ポイントで二十八人の怪物(クラン・カラティン)内部のチェックを順次行うように。煽られて反乱を起こす馬鹿がいないとは限らん」

 

 最後の一言はただの攪乱だと思うが、念のためだ。それにヤツにとって署長の席に座る者が署長である必要はない。

 

「畏まりました」

「私はこれから他の“上”の様子を見てくる」

 

 七番目のサーヴァントの案件から、元より個別に乗り込むつもりであった。だが、交渉ではなく暗示の類を確認するのであれば二、三人会っただけでは意味がない。

 面倒ではあるが、これから“上”の数人と連続して訪問しなくてはならない。場合によっては、ラスベガスまで飛んでいく必要もあるだろう。

 

「しばしお待ちを。私も共に参ります」

「必要ない。私の留守の間は君が指揮を執れ」

 

 現状での指揮権は実を言えば副官である“上”の息のかかった者に委譲されるのだが、それをすると署長の行動が筒抜けになってしまうし、反乱を起こす馬鹿筆頭にわざわざ席を譲り渡すのも馬鹿らしい。

 秘書官が共に動くとなると有事の際に二十八人の怪物(クラン・カラティン)は群体としての機能を失うことになる。

 

 戦争の最中に戦線を離脱するのはそれはそれで策として機能する。幸いにして余力はあるのだ。いらぬ情報に惑わされぬよう動くためには、今しか決行する機会はない。

 

「オフェンスとして数人いればいい。私の宝具ならディフェンスは必要ないだろう」

「ここで手の内を明かすような真似をして欲しくはありませんが」

 

 苦言を呈し少しでも考えを改めてもらおうと秘書官が動くが、それを是とする署長ではない。

 無理にでも共に行動したいところなのだろうが、指揮権を委譲されたとなるとさすがの秘書官も無闇に動くわけにもいくまい。次善策として代理として秘書官が出向くことも検討するが、“上”と直接会うとなれば代理では話にならない。

 

「……地下に車を用意させました」

「では、行ってくる」

 

 深々と礼をして見送る秘書官を後ろに、署長は本拠地としているビルを後にする。

 この聖杯戦争始まって最初の外出である。様子を見るとは言ったが、ほぼ確実に暗示にかかっていることだろう。

 

 問題は暗示にかかっていない“上”の連中だ。戦時下で署長の動きは不自然極まりないが、その時は腹をくくるしかあるまい。秘書官のサポートなしであの連中を相手取るのは骨だが、なんとかなるだろう。

 

 ともあれこれで事態はまた一つ動くこととなる。

 このスノーフィールドにいる“上”は一人、確実に減った。場合によっては戦争のどさくさに紛れて退場願おうと考えてはいたが、手間が一つ省けたことになる。

 

 署長が乗ったドイツ製の大型車両は当然ながら特注品だった。防弾なのは無論のこと、防音としても完璧である。運転席とも仕切られているこの後部座席は完全に署長のプライベート空間だ。

 

 戦争開始以前から常に誰かと居たためにゆっくりと休めなかったが、今この場だけは別である。

 ここでは何を言っても許される。

 

「これで……書類仕事ともおさらばだな」

 

 その後の交渉の成果を思えば、署長の言葉はまごう事なき本心だった。

 

 



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day.04-07 エルアライラー

 

 

 今夜の仕事はこれで終わり、なわけもなかった。

 仕事という意味では署長との電話など仕事の内には入らぬただの雑事。リスク覚悟で乗り込んだとはいえ、事前調査もあったおかげで命の心配はないのだ。怪しい動きをしているとはいえ令呪を使い切ったジェスターに本腰を入れて討伐するほど署長は暇ではないし、念のため適当に用意しておいた死体(えさ)も撒いておいたのでそれどころではあるまい。

 本当の仕事は、その後にあった。

 

 署長との電話から数時間後、日付が変わろうとする少し前。スノーフィールド南西、森林地帯と砂漠地帯の境目でジェスターは仕事に本腰を入れていた。

 

 つくづく、手が足りないと思う。

 アサシンの処遇に目処がついたのは僥倖だが、それ以外がどうにもいけない。命のストックを複数持つ身ではあるが、これなら身体が複数あった方が余程良い。死徒といえどこうも休みなく動けば過労死だってすることだろう。

 実際、気を抜けば一秒とかからず死ぬことだろう。

 

 声はない、足音もない、衣擦れも、息遣いさえない。

 足音と気配を殺しきれる最大の速度で、滑るように濃密な森を掻き分けて征くモノがひとつ。咄嗟に躱せたのは長年培っていた勘によるものだろう。致命傷こそ避けたものの、すれ違いざまに付けられた傷から血が溢れ出る。

 反撃しようと試みるも、その頃にはとっくに姿を見失っている。無駄を承知で周囲の草を蹴散らしてみるも、そこに手ごたえがあるわけもなく牽制にもなりはしない。

 

 既に五度。この吸血鬼らしくないことに、同じようなことを繰り返している。

 後の先をとるカウンター。これもジェスターらしくない戦法であるが、だからといってこの敵の先を取れる術などそうありはしない。それにらしくないとはいえ吸血鬼の運動神経であれば十二分に脅威である。

 その脅威が五度も失敗している。

 認めねばなるまい。この敵は――

 

「強い、な」

 

 傷口から溢れ出る血を舌で丹念に舐めながら、ジェスターは結論を下す。

 人食い虎と見紛う速度で森を駆け渡る敵。木々の間を左右に蹴って上空へ駆け上がる異様な機動は、明らかに人の技の範疇ではない。重力を、慣性を、筋肉の動作性を根底から力任せに無視できるものだけが可能な動き。

 

 濃厚な霧のように闇を月明かりが森の中にわずかな間に切り裂いていく。ジェスターから少し離れた小高い場所に、月の後光を浴びてその獣は悠然と現れ出でた。

 小柄な体躯に特徴的な長耳。身に纏う毛皮はジェスターの血で汚れ、その瞳の奥に宿る知性は類い希なるもの。膝は柔らかく蹴り足は強く、重心は前寄り。一見して脆弱な生き物ではあるが、その魂は熱く燃え盛る太陽そのもの。

 

 彼の存在は人ではない。

 人ではなく――英霊。

 その名も、エルアライラー。

 またの名を、千の敵を持つ王(エリル・フレア・ラー)

 伝説に語られるとある一族の王にして英雄である。

 

「クァハッ! さすがに分が悪い! どうか命ばかりは助けてくれまいか!」

 

 大袈裟なほどに大声かつ大きな動きで命乞いをしてみる。当たり前のことながら、ジェスターが今更命など惜しむわけもない。そも、この英霊がこちらの言葉を解するかどうかすら知らないのである。

 知りたかったのは、エルアライラーの反応。

 

 英雄英傑というのは肝が座っているものである。かくいうエルアライラーとてその例外ではないが、生来の気性までコントロールできるものではない。

 兎角、この一族は臆病なのである。

 反応がないということは、つまり、そこに狙いがあるということ。伊達や酔狂で行っていないということ。生来の気性に反してでも、覚悟を決めざるを得ないということ。

 迂闊というなかれ。それしかないと理解している以上、策を練るのは当然であろう。

 

「やはりな。貴様、もう時間がないな?」

 

 零すように漏れ出たその一言に、エルアライラーの姿が瞬間、消失する。ともすればそこにいたのが幻像であったかのような気もするが、残像という意味では正解だろう。うっそうと茂る草と見通しのきかない木々に紛れ、エルアライラーは姿を隠した。

 

 なるほど、こちらの言葉は理解しているらしい。

 変なところに感心しつつ、ジェスターは周囲を警戒する。

 本来であればここから脱兎の如く逃げるのが彼ら一族の主義であるが、ジェスターに泣き所を看破された以上、その選択肢はありえないしできない。

 

 この森という領域にあって、エルアライラーにジェスターが勝てる道理はない。それはこれまでの戦闘が正しく証明してくれている。エルアライラーの優位はそうそう覆るものではない。

 だというのに何故臆病である筈のエルアライラーがわざわざジェスターの前に姿を晒したのか。答えは単純。決着を焦ったのである。

 

 確かにエルアライラーはジェスターよりも強い。だが、一撃でケリがつけれるほどにその実力に大きな差はない。それはこれまでの戦闘が正しく証明してくれている。

 エルアライラーは俊敏さを売りとする英霊。となれば、真っ向勝負はリスクが高く、これまでのようなヒットアンドアウェイこそが勝利への最短経路となる。それを選択しないということは、これは何かあると考えるのにおかしいことではない。

 

 これまでの実況見分からジェスターは東洋人の令呪が不特定多数の英霊を召喚するものと看破している。これがどれほど強大で凶悪な切り札であるのか、分からぬ者はおるまい。要は後出しじゃんけんができるのだから、条件さえ整えられれば負ける道理がない。

 

 召喚回数の制限と英霊との契約内容に難はあるが、それでもまだリスクとリターンの釣り合いは取れていない。となればまだ何かしらの短所があると睨んでいたが、どうやらエルアライラーの反応から間違はないようである。

 時間制限。強い英霊であれば短く、弱い英霊であれば長く召喚できる安全装置を兼ねた呪縛か。ならばエルアライラーが現界し続けるのもあと数分といったところだろう。

 

「さて。まあ検証はここまでにするか」

 

 勝利条件が明確になった以上、ジェスターがすべきはあと数分間を全力で逃げることであるが、吸血鬼は何故かそれとは真逆の行動に移る。

 そのまま立ち止まったのである。

 

 今晩起こった一連の事件は、ジェスターが故意に誘導した作為的なものである。すなわち、東部湖沼地帯での戦闘から今に至るまで、東洋人の令呪について詳細に検証するための実験に過ぎない。

 

 特に湖沼地帯で突発的な戦闘に陥り、大量の警官に追われた東洋人は見事に混乱の極地にいてくれた。夜の森という不安を煽る状況も背を押したのか、おかげで少し背後から声をかけただけで碌に確かめもせずに貴重な令呪を使用してくれた。

 これがもしジェスターという死徒が相手だと分かっていればヘルシング教授でも喚ばれ窮地に陥ったのだろうが、結果として喚ばれたのは夜の森でも十全に活動し長時間召喚し得るエルアライラーという中途半端な英霊だった。

 

 おそらく、この不確かな状況にあって、呼応する英霊が彼しかいなかったのだろう。どんな英霊であろうと枯れ尾花で喚ばれてはたまるまい。あわよくばつかの間の自由を手に入れるつもりでエルアライラーは呼応したのかもしれない。

 

「不純な。少しはアサシンを見習うが良い。獣め」

 

 その動機を不純であると決めつけて、ジェスターは罵りながら周囲を軽く見渡した。

 夜の眷属であるジェスターはもちろん夜目が利く……が、当然エルアライラーの姿を見つける事はできない。生い茂る草木が邪魔をするし、そうでなくとも気配遮断は彼の十八番である。これを解決するには森を抜け出るより他はない。

 

 あと少し南へ行ければ森を抜け砂漠へと出ることになる。エルアライラーも地形効果の恩恵を考えてか、森から出すまいと南側からよく気配を感じる。ならば次の攻撃も南側から来るだろうか?

 しばし考え――そして諦める。結局来ると分かっている攻撃ですらジェスターは躱しきれなかった。反応速度が圧倒的に違う以上、先を読むことに意味はない。見えない殺意に気を取られた途端、反対方向からやられたとしてもおかしくはないのだ。

 この森をどうにかしない限り、勝機はない。

 

 つまり、この森をどうにかすれば、勝利は容易かった。

 

 エルアライラーが襲いかかってくるタイミングは反応できないだけでなんとか分かるのだ。夜の森は、何もエルアライラーだけに利するわけではない。だからこそ、エルアライラーは気付かなかったのだ。

 己の足下に広がった、ジェスターの赤い紅い朱い、赫い影を。

 

 森が、一瞬にして蒸発した。

 半径わずか数メートルながらも、大地から噴き上がる瘴気の波濤。草木が草木として維持できたのは数瞬もない。弟子を喰らった時は上品に骨を残したりもしたが、その気になれば無差別にこの影は貪り喰らってみせる。

 

 無論、その効果は果てしなく絶大である。なにせエルアライラーからすれば、自らの領域であった足場が獰猛極まりない硫酸へ変貌したに等しい。いきなり毒の海に突き落とされたようなジェスターの罠にそもそも対抗手段がないのだ。

 

 全身を赤い影に嬲られながら必死に逃げようとするエルアライラーであるが、そこを狩ることは難しくなかった。大した労もなく軽く振るった腕の中に、エルアライラーの細首が呆気なく収まる。

 捕まえてしまえば、この脆弱な生き物は吸血鬼の足下に及ばない。

 

「クハハッ、確か君たち一族は自ら進んで火の中に飛び込んだ者もいたらしいな。奇しくもそれと同じことをしたわけか」

 

 エルアライラーの身体から流れ落ちる血が、赤い影によって舐め取られる。

 周囲の森が一瞬にして枯死しながらも、その身体はまだ原型を残していた。身体の内にある霊核こそ無事であろうが、全身をローストされて生き残れるほど非常識ではあるまい。

 

 運命は変わらない。残り数分の命が、数秒の命になっただけ。

 そして分が秒になったところでジェスターは油断しない。いかに低級かつ弱体化しようとも、英霊は英霊。この状態でも反撃の可能性はゼロではない。

 ぺき、と意外とかわいらしい音が手の中で響き、反撃の可能性をジェスターはゼロへと貶める。エルアライラーの首が不自然な角度で垂れ下がれば、肉体がわずかに痙攣する。

 消滅するまでのわずかな間にその肉をくちゃくちゃと咀嚼しガリガリと骨を噛み砕きずるずると液体を吸い出してみるが、思ったよりも不味かった。

 

 頭蓋を握り潰しゴミのように捨てた方が良かったかと、エルアライラーが粒子となって消滅してから少しばかり後悔する。

 吸血鬼といえど英霊の血肉を啜ったところで際立ってパワーアップすることはない。英霊の味に興味があったことは確かだが、狙いは別のところにある。

 

 きっとどこかで見ているであろう観客をジェスターは意識していた。森林地帯の深部にはランサーが居座っているため、二十八人の怪物(クラン・カラティン)は全面的に撤退しているが、まさかカメラのひとつも残っていないはずもない。それに“上”は何も一人ではないのだから、きっと、ここでのジェスターの行動は(ライブ)で見られている。

 

 曲りなりにも英霊と呼ばれる高位の存在をあっさりと殺し食す吸血鬼。恐れてくれるならそれも良し。畏れてくれるのならば更に良し。使えそうな駒だと、注意すべき駒だと認識されることこそが重要である。

 今なおだんまりを決め込む“上”が今後どう動くかは分からないが、このまま彼らの思惑を裏切り続ける事態に陥るなら黙って座視することもすまい。その時には今日の布石が意味を持つことだろう。

 

「クァハッ。次の予定も決まった。善は急いだ方が良かろう」

 

 ヒュドラが召喚された時から薄々思っていたのだが、東洋人の令呪(システム)は安全装置に関しては酷く緩い。召喚者の安全も考えていなければ、神秘の秘匿すら頓着していない。

 聖杯戦争のマスターとして看過できぬ事態かもしれないが、残念ながら令呪を手放したジェスターがそんな正義感に目覚めるわけもなかった。

 

 むしろここは積極的に最大限利用することを考えるべきである。

 

 偽りの聖杯戦争、ひっそりと行われた吸血鬼と英霊の対決はこうして終わる。この時点でジェスターの頭の中で描かれた青写真はいかにも荒唐無稽で非現実的、おまけに甚大な被害がこれ以上になく盛り込まれていた。

 もちろん、その程度のことで吸血鬼が止まるわけもなかった。

 一秒の時間を無駄にすることなく、吸血鬼は次なる仕事に挑むべく、スノーフィールドの地に背を向けた。

 

 

 



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day.04-ステータス更新

 

 

day.04-01 変身

 

 警察の中にマスターがいると睨んだアサシンはとあるカフェに入り監視をしていた。今後の出方を思案する彼女に、襲撃をしてくる者がいる。変身能力を駆使してこちらを圧倒するサーヴァントの正体に、アサシンは心当たりがあった。

 

 

day.04-02 面接

 

 その正体を知られながら、バーサーカーはアサシンの前に姿をみせた。バーサーカーの小手先に翻弄されるアサシンに、フラットが生きている証拠が突きつけられる。だが、バーサーカーの本題はそんなところにはなかった。

 

 

day.04-03 合否

 

 いくつかの情報と宝具と通信機を与えアサシンの行動を縛るバーサーカーだが、一方的な施しになりはしなかった。バーサーカーが立ち去り、その言葉を反芻したアサシンは、その真意を見抜き、完全犯罪を成し遂げる。

 

 

day.04-04 身体検査

 

 夢世界からの脱出するため、ティーネとフラットは調査を開始する。各人の身体を調査し、ここが一年前のスノーフィールドであることを突き止めた二人は、手掛かりを求め、現実世界では崩壊してしまった繰丘邸へと向かう。

 

 

day.04-05 発覚する事実

 

 東部湖沼地帯で二体のサーヴァントが激突し、消滅する。サーヴァントの数が合わないことに署長は気付き、手を打ち始める。事態を確認するため署長は“上”と直接会うことにするのだが、出かける間際に一本の電話が入ってくる。

 

 

day.04-06 自由への誘惑

 

 電話の相手は署長の知らない人物からだった。“偽りの聖杯”を探すこの人物は、漏らされた七番目のサーヴァントの情報を署長に披露してみせる。情報漏洩の可能性に頭を悩ませる署長であるが、そこへ更に三日間の自由をも約束される。状況が動いたことを確認しに、署長は戦争開始より初めて外へ出かけていく。

 

 

day.04-07 エルアライラー

 

 署長の注意が西側へ向いている時、ジェスターは西部森林地帯でまた別のサーヴァントと激突していた。圧倒的不利な地形に反撃すらできずにいるジェスターであるが、そこから東洋人の令呪のシステムを読み解いていく。

 

 

 

-------------------------------------------------------------------------------

 

 ステータスが更新されました。

 

-------------------------------------------------------------------------------

 

 

 ◆サーヴァント

   『アーチャー』

     所属:――

     状態:――

     宝具:王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)

 

   『ランサー』

     所属:――

     状態:強制現界の呪い、位置情報露呈の呪い

     宝具:天の創造(ガイア・オブ・アルル)

 

   『ライダー』

     所属:――

     状態:感染拡大(中)

     宝具:――

 

   『キャスター』

     所属:二十八人の怪物(クラン・カラティン)、サーヴァント同盟

     状態:強制現界の呪い、位置情報露呈の呪い

     宝具:我が銃は誰にも当たらず(オール・フィクション)

 

   『アサシン』

     所属:――

     状態:強制現界の呪い

     宝具:回想回廊、構想神殿、石ころ帽子

 

   『バーサーカー』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:強制現界の呪い

     宝具:???

 

   『宮本武蔵』

     所属:――

     状態:消滅

     宝具:二天一流

 

   『ヒュドラ』

     所属:――

     状態:消滅

     備考:毒

 

   『エルアライラー』

     所属:――

     状態:消滅

 

   『正体不明のサーヴァント』×2

     所属:――

     状態:消滅

 

 

 ◆マスター

   『ティーネ・チェルク』

     所属:原住民、夢世界同盟

     状態:ヒュドラの毒、感染(夢世界)、体力消耗(大)

     令呪:残り3

 

   『銀狼』

     所属:――

     状態:感染(夢世界)、体力消耗(大)

     令呪:残り3

 

   『繰丘椿』

     所属:――

     状態:精神疲労(小)

     令呪:残り3

 

   『署長』

     所属:二十八人の怪物(クラン・カラティン)

     状態:精神疲労(中)

     令呪:残り3

     宝具:夢枕回廊(ロセイ)(封印)

 

   『ジェスター・カルトゥーレ』

     所属:――

     状態:死亡×3

     令呪:残り0

 

   『フラット・エスカルドス』

     所属:――

     状態:感染(夢世界)、魔力消耗(大)

     令呪:残り3

 

 



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day.05-01 お願い

 

 

 その違和感をランサーがハッキリと認識したのはこの場に立ち初めて三日目の朝だった。

 

 西部森林地帯にある見晴らしの良い丘は、朝陽を浴びるスノーフィールドの街並みを遠くながらも眺め見ることのできる場所である。見張るには丁度いいポジションであるが、同時にこの場で立っていれば遠くからでも目立つ場所でもある。

 

 それだけにランサーは自らを囮に敵の出方を常時窺っていた。

 相性が良かったのか最高位の気配感知スキルはその能力を森林地帯全域でいかんなく発揮し、遠くに見えるスノーフィールド市街の一端までまるで自分のことのように感じ取ることができる。

 

 違和感を感じ取ったのは、そのスノーフィールドの街の気配である。

 丸々二日間は瞬き一つせず眺め見ていたこともあってか、その違和感はこの時になってハッキリとしたものとなっていた。

 

 最初は人の気配が減っているのだと勘違いしていた。しかしそれは大いなる誤解だ。感知できないことで減ったと勘違いしていたが、これは減ったのではなく、気配を感じ取れないまでに人の命が弱まっている。

 

 一人二人といった人数ではない。おそらくは数万単位で気配が弱まっている。

 原因こそ分からないが、どこかのサーヴァントが吸精を行っている可能性もある。そうなるとこれだけの魔力、ランサーといえど決して馬鹿にできた量でもない。

 

 街に出かけ調査するのは簡単だ。だがランサーの能力は他者を圧倒するものの、街中での調査に適しているわけでもない。

 それにマスターたる銀狼を放置して街中に繰り出すわけにもいかないのだ。状況は気になるものの、現状を考えればこうして座して見守るより他はない。

 

 現状はすでに長期戦の構えをとっている。

 敵の手の内を晒させるためにわざとこうして身を晒してはいるが、感じ取れるのは遠方からの視線だけ。偵察かあるいは挑発か、二キロ程度まで何者かがこっそりと近付いたこともあるが、そのラインを踏み越えることはない。

 

 持久戦はこちらとしても望むところだが、銀狼がいるのでそうそう付き合い続ける訳にもいくまい。マスターの傷も既にかなり癒えている頃合い。あと一日待ってそれで何も釣れないようなら、改めて考える必要もあるかもしれない。

 

 と、ランサーの肩に留まっていた小鳥が四方に慌てたように飛び去った。

 

 小鳥が気付けたのだ。ランサーだってその存在に気付いていない筈がなかった。

 何のことはない。街の方から大鷲が旋回しながらこちらへと向かってくる。こうした猛禽は逆にランサーのような存在を嫌う傾向にあるが、そうしたことには意に介さないはぐれ者らしい。

 長時間指一本、瞼一つ閉じずにいたのだ。もしかしたら死骸と判断したのかもしれなかった。

 

 結局ランサーの視界から逸れることなく、大鷲は近場の大木の枝を掴みランサーを睨み付ける。

 ここまでくれば、ランサーもその大鷲の異常にも気付くというもの。

 

「あなたが、ランサーのサーヴァント、エルキドゥ殿かな?」

 

 大鷲の口から漏れたのは間違いなく人の言葉。そして微かに漏れる魔力の波動。使い魔の一種かとも思ったが、それにしては感じが異なる。

 確信こそ持てないが、これは――サーヴァントか。

 

「反応しなくて結構。あなたの口元は確実に見られている。余計なことを喋って情報を与えることもない」

 

 大鷲のランサーへの配慮に敵対心は感じられない。だが大鷲の心配は無用である。

 

「心配は無用です。私の身体は泥ですからね。声など身体のどこからでも出せますよ」

 

 視線すら動かさず、端からは大鷲など眼中にないという風体でありながら、ランサーは器用に大鷲と会話して見せた。

 

「こうも監視されているとお互い会釈も難しい。礼を失した行為を許しください。確かに私はランサーのサーヴァント、エルキドゥと申します。お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

「これは失礼を。私のことはジャック、とお呼びください。我がマスターにもそう呼ばれておりますので」

 

 サーヴァントならばクラス名で事足りるというのに、敢えて名を名乗るとはどういう戦略なのだろうか。陣営を名乗らぬことで明確に敵対するのを防ぐ算段なのかもしれない。少なくとも親友の陣営でないらしいことで、少なからず落胆する。

 

「それで、ジャックさんは何用で来られたのですか? 脅すようで申しわけありませんが、場合によっては私はあなたをこの場で斬らねばならなくなります」

「いやはや、話し合いができるとは思わず、一方的に話しかけるつもりだったのですが、これは僥倖」

 

 大鷲の言葉が一度句切られ、その顔がニヤリと笑う。

 

「『お願い』というやつをしたいと思い参った次第です、ランサー」

「お願い、ですか」

 

 なんだ、と内心では嘆息する。別段交渉事に長けているわけではないが、無理難題をふっかけられることには慣れている。それでいて、今現在ランサーはこの場を動くつもりはない。

 

「僕にできることは限られていますが、内容を伺いましょうか」

「私からのお願いは二点です」

 

 大鷲は鳥ながら器用に姿勢を正す。

 

「まず一点目は、これ以上争いをしないで欲しい、ということです」

「これまたずいぶんなお願いですね」

 

 思った以上の無理難題に、さすがのランサーも無反応ではいられない。自然と漏れ出た言葉に、疑問を接がねば判断もできない。

 

「それは、聖杯戦争で争うな、ということですか?」

「そう受け取っていただいて構いませんな」

 

 ランサーの拡大解釈に大鷲は首肯する。

 それだけ大きなことを口にするのだから、その説明責任は当然あるだろう。ランサーの無言の催促に大鷲はコホンと一息入れる。

 

「この“偽りの聖杯戦争”が現在イレギュラーな事態に陥っているのを御存知ですか?」

「さて。多少いざこざはありましたが何とも言えませんね。具体的に言ってくださると助かります」

 

 街の違和感を始め、心当たりだけならなくもないが、何者かも分からぬ者に無駄にヒントを与える必要はあるまい。

 

「そうですな。具体的には、規定数以上のサーヴァントが数度に亘って召喚され、スノーフィールドのいたるところで激突している模様です。正規参加者以外の何者かがこの戦争に介入しているのは明か」

「正規か非正規かなどと、そんな区分など必要ありませんよ。己以外の全てのサーヴァントを蹴散らすことに変わりはありません」

 

 それが聖杯戦争というものでしょう、と大鷲の物言いにランサーは軽く返してみせる。

 

 自分で言うのも何だが、ランサーはかなり高位のサーヴァントである。これに匹敵するサーヴァントと言えば親友か、もしくは神に近しい英霊だけだろう。どんなサーヴァントが何人来ようとも、自分が負ける姿を想像などできはしなかった。

 

「無論、その通り。ですが、このイレギュラーな事態によってこの戦争には裏があることが確認されまして」

「裏、ですか」

 

 新たな新事実。信じる信じないは別にして、胡散臭いことには違いない。

 耳を傾けて良いものか悩むが、ここで追い返したところで状況は好転するまい。

 仕方なく、話の先を促してみる。

 

「それで、その裏とは何ですか?」

「それは……不明のままですな」

 

 大鷲の首が項垂れる。申しわけないというアクションにも取れるが、目を逸らし真実を隠しているという風にも取れる。

 

「私が気付いたきっかけは、そもそも極々単純な疑問からです。この“偽りの聖杯戦争”とは、“偽りの聖杯”の戦争なのか、それとも偽りである“聖杯戦争”なのか」

「それは意味のある問いかけなのですか?」

 

 こうして実際に召喚され、そして戦争についてのルールを得たサーヴァントである事実に変わりはない。

 ここで禅問答をして一体何だというのか。

 

「前者であるならば我々を召喚したのは聖杯ではない別物、ということになります。後者であるなら、元となった冬木の聖杯戦争の形だけを真似た紛い物、与えられたルールには人為的な意図が介入していると考えられませんか?」

「前者ならば勝利しても聖杯は手に入らず、後者ならば我々を裏で操り嘲う何者かがいる、と?」

 

 ならば我々はどうやって召喚されてどうして戦っているのか、そうしたことをあえて問いただすようなことはしない。

 ゲーム盤の駒であるのに違いはない。背後で誰が蠢こうと己の道を進むのみ。ランサーの目的が、その程度の事実で揺らぐことなど有り得ない。

 

「少なくとも一人のマスターはその裏側と交渉している形跡がありましてな。いや、直截に言えば、その裏側が送り込んだ駒らしいのですが」

 

 大鷲の言い方からすると、後者の可能性はほぼ確定なのだろう。そして前者も真である可能性も高い。となると、大鷲はそもそもサーヴァントが何によって喚ばれたのか、何のために喚ばれたのか、その理由を探っていることになる。

 

「……興味深くはありますね。が、にわかには信じられませんし、あなた自身も確証を得ていないようだ」

 

 ランサーの言っていることももっともだ。全ては状況証拠であるし、ランサーにとって大鷲が怪しい存在であることも確か。

 

「それに、僕には既に敵と定めた者がいる。あなたに何を言われようと、その者をおいそれと見過ごすわけにはいかない」

 

 ランサーが敵と定めた偽りの宝具を持つ集団。アーチャーは無論のこと、親友たるランサーも彼らを簡単に見逃してはプライドに拘わる。

 だが大鷲としても、そうした事態は織り込み済みだった。

 

「ですから、それらを補うために情報を提供しましょう」

「大盤振る舞いではないですか」

「それだけ私も本気だと言うことですよ」

 

 そういって大鷲は少しばかり後方を見やる。ランサーが感じる視線もそちらにあるが、大鷲の動きは枝葉に隠れて彼らの視界に入っていない。

 

「今、監視している集団の名は二十八人の怪物(クラン・カラティン)。キャスターを擁する陣営です」

「僕も一度は戦いましたからね。恐らく宝具を作る能力を持ったサーヴァントなのでしょう?」

 

 それが許せない、とその声には我知らず怒気があった。そんなランサーの質問に大鷲は敢えて答えない。

 

「マスターの居場所は分かりませんが、スノーフィールドの警察署長と聞いています。キャスター本人の戦闘能力は低く、また好戦的でもない。当のマスターとも没交渉ですらあります。

 ランサー、あなたが倒すべきは二十八人の怪物(クラン・カラティン)であり、キャスターではないと考えるのですが、如何でしょう?」

「……まるで、サーヴァントは倒すな、と聞こえますね」

「先ほどの戦わないで欲しい、というお願いは撤回しましょう。代わりに、サーヴァントを倒さないでいただきたい」

 

 わずかに変わったお願いのニュアンスに触れるようなことはしない。

 

「そのお願いの範囲にマスターを含めなくても良いのですか?」

 

 サーヴァントを倒さなくとも、マスターを倒せばほどなくサーヴァントは消滅する。いかにルールが怪しいと言っても、パスが繋がっている以上それは確実だ。

 

「そこまでは面倒見切れませんな。各自で対応をお願いするとしましょう。とはいえ、無抵抗の者を無闇に殺して欲しくはありません。降伏勧告くらいはしていただきたい」

「降りかかる火の粉は払いますよ?」

「それで結構」

 

 大鷲の顔では微笑んだかどうかわからないが、どうやら本人としては満足したようだとランサーは判断した。

 だがやっかいなのはこれが一つ目だということ。最初に高いハードルを掲げ、譲歩したところで二つ目の要求を呑ませるのは常套手段だ。

 無視するわけにもいくまい。ならば、この大鷲から切り出されるよりかはマシと考え、ランサーは先手を取ることにした。

 

「それで、二つ目の『お願い』とは何ですか?」

「しかるべき時が来たら、我々と同盟を結んでください」

「……それは、また判断に困る内容ですね」

 

 案の定……いや、それ以上の内容に辟易する。

 

 一つ目の不戦の約束。あれは一方的にランサーが他陣営に攻撃を仕掛けない、というだけの意味ではない。少なくとも大鷲が交渉を行った勢力は逆にランサーへ攻撃を仕掛けないということにもなる。

 随分曖昧で実効性に疑問の残る口約束ではあるが、ランサーにとっては決して損にはならぬ有利な内容である。二十八人の怪物(クラン・カラティン)とランサーをぶつけさせようという意図が見えなくもないが、このまま闇雲に長期戦をするよりもよっぽどマシな選択肢であろう。

 

 だが二つ目についてはそうした損益の考慮は無駄である。

 常に流れつつある趨勢を見定め、互いの距離を測りながら行うのが同盟だ。ましてや今現在の趨勢すら分からぬのに、いつの時点かも分からぬ将来同盟を結ぶというのもおかしな話。

 しかも同盟を組むのは『我々』らしい。真っ当に考えれば、この同盟に乗る者が他にいるとは思えない。

 

「それは、先に言っていたこの戦争の裏側と対決するためですか?」

「………」

 

 やや呆れながらもした質問に大鷲は答えない。答えられる答えがないのか、それとも答えあぐねているのか。大鷲の顔ではその顔色もよくわからない。

 しばし考えるような沈黙の後に、大鷲はその解答を遠回しに出してきた。

 

「……最終的には、六騎のサーヴァント全員で同盟を組みたいと考えているのですよ」

 

 それこそ聖杯に願うしかないような大願である。

 逆に言えば、六騎そろわねば敵わぬ者がいると大鷲は睨んでいる。一つ目の要望は二つ目に対する予防策というわけだ。一騎でも欠ければ、六騎のサーヴァント同盟は成立し得ない。

 しかし、極論ではあるが、ギルガメッシュとエルキドゥの二人だけでも十二分に強大すぎる力を有している。それこそ、ギルガメッシュ単体でも真祖を相手取ることができるし、二人が組めば世界を滅ぼすことも決して夢物語ではないだろう。

 それを、あろうことか六騎全員を集めるとバーサーカーは語った。子供が語る将来の夢の方が、まだ現実味があり、そして可愛げもある。もしそんなことを言うマスターがいたなら、即刻殺してやるべきだろう。

 

 親友ならば鼻で笑って相手にすまい。もしくは道化と詰り、笑い転げたところで殺すか褒美をくれてやるに違いない。そんな真似はできないなぁ、とランサーは親友の性格を羨んだ。

 

「その時になったら、考えましょう」

 

 実に無難な解答でお茶を濁す。いやしかし、それ以外どう言えばいいというのだろうか。

 そんなお役所的解答であっても、ランサーの予想とは裏腹に当の大鷲は満足のようであった。

 

「感謝しましょうランサー。その言葉を忘れぬことを切に願います」

 

 そして大鷲は枝から飛び降り、滑空してランサーの傍を通り過ぎると、風に乗って上空で旋回する。視界の隅を横切る大鷲を確認するが、まだここから離れる気配ではない。

 

「最後に、ひとつ情報を与えましょう!」

 

 高所故に叫ぶ大鷲の声が辺りに響き渡る。誰かに聞かれたらどうするのか。随分危険なことをする。もしくは、誰にも聞かれないと確信しているのか。

 

 陽が昇り、大鷲の影がランサーの顔と一瞬重なる。

 

「呪いは、もうすぐ解けます! 時が来たら動くといいでしょう!」

 

 ランサーの瞳孔がわずかに動いたのを、遠く監視していたカメラは確かに観測していた。しかしその理由は大鷲の影によるものだと観測主は判断した。そうした判断を怠慢などと指摘するには少々酷だ。

 

 遠く去って行く大鷲の背をランサーは眺め見る。

 ランサーには強制的に現界させる忠実なる七発の悪魔(ザミエル)と、位置情報を常に把握される捲き憑く緋弦(アリアドネ)の二種類の呪いがかけられている。その内のどちらと大鷲は言わなかったが、相手の意表をつけるとすれば、それは後者だけだ。

 

 今のところその呪いに変化はない。が、発動してから時間経過によって解除される呪いなど意味はない。と言うことは、この宝具の制作者は最初から宝具に小細工していたということになる。

 

「……大きな借りを作ってしまいましたね……」

 

 時が来れば、大鷲の言葉の真偽は判明することだろう。その時にこの大鷲の『お願い』は非常に大きな強制力を持つことになる。一方的な施しは英霊に対する侮辱でしかない。

 相手の思い通りになるのは癪ではあるが、考慮しておく必要はある。

 

 どこか遠くで雷音が響いた。湿気はまだ然程でもないが、ランサーは近く雨が降る気配をはっきりと感じ取った。

 

 嵐が、来る。

 

 



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day.05-02 呉越同舟

 

 

 繰丘邸は魔術城塞である。

 別にこれは大袈裟に表現したものではない。繰丘邸はれっきとした城であり、広大な敷地内にも砦とも称してもよい建物が二重三重に築かれようとしている。実際に一年後には城から要塞へとクラスチェンジすることになる。

 ただこの規模の建築群でありながら、ここに暮らしていたのは繰丘一家だけ。これだけ広大になると、暮らすにはあまりに不便である。

 

 人の動線を無視した建築設計。

 工房と住居は分厚い壁で隔離され、壁材もただのコンクリートかと思いきや、触れればそれと分かる対魔障壁が神経質に張り巡らされている。その結界一つみても頑丈かつ入念な手入れ。それが全部で五層。

 聖杯戦争が始まる一年前でこの堅強さは些か以上に異常だろう。平時からこれでは明らかにコストが高すぎて見合っていない。

 

 と、繰丘邸に入るまでは疑問で仕方なかったが、それもこうして入ってしまえば思わず手を打ち納得する答えである。

 

「なるほど! 細菌研究をしてるなら当然の処置だね!」

 

 素人であれば一体何かもわからぬ機材群を一目で見て取り、フラットは一目で答えを導き得心した。

 フラットの後ろからついてきたティーネにはせいぜい顕微鏡ぐらいしか判別つくものはないが、見る者が見ればわかる施設らしい。

 

「ほら、扉を開けると冷蔵庫を開けるみたいな空気の抵抗があったでしょ?」

「ええ、まぁ」

 

 曖昧に応えるティーネではあるが、確かに扉の向こうに吸い込まれるような妙な感覚はあった。

 

「つまり、ここの気圧が外より低いってことだよね。だから中の空気が外に出られないんだ。ここは典型的な細菌研究所ってことさ!」

「はぁ」

 

 興味がないことをアピールするべく曖昧な返事をしてみるが、子供よりも子供らしくはしゃぐ青年はそのことに気付くこともない。

 

 よくよく天井を見ればスプリンクラーと似てはいるが、それとは異なるガスを送り込むような装置も確認できる。後ろのドアも三重で、間にはエアシャワーがあった。

 ここが敵地だったかと思うと、気分は収容所のガス室に近いものがある。その感想はあながち間違いではないだろう。

 

「けどここには資料はないっぽいなぁ……奥の部屋が資料室かな?」

 

 この短時間によくもそこまで調べられたなあ、とティーネが感心するほどフラットはテキパキとプロの泥棒よろしく効率よく資料を漁っていた。

 資料をパラパラと捲り始めて五分も経っていないが、資料内容の傾向から目的のものはないと判断したらしい。それでも結構な量であるのだが。

 

「奥、ということはこちらでしょうか」

 

 この部屋の奥には明らかに重要機密と思しきドアがある。

 先ほど調べた別棟は異様に清浄な手術室と検査室があっただけで、それらしい部屋はなかった。

 ここにあるドアは実験室用の重厚さと違って薄くはあるが、床の開閉痕から使用頻度が高いと分かる。

 

 ティーネがドアノブを回してみるもやはり鍵がかかって開くことはない。

 つまりはそう、フラットでなければ開かない扉である。

 

「今度も認証コードですか」

 

 ドアの脇に備え付けられているテンキーの電源が入り、わずかに光がともる。

 部屋の本来の持ち主しか知らない数字の羅列をここに入力しなければ、このドアが開かれることはない。指紋や虹彩認証でないのは実験に手袋やゴーグルが必要だからだろうか。

 

 ティーネの言葉に個人的な興味で眺め見ている資料から目を離すこともなく、フラットは躊躇することなくテンキーに指を走らせる。

 よくある四桁の番号を入力すれば開く、というものではない。それであれば非効率ではあるが時間を掛けて総当たりすれば、開閉させることは可能だろう。

 

「……これ数回くらい入力しないと駄目っぽいね」

 

 一度入力するとパネルに「NEXT」と表示される。その事実に時間を掛けて総当たりという選択肢は不可能と同じ意味のものとなった。

 仮に三回入力するとなると単純計算で一万パターンの三乗で一兆パターンあることになる。これはもう力任せに扉を壊した方が早いだろう。ただしその場合、中の資料も焼却処理されるパターンもある。迂闊には手を出せない。

 

 しかもこの部屋は使用者と管理者が同一人物だ。これが別人ならアプローチの方法に幅も出るというものだが、それもこれでは難しい。

 

「仕方ないなぁ」

 

 資料をテーブルの上に放り投げてから、フラットはじっとテンキーを睨み付けながら数字を入力してみる。

 案の定試しに打ってみた数字ではブーという音と共にパネルには「ERROR」と表示された。

 

 ブー。

 ブー。

 ブー。

 ブー。

 ブー。

 ピー。

 

「……ピー?」

「あっ、開いた」

 

 パネルには「OPEN」の文字。トライし始めて一分も経っていない。

 

「……一体どんな魔法を使ったんですか?」

「え? 別に何もしてないよ?」

 

 こうしたことが二度三度と続けばもはや感心するよりも呆れもする。ティーネの言葉に何が不思議か分かっていないフラットは首をかしげるばかりである。

 

 この魔術城塞においてフラットは遺憾なくその天才性?を発揮している。

 この城塞の住人である椿が同行しているとはいえ、自動解除された結界は三層まで。残り二層の結界はフラットがものの数秒で解除して見せた。解除に失敗すれば相当なペナルティもあるというのに、実にあっさりと。「ちょっと特殊だけどアトラス院ほどじゃないねー」とまるでアトラス院の術式を解析したことがあるようなことも呟いていたが、本当だろうか?

 

 同じ魔術を扱う者として同じことをしろと言われたらティーネとてできなくもないが、ああもあっさりと躊躇いなくできる自信はない。

 それどころか、このフラットの異常なまでの解析能力は魔術だけに及ばず、先のように電子機器すらも同様に突破してみせる。これはもう十分に魔法と呼ぶに値するものではなかろうか。

 

 ちなみに魔術工房に椿を連れて行くことは危ない、という表向きの理由から椿と銀狼は住居施設で大人しく休ませている。

 そして裏向きの理由はここで何をされたのか椿に感づかれないように、である。

 

 先の手術室の様子から、椿の両親は椿に『丁寧』な処置を繰り返し椿にしていたことが伺える。この事実を告げるのは簡単だが、それを受け止めることは今の彼女にはできないだろう。

 

「うーん、やっぱり椿ちゃんの魔術回路はご両親の手によるものらしいね」

 

 扉の向こうはやはり資料室を兼ねた仕事場だったらしく、質素ではあるが使い古された机が置かれている。壁の棚にはご丁寧に「TSUBAKI」とラベリングされたファイルが十冊以上並べられていた。

 

 ティーネもフラット同様にその中の一冊を手に取る。

 記述言語は日本語なのでティーネにその内容はさっぱり分からないが、図や写真を追っていけばそれが一体何をしているのか想像はできる。これが一般的な成長記録であればどれだけ気が楽なことか。

 

 ティーネが横を見れば、さすがのフラットも眉を寄せながらも凄い勢いで資料を読んでいた。これ以上の内容はティーネには荷が重いし、二人いるのだから役割分担をするべきだろう。

 

 他に手がかりはないかと部屋の中を眺め見る。

 壁には恐らく魔術によって生み出されたと思しき異形の虫の標本が数点。そして細菌の写真も数点。ロッカーの中には私服と白衣の他に細菌用の防護服。机の中も開けてみるが、どれもよく分からぬ覚え書きのようで、本人以外には整理もできぬ代物。拳銃と実弾も見つけたが、これはそのままにしておく。机の上にあるパソコンは備え付けではなくノート型。必要であれば後で持って帰ればいいだろう。パスワードはきっとそこの天才が何とかすることだろう。

 

 そうすると残るは、壁に埋め込まれた明らかに怪しい金庫だけ。ためしに金庫に手を掛けてみるが、ダイヤルを合わせるだけでなく鍵も必要なタイプ。マジックにハイテクときて最後にアナログ。この繰丘という人物は実に徹底的である。

 

 さすがのフラットもこれにはどうにもならないだろうと思いきや、

 

「ちょっと借りるよ」

 

 この短時間に資料を全て読破したであろうフラットはティーネの髪からヘアピンを抜き取り、約十秒。カチリと音が鳴って金庫の扉はゆっくりと開いた。

 

「もう何でもありですね……」

 

 ヘアピン一つで解錠される金庫とは一体いつの時代の代物だったのだろうか。テレビで見る聴診器で音を聞いていた様子すらない。

 そして自分は実に役立たずである。

 

「土地の権利書に、株、ドル・ユーロ・円の現金、魔術協会の特許登録証明書……あまり関係なさそうだね」

 

 金庫の奥から無造作に床にぶちまけると、一個人の財産としてはなかなかのものが現れる。だがこの夢世界においては何の価値もないし、目的とする椿に関する資料はこの傾向を見る限りなさそうである。

 

「そのようです――いえ、これは……」

 

 ティーネの同意は、途中で区切られた。

 フラットが無闇に落としたせいで古いものが上に、新しく置いたものが一番下へと順番が逆になる。早々に見切りをつけていればこの存在に気付くことはなかっただろう。

 

「手紙……?」

 

 多くの重要な紙切れに封書が混じっているのを発見し、ティーネは手に取ってみた。消印からして今から十数年前。差出人の名前が見えてなければ手に取ることはなかっただろう。

 ティーネの無表情な顔が、知らず険しくなった。

 

「知っている人?」

「市議の一人です。このスノーフィールドの大地主でもあります」

 

 そして、ティーネ達原住民の明確な敵の一人。

 切られた封から中身を出せば、それは誓約書だ。とある重大事業へのアドバイザーとして参入してもらいたい、といった内容である。他にも目を通せば秘密保持契約も同封してある。

 

 他にも探せば似たような封書があと二通。

 一人は確か州議会議員に名を連ねている大物だ。内容はどうということもない挨拶であるが、「例の件をよろしく頼む」という意味深なことが書かれている。

 そして最後の一通は――名前ではなく組織名が書かれていた。このスノーフィールドの近くにあり、怪しさでいうなればアメリカ最大級の組織の名前が。

 

「グレーム・レイク空軍基地――」

 

 声に出して読んでも現実感に乏しいのは何故だろうか。

 

 グレーム・レイク空軍基地。

 俗にエリア51と呼ばれるアメリカで最も有名な立ち入り禁止区域である。ロズウェル事件に関与しているとか宇宙人がいるとかそういったゴシップにことかかぬ色物基地である。

 

 内容は先と同じような重大事業へのアドバイザー。秘密保持契約も同様である。しかし同盟国とはいえ外人の、しかも魔術師をアドバイザーとするのは少々ピンポイント過ぎる。

 

 これら三通の手紙が別々の案件であるわけがない。

 空軍はともかく、他二人は言わばこのスノーフィールドの開発推進派である。恐らく末端であろうが、政治的派閥を考えれば一体誰が糸を引いているのか推測するのも容易い。

 そして手紙の時期を考え、その頃に行われた公共事業を考えると、怪しい建物も自然と思い浮かんでくる。

 

「フラット、椿の情報は掴めましたか?」

「どんな経緯でどうなったのかは把握したよ。解決策は思いついたけど、ハードルは高い、いや、大きいかな?」

 

 些細な言葉のニュアンスから思うところがあるのだろう。しかし今ここで訪ねるべきことではない。

 これは聖杯戦争。優先順位は、椿やライダーだけではない。

 

「それはここでないとできないことですか?」

「鍵はライダーだ。ここである必要はないよ」

「わかりました。では、移動しましょう」

 

 一方的に宣言し、持ち出そうと思っていたノートパソコンもそのままに外へと出る。

 今後の趨勢を考えれば、一人で行動するべきだろう。一人で動き、調べ、確証を得るべきだ。この情報は他勢力に対して圧倒的なアドバンテージとなる。

 

 ティーネはそのまま足早に研究所の外へと出た。今すぐ建物の影に隠れれば、フラットを撒くことは簡単だろう。あとはフラットに椿を任せれば、きっと何とかしてくれるに違いない。無力なティーネの助けが必要とも思えない。

 

 元来聡明である彼女の理性は、実に簡単に答えを出す。だがメリットとデメリットの差は小さく、天秤は少し何かあるだけであっさりと逆の答えを導き出すことだろう。

 

「……ああ、もぅ!」

 

 恐らくここ数年叫んだことのない同世代の少女らしい叫びは、幸いにも誰の耳にも届いていない。

 

 もっとフラットが魔術師らしくあれば!

 もっと椿がライダーを扱っていれば!

 もっと銀狼が獰猛であったのなら!

 組みし難しと判断することもできたというのに!

 

「フラット! 椿! 銀狼! 街に戻りますよ!」

 

 居住施設に大声で叫べば、中からドタドタと動く音が聞こえてくる。後ろからもフラットがいくつかの資料を脇に抱えて追いかけてくる。それらを待つことなく、ティーネは表に駐車してあった車の助手席に乗り込んだ。

 

「ティーネちゃん、どうしたの!?」

「お姉ちゃん! どこいくの!?」

「わふん」

 

 フラットと椿が車に乗り込みながら問いかけ、場の雰囲気を察して銀狼までもがおずおずと吠えてみせる。反応はないが、車の周囲にライダーも纏わり付いていた。

 だがそんなことは関係ない。すでにティーネの心は決まっていた。

 

「いいですか、我々は同盟です。仲間です。一心同体です。死なば諸共です」

「どーめい?」

「ええと、我ら三人と一匹は生まれし時は違えども、ってやつかな?」

「そうです」

 

 桃園の誓いをティーネは知らなかったが、勢いに任せてとりあえず頷いてみせる。フラットと椿が目を合わし首を傾げ、こころなし銀狼までも不安そうにしているが、そんなことは関係ない。

 

 そう、何度も言うが、関係ないのだ。

 

「フラット、あなたの目的は何ですか?」

「え?」

 

 唐突なティーネの質問に戸惑わずにはいられないが、それでもフラットはこの地に降り立った理由を忘れたわけではない。

 

「僕は、英霊と友達になりたくてこの地に来たんだよ」

 

 魔術師であれば正気を疑うような――というか信じることすらできぬ戯れ言を、しかしティーネは疑うことはなかった。

 

「分かりました。では、元の世界に戻ったら我が主であるアーチャーのサーヴァント、英雄王ギルガメッシュと会う機会を設けます。ついでに殺されぬよう配慮は致しましょう。それで良いですか」

「え? ……ええぇぇっ!?」

 

 驚くフラットではあるが、英霊の真名を聞いて驚いているだけではないだろう。フラットに異論はないと判断して、ティーネは次に椿へと向き直る。

 

「椿、あなたは何か望みがある?」

「え、え、え?」

 

 フラット以上に聖杯戦争が分からぬ椿のこと。勝ち残れば望みが叶うなどと言われても、そんな大それた望みを持ったことがない。そして即答できるだけの知力も判断能力も今の彼女にはない。

 

「では、ひとまずはこの世界からの脱出、いえ、解放に手を貸します。望みについてはできる限り譲歩しましょう。それで構わないわね?」

「あ、はい。わかりました」

「銀狼、……は、別にいいですね。あなたの安全とあなたのサーヴァントにできる限り協調することにします。証人はそこの二人。構いませんね」

「わふん」

 

 ティーネの剣幕にこくこくと思わず首を縦に振る二人。内容は分かっていないが、何かしら言い聞かされているのが分かるのか、銀狼も大人しい。

 

「私は一人では戦えない。フラットはこのままではいずれ殺される。椿はこのままでは変われない。銀狼はいずれ狩られてしまう。

 利用しようではありませんか。何よりも自分自身のために、我々は力を合わせましょう」

 

 柄にもなく、車内の中心にティーネは利き手をさしのべる。この男にしては素早くことを察知してフラットはティーネの手の上に自らの手を乗せた。どうすればいいのか分かったのか椿もその上に手を乗せる。もはや一番空気の読める銀狼が最後に椿の手の上に前足を置いてきた。

 

「私達はこの世界を脱出する! 私達は生き残る! えい! えい!」

「おー!」「お、おー」「お?」「わふん」

 

 ややしまりとしては悪いが、音頭としては決して悪くなかった。

 警戒心のないフラットやまだ子供で世間知らずすぎる椿にとってティーネはすでに仲間であるが、これはちゃんと宣言をしておかなければならないことだ。

 

 殺し合いであることを、戦争であることを、意識していないと、ティーネはこの二人と一匹と今後付き合っていくことはできそうにない。

 

「それで、どこに行けばいいのかな?」

 

 エンジンをかけながらフラットは目的地を聞いてくる。他の二人と一匹では運転はできないので、必然的にドライバーはフラット、ナビゲーターは地形を熟知しているティーネである。

 

「目的地は、スノーフィールド中心部、十四番地」

 

 すっ、と指先をスノーフィールドの中心へと指し示す。ここからだと遠いが、その印はなんとか目にすることができた。

 

「スノーフィールド中央病院、そこに、この戦争の手がかりがあります」

 

 



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day.05-03 倫敦からの援軍

 

 

「すまないが、もう一度言ってくれないかね、ロード・エルメロイⅡ世」

「何度でも報告させて頂きますよ。援軍が送れません。もう一度言います。我々の手の者はアメリカ大陸に上陸することができません」

 

 長い黒髪を伸ばし、いつにも増して不機嫌そうな時計塔の名物講師は、必要以上の怒気を込めて重要であることを強調してその老人に報告した。

 

 召喚科学部長ロッコ・ベルフェバン。今回のスノーフィールドにおける偽りの聖杯戦争の事態収拾を任された彼は、自ら打った手が全く機能していないと告げられた。

 

 今座っている時計塔の椅子は彼自身の成功によって積み上げられたものだ。勿論失敗を経験したことは幾度となくあるが、それがこうも露骨に失敗したということは初めてのことであった。

 

「……何故だね?」

「当のスノーフィールドが原因です。現地で連続して起こったテロに空港が過剰反応した……ということになってます」

 

 指に挟んだ葉巻を口に咥えるが、怒りのせいか味が全く分からない。

 

「その程度で何故上陸できない?」

 

 仮にも、送り込んだのは一線級の魔術師だ。イレギュラーな事態をクールに対応し、土壇場にあってもさも当然のように逆転してみせる。常に考え相手の裏をかき、十全な用意を怠らず、実力以上の実力を持って目標を達成してみせる。

 

 そんな連中が、空港で足止め?

 一体これは何の冗談だ?

 

「もちろん彼等だって然るべき手段は心得ています。偽造パスポートも用意しているし、魔術を使わずその場を凌ぐ心得も持っていますよ。けれど、」

 

 葉巻の煙を部屋の中へと吐き出す。

 

「何故か送った魔術師の悉くが空港内でピンポイントで引っかかる。そしてその荷物一式全てが没収です。無理をして強行突破しようにも、装備を調え乗り込む頃には事態が終わっている頃でしょう」

 

 そして装備を改めて調えることも難しいに違いない。

 派遣した魔術師全員が全員とも、空港から一歩も出られない。こちらへの連絡はあの人数を送り込んだのにも関わらず、わずかに二回だけ。彼らの実力でこれくらいしかできないというのも腑に落ちぬ話。

 

「米国国内の魔術師が絡んでいるのは間違いなさそうだの」

「場合によっては国の機関が絡んでいると考えた方が良いでしょう」

 

 ランガルをはじめとして歴史の浅い国と馬鹿にして侮る者も多いが、米国が世界最強の国である事実には揺るぎがない。

 面子が大事なお国柄である。スノーフィールドのことももしかして既に掴んでいるかもしれない。

 

 米国にはロサンゼルス支部、ニューヨーク支部を中心に派遣された数十名からの魔術師が事前に乗り込んでいる。

 しかしほとんど戦争初日に壊滅状態に陥り、大半が行方不明。何とか生き残った者も傷を負い、ろくに現状を確認できぬまま安全圏に退避したので状況は分からぬまま。

 

 各支部に残ったバックアップメンバーも陸路で移動しているが、スノーフィールドに直接乗り込ませるには戦力が不足している。彼らができるのは負傷した魔術師達の移送に徹することくらいだ。

 だからこその援軍だったのに、これでは何もできていないのと同じである。

 

「なら現地のフリーランスを」

「雇おうとしましたよ。けれどこの戦争で役立ちそうなめぼしい魔術師は皆仕事に忙しいと断ってきました」

 

 言葉を遮って結果を告げる。

 当初は依頼料をつり上げるための方便かとかなり思い切った交渉もしたが、連絡した魔術師が悉く忙しいと断り、何とか子細を聞き出してみれば事情は変わってくる。

 

「何者かが裏で別件の依頼をしています。しかもこれ以上にない破格の報酬です。前金だけでも我々が用意した金額の三倍ですよ。一流二流どころか、十把一絡げの三流にまで先回りされてます。話にもなりません」

 

 金が基準のフリーランスだ。協会に恩を売るべく先に舞い込んだ依頼をキャンセルする可能性もこれでは低い。

 無理をすれば一人か二人は投入できそうだが、数を投入する必要があるのに連携も取れぬ少人数を送り込んでも意味はない。

 

「お主のことだ。金の流れは追っているのであろう?」

「しましたよ。まあかなり怪しく複雑ではありましたが、睨んだ通り追った先にスノーフィールドがありました」

 

 そしてまた一度煙を宙に吐く。

 

「スノーフィールドの財政は市の規模を考えれば極々一般的です。数年前まで誘致を推し進めていましたがリターンも少なくプール金の類も見当たらない。これはどこかに金のなる木があるのは間違いないでしょう」

 

 一応、そういった資料をベルフェバンの机の上に提出しておく。

 空港の税関で魔術師を抑える費用から多方面での妨害工作、先のフリーランスへの依頼料、そしてランガルを倒した部隊等の運営費用。

 門外漢ではあるがまかりなりにも部門長だ。内容を理解するだけの知識はある。

 一枚二枚と資料を斜め読みし、結論となる数字で数秒止まる。

 

「……私はもう引退した方が良いかね?」

「大丈夫です。私も四度、計算し直し数字の桁も確認しました。裏取りもしたので確実ですよ」

 

 目をこすって何度も桁数を確認するベルフェバンに、エルメロイⅡ世はそれが事実だと断言する。

 

 資料には下手な国家予算すら遙かに超える金額が記されていた。しかも、これが最低限。実際に動いている金はその数倍に及ぶことだろう。

 

 魔術というのは兎角金のかかるものだが、これだけの金額だと、大貴族三家合わせたって太刀打ちできるものではない。

 当然、これほどの金額が動けば普通市場も大きく動くことになる。

 

「市場に目立った動きはありません。敵はよほど上手く動いていますね」

 

 エルメロイⅡ世はこれを仕掛けた者を明確に『敵』と呼んだ。

 これ程の金を広く浅く秘密裏にバラ撒かれたとなれば、それはもう明らかに敵対行為であろう。それでいていざとなれば言い訳ができるのだから質が悪い。

 

 乾いた笑いが部屋に響く。それはもう、経済的優位さにおいて圧倒的大敗していることにようやく気づけた自虐的笑いである。もう、笑うしかできることがない。他に何ができるというのか。

 

「……ここで私が笑うことも、奴らの手のひらの上か」

「痕跡を消そうと思えば消せた筈です。だというのにわざわざ痕跡を残したのは我々に実力差を見せつけたかったからでしょう。経済的にも、情報的にも、戦力的にも」

「それでも、お主のことだ。今後を見越して既に動いているのだろう?」

 

 戦争が始まる前の情報戦で敗れ、開戦にもろくな戦力を送れず、その後の援軍も無理となった。となると、後は事後処理部隊の派遣しかない。

 

「リストを作っておきましたので承認をお願いします。この中から選抜したメンバーを非正規ルートで投入する予定です。上手くすれば最終日くらいには間に合うかもしれません」

 

 リストアップされたメンバーは明らかに第一次メンバーよりも質で落ちる。そんな連中を派遣してどうなるものか分からぬが、何もしないよりかは多少マシであろう。少なくとも牽制くらいには役立つ。

 

 話すことは話したと、多忙な名物講師は時計を見る。次の講義には早足で行く必要がある。席を立ちながらそういえば、と残された話題をふってみる。

 

「……ああ、少し探りを入れてみましたが、教会も似たような反応です」

「敵は強大にして正体不明。そして援軍も後れず現地の情報も皆無に等しい。となると、我々が少しは有利、ということか」

「そこについては、何とも言えませんがね」

 

 この場で教会と張り合うことにエルメロイⅡ世は意味を見いだせないが、組織として仮想敵の動向を気にしない訳にもいくまい。

 最初からスタートラインに立とうともしていない者相手に競争してどうするというのか。それに、教会は「失わない」が、協会は「失う」かもしれないのだ。

 

 協会最後の切り札にして、唯一の希望。

 そして最大級の不安材料。

 

「フラット……せめて生きて帰ってきてくれよ」

 

 小さく呟き、窓の外に広がる青空を見上げる。キラリと親指を立てて光るその顔は想像の中だというのに非常に鬱陶しい。エルメロイⅡ世は帰ってきたらその顔を全力で殴り飛ばすことを強く心に刻み込んだ。

 

 倫敦(ロンドン)からの援軍は、ない。

 

 



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day.05-04 勤労キャスター

 

 

「え? これマジですんの? この量を? 一人で? この俺様が?」

「はいはいそうですよ。他に誰がやるんですか。他に誰ができるっていうんですか。はい、これチェック表。後で確認しますからサボらないでくださいよ。最後にレポートも書くのを忘れないでください」

 

 もうキャスターの言うことにいちいち反応するのも面倒と言わんばかりに二十八人の怪物(クラン・カラティン)の技術スタッフ二名は容赦なく稀代の英霊に分厚い資料とチェック表を差し出した。

 古の英霊からして電子ボードでも使った方が効率がいいのではないかと思うのだが、ものがものだけに改竄防止措置のためには「紙に手書き」というアナログが一番らしい。

 

「えー。俺超忙しいのに。聞いてくれ、コンシューマー向け3DCGゲームのパンツを脱がすエロMOD導入用ツールを開発したんだ」

「つべこべ言ってないで働いてください。俺達だって忙しいんですから」

 

 穴蔵でジャパニメーション見ながら駄菓子を貪って何言っているんだコイツ、という視線がキャスターに突き刺さる。それを敢えて言わないのは最低限の優しさだったりするのだが、当の本人は目前の仕事量に呆然として気にしてはいられない。

 

 久方ぶりに出してもらえた穴蔵からやってきたのはやはり穴蔵。しかもキャスターが幽閉されていた部屋よりもよっぽど厳重で金もかかっていた。普通こういうのは『生み出した物』より『生み出した者』の方の扱いを上にするべきではないかと思う。

 いや、別にこれ以上幽閉されたいというわけではないのだが。

 

 見上げるほどにでかいこの宝具は、これでも全体のほんの一部に過ぎない。

 

 宝具開発コード《スノーホワイト》。

 

 キャスターが作った三つの最高傑作の中でも、最高と賞賛しうるにふさわしい逸品である。

 ベースとなる下地は元々ある程度作られていたので、キャスターがスノーホワイトにやったことといえば昇華による機能強化くらい。

 予想外に反応が良すぎて、予定スペックの軽く一〇〇倍以上の出力を試運転中にたたき出した暴れん坊でもある。暴走したと勘違いした二十八人の怪物(クラン・カラティン)が慌てて自爆装置を起動させようとしたのも良い思い出である。

 

 ともあれ、これだけ出力が高いと暴走の危険性も無視できない。

 結局24時間フル稼動メンテナンスを欠かすことができず、そして不安定でありながら拡張作業も同時に行っているので常に未完成なのである。

 

「こりゃひでぇ」

 

 そして蓋を開けてみれば、やはり予想通りの展開になっていた。

 キャスターが以前に見たときと比べ、スペックが少なくとも二割以上増強されている。増強するのは結構なのだが、増強だけされるのは勘弁して欲しい。

 ここの技術者はバランスというものを考えていないのだろうか。満足にメンテもできないのだからここまで拡張する前に相談の一つや二つあって然るべきである。

 

 俺って相変わらずマスターに信用されていないんだなぁ、とため息をつきながらダラダラとシステムチェックに突入する。口寂しさに酒かタバコが欲しいところだがアメ玉一つで黙らされた。これでやる気が出るわけがない。

 

 キャスター以外にもできないこともない作業であるが、専門スタッフがきびきび動くよりもダラダラキャスターがやったほうが進捗具合が良いというどうしようもなく納得できない事実がある。

 

 信用していなくても使える者は使えということか。何かしら急がざるを得ないことがあったことがよく分かる。

 一応誤魔化しているつもりだろうが、この程度の偽装に騙されるほどキャスターは適当でもないのである。

 

「いやこれ誰が拡張したんだよ。パワーばかりで効率下がってんじゃん。システム面も見ようぜ? てかここのバグも放置するなよなー」

 

 資料にパッチ追加必須と書いて一ページ終了し時間を確認。一枚に必要とする作業時間と残りの資料枚数をかけて軽く計算。予定終了時刻はあと二時間ほどではあるが、とてもじゃないが終わりそうにない。

 さりげなくそのことを告げてみたら、容赦なく作業時間が追加された。ちなみに休憩時間は皆無。

 もうこれはサボれという神のお達しではなかろうか。

 

「ああくそ! 地獄に落ちろマスター!」

 

 それでも生来の気性はそうさせない。

 どれだけサボろうと決意しても一目見れば些細なミスも見つけてしまうし、些細であってもそのまま放置できない。修正作業の手順を懇切丁寧にメモしながら、改善案が思い浮かべばそれも書かずにはいられない。思い切って何もしなければ先の作業を無意識に思い出しふと新たなアイデアが浮かび上がることだってある。

 

 これは困った。

 自分はいつから仕事大好き人間になったのだろう。

 

「って、おい! A68とF42Dに配線ミスががあるじゃねぇか! 240基盤は使えないから交換して廃棄! ついでに第3層の循環比率を一対九から三対七に再調整! 許容誤差はコンマ1以下だからな!」

「ついでの方が面倒ですよ!?」

「適当な仕事で良い作品ができるわきゃねぇだろ!」

 

 現場で悲鳴を上げる技師のケツを蹴りつける。どういう扱いであろうと彼等はアシスタントとして制作者たるキャスターの指示に従わざるを得ない。そして短くはあるが一緒に働けば妙な連帯感と仲間意識が芽生えるというものだ。

 マスターには信用されていないが、こうした仕事仲間とは別なのである。

 

 そしてそこが、隙となる。

 

 キャスター一人となった現場で黙々と作業すること数十秒。技師が走り去っていく足音が小さくなった頃に、キャスターはうつむきながらもハッキリと言葉を紡ぐ。

 

「これで、人払いは済んだぜ?」

 

 作業スピードは緩めない、手も抜かない。あくまで自然に動く。

 作業時間から計算すると配線ミスを直すのにせいぜい一分、基板の交換には二人がかりで三分、ついでに指示した比率操作は二人が別々に担当しながら調整するので数値が安定するまで五分はかかる。ここに戻る時間を考えれば更に二分。

 安全マージンを考えるとこの場に一人で放置されるのはせいぜい一〇分といったところか。

 

「……いつから気がついていたのかしら?」

 

 キャスターの背後から聞こえたのは若い女性の声だった。

 

「いや、軽いハッタリだ。居ないなら恥ずかしい思いをするだけだった」

 

 安心したように溜息をつくが、作業をしながらもキャスターは決して後ろを振り返らない。

 キャスターの行動は監視カメラによって常に監視されている。見張り役がいないからといって、怪しげな行動を取るわけにはいかない。うつむいて口元を隠しているのもそのせいだ。

 どうせ振り返ったところで女の姿は見えないのだが。

 

「だが可能性は低くないと思ってたぜ。ジャックの奴が姿隠しの宝具を欲しがってたからな」

 

 恐らくキャスターが他の二十八人の怪物(クラン・カラティン)と共にここへ同行した時点から、ずっとついてきたのだろう。

 姿隠しの宝具を使えば、認証を必要とするドアも一緒に入ることで回避が可能だ。女風呂に是非一度使いたい宝具である。

 

「重宝しているわ」

「《石ころ帽子》と名付けてる」

「単純にスカーフと呼ばせてもらっているわ」

 

 キャスターの命名にはアサシンは断固として拒否した。何故これが「石ころ」で「帽子」なのか、そういったツッコミは残念ながらなかった。どうやらマスターと同種の人間らしい。

 

「それで、お前さんが噂の真アサシンか」

「ええ。私が本物のアサシン。宮本武蔵はアサシンなんかじゃない」

 

 情報の共有。

 ジャックの言っていることを全面的に信じていたわけではないが、宝具を使いながらとはいえこの気配遮断スキルは紛れもなくアサシンそのもの。

 

「眉唾物だと思っていたが、これで俄然真実味が帯びてきたな」

 

 このメンテナンスもいささか急すぎた。資料にはいかにもなことを書かれて誤魔化されていたが、宝具を実戦投入――一体誰と戦ったというのか。

 

 マスターが何かを隠しているのは明白だった。アーチャーやランサーであれば隠す必要もない。

 おそらくはジャックから聞き及んでいたイレギュラーなサーヴァントにでも遭遇したのだろう。先日フェイズ5に移行したばかりでこの状況。いかに実力があろうと、脚本を修正するにはあのマスターでも荷が重いだろう。

 

 いっそのこと自分に全てを任せてくれたなら上手く回してみせる自信もあるのだが、どんなに腕があろうともマスターの頭の中にキャスターの名前はどこにもないのだろう。他人任せにできるものでもないが。

 

「……それで、ジャックはお前さんに何をどうしろと言ったんだ?」

「いいえ。私はお眼鏡に適わなかったみたい。一方的に色々と諭されただけよ。だから、あなたに会いに来た」

「すげぇな。あいつ生前は策士とかか?」

 

 出会い頭に機先を制したのが悪かったか。推測に推測を重ねてアサシンが会いに来ることは分かっていたが、促されて来たのではなく、アサシンが自主的に来たとなるとあの英霊の思考が読みにくくなる。この回りくどいやり方はキャスターを牽制するためのものだろう。

 

 マスターからも信用されず、同盟相手にも信頼がないことが良く分かった。もっとも、キャスターがそんな大前提に今更思う所がある筈もない。彼が今興味関心を抱いているのは、ジャックが何を考え動いているか、だ。

 キャスターの期待以上にジャックは応えてくれている。それが善意であるなどとは思わない。

 

「先に忠告しておくぜ。ここで俺から情報を仕入れたら誰にも気付かれないように脱出、しばらくは二十八人の怪物(クラン・カラティン)から距離を置け。可能なら街を出た方がいい」

「命令?」

「忠告だっつってんだろ」

「それは残念ね。ここであなたを殺してこの怪しげな宝具を壊せば、私は私の目的に一歩近付きそうなのだけど?」

 

 何やら首筋に冷たいものが当たる感触がする。察するに、ナイフか何かで脅かしているのだろう。

 しかし舐められたものである。キャスターを殺すのにアサシンならナイフを用いずとも指先一つでダウンできる自信がある。

 弱さについては定評があるのだ。

 

「命が惜しいから止めてくれ。それに俺を殺せばここからの脱出は不可能になる」

「あら。ここの宝具については何も言わないの?」

「それについては俺の苦労がパーになるから止めて欲しいって程度かな?」

 

 常日頃から嘘をついているキャスターではあるが、この嘘がアサシンにどれだけ通用するのか甚だ疑問である。

 わざわざキャスターが出向き整備調整を行う必要のある巨大宝具だ。怪しいことこの上ない。

 

 いっそのこと、壊したら大爆発するとでも言っておけば良かったか? あのマスターのことだから本当に自爆装置と連結させている可能性も高いし。

 

「……いいわ。時間の無駄ね」

 

 キャスターの葛藤は顔に出したつもりはなかったが、アサシンはどうやら見逃してくれたらしい。もしくは気付かなかったのか。

 同時に首筋から冷たさがなくなる。

 

「それで? おめえさんは一体何から聞きたいんだ?」

 

 頭の中でアサシンの目的と行動と性格を類推しつつ、今後どう動かせば一番面白くなるのかキャスターは計算する。

 このわずかな時間ではあるが、すでにアサシンの性格分析は終えている。偽ることは苦手で、自身の信条に実直。この駒を動かすのに苦労はないだろう。

 もちろん、この“偽りの聖杯戦争”でそんな生易しい駒が存在するわけがない。案の定、返ってきた答えにキャスターは呆然とすることになる。

 

「この聖杯戦争、敵は誰?」

 

 倒すべき敵として設定されているサーヴァントを前にして、暗殺者は大前提であるはずの爆弾を投げつけてきた。

 

 

 



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day.05-05 敵

 

 

「……その質問、ジャックから仕入れたものじゃねえな?」

 

 思わず作業する手が止まった。

 普通に考えれば、聖杯戦争の敵は己以外のサーヴァントとマスターである。

 建前通りそう答えるのは簡単だが、そうもいくまい。なにせこの戦争は“聖杯戦争”ではなく、“偽りの聖杯戦争”なのだから。

 

「答えろ。何故その疑問に思い至った?」

 

 やや詰問口調になりながらキャスターはアサシンを促した。

 幾多の状況証拠による推理推測。これによりジャックがその質問に辿り着くのは時間の問題だと思っている。キャスターも別に隠すつもりもないし、むしろいくつかの事実に関しては暴露してさえいる。

 だが、ジャックにしても現段階で確信は持てまい。

 キャスターは自分で自分のことを嘘吐きと称するような大嘘吐きだ。怪しいとは思えても正解に辿り着き確信を得るには至らない筈。

 そんな足元の定まらない戯言を、同盟の誘いかけもしなかったアサシンに伝えているとは思えなかった。

 

 ならば、この暗殺者は一体どこからその事実に気がついたのか。

 内心ドキドキしながら返答を待つ。

 

「……なんとなく?」

「なんとなくかよっ!」

 

 ばーんと机に書類を叩きつけてアサシンの返答にツッコミを入れた。監視カメラの存在を思い出し、慌てて「あ~、なんかムシャクシャするな~」などと言い訳をして元の位置へ。

 さっきまでノリノリで仕事をしてたのに突然奇声を上げるキャスター。端からは情緒不安定にしか見えないだろう。現在進行形で署長を裏切っているキャスターとしてはこれを理由に粛正されないか不安で仕方がない。

 

「……正確には」

 

 そんなキャスターの動揺(自業自得ともいう)を知ってか知らずか、アサシンが補足するように口を開く。

 

「私の中にある聖杯戦争の知識と、この偽りの聖杯戦争の『雰囲気』に許容し難い誤差があるように思えてならない」

「……」

 

 キャスターは黙る。

 彼女の指摘は正しい。だが、これを正解とするには些か答案用紙に空白部分が多すぎるだろう。答えだけを書けば丸を付けて良いわけではないのだ。

 

 事前調査とジャックからの伝聞によると、彼女は聖杯戦争そのものを滅ぼすことが望みらしい。

 聖杯に因らない彼女の願いならば、なるほど、真理に気付くのも分からないでもない。

 ある意味で、彼女はこの戦争の誰よりも真理にして真実に近いのかも知れない。それは近いだけで、決して正解ではないのだけれど。

 

「そうさな……」

 

 長くもないが短くもない沈黙の後、キャスターは返答を濁した。

 さて、ここはどう答えたものか。答えることは簡単だが、これは中々に入り組んでいる。

 ふむ、とペンを走らせる手も再度止めて数秒考える。

 

「……お前さん、競馬ってわかるか?」

「知識としては」

「この聖杯戦争を競馬に例えるなら、俺達サーヴァントは馬だ。そしてマスターは騎手。そして馬券片手に応援してるのが協会や教会の連中だ。そこにコースを作り障害物を用意する運営ってのもあって当然だよな」

 

 本来の冬木の聖杯戦争であれば審判が教会で、聖杯そのものが運営となる。

 けれどこのスノーフィールドにおいては審判不在で運営は人間である。

 そして運営はその存在をひた隠しにして見守るばかり。はっきりと審判として名乗り出てもよさそうだが、事後処理をキャスター陣営、というより二十八人の怪物(クラン・カラティン)に一任しているのだから組織の有り様としては異様であろう。

 

「その運営が敵ってことかしら?」

「いんや。残念ながら運営はアサシンの敵にはならんだろうさ。何故なら奴らはまだ何もしてないからな」

 

 そうだろう、と促すキャスターの耳に拒絶の声はない。

 何もしていないのであれば――明確に敵対しない限り、彼女はきっと彼らを裁くような真似はしないだろう。

 少なくとも、現段階で彼らが動くような状況にもなっていない。

 そもそも彼らはスノーフィールドの地にはいないのである。

 

「運営と称したが、正確には奴らは馬主ですらない株主に近い。口を出すことこそあるようだが、何か具体的な行動や支援があるわけでもない。基本的にマホガニーの机で葉巻を咥えてふんぞり返ってるだけなのさ」

 

 確かに二十八人の怪物(クラン・カラティン)に肩入れはしているが、それにしては積極性がなさ過ぎる。だからといって他の勢力に何かするわけでもない。彼らの仕事はスノーフィールドの外にあるのだろうとキャスターは睨んでいる。

 

 キャスターとしても何度となく探りを入れているのだが、あらゆる手を尽くしても障害として立ち塞がっているのがマスターたる署長だ。

 全容を把握したければ署長の口を割らせる必要がある。もちろんそんなことができれば苦労はしない。殺すだけなら割と簡単なのだけど。

 

「あなたの言うことを信じるとして、では一体誰が敵だというの?」

「俺は聖杯戦争を競馬に喩え、サーヴァントを馬に喩えた。この意味が分からないか?」

 

 同じ競争相手を敵と称することもできようが、それは違うだろう。結局、勝者はただ一組だけなのだ。

 ただ一組だけだと、思い込まされている。

 

「打ち克つべき敵は自分自身、とでも言うつもり?」

「それで納得できるならそれも良いさ。だが俺が具体的に誰それが敵だと言えば納得するのか?」

 

 あいにくキャスターにとって自分自身は敵どころか味方なのである。これ以上敵を増やしてどうするというのか。

 

「今俺が教えられるのは、その許容し難い誤差とやらだけのようだな。

 さっきの喩えで言うと、出場馬が六頭なのに、七頭目八頭目がレースに参加してる。それが原因だと思うぜ?」

「……あれが?」

 

 顔こそ見えないが、恐らく怪訝な顔をしているのだろう。とてもそういう風には見えない、というところか。何せ今アサシンと組んでいる東洋人こそが、アサシンがいうところの許容し難い誤差の原因そのものなのだから。

 

「もっとも、本人は馬だから走ることに夢中でそれ以外のことは多分ほとんどわかってねえけどな。だからどのレースに出場するって主張したりもしねえのよ。

 強いて敵とやらに一番近いのは、その後ろにいるオーナーだろうな。それについてもどれだけ知っているか怪しいもんだ」

 

 事実、バーサーカーはそうしたことを分かっていながら、アサシンと行動を共にする東洋人と接触することをしなかった。会っても無駄。むしろ何か仕掛けられている可能性がある以上、迂闊な接近は禁物である。必要とする状況が生まれなければ今後もそのスタンスを貫くことだろう。

 そういったところもバーサーカーがアサシンと同盟を結ばなかった理由であろう。

 

「今は別行動中だよな? ジャックには保護を頼んだと思うんだが」

「いざとなればどうにでもなるからこその別行動よ。それにすぐに戻れるわ」

 

 こんな地下から一体どうやってすぐに戻れるのかは聞かないが、できる限り穏便に帰って欲しい。力任せに出て行くのだけは止めてもらいたい。切実に。

 

「じゃ、もう一つだけ聞くわ」

「もう時間がない。手短に願おうか」

 

 時間を見ればもう余裕はない。モニターに第3層の比率を表示させれば、既に調整が終わりつつある。これが安定すれば技師も戻ってくることになる。

 

「聖杯は、どこにあるの?」

 

 質問は、先よりも大きな爆弾だった。

 真相なんて知るはずもないのに、この女は先の質問とほぼ同じことを口にしている。

 

「……俺は知らされてないな」

「そう、わかったわ」

 

 そう言って、あっさりと背を向け立ち去る気配がする。含みを持たせて食いつくよう会話を誘導しようというのに、この女は実に駆け引きが分かっていない。

 

「いや、おいおいおいおい」

 

 ついカメラを忘れ思わず振り向いてしまい、慌てて背伸びをしようと失敗して椅子から転げ落ちたような演技で誤魔化してみる。

 大根役者だなと自分でも思うが、普段の行動を考えるとこれくらいのことでいちいち見咎められるとも思えない。普段の奇抜な行動も、こうしたときのための伏線なのである。

 決して、本心からではない。

 キャスターは保身に余念がないのである。

 

「これから何をするつもりだ?」

「あなたのマスターを捕獲、尋問する」

 

 あなたより色々と知っているでしょ、とこともなげに言い放つアサシンの(見えないが)後ろ姿に慌てて待ったをかける。

 

「お前、俺ですらどこにいるのか分からない人間をどうやって浚うつもりだ?」

「……」

 

 キャスターの一言に押し黙る気配が感じ取れた。内容を吟味し今後の策を考え思いを巡らせるくらいの時間があった。息を吸い何か言葉を発そうとする気配もあったが、結局漏れたのは吸ったばかりの空気だけ。

 

「一応言っておくが、警察署に突っ込むなよ。絶対いないし罠があるからな?」

「……なら、調べておいて」

 

 出した結論は他人任せだった。暗殺者というのは身体を動かすのはともかく頭を動かすのは苦手なのだろうか。

 しかし己のマスターといい、同盟相手といい、そしてこの考えなしの暗殺者といい、どうしてこうも自分で解決するという手段を使わないのだろうか。利用しているというよりされている感が半端ではない。

 だがこれも全てを相手取るための布石だ! と自らを鼓舞して損な役回りを喜んで引き受けてみせる。

 

「顔面が引きつってるわね。何を企んでるの?」

「……もう分かったから、後は全て俺に任せて大人しくしとけ。ジャックから通信機はもらっているんだろう?」

「この宝具と一緒に受け取ったわ。使い方がよく分からないけど」

 

 そこは自分で調べろ、と怒鳴りたかったが、立ち上がり口元がカメラに写るのでキャスターは何も言わなかった。だがこのキャスターの顔だけでアサシンは全てを判断してもらいたい。決して何か企んでいるわけではない。

 

「ひとまず、俺のマスターの令呪が邪魔だ。だからそれをどうにかできる算段がつくまで大人しくしておいてくれ。頼むから」

 

 転げた椅子を直し、その上に座って作業の続きをする真似をしながら、頭をかきむしる。やるべきことが山積しているのに、どうしてこうも必要のない作業が降りかかってくるのだろうか。

 

「そう。なら一画分は何とかしてあげる」

「……あん?」

 

 ここでようやく、一方的な情報提供からの変化があった。

 令呪一画分を何とかするとアサシンは言った。奪う、消去するなどという意味だろうが、それにしては一画というのは随分と中途半端だ。

 

「そんなこと、どうやってするっていうんだ?」

「それは企業秘密。けれど難しいことではないわ」

 

 けど二度は無理、と告げながらアサシンは今度こそ立ち去る気配を生じさせる。

 

「いや、ちょっと待て――」

 

 もっと詳細が聞きたいとまたも大根役者で後ろを振り向くが、頬を風が撫でるだけでそこには何もない。

 この閉鎖空間で風など起きるわけがない。おそらく宝具の使用による瞬間移動。これについてはジャックから聞き及んでいた能力だ。だがこの場所に来るために姿を隠して付いてきたところから、どこにでも移動することができるものでもないらしい。

 おそらく、自ら足を運んだ場所限定で、その瞬間移動宝具は発動条件を満たすのだろう。

 

「……これはなかなかにやっかいな宝具じゃねえか」

 

 目の前の馬鹿でっかい宝具を見上げながら、キャスターはアサシンの宝具を評価する。もし今後ここに瞬間移動できるのなら、いつでもこの宝具を破壊できることを意味している。

 もしかしたら手を誤ったのかもしれない。

 嘆息しながらキャスターは頭をかきむしる。

 

 キャスターの目的は三つ。

 ひとつは、この聖杯戦争の行く末を見届けること。

 ふたつは、そのために何としてでも生き残ること。

 最後は、舞台を面白可笑しくするために動くこと。

 

 署長についていけば最後以外の目的はほぼ確実に達成できる。けれどそれでは駄目なのだ。署長についていけば、至極つまらない結果が目に見えている。最後の目的は確実に遂行できない。

 なにせ彼は希代の浪費家としても有名なのだ。舞台に上がる全てのキャストにはそのあらん限りを出してもらわねばならない。

 六騎のサーヴァントに六人の魔術師、暗躍する東洋人も、それを操ろうとする者も、まだ動き出そうとせぬ運営も!

 そのためには、まず――

 

「作業終わりました。これでいいですか?」

「ご苦労さん、問題なしだ。それとさっき気付いたんだが、ここの200番台から500番台まで新たに作り直してもいいか? こう、もっとスマートにできそうなんだ」

「構いませんが、意外と凝り性なんですね」

「こういうのはほっとけない質なんでなぁ」

 

 千里の道も一歩から。

 ひとまず地道な作業からキャスターはその手腕を振るうことにした。

 

 



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day.05-06 調査

 

 

 暗い闇を抜けると、そこは地の底と忘れさせる場所だった。

 

 果てのない天蓋と、黒い太陽。

 広大な空間は洞窟などではなく、荒涼とした大地そのもの。

 直径にして優に二キロ。

 遥か遠方には壁のごとき一枚岩。

 この戦いの始まりにして終着点。

 崖を登れば、視界に広がるのは巨大なクレーター。

 

 最中にいたる中心。

 円冠回廊、心臓世界テンノサカズキ。

 

 ここにあるのは、そんな冬木で完成されたシステムの、似て否なる紛い物――

 

「――なんてそんな都合良くクライマックスに辿りつける訳もありませんか」

「うん。まあそんな簡単にことが進めれば苦労はしないよね」

 

 繰丘邸に構築された難攻不落のシステムを都合良く簡単に突破した男が最近溜息が多くなりつつある少女に慰めとも言えぬ声をかけた。

 

 ティーネとフラットの二人は疲れた足取りでスノーフィールド中心部、十四番地に建設されたスノーフィールド中央病院の敷地内をとぼとぼと歩く。こうして歩けば、当然のようにその広さを実感した。

 

 手がかりがある、としてスノーフィールド中央病院に舞い戻ってきたのがおよそ半日前。それから二人でこの周囲を調べ回っていたのだが、病院だけあって立ち入り禁止区画も多いし、単純に延べ床面積だけを見ても相当なものだ。

 これでこの偽りの聖杯戦争の元凶の元へと行くためには相当な幸運が必要だろう。さすがのフラットの強運もここでは発揮できないらしい。

 とはいえ、別に成果がなかったわけではない。

 

「無駄足でなかっただけが救いだね」

「これで聖杯戦争とまったくの無関係なら笑えませんが」

 

 この調査で二人が出した結論は、限りなく黒に近いグレーであった。

 

 病院の事務所から失敬した設計図を元に二人は歩き回ったわけだが、どうにも歩いた距離と図面の距離とに誤差が生じている。正確に測ったわけではないので何とも言えないが、これが単なる設計ミスとも思えない。

 ちなみにバーサーカーは全くの無関係の調査をした結果キャスターにその存在を捕捉されたわけなのだが、当のマスターがそんなことを知るわけもない。

 

「何かあるとすれば地下だけど……そんな分かりやすい通路は見つからなかったし、人除けの魔術の痕跡も見当たらないね」

「何か仕掛けでもあるのでしょうか?」

「エレベーターのパネルでも調べてみる? カードリーダーが隠されてたりするかもよ?」

 

 冗談ではあるが、可能性としてはなくはない。だが、あまりに広すぎる敷地には数多くのエレベーターがある。その全部を調べるのですら一日仕事だ。最悪、この真下に何かがあっても入り口は敷地外、ということだってあり得る。全てを調査し終えるには人手と時間が圧倒的になりないだろう。

 再度溜息をつきたくなる。ここいらで方針転換が必要になってくるだろう。

 

「……それで、椿と銀狼はどこです?」

「ここの別館の二階だよ。そこが元々椿ちゃんが眠っていた場所らしいんだ」

「休めるなら、この際どこでもいいでしょうに」

 

 動きやすい一般病棟の方が都合がいいのだが、椿がそれを望むのなら多少の不便さには目を瞑らざるをえまい。

 

 この同盟の中でもっとも注意せざるをえないのが、何を置いても常にライダーが傍に付きまとっている椿である。

 危険性は低いが、何がきっかけでライダーが暴走するか予想も着かない。そしてそれを御するために、椿にはできる限り冷静でいてもらう必要がある。

 少なくとも、ティーネやフラットの言葉を理解できるだけの余裕は持っていてもらわねば困る。

 

「……人が増えてきましたね」

「時刻が午後の十一時だから、現実世界で就寝する人が増えてきたんだろうね」

 

 窓の外を見やれば、人影が急速に増えつつあるのが一目で分かる。

 遊びというよりスポーツめいたことをする者も見かけるようになってきた。かと思えば廊下を徘徊するだけだったり、ベッドに横になっているだけの者もいる。遊ぶ人間と遊ばない人間とに別れ始めているのだ。

 

 一体どうやってライダーがこの世界に人を招き入れているのかは一向に分からないが、その目的は恐らく椿を楽しませることにあるのだろう。ということは、この事態はひとつの事実を浮かび上がらせる。

 

 つまりは、ライダーの処理能力に限界がきている。

 

「このまま人が増え続けたらどうなると思いますか?」

「単純に遊ばない人が増える……ってだけでもないか。たぶん、朝になっても現実世界に戻れない人が増えて、その全員がライダーに魔力を吸い尽くされる」

 

 この世界が椿の夢であることは、ほぼ間違いない。

 仕組みとしては固有結界と同じだろう。違いがあるとすれば『心象風景で現実世界を塗りつぶす』のではなく『現実世界で心象風景を塗りつぶす』という逆ベクトルの作用だ。

 内向きの力による異常であるので世界からの修正も働かないし、負荷が少ないので維持するだけならさほど魔力も必要ない。椿の脳内にある魔術回路の働きと椿自身の証言からもそれが事実であると裏付けられている。

 物の修繕といった体外への魔術は発動しないのに、視力強化といった体内への魔術が発動するのもそう考えれば辻褄が合う。

 そうすると、困ったことに椿の魔術とライダーの能力は一見相性がいいように見えて、実はまったくの正反対であったりする。

 

 無機物はただそれだけでは動かず、状態を維持し続ける。しかし人間はそうもいかない。動いて物を動かし、時に壊し、時に創造する。それは椿の中の世界を改変するということだ。

 静止画と動画ではその情報量に差が出るのも当然だろう。

 端的に言えば、ライダーの能力は椿が作り出すこの世界に過度な負荷をかけ続けてしまっている。

 

 その証拠に最近の椿の動きは、どこか精細さを欠いている。頻繁に休んでいるし、歩くことにも銀狼に乗って楽をする。車での移動中も寝てばかり。体力がないとかそういう話でもない。これは明らかに不調である。

 

「時間はあまりないようですね。この調子ですと、椿がこの世界を維持できるのはあと数日で限界……いえ、その前にスノーフィールドがライダーの手に落ちてしまう」

 

 先日までこの世界の人口は、せいぜい数百人程度だった筈。しかし、今日は一気に数千人近くにまでその数を増やしている。

 この調子で増え続けるならあと二、三日でライダーはスノーフィールドの全住民をこの世界に連れてくることとなる。

 

「お先真っ暗ですね」

「ジャックがうまく動いてくれるのを祈るしかないかな」

 

 フラットは自らの手のひらを握り締める。

 この世界においてはその手は宙を掴むだけだが、現実世界ではその手に携帯電話が握り締められている筈だ。

 体外は無理でも体内への魔力干渉は可能なのである。意識のない自分の身体を強制的に操り、携帯電話を操作することは十分に可能である。イメージとしては巨大ロボットを操縦するパイロットに近いか。もっとも、視覚情報が得られているわけではないので、うまくメールを送れているのか確認は取れない。

 携帯のバッテリーはとっくに切れている筈なので、外部と連絡を取る手段はもうなくなったとみていいだろう。

 

「ジャックさんにうまく動いてもらっても、助かる可能性は良くて四割といったところでしょう」

 

 そして全滅する可能性が六割である。

 極端な話ではあるが、椿一人を生け贄に捧げれば他三人はほぼ確実に助かる。

 夢の世界とはいえ術者を殺せばその影響は現実世界の術者本人にも影響する。そうすると魔術は解け、マスターを失ったライダーも共に消滅する。椿を守るライダーを出し抜く方法だけなら、いくらでもある。

 

 けれども、フラットがそれを選択することは性格的にあり得ない。そしてティーネもその選択肢を受け入れない。同盟を組んだ以上彼女は同胞であり、族長である彼女から裏切る真似は絶対にできない。

 確実な犠牲で生き残るより、全員が助かる可能性を選択したい。それが、二人の共通の考えである。

 

「問題はライダーを弱体化させる方法が見つからないってことだよね」

「あなたのサーヴァントでは不向き、私のアーチャーでは火力が強すぎますね」

 

 体内に対しての魔術の行使が可能であれば、令呪の機能に支障はない。

 令呪でサーヴァントを召喚し、ライダーにぶつけるのが目下のプランであるが、肝心のライダーへの対抗手段が不明である。バーサーカーではライダーを相手にできないだろうし、アーチャーだって周囲一帯を焼き尽くして対処しそうだ。それではさすがに困る。

 

 椿に令呪を使わせるのが一番現実的だが、椿を現実世界に戻すためにはライダーの協力が必要不可欠なのである。

 そのライダーに言うことを聞かせるために、令呪が二画必要である。そして何かあったときの保険に、残り一画も可能な限り残しておきたい。ライダーをただ弱体化させるためだけに令呪は使えないのである。

 

「最後まで情報を集めるしかないね。もしかしたら他のマスターもこの世界に来ているかもしれないし」

「期待は薄いですが、それしかないでしょう」

 

 それでも駄目なら、二人ともがサーヴァントを召喚し数に任せて追い込むしかない。

 だがあの英雄王が果たして素直にこちらの要望を聞いてくれるかどうか。令呪を使うにしても、今後の関係を壊すような真似はしたくはない。

 最低限、説得できるだけの材料は必要不可欠なのである。

 

「――あれ?」

 

 今後の対応策を巡らせるティーネの隣で、フラットはふと何かに気づいたような声をあげる。

 こういうことは時たまある。通常の感性を持たぬフラットのこと、「この通りの信号ほとんど赤なのにあそこだけ青だ!」とか「あのおじいさんの腕のタトゥー、漢字が間違ってる!」とか「あの人パット無茶苦茶入れてるよ!」など枚挙に暇がない。ちなみに最後のものはどうやって見抜いたのかは分からない。

 

「どうかしましたか?」

「声がする」

 

 口に人差し指を当てて静かに答えるフラットに、ティーネの警戒レベルが一気に跳ね上がる。

 周囲の警戒を怠っていたことに叱咤しつつ耳を澄ませる。

 声は、確かに聞こえている。前方、十数メートル先の「TUBAKI KURUOKA」と刻まれたプレートがある除菌室の中。中には椿が休んでいる筈だが、聞こえてくるのは椿の舌足らずな英語とは明らかに違った流暢な英語。

 

 これまでこの世界で声を出す存在は三人と一匹だけだ。ライダーがカタコトを喋ったことはあるらしいが、椿の話しぶりから流暢さとはほど遠いとも聞く。となると、必然的に声の主は見知らぬ誰か、ということになる。

 ライダーが傍に居る以上滅多なことが起こるとは思えないが、何かがあってから動いても遅い。

 

 除菌室はスライドドアで閉じられている。足音を立てずにドアまで接近し、中の様子を窺う。

 声の様子からして女性が一人、しかし話の内容は断片的でわからない。

 

「フラット、確保します。突っ込みますよ」

「まず話し合わないの!?」

 

 ティーネの即決即断にフラットは抗議の声を上げるが、それに取り合うことなくティーネは躊躇なく行動に移った。フラットに奇襲を仕掛けた際にはあっさりと返り討ちにあった彼女であるが、だからといって実力がないわけではない。

 

 幼少時より族長となるべく育てられたティーネだ。

 武芸だって幼少時から鍛えられている。まだ身体が成長しきっていないため大した力にはならないが、それでも積み重ねられた鍛錬は街中のチンピラ程度なら瞬殺できるレベルにまで到達している。

 

 呼吸を整えると同時に、スライドドアを解放。目標を視認すれば後の行動は早い。

 ドアから目標まで五メートル。途中にある空のベッドを踏み台に、ティーネは天井近くまで舞い上がり宙を駆ける。そのまま目標である女性の両肩に膝を突き刺すように勢いよく体当たり。女性が床に倒れ伏すまでのわずかな間にも、両手で女性の手を捻り上げ受け身を取らせることも許さない。

 ティーネの体重は軽いとはいえ、その運動量による衝撃はかなりのもの。だというのに、女性の喉から呻き声の一つも聞こえない。

 

「ごめんなさいっ、すみませんでしたぁ!」

 

 遅れて室内に入ってきたフラットが女性に対し謝罪の言葉を吐き出す。そのまま土下座でもしそうなフラットの低姿勢にティーネはため息をつきながら、女性の上からどいてスカートの汚れを叩いて落とす。

 

「謝罪は必要ありませんよ」

「そういうわけにもいかないよっ!」

「しても意味がない、ということです」

 

 慌てるフラットに落ち着くよう声をかけ、フラットの顔に手を当てグキッと強制的に女性に向けさせる。

 床から起き上がる女性は何やらぶつぶつと呟いているが、その焦点はフラットに合っているようで合っていない。攻撃されたことにも気付いていないよう。

 

「予測していた事態ですが、予想よりも早い展開でしたね」

 

 したり顔で推察するティーネ。

 しかしスカートで大胆なアクロバットを披露したティーネである。パンツが丸見えであった事実に彼女が気付くことは幸いにしてなかった。

 

 



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day.05-07 受諾咆哮

 

 

「確かに、これはちょっと展開が早すぎるね」

 

 苦い顔をしながら、フラットはティーネの意見に同意した。

 先にも二人はライダーの支配が二極化してきたという話をしていた。ティーネがフラットに言った予測とは、この世界に喚び出された人間が三極化していくことを意味している。

 

 ティーネ達マスターはイレギュラーであるが故に例外であるが、この世界に喚び出された者達はそろってライダーに支配され、その自由意志を奪われている。

 当初こそ支配した全員を操っていたわけだが、調査の傍らに町中を少し見回っただけで操られずにそのまま放置している者を多く見かけるようになった。夢の中に喚び出し、支配し、操る、という段階を経ているのであれば、次に現れる第三極はライダーに喚び出されながら、支配されていない者である。

 最初は恐らく夢遊病のように、そうした人数が次第に増えていけば意識をはっきりと持つ者も出てくる筈だ。

 

 これは僥倖。こうした第三極の人間を早い段階で確保することには意味がある。

 

 ふむ、とティーネは女性を上から下に眺め見る。

 聴診器と白衣という見かけと理知的な顔つきからして、職業は医者。そして椿が今現在眠っているベッドの傍にいたところから、もしかしすると椿の担当医かと当たりを付ける。

 

「強い衝撃を与えても覚醒しないということは、操るまではいかずともまだライダーの支配力が強いようですね。話を聞き出すには好都合です」

「計算通りみたいに言われても君がやったことは許されることじゃない――って、好都合?」

 

 鸚鵡返しに問うてくるフラットにティーネは頷いてみせる。

 

「この世界そのものは一年前の記録に基づいた一年前の投影であっても、この人物は今を生きる現在の人間です。つまりは情報源として有効と言うことです。

 ――さて、あなたはこの病院のお医者様でしょうか?」

「……ええ、そうです」

 

 やや焦点があっていないながらも女医はふらふらと起き上がる。いざという時には動けるよう見守る二人の前で、女医はベッドで眠っている椿の脈をとり、簡単な検査を始めた。

 

 今の彼女はいわば催眠状態に陥ったようなものだ。感覚刺激を受け取りにくくなり、思考が鈍麻してくる。習慣的に行っている行動をなぞっているだけなのだ。この行動を見ている限り、女医が真摯に椿を思っていることが良く分かった。

 眠りについている椿は現実と違い起きることはある筈だが、よほど消耗しているのか目を覚ます気配はない。

 

「最近、何か変わった事はありましたか?」

「……事件が、最近多いようですね。……私の元にも数人怪我人が運ばれてきました」

「この二、三日ではどうでしょう?」

 

 ティーネの言葉に女医はしばし考え込むように宙を見上げる。目線の先にライダーがいるが、女医もライダーも特に変化は見当たらない。

 

「確か……昨日どこかでまた事件があったとか……。警察が山狩りをしたとか聞いたような気がするわ」

 

 女医の言葉にティーネは落胆した。もちろんそこまで期待したわけじゃないが、一般市民レベルであれば、その程度の情報であろう。

 だがこれではっきりした。まだ聖杯戦争は現実世界で続いている。ここに四人のマスターとサーヴァントが一体いるが、他のマスターとサーヴァントは現実世界で健在なのだ。いつ自陣に攻勢をしかけてくるか分からない。

 ここで悠長にしている暇はますますなくなった。

 

「他に変化はありますか、身の回りのこととかで」

「そう……ね……忙しく、なったわ」

「忙しく?」

 

 ティーネはガソリン価格の高騰や消耗品の確保といったところでスノーフィールドの流通を探ろうと思っていたのだが、思いもよらぬ方向の情報が入ってきた。

 

 医者が忙しいのは当たり前ではあるが、あまり大っぴらに動けぬ聖杯戦争で大勢の死傷者が出ることはあまりない筈……いや、そういえばここに一体、そういうことを考えないサーヴァントがいた。

 

「風邪が流行ってるのかしら。抵抗力が落ちている患者が大勢いるの。もう病室は満杯で、私も風邪気味だから椿ちゃんの診察にいけないの……」

 

 病室が満杯、ということは既にこの地方医療のキャパシティを超える程、ライダーの影響力が広がっているということになる。

 保険制度が整っていないアメリカ社会でこんなことがそうそうあるわけもない。ライダーの影響下にある人数は数千人と考えたが、もしかしたら数万単位で広がっているのかも知れない。

 

 いけない。そう考えるとタイムリミットは数日などではなく明日にでも来てしまう可能性が出てくる。

 ティーネがそんな戦慄に沈黙をしていると、ティーネの後ろからフラットも女医に質問してくる。

 

「随分と椿ちゃんに親身になってるんですね」

 

 もう椿に関する情報はあらかた収集し終わり、これ以上役に立つ情報を得られる可能性もない。しかしわざわざ診察に行けないことを悲しそうに語る女医の姿に打たれたのか、聞かずにはいられなかったのかも知れない。

 

「もう一年のつきあいだし……ご両親もああなってしまったから特に、ねぇ」

 

 そして女医は髪を掻き分け椿の顔を慈しむような目をしながら「いつもより顔色が良さそうね」などと呟く。現実の椿より少し違っている筈だが、そうした細かな差異には気付いてはいない。

 うぅん、とようやく椿が女医の行動に反応した。できればこのまま寝ていてもらいたいところだが、こうした第三極の人間に物理的ではなく精神的なショックを与えた場合の反応も見てみたい、とティーネは判断した。

 

 それが、大きなミスに繋がるとは気づきもしないで。

 

「ご両親もああなったって、何かあったんですか?」

 

 椿が起きかけていることに気づかずに、フラットは再度問いかける。それは自らの好奇心や聖杯戦争の情報という以上に、椿個人の身を案じるための質問だった。

 だが、それは決して聞くべき質問ではなかった。

 

 特に、この場においては。

 

「ああ、殺されたのよ。この病院で司法解剖されたって聞いたし」

 

 あっさりと、女医の口から残酷な事実が告げられた。

 

「椿ちゃんの身体から虐待の痕があったし、死んで本当に良かったわ」

 

 女医の言葉は全てが本音である。この催眠状態では嘘をつくということはできない。心にあったそのままの言葉を、強制的に紡がせる。

 女医が持つ椿に対しての愛情も、繰丘夫妻に対しての憎しみも、全て、本物。

 

 ピ、と音がした。女医が椿の耳に当てた体温計が結果を出したのだ。結果を見るために振り向いた女医の視界に、目を覚ました椿の顔が合った。

 

「あら椿ちゃん、おはよう。良かったわね、ご両親殺されたようよ。これで大きな病院に移れば目覚めることもできるかも……あら? 目覚める?」

 

 椿が起きた、という事態に女医は軽い混乱状態に陥る。椿は目覚めないという今までの認識と椿が目覚めているという現在の認識に齟齬が生まれるが、今の女医の処理能力は著しく低い状態にある。理解するには時間が必要であろう。

 だがこの場で最も混乱したのは女医ではなく、椿。

 そして最も慌てたのがティーネである。

 

 女医の発言は今最も注視しなければならない椿の精神を揺るがして当然の告白だった。まだ短い付き合いではあるが、椿が両親に対しどういう思いであったのかティーネは知っている。

 

 そして、実際に両親がどう椿に接したのかも、おおよそ検討がついている。

 

「椿!」

 

 ティーネが叫ぶよりも早く、マスターの動揺にライダーが敏感に反応していた。

 

 実際にライダーが何をしたのかは分からない。傍目からはただ女医に触れただけにしか見えないが、その瞬間、女医は瞬時にしてこの場から消滅する。現実世界に強制的に戻されただけなのだろうが、そんなことはどうでも良かった。

 

「――嘘」

 

 急な出来事に椿は混乱する。これではまるでライダーが女医を殺したようにも見える。だがそんなことを後回しにする程椿の心に占めていた疑問があった。

 

「ね、ねぇライダー? パパとママを、出して……出してぇ!」

「椿! 止めなさい!」

 

 ベッドの上の椿にのしかかり、抱きしめるティーネではあるが、それよりも先にライダーは椿の目の前に両親を出現させる。

 

 否。両親だったモノを、並べて揃えて、晒して見せた。

 

 そこには手があった。足があった。皮膚があり、筋肉があり、爪がある。乳房もあり、性器もあり、舌もある。五臓があり、脳があり、眼球が転がった。

 解体された人体はこれが一体誰なのか分かる筈もないが、これら全てを合わせれば繰丘夫妻の形をなすに違いなかった。

 

 繰丘夫妻は魔術師だ。そして、おそらくライダーに最初に捉えられ、そして敵方に最初に捕らわれた人間でもあるのだろう。原因究明のためならば、これくらいのことは想定してしかるべき。

 

 だがそんなこと、まだ十歳の子供に理解できるわけもない。

 

「あ……あ……ああっ――!」

 

 すぐにティーネが椿の顔を隠すも、もう遅い。

 現実を突きつけられ、椿の心は、完全に拠り所を失った。

 

「い、いやだ。ねぇ、いやだよ、ねぇ!」

「椿、お願い、黙って! 落ち着いて!」

 

 ティーネの言葉も椿には通じない。フラットもこの状況がまずいことをさすがに察していた。

 

「椿ちゃん、僕を見て!」

 

 フラットが椿に暗示の魔術をかけようとするが、生体を対象としていても体外への魔術行使は無効化されてしまう。

 これまでの実験で散々証明されたことだが、なら出力を高めれば暗示は利くかもしれないと、フラットは自らの魔術回路を励起させ、更にそれに応じて魔術刻印もフラットを補佐するべく働き始める。いつも使用している魔力の数百倍の出力であれば、この現象に打ち勝つ可能性は少ないながらもあるかもしれない。

 

 だが、結果としてフラットが暗示を使うことはなかった。

 これがあと一秒でも早ければ、結果は違ったものになったであろう。

 

 椿の言葉を、意志を、早急に封じ込めることに、ティーネとフラットは失敗した。

 

「もう嫌だ! 嫌だよっ!」

 

 涙を流しながら、椿はその言葉を口にした。口にしてしまった。

 まだ多少なりとも余裕のあった椿の心が、一気に限界点を超えてしまう。

 

「こんな世界、なくなっちゃえばいいんだ!」

 

 瞬間、椿の手に輝きが生まれ、そして弾けた。

 マスターであれば誰もが持つ絶対命令権、その一画が、今ここで永遠に失われた。

 

「――――――――――――!!!!!!!!」

 

 声なき絶叫が、辺りに響き渡る。

 それはマスターの命令を受諾したライダーの咆哮だった。

 

 



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day.05-08 市内感染

 

 

 その知らせは一般回線からもたらされた。

 

「緊急通信です!」

「5番に回せ」

 

 秘書官の緊迫した声に署長は仮眠室のベッドの上でタイムラグなく応答してみせた。眠気を叩き潰しながら受話器を取り上げる。ラスベガスへの強行軍からようやく本部へ帰ってきたばかりである。急な事態ではあったが、幸いにも寝付いたばかりで頭に霞がかかることはなかった。

 

 身体の疲れは一向に取れてはいない。しかし若い頃に培った体力は、落ちたとはいえまだまだ現役を維持できるだけは残っていた。

 

 時刻を見る。まだ日付が変わる前だ。最後に署長が確認した時点で特におかしな報告は見当たらなかった。

 

 一般回線からの連絡。普段であれば署長に直接そんな回線のものが来るわけもない。

 街の警邏から二十八人の怪物(クラン・カラティン)は撤退させたし、要所に配置してある部隊には専用回線が用意されている。まず敵の罠を疑うが、確認した秘書官の様子からしてその可能性は低いのだろう。

 詳細を尋ねたいが、緊急回線でそんなことをしている暇はない。

 

「私だ」

『ま、ますっ……いえ、失礼、しましたっ! クラブ、キング、ゼロ、ファイブ、ゼロ、スリー!』

 

 一般回線ではその秘匿性に疑問が残る。秘書官に視線を配るが、まだ回線の安全性は確保できていない。他の陣営に対してもそうだが、できることなら“上”にこちらの動きを知らせるような真似はしたくない。

 

 相当慌てているようだが、「マスター」と完全に呼ばなかっただけまだマシだろう。認識番号を名乗ったのもあまり褒められたことではないが、それだけ焦っている証左ともいえた。

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)五番隊の三番……確か、市街地の調査へと向かわせた隊員である。優先順位はかなり下位、というより署長の勘で動かした人材なので装備と呼べる装備を持たせてはいない。

 “上”を警戒して携帯や無線も持たせなかったのが悔やまれる。

 

「何があった」

『緊急です。スノーフィールド……市街地で人が……次々と、倒――――す!』

 

 途中、言葉の間にノイズリレーが入る。回線の安全が確保されたということだ。同時に逆探知でかけてきた電話ボックスも判明する。スノーフィールド中心部十四番地付近――病院の近くだ。

 

 場所が場所だけに、署長の脳裏に昨日の電話が過ぎってくる。しかしその可能性はさすがにないだろう。もしあそこで何かあれば、緊急連絡などする余裕もなく消されている。

 

「もう何を喋っても大丈夫だ。正確に報告してくれ」

『はっ、分かりました』

 

 少し安心したかのように晴れた声ではあるが、その息遣いはやけに荒い。屈強な肉体を持つ二十八人の怪物(クラン・カラティン)が呼吸を整えられないのは不自然すぎた。

 

『スノーフィールド……中央病院、付近で……人々が倒れて、います。……私の周囲だけでも数十人。……共に動いていた仲間も、倒れました』

「至急、スノーフィールド中央病院付近のカメラを確認しろ! “上”のことはどうでもいい。第五種緊急コードの使用も許可する!」

 

 秘書官への指示に一気に辺りが騒がしくなる。同じく仮眠を取っていた数人も緊迫した空気に反応して目を覚まし、指示を受け取り自らの仕事に駆け足で移動する。

 

『……時間にして、わずか一分足らず、です。……急な脱力感に抗えませんでしたが、魔力回路に魔力を流せば、多少……抵抗はできるようです』

「わかった。すぐに救出に向かわせ」

『ダメです!』

 

 署長の言葉を遮るように、受話器の向こうから強い否定の言葉が出てきた。同時に何かを吐瀉する音も聞こえてきた。

 知らず、受話器を掴む手が強ばっていた。

 

『私見ですが、これは繰丘夫妻にみられた呪術と同じです。……この裏にはサーヴァントがいます……そして、この呪術は感染します』

「……装備を整えるまでもうしばらく持ち堪えろ」

 

 苦し紛れの言葉であることも、隊員は理解していることだろう。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)が常備している装備の中に、魔術仕様の対BC兵器用の防護服は確かにある。いや、あったと言うべきだろう。

 防護服は対繰丘邸用に用意されていた装備なのである。故に保管は、本部ではなく繰丘邸付近のベースキャンプにある。このような事態を想定していなかった署長のミスともいえるが、ないものは仕方がない。

 

 防護服をベースキャンプに取りにいくにも、別個に用意するのにも最低でも一時間はかかる。一般用であれば警察や消防の保管庫にもあるだろうが、呪術に対応できる保証はない。

 

『空気感染か、接触感染かは……わかりません。けれど私の感染は恐らく病院……私で感染しているなら、病院内で……感染していない者は……いないでしょう』

 

 その言葉に脳内で感染者数を計算する。隊員は周囲で十数名倒れたと言っていた。その言葉を考え病院周囲数百メートルは感染済みと想定、感染速度も考えると予想被害は最悪数万人に及ぶ。

 

 ふと、事前に入ってきた情報の中に北部丘陵地帯の原住民が籠城の構えを見せているというものがあった。しかも妙なことに籠城にしては外部と内部の接触を極端に断っているとも。

 

「奴らは最初から知っていたのか……!」

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)の情報網は他勢力よりも断然優れていると思っていたが、こうなってしまえばアーチャー率いる原住民勢力は圧倒的なアドバンテージを持つ。

 迂闊に接触を断ってしまったのは早計であったか。二十八人の怪物(クラン・カラティン)が情報戦で出し抜かれたなどと、俄には信じがたいことである。

 

 すでに電話の向こう側の声は聞き取れない。何とか聞き取れた「愛してる」「すまない」といった家族への言葉を最後に、隊員のうめき声もやがてなくなる。回線は繋がったままだが、向こう側の声を聞くことはもうないだろう。

 

 状況は最悪だ。

 情報から考えると早急に撤退するべきだろうが、市内中枢に入念に用意したこの本部はおいそれと撤退を選べる場所にない。それに何より、感染速度や規模を考えると今から脱出しようにも間に合わない可能性が高い。

 

 必然的に選べる道は、亀のように殻に引きこもるだけ。逃げ場をなくせばただの棺桶となりかねないが、それでも時間稼ぎはできる。

 

「外の連中には待機を指示しておけ。ただしいつでも動けるようにな」

「かしこまりました。全隊武装待機、準臨戦態勢」

 

 本部の外で動き出そうとしていた二十八人の怪物(クラン・カラティン)の動きを、署長はまず止めた。本当は安全地帯に一刻も早く逃がしたいところだが、危険地帯が明確にならなければ迂闊に動かせるわけもない。

 

 呪術に関する知識には疎い。導師である自分がそうなのだから、弟子である二十八人の怪物(クラン・カラティン)が精通している筈もなかった。せいぜいフレイザー卿の金枝篇を読んだくらいだ。感染方法が直接的なので呪術としてのレベルは低いと思うのだが、既存の知識で対応できるとも思えない。

 呪術というよりBC兵器と想定して動くより他はない。

 

 主戦力が外にいたのは不幸中の幸いだった。少なくともこの本部よりかは安全だ。

 

「簡易の防護服とガスマスクの数を早急に確認、配布しろ」

 

 できれば本格装備といきたいところだが、現状はこれで精一杯。

 

「空調を確認。窓に目張りをしてできる限り外の空気を中に入れるな。体調の変化に気付いた者は随時報告」

「結界の展開は三重に可能です」

「不許可だ。現状を維持。感染のリスクがあってもそれはできん」

 

 本来であれば、この本部はこうした事態にも対応することができる。が、ここでひっかかるのは原住民の動きだ。

 この感染が必ずしも原住民達の手によるものとは思わない。しかし先んじて対応していた原住民であれば、この状況を利用しようと網を巡らしている筈。

 

 この状況で安易に結界を張り巡らすようなことをすれば、この場所をみすみす教えるようなもの。二十八人の怪物(クラン・カラティン)の本部場所が分からねば、あの英雄王も手が出せない。この場所は何を優先しても秘匿すべき情報なのだ。

 

 冷たい汗が署長の背を伝っていった。

 署長が今最も危惧すべきは部下の暴走。あまり考えたくはないが、命惜しさに結界を張る者がいないとも限らない。そんなことになれば、その部下を自分は速やかに葬り去ってしまわなければならない。

 

 遅滞処置であろうが、電話での報告通り魔術回路に魔力を巡らせておけば、時間は稼げるのだ。病院との距離と感染力、そしてこの本部の施設からして、おそらく数時間から半日は時間を稼ぐことはできよう。それまでに何らかの状況変化がなければ、この本部の人間は全滅だ。

 

「まさか運を天に任せることになるとはな」

 

 電話口で隊員が言った通り、この突然の感染がサーヴァントによるものなのは間違いない。だがさすがにこれは唐突すぎる。となれば、それを必要とするだけの理由ができた、ということにもなる。

 誰かが藪をつついて蛇を出したのだろう。

 

「誰と誰が戦っているかは分からないが、それまでに決着が付けば、まだ我々にも勝機がある」

 

 署長の眸に、諦め絶望する暗闇など一片もなかった。

 

 



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day.05-09 院内感染

 

 

 時間はほんの数分だけ遡る。

 

 署長の祈るような想いが通じたかどうかは別として、この時ティーネと椿の両方の命を助けたのは誰であろう、銀狼であった。

 

 ベッドで眠る椿の真下で毛繕いをしながら待機していた彼は、女医の突然の出現にいち早く警戒状態となっていた。それはティーネとフラットが来てからも変わらず、銀狼はその本能から筋肉を縮ませ爆発する瞬間を今か今かと伺っていたのである。

 

 椿の尋常ならざる感情の爆発とライダーの咆哮は、銀狼にとって準備万端のランナーに送る合図に他ならなかった。

 

 ベッドの上に素早く乗り込み椿を強く抱きしめるティーネの服の襟首を咥えて、銀狼は大きく跳躍する。結果としてライダーは紙一重で椿との接触に失敗した。だがライダーに躊躇はない。一度で駄目なら二度、二度で駄目なら三度、達成されるまで永劫に繰り返せばそれで事足りる。

 

 一撃目は避けられた。が、二撃目は避けられない。

 宙へと逃げた銀狼だが、ライダーの追撃を回避するには軽いとはいえ少女二人分の体重はさすがに重すぎた。逃げ場のない空中では思うように身体も動かせず、身を挺して盾になることすら適わない。わずかにティーネが椿を強く抱きしめることで精一杯。

 だがその二撃目も椿には届かない。間に入ったフラットが壁となり銀狼が地に足を付けるまでの時間を何とか稼いでみせる。

 

「フラット!」

「だっ――大丈夫!」

 

 ライダーの一撃を受けるフラットにティーネが叫ぶが、予想に反してフラットの力強い声がすぐに返ってきた。

 

 ティーネは自らの足が床に着くと同時に病室の扉を開放する。スライド式のドアは人の手でなければ開けることは難しい。

 まず椿を咥えた銀狼に扉を潜らせ、手を床につけながら這う這うの体で何とか立ち上がったフラットの手を取り、ティーネは病室の外へと脱出する。

 

「――!? 追ってこない?」

 

 ドアは自重によって自動的に閉まるタイプである。だがこの程度の障害物があのライダーに通じるわけもない。すぐに追いすがってくるとティーネは予想したが、あの黒い霧が病室から追い縋って現れる気配がない。

 銀狼は既に階段にまで到着している。このまま病院の外へと出れば逃げ切ることも十分に可能だろう。

 

 銀狼もそれが分かっているのか、椿の身体に気を遣いながら階段を下りようとし――その口を離して椿をその場におくと、階下へとその身を投じた。同時に聞こえる、落下音。銀狼単体のものにしてはやけに大きい。

 

 ティーネが階段に辿り着いてみれば、一階へと下りる間にある踊り場に看護師の女が一人倒れている。そして点滴のキャスター付きスタンドを武器に、銀狼へ襲いかかっている細身の患者が一人。

 

「ああ、なんかこういう展開覚えがあるなぁ!」

 

 もはや無理矢理活を入れようとしているのか、フラットは先のダメージなどなかったかのように愉しげに笑ってみせる。

 しかし覚えのあるゲーム展開では初期になんらかの銃火器を入手できるし、相手は分かり易いゾンビである筈だった。だというのに、ここで武器になりそうなのは消化器ぐらいだし、敵はゾンビっぽくはあるが生身の人間である。そしてラスボスはすぐ傍にいるのである。

 

「こういうことですか!」

 

 ライダーが追ってこない理由を察し、ティーネは急ぎ踊り場に飛び降りる。

 ライダー自身が追いかける必要はないのだ。操れる手駒なら大勢いるのである。ついでに手駒の脳内リミッターを外せば、銀狼を力任せに押さえつけることもできるだろう。どう見てもひ弱そうな患者が人間以上の膂力を持つ銀狼と互角に力比べできているのがその証拠であろう。

 

 掴まれるのは拙い、と判断しティーネは小柄な体躯を活かして患者の懐に飛び込んでいく。心臓の上から全力の一撃を打ち込めば蹈鞴を踏むのも当然。男は踊り場から更に一階へと落ちていくが、その最後を見届けている暇はない。

 

「下は駄目だ、囲まれてる!」

 

 力の抜けた椿の身体を背負い、フラットはティーネに声をかけて階段の上へと駆け上がる。

 フラットの言うとおり、窓の外を見れば暗い夜道をこちらへと向かう人の姿が何人も見受けられる。まだその人数は少ないが、遠くを見れば更にその数倍もの人数が闇の中に蠢いている。

 

 外に出て逃げ切るという選択肢はこの段階でなくなった。残った脱出路は上階のみ。しかしそれは籠城というあまりに救いのない選択だ。

 

「ふっ!」

 

 戦闘力は奪ったがまだ動こうとする看護師をティーネは容赦なく蹴り飛ばし、先の患者同様に階下へと落としておく。

 少しでも障害物を設置することで進行速度を遅くすることが狙いだが、果たしてどれくらいの時間を稼げることか。この調子なら平然と踏みつぶして来そうである。

 

 この隔離病棟は五階建てで、その性質上ここに常駐する人間の数は少ない。また侵入経路が階段と非常階段の二択しかないことが救いとなっている。

 あらん限り動かせるものを障害物として階段下へ放り込み、ついでに防火壁を作動させ即席のバリケードを展開させる。

 

 四階にライダーに操られていると思わしき看護師が一人いたが、これはなんとか窓から外に投げ飛ばして事なきを得る。躊躇なく殺す真似をしているが、夢の中なので勘弁して貰いたい。

 

「とはいえ、これでは二時間程度が限度です」

 

 同じように三階四階の階段を封鎖して更なる時間を作り、最上階である五階の一病室で今後の作戦会議をする。

 現状を考える限りでは、ティーネの判断に間違いない。確かに即席のバリケードとしては割と良くできていたが、あの人数相手には焼け石に水。下手をすれば一時間もせずにここへ到着するかもしれない。

 

 時間が余りに足りなさすぎる。

 椿は両親を失ったショックからか、再びベッドで眠りに落ちてしまった。

 銀狼は落ち着かないのか、疲れているであろうに周囲を警戒してうろうろしている。銀狼の研ぎ澄まされた感覚なら、隠れて襲いかかってくるような伏兵もこのフロアにはいまい。そして自らの筋力を強化してバリケードを築いたフラットは魔力的にも体力的にも大きく消耗している筈だ。

 これを回復させるのにその時間は余りに短い。

 

「――いや、多分その倍以上の時間はかかるじゃないかな」

 

 焦るティーネの推測をよそに、フラットはしばし考え、否定した。

 

「? それは随分と楽観的ですが、根拠はなんですか?」

「ライダーだよ。ライダーが操る人間には無駄が多すぎるんだ。人数を絞って効率よくバリケードを撤去すればいいんだろうけど、次から次へと人が集まって撤去どころじゃなくなっている」

 

 廊下側の窓から外を見るフラットは逆側を見てみなよ、と指で向かいの窓を指さしてみる。

 ティーネが病室側から窓の外を見れば、そこはもう完全に人、人、人。壁を伝って中に入ろうとする者もいるが、パイプなどのとっかかりのない壁ではそれも難しい。それでも、少しずつバリケードの材料が外へと持ち出され始めている。

 確かにこの渋滞では、ここに辿り着くまでに相当な時間を要することだろう。

 一息入れる程度には、余裕ができた。

 

 焦りがどこかに霧散していくのを感じる。

 余裕が、生まれる。

 

「……状況を整理しましょう。椿は令呪を使用しましたね。あの時、何と言ったか覚えていますか?」

「こんな世界なくなっちゃえばいい、とか言ってたね」

 

 苦い表情でティーネとフラットは互いにその意味を共有した。

 それはつまり、この夢の世界そのものの否定だ。

 ティーネとフラットが最後まで選択しないと誓った選択肢だ。

 

「ライダーはマスターたる椿を殺すつもりでしょうか?」

「都合良く解釈すれば、椿ちゃんの脳内にある魔術回路だけを健全に調律する、ということもありえるけど……」

 

 そうであれば一番良いのだが、あの単純な命令しか聞けないライダーが、そんな精細極まりないことをするとは到底思えない。椿を殺すだけなら、実に簡単にこの世界をなくすことができる。

 

 令呪の命令に幅があるのだけが救いだが、これでこの世界から全員で脱出する当初のプランは一気に難易度が跳ね上がっていた。

 

「もっと調べたかったのですが、こうなってしまえば仕方ありません」

 

 結局入り口は見つからなかったが、この病院の地下が怪しいことは判明した。

 現実に戻れば使える駒の数で群を抜いているアーチャー陣営が断然有利である。人海戦術を使えばすぐに手がかりを掴めることだろう。繰丘に手紙を送った市議の自宅を抑えることができればほぼ確実だ。

 

「椿を任せても大丈夫ですね?」

「うん。資料は全て頭に入ってるし、あとは現実で施術するだけ。椿ちゃんを日常生活に戻すことは難しくないよ」

 

 外科的な手術や特別な薬品も必要はない。椿の魔術回路の形と特徴を把握した以上、フラットは椿の頭を切開することなく適切な形に調整することができる。後は椿の令呪が二画あれば全ての問題はクリアされる。

 

「となると問題はここをどう乗り切るか、というところですね。やはり英雄王に頼む方が確実でしょう」

「いや、召喚するならまず俺のジャックで様子を見よう。何も知らないままじゃ火力に任せて台なしになる可能性も高いんでしょ?」

 

 それは以前にも話した内容だ。アーチャーの性格が相当面倒なのは確かであり、ただ召喚するだけでは焼き尽くされて終わりになってしまう。ライダーを殺させるわけにはいかないのだ。

 

「では今すぐにでも?」

「それはまだ早いよ。ライダーは今までにないほど莫大に魔力を消費している最中の筈なんだ。こうして時間を稼げば稼ぐほど、ライダーの魔力は消費され弱まっていく。最後の最後まで粘った上で召喚すれば、それだけ成功率は上がる筈だよ」

 

 フラットの提案に、仕方ないとティーネも同意する。成功率が上がると言ってもせいぜい数パーセント程度に違いない。

 けれども、全員が助かる可能性を高めることができるのならば、それに命をかけると二人は迷わなかった。

 

「じゃあ、時間もあることだし、俺はバリケードの強化をすることにするよ。ここのベッドを横にすれば――」

「フラット」

 

 疲れている筈なのに無理して動こうとするフラットに、ティーネは声を掛けずにいられなかった。

 気付かぬふりはしてきた。しかし、さすがにこの場で逃げようとするフラットをこれ以上そのままにさせるわけにはいかない。

 

 二人は部屋の両端に座って話し合っている。この距離は、話し合いをするにしては余りに遠い。そしてフラットはそれを意識してティーネを遠ざけている。

 

「私に、何を隠しているんですか?」

 

 



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day.05-10 解決策

 

 

「…………」

 

 ティーネの問いにフラットは長い沈黙の末に目を逸らした。

 

 そういえば市街地戦の調査を報告した際に英雄王と似たようなことがあったとティーネは思い出す。

 隠している事実を知られたくない、そんな顔をフラットはしていた。あの時と立場は真逆となっているが、なるほど、英雄王の気持ちも分かるというものだ。

 

「まだ私には疑問があります。自発的に喋って頂けると助かります」

 

 魔術の使えぬ今のティーネでは魔術の使えるフラットに勝てない。しかし、今のティーネでもこの疲れ切ったフラットであれば、十分に勝てる自信はある。

 フラットが答えねば無理矢理にでも吐かせるつもりでティーネは脅しをかけた。不毛な争いなどしたくはないが、隠し事をされても困るのである。

 

 フラットの元へ足を踏み出そうとするティーネに、ついにフラットも珍しく苦い顔をして根負けした。

 

「……誤魔化せない、かなぁ」

 

 後頭部を掻きながらフラットは、自らのシャツを捲って腹部をさらけ出す。一瞬ティーネにはそれが汚れかと思ったが、よくよく見ればそれは黒い斑点。黒い斑点が、フラットの体内から浮き上がっていた。

 その正体は分からない。だが、その部位についてはティーネには心当たりがあった。ライダーは当初、直接的な攻撃を仕掛けてきた。一撃目は銀狼によって避けられ、二撃目はフラットが自らを盾に阻止してみせた。

 

「私達を、庇った時の痕ですか」

「……いや、違うよ。庇った時の痕じゃない。これは庇った後の痕なんだよ」

 

 やや怪訝な顔でティーネはその意味を反芻する。事実へ辿り着くには、そう時間がかかることではなかった。

 フラットの黒い斑点は殴られたことによる内出血ではない。この斑点はフラットの内側から出てきた異常である。

 

「ライダーの正体がようやく掴めたよ。最初は赤死病の王子プロスペローや疫病王ジャニベク・ハンとかを想像していたけど、ライダーの正体はそんな小さなものじゃない。

 あれは黒死病やスペイン風邪といった病気が形となった英霊なんだ。ヨハネ黙示録における第四の騎士“ペイルライダー”――いや、これは英雄王もびっくりの反則級の英霊だよね。

 在り方としては英霊というよりも神やゴジラに近いんじゃないかな」

 

 これはあくまでフラットの推測ではあったが、ティーネもそこに異論はなかった。ライダーが行った行為が“病気の感染”だとすると、免疫力の低い病人が多いのも頷けるし、女医の話とも符合する。

 

 ペイルライダーと神とゴジラが同一分類かどうかはこの際置いておくことにする。本気なのか冗談なのか分かりづらい男であるが、この場にあってはただの強がりであろう。誤魔化すにしたって下手すぎる。

 

「……大丈夫なんですか?」

 

 フラットが言わんとしていることを察し、ティーネは踏み出した足に力を込めることができずそれ以上近付かない。

 

 ライダーの正体が病気そのものだとするならば、感染のリスクは非常に高いと言わざるを得ない。感染し、その浸蝕が一定値を超えればライダーの傀儡と化す仕組みだろう。

 フラットがティーネとわざと距離をとっていたのは、接触して感染するリスクを少しでも減らすため。そして自分が動ける間にできるだけのことをしてギリギリまで時間を稼ぎ、最後の瞬間に令呪を使ってサーヴァントを召喚し、自らは窓から身を投げ動けないようにする算段だったに違いない。

 

 この男にしては随分と計算高いような気もするが、頭の螺子が何本か多すぎる上に緩んでいるような男である。この危機的状況にあって螺子が締まることもあったのかもしれない。

 

「……椿ちゃんなら、きっとジャックがどうにかしてくれるよ。少しでも俺とパスが繋がれば、記憶も共有できると思うし」

「あなたのことです!」

「大丈夫。多分ライダーを倒せば元に戻るよ」

「そんな保証、どこにあるというのですか!」

 

 いつも通りの笑顔で答えるフラットに、ティーネは珍しく怒鳴りつけた。そして、一度は立ち止まったその足を、再度動かし――フラットの至近距離まで近付き、おもむろに抱きついた。

 

「あ、えっと、ちょっと」

「よく見せてください。まだ手があるかもしれません。どうせあと数時間しかないんです。数分か一時間の差であれば、そんなの誤差の範囲内です」

 

 何やら批難の声が上がったような気もするが、当のティーネの耳には入らない。声こそいつも通りの平坦であるよう努めたが、今のティーネは自らの顔を偽れる自信はなかった。

 フラットの心配りにもっと早くに気付けなかったと後悔が湧く。こんな至近距離で大胆な行動をとったのも、フラットから顔を隠すために他ならない。

 

 だがそのおかげで、ティーネはある疑問に辿り着くことができた。

 

「……感染から約半時間が経過してる筈……しかしそれにしてはこの程度で何故済んでいるのでしょう?」

 

 間近で見るフラットの腹筋は意外に筋肉質だと思いながらも、黒い斑点をまじまじと見ているといつも通りの冷静な自分が戻ってくるのを感じ取れる。

 試しに触れてみるのはさすがに駄目だろうが、それにしてもライダーが令呪の命令をもって本気で殺そうとしてこの程度の結果とは余りにおかしい。

 

 浸蝕が少ないのである。

 

「ああ、それは僕が魔術回路を励起状態にしていたからじゃないかな」

 

 あの時、フラットは暗示のために魔術回路を励起させ体内には魔力が満ちていた。実際、ライダーの攻撃を防いだ際にも魔力を奪われた感覚があったものの、衝撃は相当に和らいでいたのだ。

 

 他人に自分の魔力を流し込み効果を発揮させるのは難しいと聞く。その理屈はライダーにだって通用するものらしい。

 

「なるほど。だからライダーは自らが追いかけることをせず、傀儡に私達を追いかけさせているワケですか」

 

 ライダーのあのアンバランスなパラメーターを思い出す。

 恐らくあの攻撃はライダーにとって最大級の攻撃だったのだろう。

 ライダー自身に直接的な攻撃能力はほとんどなく、もっぱら感染による間接的な攻撃能力しかない。フラットへの攻撃が想定を遙かに下回る威力であったことから、ライダーは勝手にそれを無意味な行為と判断し、急遽別の策をたてたのだろう。

 

 ここにきて、ようやくライダーへの対処策を見つけたわけだが、これは保険程度の意味でしかない。フラット、椿、銀狼は魔術回路を励起させて対処の幅を広げることはできるだろうが、ティーネは自らで魔力をほとんど精製できないため、魔術回路を起動することが未だにできない。

 とすると、今のティーネの行動は軽率以外の何物でもない。触った瞬間即感染即傀儡となれば、計画どころの話ではない。

 

「感染……してないといいんですが」

 

 苦い顔をしながら反省をするティーネである。

 現状では大丈夫だろう。しかし、それは時間の問題でもある。感染経路には恐らく空気も含まれており、閉鎖空間で逃げ道がないこの状態では時間経過と共にその濃度は濃くなる筈だ。バリケードなど気休めにもなりはしない。

 

 今ティーネが健全である理由は、体内の免疫力が一定レベルを維持しているからだ。それを上回るくらいに感染が進めば、多少の時間差はあるにしてもライダーに支配されるのも遠い話ではない。

 それこそ、フラットよりも早くその時が来る可能性の方が遙かに高い。

 

 早急に免疫力を高めるか、魔術回路を起動できるだけの魔力を集める必要がある。

 しかし、病院とはいえ点滴などで栄養補給したところであまり意味はない。体力を多少回復させたところで、魔力の供給ができなければ無意味――

 

「……じゃない?」

 

 そこでふと、ティーネはいまだにフラットに抱きついていることを思い出し、ある事実に気がついた。

 ここにいる二人は魔術の心得があり、そしてティーネは女性で、フラットは男性だ。

 魔術師同士の波長を合わせる方法なんて、それこそ数えるくらいしかない。

 思いつくと同時に、何となくではあるが同じ結論をフラットも思いついたのだとティーネは確証もなく思った。

 

 魔術師でなくとも、危機的状況に陥った男女は何故か共通の感覚に囚われるらしい。吊り橋の上で二人っきりになると別に嫌いじゃない相手でもつい突き落としたくなるとかなんとか。違うか。

 

「――ティーネちゃん」

「ひゃ、ひゃい!」

 

 思わずティーネはどもるものの、頭の回転は速かった。これからどうすれば自らの魔術回路が起動できるのか、瞬時にしてその方法を思い出す。超えるべき技術的ハードルは皆無に等しく、メリットはデメリットより遙かに大きい。

 

「俺と霊脈を繋げば、時間稼ぎはもっと簡単にできると思うんだ」

「けれど、それはフラット自身の時間を削ることを意味します」

 

 本当に言いたいのはそういうことじゃないだろう、と思いながらも一応の建前は確認しておく。

 ティーネが危惧する通り、フラットの魔力をティーネに分け与えればその分フラットの魔力は減り、体内での浸食スピードは速まるだろう。浸食具合からすればフラットだってそう長く保つわけではない。

 

「それこそ、さっき君が言った言葉じゃないか。数分か一時間の差であればそんなの誤差の範囲内、だよ」

 

 フラットの言うとおり、実際フラットの魔力量であれば大した問題ではない。

 時間は確実に短くはなるだろうが、フラットにとって一番の問題なのは既に感染しているという事実のみ。フラットに必要とされるのは肉体そのものの堅強さであり、魔力の問題は二の次でしかない。

 

 フラットが申し出た策は、この場の全員が最も長く現状を維持できる最善の方法だった。

 

「あ、……う、……」

 

 だというのに、ティーネは即答できなかった。

 頭では分かってる。理屈も理解できる。やり方も知識としては知っている。覚悟もある。ないのは心の準備だけ。

 

 抱きついたまま、数秒が経ち、一分が経ち、更に数分が過ぎ去る。一度だけ銀狼が部屋に近寄ったが、空気を読んだのかそのまま通り過ぎていった。まるでこちらの状況に気がつきもしなかったとばかりに視線は常に明後日の方向へと固定されていた。その空気を読むスキルを是非フラットにも分け与えて欲しいものである。

 

「その……私は、先日初潮がきました」

 

 長い沈黙の後の告白にフラットが唾を飲み込んだのがわかった。耳元に当てるフラットの体内は、終始心音が激しく聞こえる。ティーネの鼓動も同様だった。

 

 こころなし、フラットの身体にはびっしり汗をかいているようにも思える。緊張しているのか、それとも何か慌てているようにも感じられる。もしかして何か誤解しているのかとも思ったが、こんな状況で何を誤解するというのか。

 

 魔力を供給する方法など、ティーネはひとつしか知らない。

 

「そんなわけで、経験も、まだ、ありません」

 

 そういえば、と自らの白いドレスを顧みる。あちこち駆けずり回り、バリケードを作るのにも相当な無茶をした。そして何より銀狼が服を咥えてライダーから回避したので、胸元が大胆に広がりかなり扇情的な格好になっていた。

 胸は大きくないが、それでも女性らしい丸みはある。

 

 顔が赤いのが自覚できる。しかし、こういう時こそティーネ・チェルクという存在は冷静に冷酷に、常に客観視点で動くべきと思う。

 

 意を決し、フラットの顔を見ないよう、俯いたまま椿の寝ているベッドのカーテンを閉める。こうした個々のベッドのカーテンを閉めれば、ある程度のプライベートが守られる。

 

 同室の対岸側も同様にカーテンを閉じ、ティーネはフラットの手を取り中に入った。これからのことを考えれば別室に行きたかったが、椿が目覚めたときにすぐ対応できるように動く必要もある。

 折衷案ではあったが、カーテンを閉じればそこにあるのはベッドのみ。どこにでもある個人用の白いベッドの筈なのに、ティーネにはやけに大きく見えて仕方がなかった。

 

 やり方だけなら書物から知っているし、教育係から生々しく教わったこともある。そして原住民の大婆からはそうした秘術も伝授された。しかしどうしてだろう、それら全ての知識がどうしても思い出せない。思い出したのは又従姉妹が話していたそういった場合のマナーだけ。

 曰く、裸になって男に任せろ。

 

「よ、よろしくお願いします!」

 

 普段のティーネからは到底考えられぬ顔と態度。頬を赤らめ視線を彷徨わせながら「優しく、お願いします」と小さな声で呟いた。粘膜感染の危険性については頭から完全に抜け落ちていた。

 

 ドレスを脱ぎ下着となったティーネはベッドに横たわり、未だ繋がれたままのフラットの汗ばんだ手を強く握り締めた。

 

 



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day.05-ステータス更新

 

 

day.05-01 お願い

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)からの監視に動けぬランサーは西部森林地帯で大鷲に変身したバーサーカーと接触する。バーサーカーの考察にランサーは考えあぐねるが、もたらされた情報に今後の方針を考え始める。

 

 

day.05-02 呉越同舟

 

 情報を求め繰丘邸に侵入したティーネとフラット。幾多の結界を解除して見つけたのは三通の手紙だった。手紙の内容から手掛かりを得たティーネは葛藤しながらも、フラット・椿・銀狼と明確に同盟関係を結ぶ。

 

 

day.05-03 倫敦からの援軍

 

 遠く倫敦で偽りの聖杯戦争の担当となった召喚科学部長ロッコ・ベルフェバンはロード・エルメロイⅡ世から援軍が送れない事実を聞かされる。打とうとする手が悉く邪魔され、その痕跡だけで魔術協会は圧倒されていた。そんな中、エルメロイⅡ世は唯一の希望であるフラットに思いを馳せる。

 

 

day.05-04 勤労キャスター

 

 キャスターが作り出した最高傑作の一つ《スノーホワイト》をチェックするべく、キャスターは仕事を開始する。一つずつ着実に処理していくことで《スノーホワイト》は完成へとまた一歩前進する。そんな彼の背後に突如現れたのはアサシンだった。

 

 

day.05-05 敵

 

 アサシンの問いかけにキャスターは曖昧に回答することになる。だがそこに手がかりを得たアサシンは署長の令呪を一画分消耗させることを約束して立ち去っていった。自らの目的のために、キャスターはその手腕を揮う。

 

 

day.05-06 調査

 

 半日かけてティーネとフラットはスノーフィールド中心部十四番地で手掛かりを探すが、状況は悪化するばかりで決定打には至らない。そんな中、椿が寝ている病室から誰ともしれぬ声が聞こえてくる。奇襲によってその人物を確保するティーネだったが、彼女はその結果に気付くことはなかった。

 

 

day.05-07 受諾咆哮

 

 確保した女医から情報を引き出すティーネとフラット。有益な手がかりを得ることは叶わなかったが、代わりに椿は残酷な事実を知らされることになる。混乱状態に陥った椿は「この世界をなくす」という命令を令呪でライダーにしてしまう。

 

 

day.05-08 市内感染

 

 令呪に従って椿を亡き者にしようとするライダーの影響力は現実世界にまで及んでいた。病院を調査していた隊員からの連絡により署長はライダーの存在に気付くが、アーチャーが原住民へ下した命令に翻弄され、打開策を打てずにいた。

 

 

day.05-09 院内感染

 

 暴走するライダーは椿を捕らえるべく動き始める。銀狼の活躍と身を挺したフラットにより逃げることには成功するが、既に建物の外にはライダーに操られた人々に埋め尽くされていた。立て籠もり状況整理するが、そこでティーネはフラットの隠し事に気付いてしまう。

 

 

day.05-10 解決策

 

 時間稼ぎには成功したものの、フラットは弱いながらも感染していた。タイムリミットが設定される中、フラットはライダーの正体を突き止め状況を正しく理解する。そして誰かを犠牲にすることなく全員が最も長く生き残る為に、ティーネはフラットに抱かれる覚悟を決める。

 

 

-------------------------------------------------------------------------------

 

 ステータスが更新されました。

 

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 ◆サーヴァント

   『アーチャー』

     所属:――

     状態:――

     宝具:王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)

 

   『ランサー』

     所属:――

     状態:強制現界の呪い、位置情報露呈の呪い

     宝具:天の創造(ガイア・オブ・アルル)

 

   『ライダー』

     所属:――

     状態:感染拡大(大)

     宝具:――

     令呪の命令:「繰丘椿が構築している夢世界の消失」

 

   『キャスター』

     所属:二十八人の怪物(クラン・カラティン)、サーヴァント同盟

     状態:強制現界の呪い、位置情報露呈の呪い

     宝具:我が銃は誰にも当たらず(オール・フィクション)

 

   『アサシン』

     所属:――

     状態:強制現界の呪い

     宝具:回想回廊、構想神殿、石ころ帽子

 

   『バーサーカー』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:強制現界の呪い

     宝具:???

 

   『宮本武蔵』

     所属:――

     状態:消滅

     宝具:二天一流

 

   『ヒュドラ』

     所属:――

     状態:消滅

     備考:毒

 

   『エルアライラー』

     所属:――

     状態:消滅

 

   『正体不明のサーヴァント』×2

     所属:――

     状態:消滅

 

 

 ◆マスター

   『ティーネ・チェルク』

     所属:原住民、夢世界同盟

     状態:ヒュドラの毒、感染(夢世界)、体力消耗(大)

     令呪:残り3

 

   『銀狼』

     所属:夢世界同盟

     状態:感染(夢世界)、体力消耗(大)

     令呪:残り3

 

   『繰丘椿』

     所属:夢世界同盟

     状態:精神疲労(大)

     令呪:残り2

 

   『署長』

     所属:二十八人の怪物(クラン・カラティン)

     状態:精神疲労(中)

     令呪:残り3

     宝具:夢枕回廊(ロセイ)(封印)

 

   『ジェスター・カルトゥーレ』

     所属:――

     状態:死亡×3

     令呪:残り0

 

   『フラット・エスカルドス』

     所属:夢世界同盟

     状態:感染(夢世界)、魔力消耗(中)

     令呪:残り3

 

 



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day.06-01 葛藤

 

 

 ライダーの正体は、疫病そのものだ。

 物体や霊体ですらない、自然現象。それ以上の超自然現象でもなく、それ以下の形而上的事象ですらない。無秩序に拡散し続け、果てしなく希釈され続ける存在。世界と同化し、無に等しい。

 

 そんな存在に、本来なら人格があろう筈もなかった。

 それでも、拙いながらも人格を持っている理由は、『ペイルライダー』という形を与えられたからである。無限の存在を有限の匣の中に押し込め、収束し圧縮させてしまったからである。

 

 この事実がどんな結果を起こし生み出すのか、この戦争を仕掛けた者達にだって予測できる筈がない。唯一確かであることは、これが化学変化などという生易しい結果になることはない、ということだ。核分裂、あるいは核融合の如き新次元が訪れるのは間違いなかった。

 

 そんな破天荒な問題に、繰丘椿は挑まされていた。

 生まれたての赤ん坊同然のライダーにとって幸いであったのは、育ての親たるマスターが善悪の判断もろくにできぬ子供であったことだろう。無邪気であり無垢な彼女の手によって、ライダーは椿に忠実この上ないサーヴァントへと成長した。

 結果的に繰丘夫妻の末路は悲惨としかいいようのないものになったが、それでも数あるライダーの成長の中でも最良の部類に入る。

 

 滅私奉公のサーヴァント。

 おおよそ元になったペイルライダーらしからぬ成長を遂げたライダーではあったが、それ故に今まさに彼は当惑していた。

 どうして良いか分からず判断に「困った」ことは多々あれど、「当惑」という意味では今回が初めてのことである。

 何故なら自分が一体何をしているのか、全く分からないからだ。

 

 ライダーの身体は、ライダーの意志によってのみ動かされている。

 人間で例えるなら、ライダーは自らの意志で手足を動かし、そして同じ意識レベルで心臓を動かしているということだ。ライダーの身体でライダーの意志に従わぬものは、ない。

 

 しかし今回に関してはそれは違う。

 ライダーは確かに椿の要望を聞いたが、あのような行動をとるつもりは欠片もなかった。いや、そもそもライダーはこれまで同様、椿の要望を理解することができず「困った」ので、何のアクションもするつもりはなかった。アクションなど、できよう筈もなかったのだ。

 

 けれども、実際にライダーは椿を攻撃しようとした。一度は合成獣によって回避され、二度目は男に邪魔された。

 この反省を踏まえ、ライダーは魔力による干渉手段を止めて、もっと物理的な手段を用いるべく、身近な人間を操り追い詰めるという行為まで行っている。

 

 ここで再度ライダーは自らの行為に当惑する。

 ライダーは自らを自らの意志でコントロールしている。しかしその発想は実に機械的であり、試行錯誤とは縁遠い代物である。

 だというのに人間を大人数コントロールするという発想は本来ならライダーの中にはなかったもの。椿からの入力によって対象の脳内物質を操り、人間を椿の意に沿うよう仕向けることは覚えたが、これはそれよりも遙かに高度な内容である。

 

 令呪の持つサーヴァントへの絶対強制力である事実に、ライダーは気がつかない。辞書の引き方を知らなければ辞書は無用の長物となる。自らにインストールされている膨大な知識を検索し参照することを知らぬライダーは、ただただ当惑するしかないのだ。

 

 そしてもっと酷いことに、その当惑は時間が経てば経つほど拡大し複雑化し、ライダーの身体に影響を及ぼしていく。

 最初は、攻撃の手段。次に、人を操るという戦法。更に次は操る人数を増やす人海戦術。そしてここで自らの魔力供給に問題が生じ、ライダーは『魔力を補う』ために感染者を増やすという、兵站の確立までしてしまった。

 

 意図して拡散したわけではないが、既にライダーに感染させられた人間は八万人を超えていた。実にスノーフィールド全体の一割にあたる人口を、魔力源としてライダーはこの手にしているのである。

 もうここまでくると、ライダーも薄々感づいてくる。

 

「ワタシハシンカシテイル」

 

 元々疫病の発生は細菌やウイルスの突然変異によるところが多い。たった一画の令呪によって、ライダーは以前の数十倍の知能と応用力をたった数時間で身につけていた。そして自覚し声に出すことで、ますますそのスピードは上がっていく。

 

 操られる人間にも適正というものがある。単純に魔力を注ぎ込めばいいというわけではない。個々人に見合った魔力量を込めなければ上手く動いてくれないのである。

 サンプル数を増やしデータを抽出、それらの共通項目も探り当て、優先順位を突き止める。漫然と数で押すのではなく、動きやすさを考慮した数を選択する。役割を分担し、個々の能力に合わせた利用をすることで効率化を図る――

 

「シコウサクゴ。テキザイテキショ。コウリョ。ヤクワリ。コウリツカ」

 

 それは一体なんだとライダーは思う。

 

 ライダーは、ただ椿から呼びかけられ、それに応じただけの存在だ。そこに目的などはなく、自らが悪魔か天使かも分からぬまま、ただ用意されていた契約を内容も確認せぬままに契約した。後は己の存在を打ち付ける契約の楔に付き従っていたに過ぎない。

 椿に付きまとい要望を聞いていたのは、ただそれだけの理由である。感覚としては雛鳥が最初に見た者を親と認識するのと何ら変わりない。

 

「ツバキ。ワガマスターヨ」

 

 私は、こんなことをしたくはない。

 それはおそらく、召喚されて初めてライダーが抱いた『想い』なのだろう。

 けれどもこの身体は、もはやライダーの思い通りにはならない。

 

 スノーフィールド中央病院の中庭から、ライダーは隔離病棟の五階を見上げる。この黒い影がライダーの本体というわけではなかったが、視界を得るためにはある程度の魔力を集中させる必要があった。それが結果として黒い影となって顕現している。

 

 パリ、とライダーの黒い影に魔力の紫電が一瞬表れる。肉体を持たぬライダーにそれは痛みとして認識しえぬものだが、ライダーの身体の中にコントロールできぬ部位が一瞬だけ表れたことを確認する。

 少しでも無意味な行動をとってみただけで、これだった。全力で抗えば抗った分だけ、ライダーは自らのコントロールを失うことになる。

 

 ――もう嫌だ! こんな世界、なくなっちゃえばいいんだ!

 

 あの時の椿の言葉を、ライダーは思い返す。

 あの椿の言葉がこの事態の発端であることに疑いはなかった。そしてライダーは、その言葉によって自らの力が強制されていることにも気付けるようになっていた。そしてそれが一体何を意味するのかも。

 

 見上げた視線の先では、青年と少女と合成獣が多勢に無勢で懸命に抵抗をしている。もはや障害となるべきバリケードはなく、波状に攻撃を仕掛けることによって彼等の疲労は限界に近付きつつあった。

 

 もう、どうしようもない程に椿達は追い込まれている。あと十分もすれば、彼等も現実へと帰り、ライダーの糧となる。最後に残った椿にできることは何もない。最後になった椿を――

 

「……ワタシハ、コレカラツバキニナニヲスル?」

 

 今まで理解できない問題は全てスルーしてきた。しかし、ここに至って進化はライダーに疑問を解消するための思慮を身につけさせようとしていた。

 

 先ほどからライダーは己の行動が椿の確保、もしくは椿の元への到達にあることを認識していた。そのためにライダーは彼等の行動を読み取り効率的効果的排除方法を繰り返し計算し続けている。しかし計算し続けた結果、彼に残されたのは疑問のみ。

 

 彼等を排除し椿を追い詰めた先に、一体何があるのか。

 一体何を、させようというのか。

 

 死をふりまくことが存在意義であるが故に、ライダーは殺人とは何を指すのか理解できない。人を殺すということが一体どういう行為であり、どんな意味を持つのか想像すらもできないのだ。

 

 殺すことへの拒否感を仮に人間と同様にライダーが持てば、それは自らの存在を否定することに繋がる。故にいくら進化しようとも、ライダーは人を殺すことへの拒否感を抱くことはできないような基本構造を抱えている。

 

 更に拙いことに、根本的にライダーと人との間には、埋めがたい認識の溝があった。

 脳死状態の人間の生死を人は討論するが、ライダーはそんな討論をするまでもなく『生きている』と判断を下す。何故なら彼の判断基準は細胞の活動状態に左右されるからだ。例え繰丘夫妻のように細切れ状態になったとしても、細胞の一部だけでも活動していれば、それは生きているのである。

 

 これから一体椿に何をするのか。世界を消滅させたいというのなら、今この世界を構築している椿の脳をいじるのだろうか、それとも脳を壊すのだろうか。あるいは、マスターがこの世界を維持できぬまで魔力を吸い取ればいいのか、マスターそのものを取り込んでしまえばいいのか。

 

 その手段の殆どが人として椿を殺す手段ではあるが、マスターたる椿にそもそも何らかの干渉をしてしまうことにライダーは否定的であり、恐れていると言い換えることもできる。

 その理由は……

 

「ワタシハ、ワタシガワカラナイ」

 

 何故かと問い続けながらも、答えがでる気がまったくしない。

 それがいわゆる『心』に近いものである以上、ライダーが気付くのはまだまだ時間を要するだろう。それは効率とか理屈とか最適化とか、そんな四則演算で理解などできる筈がない領域だ。

 

 けれども。

 遅まきながらもライダーは自ら予測したあらゆる結果を、確かにイヤだと感じた。なんとかしたいと思った。また椿と共に歩みたいと願った。

 

 ライダーの『心』の萌芽は奇跡と呼べる事態であるが、全体に対して与えた結果はもはや変えようもない段階に来ていた。

 定められた方針によって動き、最短最速の手段を選びそれがもうすぐ成就するともなれば、令呪の強制力に逆らうことなく平和的かつ安全な方法を選ぶことなどできる筈がない。

 

 ただ(こいねが)うことだけが、彼にできる唯一のこと。

 だがそれもすぐに諦めへと相転移する。

 

 先ほどから獅子奮迅の活躍をする少女の動きを、大男が数人がかりで封じこめる。

 のらりくらりと一撃離脱を繰り返す青年の逃げ場を、陣取りゲームのように徐々に奪い取る。こちらも少女同様に数人がかりで封じ込めるが、男達に供給する魔力は他の者の数倍。例え骨が砕け腕が千切れようとも、彼らはライダーの指示に従い少女と青年を絶対に離しはしない。

 残った合成獣は椿がこれを抱きしめ離さず、唸り声で威嚇はするがそれだけだ。椿と共に何の抵抗もなく複数人の手によって押さえ込まれる。

 これで、ライダーにとって障害となるものは全てなくなった。

 

 希望は、無残にも打ち砕かれた。

 

 ライダーはその歩みを停めることができない。

 椿を殺すだけなら操っている男達だけでも可能だが、脳内の細菌までどうにかするとなると彼らには難しい。令呪の命令を忠実に実行しようとするなら、最後の一手はライダーが直接行わなくてはならなかった。

 

 ゆっくりと宙に浮かび、五階まで上昇する。閉じられた窓があっても問題はない。物理的障害などライダーには無意味。

 

 そして、ライダーの登場を出迎えたのは、

 

「フラット!」

「ティーネちゃん!」

 

 数人の男達に覆い被され、もはや何の抵抗もできぬ二人の掛け声だった。

 

 その声を合図にしたかのように、拘束している男達に隠れるように身体を縮ませ眼を閉じ銀狼を抱きしめる椿の姿。

 ライダーと同じく言葉を解さぬ銀狼も何かが来る予感を抱いたようだった。動けぬ中でも必死に椿を守ろうと、防御態勢を取ろうとしていた。ライダーはそうした状況に対して何をすることもなかった

 そして。

 

「3、2、1!」

 

 叫ばれるカウントダウン。そして遅まきながら、ライダーは廊下に描かれた魔法陣の存在にようやく気付く。

 

 この世界は体外への魔術行使は不可能ではあるが、体内に対しては有効である。そして、体外に出した血で魔術行使ができるかは既に実験済み。フラットの血液で描かれた簡易魔法陣によってライダーはその一部を吹き飛ばされたこともある。

 

 だがこの場に描かれた魔法陣はあの時とは全く異なるもの。

 魔法陣は巨大で緻密に描かれ、淀みなく流れる魔力も臨界状態。更に言えばそれは床だけでなく天井や壁にすら掻かれた立体複合型連鎖術式。

 爆心地に威力を集中させ、少ない魔力でありながら相乗効果で威力を何十倍にも跳ね上げる芸術品である。

 光り輝く魔法陣。こうなってしまえばもはや止めようもなく、そして避けようもない。

 ゼロ、のカウントダウンはなかった。

 

 

 



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day.06-02 心

 

 

 そして爆心地に出現したライダーの体内から爆発が起こり――

 

「――そんなっ!」

 

 少女の悲痛な声が次の事実を物語った。

 

 この罠は非常に良くできていた。

 術式ひとつとっても実に見事であり、流れる魔力も淀みなく、逆流を防ぐためにバイパスも作られ芸術品としての完成度も高い。そして連鎖術式というところからもこの術式は術者が複数必要であり、息の合ったタイミングがあってはじめて威力を相乗的に高めるものだ。

 

 タイミングは絶妙であり、サーヴァントといえど決して無視できぬ威力。事実上この威力がこの世界における攻撃の上限だった。

 唯一の難点を言わせれば、あまりに威力が高すぎることか。本来は遠隔操作で起爆させる威力である。至近距離で発動させれば、その余波から術者は逃げることができない。

 

 だからこそ、ティーネとフラットはワザと操られている男達に捕まっていた。肉の壁を盾に余波から逃れ、この瞬間を待ち侘びた。

 それでもリスクは高いが、それ以上のリターンは得られるとティーネは踏んでいた。これでライダーを倒せるなどとは思えないが、最低限時間稼ぎはできるし、魔力を消費させればその分勝率は高くなる。

 少なくとも、そのつもりではあった。

 

 想定よりも遙かに少ない砂埃の中から、ライダーは悠然と現れた。

 以前の魔法陣では一部が吹き飛んだというのに、そうした気配もない。むしろライダーは椿が不用意に傷つかぬようにこの攻撃を最大限に受け止めてすらいる。その証拠に余波による衝撃がどこにも発生していない。予定では一掃される筈であった男達は誰一人として傷ついていない。

 

「あれで……無傷!」

 

 呻くティーネに、ライダーは何の反応もしなかった。

 

 ライダーの保有する魔力の密度は、過去に実験したときと比べ三〇〇〇倍近くに跳ね上がっている。ここまでくるとライダー相手に魔術で傷つけることは事実上不可能であり、物理攻撃が意味を成さぬライダーは無敵に近い防御力を有していることになる。

 

 フラットとティーネがライダーの背後で視線を合わせる。そのことをライダーは知らないし、仮に目撃したとしてその意味を考えることもしないだろう。背後の二人の手に込められようとしている魔力の高まりにすら、ライダーは気づきながらも気にしない。

 

 椿に触れるその一瞬前に、二人は己のサーヴァントを召喚する。

 一瞬一秒でも長く、時間を稼ぐ。余波で覆い被さった人間を吹き飛ばせなかったのは誤算だったが、肝心要の令呪による召喚には何の不自由もない。

 

 ライダーはゆっくりとその身体を動かした。パリパリと小さな紫電がライダーに起こる。椿を傷つけたくないというのは何もフラットとティーネに限った話ではない。ライダーもまた、少しでも令呪に抗い時間稼ぎをして己と戦っていた。

 

 そんな時間にしてわずか数秒程度の小さな努力が、また一つの時間稼ぎを産み落とした。

 

 椿が抱いていた銀狼、である。

 

 元より椿に拘束されていたこともあり、銀狼そのものの拘束は緩い。椿の体を傷つけることを恐れ、拘束よりも逃がさぬことに重点を置いたのも裏目に出た。それに加えて銀狼の筋力はそこいらの人間の力を上回っている。

 彼もまた、自らが飛び出す機を窺っていたのだ。

 

 ライダーが椿へ触れようとする直前に、銀狼は椿の腕の中から飛び出していた。物理攻撃が効かぬライダーではあったが、魔力を身体に巡らせた銀狼の体当たりには多少ではあるが効果はあった。

 ライダーが伸ばした腕は銀狼により宙へと霧散する。再度元に戻る腕にも返す身体で飛びかかり、またもライダーの身体は霧散し、再度復元するまでの数秒の時間を稼いでみせる。

 

 その気になればライダーは一瞬で銀狼を退治することができる。それをしないのは、銀狼の攻撃がライダーにとってまったく効果がないことと、ライダー自身が時間稼ぎを是としていたに他ならない。

 

 銀狼の体当たりは続く。

 三度、四度と飛びかかり、二桁に達する頃には着地すらままならなくなっていた。それでも、壁に強かにぶつかりながら諦めることなく、銀狼はライダーへと飛びかかってゆく。

 

 全力で動き続けていただけに魔力はあっさりと底を尽きかけ、ライダーに接触したことで病魔に蝕まれた身体から自由が徐々に奪われていく。それでなくとも全身の骨にはヒビが入り、牙の一本は折れてしまった。

 

「もう止めなさい!」

 

 ティーネの悲痛な叫びが辺りに響くが、それでも銀狼は動きを止めようとはしない。

 時間稼ぎは数分に及んでいる。ここにきて、ようやくライダーは――令呪は、銀狼を障害と判断する。

 操っている人間の中からまだ動ける者を一人選び出す。そして銀狼が着地した瞬間を狙い、鉄パイプでその前足を容赦なく殴打した。

 

 鈍い音のしたその一撃にも、銀狼は欠片も怯みはしなかった。

 足は確実に折れ、飛びかかることはもうできない。だというのに椿の前で唸り、鬼気を撒き散らしてライダーの足を止めようとする。その様は義経を死守せんと仁王立ちする武蔵坊を彷彿とさせる荘厳さがあった。

 

 フラットもティーネも、この瞬間まで銀狼の存在を誤解していた。

 銀狼はただ流れで付いてきたわけでも、漫然とこの場にいたわけでもない。同盟を発案し組み入れたティーネですら、銀狼を対等な仲間としてちゃんと数えていたわけではない。同じマスターとはいえ銀狼は『獣』であり、『人』ではない。同盟でありながら、対等に見てなどいなかったのだ。

 

 けれども、銀狼は違った。他の誰よりも、彼は同盟を正しく理解し、その義務を執行している。

 銀狼は、ティーネを、フラットを、椿を、彼のサーヴァントであるランサーと同じく群れの仲間として扱っていた。ほんのわずかな時間を共にしただけではあるが、銀狼にとって彼らは間違いなく仲間だった。銀狼がその残り短い命を懸けて守るに値する存在だと、断言できていた。

 

 限界を超えてなお動こうとする銀狼を止めたのは、その背後にいた椿だった。椿を捕まえていた人間は椿の胴を掴みはしていたものの、両手の自由は許していた。だからこその椿は銀狼を捕まえることができた。これ以上自分のために銀狼が傷つくことを防ぐことができた。

 

 椿は既に両親の死のパニックから脱している。少なからず放心状態であることには違いなかったが、懸命に慰めようとする銀狼と自らを守ろうとするフラットとティーネによって、絶望に突き動かされることはなかった。

 

 そして、銀狼の動きは椿の心を、そして身体を動かす力を与えた。戦闘に参加せず、ただ罠に対して怯え防御するだけの心の弱いだけの少女はここにはいなかった。

 

 ここに、銀狼と椿の間に心が通った。

 椿は銀狼を守りたいと思い、銀狼は椿を守りたいと思った。

 

 ライダーはその様を見ながらも、黒い霧を網のように上部に発生させる。腕という線ではなく、網という面によって確実に椿を捉えるつもりである。

 

「――ツ、バ、キ」

「ライ、ダー?」

 

 ライダーの網は完成していた。あとはそれを振り下ろすだけでことは終わる。だというのに、ライダーの身体は一向にそれ以上動こうとしない。それどころか、椿と会話を試みようとすらしている。

 

 ライダーの身体にあちこち紫電が走り続ける。それは令呪の強制力にライダーが逆らっている証拠だった。

 

 もう、時間はない。

 

「ワタシハ、ダレモ、キズツケタク、ナイ」

 

 それはライダーが出した結論。

 理屈などを超越し、計算では導き見つけ出すことのできない『心』そのもの。

 

「うん、わかったよ、ライダー」

 

 大粒の涙をポロポロ零し、ライダーの『心』応える椿。その涙を受け止め、もはやあれほど強烈に放っていた鬼気をその身に収め、銀狼はライダーをただただ見据えていた。

 

 その数秒が、ライダーには限界だった。

 無慈悲に振り下ろされようとする黒い霧の網を、椿と銀狼は目を逸らすことなく見続けていた。

 

 



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day.06-03 生 対 死

 

 

 その戦闘は何の打ち合わせもなく行われた。

 

 これが騎士同士の戦いであれば、互いに名乗りあったことだろう。街中のチンピラであっても、陳腐ながらも口頭による礼儀作法に則って殴り合いへと発展するだろう。獣ですら、互いに威嚇し合い相手の力量を探ったに違いない。

 

 ここに互いに礼儀礼節を必要としない自然現象としての戦闘があった。

 磁石のS極とN極が近付けば互いに引きつけ合うように、その場に顕現した瞬間から一切合切の事情を抜きに、両者は全力の一撃をお互いに叩きつけ合った。

 

 スノーフィールド中央病院、その隔離病棟の屋上。

 周囲には同じ高さの建物もある。軽く跳躍すれば隣に移れるこの場所は、狭い屋上であっても両者にとっては広いグラウンドと変わりない。むしろこの場所より高い場所が少ないので大技を放ちやすく、また正面衝突以外の選択肢を取らせない、実に互いの理に適った環境であった。

 

 両者は互いに力任せの一撃を放つ。そこに技量は関係なく、込められた魔力は絶大。一方の斬撃はその余波で敵どころか、遙か後方にあるビルをも左右に両断してみせる。もう一方が放った魔力は濁流の如く敵を呑み込みながら、その飛び散った魔力の飛沫は周囲一帯に小さなクレーターを幾つも穿ってみせる。

 

 片や身体が左右に別たれ、片や魔力弾で身体はズタズタ。見る限り両者の一撃は致命傷で、相打ちのようにしか見えない。

 互いに知性を感じさせぬ戦闘であるならば、相打ちの結末など珍しくもない。自らの勝利や敗北よりも敵の殲滅を第一義とするなら、むしろこれは自然な流れともいえよう。

 

 だがそんな自然など、ここには存在しない。

 両者とも原型留めぬ身体でありながら、方や横に敵を薙ぎ払い、方や先と同様濁流の如き魔力の放流を再開する。先と違ったことといえば、遠方のビルが倒壊したことくらい。

 

 このままでは千日手だ。同じことを同じように繰り返し、どちらが先に力尽きるかの根比べ。互いに追い詰められるところまでこない限り、この勝負に変化はない。

 

 もしくは、

 

「お願い、止めてライダー!」

「矛を収めてください、ランサー!」

 

 第三者の介入でも、ない限り。

 

「ツバキ」

 

 再度放とうとした魔力をライダーはキャンセルさせ、十字に斬られた身体を再び集結させる。一瞬歩み寄ろうと戸惑いが見られたが、ライダーが椿の元へ行くことはなかった。

 

「――愚かなことを。これで僕が引かなければ、あなた達の命はありませんでしたよ?」

 

 このわずかな時間に元の端麗な顔立ちへと復元されたランサーは、手を広げ立ち塞がったティーネに苦言を呈する。事実、ランサーはライダーが止まっていなければ、容赦なく創生槍を振るうつもりであった。

 

「ああ、もしかしてあなたがジャックさんのマスターですか?」

「その根性なしは今頃この下で、あなたのマスターを介抱中です」

 

 何故かフラットについて怒気を込めながら、ティーネは説明する。

 

「私はアーチャー、英雄王ギルガメッシュのマスターです。スノーフィールドの原住民の族長をしております、ティーネ・チェルクと申します」

 

 ランサーに対しティーネはボロボロになったスカートを両手に摘んで一礼する。アーチャーから多少ながら聞いてはいたが、その顔立ちと手持ちの武器からランサーのサーヴァント、エンキドゥに間違いないと判断してのことだ。そうであれば今後のことを考慮して名乗らぬわけにもいくまい。

 

「それは危ないところでした。では、あなたを殺すわけにはいきませんね」

「ありがとうございます」

 

 予想通りの解答を得て、ひとまずティーネは安堵する。

 ランサーが一体どこまでティーネの価値を高く見積もっているのかは不明だが、意識に留められたということはそれだけランサーの行動を鈍らせることも可能ということ。全員の身の安全を約束されなかった以上、この身を呈せば躊躇するだけの時間は望めるかもしれない。

 そんな事態になるのは御免だが、しかしそれとは別に確認すべきことはある。

 

「ジャックさんから話は聞いていただけましたか? 彼を通じて不戦協定を提案された筈です」

 

 それはフラットが予め用意していた保険の一つ。

 携帯電話でフラットはバーサーカーに現状を伝えている。この夢世界から全員が現実世界に戻れるよう、可能な限り他サーヴァントに不戦協定を結んでもらうよう依頼していたのである。

 

 特に事情を知らぬアーチャーが召喚された場合、ティーネがいるとはいえ問答無用でライダーを殲滅しそうである。万が一にも銀狼のサーヴァントを召喚する状況になった場合、一体どのサーヴァントが召喚されるか分からなかったからである。

 

「ああ、あれは君達の策ですか。条件付きで承諾はしましたよ。無抵抗の者であればマスターやサーヴァントでも、僕に傷つけるつもりはありません」

 

 ライダーを横目で確認しながら、こういう事情だったか、とランサーは頷いた。事情は知らぬようではあったが、何にせよこれでここからの脱出計画はまた一歩前進したことになる。

 

「ただし――」

 

 ティーネが安堵したのもつかの間。ランサーの整った容貌に切り刻まれるような殺気が生まれる。

 

「このサーヴァントだけは例外、かな」

 

 創生槍を宙で回転させ、ランサーは明かに戦闘スタイルで槍を構える。

 確かに、明かな戦闘意志を見せつけるライダーに対して、バーサーカーと約束した不戦の条件はクリアしていない。

 しかし、例えそれをクリアしたとしても例外であるとランサーは告げてみせた。

 

「待ってください! この状況で喚ばれておいて申し訳ありませんが、あなたが喚ばれた目的はライダーを殺すためではないのです!」

「それにライダーはもう大丈夫なんです! 私のライダーはもう人を傷つけません! そう命令しました!」

 

 ライダーの前でティーネと同じくランサーへと手を広げ立ち塞がる姿は、椿にとって実に勇気が必要な行動だったに違いない。先ほどまで自分を殺そうとしていた者の前で背後を見せるのもそうだし、殺気全開で構えるサーヴァントを前に意見すらしようとするのだ。

 

 椿の手に令呪はもはや一画しか残っていない。

 椿が助かるために令呪は使ってはならないと約束させられてはいたが、椿は自らの意志でその約束を破った。これ以上仲間が傷つく姿を見たくなかったし、それよりもライダーの意志を尊重したかったのがその理由だ。

 

 そのために、椿は自身にかかるありとあらゆるリスクを許容している。己の死はもちろんのこと、また一人でこの世界に取り残される覚悟すら椿はしていた。それは他人を知ってしまった今の椿には死よりも恐ろしいことの筈だったが、そんなことが些事だと椿は令呪を使ってみせた。

 

 その覚悟は椿とパスで繋がっているライダーも感じ取っていた。だからこそ椿を助けたいとライダーは必死になって解答を模索し、そして結論を出していた。

 

「幼子ながら賞賛に値する覚悟です。しかし、だからといって槍を振るわない理由にはなりませんよ。僕も、そしてライダーも」

 

 ランサーの軽口に応じるかのように、ライダーはその暗闇のような身体を徐々に大きく、そして濃くしていく。それが臨戦態勢であることは明確だった。

 

 ライダーには『人を傷つけるな』という令呪の強制力が効いている。だがその範疇にサーヴァントは含まれない。

 

 第一の令呪『繰丘椿が構築している夢世界の消失』。

 第二の令呪『人間を傷つけてはならない』。

 

 両方の命令に逆らわず椿を助ける手段は、もはや目前のサーヴァントに頼るしかないと、ライダーは判断していた。

 もはやライダーは自分で自分を縛り律することはできない。

 

 ここで止まることができたとしても、ライダーは椿が作り出したこの夢世界を数時間の内に食いつぶしてしまうだろう。

 椿を食いつぶさないためには、負担となる自分自身を消滅させるか、もしくは他のサーヴァントを取り込み椿への負担を減らすしかない。

 

 令呪を用いてまで止めてくれた椿には申し訳ないが、ライダーにとってランサーとの戦闘は互いの存在意義を抜きにしても必要不可欠だった。

 もちろん、ライダーに負けるつもりはなかった。

 

「――――――――――!!!!!」

 

 それは先にも聞いた咆哮。だが先と違うのは叩きつける相手が自らの意志で選べたことだろう。それは相手となったランサーも十分承知のこと。

 

「わざわざ令呪二画分も使ってこんなところへ喚ばれたんです。できる限りマスターの意に沿うよう動きたいところですが――」

 

 涼しい笑顔の中に座る瞳は、他の何より冷たかった。

 

「僕は親友以上にこういった手合いが嫌いなんですよ。一ついれば際限なく増える存在なんて、さ」

 

 そう言って、ランサーは立ち塞がる椿とティーネを軽く飛び越え、ライダーへと立ち向かう。ライダーもその身体を一層濃くさせ応戦の構えをとった。

 

 実を言えば、このライダーに対して勝利できる可能性のある英霊は非常に少ない。そしてその少ない英霊の中で、この聖杯戦争でそのまま立ち向かい斬り結ぶことのできるサーヴァントはこのランサーだけである。

 

 あの英雄王でさえ実際に戦うとなれば絨毯爆撃による全面火力制圧するしかなくなるだろう。もしくは対界宝具によって空間毎消失させるかの二択くらいだ。それくらいやってもなお確実に殺しきれる自信は持てないだろう。

 

 しかし、ランサーは違う。

 ランサーが保持する宝具、創生槍ティアマトはこの世のあらゆる生命の『原典』であり『原点』である。

 あらゆる物理攻撃を無効化し魔力攻撃をも耐え凌ぐライダーではあるが、その本性は『死』を振りまくペイルライダーである。いかにライダーが古の城塞以上の強度を持っていようと、『生』の象徴たる創生鎗ティアマトの前では紙切れほどの意味もない。

 

 生前の因縁があるとすれば英雄王だけではあるが、その在り方についてはランサーとライダーは『生』と『死』の対極関係にある。それこそ、互いの存在意義を考えればぶつかり合うのも道理だった。

 水と油が交じり合うことはあり得ない。

 

「――――――――――!!!!!」

 

 そして三度、ライダーは咆えた。

 

 



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day.06-04 創生

 

 

 互いに都合の良かった筈の屋上は、椿とティーネの登場により御破算となった。

 仕方なく新たな戦場に移ろうかというランサーが跳躍する最中、地に足を付ける必要のないライダーは空中をもって新たな戦場に選んだ。

 

 桁違いの魔力を持ってはいるが、ライダーは魔術そのものを習得してはいない。そして必殺宝具たるものもない。

 ライダーが現在実行可能でランサーに有効な手段は、魔力を材料に適切な形に加工し投げつけることのみ。初歩魔術としての魔力弾と原理は同じであるが、しかしその威力は桁どころか位すら異なる。

 

 空気を圧縮すると熱を持つ。それは物理学の基本のひとつではあるが、これを同じような要領で魔力を圧縮するとどうなるのか。空気を極限まで圧縮すれば数千万度の温度を内包するプラズマと化す。では、魔力では?

