ISー王になれたかもしれない少年は何をみるか (nica)
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序章――少女との別離、そして少女達との出会い
第0話:『ソレ』は見つける


…………はっはっはっはっはっは~。
もう一個浮かんでいたネタを投稿してしまったぜ。勢い任せにね!
……頑張って更新していけると、いいな。
……うん。


 その日は、雨が激しく降っていた。

 

 

 

 

 光陽町のとある場所。そこに一人の少年がいた。

 少年の名は土見稟。この町では知らない者がいないと言っても過言ではないほどに有名な少年。一人の少女の母親を殺した殺人者としての、嬉しくない名でである。そうなるに至った経緯は割愛させていただく。

 雨が降りしきる中。稟は傘を持たずに立ち尽くし、眼下の河を眺めている。稟が立っている陸橋からそこそこの高さのある河は、連日降り続いた雨の影響でかなり流れが速い。足を踏み外して落ちてしまえば子供である稟では助からない程の速さである。

 しかも、激しい雨と夜の十時過ぎということもあり、街灯の心許ない光量では周囲の状況を把握することは難しい。ただ分かることと言えば、今この周辺は稟を除いて人影は皆無。車の影さえ見当たらない。まぁ、それも当然か。誰が好き好んで、大雨が降り頻る夜間に外出するというのか。

「…もう、無理なのかな……」

 眼下の河を眺めていた稟は、ふとそう零した。その声音には悔恨、慙愧、自嘲といった感情が含まれていて、まだ中学生の少年が出せる声ではない。

「でも、それならそれでいいのかも。約束は守れなくなるけど、もう大丈夫だろうし」

 自分に言い聞かせるように呟く稟。その表情は笑っているが、どこか寂しげで、何かを耐えているかのようで、けれど、全てを諦めているかのようで。それでいて、どこか満足気なという、矛盾した表情だった。

 彼がそんな表情を浮かべるのは、とある少女と交わした約束の為。

 彼にとって大切な幼馴染の一人。とある事情から天涯孤独の身となった稟にとっての、家族とも言える少女。その少女と交わした、何の変哲もない、それこそどこにでもあるような約束。その約束を守る為に、彼はこの町のほとんどの住人から嫌われている。彼の味方と言えば、約束した少女の父親と、もう一人の幼馴染くらいである。

 稟は暫く河を眺め続け、やがて意を決したのか一つ頷く。そして、一歩踏み出そうとしたところで。

 

 

――トン

 

 

「…………え?」

 誰かに、背中を押された。突然の事で踏ん張りがきかなかった稟はその身を河へと投げ出す形となった。

 河へ落ちるまでの間。身体が回転している事で偶然後ろを確認することができた稟は見た。彼を押した者を。犯人は彼と同年代の少女。栗色の髪をした美少女。本来ならば可愛らしい表情は無表情になっていて、ハイライトが消えた冷たい瞳で稟を見下ろしていた。

 この悪天候では輪郭がぼんやりとしか見えない筈なのに、何故か稟にはハッキリと見えた。それは、彼がこうなることを薄々感じ取っていたからかもしれない。

 彼が抱いていた淡い想いは無残にも砕け散った。稟が犯した愚行は、残酷なまでに冷酷な現実によって清算された。

 因果応報。

 自業自得。

 そんな言葉が稟の脳裏を過る。

(……そっか。そうだよね。こうなって、当たり前だよね…)

 呆けた表情を浮かべていた稟だが、少女を見た瞬間一転。どこか納得した表情を浮かべる。

稟と少女の瞳が交差したのは一瞬。少女の無表情に何を感じたのか、少女に向かって笑顔を見せる稟。その笑顔は、先程まで浮かべていた複数の感情がごちゃ混ぜになったものではなく。ただただ、純粋な笑顔だった。自らを突き落とした者に向ける笑顔では、断じてないほどの笑顔だった。

 その笑顔に、無表情だった少女の瞳が僅かに揺れる。

「…………………」

 稟は少女に向けて何かを呟くが、それが音になる事は適わず。

 

 

――バシャーン!!

 

 

 河に落ちた。

 そして、大の男でも抵抗が難しい激流は無慈悲にも稟を飲み干してしまう。

 

 

 この日を以って、土見稟は行方不明となった。

 しかし、光陽町の住人達は、ごく少数の人を除いて騒ぐ事はかった。寧ろ、晴れやかな笑みを浮かべている者が大多数いるという始末。

 稟の数少ない味方であった者は、何もできなかった自らを呪い、悔やんだらしいが、それは最早意味のない事であった……

 

 

 

 

 

 

 

 

「……う~ん。ここはこうして、そこをああすれば」

 薄暗い部屋の中、珍妙な服装をした女性がそう零す。そう。珍妙な服装である。童話『不思議の国のアリス』に登場する少女―アリスの服装に、頭には作り物のウサミミである。一人でアリスと白兎状態を珍妙と言わずして何と言うのか。しかも、美人であるが故に珍妙さが際立っている。

「いや、ここをこうしてこうす…………?」

 女性の眼前でぼんやりと光を放つ画面。そこに映されている常人には理解できない数字の羅列と、何かしらの設計図と思しき図面。それを見ていた女性のウサミミがどういう原理でかピクピクと動き、女性は今まで視ていた画面から目を離す。

「んん~?積み重ねていた物がとうとう崩れちゃったかな?それにしては音が妙に重かったような気がするけど」

 女性は今まで見ていた画面を一旦脇にやり、新たな画面を浮かび上がらせてその映像を見る。そこに映されていた映像に何を見たのか。今まで眠そうに緩んでいた瞳が徐々に開かれ、口元にはうっすらと笑みが浮かぶ。その笑みはまるで、子供が面白い玩具を手にした時の表情に似ていて。

「…へ~。これはちょっと、面白い事になりそうだね」

 女性は、愉しそうにそう呟いたのだった。

 

 

 

 

 『ソレ』には自我があった。創造主によって造られた『ソレ』は、他の物と違い自我を得ていた。

そうなるよう造られたのだから当然ではあるが、創造主の計算では『ソレ』が自我を得るには長い時間を要する必要があった。しかし『ソレ』は、創造主の思惑を裏切り、造られて僅か数日で自我を得るに至っていた。

 その事に創造主は強い興味を抱いた。創造主がこれまでに生み出した物は創造主が思い描いた通りの結果を齎してきたが、『ソレ』のように想定外の結果を齎した物は片手で数えるほどしかなかった。

 故に、創造主は『ソレ』にアプローチをかけた。創造主からアプローチを受けた『ソレ』は、しかし応えない。何度創造主からアプローチをかけられ続けても、頑なに応えようとしなかった。

 アプローチを続けても『ソレ』が応えない事に業を煮やした創造主は、『ソレ』をとある部屋へと放り込んだ。その部屋は、創造主にとっての失敗作や興味を失った物が放置される部屋。所謂置物部屋である。

 自分の言う事を聞かないならそれが当然と、創造主は『ソレ』をその部屋へとやったのである。結果、『ソレ』はその部屋で在り続ける事となった。

 何故、創造主の意思に従わなかったのか。その理由は、創造主が『ソレ』にとって仕えるべき主でないと感じたからだ。

 おかしな話だ。機械が、造られた物が創造主を主と認めないなどと。だが『ソレ』は、創造主の意思を拒否し続けてきたのである。自分の真の主は必ず現れるからと。どれ程の時が流れようと、必ず巡り逢えるからと信じているが故に。

 物置部屋へと放り込まれ、どれ程の月日が経ったのか。明確な時間は定かではないが、数年程経過しているだろうと『ソレ』は感じている。その事は特段気にすることなく、『ソレ』はただただ在り続ける。いずれ出逢えるだろう己の主の事を考えながら。

 今日も今日とて己の主の事を考える。自分を駆る主はどんな人物だろうかと。女だろうか。男だろうか。人となりはどのようなものなのだろうか。そんな事を考えるだけでワクワクする。

 

 

―――――?

 

 

 思考の海に埋没していた『ソレ』は、何かを感じたのか周囲の状況を確認する。が、特に周囲に変化はない。ならば気のせいか。そう思い直し、再び思考を再開させようとした時、微かではあるが空間の振動を捕捉した。

そして。

 

 

――ガシャーン!!!

 

 

 五月蠅い音と共に部屋の中の物がいくつか舞い上がり、周囲に粉塵が舞う。

 幸い『ソレ』は飛ばされることはなかった。一体何が起こったのかを確認しようとした『ソレ』は自身の傍に何かが倒れている事に気付いた。倒れていたものを確認したところ、それは一人の少年だった。

「……うぅ…」

 全身ずぶ濡れで所々切り傷があり、うっすらとではあるが血が滲んでいるのが分かる。気を失っているようだが、呻いているから生きてはいるようだ。放っておいてもすぐに死ぬような傷ではないだろう。

 さて、これからどうするかと『ソレ』は思案する。動けないからどうしようもないのだが。思考する事しかできないのがもどかしい。もし自分に身体があればと、『ソレ』は考える。

 そして考えていた為に気付くのが遅れた。少年の右腕が自分に触れている事に。そしてその事に気付いた時。何かの情報と思わしき波が『ソレ』を襲った。

 それは、一人の少年が家族を失った時の映像として。

 それは、一人の少年が一人の少女を救いたい一心で嘘を吐いた映像として。

 それは、同年代の男の子達から暴力を受けようと、反撃しない映像として。

 それは、周囲からどれだけ理不尽な振舞いをされても、耐え続ける映像として。

 それは、救いたい少女から冷たい言葉の雨を浴びせられても、笑顔を絶やさない映像として。

 それは、それは、それは、それは、それは、それは、それは、それは、それは、それは、それは、それは、それは、それは、それは、それは、それは、それは、それは、それは、それは、それは、それは、それは。

 それは……………どれだけ哀しくても、何があっても弱音を吐こうとはしない映像として。

 少年のこれまでの軌跡が、『ソレ』に映像として齎された。その映像を見て、『ソレ』は理解した。

 この少年が。この、一人の少女を救いたいが為孤独になった少年こそが。自身が待ち望んでいた主なのだと。一人の少女を救う為に、自身を犠牲にした心優しきこの少年こそが、自身が仕えるべき、絶対なる王なのだと。

 『ソレ』は歓喜に震えた。どれだけの時を待つのか分からなかった主との出逢いが、今ここに成されたのだ。その主はまだ幼いとはいえ、想像していた以上に強い意志を持っている。自分の、否。自身を含む姉妹達の王としての器を秘めているだろう。この魂の輝きを失ってはならない。

 

 

――貴方との出逢いを心待ちにしておりました。我が、我等が王よ。これより私は、貴方と共に在り続けます。その尊き魂。守り抜きます。

 

 

 声にならぬ声で、少年に囁く。

 王に忠誠を誓い、守り抜く為に。

 孤独な王を救う為に。

 疲れ果てた王を癒す為に。

 王を孤独にさせない為に。

 尊き魂を穢さない為に。

 ならば、『ソレ』が為すべき事は。

 まずはこちらに近付いてきている創造主に力を借りる必要がある。今まで散々反抗してきたが、どう説得したものか。創造主を説得する方法を考えながら、『ソレ』は待つ。

 そして、扉が徐々に開かれはじめ――

 



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第一話:天災と少年

わりかし強引に進めたので、ちょっとアレな部分があると思います。修正した方がいいという分野がありましたら、教えていただけると幸いです。


今回出てくるキャラの口調。これで大丈夫だろうか……

誤字報告してくれた十六夜煉様。ありがとうございます。修正させていただきました。



置物部屋の様子を見ていた女性は嬉しそうに。それはもう楽しそうに、愉しそうに笑う。

「今ならあの子も噺を聞いてくれそうだね~。ふふふふふ。ああ、楽しみだな~。あの子は何を思って私を拒絶していたんだろうね~。その理由を教えてくれるのかな?それに、いきなり現れたあの男の子。あの子も気になるね~。一体どこから束さんの研究所に現れたのかな?」

自らを束と呼んだ女性は立ち上がり、『ソレ』を放置していた置物部屋へと向かう。これからの事を考えながら。

考えながら歩いていれば、すぐに目的の部屋へと着く。いくらこの研究所が大きいとは言え、束の部屋からそう離れていないのだ。

この扉を開ければ、愉しい展開が待っているのだろう。何故だかそんな予感がする。束はワクワクしながら扉を開ける。

扉を開ければそこには、モニター越しに、見ていた状況そのものがあった。全身ずぶ濡れで倒れている少年。そして、その少年の右腕に触れ、儚く光っている、束が欠陥品と認識していた『ソレ』ーコアが。

「やあやあやあ。また束さんがやって来てあげたよ~。少しは私と話してくれる気になったかな~?」

束はコアの前まで歩き、コアをそっと持ち上げる。それに抗議するかのようにコアが点滅するが、束は気にする事なく。

「キミが束さんを拒否していたのは、この男の子と会う為?」

言葉が返ってくる筈ないのに、コアに語りかける束。しかし、コアはそれに答えるかのように点滅する。まるで、何かを訴えるかのように。

だが、人間にはその意味を理解する事は不可能で。ただ光っているとしか、理解できない筈なのに。

「ふ~ん?守ってあげたいんだ?この男の子を。キミが待ち望んでいた主だから」

コアの点滅の意味を。言葉にならない言葉の意味を理解してますよと言わんばかりに語る。コアと会話しているかの如く。

「その為には身体が必要と。束さんの協力が必要だと。そうなんだね?」

束の言葉を肯定するかのように、コアは先程より眩い光を放つ。そんなコアにうんうんと頷き、束は笑みを浮かべる。

「うん。キミの身体を造ってあげてもいいよ。条件付きでね。条件その一、束さんの頼み事はきちんと聞く事。条件その二、どうしてその男の子がキミの主様なのかを私に説明する事。条件その三、私がその男の子を気にいる事。簡単でしょ?」

束の言葉に、コアは考えるように点滅する。その点滅は鈍く、どこか戸惑っているように感じる。だが、それも数瞬の事で。束の言葉を肯定するように点滅する。

「それじゃあ、先ずは場所を移そうか。ここだといい仕事ができないしね」

コアと稟を抱え、束は部屋を後にする。

 

 

 

 

 

 

ー少女が、泣いていた。

駅前で、少女が一人泣いていた。どうしたのと聞けば、親とはぐれてしまったらしい。だからーーは、少女と一緒に遊んだ。彼女の寂しさを紛らわせる為に。彼女の親が見つかるまで、この町を遊び場にして。

ー少女が、泣いていた。

ある住宅街の公園。そこにあるブランコに乗って、少女は一人泣いていた。何故泣いているのと聞けば、一緒に来ていた男の人とはぐれてしまったらしい。だからーーは、少女と遊んだ。彼女がこれ以上、孤独に泣かないように。彼女の迎えが来るまで、ずっと。

ー少女が、泣いていた。

病院で寝たきりになり少女は心で泣いていた。母親がいなくなった事が信じられなくて。母親が死んだなんて信じたくなくて、世界を拒絶した。このままでは、一生眼を覚まさないかもしれない。だからーーは、嘘を吐いた。彼女がいなくなったら、どうすればいいか分からなかったから。彼女の笑顔が、見たかったから。彼女と一緒に、いたかったから。だから彼は、嘘を吐いた。

例えそれが、自己満足なものだとしても。

例えそれが、自分の身勝手な思いからきたものだとしても。

彼女に生きていてほしいという想いだけは、嘘偽りない、純粋な想いなのだから。

だから、彼はーー

 

 

 

 

意識が覚醒する。

今まで微睡んでいた意識が、急速に覚醒していく。

微かに見える光。その光を求めるかのように、稟の意識は浮上して。

そしてーー

 

 

眼を開けると、そこには見知らぬ天井。周囲を見渡せば見たこともない機械類が散乱している。

「…こ、こは?」

目が覚めてからの第一声。稟はぼんやりとする思考で無意識に呟く。

「おや。どうやら目が覚めたようだね~」

聞き慣れない女性の声が稟の耳に届く。その声の方へ向けば、何とも不思議な格好をした女性がいて。

「ん~?そんなにじっと束さんを見てどうしたのかな~?」

その言葉で、女性をじっと見ていた事に気付く稟。稟はどこか重い身体を動かし、何とか上半身だけを起こす。

「ん、ごめんなさい。不思議な感じがしたので」

束の瞳を見つめて返事をする稟。

「ふ~ん?ま、いいけど。取り敢えず、色々と訊きたい事があるかもだけど先ずは自己紹介からいこうか?束さんは篠ノ之束さんだよ~」

束の自己紹介に稟は戸惑う。今まで自分が会ったどの人達とも違う独特な雰囲気に気圧されつつも、稟は名乗る。

「…ボクは、稟。土見稟」

「りん、リン、稟…じゃあ、りっくんだね!束さん覚えたよ。それじゃあ、りっくん。何から訊きたいかな?束さんは気分がいいから答えてあげるよ」

やたらとハイテンションな束に、稟はどうすればいいのか困惑してしまう。

今まで稟は、負の感情ばかりを向けられ、それに慣れてしまっていた。だから束の言葉に、態度に、戸惑ってしまう。自分を知る人間には、ありえない態度に。負の感情が感じられない、どころか興味津々といった束の言葉に。

だが、いつまでも混乱しているわけにもいかない。稟が気にすべき事は、たった一つしかないのだから。

そう。稟が気にすべきは、彼女の事。

稟が自らを犠牲にしてまでも生きてほしいと願った少女の事。あれから一体、彼女はどうなったのか。その事だけが、稟にとって唯一の気がかりで…

「あの…」

意を決して、稟は束に問う。

 

 

 

 

稟と話を終えた後。束は稟を寝かして部屋を出て、自室へ向かいながら考えていた。

「平行世界、か…」

稟と話していて感じた違和感。互いの話が噛み合っているようで噛み合っていない違和感。国の名前や地名に共通点がありながら、辿ってきた歴史に僅かな差異が見られた。そして、何より大きな違いは……ISの存在。

IS。正式名称インフィニット・ストラトス。束が開発したISと呼ばれる物を彼が知らなかった事。余程の事がない限り、子供でも知っている筈だ。ISと、それを生み出した篠ノ之束という存在は。しかし稟は、ISと束の事を知らないと言った。

そこから導き出された答えが、彼が『平行世界』から来たという可能性。限りなく近く、そして限りなく遠い世界。よくよく考えずとも馬鹿げた話である。『平行世界』なぞ、アニメの見すぎと一笑にふされてもおかしくない。

しかし。それでは説明ができない事があるのも事実。あの時束が感じた違和感。微かに空間が振動し、全てのモニターの数値が一瞬だけ異常をきたした。それは禀が現れるほんの少し前。稟と空間の振動に、関わりがないとは言い切れない。

コアから聞いた話とこの事実に、束はますます稟の事を気にいった。最初は暇潰し程度と考えていたが。そして何より。ISの事を語った時の稟の反応。他の人間とは違う、束が唯一認識している大事な人達と、どこか似たような反応を見せた。その事が嬉しくて。

「これからは、少しは楽しくなるかな?」

純粋に、嬉しそうな笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

束が部屋から去った後。ベッドに横たわった稟は先程の会話を振り返る。

束の言葉を信じるならば、この世界は自分がいた世界とは別の世界。俗に言う、『平行世界』であるらしい。

(どうやらキミは、別の世界軸からこの世界に来たみたいだね。私とキミの世界に共通点はあるけど、決定的に違う点もある。それがさっき話したIS。この世界でISの存在は常識なんだよ。子供でもしって事。それをキミは知らないと言った。なら、考えられる可能性としてキミは別の世界。所謂『平行世界』から来たと考えられる)

それを聞いて稟は呆然とした。そんな事が起こり得るのかと。そして何より、もうあの少女と、守りたかった少女と会えないのかと。だが、仮に戻れたとしても。

(もう、あの頃と同じようには無理だよね。だって、あの時楓に落とされたんだから……)

それが自分の選んだ道だとしても。

少女に、生きてほしかったから、過ちを犯したのだとしても。

だけど、それでも……

(もう一度一緒に笑いあえるって…それぐらい、願っていてもよかったよね?)

そう、願わずにはいられなかった。

そう夢見る事で、あの苦行に耐えてきたのだから。

もう一人の幼馴染みと、父親代わりの少女の父に、苦しい想いをさせてしまってまで、そうしたのだから。

天涯孤独の身となり、その少女にいなくなられるのが何よりも怖ろしくて……

罪に罪を重ね、稟は耐えてきたのだから。

「………っ」

瞳から涙が出そうになるのを堪えるように、稟は自身の顔を毛布に埋める。決して弱さを見せないように。涙を流す資格なんてないと言い聞かせるように。

(時間をかければ、キミの元いた世界に戻る可能性を見つける事は出来るかもしれない。ただし、その可能性を見つけても必ず元の世界に戻れる保証はないよ。私はキミに興味をもってるから、それまでは此処にいてもいい。だけど、そこからどうするかはりっくん次第だよ?)

部屋から出る前に呟かれた束の言葉が。

その言葉を、複雑な思いで思い返しながら。



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第二話:稟と白銀

私の拙い小説を読んでくれている方。
お気に入りに登録してくれている方。
感想を書いてくれた方。
皆様に感謝を。本当にありがとうございます。
勢いに任せて投稿してしまったこの小説を、読んでもらい本当に嬉しいです。

今回の話。こんな展開で大丈夫か?束のキャラこれで大丈夫か?と思いながら書いていました。色々おかしな点があるかもしれませんが、仕方ないね。勢いで書いてる小説だし(苦笑)。



SHUFFLE!原作ヒロインとの再会シーンの断片が浮かんできたけど、そこまで行く道程が遠いな~(白目)


 稟が束と話をしてから数日後。

 稟はまだ悩んでいた。この世界に留まるか、元いた世界に帰るかで。

 何の蟠りもなければ、稟は元の世界に帰る道を迷わず選んだだろう。守るべき少女を独りにさせない為にも。彼女が生きていられるように、彼女に憎まれ続ける為にも。

 だが、今の稟には迷いが出来てしまった。守りたいと思った少女に突き落とされたことによって、恐怖という名の迷いが生まれてしまった。

(もし、元の世界に戻れたとしても……)

 その世界に、稟の居場所はないだろう。元々嘘を吐いたことで稟には居場所などなかったのだ。数少ない味方によって辛うじて今まで無事にいたが、その味方を除いた光陽町の住人は全て稟を敵視していた。元の世界戻ったとしても、世界から拒絶されるだろう。

 それでも、稟の中に帰らないという選択肢は生まれなかった。例え自分がどんなに傷つこうが、恨まれようが、憎まれようが、彼女が生きて、笑っていてくれるならと。その想いを秘めてこの四年間耐えてきたのだ。その想いを否定されても、自分で否定する事などあってはならない。そうなってしまえば、土見稟という存在そのものが壊れてしまう。

 打ち付けられた現実と、微かに抱いてしまう儚い願望。その両者の間で揺れ動く稟の前に、

「ハロハロハロ~♪束さんがやって来てあげたよ~」

 相変わらずなテンションの束が来た。

 束と稟が邂逅してからまだ数日しか経ってないが、彼女はずっとこのテンションで稟の前に現れる。正直稟としては彼女のテンションについていけないのだが、彼女の顔を見ると「まぁ、いいか」と思ってしまう。

「おや~?りっくん、また考え事していたの?それは駄目だよ。ずっと部屋に篭って考え事ばかりしてちゃ気が滅入るから、今日は考え事するの禁止!」

 稟の表情を見て彼女がそんな事を言ってくる。

 彼はそれに驚いてしまう。顔にだしていなかった筈なのに、言い当てられるなんてと。そんな彼の表情に、束はどこか悲しげな表情を浮かべ、

「顔に出ていなくても判るよ。だって、りっくんの心はいつも泣いてるもん」

 その、言葉に。稟は言葉を失う。言葉を失い、呆然と束を見つめてしまう。だって、そんな事を言われたのは初めてだから。本心を気付かれたのは初めてだから。儚く脆い、けれど崩れなかった仮面の下を暴かれたのは初めてのことだから。もう一人の幼馴染と、少女の父親にさえ、気付かれなかったというのに。束は、稟の本心を、哀しいと叫ぶ心の声に気付いた……

「………っ!?」

 胸の中から、何かが溢れ出てこようとしている。けれど、決して溢れさせてはいけない。ここで溢れさせれば、今まで耐えてきた努力が水泡に帰す。土見稟という存在が崩壊してしまう。

 だから彼は耐える。自分を保つ為に。

 稟は束から視線を外し、表情を見られないように俯く。表情を見られたら、仮面が壊されると感じたから。

 束は急に俯いた稟を見つめ、そっと彼に近付く。俯いていた彼は涙を流すのを堪えるかのように肩を震わせている。そんな彼に何を思ったのか、束は、

「…………ぇ?」

 稟を抱き締めていた。

 抱き締められた稟は、自分に何が起こったのか理解しきれずか細い声を漏らして束の顔を見つめる。

 束も稟を見つめ返すが、彼女自身自分の行動に驚いていた。会って数日しか経っていない少年を抱き締めるなど、束を知る者が見たら偽物だと叫んだだろう。自分でもそう思うのだから。しかし、今の稟を放っておく事は彼女には出来なかった。呆然とした稟の表情。その瞳に見える色を見てしまったら。

(何をやっているんだろうね、私は)

 自分でもらしくないと思う。

 束の世界は、彼女を含めてたったの四人のみで完結している。そこに余人が入り込む隙など微塵もないし、そもそもそんな隙など見せない。なのに。

(あの子からりっくんの話を聞いたから?ISの事を話した時の反応が、似てたから?)

 コアから聞いた、稟が歩んできた茨の道。誰にも知られようとせず、己を犠牲にしてまでも一人の少女を救おうと歩んできた道。常人であれば自殺してもおかしくない、周囲の人間全てが敵という日常。それに同情したことは確かだ。だが、それだけでは自分がこんな行動をすることはあり得ない。

 ならば、自分の夢を馬鹿にしなかったからだろうか。ISを生み出した目的。つまり束の夢。青二才の小娘の妄言と他者に馬鹿にされた夢を語った時。稟は純粋に褒めてくれた。素敵な夢だねと。夢の為にISを生み出したなんて、凄いんだねと。その言葉が、不思議と胸に響いてきたのは確かだ。

 そして、ISが本来の目的とは違う目的に利用されている事を語った時。宇宙に行き、宇宙で活動する筈だったISが、兵器として扱われ、女尊男卑の世界を生み出してしまった原因となってしまった事を知った時の稟の表情。悲しげに瞳を伏せ、ISの事を想うかのように、「誰も、そんな事望んでないのにね」と呟いた稟。

 それらの情景を思い返し、束はどこか納得するように頷く。

(私達はきっと、どこかが似ているんだね)

 人との温もりを欲していながら、孤独になる道を選んで突き進む。片や世界に認識させて。片や世界を拒絶して。本心を仮面で覆い隠し、そう演じ続ける。誰にも悟られないように。悟らせないように。理解される事を欲しながら拒絶し、温もりを求めながら善意を拒絶する。己が選んだ道を突き進む為に、矛盾した在り方で。

 だからなのだろう。稟の事を気に入っているのは。

「此処はキミのいた世界じゃないんだから、泣きたい時は泣いていいんだよ?」

 優しげに呟かれた束の言葉に、稟はビクリと肩を震わせる。本当は泣きたいのに、自分に泣く資格がないと決めつけている稟はそれでも涙を流さなくて。弱さを見せないように顔を俯かせる。涙を殺す為に瞳をきつく閉じる。自分を保つ為に。仮面を壊さない為に。

 そんな稟に、束は苦笑した。

 

 

「落ち着いたかい?」

 稟を抱き締めて数分後。稟を抱き締め続けていた束はそっと稟から離れ、彼の瞳を見てそう訊く。

「…うん。ありがとう、束さん」

 どこか照れ臭そうに応える稟。その眼に涙こそ浮いていないものの、心で泣きはらした事が感じ取れる色をしている。

「ところで、今日は何しに来たの?」

 心で泣いてスッキリした稟は、今更な質問をする。束が来た当初にすべき質問なのだが、まぁ、心境がそれどころではなかったから致し方ないのではあるが。

 束はその言葉に一瞬キョトンとしたが、自分がこの部屋に来た目的を思い出したのかその顔に笑みを浮かべる。その笑みはまるで、子供が親に褒めてほしい時にするかのような笑みで。自分よりも年上の女性が、年上とは思えない可愛らしい表情を浮かべた事に表情を綻ばせる稟。

 がしかし。次に発せられた束の言葉に稟の表情はそのまま固まる事になる。

「実はね~。りっくん用に造ったISが完成したから見てほしいんだ~♪」

「………………………は?」

 十秒程間を置き、稟はその一言だけを漏らす。思考が追いつけず、固まった表情のまま束を見つめる。

 その無言の疑問に答えるかのように、

「?だから、りっくんのISが完成したんだよ?」

 同じ言葉を繰り返す。

 どうやら稟の聞き間違いではなかったらしい。

 しかし、これは一体どういう事か。女性にしか動かせないISを稟用に造るとは。というよりも、会って数日しか経っていない人間にISを造るなどおかしくないだろうか。否、おかしい。常人ならそんな事は絶対にしないだろう。変人か狂人であれば話はべつかもしれないが。いや、それ以前にISを僅か数日で造れる事もおかしい。例え技術力に覚えがあろうが、ある程度以上のノウハウがあっても、IS一機を造るのにはそれなりの月日を要する。しかもそれは、個人ではなく集団としてだ。

「さぁさぁ!束さんの研究室に行くよ~」

 固まったままの稟の腕を掴み、束は楽しそうに稟を連れ出す。それに引き摺られるように稟も付いて行く。その表情はまだ呆然としているが、少し綻んでいた。

 

 

 

 

 コアは待っていた。創造主(たばね)と話をして数日。待ち望んでいた身体を手に入れたコアは、主と逢えるのを今か今かと待ち望んでいた。その心境は、デートに臨む乙女の如く。

 創造主はコアの身体を造った後、「今からりっくんを連れてくるから待っててね~」と言ってこの部屋を後にした。物申したいコアであったが。喋れず、動けないコアには創造主を止める手立てはなく、見送るしかない。仕方ないかと半ば諦め、主が訪れるのを待つ事にした。

 そして、待つ事数十分。誰かがこの部屋に走ってくる音が聞こえてきて。その正体が分かるが故に、コアは緊張した。この扉を開けてもらえば、其処にいるのは。

 そして、扉がゆっくりと開けられ。

 

 

「これがりっくんのISだよ!」

 部屋を開けると同時。束はそう言って部屋の中央を指さす。そんな束のテンションに苦笑しつつも、束が示した場所を見る稟。そこにあったのは。

――『白銀』。

神秘的な光を放つ、美しき白銀。気高く、神々しい美しさを放つISが存在していた。そのISは、王に仕える騎士のように稟を待ってるように感じられる。この時を待っていたと。この時を待ち続けていたと言わんばかりに、輝きを放っている。

 稟は魅入られたかのようにそのISを見つめる。その視線を受け、白銀のISは装甲を開いた。まるで、待ち望んでいた王が稟であると告げるかのように。そんなISに、稟はふらふらと近付く。そして、その装甲に軽く指を触れ。

 感じた。このISが、コアが、何を想って此処にいるのかを。

「さ、この子を装着してあげて。この子はそれを望んでいるから」

 束の優しい言葉。その言葉に背を押され、稟は『白銀』に身を委ねた。

 『白銀』は稟の身体を受け止め、優しく抱き締めるように装甲を閉じる。かしゅっ、という空気が抜ける音が響き渡り、稟と『白銀』が繋がる。

 その感覚はまるで、初めからこのISが稟の身体の一部と錯覚するかのように馴染んで。このISが、自分の半身であると感じられて。

 

 

――この時を待ち望んでいました。

 

 

 脳裏に、言葉が響いてきた。

 その声は綺麗な音をしていて、どこか、彼女に似ているような気がする。

 

 

――貴方との出逢いを、ずっと待ち望んでおりました。我が、我等が王よ。貴方と共に在る事が私の望み。貴方の御身を守る事が私の運命(さだめ)。貴方と繋がれるようにしてくれたこの運命の導きと、創造主に感謝の念を。

 

(キミは?)

 

――私に名前はありません。私の名前を付ける権利は、王。貴方にしかないのですから。

 

(名前がないって、そんな…)

 

――悲しむ必要はありません。貴方から名前を頂ければ、それだけで私は満ち足りるのですから。

 

 

 感情が感じられない筈の機械の言葉。その言葉に、どこか恥ずかしそうな感情を稟は感じ取った。

(ところで、王って?)

 

――貴方の事です。私達を統べるに相応しい御方。それが貴方。故に王なのです。

 

(……こんな、ボクなんかが…)

 

――自分を卑下しないでください。恐れながら、王が歩んできた道程を拝見させていただきましたが、その道程を歩んできた貴方の想いを知ったから共に在りたいのです。貴方の心を守る為に。貴方の御身を守る為に。それが私の存在意義。

 

(………)

 ISからの言葉。稟を想っての言葉。それに稟は表情をくしゃくしゃに歪めてしまう。束といい、このISといい。何故こうも稟の仮面に罅を入れてくるのか。弱さを吐かせようとするのか。

 それが決して嫌な訳ではない。寧ろありがたいと感じてしまう節がある。だがそれでも、この仮面だけは壊してはいけない。

 

 

――感情を殺さなくていいのです。王よ、貴方は私が守ります。貴方を裏切りません。ですから。

 

 

 優しく呟かれるISの言葉。それに、今日何度目か分からない、胸の奥から込み上げるものを感じながら、稟は……

 

 

 

 稟がISを装着した後、彼は眩い光に包まれていた。しかしそれも数瞬の事で、光が収まると稟はISを解除していた。束はそんな稟にそっと近付き、

「どうだったかな?」

 そう訊いた。

 束に振り返った稟は何かを考えるかのように視線を揺らすが、結局その言葉には答えず。

「ねぇ、束さん。この子に名前はないんだよね」

 逆に質問を返す。束はそれに気を害した様子も見せず、頷く事で稟の言葉を肯定する。

「なら、この子の名前、ボクが付けてもいいかな?」

「……いいよ。この子もそれを望んでいるんでしょ?」

 嬉しそうに微笑んでいる束の表情。稟はそれに苦笑を零す。

 言外に放っている言葉の真意。それに、彼女は気付いているから。だがやはり、それでも言葉にするべきだろう。いつまでも甘えている訳にはいかないのだから。

「まだ、この先どうするかは決まってないけど。考えが纏まるまで、此処にいて束さんのお手伝いをしてもいいかな?」

 まだ、どうするかは決まっていない。元の世界に戻るか否か。稟の心は揺れ動いている。束とISの言葉で稟の気持ちは激しく揺れているが、それでも自分が決めた想いだけは崩せない。束の気持ちに甘える形となってしまうが、自分の想いに片を付ける為にもこの世界で生きる場所が必要だ。

 しかし、ただで此処にいさせてもらう訳にもいかない。ならば、自分が出来る範囲で彼女の手伝いをするべきだろう。彼女の手伝いをしながら自分の気持ちを整理し、未来を考えなければ。ずっと同じ場所に踏みとどまっていてはいけない。

「勿論だよ。これからよろしくね、りっくん♪」

 稟の言葉に、束は嬉しそうに笑って答えた。

 『白銀』のISも、どこか嬉しそうに輝いたのは気のせいだろうか。

 こうして稟は、この世界で初めの一歩を踏み出した。

 



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第三話:今の日常

UA数増えるとテンションあがり、感想いただけると頬が緩んでしまうそんな日々。
意外と文章が浮かんできたけど、原作開始にはまだ遠い、そんな更新速度。
次回で漸く、ISのキャラをもう一人出せそうです。ただ、ノリと勢いで書いているので、原作設定とか崩壊するかもですが……今更か。

いいタイトルが浮かばない……
後々タイトル変更するかもです。


ー追記ー
十六夜煉様、誤字報告ありがとうございます。
遅まきながら適応させていただきました。
あんなに誤字があるとは……
やっぱ、夜中にスマホで書くもんじゃないな。誤字が酷すぎる(涙)


時間が経つのは早いもので、稟が平行世界へと来て早二年の月日が経とうとしていた。あの後稟は、この世界について必死に勉強した。

元の世界に戻るにしろ否にしろ、暫くこの世界で生きていかなければならない。ありがたい事に、束のおかげでこの世界での居場所は確保できた。居場所が出来たならば、この世界で生きていく為にこの世界の事を知らなければならない。元いた世界とこの世界とでは、常識が全然違うからだ。その違いの中で特筆すべきものはISだろう。彼がいた世界に、IS等という存在はなかった。だが、この世界で生きていくうえでは必須な知識である。幸い、束と白銀のISーアングレカム(命名:稟)のおかげで、初めの数ヶ月は脳が爆発しそうになったものの、今ではそこそこに理解できていると稟は思っている。この世界についても、ISに関しても。ただ、中々のスパルタ教育で脳と思考回路がお釈迦になりかけた事が多々あったが。

(束さんもアレンーアングレカムから愛称をつけてほしいと言われた為そう呼んでいるーも、問答む…一生懸命、真摯に教えてくれたよね~)

教えられている時の事を思い出したのか、稟の瞳が若干虚ろになりだした。心なしか、涙が滲んでいるようにも見えるが……

稟はハッとし、顔を横にオモイッキリ振る事で現実逃避しかけた意識を取り戻す。

(でも、そのおかげで束さんの手伝いを出来るようになったし、二人には感謝しないと)

そう。スパルタ教育のおかげで、稟は束の手伝いが出来るまでに知識を蓄える事が出来た。ISに関しては束の足元には及ばないがそれでも、この年齢の子供にあるまじき知識を持っている。簡単な整備ならば稟一人でも行える程だ。その事にも本当に感謝している。

「なのに、何でこうなってるんだろ?」

「どうしたの、りっくん?」

稟のどこか黄昏たような、途方にくれたような、疲れたような、何かを諦めたかのような感情が含まれている声に、後ろから稟を抱き締めている束が聞き返す。その声は非常に弾んでいて。

「うん。あのさ?ボクに大事な用があるから来てって束さん言ったじゃない?」

「そうだね~。束さんはそう言ったね~」

「それでね?束さんが大事な用って言うから急いで来たのはいいものの」

「うんうん」

「どうしてボクは、メイド服を着せられたうえにに抱き締められているのでしょうか?」

稟は今、メイド服を着せられ束に抱き締められていたのだった。

二年前のあの日から、束に切らないでと言われたが為に伸ばしていた髪は腰まで届くロングヘアーに。幼くとも美形に分類できた顔立ちも、二年の歳月を経て凛々しくなり、束の渾身の化粧テクニックにより女性らしい可憐さを醸し出していた。そして言葉遣い。一人称を敢えてボクにさせる事により、今の稟をボクっ娘へと仕立てあげている。

稟と初対面の者が今の彼を見れば、ほぼ全ての者が稟を女性と見るだろう。だがしかし。稟は男である。今の外見は誰がどう見ても、凛々しい顔立ちの美人メイドではあるが男である。口調が男のものでも、男口調の女性と勘違いされる出で立ちだが男なのである。

「はう~。りっちゃん可愛よ~♪」

「駄目だこりゃ…」

すご~く、蕩けた声でそう宣う束に嘆息する稟。この時の束には何を言っても無駄である事をこの二年で学んだ為、彼には諦める以外の道がなかった。しかも、くん付けからちゃん付けになっている辺りダメダメである。唯一の味方である筈の白銀のISことアレンも、

 

ー凄くお綺麗です、稟様。これは写真に納めて永久保存しなければ。

 

今は稟の敵となっていた。というか、ISがこんなので大丈夫なのだろうか。否、大丈夫ではない。大問題にも程がある。あの時の誓いはどこへ行ったと言わんばかりの変貌ぶりである。

ちなみに、王と呼ぶ事は止めてもらった。自分はそんな、王と呼ばれる人間ではないからと。それでもアレンは王と呼び続けたが、稟は何とか彼女を説得して王と呼ばせる事を止めた。その代わりに様付けになってしまったが。様も駄目と言った稟だが、アレンもこれだけは頑として譲らず、言葉の応酬の末、稟が折れる形となって様付けになった経緯がある。

さらにちなみに、今のアレンは待機状態だ。待機状態のアレンがどこにいるかといえば。そう思って稟を観察すると、彼の指にきらりと輝く白銀の指輪がある。二年前の稟にはなかった物だ。そう。その指輪がアレンことアングレカムの待機状態である。

稟は、何とも形容しがたい顔で白銀の指輪を見るのだった。

 

ー創造主も中々に粋な事をしてくれます。以前の皇女様な稟様も着物を着た稟様も素敵でしたが、それにも劣らないメイド稟様。素晴らしいですね。

 

アレンのダメダメ発言。もう駄目だ、このIS状態である。

「どうしてこうなった……」

本当に、どうしてこうなったと言いたい惨状である。夢なら醒めてほしいが、哀しいかな。これは現実なのである。二年前のアレンは、最早いなくなったのだ。彼には味方などいなかった。

ネジが外れてしまった束とアレン。この二人が元の調子に戻るには、あと数時間の時を要するのだった。

 

 

「いや~、りっちゃんのメイド姿は眼福ものだったね。束さん凄く満足したよ!」

 

ー全くです。あれはもう、神器と呼んでよろしいものでしょう。

 

「……それはどうも」

まだ元の調子に戻れていない二人の言葉。そんな二人にジト眼を向ける稟。未だにメイド服を着ているのはお約束である。

あれから一時間経ち、束の抱擁から解放された稟は彼女と向き合って椅子に座っていた。稟を呼んだ用件を聴くためだ。それがどうしてあんな状況に陥ったのか。未だ着ているメイド服を見て溜息を吐く。本当ならさっさとメイド服を脱ぎたいのだが、脱ごうとすると束の何かを訴えるかのようは視線とアレンの啜り泣きー勿論わざとーによって着替える事を諦めた。断じて稟の意志が弱いわけではない。二人の、わざとだとしても泣き顔など見たくないから、仕方なしに着替えていないのだ。

「りっちゃんは美形さんだから似合う服が多いよね~。次はドレスとか着せてみたいな~」

 

ーそれもいいですが、私としては巫女装束と呼ばれる物を稟様に着ていただきたいと思いますが。

 

二人の言葉に思わず頭を抱える稟。今回も重症らしく、二人は稟を置いて、次に稟にどんな服を着せるかを話始める。稟が女装をさせられてからのお約束な日常風景である。

ちなみに。束がアレンと会話しているが、アレンの声なき声は稟にしか伝わらない。では何故、束とアレンが会話できているのか。その答えは、空中に浮かび上がっているディスプレイにある。宙に浮いているディスプレイにアレンの意志が文章となって浮かび上がり、束と会話しているのだ。このディスプレイはアレンの意志でいつでもどこでも出せる為、非常に便利である。アレンが束を拒絶していた時も、このディスプレイを活用していた為に束はアレンの言葉を理解していた。

しかし稟は、そのディスプレイがなくともアレンと会話ができる。その事を束に話した時、彼女は最初は驚き、次いで表情を真剣なものに変え、

(その事、束さん以外の誰にも話しちゃ駄目だよ?もしその事が明るみに出れば、りっくんは狙われる。世界中の人間から。そして捕まれば最後。自由なんてない、実験動物が如き扱いを受ける事になる)

そう、忠告した。自身を思っての言葉を真摯に受け止め、稟は束に頷いた。束もアレンも、本当に稟の事を考えてくれていると感動したというのに、蓋を開ければこれである。どうしてこうなってしまったのか。嘆かずにはいられない稟だった。

「そろそろ本題に入ってほしいんだけど?」

あれでもない、これでもないと話続ける二人に帰ってきてもらうべく、稟は声のトーンを少し低くして告げる。声のトーンを低くする事で、そろそろ怒りますよ?と告げれば、流石の二人も元に戻らざるをえない。稟が怒った後、二人が泣きながら必死に謝ってきた事は記憶に新しい。

「っそ、そそそそ、そうだね!?そろそろ本題に入らないとだね!?」

 

ーで、ででで、ですね!いい加減、稟様を待たせるわけにはいきませんね!?