 

 ライダーが打ち出した魔力弾は野球ボール程の大きさが四つ。速度もそこまで大したものではなかったが、空中という身動きできぬ位置取りが、ランサーをして全弾回避の選択肢を与えなかった。

 四つの魔力弾のうち二つは創生槍によって弾かれ、防がれる。残り二つのうち一つは身を捻ってなんとか回避はできたが、それがランサーの限界だった。

 

 あの二十八人の怪物(クラン・カラティン)が様々な手を尽くし、最終的に大規模爆発を引き起こしてすら涼しい顔をしていたランサーが、受けた一撃に苦悶の表情を浮かべる。

 左肘から当たった魔力弾はそのままのスピードで左脇腹からランサーの体内を経由して右肩付近から出て行った。泥人形である彼は衝撃を受け流すことでダメージをなくすことができるが、今受けた魔力弾はその泥人形の泥そのものを削り取っていく。

 

 ランサーの身体である天の創造(ガイア・オブ・アルル)はAランク相当の攻撃も無効化する宝具である。しかもクラススキルとしての対魔力もあるというのに、ライダーが生み出した魔力弾にはそれ以上の威力があったということになる。

 

「――なかなか、やるではないですか」

 

 泥が破壊されたのならその破片を回収すれば元通りとなるが、削られ消失された以上は元に戻すことは不可能。それだけランサーの戦闘能力が低下したこととなる。もっとも、ダメージはランサーの全質量の3パーセント程度。この程度であればまだ許容範囲内。同じ愚を犯すつもりはない。

 

「いいでしょう。その挑発、受けて立ちます!」

 

 本体の質量が更に減ることを承知でランサーは背中から大きな翼を生やし、一気に上空へと飛翔していく。その速度は遠にいるティーネや椿の視界であっても追いつかないほど。そしてライダーにしても、その緩慢な動きではうまくランサーを捉えることができない。

 

「お返しですよ」

 

 その速度のままに創生槍を振るうランサーに、ライダーは碌な抵抗もできずに再度真っ二つとなり、返す槍で四等分に分割される。すぐに再生を果たすが、しかし創生槍での一撃はただ受けるだけでかなりの魔力を消費していた。

 

 結局は互いの身体を削りあうだけの戦闘が、ここでも繰り広げられる。だが先みたいな無様な攻撃の応酬ではなく、そこには簡単ながらも戦術が練られはじめていた。

 

 元来、『生』と『死』の強弱は『生』の方が圧倒的に強い。

 増えると言うことは、プラスである『生』がマイナスとなる『死』の数を上回るからだ。そういった意味で『生』のランサーは『死』のライダーよりアドバンテージがある。

 

 周囲をランダムに旋回しながら、ランサーはゆっくりと削ぎ落とすようにライダーの身体を確実に削りとっていく。そのたびにライダーは身体を修復し反撃しようとするが、素早く動くランサーにライダーの攻撃は悉く当たらない。

 

「コレハ……ヨクナイ」

 

 その光景を誰よりも冷静に見ていたのは、何を隠そうライダー本人である。

 

 肉体を持たず、ただ疫病という概念を得た魔力の塊は機敏に動くことは不向きであり、収束させることにも効率的ではない。ペイルライダーとして一番正しい戦い方はランサーに反撃もせず、ただ薄く広く潜伏することである。

 

 疫病においてもっとも恐ろしいのはパンデミックに違いなく、いかにランサーといえどライダーを消滅させることは不可能になる。ただし、その場合英霊とは名ばかりの、悪霊にすら劣る雑霊となることは避けられない。復活には相当な時間が必要となるだろう。

 せっかく手に入れた『心』も、失うことになる。

 

 それではだめだ。敗北から逃れることと勝利を得ることは似ているようで決定的に違うのだから。

 なりふり構わぬ災厄としてではなく、椿のサーヴァントとしてライダーはあり続けねばならない。

 

 では、勝利のために何をすれば良いのか。

 魔力弾の威力は高いが、その分魔力消費も莫大、高速で動くランサー相手では命中率も期待できない。それでいてライダーの処理能力で一度に放てるのは無理をして五つか六つまで。再生をしながらだと三つ作るのが精一杯。最初のように不意を突かねば当てることは難しいだろう。

 

 唯一の救いは、未だもってライダーの魔力は潤沢であること。

 人を傷つけることを禁止はされているため、吸収し尽くして殺すことはもはやできない。だが、傷つけないと判断できるところまでなら魔力吸収をすることは可能だ。事実上八万人分の魔力を得ているライダーをこの調子でランサーが削るには、あと数時間以上かかることだろう。

 

 ライダーはランサーとの戦いながら冷静に分析を続け、思考し続ける。

 ライダーは己の最適化をミリ秒単位で行い、今も着実に増えつつある魔力を選別し圧縮し拡張し再定義、再検証。一秒後のライダーは一秒前のライダーよりも確実に強くなる。

 情報の書き換えに自己同一性を失うリスクを常に孕み続けるが、その度にサーヴァントとしての器と令呪によって最後の一歩を踏みとどまる。椿との絆が、ライダーがかくあるべき姿を思い出さてくれる。

 

 ただそこにあるだけの『死』だったライダーが、同等以上の敵と守るべき者の登場によって、あろうことか積極的に生きるべく加速度的に進化を開始した。

 自己を確立したライダーは、レイ・カーツワイルが提唱した収穫加速の法則によって加速度的に変貌していくのは明らかだった。

 

 ここまでしておきながら、それでもまだライダーに明確な勝機は見えない。

 この進化がこのまま進めばあるいは希望も見えるのだろうが、ライダーはそこで頭を振る。

 椿にかかる負担を考えれば、悠長にランサーと戦っている場合ではない。そうでなくとも、相性の問題からライダーがランサーを簡単に上回ることはない。

 時間はライダーにとって敵でしかなかった。

 

 だからこそライダーは己の中に勝利を求め、そしてようやくその存在に気付いた。

 

「マダ、リヨウデキルモノガアッタ」

 

 ライダーの声に喜色が彩った。

 ライダーが見つけ出した選択肢は、決して褒められたものではない。概念としてはあり得ても実験する者などまずいない禁忌の御業。大戦末期に特攻兵器を生み出した者達と発想に違いはあるまい。もっとも、それを躊躇するような倫理観をライダーはまだ持ち合わせていない。

 

 作り上げた魔力弾をランサーではなく創生槍の斬撃にぶつけて相殺させ、軌道を逸らす。明確な防御行動にランサーから一瞬戸惑ったような気配を感じるが、それであっても攻撃が止むことはない。

 

 この場面での防御は悪手の部類だ。

 何故ならライダーの長所は物量にある。強大で強固であり、莫大である。これだけあればマスターの楔も必要なく、その体に弱点らしい弱点が存在しない。防御などそもそも必要としないのである。

 ランサーの攻撃を凌ぐ意味はあるのだろうが、ライダーが攻撃しないことでランサーの回避行動が減った分、繰り出される斬撃が目に見えて増える。ライダーの消耗は確かに減ったが、ランサーの消耗がほとんどゼロとなれば、どちらに利する行為かは明白であろう。

 

 もちろん、そんなことはライダーとて承知している。

 この悪手を延々と続けるつもりはもちろんない。

 ただ、ライダーは外よりも内に対してその手を伸ばしたかっただけなのだ。

 

 ――現代知識を参考に可能性を検証。

 ――理論上不可能ではないと判断。

 ――魔力パスによる仮想モデルを構築。

 ――ローカルエリアネットワークの存在を認識。

 

 より密度を増した斬撃に生成した魔力弾があっさりと砕け散る。防御となれば多少質を落としたところで問題ないが、質を落として生成速度を多少上げたところで繰り出される斬撃はそれよりも更に多い。

 

 ――実験素体をランダム抽出、実験開始。

 ――無意識領域の部分的確保に成功。

 ――集合的無意識を断片的に確認。

 ――原型(アーキ・タイプ)への接続には失敗、ただし低レベルでの電気信号変換コードを入手。

 

 乱打する創生槍に案の定魔力弾の生成が追いつかなくなった。相性が悪いため密度を増して防御力を上げることはしない。むしろ密度を減じて広く拡散、的が大きくなれば被弾率も高くなるが、ダメージ量は減少する。

 

 ――リスク許容値を再定義。

 ――容量、メモリ、ハードの安全を確認。

 ――素体の物理セキュリティを強制解除。

 ――許容値内で疑似回路を1543パターン作成、書き込み開始。

 

 もはや虫食いだらけの体ではあるが、ライダーは損害を厭わない。むしろ積極的に薄く広範囲に広がりランサーから距離を取るべく拡散と集合を繰り返す。囮となるよう密度が高い場所を同時に幾つも作り上げ、目眩ましを敢行。

 

 ――成功事例を確認、実験終了。

 ――他素体による検証開始。

 ――自壊抑止のため制御システムを構築開始……構築終了。

 ――創生成功。

 

 これが賭である自覚はある。

 このまま戦い続けても負けは必至。いつか出なければならない賭ならば、早くに実行した方が良いとライダーは判じた。

 囮の尽くはランサーによって数瞬で消滅させられる。この程度で攪乱になるとも思えないが、本命を誤魔化すことには成功した。

 

 ――命名、固有宝具感染接続(オール・フォー・ワン)

 ――感染接続(オール・フォー・ワン)起動常駐開始。

 

 夢の中にて、その宝具は産声を上げた。

 

 



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day.06-05 感染接続

 

 

「……なんですか?」

 

 その光景に思わずランサーの口から疑問符が零れ出ていた。

 

 見間違い、であろう。ライダーは黒い布きれに目と口を開けただけの典型的なお化け衣装に身を包んでいるような適当な姿のサーヴァントである。目と口と称したものの、実際は頭部らしき場所に空いた三つの穴を顔と誤認してしまうシミュラクラ現象でしかない。

 

 そんなライダーが、ニヤリと笑ったように見えたのだ。

 不敵な笑み。そんな錯覚を戦闘の最中に認識してしまう自分に一抹の不安を覚える。再度一瞥してみるが、ライダーの顔に変化があるようには見えない。

 

 念のため攻撃に割いていた余力を緩めていた回避行動へ振り返る。

 ランダム機動は動きを読まれぬよう幾度となく仕掛けたが、今回のは特別だった。目眩ましの斬撃を念入りに行いつつ、ビルの死角に入り込んだ瞬間に人ならざる体を最大限駆使して無理矢理の方向転換。重力さえ無視する即席のスクリューコースターとなって常識に捕らわれては予想もしない場所から再出現。

 

 危ない橋を敢えて渡る必要はない。不確定要素はなるたけ潰し、潰せなければ大きく迂回するまで。

 決して侮れぬ相手なのだ。少しでも危機を感じたのなら、それに素直に従おう。

 

 信じられぬ速度でライダーの背後に回ったランサーはそのまま創生槍を構える。

 本当にシミュラクラ現象であるのならライダーに死角があるとも思えないが、正面からわざわざ叩く意味もない。多少意表を突ければ良いくらいか。この程度の奇策であれば幾ら見せたところで惜しいものでもない。

 

 ライダーとランサー、どちらも強力なサーヴァントであることには違いないが、その性質はまったく異なっている。堅く鈍重な重戦車と素早く脆い戦闘機。互いのパラメーターは明白で、それが故にこの戦場でどちらが優勢かも明白。

 

 ライダーが勝利するためには、その潤沢な魔力を効果的にランサーにたたき込む必要がある。だがそんな奇跡を成すにはランサーの技量は卓越しすぎている。安い奇跡に頼っていては何年経とうが打ち負かすことなどできやしない。

 

 逆に、ランサーは時間をかけて削り取るだけで労なく勝利をもぎ取れることだろう。あとはいかにダメージを抑え魔力消費を抑えるかが鍵となる。唯一気をつけるべきは銀狼の安否のみ。その銀狼の傍には別のマスターが介抱しているようなのでそこまでの心配も必要ない。

 

 ならば、とランサーは手堅く持久戦を選択する。

 疲労の心配をしなくても良いのが泥人形の利点だ。一撃離脱を延々と繰り返し、根負けするまで実行し続けよう。

 行動の選択肢はランサーの手にある。スピード勝負であればランサーがライダーに負けることはない、筈だった。

 

 すっかり持久戦を覚悟してしまったランサーにとって、油断すまいと思った瞬間にその言葉を思い返すことになる。

 

 ライダーの死角(と思われる場所)より最短最速で創生槍が存分に振るわれた。およそ生物が発揮できる瞬発力の限界を超えている。これでライダーを倒せるなどとは思わないが、並のサーヴァントであればあっさり葬れるだけの威力はあった。

 疾風としか形容できぬ姿を視認することは不可能であり、またそのようなモノが存在するはずないという常識がフィルターとなって、よりいっそうそれを不可視のモノへと変えていた。

 少なくとも、全体を見ていた筈のティーネと椿には、何が起こったのか分からなかった。

 

 一撃は寸分違わずライダーを抉ってみせる。やはり中距離よりも近距離の方が腰が入り業の冴えが違ってくる。一撃離脱のため速度を乗せていたのが悔やまれた。速度がなければその場に留まり次撃を打ち込むこともできたのだが、幸か不幸かその次撃を放つ意味はそこになかった。

 

 手応えが、なかった。

 

 薙ぎ払う一閃は確かにライダーを切り裂いてみせるが、その最高の一撃は実に空虚だった。

 これは、囮だ。

 

「馬鹿な――」

 

 ランサーの気配感知スキルはこの夢世界でも十分以上に機能している。如何にランサーがライダーから目を逸らそうと気配感知スキルからは逃れられないし、そんな様子もなかった。

 

 信じがたい事実であるが、どうやらライダーはその本体を希釈して周囲に紛れ込ませながら、表面のみをそのままに囮と入れ替わったらしい。

 そんな器用な真似ができるなら何故最初からしなかったのかと思ったが、それも当然だ。本命である精巧な囮を隠すため。ランサーはそれにまんまと嵌まってしまっただけだ。

 

 囮を切り裂いた衝撃で、中に封入されていた臨界状態の魔力が爆発する。起爆スイッチを図らずも押してしまったランサーは至近距離でその衝撃を受けるが、衝撃だけでダメージはない。

 

 爆風に乗ってその場から退散しながら威力を殺す。いやしかしこれは失策だった。ダメージがないならその場に無理にでも踏みとどまった方が良かった。爆発の衝撃によって見当識を喪失。気配感知スキルも一時的ながら役に立たない。

 

 この瞬間に、ライダーは全てを賭けていた。

 ランサーの隙を突くようにして、頭上に漆黒に彩られた魔力弾が生み出される。見た目は先ほどから何度となく作られていたものと変わらない。そして威力についても実は何も変わってはいない。

 唯一違うのは、その数だった。

 

 この夢世界、夜空に瞬く星々は存在しないが、今は漆黒の星々がその代わりを務めている。

 星と紛う数の魔力弾。それが今一斉に放たれた。

 

「これは一体!?」

 

 もはや豪雨を彷彿とさせるような弾幕に、さすがのランサーといえど出鼻を挫かれ、釘付けとなる。

 遮蔽物の少ないフィールドが災いした。上空でこれでは、格好の的でしかない。降りしきる雨の中でまったく濡れずにいられるわけがないのだ。せめて弾幕の薄い場所を探そうにも、気配感知スキルは一時的に役に立たない。

 回避仕切れず両翼に空けられた穴を見ながら、ランサーは素早く周囲の地形を確認する。この物量を正面から相手にするにはさすがのランサーも骨である。

 

 まずは垂直降下してライダーの魔力弾と併走するように逃れる。翼が傷ついたため先のような無理矢理な急反転はできないが、多少の軌道修正ならできる。乱立するビル群が邪魔をしてライダーの魔力弾は効果を発揮できない場所がある。

 

 ――いや、その程度で済むのか?

 

 ランサーの疑問は一瞬。そして最高クラスの気配感知スキルがようやく復活したことによって、これがまだ終わりでないことを悟った。

 

 濃密に、全身にベッタリと張り付くような不快感を感じ取る。辺りの空気が一気に重くなるような、重圧。

 魔力弾の絨毯爆撃に地上一帯は凄まじいことになっているが、暢気に下を見続けるわけにもいかない。見上げれば、落下していく魔力弾の中に不自然な動きをする球があった。それがただの変化球である筈がない。

 

 己の直感に素直に従い、ランサーは重力加速も付与して一気にスピードを上げて引き離す。地表スレスレで翼を仕舞い脚部での高速移動。みるみる魔力弾との距離は開いていくが、案の定魔力弾は地表にぶつかることなくこちらへとその進路を変更して見せた。近場の魔力源に反応するようプログラムされているのだろう。

 距離を離すことは簡単だが、いつまで追ってくるか分からない以上不安要素は排除しておかねばならない。

 

 ビルの影に入り、正面から来た変化球を創生槍で薙ぎ払う。

 追尾式とは中々にやっかいだ。これをそのまま放置してはあっという間に取り囲まれかねない。仕方なく移動に移動を重ねて順次漸減していくが、足を止めたわずかな隙ですら追尾魔力弾は徐々に増えていく。

 そして何より、完全にライダーを見失っていた。

 

 主導権を取っていたつもりであったが、それはランサーの勘違いであったらしい。それでも、ランサーに焦りはない。

 今までの戦法を抜本的に変えていく必要はあるが、だからどうしたというのか。ライダーが強大である事実と相性の関係に変化はないのだ。ライダーを見失いこそすれ、大量に魔力を消費させている事実がある以上、この場を凌ぐ以上にやるべきことはない。

 重要なのは、相手を消耗させ、こちらの消耗を抑えること――

 

「――!?」

 

 などと冷静に分析を続けるランサーに追い打ちがかかる。

 ビルの影に逃げ込むことで魔力弾を凌いだランサーであるが、逆に言えばビルの影へと誘導させられたともいえる。その自覚はランサーとてあったが、次の手が何かと問われれば閉口するしかあるまい。

 次の手が来るとさえ分かっていればランサーには十分なのだ。手の内が常識と異なる相手にこれ以上考えても仕方がない。これもまた、絶対的強者であるが故の奢りには違いない。

 

 だから、次の瞬間にランサーは十七個の肉片に『解体』された。

 

 切断面はとてもキレイで、中に一応作っておいた臓物はこぼれていない。誰が見ても致命傷であろうが、ただ切断されただけ。真祖の姫君だって復活したのだからランサーであれば尚更。一秒もかからず復活してみせる。

 

 種明かしは簡単だろう。

 凶器の正体は、わずか数ミリの魔力弾――否、魔力レーザーか。魔力を点ではなく線として収束させ、折り重ねることで実現したのだろう。

 ビルを貫通させてランサーを切り刻んだその威力は認めるが、飛距離に比例して減衰していく威力を考えれば、魔力弾の一〇〇倍以上の魔力と誘導弾以上の精密さが要求されることになる。

 

 再生するための一秒で周囲をさらなる誘導弾が埋めていく。ざわりと、うなじをなでていく冷たい感覚に従い、誘導弾の迎撃もそこそこに必ずあるであろう追撃を避けるべく前方へ跳ね飛んだ。

 一瞬前までいた場所が縦に割れた。残光を伴ってはいるが、これが終わりではない。光と見紛う速度で飛来するレーザーは、さすがのランサーもまともに相手ができるものではない。ダメージとしてはほとんどないが、悠長に再生していては誘導弾に囲まれて詰んでしまう。

 

 レーザーによって斜めに切断されたビルが上から降ってくる。ライダーは執拗にランサーの動きを束縛したいらしい。

 行動の制限を嫌ったランサーは仕方なく倒壊してくるビルから離れるが、その間にも執拗にライダーのレーザーはあらゆる障害物をまとめて切り刻んでいく。

 フェイントを連続でかけ続けることで、何とか回避し続けるが、その全てを完全に回避できるわけでもない。

 

 いや、それよりもライダーがランサーを完全に捕捉していることのほうが問題か。

 レーザーがランサーを的確に狙っている事実と、フェイントという人為的な回避運動から、ライダーはランサーの動きを完全に捕捉している。ランサーの気配感知スキルにも捕捉されずに、どうやってか。

 

「いや、違う――ここは既にライダーの腹の中か」

 

 ランサーの叫びに応じるかのように、すぐ傍らの空間に魔力弾が生成されランサーの動きを阻害する。創生槍で打ち払うが、レーザーがランサーの脇腹を灼いた。

 

 戦場を開けた上空から狭く入り組んだ地上に移したのは失敗だった。ビルの影へ誘導されたと勘違いしていたが、何のことはない、この地上に降ろさせた時点でライダーの罠は完了していたのだ。

 

 地上に降り立った時から感じた不快感。これは、ライダーそのものだ。

 

 不快感だけでサーヴァントの気配と気付かぬのもこれでは当然だ。盆地に流れ込む霧のように、ライダーはランサーに悟られぬよう周囲一帯と同化していたのだ。全体に広く薄く希釈して潜伏したライダーは、彼自身が危惧したとおり英霊とは呼べぬ悪霊にすら劣る雑霊と成り果てている。

 

 一体何をどうやって完全に雑霊に堕ちるのを防いでいるのか知らないが、ライダーはそれを克服しているらしい。こうも的確な攻撃を意識的に行っていることからもそれは明らかである。

 もしこれを意識的にいつでも行えるのだとしたら、それは無敵と同義だろう。

 

 ハイリスクハイリターン。ランサーはライダーの罠に見事に引っかかったわけだが、こんなリスクの高い綱渡りがそう長く続くわけもない。ライダーが賭けに出ていることは明白だった。

 

 どこかで天秤は傾く。

 案の定、その時は近かった。

 

 一気に深まる不快感に、自然と創生槍を握る手に力が籠もる。

 広く拡散していたライダーの姿が、一気に形を成そうとその密度を急激に増やしてくる。きっと、ライダーが元の姿で顕現するときには、その腹の中にランサーを捕えていることだろう。

 

 深海に潜り続けれているイメージ。水圧は徐々にその力を見せつけランサーの自由を奪っていく。心なし周囲を埋める魔力弾もライダーの圧に押し負けて徐々にその数も減っていく。

 周囲一帯を丸ごとライダーの内部へ取り込もうというのだ。手枷や足枷といった拘束具でランサーを抑えることなどできないが、空間ごと捕まえられてはどうしようもない。

 これが限界値に近づけば、さすがのランサーも切り札を使わなければならない。

 

 しかして、ランサーの期待を裏切ることに、ライダーの本命はこれではない。

 徐々に存在密度を高めると言うことは、それだけランサーの攻撃を受け易くなるということだ。いかに拘束しているとはいえ、この程度で安心できる筈もなかった。

 

 本命は、既に頭上に用意してある。

 

「――どれだけ出鱈目なんですか!」

 

 ランサーがそれを確認したのはビルとビルの隙間から移動したときだった。頭上に見えたそれは、一瞬黒い太陽かと勘違いするほど。しかし勘違いはしてもこれほどのものを見誤ることはない。

 これは、レーザーのような極小サイズとは対極の、極大サイズの魔力弾。それがランサーを囲むように三つ用意してあった。

 

 距離はある。速度も速くない。数も少ない。だがそれらが安心できる材料にはなり得ない。果てしなく嫌な予感だけがランサーの身を駆け巡る。

 そしてその予感は正しかった。

 

 瞬間。

 

 音よりも早く、眩いばかりの光の衝撃波が周囲一帯を粉砕し拡散していく。

 爆発は同時。そして三つの爆発点はランサーを中心にほぼ均等の位置で敢行された。

 

 局地的に見れば核ミサイルを上回るような出鱈目な威力。津波の如き破壊の渦にビル群が耐えきれる筈もない。倒壊すら許されずそのまま数百トンの瓦礫が冗談のように吹き飛ばされ、あるいは蒸発していく。

 そして一瞬遅れて起こる爆心地付近の急激な減圧によって、流れ込む空気の渦はそれ以上の衝撃をランサーへと叩き込んでいった。

 

 およそ常識外れの破壊力は火山の大噴火を連想させた。

 立ち上る馬鹿でかいキノコ雲内部に龍めいた紫電が幾筋も奔る。つい先ほどまでそこには平凡な街並があったというのに、もはや残骸すら残らぬクレーターしか残っていない。

 ただの一瞬で、スノーフィールドの街の半分が吹き飛んでいた。

 

 ――既定限界値に接触。

 ――宝具感染接続(オール・フォー・ワン)常駐解除。

 

「ワタシ、ハ、ココデマケルワケニ、イカナイ」

 

 蒸発した街の上空に何とか再集結を果たしたライダー。

 疲れを知らぬ筈のライダーではあるが、心なしかその声には疲れが見て取れた。

 

 



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day.06-06 能力向上

 

 

 わずか数分にも満たぬライダーの連続飽和攻撃。

 費やした魔力は全魔力量の半分以上。椿たちがいたビルに被害が及ばぬよう威力を抑えてこの有様。もしライダーが全力で行えば地図上からスノーフィールドがなくなったことであろう。

 

 さすがは騎兵の英霊。一撃の威力は全サーヴァント随一である。

 だが、これをライダーだから、進化したからと、簡単に言い表すのは非常に無理がある。

 

 以前にフラットが試算したが、ライダー自身の処理能力はNPCであれば千人程度、はっきりとコントロールするとなれば百人程度が限界だ。そしてその限界は多少増減することはあっても急激に増えることはあり得ない。

 

 事実、ライダーはランサーに通用する威力の魔力弾を生成するのに、処理能力を限界まで使用しても数発が限度だった。

 だというのにいきなりその生成数を数万倍に増やし、追尾機能まで付与してくる。

 ついでにフラットとティーネがライダー仕掛けた連鎖術式による威力増強プログラムも参考にして、いきなり極大魔力弾に導入してきた。ここに至るともはや魔力量がいかにあろうとも解決することのできる問題ではない。

 

 サーヴァント単体でできる能力の範囲ではない。

 だから、ライダーは借りてきた。

 自らの力の処理を、他人の力によって補った。

 

 具体的には、ライダーが支配下に置く八万人の感染者を使って。

 

 よろり、とクレーターと化した爆心地でランサーは創生槍を杖に立ち上がった。

 その身体は黒く煤で汚れ、サイズも一回り小さくなっている。繰丘邸でも似たようなことはされたが、今回のこれは以前を遙かに上回る威力である。全方位からの一点集中攻撃に全くの無傷というわけにはいくまい。

 

 創生槍を盾に軸点をズラし、全体積の二割を犠牲にして、辛うじてランサーは生き残っていた。あと少しでもタイミングがずれていれば、今ここにランサーはいないだろう。

 この程度の犠牲でよく助かったものだ。

 

「まったく、無茶苦茶、ですね」

 

 そしてライダーがいかにして処理能力を得たのか予想できたのだろう。ランサーの言葉はこの攻撃の威力などではなく、ライダーが行った無茶苦茶な処理能力の向上を意味していた。

 

 コンピューター同士を連結させて処理能力の向上を図ることは、今や世界中で行われていることである。

 単体によるスペックアップには壁もあれば天井もあるが、数を頼りにすれば弊害も少なく簡単でもある。むしろ手法としては真っ当であろう。人間だって一人でできないことをしようと思えば複数人で作業する。

 ここまでは、決しておかしな話ではない。

 

 問題は、コンピューターを連結するのと同じように、人間の脳を連結させて処理能力を上げようという発想である。

 

 多少の差異はあれど、ハードウェアとしての人の身体は解剖学的に同じ構造で造られている。頭を開いて覗いてみれば、人間であればほぼ同じ脳構造を見て取れるだろう。

 となれば、個々人で扱えるフォーマットとインターフェイス、インストール機構さえ用意すれば、コンピューターと同じように処理能力の向上は行われる筈だ。

 

 理論上、では。

 

 だが当然のことながらそんなことは不可能に限りなく近い。

 何故なら使用する言語や培った経験、生まれながらの性格といったフォーマットとなるソフトウェアは、個々人で全く異なるからだ。双子であろうと同じということはあり得ない。試験管で作られたホムンクルスだって同じだろう。

 

 インターフェイスとインストール機構そのものはライダー自らの“感染”によって成立しているとはいえ、このソフトウェアだけは既存のものをただ利用するだけではどうにもならない。

 

 八万人いれば八万通りのソフトウェアがある。各人異なるニューロン発火パターンを解析し、コードを数式化した後、モデル化、共通基盤を見つけ出し、そこに新たな回路を書き加えなければならない。

 

 魔力を使ってよりスマートになっているとはいえ、イメージとしては頭に電極を突き刺すのと変わりあるまい。

 非常にデリケートな脳という器官への干渉である。一歩間違えれば八万人を一斉に殺しかねない、綱渡りにも等しい所行である。

 

 だがこれをライダーは、このわずかな時間の間にやってのけた。八万人に共通の回路を書き加え、ライダーがやろうとする処理を八万人に肩代わりしてもらった。

 言葉にすることは簡単だが、技術的には数百年経っても不可能だろう。

 

 まさしく、無茶苦茶である。

 

「けれど人を傷つけない、という約束は本当だったようですね。もう一度あれだけのことを食らえば、いかに僕でも消滅は免れない」

 

 その言葉に応じる余裕は、ライダーにはない。

 仮想シミュレートでは何度も実験したものの、実際には予行演習もないぶっつけ本番である。演算に無駄も多く、分散したとはいえその負荷は莫大である。

 再テストを繰り返せばもっと効率よく使えるかも知れないが、そんな余裕はもはやどこにもない。代理演算をした八万人の脳は高熱でゆっくりと休養を取らせない限りしばらく使い物にはならないだろうし、そもそも魔力を搾り取りすぎてこれ以上動かすのも無理である。

 

「さあ、ライダー。次はどうくる? 僕はまだここにいるぞ」

 

 ランサーの挑発に、言葉はなくとも応じぬ訳にはいかなかった。

 これで黙って引きこもれれば苦労はしない。椿を助けるために、勝つか負けるか、決着をつけない選択肢はない。そして次の手が出せなければ、ライダーの敗北は決定的になってしまう。

 

 ライダーに残されたカードはあと二枚。

 一枚は時間稼ぎで、一枚は博打。この期に及んで勝算があるというだけマシであろう。

 

 残った魔力を使い、最後まで温存しておいた伏兵をランサーの周囲へ配置する。その数は五。本気のランサー相手なら時間稼ぎにもならないだろうが、弱った今ならまだ希望がある。

 

「ツバキ、モウイチド、アナタノソバヘ、マイリマス」

 

 そう言ったライダーの言葉には、強い決意が込められていた。

 

 



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day.06-07 家族

 

 

 椿とティーネは、その光景を瞬きもせずにずっと見続けていた。

 

 ライダーの飽和攻撃による衝撃から身を守るためティーネは椿の上に覆い被さり、腹ばいになりながら状況を確認する。

 ティーネがこれまで調べてきた聖杯戦争の記録においても、ここまで被害範囲の大きい戦闘はない。ここが夢の世界であることを幸いに思うが、もし現実世界であればこの時点で数万単位の死者が出たことに違いない。

 

「これが――サーヴァント同士の戦い」

 

 倒壊どころか吹き飛ばされるビルの轟音にかき消されるが、ティーネは我知らず呟くことをせずにはいられなかった。

 ティーネがこの聖杯戦争に参加した理由は、このスノーフィールドの地を我らが原住民の手に取り戻すこと。これ以上余所者にこの地を穢されないための聖戦であった筈。

 しかしそれは、もしかしたら早計であったのかも知れない。

 

 万軍に代わる一騎、という触れ込みのサーヴァントだが、それでもあくまで一騎である。

 その戦い方からして、本来であれば対人宝具が最も戦闘に適した宝具であろう。対軍や対城を想定する宝具など、真っ正面から向き合わなければ対処する手段などいくらでもある。

 要は、使い勝手の問題である。

 

 では、このライダーとランサーの戦いはどうかというと、これはもう互いに戦争としか言いようのない攻防である。

 ライダーについては言うまでもなく、ランサーにしてもその槍がどうしても対人を想定した宝具には見えない。あの一撃の威力と余波は中距離ながら明らかに対軍のカテゴリにある。

 

 限定的ながら不戦協定を結んだということだが、それを無視する状況になればスノーフィールドの地そのものが無事では済まない。

 それこそ今のうちに令呪を使い、同じく高位のサーヴァントであるアーチャーを縛っておいた方が安全かもしれない。だが安全な立ち位置で勝ち抜けるほど聖杯戦争は甘くない。

 

 この夢の世界にやってきて、ティーネは実に多くのことを学んできた。

 無力な自分でもできることを探し、協力関係を築き上げ、次へと繋げる行動を率先して行っている。それでいて、彼女は自らの無力さと傲慢さを噛みしめ、如何に自分が周囲を信頼しておらず、また信用されていなかったのか、今まで直視していなかった幾多の事実も突きつけられた。

 

 今なら英雄王がヒュドラを退治した時、何を言いたかったか分かる。英雄王を崇めながらも信じることをせず、それでいて表向きの忠誠を示したつもりになっていた。油断などしていない、と思いながらも油断しかせぬ愚か者だった。

 令呪のある手を握り締める。

 

「滑稽、ですね」

 

 この令呪はアーチャーを縛るために使わないと決意する。そしてスノーフィールドのために使おうと、ティーネは誰ともなく誓った。

 

 令呪が何故彼女に宿らなかったのか、そう思えば簡単であった。

 彼女が令呪を持つにふさわしくないと、最初から見抜かれていたのだ。資格がないと、お前では力不足だと、最初から言われていたのではないか。

 

「椿」

「あ、え、うん? 何?」

 

 ティーネの下で同じようにライダーとランサーの戦闘に見入っていた彼女に声を掛け、衝撃が収まったことを確認して立ち上がらせる。

 彼女の両親を差し置いて椿に令呪が宿った理由がよく分かる。ライダーは令呪に苦しみながらも最後まで椿を慮っていた。ライダーのあの成長は紛れもなく椿による教育の賜だ。

 

 ティーネはライダーに追い詰められ殺されかけてはいたが、だからといってそこに恨みはない。ティーネはライダーが負けることを望まない。そして椿が殺されることを許さない。

 ふっ、と自嘲気味にティーネは笑う。以前の彼女であれば、間違いなくすることのない笑い方だった。そして、ティーネはランサーとライダーの戦いをよそに椿に向き合い話しかけた。

 

 この状況でこんなことを言うのは間違っているのだろう。戦いの趨勢を見守り、状況が一段落するのを待つべきだ。冷静に考えれば誰にでも分かる理屈。それでも、ティーネは戦況から敢えて目を逸らし、椿の目を直視する。

 

 今この時、ここで言わねばティーネ・チェルクは必ず後悔する。

 だから、口にする。

 

「椿。あなた、私の妹になりなさい」

「え? え?」

 

 突然の提案に、椿は狼狽えた。

 言葉の意味が分からないのか、椿はティーネの顔をまじまじと見つめる。見つめることしか、今の彼女にできることはなかった。

 椿の行動に促されるように、ティーネは口を開く。

 

「今の私とあなたの関係は同盟よ。当然、状況が動けば最終的に破棄されるあやふやな関係。それこそ、ただの口約束である以上、今この場で椿が私を裏切ったとしても仕方がないことなの」

「そ、そんな……私は、お姉ちゃんを裏切らないよぅ」

「えぇ、あなたがそんな子でないのはよく分かっている。それはフラットも、そして銀狼も一緒。だけど、一番みんなを裏切りそうな人間は間違いなくこの私」

 

 何故、という椿の顔をティーネは優しく撫でる。

 

「私には目的がある。このスノーフィールドの地を取り返すという、原住民の長としての何事にも代え難い目的が。そのために障害となる者は全て排除しなければならない」

「私とライダーはそんな邪魔はしないよ!」

「ええ、分かってる。けれど、私はあなたと同じマスターである以上、直接手を下さずともあなたのご両親の死について責任の一端がある。それについて私はあなたに謝ることはできないし、別の理由であってもあなたが私の前に立ち塞がるのなら、私はあなたを殺さねばならない」

「む、難しすぎて……お姉ちゃんが言っていることがよく分からないよ」

 

 まだ幼く一切の勉強もできなかった椿からしてみると、ティーネの言い方は非常に難しかった。だが面と向かって、誰かがやらなければ私が直々に椿の両親を殺していた、とはさすがのティーネも言いづらかった。

 しかしもし、将来時間が経ってこの言葉を思い返すことがあったのなら、この時のティーネの気持ちは必ず椿に伝わる筈だ。

 

「理解しなくてもいいわ。今、私はあなたに求めることは、身内……つまり家族になりたいということ」

「それは……ドーメイとどう違うの?」

 

 同盟の意味をよく分かっていない椿にとって、家族と同盟は言葉こそ別物でありながら相違点を見いだしにくいものなのだろう。そして家族となる、という意味も椿には理解できていない。

 

「私は、スノーフィールドの族長……最終的には、必ず一族のためになる行動をしなければならないの。だから、椿。あなたが一族にとって障害になるなら、私はあなたを倒さねばならない」

「だから私はそんなことしないよ!」

「いいえ。違うのよ、椿。私は、一族の不利となるのなら、例えあなたが窮地となっていても助けることはできない。見捨てることしかできないの」

 

 ティーネの告白に、椿は次の言葉を紡ぎ出すことはできない。

 幼い彼女にそういった状況を想定するのは無理だし、そういった状況に陥らぬよう動くことも難しいだろう。だが困惑こそすれ、ティーネの指摘はこれから起こりうることである。そのことは椿でも理解できていた。

 だからこそ、椿は何も言えない。

 

 つい先ほども両親の死のショックでライダーを苦しませ、みんなが苦しむのがイヤで約束を破って二つ目の令呪を使ってしまった。それが幼さ故の仕方のないことだとしても、おいそれと許されるというものではない。

 責任を取ろうとして取れるものでも、ない。

 何を言っていいのか分からず俯く椿とは逆に、再び戦場を見据えるティーネの心は堅く決した。

 

 もう先ほどのような大技同士の戦いは一旦終了したのだろう。ライダーはどこかに消え、代わりにランサーを囲むようにして傀儡が五人、互いに連携しながら戦っている。

 ティーネが知るよしもないが、この時ランサーを相手にしていたのは二十八人の怪物(クラン・カラティン)の部隊員達である。対サーヴァント戦を想定して訓練していた者達を、ライダーは経験や判断能力をそのままに魔力で強化して戦わせていた。

 

 だがこれは事情を知っていたとしても彼らが時間稼ぎ以上の役割が果たせるとは思えない。消えたライダーがどこに行ったのか分からぬが、何らかの大技を仕掛けてくるであろうことは容易に予測がついた。

 

 ライダーは長期戦を選ばない。

 ただでさえライダーは椿の身体に無理を押し付けているのだ。進化を続け、心すら手に入れたライダーがそのことに気付かぬ訳がない。

 最後の賭に出ようとするライダーを思い、ティーネは口にする。

 

「見届けなさい、椿。今から見るものは、あなたとライダーの絆そのもの。脆く危うく儚い、有ること自体が尊い繋がりよ」

 

 尊い一瞬は、卑しい永遠に勝る。

 ライダーの敗北は、間近にあった。

 

 



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day.06-08 天命渦巻く混沌の海

 

 

 変化は目に見えて分かり易かった。

 

 ティーネは椿の身体を抱きしめながら、周囲をゆっくりと見渡す。

 一日中夜であるこの世界であっても光源は多いが、それでも埋め尽くせぬ闇は確かに存在している。そしてティーネはその闇が、徐々に広がっていくのをハッキリと確認していた。

 

 周囲に満ちる名状し難き瘴気。熱くもあり、寒くもあり。放置された水槽が放つような湿った汚臭が蠢き犇めいていく。這いずり忍び寄る気配を感じながら、それでも周囲は静寂に満ちている。

 

 ランサーもそのことに気がついたのだろう。やや手こずりながらも何とか五人の傀儡を無力化し、慌てて上空へと飛翔していく。

 月をバックに槍を持つその様はまさしく天の御使いであり、反対に地面に蠢くライダーは地獄の亡者を彷彿とさせていた。両者の関係を考えればあながち間違ってはいないだろう。

 身震いしそうな寒気が、自然と襲ってくる。両者が漲らせる魔力が遠く離れたティーネ達にも伝わってきたのだ。

 

 先に仕掛けたのはライダーだった。

 ティーネには町が海と化し、波がうねったように見えた。

 極玄の塊。

 普段は霞となって宙を漂うだけというのに、その濃度が最大限に圧縮されると、こうも粘性を持った重油へとライダーは変質する。重油の例え通り、そこに火を放てば燃え盛らんばかりの本性が発揮される。

 

 これこそがライダーの本性にして本能。小細工など元より考えず、ただ死を振りまくだけの単純な呪にのみ染められた、ただの物量。街全体を呑み込む圧倒的な魔力量を力任せに相手にぶつける、宝具ですらない突撃。

 

 ライダーが震える。ただそれだけで、それを眺めるティーネの全身は自然と瘧がついたように震えが止まらない。

 別にライダーは何もしていない。これは、人類のDNAに刻まれた『死』が自然と表層に表れただけに過ぎない。

 

 顕現しただけで世界を浸食するライダーは、全てを捨て去りながらも標的となる存在だけは忘れはしなかった。

 消耗したとはいえ、未だライダーの魔力量は他のサーヴァントをまとめて足しても桁違い。そして迫り来る魔力の波は足元濡らす細波などではなく、高さ一〇〇メートルを優に越す大海嘯である。故に受け止めるには土台無理であり、全方位からの強襲はランサーに回避を許さない。

 

 これは単なる魔力による攻撃などではない。魔力そのものが本体ともいえるライダーにとって、これほどの魔力を動員した強引な手法は最終最後の自爆攻撃。攻撃が成功してもしなくても、残った魔力がゼロに近ければライダーは自らを維持できず消滅することになる。

 

「ショウブダ、ランサー」

「ははっ! その気迫、嫌いじゃないよ、ライダー」

 

 どこから放った声なのか、全方位から聞こえるライダーの声にランサーも応える。

 

「やはり君との決着はこんな形になると予想していたよ」

 

 そんな危機的な状況に合って、ランサーは涼しげな顔で自らを取り囲む闇色の粘塊を一瞥する。何者をも屈服させる病を前に、ランサーは小細工など用いない。

 同じ土俵に上がったのは、むしろライダーの方だった。

 

「その物量こそ君の最たる武器だ。だが、それは僕も同じこと――!」

 

 そして、ランサーは自らの宝具の封印を解いた。

 七つの頭を持つ不定なる竜の槍が、その姿を七色の輝きへと変えていく。

 封印を解かれ、主の命令の声を今か今かとその槍は猛っていた。龍が一つ解放されるごとに光は色を帯び強くなり、雄叫びの如き共鳴が響き渡る。余りにも巨大なその身を無理に縮め、狭きこの隠れ身から現世へとその姿を顕現させてゆく。

 七色の輝きはそして最後に、混じり、濁り、濡れ光るような漆黒へと昇華され行く。

 同じ黒であっても、両者の黒が交じり合うことは有り得ない。

 

 最初に零れ落ちたのは、小さな一滴。

 だがそれは決壊するダムの最初の一滴に過ぎなかった。

 

「――さあ、始まりの時間だ。全てを呑み込み地に満ちよ!

 創生の名を刻みこめティアマトよ!」

 

 主人の声に、ティアマトは声なき歓喜の咆哮をあげる。

 これこそがあらゆる生命の原典、生命の記憶の開始点。

 我ら生命が一体どれほどの年月を掛けて今日まで生きてきたのか、その記録は全てティアマトへと保存されている。

 滴の一粒一粒が生命の記憶であり、死の記録。

 その力は確かに積み重ねられた有限なれど、果てはない。

 それは確かに全ての魔術師が欲して止まぬ“根源の渦”と同質の存在。

 原初の海水は進化の歴史に連なるありとあらゆる生命を内包する。この水に触れた存在はこの星の生命である以上、決して抗うことを許されず、最終的に触れた存在を自らの一部と化す強制権を持っている。

 

 世界を切り裂いた剣が乖離剣であるのなら。

 生命を切り裂いた槍が創生槍――。

 それが今ここに、振り翳された。

 

「――天命渦巻く混沌の海(ムアリダート・ギムリシュン)!!」

 

 ティアマトから決壊するように放たれる濁流は、ランサーを呑み込まんとするライダーと拮抗する。

 だが所詮はただの魔力。そしてただの疫病。全ての生命、全ての進化を内包したティアマトは、全てにおいてライダーの上位存在。例えどんなに強化し魔力を集めようとも、ライダー如きちっぽけな存在が受け止められるほど小さなものではない。

 

 時間が止まったかのように拮抗したのは、ほんの一時に過ぎなかった。

 ライダーという器に注がれたティアマトの濁流は、あっけないほど簡単にライダーという器にヒビを入れ、次々と決壊させてゆく。

 街を呑み込むライダーではあったが、世界を埋め尽くすランサーに勝てる道理などどこにもなかったのだ。

 

 押し負け倒れゆくライダーに追い打ちを掛けるように、ランサーはライダーをティアマトが放つ原始の海の底へと力尽くで押し沈めていく。

 周囲を見渡せば、ティーネ達がいる隔離病棟以外は全て混沌の海へと還った。海から時折巨大な暗闇が立ち上がり、ライダーが最後の力を振り絞って抵抗しているのがわかるが、それもまた時間の問題。

 スノーフィールド全体を覆い尽くさんばかりの暗闇は、その最後の力すらも尽き、混沌の海原に静かな凪が訪れていた。

 

 決着は、ついた。

 これ以上にないほどランサーの完全勝利であり、

 これ以上にないほどライダーの完膚無き敗北だった。

 

「――やれやれ。僕としたことが、意外と手こずってしまいました」

 

 翼を収め、ティーネと椿の傍に降り立つランサーは当初見た時よりも幾分小さくはなっていたが、それでも二人を一瞬で屠るだけの余力はあった。

 

「いやだな。警戒しなくても結構ですよ」

 

 にこやかな顔ではあるが――その視線はライダーのマスターである椿に向けられている。その手にはまだ令呪一画があり、つまりはまだこの混沌の海の底でライダーが完全に消滅していないことを意味している。

 もはやライダーが起死回生の一手を持っているとは思えないが、万が一、億が一、無限に一つの可能性はある。

 

「この子を殺すのは、止めてもらえますか」

「それが一番手っ取り早い方法なのは御存知ですよね?」

 

 ランサーの確認にティーネは黙って頷く。ティーネの服を握り締める椿のその手を、ティーネは優しく包み込んだ。

 

「見逃して貰えるのなら、面白いものをお見せしましょう」

「へえ?」

 

 ティーネの言葉にランサーは興味津々と言った風に頷いてみせる。

 

「では、つまらないものであれば、斬り殺しても構いませんね?」

「………」

 

 ランサーの冗談とも本気とも取れる発言を無視しながら、それでも虚勢を張ってティーネは視線の先を海となったスノーフィールドへと向ける。

 ティーネとフラットによって既にこの病院の地下付近が怪しいことは発覚している。あとはどこから侵入し何があるのか確認するだけだが、ランサーとライダーの戦いでその確認の手間が省けた。

 

 上層にあった建物がなくなれば、あとは地下だけ。その地下もランサーの一撃に浸食され、もうじき底部を露出させることだろう。

 おそらく地下に設置されているのは――この偽りの聖杯戦争を開催することになった“偽りの聖杯”そのもの。

 さすがにこの海の中に飛び込み調査するわけにはいかないが、地下施設を軒並み浸食していった海水は程なくしてその正体を浮かび上がらせる。地下に広がる大空洞に安置される“それ”を、赤裸々に暴いてみせる。

 

「――は、こ?」

 

 最初に感想を述べたのは椿。直方体のその形は大きさこそ一〇メートル近いものだが、確かにそれは箱と呼べる代物だった。

 声こそ出さなかったが、ティーネにはその箱の正体に心当たりがあった。だがそれがこの箱なのかと問われれば、分からないとしか言いようがない。確かめる術も皆無である。

 椿に至ってはそれが一体何なのかまるで分からず、ただその様子に見入るだけ。

 二人して詳細を掴めぬ中、そうではない者がここに一人いた。

 

「まさか……いや、そんな……ありえない!」

 

 先ほどまであれほどの強さを誇示してランサーだというのに、その動揺具合は見ているティーネが不審に思うくらいに酷いものだった。

 あれがこの偽りの聖杯戦争の元凶。

 なまじ確証が持てなかっただけに、ランサーの様子にティーネは確信を深める。

 

「ランサー、あなたはあれが何か、知っていますか?」

「……あれは、……“終末”、ですよ」

 

 探るようなティーネの問いを、ランサーは斟酌する余裕もないようだった。

 もうこれ以上直視に耐えられないとばかりに踵を返したランサーは、吐き出すようにティーネの問いに答え、そのまま階下にいる筈のマスターの元へランサーは歩き始める。

 すでに落ち着いてはいるようだが、その背中にはあらゆる思いが交錯しているのが分かった。

 

「お気に召しましたか?」

「……面白いものとはとても言い難いですね。ですが、つまらないと大それた事は言えそうにない。いいでしょう。この世界からマスター共々脱出できるのであれば、見逃しましょう」

「心配は無用です。この夢の世界をあなたの海が満たしました。飽和状態になったこの世界は数分もすれば維持できずに崩壊することでしょう」

「そうですか」

 

 ただそれだけ頷いて、槍のサーヴァントはティーネと椿の前から姿を消した。性格からしてマスターの介護について礼を言うかと思ったが、それを相殺しても余りある仕事だったらしい。

 もしくは、未だ動揺しているだけなのか。

 

 今ここでランサーを追いかければ、もっと色々と情報が得られそうである。けれども、ティーネの手は椿を抱きしめるために使わねばならなかった。

 ティーネの思いを、椿は敏感に感じ取る。

 

「お姉ちゃん……もうすぐ、いなくなるの?」

「ええ、そうね。フラットはこの世界を飽和させるものがあればすぐにでも、と言っていたわ」

 

 ライダーもそのことを狙って最後の大勝負に出たのであろう。

 ライダーにとって、この世界を埋め尽くし壊すことができればそれで良かったのだ。第一の令呪、第二の令呪、それぞれに逆らうことなく椿の命令を遂行しようとしたからこそ、あんな無謀な賭けに出たのだ。

 生き残るだけなら、もっとマシな選択肢などいくらでもあるというのに。

 

 この混沌の海のどこかに、まだライダーは生きている。だがそれも時間の問題だ。椿が作り出したこの世界が崩壊するまで、ライダーが生き残れる保証はない。

 

「もう、会えない?」

「いいえ。現実に戻ったらフラットがあなたを起こしに行くからすぐ会えるわ。そうね。できればその時にでも、さっきの答えを聞かせてちょうだい」

「家族になるってやつ?」

「そう。私の妹になってくれると嬉しい」

 

 そういって抱きしめるティーネに椿はまだ困惑したままであったが、椿の両手はティーネの腰にしっかりと抱きついていた。

 この椿の夢の世界が消失するほんの数分ではあったが、二人はそうして抱きしめ合っていた。

 

 



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day.06-09 スノーフィールド警察署

 

 

 ランサーが現実へと戻れば、そこはスノーフィールド中央病院隔離病棟の五階だった。

 

 ここはランサーが傷ついたフラットと銀狼を介抱していた場所である。元より人数の少ない病棟であったのが幸いした。できとしてこの場に現れたランサーの姿は屋内と言うこともあって、誰に気付かれることもなかった。

 

 だが聖杯戦争のルールにあまり頓着しないランサーにとって、それはどうでも良いことだ。

 そんなことより現実に戻ったというのに同じ場所にいた筈のフラットと銀狼の存在がどこにもいないことの方が気にかかる。

 ランサーと違って両者は本体ではなく精神体を夢に取り込まれたのだから、戻る先は精神体がいた場所ではなく自分の身体がある場所なのだろう。

 

「となると、我がマスターは森の中、か」

 

 傷はもう完全に癒えている状態。数日の間食事を取っていないので体力面が気にかかるところだ。流れ込むマスターからの魔力で無事は確認できるが、やはり距離があるせいか詳細が分からない。

 せめてその気配を感じ取れるところまで戻ろうとランサーはその場から足を数歩動かすが、

 

「……呪いが、消えている?」

 

 あれほどランサーを悩ませた位置情報を発信する呪いが、今はどこにも感じられない。そういえば、ジャックがもうすぐ呪いが解けると確かに言っていた。

 それと同時にジャックの不戦協定も思い出す。

 

 戦況は大きく動いた。動いてしまった。

 親友との対決はまた遠のきそうだが、それよりも前にサーヴァントとして、そしてそれ以上に英霊として、成さねばならぬことができてしまった。あの“偽りの聖杯”を見てしまった以上、このまま放置しておくわけにもいくまい。

 ライダーを倒しておきながら今更感があるが、夢物語と笑ったジャックの同盟にも参画せざるを得まい。

 

 窓の外を見れば、東の空に陽が昇りつつある。

 突き刺すような朝日に何気なく視線を逸らせば――決して無視することのできぬ建物がランサーの目に付いた。ライダーとの戦闘にあっては周囲をじっくり観察する暇などないが、こんな近くにあるとは思いもしなかった。

 

 ランサーは現状を確認する。

 宝具を使ったせいでランサーの魔力を大幅に消耗してはいるが、ダメージとしては然程でもない。もう一度ライダーと正面切って戦うには厳しいが、逆に言えばそれくらいのサーヴァントが相手でなければ軽くあしらえるだけの余力はある。

 マスターも現実に戻ってはいるが、恐らくあの周辺は念入りに監視されている筈。マスターの体調を確認しに戻るのは得策ではない。

 そして呪いが解除されたことで今ランサーの位置情報は敵に知られていない。むしろ、今までいた筈の森からランサーが突然にいなくなったことで大いに混乱している筈である。

 都合の良いことに今は早朝であり、場所的にも討ち入る場所にほど近い。

 

 奇襲するには今しかない、最高の好機であった。人目を忍ぶというサーヴァントの大原則には反しているが、それを考慮するランサーではない。繰り返すが、それはランサーにとって大した問題ではないのである。むしろ現状を確認するなどと悠長なことをしただけまだマシだった。

 

 考えたのは一瞬に過ぎない。

 ランサーは窓ガラスを開け放ち、窓枠に足を掛けて、力を込める。

 ここから目標の建物までわずかに一〇〇メートル足らず。これなら一足で跳べる距離である。

 

 時間的に民間人は少なく、そして標的がいる可能性は非常に高い。だとしたら、と考えてやや突入場所を変更する。

 ボスがいるとするならそれは入り口付近ではなく、建物の上部に決まっている。

 

 自らの勝手な推測を疑うことなくランサーは決断した。最短距離を駆け抜けるべくランサーは飛び出していく。

 ランサーの脚力に耐えられず窓枠が爆散する音が辺りに響いた。

 

 

 

 

「緊急連絡! 襲撃想定施設Aにて襲撃者あり!」

「あんだとっ?」

 

 ドアを開け放ち大声で報告する部下に、目の下に隈を作った署長は窓枠に貼ったガムテープを部下と共に剥がしながら珍奇な声を発した。

 

 病院周辺の近隣住民らが倒れ始め、そしてようやく事態が収まったのを確認したのがほんの数分前。

 本来であれば安全を期して今少し警戒待機しておきたいところだが、現状装備での対処も限界である。念のため他の部隊員との接触を禁止することで警戒態勢を解いた直後の事だった。

 

「襲撃想定施設A……といえば、スノーフィールド警察署か」

 

 スノーフィールド全域の情報が集中する巨大組織。となれば当然警察署の規模はでかくなり、有事の際の立てこもり避難場所としても機能するよう公然と半要塞化している市内有数の建物である。そのため戦争中盤に襲撃が想定される施設として最初にナンバリングされた施設でもある。

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)の存在は戦争中盤以降において確実に露呈することになる。いかに秘密裏に動こうとも組織だって動けば露見するリスクは飛躍的に高まるだろうし、いつまでもサーヴァントの目を欺けるなどとも思ってなどいない。それにそこまで他陣営が阿呆揃いとも考えにくい。

 だからこそ二十八人の怪物(クラン・カラティン)は途中から敢えてその気配を消すことをしていない。むしろわざと情報を流すことで敵を誘導するべく動く予定ですらあった。二十八人の怪物(クラン・カラティン)が内外構わず公然と「署長」と呼んでいるのもそうした理由があるからだ。

 

「ちっ、この忙しい時に」

 

 舌打ちをしながら署長は現状を鑑みる。

 忙しいとは言いながらも既に山は越えている。休息が取れないのは痛手であるが、その程度。むしろ緊張感が続いているだけ良かったとも言えた。それにあそこなら、わざわざ二十八人の怪物(クラン・カラティン)を慌てて動かす必要はない。よほど手を誤らない限り襲撃者を仕留めるのは簡単だった。

 

 提出されたたった数枚の資料を奪うようにして中身を確かめる。打刻されたタイムスタンプを見てみればつい今し方。そして添付されている襲撃者の画像を見れば、見覚えのある顔立ち。

 

「これはなんだ!」

 

 画像を見たとたんに怒鳴りつける署長ではあるが、担当部署の違う報告者は一体何を署長が怒っているのか分からない。

 

「何故、ランサーが警察署にいる!?」

 

 その一言にランサーの監視作業を担っていたスタッフが慌てて状況を室内のメインモニターへ映し出す。

 

「ランサー、森に健在です!」

 

 映し出されたモニターには今も立ったまま朝日を浴びるランサーの姿が映し出されている。

 最大望遠で映し出されるランサーの姿は観察し始めてからまったく変化はなく、時折鳥が肩に乗り野生動物が周囲に集まるだけ。その姿は仏涅槃図を彷彿とさせる神々しさすら感じる。

 

「……いや、まて。光量が少しおかしくないか?」

 

 スタッフの一人が呟いた言葉に、署長の視線が目張りを外され開放された窓の外へと向けられる。

 今日は――曇り空だ。

 対してモニター内の森は場所が多少離れているとしてもやや明るいように感じられた。雲の隙間を考えれば有り得ないことではないが、取っかかりとしては充分だった。

 

「現場の観測班は!?」

「観測機材をそのままに退避中です。現地まで一〇分はかかります」

「昨夜の緊急措置が仇となったか……念のため二十八人の怪物(クラン・カラティン)突撃班を三種装備で現場に急行、包囲させろ! 通信網は大丈夫だな、分析官! 警察署の動画データをこっちに寄越して解析しろ!」

「解析、もうしてます! ……出ました! 襲撃者がランサーである確率は、人相や体格から……37パーセント!」

 

 分析官の言葉に周囲を含めて疑問符が浮かぶ。複数人が写真を見ただけですぐに分かるほど明確な正体だというのに、37パーセントという数字はいかにも低すぎる。だがそう問いかける前に分析官は先読みしてみせる。

 

「人相だけなら96パーセントとほぼ一致していますが、体格に著しい誤差が生じています。以前遭遇した時より明らかに小さくなっています」

「つまり偽物か……あるいは、本人が敢えてそう見せている可能性もあり得ます。ランサーの宝具なら、顔の形なんで無意味でしょう」

「現状では何とも言えん。機械の目は誤魔化せるかもしれんが、人の目で誤魔化せなければその行為に意味はない。……捲き憑く緋弦(アリアドネ)の反応は?」

 

 分析官と秘書官の言葉に耳を傾けながら、署長は肝心の情報を聞いてみる。

 位置情報を知らせる捲き憑く緋弦(アリアドネ)は常に発信し続けるとそのパターンを分析され解呪される危険性がある。そのためこちらからの暗号処理した呼びかけに応じさせて位置情報を発信させる、という面倒な制約があった。

 

「……反応、来ました。位置情報、やはり昨夜と変わりありません」

「となると、やはり偽物の可能性が高いか」

 

 ふむ、と細かな情報にまで目を通すが、行動パターンは事前情報と似通っているように思える。署長の勘は本人だと告げていたが、しかし分析すればするほど本人でない可能性が高まってくる。

 第一、これまでの行動パターンからランサーが警察署を襲撃する意図が分からない。敢えて情報を流していたとはいえ、当のランサーはずっと森の中にいたのだから情報を入手しようもない。

 

「仕方ない。なるべくではあるが、一般職員を逃がしつつ、目標を逃がすな。逃げるそぶりを見せたら、仕掛けを使ってしまってかまわん」

 

 それでも万が一の事態を署長は考え、二十八人の怪物(クラン・カラティン)の突入は断念する。

 こうした事態を踏まえて襲撃予想の高い警察署には予め繰丘邸以上の極悪なトラップを用意してある。本来なら針を飲み込むまで十分泳がしたいところだがこのチャンスを逃す手はあるまい。

 逃げ遅れた職員や牢獄の犯罪者には申しわけないが、貴い犠牲になってもらうより仕方ない。

 

「ふん、しかしそうすると、五月蠅いのが一人いたな」

 

 署長がそうして嘆息すると同時に、普段使っている電話とは別の専用回線が鳴り響く。噂をすれば影というが、これはいくらなんでも早すぎだろと署長は再度嘆息した。トラップを発動させればつまらない結果になるのは目に見えている。抗議の電話は当然のことだろう。

 

『ちょ、なんで襲われてるってのに何もしてこねぇんだよ!』

「なんだ、キャスター。もう知っていたのか」

 

 相変わらず耳が早いと一応胃薬を飲む。水がなかったのでコーヒーで飲んでみたが、これは薬的に大丈夫だろうか。

 

『知らないわけないだろうが!』

「想定内の事態だ。慌てるな。今一般職員の脱出を待っているところだ』

『一般職員の脱出!?』

 

 つんざくようなキャスターの悲鳴に思わず受話器から耳を離す。今の会話に何か驚くことを言ったであろうか。

 

「何か問題でもあるのか?」

『問題大ありだろ! 何だってそんな悠長なことをしてんだよ!?』

「時間はまだある。襲撃者をなるべく奥深くに侵入させればそれだけ時間が稼げる。被害は最小限だ」

『被害!? 最小限!?』

 

 またも怒鳴り散らすキャスターにいい加減電話を切りたくなるが、武蔵の時の借りもあるのでそこは堪える。その代わり署長は順次入ってくる報告書に目を通しながらキャスターの声を聞き流した。

 

 状況に変化なし。襲撃者は屋上から侵入したらしく、脱出経路の確保に問題はない。時間帯も相まって署内に残っていた職員の人数は夜間勤務についていた数人程度。これなら被害はかなり少なくて済む。

 

『俺がこないだ嘘ついたことを気にしてるのか!?』

「今更お前が嘘を幾つついたところで気にしないが」

 

 そこを一々気にしていてはキャスターと付き合っていくことはできない。特にマスターとサーヴァントの関係であるならば避けては通れぬ道である。気にしないのがこの場合唯一にして最良の選択肢だ。

 

「とりあえず、落ち着け。何を焦ってるか知らないが、こんなこともあろうかと宝具は既に回収済みだ」

『てめぇ! 道理で最近宝具のチェックが回ってこないと思ったらそういうことか! お前なんてもう兄弟でもなんでもねぇぞ!』

「最初から私に兄弟などいないと言っているだろう」

 

 などといいつつ、これは眠気に負けて口を滑らしたかと内心焦る。

 キャスターによる昇華作業はほとんど終了し、新たな宝具を作る必要は殆どなかった。

 どちらかというと宝具の性能確認を優先し、その性能維持と拡張に力を入れてもらいたい。つい先日も《スノーホワイト》のチェックをお願いしたばかりだ。だがそれはキャスターの視線を逸らすための作業であり、昇華を終えた他の宝具を隠すことも目的の一つだった。

 

 理由は多々あるが、少なくともキャスターは自ら手がけた宝具が別の者の手によって更に改良されることを良しとはしないだろう。

 

『いや、すまねぇ。俺が悪かったよ兄弟! けどよ、もっと退避するには重要な誰かがいると思うんだよ! 勤労誠実清廉潔白滅私奉公の権化ともいえる掛け替えのない人物がさっ!』

「お前は一体何を言っているんだ?」

 

 巫山戯たサーヴァントには違いないが、精神汚染の兆候はなかった筈だ。しかし署長が気付かなかっただけで実は知らないうちに汚染されていたのかもしれない。

 そういえば、キャスターは召喚されてから暇さえあればジャパニメーションを見ていたか。むしろ昇華作業そっちのけで見ていたことすらあった。

 昨今の日本のマスコミはそうしたヲタクを犯罪者予備軍と称す傾向にあるとかないとか。根も葉もない噂だと一笑に付していたが、このキャスターの狂乱ぶりをみるとそんな噂も馬鹿にできないのかも知れない。

 と、そこで新たな資料が渡される。思ったよりも素早い対応と内心感心せざるを得ない。

 

「いい報告だキャスター。二十八人の怪物(クラン・カラティン)が現場に到着した。決着は時間の問題だろう」

『そうか! なら早く突入して駆逐してくれ!』

「いや、ただ包囲して逃がさぬようにするだけだ。あとは施設に仕掛けられたトラップで片を付ける」

『はぁっ!? いや、サーヴァントが自陣に飛び込んできてるんだから地の利を活かして殲滅すればいいだけだろうがっ!?』

 

 ――その言葉に、署長は違和感を覚える。

 

 襲撃者は、確かにランサーの姿をしている。それ故にサーヴァントの可能性が高いと踏んではいるが、そのことを署長はキャスターに話していない。よしんばそんな不確定な情報をキャスターが得ていたとしても、サーヴァントである確証は二十八人の怪物(クラン・カラティン)を含めどこも得ていない筈の情報だ。

 

 それに、キャスターは襲撃者が襲った場所を自陣と言った。

 だが残念ながら、二十八人の怪物(クラン・カラティン)はスノーフィールド警察署が自陣であるという認識はない。

 

「まて、キャスター。お前は一体何の話をしている?」

『だから! 今襲撃されている最中だと言ってるだろうが! 俺がいなくてもいいかもしれないが、色々とまだ利用価値はあるだろうが!』

 

 そして受話器の向こう側から何やらとてつもなく重い音がする。

 

『ああ、もう時間がねえよ! この防護壁って対物理対魔術障壁として本当に機能してるんだよな!? なんかへし折れつつあるんだが!?』

「……なんだと?」

 

 我ながら間抜けな声だと思いながら、漏れ出す声を止めることはできなかった。

 ここでようやく、署長はキャスターとの間に交わされた会話の齟齬に気がついた。

 

 襲撃を受けているのは、一つだけでは、ない。

 メインモニターには、スノーフィールド警察署の襲撃者と森の中のランサーの姿。そして電話口からキャスターを閉じ込めている牢獄『籠の鳥』の情報が漏れ出ている。これらが全て繋がった。

 

 襲撃は、警察署だけではない。

 籠の鳥にも仕掛けられている。

 いや、それだけならまだ良かった。

 

「まずい……まずいぞ!」

 

 そしてここの本部システムにも、何者かが仕掛けている。

 

 



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day.06-10 路上の残飯

 

 

「傾聴! 警戒直を発令する! 情報班は直ちに現作業を止めシステムチェックを開始! システムが汚れていることを前提に行動に移せ! その他の者はただちに隊伍を編制!」

 

 署長のいきなりの命令に動揺を示す者も多かったが、この場にいる誰もがそのことに意見するような愚は犯さなかった。

 軍隊において上官は絶対であり、それでいて署長は彼等の導師ですらある。そこに動揺はあっても疑問を問いかける余地はない。

 

「第二種警戒配置! 本部編成表に従って位置に付け! 戦闘第一守備班、第二守備班は、本部正面を定点防御。非戦闘員は情報資料を焼却! 第三守備班、遊撃隊として本部の警邏につけ! 以上、速やかに履行せよ!」

『おいおいおいおいおいぃぃっ! なんか物騒な命令がこっちにも聞こえているんだが、何をしてるんだマイマスターっ!?』

 

 本部の誰もが文句なく行動している最中、唯一受話器から放たれた文句は殊の外大きく聞こえた。

 

「現状が最悪であることを認識しただけだ。そして聞いておくが、今お前がいる場所はいつもの地下施設だな?」

『ああそうだよ! お前らが籠の鳥とか嫌な名前を付けてる施設にいるよ! だから脱出もできねぇんだよ!』

 

 キャスターは“昇華”という破格のスキルがあったために工房作成スキルを有していない。それ故に代替施設を用意したわけだが、人間が作る工房ではどうしても安全面と使用面で問題が出てくる。そのために出口は厳重に、そして中で何があっても外に被害は漏れぬよう細心の注意が払われている。

 もちろん『キャスター自身を閉じ込める』という意味も八割くらいないわけではない。

 

「それで、後何分持ちそうだ?」

『今すぐ二十八人の怪物(クラン・カラティン)を投入してなんとか間に合うレベルじゃねぇかな!?』

 

 キャスターのヒステリックな叫びの背後で再度響き渡る重低音。その中にミシリというかなり嫌な音も聞こえてくる。骨子となる柱にヒビが入る音だ。

 

 当然だが、今現在他の場所で待機している二十八人の怪物(クラン・カラティン)がキャスターのいる牢獄に急行しても到底間に合わない。キャスターが言う通りに今すぐ投入できたとしても、間に合うだけで対処などできないだろう。

 そうするとキャスターは殺されるか、もしくは連れ去られる。残念ながらキャスター本人が襲撃者を撃退するという可能性は皆無だ。

 

 となると、キャスターに対し取るべき方針は二種類。

 このまま座して経過を見守るか、それとも、

 

「令呪を使うか、か」

 

 署長の手にある令呪は三画全て残っている。必要性を感じなかったので使わなかっただけだが、ここでこれを使用するのも悪い選択肢ではない。

 

 キャスターの利用価値はほとんどない。見殺しにしても戦略上問題はないが、捕獲され情報が漏れることは何としても回避しなくてはならない。となれば当然口封じは必要である。

 この段階で令呪を使うのは確定的だったが、問題はその中身だ。

 

『ちょ、何悩んでるんですかね! こっちはもうギリギリなんですけど!』

「なるべくギリギリに令呪は使いたいからな。もう少し辛抱してくれ」

 

 適当なことを言って誤魔化してはいるが、署長は慎重に命令する内容を吟味する。

 

 令呪が絶対命令権とは言え、困ったことにキャスターは自害に失敗した逸話を持つ英霊である。

 機密保持のために死ねというのは簡単であるが、ここでこのキャスターの逸話がどう影響するかは未知数であり、絶対命令権でありながらたとえ二画分費やしたとしても不安は払拭しきれない。

 

 となれば、もはや選択肢は一つだけになってしまう。

 欲を言うなれば、マスターを失ったはぐれサーヴァントがいた時のためにあまり令呪を使いたくなかったが、キャスターに恩を売れるともなればそう悪いことばかりでもないだろう。

 

 様々な思惑はあったが、署長はタイミングを図るべく受話器を耳に当てる。実況はキャスターがしてくれるので何の問題もない。だが本部システムに不安要素がある以上、最低限キャスターには襲撃者の姿をちゃんと見てもらいたい。どうせ使うのなら最大限に利用するべきだろう。

 

「キャスター、敵サーヴァントの姿を確認したらすぐに言え。令呪で飛ばしてやる。嘘をついた場合は私が直々に殺してやる」

『もっと安全とかにも気を配ろうぜ兄弟! あの防護壁が吹っ飛んだら姿を見る以前に俺がぺちゃんこじゃねぇか!』

 

 それはそれで好都合だとは言わなかった。死ねば令呪は消えてなくなる。確認の手間も省けるというものだ。

 

「なるべく壁から離れて物陰に潜んでおけ。それでリスクはかなり減る」

『リスクのない行動をしろって言ってんだろうが! あとでぜってー殴るからなこんちくしょう!』

 

 その場合はクロスカウンターで逆に殴り返そうと思いながらも、署長はキャスターの背後の音へと集中する。

 二度、三度、四度。そして、五度目にようやく何度も聞こえていた打撃による重低音が、破壊音へと変化した。

 扉が貫通した。それ以上の音がしないことから、キャスターが危惧した防護壁が吹っ飛ぶほどの威力はなかったらしい。しかし同時に追撃音がしないところから、どうやら敵はキャスターを殺さず生け捕る可能性が高い。もしくはキャスターに警戒しているのか。

 

 猶予があることは嬉しい限りだが、件の襲撃者は情報皆無のサーヴァントと真っ向から対峙するだけの自信が相当あるらしい。

 キャスターの戦闘能力は極秘にしているので敵方に漏れている心配はないが、できれば実力を計られる前に全てを終わらせたい。

 

「キャスター、襲撃者を見たな?」

『あ、ああっ! 確かに、見たぜ!』

 

 そのキャスターの声と同時に署長は自らの令呪を行使する。

 

「キャスターよ! その場を離れここに来い! 今すぐに!」

 

 署長の言葉に反応し、手の内にあった一画の令呪が莫大な魔力を行使して消えていく。同時に目の前に出現する、空間のうねり。

 空間跳躍は令呪の命令と殆ど同時だ。例えそのことに気付いたとしても襲撃者が何かを仕掛ける隙はない。そして即座に署長の目の前に出現するキャスター。その姿はどう考えても無様といえたが、このキャスターに対し格好良さを求めるのは酷だろう。目を逸らしてやるのがせめてもの情けだ。

 

「はっ、はぁはぁ……た、助かったぜ、兄弟」

「無事で何よりだキャスター」

 

 召喚して以来数えるほどしか接触していなかったが、ここまで焦燥しているキャスターは初めてだった。

 命の危機を感じていたのだから当たり前ではあるが、もっと剛胆な性格ではないかと署長は勝手に判断していた。

 

「急かすようで申しわけないが、襲撃者の顔や体格を教えてくれ」

「そいつは了解したが、しかしなんだってこんなにスタッフが少ないんだ。あ、あと水を先にくれ」

「今は第二種警戒配置だ。念のため定点防御に徹している。水はくれてやるが、さっさと――」

 

 似顔絵なりなんなりで情報を寄越せ、と署長は言おうと思った。だがその前にキャスターの言葉に引っかかった。

 

 何故、キャスターは最初にここのスタッフの状態を確認した?

 

「署長! システムチェック終了、やはりシステムは汚れていました! 各通信網が意図的に切り替えられています! 現在サブシステムに切り替えて対応中!」

「今観測班が現場に到着! やはりランサーの姿は確認できません! モニターに流された画像は昨日のものです!」

捲き憑く緋弦(アリアドネ)、再アクセスしましたが、ランサーの反応ロスト! 宝具は既に自壊しています! データ改竄の痕跡も発見しました!」

 

 同時に次々と暴露される事実。

 そしてキャスターにはつい昨日システムの根幹である《スノーホワイト》の確認をしてもらったばかり。こうした仕掛けをしようと思えばできなくはないだろう。

 

 状況証拠からして怪しいのは間違いない。あの堅牢な地下にある籠の鳥からこうして今まで場所も明かしてもいなかった本部へも来られたわけだし、今キャスターの元へは新情報が次々と集まってきている。

 反面、キャスターがそんなことをする可能性は低いのも確か。手にある令呪はまだ二画あり、反旗を翻すにはあまりにリスクが高すぎる。

 

捲き憑く緋弦(アリアドネ)? もしかして位置情報を知らせるアレのことか?」

 

 コップの水を飲み干しながら、幾分の余裕を――いや、はっきりとした余裕を見せながらキャスターは署長の前へと歩み寄る。

 まるで、もう注意すべき山は越えたとばかりに。

 

「お前らそんな名前をあの宝具につけていたのか? 確かにそういう機能はあるが、その一面だけを見すぎじゃねえか。もっと側面もよく見ようぜ?」

 

 捲き憑く緋弦(アリアドネ)とは、ミノタウロス退治に出たテセウスをダイダロス迷宮から救い出すために用いられた麻糸から昇華された宝具――と聞いている。その糸の呪縛にかかった者の位置を常に把握するための宝具である。

 キャスターが宝具を命名する意志がなかったため二十八人の怪物(クラン・カラティン)で勝手につけられたモノも多い。

 

「――何を言っている?」

「俺の嘘を真に受けているとは思わなかったぜ。

 あの宝具の真名は路上の残飯(ブレッドクラム)って言うんだぜ?」

 

 路上の残飯(ブレッドクラム)――それは童話『ヘンゼルとグレーテル』にて森で迷子にならぬよう通り道にパンくずを置いていったというエピソード。位置を知るという意味では同じだが、捲き憑く緋弦(アリアドネ)と明確に違うことはただ一つ。

 

 路上の残飯(ブレッドクラム)は時間経過と共に位置情報機能を喪失する。

 

 呆然と、署長はコーヒーカップを片手にキャスターの告白を受け止めていた。

 間抜け面といわれても仕方がない。だが、署長が混乱するのも仕方がない。現場指揮官として数々の戦場を走り抜けたことのある署長であっても、敵本部のど真ん中で「裏切り」を宣言する者に出遭ったことはなかった。

 

 ここでの多くの者がする対応とは「疲れているんだろう。しっかり休め」という思いやり溢れた哀れみの視線を向けることであるのだろうが、あいにく署長は違った。

 キャスターは本気である、と署長は直感した。

 

 迷ったのは一瞬。なまじ選択肢があっただけに即決即断できなかったのが署長の敗因だった。その一瞬の間に、コーヒーカップを持っていたその手に衝撃が走った。

 その感触には覚えがある。と、いうよりもこの感触は、つい数十秒前に感じ取ったもの。

 

 令呪の、喪失。

 

「そんな、――馬鹿な!」

 

 署長の叫びも虚しく、令呪の一画は署長が命令をしたわけでもないのに先ほどと全く同じように莫大な魔力を行使して消えていく。

 そして同時に目の前に現れる空間のうねり。

 

【……追想偽典……】

 

 キャスターの時と全く同じような現象に署長は機敏に反応した。

 目前に顕現したのは黒いローブを纏った美しい女性。マスターである署長だからこそ、この女がサーヴァントであることは一目で分かった。

 

 対象が行使した魔術や奇跡を再度強制させる宝具――瞬間的に走馬灯めいた思考の加速が署長にもたらされる。

 コーヒーカップを投げつけるモーションをしながら、もう片手では引き出しから拳銃を取り出そうとしている。足は床を蹴りつけ、椅子に座ったまま後方45度へとジャンプして少しでも距離を取ろうとしていた。

 しかしながら、それがどれだけ高速で行われたとしても、既に遅い。

 

「お見せしよう。これが俺を襲った襲撃者の姿だ」

 

 あまりに突然のことに周囲のスタッフはこの事態に気付いていない者も多い。よしんば気付いていたとしても、あまりに堂々としているのでそこまでだ。まさかこの本部にいきなり敵が出現するなど想定できるわけもない。

 こんな近距離に頭目が居ては尚更迂闊に動けまい。

 

「総員て――」

 

 署長が叫べたのはそこまで。「残念、遅い」とキャスターは呟き、アサシンの肩を掴む。あとは、アサシンが力ある言葉を放つだけ。

 

【……回想回廊……】

 

 連続して行使される奇跡。

 派手さに欠ける微風だけが辺りに撒き散らされる。

 

 たった今目の前にいた筈の署長が突如現れた黒服の女性に触られたとたんにいなくなる。そんな光景を目にした秘書官は手にした資料を床に撒き散らし、抜けた腰を床に強かにぶつけながら何の声も発することができなかった。

 

 署長の最後の声を聞いたスタッフが現状を正しく理解する数分間、本部は上を下への大騒ぎの様相を呈することとなった。

 

 



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day.06-11 接待

 

 

 遠くで何か建物が崩れ去る音を聞き、無意識にアーチャーはその方向へと視線を向けた。鬱蒼と茂る森の中とはいえど、英霊たるアーチャーが音のした方向を間違える筈もない。

 

 反響する音をなんとなく計算すれば、音がしたのはスノーフィールド市街地、その中央付近。

 スノーフィールド中央部のビルはどれも高いものだ。あいにくとアーチャーの位置からどのビルが倒れたのかは判断は付かなかったが、それなりの大騒ぎになるであろうことは予想するのに難しくない。

 頭の中の地図を思い返せば病院と警察署があった筈。となれば街中の不審な気配が何かをしたのかも知れない。

 

 しばし何が起こったのか思考してみるが、英雄王たる彼はすぐに興味を失った。誰かが何かをしたのだろうが、そんなことは彼の知ったことではない。

 彼の興味は、目前の老人にある。

 

「ふん。無様な格好ではないか」

「これは、英雄……王。このような……醜態を晒して……申しわけありません」

 

 口から血の泡を吐き出しながら、それでもなお礼節を重んじ笑みを浮かべているのはティーネの相談役と称していた老人だった。

 

 老人は深い傷を負っている。

 英雄王の蔵には霊薬もあるが――それでももう遅い。延命こそ可能だろうが、この傷でその選択肢は酷でしかない。

 それに何より、こんな老いぼれに使うにはもったいない。

 

「この周囲の者は、お前の部下か?」

「いえいえ……私と同じく族長に忠誠を誓うだけの……者達です」

 

 そんなことを言いつつも、この周囲に散らばる肉の塊の中である。死にかけとはいえ、まだ生きている老人を見れば、上下関係は一目瞭然だろう。

 

 森の中は死で満ちている。

 木の枝に男の頭部が突き刺さり、木の幹に武器を持った手だけがそのまま食い込んでいる。腹から上下に別たれ壮絶な死に顔をした者もいる。むしろそうした者は救いがある方で、死に顔すら満足に見られない者の方が多い。

 だがこの状況は敵が卑怯卑劣で残忍な手を用いてこうなったわけではない。この老人達が全力を賭して挑んだ結果、こうなっただけだ。

 こんな刑場の如き様相を示してはいるが、だが最後に老人が一人生き残ったということは一矢報いたということだろう。

 

 老人が先日も持っていた長年使われてきた棒は、その半ばが向かいの木にそのままめり込んでいる。棒の先端が釘の様に鋭いわけでもない。それを為し得たのは、老人の確かな技量の賜だった。

 そして生涯最後にして最強最大の一撃だったに違いない。

 

「よくやったではないか」

「お褒めの言葉……ありがたく頂戴しますが……その言葉、皆に……かけてはいただけぬでしょうか」

 

 滅多に褒めぬ英雄王の言葉に、老人はその言葉を死んでいった者にかけて欲しいと願った。

 

「……最期まで図々しい奴よ」

 

 先日の件といい、一々忠告してくる者というのは何とも鬱陶しい。その上でこれが末期の言葉と思えばますます無視するわけにもいかなくなった。

 

 物言わぬ骸となった老人の目を閉じさせる。労りがあったわけではないが、今にも目線が合えば五月蠅く口を開きそうだと思ったからに過ぎない。生者を殺すのは容易いが、記憶の中にいる者を殺すのは英雄王といえども面倒だった。

 

 血で汚れることを気にすることもなく、森の中へと足を踏み入れる。

 未だ乾くことなく滴り落ちる血が頬を汚すが、それにも構わずアーチャーは周囲の探索を開始する。敵の手がかりとなりそうなものを探すが、決定的なものは容易には見つからない。その代わりとばかりに、血の匂いを嗅ぎつけたのか周囲に獣の気配が現れ始めた。死骸をさっそく見つけ卵を産み付けようとする蠅が周囲を飛び交い始めるが、それにすら英雄王は頓着しない。

 一人一人の死骸を英雄王自らが丹念に調べ、総計一〇名の死体を見聞し終わった頃には太陽が真上に昇っていた。

 

 状況は推測できた。

 どうやら彼ら一〇名は一人ないしは二人を追い、ここで全滅となった。この様子を見る限り全滅には違いないが、返り討ちにあったわけではないようである。

 先の老人を除いた九名は、明らかに死ぬことを前提に動いた死兵。自らの犠牲を厭うことなく敵の注意を逸らし、疲労を誘い、隙ができる一瞬を作り出す。

 ここまで実力差があるということは、相手はサーヴァント。となれば、彼らは生身の人間でサーヴァントを討ち果たすという偉業を成し遂げたということになる。一般兵一〇名とサーヴァント一体を比べるなら、それはもう大戦果というべきものだろう。だが残念ながら他のサーヴァントならいざ知らず、このアーチャーにあってはその評価はほとんどゼロに等しい。

 

 バラバラになっていながらも全員を確認したが、どいつもこいつも皺だらけの爺共である。犠牲になるのは老兵で十分とでも言いたかったのだろうかと勘ぐってしまう。その気になれば若い者の中にもティーネに忠誠を誓う強く精強な戦士を少ないながらも用意できただろうに。

 

「無駄なことを」

 

 そう、呟かずにはいられない。

 結論として、アーチャーは肝心の敵の手がかりを得ることはできなかった。

 

 ここにいた敵はマスターとサーヴァント一組のみ。そしてサーヴァントが時間を稼いでいる隙にマスターは逃げたのだろう。その気になれば逃げたマスターを追うことも可能だが、時間が経ちすぎている。

 空を見上げれば遠くには曇り空がある。まだ数時間は保つだろうが、雨が降り始めたらもう追跡は不可能だ。

 

「ちっ」

 

 舌打ちをして、散々血で汚れたジャケットを脱ぎ捨てる。同時に蔵を開いてビンを一つ取り出し、周囲へと中の液体を撒き散らす。

 彼らの死は英雄王にとってそう意味のあることではなかった。だがけしかけたのがアーチャーである以上、彼らの死の責の一端は英雄王にある。

 砦を閉ざさせた以上、彼らの死骸を原住民が回収することはできない。ここでただ腐らせるのはあまりに見苦しく、そして無責任過ぎる。

 

「手間をかけさせる」

 

 末期の言葉ですら族長を頼むとついに言わなかった名も知らぬ老人に、ビンに残った最後の薬を振りかける。

 この老人なら最期にそう言うだろうと予想したが外れてしまった。それがこの老人の英雄王への信頼だというのが、尚のこと腹立たしい。

 程なくして蒼く燃え上がった死骸は、ものの数分で骨まで塵と化す。

 

「雨が降る前にもうしばらく見回るか……?」

 

 こうした雑兵の仕事は英雄王らしくはないが、英雄王には他の誰にも邪魔されたくない理由がある。

 朋友との再会。

 それは誰にも邪魔されることなく静かに行いたいものだ。

 決着を付けるのは別として、今一度話はせねばなるまい。それが友誼であるし、決着を付けるべきライバルとしての礼儀でもある。

 

 アーチャーはこの辺りで人形めいた男を見た、という情報を聞きつけこの場へとやって来ていた。相談役達と見知らぬサーヴァントとの戦闘跡を見つけたのはほとんど偶然だ。ここに誰がいるのかは知らないが、誰かがいたことは確からしい。

 

 さすがに倒されたサーヴァントが朋友だとは思わないが、朋友を狙ったサーヴァントである可能性は高い。だとすると、戦力は高くとも戦闘を忌避しかねないあの朋友なら逃走も十分にあり得る。

 

 数分も歩いてみたが、それらしきものはなにも見当たらない。アーチャーのクラスらしく、雑に見渡しているようでその細部も実にハッキリ確認しながら歩んでいた。

 

「……ん?」

 

 と、そろそろ諦めようとしたときに、目の前から何やら歩いてくるモノがいる。何しろ森の中なので雑草の背も高く、そこそこ身長がなければ見通しは利かない。逆に言えば、見通しが利かないところを通るモノは獣の証である。

 だが、その獣はまっすぐにこちらに迷いなく歩いてくる。この近辺の動物は人間を忌避し向こうから回避するのが普通であるが、どう見ても獣の目標はアーチャーである。その上で獣は気配を隠そうともせず、獲物としてアーチャーを狩ろうという殺気すらもない。

 そしてアーチャーから数メートルほど離れた草木も生えていない場所で、獣は姿を現した。その外見は狼に酷似しているが、その銀色の毛並みをはじめどこか違うようにも見える。

 

 銀狼はそのまま腰を落としてアーチャーと視線を絡ませ合う。

 肉食獣からその高貴さ、気高さ、崇高さを感じる者は多い。かくいうアーチャーもその一人であるが、しかし目前の銀狼にはそれとはまた別の何かを感じさせてならない。

 

「何者だ?」

 

 問うてはみるものの、もちろん銀狼は何も応えない。わずかに感じる魔力の反応に使い魔の可能性を考えるが、それにしても堂々としすぎている。

 さすがに訝しむアーチャーではあるが、すぐにその銀狼の前足にあるモノに気がつく。

 その前足には、傍目にはただの傷にしか見えぬ魔力の塊が刻まれている。その数は一画だけではあるが、その塊は確かに令呪と呼ばれるものだった。

 

「貴様、マスターか」

 

 言葉が通じるとは到底思えないが、それでも問わずにはいられない。

 ここにランサーがいるという噂。老人達の戦闘。サーヴァントを傍に侍らせぬ獣のマスター。全てを総合して考えれば、この銀狼がランサーのマスターか。

 となると、あの老人達の行動も明かだ。目的はアーチャーと同じ。だが先んじて動いていた敵と遭遇し相打ちということになる。結果的に、彼らはこのランサーのマスターを助けたことになる。

 

「この我に貸しを作るとは、なかなかできることではないぞ?」

 

 逝ってしまった老人共の顔を思い出そうとするが、もう思い出せそうにない。となれば、貸しを返す先は一つしかなさそうである。

 

 銀狼と見つめ合うこと数秒。そこで銀狼は腰を上げ、来た方向とは直角に移動する。数歩歩けば、再度アーチャーを見つめてくる。

 

「案内でもするつもりか?」

 

 優雅さとはかけ離れたこの作業に嫌気がさしてきたところだが、こうしたイベントに出くわした以上、無視するわけにもいくまい。動物に好かれていた朋友である。これが迎えの使者ということもありえるだろう。

 だがアーチャーの期待に反して、案内されたのは人ではなく場所であった。

 

「川……だと?」

 

 思わず意図が分からず銀狼を見やる。銀狼は川にある大岩の一つに大人しく座っている。

 川の水は冷たく、実体化し続けてわずかに汗ばんだ身体に水浴みはさぞ気持ちの良いことだろう。

 

 アーチャーが近付いても、銀狼はその場から動こうとはしなかった。その柔らかな毛並みに触ってみても、嫌がりもしない。アーチャーが令呪に触れても、何の反応もしなかった。ここで剣を取り出し突きつけようとも、銀狼は身動き一つしないだろう。

 

「まさか、我に水浴みをさせようと案内しただけか?」

「わふん」

 

 その通りですとばかりに銀狼は初めて声を出す。

 

 銀狼はランサーがこの場にいないことを知っている。そしてランサーの記憶を垣間見ていた銀狼は、目前のアーチャーがランサーの朋友であることを知っていた。

 だからというわけではないが、いずれこの場に帰って来るであろうランサーのために、ここで接待するのは自分の役目だと、銀狼は獣らしからぬ思考でアーチャーをこの場へと連れてきていた。

 

「成る程。お前の主人(マスター)は不在か」

 

 アーチャーの言に銀狼は返事をすることなく周囲を見渡した。まるで、水浴びの最中での周辺警戒は任せろと言わんばかりである。

 マスターを放置してあの朋友が一人で行動する理由は思いつかなかったが、いつまでもマスターを放置する朋友でもない。

 

「ふん、本気でお前は我がここで水浴びをするとでも思っているのか?」

 

 常人であれば、ここで水浴びなどするまい。ただでさえそんな悠長なことをしている場合ではないし、むしろ罠と考え逆に周辺警戒を密にするべきところだ。これがランサーのマスターでなければアーチャーは即座にこの畜生を串刺しにしているところである。

 だがここにいるのは万夫不当の英雄王ギルガメッシュ。常人の対極の対極の対極に位置する英霊の中の英霊、他の追随を許さぬ希有な価値観の持ち主である。

 

「丁度我の脚絆も血に汚れて気持ち悪かったところだ。奴のマスターだけあってなかなかに気が利くではないか」

 

 呵々と笑いながら躊躇もなく全裸になると川の中へ足を入れるアーチャー。

 これがアーチャー、英雄王ギルガメッシュと、ランサーのマスター、銀狼とのファーストコンタクトである。

 

 



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day.06-ステータス更新

 

 

day.06-01 葛藤

 

 令呪の命令によって、ライダーは自らが急速に進化している事実に気付く。令呪の命令と自らの意志との間で葛藤するライダーであるが、その間に感染させた男達によって椿を確保してしまう。椿の前に姿を現すライダーであるが、それはティーネとフラットの罠だった。

 

 

day.06-02 心

 

 椿を守る最後の壁となったのは、銀狼だった。必死に時間を稼ごうとする銀狼の姿に、ライダーもまた最後の抵抗を試みる。心を手に入れたライダーの想いに、椿は目を逸らすことなく受け止める。

 

 

day.06-03 生対死

 

 ライダーに対抗するべく喚ばれたのはランサーだった。椿はライダーに「人を傷つけてはならない」という令呪を強き両者の間に入るが、二人が応じることはなかった。『生』のランサーと『死』のライダーが、ここに激突した。

 

 

day.06-04 創生

 

 激突するランサーとライダーであるが、優位なのはランサーだった。一方的にやられるライダーは自らの不利を認識し、状況打開のため固有宝具感染接続(オール・フォー・ワン)を獲得する。

 

 

day.06-05 感染接続

 

 突如として始まったライダーの反撃に、ランサーは翻弄される。次々繰り出される攻撃を耐え凌ぐが、決して無傷でいられるわけもなかった。ランサーを屠るべく、ライダーはスノーフィールドごと蒸発させてみせる。

 

 

day.06-06 能力向上

 

 ランサーを倒すべく創生した固有宝具感染接続(オール・フォー・ワン)はライダーが感染したスノーフィールド市民八万人の脳を使う危険な代物だった。圧倒的な強さを見せつけたライダーであったが、それでもランサーを倒しきれない。残された勝機を掴むべく、ライダーは最後の賭に出る。

 

 

day.06-07 家族

 

 激突するサーヴァント同士の戦いをティーネと椿は眺め見る。圧倒的な力を前にして、ティーネは自らの行動を振り返り、己の浅はかさを省みる。そして今後の戦いを鑑み、椿にある提案をする。

 

 

day.06-08 天命渦巻く混沌の海

 

 ライダーの最後の攻勢にランサーは創生槍を解放、天命渦巻く混沌の海(ムアリダート・ギムリシュン)にて迎撃をする。ライダーを原初の海に沈め椿をも殺そうとするランサーに、ティーネは面白いものを見せる代わりに見逃すよう提案する。

 

 

day.06-09 スノーフィールド警察署

 

 現実に帰還したランサーは、自らにかけられた呪いの一つが消えていることに気付く。自らの優位を悟ったランサーは、そのままスノーフィールド警察署へ襲撃をかける。そして同時刻、キャスターからのSOSに署長は事態の深刻さを気付く。

 

 

day.06-10 路上の残飯

 

 キャスターのいる籠の鳥へ襲撃をかけるアサシン。署長は令呪を使いキャスターをこの場に呼び寄せるが、それはキャスターの罠だった。アサシンの宝具によって二画目の令呪を失う署長は、キャスターともどもアサシンに誘拐される。

 

 

day.06-11 接待

 

 森の中で、アーチャーは原住民の死体を見つける。下手人がサーヴァントとマスターであると確信したアーチャーであるが、その追跡はできずにいた。そんなアーチャーに銀狼は接触し、何故か川へと案内する。

 

 

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 ステータスが更新されました。

 

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 ◆サーヴァント

   『アーチャー』

     所属:???

     状態:――

     宝具:王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)

 

   『ランサー』

     所属:――

     状態:強制現界の呪い、封印

     宝具:天の創造(ガイア・オブ・アルル)

        天命渦巻く混沌の海(ムアリダート・ギムリシュン)

 

   『ライダー』

     所属:――

     状態:感染拡大(大)

     宝具:感染接続(オール・フォー・ワン)

     令呪の命令:「繰丘椿が構築している夢世界の消失」

           「人間を傷つけてはならない」

 

   『キャスター』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:強制現界の呪い、位置情報露呈の呪い

     宝具:我が銃は誰にも当たらず(オール・フィクション)

 

   『アサシン』

     所属:――

     状態:強制現界の呪い

     宝具:回想回廊、構想神殿、追想偽典、石ころ帽子

 

   『バーサーカー』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:強制現界の呪い

     宝具:???

 

   『宮本武蔵』

     所属:――

     状態:消滅

     宝具:二天一流

 

   『ヒュドラ』

     所属:――

     状態:消滅

     備考:毒

 

   『エルアライラー』

     所属:――

     状態:消滅

 

   『正体不明のサーヴァント』×2

     所属:――

     状態:消滅

 

 

 ◆マスター

   『ティーネ・チェルク』

     所属:原住民、夢世界同盟

     状態:ヒュドラの毒、感染(夢世界)、体力消耗(大)

     令呪:残り3

 

   『銀狼』

     所属:夢世界同盟

     状態:感染(夢世界)、体力消耗(中)

     令呪:残り1

 

   『繰丘椿』

     所属:夢世界同盟

     状態:精神疲労(大)

     令呪:残り1

 

   『署長』

     所属:二十八人の怪物(クラン・カラティン)

     状態:精神疲労(中)、捕虜

     令呪:残り1

     宝具:夢枕回廊(ロセイ)(封印)

 

   『ジェスター・カルトゥーレ』

     所属:――

     状態:死亡×3

     令呪:残り0

 

   『フラット・エスカルドス』

     所属:夢世界同盟、???

     状態:感染(夢世界)、魔力消耗(大)

     令呪:残り3

 

 



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day.07-01 粛清

 

 

 目が覚めたのはもう昼も過ぎた頃合いだった。

 

 筋肉が久しく機能しなかったことで身体中が軋んでいる。天蓋付きの見慣れた族長専用のベッドであるが、こうしてみると想像以上に大きいように思える。もしくは、自分が小さくなったのかと錯覚する。

 

 つい先ほどまで腕の中で抱いていた繰丘椿の身体は、どこにもない。その温もりが残っているようにも思うが、それは気のせいなのだろう。

 

 ティーネ・チェルクは現実へと帰還していた。半ば推測だらけの確証の乏しい方法ではあったが、上手くことは運んだらしい。

 

「姫様、お目覚めになられたのですか」

 

 ティーネの目覚めにすぐに気がついたのか、長年連れ添った乳母がすっかり窶れた顔がティーネの視界に入ってきた。目に涙を浮かべて目覚めたティーネに寄り添いあちこちに手を当てて身体に異常がないか確認してきた。場合によっては無礼極まりないことではあるが、大きすぎるベッドに小さなティーネが横になるとこうでもしないと顔も見られない。

 

 代々の部族長が寝所として利用してきたここは、成人男性が複数人の女性を連れ込めるよう必要以上に広めに作られている。未だ成長途中の女子が寝るには不便極まりない。それにティーネは異性をここに複数招く真似はできそうにない。

 いずれ時がきたら小さなベッドを用意しようと頭の隅で考えておく。その時まで生きていれば、の話であるが。

 

「その呼び方はもう止めてください。私は族長です」

「私にとってはいつまで経っても姫様は姫様ですよ」

 

 涙ながらに語りながら、乳母は温かいスープを差し出してきた。いつ目覚めるかも分からないというのに温かいということは、冷める度にスープを用意させていたのだろう。子供扱いされることに多少抵抗はあるが、母親以上に献身的な乳母の行為は素直にありがたかった。

 

「私が眠って、何日が経ちましたか?」

「四日と半日といった頃合いでしょうか……本当に良かった。薬が効いている筈なのに起きる様子が全くないのですから!」

 

 空きっ腹にスープを流し込みながら乳母に問えば、夢の中での経過時間とほとんど変わりない。だとすれば夢の中で聞いた女医の言葉を信じるなら聖杯戦争に大きな変化はない筈。だが、四日という日数は組織として変質を促すには十分に足る時間である。

 面倒ではあるが、これは色々と確認する必要がある。

 

「何か他にお持ちしましょうか?」

「いいえ、結構。その代わり現状報告を聞きたいわ。内密に相談役を呼んでください。他の者には気取られぬよう、迅速に」

 

 ティーネの言葉に乳母はやや曇った顔になるが、「わかりました」とすぐに部屋を出て行った。それだけでティーネの予想は半ば当たっているのだと理解した。

 

 名残惜しそうに部屋を出て行く乳母を見送り、ティーネは意識を切り替える。この要塞内にいるとはいえ、相談役全員を集めるのにもやや時間は必要だろう。その間にできることは早い内にしておくべきだ。

 

 申し訳ないと思いながらも飲みかけのスープを台座へと戻し、軽く呼吸を整え意を決して身体を確認してみる。

 今着ているのは寝間着代わりのローブで、下着は穿いていない。三日間寝たきりだったというのに汚れていないということは、乳母が処理してくれていたのだろう。

 だが、確認したいのはそんなことではない。

 

 身体の内を駆け巡る魔力の流れを感じる。夢の中ではせいぜい小川程度にしか流れていなかったが、今や大河もかくやとばかりに暴れ回っている。

 スノーフィールドの地そのものから供給される魔力はアーチャーに供給する魔力を差し引いても余りある。あまりのギャップに眩むほどであるが、これが本来ティーネが平時に扱う魔力量なのである。

 

 やや慎重に調べてはみるも、巡る魔力に澱みはなく、三画の令呪にも問題はない。そのことに安堵と不安を感じながら、避けては通れぬ道と、ティーネは思い切って自らの丹田に己の魔力を巡らせてみる。

 

「――っ」

 

 結果はすぐさま表れた。

 浮かび上がったのはティーネの胸から下腹部にかけて描かれた紅い魔法陣。簡素に見えて実に複雑な術式を織り込まれたそれは、ティーネに適切な形で他者の魔力を受け取り自らの魔力へ組み込む変換器である。

 

 乙女が自らを捧げようという一世一代の決意に対し、これを描いた本人は「ごめん、なんか勘違いさせちゃった」とか「十二歳を抱くのは無理」とか「別に房中術でなくとも方法はたくさげはぁ!」とか言っていた。ちなみに最後のはティーネがその無礼者の顎を殴り飛ばした時の台詞である。死ねばいいのに。

 

 とはいえ、この魔法陣はフラットの血液を用いた歴とした魔術の塊である。性行為こそしなかったものの、ティーネの未発達な胸や将来を感じさせる臍周り、特に子宮のある下半身をこれ以上ないほど(魔法陣を描くために)弄り倒したフラットの魔術は、今現在も彼女の身体に魔力を供給し続けている。

 

 あの時のことを思い返して頭を抱えたくなる。

 他者からの魔力提供は子宮に射精されるのと似た快楽とも聞く。欲求不満めいた感覚から自慰の誘惑にかられるが、それはおいておく。

 

「こんなことであの夢が現実だったと証明されるのもどうかとは思いますが……」

 

 最悪、眠っていたあの出来事全てがティーネの夢である可能性もあった。

 他のマスターとの同盟、ライダーとランサーの戦い、“偽りの聖杯”、全て荒唐無稽といえばその通り。だが、夢の中でフラットにかけられた魔術は現実にティーネに影響を及ぼし続けている。これがあの夢が現実であったという何よりの証である。

 もう必要がないのでさっさとこの魔法陣を消したいのだが、これは一体どうやったら消えるのだろうか?

 

 そんなことを思いつつ身だしなみを簡素ながら整えていると、扉の向こう側に複数の気配が現れノックする音がする。ノックの癖から乳母であるには違いない。が、集まるにしては早すぎる。

 

「……入れ」

 

 なるべく苛立ちを悟られぬよう機械的な声で入室を促せば、乳母がティーネの命令通り相談役を引き連れて入室し、そのまま何も言わずに退室していった。

 ここにいるティーネと相談役は、謂わばこの原住民の実質的頭脳である。

 末端やその縁者、支持者を含めれば数千人まで膨れあがる人数を考えると、トップにはそれ相応の権限が必要とされる。そのためにティーネと相談役以外の者はこの場に立ち会うことが許されない。

 

「お目覚めになって何よりです」

「申しわけないけれど、そんなことよりも時間が惜しい。現状の報告をして欲しい……けれど、あなた達が今何をして、何をしようとしていたのかを先に聴いておきたいわね」

 

 口々に挨拶をしようとする相談役にストップをかけ、ティーネの視線が先と打って変わって厳しいものへと変化する。

 当然だ。相談役というのは原住民のトップであるのは周知の事実。そして、そのトップの中のトップであるティーネが一時的とはいえ倒れた以上、話し合う内容は自ずと知れてくる。

 

 話の詳細こそ分かるわけもないが、相談役が中途半端なこんな時間にこうも早くこの場に招集できたのがその証拠であろう。

 彼らの中で結論はほぼ出ていると見た方が良い。

 

 意図してその目に苛立ちを込めれば、その視線に慌てた者が一人。そして目線を逸らした者も一人。いずれも相談役の中で比較的若手の過激な急進派。どちらかといえば保守派に属するティーネだが、今までその強大な権限を以て彼らを排斥したことはない。建前だけでも組織を一枚岩としておきたかったからである。

 この聖杯戦争の最中である以上、一致団結する必要があるのに、これでは足を引っ張り合うばかり――

 

「……待ちなさい。何故、一人いないのですか」

 

 九名の相談役を呼んだというのに、ここに座すのは八名のみ。あえて名前を呼ばず相談役の人数で判断したかのようにティーネは振る舞うが、その実、最も頼りにしていた者の姿がここにはない。

 

「ああ、そのことですか」「祖父殿でしたら先日から」「我々もそのことで話し合っていたのですよ!」「気の毒なことでした」「何せ急なことでして」「新たな相談役が必要であると」「ここは一致団結し」「推薦したい者が」「英雄王の差配にも困ったもの」「責任をとられたのでは?」「そんなことより訴えたいことが」

 

 次々と勝手なことを言い始めた相談役だが、その全ての言葉をティーネは違えることなく耳に入れた。彼らは他者の言うことなど端から聞いておらず、自分勝手なことを恥知らずにも平気で口にしてみせる。

 

 まだ族長の地位に着いたばかりの頃、政治についてろくに分からぬ部分もあって、そのために重要な案件については相談役にそのまま任せていたことがある。そうして一度でも頼られたという実績が彼らの強みとなり、結果的にこうした暗愚な者をこの場に招き入れることとなってしまった。

 

 これを失策というのは早計だろう。万能なる人間などどこにもおらず、また真に無能なる人間もいやしない。最善手が最良の結果となるとも限らず、また最悪手が最良の結果を招くこともある。

 一言で言ってしまえば「仕方がない」。

 

「――よく、分かりました」

 

 五分近くも好き勝手に話した相談役達に、ティーネは静かに告げてみせた。

 さすがに族長の言葉を遮ることもできずまだ喋り足りない様子ではあったが、部屋の中には沈黙が落ちる。

 相談役全員が、次に発するティーネの言葉を待っていた。そして都合のいいことに、口を開いていた相談役は己の訴えが通るとばかり思い、愚かにも頬が自然と上がってすらいた。

 彼らの言い分は何も間違っているわけではない。理がないわけでもない。組織として何ら問題のない提案なのだ。

 

「(                      )」

 

 言葉は、そこにあったのかもしれない。

 意志も、思惑も、そして感情も全てを乗せて、ティーネは己が魔力を解放した。久方ぶりに使用した魔力は、思ったよりも出力が強かった。

 

 元より族長の条件の一つがこのスノーフィールドの地に愛されていること。それは即ちティーネが魔術使いとして最も優れている証左でもある。

 ただの一撃で、相談役八人の内五人が抵抗する間もなく消し炭となる。焦げ付いた炭の臭いに顔が辺りの空気を汚した。

 

「何か意見はありますか?」

 

 ティーネの言葉に重い空気がはき出された。

 この場に残った三人は、部屋に入った時から一言も発していない者達だ。そしてティーネが心から信頼している腹心である。

 その腹心が、ようやくその口を開いた。

 

「……一応、苦言を呈しておきますが、急進派連中は黙ってはいないでしょう」

「私のサーヴァントは暴君です。ならば、そのマスターも暴君になってもおかしくはないでしょう?」

 

 ある程度予想はしていたのだろう。確認をするように問うてくる腹心にティーネは静かな覚悟を持って答えた。

 

 怒りがそこにあったのは確かであろう。だが、怒りだけで組織の頭を半分殺すことなどしはしない。

 ある意味で最悪のタイミングともいえたが、これ以上野放しにしていては大きな隙となってしまう。反乱でも起こされた日には、多くの者が無駄に血を流すことになってしまう。

 そう判断したからこそティーネは彼らに裁きを与えた。

 

 早まったわけではない。むしろ遅すぎたくらいだ。

 聖杯戦争を目前に控え、組織を纏めるのに妥協し、形だけでも足並みを揃えようとしたのが拙かった。一人旅立たせてしまった祖父に詫びる言葉もない。

 彼を殺してしまったのは、無能な自分の責である。

 

「彼らのおかげで大方のことは理解しました。英雄王が籠城を命じたのですね?」

「はい。我々相談役で話し合い、現在物資の調達を急遽行っております」

 

 実際に話された内容から籠城とは少々ニュアンスが違うようであるが、夢の中であれだけの感染者と戦ったティーネだ。アーチャーがどういう意図で命じたのかは分からぬが、疫病であるライダーの存在を感じ取っていたのかも知れない。

 だがそれだけというには腑に落ちぬところもある。

 これは、直接話を聞く必要があるだろう。

 そして、こちらからも話をする必要がある。

 

 ――いや、その前に“偽りの聖杯”を確認するのが先か。

 

「英雄王はどちらに?」

 

 ティーネの問いに相談役は黙って首を振る。

 この意味が分からぬティーネではない。

 これくらいは予想している。

 

「私はこれから外へと出ます。護衛は不要。後のことは任せますが、我々一族の安寧を第一に動いてください。穏便に進められるならそれが一番ですが、必要とあらば粛清を行っても構いません」

 

 こうなることを考えて内密に彼らを喚び出したのだ。まだティーネが目覚めたこと知る者はまだ少ない。そしてこの場でいきなり相談役が殺されたなどと予想する者もいるまい。

 うまくすれば二日くらい相談役の不在は誤魔化せる。そこから先は、相談役の頑張り次第。

 

 ベッドから降りて服を着替える。生き残った相談役はティーネが幼い頃より心を寄せていた身内である。今更恥ずかしがる関係にはない。

 いつも通り白いドレスを身に纏ったティーネは、下を向く三人に最後になるかもしれない命令を下す。

 

「私が倒れた場合、敵を討とうなどとは絶対に思ってはなりません。次の族長はあなた方三人で選んでください。汚名は全て私に被せ、原住民が生き残ることを第一に。誰一人として命を粗末にするようなことのなきようお願いします」

 

 ここで五人もの相談役の命を奪ったティーネだ。暴走したティーネが全て悪いとすれば、全て丸く収めることができる。ティーネが死んだとしても組織そのものはその死を最大限に利用することができる。

 

「……姫様も、命を粗末になさらないでください」

「その呼び方はもう止めてと言った筈よ、叔父様」

 

 その忠告には答えず、幼い頃の呼び方で相談役に別れを告げてティーネは部屋を後にする。

 あの最強無比のアーチャーがティーネの補佐を必要とする筈もない。マスターであるティーネはこのまま関知することなく籠城をした方が絶対良いに決まっている。

 だが、そんな簡単な選択肢を前にしてもティーネはその命を賭して要塞の外に出なくてはならない。

 

 今、ティーネの前には二つの道がある。

 一つは、マスターとしてアーチャーと協力し“偽りの聖杯戦争”を戦い抜く道。

 そしてもう一つは、スノーフィールド原住民の族長として、サーヴァントの力を必要とせずに“偽りの聖杯戦争”を終わらせる道。

 

 単身、彼女は要塞の外へと歩み始めた。

 その足先は既に決まっていた。

 

 



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day.07-02 裏切りの理由

 

 

「こんなことが本当に実現可能なのですか……?」

 

 思わず声に出しながら、何度も何度もその決して薄くない資料を読み返した。

 十分、二十分と時が無情に経過していくが、書かれている内容はちっとも変わってくれない。それどころか、細部まで読み込むことでこの計画の胆となる部分も見えてくる始末。

 この資料にリスクとリターンは具体的に書かれていないが、確かにこれはハイリターンだ。そしてある程度の知識があれば、超ハイリスクであることも読み取れる。

 

 アメリカ国内にあるとある秘密大学の秘密大図書館の秘密地下書庫――その更に地下にある大深度秘密資料室にて、青年は柄にもなく青ざめていた。

 従軍時代に紛争地帯で敵陣の只中に置き去りにされた経験もあるが、ここで知りえた事実の方が青年に与えた衝撃は遙かに大きい。

 

「納得してもらえたかね?」

 

 目の前にいる講師はじっくりと時間を掛けて青年を観察していた。それこそ、この部屋のドアを開けて一時間以上資料を読み耽っているその姿を子細に。飽きもせず。愉しげに。

 

「納得なんて……」

 

 できるわけがない。

 それでも露骨に反論できないのは、青年が駆け出しながらも魔術師であるからに他ならなかった。

 

 目的に対して貪欲であり、犠牲を顧みず、そのためならばどんなことだって行う魔道への歩み。

 まだその道に入って日は浅く、代も重ねてすらいないため魔術刻印すら持ってはいないが、彼には魔術とは全く関係のないところで生まれ持った才覚があった。しかもこの計画であれば青年は長年無縁と思ってきたその才覚を生かすことができ、駆け出しの魔術師でありながら大成することが約束される。

 命を賭けるという覚悟は必要ではあるが、リスクの大部分は他人が肩替わりしてくれるし、リターンに関しても人生を十回やり直してもお釣りがくる。同時に、本来なら十代かけて積み重ねるべき血統すらもここで手にすることができる。これは並の貴族でも得られるモノではない。

 

 喉が渇いてしょうがない。

 こんなチャンスが今後あるとも思えず、そして断れば消されるだけ。消されるのが記憶か人生かは知らないが、資料を見せた講師は青年が引き受けない可能性を欠片も考慮していない。

 

「質問をしても、よろしいでしょうか?」

「何かな?」

「何故、自分が選ばれたのでしょうか?」

「ふむ。魔術師にとって自惚れとは大切だよ? 自分に自信が持てなければ魔道を歩もうなどとは思わないからね」

 

 その言葉はまるでお前は魔術師に向いていないとでも言っているようにも聞こえるが、そうした他意は講師にはない。もとより青年に頓着していないようにすら見える。

 

「だが強いて言うなれば、君が候補者の中で最も選考基準を満たしていたからだ」

「選考基準について伺ってもいいでしょうか?」

「身元が確かであり、従軍経験もあり、一定基準の魔道を修めている。ああ、ついでにいうとそうした合格者は他にもいるが、計画中枢にいる人物として声をかけたのは君だけだ。最大の理由は分かっているとは思うがね」

「………」

 

 嘲るような講師の物言いに、青年は何も言うことはできない。

 計画の初期段階に対サーヴァント部隊の育成が含まれている。そして青年が持つ才能とは、即ち魔術師の育成に他ならない。

 最近有名となりつつあるロード・エルメロイⅡ世と比べると見劣りするのは確かだが、青年であれば『戦闘技能を持った魔術使い』に限った育成で彼をも凌ぐ実力を持つ。白羽の矢が立つのも当然であろう。

 

 既に青年はその歳で己より遙かに高位の魔術師を更なる高見へ送り出したことがある。それがかつての部下であったことも含めて調査は進められていた。というより、その元部下がこの計画に青年を推薦した可能性も高かった。

 

 若干の背景が分かってくると、余裕が少なからず出てくるものだ。落ち着いてこの計画を見直せばこれがどれほどの規模のものなのか予測もできる。

 

 スノーフィールドにおける“偽りの聖杯戦争”計画。

 元は別の計画に利用される筈だった“偽りの聖杯”を冬木の聖杯戦争を参考に作り替えた模造品。

 こんなことが計画されていると知れば協会と教会、双方が黙ってはいないだろう。よく今日まで彼らの網にかかることなく騙し仰せたものだと感心すらする。

 

 寒いくらいの地下書庫だというのに、冷や汗が頬を伝って滴が落ちた。

 静寂の中に跳ねる水滴は自分の無力さを感じさせた。

 

「……再度、お尋ねします。これは、本当に可能なのですか?」

「可能だからやるのだろう?」

 

 呆れたような物言いではあるが、やはり講師は青年を諦めさせるつもりはない。

 

「これは……世界を滅ぼしかねない――いや、世界を滅ぼすものです」

 

 もはや言葉を言い繕っても仕方がない。

 願望機として世界の破滅を願えば世界を破滅させる、というものではない。これは、世界を滅ぼす単一機能しか持ち得ない。ありとあらゆる保険を掛け、その機能の一端を解放するだけにしても、万が一の可能性で世界は滅びることになる。

 その可能性を多いとみるか少ないとみるか、それは個々人によるだろう。

 

「だから失敗しないように、計画が立ち上がったのだろう? まあ、僕はオブザーバーとして、可能だ心配はないこの手に乗らない手はない、と耳障りの良い美辞麗句を囁いただけだけどね」

 

 そんな講師の言い方に一体“上”がどれほどリスクを理解しているのか疑問が残る。

 大方、この文字通り桁違いのリターンだけで押し通す腹づもりなのだろう。この様子では根回しは終了し予算も組まれていたとしてもおかしくはない。

 

「……先生は、この計画に参画されないんですか?」

 

 考えてみれば、この講師がただのオブザーバーというのも納得のいかない話だ。自分よりもよっぽど魔術師らしい魔術師は、魔術師らしく己の欲望に正直だった。

 

「馬鹿かね君は。船名がタイタニックなんて豪華客船に乗るわけないだろうが。美味しいとこだけ戴いて不味いところは人に押しつける。それが世間の常識と我々魔術師の常識の共通点だろうに」

「先生らしいです」

 

 通用しない皮肉に嘆息して、もう一度資料に目を通す。

 これ以上この講師に質問したとしてもどれほどの答えが返ってくるのか、逆に底が見えた。だからこそ、そのギリギリの質問は今のうちにしておく必要がある。契約書にサインしてしまえば、今後この講師と話す機会もないだろう。最期の時に暢気に茶飲み話できるとも限らない。

 

「先生、契約をする前に質問しますけど」

「ん、何でも聴いてくれ。答えられる範囲ではあるがね」

「もし、自分が失敗した場合、どうなりますかね?」

 

 そこで講師は一瞬だけ呆けた後、今まで一度として見たことない大爆笑を青年の前で数分間見せ続けた。

 青年としては至極まともな質問ではあったが、講師は一流の冗談だと思ったらしい。まあ、軍人崩れの魔術師が真面目な顔して問うてくるのだ。答えは知っていて当然だし、わざわざ聞くようなことではない。

 

 結局、講師は青年の質問には答えなかった。

 

 

 

 

 そんな会話があったことを、署長はうっすらと夢の最中に思い出していた。

 あれが一体何年前の話だったのか定かではない。全ては自分の妄想で、ひょっとすると自分はこの計画のために造られたホムンクルスではないかとすら思う。滑稽だとは思うが、絶対にないと言い切れないのがこの業界の怖いところである。

 

 意識の覚醒は瞼の開閉よりも早かった。時間帯を腹具合や喉の渇きで推測しようにも、昨今の疲れと不摂生が祟ってまるで分からない。だが幸いといっていいのか分からないが、ロープによって拘束された両手足の硬直具合から数時間以上、半日未満と推測できる。

 おそらく途中までは両手首と足首をくっつけるように縛って逆エビ状態で搬送していたのであろう。そのせいかどうにも背骨が悲鳴を上げてならない。

 

 重い頭を無理矢理回転させて耳を澄ませる。猿ぐつわも目隠しもされてはいない。自然な動作でわずかな音を出しその反響を頼りに部屋の大きさを推測するが、これはどうにもよく分からない。小さいようにも思えるし、大きいようにも思える。

 だがそれでも迂闊なことを署長はしない。慎重に慎重を重ねて周囲の情報を視覚を除いた四感で収集する。

 

 部屋の中には……誰も、いない。

 そう結論を出したのは約五分後。ゆっくりと薄目を開けて顔を動かさない範囲で周囲を探り、安全だと判断してからはまずは目に見える足首の縄を確認する。ロープの巻き数が多いほど緩めやすく縄抜けの余地が生まれるが、しかしこれはどうにも難しい。戦友の中には関節を外して脱出する雑伎団のようなやつもいたが、あいにくと署長にそんなスキルはない。

 

「ちっ、なら……」

 

 と、背中に位置する手首を縛るロープをベッドとの感触で確かめようと上を向くが、

 

「よう」

 

 実に自然な態度で、視界の隅でキャスターが椅子に逆座りしながら顎を背もたれに乗せ、右手を軽く挙げて挨拶してきた。街中で偶然出遭ったかのようなさり気なさだが、そんな偶然があるならこの世は即座に滅びた方がいい。

 

「……悪趣味な奴だな。いつからそこにいた?」

「多分マスターが起きる五分くらい前からだ。だから一〇分くらい前からかな?」

 

 いつ起きたのかもキャスターにしっかりと確認されていた。就寝時と起床時の見分け方として唾液の嚥下量というものがあるが、そんな喉の動きでも見ていたというのか。相当な暇人である。

 

「演技かどうかは見てりゃわかる。仮にも俺は劇作家だぜ?」

 

 普通の劇作家は現場に出て役者の見立てをすることはない。それは監督の仕事だ。

 

「……いや、嘘だろ」

「反応が遅いな。いつもならもっと早くに突っ込みが入っている頃合いだぜ?」

「おかげで目が覚めつつあるさ」

 

 重い頭を自覚する。これは魔術などではなく薬禍によるものか。だとすれば自己制御をいくら徹底しようが身体のどこかから必ずボロはでる。演技が無駄である以上、ここからは捕虜として動くべきか。

 ……だからといってジュネーブ条約に基づき認識番号を言ったところでどれほどの意味があるかは不明である。今までの経緯を考えれば無意味でしかない。

 

 署長が誘拐された以上、二十八人の怪物(クラン・カラティン)は次席である副官が指揮権を継ぐことになる。

 元々猫の鈴として“上”に押し付けられた経緯のある男だ。反目せずとも信頼関係などあるはずもなく、署長を助け出そうと動くような殊勝な男ではない。むしろ今後発生するであろう責任問題を署長に押し付けるべく、積極的に署長を殺しにくることだろう。

 

 味方は一気に敵となった。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)も一から署長が丹精込めて育てはしたが、あれは魔術師である前にまず軍人として教育してある。上官が替わったところで動揺するかもしれないが、その根幹が揺らぐことはあり得ない。

 秘書官を含めた腹心数名ならなんとかまだなるだろうが、署長が副官の立場であったのならとっくに拘束するか餌として野に放つかの二択を考える。

 

 状況確認は終了した。

 もうこれ以上になく詰まされている。三手詰めというところだろう。初心者にも易しいレベルである。

 

「……しかしわからんな、キャスター」

「ん? 何がだ?」

 

 解せない、と署長はキャスターを睨み付ける。

 

 ――何故、裏切った?

 ――敗色濃厚だぞ?

 ――令呪はまだ一画残っているぞ?

 

 署長の脳裏に数々の質問が思い浮かぶが、その全ての答えにキャスターは笑ってこう答えるだろう。

 

 ――その方が、面白いだろ?

 

 そんな決まり切った答えを聴きたくて質問するわけではない。分かりきっている答えなど、傾聴に値しない。

 署長が理解できないのはただ一つ。

 

「お前は、裏方でこそ活躍するサーヴァントだ。何故表に出ようとする?」

 

 劇作家は名声こそ手にすれ舞台に上がることはない。スポットライトの当て方に口を出しても、スポットライトの中に入りたいわけではないのだ。

 

 キャスターは組織という手足があって、初めて活きるサーヴァントだ。例え他のサーヴァントと同盟を組んだとしても、彼本来の実力が発揮できるとは到底思えない。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)という手足がなくなれば、最終的にキャスターは足手まといとして切られる運命にある。

 

「あー……それか」

 

 痛いところをつかれたなぁ、とばかりに後頭部を掻くキャスターは教師に叱られる悪ガキの態度によく似ていた。

 痛む腰に力を入れ、足を振り上げ下ろす力で上体を起こす。これで視線の位置が同じになった。わずかではあるが、キャスターにはプレッシャーになったことだろう。案の定署長から目線を逸らしてみせる。

 元から嘘吐きのキャスターではあるが、嘘をつかずに黙るのはまた珍しい。

 

「……つまらねー人生より、面白い人生の方が良いと思ったから、かな?」

「なんだ、存外つまらん理由だな」

「ほっとけ。俺だってもう少し傍観者でいたかったさ」

 

 そう言ってキャスターは自然に席を立った。そしてそのまま部屋を後にしようとするキャスターに思わず声が出る。

 

「おい、私に何か話が合ったんじゃなかったのか?」

「いや、今のとこ何もねぇよ?」

 

 あっさりと告げるキャスターの言葉に嘘はない。では、何故ここにいたのか。

 

「ただ、一応俺はサーヴァントでアンタはマスターだ。状況は変わっても関係が変わってないことは理解しておいて欲しくてな」

 

 十二分に関係は変わったように思えるし、無理矢理変えさせたのはお前だと言いたいところだが、キャスターの中ではここで自らが上位に立ったとは思っていないらしい。

 

「俺が説得する必要もなく現状を正しく認識してくれているようだから、俺から言うことは何もねえのよ」

「私はまだ色々と聞きたいことがあるし、待遇の改善を求めたいのだがね」

 

 皮肉気味に手首に巻き付けられたロープを見せつけるが、キャスターとしてはこれ以上ここにいるわけにもいかぬらしい。

 

「そのロープはもうじき外すよ。その前に兄弟に会わせたい人物がいてな」

「誰が兄弟だ。……それで、一体誰に会わせてくれるんだ?」

 

 うんざりした様子で署長は一応の突っ込みを入れつつ、キャスターに探りを入れてみる。

 キャスターは気分屋ではあるが、それでいて計算高い男でもある。裏でこっそり裏切るならともかく、ああも真っ正面から堂々と裏切る真似を簡単にする男ではない。その行動には必ず意味があり、意義がある筈なのだ。

 

 自然と、署長は身体が強ばっていることに気付く。

 これから会う者が誰かは知らないが、このキャスターをして裏切らせしめた者である可能性が非常に高かった。そんな者が只者である筈がない。

 

 いいだろう、と自由の利かぬ手足であっても背筋を伸ばす。舐められればそこで終了する恐れすらある。すでに元の鞘には戻れぬ身、生き延びるためならなんだってするしかない。

 だがそんな署長の気構えも、キャスターによって粉砕される。

 

「ああ、気構えなくてもいいぜ。今から会うのは確かにこの偽りの聖杯戦争での重要人物かも知れないが、本人に自覚がないからな」

「……どういうことだ?」

「つまりは、こいつ、だよ」

 

 キャスターが開け放ったドアの先には、一人の……東洋人がいた。

 

「この“偽りの聖杯戦争”におけるイレギュラー。七番目のサーヴァント、宮本武蔵の元マスター様だ」

 

 キャスターの紹介に、署長は自らが何故誘拐されたのかを悟った。

 パワーバランスや、情報を引き出すために署長は誘拐されたのではない。

 この“偽りの聖杯戦争”の裏を知っている者として、現状を分析するアナリストとして、署長は誘拐されていた。

 

「は……、はは、……ははは、ははははははははははっ」

 

 思わず、笑いがこみ上げてくる。

 既に諦めていたとはいえ、これは想像以上のカードを引いてしまった、と署長は込み上げる笑いを抑えることができそうにもなかった。これは“上”どころか、“偽りの聖杯”をもひっくり返せる大チャンスだ。

 

 全てを署長は納得した。

 聖杯戦争のシステムが根本から覆される可能性が出てきたのだ。そんな手札を見せられたのなら、キャスターが裏切るのも仕方がない。署長がその気になってしまうのも、無理はない。

 キャスターは良い働きをした。きっと“上”がこのことを知れば、さっさと処分するよう言ってくるに違いない。誘拐されない限り、署長はこの東洋人と話す機会は得られなかっただろう。

 

「いいだろうとも東洋人――私は何だって答えよう。キャスター、長い話になる。茶菓子くらいは用意してくれるのだろう?」

 

 仰せのままに、と自らの高揚を押さえ切れそうもない署長に肩を竦めてキャスターは去って行く。

 

 この聖杯戦争の準備をしてきた段階から、署長はここまで歓喜に震えたことはなかった。

 これまでは軍人として必要とされたことはあっても、魔術師として必要とされはしなかったのだ。そんな己を不甲斐ないとすら思っていた。

 だがそうではなかった。群体の長としてではなく、個として署長が必要とされる場所があったのだ。

 

 もはや署長に迷いはない。自らがどういった立ち位置になるのか不明ながら、足元を確認するよりも先に駆け出すことに躊躇はなかった。

 

「時間がもったいない。私のことはどうせキャスターから聞いているのだろう。それで、君の名は何と呼べばいいかな?」

 

 署長の問いに、東洋人はしばし戸惑いながらもつたない英語で口を開いた。

 

 



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day.07-03 遊び

 

 

 その午睡を邪魔したのは、例によってろくでもない喧嘩の仲裁のためだった。

 

 スノーフィールド南部砂漠地帯……というよりもはやラスベガス北部といった方が近い丘の上。スノーフィールドからラスベガス方面へ正規ルートから外れた場所である。歩くには難しくはないが、整備されていないので車だと難しい。うねって視界の利き辛い道と毒虫の巣が近くにあるのとで、利用者は限られている。結果として、ここにいるのは後ろめたいことのある人間ばかりだった。

 

 困り顔の女性副官に起こされたのは午後の二時。日陰は涼しいがこれから最も暑くなる時間帯である。だというのに喧嘩は日向で行われていた。まったくもって正気を疑いかねぬ馬鹿野郎共である。

 

「どうしました?」

 

 溢れる怒りを欠片も出すことなく近付いてきた上官に敬礼をしてくるも、訓練所上がりの新兵はそれでもなお互いに睨み合いを続けてみせる。

 顔立ちからして粗暴さが目立つ馬鹿面だ。何度も上申はしてはいるがここに連れてこられるのは決まって前科のある悪ガキや使いようのない馬鹿ばかりである。

 人殺しに抵抗が(あらゆる意味で)ないのは結構なことであるが、脳みそまで本気で筋肉が詰まっているのかという学習能力のなさと倫理観の欠如は本気でどうにかして欲しい。

 

「ふぁ、ファルデウスたっ」

「おおっと。私のことを階級で呼ぶのは禁止です。前にも言ったでしょ? ちゃんと覚えていますか?」

 

 黙ったことを確認してファルデウスは無礼な新兵の首筋からアーミーナイフを元の鞘へと戻す。

 一体いつの間に抜いたのか周りにいた全員が把握できていなかった。柔和なファルデウスがひとえにこの荒くれ者達の上に立てる理由は、こうした圧倒的戦闘力の差によるものだ。特に初日に反抗的だった一人を永遠に黙らせたのが良かったらしい。

 

「それで、これは一体何の騒ぎですか?」

 

 本来であれば現場の全権責任者たるファルデウスがこんな新兵の喧嘩ごときに出向く必要はない。が、無視を決め込むにはこのベースキャンプは狭すぎた。

 

「あー……なるほど、つまり死体の数が足りてないってことですか?」

 

 女性副官が耳打ちすれば納得である。一応確認しようと二人の新兵へ問い質してみると互いの罵倒が口に出た。聴かれたこと以外を喋るなと言う基本的なことも忘れているようである。

 

 いつまでもこの二人の言い分を聞いているわけにもいかないので、二人を無視してファルデウスは死体を安置しているテントを覗き見る。数えてみれば、確かに報告された数よりも一つ足りていない。

 

 一応射殺死体は一体ごとに記録を取っている。ここからいなくなった死体は昼間日陰で休んでいたところを狙撃され殺された男のもの。足跡からどうやらラスベガス方面からスノーフィールドへ行く途中だったようである。これがどこぞの陣営の援軍だとしたら減点は免れぬだろう。

 

「こういうことがあるから『当たり』は油断ならないんですよ。無理をしてでも二十八人の怪物(クラン・カラティン)から何人か引っ張ってきた方がよかったですかねぇ……」

 

 まったくもってつまらない任務だとファルデウスはぼやく。

 ファルデウス達が今受けている任務はこの付近を渡ろうとする人間の射殺である。射殺した人間の多くはただの一般人(臑に傷を持つ者が多いが)であるが、中にはこうした『当たり』もいる。

 

 つまり、魔術師だ。

 

 現在射殺したのは全部で八六名、その内魔術師らしき人間は九名である。そうした『当たり』かもしれぬ死体は他の死体と区別し保管場所を分けている筈なのだが、その死体袋はどう見ても八つしかない。

 死んだふりをしていたのか、それとも何かしらの魔術で蘇ったのか。判断は付かぬが今更どうしようもない。あの馬鹿者共のことだと念のため他の死体袋の数も確認したが、結果は変わらず。やはり一人分の死体がなくなっている。

 

 いつまで続くか分からぬこの作戦に兵士達が『遊び』を取り入れたのを黙認したのがまずかった。誰が何発で何人仕留めたのか賭けがあったらしい。中でも『当たり』と判定された者の射殺死体はポイントが高いのだそうだ。

 

「こいつらにも魔術師の怖さを教えなければなりませんかねぇ……」

 

 スノーフィールドでランガルの人形を壊した時、その光景を間近で見た兵士達の衝撃は生半可なものではなかった。

 ここでの仕事は簡単であるとはいえ、いつ逆襲されてくるかは分かったものではない。むしろこのルートは通れない、という認識を植え付けるための作戦なので、進退窮まれば一斉に襲いかかってくる可能性も低くない。

 射撃ポイントは常に変えさせてはいるが、もうそろそろそのパターンも限界である。ここいらで何か手を打つ必要はあるだろう。

 と、

 

「タイミングがいいですねぇ」

 

 ファルデウスが汚れを拭いながら事後処理をしようとパソコンの前に座ると同時に、囲うようにして設置されている三台のモニターに電源が点る。だというのに映されているのは『SOUND ONLY』の無機質なロゴのみ。もちろん相手からはモニター上部に設置されたカメラを通してファルデウスの顔は見えている。

 

「まったく便利なシステムですね。いつから御覧になられていたのですか?」

 

 今まさに魔術師に逃げられたばかりだ。それ以外のことについては特段処罰されるものではないが、このポジションは軍事裁判を彷彿とさせて嫌になる。

 

『たった今だよ、ファルデウス君』

『君がパソコンの前に座ったようなのでね』

『君の手を煩わせぬようこちらで操作しておいた』

「ありがたいかぎりです」

 

 それなら事前に心の準備くらいさせてくれた方がよっぽどマシなのだが。

 

「報告書をこれから書こうと思っておりましたが、ならこの場をお借りして口頭で済ませてしまって構わないでしょうか?」

 

 冗談ではあるが皮肉を込めたファルデウスに、しかしてカメラの向こうの御仁は信じられない言葉を口にしてみせる。

 

「――それは、本当ですか?」

 

 報告書を書く必要は本当になくなった。いやあ、冗談でも言ってみるものだと頭のどこかで混乱する誰かがいる。同時に、計算高い誰かもいる。

 

『ああ、本当だとも』

『署長は、MIAと認定されたよ』

『キャスターが手引きしていることから事実上POWということだが……』

『こうした事態になった以上、我々が成すべきことは』

『頭をすげ替えることだけだ』

「……それで、私に白羽の矢が立ったってことですか」

 

 あまりにも想定外の事態にファルデウスでさえ、そう返すことが精一杯であった。

 キャスターの裏切りによる署長の誘拐。それによって二十八人の怪物(クラン・カラティン)は事実上機能不全に陥り、早急な立て直しを要求されている。

 

 確か“上”の息のかかった副官が存在している筈だが、やはり“上”から見ても駄目であったらしい。一度会ったことがあるが、あの程度の男では二十八人の怪物(クラン・カラティン)は十全に機能しないだろう。

 いや、二十八人の怪物(クラン・カラティン)の選抜と育成は署長の専権事項である。鈴としての役割を果たせるのがあの男しかいなかった段階で、署長はこうした事態を読んでいたのかも知れない。

 もっとも、そのおかげで自分は戦争の裏方から一陣営のトップに抜擢されたのだから感謝するべきか。

 

『すでに作戦は署長の独断でフェイズ5まで進んでおる』

『そこに君の責任はない。好きなようにやりたまえ』

『君の部隊も二十八人の怪物(クラン・カラティン)とは別に使用しても構わんよ』

 

 次々とされるお膳立てに、断る理由などどこにもない。

 運が回ってきた、などとは思わない。最終的に残った陣営を鏖殺するのが彼らの役目であったのだ。介入するのが少しばかり早まっただけのこと。内心これを待っていなかったといえば嘘になる。

 

「身に余る光栄です」

 

 心にもない世辞ではあるが、ファルデウスの顔に張り付いた喜色に偽りはない。

 魔術教会のスパイを辞してまで宣戦布告の大役を務めたのだ。これで戦場を遠くにただ無防備な人間を撃つだけの裏方で終わるなど、これ以上つまらぬことはない。

 

 辞令を受け取り通信を終えた後、ファルデウスは念のためカメラの届かぬところへと身を置いた。五分ほど沈思した後、さてと立ち上がる。

 あと一〇分もすれば迎えが来る。その前に色々と準備しておくのも悪くあるまい。階級が上だからと全てを部下に任せるのは時間の無駄だ。まずは散々射殺してきた死体をトラックに詰め、テントを片付け撤収準備。

 全てが終了すれば、あとは最後の片付けだけである。

 丁度迎えが来た頃合いに大体の作業は終わらせることができた。

 

「ファルデウス殿、お迎えに上がりました」

 

 迎えにやって来たのはファルデウス本来の副官である口髭の似合わぬ軍人であった。

 軍靴を鳴らしながら背を伸ばす口髭から差し出されたタオルを受け取り、ファルデウスは額の汗と返り血をぬぐい取った。この気温でこの急な運動は鍛えた身体であっても堪える。空を見上げれば黒い雲の塊が遠くに見えた。湿度が高くなったのも少しは関係しているだろう。

 

「……今回は、全員不合格でしたか」

「ここで寝ている連中は最初から見込みもありませんでしたから、当然の結果ですね。私の部隊に必要有りません」

 

 笑いながらファルデウスは血塗れになったアーミーナイフをその場へ捨てた。あれだけの人数を殺したというのに、未だナイフの切れ味は損なわれていない。それは魔術などではなく、単純なファルデウスの卓越した技量によるものだ。

 

「お言葉ですが、短期教育の連中をいくら扱こうとも実戦に投入できるとも思えません」

 

 新兵の息絶えた姿を見ながら、口髭は苦言を呈す。殴り合いの大喧嘩をしていた二人も今では仲良く並んで眠っている。

 最初から分かりきった結果であっただけに、わざわざテストをする意味もない。つまりは最初から使わない方が無駄がないということか。それに関しては社会のゴミは排除すべきと考えるファルデウスは何も言わなかった。論議するだけ無駄である。

 

「ここで副官を務めていた女性士官はどうでしたか?」

 

 口髭が新兵八名分の死に顔を確認しても、ここに女性の死体はない。他の新兵はともかくとして、あの副官は正規訓練を経て配属された士官候補生だ。不合格だからと簡単に殺すには少々惜しいらしかった。あるいは死姦の趣味でもあったのだろう。

 

「ああ、あの娘に関しては見所がありましたね。私の一撃を何とか避けて他の新兵を盾に一目散に逃げていきましたよ」

 

 あの窮地にあって混乱もせずに的確に生きるための最善手を打てている。あれは訓練などで培えるようなものではない。希有な才能であったことは確かだ。あと数年も下積みをすれば、きっと化けることだろう。

 

「この近くにまだ潜んでいると思いますから、三〇分ほど遊んでください。一〇分以内に捕まるようなら殺してしまっても構いません」

「了解しました」

 

 いつものこと、と口髭は連れてきた部隊員にレクリエーションを説明する。

 これはファルデウスの入団テストである。

 追ってくる敵から一〇分以上逃げつつ、三〇分以内に何らかの交渉があれば合格だ。

 もとより、ここで行われた作戦は無差別殺傷の非合法かつ非公式な作戦。表沙汰にできぬ作戦である以上、口封じは最初から決められていたこと。だからこそ、逃げ切った場合にはファルデウスとは関係のない別の機関が追うことになる。

 ただ逃げるだけだと今後安穏とした日常生活に戻れることはない。それが分かっているのなら、この危機的状況であっても冷静に冷徹に正解を手繰り寄せる努力をすることが求められる。

 

 ファルデウスの部隊にいる全員はそうした洗礼を受けてきた者達だ。それだけに兵士としての個々人の技量は飛び抜けているし、メンタルコントロールも一流である。魔術師といった個を超越した魔道の相手であろうと、彼らは怯えることなく対応し犠牲を怖れることなく隊に寄与してみせることだろう。

 

 連れてきた部下は全部で八名。その内の三名を連携も考えずに適当に選ぶ。一〇分前に逃げた獲物だ。全員で捕まえにかかれば五分で彼女は連れ戻されてしまう。それに試験であることを彼女に悟らせるにはこれくらいが丁度いい。

 

「では、開始してください」

 

 こうして、試験を称した愉しい愉しい『遊び』にファルデウスは選抜した三人を解き放った。彼らにしてもこの遊びで上手く捕まえればご褒美がもらえる。失敗しても特に懲罰もなく、相手が女となればわざと失敗するのも手である。そういうこともあってファルデウスの部隊にいる女性隊員は他の部隊員より技量と駆け引きにおいて実力者揃いという事実がある。

 見込みはあるのだろうが、ファルデウスの予想では芳しい結果にはならないだろう。彼女は数ヶ月後に誰とも分からぬ白骨死体として発見されることになる。

 

「ご機嫌ですね」

「当然だろう? これでようやく私にも目がでたというものさ」

 

 これから本格参戦する『遊び』を思えば、どうにも顔が元に戻りそうになかった。

 

 



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day.07-04 騎乗のクラス

 

 

 その廃工場には(ましら)がいる。

 

 スノーフィールド近郊にあるいくつもある廃工場のひとつ。後は取り壊すだけなのだが、取り壊すべき責任を持った者がいないため長いことこの工場は放置され続けていた。どれくらい放置されていたのか、持ち主だって覚えていまい。スクラップにしかならない機械や錆だらけの鉄骨に積もった埃は、少なくとも年単位で人の活動がここでなかったことを意味していた。

 近所の悪ガキがたむろしてもおかしくない物件だが、そうしたことにも使われた形跡はない。住宅街とはかなり距離があるし、ここへ至る道はろくに整備されていない野道である。立地条件的に合わなかったのだろう。

 なので、多少大きな音を立てても何の問題なかった。

 

 工場内を、猿は縦横無尽に飛び跳ねる。地面に足を付けるような真似はしない。工場内を血管のように張り巡らせている配管は手を掛けるには丁度いいし、錆びているとはいえ工場を支えているのは鉄筋だ。体重の軽い猿なら多少蹴ったところでびくともしない。

 

 まだ昼間。

 この工場内は窓に段ボールが嵌められているので薄暗くはあるが、それでも落日の遠さだけはわかる。

 踊る猿が舞い散らす埃のおかげで、屋根に開いた穴から斜光が目視できた。

 

 ここに来てからすでに二時間。猿は未だ飽きることなく遊び続けていた。こうした廃工場というのはまだ幼い猿にとって、冒険島に等しい魅力を持つ。その気になれば一日中だって遊び続けることだろう。

 だが、さすがにそろそろ休んだ方がいいだろうと、やはり錆び付いた工場の扉を叩いてフラットは猿に対して休憩を呼びかけた。

 

「椿ちゃん! ジュースを買ってきたけど、一緒に飲まない!?」

 

 夢中になって遊んでいた猿改め椿は、その言葉に視線が目標物であった鉄骨から削がれた。

 

「ジュース!? 私アップぎゃッ!?」

 

 一瞬の油断で足場を見誤った椿は、工場の鉄骨に頭からぶつかり実に痛そうな悲鳴を上げる。そしてそのまま五メートルを垂直落下。地面はとても固いコンクリートである。分厚い埃をクッションに、椿は顔面からコンクリートに熱烈なキスをする。

 

「アップルジュースか。じゃあ僕はオレンジにしようかな」

 

 ガキリ、ととても日常では聞こえない音がしたが、フラットは特に気にした様子もなく紙袋からオレンジジュースの紙パックを取り出してみせる。

 

「あ、待って、私やっぱりオレンジがいい!」

 

 コンクリートに罅を入れながら椿は何事もなかったかのように立ち上がる。そして急ぎフラットのもとに駆けつけようと低空を駆ける様は闘牛といった様相だが、その攻撃をフラットはマタドールの如き体捌きで躱してみせた。

 

「ふふん。そう言うだろうと思って僕は二種類を二本ずつ買ってきたのさ!」

「すごいお兄ちゃん、天才だ!」

 

 闘牛並の突進をまたもやキャンセルできず、進路上にあった大木に頭突きを喰らわせることで椿は身体を止めた。大木を左右に激しく揺さぶる突進だったというのに椿は何事もなく、今度はゆっくりとてくてく歩いてフラットからまずオレンジジュースを受け取った。

 

 汗と埃ですっかり汚れた以外に椿は掠り傷ひとつ負っていない。それでいて椿は工場の外で太陽を眩しそうに見上げながらジュースの味を堪能する。

 

 そう――ここは夢の世界ではない。

 

 夢にはなかった太陽がここには存在し、ジュースの味を舌で味わうこともできる。不快とも思える工場内のオイルの匂いも、何も感じることのできなかった夢の世界を思い起こせば新鮮この上ない。

 ほんの少しだけ伸びた手足と少し切りすぎた髪の毛も、自分という存在を椿に強く感じさせてくれていた。

 

「この調子なら問題はあまりなさそうだね」

「うん! ライダーのおかげで元気一〇〇倍だよ!」

 

 そんな二人の会話に椿の左手が携帯電話を操作する。ほら、と椿がフラットに見せる携帯画面には「私がいる限り問題は起こさせない」とある。

 傍目から見ればこれは椿の一人芝居にしか見えないだろう。この様子を医者に診せれば精神的ストレスによる自我分裂とかそういう結論に至りそうだ。

 

 しかし、そうではない。

 一年間身体を自分で動かさなかった椿が、人間離れした動きで遊び回り、今もまた即死してもおかしくない事故を無傷で耐えてみせる。

 今の医術や科学をもってしても、これを成し遂げるのは不可能だ。ならば残るは魔術に頼る他はないが、それですら一級の術者が人体操作と肉体強化を行っても、ここまで精緻に椿の意志に沿った動きは到底できまい。

 魔術による精巧で精密な人体操作と、常に変動し続ける最適値を再設定し続ける肉体強化。これらを成し遂げるには人の手では不可能だ。もし成し遂げるとするならばそれは人間という枠を超えた英霊――そう、例えばペイルライダーとか呼ばれる規格外のサーヴァントくらい。

 

 つまるところ、ライダーはまだ消滅してはいなかった。

 

「けど、まだ意思疎通は上手くできていないようかな」

「そだね。私が視線を逸らしちゃうと、ライダーは上手く動けないようだし」

 

 それはどちらかというと視線を逸らした椿の責任であるのだが、ライダーとの意思疎通が進み身体が慣れていけば、ライダーも椿の視界を頼ることのない無視界作業にも慣れてくることだろう。しばらくは便所で尻の穴を拭くのに苦労することだろう。

 

「ほんと、ライダーのおかげだよね、ありがと」

 

 椿の言葉に椿の左手は自動的に動いて「喜んでもらえて何よりです」とタイプしてみせる。

 

 椿の肉体が今現在動けているのはライダーの力のおかげである。

 古今東西、ライダーのクラスに召喚される英霊がどれほどいるか定かではないが、宝具や幻獣などに騎乗するライダーはいても、マスター自身に騎乗するライダーはこのペイルライダーくらいだろう。

 

 他者の動きを自由に操る能力を持つライダーは、その力で椿の肉体を操っている。

 だからといって、ライダーは椿の身体を好き勝手に操っているわけではない。ライダーの役割は椿の意志意向を正確にくみ取り、椿が日常生活を送る上で不自由ないよう介助しているだけに過ぎない。

 

 フラットが椿の現実復帰を考えたとき、障害となったのはいつ暴走するかも分からぬ椿の魔術回路と一年間寝たきりで衰えた筋力の二点である。

 脳内の魔術回路については椿の夢を一度消滅させることで強制的に沈静化させ、そこをフラットが調整することでなんとか片が付いたが、筋力についてはライダーの力に頼るしかなかった。

 

 椿とライダーの関係において最も致命的なのは、二人の意思疎通と現状認識に大きな齟齬があったことである。そのために一年ぶりに現実世界へと帰還を果たした椿に無理を言って令呪を使ってもらい、椿とライダーの感覚と認識の共通化を図った。

 

 結果は御覧の通りである。

 二番目の令呪の効果である「人を傷つけない」という命令も予想外に上手く機能していた。加減の分からぬライダーもこの令呪の強制力から椿が傷つかない範囲を学習し、先ほどのようなアクシデントにもライダーなりの対処をしている。

 

 最初にフラットが立てた計画では第一の令呪でライダーに脳内の魔術回路の暴走を止めさせ、第二の令呪で両者の意思疎通を図り、第三の令呪を念のための予防策として置いておく予定だったが、この調子であれば令呪なしでも椿とライダーは上手く付き合っていけることだろう。

 

「それで、これからどうするの?」

 

 オレンジとアップル、両方の紙パックを両手に持って交互に味を楽しみながら、椿は実に自然な疑問を問いかけてくる。つい先日夢の中で出遭ったばかり(しかも一応敵同士でありながら)だというのにこの信頼感。フラットがいかに無茶なことを言おうとも椿は無条件に信じてしまうことだろう。

 それだけに、この脳天気男にしては珍しく視線を宙に彷徨わせることになった。

 

「そう、だねぇ……」

 

 曖昧な返事でお茶を濁すが、そう長くは続かない。実に順当な質問であるだけに、フラットもそのことについてはずっと考えてはいた。

 

 当初はティーネとすぐ会えると楽観視していたのだが、集合場所としていたスノーフィールド中央病院は近くにあった警察署がテロにあったとかで人目が激しくとてもではないが留まれる状況ではなかった。

 

 そして次に自らのサーヴァントであるバーサーカーに連絡を取ろうとしたものの、何度連絡しても一向に携帯電話が繋がる様子がない。魔力の流れから未だ健在なのは確かだが、バーサーカーはその性質上マスターであるフラットにも具体的にどの位置にいるのか分からぬ欠点を持っていたりする。そういう意味で実はかなり特殊なサーヴァントなのである。

 

「とりあえず、もうすぐ雨も降ってきそうだし、このまま中で身体を動かす練習でもしててよ。僕はもう一度街へ偵察に行ってくるからさ」

 

 そういって無策であることを誤魔化しながら、遠くに見える雨雲を理由に無理矢理椿を廃工場の中へと誘導する。ついでに紙袋から食料としてサンドイッチやヨーグルトなども渡しておく。つい先日まで入院していた人間に食べさせるものではないかもしれないが、そこはライダーが胃腸を操作し上手く消化してくれることだろう。

 

 フラットの何か怪しげな気配に疑問符を浮かべる椿ではあったが、そのことを尋ねることはなかった。フラットが言うのだから、椿はただそれに従うだけで万事上手くいくという信頼によるものだ。

 それはある意味、フラットの思い通りでもある。

 

 椿と別れ、フラットは椿がいた工場と同じくうち捨てられた別の工場の中へと入っていく。ただ先の工場と違い少々手狭で、つい最近人の手が入っているという違いがある。少し奥に入れば、魔法陣とその上に敷かれた寝袋がある。

 

 街に偵察に行くというのは真っ赤な嘘だった。

 

 倒れ伏すように、フラットはその寝袋に俯せになる。紙袋から市販の強力な栄養ドリンクを取り出し、一本二本と無理矢理喉に流し込んだ。本当はもっとカロリーのある栄養食も取るべきなのだろうが、今はそれだけの気力もない。

 

 今、聖杯戦争においてフラットは脱落寸前にあった。

 

 バーサーカーのマスターは過去その殆どが魔力切れによる自滅で敗北したというが、フラットもその一例となりかけている。

 この聖杯戦争で一番魔力効率が良く、必要とする魔力も最も少ないバーサーカーではあるが、何故そのマスターであるフラットの負担が大きいのか。そこに疑問が入る余地などない。

 

 バーサーカーとアサシンの二重契約にティーネへの魔力供給とライダーとの戦闘、そしてトドメとばかりに一級魔術師が複数人でやるような繊細な儀式を準備もろくにせずに実施したのだ。どれだけ魔力量に自信がある魔術師であっても底をついて当たり前のことをしているのである。

 

 実際、この調子で魔力の消耗が続いたのならばフラットはあと数日……下手をすると明日にでも死んでもおかしくはない。もうバーサーカーのマスターとか関係のない自業自得としかいいようのない敗北の仕方である。

 

 それなのに虚勢を張って椿の面倒をわざわざ見に行ったりしているのだから始末に負えない。

 けど、と呟きながらフラットはその手を宙へと伸ばす。そこには何もありはしないが、もうすぐ掴み取れそうな何かがある。

 

「もうすぐ、俺は英霊と友達になれるんだ……!」

 

 未だ持ってその子供じみた発想を捨てないフラットに救いの手をさしのべる者はいない。だが、当の本人の気力はそれだけを頼りに生き足掻こうとしている。

 

 ティーネとの約束を思い出す。

 ここを生き延びれば英雄王ギルガメッシュと会うことができる。それはこの世で生きるどんなに憧れた存在に会うよりも胸の高鳴る瞬間であろう。

 

「たの……しみ……だな……」

 

 椿を心配させぬよう三時間だけ体力を回復すべく、フラットは寝袋にくるまった。

 眠気は、何もせずともすぐにやって来た。

 シトシトと雨の音が近付いてくる。

 

 



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day.07-05 定石

 

 

 スノーフィールドの夜に雨が降る。

 ただでさえこんな天気で街に出る者が少ないというのに、最近の立て続けに起こった事件のせいで更に街を出歩く者が少なくなった。

 

 警察官や一般の青年団が自発的に組織した自警団が街を巡回し、目を光らせている。

 スノーフィールド市長は非常事態宣言を発令し、州知事が軍の派遣を要請、速やかな治安の回復を市民に約束した。だがこの発表によってかつてない危機にスノーフィールドが直面しているという露骨な示唆となり、少し前まで平和な筈であった街はもはや完全にその機能を停止させていた。

 

 だから、というわけではないのだが。

 一人急ぎ足で通路を進む東洋人の旅行者は、酷く目立っていた。

 

 警察官や自警団の巡回ルートをうまくすり抜け、街の北側へと移動しようとしている。 上手く人目を凌いでいるつもりだろうが、この辺りで最も高いビルの上から眺め見れば、その姿はアーチャーに丸見えであった。

 

 アーチャーが自らのクラスについて単独行動スキル以外意識したことはないが、こうした鷹の目の如き視界は存外に悪くない。単に視力が良くなるというだけではなく、この暗がりであっても子細に観察することができる。

 長袖シャツで上半身を隠してはいるが、わずかに見えた首とシャツの隙間から怪しげな入れ墨のようなものが見て取れた。この距離であっても見間違いはあり得ない。

 

「令呪とは手だけに宿るものだと思っていたが……しまったな。こんなことなら綺礼の奴にもっと聞いておくべきだったか」

 

 過ぎてしまったことはしょうがない。だがそうだとしても基本知識として腕に宿るという大前提がある以上、これはイレギュラーであることに間違いはあるまい。些細ではあるが、手がかりには違いなかった。

 

 この聖杯戦争の裏で何かが起こっていることに、アーチャーはかなり以前から薄々感づいていた。

 土地には土地のあるべき姿があるが、このスノーフィールドはその特色がいささか濃すぎるように感じられる。

 地脈を利用した都市計画は世界中にあるが、四方の自然が独立した姿を見せているのは珍しいだろう。何者かが意図して作ったことに間違いなく、まるで舞台を整えているかのような印象を抱いてしまう。

 

 スノーフィールドの地で聖杯戦争が始まってしまったのではない。

 聖杯戦争を始めるために、スノーフィールドの地が作られたのだ。

 

 アーチャーの推測が確信へと変わったのが、先日のヒュドラ退治である。例によってあのヒュドラは人間如きが多少の小細工をしたところで制御できるものではない。聞き及ぶ聖杯とやらが招いて良い存在でもない。

 

 あそこでティーネが事態の異常性に気付くようであればアーチャーもティーネを認めざるを得ないと考えていた。マスターと認め、胸襟を開いて今後の対策を練るのにも吝かではなかった。

 だがその結果は苦いものだ。ティーネは異常に気付くことなく不用意に行動をしてしまった。それは些細なことではあったが、決定的なことだ。だからアーチャーはティーネが安易にヒュドラに触れるのを止めず、また毒が全身に回ってから死なぬよう回復薬を与えた。アーチャーにとってティーネは足手まといと判断したからである。

 

 身軽になったことでアーチャーは己で全て調べる、という最も忌避すべき面倒事を引き受けることになったわけだが、その分の収穫はあった。

 

 このスノーフィールドの地はおかしい。それがアーチャーの出した結論である。

 

 相談役の老人へ意地悪く問いかけをしたアーチャーであるが、あの解答に満足したわけではない。老人の解答は半分は正しいがそれだけだ。長年住み続けている老人と新参者であるアーチャーの視点が異なるのも無理からぬ話。

 

 都市部で何かが蠢いていたのは確かであるが、どうしてかそれはもう収まっている。大勢の人間が倒れたと小耳に挟んだが、それはどこかのサーヴァントがぶつかり合ったのだろう。結果として都市部で蠢いていたサーヴァントは負けたらしい。

 

 だが一度怪しいと睨んだアーチャーの勘は誤魔化されない。

 

 負けたサーヴァント以外にも、何かが息を潜めるような気配がヒシヒシと伝わってくる。微弱であるが、露骨でもある。あまりにその気配が日常に溶け込んでいるため、そうと認識しなければ気付けるものではない。

 そしてそれは、随分と前からこの地に巣くっている。

 

 あの老人の気付かぬ様子から数十年は前から存在しているのだろう。おまけにその胎動は日に日に大きくなっている……ようにも思える。この曖昧模糊とした違和感はアーチャーの知覚と知識をもってしても、はっきりとさせることができなかった。

 

 この英雄王をして推し量れぬ代物。これが聖杯であるのなら納得であるが、ただの聖杯だとは到底思えない。

 

 だからこそ、英雄王らしからぬ虱潰しを保険の『設置』も兼ねて行っている。

 

 ティーネと別れるふりをして一度はヒュドラを召喚したマスターを探したものの見つからず、二度目は見つけたはいいものの慣れぬ追跡で見失ってしまった。こうして三度目の機会を得たのだから、何らかの成果は上げたいものである。

 何より追跡や調査といった面倒事をこれ以上続けたくない。

 

「ふむ。面倒だな」

 

 設置した保険を使えば容易いだろうが、ここで早々に使っては何のための保険か分からない。我慢など性に合わないが、結局は自身で何とかするしかない。

 

 アーチャーはその性格上大雑把に攻撃するのは得意ではあるが、生け捕りなどという繊細さを要求する手加減は苦手である。

 いくつか考えてみるものの、やはり選択された手段は大雑把なものだった。

 

 目標となる東洋人を宝具の群れで囲い、封じ込める。やることは簡単だが動く目標を封じ込めるにはしっかりと狙いをつける必要がある。隙間があれば逃げられてしまうだろうし、着弾の衝撃も考慮する必要がある。あまり騒ぎを大きくするのもよろしくない。

 これはなかなかに難易度が高い。

 

「まあ、手足の一本くらいは勘弁してもらおう――」

 

 アーチャーの後方にて、光り輝く十二もの宝具が蔵から顔を見せる。

 手加減を意識したので、宝具の選定にも苦労した。この距離であっても射出されれば一秒とかからず東洋人は宝具の檻に閉じ込められることだろう。

 あとは射出するだけ。

 

 ……弓兵という存在は、この狙いをつけている瞬間が最も無防備になる。

 近・中距離を想定する剣士や槍兵であれば集中しているこの瞬間、自身の真後ろであっても対処することは可能であろう。それは己が置く戦場が近場に限定されているため、付近の敵を想定しなくてはならないからだ。

 だが弓兵の領分は遠距離にある。遠方の敵を仕留めるのだから、己の視界は限りなく限定される。主戦場から距離を置き、安全圏を確保してなければ、その役割を十全に果たすことができないのだ。

 

 だから。

 この瞬間を狙うのは定石と言えた。

 

 雨の中。想定外の真下から放たれた白銀は、雷光の輝きに似ていた。

 

 



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day.07-06 囮

 

 

 並の弓兵であれば気付くことなく仕留められていただろう。

 腕が良ければ良いほど集中力は目標に注がれることになる。我と彼しか存在せぬような独特な世界がそこに構築される。構築さえしてしまえば、その世界は強固なルールとなって弓兵を更なる高みへと連れて行ってくれるだろう。

 反面、強固であれば脆いのも事実。世界を変える最速で最良の方法は、ルールの外からゲーム盤をひっくり返すことだ。

 

 しかし残念。クラスこそ弓兵であるが、アーチャーは弓兵などではない。

 兵ではなく、王なのだ。

 

 奇襲にアーチャーが気づけたのは、自身の慢心のおかげだった。

 弓兵として当たり前に持つ心構えを、アーチャーは持たない。極度な集中力をこんな場面で発揮するほど兵ではないのだ。

 

 慣れぬことをするものではない。

 余裕とまではいかずとも、半瞬早く気づけたおかげで相手の全力の一撃は一歩下がれば簡単に避けることができた。得物が短剣でなければそうもいかなかっただろうが、襲撃者の一撃はアーチャーのジャケットだけを切り裂いていく。

 

 襲撃の失敗。避けられたと判じた瞬間に襲撃者はその短剣を投擲し、やや遅くも次撃としてみせる。

 その一連の行動に、

 

「遅いわ痴れ者がッ!」

 

 アーチャーは一喝してあろうことか怒気を込めたその素手で短剣を払ってみせた。

 このアーチャーをして激怒せしめた理由は雑種が王たる命を狙ったから、などではない。一撃で仕留められなかったと判断するのに余りに時間がかかりすぎていたからだ。

 

 暗殺者としてこれではあまりに二流だ。

 王を狙うならば万全の計画と入念な装備、相応の練度と想定されるあらゆる事態への対策、そして何より王を討つ覚悟を持って挑むべき。だというのに、この襲撃者はよりにもよって一番必要である筈の覚悟が圧倒的に足りていない。

 襲撃者に覚悟があれば、投擲された短刀はきっとアーチャーの胸を貫いていた。この英雄王を暗殺するチャンスが二度あろうはずもない。

 

 アーチャーは目標を遠くの東洋人から近くの襲撃者へと変えて宝具を一斉射。怒りにまかせて思わず反撃したが、この威力を近距離で放てば襲撃者は原型も留めぬことに遅まきながら気がついた。どうせなら、この襲撃者を捕まえた方が手っ取り早いではないか。

 だがそんなアーチャーの思惑も早計である。

 

【……構想神殿……】

 

 襲撃者に向かって放たれた宝具が、その手に触れたとたんに消えてなくなる。

 全てを避けきるのはさすがに無理だったのだろうが、アーチャーの予想に反して襲撃者は軽傷。これで多少アーチャーからの評価は上がったが、次に取った行動によって帳消しどころかマイナスへと再度転ずる。

 あろうことかこの襲撃者は――

 

 アーチャーから、距離をとって対峙した。

 対峙。

 それはつまり、この英雄王と正面から戦うということに他ならない。

 

「――よくぞここまでの間抜けを臆面もなく晒させたものだな」

 

 襲撃者は黒いローブを纏った女だった。しかもあの宝具を消し去った業は明らかに宝具による奇跡。放った宝具を回収しようとするが、消された宝具は戻ってこない。

 その能力の真名とそれらしい外見、そして何より直前まで気配を完全に殺していたスキル。これでアサシンでないなら、誰だというのか。

 

「アサシンのサーヴァントは消滅したと聞いていたが、やはりこうした小細工は専売特許というわけか」

「……我等が業を愚弄するな」

 

 アーチャーの確認に、怒気を持ってアサシンは答える。常人なら卒倒しかねない殺気の刃であるが、避けるに値するモノではない。むしろそんな殺気に比例して、アーチャーは憤怒から憐憫に近い気持ちを抱きつつあった。

 

 あの奇襲は実に素晴らしいものだった。恐らくはあの東洋人は囮で、それを見つけ出すのにアーチャーがこの場所へ来ることを予想し、ずっとビルの陰に潜んでいたのだろう。そして予想通りアーチャーは現れ、しかもアサシンに気付くことなく宝具を放とうと隙まで晒している。

 

 天の時、地の利、更に雨という時の運にすら恵まれながら、このアサシンはアーチャーの暗殺に失敗した。

 本来であるなら、アサシンはこのまま撤退するべきなのである。

 

 最初の奇襲は一撃必殺の気迫があった。よくある一撃で殺す威力という意味ではなく、その一撃で必ず決着をつけるという意気込みがそこには込められていた。だが運悪くアーチャーに避けられたことで、迷いが生じてしまった。投擲のタイミングがこれでズレ、アーチャーに迎撃の暇をも与えてしまった。

 そして今尚このアサシンは迷い、それを誤魔化すかのように鬼気を撒き散らしている。

 しかもこのアサシン、わざわざ相手にすることのないアーチャーの問いかけにムキになって反応してくる。死んだと思わせておいた方が確実に有利になるというのに、その自身のクラスすらも露呈させる真似をしてくる。これがミスリードを誘った演技だとしたら、大したものである。

 

 最初の一撃の評価とその後の評価のちぐはぐさに、目の前のサーヴァントが何をしたいのかアーチャーには分からない。

 技量は確かにある。初撃に加えて殆どゼロ距離で放たれた宝具の群れを凌ぎきったのがその証左。だが戦術面における行動が素人同然。理詰めで考えればまだ分かりそうなものを、感情で否定して全ての面で足を引っ張っている。

 

 ひとつ、実験の意味をこめて再度アーチャーは後方に宝具の一群を展開させる。今度は先と違い距離が多少はある。だが番えた宝具は全部で二十三。簡単に捌ききれるものではない。

 助かるためには、再度あの奇跡の使用が必要だ。

 

「――っ!」

 

 歯を食いしばり覚悟を決めた顔。アーチャーの射出と同時にアサシンは地を蹴る。これで幾つかの宝具は確実に回避できるが、大半の宝具の射線上に躍り出ることになる。

 

【……構想神殿……】

 

 アーチャーの予想通り、再度繰り返される奇跡。アサシンの手に触れた瞬間に必殺の宝具は露と消えるが、やはり無傷とはいかない。脇腹が抉られ、肩口が大きく斬られる。タイミングが悪かったのか宝具を消しはしたものの、その手のひらは貫通していた。

 これだけの犠牲を払い、アサシンはアーチャーの三歩手前まで突進する。

 

 アーチャーは知らない。この距離であれば、アサシンはまさしく必殺の一撃を喰らわせることができる。

 自らのマスターを葬り去った一撃をアサシンは口に、

 

【……妄想――】

「くだらん」

 

 そうして、二十二の宝具を凌ぎきり、何か必殺の一撃を用意していたであろうアサシンをそう評して、アーチャーは残る最後の宝具を目前に『落下』させた。

 

 アーチャーが目の前に落としたのは、メソポタミア神話に登場する戦いの女神ザババが持つ翠の刃(イガリマ)という宝具の原典。斬山剣という異名を持ち、その名の通りその刀身は山を切り裂けるほどに大きい。そのためこうして垂直に落とせば大地をそのまま裂ける『重量』を持っている。

 ビルに突き刺せば、ビルはそのまま真っ二つに割れることになるだろう。

 

 というより、真っ二つになった。

 

 何せ翠の刃(イガリマ)の剣幅はビルよりも広い。剣の長さこそビルより短いが、自重で刻一刻と沈んでゆくのだから関係あるまい。ほぼ垂直に突き立てたのでビルの支柱強度が高ければ、ビルは倒壊せずに真っ二つになるだけで済むかも知れない。このビルの軋み具合からその可能性は低そうではあるが。

 

「これで引かざるを得まい?」

 

 斬山剣を迂回する道はなく、重装甲の盾よりもある厚みは突破を許さない。霊体化してアーチャーの傍へと現れることは可能だが、アサシンが実体化する瞬間はどうしても隙ができる。

 いかに頭に血が上ろうとも、この現実を前にアサシンに冷静さを取り戻させる時間を与えることだろう。

 

 撤退より他の選択肢をアーチャーはアサシンに与えない。

 その気になればアサシンをこの場で倒すことは簡単だ。あの調子だと奥の手がまだ幾つかありそうだが、今の実験でアサシンには決定的に実戦経験がないことが露呈している。

 修練に修練を重ねてはいるが、戦場には出たことはないのだろう。まるで貴族の愚息と一緒である。

 

 アーチャーが放った二十二の宝具の中には、明らかに殺傷力がないものも含まれている。装飾が華美なだけの短刀や、安全第一とでもいうような子供の練習用木剣。明かに武器ではない文房具もその中にはあった。

 だがアサシンはそれらについて冷静に対処をしてはいない。何を焦っているのかは知らないが、冷静さを失い襲い来る宝具が何なのかも理解せぬまま迎撃をし、無駄な魔力消費をしてしまっている。

 

 注意するべき存在には違いないが、アーチャーにとって脅威とはなり得ない。他の英霊だって同じだろう。

 だからこそ、今はこのアサシンを逃がす。

 奇襲をしかけたアサシン、囮となった東洋人、この二人だけでこんな計画を立てられる筈がない。

 

 このアサシンが周到な計画を立てられないのは確定的。そして東洋人はまず間違いなく旅行者であり、この街の地理には疎い筈なのに的確に動いている。だとすると第三の人物が彼らの背後に必ずいる。

 

 これで作戦が終わりというわけはあるまい。

 十中八九、アサシンと東洋人が撤退した先に必殺の罠を用意して待ち構えている。敵はアーチャーがどう動くのかさえ予測して動いている。

 アーチャーがこうしてアサシンを何とかして逃がそうとするのも術中の内。些か他人任せが過ぎるが、ここで乗らぬわけにはいくまい。

 

 これは英雄王への挑戦状だ。

 虎穴に入らずんば虎子を得ず。さて英雄王、貴君に虎穴には入る度胸はあるのかな?