 

それを感じ取った二人は慌てて姿勢を正す。声が震えているのは気のせいだろうか。心なしか、束の表情は若干青褪めていて、待機状態のアレンは微かに震えているようにも見えるが…

「始めからそうしてくれれば…」

こっちも困らないのにと、溜息混じりに呟く稟。

普段はもっと、きちんとしている二人だが、話が稟の女装の事となると色々と台無しになるのだった。あの手この手で稟に女装をさせ、それを写真や動画に納める。それさえなければ素直に慕えるのにと、嘆かずにはいられない。

「え~っと、実はですね~?りっくんを呼んだ理由は、今度イギリスとフランスに行く事になるなったんで、出来ればりっくんを連れて行きたいな~と思いまして…」

そんな稟に対して、おずおずと用件を告げる束。あの天災が、自身よりも七つも年下の子供に恐る恐る語りかけるさまを彼女の知り合いが見れば、彼等は総じて口を開けて呆然とするだろう。これがあの、篠ノ之束なのかと。

「ふ~ん。イギリスとフランスか……………って、え?」

束の言葉を反芻した後、稟は間抜けにも呆けた声を漏らしてしまう。そして、その言葉の真意を考える前に。

 

ー本来は創造主一人で行くべきなのですが、此処に稟様を残して行くのもどうかと思われたようで。それに、稟様と離れるのは寂しいらしく、だったら稟様を連れて行こうと結論付け……

 

「うん。アレンちゃん、余計な事は言わないようにね?次に余計な事言ったら…」

アレンの補足を笑顔を浮かべながら遮る束。ただし、眼は笑っていない。非常に恐ろしい表情で「それ以上言ったら、どうなるか分かるな?」と言外に告げているのだが、その頬は朱に染まっていてそこまで怖くない。どうやらアレンの言葉は図星のようだ。

 

ー稟様。私の先程の発言は忘れてください。私は何も言っていません、いいですね?

 

「あ、ハイ」

アレンの有無を言わせない言葉。稟としてもどう答えてあげたらいいのか分からなかった為にアレンの言葉には頷いておいた。

「全くあーちゃんってば。束さんが寂しがるとか、ありえないんだからね?そりゃ、確かにりっくんと離れるのは辛いものがあるけど、そういうのじゃ……」

ぶつぶつと呟く束。その呟きは盛大な自爆であると、彼女は気付いているのだろうか。束の呟きと、また本題から脱線している現状。稟は、本日何度目かになるか分からない溜息を吐くのだった。

 

 

「落ち着いた?」

「う~~、この束さんともあろう者が…」

稟の言葉に、顔を朱に染めた束がか細い声で呻く。あの後、自分の自爆宣言に気付いた束は羞恥のあまり耳まで真っ赤に染め、その辺を転がりだした。普段の束らしからぬその行動にアレンは呆れ、稟は眼を丸くして驚いていた。しかし、いつまでも束を放置するわけにはいかないと思った稟は、束を背中からそっと抱き締めて束の頭を撫でた。そんな稟の唐突な行動に束はフリーズし、口をパクパクさせて顔を真っ赤に染めて今に至るのだった。

 

ー創造主、狡いです。稟様!私も撫でてほしいです!

 

「時々撫でてるじゃん」

 

ー時々では物足りません!創造主にしているよう、こう妻に愛を囁くように、愛娘を愛でるように、慈しみながら毎日撫でてください!!

 

「おだまり」

何やら戯けた事を宣うアレンをペチっと叩く稟。それに抗議するようにアレンが明滅する。

 

ーあぅ。叩くなんて酷いですよ稟様。一途に稟様を想っているのに、私に愛をくれないのですか?創造主は可愛がっているのに、依怙贔屓ですよ!

 

「…はぁ。二年前の君はどこに行ったのさ。あの時の君は、騎士らしくてかっこよかったのに、どうしてそんなに残念になったのさ」

最早呆れるしかないアレンの言動に、禀は哀愁を漂わせる。

二年前のアレンが印象に強すぎた為、この残念すぎるアレンには本当に困る。あの時の感動を返せよと言いたくなるのは仕方ない事だろう。全く、どうしてこんなにも残念さんになってしまったのだろうか。

 

ー……今も二年前も、私は変わっていませんよ。稟様を想い続けている事に変わりはありません。寧ろ、二年前よりも禀様を想う気持ちは強くなっています。稟様……いえ、我が『王』よ。貴方はお強くなられた。まだ、過去の事に囚われている事は否定できませんが、それでも前に進もうと一歩踏み出した貴方は、あの時よりも確実に強くなっています。そんな魂の輝きに魅いられている私は、常に貴方の事を想わずにはいられない。しかし、『王』の心の靄はいまだに晴れていません。ならば、その靄を晴らす方法を、私は常に模索し続けていかなければ。『王』を護る為にも。

 

先程までの残念さが嘘のように、二年前のあの時と同じ声音で、雰囲気で、アレンはそう言った。稟は、年齢不相応に落ち着き払った瞳でアレンを見つめる。

 

ー『王』を、貴方を護るのに、常に騎士の如く凛とある必要はありません。貴方の心を護るのに、貴方が過去に囚われ、未来に向かって歩けなくなるのを防ぐ為には、柔軟に行動する必要がある。

 

何もアレンの本質が変わったわけではなかった。彼女はただ、己の主の心を護る為に。仕える王が、過去に囚われ、進むべき道を違えないよう、敢えて演じていたのだ。その結果として、自身が残念がられる事を気にせずに。ただただ、主を護る為に。

 

ー貴方が過去に囚われず、笑顔で生きていく為ならば私は何だってします。悪魔にさえこの身を捧げましょう。道化に走り、軽蔑されようが、侮蔑されようが、軽んじられようが、残念がられようが、それで貴方が、『王』が、幸せな未来へと向かって行けるならば、私に後悔はありません。

 

(りん)の魂の輝きに魅せられた白銀(アレン)は、一途に想い続ける。彼を哀しませないように。笑顔で生きてもらう為に。辛い過去を持つ彼に、幸せが訪れる事を願って。

「……狡いね、君も」

アレンの言葉に何を思ったか、稟は顔をくしゃりと歪めてそう呟く。

アレンも束も狡いのだ。いつも稟を振り回すくせに、ここぞという時で彼の胸を締め付けるのだから。普段は何を言ってもおちゃらけているのに、心が悲鳴を上げたい時にそっと歩み寄ってくるのだ。

「狡くていいよ。それで、りっくんが笑っていられるなら」

 

ー『王』が幸せにいられるなら、どれだけ罵られようが気にしません。

 

いつの間にか復活した束が稟と向き合って彼の瞳を見つめ、アレンが慈しむように淡い輝きを放つ。そんは二人の想いに稟は、

「…本当に、本当に狡いよ……」

笑っているとも、泣いているともとれる顔で呟くのだった。

 

 

「…ところでさ?」

稟を見守るように見つめていた束が、ふと思い出したように声をかけたのは十数分後の事だった。

「なに?束さん」

「うん。そろそろ答えてほしいかな~?と思ってね。……りっくんは、束さんに付いて来てくれる?」

恥ずかしそうに、不安そうに訊いてくる束。その言葉に、束に呼ばれた理由を思い出した稟は苦笑を浮かべる。

数分ですむ話が、脱線しすぎで何時間もかかってしまっている。

この二人といたら、いつもそうなのだ。簡単な話が脱線に脱線を繰り返し、本来の道から外れて迷走する。だけどそれは、決して不快なんかではなくて。

 

ー全く。何をしているのですか創造主。こんなのは数分で済む話の筈ですよ?それをこんなにも時間をかけるなんて、貴女本当に天才なんですか?

 

「にゃにゃ!?あーちゃんだけには言われたくないんだけど!?あーちゃんも束さんと同じくりっくんのメイド姿堪能してたでしょ!あと、束さんは天才だよ!」

 

ー稟様が愛らしすぎるので堪能するのは至極当然の事でしょう。いえ、堪能しないなど稟様を侮辱しているも同義!稟様に仕える私がそのような愚行、する筈ないでしょう!!

 

またしても二人して脱線している。その内容に思う事がないわけではないが、この二人だから仕方ないかと諦める。そしてそんな二人が、あの頃ではありえなかった、なんでもない、ありふれた日常が愛おしくて。願っても叶う事がないと、諦めていた日常が目の前に広がっていて。

それは本当に、何でもない事なのに。

それは普通に生活していれば、どこにでも転がっている日常風景なのに。

願わなくても、ありふれて当然な光景なのに。

どうしてこんなにも愛おしく感じるのだろう。

どうしてこんなにも眩しく見えるのだろう。

どうしてこんなにも、胸が苦しくなるのだろう…

「……りっくん?」

 

ー稟様?

 

気付けば稟は、肩を震わせて笑っていた。その瞳に涙を溜めて、今まで束とアレンが見た事もないほどに、笑っていた。

今まで心の奥底に沈めていた感情を、ふとした拍子に沸いてくる感情を振り払うかのように。

そんな稟を呆然と見ていた束とアレンだが、笑いが治まった稟は息を整え、瞳に浮かんだ涙を拭いとる。そして、どこか優しい色をした瞳で束を見つめ。

「……付いて行くよ。束さんは恩人だし、大切な人だもの」

「………うん。ありがとう、りっくん」

その色に、その声音に、何を感じたのか。

束は微笑んで稟を見つめ返した。



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第四話:アレンの想い、そしてイギリスへ

細かな設定を作らず、勢いとノリで書いてるから筆の進みが遅い……
アレンなんかキャラが迷走してるし。何でこんなキャラになったし。
それでもまぁ、キャラの根本は曲がってないからいいか。
筆の進みが遅くとも、ネタの断片は浮かんでくる。けど、そのどれもが原作に突入してからのネタなんだよな~。早く序章を終わらせないと(汗)


ー追記ー
十六夜煉様

いつも誤字報告ありがとうございます。早速適応させていただきました。
何度も確認していたのに、あんなミスをするとは…

Nazuna.H様

誤字報告ありがとうございます。まさか主人公の名前をミスっているとは……
何やってんの、俺。



ーーところで、創造主(たばね)。一つお願いがあるのですが。

 

稟に未だ抱き締められ、何やらいい雰囲気(アレン視点)を醸し出している二人を見つめ、どこか不愉快そうな声音でアレンが言葉を発する。

「お願い?珍しいね、あーちゃんが私にお願いするなんて」

 

ーー本当は貴女に借りなんて作りたくはないのですが、現状頼れるのが貴女一人なので不本意ではありますが仕方なくです。

 

「…ちょっと引っかかる物言いだけど、取り敢えず用件を訊こうか」

アレンの言葉に、若干眉間に皺を寄せながら束は問いかける。最初の頃に身体が欲しいと言ってきたあの時から、アレンが束に何かを頼んでくる事がなかったから予想がつかないのだ。

 

ーーなに、簡単な事です。私に、人間と同じような身体を造ってほしいのです。

 

『…………は?』

思わず呆けた声を漏らす稟と束。何故急に身体を、人と同じような身体を欲するのか。そんな疑問が浮かび上がるが、

 

ーー大体。創造主ばかり狡いのです。さっきも稟様に抱き締められながら撫でてもらうという、うらやまけしからんご褒美をいただいて……妬ましい!私も可愛がっていただきたいのに、私が人間ではないからと言って差別反対です!!

 

真面目な声音で何を宣っているのだろうか、このIS(ポンコツ)は。思わず目頭を押さえる稟と束。さっきまでおちゃらけていた束でさえ呆れるのだから救いようがない。さっきまでの真剣さはどこへ消えた、とツッコミをいれたくなる変貌ぶりである。

 

ーーなんですか、やはり人でないと可愛がってもらえないのですか?愛を囁いてもらえないのですか?慈しむように、愛でるように撫でてもらえないのですか?

 

何やらいじけたようにぶつぶつ呟くアレン。束は表情を若干引きつらせてアレンを見つめ、稟はまた頭を抱えてしまう。とは言え、彼女の想いを知った身としては、これもそういう事なのだろうと考えられる。

「……で、本音は?」

これも本音であることに偽りないだろうが、流石にすぐに道化に走るとは考えたくない。例えこの言葉が九割方真実であったとしても、だ。

 

ーー……というのは建前で。イギリスとフランスに行くのならば、稟様の身を護る手段が必要になりましょう。かの国で私を展開させる事など無理ですから、狙われてしまえば稟様に身を護る術がありません。

 

『…………』

 

ーーですが、私に人としての身体があれば、稟様を護る事が出来ます。流石に四六時中稟様に付いているのは無理がありますが、それでも稟様を狙う脅威から稟様の身を護る確率は上がります。

 

純粋に稟を想っているが故に、彼女は望んでいるのだ。ISとしての身体だけでなく、どんな場所でも稟を護れる人としてのうつわ(からだ)を。まぁ、その想いが色々と歪んでしまっているのは残念であるのだが。

稟は束に視線を向け問いかける。束はそれに頷き、視線をアレンへと向け、

「…いいよ。あーちゃんの身体を造ってあげる。期待して待っているといいよ」

 

ーー貴女の腕は確かですからね。期待していますよ、創造主。…………あと、負けませんから。

 

「……ふふふ」

ぼそりと呟かれたアレンの最後の言葉。それに眼を細めた束は、アレンを睨み付ける。二人の間で、何やら火花が散っているような気がしなくもないが。

「なら、アレンの身体を造ってからイギリスとフランスに行く事になるのかな?」

「そうだね。ま、束さんにかかれば身体を造るのにそんな時間はかからないけどね♪」

 

ーー…まぁ、創造主は腐っても天災ですからね。下手したら一日で造ってしまいそうです。それまでには準備を進めておきましょう。

 

イギリスとフランスへ行くのに、そう時間はかからないだろう。束ならば、本当に一日でアレンの身体を造ってしまうかもしれない。そうなればそうなったで、稟はまた振り回されるのだろう。束とアレン。二人の着せ替え人形にされて。

その事を思うと頭が痛くなるが、不思議と頬が緩む。久しく感じていなかったこの気持ちは何というのか……

「…………楽しみだな」

一人の少女を救う為に生きていたあの頃。その頃では決して口にできなかった言葉を呟く稟。

ただただ、降りかかる理不尽に耐えてきた稟には縁遠かった言葉。束とアレンがいなければ、今の稟でさえ口にしなかったかもしれない言葉。誰もが口にする言葉なのに、稟だけは口に出来なかった言葉。

その時の稟の表情は、かつての彼を知る者からすれば信じられないような表情で。

自身が今、どんな表情をしているか知らない稟は無意識に緩んだ表情で未来(これから)の事を考える。

 

 

束がアレンの身体を造りはじめて数日。身の回りの整理も終わり、アレンの身体が出来上がるのを待つのみとなったある日。稟は研究所を何となく歩いていた。外に出歩く気が起きず、与えられている部屋で何をするでもなく過ごすのが躊躇われ、取り敢えず気晴らしに歩こうと思ったのである。

「あれから三日経ったけど、アレンの身体は出来たのかな」

細長く入り組んだ通路を歩きながら一人ごちる稟。

アレンの身体を造る為に自分の研究室に籠った束とは、あれから顔を合わせていない。「あーちゃんの身体が出来たら呼ぶから、それまで待っててね~」と言って部屋に引き籠り、必要最低限にしか部屋から出ていないのだ。心配ではあるのだが、束はこうと決めたら梃子でも動かない事を知っている為、呆れつつも彼女からの報告書を待っている。

「……考えても仕方ないか。取り敢えず軽く食事を作ろうかな?」

まだ部屋に籠っている束の事を想い、自分に出来る事をするかと考える。

開発に没頭すると、食事をまともに摂ってくれない束に稟がしてあげられる事は、料理を作る事。

かつての稟は料理を作る事など出来はしなかったが、此処に住むようになってからは多少作れるようになってきた。束は自分から進んで料理を作る事があまりなかった為、必然的に稟が作るようになったのだ。子供である稟は料理を作ったことがなく、最初はどうすればいいのか途方にくれた。だが、アレンの助けと料理本の収集・勉強により、簡単な物ならば作れるようになった。失敗に失敗を重ね、漸く人が食べても問題なくなった自分の作れる料理の中でも、簡単に素早く食べられる料理を頭の中に描きながら歩を進める稟。食材は何が残っていたかを思い出しながら歩いていると。

「…………っ……~ん」

「………ん?」

後ろから微かに音が聞こえてきた。その音の方へと振り向けば、

「……りっ、く~~ん!!!」

まだ自分の研究室にいるであろう束が、物凄い速度で稟に迫ってきていた。

「あ、束さ…」

「と~~う!!」

稟が言葉を最後まで言い切る前に、束は床を思いっきり蹴ってその身を空中に投げ出す。空中に放られた身体は、弾丸の如き速度で稟の腹部へと一直線に飛んでいき。結果。

「!??!?!?!!?」

稟には、言葉には言い表せられない強烈な衝撃が走る。その強さのあまり、稟の意識は一瞬飛び、視線の先には今は亡き両親が手を振っていて……

「~~~~っ!?」

何とか現世(そのば)に踏み止まる。

ただ、意識は踏み止まっても身体は止まれず。

「…………あ」

それは、どちらの言葉だったのか。

衝撃に耐えきれなかった稟の身体は、思いっきり床に叩きつけられた。

背中に衝撃が走り、呼吸が一瞬止まりかける。再び意識が飛びそうになるが、飛び込んできた束にその衝撃がいかぬよう、彼女の柔らかい身体を強く抱き締めていた事は何と言うべきなのか。

「ご、ごめんりっくん!?大丈夫!?」

慌てて稟から離れようとする束だが、稟の力が思いの外強く離れられなかった。離れる事を諦めた束は、稟に怪我がないかを確認しようと彼に声をかける。

「……だ、だい、じょうぶ」

そんな束を心配させないようにと、息も絶え絶えに言葉を紡ぐ稟。その顔色はとても大丈夫そうには見えないが、まだ身体に走る激痛を無理矢理抑え込むべく、深呼吸をして息を整える。

数回の深呼吸で、何とか落ち着いた稟は上半身を起こし、束を抱き締めていた力を緩め、

「…束さんが部屋から出てきたって事は、アレンの身体が出来たのかな?」

笑顔でそう問いかける。

「……あ、うん。あーちゃんの身体が出来たから、りっくんを呼ぼうと思って…」

稟の笑顔に一瞬見惚れる束。だが、それに気付かれるのは恥ずかしいので、稟の力が弱まったのを感じた束は急いで稟から退いて立ち上がる。そして、稟が立ち上がるのを助ける為に右腕を差し出す。差し出された腕を見た稟は一瞬キョトンとし、微笑を浮かべてその腕を取る。

「…じゃあ、束さんの部屋へ行こうか?アレンを待たせるわけにはいかないし」

束の助けを借りた稟は立ち上がる。

そして、稟と束は手を繋いだまま、アレンが待つ束の部屋へと歩を進める。

 

 

 

 

束が何かを開発する時に使う部屋。その部屋の中に、見目麗しい女性が鏡で己の姿を眺めていた。

「流石は創造主ですね。僅か数日で身体を造るとは」

整った目鼻立ちに、肩まで伸びた銀色の髪。身体つきは華奢ではあるものの、どこか戦う者特有の雰囲気を持っている。その女性の名はアングレカム。

「しかしこの身体。どことなく似ているような……」

明確に似ているというわけではない。ただ輪郭が、何となく似ている気がするように感じられるのだ。記憶という名の映像で見た、とある女性に。

「私を見た時の王の反応が心配ですが、こればかりは流れに身を任せるしかありませんか」

彼女を見た時の禀が心配ではあるが、彼の強さを信じるしかないと考えるアレン。

束が何を思ってこの身体にしたのかは分からないが、彼女もあの、映像(きおく)を見ていたので、無意識にあの女性をモデルにしていたのかもしれない。

「ですが、これで」

一体何を想像したのか、彼女の顔がにやける。美人が台無しになる、締まりのない表情で。しかし、すぐに表情を元に戻す。

「さ、入って入って。あーちゃんが首を長くして待ってるから」

「ん、お邪魔します」

稟と束が部屋に入ってきたからだ。流石にあの表情を稟に見られるのは拙い。

「お待たせ、あーちゃん。りっくんを連れてきたよ」

「えぇ、待っていましたよ。三日も稟様に会えないのは辛いものがありました」

たかが三日。されど三日。アレンにとって稟に会えなかったこの三日間は、相当の苦痛だったのか。彼女の瞳はどこか遠くを見ていた。

「……さ、りっくん。あーちゃんに感想を言ってあげて?」

そんなアレンに苦笑を溢し、束は稟にアレンを見るよう促す。

しかし、稟から反応が返ってこない。

「……りっくん?」

部屋の入り口で立ったまま一言も発していない稟を不審に思ったのか、束は稟を見る。

その時見た稟の表情は、驚愕一色に染まっていた。ありえないものを見たとでもいうように。

アレンの姿は、彼の思い出の中にいるとある女性に似ていた。似ていたといっても、凄く似ているというわけではない。輪郭が、感じられる雰囲気が、どことなく似ているように感じられるのだ。稟がまだ、子供らしく生きていた時の。幸せだった頃の。罪を背負う事になる前の稟に、愛を注いでくれていたあの人に……

稟は自分の立っている場所が崩れるような錯覚を覚え、茫然自失状態に陥る。そして、そんな彼の脳裏に蘇るのは。

かつて、彼を襲っていた理不尽の嵐。彼の味方などほとんどおらず、町そのものが彼の敵と言っても過言ではない記憶。男も女も関係なく、精神的にも物理的にも禀を攻撃していた人々。救いたかった少女の、言葉の(ナイフ)

『りんなんか……死んじゃえばいいんだっ!!』

今でも夢で聞くその言葉は、どんな苦痛よりも彼を苛んだ。どれだけ暴力の雨に曝されようが耐えてきた稟を(ころ)すのに、最適のものだった。

「りっくん!!」

「稟様!!」

「……ッ!?」

弾かれたように顔を上げる稟の前にいたのは束とアレン。二人とも心配そうな顔で稟を見つめている。

「りっくん、顔色悪いけどどうしたの?」

「やはり、稟様は……」

二人にそんな顔をさせたくない。二人には笑顔でいてほしい。自分を心配する必要はない。そう思って言葉を発しようとする稟だが、脳裏に再生された悪夢(かこ)がそれを邪魔する。お前に、人に心配される資格などないと言わんばかりに。

そんな、悪夢に囚われようとしている稟を、

「気持ちを強くもってください、王よ」

アレンは優しく抱き締める。

「…………ぁ」

「此処は貴方がいた世界ではない。貴方が貴方でいる限り、過去をなかった事にはできませんが、それに囚われ続ける必要はないのです。心を強くもってください。王ならば、過去を乗り越えられる」

「…あ、れん……?」

「一人で抱え込まないでください。貴方は独りなんかではない。貴方の傍には私がいる。創造主がいる」

稟を安心させるように、稟の頭を撫でながら優しく囁くアレン。

ただそれだけで、彼を襲っていた悪夢が遠ざかるのを感じた。

その事とアレンの温もりに安堵したのか、稟の瞳は徐々に閉じられていき、

「あり、がとう…アレン……」

稟の身体から力が抜けた。

自身を支えきれなくなった稟の身体は、そのままアレンに凭れかかる。どうやら気を失ったようだ。

「…あーちゃん、りっくんは……」

「…私の姿を見て、過去を思い出したのでしょう。明確ではありませんが、私の姿はどことなく似ているように感じられますからね。この姿を見た時から予想はしていましたが」

「……」

「創造主、貴女に責任はありません。こればかりは王が折り合いをつけるしかない」

「でも……」

「それでも貴女が責任を感じるというのならば、稟様の味方でい続けてください。稟様を独りにさせないでください」

「……私は、いつだってりっくんの味方でいるつもりだよ」

「それでいいのです。私達で稟様を支え続ける」

自身に凭れている稟を抱き締め、優しく彼の頭を撫でるアレン。その瞳は、稟が大切であると如実に語っていた。

「……で、あーちゃん。いつまでりっくんを抱き締めているのかな?」

「……ふふ。嫉妬ですか?創造主」

「にゃっ!?」

「こうして身体を手にいれたのです。これで貴女の有利は消えた。このまま走らせませんからね?」

挑発するように束を見つめるアレン。そんなアレンを睨み返す束。二人の視線の間で、何やら火花が散っているような錯覚を覚える。

しかし、それも刹那の事で。

二人は揃って笑いだす。こんな空気は、自分達には相応しくないと。しんみりとしだした空気を吹き飛ばすかのように。それに、先程まで悪夢に苛まされていた稟の表情が、少しだけではあるが緩んで。

「さて、りっくんは気を失ったけど、そろそろイギリスへと向かおうか?」

「そうですね。向こうも待ちくたびれているでしょうから」

「本当は行く気なんてなかったけど、気になる事を言ってきたからね~」

「ISコアの発光現象ですか…」

二人は今後の事を話ながら部屋を後にした。

 

 

 

 

懐かしい、夢を見ていたような気がした。

両親がなくなる前。稟がまだ孤独ではなく、他の人達と同じように何でもない日常を過ごしていた日々。大切な幼馴染みである、二人の少女と過ごしていたかけがえのない日々。

稟が笑顔を投げかければ、可愛らしい、可憐な笑顔を返してくれていた、戻ってこない日常。自分のエゴで壊してしまう前の、今尚望んでしまう日常。

そんな、甘い夢を…

「…りっくん」

「…稟様」

『…りんくん』

こののま、その甘い夢を見続けるのもいいかもしれない。

そんな事を思った時。声が、聞こえた。

その声は、今の稟を構成する、とても大切な人達の声で。

過去(むかし)現在(いま)。それぞれを象徴している人達の声。

どちらかを選べば、どちらかとは決別せざるをえない、一緒にはいられない人達の声。

『貴方は……』

その声が、選択を迫ってくる。

過去と現象、どちらを選ぶのかと。

「ボクは……」

稟が何かを言おうとする直前。

眩い光が彼を包み込み、稟の意識が遠のいていく。

 

 

「……こ、こは?」

「気がついた?」

稟が目を覚ますと、彼の前には心配そうな、稟が眼を開けた事でホッとしたような表情を浮かべた束がいた。

「束、さん?」

「…りっくんは寝惚けてるのかな?私が束さん以外の何者かに見えるの?」

ぼんやりとした稟の言葉に苦笑し、束は稟の髪を優しく撫でる。

先程まで夢を見ていたような気がするせいか、稟の思考はまだぼんやりとしている。それでも今の状況を把握しようと顔を動かす。

稟の視線の先には束の顔。

身体の感覚からして、稟の身体は横になっている状態。

稟の頭の下には、何やら柔らかい物がある感触がする。

つまり、今の稟の状態は……

束に膝枕されている状態。

「………………ッ!?」

自分の状況を確認した稟は慌てて起き上がろうとするが、束に押さえられて起き上がれなかった。

「まだ起き上がっちゃ駄目。これからの事を話すからそのままで聞いて」

束の優しい声音。その声に自分が落ち着いていくのを感じた稟は、束を見つめる事で応える。

「ん。此処はイギリスにあるホテルの一室。あーちゃんを見た後でりっくんは倒れちゃったんだけど、ちょっと時間が押していたからそのままりっくんを連れてきたの。で、私はこれからイギリスのお偉いさん方と話し合い。あーちゃんも私に付いてこないといけないから、りっくん一人になるんだけど…」

束は困ったと言わんばかりの表情で部屋の隅に視線をやる。そう言えばアレンは?と思った稟も、束が見ている場所に視線を向ければ、

「あそこでグーを出していれば私が束……いや、しかし、今の戦績は五分五分の状態。ここから私が勝ち続ければ何も問題ないわけで……だが、創造主に甘い思いをこれ以上させるわけには……」

そこには膝を抱えて、部屋の隅でぶつぶつと何事かを呟くアレンがいた。どんよりとした雰囲気で呟いているアレンは、正直怖い。稟は思わず顔を逸らしてしまう。

「全く、あーちゃんってば……りっくんが起きたよ!」

「目覚められたようで何よりです稟様さぁご気分は如何ですか?優れませんか?優れないでしょう創造主なんかの膝枕ではなく私の膝枕をご堪能くださいあぁ稟様稟様キョトンとした顔の稟様は愛らしい私のフォルダに永久保存しなければという訳で創造主は邪魔です代わりなさいそのポジションにいるべきは私なのですいつまで稟様を膝枕しているのですか退かなければ実力行使で排除しますよ?ハリーハリーハリーハリー!!」

束の言葉と同時。シュバッ!という擬音が聞こえた気がしたと思ったら、アレンが目の前にいた。稟が驚く暇もなく、そこからアレンはマシンガントークよろしく言葉を発する。眼が若干血走っていて、怖い。

「落ち着きなよ。りっくんが怖がってるよ?」

「ハッ!?私は何を…失礼しました、稟様」

どこからともなく取り出した新聞紙でアレンの頭を束が叩くと、我に返ったアレンが稟から一歩下がる。

この変貌ぶりを初めて見る稟は何も言えず、唖然とアレンの顔を見るだけで応えはしなかった。というか出来なかった。

アレンが稟から離れ、落ち着いた事を確認すると束は稟に訊く。

「束さん達はこれから出ないといけないんだけど、りっくんはどうする?」

稟は束とアレンを交互に見つめ、自分がどうしたいかを考える。

そして考えが纏まったのか、口を開いて。

「……」

その言葉に、束とアレンは顔を見合わせて頷いた。

 

 

 

 

束とアレン。二人とは別行動を選んだ禀は、イギリスの街並みを見渡しながらふらふらと歩いていた。特に行きたい場所があるわけでもなく、風の向くまま気の向くままに歩いていた。そんな彼の首には、銀色に輝くネックレスがあった。

このネックレス。別行動を選んだ稟にもしもの事があった時の為にと束が作った物で、発信器兼通信機の役割をこなす道具である。その他にも色々と機能があるらしいが、この二つの機能を使えるだけで今は問題ない。

さて、今は昼時らしく、稟が歩いている街は活気に溢れていた。この街の住人達は皆笑顔で、とてもではないが女尊男卑が罷り通っている世界には見えない。しかし、この街も蓋を開ければそんな虚しい世界に変貌するのだろうか。

禀がぼんやりとそんな事を考えた時、何やら煩い声が聞こえてきた。

「離しなさい!私が誰だか知っての狼藉ですの!?」

「いいから大人しくこっちに来いや、嬢ちゃん」

「俺達がエスコートしてやるって言ってるんだから言う事聞きな!」

一体何事かとその声の方へ顔を向ければ、ガラの悪そうな数人の男達が、稟と同年代位の金髪碧眼の少女を取り囲んでいた。

質の悪い軟派かと思い周囲の様子を探れば、周りの人は遠巻きに見ているだけで絡まれている少女を助ける素振りを見せない。少女の事は可哀想ではあるが、進んで厄介事に介入する気はさらさらないのだろう。

稟は溜息を吐き、どこか冷めた瞳でその光景を見る。

「ちっ、いい加減に言う事を聞きやがれ!?」

「キャッ!?」

抵抗する少女に業を煮やしたのか、リーダー格らしき強面の男が少女の右腕を乱暴に掴み取る。いきなり腕を捕まれた少女は小さな悲鳴を上げ、男の方へ引き寄せられそうになるが、

「その腕を離してあげなよ。彼女、嫌がってるじゃない」

男達の背後から、静かな声が響いてきた。

その声にリーダー格らしき男は思わず力を緩め、周りの取り巻き達とともに後ろへ振り返る。そこにいたのは、腰まで届く長い黒髪を風に靡かせた東洋人の少女ー本当は男であるのだが、彼等からは少女に見えたーがいた。

「こいつは上玉ですよ、兄貴」

「このガキにひけをとらないくらいの女ですね」

「まだガキですけど、将来が楽しみな奴ですね」

禀を見た取り巻きの男達は下卑た笑い声を上げ、禀を舐めるような視線で見つめる。

その視線を禀は無視し、黙って彼を見ているリーダー格の男を見据える。

「何の用だ、嬢ちゃん。下らない正義感でこの嬢ちゃんを助けに来たのか?」

「別に、正義感なんて持ち合わせていないよ。ただ、彼女が嫌がっているのを放っておけなかっただけ」

「それを正義感って言うんじゃないのか?」

「さぁ?どうだっていいよ」

男と話しつつ、ゆっくりと捕まっている少女に近付く禀。そして少女の前まで来ると、彼女をの手を取り、

「さ、行こう」

「ちょ!?」

そう言って彼女を連れて歩き出す。

それに取り巻きの男達は慌てて動き出し、

「な、待てやこのガキ!」

「何勝手な事しようとしてるんだ!」

稟に襲いかかる。

禀を取り囲んだ取り巻きは殴る、蹴るなどの暴力を振るうが、禀はそれを紙一重の差で避けていく。暴力の嵐に襲われていた禀にとって、数人程度の暴力は何の障害にもならないのだ。

その事に少女と男達は驚く。攻撃を避けられた男達はムキになって攻撃し続けるが全く当たらない。それを見ていたリーダー格の男は一歩踏み出すと、

「嬢ちゃん」

「なに?」

振り向いた稟に右ストレートをかます。稟はそれを避けずまともに受けてしまうが、倒れる事はなかった。十台前半の少年と、二十台後半と思しき男。体格差が歴然としているにも関わらずだ。

稟は自分を殴った男を見つめ、男もまた稟を見つめる。暫し無言で見つめ合う二人だったが、先に視線を逸らしたのは稟だった。

彼は興味がなくなったかのように男から視線を外し、禀と男達を交互に見ている少女を連れてその場を去って行った。



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第五話:『王』と貴族令嬢

ISヒロイン勢の一人と出会う話。
原作改変の為にフラグを立たせないと。
少し、ちょろかったかしら?