 

「――いいだろう。その挑発、受けて立とうではないか」

 

 ようやく撤退を決め、ビルを後にして東洋人の元へと宙を駆けるアサシンに視線をやる。

 一目散に逃げるのではなく、悔しげにアーチャーを振り返りながら駆けるアサシンは実に滑稽である。殺すのが些かもったいないくらいの道化である。

 

 距離は十二分に取らせた。弓とは手加減が難しい武器だが、殺さぬよう注意もしよう。街への被害も余り与えぬよう、ティーネに頼まれたことも思い出した。これもこのゲームの制約に加えよう。

 慢心せぬと誓っておきながら慢心していたことに気付かせてくれた、せめてもの礼である。

 だからせめて、

 

「この我を愉しませろよ、雑種」

 

 英雄王が、その全力をもって狩りに出る。

 

 



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day.07-07 対アーチャー作戦

 

 

「私が行くまでなんとかして保たせてくれ!」

 

 徐々に雨が酷くなっていく中、スノーフィールド市の路地裏をバーサーカーは携帯端末に大声で怒鳴りながらひたすら走っていた。

 

 路地裏の地図は必要ない。武蔵戦の折に実際に歩いているし、類い希なる方向感覚のおかげか建物の形を見ただけである程度道を把握することもできる。

 しかし直線距離では大したことのない距離であっても、随分と遠回りを強制させられる。屋根の上を走れば誰かに目撃されかねないし、何よりアーチャーに発見されるとこの距離でも瞬殺されかねない。

 

「霊体化できないのがこんなに不便だとはっ!」

 

 どんな状況でも対応できるよう、行動範囲を広げていたことが仇となった。

 各所に散らせている保険を使えていれば簡単なのだが、今バーサーカーが使えるのはひとつだけだ。キャスターに露見する可能性を考慮し、同盟と同時に街中からほとんど撤去してしまっていた。

 用意周到な自分が恨めしい。

 

 各地に散らせた保険は、決定的な切り札を持っていないバーサーカーにとって、生命線と同義。露見すれば全てが御破算になるので、せっかくの同盟が破綻しようともおいそれと動かすわけにはいかないのだ。

 そのためにマスターであるフラットからの連絡も無視し続けている。これまでの苦労を水の泡にするようなことはしたくない。

 

 端末の向こうから悲痛な叫びがひっきりなしに聞こえてくる。同時に進行方向に立ち上る土煙。遅れて轟音。逃げ出す住民達の足音が邪魔で仕方ない。

 

 当初の想定通りにアーチャーは手抜かりなく手加減しているようだが、当の本人が全力を出し切らねばいつ当たってもおかしくはない。アサシンを護衛に当たらせているが、そのアサシンも魔力的には余裕でも肉体的には限界に近付きつつある。

 精緻な作戦ともなれば、作戦通りに上手くいくことの方が稀である。そのため随分と余裕と対応幅を持たせた作戦になっていたが、作戦の要ともなる時間稼ぎが失敗してしまっている。

 

 当初の作戦では三段構えとなっていた。

 第一フェイズでアサシンの奇襲が成功すれば良し。失敗した場合も東洋人と合流し罠を張った位置に誘導する。

 第二フェイズは誘導が主目的だが、東洋人が召喚するサーヴァントとアサシンとの連携で撃破できるのなら、それはそれで構わない。

 そして本命の第三フェイズで罠に落とせば、アーチャーといえどほぼ決着をつけることができる――と劇作家は豪語していたのだが。

 

「第二フェイズで転ければ罠どころの話じゃないぞ」

 

 現在戦力となり得るのはアサシンだけだ。キャスターは第三フェイズの罠のため応援に駆けつけることはできず、バーサーカーもアーチャーを相手に戦うのは荷が重すぎる。

 手をこまねいたままならば、第三フェイズを諦めなければならないだろう。そうでなければ最悪、このまま逃げることすらできなくなる。

 

 今のバーサーカーにできること。それは一刻も早く現場に駆けつけ、変身能力を使って最大限アーチャーを攪乱し、時間を稼ぐこと。それでも高望みであるが、やるしかない。やらねば全てがご破算となる。

 

 冷酷に考えれば、バーサーカーはアサシンと東洋人を切り捨てても構わないのだが、それでは今後が続かない。

 ハッキリ言ってアーチャーとランサー以外の全員が結託してもアーチャー一人にすら勝てる見込みはないのだ。

 

 署長からの情報によると、今ランサーは二十八人の怪物(クラン・カラティン)の罠によって身動きが取れぬ状況にあるらしい。その内復活するだろうが、それまでにアーチャーをどうにかしておかねば状況はますます悪化するばかりである。

 だが、頼みの綱の東洋人がこれでは――

 

「――は?」

 

 考え事をしながら移動していたからか、自然と警戒が疎かになっていた。油断といえばそこまでではあるが、逆に問いたい。一体誰がこのバーサーカーに仕掛けるというのだろうか。

 

 アーチャー、アサシン、キャスターの居場所はハッキリしている。フラットからの一方的な連絡によれば、ライダーはフラットと共に街外れの廃工場。ランサーは動けない。二十八人の怪物(クラン・カラティン)は混乱状況にあって積極策を取れるだけの動きはないらしい。署長の後釜はよほどのことがない限り傍観に徹するとか。

 

 おまけにバーサーカーは変身能力を有するサーヴァント。そもそも聖杯戦争参加者と気付かれぬよう動いているし、殺人鬼の特性上人に気付かれず忍び寄ることは得意である。一般人は無論として、確信を持ってそうと睨まなければ同じサーヴァントといえど発見されない自信もある。

 

 襲われる可能性は皆無に近い。それ故にスピードを優先した。その判断に間違いなどない筈だ。

 ない筈だった。

 

「な、ぜ……?」

 

 私は倒れている? と呟こうとしながら脳が混乱しているのが分かった。正確には、混乱というより衝撃に混濁している。

 攻撃を受けたのは頭部。意識を一撃で刈り取られなかったのは幸いだったが、倒れ伏した身体が即座に動くことはない。

 

「……ふむ。単純な物理攻撃も通用するようだな」

 

 からん、と落ちた無粋な鉄パイプが視界に入る。

 肉体強度は人間以上という自信はあるが、こんなもので全力で頭を殴られれば、こうした状態に陥っても不思議ではない。

 バーサーカーにかけられているイブン=ガズイの粉末は、元々見えぬ霊体に物理攻撃を与えるために作られたという経緯がある。

 

「ぐっ……」

「動けぬだろうが、せっかく用意したのだ。軽く封印させてもらおう」

 

 四肢に力を入れてなんとかこの状況から脱しようと足掻くが、それよりも襲撃者の行動は迅速だった。

 懐から取り出し四肢に突き刺さしたのは金属製の杭。大した威力でもない筈なのに、一気に身体が重くなる。

 

「以前に教会の連中とやりあった時に手に入れたものでな。重力系捕縛陣の一種で、突き刺せば著しく行動が制限される。いきなり身体が重くなっただろう?」

 

 俯せに倒れていたのをなんとか身体を捻り、仰向けになる。雨を顔面に直接受けることになるが、これで襲撃者と顔を合わせることができた。当然のように、襲撃者はバーサーカーの知らない顔をしていた。

 

「……ジェスター・カルトゥーレか」

 

 未だ治まらぬ鈍痛を堪えながら、バーサーカーは唯一の心当たりを襲撃者へとぶつけた。

 消去法ではあるが、未だ正体の分からぬ者の中である程度の戦闘能力を持つ者をピックアップしていけば、答えは自ずと分かってくる。しかし、さすがにこれほどの能力を持っているとはバーサーカーも想定していなかった。

 襲撃者はバーサーカーの答えに多少驚いた顔をするが、それ以上のリアクションはない。

 

「アサシンあたりから聞いていたかな。私も君と同じく変身能力みたいなものを持っていてね。同じ穴の狢だということだ」

 

 クハハハハハッと嗤いながら、だからお前を見つけることができたとジェスターはバーサーカーに告げる。それを真に受けるバーサーカーではないが、吸血種たるジェスターにとってそれは決して嘘ではない。

 

 武蔵によって邪魔はされたが、以前にジェスターはバーサーカーと対面もしている。一度でも対面した美味そうな獲物ならば、その匂いを忘れることはない。喩え変身能力や隠蔽能力があったとしても、見破れる自信がある。

 そして何より、ジェスターの目からバーサーカーは目立つのだ。常に身に纏っている曖昧模糊とした雰囲気と殺人鬼という死を引き寄せる香り。常人であれば周囲に溶け込むのだろうが、同じ闇を背負う者として、どうにも目に付いてしまうのである。

 

「今まで散々探してきたというのに……こういう時に限って貴様は現れるのだな……」

「当然だろう。私と君は似た者同士であるが、同じ道を歩みそうにはないのでな。こんなことにならなければ、本来接触するつもりもなかった」

「こんなこと、だと?」

 

 ジェスターの言にバーサーカーは聞かずにはいられない。

 今回の作戦はバーサーカー達がアーチャーを嵌めるためのものだ。仕掛ける時と場所の選択権はこちらにある。ジェスターがこの状況に噛む余地はない。

 

 ジェスターの背後を読もうとするが、バーサーカーは諦めた。そもそも何故ジェスターがアサシンを手放しているのかすらよく分からないのだ。見れば令呪も使用済みのようだし、ありきたりな推測で正解は辿り着けまい。

 

「……まるで全貌を知っているかのような言い草だな」

「全貌なぞ知らんしあまり興味もない。しかしアサシンと東洋人がアーチャーに襲われているだけで、貌の形くらい容易に想像がつく。得てして自分の貌は、自分では見られないものだ」

「なら、お前が教えてくれるとでも言うつもりか?」

「勿論だとも」

 

 言って、

 

「ぐぶっ」

 

 バーサーカーの腹を容赦なく踏みつけた。

 

「私がこの場に出張った理由は二つだ。ひとつは――」

「がっ!」

「君が弱い、ということだ」

 

 まるでボールでも蹴るように、ジェスターはバーサーカーの頭部を蹴り上げる。クハクハと尖った犬歯が見えるのも構わず、ジェスターはバーサーカーを至近距離から嘲笑った。

 

「私一人でも十分に倒せる。霊体化もできず、ついでに宝具も出すことができない。そうだろう?」

「――」

 

 図星を突かれ、バーサーカーは一瞬言葉を呑む。誤魔化せたかどうかは自信がなかった。

 ジェスターの言うとおり、この状況でバーサーカーは宝具を展開することはできない。だからこそ以前は防げた武蔵の頭上からの奇襲も、数段格下であろうジェスターから無防備にバーサーカーは浴びてしまった。

 

「ご託はいい、本当の目的を話せ」

 

 ジェスターが本気でバーサーカーを殺そうというのなら、もっとスマートに行えた筈だ。それをせずわざわざ拘束するような真似までしたということは、何か別の意図があるからだろう。

 現場と通話中だというのに携帯端末から悲鳴は既になく、代わりに荒い呼吸音だけが聞こえてくる。もはや体力は限界に近い。一刻の猶予もない。

 

「そう怖い顔をするな。私のアサシンを世話して貰っている身だ。恩人を殺すような真似をするわけがないだろう?」

 

 そう言いながらバーサーカーの手に持つ携帯端末をジェスターは無理矢理奪い取ってくる。それを器用にくるくると手の中で回しながら確認をするようにジェスターは問うてくる。

 

「どうせ、東洋人がサーヴァントを召喚できずに困っている――そんなところだろう」

「――っ」

 

 今度こそ、バーサーカーは誤魔化せなかった。

 バーサーカーのその顔にジェスターは満足そうに確認を済ませた。その様子に騙しきるのは不可能と判断し、バーサーカーは掴みかからんばかりに迫ってみせるが、顔面を踏みつけるジェスターの足はピクリとも動かない。

 ここまでくると、バーサーカーもジェスターが並の魔術師でないことにも気付く。資料では確かに一級の魔術師とあったが、これは代行者クラスの実力がある。

 

 必死になって現状打破の方策を探るが、資料と現実との格差に事前に練っていたジェスター対策など紙屑同然に値落ちしている。

 時間稼ぎ、それぐらいのことしか思いつかないのが腹立たしい。

 

「何故、そのことを知っている?」

「君らは馬鹿かね。そもそも何故、あの東洋人が無条件にサーヴァントを召喚できると思ったのだ?」

 

 それは――本人からそう聞いたからだ。そして東洋人本人はそれを白い髪に白い肌の女から聞いたと言っていた。

 実際に宮本武蔵はその願いに応えて召喚されている。

 

「では、召喚システムが異なっていることには気付いているだろう?」

 

 まるで幼子に教えるかのような物言いではあるが、バーサーカーはそれに逆らうことなかった。

 時間稼ぎをすると決めた以上、今からバーサーカーがこの状況を打開して駆けつけたとしても間に合わない。ならば、ここでやるべきはジェスターから状況を打開を打破するための情報を得ることだ。

 

「あの令呪は召喚するだけのもの、ということは知っている」

 

 これは分析をしたキャスターの見解だ。

 本来マスターが持つべき絶対命令権とは似て非なるものであり、それでいて令呪の効果には時間制限があることも分かっている。

 少ない知識ながらも時間を惜しんで披露してみるが、その内容にジェスターは落第生に対する教師のように嘆いてみせる。

 

「そこまで分かっているなら何故気づけない? 召喚システムが異なる。令呪の効果が異なる。そして何より召喚される英霊には時間以外の制約がない」

 

 そうして並べて言われると、バーサーカーとしてもその違和感に気づく。

 果たして、一体何故自分はフラットと契約したのだったか。

 

「――目的は、聖杯ではない」

「その通りだ。彼らが召喚に応じるのは己が願いを叶えるため。君達と違って時間制限のある彼らでは聖杯を手に入れることは不可能だからねぇ」

 

 そう。宮本武蔵が召喚に応じたのは、ひとえにあの状況を武蔵が望んだものだからだ。己が求道を試したいと願い、召喚に応じた。

 ヒュドラは自らを現界させたいという本能によって召喚に応じた。

 となれば、今東洋人が英霊を召喚できない理由というのも推測ができる。

 

「あの英雄王を相手に戦いたいという英霊なぞ……いるわけがないっ」

 

 唯一心当たりのある英霊は既にランサーとして召喚されてしまっている。

 戦いたいという理由だけで召喚に応じる英霊はいるだろうが、相手が些か悪すぎた。遠方から一方的に嬲られるだけ、というのは戦いと呼べるものではない。

 そして何より時間稼ぎという目的がある以上、盾として機能しそれを理解するだけの理性と実力を持った英霊が必要なのだ。

 

 我知らず路地を拳で叩くバーサーカー。英霊を召喚できない理由が分かったが、肝心の喚べる英霊がいなければ結局どうにもならない。

 

「お手上げかな?」

「……何か良い策があるのなら聞きたいところだな」

 

 先ほどから一向に笑い顔を止めないジェスターに、バーサーカーも苛立っていた。

 ジェスターは確実にこの場を打開する策を持っている。先の召喚できぬ理由もそうだが、よくよく考えてみればすぐに分かるというのに、その解答にも辿り着けぬ自分に歯がゆくてならない。

 

「クハッ! 簡単なことさ。では、私が策を授けようじゃないか」

 

 そうして、くるくると回し続けていた携帯端末をジェスターは初めて握り、耳へと当てる。

 

「聞こえているなら返事をして――おや、意外に早い反応だね。随分と切羽詰まっているとみえる。ああ、私が誰だなんてことはどうでもいいさ。機会があればまた会うのだしな。

 ――では、今から私が言う英霊を召喚してくれ。何、心配はいらない。彼なら絶対に召喚に応じる筈だ。絶対に、な」

 

 ジェスターの目的は、恐らく特定の英霊を召喚すること。しかしそれに一体どういう意味があるのか皆目検討が付かなかった。

 時間制限のある英霊の召喚は一局面に対応できても戦局そのものに影響を与えることは難しい。

 果てしなく嫌な予感がする。殺人鬼としての直感がそう告げていた。

 

「耳を貸すんじゃ――」

「黙って聞いていろ」

 

 咄嗟に声を振り絞って警告しようとするが、ジェスターはバーサーカーに馬乗りになってその口を塞いでしまう。

 

「では、――という名の英霊を召喚してくれ」

 

 ジェスターが告げた英霊の名を、バーサーカーは聞いた。

 耳慣れぬ英霊の名。その名だけではどんな英霊かも分からぬ者も多いだろうが、確かにその英霊ならば英雄王が相手でも召喚に応じることだろう。その呪いは強大過ぎることでも有名であり、大抵の宝具であろうとも対処することができる。

 だが、問題はそこではない。その英霊の名は、真名とは別にその逸話の方が世界的にも圧倒的に有名である。

 

 ジェスターの狙いが分かった。

 本来ならば聖杯戦争で絶対に召喚されることのない英霊。バーサーカーはフラットに何故期待もできぬ英霊を召喚したのか疑問を呈したことがあったが、この英霊はその比ではない。召喚したが最後、本人を含めたその聖杯戦争全体を根本から揺るがしてしまう災凶最悪の英霊。

 

「これが、ふたつめの理由だ。バーサーカー」

「――! ――ッ!」

 

 携帯端末に向かって叫ぼうとするが、ジェスターの手がバーサーカーの口から離れることはなかった。そしてそれ以上話すことなど何もないとばかりに端末の通話を切る。非難めいたバーサーカーの視線に肩を竦めるジェスター。

 

「そう責めないで欲しいな。あの英霊以外一体誰が望んであの英雄王を前にするというのだね? あのアーチャーを撤退させなければ互いに都合が悪いだろう?」

 

 クハクハと嗤いながら、ジェスターはバーサーカーの口から手を離し、その拳を振り上げる。

 用を済ませた以上、これ以上バーサーカーに構っている暇はない。

 

「違うだろう、お前が真にしたいのは、盤面をひっくり返すことだ!」

「クハハハハハッ」

 

 バーサーカーの指摘に、ジェスターは否定しなかった。そのまま、拳を強く強く、握り締める。

 

「お前は一体、何をしようというんだ!?」

 

 何とかしてバーサーカーはその拳から逃れようとするが、この体勢で躱すことなどできはしない。

 

「決まっている。“偽りの聖杯”を奪いにいくのだよ」

 

 振り上げられた拳は、わずか一撃でバーサーカーの頭部を強かに揺すった。

 ジェスターはあっさりとバーサーカーを無力化してみせた。英霊としての最後の抵抗すらする暇もなく、バーサーカーは立ち去っていくジェスターの後ろ姿を視界に写しながら、意識を途切れさせた。

 

 



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day.07-08 征服王イスカンダル

 

 

 アーチャーが多少の距離がありながらその召喚に気付いたのは特別に注意を払っていたから、などではない。

 

 単純に言えば、呼ばれた英霊は悪目立ちしすぎていた。その隠しようもない強力で独特な魔力の波動は、サーヴァントならば馴染み深いものであり、これを見逃すなどということは有り得ない。

 タイミングとしてもそろそろだろうと予測もしていた。アーチャーの攻撃の余波で近くの建物が一棟倒壊したこともあり、わざと攻撃を一区切りつかせたところだ。

 

 雨が降っているとはいえ、倒壊時の土煙は周囲一帯を覆い尽くしている。逃走する東洋人とアサシンの姿も覆い隠され、一時的にその姿を見失う。故意に狙ったわけではないが、何かを仕掛けるとするならばこのタイミングしかあるまい。

 

 アーチャーの意図と予測は別として、この瞬間に召喚が行われたのは偶然に近いものだった。

 二人にタイミングを測る余裕はなかったし、最悪これ以上の体力の消耗は召喚の判断能力すら奪い、令呪という起死回生の一手を無駄にする可能性すらあった。

 だがこれにより召喚直後のもっとも隙のあるタイミングは、アーチャーに見逃されることになる。

 

 東洋人の令呪による召喚は、聖杯戦争正規の召喚方法と異なっている。

 そのひとつが、召喚前の先行契約である。召喚される英霊は、何故、どうして、どういった理由で、何を目的に喚ばれているのか予め知っているのである。宮本武蔵が召喚直後から能動的に動けたのはそうした理由によるものである。もっとも、召喚者の目的に沿ったことをするかどうかは召喚された英霊個々人による。

 要するに、召喚後の口頭での契約は彼らにとってあまり必要ないのである。

 

 今回の場合も口頭での契約はなかった。

 状況が切羽詰まっていたという理由もある。一分一秒を争うこの状況である。召喚された英霊に求められるのは、二人の脱出を支援する能力を持っていることのみ。悠長な挨拶などしている暇がないことなど、先刻承知である。

 しかしその英霊はそんなことを理由に口頭での契約をしなかったわけではない。

 彼は――憎悪を持ってアーチャーを睨み付ける。土煙の中からの視線にアーチャーは気付いてはいようが、その姿をまだ見られていない。

 

「邪魔だ」

 

 英霊のその一言に、アサシンと東洋人はすぐさま理解する。

 この英霊は、こちらの都合を斟酌しているわけではない。ただ己にとって都合が悪いというだけで、時間を惜しんでいるに過ぎない。元よりこの英霊は、時間稼ぎなど欠片もするつもりがなかった。

 

 この傲慢なる英雄王を倒す、ただそれだけの理由で彼は召喚に応じていた。

 

 幸いにも召喚者をないがしろにするつもりは彼にはなかった。

 邪魔だからといって殺すような暴虐さをこの英霊は持たない。それに召喚者が殺されてしまえば、ただでさえ短い時間が更に短くなってしまう。

 

「――ふんっ」

 

 英霊の豪腕が振るわれる。

 その途端、周囲を振るわせる轟音と振動が巻き起こる。アーチャーの攻撃に耐えきれなくなった建物に振動が伝播し、その耐用年数に止めを刺した。更なる倒壊が連鎖的に起こされるが、英霊は別に建物を倒壊させたかったわけではない。

 

 英霊は、ただ自らの宝具を取り出しただけだった。

 

 豪腕が奏でる衝撃の正体は、空間に入った亀裂によるもの。より正確に言えば、その亀裂から現れ出でるモノ。見る者が見れば目を剥いて腰を抜かし、喩えそれが分からずとも人の理から完全に逸している気配は隠そうと思って隠せるものではない。

 

 疲れ果てたアサシンと完全に腰を抜かしている東洋人を、英霊は無造作に現れ出でた宝具に乗せ、その宝具の尻を叩いた。

 脱出しようとする二人の姿は土埃の結界から出れば、当然アーチャーの視界に入る。英霊が召喚されたことで多少距離はとったが、十分に射程圏内である。むしろ的が大きく、走り始めたばかりということもあって、その宝具を墜とすのに何の苦労もない。

 だが英雄王は歯を噛みしめ、寸でのところで解き放とうとしていた宝具の発射を撃ち止める。

 

 その宝具には見覚えがあった。

 かつての第四次聖杯戦争、そこで相対したサーヴァントが好んで使っていた宝具。本来なら軍馬が率いるべきところを荘厳な牝牛が代わりと務める、稲妻を蹴り上げ空を駆ける古風な二頭立ての戦車(チャリオット)

 

「――神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)、だと?」

 

 アーチャーの驚きはいかばかりか。

 なまじその宝具を知っているだけに、召喚された英霊を無視するわけにはいかなかった。

 

 征服王イスカンダル。

 第四次聖杯戦争で決着をつけたあのサーヴァントだけは、それがなんであれ誰を差し置いても相手をせねばならない。それが勝者たる英雄王の義務と敗者たる征服王の権利――否、そんな無粋なものではない。二人の王が交わした、未来永劫違えることのない約束である。

 

 ちっ、とアーチャーは舌打ちする。これで当初の目的は確実に遂行できなくなる。

 神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)は進路上にあったビルの上階を容易く破壊し、空の彼方へと去って行く。その瓦礫が地に落ちたため更に視界は悪くなり、アーチャーは宝具を発射する態勢でありながら、忍び寄るその気配の対応に遅れてしまった。

 

「――はぁっ!」

 

 気迫と共に放たれる豪腕。そのことに違和感を覚えながら、余裕を持ってアーチャーは躱してみせる。

 既にアーチャーの格好は全身をくまなく輝く甲冑で覆った重装。この鎧の対魔力と防御力はそんじょそこらのモノではない。本来であればどのような攻撃であろうと軽く受け流してみせる――筈だった。

 

 土煙はまだ収まらない。敵の姿はこの至近距離でもまだその腕しか見ていない。だが、この一撃でアーチャーは確信した。

 剛胆なる一撃は認めよう。しかしその振り上げた拳は無粋の一言に尽き、また姿を見せぬまま攻撃をしようという無恥はただの無頼漢に過ぎない。

 そしてそれらはアーチャーの心当たりにあった征服王イスカンダルとは対極に位置する者だ。

 

「――貴様、何者だ?」

 

 そして何より、征服王にこのような固有能力(ユニークスキル)はない。

 黄金に輝く甲冑を、アーチャーは素早く脱ぎ捨てる。見た目こそ変化は見えないが、その中身はすでに別物。先の一撃を少し掠っただけで、アーチャーはその甲冑を『穢された』と判じた。

 

 英霊の拳が掠ったのはせいぜい数ミリであり、本来ならダメージとしてカウントされるものですらない。だというのに一瞬で甲冑を脱ぎ捨てざるをえなくなった『穢れ』は、明らかに現代では存在しえぬ神代のモノ。

 

 防具がまるで意味を成さない。

 珍しくもアーチャーは大きく距離を取った。逃げると見られかねないような後退は英雄王の好むところではないが、戦闘で自らに有利な距離を取るのは当然のことである。

 

 アーチャーの背後に夥しい数の宝具が、その荘厳な顔を覗かせた。

 この距離はもはや英雄王の領域。この距離を踏破することのできる英霊が一体どれほどいるというのか。

 アーチャーがその気になれば、この距離を詰める間に宝具を三桁は打ち込むことができる。それでも、英雄王の脳内で鳴り響く警鐘は止むことがない。

 

 雨に直接打たれる不快感をも呑み込んで、アーチャーは土煙の中の英霊を睨み付ける。紅い双眸の中で仁王立ちをしているのは、紅い頭巾を被る偉丈夫である。

 

「お初にお目にかかるな、英雄王」

 

 遅まきながら、英雄王の誰何にその英霊は応え、互いに初対面であることを認めた。

 一見して理知的で聡明な顔付きであるが、その眸の中にあるものは不釣り合いな憎悪の炎に憤怒の嵐。決して許してはならぬとその英霊の全身が、怨念めいた呪いを纏っている。

 

「私の名は黄金王ミダス――」

 

 英雄王を前に『王』と名乗りをあげる英霊。だが自らの名ですらこの英霊は憎々しげに吐き出してみせる。

 

「――貴様のような、富と贅沢を憎む者だ」

 

 それこそが自らの義務であり役割だと告げるミダスに、対峙するアーチャーはそれについては何も語るべきものはないと無言。

 王の狩りを邪魔した無粋者。これで二人の追跡は不可能となったし、自らの宝具をこうもあっさりと穢し、あまつさえその不快極まる視線と言動にあっては言葉など語ることすらもったいない。

 だから口にするべき言葉はただの一つ。

 王の裁定のみ。

 

「楽には殺さんぞ、雑種」

 

 そのまま、アーチャーは展開させたままの全ての宝具を射出してみせた。

 

 



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day.07-09 黄金王

 

 

 宝具、というものはなにも英霊一人につき一つだけ、などという制約はない。そして、逆に宝具一つにつき英霊一人だけという制約もない。

 

 例えばギリシャ神話最大の英雄ヘラクレスが持つ宝具射殺す百頭(ナインライブズ)

 この宝具はヘラクレスの死後に共にアルゴー船探検隊に並んで参加したピロクテテスに受け継がれ、トロイア戦争の終結に一役買っている。

 

 こうした一つの宝具が複数人に受け継がれることは決して珍しいことではない。そして神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)についても、実は複数人が持ち主として受け継がれている。

 一人はゼウス神に神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)そのものを捧げたゴルディアス王本人。そしてそのゴルディアスの結び目を断ち切り手に入れた征服王イスカンダル。主たる持ち主は確かにその二人だが、縁故こそ二人に劣りつつもゴルディアス王と征服王の間にはもう一人、この宝具の持ち主ともいえる者がいる。

 それが神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)をゴルディアス王と共に捧げた、息子である。

 

 その名を、黄金王ミダスと言う。

 

「なんつーもんを喚び出しやがる!」

 

 戦闘を開始しようというアーチャーとミダスをライフルの光学照準器で確認しながらキャスターは叫んだ。すぐ傍らで同じくそのことを確認した署長も叫ぶことこそしなかったものの、同じ感想を抱いていた。

 

 神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)を確認できたことは僥倖だった。

 伝説通りの特徴的な紅い頭巾を被っているのだから、知識さえあればかの英霊の正体を推し量るのも難しくない。それだけに、あの英霊が聖杯戦争そのものにとって最大級の危険性を持つ英霊であることも違いなかった。

 

 両者の間には随分と距離があるが、これだけで弓兵が有利と判断はできない。事実、アーチャーは無闇矢鱈と宝具を放ち続けているが、ミダス王はそうした圧倒的物量に頓着することはなかった。

 

 ミダス王がしたのは周囲の壁を殴りつけ土煙を撒き散らしたのみ。ただそれだけでアーチャーの宝具は土煙に入ると同時に、その軌道を曲げられてしまう。それどころか、逆にバラ撒かれた土煙をアーチャーは忌避するような行動もみせていた。

 

「噂通りの絶大な威力の呪いじゃねぇか」

 

 ミダス王が持つ宝具の中で攻撃能力があるのは、実のところ神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)ただ一つだけである。その代わりではないが、キャスターが言うとおり彼には自身すら制御できぬ絶大という言葉すら生ぬる過ぎる呪いを持っている。

 その一つが、黄金王の名をミダスに与える所以となった酒神バッコスの黄金呪詛(ミダス・タッチ)である。

 

 触れたモノ全てを黄金へと変える呪い――それも神罰そのもの。

 その呪いはありとあらゆるものに及び、木の枝や石は無論のこと、娘に触れば黄金の彫像と化し、果てには葡萄酒すらも黄金の氷と化す程。それ故に彼は飢えと渇きに苦しむこととなり、呪いが解けた後は黄金を強く嫌悪し、富と贅沢を憎むこととなった。

 そんな彼だからこそ、無限の富を持つ英雄王は無視できぬ存在なのである。

 

 今ミダス王が仕掛けているのは土煙の黄金化だ。それもただの黄金ではなく、自身すらコントロールできぬ絶大な魔力に冒された忌むべき黄金である。ただそれだけが無敵の盾と矛となり、アーチャーの攻撃を凌ぎきり、その上で強力なプレッシャーをアーチャーに与え続けている。

 

 降りしきる雨もミダス王に触れれば、跳ねた滴は即座に黄金へと変化し無敵の鎧へと姿を変える。

 ただの土煙ですら容易に突破できぬのである。この無敵の盾と鎧を突破するほどの宝具となれば、いかに英雄王の蔵といえども相当に数は限られる。だがその選ぶ、という行為がアーチャーをして射出までの時間を数瞬遅らせることになる。

 

 その瞬間を、ミダス王は見逃さない。

 ニタリと笑うミダス王は自らが持つもう一つの宝具を展開させる。その名は、酒酔いの薔薇園(シレーニノス・ガーデン)

 優れた庭師としての側面を持つミダス王のこの宝具は大したものではなく、周囲一体に薔薇を生え茂らすそれだけの宝具。薔薇が目標を捉え拘束したり、薔薇の蔦が鞭と化すようなこともない。本来ならば戦闘などに用いられる宝具ですらない。

 

 ただこの状況でそんな宝具を使えばどうなるか。咲き乱れる薔薇は雨も相まってもはや完全にミダス王の姿を隠し通す。アーチャーが狙いを定めようにもこれではどうしようもない。

 事態は分かり易いくらいにミダス王優位にことが進んでいる。

 

「まずいな。いくらチャンスとはいえこれを続けるのは得策ではないぞ」

「ああ、やばい。こりゃ作戦どころの騒ぎじゃないぞ」

 

 ミダス王召喚の事情を知らぬキャスターは、署長の言葉に一刻の猶予もないと作戦の中止を決断した。

 ミダス王の危険性は彼が生きている限り払拭できぬ最悪のものだ。そのタイミングはいつか分からないが、アーチャーがミダス王を瞬殺でもしない限り安心できるものではない。

 いつ爆発するか分からぬ爆弾を抱え、今か今かとびくびく怯えていていいのは愚者だけだ。

 

 傍らの署長も同時にその可能性へと至り、二人はなんの打ち合わせをすることもなくそれぞれ同時に携帯端末で連絡を取る。

 なるべくこうした連絡を控えたかったが、こうなってしまっては仕方ない。

 

「――ってジャックでねーし! 何があったんだこんちくしょうめ!」

 

 ジャックへと連絡してもまったく出る気配がない。

 あのサーヴァントがこの状況に気付いていない筈もなく、故意にボイコットするわけもない。何らかのアクシデントがあったのは間違いない。

 

「アサシンには作戦中止を伝えたぞ。念のため二人にはそのまま神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)に乗って移動できるギリギリのところまで退避してもらうことにした。構わないな?」

 

 署長の指示にキャスターは何の異論もない。それ故にキャスターは今後のことを考える。

 作戦遂行は最早不可能である以上、諦めるしかない。が、黄金王と英雄王との戦いの行方は何としてでも見届けたい。そんなことは許される状況ではないが、こうなってしまっては仕方があるまい。

 

「……なぁ、マスター」

「言うなキャスター」

 

 さすがはマスターとサーヴァントというべきか、先ほどから考えることが被ってしょうがない。リスクとリターンを合わせて考えれば同じ答えが出るのも当たり前だが、ここで一番リスクを被るのはマスターである署長の方である。

 

「アレの影響範囲がどれ程のものか、そもそも防げるかどうかすらわかんねぇぞ」

「他に選択肢がない以上、仕方あるまい」

 

 言って、署長が見つめるのは己の腕。そこに描かれた文様はもはや一画のみ。これを使えば、もう署長にはキャスターを統べる手段はない。

 署長が負うリスクとは、そういうことだ。

 

「私はなるべく遠くへと逃げる。その時が来たら連絡してこい。令呪を使ってやる」

 

 どこまで効果があるか分からないが、もし二十八人の怪物(クラン・カラティン)のトップのままであっても署長の決断は変わらなかったであろう。

 無駄に令呪を消費させ二十八人の怪物(クラン・カラティン)から引き離した元凶だというのに、今になってもこのマスターはキャスターを恨むことをしない。それが優しさとは全く別個のものだとは知っているが、これでは余りに薄情すぎる。

 

 自らの行動に呆れたくもなるが、できる限り貸し借りは作りたくない。それが対等なパートナーとしての正しい関係だろう。令呪という縛りがこれからなくなる以上、尚更である。

 

「……おい、兄弟」

「私はお前の兄弟では……っと、おい、これはなんのつもりだ?」

 

 この場を後にして逃げようという署長をキャスターは呼び止め、懐から金貨を一枚署長に放り投げる。突然に投げられた金貨を慌てて受け取る署長だが、その金貨を一目見ただけでこれが何を意味するのか悟る。

 

 この金貨は、年代物でそれなりの価値もあるが、そこに魔術的な価値はない。ごく普通に市場に出回っている、珍しくもただそれだけの金貨である。

 だが、それは世間一般でのこと。キャスターにとってこの金貨は何物にも代えることのできない価値を持つ。キャスターの人生はこの金貨と共に有り、それ故に召喚の触媒にもなった縁の深い硬貨である。

 

「俺は金を湯水以上に使ってきた浪費家として有名だが、同時に吝嗇家であることも知っているよな?」

 

 キャスターは家を出てから大金持ちへとなり、そして最後には無一文となって死んでいった英霊だ。だが家を出る際に母から渡されたこの金貨にだけには決して手をつけようとはしなかった。

 

「……後で返せってことか?」

「特別に無利息にしといてやる」

 

 あえて期限を言わなかったのはキャスターなりの誠意であるが、元々これを手に入れたのは署長である。その意味では恩着せがましい行為ではあるが、署長は「わかった」と懐へと金貨を大事にしまった。

 令呪の代価としては安すぎるが、やはり恩というのは金銭に換算できぬ価値がある。

 

 互いにそうした打算を抱きながら、キャスターと署長はそれ以上の会話をすることもない。それが被害を食い止めるための最小限の犠牲だと信じて、行動を別にする。

 

 爆弾が爆発する瞬間は、刻一刻と近付きつつあった。

 

 



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day.07-10 甘言

 

 

 この英雄王対黄金王の戦いを注視していたのは何もキャスター達だけ、というわけではなかった。

 

 市内中央の巨大ビルの倒壊に引き続き、市内建物が連鎖的に倒壊したのである。発端であるアサシンとの対決こそリアルタイムで把握してはいなかったものの、騒ぎが大きくなれば気付かぬ方が難しい。

 市民からの問い合わせで回線はパンク寸前の状態であるが、こうした混乱は想定の内。雨の勢いも増しているせいか、慌てる市民を誘導する方が面倒であった。

 混乱する現場の警察官は上に確認を取ろうとするが、その指揮所となる警察署は先日ランサーが突入した際に崩壊していた。

 

 代わりとなったのは市役所であるが、指揮系統が上手く機能せず十全に対応できているとは言い難かった。

 対応に当たった市の上層部は以前に策定したテロ対策マニュアルを実行しようとしていたが、避難所が更地になっていたり、以前のテロにより道路が塞がっていたりと、その無能さを露呈することとなる。

 彼らは彼らで頭を悩ましているのだが、その必死さには温度差があり、それがこの混乱に拍車をかけていた。

 

 そうした温度差は別のところでもある。この事件を注視している当の二十八人の怪物(クラン・カラティン)でさえも、外に出て雨に濡れながら状況を監視する者とオフィスで快適な空調のもと足を組みながらモニターを眺め見る者とでは、その緊張感には雲泥の差があった。

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)本部に設置されているいくつものモニター画面にこの戦闘の様子が流される。市内各地に大量に配置されたカメラのおかげであるが、平行して行われる画像処理によってまるで野球観戦のような暢気な空気が醸成されていた。土煙や雨といったノイズが除去されると、この手の映像は緊迫感を削がれるものである。

 

『ふむ……やはりアーチャー相手にこういった作戦は有効なようだねぇ』

「はい、想定作戦事案の参考にはなりそうです」

 

 わざわざノートパソコンのカメラを通して本部のモニターを見ているのは安全地帯から戦場を見ている“上”の人間であり、それに生真面目に対応しているのはその“上”に従順な副官であった。

 

 現在、二十八人の怪物(クラン・カラティン)は隊の再編成に全力で当たっていた。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)の要である署長が誘拐されてしまった以上、それはある意味では仕方のないことだった。本来であればそのまま副官が署長代行として二十八人の怪物(クラン・カラティン)を率いればいいだけの話なのだが、あいにくと政治的な意図を持って据えられた副官では難敵であることが確実なアーチャーとランサーが生き残っているこの局面を打開するだけの能力はない。わざわざ別任務に従事していたファルデウスが急遽呼ばれたのもそうしたところが理由である。

 

 その様子を後ろから冷めた目で秘書官は眺め見ていた。

 署長の腹心である彼女はあっさりと署長を見限った“上”に対して、はっきりと怒りを覚えていた。もちろんそれを表に出すことはしないが、彼女はもう二十八人の怪物(クラン・カラティン)に貢献することをやめている。だからこそ、“上”も副官も未だ気付いていない事実を耳打ちする真似はしない。

 

 これから一体何が起こるのか、秘書官は薄々感づいていた。この英霊が一体何者であるのか、アーチャーがどうせ勝つだろうと安易な推測をしている二人は興味を抱こうともしていない。これだけのカメラが捉えていることで分析をするなら後々で十分だと愚かしくも思っているのだ。

 

 ちらり、と周囲を見渡すと自分と同じく口を開くまいとしている者が何人か見られる。そのいずれも署長に心酔し、魔術師としても兵士としても忠実であろうとする者達だ。そして更に他の者の様子を見れば、言おうか言うまいか厳つい顔をしながら悩む者が一人。これは何かアクションをしようとするなら何としても止める必要があるだろう。

 

 現在この情報部に与えられた任務はこの戦闘を細大漏らさず記録し、作戦本部が立てる作戦のための参考データを収集することである。

 そして秘書官に与えられた任務は一時的な代行である副官の追従で、その副官はモニター越しの“上”へ対応することに忙しい。

 

 何か資料を確認するふりをしてペンを数回ノックする。やや不自然な行動ともいえたが、そこを目ざとく見つけ出す副官ではない。ペンのノックに反応して同じく情報部の人間の一人が軽く咳払いをし、また他の一人は椅子の軋ませる音で反応を返す。魔術などに頼らぬ酷く原始的な意思疎通。

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)全体から見れば少数派ではあるが、署長を見捨てるのではなく救出するために動こうという者達がいる。その先鋒が何を隠そう秘書官本人であるが、それを真っ当に上申したところで却下されるのは目に見えていた。

 だとすれば、残された手段はクーデターを始めとするやや乱暴なものばかり。実際、それをしようと相談に来た者すらいた。

 クーデターを起こすなら明確なトップの不在である今が一番のチャンス……ではあるが、今の秘書官の合図はクーデターの順延を意味している。

 

 署長の誘拐を受けて再計算された二十八人の怪物(クラン・カラティン)の勝率は五割を切っている。だがその数字があったが故に“上”は条件付きではあるが、いくつかの宝具の使用制限を解除してきた。

 その筆頭である《スノーホワイト》ですら今は使用限界まで全開放されている。1ポイント使用率を上げるためにどれだけ署長が骨を折ったのか分からぬほどの大盤振る舞いである。これで勝率は再び九割を超え、“上”も文句を言いながらも余裕を滲ませてもいる。

 それだけに、秘書官は署長の苦労を踏みにじる者を許せそうにない。

 最初からあらゆる制約を取り除き全てを署長に任せておけば、最小限の犠牲で最大限の戦果を上げていたというのに。

 

 時計を見る。概算ではあるが、戦闘開始から一〇分が過ぎ、ミダス王は優位ながらも膠着状態が続いている。

 薔薇に隠れながら近付いての奇襲。アーチャーは宝具を盾にその一撃一撃を防いではいるが、その度に宝具は黄金に冒されその固有の能力を失ってしまう。

 

 アーチャーは面制圧を得意とするサーヴァントではあるが、そのためには視界が開けている必要がある。その視界を奪われたことで効果的な宝具の射出が行えず、後手に回り続けるはめに陥っている。

 

『アーチャーは何故距離を取らないのだ?』

 

 軍人ですらない“上”からもアーチャーの戦い方に疑問が出た。

 アーチャーは戦士である。自ら剣を取り戦場を駆け抜け敵の首を刎ねる者。対してミダス王は戦士ではない。基盤を築いた父の後を継いだ二代目であり、刃物の扱いも庭師程度のものでしかない。

 つまりは、素人に指摘されるくらいに戦い方はあまりに雑だった。

 動きも読みやすく、消耗される魔力にも無駄が多い。手数こそ多くはあるが、決定打にはまるでなっていない。せいぜいが最初の一撃で英雄王のあの重厚な鎧を失わせたくらいである。

 

 ミダス王の戦法は自らの呪いを活かした優れたものではあった。敵の視界を塞ぎ間隙を突いて確実にダメージを与えていく。これは対アーチャー戦用に作戦部も立案したものでもある。しかしこの作戦は単純に距離を取ることで解決できる。ミダス王のあの動きなら隙を突くのに苦労はしない。

 

「戦っているのはあの英雄王ですよ。格下を相手に距離を取るなど彼のプライドが許さないのでしょう」

 

 安易な答えを語ってみせる副官は、やはり状況を読めてはいなかった。

 彼はこの映像の何を見ていたのだろうと秘書官は思う。

 

 初期段階で既にアーチャーはこのミダス王からプライドを捨ててわずかながらも距離を取っている。そこからアーチャーがミダス王を危険視しているのは間違いなく、敵と認識して戦っているのも間違いなかった。

 

 防戦一辺倒でありながらアーチャーへのダメージは少ない。それでいて豪腕での空振りの多いミダス王の体力は圧倒的に消耗している。堅実な戦法を取るならばむしろ現状のままの方が具合が良い――

 

 いや、それもまだ違うか。

 英雄王がプライドをかなぐり捨てて戦っているのは間違いない。

 敵からの一方的な攻撃にあのアーチャーが我慢しているのがその証拠。素人である“上”が言ったように、距離を取った方がアーチャーとしてもその能力を発揮できるのも間違いないのだ。

 だとすればアーチャーは意図してあの距離を保っていることとなる。迂闊に距離を取ることを忌避している。

 

 双方が距離を取ったその時が戦局が大きく動く時と考えても良い。

 瞬間、秘書官の脳裏を駆け巡る幾通りもの作戦プラン。いつ爆発するか分からぬ爆弾であれば、その爆発タイミングをコントロールすることで最小限の犠牲で済ませることができるだろう。

 

「代行」

「……なんだ?」

 

 秘書官の声に不機嫌そうに副官は応じる。

 大したものではないとはいえ、“上”との直接の会話中だ。秘書官に割り込まれることは遠慮願いたいのだろう。そうでなくとも、署長に心酔している秘書官と副官の仲は余り良くない。

 

「御覧の通り、状況は拮抗しています。これを機会に、現場部隊の包囲網を縮めてはいかがでしょうか?」

 

 秘書官からの提案に不機嫌そうな顔ながらも、副官は眉根を寄せて思案する。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)は部隊編成の最中にあり、迂闊に動かせぬ状況ではあるが、全く動かせぬというわけではない。現に偵察任務としてではあるが、フル装備の二十八人の怪物(クラン・カラティン)が現場を包囲している。任務内容が変わればすぐにでも戦闘することは可能だろう。それができぬ理由は単純に指揮系統の問題だけ。現場指揮官に権限を委譲すれば、何の問題もない。

 

「……彼らの任務は偵察であり、カメラで補えぬ場所を補うのが役割だ。これ以上縮めて危険な行動を取る必要はない」

「失礼しました。しかし、これはアーチャーを葬るチャンスではありませんか?」

 

 他に聞こえぬように小声ではあるが率直な意見に副官は何か言わんと口を開くが、秘書官から目線を外して戦闘を観戦している“上”の様子を覗いてみる。

 副官としても、秘書官がわざわざ言わずとも最初の一言でそのことには気がついている。だが彼の役割は署長の首輪であってそれ以上ではない。あらゆることをそつなくこなす器用貧乏な彼の能力ではここまでが限界なのだ。

 

 そこに、秘書官はつけ込んだ。

 

 現場の二十八人の怪物(クラン・カラティン)がフル装備でいるのは偶然でも何でもない。こういう時のためのお膳立てとしてこっそりと秘書官が準備していたからに過ぎない。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)が偵察以外の任務につくというのなら、その全責任は現責任者である副官が被ることになる。そしてもちろん、作戦によって得られた功績も、彼の物になる。

 

 副官は自らが小物であることを十分に理解している。だからこそ危険と感じれば即座に逃げ隠れ、攻めることには消極的で、守ることには積極的。チャンスがあったとしてもリスクと見れば殻から出てこぬヤドカリと同じである。

 

「……そんな馬鹿なことを」

「するでしょう。少なくとも、署長であるならば」

 

 なおも動こうとしない副官に秘書官は「署長」の一言を付け加える。

 副官は確かに小物ではあるが、署長の功績を認めていないわけではない。むしろ首輪として身近で見続けた分、署長の実力を誰よりも見続けてきたのが副官である。今更署長の存在に張り合うつもりはないとはいえ、崇敬の念がないわけではないのだ。

 

 署長なら、動く。それが秘書官からの言葉であるとはいえ、これが大チャンスであると暗に告げられた。リスクばかりに目を向けがちな副官であるが、無碍にはできまい。少し目線を移せばチャンスの芽はあちらこちらに転がっている。

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)の現場部隊長はいずれも優秀だ。しかも現状で彼等に任せる仕事はミダス王への援護であり、直接戦闘ではない。雨は彼等の気配を消してくれるし、指示さえ出せば一分も経たずに攻撃は開始できる。

 

「……これが、彼らの装備です」

 

 端末に表示された内容を最後の一押しとして、無理矢理副官に差し出す。迷いのある副官はそんな秘書官の口車に情報を一つでも得ようと装備一覧に目を通すべく受け取った。

 急場のことで装備の選定は現場に一任してある。副官が現場に口出ししないことを見越し、あらかじめ秘書官が指示を出していた。

 装備一式は対サーヴァント戦に用意されたものばかり。勝率が上がりこそすれ下がる可能性がある筈がない。

 

 これが署長であれば、喩え秘書官や周囲の者が何と言ったとしても端末を受け取ることすらせず二十八人の怪物(クラン・カラティン)を動かしはしないだろう。

 リスクとリターンを考え、そうした状況判断を自ら行い決断できるからこそ署長はマスターたり得るのだ。甘言などに耳を貸した時点で副官にその資格などあろう筈もない。

 もっとも、署長であれば現状を正しく認識する筈なのでこの場に暢気に立っている筈もないだろうが。

 

「……いい、だろう」

 

 観念したように呟きつつ、目の奥に欲という名の暗い炎が宿ったことを秘書官は確認した。確認して、副官に見えぬよううっすらと笑った。

 

「了解しました。全二十八人の怪物(クラン・カラティン)に告ぐ。これよりアーチャー殲滅のため相対しているサーヴァントの援護を開始する!」

 

 副官の考えが変わらぬうちに秘書官は行動を開始する。

 これからは時間との勝負となる。作戦本部は大まかに指示を出すだけで、現場は臨機応変に動くことになるだろう。そこで今後クーデターに荷担してくれそうな部隊とそうでない部隊との選別を行う。

 目先の餌に目を眩ませた副官は、秘書官に具体的な指示を任せたのは失態だった。秘書官はそうした副官の行動を見越した上で、可能な限り自身に有利な状況を作り出す。後で見返せばその不自然さは指摘されることだろうが、気付いた頃にはもう遅い。

 

『ん? 二十八人の怪物(クラン・カラティン)を出すのかね?』

「これはチャンスですよ。アーチャーをここで倒せばその分我々は切り札を温存できます」

 

 これは私の手柄、とは言わないところが副官の副官たるところ。だが“上”はその言葉には満足したようだ。特に切り札の温存というのが心地よい。切り札ひとつで数億ドル節約ができるのだ。使わぬにこしたことはない。

 

『なら、指揮権を預かる君の判断に委ねることにしよう。門外漢の私では観戦はできても何のアドバイスもできないのだからねぇ』

 

 言外に失敗したら責任を取れ、という含みを持たせた“上”の意図にどれほど副官が理解していたのか。

 “上”が彼に何を期待していたのか忘れたわけではないだろうが、その気になってしまった副官にそれ以上何も言わなかった。普段なら気付いたであろう微妙なその顔にも、副官は気付けない。

 

 既に彼の視線の矛先は現場へと向いていた。

 

 



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day.07-11 黄金呪詛

 

 

「英雄王と黄金王の対決、ですか」

 

 車内から双眼鏡を取り出してうきうき眺めてはみるものの、戦況の把握にはほとんど意味がなかった。夜間に雨で視界が悪いのと、視界を遮るビルが多いのと、そもそもの距離がありすぎるのとで、はっきりいって市内で何かが起こっているという程度にしか分からない。

 

 手にしたパサパサのサンドイッチを口に放り込みながら、インスタントのコーヒーを口の中へ流し込む。冷めたコーヒーはお世辞にも美味しいとは言えなかったが、何もないよりはマシだった。

 

 スノーフィールド北東部丘陵地帯、街を俯瞰するのに丁度良い丘に偽装させたワゴン車を停めさせてファルデウスはこの戦いを他人事のように観戦していた。

 

 本来であればもう数時間は早く二十八人の怪物(クラン・カラティン)本部へ出頭できたのだが、ファルデウスはあえてそれをしなかった。

 わざわざ南部の砂漠地帯から北部渓谷地帯へと街の外周を沿うように遠回りしながら移動したのは、現場から離れたところでスノーフィールドの地を改めて観察したかったからである。

 この北部を根城とする原住民の様子も見ておきたかったし、東部湖沼地帯で行われた戦闘跡も先入観なしに確認しておきたかった。そして何より、署長という軸を失った二十八人の怪物(クラン・カラティン)にどういった変化が起こるのか、値踏みをしておく必要があった。

 

 事情が事情なだけに即刻本部へ出向き辞令を受け取り、部下となる二十八人の怪物(クラン・カラティン)の手綱を引き締めるべきなのかも知れないが、ファルデウスはわざと真逆の行動をとってる。

 こうした非常事態だからこそ、どの陣営にも属さぬ者として二十八人の怪物(クラン・カラティン)を含めた各陣営を見て回りたかったのである。そうした時間稼ぎはせいぜい半日程度とみていただけに、その間にこうしたサーヴァント戦に遭遇できたことは幸運だった。

 

「どうです? 繋がりましたか?」

「はい。侵入成功です」

 

 ファルデウスの隣でノートパソコンをカタカタ弄っていた部下が、慎重な面持ちで何度もミスがないかを確認しながら返答してくる。

 

「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」

「しかし、こんなところにバックドアが仕掛けられてるなんて――罠の可能性も排除できません」

 

 部下にファルデウスがやらせているのは二十八人の怪物(クラン・カラティン)本部のメインサーバーへのハッキングである。

 組織の中枢ともいうべき場所とあって、その防壁は鉄壁を誇っていた。そこは魔術の及ばぬ電脳の世界である。

 そこにあるのは現代技術のトップを行くウィザードと称されるプログラマーが叡智の限りを尽くして築き上げた難攻不落の要塞であった。これを突破するのは至難の業であり、少なくとも多少の腕があっても部下一人だけでは千年経っても不可能だったであろう。

 だからこそ、多少ヒントを聞いただけで成功してしまったこの事実が信じられないらしい。むしろ罠であって欲しいとすら思っているのだろう。

 

「だから、大丈夫ですって」

 

 そんな部下を尻目に門外漢のファルデウスは適当に相手をしながらハッキング行為を続けさせる。

 実際、これが罠であるのは間違いではない。

 

 システムの盲点を突いた一穴――に見せかけて、その奥にあるのは知られても良い程度の真実とある程度の難度で時間を稼ぐ防壁に過ぎない。聖杯戦争にあっては電脳戦などあまり考えられないが、万が一を想定しあえて作られた罠である。

 だが今回に限ってはその罠は発動しない。何故なら、この罠の存在を教えてくれたのは“上”だからである。

 

 どういう意図を持ってこうした複数の裏コードをファルデウスに渡したのかはさておき、仮に逆探知されたとしても二十八人の怪物(クラン・カラティン)の長として内定しているファルデウスにとってそれは大した問題ではない。

 ばれたところで崩れる信頼関係など最初からないのだから、そこは思い切っていくべきであろう。そして今後構築するような信頼関係もないのだから。

 

 程なくしてファルデウスの膝の上に置いたノートパソコンに多数のウィンドウが開かれる。いずれも戦闘状況のライブ映像ではあるが、ひとつだけは二十八人の怪物(クラン・カラティン)本部内の様子が映し出されている。

 

「本部カメラと周辺で監視中の二十八人の怪物(クラン・カラティン)のカメラを四方向からそれぞれ一台分お願いします」

「分かりました――っと、どうやらその本部から二十八人の怪物(クラン・カラティン)に出動命令が下ったようです」

「そうですか」

 

 部下の報告に素っ気ない返事を返すが、ファルデウスは目を細めて二十八人の怪物(クラン・カラティン)本部の映像を眺め見る。秘書官と何やら話してから、副官にやおら変化が見受けられ、命令が下されている。

 

「愚かなことを」

 

 やや困った顔をしながらも反面、愉しげにファルデウスはその様子を見続ける。

 ファルデウスが嫌いなのは無能な人間で、もっと嫌いなのは無能な味方で、一番嫌いなのは無能で偉い味方である。その内どれか一つでもファルデウスの手にかからずいなくなってくれるのであれば歓迎すべきことだ。

 

 各部隊のカメラは指示を受けたのか、やおらその包囲網を狭め始める。この様子だとあと数分もしない内に準備は整うことだろう。となれば、その数分後がターニングポイントとなる。

 

「君は、この状況をどう見ますか?」

「……寡聞にして、私は黄金王という英霊を知りません」

「相手を知らねば戦えませんか?」

 

 ファルデウスはわざと誤った方向へと誘導してみせるが、そんな陳腐な言動に部下が乗ってくることはなかった。

 

「率直に申し上げて、その通りです。敵に対しての情報が少ない以上、このまま情報を収集するべく見届けるより他はないと考えます」

 

 ファルデウスの気軽な問いに、今尚忙しくハッキングをし続ける部下は返答を遅らせながらも答えた。

 目をモニターから離さず数字の羅列を注視し、タイプする指は一秒でも惜しいと急がしく動き回っている。申しわけないことをしたかな、と思いながらもファルデウスは尚も続ける。

 

「何故かな?」

「状況から推察するに、アーチャーが距離を取らないのは十中八九、警戒せざるを得ない切り札を黄金王が所持していると判断しているからです。そして、そこに二十八人の怪物(クラン・カラティン)を投入すれば、二人は距離を取らざるを得ません。相手サーヴァントの支援という意味では良いかも知れませんが、情報の少ない中での行うには二十八人の怪物(クラン・カラティン)の損害が大きすぎます」

「君もそう思いますか……」

 

 少なくとも自分の部下があの副官よりも聡明であったことは確認できた。様子からしてどうも副官はあの英霊の正体に気付いていない節があるが、それを差し置いても致命的な判断ミスといえよう。

 

 あの黄金呪詛(ミダス・タッチ)の本質は汚染である。そして汚染とは得てして拡散すればするほど対処は困難となる。あのアーチャーをしてそれに対処できぬことはないだろうが、大人しく大技を受けるような王ではない。

 街の半分が吹き飛んだとしても、ファルデウスは不思議と思わない。もしくは街の半分を犠牲にしてもよいとあの副官は考えているのだろうか。だとしたらあの副官はなかなかに大物である。

 

 まるで千日手のような状況をただ大人しく眺めていれば、想像以上に早く、問題の瞬間は訪れた。

 ミダス王の接近戦にアーチャーが相対し、また多少の距離を取る。その瞬間は、敵が目前にいることもあってアーチャーの注意は前方に集中している。そこを狙わぬ二十八人の怪物(クラン・カラティン)ではない。

 

 最初の一発は、アーチャーの右腕を掠めた。

 これは意図してのことだろう。その気になればヘッドショットだって簡単な筈であるが、最大の敵であるとはいえここでアーチャーを仕留めてしまうと今度は黄金王の対処が難しくなる。なので、二十八人の怪物(クラン・カラティン)が行うべきはアーチャーの注意を逸らすことにある。

 

 運の悪いことにアーチャーの上半身に鎧はない。それでもアーチャーのクラススキル・対魔力はCであり、いかに対英霊仕様の銃弾であろうとそれ一発でのダメージは期待できるわけもない。

 一発、だけでは。

 

「あれが、例の宝具ですか」

 

 その様子をカメラ越しに見るファルデウスもこの光景にはさすがに圧倒された。撃ち続けられる銃弾はひょっとするとアーチャーに降り続ける雨よりも多い。マズルフラッシュで二十八人の怪物(クラン・カラティン)の位置はバレバレだが、アーチャーにそれを対処するだけの暇を与えはしない。

 

 現場の音声は切ってあるが、アーチャーの雄叫びがこちらにも届いてきそうな気迫である。

 先ほど目を通した報告書によると、5秒もあれば英霊といえど原型を留めぬ程の威力であったとか。その前にアーチャーは自らの宝物蔵から盾を取りだし、あの集中砲火を切り抜けた。

 ほんの一秒足らず。それが、二十八人の怪物(クラン・カラティン)がアーチャーにダメージを与え続けた時間であり、ミダス王に与えた時間の猶予だった。

 それだけあれば、ミダス王の準備は既に整っている。

 

 この期に及んで、双方見ているのは互いの姿のみ。英雄王ですら横槍を入れた二十八人の怪物(クラン・カラティン)を見向きもしない。尚も銃撃は続いているが、盾に遮られた以上アーチャーの意識を逸らすことすら敵わない。

 

 ここに甘い見込みがあったとすれば、ミダス王が援護をしてくれた二十八人の怪物(クラン・カラティン)に配慮する、という可能性だろう。

 銃撃は明らかにアーチャーだけを狙っていたし、その目的は明らか。大技を出すのではと予想していた者は現場部隊にだって何人もいたが、まさか命令を出した副官がそれを想定しておらず、ただ秘書官に唆されていただけなどとは夢にも思わない。

 

 だから、最初の被害は二十八人の怪物(クラン・カラティン)に出た。

 

 ミダス王の動きを追っていたカメラが次から次へとシグナルロストしていく。最もミダス王に近かった隊員のカメラは突如現れた巨大な影を前に何もできずに蹂躙され、それを最後に映像は途絶える。

 至近距離であればそれが何なのかすらも分からずとも、遠目から見ればそれは一目瞭然だった。

 

 神の呪いに苦しめられたミダス王はある方法により解呪することができた。川で身を清めることによって呪いを川へと移したのである。

 故に、今ミダス王が解き放ったのは神の呪いそのもの。

 ミダス王、最後にして最大の攻撃。

 

 それは、黄金に輝く津波だった。

 

 



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day.07-12 津波

 

 

「パクトロスの川を喚びましたか!」

 

 ファルデウスの叫びは半分正解で半分不正解である。

 黄金王ミダスは黄金呪詛(ミダス・タッチ)を解呪するためパクトロスの川へ入り、その呪いを川へと移し難を逃れた、と言われている。かの川が未だに黄金溢れる理由となった伝説でもある。

 

 しかし川に呪いを移したということは、逆に黄金呪詛(ミダス・タッチ)そのものが川へと変換されたという解釈もできる。ミダス王は川を喚んだのではなく、黄金呪詛(ミダス・タッチ)を川へと強制的に変換させ、アーチャーに押し寄せる津波としたのである。

 

 津波の高さは周囲の建物よりも尚高い。押し寄せる圧力に鉄筋の建物ですら紙屑のように耐えきれず崩れゆく。その威力に二十八人の怪物(クラン・カラティン)は一人また一人と為す術もなく津波に呑み込まれ消えてゆく。

 助かる見込みなど、あろう筈もない。

 

 どんな英雄であろうと自然現象に勝つことはできない。

 時にこの自然現象を指して『神』などと称される理由は、そうした無慈悲かつ平等で絶対的力故である。そうした意味では元々黄金化の呪いは制御不能であって当然の力であった。

 

 遠く眺めるファルデウスと直近で見上げるアーチャーも、考えることはこの時まったく同じであった。

 逃走。横幅も広く、横は勿論空へと逃げるだけの時間もない。

 防御。水を防ぐには全方位に展開できるシェルター型防御宝具が必要となる。ないこともないだろうが、あの浸食に特化した神罰に対抗しうる宝具がどれほどあるのか。

 

 ならば、残る手段は一つしか残されていない。

 いや、最初から分かっていたのだ。この大津波がミダス王の最後の一撃。終局の一手に対して興醒めするような真似ができよう筈がない。

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)からの集中砲撃によってアーチャーの身体は血だらけと成り果て、積もり積もったダメージは馬鹿にはできない。そんな状態にあっても、かの英雄王は一歩も引くことはしなかった。

 口内に溜まった血反吐を吐き出し、背筋を正し、怯むこともなく、視線を逸らすこともなく、迷うことすらなく、宝物蔵から歪な形の剣を取り出した。

 

 それは無名の剣だった。

 

 ファルデウスの目にその宝具に一体どういう効果がありどんな威力があるのかは分からない。しかし事前資料に英雄王が危険であると記された理由は二つ。一つがかの無限の財であるならば、もう一つがその剣に違いなかった。

 

 名剣、霊剣、魔剣、聖剣、ありとあらゆる剣を持ちながらも財の一つとして宝具にあるまじき仕打ちをしてきたアーチャーが、その剣にだけははっきりとした礼節を持って扱っている。

 対城宝具、聖剣エクスカリバーの威力は魔術協会の資料で閲覧したことがある。あの英雄王が真に世界中の宝具の原典を持ち得るのならば、聖剣の原典をも上回る威力の宝具だってあってしかるべきだ。

 

 あのプライドの高いアーチャーがこの場で無名の剣を出す可能性は低いと考えていた。伝説の聖剣で魚を捌く真似はしない。呪いの魔鎗を物干し竿に使う者はいない。

 無粋な力押しに対して果たしてどの程度までアーチャーが許容するのか、それはアーチャー本人にしか分かる筈もない。

 ファルデウスの予想に反して、それでもアーチャーは敢えてこの剣を選んでいた。

 この場に必要なのは対城宝具以上の威力を持つ広域殲滅宝具であるが、それ以上に必要なのはアーチャーからの信頼に応えられる宝具である。

 その宝具を、アーチャーは黄金の津波へと構えた。

 

 唸り狂う空間。遠くこの場にいても鳥肌が立つような魔力の渦。

 ふと、ファルデウスは世界が螺旋の渦であることを思い出す。ミクロならばDNAの二重螺旋、マクロならば恒星の公転軌道。そうした世界の原点を思い起こさせるあの宝具が一体何か、直感的に理解する。

 理解できてしまうものが、そこにあった。

 瞬間、

 

「総員、対ショック防――」

 

 ファルデウスの指示が最後まで言い終えることはなかった。

 陽は既に西へと落ち、主役の交代とばかりに現れ出る月も、厚い雨雲に隠れてどこにもない。

 だというのに、その光の奔流は真夏の太陽を思わせる強烈な圧を伴って、スノーフィールドの夜を文字通り切り裂いた。もし射線上に月があれば新たなクレーターすらできていたことだろう。

 厚い雨雲に大穴が空き、その隙間からヒヤリとさせられたと月が顔を覗かせていた。

 

 月が綺麗だ、などと風流なことは言っていられない。遅れてやってきた衝撃波はファルデウス達が乗っているワゴン車を数回転がす程度の威力はあった。

 ファルデウスがあと数瞬その威力に気がつくのが遅ければ、首の骨を折って間抜けな死に様を晒していた可能性もある。

 

「――状況、報告してください!」

「全員、無事です! 現在機材のチェック中!」

 

 ファルデウスが確認の声と同時に、後ろの席で情報収集を行っているスタッフが声を上げる。隣でハッキングの最中だった部下も無事であった。と、いうよりもファルデウス以外の全員が安全ベルトによる固定をしていたので一番危なかったのはファルデウス自身である。

 手元のノートパソコンはさすが軍用性というべきかなかなかの耐久力を示してくれている。だがモニターに映る大半のウィンドウはノイズを撒き散らすのみ。周囲一帯のカメラは先の衝撃で残らず破壊されたらしい。

 

「生き残った無人機はありますか?」

「航行中の無人機は全滅です! しかしたった今ドローン六機を飛び立たせた模様、現場の確認まであと十数秒!」

 

 さすがは署長が手塩に掛けて育てた二十八人の怪物(クラン・カラティン)、こうした状況での対応は早い。

 大気が安定しないが、視界を邪魔する雨はもうない。こんな状況下で低空しか飛べぬドローンはさぞかし目立つだろうが、今はそうもいっていられる状況でもない。

 ファルデウスも車内から街を見下ろし確認するが、そこに黄金の津波はどこにもなく、ただ無残な爪痕があちらこちらに見られるのみ。大気の唸りは未だに響き渡っているが、これ以上の破壊はないだろう。

 

「これで、死んでくれていれば対処は楽なんですけどねぇ」

 

 冷や汗をかきながら気丈にそんな感想を述べてみるが、ミダス王が生きている可能性はかなり高かった。

 アーチャーの一撃は津波を狙ったもので、射角は上に三〇度といったところ。津波に隠れミダス王の居場所を確認することなどできなかったし、仮にミダス王が射線上にいたとしても距離的に直撃を受けたは考えにくい。生身の人間ならともかく、英霊であるならあの衝撃を受けても大丈夫に違いない。

 

「アーチャー、確認できました!」

「そんなことより、ミダス王が先ですよ!」

 

 モニターを覗き見るファルデウスは上空より目を皿のようにして目的の人物を探してみる。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)本部からすると優先するのはやはりアーチャーなのか、どのドローンからの映像も真っ先にアーチャーの姿が捉えられている。

 

 満身創痍といった様子のアーチャー。しかし、その血塗れの身体は血化粧の如く美しく、その血のように紅い眸も相まって喩え歴戦の勇者、いや、場を弁えぬ不埒者ですら王を前に立ち塞がる真似はすまい。

 だがアーチャーも心身共に消耗しているのを自覚しているのか、これ以上戦う気もないとばかりに、背を向け立ち去ろうとする。

 

 アーチャーも分かっているのだろう。ミダス王はまだ死んでいない。

 その正体を暴かれた以上、アーチャーがミダス王を殺すことはない。生かされる方がよほどミダス王には辛いことなのだから。

 楽には殺さない。その言葉を、アーチャーは実践している。

 

「いました! 五番カメラ、右端にミダス王らしき影を確認!」

 

 部下の言葉にすぐさま五番カメラを拡大して目を凝らしてみれば、確かに黒く煤汚れた男が一人。現場の状況からしてミダス王に間違いないだろうが、この姿ではさすがに判別ができない。

 

「ノイズが酷い。何とかなりませんか」

「画質を調整します」

 

 大気の帯電が通信障害を招いているのか、画質の精度が大幅に落ちている。気流が安定せずカメラも常に揺られているので尚更判別が付きにくい。もっと近づき観察することができれば良いのだが、これではいくら可能性が高かろうと本人と断定することはできない。

 そんなファルデウスの心を読み取ったのか、その時一陣の風がその男の元で舞い踊った。

 

 もはや立つことが精一杯といった彼の足元に、紅い頭巾が風に舞い上がり、そしてそのまま地に落ちる。頭巾に守られていたおかげか、その頭部は汚れもせずこれ以上になくその存在感をアピールしていた。

 

「間違いありませんよ……ミダス王です」

 

 笑みすら浮かべて断定したファルデウスの台詞に、周囲の者は誰一人として言葉を上げることができなかった。黄金王の名を知らなかった部下も、その姿に目を丸くして納得する。それほど、かの王の特徴は有名であった。

 

 ミダス王には強力な呪いが二つ掛けられている。

 一つは、触れるもの全てを黄金に変えてしまう黄金呪詛(ミダス・タッチ)

 そしてもう一つ、その呪いの逸話はこんな言葉で有名である。

 

 曰く、――「王様の耳は、ロバの耳」

 

 



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day.07-13 ロバの竪琴聴き

 

 

 ミダス王が持つ第二の呪いロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)は、オリュンポス十二神の一柱アポロンによって耳がロバとなってしまう呪いである。

 ある時、そんなミダス王の秘密を知ってしまった理髪師は口止めされた苦しさのため地面に穴を掘り叫んでしまう。その後穴を掘った場所に群生した葦がその秘密を暴露する、という逸話である。

 

 つまりこの呪いは『秘密の暴露』という性質を帯びている。

 

 聖杯戦争においてこの呪いは致命的である。

 戦争において情報の秘匿は最優先事項だ。普通の戦争でそうなのだから、聖杯戦争では尚のこと。ロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)によって、この“偽りの聖杯戦争”に関する秘匿情報は全て世に流れることだろう。

 各陣営サーヴァントの正体、宝具、能力、パラメーターは勿論、作戦内容や秘匿事項、ありとあらゆる秘密は外部へと漏れ出てしまう。その歯止めは情報源たるミダス王自身にだってできやしない。

 

 一説には理髪師は涸れ井戸に叫んでしまったため町中の井戸からその秘密が漏れた、という記述もある。これを現代に置き換えてみると、どうなるか。

 

「クハ、クハハハ、クハハハハハハッ!」

 

 ジェスターは嗤いながら狂風の如き素早さをもってその施設を踏破していく。

 バーサーカーから奪った携帯端末には先ほどから凄まじい勢いで秘密の暴露が続いている。その中からこの施設の防壁解除パスコードを探しだし、手早く入力。ただの力任せで開かなかった隔壁を、かくも容易く突破してみせる。

 

 そう、全てはジェスターの目論見通り。

 聖杯戦争に限らず、幾多の生存戦略においてもっとも有効な方法は『群れる』ことだ。それは家族であり、村であり、國であり、社会であり、そして文明でもある。人類が生態ピラミッドの頂点に立っていられるの理由の一端は、少なくともそういうところにあるだろう。

 だからこそ、そこを突いた。

 

 ジェスターはこの聖杯戦争における主立った組織は四つあると睨んでいる。

 一つは二十八人の怪物(クラン・カラティン)とその背後にいる聖杯戦争を仕組んだ組織。

 一つはスノーフィールド原住民。

 一つはバーサーカー達のサーヴァント同盟。

 そして最後に東洋人を送り出した何者か。

 最後に限っていえば未だに不明な点が多いが、少なくともこれで他の三勢力の情報は流出したことになる。特に、この聖杯戦争を仕組んだ組織の情報はこれ以上になく貴重である。

 

「クハ、クハハハ、クハハハハハハッ!」

 

 嗤いがどうにも止まりそうになかった。

 スノーフィールドは周囲から隔絶された場所にあるにも関わらず、かなり大きな街だ。そのため街を維持するためのガスや水道は近場で何とかなったが、電力だけは自前で賄うことができずラスベガスからの供給に頼っている。

 その送電線をこのタイミングで遮断してしまえばどうなるか。混乱に拍車がかかるのは間違いない。

 

 非常用電源にはすぐに切り替わるが、対応は想定よりかなり遅い。それにこの基地には電力を馬鹿喰いする設備が数カ所あるようだ。おかげで自家発電に切り替わっても施設の警備網は後手に回っていた――後手に回らざるを得ない状況にまで陥っていた。

 

 この隙を、ジェスターは最大限に利用する。

 

 そのためにわざわざスノーフィールドを離れて砂漠の単独横断を行ったのだ。途中何者かに射殺されるアクシデントで時間を想定以上に浪費してしまったが、それに見合うだけの成果は得られている。

 

 周囲には二十八人の怪物(クラン・カラティン)と思われる武装した兵士が意識を手放した状態で横に転がっていた。

 別にジェスターが何かしたわけではない。これは強力な宝具による強制睡眠によるもの。使用された宝具は笛吹き男(ハーメルン)と呼ばれるレベル2の規制対象宝具、と漏れ出た情報に記載があった。

 これでこのスノーフィールド一帯にいる八〇万人を一斉に眠らせたようである。本来なら奥の手の一つだったであろうに、署長不在の二十八人の怪物(クラン・カラティン)では悪手と分かっていても使わざるを得なかったのだろう。

 おかげで鉄壁の守りである筈のこの基地が全てフリーパスで通れてしまう。

 

 スノーフィールド中央十四番地に存在する巨大地下施設。

 元々地下にあった大空洞を利用したシェルター構想から、この施設は核の直撃にも耐えられるよう設計されている。有事の際にはお題目通りに機能させることだろうが、この様子を見る限り、この施設の在り方は全くの逆であろう。

 中のモノを外から守るのではなく、中のモノを外へと出さぬ監獄施設。

 そしてここのの一番奥に封印されているものは間違いなく“偽りの聖杯”そのもの。

 

「クハハハ――おっと、さすがにこれだけ時間が経てば対処もするか」

 

 想定よりも早い対応にジェスターは更新の止まった端末を確認した。恐らくメインシステムを停止させたのだろう。これで流出は防げたのだろうが、すでに必要な情報は手に入れてしまっている。

 

 このロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)にも事前と事後において対処方法はある。

 事後の対処方法は大きくわけて二つ。情報の発信源をどうにかするか、情報の受信者をどうにかするか、である。情報口としてネットワークをダウンさせ、市民をすべて眠らせてしまえば、いかに強力な呪いであろうとその脅威は限定的にしか発動できない。

 そして事前の対処方法とは、そもそも暴露されるような秘密を口にしないというもの。秘密を秘密でなくすのはいつだって秘密保有者の迂闊さだ。一瞬たりとて気を抜くことなく、墓場まで秘する覚悟だけが、この呪いから逃れる方法なのである。ジェスターが仲間を欲しながらも、単独行動をし続けた理由がそこにあった。

 

「肝心の“偽りの聖杯”そのものの肝心な情報はほとんどない……ようであるな」

 

 ジェスターもロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)の効果を一〇〇パーセント推察できていたわけではない。どうやらこの呪いは効果範囲があるようである。恐らくはスノーフィールド内で暴露された秘密のみが対象となっている。

 

 偽りの聖杯もこうした理由によってその内情が暴露されないのだろう。つまり、内情を知っている筈の“上”とやらはこの地にはいない、ということになる。これは事前に市内にいる“上”の人間を襲って確認を取ってみたので最初から期待していなかったが、ここまで徹底しているとはある意味予想外である。

 

 それでも駄目元で情報を探せば、少しはある。

『偽りの聖杯。クラス・ビースト。奪われし神。終末の英雄。番外のサーヴァント。設定資料処分済。封印処理済。十番目の化身。崇められる者。奪還対象物』

 

「……これはどう判断していいのかわかぬなぁ」

 

 何しろ漏れ出る情報は形式の決まった資料などではない。単語の羅列など珍しくなく、情報を引き出すにも一苦労。そんな中で見つけたこれらの言葉は中二心をくすぐられるような珍しくない内容である。特に、途中にある「設定資料」というのがなんとも胡散臭い。ババ抜きをやってるのかジジ抜きをやっているのか分からなくなってくる。

 しかし、これ以上漏れ出た情報をあてにするのも難しいということだけは、よく分かった。

 

 予想以上に計画が上手くいったために、ジェスターの行動には幾分の余裕ができていた。

 タイミングのいいことに今現在二十八人の怪物(クラン・カラティン)の実働部隊はろくに動けぬ状態で、二十八人の怪物(クラン・カラティン)の指揮官もその失敗から更迭となり混乱に拍車をかけている。

 アーチャーに今動ける余裕はない。

 ランサーは二十八人の怪物(クラン・カラティン)が封印中。

 バーサーカーは動けぬようにしておいた。

 アサシンは東洋人と二人で街から遠ざかり不在。

 キャスターはジェスターの予想だと令呪によって眠らされている頃合い。

 未だ正体を掴めぬライダーも、ランサーとの戦いで消滅もしくは大幅に弱体化したかのような記述があちこちで見受けられている。こちらに手を出す余裕はないだろう。

 そして、この施設の場所を事前に知る者は少なく、仮に知っていたとしても近道がない以上、追いつくのにも時間がかかる。

 

 つまり、今この場で邪魔者が入る可能性は限りなくゼロに近いと判断していた。

 少なくとも、ジェスターを相手取れるほどの魔術師はもうスノーフィールドにはいない。死徒であるジェスターであれば、それこそ代行者クラスでもなければ相手にすらならないだろう。

 

 この場に来る可能性のある面々を、ジェスターはひとつひとつ潰していく。バーサーカーと同じ愚は犯さない。念には念を入れ、入り口には即興で結界を張っておいた。足止めなどは期待できないが、それでも感知するぐらいならできる。

 

「さて、そろそろ予習は終了して本番と行こうではないか」

 

 第十三隔壁を前に12桁のパスコードを入力していく。情報さえあれば掌紋、網膜を偽ることは容易い。機械相手に騙しても張り合いはないが、この厳重さからもこの中が一体どういった扱いをされているのかよく分かる。

 馬鹿でかい扉上部に設置されたセントリーガンをはじめとする自動警戒システムは、沈黙を守り続けている。主電源のみならず副電源にもジェスターは細工しておいたし、予備電源となりうる雷神の名を冠した宝具も念入りに処分しておいた。おかげで施設の電源は今や完全に落ち、非常電源が最低限の明かりを照らすのみ。

 

 そのためやるべきことはあと一つだけ。

 この分厚い扉を自力で開けるだけである。

 厚さは優に五〇センチ以上。重量は軽く数十トン。開閉用のモーターが動かなければその重量をもって侵入者を阻む絶対の壁となる。とても人の手で開けることなど不可能だが、あいにくとジェスターは人間ではなく死徒であり、それも一線級の魔術師である。

 

「ふんっ!」

 

 気合を入れる呼気をひとつ。地を抉るような踏み付けと血管を引き裂くような筋肉の盛り上がり。魔力が肉体を駆け巡り肉体の強化と断裂した筋繊維を即座に修復する。

 できることならこんな優雅さとは程遠い力任せなどしたくはなかったが、これが独り身の辛いところか。

 とはいえ、別に肉体労働を厭っているわけではない。ジェスターが厭ったのは別のこと。可能性をいくら潰そうとも皆無にはできないのだ。

 地に足を付け肉体を酷使し魔力を湯水のように用い集中力を要する。

 すなわち、今この瞬間こそが、無防備となるジェスターを討つ最大のチャンスなのである。

 

「――っ!」

 

 何とか子供一人が通れるくらいの幅ができたところで、ジェスターは振り返ることもせずに真横に大きく跳んでみせた。そのまま二転三転移動し、天井まで一〇メートルはある高さを一息で跳び上がる。手に吸盤を付けたかのように、そのまま壁に張り付いて地面に落ちることはない。

 これらの挙動を一瞬のうちにやってのけたジェスターではあるが、その全身は黒く焼け焦げ、盾に使った右腕は代償として炭化し崩れ落ちた。

 荒い呼吸のままにジェスターは全神経を集中させ現状を見極める。

 周辺への警戒は怠っていなかっただけに、対処が遅れるほど高速の攻撃が来るなど、

 

「これは――予想外」

 

 ジェスターの呟きに応えるように、眼前に避け様もない次撃が迫っていた。

 

 



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day.07-14 聖櫃

 

 

 一分。

 それが圧倒的火力を前に、ジェスターが耐え切れた時間だった。

 

 最初の奇襲で右腕をなくさねばまだ善戦できたのだろうが、手数はそれほどでもないのに一撃の範囲と威力が通常では考えられぬほど広く強い。反撃をしようにも、そんな隙はどこにもありはしなかった。

 

 どさり、とジェスターがチタン合金の床に落ちる頃には、もはや人相すら分からぬほど全身黒焦げと化していた。焼死体同然の有様ではあるが、あの猛攻を一分間も喰らい続けて原型を保てているのは、もうそれだけで偉業である。

 とはいえ、この消し炭同然の身体はもう限界値をとっくにオーバーしている。防御に費やす魔力は追いつかず、両足は吹き飛ばされて逃げることもできない。再生をしようにも馴染むまでの時間すらなく、ピンクに盛り上がる肉は度重なる攻撃に、あっという間に炭と化す。

 いかに死徒といえども、得手もあれば苦手もある。そしてこの敵は後者であった。

 

 幸いにも床に落ちた段階でこれ以上の攻撃はなかった。オーバーキルも同然の状態にあってはそれも当然だが、ジェスター相手にこの攻撃程度ではまだ生ぬるい。

 まだ何とか動く左手で、もはや黒ずんで何が何やらわからぬ胸に指を突っ込む。ここまで派手にやられた以上、いくら蘇生ができるとしても、完全復活までは数十秒はかかる。ジャムらないことだけを祈りつつ、概念核をゆっくりと入れ替えた。

 

 まずい、とジェスターは危機感を募らせる。

 この期に及んでこの状況で奇襲を仕掛け、なおかつ自分と互角に戦える存在など想定していなかった。最初の一撃で力量は把握したが、小細工を弄さねば勝てぬのは明らか。まともにぶつかれば敗北は必至。逃げることさえ覚束ないだろう。

 概念核はジャムることなくセットできたが、まだ起動はさせていない。というのも、未だもって襲撃者の視線はジェスターに注がれたままだからである。

 

「下手な芝居はよしなさい、ジェスター・カルトゥーレ。あなたの気配はまるで死ぬ様子がない」

 

 その一言に、ジェスターは襲撃者がこちらの手の内を知っていることを悟った。ハッタリかもしれないが、ここで無視するにはあまりに危険すぎる。これ以上の攻撃を喰らえば、概念核ごと塵とされかねない。そうなれば復活どころの話ではなくなる。

 内心舌打ちしながら、ジェスターは何とか燃やされず残った片目で、襲撃者を射抜いて見せる。

 

「これはこれは……原住民の族長自らが私のような小物退治とは、お忙しそうですなぁ、ティーネ・チェルク」

 

 ジェスターを前に、ティーネは襲撃時からただ一歩だって動いていない。優位な位置取りであることは確かだが、そも動く必要がないほどに彼女はジェスターを圧倒していた。腕を組んで睨み付ける双眸は、どこか彼女のサーヴァントを彷彿とさせる。

 

 こうなってしまった以上隠す必要もないと、ジェスターは概念核をこれ見よがしに起動させる。焼け焦げた肌は見る間に崩れ落ち、その下からは肉ではなく直接肌が蘇る。燃やされた右手と両足も時間が逆行したかのように生え揃い、ものの十数秒ですっかり別人へと生まれ変わったジェスターがそこにいた。

 その間ティーネは何をするでもなく、ジェスターの復活を見続けていた。復活途中のジェスターは無防備そのものだが、それを敢えてティーネは無視している。

 

 これで五回目の死亡。つまりこれが最後の概念核となるわけだが、最後であるだけにこの概念核は過去五体のものより数段上の能力を持っている。それが分からぬティーネとも思えないだけに、ジェスターは復活した後も迂闊に動くことができずにいた。

 

「さて、最初に聞いておきたいのだが、族長様は何故私がここにいることを知っているのかな?」

 

 ジェスターは常に単独行動だ。ジェスターの死徒としての能力やその目的がロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)によって漏れ出ているわけがない。二十八人の怪物(クラン・カラティン)に怪しまれていたことは確かだが、決定的な証拠はない。

 唯一心当たりがあると言えば――

 

「途中、親切な御仁がいましてね。今ジェスターが“偽りの聖杯”を盗りに向かっていると忠告してくださいました。ついでにあなたが蘇生できることも。とどめを刺さなかったのは失敗だったようですね?」

「それは……返す言葉もないですなぁ」

 

 つまらぬミスをしたとジェスターは舌打ちする。

 丸一日は意識が戻らぬ程度に痛めつけたと思ったが、想像以上に早くに目が覚めてしまったらしい。今後のことを考え消滅させるわけにもいかなかったが、少なくとも迂闊な発言をするべきではなかったようだ。

 

「だとしてもどうしてこの場所が分かった?」

 

 ここは二十八人の怪物(クラン・カラティン)内部でも特に機密レベルの高い場所であり、そもそも情報の数が極端に少ないのだ。いくら情報がダダ漏れしていようとも、あの情報の海から必要な情報だけを抜き出し、入口を見つけるだけでも相当な時間がかかる。

 予め準備していたジェスターでさえ、それなりの苦労をしてここへと辿り着いている。まして、こうした情報処理に疎そうなティーネであれば尚更だろう。バーサーカーだって把握しているとは思えない。

 

「何やら周囲が騒がしいようですが、私はそれに感知していません。“偽りの聖杯”がどこにあるのかは事前に知っていましたからね。この施設の入り口も知りませんから――まぁ、子供らしい発想でここに来ただけです」

 

 ティーネはジェスターに笑いかけるが、その笑みにジェスターは年相応の可愛らしさを見いだすことはできなかった。ティーネの周囲には彼女の命令を今か今かと待っている莫大な魔力が渦巻いている。

 以前から機械的に動く少女ではあったが、どうしてだろう、今のティーネはそれに輪をかけて作り物めいていた。まるで何かに操られている――いや、何か吹っ切れたかのよう。

 目的に邁進し、そのために全てを捨てている。

 

「子供らしい、とは?」

「穴を掘った、ただそれだけです」

 

 その言葉だけで、ジェスターはティーネに反抗することをすっぱりと諦めた。

 かつて長い年月でエジプトのピラミッドは入り口が砂に埋もれてしまっていた。そのため、内部へ侵入するのに外壁の爆破が試みられたことがある。結局ピラミッド外壁の厚さに諦めざるを得なかったわけだが、ティーネはそれと同じ行動を取り、そして見事内部に到達する偉業を成し遂げていた。

 

「出鱈目過ぎる」

「否定はしません」

 

 確かにこの地下施設の正確な場所さえ知っていれば可能なことではある。だが乱暴この上ないし、ここの深度は数十メートルはある。力まかせにしたって限度があるだろう。それを単独かつ短時間で行うなど、非常識を通り越して不可能だ。

 以前にヒュドラ退治の現場見かけた時のティーネの未熟な顔をジェスターは思い出す。その顔つきこそ変化はないが、醸し出す雰囲気はまるで違っていた。

 

 アーチャーが彼女を見限ったことで何かがあったのだろうか。

 確か情報ではこの数日の間にヒュドラの毒で寝込んだとも、ライダーと戦ったともある。不可解な状況にどちらかはディスインフォメーションの可能性が高かった。

 分析するには不明瞭だし時間もないが、何かがきっかけで彼女は羽化してしまったのは間違いない。

 いや、それだけというわけではないか。

 

 ジェスターはティーネを――ティーネの周囲の空間を見やる。空間が歪んで見えるほどの魔力が、そこにある。まるで魔力そのものを纏っているかのような印象であるが、あれはティーネ自身から溢れ出た一部に過ぎない。ざっと計算するに、彼女の総魔力量は上位の神霊クラスにだって引けを取るまい。それこそ、アーチャーにだって対抗することができよう。

 

「クハハハハッ……」

 

 額に汗を流しながら、ジェスターは小声で笑う。

 先に調べておいたことが役に立った。あの単語の羅列の中にあった「奪われし神。崇められる者。奪還対象物」という言葉の意味が繋がった。

 

「――これで、合点がいった。スノーフィールドの民が、この地を取り戻したがっている真の理由が」

 

 ジェスターの言葉に、ティーネは反論しなかった。

 ティーネ達スノーフィールドの原住民はこの地の霊脈を利用した魔術を使用する、といわれているが、それは半分だけ正解であろう。地域限定の魔術など珍しくもない、とろくに調査もせずにいたが、これはもっと調査するべきであったかも知れない。

 

「君達原住民は、この土地を取り戻そうとしているのではなく、“偽りの聖杯”そのものを取り戻そうとしていたわけか」

 

 彼らにとって“偽りの聖杯”は祀るべき神そのもの。同じ一族にしては血筋の異なる者が多いと思っていたが、それは当然だ。彼らは同じ神を崇める信徒を指して“一族”と呼んでいるにすぎない。ユダヤ教徒を指してユダヤ人と言っているのと同じ考え方であろう。

 

「そう、だからこそ我々はずっとこの場所を探してました。助かりましたよ、大まかな場所が分かったとしても、あなたがいなければ私はここのセキュリティに阻まれて辿り着けなかったでしょうから」

 

 この地を侵されて約七〇年。政府によって巧みに原住民達は謀られ、祀っていた筈の神は祭壇ごと動かされていた。彼らがその事態に気付いたときには、もう既に手遅れだったのである。

 

「では、ティーネ・チェルク。君はこの中に一体どんな神が祀られているのか知っているのかね?」

「いいえ。詳細については我々も知りません。ただ――」

 

 ジェスターの言葉を否定しながらも、彼女は己の手を見やった。その手に溢れる魔力は未だ持って上限を持たず、溢れ出しながらもティーネという器を壊すこともない。それだけで、それ以上彼女が何も言わずとも言わんとしていることは理解できた。

 族長の立場が“選ばれた”者であることは既に調査済みである。漠然とスノーフィールドの地に最も相性が良い者として選ばれたと解釈していたが、そうではなかった。この“偽りの聖杯”を目の前にすれば、何によって選ばれたのかは明白であろう。

 

 彼らはただの信徒ではなく、眷属だ。族長は指導者であり、司祭であり、巫女であり、時に生け贄となるべき依り代なのであろう。

 聖杯戦争が勃発するほど活性化した現在であれば、“偽りの聖杯”に近付けば近付くほど彼女が受け取る力は際限なく増大していく。ここまで“偽りの聖杯”に近付けば戦闘経験に秀でたサーヴァントであっても、彼女を突破することはできないだろう。少なくとも、ジェスターにこれを突破できる自信はない。

 

 七〇年間、原住民はこの機会を狙っていた。聖杯戦争についても十数年前から調べていると聞く。だとすれば調査開始後に生まれた彼女がただ偶然に選ばれたわけがない。“偽りの聖杯”に愛される要素を数多に埋め込まれ、怨念にも似た祝福に抱かれながら、本人にも自覚のないまま用意された原住民の最終兵器。

 

「感謝しますよ、ジェスター・カルトゥーレ。あなたのおかげで、私は無用な殺しをせずに済みました」

 

 そして、ティーネはジェスターに背を向け、分厚い扉の向こうへと歩を進めていった。明かりがないためわかりにくいが、あの扉の向こうは馬鹿でかい空間だ。その中央に安置されているのが“偽りの聖杯”なのだろう。

 これで、この偽りの聖杯戦争は終了する。

 

 ジェスターは早い段階からこの“偽りの聖杯戦争”を怪しみ、この“偽りの聖杯”を探していた。ここに来たのもどちらかというと調査をするためだ。“偽りの聖杯”が何なのかを確認し、あわよくば確保していくことで全体をコントロールする腹づもりだった。

 しかし、ジェスターと違いティーネは“偽りの聖杯”どころか原住民の神が具体的に何なのかすらもろくな知識を持っていない。それでありながら、ティーネに埋め込まれた数々の因子は何をするでもなく、ティーネの思い通りに“偽りの聖杯”をコントロールしてみせるだろう。

 

 彼女が願うのは戦争の終焉と神の眠り。

 “偽りの聖杯”をただの墓石へと貶め、この地を元の自然な形のスノーフィールドへと戻していく。願いが叶わぬと知れば各陣営が争う必要もない。そして魔力源を失ったサーヴァントはそう遠くないうちに勝手に消滅していくことだろう。

 

「ちっ、つまらぬなぁ」

 

 ティーネの姿が完全に見えなくなって、ジェスターは耐えきれぬように愚痴をこぼしてしまった。

 つい数分前にあったこの胸の昂ぶりは一体どこに行ってしまったのか。目前のオモチャを没収された幼い頃を思い出す。それに似た悔しさと憤りは確かにあるが、それを上回る敗北感はどうしようもない。

 こうして殺されず見逃された時点でティーネがジェスターを眼中に入れていないのかよく分かる。もしくは、こうしてこの場の露払いしてくれたお礼のつもりなのかも知れない。

 

 ティーネを止めるための戦闘は無意味だ。ならば言葉で、と思いバーサーカーから奪った携帯端末を拾い上げる。

 ジェスター自身は全身ズタボロと化したが、攻撃に巻き込まれ壊れぬようさりげなくティーネの死角に落としておいた携帯端末は、あの攻撃の飛び火を受けることもなく無傷である。

 

 無駄と思いつつも漏れ出た情報を閲覧する。情報は莫大であり、重複したものも多く、暗号化されているものも多い。索引性など期待することもできず、唯一電子端末の利点は検索は可能ということだけだ。

 

 では一体、何と検索すれば良い?

 ティーネ・チェルク、偽りの聖杯、スノーフィールド、神、などと検索を入れても出てくる情報はろくなモノがない。もっとピンポイントの単語でなければ期待できる情報は出てこないだろう。

 

「聖杯……聖遺物……不朽体……?」

 

 ダメ元で連想ゲームの如く列挙してみるが、そこでふとジェスターの頭の中を過ぎったモノがある。

 ジェスターは死徒だ。まさしく夜の眷属であり、そのために明かりのない場所であっても問題なくその視界は全てをさらけ出す。当然、扉を開けた時にジェスターはその“偽りの聖杯”そのものを見ていた。

 

 その形は巨大な直方体。一目で分かる複雑かつ緻密な回路がその全体を覆っていたそれは、一見箱のようにも見える。たが、死徒という吸血種たるジェスターにそれはまるで寝所にしか見えなかった。

 吸血鬼の寝所と言えば、一つしかない。

 それは奇しくも繰丘椿が夢の中で“偽りの聖杯”に抱いた感想と同じだった。

 聖杯と同様の魔力を秘めるだけの――棺桶。

 

「まさか……聖櫃(アーク)?」

 

 我ながら現実味のない言葉に震えが来る。

 ピラミッドなどの墓所であるならともかく、こんな巨大な聖櫃(アーク)など見たこともなければ聞いたこともない。それが本当なら、中で眠っている不朽体の正体は一体何だというのか。

 それでもおそるおそる検索をかけてみれば、ヒットした項目は数件ながら確かにあった。そのいずれも重要機密の判が押された二十八人の怪物(クラン・カラティン)――いや、その“上”の資料である。

 

 資料の内容に肝心の中身についての記述はないが、いくつかの資料を総合して考えるにその内容はジェスターの予想通り。原住民との関連性もある程度書かれているが、それと同時に物騒な言葉の羅列が所々に並んでいる。敵性勢力の接触項目の最終段階には「自爆決議」や「戦術核の使用」といった殲滅手段が大真面目に講じられていた。

 これが本当であるならば、ジェスター含めこのスノーフィールドの街はもうすぐ核の炎で灼き尽くされることとなる。大抵のことは経験してきたジェスターといえど、そんな経験はさすがにない。

 

「……いや、」

 

 笑ってしまうような自分の言葉に、ジェスターもおかしな点に気付く。

 周囲の状況を見回してみる。屈強な警備兵に、侵入者を返り討ちにせんとばかりの銃火器の設置、そして何重にもかけられた物理的・魔術的結界の数々。ここに比べれば繰丘邸や原住民の要塞だって見劣りしてしまう。そのせいで情報の内容を真に受けてしまいそうになっていた。

 

「この程度のセキュリティで核攻撃などする筈もない……!」

 

 慌てるジェスターも当然だった。

 いくらここが秘密施設で厳重な要塞であるとはいえ、先ほどの黄金王ミダスの能力にあるような無差別かつ広範囲に影響を及ぼすような宝具があれば、あっさりとこの要塞は崩れゆくことだろう。対人ならともかく、対軍、対城宝具が飛び交いかねない状況でそうした想定をしていない筈がない。

 

 このスノーフィールドを消し飛ばすほどの重要性があるなら、もっと他に幾つも対策を施している筈だ。資料を次から次へと流し読み、そして程なく、ジェスターは目的の書類を探し当てた。

 

 “偽りの聖杯”、その接触が禁忌であるならば、それに対する対処策は障害となる警備が眠り、施設の電源が根こそぎ落ちた今であっても、今尚稼働し続けていることになる。この場を守る仕掛けはこの分厚い扉が最後などではない。

 

「宝具開発コード《ノア》……?」

 

 添付された書類に記されたのは、キャスターが念入りに昇華し最高傑作と呼んだ特殊宝具の一つ。

 数ある防御宝具において最硬を誇る強度と何者にも拒めぬ絶対不可侵領域――

 ジェスターがその先を読もうとしたとき、奥へと一人進んでいったティーネの声が周囲に響き渡った。

 それはジェスターが予想していた神へと捧げる歌などではない。

 

 苦痛に喚くだけの、ただの叫びだった。

 

 



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day.07-ステータス更新

 

 

day.07-01 粛清

 

 夢世界より現実世界へとティーネは帰還していた。相談役を呼んで眠っている間の報告を聞いたティーネは、彼らを危険因子とみなして粛清をする。残った相談役に全てを任せ、ティーネは思いを胸に単身要塞の外へと出向いていった。

 

 

day.07-02 裏切りの理由

 

 もはや何年前かもわからぬ過去の出来事を署長は思い返していた。助けが来る可能性は低く、むしろ殺される可能性が高いと判じた署長は覚悟を決める。その前段階としてキャスターと話をする署長であるが、東洋人の存在を知らされ自ら進んで裏切ることを決める。

 

 

day.07-03 遊び

 

 砂漠地帯で別任務についていたファルデウスの元に署長が裏切ったと連絡が入る。同時に新たな任務として二十八人の怪物(クラン・カラティン)を率いるよう命じられる。直属の部隊を率い、ファルデウスはスノーフィールドへと乗り込んでいく。

 

 

day.07-04 騎乗のクラス

 

 スノーフィールド郊外にある廃工場で繰丘椿は身体を動かしていた。マスターに騎乗することでライダーは生き残り、その調子を確かめているのである。そんな椿とライダーの元へ見舞うフラットは嘘を告げる。

 

 

day.07-05 定石

 

 雨が降りしきる中、アーチャーはスノーフィールドで最も高いビルから東洋人の姿を見つける。スノーフィールドの異常に気付いていたアーチャーは手がかりを求めるべく東洋人を生け捕りに動く。

 

 

day.07-06 囮

 

 アサシンの奇襲をからくも回避するアーチャーであるが、アサシンはその場に居続けなおも命を狙ってくる。状況からこれが罠と見抜くアーチャーはアサシンを手加減しつつ撤退させ、まだ見ぬ背後の敵からの挑戦に応じるべく狩りを開始する。

 

 

day.07-07 対アーチャー作戦

 

 アーチャーを誘導しようとするアサシンと東洋人を助けるべく、バーサーカーは街中を走るが、その最中ジェスターの奇襲を受けてしまう。為す術もなく倒れ伏すバーサーカーに、ジェスターは東洋人の令呪について講釈を垂れる。そしてこの状況を打破すべく、ある英霊を召喚するよう要請する。

 

 

day.07-08 征服王イスカンダル

 

 アサシンと東洋人を追い詰めるアーチャーであるが、その前に一体の英霊が召喚される。逃げるアサシンと東洋人であるが、その英霊の宝具が神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)であることから、アーチャーは追撃を諦め対峙することを決める。

 

 

day.07-09 黄金王

 

 英雄王と黄金王の激突を遠くからキャスターと署長は観察していた。これから起こり得る事態を鑑み、二人は即座に作戦を中止し逃げる算段をする。そしてキャスターを逃がすために署長は最後の令呪を使うことを決める。

 

 

day.07-10 甘言

 

 英雄王と黄金王の激突を二十八人の怪物(クラン・カラティン)も注視していた。クーデターを画策していた秘書官はこれを機に座視して動かぬ現指揮官に甘言を仄めかす。そして二十八人の怪物(クラン・カラティン)は英雄王を仕留めるべく動き始める。

 

 

day.07-11 黄金呪詛

 

 同じく英雄王と黄金王の激突を観戦しながら、ファルデウスは部下に二十八人の怪物(クラン・カラティン)本部へのハッキングをさせていた。二十八人の怪物(クラン・カラティン)の横槍をきっかけに、黄金王は回避不能の大技を放ってみせた。

 

 

day.07-12 津波

 

 召喚したパクトロスの川にアーチャーは乖離剣の一撃で迎え撃つ。が、直撃を受けず生き残った黄金王へとどめを刺すことはせずに立ち去っていく。そして、黄金王第二の呪いが発動した。

 

 

day.07-13 ロバの竪琴聴き

 

 スノーフィールドを襲う秘密暴露の呪いロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)。大混乱に陥る中、それを仕掛けたジェスターは単身“偽りの聖杯”のある施設を強襲する。その思惑通り難なく“偽りの聖杯”の元へ辿り着くが最後の扉を開ける最中、ジェスターを攻撃する者がいた。

 

 

day.07-14 聖櫃

 

 五度目の死を迎えたジェスターは、ティーネ・チェルクと相対する。ティーネの異常な魔力に降伏するジェスターだが、同時に原住民の目的と“偽りの聖杯”の正体に辿り着く。“偽りの聖杯”を確保しに向かうティーネであるが、その後に響き渡ったのは彼女の叫びだった。

 

 

-------------------------------------------------------------------------------

 

 ステータスが更新されました。

 

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 ◆サーヴァント

   『アーチャー』

     所属:???

     状態:――

     宝具:王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)

        天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)

 

   『ランサー』

     所属:――

     状態:強制現界の呪い、封印

     宝具:天の創造(ガイア・オブ・アルル)

        天命渦巻く混沌の海(ムアリダート・ギムリシュン)

 

   『ライダー』

     所属:――

     状態:感染拡大(大)

     宝具:感染接続(オール・フォー・ワン)

     令呪の命令:「繰丘椿が構築している夢世界の消失」

           「人間を傷つけてはならない」

           「認識の(一部)共有化」

     備考:寄生(繰丘椿)

 

   『キャスター』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:強制現界の呪い、強制睡眠中

     宝具:我が銃は誰にも当たらず(オール・フィクション)

     令呪の命令:強制睡眠

 

   『アサシン』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:強制現界の呪い

     宝具:回想回廊、構想神殿、追想偽典、石ころ帽子

 

   『バーサーカー』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:強制現界の呪い、四肢封印(重力系捕縛陣)

     宝具:???

 

   『宮本武蔵』

     所属:――

     状態:消滅

     宝具:二天一流

 

   『ヒュドラ』

     所属:――

     状態:消滅

     備考:毒

 

   『エルアライラー』

     所属:――

     状態:消滅

 

   『黄金王ミダス』

     所属:――

     状態:消滅

     宝具:神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)

        酒酔いの薔薇園(シレーニノス・ガーデン)

     備考:黄金呪詛(ミダス・タッチ)

        ロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)

 

   『正体不明のサーヴァント』×2

     所属:――

     状態:消滅

 

 

 ◆マスター

   『ティーネ・チェルク』

     所属:夢世界同盟

     状態:感染、魔力供給(特)、体力消耗(中)、???

     令呪:残り3

 

   『銀狼』

     所属:夢世界同盟

     状態:感染、???

     令呪:残り1

 

   『繰丘椿』

     所属:夢世界同盟

     状態:覚醒

     令呪:残り0

 

   『署長』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:――

     令呪:残り0

     宝具:夢枕回廊(ロセイ)(封印)

 

   『ジェスター・カルトゥーレ』

     所属:――

     状態:死亡×5

     令呪:残り0

 

   『フラット・エスカルドス』

     所属:夢世界同盟、???

     状態:感染、魔力消耗(特)

     令呪:残り3

 

 



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day.08-01 裏技

 

 

 宝具笛吹き男(ハーメルン)は、かつて1284年6月にハーメルンの街で起きた子供の集団誘拐の逸話に出てきた笛を発掘し昇華させた宝具である。

 鼠や子供といった一定の対象物を無差別に惹き付けるこの宝具をキャスターはひたすら強化し、狙った対象を自由自在に操る宝具へと仕立て上げた。

 

 当初の予定ではこれを用いて即席の人形兵団(マリオネット・イェーガー)を用意し、いざというときの予備兵力とする手筈であった。しかし今回はそうした予備計画を破棄し、細かい操作を犠牲にしてスノーフィールド市民八〇万人を強制的に眠らせるだけに急遽使用されることとなった。

 

 この無茶苦茶な規模の宝具使用により二十八人の怪物(クラン・カラティン)が事前に貯蔵していた魔力は完全に底を突き、二十八人の怪物(クラン・カラティン)部隊も半壊、電力の供給がストップされたことで市内各所のカメラもその大半が機能停止となった。

 ミダス王もつい先ほど魔力切れから消滅し、アーチャーも光る黄金の船でどこかに飛び去っていった。

 つまり、今市内で何があったとしても、誰にも気付かれることはなかった。

 

 遠慮のない銃声が市街地に響き渡る。

 もはや何発放たれたのかバーサーカーは数えるのを止めている。追っ手が一人や二人であればそれもまた有効な情報なのだろうが、こうもあからさまに組織だって追い立てられると装弾の隙を突くことも不可能だ。

 

 ジェスターに殴られ目覚めてから、バーサーカーは息つく暇もなく逃走を繰り返している。

 四肢に突き刺さったままの杭は相変わらずバーサーカーの動きを阻害し、抜き取る暇も余裕もない。頼りの保険もティーネ・チェルクに情報を伝えるのに使ってしまった。キャスターから貰った携帯端末もジェスターに奪われたようで、助けを呼ぶこともできやしない。

 逃げ足が自慢の殺人鬼だというのに、殺すどころか逃げることすら覚束ない。まったく情けない限りである。

 激痛と疲労に自然と顎が上がり、目映い星明かりがバーサーカーの視界に映る。アーチャーの一撃により雨雲が消し飛ばされたことが唯一の救いだが、それだけで突破できる状況とも思えなかった。

 

 相手が一体何者かすらバーサーカーは分からなかった。継続的に笛吹き男(ハーメルン)による強制催眠の魔力波が放たれているが、追撃者達がそれを意識しているようには思えない。魔術師ならば己の魔術回路を少し起動させるだけで抗うことは簡単だが、この追撃者達はわざわざ対魔呪符を用いて魔力波に抗っている。

 装備こそ魔道に則った物であるが、それを操る兵士は間違いなく魔道を解さぬ一般兵。今までスノーフィールドのあちこちを調べて回ったバーサーカーではあるが、こんなちぐはぐな組織など初めてである。

 笛吹き男(ハーメルン)に対抗する手段を準備しているところからキャスター陣営の情報を正確に掴んでいる部隊なのは間違いない。となると、これがキャスターや署長が言っていた“上”の運営直轄部隊というやつか。

 

「どうやら表舞台に出すことには成功したようだな」

 

 これを逆にチャンスと捉えてしまうのはバーサーカーの悪い癖なのかもしれない。どの陣営も今夜は消耗しきっているし、ロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)による情報漏洩を精査するのに必死である。己の危機においてすら邪魔が入らぬことを、逆に好都合とすら思ってしまうバーサーカーである。

 

 相手が銃器である以上見通しのよい直線道路を避け、裏町を必死になって逃げ回る。が、頭の中で地図を広げればバーサーカーの行動が意図的に誘導されているのは間違いなかった。

 途中何とか敵を欺こうと策を練ってはみたが、敵はツーマンセルで一定距離を保ち連携を崩す様子はない。壁を壊したり登ったりとルート外への逃走も試みたが、その度に予め配備されていたとばかりに立ち塞がる敵兵がそれを許さない。

 

 ならば、選択肢はもう一つしかなかった。

 バーサーカーの体力・魔力共に疲労の蓄積は無視できなかったが、まだ限界ではない。バーサーカーの今の戦闘能力では敵勢力を強引に鎮圧できぬ以上、手のひらで遊ばれている様を装いながら、相手の虚を突くより他はない。

 フラットのために意味のある死ならここで死ぬのも悪くないが、進んで死ぬ真似はしたくない。

 

 ここに至ってもバーサーカーは勝算を持っていた。

 この異常な練度を誇る兵であれば、無理に誘導などしなくともバーサーカーを仕留めることは不可能ではない。最終的に敵が何らかの交渉を仕掛けてくるのは間違いない。

 ……その、筈だった。

 

「お目にかかれて光栄の至りです。稀代の殺人鬼、ジャック・ザ・リッパー」

 

 そう言って、誘導された場所で待ち構えていた男はバーサーカーへ対サーヴァント用の弾丸を容赦なく撃ち込んできた。

 相手を威圧するべく堂々とこの場へ現れたことが災いした。映画でよく見るこうしたシーンでは奇策を用いて避けたり防いだりということをするものだが、あいにくとこの場はフィクションじみてはいるが、現実であった。

 

 問答無用で打ち込まれた弾丸にバーサーカーは為す術もなく倒れ伏す。バーサーカーの計算は根本から誤っていた。

 交渉など、敵は最初からするつもりなどなかった。敵はただ、バーサーカーを相手に力尽くで攻めるより、こうして交渉の可能性を匂わせた方が効率的だと判断したに過ぎなかった。

 

 バーサーカーは生きていた。だがそれは即死を免れているだけで、致命傷には違いない。もっとも、サーヴァントの致命傷と人間との致命傷では、その意味は大きく異なる。

 

「……何故、一思いに殺さないのかね?」

 

 呻くように、疑問を吐き出す。

 これまで何度となくフラットにも言ったことがあるが、瀕死のサーヴァントこそ近付くべきではない。できる限り遠くからただ力尽きるの待つべきであり、その場に留まり殺す手段があるなら、速やかに首を刎ねるのが正しい在り方だ。

 まだ可能性がある――などとは思えなかった。敵の首魁たるその男は、油断なく更に銃弾をバーサーカーに放ち続けてきたからだ。

 

「安心してください。ちゃんと殺します。耳を傾けるつもりはありませんし、助けるつもりなども当然ありません」

 

 そうして、再度銃弾がバーサーカーへと撃ち込まれる。

 

「今、何発ですか?」

「右手五発、左手二発、左足二発、右足二発、胴に三発、計十四発です」

「そうですか」

 

 部下の報告にそっけなく答えて引き金を二度引いた。既に動けぬバーサーカーの両足にそれぞれ一発ずつ撃ち込まれる。

 これは、ただの実験だった。

 元々ヴァチカンで対死徒用にチューニングされていた弾丸が、一体どれだけサーヴァントに通用するのかを確認するための実験。そのための素材として、男にとってバーサーカーは丁度良いモルモットであった。

 

「クラス・バーサーカー。真名はジャック・ザ・リッパー。対魔スキルはなし。宝具は暗黒霧都(ザ・ミスト)――」

 

 手持ちの端末から漏れ出たであろう情報を次から次へと読み上げてみせる男。そしてその話が宝具へと移った段階で、バーサーカーは男の言葉通りに全力でその宝具を展開してみせた。

 

 宝具、暗黒霧都(ザ・ミスト)

 

 バーサーカーがかつて暗躍していた時代、産業革命により大量排出された石炭の煤煙がロンドンに大災害を引き起こしていた。この宝具はその『死の霧』を再現する宝具であり、一度結界内に閉じ込められれば脱出は難しく、それでいて着実にダメージを与え続ける代物である。

 だが、バーサーカーはこの宝具をこれまで何度となく使用してきたが、こうした本来の使い方をしたことはない。そしてこれに関してはマスターであるフラットやキャスターにも話していないのでその秘密が漏れ出ていることはない。

 

 ここには雨も風もない。

 敵は周囲を囲んでいる。

 我が宝具の餌食となる条件は整った。

 即座に首を刎ねなかった事を後悔させてやるとしよう。

 

「ではご覧に入れようではないか、我が宝具を――」

「必要ありません。もう、観察は終わっています」

 

 そんなバーサーカーの最後の抵抗を、男はばっさり斬り捨てる。

 バーサーカーから立ち上る漆黒に、男は焦ることもなく余裕を持って背後にある車の後部扉を開け放つ。そこに用意されたそれは神秘や奇跡ではなく、どこにでもあるような現代技術の塊に過ぎぬモノ。

 それはただの、業務用の巨大送風機。

 

「気付かれていないとでも思っていたのですか? 宙に飛散し周囲を取り囲む結界型宝具。最小限度で発動すれば微弱な反応に使用者以外にはそこいらの土埃と見分けは付かない――そういえば、空間を削り取る能力者を相手に砂使いの能力者が立ち向かうという話を聞いたことがありましたね」

 

 あれを参考にでもしましたか、と男の嘲笑にバーサーカーは告げる口を持たなかった。

 本来、この宝具は全力展開させることで周囲一帯の敵を捕獲し、弱体化させる効果がある。しかしそれでは目立ってしまうし、展開するまでに時間もかかる。

 そのためバーサーカーが考え出した運用方法がこれだ。バーサーカーはこの宝具を最小限度で周囲に展開させることで、即席のレーダーとしたのである。これによって周辺地形を把握し敵を子細に認識し、武蔵との戦闘においても奇襲を防いでいた。常時展開したとしても消費する魔力は極小で済む。

 ただし、この宝具は展開時に邪魔な雨や風がないことが条件である。魔力の塊とはいえ霧という認識には違いなく、十分な魔力濃度が維持できない状況では結界も意味を成さない。

 バーサーカーがキャスターの前で暗黒霧都(ザ・ミスト)を見せた時も、換気扇ひとつで宝具を収めたのはそういった理由があったからである。そしてジェスターの奇襲を防げなかったのも雨で宝具の展開ができなかったからである。

 

 送風機が働き、ただの風があっという間にバーサーカーの暗黒霧都(ザ・ミスト)を消し飛ばす。事実上これがこの状況における最後の切り札であったというのに、その希望の糸は実にあっけなく切り捨て――いや、吹き飛ばされた。

 

「なかなか良い手ですよ。あなたの情報抹消スキルと組み合わされると二十八人の怪物(クラン・カラティン)では太刀打ちできなかったでしょう。まあ、裏技には裏技で対抗できるものです。制限を受けない我々だからこそ裏技は通用しなかったのですが」

「裏技だと?」

「現実的に可能であれば、我々は実行してみせるということです。……一応言っておきましょうか。我々はバーサーカー、あなたを最も警戒していたのですよ」

 

 パン、とまた一発、薬莢が宙を飛ぶ。

 

「それは、光栄だ……」

「いえいえ。これは本当です。あなたが街中で何の準備もなく召喚された時から注目してました。もっとも、当時はあなたというよりマスターであるフラット・エスカルドスの戦略に注目していたのですが。彼が行方不明にならなければあなたを集中的に調べようなどとは思わなかったかもしれません」

 

 男の言葉にバーサーカーは何が言いたいのかよく分からずにいた。フラットの魔術師らしからぬ思考と天然さは外から観察する分には不可解すぎるようである。

 そんなバーサーカーの内心を知ってか知らずか。男はせっかくです、と軽くその右手を挙げて合図を送る。今度は狙撃でも来るのかと覚悟を決めるが、放たれたのは銃弾などではなかった。

 放たれたのは、電気信号。

 

「――ッ」

 

 この場にそぐわぬ間抜けな音楽が、周囲に鳴り響く。

 だがバーサーカーには聞き覚えがある。これはフラットに連絡用として用意して貰った携帯電話の着信音。着信音一つで気分も盛り上がるとフラットがわざわざ有料ダウンロードまでした日本の国民的お笑い番組という触れ込みのオープニング曲。

 

 潜入や尾行といった調査業務の多いバーサーカーが携帯をマナーモードにしていない筈がない。それより何より、バーサーカーは事前に携帯電話の電源を落としていた筈だ。

 この事実に思わずバーサーカーはわずかに顔を綻ばせるが、すぐにまた元に戻した。一瞬のことだったためか、その事実に目の前の男も気にとめていない。

 

「あなたの行動は最初から我々に筒抜けだったのですよ。御存知でしょうか? 最近の携帯電話は電源を切っていても遠隔操作で勝手に再起動もできるし、位置情報も抜くこともできるんです。もちろん、盗聴も」

 

 男の言葉が本当であるのなら、これまでのバーサーカーの行動は全て把握されていたことになる。

 となれば、バーサーカーの不自然な行動にも気付いて当然。

 

「あなたはマスターから各陣営に不戦協定を結ぶよう要請されていましたね?」

「……」

 

 男の言葉に何も応えずにいると、またも無造作に弾丸がバーサーカーの胸を抉ってくる。バーサーカーではなく、自らの携帯電話を取りだし、バーサーカーに宛てた筈のフラットのメールをその証拠とばかりに読み上げる。

 

「しかしおかしいですねぇ。あなたがアサシンと会ったのは別として、ランサーと不戦協定を結んだのは、マスターからの要請の『前』でした。つまり、あなたはあなたで別の思惑があって不戦協定を結んでいたことになる」

 

 パンッ。

 

「それでありながら、マスターからの一番の要請であるアーチャーとの不戦協定を実行していない。しかもマスターが自由になったというのに未だ会いに行っていない……どうしてなのですか?」

 

 パンッ。

 

「……」

「……まあ、黙秘権を行使するのもいいでしょう。そうした分析は後ほどじっくりやるとします」

 

 そうして、男は無造作にバーサーカーへと近づき、その頭部に銃を突きつける。連続して発砲したことにより銃身は熱を帯び、バーサーカーの眉間を焼きつける。

 

「……貴様らは」

「はい」

 

 バーサーカーの最後の抵抗など考えもしていないような柔和な笑みで、男はバーサーカーの言葉に応じてみせる。

 

「貴様らは、一体何者だ?」

「……あー」

 

 その言葉には、男は想像以上に困った顔をした。

 そして、困った顔をしながら、バーサーカーの問いかけに答えることもなく、無造作にそのまま引き金を引く指に力を込めた。

 サーヴァントといえど頭部を打ち抜かれては末期の声を残すことも適わない。そしてその中身も人間同様にグロテスク。

 鬼も人も、違いなどありはしない。

 

 返り血に汚れた頬を指先で拭いながら、男は光となって消え逝くサーヴァントに背を向ける。そしてふむ、と頬を掻きながら思いもよらぬ事案に頭を巡らせる。

 

「そういえば、まだ我々には呼び名がありませんでしたね」

 

 秘匿部隊という特性上、記号的な部隊名は確かにあるが、それを公言するにはあまりに虚しいし、これから改めて『新生二十八人の怪物(クラン・カラティン)』などと名乗るのも気が進まなかった。ここで気付いていなければいざ動いた時に惰性で二十八人の怪物(クラン・カラティン)と名乗りそうである。

 

「まあ、おいおい適当に考えておきましょう。では皆さん、撤収準備。第一班は退路を確保、二班は護衛をお願いします。三班は現場を清掃、バーサーカーが確実に消滅したことを確認してください。

 次の鬼ごっこは生け捕りですから難易度が上がりますよ。明朝までに二十八人の怪物(クラン・カラティン)本部へ出頭できるよう、みなさん急ぎましょう」

 

 実に気軽な口調で、ファルデウスは率いてきた部隊に対して命令を下した。

 思った以上にバーサーカーが逃げ回ったので、とっくに日付は変わっていた。夜明けまでもう数時間である。それまでに、やるべきことはたくさんある。

 だが幸いにして、わざわざファルデウスが出て行かずとも指示一つで部下はその全てに応えてくれることだろう。手持ち無沙汰という程の暇はないだろうが、まあ、組織名を考える時間くらいはあるだろうと、ファルデウスは暢気に考えながら指揮車両へと乗り込んでいった。

 

 



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day.08-02 ダークホース

 

 

 スノーフィールドにおける“偽りの聖杯戦争”、その八日目。

 既にこの段階で今回の聖杯戦争は完全に破綻寸前――否、破綻同然の状態にあった。

 

 連日のテロ騒ぎに一般市民への影響は限界に達していたのに加え、昨夜のロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)による情報の広域拡散。

 通常であればもはやなり振り構わぬ形で協会と教会が全力で乗り込んでいることだろうが、そうならない理由は“上”の情報操作とライフラインの物理的寸断、そして宝具笛吹き男(ハーメルン)による住民の強制睡眠・退去のおかげである。

 

 この内のどれか一つでも失敗していれば今頃世界中からスノーフィールドに注目が集まり、この戦争が露見していたことだろう。破綻同然でありながらその屋台骨はまだ折れてはいないのである。

 事が終わればその全てを誤魔化すことはもはや不可能に近いだろう。昨夜の戦闘で市内の一割は完全に廃墟と化している。人がいないことで街としての機能が麻痺しているし、何よりラスベガスからの送電が完全にストップしているためこの異常は短期間では終わらない。いかに陸の孤島と化して誤魔化そうとも、外の人間に気付かれるのは時間の問題だった。

 

 もちろん、それらを取り繕うために住民を笛吹き男(ハーメルン)で操り復興作業をさせることも可能だが、八〇万人を同時に操作するような莫大な魔力や処理能力を割く余裕などどこにもない。せいぜい住民を複数箇所に集め被害を少なくすることで精一杯である。どちらにしろ専門知識を持たぬ者が操ったところでどうにかなるものでもない。今は現状維持で精一杯なのである。

 

 そんなわけで、現在スノーフィールドの街はゴーストタウンと化していた。

 現在このスノーフィールド全域で動ける人間は約二千人。その内の八割は北部渓谷地帯の砦で籠城していた原住民で、あとの二割はスノーフィールドに未だ潜み笛吹き男(ハーメルン)にも抗った魔術師達とファルデウスが合流した二十八人の怪物(クラン・カラティン)である。

 

 数の利だけで語るなれば原住民に分があるが、残念ながら非戦闘員も多く有利というわけではない。それに原住民は族長の言葉を堅持し、迂闊に動き隙を作る真似をすることはなかった。

 何より、二十八人の怪物(クラン・カラティン)の情報網は隅々まで暴露されているのである。街中に至る所に設置されているカメラの内蔵バッテリーと無線機能は未だ健在。下手に動けばすぐさま察知されること請け合いである。街中に出て行くにはリスクが高いと、原住民は理解していた。

 

 そう。

 だから、こんな真っ昼間に堂々と街中を歩く存在を見れば、殺されても全く不思議ではない。情報が大事であると痛感させられた全陣営において、こうも無頓着な人間がいるなど、一体誰が思うだろうか。

 

 スノーフィールド市の中心近くにある片側三車線の幹線道路のスクランブル交差点のど真ん中。大通りにも面しているこの中心部でその人物はサンドイッチを片手に食べながら、困った表情で右へ左へ視線を動かしていた。

 

「……誰もいないね、ライダー」

 

 椿の言葉に左手が反応し「そうですね、椿」と携帯電話のメモ機能によって反応が返ってくる。

 椿がこのスノーフィールドの現状を知らなくて当然である。街を離れていたことが災い(幸い?)し、椿とライダーは街中での戦闘について巻き込まれることもなく、まるで気付くことはなかった。

 笛吹き男(ハーメルン)の強制力もライダークラス特性の対魔力スキルで何をするでもなく自動的に弾かれ影響はなかったし、いくら待ってもフラットもティーネも迎えに来る気配もない。

 

 フラットから貰った食糧も尽き、街へ出る決意をしたのは陽が昇った後。ほんの少しだけと街へと出てきたが、このゴーストタウンと化した街の様子に椿が落ち着いていられる筈もなかった。

 また夢の世界に入ってしまったのではないかと不安に駆られ、ライダーに励まされながら途中のスーパーで食べ物を失敬しつつ探索へと乗り出したのだった。

 

「やっぱり、これは現実?」

 

 頬張るサンドイッチは新鮮野菜とウインナーの肉汁の染みこんだ実に美味しいものだった。

 状況こそ似てはいるが、匂いや香りに包まれたこの世界は現実なのだと徐々に実感しつつあった。ライダーの感想も同じようで「現実世界かと思われます。しかし確実に何かが起こっています」と助言もしてくる。

 

 ここで、この様子を端から見る者がいたとしたら、彼女は一体どういう風に見られることだろうか。

 この非常事態以上の異常事態の状況下で携帯電話を片手にあちこち探るように道のど真ん中を堂々と隠れることなく歩く少女。無防備そうに見えてその実、動きは実に淀みなく不自然なまでに自然過ぎている。目を凝らしてみれば少女の頭上には魔力の煙とも思える渦が発生しており、直射日光から少女を守ってすらいる。

 

 ネタをばらすと、そのほとんどはライダーが椿を慮ってやっていることだ。

 肉体になるたけ負担をかけぬよう動かそうとすれば、それは無駄を省いた綺麗な歩き方となり、身体の軸はぶれず腰の位置も上下しない。端からはどう見ても訓練されたような歩き方になってしまう。

 携帯電話も持ってはいるが、これは椿がライダーと会話するためのもので電波を発信や受信するものではない。

 道のど真ん中を隠れることなく堂々と歩いているのだけは椿の癖である。夢世界で車など走らなかったため、彼女にとって車道も歩道もあまり差異があるものではない。そして差異がないのなら道幅が広い方が歩きやすいのである。

 

 誤解が誤解を生んでいた。

 ロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)のことを何一つ知らない椿とライダーではあったが、まるで情報を整理し確認しながら余裕綽々で歩いている強力な魔術師のようにしか見えないのである。可愛らしい少女の外見もこうなってしまえば敵を油断させるものと判断されても仕方なかろう。

 

 だから。

 次の瞬間には、彼女は十字砲火に晒されていた。

 

「わわ、わわわわわっ、何かなっ? 何なのかなっ!?」

 

 慌てふためき何が起こったのかすらも分からぬ椿をよそに、ライダーはこの状況を余裕すら感じさせながら軽く凌いでみせる。

 

 そう、これは戦闘である。

 今現在スノーフィールドが完全異常事態に陥っていることは誰の目にも明らかである。それでいて無関係の人間は排除され、お互いの情報もすべて筒抜け。こうした状況で坐して待つのは愚策である。優位に立つためには交通の要所を押さえ、先制することが重要だった。

 

 この場は街の大通り。NYやシカゴと比肩しうるこの場所が街の大動脈であるのは間違いない。だからこそ、下手なサーヴァント相手であっても容易に突破を許さぬだけの戦力が整えられて配置されている。

 情報が漏れ出た今であっても彼らは決して博識というわけではない。ライダーという存在については未だに不明な点も多く、その消滅の有無さえも直接確認できてはいないのだ。

 

 ここに至り椿も彼らも、無知でしかなかった。

 唯一の違いは椿とライダーは自らの無知を知っていたが、この場にいた二十八人の怪物(クラン・カラティン)は自らの無知を知らなかった。

 無知とは、時に災いを呼び起こす罪になるのである。

 椿の左手がこの状況にありながらも高速で打鍵する。

 

『一分程お待ちください』

「傷つけるのはダメだよ!」

 

 そんな場合ではないというのに椿は己の危険すら認識もせず、悠長に携帯電話を見ながらライダーに注意すらした。

 

『理解しておりますよ、マイマスター』

 

 椿の返事を待つことなく、ライダーは己の魔力を総動員して椿の身体を操り人形のように操ってみせる。

 まずは椿の身体を無理矢理跳躍させて軽く後方一回転、その間に椿の視界に映った射手の居場所を特定する。

 マズルフラッシュから特定するに、火線は全部で三本。左右のビルと背後のビルのY字に配置されている。第一次世界大戦から教本に載せられているような典型的かつ、攻略困難な陣形である。

 射手同士の連携も取れており、どうしても椿の視界を頼りに動くと死角からの対応には遅れてしまう。避けられぬ弾丸は張り巡らせた即席の魔力障壁で防いでいるが、一息つくにはいくら何でも頼りない。

 

 何とか遮蔽物に隠れたいところだが、ここはスクランブル交差点のど真ん中。アクロバティックな機動と障壁で何とか避け続けてはいるが、無傷のままでいられるのにも限界がある。

 ならば、やるべきことはひとつであろう。

 椿の左手が再度高速で打鍵する。

 

「『跳びます』って何っ!?」

 

 一応椿にはこれから何をするかをライダーは報告したが、残念ながらその意図は通じなかったようである。

 令呪によって椿の思考はライダーに筒抜けだが、その逆はない。人外の存在であるライダーからの思念が人間に適合しない可能性があったため、ライダーの思考を椿は受け取ることができないのである。

 

 サンドイッチの紙袋を小さく丸めて火線の元へと投げつける。小さなゴミであるが、魔力で強化された上に、メジャーリーガーもびっくりの豪速球で放たれれば、敵も虚を突かれよう。その隙に椿の両足がアスファルトの大地を踏みしめ、その膝が撓んで力を蓄える。この瞬間を三人の射手が見逃す筈もないが、それも一瞬のこと。次の瞬間には射手は全員、繰丘椿の姿を見失うことになる。

 

 人間には決してあり得ぬ跳躍力。一〇……いや、二〇メートルを超える大ジャンプはまさしく想定外。なまじ事前に人間でもなんとか行えるレベルのアクロバティック機動をしていただけに、その落差はうまい具合に虚を突く結果となっていた。

 

 着地点は三カ所の射撃ポイントで一番高い場所である。夢の中で下の階から上の階へと攻め込んだことのあるライダーだ。相手の高所を取ることの利点は身をもって知っている。

 そして制圧の仕方も慣れたもの。

 

「はふんっ!?」

 

 強烈な加重に目を回しそうな椿であるが、ライダーは血流を調整し筋肉を操作して無理矢理にその体勢を整える。ブラックアウト寸前の視界を無理矢理確保して見れば、銃火器を持って未だ椿の姿を探す間抜けな射手と観測手。そして彼らの護衛役と思しき兵士と目が合った。

 

 ライダーはこの戦闘において初めて焦りを感じ取る。何せ、護衛役はその両手にロッド式の棒状の武器――トンファーを装着している。攻守ともに優れた近接戦闘特化武器なのは認めるが、まさか魔力が込められた弾丸を撃ち込んでくるような連中ががただのマイナー武器を趣味嗜好だけで装備させているわけもない。ライダーの魔力障壁など、この武器の前では幾らも役に立たないだろう。

 

 一瞬で状況を理解し目前にまで近寄る護衛役。目にも留まらぬ攻撃を寸でのところで椿の身体は避けてみせる。そのまま身体が小さいことを活かし、倒れ込むようにして護衛役の両足に絡みつく。

 通常であればこんなことで護衛役の巨体を倒すことなどできはしないが、ライダーが強化した椿の身体は通常の一〇〇倍以上。護衛役も魔術師であろうが、まさに桁違いの出力に為す術もなく転がされ、

 

「はい、タッチ」

 

 椿の指先が転がされた護衛役の口内へと軽く侵入する。その指には予め椿の唾液、もっと端的にいえばライダーの端末そのものが付着している。

 粘膜接触によって体内の免疫機構と魔力回路が即座に反応し、そのショック反応に護衛役は耐えきれずあっけないほど簡単に意識を手放した。

 

 そして遅まきながら、背後に現れ護衛役を倒した椿に射撃手と観測手は大いに慌てるが、しかしそこの判断はプロであった。

 手中にあった機関銃を躊躇なく投棄。腰のベルトからナイフを抜き放つ動作を見れば、二人ともそこそこ腕に自信があるのが分かる。おまけにナイフには何らかの呪印も刻みこまれ、濡れるような魔力も感じ取れる。先のトンファーより威力は小さいようだが、当たりどころが悪ければ十分な脅威となり得る。

 

「え? 五月蠅いでしょうから聴覚を遮断します?」

 

 そんなあからさまな殺気を前にしながら、ライダーはもう終わったとばかりに椿へ報告した。

 襲いかかる二人を前に、椿は慌てない。ライダーが動かないということは、もう戦闘は終わっているのだと、彼女はよく知っている。

 

 左右同時に襲いかかるナイフは、かなり余裕を持って止まっていた。最初こそ自らに起こった事態を飲み込めずにいた二人も、すぐにその瞳から意思の光が抜け落ちる。それもその筈。この場に椿が乗り込んで数秒経っているのである。この距離で数秒もあれば、“感染”させるのは非常に容易い。

 

 ライダーの“感染”は無敵の盾と矛となり椿を守る。

 魔術師ならば常に魔力を体内に循環させて対処することも可能だろうが、先の護衛役みたく口内などの粘膜に直接接触されれば多少の抵抗があったところで一瞬で“感染”する。それにしたって油断した人間であれば粘膜接触する必要もない。

 極端な話、敵の傍を少し通り過ぎ数秒待つだけで椿の勝利は確定するのである。

 

「どうするの?」

 

 ライダーがやろうとすることが分からない椿が聞いてくる。

 さすがに向かいのビルにいる敵兵を昏倒し操るレベルの“感染”は不可能であるが、ライダーが無策にこの三カ所の中から一番高所を潰したわけではない。

 

 “感染”させられた射撃兵はいくらか抵抗したようであるが、数秒もすればナイフを落として完全にライダーに支配される。ふらふらと椿を狙った機関銃を手に取り他二カ所に設置してある機関銃を狙ってその弾丸を容赦なくぶち込んだ。

 無線機から聞こえる仲間と思しき抗議の声に応じることなく、虚ろな顔をした射撃兵は役目を果たすとそのまま倒れ伏していく。

 

 人を傷つけるな、という令呪を受けたライダーではあるが、この“感染”についてはその命令の範囲外という認識を持っている。そもそも怪我と病気ではその意味が異なっているので、ライダーが気をつけるべき点は“感染”によって人の体組織を傷つけないようにするだけだったりする。

 

 ありとあらゆる制約を設けられたライダーであったが、未だダークホースの座に留まり続けていた。

 

 

 



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day.08-03 罠

 

 

「これは一体なんだったんだろうね?」

 

 そんなことを首を可愛らしく傾げながら、繰丘椿は問いかける。

 機関銃の爆音を間近に受け、鼓膜を痛めたものの即座に修復。認識の追いつかぬ戦闘に椿自身は白昼夢を見たような気分である。

 

 幸いだったのは椿自身がこの事態を正確に飲み込めておらず、自らの命の危機を自覚していないことか。そうだったら宥めるのは大変だっただろうとライダーは思いながら打鍵をしつつ――

 

 ふと、違和感に気付いた。

 

 周囲一帯の気配を最大限に探る。

 すでに敵は自らの不利を悟ったのか、機関銃を破壊されただけで全力で撤退し始めている。他は特段に怪しい気配はないが、その潔さにますますライダーは不信感を募らせた。

 

 敵が、余りに弱すぎる。

 

 椿に身体の主導権を返そうとするのを留まり、ライダーは周囲の様子を視界を強化して眺め見る。

 周囲三六〇度開けたこのビルの屋上は周辺観測にうってつけであり、恐らく椿の存在もとうの昔に捕捉されていたことだろう。無線機を用意しておきながら連絡を取っていないということはあり得ない。

 

「どうしたの?」

 

 ライダーの行動に訝しんだのか椿が問いかけるも「何でもありません」と打鍵することはできなかった。

 確かに、この陣形は攻略しがたいものだ。対人戦闘は無論のこと、対サーヴァントとしても有効に機能するだろう。ライダーについて相性が悪かったとしかいいようがないが、これが噂に聞くアーチャーや、実際に戦ってみたランサーであれば何の障害にもならない。

 

 並のサーヴァントならともかく、並でないサーヴァントがいると判明しているのに、これでは備える意味がない。

 情報に疎いライダーでさえそれくらいのことに気付けるのだ。宝具すら持って待ち構えていたような部隊がそんなことに気がつかない道理もない。

 それに、機関銃を始めとして装備一式とこの場で倒れている三人を失いはしたものの、他は五体満足で負傷者はゼロなのだ。これならもう少し情報収集を兼ねて悪足掻きしても良かったのではないだろうか。敵の撃退や情報収集が狙いではない。ならば、何を目的としてこの場に陣を敷いたのか。

 ライダーは考える。そしてその結果、ライダーの――椿の身体の動きは止まった。

 

 それこそが、敵の狙いだった。

 

 例えどれだけ強固な守りをしていようと、その守りに絶対の二文字はあり得ない。

 絶対防御の一例たるランサーの天の創造(ガイア・オブ・アルル)一つとっても、ライダーがやったように凝縮した魔力で抉り削れば、その質量を奪われいつかは綻びも生まれてくる。ランサーの気配感知スキルや形状変化による高速飛翔は個々にただ存在するだけのスキルではなく、弱点を補うための必然としてのスキルなのである。

 

 では、ライダーの場合はどうであろうか。

 ライダーに以前のような莫大な魔力はない。しかし、消滅を免れていたということは未だに八万人と感染している事実は消滅していないのだ。消耗こそしてはいるが強力なバックアップは顕在であり、そこから微弱ながら魔力供給は行われ続けている。

 

 ライダーは回復した魔力を用いて周囲数十メートルに魔力を帯びた粒子を浮遊させ、即席の警戒網を構築させている。飛び散った粒子も感知と同時に急速凝固させ即席の盾となり、敵の攻撃を受け止め逸らす役目も果たす。実際、この奇襲を即座に感知し初撃を凌いだのもこれによるものである。

 継続的防御能力に難はあるが、バーサーカーの暗黒霧都(ザ・ミスト)同様に、周囲一帯をまるごと監視下におくこの方法であれば、よほどのことがない限り大抵のことに対応できるのだ。

 だが残念ながら、よほどのこと、というのは大抵の場合、戦争ではよくあることなのである。

 

 その宝具に、名前はつけられていない。

 理由は簡単で、サーヴァントを屠れる威力はあっても普段使われる銃弾と運用方法が何ら変わらないからである。着火剤としての魔力も必要ないことから、射手が魔術師である必要もない。

 注意点としては通常ハードプライマーよりも衝撃が大きいこと。そしてその強大な威力故に通常の弾道計算ソフトもあまり当てにすることはできない。

 だから、その弾丸が椿の頭部数センチ横を掠っただけなのは、単純な幸運によるものだった。

 

 ライダーの違和感は正しかった。

 サーヴァントは人間には持ち得ぬ高い機動力を持つが故に、まず高所を狙う傾向にある。場所的優位性を確保する意味もそこにはあるが、英雄ならではの性格によるところも大きいのだろう。

 実際、アーチャーは人を見下せる高所を好んでいるし、ランサーも警察署を根拠もなく上から攻めている。ライダーも、この程度ならあっさり倒せると踏んだからこそ、ここを最初に攻めたのではなかったか。

 

 元よりこの陣取りゲームのように配置された部隊こそ、最初から罠でしかない。

 わざと高低差をつけた三カ所に兵を配置したのも囮。遠距離からの狙撃を可能とする、遮蔽物も存在しないこの場所へと誘導されていた。

 

 極超距離からサーヴァントを一撃で仕留める威力の精密狙撃。

 視線すらも曖昧、殺気すらも届かず、その息遣いに気付くこともできない。これを初見で対処するには少々難易度が高すぎる。

 

 一撃目が外れたことは単純な幸運ではあるが、それは同時に狙撃手が弾丸の性質を理解したことに他ならない。

 狙撃手の位置は直線距離でおおよそ二〇〇〇メートル以上離れた位置にあるビルの上階のどこか。そして椿の姿は狙撃手には丸見えであり、例えこの場から急ぎ飛び降りても身動きとれぬ空中で弾丸から逃れることはできない。

 

 遅ればせながら、たーんとかすかな銃声が遅れて聞こえてくる。ライダーの警戒網が銃弾の軌跡をようやく感知し、対処不能であることを暗に告げてきた。

 

 防御しようにもあの威力の弾丸を完全に防ぐことはライダーの全魔力を一点集中させても無理であろう。“感染”させた敵兵三名を盾にすることも考えるが、防げる保証もなければ機敏に操るだけの浸食もまだできていなかった。

 と、そこまで思考してみたがそれよりも重大な事実に、遅まきながらライダーは気が付いた。

 

『椿、大丈夫ですか?』

 

 ライダーが打鍵してみるものの、焦点のぼやけた椿の視界を見れば大丈夫でないことは明白だった。

 サーヴァントをも一撃で粉砕しうる弾丸である。数センチ横を横切ったその衝撃だけで椿の脳は完全に揺さぶられ、急いで衝撃を緩和したくらいでは即座に動ける状態にはなかった。

 

 椿の脳の代わりにライダーが直接椿の身体を動かしてはみるものの、身体は鉛のように重い。

 サブシステムとしてフラットから調整を受けたライダーは、メインシステムである椿の許可なく身体を動かすことはできない。それは当然の安全装置ともいえたが、この場にあっては、それは無視できぬ隙であった。

 

 人を傷つけぬというライダーに命じられた令呪の力が、繰丘椿本人の危機的状況を脱しようと全力で援護していた。ライダーはフラットのプロテクトを驚異的な速度で解除していくが、あののほほんとした男はその天才性をこんな状況においても無駄に発揮してみせる。

 

 到底、間に合わない。

 

 動かぬ身体を後回しにしてライダーは瞬間的に八層の多重魔術障壁を円錐状に緊急展開。

 強引で無茶な展開は果てしなく効率は悪く数秒だって維持できないが、しかしそれで命が助かるなら安い買い物。

 半ば勘だけで展開したが、狙撃手の腕が良いおかげで軌道は予測しやすかった。

 

「かっ……はぁ……っ!!」

 

 砲突一閃。破城槌で貫くような重い一撃。全魔術障壁が一瞬で貫通されるが、それでも軌道を逸らしてヘッドショットだけは回避する。

 貫通した右肩から衝撃が伝わり自然と空気が肺から漏れ出る。弾速が速過ぎたためその運動エネルギーが椿の体内で解放されることはなかったが、だからといって浅い傷ではない。

 

 まずい、とライダーは判じる。

 予想以上に威力が高い上に貫通力がありすぎる。あれだけ障壁を展開しながらほんの数度軌道を逸らすだけで精一杯。障壁を再度展開することだけなら可能だが、それは直撃ではないというだけに過ぎない。いかに治癒が可能とはいえ手足を欠損して今後に支障を来さないわけがない。

 

 最も危険な初撃は凌いだが、危機は依然として続いている。いや、むしろこうした事態を敵が想定していないわけがない。狙撃だけで終わるわけがない。

 

 ライダーが振りまく粒子は全域を支配下におくものだが、粒子が簡単に入ることのできないところ――つまり密閉空間は例外である。この建物の大部分は移動しやすいようドアが開け放たれていたので走査できたが、エレベーター内にいる人物の存在を、ライダーは感知していなかった。

 伏兵の存在に、ライダーは気づけなかった。

 

 狙撃はそのための準備がなければ対処できぬ策である。一方的に攻撃されることを良しとするわけもなく、普通であれば逃げることになる。開けた屋上にあって逃走経路は屋内への一択。そこで待ち構えるのは定石とも言えた。

 

 屋上に通じる入り口から『チン』と音がした。

 エレベーターの到着を告げる音。誰かがこの屋上に足を踏み入れる音。

 そして、

 

【……伝想逆鎖……】

 

 奇跡と狙撃がライダーを挟撃する。

 

 



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day.08-04 戦力増強

 

 

 可能性は無限に広く公平に分散している。

 歴史に『もし』などありえないが、未来に『もし』は溢れている。それは可能性という言葉で一括りにされているが、しかし果たしてどれくらいの人間がその可能性を認識しているのか甚だ疑問であろう。

 

 署長は甚だ遺憾ながらも魔術師や元軍人の肩書きを持ってはいるが、本職は警察官であり、警察官のつもりでもある。そして警察官は名探偵ではないので、容疑者のちょっとした仕草からインスピレーションを発揮して犯人を特定するようなことはほとんどしない。

 警察がするべきは地道で綿密な捜査であり、例えどれほど怪しくなくとも容疑者全員の行動を調べ上げ、動機とアリバイとトリックを細かく調査する。だから、全てが判明するのは大抵は事件後のことであり、そこで辿り着きようやく「あの時の行動はそのためだったのか!」と手を打つのである。

 

 つまり何が言いたいかというと。

 

「お前の嘘が役に立つとは思いもしなかった」

「こんなこともあろうかと思ってな!」

 

 署長の皮肉にキャスターは大まじめに大嘘をついてみせた。

 

 スノーフィールド市内にある誰もいなくなったビル、その地下で署長は漏れ出た情報のデータ整理を行っていた。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)の情報はほとんど除外してある。計画中枢近くにいた署長が知らぬ情報の方が少ないだろうし、知らないと言うことはフィルタをかけた秘書官が些末事と判断したと言うことだ。

 確認したかったのは、こちら側の情報が一体どれほど流れたか、ということのみ。そして署長の予想通り、こちらで用意した計画は全て流れ出ていることが確認された。ただし、その半分以上はキャスターが適当にでっち上げた嘘であり、ダミー情報である。

 こんな嘘情報を作っている暇があったら、もっと他にできることはあったと思うのだが、それを質問するのは危険すぎる。場合によっては、署長はキャスターを殴り殺してしまいかねない。

 

「……まぁいい。実際に役立っているわけだしな。特別に不問に伏しておこう」

「眼が笑ってないんですが、マイマスター」

 

 そしてキャスターの膝は笑っていた。

 三度ほどキャスターを(一方的に)殴り、署長は嘆息して怒りを静めた。抵抗しなかったのはキャスターなりの反省なのだろうか。

 

 流出した情報の中には“上”の誰々とキャスターは実は繋がっており、全ては計画の内、などというものもある。相手を揺さぶるにはほどよい策であろう。

 特に署長が逃走中に令呪を使い切ったことも有利に働いている。キャスターが一時的とはいえ令呪に従い姿を消したことで、マスターとキャスター共に脱落したという疑いを持たせることも成功していた。これがどれ程通用するかは不明だが、一応のアドバンテージを持つことはできたといえよう。

 後はこれをどう活かすかが問題だ。

 

「やはり、ジャック――いや、もうバーサーカーと呼ぶべきか。あいつの情報が漏れ出たのは痛かったな」

「しかも当人も戻ってこねぇし」

 

 あっさりと復活したキャスターの言葉に、署長は別に指定席でもないのに空けられている空席を眺め見る。

 あのロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)による情報漏洩以来、公共の通信網は完全に沈黙。二十八人の怪物(クラン・カラティン)が密かに張り巡らせておいた非常時の通信網を暗号変換させて何とか連絡を取ろうとしているのだが、それでもバーサーカーから応答はない。

 

「端末から時折反応だけは返ってきているんだがなぁ」

「案外本人は既に消滅していて、端末は誰かに奪われたか」

 

 何とはなしに言った言葉が正解であるなどと、神ならぬ署長に分かる筈もない。おまけにその端末は盗聴されることのない特別仕様だったりする。

 

「……そんで? これからどうすんだよ、マスター?」

「そうだ、なぁ」

 

 キャスターは軽い口調で割と真摯な質問をしてくる。

 マスター権を失ったマスターは頭の後ろで手を組みながら天井を眺め見ていた。自分で炒れた不味いコーヒーを一口だけすすりながら、秘書官の炒れてくれた美味いコーヒーを思い出す。

 

 情報の整理は検討がついているので、おおよそ終わっていた。

 やはり最大勢力は潤沢な宝具を装備し、戦闘経験豊富な人員を持つ古巣たる二十八人の怪物(クラン・カラティン)。そして人員こそ最大であるが装備に劣り非戦闘員も多く抱える原住民。この二大勢力が特筆すべき戦力であるのは間違いない。

 そこに第三極として署長達サーヴァント同盟を加えても良いが、残念ながら組織として戦うには話にならない。少しヘマをしただけで全滅必至なのが現状である。

 そして何より、アーチャーとランサーという聖杯戦争の二巨頭がこの図式には含まれていない。それが故に圧倒的優位である筈の二十八人の怪物(クラン・カラティン)が迂闊に動けずにいる。

 つけ込む隙があるとすれば、今しかない。

 今しかない、のだが。

 

「戦力増強……するしかないだろ」

「一体誰を?」

 

 実に真っ当すぎる署長の方策に対して、キャスターは至極真っ当な意見を返した。それで簡単に答えが出るのであれば、最初から悩みなどするわけもない。

 ここにバーサーカーがいたのであれば、ひとまずマスターであるフラット・エスカルドスと話もできたであろう。そこから、夢の中で共闘したらしいティーネ・チェルク、繰丘椿、銀狼との交渉も考えることもできた。だが、そのいずれも今はどこにいるのかようと知れない。そもそも、情報があっても互いに面識がないのである。仮に接触できたとしても、裏切り者と判明してしまっているキャスターと同盟を組むのに難色を示さないわけがない。進んで組みたいと思う者もいないだろう。

 つまるところ、即時戦力増強は絶望的という結論だけが出た。

 

「……そういえば、あの二人はどうした?」

 

 結論が出てしまったところで話題をかえようと、署長は広さだけは無駄にある部屋の中を眺め見る。

 殺風景な部屋には埃が積もっていた。そこについた足跡は署長とキャスターだけ。

 

「東洋人なら隣の平屋にいるよ。……なんだ、あの錯乱状態を知らなかったのか?」

「何のことだ?」

「何でも、この建物には入れないらしい」

「……何を言っているんだ?」

 

 前後の会話とキャスターの言葉の繋がりが署長にはよく理解できない。

 

「俺にも分からん。いきなり入り口前で立ち止まって、この建物に入らないと一点張りだ。理由を聞いてもマンションがどうのこうのと喚くばかりだ。今は隣の平屋で大人しくしている筈だぜ」

 

 肩を竦めて説明をするキャスターではあるが、それで分かる説明でもない。

 この場所を二十八人の怪物(クラン・カラティン)に把握されている可能性は低く、自家発電施設があり、適度な物見もできる高さもある。この建物は非常に優良な物件なのである。一体何が不満なのか教えて欲しいくらいである。

 

 そう言えば、と署長は以前にも何か見たくない赤い幻影を見たとかで、東洋人が酷く怯えていたことを思い出す。これ以上の不安材料は抱えたくないのが本音ではある。

 総合的に考えて、結論はひとつだった。

 

「クスリが切れたんだろ」

「ここで呪いや魔術を最初に疑わないところが兄弟らしいぜ」

 

 現職警察官は極めて現実的な解答を提出した。だが採点者であるキャスターは解答用紙にバツ印を付けて返してくる。

 

「そんな面白くもねぇ展開は潰してるよ。一応、犬小屋にあった毛布を材料に精神安定効果に特化した宝具安心毛布(ライナス)を作って与えてはみたんだが、静脈注射ほどの効果もなぶっ!」

「いい加減貴重な時間と魔力と逸話を無駄遣いするのはやめろ」

 

 キャスターの首を手土産にすれば命だけは助けて貰えるだろうか、と署長は思わなくもない。半分は冗談だが、半分は本気である。せめて、この疫病神を役立たせる方法は早急に見繕う必要がある。

 ちなみに、この即興宝具安心毛布(ライナス)はノミがいるという理由で即刻アサシンに焼かれてしまったりする。マスターの胃を慮ってサーヴァントが黙っているなど、署長の知る由もない。決してこれ以上殴られたくないからではない。

 

「まあいいさ。ならアサシンも東洋人に付き合って隣へ行ったのか?」

 

 キャスターが何かしら隠しているのに気付かぬ署長ではないが、令呪を持たぬ署長とキャスターの関係は(一方的に殴ったりしつつも)同等だ。無駄な追及は不和を招きかねないと考え、署長は露骨に話を切り替える。

 元より署長が気がかりなのはアサシンの方である。

 

「いいや。アサシンなら周囲を偵察してくるってよ」

 

 やや署長から距離を取って復活したキャスターは首を横に振る。意外な答えに署長の口から感嘆の言葉が零れ出る。

 

「殊勝なことだな。協調性などないものと思っていたが、これは見解を改める必要があるな」

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)の情報網は街中に仕掛けられたカメラと携帯電話の盗聴に因っている。しかしカメラは電源の喪失とミダス王の呪いの余波で役立たずになり、市民がそもそもいなくなったことで盗み聞く情報がそもそもない。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)は目と耳を失ったに等しいダメージを受けてはいるが、無人となった市街地はその理性までも失わせかねなかった。

 今のこの状況、市街地を問答無用で焼き払う口実に事欠くまい。さすがにそれは最後の手段と考えたいが、有り得ないことではないのだ。

 

 反撃をするからには失敗は許されない。だから今は相手の情報が少しでも欲しいし、逆に反撃どころかこちらの現状を悟られぬよう細心の注意を払う必要がある。アサシンの能力であれば、偵察にはうってつけだろう。

 

「ああ、だからちょっと遠出してもらって、どうせなら中央通りに構えている二十八人の怪物(クラン・カラティン)に隙があれば突っ込んでみろとアドバイスしといた」

「……お前というサーヴァントを一瞬でも信じた私が馬鹿だった」

 

 一応は同盟なのだからそういうことは早めに連絡して欲しい。そして、それは偵察とはいわない。

 署長の非難の視線の意味くらいはわかるのか、露骨に視線を逸らせ署長から距離を更に取るキャスター。だが別に面白いから頼んでみたというだけでもない。

 

 アサシンは実を言えば非常に優秀なサーヴァントだ。アサシンというクラスでありながらそのパラメーターは異常な程高く、聞けば宝具の種類も数多く使い勝手も良いと聞く。歴代のアサシンの中でも、頭ひとつ飛び出ているのは間違いない。

 だというのに、明らかに格下であるバーサーカーに一度ならず敗北したとも聞くし、先だってのアーチャー戦においても歯牙にも掛けられなかった不遇っぷりである。

 

 原因は明かな経験値不足に他ならない。

 今、アサシンに必要なのはそこらへんに散らばる雑兵でも、ラスボス級のアーチャーでもない。適度に強く歯応えのある中ボス級の敵である。

 その意味では、拠点防衛をしている二十八人の怪物(クラン・カラティン)は難易度として明らかに高いが試験対象としては相応しい……とキャスターは思っている。端的にいって負けるだろうが逃げるくらいはできるだろう、くらいには。

 

「無理に決まっているだろ」

 

 キャスターのその考えに真っ向から首を振って署長は否定するが、その気持ちは分からなくもない。

 情報漏洩以前の問題として、こうした現状ともなればあの場所は真っ先に占拠対象となる地点だ。となれば別に署長やキャスターでなくともどういう陣形となるのかは簡単に予測がつく。

 遠目でしか確認していないが、あの兵数からしてアーチャーやランサーといったサーヴァントに対応できるとも思えない。となれば、あそこに配置された兵は捨て駒だ。本命はどこか遠くで構える遠距離からの狙撃であろう。

 

「一応、どういう陣形と作戦かは教えておいたぜ? 狙撃があるとも言い含めておいたし。ワンショットキルの逸話で昇華しなかったんで必中というほどの命中率もないだろ」

「必中の加護を付加しなかったのは狙撃手の思考を逆手に取られることを恐れたからだ。あと『ごんぎつね』はワンショットキルの話なんかじゃないからな?」

 

 このサーヴァントは『ごんぎつね』を『がん(・・)ぎつね』と勘違いしているのではなかろうか。

 

「まがりなりにも対英霊弾として徹底的に強化した特注品だぞ。知っていたとしてもあの弾速を躱せるとはとても思えん」

 

 事前に分かっていたとしても、恐らくは無理だと署長は判断する。

 狙撃である以上、狙撃手がどこにいるのか判断するには最初の一発を撃たせる必要がある。そしてよしんば撃たせて場所が分かったところで、数キロ先にいる狙撃手を仕留める手段がなければ意味がない。

 制圧だけならアサシンでもなんとかこなせるだろうが、その後の狙撃は無理だろう。防御・回避・反撃、その全てにおいてベストな行動を取らねば攻略は不可能だ。アサシンにそれを可能とするスキルやスペックはあろうとも、到底こなせるとは思わない。

 キャスターにしても、その結論は同じ筈だ。

 

「実戦経験を積ませてレベルアップ、というつもりか?」

「無駄……にはならないと思いたいねぇ」

 

 署長とキャスターとの一番の違いは、この戦争を盛り上げたいという意志の有無である。そのためにキャスターは無理・無駄・無謀であろうとなかろうと、アサシンに活躍の場を設けたいところなのである。

 署長としてはこれでアサシンという手札がなくなる方がよっぽど恐ろしいのだが。

 

「せめて、前線に出られる壁役が何人かいればいいんだが」

「俺に期待するなよ?」

「お前を出すくらいなら私が出た方がよっぽどマシだ」

 

 軽く笑いはするがその声は乾いている。実際、最悪の事態に陥ればそうした状況もあり得るのだ。

 戦力増強。それが最優先課題となっているのは間違いない。

 

「仕方ない。私はバーサーカーの情報を少しでも集めることにしよう。逃げることに関しては一家言あるサーヴァントだ。あっさり消滅していることはなかろうよ」

「俺もそれには同意だぜ。きっと俺たちがピンチの時に颯爽と現れてくれるに違いない」

 

 バーサーカーは生きている。その大前提が今後ファルデウスと彼らとの運命を大きく分かつことになるとは今は誰も気付いていない。

 

「それで、俺はどうする? モザイクを自動で補完して無修正ま○このテクスチャを貼るコードを組もうと思ってるんだが」

「キャスターは二十八人の怪物(クラン・カラティン)と原住民以外で戦力になりそうな人物を探してくれ。あとお前はパソコンに一切触れるな」

 

 初日の武蔵戦で魔術師が大量に行方不明になってもいる。前線に出張るくらいの魔術師だ。もしかすると上手く生き残り地下に潜伏している可能性もある。二十八人の怪物(クラン・カラティン)の情報網に引っかかっていない段階で可能性は限りなく低いが。

 

「そうそううまくいくかねぇ」

「いかせるんだよ。っと、噂をすればアサシンが帰ってきたようだな」

 

 署長のノートパソコンにエレベーターが起動したことを示す表示が点滅している。電源は完全に落ちているように見せかけてはいるが、実際には自家発電によって稼働できるように細工をしている。これが特殊部隊なら閉じ込められる可能性のあるエレベーターなど使わず、階段を使って突入してくる筈だ。

 だが署長の言葉にキャスターは珍しく怪訝な顔をしてみせた。

 

「どうした?」

「……帰るのが早すぎる」

 

 署長はキャスターからアサシンが出かけた正確な時間を聞いてはいない。だが、あの拠点を偵察するには数時間は要するだろうし、攻略をするのならばもっと時間はかかる筈である。

 エレベーターにカメラは設置されていない。この建物は防音対策もされているので足音なども聞こえない。

 

 腰のホルスターから署長は静かに拳銃を抜き放ち、キャスターも壁に立てかけてあったソードオフショットガンを無言で手に取る。誰にも当たらぬキャスター本来の宝具ではあるが、己の魔力を込めねば普通に銃としても使用できる。

 使っていたテーブルを蹴飛ばして即席のバリケードを用意する。まだ一口しか飲んでいない珈琲が床に黒い染みを作った。

 

「なあ兄弟。ひとつ賭けをしようぜ」

「誰が兄弟だ。それで、どんな賭けだ?」

 

 いつも通りの軽口を叩いてみせるが、これから現れる人間が誰かによって、二人の運命は大きく変わってくる。

 

「これから現れるのは、男か、女か、だ」

「敵か味方じゃないのか?」

「それじゃつまんねえだろ」

「じゃあ、私は女にしておくぞ。若い女性だ。というかもうアサシンでいい」

「何だとっ!? 俺に男を選べというのか!? イヤだ。俺も女が良い!」

 

 割と本気で抗議するキャスターに呆れながら、署長はエレベーターが地下に降りたことをノートパソコンのモニターから確認。テーブルの端から顔を覗かせてその時を待つ。キャスターも逆側から同じ事をする。

 そういえば女癖の悪さもこの英霊の特徴の一つだった、と今更ながら署長は思い出していた。そして革命を経験している分、戦闘経験もそれなりに豊富だったことも思い出す。足手纏いにはなるまい。

 

「じゃあ、俺はもっと幼く可憐な美少女に賭けよう! ボーナスチャンスで一気に倍率ドンだッ!」

 

 何がボーナスで何がチャンスで何が倍率ドンッ、なのかは知らないが、署長はそうした言葉の応酬の最中であっても油断はしていない(キャスターについても同様であると思いたい)。自らの装備をチェックして、退路を確認する。データ解析の途中であるノートパソコンを持ち逃げたいところだが、そこは邪魔にしかならなさそうなのですっぱりと諦める。

 

 この部屋の入り口は三カ所ある。前方に一カ所、後方に一カ所、後は地下の下水道へと通じる隠し扉が一つある。数年前までとある犯罪組織が使用してきた曰く付きの秘密基地である。こうした時の備えは万全だ。

 その組織を壊滅し全員検挙した当の署長が太鼓判を押すのだから間違いない。

 

「来るぞ」

 

 エレベーターの扉が開く音がする。廊下に敷き詰められた厚手の絨毯は廊下を歩む音を消し去る。今更ではあるが、攻められたときの備えを完全に怠っていた。わずか数時間で行えというのも無理からぬ話ではあるが、少なくとも絨毯は取り払っても良かったかも知れない。そうすれば人数くらいは把握できただろう。

 そして、ドアノブが回り、二人がいる部屋へと侵入者が現れ出でる。

 

「……何を、しているのですか?」

 

 一目見てこの状況を看破したアサシンの呆れたような一言に、二人はどっと疲れた顔をしてみせた。額の汗を拭い取り、拳銃をホルスターへと戻しておく。緊張の糸が切れれば、喉が渇き腹が減ったことにも気付くものだ。

 

「……ほらな、私の勝ちだ。夕飯はキャスターが作るんだな」

「いや、勝ったら何かするか決めて――」

 

 ほぼ同時に、二人の視線は一点に収束される。

 疲れているのだろう、と二人は思った。

 何せ、こちらは潜伏中のお尋ね者。この地にいる以上袋の鼠に違いはなく、このままだと追い込まれるのは間違いない。自らの力で状況の打破は難しく、蜘蛛の糸より細い希望に頼るより他はない。ろくな睡眠どころか休息すら取れぬ中、ストレスは今がまさにバブル期真っ盛り。

 

 大抵の薬物には軍人時代から耐性をつけていたりする署長であったが、時折ドラッグの後遺症とも思える症状にうなされることもある。キャスターもまた大抵の悦楽を金の力で叶えてきた経験があるのでこうした禁欲生活に慣れている筈もない。

 両者の結論は同じだった。

 やはりストレスには勝てなかったようである。

 

「そういや以前健康診断とかいう名目で俺の脳内を調査したことがあったよな? 後で聞いたところによると、と俺の視覚野と聴覚野がともに高い活動レベルにあったらしいんだよ。リアルな夢を見たり幻視や幻聴があってもおかしくないってよ」

「ふむ。しかしリアルな感触がある。視覚連合野に送り込まれる映像、体勢感覚野によって得られる感触、それら脳内ハイウェイのどこかに直接実在し得ない筈の疑似情報が送り込まれてるみたいだな」

「おお。集団幻想とかいうやつだな。本当に手触りがあるような感触がくる。しかし惜しいな。せっかくなら絶世の美女を願っていればよかったぜ」

 

 現実主義者の署長と快楽主義者のキャスターに頭をごしごし撫でられながら怯えて何も言えずにいる椿を見ながら、アサシンはやはりここに連れてくるべきではなかったと少しばかり後悔していた。

 

 



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day.08-05 方舟断片

 

 

 その宝具の名はその開発コードをそのままとって《ノア》と名付けられている。その名からも分かるように、元となったのは旧約聖書の創世記に登場するノアの方舟そのものである。

 

 アララト山で発掘された断片は既にその機能を失いつつあり、キャスターの力量を以てしてもその断片が真価を再現するには至らなかった不遇の宝具である。だが、かつて世界を滅ぼした大海嘯『ナピュシュティムの大波』に耐えるべく作られたこの宝具は、現代においてなおその機能を所有者不在のままに効果を発揮する。

 その効果は、

 

「局所的時間停止――いや、時間遅延ってところかな」

 

 そんな結論を、ランサーは罠にはまる前から気づけてはいた。

 ギルガメッシュ叙事詩にも登場する方舟である。実を言えば生前にその作り方を耳にしたこともある。確か当時の触れ込みは時間遮断の域にあった筈だが、皮肉にもどうやら長い年月で劣化しきってしまったらしい。

 とはいえ、別段懐かしさからランサーはこの方舟断片(フラグメント・ノア)に取り込まれたわけではない。通常のサーヴァントであればこの結界から脱出するのさえ困難であろうが、ランサーに限っていえば例外である。いつでも脱出できるのだから、いっそのこと敵陣深くに侵入しようという魂胆であった。

 最初は、であるが。

 

「しかし、困ったことになりました」

 

 方舟断片(フラグメント・ノア)の結界は時間遮断ではなく時間遅延である。それ故に時間の影響を受けてはいるが、周囲の光や音といったものも当然出入りしている。こうしたランサーの呟きも外に筒抜けなのだが、ただの人間にこれを聞き取ることは不可能だろう。

 方舟断片(フラグメント・ノア)の内側と外側での時間差はおよそ一〇〇から二〇〇倍で一定ですらない。それは結界内側にいるランサーにも当てはまることであったが、人ではないランサーにとって何倍速で話されようと言葉を理解するのは然程難しいことではなかった。

 だがこうして情報収集している間にきな臭い話になってきた。

 

 時間としてはランサーが捕獲されてから約半日後のこと。詳細は不明であるが、どうやら親友の手によってスノーフィールドの街は大惨事になっているようである。実際に見ていないので何ともいえないが、街がゴーストタウンと化したという話はあちこちから聞こえてくる。もちろん、それだけならランサーにとっては些事に過ぎない。

 

 問題は、その直後にこの結界に囚われた者がランサーだけではなくなった、という話を耳にしたからである。しかもそれが一人どころではなく、全員が知己ともあれば尚更である。いや、まだ知古程度であればまだランサーも悩まずに済んだともいえよう。

 

 召喚されてから、ランサーが助ける義理を持ってしまったの者が複数人いる。己がマスターを保護し助けたティーネ・チェルク、フラット・エスカルドス、繰丘椿の三名だ。他のマスターや親友を除くサーヴァントならば、容赦なく見捨てるつもりであった。

 だが、捕まったマスターは事もあろうに無視するわけにはいかぬ者ばかり。

 

 ティーネ・チェルク。

 フラット・エスカルドス。

 そして――銀狼(マイマスター)

 

 さすがのランサーもどうしようと悩まざるを得なかった。これは何かの試練だろうかと思わなくはないが、単純に敵がこちらの予想よりも数枚上手であっただけだろう。

 

 ランサーが銀狼と長時間離れて行動していたのは、単純にその方が見つかる可能性が低くなるからだ。

 森の中でランサーがいればどうしたって目立つし、どんなに素早く動けようと視線という網の目を全てかいくぐるのは不可能に近い。街中に出てこない限り銀狼は単体で行動していた方がよっぽど安全な筈であった。

 

 マスターの状況を完全把握していたわけではないが、ランサーは然程心配してはいなかった。銀狼も銀狼で怪我が治ったばかりの体力不足もあって、よほどのことがない限りあの場から動くことはしない。むしろ、何か動かざるを得ないような事態があればパスを通してその感覚は結界の内外を問わずに共有できる筈。

 だというのにそれすら、ない。

 

 外界での時間はわずか一日足らず。その間に銀狼の位置を特定し気付かれる間もなく捕獲してみせるその手際は鮮やかを通り越して異常過ぎる。これはもはや練度がどうとかの域ではない。

 すぐさま結界を壊しマスターをはじめ他二人を助け出さなかった理由は、そうした不可解な状況を早急に打破すべく、情報収集が必要と感じたからだ。力任せに何とかできる状況ではない。

 

 幸いにも結界に囚われた、ということはその身の安全は保証されているともいえる。

 しばらくは、であるが。

 

「……やれやれ」

 

 状況把握に努めようと耳を欹てても入ってくる情報は真偽も分からず、どれもこれも断片的な上に暗雲立ちこめるものばかり。やはり場所柄、入ってくる情報にも限界があった。

 

 ランサーが封印されているのはスノーフィールド中央地下にある格納庫内の片隅である。

 普通こういった捕虜を幽閉するのは狭い独房と相場が決まっているが、諸事情によりそうもいかなかったらしい。情報源たる見張りの愚痴によると、ランサーを捕らえた方舟断片(フラグメント・ノア)は一辺一〇メートルはある巨大なもの。オリジナルを除けば一番大きいものらしく、基地内でもこの場所ぐらいしか置いておくことができなかったようである。

 だがそのおかげで方舟断片(フラグメント・ノア)を壊すことなく、ランサーは労せず情報を集めることができた。

 

 格納庫に出入りする人通りは意外に激しい。

 ランサーが封印されているとはいえこの地下格納庫は当然のように大型重機や魔力の香り漂う航空機が鎮座していたりする。出入りしているのはそうした機器の整備兵なのだろう。封印されたランサーに危機感すら抱いていない者も多く、中には静止したランサーを写真に撮る者まで出てくる始末。程度は低くとも雑談だけでも情報には事欠かない。順調すぎて罠を疑いなくなるくらいである。

 

 その雑談から他三人の状況を推測するに、ランサーのものよりもかなり小型の方舟断片(フラグメント・ノア)は、いつでも移動可能なようトラックの荷台で管理されているらしい。

 結界を解いて殺していないところから、彼らの役割は人質なのだろう。

 サーヴァントであるランサーはこうして封印するだけで意味はあるが、捕まえたマスターについては他のサーヴァントを釣る餌とする必要がある。特にティーネと銀狼が捕まったとなれば親友が動かぬ筈もない。

 

 簡単に予測できるだけに、敵の作戦は明白だった。

 狙いはアーチャーただ一人。親友をおびき寄せ罠に嵌め、自らの優位を持って殲滅する。いくらマスターを必要としない単独行動スキルがあるとはいえ、マスターをあっさり殺されることがあれば、英雄王の名に傷が付く。見え見えの罠であろうと、この挑発に親友は乗らざるを得ないだろう。

 作戦の詳細までは掴めなかったが、決行日時と場所は掴んだ。そしてひっきりなしに格納庫で人が駆け回り、運搬用トラックが何台も出て行っているところから、かなりの数の実働部隊がこの作戦に参加するらしい。

 

 慌ただしいことだと思いながら、ランサーはその時を待つ。

 本来ならもっと時間がかかると踏んでいただけに、計算違いではある。何でも、スノーフィールド市内における重要拠点が奪われたとかで、作戦が前倒しになったせいらしい。敵も計算違いのようであれば、つけ込む隙はそこになるだろう。

 

 アーチャーが罠に飛び込むのは確定だ。後はバーサーカーとアサシンが乗り込む可能性が高い程度。けれども罠の中央にいる筈のマスター達に辿り着いても、この方舟断片(フラグメント・ノア)から解放する手段がそうあるとも思えない。

 

 だからこそ、ランサーは作戦開始丁度一〇分前に無造作に槍を振るった。

 

 元来、方舟断片(フラグメント・ノア)における時間遮断は種の保存という神の指示に因ったものである。しかし宝具内部の空間容量には自ずと限度がある。恐らく断片となってばらけたことで、その機能と容積がかなり落ちたせいだろう。その証拠にランサー一体を内包するだけで内部の時間経過にもムラができ、本来の機能に遠く及ばない性能にまで劣化してしまっている。

 

「「――――!!」」

 

 二人の見張りは異変には気付いたが、それ以上のことには気付けなかった。声を出すことすらできず、その首は床へと無慈悲に落ちていった。当然だ。あの時間の檻の中にあって通常通りに動くことなど予測できる筈もない。

 彼らにとって不幸だったのは時間遅延という機能上、方舟断片(フラグメント・ノア)についての十分な限界値を調べられなかったことにある。キャスターでさえ、方舟の断片を強力な時間遅延結界としてしか認識できていなかったのだから、当然であろう。

 

 ランサーが突いたのは方舟断片(フラグメント・ノア)の欠点。種の保存を使命とする宝具は結界内部の生体数が増すにつれて脆くなる性質を併せ持つ。通常であればサーヴァントであろうとどうにかなるものでもないが、ランサーが振るうのは生命の記憶そのものともいえる創生鎗ティアマト。

 例えオリジナルの方舟がもつ時間停止の結界であっても、許容量を遙かに超える種を蓄えるこの創生槍には効果がない。

 だからこそ、ランサーにとってこの結界は『例外』なのである。

 

 振るう一撃で方舟断片(フラグメント・ノア)と見張り二名を無力化。そして、再度振るった二撃目で格納庫内の悉くを上下に分割してみせる。人も、重機も、そして格納庫の柱そのものさえも。

 

「……さて、残り一〇分で作戦開始。なら急がないとね」

 

 この場が地下にあることは把握済み。可能ならこのまま地下深くに降下して“偽りの聖杯”をどうにかしたいところである。したいところではあるが、その前にマスターである銀狼を殺されてはランサーが消滅してしまう。アーチャー以上にランサーも無視できないのだ。

 

 この地下格納庫を壊したのは脱出路を作るというだけでなく、時間稼ぎの意味もある。

 どれだけ時間が稼げるかは不明だが、この惨状を作り出したのがランサーだと確認できなければそれで良い。作戦開始一〇分前という時間も狙ったのもそのためだ。そして横合いからイレギュラーが飛び出す頃合いとしても丁度良い。

 

 作戦開始は正午きっかり。それまでにランサーは崩れゆく地下格納庫から脱出し、罠が張られたスノーフィールド南部砂漠地帯を強襲せねばならなかった。

 

 落ちてくる天井の鉄骨を眺め見ながら、ランサーは天井を貫き、南へと駆けだした。

 

 



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day.08-06 協力要請

 

 

 時間は少しだけ遡る。

 ランサーが方舟断片(フラグメント・ノア)を破壊し脱出する半日前、日付が変わろうとする深夜。北部丘陵地帯に構える原住民達の要塞にある、厚手の絨毯だけが敷かれた一室に三つの影があった。

 

 三つの影の内の一つはスノーフィールド原住民を現在統括する三人の相談役の内の一人、そして後の二つはキャスターのマスターである署長と、ライダーをその身に宿した繰丘椿である。

 

 相談役は明らかに歴戦の勇者にして現賢者といった壮観な顔つきであり、それに負けず劣らずの気迫がある署長である。胡座をかいて存在感をにじみ出す両者に挟まれ、椿はただ一人慣れぬ正座を崩そうともせず恐縮をしていた。ライダーが必死になってそんな椿を慰めようと左手で携帯電話を操作するが、それもどれだけ役に立っているかは分からない。

 

「どうやら、あの情報は本当だったようだ」

 

 そんな椿を相談役は一瞥して情報の真偽を確認した。

 夢の中での戦闘はロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)によって原住民にも伝わっているが、それ以降については何も知らない筈。だというのに、ライダーが未だ健在でしかも椿の中に存在していることに驚きもしなかった。

 

 端から見れば重圧に耐えきれず携帯ゲームに興じる少女にしか見えないが、その所作は所々に不自然。正座で足が痺れぬよう血流をコントロールしているのか、身体の随所に魔力が巡っている痕跡がある。怪しむことはできようが事前に情報を仕入れておかねば解答に辿り着くことなど不可能だ。

 

「なかなかに耳聡いですな」

「なに、お主より多少知っているに過ぎん」

 

 ブラフかとも思い探りを入れようとする署長に対し、ティーネの叔父を名乗った相談役は軽い挑発をもって返してきた。

 

 敵同士ということもあり、両者の間に火花が散る……などという陳腐な展開はない。

 末端はともかくとして仮にも互いにトップに近い者同士、私怨をもって軽率な行動をするような恥ずかしい真似はできようもないのだ。せいぜい外交として右手で握手しながら左手で殴りあうくらいのものである。分かりやすい示威などここにあっては無意味なのである。

 

 とはいえ、情勢が多少動いた程度で互いに敵である立場に違いはない。敵の敵は、やはり敵になのだ。本来であればこの場に両者が面と向かっているのもあり得ない光景なのである。

 そのあり得ない光景をあり得るものとしたのが、誰であろう両者の間で縮こまっている少女である。

 

「そんな携帯電話では会話に不自由するだろう。これを使いたまえ、ライダー」

 

 署長の存在など無視するかのように、相談役は懐から無造作に片手サイズの機器を取り出す。拳銃といった火器を署長は持ってきてはいないが、ボディチェックも受けてはいない。急に懐に手を入れ何かを取り出す所作をすれば、大抵の人間は警戒する。敵同士であれば尚更だろう。署長が拳銃を持っていれば大事になりかねないことを、相談役は平然と行ってみせた。

 

「………」

 

 だがそれもすべて相手の行動から心の内を推測する手段に過ぎない。署長は相談役の所作に指先一つ動かしはしなかった。その様子を相談役は視界の端でしっかりと観察している。

 

「えっと、これは何ですか?」

 

 そんな心理戦があったことなど露知らず、椿は受け取った機械を警戒することもなく受け取り、相談役の助けを得て装着してみる。

 左手首をバンドで固定すれば左手の指がその機械のボタンやスイッチにフィットする形となる。少し不便ではあるが、常に携帯電話を持ち続けるより自由度は大幅に増している。

 手にしていた携帯電話が、さりげなく椿の手から離れ床に置かれた。

 

「意思伝達装置とは珍しい。そんなものまで用意していたのか?」

「その気になれば心臓移植だってこの要塞内で可能だ。ライダー、悪いが操作をレクチャーする気はない。勝手に試して覚えてくれ」

 

 署長の言葉に気軽に応える相談役だが、その実要塞内の充実ぶりを誇示しているに過ぎない。でなければ医療用に市販されているとはいえ、こんな稀少かつ必要性の低い機械が用意されている筈がないのだ。

 

 後半の相談役の言葉にライダーは主人と反比例するように警戒しながら魔力を用いて機械の中を走査し、安全を確認。内部のプログラムを器用に読み取りながら、ものの数秒で操作方法をマスターしてみせる。

 

『ありがとうございます、ミスター』

「礼には及ばんよ」

 

 ライダーが操作しているのは本来であれば筋萎縮などで意思疎通が困難な者のために作られた医療用の音声発生装置だ。時にミリ単位の操作も必要となるが、慣れればリアルタイムで話すことも不可能ではない。

 

『これで椿ともお話ができます』

 

 音声システムは旧式なのか、ややたどたどしい言葉が発せられる。

 

「良かったね、ライダー。おじさんもありがとう!」

 

 単純にライダーとの会話を喜ぶ椿ではあったが、署長としては素直に喜べぬところである。これでライダーは意思疎通のために声を出さねばならぬデメリットを得てしまった。

 携帯電話が床に置かれた以上、相談役に見えぬよう文面でこっそりとライダーの意志を確認することができなくなったのだ。

 プレゼントと称して内緒話を封じられたのは拙かったのかも知れない。

 

「夢の中での共闘は私の耳にも入っている。我らが族長がその身を挺して守ろうとした御仁だ。丁重におもてなしをするのも当然であろう」

 

 好々爺然とした態度で椿に接してはいるが、これは明らかに署長はその範囲外であるということだろう。

 

「それで――一体何用かな、キャスターのマスター殿? いや、この際だからスノーヴェルク市警署長様とでも言った方がいいかな? おっと、『元』と付けた方が良かったかな?」

 

 相談役の言葉は部下と令呪を失ったという皮肉だけでなく、署長の奸計の一端を的確に表していた。

 

 わざわざ部下に対しても署長という役職で呼ばせていた理由がこれだ。

 スノーフィールドにはスノーフィールド市とスノーヴェルク市の二つの市がある。それぞれの街にはそれぞれの警察署があり、その管轄も分かれている。とはいえ、その規模には大きな溝があり、連携して動くことも多いため、事実上スノーヴェルク市警はスノーフィールド市警の下部組織と見なされることが多かった。行政機関でさえその事実を忘れることもあるというのだから、地元市民達の認識は尚更である。

 

 だから、そこを署長は利用したのだ。

 

 スノーフィールドの警察署長には違いない。しかし、スノーフィールド市の警察署長ではない。

 種を明かせば大した事実ではないが、情報を錯綜させる手段というのは偽るだけではないのである。事実、そうした誤解を招く言い方によってバーサーカーは結果的にランサーを方舟断片(フラグメント・ノア)の罠へと嵌めてしまっている。

 

「その肩書きは――」

 

 守るべき市民がいなくなった今、果たして自分が署長と呼ばれる意味があるのかと署長は逡巡した。

 もはや二十八人の怪物(クラン・カラティン)の隊長でもなく、令呪を失った今となってはキャスターのマスターとも面と向かって名乗れはしない。かといって、今更数ある偽名の一つに過ぎない名前を名乗るのもどうだろう。

 そして一巡し、やはり署長は自らの立場を表す記号が一つしかないことを確認した。

 

「――いや、そのまま署長と呼んで欲しい」

 

 『元』と付けることなく、署長は静かに宣言する。

 もはやこの戦争における署長という肩書きの意味は決定づけられている。確かに二十八人の怪物(クラン・カラティン)の隊長やキャスターのマスターという立場は不明であるが、スノーヴェルク市警察署長という立場は辞令が下りたわけではないので顕在である。

 それに、こうして市民を救おうと右往左往しているのだ。警察官としてこれ以上になく正しい行動だろう。

 その言い方が面白くないのか、相談役はわざとらしく鼻を鳴らす。雰囲気を悪くするような行動であるが、それもまた交渉術の一つである。署長としても、それは承知している。

 承知していないのは、椿だった。

 

「てぃ、ティーネお姉ちゃんを助けたいんです!」

 

 悪くなった雰囲気をかき消そうと、椿は何の前振りもなく、突如としていきなり本題を切り出してきた。

 祖父と孫ほどに年の離れた者に頼みごとをするなど椿にとってはかなりの勇気を必要としたが、それだけに必死さだけは相談役にも伝わってきた。交渉を有利にするべく署長を挑発し続けた身としては、椿のその勇気は些か眩しすぎる。

 

 相談役が署長から椿に視線を移し、眼を細めた。

 椿にとって、ティーネは間違いなく大切な人だ。過ごした時間こそわずかであるものの、椿の孤独を救い、癒やし、家族として迎え入れんとしたのは他ならぬティーネ。そして、椿はまだあの時の答えをティーネに伝えてはいないのだ。

 ティーネに会いたい。

 そのためなら、椿は何だってしてみせるだろう。

 

「……ま、それ以外に用件はないわなぁ」

 

 そして二度、相談役は無造作に懐に手を入れた。ただし今度出してきたのは先のような立体的なものではなく、一枚の紙切れ。それについては椿も署長も見覚えはある。陽が落ちようとする一時間ほど前に、古典的ながら風船を使って市内全域にバラ撒かれた紙切れである。ご丁寧に魔力を介さねば中身は読めないようになっている。

 

 内容は実にシンプル。アーチャー、ランサー、アサシンの各マスターを明日正午、南部砂漠地帯にて処刑する、とだけ書かれている。交換条件すら書かれていないこの紙は執行通告書に他ならない。

 小細工無用、助けたければこの場に来い。そうした挑発が透けてみるかのよう。それだけに、無視することなどできはしない。

 

「私としても、このマスター達を助けたい」

 

 相談役の顔色を窺い、互いに共通の認識を持っていることを確認してから、署長は頭を下げた。椿も慌てて同じように頭を下げるが、この場での違和感に気付いた様子はなかった。純真無垢、椿のそうした態度を署長は最大限に利用する。

 椿は理屈ではなく、心で動いている。その様子に相談役は苦笑した。

 

「中々面白いことを言うではないか。処刑されるのは我らが族長。頭を下げるのはむしろ我々の方ではないか」

 

 先に頭を下げ交渉の矢面に立つ署長に言っているようではあるが、相談役の言葉は椿へと投げかけられたものだった。

 そう、処刑されるのはいずれも署長には直接面識のない者ばかり。むしろ敵として殺し殺されるのが当然の間柄。それをわざわざ敵陣に乗り込んでまで助力を請うのはおかしな話なのである。

 もちろん署長には署長の目論見がある。そのためにはここの原住民の協力は必要不可欠であり、当初は諦めざるを得なかった。繰丘椿、というカードを得る前までは。

 

 ティーネと椿の関係性は既に周知の事実だ。椿がティーネを助けたがるのも自然なことであり、椿と同盟を結ぶということで署長は原住民との協力の切っ掛けを得ることに成功した。これが署長だけなら話を聞くこともなく殺されていたことだろう。未だもって綱渡りに違いないが、署長からすれば大きな前進である。

 

「だが、残念ながらそれは応じられぬ相談での。我々は既に当の族長本人から無駄に兵を消費することを禁じられておる」

 

 そして案の定、相談役は椿と署長との協力要請を思案する様子もなく拒否してきた。

 理由としてはもっともであり、そして実際にそうした命令をしたという情報も漏れている。命令直前に急進派の相談役を粛正したということもあり、こうなることは予想通りである。

 

 原住民が積極的に動くことはない。それは族長の命令に逆らうことでもあり、アーチャーの籠城策に異を唱えることにもなる。確かに族長たるティーネの処刑は原住民にとって大変なことではあるが、原住民とて軽々に動くわけにはいかないのである。

 そして、アーチャーとティーネのそれぞれの指示は、決して間違いではない。

 

「そんな! ティーネお姉ちゃんを見捨てるって言うんですか!」

 

 バン、と厚手の絨毯を叩いて相談役に詰め寄る椿。椿の悲痛な言葉に相談役も無碍にはできず、返す言葉は優しかった。

 

「ワシらとて救いたい気持ちに変わりはない。だが、これは戦争なんじゃ。迂闊に動くことはできず、必要ならば涙を呑んで姫様を犠牲にせねばならぬ時がある。今が、そうなんじゃ」

 

 見捨てることで、原住民にも得るモノがある。それは時間だ。

 新たに二十八人の怪物(クラン・カラティン)を率いることになったファルデウスが何故にこうも性急な作戦を決行したのか、それは短期決戦を望み、数日以内に戦争終結を目指すことにある。

 

 スノーフィールドの異常性は、もはや世界にどうやっても隠しきれるものではない。このような事態になった以上、外からの介入と同時に戦争は無理矢理にでも終結させられる。教会と協会はどんな犠牲を払ってでもこの“偽りの聖杯戦争”をなかったことにするに違いない。

 

 戦後を睨めば、選択肢は自ずと決まってくる。

 傍観していただけの原住民にもペナルティがあるだろうが、このスノーフィールドの霊脈を管理する観点から排除される心配は少ない。結果的に他勢力は全て取り除かれることになれば、それは原住民にとって十分戦果に値するものだ。

 

「それに、南部砂漠地帯に戦力を派遣するだけでも、ワシらには無理じゃろうて」

 

 相談役の諦めた声色もまた事実。

 この原住民が現スノーフィールド最大派閥であることは間違いない。だが、これは純粋な数としての話。女子供も数多く、戦える者はあまく見積もって四〇〇人。前線で戦える者はその半分にも満たず、統制が完全にとれているわけでもない。この要塞の防備を崩し部隊を編成したとしても、太刀打ちできるだけの戦力を用意することは土台不可能だ。

 それに、この要塞はスノーフィールドの北部。南部にある砂漠へと行くには長く行進せねばならず、いくら街の中央拠点が失われたとしても決して安全に行き来できる場所ではない。

 

 彼らができることは最初からひとつだけ。

 英雄王の裁きが下されるのを座して見るのみ。

 祈ることさえ、そこにはない。

 

「……良いのですか、それで?」

 

 端的な署長の言葉に相談役は黙らざるを得なかった。

 彼らの行動は臆病者の誹りを受けても仕方ないものだ。いくら理があろうとこの決定に納得しない者は多かろう。その筆頭である英雄王と良好な関係を今後築けるか、といわれると疑問でしかない。

 

「アーチャーは勝手気ままに独自行動をとっています。そしてこの地を拠点とすることもしない。原住民はアーチャー陣営とは名ばかりの完全に盤外の集団と成り果てますが――それでもよろしいのですか?」

 

 意趣返しとばかりに意地の悪い言い方を署長はする。

 実際、アーチャーは聖杯戦争三日目からこの要塞へ帰っておらず、連絡もとれてはいない。この状況で原住民が傍観に徹し、ティーネが処刑されることがあれば、アーチャーと原住民との関わりは完全になくなることになる。

 

「『蛮勇』ならば、族長が自ら示しておられる」

 

 それで代償となるとは本人も思っていないだろう。

 相談役の中には英雄王の信頼に応えるべく、その身を散らせていった者もいる。彼を見習うのは簡単だろう。身内の一人として、その生き様に胸を打たれぬわけがない。

 だが、自己犠牲を強いるにはこの原住民の組織は大きくなりすぎていた。守るべき家族を持ち、まとまることで精一杯な手足があり、そして最小の犠牲で目標へ至れる道標が目先にちらついていた。

 

 これは安易な妥協ではない。

 考え抜いた末の、苦渋の決断なのである。

 

 英雄王が彼らのそうした言いわけを聞くとは思えない。だが、少なからず理解はしてくれるだろう。相手にする価値はないとして今後の関係悪化は免れまいが、視界に入らぬ小物にわざわざその手を下そうとする性格ではない。

 

『……ならば何故、我々に会って下さったのですか』

 

 そこにためらうように質問してきたのはライダーだった。

 既に椿を超えた知性を持った彼である。この相談役が何を思って椿だけでなく署長同伴でこの場で会ったのか、ライダーはその解答を得ている。得ていながら、敢えてライダーは言葉に出した。それがこの場での役割だと、ライダーは自覚していた。

 

 実をいえば、この場での会合は交渉などではない。椿も署長も、共にサーヴァントを失ってはいないが令呪を失った状態。表向きには聖杯戦争に敗退したマスターを保護する、という名目を取り繕って行われている。

 もちろん、一陣営に対してそんな応対をする義務はない。会う必要などどこにもない。

 だから、署長は賭けたのだ。義務はなくとも、椿に対しての義理があると信じて。

 

『我々だけでは、助けられません』

「あなた達だけでも、助けられない」

 

 ライダーの言葉に署長も続く。そして、椿もその言葉に続いた。

 

「協力すれば、お姉ちゃん達は助けられます!」

 

 三者の畳みかけは些か演技が過ぎた。別に狙ったわけではないが、署長はこうなるだろうと予想はしていた。そして、相談役もこの展開になるだろうと思っていた。

 生き残った三人の相談役はいずれもティーネを慕う者である。彼らとて、内心としては族長を助けたいが、立場がそれを許さない。

 

 署長とキャスター、そしてアサシンというティーネと縁のない者がこの救出のためにその命全てをベットしたとしても、彼らは信用しようとはせずに傍観し続ける。

 だからこそ、椿という存在が両者の鎹となる。

 鎹となり、閉ざした扉を開ける、鍵になる。

 

「嬢ちゃん」

「は、はい!」

 

 しばし沈思した後の相談役の声に、椿は緊張しながらも応えた。

 椿の覚悟は本物だ。例えそれが子供の覚悟だとしても、椿は単独でも砂漠に乗り込むつもりだし、それでどのような目に遭おうとも後悔はしないと決めている。ここでティーネ達を見捨てれば、椿は生涯後悔することになるだろう。

 だからこそ、相談役は椿を試すことにする。

 ティーネと椿の信頼関係ではなく、署長と椿の関係を。

 

「そこの男が、嬢ちゃんの両親を殺したことは、知っているかな?」

 

 無造作に相談役が指さす先に、署長の姿があった。

 

 



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day.08-07 ライダーの主張

 

 

 ロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)によって漏れ出た情報は数あれど、その恩恵を受けぬ者もいる。

 そもそも電子通信機器を持たねばロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)の効果は発揮できぬ類のものである。それを持たねば当然恩恵は受けられないし、持っていたとしても使い方が分からねば情報収集のしようがない。

 

 繰丘椿が知りうる情報は、全て周囲から見聞きしたもののみ。深く険しい情報の樹海の中から自らの求める情報を得るには、この年頃の子には難度が高すぎる。実際、椿は流出した情報について何一つ自分で調べてはいない。

 

 指摘された事実に、署長は何のアクションもしなかった。口を開くことはなく、態度もそのまま。呼吸にも変化はなく、視線すら動かさない。

 短くない時間が、三人の間で過ぎて朽ちる。

 

 今日という日は、椿にとって密度の非常に濃い一日だ。疲労の蓄積はライダーの補助があったとしても、なかったことにできはしない。日付が変わろうとするこの深夜にあって既に彼女の体力は限界であり、精神力だけが頼りだった。

 

 ここで椿と署長との関係に亀裂が入るようであれば、話はそこまでだ。椿は保護の名目で幽閉され、署長は殺されることになる。原住民は動くことなく、状況は流れるままに任される。

 

「わっ……私は」

「私は?」

 

 促すように繰り返す相談役に、椿は俯きながらもはっきりと応えた。

 

「知って……いました。お父さんとお母さんを、殺したのは……この人だって」

 

 下を向いていた椿の視線が、ゆっくりと署長へと向く。涙など流さない。それは椿自身、予想していたことなのだから。

 

「正確には……多分、そうじゃないかと、思ってました」

「……ああ、そうだ。私が指示を出し、殺した」

 

 椿の言葉に署長は否定することなく、自らの責任であることを肯定した。

 ある意味、こうして指摘されることは想定した事態であるが、敢えて署長は椿にそのことを伝えてはいなかった。

 

 魔術師として当たり前の感覚を椿は持っていない。

 いくら署長が言いつくろったとしても、椿が署長の指示に完全に納得することは有り得ない。事前に言い含めることもできただろうが、それをしなかったのは署長もまた椿を確かめたかったからである。

 

 今後のことを考えると、これで敵討ちを言い出すようなら論外だし、怨恨が残るようならその程度ということになる。

 椿はこの場で署長の行為を許す必要があるのだ。棚上げや、条件付きの許しなど中途半端な真似は許されない。でなければ背中を預けることなどできるわけもなく、ティーネを助けることなど最初から不可能だ。

 ……もちろん、それだけ、というわけでもない。

 

「親の仇と肩を並べ、命を預け、恩人を助ける。話としては美談だが、それが嬢ちゃんにできるのかい?」

 

 幼い少女の双肩に、このスノーフィールドの運命がかかっていた。

 魔術師の両親を持ち、魔術師へとなるための下地こそあったが、所詮はそれだけ。そんな彼女に、重すぎる決断を相談役は強いてくる。

 

 大人の世界は汚いものだ。甘い話を持ちかけつつも、都合の悪いものには蓋をする。特にこの地は戦争の最中にある。騙し騙される日常において、騙される方が悪い。巻き込まれたとはいえ、大人の世界に無防備に入り込んだ椿こそが、悪かったのだ。

 

 椿は、ティーネを助けたいと署長に頼んだ。署長はその言葉に、「君次第だ」と答えていた。覚悟があれば願いは叶う、とも。そしてそのまま、この場へと連れて来られた。

 騙そうと思えば、いくらでも騙せた筈。利用するだけ利用して、捨てることは簡単だ。だからこそ、署長は騙すことはしなかった。黙して語らなかったのが、署長の精一杯の誠意だったのかも知れない。もしくはそれも計算の内なのか。

 

 ……そんな椿の胸の内を、ライダーはリアルタイムで感じ取っていた。

 

 ライダーは知っている。椿は死者と生者の秤を間違えてはいない。葛藤はあれど、その答えはもう出ている。繰丘椿は合理的に正しい答えを導き出していた。あと数秒もすれば、ことは上手く運ぶことになるだろう。この幼気な少女の心に傷を残しながら、状況は一歩前進する。

 形の上ではウィンウィンの関係だ。そこに異論が出てくることはない。

 

 それが、ライダーには我慢ならなかった。

 

『お二方は、何を勘違いしているのですか』

 

 椿が息を吸う。そして言葉を発しようとする直前、ライダーは意を決して話に割り込んだ。

 ティーネを助けるために椿は署長への恨みを持ってはならない。だが歪んでいたとはいえ、両親の愛を奪った者を簡単に許すことなどできはしない。納得などできる筈もない。どんな事情があろうとも、その事実を忘れ去ることなどできはしない。

 そんな無理難題を表向きにでも解決することを周囲の大人は望んでいる。椿には酷であろうが、ライダーも必要なことだとは思う。

 同時に、必要なのはそこまでだとも思う。

 これ以上椿に覚悟を強いるのは、些か虫が良すぎる。

 

 ライダーは、自分が二人に向けるものが殺意であることを認識する。

 それが自分自身にも向けられていることにも、気付いていた。

 

 ライダーは意を決した。

 覚悟を決める。

 

『椿の両親を、殺したのは、私です』

 

「ライダー! それは違うよ!」

 

 ライダーの突然の言葉に椿は慌てて否定する。ライダーが全ての切っ掛けであることには間違いない。だが何も知らず何も分からぬライダーが両親を救うことなどできよう筈もない。

 悪いのはこの聖杯戦争だ、などと椿だって言うつもりはない。

 責任はいつだって人間にある。両親を殺したのは、ライダーを御し得ずマスターとしての役割を果たさなかった愚かな少女一人でなければいけなかった。

 

『いいえ。違いません。椿の両親を殺したのは、私です』

 

 ライダーは、朗々と主張する。

 

『その責任は私のものです。

 その責任は私だけのものです。

 横取りなど許しはしません。

 他の誰にも渡しはしません。

 椿が恨めるのは、私だけなのです。

 椿が恨んで良いのは、私だけなのです。

 椿から恨まれて良いのは、私だけなのです。

 椿から恨まれる権利があるのは、私だけなのです』

 

 

『私だけなのです』

 

 

 子供を諭す大人のようなライダーの口ぶりに、相談役と署長は言葉を失い、椿は呆然となった。

 サーヴァントはマスターあってこその存在だ。分類上は使い魔の一種であり、強力な武器のひとつでしかない。拳銃で人を殺すとき、拳銃そのものに罪はない。ナイフで人を刺すとき、ナイフが悪いわけではない。

 

「……意外だな、ライダー。君は自らの存在定義を否定しようというのか」

 

 ただのサーヴァントならまだ分かる。しかし、こともあろうにその発言をするのは災厄の権化たるペイルライダー。原初の時代よりライダーが奪ってきた命の数は江河の砂の数よりも多いだろう。これは人のみならず動植物、果てや神や幻想種と呼ばれる存在にまで平等に死を振り下ろしたが故の数である。

 そんな彼が、責任を主張するなど自己否定も甚だしい。

 

『私がこの人格を持ち、己の意志で操った結果の死です。だからこそ、そんな私のために貴重な令呪を使い切った椿を、私は守る義務があるのです』

 

 それがライダーの責任であり、償い方だと主張する。両親の死の責任というのは牽強付会ではないかと思わなくもないが、筋は通っていた。

 

「ならば、君と関わり死んだ者の責も、ライダーにあるというつもりかね?」

『当然です』

 

 相談役の意地の悪い言い方にも、ライダーは即答する。

 ライダーは既に数万もの感染者を出している。

 その中の一人でも死ねば、それはライダーの責任となる。

 この場だけの話ならライダーのその言葉で凌げるだろう。過去についての精算はライダーが一手に引き受けることで決着を付けることができる。

 

「自分の言っていることの意味を分かっているのか、ライダー。君は過去のみならず、未来に渡って感染者の身の安全を保証しなければならないのだぞ」

『承知しています』

 

 署長の確認にも、ライダーはその意見を変えることはない。

 

「話が変わってきたな」

 

 署長の言葉に、さすがの相談役も困った顔をして頷いた。

 ライダーという保証人がいる以上、椿と署長の協力関係は強固なものとなった。相談役としては土壇場での椿の覚悟まで見据えて試したかったのだが、これ以上の揺さぶりは強大な戦力であるライダーの機嫌を損ねることに繋がる。

 

 ここでのライダーの宣言は、彼の守護対象が椿だけに限定されないことを意味している。夢の中で同盟関係を結んだティーネは無論、感染した者全てを、守護者としてライダーは全力で動くことを宣誓しているのだ。

 

 口約束の空手形とはいえ、大言壮語に過ぎる。いかに規格外のライダーといえど、とても信じられるものではない。第一、既にライダーが感染した者の殆ど全てが敵の手の中にあるだ。この事実を無視することなどできよう筈もない。

 

「……分かってるよ、ライダー。私はライダーのマスターだから、ライダーは私を利用して。私も、ライダーを利用する。

 だからまず、ティーネお姉ちゃんを助けるために、力を貸して、ライダー」

 

 ライダーの言葉の意味を真に理解していると思えずとも、相談役が要求した以上の椿の答えである。そこに異を唱えるわけにもいかない。

 アルベール・カミュ曰く、ペストと戦う唯一の方法は誠実さであるらしい。ならばライダーが誠実さを武器とするのも肯けよう。

 

「プレゼントをしたのは、失策であったかな」

 

 静かに笑う相談役も、これで腹は決まった。決めさせられた。

 ここで警戒するべきは、署長ではなかった。この場で最も目的に忠実で、覚悟があったのはライダーに他ならない。だとしたら、ライダーがこの場において何もしていないわけがない。

 この近距離だ。いかに抵抗しようともライダーがその気になれば“感染”を防ぐことはできない。そのリスクを恐れ、相談役は一人だけでこの場に臨んだ。いざというときを考えこの部屋を自分もろとも滅菌処理する手段も整えていたが、この様子ではそのための対処もしていることだろう。

 

「協力を、していただけますね?」

 

 相談役の心を読んだかのように、署長は何をするでもなく、ことの成り行きだけで成果を掴んでみせた。結果としてではあるが、想像以上の成果である。

 

「策士だのう」

「そうですよ。あなた以上の策士でなければこんな真似はしません」

 

 最初の挨拶の意趣返しとばかりに、署長はうっすらと笑ってみせる。対して相談役は静かな笑いから徐々に口角を上げ、最終的には呵々と大笑してみせた。

 

 双方にとって、これは非常に旨みのある話だ。実質損をしているのは椿とライダーだけであり、椿にとってもそれは最初から覚悟の内。あとはどれだけリターンを多く取り、リスクを減らすかが焦点となる。

 

「いいだろう。我々原住民もこの救出作戦に乗ることにしてやる――いや、乗らせて欲しい」

 

 そう言って署長と椿に深々と頭を下げる相談役。

 この場で原住民を代表して確約できるものではないが、後を任された三人の相談役の権限は大きい。残り二人の相談役に反対されることだろうが、無理に動かせる戦士の数は決して少なくはない。

 となれば、善は急げ。南部砂漠地帯に向かうための移動手段も含め、準備するなら早い方が良い。

 だがそんな相談役のテンションに水を差したのは、誰であろう協力を申し出た筈の署長本人であった。

 

「それは及びません。今回の南部砂漠地帯に原住民の方々は不要です」

「……ふむ?」

 

 署長の言葉に頭を上げた相談役の眉根に皺が寄る。

 歳を取りはしたが、相談役も一線級の戦士。周りが押しとどめようとも戦場で指揮官として出向くつもりですらあった。

 

「どういうことかな?」

「原住民の方々には別の作戦があるということです」

 

 相談役として、一度協力すると申し出た以上、戦力提供は譲れぬところ。物資提供などと生温いことなどするつもりはない。

 

「では、一体誰が我らが族長を助けに行く? あの東洋人が戦力などと戯けたことをぬかすのではあるまいな? それとも、お主が行くとでもぬかすつもりか?」

 

 アーチャーが出てくることは間違いないだろうが、それでは敵の思惑通り。それを打ち破るためにはそれ相応の戦力と策が必要である。それがないからこそ、署長達は原住民に協力を申し出たのではなかったか。

 だが、相談役が思い描いていた戦力と署長が思い描く戦力では、その意味はまるで違う。

 

 戦略と戦術ではその意味が違うのだ。戦術としてティーネを助けるだけの戦力ならば、現状で事足りるのである。

 もちろんその戦力の中に署長がいるわけではない。東洋人はキャスターが使うと聞いているので、署長の作戦には組み込めない。

 

「救出作戦にはこのライダーと、」

 

 署長は椿を見ながら、その手で二本の指を立ててみせる。

 

「キャスターだけで十分です」

 

 



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day.08-08 原住民交渉(裏)

 

 

 署長がキャスターの名を自信を持って告げた丁度その頃。

 その当のキャスターは、今まさに消滅しかけていた。

 

 戦争。

 まさに戦争だ。

 

 偽りの聖杯戦争、そのわずか一端に過ぎぬ戦いであるが、その経緯を語るにはあまりに密度が濃すぎた。

 北部丘陵地帯で行われた原住民、その穏健派との会談を『表』とするならば、キャスターが担当したのは『裏』であろう。即ち、ティーネ・チェルクが粛清した原住民急進派、その残党との調整である。

 

 同時刻に同陣営の反対派閥に接触するのはあくまで『表』が失敗した時の保険であるが、ただそれだけではない。署長達が勝ち残る――生き残る為には敵対するファルデウス陣営以外の協力が必要不可欠であり、手駒は多ければ多いほど良いし、結束は固ければ固いほど良い。

 同陣営ながら反目しあう間柄なので、意見調整ができるのであればそれに越したことはないのである。

 

 ここに、策略と陰謀と電撃戦と包囲戦と攻城戦と撤退戦と外交戦と内応と休戦と開戦と決戦の準備のための休戦と開戦の予備行動としての和平交渉が行われた。その場に至るまでに行われた戦争は数知れず。そして生まれた疑念と疑惑、誤解と行き違いも数知れず。本来では決して辿り着けぬであろうそのドラマに、全米は涙した。

 

 そして。

 その結末が訪れようとしていた。

 幾千幾万とあった大小様々な奇跡が織りなす物語は、ここに収束する。

 

 御存知の通り、この聖杯戦争で最も戦闘能力が欠如しているサーヴァントは間違いなくキャスターである。

 彼自身に従軍経験もあるが、比較的近代であるキャスターの時代の軍隊と現代の軍隊ではその練度は比べものにならない。銃弾飛び交う中で白兵戦をさせるなど論外であり、そもそも魔術師としてではなく劇作家として召喚されたキャスターは魔術を解することはできても習得はしていない。

 くどいようであるが、真っ当な戦力に数えられるサーヴァントではないのだ。

 

 だからこそ、キャスターが構えるのは拳ではなく舌。単純な戦力比を試算すればキャスターと原住民急進派は最低でも一対一〇〇以上。これを原住民急進派リーダーと一対一の決闘にまで持ち込んだのはキャスターならではの手腕と言えた。

 

 一対一で殴り合い、勝者が敗者の全てを奪うルール。

 魔術や武器の使用は認めない。時間は無制限。敗北条件は意識を手放す(消滅も含む)か、負けを認めるかの二択。

 

 一見すると対等な条件なのかもしれないが、まかりなりにもキャスターはサーヴァントである。生前こそ一般人並の身体能力だったかもしれないが、英霊としてパラメーター補正を受けて召喚されているので正々堂々ドーピングしているようなものである。ルールも抜け穴だらけで、破るまでもなくすり抜けるのに苦労はするまい。

 

 ここまで来た段階で、勝敗は決したようなものであった。

 そんな都合の良い条件にまで持ち込みながら、あろうことかキャスターは、追い詰められていた。

 

 酒でも飲んだかのように足元をふらつかせ、背後の壁に背中を預けるようにキャスターはそのまま崩れ落ちる。

 その姿はボロボロで、あと一撃でも喰らえば今にも消滅するまで消耗仕切っている。対して、対戦相手である急進派リーダーはほぼ無傷である。キャスターをあまりに殴りすぎてテーピングした拳に血が滲んでいるが、それを負傷と呼ぶにはさすがに無理があるだろう。

 

 キャスターは、もはや小指一本だって動かすことができない。今なら幼子であってもその命を奪えるだろう。血気盛んな若者であれば、尚のこと。

 

 急進派の中核がティーネ・チェルクによって粛清されたのはつい先日のことだ。人間と組織とではその共通点も多いが、相違点を挙げるとするなら、頭を潰されても生きることができるということか。

 そうしたわけで、ティーネの粛清後に急遽後釜に座ったのがこのリーダーである。血筋は確かで次代を担う者であるのは確かだが、当然そこに必要な知識と十分な経験、そして周りが納得できるだけの実績があろう筈もなかった。一対一の決闘を承諾したのだって、舌より拳の方が得意だからに違いなかった。

 

 勝敗は決した。

 リーダーはこれ以上にない程完璧にキャスターに勝利し、キャスターはこれ以上にない程完璧にリーダーに敗北した。

 

 元からの戦力に差があったことは、認めよう。相手の得意なバトルフィールドも承知していた。リーダーに慣れたルールであったことも知っていた。

 だからといって、弱いとはいえ曲がりなりにも英霊と称される存在が、緻密かつ確実な下ごしらえをしつつ、卑怯にも大人げなく宝具を隠して持ち込みながらこんな状況になるなど、一体誰が想定するというのか。当のキャスター自身でさえ、こんな消滅ギリギリのボロボロになるなどと想定していなかったのである。

 

「俺の……負けだ」

 

 そして、とうとうその言葉が紡がれた。

 ついに一度としてキャスターの拳はリーダーへと届くことはなく、一度としてリーダーの拳をキャスターが避けることはできなかった。この一方的な決闘に二〇分もかかったことを考えれば、健闘したともいえよう。

 

 キャスターの勝利が確定した瞬間である。

 

 がくりと膝を付き、急進派リーダーはその口から敗北を口にした。

 

「俺達の完敗だ、キャスター。俺達は、お前についていく――いや、ついていかせてくれ。いかせてください。俺達を――導いてください!」

 

 声が、急進派リーダーの口から響き始める。

 開いた瞳からは光が溢れ、かつて宿していた狂気に満ちた怒りを焼き尽くしてゆく。滂沱と涙を流し、己の不明を恥じて、自然とリーダーの身体は地に伏せていた。

 

「土下座とは大袈裟だぜ。ここはいつから日本になった?」

「いや、ただ頭を下げるだけなんて恥ずかしい真似できやしねぇ! あんたの気が収まらないなら、このまま俺を殺して欲しいくらいだ。さっきまでの無知蒙昧な猿山の大将であった過去の俺を、心の底から殺してやりたい!」

 

 ここに銃なりナイフなりがあれば自害しかねないリーダーを見て、ちょっとやり過ぎたかなー、とキャスターは思わなくもない。

 

「命を大事にするんだな。俺が何の為にお前に殴られたのか分からねえじゃないか」

「――! ああ、そうだ、そうだよな。こんな屑な俺のためにわざわざ身体を張ってくれたんだ。これを無為にしちゃ俺達原住民の名折れだぜ!」

 

 身体を張るも何も、実力でキャスターはリーダーに負けたことに違いないのだが、そこは黙っておく。

 

「まずは立ち上がれ。まかりなりにも急進派の頭目が皆が見ている前ですることじゃねえよ」

 

 キャスターが視線だけで周囲を確認すれば、この光景に目に涙を浮かべ感動している取り巻き連中がいた。アウェーで戦うスポーツ選手さながらの敵意を向けられたというのに、決闘前と後とでその態度が四八〇度ぐらい違う。一周以上するのはいろんな意味で凄いと思う。

 

「みんな、聞いたか! 俺達がしでかした数々の非礼よりも前に、この御方は俺を慮ってくれる! 俺は今猛烈に感動している! こんなすがすがしい気分は生まれて初めてだ。ありがとう、キャスター!」

「サン・テグジュペリだ。たとえおまえが世界中の全ての人間を敵に回したとしても、俺はおまえを支持する。俺の名前を胸に刻め」

「大切なものは、目に見えない――この俺の矮小さに気付かされるばかりだ。兄貴、と呼ばせてくれ――!」

 

 



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day.08-09 茶番

 

 

 ――なんてことが、あったりなかったりして。

 

「茶番ですね。反吐が出ます」

 

 と感想を述べながらどこからともなくアサシンはキャスターの傍に出現する。念のため拠点を出た時からアサシンには姿を隠して秘密裏に動いて貰っていた。別段驚くべき事ではない。

 

「……」

 

 そんなアサシンを地面に倒れたままキャスターは視線だけを返す。スカート姿のアサシンである。上首尾に運べばその中身を見られるかもとか欠片も思っていない。なのに何故かアサシンはキャスターに近寄ることなく絶対零度の視線を向けるのみ。仲間が床に倒れているのに助け起こさないとはどういうことだろうか。

 

「……」

「……」

「…………」

「…………」

「………………」

「………………」

 

 沈黙合戦が続く。

 キャスターが「俺は良いからお前達は自分のやるべきことをやれ」と言ったので急進派はもうここから立ち去っている。キャスターに肩を貸そうと動く者もいたが、アサシンに言いたいこともあったので丁重に辞しておいた。これを深読みしたリーダーが「絶対に肩を貸すな! 戻ってくることも禁止! ネズミ一匹通すんじゃねぇぞ!」などと言っていたのでここに第三者が介入する可能性は低い。

 本来ならそれが一番正しいのだが、この気まずい空気を前にキャスターはリーダーのその判断を恨みたくなってくる。

 

 口から先に生まれ出てきたような男である。こうした不要な沈黙には慣れていないし、嫌いである。そして片やあのアサシンだ。寡黙とか沈黙が得意とかそういうレベルではなく、母親のお腹の中にコミュニケーション能力を忘れてきたような女である。アサシンにとって、この状況は日常の空気となんら変わるところではない。

 土台、最初から沈黙合戦で勝てるわけがなかったのだ。会話の糸口となるべきツッコミどころもアサシンにとっては気にするようなものでもない。「お前がサン・テグジュペリってツラかよ、同じなのは性別と国籍くらいだっつーの!」などとアサシンが口にするわけもない。

 

 幸いにして一番重要な点をアサシンは理解している。理解していなければ、キャスターの傍らに付きそうような真似をせず、仕事は済んだとさっさとどこかへ行くに決まっていた。

 はあ、と肺の中の空気をキャスターは思いっきり吐き出した。喋ると口の中に鉄の味が広がるが、確認しないわけにもいくまい。

 

「……さて。アサシン。この状況をどう見る?」

「計画通り。何の問題もない」

 

 仕方なく切り出したキャスターの言葉に、アサシンは用意していたであろう台詞を完全無欠の棒読みで応えてみせた。

 

「ほう? これが計画通り、だと?」

「あなたが陽動。私が本命。結果、原住民急進派は無傷のまま穏健派と合流。

 何か問題がある?」

「この俺の怪我を見ても同じ言葉がいえるかなお嬢さん?」

「何か問題がある?」

 

 臆面もなくアサシンは同じ言葉を繰り返す。

 表向き、この会談の成り行きはドラマチックである。山あり谷あり。時折獣にも遭遇し、反目し、敵対し、運命の悪戯があり、助け合い、打ち解け合い、倫理規定と放送禁止コードにひっかかり、そして最後に驚愕の展開が待ち受けている。この場にたまたま居合わせた数十人の急進派は後世までこの幻想的な光景を生き証人として語り継いでくれることだろう。

 

 それが本当に幻想であることも知らずに。

 

「計画なら、俺とリーダーが戦う前に決着はついていた筈だぜ? おまえの《狂想楽園》ならこの程度なら朝飯前とか豪語してたよなぁ?」

「実際、朝飯前。あと六時間もすれば朝よ」

「そいつぁ傑作だな! 死ね!」

 

 とうとう回りくどい言い方をやめて直截な物言いになってきたが、それでアサシンが反省するわけもなかった。

 

 キャスターがここに来て声を荒げる理由も当然である。

 既に崖っぷちに追い込まれている自陣である。この期に及んでお上品な選択肢が取れるほど余裕はないし、そもそもそんなことに頓着するプライドなど最初から持っていない。

 計画ではキャスターが急進派の耳目を集め、その隙にアサシンが狂想楽園で洗脳する手筈であった。ローリスクハイリターンの作戦だったというのに、なぜ自分はこんなところで床の味を知らねばならなかったのか。

 

「……効果が、薄かった」

「だよなぁ! あいつらの目の中のグルグルが一個多くなるのに結構時間かかってたようだしなぁ!」

 

 目線をキャスターから逸らし、己の手を見つめるアサシン。その手は汗と見紛う液体に濡れていた。

 暗殺教団を組織した初代山の翁、その業である狂想楽園は対象者を忠実な狂信者へと変える業――と、伝え聞いた内容と少しだけその中身は違う。

 狂想楽園の正体は、術者の体内で薬物を作り出すラボラトリー能力である。

 

 人間が当たり前に備えているホメオスタシスを操作できれば、人間の可能性は飛躍的に多くなる。痛覚遮断や神経加速といったことは勿論、体内で毒を即興で作り出したりすることも可能。汗腺から毒を出し爪先で軽くひっかくだけで、対象は中毒に陥り術者から離れられなくなるという。

 

 ……どこかで聞いたような能力だが、人間が行うにはこれくらいが限度であろう。直接接触ではなく空気感染、しかも数万人の行動すら制御できるサーヴァントの方が例外で異常で規格外なのである。

 

「時間がなかったとはいえ、こんなことなら実験くらいしておけばよかったぜ。伝説より効果が弱すぎだろ」

「違う。毒そのものはもっと強力にすることは可能だった」

「じゃあなんで強力にしなかったんだよ」

「私の身体が作り出した毒に耐えられなかっただけ」

「尚悪いわ!」

 

 アサシンの告白にキャスターは身体が痛むのも無視して叫んだ。

 河豚が自分の毒に当たって死ぬようなものだ。過去の業を習得するのは結構だが、実用に耐えられる下地も習得しておいて欲しかった。

 この事実をアサシンはもう少し自覚するべきだ。

 

 一歩間違えただけでこの計画は水泡に帰していたかもしれない。水泡どころか、この事実を急進派が知れば、反乱が起こっていた可能性だってある。粛清によって急進派は大幅に弱体化したとはいえ、その反乱は署長の『予定』にもあったものだ。上手く事が運んだから良かったものの、薄氷を踏んでいた事実に薄ら寒くなる。

 特に、真っ先に怒りの矛先を向けられるのはキャスターだろう。宝具で守られながらこの様だ。とても生きて帰れるとは思えない。

 一般人にリンチされて消滅するサーヴァントなど前代未聞である。

 

「関係ない。いざとなれば、全員殺せば済む」

 

 青ざめるキャスターの顔色に、アサシンは事も無げに応じる。

 

「それくらいなら、毒を作るより簡単」

「それをされたくないからこんな回りくどいことをしてんだろうが!」

 

 怒鳴るキャスターにもどこ吹く風。とりあえずこれで報告の義務は果たしたとばかりに、アサシンはそれっきりどこかに消えていく。微風も起こってないところから回想回廊とかいう業ではなく、以前にバーサーカーを介して渡した『石ころ帽子』を使用したのだろう。その事実にキャスターは苦々しく思う。

 

 あの“石ころ帽子”にここまで完璧なステルス能力はない。あれはただ気配を薄め周囲に気付かれにくくするだけの宝具で、下準備さえあれば魔術で再現可能な程度のものである。実際に透明化しているわけではないのだ。

 だというのに、アサシンは創造主の想像を超えた使い方をしてみせる。霊体化もできぬのに目の前でああも完璧に消えられると、同じ条件で無様に姿を晒し動いているこちらの立つ瀬がない。

 今回の一件でキャスターが驚愕したのは、実はそこである。

 

 アサシンの気配遮断スキルが凄まじいのは知っている。同じく宝具の助けがあったのもまた事実。それでいて、急進派の注目はキャスターが一身に集めていた。お膳立ては整っているが、それだけでしかない。

 この広い空間に、数十人もの急進派が集まっていたのだ。その全員がそれなりの戦闘スキルを有した戦士である。その誰に気付かれることもなく、アサシンは狂想楽園を使用してみせた。

 キャスターの記憶では、気配遮断スキルというのは攻撃モーションに移れば極端にそのランクを落とす筈だった。だというのに、注意深く周囲の様子を伺っていたキャスターにさえ、アサシンは攻撃の瞬間を悟らせることができなかった。毒が回り時間差で様子がおかしくなったのを見て、ようやく気付けたくらいである。

 

 まさに天才――いや、化け物か。

 狂信者の看板すら生温すぎる。

 過去の業すらも彼女の本質にとっておまけでしかない。

 

「こりゃ、見誤っていたかもしれねぇな」

 

 ここでようやく、キャスターはアサシンのマスターであるジェスターが彼女に執着する理由に合点がいった。

 彼女の生き様は、彼女の能力に見合っていない。マスターとして彼女の記憶を垣間見ることのできたジェスターだ。その可能性は十分にある。

 

 久々に、劇作家としての血が疼く瞬間だった。

 無性にペンと紙が欲しくなる。

 

「アサシンのマスターは確か、砂漠地帯にいる筈か」

 

 アサシンをこっそりキャスターの護衛に付けて砂漠地帯へ赴く手筈だったが、ジェスターとアサシンが出逢うとシナリオが大きく狂う展開になりかねない。これは配置換えの必要があるだろう。

 

「……いや、これはいっそのこと欲張ってみるのも手の一つか」

 

 キャスターの頭の中で全ての作戦が練り直される。

 幸いにも、血気盛んで恐れ知らずな急進派をまるまる抱き込めたばかりだ。東洋人に担って貰おうと思っていたが、せっかくなので彼らに肩替わりして貰うとしよう。ついでに東洋人が持ってるアイテムも手に入れられれば万々歳だ。貴い犠牲となってもらう急進派が使うとでも言っておけば返す必要もあるまい。

 先程まで兄貴と呼ばれ慕われていたというのに、キャスターはそんな彼らの心情を踏みにじることを決定していた。盛大な嘘をついて扇動もしたのだ。それで心を痛めるくらいなら劇作家など名乗ることなどできやしない。

 

「やはり、これくらいやらないと面白くねえよな……」

 

 本音を吐露しながら、キャスターはニタリと笑った。

 しかし、目下のところ一番の問題点は放置されたままである。

 明日の作戦は、全員参加が前提条件である。一人で立ち上がることすらままならぬキャスターが果たして作戦に挑めるのか、当のキャスターにも分からない。

 まさか作戦立案や事前準備、戦闘以外で地味に大ピンチに陥っていようとは、敵味方含めて誰も想像すらしていないことだろう。

 

「いてぇな、チクショウ」

 

 作戦開始まで、残り半日を切っていた。

 

 



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day.08-ステータス更新

 

 

day.08-01 裏技

 

 無人となった市内で、バーサーカーは謎の集団に襲われる。誘導され追い詰められたバーサーカーはファルデウスの凶弾に倒れる。頼みの綱としていた宝具暗黒霧都(ザ・ミスト)も無力化され、自らの行動が筒抜けであったことを告げられる。最期にその正体を問いかけるも、その答えを聞くことなくバーサーカーは消滅する。

 

 

day.08-02 ダークホース

 

 無人となった市内で、椿とライダーは二十八人の怪物(クラン・カラティン)に襲われる。圧倒的不利な状況にもかかわらず、これをライダーはあっさりと攻略してみせる。

 

 

day.08-03 罠

 

 この襲撃そのものが罠であると感づいたライダーであるが、そうと気付きながら狙撃を回避できなかった。衝撃で椿が昏倒し身体の自由がきかなくなる。何とか次撃も凌いでみるが、罠はこれだけで終わらない。

 

 

day.08-04 戦力増強

 

 市内にある隠れ家の地下に署長とキャスターは潜んでいた。現状を整理し勢力図を見直すが、自陣の戦力不足と東洋人の錯乱に頭を悩ませる。そんな折、隠れ家のエレベーターが起動し、何者かが下りてこようとしていた。

 

 

day.08-05 方舟断片

 

 宝具方舟断片(フラグメント・ノア)の時間の檻に閉じ込められたランサーであるが、そのことに悲観することはなかった。逆に情報収集をするべく耳を澄ませてもみるが、そこで銀狼が捕らわれたという情報が入ってくる。

 

 

day.08-06 協力要請

 

 ファルデウスによる捕虜となったマスターの処刑宣告に、署長と椿とライダーは原住民の相談役の元へと赴いた。救出のための協力要請をするが、相談役は難色を示す。そして椿の覚悟を計るべく、ある事実を告げる。

 

 

day.08-07 ライダーの主張

 

 相談役の問いかけに椿は己の考えを告白する。椿に犠牲を強いた上で協力しようとする署長と相談役に対し、ライダーは殺意を認識する。そして、椿の考えを踏みにじるような自らの義務と責任について主張をする。

 

 

day.08-08 原住民交渉(裏)

 

 署長達が相談役との交渉をしている同時刻、キャスターは保険をかねて原住民の急進派と交渉をしていた。急進派リーダーと一対一の対決の末改心させたキャスターは、見事交渉をまとめてみせる。

 

 

day.08-09 茶番

 

 急進派が立ち去り消滅寸前に弱まったキャスターの元に、アサシンが姿を表す。同時進行で進めていた作戦に手こずったことにキャスターは不満を漏らすが、アサシンは聞く耳を持たない。これでアサシンの評価を改めたキャスターは作戦の変更を考える。

 

 

-------------------------------------------------------------------------------

 

 ステータスが更新されました。

 

-------------------------------------------------------------------------------

 

 

 ◆サーヴァント

   『アーチャー』

     所属:???

     状態:強制現界の呪い

     宝具:王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)

        天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)

 

   『ランサー』

     所属:――

     状態:強制現界の呪い、封印

     宝具:天の創造(ガイア・オブ・アルル)

        天命渦巻く混沌の海(ムアリダート・ギムリシュン)

 

   『ライダー』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:感染拡大(大)

     宝具:感染接続(オール・フォー・ワン)

     令呪の命令:「繰丘椿が構築している夢世界の消失」

           「人間を傷つけてはならない」

           「認識の(一部)共有化」

     備考:寄生(繰丘椿)

 

   『キャスター』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:強制現界の呪い、重症(消滅寸前)

     宝具:我が銃は誰にも当たらず(オール・フィクション)

        安心毛布(ライナス)(焼却処分)

 

   『アサシン』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:強制現界の呪い

     宝具:回想回廊、構想神殿、追想偽典、伝想逆鎖、狂想楽園、石ころ帽子

 

   『バーサーカー』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:消滅

     宝具:暗黒霧都(ザ・ミスト)

 

   『宮本武蔵』

     所属:――

     状態:消滅

     宝具:二天一流

 

   『ヒュドラ』

     所属:――

     状態:消滅

     備考:毒

 

   『エルアライラー』

     所属:――

     状態:消滅

 

   『黄金王ミダス』

     所属:――

     状態:消滅

     宝具:神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)

        酒酔いの薔薇園(シレーニノス・ガーデン)

     備考:黄金呪詛(ミダス・タッチ)

        ロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)

 

   『正体不明のサーヴァント』×2

     所属:――

     状態:消滅

 

 

 ◆マスター

   『ティーネ・チェルク』

     所属:夢世界同盟

     状態:感染、魔力供給(特)、封印

     令呪:残り3

 

   『銀狼』

     所属:夢世界同盟

     状態:感染、???

     令呪:残り1

 

   『繰丘椿』

     所属:夢世界同盟、サーヴァント同盟

     状態:強化(寄生)

     令呪:残り0

 

   『署長』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:――

     宝具:夢枕回廊(ロセイ)(封印)

     令呪:残り0

 

   『ジェスター・カルトゥーレ』

     所属:???

     状態:死亡×5

     令呪:残り0

 

   『フラット・エスカルドス』

     所属:夢世界同盟、???

     状態:感染、魔力消耗(小)

     令呪:残り3

 

 



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day.09-01 王の服

 

 

 その報告に、ファルデウスは思わず眉を潜めた。

 キャスターの存在が確認されたらしい。特段驚くことでもない。非力なサーヴァントであろうとサーヴァントに違いはなく、何かしら介入してくるのは十分に予想の範囲内である。

 

 キャスターにできることと言えば、革命時の経験を生かした部隊指揮か、銃の名手としてその腕を披露するぐらいだろう。それだって、キャスターの時代と現代とでは部隊能力と銃火器とに違いがありすぎる。少しばかりパラメーター補正があったくらいでどうこうなるものではない。せいぜい少し上手いという程度でしかない。

 

 餅は餅屋、生兵法は怪我の元。一点特化の英霊はせいぜい足を引っ張らないようすっこんでおくべきである。むしろ姿を見せない方が牽制になるくらいだ。それくらいのことは当然承知している筈。

 

 そんなキャスターが二十八人の怪物(クラン・カラティン)が隠れ潜んでいる場所からおよそ二キロ離れた位置で車を降り、そのまま何の工夫もなく歩いてこちらへと向かってくる。

 

「こうも直接的に介入するとは予想外ですね」

 

 キャスターの傍らには小柄な少女の姿も見えるし、何らかの策であることには間違いない。報告によると昨日の街中央拠点を潰したライダーのマスター、繰丘椿に間違いないという。

 ならば注意するべきはキャスターではなく繰丘椿。情報によると近接戦闘では二十八人の怪物(クラン・カラティン)を圧倒し、不可解な能力を有するらしい。狙撃に対応する能力はないらしく、距離を取れば問題はない。危険度は確かに高いが、充分に対応できる範疇にある。

 

「……ライダーの確認はできますか?」

「周囲一五〇〇メートル圏内に反応があるのはあそこだけです」

 

 サーヴァントの反応は確かにある。キャスターが実際にいるのだから当然であるが、霊体化しているサーヴァントが同道している可能性は捨てきれない。

 

「キャスターの気配に紛れてライダーが侵入しているとお考えですか?」

「確証が持てない以上分かりませんね。ただ令呪を失っているとはいえ、繰丘椿がマスターであった事実に変わりありません。それにあの身体能力の高さが異常なのは確定事項です。ライダーが彼女に何か仕掛けた可能性は非常に高いでしょう」

 

 事実とかなり近しいところまでファルデウスは推測するが、しかし事実には辿り着けない。

 実は、肝心のライダーについての情報は群を抜いて少ないのである。

 

 ランサーと対峙し敗北したという情報もあるが、今現在にあってもその情報精度はDを出ない。対策にはB+以上の多角的な情報精度を必要とするのだから、これがどれほどの脅威か分かるというもの。召喚当時から今に至るまで、ライダーがダークホースであることに変わりはないのだ。

 

「D1、H1、時間差をつけて狙撃。弾頭はC。ターゲットは繰丘椿。キャスターは無視。狙撃後はポイントを速やかに移動。J1は念のため風下での目視観測を継続。L1からO1はフォローをお願いします」

 

 まずは様子見とばかりにファルデウスは容赦なく弱点を突く。

 上空を浮遊させている観測機器からの映像はほんの数秒で狙撃される椿の様子を映像として流す。もちろん、己の弱点を敵が認識していない筈がなかった。この程度の攻撃は予想範囲内ということか。

 

『ターゲットに着弾。効果を認めず』

『直撃したようですが、キャスターの周囲に壁があるように弾かれています。二射目を行いますか?』

「必要ありません。この距離で仕留めるには情報が不足してます。弾は有限です。無駄遣いするのはよしておきましょう」

 

 淡々と結果を告げる観測手にファルデウスは待機継続を指示しておく。

 これで、二人の役割ははっきりした。

 キャスターが昇華した宝具は全て把握している。現在署長とキャスターがその中から持ち出した宝具についても同様である。

 

 今の狙撃を防いだ宝具は、恐らく王の服(インビジブル・ガウン)

 アンデルセン童話で有名な『裸の王様』を原典とした宝具である。誰にも視認できず確認もできない服であり、周囲からの攻撃をある程度無効化する防御宝具。計画の要たる署長を狙撃などの奇襲から身を守るために用意されたのだが、今はキャスターが使用しているのだろう。

 

 裸の王様らしく、見えない服を誇示すべく行進しているわけでもあるまい。

 繰丘椿がオフェンス、そしてキャスターがディフェンス。正面切って相手取るには攻守の力量が不足しているのは明らかなので、戦闘が目的とは思いたくない。この期に及んでこちらを舐めているとも思えない。

 時間は、処刑開始一五分前。とはいえアーチャーが来るかどうかで作戦開始時刻は変化するのであまり余裕はない。

 

「目的は交渉……というわけでもないでしょうね」

 

 独りごちるファルデウスであるが、最初から答えは分かっている。

 “上”は人と英霊との激突を切望しているのである。その意味では平和裏に事が進むのを何よりも恐れている。こんなところで交渉していては、署長どころかファルデウスの首まで危うくなりかねない。交渉の余地がないことなど、署長は百も承知している筈なのだ。

 

 大方、アーチャーを相手にしている隙に人質救出でもするつもりだろう。戦闘能力のないキャスターを前面に出しているのだからその可能性は非常に高い。方舟断片(フラグメント・ノア)の解除コードは着任早々変更しておいたが、キャスターなら解除コードを解除する裏コードを知っている可能性はある。

 情報は不足している。だが、戦力が不足しているわけではない。不安要素は今ここで排除しておくべきだろうか。

 

「……馬鹿馬鹿しい」

 

 そこまで考え、ファルデウスは首を振った。

 いかに英霊といえど、所詮はキャスターである。この対英雄王作戦において彼の存在は誤差の範囲内でしかない。参戦しようとしまいと、作戦になんら影響はない。むしろキャスターを排除するべく本番前に陣形を崩すことの方が、よっぽど影響が大きいだろう。

 

 モニターに表示された周辺地域の概略図、そして兵の配置を確認する。

 現在、ライダーを除いたサーヴァントは《イブン=ガズイの粉末》によって強制的に現界させられている。そしてここは見晴らしの良い砂漠地帯である。幾つもの人の目と音波電波赤外線等の機械を欺きかいくぐって近付くことなど、気配遮断スキルを有したアサシンであっても不可能だ。

 真っ当な作戦を立てるなら原住民と協力関係を結び、その衝突の混乱を利用してアサシンを投入するくらいだと予想していた。そうでなければ人質を助けることなどとても不可能だ。

 

「……北部に動きは?」

「今のところはありません」

 

 確認を取ってみても原住民が動き出す前兆もない。あの監視網を全て欺くとも考えにくく、時間的に見て彼らが南部へやって来るのは不可能だ。

 あと五分もすればキャスターは現地へと到着する。その頃には通信妨害も行うので外部との連絡もほとんどできなくなる。そうでなくとも、キャスターから何らかの電波が出ていることもないし、魔術を使って交信している様子もない。

 あらゆる事態を想定してみるが、ファルデウスにはキャスターが行おうとする策が思いつかない。

 

「西部森林地帯でアーチャーを確認。高速飛翔宝具が現場に舵を切りました」

 

 反面、こちらについては予想通り。

 高速飛翔宝具での強襲。アーチャーらしいやり方ではあるが、リスクの少ない霊体化をしていないということは事前に《イブン=ガズイの粉末》が無効化されている心配は少ないということ。

 となれば、物理攻撃もある程度は有効となる。

 

「分かりました。……では、予定通りといきましょう」

 

 アーチャーの確認によって作戦遂行の条件は揃った。事前準備に抜かりはなく、キャスターと繰丘椿以外は想定通り。一応その二人の情報を伝達し注意を促しておくが、それ以上のことはしない。

 

「状況開始。各員、優先順位を間違えるな。狙うはアーチャーの首ただ一つ」

 

 結局最後までファルデウスは特に何の対策もとることもなく、作戦開始を告げる。現時点をもって砂漠地帯一帯の通信を封鎖。妨害範囲内にいる限り有線通信以外は役に立たない。

 そして、同時に。

 ファルデウスは直上からの轟音に耳を塞ぐことになった。

 

 



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day.09-02 茨姫

 

 

 上空から砂漠地帯を眺めれば、どこに人質がいるのかは一目瞭然だった。

 

 真上に太陽がある時間帯だけあって影は少なく、小さい。故に上空から見れば、その漆黒の箱は殊更に目立っていた。

 黒い箱はそれぞれ一辺数百メートルの正三角形の頂点に位置する場所に置かれてある。中に何が入っているのかまでは分からないが、異質な波動も感じられるし、ああも露骨に示唆すればあの中に人質がいるであろうことぐらい見当はつく。少なくとも手掛かりくらいはあるだろう。

 

 周囲に人の姿は見えないが、砂漠の中で息を潜め、アーチャーの天翔る王の御座(ヴィマーナ)を確認していることだろう。何となくではあるが、砂漠のあちこちから視線を感じている。

 そして視線を感じるのは下からだけではない。

 

 宙を飛ぶ光の舟天翔る王の御座(ヴィマーナ)の更に上には、いくつもの気球と小さな航空機が確認できる。無機物から視線を感じるのも妙な話ではあるが、魔術であろうと科学であろうと、遠見の術には違いあるまい。

 視線というよりも自らを睥睨する存在そのものに、アーチャーは不快感を示した。

 

「フンッ」

 

 鼻を鳴らしてアーチャーはその背後から宝具の輝きを取り出してみせる。

 視界に入った観測用の気球と航空機の数は四〇。その展開範囲は広い上に上空には強い風が吹いている。雲ひとつない晴天である。視界は開けているがが、風の強さは読みづらい。

 

「疾く去るがいい」

 

 言葉と同時に放たれた宝具の数は、目標の数と同数だった。

 無人機群は基本的に撃墜率より生存率を優先するよう配置されている。そのため無人機の中には囮もあれば盾となる機体も多々ある。

 二割を撃墜するのは容易い。五割だって難しくはないだろう。運が良ければ七割いけるかもしれない。しかし、十割を目指すのは不可能だ。いかに目視できていようと、その全てを撃墜することはできないように仕組まれている。人間であれば不可能と断じるし、サーヴァントといえど可能性があるというだけのこと。

 だが、英雄王のクラスはアーチャーである。

 弓兵の英霊はただ射程が長いだけが特徴なのではない。伊達や酔狂でアーチャーを名乗れるわけではないのである。

 

 目標の座標軸を認識するのに一瞥以上のことをアーチャーはしなかった。一度に四〇の標的を狙ったのは宝具の能力などではなく、アーチャー自身の力量によるもの。三次元的に動く上に距離も大きさも風や気圧などの環境条件すら異なるとはいえ、所詮は機械。本気を出したアーチャー相手では時間稼ぎにもなりはしない。

 追尾や必中の呪いなど宝具には込められていない。ただ威力が高いだけの攻撃は、その全てをほぼ同時に標的へと命中させていた。

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)の見積もりは甘い。

 もしアーチャーが事前に二十八人の怪物(クラン・カラティン)の作戦部が立案した計画書を見ていればそう言っていたであろう。この倍の無人機を揃えたとしても、アーチャーは同じ事をしてのけるだろう。並の英霊であれば十分な数でも、アーチャー相手には不十分でしかないのだ。

 そして、実際にその計画書を見てそう言った者も、いた。

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)の見積もりは甘いだろうが、

 ファルデウスの見積もりは甘くない。

 

「――ほう?」

 

 アーチャーの超絶技巧とも呼べる斉射であっても、それが罠ともなれば悪手でしかない。

 無人機に仕込まれていたのは、カメラだけではない。射出された宝具によって真っ二つになった無人機から、数百、数千に及ぶ小型爆弾が周囲一帯に一斉に振りまかれる。ただ墜とされないために広がっていたわけではない。アーチャーを確実に捉え離さぬよう計算尽くで無人機は配置されていていたのだ。

 全て破壊されるくらいなら、いっそ有効活用しよう。そう言って、ファルデウスは上空からの観測、という本来の目的であるカメラすら最小限の数にして、無人機の中身をそっくり入れ替えていた。

 

 バラ撒かれた爆弾は数千個。

 それは俗にクラスター爆弾と呼ばれている。

 

「小癪な真似を」

 

 自らの攻撃を利用されたことにアーチャーは多少苛立つが、それで次の判断を誤ることはない。

 天翔る王の御座(ヴィマーナ)は外から操縦席が丸見えである。この状態であのクラスター爆弾の中に突撃すれば天翔る王の御座(ヴィマーナ)の運動エネルギーも破壊力に加わるため、例え一発でも当たれば無事では済むまい。

 

 仕方なく宝物蔵から盾を取り出し身体を守る。

 その大きさゆえに天翔る王の御座(ヴィマーナ)は美しい船体を傷つけられることになるが、墜とすにはこれでもまだ火力不足。並の胆力の持ち主なら日和り、回避行動を取るだろうが、英雄王の胆力など試すまでもない。そのまま真っ直ぐに人質の元へと、アーチャーは躊躇することなく突き進ませる。

 

 だが、アーチャーは気付いていただろうか?

 いかに宝具といえども、空中を進む物体が上から衝撃を受ければ、その進行方向は下方へと修正される。そして、アーチャーは防御のために盾を展開している。周囲どころか前方すら満足に見えている筈がない。

 周囲の状況を、アーチャーは全く把握できてはいなかった。なまじ視界が開けており、地形が把握できていたのが仇となった。

 

 敵の射程圏内に入ったことに、アーチャーは気づけていない。

 アーチャーの移動速度は通常の航空機とは比較にならない。いかに速度が落ち射程内に入ったとしても、通常の携行式防空ミサイルではレーザー誘導もままならず、現代航空機のように熱源を持たぬ飛行宝具では当てることすら困難である。

 そんな困難な状況を打破しうる宝具――宝具を狙う宝具忠実なる七発の悪魔(ザミエル)を、二十八人の怪物(クラン・カラティン)は保持していた。かの宝具の形状は、何も銃弾だけに限らない。火器という枠組みの中にあれば、必中の呪いは十全に機能する。

 それはミサイルであろうと例外ではない。

 

 放たれたミサイルは上空を飢えた牙獣となって駆け上ると、目覚めさせられた忠実なる七発の悪魔(ザミエル)により誤ることなく天翔る王の御座(ヴィマーナ)の腹へと襲いかかり、食い破ってみせた。

 忠実なる七発の悪魔(ザミエル)を搭載したミサイルは対サーヴァント仕様というより、対幻想種仕様。これで即撃墜というわけにはいかないが、操縦困難に陥ることは確実である。

 そして、これで終わりではない。

 これはただの前座である。舞台を整えるため、アーチャーを赤絨毯の上でエスコートしているだけに過ぎない。

 

 対応力の優れたサーヴァントである英雄王といえども、この物量の先制攻撃を受ければ防御一辺倒にならざるを得ない。クラスター爆弾の網を抜けたところで、アーチャーは盾の隙間から改めて周囲を確認する。確認できたのは、上空から豪雨の如く降りかかってくるモノだった。

 

 それは一見するとどこにでもあるような木片に過ぎない。

 曲射砲により打ち上げられたそれは、高高度からアーチャー目がけて襲いかかってくる。確かに当たれば人間を葬るだけの威力はある。それでも威力だけをみるなら先のクラスター爆弾の方がよっぽど高い。これではアーチャーの盾どころか、天翔る王の御座(ヴィマーナ)にすら傷一つつけることはできないだろう。

 

 代わりに、その木片は着地と同時に、一気に萌えた。

 死した後にその遺骸から木々が芽吹く逸話は世界中にみられる。ただし、キャスターがその逸話を組み込んだのは、ルーマニアにてトルコ軍二万人を串刺しにした悪魔の如き十字架である。かのヴラド三世の曰くを引き継ぐその木片は、大樹となって血を求めるようになる。

 当然、アーチャーに当たらず地に落ちた数千もの木片も、即座に芽吹いて一気に成長する。ものの数秒で広大な砂漠地帯に、半径一キロ四方にも及ぶ森林地帯が形成された。

 

 宝具串刺大樹(カズィクル・ベイ)三〇〇〇片による即席結界。

 作戦呼称茨姫(スリーピングビューティー)

 

 これが、二十八人の怪物(クラン・カラティン)がアーチャーに対して用意した舞台である。

 天翔る王の御座(ヴィマーナ)の上に落ちた串刺大樹(カズィクル・ベイ)はそのまま一気に船体を巻き込むように成長する。操縦困難な状態から操縦不可能な状態にまで悪化させ、舞台となる森林中央へとアーチャーを招き入れた。

 

「手荒い歓迎だな……雑種共」

 

 成長した大樹をいくつもの薙ぎ倒しながら船と盾を蔵へと収め、アーチャーはその地に降り立つ。

 いかにその飛翔宝具を撃墜させたとはいえ、アーチャーそのものへのダメージは皆無。周囲の串刺大樹(カズィクル・ベイ)が高い魔力を感知しアーチャーを捕らえ血を啜ろうとするが、その枝葉が伸びきる前に宝具の一斉掃射に蹴散らされる。

 

 アーチャーにとってこの魔の森も頓着するほどの脅威ではない。絶えず襲いかかってくる木々は面倒ではあるが対処できぬほどのものではない。厄介なのはむしろ攻撃力ではなく防御力の方。何せ大樹の枝葉を蹴散らすことができても、その影に潜む者に刃は届かないのだから。

 

「さすがは英雄王。我々の気配にお気づきでしたか」

 

 英雄王の先の呟きは不機嫌から来る独り言などではない。周囲に隠れ、影から王を射んとする不敬の輩への牽制だった。

 アーチャーの目前、一〇メートル離れた大樹の影から現れたのは緑色を基調とした野戦迷彩柄強化装備に身を包んだ男。ゴーグルのようなアイウェアとヘルメットによってその容姿は判らない。そして男の指にはそうした近代的装備とは不似合いな古びた指輪がそれぞれはめ込まれている。

 

「間抜けが。そこかしこに貴様らの影が丸見えだ」

 

 心底侮蔑したアーチャーの答えに、指輪男は軽く笑うだけに留まった。

 成長する大樹の気配は濃い。そして血を欲する大樹が放つ殺気は生物が持つありとあらゆる気配を覆い隠す。しかしこの即席の舞台は全面を覆い尽くす壁などはない。例え木の葉に覆われようとも、身体の全てが隠れているわけではない。

 アーチャーは単純に、隠れきれぬその姿を目視したに過ぎない。

 だから、アーチャーは周囲に何名いるのか実は分かっていなかった。

 

 視線を動かすことなく、視界の中を走査する。

 確認できたのは四人。だがその様子だともっと周囲にいたとしてもおかしくはない。指輪男はわざとアーチャーの注意を引くように誤魔化したつもりだろうが、アーチャーの死角ギリギリの上空に目を凝らせば、うっすらと煙が上がっている。完全な死角から上げられていないところから、背後を取られているわけではないらしい。

 

「我らが名は二十八人の怪物(クラン・カラティン)。皆才なき身なれど、これより英雄王に挑ませていただきます」

 

 原始的手法ではあるが、狼煙が上げられたことからこの場にアーチャーがいたことを周囲に知らせたのだろう。指輪男の口上をただの時間稼ぎと見切って、アーチャーは周囲を見渡す。

 この即席の森は明らかにアーチャーを意識して作成されたものだ。視界が利かず、王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)も木々が邪魔して展開しにくい。おまけに先ほど切断した大樹も既に回復して元通りとなっている。これでは火力に任せて焼き払ったとしても時間がかかりすぎるし、それを簡単に選択させぬための人質だ。時間短縮に上空から対軍宝具で焼き払うことも考えるが、木々の枝葉がそれを妨害するだろうし、直前に撃墜されたばかりだ。その手への対処を講じていないわけがない。

 

 状況は、明らかに劣勢。

 アーチャーのクラス補正によってこうした森林地帯での戦闘は決して不得意ではないが、人質救出の目的がある以上悠長にしている余裕はない。

 

 上空から見た人質の場所を思い返す。一体どこに誰がいるのかは分からないが、ティーネと銀狼の救出をするためにアーチャーはこの場に来たのだ。どこから回ったとしても最低二カ所は回らねばならない。

 

「チッ」

 

 雑人輩(ぞうにんばら)に剣を抜くのも癪ではあるが、このまま引き下がるという選択肢はない。舌打ちをして苛立ってみるものの、アーチャーの口角は自然と上がっていた。

 

 かつて朋友と共に森の番人フンババと戦った時も、こうした森の中だった。

 この場に懐かしむ過去がある。たったそれだけのことに柄にもなくアーチャーの胸が高まる。こんな状況だ。もしかしたら、朋友に出会えることもあるかもしれない。

 

「良いだろう。せいぜい余興を愉しませろよ雑種共!」

 

 尚も時間稼ぎの長広舌の二十八人の怪物(クラン・カラティン)に一喝し、周囲へ展開できるだけの宝具を狙いもつけず解き放つ。これで仕留められるとは到底思えぬが、号砲としては十分。

 両の手にもそれぞれ剣を携え、アーチャーは一番近くの人質の元へと駆け出した。

 

 



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day.09-03 腑海林

 

 

「本当に砂漠に森ができちゃったね、ライダー」

『そのようですね、椿』

 

 椿のそんな感想に骨振動スピーカーを通してライダーは同意した。

 事前にキャスターから予想される作戦内容茨姫(スリーピングビューティー)を聞かされてはいたものの、椿には到底信じがたい現実だった。目の前に現実として森ができていたとしても、思わず頬を思いっきりつねって確認してみる。

 

「痛くないっ!」

『痛覚遮断をしています。肉を抉る程つねらないでください』

 

 椿の突飛な行動にも慌てることなく対処するライダーではあるが、内心溜息をつきたいところだった。椿に力加減というものを教えておかねば、将来的に大変になりそうだとうれいている。その思考はサーヴァントというよりも保護者じみていた。

 

 現在、椿はキャスターと別行動し、単独で森の中へ踏み入っている。

 森の中は狂気と凶器で満ち溢れた異界だった。

 血を欲し自律活動をする宝具故に、彼らは貪欲だ。その枝葉は触れただけで人の柔らかな肉を削ぎ落とす威力を持ち、その全てが意志を持って行動する。獲物を捕獲できねば数時間で魔力切れを起こし枯れ果てる大樹であるが、逆にいえば芽吹いた直後の今が最も余裕があり活動的になる時間だ。

 

 キャスター曰く、イメージしたのは「腑海林」「思考林」「動き襲い捕食する森」の異名を持つ死徒二十七祖第七位、アインナッシュだとか。よりにもよって宝具で死徒を再現したのである。

 

 森を形成するほどの大量投入を前提としていた運用方法のため、キャスターが昇華した宝具の中で最もコストパフォーマンスが悪く、しかも一度きりの使い捨てである。本家と同じく大気中のマナを吸い取り続ける特性もあるので、この森の中でそうした魔術は行使できない。こうした砂漠の枯れた地でもなければ迂闊に使用することもできぬ使い勝手の悪い宝具である。

 

 茨姫(スリーピングビューティー)で戦闘をするには、自前で十分な魔力を用意しておくか、他方に魔力源を用意している者だけである。

 そして繰丘椿の場合は後者だった。

 廃工場での肉体操作技術の練習が役立っていた。樹上を生活の場とするオランウータンのように、この森を椿は己の庭としてみせる。手が届かねばあり余る魔力でもって大樹を蹴り上げ、その反動をもって跳躍。幼い体躯では進みづらい起伏の多い地面であっても、中空であれば高速かつ楽に移動できる。

 

「あははっ! ライダー! 楽しいねっ!」

 

 楽しげに森を突き進む椿であるが、並の者ならとっくの昔に死んでいる。

 血を求める大樹が椿へとその幹を伸ばすが、素早く移動する椿には追いつけない。進行方向の葉が急激に生い茂るが、椿が軽く両手で払っただけで葉はその幹ごと四散する。

 本来の目的を忘れていなければいいと思いながら、ライダーは椿の思考に従ってその身体を機敏に動かしていく。

 

 椿とライダーの目的は、二十八人の怪物(クラン・カラティン)にある。

 封印されたティーネ達を解放する術を持たぬ椿は救出には役立たず。そのためにできる限り派手に暴れ回り、キャスターを援護するべく彼らを引き寄せる囮として機能しなければならない。

 

 キャスターの作戦を聞いたときに椿は無邪気に頑張るなどと言っていたが、具体的なプランを練るのは結局のところライダーである。一体どうやって二十八人の怪物(クラン・カラティン)を呼び寄せたものかとライダーは頭を捻っていた。

 猫を集めるならマタタビでも使えば良いだろう。砂糖を使えばアリが集る。香水を撒けば男が寄ってくるとも聞く。血を撒けばその匂いに殺人鬼がやって来るかも知れない。いや、その前にこの辺りの大樹が根こそぎ吸い取ることになるか。

 

 そんなことをライダーが考えていると、上からひっそりと伸びてきた蔓が宙を飛び交う椿の足へと巻き付いてきた。この森の中でライダーが普段撒き続けている粒子は木々に吸収されて役に立たない。完全に椿の視覚外であるが故にライダーも気づけない奇襲。どうやらこれら大樹にもある程度の知能があるらしい。

 

「あっ」

 

 調子に乗りすぎた、という顔で反省する椿ではあるが、本来ならこの状況から逃れる術はない。足を掴まれた以上、次から次へと襲いかかる蔦は四肢を拘束し、椿の血を一滴残らず吸い尽くすまで離しはしない。

 

『油断するからです』

 

 ライダーは窘める言葉と同時に魔力の刃を紡ぎ上げ蔦を切ろうとするが、その前に絡みつく蔦はまるで興味を失ったかのようにその力を緩め、あっさりとそのまま解き放ち椿を地面へと落とした。

 昨日までの彼女であれば頭から落ちているところだが、椿も同じく学習はしている。ライダーが何もせずとも着地姿勢を取れるほどに、椿も自身の身体を動かすことに慣れつつある。

 着地の衝撃にすぐ傍の根が椿を捉え動き始めるが、これもまた何かを感じ取ったような気配と共に興味を失い大人しくなる。

 

「キャスターさんの言うとおりだね」

 

 そんな大樹の動きを確認しながら、一歩間違えれば死にかねぬ状況を暢気に椿は眺め見る。

 この串刺大樹(カズィクル・ベイ)は血を欲する宝具ではあるが、無差別に襲いかかるわけではない。ヴラド三世とて領地を治める領主である。故に、ヴラド三世の加護を持つ者にこの宝具は「無闇に」襲いかかることはしない。敵味方の区別を付けることができるのである。

 

「虫除けスプレーでも効果があるんだ」

『時間経過と共に効果は薄れるようです。油断は禁物ですよ椿』

 

 椿の言葉をライダーは訂正せず、注意だけをする。

 ルーマニアの地より湧き出た古い聖水を魔術加工し波長を合わせ、不眠不休(しかも消滅しかけた直後)で苦労しながらキャスターが作った加護ではある。とはいえ、子供の目から見れば虫除けスプレー程度の認識でしかない。

 

 キャスターの説明によると、串刺大樹(カズィクル・ベイ)は対アーチャー用に調整された宝具である。特定の魔力の波長にのみ大人しくなり、それ以外には問答無用で攻撃する。いかに強力な原典を持とうとアーチャーがこれに対応することはできないようにしているのだ。

 その分、この急造の加護では周囲の魔力を吸い尽くし飢餓状態に陥った串刺大樹(カズィクル・ベイ)にはおそらく通用しない。ライダーとしてはそうなる前にさっさと作戦をすませて椿を脱出させたいところである。

 

 椿はこの茨姫(スリーピングビューティー)における危険性を理解していない。事前に恐怖麻痺の処置をしていたのが仇となったかもしれない。恐怖で動けぬよりマシという判断だったが、このハイテンションではいざというときにライダーのフォローも通じぬ事態もあり得る。

 

 念のため、とライダーはこっそりと先日手に入れたばかりの固有宝具感染接続(オール・フォー・ワン)を常駐させる。これを椿の無意識領域に接続すれば、椿の認識限界は天井知らずに跳ね上がる。つまり、情報を正しく精査できるようになるのでパニックになる可能性は低くなる……筈だ。

 ライダー自身もこの宝具の可能性を把握していないので「念のため」の域を出ないが、喩え最小限度にその機能を限定させたとしても人の手に余る宝具であることに違いはない。

 この選択が今後どのような影響を椿に及ぼすのか、現時点でライダーが分かる筈もないし、想像できぬのも無理からぬ話だった。

 

『ひとまず、目的である二十八人の怪物(クラン・カラティン)を捜しましょう』

 

 感染接続(オール・フォー・ワン)の制御を片手間に、ライダーは椿の視界から何か見えないものかと探すが、残念ながら人影を確認することはできなかった。

 その代わり、手がかりなら、あった。

 

『――椿、上を見上げてください。狼煙が上がっています』

「? 煙なんて見えないよ?」

 

 視界を共有する二人であっても、その見解は別である。

 自由に目線を動かし目的のモノを捉える椿と違い、ライダーは椿の視界を映像情報として処理し解析することで認識している。そのため椿の焦点が合っていなくとも、ライダーは画像処理をすることでそこに何があるのかを認識することが可能である。

 

 椿の肉眼で見えないことはないが、見分けることは難しい。改めて視覚を調節し、うっすらと狼煙が上げられているのをライダーは確認した。これは魔術によるものではなく、科学によるもの。特殊なゴーグルでもつけて波長をずらせばこの森の中でもその狼煙ははっきりと確認できるのだろう。

 となれば、あの下には二十八人の怪物(クラン・カラティン)がいる。

 そして、アーチャーも。

 

『椿、ここから直進して――』

 

 ください、と言おうとしたところでライダーは背後の気配を敏感に感じ取った。そして、ライダーが応対するよりも先に気配の主は分かり易く声をかけてきた。

 

動くな(freeze)

 そしてカチャリと分かり易く何かが構えられる音がする。

 狼煙があるということは、その場に向かう二十八人の怪物(クラン・カラティン)もいるのは当たり前だ。そして狼煙を前方に向いていれば、狼煙を目指す二十八人の怪物(クラン・カラティン)が後ろから現れるのも不思議ではない。

 

 よくよく考えれば、一〇メートル以上の高さを落下したのだ。純粋魔力の放出や肉体機能増幅(フィジカル・エンチャント)を行うライダーではあるが、重力軽減といった魔術は習得していない。あんな大きな着地音を響かせておきながら、悠長に分析などをしてしまった。

 結局、ライダーも椿のハイテンションに引きずられていたらしい。

 

『動かないでください。彼らの言うとおりに』

 

 咄嗟に逃げようと足に力を込める椿を、ライダーは制止する。

 椿の姿勢は着地し立ち上がろうと左手と左膝が地面に着いたままだ。こうした状態では人間という生物は機敏に動けない人体構造になっている。

 それに、この近距離で背後から狙われているのだ。この対アーチャー作戦に参加している者がただの銃弾を装備している筈がない。椿が下手に動けばその瞬間に蜂の巣となりかねない。

 

 幸いにも椿の格好は街中を出歩くようなそれと同じだ。動きやすい短パンと半袖という武装の施しようもない軽装。装備と言えば、左手首に巻かれた医療器機である意思伝達装置と、それに有線で繋がれた耳裏の骨振動スピーカーくらい。医療器具に詳しくない者なら不可解な機械であるが、武器に見えることはない。

 武装をしていたら警告なく即座に撃たれていた。

 

「子供、だと?」

「例の繰丘椿という元マスターか」

 

 三種類の声と、四種類の足音。どうやらフォーマンセルの小隊と遭遇してしまったらしい。

 敵が一人でないことで椿の思考にノイズが走る。そこに恐怖がないことが救いだが、何をして良いのか判断がついていない。やはり「念のため」程度で宝具を使用してもあまり効果はないようである。いや、パニックに陥りライダーの声も聞こえなくなるより幾分マシか。

 

 夢の世界で令呪を使われた時を思い返す。椿はあの時と同じ轍を踏む真似をしない。これは急激な進歩だと、ライダーは「感動」という感情を認識する。

 もう少しその感動に漬っていたいところだが、悠長に浸っている場合ではない。ライダーは冷静に冷徹に、今後のことを考える。

 

 ライダーとしてもここで明確な殺気を感じれば、取るべき手段が限定され即決即断もするのだが、何故か彼らからはそうした気配を感じ取れない。むしろ、戸惑いの気配を色濃く感じるのだ。

 

「……隊長、優先順位は理解しているつもりです」

 

 声の方角からして銃を構えているであろう二十八人の怪物(クラン・カラティン)である。声に緊張があり、特に戸惑っているのが良く分かる。

 この作戦上、アーチャー以外の存在については可能な限り無視、そして作戦上脅威になりうると判断されれば排除されることになっている筈だ。戦力を集中させる上で遭遇しながら何もしないのも、別段珍しいことではない。

 もっとも、子供ながら先の中央拠点襲撃でその戦闘能力が露見した椿である。戦力的脅威と見なされているのだから、積極的に排除される条件を満たしている。立場が逆であれば、ライダーは迷わず撃っていたことだろう。

 なのに、何故撃たない?

 

 合理的ではない敵の判断に、ライダーは理由が分からず混乱する。いっそのこと撃ってもらった方がライダーとしては気が楽である。

 ヘッドショットをされればさすがに防がなければならないが、心臓程度なら撃たれた後で即時回復も可能だ。ライダーは死んだふりをしてやり過ごすつもりである。

 

「お前の言いたいことは分かっている。だが、看過はできん」

 

 歩み寄り、椿の目の前に現れたのは近代装備に身を包んだ初老の二十八人の怪物(クラン・カラティン)。様子からして彼がこの小隊の隊長なのだろう。腰の後ろでX字に組まれた二振りの剣から隠しようのない魔力が漏れ出ている。メインを抜きやすいように少し斜めになっているところから、相当な腕と判断できる。

 しかし、その手に持っているのはそんな剣呑な雰囲気の宝具などではなく、警察官であれば珍しくもないただの手錠だった。改めて彼らの本職が警察官だとライダーは認識し直した。

 

「これで十分だろう。あとは、彼女の運次第だ」

 

 殺すつもりはないが、この森の中で自由を奪われることはそれだけ死の危険が高まることを意味する。

 なるほど、彼らは直接椿を殺すつもりはないらしい。

 その迂遠さについてライダーの理解は及ばないが、これはチャンスということだけは理解する。

 

『……椿。私に自由をください』

 

 声を潜める必要はない。骨伝導によってライダーの言葉は四人の二十八人の怪物(クラン・カラティン)に気付かれることなく椿へと伝わった。ライダーの要請を受諾し、椿はそのための呪文を口にする。

 先日のスノーフィールド中央拠点での戦闘を反省し、フラットがライダーに施した安全装置はその一部をキャスターに外して貰っている。

 

「You have control」

 

 呟いた椿の言葉をこの小隊長は聞き取れたのか。椿の右手首を掴み、その手に素早く手錠をかけようと動くが、それでもまだ遅かった。

 

『I have control』

 

 椿の許可に、ライダーが応じた。

 

 



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day.09-04 アドリブ劇

 

 

 小隊長に手首を握られたまま、軽く前へ押すようにしてライダーは椿の身体を立ち上がらせた。

 

 操る身体は軽かった。

 身体を操る優先権が与えられたことで、処理の一元化が計られる。四肢に限定した、コンディション・シフトを実行。臓器を粘膜保護。物理セキュリティレベルを倍加。脳への負担を軽減しながら、身体はリミッターを外した過負荷行動にも耐えきる状態に変性させられる。

 外見からこの身体強化と肉体変異を見破ることはできまい。見破るには椿とライダーとの所作の違いを把握するしかないが、一秒に満たない時間でそれは不可能だ。

 ライダーは、攻勢に転じた。

 

「――ッ!?」

 

 不可解な事態に小隊長の身体が一瞬強ばる。

 何故なら、椿の右手を握った手が動かなくなったのだから。

 対サーヴァント戦闘に特化した部隊に囲まれているのだ。こんな状態で新たに魔術などを使えば気がつかぬ筈がない。実際、ライダーは椿と身体の主導権をスイッチしただけで実は魔術など一切使ってはいない。

 

 なまじ強者との多対一の戦闘訓練を積んできただけに、こうした弱者からの奇襲に二十八人の怪物(クラン・カラティン)は弱い。そして不可解な現象を全て魔術の一言で片付け、宝具を頼りにするのも二十八人の怪物(クラン・カラティン)の悪い癖。

 魔術を使っていないのだから、これは単純な技術なのだと当たり前の発想を小隊長は思いつけなかった。

 ライダーはただの人体の構造を利用しただけだ。

 

 何かを握った状態で相手からこうした動きをされると筋肉と靱帯が反射的に硬直し、握った手は開けなくなる。直後に小隊長が取るべき行動は手錠を手放し宝具に手を伸ばすことではなく、握った手を自ら殴って手を開かせるだけでよかったのだ。

 

 椿が立ったことで背後で銃を構えていた二十八人の怪物(クラン・カラティン)は小隊長の動きを把握できず、すぐに射殺される心配はなくなった。他二人の二十八人の怪物(クラン・カラティン)も隊長が手錠を落として宝具に手を伸ばしたことで異変に気付くが、ライダーを牽制できても瞬時に殺せる姿勢ではない。

 

 立ち上がったことで、ライダーは自らの勝利を確信した。

 固まった腕を軸に腰を回す。小隊長と椿の体躯は一目瞭然。だというのに小隊長の身体は椿を軸に円を描くように回転し、背後に銃を構えている隊員からの盾とする。大樹の根がうねり、ただでさえ足場は悪い。小隊長の重心は完全に崩され、その勢いを利用してライダーはその顔面を思いっきり地面へと叩きつける。ゴーグルをしているとはいえ、その衝撃は脳を揺らし頸椎を痛めつけた。

 これで一人。後は三人。

 

 残った中で最大脅威なのは背後から銃を構えていた二十八人の怪物(クラン・カラティン)。しかし小隊長を盾にして半回転したおかげで今は正面から相対できてるし、その距離は二歩で辿り着ける。

 よくよく顔を見れば、まだ若い。この部隊はルーキーとロートルの組み合わせのようである。そしてこの距離にあって銃を握る手に力が入りすぎている。さっさと撃つか、ナイフでも取り出せばいいのに、これでは二十八人の怪物(クラン・カラティン)の中でも落第であろう。

 

 小さな椿の身体を活かして、ライダーはほぼゼロ距離にまで入り込む。簡易強化外骨格に身を包まれている彼らは素早い動きと高い防御力を有している。本来なら徒手空拳で相手などできるわけがない。

 椿の身体は軽い。ただでさえ小柄な上に一年にも渡る入院生活が無駄な肉どころか必要な筋肉まで削ぎ落としている。残された筋肉を強化することで軽量化された身体は俊敏な動きを可能とするが、リーチは短いし悲しいくらいに打撃力はない。

 だから、ライダーは懐に入り込み、拳を強固なボディーアーマーに当てはするが、殴りつけるような無駄なことはしない。

 そして、わざわざ魔力で強化する必要もない。

 

 ライダーは、その技が何と呼ばれているのかは知らない。ただ、椿という身近なサンプルから人間の肉体構造を把握し、こちらの動きを最適化しつつ、効率の良い攻撃方法を模索し、人体の急所へと攻撃を当てるだけに過ぎない。

 

 このライダーの理論は、中国武術において『発勁』と呼ばれている。

 

 つま先を始点として運動量を発生させ、接触面のボディーアーマーすら利用して力を導く勁道を開かせる。人体の急所へその威力を爆発させるその技は、俗に寸頸と呼ばれる絶技である。

 かつて第四次聖杯戦争の折りに言峰綺麗はこの技で大木をもへし折って見せたが、ライダーが使ったこれは威力においては大きく劣っている。厳しい修練から得た極地と、ただの理論から得た解答では威力が違うのも当然。それでも人体に対する威力としては破格の域にあった。

 残り、二人。

 

 血を吐き白目を剥いて倒れる仲間を見て躊躇する……などと可愛い真似があろう筈もなかった。

 一瞬で二人も倒された事実に、残された二人は容赦というものを即座に捨て去った。くしくも二人はライダーの左右に位置している。両者とも手繰る宝具はどうやら中距離タイプらしく、挟撃するにはうってつけ。

 

 そして、迎撃するのにもうってつけだった。

 

 椿の目をライダーはカメレオンの如く左右別々に動かし、二人を観察。散眼という多方面からの攻撃を捌く目の動きだが、またもライダーはそのことを知らずに実践してみせる。

 間合いを把握し、攻撃モーションを予測。素手で二人を倒したことからライダーには近接戦闘技能しかないとみたのだろう。間合いの外から大振りに構えるその所作が隙となった。

 

 トス、と挟撃する両者のボディーアーマーの隙間に五カ所ずつ、合計一〇カ所の刃が突き刺さる。急所こそ守られているが、傷口からライダーに直接“感染”した以上、もう戦闘能力は失ったも同然だった。

 突き刺した刃を引き抜いても大した血は出てこない。だが完全に意表を突かれた二人は足をもつれさせて倒れ込んだ。手にしている宝具がどういった効果を発揮するのか結局分からなかったが、発動前に使い手を倒したことでその魔力は霧散していく。

 

 これで四人。急ぎ場所を移動して周囲を入念に観察するが、五人目が出てくる様子はない。火器も宝具も使わせていないので、直接見られていない限り援軍が来ることはないだろう。

 戦闘終了を確信して、ライダーは警戒を解く。

 

『You have control』

 

 左手の装置を操作してライダーから椿へ身体の制御キーが返還される。

 

「I have control……って、ライダー、大丈夫!?」

『大丈夫ですよ、椿』

 

 椿を安心させるためだけに虚勢を張るが、ライダーにとってこの戦闘はかなり辛いものだった。

 人を傷つけてはならない。

 令呪によってそう縛られている以上、そのペナルティをライダーはしっかりと受けている。こうした短時間の戦闘ならば耐えられるが、もっと効率を考えねば作戦のタイムリミットより先に限界がやってきかねない。

 

『……それより身体に無理をさせてしまいました』

「えっと、……うん、まぁ、大丈夫じゃないかな。この爪はちょっと邪魔だけど」

 

 そういって、最後の二人を倒した血に塗れた刃を椿は不気味がることなく眺め見る。

 一〇本の刃。それは、伸ばした椿の爪である。

 肉体操作ができるのだから、ライダーにとって髪や爪を伸ばすことは難しくない。強度を高めれば剣として通用するかも知れないが、この森においては邪魔になるだけだ。

 

 ライダーが根元を軽く腐食させると一〇本の爪はあっけなく地に落ちた。敵に見つけられると警戒されるかと思ったが、落ちた爪に反応した木の根が即座に捕食し跡形もなくなる。バキバキと爪を咀嚼するその光景は想像以上にグロテスクだった。

 

「えっと……殺しちゃったの?」

『大丈夫、息はあります。感染させたのでしばらく動けないだけです』

 

 現実から目を逸らすような椿の質問に、ライダーは感染具合を確かめながら答える。爪で感染させた二人は軽傷。あとの二人も命に別状はない。

 

『それよりも、少し調べたいことがあります』

 

 ライダーの要請に「近付いても大丈夫だよね?」と何度も念を押しながら、椿は恐る恐る倒れた二十八人の怪物(クラン・カラティン)の装備を確認していく。爪が食べられた光景に恐怖麻痺の効果が薄れてしまったらしい。それでもはやることなく冷静さを失わないのは宝具の影響だろうか。

 

 ともあれ一度戦闘を行ったのだから、そろそろ臆病なくらいが丁度いいだろう。兵が死ぬのは初陣よりも二度目だとも聞く。戦闘が人を殺すのではなく、無謀が人を殺すのだとか。これならば椿に関しては大丈夫なのかもしれない。

 内心小躍りしたいところであるが、それよりも先に確認しておくべきことがある。

 

 重体である小隊長の装備を、痛めた首に力がかからぬよう慎重に調べる。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)の装備は簡易強化外骨格に近接戦闘用宝具、対サーヴァント仕様の中距離支援火器。こうした武器防具はそれはそれで重要であるが、調べたいのはそこではない。

 強化装備ではなく、補助装備。つまりは通信装備である。

 

 見つけた通信機器をライダー指示の元、椿が操ってみるが、ノイズが酷くて使い物にならない。壊れているのかと思ったが、機器は正常に作動中。どうやら電子欺瞞(ジャミング)を広範囲に仕掛けているようである。その代わりになるとは思えないが、腰のベルトには携帯型の煙弾が色違いで幾つもある。

 そういえば最初に煙らしきものを見たことを思い出す。試しにゴーグルを目に当て煙の方角を見てみれば、肉眼では捉えにくくともはっきりと確認できる。二十八人の怪物(クラン・カラティン)は煙で互いに連絡を取り合っているらしい。

 

『不可解ですね』

「……うん」

 

 ライダーの呟きに椿が同意する。何が不可解なのか、椿にも分かったのだろう。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)は数の優位を以て英霊を相手取る集団である。その数を活かすためには互いの連携が不可欠であり、連携を取るためには通信機器は必須である。盗聴される危険はあろうが、その利を敢えて捨てるのは不自然極まりない。

 だとしたら、これはキャスターの想像が当たっている、と考えて動いた方が良い。

 椿にはこの作戦の本当の目的と、敵の狙いを教えてはいない。あとで恨まれることを覚悟しながら、ライダーは椿の安全を優先する。

 

『あと四小隊くらいは感染させておきましょう。時間次第ではそのまま撤退です』

「それはいいけど、どうやって見つけるの?」

 

 この広い森で誰かを早急に見つけるのは難しい。時間制限があるのだから何か工夫が必要だ。

 

『最初の一組を見つけさえすれば、あとはどうとでもできます』

 

 椿の問いに、ライダーはこともなげに答えてみせる。

 

『簡単な方法です。その煙弾を打ち上げてください』

「いいの? そしたらみんなが一斉に集まって来ちゃうよ?」

 

 椿だってその考えに至らなかったわけではない。しかし四人を相手に苦労したばかりである。それ以上の人数を相手取るとなると、作戦上都合良くてもライダーの負担は相当なものだろう。

 椿としてはライダーにあまり無理をして欲しくはない。

 

『ご安心ください。幸いにして、彼らの弱点を発見しました』

「弱点?」

 

 鸚鵡返しに問い返す椿であるが、思いつかないようである。むしろ人間に対し弱点をかかえるライダーにとって二十八人の怪物(クラン・カラティン)は天敵だとすら思っている。

 それは間違ってはいない。

 そしてそれだけでもない。

 椿が武装していないだけで、何故殺されなかったのか。

 明らかに無効化できる状況で、何故自由を奪うだけに留めたのか。

 答えは簡単。彼女が繰丘椿だからである。

 

 人を殺すことには相当なストレスになる。

 対サーヴァント部隊といえど、殺す対象がサーヴァントと人間とではそのストレスには大きな差がある。軍人でさえ人を殺してストレスを感じない者は一〇〇人いてもせいぜい数人だ。つまり人殺しのプロフェッショナルというのは貴重なのである。

 そして二十八人の怪物(クラン・カラティン)は人殺し専門の軍人ではなく、市民の安全を守る警察官。

 警察官の仕事は、弱者を守ることにある。

 

『椿は可愛い、ということです』

「どういうこと?」

 

 サーヴァントを殺す覚悟はあっても、幼い少女を殺す覚悟を二十八人の怪物(クラン・カラティン)は持っていない。

 その弱点は、聖杯戦争序盤で署長が指摘したものだった。

 

 彼らは中途半端なのだ。軍人として命令に従って人殺しになれないし、魔術師として目的のために手段を選ばぬ狂人にもなれない。それでいて警察官としての正義感を持ち合わせてしまっている。

 同情の余地のない繰丘夫妻は見捨てられるのに、残酷な仕打ちを受け長期の意識不明に陥った不遇な娘は見捨てられない。

 これを弱点とするのは酷であるかもしれないが、ライダーは、この隙を逃さない。

 

 椿の生い立ちと可愛いさを、この場において最大の武器に仕立てあげる。

 新陳代謝を活性化させ外見を少しばかり操作、庇護欲を引き立てられるような可憐さを演出する。念には念を入れて、椿の足首を紫色に腫れ上がらせる。端から見れば骨折しているかのようだが、実際には何の支障もない。

 

 軽傷の二十八人の怪物(クラン・カラティン)二人はそのまま隠れて周囲を警戒するよう命令して、動けぬ二人には餌となって貰う。小隊長の装備だけを調べてバラした理由は、その方が彼を介抱しているように見えるからである。

 これで、足を骨折した少女を守り傷ついた二人の二十八人の怪物(クラン・カラティン)という状況が演出された。

 

 煙弾が上げられる。

 ライダー監督、椿出演のアドリブ劇が、今開始されようとしていた。

 

 



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day.09-05 歩みの先

 

 

 かぐや姫や桃太郎の昔語りを聞いた時、物心ついた子供はある疑問に突き当たる。

 どうして彼らは竹や桃を真っ二つにされながら無事に誕生することができたのか。これは子供が現実という世界事象における物理法則を学び、それに反していることに気付いているからだ。 答えに窮する大人が何と答えるかは別として、これにより子供はお伽噺と現実の違いを多少なりとも理解するのである。

 何故そんなことを急に思いついたのかといえば、今現在ランサーが同じような行為をしていることにふと気がついたからである。

 

 内部での時間経過が遅くなれば遅くなるほど、光の侵入速度の関係で方舟断片(フラグメント・ノア)の内部は漆黒に染まってくる。この結界を豆腐のように切り裂く創生槍ティアマトといえど、内部が見通せなければ迂闊に振るうわけにはいくまい。無闇に切り裂いて人質が真っ二つになってしまえば笑うに笑えない。

 

 仕方がないので、立方体の方舟断片(フラグメント・ノア)を少しずつ刻み込むしかないかと穂先を突き刺してみれば、ランサーの心配とは裏腹に方舟断片(フラグメント・ノア)は切り口からあっさりと連鎖的に崩壊していき、中の人質はその場に崩れ落ちた。

 なるほど、桃も竹も、切れ目を少し入れただけで割れるのであれば桃太郎もかぐや姫も真っ二つになる心配もない。薪割りの要領である。

 

 自らも方舟断片(フラグメント・ノア)と基地を破壊してこの場に現れるのにランサーはわずか五分でこの場に辿り着き、救出を果たしていた。

 この驚くべきスピード解決のヒントは、以前に出遭ったバーサーカーの大鷲の変身だ。自らの身体を自由に変形できるランサーは脱出と同時に一気に高度数百メートルの高さまで飛び上がり、高速飛翔に適した形へとその身体を変えていた。これもまた、夢の中でライダーと空中戦をした時の経験が活かされている。

 

 この時にはすでに上空のカメラとクラスター爆弾は全て処理されていたため誰の目にも留まることはなく、ランサーは森への侵入に成功していた。森の形成も既に完了し、仮に誰かに見られたとしてもその後の動きを把握されることもない。突入するタイミングとしてはまさしくベストだったのである。

 

 最高クラスの気配感知スキルを持つランサーにあって、森の中はおぞましき気配だらけだが、それでも三カ所だけ気配が全く感知できぬ場所がある。おそらくそこにあるのは方舟断片(フラグメント・ノア)だろう。となれば、人質の場所は明らかだ。

 

 そのまま上空からマッハを超える速度で森へとランサーは突撃していった。クレーターを作り出したその衝撃だけで、目標となる方舟断片(フラグメント・ノア)周辺の樹木が景気よく吹き飛んでいく。

 すぐさま再生は始まってはいるが、その速度は遅い。よくよく見ればただ再生するだけでなく、その密度を高めながらの再生だ。彼らも樹木ながらランサーをただ者でないと看破し、恐れるようにその対抗策を練っているようである。

 この状況なら、しばらく話ができる程度の時間は安全だろう。

 

「……どうやら、助けていただいたようですね。ありがとうございます」

 

 時間の檻から解放されたのは、アーチャーのマスターであるティーネ・チェルク。

 方舟断片(フラグメント・ノア)からの解放は、同時に外界からの修正を意味している。保護機能が働いているのでその修正は最小限に抑えられているが、それでも並の人間に耐えられるモノではない。解放と同時に即座に治癒を施さねば、命に関わりかねない。

 そんな状態でありながらも、ティーネはそんな痛みを無視しながらランサーに謝意を示し、一礼をしてみせた。

 

「礼には及ばないよ。君に死んで貰うと僕が困るってだけだからね」

 

 なんでもないように答えるランサーではあるが、その言葉は本心である。ティーネもその言葉の意味を違えたりはしない。

 真にランサーが慮るのは、マスターである銀狼と親友だけである。単独行動スキルを要する親友であれば、マスターたるティーネの存在はもののついででしかない。必然的にその優先順位は低くなる。

 

 助けられたのが銀狼であったのなら、ランサーは銀狼を連れて安全地帯へ移動するのだろうが、ティーネであればそんな過保護な真似はしない。ランサーがティーネに行うのはあくまで方舟断片(フラグメント・ノア)からの解放のみである。

 

「さて、念のために聞いておきますが、これから君はどうするつもりかな?」

 

 ランサーと共に同行する、というのであればできる限り守るつもりはある。だが、まがりなりにもティーネはアーチャーのマスターだ。ランサーとしては親友と同様に気高い魂を持ってもらいたい。

 率直に言えば、ランサーと同行しても彼女はこの森では何の役にも立たないどころか足手まといになりかねない。それならば、自力でこの茨姫(スリーピングビューティー)からの脱出して欲しい。ランサーがやるべきことは他にもあるのだから。

 

「これから、私はアーチャーの元へ向かいます」

 

 そうしたランサーの都合を踏まえた上で、ティーネは酩酊状態から脱しながら今後の方針を伝える。

 時間の檻に閉じ込められていたティーネである。これまでの経緯は不明だが、自らの状態を鑑みれば、他に自分と同じような人質がいることは推測がつく。周りの樹木も尋常ではなく、罠に嵌っていることは間違いない。

 幸いにしてアーチャーのマスターであるティーネにはアーチャーの居場所が分かるし、その動きから目的地の推測もできる。この場所からは随分離れたところへ向かっている。同じような封印宝具がそこにもあるのだろう。

 

 目的はランサーと同じく人質の救出か。

 ならば、ティーネの役割はアーチャーのマスターとしてアーチャーの援護に回るべきだ。援護とは別に武器を持って共に戦うだけではない。ランサーがこの森に駆けつけ別方向へ向かったと伝えるだけでも、アーチャーの負担を減らし、その行動を効率化することができる。

 

「それは助かります。人質はアーチャー、ランサー、アサシンの各マスターらしいので、残る場所は二カ所。僕がもう一方にいけば全部回れることになる」

 

 先にティーネの行動を聞いてから、ランサーは悪びれることなく情報を後出しする。そしてティーネの無謀ともいえる行動指針に異を唱えることなく、ランサーは自らの行動を優先した。

 確かに、ティーネの行動は全体の効率という面では正しい。ただし、その危険性はランサーと同行することに比べて大きな差が出る。

 

 この茨姫(スリーピングビューティー)でティーネのように霊脈から魔力の供給をダイレクトに受ける魔術使いは、その力を十全に発揮することはできない。自前の魔力こそ満ちているが、効率よく動かねばアーチャーと出会う前にガス欠に陥りかねないのだ。判断を少しでも間違えれば、森に吸血され殺されるのは容易に予想が付く。

 しかしそれでもティーネに選ぶ余地はない。人質となったのはティーネのミスだ。そのミスを濯ぐためにも、そしてアーチャーにマスターとしての気概を見せるためにも、ティーネは自らの役割を全うしなければならない。

 

「なら、僕は失礼するよ。くれぐれも、気をつけるようにね」

「いいえ、ランサー。私からもひとつだけ聞いておくべきことがあります」

 

 ティーネはアーチャーがいると思しき場所を正面に見たまま、反対方向へ行こうとするランサーを呼び止めた。

 両者共に背を向けたまま、立ち止まる。

 

「ランサー。あなたは、この聖杯戦争の終着点を理解していますね?」

「……夢の中でアレを見たからね。そんな質問をするということは、ティーネ・チェルク。君は現実でアレを直接見たのかい?」

「はい。情けなくも、無様に捕まってしまいましたが」

 

 両者が共通して思い描く存在は、その強大さ故に強固な封印によって守られている。

 否、封印されている。

 故にこの戦争の終着点は、全部で三つとなる。

 ひとつは、このままこの偽りの聖杯戦争を続けること。

 ひとつは、ティーネによって強固な封印を施すこと。

 そして、最後のひとつは。

 

「……多分、君が思い描く最後の方法は夢物語だよ」

 

 ティーネの思考を読み取ったランサーの答えは、素っ気ないものだった。

 ランサーにとっての最大の目的は親友との再会と決着。それ以外は、どうでものだ。邪魔するものは排除するし、聖杯のお題目すらも眼中にない。この森でティーネが死ねば、賢明な選択肢は最後の一つだけとなるが、それがどうしたというのか。

 英霊として、その使命にランサーは気付いている。しかしそれに気付きながらも行動しないとなれば、後は第二次偽りの聖杯戦争が開催されるだけとなる。これでは終戦ではなく、ただの停戦だ。根本的な解決になっていない。

 

 それで良い、とランサーは思う。

 それで良い、とティーネは思わない。

 

 次に開催される偽りの聖杯戦争に、ティーネのような救済を司る存在がいるとは限らない。ならば、このままこの聖杯戦争の真実に気付くことなく、この愚かなサバイバルゲームが続いていくことになるだろう。

 この偽りの聖杯戦争の真実。

 

 それは参戦する者全ての目的に、願望機など必要ないということ。

 

 これはあくまで推測ではあるが、ティーネは確信していた。

 彼女がその目的を把握している者はアーチャー、ランサー、ライダー、バーサーカー、銀狼、椿、フラット、それに自身を含めた八名。この内明確に聖杯を欲しているのはバーサーカーただ一人。この時点ですでに参加者の過半数が聖杯を目的としていないのだ。これではあまりに偏りすぎている。

 そして残るキャスター、アサシン、署長、ジェスターの目的も実際に聖杯を必要とする類ではない。彼女の推測は的を射ているのだ。

 

 そもそも彼らサーヴァントを喚びだした偽りの聖杯からして、願望機とはほど遠い存在であることをランサーとティーネは知ってしまった。優勝商品がないのだから、偽りの聖杯はこの場への参戦をもって代わりとしているに過ぎない。

 参加することに意義がある、などとこの戦争の主催者は嘯いているに違いない。

 

 欺瞞に満ちたこの聖杯戦争は、表向きの勝利条件を満たすことは重要ではない。敗北条件を排除することこそが正解だ。

 即ち、敵を倒さず争わず、命を大事に生き残る。手と手を取り合い協力関係を結ぶことこそが最善であり、正解だ。

 もちろん従来の聖杯戦争でそんなことが起こり得る筈がない。

 

 願望機は必要なくとも、各マスターとサーヴァントの望みは聖杯戦争の過程によって叶えられるよう仕組まれている。己が欲望を叶えるためには、必然的に選ばれる選択肢は一つだけ。戦いの最中にしか見いだされぬ望みならば、誰も平和な手段を模索することもないだろう。

 だからこそ、本来召喚された目的を全サーヴァントは忘却するよう仕組まれているし、ランサーのように気付いたとしても、協力的ではない。

 

 ティーネは笑いたくなってくる。

 畢竟、最善の選択肢が不可能ならば、最良の選択肢を持って終わらせるしかない。そしてその選択肢は、ティーネにしか選ぶことはできない。

 ティーネの犠牲をもって、この聖杯戦争を終わらせてみせる。既に一度失敗しただけに、次こそは必ず成功させてみせる。

 この命は、ここで散らせるためには使えない。

 

「……私は、ここでは死にません」

「良い覚悟だね。君の勇気は賞賛に値する」

 

 そうして二人はついに目を合わせぬまま前へと歩き出す。再生し生い茂る木々がそれぞれ両者を襲いかかるが、ランサーは創生槍を一振りし、ティーネは無音詠唱の炎によってその枝葉を撃退した。

 

 その歩むべき道は、真逆にあった。

 

 



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day.09-06 最弱のサーヴァント

 

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)の直接戦闘において絶対視しているポイントは二つ。それは数の利と地の利である。

 キャスターにより昇華された宝具を装備しその戦力は大幅に上昇したが、それもあくまで選択肢のひとつとして利用されているに過ぎない。決して、宝具を絶対視しているわけではないのである。

 

 この魔の森茨姫(スリーピングビューティー)が用いられたのは地の利を制するためだけだ。隠れることはできても盾にすることはできない普通の森と違い、この茨姫(スリーピングビューティー)は宝具の一撃を受け止めるだけの強度がある。その攻撃性などはおまけに過ぎないないのである。

 

 そして数の利。狼煙によってアーチャーの居場所を知らされた各二十八人の怪物(クラン・カラティン)の小隊は次々とアーチャーの元へと殺到し、波状攻撃を仕掛けることによってアーチャーをひたすらに消耗させ、着実に追い込んでいく。

 

 こうした状況下でアーチャーを仕留めるためには、最低五小隊が必要だと試算されている。理想的条件下でこれである。現場運用を考えると、小隊はその三倍は必要となってくるだろう。そしてそれで十分とも思えない。

 この森の広さと、面積当たりの兵員密度を考えると、どうやっても二十八人の怪物(クラン・カラティン)全戦力の六割以上が集結していることになる。黄金王との戦闘などでかなりの人数が戦線離脱状態に陥っている筈なので、事実上の全戦力が投入されているに違いなかった。

 

 署長であれば、この作戦を承認することはなかっただろう。夢の中での要塞戦と同じく、勝ったとしても犠牲が大きすぎる。それでも強行してみせるのだから、さぞかし面白可笑しい脚本が出てくるだろうと、キャスターは内心楽しみにしていた。

 そして興醒めした。

 

 署長から事前に聞いていた作戦内容と現状に然程変わりがない。地表への不発弾被害を考えずクラスター爆弾を使用したことは単純に驚いたが、型破りであれば良いというものではない。そして特に期待していた兵の運用にも、教科書通りで想定外なものはなかった。工夫もなければ蛇足もない。

 実に面白くない展開である。

 

「こりゃ、ライダーには酷な作戦だったかな?」

 

 目を凝らせばうっすら確認できる狼煙が遠くに判別できる。場所柄からしてライダーが奮闘しているのだろう。間引きをライダーに任せたわけだが、この調子だと想定以上の成果を上げているに違いなかった。

 手駒としては極めて優秀だ。少なくとも、アサシンよりはよっぽど使いやすい。

 

 キャスターは手元の魔力針を眺め見る。

 東洋人から交換条件(原住民急進派が東洋人に代わって出撃したので、キャスター自身は何の対価も支払っていないが)で手に入れたもので、強い魔力を察知できる便利アイテムだ。「RIN」と名前も彫られており明らかに他人の者だが、それを無視してキャスターはこの魔具を昇華させ、宝具としてみせた。その効果はアーチャーの魔力だけに反応する、という一点だけ。茨姫(スリーピングビューティー)という悪条件下では不安もあったが、どうやら杞憂のようである。

 

 ライダーの活躍とこの魔力針のおかげで、キャスターは鈍足でありながらも何とか無事アーチャーに先んじることに成功していた。

 その針は目の前の一点をぶれることなく指し続ける。徐々に近づきつつあるアーチャーの魔力に、今にも壊れそうな程魔力針は過敏に反応してみせていた。その反応を改めて確認し、キャスターは魔力針を懐へと仕舞い、漆黒の匣を背に腰を下ろしてアーチャーを出迎えた。

 

 アーチャーの行く先は魔力針なしでは分からなかったが、その居場所だけなら遠くからでも分かる。二十八人の怪物(クラン・カラティン)の狼煙もあるし、何より重戦車が地雷原を走り続けるような轟音が周囲を揺らし続けていた。そしてその音はもうすぐそこまで近付いてきている。

 

 森の奥から周囲を丸ごと吹き飛ばしながら現れたアーチャーの姿は、赤く血に濡れていた。その大部分は返り血であろうが、その一部はアーチャーのものに違いない。古城並の防御力を誇っていた筈の重装甲の鎧はその一部が欠落し、凹み、そして薄汚れ、元の輝きを見いだすことはできない。

 想定通りに気力・体力・魔力が大幅に消耗された状態。しかしさすがは英雄王というべきか、その疲れた姿にあって気迫があり、所作のひとつひとつに凛々しさすら感じ取られる。

 

 劇作家として、アーチャーのそうしたオーラにキャスターは見惚れていた。アーチャーから放たれた一刀に対し瞬き一つもせずにいたのは、ただそれだけの理由である。

 キャスターの真横をすり抜け、背後にあった方舟断片(フラグメント・ノア)にその一刀が深々と突き刺さる。

 投擲された宝具は魔力無効化の原典。その効果は突き刺さった直後から発揮していたらしく、漆黒の匣はあっさりと崩壊し、宙へと霧散していった。そしてその中身は聞くに堪えぬ悲鳴を上げてぐしゃりとその場へと落ちていく。

 

「ふん。外れか」

 

 その光景に、アーチャーは嘆息した。

 方舟断片(フラグメント・ノア)に封じられていたのは通告されていたマスターなどではない。あらゆる可能性を詰め込まれた確率の霧を概念核として生み出された生体宝具シュレディンガー。

 夢世界ではアーチャーを仕留めうる切り札であったが、残念ながら切り札は切らない限りただの札であった。

 

 方舟断片(フラグメント・ノア)と共にその魔力を無効化されればその存在を確定できず、シュレディンガーは溶けたタコのような形でしか顕現することはできない。

 時間を与えれば復活の目もあったかもしれないが、外界との時間修正によって動くことすらままならない。そうこうしている内に周囲の大樹に捕食され、欠片も残さずあっけなく退場していく。

 

 随分と粗雑な罠だ。アーチャーを嵌める罠がこれでは通用せぬことぐらい理解できそうなものだというのに。

 いや、とキャスターは考え直す。これは単に倉庫の奥に眠らせるよりかはマシ、という程度で使ったのだろう。だとすればいよいよキャスターの予想通りとなる。

 

 そんなキャスターの思索の間にも、剣が、斧が、槍が、黄金の軌跡を描いて降りかかる。そのいずれも座ったまま動かぬキャスターに当たることはなく、もっぱら傍らに突き刺さり地面を抉り、大樹を貫通させるのみ。

 この距離で狙いを外すことなどあり得ないことだが、その現実をアーチャーは冷静に受け止めていた。

 

「貴様か。あの二十八人の怪物(クラン・カラティン)とやらに紛い物を作り与えていた贋作師は」

 

 近付けば自ずと分かるサーヴァントの気配に、先ほどまで戦っていた二十八人の怪物(クラン・カラティン)との関係を推察したのだろう。キャスターの予想とは裏腹に、アーチャーは特に不機嫌になる様子もなく、キャスターに問いかけた。

 その問いに、キャスターは即答せず、まずは目と鼻の先、大地に突き刺さった宝具をしげしげと眺め見ていた。

 

 これが全ての宝具の原典と謳われる本物。その姿形、秘めたる魔力は勿論のこと、オリジナルのみが持つ穢れなきその輝きは、祖を同じくした宝具であったとしても全く異なるモノだ。

 なるほど、これは、美しい。

 自然、キャスターはその歯をむき出しにして口角を上げた。

 本人は笑っているつもりだった。しかし、もしここに第三者がいたらその感想は別物であった筈。それは、獲物を前に舌舐めずりをする肉食獣の顔だ。もしくは、欲しがっていた玩具を目の前に出された幼子の顔であろう。

 

「贋作とは失礼だな、アーチャー。俺の作品はあんたの原典を上回っていた筈だぜ?」

 

 こんなつまらない宝具を、よくも恥ずかしげもなく使えるな、とキャスターは足元に突き刺さった小斧をアーチャーへと放り投げる。残念ながら筋力の足りぬキャスターではアーチャーの足元へ届くこともなかったが、返礼としては満足していた。

 

「原典を上回る、だと? なるほど、認めねばならぬな。確か貴様の贋作は原典を上回っているだろうよ。数の上では、な。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)とはよくいったモノだ。人数が明らかに二十八人よりも多いではないか」

「はっ。残念ながらそんなもんはミスリードですらねぇよ。かの大傑作『三銃士』だって四人組だろうが」

「くだらん」

 

 キャスターの物言いにアーチャーはその一言で切って捨てる。心底、言葉通りくだらないと思っているのだろう。二十八人の怪物(クラン・カラティン)にしろ、贋作宝具にしろ、どんな事情があろうと相手にする価値はない。

 邪魔する者は排除するのみ。それだけだ。

 

 その赤い瞳でアーチャーはキャスターを射貫く。そこに怒りはなく、ただその態度と能力を観察し、殺しておくべきか考えただけに過ぎない。並の者なら震えが止まらぬその視線であっても、キャスターは傲岸不遜にも、睨み返してみせた。

 

「へっ、これ以上雑種と語り合うことは何もないっていうのかい、王様よぅ」

 

 キャスターの挑発に、アーチャーはその眼を猫のように細めると無言で王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)を展開した。

 森の中ということもあって確かに三つか四つを射出するので精一杯であるが、それは動き回り的を絞る必要があるからだ。立ち止まり木々の隙間を上手く使えば宝具の一〇や二〇くらいは射出できる。

 

 今は一分一秒が惜しい。方舟断片(フラグメント・ノア)の中身が判明した以上、急ぎ次へと向かうべきだと理解していた。キャスターは明らかに戦闘態勢にはない。いかに重要人物であろうと今は安い挑発に乗って時間を浪費するつもりもなかった。それでも、わざわざアーチャーが宝具を大量に取り出し全力で相手をしようとしたのには理由がある。

 キャスターを観察してアーチャーは気付いていた。

 

 この男は、既に先手を取っている。

 

「おっと。言い忘れていたが、俺はキャスターのサーヴァントだ」

 

 話を聞くつもりなど、アーチャーにはない。その機会は既に逸している。

 端から見ればアーチャーの先手なのだろうが、本人は後手に回ったと悟っていた。返答の代わりに、展開させていた宝具を、一斉射してまだ見ぬ先手を払い、キャスターを片付ける。

 そのつもりだった。

 

「一芸特化なんで、単純な戦闘能力では間違いなく俺は最弱のサーヴァントだ」

 

 ここに生い茂っていた串刺大樹(カズィクル・ベイ)はキャスターを中心に全てアーチャーによって吹き飛ばされていた。ここに至っても、キャスターは何もしていない。相変わらず、ただ座り込んでいるだけだ。

 浅黒く、やや肥満体であるキャスターはお世辞にも美しいとは言い難い。王気が目に見えるようなアーチャーと較べると見窄らしさすら感じられる。だがその全てにおいて、キャスターはアーチャーに劣っているわけではない。

 キャスターがアーチャーよりも優れているもの。

 

 それは、勝利への確信だ。

 

「だからよ、最強。最弱が教えてやるぜ。敗北の味ってものをよ」

 

 



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day.09-07 お前の物は俺の物

 

 

「俺の能力は“昇華”だ。『原典を上回ることのできる宝具を生み出す能力』っつー触れ込みなわけだが、実際には大したもんじゃねぇ。出力がピーキーだったり、制約が多くなったり、コストがかかったりと欠点も多い。

 その代わりに、オリジナル以上に強力にもなる」

 

 原典を下回っているからこそ、上回る。

 だからこそ、キャスターの作品は面白いのだ。

 無垢な輝きなどよりも、キャスターは汚れた芸術を好む。

 完成された過去よりも、キャスターは可能性に溢れた未来を好む。

 そしてそれは決してキャスターだけの特異な嗜好ではない。

 

 キャスターは胸元のポケットの中にある自らの宝具を意識し、胸に手を当てる。以前バーサーカーに見せたときにはソードオフショットガンの形を取っていた我が銃は誰にも当たらず(オール・フィクション)は昇華され、その媒体も金貨へと移っていた。

 

 その名も、我が人生は金貨と共に有り(アレクサンドル)

 

 自らの召喚媒体であり、署長へ一時預けた命よりも大事な金貨。それにキャスターは惜しみなく持てる魔力と能力の全てを注ぎ込み、昇華してみせた。

 我が銃は誰にも当たらず(オール・フィクション)は標的として狙うと当たらなくなる宝具であるが、我が人生は金貨と共に有り(アレクサンドル)は標的として狙われても当たらなくなる宝具へと変わっている。謂わば、究極の弾避けの加護である。

 

 アーチャーの王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)は飛び道具として使う限り、この宝具の前には通用しない。それは初撃で気付いている筈だが、アーチャーは構わず宝具を展開し射出してくる。

 物量に押されれば、喩えどんな加護であっても最終的には英雄王にひれ伏すことになるだろう。実際、こんな一斉射を何度も繰り返されれば、いかに昇華されようと早晩この金貨は砕け散る。

 キャスターが串刺しとなって消滅するのもそう遠いことではない。

 

「ハハッ。さすがだぜ、英雄王」

 

 人質の処刑執行時間の差し迫った時間のないこの状況で、当たらぬことが分かっている攻撃を、アーチャーは繰り返す。

 アーチャーがキャスターの我が人生は金貨と共に有り(アレクサンドル)を知っている筈がない。この宝具の効果範囲、持続時間、必要魔力量など知るわけがない。無限の財を前にいつかは耐えきれなくなるだろうが、それがいつかは分からない。一秒後かもしれないし、一時間持ち堪えるかも知れない。

 他人なら躊躇すべき選択肢を、英雄王は構わず選択する。

 

 アーチャーのその行動に、キャスターは羨ましく思う。

 納得のいくその瞬間まで塗り替え書き換え、昇華していくしかない自分にその選択肢は選べない。

 英霊とはかくもそうした傾向にあるが、キャスターにそれはない。そうした意味では、キャスターはまっとうな英霊ではないのだろう。かといって反英霊になれるような器でもない。

 多くの英霊の後塵を拝するしか能のない英霊、それがキャスターなのである。

 

 下回るが故に上回る。

 それは別に昇華の宝具を指しているのではない。

 キャスターの存在そのものである。

 

「でも、これでチェックメイトだ」

 

 キャスターのその一言に、アーチャーの有無を言わせぬ射出が、その瞬間にピタリと止まった。もちろん、アーチャーはそんな命令をした覚えはない。

 

「何?」

 

 射出しようとするアーチャーの意志に反して、王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)は動こうとしない。宝具の鋭い矛先や剣先は既に出ている。が、それ以上の反応が返ってこない。

 

「こういう演出も、面白ぇだろ?」

「……一体何をした、雑種」

 

 キャスターの先手。その存在に気がつきながら逃げなかったのはアーチャーのミスともいえた。

 不可解で認識できないのであれば、下手な対処をするべきではない。逃げていたのなら、まだ最悪の事態に陥る可能性は低かっただろう。せいぜい爪の先の垢程度の違いであったとしても。

 

「王様の攻撃は封じさせてもらった。俺は弱いからよ、強者に対して策を幾つも用意してねぇと怖くてたまらねえんだ」

 

 そんな分かりきった答えに、余裕を持ってキャスターは答える。そのわずかな間にもアーチャーは自らの知識を照らし合わせ現状を探ってみるが、心当たりは見つからない。

 王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)を急ぎ再点検してみるも、異常はどこにも見つからない。原因は不明のままだ。

 

 ここに来て、初めてアーチャーに焦りが生じた。

 何かを仕掛けられた以上、今更ここで撤退は許されない。

 アーチャーは自らの最大の強みが莫大な財であることを自覚している。この莫大な財を前にしては、アーチャー自身の能力や固有宝具である乖離剣ですら、「おまけ」でしかない。

 どんなに火力があろうと、火力だけで打開できる局面というのは非常に少ないのだ。どんな敵や環境であってもそれに対処しうる宝具があるからこそ、アーチャーは圧倒的制圧能力を有するのだ。

 

 アーチャーは最強の名を欲しいままにしているのは、バビロンの宝物蔵があるが故である。

 その裏付けたる王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)が上手く機能しないとなると、これは放置できぬ問題だ。この場において早急に対応し、根本的解決を図る必要がある。

 

 幾つか思いついた対処策のひとつとして、試しに自らが最も信頼している宝具天の鎖(エルキドゥ)を取り寄せてみせる。やはりその先端しか現れ出でぬ宝具であるが、掴めばジャラリとその姿を主の前へ見せてみせる。

 

「封じられたのは射出機能のみ……ということか」

「それは正確じゃないな。俺は王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)を封じてなんていないぜ? 射出機能なんて限定的なものじゃねぇ」

 

 アーチャーの答えを否定するようにキャスターは答える。アーチャーが実際に行ったのはただの確認であるが、キャスターはその考えを補足する。意味深な言葉を黙殺しようとするが、その言葉は巧みにアーチャーの中に入り込む。己の中にのみ答えを見いだそうとしても、あまりに手掛かりが少なすぎた。

 程なくしてアーチャーはキャスターの言葉を理解する。

 

 キャスターとアーチャーの中間地点に、一体どこにあったのか周囲から黒い霞が集まり出でる。黒い霞はその厚みを徐々に増していき、すぐにそれが人型であることに気付かされる。足があり、手があり、顔がある。細かいディティールが修正されると、それは鎧を着込み、その鋭い眼差しをもった男の姿をとっていた。

 一言で言えば、それは黒いだけで、アーチャーと瓜二つの存在だった。

 そしてその手にあるのは。

 ――鍵剣。

 

「ドッペルゲンガー、ダブル、離魂病……世界に同一人物が同時に二カ所以上に現れる自然発生的な呪いは数多い。それを意図的に作り出し、オリジナルにとって変わる。俺が対アーチャー戦に用意して置いた王の入場(キャスリング)だ」

 

 キャスターの勿体ぶった説明に、アーチャーは有無を言わさず手にした天の鎖(エルキドゥ)を偽物のアーチャーへと投げつける。その咄嗟の判断にキャスターも感心せざるを得ない。

 ドリアン・グレイの絵画をはじめとして、対象を実体化させる宝具や術は多い。英霊という格上の存在を無条件かつ即座にコピーするなど不可能である筈だが、アーチャーはそんな些事に拘泥しなかった。

 

 より大切な事実は、アーチャーの目の前に顕現した黒いアーチャーが確かな敵戦力として在るということ。その手にある鍵剣が宝物蔵の制御に割り込みを入れている事実。

 種が分かれば単純なことだ。

 どちらが本物か偽物かは一目瞭然。しかし、王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)は本物と偽物を区別ができていないのだ。王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)は二人いるアーチャーのどちらが所有者なのか判別できない。

 だから、両方の命令を忠実に実行してみせる。

 

「安心しな。確かにこいつは偽物だ。本物の英雄王に匹敵はしない。けどな、その手にしている鍵剣はお前が持つ鍵剣と同じく本物だぜ」

 

 キャスターの言葉にアーチャーは合点がいく。

 あの鍵剣は、アーチャーがスノーフィールドに召喚された時の召喚媒体。アーチャー以外に扱えぬ代物だったためにそのままティーネの元に捨て置いたが、それがこんな形で徒となるとは。

 一瞬にして思考は繋がる。しかしそこに後悔の念が入ることはない。手にした天の鎖(エルキドゥ)こそ本物のアーチャーの支配が及んでいるが、その他については偽物のアーチャーの意志が介在している。この瞬間はいかな思いであれ油断すれば命取りになりかねないのである。

 

 王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)は今この瞬間も動けずにいた。アクセルを踏み込んだとしても、ブレーキを同時に踏めば、車はブレーキを優先するのである。それと同じようなことが起こっている。片方は射出を要請し、片方はその射出の中止を要請しているのだから、結果として安全機構が働き中止を優先しているのだ。

 しかし、それだけで事は終わらない。新たな命令がここに付け加えられる。

 

 新たな宝具を、射出せよ。

 そのオーダーに王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)は即座に応えた。今度は、それを中止する命令が下されることはない。

 本物のアーチャーが放った天の鎖(エルキドゥ)は、偽物のアーチャーが射出した宝具によってあっけなく防がれる。この行動からアーチャーはキャスターの策を正しく理解した。

 

 瞬間、二人のアーチャーは同時に王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)を展開し、宝具を射出しようとする。そして射出されようという瞬間に、宝具の射出命令を中止させる。結果として宙に互いに向かい合って何百もの宝具が展開されるが、ただの一射たりとも放たれることはない。

 これでは千日手だ。

 確かにオリジナルのアーチャーの方が優れている筈だが、残念ながら一瞬で蹴りが着くほどに実力差は離れていない。もしこのまま宝具の射出だけで決着をつけようというのなら、千日と言わずともそれなりに時間はかかることになる。

 

 だが、思い出して欲しい。キャスターはこう言ったのだ。

 チェックメイト、だと。

 既に、詰んでいる。

 

「この俺を、忘れちゃいないかな、アーチャー?」

 

 ゆっくりと、キャスターは立ち上がる。

 もはや慌てる必要はない。型に嵌まってしまったアーチャーがキャスターを避けて通ることなどできはしない。

 キャスターはお世辞にも戦力と呼べる存在ではない。それはキャスター自身自覚しているし、アーチャーも看破している。喩え偽物のアーチャーに加勢したところで天秤の針はいまだ本物に傾いている。

 

「褒めてやる。この我を前にこうも姑息な手段を用いるとはな」

 

 アーチャーは激昂しながらも、尚冷静に対処している。

 王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)が通用しないとはいえ、既に射出された宝具は利用できるのだ。周囲に撒き散らされ突き刺さったままの宝具を手に取り、偽物へと斬り込んでいく。

 その選択は、正解だ。王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)に固執していては敵を倒すことはできない。一般的なサーヴァントと同じく、自ら手にした武具をもって偽物を打倒するくらいしか打開策はない。

 罠に嵌められたと激昂し我を失えば偽物にも多少の勝機はあったかもしれないが、アーチャーは我を失っていない。その傲慢さは影を潜め、偽物を侮ることもない。

 唯一アーチャーが誤っていると指摘するならば、キャスター自身はまだ、何もしないということのみ。

 姑息な手段は、これからだ。

 

「宝具――開帳」

 

 本物と偽物、両者がぶつかり合うその横で、キャスターは自らが持つもう一つの宝具をその手に宿す。

 

 それは光り輝く巨大な腕だった。

 

 キャスター自身の腕が単純に肥大化したというわけではない。巨人の腕だけが呼び寄せられた印象を与えるが、そんな無骨なものではない。その巨大さと反比例するかのように優雅でしなやか。その輝きは何者をも寄せ付けぬ光を放ち、奇跡を成就させる神の御手が顕現する。

 そもそも、キャスターが行う“昇華”とはスキルなどではなく、この宝具が持つ特性の一面に過ぎない。元となる宝具をその御手でもって使用者の思うがままに改変する。ただそれだけの宝具であるなら、片手落ちだ。

 材料なくして、この宝具は役立たず。

 故にその能力は、“奪取”と“昇華”の二面性を持っている。

 

「見るがいいさ英雄王。これがお前には決して持つことのできぬ我が神の手」

 

「――宝具お前の物は俺の物(ジャイアニズム)

 

 自らの宝具名すらシェイクスピアからの盗作。だがその名は確かにキャスターの宝具の名にふさわしいものだった。

 元々、キャスターは盗作したことで世間から原典を上回るアレンジ力を見せつけた英霊ではあるが、盗んだものは何も形のないアイデアだけではない。

 

 劇作家としての名があまりに大きいためスポットが当たりにくいが、キャスターは実際に革命の最中に話術や偽造した命令書などによって敵陣へ乗り込み、その武器を大量に強奪した功績を持っている。

 相手の武具を“奪取”する能力といえば確かに強力ではあるが、その成功率はかなり低い。何故なら、多くの英霊はその宝具の担い手として結びつきが極めて強固であるが故に、奪い取ることは事実上不可能だからだ。

 署長が世界各地から材料を集めてくることによって“昇華”のみを今まで活かしてきたが、この地この時にあって、ついにその能力をキャスターは使用することが可能となった。

 

 アーチャーと王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)の結びつきは強いものではない。それは単に捧げ物を入れておくための蔵であるからだ。蔵は利用するものであり、担うものでは、ない。

 それでも英雄王という格付けはキャスターであっても手が届くことはない。だからこそ、その宝具と英霊との結びつきを弱めるためにキャスターはありとあらゆる策を用意した。

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)が用意していた対アーチャー作戦に横槍を入れ、椿を用いて止めを刺されぬよう戦力を間引き、アーチャーを消滅させぬ程度に弱体化させた上で、時間稼ぎに弾避けの加護を作り、秘中であった偽物で蔵との繋がりを弱め、この場を用意した。

 

 最初からキャスターの狙いはいるかどうかも分からぬ人質ではなく、英雄王の蔵にあった。

 この瞬間だけが、唯一のチャンス。

 全ての情報が暴露されながらも、マスターである署長や狡猾なファルデウスですらもあり得ぬ可能性として一度は切って捨てた勝機。それを今まさに、キャスターは掴み取ろうとしていた。

 

 キャスターの巨大な腕が、王の蔵を掴み取る。

 この手は、奪う物が大きければ大きいほどその大きさを増していく。掴み取られた衝撃に空間が波打ち、歪曲した衝撃波によって並の宝具にも堪えうる筈の茨姫(スリーピングビューティー)が根こそぎ薙ぎ倒されていく。

 

 アーチャーが口元を噛みしめ血が滴り落ちた。

 自らの財が根こそぎ奪われていくというのに、当のアーチャーは為す術もない。何かをしようとするならば、その瞬間に鍔迫り合いを続けている偽物の自分が隙を突いて襲いかかってくる。そうでなくとも、周囲からアーチャーを狙ってくる枝葉は無視できぬ存在だった。

 怒気を孕んだその表情は筆舌に尽くしがたい。だがそんな状況にあっても、この期に及んですら、アーチャーは無様に喚き散らすことをしなかった。口内を噛み千切り、その恥辱を確実に己の内へとため込んでいく。

 それが、一体どれ程の役に立つのか、分かる筈もない。

 周囲を覆い尽くすように育った樹木は、宝物蔵を失ったアーチャーを逃がしはしまい。偽物も、その攻撃を休めることなどしない。キャスターがこの期に及んで手加減する道理もない。

 

 そこに奇跡は起こらない。

 強奪の嵐は、程なくして消え行く。

 かくして、この聖杯戦争における究極の番狂わせ、最強(アーチャー)最弱(キャスター)の一戦はキャスターの王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)奪取により終結することとなる。

 この茨姫(スリーピングビューティー)での役割の一つが、ここで終わる。キャスターによる終止符は予想外であろうが、アーチャーをこの場に留めておくという作戦は成功裏に終わっていた。

 対アーチャー作戦は、これで終了。残る作戦は、事実上あと一つ残すのみ。

 

 予定されていた人質処刑の時間まで、残り一分を切っていた。

 

 



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day.09-08 食客

 

 

 時間は少しだけ遡る。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)の作戦、いや、ファルデウスの作戦開始と同時に上方から響き渡った衝撃は、それだけで何が起こったのか容易に予想がつくものだった。

 相次いで報告される被害報告は、いずれも七番格納庫を起点としたからである。

 

「七番格納庫……やはり、ランサーが原因なんでしょうね……」

 

 格納庫は完全に崩壊し潰れており、周辺施設での救助作業も相まって中の様子は確認できない。だがランサー以外を原因とする崩壊などあり得る筈がなかった。

 

「いやぁ、しかしこうも他のサーヴァントが予想通りに動いてくれると、尚更キャスターの行動が分かりませんねえ」

 

 生き残った施設内のカメラと砂漠地帯を遠距離から撮影しているカメラを同時に見ながら、ファルデウスは自らの策を再検証していた。

 そう。今回の対アーチャー作戦の発案者でありながら、ファルデウスは現場にいない。

 彼はスノーフィールド地下にある基地で、コーヒー片手に足を組みながら優雅にその経過を観察するだけである。

 

 森を中心として半径約一キロ地点に自らの部下を配置し、有線通信により定期的に連絡を取っているが、ただそれだけ。どんなイレギュラーが起きようとも、タイムスケジュールは“上”のトップが直接介入してこぬ限り、変更はできないようになっている。

 そして直接介入できぬよう通信機器には細工を仕掛けているので、ファルデウスも含めこの作戦を止めることはできぬのである。

 

 後戻りができぬ分、ファルデウスも事前準備には抜かりない。

 茨姫(スリーピングビューティー)の中へと投入された実働部隊は二十八人の怪物(クラン・カラティン)のほぼ全戦力。効率を無視した広域通信妨害に、上空に配置された国際法違反のクラスター爆弾。森周辺に展開された地雷原とその向こう側に配置された対サーヴァント仕様重火器の数々。

 通告通りに処刑するための一撃も、既に放たれている。

 

 この作戦で費やされる金額を聞けば、誰もが別の意味で震え上がることだろう。それでも敢えて決行したということは、それだけの価値が例外的にアーチャーにはあるということだ。

 いかな英霊とはいえ、英雄王を前にしては最弱のキャスターと令呪を持たぬマスターでは「おまけ」程度の価値でしかなかったりする。

 それよりも、念のためという程度でわざと作戦を漏洩しておいたランサーがこうも容易く引っかかってくれたのは好都合を通り越して意外ですらあった。

 

「クハハハハハッ。作戦通りにいっているというのに、浮かぬ顔であるな。ファルデウス殿?」

「だからですよ。こうも予定通りだと逆に怖くなります。では、食客として助言の一つでも聞いても良いですか、ジェスター・カルトゥーレ」

 

 いつも通りの顔であるのに、浮かぬ顔と評されたファルデウスはゆっくりと部屋の隅で壁を背にニタニタ笑う男に視線を向ける。

 人質として通告されている筈のアサシンのマスター、ジェスター・カルトゥーレ。ティーネとの一戦で邪魔されはしたが、この偽りの聖杯戦争に単独で挑み真相へと最も近付いた存在。

 だが、ティーネが失敗したことで逆にジェスターの腹は決まっていた。

 

 組するならゲームの駒より盤外のプレイヤーだ。その方が面白いし、未だその存在が良く分からぬ東洋人にも迫ることができる。それに何より、アサシンと間接的に接触するにはこれぐらいせねばなるまい。

 

 ロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)をはじめとして数々の暗躍を繰り返しておいて今更感は拭えぬが、ジェスターはファルデウスと接触し、こうして食客の立場に収まったわけである。

 勿論、これはかつて署長に約束した“上”が把握できぬ三日間の猶予があるからこその処置。公式には未だ敵同士という位置づけである。

 

「ではまず、現状を確認するところからはじめてみるのはどうかね?」

「セオリーではありますが、既にこうして確認しているではないですか」

「いやいや、私が確認するべきだというのは南部以外、だよ」

 

 南部に戦力を集中する、ということは他が手薄になる、ということだ。もしこれを逆手に取るならば、他で何かをしている可能性が高い。

 

「それも問題なし、でしょう。何の報告もありませんし、カメラに異常もありません。肩透かしもいいところです」

 

 この場にいるのは別段二人だけではない。今もって南部砂漠地帯を監視するオペレーターもいるし、街中に目を光らせているカメラの映像もモニターに流されている。異常があれば即刻判明している。

 

「果たしてそうかな。私には何かが起こっているように思えてならない」

 

 そうした発言のわりにジェスターの言葉は実に愉しげだった。

 ファルデウスをからかっているかのようにも思えるが、そうした予感は別にジェスターだけのことではない。当のファルデウスだって胸騒ぎがしてならないのだ。だからこそ、内心では浮かぬ顔をしているのである。

 

 ファルデウスは、前任者である署長の動きが気になって仕方がないのである。キャスターの意図は分からないが、あれが囮という前提に立てば警戒するのも当然。相手はこちらの手の内のことごとくを理解しているのだ。

 急場凌ぎで登用されたファルデウスよりこの地に精通している。どんな手を使ってくるのか、これを読み切ることは難しいだろう。

 

「コマンダー。G8より報告。ケースC8を確認。スペード4と8です」

 

 オペレーターの急な報告にファルデウスはむしろ安心した。イレギュラーではあるがこれは想定内。決まった台詞を使うだけで事足りる。

 ケースC8。現場からの二十八人の怪物(クラン・カラティン)の離脱を意味していた。

 

「作戦中の全トランプに離脱は許されない。警告してください」

「手信号からスペード8は重傷。両名共に加護を損傷。即時離脱を求むとあります。現在もスペード8を庇い4が茨姫(スリーピングビューティー)と交戦中とありますが、よろしいのですか?」

「愚問です。茨姫(スリーピングビューティー)の中から逃走するようなら威嚇射撃。それでも逃げるようなら、銃殺してください」

 

 変わらぬ口調で、ファルデウスはあっさりと二人の二十八人の怪物(クラン・カラティン)を見殺しにする。報告が本当であれば加護を失った以上、もはや茨姫(スリーピングビューティー)が彼らを逃すことはない。

 

「おやおや。可哀想なことじゃないか。不必要な犠牲を強いるのは本意ではないだろう?」

「敵に操られている可能性があります。事前に通達しているのですから、当然の処置でしょう?」

 

 からかうようなジェスターに表向きの説明をするファルデウスは笑うしかなかった。想定通りなら二十八人の怪物(クラン・カラティン)の損耗率は処刑時間までに四割を超えている。これにはこうしたケースでの数も含まれている。

 

 勘の良い二十八人の怪物(クラン・カラティン)ならこの作戦の本質に気付くこともあるかもしれない。だがそのために通信網を封鎖したわけだし、念のために説得される恐れのあるキャスターとの接触も禁止した。

 軍隊において命令とは絶対だが、軍人ではない彼らがそれにどこまで従順に従うか疑問が残る。ファルデウスはそこに信頼などかけらも置いていないのだ。

 

「――ッ! スペード8、4を担ぎ森から離脱! 威嚇射撃には応じず! 宝具毒虫化(グレゴール)を展開! 地雷原、突破していきます!」

「おお。あれが噂のカフカの『変身』を昇華した宝具か。一体何を元にしたらあんな宝具ができるのかね」

 

 オペレーターの緊迫した声にジェスターは興味深げにモニターに見入る。モニターの中には巨大な黒い虫と化しつつある二十八人の怪物(クラン・カラティン)が「じょうじ」と叫んでいた。

 

 追い詰められれば追い詰められるほどその変身宝具はその真価を発揮する。

 軽く硬い甲皮に強靭な筋組織は人間を遙かに超越する。頭部の触覚で匂いを感じ、(あし)に生えた微毛で振動を感知、尾葉と呼ばれる器官で気流と音を捉えてみせる。

 この追い詰められた状況で、その能力は遺憾なく発揮されるだろうが、その宝具ランクは決して高くない。ゴキブリ並みの生命力などと揶揄されることもあるが、新聞紙の一撃で死ぬ程度でしかないのだ。

 原典ですら、妹が投げつけたリンゴが致命傷になるのである。

 ましてや、機関銃の一斉掃射に耐えられるわけがない。

 

「G8に改めて通達してください。構わず殺しなさい、と」

 

 そのために用意した、といっても過言ではない機関銃の設置だ。宝具を身に纏っていたとしても、人の身にその威力は高すぎるし、弾もこうした事態を見越したものだ。

 そしてファルデウスの指示通りに、現場の部下は機関銃を掃射した。地雷原を抜け出し何とか仲間を助けようと逃げるスペード8の気高き精神こそ賞賛に値するが、結果的に仲間と自分の命を縮める結果となる。

 

 掃射された銃弾にスペード8はよく耐えた。しかし、撒き散らされた銃弾が運悪く地雷の一つに当たったのだろう。間近での爆発に耐えきれず、スペード8は宙高く舞い上がり、そして背負ったスペード4共々地へと落ちる。その姿の通り、彼らは虫けらのように死んでいった。

 

 念のために死体に数発打ち込んでいく光景をモニターで眺め見ながら、ファルデウスは自身の不安が的中していることに、遅まきながら気づき始めていた。

 撒き散らされる銃弾が、明らかに少ない。

 既に実践テストは済ませた宝具だ。その効果を知っているからこそ、配備したのだ。

 

「G8、何故宝具を使用しないのですか?」

 

 オペレーターからマイクを取り上げ、ファルデウスは直接問いただす。最悪の可能性が、頭を過ぎった。

 

『こちらG8。宝具は手順に従い使用したつもりです。ですが反応がありません。今の掃射も手動で行ったものです』

 

 部下の答えにファルデウスは瞬間的に別のチャンネルを呼び出す。呼び出した先は、北部原住民勢力の偵察部隊。そこでは軽口を叩きながら異常がないとぼやく部下の声がある。先刻オペレーターと直接会話もした部隊であったが、その異常にファルデウスは早々に気付いた。

 

 何を指示する暇もない。予め“上”からリークされていたこの基地の秘匿コードのひとつを士官専用端末に叩き込む。事前登録された端末、静脈認証、そして秘匿コードが合わさって初めてその命令は実行される仕組みである。

 

 基地の動力源は正・副・予備の三系統。そして過日の基地へのダメージとラスベガスからの断線によって正から副へと動力源は変遷している。それが更に予備へと一時的に変更される。その一瞬の隙を突いて、ファルデウスは全システムをメインからサブへと以降させた。途端、それまでほとんど静寂を貫いていたスピーカーが悲鳴を上げた。各モニターに映っていた映像が悉く別のものへと映り変わる。

 悲鳴と思われていたのは、救援を請う各部隊からの報告だった。地上に露出してあるカメラの一部は壊され砂嵐を撒き散らしている。かろうじて残ったカメラは、その惨状を映し出していた。

 ランサーが作った大穴に群がる一団がいる。

 状況を正確に把握している暇はなかった。

 

「第一種防衛基準体制を発令! 既に敵は内部に侵入していますよ! 各所に伝令を! 通信ネットワークを過信しないでください!」

 

 ファルデウスの突然の命令に基地内の警報が鳴り響き、隔壁が次々と降りていく。

 この事態にあってもジェスターの態度は変わらない。最初から何か感じ取っていたジェスターにとって、これは予想の範囲内。どちらかといえば、どうやってファルデウスがこの異常を察したのか気になって仕方ない。

 

「はてさて? きっかけは分かるが、こうも完璧な通信欺瞞をどうやって見抜いたのかな?」

 

 一通り指示を出しながら、ファルデウスはジェスターの素朴な問いに律儀に答えてみせる。

 

「私の部下は全員超一流の軍人です」

「ほう?」

「その部下が、作戦行動中にこのような私語をする筈がない」

 

 その断言にジェスターは率直に拍手してみせる。事前に宝具が使用できなかった事態があったとはいえ、それだけのことでこの真相に気付けるとは中々の信頼関係である。しかもこの事態は想定の範囲外。

 こんな完璧な通信欺瞞となれば、もう方法は一つしかない。

 ファルデウス、そしてジェスターはそのことを正しく理解していた。

 同じ手を二度も使うとはなかなかいい度胸である。

 

「これは素晴らしい! ああファルデウス、こんな身分の私だが、是非一方の事案に関して私に行かせてもらえまいか!」

「……では、部隊を編成し派遣するまでの時間稼ぎなら、お言葉に甘えさせてもらいましょう」

 

 一瞬考え込むふりをするファルデウスであるが、答えは最初から出ていた。

 この基地は現在攻撃を受けている。カメラから確認したところ、一つはモニターにも映っている通り、地上からの北部原住民とみられる一団の攻撃。

 そしてもう一つは、一体どうやって潜入したのか、この基地の中枢区画にいる少人数の工作部隊。その中には恐らく潜入能力を持ったサーヴァント、そしてこの基地の前任者である署長がいる。

 

 人数的には地上から攻撃を仕掛けている原住民が圧倒的だが、精鋭はむしろ中枢区画に割くべきだろう。場所柄、部隊を送り込むには向かないし、送り込み制圧は可能だとしてもどうしても周囲への被害は大きくなる。

 ここで必要なのはシングルコンバットの実績である。それについては、この地にいる全ての者の中でジェスターは上位ランカーである。むしろ、これから編成する派遣部隊の方が足手纏いにならないか心配だ。

 

「物理的に無理でしょうが、アレを失うと戦略的に困ります。くれぐれも壊さないようにしてください」

「そこは奪われるくらいなら壊せと言うべきではないのかね?」

 

 失う、という意味をジェスターは奪われる、と解釈したが、しかしどうやらそれは間違いのようである。

 

「ジェスターさんともあろう方が勉強不足ですね。残念ながら壊されるくらいなら奪われた方がまだマシなのですよ。奪ったところで使えなければ意味がない。そこに『ある』ということが重要なこともあるのです」

「ふむ。では、行きがてら勉強しておくとしよう」

 

 バーサーカーから手に入れた携帯端末には、ロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)によって漏れ出た情報がそのまま入っている。重要ではあるのだろうが、あまりに専門的すぎて早々に読むのを諦めた項目だ。まあ理解できずとも頭に入れることで得られることもあるかも知れない。

 

「それは結構ですね。しかし明かりもない点検孔内を移動してもらうことになりますので、勉強するには不向きですよ」

「狭くて暗くてジメジメしたところは私の好むところだ。では、ルート案内をお願いしようか」

 

 渡された無線機を耳に当て、ジェスターはこの基地中央に座す主の元へと歩き出す。

 この基地の主の名は宝具開発コード・スノーホワイト。

 その正体はこの基地のメインコンピュータである。

 

 



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day.09-09 スノーホワイト

 

 

 多次元交信型次世代情報管理装置――通称、スノーホワイト。

 

 キャスター最高傑作の究極宝具――などとこの存在を知る者は賞賛するが、そのことにこれを作った本人は良い顔をしないだろう。

 実を言えばスノーホワイトは正確には宝具などではなく、宝具紛いの逸品に過ぎない。何故ならその元となったものは宝具や魔術などとは対極に位置する科学の申し子、開発途中で予算が尽き放置(あるいは放棄)された次々世代型スーパーコンピュータである。

 

 4フロアをぶち抜いて作られているスノーホワイトは内部に冷却用の液体と小型の魔力炉三基、そして外部に大型発電施設と大型魔力炉を備えた巨大な建造物だ。

 ガラスに隔てられたオペレーター室から全体を見ることはできるが、その様は異世界めいた外観となっていた。

 キャスターの手により生み出された、魔術と科学のハイブリッドであり、その点では真っ当に生まれた現世の産物でないことには違いない。

 

 元ネタとなったのは白雪姫の魔女が世界一の美女を問いただしていた魔法の鏡。

 古今東西に存在する魔力を秘めた鏡を数万単位で集め、鏡の中を飛び交う平行世界の情報を取り出すことでスノーホワイトは世界中のスーパーコンピュータ全てを束ねても相手にならぬ計算処理速度を手に入れていた。

 

 方法的にそれは第二魔法である平行世界の運営ともいえるが、スノーホワイトが扱うのはあくまで情報素子のみ。いかにキャスターといえどそれが限度であり、限界でもある。キャスターが良い顔をしないのもそのあたりに原因がある。

 

 結局機能強化にのみ終始したわけだが、ただそれだけのモノ、と謙遜するにはこの宝具紛いの逸品は性能があまりに際物すぎた。

 電子情報ネットワークが遍く世界に張り巡らされた現代において、スノーホワイトの存在はあまりに大きすぎる。その計算能力によって軍民問わず全ての電子情報に介入可能であり、カードの暗証番号から核ミサイルのセキュリティまでその全てが完全に無意味と化す。

 

 具体的には、このスノーホワイトは世界を誇張なく、支配していた。

 

 爆弾入りの首輪をつけて民を支配するデストピア的光景は、今や時代遅れの産物である。最先端の監視網は、そもそも監視を意識させない。それでいて、人々を完全に支配下へと置いておく。これを人の手で行うのは不可能であるが、人ならぬ機械であるスノーホワイトならば可能である。

 わずか数日足らず、それも試運転でこの計画における天文学的予算を余裕で生み出したのがその証左であろう。

 

 だからこそ、スノーホワイトの天敵となり得るのが魔術師という時代錯誤の連中だ。世界最強の軍隊ですら一瞬で無力化できるスノーホワイトであっても、この英霊同士がぶつかり合う聖杯戦争において役には立たない。

 

 この偽りの聖杯戦争は、謂わば実験場だ。“上”は敢えて二十八人の怪物(クラン・カラティン)にスノーホワイトの機能を制限させて参加させていた。そして余剰処理能力によってスノーフィールド全域を人間・物流・通信に至るまで完璧に支配下に置いてその経過を子細に観察し分析する。

 

 どの陣営がいつどこで何をどうやって行動していったのか、そして一般市民がどのような反応をしたのかを、あらゆる器機を使い把握・分析する。

 既存のシステムで集められる限定的な情報を手にしていた二十八人の怪物(クラン・カラティン)との情報精度差を見比べることで実験は進められていた。そのデータは今後の聖杯戦争、もしくは対英霊戦闘へと活かされることだろう。

 

 現状こそフェイズ5のまま推移しているが、ファルデウスが乗り込んだ段階で“上”はフェイズ6に移行することを決定していた。即ち、主目的が「実験場の観察」から「積極的介入」へと、より危険度が増した状態にある。そのためにスノーホワイトを含めたレベル3の宝具のリミッターは解除されている。

 

 そんな重要かつ危険極まりないスノーホワイトに、安全策が取られていない筈がなかった。

 周囲の電気が一瞬だけ落ちて、復帰する。ただそれだけでスノーホワイトはその能力を活かすことができなくなった。

 

 外部との接続は隔壁に連動して物理的に遮断。供給される電力量と魔力量も一気にカットされる。危険を察知したスノーホワイトはその機能を大幅に限定させ、自己保存を優先し自閉モードへ以降。残った内部電力によってシステムチェックが開始される。

 

 どんなコンピュータでも、その電力供給が止まれば動くことはできなくなる。ファルデウスが行った安全策とは電力・魔力それぞれ独立させておいた供給源をストップさせる荒技である。シンプルなだけにスノーホワイト本体へのダメージが懸念される方法であるが、最も確実な方法ともいえた。

 

「ばれたか」

「そのようですね」

 

 コンソールをたどたどしく操作していく署長に対してアサシンは周囲の様子を窺いながら実に淡泊に答えた。

 アサシンの回想回廊によって署長と二人が侵入してわずかに十分。ほとんど基地中枢に位置するこの場所であるが、限られた人数故に警備は手薄である。

 四人の警備兵と六人の専門スタッフをアサシンは構想神殿で誰一人気付かれることなく消し去られ、署長はキャスターが指示した手順に則って基地内システムに介入する。外部入力であれば接続を拒否されるし、ウイルスであれば防衛システムによって真っ当に弾かれるだけだが、内部からの正規手続きを経ているのであれば、スノーホワイトに拒否権はない。

 

 基地システム機能の一部ダウンさせ、事前に用意していたコマンドを読み込ませただけで、スノーホワイトはモニターや通信をリアルタイムで改竄しはじめる。

 映像を改竄させることでで騙せるのは電子機器だけだ。それを眺める生身の人間はいずれその違和感に気付くことだろう。確認されれば欺き続けることは不可能と割り切っていたが、思っていた以上に対応が早い。

 地上の攻勢を誤魔化せたのはほんの数分だけ。スノーホワイトの援護が基地側にないとはいえ、城攻めをするのに原住民の戦士達だけでできるわけがない。ランサーが作った大穴によって予想より侵攻速度が早いが、細く長く伸びた分だけに分断するのは容易いだろう。

 原住民の全滅は時間の問題だった。

 

「それで、こちらの目的は達成できましたか?」

「無理に決まってるだろ。これだけ特殊過ぎると操作一つにも専門家が必要だ。欺瞞情報を流せただけでも奇跡だと思ってくれ」

「そういうものですか」

 

 あまりに操作が複雑なため専用オペレーティングシステムを開発する話もあったくらいだ。だが開発期間の短さと、キャスターへの依存を嫌った“上”はそれを良しとせず、魔術に頼らず信頼度の高い既存のシステムを流用することで対応をしていた。

 何せ既存の概念が通用するかも分からぬ超々々ウルトラハイスペックモンスターコンピューター(控えめな表現)である。自己アップデートを繰り返すようになれば、いつ技術的特異点(シンギュラリティ)を超えてしまうか分からない。

 日々進化しかねないプログラムの変更作業を今の人類が行うにはあまりに危険すぎた。

 

 既に状況は専門家が複数人必要な段階へと移っている。それでも何とか今できることをしようと署長はダウンしたシステムを介さずに、持ち込んだノートパソコンをスノーホワイト本体へと直接接続し、残されたログから目標となるデータを参照しようと試みる。時間さえあれば可能かもしれないが、この短時間でやるには少々無謀だ。

 

 そんな署長を尻目に、そういえば、とアサシンは思い出す。

 一度だけだがキャスターがこのスノーホワイトを操作しているのを見ていたアサシンである。あのときの印象ではそこまで難しいものだという認識はなかった。ひょっとすると署長がやるよりもよほど上手くできるのではないか、という根拠のない自信がアサシンの中から生まれてきつつあった。

 生前から、こうして一度見たものを理解するのは得意な口である。パズルの一ピースを見ただけで全体の絵を想像することができる。口伝でしか伝わらぬ過去の業を取得できたのも、そうしたアサシンの事情がある。細部こそ異なるだろうが、このスノーホワイトの基本システムを徐々にアサシンは理解しつつあった。

 

 安全装置についても、スノーホワイトを奪取される事態を想定したものではない。頭と手足を切り離すような処置の仕方から、おそらくスノーホワイト自身が暴走した時のためのもの。外部アクセスが閉ざされた状態にあってもシステムを維持できる内部電力と常駐魔力は問題なく循環している。人手さえあれば復旧作業が簡単にできるところからも間違いない。

 

「……なら、もしかして?」

 

 システム面においても、すぐに復旧できるよう処置している可能性が高い。

 幸いにもスノーホワイトは複数人で運用せざるを得ないシステム。空いている席はいくらでもあった。アサシンはおもむろに席に座ってコンソール画面を呼び出してみる。想定通りであれば、自閉モードにあってもバグを見つけ修正するための手段がどこかに用意されている筈である。

 

「おいおいおい! すぐに敵が向かってくるってことを理解しているんだろうな!?」

 

 そんなアサシンの思惑を知るよしもなく、署長は叫ぶ。いや、アサシンの考えを聞いたとしても、署長は叫んだに違いなかった。

 

 ここでの署長とアサシンの役割はハッキリとしている。

 署長は専門知識こそ有していないものの、最低限の操作方法をスノーホワイト始動時にレクチャーされた経験があり、事前にそれを踏まえたキャスターから講習も受けた。だからこそ慣れぬ身でありながら派遣されこの場で四苦八苦しているのだ。

 そしてアサシンの役割はこのスノーホワイト制御室への侵入と署長の護衛。そこにはこうした場合に署長が作業するための時間稼ぎも含まれている。

 本来ならば、アサシンはここで迎撃もしくは時間稼ぎのため出向くことが最も正しい行動である。できるかも知れない、という程度で護衛を放棄しイレギュラーな行動を起こすのは結果の如何に問わず間違いである。

 護衛の意味を果たして理解しているのか小一時間くらい問い詰めたい気分に署長はかられていた。

 

「来たらちゃんと対応します。気にしないでください」

「誰だこいつを召喚した奴は! もっと人の話を聞く奴を呼び出せよ!」

 

 署長の悲痛の叫びはもっともだった。

 アサシンのクラスは基本的にマスターに忠実と聞くが、このアサシンははっきりいって滅茶苦茶である。両者納得の上での同盟関係でありながら自分勝手に動き回るので、一緒に行動をすればこの上なく不安でしかない。せっかく胃薬から解放されたというのに、署長の胃痛は復活しそうである。

 

 そうした署長の叫びを、アサシンは風がそよいだ程度に聞き流す。視線と思考こそモニターへ集中しているが、別に完全に無視するつもりはない。ただ、傾聴するに値しないと判断しただけだ。

 その判断は、合理的思考からすれば正しい。ファルデウスの部下が作戦中私語を慎むのと同じことだ。信頼関係や仲間意識を育てるなら事前にこなしておくべきであり、こうした状況でただ喚くことは別の作業をしながらも耳を澄ませ周囲を探り続けているアサシンの邪魔でしかない。

 

 惜しむらくは、アサシンの経験不足を事前に把握していた署長が、この場で有用で傾聴すべき発言をしなかったことだろう。

 署長が無駄に喚いたのは己の不遇を発することでのストレス発散という意味合いでしかない。そしてこのタイミングでそれを行った理由は、襲撃まで数分の余裕(タイムラグ)があるとみたからだ。

 

 ファルデウスが安全装置を働かせてまだ二分も経っていない。どんなに急いだとしても、二分でこの場に来れるわけもない。

 ここへの通路には簡易ながらもトラップも仕掛けているのだ。その八割はただワイヤーを張っただけのダミーだが、中には指向性対人地雷(クレイモア)を設置している箇所だってある。

 強行突破できたとしても五分、慎重にトラップを解除してくるなら更にその数倍は時間がかかると踏んでいる。仮にそうしたトラップを嫌って点検口を利用したとしても、その狭さから時間はそれ以上にかかるし、まとまった数の投入も見込めない。この署長の常識的判断を、誰が責められようか。

 

 スノーホワイトの稼働音は大きいが単調でもある。そうしたノイズをキャンセルして耳を澄ませば、かなり遠くまで気配を感じることはできる。

 ランサーの気配感知スキルと違い、アサシンのそれは純粋な聴覚によるものだ。壁などの障害物にもよるが、事前に周囲の簡単な間取りはその目で確認してある。物音は聞こえないし、反響音からも変化はない。このことから現時点で安全であるとアサシンも署長同様に判断していた。

 

 強いて上げるなら、この近くで最も近い音の発生源は直上。音も微かであることから、アサシンはネズミなどの小動物を想定しこれを警戒するべき対象としなかった。

 これがアサシンのミスであり、直上にある点検口の存在を教えていなかった署長の非である。

 

 何かが落ちてきたのは、署長の愚痴の直後である。それについてアサシンはモニターから視線をかすかに動かしただけだったし、自らの上に落ちてきた署長に至っては何も気付くことすらできていなかった。

 署長はふと、顔を上げた。そこで視線が合った。

 

「――それはすまなかった。だが、獅子は馬鹿な子には旅をさせるというだろう?」

 

 その言動が、先に署長が愚痴った内容への返答であるなどと、当の署長は気づきもしなかった。

 

 



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day.09-10 教育

 

 

 このオペレーター室はスノーホワイト全体が見渡せるガラス張りである。

 4フロアをぶち抜いて作られたこの部屋は天井までは実に二〇メートル近くある。強襲をかけるにしろ、何の装備も魔術も使わずに、ただ天井から落ちてくることなど普通は考えない。着地点の凹み具合をみれば、純粋な肉体強度のみで襲撃者は二〇メートルを落下してきたことになる。

 

「――構想――」

「馬鹿の一つ覚えみたいにその宝具を使うのは感心しないなぁ、アサシン」

 

 超速で接近し業を解き放とうとするアサシンに、男は何ら慌てることがなかった。慌てず騒がず冷静にアサシンの手首を片手で掴み、背負い投げの要領で逆に数メートル先の壁に叩きつけてみせた。

 上下が逆さまになった視界で、初めて見た顔だというのに、アサシンはその男の名を間違えることなく、親の敵のように吐き出した。

 

「ジェスター……カルトゥーレ……!」

「気付くのが遅いぞアサシン。私からの魔力供給をこの距離になるまで気付かなかったのか?」

 

 心底呆れたようにジェスターは肩を竦めて手にしたモノを口につけ、流れ出てくる液体を口にする。それがただのカップで飲んでいるものがコーヒーなどであれば何の問題もなかった。

 

「一体、何を――?」

 

 それは、人間の右腕。ジェスターが飲んでいるものは、傷口から流れ出る血液に他ならない。

 では一体、それをどこから持ってきたのか。

 

「ふむ。やはり令呪はないな。欺瞞かと思ったがどうやらちゃんと使い切っているようだ」

「あっ? はっ?」

 

 遅まきながら、署長が立ち上がろうとし、そしてそのままバランスを崩す。対応の遅さといい、無様に床に転がる様といい、署長の行動はいつもの精彩さが欠けていた。だがその行動をジェスターは賞賛する。

 

「よく動けるな、署長? 私は魔力ごと君から奪い取ったつもりだったが、手加減が過ぎたようだな?」

 

 ジェスターの言葉に、ようやく署長は自らの右手がないことに気付く。そして同時に自らが酩酊状態にあることにも気付いた。

 一体何をどうやったのか定かではないが、着地と同時にジェスターは署長の右手と魔力を根こそぎ奪いとったらしい。

 意識の間隙を突いたとはいえ、とても人間業とは思えない。魔術師としてはともかく、指揮官としていかなる状況でも咄嗟の判断を下せるよう鍛え上げられている署長が、赤子同然に扱われている。

 

 切り落とされた腕から流れ落ちる血が周囲を汚す。傷口に口をつけたジェスターの顔も汚れるが、一通り堪能したのか、口元を拭って署長の腕をそのまま地面へと落とした。その行為に、アサシンはどうしようもなく嫌な予感を抱いて仕方がない。

 理屈よりも直感を信じて、アサシンは動く。

 

【……回想回廊……】

 

 咄嗟に繰り出した御業はこの聖杯戦争で構想神殿に次いでよく使ったモノ。だが、その使い方はいつもとは違っていた。

 展開させる通路の入り口は直径三〇センチ足らずの小さな穴。それでいて、出口までの距離はたった数メートル。未だ逆さま状態で壁にめり込むアサシンである。自由に動けないが、何とかその手に持った短剣を投擲してみせる。

 その、異界の通路の入り口へと。

 

「ほう! ようやく応用というものに辿り着いたか!」

 

 通路の出口はジェスターの頭の後ろ。完全な死角にありながらも、ジェスターはその一撃を完璧に避けてみせた。

 必殺の一撃こそ外したものの、それでもアサシンの最悪の事態を避けることには成功した。

 ジェスターの身体から放たれていたのは赤い影。床へ捨てられた署長の右腕は赤い影に舐め取られた一瞬で骨と化す。床を這いずり署長へと近付く影は本体が大きく傾いだことでその目標を大きく逸らすことに成功した。

 

「すま……ない」

 

 朦朧とした意識でありながら、それでも片手で器用に服を破き、止血する署長。傷口を縛った痛みで意識を持ち直したのか、荒い息でジェスターと距離を取りながら立ち上がる。

 

「こいつが、君のマスターか」

「認めたくはありませんが、残念ながら」

 

 何とか床に立ち、ジェスターを中心に回るようにしてアサシンは署長の傍へ移動する。

 アサシンから見ても、署長のダメージは無視できぬレベルに陥っている。右腕がないこともそうだが、その身体からは魔力が――生気そのもの感じられない。立っているのが不思議なくらいだ。早急な処置の必要がある。

 

「離脱します」

「いや、待て」

 

 アサシンの言葉に署長は首を横に振る。身体を支えようとするアサシンの手さえ拒否し、その左手で腰のホルスターから銃を抜いてジェスターへと突きつける。

 ジェスターから伸びた赤い影はもうどこにもない。身体にこびり付いていた血も綺麗になくなっている。魔術を用いずにあの人間離れした肉体性能をまざまざと見せつけられた。これだけ状況証拠が揃えば、正体は自ずと知れてくるだろう。

 

「死徒がマスターとは恐れ入る。今回の聖杯戦争、マスターまでイレギュラーとは聞いていなかった」

「なんだ、そんなことも知らなかったか?」

 

 馬鹿にしたような言い方に、これ見よがしにその発達した犬歯を見せながら、ジェスターはゆっくりと二人の元へと近付いてくる。距離は五メートルもない。二人は後ずさるが、その距離は徐々に埋まっていく。

 

「この聖杯戦争のカラクリを知らないわけではないだろう? 選ばれる基準が基準だ。真っ当な魔術師などが選ばれるわけがない」

 

 だからこそ銀狼などの人外や、魔術師として欠落のあるフラット、幼すぎる椿などが選ばれる。最初から指名されていた署長は例外であるが、最も魔術師らしいアーチャーの元マスターも、ティーネに取って代わる「運命」にあった。基準だけでいうなら、ジェスターは割と正統派だったりする。

 

「その様子だとこの戦争の裏は知っているようだな。何故、そちら側につく?」

 

 その署長の質問に、ジェスターの歩みが止まった。

 この聖杯戦争に流布されているような願望機は存在しない。故にマスターが望む願いは、この戦争の過程の中にしか実現し得ない。

 問題は、願いを叶えた先にある。全陣営に確実に用意されているのは、口封じのための「殲滅」の二文字だ。そのために用意されていた駒がファルデウスであり、署長が率いていた二十八人の怪物(クラン・カラティン)である。

 

「ファルデウスに例外などない。ジェスター、君がいかに優秀であろうと手段を選ばず確実に殺されるぞ? 私達は、既に鍵を得ている。この閉じた箱庭をこじ開け外に出ることのできる鍵だ」

 

 この“偽りの聖杯戦争”の計画に、そもそも救いなどありはしない。

 最初期にスタートした段階でどうだったかまでは知らないが、少なくとも署長がこの計画に乗った時点で戦後の関係者の処分は決まっていた。そして教会や協会が出張ることになれば、その前に“上”はスノーフィールドそのものの破棄を決定する筈だ。

 人口八〇万のこの都市でさえ、最悪の場合そもそもなかったことにされかねない。

 生き残るためには――その可能性を掴むためには、ここで互いに手を取り合うより他はない。この戦争の裏を――その真実を知っていれば、尚のこと。

 

 だが、そうした署長の説得に対してジェスターの視線は冷たいモノだった。侮蔑の色すら見えるその瞳は、完全に呆れ果てていた。こうして無知を晒した署長と話をしたことを、ジェスターは後悔した。

 

「つまらないことを口走るな。今更それぐらいのことで私は立ち位置を変えないし、その程度の小手先に勝算があると本気で思っているのかね?」

 

 先刻承知していることで説得されるとなると、これはジェスターに対する侮辱ですらある。

 はあ、とジェスターはため息をついた。

 意気揚々と出て行ったものの、結果はこの有様。リーダー格の署長がこれでは、今後期待はできないだろう。色々と暗躍していることは評価できるが、肝心要の危機感が彼らには圧倒的に足りていない。

 

 これでは一体何のためにアサシンを預けているのか分からない。

 

 ジェスターの目的はアサシンの絶望だ。

 そのためにアサシンには成長し、その本性を悟らせることが必要となってくる。アサシンには教えねばならない。理解しないことが最高の幸せだったのだと。山の翁の仮面を持たなかった――持てなかったアサシンを、その呪縛から解き放つ。

 アサシンの生まれた意味を、ジェスターはこの世に教えてやるのだ。

 極まった希望を行き詰まった絶望へと相転移させる。

 そのためならば、この命だって惜しむものか。

 

 当初の想定では、アサシンは己の本性にとっくに気がついている筈だった。それをこうも雑に扱われては、わざわざ敵対関係となったジェスターの意味がない。

 いい加減に気付いて貰いたいものだ。わざと署長を殺さなかっただけで、アサシンは回想回廊の新たな使い方、その応用に気がついた。その一点だけのために、ジェスターはこの場にいるといっても過言ではないのだ。

 

「とはいえ、感謝はしておこう」

 

 よくぞ、この場に二人だけで来てくれたことに。即座に逃げず、会話をしてくれたことに。

 ジェスターは、心の底から感謝する。

 

 二人がこの場で何をしていたのか、ジェスターは知らない。が、何かをしていたとするならば、アサシンはこのスノーホワイトの重要性を知ったことになる。わざわざジェスターもファルデウスから直々に注意されたのだ。

 スノーホワイトを巻き込むような真似はアサシンもできない。それでいて、署長の怪我は重傷である。

 この二つは、アサシンに大きな枷となる。

 大きな成長の、鍵となる。

 単体戦闘能力で英霊と渡り合うのに、人間相手ではほとんど不可能だ。これはジェスターとて例外ではない。死徒の中には例外もいるかもしれないが、少なくともジェスターとアサシンの戦闘パラメーターを単純に較べたのなら、確実にアサシンへ軍配が上がる。ジェスターがアサシンに勝てるのは特殊能力としての赤い影と、長年の戦闘経験だけでしかない。

 

 署長の怪我が上手い具合にアサシンの気を逸らす。会話による情報収集と時間稼ぎに一定の成果を得たことで、署長は勝機を見いだしていた。いざとなれば脱出できるという安心感が敗因となる。

 

 集中力は才覚の領域ではないことを改めて実感した。鍛え、積み上げてこその集中力。天才に驕りというものを教えてやるのも悪くなかった。

 尚も会話をしようとする署長が、咳き込んだ。そのことにアサシンの視線が一瞬だけ横にぶれる。それだけで、ジェスターには十分すぎる隙だった。

 

 立ち止まっていれば、攻撃に時間がかかると二人は思っているのだろうか。二人の目の前にいるのは、神秘を追い求め死徒とまで墜ちていった魔術師であるというのに。

 呪文など必要ない。姿勢や呼吸による集中も不要。ジェスターが二人にやったことは、ただ己の本性を少し解き放っただけ。美しいモノを穢したい、その一心で六連男装という張りぼてが必要なほど、ジェスターの本性は『純粋』だった。

 解き放てば、それだけで人を傷つける崇高な概念。隠さなければ漏れ出てしまう醜悪で純潔の魔瘴が、二人を正面から打ちのめした。

 

 構えていながら、その急激な圧に蹈鞴を踏む二人。意表を突いたのは確かだが、これくらいは何食わぬ顔で耐えて欲しいとジェスターは思う。

 本性を抑えることはしない。ブースターというわけではないが、アドレナリンが出ていればそれだけでこの状況を愉しむことができる。そうでもしないと、やってられないのが本音だ。

 

 

 

 ……その後のジェスター対アサシン・署長の戦闘については割愛する。

 ジェスターは二人を分断し、適当に痛めつつ、隙という希望を幾度となく見せながら宝具で逃げる暇だけを与えない。時にヒヤリとしながらもジェスターは二人を殺す真似だけはしなかった。その様を表現するには教育という言葉が相応しい。

 手抜かりなく手を抜いたジェスターの教育は、通路に仕掛けられたトラップを解除した応援部隊が辿り着くその時まで続けられた。

 後に提出された応援部隊の報告書にジェスターの危険性が大きく書かれることになるが、単体でアサシンと署長をあっさり捕らえたジェスターの有用性は充分以上に示されたことになる。

 

 これにより、南部砂漠地帯、スノーホワイト、基地上層という三面作戦は表向き決定打を入れられず瓦解したこととなる。

 事実上、ファルデウスの勝利がここに確定した瞬間であった。

 

 



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day.09-11 “上”

 

 

 その報告が上がってきたのはスノーフィールドにおける三面作戦全てが終了し、数時間経ってのことだった。

 

 署長やファルデウスが“上”と呼ぶ組織の長は、デスクの上に丁寧に置かれた資料を上着を脱ぎながら眺め見る。

 その多忙さから彼に報告が上がってくるのは重要性が特に高いモノだけ。しかもGOサインは数代前の長が出しているので、結局彼が見るのは結果報告のみという読み甲斐のないものだった。

 

 第一次報告とわざわざ銘打たれているが、最終的に何次報告になろうとも添付された画像データが変わるとも思えない。かかったコスト面についても同様だ。頭が痛くなる額なのは確かだが、決してリターンがないわけではない。今後変わるとするなら、そこだけだろうと判断する。

 

 革張りの椅子に身を沈め、斜め読みした一ページ目を捲って次のページへと目を走らせる。デスクの前に用意されているソファーにはその様子を頬杖を付きながら眺め見る“上”の上級幹部が三人。この部屋に入ってから挨拶もしないが、誰の目を気にする状況でもない。逆にさっさと資料に目を通せという催促に違いなかった。

 時間にして数分。簡単ではあるが、概要は掴んだ。再度読み返す気力もなく、白い天井を眺め見る。

 読む前と後とで、結論は結局変わらなかった。

 

「……他に方法はなかったのかね?」

 

 無駄とは思いつつも、ここで問わずにいるわけにもいかない。

 トップの言葉に幹部はさて、と惚けた口ぶりで問い返す。

 

「どちらのことを仰っておられるのですか?」

「改良型の地表殲滅爆弾の使用についてはサブプランの範疇と理解している。だからこそ許可も出したし中止もさせなかった。

 だが、一人年間何万ドルもかけて育てた二十八人の怪物(クラン・カラティン)の処理については承認した覚えはない」

 

 やや語気を強めるが、これで怒っているなどと幹部達は思わないだろう。舌を二枚も三枚も持つのが常識の世界だ。多少のパフォーマンスは無駄であってもしておく必要はある。

 スノーフィールド南部砂漠地帯に形成された茨姫(スリーピングビューティー)、そしてそこに配置された二十八人の怪物(クラン・カラティン)と人質、おびき寄せられたサーヴァントとマスター達。それら全てを処分するために行われたのが本作戦だ。

 全ての役者があの場におびき出され混戦状態になったところへ、グレーム・レイク空軍基地から飛び立った爆撃機(ジョーカー)が現場にいる全てを殲滅するという豪快な作戦。

 

 タイムスケジュールに沿って撮られた衛星写真が全てを物語っている。砂漠と森とキノコ雲と焼け焦げた黒い大地、その座標が全て同じだとは信じがたい事実である。それもわずかに十五分という短時間で変遷していっている。

 米空軍が国際社会に廃棄を通告しながら秘匿していた地表殲滅爆弾、通称デイジーカッターによって、この惨状は引き起こされていた。

 局所的には核をも上回る威力の爆弾である。それだけに扱いが難しかったが、こうしてて秘密裏に使用したことでその帳尻を合わせることができたのは僥倖ともいえた。表沙汰にできぬが魔術という力で予想以上の威力を持たせ、そのデータを採取できたので多方面へ貸しを作ることもできた。

 だが、そのために手塩にかけて育ててきた猟犬達を殺す必要があったとは思えない。

 

 添付されていた作戦参加二十八人の怪物(クラン・カラティン)名簿の殆どがMIA認定を受けている。

 現場の状況と簡易ながら弾き出された威力計算を見る限り、生き残る確率はほぼゼロ。現在、爆心地一帯を捜索しているとのことだが、実際に探しているのは生存者ではなく使用していた宝具の方だ。

 

「リスクコントロールです。彼らのトップが裏切り、新たにトップとなったファルデウスに対しても異を唱え反抗する者も多い。先だって起こった内部分裂の報告書は見られましたかな?」

「……ああ、君達が推すファルデウスが大活躍したようだな」

 

 読んでいることを当然のように話す幹部に、読んだことを告げておく。

 毎日莫大な量の書類と格闘するのがトップの仕事である。優先順位の低い書類ではあるが、無理をして関係書類を読んでいた甲斐があった。これで読んでないと言ってしまえばどんな難癖をつけられるか分からない。

 

「確か、現場の下士官が反旗を翻そうとしていたのだったか」

「はい。辛くも最悪の事態は防ぐことはできたようです」

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)の頭目代行の任にあった副官に秘書官が反旗を翻した事件。

 英雄王と黄金王の戦いの最中に起こったこともあり、直後にファルデウスが就任していなければ秘書官の目論見は誰にも気付かれることもなかったに違いない。彼を指名した幹部としては鼻が高いのだろう。自慢のペットが上手く芸を披露したのだから、飼い主としては自慢したいのも当然だ。

 もっとも、ファルデウスの実力は認めるが、タイミングが余りに良すぎる。自作自演(マッチポンプ)とまではいかないが、それに近いことをしているのは違いない。逆に曲者という印象が強く残る報告書であった。

 

「だから、処分した、と?」

「各員の繋がりが強いからこその二十八人の怪物(クラン・カラティン)でもあります。一人粛正すれば二人の反乱分子が生まれてくる。丁度良い機会だったのですよ」

 

 それに、と別の幹部は他人事のように呟くのを聞き逃しはしなかった。

 英雄王と共倒れならば彼らも本望でしょう、と。

 添付の資料には、行方不明者・死亡者の他に生存者についての記載もある。皮肉なことに、味方陣営ではなく目標である敵陣営にそれはいた。

 

 生存者、ティーネ・チェルク。

 このデイジーカッターは従来の物よりも効果範囲を狭め、爆心地の威力を高めるよう改良されている。逆に言えば効果範囲の外側にいれば助かる可能性もある。ティーネの場合、彼女の体重も相まって一次衝撃波でその範囲外に吹き飛ばされたことが功を奏していた。

 現在彼女は火傷や骨折による重体で、基地内部の集中治療室で治療中。意識は戻らず生死の境を彷徨っているらしいが、その手にマスターである証の令呪は消えていたと報告書にはある。

 

 デイジーカッター爆発の瞬間にアーチャーが何らかの宝具を使用した形跡はない。不可解であるが、これはアーチャーが防御をしていないことを意味していた。

 スノーフィールド全域をサーチしてもアーチャーの反応は返ってきていない。これはスノーフィールドの地にアーチャーは存在しないことを意味している。

 スノーフィールドに設置されたセンサー群は優秀だ。これら全てを欺くことは事実上不可能に近い。

 

 報告書はこれらの事実からアーチャーは消滅したものと分析している。

 

 こうも断言されると逆に疑わしくあるが、さすがにトップである自分を詐称するようなことは書かないだろう。後々生きていることが分かったのなら、報告者がどう言い訳をするのか見物である。

 

「それで、現場責任者の判断で使い潰した、と? 十分にお釣りがきたのだから、必要な犠牲については容認しろ、と?」

 

 それについて、彼らは否定する言葉を持ってはいなかった。

 処分対象の中には最初から二十八人の怪物(クラン・カラティン)が含まれている。そのため彼らにはデイジーカッターの使用を事前に知らされていない。現場で行われた必要以上の通信妨害も本当のところは集団脱走せぬための措置である。

 

 処分する理由は幾つも資料の中に挙げられているが、確認が取れぬ以上それを鵜呑みにできる筈もない。急いで作られたからか、色々と粗の多い資料だ。意図的に隠した形跡も多いし、注意を逸らすかのように誘導している部分もある。そうせねばならぬほど伏せる項目が多いのだろうと解釈した。

 だがどう解釈しようと疑問は残り、放置されたままであることに違いはない。いくらコスト以上のハイリターンが得られるとはいえ、こんな調子で次から次へと聖杯戦争を開かれてはたまったものではない。

 

「現場責任者と回線は繋げられるか?」

「無理でしょう。スノーフィールドは今や完全に陸の孤島です。ライフラインは物理的に寸断され、衛星を介した通信すら傍受の可能性があるため遮断されています。こうした報告書ですら複数経路から鳥に運ばせるという古典的手段によるものです」

 

 予想された通りの言葉がそこで述べられる。

 一体誰が高度に暗号化された通信を傍受し解読するというのか問い質したかったが、詮無い話である。門外漢である以上、専門家の言うことを無碍にするわけにもいくまい。

 事前報告で復旧に時間がかかることから、事態沈静化後に通信回復を行うと報告があった。無理に通信回復を優先させても、彼らはいかようにも取り繕って妨害してくることだろう。

 

 現状がコントロールできないよう仕組まれていた。トップという立場にあってそう仕向けられてながら、何もできないことにむず痒さを覚える。

 そもそもが、彼らにとってこの場にいることがただのパフォーマンス。形ばかりの神輿に報告したという体裁が欲しいだけなのだ。時に秒刻みで動くこともあるトップにこうした計画に口を出して欲しくないということだろう。

 

 重大な案件は他にもある。暗部に関わるとはいえ、この件ばかりにかかずっているわけにいかないのもまた事実。だからといって、ただの神輿と侮られるのはプライドに関わる。

 元々切るつもりもなかったカードだ。遅すぎるタイミングなのは認めるが、遅きに失するほどでもない。

 

「――そういえば、君は数日前に視察に行ったのだったな?」

 

 不意を突いた言葉に対しても、幹部達は泰然としていた。だが問いかけた幹部に対して残りの幹部が責めるような視線を一瞬向けたことを見逃しはしない。

 大方、他の者にも秘密裏に行動をしていたのだろう。その顔に変化はなくとも己の行動が筒抜けだったことに内心驚いているに違いない。

 

「私は現場からの報告をラスベガスで受けていただけですよ」

 

 戦場に踏み入る度胸などありません、と臆病者を演じてみせるが、それだけである筈がない。

 

「その報告を私は受けていないが?」

「必要でないと判断したまでです」

 

 答えとしては不自然ではなかった。その時はまだ通信回線も生きていたし、内通者としての二十八人の怪物(クラン・カラティン)副官から報告される情報も周囲の幹部達に共有されていた。その気になれば整理されていなくとも情報をネットワーク上で閲覧することも可能だった。末端工作員と直接会ったくらいで一々報告されては面倒この上ない。

 末端、であれば。

 

「裏切った前現場責任者と直接会っていながら、何の報告もなかったのかね?」

 

 その言葉に、明らかに動揺が生まれていた。

 問い質した本人以外の幹部達が、だが。

 

「ならば、御存知でしょう。私が彼と顔を合わせたのは一分に満たない時間ですよ。彼が何をしたかったのかは分かりかねますが、軽く挨拶しただけです。」

 

 確かに、顔を合わせたの時間は数十秒、これでは面会ではなく接触時間と称するべきだろう。しかも会ったのは人の往来があるホテルのロビーでのこと。何かを受け渡したりした様子もなく、会話するにも時間がなさ過ぎる。その状況を見る限り、指摘通り目的は不明としかいいようがない。

 だが前現場責任者は、そのためだけにヘリを飛ばしてスノーフィールドからラスベガスに急行している。そのまま蜻蛉返りしたことから目的はその面会ともいえぬ接触であることは明らか。

 本人に直接理由を問い質そうにも、その翌日には行方不明となり、そして敵となって計画に立ち塞がっている。

 

 今ここで開示していない情報だけでも不自然さは際立っている。口論こそないが、幹部連中の雰囲気は変わった。

 この部屋を出ればさっそく緊急会議を開くことになるだろう。それが査問会となるか裁判となるかは分からないが、これで少しは牽制できたと思いたい。

 

「……ひとまず現場との密接な連絡体制は確実に用意しておきたい。最優先で、だ。スノーフィールドで何が起こっているのか確認できないことには、《フリズスキャルヴ》の使用を許可することはできん」

 

 卑怯だと思いながらも、言い慣れぬこの言葉を盾に要求を突きつける。

 実際にはトップとしてそれを要請されれば断ることは難しいだろう。躊躇するだけの時間も与えられまい。形式として与えられているに過ぎぬ権限だが、彼等とてこれを無視するわけにもいくまい。

 大事なことは用意しておくことであって、使用することではない。だからこそ、上層部に求められるのは準備と責任であり、現場に求めるのはその最悪の事態を防ぐだけの行動力である。

 

「歴史に名を刻めるのですよ?」

 

 計画における最悪のシナリオ、そうした事態に備えて天文学的な予算と時間をかけて用意された最終手段は、全てを無に帰すとされる威力を持つ。なまじその必要性が計画とは別のところで昔から主張されてきただけに、表沙汰になれば大変な事態になる。

 表沙汰にならずとも、気付く者は気付いてくれるだろう。数十年経った後に「実はあの時」と歴史家がコメントするのが容易に想像できる。

 

「功績としてか、罪科としてか。いずれにしろ私は歴史に名を刻みたいがためにここにいるわけではない。そろそろ諸君らも私が穏健派だからこそ、この地位にいるのを忘れないでもらいたい」

「心に留めておきます」

「では、そろそろ時間だ。お引き取り願おうか」

 

 有無を言わせぬその一言で、幹部達はまたも挨拶抜きで部屋を去って行く。その後ろ姿を眺め見るが、どうにも問い質した幹部の落ち着き具合が気になった。直接対談をしたことはないが、最近になってからの付き合いというわけでもない。

 そこまでの自信家という印象などないし、根回しは怠らずともあからさまに暗躍するタイプでもない。魔術師などと交流を持つと、ああも自信家となり落ち着き払って目的に邁進することになるものだろうか。

 あの男の瞳を思います。

 昏い影に鬼火めいた野心が宿っていた。それもまた、あの男には似つかわしくない燻りだ。

 

「……あれが、暗示とかいうやつかね?」

 

 広い執務室。今この場にいる者は彼一人である筈だった。時間は押しているが、彼は自分の言葉に返事をしてくれる存在を半ば確信していた。

 辛抱強く待つつもりではあったが、予想していたよりかは幾分早く、その答えは返ってきた。

 

 



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day.09-12 白

 

 

 意外にも視界の中から肯定の言葉は聞こえてきた。

 その質問に答えたのは女。白い髪に白い肌、紅玉の瞳に凍えるような存在感。その四肢も含めて絶世の美人としか形容できないが、作り物めいた印象はどうにも拭えない。

 ソファーに優雅に腰掛け、暢気に紅茶などを嗜んでいるが、人形が人間の真似をしているようにしか見えない。今の今まで気付くこともなかった紅茶の香りを愉しむ所作も、どこか白々しく思えてくる。

 

「いつからそこにいたのかね?」

「最初から、よ」

 

 ソファーは大きめのものであるが、元々四人がけ。幹部三人がそれぞれ座っていたが、その全員がこの女の存在に気付くことなく真横で顔色を赤や青に変えていたのだ。間近で見物するにしてももう少し面白いものもあっただろうに。

 

「魔術師でもないというのに、よく暗示の存在に気がついたと褒めるべきかしらね」

「職業柄、人を見る目はあるつもりなのでね」

「あなたがそれを言うと重みがあるわ」

 

 クスクスと笑いながらもその顔は笑っていない。どこか冷え込んだ微笑を返すように嘆息する。

 

「一応言っておくと、あの暗示は深くて強力よ。時間と共に効力は薄らいでいくけれど、無理矢理解呪すると心が欠けてしまうわ。やっかいなことをしてくれるわね」

 

 まるで他人事のような物言いは言外に私は解呪を行わないと断言していた。それでいてこの女が言っていることが本当だとすれば一大事だ。あの幹部を抜きに話を現場に通すことはできない。

 自国のことながらスノーフィールドと早急にホットラインを設置するとなると、テロ支援国家にホットラインを結ぶことよりも難しいかもしれない。

 

「誰が仕掛けたのかくらいの目星はつくわ。“彼女”が誰か、教えてさしあげましょうか?」

 

 意味深な女の発言にしかして男は相手をしない。それを今この場で推理しようと対処するだけの時間はないからである。連れないわね、と女はいじける所作をとるが、それもまた白々しい。

 

「ならばこちらも一応聞いておこう。

 この報告書を信じるなら、残ったサーヴァントはアサシンただ一体だけだ。これでは君がわざわざ用意した小聖杯が起動する保証はないぞ?」

 

 ライダーとバーサーカーは数日前に消滅。アーチャー、キャスター、ランサーは本作戦に巻き込まれたと報告書にはある。残ったアサシンだけでは聖杯の起動に足る中身は期待できない。

 そもそも聖杯戦争のルールに照らすと、生き残りが一人の段階で優勝が決まったのではなかろうか。

 

「あら。報告書の内容を信じているのかしら?」

「無視はしていない、というくらいだ」

 

 遠く離れた地にある頭は、現場の手足を信用していない。以前から別の諜報機関を使ってそれとなく幹部連中を監視しているし、何より彼らにも内緒で目前の彼女をとこうして繋がっているのだ。これくらいの保険は当然だろう。

 

「このまま大人しく終盤戦となれば、私の出る幕はないだろう」

「このまま大人しく終盤戦が始まるとでも?」

 

 その均整のとれた唇がからかうような声が漏れる。

 生き残ったアサシンとファルデウスの激突――など、そんな単純な決勝戦になるとは到底思えない。

 理由は幾つかあるが、そのうちのひとつは目の前の女にある。

 

「君達も大人しくするつもりはないのだろう?」

「あらあら。どうやら勘違いしているようね。我々は今回の件について殊更介入しているという認識もないわ。故に次を用意するつもりもなく、我らが願いをここで成就させるつもりもない」

「その言葉を信じろと?」

「無視はしない程度に信じてくれればいいわ」

 

 先の言葉を返すように、女は仮面の下の素顔を覗かせる。

 

「ただ粛々と、淡々と、我等は我等が成すべき事をするだけよ。より良い選択を試みることは無意味。勝利も敗北も、最悪も最善も、そんなことに頓着しているステージではないのだから」

 

 それは事実上の勝利宣言に近いものだが、それによって彼が何かをすることはない。

 黒幕は隠れてこそ黒幕。出てきたらただの一兵卒になることを、彼女達は過去の聖杯戦争からよく知っている。

 

 故に、アインツベルンがこの戦いで表舞台に立つことは決してない。

 

 その意味を、彼は正しく理解していた。

 アインツベルンとの接触は組織としてではなく、個人として行ったものだ。この戦争のための安全策のひとつとして、彼はアインツベルンと手を組んだ。そのおかげですでに十分すぎるほどの利益を得ることに成功している。多少強引であってもこれで完全に幕引きを行えるなら、アインツベルンに全て奪い取られても良いくらいである。

 カチャリ、とソーサーの上にティーカップが置かれた。話は終わったということらしい。こちらとしてもこれ以上の話はない。

 

「この資料、持っていくかね?」

「お気遣いは結構よ。ゴミを押し付けないでくれるかしら?」

 

 非常識な登場の仕方をしたというのに、退場は実に常識的だった。ソファーから立ち上がり、ドアを開けて歩いて去って行く。やはり挨拶などをすることはなかった。

 そして女が退場するのと同時に、筋骨隆々の秘書官が入れ替わるように登場してきた。タイミング的には女と絶対にすれ違っている筈だが、彼がそのことに気付いた様子はない。女が魔術を使ったのか、それとも単純に彼がそれだけ焦っていたということだろうか。

 

「申し訳ありません、スケジュールにミスがあったようです」

「構わんよ。私は君を折から完璧超人と思っていたが、こうした人間らしいミスを見ると安心する」

 

 私の確認ミスです、と平謝りする無骨な秘書官に笑って応じる。どうせ、ここを出入りした幹部の周りにいる魔術師か、あの女が誤認させたのだろう。どうやら奴らは世界中が自分の庭であるとでも思い込んでいるらしい。

 

 外にあっては敵と味方の違いは明確だ。だが、内にあってはおいそれと線引きできるものではない。

 星条旗(スターズアンドストライプス)の下には複数の矛盾した意志が存在する。彼は確かにトップであろうが、それは多頭竜の中で一番頭が大きく従う首が多いという意味に過ぎない。その体に強力な毒があることを忘れてはならないのである。

 世の中、何もせずして成功することはない。ツテとコネ、根回し手回し下準備、時間と金と権力と人間関係に対して万難を排して挑んでこそ、成功へと繋がっていくものである。それで失敗してしまったのであれば、それは単純に想像力の欠如か、そもそも運が悪かっただけなのだろう。

 

 さて、なら原因はどちらなのだろうか。

 失敗は確定していない。それだけが救いだが、成功にほど遠い現状を思えばいつ失敗してもおかしくはなかった。それでいて思い描く選択肢はどれもこれも対処に困るものばかり。

 現状、具体的にできることは現場との回線を復帰させることだけだが、これは自分の仕事ではなかった。今、自分にできることは、スノーフィールドが消滅した場合に、どう言いわけをするのか考えることだ。

 

 それが、彼――米国大統領の仕事である。

 

 山積する内外の課題よりも少しだけ長考しながら、彼は己のミスを嘆く無骨な秘書官を慰めるべく、少し早足で執務室を後にした。

 結局頭の中に浮かんだ選択肢を言葉にすることはなかったが、大統領はその最悪のシナリオが進みつつあることを、まだ知らなかった。

 

 



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day.09-ステータス更新

 

 

day.09-01 王の服

 

 ファルデウスの作戦へ最初に姿を現したのは誰であろうキャスターと繰丘椿だった。キャスターの行動にファルデウスは首を傾げるが、メインターゲットであるアーチャーが出現したことで作戦は続行される。しかしてその直後に、頭上から轟音が響き渡る。

 

 

day.09-02 茨姫

 

 ファルデウスの罠に飛び込むアーチャーは手荒い歓迎を受ける。クラスター爆弾と宝具の強襲に天翔る王の御座(ヴィマーナ)は血に飢えた茨姫(スリーピングビューティー)へと墜落する。出迎えた二十八人の怪物(クラン・カラティン)すらも無視して、アーチャーは単独で森を駆け抜ける。

 

 

day.09-03 腑海林

 

 茨姫(スリーピングビューティー)へ入った椿とライダーはキャスターと別行動を取っていた。森を横断する椿であるが、その最中二十八人の怪物(クラン・カラティン)の小隊に発見され身柄を拘束されようとしていた。その行動に疑問を抱いたライダーは、椿に許可を求める。

 

 

day.09-04 アドリブ劇

 

 攻勢に転じたライダーは、その肉体のみで二十八人の怪物(クラン・カラティン)の小隊を無力化してみせる。彼らの装備を確認すれば、不自然な点が幾つも見られた。ライダーはそこから二十八人の怪物(クラン・カラティン)の弱点を発見する。

 

 

day.09-05 歩みの先

 

 ファルデウスの基地を脱したランサーはあっという間に捕まっていたティーネを開放してみせる。ドライに対応し立ち去ろうとするランサーであるが、それをティーネは引き留め現状の確認をする。

 

 

day.09-06 最弱のサーヴァント

 

 最弱のサーヴァントであるキャスターは、最強のサーヴァントであるアーチャーを待ち構える。二十八人の怪物(クラン・カラティン)茨姫(スリーピングビューティー)に消耗させられたアーチャーとの接触には成功するが、キャスターは相手にもされずにいた。

 

 

day.09-07 お前の物は俺の物

 

 アーチャーを打倒するべく、キャスターはアーチャーの偽物を用意して対抗する。それでも本物であるアーチャーに軍配が上がるが、その動きは止められていた。その間隙を狙い、キャスターは己が宝具を開帳する。

 

 

day.09-08 食客

 

 ランサーを首尾良く騙したファルデウスは、作戦の順調な推移に不安を感じていた。命令違反の二十八人の怪物(クラン・カラティン)を処理しながら、食客として迎えたジェスターに意見を求める。

 

 

day.09-09 スノーホワイト

 

 敵中枢ともいうべきスノーホワイトへとアサシンと署長は侵入していた。署長によってその発覚は遅れたが、本来の目的を果たすには時間が足りなかった。何とかあがく署長であるが、そんなことはお構いなくアサシンは独自行動をとろうとしていた。

 

 

day.09-10 教育

 

 突如襲いかかってきたジェスターに署長は重傷を負ってしまう。署長を庇うアサシンであるが、ジェスターの経験の前では歯が立たない。説得をしようとする署長に対しても、ジェスターが耳を貸すことはなかった。

 

 

day.09-11 “上”

 

 スノーフィールドの三面作戦の報告書を“上”のトップは幹部達に見守られながら読んでいた。作戦の被害について意見するトップであるが、幹部達とはわかり合えない。そのため、トップは幹部達に対してカードを一枚切ることにした。

 

 

day.09-12 白

 

 一連の行動に意見を貰おうとトップは白い女に声をかける。いつの間にか目前にいた彼女はこの聖杯戦争の動向を遠い場所から把握していた。事実上の勝利宣言をして去っていく女に対し、トップは今後のことを考える。

 

 

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 ステータスが更新されました。

 

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 ◆サーヴァント

   『アーチャー』

     所属:???

     状態:強制現界の呪い、消失

     宝具:天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)(奪取)

        天翔る王の御座(ヴィマーナ)(墜落)

        天の鎖(エルキドゥ)

 

   『ランサー』

     所属:――

     状態:強制現界の呪い

     宝具:天の創造(ガイア・オブ・アルル)

        天命渦巻く混沌の海(ムアリダート・ギムリシュン)

 

   『ライダー』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:感染拡大(大)

     宝具:感染接続(オール・フォー・ワン)

     令呪の命令:「繰丘椿が構築している夢世界の消失」

           「人間を傷つけてはならない」

           「認識の(一部)共有化」

     備考:寄生(繰丘椿)

 

   『キャスター』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:強制現界の呪い

     宝具:我が人生は金貨と共に有り(アレクサンドル)

        王の服(インビジブル・ガウン)

        お前の物は俺の物(ジャイアニズム)

        王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)

        夢枕回廊(ロセイ)

     備考:「Rin Tohsaka」と刻まれた魔力針

 

   『アサシン』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:強制現界の呪い、捕縛

     宝具:回想回廊、構想神殿、追想偽典、伝想逆鎖、狂想楽園、石ころ帽子

 

   『バーサーカー』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:消滅

     宝具:暗黒霧都(ザ・ミスト)

 

   『宮本武蔵』

     所属:――

     状態:消滅

     宝具:二天一流

 

   『ヒュドラ』

     所属:――

     状態:消滅

     備考:毒

 

   『エルアライラー』

     所属:――

     状態:消滅

 

   『黄金王ミダス』

     所属:――

     状態:消滅

     宝具:神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)

        酒酔いの薔薇園(シレーニノス・ガーデン)

     備考:黄金呪詛(ミダス・タッチ)

        ロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)

 

   『正体不明のサーヴァント』×2

     所属:――

     状態:消滅

 

 

 ◆マスター

   『ティーネ・チェルク』

     所属:夢世界同盟

     状態:感染、魔力供給(特)、重傷、捕縛

     令呪:残り0

 

   『銀狼』

     所属:夢世界同盟

     状態:感染(夢世界)、捕縛、???

     令呪:残り1

 

   『繰丘椿』

     所属:夢世界同盟、サーヴァント同盟

     状態:強化(寄生)

     宝具:感染接続(オール・フォー・ワン)

     令呪:残り0

 

   『署長』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:魔力消耗(大)、重傷(右手喪失)、捕縛

     令呪:残り0

 

   『ジェスター・カルトゥーレ』

     所属:ファルデウス陣営

     状態:死亡×5

     令呪:残り0

 

   『フラット・エスカルドス』

     所属:夢世界同盟、???