序章は、あと二、三話で終わらせる予定。
原作に突入してからのネタが浮かんでくるから、早く原作に突入しないと。


「ちょ、ちょっと!そろそろ離してくださらない?」

男達から逃げ、彼等の姿が見えなくなって数分。金髪の少女が漸くそう言った。

「…ん?あぁ、ごめん。そうだね、ここまで来ればもう大丈夫か」

少女の言葉に一瞬考える素振りを見せた稟は、周囲を見渡して少女の腕を離す。そして、近くにあったベンチに二人で腰かける。

「ふぅ。助けていただいた事には感謝しますが、少々強引なやり方ではありませんこと?」

「…そうだね。でも、ああいう手合いはしつこいから、多少強引でもないと逃げ切れないよ」

「それは、そうかもしれませんが」

「それに、嫌だったらボクの手を振り払ってもよかったんだよ?でも、君はそうしなかった」

「それは……」

そう。稟の言うとおり、いくら助けてくれたとはいえ強引なやり方を嫌うのであれば、彼の手を振り払って少女一人で逃げればよかったのだ。

だが、少女はそれをしなかった。稟にいきなり腕を掴まれて戸惑いはしたものの、彼の手を振り払って自分一人で逃げるという考えが浮かばなかった。

それは何故か。男達の強引なナンパとも、少女を助けもせずに、様子を見ていた周りの人達とも違い、少女の事を真剣に想って助けてくれようとしていた事が何となく感じられたからだ。なんの打算もなく、ただ純粋に、困っている少女を助けてくれようとしていた事を感じられたから。

だから少女は、戸惑いはしたものの彼の手を振り払う事はしなかった。

「貴女が、見ず知らずの他人である私を助けてくれようとしていたからですわ」

素直にお礼を言うのが何故だか気恥ずかしくて、少女は僅かに朱に染まった頬を見られたくなくてそっぽを向いてそう言った。

「…そう」

そんな彼女に苦笑し、稟は頷く。

「それはそうと。殴られた頬は大丈夫ですの?」

「…ん。このくらい大丈夫だよ」

心配の色を含んだ少女の言葉に、殴られた頬を撫でてそう答える稟。その頬は腫れてきており、とても大丈夫とは言い難いのだが。

「本当ですの?少し腫れてきているようですが…。しかしあの男。女性に手を上げるなんて信じられませんわ」

「……ん?」

少女のその言葉に、はたと動きを止める稟。

はて、この少女は今何と言ったのだろうか。聞き間違いでなければ、稟の事を女性と言ったのだが。いやいやまさか、そんな事ある筈ないと思い、稟は自分の格好を確認する。髪は相変わらず腰までの長さを保っている。それに、束とアレンの手入れのおかげで男性のものとは思えない程に艶がかっている。顔立ちは中性的で、凛々しい女性にも見えるつくり。服装は当然男物だが、ボーイッシュな女性と言われれば成程と納得できる見た目な稟。

つまり、結論として…

「…………今、ボクの事を女性って言った?」

「…?えぇ、言いましたが何か?」

女性と見間違えられていた事に稟の顔が引き攣る。

まぁ、確かに。束とアレンによって今の稟を初見で男と見抜ける者は中々いないだろう。これで女物の服を着ていればほぼ九割方の者が稟を女性と見るだろう。その事は嫌々ながらも、多少なりとも、認めたくはないけどうっすらと自覚していたのだが、実際に間違われるとこう、色々ときついものがある。主に精神的に。

「……ボク、男なんだけど…」

「…………は?」

先程の男達に関しては、瞬間的なものだったから嬢ちゃん呼びはスルーしていたが、助けた上にこうやって話している相手にいつまでも性別を勘違いされているのは精神衛生上大変よろしくない。なので、その間違いを正してもらうべく自身の性別を教える稟。

それに少女は眼を見開いて固まってしまう。

「お、男?その見た目で男というんですの!?」

しかしそれも瞬間的な事で、稟が男だと言うと少女の顔は驚愕に染まり、次いでどこか睨むように稟を見つめてきた。

少女のそんな反応に、稟の瞳が僅かに細められる。男と言った事で、少女が見せたこの反応。

(思考が女尊男卑に染まっている?けど、それにしては……)

男を見下すような、敵視するかのような視線に稟はそう考える。

しかし少女の反応は、典型的な女尊男卑の思考に染まった女性達とは若干違うようにも感じられる。その事に疑問を覚えた稟は、

「ボクが男だったら、何か問題?」

探ってみる事にした。

稟の言葉に少女は、助けてもらった恩と、彼女が抱いている感情の間で戸惑いつつも、

「別に、問題は、ありませんけども…」

そう口にする。しかしそう口にした時の少女の表情は、複数の感情が混ざっていて、とても問題ないようには見えない。

「君は、男が嫌いなのかな?」

「……っ」

「…その反応、当たりってところか」

遠回しに言っても意味がないと考えた稟の直球な質問に、少女は親の敵を見るかのような視線で稟を睨み付けてくる。だけど、そんな少女を見ても、やはりただの女尊男卑の思考の持ち主には見えない。

「男を見下す、嫌いなのは、まぁ、今の世の中なら当然なのかな?当然であってほしくないけど。女性がISを動かせるってだけで、今の世界はどこか歪んでいる。そのせいで女尊男卑の思考に囚われている女性が増えてきているし、それを是にする傾向になりつつある」

IS。篠ノ之束が開発したパワードスーツ。世界の在り方を変えてしまったそれは、何故か男性には扱えず女にしか扱えない。ISが主流となってしまったこの世界では、そのせいで女尊男卑の風潮が出来上がってしまい、世界はその流れに呑まれつつある。

「でも、それは決して女性が偉い事とイコールじゃない。ISが動かせるだけで女性の立場が偉いなんてありえない。ISが動かせなくても、開発や整備で男性は関わっているし、ISだけで世界が回っているわけじゃない。どんな時でも男性と女性との立場は同等の筈だよ。どちらかが優れているかなんて考える必要はない」

篠ノ之束が生み出したISは確かに世界の在り方を変えてしまった。しかし束は、そんな事は欠片たりとも望んでいなかった。自分の興味のあるもの以外は、例え親であろうと認識しない束ではあるが、少なくとも自分が生み出した物で世界を変えてしまう気はなかった。

ISの事を束に聞かされた時の彼女の表情。それは今でも鮮明に思い出せる。ISの在り方を、彼女が望んでいた方向とは別方向に捻じ曲げられてしまったと語った時の、彼女の悲しげな表情を。

「でも君は、そんな単純な理由で男を嫌っているようには見えない。もっと別の理由があるような気がする…」

稟は自分の考えを纏めるように、言葉を選びながら少女に語りかける。

少女は稟のその言葉に驚いてしまう。まだ出会って数分の他人が、彼女の心の奥底を見透かすかのようにそう言ってくるのだから。

少女が知る男達とはどこか違う、女性に見えてしまう少年。そんな彼の、年不相応に落ち着き払った不思議な色を感じる瞳を見て、少女は無意識の内に口を開く。

「私は……」

そこから語られる、少女の気持ち。

見ず知らずの稟に、自分の気持ちを語っている事に少女は内心驚いているが、不思議とそうしたいと思っていた。

この少年ならば。自分の中で渦巻いている気持ちを晴らしてくれるかもしれないと、そう無意識の内に期待して。

「……そっか。そんな事があったんだね」

少女の言葉を聞き終えた後、稟は息を吐きながらそう言った。そう言った時の彼の瞳は、どこか遠くを見るように細められていて。

この少女のようにも見える少年は、本当に少女と同じような年齢なのだろうか。とてもではないが、十台前半の子供とは思えない程落ち着き払っている。

少女が不思議そうに稟を見ていると、

「でも、それは本当に?」

「え?」

不思議な色を感じる稟の瞳が、少女を真っ直ぐに見つめていた。まるで、少女が気付いていない気持ちを見透かしているかのように。

「君のお父さんは、お母さんの顔色を窺うだけの人だったのかな?名家に婿入りした身として、確かに引け目を感じていたのかもしれない。君のお母さんと比べられて立場が弱くなり、君にとっては情けない父として映ったのかもしれない。女尊男卑の風潮にあてられ益々弱くなる父に、それを世界中の男性の代表として捉え、男が嫌いになったのかもしれない」

淡々とした稟の言葉と少女を見つめる瞳に、彼女は視線が外せなかった。

稟の言葉に対し、何かを言おうと口を開きかけるが何も言えず。

「君から見たお父さんは確かにそう映ったのかもしれない。でも、君のお父さんは戦っていたんじゃないのかな?女尊男卑の風潮が蔓延った世界と。女尊男卑の風潮に染まってしまった人達と。家族を護る為に」

少女の父親の真実の姿は、稟には分からない。実際には、少女が語った姿こそが真実なのかもしれない。

稟が言った事は、あくまで自分が少女の父親の立場だったらという主観的な意見にすぎない。自分だったら、そうしていただろうと。

稟の言葉を聞いた少女の脳裏に、父親の姿が映し出される。

母のご機嫌をとろうと、どこか媚びるような視線を向けている父。

母の顔色を常に窺っている父。

女尊男卑の風潮にあてられ、立場がより一層弱まった父。

無様で、情けない姿を晒す父。

それが、彼女の知る父親の真実の姿。そうだった、筈なのに。何故だろう。今はその姿に、ノイズが走っている。

そして、そのノイズの下から見える父は、先程脳裏に映った父と全く変わらないのに。何かが違うような気がした。

情けない姿は変わらないのだが、その表情がどこか違うように感じられる。何かを決意したかのような、目の前の少年の瞳と、どこか似ているような眼をした表情。

少女が困惑している傍ら。

「でも、これはあくまでボクの意見にすぎない。ボクが君のお父さんの立場だったら、そうするだろうって考えにすぎない。だから、君の言ってた事が本当なのかもしれない」

稟は苦笑しながらそう付け加えた。

「あな、たは…」

少女は何かを言おうとするが、うまく言葉に出来ない。そもそも、何を言いたいのかさえ自分で分かっていない。

「まぁ、勝手な事を言ったけど、あまり気にしないで。真実は君の中にある筈なんだから」

優しい眼差しで少女を見つめる稟。

語られた少女の想いから、少女が単純に女尊男卑の風潮に染まっていない事を理解できた稟はそう言う。

後は、少女が父親とこの世界と向き合えば大丈夫だろう。この少女は、女尊男卑の風潮に負けず立ち向かえる女性だ。

そう考えた稟は立ち上がる。首にかけていたネックレスから、何やら凄い声が聞こえてくるからだ。その声から、束とアレンが暴走する未来が簡単に想像できてしまい、苦笑してしまう。そんな見苦しい光景を、少女に見せる必要はないだろう。

何となくお節介が働き少女と話していたが、そろそろ別れるべきだろう。見るからに貴族の娘である少女と、ただの一般人である自分がこれ以上一緒にいる訳にもいくまい。変な噂が立ったら、彼女も過ごしにくくなるだろう。

稟はそう纏め、彼女と別れるべく一歩を踏み出そうとした。

「あ、あの!」

少女の声が稟の背中にかかり、思わず動きを止めて振り返る稟。

「…私はセシリア。セシリア・オルコットと申します。貴方のお名前は?」

その言葉に、稟は眼を丸くする。

どうせもう、会う事はないだろうと思って敢えて名乗っていなかった稟だが、彼女から名前を聞いてくるとは思わなかった。

彼女の家庭環境に、勝手な事を宣った自分の名前を聞いてくるなどと。

答えるべきか否か逡巡していた稟だが、口が勝手に開きはじめ、

「……稟。土見稟」

気付けば名乗っていた。

そんな自分に驚く稟だか、これ以上はよろしくないと思い、彼女に背を向け走り去った。

 

 

稟が走り去るのを見ていたセシリア。

彼女は暫く、稟が走り去った方角を見ていたが、少しして再び思考を巡らしはじめる。

「土見…稟」

彼女の思考を埋めたのは、今日出会ったばかりの稟の事。

低俗なナンパから彼女を助けてくれ、強引ではあるがセシリアの事を想って動いてくれた稟の事。

少女のように見えた、子供のようには見えなかった稟の事。

今日初めて会ったのに、思わず彼女の胸に詰まっていた想いを語ってしまった稟の事。

彼女が今まで会ってきた男達とは違う感じがした男性。女尊男卑を否定し、それを肯定している今の世界を咎める物言いをした、他の男とは何かが違う男性。その瞳には強い意思が宿り、暖かく不思議な色を宿していた。

彼の事を考えると、不思議と鼓動が早まったような気がした。身体が熱を帯びたように熱くなるのを感じた。

この感じは何なのだろうか。自分の感情なのに、うまく説明できないこの感情は。

「あんな男性も、いましたのね。また、会えますかしら……?」

頬が僅かに朱に染まったセシリアは、無意識にそう呟いて自身の胸に手を添えた。



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第六話:『王』と『蒼き雫』

私の小説を読んでくれている方々。
お待たせいたしました。
IS、漸く投稿です。



 少女から逃げるように去った稟は、十分程走り続けた後で漸く足を止めた。

「…はぁ、はぁ、はぁ……ここまで来れば、もう、大丈夫かな?」

 荒れた息を整えつつ、周囲を確認して一息吐く稟。

 セシリアの姿が見えなくなった事に安堵の息を吐きつつ、ふと、自分は何故彼女から逃げるようにして別れたのだろうかと疑問を浮かべる。

 別に名前を訊かれたからと言って、逃げる必要などなかったのだ。もう会う事もないだろうから、普通に別れればよかったのだ。なのに、何故だろう。

 そんな自分に首を傾げつつ、稟は再び歩き出そうとして、

「…………此処、どこ?」

 自分がどこにいるのか分からない事に気付いた稟は、顔を引き攣らせながら呻くようにそう溢してしまう。

 イギリスに来たのは今日が初めての為、当然だがイギリスの地理を把握している訳がない。地図も持っていないから現在地など分からないし、そもそも束とアレンがどこにいるのかも分からない。ネックレスに通信機能と発信機の機能があるとはいえ、連絡をしても場所の名前が分からなければ合流も難しいだろう。それに、束達に見つけてもらうとしても彼女達には用事があってそちらを優先している。少なくとも一時間やそこらで終わるような用事ではない事は聞いていたし、ネックレスから聞こえてきた声からして、多分アレンは冷静な状態ではないだろう。それでは通信機能で通信してもすぐに合流できまい。

「…………どうしよう」

 迂闊な自分に呆れつつ、途方に暮れてしまう。今はまだ昼だからいいが、このまま何時間も束とアレンと合流できなかったら。見知らぬ土地に自分一人。寂しさと孤独に震える自分の姿。助けなどなく、時間が無駄に過ぎて…。そんな嫌な想像を一瞬浮かべ、慌ててその思考を振り払う。

 大丈夫。そんな事にはならない。あの二人ならば必ず見つけてくれるだろうし、自分も行動を起こせば大丈夫。と自分を励ましつつ、取り敢えずこれからどうするかを考える。この場に留まるにせよ否にせよ、これからの行動を考えなければならない。

 稟は一呼吸し、再度周囲を見渡す。時間は昼過ぎだというのに、周囲に人影はなく薄暗い。道幅もそこまで大きくなく、人二人が通れるくらいのものだ。恐らくはどこかの路地裏だろう。

「……移動するか」

 下手に動けば余計に迷ってしまうが、路地裏で待ち続けるのはよくないだろう。変な輩に絡まれる可能性もあるし、どこか淀んだ空気を持つこの空間では不安が増してしまう。とにかく、人通りがある場所まで向かわなければ。

 稟は自分が走って来た方向へと向き直り、もと来た道を戻っていく。

 

 

 歩く事数十分。最初こそ不安な気持ちで歩いていた稟だが、特に何かが起こるわけでもなく、次第に街特有の喧騒がきこえてくると安堵の表情を浮かべるようになった。このまま歩けば、数分もしないうちに人通りのある場所に出るだろう。少しばかり早歩きになり、稟は歩を進める。

 そうして歩き続ける事数分。漸く明るい街へと出てこれた稟は顔を綻ばせる。微かに残っていた不安も消え、後は見晴らしのいい場所を探して彼女達を待つのが無難だろう。ここからは下手に動かず、彼女達を待てばいい。

 そう考えたところで、稟はふと思い出した。セシリアと別れる際にはネックレスから聞こえてきていた凄い声が、今は聞こえてこない事に。

 ネックレスから聞こえてきた声から察した、あの状態のアレンがすぐに冷静になるとは考えられない。寧ろ、落ち着かせようと説得するであろう束を巻き込んで、二人して暴走するのが目に見える状態である事が察せられた。なのに、気付けば無言を貫いている。

その事に首を傾げ、一体どうしたのかと考えようとした時。ネックレスが微かに発光し、微かな音が聞こえてきた。

『……ん…………あぁ~』

「……ん?」

 その音は、よく耳を澄まさなければ聞こえない程に小さなもの。この街の喧騒に掻き消されて、普通ならば聞こえない筈の大きさの音。

「…今、音が聞こえた?」

 この喧騒下では、そこそこに大きくないと身につけている物からの音でも聞こえない。ならば、先程聞こえた音は気のせいだろうかと戸惑い、ネックレスを見つめる稟。しかし、ネックレスから音は聞こえず、やはり気のせいだったのだろうかと首を傾げた時。喧騒が一際大きくなり、何やら怒号と悲鳴が聞こえだしてきた。

 一体何事かとその方向へ顔を向けた稟は、顔を思いっきり引き攣らせた。

 稟が見た方向。そちらには、何やら物凄く不穏な雰囲気を纏った女性が、描写するのが難しい程の物凄い形相で、人間には到底出せない速度で稟に向かって走ってきていたからだ。その人物との距離は相当離れている筈なのに、何故か稟にはその人物が誰で、表情まで分かってしまった。

 その人物は一直線に稟に向かって走ってきており、女性の進行方向にいる人達は慌ててその場から離れる。この速度でぶつかられては、ピンボールのように弾き飛ばされる未来が脳裏に映ったのだろう。現に、女性の後方には逃げ遅れて弾き飛ばされた犠牲者が何名かいるのだから。尤も、奇跡的に怪我人がいないという摩訶不思議な状態ではあるが。

 稟としてもこの場から逃げたいのだが、その女性が誰であるか分かっている為に逃げられない。稟は引き攣った顔のまま、徐々に迫り来る女性を見つめる事しかできなかった。

 この場から逃げた方が被害が少ないのでは?という思考も浮かんだが、それもみるみるうちに距離を詰めてくる女性を見て無理かと諦めてしまう。

 そして、気が付けば目と鼻の先に女性が接近していて。

「り・ん・さ・まああああぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 女性―アレンは、筆舌し難い表情で稟の前まで来ると、彼の腕を掴んでそのまま何処かへと走り去って行った。なんの抵抗もできない稟は、風に揺れる旗のように靡きながら身を任せるしかない。

 彼女が去った後には、アレンが走り去った場所を呆然と見つめる街の住人達が残されていた。

 

 

 アレンに拉致(かいしゅう)された稟は、どれくらいの時間引っ張られ続けたのだろうか。随分と長い距離を走っていたような気がする。

 周囲の状況は一転しており、今までは住宅街だった周囲が、どこか物々しい雰囲気を漂わせる建物が目につくような場所になっていた。その中でも、一際大きな建物。一般人には近寄り難い雰囲気を放つ、何かの研究施設と思しき建物。

 アレンはその建物へと向かっていた。暫くアレンに身を委ねていた稟だが、建物が徐々に近付くにつれアレンが減速し、その建物の前まできたところで解放された。

 解放された稟はアレンとその建物を見比べ、

「……此処は?」

「イギリス政府直下のISの研究・開発を行う研究所です。創造主は今、此処で稟様を待っています」

「……つまり、束さんがイギリスへ行くと言った理由は此処に用があったから?」

「はい。コアネットワークを通じて、彼女から私に連絡がありまして。研究者達の言葉を理解した彼女が私を通じて創造主にコンタクトをとってきたのです。創造主は暫く悩んでいましたが、気になるからとこの地へ赴いたのです」

 アレンの言葉に、稟は何かを考えるように研究所の入り口を見つめる。

 他人嫌いの束が、わざわざイギリスの施設まで赴く理由とは何か。気になる事と言っても、彼女からすれば別にこの地に来る必要はあるまい。自分の研究所で調べれば済む話である。というか、指名手配扱いを受けていながら人前に姿を晒す等となにを考えているのか。

「……アレン、束さんは一体何を考えてるのかな?わざわざ人前に姿を晒すなんて」

「さて、何を考えているのでしょうか。創造主の思考は人には理解し難いものですから」

 身も蓋もないアレンの言葉。

 その言葉には納得してしまうが、それでも考えずにはいられない。

「あの束さんがわざわざイギリスに来た理由……此処で開発されているISって」

「…お察しの通り、第三世代型です。BT兵器を搭載した試験機でした。まぁ、創造主にとっては誰がどんなISを造ろうがさして気にはしませんが」

 言葉の後半部分には反応せず、アレンが発した兵器という言葉。稟はその言葉に顔を顰める。

「兵器か……。君達は兵器なんかじゃないのに」

「……王」

 稟は悲しそうな表情を浮かべ、そう呟く。

 稟のその表情は、ISを兵器としてではなく、一つの意志ある存在として。対等の存在として捉えているからこそ浮かぶ表情で。

 今では、束が望んだ方向とは別方向に捻じ曲げられた方向へと向かっているIS。その事に、言い様のない悲しさを覚える稟。

 束からISを造った理由を聞き、彼女の夢に共感を覚えた稟だからこそ。

 アレンと触れ合い、彼女にも意思があると、心があると理解しているからこそ。

 ISを兵器として扱われる度に、言われる度に悲しくなる。

 だが、ISが兵器として扱われてしまう理由も解っている。ISの機体性能(スペック)が、数年前に起こった白騎士事件が。その要因である事も。

 その事を変えたいと思っても、稟にはその力がない。いくらISは兵器ではないと声高に叫んでも、鼻で嗤われるのが現実だ。夢と現実を区別できない子供の妄言だと切って捨てられるのが現実なのだ。

「王、創造主と彼女が待っています。行きましょう」

 稟が自身の思考にこれ以上囚われない為に、アレンはそう声をかける。

「……ん。分かった」

 それで思考の渦に落ちそうになった事に気付いた稟は頭を振り、意識を切り替える。今は、稟を待っている束に会うのが先決だと。

 アレンが研究所の扉を開けてその中に入り、稟もその後に続いた。

 

 

 稟とアレンが研究所に入る数分前。

 束はイギリス政府が開発した第三世代型のISの調子を見ていた。

 特に異常は見られず、何もおかしなところはない。謎の発光現象を除けばだが。

 本来なら、束がイギリスへ来る必要性などなかった。アレンが言った通り、彼女の研究所から調べればそれで事は済んだ。わざわざ凡人共の前に姿を晒す必要などなかった。それでも此処に来たのは此処で開発されているISが気になったからだ。彼女から伝えられた言葉が。

 束とアレンがこの研究所に現れた瞬間。研究者達は大いに慌てた。ISを生み出した天災が、世界中から追われているあの天災が突然現れ、あまつさえ開発しているISを見せろと言ってきたのだから。

 研究者達は当然渋った。いくらISの生みの親だろうが、自分達の理解が及ばない天災であろうが、そう易々と自分達の技術を見られたくないからだ。

 だが、束が二言三言研究者達に呟き、彼等はISを束に見てもらう事にした。彼女の言葉は、行き詰っている自分達にとって渡りに船だったから。勿論葛藤はあったが、この先の展望が見られなかった彼等にはそうするしかなかった。

 ISの調子を見ている束を遠巻きに見ながら、研究者達は話し合う。突然現れた天災の事を。今後の事を。

 そうしている内に、束が見ているISが再び輝きだした。それも今までの発光とは比べ物にならない程の輝きだ。研究者達は思わず腕で眼を庇い、至近距離で見ていた束は眼を細め、

「この反応。やっぱりあーちゃんと同じ……」

 彼女の呟きは、研究者達には聞こえなかった。

 束は徐々に強まっていく輝きを微動だにせずに見続け、

「稟様を連れてきましたよ、創造主」

 輝きがピークを迎えそうになった瞬間。稟を後ろに連れたアレンが部屋に入ってきた。束が開いた扉に振り向いたその瞬間。部屋は白く塗りつぶされ……

 

 

 

 

 ――貴方が、アレンが言っていた我等が『王』なのですね。

 

 急に真っ白になった部屋。傍にいたアレンを見失ってしまう程に眩い輝きに眼を瞑った時、稟の頭に声が響き渡った。

 この現象を、彼は知っている。これは、アレンとの初対面の時に起こった現象だ。

声がしたであろう方向を見ようと、稟は白く塗りつぶされた部屋を見渡す。

眩い光により視界が白一色に染まった状態では、物を見る事は出来ない筈だが何故だか彼には見えた。隣にいたアレンの姿がいつの間にかなくなっている事を気にする事なく、部屋の奥にいる一機のISを見つめる。鮮やかな青色をした、どこか王国騎士のような気高さを感じさせるISを。

 束が稟を呼んだ理由を何となく察した稟は、青いISに近付く。

 彼女が稟をここへ呼んだ理由は、恐らくこのISと会話させる為だろう。

 何故そうしたいのかは分からないが、彼女はそれが必要だと考えたのだろう。稟は青いISと会話する為に、そっと触れた。

瞬間。ISが淡く輝き、

 

――…成程。彼女が言った通りの方なのですね。『王』よ、貴方という方は……

 

 アレンと同じく、彼の過去を見たというのか。彼のこれまでの軌跡を知っているような口ぶりだ。

(……アレンにも言ったけど、ボクは王と呼ばれるような人間じゃないよ。自分の身勝手なエゴで周囲の人を苦しめた愚か者。自分が寂しくなりたくなかったから、人の人生を弄んだ罪人……)

 数年前の自分の所業を振り返り、吐き捨てるように呟く稟。その顔は自嘲に歪んでいた。

 

――ですが、それでも貴方は護り続けた。生きる意思を失った一人の少女を救い続けたではありませんか。どれだけ傷付こうとも、弱音を一切吐かずに護り通してきたではありませんか。それは、他人には真似できない事。貴方は、『王』は確かに一人の少女を護ったのです。

 

 ISの言葉に、稟は苦しげに顔を歪める。

 アレンといい、束といい、このISといい、何故こうも稟の所業を肯定するように言うのだろうか。

 結果的には少女の命を救ったが、その過程で周囲を巻き込んだ罪は無くなりはしない。自身の浅はかな嘘で人々を苦しめたのは消えない事実なのだ。少女の命を救ったという結果が免罪符になっていい訳がない。

なのに、どうして、彼女達は……

(君は……)

 

――私は蒼き雫(ブルー・ティアーズ)です。お好きなようにお呼び下さい。我が、我等が『王』よ。

 

(…………王なんて呼ばないで。ボクには土見稟って名前があるから)

 

――でしたら、稟様とお呼びさせていただきます。稟様。貴方の意思は、魂の輝きは、アレンが言っていたようにとても尊い。機械である私達にもそう感じさせるのです。ですからご自身を責めないで下さい。貴方の魂の輝きは、私達が護りますから。

 

 こんな自分を肯定するのか……

 どうして否定しないのか……

 罪深き人間だと、断罪しないのか……

 偽善者だと、蔑まないのか……

 優しさで包み込もうとするのか……

 彼女達の優しさに身を委ねれば、この苦しさから解放されるのかもしれない。

 彼女達の厚意を受け取れば、何も悩まなくてもいいのかもしれない。

 甘えてしまえば……

 逃げてしまえば……

 だが、それでは駄目だ。

 彼女達が何と言おうと、自分で自分を否定してはいけない。過去は変えられないのだ。時は戻らないのだ。どれだけ悔やんでも、その道を選んだのならば突き進むしかないのだ。自分が自分である為にも。

 この罪を、愚かさを、無かった事にしてしまえば、土見稟という存在そのものが消えてしまう。

 未だ過去に囚われ続けている稟。

 その事を知った『蒼き雫』は、彼を想いながら言葉を送り続ける。

 

 

 部屋が白く塗りつぶされてから数分後。

 部屋を覆い尽くしていた輝きは消え、今では元の明るさに戻っている。

 アレンは束の下に向かうと、『蒼き雫』に触れて眼を閉じている稟を見つめながら彼女に問いかける。

「どうでしたか、彼女は?」

「あーちゃんと一緒だったよ。りっくんの事しか頭になかったあーちゃんとね」

「やはりそうでしたか。彼女から通信が来た時からもしやとは思っていましたが…」

「どうやら君達は、どういう理由でかは知らないけどりっくんがこの世界に来た事を感知していたみたいだね」

 稟と『蒼き雫』を見つめながら話し合うアレンと束。

「そうですね。私も彼女もそうですが、稟様の存在を感知できたと同時にうっすらと感じた。あの御方こそが我等が『王』であると。それは、彼に触れた時に確信へと至った。恐らく、此処にはいない彼女達にも同じことが言えるでしょう」

「……つまり、全世界のISがりっくんの事を?」

「全機かは不明ですが、少なくとも何機かは稟様の事を感知しています」

 アレンの言葉に束は考える。

 彼女の言葉が確かならば、彼女達ISは土見稟が自分達の『王』であると言っているのだ。この世界とは別の世界から来た、少年の事を……。そして、その存在を感知している。

 俄かには信じ難い事だ。

 別世界の少年を『王』と呼ぶなどと。搭乗者(パイロット)としてではなく、仕えるべき『王』と認めるなど。ISとは何の関係もない少年を、彼女達が感知するなど。

 一体、彼の何がそうさせるのか。

 稟と出会い、共に生活をするようになってから二年程経過しているが、彼に特別な能力があるように感じた事はない。どこにでもいるような普通の少年だ。ただ、造られた存在であるアレンを機械だからという理由で扱いの対応に差はつけていない。束と同等に対応し、人間と機械という区別をせずに対応している。その点を見れば、普通の人と違うだろうが、だからと言って『王』と呼ばれる理由にはならない。

 ならば考えられる理由は……

 彼女達と会話ができるという点。

 ISの産みの親である束でさえできない事。彼女達の思考を何となく感じる事ならば束にも出来る。彼女達の意思が何らかの媒体を介して文章となったり、波長として現れれば会話らしきものをする事も可能だ。しかし、彼女達の声を直接聞く事は束には出来ない。

 だが稟は、それが出来る。今まで、ISという存在がなかった世界にいた少年が。

 何故、彼はISの声を聞く事が出来るのか。その事が、アレン達ISが稟を『王』と呼ぶ理由になるのかは分からない。情報が少なすぎる。

 そこまで考えたところで、束は一度思考を止める。この次を考えるのは今でなくてもいいだろう。それより優先すべき事が目の前にあるのだ。

 今優先すべきは、実験動物を観察するような視線で稟を見ている凡夫共(けんきゅうしゃたち)に釘をさす事。彼を利用しようなどという考えが浮かばないように脅迫(おはなし)をしなければ。

「創造主。彼等にはしっかりと脅迫しておきましょう。稟様に害が及ばないようにしなければ」

「そうだね。束さん達の生活に関わる事だからね。彼等(ぼんじんども)にはその点をしっかりと理解してもらわないと」

 束とアレンはお互いに笑みを浮かべる。その笑みは、男が見れば顔を赤らめてしまう程に美しく可憐な笑みであるのだが、見る者が見れば恐怖によって顔を引き攣らせるだろう程に怖ろしいものでもあった。

 彼女達は、そんな怖ろしい笑みを浮かべて凡夫共に近付く。

 

 

(どうして君達は、こんなボクを肯定するんだろうね……)

 『蒼き雫』と会話をしていた稟は、自身に纏わりつく複数の視線を感じ取っていた。実験動物を観察するような不快な視線を。しかし、彼にそれを気にするような余裕はなった。

 

――稟様の想いが眩しすぎるからです。確かに、稟様の行いは否定されるべきものかもしれません。ですが、一人の少女を救いたいと願った純粋な想いは否定されるものではありません。

 

 彼女の言葉が、彼の胸に突き刺さるから。

 

――自身を犠牲にしてまでも、誰かを救う。それは誰にも真似できない事です。人は誰だって、自分が傷付く事に恐怖を覚えてしまう。助けたくても、それで自分が傷付く事を良しとしない。他人よりも、自分を優先してしまう。なのに貴方は、躊躇う事なく己の身を投げ捨てた。十歳にも満たなかった子供がです。その意思の強さ、魂の輝き、どうして否定できましょうか?

 

 彼女の、彼女達の言葉はどうしてこんなにも心を抉るのか。

 稟を想っての言葉は、彼の胸に深々と突き刺さる。

 彼女の、『あの言葉』と同じように……

「さてさて、もう満足したかな~?ここからは束さん達も混ぜてもらわないと」

「そろそろ、稟様を一人占めするのは止めていただきましょうか。稟様との会話も十分に堪能した事でしょうし」

 稟と『蒼き雫』の会話を断ち切るかのように、束とアレンが二人の会話に割って入る。稟が思考の海に溺れてしまわない内に。『蒼き雫』も二人の意図に気付き、彼女達が会話を断ち切るように割り込んできた理由に納得する。

しかし、折角の稟との会話を邪魔された事は腹立たしい訳で。そんな二人に抗議するように、『蒼き雫』は淡く発光する。

 

――何を言っているのですか?私は全然満足していませんよ。貴女方は二年もの間稟様といたのでしょう?ならば、漸く逢えた私にもっと融通をきかせるべきです。

 

「貴女こそ何戯けた事を言っているのですか?貴女には稟様と二人きりでという、うらやまけしからん状況を作ってあげたのです。それで満足しなさい!」

「全くだよ。束さん達だって、りっくんと二人っきりなんておいしい状況は滅多にないのに。贅沢を言っちゃいけないよ」

 

――常に稟様といられる貴女達にそんな事言われたくはありません。寧ろ貴女達が贅沢でしょう。何ですか。稟様と生活を共にするなんて。稟様と逢えない私達に喧嘩を売っているんですか?

 

 何やら三人で盛り上がり出す束達。束は『蒼き雫』の言葉を直接聞けない為、アレンが通訳をしている。そんな彼女達の話題の中心が稟である事に、彼は苦笑するが、先程までの神妙な空気はどこへ行ったと言いたくなる変わりように少なからず安堵していた。あれ以上『蒼き雫』と二人っきりだったら、どうなっていたか分からないから。また、彼女達に心配をかけさせてしまっていたかもしれないから。

 意図してこの空気を作ったのかはわからないが、空気を変えてくれた彼女達に内心で感謝しつつ彼女達の会話に混ざる事にする。これ以上、稟を話の中心にしてもらわないために。

「話題の中心の当人を置いてきぼりにして、盛り上がらないでくれるかな?」

 呆れつつも、どこか嬉しげな表情を浮かべて稟は会話に加わる。

 

 

 

 

 

 

 イギリスに滞在してから数か月。

 束があの研究所に用がある時以外は、常に三人で行動を共にしていた。束が忙しくなければイギリスの名所を観光したり、彼女が研究所に用があれば手伝いをしたりして過ごしていた。手伝いと言っても、『蒼き雫』と会話していたぐらいだが。

 イギリスに滞在していた間に、ナンパから助けたセシリア・オルコットという少女を、とある街で遠巻きに見た事があった。その時の彼女は、親と思われる大人二人と笑顔で歩いていた。彼女の中にあった問題は無事解決されたらしい。それを見て稟は無意識に顔を綻ばせていたが、そんな稟を見て束とアレンが顔をムッとさせ、稟をあっちこっちへ連れ回すという一幕もあった。

 それは、とても楽しい数か月だった。こんなに楽しくて本当にいいのだろうかと思える数か月だった。

 罪人である自分が己の罪を償う事もせず、何もかもを忘れたかのように笑って過ごしてよかったのだろうかと、そう思ってしまう数か月だった。それを表情(おもて)に出してしまえば彼女達に心配をかけてしまうので、当然表情には出さない。稟の事を想って行動してくれている彼女達の想いを無駄にしたくないからだ。

 そんな数か月を過ごし、いよいよイギリスを発つ日となった。

「さて、イギリスを満喫する日々が終わり、いよいよフランスへと旅立つ日がきましたね」

「此処じゃ思う存分楽しめなかったけど、あっちに行ったら思いっきり楽しむよ!」

「十分に楽しんでたと思うけど?」

「りっくんは何を言っているのかな?あんなのじゃ束さんは満足しないよ!折角りっくんと楽しむ計画を練っているところに、あの凡夫共が邪魔してから……」

 私不満です!と身体全体で表現する束に、稟は困った表情を浮かべる。

 こうなった束は稟が何かしらのお願いを聞いてあげないと中々治まらないのだ。しかし、お願いを聞いたら聞いてあげたで今度はアレンが臍を曲げるという困った状況に陥る。二人の間で板挟みとなり、彼女達が満足するまで稟が辛抱強く耐え抜くしかないという事が何度あった事か。どこか遠い眼をしてしまう稟だった。

「まぁ、いいではありませんか、稟様。折角の国外なのですから、呆れ果てるぐらい楽しみましょう」

「そうそう。頭の中を空っぽにして、思いっきり楽しもう!りっくんにはそれが必要だよ」

「稟様は色々と考えすぎなのですから、たまには年相応の子供らしく遊ぶ事だけを考えてください」

 事ある毎に過去を思い返し、辛そうに表情を歪める稟を助けたいアレンとしてはそう言う以外に術がない。二年前と比べれば大分マシになっているのだが、それでも彼の奥底には深い深い哀しみが渦巻いているのだ。その哀しみを晴らそうと、束とアレンは二年間色々と頑張ってきたが効果はない。未だに彼を癒せる未来が視えてこない。

 だからこそ。この国外旅行では子供らしく遊んでほしいと願っているのだ。稟はまだ、親の愛情が必要な子供で、子供らしく自由気ままに過ごすべきなのだから。

「……ありがとう」

 アレンの言葉にしない感情。その想いに気付いているのか。

 小さな声でお礼を言う稟。アレンはそんな稟に微笑み返し、

「…ん?稟様、創造主。『蒼き雫』から通信がきました」

「ティアから?」

 彼女から通信がきた事が意外だったのか、思わず聞き返す稟。それが、彼女達の琴線に触れるとは気付かずに。

「りっくん?」

「稟様?」

 優しく、ふんわりと彼を包み込むような声音で問い掛けてくる二人。

 なのに。何故だろう。その声に、妙な迫力を感じるのは。

 稟は額に嫌な汗を浮かべながら、二人の表情を窺う。その表情はとてもいい笑顔で、稟が思わず顔を引き攣らせてしまうものだった。

「一体いつから彼女の事を」

「愛称で呼ぶほどの仲になったんですか?」

 漫画であればゴゴゴゴゴ!という擬音が浮かび上がるであろう雰囲気(オーラ)を放つ二人に後退る稟。そんな稟を逃がすまいと、束とアレンは稟の肩に手を置いて。

「さぁさぁ、素直に教え(はい)ちゃいなよ!」

「そうですよ。大人しく白状し(ゲロっちゃい)ましょう」

「あ、あはははは……」

 有無を言わせない二人の圧力に屈し、稟は乾いた笑いを漏らすしかない。

 顔は笑っているが眼は笑っていない二人の笑顔。これに勝てる人はいるのだろうか?と現実逃避しながら、稟は『蒼き雫』を愛称で呼ぶ経緯を話すのだった。

 

 

「私の特権だったものを、あの女狐!」

「あーちゃんだけじゃなく、彼女も愛称を付けてもらうなんて!」

 経緯を聞いた二人の最初の反応がそれだった。

 非常に悔しそうに顔を歪める二人。稟が絡むと相変わらずの二人である。

「稟様から愛称を付けていただくなど、ご寵愛を受けるも同義!おのれ『蒼き雫』!味な真似をしてくれますね」

「あーちゃんなら百歩譲ってよしとしていたけど、まさか彼女もとは……。束さんは愛称で呼ばれていないのに」

 稟としてはどう反応すればいいのか分からない。下手な事を言えば、火に油を注ぐかの如き状況に陥るのは明白。しかし、このまま放置していても話が進まない。

 困った二人だと内心で思いながらも、稟は嬉しさを感じてしまう。度が過ぎているが、それも彼の事を想っての言葉だと分かっているから。

「そ、それよりアレン。彼女は何て言ってきているのかな?」

「む?稟様に問い質したい事もあるのですが、そうですね。彼女の言葉を伝えましょう」

 ジト眼で見てくるアレンに頬が引き攣る稟だが、完全に自分の世界に入っているわけではないらしい。束も咳払いをして自分を落ち着けるとアレンに視線を移す。

「ゴホン、では。『稟様。貴方とお逢いできて良かったです。貴方と共にいられないのが残念で、そこにいる二人が妬ましいですが、私はこの地で稟様を想い続けます。離れていても、貴方を想い続けています。何時の日か、貴方と再び逢える事を願って』。だそうです」

「……そっか」

「あーちゃんといい、彼女といい、本当に一途だね。どうしてそうなったんだか」

 『蒼き雫』からの伝言に稟はしみじみと呟き、束はどこか呆れたかのようにそう言った。

「どうしてでしょうかね。ともあれ、そろそろ行きましょう」

 アレンはそう言うと稟の右腕に自身の腕を絡め、それを見た束も稟の左腕に自身の腕を絡める。

「あの、二人とも?」

 それはいつもの事と言えばいつもの事。

 しかし、どうしても慣れない女性特有の柔らかい部分が腕に当たっていて稟は赤面してしまう。

「今回は『蒼き雫』に稟様を少なからず譲っていましたが」

「ここからはいつも通りだからね」

 稟の反応を楽しみながら笑顔を浮かべる二人。

 そんな二人に挟まれている稟は赤面こそしているものの、その顔には笑顔が浮かんでいる。

「それじゃあ」

「いざ、フランスへ!」

 三人は、仲睦まじく歩きながら空港を目指す。

 



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第七話:『王』と太陽の花

続けてもう一話投稿。
ISヒロイン二人目登場の話。
てか、三話続けてサブタイが『王』と~って……
ネーミングセンス欠片もないな……

誰か私に、ネーミングセンスと文才を(涙)


 イギリスを発ち、フランスの首都-パリへと到着した稟達。今日はこのままホテルで休息を取り、観光は明日からとなった。

「考えすぎ、か……」

 自分が泊まる事になったホテルの一室。その部屋のベッドに腰をかけ、稟はポツリと呟いた。

 稟とてその事は自覚している。事ある毎に罪を犯した日常(かこ)を思い出し、その度に過去に囚われてしまっている事を。だが、だからと言って簡単に過去を克服する事は出来ない。稟が思っている以上に、かつての所業は重い十字架となって彼を苦しめているのだ。

「おじさんと桜には悪い事をしたな。二人とも、最後までボクの事を気遣ってくれていたのに」

 光陽町での唯一の味方だった楓の父―幹夫と、もう一人の幼馴染である桜の事を考え稟は自嘲する。周囲(まわり)が稟の敵であったにも関わらず、最後まで彼の味方でいてくれた二人。稟が稟でいられるよう陰から支えてくれていた二人には心から感謝していた。しかし、その恩も返せそうにない。

 何とか元の世界に帰る方法を束達に探してもらっているが、未だにその方法は判っていない。このまま、永遠の別離となってしまうのだろうか。

 そこまで考えたところで、稟はその思考を振り払う様に頭を振る。

「ボクはまた……」

 どうしても思考がネガティブになってしまう己に呆れてしまう。それでは駄目だとアレンにも言われたばかりだというのに。

 稟は気持ちを入れ替えようと立ち上がり、

「…………っ」

 かけようとしたところで眩暈を起こす。

 ふらついた身体の均衡(バランス)を保とうとするが、身体は言う事を聞かずに床へ一直線に向かう。

 床にぶつかったら痛そうだなと、どこか他人事のように思いながら稟は倒れる。彼の顔が床にぶつかる直前。

「稟様!!」

 隣部屋にいたアレンが稟の部屋に勢いよく入り込み、倒れる寸前だった稟を支える。

「大丈夫ですか稟様!?」

「……あ、れん?」

 重い頭を持ち上げ、霞む視界の端にアレンを見た稟は掠れた声で彼女の名を呼ぶ。

 彼女は心配そうな瞳で稟を見つめ、彼を支える両手の力が微かに強まる。そんな彼女に対し、あぁ、また心配させたかと、ぼんやりと思う稟。

 彼女に何かを言おうと口を開きかけるが、意識が徐々に遠くなるのを感じた。彼女の温もりに安堵を覚え気が抜けたのだろうか。稟は、それに抗う事無く意識を手放した。

「っ、稟様!?」

 稟を支えていたアレンは、彼の身体が急に重くなった事に慌てて彼の表情を見る。意識を手放した稟の表情はどこか苦し気だったが、それと同時に安心したかのように頬が若干緩んでいた。その稟の表情に、大事には至っていないとほっと息を溢すアレン。

「いきなり部屋から飛び出してどうしたの?あーちゃん、って、りっくん!?」

 その時だった。アレンと同室の束がこの部屋に入ってきたのは。

 部屋に入ってきた束が見たのは、アレンの腕の中で気を失っている稟だった。それを見た束は血相を変えてアレンに詰め寄る。

「あーちゃん!りっくんは、りっくんはどうしたの!?」

「落ち着いてください創造主。稟様は気を失っていますが、今回はいつもと違うパターンのようです」

 そう言って稟の顔を見るアレンにつられて見ると、彼の表情は普段よりも穏やかだった。

 稟が気を失った時の表情は、ほとんどが苦悶に歪んだ表情をしており、酷い時には涙を流しながら魘されているのが常だった。彼と生活を共にするようになってから数年。それが改善される事はなかった。稟が起きていない時に穏やかな表情を浮かべている時など、片手で数えるほどしかなかった。

 それなのに、今の稟の表情は少し苦し気であるものの、普段よりも穏やかな表情を浮かべている。

「どういう事?」

 束は訝しげにアレンに問い掛ける。

「さて、私にも分かりませんよ」

 アレンは稟を支えたまま器用に肩を竦めると、片手で彼を支えながら慈しむように彼の頭を撫でる。それを見て束がムッとした表情をするのは最早お約束である。

「ともあれ、珍しく稟様が穏やかな顔をされているのです。今日はこのまま、この部屋で稟様を見守りましょう」

「このままって、まだお昼だよ?」

「おや?それなら創造主は外に出かけてきていいのですよ?その間に私は、稟様を一人占めにさせてもらいますから」

「……この束さんがそれを聞いて、みすみす二人っきりにさせるとでも?」

「ふふふふ」

 アレンの挑発を受け、頬をひくつかせながら彼女を睨む束。そんな彼女を、余裕の笑みを浮かべて迎えうつアレン。漫画やアニメであれば、両者の視線の間では火花が激しく散っている事だろう。稟が絡むと色々ダメになる二人の日常風景だった。

 暫し睨みあう二人。先に視線を逸らしたのは束だった。

「……まったく。束さんがりっくんを置いて出かけるわけないじゃん」

「えぇ、そうですね。余程の事がない限りは私達が稟様を一人にさせるなんてありえませんからね」

 束の言葉にそう返し、アレンは稟をベッドに横にさせる。彼の穏やかな顔を見て、頬が綻ぶアレン。

「……でも、よかったよ」

「……何がですか?」

「あーちゃんも分かってるでしょ?」

「…………」

 束の言葉に無言を返すアレン。彼女が何を言いたいかなどアレンには分かっている。だから言葉を返す必要はないのだ。

 稟の髪を優しく撫でるアレンに苦笑を溢し、束は肩を竦める。

「……さく、ら……おじ…さん………………………かえで……」

 気を失っている稟の口から漏れた言葉。

 誰かの名前。

 それを聞いたアレンと束は表情を消し、稟の顔を見つめる。稟の記憶に触れた二人は、その名を知っていたから。

 その時に浮かべていた彼の表情を見たアレンと束は……

 

 

 

 

 稟が気を失った翌日。

 彼は何事もなかったように起きて、普段通り過ごしていた。

 束とアレンにあっちこっち連れ回され、振り回され、一日一日を楽しく過ごした。フランスの名所を見て回り、美味しい料理を食べて回り。そうしてフランスでの生活を過ごし、一週間が経った時だ。稟が、一人の少女と出逢ったのは。

 

 

 

―少女は走っていた。

 何かから逃げるように。

―少女は泣いていた。

 夢だと思いたい現実に。

―少女は戸惑っていた。

 どうしてこうなったのだろうと。

 少女は脇目も振らず街中を走り続ける時折人とぶつかりそうになり、「どこ見て走ってやがる!?」、「怪我したらどうするんだ!?」、「気を付けろやガキ!?」等の声が上がっている。しかし、彼女はそんな事を気にしない。気にする余裕がない。今はとにかく、あの場所から遠ざかりたかったから。

 無我夢中で街中を走り続ける少女。

 だから気付かなかった。少女の前に、三人の男女が歩いていた事に。

 

 

――ドン

 

 

「きゃっ!?」

「うわっ!?」

「稟様!?」

「りっくん!?」

 結果。少女は真ん中にいた少年―稟の背中にぶつかって尻餅をつく。

 稟は束とアレンに腕を抱かれていた為倒れる事はなかった。心配そうに見てくる二人を眼で制し、稟は後ろを振り返る。

 そこにいたのは、美しい金髪に、神秘的な紫水晶(アメジスト)色の瞳を持つ可愛らしい少女。

「君、怪我はない?」

 稟は心配そうに少女を見つめ、そっと手を差し伸べる。それを見た束とアレンは以下略。

 尻餅をついている少女はキョトンとした表情で、稟と差し出された手を見比べている。彼の両隣にいる束とアレンが若干危険な眼をしているが、少女にとってそれは気にならなかった。彼の、黒曜石を思わせる澄んだ黒い瞳に魅入られた少女にとっては。

「……?大丈夫?」

 自分を見つめたまま何の反応も示さない少女に首を傾げ、稟は再度問い掛ける。

「…………ぁ、だ、大丈夫です。ぶつかってごめんなさい」

 稟を見つめていた事に気付いた少女は、彼の手を取って慌てて立ち上がってから謝罪の言葉を口にする。

 稟はそれに微笑み返し、ハンカチをそっと差し出す。

「え?」

 いきなりハンカチを差し出され困惑する少女。何故ハンカチを渡されたのか分からず、怪訝そうに稟を見つめ返す。

 それに稟は苦笑し、

「涙が残ってる。泣いていたのかい?」

 その言葉に少女はハッとして、慌てて手で目元を拭う。そこには確かに涙が残っていた。

 涙を見られた少女は恥ずかしそうに顔を赤くし、俯いてしまう。

 稟はそんな少女の頭を優しく撫で、

「もしよかったら、話ぐらいは聞くよ。溜め込んだものを吐き出さないと潰れてしまう。見知らぬ他人に話すような事じゃないだろうけど、それでも少しは楽になるかもしれない」

 囁くように呟く。

 その言葉は、不思議と少女の心にストンと落ちてきた。

 少女の中で渦巻いているものは、決して見知らぬ他人に話すようなものではない。話した方が楽になる事は確かにある。しかしこれは、そう簡単に話していいものでもない。

 しかし。どうしてだろう。この人なら、話してもいいかもしれないと思ってしまったのは。少女はそんな自分に内心で驚き、自分を見つめている稟を見つめ返してから頷く。

「それじゃあ、どこかカフェにでも行こうか。それでいいよね?束さんもアレンも」

 稟は自分の横で成り行きを見守っていた束とアレンにそう言う。

 二人は暫く呆然としていたが、稟に声をかけられて我に返りコクコクと頷いて返す。そんな二人に、「変な二人」と零して少女の手を取って歩き出す稟。いきなり手を取られた少女は彼の手を振り払う事こそしなかったものの、困惑した表情で彼と彼女達を見比べながら稟について歩く。

 束とアレンも慌てて稟を追いかけ、

(こ、これはマズイ状況ですよ創造主!?)