     状態:感染

     令呪:残り3

 

 



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day.10-01 王の財宝

 

 

 北部丘陵地帯、原住民要塞にはその広大さ故に休憩所兼食堂が複数ある。

 特に要塞南口付近にあるこの場所は指折りの開放的空間である。普段であれば日の出前の最も冷えるこの時間であっても賑わいが多少なりともあるのだが、現在利用しているのは二人きりだった。

 理由は簡単で、現在この要塞を維持するだけの人員が足りなくなったからである。ただでさえ広い要塞を少なくなった人員で効率よく使うため、不要な施設のいくつかは閉鎖せざるを得なかったのだ。

 ここも南側に面しスノーフィールドを一望できるが、その分襲撃された時に被害を受けやすいということで食堂の調理機器はそのままに、放棄することが決定された。

 それだけに、人目を気にすることなく密談するには適した場所だった。

 

「まったく、原住民のくせに食文化は普通のアメリカ人じゃねえか。なんかスノーフィールドならではの食い物とかねえのかよ。ニシンの発酵食品みたいなインパクトのあるもんがよー」

 

 そんなことを愚痴りながら、キャスターは棚の奥底にホコリを被った業務用ツナ缶(2キロ)に目を付けた。他にも保存食はいくらでもあったが、迷うことなくそれを手に取る。

 

「……キャスター。あなたは確か美食家としても有名だったのでは?」

「おう。美食事典も出版している。だが業務用ツナ缶は食べたことがない」

 

 金に物を言わせて象の足(史実)まで食べた英霊は鼻歌まじりに缶の蓋を開けた。当然、業務用になったことで味が変わる筈もない。せいぜい匂いが強烈になるくらいである。

 

「いるか?」

「結構です。自前で用意しているのが見えませんか?」

 

 キャスターの奇行に呆れながら、その人物は予め他の食堂から持ってきた食事を外見年齢に似合わぬ落ち着きを持って食べ始める。

 手にしているのは僻地での作戦行動時に軍などが支給する戦闘食。少量でありながら高カロリーで高タンパク、栄養バランスにも秀でている代わりに口当たりはひたすらに悪いと評判の代物。鉛筆を囓ったような薬臭さが周囲に拡がる。

 業務用ツナ缶が放つ圧倒的な物量を持ってしてもこの匂いは消せそうにない。

 

「……ライダー、もう少しマシな食事は選べなかったのか?」

「カロリーと栄養価を優先しました。が、椿に意識があれば絶対に食べないでしょう。私も食べさせたくはありません」

 

 匂いだけで顔をしかめるキャスターにライダーは率直な意見を述べた。味覚についての情報をライダーはあまり持っていないが、それでもこれは不味いのだろうとはっきりと理解できる。

 

 現在、繰丘椿の身体をコントロールしているのはライダーである。

 マスターである椿自身は三面作戦の終了後にその精神的疲労から深い眠りについている。ライダーはその間に身体の疲れを少しでも取り除くべく栄養摂取を行っている最中である。

 三〇回咀嚼してからの嚥下が規則正しく機械的に行われていた。

 

「安心してください。キャスターの助言通りにしてますよ。椿を起こすようなことはしませんし、頭の中を覗き込む真似もしてません」

「そうしてやってくれ。その方がこちらとしても都合が良いし、繰丘椿にもプライバシーは必要だ。夜までに起きないようなら、俺がなんとかしてやる」

「あなたが人を慮るとは世も末ですね。それを現代の世でなんと言うのか知っていますか?」

「ギャップ萌えだろ」

「死亡フラグです」

 

 死ぬのなら椿の迷惑にならぬよう死になさい、とライダーは冷たい視線で言外に付け加える。キャスターはキャスターでそしらぬ顔で視線を逸らした。

 もっとも、キャスターはある意味英雄王以上に唯我独尊男である。この劇作家が他者を慮っているように見えるのなら、それは騙されているだけに違いない。

 

「……それで、キャスター。そろそろ私を連れ出した理由を教えていただけませんか」

 

 機械的に行動し感情を持たぬライダーではあったが、キャスターがわざわざこのタイミングで声をかけた意味が分からぬ筈もなかった。

 

「念のため言っておきますが、我がマスターは男性経験がないので私の一存で花を散らせることはできません。椿が許可を出しても許しませんが。

 ああ、あなたがナブコフやキャロルの眷属だと公言するつもりはないので安心してくださいこのペド野郎」

 

 分かっていなかった。

 

「人気のない場所にわざわざお前を連れてきたのはそういう意味じゃねぇよ!」

「こう見えて私は忙しいのです。栄養を摂取し終えたら脱糞し直腸まで綺麗にし、シャワーを浴びながら自慰行為で性欲発散をさせ、心身共にリフレッシュさせる予定が詰まっています。

 キャスターがどうしてもというのならあなたの痴態を見ながらの罵倒ぐらい百歩譲って付き合いましょう。この食事が終わるまでですが。視覚と味覚を独立処理させますから、大丈夫です。我慢します」

「お前平気な顔して何言ってんの!?」

「円滑な人間関係に冗談は付きものでしょう。まさか本気にしましたか? 椿の使用済み歯ブラシでよければ下賜するのも吝かではありません。次回召喚される時の触媒になるくらい愛着を持つように」

「無表情で台詞が棒読みでなければ安心して冗談だと受け止めるられるがな! あとさり気なく俺のこと汚物扱いしやがったな!?」

 

 玩具を自慢する子供のようなライダーの言動に、キャスターは声をかけたことを半ば本気で後悔する。同盟関係上、戦果の報告はすべきだと少しでも思った自分がバカだった。マスターに対して嘘ばかりついていたことを真摯に反省するキャスターである。彼だって反省するのである。

 

「それで、今回の三面作戦は成功か失敗のどちらですか?」

「要点を理解してるなら俺の精神をズタズタにしないで貰いたいなぁ……」

 

 先ほど冗談を言った口ぶりのままで、ライダーはこの現状に対して成功か失敗かを問うてくる。テンションの落差についていけなくなりそうだが、そうもいくまい。じっと見つめ続けるライダーの視線に、どこまで話したモノかとキャスターは思案する。

 

「……傍目から見たら、間違いなく失敗だろうな」

 

 この作戦で署長とアサシンは敵の捕虜となり、原住民の部隊は壊滅。対してファルデウスが失ったのは捨て駒として利用した二十八人の怪物(クラン・カラティン)くらい。三面作戦とあるが、その全てにおいて敗北したように見えても仕方がない。原住民側は既に敗戦処理に走っている節もある。

 だが、それでもライダーはこの現状に成功の可能性を見いだしている。

 

「傍目から見なければ?」

「かろうじて辛勝ってところか」

 

 キャスターの言葉に嘘偽りはなかった。

 キャスター達の目的はお題目であるティーネの救出……などである筈がない。

 それも確かに目的の一つであろうが、最大の目的はアーチャーの宝物蔵を奪い取ることにあった。そのために必要であったのはお前の物は俺の物(ジャイアニズム)を使うための魔力の調達である。

 この砦の中にはライダーに感染していない健康で魔力を持った人間が数百人もいた。署長が椿を連れて砦を訪れたのも同盟のためではない。その健康体にライダーを“感染”させ、キャスターに魔力を供給するため。それ以外に関してはことごとくオマケでしかないのである。

 

 そんなわけで、キャスターにとって戦闘そのものの勝敗など些末に過ぎない。目下問題とするべき被害はアサシンと署長が捕まったことである。

 アサシンについてこちらから知る術はないので可能性に過ぎないが、署長については契約のパスから様子は少なからず把握できる。大怪我を負っているが生きているので虜囚となったのは間違いない。

 

 次の目的としていた時間稼ぎは、スノーホワイトが停止したことから辛くも達成されている。これでこちらがすぐさま全滅する可能性を大幅に減らすことには成功した。この時間差がなければ、こちらに勝機はない。

 

「解せませんね。確かに署長とアサシンを失ったのは痛い。しかしバビロンの宝物蔵を奪うことに成功し、時間稼ぎもできたのですから、あの場での目標達成率は一〇〇パーセントに近い筈。

 これのどこが辛勝なのですか?」

 

 細かいところを全てすっ飛ばして、ライダーは核心を突いてくる。

 アーチャーの宝物蔵。

 ライダーの魔力量。

 ただでさえ非常識な「物量」が二つも結びついる。危険度はかけ算どころか乗算。おまけにこの事実を知っているのはここにいるキャスターとライダーだけ。あれだけの敵であろうと、最初の一撃で勝負を決めることも十分可能である。

 

「いや、それがな……」

 

 やや気まずそうな顔をしながら、キャスターはおもむろに食べかけのツナ缶を横にして、その手のひらを上に向ける。

 空間が波打つ。その現象は間違いなくアーチャーが使っていた王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)によるもの。だが、キャスターの手の中には突然現れたようにも見えたソレはライダーが予想していたものとは多少趣が異なっていた。

 コトリ、とキャスターは蔵から出したモノをツナ缶の横へと置いた。

 それは石だ。握り拳ぐらいの大きさの石。どこにでもあるような、普通の石。王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)から出てこなければ、それが特別なものであるとライダーは判じないだろう。

 

「……触っても?」

 

 念のためキャスターの了承を得て、慎重に手に取ってみる。

 噂に聞く賢者の石かとも考えるが、魔力は欠片も感じない。重さも予想通りで、重くもなく軽くもない。指で弾いた感じでは固有振動数は一定で、質量分布にもおかしなところは見当たらない。

 間近で角度を変えてしげしげと観察しても分からない。角度を変えてみればなんとなく髑髏が浮かび上がっているように見えなくもないが、それはただの錯覚だろう。もしくは自己投影だ。

 

「分かりません。これは一体何ですか?」

 

 都合一分以上頭を捻って考えもしたが、結局ライダーは当初と異なる見解を出せなかった。

 ライダーの知識量は、そこいらの人間を優に超えている。というのも、ライダーの感染接続(オール・フォー・ワン)は感染者の知識や経験をも取り込むからである。感染者の中には鉱石に詳しい者は当然居る。だがそんな専門家の知識をもってすら、この石に特別製を見いだすことはできなかった。

 

 ニタニタニヤニヤ笑うキャスターに降参するのも癪であるが、ここで意地を張っても仕方有るまい。素直にライダーは自らの知識不足を認めた。

 やはりさすがは魔術師の英霊。十万人分の知識を以てしても、キャスター一人の知識に勝てはしないのか。

 そう、ライダーがキャスターの認識を改めたが。

 

「わからん」

「……は?」

「いや、わかんねーんだよ。これ。俺も」

 

 開き直ったような言い方のキャスターに、さすがのライダーも黙った。いや、直視しがたい答えに、しばし言葉を失った。

 

「……つまり、」

 

 たっぷり一〇秒間、わざわざ感染接続(オール・フォー・ワン)を使って考察し検証し悩み抜いた結論を、ライダーは口にする。

 

王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)、使いこなせないのですか?」

「そんなことはない。どこにどんな機能のどんな宝具があるのかさえ分かれば、使いこなすのは簡単だ」

 

 辞書に索引がある理由は、そうしなければ目的のモノを探し出せないからである。

 逆に言えば、索引のない辞書ほど不便で扱い辛いモノはない。

 

 王の財宝はここでもその物量をいかんなく発揮していた。

 

 



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day.10-02 次の手

 

 

 想定していなかったのは、痛恨のミスであろう。

 森からの脱出の際には偽アーチャーもいたのでバビロンの宝物蔵から好きなように宝具を取り出せていた。しかし、こうしてキャスターが一人で扱おうとすると御覧の有様である。

 

 かつて、アーチャー自身も言っていた。

 蔵の中の貯蔵量は、自身の認識を遙かに超える、と。

 持ち主ですら把握仕切れぬモノを、盗人が把握できる筈もなかったのだ。

 

 すでに何度も試しているというのに、出てくるのはこうしたわけの分からぬものばかり。見る者が見れば一級品なのだろうが、鑑定眼を持たぬ者からはガラクタ同然。分かり易い武具ですらまだ一つとしてお目にかかったことはない。武器庫ではなく宝物蔵なので、実は武具の割合は圧倒的に少なかったりするのだろうか。もしくはただ単に運が悪いだけなのか。

 片っ端から中の物を出すことも考えるが、それは止めておく。パンドラの匣の例もある。出てくるものが自陣に利するものとは限らない。可能性の中には希望もあるが、絶望だってあるのだ。おいそれと暴いて良いものではない。

 

「これが辛勝の正体というわけですか」

「そういうこった」

 

 これならいっそ宝物蔵を奪ったことを知られていた方がブラフとしてよっぽど役に立つ。その機会も失われてた今となっては後の祭りでしかない。

 もし宝物蔵を有効に扱えたのであれば、この時点での勝率は五割を超えている。ありとあらゆる犠牲と周囲の被害に目を瞑れば、七割は固いだろう。

 しかし一転して宝物蔵が使えないとなれば、勝率は一気に落ちて一割にも届かない。キャスターのこの告白はそれを更に下方修正することを意味してた。生存率を考えれば、もはや絶望的ともいえる数字しか出てこない。

 改めて、彼我の差を思い知らされる。

 

「……それで?」

 

 そんな状況にあって平然と続きを促すライダーの言葉に、キャスターは苦笑いを禁じ得なかった。

 ライダーは、そんな絶望的な数字に何の驚きも感じていない。

 キャスターがこうも(比較的)正直に告白したのは、単純にライダーの信頼を勝ち取るためだ。今後の戦略を練る上でライダーの協力は不可欠であり、強固な関係構築はドラマを生み出す上でも欠かせない。

 だが、キャスターのそんな小賢しい演出など、ライダーには何ら通用しなかった。キャスターがいかに演出しようともライダーはその事実を平然と受け止め、ただ粛々と自らの役割を全うするのみ。

 それに勝敗は水物であるが故にひっくり返ることは珍しくもないことを、ライダーは知っている。あの夢の世界にあって、ライダーが敗北する可能性などこの状況より遙かに低かったのだ。

 

 逆転できる要素は、どこかに必ず存在している。

 諦めず粘り続ける限り、希望はある。絶望するのはそれからで良い。

 黙々と食べ続けるライダーとは対照的に、キャスターはスプーンをテーブルの上に置いてツナを頬張る手を休めた。ふう、と大きく息を吐く。

 

「……こうして直接戦ったことで色々と情報収集ができた。特に敵の指揮官がファルデウスという魔術師だと判明したのは大きい。厄介な相手だが、見ず知らずの人間より多少はその思惑を読みやすい」

 

「それで?」

「結局、あの場で人質として確認されたのはティーネ・チェルクただ一人だけだ。俺が確認できた方舟断片(フラグメント・ノア)には罠が仕掛けられていた。喧伝されていた他のマスターの確認ができなかった以上、捕らえたという情報はファルデウスのブラフである可能性が高い」

 

「それで?」

「対アーチャー作戦は伊達じゃない。デイジーカッターの威力は現代兵器の中でも頂点に位置するものだが、俺はそこに時間操作も付け加えておいた。爆心地付近にその威力を限定させ、更に核兵器並――それ以上の超高熱の爆風と衝撃波を五分以上も集中させている。たとえ万全であったとしてもおいそれと凌ぐことはできねえ。魔力を枯渇させるための茨姫(スリーピングビューティー)であれば尚更だろう。アーチャー用に“昇華”しておいた魔力針もあれから反応がないことから、アーチャーの消滅は決定的だ。この宝物蔵を取り返しに来る心配はない」

 

「それで?」

「逆に言えば、あの威力に物理的に持ち堪えらる防御力を持っていれば、その限りではない。ランサーの天の創造(ガイア・オブ・アルル)ならもしかするかもしれん。生存の可能性がある以上、先んじて接触に成功することができれば共同戦線を張ることは可能だろう。そうでなくとも話をするだけの余地はあるだろうさ」

 

「それで?」

「フラット・エスカルドスの行方が未だに不明だ。俺は直接会っていないが、あのマスターが自分のサーヴァントを消滅させられて尻尾を巻いて逃げ帰るとも思えん。生きていれば、必ずどこかで何かをしている筈だ」

 

「それで?」

「以前に署長は上層部を数日間黙らせるとジェスター・カルトゥーレと思しき人物から通告されたらしい。それを署長に代わり、現在はファルデウスが猶予期間を利用している。時が経ち、上層部が詳細を知ればファルデウスは自滅することになる。タイミングからしてジェスターが向こうに与している可能性も高いな」

 

「それで?」

「スノーホワイトが一時的に使用不可能になったのは先にも話したが、それによって敵主戦力となりうる宝具の使用には大幅に制限が科せられる筈だ。スノーホワイトなしでサーヴァント相手に動ける二十八人の怪物(クラン・カラティン)は壊滅。実質奴が自由に動かせる手駒は魔術師の対極にいる職業軍人の部隊だけだ」

 

「それで?」

「原住民主戦力は確かに壊滅したが、壊滅させたのはファルデウスの部隊ではない。奴らは早急に事態を片付けるために奥の手を晒してしまった。手札が見えている以上、ファルデウスの次の手は読みやすい」

 

「それで?」

「原住民は協力的だ。繰丘椿のおかげでな」

「……なるほど」

 

 キャスターの言葉に耳を傾けていたライダーは最後の皮肉で打ち止めと判断したようだった。他にもキャスターが隠していることはあるが、ライダーが問い質してくる様子はない。

 代わりにしてきたのは確認だった。

 

「敵の次の手が読めると言いましたね?」

「その通りだ。奴らは奴らの思惑で行動している。少なくとも、目と耳を一時的に閉ざされた上層部には、ファルデウスにとって都合のいい報告をしていることだろう。その帳尻を合わせるためには、自由の利く今のうちに動き出さなくてはならない」

「……その帳尻というのは?」

 

 少女の身体には多すぎる戦闘食を全て胃の腑に落としたライダーは口休みなのか角砂糖をそのまま口に放り込み、立ち上がり軽く関節を動かしながら問うてくる。

 

「撤退中に敵に捕獲されたティーネ・チェルクを助けるために突進した英雄がいてな。せっかく消滅したと誤魔化せたのに、生き残ってるのがばれちまった」

「要は、消滅したと報告したマスターとサーヴァントを改めて掃討するということですか」

「だからこそ、次の手は――」

 

 キャスターが言いかけたその時、要塞が振動した。

 内部からではなく、外からの振動。見上げれば天井の照明が瘧がついたように震えていた。天井部の岩から砂状の粒が食べかけのツナ缶へと落ちていくが、キャスターは気にすることなく再度スプーンを手に取りツナを口の中へと頬張った。

 

「……こちらを休ませる間もなく奥の手を投入ってところじゃねぇかな?」

 

 ファルデウスが頼みの綱としているのはお抱えの職業軍人部隊。そして、それ以外は奥の手であろうと使い捨てだ。実に気っぷの良い限りだが、まったく嬉しくない。

 

「まあ、襲撃はここに呼ばれた段階で予想はしていました」

 

 幾つもある閉鎖区画の中からわざわざこの場所を選んだのも、こうして外からの襲撃に備えやすくするためだ。人気がおらず景観が良いだけで選んだわけではない。

 

「念のため確認しますが、現有戦力で迎撃に割けるのは私一人だけですか?」

「まさか俺に期待しているのか?」

「それこそまさかです。足手まといは必要ありません。部屋の隅でガタガタ震えながらそこのツナ缶でも片付けておいてください」

 

 ライダーの確認にキャスターは敢えてはぐらかす。その意味が分からぬライダーではない。相手が奥の手を出したからといって、何もこちらも奥の手を晒す必要はない。迎撃は一人で十分だ。

 襲撃を受けたことで、要塞内部が俄に騒がしくなるのが分かる。原住民戦士の人数が減ったからといって警戒をしていないわけではない。むしろ早急に対応できるよう監視班が増員されたくらいだ。少数精鋭でなければ突破は難しいだろう。噂の奥の手が出てきたのは確実だろう。

 

「せっかく戦力を小出しにしているんだ。残らず排除してくれ」

「分かっています。逃がしはしませんよ」

 

 その間にも振動が続くことから敵は砲撃でも続けているのだろう。遠距離タイプだとするとライダーと相性は悪いが、それで負けるような可愛いらしい英霊ではない。伊達に黙示録に登場していないのである。

 

 人を傷つければ令呪のペナルティがある。それでも、ライダーは構わず戦うだろう。その背中を見てキャスターは「危うい」と感じ取る。けしかけたのは自分であるが、追い詰めるつもりはない。

 仕方ないので、キャスターは懐から小さな缶を取り出しその中の物をライダーに放り投げる。背後から投げられたモノをライダーは見向きもせずキャッチした。

 

「――? 何ですか、コレは?」

「飛行宝具ラピュタだ。これを持って飛び降りれば、下で鳥打帽を被った少年が受け止めてくれる」

「ありがとうございます」

 

 受け取ったドロップ飴を口の中に含み、ライダーは冷たい視線で礼をする。幼気な少女の乾いた視線にキャスターは癖になりそうである。最初は機械的にしか動けなかったと聞いていたが、中々どうして、実に人間臭くなっている。

 人間臭いということは、その精神も人間に近付いているかも知れない。

 

「そう言えば、」

 

 テクテク歩いて窓から気軽に飛び降りようとするライダーの肩越しに、キャスターが唐突に思い出したとばかりに声をかけた。

 

「……なんでしょう?」

「お前のマスターが助けたティーネ・チェルク。さっき手術は無事に終わったってよ。何とか命だけは取り留めたらしい。一昼夜も埋めておけば明日の朝には動けるとも言っていた。さすがは族長様々だな」

「結構なことです」

 

 ライダーの声に変化は見られない。

 ティーネ・チェルク救出をしたのは椿の独断であった。キャスターは無論のこと、相談役と責任論を交わしたライダーですら、状況を鑑み見捨てるべきだと判断した。一目で重傷と分かるティーネが助かるなどと誰も思わなかったし、何よりこちらが生存していることがばれる。連れ帰ったところで原住民は協力的になろうとも、もう戦力にはなり得ない。

 天秤の傾きが多少戻ったくらいで、マスターである椿の失態が帳消しになるわけもない。

 けれども、ライダーの心は軽くなったに違いない。

 そう勝手に思うのは劇作家の悪癖であろうか。

 

「……ならキャスター、原住民の方々に伝言を頼めますか」

「おう。任された」

「巻き込まれたくなければ、決して外には出ないように」

 

 窓枠に立ってライダーは外を眺め見る。その視線の鋭さは同じ椿の顔といえど怖いくらいに違っている。

 思わず背筋が寒くなるのを覚えながら、キャスターは戦場へと飛び去ったライダーの後ろ姿を見送った。

 遠目から見る限り目立った敵戦力は三。もちろんこれで終わりである筈もない。ライダーといえど楽観できぬ戦力であるが、この様子なら援護も必要あるまい。

 

「さて。ならば俺がやるべきは侵入してくる部隊を排除することかね」

 

 ぼやきながら、キャスターは踵を返した。

 ファルデウスのことである。表だって攻撃を仕掛けているこの部隊は陽動、本命はこの騒ぎに乗じて警戒網を突破し要塞内に侵入している筈だ。狙いはティーネ・チェルク――だけではない。

 

「恐るべきはこの規模の戦力を平気で使い捨てる胆力だな」

 

 これで威力偵察だというのだから恐れ入る。

 ファルデウスの目的はライダーと要塞内にいる戦力を正しく見極めるところにある。この戦力でどの時間耐え、また殲滅し終えるのか、その対処能力をどこか遠くから覗き見ているに違いない。

 手の内はばれてしまうが、こちらも戦力を出し惜しみしている場合ではない。事前に指示はしておいたが、どこまで上手く欺けるかで今後の動きも違ったものとなる。

 

「敵を騙すならまず味方から。なら、味方を騙すなら敵からだよな。歯応えはなさそうだが、せいぜい騙し欺き空回りさせてやるぜ」

 

 盤上の駒を思いながら、劇作家は億劫そうに動き始める。

 軍師でもないキャスターであるが、キャスターの中で今後の展開は決まっていた。

 ライダーはなんなく敵を蹴散らし、キャスターは敵を翻弄してみせる。結局イレギュラーたり得る存在がいなければ、戦争は数字へと置き換えることができる。勝敗を占うのなら秤に乗せるだけなのだ。そして実態もそう変わるものではない。

 せめてつまらない仕事を面白おかしく脚色しようと、キャスターは東洋人を口車に乗せて奮戦させるが、その願いが叶うことはなかった。

 

 戦闘はこの三〇分後、何の起伏もなく収束した。

 ライダーは自分が騙されたことに、ついに気付くことはなかった。

 

 



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day.10-03 レギヲン

 

 

 最後まで残った敵はやはり別格の戦闘力を持っていた。

 

 敵の宝具は木槌。能力はその大きさを自由自在に操れること。その伸縮性から間合いを測りがたく、距離を取れば直径一〇メートルを超えて巨大化した木槌が上から振り下ろされる。そして木槌を小さくすることで技の後に発生するはずの隙をなくし、異常なまでの連撃が絶え間なく襲い掛かる。

 それだけであるのなら、この宝具はランサーの脅威になり得ない。ランサーにとってほとんどすべての打撃は天の創造(ガイア・オブ・アルル)が受け流してしまう。本来なら気に掛ける必要すらない。

 絶対的な実力差がそこにある、筈だった。

 

 もう何度目になるかわからぬ木槌の一撃が放たれる。度重なる連撃はランサーの動きを完全に縫い、そして何の意外性もなく、木槌はランサーの腕に接触した。同時に、ランサーの腕が爆散したかのように遠くに吹っ飛んでいく。

 

「……」

 

 さすがに初見こそ驚きはしたものの、それが何度も続けばその正体にも気付く。

 敵は単に接触した瞬間に木槌に急制動をかけ、その爆発的な衝撃だけを接触面へと伝達させているのだ。結果として、天の創造(ガイア・オブ・アルル)は受け流せる許容量を超えて吹き飛ばされる。

 明らかに対ランサー戦を想定した技だった。これによりランサーの身体はその約二割を周囲に飛び散らせている。消滅したわけではないので回収すれば元通りだが、ここまで回収を許されたことは一度としてなかった。

 それに、わざわざ回収する必要もない。

 

「――ッ!!」

 

 木槌による衝撃を受けたところでランサー本体の動きに支障はない。そして急制動してしまった以上、その反動のためすぐに敵は動けない。これまではその隙を仲間がカバーしていたわけだが、頼みの仲間は全て地に伏していた。

 動きを止めた敵の懐に潜り込み、新たに生やした腕はあっけなく敵の胸板へ辿り着く。ランサーの攻撃を察知したパワードスーツは搭乗者を守るべく、瞬時に内部の磁性流体を硬化させる。鋼鉄以上の強度を誇るそれを、しかしランサーの腕はあっさりと貫いてみせた。

 

 健闘を称えるべきだろう。一人になった時点で敵の敗北は明らかだった。それでも戦法を変えなかったのは、それしか勝算がなかったからだ。

 力なく崩れ落ちる敵の顔を、なんとはなしに覗き見る。フルフェイスのバイザーを上げてみれば、若い女の顔がそこにある。口から止めどなく血が零れ出るが、そこに呼吸音はない。虚ろな瞳に映る自分の顔に堪えられず、ランサーはその目蓋を下ろして隠した。

 この女の顔とランサーの顔には同一の表情が張り付いていた。

 女の死に顔が自らの未来を暗示しているようで、酷く気分が悪かった。

 

「コングラッチュレーション、ランサー!」

 

 全てを影から除き見ていた黒幕が、お供の部下を大量に引き連れて登場してくる。新たな敵かとうんざりするランサーではあるが、彼らの目標はランサーではなく、ランサーが倒した敵集団にあるようだった。

 ひとまず戦闘継続の必要性がないことに安堵しつつも、別の意味で面倒な相手を無視するわけにもいかなかった。

 

「……一体何がめでたいのですか、ファルデウスさん」

「なんだい、君は二十八人の怪物(クラン・カラティン)を討伐目標に据えていたのではなかったのかな? 彼女が二十八人の怪物(クラン・カラティン)最後の一人だよ。秘書官ではあるが、実質的なナンバー2だった才女さ」

「ああ、そうなんですか」

 

 語られた衝撃の真実、などというほどでもない。実に淡泊なランサーの対応にファルデウスも鼻白む。

 

「気に入らなかったかな? せっかく君のためにわざわざ用意したというのに」

「彼らの長である署長とキャスターがまだ生きているのに目標達成したというには無理があるでしょう。それに――」

 

 周囲でランサーが倒した敵を嬉々として調べている人間を眺め見る。その様は戦場跡で死体から金品を掠め取ろうとする腐肉漁りを彷彿とさせる。そしてあながちそうした表現は間違っているわけではない。

 

「それに、この実験は僕のためではなく、彼らの――あなた自身のためでしょう」

 

 ランサーの言葉にファルデウスも笑って否定しなかった。

 彼らが漁るのは金品などと分かりやすいではなく、技術という名の見えぬものだ。

 パワードスーツという知識ならランサーも知っている。装着者の動作を強化拡張する現代の鎧。繰丘邸や茨姫(スリーピングビューティー)での戦闘で二十八人の怪物(クラン・カラティン)が装着しているのを実際に見たこともある。だが、今戦った二十八人の怪物(クラン・カラティン)が装着していたパワードスーツは明らかにそれとは一線を画している。

 

 以前に見たそれはスーツの名にふさわしい大きさと形状であるが、ここにあるそれはスーツと呼ぶよりも鎧に近い。防御力は無論のこと、火力と機動力は比較にならないほど強化され、通常では考えられぬ反応速度まで向上されていた。

 熟練者であれば、これ一機でサーヴァントを打倒することも不可能ではないだろう。ましてや、これを八機同時に正面切って相手をするともなれば勝機はないに等しい。

 唯一の救いは、このパワードスーツが未完成だということか。

 

「実用化の目処はつきそうですか?」

「安全基準はクリアできそうにないですね」

 

 安全基準以外はクリアしていると告げていた。

 人間である以上、その身体の強度には限界がある。いかに外骨格で強化したところでサーヴァント並の無茶な戦闘機動を行えば人の身で自滅は明白だった。

 緩旋回ですら怪しいところを鋭角ターンなどすれば、いかに保護機能があっても内蔵へのダメージは計り知れない。事実、装着者の何名かはランサーが手を下すまでもなく数分で動きが鈍くなっていた。土台、人間が扱えるモノではない。

 

「まぁ、貴重な実験データが取れましたから問題ありません」

 

 言って、パワードスーツから慎重に運び出される死者に対してファルデウスは笑顔のまま十字を切る。そのわざとらしさにランサーは呆れるが、その死者の中に見覚えのある者がいた。

 かつて繰丘邸でその身体を貫き、夢の中でライダーに操られたのを殺した二十八人の怪物(クラン・カラティン)。決して前線で戦える状態でなかった筈だ。

 分かっていたことだが、最初からファルデウスは安全基準を満たすつもりなどはない。処分するために有効利用していただけだ。

 

「何か?」

 

 言いたげなランサーの視線にファルデウスが問いかける。

 

「……別に何も。あなたが何を企もうと、僕に何の興味もありませんよ」

 

 その言葉には確かに偽りなどありはしなかった。

 例え目の前で無辜の命が失われようとも、どんな悪辣な巧みがあったとしても、ランサーはそれに感知することもない。ましてや、動くことなど考慮の埒外。

 その筈だった。

 

「アーチャーが消滅したとはまだ確定したわけではありませんよ?」

 

 試すような口ぶりのファルデウスに、ランサーは瞬間、我を忘れる。

 

 ――一体どの口でそんな言葉を吐いているのか。

 

 気付けば、ランサーは先の戦闘ですら慎重を期して使わなかった創生槍ティアマトを手にしていた。神速の突きがファルデウスの喉元に迫るが、寸でのところで槍が血に濡れることはなかった。

 ランサーが無意識に放った殺意に、熱狂していた筈の技術者達ですら本能的に押し黙り手を止めていた。

 

「ああ、我々のことは気にせず続けてください」

 

 そんな技術者たちを、殺されかけた当の本人が気にすることもなく作業を進めろと命じてくる。やや戸惑いながら、そしてランサーを警戒しながら、技術者達は自らの作業へと戻っていく。

 

 腕をほんの数センチ動かすだけで、ファルデウスは何の抵抗もできず、自らが死んだということを認識する間もなく、簡単に殺すことができる。

 知らず、ランサーの腕が震えた。

 理性があることを恨まずにはいられない。

 このままファルデウスを殺すのは実に容易いが、ここで彼を殺すわけにはいかなかった。

 

「自制が利いてくれて助かりますよ、ランサー」

 

 未だ余裕の笑みを浮かべるファルデウスに、ランサーは仕方なくその矛を文字通り収めた。

 ファルデウスは確定していないというが、実際にはアーチャーの消滅は確定している。

 それを確定させたのは皮肉にもランサー自身のスキルである気配感知。デイジーカッターがいかに強力でその後の被害が甚大であろうとも、その程度のノイズでこのスキルを偽ることなどできはしない。

 

 爆発後、ファルデウスが接触してくるほんの一時間足らずではあるが、ランサーはこのスノーフィールド全域をその気配感知スキルで隈無く走査している。

 ティーネ・チェルクの生存は確認した。ライダーだって繰丘椿の中で生存していることも確認した。おまけのようにキャスターが生き延びているのも確認できた。他にも確認できた者はいるが、朋友の気配だけはどこに感じることもできはしなかった。

 

「……」

 

 もはやとりつく島もないランサーの様子に、ファルデウスも肩を竦め嘆息する。

 アーチャー消滅は、ランサーにこの戦争での意気込みを失わせるには十分すぎた。本来の目的を達成しようともしないのはファルデウスにとっても僥倖だが、それにしたってこれでは覇気がなさ過ぎる。

 

「大丈夫ですよ。あなたが約束を守ってくれる限り、僕は約束を守ります」

「実に頼もしいことです」

 

 実に当てにならない保証をして、ランサーはファルデウスに背を向ける。その後ろ姿に頼もしさを感じることはできないが、先のやる気のない戦いですらランサーは強化――狂化した二十八人の怪物(クラン・カラティン)を圧倒していた。

 アーチャーがいなくなった以上、事実上この聖杯戦争でランサーを打倒しうるサーヴァントはいなくなった。ライダーとの戦いで消耗し、デイジーカッターの直撃で焼き尽くされてなお、このサーヴァントは圧倒的だった。

 圧倒的に、圧倒していた。

 

「……ああ、そうそう。二点だけ伝えておくことがあります」

 

 今思い出したかのようなファルデウスのわざとらしい言い草に、ランサーの歩みが止まる。振り返るようなことはしない。

 

「我々の名前が決まりました。

 ――その名もレギヲン。格好いいでしょう?」

 

 マルコ傳福音書、第五章九節にある悪霊の名。かつてはローマ軍団を指し示し、今では軍団そのものを意味している。

 

「……捻りがありませんね」

「これでも、随分と考えたんですけどね」

 

 苦笑いするファルデウスではあるが、実際に意味があるのはその名ではない。発表のタイミングである。

 彼らの前身となる筈だった二十八人の怪物(クラン・カラティン)は今ここで全滅した。その死骸の上に成り立つレギヲンは二十八人の怪物(クラン・カラティン)とは似て非なる存在。

 総じて、ランサーが二十八人の怪物(クラン・カラティン)に向けた害意とは関係していないことをファルデウスは告げている。

 それは臆病者の発想だ。そんなことでは免罪符になりはしない。

 

「それで、ファルデウスさん。もう一つは?」

 

 早くこの場を去りたいと、ランサーは面倒そうにファルデウスを急かした。

 

「……いい加減、私をマスターと呼んではくれませんかね?」

 

 伝達事項と言いながら、それは依頼だった。命令でないところが、やはり臆病者の発想だとランサーは切って捨てる。

 ファルデウスのその手には、令呪の輝きがある。

 残り一画限りの絶対命令権。対魔能力に乏しいランサーでは、その一画だけでも抗えはしないだろう。

 

「ならその令呪で命じれば良いでしょう」

「ハハッ、冗談ですよ」

 

 戯けたようなファルデウスの物言いだが、ランサーが振り返らずともその瞳が笑っていないのは確かだった。

 臆病者は恐ろしい。下手に出ながらも、慎重にこちらの出方を伺ってくる。それでいて切り札をもちらつかせても伏せ札は伏せたまま。

 

「僕のマスターは彼だけです」

「重々承知しています」

 

 それっきり、新たなマスターに対してランサーは振り返ることなくその場を後にする。結局ランサーは背後にある“偽りの聖杯”について何のアクションもとることはなかった。

 

 “偽りの聖杯”は、今、時間の檻の中に封じられている。

 

 封じているのはランサーも捉えられていた方舟断片(フラグメント・ノア)などではなく、方舟(オリジナル・ノア)と呼ばれる強力無比の原典そのもの。昇華され使い勝手を多少良くされただけの方舟断片(フラグメント・ノア)よりも遙かに封印は強力で強固である。

 漆黒に封印され内部を覗き見ることはできないが、ランサーがその中身がどういったものか気付いていない筈がない。二十八人の怪物(クラン・カラティン)の殲滅に創生槍ティアマトを自制して使わなかったのは、万が一にもティアマトで方舟(オリジナル・ノア)を無力化してしまい、“偽りの聖杯”の中身が解き放たれるのを恐れたからである。

 

 大胆にも、ファルデウスは臆病者(チキン)でありながら賭博師(ギャンブラー)でもあった。

 この空間を実験場として選んだのは単に観測設備が充実し、戦闘するのに適した広さがあるというだけではない。封印され動かすことのできぬ“偽りの聖杯”を前にしてランサーがどう出るのか見極めたかっそのたという狙いがある。

 

 かくして、賭けに勝ったファルデウスは多くの成果を得ることとなった。

 しかして、賭けに負けたとしてもその負債をファルデウスが払うわけではない

 その時は、単純に世界が滅びただけである。

 

 



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day.10-04 拷問

 

 

 ランサーが地下の“偽りの聖杯”を後にした頃、その頭上にある基地の一室でもひとつの勝負が終わった。

 生きたまま時間をかけて身体を少しずつ切り刻む拷問を勝負というには些か語弊があるだろう。だが勝手に勝負を設定したのは拷問執行者自身である。それでいて「拷問中に声を上げさせる」という分かり易い判定に敗北したというのだから、笑うに笑えない結果である。

 

 女の肌を、血が絶え間なく流れ落ちる。結局女は気絶するその時まで呻き声一つあげることなく拷問に耐えていた。ここで無理矢理起こすことは可能だが、その滴る血を前に拷問執行者はどうにも我慢ができなかった。

 

 手枷に繋がれ、壁際に吊されたままアサシンの血を、脇目もふらずジェスターは舐め取っていた。

 手枷は強力な魔力封じであるが、マスターとの直接接触であれば魔力供給が可能である。血を舐め取る赤い舌が触れる度に消滅寸前まで追い込まれていたアサシンへ魔力が供給が行われる。失われた五指や両足、削がれた耳に抉り取られた眼、裂かれ内臓が見え隠れする腹が、ゆっくりとだが確実に癒えていく。

 

「――ああ、もう癒えてしまった」

 

 流れ落ちる血も傷口が癒えれば止まってしまう。心底残念そうに、ジェスターは最後に口元に付いたアサシンの血を惜しむように舐め取った。

 アサシンの血は、ジェスターにとってどんな料理にも勝る嗜好の逸品だった。既に三度も同じことを繰り返しているが、それであっても飽きることがない。あと百回だろうとその発言は変わらないと断言できる。

 

 長い年月を経て数万にも及ぶ血を啜ってきたジェスターだが、これに匹敵する血を味わったことなど片手で数える程度。その砂糖菓子のような甘やかで、麻薬のように断ちがたい死徒の本能に、本来の目的すら忘れそうになる。

 自制が利かなくなる。

 あと一度。あと一度だけその血を舐めてみたい。

 

 壁や床に飛び散った血もジェスターの赤い影で残らず舐め取った。テーブルマナーにあるまじき行為であるが、それでもまだこの身体はアサシンの血を求めていた。

 アサシンの血に塗れたナイフを、舌がズタズタに傷つくのも厭わずキャンディーのように舐め回す。控え目にいってもその姿は異常であった。本人ですらその異常性を自覚しているのだから、他人の目からは尚更であろう。

 

 気付けば意識を失ったままのアサシンに、ジェスターはナイフを振り上げていた。その頸動脈を一息に断てば、噴き出した血はこの世で最も甘美な存在へと昇華されることだろう。その瞬間を想起しただけで体が愉悦で震えてしまう。

 正気を直前で取り戻さねば、きっとその光景は現実のものとなっていた。慌ててその軌道を逸らし、己の太腿に突き立てることで危ういところを回避する。

 死徒とは総じて狂気に呑まれた存在だが、魔術師上がりのジェスターにあって、本能の赴くまま簡単に狂気に呑まれては本末転倒である。

 

 ナイフでズタズタになった自らの舌が煙を上げて修復されていく。蕩けそうになる頭を必死になって保たせる。ナイフで太腿を貫いたというのに、痛みがまったく気付けになっていない。

 理性が砂のように崩れゆく。

 手段と目的が逆転しそうになる。

 このままだと、このままだと、

 私は、私は、

 ワタシハ――

 

「最近の死徒とは随分と変態なのだな、ジェスター」

 

 救いの声は、近くから聞こえてきた。

 ゆっくりと、時間を掛けてジェスターはその声の主へと振り返る。

 声の主は、アサシンと同じように向かい側の壁に吊り下げられていた。

 

 近代基地施設、それも使われる予定もない秘密基地に、そもそも拷問部屋などあるわけがない。せいぜい簡素な尋問室と営倉くらいであり、こうした専用の拷問部屋はジェスターがファルデウスに無理をいって作って貰ったこの一室のみである。

 今回はそれが幸いしていた。この部屋でアサシンと二人きりであったのなら、再度同じことを繰り返し、最終的にはどうなっていたのかジェスター自身も保証することはできない。

 

「目を覚ましたようだねぇ、署長……」

 

 なるたけ平静を装うように時間をかけて振り向いたが、その甲斐もなかったようだ。よほど壮絶な顔をしていたのか、ジェスターと目を合わした瞬間に覚悟をしていた筈だろうに、百戦錬磨の署長の身体が震えた。右手を失っていることなど関係なく、署長の全身から汗が滝のように流れ出てくる。

 

「醜態を晒してしまった……いつから目を覚ましていたかな。夢中になりすぎて気付かなかったよ」

 

 署長を落ち着かせるように、そして自身に言い聞かせるように、ジェスターはなるたけ穏やかに口を開く。

 署長にしても、ジェスターが落ち着こうと努力していることは伝わった。言葉が伝わるのならば、いきなり殺されることもない。悪魔との取引だって、契約書は読めずとも言葉は通じるのが大前提だ。

 

「ペチャペチャ犬みたいに血を舐めてる音が五月蠅くてな。それでいて自傷行為に走り始めたんで、つい声を出してしまった。お楽しみのところ邪魔してしまったかな」

「いいや。お陰様で目が覚めて感謝したいくらいだよ……傷の具合はどうかね?」

 

 自らに突き立てたナイフを無造作に引き抜き、そのままナイフで署長の失った右手の切断面を軽く撫でる。厚く巻かれた包帯に遮られてナイフの刃が通ることはないが、些細であってもその感触は傷口に伝わる。

 死なない程度に処置はしてあるが、麻酔などは打っていない。アサシンへの拷問とは較べるまでもないが、それでも大の大人が泣き叫ぶぐらいの痛みが署長を襲っていた。

 

「……ッ! お、お陰様でこの通りだ……それよりも、吊されてる左肩が痛くてしょうがないな……ッ!」

 

 先よりも激しく噴き出す汗が署長の現状をジェスターに教えてくれる。魔術回路を通しての痛覚コントロールも満足にすることができない。

 

「令呪を使われては困るのでね。念のため切り落としてしまわねば、安心できなかったのだよ」

「死徒の動体視力なら令呪を使い切っていたことくらい分かりそうなもんだがな……」

 

 念のため、で腕を切断されたのではたまったものではないが、署長がジェスターの立場であっても同じことはしていただろう。都合の良い情報ほど信じることなどできやしない。もっとも、署長であれば右手ではなく首を切断している。

 わざわざ生かして捕らえたのだ。無意味に拷問するためだけに生かされたのではないと信じたい。

 

「全ては貴様の思惑通りというわけか」

「いや、なかなか上手くはいかんようだ。署長よりもあのファルデウス、相当に頭がいかれてる」

 

 含みのある言い方でジェスターは悩みを吐露してみせる。

 市内は無論、ラスベガスでも確認したが、周囲で監視している“上”の幹部は悉く暗示にかかっている。その犯人がジェスターであることにもはや疑いの余地はない。

 署長が見るに、ジェスターの魔術の腕は群を抜いている。それでいてファルデウス自身の魔術の腕はそこまでではない。その気になればどうとでもなりそうであるが、実際にやっていないところから察するに、ファルデウスは相当非常識な手段でそれを封じているのだろう。

 しかしその割りには、ジェスターに余裕がある。

 

「なら、ここで一体何をしてる? 若い女を吊すなんて、上品とは言い難い」

「クァハッ! クハハハハッ! これは仕事だよ、誰もお二方を監視しないので私が引き受けた次第だ」

「趣味、の間違いだろう?」

「おかしなことを。拷問なんて残虐非道なこと、仕事でなければできはしない。私も苦しい。殴られれば殴った方も痛いと知っているかね?」

「その言葉がどこまで本気かは知らないが、任されたのは監視であって拷問ではなかろう?」

「クァハッ! これは痛いところをつかれた!」

 

 心底可笑しそうにジェスターは口元を抑えて嗤う。嗤いながら、ふらふらと気絶したアサシンへと歩み寄り、拷問によって剥き出しになったその乳房を撫で回した。

 荒い息と常軌を逸したその表情。その姿は劣情を催した獣に似通ってはいるが、ジェスターにあってそんな上品なことをする筈がなかった。

 

「そうだな、署長。そんな君に褒美といってはなんだが、アサシンを犯してみる気はないか?」

 

 唐突な、そして想定外の言葉にさすがの署長も言葉を失った。未だ収まりようもない痛みに幻聴だとすら思った。

 

「聞こえなかったか? 犯して良いといったぞ?」

 

 繰り返される言葉に幻聴という可能性も消し去られる。いや、ならば単にからかわれているだけに違いない。

 

「……何を、馬鹿なことを。自分でやればいいだろう」

「そんなものに興味はない。私は観客として愉しみたいのだよ」

 

 アサシンの裸体をその舌で這わせておきながら、ジェスター自身がアサシンを犯すつもりはないようだった。この吸血鬼に吸血衝動はあっても性欲はないらしい。

 

「本当は輪姦される彼女を見たくて基地の連中にも声を掛けたんだが、サーヴァントを犯すのはどうやら恐ろしいらしい。ファルデウスにも規律を盾に一蹴された。妥協案だが仲間に犯されるというのも乙というものだろう?」

 

 そうして、徐にその首筋へキスをするように噛み付いてみせる。恍惚としたその表情は麻薬中毒者と何ら変わりない。ジェスターの喉がごくりと鳴ってその血を胃の腑に落とした。

 

「こう見えてまだアサシンは未通娘(おぼこ)でな。貴様も慣れたものだろう? 腹心の部下だろうと催眠と自白剤の前に忠誠心など役にたたんよ。署長の性癖など聞く必要があったとも思えないが」

「……ついでに洗脳もされていそうだな」

「クハァッ! なかなか鋭いところを突くが、安心しろ。署長の前に敵として現れることはもうないさ。永久にな」

 

 離れているとはいえ、この部屋にも微振動はあった。アサシンに夢中で気付かなかったが、いつの間にかそれがなくなっている。ということは、そういうことだろうとジェスターは判断する。

 

「……ッ」

 

 部下の死を婉曲に告げられ、署長は奥歯を噛みしめ自らの怒気を抑えこむ。

 秘書官が懐刀ではあったのは事実だ。公私ともに親しく、特別な女性であることに違いはない。しかしだからといって、二十八人の怪物(クラン・カラティン)の中で彼女だけを特別扱いすることはできない。すでに元とはいえ幾人もの部下を失った無能な上司だ。それについて喚き散らす権利を――資格を署長は持ち合わせていなかった。

 

「一体何が目的だ?」

「……目的?」

 

 署長の言葉に、目を覚ましたかのようにジェスターは唐突に焦点を合わせる。またテンションが上がり、アサシンの血を啜っていたことにようやく気がついた。荒い呼吸にも同時に気付き、今度は口元を舐め取るようなこともせず、大きく深呼吸し、アサシンから離れて壁を背に座り込む。

 そのままの姿勢で、ジェスターは首だけを動かし署長を眺め見る。

 

「知れたこと。アサシンの真価を見極め暴く。ただそれだけだ」

 

 ジェスターの言葉に嘘偽りはなかった。

 

 



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day.10-05 タイムリミット

 

 

 最高の料理を仕上げるにはその食材にも気をつけねばならない。

 その食材をどう育成するのかをジェスターは語っていた。鶏肉を食べるのにヒヨコで調理する馬鹿はいまい。素材があれだけ良いのだ。手間暇をかければ、最高級の食材へとアサシンは変貌することだろう。

 

「その目的と拷問とがどう繋がる?」

「クハハハッ……クァハッ……おかしなことを言う。元とはいえ、二十八人の怪物(クラン・カラティン)の長がこの偽りの聖杯戦争の仕組みを知らぬわけではあるまい? どういう基準でどんな強さのサーヴァントが選ばれるのか。なら、アサシンはそれに当てはまるのか?」

「それは……」

 

 ジェスターの言葉に署長は言葉を詰まらせる。

 歴代ハサンの業を習得し、各パラメーターも総じて高い。実戦経験の少なさと後先考えぬ性格というマイナス面を補ってあまりある強さが、アサシンにはある。これが通常の聖杯戦争であったのなら、相応しい影の英霊であっただろう。

 だがこの偽りの聖杯戦争には、相応しくない。

 正しい意味で、役不足だ。

 

「……アサシンに令呪で縛りを入れているからではないのか?」

「クハァッ! さすがに気付いていたか」

「気付かないでか。戦い方ひとつとっても、アサシンの動きには非効率で無駄が多すぎる」

 

 例えばあの武蔵が召喚された戦場でも、アサシンはわざわざ宝具を使って敵を排除している。単純に敵を殺すだけなら、ナイフ一本でも十分だった筈だ。無駄に魔力を消費する必要もなければ、宝具の正体を知られるリスクもある。アサシンの行動にはその性格を差し引いても合理性がなさ過ぎる。

 そうした不合理も、令呪の強制と考えれば納得もできよう。

 だが、そうしなければならない理由には思い至れない。

 

「そんなブレーキをかけて何の意味がある?」

「署長はマシンというものに詳しくないようだな。ブレーキは減速のためだけのものではない。馬力を生かすには強力な接地力は必要不可欠だろう?」

 

 接地力がなければ、タイヤは宙で空回りするだけだ。それだけでなく、逃しきれぬ慣性の力はコントロールすら失わせる。おおよそ魔術師らしからぬ例えだが、その意味が分からぬわけでもない。

 ブレーキによってマシンはより早くすることができる。

 

「令呪で縛れば強くなる、と? それで強くなるのならバーサーカーは最初からアサシンと同盟を組んでいたことだろうよ。そして私が苦労することもなかった」

 

 署長の嘆きを、しかしジェスターは無視してみせる。

 

「……ひとつ、面白いことを教えてやろう。彼女はアサシンのクラス以外も適正のあるクラスを持っている。一体何が該当すると思う?」

「アサシンに、アサシン以外のクラスが該当――?」

 

 ジェスターのからかうような問いに署長は考え込む。

 複数のクラスに該当するサーヴァントは珍しくないが、このアサシンに限っては難しい。正当後継ではないとはいえ、彼女はれっきとした暗殺教団の一員だ。環境からして暗殺者であり、強いて挙げるなら狂信者という意味ではバーサーカーのクラスなら該当しそうである。

 だがそんな答えはあまりに普通すぎて、ジェスターがわざわざ問いかけるほどのものでもない。

 そこまで考え、署長は思考の迷宮を突然に抜け出てしまった。

 本来であるなら考える振りをしながら時間を稼ぎ、署長の魔術回路を調整し痛覚遮断と今後の対策を練る筈だが、そういうわけにもいかなくなった。

 

「……馬鹿な。有り得ん可能性だ」

 

 思いの外あっけなく辿り着いた答えは、荒唐無稽ともいえるものだった。

 クラス・セイヴァー。

 それは、救世主のみがなり得るクラスである。

 署長がそのクラスを知っていたのは計画の付属資料にその名が記載されていただけであるが、それがどれだけ破格のクラスか想像はつく。何せ、状況によってはクラス・ビースト以上の脅威度設定であったのだから。

 

「アサシンが生涯幽閉されていなければ、そうなっていただろう。クハハッ、たかだか暗殺教団ごときが歴史を変えていたとは驚きだな――いや、逆かな。歴史から修正を受けざるを得ないほど、アサシンが素晴らしすぎたのか」

 

 それが本当であるなら、召喚されたサーヴァントとしての選定にも納得ができる。

 当初“上”の想定では、アサシンクラスにハサンは召喚されないと思われていた。理由は簡単で、この“偽りの聖杯戦争”で召喚されるサーヴァントは最初から対人戦闘などを要求されないからだ。必要なのは絶対値としての強さか、傑出した特殊性である。対人の枠に収まってしまう暗殺教団では力不足である。

 しかし予想に反して、暗殺教団の中からアサシンは召喚されている。確かに強いかも知れないが決定打に欠け、特殊かも知れないが突出しているわけでもない。一見すると選定されるアサシンクラスには相応しいとは思えないが、これが氷山の一角であるのなら、話は別だ。

 本来救世主クラスで喚ばれるべき存在が、暗殺者クラスで喚ばれたとしたら、それは相当なランクダウンだ。

 

「勿論証拠があるのかと問われれば、そんなものはない。だが彼女の血はかつてルーアンで舐めさせてもらった聖人の血となんら遜色のない逸品だ。少なくとも聖人並の素養はあるのだよ。

 そしてそれ以上の可能性をアサシンは持っていた」

 

 ちろりとその血を舐め取った舌がのぞいた。

 そんな個人の感想が証拠になるわけもないが、少なくともジェスターはアサシンが想定を遙かに上回る能力を秘めた、別格のサーヴァントであると認識している。実際、専門家が必要なスノーホワイトの再起動にも後一歩のところまでアサシンは『何となく』やっただけで辿り着けている。

 理屈を差し置き、全てを見通す能力が彼女にはある。

 彼女の実力など、問題ではないのだ。

 足りていないのは、その自覚だけだ。

 

「アサシンはバネ仕掛けの玩具ってわけか」

「そうとも。そして令呪程度ではまだバネを圧縮しきれない。だからこうして拷問し、せめて肉体だけでも痛めつけている。肉体の穢れは精神や魂にも繋がる。大抵は悪影響となるが、アサシンの場合はどうだろうな。

 見てみたくはないか、このアサシンの羽化を。彼女は地獄にあって、最も強き光を得る者だ」

 

 独特の嗤い方をしながらジェスターの眼は死徒とは思えぬ輝きを放っている。アサシンがいかに素晴らしい可能性を秘めているのかを署長に力説する。納得したふりをしながらも、署長は内心嘆息せざるを得なかった。

 

 ジェスターの言葉は狂人の戯言に近い――いや、そのものだ。

 

 アサシンは追い詰められれば追い詰められるほどその真価を発揮する――だから令呪で縛り、拷問を行い、レイプを依頼する。本来であれば、そんな言葉は相手にする価値もない戯れ言だ。仮説の一つとしては面白いかも知れないが、その程度でしかない。本気で討論しようなどとは思えない。

 この戦争で彼女がサーヴァントとして選定され召喚されたのは変えようのない事実。こちらが勝手に推測し計算した結果が下回っただけで、帳尻は見えていないところで合っている筈なのだ。

 そして何より、もう状況的に戦争終盤に入っているというのに、アサシンの羽化などと言って拷問やレイプを悠長に行っている時間などありはしない。ジェスターの目論見が日の目を見ることなど考えにくい。

 

(……いや、だからこそ、こうして捕まえているのか)

 

 妙に熱の入った演説をするジェスターに、逆に署長の頭は冷えていく。

 焦っているのは、ジェスターの方だ。

 

「なるほど。アサシンの助命を条件にファルデウスに組したというわけか」

「ただ組するだけで最低一日は延命できる。安い買い物だったさ」

 

 この話しぶりだと、ジェスターはファルデウスが最終的に約束を反故にすることも折り込んで動いている。

 初期段階で令呪を全画使いきってまでアサシンの行動を制限し、中盤においては二十八人の怪物(クラン・カラティン)を揺さぶって盤上をコントロールすらしている。今現在においてもファルデウスを利用しているが、これまでの経過を見る限りそれだけでないことは確実だ。

 

「狂人の発想にしては計画が緻密だな」

「それだけ綿密に調べたのでね」

 

 強いてジェスターの計算外を挙げるとすれば、肝心のアサシンが予想以上に成長しなかったことだけ。

 だからこそ、こうして直接的な行動に移らざるを得なかったのだろう。

 

「……ならジェスター。お前はアサシンのためになると判断したならファルデウスも裏切るということか?」

「無論だ」

 

 署長の苦し紛れの質問に、ジェスターは悩む間もなく即答してみせた。

 どうやら本当に伊達や酔狂で生かされていたわけではないらしい。幾つもある保険のひとつ程度の扱いであろうが、首の皮一枚で署長の首は繋がっていた。そうはいっても、ジェスターを裏切らせるだけの魅力的なプランなど、提示できるようにも思えなかったが。

「頭が回ったか? 署長が生きている理由をわざわざ教えなければならないほど愚鈍ではないだろう?」

「起きたばかりの人間に無茶を言う」

「いやいや、私は君という人間には期待しているのだよ」

 

 ならばその根拠を示して貰いたいものだと署長は思う。大方、この聖杯戦争に精通しているからに決まっている。こんな誘いが二度もあるとは思わなかった。

 

「時間が欲しい」

 

 署長の言葉に、ジェスターは先とは異なり、しばし思案する。

 

「せいぜい一日……いや半日、だな」

 

 それはジェスターの我慢の限界――などではない。

 半日後には、この戦争の趨勢が確定してしまう。そうなればジェスターがどうしたところでアサシンの消滅を避けることはできない。

 署長がそのタイムリミットを黙って受け入れたことを確認し、ジェスターは腰を上げる。名残惜しげに署長からアサシンへ視線をやるが、意識が戻る様子はない。

 

「……ここに長居しすぎたな。そろそろファルデウスも次の手を打つ頃合いだろう。せいぜい彼に阿り時間を稼ぐことにしよう。それくらいならしてやるさ」

 

 相変わらずどこまで本気かは分からないが、今のジェスターにとって時間は黄金に等しい価値を持つ。アサシンがこの場にいる以上、時間稼ぎについては本気であり信頼できると思うが、その他の点については欠片も信頼できそうにない。

 ファルデウスも馬鹿ではない。ジェスターの思惑を承知の上で使い潰すつもりなのは目に見えている。最初から互いの関係に罅が入っていることが前提なのだ。早晩決裂することになるのは確実だろう。

 だとすればジェスターが設定した期限など当てにはできない。

 

「一つだけ――」

 

 この場から立ち去ろうとするジェスターの背に向けて署長は問いを投げかける。

 

「世界と、アサシンなら、」

「アサシンを選ぼう」

 

 署長の問いかけを最後まで聞かず、ジェスターはまたも即答し、そのまま振り返ることなくこの部屋から逃げるように出て行った。心なしか、去って行く足音も急ぎながらも一定ではない。禁断症状に苛まれる麻薬患者と似た様子であるが、まさにその通りなのだろう。

 ここにこのままいれば、アサシンを殺さぬ自信がジェスターにはなかったのだ。

 

 



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day.10-06 希望の光

 

 

 ジェスターが立ち去り五分ほど、署長はそのまま沈黙し続けていた。

 ジェスターの言葉を反芻していた、というだけではない。署長が沈黙していたのは部屋の外を警戒してのこと。ジェスターが戻ってきたり、外に見張りがいないか、傷口の痛みを堪えながら必死に気配を探る。

 もちろん、見張りがカメラやロボットといった機械式の場合はどうやっても気配を捉えることなどできるわけないし、ジェスターがその気になれば署長には感知することもできないだろう。

 よくよく考えれば、以前にも同じことをやって傍にいたキャスターの気配に気付けなかった署長である。その精度など当てになるわけもない。

 沈黙を破ったのは警戒することの無意味さを悟ったから、ではない。単純に、自らの肉体が限界に近いと判断したからだ。

 

「まったく。キャスターの忠告に従ったらこの様だ。あの男は疫病神だな」

 

 キャスターを罵り、油断すれば遠のきそうになる意識を何とか繋ぎ止めながら、署長は声を絞り出す。

 キャスターがアサシンとジェスターの接触を嫌った理由が良く分かった。

 ジェスターはこちらの話を聞けないほどに、アサシンに執着しすぎている。一見すると交渉の余地がありそうだが、あれは劇薬の類だ。使用上の注意をよく読み、用法・用量をきちんと守り正しく使わねば、害悪にしかならない。

 わざわざ作戦を変更した結果がこれであるが、使用上の注意を推察したキャスターの手腕は実に見事である。裏目に出たと言うより、これはジェスターが一枚上手であったということだろう。運が悪かっただけかもしれないが。

 

「……それで、これからどうすれば良いと思う?」

 

 確信などしていたわけではないが、答えが返ってくることを予想外だとは思わなかった。

 

「……もしかして、私に期待しているのかしら?」

 

 いつ目覚めたのか、などと聞くつもりはない。壮絶な拷問であったのは確かだが、その傷は癒えたのである。身体が回復したのだから、意識だって回復するだろう。このタイミングを逃せるほど甘い存在ではあるまい。

 

「ジェスターは俺に期待しているらしい。なら俺もお前に期待してもいいだろう、アサシン?」

 

 それは一体どういう理屈なのか、言った署長本人にも分かるわけもなかったが、特にそれについてアサシンが追求することはなかった。キャスターに毒されているように思えて自己嫌悪が署長を蝕んでいく。

 

 ジェスターはアサシンに対して随分幻想を抱いているようだが、当のアサシンからしても眉唾物だ。このことについて署長もアサシンも最初から議論するつもりはなかった。

 だが確かに、各サーヴァントの力がセーブされている事実はある。

 

 本気であるが故に自身に制約を課しているアーチャー。

 バーサーカークラスで召喚されなかったランサー。

 誰かに寄生せねば現実では何の力もないライダー。

 狂気に犯されていないバーサーカー。

 戦闘能力を一切持たぬキャスター。

 そして、セイヴァークラスで召喚されなかったアサシン。

 

 アサシンはゆっくりとその瞼を開いてみせる。先の拷問で抉られた眼は回復したばかりだ。まだ馴染んでいないせいか、その焦点は合っているように見えない。感覚器がそうなら、手足も同様と思った方が良い。

 

「その様子だとお前も自力脱出は難しいようだな」

 

 とっくの昔に署長は自力脱出を諦めている。そうしたスキルはないし、何より利き手をなくしたことで満足に動くこともできそうにない。戦闘など論外で、役立たず以上にはなりそうになかった。

 

「確かに無理そうね。関節を外してもこの手枷から抜け出せそうにない。いっそのこと両腕を切断してくれればなんとかなったかもしれない」

 

 手枷を軽く揺らしてその強度と手首との隙間を確認する。その身体を少しずつ削られていったというのに、アサシンのその言葉はどこか他人事のように聞こえてくる。

 そういえば脳内麻薬を自在に調整できる業を持っているとも言っていたか。痛みなどアサシンにとっては気にすることではないらしい。

 

「宝具は?」

「効果の弱いモノならなんとか。強力なモノは発動すらできないわ」

「魔力を供給されたばかりだろう。今なら何とかできないか?」

「仮に行使できたとしても、その瞬間に魔力切れで消滅するわね。それに恐らく令呪の命令で自決に類する行為は禁止されている。自爆してジェスターを巻き込むことも、これでは無理ね」

 

 またも他人事のように言うが、アサシンはすでに何度となくそれを試そうとしたのだろう。ジェスターとして当然の安全策だろうが、もし令呪で禁止されていなければ署長は巻き込まれて死んでいたことになる。

 サーヴァントは明確な触媒がない場合、マスターと似通った性格の英霊が召喚されると聞く。自分を含めた周囲の危険を顧みない点はジェスターとそっくりである。

 

「こっちからも聞かせて貰うわ。何か希望の光でもあるかしら?」

「直接的な希望は見えないな……が、ジェスターの言葉を信じるなら、恐らくキャスターのシナリオ通りに事態は動いていると考えて良い。希望を持つとしたらそこしかないだろうさ。俺達のこの状況も想定通りだとすれば腹立たしい限りだがな」

 

 最後の一言はただの軽口だ。さすがのキャスターでもこの状況はイレギュラーに違いない。

 

「根拠は?」

「あと半日とか言っているんだ。まだファルデウスはキャスター達を掃討できていないようだし、一気呵成に潰せていないことから、最低限ファルデウスが認識しなければならない程度の戦力は無事に残っているようだ。そしてスノーホワイトがすぐに復旧していれば、そんなことはあり得ない」

「スノーホワイトさえあればどうにかなりそうな言い方ね?」

「それをどうにかしちまうってのがスノーホワイトって宝具だ。スタンドアローンである限り無力ではあるが、ネットワークに接続できれば外部コントロール可能な機器を全て掌握される。一騎当千のサーヴァントも万軍には勝てないって寸法だ」

 

 まだ試験段階での話ではあったが、東部湖沼地帯での対サーヴァント試験運用では、二十八人の怪物(クラン・カラティン)一人で六機ものM240機関銃を同時に操り制御することに成功している。

 遠隔操作が可能な現代兵器に限らず、宝具であっても使用者をスノーホワイトがバックアップすることで、その負荷を著しく軽減し、精度の向上も実証されている。

 何の訓練も受けていないルーキーがバックアップを受けた瞬間にベテランへと生まれ変わるようなものだ。訓練を直々に受けた二十八人の怪物(クラン・カラティン)であればサーヴァントとも十分以上に戦うことができる。

 

 最終的には《フリズスキャルヴ》のオプション兵装である無人機《エインヘリヤル》を衛星軌道から敵地へ投入し、スノーホワイトで制御するというヴァルキリー構想なるものが目標らしい。実に合衆国らしい発想だが、軍事的には理に適っている。

 肝心の無人機開発が難航しているため今回の聖杯戦争では見送られたが、そのシステムを搭載した宝具は既にある。

 それに開発が難航しているとはいえ、テストベッドとなった強化外骨格もある。「魔術師」「強化外骨格」「宝具」「スノーホワイト」という組み合わせであれば容易にサーヴァント並の戦力を獲得することができる。搭乗者の安全性に難点があったため署長は採用しなかったが、スノーホワイトを完全解放できる今、ファルデウスがそれをしない理由はなかった。

 

「何はともあれ、半日のリミットはスノーホワイトの解放時間と見ていいだろうさ」

 

 思ったより時間を稼げているが、キャスターが見積もっていた時間よりも少しばかり短い。キャスター達がここを襲撃するとしても、時間的にはギリギリとなるだろう。

 

「では、半日以内に助けが来なければあなたは殺されることになりますね」

 

 さっきから他人事のように言っているが、今度こそ本当に他人事だった。

 

「お前を犯すって言えば多分延命くらいしてくれると思うぞ?」

「私を犯すのなら、魔力を絞り尽くして殺します。私の糧となる覚悟があるのなら、どうぞお好きに。あなたの死を無駄にはしません」

「お前、それ本気で言っているだろ……」

 

 サーヴァントは生粋のソウルイーターだ。アサシンが意識して魔力を吸収しようとすれば、魔力体力共にギリギリな署長は搾り取られて確実に死ぬ。要は本人の加減次第だが、この様子だとむしろ積極的に吸い取ろうとする意志すら感じられる。欠片も署長を助けるつもりはないらしい。

 

「まぁ、恐らく大丈夫ですよ」

「何がだよ!」

 

 何の慰めとも思えぬアサシンの冷徹冷淡な言葉に思わず声がでかくなる。この場はできる限り体力消耗を抑えるべき場面だが、その前にストレスで胃に穴が空きそうだった。右腕が切断されるよりこの心労の方が辛すぎる。

 だがアサシンが言いたいのはそういうことではない。

 それは、希望の光というものだ。

 

「あと半日以内に、助けは来ます」

 

 アサシンの言葉は、確信に満ちたものだった。

 

 



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day.10-07 夢

 

 

 繰丘椿の意識はゆっくりと浮上していった。

 温かいシャワーが彼女の頭から全身を濡らしている。汗だくだった身体はシャワーによって清められていたが、身体の疲れはほとんど癒えていない。麻痺した感覚と動きの鈍い身体では、一体どれくらいの時間が経過したのかまるで検討が付かない。考えを巡らせようとすれば意識は頭痛がするほど錯綜し、精密な象を結ばない。

 ライダーがキャスターにシャワーを浴びながら自慰をするとか言っていたのを、うっすらと思い出す。ストレス発散には良いと聞くが、そんな気分にはなれなかった。まだ性欲を知らないというのに、リフレッシュも何もあるまい。その意味では食後の角砂糖やドロップ飴の方がまだ彼女の癒やし方を心得ていた。

 

 降りしきるシャワーを止めることなく、濡れた身体を拭くことすらせず、椿は裸のままに外へと出た。

 夜空に星はなかったが、歩くことに不自由はない。ここは繰丘椿の庭である。どこに何がありどんな色でどんな形でどんな材質なのか、果ては微少な傷のひとつひとつだって記憶している。そしてそれは事実となる。

 

 繰丘椿は、思い出している。ここで何があり、誰がいたのか。

 

 庭は決して小さくはない。子供が走り回るのに十分なスペースが確保されており、庭の隅には遊具が置いてある。滑り台やブランコやジャングルジム。そしてシーソーなど一人では遊べない筈の遊具もある。

 数日おきに打たれた注射の痛みを覚えている。この程度の痛みなら最初から我慢するほどでもなく、体内で虫が這いずる感覚すらも、不快感を覚えながらも泣き喚いたことはなかったはずだった。それなのに泣き喚く声が耳に残っている。

 

 今は誰もいない。

 心の奥底からも追い出してしまった彼等彼女等を、椿が本当の意味で思い出すことはできないだろう。確認するだけならば「Failure」とラベルの貼られた地下のガラス瓶を見れば事足りるが、それを行う勇気はさすがになかった。

 いずれは直視しなければならない問題を、せめて認識だけしながら、繰丘椿は溢れ出しそうになる涙を拭う。

 

 風は息を潜め、木の葉や草花も口を噤み、全てが静寂の底に落ちている。

 誰も共有できぬ孤高の世界が――繰丘椿だけの魔術が、復活していた。

 ここは、夢世界。

 崩壊したはずの、繰丘邸。

 

 繰丘椿は自ら望んで、再びこの夢世界を現出させていた。

 再現自体は比較的簡単だった。椿の魔術回路は脳内の細菌共々、ライダーによって拡張し増強されている。意識を集中させ落ち着いて魔術回路を回せば、あっさりと夢世界の扉は開かれた。

 難しかったのは、それをライダーに悟られぬよう動くこと。第一の令呪で命じられた「夢世界の消失」はその定義が曖昧であったため、今もまだその命令が続いている可能性があった。確信が持てぬ以上、こっそりとやるより仕方なかったのである。

 周囲を見渡し、ライダーの気配がないことを改めて確認する。

 ライダーなら椿のこの世界にも干渉できる筈である。それがないということは、未だ気付いていないということだろう。そのことに一抹の不安を覚えながらも、心の奥底ではそれを期待している自分がいる。

 

 どうしようもなく、寂しさを感じていた。

 時間感覚が完全に狂っているのが自覚できる。現実世界でキャスターとライダーが原住民要塞の食堂で話していたのはつい数時間前であるが、この夢世界ではもう何日も前のように感じてしまう。

 現実世界を意識し少しでも気を抜けば、すぐにでもこの世界は崩壊してしまうだろう。これからのことを考えれば、以前のように安易な逃避をするわけにはいかなかった。

 椿にはこの夢世界を作り出す魔術がある。

 そしてこの世界なら、現実で会えぬ者にも会うことができる。

 

「……ん、ああ。ごめんね。銀狼のこと、忘れてたわけじゃないよ」

 

 椿の内心を察してか、いつのまにか銀狼が背後にお行儀よく座っていた。手を伸ばして顔を撫でれば気持ちよさそうに目を瞑る。

 言葉の通じない銀狼が一体今どういう状況になっているのか、椿には分からない。だがこの世界に招くには、相応に弱っている必要がある筈だった。労せず喚び出せたということは、銀狼の身体は相当に弱っていることを意味している。

 

 もはや一刻の猶予もあるまい。

 急ぎ、銀狼を助ける算段を付ける必要がある。

 以前の椿なら、さっさとこの夢世界を抜け出し、この事実をライダーとキャスターに告げたことだろう。せっかく再構築したこの夢世界はライダーに壊されてしまうかもしれないが、この情報で状況が多少なりとも動くのならそれも悪い選択肢ではない。

 けれど、

 

「ごめんね。もう少しだけ、この世界で我慢してね」

 

 それでも、繰丘椿は銀狼に酷な言葉を投げかける。

 椿は気付いている。

 ここで安易な選択をしたところで、それは結局他者頼みでしかない。

 ライダーの力に任せ、キャスターの知恵に頼る。椿は両者にチップをかけているだけで、結局何の貢献もしてはいない。むしろ余計な情報を与えることで両者を困らせることにもなりかねない。

 ライダーのマスターとして、繰丘椿は繰丘椿にしかできぬことを最大限してはいないのだ。

 

「アサシンのお姉ちゃんは何とか喚び出せたんだよ、なら、フラットのお兄ちゃんだって喚び出せるはず。ランサーさんだって、生きているんだからお話だけでもできるかもしれない……!」

 

 椿にしかできぬこと。それは未だ現実世界で接触できずにいるランサー、アサシン、銀狼、署長、ジェスター、フラットをこの世界に引っ張り込み、情報を持ち帰ることである。

 幸いにしてアサシンはすぐにこの世界へ喚び出すことはできた。あまり有用な情報を持ってはいなかったが、署長の生存とジェスターの動き、そしてこちらの救出計画を伝えることができたので上首尾であろう。

 問題は、その召喚が椿に過度な負担を強いるものだということか。

 たった数分間アサシンを喚び出しただけで、椿は内臓を裏返しにされたような吐き気と地面を失ったかのような目眩に襲われた。背中に伝う気持ち悪い汗はその後暫く止まることはなく、夢でありながら意識の混濁が甚だしかった。アサシンを喚び出したことが数年前のことのように思えてくるし、話の内容だってもう自信がない。

 

 この世界は徹頭徹尾、繰丘椿だけのための世界だ。そのため他者が入り込む余地など皆無に等しく、他者を受け入れる寛容さも絶無に等しい。自らの狭量さを突きつけられたような気分になる。

 ライダーがあんなにも簡単に他者をこの夢世界に引きずり込んでいたので勘違いしていた。あれは感染というライダーの能力があったればこそできた非常識だ。

 

 ライダーは椿とのパスを通じて夢世界に入り込み、感染者はライダーというとっかかりを得て夢世界に喚び出される。その一連の行為に必要とされる魔力は、その感染者がライダーを通して負担する仕組みとなっていた。

 人によってそのコストは様々だが、英霊クラスになると尋常ではない魔力が必要となってくる。銀狼がランサーを喚ぶのに令呪二画分を消費したのも、そのあたりが理由だろう。

 

 サーヴァントをこれ以上夢世界へ喚ぶのは、いくら椿の魔術回路が特殊で増強されていようとも無理だ。拷問により弱ったアサシンでこの消耗であるなら、ランサーなどとてもではないが無理だ。いかに魔力があろうと、その負担に身体がもたない。

 せめてフラットだけでも喚び出せないかと椿は意識を集中させる。あの破天荒な男は色んな意味で規格外だが、コスト的な意味ではただの人間と変わりはない。それなら、まだ可能性があった。

 

 夢世界から現実世界へアクセス。魔力の波を打ち込み、その反応から対象を精査する。反射、屈折、揺らぎ、吸収率などを計算する必要があるが、夢世界に街一つを再現させた椿である。スノーフィールドという限られた範囲であれば、繰丘椿の手から逃れられる者などいはしない。

 先に聞き及んだ通りアサシンと署長、そしてジェスターらしき反応がスノーフィールドの地下に。その更に下にランサーが。銀狼の反応もその近くにあった。アーチャーの独特で強力な反応はやはりどこにもない。

 

「あれ、おかしいなぁ。フラットのお兄ちゃんがどこにもいない……」

 

 呟き、椿は己のミスのせいだと何度となく魔力を打ち込みその反応を探し続ける。生きてスノーフィールドに存在すれば必ず椿の網に引っかかる筈。生きていることを前提に動く椿は、死亡という可能性に目を背けていた。

 つい先程汗を流したばかりだというのに、椿の身体は汗だくになっている。平衡感覚こそまだ失ってはいないが、頭は狂うくらいに痛いし、心臓ははち切れんばかりに鼓動を刻んでいる。

 この夢世界を維持するだけなら苦労という程のものはないが、現実世界に少しでも干渉しようとすれば、その難度は一気に跳ね上がる。喚び寄せることに比べれば大したことはないが、それでも椿には相当な負担になっている。

 

 そんな椿の様子を、銀狼はじっと見つめ続ける。

 銀狼はこの夢世界に存在するだけで、椿にとって小さくない負担となる。さっさとこの世界から追い返せばそれだけ負担が減るというのに、それを椿はしようともしない。理由はたくさんあるが、決して銀狼を慮っているだけではない。

 

 人の精神は、それほど強くできてはいない。

 この世界は既に完成されている。繰丘椿はその気になれば数日だろうと数年だろうと、永遠にここに引き籠もることもできる。だがそんなことは不可能だ。人間は一人だけで生きていける生物ではない。

 銀狼は椿が現実世界を忘れず、そしてこの世界を維持し続けるための楔だった。

 だから銀狼は椿に負担をかけぬよう下手に動かないし、椿が孤独に打ち拉がれぬ程度にその存在感を演出する。甘えるような真似も慎み、ただ椿の傍らでその孤独だけを癒やし続ける。

 

 何も無ければ、椿が力尽き倒れるその瞬間まで銀狼は動くつもりなどなかった。

 その銀狼の耳が突如として動く。匂いなどないこの世界だがイヌ科の動物の癖か鼻をひくつかせ、視線が椿から逸れる。そしてその足にひっそりと力が込められる。

 夢世界で気配を隠すことは至難の業である。椿と銀狼以外誰もいない静止した空間は、ちょっとした変化でも殊更に目立ってしまう。銀狼の感覚器官であれば、周囲一〇〇メートルに何かあればすぐに気がつく。それ以上の距離であっても違和感くらい拾えるだろう。

 

 しかして分かり易い変化は銀狼の視線の途上、ほんの数メートル先で起こっていた。

 銀狼がすぐ傍らに動いたことで、フラットの探索に集中していた椿も異変に気付く。手を休ませ顎を伝わり落ちる汗を拭いながら、銀狼の視線の先を追う。そこではたと椿の思考が停止した。

 柔らかな感触、温もり。そして、

 

「椿」

 

 優しく自分の名を呼ぶ声。

 薄暗い闇の中であっても、見間違う筈もない。

 母のような慈愛に満ちた顔で顕現し、その両腕で椿を抱きしめたのは、一人の少女。

 砂漠地帯でデイジーカッターの一撃に巻き込まれ瀕死の重傷を負い、今もまだ意識を取り戻せぬ原住民族長。

 ティーネ・チェルク。

 今椿が最も心配し、そして最も会いたくない人物。

 

「椿」

「……」

「よく頑張ってるわね」

「……」

「無理しては駄目よ」

「……」

「一人でここまでできたのね。偉いわ」

「……」

 

 優しく椿を抱きしめ頭を撫でながら、労り続けるティーネ。しかして抱かれる椿の顔は複雑なものだった。涙が目に溜まり、声が喉元まで出かかっていた。驚いたのは一瞬、歓喜したのも一瞬。けれど、その次に訪れたのはただの沈黙だった。

 心のざわつきを、椿は抑える。溢れ零れそうになっていた涙を拭う。出かけた声は、ただの溜息となって外に出た。

 

「――お姉ちゃん」

「なぁに?」

 

 たっぷり一分は黙った後、椿は言う。

 

「黙れ」

「……」

 

 椿の『命令』に、ティーネはその張り付いた笑みのまま、従った。

 その言葉を真に理解しかねる銀狼も、「それでいいのか」と視線を送る。繰丘椿とティーネ・チェルクの関係は、銀狼だって理解している。こうも冷たい関係などでは決してない。

 

「……いいんだよ、これはお姉ちゃんであって、お姉ちゃんでないんだから」

 

 判然とせぬ理由を告げられても銀狼が分かる筈もない。だが、銀狼は分からずとも、椿は確信していた。

 この『現象』には心当たりがあった。

 椿がライダーと出会い最初に行われたのが、椿の理想的な家族を演じる父と母の召喚だった。本人の意識を奪い、自らにとって都合の良い役者として配置する。幼子がママゴトをするのと同じである。

 

 幼子であれば、騙せたのだろう。

 以前の彼女であれば、騙せたのであろう。

 しかし、現在の繰丘椿は、騙しきれない。

 

 冷静に、冷徹に。

 現実を俯瞰し、有り得る状況を確認し、持ちうる手掛かりを繰丘椿は分析する。

 ティーネ・チェルクがこの夢世界に来る可能性は充分にある。過去にライダーを介して招いてしまった実績もあるし、今の彼女は重傷で意識もない。銀狼と同じように『招きやすい条件』を揃えてしまっている。

 無意識に彼女を喚び出してしまった可能性もあったが、椿は己の負担を検証しながらそれはないと結論を出した。許容範囲内だとはいえ、銀狼だけでもこれだけ負担になるのだ。なまじ魔術使いとして優れているティーネを招きながら、椿の負担が増えないわけがない。

 それに何より、ティーネはあのような笑顔はしない。

 

「これは多分、私の中にあるお姉ちゃんの記録。そしてそれを基にした願望。……ごめんね。銀狼だけで充分なのに、こんなの作り出しちゃって」

 

 椿は自らを抱きしめてくれるティーネを、目蓋の裏にある残像と判じた。

 これは喚び寄せた者ではない。

 これは作り出したモノなのだ。

 だから、彼女はその腕を振り上げる。

 ここは繰丘椿の世界。ましてや無意識とはいえ彼女が作り上げたモノだ。これを消し去ることは容易い。

 砂の城を崩すのは、簡単だ。ただその腕を振り下ろせばいい。幻影は抗うことなく消失することだろう。幻影なのだから、障子紙より容易く破れよう。

 

「――――」

「……」

 

 椿の願望を体現しているティーネ・チェルクは、椿の振り上げた手に抗うことをしなかった。

 代わりに抗ったのは、傍らで事の推移を見守っていた銀狼である。

 椿の振り上げた手を邪魔するように、その身体を二人の間に挟む。端から見ればただ甘えているようにも見えるが、聡明な銀狼がそんな理由で動くわけがない。

 銀狼が、椿の顔を舐める。そこでようやく、椿は自らの顔が強張っていることに気が付いた。

 

 紙を一枚破るのに苦労はない。

 しかし、その紙が契約書ともなれば破っていいものか躊躇もしよう。高価な芸術品であればその価値は無視できまい。貴重な資料であればその意義も考えよう。恋文であれば、気持ち次第だ。

 一枚の紙切れでさえそうなのだ。知恵の実を食した人は、何も考えず何も意識することなく、単純に消すことはできまい。今の繰丘椿も、その例外ではない。

 

「……――うん、そうだね」

 

 銀狼が何を言いたいのか、繰丘椿は勝手に解釈する。

 この世界は繰丘椿の世界だ。そこに現れたモノが、望まないモノである筈がない。

 

「創造主だからといって、勝手に消していいもんじゃないよね」

 

 そして、親が子に何をしていいわけでもない。

 つい先程、自分の過去を振り返ったばかりだ。そして未来を見据えるために逃げないことを決めたではないか。両親と同じ轍を繰り返すのは反省がないのと同義だ。

 己の弱さの象徴ではなく、己を強くするための礎として、繰丘椿はこのティーネ・チェルクの存在を認める。

 いつか現実のティーネ・チェルクと出逢う、その為に。

 

「……何をして欲しいのかしら?」

 

 黙れと言われた筈のティーネが、創造主の命に逆らい沈黙を破って問うてくる。それがまた、椿の琴線に触れてくる。強くなる礎だからといって、甘えてならない理由はあるまい。

 

「じゃあ、膝枕」

「はい」

 

 そして、繰丘椿はしばし精神の休息を得た。

 寝息を立てるまで、時間はかからなかった。

 

 



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day.10-08 覚悟

 

 

 年相応の寝顔をして、幼子が眠りに落ちる。

 しかめられた眉間や額には、びっしりと汗が浮かんでいる。顔面の筋肉にも強い緊張がみられていた。背負う必要の無い責任を、彼女はその小さな双肩に乗せていたのだろう。

 夢の世界でも、夢を見ることはできるのだろうか。ほんのわずかな時間であっても、その重責から逃れられれば良いと、願わずにはいられない。

 そんな思いを胸に秘めながら、ティーネ・チェルクは、その顔に張り付いた仮面を捨て去った。

 椿がこのティーネが偽物と断じた理由のひとつである、慈愛の笑み。それが崩れ、普段の仏頂面へと表情筋が動きを止める。少しだけ安堵したようにも見えるが、それもまたすぐに消えてなくなる。

 そこにいるのは、原住民族長としての機械の如き少女だった。

 

「――さすがは族長様だ。結構な演技派じゃねえか」

「それは関係のあることなのですか?」

 

 そんなティーネを、その背後から拍手で讃える者がいる。ティーネは振り返ることなく、その姿を銀狼の瞳の中に見る。

 元より、銀狼は視線の先はこの男にあった。たまたまその視線の途上にティーネがいただけで、実際にこの世界に先に顕現したのはキャスターの方である。

 

「関係大ありだろ。二枚舌と演技力は政治家の標準装備だぜ?」

「私は自分が政治家だなんて思ったことはありませんよ」

 

 族長と言っても、ただのお飾りだ。多少他者より秀でていようと、所詮そこまで。周囲に助けて貰わねば、何もできぬ小娘に過ぎない。

 今回だって、他力本願でしかなかった。

 

「あなたにはまた助けられたわね」

 

 言って、ティーネは傍らの銀狼の頭を撫でる。

 椿は上手く騙せおおせたが、銀狼には最初から気付かれていた。だからこそ、銀狼は椿がティーネを消すのを押しとどめていた。いかにキャスターの助けがあったとはいえ、この世界の創造主に拒絶されれば居座り続けることはできない。

 

 息を吸い、そして吐く。

 現実と寸分変わらぬ感覚。そこには違和感もない。しかして現実のティーネは肺を痛め人工呼吸器の補助が必要な状態である。すぐに治るとはいえ、馴染むまで違和感を拭い去ることはできないだろう。

 このティーネは、繰丘椿が作り出した幻像、などではない。

 手術を終えたばかりの、未だ予断の許さぬティーネ・チェルク本人である。

 そしてその背後にいるキャスターも、正真正銘の本人である。

 

 宝具夢枕回廊(ロセイ)による夢干渉。ライダーの感染と同じく、使用者を夢の中へと招く機能をこの宝具は持っている。これで上首尾に繰丘椿の夢世界へ侵入できるのかは賭けであったが、上手くいったようである。

 一応、これらの事実は魔術師たちにとって無視できぬ事実である。

 人の脳には当然ながら物理的な接続はない。だというのに特定の人間の夢世界に侵入できるということは、普遍的無意識の海がこの先に広がっているという証拠である。意識の接続、情報の統合、その方法さえ確立しちまえば神と呼べる者との対話だって不可能ではない。

 

「魔術師が根源を目指すわけだぜ。繰丘の一族は掘り当てちまったのかもしれねぇ。銀の鍵は全ての意志が有している――」

「そうですか」

 

 などと講釈を垂れ無邪気に喜ぶキャスターに、魔術使いでしかないティーネはさほど興味を抱けない。

 テレビを見るのにその機能を理解する必要はあるまい。重要なのは、この夢世界へ侵入できたという一点だけだ。しかもその山は既に越えてしまっている。油断などはできないが、幾ばくかの余裕はできた。

 彼女の世界に土足で踏み入った罪悪感はあるが、背に腹は代えられまい。

 

「素直に私達が本物だと話したかったのですが」

「そいつはやめとけ。俺達はいわば密入国者だからな。バレても大丈夫である可能性もあるが、良くて強制送還ってとこだろう」

 

 そして悪ければ殺される。

 繰丘椿は理屈や理論に頼ることなく、感覚だけで魔術を成り立たせている。無理な齟齬を生じさせてしまえば、ゲシュタルト崩壊しかねない。夢世界でそんなことが起これば、生きて帰れる保証があるはずもなかった。

 

「密入国者でしかできないことをしに来たんだろ? 感動の再会は次の機会にまでとっておけ」

「わかってますよ」

 

 こちらもまたティーネは軽く流す。自分のミスで彼女をいらぬ窮地に追い込んだのだ。面と向かって会いにくいところでもある。騙せるだけ騙し、目的を達成できればそのまま消えるとしよう。

 もっとも、その時間は酷く短いのだろうが。

 いや、あるいは果てしなく長いのか。

 

「……それで、念のため確認しますが」

「ちげーよ。俺じゃねえ」

 

 まだ本題も言い出さないうちにキャスターは否定する。互いに視線を交わせば、考えることは一緒である。というより、誰しもそれは思うことなのかも知れない。

 

「ライダー、ですね」

「だな」

 

 ティーネから零れた言葉にキャスターが同意する。

 ペイルライダーとは、調和と安定を崩す存在である。『病』故に、地上に存在するあらゆる生命に対して『変質』を強制する。影響範囲は広大であり、環境すら変質させることも珍しくはない。その『変質』が極まり、適応した時、進化の系統樹にあらたな枝葉が伸びることになる。

 そんなライダーのマスターであるのだから、一定の変質があったとしても決しておかしくはない。

 一定、であれば。

 

「ツバキってのは他家受粉で結実するために変種が生じやすいんだとよ」

「何が言いたいのですか?」

「さてな。しかしあの両親がそう名付けたんだ。そういう資質は最初からあったんだろうよ。もしくは、そういう起源なのかもしれねぇな」

 

 突き放すような言い方のキャスターに、ティーネは気分が悪くなる。

 繰丘の魔術はあらゆる意味で強力だ。だからこそ、その受け皿となる者は繰丘の毒に耐えうる素体でなければならない。

 以前に繰丘邸内を調べたことを思い出す。

 あの実験に耐え、そして生き残った。ただそれだけで繰丘椿がどういった存在であるのか、わかるというもの。ライダーの『変質』だって、彼女にとっては何てことのないことなのかも知れない。

 いや、あれを『変質』と一括りにしていいのかすらティーネには疑問である。

 

 ティーネが椿と最後に会ったのは、ほんの数日前。

 数日。

 男子三日会わざれば刮目してみよ、などとあるが、しかしどうだろう。幼き時分にパンを三日放置し、色合いがすっかり変わってしまったことを何故か思い出す。永続的に不変である存在など、どこにもないということか。

 

「私の知っている椿は、実年齢より幼い可愛い娘だったのですが」

「俺の認識だと、もう少し上だな。少し聡い子供ってところだった」

 

 年齢的には変わりないお前が言うのか、というツッコミを殊勝なことにキャスターは口にしなかった。それくらい重大なことなのである。

 繰丘椿は、『変質』した。

 より正確には、『成長』してしまった。

 『変質』と『成長』。似て非なるこの言葉の意味を、二人は考える。

 

「喜ぶべき……ことなのでしょうか?」

「仲間としては喜ぶべきなんだろうよ」

 

 では、家族としてはどうなのだろうか。

 キャスターの意見にティーネはなんとも複雑な気持ちである。

 ライダーと出逢う前の、成長する前の椿であれば、年相応の感情と知識で現状を嘆き悲しみ受け止めることができなかったであろう。

 しかしどうだろう。今の椿は不相応な自制心と不自然な知性をもって、ティーネを偽物であると判断している。数日前の椿では、とてもそんな高度な判断はできなかったであろう。

 

 原因はライダー――より正確には、ライダーの宝具。

 感染接続(オール・フォー・ワン)

 一人はみんなのために。みんなは勝利のために。

 

「かの究極にして至高の大傑作、三銃士に出てくる言葉だな。けど『敗北したのは一人のせい』ってのが本当の意味なんだぜ?」

「その口を閉じなさいキャスター。あなたが言うと洒落になりません」

 

 意味は一緒じゃねえかなー? などとぼやきながらキャスターはひとまず黙った。

 

 元来ライダーは、『変質』をもたらし強制する存在であり、『進化』の(きざはし)を作る存在でもある。しかして、ライダーは『成長』を促すようなことはしないのである。

 成長とは、経験によって成り立つものである。特に人間は『教育』という手段により知識をより適切で効率的な形で受け取り、知恵として活かす手段を高いレベルで確立させている。人格形成はそうした経験の蓄積によるものであり、一朝一夕に獲得できないが故に貴重で尊いものなのである。

 

 一を聞いて十を知るのならまだ良いだろう。

 一も聞かずに百を知るのが、果たしていいことなのか分からない。

 

 ライダーの感染接続(オール・フォー・ワン)は“感染”によって人と人とを繋げる性質を持つ。ライダーは感染者から情報処理能力を借りて使用していたわけだが、繰丘椿は感染者から経験を借りてきているのだろう。

 

 ライダーはマスターである繰丘椿に『寄生』するサーヴァントだ。ライダー単独ではなんの力も持っていないため、椿というフィルターを通さねばライダーは力を行使することができない。

 畢竟、ライダーが力を行使すれば、フィルターである椿に必ず影響が出る。

 感染者十万人分の知識と経験が、繰丘椿に流れ込んでいる。人間が経験できるほとんど全ての経験を繰丘椿は受信しているのだろう。

 

「まさしく睡眠学習というやつですね」

「ベッドの上で学習してるってわけだな――すいません、卑猥な言い方をしたことを真摯に反省するのでその手に石を持つのをやめてください」

 

 誰に許可を得て口を開いた、とティーネは睨むが、専門家でもない自分が分かることなどたかが知れている。夢世界では無力だと先般思い知ったばかりでもある。癪に障るが、キャスターの意見は聞いておく必要がある。

 

「椿はこのままで大丈夫ですか?」

「今すぐ心配になるようなことはないだろうよ。理解して意図的に情報を取捨選別しようとしているのなら別だが、所詮無意識領域で情報を受け取っているだけだ」

 

 影響は少ない、とキャスターは判断する。

 もっとも、これは繰丘椿だから、という条件がついているからだ。夢世界に現実世界の投影などしている椿である。その許容量は世界でも指折りだろう。いずれ何とかせねばならないだろうが、早晩どうにかなる可能性は低い。むしろ短期間での決着が明確であるこの状況なら望むべきものですらある。

 

「問題とするなら、それはどちらかというとお前さんの方だぜ」

「一体何が問題だというのです?」

 

 キャスターの危惧に、ティーネは眠る椿の頭を撫でながら返してみせる。

 

「現実世界のお前さんの身体は、自身の莫大な魔力によって治りつつある。その魔力をお前さんはこの世界に入り込むことに使ってるんだぜ。タイムリミットを考えれば、かなり厳しい状況だ」

 

 実際、ティーネの命が助かった理由はそこにある。“偽りの聖杯”の巫女としてか、今の彼女には莫大な魔力が流れ込んでいる。まるでティーネの命を強引に繋ぎ止めんとしているようにすら思えるくらいだ。

 その回復に使うための莫大な魔力を用いて、彼女は椿の夢世界に侵入している。

 これだけの魔力をそのまま回復に使えば、早朝には完治していることだろうが、そのまま使っていないので治るわけがない。すぐに動けるようになるかもしれないが、後遺症はその後の彼女の人生を大いに苦しめるだろう。

 そうでなくとも、長生きはできまい。

 

「今更です。ここで動けぬことの方がよほど問題でしょう」

 

 最善を選ぶのではなく、最悪を回避するためにティーネは動いている。死んで当然の状況なのだから、バーサーカーのように殺されることを前提に動くべきなのだ。生き残る者にだって順序がある。

 彼女にとってこの選択肢は覚悟するものですらない。

 

「……今の繰丘椿の学習能力は危険でしかないぜ。一挙手一投足からお前が本物のティーネ・チェルクだと名探偵みたく見抜きかねない。繰り返すが、本物だとばれれば何が起こるかわからないからな」

 

 珍しく口を酸っぱくして注意するキャスターであるが、肝心のティーネはキャスターのアドバイスをおざなりに聞いていた。聞き入れぬわけではないが、時間の問題であるとティーネは思っている。

 椿の夢と宝具夢枕回廊(ロセイ)は同じく夢という共通点を持っているが、その内部での時間経過に関しては全く異なっている。今でこそ椿は疲労によって時間感覚が狂っていると判断しているが、ここまで露骨だといずれ気がつくのは明白だ。

 

「仮に椿が気付かなかったとして、いつまで私はこの夢に居続けることができますか?」

「居続けるだけなら逸話通り一生を終える時までいられるだろうよ。この変化のない世界でどれほど耐えられるかは保証できないが」

 

 俺なら一時間だって耐えられないがな、とキャスターはHAHAHAとアメリカ人のように笑う。耳障りな笑い声に椿が起きねば良いとキャスターに石を投げつけながらティーネは思う。

 

「とはいえ、一応魔力的な限界もあるからな。この調子で魔力を消費し続ければ、半日で族長から即身仏へ昇格だ。身体の回復を考えれば一時間が限度だろう」

 

 一時間、と口の中で繰り返す。

 現実世界の一時間が、この夢世界で何時間にあたるのかはまだ不明だ。夢枕回廊(ロセイ)は一瞬で数万年を実現しうる機能を備えているが、その振れ幅は使用者次第。椿のデータがない以上、どれほどの時間があるのかは不明である。

 

「そこは心配するな。現実世界から魔力量をモニターしておいてやるから、危険域に達する前に起こしてやるよ」

「……一緒にこの世界を調べるのでは?」

「……俺は俺でやることがあるんだよ」

 

 その顔に面倒だと書かれていたが、仕方なく嘆息してティーネは了承した。

 二人で調べれば効率的なのだろうが、リスクだらけの夢世界に貴重な戦力(?)を使う訳にもいくまい。

 ティーネは他にできることがないからしているだけ。片やキャスターは他者のバックアップを得意とする英霊なのだから、非戦闘時の今こそ最も活躍すべき時である。

 それに、キャスターにはライダーのフォローもする役目もある。

 ティーネが椿にその正体をばれてはいけないように、椿もライダーに夢世界を気付かれてはならないのだ。

 現実世界でその事情を知っているのはキャスター一人。他に任せられる者などいるわけがない。

 じゃあ帰るぜ、と踵を返して立ち去ろうとするキャスターに、ティーネはふとした問いを投げかける。

 

「キャスター」

「あんだよ?」

「刹那主義のあなたにしては、随分と慎重ではないですか。面白そうだからと、あっさりとバラすのではないかとヒヤヒヤしてたのですが」

 

 この夢世界への侵入ははっきり言ってリターンが期待できるものではない。むしろリスクばかりであり、魔力の無駄遣いと言ってしまえばそこまでだ。

 合理的な方法論で物語は面白くならない。かといって遠回りすれば良いというものでもない。多少のリスクを許容すれば、実にキャスター好みのシナリオへ昇華することもできる。

 ティーネの疑惑に、キャスターは中空を見つめる。自らを振り返り、自分が何故こんな紳士的な行動をとっているのか思い返しているのだろう。そしてやおらティーネを見つめ返して口を開く。

 

「二人とも立派な戦力だからな。さすがにここまでくれば迂闊な真似はできねーよ。それに……」

「それに?」

「椿っつー名前を聞くと、息子の愛人を思い出してな」

「……椿をこの歳で死なせはしませんよ」

「まったくだ。あと十年は経たないと手が出せん」

「台無しです。さっさと帰れ」

 

 大袈裟に肩を竦めながらキャスターは言葉以上に五月蠅い余韻を残しながら夢世界から退場する。このまま現実世界からも退場して貰いたい気分にもかられるが、そうはいかないのが現実である。

 

「さて……これで私は私の目的をこなすしかありませんね」

 

 傍らで律儀に佇み続ける銀狼にティーネは声をかけ、自分と然程変わらぬ体躯の椿をよっこらせと持ち上げる。

 ティーネ・チェルクには目的がある。

 そのために、この世界にやって来たのだ。繰丘椿が何とかして情報を持ち帰ろうとしているのと同様に、ティーネもまた、情報を持ち帰ろうとしている。

 とはいえ、その前にやることが一つできていた。

 前回より悪化していることにやや頭を痛めながら、ティーネは眠り続ける椿に注意をしておく。

 

「椿。例え世界に一人だけだとしても、裸で外に出てはいけません」

 

 まずは彼女に下着を身につけさせようとティーネは思った。

 

 



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day.10-09 騎士団

 

 

 スノーフィールドから人影が消え、およそ六〇時間が経過した。

 

 陽が高く昇るにつれ、気温も比例して上がり続けている。そして街のあちこちから腐った匂いがその濃度を高めつつあった。その多くは電気の通わぬ冷蔵冷凍庫からだが、中には戦闘に巻き込まれ死んでいった一般人もいる。運が悪かったとしかいいようがないが、今しばらくはそのまま放置されるままだ。今スノーフィールドを支配している二十八人の怪物(クラン・カラティン)改めレギヲンもそんなことに人員を割くことはできない。人がいない以上、公衆衛生に気を遣う必要もないからである。

 だがそんな物言わぬ彼らだからこそ、役に立つこともある。

 

 市内においてそこは間違いなくもっとも賑やかな場所だった。

 スノーフィールド八〇万市民を操り地下シェルターへ待避させた笛吹き男(ハーメルン)であるが、生きた人間だけをターゲットとしたため畜生は放置されたままだ。故に、この場に野犬や野鳥が餌を求め集まるのも当然だった。

 眼球を失った死者の眼窩にその嘴を突き刺し中身を啜る鳥の傍らを、フードを被った赤髪の男は十字を切りながら通り過ぎていった。そのことにカラスはまるで気付いた様子はない。

 唯一その赤髪に気がついたのは、普段は地下で過ごしている筈のドブネズミ。早い歩調で歩む赤髪の足に器用にしがみつき、するすると肩にまで駆け上がる。

 

「周囲に敵はいないな?」

『確認できる範囲にはいない。念のため後方警戒を密にしている』

 

 赤髪の質問に、肩に乗ったネズミが毛繕いをしながら答える。

 見る者が見れば分かるが、このネズミは使い魔だ。鳥などの使い魔と比べるとその探索範囲ははるかに狭いが、その小さい体躯はわずかな隙間に潜り込み探査や破壊工作に向いている。

 自然界の掟としてより大きな獣に襲われることはままあるが、幸いにもこの辺りの獣は腹を満たしているのであまり問題はない。

 

「ちっ、当てにならんな。鳥型なら上空からすぐに分かるだろうに」

『鳥は把握されているという話だ。無理を言うな』

 

 俄には信じられないことではあるが、この街を現在支配している奴らは鳥の一体一体まで正確に識別し、その上使い魔かどうかもどうしてか判別することができるらしい。迂闊に鳥を飛ばせばせっかくの隠れ家を発見される理屈である。眉唾物であるが、そうした情報があるのだから無視するわけにはいかない。

 木を隠すには森の中とはいうが、その木を全て把握できる能力は率直に言って脅威以外なんでもない。このドブネズミですら生息地から怪しまれぬよう現地調達し即興で使い魔としたものだ。工房で生み出した使い魔でもないので品質は著しく悪い。

 

『四重に確認した。つけられていないようだが、念のため罠を張ってる迂回ルートを通ってくれ』

「罠って、あのネコイラズを撒いた地下道のことか?」

『トリモチも設置してある。俺が見落とすほど小さな使い魔なら飛び越えられないが、人間なら何とかなるだろ。引っかかるなよ』

「もっと魔術師らしい罠を仕掛けようぜ。魔術師として」

 

 悪態をつきながらも、赤髪は指示通りの迂回ルートを取る。周囲にも気を配るが、そこにあるのは破壊の痕跡だけで怪しい気配はない。気配を発しない機械に対して無力ではあるが、そうしたカメラも事前にネズミの使い魔に囓らせて念入りに壊されている。

 ここは少し前に英雄王と黄金王が激突した場所だ。周囲には黄金化の魔力が未だもって漂い、背の高い建造物は悉く上層階が消滅している。それでいて上空からは看板や庇、崩れた建物で遮られ、死角も多い。

 そして赤髪の隠れ家は、そんな戦場跡地にある。

 

 どこにでもある地下のバーへ続く階段の途中に、その入り口はあった。見た目こそただの壁だが、触れれば水面のような波紋を生じさせ抵抗なくすり抜けられる。魔術師にとって決して珍しくない入り口の偽装である。

 だが珍しくないだけで、並の魔術師ではこの入り口を再現するのは難しいだろう。これは桃源郷や竜宮城、鼠の御殿に雀のお宿といった異界への扉だ。入り口の設置は異界の主の自由自在。人がいない今だからこそ固定化しているが、人が戻ればいつでもこの扉は消滅させることもできる。

 入り口という境界を踏み越えれば、世界はまるで異なっていた。位相をずらしただけの結界ではあるが、それを実現させているだけでも魔道の奥深さを思い知らされる。これを突き詰めれば噂に聞く平行世界に辿り着くことだって不可能ではない。

 

「ただいま戻りました……何だ、我らがマスターはまだ寝てるのか?」

 

 報告をしにこの世界の中央に聳える城に登城するが、そこにいたのは外へ使い魔を放ち操作している魔術師が数人いるだけだ。忙しなく手を動かしながらも対応してくれたのは先ほどまでネズミを使って指示をしてくれたネズミ顔の魔術師だった。ペットは飼い主に似るというが、彼の場合は逆らしい。

 

「偵察ご苦労さん。マスターならもうじき起きてくると思うぜ」

「ならここで待たせて貰おうか」

「急がなくていいのか?」

「急いで報告する内容もないんでな。それに怖いくらいマスターの予想通りだ。俺達がやるべきことに変わりはない。時間までゆっくりさせて貰おう」

 

 体力的には全く問題はないが、気を張りっぱなしだったこともあって精神的に疲れていないといえば嘘になる。クシャっと丸まった煙草のソフトパッケージをポケットから取り出し、肺一杯に煙を吸い込んだ。動物を扱う以上そうした煙と匂いを嫌がりそうなものだが、ここにいる魔術師はこの程度で集中を乱すほど三流ではないらしい。

 そうこうしている間に、目の前の通路を次々と他の魔術師達が通っていく。彼らの目的地はこの先にある大広間、集合予定時間より一時間も早い。血気盛んで結構なことだが、些か張り切りすぎではあるまいか。

 

「……俺はてっきり逃げ帰ろうとする奴らも多いと思ったんだがな」

 

 周囲の気配に敏感であり、そうした魔術に秀でているが故に偵察など行っていたのだ。雰囲気だけでもこの場に集まろうとする人数くらい把握できる。

 集まったばかりの時は烏合の衆に過ぎなかったというのに、今やどこの精鋭組織とばかりに誰も彼もキビキビと動いている。その様は神の名の下に集う教会の騎士団を彷彿とさせる。

 魔術師というのはもっと利己的な存在だと思っていたが、どうやら考えを改める必要があるようだ。

 

「恩義に報いようと思うのは当然じゃないか?」

 

 赤髪の独り言にネズミ顔は律儀に答えてくれた。対応こそ雑だが実は良い奴なのかも知れない。

 この結界内にいる魔術師は、そのほとんどが“偽りの聖杯”の相伴にあずかろうとした間抜け共だ。その内実も知らず、情報の真偽すらも確認できずに踊らされた愚か者。しかも武蔵によって出鼻を挫かれた結果、彼等は物語のエキストラにもなれぬ運命を背負わされた。

 その令呪を狙った前科があり、それでいて戦況次第で裏切りかねない風見鶏な彼等を哀れみ保護してくれる陣営などいるわけがない。逃げ帰ることすら困難な状況に、彼等の運命はただ無様に駆逐されるだけの筈だった。

 

 目前にマスターとそのサーヴァントを見た瞬間、死を意識しなかった者は皆無だ。殺されると恐怖し攻撃した者は数知れず、手をさしのべられたことさえ冗談だと自害を試みた者すらいる。あまつさえ、仲間として迎え入れられるなど一体誰が想像しようか。

 時代錯誤にも恩義を感じ、忠誠を誓う者がいても不思議ではない。信じがたいことではあるが、それを納得させるだけの理由がそこにある。

 

「さっき確認もしたが、逃げ出した奴は皆無だぜ」

「……命をかける奴の気が知れないな」

 

 これからのことを思えば命の保証などできはしない。だからマスターからも無理強いはされていない。むしろ逃げ帰ることすら推奨されたくらいだ。

 

「斥候なんて一番危険な任務をこなしている奴がそれを言うのか?」

「……俺はフリーランスで仕事として請け負っているからいいんだよ」

 

 ネズミ顔がニヤニヤしながら斜めに赤髪を見る。

 恩義をうんぬん語るつもりはないが、どうにもあのマスターを見捨てることはできない。令呪を無防備に剥き出しにしたまま休むし、明らかに敵対している者に対しても彼は涙を流して説得しようとする。しかもサーヴァントが傍らにいない状況でそれを実行するのだ。危なっかしくて見ていられない。

 決して一枚岩でない……それどころか敵対関係にすらある彼等があのマスターの下に離反せずまとまっていられる理由は、そういうところにあるのだろう。サーヴァントもサーヴァントなら、マスターもマスターである。

 

「しかしフリーランスの俺ならともかく、協会直属の連中だってこの中にはいる筈だろ。そいつらは一体何考えてんだろうな?」

 

 マスターに保護された者の多くは聖杯戦争に参加しようとした者だ。その場合目的は聖杯だが、協会の諜報員であるならその目的は情報収集にある。この場に留まる必要などどこにもない。むしろさっさとここから出て行くべきだ。

 紫煙を宙に吐き出すことでさりげなく視線をネズミ顔から逸らしながら語ってみる。確認などはしていないが、ネズミ顔は協会諜報員に相違なかった。使い魔を現地調達し見事に使いこなす腕前や諜報員然とした癖から推測した……というわけではない。種を明かせば、以前ランガル氏の諜報活動に協力した際に見かけたことがあっただけだ。

 

「……いや、彼等が動くことはないよ」

「断定的だな。理由を聞いても良いのか?」

 

 これから一戦を交えようという時に余計ないざこざを抱える必要もない。これは個人的な情報収集だ。わざわざ蛇を出そうと藪をつついているわけではない。

 だがそんな赤髪の気遣いは杞憂に終わる。

 

「もう報告済みなんだよ」

「――なんだって?」

 

 冗談だとは思わない。だが現実味のないその話に聞き返さずにはいられなかった。

 この地から脱出できた者は未だいない。逆に潜入できた者もいないことから、硬度の高い情報だ。もちろん一般通信網は使用不可。魔術による伝送も強力なジャミングがかかっている。雄志諸兄がこれを破ろうと四苦八苦していたようだが、突破できたとは聞いていない。

 これで一体どうやって報告できたというのか。

 

「進退窮まって相談した奴がいたんだよ。そしたら、あっさりと送信だけならできた」

 

 誰に相談したのかは敢えて聞くまい。

 どこか遠くを見つめるネズミ顔。彼だってその道のプロであるが、そうした人間を頭数揃えて解決できぬ難問を、あっさりと解決させられると、立つ瀬がない。

 世の中、歴史を変えるのはこういう人間なのだと思い知らされる一瞬である。そして自らが凡人だと思い知らされる。

 

「事後承諾だろうが、今後の行動は協会承認の正規行動扱いになるだろう。俺ら、臨時の騎士団所属らしいぜ」

「マジかよ」

 

 状況が状況だけに、協会がどう動くかは容易に想像が付く。ここで逃げ出すのは勝手だが、もし本当にこの状況が報告されていたとしたら、後々やっかいなことになる。逆に逃げ出さずにマスターの下で戦えば、その後の栄華は約束されたようなもの。

 あのマスターがそこまで考えて動いていたとは到底思えないが、これで俄然旨みが増したのは確実だ。向こう人生一〇回くらい賭けても余裕でお釣りが来る。

 

「――それで、騎士団名はなんだ?」

 

 念のためそこだけは確認しておかねばなるまい。

 旗印にしろ、赤枝騎士団や円卓騎士団とか空気を読まず付けられた日には、その功績よりも赤っ恥をかく可能性もある。あのマスターのことなのでその可能性は否定できない。

 

「ええと、確か――」

 

 赤髪の不安にネズミ顔が答えた名は、彼が知るよしもないことだが、かつての聖杯戦争にもあった名称だった。

 

 



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day.10-10 二つ名

 

 

 倫敦(ロンドン)、時計塔の一室。

 ネズミ顔と赤髪が騎士団の名を問うていたのと同時刻。

 

 魔術師などと言う自己主張の激しい連中を管理育成していることもあり、時計塔は常に何らかの騒ぎがどこかにある。とはいえ今日の騒ぎは殊更に酷く、「どこか」というより「どこも」と形容した方が正しい。その混乱の大元が学生ではなく事務方というのも、珍しい。

 原因は、あと一時間もしないうちにここで開かれる緊急会議にある。本来ならばその頭に「極秘」の二文字が入る筈なのだが、今回はあまりの緊急ぶりに諦めざるを得なかったのである。

 もっとも、会議出席者の豪華な顔ぶれを考えれば最初から無駄なのかも知れない。

 

「失礼します」

 

 ドアをノックしつつも、返事を聞く間もなく召喚科学部学長室へロード・エルメロイⅡ世は足を踏み入れた。彼もまた緊急招集を受けた身であるが、会議の前にここへ足を運ぶようロッコ・ベルフェバン学部長から要請されていた。

 

 何か事態が動いたことだけは確からしいが、しかしそれにしては様子がおかしい。

 立場的にロード・エルメロイⅡ世はベルフェバンと派遣した魔術師との仲介役を担っている。事態が動くような報告があれば、まず第一に自分の下へ来る筈だ。いくら総責任者であるとはいえ、頭越しに報告がいくことなど通常では考えられない。

 普段のアポでさえ専属秘書か時計塔事務方を通さねば叶わないのである。一体どんな魔法を使えば自分を含めた専属窓口に気付かれることなく学長に直接報告書が届き、かつ多忙な学長がわざわざ時間を割いて得体の知れぬ報告書を読むというのか。

 

 その上、ロード・エルメロイⅡ世はつい先ほど予想外の人物と廊下ですれ違っていた。軽く挨拶くらいしたものの、本来であればこの場に来ることなどあり得ない人物だった。権威主義的な魔術師集団である時計塔において、彼は実績はあれど新参であるエルメロイⅡ世よりも見下されやすい立場にある。

 そんな彼らに頼らざるを得ない状況まで、事態は進行しているということか。会議前だというのに足が重くなる情報ばかりである。何か呪いがかけられているのかと疑いたくなるくらいだ。

 

「来たか」

 

 非礼を責めることなく迎えてくれたベルフェバンではあるが、顔に疲労の色は隠せない。何かがあったのはもはや確定的だった。

 

「先ほど法政学部の幹部とすれ違いましたよ。一体何があったのですか」

 

 魔術師のための研究機関としての側面が強い時計塔において、政治家を目指す法政学部は学部にすらカウントされぬ学部だ。そんな連中と会議前に会うことの意味は、もはや一つしか考えられない。

 

「“偽りの聖杯戦争”の背後組織が明らかになったのだよ。首謀者は、米国だ」

「それは以前から指摘されていたことなのでは?」

 

 米国機関が一枚噛んでいることは空港での検閲体勢と魔術師の動員規模から確実視されていたことだ。魔術など何も知らない一般人が意図せず妨害行為に加担させられており、魔術の通用しにくい機械が行く手を遮っている。調査は遅々として進んではいないが、資金の流れから相当大きな組織であることは伺えていた。

 そんなエルメロイⅡ世の勘違いを、ベルフェバンは首を振って否定した。

 

「違う。違うのだよ、ロード・エルメロイ」

「何が違うんですか」

 

 眉根を顰めながら何が違うか理解できない。以前からⅡ世を付けるよう言っているというのに、ベルフェバンにはその余裕すらもない。

 

「裏で糸を引いているのは米国の一機関などではない。米国そのものだ。陣頭指揮をホワイトハウスがとっている。報告書が本当なら、軍が爆撃もしたそうだ……」

「ちょっと待ってください。話が突飛すぎます」

 

 俄には信じられぬことには違いない。だが、ここまで話が大きくなってくると、逆にどんなに証拠があろうと信じるわけにはいかない。神秘の漏洩防止こそが魔術協会の目的であり、そこに例外などあろう筈がない。

 確かに協会の歴史を紐解けばナチスの祖国遺産協会(ドイチェス・アーネンエルベ)を殲滅対象としたこともあったが、それも国家の一機関としての位置付けだ。第二次世界大戦という世界レベルの混乱があったからこそ可能だったのであり、逆にいえばこれくらいのドサクサがなければできないことある。

 この平時に世界最強国家そのものを殲滅対象とするだけでも到底不可能だ。これを大真面目に実行しようとするなら、第三次世界大戦を引き起こすくらい混沌とした状況が必要となるだろう。

 いかにバラエティ富んだ人材が集まる魔術協会といえ、米国を殲滅しようと主張する馬鹿はいない――少ないと思いたい。

 

「事実なのですか」

「残念ながら事実だよ。それに、米国もそうした我々の思惑をよく理解している。我々が今の今まで情報を仕入れることができなかったのも、米国の完璧な情報統制によるものだ」

 

 神秘の漏洩に敏感な筈の魔術協会が何の情報も得られない。それ自体が米国の切り札だ。本来であれば協会が動くべきところを、自国で協会以上に内々に処理できると暗に伝えて動かぬよう圧力をかける。

 事前に喧伝されたことが状況に拍車をかけている。それもこうなることを見越しての策と考えれば辻褄も合う。ああも露骨な宣伝をして注目を浴びながら、結局スノーフィールドの情報を得た者はいないのである。

 

 情報の遮断と歪曲、そして統制。あの宣戦布告がボディーブローのように魔術協会を苦しめようとしている。

 魔術師同士という極狭い範囲であっても、魔術協会が米国に対して有効な策を持てなかった、などと風聞が立てば面目は丸潰れ。協会の信用は失墜し、教会をはじめそれに乗じて動く者も大勢いることだろう。

 風聞もなにも事実なのだから、尚のこと質が悪い。取り繕うための限界はとっくに超えているのである。

 

 そして最悪、国家としての強大さを利用して神秘そのものが暴露される危険性もある。

 そうなれば魔術協会どころか、魔術基盤そのものが危うくなる。普段通りのセオリーが通じるレベルではもはやない。

 

「協会はこの件を政治決着で片付けるつもりですか」

 

 苦肉の策であることは承知の上で問うてみる。

 そのつもりがなければ、法政学部など呼びはすまい。だが、それだけで済ませるにはあまりに事が大きすぎる。米国が全て内々に処理することで神秘の漏洩は防げたとしても、協会は根幹となる“偽りの聖杯”と呼ばれるシステムを無視することはできない。

 ここで穏便に決着をしたとしても、諸々の問題が解決することはできなくなる。

 

「それが――問題、なのだ」

 

 エルメロイⅡ世の思考を先回りしたベルフェバンが大きくため息をついた。心なし、周囲の空気も重くなったような気がする。

 

「米国はこの計画を実に子細に研究している。我々の動きも、そのための対策も、少なくない年月を費やし挑んでいる。我々も彼等の努力が十全に発揮され、万難を排して貰えれば、政治決着も吝かではなかったのだよ」

「婉曲な物言いですね」

「つまりだよ、事が政治決着ですまなくなった、ということだ」

 

 そのための手段を講じながら、ベルフェバンはその事実から導き出される結果を否定する。

 いかに米国といえども交渉材料にするだけで実際に神秘を暴露する可能性は非常に低い。その上で様々なカードを切り出し、より優位な立場を築こうとするだろう。政治的には険悪となるだろうが、これを機に直通回線でも用意できれば対等な立場で様々な面から交渉しやすくもなる。協会としても米国がこうも強気に出ている以上、政治決着以外の着地点はない筈だ。

 

「米国は致命的なミスをしでかした。我々は、例え基盤を失ってでも動く必要がある。法政学部の連中に動いて貰うのは、ただの時間稼ぎだ」

 

 断言して――ベルフェバンは手元の資料に手を置いた。先の報告書とやらだろうが、遠目に見る限りどうにも体裁が整っているようにも見えない。協会の専属諜報員からの報告ではなかったのだろうか。

 

「ロード・エルメロイⅡ世。君は、英霊を簡単に召喚する方法は知っているかね?」

「そんな方法はありません。それができれば苦労はしないでしょう」

「では、質問を変えよう。英霊が簡単に現れ出てくる状況は知っているだろう?」

 

 その問いの答えは、先の事実よりもよほど深刻だった。

 召喚は、しかるべき手段によって行われる儀式だ。そこには人の意図があり、目的がある。だが人間以上の存在である英霊を召喚するとなると、その難易度は一気に跳ね上がる。

 ましてや、それが簡単に現れ出てくる状況など、一つしか考えられない。

 

「まさか――」

「その通りだ。奴ら、あろうことか抑止力を直接的に利用してサーヴァントを召喚している」

 

 この世界には、破滅を回避するためのシステムが予め備わっている。集合的無意識によって作られた、世界の安全装置。世界が滅びの危機に瀕した時、抑止力として英霊が顕現することがままにある。

 理論的には可能だ。世界を滅びの危機に陥れる『何か』さえあれば英霊は自然に召喚される。そこを上手く介入するシステムを用意すれば、英霊の認識を歪め聖杯戦争と誤認させることもあり得るだろう。

 

「聖杯戦争とは看板だけの存在で、その根幹と目的は全くの別物だ」

「荒唐無稽の絵空事――と切って捨てるのは簡単ですね。学生がそんなことを言い出したら問答無用で殴り飛ばしています」

 

 かつて自らの論文を公衆の面前で貶された身ではあるが、今ならその時の師の気持ちも少しは分かる。

 だが、これを言い出しているのはその道の権威である召喚科学部長である。ここ数時間でいきなり呆けた可能性に賭けたいところだが、そんなことこそあり得ない。こんな急に時計塔の幹部を全員呼び出さねばならぬ程度に、信頼できる情報があるに違いない。

 

「“偽りの聖杯”、米国計画呼称クラス・ビースト。これが世界滅亡の原因だそうだ。現在は封印されているらしいが、いつ目覚めるかは不明ときている」

「各サーヴァントは本来そいつを倒すための抑止の守護者ってことですか。まさか聖杯戦争のシステムで抑止力そのものに干渉するとは。思いついた奴はアホか天才かのどちらかでしょうが、良い度胸しているのは確かですね」

 

 だがこれなら大聖杯などを用意する必要もなく、実現するためのハードルは遙かに低い。それでいてクラス・ビーストとやらの封印を自在に操れるのであれば、何度でもこの“偽りの聖杯戦争”を繰り返すこともできる。

 願望機たる聖杯がないとなれば、教会だって動くことはしないだろう。

 だが、リスクを管理できていると認識している米国に対して、協会はこのリスクを容認することなどできはしない。

 

「これからどうなされるおつもりです?」

「“偽りの聖杯”を確保。可能なら完全破壊、不可能なら厳重封印だ。アトラス院にも打診することになるだろう」

 

 聞いてはみたものの、処置としては当然だろう。

 交渉がただの時間稼ぎなら、すぐにでも大隊規模の戦力を派遣する必要がある。だが、現地は相変わらず完全な隔離状態。結界の確認こそできたものの、その規模と強度は今もって不明。調べようにも結界外周部に展開されている何者かによって少人数の斥候部隊ですら消息を絶つ始末。

 問題は既に開戦から一〇日以上経過したということか。事前に派遣した第二次部隊も、現地へ到着するのは急いで明日以降。もう決着がついていてもおかしくない頃合いだ。

 仮に部隊を派遣したところで到着より早くこの戦争が終わってしまえば、目的の“偽りの聖杯”はどこか手の届かぬところに移送されてしまう可能性がある。そうなってしまえば手遅れだ。

 

 事の推移を思い返し検証するが、もはやどうやったとしても、現地にそんな戦力を送り込み、状況を完遂できる予想図を描くことができない。

 いかにそうした連絡役を他人に押し付けていたとはいえ、そんな無茶なタイムスケジュールを目の前の御仁が組むとも思えない。

 代替案……いや、あるいはすでに誰かが動いていると考えた方が良い。スノーフィールドに今すぐ事態を打開できるような部隊など考えづらいが、それに近い者がいるに違いない。

 

「……質問してもよろしいでしょうか?」

「今更だな。私は今か今かと待っていたくらいだ」

「情報が些か正確過ぎます。その情報が真実であるならば協会が動きかねないことは米国だって承知している筈です。トップシークレットと言い表してもまだ生温い」

「……」

「米国での情報は担当たる私ですらほとんど把握できていない。現地情報なら尚更です。あの情報封鎖の中から一体どうやってその情報を得たのですか?」

 

 エルメロイⅡ世の言葉に、ベルフェバンは今まで手にしていた報告書らしき紙の束を徐に差し出してきた。

 

「これは現地から直接私に届けられたものだ」

「……直接、ですか?」

 

 あの完全情報封鎖された現地から、というのも疑問であるが、わざわざ直接届けられたというのはおかしな話だ。ベルフェバンに直接、ということはメールなどの現代機器の介入はないと思った方が良い。そして魔術による通信は学部長という立場からフィルタリングにより検閲が入る。直接連絡を取ろうとするのなら、事前に決められた手順を踏む必要がある。

 なんだか嫌な予感がしてきた。

 この報告書を提出した魔術師は、スノーフィールドから未だ詳細も不明なあの結界をすり抜けられる程の腕前を持っている。おまけに時計塔の検閲魔術に関しても精通しているようである。

 

「スノーフィールドのシステムを解析。“偽りの聖杯”の本性を見抜き、サーヴァント本来の目的を示唆。背後関係を明らかにしたのもこの報告書によるものだ。さすがに裏は取れてはいないが、九分九厘間違いないと判断した」

「……優秀な調査員がいたようですね」

 

 あのランガル氏でさえ手玉に取られたというのに、よくぞそこまで調査できたと感心――したいところだが、その異常な優秀さには非常に覚えがある。

 

「その上で我々が動くことを危惧までしている。協会が動いて米国と一触即発の状況になるのは好ましくない。であれば、これは向こうの提示したルールに則って、片付けることがもっとも好ましい」

「はは。まるで聖杯戦争に参加し優勝するような物言いですね」

 

 乾いた笑いを自覚する。

 確かに報告者の言うとおり、協会が無理に動くよりもスノーフィールドの聖杯戦争に参加しているマスターが自力で解決するのが最良の策だ。これなら戦力・時間・場所・政治、全ての問題に対処することが可能となる。

 米国と安易に決着をつけるより遙かにマシな方策だろう。夢見がちであることが致命的であるが、可能性はある意味で一番高い。

 全てが露見しておきながらそれでも尚ルールに従い解決しようとする愚直さに、凄く心当たりがあった。

 

「まあ、これから反攻作戦を開始するのであっちこっちから潜り込んでいた諜報員も使います、と正直に書くのはどうかと思うがね。詳細なリスト付きで報告されると確認のために動かないわけにもいかん」

 

 リストにある組織に連絡をとり「お宅の諜報員を使わせていいですか?」と聞いて回る姿を想像する。向こうとしてもこれを馬鹿正直に答えるわけにもいかないが、かといって無碍にすることもできない。両者とも頭を悩ませることになるだろう。

 そして真っ当でない問題で悩む胃の痛さにも心当たりがある。

 

「これから行う緊急会議は政治的な対処策がメインだが、私の目的はそこではない。私の目的は、この報告者が率いる集団を協会正規の部隊として取り扱うことだ。ここに至って戦後処理を見越して動くとは将来有望だな」

 

 もうここまでくると自分の推測が外れて欲しいとすら願う。

 だがしかし、エルメロイⅡ世は聞かねばなるまい。

 その報告者が一体誰なのかを。

 

「……残念ながら、報告者及び作戦遂行部隊に君の教え子であるフラット・エスカルドスの名はなかったよ」

「そう、ですか」

「ただ、部隊名『アイオニオン・ヘタイロイ』、部隊長『絶対領域マジシャン先生の弟子』とある。つかぬ事を聞くが、絶対領域マジシャン先生とは君のことかね?」

 

 酷く気の毒そうに話を振るベルフェバンに、エルメロイⅡ世は瞬間、我を忘れた。

 その後の会議において、協会は部隊名『アイオニオン・ヘタイロイ』、部隊長『絶対領域マジシャン先生の弟子』を正規部隊として認定し、その作戦行動を承認することとなる。これは協会の公式書類として半永久的に保存され、後世の人間に晒され続けることとなる。

 その後、ロード・エルメロイⅡ世を新たな二つ名で呼ぶ者がいたとかいないとか。

 それはまた別の話。

 

 



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day.10-ステータス更新

 

 

day.10-01 王の財宝

 

 北部原住民要塞にてキャスターとライダーは食事を取っていた。ライダーの罵倒にキャスターは反省し、その関係性に変化が生じる。そして現状認識のため、ライダーはキャスターに先の作戦の結果について話を聞いた。

 

 

day.10-02 次の手

 

 キャスターの絶望的な報告にライダーが動じることはなかった。しかし現状を正しく認識したライダーは、少しだけやる気を出す。そして予想通り行われた奇襲に単身防衛に当たることになる。

 

 

day.10-03 レギヲン

 

 連日の戦いで消耗仕切ったランサーはファルデウスの実験に付き合っていた。二十八人の怪物(クラン・カラティン)最後の一人を多少手こずりながらも倒すが、そのことでランサーの気が晴れることはない。ファルデウスから挑発もされ一時我を忘れそうになるものの、それでも世界を滅ぼす真似はしなかった。

 

 

day.10-04 拷問

 

 アサシンの拷問をするジェスターはその身体を味わい陶酔していた。共に拘束していた署長により何とか正気を取り戻し、その礼としてジェスターは署長にアサシンのレイプを依頼する。

 

 

day.10-05 タイムリミット

 

 ジェスターの目的はアサシンにある。ジャスターはアサシンの魅力を署長に熱く語るが、署長にはあまり響かない。ただジェスターの数ある保険のひとつとして署長は生かされていることを強く自覚する。

 

 

day.10-06 希望の光

 

 目覚めたアサシンに署長は今後の方針を問うてみる。現状を確認する二人だが、その前途は明るくない。共に重傷であることから自力脱出を諦める署長であるが、しかしてアサシンは希望の光を語ってみせる。

 

 

day.10-07 夢

 

 先日失ったばかりの夢世界を、繰丘椿は再度構築し直す。夢世界を通じてアサシンと接触した椿は、次なる情報を求めて奮闘していた。激しい精神の消耗する中、そんな彼女の前に顕現したのはティーネ・チェルクだった。

 

 

day.10-08 覚悟

 

 夢世界に侵入したキャスターとティーネは椿の異常な成長を確認する。同時にこの夢世界のリスクをキャスターに示唆されるが、ティーネはそのリスクを受け入れる。彼女もまた椿同様情報を求めて夢世界を一人渡り歩く。

 

 

day.10-09 騎士団

 

 スノーフィールドの街中で情報収集をする魔術師がいる。彼は根城に戻るとネズミを使い魔にする男と今後の作戦について話し合う。そこで彼らのマスターが自分たちを協会の正規部隊とするよう動いている事実を知る。

 

 

day.10-10 二つ名

 

 時計塔にてロード・エルメロイⅡ世は召喚科学部学長室へ緊急会議が開かれる前に呼び出される。出迎えたベルフェバンは今回の黒幕が米国である事実を告げる。そしてその詳細な事情を記した報告書を、エルメロイⅡ世に見せる。

 

 

 

-------------------------------------------------------------------------------

 

 ステータスが更新されました。

 

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 ◆サーヴァント

   『アーチャー』

     所属:???

     状態:強制現界の呪い、消失

     宝具:天の鎖(エルキドゥ)

 

   『ランサー』

     所属:レギヲン

     状態:強制現界の呪い

     宝具:天の創造(ガイア・オブ・アルル)

        天命渦巻く混沌の海(ムアリダート・ギムリシュン)

 

   『ライダー』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:感染拡大(大)

     宝具:感染接続(オール・フォー・ワン)

     令呪の命令:「繰丘椿が構築している夢世界の消失」

           「人間を傷つけてはならない」

           「認識の(一部)共有化」

     備考:寄生(繰丘椿)

 

   『キャスター』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:強制現界の呪い

     宝具:我が人生は金貨と共に有り(アレクサンドル)

        王の服(インビジブル・ガウン)

        お前の物は俺の物(ジャイアニズム)

        王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)(使用困難)

        夢枕回廊(ロセイ)

     備考:「Rin Tohsaka」と刻まれた魔力針

 

   『アサシン』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:強制現界の呪い、魔力消耗(大)、捕縛

     宝具:回想回廊、構想神殿、追想偽典、伝想逆鎖、狂想楽園

     令呪の命令:「(自殺の禁止?)」

 

   『バーサーカー』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:消滅

     宝具:暗黒霧都(ザ・ミスト)

 

   『宮本武蔵』

     所属:――

     状態:消滅

     宝具:二天一流

 

   『ヒュドラ』

     所属:――

     状態:消滅

     備考:毒

 

   『エルアライラー』

     所属:――

     状態:消滅

 

   『黄金王ミダス』

     所属:――

     状態:消滅

     宝具:神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)

        酒酔いの薔薇園(シレーニノス・ガーデン)

     備考:黄金呪詛(ミダス・タッチ)

        ロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)

 

   『正体不明のサーヴァント』×2

     所属:――

     状態:消滅

 

 

 ◆マスター

   『ティーネ・チェルク』

     所属:夢世界同盟

     状態:感染(夢世界)、魔力供給(特)、魔力消耗(中)、重傷

     令呪:残り0

     宝具:夢枕回廊(ロセイ)

 

   『銀狼』

     所属:夢世界同盟

     状態:感染(夢世界)、捕縛、生命危機(寿命)

     令呪:喪失

 

   『繰丘椿』

     所属:夢世界同盟、サーヴァント同盟

     状態:強化(寄生)、???

     令呪:残り0?

     宝具:感染接続(オール・フォー・ワン)

     備考:夢世界再構築

 

   『署長』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:魔力消耗(大)、重傷(右手喪失)、捕縛

     令呪:残り0

 

   『ジェスター・カルトゥーレ』

     所属:レギヲン

     状態:死亡×5

     令呪:残り0

 

   『フラット・エスカルドス』

     所属:夢世界同盟、???

     状態:感染

     令呪:残り3

     称号:絶対領域マジシャン先生の弟子

 

   『ファルデウス』

     所属:レギヲン

     状態:――

     令呪:残り1

 

 



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day.11-01 ゲーム

 

 

 この偽りの聖杯戦争において、フラット・エスカルドスの注目度はマスターとサーヴァント全てを含めた主要人物内において常に上位にあった。

 

 あのロード・エルメロイⅡ世の最古参の弟子という経歴からして、スタート段階での彼の注目度はそれなりに高いものだった。

 かの人物の元で学んだ魔術師はその全員が大成しているとも聞く。そんな彼が時計塔を卒業させることなく長年手塩にかけ育て続けている秘蔵っ子とも聞けば、その噂だけでも危険度は簡単に跳ね上がる。

 

 街中で白昼堂々サーヴァント召喚に挑む大胆さと自信。即座に二十八人の怪物(クラン・カラティン)の厳重な警戒網を撒いてしまう能力。そんなものをまざまざと見せつけられれば、噂が嘘ではないと誰しも直感することだろう。

 そして戦略面においても、当初からバーサーカーを真名であるジャックと呼ぶことで、セオリーとは逆にサーヴァントのクラスを秘匿。結果としてヒュドラをバーサーカーとして周囲に誤認させてしまってもいる。

 

 更に本人は宮本武蔵と遭遇以降二十八人の怪物(クラン・カラティン)の情報網から完全に姿を眩ませ、その痕跡すらついぞ発見することができずにいた。

 しかもその影で夢世界から繰丘椿を救出し、ライダーを現実世界へ参戦させるという偉業を成し遂げ、現実ではバーサーカーの変身能力及び情報抹消スキルを駆使して各サーヴァントと平和協定を結ぶべく卒なく動いている。

 

 もうこれだけ列挙しただけでも充分に致命的であったが、止めを刺したのは、フラットがこの戦争に参戦した動機が「英雄を友達にしたい」という恐るべきものだったことだろう。この願いが、一体どれほど“上”を焦らせたか本人には分かるまい。

 何せ、この戦争はサーヴァント全員を束ね“偽りの聖杯”に対抗させることで御破算となる。せっかく互いに争い合っているところを平和裏に団結されては元も子もない。

 こんなふざけたお題目を本気で受け取る者がいるわけもないが、別の意図を持って喧伝したとなれば、その脅威は計り知れないものとなる。

 

 他者を欺き利用する狡猾さ、“偽りの聖杯戦争”の根本を揺るがす動機、そしてこの戦争での実績を考慮すれば、彼を誤解するに足る十分過ぎる材料が出揃ってしまう。

 有り得ないことだが、“偽りの聖杯戦争”を察知したあのエルメロイⅡ世が用意した最終兵器とでも勘繰りそうである。

 

 彼をよく知る者ならこの天井知らずの高評価に一通り呼吸困難に陥るほどに笑い転げ、ゆっくりと立ち上がり肩を叩いて哀れみを込めた目線で「偶然だ」の一言で片付けるのは間違いない。

 ここで原点に立ち戻り冷静に判断すれば、笑われて当然だと納得もできよう。しかし間の悪いことに、その事実こそがより深い疑念の渦へと引きずり込む罠となっていたりする。

 つまり、彼は普段から昼行灯を気取り周囲を欺いていたのかと、大真面目に議論されるぐらいに脅威となっているのである。

 

「少しだけ擁護させて貰うと、“上”がそう思うのも無理もない。あっちには世界を支配できるスノーホワイトの分析力と、それを制御し抑制するための実働部隊があるわけだからな。この緻密な計算と莫大な予算によって計画された“偽りの聖杯戦争”が偶然如きに揺るがされることなどあってはならないわけだ」

 

 そう言いながら、キャスターは行儀悪く足を組んで机の上に乗せた。その衝撃は机の上に置かれたゲーム盤にも伝播するが、駒は多少位置がずれたところでその役目を変えることはない。

 

 机に足を乗せたことで自然とキャスターの視界は盤上から天井へと移っていた。この部屋の天井には星空の如く光る無数の光源。その大半は小さく淡いだけではあるが、中央に座す光だけは例外的に強く光り輝いていた。

 かつて、ここには原住民が神と崇める“偽りの聖杯”があった場所であると聞いたが、今やその面影はない。ただ広い空間がそこにあるだけで、荘厳さはどこにもなく、大部分は闇に呑まれている。このどこかにティーネ・チェルクがいるらしいが、未だにその姿をキャスターは拝むことができなかった。

 

 チラリ、とまた盤上へと視線を移す。キャスターの次の手を読もうと必死になっている繰丘椿はそこまで気が回っていないようだった。随分と時間をかけて次の手を打つが、キャスターは足の指で器用に駒を動かし即座に応手する。その表情から察するに、次の手を打つにはまた時間がかかりそうだった。

 

「――けれど、実際にただの偶然によってその土台が揺らいでしまった。全容の一端しか知らずとも、少なくともフラットにそんな計画性などないことは実際に出逢った私がよく知っています」

 

 闇の奥から、ティーネの声が響き渡る。

 この状況を作り出す元凶を無理矢理導き出そうとするなら、フラットの他にいないだろう。容疑者が一人だけなら、犯人と怪しむのは定石である。

 

「だからこそ――これは神の御手によるものなのさ」

「噂に聞く抑止力が働いている、ということですか」

 

 実にあっさりと、数ある解答の中からティーネはそれを選び出す。

 キャスターがこの聖杯戦争のシステムを解説したつもりはないが、“偽りの聖杯”の巫女たる彼女であれば、何となく予想はついていたのかもしれない。

 偶然と呼ばれる神秘。

 その正体こそ、抑止力と呼ばれる力だ。

 

「おかしな話ですね。そのスノーホワイトやらがそれほど優秀であるとするならば、何故こんな安直な答えに辿り着けないのですか?」

 

 むしろシステムとして抑止力を取り入れている以上、真っ先にその答えが出てしかるべきだ。

 

「簡単な話だ。スノーホワイトはこの問題に関しては大前提として抑止力を想定せぬよう設定されているからだ」

「よくある政治の話ですね。計画に予算がついた後で見つかった致命的なミスを隠そうとか」

「だいたいそんなところだ」

 

 さすがは一組織のトップだけあって、キャスターの言い方からそうした利権がらみの柵に関して思いつきも早ければ、理解も早い。

 抑止力はコントロールできる、それが大前提。それができないと少しでも疑念を抱かれれば計画そのものが泡と消えかねないし、動き始めた車輪を止めるには不都合な人間も数多かった。

 もちろん、そのための準備は万全にはほど遠くとも十全以上に用意してある。抑止力を必要としない予防策こそが、抑止力コントロールの要であると計画は謳っている。抑止力介入の隙間は予め存在していたのだ。

 

「――成る程。その間隙を利用してフラットを陥れたのですか、キャスター」

「……」

 

 ティーネとキャスターの話の隙間を縫うようにして、椿がまた一手、駒を動かした。

 ライダーによって椿はゲームに集中できるよう聴覚を閉じられている筈。なのでこのタイミングは偶然であるが、ティーネの推察にキャスターは駒を間違った位置に置いてしまう。

 盤の中頃を支えていた歩兵が椿の駒によって食い破られた。同時に何やら慌てる椿であるが、キャスターは特に何もしない。駒の動きこそルール違反ではないが、ミスであるのは明白だ。

 相手のミスにつけ込むような手は気が惹けたのだろう。しかしこのゲームに「待った」はない。

 この一手で趨勢は逆転した。

 

「これも抑止力ということか……」

「足でゲームなどするからです」

 

 キャスターの負け惜しみにティーネのもっともな意見が突き刺さる。これまで注意しなかったのも、このタイミングを見計らっていたからなのか。邪推はいくらでもできるが、どうやらティーネはこのゲームを注視しているらしいことは理解できた。

 この闇の中、果たしてどこにいるのか。

 

「――さて。話を戻しましょう。

 キャスター、あなたがフラットを陥れた犯人ですね?」

 

 ずばりと尋ねてくるティーネに刑事ドラマの取り調べを思い出す。ライトを犯人に照らし付けることで心の浄化を促し自白させる、心身医学学会注目の治療法である。だからだろうか、天井中央の光源が先ほどよりも輝きを増している。

 あとはカツ丼が出てくれば文句はない。

 

「……まぁ、否定はしねえよ。犯人は俺だ。正確には、俺とバーサーカーだけどな。もっと正確にいえば、バーサーカーだ」

「責任転嫁じゃないですか」

「いやいや、実際俺が把握していないところでバーサーカーの奴、色々と暗躍してたからな」

「後期クイーン問題というのを御存知ですよね?」

「俺がバーサーカーを操っていたってか? 俺を高く買ってくれるのはありがたいが、それについては否定しておくぜ。バーサーカーが切り裂きジャックだと知ったのもロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)によるものだしな。それを知っていたなら、もっと面白可笑しくあることないこと吹き込んでおいたってのによ」

 

 残念がるキャスターに呆れたような視線が突き刺さる。

 

「スノーホワイトについても教えていたのでしょう?」

「ああ、いの一番に教えたぜ。携帯持ってると情報が筒抜けになるってな。それをバーサーカーは逆手にとって偽情報を流したり位置情報を誤魔化してたりもしたようだな。外に出られない俺じゃそんなことはできなかった」

 

 そのためにキャスターはスノーホワイトの防諜活動網(シギント)に触れることなく活動できるよう、アサシンに渡したものと同様の通信端末をバーサーカーにも渡している。

 この通信端末が巡り巡ってジェスターの手に渡り利することになるのだが、この時点でキャスターがそんなことを知るわけがなかった。

 

「後から考えると、バーサーカーはわざと自分が狙われるように動いていたな。ファルデウスが初手でバーサーカーを仕留めたのも、実はバーサーカーの思惑通りだったんじゃねぇかな」

 

 あの時点でスノーホワイトの能力を専有していたのは“上”だけだ。バーサーカーの行動に危機感を抱けるのも“上”だけ。バーサーカーの目的は、そんな“上”に連なる者をこの舞台に引っ張り上げることにあった。

 

「何故そんな回りくどいことを?」

「俺達サーヴァントが一致団結するためには明確な敵が必要だったんだよ。古来より危機的状況に陥らなけりゃ人間ってのはまとまれない生き物だからな」

 

 キャスターの言葉にティーネは押し黙る。

 だが押し黙ったのは皮肉を言われたからではない。

 

「……解せませんね」

「何がだ?」

 

 盤上では先の悪手が致命的となり、キャスターの敗色が濃くなりつつある。さすがに足の指で駒を操作するのはもう止めておいた。

 

「この聖杯戦争のシステムに詳しいあなたが扇動する、というのなら理解できます。しかし、バーサーカーの行動は必ずしもあなたの意に沿ったものではありません。不自然です」

 

 本来なら真っ先にキャスター得意(?)の嘘を疑われるところだが、ティーネはそんなことを欠片も考慮していなかった。

 信用してくれるのは素直に嬉しいが、少々こそばゆい。

 

「あの冬木から来たっていう東洋人、だ」

「――?」

「奴が召喚したサーヴァントが宮本武蔵。そして直後にバーサーカーはアサシンに遭遇している。そりゃ、該当クラスが明らかに被っていれば疑いもするだろうさ」

 

 そしてキャスターがあの段階で本格的に裏切った理由はバーサーカーからこの話を聞いたからである。署長がああもあっけなく寝返った理由も、東洋人が持つ別系統の召喚システムが存在したからだ。

 セイバーのクラスを補完する存在などと東洋人は説明されていたようだが、そんなものを設定しているわけがない。規定外のサーヴァントの召喚は盤石とされたシステムに穴があることを逆説的に証明していた。

 

「この“偽りの聖杯戦争”がどういった仕組みで成り立っているのか一から調べ直す必要があった。それは幽閉されていた俺じゃできない仕事だ」

 

 結果を重視するバーサーカーと、過程を重視するキャスターはその意味で相性は悪くない。バーサーカーが望んだ結果を出すのなら過程はキャスターの指示でもいいからである。

 幸いにして、バーサーカーはそうした調査に秀でたサーヴァントである。生半な能力であればキャスターも手を出し口を挟み、面白くないと見限れば裏切ることもしただろう。

 トリックスターとしてバーサーカーはキャスターの想像以上に優秀だったのだ。

 

「それで、分析した結果はどうなったのです?」

「俺や署長も含めて、抑止力が働いてもその力は弱いと考えていた。それだけ精緻に計画されていたからな。仮にも抑止力が働くとすれば、それはバグにまず働きかけるだろうと推測した」

「バグ、というのは東洋人のことですか?」

「バグってのはつまるところフラット・エスカルドスだ。繰丘椿であり、銀狼であり、ジェスター・カルトゥーレであり、そしてティーネ・チェルクでもある。東洋人は確証を得るためのきっかけにすぎない」

「マスターそのものがバグだと?」

「この“偽りの聖杯戦争”に願いを叶える聖杯は存在しない。故に選ばれるのは聖杯に願いを持たない、魔術師として欠陥(バグ)を持つ者だけだ」

 

 戦争序盤でこの事実に勘づいたバーサーカーは、キャスターの情報に触れることで確信を強めていった。

 その確認を取るために自らのマスターを危険に晒すなどサーヴァントとして反逆行為に等しいが、本当に抑止力が働いているとするならバーサーカーの行為に反比例するかのようにフラットは守られる筈なのである。

 実際、フラットはその足跡をアサシンの構想神殿に囚われることでリセットし、夢世界に引きずり込まれることで迂闊な行動をすることなく情報収集に成功し、魔力不足で動けなくなることで英雄王と黄金王の争いに巻き込まれることなく安全に過ごせている。塞翁が馬を地でいったわけである。

 

「そうしたバグ同士を聖杯戦争の名目で潰し合わせることで従来の向けられるべき矛先を逸らし、本来のシステムに気付かないように仕向ける、というわけですか」

 

 ゲームのタイトルが“聖杯戦争”であれば、そのルールは“聖杯戦争”のものに決まっている。喧伝されていれば尚更だろう。

 似たような状況と配置だからといって、お題目通りである保証はどこにもないというのに。

 

「つまるところ――」

 

 キャスターが言葉を句切る。

 ゲームの勝敗は結局覆ることはなかった。

 バチン、と椿の手にした駒が、盤上を強かに打つ音が響き渡った。

 繰丘椿が、不安げな眼差しのまま、勝利宣言にも似た言葉を放つ。

 

「――王手、です」

「俺達は、チェスをやってるつもりで、実のところ将棋で遊んでいたのさ」

 

 獲った駒を自軍の駒として利用できる。そんなルールに気付くことができれば、見いだせる事実もあるだろう。その背景に、思惑に、流れともいうべき運命を見いだすことも可能かも知れない。

 

 確率的に起こり得ないことがこの聖杯戦争は起こり過ぎている。奇跡のバーゲンセールのようなものだ。例を挙げれば切りがないが、その最たる存在が、キャスターの目の前に暗闇のベールの中から現れる。

 夢世界に捕らわれ能力を活かせないながらも現実に帰還し、

 ファルデウスに捕まりながらも殺されることなく乗り切り、

 デイジー・カッターの直撃に巻き込まれながらも生き残り、

 敵に囲まれ重体でありながら見捨てられることをされなかった。

 

 ティーネ・チェルク、スノーフィールド原住民の長。

 彼女は間違いなく、その身を抑止力によって守られている。

 大事で大切で、替えの利かない駒として、生きることを強いられている。

 

「お姉ちゃん!」

 

 もはやその身に掠り傷一つ残すことなく復活したティーネに、椿が叫びながら抱きつき、そのまま泣き始めた。その様子は何とも温かいことだが、残念ながら悠長な時間はあまりない。

 

「なんとか間に合ったようだな?」

「お陰様で」

 

 天井の光は、原住民の数を表している。そしてその輝きは強さの証。現時点でティーネの強さは際立っているが、それは他の原住民がティーネに追随する力がないことも意味している。

 

「現状は分かっているな?」

「無論です」

 

 前回は、一人で突入し、そのまま虜囚の身となった。同じ間違いを繰り返す愚を犯すことはできない。

 つい先ほど斥候からの報告によりアイオニオン・ヘタイロイとか名乗る魔術師集団が基地に攻め入ったとの一報が入った。その数、確認できただけでも一〇〇名余り。人数こそ多いが、拠点防衛を行い遅滞戦闘を繰り返すファルデウス達プロの軍人相手に決定打を与えることはできないだろう。

 それを打破するためには一刻も早い援軍が必要だった。それも魔術を解し、軍の訓練も受けたことのある、この状況に通じた練度の高い即応部隊が。

 

「投了だ。何なりと望みを言ってくれ」

 

 キャスターと椿の将棋対決は、その実互いの望みを叶えるための真剣勝負。

 キャスターはチェスなら嗜んだことはあるが、将棋は初めてである。対して椿は将棋の経験こそあれ殊更秀でているわけではない。一見すると一長一短で良い勝負をする可能性もあったが、人生経験において両者に差がありすぎる。敵の手を読むことに長けたキャスターが圧倒的に有利である。

 

 これは実験だ。

 もし、抑止力がここで働かず椿が負けていたのなら、キャスターは手を貸すことなく独自行動をする予定だった。ここで椿が負けるのであれば、最初から抑止力など働いておらず、本当にただの偶然だったとすら思う。

 

 結果は御覧の通り。

 足掻くことは可能だが、あの最悪手(ブランダー)で取られた歩兵が決定的だった。どう先を読んでも最後に歩兵を打たれて詰んでしまう。冗談ではなく、あれは本当に抑止力だったのかもしれない。

 

 椿をなんとなしに眺め見る。気の効いた言葉のひとつでもかけようと思っていたが、椿の顔には何か焦りが見えるように感じられた。

 そんなキャスターが何か言う前に、椿は先んじて口を開く。

 

「では、キャスターさん。お姉ちゃんに、あなたの部隊を貸してください」

 

 やや早口。どうあってもキャスターの負けだというのに、一体何を焦っているのか。その行動に疑問こそ覚えるが、もはやこうなってしまっては些事であろう。勝てば官軍というやつだ。

 敗者は勝者に傅くべきだろう。

 

「仰せのままに」

 

 キャスターがパチンと弾かれた指の音を合図に。

 背後でじっと待機していた部隊が一斉に立ち上がる。

 あの南部砂漠地帯での戦闘で助けた二十八人の怪物(クラン・カラティン)

 その数は皮肉にもその名の通り、二十八人である。

 

 獲った駒を利用できることが将棋とチェスの最たる違いだ。

 ティーネ・チェルクはそれを実践してみせる。

 かつて敵としていた二十八人の怪物(クラン・カラティン)を率い、彼女は最後の戦場へ立ち上がった。

 

 



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day.11-02 基地侵攻

 

 

 魔術師と相対する現場には即時臨機応変な対応が求められる。

 これは魔術師を同じ人間ではなく人間の上位互換として扱い、高い知性による貪欲な探求心と魔術という看過できぬ特殊アビリティがあることを前提とした結論である。彼等独自のテクニックとセオリー、そして豊富なバリエーションは従来の軍隊でそう簡単に相手取れるものではない。

 

 この問題点を一朝一夕に解決することは難しいが、策がないわけではない。

 ファルデウス率いる『レギヲン』ではそのことを重視し、従来のピラミッド構造から並列多重スター構造へとその指揮系統を変えている。現場指揮官は無論、その末端に至るまで多くの情報と大きな裁量権を与えることで、その場凌ぎながらも対応策を打っていた。

 だからだろう。

 こうしたヘタイロイの猛攻に対して、レギヲンは慣れぬ敵にあっても相手を侮ることもなく、よく耐えていた。

 

 スノーホワイトが試算した通常戦力による対魔術師屋内戦闘による予想全滅時間は約三分。これを彼等は三倍以上の時間持ち堪え、更に自軍の数倍に及ぶ魔術師を逆に葬り散っていた。奇襲を受けながらのこの戦果は奇跡にも等しい。

 彼等は自らを犠牲に、貴重な時間を稼いでくれた。

 

「報告します。各メインゲートの充填封鎖終了しました。メインシャフトの完全硬化まで残り一〇分。B2、C3、D5フロアの部隊から通信途絶。これで第二層まで完全制圧されました」

「第八区画の防火扉を閉じてください。残った部隊はその隙にバリケードを再構築。遅滞戦闘をこのまま継続しますよ」

 

 陽が昇ると同時に仕掛けられたこの奇襲によって地上戦力はあっけないほど簡単に全滅していた。

 部隊の三割をものの三〇分で消耗したというのに、ファルデウスの口調は変わらない。上に立つ者の資質とかそういうものではなく、単純にこれくらいの被害は想定済みというだけだ。

 

 奇襲当時、ファルデウスはたまたま仮眠から目覚めており、作戦司令室にいたことが幸いした。直後にファルデウスは基地第五層までの破棄を決定し、“偽りの聖杯”に至るメインシャフトにも充填剤注入による封鎖を指示してある。

 メインシャフトが使えなければ、残すは一般通路を残すのみ。複雑に入り組んだこの基地で最下層に辿り着くには至難の業である。通路を熟知していなければ、とてもではないが間に合うまい。

 

 本来籠城目的の指示であるが、目的はほんの一時間ばかり確実に時間を稼ぐことである。

 いかに強大かつ多勢である魔術師を相手にするとはいえ、この決定はあまりに慎重すぎるとも思えた。これでは誰も――ファルデウス達すらも“偽りの聖杯”を確保することができない。あの大きさであれば、確保するにしても年単位の大掛かりな復旧工事が必要となってくる。

 それでも、これが勇み足だったとは思わない。

 

「皮肉なものですね。まさか我々がここの防衛にあたるとは」

「まったくです。ですが、そのおかげで被害は最小限に留まっています。それに敵司令官はお世辞にも三流にすら届かぬ四流です。わざと手を抜いているのかと勘繰りしてしまいそうです」

 

 椅子に座って頬杖を突くファルデウスの独り言に、隣で直立して指揮を執る口髭副官も同意する。

 上層部を赤く染めた基地の概略図がメインモニターに映し出されている。赤は敵浸透具合を分かり易く示したものだが、その侵攻速度はプロの軍人と比べればあまりに遅い。魔術師の火力と機動力、そして一〇〇名を超える数は恐るべきものだが、残念ながら敵指令官はそれらを生かし切れていなかった。

 

 署長率いる二十八人の怪物(クラン・カラティン)ならば、今頃この司令室か“偽りの聖杯”のどちらかは制圧を完了していることだろう。ファルデウス率いるレギヲンならば、その両方を制圧できている。

 これは別に根拠のない自信によるものなどではない。

 並の軍隊でいきなりこの基地を制圧するのは難しいだろう。専門の特殊部隊だって手こずるに違いない。精鋭揃いの『レギヲン』だって基本条件は同じである。唯一違うことといえば、彼らはこの基地の制圧訓練を数年前から繰り返し行っていた点である。

 

 ファルデウスが根城にしているこの基地は、本来であればこの聖杯戦争中に使用されることのない秘密施設である。しかし大深度地下に“偽りの聖杯”やスノーホワイトといった重要機密が設置されている以上、聖杯戦争の過程で敵に発見され確保される状況は十分に想定されることだった。

 元々ファルデウス達は戦後処理をするための部隊でもある。こうした基地制圧も任務の一環に過ぎない。攻め入ることを検討した以上、この基地の弱点は知り尽くしている。奇襲を受けた段階でどれだけ早くその弱点をカバーできるかが鍵だったのだ。

 彼等は時間をかけすぎたのだ。

 やはり、こちらの勝利は揺るぎない。

 

 ファルデウスの視線が基地内における敵分布を撫でる。赤い領域は徐々にではあるが確実に下に伸びつつあるが、それでも遅い。この調子ならば、第五層に到達する前に時間切れ。“偽りの聖杯”は誰の手に届かぬ場所へと隔離され、スノーホワイトは再起動を完了する。

 時間が経てば、駆逐するのは難しいことではない。

 

「……などと楽観視はできない、か」

「? 何か言われましたか?」

「いえ、なんでもありません。引き続き状況に注意してください」

 

 魔術師を理解せぬ口髭副官にファルデウスの危機感を共有させても何かできるとも思えない。余計な情報を与えるより、ここは混乱を避け手堅く対処することを優先した。部隊の指揮は口髭副官に完全に任せ、自らはこの状況の分析に入る。

 

 敵の正体には当初から気付いている。彼等は序盤で宮本武蔵に蹴散らされた雑魚が寄り集まってできた集団だ。烏合の衆とまではいかないが、即席部隊であることには違いなく、現状のように連携などとれていないのが当然だ。

 だが、それだけにファルデウスは彼等の司令官が恐ろしく思えていた。

 先ほど口髭副官は敵司令官を指して「四流」と笑っていたが、全員が笑う中でファルデウスだけは笑うことはできなかった。

 

 魔術師は己の魔術を秘匿するためにスタンドプレイを好む傾向がある。いかに切羽詰まった状況であっても、一〇〇人以上の魔術師に同じ目的を持たせ、まとめあげることなどそう簡単にできることではない。率直に不可能だと思うし、実行し実現できる人間がいるとも思えなかった。

 ましてや、今までファルデウスは彼等の存在に気づきもしなかったのだ。初日敗退からこの瞬間まで、彼等は一体どこで何をしていたのか。

 誰か一人でも裏切れば致命的、そうでなくとも誰か一人尻尾を出せば、その痕跡をスノーホワイトが見逃す筈がない。ロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)ですら彼等の情報は全くなかったのだ。

 

 指揮能力など、問題ではない。

 脅威であるのは、異常なまでの統率力(カリスマ)

 それでありながら、敵の大将は最初から彼等の指揮を放棄している。下手な連携など逆効果、大まかな指示だけを残し後は各人の判断で行動。他部隊の危機をろくにカバーすることもなく無駄が多い動きにも、それならば説明も付く。

 問題は、その大まかな指示が何を目的としているのか分からないことか。

 

「……捕えた者達はどうなっていますか?」

 

 頭を巡らすが、城攻めを行う理由を他に求めるならば、これぐらいしかファルデウスは思いつけなかった。

 傍らにいた基地内管制を担当しているオペレーターに確認を取る。急な質問であってもオペレーターはすぐさまファルデウスの質問の意図を察し、モニターに順に情報を呼び出してくる。

 

「合成獣は第六層で拘束中です。カメラにも異常はなし。署長とアサシンは第四層で拘束中です。カメラと盗聴器の類はジェスター氏に取り外されておりますが、熱源反応から同じく拘束中と思われます。そして――」

「第四層、ですか?」

「はい。第四区画Cブロックです」

 

 引き続き報告しようとするオペレーターの台詞を遮り、ファルデウスは確認する。

 オペレーターの手元で表示される画像には、檻の中で鎖に繋がれた合成中のライブ映像。アサシンと署長らしき二つの熱源も表示されている。続いて操作しようとするオペレーターの行動を手で制し、画面上に表示された位置を確認する。

 第二層までは敵に占拠された。第三層も数分以内に占拠されるだろう。いくら遅滞戦闘を行っても第四層をこのまま守ることはできそうにない。

 

「これは、失念していましたね」

 

 口元を覆って自らのミスに今更ながら気付く。

 署長とアサシンが敵の主目的であるとは考えにくい。彼等の生存は偶然の産物であり、敵はその生死の確認すら取れていない筈。そんな確証のないものに時間を費やすとは思えない。

 しかしジェスターは別だ。ここでアサシンを奪われるようなことがあれば、彼女に固執するジェスターがどう動くか分からない。使い潰すつもりだが、ここで寝返られたらやっかいなことこの上ない。

 

 ひとまずジェスターに二人を安全圏に移動させようと指示を口にしようとした直前、上層部の区画がまた一つ赤く染まったのが目に入った。

 ランサーに破壊された七番格納庫がある区画。元より復旧できる見込みがなかったので、侵入されぬよう天井を厳重に塞いだだけで放棄された区画だ。搬入リフトは生きているが、真下にある区画は充填剤によって硬化してある。ここから下へと侵入するのは不可能――

 

「……、何を言いかけた?」

「はっ?」

「合成獣、署長、アサシン、そしてその次に何を言おうとした?」

「はっ、――捕らえた者の情報をお求めの様子でしたので、」

 

 ファルデウスの突如としたその気迫に圧され、オペレーターは一度唾を飲み込んだ。

 

「スノーフィールド市民の情報を出そうとしておりました」

 

 その言葉に、ファルデスは敵の狙いがこれだと理解した。

 この基地には付属となる避難シェルターが外周部に存在している。基地上層と繋がっているもこの施設には、現在八〇万市民が施設一杯に詰め込まれた状態にある。

 あり得ぬ選択肢ではない。むしろ目的としては真っ当であろう。八〇万もの命はこれを論議するまでもなく、犠牲にしてはならぬもの。この戦争に巻き込まれ死なせるようなことはあってはならない。

 けれどそれは、魔術師としての考え方ではない。

 

「……ハハッ。これは傑作です。公務員たる我々が市民の犠牲を許容し、呼ばれもせぬのに湧き出た蛆虫風情が市民の保護を進んでするとは……」

 

 馬鹿にするのにも程がある。

 挑発するにも分を弁えろ。

 

 普段の柔和な態度でありながらも、ファルデウスの身体から我知らず殺気が漏れ出てくる。得体のしれぬ殺気を敏感に感じ取ったのか、この場にいる全員に緊張が走る。隣で指揮を執る口髭副官ですら素知らぬふりをしながらも、さりげなくファルデウスから距離を取っていた。

 今なら殺人鬼の気持ちが良く分かる。気の向くままに、そのナイフを肉に突き立てたくなる。

 

「副官」

「はっ。なんでありましょう」

「スノーホワイトの準備を急がせろ。システムチェックは省略。オプションは戦闘モードで出撃準備」

「はっ。スノーホワイトのシステムチェックを省略。オプション機は戦闘モードにて全機出撃準備、急げ!」

 

 俯きながら指示を出すファルデウスに口髭副官は疑問を解消することもなく復唱し命令に従った。立場上ファルデウス自らが命令してもいいのだが、今はダメだ。このメンタルで誰かと面と向かうには、些か以上に自制が必要だった。

 小さく深呼吸を二回。頬を叩けば、いつものファルデウスがそこにいる。

 

「……ジェスター氏はどうしていますか?」

「現在第三層エレベーターホールにて防衛中です」

 

 先のファルデウスの殺気に咄嗟に答えることのできぬオペレーターに代わり、口髭副官が答える。

 手塩にかけて育ててきた精鋭が怯えるほどの殺気を出していたことに、ファルデウスは反省する。この程度で怯むのであれば、彼らはきっと、この戦場で命を落とすことになる。

 

「彼に急ぎ七番格納庫の様子を確認してもらうよう連絡してください」

「七番格納庫――お言葉ですが、ジェスター氏が応じるとは思えません」

 

 このままではアサシンが奪われる可能性は高い。それに気付かぬジェスターではない。

 本心では今すぐにでもアサシンの元へ駆けつけたいくらいであろう。実際、あの場が持ち堪えているのはジェスターによるところが大きい。ジェスターがそこから抜ければ戦線はあっけなく瓦解し、第四層まで一気に攻め込まれる可能性がある。

 それに、七番格納庫に行くには敵中央を突破していく必要がある。いかにジェスターといえどもそうそう簡単になせることではない。

 

「なら、一個小隊を援軍に向かわせましょう。ジェスター氏が許可するならアサシンもより安全な場所へ移動させると伝えてください。そう言われて首肯しないわけにもいかないでしょう」

「……よろしいのですか?」

「さすがに敵に奪われるわけにはいきません。二人の元にはランサーを向かわせます。想定外ですが、ここでジェスター氏にはご退場願いましょう」

 

 ジェスターの不運はアサシンの元へ戻る間もなく奇襲に応戦せざるを得ない状況に陥ったことだ。

 アサシンの安全を確保するためにはファルデウスの協力が必要であり、この要請をジェスターは断ることができない。断るようならば、二人の命を保証しないと暗にファルデウスは告げている。

 もちろん、保証どころかジェスターが七番格納庫に行った直後にファルデウスはランサーを用いて二人を始末する腹積もりである。

 

「これから敵は何かを仕掛けてきます。不確定要素を先んじて排除するに越したことはありません」

「何か、と仰いますと?」

「さて。それはまだ何とも言えませんね」

 

 敵の目的は、八〇万市民の脱出だ。七番格納庫を確保したのは搬入リフトを下ではなく上へ動かすためだろう。一〇〇名以上の魔術師を総動員しながら、やることは脱出ルートの確保でしかない。

 これは謂わば前座だ。現状を許容するのであれば、わざわざ八〇万市民を脱出させる必要はない。逆に言えば、これから許容できぬ何かをするから、市民の脱出を試みたのだろう。

 

 敵はファルデウスやスノーホワイトなど眼中にない。

 狙うはただ一つ、“偽りの聖杯”のみ。

 なるほど。大将が指揮を放棄しているのもこのためか。

 本人は単独で“偽りの聖杯”へ向かっている。

 

「彼等は“偽りの聖杯”を――倒すつもりです」

 

 このファルデウスの言葉を裏付けるかのように、その瞬間、激しい衝撃が基地全体を揺るがした。

 

 



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day.11-03 フラット侵入

 

 

「ええっ! まさかもう始まっちゃったのかな!?」

 

 基地を連続して揺るがす衝撃に足を取られながらも、フラットは慌てながら基地の通路を駆けていた。

 ヘタイロイを形成させた立役者でありながら、その周囲にヘタイロイの護衛はいない。作戦が始まってからある程度過ぎた段階で彼の役目は終わっていたのだ。フラットなどいなくとも後はどうにでもなる。それ故の単独行動だった。

 

 将でも兵でもない今の彼は、一人のマスターとして行動している。つまりは、アサシンの救出にフラットは動いているのである。

 フラットとアサシンの間には魔力供給のパスがある。現在はアサシン側からそのパスを閉じられているようだが、パスそのものがなくなっているわけではない。このスノーフィールドの隔離結界を突破し、時計塔の学部長の下まで連絡をしてみせたフラットである。少々手間取りはしたが、アサシンの大まかな場所くらいならなんとか把握できる。

 近付けば近付くほどその位置は正確に把握できる。

 

「アサシン、聞こえてるなら返事をして!」

 

 声にも出してみるが、反応はない。

 電子欺瞞(ジャミング)は予想通りだが、念話も各層毎に張られた強力な結界によって阻まれている。解析しようにもその時間はないし、単純に破るだけの出力も足りていない。ならばとこうして近付いはみたものの、アサシンから反応が返ってくる様子もない。意思疎通を図るにはもっともっと、近付く必要がある。

 

 駆け抜ける通路は地下墓地(カタコンベ)を彷彿とさせた。あちこちに激しい戦闘の痕がみられ、血塗れの死体が思い出したかのように横たわっている。

 敵味方問わず死体の横を通り抜けるたびにフラットは十字を切った。この責任は全て自分にあると本気でフラットは思っている。ヘタイロイを利用するような形になったことにも、罪悪感を抱いていた。

 ただ、そんな彼であっても嘆き悲しみ足を止める愚だけは犯さなかった。最小の犠牲で最大の成果を得る。避けられぬ争いならば速やかに、最大の効率をもって終わらせる。

 

 ヘタイロイの形成と時計塔との交信、アサシンの距離と方角を特定するという偉業を成し遂げながら、フラットがもっとも心砕いたのが作戦に向けての覚悟である。その下準備はからくも役に立っているようである。

 とはいえ、フラットの目論見が順調に進んでいるわけではない。

 

「ま、たっ!」

 

 荒い息を抑えながら、これで三度目の外れを引く。

 この基地の図面は事前に頭の中に入れてある。問題はその図面の中に隔壁という項目がなかったことだろう。

 隔壁というより防火壁に近い薄さだが、それでも人力で開けられるものではない。ダメ元で傍らの走査端末から隔壁解除を試みようとするが、案の定自壊措置が作動しており中の電子回路は仕込まれた薬品で溶解させられていた。さすがのフラットもこれでは解除のしようがない。

 

「どうしよう……やっぱり無理してでも突破するべきかな……」

 

 こと魔術全般について天才の域に達しているフラットであるが、物理的な破壊は性格的にも苦手な分野にある。

 先日には魔力切れで危うく死にかけたところだ。多少回復したとはいえ無理できるほど回復しているわけでもない。魔力にものをいわせて突破しても、助けるべきアサシンに供給する魔力がなければ意味がない。

 

 脳裏に描いた地図を検討するが、無駄に広いこの基地はどのルートも迂回するのに時間はかかるし、次も隔壁が閉じていた場合には同じように悩むことになる。そしてほぼ確実に隔壁が閉じていることだろう。

 ならば、ここいらで覚悟を決めるべきだ。

 

 フラットの手に武器はない。護身用にと結構な物を渡されもしたが、丁重に辞退した。こんな状況であるが非武装だからこそ平和的解決に繋がるものがある筈だ、とフラットは信じている。その思いが見事に裏目に出た瞬間である。

 呼吸を整え、肉体に魔力を通して強化する。魔術師として身体は多少鍛えてはいるが、フラット自身に武術の心得などはない。なのでやることはシンプルだ。

 隔壁のとっかかりに指をかけ、力任せに強引に開かせる。隔壁の構造や材質、各部強度を読み取る限りではこの方法がもっとも魔力消費が少なく、派手な破壊音から敵を呼び寄せる心配も少ない。

 

 その判断が、フラットの命運を分けることとなった。

 

 悩み時間をかけていれば死んでいただろうし、強化の魔術以外を選択しても死んでいた。窮地に陥りながらも無自覚にピンポイントで回避しているからこそ、フラットは重要危険人物に指定されるのである。

 

 強化完了した瞬間に、それは来た。

 火花が散ったと見粉ったが、それが瞼の裏でない確証はなかった。

 見るより早く、知るより先に、吹き飛ばされたという感覚だけを得る。激痛は後から頼みもしないのについてきた。

 

「――なっ? くっ! かはっ!」

 

 あまりの衝撃に受け身も取れずに固い通路の床に無様に落ちる。

 武器は持たずとも防具は装着している。衝撃は胸部プロテクターが一手に引き受けていた。手榴弾を始めとする破壊を撒き散らすタイプの武器は一定の距離がなければその効果を発揮することはない。その意味ではフラットが助かった一因は距離が近すぎたおかげだった。

 

「――おっと。これはこれは。そこにいるのはもしや、フラット・エスカルドスかな?」

 

 ガラガラと隔壁が崩れる音に混じって、隔壁を潜り抜ける男が一人。

 隔壁の向こう側にもフラットと同じように隔壁を壊そうとした者がいた。ただそれだけの事実。もっとも、このタイミングには悪意が存在している。

 隔壁を爆散させた人物は、隔壁の向こうに誰かがいることは百も承知であったのだから。

 

「そういうあなたは……ジェスターさん、ですよね?」

 

 罅が入った肋骨を治癒しながら、フラットはふらふらと立ち上がる。

 見覚えのある容姿ではない。それでもジェスターと確信したのはフラットの目からその人物が人間に見えなかったからだ。消去法ではあるが、こんな異形がそうそう他にいるわけもない。

 アサシンの正規マスターにして、この聖杯戦争トップクラスの武闘派魔術師。事前に聞かされた情報はどれもこれも警戒するよう促すものばかり。遭遇したら必ず逃げるよう、お節介なヘタイロイメンバーに幾度も念押しされていた危険人物。

 

「ク……クハハハハッ。その見識眼には恐れ入る。そして想定以上の強運の持ち主。始めましてだ、フラット・エスカルドス。この奇襲の首謀者は君だと思っていたのだが、こんなところで何をしている?」

 

 一歩、ジェスターは足を踏み出す。先の一撃で両者の距離は多少開いたが、その気になれば一瞬で詰めることは可能だった。

 それが分からぬフラットでは、ある。

 

「アサシンを助けにいくところです。どうです、俺と一緒に行きませんか?」

 

 敵味方を問うことすらせず、フラットは本心から己の目的を真っ直ぐに告げ、ジェスターに同道を提案してみせた。

 つい数秒前に殺されかけたこともフラットにとっては些事。今まさに殺されようとしている事実ですら、気付いていたとしても意に介すことはなかっただろう。自分の言葉がジェスターに直接届いている、それだけで彼には十分過ぎた。

 

 ジェスターの顔に浮かべた笑みが、静かに消えてなくなる。踏み込もうとしていた足の力が抜けていく。戦闘状態を一時的に解除しながらも、ジェスターは瞳孔を見開いてフラットを射貫いた。

 ジェスターが見いそうとしているのはフラットの身体の動きでも思考ですらない。心の在処、その本性。穴を穿たんとばかりの視線を浴びせながらも、フラットの動きにはまるで変化はない。

 フラットは、別段何かを仕掛けようとしているわけでもない。

 単純に、待っているのだ。フラットの提案に対する、ジェスターの答えを。

 

「……何故、私にそんな提案をする?」

「え? 助けたくないんですか? ジェスターさんはアサシンのマスターと聞いていたんですが、違いましたか?」

 

 質問には疑問で返された。

 フラットにとって、それは不思議なことではない。マスターはサーヴァントを助ける者という図式はフラットにとって不変のものとして刷り込まれている。精度の高い事前情報や真摯な忠告があったとしても、ジェスターを前にこの子供じみた強固な観念をフラットは臆面もなく主張してみせる。

 

 ここは呆れるべき場面だ。話し合いの通じる相手ではなく、そうでなくとも戯れ言と切って捨てられるのが常道。どこかで誰かが走る音をバックに数秒の沈黙があってもそれは誤差の範囲だ。

 案の定、返答を再度待っていたフラットは、一瞬のうちに懐に入り込んだジェスターによって二度、宙を舞うこととなる。

 今度の滞空時間は長かった。

 

「へぷ……っ!!」

 

 雷光一閃。

 彼我の戦力差をよく感じさせる一撃に、間抜けな呼気がひとつ。滞空した後でさえも威力は相殺しきれることなく、ほんの少し前に駆け抜けた通路を球のように回転しながら逆行してく。

 ようやく回転が止まったのは通路の分岐路であるホールの壁にぶつかったからだ。

 三層と二層を繋ぐ階段こそ壊されているが、それだけに天井は高く、そして広い。休憩所もかねていたのか中央には簡易式の机と椅子が無造作に置かれてあった。電源系統が破壊されたのか、光源はなかった。

 一体何十メートル飛ばされたのか判断はつかない。常人なら死んでもおかしくない一撃の筈だが、幸いにもフラットにはまだ命があった。

 

「ごへっ、かは……ッ!」

 

 血反吐を吐き出し気道を確保しながら、荒い呼吸を自覚する。

 あまりに早すぎて何をされたのか分からない。

 両足が分かり易く骨折している。さっき修復したばかりの肋骨が再び折られていた。推測するに、足払いをかけられた直後に胸を殴られたのか。酷いことをするなぁと思うが、言葉にすることはできなかった。

 脇腹が酷く痛んでいた。零れ落ちる血液は鮮やかに赤く、泡混じり。折れた肋骨が片肺を傷つけたのは確実だった。出血量から血圧の高い血管は傷つけられていないと判断するが、安心できるものではない。ひとまず即時に死ぬ可能性は低いが、早急に対処する必要はあった。

 骨折などと違い、内臓系統の修復は難易度が跳ね上がる。それをこの激痛の中で行うのはフラットといえど簡単なことではない。

 

「クハハハハハハッ! さすがはフラット・エスカルドス! 殺すつもりであったのにそれを耐え凌いでみせるとは素晴らしいじゃないか!」

 

 先の深刻な顔つきはどこに行ったのか。カツンカツンとわざとらしく足音を立てながら、ジェスターはフラットに近付いていく。通路の光源は失われていないため、その影法師が長く伸びていた。

 さっき通った時は明るかったような気がした。薄暗い二層部分のテラスに人影を見た気もするが、はっきりしない。

 

「しかしいかんな。敵を前にして説得するなど聖人か愚者のやることだ。聖人気取りも結構だが、失敗すれば愚者の誹りは免れん」

「ぼれ、どっ……いっじょにっ……!」

 

 ジェスターの言葉に条件反射するかのようにフラットが口を開くが、吐血するばかりで言葉にはならない。

 しかしジェスターに何が言いたいかは、よく伝わっていた。

 フラットの意志は、その身体よりもはるかに丈夫にできていた。

 

「成る程、それが君の原動力というわけか。いやはや、ここに至って挫けぬ意志があるとは素晴らしい。クハハッ……この歳になって浮気をしたくなるとは思いもよらなんだ」

「……?」

 

 その言葉が意味するところをフラットは知らない。ジェスターがアサシンに拘泥する理由など思い至ることすらできはしない。ジェスターがアサシンとフラットを重ねて見ているなど、考慮の外だ。

 

「だが君は、もう喋らなくていい。私は、ちゃぁあんと理解しているさ。考えるべきは、いかにスマートに殺されるかだ」

 

 ジェスターの歩みが止まった。

 ホールの入り口で立ち止まるジェスターは、丁度通路からの光を遮る形になる。逆光のためその表情は見えないのに、その赤い瞳だけが炯々と光り輝いていた。

 黒い影は、フラットの足元にかかっている。

 

「君の噂は聞き及んでいる。その脅威も体感している。寄り道をしている暇などないのだが、君という存在は別だ。時間は惜しいだろうが、確実に仕留めなければならない。その首を刎ね、その眼は潰さなくてはならない」

 

 一歩、ジェスターは足を進めた

 通路からホールへと、場所を移動する。

 黒い影が、赤く、紅く、朱く染まり――

 ふと、フラットはそんな状況にあって疑問に感じた。

 光を遮るジェスターがあってこその影。ジェスターの赤い影はそのままだというのに、遮蔽物の形は五体揃っていなかった。

 具体的には、その頭部がない。

 

「―――あ?」

 

 とん、と何かが落ちる音がして、その何かから音が漏れた。

 ほぼ同時に、ジェスターの身体にいくつもの赤い線が走ったのが見える。いつの間にかその両脇には、鞘を迎えるように納刀する老体と、輝く銀糸を五指から放つ女が互いに背を向けて侍っていた。

 最後に頭上から、音もなく降ってくる小さな影が一つ。崩れ落ちようとするジェスターの身体はそれすらも許されず、六連男装をその身に刻まれた一つの魔術結晶は、一瞬赤熱しただけでこの世から塵も残さず消し去られた。

 降って落ちてきた影が赤い影に着地し、その上に転がる頭部の前髪を乱暴に掴み取り、その目線を合わせてみせる。

 

「ええ、全く同意します、ジェスター・カルトゥーレ。ここは確実に、あなたという脅威を排除するべく、全力を持って仕留めましょう」

「……でぃーで、ぢゃん?」

 

 ジェスターに殺されかける瞬間にあって、フラットが回復の手を休めることはない。そんな彼であっても、突然のティーネの登場には思わずその手が止まっていた。

 何故、彼女がこんなところにいる?

 この人達は、何者だ?

 渦巻く疑問の中に彷徨うフラットであってもティーネは一顧だにしない。その視線は鋭く、真っ直ぐ伸ばした手の中にあるジェスターの頭部へと突き刺さっている。ジェスターはこの状態にあっても、まだ完全に死んでいるわけではない。

 てっきりフラットはティーネがジェスターを見ているのかと思いきや、それは違った。

 彼女が見ているのは、正確にはジェスターの耳元にあるカメラ付きの通信機器。その先にいる存在に、ティーネは己の存在を誇示していた。

 

「さよなら、ジェスター。そして次はオマエの番だ、ファルデウス――!」

 

 再会と離別は簡潔に。そして敵への宣誓を行って、首はティーネの手から零れ落ちる。わずか一メートルと少しの高さでありながら、床に落ちる音は小さかった。燃え損ねた金属製の通信機器だけが最後に残っていた。

 

 



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day.11-04 現状説明

 

 

「ディッ、ディーデッ――」

「喋らなくて結構です。安静にしてください。動くと傷に障ります――だから騒ぐなと言っています!」

 

 ティーネに抱きつき本物かを確かめようとするフラットの頭を、ジェスターと同じように頭を掴んで大人しくさせるティーネ。少々気恥ずかしいのかその顔は赤みがかっていた。しかし何故抱きつく必要があるのかは誰にもわからない。

 

「げほっ、ぶはっ! っで、どうしてここにティーネちゃんが!? この人達は一体!?」

「落ち着いてください。まず吐き出した血を拭いてから喋りましょう」

 

 肺の出血を止め気管内へ逆流した血液を吐き出したフラットの口元を幼子の面倒を見る母親の如く、ティーネはハンカチを取り出し拭い去った。

 

 重傷であった内臓を自身で治療した今、フラットの外傷を治しているのはティーネが連れてきた魔術師達だった。

 第二層のエントランスから素早く降りてきた彼等は即座に周辺警戒を行い、そしてその内の数名がティーネの指示の下、フラットの身体を分業して癒やし始める。

 骨折は両足や肋骨だけではない。吹き飛ばされ転がった際にフラットの両手の腕や指はあらかた折れてしまっている。時間と魔力の節約のため治療を諦めていたが、同時進行で外部から治療される分にはそれほど問題はない。

 状況からしてティーネを中心とした部隊なのはフラットにも理解できた。けれども、彼等の手にある武器は、その全てが宝具である。

 

「そうさ、フラット・エスカルドス。彼等は二十八人の怪物(クラン・カラティン)。今は彼女の指揮下にあるが、仲間と思って貰ってかまわない」

 

 ティーネや二十八人の怪物(クラン・カラティン)とはかなり遅れて小太りの男が第二層から垂らされたロープを伝って降りてくる。マスターであるフラットには、その男がサーヴァントであることは一目瞭然だった。

 

「キャスターさんですか! お目にかかれて光栄です!」

「その反応は嬉しい限りだが、握手は後にしておこうか」

 

 さすがのキャスターも全ての指があり得ぬ角度に折れ曲がった手を握るには抵抗があったらしい。代わりにティーネが骨の位置を直すべく手を握ればフラットの喉から愉快な悲鳴が漏れ出てくる。

 

「……さて、フラットの治療には少し時間がかかる。現状を説明するのは一度で済ませたいのだが?」

 

 周囲を警戒する二十八人の怪物(クラン・カラティン)を意にすることなく、キャスターは傍らに設置してあったパイプ椅子に腰掛た。葉巻を出してマッチで火をつけながら、なぜかその視線は床へと向けられていた。

 ティーネはフラットの治療に専念しているように見えて、その実下方からの動きに警戒している。

 最後にフラットが自らの足元に語りかけた。

 

「大丈夫ですか、ジェスターさん。そんな姿になって痛くありませんか?」

 

 三者が注目していたのは、ジェスターが残した赤い影。光を遮る物がなくなった今になっても存在する赤い影は、その実よくよく見れば、薄い血で構成されていた。

 

「……満身創痍の君は他人より自分を気遣うべきではないかな?」

 

 フラットの言葉に返す声がある。

 耳にした覚えのない高い女の声。

 平面であった赤い影が、立体的に再構成を始めていた。

 

 魔術世界には延命するためにその身を他のものへと置き換えることはままある。吸血種ともなれば、それはより顕著にもなろう。

 身体はただの器でしかなく、その行き着く先は個々人によって異なる。ジェスターの場合、それが赤い影の如き血液だっただけ。六連男装はジェスターにとって代わりの器であると同時に、ただの操り人形に過ぎなかった。

 

 血が人を形作る。そこに臓器と筋肉が生み出され皮膚が表面に張り巡らされる。頭部には生糸の如き金髪が流れ落ち、眼窩から真っ赤な球体が迫り上がる。

 この麗しき赤眼金髪の少女こそ、ジェスターの魂が覚えているかつての姿。吸血種に変わり果て、成り上がる前の、ただの人間だった頃の残滓。

 その血塗られた経歴を知る者にとってジェスターの容姿は逆に恐ろしさを醸し出すものでしかない――

 

「えっと……まさか女性だったとでばぎゃっ!」

「何をジロジロと見ているのです。アレに劣情を催す程あなたは馬鹿なのですか。キャスター、あなたもです」

「ばっか、裸の女がそこにいるのに見てやらないってのは失礼に当たるだろうが」

 

 中指を鼻のラインに沿わせ、ティーネの人差し指と薬指が容赦なくフラットの両眼を突いた。視線をキャスターにやるも、好色として有名なこのサーヴァントはティーネの言葉に耳を貸すことなく、ジェスターの裸をガン見し続けていた。

 そしてこの瞬間、フラット・エスカルドスは人知れずアサシン・ティーネ・椿・ジェスターという偽りの聖杯戦争女性陣の裸をコンプリートする偉業を達成していた。

 残念ながら、その事実に本人が気づくことはないのだが。

 

「……ジェスター、あなたもさっさと服を着なさい」

「あいにく燃やされた血液が足りなくて服までは構成できなくてね。この姿だって十代後半だった頃か。全盛期の私の姿を晒せずに逆に恥ずかしい限り――ああ、いや、なんでもない。キャスター、そのコートを貸して貰えるかな?」

 

 ティーネの手が自分に向けられたのを見て渋々肌を隠すジェスター。既に格付けが終わっているだけにティーネの怒りに触れたくはないのだろう。何せジェスターの本体たる血液が足りていないのは五度目に殺された際、ティーネに散々燃やされたからである。

 

「それで――私の演技はどうだったかな? 我ながら気が利いていたと思うのだが」

 

 コートの裾を自らの体格に合わせて折りながら、死徒は恐れ多くも自らのアドリブ劇を稀代の劇作家に問うてみる。

 ジェスターの目的は最初からアサシンの救出にある。そのためにはファルデウスの眼を欺く必要があり、欺く為のイレギュラーを何としても欲していた。その意味ではフラットと遭遇したのも何も完全な偶然というわけではない。最初の隔壁爆散はともかく、死徒が明確に殺そうとしていたらあんな無駄のことはしない。その場で五体を引き裂いて殺した方がよっぽど確実で手間もかからない。

 

「あー……そう、だな。三文くらいは貰えるんじゃないか?」

「モン? どういう単位だ?」

 

 視線を宙に彷徨わせながら言葉を選ぶキャスターに疑問符を浮かべるジェスター。三文役者という言葉を幸いにもジェスターは知らないらしかった。

 状況が特殊であり即興であることを差し引いても、ジェスターの言葉はやや直截に過ぎている。フラットに黙るよう告げ、自らの殺し方を注文し、殊更ファルデウスの眼となっているカメラを潰すよう促している。そして時間がないと言いながらフラットへの攻撃方法は迂遠な上に不自然であり、赤い影をゆっくりと伸ばしてカウントダウンめいたこともしている。

 そしてそれらは全てファルデウスやレギヲンに筒抜けとなっている。

 

「我々が来なければどうするつもりだったのですか? この平和主義者(チキン)はどう騙くらかしてもあなたに手を挙げることなどしませんよ」

「誰か近くにいるのは足音で確認できていたのでね。そうでなければ途方に暮れていたところだった」

 

 フラットですら足音だけなら聞こえていた。ジェスターであれば尚更だろう。死徒の感覚を以てすれば距離は勿論、足音の数や軽重から部隊人数と練度だって判断できる。

 ジェスターにとって幸運だったのは、その部隊にティーネがいたことだ。

 フラットと魔力を通じているティーネはフラットの位置と状態を少なからず把握することができていた。おかげで時間を節約して最短ルートでピンポイントでこの場へ辿り着き、準備を整えることができた。ジェスターの六連男装も把握しているので、カメラを意識してジェスターが確実に死んだように身体を燃やし尽くすことが可能であり、その点ではよくやったといえる。

 ジェスターのアドリブはともかくとして、ティーネによる演出はジェスター敗退としてファルデウス率いるレギヲンを大いに困惑させることだろう。疑念は抱かれるだろうが、この忙しない状況で確証まで得られまい。

 

「それでフラット・エスカルドス。確認しておくが、君が言っていたアサシン救出の話は本当かな?」

 

 自分のことはもう話したとばかりに、ジェスターは自らの胸を揉みながらフラットに確認を取る。どうやら胸の大きさが不服らしい。

 

「はい。俺はそのためにここに来ています」

 

 ジェスターのセックスアピールになんら介することなくフラットは頷いた。

 

「上にいるヘタイロイとか名乗ってる連中はあなたが作ったのでは? 何故一人で動いているんです?」

「ああ、うん。あの人達は街から逃げ出そうとしていた人や、アサシンの構想神殿に囚われてた人達なんだ。そこを助ける代わりに協力してもらってる。けどヘタイロイの人達にお願いしている目的は、ここにいる市民を助けるためなんだ」

「……いや、だから何故一人なんだ?」

「え? アサシンの救出は俺個人の目的だから、そこにわがままは言えないでしょう?」

「君の正気も含めて問い質したいことが多すぎるが、それはこの際置いておかないか」

 

 ティーネとキャスターの問いかけにフラットは何が問題なのか理解できていないようだった。ジェスターの提案に両者は黙って頷いておく。

 どういった経緯でどうやって人を集め、隠れ、まとめ、作戦を練ったのか気にかかるが、時間がいくらあっても足りやしないのでこれ以上は放置しておく。どうせ魔術師とも常人の発想とも異なるのだろうから気にしないのが吉である。

 コートを引き締めやや胸を強調することで満足したのか、ジェスターはキャスターの向かいに座って足を組む。そして机の上に拡げられたこの基地の概略図の一点を指示した。

 

「アサシンがいる場所は第四層の第四区画Cブロック。三層から天井を崩して侵入した方が早い。壁抜けのための装備はあるな?」

「任せろ。天の岩戸伝説に準えどんな場所だって開錠できるスーパー宝具を用意してある。起爆パスワードは開けゴマ」

 

 こんな忙しい時に嘘をつくなという冷たい視線だけをキャスターに向け、ティーネは装備を確認する。

 

「プラスチック爆弾なら用意があります。いざとなれば、私がぶち抜くまでです」

「頼もしい限りだ。ああ、そうそう。アサシンと一緒に署長もそこにいる」

「なんでい。やっぱ兄弟は生きてたか」

 

 何でもない風を装うキャスターであるが、その実確かに安堵していた。サーヴァントとしての利害関係上マスターの生存は喜ばしいことだが、それだけでない。戦友として、キャスターは署長の生存を好ましく思っている。

 これなら署長のために準備した宝具も無駄になることはないだろう。

 

「魔力供給が止まっているのは魔力封じの鎖に繋がれているからだ。それと署長の右腕は切り落とされているから、Bブロックで日本の高名な人形師が作った腕を回収しておけば治療して戦力にもなるだろう」

 

 キャスターから赤ペンを受け取り、ジェスターがそれらの場所に印を付ける。二人を痛めつけた張本人でありながら厚顔無恥なこと甚だしいが、幸いにしてその事実を知る者はここにはいない。

 

「ジェスター、情報の提供には感謝しますが、場所を教えるということは我々と同行はしないということですか?」

「私は欲ばりでね。全てを手に入れたいと思うのさ。アサシンについてはフラット・エスカルドス、君に任せる。ただしアサシンの回想回廊で地下のスノーホワイトに行くのは対策が取られているのでやめておいた方が良い。代わりに私がスノーホワイトを目指すとしよう。折良く裏道を教えて貰ったばかりだ」

 

 ジェスターは以前通った点検孔を思い起こす。以前の侵入口は六層からだったが、この三層からも繋がっていた筈だ。ジェスターが死んだとファルデウスが思い込んでいるのであれば、このルートは比較的安全ともいえた。レギヲンの目線がティーネ達に注がれれば尚更である。

 

「話が早くて助かるぜ。こっちの思惑は承知済みというわけか」

「クハハッ! なに、一番慣れている場所を選んだまで」

 

 キャスターの言葉を否定はせずに、ジェスターは他にも選べる目標の中から慣れているというだけでスノーホワイトを選んだようにみせる。

 ティーネ達の目的はアイオニオン・ヘタイロイの援護であるが、そこを更に分ければ三つになる。

 

 市民の避難に協力するのが繰丘椿とライダーのペア。

 ティーネは“偽りの聖杯”とファルデウスの確保。

 キャスターはスノーホワイトの制圧担当。

 

 無論、ここで一番不安があるのはキャスターである。途中までティーネと二十八人の怪物(クラン・カラティン)の護衛はあるものの、飛び抜けて戦闘能力の低いキャスターでスノーホワイトを制圧するには荷が重過ぎた。かといって操作もできぬ他の者が行っても仕方がない。

 ジェスターが先行することで露払いをしてくれるのなら、キャスターにとって願ってもないことだ。これで二十八人の怪物(クラン・カラティン)の戦力を分散する必要もなくなってくる。

 

 ……などと恩を売るような真似をしているが、ジェスターはそんな殊勝な存在ではない。何か裏があるに決まっていた。

 ティーネもキャスターもそんなこと百も承知だが、探りを入れるにしても時間はないし、罠をしかけるだけの時間もなかった筈。ここは乗るより他の選択肢はない。

 

「それでフラット、ヘタイロイの動きからして市民の救出で終わるわけではないのだろう?」

「あ、はい。救出が第一段階で、第二段階がこの後にあります」

「ならその第二段階にタイミングを合わせた方が攪乱できるな。投入予定はいつ頃だ?」

 

 折良くフラットの治療が終わったのを機に、キャスターは最後の質問をしておく。ファルデウスが睨んだように、市民の避難をわざわざ最初にするからには、それなりの次撃が用意されているとキャスターも読んでいた。

 第四層突入までは同行できるが、そこからは別行動になるだろう。互いの様子が分からなくなる以上、今後どんなことが起こるのかは確認しておかなければならない。

 

「えっと、そのことなんですが……」

 

 身体を動かし調子を確認しながらフラットは申しわけなさそうに答えた。

 

「俺、方針とかに口出しはしましたけど、実はこれからどうなるのかほとんど何も知らされていないんです」

 

 頭目でありながら作戦を聞かされていない事実をフラットはカミングアウトした。その事実にその場にいた全員が納得すると同時に、全く同じ疑問にぶち当たる。

 

 では、一体誰が作戦を考えた?

 

 



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day.11-05 分水嶺

 

 

 基地付属の避難シェルターは割と地表付近に存在している。爆撃などを考えれば全くの無意味であるが、シェルターは竜巻などの自然災害を想定されたものなので、一時利用であればこれくらいで十分であると判断されたらしい。

 収容人数はシェルターひとつあたり数千人。しかし人間のライフスタイルをまったく考慮せず、通勤ラッシュの電車の如く鮨詰めに収納すれば、八〇万市民全員を収容することも不可能ではない。

 

 数日間飲まず食わずで立ちっぱなし。空調こそ機能はしていたが、トイレにもいけない状態で衛生面が保たれている筈もなかった。過酷な状況であるが、笛吹き男(ハーメルン)に操られた彼等が抗議することはない。誰かがこの状況を打破するべく動かねば、彼等はこのまま静かに朽ち果てるだけだ。

 目の前をゆっくりと虚ろな目をしたまま前進していく市民を前に、繰丘椿は複雑な心境にあった。

 

『何を考えているのですか?』

 

 椿の心境を敏感に感じ取ったライダーが声をかける。ここで黙って見過ごすのは簡単だが、次が巡ってきた時に理解者が傍にいるかは限らない。

 

「……私はね、ライダー。この戦争が始まって、楽しいと思ってしまったんだ」

『はい』

 

 肯定ではなく相槌として、ライダーは応じた。

 孤独であった椿をライダーが最初に癒やした。ティーネが、フラットが、銀狼が、椿の心の支えとなった。アサシンに窮地を救われ、南部砂漠地帯で二十八人の怪物(クラン・カラティン)を救出し自らの意義を見いだすこともできた。

 この数日間は間違いなく椿にとって充実した日々だった。幸せだと思ってしまった。こんな戦争でもいつまでも続けていたいと、心のどこかで願ってしまっていた。

 

「けど、それは間違いなんだなって、改めて思ったの」

 

 改めて、と椿は言った。それはかつて、そう思ったと言うことだ。それは一体いつのことだろうとライダーは思う。

 椿の目の前で倒れる椿と同年代の子供がいた。何事もないようにすぐに起き上がるが、傍らで子供の転倒に巻き込まれた老人はそのまま蠢くばかりで、起き上がることはできなかった。

 体力のない者はとうの昔に限界を迎えている。残念だが、そうした者を一人一人救出していく余裕はない。せめて踏まれぬよう通路の横に運んでやりたかったが、それすらも許されることではなかった。

 時間は有限だ。目の前にいる助かる見込みのない命より、すぐ傍らにいる助かる可能性の高い命を優先するのは、仕方のないことだった。

 

 この戦争で椿はまだ人が死ぬ様を直接見たことはない。無自覚に人を殺しかけたこともあるし自覚して人を傷つけたこともあるが、それはこの戦争参加者として仕方ないと割り切って考えていた。

 けれどもその考えは余りに自分本位だった。この人達は違うのだ。椿と同じように巻き込まれながらも、抗う術を持つことは許されなかった。

 

 身体が動かぬ苦しみを椿は知っている。

 時間を奪われた哀しみを椿は知っている。

 自らの意志がない不条理を椿は知っている。

 

 そんな自分が、無自覚にもこの状況を作り出し片棒を担いでいたのだ。

 椿が楽しんでいた影に、無関係であった筈の彼等に犠牲を強いていたのだ。

 ライダーを効率よく扱い、戦争を早期に終結させるべくもっと積極的に動いていたのなら、この惨状を引き起こすことはなかったのかもしれない。

 

『……椿はよくやっています。椿がいなければ、犠牲者はもっと増えていた筈です』

 

 椿が何か重く受け止めていると思い、空々しいと思いながらもライダーは椿を慰める。

 当初ヘタイロイが立てた脱出計画では市民の移動に時間と手間がかかることから、どんなに頑張ったところでせいぜい数千人の脱出が限度である。しかし椿がこの場に駆けつけたことで、市民の脱出スピードは飛躍的に向上していた。

 収容されている市民にライダーを“感染”させ、その脳内に脱出のためのプログラムをインストールする。笛吹き男(ハーメルン)の影響もあって夢遊病のように歩く市民は不気味なことこの上ないが、驚くほど効率的に脱出作業ははかどっていた。

 

「それは、ライダーがやったことだよ。私じゃないよ」

『椿がそう思わなければ、私が動くことはありません』

 

 突き放すような椿にありきたりな言葉しか吐けぬ自分をライダーは嫌になる。

 その気になればライダーは椿を眠らせるだけで、この身体の操作権を簡単に奪える。セロトニンを分泌させ、少し眠りを促すだけであっさりと事は成就するだろう。それは戦闘中に椿が起きぬよう昨夜の襲撃を凌いだことで実証されてしまっている。

 後ろめたさから、ライダーは椿が眼を醒ましてからろくに会話もできなかった。椿にしても何か思うところがあるようで、まるで人が変わったかのように子供らしい態度は鳴りを潜めていた。

 

「……打ち歩詰め」

 

 突然に口にした言葉に、ライダーは椿が何を言いたいのか分からない。

 先程から椿の内心を読み取ろうと苦心しているのだが、令呪の命令で繋がっておきながら、一定以上の深さになるとまるで見えないのだ。脈拍や発汗のモニターもしているが、何故だろう、そのデータにライダーは不安を感じてならない。

 

『キャスターとの将棋の話ですね? それがどうかしたのですか?』

 

 打ち歩詰め――持ち駒の歩兵を打って相手の玉将を詰みの状態にすることである。駒の動きだけを見れば別段なんの問題もない行為であるが、しかし将棋のルールとして、この打ち歩詰めは禁じ手なのである。

 

 繰丘椿は打ち歩詰めによって、キャスターに勝利していた。

 繰丘椿はルール違反によって、キャスターに勝利していた。

 

 つまり、椿は敗者だった。

 

「勝つためには、何をしたっていいのかな?」

『無知が悪いのです。椿は悪くありません』

 

 椿の質問に解答を微妙にずらしてライダーは答えた。

 こんなマイナールールを将棋をさしたこともない過去の英霊が知るわけもない。周囲でゲームの行く末を見守っていたティーネや二十八人の怪物(クラン・カラティン)だって、この禁じ手に一人だって気付いていまい。

 

 気付いたのは繰丘椿、ただ一人。

 

 後ろめたさを感じながら、それでも彼女は勝利を選んだ。キャスターを騙し、自らを偽った。

 悪い前例を作ってしまった自覚がある。自分は今後、同じような状況に陥れば、きっと同じような間違いを選択してしまうだろう。

 いや。今もまた、間違いを選択している最中か。

 

『椿、一度足を止めてください』

「そんな暇はないよ。私の一秒で一体何人感染させることができるのか、分からないライダーじゃないでしょ」

 

 ライダーの進言にも椿は止まらない。

 まずい兆候だと、ライダーは思う。

 こうしている間にも、椿は風のような早さで基地内を駆け巡っている。ライダーは空気を介して“感染”もできるが、その効力は些か弱い。集団感染を引き起こすにはなるべく距離を縮める必要があった。

 

 現在まで脱出プログラムをインストールし実行できるまで強く感染しているのが約二〇万人。感染具合がまだ弱くプログラムが実行できないのが約一〇万人。感染だけなら然程難しくはないが、このままだと残りの五〇万人については命令を発することもできず、その殆どが見捨てられることになる。

 

『椿、この短時間で五〇万人に命令を下すのは不可能です』

「けど私にできることはこれくらいなの」

 

 ライダーの“感染”は魔術でも宝具でもスキルですらない、ただの特性だ。そこに魔力は必要としないが、脱出プログラムのインストールとなると、情報発信と情報書き換えのために少ないながらも魔力を消費する。感染者から魔力は回収できるとはいえ、そのためのフィルターとなる椿の身体には確実にダメージが蓄積される。

 水滴だって長い年月をかければ岩を穿つのだ。水滴が集まり滝となれば、もっと簡単に岩は耐えきれなくなる。

 

 分かりきった結論に、ライダーは椿を説得しながら考え続ける。天秤は、まだ傾き始めたばかり。完全にダメになる前に、手は打たねばならない。

 ここで椿を眠らせることはできる。しかしこの状況下で眠らせることには不確定要素も多く、何より今後の両者の信頼関係にも影響が出る――。

 ふと、今後という発想が自然と出たことにライダーは苦笑した。今日を乗り越えられる保証もないというのに、後のことを考えるなど愚かなことだ。死ぬ可能性の方が高いし、“偽りの聖杯”がなくなればライダーも消滅する可能性が高い。

 椿の生存を第一とするならば、今後のことなどどうでもいいではないか。

 

『――椿』

「…………」

 

 ライダーの呼びかけに椿は何も答えない。

 わずか十数分で四つのシェルターを巡った椿の魔術回路は限界に近付きつつあった。

 破格の性能を持つ椿の魔力回路であるが、この短時間での酷使に回路の形成を助けていた脳内細菌が死にかけている。本人に負担がないため自覚症状は出ていないが、自覚できた頃にはもう手遅れとなる。そうでなくとも、今後の椿の成長過程に悪影響が出るのは間違いない。

 

 ここが分水嶺とライダーは覚悟する。

 最後に一言、別れの挨拶をしようとライダーは意思伝達装置を操作しようとした。

 椿のために自己を犠牲とするライダーの思考も結局椿と同類であるが、そのことにライダーは気付かなかった。もしかして気付けたのかも知れないが、その機会をライダーは逸してしまった。

 あるいは、ライダーが選択を迫られたこのタイミングを読まれていたのかも知れない。

 

 周囲を椿と同速で奔る銀の鎖が、視界に入った。

 椿が駆けていたのはシェルター間を繋ぐ通路のひとつである。

 発電施設や空調施設の間を縫うようにして簡易に設置されたものであり、通路というより足場と称した方が近い。その不安定さと周囲の危険性からこの施設内に市民は収納されていない。網目状に拡がるパイプや遮蔽物もあり、それだけに待ち構える場所としては都合が良かった。

 油断した、と思う間もなく反射的にライダーは椿の身体を強化し防御を固める。しかし警戒していた鎖は椿とは異なる場所に巻き付いていた。

 

「――? あれは?」

 

 ライダーに遅れて椿がその鎖に気がつく。鎖は椿の進行方向に大きく×印を作りその場を通行止めにする。これではさすがの椿も止まらざるを得ない。

 敵意がないのは一目瞭然。それでいて、高い魔力の篭もったこの鎖は宝具と見迷うこともない。巻き付いた鎖を辿って後ろを振り返れば、鎖に引っ張られるように高速移動する見慣れた装備の男がいた。

 

「伝令です! お二人ともお待ちください!」

 

 男の口から発せられたのは慌てたような高い声。立ち止まった椿にライダーは交代を要請するが、椿はその必要性をまだ認めなかった。

 背後から現れたのは、見覚えのある顔。南部砂漠地帯で最初に遭遇した若い二十八人の怪物(クラン・カラティン)。ライダーの寸頸で受けて倒したことも記憶に新しい。確か、今はティーネと共に地下へと潜っていったのではなかったか。

 砂漠地帯でも行われていた電子欺瞞(ジャミング)は基地全体で仕掛けられている。そのため、情報伝達はこうした古典的手段に頼らざるを得ない。先んじて動いていたヘタイロイが上手く統率されていないのも当然だった。

 

「何かあったんですか?」

「はい、移動を中止して大至急この周辺エリアの警戒にあたってください」

 

 かつて倒されたことがありながらも律儀に敬礼しつつ、若い二十八人の怪物(クラン・カラティン)は状況が悪化しつつあることを告げてきた。椿の割り当ては市民の脱出支援の筈だが、それを放棄して警戒しろという。それこそ、ライダーが告げたように、残り五〇万もの市民を犠牲にする必要があるというのに、だ。

 その要請に椿が歯噛みするのを、ライダーは感じ取った。

 

「基地内メインシャフトから地上に向けて移動震源が確認されました。状況から考えて敵の反攻作戦に間違いありません」

「メインシャフトは封鎖されてたんじゃないんですか?」

「はい。ですから、奴ら充填剤注入してまで築いた強固な壁を内側から崩してきているんです」

 

 実に思い切った策であろう。短時間で突破できぬ壁と分かっていればそこを警戒することはない。他の場所にこちらが兵力を回したところで、封鎖されたルートを強引に突破することで、簡単に地上へ戦力を送ることができる。そうなると基地に浸透しているこちらの戦力を上と下から挟撃することができる。

 

 電子欺瞞(ジャミング)され連絡が取れぬ今、部隊として動く敵にこちらが迅速に対応できるわけもない。

 それに、硬化した充填剤を短時間で突破するなど常識的には考えられない。土竜爪をはじめとして二十八人の怪物(クラン・カラティン)本部には掘削に秀でた宝具も多々あった筈。

 これらを使用されると、この周辺でまともに戦えるのはライダーくらいだ。

 

『椿。事態が事態です。急ぎ確認する必要があります』

「……分かってるよ、ライダー」

 

 五〇万人の市民に感染させようとするなら、先に障害となる敵を確認し排除しなくてはならない。リスクヘッジに甘く、可能性があればその最善を求めるが、現実問題として立ち塞がれば、椿はその順番を間違えない。

 椿の思考に、ライダーは異論を唱えない。二人の会話も、口内での呟きと骨伝導によって行われている。目の前の男には、全く聞こえていなかった。

 二人の意見は一致していた。

 

「じゃあ、ライダー。お願いするね」

『任されました』

 

 そして椿の命令と同時に、ライダーは二十八人の怪物(クラン・カラティン)の男へ襲いかかった。

 

 



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day.11-06 時間稼ぎ

 

 

 椿の命令と同時に、その左手の指に変化があった。

 タイミングはライダーに一任してあり、どういったことをするのか椿は感知していない。威力や精度は二の次。求めるべきは早さであり、ライダーがしたことはそうした奇襲だった。

 薄く鋭い爪は、音もなく床に突き刺さった。

 完璧な一撃。視覚外から予備動作なしに足先を攻撃されて回避できるわけがない。一つの身体に二つの意志を宿す椿とライダーならではの連携なのである。

 しかして、その結果は。

 

「――参ったな。いつから気がついていたのかな?」

 

 宝具や魔術を使うことなく、その脚力のみで、目の前の男は十数メートルもの距離を一息で取って、ライダーの奇襲を避けていた。

 確認は終えた。

 

 この二十八人の怪物(クラン・カラティン)は、偽物だ。

 

「最初からです」

 

 男の高い声に椿は即答する。

 

「この広い基地内で、勝手に動く人物を簡単に見つけられる筈がありません」

「言われてみれば、それもそうだね」

 

 椿の指摘に男は子供のようなあどけない顔で納得してみせる。

 それ以外にもこの男のミスを指摘すれば数多い。本物の二十八人の怪物(クラン・カラティン)が使っていた宝具はナイフタイプであるし、仮に予備の宝具だったとしても練度が高すぎる。

 咄嗟の決断ができぬために彼はライダーに一瞬で倒されてしまったというのに、ここにる偽物は敏捷性や決断力もある。会話らしい会話をしたことはないが、この年代の男にしては声も高すぎた。

 実際、ライダーが記憶している声とはその周波数からして異なっている。

 そして何より、この基地に侵入している二十八人の怪物(クラン・カラティン)は全員がライダーによって一度は傷つけられている。感染していない二十八人の怪物(クラン・カラティン)などいるわけがない。

 ライダーが指摘するまでもなく椿ですら気づけたのだ。役者としては三流だろう。

 

「慣れないことをするもんじゃないね。時間をかけて説得するより、手短に騙した方が早いと思ってさ」

 

 悪びれもせず偽二十八人の怪物(クラン・カラティン)は手元に鎖を回収した。それは戦闘のための準備にも見えなくはなかったが、相変わらず敵意を感じることはできない。

 

「You have control」

『I have control』

 

 目の前の男は、敵意すらもなく敵を屠る意志と実力がある。これ以上の対処できないと椿は判断した。

 最近こうした状況判断ばかり異様に鋭くなりつつある椿である。数日前まで無垢だった少女は一体どこに行ったのだろうかとすっかり保護者面となったライダーは嘆きながら交代する。

 傍目からは何の変化もない筈だが、これを男は見逃さなかった。状況判断が鋭いのも椿だけではないらしい。

 

「待ってくれよライダー。ボクは戦うつもりなんてないんだ」

「ならばあなたは何者ですか」

 

 ライダーの質問はもっともだ。

 男が持つ鎖の宝具はいささかランクが高いように思える。訓練を受けた二十八人の怪物(クラン・カラティン)でさえ、そこまで高ランクの宝具を自由自在に使えるわけではない。となれば、この男がただの人間であるわけがない。

 油断なくライダーは椿の爪を再度大きく伸ばし、構える。ライダーといえどその鎖を相手に生身で向き合い続けるには危険すぎた。

 

「この場で身元証明をするのは難しいな。フラットがここにいれば味方だと保証して貰えるんだろうけど、彼は今下にいるしねえ」

 

 フラットの一言に奥に引っ込んだ椿がぴくりと反応する。交代していなければ致命的な隙を作っていたかもしれなかった。

 

「バーサーカーを気取るつもりですか?」

「いや、ボクはバーサーカーじゃないよ。ボクのこれはせいぜい変装止まり、認めるのは業腹だけど、彼の変身には遠く及ばない」

 

 まるで以前に戦ったような言い方をするが、ライダーはそれに取り合うつもりはない。今この場でこの男の言葉を確認する術などないのだ。最初に騙そうとした段階で信用するつもりなど皆無である。

 

「騙そうとしたことは謝るよ。ただ、ボクが伝えたことに嘘はないよ。君達には敵勢力を排除して貰いたい」

「あなたがそれをすれば済む話では?」

「残念ながらボクには別にやることがあってね。本当ならこうして問答している余裕もないくらいなんだ。時間を惜しんでいなければ騙そうだなんてするわけがないさ」

「ならここに全てを解決する手段があります。手間もかからず、私から確実な信用を得ることのできる、唯一無二の手段が」

 

 ゆっくりと、ライダーはその爪を男に向ける。

 ライダーに感染さえしてしまえば、操り本音を喋らせることなど簡単である。こうして時間をかけて空気感染も続けているが、騙していることが発覚してからこの男は周囲の空気をほとんど吸っていない。ライダーに対抗するだけの免疫能力も人間とは明らかに異なっている。

 感染させるためには直接接触するのが最も確実だろう。

 

「……やっぱり、ボクは君が嫌いだなぁ。汚い、気色が悪い。吐き気すら覚えるよ」

 

 その言葉は本心だったのだろう。微かではあるが、確かにその男は言葉だけでなく心の奥底から嫌悪感を露わにした。ライダーの提案は男の奴隷化を意味する。嫌悪して然るべき手段ではあるが、ただそれだけという風には見えない。

 この男はライダーという存在を憎むでも蔑むでもなく、ただ単純に嫌っていた。

 元より『病』という災厄の権化であるのだ。理解に苦しむことでもない。

 

「交渉決裂、ということで宜しいでしょうか?」

「はは、これは交渉ではなく恫喝って言うんだよ。せめて説得と呼べるくらいには努力して貰いたいね」

「詐欺師相手に譲歩しているつもりです。あなたはご自分が何をしているのか自覚していますか?」

「ボク? ボクが行っているのは――」

 

 両者の間でその瞬間、火花が飛んだ。

 仕掛けたのはライダー。それも魔力弾などによるものではない。魔力弾は数を出さねば防がれるのがオチだし、そんな数の魔力弾を練っている時間はない。故にライダーが行ったのは一挙動で繰り出す一〇本の矢。

 あの茨姫(スリーピングビューティー)で散々実験してきたのだ。爪の厚さや長さ、曲がり具合の操作も会得した。その過程で編み出したのが、伸ばした爪の根元を腐食させ、腕の振りで放つ投擲術である。

 

 爪は指に繋がっているものという思い込みを逆手に取った奇策。

 爪の成長過程でその形状と重心は微細に修正され、手首のスナップもあって一〇本全てが異なる軌道を辿り、速度さえ変えて標的へと襲いかかる。その内の一本でも掠れば、感染の糸口となってライダーの勝利は確定する。

 

 そんな圧倒的優位にいるライダーを見て、男は不適な笑みを浮かべていた。

 一〇本の内、四本は避ける。三本は鎖を真横に薙いで弾き飛ばす。二本はプロテクターを掠めただけ。残りの一本は、行儀悪くもその白い歯で噛んで受け止めていた。

 あっさりと攻撃を凌がれたことに驚くなど、そんな無駄なことをライダーはしない。投擲した瞬間に疾走を開始し、あと五歩もすれば懐に入り一撃を加えられる。

 男は後ろに跳躍し距離を取ろうとするが、ライダーの突進の方が速い。頼みの鎖は真横に放たれたままで、今更回収しても間に合わない。

 

 勝利を確信するライダーであるが、男は噛んで受け止めた爪を吐き捨てると、遮られた台詞の続きを静かに口にしてみせた。

 この男が行っているのは、

 

「――ただの時間稼ぎだよ」

 

 残り一歩の距離にまで近付きながら、ライダーは両足を全力で強化して急制動をかける。急激なGに中で椿が悲鳴を上げるが、それに対応している暇はない。

 ライダーが周辺警戒に放っていた粒子に反応があった。

 急制動で膝に蓄積されたエネルギーを利用して上方へと跳躍する。同時に真横から聞こえてくる破壊音と、一瞬遅れてライダーがいた場所に顕現する破壊の嵐。

 

「言っただろ、この周辺を警戒してくれって。それって、敵が現れる可能性が高いってことだよね」

 

 男が報告していた内容に嘘はなかった。

 基地のメインシャフトとこの施設は直接繋がっているわけではない。ただ、硬化した充填剤を突破するよりも、薄い壁を介して間接的に繋がっているこの施設を中継した方が地上への出口は近かった。

 信用に値しない、ただそれだけでライダーは男の言葉を斟酌するのを怠っていた。感染という安易な手段を選択したのは早計だったのかもしれない。

 

 先に投げられた鎖の先端は、その薄い壁に穴を穿ち、壁を引き抜くことで更なる大穴を空けていた。

 壁に開けられた大穴の向こうに見えるのは、人型の機械――重装甲パワードスーツの一団だった。その両肩と両腕には馬鹿みたいにでかい多連装チェーンガンが装備され、こちらへとその照準を合わせている。

 

「ここで彼等の侵攻を食い止めなければ、犠牲者は増えることになるよ?」

 

 その言葉はライダーではなく、奥に引っ込んだ椿へと向けられていた。

 男の思惑通りに動かされることは気にくわないが、かといって無視することなどできよう筈もない。椿がどう判断をするのか、ライダーは聞かずとも分かっている。

 

「それじゃ、後は頼むね。せいぜい死なないよう持ち堪えてくださいよ」

 

 言葉だけを残して男は最後まで名乗ることもせずライダーの目の前でその姿を徐々に消していく。

 変装による透明化とはシステムが明らかに違う。光を遮断し歪曲させるエアカーテンによる光学迷彩に加え、臭気・温度といったものも周囲と同化していく。ライダーの感覚をもっても男を捉えることができない。

 

 鎖・変装・透明化の宝具を男は三つも持っている。フラットの居場所を知っている。生き残った二十八人の怪物(クラン・カラティン)の顔も知っていた。男は椿を呼び止めるのに「二人」とライダーを数に入れている。移動する敵の動きさえも把握していた。

 正体不明でありながら、各陣営の内情を知りすぎている。

 それでいて、状況を考えるにこうして最悪を防ぐべく敵の増援をライダーにぶつけるよう仕向けたのはこの男。ライダーの負担は大きいものの、現時点で被害は最も少なく済んでいる。

 

「あなたは一体何者ですか?」

 

 疑問を口にしてみるも、返ってくる言葉はない。透明化できぬライダーを囮に、本人はさっさとこの場から立ち去ったらしかった。

 撒き散らされる銃弾をその機動性と周囲の遮蔽物を駆使してなんとかライダーは回避し続ける。回避しながら周囲の違和感からあの男を探し出そうとするが、もはやその残滓も感じられない。

 その間にも、傷つけた動脈から吹き出す血のように、破壊された壁から人型機械が溢れ出てきた。このまま放置していけば、程なく周囲には死が訪れるだろう。

 

 生命体を始めとする有機物に対して圧倒的優位であるライダーではあるが、機械などの無機物に対しては相性が悪すぎた。

 ライダーの感染は非生物には通じにくいし、そもそも戦闘をするための直接的な宝具をライダーは持っていない。ライダーが『騎乗』している椿からして貧弱な少女でしかないのである。

 

 冷静に考えて、そこに勝機があるわけもない。

 既に先手を取られ劣勢となっている。挽回するのは難しく、撤退し体勢の立て直しを図るべきだが、ここで退けば地上ルートを確保される上、脱出した市民にまで被害が出る。それだけは、何としてでも阻止しなくてはならない。

 波のように押し寄せる敵を前に、ライダーはその覚悟を決める。

 

 守るべきは椿、ではない。

 守るべきは椿が帰るべき場所だった。

 

 こうして、最初に椿とライダーが無自覚に抱えていた自己犠牲愛は、『救う』から『守る』ことへとすり替えられることによって当面の解決を見る。

 全てを見通した上で、あの男がこれを仕掛けたことに、二人が気付くことはなかった。

 

 



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day.11-07 司令室

 

 

 中央作戦司令室の占拠はさほど時間がかかることもなく、容易く迅速に成し遂げられた。

 

 敵本部といっても過言でない場所であるが、残念ながら投入された戦力に違いがありすぎた。

 レギヲンの主戦力は前線である第四層に引きつけられ、後方の守りはないに等しい。バリケードの構築もなく、敵兵装はせいぜいが携行用対戦車榴弾(RPG-7)くらい。それに対してこちらには二十八人の怪物(クラン・カラティン)の数だけ宝具があり、そして並の攻撃は跳ね返す王の服(インビジブル・ガウン)とアーチャーの猛攻にも耐えた我が人生は金貨と共に有り(アレクサンドル)を持つキャスターがいた。

 司令室のある第七層に密かに辿り着かれた段階で、既に彼等は詰んでいたのである。

 

「被害は?」

二十八人の怪物(クラン・カラティン)全員に目立った被害はありません。しかし壁抜きに爆薬は全て消費、弾薬もここまで来るのに使いすぎました。奴らに押収されていた宝具は回収しましたが、扱うには休息が必要かと具申します」

「助けられた身でそれらについて文句は言えんよ。警戒は密に。わずかだが休める者は食事をとってなるべく休ませろ。ただしすぐに動けるようにだけはしておけ」

 

 恥じるような部下の報告に署長は制圧したばかりの司令室へと足を踏み入れる。

 もの言わぬ骸が七。その内六人までが銃かナイフを握り締めたまま壮絶な最期を迎えていた。

 レギヲンのメンバーはクレバーな戦闘狂ばかり集められていたと聞く。中にはデルタやシールズといった特殊部隊から引き抜かれた者も数多く、この場でオペレーターを務めていた者もその例に漏れていなかった。

 

 宝具で強固に守られている以上、二十八人の怪物(クラン・カラティン)を撃退するには接近戦しか道はない。死中に活を見いだせば、彼らは躊躇なく行動してみせる。結果として彼らは全滅してしまったわけだが、一手でも間違えれば多大な被害が出てもおかしくはなかった。

 そして唯一武器を持たずに死んでいった口髭の似合わぬ指揮官風の男も、ただで死ぬようなことはしていなかった。殺される寸前まで彼はシステムに細工を施し続け、ある意味ではこの口髭男が最も二十八人の怪物(クラン・カラティン)を苦しめていた。

 

「どうだ、何とかなりそうか?」

「無理ですね……システムの初期化こそ食い止められましたが、制御権限をスノーホワイトに委譲されています」

 

 床に倒れた死体をそのままに、未だ血糊がこびり付いたままのコンソールを操りながら部下は署長に首を振る。

 この司令室をスノーホワイトより先に制圧したのは、ここから基地全体を操作できるからである。上手くいけば隔壁を解放し、電子欺瞞(ジャミング)も解除することができる。基地内カメラから全体を把握することも容易となる。

 筈だった。

 

「キャスター、スノーホワイトはどうだ?」

「ん、ん~……やっぱこっちもダメだな。ここからスノーホワイトへのアクセスそのものができてないみたいだ」

 

 キャスターが打ち込んだパスワードは認識されているが、スノーホワイトからは何の反応も返ってこない。ネットワーク管理画面を呼び出し接続状態を確認すれば、スノーホワイトと繋がっている筈の専用ケーブルの断線が確認できる。

 

「迂回はできるか?」

「メインとサブ、共に断線しているので無理だな。交換するより他はない」

「やっかいだな。事実上何もできんということか」

 

 スノーホワイトに制御権限が委譲されたということは、この司令室で何かをコントロールすることはできないということだ。

 権限の優先処理設定から取り返すことは可能だが、それには専用ケーブルでのアクセスが前提となる。悠長にケーブルを交換する時間はなく、それ以前に予備のケーブルがそもそもあるのかすら分からない。

 

電子欺瞞(ジャミング)装置を壊しちまえばいいんじゃねえの?」

「あいにくと電子欺瞞(ジャミング)装置はスノーホワイトの傍にある。後々のこともあるし、スノーホワイトを確保した方が手っ取り早い」

 

 唯一の救いは、有線接続されている基地内のカメラはリアルタイムで把握できることくらいか。署長が仕掛けた先日のスノーホワイトによる通信欺瞞対策をしたのか、スタンドアロンのシステムとして切り替えられている。

 こちらとしては好都合である。

 

「キャスター、お前はこれからどうする? 予定通りスノーホワイトを確保しに行くか?」

「それしかないだろうさ。それに少々ジェスターの奴には文句を言わなきゃなんねえ」

 

 基地内をモニターしたことで各所の戦闘状況が明らかになった。

 第四層でレギヲンとヘタイロイが鬩ぎ合い、メインシャフトから基地外縁施設へと侵入した重装甲パワードスーツ部隊がライダーと交戦中。ジェスターが予想よりも遅いながらもスノーホワイトに辿り着き、周辺の敵を掃討している。

 そして第八層。

 そこで署長と同じく開放されたアサシンとティーネが、ランサーと対峙していた。

 

「ジェスターの奴、わざとランサーの存在を教えていなかったんだろうぜ」

「ランサーがわざわざ敵対するとも思えん。これは銀狼を人質に取られたか、令呪をファルデウスに奪われたか。あるいはその両方か」

 

 何か裏があると睨み、スノーホワイトを後回しにして司令室を先に抑えたのは正解だった。ジェスターがこちらと同行せずに一人動いていたのは、ランサーをこちらとぶつける腹積もりだったからに違いない。

 いや、むしろアサシンとぶつけるためか。

 

「銀狼の令呪は確か残り一画だった筈だ。銀狼さえ保護できれば交渉材料になるかもしれねえぜ?」

「その可能性は高いな。試す価値はある」

 

 キャスターの案に署長も同意する。

 銀狼の令呪を奪ったとしても、それでランサーが素直にそれに同意するとも思えない。無理強いするなら令呪を使う必要もあるが、一画だけではそれも無理だ。だからランサーがファルデウスの思惑通りに動くことはない。

 その証拠に、この危機的状況にあってランサーは後詰めにしてはさほど意味のない場所で待ち構えている。

 

 ランサーがいる第八層は“偽りの聖杯”が眠る第九層への緩衝のための層。神殿めいた巨大な柱が立ち並ぶ、広大なだけの空間がそこにある。

 ここまで侵入されれば重要施設である司令室やスノーホワイトが制圧されてしまう可能性が高い。事実、司令室は制圧され、スノーホワイトは制御こそ奪われていないものの、ジェスターによってスタッフは排除されつつある。

 ランサーには交渉の余地がある。戦闘に発展しなければ時間稼ぎくらい付き合ってくれるかもしれない。

 

「ふむ。ならばここは隊を四班に分けるか」

「おっと。俺はてっきりここは放棄すると思ってたんだがな」

 

 署長の考えにキャスターは意外そうな顔をした。署長が戦力を四分するのはやるべき事が四種類あるからだ。

 

 第一班はスノーホワイトの制圧。

 第二班は銀狼の探索、そして保護。

 第三班はこの司令室を堅持。

 第四班は司令室から各所へ有線通信網を構築。

 

 妥当な目標設定であるとは思うが、あいにくとそれを実践するには戦力が足りない。

 この場にいる戦力はキャスターと署長を除いて二八名。これを仮に四等分すれば一班七名となる。戦力の分散は部隊の危険度を上げることに直結する。当初の優先順位を考えるなら、この何もできぬ司令室は放棄して第三、第四班をなくすべきだ。

 

「優先すべきはスノーホワイトだろう。俺としてはいっそのことこの場の全員で制圧に向かうべきだとすら思うぜ」

「装備が万全ならそれも考えるが、魔力も弾薬も心許ない。やはりあの強行突破で無理をしすぎたな」

 

 署長とキャスター達がこの場に短時間で来ることができたのは、ジェスターからの情報で手薄となっている場所が分かったからだ。そこをティーネとアサシン、二十八人の怪物(クラン・カラティン)の宝具によって無理矢理突破して来たのである。

 こうした強行突破はアサシンと署長の救出前にも何度も行われている。基地内を時折揺るがす衝撃はそうした二十八人の怪物(クラン・カラティン)の宝具全力使用によるものだ。そう何度もできるものではないが、その対処に応じる戦力から敵規模も推測できるし、何より味方の健在を確認できるので士気が上がる。

 

「幸いカメラは生きている。ここから連絡が取れれば援護にもなるし、市民の脱出もよりスムーズになる」

 

 これ以上の攻勢を強めようにも現状では戦力不足。だからこそサポートに回るべきだと署長は言う。しかしそうすると、先ほどの班分けでウェイトが大きくなるのはむしろ第三、第四班となる。

 

「……もしかして、さっきの質問は今後の二十八人の怪物(クラン・カラティン)ではなく、俺がどうするのかを聞いていたのか?」

「言ったろ。『お前は』どうするのかって」

 

 署長の案だと、スノーホワイトの制圧人数はキャスター一人だけとなる。

 やはり救出するべきではなかったと、キャスターは半ば本気でそう思う。

 スノーホワイトは既にジェスターが敵を蹴散らしているし、キャスターには防御専用宝具がある。人員配置を考えれば途中レギヲンに襲われる心配は少なく、ただ辿り着くだけなら問題はない。

 心配なのはキャスターがスノーホワイトへかかりっきりになる瞬間にジェスターが何をするか、だ。

 

 キャスターが全員でスノーホワイト制圧へ向かうのを提案した理由のひとつが、ジェスターに対抗するための保険である。

 いっそのことスノーホワイトを諦めるべきだとすら思うが、署長が敢えてそれをしなかったのは、ジェスターの牽制は必要だと判断したからだ。

 つまり、キャスター一人でジェスターを抑えろということらしい。

 

「今ライダーと戦っている重装甲パワードスーツ部隊はヴァルキリー構想とかいう時間経過と共に成長する戦域支配システムだ。スノーホワイトを操れるお前でないとあれは止められん」

「お前も少しできるだろうが!」

「この慣れない腕で細かな操作はできん」

 

 署長に取り付けられた人形の右腕は確かに良い仕事をしている逸品ではあるが、負傷から時間が経っていることもあって神経接続が不完全である。銃に手を添える程度はできるが、その程度の戦力でしかない。

 キャスターが用意しておいてくれた宝具のおかげで足手まといこそ免れたが、あれはちと扱いが難しいものである。スノーホワイトというバックアップがなければ活かせぬ類のものだ。運用に難がある以上、それをここで使うつもりはない。

 

「せめて護衛をつけくれ」

「ジェスター相手に護衛など何人いても無駄だ。諦めろ」

 

 ついに泣きついてきたキャスターににべもなく署長は無情にも首を振る。

 

「それに我々の目的は“偽りの聖杯”そのものだ。そのためには邪魔が入らぬよう全サーヴァントと令呪を持つマスターを探索するのが優先だろう」

 

 作戦の立案にこそ携わっていないが、計画を遂行する現場指揮官として署長の判断は正しいといえた。

 ティーネと別れる際に署長は二十八人の怪物(クラン・カラティン)の指揮権を受け取り、同時に各作戦プランを簡単ながら説明を受けている。基準となるのは“偽りの聖杯”に対する処理方法とその過程における犠牲の多寡。犠牲を最小限に抑えるためのミッションフェイルドのタイミングは署長に一任されている。

 

 状況は二十八人の怪物(クラン・カラティン)の介入により優勢となりつつある。だが“偽りの聖杯”へ至る第九層が充填剤を注入しメインどころかサブすらも完全に封鎖されたことによって突破は想定通り不可能となった。

 通常戦力によって穏便に“偽りの聖杯”を確保するプランAは破棄。“偽りの聖杯”に強固な封印を施すプランBへと移行する。

 当初遂行していたプランAで邪魔となるスノーホワイトも、第九層封鎖によって手出しができなくなるのならその意味では脅威とはなり得なくなった。その代わりに、危険度が増しているのはこちらに協力的でないマスターとサーヴァントである。

 それを睨んだ上で署長がティーネに任されたのは司令室の占拠、そして危険人物の所在確認、そして排除である。

 

「ファルデウス。我々はまだ奴の姿を確認すらできていない……!」

 

 この司令室を襲撃した時には、既にファルデウスの姿はなかった。指揮を執っていたのは口髭の男で、周囲の痕跡からはかなり前からここにはいなかったようである。

 ここでファルデウスが無目的に動くとも考えられない。

 署長が最も力を入れなければならないのは、ファルデウスの確認だ。そのためにはこの司令室は確保し続けなければならない。有線で各員と連絡つけるのも、戦況を有利に運ぶというより眼の数を増やし発見を容易にさせるためである。

 ここでランサーを視認できたことは僥倖ともいえた。やや“偽りの聖杯”に近いことがネックだが、ここでならランサーの動きは逐一確認できるし、何かあったとしてもアサシンとティーネがすぐに対処することができる。

 

「すぐに隊伍を編制する。キャスター、魔力は十分にあるな?」

「待て、話を進めようとするな。俺は行かねえぞ」

「よし、問題ないようだな。ルートを確認させるから二分待て。」

「聞けよおい」

 

 ――などと今後の戦況における意見交換を行っている署長のキャスターの間に、一つの報告が飛び込んでくる。

 

「マスター、状況に動きがありました!」

「どうした?」

 

 問う署長に対し、戦況監視を続けていた二十八人の怪物(クラン・カラティン)は緊張した面持ちでただ事実だけを告げる。

 

「ジェスターが電子欺瞞(ジャミング)装置を破壊しました! ジェスター発、ランサー宛の通信を確認、現在暗号解読中です!」

「ジェスターからランサーへ?」

 

 訝しむキャスターであるが、しかし署長はジェスターの真の狙いを理解する。

 ジェスターはアサシンを慮りながらも、その現状には満足していない。ジェスターはアサシンのためなら世界さえも犠牲にする。

 ジェスターの狙いは、アサシンに最後の試練を与えることだ。

 

「ランサーはどうしたっ!?」

 

 脳裏に巡る最悪の予想を裏付けるかのように最悪の報告は行われる。

 

「ランサー、アサシンと戦闘を開始しました……!」

 

 



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day.11-08 英雄の対価

 

 

 同じファルデウス陣営に組みしているランサーとジェスターは立場的に味方ではあるが、ただそれだけの関係でしかなかった。

 

 思惑と立場の違いからファルデウスも含め、この三者に仲間意識があるわけもない。せいぜい、敵ではないという程度。むしろ「敵であって欲しい」というランサーの願いと「利用価値がなくなればすぐに裏切る」というジェスターの考えは明確な敵よりも質が悪いものである。

 そのためランサーに交流の意志は皆無であり、ファルデウスもジェスターをランサーに会わせて両者の仲を取り持つような真似はしない。そのまま没交渉が続けば互いに死ぬまで会わぬ可能性もあった。

 故に、交流を持とうとしたのはジェスターの意志だ。

 

「随分と浮かぬ顔をしているではないか、ランサー」

「そういうあなたは随分と楽しそうですね、ジェスター」

 

 初対面ながら自己紹介はなかった。

 マスターをすげ替えられた間抜けなサーヴァントと、マスター権を早々に放棄した酔狂なマスター。同じ基地内にいれば意識せずとも情報は耳に入ってくる。そして互いに無視できぬ実力者。情報が入らずとも近付けば嫌でも肌で気付く。

 それにジェスターはランサーがこの通路を通ることを予め調べていた。でなければこんな広い基地で偶然出逢うことなどあり得ない。通路の壁に寄りかかり待ち構えているのだ、本人に隠すつもりもないようだった。

 

「……何か御用ですか?」

 

 無視してこの場を立ち去りたい気持ちを殺してランサーはニタニタと笑うジェスターに言葉をぶつける。

 ジェスターの思惑に乗るのは癪だが、ここは乗るしかなかった。乗らざるを得ない状況にされていた。

 

「クハハッ! いやなに、私も似たような立場であるからな。君と銀狼の話を聞いて、いても立ってもいられなくて駆けつけたところだ」

「あなたと同類だと? 冗談も休み休み言って欲しいものです」

「いやいや、相手に死んで欲しくないという点では同じではないかね?」

 

 その言葉を本気で言っているのだから、呆れるより他はなかった。

 ジェスターがアサシンにしていることは周囲に無関心なランサーとて聞き及んでいる。殺さぬように傷つけることと、死なぬように癒やすのとでは、悪魔と天使ほど違うだろう。

 もっとも、悪魔と天使にジェスターは違いを見いださないだろうが。

 

「それでランサー、君の大事な大事な『元』マスターは、まだ生きているのかな? もう死んでしまったかな?」

 

 土足で人の領域を踏みにじるジェスターは、心の底から愉しそうにランサーに問うてくる。

 そう、銀狼は死にかけていた。

 ただでさえ短い合成獣の寿命を更に犠牲にして産まれてきた銀狼だ。ランサー召喚前に受けた銃弾や夢の中での戦闘によって、銀狼の肉体や魔術回路に小さくない罅が無数に刻まれていた。その罅は時間経過と共に大きく歪に拡がっていき、そしてファルデウスに捕まる頃には決定的なものへとなっていた。

 

 通路には分厚いガラスが嵌め込まれている。ガラスの向こうには生命維持装置に身を包まれた銀狼がいる。絶対安静であり、たとえランサーといえども中に入ることは躊躇われた。

 もはや銀狼は戦うどころか、生きることさえ難しい。自力で立ち上がるどころか、息をすることさえ補助なしでは覚束ない。

 

 皮肉なことにファルデウスが令呪を奪わなければ、ランサーへの魔力供給で死んでしまっていてもおかしくはない状況ですらあった。今は夢の中で微睡むことが精一杯な状態である。

 ファルデウスに対しランサーが面と向かって反抗しない理由も、そこにあった。

 

「私も死徒という身の上だ。そういう研究は散々してきたからな。聞きかじっただけでも大方の予想は着く。テロメア領域の最低ループ分は既に使い切っていると聞くが、本当かね?」

「……それをあなたに言ったところで問題解決に繋がるとは思えませんね」

 

 溺れる者は藁をも掴むと言うが、ランサーはそんな真似をしなかった。

 ある意味で数百年の時を生きるジェスターはその筋の専門家ではあるが、それを踏まえても銀狼を助ける手段などあるとは思えない。銀狼の症状は怪我や病気ではなく、寿命なのだ。これを根本的に解決するには、それこそ聖杯が必要となってくる。

 けれど、そんなものはどこにもない。

 

「ほう、その様子だと私の推測も当たりのようだな。となれば、細胞死の促進による新生細胞を活性化するような回復手段は逆効果か。ここの施設では崩壊を止めるのが精一杯……ヘイフリック限界でも操作して冬眠状態にでも保つのが限界だな」

 

 ランサーの答えを聞くまでもなく、勝手に結論を出し納得するジェスター。自らが通ってきた道だけあって、その推測は気持ち悪いくらいに正解だった。

 微かな希望を臭わせる台詞ではあるが、その程度で期待することなどできよう筈もない。

 

「おっと。期待されても困るので予め言っておくが、いくら私でもここまで末期の状態にあってはどうにもできんよ。苦しみを和らげることは可能だが、もう一度立ち上がれるなどと思わない方がいいな。

 もっとも、吸血鬼らしい手段であれば、可能性はあるがね?」

「あなたに何も期待していませんよ」

 

 最後のは冗談だと笑うジェスターに、ランサーは我知らず苛立っていることに気付いた。さすがに創生槍を取り出す真似はしていなかったが、ここでジェスターが少しでも戯れれば、自制できる自信はなかった。

 

「……クハハッ、ようやくマシな顔になったではないか。さっきまでの白けた顔よりずっと良い。人形相手に喋っているつもりはないからなぁ」

 

 表情を変えたつもりはなかったが、ジェスターの眼からは明かな変化であったらしかった。泥人形から人間に近付いていったランサーだ。その振り幅で彼の強さは大きく変わってくる。

 ランサーを苛立たせることで人へと近付かせ力を削ぐ算段か。しかしジェスターがそんなことをする意味が分からない。邪推しすぎだろうか。

 もっとも、挑発しているということは確かであろう。

 

「貴様の逸話はよく知っている。なかなか皮肉の効いた展開ではないか。朋友を残して先に逝った貴様が、今まさに残されようとしている。アーチャーがもういないことが悔やまれてならんな」

「……話は、それだけですか?」

「それだけ、と言うと嘘になるな。確認がしたかったのだよ。果たして、貴様はどうしてここにいる?」

 

 ジェスターの言葉は、確かにランサーの身を貫いた。

 マスターの危機に令呪で呼ばれるまで気付くこともできず、切り札を使いながらライダーを消滅し損ね、無様にもその後も敵の罠にかかり封印され、敵を出し抜いたと思いながらその実手のひらで踊らされていただけ。あまつさえ、朋友と同じ戦場で散ることもできず臆面もなく生き残り、最後の寄る辺すら失おうとする今、英霊としての本分を果たす意志も放棄して文字通りの奴隷(サーヴァント)に身を窶している。

 これのどこが英霊なのかと。

 これのどこが英雄王と肩を並べる存在なのかと。

 なんと無様。滑稽なことこの上ない。

 

「……何を僕にさせたいのです?」

「クハハハッ。その殺気、その怒気。実に結構ではないか。去勢された畜生だったらどうしようかと心配していたぞ」

 

 売り手と買い手があってこその商売だが、ジェスターはランサーの考えなど介することなく、愉しそうに虚空に未来を幻視する。ランサーの返事など必要ない。モノを与えれば、ランサーが何を考えようと無視することなどできないのだから。

 

「対価は戴く。その代わりランサー、貴様に英雄としての場を与えてやろう」

 

 

 

 ――そんなことを思い出しながら、ランサーは今し方ジェスターから送られてきたメールを一読する。

 ランサーは強い無力感に苛まれていた。

 友を失い、主人も奪われた。かといって死ぬわけにもいかず、活躍するにも抵抗がある。それにランサーの相手が務まる者など、英霊の中でさえ数えるほどしかいないのである。今更格下相手に慰められるわけもないし、そもそも戦いの中に安らぎを見出せるような性格でもない。

 いっそ狂うことができればどれだけ楽なことか。しかしバーサーカーならぬランサーではそれも叶わぬ夢。こうして理性を持ってメールの内容を理解できる自分が恨めしくて仕方がない。

 

 諦めを感じさせる呼気をひとつ。掌より創生槍をわざわざ取り出し、軽く振り回して無駄に構える。声を張り上げて名乗ることも考えたが、それはやめておいた。自分の性格ではない。

 本気を出せば二人をノーモーションで殺せるランサーは、分かり易く戦闘態勢を取り、足に力を蓄える。ティーネとアサシンの危機レベルがひとつ上がったのを確認して、その力を開放した。

 

「このタイミング……ッ! ジェスターの話を聞いてはなりません、ランサー!」

 

 叫ぶティーネであるが、ランサーが耳を貸すことはない。

 突然の攻勢に一瞬でファルデウスではなくジェスターの仕業と判断したのはさすがだが、そんな説得をするくらいなら距離をとる方が賢明だろう。

 数十メートルの距離をランサーは一瞬で詰める。尚も説得を諦めることなく続けようとするティーネ・チェルクには申しわけなかったが、ランサーはここで止まるつもりは微塵もなかった。

 

 ファルデウスの味方をするつもりはない。かといって敵対するわけにもいかない。妥協の産物としての役立たずの後詰めを選択し、結果、説得を試みようとするティーネとアサシンをこの場に留めてしまった。

 自らの愚かさに自殺したくなる。

 ファルデウスが指示に従わぬランサーに何も言わなかったのは、こうなることを見越していたからかと邪推する。今ランサーは、確かにファルデウスに利する行為を取っている。戦わずとも敵主力となりうる二人を足止めする行為は立派な戦果となる。しかしそれはそれでまだマシな選択肢だった。

 その選択肢すらも、ジェスターからの一報が全て奪った。

 

 送られてきたのは一通のメール。ただし、その添付ファイルにある画像はランサーを動かすには十分な理由となった。

 画像に映し出されているのは檻の中でぐったりとした姿の銀狼。一見するとペットの犬を鎖に繋ぐ、家庭でも珍しくもない光景だが、銀狼の様子をよく知るランサーはこの状況を看過できない。

 

 銀狼から、生命維持装置が外されていた。

 呼吸一つですら今の銀狼は死に直結する。一刻も早い処置が必要となる。それだけにメールの指示を無視するわけにはいかなかった。

 英雄としての場。

 ジェスターは、主を思いやる従僕に、戦う理由を与えていた。

 

 戦闘は、止められない。

 

 



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day.11-09 ランサーVSアサシン

 

 

「下がりなさい、ティーネ・チェルク!」

 

 ランサーの創生槍を受け止めたのはアサシンだった。

 およそ前衛には向かぬサーヴァントであるが、それでも生身の人間であるティーネよりかは適正がある。

 魔力を秘めた現代風の大振りナイフ二本を交叉させて、アサシンはランサー渾身の一撃を受け止めた。それだけでナイフに罅が入るが、突風めいたランサーの動きを止めることにはなんとか成功していた。

 

「手加減はできません、ランサーッ!」

 

 そして説得を試みたわりに攻撃の機をティーネが逃すことはなかった。

 ティーネの叫びと同時にランサーの全身が激しく燃え上がる。衝撃を逃し斬撃を殺す天の創造(ガイア・オブ・アルル)であるが、こうした純粋属性による攻撃は程度の差こそあれ低減させるだけで無効化はできない。上位の宝具であっても無傷の自信はあったが、ティーネの一撃はそれ以上の威力を持つ。

 惜しむらくは、ランサーがその程度で怯む相手ではなかったことか。

 

 鋼鉄をも蒸発させる焔に舐められながらも、ランサーは構わず創生槍を繰り出し再度の前進を開始する。長柄の武器にあって間合いを詰めるのは自殺行為だが、今のランサーはティーネの焔に身を包まれており、迂闊に近付くことはできない。仕方なく、アサシンは後退せざるを得なくなる。

 ティーネの攻撃を逆手に取ったランサーであるが、アサシンにしてもここで永遠に縫い止めることなど考えていない。ほんの数瞬の時間稼ぎでティーネは大きく後退することができた。

 ティーネが安全圏へ退避したのを確認し、アサシンも限界に近付いたナイフを投擲しながら大きく後退する。

 

 あからさまな、罠。

 追撃するには容易く、敵の手に武器はない。追うべき獲物は直線上にあり、伸縮自在の創生槍ならどちらかは確実に貫くことができる。

 ランサーが躊躇することはなかった。全身が黒焦げになって尚燃え盛り、その頭部をナイフで貫かれ視界を閉ざされながら、ランサーはその動きを止めようとは欠片もしなかった。

 

 神霊並の魔力を持つティーネ。奥の手の多いアサシン。そんな警戒すべき二人がわざわざ左右に分かれることなく直線上に被って誘っているのだ。

 綺麗な薔薇には棘があり、美味い河豚にも毒がある。

 さて、この二人には何がある?

 

 ここでの最悪手は躊躇することである。躊躇は容易に身体の動きを阻害し、決定的な隙を産みかねない。泥人形であるランサーであってもそれが皆無だとは思えない。故にそれを回避したのは英霊としては当然のことであろう。

 しかして、ここでの最良手は蓋を開けてみないことには分かるまい。罠がある場合、このまま追撃しひっかかればただのマヌケだ。ただのブラフの場合、追撃しなければ二人の思い通りに動かされたことになる。

 

 ここでのランサーの思考を読むのは至極簡単である。

 罠があろうがなかろうが、前進あるのみ。

 仮にもランサーは最上位の英霊の一人である。他の英霊とはそもそもの格が違う。いかに魔力があろうと所詮は人間であるティーネと、山の翁にもなれなかったアサシンとは、相手になるわけがない。

 それにランサーは槍の英霊。そんな彼が得意とする間合いで駆け引きを持ち出されては、応えぬわけにはいくまい。罠であろうと、正面から正々堂々食い破るのみ。むしろ後退こそ有り得ぬ選択肢だ。

 

 だからこの時、創生槍に込められた魔力は過去最大であった。

 形状の定まらぬ創生槍は魔力の多寡によって威力も異なる。宝具開帳による天命渦巻く混沌の海(ムアリダート・ギムリシュン)に及ぶべきもないが、直撃どころか射線上にいるだけで跡形も残らぬし、掠っただけでも命の保証はできない。

 単純な破壊力なら、これに比するものはない。

 

 まさしく必殺の一撃を前にアサシンは、

 

【……幻想御手……】

【……伝想逆鎖……】

 

 その一撃を逆に利用して見せた。

 

 第八層は広大で何もない。直径数メートルの柱が乱立しているだけで、中心部から外殻まで一キロ以上ある。だというのに、中心部にいた筈のランサーの体は冗談のようなスピードで馬鹿みたいに外殻の中に埋もれることになった。

 途中にあった柱は緩衝材にはなり得なかった。あまりにランサーが高速で吹き飛ばされたので、運動エネルギーを柱に拡散させる前に貫通してしまう。音速超過の衝撃波が強靭無比な外殻をも抉り、衝撃波に吹き飛ばされた床の一部が火を吹いた。

 何があった、などとは思わない。

 これでは話が違っている、とは思った。

 

「僕相手では脅威になり得ない……この結果のどこがですか」

 

 冷静に状況を分析してみるも、さすがのランサーも原型も留められぬ状態ですぐに起き上がることはできなかった。

 直情的で状況分析ができず、数多の宝具と総じて高いパラメーターもこれでは宝の持ち腐れ。直接戦闘ともなればアーチャー・ランサー・ライダーに劣り、キャスター・バーサーカーを相手にすれば翻弄されるのがオチ、と聞いている。もとよりサーヴァント戦闘では侮られやすいアサシンクラスであるが、その認識はこの偽りの聖杯戦争でも同一であった。

 そんなアサシンが心理戦をしかけ、これを見事制していた。

 

 宝具の重複起動。

 

 単一宝具しか持たぬ者にはできぬこと。過去の業を習得した彼女でしかできぬ奇跡である。

 ランサーの攻撃はその威力を数倍に膨れ上がらせた上でベクトルを一八〇度返され、山をも穿つ破壊力をここに示した。単なる衝撃であれば流し殺すことも可能だったが、瀑布の如き流れはランサーの体内へ何故か留まり続けている。アサシンによって誘導された破壊力はそのまま圧縮され、ランサーの体躯を天の創造(ガイア・オブ・アルル)ごと消し飛ばそうとしている。

 

 ランサーが知るよしもなかったが、アサシンに関する情報は少々古い。

 アーチャーへの奇襲から見切りの遅さを自覚させ、椿を庇った超距離狙撃から秒速一五〇〇メートルの弾丸の精密カウンターを経験し、ジェスターによる一方的な蹂躙で宝具の応用を知った。

 わずか数日のことでありながら、アサシンはその天才的な才覚をもって急成長を果たしていた。

 だが残念かな。この程度のことでランサーが動揺することはない。ランサーが戦ったライダーだって、急成長どころか進化の域に達していたのだ。驚嘆すべきことかもしれないが、ただそれだけのこと。

 

「……なるほど、『対価』にしては安すぎると思いましたが、これは意外に適正価格だったのかもしれませんね」

 

 手加減というのは性に合わなかったところだ。

 これぐらい歯応えがある方が、ランサーには丁度良い。

 銀狼を人質に取るような真似はしていたが、そのことに触れることなくジェスターがランサーに要求したのは、かつて約束した『対価』だった。内容は、アサシンを痛めつけ窮地に陥らせること。

 アサシンのこの強さならさほど手加減する必要はあるまい。

 そしてわざわざ本気を出す必要もない。

 

 実に全身の半分を今の一撃で吹き飛ばされながら、それでも尚ランサーは慌てることなくむしろ微笑すら浮かべ、疾駆して目前に迫ろうとするアサシンを出迎えた。

 宝具の重複起動など初めてだろう。相手の攻撃を利用するカウンターとはいえ、そのための魔力が必要ない筈がない。コンマ一秒の狂いも許さぬタイミングに気力体力も大きく消耗している筈。

 

 そんな状態にあって両の手に先と同じようなナイフを持ち、呵責ない追撃をアサシンは行おうとする。その様は獲物を捕らえようとする大鷲を彷彿とさせた。

 これで仕留めたと過信することなく機を逃さなかったことにランサーは高評価だ。今の彼女なら、朋友だって命を落とすこともあるだろう。

 

「だから君に敬意を表して、忠告しよう」

 

 舐めていたことを詫びるべく、ランサーは外殻にめり込み動けぬままに上から目線でアサシンに告げた。

 

「この程度で、僕を倒せると本気で思ったのかい?」

 

 瞬く間に距離を詰め、先とは真逆の状況でアサシンのナイフがランサーへと迫るが、その切っ先がランサーを貫くことはなかった。

 ランサーの鼻先数センチの位置でアサシンのナイフは宙に停止する。先とは逆に、アサシンの吶喊をランサーはこともなげに止めていた。

 

 逆に貫かれたのは、アサシンの方。

 

「――……ッ?」

 

 全身を貫かれ動けぬ事実に、アサシンは意外そうな顔をする。

 吐血しながら自らを貫いた正体を探るべく周囲を見渡せば、そこには撒き散らされたランサーの肉片がある。否、これは肉片などではなく、宝具天の創造(ガイア・オブ・アルル)の一部。

 

 思い出して欲しい。

 彼は人間に近くとも、人間ではない。神の宝具であり、泥から産まれた人形だ。その器は泥であり、形は定まっておらず、全体と部分の区別すらそこにはない。

 

 アサシンが狙ったランサーは、単純に最も大きい塊というだけだ。周囲にグラム単位で撒き散らされた小さな欠片を、彼女はランサーとして認識していなかった。髪や爪を切っても、人はそれに自らの意識があるなどとは思うまい。指を切っても。足を切り落としても。極論、脳以外のどこにも人の意識が宿ることはない。

 だが、ランサーは違う。

 その身の全てに意志があり、自由に動くことができる。

 天の創造(ガイア・オブ・アルル)は、その形を細い糸状に変化させ、アサシンを串刺しにしていた。

 

「おしかったですね」

 

 目先のナイフを軽くはたき落とし、ランサーはゆっくりと身を起こす。

 全身を四〇以上も貫かれながら、アサシンはまだ生きている。単純に一つ一つの威力が低いことも理由だが、何よりランサーはあえて重要器官を外していた。そうでなければとっくにアサシンは消滅している。

 

「僕を倒そうと思うなら、塵一つだって残してはダメですよ」

 

 事実上アサシン最大の攻撃手段が直撃しながら、ランサーのダメージは全体の三割にも届いていない。

 よく健闘したと、ランサーはアサシンを讃えた。ランサーの奥の手を出させたのだ。その事実だけでも大したもの。いかに成長しようとも彼我の戦力差は明白。圧倒的な格差は依然顕在なのである。

 

 だから、ランサーはアサシンを侮った。

 

 たった今、その格下相手に奥の手を出させた事実を忘れ去る。全てはアサシンの計算尽くの行動であったと分析しながら、それ以上を考えない。自らをこれ以上傷つける方法をアサシンにはないと慢心してしまった。

 ナイフを落とし空となったアサシンの手が動く。ナイフの代わりに、針となって全身を貫く天の創造(ガイア・オブ・アルル)を掴み取る。

 そして、その口角が上がったのをランサーははっきりと見た。

 後悔してももう遅い。このアサシンは、忠告という贈り物をありがたく受け取り、平然と実行してみせる。

 

【……瞑想金色……】

 

 唱えた奇跡の名は、アサシン自身すらも知らぬもの。

 歴代のハサンが極めた業に、そんな名のものはない。

 使うのも初めてなら、その効果も遠目に見ただけ。

 それでも、音に伝え聞く業よりもよほど再現は簡単だった。

 アサシンのその手が、黄金の輝きを解き放つ。

 否、その輝きは黄金そのもの。

 英雄王と対峙した、あの英霊にかけられた呪いだった。

 

黄金呪詛(ミダス・タッチ)――!」

 

 ランサーの解答にアサシンは正解とばかりにその手の魔力を解放、この世で最も忌むべき黄金が、ランサーの天の創造(ガイア・オブ・アルル)の浸食を開始する。その侵攻はゆっくりと、だが確実にランサーへと迫りゆく。

 

「何故それを!?」

 

 これは、宝具でも奇跡の業でもない、神の呪い。

 一介の暗殺者如きが扱って良いものではない。

 あまりに非現実的な光景を目の前に突きつけられ、ランサーはアサシンに問わずにはいられない。

 

「私の本質は、どうやら模倣にあると気付いた。ただそれだけのことです」

 

 何とでもないように、アサシンは神に迫る己の才覚を告げてみせた。

 考えてみれば、彼女の素養は明かであった。奇跡を生み出せぬと言われながら、彼女は過去に存在した十八の秘技を『伝聞のみ』で修得するという奇跡を完成させている。その才のどこが奇跡でないというのか。

 それが猿真似であることは認めねばなるまい。見た目ばかりで極意を解さぬ以上、その業は張り子の虎。しかし『真似る』とは『学ぶ』ことでもある。この猿真似を探求していけば、その極意を得るのも時間の問題だった。

 

 暗殺教団が最も恐れたことは、そんな彼女が異教の秘技を得てしまうことだった。異教の奥深くに眠る秘技は、経典の教えに勝る真理を保有している。教団が彼女を外に出さずにいた理由は、異教を解する可能性を恐れたのである。

 なんてことはない。暗殺教団が真に疑っていたのは狂信者である彼女の信仰心そのものだったというオチ。

 それが分かっていたから、ジェスターはアサシンにランサーをぶつけたのだ。

 

 直接戦闘においてランサーに勝てる者がそうそういるわけがない。イシュタルが送り込んできた天の雄牛すらも退けた、ウルク最強の兵器なのである。ランサーを倒すのならば、女神の逆鱗と同種の呪いでなければならない。

 故に、最強無敵のランサーを倒しうる業は、この偽りの聖杯戦争では黄金呪詛(ミダス・タッチ)のみ。

 

 直に目にしているのだ。真似るだけならアサシンの能力なら容易いこと。後はアサシンの覚悟次第となる。

 己が才覚を自覚した今、異教の真理はアサシンの意志とは関係なくその信仰心を蝕むことになる。異教の業、それも神性の呪いを扱うということは、アサシンにとって毒杯を呷るに等しい。

 

 かくして、ジェスターの目論見通り、アサシンは黄金の呪いをもってランサーを追い込んでいく。

 今更ながら、ランサーはジェスターの求める『対価』がぼったくりである事実に気がついた。

 

 



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day.11-10 真鍮のサーヴァント

 

 

 たった一層しか違わないというのに、第八層の激闘は第九層には何の振動も伝わっていなかった。

 単純に八層と九層の間にある岩盤が厚く、周囲に繋がるルートが悉く完全封鎖されているのも理由のひとつだが、それ以上に異常なまでに執念深く張られた結界がそうした外界から隔絶させていることが大きい。

 

 第九層、“偽りの聖杯”が祀られているこの祭壇は、薄暗い闇の中で完全に閉じていた。

 第八層以上に広大な空間の中央に、巨大な“偽りの聖杯”は座している。

 元は一辺一〇メートル近いの直方体の匣が鎮座していた筈だが、今やその形を拝むことはできない。何故なら、かの神体を方舟断片(フラグメント・ノア)よりも一層強力な封印結界宝具方舟(オリジナル・ノア)が球状に光を逃さぬ極黒で覆っているからである。

 

 目に見える安全装置が一つだけとはなんとも頼りないかもしれないが、この基地そのものが物理的にも魔術的にも強固な結界の役割を果たしているのは明らか。その上スノーフィールドの霊脈そのものも“偽りの聖杯”を封じるよう人為的に流れを組み変えられている。

 方舟(オリジナル・ノア)、基地、スノーフィールドと、どれひとつとっても早々お目にかかれるような代物ではない。しかしこれだけの処置を執られながらも、これでもけっして過剰とは言い難かった。

 

 “偽りの聖杯”の中には、世界を脅かす『何か』がいる。その『何か』を起こそうとすることで、“偽りの聖杯戦争”は開始されたのだ。

 現行の封印を八割にまで弱めたわずか数秒で、世界は自らの危機を感じ取っていた。すぐさま封印を元に戻したことで何事もなかったかのように装ったが、世界はこれだけの封印であっても無視できぬことと判断したのだ。

 

 六騎のサーヴァントの本来の目的は、この“偽りの聖杯”をどうにかして世界の危機を救うことにある。

 だがそうした本来の目的を偽ることがこの“偽りの聖杯戦争”の妙。六騎全てがそのことに気付き、力を合わせぬ限り“偽りの聖杯”を破壊することは叶わない。一騎でも失えばそれを補う力がない限り、目的の達成のために最善や次善を捨てなければならなくなる。

 

 だから、第九層に突如として実体化したサーヴァントは、最善の『破壊』や次善の『弱体化』ではなく、次々善として『封印強化』を目的として送り込まれていた。

 

 本来であれば、あり得ぬこと。

 正規に召喚された六騎のサーヴァントはライダーを除いて全て《イブン=ガズイの粉末》を受け霊体化はできない。だからこそこうした物理的な封鎖は極めて有効であり、ファルデウスが初手から最後の手段を指示したのも頷ける。

 もっとも、そうした想定があったからこそ「彼」は今の今まで表だって動くことなく温存されていたのだ。

 厳重に張り巡らされた複合結界は確かに霊体の侵入も防いではいるが、絶対ではない。事前の調査とキャスターのバックアップ、そして侵入するための時間さえあれば、突破は可能なのである。

 

 黒い霧を纏って顕現したのは、金髪赤眼のサーヴァント。

 その姿、その形、かの英雄王ギルガメッシュに他ならない。

 だが残念かな、この姿の英雄王は、すでにない。南部砂漠地帯でかのサーヴァントは退場させられており、その事実は既に全陣営が把握している。そこに異論を唱えることは神にだってできやしない。

 

 このサーヴァントはこの地に召喚された当時のアーチャーと瓜二つである。姿形は無論のこと、立ち振る舞いだって同一。更には指紋や虹彩、声紋といった生体認証だってパスすることができよう。ただ、そうした一つ一つを究極的に似せたところで、中身が違えばそれは英雄王ではない。真鍮を黄金と偽るには土台無理があった。

 

 そう。このサーヴァントはかつてキャスターが南部砂漠地帯でアーチャーと対峙した際に用いた偽者である。

 だがたとえサーヴァントは偽者であっても、その宝具は本物以上に本物だった。

 背後の空間で、目に視えぬ『扉』が音もなく開かれる。

 背後に浮かぶ数十にも及ぶ武具の数々は、確かに英雄王の所有物。

 キャスターが奪ったバビロンの宝物蔵は、この偽者が持っていた。

 

「さて、では始めようか――」

 

 一つ小さく呟いて、黄金改め真鍮のサーヴァントは、その宝具の的に“偽りの聖杯”を定めた。

 全てはキャスターの策。

 本物でない以上、その齟齬にかかる軋轢は偽者への負担となる。予め注ぎ込まれた魔力では現界もままならず、一度だって戦闘をすることは危うい。かといって王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)を扱えるのはアーチャーの知識を持つ偽者のみ。他に選択肢はなかったのである。

 故にキャスターの策は“偽りの聖杯”が安全に確保できなくなった段階で目的が変化していた。可能な限りファルデウス・ランサー・ジェスターといった不確定要素を排除、もしくは“偽りの聖杯”から遠ざけること。全てはこの偽者をこの場へと招く道を作るためである。

 

 まずは試しに一つだけ、ランクの低い宝具を偽者は射出する。自動迎撃システムの類がないかを確認するためだったのだが、その心配は杞憂であった。念入りな様子見ではあるが、宝具は何の障害も受けることなくあっさりと“偽りの聖杯”へと辿り着き、そして予定通りにそのまま静止する。

 この何でもない行為こそが、封印の強化の方法である。

 

 “偽りの聖杯”を封印する方舟(オリジナル・ノア)は種の保存をするために触れたものの時間を停止させる静止機能を持つ。

 偽者が投射した宝具はその切っ先が表面に触れた瞬間に時間が止まり、さながら選定の剣の如く誰も抜くことの適わぬ飾りと化した。

 

 この宝具が真価を発揮するのは、時間停止の機能が解除された瞬間である。

 つまり時間停止の最中であれば世界は危機に陥ることはなく、時間停止が解かれても方舟(オリジナル・ノア)表面で静止し留まっていた宝具が“偽りの聖杯”を串刺しにすることで始末する。

 ついでに爆発寸前の爆弾でも取り付けておけば、封印を解こうとする者もおいそれと触るわけにもいくまい。

 

 キャスターの計算では“偽りの聖杯”を一〇〇〇本の宝具で串刺しすることで機能不全に陥れるだけの威力を出せる筈だった。

 残り九九九本――だが念には念を入れ、その倍の数の宝具を方舟(オリジナル・ノア)表面に貼り付けておきたい。

 作業は単調であり、邪魔が入らぬよう露払いもされている。脱出は考えないので、魔力が尽き消滅するその瞬間まで宝具を射出し続けるつもりだった。

 注意すべきは宝具同士がぶつかり邪魔し合うことだ。最小の数で最大の威力を発揮できるよう、狙いは慎重に定める必要があった。

 

 球状に展開されている方舟(オリジナル・ノア)を上下に別ち、縦に十字に切り取って八区画に分ける。単純計算で一区画当たり二五〇本。

 本物と違い実力に劣る偽物が一度に放てる宝具は決して多いものではない。アーチャーというクラス特性もないので命中精度にも難がある。偽物が過つことなく放てるのは一度に一〇本くらいが限度だろう。

 これは気が遠くなる作業だと偽物は思い、目標へと集中する。

 

 だが、狙いが一区画に偏ったことで視野は狭まった。

 かつてアーチャーは視野を狭め東洋人を狙ったからこそ、アサシンに奇襲を許したのである。偽物でありながら、本物と同じミスをしていた。

 隙が、できる。

 

「……な、に?」

 

 銃声が遅れて響いた。

 斉射のために宙に浮かんでいた宝具が消え去る。

 ダメージはある。だが消滅に至るほどではない。全身を駆け巡る衝撃に、集中を乱し暴発を恐れて蔵を閉じただけ。

 だがそれ以上の衝撃を、背後を振り返った偽者は感じ取ることとなった。

 

「何故……!」

 

 思わず、声が出る。

 冷静に考えれば、対処策は決まっている。

 決まっているが、問わずにいることなど、できそうになかった。

 

「何故貴様がここにいる!?」

 

 第九層の封鎖は完璧に行われている。ここは完全なる密室だ。秘密の通路などあろう筈もなく、エアダクトも充填剤に埋め固められている。霊体ですら結界に阻まれ、それなりに準備しなければ侵入も容易でない。

 だというのに、その男は確かな肉体を持って、ここに存在していた。

 

 密室トリックにしては余りに陳腐な手法だろう。

 あろうことか、この男は最初からこの場で待っていたのだ。

 もちろん、侵入が不可能であれば脱出も不可能。救助はどんなに早くとも一月はかかり、水や食料も用意されている筈もない。この中で待っているのは無慈悲で確実な孤独死だけである。そこに勝敗を論じる意味があろう筈もない。

 

 だが、偽者が問うたのはそれだけではない。

 現場の最高司令官が、何故そんな役回りをしているのか理解ができない。

 

「答えろ、ファルデウス!」

 

 偽者の後方数メートルという近くに、最大排除対象となる者がうっすらと笑みを浮かべて立っていた。

 

 



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day.11-(前) ステータス更新

 

 

day.11-01 ゲーム

 

 繰丘椿とキャスターは今後の運命を占うべくゲームを開始する。その最中にキャスターとティーネは偽りの聖杯戦争の本質を語り、ルールを示唆してみせる。ゲームに勝利した椿はそのルールに則り、二十八人の怪物(クラン・カラティン)を手に入れた。

 

 

day.11-02 基地侵攻

 

 基地をヘタイロイに襲撃されたファルデウスは現場対応に当たる。敵の侵攻からその目的がスノーフィールド八〇万市民の脱出であると直感したファルデウスはジェスターを用いて足止めを計る。そして、真の目的が“偽りの聖杯”にあると気付く。

 

 

day.11-03 フラット侵入

 

 アサシンを助けるべくフラットは単独で基地に侵入していた。基地攻略に手間取るフラットにジェスターの魔の手が伸びる。ジェスターを説得しようとするフラットであるが、追い詰められ重傷を負う。いよいよ止めを刺そうという時、逆に殺されたのはジェスターの方だった。

 

 

day.11-04 現状説明

 

 援軍に駆けつけたティーネとキャスターは見事偉業を成し遂げたフラットと本来の姿に戻ったジェスターに状況を説明する。情報を統合する四人であるが、そこでフラットからもたらされたヘタイロイの情報に一堂は言葉を失った。

 

 

day.11-05 分水嶺

 

 スノーフィールド八〇万市民の脱出に椿とライダーは動いていた。自らの選択に苦悩する椿であるが、それを止めたのはライダーではなく作戦変更を告げに来た若い二十八人の怪物(クラン・カラティン)だった。突然の作戦変更に椿とライダーはまず確認をする。

 

 

day.11-06 時間稼ぎ

 

 椿とライダーの奇策により正体不明の男と戦闘に突入するが、そこに水を差したのは重武装のパワードスーツ部隊だった。男の正体と目的を探るライダーであるが、男はさっさとこの場を後にし、面倒事をすべてライダーへ押し付けることに成功する。

 

 

day.11-07 司令室

 

 レギヲンの司令室を奪取した署長とキャスターであるが、その消耗は激しかった。司令室とスノーホワイトとの断線も確認されたことで、署長は戦力を分散して対処に当たることにする。そして最悪の予想が的中する。

 

 

day.11-08 英雄の対価

 

 ジェスターはランサーと囚われた銀狼を前に契約を結んでいた。その契約を履行するべくジェスターは暗躍していた。ランサーは無力感に苛まれながらもティーネとアサシンを相手に槍を振るうことになる。

 

 

day.11-09 ランサーVSアサシン

 

 説得の通じぬランサーにティーネとアサシンはやむなく戦闘に突入する。策を弄してアサシンはランサーをティーネから引き離すことに成功するが、ダメージを与えることはできなかった。逆にランサーの反撃に負傷してしまうアサシンであるが、そこで新たな奇跡が再現される。

 

 

day.11-10 真鍮のサーヴァント

 

 完全に密室と化した偽りの聖杯が安置されている第九層に、英雄王の偽物が出現する。南部砂漠地帯で奪った王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)を使い偽りの聖杯の封印を狂化するのが目的であるが、有り得ぬことにその作業を邪魔する者がいた。

 

 

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 ステータスが更新されました。

 

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 ◆サーヴァント

   『アーチャー』

     所属:???

     状態:強制現界の呪い、消失

     宝具:天の鎖(エルキドゥ)

 

   『ランサー』

     所属:レギヲン

     状態:強制現界の呪い、黄金化の呪い

     宝具:天の創造(ガイア・オブ・アルル)

        天命渦巻く混沌の海(ムアリダート・ギムリシュン)

 

   『ライダー』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:感染拡大(特)

     宝具:感染接続(オール・フォー・ワン)

     令呪の命令:「繰丘椿が構築している夢世界の消失」

           「人間を傷つけてはならない」

           「認識の(一部)共有化」

     備考:寄生(繰丘椿)

 

   『キャスター』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:強制現界の呪い

     宝具:我が人生は金貨と共に有り(アレクサンドル)

        王の服(インビジブル・ガウン)

        お前の物は俺の物(ジャイアニズム)

        夢枕回廊(ロセイ)

     備考:「Rin Tohsaka」と刻まれた魔力針

 

   『アサシン』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:強制現界の呪い、魔力消耗(大)

     宝具:回想回廊、構想神殿、追想偽典、伝想逆鎖、

        狂想楽園、幻想御手、瞑想金色

     令呪の命令:「(自殺の禁止?)」

 

   『バーサーカー』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:消滅

     宝具:暗黒霧都(ザ・ミスト)

        ???

 

   『宮本武蔵』

     所属:――

     状態:消滅

     宝具:二天一流

 

   『ヒュドラ』

     所属:――

     状態:消滅

     備考:毒

 

   『エルアライラー』

     所属:――

     状態:消滅

 

   『黄金王ミダス』

     所属:――

     状態:消滅

     宝具:神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)

        酒酔いの薔薇園(シレーニノス・ガーデン)

     備考:黄金呪詛(ミダス・タッチ)

        ロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)

 

   『正体不明のサーヴァント』×2

     所属:――

     状態:消滅

 

 

 ◆マスター

   『ティーネ・チェルク』

     所属:夢世界同盟、サーヴァント同盟

     状態:感染、魔力供給(特)

     令呪:残り0

     宝具:夢枕回廊(ロセイ)

     備考:二十八人の怪物(クラン・カラティン)指揮

 

   『銀狼』

     所属:夢世界同盟

     状態:感染、捕縛、生命危機(寿命)

     令呪:喪失

 

   『繰丘椿』

     所属:夢世界同盟、サーヴァント同盟

     状態:強化(寄生)、???

     令呪:残り0?

     宝具:感染接続(オール・フォー・ワン)

     備考:夢世界再構築

 

   『署長』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:魔力消耗(中)

     令呪:残り0

     宝具:???

     備考:日本の高名な人形師が作った腕

 

   『ジェスター・カルトゥーレ』

     所属:――

     状態:死亡×6

     令呪:残り0

     備考:女の子

 

   『フラット・エスカルドス』

     所属:夢世界同盟、アイオニオン・ヘタイロイ

     状態:感染

     令呪:残り3

     称号:絶対領域マジシャン先生の弟子

 

   『ファルデウス』

     所属:レギヲン

     状態:――

     令呪:残り1

 

 



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day.11-11 正体

 

 

 左足を前に出した基本に忠実なウィーバースタイルで、ファルデウスは狙いを定め、二発、三発、四発、五発、六発と、偽物に弾丸を叩きつける。

 使用されているのはホローポイント弾と呼ばれる貫通力を落として通常よりダメージを増加させる弾頭だ。人間相手に使用するなら十分すぎる威力だろう。

 

「……ああ、やはり防がれると対英霊仕様でも殺せませんか」

 

 その場から動くことすらせず、余裕たっぷりにポケットから弾丸を取り出して回転式拳銃に弾を込めるファルデウス。火力が足りぬと理解しながら、その行為を止めることはない。

 そんなあまりに無意味な光景を前に、偽者は隙だらけのファルデウスを殺すことはできなかった。

 

「貴様は一体、何がしたいのだ?」

「意外そうな顔をしないでください。ここに侵入してくるであろうサーヴァントを倒す為に決まっているではないですか」

 

 つまりあなたを倒すことですよと、さも当然のように答えるファルデウスは弾を込め終える。

 再度発射された弾丸を、偽者はわずかな動きだけで防ぐことなく全て避けてみせた。威力ばかりで遅い弾など、不意打ちでもなければ役に立ちはしない。いかに偽者といえど、偽物がサーヴァントである事実に違いはない。

 またも全弾を撃ち尽くすファルデウス。ポケットの中を探ってみるが、取り出すことができたのはたったの一発だけだった。肩を竦めて弾を込めるが、それを再度構えることはしなかった。

 

 これではどうやっても勝つことはできない。

 最初の不意打ちだけが、ファルデウスが唯一勝機を見いだせる機会だったのだ。それを逸した以上、如何に訓練を積もうと彼の実力だけで現状は打破できるとは到底思えなかった。

 

「射撃は苦手なんですよ。どちらかといえば、私はナイフが専門でして」

「ならば腰のものを抜け。私を倒すのだろう?」

「遠慮しておきましょう。サーヴァント相手に接近戦など、人間がやることではありません。

 ――けれどご安心を。あなたのお相手は、ちゃんと別に用意しています」

「その右手の令呪でも使うのか?」

「はは、あなたを相手にこんなもの必要ありません」

 

 笑って否定しながら、ファルデウスは傍らの操作盤にあるスイッチをオフからオンへと切り替える。警戒するようなことはない。配線からそれがただの電灯の電源スイッチであることは分かっていた。

 案の定、スイッチと同時に壁際一〇メートル頭上に人工の光が点る。それが第八層と繋がる貨物運搬用エレベーターの明かりだった。

 

 目を凝らすまでもなくそこに誰かが居るのはわかった。相手を用意しているというファルデウスの言葉は嘘ではなかったが、それにしてはその相手とやらの様子がおかしかった。

 瞳の焦点はとっくの昔に失っており、弛緩しきった唇からは虚ろな笑いと涎を垂れ流し、床にへたり込んだその身体はひくひくと痙攣する。失禁でもしているのか異臭もするが、もはやその異常は些細なこと。

 どう見てもサーヴァントを相手にすることなどできるとは思えない。それどころか放っておけば遠くない内に勝手に死んでいそうである。

 

「どういうつもりだ、などと言わないでください。ああ、しかし少々気恥ずかしくもありますね。意表を突いたつもりであっても、こうして見てみると意外と陳腐な手段ですしね」

「一体何を――ッ!?」

 

 ファルデウスの言わんとしていることに偽者は気付く。

 エレベーターにいる者の手にある、ただ一つ輝く令呪の存在に。

 

 そのトリックは、既にこの聖杯戦争でも扱われている。

 例えば、忠実なる七発の悪魔(ザミエル)。七発と銘打っているにも関わらず、その実鋳造された弾丸は全四〇発である。

 例えば、二十八人の怪物(クラン・カラティン)。二十八人とありながら、その構成人数は全体で一〇〇名を超えている。

 

 これは具体的な数字を挙げることで意図的に誤解を招くよう仕組まれた例だ。

 そうした思い込みを利用したトリックは、何もキャスター陣営だけがやっていたことではない。

 テレビゲームにもよくあるシステムだ。プレイヤーはゲーム開始時に操作するキャラクターをセレクトする。ゲームに登場するのはプレイヤーが選んだキャラクターで、選ばれなかったキャラクターが今後登場することはない。

 けれども、それはただの思い込みだ。選ばれなかったキャラクターが登場しない保証など、本来どこにもない。

 

 プレイヤーが一人だけだという保証もどこにもないのだ。

 

「アインツベルンが投入した五つの令呪を持った東洋人。作戦呼称は『プレイヤー』もしくは『A氏』だそうです。私が知る限りでは、年齢性別体格バラバラの十二体が確認されていますね。

 その内勝手に戦って死亡したのが五体、ティーネ・チェルクやキャスター達に確保されているのが一体、我々レギヲンが確保したのが六体――内四体は先日ライダーにやられてしまいましたが」

 

 ファルデウスの言葉が本当ならば、このエレベーター内にいる東洋人がその最後の二人の内の一人なのだろう。

 その事自体に、偽者は驚かない。

 何せ、過日にこの基地を襲撃した原住民を撃退し、昨夜に北部原住民の要塞を襲ったのは今まで見たことのない複数人のサーヴァント。そして、それを操っていたのが令呪を持った東洋人であることはとっくに確認が取れている。

 

 交戦したライダーからの情報と、当初より協力関係にあった東洋人との情報を統合し整理したことで、彼等にある四つの制約は明らかにされている。その内の一つが、『エレベーターのある建物に入れない』というものだ。

 この制約によって、この地下基地攻略における東洋人の脅威はないものと推定されていた。排除すべき不確定要素の中に東洋人の項目はなかったのである。

 

 だからこそ、偽者はそのことに驚愕する。

 ファルデウスはキャスターの策を読み切った上で、東洋人を切り札に仕立て上げていた。

 確かに、物理的に考えれば人間が『エレベーターのある建物に入れない』なんてことはあり得ない。入れない理由は強固な呪詛が、あるいは単なる精神障害か。どちらにせよ、自力で入れないのであれば、他力を使えば良いだけの話。

 

「色々と試行錯誤してみたのですよ。制約のどれか一つでも解決できれば、より有意義な切り札になり得る。おかげで一人は使い潰してしまいましたが、もう一人はこうして無事に生かすことができました」

「これが無事だと?」

「無事、ですよ。ほら、その証拠に五体があるでしょう」

 

 平然とファルデウスは自らの罪状を肯定した。

 詳細は不明だが、東洋人の様子は普通ではない。何らかの薬剤によって『処置』を施されている。ロボトミー手術をされていたとしても、おかしくはない。

 こんな有様でありながら切り札として機能していると断言するのだ。ファルデウスはやはり『プレイヤー』が持つ令呪について熟知している。既にそうした実験も終えているのだろう。

 

 これが事実であれば、状況は最悪だった。

 東洋人の令呪の最たる特徴は、条件付きとはいえどんな英霊でも召喚できることにある。後出しでジャンケンができるのだから、その優位性は揺るがない。

 

「なら、無条件に英霊を召喚できないことも当然知っているのだろうな? 召喚に応じる英霊側にも拒否権がある。この英雄王を相手にする英霊がそう簡単に喚べるわけがなかろう?」

「あなたの存在が英雄王と同等程度にやっかいであることは認めましょう。しかし、アーチャーは既に退場していますし、その雰囲気からしてもあなたは偽者です。であれば、こちらが選ばずとも喚ばれる英霊はいくらでもいます」

 

 あっさりと、ファルデウスは偽者を偽者と断じてみせた。外見と宝具から見破れる筈はないのだが、やはり問答無用で反撃せずにいたりと、英雄王にしては大人しすぎる性格が拙かったか。いや、土台あの英雄王を真似ようとしたところで真似しきれる筈もなかったのだ。

 偽者の最後の悪足掻きも限界だった。

 ここいらが、潮時だ。

 

「ならば、君達を殺すより他に道はないな」

 

 戦闘は可能な限り控えたいが、それは無理であるらしい。

 罪もない『プレイヤー』には悪いが、ここでファルデウス共々殺すしかない。

 宝物庫を再度展開させようと偽者は動くが――

 

「何を戯れたことを。私が一体何のためにこんな時間稼ぎをしていたと思っているのですか」

 

 嘲笑するファルデウスの背後に、いつの間にかパイプを片手に鷲鼻の男が佇んでいた。帽子を目深に被ってはいるが、その眼光は鋭く、強い。全てを覗き込まれている気分にすらなる。

 偽物とはいえ見間違えるわけがない。

 この男はサーヴァントだ。

 

「言い忘れていましたが、『プレイヤー』の令呪はその魔力によって英霊を現界させるため、令呪の魔力が尽きるまで消えることはありません。申しわけありませんが、私が君を撃った時にはもう召喚は終了していたのですよ」

 

 一体何度驚き、そして踊らされるのか。

 ファルデウスの言葉に、鷲鼻の男はゆったりと前に出る。

 目の前でよくよく見てみれば、男の持つ魔力は微々たるものと分かる。ただでさえ結界が張り巡らされた場所だ、これなら召喚時の魔力に偽者が気付かなかったのも無理はない。

 どこの英霊か知らないが、英雄王の蔵を前にして堂々としたものである。余程の自信があるのか、それとも命知らずなだけか。この程度の魔力でどうにかなるほど英雄王の蔵は甘くない。

 

 出鼻を挫かれたのは確かだが、何か攻撃を受けているようにも思えない。

 そう判断して、偽者は迅速に蔵を開く。これ以上の会話は相手のペースに巻き込まれるばかりだ。鷲鼻の男が今から何をしようとも、もう遅い。できることなど、末期の言葉を残すくらい。

 だから、鷲鼻の男は残された時間で言葉を操る。

 己にできる、唯一にして絶対の力を、行使する。

 

「             」

 

 魔術の発動、言霊の蛮名化――などではない。

 男は、たた暴いただけ。真実を告げてみせただけ。一切の魔力を使うことなく、ただ数分にも満たぬ観察と召喚時に仕入れた知識だけをもって、偽者の正体を、そして本性までを暴いてみせた。

 言葉通りに。

 

「な……な――……ッ!!」

 

 その事実に、偽者は震えるより他はない。

 同時に、バビロンの宝物蔵はここに消失する。

 カランと、偽者が持つ鍵剣が床に落ちて転がった。

 偽者が王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)を扱えたのは、偽者が英雄王の知識と原住民が保存していたアーチャーの召喚媒体である鍵剣を持っていたからだ。だが、今の偽者にそんな知識はなく、そして鍵剣を起動するだけの魔力も資格も失っていた。

 確率という砂漠の中にあった砂粒ほどの可能性は、今ここで鷲鼻の男が完全に消滅させたのだ。

 

 自らの手を汚すことなく彼は全てを終わらせてみせる。

 男は、世界の真理をただひたすらに暴くだけの存在だ。

 魔術など頼らずとも、知性のみによって過去を見通す。

 パイプを片手に、知識の深淵を彼は覗き見る。

 

 男の名は、シャーロック・ホームズ。

 ベーカー街221Bの諮問探偵――。

 

「さて、己の願いを叶えた気分はどうだ、切り裂きジャック(バーサーカー)?」

 

 正体を暴かれた殺人鬼を前にして、名探偵はつまらない質問をしてみせた。

 

 



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day.11-12 サブプラン

 

 

(ライダー、これ。もしかして)

 

 絶え間ない銃弾の嵐をかいくぐり、地形を駆使してライダーと椿は何とかパワードスーツ部隊の動きを抑え込んでいた。そんな忙しい中ではあったが、両者が第九層のバーサーカーの状況を見落とすことはなかった。

 

「そのようです。バーサーカーがしくじりやがりました」

 

 ライダーにしては珍しく(?)語気を荒げるのも無理からぬこと。

 何故なら、このプランBの要たるバーサーカーに莫大な魔力を供給しているのは他ならぬライダーなのだから。

 

 バーサーカーの能力は『誰にでも無条件に変身できること』などという都合の良いものではない。バーサーカーの変身能力の本性は『切り裂きジャックとしての可能性の具現化』である。制限もあれば、条件もあるのである。

 バーサーカーは切り裂きジャックとしての『確率の霧』の中から好きなように変身することが可能であり、変身後はその知識と能力も限定的に使用することができる。軍人ならば戦闘能力が上がり、医者ならば医療知識を得られ、昼下がりの団地妻なら欲求不満となる。

 当然、そんな確率の中には複数犯という可能性もある。己の存在すら、バーサーカーは分割することができるのだ。

 

 実に反則じみた能力を駆使して、バーサーカーは偽りの聖杯戦争序盤から自らを複数の個体へと分割して活動をしていた。

 《イブン=ガズイの粉末》によって強制的に現界させられたのもその内の一体に過ぎず、むしろバーサーカーとしては歓迎すべき事態ですらあった。この一体をライブベイトにすることで敵の動勢をずっとコントロールしていたのである。

 

 つまり第四次聖杯戦争のアサシンでしたことを、バーサーカーは踏襲していた。

 第四次聖杯戦争の時と違い、マスターであるフラットにさえ(フラットだからこそ?)バーサーカーはこの事実を告げてはいなかった。キャスター達がこの事実を知ったのでさえ実はかなり後の話である。

 唯一バーサーカーが危ない橋を渡ったのも、ロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)直前にジェスターに痛めつけられ動けなくなった時だけ。あの時ティーネに助言していなければ、今頃“偽りの聖杯”をジェスターに確保されていた可能性もあったので仕方なかったことだろう。あれによってティーネかジェスターがバーサーカーの分裂に気付いていれば、今頃もっと違った対応になっていたことだろう。

 ロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)が発動した時点でこの事実に気がついた者は一人としていなかった。おかげでこの事実が暴露されることもなく、囮となっていた一体がファルデウスに殺された後もバーサーカーは暗躍を続けることができていた。

 

 そんな抜け目ない策略を駆使するバーサーカーであるが、ただそれだけでこれまでの行動が実現できる筈もない。

 バーサーカーの能力の弱点は、切り裂きジャックとして可能性がなければ変身できぬことにある。南部砂漠地帯でキャスターの嘘を本物に偽装するべく英雄王に化けて行動をしていたバーサーカーであるが、それは『英雄王が当時の倫敦(ロンドン)で召喚され凶行に及ぶ』という限りなくゼロに近い可能性を強引に引き寄せたからである。

 こんな無茶を実現させているのがライダーの魔力だ。

 

 ライダーが現在戦闘に使用している魔力を五〇とするならば、バーサーカーに供給している魔力は一〇〇〇に近い。これでただ現界してだけだというのだから、宝物蔵の宝具を全力投射して戦闘するともなれば、一体どれほどの魔力を消費するのか。

 市民の大半に感染することで謀らずとも聖杯戦争史上最大の魔力を手にしたライダーであるが、こんな出鱈目な供給量は相当の負担である。

 

 その負担が、つい先ほどなくなった。

 バーサーカーに供給していた時間はわずか数分。これで目的を達したのであれば何の問題もないが、いくらなんでも供給時間が短すぎるし、想定よりも少なすぎる。それに、こうなる直前に魔力消費が瞬間的に高まったのも感じ取れた。

 戦闘状態に入った可能性は高い。

 そして、瞬殺された可能性も高い。

 ライダーとしてはこのまま尻尾を巻いてとっとと逃げ出したいところだが、それは最後の手段に取っておく。

 

(私が代わるから、署長さんに連絡して)

「分かりました」

 

 ライダーの考えを見透かしたような椿の指示に、ライダーはパワードスーツ部隊と一度距離を取って魔力の制御キーだけを椿に委譲する。

 少々時間はかかったが、パワードスーツの構造材も解析終了し、周囲に散布し続けた魔力の粒子は部屋中に溢れ飽和状態にある。これだけあれば強固なパワードスーツも時間をかけて腐食させられるし、もっと直接的に関節部分や銃口を魔力で固め拘束することで、その機敏な動きと問答無用の火力をある程度封じることができる。

 

 椿と交代し、ライダーは通信回線が正常に機能するか確認する。つい数分前に電子欺瞞(ジャミング)は解除され、司令室を占拠した署長から通信も届いていた。ライダーの魔力で編んだ回線と急造ながら基地内に張り巡らされた有線ケーブルを用いれば、スノーホワイトが介入する心配もない。

 

「署長、拙いことになりました」

『どうしたライダー。残念だがスノーホワイトはまだ確保できていないぞ』

 

 ライダーが戦っているパワードスーツ部隊は、スノーホワイトのコントロールによるものらしい。電子欺瞞(ジャミング)が解除されたことで、署長と連絡がとれるようになったのは良いのだが、スノーホワイトも電子欺瞞(ジャミング)に邪魔されることなくパワードスーツ部隊を動かせるようになり、動きも機敏になりつつある。

 相性の悪さもあって、時間稼ぎもいつまでできるか保証もできない。

 

「それも早急に行って欲しいですが、もっと拙い事態です。バーサーカーはどうやら失敗した様子」

『――それは本当か?』

「確かです。魔力の供給量からバーサーカーはまだ生きているようですが、反応が弱すぎます。蔵どころか自身の宝具も使っていないのは間違いないでしょう。となれば、」

『……これは変身能力が裏目に出たようだな』

 

 ライダーの推測に署長も同意してみせる。

 切り裂きジャックという箱の中身は、様々な存在確率が平等に存在する霧みたいなものだ。そんな『確率の霧』も箱を開けて観測されれば、ひとつの確率に収斂し確定されてしまう。

 自分の正体を知りたい、と参戦したバーサーカーはその願いをどうやら叶えてしまったらしい。

 つまり、正体が確定したバーサーカーは誰にも変身することができなくなる。

 

 変身することのできないバーサーカーがプランBを遂行できるとは思えない。それどころか、今後彼が役に立つ機会があるかどうかすら怪しい。

 一体誰がそんなことをしたのかは気になるが、バーサーカーを無力化した存在は、少なくとも真っ向から相対する戦闘能力の持ち主ではなかったらしい。それが救いになるかどうかは知らないが。

 

「プランBは事実上失敗したとみて間違いありません」

 

 情報が収束する司令室であっても第九層の様子をモニターすることはできぬよう回線は切られている。それもファルデウスの策なのだろうが、こうしてライダーが魔力供給をしていたことで図らずもその様子を伺い知ることができた。

 先んじて次の手を打つことができれば、まだ最悪は回避できる。

 

「署長、私はプランDの遂行を進言します」

『……お前はそれでいいのか?』

「ここで何とかできる、などと甘いことを考えてはいないでしょう?」

 

 一体どうやって英雄王の宝具を持ったバーサーカーを撃退したのか不明だが、ファルデウスは確実にこちらの手を潰してきている。プランAですら初手から充填封鎖されなければ余裕を持って完遂できた筈なのである。ここで順当にプランCを選ぶには不安がありすぎる。

 作戦プランは“偽りの聖杯”という目標こそ変わりはしないが、その手段とリスクに違いがある。

 それぞれを一言で言い表すとすれば、

 

 プランAが『確実性』、

 プランBが『保険』、

 プランCが『先送り』、

 プランDが『他人任せ』。

 

 プランCは、この基地を自爆させることで“偽りの聖杯”を年単位で誰も手出しできぬよう時間稼ぎをするプラン。自爆方法にもよるが、まず間違いなく基地深部にいる者は生き埋めとなるし、脱出途中の市民も巻き込まれる。

 プランDは、外部――より正確には“上”である米国政府と連絡を取り、予め用意されている安全装置を起動させようというプラン。勿論、安全装置の起動は米国大統領の判断による。衛星軌道上の《フリズスキャルヴ》を使いピンポイントで“偽りの聖杯”を破壊するのか、それとも熱核攻撃の集中運用でスノーフィールドそのものを焦土とするのか。さすがに後者はあり得ないと思いたいが、それに近いことをされる可能性は大いにある。

 

 どちらを選んでも、リスクはプランAやBの比ではない。

 そしてそのリスクは、そのまま椿の生存率と同義でもある。

 

 椿自身を危険に晒してでも“偽りの聖杯”をどうにかしたい……などという自己犠牲めいた考えをライダーはしない。単純に、椿の身と今後を守るための最善と思った手段を口にしているだけだ。最悪、ライダーは単身逃げることだって選択肢に含めている。それだけに、ライダーがいかに現状に危機感を抱いているのか署長にも如実に伝わったことだろう。

 

『地表付近にいるお前さんより、地下深くの俺の方が死ぬ確率が遙かに高いんだが、それについてはどう思う?』

「か弱い市民を守るのは警察の義務です」

『給料分は十分働いたつもりだがな……』

 

 軽口を叩く署長の声に思案の呼気がひとつあった。

 まかりなりにも元軍人。散々部下も殺しておいて、ここで命を惜しむような人間ではない。ひとつ懸念があるとすれば、戦後を踏まえたまとめ役がいなくなることか。いずれのプランにしろ、署長かティーネ・チェルクのどちらかは生きていて貰うことが好ましい。

 

「この会話は椿には聞こえぬよう処理しています。ティーネ・チェルクに何かありましたか?」

『状況は伝えているが、引き返そうとしない。どうやらやっこさん、最低な手段であるプランEをまだ諦めていないようだ』

 

 椿に聞かれたくない話かと気遣うライダーに、署長は現状を伝える。

 ティーネの犠牲をもって最悪を回避するプランEは、有効な手段だからこそ最後の手として残されている。

 元から署長の生存は絶望視されていただけあって、ティーネ・チェルクの優先度は高い。それを何より推したのが繰丘椿である。どこにいるのかは知らないが、急ぎ脱出しなければ間に合わなくなる。

 

「……それでも。いえ、だからこそ、私はプランDを進言します」

『了解した。私も少女の犠牲の上になり立つプランEはやりたくはない。ひとまずオブザーバーとしてライダーの意見は聞こう。しかし幸か不幸か、CとDのどちらを実行するにもまだ時間がかかる』

「どうするおつもりですか?」

『自爆と通信、どちらであってもこの基地にある既存のシステムを利用することには違いない。ファルデウスの手が入っている可能性が高い以上、システムチェックの時間は必要だ。だからその時間を利用してプランCとDの両方を同時進行させる』

 

 それはライダーにとってもティーネの脱出時間が稼げる以上願ってもないことだが、人手を割けば割くほど効率は悪くなる。いくら時間がかかるとはいえ、本来であればプランを絞り戦力を集中させ一分一秒でも時間を短縮するべきところ。

 署長とは思えぬ及び腰に、ライダーは違和感を抱いた。

 

「署長、バーサーカーを仕留めた者や、先に私達を襲った男もこの基地にいるのです。悠長なことをしている場合ではありません」

『……ライダー、だからこそ、俺はプランCとDを同時進行させようというんだ』

 

 ライダーの揺さぶりに、時間の無駄と署長は割り切った。

 ライダーの主は椿であり、椿が信頼するのはティーネである。ティーネであれば重ねての進言などすることはなかっただろう。署長にはまだ味方としての信用がない。それが分かっていたからこそ、署長は自らの行動理由を告げてみせる。

 

『ここには複数の思惑が渦巻いている。確実だったプランAやBが失敗した事実を考えれば、最悪かつ最低の可能性を考える必要がある。両方できるのなら、両方するべきだ。それだって、十分とは言えないが』

「――署長、あなたは何を知っているのですか?」

 

 署長の声に緊張が見られる。話の内容もそうだが、そっちの方がよっぽど気にかかった。

 

『ライダー、お前は逃げろ。私は二十八人の怪物(クラン・カラティン)を率いて時間を稼ぐ』

 

 ライダーの疑問に署長は答えない。

 署長は常に最善を考える。堅実であり、被害は最小に。しかして、この発言は不確実で、被害は甚大。署長のみならず部下の命も残らず費やすというのだから、事態は深刻だ。少なくとも、署長は深刻と捉えている。

 そして、ティーネ・チェルクの生存を署長は諦めている。

 

「待ってください。他の何を犠牲にしても、状況はあなたが死ぬことを許しません。再考してください」

『それは残念ながらできぬ相談だよ、ライダー』

 

 すでに署長の後ろで何かが動く音がする。おそらくは二十八人の怪物(クラン・カラティン)が動くための準備をしているのだろう。

 ライダーの訴えは二十八人の怪物(クラン・カラティン)の耳にも届いている筈。署長以上に署長の生存する意味を理解している彼らだというのに、二十八人の怪物(クラン・カラティン)は誰一人として署長の同道に異を唱える者がいない。

 何故、とライダーは問う。

 しかしてその答えは合理的なものだった。

 

『お前を襲ったあの男、私の予想が正しければ抑えることができるのはただ一人――』

 

 一拍間を置いて、戦闘能力的には最弱のキャスターと同格のマスターはその人物を告げる。

 片手を失い、一昼夜の拷問に苛まれ、解放と同時に重い職責を背負わされた署長が、口にする。

 

『この私だけだ』

 

 

 



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day.11-13 殺人鬼 対 名探偵

 

 

「実に――興味深い内容ね。よければその真相とやらを私にもお聞かせ願えないかしら?」

 

 突然現れた第三者を驚愕をもって出迎える者は不在だった。

 ファルデウスは視線を動かすだけでその態度に変化はなく、同じく名探偵もパイプを口に咥えただけで見向きもしない。正体を暴かれたバーサーカーにそんな余裕はなく、エレベーターの上にいる東洋人については語るまでもない。

 

 なんとも張り合いのない観客ではあるが、突如現れたその少女は特に気にすることなくカラカラと床に転がる鍵剣を拾い上げる。

 かつてアーチャーを召喚した魔術師が召喚媒体にと使っていたものだ。原住民が回収し保管していたものを、キャスターが用いてバーサーカーに使わせていたのだろう。無断使用の責を問われるな、と少女は思った。そんな些事にあの英雄王が頓着するとも思えないが。

 ティーネ・チェルク。

 偽りの聖杯の巫女が、再度この地に降り立っていた。

 

「随分と早いお着きですね。私の予想より倍以上も早い。一体どんな手を使えばこんなに早く着くことができるのですか?」

「事前にここに至る道を確認しておいただけです。――どうやらその様子では私の宣戦布告は聞いていないようですね。何とも張り合いがありません」

「それは失礼しました。何せ、ずっとここに篭もっていたもので」

 

 事前にこの基地を調査していたという有り得ない告白を、ファルデウスはあっけらかんと返してみせる。せっかく慣れぬ演技で恫喝したというのに、自らの頑張りが無駄であったことに、むしろティーネの方がショックを受けていた。

 ファルデウスを出し抜くために夢世界で散々基地を調べ上げたティーネであるが、その成果を悉く気にされぬとなると些か面白くない。

 とはいえ、ここで自制が働かぬようでは原住民の長とは言えまい。

 

「一応確認しておきますが、どこから聞いていたのですか?」

「ついさっき到着したばかりですよ。ですからバーサーカーの正体に驚いているところです。謎解きはもう終わってしまったのですか?」

 

 鍵剣を弄びながら嘆息するティーネと、それを笑顔で出迎えるファルデウス。あたかも予め待ち合わせしてたかのような会話であるが、両者が敵であることは立ち止まった位置からも明白だった。

 ティーネ・チェルクの実力をファルデウスは正しく理解している。そしてティーネもファルデウスを舐める真似はしない。実力差は大きいが、経験値の差も大きい二人である。ここに至って油断などする筈もないが、隙を見せれば即座に銃弾や魔術が飛び交うことだろう。

 

「なら問題はありません。私もホームズ氏から聞いたのはそれだけですから」

「まさか『シャーロック・ホームズ対切り裂きジャック』を現実で見られるなんて思いもしませんでした」

 

 尚も暢気な会話を続けるティーネとファルデウス。ここでようやく名探偵は呆れたように観客を睥睨した。

 

「……君達はどうやら守秘義務とやらを知らないとみえる。探偵に説明義務があるとは思わないで欲しいな。答えは、そこのバーサーカーが示している。それで十分ではないかな?」

 

 知りたければ私の伝記作家(ワトソン)に言ってくれと、名探偵の態度は変わらず冷たいまま。犯人が言い逃れをするからこそ、そうした真相暴露の場面が必要なのであり、犯人が認めてしまっては真相を確かめる推理の披露をわざわざする必要がない。

 犯人たるバーサーカーは、必死になって身体を変化させようと努力しているようだが、それも無駄なこと。本人が認めようと認めまいと、その身体が誰かに変化することはない。

 切り裂きジャックは、その正体を確定させてしまった。

 バーサーカーは、その力を失ってしまった。

 殺人鬼は、名探偵に屈してしまった。

 

「まあ待ってくださいよ、名探偵。幸い君の現界時間にはまだまだ余裕があるではありませんか。私も真相を知りたいと思っていたところです。このまま何もせぬまま消えていくのもつまらなくはないですか」

 

 依頼主同然のファルデウスの言葉に、ホームズは眉間に皺を寄せる。

 召喚の要請内容は『バーサーカーを無力化する』こと。そしてホームズが召喚に応じたのは『答え合わせをする』ためだ。そのどちらも達成した以上、彼の役割は終わっている。そのまま消え去ろうかとホームズは思ったが、せっかく現界したのだからさっさと消えるのも確かにもったいない。

 エレベーターの上にいる東洋人をホームズは仰ぎ見る。令呪に強制命令権がない以上、ホームズが東洋人をマスターと認識することはない。目的を達したのだから依り代としての価値すら東洋人にはない。ましてや、薬漬けのあの状態である。長くないとはいえ、さすがのホームズも早々に『止め』を刺すのは気が咎めた。

 小さく嘆息して、ホームズはパイプを口から離す。

 

「私としては、こんなつまらないことを説明するのは恥ずかしい限りなのだがね」

 

 召喚されたばかりで証拠集めも何もない。ホームズが持つのは召還時に提供された情報のみ。その情報も裏付けがないので全てが推測の域を出ない。これが裁判なら証拠不十分で棄却されるところだ。

 もっとも、時間と協力さえあれば確認を取る方法はいくらでもある。

 

「……この“偽りの聖杯”は、サーヴァント召喚のためのただの餌だ。偽りの情報を召喚されるサーヴァントにインストールするシステムこそがこの“偽りの聖杯戦争”の正体。だからこそ、この戦争に参加する全マスター及び全サーヴァントに求められるのは聖杯を必要としない願い、だ」

 

 そのために聖杯そのものに望みを託そうとする者は排除、もしくはその願いを修正させられる運命にある。実際、アーチャーの召喚者はティーネに殺され、ジェスターはアサシン召喚により心変わりしてしまっている。

 

「その中にあって、バーサーカーだけが唯一、聖杯を求め続けていた。それなのに、世界から、システムからもバーサーカーには何の排除も修正も行われていない。それも当然だ。バーサーカーが介入を受けなかったのは、単純に――」

 

 未だ蠢き足掻くバーサーカーを見ながら、ホームズはパイプを咥える。すでにその身体は一人の人間へと固定してしまっていた。英霊としての側面は露と消えてなくなり、無理な変身の反動によって、全身は狂うほどの痛みが襲っている筈だった。

 

「聖杯を必要とせずに、願いが叶う条件が出そろっていたからだ」

 

 バーサーカーの願い。それは、自らの正体を知ること。その願いの答えはバーサーカーの内側にこそある。それこそ聖杯などに頼らずとも、フラットの令呪に頼れば済むほど、その願いはあまりに小さかった。

 そのことにフラットが気付かぬのは当然であるが、聡明なバーサーカーが気付かぬのは解せぬ話でもある。それこそが、この“偽りの聖杯戦争”のシステムの妙であろう。

 

 この“偽りの聖杯戦争”には二つの異なるシステムがある。

 ひとつは、世界の脅威を取り払おうとする抑止力。

 もうひとつが、互いを争わせようとする“偽りの聖杯戦争”のシステム。

 この両システムの狭間にあって、もしバーサーカーが願いを叶えてしまえば、他のサーヴァントと戦う動機がなくなる上に、こうして抑止力としての意味を為さなくなるほど無力になってしまう。

 

 両システムは、その意味でバーサーカーにとっての救済措置を執っていた。

 真実など知らない方がよっぽど幸せなことがある。あらゆる可能性を内包しているバーサーカーだからこそ、その中にある絶望という可能性を考慮するべきであった。追い求めなければ、希望は希望のままであり続けられたというのに。

 

「ではその条件とは、何なのですか?」

 

 しばし沈黙するホームズを促すようにティーネが問うてくる。

 

「知れたこと。そもそも君は、ただのレプリカで伝説の殺人鬼、切り裂きジャックが召喚されると本気で思っているのかね?」

 

 聖杯戦争において狙った英霊を召喚するために必要となるのが、英霊と縁の強い魔術触媒だ。だというのにフラットが用意したのは、偽物と証明されているジャック・ザ・リッパーの銘入りナイフ。

 これで狙った通りの英霊が召喚できるなら、戦争参加者は事前準備に金と時間と労力を投入する必要がない。それこそ最初から聖杯のレプリカで聖人でも喚べば良いのだ。それができないからこそ聖杯制作に秀でたアインツベルンは、聖杯戦争を仕掛けたのではなかったか。

 しかし、実際にフラットは狙い通りにジャック・ザ・リッパーを召喚してみせた。それこそ、街の広場の中心という祭壇や魔法陣や供物といった補助も必要とせずに、だ。いかに天才であろうとも、物事には限度もあれば限界もある。

 

「用意された偽物のナイフとバーサーカーはなんの関係もないのだよ。それはただの偶然であり、必然ですらない。こんなものはミスリードですらない。仮にひっかかるとしたら、相当な大馬鹿者だ」

「返す言葉もありませんね。となると、触媒なしに召喚したと言うことですか?」

 

 互いに『聖杯戦争の理念とは最も遠いところにいる存在』であることには違いない。それを見越したように、ファルデウスの疑問にホームズは逆に問いかける。

 

「では、具体的に何が共通しているのかね?」

「それは――……」

 

 バーサーカーは殺人鬼として人間の倫理観が欠如し、フラット・エスカルドスには魔術師としての合理性が欠如している。これは立派な共通点ではないのか。

 

「常識がない、理念が遠い、というだけでは浅いのだよ。特にバーサーカーは殺人鬼などと称されていても、殺した数などたかが知れている。

 人が人を殺すのに理由など、さほど必要ではない。ファルデウス、君ならよく分かるだろう?」

 

 ホームズの皮肉にファルデウスは苦笑いした。

 ファルデウスは何でもない顔をして右足を半歩下げている。胸の前で無造作に腕を組んでいながら、その間には隙間がある。

 ボクシングはプロ級、バリツという日本式格闘技の心得があるとされるホームズである。知識だけでなく、戦闘経験からもファルデウスの技量はそうした所作だけで簡単に推し量られていた。殺した人の数だけなら、確かにバーサーカーよりファルデウスの方が多いのである。

 

「もっと単純に考えてみれば、彼等にはもっと身近で当然の共通点がある」

「それが――倫敦(ロンドン)ということですか」

 

 既に正解を知っている二人だ。その共通点に納得もいく。

 一般人がその共通点を指摘されれば呆れたことだろう。同じ倫敦(ロンドン)に住む人間なら時代を遡れば何百万といる。そんなもので納得しようもない。

 だが、それは一般人の考え方だ。

 倫敦(ロンドン)には何があり、フラットは一体何者なのか。

 倫敦(ロンドン)には時計塔があり、フラットは由緒正しい家系の魔術師である。

 さて、それらを踏まえてこの切り裂きジャックの正体を考えてみれば、ひとつの可能性に辿り着く。

 

 ――バーサーカーの正体は、フラットの祖である魔術師だ。

 

 ジャック・ザ・リッパーが何故切り裂き魔と呼ばれているのか。それは犯人が被害者を切り裂き、その臓器を持ち帰っていたからである。

 時計塔お膝元の倫敦(ロンドン)市街でそんな猟奇殺人があれば、魔術師が関わっていると考えるのも不思議なことではない。魔術研究の一環として人を解体するのは決して珍しいことではなく、むしろスタンダードとも言えよう。

 ついでに言えば、フラットの魔術師らしからぬ思考はジャック・ザ・リッパーの劇場型犯罪とも一致している。協会の極秘会議を簡単にハッキングしてみせ、アナログ・ハイテク問わず見ただけで暗号を解読。そうしたフラットの解析能力が優れている要因も、彼の祖先による研究にあったりするかもしれない。

 

「だとすれば、バーサーカー召喚の触媒は、」

「そう、フラットの血だ」

 

 ここまで推測ができるのであれば、確認することは難しくない。エスカルドス家の歴史を調べてみるのも良いし、もっと手っ取り早くフラット自身に刻み込まれた記録を覗き見てもいい。

 あいにくとホームズの推理ならぬ推測では、フラットの祖である者という以上のことは分からない。仮に五代から七代前までその血筋を遡ったとすれば、切り裂きジャックの候補者は224名にも上る。しかもジャック・ザ・リッパーが起こしたと言われている一連の事件のどれか一つの犯人もしくは共犯者、という程度。これで稀代の殺人鬼を特定したなどと到底言えないだろう。

 しかし、それだけ分かれば十分なのである。エスカルドス家が生み出した最高傑作がフラットという人間だ。その礎となった者がその傑作以上である筈がない。

 

 バーサーカーの無力化は果たされた。

 今なら弾丸一発で労することなく、ファルデウスでも屠ることもできる。

 屠る必要性がないほど、弱っている。

 

 結局、バーサーカーは殺人鬼でありながら、この戦争で一人も殺すことなく汚名を挽回する機会を逸するのだった。

 

 



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day.11-14 隠し事

 

 

「――さて。こんな穴だらけの説明だが与太話としては十分だろう。証拠が欲しいのならそこらへんを漁ってみたまえ。魔術師なら労なくできるだろう」

「ええ、ありがとうございます名探偵」

 

 ホームズの説明にファルデウスは礼を述べ、ティーネは静かに拍手をしてみせる。

 

「それでは、私はそろそろお暇するとしよう――が、その前にファルデウス」

「何でしょう?」

「そこのお嬢さんについては良いのだな?」

 

 ホームズの視線の先に、ティーネの姿があった。何が良いのかを、名探偵が告げることはない。

 だが幾つもある「何か」には露骨な疑問がひとつある。

 この場にいる四名は、それぞれの方法でこの場にいる。

 ファルデウスは、最初から。

 バーサーカーは、霊体化で。

 ホームズは、令呪の召喚で。

 では、生身の身体を持つティーネ・チェルクはこの密室空間にどうやって侵入した?

 

「やめてください、ファルデウス。こんなつまらない真実で稀代の名探偵の手を煩わせるのは恥ずかしすぎます」

 

 ちっとも恥ずかしくなさそうに抗議するティーネ。あえて幾つもある「何か」から意図的に疑問は選択される。

 仮に密室があるとして、そこに侵入する方法は皆無ではない。古今東西扱われてきたトリックの数々がそれを証明している。ティーネのやった方法はそのうちのひとつであるが、これはアンフェアと呼ばれる類いのトリックである。

 

「今更ノックスの十戒やヴァン・ダインの二十則を気にかける必要はないでしょう。我々の魔術はもちろん、ホームズ氏当人だってミステリのルールに抵触した超自然的存在ではないですか」

「……君がそう言うのであれば、私がとやかく言う筋合いもないな」

 

 ファルデウスはティーネがここに侵入した方法を知っている。それを知っているのなら、確かにかの名探偵がわざわざこれ以上助言をくれてやる必要もあるまい。

 これはトリックというほど工夫に満ちたものではない。

 彼女は、ただ単純に、かつて実践したことを繰り返しただけなのだ。

 密室に侵入する方法――そんなもの、マスターキーを使ったに決まっている。

 

「――ッ」

 

 前ぶれもなく、ファルデウスの背後に風が生まれる。いや、風と言うには些か限定的である。風とよく似た音ではあるが、それは刃物が空を裂く音。水に濡れたような銀の糸が、薄い暗闇の中から忍び寄っていた。

 かつてこの基地に穴を掘って(基地の外殻を焼却して)侵入したティーネだ。充填封鎖されようとも、時間さえあれば突破は可能。神霊並の魔力を有しているからこそ可能な力技だ。こうしてこの場にいることが何よりの証拠だろう。

 密室に侵入するには扉を壊せば良いだけなのである。

 ならば、侵入を果たしたのが彼女一人だけという保証はない。

 

 ホームズがファルデウスに声をかけた理由はそこにある。

 彼女がわざわざファルデウスの前に現れたのも、彼女へ意識を傾けさせるため。ホームズの推理を大人しく聞いていたのは、共に侵入した二十八人の怪物(クラン・カラティン)が周囲を捜査し配置に付く時間稼ぎをするため。

 時間稼ぎが終われば、あとは死神の鎌が振るわれるだけだ。

 もっとも、死角からだろうと来ると分かっていればファルデウスであれば避けることは難しくない。名探偵の助言もあるので尚更だった。

 

 右に一歩、後ろに半歩。上半身を後ろに反らし、首を横に捻る。

 端から見れば突如として下手なダンスを見たように思えるかも知れないが、ファルデウスは目にも留まらぬ必殺の三撃をあっさりと回避してみせた。

 最後に射手の姿を見ることなく、サイレンサーより放たれた四撃目の銃弾を、神速で抜き放ったナイフであっさりと弾いてみせた。衝撃に微振動するナイフだけが、ファルデウスの偉業を賞賛していた。

 未来予知めいた動きによって全ての攻撃は凌がれる。五撃目としてティーネが追撃することも考えたが、目的を達成したために必要がなくなった。右手を軽く挙げ、二十八人の怪物(クラン・カラティン)に追撃中止の合図を送る。

 

「やはり、使ってましたか」

「おっと。これは失態でしたか」

 

 言い逃れができぬ証拠を突きつけられ、ファルデウスは悪戯が発覚した子供のような顔をしてみせた。

 ファルデウスは、ティーネがここへやって来た時からずっと腕を組んでいた。それは余裕を見せるためのポーズであるが、実際のところは違う。手と手の間に隙間を見せることで、準戦闘態勢を密かにアピールしているのも、実はフェイク。

 それもこれも全て、衆目から逃れるために、ファルデウスは腕を組んでいた。

 

 令呪の使用を、隠すために。

 

 ウィーバースタイルでの射撃も、右手の甲が見えなくなるという利点があった。バーサーカーを言葉で翻弄したのも、時間稼ぎと同時に令呪に気付かれないようにする意味もあったのである。

 

「もう少し、隠したままにしておきたかったのですが」

 

 抜き放ったナイフをしまいながら、ファルデウスは手の甲をティーネに見せる。うっかりしていたという風体だが、ファルデウスに限ってそんなヘマをするとは思えない。

 つまり、隠す必要はもうないということだろう。

 

「ランサーに何を命じたのですか?」

「それを言ってしまうと興醒めでしょう」

 

 ティーネの追及をファルデウスは突き放す。

 ランサーは、今もこの真上にいる。今もアサシンと激突しているのかは不明だが、おそらくまだ戦闘は継続中なのだろう。ティーネによって八層から九層へと続く大穴が開けられているのである。アサシンが勝利したのならここに来ない理由はないし、ランサーが勝利したとしてもティーネを追いかけない理由はない。

 

 そのランサーの様子を思い返す。

 ジェスターに操られている様子ではあったが、令呪に操られている様子ではなかった。それでもファルデウスにしぶしぶ従っている様子であったのだから、ランサーはファルデウスが令呪を使用した事実を知らない可能性が非常に高かった。

 

 ファルデウスが無駄に令呪を浪費するわけがない。

 そして空間跳躍や地力の底上げといった戦術的なことに使うとも考えにくい。

 なら誰か部下にでも令呪を譲渡してこちらの目を誤魔化すつもりか? いや、レギヲンはヘタイロイの攻勢を抑えるのに手一杯で、こちらにリソースを割く余裕はない。司令室への順路は予め伝えてあるのだ。それこそ、今頃署長やキャスターによって全滅していてもおかしくはない。

 

 いっそ殺してしまえば楽なのだが、そういうわけにはいかぬ事情がある。

 プランAやBでは排除対象の筆頭であるファルデウスも、プランC以下の作戦だと確保対象の筆頭になるのである。捕らえて口を割るとも思えないが、確率をゼロにすることは極力避けねばなるまい。

 

「――お嬢さん、それ以上は時間の無駄と割り切りたまえよ」

 

 思考の迷宮に苦慮するティーネに声をかけたのは、誰であろう名探偵。

 

「おや。あなたはこちらの味方ではなかったのですか?」

「勘違いしてくれるな。私は私の知的欲求を満たすためだけにここにいる。私は私の味方であり、誰の味方でもない。そして誰の味方をするつもりも、ない」

 

 そう言って、ホームズは帽子を目深に被ってその視線を隠す。

 

「答え合わせが終わった以上、私はさっさと帰りたいのだよ。だからこそファルデウス、いらぬことにならぬよう君に忠告もしたというのにこの様だ。あまつさえ下らぬ謎をこれ見よがしに私の目の前で提示もする。これで何も言わずに去ってしまっては、私がこの謎から逃げたようではないか」

「なら答えをお聞かせ願えるのですか?」

「馬鹿な。答え合わせの必要すらないことを喋るなど、烏滸がましいにも程がある。だから、私が言うのはただ一言だけだ」

 

 ホームズの言葉に少しだけ慌てるファルデウス。その顔に余裕が張り付いたままとなっている。

 

「これ以上遊ぶ必要はあるまい。さっさと終わらせたらどうだ?」

「……名探偵の目は誤魔化せませんね」

 

 ホームズの言葉を裏付けるように、ファルデウスは時計で時間を確認した。ファルデウスはバーサーカーに言ったのだ。これは時間稼ぎである、と。だが、名探偵は推理に時間を必要としない。

 真に時間稼ぎを必要としていたのは、別のところにある。

 ファルデウスが目線を上げれば、そこにあるのは漆黒の球体。目に見えるこの球体がかつて世界を滅ぼした大洪水を凌ぎ切ったノアの方舟の原典。そしてその中には“偽りの聖杯”を神代の時代から封じてきた聖櫃が眠っている。

 未練がないかといえば嘘になるが、執着するほどのものではない。

 やれやれ、とナイフをしまった手で代わりに銃を抜いてみる。

 

「ファルデウス! 武器を捨て投降しなさい!」

 

 不穏な空気を感じ取り、ティーネが声を張り上げる。

 即興の部隊編成だというのに、ティーネの意図を汲み取り二十八人の怪物(クラン・カラティン)が闇の中で動き始める気配を感じる。隠密性より迅速性を取るあたり、よく訓練されている。レギヲンも相当訓練してきた自信はファルデウスにもあるが、やはり署長の腕には遠く及ばない。

 ティーネの言葉に何か気の利いた言葉を返そうかとも思ったが、語彙の乏しい自分では思いつかなかった。次があるならジェスターと共に勉強し直すのも良いだろう。

 なのでファルデウスは酷くつまらないジョークを口にする。

 

「それでは皆さん。良い『終末』を」

 

 銃声が、響き渡る。

 

 



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day.11-15 勝利条件

 

 

 ギリギリ間に合ったのは、偶然の積み重ねによるモノだった。

 

 第八層の空間は高く、そしてひたすらに広い。

 第九層への緩衝材としての役割を担っているので、現時点で第八層には何の設備も設置されてはいない。とはいえ、この広大な面積を遊ばせておくのはもったいないのも事実。いずれはなんらかの実験施設が作られる予定であり、天井のライトもその時を想定して設置されたものだ。だから、点検用に車両も常備されている。

 アサシンとランサーの激突の余波に晒されてはいたものの、ドイツ製の大型車両は無駄に丈夫にできていた。

 

 現場となっている外殻まで約一キロの距離がある。こうも極端にアサシンがランサーを引き離したのは、ティーネが安全に充填剤が封入された床に穴を空けられるよう、安全マージンを作ったからである。

 走ってもそれほど時間はかからないが、それではせっかく用意した宝具は十全に扱えない。おまけに傷は癒えていても拷問直後の体力では不安がある。それになにより、今は一分一秒が惜しかった。

 

 車両がなければ署長がその場に間に合う可能性は低かったに違いない。

 署長の目の前には満身創痍のアサシンと黄金に冒されたランサーがいる。しかし、署長が大型車両から降りながら声をかけるのは、そのどちらでもない。

 

「そこいらで止めていただこうか」

 

 署長が声をかけたのは、目前でアサシンを追い詰めようとしている二十八人の怪物(クラン・カラティン)の男。署長にとって当然知った部下の顔であるが、向こうはこちらの顔を知らなかった。

 当然だ。この男は先にライダーと戦った二十八人の怪物(クラン・カラティン)の偽物。署長の部下などではない。

 

「――へぇ。君が噂に聞く署長さんかな。初めましてだね」

 

 軽薄な笑みを顔に貼り付けたまま、偽物は署長を出迎える。

 最低限の礼儀を重んじたのか、それとも署長の部下という仮面が気に入らなかったのか。出迎えるべく歩んだだけで、偽物の姿形は一変する。陽炎の如き歪みを脱ぎ去り、偽物はその正体をあっさりと明かしてみせた。

 豪華な金髪に、血のような赤い瞳。そして幼い体躯。

 一見すれば、この偽りの聖杯戦争初登場の『少年』。

 しかして、この程度の変化で敵と定めた英霊を署長が見誤ることはない。

 

「話はティーネ・チェルクから聞いている。お目にかかれて光栄だ、英雄王」

 

 歩み寄る英雄王に対し、署長は大型車両を背に動かない。王に対して不敬の誹りを受けかねないが、幼いとはいえ英雄王を相手においそれと動くことなどできはしない。

 なるたけ抑えてはいるが、全周に漏れ出た殺気は――恐怖は隠しようもない。初陣したばかりの頃を思い出すが、その時だってこうまで露骨ではなかった。

 それだけ、綱渡りをしている感覚があった。

 

「そんなに怯えないでくださいよ。ほら、ティーネさんから事情は聞いているんでしょう? 今のボクが闇雲に動くわけないじゃないですか」

 

 邪気のない、天使のような笑顔のまま、英雄王は闇雲でなければ動くと言ってみせた。

 

 南部砂漠地帯での一件の詳細を、署長はスノーホワイトに侵入していたためにその詳細を把握していない。

 

 茨姫(スリーピングビューティー)による地形補正。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)による弱体化。

 キャスターによる王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)の奪取。

 強化型地表殲滅爆弾(デイジーカッター)の殲滅爆撃。

 

 そのいずれも又聞きであるが、これで消滅していないというのは異常である。

 それでも、ティーネの生存を聞いた段階で署長は英雄王の生存を確信していた。

 

 ファルデウス・ランサー・キャスター、それぞれがそろって存在が確認できないと言ったとしても、それは必ずしも消滅とイコールではない。そして案の定、英雄王は生きてこの場に現れている。

 ファルデウスの失敗は、ティーネをあの茨姫(スリーピングビューティー)の中に連れて行ったことか。ティーネが自らの命を大事にすれば、アーチャーの足枷となるのは間違いない。

 だが自らの命を大事にしなければ、その限りではない。

 

 令呪による時間跳躍。

 そして跳躍後にティーネに下賜した若返りの霊薬も強制して飲まされている。魔力は大幅に弱体化するが、その波長はほとんど別人といっていいほど変化することだろう。ファルデウスの眼から逃れるにはこれくらいしなければならない。

 

「まったく彼女にも困ったものだよね。普通に考えれば生身の人間があの威力に耐えられるわけがないってのに」

 

 もしティーネが自らを最優先とするのであれば、令呪で自らの守護をアーチャーに命令するべきであった。令呪で強化し、自らも全力で防御すればあの場で助かる可能性はずっと高くなる。

 それをしなかったのは、ティーネがこの聖杯戦争終結に最も必要な存在は巫女である自分などではなく、英雄王だと判断していたからだ。アーチャーなら自分以上にこの戦争を上手く終結させられると信じ、託したのである。

 かつて単独行動スキルによってマスターを苦悩の渦へと導いてきたアーチャーであるが、事この事態に限っては恨めしく思ったことだろう。

 

「恩着せがましい限りだよ。民が王に奉仕するのは当然の義務だけど、だからといって彼女のことを無碍にするわけにはいかないからね」

 

 だから、幼い英雄王はこの最終戦に参加した。

 ティーネ・チェルクが死ぬ必要がないように、動いている。

 

 現在“偽りの聖杯”は方舟(オリジナル・ノア)によって守られている。あれがある限りティーネ・チェルクがその命を“偽りの聖杯”に捧げることはできない。英雄王が危惧するティーネの犠牲は、必要がない。

 

「アーチャー、こちら側に付け。全員が一丸となれば全てが丸く収まる。ティーネ・チェルクは死なない。ランサーも生き残る。だから――」

「だから? だから、こうしてしたくもない寄り道をしてるんじゃないか」

 

 説得しようとする署長に対し、幼い英雄王は聞く耳を持たなかった。そしてそのまま、足元に転がるアサシンの腹を蹴りつける。

 呻くアサシン。子供の力では大した威力ではないが、それでも今のアサシンには無視できぬダメージになる。

 

 アーチャーの目的は三つある。

 一つ目はマスターであるティーネ・チェルクへの義理を果たすこと。

 二つ目は親友たるランサーとの決着を付けること。

 

 この二つを達成するためならアーチャーはあらゆることを許容し、障害とみれば排除することを躊躇わない。だから義理を返すためにティーネの思いを踏みにじりもするし、銀狼をあえて敵に浚わせるのも黙認する。そして、ランサーを痛めつけたアサシンを無視することもない。

 

「まったく腹立たしい限りだよね。けど黄金王と戦っていた頃から『怒りで我を忘れるな』って令呪で縛られていたようでね。おかげで本調子が出せなくて、随分と廻り道をしちゃったよ」

 

 冷静に、冷徹に。

 子供のままの無邪気さで、ゆっくりと確実に。

 計算高く、英雄王はアサシンをいたぶり続ける。

 

 無理に割って入ることも考えるが、その場合署長もろとも行動不能にされる可能性が非常に高かった。迂闊に動けば、その瞬間躊躇なく殺されるだろう。

 そうした署長の考えも踏まえた上で、挑発されていることも理解できる。万死に値するとはいえ、無意味に罪人をいたぶるのは英雄王の趣味ではない。戯れにいたぶることはあるかもしれないが。

 

「ところでさ。さっきからボクに対してなんか勘違いしてないかな。ボクの目的は君達と同じだよ。偽りの聖杯戦争を終わらせようとしている。本来の目的を、ボクは違えてなどいないさ」

 

 アーチャーの言葉に、嘘偽りはない。

 全サーヴァントが召喚された唯一にして本当の理由。

 “偽りの聖杯”を人の手から取り上げ、世界の危機を回避させること。

 それが、アーチャーの三つ目の目的。

 

「ハハッ。……何を戯れたことを言ってるんだ、英雄王。この状況のどこか、同じ目的だというんだ?」

 

 無理に笑おうとする署長の頬を、汗が伝い落ちる。背中に伝う汗より、その温度は低い。

 “偽りの聖杯”をどうにかするには、召喚された六柱の英霊の力が必要だ。誰か一人でも欠ければその力が足りなくなる。それを理解しながら、アーチャーはアサシンを排除しようとしている。

 

 最悪だ、と署長は思う。

 世によくあることだ。同じ目的であっても、アプローチが違えば人は争うしかない。互いに平和を求めながらも、片や対話を選び、片や戦争を仕掛ける。

 本来の抑止力という形であれば対話など選びようもないが、互いに争い合うこともなかっただろう。

 

「同じことさ。結果は変わらない。むしろ、どうして君達がそこまで不合理に動いているのか理解できないよ」

 

 余裕を滲ませて、英雄王はアサシンの頭を踏みつける。

 

 勝負に勝つ方法は幾つかある。

 代表的なものが「勝利条件を獲得」であるのだが、それが唯一の道ではない。勝利条件があれば敗北条件もあり、それは勝敗を決する相手にも言えることなのである。「敗北条件を排除」「勝利条件を奪う」「敵に敗北条件を与える」その何れであっても結果としては自らの勝利に繋がる。

 

 この一連の戦いを例に挙げるなら、署長やキャスター達がしようとするのが、“偽りの聖杯”をどうにかしようとする「勝利条件の獲得」である。もちろんこれには幾つものハードルがあり、達成条件に差違があるのは認めなければなるまい。最終目的は一緒でも、「破壊」と「封印」ではその意味はまるで違うのである。

 キャスターが立てた作戦でさえ、状況次第で選択を変更せざるを得ないのだ。独自路線を行くアーチャーなら、もっと根本的なところで選択を違えているのも当然だ。融通が利くものでもないだろう。

 

 本来なら、アーチャーはこの場に来る必要はない。ここに来たのは、単純にティーネとランサーを確保しにきただけ。市民を解放しようとするのも、フラットに懇願されたからに過ぎない。

 

「英雄王、臆したか」

「大人のボクならその挑発に激昂したんだろうけど、そんな言葉は幼くなったボクには通じないよ。

 そう、署長の言うとおり、ボクは臆したんだ。英雄王は臆した。“偽りの聖杯”、あれはこの英雄王の手にすら余るものだ」

 

 幼い英雄王は、断言する。

 英雄の中の英雄が、匙を投げる。

 

「“偽りの聖杯”をどうにかするべく召喚された存在が、その理由を否定するというのか」

「召喚された当時と現在とでは事情が異なるってことさ。特にフラットの存在が大きかったね。たまたま拾ったマスターだったけど、これが存外大当たりだ。彼のおかげで、ボクは最も確実でスマートな方法を取ることができる」

 

 既に英雄王は答えを得ている。

 夢世界であの聖櫃を目撃したのは、何もティーネ・椿・ランサーだけではない。フラットだってその天才的な解析能力で直接聖櫃を見ているのだ。あの瞬間、あの男は令呪の構造を見ただけで解析したように、“偽りの聖杯”を見ただけでこの聖杯戦争の真実にあっさりと辿り着いたのである。

 

 冬木の聖杯戦争の正体を言峰綺麗から聞いたように。

 偽りの聖杯戦争の正体をフラットから聞いていた。

 

 “偽りの聖杯”の正確なリスク値。

 “偽りの聖杯戦争”をしかけた者の正体。

 ならば、後は天秤の問題だ。秤にかけて重いのはどちらか。

 

 だから、と幼い英雄王は選択する。

 「勝利条件」を満たすことを選ばず、「敗北条件」を排除することにした。

 

「関係者を皆殺しにすれば、“偽りの聖杯”を手に出す者はいなくなる。世界の危機は回避される。結果は同じことだろう?」

 

 幼い英雄王は、国を滅ぼすと宣言した。

 バビロンの宝物蔵を奪われてなお、幼き英雄王は不遜に君臨する。

 

「本気か、英雄王」

「愚問だね。いかに強大な国であろうと、“偽りの聖杯”を相手にするよりよっぽど楽さ。数多の国を滅ぼしてきたボクが、躊躇するとでも思ってるのかい?」

 

 その言葉を、署長はかみ砕いて飲み込んだ。

 その言葉に、偽りなどあろう筈もない。

 臓腑に落ちた言葉は、確かな熱を持っている。

 

「……残念だ英雄王。だがその台詞を私の前で口にする意味を考えて欲しいな。私が一体誰なのか知らなかったか」

二十八人の怪物(クラン・カラティン)の長? キャスターのマスターってことかい? それともアサシンのパートナー? どれであったとしても敵ってことには違いないよね」

 

 署長の問いにアーチャーは軽く答える。

 確かに、こうなってしまえば敵であることには違いあるまい。

 しかして、署長が一体何者かという問いは間違っている。キャスターのマスターなど、召喚された当時から肩書きとして意識したこともない。

 

「大事なことを忘れてるぞ、英雄王」

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)の長として、アーチャーは敵である。

 キャスターのマスターとして、アーチャーは敵である。

 アサシンのパートナーとして、アーチャーは敵である。

 だが、署長はアーチャーの敵ではなかったのだ。

 

 だから厳かに署長は自らの存在意義を宣言する。

 この瞬間、アーチャーは署長の明確な敵となる。

 

「私は、このスノーフィールドの街を預かる警察署長だ」

 

 国家の敵を前に、公務員が立ち塞がった。

 

 



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day.11-16 ヘタイロイ

 

 

 アイオニオン・ヘタイロイ。

 それはかつて、英雄王に挑んだ征服王が持つ宝具の名である。

 彼と彼の臣下の英傑達、その絆の象徴を指して、王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)。数多の存在を嘲笑い、雑種と蔑む英雄王であろうとも、彼等の絆を笑うことなどできよう筈もなかった。

 しかしこの名にそんな意味があるなどと、名付け親たるフラットが知る由もなかった。

 

 彼はただ、教授がよくゲームで使用していたチーム名を借りただけ。そこにさほど深い意味があるわけもなく、これを使えば教授が気付いてくれると思ったからだ。更に気付き易いようにオンラインカードゲームで教授が普段使っている「London☆STAR」ではなく、自分が名付けさせて貰った(という認識の)二つ名を選んだのだが、教授は気付いてくれたであろうか。

 遠い空の向こうでこの選択がどういう結果を招くことになったのか、フラットが知るのはまだ先の話である。

 

 最初に、英雄王の周囲で空間が揺れた。

 それは空間と空間が繋げられた証拠でもある。

 王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)――などではない。かの宝具はキャスターに奪われ、バーサーカーが使用している。バーサーカーが倒れたからといって、すぐさま戻ってくるわけではない。

 だからこれは王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)ではない。これはもっとシンプルな現象だ。繋がっている先は、宝物蔵のように限定された空間ではない。資格さえあれば、誰でも繋げることができるオープンスペースだ。

 

 そこから出てくるのは、英雄王の意志を必要とする宝具の原典ではない。

 そこから出てくるのは、英雄王の命令を必要とする現代の英雄である。

 

 小石を投げた水面のような波紋を生じさせながら、彼らは現れる。

 一人、二人、三人、四人――……数えようとするのを止めたのは、虚空にうねる波紋が辺り一帯を包み込む程拡がったからだ。それは正解だ。人の目で数えるにはその数は多すぎる。

 その数、実に163名。

 

 その全員が、即戦力となり得る一線級の魔術師だった。

 その全員が、溢れんばかりの魔力を秘めた宝具を持っていた。

 

 アイオニオン・ヘタイロイ。

 その真の正体は宝具を装備した魔術師軍団である。

 

 これに比べれば今現在基地上層を侵攻している連中なぞ末端も末端。同じヘタイロイであろうとそのレベルには雲泥の差がある。例えオリジナルに劣ろうとも、宝具の輝きは現代の魔術師を古代の英傑に肩を並べさせることができるのだ。

 人の手により、彼らは英霊を打倒しうる力を手に入れている。

 

 そしてそんなヘタイロイ精鋭を相手にするのは、

 

「お前馬鹿か!? 丸腰の人間相手に大人げなさ過ぎだろ!?」

 

 公務員一人(しかも怪我人)だけだった。

 

「ボク、子供ですので」

「てめぇ補導してお父さんお母さん泣かせてやるからなっ!」

 

 などと怒鳴ってはみたものの、この状況はさすがに署長の予想の斜め上。思わず我を忘れてキャスターのようなことしてみるが、それは外面だけである。内面ではやはりキャスターと同じく冷静に周囲を分析している。

 

 何者かが魔術師を手当たり次第に狩っている、という情報は開戦当初より入ってきていた。宮本武蔵が市街地で暴れた時にだってアサシンの宝具によって78名の行方不明者も出ているし、スノーフィールドを離れようとする人間と実際に出て行った人間との数も、確認できるだけでかなりの差があった。

 

 知ってはいたのだ。だから基地を襲撃した部隊があったと聞いても驚きはしなかった。むしろフラットがこの部隊創設に関わったと聞いた時点で納得すらした。だが、行方不明となった人数のほとんどが生き残り、あまつさえ事前にあの英雄王が宝具を下賜して部隊を温存していたなどと、さすがの署長も予想できる筈もなかった。

 

 もっとも、ピンチに陥ることは想像していた。

 

「では署長、さようなら」

 

 アーチャーの号令に、ヘタイロイは忠実に従った。

 兎は獅子に全力を尽くさせる。

 過大評価ではあるが、それだけ署長はアーチャーに危険視されていた。二十八人の怪物(クラン・カラティン)の(元)長という肩書きだけでなく、原住民に対して裏から操ろうとしていたこともとっくにばれている。

 

 奥の手のひとつやふたつあると思われても、おかしくない。

 だからこそアーチャーは奥の手を出す間もなく、丸腰であることを確認した今この瞬間、一気呵成に確実に、念入りに全力を以て潰しておこうとした。

 卑怯というなかれ。王の裁定に抗うことなどもとよりあってはならぬこと。本来であるなら署長は疾く自死するべきところ。王の手を煩わせたことの方が不敬である。

 

(――なんて、思っているのかね)

 

 幼くなったことで多少丸みを帯びたような気もしたが、その本質は全く変わっていなかった。むしろ傲慢の温床となるべき実力が劣ったことで、油断もなければ情け容赦もなくなっている。

 

 交渉アプローチを間違えたような気もしたが、大人相手であろうと結果が変わることはあるまい。交渉が決裂するのは大前提。もとよりまとまる話でもない。そんな状況で何の準備もなしにあの署長があの英雄王を前に動くわけがなかった。

 奥の手は、既に出している。

 

十本刀(ベンケイ)自律起動開始」

 

 呪文のように唱える署長であるが、残念ながらその声はヘタイロイの喧噪と熱い空気に攪拌される。

 この状況で一体何をどうしたら助かるというのか。丸腰の男が一体如何にして無敵の楯と無敵の矛を手にしたヘタイロイを止めるというのか。よしんば止めることができたとしても、津波の如き突撃は開始され――

 

「――は?」

 

 この場で一番混乱したのは、そんな津波の先頭であった。

 一番槍を仰せつかった彼らはもちろん一流の魔術師であり、一流の戦士でもあった。英雄王より下賜された宝剣は自らの手足と同じく自在に動く。纏った白銀の鎧に感覚は極限まで研ぎ澄まされる。そして英雄王の号令は己の内に更なる力を与えてくれる。

 

 一呼吸の内に署長の眼前に肉迫した彼らであるが、意識が署長に集中しすぎていた。

 故に、彼らは自らの足元を留守にしていた。

 

 剣道であれば反則負けだが、戦争に反則はあるまい。

 突如として出現した『段差』に一番槍の全員が揃って躓き、後ろに控えた第二陣が転けた第一陣と激突する。そうしてできた即席の壁は署長を守る楯となり、更なる追撃を阻んでみせる。中には転けた第一陣の背中を踏みつけ上空より襲いかかろうとする猛者もいたが、対空迎撃こそこの宝具の真価を発揮する戦場であった。

 

 銀閃が飛び交い、襲いかかった者の数だけ煌めく。状況が分からずとも異変に気付いた第三陣が足を止め様子を伺い警戒するが、それも悪手だった。

 

「へえ?」

 

 この状況で最も落ち着いていたのは、やはり英雄王。

 ヘタイロイの人影が邪魔となり、視線だけで状況を把握することは無理だ。混乱が伝播し怒声が飛び交おうとする中、英雄王は背後から忍び寄る微かな異音をいち早く察知していた。

 間髪入れず天の鎖(エルキドゥ)で迎撃。甲高い金属同士の激突に、ようやくヘタイロイも王手をかけられたことに気が付いた。

 

 英雄王を襲った一撃の正体は、近代的なフォルムの日本刀。

 空気抵抗を考えられた刃は薄く鋭く、その刀身はミラーコーティングされ視認しにくくなっている。鍔はなく、柄は太く長い。人がその手で使うには少々不便そうな得物。

 攻撃された方向からして署長のいる位置とは真逆。ならば署長とは別に敵がいるということになるが、その考えは些か早計だった。

 

 天の鎖(エルキドゥ)に弾かれ撃墜された筈の刀は、床に落ちる直前に突如としてその進路を反転。超低空を空気を切り裂くように突き進む。

 ヘタイロイの足の間を器用に駆け抜け斬りつけていく様は鎌鼬と同じであるが、刀の目的はいたぶられ崩れ落ちているアサシンにあった。

 刃の先端を器用にアサシンの服にひっかけ、そのまま急速離脱。天の鎖(エルキドゥ)がアサシンを連れて逃げる刀を追いかけるが、咄嗟の事態にヘタイロイが邪魔となって動けない。

 

「狼狽えず距離を取って! 全周警戒!」

 

 なまじ人数がいたことで対応が遅れていた。

 幼くなったとはいえ、呪いの如き人類最高のカリスマは健在だった。たったそれだけの命令で瞬く間に隊列が整えられていく。

 混乱した時間はわずかに一〇秒。これを短いとみるか長いとみるか、意見が分かれるところかもしれないが、少なくとも署長の目論見は半分失敗である。

 

 署長は英雄王暗殺に失敗していた。

 

「ほとほと、君達は数が好きなようだね」

 

 既に英雄王はこの宝具に当たりを付けている。

 

 理知有る剣(インテリジェンス・ソード)

 

 古今東西、宙を飛び交い勝手に動き回る武具の逸話は数多い。鞘から離れ勝手に動く。主人の危機に駆けつける。血を求め彷徨うモノもあれば、刀身に触れた者を乗っ取るモノもいる。中には人格を得て喋り出すモノもいたという。

 そうした剣を署長は車両の下や第九層の天井に浮かせて接近し、奇襲を仕掛けたのである。

 

「無限の蔵を持っている英雄王には負けるさ」

 

 宙に刀を九本浮かし、周囲のヘタイロイを威嚇する署長。最後の一本がアサシンを隣に連れてやって来る。

 合計で十本、自律起動した刀が署長を守るように浮いている。

 

 レベル3の規制宝具、インテリジェンスソード十本刀(ベンケイ)

 

 宙を自由自在に飛び回り三次元照準を可能とする自動機動兵器群。事前に封入された魔力とジェット燃料により人間の知覚を遙かに超えた機動性と攻撃性を有している。

 剣林弾雨の戦場にあって怯むこともなく、その身を砕けど戸惑わず、地に落ちてさえ敵兵から疑念を抱かせる。その大きさ故にどんな場所にも効率よく対応し、人体に制限された剣術に束縛されることもない。

 一騎当千を言葉通りに可能とする宝具であり、レベル3のリミッターを解除されれば他を圧倒する制圧能力を使用者に与える。

 実際、シミュレーションでは英雄王の宝物蔵を相手に手数で圧倒したこともある。

 

 これこそ、署長が単身で英雄王と相対できる、唯一の奥の手だった。

 

 



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day.11-17 十本刀

 

 

「ジェスターの時とは逆の立場だな」

「感謝はしませんよ」

「結構だ。私も感謝などしていなかった」

 

 アサシンに肩を貸して支えるが、自力では立ち上がれぬほどダメージは大きかった。周囲をヘタイロイに完全に囲まれたこの状況である。脱出するにはアサシンの宝具に頼るしかないが、この状態で宝具の使用は無理だろう。

 そうこうしている間に背にしていた車両のタイヤが破壊される。これで脱出手段はいよいよアサシンの宝具だけとなる。

 誤算というほどではないが、希望を確実に潰されていく。

 

「それで、これからどうするつもりですか?」

「……どうするべきかな」

 

 状況が全く好転していない。

 何とかヘタイロイの攻勢を凌いだものの、ただそれだけ。十本刀(ベンケイ)という切り札を出した段階で英雄王を倒すなり、この場を脱出できるだけの算段を作れなければ辿り着く結果に変化はない。

 むしろ相手に危機感を植え付けてしまっただけに、悪化したともいえる。

 

 十本刀(ベンケイ)は数を頼みにした宝具である。そして、ヘタイロイも数を頼みにした集団である。数と数がぶつかれば、より数の多い方が優位に決まっている。拮抗した数でもないので、ここでの優劣は子供にだってわかる。

 ヘタイロイを押さえつけるのに、はっきりいってこの十本では数が足りない。一瞬でケリが付くことはないだろうが、数分だって保たないだろう。

 

「……投降を呼びかけてはくれないのか?」

「その必要性はないでしょう。インテリジェンスソードはオートで動く代わりに消耗が激しい宝具です。こうして対峙するだけで署長の精神を削り取れます。あまり時間のない身ではありますが、それでも数分を割くだけの時間はあります」

 

 署長の切り札に唯一混乱もせず冷静で居続けたアーチャーは、爽やかな笑顔で冷静に署長の宝具は分析しヘタイロイに指示を出す。

 アーチャーの言っていることは事実である。

 確かにこの宝具は大概の局面に対応できる反面、数があるために酷くコントロールが難しい宝具である。アーチャーだって蔵の中にそうした剣の一つや二つは持っているだろう。それを使わないのは単純に使い勝手が悪いからである。

 

 捕捉して追跡可能な標的の数や、敵味方識別、驚異度設定――オートで動くといっても人間同様の高度な判断能力を有するわけではないし、仮に有したとしても意図せぬ動きをされてはそれはそれで困る。

 これが一本ならまだともかく、二本三本と増やせばそのコントロールの難易度は幾何級数的に跳ね上がる。そんなものが十本ともなれば人間の限界を超えている。むしろ邪魔でしかない。

 

 そのためにバックアップ演算としてスノーホワイトの補助がかかせないし、補助があってもフィルターとなる使用者自身がその負荷に耐えられる保証はない。シミュレーションで英雄王すらも圧倒した宝具であるが、二分以内に例外なく暴走し自滅に陥いってもいる。

 夢の中で署長は幾度となく特訓をしたものの、戦闘に耐えれる精度を維持するには最長でも一分が限界だった。継戦能力を考えれば、三〇秒以内に敵を殲滅しなければ必敗確実である。

 

 署長の鼻から血か流れ出る。ヘタイロイを一蹴しアーチャーを強襲しアサシンを救出する。わずか一〇秒足らずの出来事に、もう署長の限界が来ようとしていた。

 複雑で精緻な動きを要求すればするほど、この宝具の負担は果てしなくなるのである。当然、三〇秒というタイムリミットも早まることになる。

 ひとまずヘタイロイを一定範囲に退けた段階で、その機能を部分停止させる。取り返しの付かないほどの疲労感に全身が襲われるが、ここで膝を付くわけにはいかない。幸い、体は重いが意識はクリアである。

 

「……この十本刀(ベンケイ)には、自爆機能が付いている!」

 

 いよいよもって限界を感じた署長は、最後の交渉に打って出る。アーチャーに語るのではなく、周囲のヘタイロイに警告をするためわざと大声で喧伝する。犠牲が確実となれば、士気に悪影響を与えるのは常道だ。

 

「加速機能を付加するためにこいつらには少量ながらジェット燃料を封入してある。大した威力ではないが、それでもここにいる全員を吹き飛ばす威力はある!」

 

 なまじ人類最大のカリスマがあるだけに、兵はその判断を英雄王に仰がなければ動けない。英雄王の言葉を待つのは署長だけではない。

 言葉巧みに英雄王へプレッシャーを与えようとするが、良くも悪くも相手は英雄王だった。

 そんなことでどうにかなる相手ではない。

 

「……それで、ボクにどうしろっていうんですか?」

「見逃せ」

 

 呆れながらも英雄王は署長の話に耳を傾けるが、その答えを聞いても態度が変わることはなかった。

 署長の言葉が嘘である可能性は非常に高い。何故なら、それが本当だとすればもっと効果的な使用方法が幾らでもある。何せ決して多くはないとはいえ十本も目の前にあるのだ。どのタイミングであれ、内の一本だけでも実際に自爆させれば済む話である。

 

 最初の一撃でアーチャーを仕留められなかった段階で、署長の進退は極まった。あとはもう、こうしたブラフでしかこの窮地を脱することはできない。幼い英雄王が睨むに、九分九厘署長の言葉は嘘である。

 しかも署長の要求は、単純に『この場』だけのものでもない。業腹なことに、署長はこの一連の“偽りの聖杯戦争”全てにおいて静観するよう言っている。

 

「よしんば、ここであなたを見逃したとしましょう。それでどうするというんです?」

「平和裏に解決する道を探す。“偽りの聖杯”を厳重に封印し、その管理監督に協会に委託する。米国政府に再発防止を約束させ、関係者の処罰を求める」

「それでボクが納得するとでも?」

「納得してくれ。この私の命が欲しいなら、後でいくらでもくれてやる。だが“偽りの聖杯”を封印するには全サーヴァントの力が必要となってくる。このアサシンだけでなく、私はアーチャー、お前にも生きて貰いたい……!」

 

 署長の懇願に、アーチャーは、

 

「ハァ」

 

 と分かり易く溜息をついた。肩を竦めて困った困ったと呟くけれど、その所作は少しも困っていなかった。

 元々関係者全員を一掃するのがアーチャーの目的である。ティーネとランサー以外、見逃すつもりはない。協力してくれたフラットや、このヘタイロイだって最後には根絶やしにするつもりですらあった。

 

 交渉は、決裂する。

 いや、最初から交渉などなかったのだ。

 

「命乞いの方がまだマシだったよ」

「私はお前を殺したくないのだ」

「残念だよ、署長」

 

 署長の言葉をアーチャーはこれ以上聞き入れない。

 土台、説得や交渉というのは互いの存在を認め合うところから始めなければならない。その点アーチャーは最初から平和裏に済ませようという署長達を認めてなどいない。

 署長は署長で自らの目的を阻むアーチャーを排除せざるを得ない。交渉のようにみせておきながら、互いに主張しあっただけでしかないのだ。

 

 噛み合わぬ間であれば、どちらかが消え去るより他はない。これは戦争なのだから、こうしたことが起こることこそが普通なのである。

 瞬間、アーチャーは天の鎖(エルキドゥ)を操りろくに動けぬアサシンを狙った。即座に反応する十本刀(ベンケイ)であるが、五本が防御に回り二本がその場で刀身を破壊され、二本が遠くに弾き飛ばされる。残った一本も天の鎖(エルキドゥ)に巻き付けられて動くことは不可能。

 

 一瞬で戦力が半減したことに、署長よりもヘタイロイが反応した。

 残り五本で、ヘタイロイの猛攻を耐えきれるわけがない。我先にと署長とアサシンの元へ殺到するヘタイロイだが、

 

「宝具豊聡耳(ショートク)、起動常駐開始」

 

 またも、彼らは呪文のように唱える署長の声を聞きそびれる。

 だが聞きそびれなかったところで、彼らの動きは変わるまい。

 今署長が起動した宝具は、古代日本の政治家が複数人の話を同時に聞いてその場で返答したという逸話を元にしたもの。つまりは高速思考と分割思考であるが、これを鼻で笑う魔術師も少なくはないだろう。凡人からすればそれはそれで凄いことであるが、わざわざ宝具としなくとも人体を演算装置とする術に特化したアトラス院の錬金術師であれば日常的に行っていることである。

 

 宝具の行使により署長の負荷は通常値の一割近くにまで減らされる。それは戦闘時間の延長と精度向上に直結しているわけだが、もはや宙に残った十本刀(ベンケイ)だけで対処しきれるものではない。

 それでも、署長は不敵に笑う。

 そして徐に左手を挙げ、指を鳴らした。

 意味のあることではない。ただの演出だ。こうまで想定通りの動きをされると格好を付けたくなるものだ。キャスターの気分が良く分かる。

 

「愛してるぜ、兄弟」

 

 この宝具を急ぎ用意してくれたキャスターに、署長は心から感謝する。兄弟と呼ぶなと何度も言ったが、今この時ばかりは逆だ。

 当初の署長の目的は人間による英霊の打倒である。その最たる目標がアーチャーであり、署長個人としてもシミュレーターではなく現実としてアーチャーと戦いたいと思っていた。

 その目的がここに実現する。

 キャスターが急ぎ用意したこの宝具をもって、署長は英雄王を打倒する。

 

「宝具十本刀(ベンケイ)――全力戦闘(フルドライブ)行使準備(ゲットレディ)

 

 署長の背後、車両の荷台で何かが飛び出てくる。

 そもそも、何故『十本刀』で『ベンケイ』などと呼ばれているのか。その理由はただの言葉遊びである。

 日本において『白』とは『百』から『一』を引いたが故に『九十九』の意味を時に内包する。そして宝具の名となった『ベンケイ』とは、かつて京の都で太刀を集めていた怪僧の名である。

 署長の背後に展開される宝具に、さしものヘタイロイもその熱を一気に冷やされた。

 

「英雄王、さっき言ったな。私達は数が好きだと。ああ、それについては同意しよう。数こそ、我々の強みだ」

 

 十本刀とは、ベンケイが集めた太刀の数を表したものだ。

 ベンケイが集めたのは目標としていた『千』本に『一』本足りぬ数。

 故に、その数は『十』となる。

 

九九九(トリプルナインブレード)抜剣(フルスラスト)――ッ!!!」

 

 署長を中心に、世界が爆裂した。

 床を、天井を、空気を、全てを切り裂き、音速を超えて九九九の剣が疾走する。

 

 



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day.11-18 北風と太陽

 

 

 ジェスター・カルトゥーレは驚愕していた。

 長年生き続けているだけに、彼もとい彼女の経験は凡百のものではない。どんな状況だって予想の範疇であるし、よしんば予想外だとしても衝撃を与えるようなモノなどここ数十年記憶にはない。先日のアサシン召喚だって喜び打ち震えはしたが(物理的に殺害もされたが)、殊更驚くべきことではないのである。

 

 そんな彼女が、驚愕する。

 驚き、愕いた。

 

 この“偽りの聖杯戦争”において、ジェスターは常に優位な立場を作り続けている。刻一刻と変化し続ける状況に対応するのではなく、優位な立場となる状況を作り出し、立ち続ける。

 

 令呪を早々に使い切ることで敵の目を欺きやすくし、

 アサシンをバーサーカーに託し重しをつけながら自らを身軽にし、

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)に情報戦を仕掛け揺さぶり、

 ロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)で戦場を混沌に突き落とし、

 レギヲンの情報を流すことでティーネ達に署長とアサシンを開放させている。

 今もまた、ランサーを嗾けることでアサシンを成長させようともしていた。

 

 最小の労力で彼女は最大の功績を得ているのだ。

 署長とアサシンペアを圧倒した単身での強さは元より、彼女の最大の強みは長年培われ続けたその経験値に他ならない。彼女の先読みと状況対応能力を裏切るには相当なイレギュラーと偶然、あるいは幸運(もしくは不幸)が必要となってくる。

 

 だが残念かな。

 この“偽りの聖杯戦争”には、彼女を圧倒する幸運の持ち主が存在する。

 圧倒的実力差をものともしない圧倒的幸運差が、ここにある。

 

「あ。ジェスターさん、またお会いしましたね」

「何故貴様がここにいる!」

 

 叫ぶジェスターにフラットは何故怒鳴られているのか理解できない。

 

 ここは、彼らが通るルートとは明らかに離れたところにある。だからこそジェスターはこの付近を通ることもないように近道を教え誘導したのだ。万が一にも起こりうる偶然を予め殺そうとしていたのである。

 ここは、かつてジェスターがランサーと話した通路である。しかしあの時と違い、通路に嵌め込まれた分厚いガラスの向こう側に鎖と生命維持装置に繋がれた銀狼の姿はない。

 当然だ。生命維持装置はつい先程ジェスターが手ずから外したのだから。

 ここにあるのは、ただの物。

 ――だった筈なのに。

 

「何故だ!? 何故貴様がまだ生きている!?」

 

 ふたつ目の何故は、フラットの傍らで中の部屋から通路に出ようとする銀狼に向けられていた。

 肉体は限界に近付いていた筈だ。単純に傷つけられているだけでなく欠損もしているため、物理的な限界が通常よりも遙かに低い。神経が過剰に反応しやすくなって、風が吹くだけで激痛が全身を打ちのめす。五感の入力も出鱈目で、そもそもまとも機能しているかどうかすら怪しい。

 銀狼の肉体は疲れているというよりも削られている。消耗仕切った身体はもはや魂すら縛り付けておく余力がない。

 

 銀狼が立ち上がることはない。

 そう、ランサーに断言までしたというのに!