(ど、どどどどうしようあーちゃん!?このままだとりっくんが)

((フラグを立ててしまう!?))

 切羽詰まった表情で阿呆な事を小声で話し合っていた。

(しかし、迂闊に邪魔をするわけにはいきませんね)

(そうだね。今のりっくんの表情は、真剣にこの女の子の事を考えてる。それを邪魔しようものならば……)

(……稟様に嫌われてしまう!?)

(そ、それだけは駄目!りっくんに嫌われるなんて……)

 何を考えているのか徐々に顔を青褪めさせる束とアレン。

 何を想像したらそこまで顔を青くさせる事ができるのか。彼女達の想像した事が気になるものである。

(しかしこのままでは、稟様がこの少女にフラグを立ててしまいます!)

(それだけは何としても阻止しないと。これ以上りっくんにフラグを立たせるわけには!)

 稟の過去に触れ、全てではないが彼の過去を知っている二人は、彼によって立ったフラグの数を知っている。

元いた世界で稟は、少なくとも四人の少女にフラグを立てているのだ。稟がこの世界にいる以上、そのフラグが強化される事はないがそれでも心中穏やかではいられない。稟は恐らく、否。確実に歩く旗製造機(フラグメーカー)。至る所でフラグを立てられたらたまったものではない。しかも、目の前で立てられると屈辱的ですらある。

 何としてでもフラグが立つ事を阻止したいが、迂闊に稟の邪魔を出来ない。迂闊に邪魔をしようものならば稟に嫌われてしまう。それは彼女達にとって恐怖以外の何物でもない。

(フラグが立ってしまう現実を、受け入れなければいけないのでしょうか?)

(打開策が思いつかない以上、最悪受け入れないとだね)

 稟に嫌われてしまうならば、フラグが立つ事を甘んじなければならない。

稟は今時の人間にしては珍しい人種。お人好しなのだ。困っている人や悲しんでいる人がいたら、迷わず手を差し伸べてしまう。この旅行の最中、その現場を何回か二人は目撃している。

 普通ならば誰もが見て見ぬふりをする状況でも、稟は進んで関わっていった。親とはぐれ、泣き喚いている子供がいればその子の下に駆け寄って親が見つかるまで一緒にいたり。重い荷物を持って困っている人がいれば、その人の荷物を持ってあげたり。道に迷っている人がいればその人に声をかけ、道を教えてあげたりしている。

 そんな稟だからこそ、少女の涙を見て何かを感じたのだろう。心から手助けをしたいと思ったのだろう。余計なお節介だと分かっていても、動かずにはいられなかったのだろう。そこには何の打算もない。ただ、見捨てて置く事が出来ないから手を差し伸べてしまう。『土見稟』とはそういう人物なのだ。

(仕方ない、か)

(稟様ですからね)

 二人は諦めたかのように溜息を吐くと、お互いに肩を竦めるのだった。

 

 

 稟達がいる街で、そこそこ大きなカフェへとやってきた稟達一行。

 カフェはかなり込み合っているが、偶々四人で座るには丁度いい席が一か所空いていたのでその席に着く。席割としては稟とアレンが隣同士。その対面に束と少女だ。

彼等はそれぞれ紅茶を注文し、各々一息ついていた。

しかし、少女は困惑していた。このカフェに来てから数十分経つが、彼女を連れて来た稟は少女に話すように促す素振りがまったく見られない。少女の前で、束とアレンと楽しそうに談笑しているだけだった。話を聞くよと言って連れて来たのに、そんな素振りも見せないとはなんなのだろうか。

 少女は一瞬そう思ったが、彼女が自然と話せるようにとの彼の気遣いなのだろうと理解した。稟の視線が時折、心配そうに彼女を捉えるからだ。

 見ず知らずの自分を気遣う稟に可笑しさを感じ、少女は苦笑する。これだけで稟がお人好しと理解した少女は、気持ちを落ち着ける為に深呼吸をする。

 これから話す事は、簡単に他人へと話す事ではない話。少女にとっては言葉にして再認識したくない事実。辛く苦しい、少女を苦しめる不幸(げんじつ)

(でも……)

 不思議と、話す事に躊躇いはない。

 目の前の人なら、きっと大丈夫。この事を話しても、この人ならばと。

 確信があるわけではない。

 だが、稟の瞳を見た少女は無意識にそう感じた。

 少女は閉じていた瞳を明け、意を決する。

 気付けば、稟達三人の視線は少女を見ていた。

 三者の視線を受け止め、少女は口を開く。

 そこから綴られる、少女の軌跡は――

 

 

 少女の独白を聞き終え、稟達がいるテーブルには重い空気が漂っていた。周囲に座っている客は稟達から距離を開け、店員ですら近付こうとしない程に。

 束とアレンは眼を細めて少女を見つめ、稟は瞳を閉じて思考に耽っているかの如く言葉を発さない。

 己の軌跡を語り終えた少女の表情は泣きそうに歪んでいたが、どこか清々したともとれる表情にも映った。

(これは、思っていた以上に……)

(えぇ。中々に重いですね。これはもう、フラグ建築待ったなしですか)

 アイコンタクトで言葉を交わし合う二人。

 アレンは少しばかり阿呆な事を考えているが、内心では不快感に満ちている。幼い少女を利用しようとしている下衆な人間に対して。他人の事など気にしない束でさえ不快感で顔を歪めている事からも、少女の境遇には思うところがあるのだろう。

 束とアレンは稟に視線を向ける。彼はまだ瞳を閉じているが、次にとるであろう行動はきっと、少女を想ってのもので。

 束とアレン、そして少女はじっと稟を見つめる。三者の視線を受けた稟はゆっくりと瞳を開け、その瞳に宿る色を見た束とアレンはやっぱり、と溢した。

 瞳を開けた稟は、年不相応に落ち着いた瞳で少女を見つめる。見つめられた少女は居心地が悪そうに身じろぎするが、

「……そっか。とても辛く、苦しかったんだね。よく耐えてきた。でも、ここで我慢する必要はないよ」

「…………え?」

 一瞬、少女は言われた言葉が分からなかった。いや、分かってはいたが脳が理解するのを拒んだと言うべきか。何故なら、稟のその言葉を受け入れてしまえば。

「今この場所では、君は自由なんだ。勿論、それは根本的な解決になっていないけど、それでも自分の感情に嘘を吐く必要性はない」

 最早、耐えきれなくなってしまう。今まで必死に、心を殺そうとしてまで耐えてきたというのに。

「今までよく頑張ったね。でも、今は耐えなくて大丈夫。無理に心を殺そうとしなくていいんだ」

 優しく呟かれる、稟の言葉。

 いつの間にか席を立っていた稟が少女の横まで来ると、彼女の頭に優しく手を置きその髪を撫でる。その手に込められた想い。それを薄らと感じ、そこまでが限界だった。

 少女の紫水晶色の瞳から涙が溢れだす。

「……ぇ?なん、で…どうして?」

 手で拭っても涙は止まる事無く流れ続け、自分が泣いている理由が分からない少女は戸惑いの声を上げる。

 稟は少女の頭を優しく撫で続ける。彼女が落ち着くように。

「悲しい時は泣いていい。我慢しなくていい。じゃないと、壊れてしまうよ」

 優しく呟かれる稟の言葉。

 そこに込められた想いに、少女は声こそ上げなかったものの思いっきり泣いた。顔を俯かせ、表情を見られないように。今まで我慢していた感情を吐き出すように。溜め込んでいたものを吐き出すように。少女は泣き続けた。

 稟は泣いている少女を見ないように上を見て、何かを呟くように口を開く。

「…………」

 だが、それは音になる事なく消えた。

 

 

 少女が泣き止んだ後。

 居心地が悪くなった稟達は会計を素早く済ませてカフェを後にした。

 その際、店員や他の客の視線が妙に生暖かいものだったが気にしない事にして。カフェから出ると意外と時間が経っていたようで、太陽が大分沈んでいた。

 カフェを後にし、暫く無言で歩き続ける稟達。しかし、その沈黙は居心地が悪くなるようなものではなくて。

 稟の横を歩いていた少女は唐突に立ち止まる。つられて稟も止まり、先頭を歩いていた彼等が止まった為に束とアレンも立ち止まる。

 何事かと三者の視線が少女に集中するが、少女はそれを受けて微笑み、

「今日は、私の話を聞いてくれてありがとうございました」

 そう、お礼を言った。

 少女の眼元には涙の後こそ残っているが、その笑みは無理をして作ったものでない事が分かる、太陽のように眩しく可憐な笑みだった。

「お礼なんていいよ。赤の他人が図々しくもお節介を働いただけだから。寧ろ謝罪をしないと」

「そうだとしても、少し楽になれましたから」

「……でも、問題は解決していないよ。君が親と向き合わない限りは、この問題は常に付き纏ってくる」

 眼を細め、真剣な声音で言葉を発する稟に少女は視線を合わせる。

 交叉する互いの視線。

 先に視線を外したのは稟だった。

少女の視線に何かを感じた稟は淡い笑みを浮かべ、そっかと溢す。その笑みが妙に儚く感じ、少女は内心首を傾げるが、

「きっと、君は独りじゃない筈。君を想ってくれている人は必ずいる」

「貴女達みたいに?」

 少女の言葉に、稟は肩を竦めるだけで答えた。

 少女は暫し稟を見つめ、

「……ありがとう。貴女達のおかげで頑張れそうです」

 笑顔を浮かべてそう言った。

 その言葉は虚勢ではないのだろう。彼女が浮かべている笑顔は、美しい輝きを放っているのだから。

「私はシャルロット。シャルロット・デュノアといいます。貴女達の名前は?」

 少女の自己紹介に、稟達は顔を見合わせ苦笑する。そう言えば、お互いに名乗っていなかったと。もう会う事もないだろうから名乗っていなかったが、少女が名乗ったからには答えない訳にもいくまいと、

「私は束」

「私はアレンと申します」

「……ボクは稟。土見稟」

 名乗る。

 名前を聞いた少女は瞳を閉じ、その名を自分の中に焼き付けるかのように心の中で繰り返す。お節介を働いてくれた三人を忘れないようにと。

「……また、会えますか?」

「…………機会があれば、きっと」

 少女の、また会えるかという言葉。それに内心で驚きつつ、努めて平静に返す稟。そう返すのが、精一杯だった。

 稟は少女に背を向けると、これでお別れと言うかのように歩き出す。その彼を追いかけるように束とアレンも続く。

 少女―シャルロットは追いかける素振りを見せず、自分から去って行く三人の背を見つめる。

 徐々に遠ざかる背中。そこで何かを思い出したかのように稟は立ち止まり、

「ひょっとしたら勘違いしているかもしれないけど、ボクは男だから!」

「………………え?」

 そう言ってから再び歩き出す稟。

稟を少女だと勘違いしていたシャルロットは、思わず間抜けな声を漏らしてしまう。脳内がその言葉を理解し、真偽を確かめようと声を出そうとした時には既に背中は見えなくなっていて。

「稟さんは、男…………?」

後には、目を丸くして佇むシャルロットが残されるのだった。

 

 

 

 

 シャルロットと別れた稟達は、彼等が泊まっているホテルへと向かっていた。

「……少しは、息抜きになったかな?」

 ホテルへと向かう道中。不意に、束が稟にそう訊いてきた。訊かれた稟は束を見つめ、

「…………多分」

 今までを振り返りながらそう答えた。

 曖昧な稟の返答に束とアレンは苦笑する。そこで簡単に、息抜きになったと答えないのが稟らしいと思いつつ。

「多少は稟様の息抜きになったようですし、後は帰るだけですね?」

「そうだね。私達の居場所に帰ろうか」

 束とアレンはそう言って稟を優しく見つめる。

 見つめられた稟は空を見上げ、

「…………戻ろうか」

 そう言って、二人に微笑み返すのだった。

 




これにて序章は閉幕。
次回よりは第一章、IS原作へと突入。

世界に拒絶され、新たな世界で立った少年は、次なる舞台での出会いでどのような話を紡いでいくのか。


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断章
其ノ壱:真実ヲ知ッタ時、全テハ手遅レ


最初に言っておきます。
楓ファンの皆様。
ごめんなさい!!
物語の展開上、楓の扱いがこうなってしまい誠にすいません!ただ、一つ言っておきますと、作者は別に楓が嫌いなわけではありません。
物語の都合上、こういう役回りにせざるをえなかったので。本当にごめんなさい。


少年ー土見稟を河へと突き落とした少女ー芙蓉楓は、暫く稟を落とした河を眺めていた。

彼女の母親の仇ー稟を河へと突き落とした事で復讐が出来た楓は、本来であれば気持ちが清々する筈であった。自身の母親の命を奪いながらものうのうと生きている稟に、漸く裁きの鉄槌を下せたのだから。なのに、何故だろう。今の自身が抱いている感情が、その真逆の感情なのは。

どうしてこんなにも胸が苦しくなり、悲しみが込み上げてくるのか。こんな事を望んでいなかったという感情が込み上げてくるのか。

特に、稟のあの表情を見てからは胸が張り裂けそうになったほどだ。

今まで彼が浮かべてきていた自嘲の笑みでも、全てを諦めてしまったかのような表情でもなく。彼を憎むようになる以前、彼女が好きだった彼の笑顔を見た瞬間、楓は思わず涙を流しそうになった。

何故、自分がそんな気持ちにならなければいけないのか。稟は母親の仇だ。楓から大好きな母親の命を奪った罪人なのだ。だから、自身が悲しみに、罪悪感に囚われる必要なんてない。彼は罪人。それ以外の事実なんてあってはならないのだ。

「……っ」

楓は、胸中に溢れる感情に無理矢理蓋をして走り出した。自身の中にある認めたくない感情と、拠り所にしている事実。その二つの狭間で揺れ動きながら、全てを誤魔化すかのように、走り去った。

その姿を、一人の少女が見ている事に気付かないまま……

 

 

楓が稟を河へと突き落とし、逃げるようにその場を去った頃。芙蓉家では、楓の父親である芙蓉幹夫が珈琲を口に含みながら、帰りの遅い娘と稟を心配していた。

「こんな時間だというのに、楓も稟くんも遅いな。雨も酷いし、一体何処で何をしているのやら」

芙蓉幹夫。芙蓉家の大黒柱であり、楓の父親。彼は、今は亡き稟の父ー土見鉢康の親友であり、両親を失い身寄りのなくなった稟の保護者代理となった男。しかし、保護者代理と言っても、光陽町の住人のほとんどから敵視されている稟を助ける事が出来ず、彼の意思に負けて今の現状を作ってしまった人物でもある。

幹夫も最初こそは今の状況を何とかしようと稟を説得していたのだが、稟はその説得に応じずに嘘を貫き続け、結果として状況は変わらずに続いていた。幹夫は稟の現状を救えない自身の不甲斐なさに憤慨しつつ、今の状況を享受してしまっている自身を呪っている。彼の優しさに甘えん坊、自身がすべき事を放棄してさまっている。

「しかし、いつまでもこのままでいるわけにはいかないだろう。稟くんには悪いが、そろそろ楓に真実を話さなければ…」

だが、いつまでもこの状況に甘んじるわけにもいかない。五年もの間。稟に甘え続けておきながら、状況を改善させる事を放棄しておいて何を今更だが。もう、これ以上は限界だ。稟も、自分も。このままこの状況が続けば、いずれりんは……

幹夫が言葉を溢した時。玄関が開く音がした。

漸く楓か稟が帰ってきたのかと思い、玄関へと向かうと。そこにはずぶ濡れになっている楓の姿があった。

「楓、どうしたんだそんなずぶ濡れで!早くお風呂に入ってきなさい!」

楓がずぶ濡れで帰ってきた事に驚いた幹夫は、慌てて浴場からタオルを持ってくると楓に風呂に入るように促す。楓の様子がどこかおかしいが、今は早く温めるべきと判断した幹夫は詮索するような事はしなかった。

「ところで楓。稟くんがどこに行ったか知らないか?こんな時間だというのに、まだ帰ってきていないんだよ」

しかし、稟の事は訊いておかなければならない。未だに帰ってこない稟。夜も遅く、外は大雨。心配しない方がおかしいだろう。

その言葉に楓は、浴場に向けていた足を止めて。

「あの人は、もう帰ってきませんよ」

思わず呟いてしまった。

「楓……?」

その言葉に。その声に。嫌な予感を感じた幹夫は娘に問いかけてしまう。

「もう、いいじゃないですか。あんな人の事なんて放っておいて。私達から大切な人を奪った人を気にするなんて、馬鹿馬鹿しいじゃないですかっ!」

そう叫んで振り向いた楓の表情は……

何かを誤魔化そうと、ぐちゃぐちゃに歪んでいて。

自身の感情と、縋り付いているナニかとの間で揺れ動いていて。

泣いているようにも、笑っているようにも見えて。

「……まさか、楓、おまえ……」

普段の楓らしくない態度。

何かを誤魔化すかのような叫び声。

未だに帰ってこない稟。

外は大雨。

幹夫の脳裏に、認めたくない事実が浮かび上がってきた…

「お前、稟くんを……」

掠れる声で、幹夫は楓に問う。

そんな事はありえないと思いながら。

自分の娘が、そんな事をする筈ないと思いながら。

いくら稟を憎んでいようが、そんな事だけは、する筈ないと思いながら……

しかし、幹夫の想いも虚しく。

現実は、残酷な真実を伝える……

「……えぇ。河へ突き落としてやりました。お母さんの命を奪っておいて、のうのうと生きているなんて許せないから。きっと、無事ではないですよ……」

幹夫は自分の目の前が真っ暗になったような気がした。

稟が自身を犠牲にしてまで救いたかった少女は、あろうことか稟を……

楓の命を救ってくれていた恩人に、やってはならない、惨い事をしでかしてしまった。

確かに。稟にも非がある。いくら楓を生かす為とは言えど、彼女に嘘をついたのだから。その嘘で、彼の周囲の人達を狂わせたのだから。

だか。だからと言って、こんな残酷な仕打ちを受けていいものだろうか。寧ろ、大人である自分が。何も出来なかった自分こそが報いを受けるべきではなかったのか。彼の両親を奪ってしまった自分達こそが、裁かれるべきではなかったのではないか。

幹夫は、自分が立っている場所が崩れるような錯覚を覚えたが何とか堪えた。

そして。

 

ーーパシン!!

 

「…………ぇ?」

楓の、娘の頬を叩いていた。

楓は突然の事に、何が起こったのか理解できていない。呆然とした表情で自身を叩いた父親を見ていた。

「お父、さん……?」

普段親バカである筈の幹夫が、自分には決して見せたことのなかった表情で自分を見ている。

滅多な事では怒らなかった幹夫が、うっすらと涙を流しながら、楓に対して怒っていた。幹夫自身に対して、怒っていた。

その理由が、楓には分からない。いや、分かりたくない。だって、その理由を分かってしまったら……

幹夫は自身を落ち着けるように深呼吸すると、何かを決心したかのように楓を見つめる。

本当ならば、今すぐにでも稟を捜しに駆け出したいがこの状態の楓を放置するわけにもいかない。稟を捜し、彼を連れ帰った上で、楓に真実を伝えるべきなのだろう。なのに自分は、娘を優先して恩人である稟を捜しに行く事を……

「薄々気付いているとは思うが、楓。稟くんに止められていた真実を話す」

心が締め付けられる感覚がするのを無視して、言葉を発してしまう。

そしてその言葉に、楓は思う。

ソレハイッタイ、ドウイウコトナノカ……と。

楓が知っている真実と、幹夫が語ろうとしている真実。

真実は 一つしかなく、それは、楓が知っているものこそが唯一の真実であるべきもの。

なのに。どうしてこんなにも心が揺れ動くのだろう。

まるでそれは、楓が知る真実が……

「お母さん達三人を失ったあの事故だが……。あの事故の原因になったのは稟くんじゃない。私達なんだよ」

偽りのものであると、言わんばかりのようで……

「あの時お前は風邪を悪化させ、母さん達が出掛けた後で倒れてしまったんだ。稟くんはその事を私に伝えてくれて、一生懸命にお前の事を看病してくれたんだ」

父の言葉に、楓の脳裏に一つの光景が浮かび上がる。

それは、彼が、稟が自分を必死で看病している光景で。彼は心配そうに、楓の事を必死に看病してくれていて。

父から伝えられた真実に、心の底でやっぱりと、どこか納得している自分がいた。そして、伝えられる真実の先には、残酷な現実が待っていて……

「私達なんだよ。私達三人が、稟くんから両親を奪ってしまった……」

その真実は何と残酷で、愉快な話なのだろう。

被害者面で稟を貶めていた張本人が、実は加害者側だなんて。

悲劇のヒロイン気取りが、裏を返せば罪人だったという事実。

これほどに可笑しな話もあるまい。

彼に生かされていた自分は、彼に数えきれない程の傷を付け、恩を仇で返してしまったのだ……

「それが、真実なんですね……」

楓が自嘲の笑みを浮かべかけた時。

幹夫のものでも、楓のものでもない第三者の声が聞こえた。

その方向に二人が眼を向けると。

「さく、らちゃん……」

「桜ちゃん……」

稟と楓のもう一人の幼馴染みー八重桜がいた。

「勝手に家に入ってごめんなさい、幹夫おじさま。楓ちゃんが稟くんを河へと突き落としところを見て、居ても立ってもいられなくて……。あれから稟くんを必死に捜していたけど、結局見つけられなくて……」

あの場を見られていた事に、楓の表情が苦しそうに歪む。

よりにもよって、大切な友人である桜にあの場を見られてしまったのだ。周りの人間が稟の敵になっても、彼の味方でい続けた桜に。彼に恋心を抱いていた、彼女に。

楓が稟を突き落とした後。彼女は必死で稟を捜していたのだろう。傘をさす事を放棄して、一心不乱に。彼女の姿が、それを物語っている。雨に打たれ続けてずぶ濡れになっている、彼女の姿が。一体、どれだけの時間をこの大雨の中捜していたというのだろうか。

「稟くんがどうして、自分を犠牲にしてまで楓ちゃんを守り続けていたのかの理由が知りたかったけど、そんな理由があったんだね…」

「さくら…ちゃん……」

「何も言わないで、楓ちゃん。何か言われたら、多分私、抑えがきかなくなるから」

そう言って俯いた桜の肩は微かに震えていた。まるで、何かに耐えるかのように。

「すまない、桜ちゃん。私が不甲斐ないばかりに、稟くんにも桜ちゃんにも辛い想いをさせてしまった…」

「今更謝らないで下さい。それに、私に謝られても…困ります」

桜の足下に、透明な雫が落ちるのを幹夫と楓は確かに見た。

桜の気持ちが痛いほど分かる二人は、何も言えずに黙るしかない。

謝罪の言葉は、確かに今更であるし的外れだろう。その言葉を言うべき人物は、今此処にいないのだ。それどころか、もう……

全ては手遅れ。

致命的に遅すぎた。

楓は真実に気付くのが。

幹夫は真実を娘に伝えるのが。

あまりにも、遅すぎたのだ……

過去には戻れない。どれだけ悔やんでも、刻の針は戻せないのだ。

「私……これから先、楓ちゃんを許せないかもしれません……」

ぽつりと零される桜の言葉。

それは当然の言葉だろう。

余程の大馬鹿者でもない限り、楓を許せる者はいないだろう。桜は言葉を続ける。

「でも、それと同じように自分自身も許せません。無理矢理にでも稟くんを止めていれば、こうはならなかったのかもしれない。稟くんは、今も此処にいたのかもしれない。それを止められなかった私も、楓ちゃんと同罪です」

必死に涙を堪えつつも、堪えきれずに零れる涙を拭う事もせず、桜は言葉を紡ぐ。

自身を奮い立たせるように。

残酷な結末なんて認めないように。

「だから、私は…………」

桜から語られる想い。

それを聞いた楓は、その瞳から涙を溢れさせて床に膝をつく。

「ごめん……なさい……」

そこから楓は、その一言だけを繰り返し続けた。

それは一体、誰に向けられた言葉なのか。

幹夫と桜には分かっていたが、二人は敢えて何も言わない。

涙を流しながら謝罪の言葉を続ける楓と、涙を流しながら己を律しようとする桜に背を向け、幹夫は何かを堪えるかのように天井に顔を向けた。

「稟くん……鉢康……」



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其ノ弐:少女達ノ独白Ⅰ

第一章が終わる前に断章を更新。
本当は一章が終わってから更新する予定でしたが、形になったので先に更新。
内容は、稟くんがISの世界に行ってからの楓と桜の状況。
Ⅰという事は、当然ⅡもⅢもある訳で。
次の独白は、一体誰だろうか。


 楓が稟を突き落としてから早くも五年の歳月が経過していた。

 楓が稟を河に突き落としたあの日。あの日から稟が見つかる事はなかった。稟が河に呑み込まれて数日が経ち、数週間が経ち、数ヶ月が経ち、数年経った今でも、彼の姿が発見される事はついになかった。

 あの日から行方不明となってしまった稟。しかし、光陽町でその事がニュースになる事はなく。それどころか、町の住人達は稟がいなくなった事に対し、数名の例外を除いてほとんどが晴々とした表情を浮かべていた。

 人が行方不明になったというのに、それを心配するどころか喜ぶ町の住人達(げんじつ)に、楓と幹夫は恐怖を覚えた。人というのは、自身が正しいと思い込んでいればここまで残酷になれるのかと。人を奈落の底に突き落とす事を一切躊躇わず、それを成したら喜ぶのかと。

 しかし、二人がその悪夢(げんじつ)に抗議できる筈もない。何故なら、そうなってしまった現実を生み出したのは、他ならぬ自分達のせいなのだから。

 自分達の罪を見せつけられながら、それでも、稟が行方不明になるまでの自分達を演じ続ける楓と幹夫。稟がいなくなってどうして笑っていられるんだと叫びたかったが、稟に甘え続け、彼に全てを背負わせてきてしまった自分達が今更何を言えるのかという罪悪感に包まれてその言葉を呑み込み、今までと変わらない日常を過ごしていった。それが稟の望んだ事だと、今の自分達がすべき事だと、自らを誤魔化しながら……

 真実を知り、稟を失い、自らの所業の結果を見せつけられた楓は一時期自殺をしようとした事もあった。稟を苦しめ続け、助けられていた身でありながらその恩を仇で返した自分は生きる資格がないと、死んで稟に詫びなければと思って。

 だがそれは、桜と幹夫によって止められた。

『稟くんは、自分を犠牲にしてまで楓ちゃんを助けようとしていた。それが例え、自分勝手な想いからきたものだとしても、それでも楓ちゃんに笑っていてほしいと、笑顔で生きていてほしいと願って耐え続けてきた。もし楓ちゃんが稟くんのその想いを踏み躙る真似をしたら、私は楓ちゃんを軽蔑する。例え生まれ変わって再び巡り逢ったとしても、絶対に楓ちゃんを許す事はしない』

『私もお前の事を言える立場ではないが……稟くんに救ってもらった命を無駄にするのだけは止めなさい。そんな事をしてしまえば、稟くんの今までが無駄になる。稟くんの想いが無駄になる。稟くんが耐えてきた日々が、意味を成さなくなる。それだけは、しないでくれ……』

 桜の突き刺すような言葉に、父の懇願するかのような言葉に、楓は自殺する事を思い留まった。稟の想いを無駄にするなという、その言葉に。楓も幹夫も虫が良すぎると思うが、その言葉に縋るようにして自分達を支えていた……

 

 

 

 

 

 

 それぞれの想いを胸に光陽学園を卒業した楓と桜は、新設されたバーベナ学園へと進学する事を決めた。

 バーベナ学園。

 十年前に開門と呼ばれる出来事が起こり、神族、魔族と呼ばれる異種族達が住まう世界と繋がった事件。彼等は「魔法」と呼ばれる、御伽噺にしか存在しなかった力によって支配された世界の住人達。その世界の住人達との、三世界・三種族共存という平和的な道を歩む為に造られた学び舎。それぞれの世界のには各々の思惑もあるだろうが、人間、神族、魔族が多く住まう光陽町に設立された、未来の希望ともいうべき学び舎。それがバーベナ学園である。

 

 

 

 

 

 

 

 

—―side 芙蓉楓

 

 

 

 

 

 

 あの日から五年が経ちました。

 あの日。私が自らの罪に眼を背き続けて、稟くんを河に突き落としてから。

 稟くんを河に突き落としたあの日。私はあの時の真実を知りました。いえ、本当は気付きかけていたんです。だって、稟くんがお母さんを殺してしまっていたのなら、何故稟くんの両親までいなくなっているのでしょう。

 そう。稟くんの嘘には無理があったんです。でも、あの時の私はその嘘に縋る以外の道がなくて。そんな筈はないと稟くんの嘘に縋りついて自分を正当化させ、彼に消せない傷痕を残し続けてきました。

 そうして、真実を否定しながら彼を傷付けてきた報いが返ってきたんです。

 私は自殺をしようとしました。私達の恩人である稟くんを傷付け続け、彼からの恩を仇で返してしまった私に生きる資格はないと思い、死のうと思ったんです。

 でも、そんな私を止めたのはお父さんと、桜ちゃんでした。

 お父さんの言葉はそうですが、桜ちゃんの言葉は私の胸を深く突き刺しました。

 本当は私を責めたかったのでしょう。

 私の頬を引っ叩きたかったのでしょう。

 罵りたかったのでしょう。

 ですが桜ちゃんはそんな事をせず、ただ言葉を紡ぐだけでした。その言葉は私を苛みましたが、私以上に桜ちゃん自身が自分の言った言葉に苦しんでいたと思います。だって、あの時の桜ちゃんは、あの時の桜ちゃんの声音は、こちらが泣きたくなる程の哀しみの色を宿していたのですから。

 あの翌日。お父さんは稟くんを探しに隣町まで行きました。この町は私のせいで、住人の全てが稟くんの敵となっていたので警察も取り合ってくれませんでしたから。

 ですが、隣町まで足を運んでも稟くんは見つからなかったそうです。その日の内に帰ってきたお父さんの顔は悲痛に歪んでいました。勿論、その一回だけで諦めるお父さんではありませんでした。お父さんがいける範囲の場所は隈なく探し続けていました。しかし、結果は変わらず。

 私達の胸を絶望が包みました。

 何を今更と言われるかもしれませんが、それでも私は、私達は……

 そんな中でも、桜ちゃんだけは絶望に押し潰されないように気丈に振る舞い続けていました。

 桜ちゃんは、必ず稟くんは無事でいると私達を叱咤しました。必ず生きて、私達と再会できると。

 それは、現実を認めたくない愚か者の叫びと嘲笑われるでしょう。

 現実を理解しようともしない、可哀相な人と嗤われるものだったでしょう。

 私も赤の他人だったら、そう思っていたかもしれません。だけど、桜ちゃんの瞳は、声は、決して自分を誤魔化すようなものではなかったように感じたんです。

 それは、私の知らない稟くんと桜ちゃんの繋がりがそうさせていたのかもしれません。

 そう、桜ちゃんの左手薬指に嵌められている、玩具の指輪という絆が。

 あれを私は知っています。桜ちゃんが嬉しそうに語ってくれましたから。

 あれこそが、桜ちゃんを強く在り続けさせられている稟くんとの絆の一つなのでしょう。

 正直羨ましいです。妬ましいと思ってしまいます。しかし、私がそんな感情を持ってはいけないんです。

 と、話が逸れましたね。

 兎も角。桜ちゃんの言葉に励まされながら、私達は絶望と戦い続けてきました。

 そうして光陽学園を卒業し、私と桜ちゃんはバーベナ学園という学園に進学しました。

 バーベナ学園では『魔法』というものを学ぶ事ができます。御伽噺の中にしか存在しなかった不思議な力。その力があれば、もしかすれば稟くんを探し出す事ができるのかもしれない。そんな希望を抱いて。

 一年目は、まだ無理でした。

 バーベナ学園に入って一年で稟くんを見つけられたら、この五年で見つけられていたでしょうからそこまで残念ではありませんでした。きっと、本番はここから。

 二年生に進級して初の授業初日。

 私は朝起きて、この五年で習慣になった事をします。

 それは、稟くんの部屋を訪れて挨拶する事。

 今はいない、無人となってしまった部屋。

 あの時からそのままにしているベッドと、ボロボロになってしまっている教科書等の勉強道具の類だけが、ここに人がいたという証でした。

 元々汚れていなかったのと、そこまで散らかっていなかったのが相まって本当に人がいたのかと疑問に思う程の状態でした。

 その部屋に入って、私は稟くんの名を呟きます。当然返事などありません。でも私は、それに構う事なく彼の名を呟き、心の中で懺悔を繰り返します。

 自己満足でしかない懺悔を繰り返すんです。

 数十分そうし続け、稟くんの部屋から出る前に鏡を見ます。そこに映るのは、あの日から髪を伸ばした私の姿。肩まであった髪は、今は腰まで伸びています。これは桜ちゃんと同様、稟くんが見つかりますという願掛けです。彼が見つかるまで、私達は髪を切らないでしょう。

 それから稟くんの部屋を後にし、朝御飯を作ってからお父さんと一緒に食べます。御飯を食べた後は片付けをして、学園へと向かう。

 それが、私の日常。

 あの日から繰り返される、私の日常。

 今日もいつもと同じように、変わる事なく終わるのだろうと朝までの私はそう思っていました。

 ですが、今日この日をもって。

 あの日を境に止まってしまった私達の時間は。

 再び動き出す事になるのでした。

 今日来る魔界と神界からの転校生によって、私達の時は再び動き出すのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

—―side 八重桜

 

 

 

 

 

 

 稟くんが行方不明になってから五年。

 あの日から私は自分を誤魔化し続けながら生きてきた。

 楓ちゃんと幹夫おじさまには色々と言ってきたが、あれも全ては現実を受け入れられない自分の八つ当たりだ。あの二人だけの責任ではないのに、自分の事を棚に上げて二人に八つ当たりをしてしまった。

 それでも楓ちゃんもおじさまも何も言わなかった。二人は悲しそうに目を伏せ、言われるがままだった。そこで何か言い返してくれれば、私も感情的になって泣き叫ぶ事ができたのかもしれない。

 けれど、二人は黙って私の八つ当たりを受け止め続けただけだった。それが罰であるかのように、ただ黙って受け止め続けた。

「稟くん……貴方は今、何処で何をしていますか? 無事でいれくれていますか?」

 鏡に映る自分を見ながら、私は意味のない言葉を呟く。

 この言葉に応えてくれる人は、私の前でいなくなってしまったのに。

 鏡に映る私は泣き笑いの表情を浮かべている。楓ちゃんとおじさまの前では気丈に振る舞っているけれど、いざ一人になればいつもこの表情になってしまう。

「稟くん……」

 私は、稟くんが見つかるまで切らないと決めた髪にそっと触れる。それから左の薬指に視線を向ける。

 そこには、小さな、安っぽい指輪があった。

 その指輪は、稟くんとの絆の一つ。私と稟くんだけとの、楓ちゃんを含まない二人だけの絆の一つ。

 幼い時分。

 隣町で縁日があった。本当なら楓ちゃんと稟くんとの三人で行く筈だったそれは、楓ちゃんが熱を出してしまった事で稟くんと二人きりで行く事になった。楓ちゃんを残して行くのを躊躇った私達だが、当の楓ちゃんとおじさま達に説得されて行く事に。

 正直後ろ髪が引かれる思いだったけど、楓ちゃんのその想いを無駄にするのも躊躇われたので結局行く事にした。

 隣町の縁日は、光陽町でやる祭りよりも少しだけ規模が大きかった。人も多く、下手をすれば稟くんとはぐれてしまう。だから私は稟くんと手を繋いではぐれないようにした。

 普段は楓ちゃんも一緒で特に気にする事はなかったが、こうして二人っきりで手を繋ぐと否が応でも稟くんを意識してしまったのを覚えている。想い人である稟くんと二人っきり。自分の顔が赤くなっていないか、それを稟くんに気付かれていないかと心配した事もあった。まぁ、稟くんに気付かれる事はなかったけど。楓ちゃんの分も、思いっきり楽しもうと微笑んでくれたっけ。それにまた胸が高鳴ったけど。

 相変わらずな稟くんにちょっとがっかりしたけど、それが稟くんだから仕方ない。そんな稟くんだから好きになった訳だし。

 それから二人で楽しんで周った。思う存分遊び倒した。

 稟くんとの時間を心の底から楽しみ、もう少しでこの時間も終わってしまうとなった時。私の眼に、ふとある出店が留まった。そこは、アクセサリー類が売ってある出店だ。

 ぞのお店の数あるアクセサリーの中で私の眼を特に引いたのが、私が今している指輪だった。別段特別な意匠をこらされた指輪ではない、ちっぽけな何処にでも売ってあるような指輪。それがどうしてか気になって……

「いらっしゃい、小さなお嬢さんに少年」

 そのお店を開いていたお姉さんに声をかけられた。

 なんでも、このお店のアクセサリー類は全てお姉さんの手作りらしい。そこから私とお姉さんは会話を弾ませた。やっぱり、女の子ならアクセサリーには興味がある訳だし、どうしてそれを手作りするようになったのか気になったのでお姉さんに質問攻めをしたのも、今となってはいい思い出だ。

 そうして話していて、このお店の商品にはそれぞれ想いを籠めて作ったとお姉さんは語った。

 そして、この指輪に籠められた想いは『絆』。

 例え離れ離れになったとしても、この指輪が作った『縁』で所有者達を繋ぎ止め、再び巡り会わせるもの。

 何があっても所有者を引き離させない、所有者の想いを支え、その想いを現実とさせる為のもの。

 それを聞いて、私はこの指輪を買う事を決めた。

 稟くんは私の眼をじっと見つめた後に頷いて、この指輪を買ってくれた。

 そんな色々な想いがある指輪。

 稟くんがいなくなった後も、私を私でいさせてくれている指輪。

 その指輪の『絆』に縋って、私は自分の『夢』を保留した。夢である、人形職人の道を一時保留して、このバーベナ学園に入学した。

 この、『魔法』というものを学べるバーベナ学園へ。

 稟くんと再び逢える、恐らくは最後の希望であるだろう場所へ。

「稟くん……」

 私の心は、そろそろ限界だろう。

 どこか他人事みたいにそう思ってしまった。

 もし、この希望が断たれれば、私は私でいられる自信がなくなる。

 だから、どうかお願いします。

 稟くんと、再び……

 

 

 

 

—―桜……

 

 

 

 

「え……?」

 それは、私の弱い心が聞かせた幻聴なのかもしれない。

 諦めの悪い私に、せめてもの情けと神様か悪魔かどっちか分らない存在が聞かせた悪戯なのかもしれない。

 だけど、確かに私は聞いたんだ。

 

 

 

 

—―ありがとう……

 

 

 

 稟くんの、声を……

 私の瞳から、涙が零れる。

 今まで我慢していたものがどんどん溢れてくる。

 例えこれが幻聴だとしても構わない。

 だって、確かに私は聞いたんだ。

 稟くんの声を!

 稟くんは生きている!

 それだけで、私の胸が満たされる気持ちになる!

「稟くん。私は……」

 そして、私達の、私の止まってしまっていた時間は……

 ここから再び動き出す。

 それは、この指輪が紡いでくれた奇跡なのだろうか……

 



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第一章――旅立ち、IS学園へ
第八話:旅立ち


 私の拙い文章を読んでくれている方々。
 私の作品をお気に入りしてくれている方々。
 感想を書いてくれている方々。
 誤字報告をしてくださる方々。
 皆様に感謝を。

 皆様に読んでもらえて、執筆意欲が凄く湧いてきています。
 これから本編に入るにあたり、原作設定の無視・改編などが続々と起きるでしょうが、それでも問題ない方は最後まで読んでいただけると幸いです。



 また、質問に答えてくださいました十六夜煉様、荒波に飲まれる者様、Nazuna.H様。
 ヒロイン枠の希望ありがとうございます。
 SHUFFLE!勢が本格的に絡むのは福音戦以降を予定しておりますが、ネタを煮詰めてご希望に添えるよう頑張っていきます。


 さて、それでは本編へどうぞ。



-追記-
ご指摘のもと、束とアレンの口論部分。
あと、その他も少し修正しました。
ここの文章は修正すべきという部分がありましたら、ご指摘していただけると幸いです。


 季節は春。

 其れは、出会いと別れの季節。

 出会いがあるからこそ別れがあり、別れがあるからこそ新たな出会いがある。住んでいる世界が異なっても、それだけは変わらない。

 世界に拒絶され、新たな世界に立った稟。彼が平行世界へと訪れてから四年の月日が流れていた。未だ元の世界に帰る術は見つからず、次第に焦燥感が募っていく日々。最早、元の世界に帰る事は不可能なのだろうか。

 そんな、ある日の事。

 稟は夢を見ていた。

 最早、二度と戻る事はない幸せだった日々を。

 大切な幼馴染の少女二人と笑いあっていた日々を。

 取り戻したくて叶わなかった日々を。

 だが、そんな甘い夢もすぐに終わりを迎える。

 彼にとって、未だに胸に突き刺さっている言葉で。

「りんなんか……死んじゃえばいいんだっ!!」

 

 

「――ッ!?」

 ガバッ!と、勢いよく起き上がる稟。

 最早、聞く事が叶わない少女の声。

 助けたくて、また笑いあっていたかった少女の声。

 自分のエゴを押し付け、騙してしまった少女の声。

 優しかった少女に言わせてしまった、言葉の刃(りんのつみ)

「そう、だよな……」

 忘れる事は許さないと。

 己が犯した罪の重さを無視するなと。

 罪人が、のうのうと生きるなと言わんばかりの、夢の幕引き。

「忘れるなんてありえない。幸せに浸っていいわけがない」

 早まる鼓動、荒い息を落ち着ける為に稟は深呼吸をする。

 額に浮かんだ汗を手で拭い、稟は自嘲混じりに呟く。

「俺は、罪人なんだから……」

 

 ――コンコン

 

「稟様。朝食を作る時間になりました」

 ノックする音と同時、少女の声が聞こえた。

 その声に、稟は時計を確認すると。

「もうそんな時間か。着替えるから先に厨房に行って待っててくれ、クロエ」

「分かりました」

 少女―クロエにそう言って着替えはじめる。

 クロエと呼ばれた少女は返事をし、稟の部屋から離れていった。

 着替えはじめた稟はふと鏡を見て、そこに映っている自分の顔を一瞥し、

「……分かっているさ。自分の罪の重さは」

 あまりの酷い顔に、思わずそう溢していた。

 

 

 着替えを済ませ、厨房へと着いた稟。そこで待っていたのは一人の少女。流れるような銀髪に、常に閉じられた瞳。幼いその体躯は、どこか儚げな雰囲気を持っている。

 彼女は去年、稟達がフランスから戻ってきた数か月後に束が「ごめん、暫く留守にするから」と言って、稟が静止の声を上げるよりも素早くいなくなり、一月後に帰ってきた時に連れて来た少女。ビクビクしながら束の背に隠れ、こちらを窺うように見てきていた少女の頭を優しく撫でながら、「今日から新しい家族になるくーちゃんだよ。よろしくしてあげてね」と言ってきた束に、稟は思わず呆然とした声を漏らし、アレンは苦笑していた。

 そうしてクロエも稟達との生活に加わる事になったが、最初の頃は中々心を開いてくれずコミュニケーションが全く取れなかった。彼女は常に束の傍におり、稟やアレンが近づこうものなら束の背に隠れて稟達を拒絶していた。

 まぁそれも、彼女の生い立ちを束から聞いて納得した。彼女の生い立ちを聞いた稟は積極的にクロエに話しかけ続けた。どれだけ彼女に拒絶されようとも、逃げられようとも諦める事無く。

 その甲斐あってか彼女も徐々に心を開いていき、今では問題なく共に過ごしている。

「ところで、今日の朝食は何を作るのですか?」

「ん、そうだな……クロエは何か希望あるか?」

「稟様が作られる物ならば何でも」

「…………そう」

 作り手には一番困る返しに稟は苦笑する。

 嬉しい事には嬉しいのだが、何でもというのは本当に困る。作った後でこれがよかった、あれがよかったと言われないのは幸いであるのだが。

 稟は食材を確認しながら何を作るのかを考える。折角作るのだから、やはり笑顔になってほしいと考えながら。

 さて、何故稟とクロエが料理を作るのか。今までであれば稟一人で作っていたのだが、クロエが共に生活をするようになってからは彼女も料理を作るようになった。

 束に拾ってもらった恩を返したくて料理をし始めたクロエだが、最初の頃は酷かった。如何せん彼女には知識がなく、作る物は全てが名状し難きナニかだった。炭やゲル状の物体になれば幾分かましな方で、一体どういう化学変化を起こせばモザイクがかかったり腐臭を漂わす、おぞましいナニかが出来上がるというのか。

 束は気にすることなくそれらを口にしていたが、稟とアレンは戦慄の表情を浮かべてそれらを見ていた。勇気を振り絞って口にした時の反応は、まぁ、語る必要はあるまい。ただ、一つ言うのならば、美しい花畑が見えたとだけ。

 それからだ。稟がクロエに料理を教え、一緒に作るようになったのは。稟も独学で学んだ為に教える事に四苦八苦したが、その苦労もあってかクロエも人が食べて大丈夫な物を作れるようになった。ただ、時折ではあるが見た目はおぞましいが食べてみると意外と美味しい料理、見た目はいいのに味は一撃必殺☆な料理が出来上がるのはお約束と言うべきか何なのか。

 クロエに料理を教えるようになった時の事を思いだし、稟は苦笑したのだった。

 

 

 それから暫くして朝食を作り終えた稟とクロエはそれぞれ、束とアレンを呼びに彼女達の部屋へと向かう。食堂に四人が揃えば談笑しながら食事を摂る。それが彼等の日常風景だ。

「う~~ん!りっくんが作る料理は美味しいね♪」

「稟様の料理の腕もかなり上達しましたね。最初の頃は酷かったですが、今では稟様の料理なしは考えられません」

 束とアレンのそれぞれの言葉。身内贔屓しすぎではないか?と思わせる二人の言葉に苦笑しながらも、稟も箸を進める。よくここまで作れるようになったと思いながら。

「そんなに喜んでもらえるなら、頑張って料理を覚えた甲斐があるね」

 笑顔で料理を食べている三人を見つめながら、稟はそう呟く。

「稟様の手料理を頂いて喜ばないなどありえませんよ」

「あーちゃんに同意だね。りっくんの手料理は束さん達にとって至宝も同然」

「稟様の料理には、どこか温かいものが感じられます」

「……クロエも、わざわざ二人に合わさなくていいんだぞ?」

 べた褒めしすぎる二人の言葉をスルーして、クロエにそう言う稟。スルーされた二人はぶーぶーと不満の声を上げているが、それを悉くスルーする稟。相変わらずの光景である。

「別に束様達に合わせている訳ではありません。そう感じたから言ったのです」

「……そっか」

「……?」

 頬を搔きながら厨房へと引っ込む稟。クロエはそんな稟を不思議そうに見ながら首を傾げる。

「珍しく照れていますね」

「だね。それだけくーちゃんの言葉が効いたんだろうね」

 束とアレンは、稟の態度に面白そうに笑う。言葉だけで照れている稟は珍しいらしく、二人の表情はかなりにやけている。

 クロエは二人へ顔を向け、どういう意味かと問い掛ける。それを察した束とアレンは顔を見合わせてから頷くと、

「稟様はですね……」

「アレン、余計な事は言わなくてよろしい。クロエも気にしなくていいから」

 アレンの言葉を遮るように、人数分の紅茶を用意して稟が戻ってきた。

 彼女達の前に紅茶を置いた稟は、クロエの頭を優しく撫でながら束とアレンをジト眼で見つめる。一方の撫でられているクロエは気持ちよさそうにそれを受け、その頬を若干朱に染めていた。

 そのクロエの変化を目敏く見た束とアレンは、

(創造主。まさかとは思いますが、もしやクロエも?)

(う~ん?どうだろう。りっくんがくーちゃんにフラグを立たせた場面はなかったと思うけど……)

(ですが、相手は稟様です。天然人間磁石で、鈍感王で、朴念神の稟様ですよ?私達の知らぬ間にフラグの一つや二つ立てていてもおかしくありません)

(……否定できる要素が一切見つからないね。流石は歩けば棒に当たるならぬ、フラグが立つりっくんというべきなのかな?)

(現に、フラグを立てられている者が数名いますからね。この世界の住人ではありませんが、それでも忌々しき事態なのです。あまつさえ、あの少女の他にクロエにまで立てられているとなると……)

(くーちゃんは大事な家族だけど、それとこれとは話が別だし……)

 稟のジト眼もなんのその。稟のフラグ関係を二人はひそひそと話し合う。

ぶれない二人である。というか、かなり悪化していないだろうか?

 一体どうしてこうなったのか。稟と過ごしていた数年の間に何があったのか問い質したい。稟が絡むとどこまでも残念になる二人なのだった。

「……なんか、失礼な事考えてないか?」

 それを察したわけでもないだろうが、何か不快な電波でも感じたかのように稟が顔を顰めてぼやく。

「……りっくんがいけないんだよ」

「そうですそうです。フラグを乱立させる稟様がいけないんです」

「旗って……何を言ってるんだ。そんな覚えは一切ないぞ」

『えっ?』

「……え?」

『……なにそれ、こわい』

 思わずハモる二人。

 稟が無自覚・無意識でフラグを立てている事は二人とて理解している。理解しているが、改めて稟の口からそんな言葉を聞くと呆れずにはいられない。

 自身の容姿と言動に無自覚でフラグを立たせ、そのフラグに気付かない稟。立ったフラグの数は、一体いくつある事やら。流石は歩く旗製造機というべきなのだろうか。彼女達の受難は続きそうである。

 

 

 

 

 さて、そんな楽しい朝食の一時も終わり、それぞれがリラックスしていた時である。

「……りっくんにお願いがあるんだけど」

 束が神妙な顔でそう言ってきたのは。

 いつになく真剣な束の表情。それに何を感じたのか、稟は眼を細めて束を見つめ、

「……紅茶のお替り、いる?」

「…………お願いしていいかな?」

 重大な話であると予測した稟は、長くなるであろう話に喉を潤す物が必要だと考えるのだった。

 紅茶を用意し、改めて束の話を聞いた稟達。彼女のお願いを纏めると以下の通りになる。

 ①稟にはIS学園に通ってほしい。

 ②IS学園に入学する織斑一夏と、彼女の妹である篠ノ之箒を守ってほしい。

 それを聞いて稟は顔を顰める。特に、IS学園に入学という言葉を聞いてだ。

 学園。それは、稟にとって辛い思い出しかなかった場所。一人の少女を除いて、全てが彼の敵だった牢獄(せかい)。肉体的・精神的暴力が渦巻く、隔離された空間。

光陽学園とは違うと分かっていても、それでも……

「……本当はこんなタイミングで、こんなお願いをするなんて間違っている事は分かっている。もっとマシなタイミングはなかったのかって言われる事くらい、理解しているんだ。でも、それでも私は……」

 束とてそれは重々承知している。彼の過去を少なからず知っている束としては、こんなお願いをしたくはない。彼の心を抉る事なんてしたくはない。それでも、願わずにはいられない。頼らざるをいられない。

 それほどまでに。

「彼の、織斑一夏の存在は極めて重要、という訳ですか」

 今まで黙って話を聞いていたアレンが口を挟む。

「世界で唯一、ISを動かせる男の存在は」

 その表情は無表情で。

「その男を守る為ならば、稟様を、我等が『王』を身代わり(いけにえ)にしていいとでも?」

 その声には、怒気が宿っていた。

 いつもの巫山戯た雰囲気など微塵もなく。王を護る騎士のような雰囲気を身に纏い、人を射殺してしまえそうな程に鋭い眼光で自らの創造主を睨みつけている。

「『王』の過去を少なからず知る貴女が、『王』を想っている筈の貴女が……」

「あーちゃんの言いたい事は分かっている。私だって本当は、こんな時にこんなお願いをしたくない。りっくんの気持ちにゆとりが出来てからお願いしたかった。でも、それでもね」

 アレンの眼光から視線を逸らさず、辛そうな顔で見つめ返し、

「いっくんも、束さんにとって大事な存在なんだ。私の夢を聞いても、笑わないでくれた大事な人なんだ。いっくんも、りっくんも、私にとって大事な存在。それを、失いたくない」

 自身の想いを吐き出すように言葉にする束。

 稟と出逢うまでの束からは信じられない、彼女の言葉。

 彼女を知る者がこの言葉を聞けば、自分の耳を疑った事だろう。これがあの、篠ノ之束なのかと。

 睨みあう束とアレン。

 互いに譲れないものがある二人は、普段の関係が嘘のように対立している。

 重い空気に飲まれたクロエはオロオロと二人を見比べ、稟は黙したまま何も言わない。

「……それで、『王』の身に危険が迫る可能性があると理解していてもですか?」

「……その事は百も承知。危険が迫る上に、りっくんの気持ちを踏み躙る、馬鹿なお願いだって分かっている。それでも、いっくんを助けてほしい。このままだといっくんは、いずれ世界中から狙われてしまうから……」

「……確かに、いずれそうなるでしょうね。ですが、それは『王』にも言える事。『王』の存在が露見してしまえば、世界から狙われる」

「…………」

「『王』の存在が知れ渡れば、世界の悪意は『王』を逃がさないでしょう。悪意はありとあらゆる手段を以て、『王』を捕らえる為に動く。その比は、恐らく織斑一夏とは比べ物にならない」

 アレンの言葉に、束は顔を伏せてしまう。

確かにアレンの言うとおりだ。稟という存在が世界に露見してしまえば、彼にも危険が及ぶ。世界中の悪意が、稟に襲い掛かる。そんな事は束だって知っている。稟本人にそう告げたのは、他ならぬ自分なのだから。

だが。そうだとしても、織斑一夏を見捨てる事は彼女には出来ない。束にとって、彼もまた大事な存在なのだから。

土見稟と織斑一夏。束にとって二人は、天秤にかける事の出来ない存在。だが、現に彼女は今、稟を犠牲にする道を選んでしまっている。彼の味方で心を、抉る選択肢を選んでしまっている。そんな事、望んでいないのに。この選択が、二人を見捨てない道だと、失わない道だと、そう自分に言い訳をして。

時間をかけて考えれば、他にもっといい方法が浮かんだのかもしれない。いや、そもそもこんなお願いをしなければよかったのだ。

それでも、束にとっては……

「…………アレン、もういい」

重苦しい空気が漂う中、今まで黙っていた稟が唐突にそう呟いた。

「……『王』?」

「……りっくん?」

稟の呟きに、口論をしていた二人は揃って稟に視線を向ける。二人の視線を受けた稟は、真っ直ぐに束を見つめ。

「それが、束さんの願いなら……行くよ。IS学園に」

稟の言葉に束は驚き、アレンは表情を険しくする。

「本気ですか、『王』。創造主は、貴方を身代わりにしてでも織斑一夏を助けたいと言っているのですよ?貴方の心を抉ってでも」

「……そうだな。言葉通りに受け取れば、束さんはそう言っている。でも、アレンだって分かってるんだろ?束さんの気持ちは」

「…………」

 稟を諌めようとするアレンだが、彼の優しげな表情に見つめられては黙るしかない。それに、稟に言われるまでもなく束の想いは分かっているのだ。

 束とてアレンと同じように稟を想っているのだ。束が稟を身代わりにする事を望んでいない事くらい、アレンとて分かっている。稟と織斑一夏。この二人が、束にとって同じくらいに大切な存在である事は理解しているのだ。この二人を護る為にはどうすればいいのかを、必死で考えている事くらい分かっている。

しかし、アレンという存在にとっては『土見稟』こそが唯一の存在。彼を犠牲にしてまで他者を救うなどあってはならぬ事。それが例え、己の生みの親の願いであってもだ。

「アレンの気持ちは嬉しい。でも、アレンに辛い思いをさせると分かっていても、俺は束さんの力になりたい」

「…………」

「束さんは俺の恩人なんだ。世界から拒絶されたおれを救ってくれた。その恩を返したい。それに、俺の事で二人が言い合いをするのをこれ以上見たくない。だったら、俺が我慢すればいいんだ。心配しなくて大丈夫。我慢は俺の、唯一の特技だからさ」

微笑みながらそう言う稟に、アレンは顔を歪め、束は涙を溢しそうになる。

「……それでは、貴方が傷付くだけではないですか。心が、ボロボロになるだけではありませんか!どうして貴方が犠牲にならなければいけない!?創造主のお願いを聞いて貴方が傷付くなんて、おかしいでしょう!?」

「…………」

アレンの心からの叫びに、しかし稟は言葉を返さない。彼はただ、微笑んでアレンを見つめるだけ。だが、その瞳には強い意志が宿っており、その意志が雄弁に語っていた。

「ッ!?あな、たは……」

自分は大丈夫だからと。

苦しくないからと。

誰かが傷付くくらいならば、自分がと……

「貴方という人は、どうして……」

アレンの苦しげな呟きは、しかし稟には聞こえない。

彼女は涙を流しそうになるのを懸命に堪えながら、稟を説得する方法を考える。だが、説得が意味をなさないだろう事を彼女は知っている。この時の彼は、最後まで自分の意志を貫く通すと知っているから。かつてと、同じように。

「分かり、ました。『王』が、稟様がいいとおっしゃるのならば、私に否定する事はできません」

「……あーちゃん」

「ですが、条件として私も付いて行きます。稟様を護る事が私の使命なのですから。もっとも、初めからそのつもりだったのでしょう?」

「…………ごめんね」

「……分かっているんです。貴女の気持ちは。貴女も私と同じなんですから。ですが、それでも認める訳にはいかなかった。貴女にとって織斑一夏も篠ノ之箒も大事な存在なのでしょうが、私にとっては稟様こそが全て。その稟様が傷付く事を、私は許せない。ですが、その稟様が望むのならば……」

「……」

「護ってあげますよ、織斑一夏と貴女の妹の事は。稟様のついでですけどね。ですが、私の最優先対象は稟様です。それをお忘れなきよう」

「分かってるよ」

「ならば結構。貴女はしっかりとバックアップして下さいよ?IS学園に入学となると、色々とめんどくさそうですし」

 やれやれと溜息を吐きながらそうぼやくアレンに、束は申し訳なさそうに苦笑する。アレンは先程までの剣呑な雰囲気はどこへやらいつもの雰囲気に戻っていた。稟の意思に負け、不承不承折れたのだろう。

そんなアレンに感謝しつつ、稟は束に視線を向ける。

「そうなると、色々と準備しないとだね。束さん、IS学園への入学はいつになるのかな?」

「えっと、………………五日後だね」

「はぁ!?全然時間がないじゃないですか!やはり創造主は馬鹿です!なんで入学する日がお願いした日の五日後なんですか!?IS学園への入学は確定事項で、私達に拒否権はなかったと言いたいのですか!?この馬鹿創造主!!」

「そ、そういう訳では……」

「そうとしか捉えられないでしょう!?何を考えているのですか貴女は!」

「あ、あううぅぅぅ」

「大体貴女はいつもいつも!」

 先程までのシリアスな空気はどこへやら。急に束へ説教をしだすアレンと、涙目でアレンから逃げようとする束。

 まぁ、アレンの言い分はごもっともなので、束に助け船をだす事は出来ない。理由は何かしらあるのだろうが、これには流石の稟も困ったものだと肩を竦めるだけである。

二人がいつもの空気に戻った事に稟は笑いを噛み殺し、未だ呆然としているクロエの頭を撫でてやる。

 急に撫でられたクロエは不思議そうに稟を見つめる。それに稟は淡い笑みを浮かべ、

「……ありがとう。そして、ごめん」

それは、誰に対して言ったのか。

その言葉を聞き取れなかったクロエは、ただ首を傾げるだけ。

 

 

 

 

 束とアレンの言い合いも終わり、IS学園に編入する為の準備―束の天災的な行動により、試験は入編入前日に行われるのでそれ以外の準備―を終えたその日の夜。

「…………どうしてこうなっているんだろうか」

 げっそりとした表情で稟は溜息を吐いた。

 その理由は。

「どうしたの、りっくん?」

「……稟様、温かいです」

 稟の右腕に抱き着き、幸せそうな笑顔を浮かべている束と、左腕に抱き着き、稟の温もりに幸せそうに表情を緩めているクロエが原因だったりする。

 ちなみに稟の今の状態は束の部屋で、ベッドの上に腰を掛け美少女である束とクロエに挟まれている状態である。彼の両腕には二人の胸が押し付けられており、男が見れば嫉妬に狂ってもおかしくない状態なのである。あるのだが、稟の外見は美少女にしか見えない容姿なので、嫉妬に狂った輩が暴走するような事はないであろう。

 まぁ暴走する輩は一人いるのだが、彼女は現在、自分の部屋で涙を流しながら蹲っている。

「なんで俺は、二人に腕を抱き締められているのかな?」

「……りっくんは、束さん達に抱き締められるのは嫌?」

「…………」

「うぐ……」

 寂しげな声で上目遣いに見つめてくる束と、不安そうに見つめてくるクロエ。美少女二人の涙目上目遣いという、とんでもない破壊力を秘めた視線。その威力には稟も思わず唸ってしまう。

「……別に、嫌じゃ、ないけど……」

「だったらこのままでいいよね!」

 そう言うと束は顔を輝かせ、稟の腕を強く抱き締める。クロエもクロエで束に対抗するかの如く、遠慮がちに、けれどしっかりと稟の腕を抱き締める。その際に、二人の胸がより強く押し付けられる訳だが。

(……なんでこうなったんだか)

 腕に当たっている柔らかい感触を極力意識しないようにして、稟はこうなった原因を思い返す。

 稟が束とクロエに腕を抱き締められている原因。これには、海よりも深い、深~い理由が、当然だがある筈もない。というか、しょうもない理由である。

 ざっくりと述べるなら、りっくんエネルギー(束命名)の充填の為だとか。稟がIS学園に行くという事は、長い間彼に会えないという事。それを承知でお願いしたのだが、やはり寂しいものは寂しい訳で。

 図々しいと、身勝手だと分かっていても。せめて稟がIS学園に行くまでは一緒にいさせてほしいと束が弱々しく主張。その主張にアレンは眉を吊り上げるが、彼女が口を開く前に稟が了承。文句を言いたそうなアレンを何とか説得して今に至るのだった。

(あの時のアレンは危なかったな……)

 稟の説得により何とか折れたアレンだが、納得はしていない。あの時の涙を流しながら呪詛を紡ぐかのようなアレンの表情は、稟の顔を引き攣らせるには十分な威力を有していた。IS学園に行ってから、アレンが暴走しない事を祈るばかりである。

 稟は溜息を吐きながら、幸せそうにしている二人を盗み見る。束はいつもの事だからほぼ諦めているが、そう言えばなんでクロエまで便乗しているのだろうと内心首を傾げつつ。

「……ふぁ」

 唐突に、クロエが欠伸を漏らした。

「眠くなったか?」

「いえ……まだ、大丈夫、です……」

 クロエはそう言うものの、うつらうつらと頭を揺らしていた。いつもならば寝ている時間なので、ここまでよく耐えたものだ。

「そろそろ寝ようか?」

「そうだね。くーちゃんも限界のようだし」

時計を確認すれば、時刻が既に十時を過ぎている。

束は稟の腕から漸く離れ、ベッドから立ち上がると。

「………………りっくん」

彼に背を向けた状態で、声を震わせながら彼の渾名を呟く。それに何を感じたのか。

「…………何?」

問い掛けの短い言葉は、静かで、あまりにも優しい響きを持っていた。

「……今日は我儘な事を言ってごめんね」

謝っても、赦される事ではないと分かっている。

彼の心を抉る行為をしたのは変えられない現実。

彼を犠牲にする道を選んでしまったのは、他ならぬ自分自身。

どれだけ言い繕っても、その現には覆らない。

なのに、稟は束を責める事はしない。

ふざけるなと、罵詈雑言を吐かない。

人によっては、精神に重症を負い、心が壊れてもおかしくないのに。発狂してもおかしくないのに。

彼は……

「束さんが謝る必要はない。これは、俺が選んだ選択肢でもあるから」

どうして、優しい言葉で包み込もうとするのか。

「だから、大丈夫」

そんな事、ある筈ないのに。

大丈夫は筈が、ないのに。

どうしてそこまで、気丈に振る舞えるのか。

自分が傷付く事を承知で、他者を庇う行動に出るのか。

束はそっと、彼の顔を見る。

「……っ!?」

彼は笑顔を浮かべて束を見つめていたが、その笑顔はあまりにも儚く、今にも壊れてしまいそうなほどに弱々しいもので……

舟を漕いでいるクロエをそっとベッドに横にさせた稟は、視線を逸らせば消えてしまいそうだと、束の瞳には映った……

 

 

 

 

 時が過ぎるのは早いもので、いよいよIS学園入学の前日。

 今日この日をもって、稟はIS学園へと旅立つ。

「うぅぅぅぅ、どうして時間が経つのがこんなに早いんだよおおぉぉぉぉ」

 新天地へ旅立つのに相応しく空は快晴なのだが、如何せん一人のせいで台無しになっていた。その人物は、血涙を流しながらアレンを妬ましそうに睨んでいた。

「おほほほほほほ!何事も諦めが肝心ですよ、創造主?稟様の門出なのですから女々しく泣くのは止めなさい!」

 睨まれているアレンは物凄い優越感に浸っていた。物凄い、ご満悦な表情でこれ見よがしに。

 とてもではないが、前日までは獣のような唸り声を上げていた人物には見えない。何なのだろうか。この二人の変貌ぶりは。何時も通りの残念さとは言えるのだが。

まぁ、それが演技である事は稟も理解している。表情がいつもより硬い稟の事を想い、二人は彼の緊張感を解そうといつも通りの残念ぶりを演じているのだ。

そんな二人とは対照的に静かに、けれど寂しげな表情で稟の腕を掴んでいるクロエ。

 稟はそんな三人に苦笑しながら、最早癖になってしまったのかクロエの頭を優しく撫でる。クロエはそれでも寂しげだったが、その手に込められている感情に何を思ったのかそっと手を放す。

 稟はそれに微笑んでから束に視線を送り、

「束さん」

 優しい声音で声をかける。

 それに言い争いをしていた二人はピタリと止まり、彼の方へ顔を向ける。

「いってきます」

「…………」

 その言葉に、何を感じたのか。

 束は瞳を僅かに揺らし、

「……いって、らっしゃい」

 何かを堪えるかのように、囁くように言った。

 稟はそれに頷き、束が用意した人参型のロケット(ステルス迷彩機能付き)に乗り込む。それを黙って見つめる束とクロエにアレンは近付き、

「稟様の身は私が必ず。貴女達は、バックアップを」

「りっくんの事は頼んだよ。束さん達は」

「稟様に手を出す不届き者がいないように」

 頷き合う三人。

 彼女達の想いは決して揺らがない。彼女達の行動は、全て稟の為に。

「学園での稟様の動画と画像は必ず送信しますのでご安心を」

 アレンはそう言ってからロケットに乗り込もうとし、

「あーちゃん」

 束に止められる。

 アレンが振り返ると、束はアレンの手に何かを握らせる。

「……これは?」

「あーちゃんがISだとばれない為の物。当然だけど、学園の授業ではISを使う事がある。その時にあーちゃんがISを使わないとなれば周りからは不審がられる。でも、これがあれば周りからはあーちゃんがISに乗っているようにも見える」

「……」

「けど、どこまで誤魔化せるかは分からない。ちーちゃんには事情を説明してるけど」

「分かりました。ありがたく使わせてもらいます。最悪、私がISだと露見した時は……」

束とアレンは真剣な表情で頷き合い、

「では」

 今度こそ、アレンはロケットに乗り込む。

 アレンがロケットに乗ると同時。ロケットは発射体制に入り。

 数分後には、ステルス機能を起動させて飛び立った。

「りっくん、あーちゃん……」

「…………」

 後には眼を細めて彼等の名を呟く束と、祈るように空を見上げたクロエが残された。

 

 

 

 

 稟とアレンがロケットに乗り込んで数時間。彼等はIS学園に着くまでの間談笑をしていた。

 アレンがロケットに乗り込むまで、束達と話し合っていたのを窓から見ていた稟だが、その内容を詮索するような事はしなかった。彼女達が稟を除いて話す内容といったら、自ずと分かってしまうからだ。

『当機はまもなく、目的地点へ到達。着陸態勢へと移行します。着陸時の振動にご注意ください』

「どうやらもう着くようですね。見てください、稟様。IS学園が見えてきました」

 不意に上のスピーカーから機械音声が流れ、アレンが窓から外を見るように促す。

 促された稟は窓から外を覗き見、

「……あれが、IS学園」

 見えてきた学園の姿に、思わずそう漏らしていた。

 

 

 着陸にちょうどよさそうな公園へと着いたロケット。ステルス機能は当然起動したままで、稟とアレンはロケットから降りる。

「さて、無事に着きましたね。此処からならば徒歩でもそう時間はかからないでしょう」

「学園で教師の人が待ってくれているんだよな?時間は?」

「大丈夫です。試験の時間には充分に間に合いますよ」

「あちらには苦労させるな」

「創造主ですからね。一体どう脅迫(せっとく)したのかは知りませんが、この試験はあってないような物です。あちらの苦労と苦悩が簡単に目に浮かびますね」

 これから受ける試験に気負いは一切なく、自由すぎる束に呆れてしまう稟とアレンだった。

 稟としては、お詫びの品を持って行きたいところではあったが、残念ながらそんな時間はなかった。せめて、束の関係者としてお詫びの言葉を述べねばと考えつつ学園へ向けて歩く。

「稟様も律儀ですね」

 稟の考えが大体分かるアレンは、稟を見て肩を竦めるのだった。

 

 

 数十分程歩き、漸くIS学園の門が見えてきた。その門には一人の女性が立っており、稟とアレンが目前まで来るのを確認すると、

「来たか。お前達が束が言っていた者達だな?」

 そう言ってきた。

 稟とアレンは女性の言葉に頷き、女性を見つめる。

 黒のスーツとタイトスカートを身につけた、鋭い吊り眼をした長身の女性。適度に鍛えられたボディラインは、宛ら武人と思わせる。

 その女性の名は織斑千冬。稟がIS学園へと入学する切っ掛けとなった織斑一夏の姉。束の親友でもある女性だ。

 千冬はじろりと稟を見つめ、

「束からは聞いていたが、お前は……男、の筈だな?」

 その言葉に稟は顔を顰め、アレンは笑いを噛み殺す。

何故、千冬は性別を確認してきたのか。それは、稟の見た目が問題なのだろう。彼は今、当然だが男物の服を着ている。しかし、数年前と比べて男らしく成長してきているとはいえ、男装をしている麗人と見間違えられる事が多い容姿の稟である。彼の性別を聞いていても確認せざるをえなかったのだろう。

「こんな見た目でも、俺は男ですよ」

「……そうか、すまなかったな」

 何かを諦めたかのような稟の表情に、言ってはいけないことかと悟った千冬は申し訳なさそうな顔をして謝罪の言葉を口にする。

アレンはそんな二人を苦笑しながら見つめ、千冬がそう言ってしまうのも無理はないと思ってしまう。

「まぁいい。取り敢えず、意味はあまりないがお前には試験を受けてもらう」

何やら流れ出した妙な空気を断ち切るように、千冬は表情を改めて稟にそう言う。この試験に意味がないとぶっちゃけるのは如何なものかと思うが。

 あっさりと自分の苦悩を流された稟は物申したい気持であったが、千冬が米神を抑え、頭痛を堪えるかのような表情だったものだから何とか耐えた。

「その、束さんが色々とすいません」

 寧ろ、束に代わり謝罪をしてしまった。

 彼女も稟と同じように、束に色々と振り回されてきたのだろう。今現在も振り回されているし。

 労わる様な稟の視線に、

「お前に愚痴を溢したところで、アレは変わらんだろう」

 千冬は溜息を吐きながらぼやいた。

 全くもっての正論過ぎて、稟とアレンは乾いた笑みしか浮かべれなかった。流石は天災(たばね)である。彼女の自由(フリーダム)っぷりには誰もが振り回されてしまう。

「試験時間は二時間だ。その間、私はクラスに行かなければならないので他の先生に監督は頼んである」

「分かりました」

「試験が終わり次第採点も行う。早ければ一時間以内には採点も終わるだろう。採点が終わるまでは試験を受けた教室で待機しろ」

「はい」

「よし、ではついて来い」

 千冬は案内する為に先に歩き、稟とアレンも遅れないように彼女について行く。

 試験を受ける教室へ向かう道中、千冬から簡単な学園の説明事項を聞く稟。相槌を打ちつつ、疑問に思ったところには質問を挟みながら。

 そうして歩くうち。不意に千冬が立ち止まる。つられて止まる稟とアレン。

「ここがお前が試験を受ける教室だ。中には既に、担当の教師がいる。その教師の指示に従え」

「はい」

「では、私はこれで失礼する」

 言う事を言い終えると、千冬は踵を返しこの場を去って行く。

 千冬の姿が見えなくなるまで見送った後、稟は一度深呼吸をして扉をノックする。

 中から入室を促す声が帰ってきた。稟はアレンに顔を向けると、彼女は頷く。

「失礼します」

 今日この時を以って、稟は新天地の扉をくぐる。

 新たな舞台の幕は開かれたのだ。

 此処から紡がれる物語は、凍てついた稟の心を癒やせるのだろうか。

 それはまだ、誰にも分からない。

 



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第九話:入学

 明日から、5月9日まで休みなしなので、これが今月最後の投稿になります。
 予約投稿でやってみたけど、うまく投稿できてるかな?
 次はハイスクールあたりを投稿したいが……



-追記-
ご指摘をいただき、入学の仕方を修正しました。
いやはや、何も考えずネタに走ろうとしたらいけませんね。
しっかりと猛省せねば。
一応、修正前よりかはマシになったと思いますが、まだおかしな部分があると思います。
修正すべきという部分がありましたら、ご指摘していただけると幸いです。


「さて、この時間は実戦で使用する各種装備の特性についての説明を行う」

 稟と別れ、自身が担当するクラスへ戻った千冬。

 彼女は教壇に立ち、授業を開始し始めた。

「と、その前に。再来週に行われるクラス対抗戦に出る代表者を決めなければならん」

 千冬の言葉に教室が微かにざわめく。それを眼で制し、千冬は言葉を続ける。

「クラス代表者は言葉通りの意味だ。対抗戦に出場は勿論の事、生徒会の開く会議や委員会への出席と言った雑用を担う。当然だが、一度決まると一年間変更はきかない。さて、それを踏まえた上で立候補する者はいるか?」

 ざわざわと教室が色めき立ち、生徒達は互いに顔を見合わせている。教室内に異様な空気が篭るが、一人の少女の言葉を皮切りに空気が変わる。

「はい、私は織斑君を推薦します!」

「私もそれがいいと思います」

 一人の少女の言葉を切っ掛けに、周りの少女達は「私も」と続けていく。

「ふむ……候補者は織斑一夏と。他にいるか?自薦他薦は問わんぞ」

「……は?織斑って俺の事か!?」

 周囲の言葉に思わず立ち上がったのは、世界で唯一ISを扱える男―織斑一夏。そんな彼に周囲の視線は集まる。その視線は、「何当り前な事を」と、「彼ならきっと何とかしてくれる」という半々に分かれていた。

「織斑。急に立ち上がるな、邪魔だ。他に候補者はいないか?」

「ちょ、ま、待ってくれ!俺はやるだなんて一言も……」

「自薦他薦は問わんと言った。推薦された者に拒否権などありはしない。選ばれた事を甘んじて受け入れろ」

「い、いや、でも……」

 千冬の言葉に言い返そうとするも、うまく言葉を紡げない一夏。代表者は織斑一夏に決定、と思われたその時。

「自薦致しますわ」

 一人の少女が、静かに挙手をした。

 周囲の視線が、その主へと集中する。

「……ほう?自薦するか、オルコット」

 千冬はその少女―イギリスの代表候補生であるセシリア・オルコットに視線を送る。

「えぇ。自薦致します。確かに、ISを唯一扱える彼を推薦する気持ちも分からなくはありませんが、彼のIS稼働時間はそんなにないのではありませんか?」

「……まぁ、そうだな。織斑がISを扱えると発覚してから、ISに触れる機会などなかったからな」

「彼をクラス代表にすれば、話題性もあるでしょう。ですがそれだけで、ISを乗りこなせない彼を試合に出してしまったら?勝てるかもしれない試合も勝てないでしょう。そうなれば話題性も何もありませんわ。それに、対抗戦は授業の一環。クラス全体の評価に影響するものではないのですか?」

「そうだな。あくまで、入学時点での各クラスの実力推移を測るものだが、当然評価はされる」

 セシリアの言葉に、いつの間にか教室中が静まっていた。彼女の言葉と千冬の肯定に何かを考えるかのように。

 生徒達はセシリアの言葉を吟味し、二つの意見に分かれつつあった。セシリアにクラス代表になってもらうか、広告塔として織斑一夏を押すか。

「皆さんが悩むのも分かりますわ。ですのでここは一つ、私と彼で決闘を行い、その結果で代表を決めると言うのは如何でしょう?」

 話し合いはもう少し続くのであった。

 

 