 

「え? そりゃ、生きてますよ。死んでないですから」

 

 ジェスターの恫喝ともとれる問いにフラットはさも不思議そうに答える。あるいはこの男、ジェスターの問いの主語を銀狼ではなく自分だと思っているのではあるまいか。

 

 ここでジェスターは初めて状況に焦りを感じた。

 ジェスターはティーネ達と別れた後、銀狼の生命維持装置を外しその証拠写真を撮り、スノーホワイトを奪取して電子欺瞞(ジャミング)装置を破壊。ランサーに写真を添付して送り、押っ取り刀でこの場に返ってきたのである。

 

 アサシンが開放された後に地下の“偽りの聖杯”に向かうことはほぼ確定事項。そしてランサーの性格と思考からファルデウスの指示に背いて第八層で待機するであろうと予想。二人が相対する可能性は八割強と手堅いものだった。あとはその背中を軽く押すために状況を整えれば、結果は自ずとついてくる。

 

 全てジェスターの思惑通りに事態は進行しているわけだが、当然二人が激突した後のことも考えなくてはならない。

 つまりジェスターは、アサシンがランサーに負けると思っていた。

 

 アサシンは非常に優秀であるが、それでもその在り方は『人』というカテゴリに収まるものだ。『神の宝具』であるランサーを相手に勝てる道理などありはしない。善戦はするだろうが、善戦止まりだろう。

 黄金呪詛(ミダス・タッチ)という伏線は張っておいたが、まさかそれだけでランサーが止まるとは思えない。

 ……実際にはそれだけで止まってたりするわけだが、そこまで完璧に予測できるのであればジェスターも苦労はするまい。

 

 故に、ジェスターはランサーを止めるための手札をここで用意しておいた。

 生命維持装置を外す。これだけでランサーを一度は動かすことができるだろうが、二度目は作りにくい。すぐにでも死にかねない銀狼はカードとして弱いのだ。もっとも、すぐにでも死にかねないのだから、その状況を改善すればいい。

 

 そのための手段を、ジェスターは持っていた。

 以前、ランサーにも伝えたことだ。

 吸血鬼らしい方法であれば可能性はある、と。

 

「この私の血を直々に送り込んだのだぞ! 何故食屍鬼(グール)にすらなっていないのだ!?」

 

 ジェスターの血は死徒の中でも特別であり、特殊である。何せ本体が血液なのである。その血を送り込むことは単純に眷属を増やすというより、自身の分身を作ることにも等しい。

 送り込まれた血はすぐさま銀狼の体内を駆け巡り、身体を作り替え幽体の脳を構成する。一時間もあれば生前以上の万全な肉体を持った銀狼が誕生する筈だった。

 まだ一時間も経っていないとはいえ、食屍鬼(グール)化すらせず逆に健康状態になっているのはおかしすぎる。

 

 この事件の最有力容疑者を、ジェスターは睨み付けた。

 フラットの経歴を思い出す。実際に会ってみたことであらゆる疑いは払拭されたと思っていたが、それは早計であった。やはりあのロード・エルメロイⅡ世の秘蔵っ子だけのことはある。まさかジェスターが数百年かけて築いてきた秘奥を別の形で再構築するなどと、想定すらしていなかった。

 事実と偶然と誤解と曲解が化学反応を起こしていた。

 

「クハッ……、クハッ、クハハハハハハッ……」

 

 人間、あまりに信じがたい事態に遭遇すると笑いが出てきてしまうものである。それは死徒にだって当て嵌まるものらしい。

 驚愕は焦りとなり、怒りとなり、そして殺意へと相転移する。

 

 完璧に統制されている筈のジェスターの血の肉体が、踊り出そうとしていた。血が沸騰し破裂するのではないかと思った程。佇まいこそ静かで冷めているように見えるが、それは爆発する前兆でしかない。

 しかして、嵐の前の静けさを勘違いする者もいる。

 

「ああ、よかった! 俺だと手に負えないと思ってたんですよ!」

「………あ?」

 

 そして、火に油を注いでいることに気付かない者でもある。

 

 そもそも、何故この場に銀狼が捕まっているのか。

 銀狼とアーチャーの接触はファルデウスも掴んでいる。だからこそ、アーチャーが消耗仕切っている隙を突いて銀狼を拉致したという経緯があるのだ。

 レギヲンの犠牲を最小限にアーチャーの力量を把握するため行った作戦だが、結局想定されていた対決がなかったのでその目論見は御破算となっていた。

 

 労なく銀狼を確保できた作戦。

 しかし、その真実はそれだけではない。

 

「英雄王が頑なに協力して貰えなくて。守るならともかく助けるのはプライド的に駄目だったみたいです。仕方ないから延命できそうな組織に銀狼を保護して貰うことにしてたんですよ」

 

 フラットは『拉致』という事実を『保護』と言った。

 

 何を言っているのだとジェスターは思う。

 ジェスターならずとも、思うだろう。

 

 自分ではできないから他人に任せる。口で言うのは簡単だが、他人が自分の望み通りに動くとは限らない。ましてやフラットにとって大事な戦友の命であり、アーチャーにとっての朋友の命綱。簡単に手放す方がどうにかしている。

 だが手元に置いておいたとしても、何の手助けもしないのならそれは真綿で首を絞めているのと同義でもある。

 フラットとしても別に楽観視しているわけでは決してなかった。むしろ銀狼を助けるために決断したのである。

 

 あの時スノーフィールドで銀狼を拉致できる組織は二十八人の怪物(クラン・カラティン)(正確にはレギヲン)か原住民の二択しかなかった。二十八人の怪物(クラン・カラティン)ほどの組織が治療施設を有していないのはおかしいし、原住民にしても要塞内に治療施設があるとティーネから聞き及んでいた。

 

 原住民には若返りの秘薬が下賜されている。結局これを使ったのは贈り主であるアーチャー本人であったが、銀狼がこれを使えば寿命をリセットもできる。対処策が用意されているので原住民に関しては何の不安もなかったのである。

 どちらかといえば、問題は実際に銀狼を『保護』したレギヲンの方。

 

「ジェスターさんならレギヲンに組みするだろうと思ってました。銀狼を癒やせるのはこのスノーフィールドだとジェスターさんくらいでしょうから」

 

 だから、利用させて貰った。

 ――などとフラットが思うわけもないが、実際はその通りであるし、ジェスターもそう解釈した。

 

 一体フラットがどうやってジェスターにそうした手段があることに気付いたのかは知らないが、事実として知識と技術と能力があるのは確かである。

 今まで散々盤上を引っかき回してきた彼女である。他人が自らの思い通りに動くことは当然であるが、その逆はあってはならぬこと。常日頃から他人を踏みつけ続けてきた彼女は、自らが他者の土台となることを受け入れることができぬのである。

 

「これは一本取られた……しかし勝手に人の血を利用するのは感心しないな」

 

 静かに口にされた軽口は、吹けば飛ぶような軽さと心臓を掴み取られるような寒さがあった。しかして、そうしたジェスターの殺気に当のフラットは欠片も気付いていなかった。

 空気を読むのが極端に苦手なフラットである。これがもっと表情豊かに分かり易く怒っていれば気付くことも(おそらく)できたのだろうが、傍目からは少しブルブル震えている程度にしか見えないのである。

 魔術師の殺意とはかくも恐ろしく容赦のないものだが、死徒の殺意はそれを上回る。そして過ぎたる殺意は逆に分かりづらく、誤った理解へと導いてしまうものである。

 

 北風と太陽。

 今のジェスターにこのイソップ童話を贈りたい。

 

「すみません。えっと、俺が支払えるものなんてあまりないんですが、」

 

 と、あろうことかフラットはジェスターから視線を外して懐を探り始める。自らの長年研鑽してきた秘技をそのまま盗み取られ利用された魔術師が求める対価など、古今東西盗人の命と相場が決まっている。

 そしてそれが分からぬフラットである。

 

 舐められた、とジェスターは思わない。思えない。

 とっくの昔にジェスターの怒りは限界を振り切っていた。もはや殺意だけで重力を操れそうな重さを持っている程に。最後の軽口だけでも奇跡である。

 

 大型の獣を相手に視線を逸らしてはならない。

 それは死徒にだって通用するモノらしい。

 フラットが目線を上げて『対価』を懐から出した時には、ジェスターの姿は既に目の前にあった。

 

 

 

 

 

「――フラット・エスカルドス。どうかしたのですか?」

 

 ジェスターがこの場にやって来てわずか数分足らず。銀狼の後から出てきた繰丘椿の身体を借りたライダーは、首を傾げるフラットに声をかけた。

 

 このライダーをして全神経を集中させた手術を行った直後である。何せ銀狼の体内に入った死徒の血を解析し分解し再利用するという神業的な手術だったのだ。元々かなりの消耗があったこともあり、術後の数分はライダーであっても身動きもできぬ状態にあった。

 

 まさかその数分の間にジェスターがやって来て銀狼の生存に驚き、ライダーのやったことをフラットが行ったと勝手に誤解し、あまつさえフラットを殺そうとしたなどと、思いもすまい。

 フラット自身にだって分かっていないのだから。

 

「ああ、うん。ちょっとね」

 

 ライダーの質問に曖昧に応えながら、フラットはジェスターが消えていった空間を眺め見る。

 

「意外とせっかちなんだなぁ、と思って」

「?」

 

 フラットの呟きをライダーは理解しない。

 まだ『対価』の説明もしていないのに、ジェスターはそれを聞くことなくさっさとこの場を去ってしまった。フラットからしてみればそれが事実なのだが、その誤解が解かれることはおそらく永遠にないだろう。

 

「ま、いっか。もう大丈夫?」

「お構いなく。早くアーチャーと合流しましょう。あの御大には一言言ってやらねばなりません」

「了解。じゃあ俺に付いて来て」

 

 言って、フラットはジェスターが消えた空間へ手を伸ばした。

 触れれば水面のような波紋が生じ、その存在を顕わにする。

 これは桃源郷や竜宮城、鼠の御殿に雀のお宿といった異界への扉。ただし、黄金王との戦場跡地に設置していたものとは異なり、これは固定されていない入り口である。主たるアーチャーの許可を得て、フラットはこの扉を自由自在に設置し開けることのできる権能を受け取っていた。

 

 扉を設置するのがあとコンマ数秒でも遅かったら、あるいは早かったら、今頃フラットはジェスターに言葉通りの八つ裂きになっていただろう。

 期せずして絶妙なタイミングでカウンターを放ってしまったわけだが、その幸運にフラットが気付くことなど、永遠にあるわけがなかった。

 

「それじゃみんな行こうか。英雄王――いや、“偽りの聖杯”の元へ」

 

 



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day.11-19 裏切り

 

 

 署長が十本刀(ベンケイ)でアーチャーと対峙しようとした、ちょうどその頃。

 キャスターはキャスターで、またひとつの戦場を終結させていた。

 

 制圧したスノーホワイトはエラー表示を大量に吐き出しながらも順調に稼働中であり、キャスターの操作によってより効率的にそのリソースを配分している。特に十本刀(ベンケイ)は演算リソースをそれなりに必要としていることもあって、本格使用する前に別の戦いを終わらせることには意味があった。

 

「――よう。どうだ、生きてるか?」

 

 キャスターの気軽な質問にしばし遅れて通話回線を繋げたスピーカーから反応がある。精も根も尽き果てたという声音であるが、ひとまず声の調子から命に関わるような傷は受けていないようだった。

 

「ハハッ。支援が遅れたことは詫びるが、そう責めるなよ。俺は俺でここに辿り着くだけでも大変だったんだぜ?」

『―――、』

 

 キャスターの詫びに尚も不平が聞こえてくるが、一段落したせいかその語気は大人しくなりつつある。

 しかしキャスターはキャスターで大変だった、ということは当たり前のようにそんな事実は欠片もない。押し付けられたとはいえスノーホワイトの制圧はキャスターの任務であるが、その露払いをしたのはジェスターである。ランサーを嗾けてはいたが、ジェスターは最低限の仕事を約束通り行っていたのだった。

 

 ジェスターによって周囲は物言わぬ骸骨だらけ。その当のジェスターもさっさとスノーホワイトを放置しどこかに行ってしまったようで、近くにそれらしき気配もない。むしろキャスターはジェスターの影に怯えてかなりの時間無駄にする愚すら犯していた。

 それでもギリギリ間に合ったことで、劇作家はありもしない恩を高値で売り飛ばしながら瑕疵を隠そうとしていた。生前はその性格のせいで無一文にもなったりしたのだが、まったく懲りていないようである。

 死んでも治らない不治の病である。

 

『―――?』

「おう。こっちは何とか順調に推移してる。俺のおかげで被害も最小限。あいも変わらず危険な状態には違いねぇが、最悪は回避してるさ」

 

 順調々々、と鼓舞するようにキャスターは繰り返し口にしてみるが、実際にはそう上首尾に運んでいるわけもない。

 未だ油断ならぬ状況であることに変わりはなく、現在も署長と英雄王が激突しようとしている真っ最中。他にもスノーホワイトのバックアップが必要とされる場面も多いので、こうしている間にもキャスターの手は忙しく動いている。基地内を隈無く精査しながら状況を再確認し、今後の動きを考え続ける。

 

「これはお手柄だぜ。地上を綺麗にしてくれたおかげで脱出ルートも確保できたしな」

 

 これで万事解決だと、嘘吐きは地上の安全を確認した。

 基地内では尚も継続的に戦闘が繰り返されているが、何も戦闘は基地内だけというわけではない。ファルデウスが基地の地表部に配置しておいたレギヲンは奇襲により壊滅したが、全滅したわけではないし、付近一帯にある拠点は未だ顕在だったのである。

 脱出ルートの確保にはそうした戦力はきっちり片付けておく必要があったのだ。

 レギヲン地上残存勢力、約一〇名。

 そして先日原住民要塞を奇襲した、令呪を持った東洋人が二名。

 

「ライダーの奴があの時片付けておきゃ、こんな苦労はなかったんだけどな」

 

 自らの功罪を棚に上げてライダーを批難するキャスターであるが、人を傷つけられないライダーで対処するには限界がある。むしろ原住民の要塞を襲ってきた四人の東洋人の内、一人でも何とかできたライダーを褒めるべきであろう。

 悩みの種だった東洋人の居場所が二人も分かったどころか、排除もできたことは僥倖である。

 

 地上のカメラはその九割以上が駄目になっていた。仕方なく安価なドローンを幾つか飛ばして俯瞰するが、そこに見知った街の風景はどこにもありはしなかった。

 戦地であることの証明のように周囲のビルは連鎖的に倒壊し、吹き飛んだ車両がビルに突き刺さりあちこちで奇怪なオブジェと化している。大小様々なクレーターがあちこちに穿たれかと思えば、逆にアートのように隆起した大地や、ナスカの地上絵が如く抉られた直線が数キロに渡っていたりもする。

 

 そして無視できぬのが、街中に堂々と鎮座している直径数キロはある大樹である。

 まるで直前まで動いていたかのようにその根と幹は波打ち天へと上ろうとしているが、不自然に干からびた様子からすると既に活動停止しているようである。ひとまず串刺大樹(カズィクル・ベイ)のようにいきなり襲いかかってくる心配はあるまい。

 

 まさにバトルロワイヤルの終盤にある意味で相応しい様相であるが、秘密裏に行われるべき聖杯戦争の場合甚だ相応しくない。過去にこれほどまで異様で異常で問答無用な聖杯戦争が行われた記録など絶無である。人がいないからこそこうした大胆な行動が可能になったのだろうが、だからといってここまで無茶をすれば将来的に隠しきれるものでもない。

 しかもこれがただの余波でしかないというのだから、どれだけ激しい戦闘だったか背筋が凍りそうである。それと同時に、ここに現れた数々の英雄の痕跡を思うと胸と目頭が熱くもなるというもの。

 

「まさかサン・テグジュペリ伯爵が本当に聖杯戦争に参戦するとはな……必殺の宙返りやメガクラッシュをこの目で直接見たかったぜ」

 

 なにやらスピーカーの向こうで「そんな宝具はあったかなぁ?」と主張しているようだったが、残念ながらキャスターの耳に入ることはないし、耳に入れるつもりもない。

 

『―――?』

「ん? あの魔法少女ばりの連続変身は一体何か、だって?」

 

 折良く質問が入ったことで話題転換しようと思うキャスターであるが、この話題はこの話題で余り良いものでもない。

 東洋人の活躍とキャスターの策と支援によって地上のレギヲンはほぼ全滅。最後に一人残った敵の東洋人も残存令呪一つと進退窮まった状況に合った。ここで降伏勧告をすれば良かったのかも知れないが、過ぎたことを悔やんでも仕方あるまい。

 

「あれは――」

 

 キャスターは言葉を探すが、その正体に心当たりがないわけではない。

 

 夢幻召喚(インストール)

 自らの肉体に英霊の力を顕現させる禁忌の業。

 

「……いや、すまねえな。ちょっとわからねぇ」

 

 そうした事実を推察しながら、キャスターは無駄な沈黙を置いて言葉を濁す。

 東洋人の令呪が特殊であることは以前から聞いていたが、どうやら令呪の召喚システムをファルデウスは更に改良したようである。

 

 神行太保・戴宗の超高速移動宝具、神行法。

 アロンソ・キハーナの自己暗示宝具、騎士道(ドン・キホーテ・デ・ラマンチャ)

 バリ島の魔女チャロナランの物理反射宝具、聖邪連理(レゴン・ランダ)

 魔界衆黒幕・森宗意軒の限定蘇生宝具、魔界転生。

 アメリカ皇帝ノートン一世の特殊宝具、皇帝勅令(パルプンテ)

 

 わずか五分足らずで十二もの変身と宝具の開帳が行われ、最後に放たれた約束された還湖の剣(タン・キエム)によって街の西半分は完全に更地と化してしまった。

 第四次聖杯戦争で遠坂時臣が約束された勝利の剣(エクスカリバー)の使用を制限するべく画策したのも頷けよう。対城宝具を街中でぶっ放せばこうなるという良い見本がここにあった。

 

 たった令呪一画でこの有様に溜息しか出ない。

 敵対している東洋人が二人とも夢幻召喚(インストール)を行ったのなら、いかにキャスターがバックにいようとこちらに勝ち目はなかっただろう。そうしなかったのは、それなりの理由があるのだろうが。

 

「使用した令呪でも解析できればいいんだがな」

 

 言外に「お前の令呪じゃ夢幻召喚(インストール)は無理」と語れば、回線の向こうで何やら思案するも諦めを感じさせる呼気がひとつ。

 残念ながら夢幻召喚(インストール)を行った東洋人は戦闘によって上半身が綺麗に消滅してしまっている。これでは令呪が宿っていた腕や魔力回路を調べることも不可能だ。

 

 キャスターがそれらを調べれば、おそらく夢幻召喚(インストール)を再現することも可能だろう。先日ライダーと戦い回収された東洋人の死体も腑分けしたので、仕組みを把握するのも簡単だ。

 だが、キャスターが真に隠したかった事実はそうした戦力的な話ではない。

 

「それで、令呪は幾つ残っている?」

『―――』

「オーケーオーケー。色々と無茶を言ったが、令呪を使い切らなければ問題ない。最後の――最期の一画は、俺が言うまで使うんじゃないぞ」

 

 令呪を全画使えば、東洋人は死ぬ。

 キャスターが真に隠したかったのは、この事実である。

 この特殊な令呪は一種の安全装置である。東洋人を送り込んだ何者かは、東洋人が生き延びることを歓迎してはいないのだろう。

 東洋人の令呪は生体機能と連動しており、それによって魔力回路を持たない一般人でも使用できるよう設計されている。逆に言えば、生体機能と連動するまで令呪が馴染み根付いているのである。

 令呪がなくなればどうなるかは簡単に推察できる。

 

 もっとも、キャスターがこの事実を伝えないのは、仲間である東洋人の身を案じているとかではない。単純に自分自身のためである。

 面白可笑しく、この聖杯戦争の行方を見続けるのがキャスターの望みなのだ。ならば東洋人の令呪はそのためにこそ使われるのが理想である。もう少し令呪に余裕があれば別だったかもしれないが、残り少ない令呪ではおいそれと浪費するわけにもいくまい。

 

「……いや、まだ東洋人は残っていたか」

 

 地上は任せたと無責任に言い放ち通話を切った後に、ふとキャスターは気がついた。

 ファルデウスが確保していた東洋人はスノーホワイトのログを探れば全部で六人。内二人は何やら頭を切開されて使い潰された形跡がある。そして先日の要塞への奇襲時にライダーによって倒されたのが一人、今倒したのが二人。ならばまだ行方の分からない東洋人が一人いることになる。

 残存戦力で相手にできる敵ではないが、さすがにこれはあるまい。この危機的状況に合って登場していないと言うことは、どこかで野垂れ死んだ可能性が高い。

 実にもったいない、と敵の損失を嘆くあたりがキャスターらしいところである。

 

「生きていれば令呪の移植も……いや、それも無理か」

 

 思考を巡らせるが、不可能なことをつらつらと考えるのは時間の無駄だ。

 東洋人の令呪は署長達のような正規マスターの令呪と異なり、その特殊性故に転写にはそれなりの技術と時間が必要とされる。仮に生きた東洋人が目の前にいたところですぐにできるものでもない。

 

「はて。なんかそのことで忘れている気もするが、気のせいか?」

 

 何か気付きそうなキャスターであったが、あいにくとその思考はスノーホワイトによって中断されてしまう。

 モニターを埋め尽くすように赤色の『警告』が狂ったように輝きながら出現し、耳障りなサイレンが警報を発していた。

 警告レベルは最大値を示しており、この危機的状況に改善される気配がないことから、自己判断によりスノーホワイトは全白血球プログラムを作動させる。

 十全な状態のスノーホワイトならこれも対応することができたのだろうが、それも無理だ。何せスノーホワイトの手足となるべき自律・自動工作機械群はことごとく撤去されている。

 

「残念だったな」

 

 スノーホワイトの必死(?)の努力をキャスターは哀れみを込めながらも鼻で笑う。

 スノーホワイトは自らの意志を持たない。キャスターとしては当初から魔導書(死霊秘法、もしくはナコト写本)の精霊を利用した制御システムを、強く、強く、強く上申していたのだが、キャスターの手がこれ以上入ることを嫌った“上”に却下されたという経緯がある。

 

 これがもし却下されることなく精霊が制御するシステムであったのなら、未来は変わっいたであろう。キャスターだって(傲慢不遜で世間知らずでお人好しで幼女の姿をした)精霊からの説得であったなら、考えを改めるかもしれないのだ。

 

 具体的には、キャスターの目の前にある透明ガラスケースに保護された赤くて丸くてぽちっとへこむわかりやすいボタンを押してもいいかなー、と考えるかも知れなかった。

 スノーホワイトから割り込み制御をかけられぬ独立したこの回線は、ストップするだけなら指先ひとつでダウンするのである。

 

「んー、ここは悪役らしく高笑いをするべき場面か? しかし観客もいねー中でやってもつまんねーし馬鹿みてーだし。やっぱ大衆がいてこその演出ってことだよな。次があるならそうした役者を配置しておかなきゃなんねえな。冥土の土産的な感じで暴露してぇ。おっと、そういうのは死亡フラグっていうんだっけか?」

 

 キャスターは、自らの望みに正直だった。

 今後の演出に必要だと思ったから、東洋人の令呪を温存させたのである。一手でも間違えれば全滅必至の状況でありながら、それでもキャスターは己の欲望に忠実に動いている。盛り上がるというのなら、対城宝具が街ではなくこの基地に放たれていてもキャスターは本望だっただろう。

 

 そしてキャスターがしでかしたのがそれだけ、というわけでもない。

 街の中心で枯れ果てている大樹の名は《バオバブの木》。もちろん、植物学的にいうところのアオイ目アオイ科バオバブ属の総称などではない。

 スノーフィールド中心に根を張ろうとしていたあの大樹こそ、『星の王子様』で語られるバオバブの木そのもの。

 

 星をも呑み込むという触れ込みの対『星』宝具である。

 

 あと数分活動を停止させるのが遅れたら、場合によっては地球滅亡も有り得たのである。キャスターは、面白そうだという理由だけで、ギリギリまで適切な対応を取らなかったりしてるのだ。

 ほんの一戦だけでも二度、危ない橋をスキップしながら楽しんでいたのである。

 当然、これで終わりというわけもない。

 二度あることは、三度ある。

 仏の顔も三度というが、気付かれねば怒る者もいまい。

 皮肉にも同時刻、マスターである署長はキャスターを兄弟と呼んで感謝もしていたのだが、キャスターはあっさりとマスターの思いを裏切っていた。

 

 スノーホワイトのモニターにセグメント表示されたカウンターの大台が新たな数字を指し示す。

 428899Y。

 

 キャスターは、自らの望みに正直だった。

 方舟(オリジナル・ノア)の能力は、時間制御である。

 さすがに原典だけあってその効果は絶大であり、かのキャスターの手にも余るものだった。それが故に方舟(オリジナル・ノア)は“偽りの聖杯”の安全装置として使用されたという経緯がある。時間の檻に閉じ込められれば、いかに“偽りの聖杯”といえどもおいそれと稼働することはできないのである。

 

 ログを見れば、その証拠に方舟(オリジナル・ノア)の内部空間ではずっと時間が停止している。

 だがそのログを見た者は眉を潜めるだろう。時間停止状態であればログに記録されるのは「+0S/S」なのである。ところが、ある時期を境に「+4Y/S」などとある。これは外部時間で1秒経過する間に、内部時間では4年が経過していることを意味している。

 

 時間停止ではなく、時間加速。

 内部経過時間は、およそ――四〇万年。

 

 ファルデウスが何を思ってそんなことをしでかしたのかは判らないが、おかげでキャスターは“偽りの聖杯”の中身が何なのか推測がついた。

 偽りの聖杯戦争の結末。そんなものより、もっと見たい結末ができた。

 

 世界終焉のカウントダウンが、終わろうとしていた。

 

 



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day.11-20 狂戦士

 

 

 深い後悔が、そこにあった。

 

 ランサーはその身体の五割を吹き飛ばされ、黄金の呪いに三割以上も浸食されている。そして後に残ったのは後悔の塊だった。

 唯一無事である頭部は、ただそれだけでも他のサーヴァントを圧倒する能力を秘めながら、していることはそんな益体もないことばかりだった。

 今もまたそんな自分を守るべく動いてくれたアーチャーを、十本刀(ベンケイ)の魔の手からランサーは助けようとしなかった。

 

 ランサーの気配感知スキルの前には十本刀(ベンケイ)など、小細工を働かせたところで丸分かりなのである。アーチャーに一声かけるだけで署長の目論見はあっけなく御破算となる。署長は窮地に立たされ、幼き朋友はより優位に物事を運ぶことができただろう。

 けれど、ランサーはそうしたことをしない。

 目を閉じて、英雄王の姿すら一顧だにすることなく、己の中に閉じ籠もり続ける。

 

 端的にいえば、ランサーは疲れていた。

 追い詰められたとき、人は強くはいられない。葛藤の狭間に立って、解決不能と思える様々な揉んだに直面すると、人は脆い。本来であるならそんな逆境あって強くなれる存在だからこそ、英霊は英霊たり得るのだが。

 

「僕は、強くなんてないんだよ……」

 

 そんなランサーの独白は、誰の耳にも届かない。

 もともとランサーが聖杯戦争に参加した理由は、過去の改変にある。

 

 かつて世界の終わりまで英雄王の傍らにいると誓いながら、ランサーはそれを破ってしまった。最期に見た英雄王が流した涙を、ランサーが忘れることはないだろう。友であったが故に、英雄王の矜持を傷つけてしまった。

 そのことを、聖杯の力でなかったことにしたかった。

 

 結局その願いはアーチャーと同時に召喚されたことで有耶無耶になってしまったが、決してなくなってしまったわけではない。むしろその思いは強くなってさえいた。

 それがまた、ランサーを強く縛り付ける。

 

 消滅したと思われていたアーチャーが助けに入ったことに、ランサーは衝撃を受けた。アーチャーが生きていたから、ではない。自らの裡から最初に出てきたのが、自らの恥部を晒したような「気まずさ」だったからだ。

 

 アーチャーの生存をランサーは信じていなかった。それくらい自身の気配感知スキルに自信があったのだが、裏返せばアーチャーの実力を信じていなかったともいえる。信じていないどころか、口車に乗って扱き使われ、こうして余計な手間を彼にかけてしまっている。

 

 エルキドゥという英霊は、いつからそんな下らぬモノに成り下がってしまったのか。

 友を信じる。そんな尊くも簡単で当たり前なことを、ランサーは貫けなかった。

 同じような失敗を、また繰り返す。

 

 アーチャーもそうしたことを理解しているからか、ランサーをアサシンから助けながら一度として視線を向けることをしていない。

 彼は彼で葛藤があり、その鬱憤をアサシンへ晴らすことで誤魔化しているが、本当に晴らしたいのはアーチャー自身に他ならない。そうした気遣いをさせてしまったことが、またランサーを苦しめる。

 

 いっそのことアーチャーが苦戦してくれればまだ良かった。しかし、いかに署長の十本刀(ベンケイ)が数に勝ろうとも、英雄王は互角以上の戦いを繰り広げてみせるだろう。

 追い詰められながらも、彼は不敵に微笑んでみせる。そこにランサーの助けが入る余地などある筈もない。

 

 ランサーの苦悩は、もはや消滅することでしか叶わない。

 今なら分かる。この偽りの聖杯戦争でバーサーカーが狂化していない、その理由。それはただの偶然でもなければ、マイナスとマイナスが合わさってプラスになる、という馬鹿げた理論でもない。

 本来の目的である抑止力としての機能を、『理性』という枷で抑え欺くためのものだ。

 

 狂化すれば、召喚された英霊は抑止力としてただ偽りの聖杯に刃向かうだけの暴力装置と化すだろう。それは“偽りの聖杯戦争”のシステムとしてははたはた拙い。だからこそこの戦争でサーヴァントは理性をなくすことを許されていない。

 理性をなくせないよう、召喚されるサーヴァントにはひっそりと制約を設けられている。

 

 思い返せば、ファルデウスやジェスターがランサーを挑発したのも、こうした制約の存在を確認するためだったのかも知れない。意図して狂うことは“偽りの聖杯戦争”では、できないように仕向けられている。

 

 期せずしてそんな戦争の裏事情に辿り着いたランサーであるが、この事実がどんな意味を持っているのか、そこまで気付くことはなかった。

 その瞬間までは。

 

「―――、」

 

 ドクン、と心臓が高鳴ったような気がした。

 いかに傷つき落ち込み気力を失せようとも、サーヴァントという器はマスターという楔の存在なくして成り立ちはしない。故にマスターの異常はすぐさまサーヴァントの知るところとなる。

 

 目の前で署長の十本刀(ベンケイ)と英雄王のヘタイロイがぶつかり合おうとしている。そしてすぐ下の第九層では時を同じくしてティーネ率いる二十八人の怪物(クラン・カラティン)が戦闘を開始していた。

 

 いや、より正確には、ティーネ達の攻撃の方がわずかに早い。

 ランサーはファルデウスの身に起こった事態を、その瞬間強制的に認識させられていた。

 それが、トリガーだった。

 

「―――、」

 

 気のせい、などではない。

 呼吸が定まらない。

 動悸が激しくなる。

 身体は燃えるように熱く、震えは止まらない。

 

 まるで人間らしい状態異常を、泥人形であるランサーは体験する。それは単なる勘違いであるが、異常であることに違いはない。この八層に撒き散らされたランサーの肉片も、同じように何らかの異常を発していた。

 

(令呪をもって、命じる――)

 

 幻聴が、聞こえる。

 ここにいる筈のない、ファルデウスの声。

 令呪の事前命令入力。

 条件が揃った時のみ、その令呪は効力を発揮する。

 

(我が身が危機に陥った時――)

 

 ファルデウスにとって、エルキドゥがランサーで召喚されたのは嬉しい誤算だった。偽りの聖杯戦争のシステムを知り尽くしていた彼は、システムの抜け道を把握していたからだ。

 神と呼ばれる類の存在を偽りの聖杯戦争では呼び出すことはできないが、ランクの落ちた欠陥品なら召喚できる。

 

 令呪を初めとして外部からの干渉によって英霊は強くもなれば弱くもなる。例えばアサシンは令呪で拘束されることでより強大な力を認識するに至った。例えばバーサーカーは正体を告げられることで強大な力を失った。

 前例があるのだ。ならばランサーとて同じようなことはできるだろう。

 欠陥さえ直してしまえば、英霊は神と同格の存在となる。

 

(ランサーよ――)

 

 次なる言葉を想像して、ランサーは真に叫びを上げた。

 かつて彼が喉から奏でた唄声は大地を鳴動させスノーフィールド全土に広まった。しかして、同じ喉から漏れ出る音は、決して同じようなものではない。唯一の救いはそれが局地的なもので終わったことか。互いに激突寸前でありながら、ヘタイロイはもちろん、署長やアサシンまでもがそんなことを忘れたかのようにランサーへ視線を向けてくる。

 

 ただ一人、アーチャーだけはその手を止めても、決してランサーを見ようとはしなかった。

 それだけが、ランサーにとって唯一の救いだった。

 幻聴が、最後の命令を告げる。

 

(獣へ戻れ――!!)

 

 瞬間、ランサーは自らの身体が溶けたように感じた。

 それは決して錯覚などではない。身体の奥底から力が無限に溢れ出ようとしている。天の創造(ガイア・オブ・アルル)はその無限の力に対応するべく、その形を適切なものへと変えようとしているのだ。

 

 ランサーは聖娼と六日七晩共に過ごしたことで、多くの力を代償に人としての理性と知恵を手に入れた。それを、ランサーは返上する。

 理性と知恵と人の姿を返すことで、失われた力を取り戻す。

 

 急速に拡大する意識のうねりに抗おうとするが、身体は暴れ馬の如くいうことを聞いてくれない。それでも意識がまだなくならないのは、それだけ取り戻す力が大きく、理性と知恵が莫大だったから。

 

 溢れ出てくる力に圧迫され、外へと逃げ出す先を求める。自然と、その方向だけは理解できた。

 視線を向ければ、そこには床がある。否、床の向こうには第九層があった。第九層には、偽りの聖杯が鎮座している。

 

 ありとあらゆる思考が軒並み書き換えられ、それ以外考えられない。

 現マスター、ファルデウスの恨みがなくなった。

 元マスター、銀狼の存在を忘れ去った。

 抑止力としての機能が、その姿を浮き彫りにしていた。

 過去を忘れ、未来を見ない。

 現在だけのために、ランサーは行動を開始する。

 

 八層と九層の間の岩盤は確かに分厚く、そして重厚な結界に覆われていたが、それだけだった。

 もはや誰のモノとも分からぬ異形の指先が軽く触れただけで、あっけなく亀裂が生まれる。そして、第九層へと続く闇が血栓の如く噴出する。

 

 闇の道を、ランサーは脇目もふらずそうあれかしと下へ下へと駆け抜ける。その間にも力は更なる力を呼び戻し、純白に磨かれていた筈の意識は拭いがたい穢れた汚泥へと変じていく。

 第九層に辿り着いた時には、もはや元が誰であるのか分からぬ程にランサーは変わっていた。

 

 変『神』していた。

 

 ランサーの視界に、暗黒球体が現れる。

 時間制御宝具、方舟(オリジナル・ノア)

 何人たりとも寄せ付けぬ拒絶の檻であるが、それの対処策をランサーは最初から持っていた。

 

 創生槍ティアマト。

 穂先が触れただけで方舟断片(フラグメント・ノア)を容易く崩壊へと導いたのだ。いかに原典といえども、ティアマトの前には相性が悪すぎる。

 

 構える必要はない。急ぐ必要もない。

 触れるだけでいいというのに、ランサーは重力をも従えその数瞬を惜しむかのように加速。仮に妨害する者がいたとして、天井が崩落する最中にあのランサーを捉えられる者などいるものか。

 

 なんの不思議もなく、かくしてランサーは方舟(オリジナル・ノア)へと辿り着いた。

 

(止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやえろやめおめろやろやめややめろろめやMろややめYaめろやめRやMろYMRYMYYYYY―――!)

 

 創生槍ティアマトが、方舟(オリジナル・ノア)へと突き刺さる。

 最後に残った理性と知性が叫びを上げたが、そんなもの何の役にも立たなかった。

 最後に残ったランサーの記憶から、英雄王の存在すらも消えて無くなった。

 

 方舟(オリジナル・ノア)が砕け散る。

 同時に、ランサーは全てを失い、かつてを取り戻した。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――!!!!」

 

 鬼哭のような咆哮と共に、世界が変わった。

 

 偽りの聖杯が、開放された。

 

 

 



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day.11-21 参戦

 

 

 それはある意味では奇跡に違いなかった。

 

 かなり特殊であることは事実だが、聖杯戦争が戦争の一種であることには違いない。しかも一対一ではなく、多対一。優勝者はただ一組のみであり、他は悉く敗者となる。その本質こそ偽られていたものの、聖杯戦争中盤まではバトルロワイヤルだったのは事実である。

 だというのに、この場には盤上の駒がほとんど揃っていた。

 

 誰もが傷つき消耗し、偽るための仮面は軒並み剥がされている。だが、欠けているわけではないのだ。

 戦争終盤でありながら脱落者ゼロのバトルロワイヤルが成立し、誰が示し合わせたわけでもなく、まるで運命に導かれるようにここへと集結する。

 

 ある者は最初から。

 ある者はこっそり侵入し。

 ある者は扉を蹴破り。

 ある者は天井を破壊し。

 ある者はただ落下し。

 ある者は「どこでもドア」から。

 示し合わせたかのようにこの場へ現れ出でる。

 

 だから。

 その場にいないキャスターだけが、彼らについて語ることができる。

 

「人物紹介をしてやろう。

 エントリーナンバー1、アーチャー、英雄王ギルガメッシュ。

 優勝候補ダントツ一位の最強英霊。マスターを放置して実は色々画策していたいけ好かない奴だぜ。秘薬を飲んで子供の姿になってはいるが余計侮れない相手になってるな。宝物蔵を失ってはいるが、アイオニオン・ヘタイロイ163名を引き連れて参戦だ」

「………」

 

 床の崩壊に巻き込まれ第九層へと落ちる英雄王であるが、状況を正しく認識している。急速に遠ざかっていく朋友を見て、誰が仕組み、何があり、どうなっていくのか。だからこそ、英雄王は選択肢を間違わない。

 

「エントリーナンバー2、原住民族長ティーネ・チェルク。

 御存知スノーフィールドのテロリスト総元締め。色々と吹っ切れたおかげで今では神霊並の魔力を手に入れた“偽りの聖杯”の巫女様だぜ。英雄王のマスターでありながら放置された反動か、今は二十八人の怪物(クラン・カラティン)を率いて参戦だ」

「………」

 

 天井の崩落とファルデウスの言葉に、彼女は最悪を想定する。自死を選んで“偽りの聖杯”を鎮めるのが彼女の役割だが、それが通用しない場合がある。状況を確認するまでは迂闊に死ねない。彼女はひとまず自らの身と二十八人の怪物(クラン・カラティン)を守ることを優先した。

 

「エントリーナンバー3、ランサー、神造兵器エルキドゥ。

 翻弄され、拐かされ、騙され、嘲笑されてはいるが、実は実力ナンバーワンの苦労人。運が悪かったのは確かだが、強さ故の驕りがあったのは否定できないな。令呪によって理性がなくなったおかげで本来の力を取り戻している。狂戦士化しての参戦だ」

「………」

 

 既にランサーの理性はない。この事態に嘆くこともなければ、後悔することもない。マスターがどうなったのか、朋友が誰だったのか、命よりも尊く大事であったものが塵芥へと消えて逝く。やるべきことは、ただひとつだけ。

 

「エントリーナンバー4、合成獣の銀狼。

 序盤から死にかけていた空気の読めるイカした奴。俺はよく知らないが、夢世界では結構活躍したらしいぜ? ランサーの精神的支柱になれるかが鍵かもしれない。寿命で死にかけてたらしいが、何故か復活して参戦だ」

「………」

 

 フラット命名「どこでもドア」を出てみれば、銀狼はそこに懐かしい影を見た。姿形は違えども、生まれて初めての主人を見間違う下僕ではない。思わずその傍へと走り出したい衝動に襲われるが、今の彼には群れの仲間がいた。降り落ちる禍に銀狼はその爪と牙を行使する。

 

「エントリーナンバー5、ライダー、ヨハネ黙示録のペイルライダー。

 存在からして反則の超ダークホース。色々あって進化しまくりもう手が付けられない存在だ。更にスノーフィールド市民八〇万人に感染してるんで魔力量も位違い。宝具や幻獣なんて眼中にないぜ。マスター自身に騎乗する裏技で参戦だ」

「………」

 

 椿の目や耳といった感覚器官を借りてはいるが、それだけがライダーの情報源ではない。飛沫を周囲に最大散布しつつ、周辺環境を書き換える下準備を行う。その過程で得られた情報は推測や状況証拠といった曖昧なものではなく、確定されたものである。その値千金の情報を元に、彼はある戦略的決定を行った。

 

「エントリーナンバー6、眠り続ける少女繰丘椿。

 ある意味聖杯戦争の一番の被害者にして加害者。サーヴァントとの相性も良かったせいか、現在俺の予想以上に急激に成長中。ライダーに隠れてこっそり夢世界を再構築してるあたり、秘策を用意している可能性大。スノーフィールド市民の命を一身に背負って参戦だ」

「………」

 

 状況が混沌としているのは最初から分かっていたことだ。そのためにあらかじめ身体の制御権をライダーに渡し、何かあっても口を挟むつもりもなかった。確認したかったのは、生存の有無だけ。だからそれを確認した以上、彼女が内に秘めた思いを口にすることはない。

 

「エントリーナンバー7……は俺だから飛ばして、

 エントリーナンバー8、署長……えーと、説明いらないよな?

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)の代わりに宝具十本刀(ベンケイ)を操って一応参戦。たぶん一分以内に魔力が尽きて戦闘不能に陥るけどな。生存は絶望的だぜ」

「………」

 

 床の崩落に巻き込まれアーチャーとヘタイロイが落下する中、唯一署長だけが十本刀(ベンケイ)の数本を足場にして宙に留まっていた。頭上の優位を今更語るわけではないが、状況把握にはやはり高度が重要だ。残り時間は他の誰よりも少ないが、その時間を署長は決して無駄にしない。

 

「エントリーナンバー9、アサシン、美しき暗殺者。

 まさかの救世主適正を持ってた狂信者。奇跡や宝具を見ただけで自分のものにできる能力は反則だな。異教の業を学べば学ぶほど自己否定で弱っていくとか。現在心身共に困憊ではあるが、そんなの気にせず参戦だ」

「………」

 

 残り少ない体力ではあるが、アサシンは迷わず飛び出ていた。それで何かできるかなどとは考えない。重要なのは、その場へ辿り着くことだ。辿り着けねば、何もできない。宙を蹴るランサーを追いかけるように、十本刀(ベンケイ)を足場にアサシンは“偽りの聖杯”へと駆け下りる。

 

「エントリーナンバー10、六連『男装』ジェスター・カルトゥーレ。

 もっと早く本性表せと声を大にして言いたいアサシン大好き美少女吸血鬼。命のストックは尽きてるが、奥の手のストックはまだあるとみた。アサシンのためなら世界も敵に回すぜ。目的と手段を取り違えたまま参戦だ」

「………」

 

 目の前の光景に他の誰よりも呆然としたのがジェスターだった。フラットを殺そうとしたら何故か別の場所へと来ていた。しかもその場には多くのキャストがいるし、天井が崩落して地味に命の危機である。それでも、彼女独特の笑い方をすることもなく、ただただ立ち尽くしていた。嵐の前の静けさが如く、彼女の中のマグマは噴出する時を待つ。

 

「エントリーナンバー11、バーサーカー、殺人鬼ジャック・ザ・リッパー。

 数ある策と変身能力で盤上を揺るがした稀代の殺人鬼。幻都を恐怖に陥れた手腕をまさかスノーフィールドでも発揮するとは誰も想像してなかっただろうさ。正体を暴かれ俺以下の最弱サーヴァントとなって参戦だ」

「………」

 

 立ち尽くすことすらできずにバーサーカーは地に伏している。周囲の状況など分かる筈もなく、自らの痛みと格闘し、無様に負けかけていた。どうあがいたとしても役立たずであり、足手まとい。消滅していた方がまだマシだっただろう。彼が正気に戻るだけの時間は、おそらくない。

 

「エントリーナンバー12、時計塔の魔術師フラット・エスカルドス。

 ロード・エルメロイⅡ世の秘蔵っ子。バーサーカーのマスターでありながらアサシンとティーネに魔力供給し、アーチャーとずっと行動を共にしていた浮気者。奴がいるだけで幸運(ラック)判定は鰻登りだ。参戦しているつもりもないが参戦だ」

「………」

 

 この場は緊張に充ち満ちている。目の前には“偽りの聖杯”、それに襲いかかろうとしている正体不明の泥の塊。崩落する天井、集うサーヴァントとマスター。誰もが最終決戦と予感し警戒している中、あろうことかフラットは「やあ」と軽く手を上げてこの場の皆さんに挨拶をしてみせる。当然、それに返す者がいるわけもない。

 

「エントリーナンバー13、東洋人――は、エレベーターの上でもう死んでるな。名探偵ももういねえし。

 再度改めエントリーナンバー13番、黒幕の一人にしてレギヲン隊長ファルデウス。

 ヘッドショットして死にかけているが、まだ生きてるからカウントしていいよな?」

「………」

 

 俯せに倒れ伏すファルデウスの頭から赤黒い血が流れ出ている。生死の境は論じる者によって曖昧なのが常だが、長くないとは誰もが思うだろう。そしてこの混戦確定の状況でわざわざ助けに入る物好き(フラットは除く)もいまい。

 

「そしてエントリーナンバー14、最終英雄――」

「………」

「なんだ。せっかくの最終決戦だってのにつれねえな。せめて何とか言ったらどうだ? 最終英雄の正体とか聞きたくないか? もしくは誰が優勝するのか予想して賭けようぜ? 7番なんかいいんじゃねえかな」

 

 実に不謹慎なキャスターの弁ではあるが、並べられた御託の中に一理はあった。

 最終英雄とやらが何なのか知らないし、分かる必要もなく、そして確かめる理由もない。必要なのは事態を安全かつ穏便に収めるための手段である。もはや聖杯戦争という体裁すら保てないのに、優勝などなんの意味があるというのか。

 いや、だからこそ、優勝には心揺さぶる魅力が溢れているのだろう。

 

 黙して語るつもりはなかったのだが、ここは稀代の劇作家の口車に乗せられたということにしよう。我慢とは人として最低限の基本スキルだが、四六時中我慢しておく必要もあるまい。

 それに王者は勝利の結果だけではなく過程にもこだわらなければならないらしい。合理だけを追い求めればそこに人は付いていかぬ。今後のことを考えれば、ここでのどのような対応をしたのか事実を記録していく意味はあった。

 そんな言い訳をして彼は居住まいを正し、モニターの向こうのキャスターに告げた。

 

「ならばご期待に添えてその問いに答えるとしよう、キャスター」

 

 これは出来レース。最初から優勝者は決定している。

 もとより、敗北など許される身ではないのだ。開幕前だろうと、終局だろうと、場外戦であろうと、決定は決定だ。その決定に変更などあり得ない。最終英雄の登場であろうと、例外とはいえないのだ。

 最終英雄が、最終エントリーではないのだから。

 

「優勝者は――私に決まっている」

 

 エントリーナンバー15、米国大統領。

 参戦。

 

 



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day.11-(後) ステータス更新

 

 

day.11-11 正体

 

 ここにやってくるであろう侵入者を撃退すべく、ファルデウスは第九層で待ち構えていた。奇襲をあっさり凌いでみせた英雄王の偽物であるが、奥の手はちゃんと用意されてあった。偽物とはいえ英雄王を前に相手にするのは、鷲鼻のサーヴァントだった。

 

 

day.11-12 サブプラン

 

 偽りの聖杯の封印強化のため魔力供給をしていたライダーは偽物が破れたことに気付く。パワードスーツ部隊と交戦しながら署長と連絡をとったライダーは今後の方策を議論するが、最悪かつ最低の可能性を署長は考える。そして先にライダーを襲った正体不明の男を抑えるべく、自身が出向くことを決めた。

 

 

day.11-13 殺人鬼対名探偵

 

 名探偵に正体を暴かれた殺人鬼は無力化された。そこにどうやってか現れたティーネは名探偵に理由を尋ねる。ファルデウスの説得もあって名探偵は嫌々ながらも「謎解き」を開始する。

 

 

day.11-14 隠し事

 

 ティーネが二十八人の怪物(クラン・カラティン)を引き連れて侵入していることにファルデウスは気付いていた。彼らの攻撃をあっさりと回避してみせるが、ティーネはファルデウスの隠し事を指摘してみせる。ファルデウスに対し投降を呼びかけるティーネであるが、絶体絶命のピンチを気にすることなくファルデウスはあっさりと拒否してみせた。

 

 

day.11-15 勝利条件

 

 アサシンをいたぶっていた正体不明の男に署長は単身割って入る。ティーネが死ぬ必要がないよう、彼は偽りの聖杯戦争を終わらせるべく動いていた。目的は同じでもやり方が異なる彼に対し、署長は立ち塞がることを宣言する。

 

 

day.11-16 ヘタイロイ

 

 立ち塞がった署長を相手にするのは宝具で完全武装した魔術師軍団アイオニオン・ヘタイロイ163名だった。一斉に襲いかかるヘタイロイではあるが、署長は宝具十本刀(ベンケイ)によって第一波を耐え凌ぎ、アサシンの奪取に成功してみせる。

 

 

day.11-17 十本刀

 

 無事アサシンを奪取した署長ではあるが、状況は好転しない。最後の交渉をする署長であったが、交渉は決裂する。こうした時のために宝具を用意してくれたキャスターに署長は感謝の言葉を述べ、新たな宝具を起動させ十本刀(ベンケイ)を全力解放する。

 

 

day.11-18 北風と太陽

 

 食屍鬼(グール)化している筈の銀狼を回収するべくやってきたジェスターだったが、銀狼はまだ生きていた。そして出迎えたフラットから銀狼捕獲の顛末を聞き、ジェスターはフラットに殺意を抱く。全力で殺そうと襲いかかるジェスターをフラットは一瞬で消し去ってみせる。

 

 

day.11-19 裏切り

 

 スノーホワイトを得たキャスターの補助を受け、スノーフィールド市街での戦闘は終結する。数多の英霊召喚と夢幻召喚(インストール)によって市街地は壊滅状態であるが、脱出ルートの確保には成功した。しかしてキャスターは世界滅亡の危機に気がつきながら、何の手も打とうとしなかった。

 

 

day.11-20 狂戦士

 

 朋友の危機にランサーは何もしなかった。しかし英雄王と署長が激突しようとする直前に令呪の命令がランサーを突き動かす。命令に従い第八層の分厚い岩盤を結界ごと破壊したランサーは、己が運命を呪いながら偽りの聖杯を開放してしまう。

 

 

day.11-21 参戦

 

 キャスターを除いた主要人物のほとんどが偽りの聖杯の前へと集まった。キャスターはそんな彼らの紹介をする。優勝予想をしようとするキャスターであるが、そんな彼の予想を否定する者がいた。

 

 

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 ステータスが更新されました。

 

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 ◆サーヴァント

   『アーチャー』

     所属:アイオニオン・ヘタイロイ

     状態:強制現界の呪い、幼体化(若返りの秘薬)

     宝具:天の鎖(エルキドゥ)

     令呪の命令:「怒りで我を忘れない」

 

   『ランサー』

     所属:――

     状態:狂化

     宝具:天の創造(ガイア・オブ・アルル)

        天命渦巻く混沌の海(ムアリダート・ギムリシュン)

     令呪の命令:「獣へ戻れ(狂化)」

 

   『ライダー』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:感染拡大(特)

     宝具:感染接続(オール・フォー・ワン)

     令呪の命令:「繰丘椿が構築している夢世界の消失」

           「人間を傷つけてはならない」

           「認識の(一部)共有化」

     備考:寄生(繰丘椿、???)

 

   『キャスター』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:強制現界の呪い

     宝具:我が人生は金貨と共に有り(アレクサンドル)

        王の服(インビジブル・ガウン)

        お前の物は俺の物(ジャイアニズム)

        夢枕回廊(ロセイ)

     備考:「Rin Tohsaka」と刻まれた魔力針

 

   『アサシン』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:強制現界の呪い、魔力消耗(大)

     宝具:回想回廊、構想神殿、追想偽典、伝想逆鎖、

        狂想楽園、幻想御手、瞑想金色

     令呪の命令:「(自殺の禁止?)」

 

   『バーサーカー』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:消滅×1、変身能力喪失、弱体化(特)

     宝具:暗黒霧都(ザ・ミスト)

        王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)(使用不可)

 

   『宮本武蔵』

     所属:――

     状態:消滅

     宝具:二天一流

 

   『ヒュドラ』

     所属:――

     状態:消滅

     備考:毒

 

   『エルアライラー』

     所属:――

     状態:消滅

 

   『黄金王ミダス』

     所属:――

     状態:消滅

     宝具:神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)

        酒酔いの薔薇園(シレーニノス・ガーデン)

     備考:黄金呪詛(ミダス・タッチ)

        ロバの竪琴聴き(オノスリューリラ)

 

   『サン・テグジュペリ伯爵』

     所属:――

     状態:消滅

     宝具:バオバブの木

     備考:宙返り(詳細不明)、メガクラッシュ(詳細不明)

 

   『正体不明のサーヴァント』×2

     所属:――

     状態:消滅

 

 

 ◆マスター

   『ティーネ・チェルク』

     所属:夢世界同盟、サーヴァント同盟

     状態:感染、魔力供給(特)

     令呪:残り0

     宝具:夢枕回廊(ロセイ)

     備考:二十八人の怪物(クラン・カラティン)指揮

 

   『銀狼』

     所属:夢世界同盟

     状態:感染、捕縛、生命危機(寿命)

     令呪:喪失

 

   『繰丘椿』

     所属:夢世界同盟、サーヴァント同盟

     状態:強化(寄生)、???

     令呪:残り0?

     宝具:感染接続(オール・フォー・ワン)

     備考:夢世界再構築

 

   『署長』

     所属:サーヴァント同盟

     状態:魔力消耗(特)

     令呪:残り0

     宝具:十本刀(ベンケイ)(数本破壊)

        豊聡耳(ショートク)

     備考:日本の高名な人形師が作った腕

 

   『ジェスター・カルトゥーレ』

     所属:――

     状態:死亡×6

     令呪:残り0

     備考:女の子

 

   『フラット・エスカルドス』

     所属:夢世界同盟、アイオニオン・ヘタイロイ

     状態:感染

     令呪:残り3

     称号:絶対領域マジシャン先生の弟子

 

   『ファルデウス』

     所属:レギヲン

     状態:生命危機

     令呪:残り0

 



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day.final-01 最強とは

 

 

 いと高き者の座す処。

 アーチャーが創り出したその異界の中心には、ひとつの玉座が据えてある。

 地味であるが洗練された美しさを備えている。さほど高いところに設置されているわけではないのに、心象的には遙かな高みを彷彿とさせる威厳がある。

 

 ただその玉座の頭上には、一本の剣が時が止まったかのように静止していた。

 アーサー王伝説などで有名な『選定の剣』は世界に数あれど、これは『ダモクレスの剣』の原典・源流のひとつとなった剣である。

 栄華の中のにも危険があるというかの故事とは別に、この剣には処断の意味を持っている。ふさわしくない者が玉座に腰掛ければ、この剣は処刑刀へと姿を変えるのである。

 

 この異界に連れてこられた“偽りの聖杯戦争”の敗残兵の中には素質素養に恵まれた者もいたし、歴戦の強者だっている。アーチャーという王の器を目にして予めその鼻を折っていなければ、もしかすると挑戦する者もいたのかもしれない。

 

 そんな玉座へ、その少年はまっすぐ歩み寄る。

 別に立ち入り禁止になっているわけではない。誰でも簡単に歩み寄り挑むことができる。そのまま玉座へと少年は自然な動作で腰を据えてみせる。そこに躊躇や覚悟は微塵もない。そのまま足を組み、少年の行動を黙って見続けていた周囲のヘタイロイを一瞥してみせる。

 頭上の剣は、動かなかった。

 

「最強とは何なのか。その答えを君達は知っているかな?」

 

 そしてそんな質問を、少年は唐突に浴びせかけてきた。

 選定の玉座に王として認めた少年。

 豪華な金髪に、血のような赤い瞳。そして幼い体躯。

 一見すれば、この偽りの聖杯戦争初登場の『少年』。

 これより約一日後に署長は一目で少年をアーチャーと即座に看破するが、この時点で確信を持って彼をアーチャーとはっきり認識できたのはフラット・エスカルドスただひとりだけだった。

 

「アーチャー、お帰りー。遅かったね」

 

 もっとも彼は署長と違って一目見ることすらなく、自らの作業に没頭しながら少年を英雄王と断じていた。

 ある意味では誤解なのだが、マスターとしてヘタイロイから認識されていたフラットがこの少年をアーチャーと呼ぶことで、ようやく彼らは少年の正体に気付けたのである。

 一体どうして幼くなったのか皆目検討がつかないが、有り得ぬことではない、と彼らは判じた。

 

「――それは英雄王、御身のことで御座います」

 

 正体に気付けばそういった陳腐な阿諛追従が口にされるのも当然だった。

 元より英雄王の問いは明確な答えのあるものではない。その場にいた皆が胸中で問答を巡らし黙考したとしても、そうそう突飛なものは出てくるまい。

 

「それは自分を殺しに来た人と友達になってしまうことだね!」

「うん。それは合気道の言葉だね。ちょっとめんどくさいからフラットは黙って作業に戻ろうか。できれば一人で。隅っこで」

 

 アーチャーの言葉にフラットは少し寂しげにいじけながらも、大人しく引き続き自らの作業へと没頭していった。

 目上の者に対して「さん」付けするのが幼い英雄王の標準対応であるのだが、フラットにはそれすらもなかった。無視しなかっただけ配慮しているつもりなのかもしれない。

 そして、自らに傅き阿るヘタイロイも、無視しない。

 

 見え見えの接待を英雄王が厭うことはあっても嫌うことはない。どこまで尽くせるかで相手の懐も分かれば底も見える。それに最も強い人間を見極め、媚びへつらうのは当然の摂理だとも思っている。

 これこそが、英雄王が最強であるという証拠のひとつになり得るものだ。

 

「……本題に戻ろうか。最強とは何なのか。確かにボクは最強だろう。そこは否定しないよ」

 

 幼い英雄王はそこで言葉を区切る。

 アーチャーはヘタイロイをただの保険としてしか見ていない。貸し与えた宝具こそ信頼しているが、彼ら個人に対してはどれだけ慕われようとも元を辿れば王の財を狙う賊だった者達だ。これで信頼などできよう筈もない。少なくとも、大人の英雄王はそうだろうし、彼らとて先刻承知の事実である。

 

 玉座の座り心地を確かめながら、英雄王は右から左へ視線を動かした。

 この場にいるヘタイロイの数はそう多いわけではない。大半は外で下賜された宝具の訓練をしていたり、連携の確認をしている。ここにいるのはそうしたヘタイロイを統率するための部隊長として任命された者だ。

 

 幼い英雄王は、考える。

 何が目的で、何が最善で、何が最悪なのかを。

 だからひとまず、最悪のひとつを回避するために英雄王は告白した。

 

「でも今のボクは、宝物蔵をキャスターに奪われている。それでも君達はボクを最強と呼ぶのかい?」

 

 静まりかえったこの場で、その声を聞き違えた者はいまい。

 誰もが二の句を継ぐことができずにいた。

 驚くという無駄なクッションがほとんどなかったのは評価に値するかもしれない。これで顔色を変えなければもっと評価しても良かっただろう。

 

 労働者と雇用者の力関係は明白である。

 法がいかに両者の対等性を謳ったとしても、雇用者優位の立場はそうそう崩れない。ただし、雇用者に支払い能力が疑われた時はその限りではあるまい。

 

 アーチャーとヘタイロイの力関係は完全に逆転している。ここで葛藤せぬようなら魔術師などさっさと辞めるべきだ。絶えず思考し続けあらゆる可能性を思い描き検討するからこそ、彼らは一流の名を冠することができる。

 ただ崇めるだけの盲信であれば、アーチャーはヘタイロイを必要などしていなかっただろう。

 

「……王、それは真ですか?」

「なんだい。ボクの言葉を疑うのかい? それとも、これを機会にボクへ反逆しようってことなのかな?」

 

 あくまで弱気にならず、かといって虚勢を張るわけでもない。ちょっとした冗談でも口にするかのように、アーチャーはヘタイロイをからかってみせる。

 ヘタイロイを統率するのに必要なのは金とカリスマ、だけなのではない。

 支配の本質は暴力だ。かつては拳の暴力、現代にはそれに加えて民主主義という数の暴力があり、資本主義下にあって金という暴力がある。

 だが結局、最後にものをいうのは拳である。

 それだけ認識していれば、充分だ。

 

「そのようなことは―――」

 

 慌てて言葉を繕おうとするヘタイロイの言葉をアーチャーは手で制した。

 

「結果が分かっていることをここで問うつもりはないよ。そしてわざわざ引き締めを計るつもりもない。ボクが確認したかったのは、君達が最強ってものをどう認識しているかってことだからね」

 

 ヘタイロイが反逆する可能性をアーチャーは考えない。考えても仕方がないことだし、メリットデメリットを考えれば選択の余地もない。アーチャーという舟に乗ってしまった以上、ここで反旗を翻すのは下策だ。翻したところで勝算は却って低くなるだけ。むしろ弱ったアーチャーに恩を着せるべく一層励むべきだろう。

 

 信頼はせずとも、信用はしている。

 ここで選択を誤る者なら、この場にはいまい。

 ヘタイロイの中でも宝具を与えられたのは精鋭である一六三名のみ。与える宝具は星の数ほどあるというのに全員に分け与えなかったのは、単純に信用の問題だ。アーチャーは、何よりも自身の選別眼を信じている。

 

「……では、王。最強とは、何なのですか?」

「さてね」

 

 自分で問いながら恐る恐る尋ねるヘタイロイの言葉ににべもない。

 アーチャーは確かに最強だ。だが、それは最強の一例にしか過ぎない。確固とした解答を与えてしまえば、それは思考の停止でしかない。盲信の徒は必要ないのだ。ここで必要とするのは想像し続けることだけなのである。

 

 最悪の状況を、アーチャーは考える。

 それはヘタイロイが反旗を翻すことではない。自身が負けることでもない。全滅することですらない。大切なのは戦いに勝つことではない。アーチャーがするべきことは、戦いが始まったとき、すでに勝っている状況にしておくことだ。

 

 故に。

 最悪とは、あの匣の中と相対することだ。

 

 英雄王をして、あの最悪と相対し勝てる未来を想像できない。せいぜい、不可能ではないという程度。そんな不確実な相手にわざわざこちらから挑もうなどと、到底思うことなどできよう筈もない。

 

 始まりの英雄として、彼は全力で最悪を回避するべく動いている。英雄王とてこの世界最強国家を滅ぼすなど容易いことではない筈だが、それでも彼は最悪を回避するためならそれを選択してみせる。

 

 英雄王の判断を、及び腰だと後ろ指を指す者もいるかもしれない。剣を持ち一致団結すれば倒せぬ敵はいないと声高に叫ぶ者もいよう。

 だがそれは的外れだ。アレは勝敗を論じるようなものではない。地震や落雷、火災に対して剣を振り回して何になるというのか。天災に対して必要なことは、然るべき準備をすることのみ。

 

 最悪など、遭わずにこしたことはない。

 触らぬ神に、祟りはない。

 

「その姿どうしたのアーチャー!? やっぱりバチがあたっちゃった!?」

「やっぱり、っていうのはどういう意味なのかな?」

 

 遅まきながら英雄王の姿に驚いたフラットによって、この場の問答はお開きとった。

 最終局面でただ一人“偽りの聖杯”と直接戦闘をアーチャーは想定し、最低限の布石を打っておいた。

 

 問いかけをひとつだけ。

 ただそれだけでもヘタイロイの覚悟はまったく違ったものになる。各人がそれぞれ最悪を想定し、そのための状況適応の精神構築(マインドセット)を施しておく。

 忌避すべき最悪を前にして、愚かな選択をせぬよう。そして英雄王麾下に相応しい選択をするために。

 

 

 

 

 

 ランサーによって方舟(オリジナル・ノア)が砕け散る。

 漆黒の球体は実にあっさりとその身を霧散させ、痕跡すら残さない。後に残ったのはこの“偽りの聖杯戦争”、その元凶たる“偽りの聖杯”――などではなかった。

 

 “偽りの聖杯”を直接その目で見たことがあるのは、署長とファルデウスのみ。夢世界で見たのがランサー・ティーネ・椿・フラット・銀狼。カメラ等の媒介を通して見たことがあるのがキャスターとジェスター。ライダーも椿の記憶を通して認識している。

 実にメインキャストの大半が“偽りの聖杯”の形状を認識していたのだが、その姿を再度直接見ることは叶わなかった。

 

 方舟(オリジナル・ノア)が覆っていたのが“偽りの聖杯”ではなかった、という安直なオチではない。

 “偽りの聖杯”を方舟(オリジナル・ノア)が覆う瞬間に署長は直接に立ち会っていたし、これだけ大掛かりな仕掛けを施し直そうとすれば必ずボロが出る。“偽りの聖杯”を偽ることなど、できはしない。

 

 それがない、ということはつまり。

 “偽りの聖杯”は、方舟(オリジナル・ノア)の中で、既に朽ちていた。

 

 その機能を止め、風化し粉となって原型を失っていた。

 その聖櫃は、自らの使命を全うしていた。

 匣の中は、露呈している。

 

 最悪は、的中した。

 

「構えろおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっっ!!!!!!」

 

 それは誰の声か。

 おそらくは署長だろう。この中で最も高い位置に留まり、全体を見渡せている。敵味方の区別すらなく、その場その時最も必要であることを私心を殺して優先することができる希有な人材である。

 

 心構えこそしていたが、しかしてそのタイミングまでは分からない。ヘタイロイと署長はつい数瞬前まで殺し合おうとしていたというのに、既にその心は通じ合っている。

 誰の号令かも確認することなくヘタイロイが構えたのは、ほぼ同時であった。

 

 

 

 

 

 最強とは、何か。

 その答えの一例が、英雄王である。

 では英雄王を最強たらしめる理由は、何か。

 理由は二つある。

 

 ひとつは、個としての圧倒的な魂の強さだろう。人類史どころか神代まで遡ったとしても、彼以上の強さを持った魂などそうそうあるまい。英雄王の肩書きは生半なものでは有り得ない。

 

 そしてもう一つの理由が何なのか、語るまでもない。

 魂の強さを誇示しようにも、見る者にあってもそれ相応の下地が必要となる。先に『ダモクレスの剣』を試さなければヘタイロイが英雄王を英雄王として認識できなかったように、それ相応のことを見せつけねば人は理解できないのである。

 

 つまりは、質と量。

 特に、分かり易いのが後者なのである。

 

 かつて、サーヴァントの身を指してとある英霊は「万軍に代わる一騎」と称していた。確かに、彼女は万軍を相手取って一歩も引けを取らぬかも知れない。それだけの質が彼女にはあった。

 なれば。

 彼女に“偽りの聖杯”は勝てぬことになる。

 万軍より強きものはひとつしかない。

 

 億軍である。

 

 



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day.final-02 魔群

 

 

 その瞬間、基地全体が大きく揺れた。

 本来霊質(アストラル)にしか作用せぬ神気が、あろうことか物質(マテリアル)まで影響を及ぼしている。震度こそ大したものではないが、震源のエネルギー量は半端ではない。不意を突かれれば立て直すのに数瞬は要したことだろう。

 第九層全体に響き渡るような号令が、それを救った。

 

 被害は絶無。

 体勢を崩した者も皆無。

 集中を途切れさせた者すらこの場にいない。

 だから、その瞬間をその場にいた全員が目撃する。

 

 ──それは『異形の群れ』だった。

 

 黯く蠢き犇めく様。

 海の砂より多く天の星すら暴食する悪なる軍勢。

 

 (ワムス)

 (マゴット)

 妖蛆(ウェルミス)

 

 醜いモノが多い。

 美しいモノもある。

 

 虹色に輝く翅があれば、無色透明な四肢がある。

 人の形をとるモノもあったし、魚や植物めいたモノもいた。

 影を持たぬモノもいれば、発光し形の分からぬモノもいる。

 焔や紫電の身体があれば、無骨な歯車を駆動するモノもいた。

 絵の如き二次元生体もいるのだから、人の脳で認識できぬ多次元生体もきっといる。

 

 誓って言えるが、およそ人類が編纂したどの動植物図鑑にも、ここにいる異形が掲載されているとは思えない。魔術協会の動物学科が編纂した幻想種図鑑であっても、同一のものがあるかどうか。しかし幼子が適当に紙にクレヨンで書き殴った芸術の中にならば、あるいは可能性があるかもしれない。

 

 幻想種ですらない異形の群れ。魔群。

 そんな百鬼夜行が、ダムが決壊するように解き放たれる。

 

 幸いにして第八層から落ちてきたヘタイロイは“偽りの聖杯”を取り囲むようにして着地している。包囲網は完全ではないが、そこは予め展開していた二十八人の怪物(クラン・カラティン)がフォローに入った。

 

 土砂崩れのように高速で迫り来る壁は、視界を埋めて蠢く大地だ。揺れ動く岩盤から崩れ落ちた砂塵の嵐みたいなもの。しかしその一粒一粒が呪に染まっている、暴力を体現している、激突は必至。後退は即ち死を意味していた。

 

「AAAALaLaLaLaLaie!!」

 

 鬨の声が辺りを賑やかす。

 ヘタイロイは強い。脱落したとはいえ、彼らはこの戦争に横紙破りで参戦しようとした猛者達だ。個々の実力も相応であり、それを宝具で底上げし強化しているのだから当然。彼らが留まっていた異界では流れる時間が異なっていたため、それら宝具を習熟し互いと連携を確認する時間も山ほどあった。

 噂に聞くクロンの大隊であろうと、今の彼らであれば真っ正面から撃破できることだろう。それだけの力をアーチャーは与えている。

 

 突進を防げたのは、この時を想定してアーチャーから盾型の結界宝具を複数貸し与えられたからである。

 盾は互いに連動し魔群を隔離するように結界を檻状に展開して包囲してみせる。隙間はあるが、人間サイズの大きさであればこれを突破できまい。構う様子もなく盾にぶつかる魔群は足止めされ、そのまま後続の魔群の突進に潰され赤や緑や紫の体液を撒き散らす。

 

 血煙で状況が分からぬほど一方的な虐殺が行われた。

 宙より署長の十本刀(ベンケイ)が魔群の足を狙い撃ち、湧き出る後続の邪魔をする。

 ティーネが無音詠唱で見える範囲の魔群が蒸発する。

 泥の獣と化したランサーが魔群を食い散らかす。

 

 開始五秒。

 この時点で脱落者どころか負傷者すらゼロ。

 第一次接触は理想的な展開だと言えた。

 

 一体一体が上位の魔獣クラスの力を持ち合わせているが、それは突進力と防御力だけ。

 動きは単調でほぼ前進のみ。知恵があるようにも見えず、突きだした剣を進路上に設置すれば避けることなく突き刺さされ自死してしまう程度。

 盾の結界が維持できる限り、脅威とはなることはない。これで武器弾薬の補給を受けて休息を挟むことさえできれば、永遠に戦い続けることだって可能だろう。

 逆に、ここで盾の結界が一枚でも欠ければ、そこからなし崩し的に崩壊は始まることだろう。

 

 小型の魔群がそのままヘタイロイの足元を通り過ぎていく。

 攻撃してくることはなくとも、少しぶつかっただけで足を物理的に奪われかねない。足元を砲弾が飛び交っているようなものだ。魔群の通り道で転けでもすれば、宝具の鎧であっても原型留めず蹂躙されよう。小型の魔群でそうなのだから、大型の魔群なら尚更。

 故に崩壊した前線を立て直す猶予など、“偽りの聖杯”から無限に湧き出てくる圧倒的物量を前にして与えられることは有り得ない。

 

 第四次聖杯戦争時、超巨大海魔を相手に戦った英霊達も、結局抑えつけるだけで精一杯だったのだ。同じヘタイロイの名を冠してもいても、所詮彼らの劣化版に過ぎぬヘタイロイでは、時間稼ぎ以上の働きなどできはしまい。

 

 一度に全ヘタイロイが相対できる魔群が一〇〇だとして、それらを葬るのに五秒はかかる。五秒もあれば、その同数、あるいはそれに倍する魔群が湧き出るだろう。

 今でこそ一方的な虐殺を呈しているが、湧き出る数と葬る数が等量でない以上、そんなものが永遠に続くわけもなかった。

 

 勝機は、ヘタイロイの全力戦闘で戦線が維持され、盾の結界が十分持ち堪えることのできる一分以内にある。

 いや、それも違うか。より正確には、

 

「―――大儀」

 

 この労いの言葉がかけられる、その瞬間までである。

 

 激戦の最中にあって、ヘタイロイは即座に反応してみせた。自らの王の言の葉にをどれほど小声であろうと、聞き逃す筈がないのである。

 この状況で傅き仰ぎ見ることはできない。しかして、彼らの脳裏には等しく現実と同じ姿がある。

 

 彼らの頭上、崩落した第八層の穴の縁にて壮麗なる黄金の姿があった。

 その右手には、バーサーカーが用いていた鍵剣。

 その左手には、空となった霊薬の小瓶がひとつ。

 その頭上には、星の明かりと見紛う量の、宝具。

 

 口元を拭って顕現せしめたのは、アーチャー、英雄王ギルガメッシュ。

 

 もはや子供の姿でもない。失われた宝具も取り戻している。

 英雄の中の英雄が、断罪の剣を掲げていた。

 

 

 流星が、落ちる。

 

 

 地に墜ちてなお天に煌めいていた星々は、その輝きを損なわない。輝きは輝きのまま、ただ天に戻ることがないだけ。降り注ぐ星屑はその代償と言わんばかりに魔群を消し飛ばしていた。

 知能のない魔群では上空より飛来するものが何なのかも分かるまい。恐怖とも、慈悲とも思うことすらなく、彼らは死滅していく。防御することもなく、回避運動すらもない。盲目的に前進する様はレミングスの集団自殺を彷彿とさせよう。

 

 誰もがその蹂躙に口を挟むことができない。

 ヒュドラを瞬殺したときとは比較にならない。範囲も威力も、そして精度も。ただの一発だって無駄に撒き散らされた宝具はないし、適切的確に効率よく魔群を葬り、確実に数を減らし、逃げ道を潰していく。

 流星群のど真ん中で魔群を蹴散らすランサーには破片ひとつだって当たってはいなかった。

 

 恐るべきは、それでもなお魔群を殲滅できぬ事実か。

 魔群の屍は大きいものだけでも一〇〇を軽く超えている。だがその屍より這い出る魔群は更に多い。投射された宝具はこの数秒で千を超えているが、魔群の屍に邪魔をされ宝具の絨毯爆撃を『偶然』かいくぐる魔群も目立ってきた。

 だが、英雄王の目的は魔群の排除なのではない。

 全ては、本命を十全に――万全に生かすための布石。

 

 魔群より幾分マシ、と言う程度の知能のランサーが、その気配に勘づいた。

 知能がなくなった分、獣としての本能は鋭い。降りしきる宝具の雨を気にすることなく、何かを探すように魔群を葬っていた彼だが、突如として見上げ、そのまま盾の結界を容易く突き破り大きく距離を取る。これを放置すれば破れた穴から魔群が溢れ出ることになるだろうが、その心配は杞憂である。

 

天地乖離す(エヌマ)―――」

 

 前口上は、どこにもない。

 手にした剣を慰撫する言葉は、ここにはない。

 必要でないのだ。それがかの剣の義務にして意義。

 

 相応しき場には、相応しき行動によってのみ完遂される。

 円筒状の剣が、削岩機のように回転していた。渦巻く風が風を呼び、歪みの奥より虚無を生み出し圧縮していく。物理限界はとっくの昔に過ぎている。音や光は残らず喰われ、辺りに漂うのは静寂と闇ばかり。

 

「―――開闢の星(エリシュ)!」

 

 歪みが、魔群を襲う。

 世界を裏返すような対界宝具を前に、いかな強度を誇ろうとも紙切れほどの意味もない。結界より溢れ出そうとする魔群はその姿を一瞬にして塵と化す。物質を原子レベルよりもさらに下、電子、陽子、中性子……そういったものよりももっと下の電磁波、そしてもっと下の(Zen)のレベルにまで分解する。

 

 丁寧に。

 丹念に。

 念入りに。

 

 英雄王は、眼下の“偽りの聖杯”を、叩き潰す。

 叩き潰そうと、した。

 

 不快感を、英雄王は隠そうとしなかった。

 自らの庭を我が物顔で征く愚物には我慢ならぬ性格である。いや、愚物ならば良い。王の威光を前に遠くへ逃れようと小知恵を働かせることもしよう。だが目前のそれは、寝所に現れる思慮なき害虫である。思考の価値観が根本から違う相手には、さしもの王の威光とて無意味に過ぎない。故に、枕元でかさこそ這い回る音を無視して安眠などできよう筈もなかった。

 

 相対してしまった以上、見つけ次第殺して駆逐する。

 そうせずにはいられない。

 

 乖離剣の一撃は、その進路上にあったものを綺麗に薙ぎ払っていた。

 当然だ。かの一撃は対粛清ACか、同レベルのダメージによる相殺でないと防げない代物。突進以外の選択肢を持たない魔群では相殺するための手段がそもそもない。そしてヘタイロイが展開した盾の結界により偶然の回避も許されない。

 

 かくして、世界の脅威となったであろう魔群はあっさりと消滅する。

 いや、より正確に言うなれば。

 

 魔群『だけ』、消滅する。

 

「馬鹿な――!」

 

 誰が口にしたのか判別はつくまい。その場にいる誰もが思ったことである。世界を切り裂いてみせたアーチャー本人でさえ、そう思わざるを得なかった。

 乖離剣は確かに強力無比。全ての聖剣の頂点に輝くであろうエクスカリバーでさえ、乖離剣を前にすれば霞んでしまう。必滅とはまさにこの一撃のことを指す。

 

 ならば、目の前に彩られる光景はどうだというのか。

 ヒュドラとの戦闘にあって、アーチャーはその怪物をその目で見ることなく推測してみせた。それはつまり、宝物蔵の宝具の威力を正しく認識しているということだ。当然、その中で比肩しうるものがない乖離剣にあっても同様である。

 

 周囲一帯を巻き込んで破壊と破滅を撒き散らす乖離剣にあって、魔群が消滅するのは当然の帰結。しかし、魔群を取り囲んでいたヘタイロイがほぼほぼ無傷であるのはどうしたことか。

 アーチャーは先に言ったのだ。「大儀」と。

 それは確実に乖離剣の一撃を叩き込むため、魔群を取り囲むヘタイロイに犠牲を強いたが故の言葉だ。

 

 ヘタイロイにアーチャーが期待した役割は三つ。

 安全にアーチャーをこの場へ連れてくること。

 キャスターに奪われた宝物蔵を取り戻すこと。

 アーチャーが望むべき瞬間に犠牲になること。

 

 悪魔のような三つ目の契約をわざわざ明示することはしなかったけれど、それ相応のことはしてきたつもりである。彼らに温情を与え、宝具を与え、希望を与えたのも、全てはこのため。

 今ここで死ぬと分かっていたのだから、英雄王はわざわざ自らの口で慰撫したのだ。英雄王手ずから乖離剣の一撃という栄誉を与えたのだ。彼らが生き残る可能性は、乖離剣の前ではゼロだった筈だ。

 

 天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)の中心には、“偽りの聖杯”――いや、その中身が屹立していた。

 第八層から第九層に向けて放たれたのだから、それこそ第九層を通り越して地殻が丸ごと消失しても決しておかしくはない。確実にこの一撃を決めるために随分と無茶をしたとは思うが、それでも無茶が足りなかったらしい。

 

 アーチャーの策は見事に成就している。初手から切り札を使い、万策を用いて威力を底上げし、かつ中心点に集中させている。ヘタイロイが生き残ったのは、結局中心に叩き込まれた威力がそのまま減殺されたからである。

 

 つまりは、耐えきったのだ。

 乖離剣の一撃を、ただその身のみで凌ぎきってみせたのだ。

 爆発的な威力をその身のみで吸収し、外部に漏らすことを許さなかった。

 

 西暦四二八八九九年。

 それが“偽りの聖杯”の中にいる英雄が降臨する時代である。

 その時代を指して末世(カリ・ユガ)

 言葉通り、世界の終末とされる時代。

 

 彼はヴィシュヌ一〇番目にして最後のアヴァターラ。

 白い駿馬にまたがった白い馬頭の巨人の姿で現れる。

 ヒンドゥー教においては乱れた身分制度(カースト)を正し、世界の秩序を回復する存在であり、仏教においてはカースト制を破壊し、衆生を救いシャンバラに君臨する聖王である。

 

 末世(カリ・ユガ)の最後、西暦四二八八九九年に降臨し、この世の全ての悪を滅ぼして、黄金時代(クリタ・ユガ)をもたらす破壊者にして救世者。

 

 その名を、カルキ。

 世界を終わりに用意された英雄である。

 

「眠れ、最終英雄。この時代はお前を必要としていない」

 

 寝起きの最終英雄に対し、最初の英雄は容赦なく再度乖離剣を振りかぶった。

 

 



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day.final-03 最終英雄

 

 

 その一撃は、天をも貫く一条の光となって顕現した。

 

 基地に施された九層の結界はひとつひとつが特別かつ超一級の城壁だ。九重に張り巡らすことで『宮中』と『九』『十』の二つの意味を含有させ、言霊による結界増幅の役目を担っていた。

 

 例え聖剣クラスの対城宝具であってもおいそれと貫けるものではなく、最新式の地下貫通弾(バンカーバスター)であってもやんわりと弾き返しかねない強度と柔軟性を持って設計されている。魔導建築学の新たな一面を感じさせるような設計者の涙ぐましい努力と考え抜かれた工夫、そして惜しげもなく投入された血税がそこにあった。

 

 そんな汗と涙と技術の結晶が、露と消えた。

 蓄積された現代技術など役に立たなかった。

 伝承された魔道の秘技も無為と消えていた。

 

 

 

 その光景を見た者は一体何を思ったのか。

 

 間近でこれを呆然と見ていたフラットは乖離剣の一撃を耐え凌ぎ、ようやく立ち上がった異形の巨人がゆっくりと異形の剣を頭上に掲げたのを確認していた。

 頭上で再度、アーチャーが極黒の渦を放とうとしていたが、それから何があったのかはまるで分からない。直後に衝撃が感じられないのに強烈な光が迸ったことで、一時的に視力と意識を失ったからである。

 

 

 

 地上でスノーフィールド市民の脱出を誘導していたヘタイロイの一人は、光の柱が突如として目前に出現したように見えた。

 それが果たして上空から降ってきたのか、それとも地から沸いてきたのかすら判断がつかない。ただ神々しい光に呆然と立ち尽くし、ついに迎えが来たのかと無駄な抵抗を考えることもなく脳裏に走馬灯を駆け巡らせていた。

 

 

 

 戦場となった市街地より遠く離れた位置で、戦場観測と万が一の援護のために待機命令を出されていたレギヲン唯一の生存者はこの光の柱をSOL(Stallite in orbital laser-weapon)、衛星軌道から放たれた超高出力レーザービームと判断していた。

 やや現実味に欠ける発想ではあったが、頭目であるファルデウスから得た数少ない情報にそうした類のものもあったのだ。彼は万が一の可能性に躊躇なく次に訪れるであろう衝撃と爆風に備え、地に伏せた。

 

 

 

 高度四〇〇キロメートルの衛星軌道上にある国際宇宙ステーション常駐の宇宙飛行士は、アメリカ大陸から一条の光が突き刺さるように放たれていることに気がついた。

 人生で初めて見る光景に、彼は神の名を呟きながらもすぐさまヒューストンへと連絡を取った。しかし一瞬のノイズが入った応答の後、彼は先の光景が気のせいであるとの結論を受けた。

 軌道上から目視できるほどの光条であれば熱量を確認できる筈であり、大気にも無視できぬ影響がある筈だ。しかしそんな現象はどこにもなく、また計器が故障した様子もない。カメラにもその光景は録画されていないことから、ヒューストンは彼が疲れているのだと判断した。

 予定より少し早い休息指示を受けながら、宇宙飛行士は首を傾げて再度アメリカ大陸上空を確認する。アメリカ大陸上空の雲の動きに、目視であっても不自然な点を見つけることはできなかった。

 

 

 

 そして。

 その現象を起こした最終英雄は静かに上空に掲げた剣を下ろした。

 長さ三メートル近くもある大剣は根元よりも切っ先が太く、幅も広い。装飾もなく、無骨という言葉が相応しく、剣よりも鉄塊と表現した方が正しい。そんな畸形ではあるが、それよりもその剣を使う英雄の方がもっと異形であった。

 

 全高およそ四メートルはあろうかという巨人。

 伝承では白い駿馬にまたがるとあるが、ケンタウロスの如く馬の首から上が人間の上半身に置き換わっている。頭部も馬というよりはでき損ないのスライムのようになだらかであり、本来眼球があるべき場所には漆黒の穴が空いているだけ。そこに知性があるようには感じられない。

 

 見ただけで脳に直接刻み込まれるような強烈な精神支配。

 誰もが少し近付いただけで、この存在を理解させられる。

 かの存在が周囲に撒き散らす狂気はその意義と名前だけ。

 これが、世界に終わりをもたらすために用意された存在。

 

 

 最終英雄、カルキ。

 

 

「■■■■■■■■■■■■―――――!!!!」

 

 カルキが空へと咆える。

 そう。空だ。

 カルキの頭上にあるのは無機質な岩盤や基地の天井などではなく、果てなき空が広がっていた。

 

 それは一体どんな理屈なのか。

 一撃で九層の結界を打ち破るだけならば、アーチャーの乖離剣だって可能だ。威力という見地からみれば、十分可能であるに違いない。だが威力『以外』を考えれば、そんなことは不可能だ。

 

 何かに何かが干渉する時、そこには必ず相互作用が生じる。一方が受ける力と他方が受ける力は向きが反対であり、その大きさは等しい。俗に作用・反作用の法則と呼ばれる原則である。

 だが、その反作用がここにはない。

 放たれた一撃は確かに九層の結界と厚い岩盤と鉄筋鉄骨を食い破ったが、ただそれだけ。地下の閉鎖空間でありながら、強大な衝撃波が周囲を荒れ狂うこともなければ、消滅した空間によって生じる莫大な空気の流動すらもない。光の柱が大気圏外まで出現させたというのに、空には未だ雲がある。

 万象を切り裂きながら、破壊だけを行うわけではないのだ。破壊した後の再生までこの一撃には込められている。

 

 これが、救世剣ミスラ。

 友情と契約の神の名を冠する、破壊と再生を両立させる救世の力。

 

 基地の切断面を見れば、綺麗な円を描いているのが分かる。基地の結界はまるで機能しておらず、物理的にも魔術的にも完璧なまでの防御機構がまるで意味を成していない。今は頭上に向けて放たれたが、平地でこれを横薙ぎにされれば見渡す限り均された平地ができ上がることだろう。地に向けて放てば、あるいは地球を真っ二つにすることだってできるかもしれない。

 

 そんな破格の力を、あろうことかこの英雄は、傷ついた身体のままに使用してみせた。

 四〇万年という時間流の誤差から破滅そのものといえる『世界による修正』を受け、解離剣の直撃を耐え、実に一〇〇にも及ぶ宝具を身体に突き刺さったままに、天井に向けて放ったのである。

 

 生きているのが不思議という段階ではとうにない。

 存在していること自体が有り得ないレベルなのだ。

 いつ消滅しても、おかしくない。

 

 それなのに、カルキはその剣を加害者であるアーチャーや王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)に向けようとは欠片もしなかった。

 つまりは、カルキにとってヘタイロイの攻撃は何の障害にもなり得ない。英雄王という英霊の頂に立つ存在ですら、カルキから見ればそこらの塵芥と同列に扱われるべき存在に過ぎないのだ。

 

天地乖離す(エヌマ)―――」

 

 だからこそ、英雄王は、生きていた。

 救世剣の光の柱に呑み込まれながら、アーチャーは全くの無傷。ただ足場としていた第八層だけが消失したことで、その身を階下の第九層に落とされただけ。乖離剣を解き放とうとするその姿勢のまま、何事もなかったかのように第九層へと着地する。

 

 かつて、第四次聖杯戦争序盤にて、これと似たような状況にアーチャーは陥ったことがある。同じく地べたに落とされたその時にはアーチャーの憤怒は臨界にまで達しており、令呪を用いなければ事態の収拾がつかぬほどの状況であった。

 そして今この瞬間は、あの時のように抑制ができる手段がある筈もない。いや、令呪があってもこの怒りを収める術などありはすまい。

 

 乖離剣と同時にその周囲に空間を歪ませ数えきれぬ程の宝具が現出する。

 力ある言葉と、宝具が空間を走り抜けるのは同時だった。

 

「―――開闢の星(エリシュ)!」

 

 ほとんど連撃に等しい超弩級の攻撃に、果たしてカルキは。

 

「■」

 

 極黒と純白がぶつかり合う。

 何が起こったのか、アーチャーを含めて誰も分かるまい。

 アーチャーはカルキに先んじて乖離剣を放った。

 カルキは直前に救世剣を基地の破壊に使っていた。

 だというのに、次の瞬間にカルキは乖離剣の一撃を救世剣で迎撃をしているのだ。

 タイムラグという概念がないのか。順序を入れ替える呪いか、もしくは因果を逆転させる呪いなのか。もはやそうであって欲しいという願いは確実にあるだろう。そしてその願いが叶うことは永遠にない。

 

 最終英雄がどれだけ神秘の存在であろうと、その迎撃はただ早く動いたことによる結果に過ぎない。

 あれだけの出力の迎撃を、あれだけの短時間で、あれだけの傷を負いながら、何の特別なことをすることなく、実に簡単にやってのける。

 

 激突は、すぐに終わる。

 後には何も残らない。白と黒の激突は綺麗に消えてなくなった。ついさっきまであった渦巻く風や、空間が軋む音はどこにもない。

 右向きの風、左向きの風が足してゼロになっただけ。

 

「巫山戯た、真似をしてくれる」

 

 そんなカルキを憤怒に満ちた視線で睨み付けるのは、乖離剣を抜き放った姿のままのアーチャー。

 これだけのことをしておきながら、ほとんど歯牙にもかけられていない。かつてない屈辱に身を震わせながらも、アーチャーは動けない。否、自らの意志で動こうとはしなかった。

 

 もはや迂闊な行動を取ることはできない。

 アーチャーは二度も乖離剣を抜き放ち、消耗してしまっている。対してカルキはそんなことなど気にせぬように、呆然と空を見上げているだけ。そして実際に気にしていないのだと、アーチャーは確信している。

 

 最初の英雄がギルガメッシュならば、最後の英雄こそがこのカルキ。その実力は互いに他の英雄英霊を圧倒している。

 常人から見れば共に見果てぬ雲の上の存在だが、雲の上であっても優劣はあるのだ。逆にギルガメッシュが居る高みだからこそ、カルキと己との実力差を如実に感じることができていた。

 英雄王をして、最終英雄を舐める真似はできないのだ。

 

 カルキの存在理由は世界を終わらせ救済をもたらすこと。そのためにカルキは想定される末世(カリ・ユガ)の総戦力と真っ正面から打って出られるだけの魂の総量を持っている。

 

 その量、およそ一〇〇〇億。

 

 現在は大幅に弱体しているとはいえ、それでも一億近い総量をカルキは保持している。ギルガメッシュですら数十万だということを考えれば、どれだけ絶望的な差であるかわかるというものだ。

 迎撃をしたことでカルキがアーチャーを無視していないことは確かだが、追撃がないことから軽視されていることも確かだろう。

 

 怒りに我を忘れて思わず撃ってしまったが、冷静に考えればこの閉鎖空間で対界宝具が何の相殺もされることなく唸りを上げれば、反作用(バックファイア)でどうなるか分かったものではない。一撃目は十分な上下差があったからアーチャー(だけ)は大丈夫なものの、二撃目は完全にアウトであろう。

 

 怒りが逆にアーチャーの思考をクリアにする。

 頭上が吹き抜けになったことで戦場を移す選択肢が増え、状況的にはむしろ良くなったともいえる。救世剣の威力と特性が見られただけでも十分。カルキがヘタイロイを歯牙にもかけぬのならそれを利用してやれば良い――

 

「――何?」

 

 ヘタイロイの包囲、魔群の消失、宝具の雨。

 これまで乖離剣にしか何の反応も示さなかったカルキが、何かに気付いたように、動いた。

 天井をわざわざ貫いたのだから、そこから外に出ようとするのは当然の行為であるが、カルキの行動にはそれ以外のものがある。

 

「――アレは」

 

 アーチャーがソレを視認する。

 驚くべきはアーチャーのクラス特性で強化された視力より、カルキの直感が優れていたことか。

 

 カルキが、地を蹴った。

 巨人の跳躍はただそれだけで包囲網を狭めようと近付いた全身宝具で固めたヘタイロイを薙ぎ倒す。地下二〇〇メートルから上空一〇〇メートルまで軽々とその巨体を移してみせた。この急加速にカルキの全身に罅が入り込むが、それを気にする様子もない。いや、気にしている暇などないのだ。

 

 カルキにしても、アーチャーの乖離剣、ランサーの創生槍を前にすれば無視はできない。無視できないレベルの存在がそこにある。だからこそ、カルキは跳躍し、迎撃のために救世剣を構え、放ち、そして、

 

 堕ちた。

 

 



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day.final-04 神槍(真相)

 

 

 その聖櫃が発見されたのは、西部開拓時代にまで遡る。

 

 ゴールドラッシュに沸いていた当時、スノーフィールド北部丘陵地帯の岩場はすでに穴だらけであったこともあって、幸いにも好きこのんで手出しする者は少なかった。しかし道が開拓されたことでスノーフィールドに金以外を狙う者が現れる。それは魔術師などではなく、この地を欲したただの政府の役人であった。

 閉鎖的な環境の未開文明。圧倒的知識格差と、まとまった労働力、そして広大な土地。狙いどころとしては格好の獲物であろう。

 

 当時のスノーフィールド原住民にとって不幸だったのは、彼等を明確な敵と認識していなかったことにある。彼等によってもたらされた現代文明の一端はかつての暮らしを忘れさせるほどに魅力的であり、その瞬間が訪れるまでスノーフィールド原住民は友誼を結ぶべく努力すらしていた。

 それが間違いだった。

 

 米国政府との仲をより深めようと、原住民のとある一派が秘中の秘である聖櫃の元へとあろうことか招いてしまった。

 スノーフィールド奥深くに封印され祀られている巨大な聖櫃を見て彼らは何を思ったのか。他人の家に土足で入り込むことに躊躇がなかった彼らは、聖櫃を開けて中を確かめることにも躊躇はしなかった。

 

 世界各地の神話や民話にモチーフのひとつに「見るなのタブー」というものがある。「見てはいけない」とタブーが課せられたにも拘わらず、それを見てしまえばどうなるか。その結果は言うまでもあるまい。

 その後に起こった悲劇は凄惨なものだったと記録されているが、その詳細は不明のままである。

 

 ただ、原住民が総出で封印に当たり、その大半が死亡した。

 抑止力とみられる存在が出現し、中にあった存在を『どうにか』した。

 これほどの事態を引き起こしながら生き残った恥知らずが、政府へと報告した。

 

 その後、大幅に弱体化してしまった原住民を踏みにじるように裏切り騙し欺いて、米国政府はこの聖櫃を手中へと収めることに成功する。聖櫃のための研究機関を秘密裏に設立し、方々手を尽くしてそのために調査と封印を専門とする魔術師を世界各地から見つけ出し、引き抜いてきた。

 

 計画は一〇〇年以上前からスタートしていた。

 それでありながら、彼等は結局何の理解もしていない。

 封じられた英雄が本当にカルキであるのか、確証すら得ることができていない。

 彼等が必要としていたのはこの聖櫃を利用することで英霊が呼べるという一点だけ。

 その中身の興味など、最初からなかったのかもしれない。

 だから、その英雄が聖櫃から解放された時、何が起こるのか米国政府は真に理解していなかった。

 

 

 

 

 

「――これは全て、君達の仕業かね?」

 

 砂嵐となったモニターを変わらず見つめながら、大統領は静かに言葉を紡いだ。

 つい先ほどまで、彼はキャスターと直接連絡を取っていた。

 

 署長は一応の議論の末に裏切り者と認定されたわけだが、キャスターは議論の余地もなく裏切り者と認定されている。そんな信用のおけぬ危険人物との直接交渉。本来ならしかるべき順番で報告は伝わってくる筈だが、事前に送られたデータとスノーホワイトの強制介入によりその手間は省かれている。

 青ざめた顔で報告してきた計画遂行の幹部連中は、場合によっては比喩としではなく物理的に首を斬る必要も出てきていた。可能ならば直々に手を下したいくらいだ。

 

「あら、何のことかしら?」

 

 やはり優雅に紅茶の香りを楽しみながら、白い女は気付かぬ間にそこにいる。

 キャスターとの通信も聞いていた筈だというのに、その表情には何の変化もない。しかし、心なしか紅茶に映る彼女の瞳は揺れていた。

 

「惚けないで欲しい。聖櫃の破壊を仕組んだのは君達アインツベルンだろう」

 

 大統領の静かな糾弾に平然と白い女は紅茶を一啜りする。

 キャスターのかいつまんだ説明とキャスト紹介により詳細は把握済みだ。

 それによれば、本計画はもっとも危惧すべき状況に陥りつつあるらしい。即ち、“偽りの聖杯”の崩壊と、その内部に封印されていた最終英雄の完全開放。

 

 犯人はファルデウスなる現場司令官。

 彼はその権限から米国が後から施した封印である方舟(オリジナル・ノア)を悪用。四〇万年にも及ぶ時間加速により、発見当時から英雄を封印し続けていた聖櫃を破壊し、中の英雄を解き放ったらしい。

 

 幸いにして事前に召喚された英霊は六柱全騎顕在。そして最終英雄と直接対決ができる状況(キャスターを除く)にはなっている。

 それ以上の詳細は通信途絶により不明。

 ヒューストンから光の柱が現れたとの報告もある。件の英雄が何かをしたのは明白だった。

 

「濡れ衣だわ。そのファルデウスとかいう者が暴走した。ただそれだけのことでしょう?」

「いかに強大な権限を与えられようと、現場の創意工夫だけでどうにかなるのなら苦労はしないだろう。事前の準備がなければできるわけがない」

 

 実のところ、この百年間米国がどのようなことをしようとも、聖櫃の機能に何の影響も与えることはできていないのだ。

 聖櫃はあらゆる干渉を拒絶する。銃火器だろうと魔術だろうと、傷つけることは敵わず、蓋の開閉以上のことを許さない。試してはいないが、核の炎や魔法であっても結果は変わるまい。結局聖櫃がどのような原理によって機能しているものかさえ、科学でも魔術でもこれを解き明かすことはできなかった。

 

 莫大な人とモノと金と時間をかけて何の干渉もできなかったというのに、それを当代の担当者(しかも臨時代行かつ就任直後)があっさり成し遂げてみせれば疑って当然であろう。

 おまけに方舟(オリジナル・ノア)はその断片を解析したキャスターでさえ詳細を解明できず匙を投げた宝具だ。そんな詳細不明であやふやなものを数十年も前から保険と称して使用していたとなれば、これは余りに不可解。

 この状況にあって聖櫃破壊に使われたと聞けば、最初から仕組まれていたと考えた方が余程しっくりと来る。

 

「このカラクリを仕掛けるには相応の協力者は必要だ。なら、その容疑者の筆頭が誰か、語るまでもないだろう」

 

 大統領はこの計画の後任に過ぎない。

 政府主導の秘密計画と言えば聞こえはいいが、実体は詮無いものだ。魔術を解さずその時々の情勢に動かされる歴代大統領がこれに何か意見することができよう筈もない。蚊帳の外に置かれた神輿という立場は、歴代大統領全員に当てはまる。

 

 その全員に、アインツベルンは秘密裏に接触してきたのだろう。

 自分と同じように。

 

「……仮に、ですが」

 

 カップをソーサーの上に静かに置き、白い女が冷たい――というより温度を感じられぬ視線を大統領へと移す。

 

「我々が犯人であったとして、何か問題でも? 契約違反だと騒ぎ立て裁判所にでも訴えますか? 我々をテロリストにしたてあげ、特殊部隊を送り込みその実況を見ながら世界に喧伝しますか? かつてアボッターバードで行ったように」

 

 アインツベルンの茶化したような言い方に、まさか、と大統領は大仰に首を振って否定する。

 既に抜き差しならぬ間柄。どちらが利用し利用されようとも、それは自己責任というものだ。ここを御せぬようなら大統領どころか政治家を辞めてしまった方が良い。それは覚悟するまでもないことだ。

 

「我々は一蓮托生だ。私は君達アインツベルンを擁することで周囲に惑わされることなく動くことができる。君達は、私という駒を利用して大手を振って聖杯戦争の黒幕を演じれば良い」

 

 大統領の発言に白い女が反応することはない。しかしその視線は相変わらず大統領の顔に張り付いたままにある。

 

「意外ですね。我々があなたを惑わしている可能性を考えないのですか?」

「君達は私の期待に応えてくれた。成果について騙しているのなら考えもするが、それ以外について何か制約を設け制限をかけたつもりもない」

 

 大統領の言葉を最後に、互いに見つめ合う。

 探りを入れているというよりは、互いを確認し合う風でもあった。

 互いが裏切ることなど両者が考えていよう筈もない。

 最初から信用していないのだ。裏切りなど起こる筈もない。

 

「なら、大統領。これから如何するおつもりですか? 古今東西、禁じられた中身を暴けば後に残るのは破滅と相場が決まっておりますが」

 

 試すようなアインツベルンの口ぶりに、大統領は何食わぬ顔で窓の外を眺め見た。青い空が広がり、今日は良い天気である。肉眼で確認することは敵わぬだろうが、もしかしたら大気圏突入の光くらいは見えるかもしれない。

 

 米国政府は英雄が聖櫃から解放された時、何が起こるのか理解していない。

 だが、理解していないことは、よく理解していた。

 だから、そのための手段は講じていた。

 

「では、アインツベルン。君はスターウォーズ計画というものを知っているかね?」

 

 

 

 

 

 一九八三年、時のレーガン政権より打ち出されスタートした米国の戦略防衛構想――通称、スターウォーズ計画。

 大陸間弾道弾を軍事衛星で打ち落とし、核の無力化を図ったこの大胆な計画は、冷戦終結と共にその意義を失い、技術的問題をクリアできずに自然消滅していった。

 ――と、言われている。

 そのこと事態は嘘ではない。確かに計画そのものは終結したが、そこで培われた基礎技術は後世へと形を変えて受け継がれ、生き残っている。これは公然の事実であり、となればこの“偽りの聖杯戦争”にだって当然その技術は流用されている。

 その兵器は、衛星軌道上に存在している。

 

 宝具開発コード《フリズスキャルヴ》。

 

 キャスターが作った三つの最高傑作の最後の一つであり、その名は主神オーディンが座す高座から取られている。

 だが、神話に描かれる「全世界を見渡すことのできる」という当たり前のような機能をキャスターは付与してはいない。高座である以上、そこに攻撃能力などあるわけもなく、衛星としての機能は全て現代技術によるものである。

 

 キャスターがフリズスキャルヴに与えた機能は、持ち主を錯誤させる偽造認証の一点のみ。

 宝具というのは使用者やその状態によってその威力や性能が少なからず変動するものだ。キャスターはその性質を逆手に取り、所有者を偽りながら高度に比例して神性が増すという認識をその宝具に与えている。

 

 フリズスキャルヴには、ある宝具が搭載されている。発掘されはしたものの、この世の誰にも扱うことのできぬ宝具を使用するためだけに、この宝具は特化させられている。

 

 搭載されている宝具の名は、大神宣言(グングニル)

 主神オーディンが持つ、必中の呪いを持つ神槍である。

 

 神槍は、フリズスキャルヴを主と誤認し、目標を見定め、その威力を発揮した。

 

 



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day.final-05 脚本修正

 

 

 例え現在がいつの時代であったとしても、カルキ自身は四〇万年の月日を経てこの地に降り立っている。

 時間の齟齬は彼にとって斟酌するものではなく、己の使命を全うしない理由にはならない。また世界側にしてもカルキが用意されている存在である以上、聖櫃から解き放たれた段階で抑止力を働かせることはない。

 ここで世界の終焉は決定されたようなものだった。

 抗える手段など、本来ならどこにもない筈だった。

 

「■■■■■■■■■――ッ!!!!!」

 

 中天で大神宣言(グングニル)に貫かれたカルキが、始めて苦悶の聲を響かせる。

 衛星軌道上にある《フリズスキャルヴ》から投擲された大神宣言(グングニル)は、通常弓なりに描く軌道をあろうことか直進していった。大気圏突入に赤熱こそするものの、そこに存在するあらゆる物理法則を神槍は嘲笑う。

 

 この神槍を防げる手段など、この世のどこにもない。

 おそらく最大威力で放ったであろう救世剣による迎撃も、迎撃不可能という概念を形とした大神宣言(グングニル)にあっては意味がなかった。

 

 神槍はほとんど真正面からカルキへと突き進む。再度放たれた極大の光の柱は神槍をこともなげに包み込んだと思われたが、神槍は周囲の空間を歪ませ光の柱をあっさりと回避してみせる。

 中空にあって器用に回避を試みようとするカルキではあるが、神槍は目標を誤ることなく、光の速度で打ち貫いていた。

 

 驚愕すべきは、カルキのその頑強さか。

 大神宣言(グングニル)は目標命中と同時に塵すら残すことなく消滅させる威力を持っている。その直撃を受けながら、カルキは未だに原型を留めていた。

 

 破壊の衝撃が再生によりキャンセルされる救世剣とは違うのだ。例え受け止め耐えていたとしても、神槍から伝わる衝撃はカルキを身体の内側から打ちのめす。カルキの咆哮は体内で暴れた衝撃を外へと伝播させる意味もあったのだ。

 

 瞬間。

 爆音に等しい衝突音が大気を震わせた。

 空間の歪みをはっきり視認できる威力が全周囲に撒き散らされていく。

 

 弾道弾を確実に迎撃する防衛兵器として表向き設計されてはいるが、同時に核をも凌ぐ威力を備えた攻撃兵器であるのもスペックを見れば周知の事実。殺傷範囲こそ対人でしかないが、小さな町などその余波だけで簡単に吹き飛ばすことができるのだ。

 

 上空一〇〇メートルとはいえ、ここはスノーフィールド市街地、しかも中心部である。カルキという緩衝材があったとはいえ、その威力は想像を絶して余りある。

 周囲のビルは衝撃に耐えきれず倒壊し、地面はクレーター状に抉れていた。すでに東洋人同士の戦いによって壊滅的被害を受けていたスノーフィールドの街並みは、その止めを刺されることになる。

 

 これが、米国が自信を持って“偽りの聖杯戦争”を実現させた理由。

 

 迎撃するには神槍を上回る神秘が必要であり、必中の呪いは誤差をミリ単位で許さず、神や巨人、最強の竜種ですら一撃で滅ぼせる威力がここにある。

 おまけに、この神槍は命中後、敵に奪われることすらなく自動(オート)で持ち主に帰る機能まで持っている。

 

 この攻撃手段を、米国は使おうと思えば何度だって使えるのだ。

 一撃目で倒せないのなら、二撃目を出せば良い。

 二撃目で倒せないのなら、三撃目で仕留めれば良い。

 

 攻撃は理論上無限に行える。

 これに耐えられる存在など、この世のどこにもありはしない。

 最終英雄といえど、例外には当たらない。この威力の宝具をこの状態のまま二度三度と受け止めれば、確実に消滅させられる。

 

 神槍を受け止めたカルキの身体は、無様に地へと堕ちようとする。ここまでくれば、もはや罅程度の損害では済まされない。大きく開いた傷口から血飛沫の如く肉片が撒き散らされ、身体の欠損は著しい。ただでさえ異形な姿が更なる異形へと歪められる。

 

 ここに、決着は付いた。

 カルキには、世界を終わらせるだけのありとあらゆる能力が付与されてある。

 救世剣の圧倒的な攻撃能力は無論として、あらゆる物理攻撃を凌ぎきる頑強さと神代の時代の魔術でさえ無効化する対魔力。どんな抵抗であっても即座に対処できる超直感とそれを可能とするスキル群。

 それももう限界にあった。

 

 本来であればこうした事態に備えて瞬間回復めいた自己修復能力や蘇生能力も有しているが、それを下支えするための魔力が今のカルキにはなかった。方舟(オリジナル・ノア)により強制的に加速された時間流では、本来なら蓄積される筈だった四〇万年分の魔力を得られていないのだ。

 

 度重なる策に、最終英雄は敗れた。

 破格と評してもまだ生温い、例外にして規格外の最終英雄が、ついに膝を屈した。

 この事実を知れば、この計画に荷担した全ての人物は喝采して喜ぶことだろう。協会と教会が手を組み総力を挙げたとしても、かの英雄を止めることなどできやしない。

 

 本計画は、失敗の代わりに十分すぎる成果を得た。

 米国は今後“偽りの聖杯戦争”を開催することは不可能となったが、世界を手玉に取れる情報制御能力と、最終英雄でさえ討ち滅ぼせる脅威を協会と教会に見せつけることに成功した。

 この成果で歴史に名を残せないのは少し残念であるが、これを礎に数十年後に世界は合衆国にひれ伏すことに間違いなかった。

 

 ――もっとも、この判断には無視できぬ誤算がある。

 

 神槍がカルキの体内で蠢いた。

 その真価を存分に発揮させた神槍は、己の役割が全うされたことを正確に把握していた。迎撃を阻止し、確実に当たり、その威力を遺憾なく敵に打ち込んだ。後は、持ち主の元へと帰るのみ。そして再度、この敵の身体を貫くのだ。

 

 だというのに。

 神槍は、動かない。

 否、動けない。

 

 神槍はカルキの胸を貫いているが、貫通しきっているわけではない。神槍が帰るためにはカルキの身体から抜け出す必要があるのだが、それをカルキは許さない。胸の肉を盛り上がらせ力任せに押しとどめ、救世剣を持つ逆の手をタコのように神槍にからませ固定させる。

 

 救世剣と神槍は同等の神秘を有している。そのため互いに互いを傷つけ壊すことこそできないが、このままカルキの体内にあり続ける限り、神槍はフリズスキャルヴに戻れない。

 再度の攻撃をカルキは許さない。

 

「■■■■」

 

 カルキが動く。

 もはや立ち上がるだけで身体の崩壊は刻一刻と進んでいく。

 確かにこのままでは、カルキの消滅は免れない。あと一度神槍を放たれれば避けることもできず、受け止めることも敵わない。

 

 逆に言えば、この神槍を放たれなければ、あと一〇分は保つ。

 とはいえ、残り一〇分で世界を終わらせ救世するなど単独である以上不可能だ。

 

 立ち上がったカルキの身体から、大きな破片が落ちる。神槍による衝撃が罅を産み、ついに身体より剥離したのである。

 カルキは鎧など纏っていない。表層の固い部分であろうと中心の核であろうと、カルキという最終英雄の身体の一部には違いない。彼が手に持つ救世剣ミスラも、剣と身体とで分離独立しているように見えて、実は身体の一部であったりする。

 

 そんなカルキの一部が、地へと落ちる。

 これを魔術師が回収でもすれば、一財産どころか七代末まで栄華をもたらすことだろう。末世(カリ・ユガ)に訪れる救世主のものともなれば、魔術触媒としてこれ以上のものはない。

 その身に埋め込めば聖人に勝るとも劣らない加護が得られるだろうし、研究解析すれば神代の神秘を紐解く切っ掛けともなろう。そうでなくともそんな代物が市場にそうそう出回るわけもなく、天文学的値段が付けられること間違いあるまい。

 

 現在この周辺にはそうした計りきれない価値を持つカルキの一部が神槍によって撒き散らかっていた。これがこのまま放置されるなら、かつてのゴールドラッシュがスノーフィールドにも再現されることになる。

 足元に落ちたそんな破片を前に、カルキはその前足を大きく振り上げ、

 

「■■■■」

 

 そうしたゴールドラッシュの芽を、粉砕する。

 あろうことか、最終英雄は残り僅かな命を、自らの破片を踏み潰し砕くことに使い込む。

 意味不明な行為であろう。人間でいうなれば髪や爪と同じようなものだ。本体から切り離せばそれは既に自分ではない。蜥蜴の尻尾ですらないのだ。そこに執着する意味を常人には見出せまい。

 けれど、最終英雄にとっては意味のある行為なのだ。そしてその理由はすぐに明らかとなる。

 

 一〇度も踏みつければ固い破片も砕け始めるが、そこに柔らかな肉が見え始める。二〇回でその肉も水っぽい音に変質し始める。三〇回もすればもはや原型留めぬ有様ではあるが、それで終わりではなかった。

 

「ケーッ!」

 

 鶏のような叫声。踏み砕いた破片の中で、もっとも大きな部位が途端、カルキの足から逃れるように跳び上がる。

 それを、カルキは救世剣にて器用に両断する。別たれた破片は二度と動くことはなかったが、その姿形は元の破片とは似ても似つかぬ異形の生命体だった。

 

『――なるほどなるほど。これが魔群の正体ってわけか』

 

 ゆっくりとカルキはその顔を声の主へと向ける。

 

『いやあ、納得したぜ。世界を終わらせ救済する、と言ってもどうやるんだと思ってたが、案外つまらねえタネだったな。つまりは自作自演(マッチポンプ)ってことじゃねえか』

 

 中空に漂うドローンから、キャスターは自らの存在を誇示してみせる。

 カルキ単体で世界を終わらせることはとても難しい。確かに救世剣を振り回せば可能かも知れないが、それだと壊すことはできても救うことはできないだろう。これは強さの問題ではなく、世界の広さの問題である。

 

 その問題を解決させるのが、魔群。

 最終英雄の身体は魔群を生み出す。強さこそ大したものではないが、あの数で蹂躙されれば世界はそう遠くない内に滅びてしまうことだろう。たった数グラムで数十から数百の魔群が産み落とされるのだ。カルキの全質量が失われた時には、世界は魔群に埋め尽くされることになる。

 

 最終英雄の目的は世界を滅ぼすことではない。世界を終わらせ、救世をもたらすことである。

 だから、カルキは魔群を生み出す能力を持ちながら、同時に魔群を滅ぼすようプログラムされている。魔群がヘタイロイを気にすることなく直進していた理由は、単純にカルキから逃げようとしていただけなのかもしれない。

 数の多い魔群はカルキの手より必ず零れ落ちる。きっと逃げた魔群の数だけ悲劇が生まれることだろう。

 

 仮に、魔群が蹂躙する世界にあって人々は魔群を滅ぼすカルキをどう見るだろうか。

 人類にとって魔群は明らかに敵である。それに大半の人類は抗うことなく死を迎えるだろう。徒党を組んで組織的に対処したとしても、時間を遅らせるだけ。そんな中に最終英雄が魔群を討伐してみせれば、人々は何を思うだろうか。

 事実を知らねば、カルキは救世主として人々に崇められることになる。事実を知ったとしても、それを補うためのスキルもきっとあることだろう。

 

『つまんねぇシナリオだな』

 

 心底軽蔑したようにキャスターは最終英雄を見下す。

 キャスターは楽しみにしていたのだ。世界を滅ぼし救済する存在。“偽りの聖杯戦争”の最後にそんな存在を見ることができれば、これ以上の幸せはない――とまで思ったからこそ、封印の開放を看過したというのに。

 世界を終わらせる原因を自分で作って自分で救済する――どこの神が作ったシナリオか知らないが、世界一の劇作家を前に披露するには些か以上にお粗末過ぎる。

 元々脚本を修正するのが得意ではあるが、修正するのにだって限度がある。

 

 限度があるので――修正はしない。

 

『っつーわけで、ここで終了だ最終英雄。恨むならお前を用意したご主人様を恨むんだな』

「■■■■」

 

 落第だ、とキャスターの言葉に反応するかのように、カルキは呻く。

 もちろん、それは気のせいだ。カルキはキャスターの言葉を理解しないし、相手にもしていない。カルキがキャスターのドローンを見上げていたのも、ただの偶然。彼が本当に見ていたのは、ドローンの先にある上空である。

 

 上空にあったのは、米空軍の大型輸送機C-5Mスーパーギャラクシー。

 そこから投下されているのは、高硬度のベアリング外殻に身を固めた戦闘用可動脚装甲車が二〇輌ほど。一メートル大の局地用軽戦闘車輌も数えきれぬ程盛大にバラ撒かれ、都市戦闘用自動機関人形も少ないながらも投入されている。

 

 これほどの空挺作戦(エアボーン)は近年中々見られない乙なものであるが、カルキがこんなものに目を奪われているわけではあるまい。

 輸送機の遙か上空には、秒速三〇キロメートルで近付くフリズスキャルヴより解き放たれた四つの質量兵器だって存在する。ひとつ当たっただけでも地球がどうにかなる威力を持っている。今更恐竜絶滅の原因が何か言うまでもあるまい。

 

 そしてこれで終わりというわけではない。

 カルキほどではないにしろ運動能力的に他を圧倒し、二〇〇メートル地下から地上へカルキを追いかけられる英霊が、飛び出てくる。

 おそらくこの場で唯一カルキと互角に近接戦を行えるであろうサーヴァント。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――!!!!」

 

 神槍を抑える為に最終英雄は片手を使えない。

 周囲には最終英雄が倒すべき魔群が噴出しつつある。

 上空からはキャスターが操る対サーヴァント仕様の近代兵器群が展開している。

 数秒後には守るべき世界を破滅させかねない質量兵器が降り注ごうとしている。

 そして目前には同じく神に作られた兵器である泥人形が突進aしようとしていた。

 

『さて、最終英雄。この難局をどう乗り越える?』

 

 



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day.final-06 脱落

 

 

 およそ想定外な事態に陥り、カルキは、己が置かれた状況を再確認することになっていた。度重なるイレギュラー要因を前にして、カルキは己の限界を痛感した。痛感せざるを得ないほどに、弱っていた。

 

 これは由々しき事態だ。

 あってはならぬことだ。

 動揺ともとれるカルキの内部葛藤に、予め施された自己診断スキル――システムが自動起動する。

 

 目的。

 世界の終焉と救済。但し本機の内部時間と外部時間に著しい誤差を確認。終末聖約第■■条における英雄神話のための免責条項該当。……最終英雄内部規定3042条附則第3項にも該当項目を発見。内部規定の優先処理により内部時間を採用。今期を末世(カリ・ユガ)と認定。世界終焉プロセスに変更なし。

 

 手段。

 対世界宝具九界聖体(ダシャーヴァターラ)の段階的開放と逐次駆除。但しタイムスケジュールに齟齬が発生。段階的開放順序に許容範囲外の誤差を確認。補助兵装・救世剣ミスラ敵味方識別機能の解除を要請。メイン頭脳条件付許可。条件付帯により審議をサブへと移行。審議継続、サブ頭脳1タイムアウト、サブ頭脳2タイムアウト、サブ頭脳3不許可。結論、不許可。現有装備にて対応せよ。

 

 肉体機能。

 機能低下は平常時の7パーセントにまで低下。エラー検出12189件、内10109件の修復は不可能と判断。既定出力が期待できない部位は厳重封印にて排除。現有封印処理にて九界聖体(ダシャーヴァターラ)の活動を72パーセント阻害。その他バイパスやエミュレートを施し機能回復に努めよ。連続戦闘機動時間は4秒を上限とする。

 

 スキル。

 最終英雄固有スキル『粛正権限』及び『恐怖(ザ・ホラー)』の発動を確認。同固有スキル『全能(ジ・オール)』『世界支配』『物理無視』『魔力否定』発動不可。神性の獲得に失敗。同じく基本情報の取得にも失敗。条件付き解放スキル108種確認。『技能置換』スキルにより高ランクスキル『無我』『精神遮断』を低ランクスキル『物理保護』『戦闘続行』に緊急置換。

 

 魔力量。

 魔力枯渇は甚大。理想値のコンマ1パーセント以下。二等級龍脈以上での魔力補填の必要有り。魔力放出をはじめ各種魔力消費スキルの使用を控えることを推奨。可及的速やかに解決策を模索せよ。

 

 稼働可能時間。

 最大502秒。状況により早まる可能性が示唆される。可能な限り節約を心掛けよ。

 

 排除対象勢力を確認。

 最終英雄緊急警戒網内危険度戦力分布確認。八種機械兵団6パーセント、下位互換素体15パーセント、九界聖体(ダシャーヴァターラ)粛清群3パーセント、高高度飛翔体44パーセント、第零滅神兵装27パーセント、英雄神話誕生素体5パーセント。スキル『未来予報』より誤差を修正。最優先殲滅対象を認定。優先順位を確定。

 

 周辺状況の捜索(サーチ)をキャンセル。

 

「――――」

 

 自己診断が中断される。

 カルキが大人しくしていた時間は、ほんの数瞬。だが、それ以上の時間の浪費はできないと判断した。必要最低限の情報は集めた、とも。

 

 カルキの視線の先には、秒速三〇キロメートルで近付く四つの質量兵器がある。

 突入コースを逆算すれば、発射元は神槍と同じ。弧を描く軌道を確認する限りでは、神槍のように物理法則を無視するような機能はないと判断する。ただし、あの質量の物体があの速度でぶつかればカルキはともかく地球がただではすまない。

 終焉をもたらすカルキではあるが、絶滅させては元も子もない。

 

 救世剣が、再度の唸りを上げた。

 射線上にあったバオバブの木の枝葉が光の柱の中へと消失し、高度約二〇〇〇メートルで四つの質量兵器も運命を同じくする。

 

 地球の危機を救ったカルキは英雄としての所業を成し遂げていた。英雄としてこの程度の危機を乗り越えるのは当然であろう。そして最終英雄ならば、それだけで終わらわけもない。

 

「■■■■■■――」

 

 光の柱は目標を完全に消し去ったというのに消えずにいた。

 これは大いなる誤解を周囲に与えるが、救世剣ミスラは決して無限の射程を持つ遠距離宝具などではない。これはあくまで救世剣ミスラの一部であり、ただ刀身が伸びているだけなのである。冗談のような長さに飛び道具と錯覚しているに過ぎないのだ。

 

 光の柱は、カルキが最初に救世剣を開放した時より明らかに長かった。具体的には、大気圏外にまで伸びている。より正確には、衛星軌道上のフリズスキャルヴへとその切っ先が届いてしまうほどに。

 

 偽りとはいえ主の消失を感知してか、カルキの体内からフリズスキャルヴへ帰還しようと暴れる神槍が大人しくなった。これでカルキが神性の獲得に成功していれば、もしかすると神槍と救世剣の二刀流も有り得たかも知れない。

 

 もちろん、神槍を扱えぬ以上、そんな未来はない。

 だからこそ、カルキは惜しげもなく神槍を投げ捨てる。

 隼――というより戦闘機という様相で迫り来るランサーへ。

 

 運動エネルギーは質量×速度の二乗によって求められるのである。神の宝具へ敬意の欠片もない乱暴な行為ではあるが、これ以上に神槍を有効活用する方法などあるわけもない。

 泥であるランサーがこれくらいのことでダメージを受けるわけもないが、半身を吹き飛ばされては戦闘機も戦車ほどに鈍重にもなる。ランサーが近・中距離に特化していたことがカルキには幸いした。ランサーが遠距離を得意としていたのなら、おそらく会敵するのに一秒は違ったであろう。

 

 一秒の差で、カルキは第三目標へと、救世剣を解き放つ。

 第一目標が、地球をも破壊しかねない高高度の質量兵器。

 第二目標が、神槍を繰り返し操るフリズスキャルヴ。

 ならば第三目標がランサーかと言えば、しかして違った。

 

『――あ?』

 

 その様子を周囲のドローンカメラで覗き見たキャスターが、その一言だけを残す。

 武闘派の英霊でさえ目で追いかけるのがやっとだというのに、ただの劇作家にカルキの行動はあまりに早すぎた。ただ、違和感だけを感じ取れたのは流石は英霊と言って良いだろう。

 

 末期の言葉としては英霊あるまじきことかもしれないが。

 

 救世剣は、スノーホワイトを第三目標として据えていた。

 スノーホワイトはその特殊性から“偽りの聖杯”と同じく大深度地下に設置されていたわけだが、万が一のことを考え厳重に区分けされている。そして最先端テクノロジーを介してその存在感を示しながら熱反応、音波、電波、赤外線、重力反応すら巧妙に緩和、隠蔽されている。

 予め情報を入手していたがためにスノーホワイトを占拠するのに成功したキャスター達であるが、本来であればスノーホワイトの居場所を特定するのは困難極まることだ。諸条件から実現はしなかったが、スノーフィールドの外に設置・建設されていればどんな英雄英霊であろうと何の手も打てなかったかもしれない。

 

 そんな反省などする暇もなく、光の柱はスノーホワイトとそれを操るキャスターをピンポイントで蒸発させてみせた。

 その証拠にスノーホワイトの制御がなくなった周囲の機動兵器群は、あっけなくその機能を停止した。パラシュートこそ開いたものの、大型輸送機から投下されている最中に機能停止したのだ。当然無事に着地できるわけもなかった。

 

 周囲に鉄塊が降り注がれる。

 中には単騎で戦域を支配するフリズスキャルヴのオプション兵装、無人機《エインヘリヤル》の試作機だってあるのだが、スノーホワイトが失われてしまっては役に立つまい。むしろ墜落の衝撃で燃料満タンの火器満載のフル装備が派手な爆発を誘発して逆効果でさえある。

 

 切り札が、悉く無効化されていく。

 質量兵器、フリズスキャルヴ、神槍、スノーホワイト、キャスター、無人兵器群――何とも実感の湧かないことであるが、あのアトラス院の『七大世界兵器』と同等以上に危険な神話級戦力である。

 しかもこれでできたことといえば、救世剣ミスラを乱発させ、カルキを四秒間足止めしただけだ。費用対効果としては最悪だろう。

 だが、当のカルキは、確実に限界が来ていた。

 

 端から見ていれば、最終英雄がその圧倒的性能を周囲に見せつけたと思えるだろう。

 英雄英傑は自らの限界を周囲に悟らせず最後まで立ったまま息絶える者も多いが、カルキだってその口である。というより、そのスライムみたいな表情筋のない顔で疲労の蓄積を推し量るのはさすがに無理であろう。

 

 実は、既に詰んでいる。

 

 カルキが己に課した戦闘時間は四秒だけ。それ以上はカルキの身体を形作り、かつ、魔群の素体となる九界聖体(ダシャーヴァターラ)が暴走する危険がある。救済があってこその終焉だ。九界聖体(ダシャーヴァターラ)はカルキが生きていなければ無制限に増え続け世界を浸蝕し終わらせることだろう。それだけは、世界を終わらせる権利を有していても、決して選んではならぬ結末だ。

 

 カルキが活動を停止すれば、自爆システムが作動し数万年前のムー大陸のようにアメリカ大陸を海に沈ませることになる。人類の大多数は死に絶え、文明が滅びることになるだろうが、絶滅させるまでには至らないと判断する。

 カルキは残り時間を使い切ってしまった。このままなら何もせずとも数秒後には息絶える。

 

 ここでカルキが助かるためには、三つの手がある。

 

 ひとつ目は、二等級以上の龍脈でのその身を早急に休ませ回復させること。

 簡単に言えば、温泉につかってリラックスすることであるが、残念ながらカルキがリラックスできるような温泉――質の高い霊脈がここにはない。過度に搾取されすぎたスノーフィールドの霊脈では、カルキを養い復活させるだけの魔力が圧倒的に足りないのである。

 よって、不可能。

 

 ふたつ目は、即座に休眠モードに入り長い眠りにつくこと。

 生き残ることだけなら現実的であるが、それを選択することはできない。以前は“偽りの聖杯”に守られその身は守られてきたが、今はいつ暴走するやもしれぬ九界聖体(ダシャーヴァターラ)が剥き出しのまま。神話級戦力を初手から投入してきた人類に対し、悪用される可能性は魔群以上に忌避すべきものである。

 よって、却下。

 

 そして、最後の方法は。

 

「■■■■■■――!!」

 

 半身を壊しながらも目前で咆哮し迫るランサーに、最終英雄は脱力し、手にしていた救世剣を持つことすらままならず地へと落とす。

 もはや戦闘に割けるだけの魔力は底を尽いている。試算してみるが、ここで全魔力を逃走に費やしたところでせいぜい一〇秒足らずで完全に力尽きる。

 根本的な解決にならなければ実行しても意味があるまい。

 だから。

 

「■」

 

 ランサーの魔群を容易く蹴散らして見せた爪が、同じようにカルキの頭部へ吸い込まれていった。左右に別たれた頭部は何を思ったのか。怨嗟。憎悪。無念。嫉妬。慟哭。憤怒――いや、そんなものなどカルキには最初から存在しない。

 だが強いて言うなれば、カルキはこの時こう思ったに違いない。

 

 いただきます、と。

 

 



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day.final-07 無駄遣い

 

 

 振り返れば、あれだけの激突が嘘のようにその場は静まりかえっていた。

 

 広すぎる第九層。ファルデウスはアーチャーに吹き飛ばされた魔群の死骸に混ざるかのように、仰向けに横たわったまま取り残されていた。

 自らの中に入ってくる存在に吐き気を覚えるが、目が覚めたのも同じ理由らしい。

 頭部から血を流しながら目を開けてみれば、天まで見通せる大穴がある。

 血の凝固具合から意識を失ったのはほんの数分か。周囲には誰もいないが、地上部から轟音が聞こえる。どうやら戦場は地上へと移っていったらしい。

 

 あれだけの人数のヘタイロイの足音も聞こえないということは、アーチャーの宝具に連れられて消えていったか。バーサーカーとフラットもいなくなっているので、味方と判断された連中も一緒に連れて行って貰ったらしい。

 まあ、一分一秒を争うこの状況で死にかけの(ファルデウス)にまで構っている余裕があるわけもない。

 

 中央にあった聖櫃も四十万年もの月日の経過にその残骸が周囲に散らばっているだけで、もはや神秘どころか魔力の欠片すら感じ取ることはできない。霊脈こそダイレクトに繋がってはいるが、ここまで枯れ果ててしまっては向こう数十年は使い物になるまい。

 

 ここは終わった場所だ。二度とこの場所が必要とされることはあるまい。

 一人朽ち果てるには、これ以上に相応しい場所はない。

 思い、起き上がってポケットをまさぐれば弾丸が奇跡的に一発だけ残っていた。

 

「こんな最期を迎えるとは思ってもみませんでしたね……」

 

 一人、ファルデウスは自嘲気味に呟く。

 身体は動いていた。意識も寝起きのように明瞭。撃った頭部は痛むが、ただそれだけ。これはなるほど、然るべき手順を踏まねば簡単に死ぬことも許されないらしい。

 散々人を殺してきた殺人のプロフェッショナルであるファルデウスであるが、どうやら最後の最後で詰めを誤った。

 自殺するのにミスをするとは思っていなかったし、爆薬を使わねばならないとも思わなかったので持ってきていないのだ。この一発の弾丸でちゃんと死ねるのかは疑問だが、手持ちの装備では他に選択肢がない。

 

 状況を冷静に確認すれば、あまり時間もないことは確かだった。

 急ぎ命を絶つ必要がある。

 嘆息し、まずはできるところからやろうと拳銃に弾丸を込める。

 脳を確実に破壊するべく、拳銃の筒先を咥えて口内へ。

 右手全体を握り込むようにして絞った引き金により、吐き出された弾丸は違うことなく標的へと吸い込まれていった。

 

 ファルデウスの、背から横腹へと、弾丸は貫いた。

 

 背後からの銃撃に、ファルデウスの身体はダンスのようにクルリと回る。引き金に指をかけていたことも災いして、口内から銃口が抜け出た瞬間に最後の弾丸は明後日の方向へと射出されていった。

 かつて祭壇であった場所にファルデウスは倒れた。

 

「せっかく生きているのだから、勝手に死んで貰っては困るな。悪党ってのは死ぬ間際に全てを吐露して死んでいくモンだ」

「……――それはどこのドラマの話ですか?」

 

 横腹の痛みを耐えながらファルデウスはなんとか仰向けになる。撃たれた方向に目をやれば、頭上からの光を避けるように暗闇に佇む男の姿がある。

 急いでいるんですがね、とファルデウスは動かぬ身体に代わって苦言を呈しながら笑顔で彼を出迎えた。

 

「ご無沙汰しています、署長」

「ファルデウス。こうして面と向かって話をするのは初めてだな」

 

 銃を構えながら署長はファルデウスへと油断なく身を低くしながら、ゆっくりと近付いてきた。

 

「息災なようで何よりです」

 

 片足を引きずり、おそらく片目も見えていない署長に笑顔で応じる。十本刀(ベンケイ)使用による脳への負荷と魔力の消耗、全身打撲と負傷した身体を考えれば、下手をすれば署長の方が重体であろう。意識があるのが不思議なくらいである。

 

「お陰様でな。部下をあれだけ殺しておきながら、無様に生き残ってしまった」

 

 言いながら、署長は銃口をファルデウスの右手に向け、容赦なく撃った。指が吹き飛んだだけであるが、これでファルデウスは得意のナイフも持てなくなる。

 ファルデウスは呻き声すら上げなかった。

 

「……それで、お前は一体何がしたかったんだ?」

「それを聞くために、わざわざここへ?」

「当然だ。生き残った者の義務として、それを聞いておく必要がある――もはや、それしかできることがもうないからな」

「ハハッ……――この期に及んで生き残った者、ですか」

 

 小馬鹿にしたようなファルデウスの言葉に、署長は今度は左手に狙いを定める。

 耳を澄ませば、上方から鳴り響く金属音がある。どんな状況なのかは分からないが、戦闘は未だに続いている。その一方がカルキであるのは間違いない。

 世界は終わっていないだけで、終わりつつある。ここで生き残りを語るには少々早過ぎだろうか。

 

「いいや。私は生き残った。

 ――お前が、生き残らさせた。違うか?」

「それは過大評価ですよ……」

 

 困ったように笑いながらも、ファルデウスはそれを否定しない。

 ファルデウスの目的は世界を終わらせることであるのならば、それにしては計画の詰めが甘過ぎる。

 カルキ解放のタイミングは、カルキにとって狙い澄ましたかのように最悪だった。こちらの戦力は分かり易いくらいに整えられ、対してカルキの消耗は甚大。ファルデウスがその気になれば、アーチャーやバーサーカー到着前にカルキを解放することも不可能ではなかった筈なのだ。

 単に世界を終わらせるだけなら、もっと冴えたやり方は他に幾らでもある。

 

「……署長。あなたは、あの東洋人が何者か御存知ですか?」

 

 唐突な質問。だが、話は変わってはいないと署長は感じた。

 

「アインツベルンが鋳造したホムンクルス――そう、私は睨んでいる」

 

 しらばっくれても無駄と思い、正直なところを署長は話す。

 東洋人曰く、自分は冬木から来た旅行者であり、途中でアインツベルンと思しき者に出逢い、令呪を授かりこの地に来たと言う。

 だが、話をすればするほど東洋人の言葉は曖昧となる。聖杯戦争を調べるために元となった冬木の地を調べたこともある署長である。その記憶と照らし合わせても東洋人の言葉は一致しない。

 

 ジェスターの強襲によって時間は足りなかったが署長がスノーホワイトのログを辿っても、東洋人が冬木に住んでいた記録はない。かつて犯した罪を悔いているようなことを言っていたが、それらしき事件の記録も見当たらない。

 ただ唯一、そんな根拠のない噂が冬木で流れていたということだけは確認している。「玄木坂のレッドスネークカモン事件」だとか、「玄木坂の赤ヘル軍団事件」なんてものもあったが、これを本気で受け取る者もいまい。マンションなのにサメが出てくるなんてものもあったくらいだ。

 確証こそ持てなかったが、アインツベルンらしき存在がちらついたことでむしろこのスノーフィールドの状況に納得すらしていた。

 

「ああ、そこまで推察はできていましたか。ですが、それだけでは半分だけです」

「半分だと?」

「彼等の正体は、確かにホムンクルスです。正確にはアインツベルンの小聖杯を兼ねたホムンクルスです」

「――あれが、小聖杯だと?」

「大量生産の粗悪品って奴ですかね。アインツベルンが造る小聖杯はその完成品を鋳造する間に幾千もの失敗作を生み出します。それら大量の失敗作の中で比較的まともなものを再利用したという話です」

 

 ファルデウスの注釈にはおそらく、様々な意味が込められている。あのアインツベルン造るホムンクルスが凡百のものである筈がない。適当に造ったものでさえ、一級品の格を備えている。

 

「彼等に託された目的はスノーフィールドに召喚されたサーヴァントを倒し、自らに蓄えることです。仕組みは単純で、大聖杯を用いないだけで冬木のシステムをそのまま踏襲しているとか」

 

 仕組みは単純であろうが、英霊という破格の存在を内部に蓄えるには当然上限がある。失敗作の小聖杯が蓄えられるのは、サーヴァントの格にもよるが、せいぜい一体か二体が限度。それでも大した量ではあるが、音に聞くアインツベルンの聖杯に対して到底足りる量とは思えない。何より大聖杯もないスノーフィールドで願望機と呼べる程の機能を実現させることは不可能だ。

 いや、その前に一体や二体程度のサーヴァントを倒し蓄えてどうしようというのか。

 

「……それに何の意味があるというのだ」

「彼等には、ある過去をやり直したいという共通した願いがあるのは御存知ですよね。彼等は小聖杯として器が満ちた時、自然とその願いを叶えるようセットされています」

 

 サーヴァントを二体も倒せば死んでしまうなど、彼等は知らないでしょうね、と嘯くファルデウス。

 ついでに言えば、機密保持のために令呪を五回使いきると彼等は死ぬようにプログラムされている。何のダメージも受けていないというのに、エレベーターの上で東洋人が事切れている理由がそこにある。

 

「過去改変……そんなことが可能だというつもりか?」

 

 正気を問う署長の言葉にファルデウスも同意した。

 

「まず無理でしょう。ですが、万能を求めずとも、可能な範囲で似たようなことは行えます。アインツベルンは小聖杯を用いて過去へメッセージを伝えるためだけに、彼等を送り込んでいるんです」

「――俄には信じられんな」

 

 ファルデウスの告白を、署長は嘘だと判じた。

 過去改変など、どんなに小さくとも早々簡単にできるものではない。確かに倒したサーヴァントを触媒にして言葉通りにメッセージを送り届けることは可能かも知れないが、それで一体どれ程のメッセージを過去に送れるというのか。

 送ったところで、時間遡航による抵抗でデータが欠損してしまう可能性も遙かに高い。成功率を考えれば、到底許容できるリターンではない。

 そんな署長の考えを見透かしたように、ファルデウスは薄く笑う。

 

「およそ――八億回、だそうですよ」

「……何の数字だ?」

「この“偽りの聖杯戦争”が繰り返された回数です。最低でもそれくらいは行われた形跡があるんです。失敗した回数も含んでいることを考えれば、位がもうひとつ上がっても不思議ではありません。途方もない数字ですね」

「何を言っている?」

 

 確かにこの“偽りの聖杯戦争”は理論上冬木よりも遙かに短期スパンで何度だって繰り返すことが可能だ。だが、システムが確立したのは今回が初めてであり、そして“偽りの聖杯”を失ったことで二度目は有り得ない。

 それが――八億回?

 

「平行世界というやつですよ。

 どこか別の世界のアインツベルンもこの“偽りの聖杯戦争”に参戦していたのでしょう。しかし聖杯もないこの戦争で願いが叶う筈もない。アインツベルンにできることは、せめて『何度でも繰り返せる』という特性を持つこの戦争を利用し、聖杯が確実に降臨する冬木の聖杯戦争をやり直させることだったのですよ」

 

 この“偽りの聖杯戦争”で実現可能な範囲の奇跡を、アインツベルンは時間遡航によるメッセージ伝達にあると結論づけた。

 一度メッセージの伝達に成功すれば、それだけでも世界は改変される。

 二度メッセージの伝達に成功すれば、更に少しだけ世界は改変される。

 これを、八億回、アインツベルンは繰り返したという。

 そして、まだこれでは足りないのだろう。

 

 冬木の聖杯であれば一度に七騎のサーヴァントを倒すことであっさりと叶う願いを、偽りの聖杯戦争は八億回繰り返してまだ足りぬほどやらねばならないようである。

 偽りの聖杯戦争は、壮大な無駄遣いのために成り立っていた。

 

 



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day.final-08 復活

 

 

 ――火花が散った。

 火花がもたらすのは複雑なパターンだ。それは天文学的な種類に及んだが、所詮は有限の組み合わせである。1も1億も同じ事だった。

 

 火花は絶え間なく降る。

 夜の底に積もる淡い雪のように、咲いては散って消える。

 観測者でないファルデウスがその火花を見ることは叶わないが、しかして全ての事象が仮説通りに働き、可能な限りあらゆる条件が理想的だとした場合、それが起こる可能性はゼロが延々と続くような馬鹿げた数字だとは聞き及んでいた。

 それは、無とほとんど同じだ。

 ほとんど同じ――ということは、ゼロではないという意味で、いずれ実現するという意味でもある。

 

 無限小の確率であっても、無限に試行すればいつかは辿り着く。

 1と1億の差は、ゴールまでの距離の大小でしかない。

 故に、ここに至る事象は必然であったが偶然でもあった。

 そうなるべき理由はなく、何故今このときなのかという問いを突き詰めたなら、石に躓いたような偶然と言うことに、やはりなるのだろう。

 

 偶然――意味のない無意味の連なり。

 そんなもので、ひとつの世界が終焉の危機を迎えようとしている。

 

「――気が遠くなるような作業だな」

 

 ファルデウスの言葉に、署長は嘆息しつつ素直な感想を述べてみる。はた迷惑だとも思ったが、その感想は口に出さなかった。

 

「繰り返し実現させるのは平行世界の自分なのですから、時間の感覚はここでは問題ではありません。問題は、例え成功したとしても恩恵を受けるのが現在のアインツベルンではなく、過去の、しかも平行世界のアインツベルンだという点ですか」

 

 普通であれば、それは許容できることではない。いかに無意味を知る魔術師といえど、このやり方では無意味すぎる。どんなにリスクを取ろうともノーリターンが確定してしまっているのだ。

 実行する価値を見いだす方が難しい。

 

「けれど、アインツベルンはそれを許容したんです。

 最初こそ気まぐれだったのかも知れませんが、いつの日か確実に蓄積されていくメッセージにアインツベルンは確固とした意志と目的を持って取り組み始めました。そしてより効率よく、過去にメッセージを送る手段を確立させました」

「それがあの東洋人というわけ、か」

 

 選んだ手段は『参加』ではなく『介入』。

 マスターとして直接参戦するよりも、はるかに安価かつ安全。数を揃えて投入することで勝率も上がる。与えられた五つの令呪も、そう考えると同士討ちを狙っていたとも考えられる。

 

 その通り、とファルデウスは頷きながら、苦しげに息を吸った。

 小口径ではあるが、横腹に撃ち込まれ、右手の指を吹き飛ばされている。止血もしていないのだから、そろそろ目が霞んできているに違いない。

 それでも、恐らく死ぬことはない。

 

「――ですが、もはやその東洋人もあなた方が保護しているのが最後の一人。

 ……これは奇跡なんですよ、署長。恐らく今まで一度として最終局面まで脱落者のいなかった戦争はありません。召喚された六騎のサーヴァントが揃い、しかもカルキという本来の目的に向かって最低限の戦線を構築できている。

 あの最終英雄を倒せる千載一遇のチャンスが、来たんですよ」

 

 先の話で、小聖杯に注ぐことができるサーヴァントは一体か二体と言う話だった。元凶であるカルキであっても、倒すことができれば小聖杯にその魂は注がれるのだろう。一瞬で壊れることだろうが、その一瞬には十二分な価値がある。

 

「英雄としての最高純度を誇るカルキです。その量からすると確実に器から溢れるでしょうが、それ以上にその純度は他を圧倒します。カルキ一体で英霊数万、あるいは数百万人分が賄えるとなれば、これを試さないわけにはいかないでしょう」

 

 それが世界を終わらせる可能性が高くとも、アインツベルンはそれを試さずにはいられない。

 巫山戯たことにこの男は、六柱の英霊が最終英雄を倒すプランを模索していた。

 

「正気か」

「正気のままで、根源へ辿り着くことはできないでしょう」

 

 そして別段、珍しいことでもない。

 正気であっても狂気の選択をする者もいるくらいなのだから。

 

「署長、既にサーヴァントが一騎失われているのではないですか?」

「……キャスターだ。最後の最後まで生き残りそうな奴だったんだがな。真っ先に脱落していったな」

 

 少しばかり忌々しそうに署長が吐き捨てる。キャスターへの魔力供給が完全に止まったために何とか署長は行動できていた。そうでなければ十本刀(ベンケイ)の消耗によってすぐに死んでもおかしくはなかったのだ。

 召喚してから散々振り回されてきたわけだが、こうもあっさり逝かれると気勢が削がれてならない。

 

「だが何故それを知っている?」

 

 この事実を知っているのは契約で繋がっているマスターである署長だけだ。まだ戦況は混乱しているし、スノーホワイトが失われたことには気がつこうとも、キャスターが消滅したと確定できるものではない。

 第一、ファルデウスはずっとこの場で意識を失っていたのだ。それはこの場にずっといた署長が一番良く知っている。

 

「単純なことです。私に莫大な魔力が流れ込んできましたから」

 

 ファルデウスは何とでもないというように、自らがアインツベルンの手の者だと明かしてみせた。

 東洋人と同じく、ファルデウスにも小聖杯としての機能がある。

 

「意外性のない答えだな」

「驚愕の事実を提示できなくて申しわけない限りです」

 

 それがどこまで本当なのか確認する術を署長は持たない。

 だが、戦後処理部隊の隊長という立場は間諜としては最適だ。情報も集めやすく、意図して操作するのも容易い。それにアインツベルンが関与した形跡を消すのも難しくはないだろう。

 

 この戦争にあたって入念な身元調査が行われた筈だが、いくらでも抜け道はあったということだ。もしくは、それを突破できる程にアインツベルンはこの国に浸透している、ということか。

 大統領の側にもアインツベルンが居ると告げられても、署長が驚くことはない。こうなってくるとむしろいない方が驚きである。

 

「もっとも、誤算もありました。死ぬことがこんなに困難だとは予想もしていませんでしたらね」

 

 へらりと笑ってみてみるが、しかしして事態は深刻である。

 ファルデウス自身、自らが間諜であるという自覚はあったが、東洋人と同じような機能があるなどとは知らなかった。おそらくは生命の危機に陥った時のみ緊急で作用するよう仕組まれていたのだろう。宿主を生かすために魔術刻印はありとあらゆることをするというのが、それと同種のものか。

 まさか銃弾を弾くために自動で頭蓋を強化するとは思わなかった。

 この調子なら魔力切れや失血で死ぬのにも相当時間がかかることだろう。

 

「誤算か。しかし貴様が生きていた方が都合が良いのだがな」

「ランサーのことを指して言っているのなら、それは大いなる誤解ですよ」

「誤解だと?」

 

 狂化したランサーへの魔力供給は、従来の比ではないほどに燃費が悪い。

 ファルデウスが死ねば、数秒も経たずにランサーは魔力不足で消滅することだろう。ランサーが今も活動できているのは、キャスターが消滅したことでファルデウスに魔力が補充され、それを糧にランサーが動いているからである。

 前衛戦力であるランサーとキャスターとでは、どうしても前者の優先度が高くなってしまう。不幸中の幸いと署長が思うのも無理からぬ話である。

 それが本当に、幸いであるのならば。

 

「今のランサーが強大な戦力だというのは誤解ですよ。あれがいる限り、我々に勝利はない。だからこそ、私は“偽りの聖杯”を壊すことだけにランサーを使う予定だったのです」

 

 ランサーをカルキにぶつけるつもりはなかった、とファルデウスは嘆くように語ってみせる。

 狂化ランサーを止めるには、魔力供給源であるマスターを潰すより他はない。

 

「令呪が二画あれば自害を命じたのですがね。ないものねだりをしても仕方ありませんから」

 

 自害を命じられないから、自害する。

 ファルデウスは自殺することでランサーを消滅させようとしたのである。

 合理的であろうがそれを躊躇わず実行する自信は、署長だってありはしない。

 いや、そんなことより。

 

「――そういう、ことか」

 

 署長らしからぬことに、今の今まで署長はその可能性を考慮することがなかった。

 ファルデウスが自殺を図った理由。てっきり自分で自分の口を封じるためかと思いきや、そんな浅薄なものではなかった。

 

 この“偽りの聖杯戦争”で喚ばれる英霊は、結局のところカルキという存在に対抗する為の存在だ。その過程において異なれど、敵対することになるのは違いない。逆に、カルキの肩を持つ者ならそもそも喚ばれる筈がない。

 そうした大前提はあるが、しかし敵対的存在だからといって相手に利すらないという保証もない。実際、署長の与り知らぬところでキャスターはカルキに利するようその開放を敢えて見逃している。

 

「そうです。カルキは神が末世(カリ・ユガ)において用意しておいた神の宝具そのもの。在り方としてはランサーと違いはありません。むしろ、カルキがランサーの後継機であることを踏まえればどちらがより完成された宝具であるか、言うまでもありませんね」

 

 ランサーが試作機であるなら、カルキは完成機である。

 ならば、ランサーにあった弱点は改善しているだろうし、その機能はより強化している筈だ。

 ランサーの身体を構成している天の創造(ガイア・オブ・アルル)はその質量に比例するかのようにその強さが変わってくる。例え分離しようとも再度肉体を集結させれば元の強さを取り戻せる。

 同じようなことが、カルキにもできるとすれば。

 

「ランサーを目の前にして、カルキが取る行動は一つだけです」

 

 どれほどランサーが強くとも。

 どれほどランサーがカルキを倒そうと思っても。

 結局カルキにとってランサーはただの燃料補給タンクに過ぎない。

 それも、霊体で構成された同系機であるなら、これ以上のご馳走はあるまい。

 

 ファルデウスも知らぬことであるが、カルキの身体を構成する九界聖体(ダシャーヴァターラ)は魔群として分離はすれどもそれを集結させ再度取り込む機能は封印されている。人類への試練としての魔群を優先させているという理由もあるが、何より潤沢な魔力を持って放たれる予定のカルキが魔力不足による危機を迎えることなど想定していないからである。

 故に、カルキが魔力補給できる手段は、再吸収機能を封印されていない天の創造(ガイア・オブ・アルル)を取り込むことだけとなる。

 

 真実を推察した署長が時間を無駄にすることはなかった。

 ファルデウスは青ざめた顔で笑い、目を閉じる。

 銃口を署長はファルデウスの頭部へと向けた。

 引き金を三回引く。ハンマーが三回撃鉄され、三発の弾丸を吐き出した。

 

 

 

 

 

 クリオネのように頭部が分かれてランサーを捕食していたカルキは、突如その身体が光となって消えて逝くのを確認する。

 暴れ牛が如く暴れるランサーに手こずったのが拙かったのか。急ぎ食して取り込もうとするが、もう遅い。まだ全体の三割も吸収していないのだ。当然これでカルキが満足するわけもない。

 補填された魔力は、最低限の活動をするにもまだ足りない。

 しかして、同時に得られたモノもある。

 

 カルキは足を止めて周囲を見やる。今から近隣の霊脈まで全力で走ったとしても、この身体が保つことはない。延命はできたが、できただけ。このままではやはり今後の運命は変わらない。

 ランサーは、最初から神の宝具として認識されていた。だからこそカルキはランサーを吸収したのであり、そうでなければ見向きもしなかったことだろう。そこに利用価値を見いだせば、やるべきことは決まってくる。

 

 下位互換素体より変換コードを抽出、共通規格を認識、検証。

 周辺区域を集中捜査。

 該当存在を複数確認。

 九界聖体(ダシャーヴァターラ)粛清群の優先順位を一時凍結。

 現地呼称『サーヴァント』を最優先順位に設定。

 該当存在の魔力変換効率はE+からC-。最低一体の吸収が必要不可欠。

 

「■■■……」

 

 ランサーを綺麗に胃の腑に落とし、口元を拭うかのように頭部を元のスライム状へと戻す。

 虚ろな窪みにモノが映るとは思えないが、その視線の先にはもう新たなサーヴァントがいた。

 

 ライダーが、カルキの前に立ちはだかる。

 

 



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day.final-09 闘争と逃走

 

 

 カルキの前に、ライダーはいた。

 それは間違ってはいない。ライダーは確かにカルキ前方数十メートルのところで臨戦態勢にあった。索敵用に使用していた感染飛沫の濃度を極限にまで高めて空間を浸蝕して支配区画を拡げつつある。周囲に極黒の魔力弾を四桁近くも浮かべ、今尚増加中。肉体を駆け巡る魔力はそれだけで警戒に値する。

 

 ライダーはカルキと同じく神の宝具であるランサーと矛を交えている。結果敗北したとはいえ、その経験は決して無駄などではない。相性の悪さを補えるほどの魔力を手に入れ、莫大な処理能力を有効活用できるだけの時間もあった。

 今のライダーであれば、もう一度ランサーと戦おうともその結末は分かるまい。アーチャーとだって互することができよう。

 

 カルキと戦う上で、他のどのサーヴァントよりも下地ができていたのがライダーであることに間違いはない。

 事実、時間切れとなったがために攻撃こそを行われなかったが、カルキはライダーを英雄神話誕生素体として脅威度を第四位に認定してまでいた。ことこの場において両者の激突が起こらない方がおかしい。

 

 ただ。

 ライダーは、この期に及んでその場を動こうとしなかった。

 

 攻撃態勢には入っている。対象を抉り取るライダーの魔力弾であれば、九界聖体(ダシャーヴァターラ)を魔群にする心配もない。あとは号令一下、命令を受諾した魔力弾は速やかにカルキの肉体を抉り取ることだろう。

 だが、ライダーはそれを実行に移そうとはしなかった。

 

 そもそも、面と向かって対峙している段階でおかしいのだ。正々堂々を旨とするような騎士道精神などライダーは欠片も持ち合わせていない。力尽くでどうにかなる相手でない以上、ライダーが行うべきは先制であり、奇襲だ。周辺環境を最大にまで利用し、身を隠して敵の虚を突く。

 それが最適解。

 ランサーを食している間に最大威力で横っ面を叩くことは十分に可能であった。

 もっと言えば、ランサーを捕食される前に一撃でも叩き込めば、そこで話は終了だった。

 

 そうした可能性は可能性のまま過去のものへと落ちていく。確かにそれを可能とするだけの実力はあったし、それを判断しうる目も持っていた。賢明なライダーがそんなことを考えつかないわけもない。

 しかし実際には、最終英雄を労せず倒せる機会をライダーは指を咥えて見ているだけだった。

 ライダーの行動は不可解に近いが、全ての行動に納得なせられる万能なる解答がある。それどころか、一連の行動において最大の謎にだって答えられる。

 

 最大の謎。

 つまりは、ライダーがこの場にいる理由。

 

 地下から地上へと飛び上がり撃墜されたカルキの行動を正確に推測するのは不可能だ。カルキ自身だってこの場にいるのは偶然の結果であり、追随するにしてもカルキの運動性能は狂化したランサーでさえついていけなかったのだ。

 繰丘椿という器に縛られているライダーがこの場にいるのはあまりに不自然。瞬間移動宝具を備えたアサシンや、空間渡航宝具を持ったアーチャーですらまだこの場にはいない。全員が集合した瞬間にあの地下から全力でこの場に走らねば、この場で両者が会う可能性はない。

 本来ならこの場にライダーがいるのはおかしいのだ。

 その答えを、繰丘椿は知っていた。

 

(ライダー、ライダー! 動いて、ライダー!)

 

 必死で訴えるマスターの叫びに、ライダーは応えない。応えられない。

 

 ライダーはおよそ戦闘とは無縁の英霊である。

 何故ならライダーは病気という現象を具現化した存在。即ち個ではなく群であるが故に、個体の存続を重視しない。単一戦闘の勝敗に拘泥する必要はなく、全滅を防げればそれで良いのである。

 その戦略が、この聖杯戦争では有効に働かない。

 

 マスターという楔はライダーの強みを消失させ根本的戦略の見直しを強制する。礼儀礼節を弁え時に理性的な対応をしていたライダーであるが、それは椿という弱点を守るための一手段でしかない。

 で、あるが故に。

 ライダーはカルキをその目で見た瞬間、相手と自身の状態を見比べて、潜在能力と勝率を換算した結果、答えを導き出していた。

 

 それは、『この場からの逃走』だった。

 

 後先のことをライダーは考えていない。これより死する者に礼を尽くし義理を果たす必要はないと判じていた。

 英霊六騎が最終英雄に勝つ可能性は零ではない。決して高くはないが、賭ける価値はあるだろう。世界の命運の前に過程を選ぶ必要は有るまい。過程を選んでいる状況でもない。そこにはありとあらゆる選択肢が許容されることだろう。

 

 そんなわけがない。

 

 神が許し、人類が許し、マスターが許したとしても、ライダーは許さない。

 ライダーは現状を正しく把握している。カルキが何を目的とし、どういう手段でどれほどの能力があるのか。そんな最終英雄を打倒しうる道筋だって見当をつけられるし、実行するだけの能力もある。

 ただし、犠牲者の中に繰丘椿の名は確実に刻まれる。

 

 それだけは、許されない。

 許すわけにはいかないのだ。

 

 今ここでカルキを倒さねば、人類の大半は死滅し現代文明は崩壊するだろう。しかして救済という御題目を掲げている以上、カルキは人類を全滅させたいわけではないのだ。99パーセントの人類が死に絶えようが、1パーセントの生き残った人類の中に繰丘椿が含まれていればそれで良い。

 

 カルキの目的を正しく認識しているライダーだからこそ、付け入る隙を見いだしたのだ。

 人類の未来と唯一の勝機を投げ出して。

 繰丘椿が生き残る道を、希望を、ライダーは見いだした。

 

 希望は絶望へ相転移していた。

 

「うあぁあああああああああああああああああああっっっ!!!」

 

 喉が潰れるくらいの叫声。

 胸の中で膨れあがる、得体の知れない気配。

 空気が爛れる。

 大気が腐れる。

 内蔵を裏返しにされような吐き気に、ライダーは襲われていた。

 単純にいって、ライダーは『恐怖』していた。

 

 情動的反応に交感神経が興奮し、冷汗が流れ、震え、収縮した抹消血管で顔面が蒼白となり、呼吸が激しくなり、心臓の鼓動が異常に早まる。さらに副腎からはアドレナリンが分泌され、血液が固まりやすくなり、糖分が出ていた。

 身体を意志一つでコントロールできるライダーにあるまじき適応不全。

 

 それも無理からぬこと。

 今、カルキははっきりとライダーという存在を認識した。認識されてしまった。

 これだけの実力差にあってはライダーといえど芥子粒のようなものでしかない。それでも認識したということは、カルキはランサーの捕食により学習したのである。高純度の霊体はカルキ延命の妙薬と化す。その血を啜り肉を貪り魂を咀嚼する。サーヴァントは、うってつけの材料だった。

 

 夜の道は、見えないから恐ろしい。

 でも、見えすぎることも恐ろしい。

 理解できるというのは、ただそれだけで恐怖を育む。

 進化していく過程でライダーは確固とした理性を手に入れてしまった。強固な精神ロジックはおよそ混乱や動揺とは縁遠いが、箍が外れればこんなもの。恐怖で身体は動かず、ありとあらゆる準備も無為に帰す。

 

 ランサーが捕食されたのも、ライダーが恐怖に麻痺していたから。

 ライダーが臨戦態勢なのも、魔力弾や飛沫がただ自動生成されているだけ。

 選択肢を間違えまくったライダーであるが、同じ間違えを難度も繰り返し間違えるような真似だけはしなかった。

 わずかな時間ではあろうが、カルキとライダーが激突するには数瞬の間があった。

 反撃に出る隙と、逃げる猶予。

 闘争と、逃走。

 ここで前者を選ぶようなら、最初から皆を裏切り犠牲に捧げる真似などしないだろう。

 

 1パーセントをゼロにするのは弱い心だ。

 その意味では、ライダーはまだ強い心を持っていた。

 まるで動こうとしなかった身体が、カルキの巨体が動こうとするわずかな予備動作だけで解き放たれた矢のように動いた。

 

 くるりと身を翻すと、全力でライダーはカルキから距離を取る。煙幕代わりに高濃度飛沫を全力散布し、魔力弾を解き放つ。直進・曲線・乱反射曲進とバリエーションを揃え攪乱しつつ、椿の姿形を真似たダミーを複数放出。身が竦んで動けなかったのが嘘のように次々と手を打つことができる。

 

 これが最初からできていれば何の苦労もないが、土台それは無理な話。

 圧倒的格上の存在に『恐怖』するという貴重な経験に、ライダーは急速に進化の(きざはし)を駆け上っていく。

 余裕をなくし、形振り構わず動く様は大戦末期の軍司令部を彷彿とさせていた。駆け上った先に待ち受ける『破滅』の二文字を、ライダーはまるで見ていなかった。

 いや、あるいは見えてはいるのか。何もしなければ一秒後に訪れるであろう破滅的な未来を回避するべく、そう遠くない未来の『自滅』をライダーは確定させようとしていた。

 

 幸いにして、カルキはライダーをキャスターみたく問答無用に救世剣で消滅させるつもりはない。目的は魔力の補給であり、複数あるとはいえ貴重な補給源を無闇に失うのは愚策過ぎた。

 最低でも一体。可能なら全員を捕食し吸収する。

 しかも残った補給源の中で、ライダーは随一の獲物。変換効率はC-と決して高くはないが、保有する魔力量が位違いである。下手をすると効率がA+のランサーよりも有益に働く可能性がある。

 

 逃げるライダーの後ろ姿に、カルキは己が肉体へ力を込める。

 およそ英霊らしからぬライダーの逃走行為ではあるが、その選択肢はカルキが最も忌避するものだ。敵が最も嫌がることを理解している。故にカルキはライダーの評価を『採集対象』から『獲物』へとシフトさせる。

 つまりスイッチを入れてしまった。

 

 次の瞬間には、逃げるライダーにカルキは苦もなく追いついてみせる。途中、何やら硬いものがいくつもあったが、そんなものは小事に過ぎない。

 極小距離次元歪曲の重ね掛けによる疑似空間転移、それに自らの防御力を前面に押し出した力技。そうそう乱発できるものではないが、『獲物』相手であれば出し惜しみはしない。

 

 時間こそが、カルキ最大の敵である。

 ライダーは最適解を選んでいる。

 そして、カルキもまた最適解を選んでいた。

 救世剣は大上段に構えられ、絶望の風が唸りを上げる。

 

 ライダーの逃走時間は、一秒にも満たなかった。

 

 



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day.final-10 悪足掻き

 

 

 神槍の余波でビルなどはまとめて倒壊しているが、スノーフィールド市街にあって遮蔽物に苦労することはない。

 東洋人同士の戦いで使用された特殊宝具皇帝勅令(パルプンテ)によって奇っ怪なオブジェが大量に生み出されている。米国という土地柄のおかげか、このオブジェを創り出したアメリカ合衆国皇帝(・・)ノートン一世の宝具は殊の外強度に優れているらしい。

 

 不確かな足場、乱立するオブジェ。小柄な少女の体躯であり軽業師が如き微細なコントロールの利くライダーにとって逃走経路に不自由はない。そして追いかける異形の巨人にとってこれらの障害物は邪魔以外の何物でもない。

 いかに強大な熊であっても、森の中で一匹の鼠を仕留めるには難しかろう。最終英雄にだって向き不向きがある。

 

 もっとも。

 不向きであろうと力技で何とかなることも、ある。

 

「■■■■」

 

 宝具であるオブジェの森をまるで意に介すことなく、カルキは全てを破壊してライダーへと追い縋っていた。

 無茶苦茶過ぎる。これらのオブジェは壁でも柵でも境界線ですらないが、まがりなりにも宝具の一種。これを無視して突破できるとは一体どれ程の強度をカルキは持っているというのか。

 

 地形効果の恩恵を多少期待していたが、結局は無意味であった。

 直接戦闘能力に乏しいライダーでカルキの突進は防げない。

 

 それでも、ライダーは諦めない。

 二度あることは三度あったが、四度目こそが正解やもしれぬ。

 

 絶望と言う断崖での綱渡り。ライダーは背後の恐怖に抗いながら周囲を目線だけで見渡してみる。

 視界にはスノーホワイトより開放された対サーヴァント仕様の近代兵器群が無造作に横たわっていた。落下の衝撃で壊れているものが多いが、無事なものも少しはある。かといってそれら機械兵団の武器を椿の矮躯で使用したところで武器に振り回されるのがオチ。デメリットがメリットを上回るのが容易に想像できる。

 

 だから、それらの兵器をライダーは使わない。

 繰丘椿の身体では、使わない。

 

 瞬間、死んだ魚の目をしていた機械兵団に命の火が点り、その銃口を一糸乱れることなく一斉にカルキへと向けられた。

 

 病気を現象として眺めるならば、それは歪みあるいは働きのずれである。

 歪みやずれとは正常な形態ないし状態を予想しての結果であり、その正常からの乖離を病気という。数多くある病気という定義の一説に過ぎないが、これは別段間違いではあるまい。ライダーが病気の権化だとするならば、これもまたライダーの力の一端であろう。

 

 

 世の中には、コンピューターウイルスというものもある。

 

 

 進化の系統樹から枝葉ではなく、種が生み出された。

 死に体と判断されていた機械兵団が動いたことでカルキの動きが変わる――ことはなかった。いかに生命史にとって偉大なる一歩を刻もうと、関係はない。新たにどのような脅威が誕生しようと、するべきことに変わりはないのだ。

 

 今更豆鉄砲を何丁用意しようと脅威にはなり得ない。これもまたカルキの高すぎる防御力がもたらす自信によるものだろう。

 そんなことは百も承知。

 それでも、ライダーが打てる手はこれしかない。

 

「ファイヤ!」

 

 ライダーの号令によって機械兵団に装備された対霊狙撃砲(アンリ・スピリチュアル・ライフル)が火を吹いた。

 スノーホワイトの制御から開放された機械兵団は、ライダーにとって新たに手に入れた手足に他ならない。複雑かつ繊細でひ弱、そして制限の多い人間よりも、規格統一をされて無茶もできる機械の方が、ライダーにとっては動かしやすいものだ。

 感染接続(オール・フォー・ワン)を初めて起動した時には人という柔な体で相当苦労したものだが、機械の手足は最初から最大効率最大出力で遠慮なく挑むことができる。

 

 正常に稼働したのは機械兵団全体の四割にも満たないが、数としては十分すぎた。しかも今回の銃は通常兵器を流用した即席の試作機ではなく、対英霊に設計された特別仕様の実戦機。砲身を幾重にも取り囲む魔砲陣が視認できない速度で唸りを上げ、魔弾の嵐をカルキへと降り注いでみせる。

 

 並の英霊ならミンチになるのにそう時間はかからないが、乱立するオブジェをこともなげに蹴散らした最終英雄にはやはり豆鉄砲ほどの意味もなかった。魔弾のひとつひとつを水滴だとするならば、この弾幕はシャワー程度の扱いだろう。人間であれば顔に水をかければ怯むだろうが、この最終英雄がそんな可愛い所作をするわけもない。

 

 これくらいで振り上げた救世剣が止まるわけがなかった。

 止まらない、だけだった。

 

「■■■■ッッ!?」

 

 驚愕という概念がカルキにあるのかは不明であるが、機械的に動き判断する最終英雄は、自らの剣先が逸れた事実をすぐには受け入れられなかった。

 ライダーが躱した、というわけではない。

 信じがたいことではあるが、カルキが外したのだ。

 

 外した理由は明確だった。

 大上段に構えられた救世剣を振り下ろすためには、力を支えるために安定した下半身が必要である。馬のような下半身を持つカルキは、そういった意味では人間以上に安定しているのだが。

 

 その後ろ足が消失していた。

 

 一本は完全に消失。もう一本も半ばまで抉れている。これではカルキの巨体を支えられるわけがない。バランスは完全に失われていた。

 原因を探れば、そこにはカルキと同じく異形の巨人がいる。

 

 それは鋼鉄でできていた。

 蜂の複眼めいたセンサー類に覆われた頭部。

 かろうじて人型を連想させる無骨な機械の四肢。

 火花を散らしながら心臓を稼働させるクロームの胴部。

 

 都市戦闘用自動機械人形。

 現代技術にあってあと数十年の研究と研鑽が必要な机上の架空兵器。現代技術でクリアできぬ部位を魔術で補い、スノーホワイトの制御によって無理矢理産み落とされた、都市殲滅型軽車輌。

 

 フリズスキャルヴのオプション兵装、ヴァルキリー構想試作一号機。

 無人機《エインヘリヤル》、キャスター命名機体名称アトス。

 

 アトスは落下の衝撃で半壊しており、上半身の一部しか原形を保てていない。完全な形であれば多少とも注意したであろうが、そうした事情もあってカルキは特に注意することなく不用意に近付いてしまった。

 大抵の宝具を無力化する九界聖体(ダシャーヴァターラ)にあってはそれも仕方ないだろう。まさかここに神槍グングニル、創生槍ティアマト、乖離剣エアに匹敵する脅威があろうとは思うまい。

 

「■■■■■■――――ッ!!!」

 

 空振りした救世剣はライダーのすぐ横の大地を抉る。抉りながら、そのまま一回転させ、背後から襲いかかったアトスをあっさりと冗談のような膂力をもって両断してみせた。

 もはや奥の手を使い切ったアトスには何の価値もないが、カルキにとって不可解な手段を内包したアトスをこのまま無視することはできない。

 

 カルキの後ろ足は漆黒の球体に奪い取られていた。

 カルキが知るべくもないことだが、これは“偽りの聖杯”を封印し、そして開放した宝具の断片。

 

 エインヘリヤル搭載宝具、方舟断片(フラグメント・ノア)

 時間停止の拒絶結界。

 

 本来は機体の運動負荷限界値を解決するために『鎧』のように装備された宝具であるが、使い方はひとつではない。

 時間流の断絶により空間断層を限定的に発生させれば、三次元空間に存在するいかなるものも決して逃れられない『剣』となる。

 さすがに世界そのものを切り裂く乖離剣に及ぶものではないが、九界聖体(ダシャーヴァターラ)には通用したようである。

 

 無闇に機械兵団の銃口を向けていたわけではないのだ。本命である方舟断片(フラグメント・ノア)の存在を隠すためには、気配を分散させ不意を作る必要がある。

 

 策は成就する。

 回避不可能な一撃を避け、その首を取ることこそできなかったものの、一太刀浴びせることにも成功した。アトスを容赦なく破壊されたものの、失って惜しむようなものでもない。これで無傷で逃走が再開できれば文句はないのだが、さすがにそれは虫のいい話だった。

 

 繰丘椿の身体は、宙に投げ出されていた。

 紙一重で避けることには成功したものの、救世剣はその余波だけでも十二分な威力があった。

 

 運動エネルギーのほとんどは救世剣の延長線上に散らされている。だからといってそれが全てではない。ただの風圧ですら人を百度殺してあり余る。それが鼻先で放たれれば英霊といえど辿る運命は変わるまい。

 

 全身を巡らせる魔力によって繰丘椿の防御力は恐ろしく高い状態が維持されている。

 これは以前に狙撃されたことを教訓にしたものであり、こうした事態に備えてライダーは四重に威力漸減のための特殊結界を常時張り巡らせていたりもする。

 

 そうした小さな積み重ねもあって、繰丘椿は五体満足であった。

 全身至る所で骨折し、内臓も損傷。それでも欠損箇所はないし、重傷であってもライダーの能力であれば即時回復は可能。数秒後には何事もなかったかのように起き上がることだろう。

 ただし、さすがのライダーも回復の数秒間は、動けない。

 

 当然のように、カルキは再度ライダーを喰わんと救世剣を振り上げていた。アトスを両断した回転を利用し、次撃は先よりも遙かに威力が増している。いや、それどころか残り少ないであろう魔力をスラスターのようにあちこち放出し体勢をより強固に、救世剣の一撃を最高のものへと仕立てている。

 五体満足であっても身体能力だけで避けることが敵わなかった一撃だ。この状態で避けられるわけがない。

 

「ああ――」

 

 肺から漏れ出た空気に混じり、声が漏れる。

 最期の時を想い、ライダーは瞬間的に内にある椿の意思に思いを馳せた。

 英霊あるまじき行為と失態に、己が主が何も言わないことに気がついた。

 

 ライダーと同期しているため椿の思考速度は一般人とは比べものにならぬ程に早い。認識力及び処理速度の超強化によって白いハトが羽ばたきそうなくらいスローモーション。こんなコンマの世界の攻防であっても体感としては数十秒。

 

 何か考えを巡らしている気配はある。あるいは単にライダーの邪魔をせぬよう黙っているだけか。以前は悲鳴を上げるなり幼子らしいことをしていたが、それがすっかり鳴りを潜めてしまった。

 批難の声が欲しいわけではないが、この局面でこの状況。最後に――最期にマスターより何か一言欲しいとライダーは思ってしまった。

 

 一体誰のせいでこんなことになっているのか。そんなことを棚に上げ、ライダーは生き残る為の努力を全て投げ捨て、諦めの境地で迫り来る救世剣を眺め見る。

 やはり、悪足掻きは悪足掻きでしかなかった。

 自分勝手な思考の迷路に足掻いた結果が、これだった。

 

「――申し訳ありません――」

 

 自然に出てきた言葉は謝罪だった。

 命運は、尽きようとしていた。

 

「ライダー、諦めるくらいなら祈りを捧げてはどうですか?」

 

 尽きようとしていたが、尽きてはいなかった。

 それはいつかの再現。絶体絶命の窮地に彼女はまたもライダーを助けてみせる。

 

 美しき暗殺者は、ライダーを庇うように救世剣の軌道上に顕現する。ここでアサシンが何もしなければ、そのままライダー共々真っ二つに引き裂かれ、死骸はカルキに貪られることになる。

 

 幸いにして、そんなことは起こらなかった。

 その瞬間、アサシンは己の身体を通して世界と繋がっていた。

 

【……無想涅槃……】

【……幻想御手……】

【……伝想逆鎖……】

【……仮想盤儀……】

【……連想刻限……】

 

 アサシンが、世界に挑戦する。

 

 



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day.final-11 令呪の命令

 

 

 アサシンは令呪の制約に縛られている。

 

 これが他のサーヴァントであれば気付いた瞬間に真摯に受け止め対策に奔走するのだろうが、残念ながら当の本人はまったく気にしていなかった。意にも介していなかった。

 その証拠にアサシンは序盤からその事実に気がついていたのである。

 

 行動の制約を自覚した、というわけではない。単に武蔵戦で遭遇したジェスターの手に令呪がなかったのを確認しただけ。そしてジェスターに捕まり自殺できない事実に出くわすまですっかり忘れ去っていた次第。

 署長からそれらのことを指摘されもしたのだが、実に潔く彼女は思考を放棄してみせた。自分の頭では気にするだけ時間の無駄、とさっさと忘れてみせたのである。

 

 普段の言動を考えればさもありなん。

 指摘した署長が溜息をついたのも無理はない。およそ癖のない英雄など皆無に等しいが、アサシンはキャスター以上に癖のあるサーヴァントだった。

 署長は「キャスターだから」の一言でありとあらゆる胃痛に苛まされた経験を持つ希有なマスターである。これに「アサシンだから」の一言が付け加わわれば、もうお手上げである。これ以上は手に余ると彼もまた思考を放棄していたのである。普段の様子を知っていれば、その愚行を一体誰が責められようか。

 

 土台、まともな思考能力を持っていれば初手から何の確認も取らずにマスターを殺害する馬鹿はするまい。これは常識であり、定石だ。奇策としては有効だろうが、策としてなりたっていなければただの愚でしかない。

 つまり、アサシンは単に愚かなのである――

 

「そんなわけないじゃないですか」

 

 と、その女はアサシンに告げた。

 ばっさりと、そんな浅はかな考えを切り捨てる。

 

「確かにあなたの行動は無茶苦茶です。けれども、場面場面であなたの行動は筋が通ったもの。何の準備もなく自分のマスターを殺すのはどうかと思いますが、それは戦術や戦略といった概念をあなたの信念がただ超えただけ。英霊であるならば、譲れぬ一線のひとつやふたつはあって然るべきでしょう」

 

 この世の全てには普遍に広がる理屈がある。因果という逃れ得ぬ鎖がある。混沌の中にさえ不明瞭という法がある。そしてアサシンにだってアサシンなりの筋があるのだ。人知を超えた英雄英傑そろい踏みの聖杯戦争だ。人間(ヒトノアイダ)のモノサシでは計りかねるのも当然であろう。

 合理不合理など、そも議論にすら値しない。

 

「もっとも、余裕がなかったとはいえあの署長がそう見誤るのも無理はないわ。もしくはそれがジェスターの目論見だったのかしら?」

「さあ」

 

 長口上になりそうな言い草に当のアサシンはやはり投げやりに答える。そうだと言えばそうだし、ただの愉快犯という線もある。確認が取れないのだからここでどうこう言おうと意味はなかろう。

 端的に言えば、興味がない。

 

「そう、それ」

 

 そしてそんなアサシンの態度こそ、女が指摘するべきところだった。

 

「?」

「その無関心さ。何故です?」

「何故、と言われても」

 

 困る、とアサシンは口ごもる。

 理由などない。あるわけがない。ならば最初から署長の指摘に真摯に応えていただろうし、そもそも発覚した段階でジェスターを全力で追いかけていただろう。

 

 ただ、そんな不明瞭こそが、女の欲しがっていた事実だった。

 

 狂信者というのは、有能無能に関係なく皆勤勉なのである。実に礼賛すべき美徳を備え持っていることが前提なのだ。ここに至って、この狂信者が無能というわけがないのである。

 有能にして勤勉たる彼女が、無関心でいるのは不自然だ。

 

「それが、令呪の強制力なのですよ。おそらく、無関心を持つよう命じられている」

 

 令呪の命令に気付かない、としていたならその不自然さは周囲から殊更目立ってしまう。けれど、本人が無関心であれば不自然さは当人に起因する性質である、と周囲は勝手に勘違いするだろう。

 胡乱な目つきで虚空を眺めるアサシンの瞳の中で、暗く輝く狂気が生まれ、その度に握りつぶされようとしていた。

 女の瞳はそれを見逃さない。

 少し揺さぶっただけでも令呪はその効果を発揮している。十日以上もこれほどの強制力を与えるとは、さすがにジェスターだけのことはある。

 

「アサシン。あなたは、何故召喚時にジェスターを殺したの?」

「……聖杯を求めていたから」

 

 正確には、歴代の頭首たちを惑わした異教の儀式である聖杯戦争に参加し聖杯を求めていたから。聖杯戦争そのものの破壊を、彼女は望んでいる。

 言葉数少ない彼女の意志を、女はちゃんと汲んでいる。

 

 アサシンの目的は『聖杯戦争の破壊』。他の全サーヴァントの悉くが“偽りの聖杯戦争”のルールに惑わされている中、アサシンだけは唯一抑止力として正しく機能していた。狂信者こそが、最も正しい道を歩んでいた。

 だからこそ、ジェスターの令呪によって事態は混沌具合を増していった。

 

「なら、聖杯を求める他の魔術師達を殺さなかったのは、何故?」

「………」

 

 女の問いにアサシンは答えない。

 聖杯を求める魔術師を過剰敵視しているアサシンならば、彼らを殺さないのはおかしいのだ。聖杯戦争の崩壊そのものを狙っているティーネ・チェルク、生存本能から無意識にランサーを呼び出した銀狼、参加している自覚すらない繰丘椿、この三者以外は悉くアサシンの敵である。

 

 だというのに、アサシンは街中に潜む魔術師を殺しもせず、効率の悪いことにわざわざ宝具を使って片っ端から捕まえている。ジェスターから署長を守らなければ多分逃げるくらいのことはできていた。ライダーだって長距離狙撃からアサシンがわざわざ助ける義理もなかっただろう。

 

「結論。あなたは、令呪によってその行動信念をねじ曲げられている」

「……それは、」

 

 反論しようと口を開いてみるが、それより先に言葉は出ない。

 己を振り返ってみれば、その不自然さは彼女が一番良く分かっている。基本、目的のために手段を選ぶ善属性のアサシンであるが、それでも彼女の行動は度が過ぎている。必要のないことまで自ら背負い込み、自身の重荷となって縛り上げられている。

 

 ジェスターの望みはアサシンを凌辱し尽くし奪い尽くすこと。

 そこから逆算すれば、ジェスターが何を令呪で命じたのかおおよそ想像することはできる。

 

「第一の令呪は『この聖杯戦争関係者を守護すること』。

 第二の令呪は『第一の令呪に邪魔となる志はこれを忘却・改変すること』。

 第三の令呪は『令呪の効力に無関心であること』。

 細かいニュアンスはわからないけど、こんなところかな?」

 

 私ならこうする、と女は断定する。

 第一の令呪でアサシンに試練を与える。第二の令呪はそのために邪魔なアサシン本来の制約を取っ払う。だからアサシンは自らの重みに耐えうるために奔走し、ついには禁忌である異教の業を習得するに至った。

 これもジェスターの狙い通りか。

 

 結局、ジェスターがやったことはアサシンに世界の広さを見せつけることに終始する。狭い世界の神ではなく、広い世界の事実をその身に刻みつけ、己が役割の矛盾に気がつかせる。

 召喚されたばかりのアサシンは、赤子のように無垢だった。何も知らず、何も知ろうとしない。放置された赤子が辿る道は、獣でしかないという良い例であった。

 

 ジェスターはそんな彼女を一から教育を施そうとしたのだ。そのために、行動理念はそのままに初志を忘れさせた。

 果たして他者を知り、異教を知り、世界を知った彼女は、今でも獣であるのだろうか。狂信者であり続けることができるのだろうか。

 その答えが出る瞬間が、ジェスターは愉しみで仕方がないだろう。ジェスターの望みは、既に叶っているのである。

 

「……ひとつ、質問です」

 

 そんなジェスターの思惑を咀嚼しながら、それでもアサシンは膝を付かない。胸を張るまでもなく、背筋を伸ばすまでもなく、俯くことすら考慮にない。

 だから、質問ばかりしてくる女に対し、アサシンはたったひとつの質問で全てを語ってみせる。

 

「結局、やるべきことに違いはあるのですか?」

 

 簡単に否定することなく、難解な肯定をすることもない。

 彼女は常に真摯で、苛烈で、容赦がない。

 他人に対しても、自分に対しても。

 そんなことは些事であると。

 

「フッ……フフフッ、あは、あははははっ!」

 

 そんなアサシンの言動に、女は腹を抱えて笑い転げる。

 アサシンは今、死の危機に瀕している。

 正面から何の考えもなく立ち向かっていった結果、アサシンは最終英雄に立ち会うことなく、魔群の蹂躙にあっさり巻き込まれていた。即死こそ免れたのはさすが英霊なのだろうが、それを褒めるわけにはいくまい。

 

 この期に及んでキャスター以上に何の見せ場もなく地味に退場しようとしたアサシンが、これ以上何をするというのか。

 何ができるというのか。

 できることが、あるというのか。

 

「いいわ。アサシン。あなたにやる気があるなら、策を授けましょう」

 

 女は長い月日を感じさせる裏のある笑みで、狂信者の背中を押してみせた。

 

 

 

 

 

 全身ボロボロの姿になりながら、アサシンはライダーとカルキの間に入り込む。

 魔群に蹂躙され死にかけていたのは事実だった。五体が満足なだけで無事な部分などどこにもない。首に巻き付けてあるスカーフまで朱く血塗られ、常人ならこれだけで失血死してもおかしくはあるまい。

 それでも、アサシンは死ぬより先に、動いていた。

 

【……無想涅槃……】

【……幻想御手……】

【……伝想逆鎖……】

【……仮想盤儀……】

【……連想刻限……】

 

 正気の沙汰とも思えぬ宝具の五重掛け。

 宝具の多重起動など、アサシンの才覚を以てしてもせいぜい二つまでだ。それ以上は身体が保てないし、魔力も圧倒的に足りない。サーヴァントという器にあっては限界もある。

 奇跡の一つや二つを扱うならともかく、それがいきなり五つともなると行使して良い次元ではない。いかに人の域にあらねども、確率がゼロではないというだけに過ぎない。

 

 それだけあれば――お釣りがくる。

 

 繰丘椿が後ろにいることで、皆を守れという令呪の強制力はアサシンに更なる力を与えてくれる。

 常人なら絶望にしか見えぬ無明の闇を、彼女は躊躇いなく踏み込んだ。

 

 忘れてはならない。

 彼女こそは、歴史に名を残すことのなかった救世主の可能性。

 不可能を可能にしてこその英雄だ。

 絶対不可能を可能にせずして、救世主とはなり得ない。

 生前についに誕生することのなかった雛鳥は、ここに来て世界をその嘴で貫いてみせた。

 

 世界を、アサシンは書き換える。

 ほんの一瞬だけ、アサシンの望む通りの世界へと改変させる。失敗し続けても、成功するまで繰り返す。何千何万何億何兆もの繰り返しの中で、たった一つの成功を得るまで世界をやり直す。ようやく引き摺り出した未来も、元の場所へと戻ろうと身を捩りアサシンの手から零れ落ちようとする。

 

 この一瞬のためだけに、アサシンの魔力は底が抜けたかのように枯渇していく。到底、自前の魔力だけで追いつくわけもない。マスターからの供給という間接的な手段でどうにか賄える量ではない。もっと直接的に、効率良く、質と量を重視する魔力補給が必要だった。

 だからこそ、

 

【……理想略取……】

 

 アサシンは宝具を六重に起動してみせた。

 

 『同食同位』という言葉がある。

 自分の肝臓が悪いなら、他の生き物の肝臓を食せば良い。血が足りなければ血を飲み、性欲がなければ睾丸を食す。つまりは、自らに足りないものを他者より補う東洋医学の考えである。

 アサシンが生きた時代であっても別段珍しい考え方ではない。むしろ人体改造を行っていた暗殺教団では積極的に取り入れられていた考えだ。

 

 アサシンが行使した理想略取は、そのハイエンド。

 予め用意しておいた血肉をその場で文字通り己の血肉と化す。補うよりも足すことを重視した移植の技術にして増設の技術。

 シャイターンの腕すら移植してみせるこの御業は、拒絶反応の危険と隣り合わせである。喩え上首尾に運んでも自己崩壊を起こしかねぬ危険性を秘めているが、そんなことを一々気にしていては暗殺業は成り立たない。

 

 女の策により血肉の準備は簡単にできた。

 女の指示により移動する座標やタイミングも絶妙。

 あとはアサシンが自らの真価を発揮するのみ。

 

「―――ッ!」

 

 歯が割れ砕けるまで強く噛みしめる。同時に口の中に広がる鉄臭さ。それを無理矢理嚥下してみれば、臓腑の淵より満たされる高純度の魔力。喉を通れば痛みを忘れ、胃に落ちた瞬間に魔力は全快し傷ついた身体は完治する。そして消化を始めた瞬間には身体中が破裂し再度血塗れとなった。

 

 薬も過ぎれば毒になる。

 それでも今のアサシンは過去最高の魔力の獲得に成功し、同時に有り余る魔力を余さずカルキへと叩き込む。

 

 世界が、屈服した。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――――!!!!!!!!!」

 

 最終英雄が、雄叫びを上げながら吹き飛んでいく。

 カルキの下半身が容易く吹き飛び、上半身が反動で上空へと舞い上がり、わずかに滞空した後、何の不自然もなく地に叩きつけられた。

 

 下半身がないため着地はできなかった。着地というより落下。落下というより墜落、か。カルキの頑丈さなら墜落によるダメージなどないに等しい筈だが、倒れ伏したまますぐに体勢を整えないところを見ると、大ダメージなのは間違いない。

 だがそんなカルキの様子をアサシンは確認すらせずに、

 

「不味い」

 

 口の中に残った血を吐き捨て、首に巻き付けてあった血塗れのスカーフをその場に捨て去った。

 スカーフに染みこんでいた血はアサシンのものなどではない。

 アサシンが必要としたのは高純度の魔力補給源である。そしてマスターによる間接的魔力補給でこんな無茶ができるわけもない。

 ならば、答えは簡単だ。間接的でなければ直接的に、少量ではなく大量に供給できれば事足りる。

 折良く、アサシンのマスターはそんな無茶な要求に適した体を持っていた。

 

 体を血液のみで構成された吸血鬼は、おそらくこの戦場の誰よりも死にかけていた。

 

 



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day.final-12 失策

 

 

 天秤は再び傾く。

 