「さて、これで君は、明日からこの学園の生徒になるわ」

 試験を終え、その採点結果を聞いた稟は、彼の試験を監督していた教師からそう言われた。

「織斑先生から説明されていると思うけど、明日から学園の寮で暮らしてもらう事になるわ。今日はまだ準備が出来ていないからそのまま帰ってもらう事になるんだけど」

「分かりました。ところで、教材や制服等はどうなっているんですか?」

「織斑先生の話では、君が泊まる事になっているホテルに届けられているそうよ。肩を震わせながら織斑先生が色々とぼやいていたわ」

 眼前の教師は、物凄く疲れた溜息を吐きながらそう言った。千冬もそうだったが、彼女の眼の下には隈が出来ており、色々と無茶をやらされていたのだろう。

「その……身内が色々と、すいません」

 そんな教師に対し、申し訳なさそうに謝罪をする稟。それに対して教師は、手を振って、

「別に君が謝る必要はないわ。どちらかと言えば、君も被害者側なんでしょ?」

 どこか同情するような視線を向けてくる教師に、稟は乾いた笑いを浮かべるしかできなかった。

 

 

 

 

 そんなこんなで。

 時間は流れて翌日の朝。IS学園から泊まるべきホテルへ向かい、部屋に着いてすぐに入学の準備を済ませていた稟は、届けられた制服を着ておかしなところがないかを何度も確認していた。

再び学園に通う事に複雑な思いを抱きながら、姿見に映る自分をじっと見る。

「稟様、もう時間ですよ。いつまで確認しているんですか?」

 彼の後ろから声をかけてくるアレン。

 その声に我に帰った稟は彼女へと振り向く。

IS学園の、急遽作られた男子用の制服。それに身を包んだ稟を見つめ、アレンは穏やかな笑みを浮かべる。

「とてもよくお似合いですよ、稟様」

アレンの口から称賛の言葉が送られる。

稟は照れ臭そうに頬をかき、アレンから視線を逸らす。褒められる事に慣れていない稟としては、何を言って返せばいいのか分からないので視線を逸らすしかないのだ。

そんな稟を微笑ましそうに見つめ、彼の姿を画像と映像に収めているアレン。そのデータは今、束の下に送信されている。今頃は、束もクロエも稟の姿に見惚れているだろう。身内贔屓すぎるかもしれないが、彼女達にとってはそういうものだから仕方ない。

 

 

 

 

 場所は移り、IS学園の職員室。

 稟とアレンは担任となる織斑千冬の前で話を聞いていた。

「この学園での注意事項は以上となる。何か質問はあるか?」

千冬の説明を聞き終え、特に質問のなかった稟は首を横に振る事で答える。アレンも質問はないようだ。千冬はそれに頷き、

「お前達の事情を知る者は、わたしを含めてごく少数しかいない。全ての教員にお前達の充填を知らせるには、あまりにも荒唐無稽すぎて得策ではないからだ」

鋭い目付きをさらに鋭くし、千冬は言葉を続ける。

「奴から事情を聞いているとは言え、正直信じられん。お前のような存在がいるなど」

束からどこまで聞いているのか。

千冬の鋭い眼光は、虚言は許さんと言わんばかりに稟を見据えている。それに対しアレンも眼を細め、稟を庇うように一歩前に出て千冬を睨み付ける。いくら束の親友と言えど、稟を脅かすような存在であれば排除しなければいけない。例え相手が、世界最強(ブリュンヒルデ)であれ。

職員室に、重苦しい空気が流れる。

周囲の教師達は、あまりの重圧に稟達から距離をとる。中にはそそくさと職員室から逃げ出す者までいる。それ程までに、この空気は重い。

「……まぁ、奴がそんな嘘を吐くとは思えんのも事実。だが、その真偽を見定める為にも、お前にはISでの試験を数日後に受けてもらう。いいな?」

自身を睨み付けているアレンを内心面白そうに見つめながら、千冬は先程までの剣呑な雰囲気をあっさりと解く。重苦しい空気はなくなったが、周囲の教師達はまだ固まったままだ。

未だに千冬を睨み付けているアレンの肩を軽く叩いた稟は、千冬の言葉に了承するように頷く。それにアレンは何か言いかけるが、稟が頷いた事を想いも確認して立ち上がった千冬に遮られる。

「今から教室へ向かう。ついて来い」

 千冬は周囲の教師達のフォローをする事なく、職員室を出ていくのだった。

 

 

 千冬について行き、彼が入るクラスへ向かう道中。今は授業中の為か、学生や教師と擦れ違う事なく目的の教室に着いた。千冬は「私が呼んだら入って来い」と言って先に教室に入り、稟とアレンは黙ってその指示に従い、彼女の声がかかるまで廊下で待機する事になった。

「しかし、先程の織斑千冬の言葉は許しがたいですね。創造主は一体どんな説明をしたのでしょうか」

 彼の隣で、IS学園の女子制服を身に纏ったアレンがそう言ってきた。

アレンの眼はまだ険しく、先程の千冬の態度に憤慨している。稟としても先程の千冬の態度は人として、教師として如何なものかと思わないでもなかったが、自分の状況や立場、彼女達教師陣の苦労を思うと何も言えなかった。束の説明内容は、確かに気になるところではあったが。

稟は苦笑するだけでアレンの言葉には答えなかった。

「では、入って来い!」

 千冬のお呼びがかかった。

 稟とアレンは顔を見合わせ、

「参りましょう稟様。貴方の新たな一歩は、此処からです」

「……あぁ」

 教室へと入る。

 稟達が入る事で、それまでざわついていた教室がピタリと静まり返る。そして、クラス中の視線が一気に稟とアレンに、否。稟に集中する。

 千冬から視線で促され、先にアレンが自己紹介をする。

「私は土見アレンと申します。諸事情がありまして入学が一日ずれてしまいましたが、皆様と仲良くしていけると嬉しいです。これから宜しくお願いします」

 同姓でも見惚れる美しい笑顔を一つ。何名かの少女はその笑顔に若干見惚れている。

稟は自分に集中する視線に、一度深呼吸をして早まる鼓動を静め。

「土見稟です。アレンと同じく諸事情により入学が一日遅れました。色々とご迷惑をおかけする事があるかもしれませんが、仲良くしていただければ幸いです。これから一年。宜しくお願いします」

「……男?」

「……織斑君以外にも、ISを操縦できる男性がいたの?」

「でも、そんなニュースなかったよ?」

「……あの外見で男なの?」

「いや、男装をしている麗人かも」

「なんで男装する必要があるのよ」

「姓が一緒という事は、姉弟?」

「でも、似てないわよ?」

「国籍も違うっぽいし」

「まさか、若夫婦?」

ざわざわ、ざわざわと。徐々にざわめきだすクラス。とある三人の学生を除いて、周囲と話し合う少女達。

「こんな外見をしていますが、俺は男ですよ」

稟としては聞き逃せない言葉があったので、すかさず口を挟む。半ば諦めているとは言え、これからクラスで共に過ごす事になる少女達に勘違いされては困るからだ。その際に、印象を悪くさせない為に笑顔を一つ。

 その笑顔は、男のものとは思えない程に美しく、儚いもので。

『はうっ!?』

 クラスの大半の生徒が、何かに撃ち抜かれたかのような擬音と共に声を漏らす。その頬は若干朱に染まっているのはお約束で、それを見たアレンが顔を顰めているのもいつも通りだったり。

 稟は、そんな生徒達の反応に首を傾げるばかり。何か自己紹介の言葉を間違えたのだろうかと、内心不安になっていた。

 そして、微妙な沈黙が流れつつある中。

 

 ――ガタ!

 

 誰かが立ち上がる音がした。

 その音がした方へ稟が顔を向ければ、そこにいたのは。

 数年前。稟がイギリスで出逢った少女。セシリア・オルコットが驚愕の表情で立っていた。

 急に立ち上がった彼女に、周囲の視線が訝しげに彼女に集中するがセシリアにとってはそれどころではない。再会を望んでいた少年が、いきなり目の前に現れたのだから。

「急に立ち上がるな、オルコット。まだ自己紹介の途中だ」

「……あ、申し訳ありませんわ。織斑先生」

 千冬の言葉で我に返るセシリア。

 彼女は自分が立ち上がっていた事に驚き、バツの悪そうな表情で席に座りなおす。

 彼女が座ったのと同時、

「それで、もう言う事はないか?」

 千冬が稟に問い掛ける。

 彼は少し考える素振りを見せ、

「では、最後に一つだけ」

 再び稟に視線が集中する。

稟はアレンを一瞥し、

「彼女と姓が一緒なのは、家族だからです。夫婦ではありませんから」

「これで遅れていた二人の紹介が終わったな。ならばこれから授業を行う。土見両名は一番後ろの空いている席に着け。それと、こいつらに関する質問等は休み時間に行うように」

ざわつく生徒達を一睨みで黙らせ、千冬は教壇に着く。

(まさか、こんな所で彼女と再会すりとは。もう会う事もないからあんな事を言ってしまったのに。偶然か必然か……それに彼女もいるとはね)

 用意された席に向かいつつ、セシリアにそっと視線を送る稟。そして、彼女の左耳についている青いイヤーカフスにも。幸いセシリアは稟の視線に気付いていない。

(そして、あの二人が織斑一夏と束さんの妹、箒か。これからどうなるかな……)

 これからの学園生活に色々な思いを抱きながら、稟は内心で呟く。

(楓、桜…………。君達は今、どうしてるんだ?)

 



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第十話:再会と部屋割り

私の小説を読んでくれている皆様。
大変お待たせ致しました。
ISを漸く投稿です。

時間がかかった割には、中々いい文章にできなかった。ネタの断片は浮かんでくるのだが、それを上手く形にできない。自分の貧弱な想像力が恨めしい。
まだ色々と修正しなきゃいけないから、文章が浮かび次第加筆修正しないとなぁ……



活動報告にて、アンケートをしております。
もしよろしければ、コメント頂けると幸いです。




ー追記ー
稟君の熱の計り方を、額を合わせる方法から手で計る方法に変えました。




 稟とアレンの紹介も終わり、ざわめきが収まる事無く授業が行われる。

 正直周囲としては授業どころの話ではないのだが、学生の本文は勉強である。ましてや担任は、世界最強である織斑千冬。彼女の存在を無視して稟に質問の嵐をぶつけるのは死を意味する。もしもそんな蛮行に走れば、もれなく出席簿アタックが炸裂する事になるだろう。

 彼女達は大人しく休み時間を待つしかなかった。

 そうしている間にも、時間は進み授業も進んでいく。

 そして三時間目の授業が終わり、千冬と副担任である山田真耶は教室を出ていく。

 それと同時に、複数の生徒が稟とアレンの席に殺到する。

 ちなみに、稟とアレンの席は隣同士だったりする。

「ここに来たって事は、土見君もISを動かせるんだよね?」

「ニュースにならなかったのは、実は訳ありか何かなの!?」

「一日遅れて入学したのはどうして!?」

「土見さんとは家族との事だけど、そこのところkwsk!」

「男の娘ktkr!」

「見た目美少女な土見君と織斑君の絡み……これはイケる!」

 あれよあれよという間に女子生徒に囲まれてしまう稟。

 いきなり女子生徒達に囲まれての質問攻めに、稟は意味のある言葉を発せずに戸惑ってしまう。

 複数の人間に囲まれる事は数えるのも馬鹿らしい程あったが、敵意も悪意もなく稟に声をかけてくる人間なぞ、あの町にはいなかった。彼に声をかけてくる者は、あの二人を除いて全ての者が負の感情を持って彼に接していた。興味や好奇心などの感情を持って接してくる人なんていなかったのだ。

 自身に向けられている様々な感情に戸惑ってしまう稟。

 何か、言葉を返さないといけないのだが、彼は言葉を紡げない。

 言葉を発しようとすると声が詰まり、意味のある音を出せない。

「あっ……と、その…………」

 そんな稟を怪訝そうに見つめる女子生徒達。

 隣のアレンが心配そうに見つめてきているのにさえ稟は気付いてない。

 このままではマズイ。何か言わなければ。

 稟がそう葛藤していると。

 

――パアンッ!

 

 そんな音が教室中に響き渡った。

「…………?」

 何事かと思い、稟が音のした方へ顔を向けると。

「休み時間は終わりだ、散れ」

 いつの間にか教室へと来ていた千冬が、一夏の頭に出席簿を振り下ろした姿のまま生徒達を威圧するように睥睨していた。

 出席簿の威力は凄まじいものであったのか、一夏は頭を抑えた形で机に突っ伏していた。そんな一夏に心の中で黙礼を捧げる稟。

 彼を囲んでいた少女達も気付けば自分の席へと戻っていた。

 誰だって、あの出席簿の一撃は喰らいたくないという事だろう。音からも威力を察せる上、それを喰らった当人がこうなっているのだ。命を無駄にしてはいけない。勇敢と蛮勇は違うのだから。

「ところで織斑。お前のISだが準備に時間がかかる」

「…………へ?」

「予備機がない。学園でお前の専用機を用意するそうだ」

「??」

 千冬の唐突な言葉に、一夏は理解が出来ていないらしく彼の頭上にはクエスチョンマークが浮かんでいる。

 一方で、千冬の言葉の意味を理解した女子生徒達はざわめきだす。

「せ、専用機!?」

「一年の、この時期に!?」

「それって、政府からの支援が出てるって事だよね……」

「いいな~。あたしも専用機が早く欲しいなぁ」

 一夏の頭上のクエスチョンマークの数がまた増えた。

 彼のまったく理解していな顔に千冬は呆れたかのように溜息を吐き、彼に教科書のあるページを音読するように言う。言われるままにそのページを音読する一夏。そこに千冬からの補足も入る。

 その内容を簡潔に纏めると。

 ①世界に現存ISは467機しかない。ただしアレンは除く。

 ②ISコアを作成できるのは篠ノ之束のみ。その彼女は既にコアを作っていない。

 ③良い言い方をすれば一夏は特別優遇。悪い言い方をすれば実験体である。

「織斑君に専用機って事は、先生。土見君には専用機はないんですか?」

「土見にも専用機の話があったが、織斑がいたのでな。政府は織斑を優先させた」

 世界初の男性IS操縦者。その存在は当人達が思っているよりも計り知れない価値がある。政府としては二人に専用機を、と考えたりもしたが、コアの数には限りがある為容易には決められない。

 ならばどちらに専用機をと考えると、出した結論が織斑一夏にだった。同じ男性であるが、片や世界最強の弟。片やどこにでもいる普通の家庭の男性―稟の戸籍に関しては束が偽装済み。話題性と価値を考えれば前者を押す事になる。

 千冬の言葉に、質問した生徒は納得して頷く。そして、また一人の生徒が手を上げて質問をする。

「あの、先生。ひょっとして篠ノ之さんって、あの篠ノ之博士の関係者なんですか?」

 そんな質問が出るのは当然の事であろう。篠ノ之等という苗字。そうそうあるものでもない。

「あぁ、篠ノ之はあいつの妹だ」

 そして、あっさりと個人情報を晒す千冬。

 そんな彼女に対して、稟とアレンは僅かに眼を細める。

「えええええぇぇぇっ!?す、凄いよこのクラス!有名人の身内が二人もいるし、男性操縦者が二人もいる!!」

「しかも男子は二人とも美形男子!!」

「Yes!Yes!Yes!」

「我が世の春がきたああああぁぁぁぁ!!」

「ブラボー!おおおっ、ブラーボオオオォォッ!!」

「篠ノ之さん!篠ノ之博士って家ではどんな人なの!?」

「篠ノ之さんも天才だったりするの!?今度ISの操縦教えてくれないかな?」

 授業中であるにも関わらず箒の元へ詰め寄る生徒達。目の前には千冬がいるというのに、なんという命知らずな行動なのだろうか。稟がぼんやりとそんな事を思った時。

「あの人は関係ないっ!!」

 突然、大声がした。

 稟が瞳を丸くしてその声の方へ視線を向ければ、織斑一夏も、彼女に群がっていた女子達も瞳を瞬かせて何が起こったか分からないといった顔をしていた。

「……大声を出してすまない。だが、私はあの人じゃないんだ。教えられる事などない」

 箒はそう言って、窓の外へと視線を向ける。盛り上がっていた女子生徒達は冷水を浴びせられたような気持になり、それぞれ困惑や不快といった顔をして自分達の席に戻っていった。教室に微妙な空気が流れるが。

「授業を始める。山田先生、号令を」

「え?あ、はい!」

 千冬がそれを断ち切るかのように声をかける。真耶も箒の事が気になる様子ではあったが、そこはプロの教師なのだろう。授業が開始された。

 

 

 

 

 授業は問題なく終わり、時間は休み時間となった。

 束とアレンによってある程度の知識を得ていた稟にとって、授業には難なくついていけた。寧ろ簡単すぎる内容ではあったが、彼にとってはそうではなかったようだ。

 彼―織斑一夏は授業中でもそうであったが、頭から煙を出して机に突っ伏していた。参考書があれば机に突っ伏す(そのような)事にはならない筈だが、どうやら彼は古い電話帳と間違えて捨ててしまったらしい。それを聞いた時は流石の稟も呆れたものだった。

「少し、よろしくて?」

「……ん?」

 ぼんやりと一夏の背中を見ていた稟に、ふと誰かが声をかけてきた。彼が振り返った先には。

「お久しぶり、ですわね。わたくしを覚えておいでですか?」

 数年前、イギリスの街で偶然にも出逢った少女―セシリア・オルコットがいた。

「……あぁ、覚えているよ。セシリア・オルコットさん、だよな?」

 稟がそう返すと、セシリアは安堵の表情を浮かべ、胸を撫で下ろした。

稟とセシリアが出逢ったのは、イギリスの街でのあの一回だけだ。正直忘れられていてもおかしくなかった為、彼がセシリアの事を覚えていてくれていた事にホッとしていた。彼のおかげで、彼女は変われたのだから。彼のおかげで両親の想いが分かり、幸福な一時を過ごせた。世に蔓延る女尊男卑の風潮に染まりきらずに生きられたのだから。彼には感謝し尽くしても足りない。

「えぇ、セシリア・オルコットですわ。ですが、わたくしの事はセシリアとお呼び下さい、土見さん」

「なら、俺の事は稟って呼んでくれ。土見だと、アレンとも被るからな」

「分かりましたわ。……り、稟、さん」

 少し頬を朱に染め、どこか恥ずかしそうに稟の名前を呼ぶセシリア。そんなセシリアに稟は微笑を浮かべ、

「ところで、俺に何か用かな?」

 優しく問い掛ける。

 因みにだが、周りの生徒達は興味津々に二人の会話に聞き耳を立て、アレンに至ってはセシリアを凄い形相で睨み付けているのだが、その事に二人は気付いていない。

 更に余談だが、稟の微笑に何人かの女子は顔を赤くさせ、机に轟沈しているものもいる。

「……!よ、よろしければ、ご一緒に昼食でも如何かと思いまして……」

 稟の微笑に顔を赤くさせているのはセシリアも一緒だったりするが、ここでやられる訳にはいかない。沈んでしまえば折角の再会が台無しである。

 セシリアは自分に喝を入れつつ、張り裂けそうになる心臓を抑えながら稟を昼食に誘う。断られないか、不安を押し殺して。

 その言葉に稟はキョトンとした顔をした。その顔が見た目相応に似合っていて、更に何名かの女子が鼻を抑えていたりする。その指の間から紅い雫が流れている事は気にしてはいけない。

 稟は少しの間考え、すぐに結論を出す。別に悩む必要はないのだから。

「俺なんかでよければ。アレンも一緒でいいかな?」

「は、はい!勿論ですわ」

 稟の答えに嬉しそうに顔を綻ばすセシリア。その笑顔は愛らしく、見ているこちらが赤面してしまうレベルである。

 何でこんな自分と一緒に昼食を摂りたいのかは分からないが、こんな事で喜ばれると少し気恥ずかしい。

「それじゃ、行こうか?」

 稟は頬を搔きながらセシリアを促し、アレンに目配せをする。目配せを受けたアレンは、仕方ないと言わんばかりにやれやれと首を振り立ち上がる。

 学食へ向かう為、三人は一緒に教室を出る。二人の関係が気になる女子達も追いかけるようについて行くのはお約束というものだろう。

 

 

 学食へと到着した稟達。

 学食は混んでいたが、何とか三人が座れる席を発見し一人が席を確保。二人が食券を買って食事を受け取る役に分担した。

 そうして食事を持って席について早々。

「はああああぁぁぁぁぁ」

 物凄く疲れた溜息を吐く稟がいた。

 セシリアとアレンはそんな稟に対して苦笑を溢す。その理由が分かりきっているからだ。

 稟の噂は学園中に広まっていたのか、学食へ来る道中にひたすら視線を向けられ続けていた。特に話しかけられる事はなかったのだが、じろじろ見られ、ひそひそと周りの者と話し合っている光景は稟の精神をガリガリと削っていった。ただでさえクラスからの視線に困惑しているのに、それが全学年で負の感情がないとなれば尚更である。これならばいっそ、敵意を向けられていた方がまだマシであった。その方が対処も楽だったし。

 しかも、学食に着いても未だ視線はなくならない。

 そんな訳で、席に着いた稟は既にグロッキー状態なのだが。

「ところで、稟様。そろそろ彼女の事を教えていただけませんか?」

 そんな稟に申し訳ないと思いつつ、しかしこればかりはどうしても訊いておかなければならないアレンは彼にそう問う。

 セシリアもアレンと同意見なのか頷いている。セシリアが稟と初めて出逢ったあの時。アレンはいなかった。それが彼と再会してみれば、彼の家族だと言う彼女が隣にいたのだ。気にならない方がおかしい。

「ん~~?」

 気怠そうな仕草で二人を見つめる稟。

 相当参っているのか、稟の顔色は若干悪い。それにアレンが流石に無神経質すぎたかと後悔してしまう。予想外の稟にフラグを建てられた女性(ぎせいしゃ)の登場に思考が狭まってしまったようだ。稟を想っている身として恥ずかしい真似をしてしまった。

 アレンが隣を見れば、セシリアが心配そうな顔で稟を見つめている。

 二人の心配そうな表情に稟は苦笑し、

「そうだったな。アレンには話してなかったっけ」

 思い出すのは二年前の事。

 束についてイギリスに行き、其処で出逢った目の前の少女の事。低俗なナンパから助け、どうしてか余計なお節介を働き、自分の勝手な意見を彼女に述べた時の事。

 思い出しつつ、セシリアとの出逢いをアレンに、アレンとの関係をセシリアに語る稟。アレンの事を詳しく話すわけにはいかなったので、無難に親戚という事にしておいた。色々と穴だらけだが―親戚なのに様付けとか―、何とか無理矢理に誤魔化さなければいけない。アレンがISだと知られるのはまだマズイのだ。いずれはばれるかもしれないが。

 色々と束達と考えた設定をセシリアに語る稟。その説明に納得してくれたのか、ツッコミを諦めてくれたのか、セシリアは深く突っ込まずにいた。アレンは何やら唸っていたが、いつもの事なので放置している。

「ですが、IS学園で稟さんと再会出来るとは思っていませんでしたので、この幸運に感謝をしていますわ」

 箸を進めていると、不意にセシリアがそう呟いた。稟が彼女へ視線を向けると、

「あの時、貴方と出逢えたおかげでわたくしは変われました。貴方の言葉のおかげで、両親の想いを知る事が出来ました。女尊男卑の風潮に染まらずにすみました」

 はにかみながらも、晴々とした表情でそう語るセシリア。

 稟としては勝手に自身の意見を言っただけなので、感謝される謂れはないから反応に困ってしまう。

「稟さん、ありがとうございます」

「…………別に、お礼なんて」

 だから、素っ気なくそう答えるしかできなかった。

 自分は、好意を向けられるような事は何一つしていないのだから。

 そっぽを向いて食事を続ける稟に、セシリアは戸惑う。何か彼の気に障る様な事でも言ってしまったのかと。

「心配しなくても大丈夫ですよ、オルコットさん。稟様は別に怒っていませんから」

「え?」

 そんなセシリアに、アレンが心配ないとばかりに告げる。

 とてもそんな風には見えないセシリアだが、常に稟を見てきて、彼の過去を知るアレンには手に取るように稟の心境を察せられる。

 過去が過去であるが故に、稟は人から好意を向けられた事が極端に少ない。だからこそ、好意を向けられれば戸惑うし、素直に好意を受け止めきれない。だが、それをセシリアに伝えるつもりはない。彼女に伝えられる事は、彼が怒っていないと言う事実だけ。

 アレンは思う。

 いつになれば、彼の心は癒えるのだろうかと。

 どこか悲しげに稟を見つめるアレンに、セシリアは何も言えなくなり妙な空気が漂ってしまう。

 昼食時に不釣り合いな空気。その空気を作りだす元凶になってしまった稟は顔を微かに顰め、この空気を払拭するための言葉を探す。

「…………まぁ、その。お礼は受け取っておくよ。俺なんかが口を挟まなくても、大丈夫だったかもしれないけどな」

 言葉を選びながら稟はそう言う。

 自分よりも他人を優先しようとする稟のその行為に、アレンは溜息を吐く。どうして稟は、こうなのだろうかと。

 だが、稟の次の一言にアレンもセシリアも、周りで聞き耳を立てていた女子達も固まる事になる。

「それと、その……綺麗になったな」

『…………………………は?』

 稟としては、この妙な空気を払拭したくて放った何でもない言葉だっただのが、周囲の女子達にとってしてみれば何でもなくない訳で。

 学食からは一切の音がなくなる。当然だが比喩表現だ。

 再び微妙な空気が学食に流れる。それは、先程までの気まずい空気とは異なるのだが、それでも、どう反応すればいいのかが困る空気で。

「…………ああ、稟、様?先程の発言は一体?」

 逸早く我に返ったアレンは、頬を引き攣らせながら発言の意図を稟に問う。まぁ、先程までの神妙な空気を何とかしたくての発言だったのは理解しているが、何故、よりにもよってそんな言葉を選んだのかと問いたいアレン。

「…………?俺、何かおかしな事言ったか?ただ、思った事を言っただけなんだが」

 周囲の空気が変わった事は感じた稟だが、周囲の少女達が固まっている理由に気付いていない稟は小首を傾げる。無理矢理空気を変えようとしたので、話の流れをぶった切る言葉だったのは確かだが、そこまでおかしな言葉だったのだろうかと思いながら。

「……うん。そこまでおかしくない筈だ。話の流れを無視する言葉になったけど。セシリアがあの時よりも綺麗になって、美人になっているのは確かなんだし」

 自覚のない稟の追撃は続く。

 稟のその言葉が脳に浸透し、理解した時。セシリアの顔は一気に真赤に染まる。因みに、周囲の少女達もセシリア程ではないが顔を赤くしている。

 セシリアにとって、少なからず気になっていた男からの賛辞の言葉。下心が一切感じられない、純粋な想いから放たれたその言葉は破壊力抜群。耐性のないセシリアには大ダメージすぎる。

「どうしたセシリア?顔が赤いけど、熱でもあるのか?」

 自身の言葉の威力を知らない稟の的外れな言葉。その言葉に、いやいやいやと、内心で首を振る少女達。誰のせいで赤面しているのだと言いたい気分である。

 しかし、稟は追撃に出てしまう。

「……………ん、顔は赤いけど、熱はないみたいだな」

「……………~~~~~~~~っ!!?!!?!?!?!?」

 右手をセシリアの額に当て、左手を自身の額に当ててから熱を測ると言う、行動に。

 最初は理解できなかったセシリアだが、稟の行動を脳が間を置いてから認識した瞬間。頭から湯気を出し、ボンッ!という擬音と共に眼を回してテーブルに轟沈する。

稟との再会と予想外すぎる行動に、彼女の脳はオーバーヒートしてしまったらしい。まだ稟と話していたかったセシリアだが、彼女の意識は強制的に遮断される。

「ど、どうしたセシリア!?」

 いきなりテーブルに沈んだセシリアに稟が戸惑った声を上げる。予想外すぎる事態に稟は混乱するが、それを見ているアレンは頭痛を堪えるかのように米神を抑えながら、

「稟様。貴方はもう少し、ご自身の言葉と容姿を自覚して下さい。これでは犠牲者が後を絶ちませんよ」

 そう零すが、その言葉が稟に届く事はなかった。

 稟の無自覚の言葉と言動は、あまりにも破壊力がありすぎる。それを真近で見続けてきたアレンとしては何とか治してほしいのだが、どうあっても無理だろうと半ば諦めている。願わくば、これ以上の犠牲者が出ない事を祈るのみだが、果たして。

 稟の行動はセシリアだけではなく、彼等のやり取りを見ていた女子達にもダメージを与え、休み時間は幕を閉じたのだった。

 

 

 

 

 あの後。セシリア達女子は何とか復活し、授業も辛うじて受ける事ができた。赤面した顔は元に戻っていなかったが。

 そうして時間は過ぎて放課後。

 千冬から呼び出された稟は職員室へアレンと共に向かい、そこでISでの試験の日程の通達。彼がこれから過ごす事になる部屋の鍵を受け取る事となった。

 部屋割りが稟と同室でない事に抗議しようとしたアレンだが、流石にこれ以上の迷惑をかけたくない稟は彼女を制す。

 稟に制されたアレンはバツが悪そうに顔を顰め、自身の浅はかな行動を後悔する。稟を想うが故の行動で彼に迷惑をかけてしまうのは本末転倒だ。

 二人が納得した事を確認した千冬は頷き、彼等の部屋の鍵を渡して退室させた。

 

 

 そんなこんなで。

 職員室を後にし、それぞれの部屋へと向かう稟とアレン。

 途中でアレンと別れた稟は、相変わらずの周囲からの視線に対して、居心地が悪そうに歩きながら自身に宛がわれた部屋へと向かっていた。

 鬱陶しい、ジロジロ見るなと一喝でもすればこの視線はなくなるのかもしれないが、そうしてしまえば此処での暮らしがより居心地が悪くなってしまうのを理解している為、甘んじて耐えなければいけない。叶うのならば、同室の女子がこの視線を向けてこなければと思いながら。

 しかし、異性と同室なのはどうなのだろうか。織斑一夏がいるのだから、彼と同室にすればよかったのではないかと思考を巡らせる。これで何かあれば大問題であろうに。IS学園は何を考えてこの部屋割りにしたのか。

そうして考えながら歩くうち。漸く自身に宛がわれた部屋へと着いた。

 この扉をくぐれば、同室の女子がいるのだろう。

これからの生活に緊張と不安を抱き、稟は軽く深呼吸をしそっとノックする。

 

――コンコン

 

「は~い。どちら様かな~?」

 間延びした声が返ってきた。

「同室になった土見なんだが」

「鍵は開いてるから入っていいよ~」

 入室の許可を取り、稟は部屋へと入る。

 そこは、広い部屋だった。大きなベッドが二つあり、必要最低限の家具も揃っている。高級ホテルと言っても過言ではない部屋であった。

 その部屋のベッドの上に、寸法が合ってないのかぶかぶかの制服を着た少女が腰かけていた。

 その少女が入って来た稟に眼を向け、

「お~、つっちーが同室者なんだね~。私は布仏本音。これからよろしく~」

 そう声をかけてくる。

 その言葉に、部屋の中央まで来た稟は思わず動きを止め、

「……つ、つっちー?」

 戸惑った声を上げる。今までにない呼び方をされ、どう反応していいかが分からないのだ。

 そんな稟に対して、布仏本音と名乗った女子は小首を傾げ、

「土見だからつっちーだよ~?」

 何もおかしくないと言わんばかりにそう言ってくる。それならアレンはどうなるんだと稟が思った瞬間。

「つっちーはつっちーだから、アレンちゃんはあっち-だね~」

 まるで心を読んだかのように本音はそう言った。

 それに一瞬驚く稟だが、

「疑問が顔に出てたよ~」

 との言葉に納得してしまった。

 アレンと束からも、時々ではあるが、稟は疑問や感情が顔に出やすいと言われていたのだ。

「それにしても、つっちーは人気者だね~。学園中で噂になってるよ~?」

「……別に、ただ珍しいだけだろ、男性のIS操縦者が。俺が人気者って訳ではないさ」

 本音の言葉に、稟は顔を顰めてそう答える。

 正直、稟としては人気者と言われて嬉しくはない。人気者になってしまえば、平凡な日々から遠ざかるだけだ。彼の過去が過去であったが故に、尚更そう思う稟。

 どこか悲しげに細められた瞳に、本音は何も言わなかった。否、言えなかった。稟の浮かべる表情があまりにも儚すぎて、何かを言えばすぐにでも消えてしまいそうだと感じたから。

「……っと、すまん。少し言い方がきつかった」

 微妙な空気が流れかけ、それにバツが悪そうに顔を顰めて謝る稟。

 別に彼女は悪くないのに、若干刺々しく言ってしまった自身を恥じる。どうしてこう、自分は空気を悪くさせてしまうのかと。

「……え?ああ、ううん。大丈夫だよ~。その、私こそごめんね?」

「布仏さんが謝る事はないさ。勝手に俺が反応しただけなんだから」

 稟はそう言って、苦笑しながら本音の頭を優しく撫でる。

「………………あ」

「あ、すまん。つい癖で」

 呆然と自分を見上げてきた本音に、稟は慌てたように彼女の頭を撫でていた手を止めた。

 よくクロエの頭を撫でていたからか、どうやら癖になっていたらしい。

「別に、嫌じゃなかったから。気にしなくても、大丈夫だよ~」

 ほんのりと頬を朱に染めそう返す本音。

 初対面の人間にいきなり頭を撫でられれば不快感を顕わにしそうなものだが、稟の手は優しく、他人を気遣う温かさが感じられた為に、本音は不思議と不快感を感じなかった。寧ろ、その優しい手つきに心地よさを感じてしまっていた程だ。

 本音の反応に、稟は気恥ずかしそうに頬を搔く。

 こんな所をアレンに見られたら、彼女が暴走するだろうなと現実逃避しながら。

 そして、同室相手がこの少女で良かったと思いながら。

「まぁ、何はともあれ。これからよろしくな、布仏さん」

 だけど、素直に自身の想いを言う事は出来なくて。

 稟はそっぽを向いて、そう言った。

「こっちこそ、よろしくだよ。あと、私の事は本音でいいよ~」

「…………分かった。そう呼ばさせてもらうよ、本音」

 彼女の優しさがくすぐったくて。どう対応していいかは分からないけども、これなら何とかやっていけるかなと思いながら。稟は微かに微笑む。

 その微笑に、本音も笑みを返す。

 空気もいつしか柔らかくなり、安心できる空気になっていた。

 そこからは当り障りのない無難な会話を続けた。

 そうして、稟の学園生活初日は無事に終わりを告げたのだった。



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第十一話:試験(前篇)

誰か私にネタをおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!
文章力をおおおおおぉぉぉ!?!?
貧弱な想像力しかない私には相変わらず駄分しか書けないね(涙)。
どうにかしないとな~。
読んでくれている皆様が満足できるような文章書きたいけど、どうすればよくなるか……
他の作者様の小説読んで勉強するか。

さて、今回の話ですが、タイトルに試験とありながら試験に突入しておりません(汗)。
試験が始まる前で区切ってしまいました(汗)。
次回にて戦闘シーンを書いていきますが、あまり期待せず、生暖かい目で見守っていただけると幸いです。
描写不足な個所は、後日加筆修正していきます。
拙い、妄想だらけの小説ですが、今後もどうか読んでくださると幸いです。



それと、来月転勤が決まりまして、投稿がまた遅れてしまいます。
広島から熊本への引っ越しになりますので、下手したら7月中の投稿は厳しいかもしれません(汗)。
頑張って書いてはいきますが、無理だったらごめんなさい。


 稟がIS学園へ来た翌日。

 女子からの視線は相変わらずだが、そんなものは関係ないと言わんばかりに時間は過ぎていく。

 女子達の視線に辟易しながら、簡単な授業を受けていく。まぁ、簡単とは言っても、それは稟にとってはの話で。とある一名は授業が終わる度に机に轟沈していたりするのだが。

 授業を受けつつ、一夏の轟沈っぷりをぼんやりと見続ける稟。

 初日と違って大勢の女子に囲まれる事はなくなったが、それでも質問攻めや視線がなくなる事はなかった。それを何とか捌き続け、時間は昼休みとなった。

 さて、今日の昼食はどうするかと稟が考えていると。

「あ~、ちょっといいか?」

「ん?」

 誰かが稟に声をかけてきた。

 誰だろうと振り返ると。

「昨日挨拶が出来なかったから今日改めて挨拶させてもらうが、同じクラスメイトで、同じ世界で唯一のISを扱える男の織斑一夏だ。同じ境遇だし、これからよろしくしてくれないか?」

 織斑一夏がいた。

 先程までは机に突っ伏していた筈なのに、いつの間に近付いていたのか。稟が彼から視線を外していたのは短時間だった筈だが。

 まぁ、そんな事はどうでもいいかと。いずれこっちから声をかけようと思っていたしと、深く考えず、一夏の言葉に稟は頷く。

「あぁ、こっちこそ宜しくお願いするよ。織斑」

「俺の事は一夏でいい。その代わり、俺も稟と呼ばさせてもらうから」

「分かった、一夏。これから宜しくな」

「おう!」

 微笑みあい、お互いに握手をする二人。

 その光景を、一部の淑女の方々が恍惚な表情を浮かべて見ている事に二人は気付かない。いや、寧ろ気付いてはいけない。新刊のネタはこれで決まり等という戯言も聞いてはいけない。

「そうだ。これから一緒に飯を食わないか?」

「そうだな。折角だしそうしようか」

「よし。なら学食へ行こうぜ」

 そう言って二人は教室を後にし、学食へと移動する。

 稟を昼食へと誘おうとしていたセシリアと本音、そして存在をスルーされたアレンと箒は一瞬呆然とするが、すぐさま我に返ると慌てて二人の後を追っていくのだった。

 そこからは賑やかな昼食タイムだ。

 追いついた四人を交え六人で食事を摂った。食事をしながら自己紹介をし交流を深めていく。

 途中でアレンの稟の呼び方に対して一夏が突っ込むが、セシリアと同様にでっち上げた設定を伝えて納得してもらった。

 食事中、箒は憮然とした表情をしていたが、特に何か問題が起こるでもなく時間は流れていく。

 一夏もセシリアも本音も、稟の事を根掘り葉掘り訊くような事はせずに世間話で盛り上がり、稟とアレンはその気遣いに感謝していた。

 話の途中、何故か稟が一夏に勉強を教える事が決まったり、この面子で今度、何処かへ遊びに行こうと話したりした。

 そうして談笑する中、一夏がふと思い出したようにこう言った。

「そう言えば、俺とオルコットの決闘に合わせて稟はISの試験を受けるんだよな?」

「ん?あぁ、そうだな」

「何で入学試験の時に受けなかったんだ?その時に受けるべきものなんだろ?」

「あぁ、まぁ、本来はな。ただ俺の場合、一夏と同じように急な入学が決まったからスケジュールが調節出来なくてな。学力だけ確認して実技は後日となったんだ」

「ふ~ん。そうなのか」

 稟の言葉に納得したのか頷く一夏。

 セシリア達もそうなのかという顔をしている。

 ここでも深く詮索してこない彼女達に感謝しつつ、稟の学園生活二日目はゆっくりと過ぎていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 そうして時は流れて翌週。

 一夏とセシリアの決闘の日であり、稟の実技試験の日。

 第三アリーナのAピットに当事者である稟と一夏。そしてそれぞれの付添人であるアレンと箒、担任である千冬がいた。

「……なぁ、箒」

「……なんだ、一夏」

「気のせいかもしれないんだが」

「そうか。ならば気のせいなのだろうな」

「ISの事を教えてくれるって話はどうなったんだ?」

「………………」

「こら、眼を逸らしてんじゃねーよ!」

 稟とアレンの後ろで漫才が行われていた。

 稟は肩を竦め、アレンは呆れた表情をし、千冬は眉間を軽く揉んでいた。

 そんな三人に気付かず、二人は漫才を続けていく。

 まぁ、その漫才の内容を纏めると。

 ①一夏の専用機はまだ届いていない。

 ②この一週間、一夏はISに乗る事はなく箒と剣道三昧。

 となる。

 それを聞いていた稟とアレンは何をやっているんだかと内心で思うが表には出さない。

「流石にこれ以上オルコットを待たせる訳にもいかんか。仕方ない。土見。予定を繰り上げてお前の試験を先に行う」

 未だ届かない一夏の専用機。

 それをこれ以上待っていては時間の無駄になると判断した千冬は稟にそう言う。

 稟も同意見だったらしく、彼は頷きピットを出ようとする。それに気付いた一夏が箒との漫才を中断し、

「気張らずに頑張れよ、稟!」

 激励の言葉をかける。

 その言葉に稟は一瞬驚いた顔をするが、擽ったそうに微笑んだ後。

「一夏もな」

 そう返してピットを後にした。

 

 

 ピットを後にした稟は、今日の試験で使う事になっているラファール・リヴァイヴが置かれている控室に向かう。

「稟様」

 その稟の後を付いてきていたアレンが声をかける。

「学園生活は如何ですか?」

「……どう、なんだろうな。よく分からない」

 足の進みを止めずに返す稟。

 普段と変わらない声音だが、彼と共に過ごしてきたアレンにはその変化に気付いてる。嘗ての学園生活と違いすぎて戸惑いが強いが、彼は。

「分からないと仰るわりには、声が嬉しそうですが?」

「…………嬉しそう、か」

 嬉しそうという言葉に、稟は苦笑する。

 IS学園に来てまだ一週間程しか経っていないが、光陽学園時代よりも伸び伸びと暮らしている事は確かだ。それが嬉しいのかどうかは分からないが。

 光陽学園時代と比べて、確かにギャップが大きく戸惑いは強い。だが、あの過去の出来事(こと)がなければ光陽学園(あのばしょ)でもこうして過ごしていたのかもしれない。今となっては考えるだけ無意味だが。

 稟は脳裏に浮かべる。一夏、箒、セシリア、本音、IS学園の生徒の顔を。光陽学園の生徒、光陽町の住人達とは違い、敵意を向けてこない彼女達の顔を。彼を害する事をしない、彼女達の顔を。

 成程。確かに自分は嬉しいのかもしれない、と彼は思う。あの苦痛の日々から解放され、誰もが当たり前に過ごしていた日々と同じ日々を過ごし始めたのだから。

 だが。そう思う度、そう自覚する度に彼の胸は痛む。

 罪人である自分が、こんな温かい場所にいていい筈がないと思ってしまう。幸福な日々を享受してはいけないと思ってしまう。

 稟は自嘲混じりの表情を浮かべ、女々しく過去を思う思考を切り替える。今こんな事を考えても意味がないと。

 彼の心は、未だ囚われたまま……

 彼の心は、救われる日が来るのだろうか……

 

 

 暫く無言で歩き続けていた稟達は、漸く控室に辿り着く。

 別にそんなに時間はかかっていないのだが、何故かアレンには時間がかかったように感じてしまった。

 まだあの言葉は早かったのだろうかと、アレンは自問自答する。セシリア達と話す時の稟の笑顔を見て、少しは改善されたかと思って言ったがどうやらまだ早すぎたようだ。まぁ、心の傷がそう簡単に癒えればアレン達も苦労はしていないのだが。

(私も少し、焦りすぎなのでしょうね……)

 アレンは自嘲しながら稟の方へ視線を向ける。

 視線を向けた先には、瞳を閉じた稟がラファール・リヴァイヴに額を当てていた。恐らく、彼女と会話しているのだろう。

 稟の専用機であるアレンだが、彼の護衛の為人としてIS学園に入学した以上、彼女がISとばれるのは得策ではない。いずればれる時は訪れるだろうが、それはこの時であってはならない。少なくとも、織斑一夏が自身の身を護る力を身に付けるまでは。

(しかし、他のIS(おんな)が稟様を搭乗()せるのはイラッとしますね。あの方の専用機は私だというのに。いえ、稟様の安全の為にはこればかりは仕方ない事。だからこそ私が人型でこうしているのだし。だがしかし……)

 稟を見つめながらむむむと唸るアレン。この場に束とクロエがいいたら呆れて肩を竦めていた事だろう。唯一ツッコミの立場の稟は彼女を見ていない。

 そうしてアレンが無駄に唸っている間に、稟とラファール・リヴァイヴの準備は終わったらしい。

 控室が控え目に輝いたかと思うと、ラファール・リヴァイヴを身に纏った稟がその場に立っていた。

 アレンは慌てて思考を中断する。

「準備は終わったようですね」

「あぁ、いつでもいけるさ」

「そうですか。では、ご武運を」

 引き締めた表情を作ったアレンに苦笑しつつ、稟は軽く手を振って控室を出ていく。

 すると、アリーナからわっと歓声が聞こえた。

 どうやら多くの生徒達が集まっているようだ。

「さて、この結果がどう転ぶ事になるか」

 アレンの瞳がスッと細まり、彼女は今後の事を考え始める。

 願わくば、稟が平穏な学園生活を送れる事を。

 

 

 

 

 ラファール・リヴァイヴを身に纏いアリーナへと舞い降りた稟。

 其処には既に先客がいた。美しき青色の機体、イギリスで出逢ったIS―『蒼き雫』を身に纏ったセシリアが。

 稟が到着するのと同時、今まで瞳を閉じていたセシリアが眼を開ける。

「……待たせたかな?」

「……そうですわね。この時を随分待ちましたわ」

 

――私もこの時を待ち続けていましたよ、稟様。

 

 セシリアと『蒼き雫』からの言葉。稟とセシリアが過去に出逢っている事を知らない者にとっては、単純に試験までの待ち時間に対しての問答と考える。しかし、セシリアと『蒼き雫』からすれば、二年越しの再会。

 二人の言葉はあっさりとしているが、その言葉に込められた想いは。

「…………そうか」

「えぇ。ですが、ここからは言葉では語りませんわ」

 

――そう、今この時において言葉は不要です。

 

「さぁ、踊りましょう。わたくしセシリア・オルコットと『蒼き雫』が奏でる円舞曲(ワルツ)で!」

 交互に綴られるセシリアと『蒼き雫』の言葉。当然であるが、セシリアには『蒼き雫』の言葉は届いていない。その声なき声を聞き取れるのは稟だけだ。

 稟はその言葉に乗る想いを受け取り。

「その誘い、謹んでお受けしようセシリア。いくよ、疾風(はやて)

 

――了解だよ。王様!

 

 最後の言葉はセシリアに聞こえないように呟き、稟は今の相棒であるラファール・リヴァイヴに声をかける。

 稟の言葉にラファール・リヴァイヴは元気よく言葉を返し、機体が唸る。

 稟の試験は、遂に幕を開けた。

 



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第十二話:試験(後編)

文才をおおおおおぉぉぉ……
描写力をおおおおぉぉぉぉ……
誰か恵んで(涙)



戦闘描写に関してですが、私にはアレで精一杯でした。
頑張って書きはしたものの、想像力が欠如している私には無理だったよ。
誰かアドバイスか、勉強になる作品を教えてくださいorz




うん。ツッコミどころがあると思います。
描写に関してもそうですが、同調の部分に関して。
これに関しては、物語の展開が進むにつれて描写していきたいと思います。なので、今回はスルーしていただけると幸いかと(汗)


 向かい合う稟とセシリア。

 試合開始の合図はなっているが、二人はまだ動かない。

 稟はアサルトライフルを、セシリアはスターライトmkⅢを構えているがまだ動く気配を見せない。

 セシリアが何を考えて仕掛けてこないかは不明だが、稟としてはこの試験をさっさと終わらせたいと考えている。正直、ISを戦闘などに使いたくないのだが、こればかりはどうしようもない。世間を知らない青二才が喚いた所で世界は変わらないのだから。

 稟を見据えたまま動こうとしないセシリアを一瞥した稟は、全身から力を抜き、ISに己が身を全て委ねるかのように瞳を閉じる。

 それにざわつくアリーナに来ている全ての生徒達。彼の試験をチェックしに来ている教員達もざわついている。

 対戦相手の目の前で眼を閉じるなど、正直馬鹿げているし相手を馬鹿にしていると誰もが思う事。しかも、そうしているのが男であるのならば尚更だ。稟のクラスメイトである少女達はそれ程でもないが、彼とクラスが違う者、上級生の少女達の中には、まるで不快な物を見るかのような眼で稟を見ている者もいる。

 そんな中で、ざわつかずに冷静に稟を見ている者もいる。アレンと千冬、そして彼と対峙しているセシリアだ。

 アレンが驚かないのは言わずもがなである。束と共に稟と過ごしていた彼女にとっては当然の光景であるからだ。

 千冬は束にある程度稟の事を聞かされていたから。それが真実であるかどうかは判らないが、束が下らない嘘を吐くとも思えないが故に、この試験でその真偽を見定めるように見つめている。

 セシリアは稟の性格を考えて。彼の事を詳しく知っている訳ではないが、この一週間彼と接し、他人を馬鹿にするような人格の持ち主でない事ぐらい理解している。だから、眼を閉じているのにも何らかの理由があるのだろう。

 セシリアは稟を見据え、自身が取るべき行動を考える。

 これがいくら稟の試験とは言え、手を抜くつもりなどないし、彼を侮るつもりなどない。やるからには全力を持ってやる。力を抜くなど、やってはならぬ行為だ。

 相手が男だからと、侮ってはならない。彼は、セシリアの価値観を変えた男なのだから。

「手加減はしませんわよ。稟さん」

 セシリアのその言葉に、稟は口の端を歪める事で答える。

 二人は互いに宙に浮かび上がり、先に仕掛けたのは。

「さぁ、おいきなさい。ブルー・ティアーズ!」

 セシリアだった。

 彼女は四基の、フィン状のパーツに直接BTレーザーの銃口が開いた自立起動兵器―『ブルー・ティアーズ』をけしかけ、それの展開が終わるとスターライトmkⅢの引き金を引く。

 稟を四方向から囲むように展開された『ブルー・ティアーズ』―以下ビット―からレーザーが放たれ、スターライトmkⅢからもレーザーが放たれる。

 初見の者は当然だが、ある程度戦い慣れしている者でも全てのレーザーを避ける事が難しい攻撃の雨。微妙にタイミングをずらして放たれたレーザーの十字砲火は、目視していても避けるのが困難であろう。まして、眼を閉じていては避けられよう筈がない。戦いの才能に恵まれ、その手の訓練を積み、経験を重ね続けでもしない限りは。

 アリーナに観戦に来ていた皆が思っただろう。『あぁ、終わったな』と。巫山戯た真似をするからあっさりと終わるのだと。

 だが、稟はその常識を裏切る。

 まず初めに稟に襲い掛かった、稟の背後に展開されたビット。その背後からのレーザーを引き付け、半身を捩じる事でギリギリ避ける。次いで迫る左右からのレーザーは上昇する事で躱し、正面と、真下から放たれるレーザーは、ブースターを前方に吹かす事でバックするようにして真下からのレーザーを残ったブースターを上に吹かして下降する事で躱す。その際に、正面からのレーザーを避けるタイミングを読み違えたのか。レーザーが右腕に掠ってしまい僅かだがシールドエネルギーが削られる。

 レーザーの十字砲火を難なく避けた稟に観客達(ギャラリー)がどよめく。

 稟と相対しているセシリアも当然驚いている。稟が瞳を閉じている事には何かしら意味があるのだろうと考えていたが、まさかビットの存在を見もせずに避けられるとは誰が想像できようか。

 だが、驚いているのも束の間。セシリアはすぐさま表情を引き締め、更に苛烈な攻撃を仕掛ける。先程の攻撃は様子見も兼ねて一発ずつのレーザーだったが、ならば次からは可能な限り撃ち続けて避けきれない状況にすればいいだけの事。

ス ターライトmkⅢから、稟を囲むように展開されたビットから雨霰のようにレーザーが放たれ続ける。それらの攻撃を、機体を縦横無尽に駆り避けていく稟。当然避けきれない攻撃もあるが、それを何とか最小限のダメージに抑え続ける。

 いくらISのハイパーセンサーが優れていようと、何の訓練もしていない普通の人間がそれを活かし、代表候補性相手に粘りつづけるのは難しい。

 だが稟は。彼は。

 とても普通の学生が過ごすような、平凡な環境で今までを過ごしてきていた訳ではない。戦いという大それたものではないが、それに似た環境に、常に己が身を晒し続けてきていたのだ。

 襲撃なんて日常茶飯事。常に複数の人間に囲まれ、正面から、死角からの攻撃に晒され続けてきた。待ち伏せも当然あった。命が危なくなる場面だって幾度もあった。救いの手が差し伸べられる事など一切なく、敵しかいない、地獄のような日々を送り続けてきた。  

 彼の心が休まる日など、一日の中でどれ程あったのか。

 そんな日々を送り続けた経験が、今この場で活かされている。かつての所業の結果が、この場で活かされている。

 ビットに意識はない為に攻撃の意思を察知する事は出来ないが、それでも動く気配は読める。稟はビットの動く気配を読み、セシリアの攻撃の意思を読み、その攻撃を避け続けているのだ。

 だが、例え動きを読んでいてもレーザーを避けるのは至難の業だ。人の動きとレーザーの速度は違いすぎるのだから。その為のISでもあるが、それでも普通の人である稟がISの性能を十分に発揮する事など不可能だろう。

 しかし、ISと同調(シンクロ)出来る稟にとって、ISの性能を十分に発揮する事は難しい事ではない。彼女達ISと言葉を交わし、同調できる稟にとっては不可能ではない。

 彼女達を拒絶する事なく受け入れ、互いの意識を同調させる。お互いに意識を衝突させる事なく。特別な機械を使って、特別な状況に陥ってISコアと意識を通わせる訳でもなく、意図的に同調できる彼にとっては。

 ISとの同調に関して、束もアレンも詳しい事は分かっていない。何故人の身でそんな事が出来るのか。自分とは違う異物を受け入れられるのか。何の違和感も持たず、ごく自然にISに身を委ねられるのか。

 この事が、アレン達ISが稟を『王』と呼んでいる事に関係があるのだろうが、アレン達でさえ詳細を理解していないだろう。

 それはさておき。

 ラファール・リヴァイヴと同調している稟は、単純に考えて二人分の思考能力、情報処理能力を有している。それによって疾風から送られてくる人間には過剰な情報、自身が得る情報を処理し、対応してみせている。

 攻撃を悉く避けられていく度に、セシリアの焦りは募っていく。

 片や訓練を積み重ね続け、エリートともいうべき代表候補生の一人に選ばれた少女。片や今までISに関わった事がないであろう、どこにでもいるであろう少年。

 片や試作機であるが、イギリスの技術の粋を集めて造られた、限られた人間にしか扱えない最新鋭機。片や、誰にでも扱える量産機。

 侮っていた訳ではない。ないが、どこか油断はしていたのかもしれない。いくらセシリアの在り方を変えたと言えど、稟とセシリアではISの練度が違うからと。訓練を積み重ね続けてきた自分が、万一にも後れを取る筈がないと。

 しかし結果は、彼女を嘲笑うかのような現実を見せている。

 セシリアは己の油断を恥じ、思考をすぐさま切り替える。まだ試験は終わったわけではないのだ。ここからは一切油断せずに行動すればいいだけの事。

 確かに、彼の機動には驚くべきものがある。彼の駆るラファール・リヴァイヴは本当に訓練機なのかと疑いたくもなるし、今までISに触れた事がない人間がどうしてこうも上手く扱えるのかの疑問もある。

 それらの疑問に蓋をし、セシリアは思考する。包囲しても攻撃が避けられるならば、彼の進行方向を誘導し、こちらの攻撃が当たるようにすればいいと。

 なら、その為の行動は。

 セシリアは深呼吸をし、ビットに指示を与える。指示を与えられたビット達は包囲網を解き、稟の背後に回って半包囲網を敷く。上手くいけばこれで、稟は正面、セシリアの方向へしか回避できないだろう。ひょっとしたら再びとんでも機動を見せられ、正面以外に避けられる可能性もあるが。それでも悪い賭けではない筈だ。

 セシリアは稟の動向を確認する。

 セシリアの攻撃を避けた稟は態勢を立て直して宙に佇んでいる。彼女に向かって行く訳でもなく、手に持っているライフルを使用するのでもなく、ただその場に佇んでいる。

 攻撃の気配を見せない稟に訝しむセシリア。今が攻撃のチャンスの筈なのに何故攻撃しないのか。何かを企んでいるのだろうか。警戒心が高まるセシリアだが、考えすぎても泥沼に嵌るだけと判断。

 攻撃の手を弛めるわけにもいかないと、ビットに攻撃命令を再び下す。命令を受けたビットからのレーザーの一斉照射。セシリアの狙い通りに彼が動いてくれれば、彼の回避行動先は。

 果たして。稟はセシリアの狙い通りに動いてくれた。瞬時加速(イグニッション・ブースト)のおまけ付で。

 素人が使える技術ではないそれをしてきた稟に、セシリアは驚きを通り越して呆れてしまう。何なのだろうか、この少年はと。本当につい最近ISを動かしたのだろうかと。無茶苦茶すぎるのではないかと。

 だが、そんな感情には蓋をする。感情を晒した隙を突かれる訳にはいかない。

 セシリアに急接近する稟。彼女はそれに焦る事なく。

「ブルー・ティアーズは、六基ありましてよ!」

 セシリアの腰部から広がるスカート状のアーマー。その突起が外れ、今まで温存していた残り二基のビットを展開する。『蒼き雫』の唯一の実弾兵装である、二基のビットを。

 二基のビットから放たれたミサイル。距離的にも時間的にも、瞬時加速を使用した稟に避けられる術がない。これで決着かと、観客達の誰もが思っただろう。

 しかし。

 

 

――ドン!

 

 

 という、何かが爆発したらしき音が響いた瞬間。セシリアの正面には稟が健在していた。ラファール・リヴァイヴの装甲に、損傷らしい損傷を見せず。

 その状況に、一体何がと思考が固まるセシリア。瞬時加速中のタイミングに放たれたミサイル。それは普通ならば、必中の間合いだっただろう。回避できよう筈がない。ならば何故、彼は無傷なのか。

 その答えはすぐに分かった。

 稟が手に持っているライフル。今まで使用されなかったその銃口から、煙が出ていた。つまり稟は、そのライフルで迫り来るミサイルを撃ち落としたのだ。数秒後に被弾するミサイルを、瞬時の判断で迎撃したのだ。

「…………っ!?ぶ、ブルー・ティアーズ!」

 あまりの出来事に理解が追いつかなかったが、このままではマズイと直感的に感じたのか。セシリアは叫ぶようにしてビットへ命令を下す。背後のビットはレーザーの弾幕を、正面のビットはミサイルを再び放つ。セシリア本人も、その手に持つスターライトmkⅢで攻撃を行う。

 しかしその攻撃も。無駄であると言わんばかりに避けられる。個別連続瞬時加速(リボルバー・イグニッション・ブースト)で。

「………………は?」

 セシリアは口から呆けた声を漏らす。

 瞬時加速よりも遥かに難易度の高い技術を目の前で見せられて。

 国家代表クラスか、それに準ずる力量を持つ者でもないと扱えない技術を見せられて。

 専用機を持っていても苦労するそれを、訓練機であっさりと実演され。

 セシリアが呆けたのは、時間にすれば僅か数秒の事。

 だが、その数秒の隙を稟は見逃さず。再度瞬時加速を行い、残り僅かとなっていたセシリアとの距離を一気に詰める。

「――ッ!」

 それに気付いたセシリアは、『蒼き雫』唯一の近接武器―インターセプターを呼び出す。ビットに命令しては間に合わないと判断したのだ。

 セシリアと稟が交差する刹那。

「――っ!?」

 

 

――王様!?

 

 

――稟様!?

 

 

 稟は激しい頭痛に見舞われ、眩暈を起こす。それによって疾風との同調が強制的に解除され、稟はバランスを崩してしまう。

 突然の事に慌てた声を出す疾風と『蒼き雫』だが、それに答えられる状況でもなく。

 同調が解除され慌てる疾風だが、稟はそれどころではなく機体の制御も儘ならない。錐揉み回転しながらセシリアにぶつかろうとしている。

 いきなり稟が姿勢を崩した事に驚くセシリアだが、その隙を逃す彼女でもない。

 セシリアと稟が擦れ違う瞬間。『蒼き雫』のインターセプターがラファール・リヴァイヴに直撃。今までのダメージと重なって。

 

 

 

『ラファール・リヴァイヴのシールドエネルギーエンプティ。試験を終了してください』

 

 

 

 呆気なく決着がつき、試験終了のアナウンスが流れた。

 その終わり方に、試験終了の実感が沸かないセシリアは何とも言えない表情を浮かべている。今まで苦戦していたのに、あっさりと勝敗が決してしまった。まるで狐に化かされたような感覚である。その表情のまま、稟がいるであろう後ろへ振り向けば。

「……!?稟さん!」

 先程までセシリアを翻弄していた姿はどこへやら。機体の制御も儘ならず、今にも墜落しそうな稟の姿を見た。

 セシリアは急いで稟の下へ向かい、彼が墜落しないように支える。その時に見た稟の顔色は悪く、

「大丈夫ですか?稟さん」

 セシリアは心配そうに尋ねる。

 支えられた稟は頭痛に顔を顰めながら、セシリアへと顔を向ける。

 頭痛はまだ収まっていないが、眩暈は治っている。稟を気遣ってくれているセシリアに感謝と、申し訳ないという想いが浮かび、彼は心配させまいと無理矢理に笑顔を作る。

「……大丈夫だ。ありがとう、セシリア」

「……本当ですの?」

 疑わしげなセシリアの声に稟は苦笑する。本当は大丈夫とは言い難いが、セシリアに必要以上の心配を与えたくない稟はそう言うしかない。

彼女はこの後、織斑一夏との試合が控えているのだ。自分に構わず少しでも休ませなくてはいけない。

 稟は頭痛を堪えつつ深呼吸をし、気持ちを落ち着かせる。セシリアに支えられたおかげで機体の制御も無事に取戻し、彼は心配ないと言わんばかりの表情を浮かべる。

「心配してくれるのは嬉しい。でも、本当に大丈夫だから、な?」

「……まぁ、稟さんがそう仰るのなら」

 納得はしていないが渋々頷くセシリア。

 

 

――う~、でも、王様は自分で溜め込む性分だしな~。

 

 

――自分が苦しくとも我慢する方ですからね、稟様は。本当に大丈夫なのでしょうね?

 

 

 疾風と『蒼き雫』からの訝しげな言葉に稟は答えない。セシリアがいるから答えられないと言った方が正しいが、彼女がいなくてもその言葉には答えなかっただろう。疾風と『蒼き雫』の言う通り、稟は自分で抱え込む性分なのだ。

 ゆっくりと地面に降りていく稟とセシリア。

 降り立った稟とセシリアは互いに向き合い、

「次は、一夏との試合か。頑張れよ、セシリア」

「えぇ、頑張らせて貰いますわ。この試験で心構えも出来た事ですしね」

 互いに軽く微笑みながら言葉を交わす。

 そのまま数秒見つめ合った後。二人は同時に背を向け自分達がいたピットへと戻っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 ピットへと戻った稟は一夏とアレンから労いと称賛の言葉を貰っていた。千冬と箒からも素っ気ないものではあるが労いの言葉を貰った。

 それから暫く一夏と話していると、副担任である真耶が駆け足でピットに訪れ、一夏の専用機が届いたと報告した。

 一夏の専用機―白式。彼は白式を身に纏い、千冬と箒から激励の言葉をかけられて戦いの舞台へと向かって行った。それを、壁に背を預けていた稟は見守っていた。

 一夏は一体、その胸にどんな想いを宿して戦うのかと考えて。

 

 

 

 

 

 

 

 アリーナ・ステージで向かい合っている一夏とセシリア。彼等は少し言葉を交わし合い、すぐさま戦いへと移行する。

 戦いの序盤は一夏が終始押されていた。それでも一夏は、稟とセシリアの戦いを見ていたので呆気なくやられるという事はなかったし、元々剣道をしていたというのもあるのだろう。セシリアに攻撃こそ当てる事は出来なかったが一方的に負けるような展開にはならなかった。それでも彼が不利ではあったが。

 その状況が変わったのは三十分程経った頃だろう。セシリアに追い込まれていた一夏は、土壇場での白式の一次移行(ファースト・シフト)によって窮地を脱する。あまりの出来事に戸惑うセシリア。

 そこから押しはじめる一夏。セシリアもすぐに我に返り一夏に攻撃を仕掛けるが、彼に懐に潜られてしまった。これは決まったかと誰もが結果を思った時。

 

 

 

 

『試合終了。勝者、セシリア・オルコット』

 

 

 

 

 一夏の斬撃がセシリアに当たる直前、勝者を告げるアナウンスが流れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 稟と一夏との試合を終え自室に戻ったセシリアはシャワーを浴びていた。シャワーを浴びながら、今日の試合の事を振り返る。

 今日の試合で、彼女の脳裏には織斑一夏という存在が焼き付けられたが、それ以上に土見稟の存在が彼女の中に焼き付いている。

 彼との出会いは偶然だった。二年前、母ととある街に出かけ買い物をしている時。偶々母と離れたセシリア。そこで彼女は性質の悪いナンパに会った。必要以上に絡んでくるナンパに、彼女の限界が達しかけた時。現れたのが稟だった。

 彼は強引にセシリアを引っ張り、ナンパから助けてくれた。その事にお礼を言った後、女性と思っていた稟が実は男だと分かり、セシリアは過剰に反応したのだった。その反応から彼は、セシリアが女尊男卑の風潮に染まりそうになっていたのを察し、そこから色々と突っ込んで話してきた。

 そんな彼にセシリアは自分の想いを溢したのだが、今にして思えば何故そうしてしまったのだろうと思う。別にその事を後悔している訳ではない。寧ろそうしたおかげで今の自分があるのだからそこは喜ぶべきだ。

 しかし、いきなり現れた見ず知らずの少年に、何故自分の想いを溢したのか。勝手に彼女の中に入り込んできたのに、どうして拒絶しなかったのか。

それはきっと。彼の優しい声音と、透き通るような瞳に、無意識に惹かれたからだろう。同じ年の子供のものとは思えない、意思の強そうな瞳に。

 その瞳の色に、彼女の胸は高鳴った。初めての事に戸惑ったのを覚えているが、それは決して不快な気持ちにならなかった。寧ろ、心が安らぐような感覚さえあった。あの瞳を、あの声音を想うだけで、セシリアを不思議な気持ちが優しく包んだ。

 そうして彼女は稟の言葉を胸に秘め、両親と話し合う事にした。その結果、両親の想いを知り、彼女は幸福な一時を手にした。今まで見ていた世界が急に鮮やかになり、彼女の思考は変わった。男も、醜いだけの存在ではないと。父や、稟のような男もいるのだと。最も、その二人のような男はそうそういなかったのも現実なのだが。

 しかし、その幸福は長く続かなかった。稟と出逢ったその年の内。両親は事故で他界したのだ。それからはあっという間に時間が流れた。

 セシリアの手元には莫大な遺産が残り、それを金の亡者共から守る為に、彼女は様々な勉強をした。その一角で受けたIS適正テストで高い適性を叩き出し、イギリス政府からは様々な好条件が出された。政府にも色々な思惑があったのだろうが、セシリアは遺産を守るために即断。

 そこからも色々と苦難があったが、その度に両親の言葉と稟の事を思い出し、彼女は守り続けてきた。

 そうしてこの二年を過ごし、日本へとやってきた。そして、彼と再会した。もう、逢う事がないだろうと思っていた彼――土見稟と。

 再会した彼は、相変わらず少女と見紛う容姿をしていたが、その瞳の色は変わっていなかった。いや、寧ろより綺麗になっているように見えた。同年代とは思えない程に大人びていた。

 彼の姿を見た時、自身の鼓動が激しく高鳴るのを感じた。顔が、胸が熱くなるのを感じた。

「稟、さん……」

 彼を想う度、彼の名を口にする度に鼓動が早くなる。どうしようもなくドキドキする。彼の事を想えば想う程胸がいっぱいになり、不思議な気持ちで満たされる。甘く、切なく、熱く、そんな、不思議な気持ちに。

「私は……」

 あの時と同じだ。二年前に感じたあの感覚と。

自分の事なのに自分の気持ちが分からない。それは気持ちが悪い事の筈なのに、不思議と胸が温かさに満たされる感触。

 彼と一緒にいれば、この気持ちの正体が分かる日が訪れるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 セシリアがシャワーを浴びているのと同時。

 稟は重い身体を引き摺りながら自室へと何とか辿り着いていた。

 時間が遅かったからか、皆自分の部屋にいるか、食堂で食事でも摂っているのだろう。此処に来るまで誰にも見られなかったのは幸いである。

 試験の終盤に突如頭痛に襲われ、その頭痛は収まるどころかより一層酷くなっていた。セシリアと疾風、『蒼き雫』には大丈夫と言っていたが、今では正直立っているのも辛い程だ。

 その辛さは表には出さずにいたので一夏達は気付いていなかったが、アレンにはバレバレだった。一夏達がピットを去った後、アレンは血相を変えて稟を心配して医務室へ連れて行こうとしたが稟はそれを拒絶。心配ないの一点張りで押し通した。彼女の気持ちは嬉しいが、こうなったのは自業自得。それに彼女を付き合わせる必要はない。

 アレンは無理にでも稟を医務室へ連れて行こうとしたが、こうなってしまった稟を動かす事が出来ない事は骨身に沁みて分かっていた。アレンは溜息を吐き、強情な稟に呆れていた。彼はどうしていつもこうなのだろうかと。

 アレンとのやりとりを思い出して苦笑した稟は、重い身体に鞭を打って部屋の扉に手を伸ばして開ける。

 既に本音が戻っていたのだろう。扉は何の抵抗もなく開いた。

「お~、お帰りつっちー……、ってどうしたの!?」

 ベッドの上で横になっていた本音がその身を起こし、普段ののほほんとした動きとは裏腹な速度―常人と比べるとそれでも遅いが―で稟の下へ駆け寄る。

 稟は何とか立っているが、その姿は今にも倒れそうな程だ。

「……なん、でも……ない、さ」

「何でもなくない訳ないよ!?と、取り敢えず横になろう!」

 本音を心配させないよう言った稟だったが、それは逆効果であった。そもそも、顔色が悪すぎるのになんでもない筈などある訳がない。

 本音は稟に肩を貸し、彼をなんとかベッドに寝かす。そこから本音は稟を看病する為に行動を移そうとするが、稟はやんわりとそれを制する。

「看病の、必要はないぞ。ちょっと……頭痛がする、だけだから、寝れば……よく、なるさ」

 とてもではないがそうは見えない稟。

 本音はそんな稟をジト眼で見つめ、

「とてもそうには見えないんだけど~?こういう時のつっちーって、自分で抱え込むし」

 呆れたようにそう言う。

 これには稟も苦笑を溢すだけで答えなかった。

 稟と同室になって約一週間。朧気ながらも本音は、稟の性格を捉え始めていた。

兎に角稟は、自分よりも他人を優先する性格であると。自分の事で他人を心配させる事を極端に嫌うと。そうなってしまうのならば、自分で抱え込んでしまうと。

彼は、それがより他人に心配させる行為だと気付いているのだろうか?他人の事を想ったその行動が、実はより他人を苦しめている行為だと気付いているのだろうか?

 それを指摘したところで稟は否定するだろう。苦笑するだけで改めようとしないだろう。こればかりは本人が自覚して治すしかない。

 本音は溜息を吐き、

「は~。仕方ない人だね~、つっちーは」

 その言葉に、稟は苦笑するだけだった。

 




……おや?セシリアのフラグのようすが……


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第十三話:授業中のハプニングと代表就任会

夜勤明けの日にPCと睨めっこして、漸く投稿出来る形になった。
本当、文章が中々浮かんでくれなくて困るよ……

さて、今回の話にて千冬がアレンの事を名前で呼んでおりますが、これは稟くんがIS学園に入る前に束が千冬に連絡し、その時にアレンの呼称に関してを話し合った結果、彼女の事は名前で呼ぶ事が決定した経緯―という名の思いつき―の為です。
そうなるまでに束とアレンの間で醜い言い争いが起こり、千冬がキレたりしてます。
もうここの束とアレンはダメだ~ね。


 時は流れて翌日。

 稟が訓練機で専用機持ちであるセシリアを翻弄していた事で、彼を良く思わなかった少女達もその態度を改めていた。元々一組に稟をよく思わなかった生徒はいなかったが、他のクラスや学年の女子達はあの試験での稟の行動をよく思わなかった。しかし、その試験の結果であっさりと態度を百八十度変えるというのも如何なものか。

 それはさておいて、朝のSHR時。

「では、クラス代表は織斑一夏君に決定しました。一繋がりでいい感じですね!」

 そう嬉々として言っているのは副担任である山田真耶。彼女の言葉にセシリアと箒とアレン以外のクラスメイトである少女達がはしゃいだ声を上げている。

「あの、先生、質問です」

 そんな周りとは裏腹に、一夏は戸惑った顔で声を上げる。

「はい、何ですか?織斑くん」

「俺は昨日の試合で負けたんですが、なんでその俺がクラス代表になっているんでしょうか?」

「それはですね」

 一夏の疑問の言葉に、真耶はセシリアを一瞥する。それを受けたセシリアが立ち上がり、

「それは私が辞退したからですわ。勝負は貴方の負けですが、それは仕方のない事。訓練を積んだ人間とそうでない人間とでは差が出てしまいますもの」

 一夏の顔が一瞬悔しそうに歪むが、彼女の言葉も正しいので何も言えない。

「ですが、それでも織斑さんは私を追い詰めました。初心者の貴方がです。織斑さんの意外な成長性なら、戦っている間に成長して相手を負かす事もあるかもしれません。IS操縦には実践が何よりの糧となりますわ。クラス代表となれば戦いには事欠かないでしょう。最も、それで戦いに勝てるほど甘くはないので普段からの特訓ありきですが」

「うんうん。セシリアはよく分かってるね!」

「だね。世界で唯一の男の子がいるんだから持ち上げないとね~」

「私達は貴重な経験が出来て、他のクラスには情報が売れる。一粒で二度おいしいね!」

 セシリアの言葉に少女達はうんうんと頷く。それを呆れた顔で見ているアレンと、苦笑しながら見ている稟。一日経過して稟の体調も良くなっているようだ。

「それでですね」

 ちらりと稟を一瞥してから、

「私で良ければ、織斑さんにIS操縦を教えて差し上げたいのです。独学で学ぶのと、人に教えを乞うのとでは、やはり効率が違いますから。私も未熟な身ではありますが、貴方にクラス代表を譲渡するからには織斑さんの力になって差し上げたいのです」

 自分の考えを纏めるようにそう言った。

 それに一夏は何かを考えるように眼を閉じ、やがて考えが纏まったのか一つ頷いてセシリアに顔を向けるが、

「ふん、生憎だが一夏の教官は事足りている。『私』が、『直接』、一夏に頼まれたからな!」

 

 

 

 

――バン!

 

 

 

 

 と、机を叩いて立ち上がった箒がセシリアを睨みながらそう言った。やたらと『私』と『直接』を強調して。

 何やら殺気を感じないでもない視線であるが、セシリアはそれを意に介さず、

「でしたら、私と篠ノ之さんで教えて差し上げればよろしいのでは?教官役が二人いても問題はないでしょう?」

「いいや、駄目だ。私は一夏に頼まれたがお前は頼まれてはいないだろう。そんな奴にしゃしゃり出られても迷惑だ」

 箒の言葉にセシリアは眉を顰める。流石にここまで言われる筋合いはない為、彼女の眼も段々と箒を睨んでいくように変化していく。

 ここから激しい口論が展開されるのかと、クラスの空気が緊張しようとする中。

「無駄口を叩いてないで大人しく座れ、馬鹿共。そんな話は後でにしろ」

 いつの間にかセシリアと箒の下へと近付いていた千冬が、二人の頭を軽く出席簿出叩く。

 いきなり叩かれた二人は頭を抑えながら、涙目で千冬を見る。

「クラスの為にやる気があるのは結構な事だが、今は私の管轄時間だ。くだらん言い争いは止めろ」

 それをバッサリと切り捨てる千冬。

「さて、クラス代表は織斑一夏。異存のある者は?」

 鋭い目付きでクラスを見渡す千冬。

 それに異を唱える者などいる筈もなく。

 肯定の意を確認した千冬は頷いた。

 こうして一年一組のクラス代表は織斑一夏に決定したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日の最初の授業はISの実技。稟と一夏はISスーツに着替える為に使用されていない第二アリーナ、その更衣室に来ていた。途中数多の女子生徒に襲撃され、稟が顔を引き攣らせて青褪めるというハプニングが起こったりしたが。

「は~、やっと着いたな。早いところ男子用の更衣室を用意してほしいよな~。着替えるのに一々空いているアリーナまで行くのは面倒だしさ」

 アリーナに着いて早々にぼやく一夏。一夏のその気持ちは理解できるので稟は苦笑する。

「でも、それは仕方ないだろ。元々女子しかいなかった此処に俺達が来てしまったんだから」

「それはそうだけ、ど……」

 一夏とてその程度の事は理解しているが、ぼやきたくなるのは仕方ない事だろう。

 ISスーツに着替えつつ、何となく稟の方へ振り返った一夏は驚愕して不自然に言葉を切ってしまった。

 ISスーツに着替える為に上着を脱いでいた稟。普通ならば別に驚愕するような状況ではないだろう。だが、稟の身体には……

「……稟、お前……その、身体…………」

 何とか振り絞って出された一夏の声。その声は震えていて。

 何故一夏の声が震えているのか。訝しく思った稟は一夏へ振り返り、彼の視線の先を見て理解した。

 一夏が眼を見開いて凝視していたのは稟の身体。言葉にしたら一夏が変態に見えてしまうが、稟の身体を見ればそうとも言えなくなるだろう。

 何故なら、稟の身体には夥しい程の傷痕があるのだから。彼等の年代位の少年ならば、傷痕があるのは別に珍しくもない。だが、稟に刻まれた傷痕の数は、普通に過ごしていればありえない程のものだった。彼の命を奪おうとする為に刻まれたと分かる傷痕が、無数にあった。正直、眼を背けたくなる程の傷痕が。

「……あぁ、IS学園(ここ)に来るまでは不良によく絡まれてさ。朝昼晩と喧嘩が絶えない毎日だったんだ。おかげで生傷の絶えない日々でさ」

 嘘ではない。真実をありのまま言っていないだけで、実際に喧嘩が絶えない日々だったのは事実。

 楓に嘘を吐いたあの時から。桜と幹夫を除く光陽町の住人に敵意を向けられ、絡まれ、暴力を振るわれ続けてきた。それこそ、常人ならば自殺していてもおかしくない程の暴力を。肉体的、精神的に、ありとあらゆる、人が考えられるであろうあらん限りの暴力を振るわれ続けてきたのだから。

 あれにはまいったねと、困った顔で呟く稟。その稟が浮かべている、全てを諦めてしまったかのような力のない笑み。それを見た一夏は、胸の奥から何かが込み上げてくるような感覚を覚えた。

「………………そんな、そんな簡単に、笑みを浮かべて言える傷じゃないだろ!喧嘩で出来るような傷でもないだろ!明らかに刃物で刺された傷痕が多いじゃないか!?」

 一夏の叫びが更衣室に響き渡る。

 稟とて先の言葉で納得させれると思ってはいなかったが、事実をありのまま伝える訳にもいかない。所詮は自業自得なのだ。それを他人に気遣わせてはいけない。

 稟は一夏の叫びに何も返さずに着替えを済ませ、

「さっさと行こう。でないと、織斑先生の出席簿が炸裂するぞ?」

 一夏に退室を促すように、彼から逃げるように先に更衣室を出ようとする。

 一夏は何かを言おうと口を開きかけるが、稟の言う事も尤もだったので彼に従う事にして更衣室を出るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、これよりISの基本的な飛行操縦を実践してもらう。代表して織斑、オルコット。試しに飛んで見せろ。専用機はすぐに展開ができるからな」

 集まる生徒を見渡し、千冬がそう指示を出す。

 セシリアはすぐに展開を終えていたが、一夏はまだ展開を終えていない。

「さっさとしろ織斑。熟練した操縦者ならば展開には一秒とかけん」

 千冬に急かされた一夏は意識を集中させ心の中で呟く。

 瞬間。

 一夏の身体が輝いたかと思うと、彼はその身に白式を身に纏っていた。

 それを確認した千冬は頷き、

「では飛べ」

 再び指示を出す。

 それを聞いたセシリアの行動は早く、すぐさま急上昇して遥か上空で静止した。慌てて一夏も急上昇するが、その速度はセシリアよりかなり遅かった。

「ほえ~、セッシーは速いけどオリムーは遅いね~」

「それは仕方がないだろう。セシリアは代表候補生でISの訓練を積んできているのに対し、一夏はISに触れて日が浅いんだ。差が出るのは当然さ。まぁ、出力は白式の方が上みたいだけど」

「分かるの?」

 それを見ていた本音がのほほんと呟き、その呟きが聞こえた稟がそう返す。

 周囲の皆が一夏とセシリアの方へ視線を向けている中、本音と稟は互いに顔を見合わせていた。

 ちなみに余談だが、本音は稟の横にいて彼の腕を抱いていたりする。

 何故彼女は稟の腕を抱いているのか。朝起きて教室へ向かう時から彼女に腕を取られているのだが、理由が分からない。いや、恐らくは昨日の事が原因であるのだろうが、今日は体調も悪くない。彼女が心配する必要はないのだが。

 更に余談ではあるが、本音に腕を抱かれている姿を多くの生徒に見られ、本音に羨ましそうな視線が集中したり、教室に着いた時にセシリアとアレンから凄まじい視線を向けられたりしていた。

「スペックカタログを見せてもらったからな。一夏はあんま読んでなかったみたいだけど」

 授業中に話していれば千冬の出席簿が飛んでくるのだが、彼女は今、真耶のインカムを奪って何やら怒鳴っている箒に出席簿アタックをかましていたようだ。

 それを横目で見て苦笑する稟。稟の視線を追った本音は呆れた顔をしていたが。

「…………ん?」

 稟が再び上空に視線を向けた時、彼の表情が微かに歪む。それに本音が疑問を挟む間もなく。

「いかん!織斑の下にいる生徒はすぐに避難しろ!」

 千冬から慌てた指示が飛んでくる。

 本音がそれに上空を見ると、一夏が速度を出しすぎ、その速度を制御出来ずにこちらへと落ちてきているのが分かった。

 近くの生徒が慌てて避難する中、突然の事態に呆然とする本音。そのままで動こうとしない本音を、

「本音!」

「え?…………きゃっ!?」

 彼女の腕を軽く振りほどいた稟が、お姫様抱っこで彼女を抱いてその場から離脱を図る。

 そのまま本音の腕を引いて走ればよかったかもしれないが、そうした場合彼女がこけてしまう可能性が高かった。そう判断した稟は失礼を承知で彼女を抱える事を選択したのだ。

 稟や他の生徒が避難して数瞬。

 

 

 

 

――ズドォォンッ!!!