 最終英雄が完全状態で世に解き放たれていたのなら、その結末は確定である。万が一、億が一にも終末の回避は有り得ない。

 不確定要素が星の数ほどあったとして、所詮は手の届かぬ天の上。目映い光こそ放たれるだろうが、綺羅星となったところでその悉くは無意味かつ無価値へと落つる運命。もはや可能性を語ることすら烏滸がましい限り。

 

 しかして、最終英雄は不完全どころか満身創痍の状態で世に解き放たれた。

 四十万年分の魔力などどこにもなく、初手から乖離剣の洗礼を浴び、更には魔群の退治という最終英雄固有の制約によって自縄自縛状態。

 ここまでお膳立てが整っていれば、万が一どころか百が一という程度にまで可能性は語れよう。神槍が直撃した段階で十が一というところまで跳ね上がり、途中ランサーの吸収というアクシデントこそありはしたものの、ライダーの時間稼ぎとアサシンのカウンターによって、最終英雄打倒の可能性は二つに一つ程度に奇跡的に盛り返していた。

 

 ここに至れば、その打倒は十分過ぎる程に現実的。

 倒したと同時にカルキの自爆によってアメリカ大陸は海に沈むだろうが、それでも戦果としてはお釣りが来るのである。もっとも、その事実に気がついているのは臆病風に吹かれたライダーくらい。本来であれば彼とて勇敢に戦い主の勇姿を見せつけたい所なのである。

 

 故に、ライダーは慌てる。

 危機的状況に合って、状況はやはり改善していない。前門の虎後門の狼、しかも時間制限がここにはある。

 考えた挙げ句、ライダーは時間稼ぎを選択する。

 選択してしまった。

 

 浅薄と言うなかれ。限られたこの状況に合って、その選択は決して悪い考えなどではない。

 このままであればカルキは討ち取られてしまうだろう。満身創痍ながらもまだアサシンは顕在であり、後詰めには無傷のアーチャーがいるのだ。下半身を失い動けぬカルキ相手ならば、アーチャーの火砲はこれ以上にない程効果的に発揮されることだろう。

 

 これをどうにかするには、カルキに魔力を供給するしかない。

 幸いにして、ライダーの魔力は未だ他を圧倒するほどに潤沢である。まるごと喰われてしまうことはさすがにアウトだろうが、一部だけならばさほど問題はない。

 

 後方を確認すれば、ようやっと二十八人の怪物(クラン・カラティン)が飛翔宝具によって空を駆けてやってくるところ。戦場のセオリーに乗っ取り、数を押して英雄を討ち取ろうというのだろう。決定打に欠けるものの、吸収される恐れがあるライダーやアサシンが直接戦闘するよりも上策だ。

 

 更に上空を見やれば、夥しい数の宝具の煌めきがその獰猛な牙を研ぎ澄ましていた。そうこうしている間にもその数はどんどん増えている。アーチャーもタイミングを見計らい仕掛ける算段らしい。怒りで我を忘れていないのは僥倖。直接姿を見せないのはランサーみたく吸収されるリスクを抑えるためか。英雄王らしからぬ姑息さであるが、安全策を考えれば当然ともいえよう。

 

 急がなければならない。

 そう思い、安易な方策をとってしまったライダーのミスだった。

 

 ライダーは、ひたすらに殺しにくいサーヴァントである。

 今でこそ繰丘椿というマスターに寄生しているが、その気になればライダーは誰彼構わず寄生し生き延びることができる。極端な話、他のマスターに寄生することができれば、ライダーの存命は可能なのである。それをしないのは、単にライダーが椿に拘っているだけに過ぎない。

 だがそれを知らぬカルキから見れば、ライダーの行動は脅威であった。

 

 繰丘椿の身体から、湯気のようにライダーが拡散され、カルキの周囲に浮遊する。

 粒子の一粒一粒が高密度の魔力――否、英霊そのものと過言ではない。一見すれば先と同じ目眩ましにも思えるが、これは並の英霊であっても浸蝕されかねぬ死の腕である。やはり最終英雄であるカルキにはどれほどの意味もないが、それでも規格外の英霊たるライダーの一部であることに違いはない。

 

 これを喰らえば多少なりともカルキは魔力を補充できるのだろう。ライダーにとってこれほどの魔力を喰らわれるのは痛手であるが、背に腹は代えられない。

 このライダーの思いをカルキが斟酌したのなら、今後の話は大きく変わってきたに違いない。

 

 ここに両者の認識に差があった。

 最低限の供給ができれば大丈夫だろうというライダーとは裏腹に、カルキからすればこの程度の魔力は仮に喰ったとしても全く足りぬもの。

 むしろこれは蜥蜴の尻尾に過ぎぬとカルキは判断する。

 わずかな魔力を餌にライダーはここから逃げることになる。

 

 そんなカルキの認識に間違いはないが、解釈には間違いがある。

 逃走とはライダーにとって戦線離脱だが、カルキからすれば一時離脱なのである。戦力を整え戦線復帰されれば、今以上に困難が待ち受けることだろう。目の前にぶら下げられた餌に飛びつくにはリスクが高く、そしてリターンが少ない。

 それに、ライダーは採取対象ではなく、獲物なのである。

 

 ライダー以上に切羽詰まっているカルキは、決断をする。

 最善を取り捨て、最悪を回避するために、行動した。

 

 光が、周囲に満ちた。

 

 カルキが救世剣を使わなかった理由は、吸収対象であるサーヴァントを消滅させては元も子もないからだ。魔力補給は最重要課題であり、可能な限り多くのサーヴァントを傷つけることなく吸収することが求められる。

 供給源が少ない以上、無闇に救世剣を使い消滅させることは推奨されることではない。

 推奨されることではないが、条件次第では使うことも止むを得ない。

 

 ライダーを含め、この場の多くの者が誤解していたことであるが、救世剣ミスラは剣としてその刀身を伸ばすだけが取り柄なのではない。そして、特定対象を無条件に消滅させるだけの特性でもないのである。

 つまりは、剣のように指向性を持たせて威力を高めることもできれば、指向性を持たせないことで全方位に最小出力でダメージを与えることも可能である。

 

 カルキの周囲数キロメートルに、回避不能の全体攻撃が行われた。

 目標設定は霊体。ただの人であれば多少ふらつくという程度の威力に過ぎない。遠方にいたアーチャーやヘタイロイは宝具の守りもあって十分に対処できたが、中距離にあった二十八人の怪物(クラン・カラティン)は戦闘不能には陥らないまでも、衝撃でその大半が墜落させられる。周囲に湧き出てきた魔群も大半が動きを止める程にダメージを受ける。

 

 だが、近距離で救世剣の光を浴びた者はまた別である。

 カルキ自身も、実体を持ちながらも霊体密度の濃い存在だ。ダメージは計り知れず、絶対防御を誇る頑強な身体に数えようもない罅が入り、もはや期待通りの防御力を発揮できるようには思えない。

 

 もちろん、同じく近距離で防御の時間もなかったアサシン(とジェスター)は完全に戦闘不能となった。消滅していないことは奇跡だが、ただそれだけ。むしろ消滅していないことでカルキにあっさりと捕食される運命が待ち受けている。ここまでくるとカルキはアサシンを殺さぬ程度の威力に絞ったのではないかと邪推すらできるだろう。

 そして、近距離にはもう一組直撃を受けた者がいる。

 

「ライダー! 逃げて!」

 

 ほんの数歩とはいえ、咄嗟に後ろに下がれたのは奇跡ともいえよう。実体を持つ椿ならば、この程度でも十分な威力減衰が期待できた。実際、椿が受けたダメージは中距離で撃墜された二十八人の怪物(クラン・カラティン)よりも小さいくらいである。場合によっては即時戦闘も可能な状態。直撃を受けた直後に叫び命令を下すことができたのが何よりの証拠であろう。

 ただ。

 

 繰丘椿の命令に応える者はいない。

 

「ライダー!?」

 

 声が聞こえなかったのかと椿は訝しむが、いや、ちゃんと反応はあった。

 アサシンのカウンターにより椿の肉体を回復をし終えるだけの時間は稼がれている。魔力の消耗はあっても肉体は万全のまま。だというのに、全身を強い倦怠感が襲いかかり、四肢に力が入らない。たまらず膝を付き倒れ込む。両手を前に受け身を取ろうとするが、それも許されなかった。

 

 これは異常であろうか。

 否、これが正常である。

 

 一年も寝たきりであった繰丘椿がこの聖杯戦争で生き抜くことができたのは何故か。それはライダーの補助があったればこそ。ライダーが椿の意志を令呪の効力によって十分以上に伝達し、その肉体を操っていたからに他ならない。

 

 だから、これが普通なのである。

 ライダーが消滅した以上、繰丘椿の身体は寝たきり患者のものへ成り下がる。

 

 ライダーの敗因は、薄く広く拡散してしまったことだ。質としては他のサーヴァントに劣れども、量が桁外れであるが故に、ライダーは並外れた強さと殺しにくさを両立させている。

 そんなライダーにとって、カルキが行った全体攻撃は致命的であった。何が起こったのか悟ることすらできずに、末期の言葉すら残す暇もなく、ペイルライダーは一瞬にして消滅した。

 

「ライダー! ライダーっ! ライダーーーーーっ!!!」

 

 少女の悲痛な叫びが辺りに響く。

 その後の運命は誰の目にも明らかだった。

 カルキはその下半身が失われているが、その両腕は顕在。そして腕さえあれば移動は可能。器用に両腕を使って椿の前へやって来ると、徐に救世剣を振り上げた。

 

「椿、逃げなさい」

 

 警告を発したのは僅かに蠢くだけで立ち上がることもできぬアサシン。

 ここでアサシンが率先してその身を捧げればまだ時間も稼げるかも知れないが、最終英雄は優先順位を間違わない。ある意味で一番元気に声を張り上げる繰丘椿を、最終英雄は念入りに殺すことにしたようだった。

 

 無慈悲な轟音が、響き渡った。

 

 



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day.final-13 女

 

 

 轟音が響き渡った瞬間、ジェスターは死を覚悟した。

 

 忌々しいことであるが、今の彼女にできることなど何もない。

 血液を本体とする彼女はその気になれば肉体を犠牲にして魔力を生み出すことが可能である。長年蓄え続けてきた魔力はその気になればサーヴァント数体をまとめて面倒見切れるほどで、戦争最終局面にあっても余力はたっぷりとあった。

 そのたっぷりあった魔力の全部をアサシンに提供(強奪されたともいう)しながらまだ彼女が生きている理由は、単純にその自喰作用によるものである。とはいえ、ここまで肉体も失い後がなくなればおいそれと魔術を行使するのも躊躇われるだろう。

 

 ジェスターにできることはただ周囲を観察することのみ。例え何もできなくとも情報収集は大切なのである。同じ死ぬのなら死ぬ理由を知りたいと思うのはそう特別な話でもないだろう。

 故に、彼女は生きてその光景を目撃することになる。

 

 そこに女がいた。

 

 カルキの間合いは当然のことながら数メートルとかなり広い。その巨体に加えて救世剣のリーチ、そして強力な剣圧によって圧倒的なキルゾーンを形成せしめている。これを突破しゼロ距離に至ればさしもの最終英雄もリーチの長さが裏目となって手出しできないだろうが、それを実行できる英霊などいるわけがない。

 だというのに。

 その女はカルキの懐深くにその繊手を軽く密着させていた。

 

 大地を言葉通り「踏み砕く」強烈な震脚。

 見た目から判断などつかないというのに、何故か理解してしまう気脈の開放。大地から取り入れた螺旋の流れはただそれだけで尊く、そして震える程に怖ろしい。逆巻く気の旋風は強力無比ではあるが容赦がない。

 一切を躊躇なく受け入れるのは相応の器も必要とされる。それは強度であり、柔軟性であり、度量であり、そして運でもある。しかしてそんな心配は必要なかった。

 爪先から始まって、足首、膝、股関節、腰、肩、肘、手首。すべてをひねりながら、その力が拳に淀みなくかくあれかしと集約されていく。

 

 身体を駆け巡ったエネルギーがほんの少しでも漏れ出た瞬間、術者はあっけなく死ぬことになる。生きているという時点で驚嘆に値する偉業なのだ。人の域の技でありながら、人の域にあらざる魔技――あるいは神技。

 いや、神秘そのものか。

 その小さな拳に空間が歪んで見えるほどに、力が凝縮されていた。

 

 寸頸。

 

 轟音はここより発生していた。

 空間どころか、時間すらも引きちぎるほど次元違いの暴力。

 ジェスターもまたどちらかといえば武闘派であるが故に己の戦闘力には自信があるし、副次的ながら『至ってしまった』が故に死徒となった身でもある。己が辿った道に誤りはないと胸を張って言える自負はあったが、この瞬間から同じ事を平然と口にできるかどうか。仮にこの女の偉業をジェスターが真似ようと思えば、今日まで生きた人生と同じだけの時を費やす必要があるだろう。

 

 至るべき道程を間違えたと錯覚しかねぬ精神的破壊力がそこにあった。ややもすると死徒としての存在意義(レゾンデートル)を失いかねぬ負荷を感じながらも、それでもジェスターの精神は耐えきった。

 耐えきれなかったのは、最終英雄の身体だった。

 

 拳と接触していた胴の反対側が一瞬遅れて冗談のように爆散していった。

 数多の攻撃に耐えてきた筈の最終英雄の身体が、たった一撃で、ここにあっけなく敗北した。衝撃の余波が四方八方に飛び散り、何も無いはずの空間に奔った亀裂がそのまま修復される様子もない。魔術を囓った人間であれば、大なり小なり最終英雄に施されていた神代の時代の防御術式が同時に弾けたことを確認できただろう。

 

 飛び散った最終英雄の肉片が、新たな魔群の津波となって周囲へ逃げていく。この量とこの数を放置しておけば後日とんでもないことになりかねないが、そんな些事に意識を割く余裕はない。

 カルキが、後退する。

 腕の力だけでわずか一〇メートルながらも、前進しか知らぬ最終英雄が、仕切り直しを強いられ、警戒した。警戒に値するだけの「敵」であると、カルキは認識した。

 

「■、■、■、■、■、ッ――――」

 

 悲鳴などはない。

 嘔吐くように漏れる音だけが、カルキから漏れ出てきた。

 距離を取り、即座の反撃がなかった事実が、何よりの成果を物語っている。

 

「――馬鹿なこと」

 

 と、気怠そうに、女は口を開く。

 てっきりそれは相対していたカルキへの言葉かと思えば、そうではない。

 

「何をしているのアサシン。そこの吸血鬼は守らずとも死にはしないでしょう。令呪の強制力とはいえ、自覚すれば多少なりとも抗うこともできるでしょうに」

 

 やれやれ、と嘆息する女。驚くべきことにその意識の矛先はアサシンにあった。視線こそ最終英雄から動かさないが、意識を他者へ向けるだけの余力がある。

 余裕があった。

 

「身体は癒やしたわ。さすがに魔力はどうにもならないけど、そこのボロ雑巾から搾り取りなさい。ゴキブリくらいにはしぶといからきっと大丈夫よ」

「―――っ!」

 

 女の指摘にアサシンが息を呑んで確認する。

 マスターであるジェスターにもその異常ははっきりと認識できた。今のアサシンに、わずかな瑕疵も存在していない。まるで時間を巻き戻し方のような錯覚に囚われるが、あながち間違いではないだろう。戦闘でボロボロになった服までも、同様に元に戻っている。

 

「お、お前は何者だッ!?」

 

 溜まらず、ジェスターは女に詰問する。

 この数分だけでジェスターは数百年感じたことのない、ジェットコースターの如き感情の起伏を体験している。

 キャスター達を出し抜きランサーを手玉に取ったと思ったらフラットに手玉に取られ、怒りに身を任せたらいつの間にか最終英雄復活の場に立ち会っており、訳の分からぬままアサシンに捕らえられボロ雑巾のように搾り取られている。事態を一向に把握できていないが、それでも尚平常心を失わないのはさすがと言えた。

 だが、それもここいらが限界だ。元来、自らの嗜好に忠実な彼女である。振り回されっぱなしな状況に我慢できる質ではない。

 が、

 

「―――お前?」

 

 言葉に、怒気が込められる。

 最終英雄に注がれる筈の視線までも、砲身を動かす戦車のように照準がジェスターに向けられた。

 

「害虫如きが舐めた口をきくじゃない。この姿を見て私が誰か分からない? 耄碌したのかな、お嬢ちゃん?」

 

 眉を寄せて、軽蔑さえしているかのような表情。

 気の緩み、とでもいうように怒りの矛先をジェスターに向けられたのは一瞬のことだけ。それも子供のオイタにムキになってしまったとばかりに押さえつけられる。だがその一瞬は、この数百年を生きた死徒を震え上がらせ足る十分な威力を秘めていた。

 

 人の身体を持っていれば失禁していてもおかしくあるまい。両の足があれば、自由になる腕があれば無駄を承知で這ってでも逃げていただろう。

 今すぐ死んでいてもおかしくないくらいに弱体化しているのだ。ただの稚気であっても隔絶した実力差があれば死神の鎌も同然となりかねない。

 いや、それよりも。

 

「お嬢ちゃん、だと――?」

 

 そう呼ばれていたのはいつの話だろう。

 好きこのんで男装をしていたジェスターである。女の形など早々に投げ捨てている。ということは本当に幼少時以来数百年そう形容されたことはないということだ。

 馬鹿にされたと感じながらも、その言葉が嘘偽りでないことを直感する。

 

「――ああ、そうそう」

 

 ジェスターの声は、もはや雑音となって女の耳に届かない。

 視線を最終英雄へと戻し、女が指を鳴らせば突如として立ち上がる影が演技過剰なまでに出現する。

 立ち上がる、というより、蘇る。

 金属の肉体に深々と刻まれているのは、救世剣の一撃。カルキについ先程完膚無きまでに破壊された筈の鋼の巨人アトスは、脱力しながらも重力に逆らうようにその骸を起こす。

 

 視線を外す、という致命的な隙を最終英雄が見逃した理由がここにある。

 完全に機能停止した筈だというのに、この巨人は何の障害もないとばかりに立ち上がる。惨たらしく晒された疵痕は、アサシン同様にやはり見る間に修復されていく。カルキに付けられた傷はもちろん、落下の際に受けた衝撃も、全て。

 

 全力可動すれば単騎でサーヴァント数体を圧倒できるという触れ込みの都市殲滅型軽車輌が、無傷で再度降臨した。この場にいる全員が知る由もないことだが、その内部構造には本物の竜種の遺骸や核までもが組み込まれている。信じがたいことに、そうした内部部品までもがより強度と神秘を増して蘇っているのである。

 

 もちろん、これで終わりというわけもなかった。

 またも響き渡る轟音。しかしこれは暴力的なものではなく、宙を飛び交う軌跡によるもの。二基の跳躍ユニットを自在に操りその存在をアピールするのはアトスと同じく機能停止に陥っていた残りの都市殲滅型軽車輌が三機。

 キャスター命名機体名称、ボルトス、アラミス、そしてダルタニアン。

 手にしている宝具は、やはり時間停止の拒絶結界方舟断片(フラグメント・ノア)

 

 止めとばかりに、周囲に横たわり機能停止に陥っていた機械兵団も、その全機がロールアウト直後の如く万全な状態となって復活してみせる。

 まるで夢か幻かという有様が現実と知らしめるべく、まずは殴り飛ばされた肉片から周囲に発生した魔群を対霊狙撃砲(アンリ・スピリチュアル・ライフル)の一斉掃射で掃討。圧倒的な火力によって、後顧の憂いはあっさりと排除された。

 

「挨拶が遅れたな、最終英雄」

 

 まるで握手を求めるように差し出される腕。が、差し出された意図は別にある。

 その手には、令呪の輝きがあった。

 

「――夢幻召喚(インストール)、始皇帝」

 

 こともなげに、彼女は有り得ぬ呪文を唱えてみせた。

 それは戦争序盤で失われた筈のフラグである。

 その令呪には、普通の令呪と違って英霊を限定的召喚を可能とする機能がある。だがそれにしたって始皇帝ほど格の高い英霊を喚ぶには些か以上に力不足。最低限、召喚するための直接的な触媒が必要であるが、スノーフィールド内でそれを可能にする触媒はランサーと二十八人の怪物(クラン・カラティン)の戦闘に巻き込まれ永遠に失われている。

 そんな不可能を可能にして、準備が整ったと女は最終英雄に名乗りを上げる。

 

「我が名は、繰丘椿。

 夢世界にて貴様との邂逅を数万年も待ち望んだ時間旅行者(タイムトラベラー)、だよ」

 

 十歳児の身体で、その女は嬉々として最終英雄に宣戦した。

 

 



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day.final-14 キャラクター

 

 

 可愛い女の子と話している一分とストーブの上に手を置いた一分とは同じ時間であっても天地ほどの差がある。詳細はともかくとして、20世紀最高の物理学者アルバート・アインシュタインのお言葉である。

 

 つまり時間の流れ方は観測者によって固有であることを述べているわけだが、これを繰丘椿は「気の持ち方次第で時間は変わる」とざっくり解釈をした。相対性理論など興味もない彼女が本質を理解する必要はなく、むしろ曲解による思い込みをする方がよほど重要なのである。

 

 何故なら彼女が扱うのは魔術。

 魔術の強さは思いの強さでもある。

 夢世界を構築する彼女独特の魔術は、たったそれだけのことで本来の力を得ることに――気付くことになる。

 

 夢とは、色も形も重さもない言葉通りの絵空事である。意志の強さだけが全てと言っても過言ではあるまい。

 夢世界に取り込んだ現実世界だって、何の干渉も許さないわけではない。積み木を手に入れた子供がそれでどうするかは自由なのだ。積み木で城を作るも良し、ボールのように投げつけることだって選択肢としてはある。積み木を削って仏像を制作するのだって自由だ。

 

 繰丘椿は、夢世界でひたすら自分を鍛えるために時間を費やした。邯鄲の夢の例をここでわざわざ挙げる必要はあるまい。彼女が夢世界を構築したのはたった一夜のことであるが、そこで得た時間は無限にも等しかったのだ。

 無限に時間があれば、無限に自分を鍛えることができる。如何な亀の歩みであろうと、時間をかければ兎に追いつくだろう。追いつくこともできれば、追い抜くことだって不可能ではない。

 

「ふん。凡人の発想だな。そんなくだらぬことに一体どれほどの年月を費やしたのかは知らぬが、ご苦労なことだ」

 

 明かされた手品の種は、アーチャーにとってあまり面白いものではなかった。

 千里の道も一歩から、と言うがおよそ英雄と呼ばれる種類の存在は千里の道も一歩で踏破できる足を持っている。地味な努力が大事なのは認めようと、兎が亀を真に理解することはないのである。

 

 だがその凡人に助けられている図式を英雄王が理解していない、ということもない。その証拠に彼は大人しく最終英雄の目から隠れ、宝具の射出準備に精を出しているのである。今ここで出陣するのは簡単だが、椿の助けなしでは碌に戦うこともできずに敗北するのは確実である。

 

「軽く見積もっても、彼女の研鑽は数百年を経たものです。千年だとしても驚きません。下手をすれば、万年にだって届いているでしょう」

 

 そんな言葉をアーチャーが求めているとは思えないが、解説をしていたティーネは補足する。あの幼気な少女に余計な気を負わせ追い込んでしまった者の一人として、擁護する義務はあるのだろう。

 そんなことは百も承知だと英雄王はティーネに視線で返し、そのまま魔術で壁に投影された戦況へと眼を走らせる。

 

 現在、繰丘椿はカルキと近接戦闘主体のインファイト戦術を繰り広げている。あまりに近すぎるが故に距離を取りたがるカルキであるが、周囲に復活した機械兵団がそれを許さない。対霊狙撃砲(アンリ・スピリチュアル・ライフル)は弾切れを起こすこともなく狂ったように火を吹いているし、四機のエインヘリヤルが時間停止の剣でカルキの動きを縫い付けている。

 

「この玩具もその延長にあるわけか?」

 

 この四面楚歌の状況でありながら、まだカルキはその圧倒的性能で機械兵団を次から次へと破壊し機能停止に陥れている。今もまた、ボルトスとダルタニアンの両機が救世剣の餌食となって鉄屑と化し――そして鉄屑は平気な顔をして鉄へと戻り、何事もなかったかのように戦闘は継続されていた。

 

 英雄王にとって死者が蘇る光景は珍しいものではない。だが、死んだ側から片っ端から再生していく様を見たことはあるまい。北欧神話におけるエインヘリヤルだって、復活するのは夕方である。同じエインヘリヤルの名を冠していても、いくら何でもこの復活の仕方は出鱈目過ぎる。

 

「はい。あれは夢世界に取り込んだものを現実世界に上書きしているものです」

 

 謂わば空想具現化ならぬ、夢想具現化でしょうか、と言ってみれば苦虫を噛み潰したようなアーチャーの顔が更に酷くなる。

 彼女は夢世界に取り込んだものを現実世界に投影する。何度壊されても、その度に再度投影すればいいだけの話である。この機械兵団を危険視し真っ先に葬ったスノーホワイトも、椿の夢世界の中にあってはカルキといえども手は出せない。繰丘椿本体を倒さねば、カルキは無限に機械兵団を相手にすることになる。

 かつて目視した刀剣を己の結界内に登録し複製する英霊がいたらしいが、やっていることはそれと同じである。

 

「現実に起こっていることとはいえ、たかが魔術師にそんな大それた真似ができるとは思えんな」

「仰せの通りです。如何に経験を積んだところであの規模のものを実行するには類い希なる才が必要不可欠。そして椿にある才は夢世界を構築することのみ」

 

 何かカラクリがあるのだろう、と問うてくるアーチャーにティーネも素直に頷いた。

 土台、投影魔術とは使い勝手の悪い魔術である。範囲限定であればさほど難易度も高くないが、破損したオリジナルを修復しているだけとはいえ、それを軍団規模で実行するにはいくらなんでも無理がある。

 

「ですから、夢の中のものを現実に上書きする能力は、別人のものなのです」

 

 だからこその、夢幻召喚(インストール)

 自らの肉体に英霊の力を顕現させる禁忌の業。

 

 繰丘椿がインストールしたのは、秦の始皇帝。彼には『夢の中で海神を弓で射殺したら、現実世界でも大魚が死んでいた』という逸話がある。能力の相性だけを論じるなら、繰丘椿と始皇帝のタッグはライダー以上に脅威である。

 椿はランサーと二十八人の怪物(クラン・カラティン)の戦いで失われた触媒を夢世界で手に入れ直し、令呪の力でその能力だけを借りてきたのである。

 

「貴様等マスターが持つ令呪でそのようなことはできぬと聞いていたが?」

 

 フラットから聞いていたぞ、とアーチャーは尚も問い質す。

 あの天才馬鹿はあっちこっちに大した計算もなく盗聴魔術を仕込んでいるので、実はかなりの情報量を保持していたりする。もっとも、正確には仕組んだことすら忘れているフラットをバックアップしているヘタイロイがアーチャーの耳に入れたのだが。

 それはともかく。

 そんな特殊な令呪を一体いつどこで手に入れていたのか。

 

 確かに、椿やティーネが持つ令呪は己のサーヴァントに告げるための絶対命令権であり、東洋人が持っている令呪のように好きな英霊を好きな時に召喚するような機能はついていない。

 それにそもそも、椿は令呪を使い切っていた筈である。

 

「……どうやら気を利かせた保護者が、こっそりと回収していたようです」

 

 至極当然のことであろう。

 持っていないのだから、盗っておいただけである。

 

 砂漠での戦闘終了後に、原住民要塞へ東洋人四人が強襲を仕掛けている。その場で動くことのできたキャスター及び原住民達は要塞内部の侵入者撃退で手一杯だったこともあり、あの時迎撃に出向けたのはライダー単騎である。わざわざライダーが原住民へ外に出ぬよう警告していたため、ライダーと東洋人との戦闘の詳細はライダーの自己申告によるもののみ。後に襲撃してきた東洋人一人の死体を確認しただけである。

 実はその時倒した東洋人は二人で、その内一人の令呪をライダーは椿の身体に移植していたのである。キャスターに嘘の戦果を報告したのも、ライダーなりの保険だったに違いない。

 

 ライダーには「繰丘椿が構築している夢世界の消失」を令呪で命令されている。いかにあの繰丘椿が強くとも、バックアップをするための夢世界をライダーに壊されると元も子もない。

 あの夢世界で鍛え上げられた繰丘椿が活躍するためには、夢世界を崩壊させかねないライダーの消失は絶対条件なのである。

 

「ライダーが消失しても、感染接続(オール・フォー・ワン)はフィルターとなっていた繰丘椿の中に残ったままです。集めに集めた魔力はスノーフィールド市民八〇万人分――」

 

 一つ息をついて、ティーネは断言をする。

 

「あの繰丘椿に、敵はいません」

 

 感染接続(オール・フォー・ワン)によって魔力も潤沢。

 夢幻召喚(インストール)・始皇帝により夢世界のものを投影可能。

 機械兵団は常に万全の状態で再生可能。

 そして無限の時間を経た繰丘椿は、ただそれだけでも化け物である。

 

 さすがに面と向かって言うことはないが、英雄王といえどもあの繰丘椿には勝てないだろうとティーネは断じる。能力的な絶対値ですら劣るだろうし、相性的にも最悪である。狂化したあのランサーでさえ、相性は悪くなくとも勝てないだろう。

 姿形こそ十歳児の幼気な少女と何ら変わりないが、その中身は霊長の到達点に最も近い存在なのである。

 

 キャスターがかつて言っていたように、彼女が扱う夢世界は凄まじい可能性を秘めた類い希なる神秘である。人類という種の意志に触れるための道程そのものであり、可能性のひとつ。もし繰丘椿が魔術師としての人格を確固としていたのなら、根源に辿り着くのも容易いことだっただろう。

 これは大袈裟な話などではなく、事実である。

 その証拠に傷つき消耗しているとはいえ、あの最終英雄と互角以上に戦っているのだ。そんな偉業を成し遂げられる英霊などいかほどもいるまい。必要なのは他を必要とすることのない、絶対的な『心』の強さ。少なくとも、蔵を頼りにするアーチャーには不可能だ。

 

「大したものだ。成る程、あの小娘は人類という種の意志に触れ理解する器であり、亜頼耶識と呼ばれる境地に達せる傑物――というわけか」

 

 くつくつと、前置きが長いと嘲う英雄王。

 彼とて幾多の試練を乗り越えてきた勇者の一人であるが、さすがにそんな試練を乗り越えられるとは思えない。ただひたすら自らを鍛えるストイックさを持ち得ないのも理由の一つであろうが、何より果てしない時の流れをたった一人で呑み込み抑える器を持ち得ない。

 人類最大級の器を持つ英雄王が、彼女の足元にすら及ばないと断言してみせる。

 

「この我とて、ともすれば赤子同然ということか。いやさ、結構結構。こうも有り得ぬ存在を最終英雄以外に見られようとは、まったく思わなんだ」

 

 すんなりと英雄王が受け入れたことにティーネは安堵する。あの繰丘椿の存在はアーチャーにとって気にくわないことだらけである。一つ誤解や曲解をされただけで、今後どうなるか分かったものではない。

 

「我が憤怒せぬのがおかしいか?」

「いいえ。全てを呑み込む器量があるのも、王の器なのでしょう」

 

 顔色を読まれたティーネの言葉に、アーチャーは呆れたように嘆息した。しばらく会わぬうちに多少成長したのかと思えば、根っこの部分では変わらないらしい。

 

「貴様はグーが何故パーに勝てないのか、納得できないと憤り怒るのか?」

 

 これを咎めるならむしろ王の器としては小さすぎであろう。

 これは器の問題ですらない。

 覚悟を持って挑めば成功するという甘い話ではない。英雄王でさえ匙を投げると言わしめた試練に、どうして十歳の小娘が踏破できようか。体力を得るために走ることや知識を得るために書物を読み耽ることと本質的に変わらないにしろ、その難易度は明らかに違う。

 

 夢物語ならば、夢でしか語られない者もいる。

 夢の中でしか、生きられない者も、いる。

 

「あの繰丘椿は、数百万年の月日を経た化け物――」

 

 不意に、ティーネの後ろで黙っていた少女がアーチャーに対して口を開く。

 

「――そういう、設定で作ったキャラクターです」

 

 実際は五年くらいでギブアップしてしまいました、と最終英雄と戦う分身を見ながら、本体である繰丘椿は恥ずかしそうにネタバレをするのだった。

 

 



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day.final-15 退場

 

 

 そこは地獄の釜の底だった。

 右も地獄、左も地獄。それも灼熱の類。

 丁寧に計算され激しく形成された地上の煉獄。逆巻く嵐は破滅の調べを大気に穿ち、闇色に蠢く炎は盤石な大地すら紫電へと変換する。天魔波旬の悉くを焼夷せしめ、藍碧の空は凍り堕ちたる。

 これは原初の炎(ヘパイストス)でも、浄化の炎(メギド)でもなく、原子の炎ですらない。もっと汚濁に満ちた、掃きだめにさえ劣る恐るべき異界の邪性。

 

 そんな遠くスノーフィールドの光景を、大統領は執務室で寛ぎながら眺め見る。自らの手によって顕現させたものであるが、モニターひとつ挟むだけでこうも現実性が失われていくのは何故だろう。

 

「――よくもまあ、こんな代物を投入できましたね」

 

 どう頑張っても大統領のモニターを覗き込める位置にいないというのに、アインツベルンのホムンクルスは呆れたように感心する。もしくは、混乱を隠そうと努力していた。

 こんな切り札を準備したことでさえ信じられない。まして、大統領という責任ある立場の人間がこの意味を理解していないとは思えなかった。

 

「驚いたかね?」

 

 大統領の声にアインツベルンは応えない。手にしたカップも、宙に固定したかのように動くことはない。

 その様子に大統領は一人満足する。

 

 現在、大統領は繰丘椿(偽)と最終英雄との戦いに割って入り、自らの持てる力をフルに使って最終英雄に攻撃を仕掛けていた。

 

 スノーフィールド外からの極超長距離精密飽和攻撃。

 

 スノーフィールドより300キロの彼方より最終英雄を狙うのは、偽りの聖杯戦争ではついに日の目を見ることのなかった電磁投射砲(レールガン)――それも70口径90ミリの軍事(ミリタリー)仕様。

 地平線の盾を利用した徹底的なアウトレンジ戦法をほぼ360度全方位から展開。初速2500メートル毎秒で15キロの砲弾を絶え間なく撃ち続けている。

 

 投入されている砲弾も特別製。星からのバックアップをもつカルキは、この星にて産み落とされた存在に対して強い耐性を保持している。この星で育まれた英雄も、この星に鍛えられた宝具も、最終英雄を前にはその力を十分に生かせない。

 真祖を始めとした他の『星の触覚』のデータはファルデウスら諜報機関によって集積済みである。つまりは、メイドイン地球でなければ多少なりとも有効打となりうるわけである。

 

小惑星帯(アステロイドベルト)から降ってくる隕石を用意させてもらった。月の石も材料に組み込みたかったのだが、あれは管理が厳密すぎて職権乱用が通じなくてな」

 

 残念、と同情を求める大統領であるが、そんなもので誤魔化せるほどアインツベルンは甘くない。

 宇宙産の材料を使っただけではない。

 宇宙産の恐怖を使ってもいるのだ。

 しかも、かの力は聖杯戦争において実戦証明(コンバットプルーフ)済みでもあった。

 現地で戦う繰丘椿(偽)ならば、ナパームの炎に混じり漏れ出た水妖の神気に肌を粟立たせているに違いない。

 

「――おいそれと手を出して良い物でなければ、おいそれと使っていいものですらありませんよ」

「邪教の知識も持ち合わせているとは、さすがはアインツベルン。

 そうとも。あれこそが、第四次聖杯戦争最悪の出し物、螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)――その機械言語写本だよ」

 

 人知の及ばぬ魔導書を大量生産したと、大統領はさらりと言ってのけた。

 武具に呪を刻むのは魔術を解する者であれは基本とすることである。魔力を上乗せし、属性を付与し、威力を底上げしてみせる。ルーン文字が何故あれだけ発展したのか今更語るまでもないだろう。

 

 しかして、ここでネックとなるのは武具の面積の問題でもあった。限られた面積に刻める量には限界がある。刻む内容も多ければ良いという単純なものでもない。それが故に魔術師はより効率よく内容を吟味して呪を刻んでいくのである。

 

 そうした魔術師のたゆまぬ研鑽を、大統領は踏みにじる。

 魔導書の中身は二進法表記で全て余さず砲弾に刻み込まれている。

 

 電磁投射砲(レールガン)用に特殊処理をされた砲弾は、レーザー照射によってわずか一分足らずで魔導書の中身を刻み込まされる。もちろん威力はオリジナルの一割にだって届かないし、海魔召喚の機能もない。機械言語であるが故に人間個体同士の知識伝達という意味では皆無ともいえる。

 

 それでも魔導書として情報密度がこれほど濃ければ、砲弾着弾による壊れた幻想崩壊(ブロークン・ファンタズム)で周囲一帯を『物理』的に『精神』汚染するくらい簡単である。

 如何に最終英雄といえども、これを喰らって無事で済む筈がない。

 

「読者の理解、いや、読者そのものを必要とすることなく、魔導書は魔導書として機能する。形はなんであれ魔導書として機能するのであれば、こうした使い方だってありではないかね?」

「正気の沙汰とは思えぬ所業ですね」

「世界の危機に何を悠長なことを。非常の手段を非常時に用いずしていつ使う?」

 

 アインツベルンの指摘に大統領は不敵に笑ってみせる。

 極論、この魔導書砲弾の大量生産は世界を危険に陥れかねない『猛毒』である。特に星辰の彼方に魔術基盤があるこれらの魔導書は、地球という狭い範囲で知識が広まった所で効果が減衰しにくい。むしろ乱用することで汚染範囲が広がれば、威力が上がることすら考えられるだろう。

 

 今後のことを一切考えねば、これは良い手であろう。

 今後のことを少しでも考えれば、これほどの悪手もない。

 

「安心したまえよ。すでにあれの生産工場は抑止力の出現によって地上から姿を消している。この星はあれらの危険性を十分に認識しているさ」

「抑止力コントロール実験とかいう名目で行ったあれですか。これで抑止力を呼び込む算段でも――」

 

 心配しているようなことにはならない、という大統領の言葉にひとまずアインツベルンは安堵していた。計画はこれで終わりではないし、これだけでもない。“偽りの聖杯戦争”も数多あるサブプランのひとつに過ぎないのだから、これで他の計画が共倒れになってしまっては元も子もない。

 既に十分以上に大事となっているが、区切りが見えているのだ。これ以上の大事へと発展しその尻ぬぐいに奔走するような真似は御免被る。アインツベルンの目的はやはり第三魔法の成就なのであり、リターンが明確となれば不必要なリスクを背負う必要は有るまい。

 

 それが故に、目前にぶら下げられた重大過ぎるリスクへわずかなりとも目を取られてしまった。世界の危機など、アインツベルンがお節介にも気にするべきものではない。

 気付くのが、遅れる。

 

「……何故、今更米国が攻撃に参加するのですか?」

 

 ふとした疑問が、整った口から零れ出た。

 あまりに最終英雄が圧倒的であったが故に、切り札の大盤振る舞いを当然のように考えてしまった。

 最終英雄との戦いは既に決している。繰丘椿(偽)単体でもカルキと決することは十分に可能。おまけに後衛にアーチャーもいるのだ。ここにわざわざ米国が介入する必要などない。

 それどころか、周囲一帯の汚染によって繰丘椿(偽)とエインヘリヤルはともかく、他の機械兵団は全滅してしまっている。周囲に撒き散らされた『猛毒』によって非常に戦いにくい状況にすらなっている。

 

「なに、既に戦略上重要この上ないフリズスキャルヴとスノーホワイトを失ってしまったからな。ここいらで他にも切り札があることをアピールしておかねば舐められかねん」

 

 大統領の返答にも一理ある。

 生産工場が潰れたことから砲弾の数はそう多くないだろうが、霊地を遠距離から汚染できる手段を見せつけることには意味がある。多少弱ったところで虎は虎。そこのところを弁えぬバカが尾を踏んでこぬよう牽制は必要なのである。

 

 おまけに最終英雄を相手に実戦投入できるレベルの精密射撃である。いかに巨体で傷つき機敏に動けぬ状況とはいえ、発射から着弾までのタイムラグを考えると、これに直撃させるのはほぼ不可能である。だというのに少ないながらも直撃弾があるということは、スノーホワイトに匹敵するだけの演算能力を持ったユニットがどこかにあることを意味していた。

 

 どこか別の場所に第二のスノーホワイトがあってもおかしくはあるまい。プロトタイプがこれほどの性能を発揮したのだから、むしろ作らない方が不自然であろう。

 ただ、あれほど手の込んだ代物を稼動状態にまで仕上げるには少々早すぎる。そこまで考えて、アインツベルンはふと、ある宝具を思い出す。

 

冥王星(ユゴス)算盤(ガトゥーク)、あれを使ったのですか?」

「答えが早いな」

 

 アインツベルンの問いに大統領は鷹揚に頷いて見せた。

 事象演算の手段は古来より幾つもある。アンティキティラ島の機械といったオーパーツから始まり、極端なことをいえばソロバンだって計算機には違いない。スノーホワイトの名付けとなった魔法の鏡だってこの類。魔術師の魔術回路だって演算はできるし、アインツベルンのアハト翁など存在そのものである。

 

 ただし、それらは人が扱うという前提でもって運用されている。

 件の宝具は、そもそも三次元生体(オーガン)の脳では『理解』する事ができない代物である。

 

「ホムンクルスの使用による多次元生体(オメガモーフ)の『次元識覚』の実現。君達が提供してくれた素材だ。有効利用させて貰ったよ」

 

 冥王星(ユゴス)算盤(ガトゥーク)は“偽りの聖杯戦争”と並列に実行されていた計画のひとつである。ホムンクルスの脳を使用して言葉通りの別次元の解答を得る他次元演算処理装置。

 

「完成していたとは聞いていません」

「完成にはほど遠いのは間違いない。ホムンクルスを大量に消費するシステムだ。人権が五月蠅いこの国であまり大っぴらに使えるものではないのだよ」

 

 極秘とは言え研究施設は国の管轄下にある。そんなところから脳が灼き切れた人型(ホムンクルス)が大量に廃棄される光景は秘密管理の立場を考えればあまりよろしいことではない。実際、今回の演算によりストックされたホムンクルスは全て消費されることになる。これでは今後の研究に差し障るだろう。

 分解処理で言葉通り跡形も残らぬとはいえ、あれだけの死体を処理するのは手間なのである。

 

「なれば国外に拠点を設ければ良いではないですか」

 

 国内で問題になるのなら国外で運用すれば良いだけの話。人権を重んじない国でそこそこの偽装工作をすればそれらの問題は簡単にクリアできる。

 だがそんなアインツベルンの言葉に大統領は軽く笑うだけで応じることはない。

 

算盤(ガトゥーク)では測定の未来視をエミュレートさせている。そこいらの魔眼よりその精度は確実だよ」

 

 地球物理学に則った近未来予想ではなく、未来視の魔眼という魔術理論に乗っ取った近未来予想。およそ一介の魔術師には経済的観点から実行できぬ実験であろうと、国という盤石な基盤があればこそ実現可能なアプローチである。もっとも、ゴーレム・ユーブスタクハイトを生み出したアインツベルンにはさほど興味の湧かない分野であろうが。

 

「……最終英雄の攻撃目標に優先順位があるようだが、アインツベルンは気付いていたかな?」

 

 じっと、何かを待つように大統領は話題を変える。

 訝しむアインツベルンであるが、紅茶のカップをソーサーに戻したことから傾聴に値する話であると考えたらしい。

 

「脅威度設定、というより非攻撃推奨対象といった方が正しいか。最終英雄はどうやら直接的に星と人類とを明確に攻撃することはできぬようだ」

 

 単に粛清するだけなら粛清剣を全開にさせるだけで事足りる。それをわざわざ魔群の蹂躙という形を取った上で、攻撃対象を魔群に限定するマッチポンプを披露している。データが潤沢とはいえないが、そうした行動を見る限り、排除対象に対してかなり厳格な判断基準があるのだろう。

 

 だからこそ、大統領は極超長距離からの攻撃を選択した。

 その気になれば救世剣は地球の外殻を抉り取ることすらできる。地平線の盾を無視して三〇〇キロ彼方の電磁投射砲(レールガン)を破壊することなんて朝飯前だ。もちろん、そんなことをすれば星と人類に無視できぬダメージを与えてしまう。

 

 すでに砲撃開始から数分が経過している。その間、繰丘椿(偽)とエインヘリヤルが牽制してくれているとはいえ、最終英雄が砲撃に対して迎撃以上のことができていないのがその証左だ。

 自然、大統領の口角が上がる。

 

「人と星とを傷つけることなく、この砲撃を止めるためには、この方法しかあるまい」

 

 キャスターに嵌められ絶体絶命にありながら的確に脅威を排除していった最終英雄である。それだけに、大統領は最終英雄に絶大なる信頼を寄せることができた。

 だから、その言葉はどちらかといえばアインツベルンより、最終英雄に語られたものだった。

 

 須臾の間、世界が白一色に犯される。

 

 網膜が光を感じた感覚もない。眩しいと思うことすら許されず、稲光だってもう少し分かり易く存在を主張するだろう。気のせいだと言われればその通り。一切の記録に残らぬ以上、後々検証することはできまい。

 ただ、大統領には確信があった。この光がワシントンに満ちることを、この男は予想していたし、目の前にはその結果もあったのだから。

 

「敵を倒すために頭を叩くのは定石だ。そしてその頭を維持するのに『今』使用しているものは何か、気付くのが遅かったな」

 

 問うてみる声に応える声はない。

 手元の端末で確認してみれば、冥王星(ユゴス)算盤(ガトゥーク)はやはり救世剣の一撃で機能停止に追い込まれていた。

 カルキは四面楚歌の状況で周囲の敵ではなく、それらを操るスノーホワイトを先に叩き潰した。一体どういう理屈でどうやって割り出したのかは不明だが、これはカルキの分析能力が著しく高く、正確であることを意味している。

 

 この砲撃を操る宝具がワシントンにあり、その宝具を操る中核が何であるのか。遠く離れた地にありながら、最終英雄は正確に答えを導き出していた。

 大統領がわざわざ最終英雄相手にちょっかいを出したのは、何も奥の手が他にあることを世界に仄めかす為だけではない。

 

 邪魔者を、排除するためだ。

 

「聖杯戦争の後始末にアインツベルン、君達は邪魔なんだ」

 

 悪く思わないでくれ、と大統領は誰もいなくなった大統領執務室で謝罪をした。

 人型であろうと、ホムンクルスは人ではない。故に最終英雄の非攻撃推奨対象の範囲外。ワシントンに潜伏しているホムンクルスは、この砲撃中枢システムとして、最終英雄の優先排除対象と認識されていた。

 

 (スノーフィールド)外の安全地帯で黒幕を気取っていたホムンクルスは、その服だけを残して退場した。

 

 



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day.final-16 冥府

 

 

「俺やることあるんで、ちょっと代わりにお願いしますね!」

 

 などという軽いノリで署長は根源へと向かうことになった。

 んなバカな、と思った。

 

「んなバカな」

 

 実際に口に出してみた。

 現実味が全くなかった。

 

 改めて言うことでもなく、わざわざ解説することでもなく、確認が必要なことですらないが、本来魔術師とは根源を探求する学者なのである。根源へ至手段に魔術を用いるから魔術師と呼ばれるだけ。

 

 そんな魔術師達にとって根源とは到達点そのものであり、本来であれば気軽に行ける場所でもなければ気軽に行く場所でもない。

 一代程度の研究で到達できるようなものでもなく、代を重ねて研究を子に継がせ続け、より強い魔力を持つ子孫を作り、子孫もそれを繰り返す、そんな果てしない道程を経て、そこまでやってようやく奇跡的に手を伸ばせる可能性がもしかしたらほんの少しあるかもしれないような、気の遠くなるような場所である。

 少なくとも、代を重ねてすらいない署長にあっては決して見ることのできない全て遠き理想郷の筈だった。

 

 なのにこんなにあっさり来てしまった。

 より正確には、向かっている最中であるのだが。

 

「なんです、署長。浮かない顔して」

「なんで貴様はそんなに浮かれていられるんだ」

 

 署長の隣で暢気に鼻歌なんか歌うように歩くファルデウス。心なしその足取りはスキップしそうなくらいに軽く、今にも昇天しそうなくらい。あの手堅く嫌らしい手腕の敵は一体どこに行ってしまったのか。

 

「いいではないですか。天にも昇る気持ちとは、今この時私のためにあるような言葉ですよ。この人生最大の幸運を喜ばずして一体いつ何を喜ぶというのですか。過ぎてしまったことは仕方ありません。今という時間を大切にせずしてこれからの未来を過ごせると思えますか?」

 

 署長に汚名を着せ謀殺を図り、手塩にかけて育ててきた部下達を完膚無きまでに使い潰してみせた男は、臆面もなく最高の笑顔で応じてみせた。

 

 署長だって分かってはいるのだ。魔術師であるならこの状況、どんな極悪人で吝嗇家であろうと最高の笑顔と寛容な心を自然と持ってしまうものなのだ。この場合、溜息をつきながら浮かない顔で歩く署長の方が異端なのかもしれない。

 

 盛大に溜息をつきながら仕方なしに前を向けば、先頭を歩んでいた銀狼がいつの間にか署長の顔を振り返っていた。苦労してますね、とその顔に書いてある。畜生に慰められて更に心が重くなる。

 

 同じマスターであったとはいえ、銀狼はファルデウス以上に署長と馴染みが薄い。

 ライダー戦で活躍したらしいが、そのライダー戦の情報がほとんど入ってこなかった上、隣を歩くファルデウスにマスター権を奪い取られてしまえば役者としての重要性は底辺にまで落ちる。署長が積極的に銀狼の情報収集に動くわけもないのである。

 

 この期に及んで何故この場面この面子で同道する羽目になるのか、さすがの署長も予想外でしかなかった。

 それもこれも、全ての元凶はフラットである。

 

「いやあ、フラット君は本当に凄いですね」

「………」

 

「まさか瀕死の銀狼を切り札として蘇らせるなんて思ってもいませんでしたし」

「………」

 

「それどころか、最終英雄封印の台座を利用して根源への『孔』を開けるなんて」

「………」

 

「しかもこの絶好の好機、好の字が二回も入るくらいのチャンスを他人に託すなんて」

「………」

 

「生半可な信頼と自信と度胸でできることじゃありませんよ、ねえ署長?」

「頼むから少し黙っていてくれないか?」

 

 全ての説明をしてくれたファルデウスに署長は心の底から口を閉じるようお願いをした。

 

 署長はフラットから今回の策を享受するにあたり最初に思ったのは「目的と手段が入れ替わってね?」だった。

 最終英雄打倒のために根源の渦と部分接触を計る――やろうとしていることに理解は示せるが、最終英雄打倒と魔術師の悲願たる根源の渦への到達を天秤に乗せるのは如何なものだろう。

 

 署長がもしこの策を思いついていたのならば、最終英雄なんかほっといて根源への到達を優先するだろう。フラット以外の魔術師がこの策を事前に聞いたのであれば、聖杯戦争なんかほっぽり出して横取りすることを考える。

 間違いなく。確実に。

 

 もっとも、事前準備が整わないために署長は根源に最も近付きながら指を咥えて見るしかないので選択の余地は無かった。さすがはロードエルメロイⅡ世の秘蔵っ子。まるで全幅の信頼を寄せているか、もしくは何も考えていないように見せて非常に計算高く策を巡らしている。

 

 現在、署長達がいるのは所謂『冥府』と呼ばれる場所だった。

 

 この場所を生きて目撃できるだけでも策に乗った価値はある。

 人類の創世記や神話などに見られる源記憶。記紀であれば天岩戸やイザナギの黄泉への降下、ギリシャ神話のハデスやオルフェウスの冥府行、北欧神話(エッダ)のブリュンヒルドの冥府降下、そして基督教のイエスの冥府降下。それらはつまり、根源に至る道の一例を分かり易く示している。

 

 もちろんこれだけで根源に至ることができれば苦労はしない。この冥府はあくまでユングが定義した人類種の集合的無意識に過ぎず、根源に近いかもしれないが類似品でしかなく、そしてまだ遠い。

 署長が目指すべきは、ここより更に下の原型(アーキタイプ)。最終英雄に力を注ぎ続けてきた霊脈、マナが枯渇し底を露呈させた台座より銀狼を介して署長達は星の中枢を目指していた。

 

 周囲が、徐々に暗くなっていく。

 集合的無意識の更に下にあるのは純粋なる『闇』だ。

 

 星の記憶、その基部構造。

 このくらいの深度になれば、冥府は死者の国として生きている者が近づくのを良しとしない。人が自己の意識を保ったままでは踏み込む事ができない領域に構わず署長達は前に――底へと、かつての英雄達と同じように降下する。

 

 引き込まれ、煉られ、凝縮し、煉獄の軋みを超えて辺りに積もる澱はより純粋さを増し、闇へと溶けてゆく。

 冷徹な漆黒、世界の基部――その無機的にすら思える構造は、まるで石柱によってくみ上げられた壮大な書庫のよう。叡智無き知識の回廊、膨大なる亡者の書籍群、眠りに就いている象徴表象の石盤が寄り集まり、重い軋みを上げていた。

 

「……この世界において、知識とは強度、智慧とは柔軟性。基部に求められるのは強度なんですね」

 

 誰ともなく、ファルデウスが呟く。

 ここには地球で起きたありとあらゆる事象が欠けることなく集積されている。その重みに耐えるなんて、きっと人類の誰にもできないだろう。魔術師としてこの閲覧者無き大図書館に触れてみたいところだが、残念なことに少しでも銀狼の側を離れれば圧死は避けられない。

 死を覚悟すれば、それも可能なのだろうが。

 

「まだ大丈夫か?」

 

 確認するように署長は銀狼を労る。

 人間には到底到達できぬ深度であっても、人間でなければその限りではない。銀狼の頭が如何に良かろうとも、知性において人に遠く及ばないし、生まれたばかりで蓄積されるべき経験もない。であれば、人が自己の意識を保てぬ混沌の海であろうと多少ならば耐えられる理屈である。

 そしてフラットの手によってその限界値は大きく更新され、星の深部でさえこの通りである。

 

 問題は、必要とする知識がないために銀狼だけでは適切な場所に誘導できないことにある。深すぎればブレーキをかける間もなく根源の渦に呑み込まれてしまうだろうし、浅過ぎても目的を達成することはできない。

 

「署長、もう十分ではありませんか?」

 

 わずかに覗く漆黒の隙間に滑り落ちながら、ファルデウスが声をかける。

 この深部まで生きて到達した人間は皆無である。であれば詳細な情報が人の世に伝わっているはずもない。全ては魔術師としての知識と感性、そしてなによりも直観力が求められている。そういう意味においては、判断能力に優れようと魔術師として決して優れているとは言い難い署長ではまだ不安があった。

 署長の判断では、まだ余裕がある。が、魔術師として一日の長があるファルデウスは限界に近いと判断したらしい。

 

「意外だな。てっきり舌三寸で丸め込みにかかると思っていたのだが」

「酷い誤解ですね」

 

 署長の胡散臭そうな顔に嫌な顔一つせずファルデウスは肩を竦める。

 ファルデウスは、この場で必要な存在ではない。たまたま同道しているだけであって、署長のように託された使命を帯びているわけでもなんでもない。状況的に署長は例外としても、魔術師ならば誰しも横取りを考える状況である。このファルデウスが例外であるなどと、一体誰が信じられようか。

 

 だが、ファルデウスが己の利のために意見をしたというのなら不自然でもある。

 根源に少しでも近付くべく限界値を超えさせようと誘導するならまだしも、限界値手前を進言するのもおかしな話だろう。もちろん、そういう策と言われれば納得もいくのだが。

 

「……わかった。この辺りに錨を降ろそう」

「おや。私の言葉を信じるのですか?」

「私は信じちゃいないさ。私は」

 

 強調するべきは自身の意思ではないということ。署長は単なるオブザーバーとして同行しているのであり、決定権を持っているわけではない。

 銀狼が、心を見透かしたようにファルデウスの顔を眺め見ている。尻尾を左右にゆっくり振りながら、お行儀良く座り込む。

 人間に判断付かないことも、人間でなければ判断がつくらしい。

 

「随分と信用されているじゃないか」

 

 茶化す署長ではあるが、銀狼とてファルデウスを恨んだことはない。

 実際、ファルデウスが令呪を奪い延命処置を行わねばとっくの昔に銀狼は死んでいた。それどころか、銀狼がランサーを召喚した時にファルデウスは近くでずっとその様子を伺っていたのである。もし銀狼がランサーを喚ばねば、きっとファルデウスが銀狼を助けることになっていただろう。

 

「……もう少し悪の黒幕としてそれらしい振る舞いをしたかったのですが」

 

 苦笑いするファルデウス。立ち止まる署長と銀狼とは異なり、その足は前へと動く。

 

「行くのか」

「万に一つも可能性はない、ですか? けれど億に一つの可能性はあります。どちらにしろ動かなければゼロが確定してしまいますから」

 

 銀狼の側から離れれば、そこは星の深部。生者が辿り付ける場所ではなく、根源を求めたところで魂が耐えられる可能性はゼロである。唯一の望みは、魂が砕け散るより先に根源へ辿り着くことのみ。

 挑戦権はこの場にいる全員にある。あるいは銀狼を騙くらかしもっと深部へ行けたのなら、署長だってあるいは挑戦したのかも知れない。

 

「貴様にはもっと色々と聞きたいことがあったのだがな」

「黙ってくれと頼んだのは署長でしょう?」

 

 そう言って“偽りの聖杯戦争”の黒幕は結局何も語らず、騙りもしなかった。

 この戦争で数々の罪科を積み上げてきた彼ではあるが、根源の渦へ挑戦ができた以上この戦争で誰より利を得たことに間違いはなかった。

 

 トリックスターは他者にかけた迷惑を顧みることも未練を残すこともなく、あっさりと退場する。

 ファルデウスの後ろ姿はすぐに署長の視界から消えてなくなる。

 

「死んだのですか?」

 

 確認するような声音が銀狼の背後からしてきた。

 

「さてな。肉体を殺されながらここまで同道できる程ファルデウスの魂は強い。案外根源に辿り着く可能性だってあるかもしれんよ」

 

 人の魂というのは、体の中に収まっていることで形を保っている。だが生きて星の深部へ向かうためには肉の身体は邪魔であり、魂そのものを飛ばすことでしかここへ辿り着くことはできない。

 故に、魔術師は象徴(シンボル)霊体投射(プロジェクション)精神集中(コンセントレーション)といった様々な方法で自らの魂を再定義する方法を心得ている。

 

 現世へ帰還せねばならない署長達と違い、ファルデウスは戻ることのない片道切符である。再定義する必要がなければ魂の寿命だけを伸ばすことは十分に可能だ。並の者なら数瞬で霧散することだろうが、あの男があっさり消えてなくなることもないだろう。

 

「現世に戻ったら奴の死に顔を見てみな。きっと満ち足りた顔をしていることだろうよ。憎らしいことにな」

 

 銀狼の頭を撫でながら署長は座標を固定させる。後ろ髪を引かれる思いだが、これでこれ以上深部に潜ることはできなくなる。

 

「何故あのまま逝かせたのです? 私ならファルデウスの魂をあのまま確保し、その中身を調べることもできたかもしれませんよ?」

「あの男にもうそこまでの価値もないさ。それにお前の姿を晒すと奴が何をしでかすか予想もできなかったからな。不確定要素はできる限り排除しておきたい」

 

 戦後処理を考えれば生かす意味もあるが、さすがに魂だけあっても仕方あるまい。ならば死人に口なし、と責任の全てを押し付けた方がよほど都合が良い。少なくとも、署長の首はこれで暫く胴体と繋がっていられることだろう。

 署長とて清廉潔白というわけではない。

 

「不満か?」

「私が何を基準に考えているのか、よく御存知でしょう。マスターのためならば、署長の指示にだって従いますよ。裏切る可能性がなければ、別に署長と契約しても良かったくらいです」

「なるほど。肝に銘じておこう」

 

 マスターに仇なせばどうなるか分かっているな、と署長は意訳した。

 やはりティーネやフラット、銀狼と違って署長は全幅の信頼を寄せるに値しないらしい。裏切るつもりはないが、利用価値がなくなれば優先順位はあっという間に落ちていくに違いない。

 精神的疲労に辟易するが、これで終わりと思えばまだ諦めも付いた。

 

「マスターが待っています。さっさと終わらせて帰りましょう」

「ああ、そうだな。では素早く済ませようか――」

 

 署長は銀狼の背後にいる存在に同意するようその名を呼んだ。

 

「ライダー」

 

 



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day.final-17 愚者

 

 

 タイムリミットは、とっくに過ぎていた。

 もはやどう足掻いたところで世界解放命令掃星の夜明け(クリタ・ユガ)の実行は不可能と確定された。

 

 生体ピラミッドの頂点に立つことを宿命付けられた最終英雄は、あろうことか格下の有象無象相手に膝を屈し、唯一無二の使命を果たせぬ無能のレッテルが貼られることになる。それもこれも今回のような例外的な復活の仕方を想定せず、融通の利かない運用を強いた彼の創造主が悪いのであるが、神なき現代でそれを責めたとしてもカルキ自身は納得しないだろう。

 

 カルキはどこまでも愚直であり、愚直であり続ける。

 もしカルキの類い希なる演算処理能力が起動に伴い長い時間をかけて開発されれば、あるいは感情が芽生えることもあったかもしれない。神への背信を恥じることも、それを邪魔した塵芥に怒ることも、かけがえのない敵を前に陶酔することもあったかもしれない。

 もっとも、そんな感情を抱くことはあろうと、自らの使命に疑義を生じさせるようなことだけは決してない。そう、プログラムされている。

 

 故に、カルキはすでに自爆機能を起動させている。

 

 そこに躊躇はない。

 カルキの自爆機構は九界聖体(ダシャーヴァターラ)へ減速材の投棄量を調整することで行われる。あとは九界聖体(ダシャーヴァターラ)が臨界爆発するのを待つばかりであり、これならば爆発数秒前にタイマー解除などというドラマチックな展開はありえない。そして自分で自爆を止めることもできない。

 

 自爆の威力は質量に比例するため、質量の大半を魔群として解き放ってしまった今のカルキでは大陸を沈める威力はない。だからといって、これ以上質量を減らすことで爆発威力を減らしたくもない。

 カルキが自爆する第一目的は、まき散らされた魔群を確実に葬るためなのである。このまま放置しておいてはあっという間に魔群は進化し、人類の手に負えぬ化け物になりかねない。

 

 状況は刻々と変わってはいるが、最終英雄が選んだ選択は、やはり変わりはしなかった。

 立ち塞がる敵を前にして、最終英雄は逃走より闘争を選んだ。

 

 単純に、これまで幾つも立ち塞がってきた隠し玉から逃走は不利になると感じたからである。相手の土俵に乗らず、確実な舞台で踊ることで策略に嵌められる可能性を減じる。それに何より、敵を前に背を向けることの危険性は無視できなかった。

 

 彼女は、最終英雄を前に、まだ立っていた。

 全盛期の億分の一以下にまで弱められたカルキを前に口にするのは憚られるが、彼女もまた満身創痍。致命傷やそれに類する重傷だけは避けているが、全身に負傷していない箇所は皆無であり、怖気を震う有様となっている。

 

 これが夢であれ現実であれ、もはや血の暖かみなど感じまい。彼女は今、凍てつく極寒の吹雪を体験していることだろう。

 にも関わらず、彼女は止まらない。愚直なまでのひたむきさで、攻める攻める、攻め続ける。それしか手がないのだから。たとえ利がないと分かっていても、分かっていなくとも、自分にできることを積み重ねていくことしか彼女にはないのだ。

 不器用と言っていい。愚行とさえ表現できるかもしれない。

 

 だがそれこそが、アサシンというサーヴァントだった。

 

 両者ともに愚者。

 本来戦うべきために用意された聡明な繰丘椿(偽)であれば早々に見切りをつけていたことだろう。それは彼女が聡明であり、ありとあらゆる状況に対応できる万能であるが故。

 

 カルキとアサシンの足元に草花が舞う。

 ありえぬ光景だ。一体誰がつい先ほど紅蓮の地獄と化していた場所と同じであると看破できようか。あれほど傷つき荒れ果てた大地が、ただの一瞬で蘇る。何十万年の月日が経とうとおよそ不可能な事象が、目の前に展開されていた。

 

 夢を現実へと移し替える繰丘椿でなければありえぬ御業である。

 周辺環境を夢で無理矢理上書きし、代わりに異界の穢れを夢世界へと取り込み入れ替える。当然、その穢れは繰丘椿が一身に背負うことになるし、そんな途方もない負荷に耐えながら繰丘椿(偽)を維持することができる筈もない。

 

 “上”からの全力支援砲撃によって汚染されたスノーフィールドを癒すべく、繰丘椿は繰丘椿(偽)を引っ込めざるを得なかったのだ。

 せっかくの切り札を最終英雄でなく大地の浄化に用いるのはおかしいのかもしれない。この期に及んで優先順位を間違っていると指摘もされよう。しかして、これを具申したのが他でもないアサシンだった。

 

「ああああああああっ!!」

 

 もはや暗殺者らしからぬ特攻でしか、彼女は自身の存在意義を全うできない。

 カルキを逃がすことなく、この場に止め置くだけの役割。アサシンでは荷が重いことは百も承知。これで役立っているなどとも思っていない。実際、カルキは自身の意思で動かぬことを選択しているだけだ。彼女がしていることは無駄以外のなにものでもない。

 

 それでも、彼女にできることは他にはないのだ。

 策を練ることも、後方支援に徹することも、人々を助け導くことも、この地を癒すことも、何もできない。それは今に始まったことではない。

 戦うより他にできることなど何もない。

 

「それがどうした!」

 

 絶望的な状況で、アサシンが叫ぶ。

 

「できることをしないで、一体何が英雄だ! 何の為の私だ!」

 

 唯一自分にできることを放棄すれば、それはただの役立たずだ。

 無駄だから。力不足だから。そんな言い訳がやらない理由になりはしない。

 

 死の間際にまで徹底的に弱体化されながらカルキの攻撃はそれでも一撃でサーヴァントを屠る威力を持っている。余波だけ即死することはなくなったが、全て回避したとしてもそれは無傷と同義ではない。

 

 一度は椿に癒され全快したアサシンであるが、そんなことはとっくの昔に忘れた。

 救世剣の風圧がアサシンの頬を撫でる。端整な顔立ちにまたひとつ傷を付けながら、アサシンは幾度となくカルキの懐へと入り込み、その手に持ったナイフでカルキの腹に全力で突き立てる。

 

 欠片一つ、重量にして一グラム以下。

 それが決死の覚悟で挑んだアサシンの対価だった。

 

 視界の片隅で小さな魔群が発生するのと同時に救世剣の風圧に消し飛ばされ消滅していくのを確認する。刀身こそアサシンの死角にあるが、見えずとも唸る刃は見切りやすい。カルキの振るった一颯がアサシンの脇腹をスレスレで通過する。内臓を掻き乱されるような衝撃が身体の内側を通りすぎるが、それでも致命傷ではない。

 再度距離を取り素早い動きでカルキの周囲を駆け回り、次の機会を窺い続ける。

 

 アサシンは謂わば蚊だ。カルキにとってアサシンはただ邪魔なだけ。死に瀕した今となって特段の害はないが、ほんの一グラムといえど傷つけた事実がある以上、ただ無視するのは上策ではない。

 抵抗しなければアサシンの攻撃が数を増すのは明らか。かといって本気でアサシンを仕留めるために最大出力で迎撃するのは無駄でしかないし、全力で攻撃した結果痛恨のカウンターを喰らえば反省もする。

 結局、多少の反撃をすることで傷を最小限にするのが良策なのである。

 

 カルキが本気で迎撃していないことくらいアサシンだって気付いている。そこにつけ込むしかないことに歯痒く思う。

 救世剣の暴風をかいくぐり、馬鹿の一つ覚えのようにアサシンは刃を繰り返し振るい続ける。奇跡のような綱渡りではあるが、もはや両者の戦いとも言えぬ戦いは何かしらのイレギュラーがない限り永遠と続くことだろう。カルキが自爆の時を迎えるか、アサシンの体力が尽きるか、第三者の横槍か。

 

 しかして、現実とはかくも残酷である。

 小さなものが割れる音と同時に、カルキは高速で振り回していた救世剣を乱暴に地へと降ろした。切っ先を大地に沈め、またも懐に飛び込むという偉業に成功したアサシンを殺そうともしなければ見向きもしない。

 

 アサシンの手には砕け散ったナイフが残される。

 頑強極まりないカルキの肉体にナイフの方が先に音を上げていた。二天一流によって宝具化され最大限強化されてはいたが、やはり真性の宝具と違い耐久性に難がある。魔力を再度込めればあるいはもう少し保てていたかもしれないが、そんなことができれば苦労はしない。

 

 唯一の武器をなくせば、アサシンはただ五月蠅いだけの蠅と化す。目障りであろうとも直接的な害がないのだ。これ以上カルキがアサシンを相手にする必要はない。

 

「こちらを向きなさい、最終英雄!」

 

 最早眼中にないことを察してアサシンは全力で殴りつけ自らを誇示するが、当のカルキが再度目を向けることはない。

 いやむしろ、アサシンから目を離すことによって、次なる標的を目に入れていた。

 遠く離れた場所で倒壊したビルの上に仁王立ちするアーチャーがいる。今の今まで隠れていた英雄王がここで姿を見せるのが何を意味しているのか。

 

「隠れていなさいアーチャー! 私はまだ戦える!」

 

 アサシンの叫びに応えたのはアーチャーの何かを言わんとする冷たい視線だけ。もっとも振り向いて欲しい最終英雄に至っては何の反応してくれない。

 

 アサシンの魔力は既に尽きている。

 ジェスターの一部を喰らうことで一時の魔力を得はしたものの、そのジェスターも吸収のしすぎでミイラ同然。今現在何とか動けているのはもう一人の魔力供給者であるフラットが無傷のまま残っているからに他ならない。それだって、存在を保つことに精一杯で宝具を使える程のものではない。唯一の武器は事前に魔力を込めておいたナイフだけだったのである。

 その唯一も失われた。最終英雄も彼女が無力であることが分かっているからこそ、アサシンを殺すまでもない相手として無視しているのである。

 

「空想電脳! 妄想心音! 空想電脳! 瞑想金色! 無想涅槃! 幻想御手! 伝想逆鎖! 仮想盤儀! 連想刻限―――!!!」

 

 なおも無駄な抵抗のためアサシンは己に刻まれた秘儀の数々を叫ぶが、現実に何の変化も生じることはない。使用魔力の少ないものでさえ、今のアサシンでは到底実行不可能なのである。

 

 最終英雄の身体にアサシンの血で彩りが添えられる。拳を血塗れにしながらも結局傷ついているのは自分一人だけ。喩えようもない無力感と自己嫌悪に、アサシンは身悶える。

 アーチャーが姿を現した以上、アサシンの出番は終わりだ。如何に自分が主張しようとも、こうも袖にされては立場がない。

 

「……は」

 

 荒げた声の最後、諦めにも似たため息が出てしまう。

 

 最終英雄は、最後の敵として英雄王に向けて動き出す。その進路上で彼女は壁となるべく立ちはだかるが、今の彼女では紙切れほどの意味もないだろう。

 火砕流、雪崩、土砂崩れ。いずれも押し寄せる方向が一定であるが故に真横に移動することで回避はできる。今のカルキはそれと同じである。

 避けるだけなら、容易い。だがそれは、同時に戦いの放棄である。限界に近付いたからといって、安易に選ぶことが許されるものではない。許容できる選択肢でも、ない。

 

 死に際にこそ、人間は本性を露わにする。

 サーヴァントであっても意志を持った存在である以上、例外ではない。

 

 祈りか。

 恨みか。

 懺悔か。

 呪いか。

 命乞いか。

 みっともなく泣き叫び最期を迎えるのか。

 それとも潔く死を迎え入れるのか。

 

 以前の彼女であったのなら、神の名を叫び嬉々として突撃していったことだろう。無駄と知りつつそれ以外の行動を取れはすまい。それ以上のことを考えることはせず、ただ殉死する己に満足して消えるだけだ。

 

 だが、今の彼女は違う。

 ジェスターによってかけられた令呪の封印は解かれている。

 彼女を狂信者たらしめていた理由は、狭い世界で偏った教義のみを教えられてきたからだ。例え外の世界に触れようとも、召喚されたあの時のままであれば彼女は何も学ぶことなく何も変わらず、ただ無為にその命を散らすだけだったに違いない。

 令呪によって自身の方向性を曲げられ、あらゆることを知ってしまった彼女は、もう昔の彼女などではない。

 

 彼女は世界を知っている。

 彼女は異教を知っている。

 彼女は他者を知っている。

 彼女は自分を知っている。

 

 だからこそ、彼女はいくつもある最期から『悪足掻き』を選び取る。

 できることなら何だってしてみせよう。

 喩えそれが、毒杯を呷るものであろうとも。

 

「――アーチャー!!!」

 

 この最終英雄を止めるため、プライドを捨てて、彼女はそのための武器を欲した。

 アーチャーの冷淡な眼差しを思い返す。彼の言わんとしていることを、彼女ははっきりと理解していた。

 これまでも幾度となく感じてきたその力。神だけを盲目に見ているだけではきっと彼女はこの力を取ることはできなかった。許容することは決してできなかった。

 

 けれども、

 それでも。

 こんな無様な最期を、今の彼女は許容できない。

 

 そんな彼女を、英雄王は是とした。

 

「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 アーチャーが間髪入れずに射出した宝具を、アサシンは振り返ることなく宙で掴み取った。

 それが何なのか、彼女は手に取るその瞬間まで知りはしない。手に取ったとしても、それの正しい使い方を読み取ることはできない。彼女ができるのは、その宝具が何をしたいのか意志を汲み取ることまで。

 

 彼女は学ぶモノだ。教師はこの世界にあるあらゆるもの。ひとつの閉じた世界にあってはひとつしか学び取れないが、無限の開けた世界にあっては無限に学び取ることができる。

 

 それは自身の上書きだ。

 新しい論理は古い思考を侵略し上書きする。

 自らの恒常性をも破壊し、強固であった筈の本能でさえ変質させる。

 

 それは狂信者であることの否定だ。

 狂信者であり続けることの否定だった。

 

 愚者は、今こそ英雄と化す。

 

 



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day.final-18 ジャック

 

 

 火炎が撒き散らされた。

 閃く雷電が打ち据える。

 衝撃波が轟きをあげる。

 超高圧搾の水流が迸る。

 

 一振りで三度の斬撃が刻みこまれ、一合重ねるごとに疾さが倍と化す。

 胸を貫かれた筈なのに傷は相手に返り、右に穿てば左も抉られている。

 残像が溢れんばかりに辺りを満たし、甘い香が空気ごと爛れ腐らせる。

 剣戟が過去や未来にズレて飛び散り、上下が瞬きの数だけ入れ替わる。

 

 それは無名の剣だった。斧だった。鎌だった。槍だった。弓だった。鎖だった。爪だった。甲だった。縄だった。礫だった。刀だった。棍だった。銃だった。薙刀だった。鋏だった。釘だった。戦輪だった。糸だった。扇だった。杖だった。十手だった。釵だった。棒だった。砲だった。針だった。鋤だった。鞭だった。杭だった。球だった。鎚だった。矛だった。本だった。靴だった。石だった。牙だった。車だった。金貨だった。壺だった。嘴だった。

 

 アーチャーが放つありとあらゆる宝具を、アサシンは拒絶することなく受け入れる。

 

 宝具はただ存在するだけで世界の神秘を封じ込めた経典となりうる。しかもアサシンが今使っているのはかの英雄王が持つ原典。世界に拡散し人が人のままで扱えるよう純度を落とされた劣化品などではない。

 人の手に余るレベルの真理がアサシンの精神を急速に浸食していく。

 アーチャーによって次々と射出される宝具を、アサシンは次々と手に取り、躊躇なく解放してみせた。

 

「■――■■■■!?」

 

 カルキの驚きはいかばかりのものだろう。ただ射出されるだけの宝具ならば、最終英雄とてそう怖いモノではない。カルキの剣技と肉体強度、そして救世剣があれば迎撃には何の不安もない。多少直撃したところでどうにかなるものでもない。

 

 脅威度設定に間違いはない――が、計算違いがここに生まれていた。

 喩え両者の脅威がそれほどでなくとも、二つが掛け合わせれば脅威となり得る。それも足し算やかけ算どころか、乗算かと思えるほどの脅威度が跳ね上がる。通常なら――異常であっても考えられぬ数値。

 

 アサシンは宝具の所有者でもなければ担い手でもない。

 どんな宝具を持とうとも、その力を十全に解放することはできない。

 解放された宝具の力は良くてせいぜいが三割か四割。それは同時にアサシンが彼等を理解できる限界でもあった。

 

 だがそれで十分なのだ。アーチャーのようにただ投射するだけでは一割だって宝具の真価は発揮できまい。どのような宝具であろうと、その力を最低限引き出し発揮させる者。それがアサシンというサーヴァントの正体なのである。

 

「もっと! もっと私に寄越しなさいアーチャー!」

 

 貪欲に力を欲するアサシンにアーチャーは愉悦に満たされながら惜しむことなく宝具を投射する。

 向こう数千年を語り継がせる伝家の宝刀が、ただの一撃でいとも簡単に使い捨てられる。アサシン自身に魔力がないのだから、宝具の起動には宝具自身が持つ魔力が使用されることになる。結果としてアサシンが使用した宝具は永久に喪われることとなる。

 

 そんな事実に宝具自身は嘆くことかもしれないが、そこを斟酌してやる感傷など――余裕など、アサシンは持ち得ない。

 宝具を一つ使用するごとに、アサシンは生まれ変わるような体験を一瞬にして味わっていることだろう。

 

 それは、ひどい悲劇だ。

 比較という基準でしか、物事を計れない人間にとって、その行動の根幹(ルーツ)を書き換えられるということは、「基準」そのものを失ってしまうのと変わらない。過去の自分がどんな存在だったのかが分からないのなら、今の自分がどんな存在なのかなど、分かりようがない。

 

 自らが立っていた土台そのものが崩されていく。

 自分の中に、何もすがるものがない。

 アサシンから純粋さが失われていく。

 自らの神が奪われていく恐怖。

 そんな恐怖もいずれは感じられなくなる。

 

 これこそが、ジェスターが待ち望んでいたアサシンの『絶望』そのもの――

 

「――うん。意外と大丈夫そうだから心配はいらないね。この調子でアサシンにはもうちょっと頑張ってもらおうかな」

 

 そんなアサシンの必死の悪足掻きに暢気な声で他人事なコメントをする者もいる。

 

「……時々あなたという人間が本当に怖ろしく思えますよ、フラット」

 

 アサシンへの魔力供給にへばって倒れながらも、フラットはアサシンの限界値を正確に把握しているようだった。死より恐ろしい精神の変容などフラットにとって意に介すようなものではないらしい。それがどれほど残酷な言葉であるのか、本人は理解しているのだろうか?

 

 アサシンとカルキの戦いが次のステージに移ったのをフラットとティーネは遠く離れた場所から確認していた。

 カルキの行動がアサシンに傾注し始めている。カルキはアサシン一人に手一杯で、アーチャーに手を出す余裕はないと見る。

 もちろん、こちらに手を出す様子もない。

 

「……ライダーの魔力が爆発的に高まりつつあります。どうやら成功したみたいです」

「うん。そこはあまり心配してないよ。ライダーがこうも露骨に動けば抑止力も働かざるをえないし、せっかくオチも用意してるんだから」

 

 この最終英雄との決戦を「オチ」呼ばわりする感性にやや眉をひそめながら、ティーネは膝の上で意識を失っている繰丘椿の頭を撫である。やはり彼女をしてかかる負担は無視できるものではない。

 

 限界を迎えているアサシンの身体を魔力面からサポートしているのがフラットならば、肉体面からサポートしているのは椿である。宝具をひとつに使うのにだって最低限の体力が必要なのだ。

 一度だって夢世界に取り込み肉体情報を得ていれば、繰丘椿は誰であろうと治癒することができる。無理をし続けているアサシンの体はもう限界で、こうしている間にもあっさり骨は砕かれ内臓は破裂する。そして砕かれ破裂した瞬間に正常な状態へと上書きし続けるのである。とはいえ、片手間に行うにしては難易度が高いのも事実。そう長く維持できるものではない。

 

「銀狼の身体は保つでしょうか?」

「計算上はまだ余裕だけど、安全マージンは欲しいかな。椿ちゃんにももう少し頑張って貰おう」

 

 またも他力を当てにした発言であるが、本人も魔力供給で地味に死にかけているのでそこは触れずにおく。彼をしてここまで追い詰められているのだから、アサシンの状況は推して知るべきであろう。

 

 だからこそ、椿の役割は尚更に大きい。

 椿が支えているのは何もアサシンだけではない。彼女が今一番心血注いでいるのは作戦の要たる銀狼の肉体である。

 

 元々肉体が限界に近付いていた銀狼である。ジェスターの血によって幽体として延命はできたが、食屍鬼(グール)化を抑えたため肉体のほとんどは駄目だった。なので緊急処置として、アサシン同様に夢世界での情報を上書きし続けることで肉体を保存しているに過ぎない。

 

 その上で、「ライダーって群体の英霊なんだから株分けとかできるよね?」という至極非常識なフラットの発想によって銀狼は株分けされたライダーとマスター契約を結ぶことになっていた。

 もちろんそうしなければ銀狼がジェスターの眷属になってしまうという問題もあったし、令呪の縛りがあるライダーが邪魔で椿の真価が発揮できぬという理由もあった。そして何より、莫大な魔力を得る手段が他に思いつかなかったからである。

 

 計算上はこれで万事上手くいく筈である。

 だが、こんな無茶に無茶を重ねた銀狼の身体で莫大な魔力を受け入れることができるのか。ティーネでなくとも不安になろう。太鼓判を押すのが天才馬鹿のフラットであれば、尚更である。

 

「正直、侮っていました。この魔力量、人工的に作られた銀狼でなければ瞬時に壊れているところです」

「今の貯蔵量だけでもむこう百年は協会の一部門を永続できるくらいあるしね。けどそれは締めた蛇口から漏れ出る水滴に過ぎないよ。本番でもたらされる魔力は、これよりもっと凄い」

 

 不安に思うティーネを無自覚に脅すフラット。彼に裏がないことは短い付き合いながらよく理解している。それだけに、今後の綱渡りを思えば背筋が寒くなる。

 『星』そのものに感染することで、ライダーは次元違いの魔力を得ることに成功していた。八〇万人分の魔力を持つ繰丘椿など足元に及ばぬ程に、今のライダーは魔力に溢れている。当然、その宿主である銀狼も。これで経路を通じさせただけというのだから出鱈目にも程がある。

 何故こんな非常識がこんな危うげな状況で成立し得るのか不思議でならないが、実現できてしまった以上流れに身を任せるしかない。

 

「はぁ……けどなぁ。これについては気が進まないんだよなぁ」

 

 と、この期に及んで躊躇しだすフラット。アサシンの精神や銀狼の身体を消費するのに躊躇はしないのに、こと自身の興味関心がある点にはもの惜しんでいたりする。

 

「今更何を言っているのですか。でないと辺り一帯が吹っ飛ぶと言ったのは何処の誰ですか?」

 

 カルキが膝を屈した場合自爆すると看破したのはライダーだけではない。むしろライダーよりも先にこの天才は見切っていたりする。自爆の美学とやらでやたら盛り上がっていたのはどうかと思うが。

 

「でもさ」

『かまわない、やってくれ』

 

 なおも躊躇するフラットの言葉を遮るように、離れた場所で待機しているバーサーカーから無線で準備完了のコールがきた。わざわざ無線を使わざるを得ないのも、念話すらできない程弱体化しているからである。

 

「本当に良いの?」

『……もうこうするより他に役立つ手段がないからな。むしろ活躍の場が少しでもあることの方が嬉しいくらいさ』

「……分かったよ、ジャック」

 

 心底名残惜しそうに、フラットは決意を新たにする。良いから早くしろ、とティーネは思うがやはり口にするのは自粛しておいた。それはフラットのためというより、願いを叶えたバーサーカーに配慮したからである。

 彼が良いというのだ。部外者に口を出す権利はない。

 内心の落胆を隠すことなく、後ろ髪を引かれるようにフラットは奥の手を口にする。

 

「フラット・エスカルドスが令呪をもって命ずる――」

 

 やおら右手の拳を掲げ、未だ手つかずのまま温存してきた令呪を露わにした。

 光輝く令呪。この聖杯戦争が茶番と判明した後も、この輝きはバーサーカーとフラットの繋がりを確かなものである証である。

 その証を、フラットは残酷なことに使用する。

 

「バーサーカーよ、――自らの正体を忘れよ」

 

 それは全てを台無しにする命令。

 バーサーカーが一体何の為にこの聖杯戦争に参加したのか。望んでその結果を受けたものではないにしろ、それこそが彼の望みであったはず。自らの手で終止符を打つような真似は、彼にとっても苦渋の決断だっただろう。

 確定し収束した正体が、令呪によって再度霧散する。

 

 変化はすぐに訪れた。バーサーカーが待機していた付近から黒い霧が大量に発生し、周囲一帯を瞬時に覆い始める。

 バーサーカーの暗黒霧都(ザ・ミスト)

 おそらく莫大な魔力を溢れさせつつあるライダーと銀狼の身体を最終英雄の目から隠す為のもの。同時に、これは力を取り戻したことを告げるための号砲。

 

 正体不明の殺人鬼が復活する。

 

 正体を暴かれたバーサーカーでは戦力にはなり得ない。手っ取り早く戦力を得るためにはこうするより他になかったのである。

 だが、元に戻るだけではまだ力は足りていない。

 そのための宝具は、用意周到なキャスターによって事前に用意されている。

 ジャックの心情よりも自身の令呪が消える事への不満を(おそらく)思いながら、フラットは第二の令呪で命令を下してみせた。

 

「重ねて令呪をもって命ずる。ジャックよ、宝具を掴み、成すことを成せ」

 

 立て続けに第二の令呪が消えていく。

 令呪の力はどんな無理難題であろうとそれを叶えるべく全力を尽くさせる。特に今はアサシンへの魔力供給を優先しているため、バーサーカーへサポートするだけの余力がフラットにはない。

 追加魔力が令呪一画で足りない場合、二画目を使用しなければならないが――

 

「……やったっ!」

 

 小さく呟いてフラットが作戦の成功を確信した。

 暗黒霧都(ザ・ミスト)に隠れたせいでティーネの目から何も分からないが、遅れて霧が一瞬だけ横一文字に両断されるのを確認する。更に遅れて轟音が響き渡るが、そんなものは些細なことだった。

 ただの一撃、ほんの一瞬とはいえ、数キロメートルという広範囲を一刀両断する荒技である。使用者にもよるだろうが、本来の力を取り戻したバーサーカーが令呪の力で後押しさせればこんな無茶も可能である。

 

 メキメキと、屋台骨が折れる音が響き渡る。

 バーサーカーが用いた宝具、その名を巨人殺しの斧(ジャック)という。

 名前が被ったのはただの偶然であろうが、この偶然を制作者たるキャスターは甚く気に入っていた。言葉の魔力とはこうした積み重ねによるものである。結局、バーサーカーの意向を無視して趣味に走ったキャスターは必要もしないというのに巨人殺しの斧(ジャック)をバーサーカー専用宝具として昇華したのである。

 

 かつてのキャスターがその時ここまでの先見性があったかどうかは別として、その威力は特定の対象においてのみ抜群の威力を無駄に発揮してみせる。最終英雄に対しての有効性こそ疑問だが、巨人殺しの斧(ジャック)はかつて巨人を殺してみせたその機能を十全に発揮してみせた。

 

 宝具の原典はケルト神話に起源を持つ物語、『ジャックと豆の木』。

 巨人殺しの斧(ジャック)は豆の木を切り落とした斧を宝具化した、木を切り倒すことにのみ特化した宝具なのである。

 そして現在、スノーフィールドにある木と言えば一つだけ。

 

 対星宝具《バオバブの木》。

 

 直径数キロはある星殺しの巨木が、カルキ目がけて倒れてくる。

 

 



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day.final-19 花

 

 

 成長すれば枝葉は星を覆い尽くし、張り巡らせた根は星を割る――と、語られる星殺し《バオバブの木》。

 しかしその対星宝具は現在機能停止状態に陥っている。

 

 元々この宝具は星に寄生し魔力を奪うことで活動する独立生体宝具である。そのおかげで所有者であるサン=テグジュペリが消滅した後も共に消えずに残ったわけだが、現在のスノーフィールドに多少根を生やしたところで吸収するための魔力が残っているはずもなかった。

 

 いかに星を喰らう怪木といえど、枯れ木ではただ大きいだけで何か脅威があるわけも無い。となれば、それが倒れた程度のことであの最終英雄が動揺するわけもなかった。

 もちろん、そんなことはこの場にいる全員が分かっている。

 それこそ、銀狼だって理解していた。

 

 荒れ狂うような魔力が急速に内側へ充ち満ちていくのを感じながら、銀狼はバオバブの木の上で、遙か眼下で繰り広げられる戦況を見守っていた。

 視界の中心で黒い女と歪な巨人が戦っている。

 銀狼の目からもその戦いが苛烈であることが分かった。一進一退の攻防にあるいは手に汗握ることもあるのだろうが、残念なことに銀狼の肉球に汗はない。それどころか、銀狼はその両者がどういう立ち位置で何故戦っているのか、よく把握しておらず興味もさほど抱いていないのである。

 

 それもそのはず。銀狼の行動指針は仲間の危機に因る。

 群れの仲間として認識しているランサー、フラット、ティーネ、椿――彼らが危うくなれば自らの命を省みることなく助けに向かうのだろうが、逆に言えば群れの仲間以外がどうなろうと積極的に動くことはない。おまけにアサシンがカルキと互角に戦っている(ように見える)ことで銀狼の危機意識は薄くなりつつあった。

 

 確かに仲間として意識しているランサーと繰丘椿が最終英雄と直接戦いはしたが、ランサーは狂化により姿形どころかその性能性質を大きく変えたことで仲間どころか同一人物としても認識されず、繰丘椿は姿形こそそっくりでも中身があまりに違いすぎて偽物と看破されてしまい、同じく仲間と認識されなかった。

 

 戦う理由が、銀狼にはない。

 その必要性も、銀狼は感じていない。

 銀狼にしかできないことがある。遠回りながらも仲間を守るという、意義もある。

 それだけの理由で。銀狼はその瞬間を待ち続けようとしていた。

 

『――それだけではないのです?』

 

 背後からの稚気に溢れた男の声に銀狼は振り返らない。

 銀狼だって仲間以外の者を認識していないわけではないし、その存在を認めていないわけではない。アーチャーやライダーが顕著な例であるが、彼らとは一定の距離を保ちながらも信頼関係を構築している。

 アーチャーを接待したり、ライダーの寄生に抵抗しなかったり、署長と共に冥府に行ったのも、銀狼との間にランサーやフラットや椿の存在が入っていたからである。仲間の仲間、というクッションがあれば銀狼はさほど警戒しないのである。

 

 その銀狼が多少なりとも警戒していた。あるいは信用していなかった。

 振り返らない最大の理由は、そんな相手であろうと共にいなければならない不満からだろう。

 男はつい先程東洋人の令呪で繰丘椿に喚び出された英霊である。傷ついたアサシンの回復と末期の銀狼の維持、砲撃で汚染されたスノーフィールド全域の上書き、そしてこの英雄の召喚とに繰丘椿は全魔力を注いでいる。ここで銀狼が男を無碍にすればその不始末は最終的に椿が払うことになる。そのことを男も理解しているからこそ、遠慮のなく銀狼の内面に踏み込んでくるのである。

 

 宝具、魔術王の指環(ローレンツ)

 かの魔術王ソロモンが神より授けられた十の指輪、その一つ。この指輪を用いれば天使や悪魔を使役でき、十の指輪が全てそろえば人類が行うあらゆる魔術を無効化し、また配下に納めるとされている。

 仮にこれを触媒とすれば魔術王を召喚することも可能なのだろうが――そんな誰もが当たり前に思いつく方法をあの劇作家が取るわけもなかった。

 

 この指輪を使えば動物の話がわかるとの伝説があるのである。そんな伝説を元にキャスターが昇華した動物会話の宝具(キャスター命名、バウリンガル)をその男は使用していた。

 

 原典と異なり知能差や種族差を乗り越え心を通じ合わせることはできないが、本来の持ち主でなくとも大きくダウンしながらある程度の意思疎通を可能とする。貴重で高価な遺物を容赦なくニッチなことに使い潰したことで署長の胃に穴を空けかけた逸品である。

 人語を解さぬ銀狼もこれにより作戦概要を把握していた。その意味では有効にこの宝具は使われたことになるが、当の本人が喜ぶことはない。

 

『あなたは何故生きていますです?』

 

 と、いきなりの禅問答を銀狼に語りかけてくる男。もしかするともっと別の解釈ができる質問をされたのかもしれないが、魔術王の指環(ローレンツ)の翻訳機能ではこれが限界だ。

 一応は質問の意味を理解しているが、質問の意図が読めないので銀狼はそのまま無視を続ける。

 

『……ああ、愚かな問いでありました。あなたはランサーに助けられました。ファルデウスに保護されました。ライダーに寄生されました。それによってあなたという命は続いくことを成功したのです。本当である事実は否定できないのです。

 私の質問は浅くはありません。問いを言い換えますです』

 

 元の会話はおそらくもっと詩的で人間的なものであろうが、銀狼の耳には雑音に等しいものである。この調子で話しかけられても銀狼が耳を貸すことはないのだろうが、

 

『何故、創造主に殺されませんでしたか?』

 

 ぴくり、と銀狼の耳が動く。

 無視できぬことを、言われていた。

 

『あなたは殺されるべきでした』

 

 一息入れて、男は銀狼の反応を見ていた。

 

『あなたは召喚の触媒として生み出されただけの存在です。あなたの存在意義は他にはないと思われます。使えないとわかった道具は捨てることを考えます。本当であるならあなたはの運命は決まったものなのです』

 

 長い翻訳に頭が痛くなる。単に雑音として流せれば良いのだが、この宝具の悪い点は強制的に思考を伝達してしまうことにある。おそらく、この宝具を長く使用していればそう遠くないうちに完璧な翻訳精度で意思伝達ができるようになるだろう。

 

 まだほんの一分程度の拙い翻訳での会話であるが、残念なことに銀狼は聡明でこの男が言わんとしていることに気付いた。

 銀狼は創造主である魔術師に殺されかけはしたものの、彼に対して敵意や殺意を抱いてなどいない。だが、「生きる」と願ったことに疑問を覚えたこともない。あまりに当然過ぎる渇望に、疑問の余地などないのだ。

 

 銀狼は合成獣でありながら自己保存を求めるほどの自意識を生まれながらに獲得していた。してしまった。理由は知らない。だが、強いて言うなればそれは本能なのだろう。ならば疑問を抱かぬことすら不思議ではあるまい。

 唯々諾々と死ぬことなど、銀狼にはできなかった。

 

「……」

 

 反応するつもりもなかったが、思わず息が漏れる。

 男が言わんとしていることを、聡い銀狼は理解した。

 今だからこそ思う。あの日「生きたい」と思ったことに間違いはなかったと。

 同時に悟る。この胸の奥には、これまで体験したことのない感情があると。

 銀狼には、最終英雄に対するある感情が生まれていた。

 

『――あなたが持つ感情の呼び方を憐憫と言いますです』

 

 そんな注釈を男は付け加える。

 最終英雄は、かつての銀狼である。

 銀狼と最終英雄。両者ともに創造主の目的によって人為的に造られ、創造主の都合によってその運命を決定づけられている。決定的に違うのは、銀狼は創造主の都合に抗い、最終英雄は創造主の都合に抗わなかったことか。

 利用価値を失った身として最終英雄の哀れな姿は自己に投影しうるものである。

 

『最終英雄の救われる者はいないです――彼を救えることには眠らすことしかできないと思います。あなたはそう思う?』

 

 軽やかに、男は銀狼を唆す。

 最終英雄を救えるのは、同じ境遇にいるお前だけだと。

 つまりこの男は銀狼を機械的に無感情のまま最終英雄に挑ませるのではなく、一登場人物として挑むだけの動機を胸に抱え最終英雄にぶつけたいらしい。それにどれほどの意味と価値があるのか知らないが、男にとっては重要なことなのだ。

 

 銀狼はしばし考え、男の妄想を振り払う。

 獣は獣。人の言葉で動くものではないと結論づける。

 やるべきことに、変わりはないのだから。

 

 とはいえ、男の腹積もりを看破しつつも銀狼はその掌から逃げることはできない。こうも己の腸を見せつけられれば、納得する回答を得ることこそないものの、どうあがこうと意識せずにはいられない。

 

 随分と嫌らしい手である。敵であるなら恐ろしいが、味方であっても怖ろしい。

 なるほど、と銀狼は思う。

 銀狼が彼を信用しないのはどうやら本能に因るものらしい。

 

『――私は驚いたようです。ジャック氏の力が取り戻せました。あなたの舞台はこれからです。幸運を取ることを祈ります』

 

 男の言葉を裏付けるかのように魔力による漆黒の霧が周囲を満たし、銀狼の視界を覆い隠す。そしてすぐに鈍い衝撃と微弱な震動がバオバブの木を通して伝わってくる。木が傾き始めたのはその直後だった。

 

 事前に聞いていた作戦通り、このままバオバブの木は最終英雄に向かって倒れることになる。

 アサシンとの戦闘中であっても、この程度ならばほぼ確実に避けられることになるだろう。よしんば避けられなかったとしても、救世剣で消し飛ばされればそれでおしまい。大きいだけの枯れ木では何の脅威にもならないのだ。

 

 有効打を与えるには、高いハードルが幾つもある。

 そのハードルを乗り越えるために用意されたのが、この男と銀狼だった。

 男は魔術王の指環(ローレンツ)を放り捨てる。これで銀狼と意思疎通をすることは不可能になるが、既に必要でないと言うことだろう。

 

「この瞬間を待っていた! 俺の願いは、今ここに果たされるだろう!」

 

 バオバブの木の傾きが最大限になる。後はもう重力に引かれるがまま、倒れ落ちることになる。そんな最中に男は笑い、叫んだ。

 万能の釜がないと確約された戦争、偽りの聖杯戦争。

 英霊は虚実交えた契約を結ばされ勝利が己が望みと直結しない。

 けれども、そんな中にありながら望みを叶えた者もいる。

 そして、望みを今まさに叶えんとする者も。

 

「やぁやぁ!

 遠からん者は音に聞け!

 近くば寄って目にも見よ!

 地獄の淵より蘇りし我が身が成したこの奇跡!」

 

 魔術王の指環(ローレンツ)を捨てた今、銀狼がこの言葉を理解することはない。そして銀狼以外の者がこの場で男の言葉を聞くことはない。ひょっとすると最終英雄ならば耳にしているかもしれないが、反応するはずもない。

 

 観衆不在の口上。それでも、男は叫ばずにはいられない。

 今から行われるのは、究極の番狂わせ。ジャイアントキリング。それが何の演出もなく描かれることになるのが、男には我慢できない。

 

 世界には、枯れ木を蘇らせる逸話は数多くある。

 世界には、逸話を再現しねじ曲げる英霊もいる。

 そしてここには、意思を持って最終英雄に挑む銀狼がいる。

 

 大きく息を吸って、男は最後の呪文を唱えた。

 

「枯れ木に花を、咲かせましょう!」

 

 瞬間、限界値で維持され続けていた銀狼の身体が粒子となってバオバブの木に撒き散らされる。その様はサーヴァントが消滅する間際を彷彿とさせるが、その実態は真逆である。

 消滅ではなく、再誕。

 

 対最終英雄宝具、花咲爺さん(シロ)

 

 稀代の劇作家は令呪の再召喚に応じ、再度最終英雄へと挑んでみせた。

 

 



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day.final-20 人の手

 

 

 頭上に突如として現れた脅威に、さしもの最終英雄も平時ではいられないとみた。

 

 通常であれば、何の脅威にもなりはしない。如何に巨大なバオバブの木とはいえ、枝葉の隙間はいくらでもある。直撃さえせねば――直撃したところでどうということでもない。カルキにしてみれば少し大きめのアスレチック程度に過ぎない。しかも力任せに打ち砕くことだって可能なのだ。

 

 だが、その枝葉が自在に動きカルキを狙うとすれば、これは無視できぬ脅威と化す。

 巨大な幹が地面に落ちるより先に、鋭い枝葉が突如と伸びて四方八方から最終英雄を捕食しようとする。一本の巨大な枝から分裂して襲いかかる小枝は、軽く数十本。しかもその小枝はさらに分裂を繰り返し槍衾と化してくる。

 

「■■■」

 

 上方から360度狙われる攻撃に最終英雄はまずは救世剣を解き放ち窮地を脱するが、それで屠ることができたのは枝葉のたった二割程度。本気を出して救世剣を横薙ぎにすれば半分以上消滅できた計算だが、そうもいかない。蛇のようにしなって救世剣の光条を妖枝が避けたのも仕留めきれなかった理由であるが、それより何より、敵は上方だけにはいなかった。

 

 地面が震動し暴れのたうつ。繰丘椿に癒やされた筈の大地には無数の罅が縦横無尽に誕生し、溝となってその原因を露呈させた。

 噴火の如き爆発。地の底から現れ出でたのは、最強最悪を謳うバオバブの木の根。スノーフィールド全域に生やした星をも砕き割る根が蛸の足のように蠕動し猛威を振るった。その巨大さ故に枝葉より幾分鈍重とはいえ、その危険度は比べものにならない。

 

 さしもの最終英雄も救世剣を満足に振り回すだけの足場がなければ照準もままならなかったらしい。その足場が触手のように襲いかかってくるとすれば、尚更。中途半端に放射した救世剣を一度は収め、まずは回避に専念する。

 

 巨大な幹を四方に伸ばし檻のように地面に突き刺すことで落下はひとまず停止し、上下から一斉に襲いかかるバオバブの木。

 幾多の攻撃によってカルキから剥離した魔群も枝葉が即座に捕食してみせる。二十八人の怪物(クラン・カラティン)王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)の手からも逃げ切った魔群すらも、複雑にねじ曲がった根が大地を割って現れ容赦なく絡め取っていく。それこそ、短時間で怪獣と見紛うまでに成長した個体から、羽虫サイズで増殖分裂を繰り返す群体まで、全て、悉く、容赦なく。

 

 このバオバブの木はかつて南部砂漠地帯で展開された茨姫(スリーピングビューティー)の上位互換として設計されてある。

 木を切断することで発動から展開までの時間を極力減らし、莫大な魔力を背景に活動を活発化。漠然と血を欲する群体ではなく、最終英雄個人を意識的に狙う個体によって形成。

 花咲爺さん(シロ)により銀狼とバオバブの木を融合させたことで、木の隅々にまで意思を連続させている。これなら多少切断されたところでその活動に影響はない。弱点となる霊核がないため木全体をまるごと一気に消失させない限り、活動は永遠に続くことになる。

 

 同じく量を頼みとするライダーは無差別広範囲攻撃で何とかなったが、バオバブの木は小枝でさえ濃厚な魔力の流れを感じられるほど力強く、生半な攻撃は通じない。自爆覚悟の同じ手は通じないのである。

 

 ここは既にバオバブの木の結界だ。これに捕らわれている限りバオバブの木は永遠に目標を追いかけるだろうし、一帯の空間そのものを枝葉で覆い尽くすのも時間の問題だろう。

 およそ、最終英雄には最悪の相手だろう。

 だからこそ、最善の一手は逃げるのみ。

 相手がバオバブの木単体なら即座に逃げられる可能性はあった。だが彼が戦っていたのは、バオバブの木というぱっと出の怪物なのではない。

 

「逃がさないっ!!!」

 

 アサシンの猛攻がカルキに逃げる暇を与えない。

 根が大きく蠢いたことで両者の間は大きく開いたが、それも一時のこと。アサシンはアーチャーが投射した糸の宝具を器用に枝葉に絡ませ、重力を無視するかのように自在に動き回りカルキを翻弄する。正体に気付けば救世剣で糸は両断するが、カルキが一手対処する間にアサシンは二手先を行く。

 

 伸びた枝葉の影に隠れ、宝具を回収しつつ反撃する。

 アーチャーからの援護はもう期待できない。伸びた枝葉はカルキの逃げ道を確かに塞ぐが、同時に宝具の射線も隠してしまった。となれば、幹や枝に突き刺さったまま残された宝具を頼るしかない。

 

 隠れた葉越しに右手の細剣が光の速度で腿を貫き縫い付ける。左手の曲刀が死角より胸を穿つ。挙動が遅れたところで背後から再接近、口に含んだ笛に息を吹き込めれば音の渦が生まれて石化の呪いが発現する。

 

「■■■■ッ!」

 

 アサシンの度重なる攻撃に苛立ったのか、振り返ると同時に救世剣が唸りを上げて横に凪ぐ。

 アサシンは怯まない。腰を屈め上体を低くすると同時に、疾走を開始。

 カルキの技量とほんの五メートル程度の距離なら、アサシンの身体は次の瞬間には二つに分かれているところ。しかしアサシンと救世剣の間に妖枝が割って入る。救世剣の前では紙切れ同然であろうが、その紙切れも瞬時に数十も寄り集まれば時間も稼げる。

 

 先端に宝具らしき短剣が刺さったままの妖枝がアサシンの傍らへと伸びていた。躊躇なく短剣を引き抜つと同時に足元の枝が急成長してアサシンをカタパルトのように射出する。

 彼我の距離を一瞬にしてゼロになる。カルキから見れば、一瞬でアサシンが消えたように見えたことだろう。

 頭部と肩が一体となったようなカルキの首に容赦なく突き立てた。

 が、

 

「……浅いっ!」

 

 宝具の発動が一瞬間に合わなかった。血を欲する吸血の短剣はその効力を発揮する前にカルキの硬質な肌に阻まれる。動きを阻害するなら手足の方が良かったか。後悔してももう遅い。

 皮一枚を傷つけただけで短剣は己が魔力を失い砂となって消え、同時に救世剣が寄り集まった妖枝を切り裂いてアサシンを追う。転げて回避するが、一拍タイミングを遅らせてやって来たカルキの蹴りがアサシンの腹を強かに突いた。

 

 ぐぎん、と異様な音が体内から響き渡った。

 臓腑が鉄と化しているイメージ。精神の変質は身体にも影響を与える。実際に鉄になっているわけではないだろうが、強度は多少上がっていたらしい。蹴りで身体が千切れることもなければ、動けぬこともない。

 

 椿による瞬間回復がない。彼女の限界に多少心配もするが、アサシンは自分の心配はしなかった。

 痛覚なんて当たり前の感覚は精神変容の過程でとっくに見失っている。今までだって散々無茶な機動をしてきたが、千切れてさえいなければなんとなかなる。そしてまだ五体満足である。

 

 まだ、戦える。

 柔らかな葉が瞬時に生い茂りアサシンの身体を受け止めてくれたおかげで、無様ながらに着地には成功。都合の良いことに着地点には泥に汚れた槍の宝具が用意されてあった。アーチャー以上に繊細な援護に喜んで手を伸ばすが――いや、これは駄目だ。自分の手に余ってしまう。扱いきれない。

 この一瞬一秒を争う時に選り好みする余裕はないが、できないものはできない。

 

 ならば、と次を探して視線を走らせるが――すぐさま茂みの中へ飛び込み全力で転がった。距離を取りカルキに一瞬とはいえ時間を与えたのが悪かったか。カルキが救世剣を構えて何をするのか、言われずとも分かるだろう。

 

 ざわりと、うなじを撫でていく冷たい感覚。頭上を救世剣の光条が通過する気配を感じる。

 熱くもなく、冷たくもない。気流さえも乱さぬ消滅の光条は、周辺環境の間接変化だけで気付けるものではない。とはいえ、絶対的な死の感覚は分かり難いがために分かり易い。特に今はバオバブの木で周囲が満たされた状態だ。濃密な生の気配の中でぽっかりと虚無の空間が拡がれば、嫌が応にも理解できる。

 

 背筋の凍る一撃をなんとかやり過ごすことには成功した。先んじて発射体制を確認できたのが幸運だった。生い茂った葉で身体が隠されていなければ、確実に救世剣の餌食になっていただろう。

 

 光条はアサシンの頭上をギリギリ通り過ぎていた。言葉通り間一髪助かったというところか。後を振り返れば、壊滅しながらもスノーフィールドの街並みが見てとれた。すぐに再構築するだろうが、その射線上は明らかに防御が薄い。

 脱出路が形成されていた。

 

「マズいぜ! 逃げられちまう!」

 

 どこからか高みの見物を気取っていた劇作家の声が聞こえたような気もするが、そんなことは分かりきっている。そんなことで注意喚起でもしているつもりなら囮の一つにでもなって欲しい。

 

 東洋人の令呪による召喚は自由度が高い代わりに召喚時間が短いと聞く。せっかくの短い命を有効利用したと思えば安いものだろう。救世剣に二度も殺されたと聞けばきっと『座』でも自慢できるだろう。

 などと益体もないことを考え立ち上がろうとするが、

 

「……こんな時に」

 

 幸運はそこまで続かない。

 光条を放ち終えた最終英雄が悠然と歩みを開始する。アサシンは丁度進行方向の途上に倒れている形だ。先と似たような状況に陥っているが、あの時はアーチャーの援護があり、そして今はバオバブの木の援護がある。

 

 決定的な違いは、あの時にあった足が今はないということだろう。

 

 足元を目視で確認してみれば、救世剣の一撃に巻き込まれたのか右足がそっくりそのまま消失し、左足も膝から下がない。右手も見れば、薬指と小指が失われ骨が露出し血が滴り落ちていた。サーヴァントにとって必ずしも致命傷ではないが、マスターもいなければ魔力もない状態で回復する術をアサシンは知らない。

 

 千切れぬ限り無理も無茶もするが、千切れてしまってはそれもできない。

 脱出せんと足掻くカルキに容赦なく妖枝が伸びて巻き付くが、やはり動きを止めるには一手足らない。最終英雄は苦もなく妖枝を引きちぎり、太い根を撫で斬りにし、悠然と出口へと向かい――アサシンの元へとあっさり辿り着いてしまう。

 

 迫る重戦車を前にした気分であるが、その逆境がアサシンの腹を決めさせた。

 逃げるどころか碌にこの場を動くことも不可能。自身の魔力もなければ有効な宝具も近くには見当たらない。もちろん、カルキが無視して素通りする可能性もあるが、ここまで散々邪魔してきたアサシンをこのまま放置することはあるまい。よしんば無視をしたとしても、進路上にいれば踏みつぶされるのがオチだ。ここでアサシンが生き延びるという選択肢はどう考えてもないのである。

 

 悪足掻きを選択したというのに、今ある選択肢には碌なモノがなかった。

 だから、アサシンは無駄と承知で左手を前に出した。

 本来であれば、これは選択肢にすらならない選択肢。早々に投棄して身軽になるべきだったのだろうが、何故かこの手に掴んだまま離していなかった。捨てようと捨てまいと同じ結果になっていたことを考えれば、まだマシな選択肢であったのかもしれない。弾が入っていない銃であっても牽制くらいできるのだ。最終英雄だってもしかしたら、もしかするかもしれない。

 

 アサシンの左手には、泥に汚れた長槍の宝具がある。

 あまりに長大で、明らかにアサシンの体格と合っていない。仮に万全の状態であったとしても扱いにくいこと間違いない。

 いや、そうでなくともこの宝具はアサシンという器で発揮することはできないように鋳造されている。選定の剣と同様に、選ばれた者でなければ扱えない――もっと簡単に言えば、この宝具は人という枠組みにあっては扱えないのだ。

 

 かの宝具を扱う為だけに、キャスターは偽神認証宝具《フリズスキャルヴ》を造ったのである。

 この宝具を扱うのに求められるのは、ただ一つ。

 強大な神性のみ。

 

 対神宝具、大神宣言(グングニル)

 

 神ならざる人の手により、神槍が最終英雄に突きつけられる。

 

 



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day.final-21 優勝

 

 

 神槍は誰にでも扱えるモノではない。

 

 モノとして存在する以上、確かに手に持ち振るうことは可能だろう。実際に使ったところで折れることもなければ、長い月日で朽ちることもない。だが、ただそれだけ。主不在の状態では神槍は神槍として機能しない。神槍が持つありとあらゆる権能は鳴りを潜め、また槍としての鋭さも失われたまま。

 

 神槍は、主不在のままではどうしようもないナマクラなのである。

 どんなに工夫を凝らしたところで、神性がなければ扱えない。

 全力で突き刺したところで、槍は突き刺さることはない。

 最終英雄の目は誤魔化せない。

 誰も傷つけることはできない。

 なのに。

 

「■ッ!?」

 

 深々と。

 神槍は最終英雄の身体に突き刺さる。

 有り得ぬ事態に、あの最終英雄が驚愕に打ち震える。

 そしてそれ以上に驚いたのは、何を隠そう突き刺したアサシン本人。

 

 アサシンに神性がないことは本人が一番良く分かっている。暗殺教団という特殊環境に生まれながらも、彼女は木の股や竹や桃の中から生まれたわけではない。精神の変容という特殊な洗礼を受けている最中ではあるが、彼女が人の子である事実が改竄されることは有り得ない。

 

 何より、彼女は触れただけでその宝具の本質を理解する天才である。神槍が扱えぬという事実は手にした彼女が誰よりもよく理解している。

 だから、彼女は原因が自分にないことをすぐさま理解した。思いがけぬ展開に混乱したのも一瞬だけ。すぐにアサシンは事実に気がつく。

 

 神槍がカルキの深部へ更に深く突き刺さるが、それは手にしているアサシンの意志ではない。いや、突き刺さるという形容もおかしい。これは「突き刺さる」というよりも「沈み込む」と言うべきだ。より適切に言い表すのなら「引きずり込まれる」か。

 

 神槍がカルキの体内をかき回していた。それは獲物の腹を破り臓腑を喰む肉食魚を彷彿とさせる悪食。喰らい、貪り、奪い取る。

 さすがは狂獣。喰わずに飢えは癒やせない。だが、満ち足りるまでの時間を悠長に与えることはできそうにない。

 カルキより一瞬早く正解に辿り着いたアサシンが、一瞬早く正解である行動に出ることができた。

 

 更に引きずり込まれようとする神槍を、アサシンは左手一本だけで強引に引っこ抜く。貪欲に喰い続けようと足掻こうとする気配もあるが、名残惜しげに最後の晩餐はここに終了した。

 片手でこの長大な槍を扱うのは苦労するが、別に細かな操作が必要なわけではない。アサシンが行ったのは、単に穂先をカルキへ改めて突き付けるだけ。

 

「――終わらせましょう」

 

 厳かに、アサシンは声をかける。

 カルキとアサシンは共に勘違いしていた。

 この場にいるのは二人だけではない。

 

「■■■!!」

 

 臓腑を掻き回されたカルキが気付き救世剣を振り上げるが、もう遅い。

 この場にいるのは、カルキとアサシン、そして神槍――についている、泥。

 カルキは忘れていた。先に狂獣と化したランサーに神槍を投げつけ半身を削っていたことを。そして削って不活性状態に陥った半身をそのまま放置していたことを!

 

 ランサー、泥人形エルキドゥ。

 

 アサシンが手にしているのは、神槍グングニルなどではない。神槍に纏わり付くよう付着していた(ランサー)を手にしているのであり、そのランサーが携える創生槍ティアマトを手にしているのだ。

 吸収された己の肉体をカルキ体内から引き摺り出し、ランサーは泥の身体のままに高らかに謳い上げる。

 

天命渦巻く(ムアリダート)――」

 

 バオバブの木には、マスターである銀狼の意志が息づいている。元とはいえマスターと直接接触すれば、不活性状態であろうと少なからず経路が通る。経路が通りさえすれば、息を吹き返す可能性は低くはなかった。宝具を読み取るアサシンが呼びかけたのであれば尚更。そうでなくともライダーという補佐もあればそれは必然と言い換えても良い。

 

 令呪による狂化の命令は既に切れている。

 吸収された身体はカルキから最低限奪い返せた。

 バオバブの木から莫大な魔力が供給されている。

 己が獲物は、最終英雄の喉元に突き付けられている。

 ならば、成すべきことはあと一つだけ。

 

「――混沌の海(ギムリシュン)!!」

 

 原初の海水が、召喚される。

 かつてライダーを葬った時の全力と比べれば、それは微々たるものだろう。支えるべきアサシンが片手であったことと、ランサー自身の質量も足りなかった。それに何より、ランサーが自意識を取り戻し宝具開放までの時間差が一秒にも満たないという三重苦。それを考えれば、現状考える最高の攻撃に違いない。

 

 万全な状態のカルキであれば、この攻撃は通用しない。

 天命渦巻く混沌の海(ムアリダート・ギムリシュン)の本質は原初の海水に触れた存在を自らの一部と化す強制権にある。だがそれが適用されるのは進化の歴史に連なる者のみ。残念ながら、最終英雄は強制権の対象外なのである。

 だからこそ、原初の海水は単純な攻撃力のみでカルキに挑まなければならない。

 

 天命渦巻く混沌の海(ムアリダート・ギムリシュン)は強力な宝具ではあるが、純粋な威力だけを語るならば、上にはもっと多くの宝具がある。宝具開放から数秒間を耐え凌げるか否かが勝負の分かれ目となるだろう。

 ゼロ距離かつ腹の中をかき混ぜられた直後の反撃モーション。これで回避される心配はないだろう。

 

 これが最後。

 アサシンは無論のこと、ランサーだって次はない。よしんばこれで倒せなければ、救世剣に潰されるだけだ。

 七つの頭を持つ不定なる竜の濁流がカルキを呑み込まんと顎を開く――が。

 

「■■■■ッ!」

 

 最終英雄は、その顎をあろうことか救世剣を持たぬ逆の左手で掴み取ってみせる。

 もちろんここでの顎というのは例えであり、性質が水である以上掴み取る真似ができようはずもない。ここでカルキが取った行動は、銃口に指を入れるようなものだった。

 

 ゼロ距離での宝具開放が徒となった。

 カルキは左手を犠牲に、天命渦巻く混沌の海(ムアリダート・ギムリシュン)の軌道をわずかにねじ曲げていた。左手こそ喰い破られはしたが、胴体は無傷。そして右手で振りかぶられる救世剣も止められない。

 至近距離で外しようがないのはお互いに同じだった。

 そしてアサシンとランサーには何かを犠牲にして生き延びるような術がない。

 

 だが、再度言おう。

 この場には、二人だけではない。

 そして、ランサーを含めた三人だけでもない。

 

「待たせたなっ!」

 

 張り上げられた声はサーヴァント・キャスター――否、東洋人の令呪で再召喚された今はただの劇作家のもの。

 まがりなりにもサーヴァント。この広大なバオバブの木のフィールドで最終英雄の決着を見届けようと追跡する気概は大したものかもしれないが、気配遮断スキルを持っているわけもないので彼の存在は最初からバレバレなのである。

 なのでもちろん、カルキがその程度で動きを止めるはずもない。

 

 確かにあの劇作家はこの場にいるし、カルキに敵対する抑止力の一角であることには違いないが、いかんせん戦力の定義から大きく外れてしまっている。再召喚されたところで最弱のサーヴァントの称号は不動のまま。茨姫(スリーピングビューティー)でアーチャーに挑んだ宝具お前の物は俺の物(ジャイアニズム)だって、念入りな事前準備が必要なのだ。今の彼にできることなど何も無い。

 

 できることはないが――何もしないことはできる。

 そう。例えば、この広大なバオバブの木でフィールドで最終英雄の場所を他の者に知らせるための目印とか。

 

天地乖離す(エヌマ)―――」

 

 バオバブの木の枝葉に隠れ、カルキに気がつかれることなく踏み入った者がいた。

 アーチャー。英雄王ギルガメッシュ。

 

「―――開闢の星(エリシュ)!」

 

 本日三度目。如何にアーチャーといえど、この短時間でここまで乱発できるものでもない。これにて看板。これが最後のチャンスであることに間違いなかった。

 だというのに、アーチャーは同じ間違いを繰り返す。

 

 至近距離で撃ち放たれた乖離剣。だが、カルキはカルキで救世剣発動直前で迎撃するには難しくはない。あるいはカルキがアサシンとランサーを仕留めた直後であれば、話は別であっただろう。二人の犠牲を糧に一瞬の隙を突くことができれば、最終英雄打倒はより容易だったはず。

 

 至近距離で極黒と純白が激突し、相殺し合う。

 相殺され無限にも等しい威力は完膚無きまでに無へと回帰してしまったわけだが、極黒と純白が激突する光までは消せはしない。

 光が飛び散るこの間にも当然バオバブの木が蔓や蔦を伸ばし拘束しようと動きはするも、時間が足りるわけがない。

 

 あと、一手足りない。

 しかもその一手はただ横合いから殴る機会を与えられるだけのものであり、乖離剣や創生槍でないのなら一手と言わずに数手は必要になるだろう。

 

 アーチャーは救世剣を抑えるのに手一杯。

 ランサーは質量不足。

 ライダーはバオバブの木を維持するだけで余裕はない。

 アサシンは行動不能。

 劇作家は高みの見物を決め込み役立たず。

 バーサーカーは木を切り倒すだけで力尽きた。

 

 全サーヴァントは悉く動けない。

 英霊は最終英雄を倒せなかった。

 

 ……再度。

 再度、繰り返し同じ事を問おう。

 この場には、二人だけではない。

 ならば三人か? 四人か? 五人なのか?

 それは違う。大違いだ。大きな間違いだ。

 

 この“偽りの聖杯戦争”で集った力は六柱だけではない。

 忘れてはならない。神々を過去とし、幻獣を追い出し、幾多の魔法を貶めてきたのは誰であったのか。

 そも、“偽りの聖杯戦争”は何の為の、誰の為の、どんな目的の儀式であったのか。

 幾多の側面を持つ“偽りの聖杯戦争”、その内の一つの姿をここで思い出さねばならない。

 即ち、人間の手による英霊の打倒。

 

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)

 

 自らの胸より生まれた刃を見て最終英雄はどう思っただろうか。

 救世剣と乖離剣の激突があったが故に、這い寄る二十八人の怪物(クラン・カラティン)の手から逃れる術を、最終英雄は持ち得なかった。気付いたときには、もう貫かれていたといってもいい。

 人間を殺めるのはカルキの本意ではない。だが直接危害を加えられたことで自己防衛の例外規定に抵触、体内に蓄積された減速材の余剰エネルギーが自動的に電気変換される。カルキの胴を貫いてみせた勇者は次の瞬間感電しあっけなく息絶えた。

 

「■ッ!?」

 

 その光景を見ていたであろうに、またも身体を貫く痛みがカルキに走った。

 文字通りの電光石火。サーヴァントの反射速度と技量でもなければカルキのこの反撃に対応しきれないというのに、彼らにその反省がない。この勇者もまた同じように瞬殺してみせるが、次から次へと湧き出るように、人間が立ちはだかり殺到する。その間にもカルキは一つ二つと新たな傷を拵えてくる。

 

「ではな、最終英雄。最後は興醒めだったが」

 

 鼻を鳴らし、黄金のサーヴァントは面白くなさそうに最終英雄に背を向ける。乖離剣は既に蔵に戻され、辺りに散らばっているであろう宝具も次から次へと消えていく。

 まだ、最終英雄は倒れていない。それどころか、今ここでアーチャーが本気で参戦すればあっさりと片が付くような状況。

 そんな勝利の二文字をアーチャーは敢えて手に取らなかった。

 

 アサシン(とアサシンが手に持つランサー)の身体を担ぎ、アーチャーは悠然とその場を後にする。そんなアーチャーと交代するように、傍らを走り抜け最終英雄に突撃する二十八人の怪物(クラン・カラティン)

 

「アーチャー、待ってください。まだ私は――」

「戯け小娘。貴様の役割はもう終わった。お前にしろ、我にしろ、過去の英雄(サーヴァント)が出る幕ではない。

 ……だがな、最終英雄。お前がこれから相手にするのはただの雑兵などではないぞ。未来の英雄を倒すべきは、現代の英雄しかないのだからな」

 

 カルキは言語を習得しない。必要としない。それでもアーチャーの後半の言葉が、自らに向けられたことは理解した。

 こうしている間にも、カルキに向けられる白刃は数多く集まりつつあった。中にはランクの低い宝具も混じり脅威になり得ぬ者もいる。そうしたことも理解しながら、彼らはカルキに戦いを挑んでいる。

 彼らの目的はただ一つ。この場に一分一秒最終英雄を押しとどめ、その血肉を削り落とすことのみ。

 

 過去の英霊は去った。

 ここにいるのは現代の英雄達だ。

 二十八人の怪物(クラン・カラティン)は、カルキの前に立ち続ける。

 そんな彼らに、最終英雄は、

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――ッ!!!」

 

 最大限の敬意を払った。

 

 

 

 偽りの聖杯戦争が、ここに終結する。

 優勝――二十八人の怪物(クラン・カラティン)

 

 



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epilogue-01

 

 

 ラスベガスの路地裏を走る影がいる。

 

 通りを一本挟んでもまだ夜とは思えぬBGMとネオンの光、さすが遊興の街。そして路地裏だというのにどうしてこうも人が多いのか。一人二人を簡単に誘惑し誘える環境は魅力的だが、ここは些か出歯亀が多すぎる。

 しかしそれでも、彼女はその走りを止めない。人目は嫌いだが、飢えと退屈そして太陽よりも憎々しい者に対してそんな些事は関係なかった。

 

 今夜の彼女は慈悲深い。声をかける者、歩みを阻もうとする者は容赦なく即座に殺すが、無視を決め込む者を相手にはしなかった。

 おかげで苛立つ彼女が街へ繰り出しながら、今夜の被害はわずか八人ですんでいた。

 血塗れになった手をその赤い舌で綺麗に舐め取りながら、ジェスターはバーサーカーを袋小路へと追い詰める。

 

「一日ぶりだな、殺人鬼」

「一日ぶりです、吸血鬼」

 

 互いに鬼の名を冠しておきながらその強弱は明かだった。

 戦争の最中ですらバーサーカーはジェスターに負けている。おまけにバーサーカーは特定条件下においてこそ強さを発揮するサーヴァント。裏を返せば条件が揃わねば弱いことに違いはない。

 そして今は魔力が残り少ないため無理もできない。戦闘になれば一秒だって相手にできないし、こうして逃げ隠れするのが精一杯。それも一日が限度だった。

 昨日は初手から切り札を出しまくって何とか逃げ切ったが、二度通じる相手でもなかった。

 

 あのボロ雑巾にまで弱体化したジェスターではあったが、後先考えず栄養を吸収しまくった結果、今や可憐な少女の身体にまで育っている。その掴めば折れそうなほど脆く華奢な繊手であるが、バーサーカーがいくら頑張ろうとも小指の先だって動かすことはできない。

 ろくな抵抗もできずに首を掴まれれば、この身長差がありながらバーサーカーの足が浮く。そのまま背後の壁に罅が入るほど力任せに叩きつけられた。

 いかに治安が悪くともここまで騒ぎが大きくなれば警察がほどなく駆けつけることだろう。結界も張らずにろくに外見も取り繕わないのもそうだが、ジェスターはもはや形振り構っていなかった。

 

「さて、バーサーカー。二人はどこだ?」

 

 ジェスターの影が、朱く染まる。影は足元だけでなく、ネオンの光に逆らうように壁を這いずり舐め回す。逆らえばこうなると言いたいのか、壁を張っていたトカゲが一瞬にして干からび地に落ちた。

 

「昨日のことをもう忘れたのか? 私は知らないと言ったはずだ」

「知らぬわけがあるまいよ。正規契約のマスターとサーヴァントなら、地球の裏側だって通じ合える。優秀なマスターであれば尚更だ」

「だったら自分でアサシンを探せばよいではないかな」

「それをできぬようにしたのが貴様のマスターだろう! 私が弱まったことを良いことにどんな手を使ってか契約を一方的に破棄させた!」

 

 激昂するジェスターの口が大きく開き、何かを叫ぼうとするのを寸前で止める。劇場に任せて良いことはないと頭では理解しているらしい。

 

「……私が冷静である間に話してくれると嬉しい。もう一度聞こう、二人はどこだ?」

「知ら――ッ!」

 

 ボキリ、と鈍い音がする。赤い影は器用にも肉を啜らず骨だけを折る。折った上で、その骨を啜った。霊体のくせに海月のようになったバーサーカーの左手は使い物にならない。回復するにもこれは時間がかかる。

 

「次は、右手だ」

 

 冷酷にジェスターは赤い影をバーサーカーの右手に這わせた。

 宣告しておきながら、バーサーカーが何か口にする前に小指の骨に罅が入りつつあった。そのことにバーサーカーはむしろ安堵した。この調子なら自分が消滅するその瞬間まで、あと三分はかかる。

 自然と、バーサーカーは笑みを漏らしていた。それがジェスターの癪に障ったのか、右手は捻じ切られるように潰された。これはまずい。三分といったが、これで一分は無駄にしてしまった。

 

 しかしバーサーカーの心配は杞憂に終わる。

 三分と目算したが、実際には三〇秒も必要なかった。

 ジェスターの背後、数メートル後方にその長髪の男は不機嫌そうな顔でゆっくりとした足取りで現れた。

 

「すまないが、その者を離してやってくれないか?」

「…………」

 

 ジェスターのただでさえ真っ赤な眼球が、さらに血走る。

 ようやく気付いたのだろう。ジェスターとバーサーカーでは相性が悪いし実力差もある。真っ当に戦えないと分かっているのだ。こうしてジェスターを罠に誘導するぐらいしか、バーサーカーに手はなかった。

 

「……私はこの通り、今、非常に忙しい。こいつが口を割るか死ぬまで、待っていて貰えるかな?」

「それは奇遇だな。私も忙しい身でね。フラット・エスカルドスの行方については私も知りたかったところだし、御相伴に預かっても良いだろうか?」

 

 葉巻の煙と同時に長髪の口から出た名に、ジェスターは身体を震わせて反応する。どうやらフラットの関係者と分かったことで更なる殺意が湧いたらしかった。

 バーサーカーの首を掴んでいた腕の一本を離し、ジェスターは長髪に向ける。その行為そのものにそれほど意味などないが、しかし地面に浮かぶ赤い影は腕に指揮されたかのように一斉に長髪へと突き進む。

 ジェスターの赤い影はこうした入り組んだ路地裏などにおいてこそ、その真価を発揮しやすい。哀れ突如現れた長髪は、自らに何が起こったのかも分からずに死ぬこととなる。

 だから、

 

「――え?」

 

 外見相応の可愛らしい声で、ジェスターは驚いた。

 この長髪が何の対策もしていないことは分かっていた。脅威となるような魔術は欠片も感じ取れないし、その肉体を駆使するようなタイプにも見えない。こんな男がバーサーカーの援軍かと侮りもするが、手加減するような真似はしていない。

 

 ジェスターが確認したのは、長髪の直前まで赤い影が伸びたところまでだった。

 何が起こったのか分からなかったのは、長髪の方ではなくジェスターだった。

 視界が急速にブレ、何故か地面が迫っていた。

 いや、違う。これは、首を斬られている。

 

 長い年月に様々な殺され方をされたジェスターだからこそ、遅ればせながら気がついた。血液が本体であるジェスターに斬首など通用しないが、それよりも身体が酷く重たくなっている事実がより問題である。これもまた、経験がある。

 ゴロゴロと首が転がり、路地裏から切り取られた空を見る。そこからジェスターを見下ろす複数の視線があった。

 

「なっ……あっ……!」

 

 それは、この戦争でついに見ることのできなかった勢力だった。

 神秘の秘匿を第一義とする異端狩りの筆頭。それでありながら、ついにこの“偽りの聖杯戦争”で活躍の場を設けられなかった大間抜け達。

 

「聖堂、教会――」

「悪いが、そういうことだ。ジェスター・カルトゥーレ」

 

 ジェスターを哀れむように長髪は語る。

 偽りの聖杯戦争は終結した。となれば、後は戦後処理について色々話し合わねばならず、その場に聖堂教会の席も「一応」用意されていた。

 世界最大の組織としてその場に出席しない選択肢はない。しかし肝心な時に何もできなかった聖堂教会がでかい顔などできよう筈もない。彼等の面目は当初からこれ以上になく潰れているのである。

 

 だからこそ、ここでいらぬ恨みを買わぬよう協会は体裁を取り繕う必要があった。

 折良く、この場には都合の良い生け贄がある。

 数百年を生き延び続け、数十万人もの生き血を啜ってきた死徒。おまけに“偽りの聖杯戦争”ではマスターの一人として関与しながら生き延びてすらいる。これだけで、この死徒の評価は鰻登りである。大幅に弱体化しているのであれば、討伐するにも容易いことだろう。

 手土産としては、最適だった。

 

「ここまで――ここまで読んでいたというのか!? フラット・エスカルドス!!」

 

 ジェスターの叫びに、代行者が屋根から飛び降りてくる。

 ほんの数秒。

 かの吸血鬼の経験と実力と特性、そして罪科を考えれば実にあっけなく、決着はついた。戦争終結直後にあって、碌な準備もできなかったのが運の尽き。アサシンなどに執着せずにいれば、まだ逃げおおせた可能性もあったであろう。

 ジェスターを横目に長髪は地面に崩れたバーサーカーへ近付いて行く。

 

「初めまして、バーサーカー。馬鹿弟子が世話になりました」

「こちらこそ、私のマスターがご迷惑をかけた」

 

 ジェスターから解放されたバーサーカーは、そのまま冷たい路地裏に腰を下ろして挨拶をする。身体どころか、その声にも力はない。

 

「話したいことは山ほどあります。できればお茶でも誘いたいところですが、時間はあまりないようですね」

 

 すでに、バーサーカーの身体は傷ついたところから消えかかっている。

 最初から不自然であったのだ。戦争が終結しているのだから、用がなければさっさと消えるのが筋だろう。いかに低級であろうとサーヴァントはサーヴァント。自前の魔力で現界し続けるには無理がある。

 フラットとのパスは既に切られている。バーサーカーを追いかけたところで、ジェスターはフラットの行方が分かるわけもなかったのである。

 

「こうして役目を果たしたのでね。フラットには無理を言って最後の令呪を使って貰った。でなければとうの昔に消えさっていただろうさ」

「説得には手間取ったようですね」

「いやいや、あなたの手紙のおかげで大分楽だったさ」

「そのおかげで余計な手間が増えてしまいましたが」

 

 互いにハハ、と笑うがその声は乾いている。

 聖杯戦争中、使用するのに随分と躊躇した令呪である。最終的に令呪がなければ消滅する、と騙すように脅して何とか使わせることに成功した。実際にはフラットの魔力供給があれば弱体化したバーサーカーなど半永久的に縛り付けることもできる。それをしなかったのは、色々と区切りが必要だと判断したからだ。

 もちろん、伝説の殺人鬼を野に解き放つリスクをフラットが考慮したはずもない。

 

「私が彼にできることは、もうこれくらいしかないのでね」

 

 よくよく考えてみれば、バーサーカーがフラットと行動を共にしたのは初戦の武蔵戦だけだ。聖杯戦争に参加しておきながら彼のサーヴァントとして直接役立ったことなどほとんどない。だからジェスターという今後の憂いを取り払うことだけが、彼のサーヴァントとしてバーサーカーができる最後の仕事だった。

 まさか連絡を取った彼の師匠が直接出向いてくるとは思わなかったが、これも何かの縁なのかも知れない。

 

「それでは、彼のことをよろしく頼みます……ああ、しかし例の件については、彼を止めることのできなかった私にも非がある。彼を責めないでやって欲しい。情状酌量の余地は……きっとあるはずだ。多分」

「……後のことは全て私に任せてください」

 

 消滅の間際にその台詞はどうなのだろうと思いながら、ロード・エルメロイⅡ世は消え逝くサーヴァントを見送った。

 ロード・エルメロイⅡ世はこれから協会代表の一人として交渉の席に着くことになっている。個人的には絶対に行きたくはなかったのだが、協会上層部は全会一致で彼をスノーフィールドに派遣することを決定した。そこで取り上げられるであろう『絶対領域マジシャン先生の弟子』なる人物について最大限援護するのに適任であると判断されたからだ。

 

 この戦争の最大の功労者として、フラット・エスカルドスの名は時計塔の歴史に刻まれることになる。それを穢すような真似は許されそうにない。

 最後にその馬鹿弟子のサーヴァントから直々に頼まれては尚更無碍にするわけにはいくまい。ひとまず協会の意向通り動くより他はない。彼を殴るのはかなり先のことになりそうである。

 

 どこにいるのか知らぬ弟子を思い、ロード・エルメロイⅡ世は大袈裟に溜息をついてその場を後にした。

 

 



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epilogue-02

 

 

「ど、ど、ど、ど、どうしよう……」

 

 口に指を咥えて生まれたての子鹿のようにブルブル震えるフラットを隣に、アサシンは呆れながらこの様子を眺め見ていた。

 事の発端は戦争終結後に彼へ送られた二通の手紙だった。

 

 一つは、魔術協会から戦争に参加したマスターの一人として、そしてヘタイロイの統率者として送られたものだ。

 この“偽りの聖杯戦争”でのフラットとヘタイロイの功績を称えると共に、戦後処理について協会の人間として交渉のテーブルについて欲しいという要望書。フラットが結界の隙間をすり抜けて届けた情報のおかげで協会は政治的に非常に有利な立場を築けたらしい。明言こそ避けられているが、ヘタイロイとは別にフラットへ相応の報酬を用意する旨が匂わされている。

 

 それはいい。

 問題は、二通目の手紙にある。

 見た目には何の変哲もない手紙だ。だというのにその手紙を見た瞬間、アサシンは何故かおどろおどろしい何かを感じとった。怨念と称するべきか、呪いとでも言うべきか。もちろん、普通の手紙である以上魔力など感じ取れるものではないが、どうしてだろうか、その手紙の中にカミソリが入っていても驚かない自信があった。むしろ入っていないことにこそ、驚きがあったと言っても良い。

 

 一通目には困った顔をしながらくねくね身体を揺らせて喜んでいただけにアサシンもさほど気にはとめていなかった。だがそのテンションのままで差出人すら確認せずに手紙を読んだフラットは喜色で赤くなった顔を一気に死人のような青さへと変えていった。

 古代の魔導書でも読んで何か知ってはならないおぞましい事実を知ったようにガタガタと震え出し――

 

 そのまま夜逃げ同然に逃げ出した。

 

「そんな、先生がなんで、喜ぶと思って……ッ!」

 

 始終、そんな調子である。

 一通目についてはフラットがアサシンに読み聞かせるように話していたので内容を把握しているが、二通目についてはどうにも要領を得ない。

 言葉の端々から察するに、どうやらフラットは何かとても大きな――それも取り返しの付かないようなミスをしでかしたらしい。それこそ、一通目の将来を約束された輝かしい報奨などをすっぱり忘れるほどに彼は何かを怖れていた。

 

 戦争中であっても常にマイペースであった彼が取り乱すとは、一体何が書かれていたのだろうか?

 序盤で別れてしまったバーサーカー以上にアサシンはフラットと交流がない。ただでさえ雲を掴むような性格のフラットを理解できていようはずもなかった。フラットが学生であるということを知ったのですら、つい最近。どういう師の元で何をどのように学び、どういった経緯でこの戦争に参加したのかアサシンはまるで知らないのだ。

 

 彼の功績を考えれば怖れるものなど何もないとアサシンは思うのだが、残念なことにフラットの功績が大きければ大きいほど、彼が公的文書に刻みつけた師の二つ名が凄まじい勢いで拡がってしまうのである。

 

 手紙の内容を簡潔かつオブラートに包んだ感じにすると「大人しくその場で待ってろ」というものであり、読み手によっては気にするものではなかったかも知れない。が、読み手であるフラットはそこにかつて感じたことのない殺意を(ある意味的確に)読み取り、生命の危機――あるいはそれ以上の根源的恐怖を感じ取ってしまった。

 聖杯戦争の最中ですら緊張感を持てなかったフラットである。そのフラットがこうして怯えることができたのだから、やはりエルメロイⅡ世は教育者に向いているのだろう。

 

 そんなこんなで、今、フラットとアサシンは飛行機の中にいる。

 恐怖に怯えながらもフラットはその天才性を遺憾なく発揮していた。ヘタイロイ各員に時間稼ぎを頼み、囮をバラ撒き罠を仕掛け、欺瞞行動も忘れない。途中偶然遭遇した麻薬カルテルを混乱を起こすためだけに警察と全面戦争させた手際は見事なものだった。

 

 まさかこの逃避行がフラットに対する更なる誤解をジェスターに与え、結果的に破滅へ追い込むことになるとは今の彼女が知る由もない。パスを通じて追跡される可能性を怖れたフラットによってジェスターとアサシンとのパスは完全に切っていたのだ。彼女がジェスターの死を知るのはまだ先……いや、永遠にないのかも知れない。

 

 わざわざフラットに同行する義理もアサシンにはなかったのだが、現界し続けるためには魔力供給が必要だし、今更そこらの人間を襲ってソウルイーターの真似事などできよう筈もない。それに何より、今のフラットを放置するのは危なっかしい。本来のサーヴァントであるバーサーカーが不在であるなら尚更である。

 心的外傷ストレスなんて言葉が自然と思い浮かぶ。戦争帰りの帰還兵にもよく見られるというが、フラットをその範疇に含めていいかは悩むところであろう。

 

(……あなたが手を貸せば、何とかなるのではないかしら?)

 

 内なる声にアサシンは辟易しながら首を振る。確かにアサシンの業を使えばフラットの精神疾患(?)もあっさりと解決するし、もっと根本的な原因を物理的に取り除くことだってできる。

 

(ま、そうですよね。あのまま英雄として大勢の人間に囲まれるのは好きになれないし、フラット一人なら扱いやすいし)

 

 また別の声も聞こえるが、こちらは無視。自らの声である以上嘘ではないが、直視する必要はない。

 数多の宝具を扱い精神を変質しきった彼女であったが――実を言えば、以前の彼女とほとんど変わりはない。

 正確には精神の変容はあったが、その全てを彼女は自分の中に造った別人格へ押し付けていた。

 アサシンが生前唯一に習得できずにいた宝具、妄想幻像。その再現である。

 

 かのハサンは己が持つ多重人格をベースにこの奇跡を作り出したが、多重人格というベースを持たぬアサシンにそんな真似は不可能なはずであった。

 アサシンのように成長段階を終えた者が意識の分離を進めることは普通ならば有り得ない。ある種の記憶や自己感覚を変容させそれを切り離すことなど、強固な精神の持ち主であればあるほど不可能だ。狂信者であれば尚のこと。

 自分には不可能だという思い込みもあって、アサシンは同時代に生きたハサンを直接目にしながら、最終英雄と立ち向かうその時までその業を習得できずにいた。

 

 だがそれも過去の話。

 生前であれば不可能だった。だが、現代の知識を併せて活用すれば不可能ではない。

 メスカリン系の幻覚剤を用いた自己洗脳。これによって人格分裂と類似する症状を意図的に発症させることができる。ライダーの感染を直に目にしてノウハウも獲得、狂想楽園により似たようなことができることは確認済み。いつだったか狂想楽園の毒に耐性がないことをキャスターが嘆いたこともあったが、耐性がないからこそこういう使い方もできるのである。

 

 最終英雄との戦闘の最中に意識を緩慢にする幻覚剤を摂取(しかも初使用)するとは自殺行為に等しいが、これによりアサシンは自分を見失うことなく、思う存分アーチャーの宝具を扱うことができたのである。

 フラットがアサシンの心配をしなかったのもこれなら当然であろう。

 

(私の本質を見抜いたフラットと二人っきりなんて、なんて素晴らしいことでしょう! これは世に言う駆け落ちという奴ではないでしょうか! バーサーカーが同行しなかったのも気を利かせたからに違いありません!)

 

 もっとも、その後遺症はきっちしと残っている。

 四六時中開かれる脳内会議は鬱陶しい限りである。特にフラットを異性として声高に主張する別人格には辟易する。これが本当に自分の一部であったかと思うくらい、この別人格の頭の中は花だらけだ。真実の愛を得たと主張しているが、キューピットの矢みたいな宝具を使った記憶はない。

 

「……ああ、どうしよう、どうしよう……」

 

 だが隣でずっと頭を抱え同じ事を譫言のように繰り返すマスターをみれば、そんなことは些細なことかと断じられるだろう。それでいいとも思わないが。

 窓の外に拡がる雲海を誰ともなくアサシンは頬杖を付いて眺める。この下にはスノーフィールドの街もあるはず。そこで繰り広げられた戦いを思い返し、そしてこれから起こるであろう二人の戦いに思いを馳せた。

 

 かつてはこんな光景を見ても心一つ動くことはなかったであろうが、今のアサシンは確かに何かを感じ取っている。単純にいれば、胸が躍っていた。見るもの全てが新鮮に感じられてならないのである。

 精神変容は全て別人格へと押し付けたが、令呪での命令や数々の体験を通じて変質がゼロであったわけでもない。これも成長と割り切れば、決して悪いことだけでもないだろう。召喚当時のオリジナルと、そう大きく変わってはいないはず。

 

 自然と、彼女の口角は上がっていた。

 それは彼女にとって、幼少時以来忘れていた笑顔というものだった。

 世界を見て回ろう、と恐怖の余りついに嘔吐をし始めたフラットの隣で、アサシンは一人静かにそう思った。

 

 



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epilogue-03

 

 

 カウベルを鳴らして喫茶店に男が入ってきたのは、客の入りが少なくなる午後のひとときのことであった。

 

 工事用のヘルメットを深く被り、サングラスとマスクを装備。右手が不自由なのかやや庇っているようにも見える。復旧工事の作業員といった風情ではあるが、その立ち振る舞いはどうみても現場の作業員ではない。

 

 素人が一目で怪しいと判断するぐらいに変装が似合っていない。本人も自覚があるのか、急かすように合い言葉を口にすればウェイトレスはにこやかにこの男を奥の席へと案内した。

 

 広い店内にはポツリポツリと孤島のように数卓が埋まっているだけ。案内された場所はそんな孤島からも離れた場所にあり、覗き込まない限り誰がそこにいるのか分からぬよう配慮されたスペースである。

 

 コーヒー一杯を注文して案内してくれたウェイトレスを追っ払う。向かいの席に座って待っていた人物はバケツほどもある超巨大パフェを攻略中だった。一心不乱に食べてはいるが、さすがに男の存在には気がついている。

 

「……なんですか、その珍妙な格好は」

「変装だ。一応立場が立場なんでな」

 

 もきゅもきゅと口の中一杯にアイスを放り込みながらティーネ・チェルクは署長の格好に呆れながら文句を言う。誰かに見咎められたらそれはそれで要らぬ噂の種になる。要らぬ口止めに労力を費やされるのは勘弁して欲しいところである。

 今日だって無理を言ってこの場をセッティングしたのだ。内々にしたかったこともあって原住民内部でもティーネがここで署長と密会していると知っている者は少ない。

 

「ここは全国展開してる大手外食チェーンだろう? ここまで族長の権力が及ぶとは思わなかった」

「単純にこの店に発電機と燃料を無償提供しているだけです。店主の好意に甘えてこの場を貸して貰っているに過ぎません。当然このパフェも好意であって、私が強要したわけでもありません」

「ここはメニューに載ってない巨大パフェを善意で出すところなのか……?」

 

 暗にここは中立地帯であるとティーネは告げてはみるが、説得力はない。

 だが原住民の力が直接的にここへ及んでいないのは確かである。それを確認したからこそ署長もこの場を了承したのだ。

 もっとも、先のウェイトレスをはじめこの場にいる数人には予め息をかけるなど裏工作に怠りはない。署長だって何の準備もしていないことはないだろう。ほとんど全滅したとはいえ、生き残った二十八人の怪物(クラン・カラティン)だって何人かいるのである。

 

 共同戦線を張ったとはいえ、互いに敵である事実は今以て変わらない。妙な連帯感こそあるが、決して仲間になったわけではない。敢えて積極的に攻勢に出ようとは思わないが、だからといって警戒しない理由にはならないだろう。

 原住民が署長と対立し本気で罠に嵌めるつもりなら夜の娼館を密会場所に選んでいる。これならいざという時社会的立場がある者を社会的に抹殺するのも簡単である。その場合スキャンダルの相手が自分というのが外聞的によろしくないのだが。

 

「……そっちは大変忙しいようね」

「それはお互い様だろう。話はあちこちから聞いている。色々とこれを機会に取り入っているんだってな」

「人聞きが悪いことを言わないで欲しいものです。困っている隣人がいれば、手をさしのべるのは人として当然の義務ですよ」

 

 この店に提供されている発電機を含め、原住民は全力で街の復興に力を貸している。籠城のために備蓄していた物資をほぼ全て放出し、米国政府からの援助が来るまでは炊き出しも行い、住み処を失った者達に仮の宿も提供。一時的ながらも雇用も生み出して貢献。原住民から恩恵を預かっている者は戦争前より格段に多くなっている。

 それはイコール、原住民の影響力が強くなっていることでもある。

 

「そんなことよりもどんなシナリオができたのか見せて貰えますか? お互い忙しい身なのですから」

 

 違いない、と同意しながら署長はカバンの中から一冊の資料をティーネに渡す。今回の偽りの聖杯戦争、そのカモフラージュに使われるシナリオが記載されている。中身を軽く見れば概ねティーネの予想通りの内容であった。

 

 スノーフィールドは、表向き大災害に巻き込まれたことになっている。

 街を襲ったのは超強大な竜巻であり、そのせいでインフラ各種は寸断。住民は街の地下にあるシェルターに避難したものの、シェルターは構造的欠陥もあって崩壊、原住民の助力もあってからくも助かった、ということになっている。

 

 八〇万もの人間を誤魔化すのは大変な作業であるが、シェルターに避難したことなどは別に嘘ではない。笛吹き男(ハーメルン)の影響により催眠状態にあった市民に明朗な記憶があるわけもなく、事前にこうしたことも想定されていたこともあって比較的無理のない範囲で辻褄合わせが行われている。

 

 人を騙すのに必要なのは魔術などではなく、認識をすり替える技術だとか何だとか。どうせ正式な結果報告にも時間がかかるのだ。多少の粗があってもあとは芸能人の浮気でも発覚して、世間の関心がそっちに移るのを待てば良い。米国政府の手助けもあるのだから、これなら協会の手を借りずとも原住民だけで何とかできるだろう。

 

「実に結構なシナリオです。自然災害なら仕方がないですものね。自然災害なら。実に素晴らしいことです。いえ、嘆かわしいことですか」

「……要望通りになって何よりだ」

 

 満面の笑みのティーネと苦い顔の署長。以前ティーネが粛清した相談役はスノーフィールドが害されることを見越して莫大な保険をかけていたらしい。自然災害となれば保険金は満額支払われることになる。被害額の算出はこれからだろうが、原住民にもたらされた金はそれを補って余りある。

 

「それで、大統領はいつこちらに来る予定かしら?」

 

 原住民の貢献を記した箇所を入念にチェックしながら、ティーネは核心を問うてくる。

 戦争は終結した。しかしその爪痕と米国政府がやらかしてしまったことを無視することなどできやしない。

 それ故に魔術協会、聖堂教会、スノーフィールド原住民、そして米国政府が一堂に会して話し合いをする場が設けられることになっている。

 

 魔術協会にわざわざ宣戦布告してしまった米国政府である。相応の責任者がこの場に出るとは予想はしていても、まさか現職大統領が席に着くとは誰も想定していなかった。おかげでどの陣営も上から下への大騒ぎ。協会はここで恩を売るべきか厳しく糾弾するかで揉めに揉め、教会は大統領と政治的なパイプがあることを最大限利用するべく仲介者として裏工作に乗り出していると聞く。

 もちろん原住民の長としてティーネのところにも事前交渉に訪れる者も多い。

 

「復興視察の名目で明日の正午には到着予定だ。そういや、お前、スノーフィールド被災者の代表として大統領に花束を渡すんだってな?」

「あら。耳が早いのね」

「被災地を案内する名目で大統領と行動を共にすることになっている。接触する人間の身元確認も私の仕事だ」

 

 名目上の役割とはいえ、やっかいなことに署長は現職の警察官である。表向きの仕事もきっちりこなす必要がある。

 

「そう。ならついでに言っておくけど、その時の写真が各新聞のトップに掲載されるよう手配もされているわ」

 

 一緒に写るかもしれないから身なりにはそれなりに気をつけなさい、とティーネは変装している署長をからかうが、当の本人はそんなことよりも新たな火種の存在に渋い顔をした。

 

 一般人から見れば、ただ被災地の少女が花束を渡し大統領と握手しているだけの写真である。しかしティーネの立場を知る者がこれを見れば一体どう思うだろうか。受け手がどう捉えるかは別として、何かがあると思われても仕方がない。そして実際にこの後に重要な会議が開かれるのだから質が悪い。

 

 今回の“偽りの聖杯戦争”を企み実行したのが米国政府であることは事前調整により秘匿されることが決まっている。こんな写真が全国掲載されては、秘密は秘密のまま闇へ葬りたい教会と協会に睨まれることは確実だろう。当のティーネとしては会談前の手付け金としてこれくらいは大目に見て欲しいところだ。

 

「大統領にピエロを演じさせるとは、少し欲ばり過ぎじゃないのか? 保険金だけで我慢しちゃどうだ?」

「聖人なのね。あなたを殺そうとした者の肩を持つの?」

「公務員なんでな。死ぬことも込みで給料を貰っているんだよ」

 

 やけくそ気味にぼやく署長をティーネは楽しげに見つめる。

 それで納得できることでもないが、署長も署長で割に合わないがそれなりの対価を得てはいる。

 個人的には甘酸っぱい匂いの放つ本皮張りの椅子など捨て置きたいところだが、部下のためにもこの立場を堅持し利用する必要があった。死んでいった部下もいれば、生き残った部下もいるのだ。彼等を見捨てられるほど署長は人間を捨てることなどできなかったし、魔術師でもなかったということだ。

 

「……ひとまず、本件はファルデウスの暴走で片を付ける腹積もりらしい。これ程の事態を管理不行き届きで済ませようとはなんとも剛胆だとは思うが」

「それは先日来た役人から聞いたわ。無茶苦茶だとは思ったけれど、それに協力すれば、相応の権利を得られるとか」

「自治権は現実的に無理だろうが、原住民への待遇改善と復興費用と称した賠償金を支払う用意はあるらしい。協会にも有耶無耶だったスノーフィールドの管理者(セカンド・オーナー)として原住民が正式に認められるよう後押しもする」

「我々は我々を邪魔する全ての者を排除するために参戦したのだけれど?」

 

 この地を政府に奪われ、奪い返せたと思ったら、次は協会が口を出してくる。原住民の気持ちを考えれば満額回答にはほど遠い。

 

「私を脅しても仕方がないだろう。どうせ“偽りの聖杯”はもうないんだ。意地を張るよりも適当に妥協して恩を売るのも悪くないと思うがな」

 

 そんなことを言ってみるものの、我ながら空々しいと署長は思わざるを得ない。

 現実的に考えればこの辺りで手を打つのが打倒かもしれないが、だからといって米国政府の口車に乗ることはこれらの諸問題の片棒を担ぐことにもなる。同じく全てを知っている協会と組んで糾弾するという選択肢はあって然るべきだろう。

 

「まあ、良いわ。その条件で原住民は了承する予定よ」

「……自分で言っておいてなんだが、それでいいのか?」

「欲ばらずに恩を売れ、と言ったのはあなたよ? それにあの大統領、おそらく“偽りの聖杯戦争”の魔術儀式に関しては協会に全て委譲するんじゃないかしら」

 

 だとすれば協会も踏み込んで糾弾するより迎合して安全に成果を接収することに重きを置くだろう。どうせ現地調査の名目でスノーフィールドに乗り込んでくるのだ。下手に抵抗して長く居座られれば、今度は原住民と協会との間でいらぬ争いが起こりかねない。

 

 良くも悪くもあの大統領には欲がない。

 米国は保有する切り札を悉く失いはしたが、この戦争で得られた技術や情報だけで採算は十二分に取れている。欲張らず堅実な道を歩むことで逆に手出ししにくい状況を作り出そうとしている。

 

 一部新聞によれば、大統領執務室に女性の服が下着も込みで発見されたと聞く。そのため政権はそのスキャンダルのもみ消しに奔走しているらしいが、スノーフィールドから目線をそらせるためにわざわざ自分を人身御供にするくらい大統領は教会と協会にその本気度を伝えている模様である。

 実にやりづらい。さすがは政治家。

 

「……さて。ではそろそろお暇するわ。この資料は貰っていくわよ」

「そいつは一応重要機密なんだが」

 

 カラン、といつの間にか空になったバケツにスプーンを捨ててティーネは立ち上がる。暗にここで読んでいけと告げる署長であるが、ティーネは聞く耳を持たない。

 

「これから椿とデートなの」

「……そいつは野暮だったな」

 

 デートと言われては仕方がない。署長もあっさりと身を引いた。

 原住民には可能な限り便宜を図るようにも暗に言われてるし、超法規的処置を既に幾つも行っている。今更機密書類を奪われたところでどうということもあるまい。諦めたとも言う。

 

「本人にその気があるなら、いつでも移植の準備はできていると伝えておいてくれ」

「会ったら伝えておいてあげる。けれど、無駄になるでしょうね」

 

 魔術師としての署長の言葉を、ティーネは軽く否定した。

 それが祖先に対する裏切りだと理解はしているが、今更そんな呪いのような祝福を受けたいとは思わないだろう。彼女は既にそういった積み重ねを必要としない域に達しているし、場合によっては手にした力そのものを放棄する可能性すらある。

 

「違いない。が、処分するにしても誰の手で行うかは選ばせるんだな」

「……」

 

 それは恐らく、魔術師ではなく人としての言葉。先の言葉は即答できたのに、今の言葉には声も出せない。

 たとえその愛し方が歪だったとしても、子孫のために鍛え上げたモノである事実には違いない。それに彼女はまだ両親の死と直接向き合い、ちゃんとした別離を踏まえていないのだ。

 処分などと事務的な言葉で誤魔化しているつもりなのだろうか? 魔術師であるなら葬儀の配慮などするべきでない。

 

「あなた、やっぱり魔術師には向いてないわね」

「……それはいい加減自覚してきたさ」

 

 指摘され不機嫌そうな顔の署長に、ティーネは「また明日」と告げて店の外へと出た。

 約束の時間までは急がなければ間に合いそうにないが、おそらく大丈夫だろう。きっと彼女は約束の時間に約束の場所へ来られないだろうから。

 

 会えるなどと期待などほとんどしていないながらも、ティーネは嬉しそうに待ち合わせの場所へと向かう。

 土埃の混じった空気と熱気が辺りに満ちていた。太陽は中天に差し掛かっている。戦争がスノーフィールド市街に与えた爪痕は大きいが、復興に向けて動き出す街は活気づいていた。

 

 

 



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epilogue-04

 

 

「はっ!」

 

 裂帛の気合いと共に、繰丘椿の拳が突風を巻き起こし異形の化け物に止めを刺した。

 魔力で強化し推力を増した彼女の拳足は強化した鉄板さえ濡れた紙切れのように容易く貫く。喩え英雄英傑に名を連ねる猛者であろうとも、直撃した以上今の一撃は屠って余りある威力があった。

 そんな拳が必要になるくらいに、この異形は難敵であった。

 

 頭骨を嘴で啄かれたように喘いでいるのは、最終英雄の置き土産である『魔群』の残滓。数千数万もの同胞の大半は最終英雄の自爆によりスノーフィールドの街ごと消滅したわけだが、全滅したわけではなかったのである。

 

 万全の状態なら大陸すら沈めるカルキの自爆であるが、度重なる漸減によりその威力は大幅に減じられている。特に緩衝材となったバオバブの木によって周囲への被害は不自然なほどに少なかった。となれば当然巻き込み消失するべき魔群が生き残る可能性も高まるわけで、実際に生き残った魔群もこうしているのである。

 

 一匹でも生き残れば魔群は新たな魔群を産みだしていく。単為生殖も可能ならしく、わずか数日で魔群は小さいながらもコロニーを形成し、ひょっとすると世界の危機では? と思わなくもない事態を引き起こしかけていた。

 

 スノーフィールド南部砂漠地帯、つい数日前に行われた茨姫(スリーピングビューティー)の争いを上書きするかのように、魔群はここに潜み力を蓄えつつあった。

 

「これでラスト……ライダー、近くに他の魔群はいる?」

 

 そんな世界の危機は、こうして繰丘椿の手によってあっさり救われる。

 這い蹲り息も絶え絶えに逃げようとする魔群の頭部を徐に踏みつけ、靴底に力を込める。もちろん彼女の小さな体躯では全体重をかけたところでどうにかなるものではないが、次の瞬間に踏みつけられた頭部が爆散したところをみると、見た目通りのことが成されていないことを伺えた。

 

 身体に飛び散った眼球や脳漿を拭い取りながら、彼女は周囲の魔群が全て息絶えたことを慎重に確認する。そこにいるのは熟練の強大な魔術師であり、かつて何も分からず泣き喚く無力な少女の面影などどこにもない。

 

「……ああ、あの無垢で無邪気で透明な椿はどこにいったのでしょう……」

 

 娘の反抗期に戸惑う父親のように嘆くライダー。

 召還後ずっと傍らに控えていたライダーであるが、当のマスターはライダーの目を逃れて数年の月日を夢世界で過ごしている。これだけ時間認識に違いがあるのだから、両者の間に微妙な齟齬と感情の行き違いがあっても然るべきなのかもしれない。きっと下着を同じ洗濯機に入れるのも嫌がることだろう。

 

 傍目からは黒い影がくねくね器用に踊って悲しさをアピールしているようにも見えるが、もちろんライダーとてやるべきことはやっている。魔群の屍に隠れ逃げようとする小さな魔群の息の根を止め、最後の一匹まで念入りに排除。同時に魔群の遺骸を分解し大地へと返し始める。遺骸をこのまま放置すればいらぬ争いの種になる、という理由もあるが、一番の理由は椿の体に彩られた血化粧を綺麗にするためである。

 

 次の予定を考えれば、家に帰りシャワーを浴びている時間はない。まがりなりにもティーネは椿の恩人である。それ相応の支度は保護者として整えておかねばなるまい。

 場合によってはその予定もキャンセルすることになるだろうが。

 

「銀狼、身体に違和感はない?」

「わふん」

 

 尻尾を左右に軽く揺らしながら、問題ないといわんばかりにどこからともなく銀狼が椿の元へと現れる。

 銀狼の触媒たるバオバブの木は最終英雄の自爆により全長数キロにも及ぶその体積のほとんどを消失させていた。

 依り代がこうなってしまえば銀狼も共に消滅するより他ないが、ほんの一部、末端の末端ではあるが、かろうじて自爆に巻き込まれぬ部位もあり、即時消滅の危機だけは免れていた。

 

 これで生きながらえているのはその銀狼と契約しているライダーから供給される莫大な魔力によるところが大きい。

 ここまで傷つき消耗してしまっては自力での回復は見込めず、魔力供給が少しでも滞れば銀狼はあっという間に消滅してしまうだろうし、不安定な霊体に何かあればどうなるのかわかったものではない。

 

 本来であればこの魔群討伐にリスクの大きい銀狼を参加させたくはなかったのだが、本人(犬?)たっての希望により後詰として参加していた。逃げようとする魔群を確実に仕留めていく様はさすが狩猟を生業とする狼というところなのだろうが、同じパーティーにいる者としては気が気ではない。

 

 念のため外傷がないかを椿が調べ、ライダーが体調をチェックする。結果銀狼の体に傷は一つだってついておらず、疲れだけで見れば椿の方がよっぽど消耗していた。これなら次の本番にだって問題なく当たることができるだろう。

 

 あらかじめ原住民の備蓄からちょろまかしておいた寒冷地専用のレーションを椿は口に含んで回復を図る。高カロリー、高タンパクで、一つ食べれば10キロは行軍できる。銀狼に問題がない以上、他人の心配をしている暇はない。魔群討伐は準備運動であって、これで終了なのではないのである。

 本番は、これから。

 いや、もっといえば、本番後にあるティーネとのデート(?)こそ本命であろう。

 

「ライダー、時間は?」

「ティーネ嬢との約束にはまだあります。銀狼の背中に乗ればすぐですが、そう上手くいく保証はありません。キャンセルした方が良かったのでは?」

「そういう訳にもいかないでしょ」

 

 原住民の長であるティーネがわざわざこの忙しい時に接触してくるのだ。本人から直接妹になるよう言われてもいるし、その返答を迫られることになるのはほぼ確実だろう。そうでなくとも、原住民の庇護下に椿があると表明できれば、椿にとってこれほど力強いものはない。これをただの自己都合(世界の危機を救ってたりするが)でキャンセルできるほど椿は豪胆ではないのである。

 ティーネと会うなら、返事はもう決まっている。

 ティーネと会えないのなら、返事をする必要もないということだ。

 

「約束を守れる自信があるのですか?」

「どうかな? わかんないや」

 

 珍しく、肉体年齢相応のはにかむ笑顔にライダーは黙る。

 ライダーだってわかっている。約束を守れるにこしたことはないが、これはそう簡単なことではない。むしろ、約束を破る事態になった方が良い場合だってある。きっと、世界にとってその方が都合が良いのだ。

 

 最終英雄を前に一度はプライドをかなぐり捨てて逃走したライダーだ(逃走したのは株分けしたライダーであって本人ではないのだが)。

 椿を第一に考えるならば彼がするべきは説得であってこうして同行することではない。それを分かっていながらしないのは繰丘椿の意思が強固で説得に応じないのと、ライダーの能力で無理矢理訴えるにしても繰丘椿の単体能力の方がライダーを圧倒していたため通じないからである。これを無理に動かすのは不可能とライダーは判じ、であれば椿の負担を減じることに注力したほうがよほど良いと結論に達していた。

 それにライダー自身も理解しているのだ。これが最適解であると。

 

「ごめんね、私の我が儘につき合わせちゃって」

 

 銀狼の頭を撫でれば気持ち良さそうに目を閉じる。

 今やライダーのマスターは椿ではなく銀狼に移っているため、ライダーが椿の傍らにいるためには銀狼も椿と共にいなくてはならない。様相としては椿の我儘にライダーが付き合い、銀狼が巻き込まれた形ではあるが、きっと銀狼も否ということはあるまい。

 

 この偽りの聖杯戦争には、決してその存在を許されぬモノがある。

 その最たるものが最終英雄が残した魔群である。世界を滅ぼす目的でばら蒔かれた魔群は明確な人類の脅威そのものであり、座して放置するわけにはいかぬ存在である。

 あっさりと椿に退治されてしまった魔群であるが、この段階で既に並みの魔術師の手に余るほど厄介な存在であった。これを本格的に根絶するには長い年月と莫大な金と甚大な被害を覚悟しておく必要があったのである。

 

 排除項目筆頭がいなくなったことで、これで万事終了めでたしめでたし、というわけにはいかない。

 世界の裏表から注目されたスノーフィールドである。当然、最終英雄との決戦過程において人類の脅威と認定されてしまったモノもいる。

 

 その一人が霊長類から最も超越した存在である繰丘椿であり、

 その一体が地獄と直結して永遠に顕現し続けるライダーであり、

 その一匹が対星宝具バオバブの木をその身に宿した銀狼なのである。

 

 約束すれば良いというものでもない。

 大人しくしていれば良いというものではない。

 無視しえぬリスクと強大な力を前に恐怖を覚えぬ程人類はできた存在ではないのだ。

 

 早晩、これを排除するべく世界の誰かが動くことになるだろう。そして椿を守ろうとするティーネ達原住民にも被害が及ぶことになる。

 それは、椿の望むところではない。

 だから、

 

「ここで、終わりにしよう」

 

 胃の腑に落としたカロリーは即座に熱となって椿の体内に巡り始める。夢の中とはいえ己の内面と常に戦い続けてきた椿である。ライダーに操作されずとも簡単な肉体変容なら朝飯前だ。

 魔群相手に準備運動は完了している。

 

「じゃあね、ライダー、銀狼。また会えるといいね」

「さよなら、椿。次に会える時を楽しみにしています」

「わふん」

 

 軽く、椿は今生の別れを告げる。応じるライダーと銀狼も軽い。既に覚悟は済ませてあるのだから、今更重苦しくする必要もあるまい。

 

 きっと、この選択には意味がない。

 この戦いに敢えて立ち向かう必要性などないし、悪意が彼らを取り囲むのなら、一致協力して振り払えばそれですむ。世界を敵に回しても立ち向かう戦力を持っているのなら、尚更だろう。

 

 もっとマシでマトモな選択肢は、絶対に他にあるはずなのだ。

 万人全てを納得させることのできる万能の回答など、それこそ聖杯に託さねば叶うことはあるまい。けれど、最大多数を穏便に丸め込めるならそれに越したことはない。己が命をかける理由などその程度で十分。偽りの聖杯戦争、その恩恵に与った者として、これくらいの我慢はせねばなるまい。

 

 両者は互いに背を向け、歩み始める。まるでガンマンの決闘のような風情であるが、残念ながら両者振り返り撃ち合うことはない。なぜなら、両者の相手は互いの正面、遙か数キロ先にいるのだから。

 

 人類の脅威となりうる者は、別に三者だけではない。

 今現在の現界し続けている過去の英雄はライダーの他にもいる。排除筆頭はほとんど何の制限なく現界し続けることのできるライダーであるが、時間制限付きでその気になれば人類どころか星そのものにに多大な影響を行使できるやっかいなサーヴァントがまだ他に二体もいる。

 決められた盤上で決められたルールの下に駒同士が相争う分にはまだ問題ないが、その盤が土台からなくなり争う明確な理由も制約もなくなればその限りではない。

 

 確か、互いに偽りの聖杯戦争への参戦理由は、決着をつけることだったか。

 決着に水を差すことは甚だ不本意ではあるが、これを無視するにはいささか不安が強すぎる。この星をいくらか慮ってくれると助かるのだが、いかんせんその保証がどこにもないのだ。

 乖離剣と創世槍が真っ正面からぶつかりあえばどうなるか、相殺されるならまだしも相乗効果で威力が倍増すればたまったものではない。こうなってくると倒すかどうかは別として、緩衝材くらいに役に立たねば世界に対して申し訳なさ過ぎる。

 

 だから、弓兵を前に、繰丘椿は立ち塞がる。

 

「そこをどけ、小娘」

 

 だから、槍兵を前に、銀狼とライダーは立ち塞がる。

 

「そこをどいてください」

 

 直線距離にて数キロ離れた場所で、両者は互いに同じことを口走った。

 偽りの聖杯戦争、その最後から二番目になるであろう戦いが、開始される。

 

 



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epilogue-05

 

 

 気がつけば、どこか異質な空間の中にカルキは存在していた。

 

 はて、とカルキは人間風に言うなれば首を傾げる。己は確かに消失したはず。だというのに何故こう考えることができるのだろうか。

 アーカイブによればカルキは肉体消滅後、『座』に保存される筈だが、こんな窮屈なところが『座』である筈がない。座標を確認しようとするも返ってくるのはエラーばかり。英雄神話のための免責条項に該当したのかと照会もするが、それも違う。

 

 状況に悩むカルキであるが、しかしそれも長い時間ではなかった。

 カルキの目の前に、東洋人が居た。

 こんな近くにいながら気付かないなど普段であれば有り得ない筈だが、事実としてカルキは今の今まで気付けなかった。

 

 すぐさま取得できる身体情報から『世界』に保存されている無限ともいえる人体情報と照合させるが、該当する人物はいない。故に目の前にいる人物は正規手続きに則って作られた存在ではないと判断した。

 人ではなく物として検索すれば、該当データは現時点で約五〇億件。いずれもアインツベルン製ホムンクルス――小聖杯と呼ばれる完成品の、なり損ないの一つ。付け加えるのなら、カルキが敗北したあの戦争で最後まで生き残った、東洋人。

 

 正体が分かれば、ここがどこかというのも理解できる。

 ここはその小聖杯の中。

 カルキは消滅と同時に『座』へと戻ろうとする途中でこの小聖杯に絡め取られたらしい。ならば、小聖杯そのものである東洋人がカルキの認識をかいくぐり突如として現れたのも納得できる。

 

 理解すれば、無駄なことは止めとばかりに自己診断を中止する。

 肉体を失ったがためにカルキの認識は曖昧なままにある。ここにある身体はそんなカルキの認識に基づいて投影される幻みたいなものなので、当然この身体で小聖杯に何か影響を与えることなどできはしない。

 仕方なく、カルキはなにもしないことを選択する。

 

 この最終英雄の身体を絡め取ったことは賞賛に値する魔術なのだろうが、残念だがそれまでだ。所詮虫取り網で捕まえられるのは蝉程度。小魚だって捕まえられるだろうが、巨大な鯨を相手にどうにかできるわけもない。

 

 そうこうしている内に、この異質な空間に亀裂が走る。今すぐというわけではないが、あと数分もすれば限界に近づき壊れることは確定していた。

 確定していたのだが。

 

「………?」

 

 空間の走った亀裂は、しかして誰が行ったのか。

 最初はカルキが自身の重みに小聖杯が堪えきれず裂けたのだと思っていた。今も確実に小聖杯を圧迫し続けているカルキであるが、しかし、そうではない。目の前にいる東洋人が、何かをしたのだ。その手に輝く魔力の一画で、何かを喚び出そうとしているのだ。

 

 亀裂は、より大きく裂ける。そんな中から現れ出でる者が居た。

 即座に検索――該当件数、一。

 この“偽りの聖杯戦争”に参戦したキャスター。

 それも、カルキが解放された世界に投影された個体と同一素体。

 

「これが小聖杯の中か! うちの兎小屋よりも狭くて小せえな!」

 

 ずるりと蛞蝓の如く空間を割いて小聖杯に入り込もうとするフランス人はお世辞にも優雅さとはほど遠いところにあった。それを気にするキャスターではないが、土足で踏み入る泥棒だってもう少し礼節を弁えていることだろう。

 一頻りキャスターは周囲を見渡し勝手な感想を述べてから、

 

「さて。何をしに来たって感じの顔をしてるな、最終英雄? いや、もう英霊か」

 

 ポケットに手を入れ気取った表情でキャスターは語る。

 

「俺の目的はこの聖杯戦争の行方を見届けることだ。なら、俺がここに居たとしてもおかしくはないだろう?」

 

 いや、おかしい。

 普通はこんなところに令呪を使ってまで入ってこない。

 

 ここは小聖杯。世界の路より逸れ閉じた世界だ。入ることは東洋人の令呪を使えば不可能ではないのだろうが、一方通行の令呪では入った時のままの状態でここから去ることはできない。この小聖杯が堪えきれず崩壊した時には、中身は綺麗に消化され純粋な魔力と化して意識すら留めることはないだろう。

 

 魂の強度に大きな差があるカルキならまだしも、キャスター程度の小物ではその理に抗えることはない。お得意の小細工を幾ら弄したところで、ここに入れば確実に消滅する。それが分かっていてどうしてこの場に来ようというのか。

 

「消滅、か。それも大いに結構だ。随分愉しませて貰ったし、何より舞台を最後まで特等席で見られたからな。こんな命が代金なら安いもんだろう。むしろ安すぎるくらいだと思ってしまった。

 だから、俺はここに居る」

 

 キャスターの言葉をカルキは理解できない。まるでキャスターは、貰いすぎた代金を返すためにここにいるような言い草ではないか。

 

「おい最終英雄。お前は何故こんなところにいる? 何故お前は負けた? 何故、己の使命を全うしなかった?」

 

 キャスターの問いに、カルキは答えられない。

 カルキはシステムだ。全てを合理的に考え、自らにできるその時々の最善の道を選び、実行する。最善の選択が必ずしも最良の結果に繋がらないがために、カルキは今ここにいる。そこに疑問が入る余地などない。

 強いて言うなれば、運が悪かった。それだけだ。

 そんなカルキの思考を理解したかのように、キャスターは論う。

 

「わかってねえなぁ。

 世界が唯一でないことぐらい、お前も分かっているだろう? この東洋人を見れば俺にだって分かる。自覚はなくとも彼ら彼女らは数億回も繰り返しこの戦争に挑み、そしてついに辿り着いたのが最終英雄の打倒だ。

 この戦いはその最初の一回目なんだよ。そして一回あれば、あとは何度だってお前は負け続ける。繰り返される挑戦に、お前は何度も膝を屈することになるだろうさ」

 

 キャスターの言うことは、正しい。

 世界は唯一などではない。数多ある分岐の先には無限の未来が存在する。本来であれば、その中にカルキの敗北はあり得ない絶対事項であったのだが、こうして敗北の可能性が誕生してしまった。であれば、無限に分岐する平行世界の中で、カルキは無限に負け続ける運命を背負うことになる。

 

 そしてそれだけ、というわけでもない。

 最終英雄を失った世界には大きな齟齬が生じてくる。

 救世主となるべき存在がいなくなったのだ。強大であるが故に、そのために生じた歪みは大きい。世界が修正できる許容量を超えてしまっている。一分後か、一年後か、一万年後か知らないが、この小聖杯のように、世界の崩壊は不可避となる。

 カルキの敗北は、その世界の敗北と同義であるのだ。

 

「――だがな。この敗北はお前のせいじゃない」

 

 そんなカルキを慰めるように――いや、自らを自慢するように、キャスターは驕り高ぶった態度で告げてみせる。

 

「お前は確かに最終英雄だ。お前の前には全てがあり、お前の後には何もない。そんなお前に勝てる存在なんかいやしねえよ。お前の敗因は、単純な設定ミスだ。

 お前が四〇万年を大人しく眠っていれば何の問題もなかった。途中で起こされるような柔な寝床が悪いのさ。

 まあ、俺がここにいるのは、代金が安いってのもあるが、気にくわない脚本を修正しときたかったってのもある」

 

 ふと、カルキはこのアインツベルンの小聖杯が他と少し違うことに気がついた。

 基本となる器の製造法に大した違いはない。基本を同じくしながら少しずつ設定値を異にしているだけだ。しかし、この個体だけはその設定値が出鱈目だ。これではアインツベルンの小聖杯として東洋人が役立つことはない。

 アインツベルンの設定ミスか。そんな偶然があろう筈がない。

 何故なら、送られる場所と時間は、カルキが製造された時と同一のもの。

 

 あろうことかキャスターは、創造主に対して脚本のだめ出しをしようというのだ。

 

 “偽りの聖杯戦争”、その元凶たるカルキが人の手によって起きたが故に、この戦争が起こってしまったのだ。人間ごときに起こされぬように創造主が手を加えてしまえばこれから起こりうる世界の破滅はこの一度限りで終結することになる。

 

 世界から救済が損なわれることのないように。

 そして何より、物語の最後を見届けるために。

 キャスターは、ここに居た。

 

「中々に面白い戦争だったぜ。あんまりにも面白いから、続編とか過去編とかパート2とか二期とか復活とか新章とか番外編とか外伝とかスピンオフとかリバイバルとかがあったらまた見たくなっちまう」

 

 だから、これ以上の蛇足は必要ない。

 真に物語を完結させたいのなら、ここでその可能性を打ち切らねばならない。

 

「今度からは、気をつけるんだな」

 

 ニヤリと笑いながら、キャスター自己満足に漬りながら小聖杯の中に溶けて消えて逝く。その姿を見ながら、カルキはようやく納得した。

 

 キャスターがここに召喚された意味。

 それは単に、終わりを告げる英雄に、終わりを告げたかっただけなのだ。そんな諧謔を弄するためだけに、彼はこの場に召喚され、消滅していった。

 

 到底、システムに則って動くだけのカルキには納得できても理解はできぬ行動だ。

 最後にひとつだけそんな不合理をカルキは考えながら、カルキは小聖杯を破壊して『座』へと戻っていく。

 

 ここに約八億回続いたとされる“偽りの聖杯戦争”は幕を閉じる。

 もう次に“偽りの聖杯戦争”が開かれる可能性はなくなった。

 

 

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 スノーフィールド、南部砂漠地帯に巨大クレーターが出現していた。

 直径は数キロメートル。しかも大小様々数十ヶ所もあり、どれほどの熱と圧があったのか表面はガラス質にコーティングされる程の不思議現象。

 

 理由は依然不明のまま。隕石が降り注いだとも、地下のガスが爆発したとも噂されたが、スノーフィールド大災害の直後にあってはその真偽を確かめる余力などあろうはずもない。

 

 形ばかりの調査隊が臨時に編成されたが、偶然にもロンドンから派遣されていた地質学者が善意の協力を申し出たことで、図らずも可及的速やかに安全宣言と念のための現場封鎖がされることになった。その報告に視察に訪れていた大統領が胸をなで下ろしている姿を複数人から目撃されている。

 多少なりとも不自然な状況に市民の中には首をひねる者も少なからずいたが、皆日々の復興に忙しく声を上げる者は更に少なく、その少人数もいつの間にかいなくなる。

 

 不確かな事実として、その場へ向かおうとする二つの人物がいたと聞く。

 ひとりは王様然とした金髪の男性。

 ひとりは男か女かもわからぬ美形。

 まるで打ち合わせしたかのように両者が真反対から現場へと向かう足跡が確認されている。

 

 目撃者も多数ながら、両者の正体は不明。外国人旅行客とも推測されるが、こんな目立つ二人が入国した記録はなく、またあちこちに仕掛けられていたはずのカメラも改ざんがあったかのようにその姿はない。

 スノーフィールド大災害を招いた張本人であると荒唐無稽な噂もあったが、後に作られた報告書にそのような記載はもちろんない。

 行方不明者二名とだけ、報告書には簡素に記載されることになる。

 

 唯一彼らの情報を知るであろう人物として、現場から救助された少女がいると報告もあったが、その聴取はまだ行われていない。また、少女が未成年であり事件のショックからか記憶喪失に陥っていることを踏まえ、人道的見地と不自然な現場状況の推測もあって少女救出の情報は意図的に伏せられることが決定している。

 

 スノーフィールド最後の事件は、こうして幕を引かれた。

 “偽りの聖杯戦争”、その最後の戦いの結末は、定かではない。

 

 

 FIN



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