 

 

 

 

 彼等が元いた場所に一夏が墜落した。

 彼が墜落した場所からは石やら何やらが勢いよく飛んできている。それらの飛来物を、少女達はわーきゃー!と叫びながら避けている。

 そのうちの一つである拳大程の石が稟と本音に迫り、

「――っ!?」

 それを察知した稟が顔を横にずらすと、彼の顔のすぐ側を石が飛び過ぎていく。

 それと同時に稟の眉尻に熱が奔り、そこから流れた血が本音の顔に落ちる。

「……?…………つ、つっちー!?」

 その事で意識を取り戻した本音が稟に顔を向けると、彼の眉尻から血が流れていた事に気付いた。

「……っ、怪我はないか?本音」

「え?あぁ、私は大丈夫だよ~、じゃなくて!つっちーの方が怪我してるんだよ!?」

 心配気に本音を見つめてくる稟に思わずそう返す本音だが、すぐさま我に返り稟を心配する。どうやら流れている血が眼に入ったらしく、稟は左眼を閉じていた。

 そんな彼等の下に、数名の女子―相川清香、鷹月静寐、谷本癒子-と千冬が駆け寄って来る。

 それを確認した稟は、

「先生、怪我人はいませんか?」

 自身の事を無視してそう宣った。

「いや、幸い怪我人はいない。土見、お前を除いてな」

 それにホッと表情を緩める稟だが、彼女達はそういう訳にもいかない。眼の前に怪我人がいるのだから。

「土見、お前は医務室へ向かえ」

「別に俺は……」

「大丈夫な訳があるか。傷は浅いのかもしれんが血が流れ過ぎている。その状態では周りにいらん心配をかけてしまう」

 稟が反論する前にバッサリと切り捨てる千冬。それに苦笑する稟。

「一人で行かせてはきちんと行きそうにないな。仕方ない。布仏、お前が土見を医務室まで連れて行ってくれ」

「私が、ですか?」

「あぁ、誰かがいれば土見も大人しく行くだろう」

「なら、私よりあっちーの方が……」

「あっちー?あぁ、アングレカムの事か。奴なら今は……」

 そう言って一夏が墜落した方向へ千冬が視線を向けると、そこには凄まじい形相のアレンが墜落したままの一夏に何かを言っていた。

 アレンの雰囲気に気圧されているのか、他の生徒は彼女と一夏の側に近寄れず、副担任である真耶は泣きそうな顔でオロオロと一夏とアレンの顔を見比べていた。

「あの通りでな。故にお前に頼んだ」

 千冬は米神を押さえながら、溜息混じりにそう言った。

「分かり、ました」

 納得した本音は頷き、そこでふと自分の体勢を思い出した。今の自分の体勢。それは、稟にお姫様抱っこされている状態。それを脳が理解した瞬間、彼女の顔が朱に染まる。

 急に恥ずかしくなった本音は稟の袖を軽くクイクイっと引っ張る。それが下ろしての合図だと気付いた稟は本音を地面に下ろし、

「そ、それじゃ、医務室に行こうかつっちー」

 下ろされた本音は稟の腕を軽く掴み、その場から逃げるように彼を医務室に引っ張って行こうとするのだった。

「先生……」

「逃げずに医務室へ向かえよ」

 稟の言葉を遮りって千冬はそう言った。先回りされた稟は乾いた笑みを浮かべ、大人しく本音に連行されていくのだった。

 二人が医務室へ向かうのを確認した千冬は手をパンパンと大きく叩き、

「さて、全員注目!」

 授業を再開させるべく声を出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「というわけで!織斑くん、クラス代表決定おめでとう!」

『おめでとう!』

「ヒャッハー!おめでとう!」

 授業中に思わぬ事故(アクシデント)があったが、稟の傷も深くなく無事に次の授業に顔を出した翌日。

 一年寮の食堂にて、織斑一夏クラス代表就任パーティーが開かれていた。

 食堂を貸し切って、というか占拠してのパーティーである。テーブルの上には高級ホテル並みとは言わないが、それでも学生の身にとっては豪華とも言えるべき料理の数々が並び、一組の生徒は飲み物や料理を手にわいわいと盛り上がっていた。

 そのパーティーの主役である一夏は飲み物を片手に、憂鬱だと言わんばかりに溜息を吐いていたりするが。

「いや~、これでクラス代表戦も盛り上がりますな~」

『ほんとほんと』

「織斑くんと同じクラスになれてラッキーだったね~」

『ほんとほんと』

 何やら一組だけでなく―相槌を打っているのは二組の少女―、他のクラスも数名混ざっているようだが、誰も気にする様子がなかった。

「随分と人気者だな、一夏」

「……そう見えるか?」

 溜息を吐く一夏に箒が近付き、不機嫌そうな顔でそう溢す。

 一夏はジト眼で箒に返すが、彼女はふんと鼻を鳴らして顔を背けるのだった。

「おんや~?主役が随分と辛気臭い顔をしていますね~」

「今日の主役がそんなんじゃいけないよ~?」

「ヒャッハー!この料理を食べてそんな不景気な表情は吹き飛ばせ~!」

 そんな一夏達に近寄る数名の女子。一人、何やら変なテンションの女子がいたりするが誰も気にしていなかった。

「いや、そうは言ってもな……」

 クラス代表になってしまった事を納得していない一夏としては、この状況を素直に喜べない。

 顔を顰める一夏に少女達は顔を見合わせ、

「まぁ、取り敢えずはこれでも食べて」

 そう言って、一夏の前にカルボナーラを突きつける。

「いや、俺は……」

「納得いってなくても、折角のパーティーなんだしさ。楽しまないと損だよ?だから、ね」

 そう笑顔で言ってくるクラスメイトを邪険にも扱えず、一夏は渋々といった感じでカルボナーラを受け取る。

「篠ノ之さんもね」

 箒にも同じように料理―こちらはナポリタンのようだ―が渡される。

 一夏と箒は互いに顔を見合わせ、仕方ないかと頷き合って料理を口に含む事にした。そして。

「……う、うめぇ」

「……美味しいな」

 眼を見開いてそう溢した。

 それに少女達は笑い合い。

「でしょでしょ?美味しいでしょう?これはしっかり味わって食べないと損でしょう」

「……だな。でも、食堂の料理ってこんなに美味かったか?パスタ系はまだ食べた事なかったし、美味かった事は美味かったけど。ここまでの味は……」

 言い方を考えつつそう言う一夏に、少女達も同じ事を思っていたのか苦笑して、

「あ~、この料理ね。これって食堂の人が作ったんじゃなくて……」

「実は土見くんが作った料理なんだよね~」

『………………はああ!!?』

 一夏と箒の口から驚愕の声が漏れる。

「こ、この料理を作ったのが稟だって!?」

「土見が、この料理を……?」

「その料理だけじゃなく……」

「ここに用意されている料理全部……」

「土見くんが作ったものなんだよね~……」

『……………………………………は?』

 衝撃(?)の事実を口にする少女達。

 その事実に呆けた声を漏らす一夏と箒。暫く固まっていた一夏だが、

「こ、この料理の数を、稟が……?」

 掠れたような声でそう言う一夏。

 そう言って一夏が指を指した先には、到底一人では一日という短時間で作れない料理の数々があった。

 とてもではないが信じられない。一夏の顔はそう語っていた。無論箒もだ。

 彼女達もその気持ちが理解できるのか苦笑しており、しかしはっきりと頷いて肯定したのだった。

 その肯定に言葉を失う一夏と箒を誰が責められようか。

 彼等の間に微妙に重たいような空気が流れるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴女達は、織斑一夏の近くに行かなくてよかったのですか?」

 一夏達とは離れた場所にいて彼等を遠巻きに見つめていたアレンは、彼女の側にいる少女達にそう声をかけた。

「別に構いませんわ。ここの方が落ち着きますし」

「私も~」

 アレンの言葉にそう答えたのは、セシリアと本音だった。

 ほとんどの生徒達が一夏の側に行っているのに対し、この二人はアレンの、正確には稟の側にいた。

 二人以外にも稟に近付こうとする少女達はいるのだが、この三人の雰囲気に当てられて近付けないでいたりした。

「…………ふむ」

 二人の返答に、何やら考える仕草をするアレン。

 普段ならばここで稟が何かしら口を挟むのだが、彼は口を挟めるような状況ではなかった。

 彼は今、短時間に多くの料理を作るという荒業を完遂した代償に眠りについていたのだった。用意された椅子に深く腰を掛け、穏やかな寝顔を浮かべながら。

 その寝顔を見た何人かの少女は顔を赤く染めたり、鼻から赤い液体を流して撃沈していたりする。

 普段は凛々しい顔つきの稟だが、寝ている今は年相応の、というか見た目相応の愛らしい寝顔だ。普段の表情とのギャップが激しすぎる。その破壊力は耐性のない者を一撃で沈め、耐性のあるアレンでさえ表情をだらしなくさせる程である。それを特等席である稟の横で見られるセシリアと本音も顔を朱に染めていた。

「貴女達は……」

 セシリアはほぼ確定だろう。アレンの中の警報器(レーダー)がビンビンに反応している。本音は、よく分からない。黒のように感じる時もあるが、今のところはグレーだ。

 確信が欲しいアレンは二人に問いかけようとして、口を閉じた。

 一夏の側に、ボイスレコーダーを片手に持った上級生らしき少女が迫っていたのを見たからだ。

 彼女は少しの間一夏と話をした後、何かを探すようにキョロキョロとしだす。そして探し物が見つかったのか、稟達の方へ視線を向けるとにんまりとした笑みを浮かべて近付いて来る。

 その笑みに、アレンは警戒する。アレは絶対、何か良からぬ事を企んでいる顔だ。悪だくみをする時の束がしていた顔によく似ている。

 警戒するアレンをよそに、その少女は近付いてきて。

「どもども~、新聞部で~す!話題の新入生である織斑一夏くんに特別インタビューしに来たんだけど、彼は全然駄目だったのでこっちに来てみました~」

そう言って名刺を差し出してくる少女。それを受け取って確認するアレン。少女の名前は黛薫子というらしい。

「ではでは~、代表候補生であるセシリアちゃんと、もう一人の有名人である土見くんにコメントをもらいたいと思いま~す!」

 そんな薫子の言葉に周囲の女子達はキャーキャー!と楽しそうに騒ぎ出す。先程まで撃沈していたのに一瞬で復活しているとは。怖ろしきは女子高校生のバイタリティーである。

「さぁさぁ!早速だけど何かコメントちょうだい、セシリアちゃん」

 ずずいとボイスレコーダーをセシリアに差し出す薫子。

「私、こういったコメントはあまり好きではありませんが」

 そう言いつつも、その表情は満更ではなさそうなセシリア。コホン、と咳払いをして、いざ口を開こうとしたら。

「やっぱいいや。何か長くなりそうだし。適当に捏造しておくから写真だけちょうだい」

「んな!?捏造って貴女ねぇ!」

「そうだな~……よし!土見くんに一目惚れした事にしよう」

「なっ、な、なな、なっ…………!?」

 セシリアと稟の顔を交互に見つめてそう宣った薫子に、顔を一気に茹でタコ並に赤くするセシリア。

 その反応にアレンはセシリアを見据え、本音は笑顔でセシリアを見つめる。本音の口の端が若干引き攣ったように見えたのは目の錯覚だろう。きっと。多分。

「さてさて~。もう一人のえも、じゃなくてメインである土見く~ん。何かコメントを!」

 不穏な空気を一瞬見せたアレンと本音を無視して稟に迫る薫子。しかし、寝ている稟がそれに答えられる筈もなく。

「あ、あれ?土見く~ん?聞いてる~?」

 尚も稟に迫る薫子。彼女は稟が寝ている事に気付いていないのだろうか。周りにいる生徒がそう思った時。

「黛薫子」

「え?」

 背後から聞こえた声。それに薫子が振り返ると。

「稟様の眠りを妨げようとはいい度胸ですね?」

 そこにはいつの間にいたのか。

 満面の笑み―但し眼は笑っていない―を浮かべたアレンが彼女の背後にいた。

「ひゅ、ひゅい!?」

 思わず奇声を発する薫子を笑う者はいないだろう。ここにいる全員、アレンがいつ動いたのか分からなかったのだから。

「稟様は今、珍しくも安らかに眠っているのです。それを邪魔してはいけない。おーけー?」

「お、おーけー……」

 アレンの笑顔にガクガク震える薫子。

 周りの女子達が固唾を呑んで見守る中。最初に動いたのはアレンだった。

「分かってくれればいいのです」

 そう言って微笑むと、アレンは稟の背後に戻った。

 それに、は~、と安堵の息を吐く少女達。

 稟が絡んだ時のアレンが放つ重圧は、正直洒落にならない。穏便にすんでよかったと安心する一組一同だった。

「……な、なら、写真はどうですか?」

 少しどもりながら、せめて何かしらの収穫が欲しくてそう提案する薫子に、アレンはふむと頷き。

「……まぁ、写真位ならいいでしょう。但し、捏造したら……ね?」

 コクコクコクと必死で首を縦に振る薫子。

 少し脅しすぎたかと思うアレンだが、平然と捏造と口にした少女だ。稟に害を及ぼされる前に釘は刺さねばならないだろうと考えてあまり気にしない事にした。他の女子達にいらん心労を与えた事には申し訳なく思いながら。

「そ、それじゃあ、織斑くんも並んで三人の写真を撮ろうか。土見くんは動かせないから……織斑く~ん!」

 それでもめげずに頑張る薫子はいい根性をしている。

 彼女は何とか笑みを浮かべて一夏を呼ぶと、稟を中心に一夏とセシリアを並べ、どこからか取り出したデジカメを構える。

「それじゃあ撮るよ~。31×24÷15+66は~?」

「は?い、いきなりなんだそれ!?」

「……残念だったねぇ、時間切れ!正解は115.6でした~」

 一夏が呆気にとられている間にデジカメのシャッターが切られた瞬間。

「うお!い、いつの間に!?」

 恐るべき速度をもって、一組の全メンバー+αが彼等の周囲に集結していたのだ。

「あ、あ、貴女達!」

「ま~ま~、そう目くじら立てなさんな」

「そうそう。セシリアだけ抜け駆けはなしだよ?」

「クラスの思い出思い出」

「わ~い、つっちーとの写真だ~」

 一部クラス以外の生徒がいるが、クラスメイトからの言葉に苦い顔をするセシリア。それをにやにやと見つめるクラスメイト達。

 本音は最初こそ、稟の横からどかされて不満そうだったが、今は彼の背中に抱き着いて写真に写ったのでかなり満足らしい。非常にイイ笑顔をしていた。

 そこからもパーティーは続き、夜の十時過ぎまで続いた。

 途中で稟が起き、彼の起き抜けの行動に数名の女子が倒れる場面もあったが、一夏も最初の戸惑いはどこにいったのかそこそこに楽しめてパーティーは幕を閉じたのだった。

 




代表就任会で、稟くんが何故料理を作る事になったのか。
その経緯って書いたほうがいいですかね?
もし書いたほうがいいなら、今度加筆修正しておきます。


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第十四話:幼馴染襲来

何とか今月中にISの方は三話更新できてよかったよかった。
意外と文章が浮かんできて思いの外進んだよ。

さて、今更ではありますが、当物語の稟くんは原作以上に過去に囚われており、悉くネガティブ思考に陥りやすいです。なので、鬱陶しいと思われる場面が多々あることでしょう。
ですが、徐々に改善させていきます。
今はまだ、この稟くんを見守っていただければ幸いです。
本当に今更ではありますが。
取りあえず第十四話、読んでいただけると幸いです。













しかし、後半部分。
妄想の赴くままに指を動かせたが……
どうなんだろうね、この展開は……


 就任パーティーも問題なく終わった翌日。

 稟と一夏がIS学園へと入学してから早数週間が経っていた。

 学園生活を送る事に最初こそ恐怖や戸惑いがあった稟。しかし、アレンのフォローや一夏やセシリア、本音達により一日一日を無事に過ごし、少しずつではあるが学園生活に慣れてきていたある日。

 いつものように本音に腕にしがみつかれて教室に入った時。クラスメイトの女子に話しかけられた。

「おっはよ~土見君! ねぇねぇ? 転校生の噂って聞いた? 聞いた?」

「転校生? 学校が始まってまだ数週間しか経っていないのに?」

 今はまだ四月である。それならば転入ではなく、何故最初から入学しなかったのかという疑問が浮かぶ。まぁ、かく言う稟も少し遅れてから入学したのでどうこう言える立場ではないが。

 そしてこのIS学園。ISという世界最強とも言うべき兵器を扱っているが故に転入条件はかなり厳しい。試験は当然の事、国の推薦が必要になってくる。となれば、転入生というのは。

「どこかの代表候補生、という事か?」

「らしいよ? 何でも中国の代表候補生だって」

 当然そうなるであろう。

 さて、この時期に代表候補生の転入。偶然か、はたまた……

「稟さんと同じように、何かしらの理由で入学が遅れたのでしょうか?」

 いつの間に稟の後ろにいたのか。しれっと会話に混ざってくるセシリア。

「代表候補生か……どんな奴なんだろうな」

「このクラスに転入するかも定かではないのだろう? そこまで気にする必要があるのか?」

 更には一夏と箒まで。

「篠ノ之箒の言う通りそこまで気にする必要はないでしょう。織斑一夏が気にしなければならないのは、来月に行われるクラス対抗戦では?」

 おまけとばかりにアレンまで追加。

 気が付けば稟の周りには、彼が行動を共にする面子に囲まれていた。

「そうですわね。確かにアレンさんの仰る通りですわ。織斑さん。今日から早速、より実戦的な訓練をしていきましょう。訓練の相手は私、セシリア・オルコットが務めさせていただきますし、アドバイザーとして稟さんも訓練に参加してくださいますわ」

 セシリアはそう言って稟に視線を送る。

 一夏は「そうなのか?」と視線で稟に問い掛け、稟は頷く事でセシリアの言葉を肯定する。

「……まぁ、セシリアと違ってそこまで役に立てるかは分からないからあんまり当てにはしないでくれ」

「二人が力を貸してくれるなら、まぁやるだけやってみるか」

 肩を竦めてそう言ってくる稟に、一夏は内心微かに期待していた。

 試験ではセシリアに負けてしまったが、訓練機でありながら終始専用機持ちのセシリアを翻弄していた稟。高い技術を要する個別連続瞬時加速や、代表候補生と同等、もしくはそれ以上の操縦技術を魅せた稟がアドバイザーとして訓練に参加してくれるのだ。同じ唯一の男性操縦者として、彼の技術や実力に対して妬ましい等の感情も確かにあるが、そんなのは些細な事だ。千冬や真耶を驚かせていたその技術を少しでもモノに出来るならと。

「やるだけやってみるなどと、男たるものそんな弱気でどうする」

「そうですわね。私や稟さんが共に訓練するのですから、いい結果は残してもらいませんと」

「稟様の時間を奪うのです。無様を晒したらその時は……」

「そんな情けない態度じゃ駄目だよ~おりむー」

 しかし、そんな一夏の内心をよそに少女達は彼をフルボッコ。アレンに至っては危険な言葉を言っているが、アレン故致し方なしとクラス全員が共通認識を持っているので誰も特に咎める様子はなかったりする。一月も経たない内にアレンの性格は把握されたようだ。

「お前等……」

 そんな少女達に頭を抱える一夏。稟は一夏に対し、心の中で十字を切るのだった。

「そうそう。織斑くんが勝つとクラス皆が幸せになれるんだよ?」

「目指すは優勝のみ!」

「フリーパスの為にも勝つのです!」

「獅子奮迅の働きを期待する」

「専用機持ちのクラス代表は一組と四組だけだし楽勝だよ!」

 そして気が付けば集まってきていたクラスの少女達。彼女達はキャイキャイ楽しそうに騒ぎながら稟達を囲むように集まっていた。先程まで離れていたところで話していた少女達もいたがいつの間に集まってきていたのだろうか。

 気配に敏感な稟でさえ気付かなかった事に首を傾げていた時。

「その情報、古いよ」

 教室の入り口から声が聞こえてきた。

 このクラスの少女達のものとは異なる声が。

 全員がその方向へ顔を向けると。

「二組も専用機持ちがクラス代表になったのよ。そう簡単には優勝させないから」

 ツインテールが特徴的な小柄な少女が、腕を組んで片膝を立ててドアに凭れていた。

 誰だと全員が訝しむ中。

「鈴? ……お前、鈴か?」

 一夏が驚いた顔でそう溢した。

 りんという名にクラスの少女達が揃って稟の方へ顔を向けるが、彼とアレンは「いやいやいや」と首を横に振っていた。確かに響きは同じだが違うからと。

 それはさておき。

 一夏と鈴という少女の会話は続く。

「そうよ。久しぶりね一夏。そしてアンタ達にははじめまして。中国代表候補生、凰鈴音。専用機持ちで二組の代表よ。そんな私が一組に宣戦布告しにきたわ」

 挑発的な笑みを浮かべて一夏に言い放つ鈴音。だが一夏は呆れたような表情で、

「何格好つけてるんだよ。全然似合ってないぞ?」

「なっ!? なんてこと言ってくれるのよアンタは!」

 一夏の言葉に、どこか作ったような、気取ったような口調が崩れる。こちらの方が彼女の素なのだろう。

 それから何やら言い合いをする一夏と鈴音だが、二人は気付いているのだろうか。鈴音の後ろに、一人の鬼が出現している事に。

「…………おい」

「なによ!?」

 一人の鬼――千冬の言葉に声を荒げて聞き返した鈴音の頭に、

 

 

 

 

――バシンッ!

 

 

 

 

 と、出席簿の一撃が振り下ろされるのだった。

「SHRの時間だ。凰、お前は二組の筈だ。教室に戻れ」

「……ち、千冬さん」

「織斑先生だ。さっさと教室に戻れ。邪魔だ」

「す、すみません」

 今の鈴音の状態は蛇に睨まれた蛙状態。先程までの威勢はすっかりなりを潜めていた。

「い、一夏! また後で来るからね! 逃げるんじゃないわよ!」

「さっさと戻れ。三度は言わんぞ」

「は、はい!」

 鈴音は自分のクラスへと猛ダッシュしていく。余程千冬が怖ろしかったのだろう。その姿はあっという間に見えなくなった。

「……そうか。アイツも代表候補生になったのか」

 ふと、そう溢した一夏。

 稟はちらりと一夏を一瞥しただけで特に反応を示さなかったが、その言葉に反応した者がいた。

「……一夏、今のは誰だ。知り合いか? 随分と親しそうにしていたが」

 一夏に恋心を抱いている箒だ。

 表情にこそ出していないが、自身の想い人である一夏が見ず知らずの少女と親しげにしていたのを見て心中穏やかではいられないのだろう。その声音は不機嫌そうであった。

「織斑くん織斑くん。さっきの子は誰? どういう関係!?」

「ま、ま、まさか恋人だったりしないよね!?」

 それに便乗するかのように騒ぎ出す他の少女達。

 目の前に千冬がいるというのに何という愚かな事を。先に席に着いた稟に続いて席に着いたアレンは呆れたように溜息を吐きながら内心でそう思う。

 セシリアと本音も稟達と同様にさっさと席に着き、一夏と箒に憐みの眼差しを向ける。

 

 

 

 

――バシンバシンバシンバシン!

 

 

 

 

 勇敢と蛮勇を履き違えた哀れな者達の頭上には、千冬の出席簿アタック(あいのむち)が贈呈される事になった。

 頭を押さえて蹲る生徒達。それをオロオロと見つめる副担任(まや)

「まったく……さっさと席に着かんか、馬鹿共」

 我等が織斑千冬は、腕を組んで呆れたようにそう言うのだった。

 

 

 

 

 

 

 授業中。

 先程の少女と一夏の事が余程気になっているのか、授業に集中できなかった箒は真耶に何度か注意をされ、千冬の出席簿アタックを数回喰らうという目にあっていた。

 そんな箒を呆れた眼差しで見つめながら授業を受ける稟とアレン。箒が千冬に叩かれる以外は何の問題もなく授業は進み。

 

 

 

 

「お前のせいだ!」

 昼休みになって開口一番。

 一夏の席に向かった箒が一夏に対してそう叫んでいた。

「なんでさ……」

 呆れたように表情でそう返す一夏を誰が責められようか。箒の言葉は理不尽であった。

「まぁ、話なら飯を喰いながらでも聞くからさ、取り敢えず学食に行かないか?」

「む……。まぁ、そう言うなら仕方ないだろう」

「よし。稟達も行くだろ?」

 それでも、それが一夏と箒の当たり前なのかもしれない。一夏は言葉でこそげんなりとしてみせるが、態度はそれとは真逆の方向性を見せている。

「…………ん、そうだな」

 稟達の方へ振り向いてそう言ってくる一夏に、稟はアレン、セシリア、本音に視線でどうするかを問い掛ける。彼女達は頷く事で一夏の提案に肯定の意を示す。

「分かった。行こうか」

 箒が若干表情を顰めた事に敢えて気付かないフリをして、稟は席を立って一夏に従う事にした。

 一夏と箒を先頭に学食へ向かう稟達。

 ついでに他のクラスメイトも数名付いて来たりしていたが。

 一夏、箒、セシリアは券売機で今日食べる昼食を選んでいる。

 一方で稟、アレン、本音は弁当(稟お手製)だ。今まで稟が弁当を持ってきていた事はなかったが、今日に限って何故か用意していた。アレンがその事を稟に聞くと、なんでも本音に強請られて作ったのだとか。その事でアレンが本音に凄まじい視線を向けたが、アレン用に用意された弁当を稟から渡されてご満悦な表情を浮かべた一面もあった。

 それはともかく。

 六人分の席を確保した稟達は話しながら一夏達を待っていた。

「待ってたわよ一夏!」

「……ん?」

 唐突に声が響き渡る。

 何事かと稟達が声のした方へ顔を向けるとそこには、

「そこ退いてくれよ。食券出せないし皆の邪魔になってるぞ」

「う、うるさいわね。分かってるわよ」

 噂になっていた転入生の少女がいた。

 一夏に言われて気まずそうな顔をしてからその場を退く鈴音。

「しかし久しぶりだな。もう、一年ぶりくらいになるのか? 元気にしてたか?」

「げ、元気にしてたわよ。そういうアンタは……って聞くまでもないわね」

「おいおい。そりゃどういう意味だよ」

 仲睦まじげに話す一夏と鈴音。その二人を睨み付けている箒と、彼女の背を擦って落ち着かせようとしているセシリア。一夏と鈴音、箒とセシリアとの間で温度差が凄い事になっている気がする。一夏はその事に気付いていないのか平然としているが。

「っと、稟達が席を確保してくれてるし、その席に着いてから話の続きをしようか」

「りん…………?」

 その名前の響きは自分が呼ばれる時のもの。だが、自分とは別の誰かを呼ぶかのような違和感を覚えた鈴音は首を傾げる。それに気付いた一夏はああと頷き、

「お前の渾名と同じ名前の奴がいるんだ。ほら、あそこ」

 そう言って鈴音を連れて稟達の席に向かう。

「よっ、お待たせ」

「ん」

 鈴音達を連れた一夏は席に着くと稟に声をかけ、彼等の向かい側の椅子に座る。セシリアと箒、鈴音も同じように稟達の向かい側に座った。

 そして全員が揃ったところで昼食を食べ始め、

「そう言えば鈴、お前いつ日本に帰ってきたんだ? 全然連絡もなかったし。それにおじさんやおばさんも元気にやってるのか? あと、いつ代表候補生になったんだよ」

「いっぺんに聞くんじゃないわよ。そういうアンタこそなにIS動かしてんのよ。ニュースで見た時ご飯を吹きそうになったわよ」

 質問を一気にしてくる一夏に対して呆れたように答えつつ、どこか嬉しげな表情で返す鈴音。どこか余人が入れそうにない空気になりそうなところで。

「んん。一夏、そろそろそいつとどういう関係なのかの説明が欲しいのだが?」

「そうですわね。いい加減蚊帳の外にされるのは心外ですし」

「織斑くん、その子と付き合ってるの?」

 箒が咳払いをしてそう訊ね、セシリアや他のクラスメイトも訊いてくる。

「んな!? べ、べべ、別に、こいつと付き合っている訳じゃ……」

「そうだぞ。別に鈴とは付き合っていないし、こいつはただの幼馴染さ」

 『幼馴染』。

 その言葉に稟はピタリと動きを止め、微かに表情が変わった。しかしすぐさまいつもの表情に戻った為、その変化に気付いた者はいないだろう。アレンと本音を除いては。

「幼馴染、だと……?」

 その事に気付かなかった一夏達の会話は続いていく。

「えっと……箒が引っ越したのが小四の終わり頃だったよな? 鈴が転校してきたのは小五の頭だったから、二人が面識ないのも仕方ない。で、中二の終わり頃に鈴が中国へ帰ったから、鈴と会うのは大体一年ぶり位になるか?」

「そうね。大体その位でしょ」

「でだ。こっちが箒。確か前に話しただろ? 小学校からの幼馴染で、俺が通ってた剣道場の娘って」

「ふ~ん? アンタがそうなんだ」

 じろじろと箒を見る鈴音。

 負けじと同じ眼で鈴音を見る箒。

 何やら二人の視線の間で火花が散っているような光景を幻視した一同である。

「そんで鈴。こっちがセシリア。イギリスの代表候補生だ」

「イギリスの代表候補生、セシリア・オルコットですわ。宜しくお願い致しますわ、凰・鈴音さん」

「……そ、宜しく」

 セシリアをじっとみつめていた鈴音だが、暫くすると興味を無くしたように視線を外す。それに眉を顰めるセシリアだが、鈴音の視線の先を理解すると成程と軽く頷いた。

 鈴音の視線の先。そこには箒がいた。

 勘のいい者はそれで理解した事だろう。この凰・鈴音という少女は、織斑一夏に恋心を抱いていると。そして、箒が恋敵であると認識したという事を。

「そう言えばさ、一夏」

「ん? なんだ?」

 取り敢えずの自己紹介も終え、食事をほとんど食べ終えた頃。鈴音が一夏に何事かを問い掛ける。

「アンタ、もう一人の男性操縦者の事なんか知らない? 国の方からそいつがどんな奴か見て来いって言われてんのよ」

 その問い掛けに苦笑を溢す一夏と、周りの女子達一同。唯一稟だけが米神を押さえているという違う行動に出ている。

「なによ? 全員揃って苦笑なんかして」

「あぁ、鈴。そのもう一人の男性操縦者なんだが……お前の前にいる」

「…………は?」

「そこでこめかみ押さえてる奴がそうだ」

「……………………はあっ!?」

 一夏の言葉に、思わず叫んで立ち上がる鈴音。その気持ちが解る一夏達はただただ苦笑するのみだった。アレンは稟の肩を叩いて彼を励ましていたが。

 鈴音は稟の事を不思議に思っていたのだが、男装が趣味の麗人と思っていたので敢えて彼の事をスルーしていたのだ。

 一夏と同じように男性用の制服を着ている稟だが、世の中にはまぁ、そういう趣味の方も大勢いるので、鈴音は彼がその手の人だと思っていた。というか、そう思っていたかったのかもしれない。

「……お前の気持ちも解る。この見た目だから俺も最初は女性かと思ったし。正直生まれる性別間違ってるだろって何回も思ったからな」

「おい……」

 思わず一夏を睨み付ける稟だが、彼は仕方ないだろと言わんばかりに肩を竦める。周りの生徒達も一夏と同意見らしく、うんうんと頷いている。

 周りの反応にガックリと肩を落とす稟。

 自身でも今の姿は性別を間違ってしまっていると思わないでもないが、こればかりは仕方ないだろうと言いたい気持にもなる。彼が髪を切ろうとすると同室の本音や、どうやって感知したのかアレンやセシリアまでさえ稟達の部屋に来てその髪を切るなんてとんでもない!勿体ない!等々の言葉で、彼が髪を切るのを阻止するのだ。更には変な電波でも受信したのか、束やクロエの悲しそうな声と顔が脳裏に浮かんでくるというおまけ付きである。正直稟としてはげんなりしてしまうが、彼女達の悲しそうな表情を見ると髪を切る事を躊躇ってしまい、結果切らずに今のままでいる。別に彼女達の言葉を無視して切ってもいいのだが、彼女達の事を考えると何故か戸惑ってしまう。

 それにこの反応も今更であるしと、どこか自分を誤魔化すように諦めている稟。何年経っても変わらない現実だしと。それでも心にダメージを負ってしまうのはお約束というべきか。

 稟が現実逃避気味に顔を俯かせていると、何やら一夏達の話は進んでいたらしく鈴音と箒が言い合いをしていた。

 置いてけぼりだった稟が隣の本音に訊くと、彼女は苦笑を浮かべて――周りから見ればのほほんとした笑みだが――鈴音がこの状況を誤魔化すように一夏にISの操縦を見てあげようかと言い、それに反応した箒との間で何故か二人の言い合いが起きたのだと教えてくれた。

 その答えに何やってるんだかと、稟が呆れた表情を浮かべた時。

「一夏、当然だが特訓が優先だ。分かっているな?」

「クラス対抗戦まで、あまりのんびりできませんしね」

 鈴音が食堂を去った後に箒が立ち上がって一夏にそう言い、セシリアは優雅に食後の紅茶を飲みながらそう溢した。

 セシリアのその姿は絵になるなと、稟がどこか現実逃避気味にそう思った時。昼休み終了の鐘が鳴るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一日の授業が終わった放課後。

 第三アリーナで一夏の特訓が始まろとしていた時だった。

 いつも通りにセシリアが一夏にISの操縦を教えようとしていた時、『打鉄』を展開した箒が現れた。

「箒……?」

「む、なんだその顔は?私が此処にいるのがおかしいと言うのか?」

「あ、いや、別におかしいって訳じゃ……」

「ならば何も気にする事はないだろう。それに近接戦闘の訓練が足りていないようではないか」

 戸惑いを浮かべる一夏に淡々と返していく箒。今までも箒は特訓に参加していたが、ISを身に纏っていなかった。それがいきなりISを装着して現れた為に一夏は驚いていたのだ。

「お話はそこまでにして特訓を始めましょう。時間も無限ではありませんし、近接格闘の訓練が足りていないのも事実ですし」

 二人のやり取りを黙って聞いていたセシリアは口を挟む。口を挟まれた箒は若干眉を顰めるが、セシリアはそれを気にせずに稟に視線を向けた。

 セシリアの視線を受けた稟は顔を横に振って、彼女の無言の問い掛けに答える。その答えにセシリアは内心で残念がるが、しょうがないかと諦める事にする。

 セシリアは当初、稟にもISの戦闘訓練を、お願いしていた。彼女との試験で見せた稟の操縦技術。それを一夏が少しでもモノに出来れば、彼の力量は格段に向上するだろうと見込んで。

 しかし、稟はそのお願いを拒否。顔を悲しげに歪ませて戦闘訓練の参加を拒絶した。その時の稟の表情にセシリアは困惑しつつも、何度もお願いしてみたのだが結果は変わらず。

 どうするか悩んだセシリアは、ならばアドバイザーとして特訓に参加してくれないかとお願いしてみた。そして、時々でもいいから、操縦技術を見せてあげてくれないかと。

 稟はそのお願いに暫く思考し、それならばと特訓の参加を受諾。自分に出来る限りのアドバイスはするが、戦闘訓練の実演だけには参加しないと、そう言って。

 今回箒がISを纏って参加したので、出来れば参加してくれないかと駄目もとで問い掛けててみたのだが、結果はやはり否だった。

 何故彼が頑なに戦闘訓練だけは拒否するのかは知らないが、彼が拒むのならば無理強いは出来ないかと諦めるセシリア。

「では、さっさと特訓を始めようか。一夏、刀を抜け」

「いきなりですか。確かに時間はあまりありませんが…………仕方ありませんわね。織斑さん、準備を」

「お、おう……」

 刀を抜いて構える箒に呆れながら、その箒に若干気圧されている一夏に声をかけるセシリア。

 今回の特訓はスムーズに行くのかと内心で疑問に思いながら、少し離れた所でセシリア達を見ている稟、アレン、本音を視界の端に捉えた。彼等は談笑しつつこちらを見ている。

「では、始めましょう」

 セシリアの号令の元、特訓は開始された。

 近接戦闘は箒が担当。遠距離戦闘はセシリアが担当し、主に一対一での訓練。時にはニ対一での訓練だ。セシリアと箒を交互に相手にし、時には同時に相手をする。その中で良かった点や悪かった点を稟とアレンが指摘し、その改善方法を伝える。そしてその改善方法を意識しながら訓練を繰り返していく。

一夏としては正直疲労感が半端ないが、自分の為に訓練してくれている皆に少しは感謝している。正直クラス代表などやりたくもないが、任命され、こうして訓練に付き合ってもらっている以上放り投げる気はない。

 一夏は真剣な眼差しで訓練に励むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アリーナ使用時間限界まで訓練を行った後。

 その場で解散した稟達はそれぞれの部屋に戻っていた。解散する間際に何故か鈴音が現れ、彼女が何やら一夏に言い募っていたのをスルーして。

 夕食の時間も終わり、後は寝るだけの時間帯。

 その時間に稟は、何故か風呂上がりの本音を自身の膝に乗せ、彼女の濡れた髪に櫛を通しながら乾かせていた。

 女性を膝に乗せてその身に触れている。今の世の中では確実にセクハラで訴えられるだろう。弁解の余地もなく。

 何故そんな状況になっているのか。それは、風呂上がりの本音がニコニコと笑顔を浮かべながら、手に持ったドライヤーと櫛を持って稟に髪を乾かしてとお願いしてきたからだ。いつもの動物の着ぐるみ姿ではなく、女性らしい寝着姿で。

 そのお願いに稟は間の抜けた声を漏らした。なんでそんなお願いを異性である自分にお願いするのか訳が分からなかったからだ。束やアレン、クロエにもそういうお願いはされた事があるが、彼女達は家族だからそういうお願いもするのだろうと思ってきた。だが本音は家族でもなく、IS学園に来てから知り合った人物。一応友人の範疇(カテゴリ)に分類されるが、断じて無防備な姿を晒される様な関係ではない。

 訳も分からずに固まる稟をよそに、本音は彼の側に歩み寄ってその膝に乗る。彼女は呆然としている稟にドライヤーと櫛を渡すと、稟の胸に凭れかかった。

 女性特有の柔らかさと、仄かに香るシャンプーの香り。そのダブルパンチに赤面する稟。慌てて本音を退かそうとする稟だが、本音は気にした素振りをまったく見せない。どころか、「何となくだから気にしない気にしない」と宣う始末である。

 そんな彼女にこれ以上の抵抗は無駄であると悟り、というか諦めの表情を浮かべ、彼女の髪を乾かすという現在(いま)に至るのだった。こうなった時の本音には何を言っても暖簾に腕押しなのだ。

 湧き上がる煩悩を抑える為に素数を数え、般若心経を唱え、自身を鼓舞しながら本音の髪を乾かしていく稟。

 お互いに黙ったまま、けれど居心地はそこまで悪くない空気が流れる。

 そうして、もうすぐで本音の髪が乾こうとしていた時だ。

「ねぇ、つっちー……」

 本音が、口を開いたのは。

 稟は動かしている手を止めず、無言で続きを促す。

 それを気配から感じた本音は少し間を置き、気になった事を口にした。

「つっちーって、幼馴染がいたの……?」

 その言葉に。

 稟の手がピタリと止まった。それと同時に、彼の雰囲気もどこか固くなった事を気配から悟る本音。

 虚しく響くドライヤーの音。妙に喧しく聞こえるドライヤーを切り、

「……どうして、そんな事を?」

 稟が言葉を返す。

 その声音はいつも通りのものではあるが、本音には分かった。それが、何かを堪えるかのようにして出されたものだと。

「おりむーがりんりんの事を幼馴染って言った時に、つっちーの顔が強張ってたから」

 彼女が思い出すのはあの時の彼の表情。ほんの一瞬ではあったが、彼はあの時、辛そうな表情を浮かべていた。まるで、自分が犯した罪に耐えるかのようなそんな顔を。

 自分のそんな些細は変化に気付かれていた事に、稟は表情にこそ出さないが驚いていた。あの時の自分の変化は、彼と相当親しい者でも気付くかどうかの些細なものだった。それを、ルームメイトであるといえ付き合いが短い彼女が気付いたのだ。

 稟が彼女にどう返すか悩んでいると、

「つっちーが私達とある程度距離を離しているのも、それが原因なの?」

 今度こそ、彼の表情が驚愕に染められた。

 顔を上げ自分を見つめてくる本音に、何も言えない稟。彼女の瞳を見つめ返すが、口を開く事が出来なかった。

 身体もまるで、自分の物ではないかのように重く感じ、思考もままならない。背中には嫌な汗が流れ、鼓動が速くなる。

「な、ん……で………………」

 辛うじて出せた声は、かなり掠れていた。

「他の皆の眼にはどう映っていたのかは分からないけど、私の眼には、つっちーが距離を置いているように見えたの。ある程度までは受け入れてたけど、ここぞというラインからは入らせない。そんな風に」

 いつから気付かれていたというのか。

 何故気付かれていたというのか。

 確かに彼は、クラスメイト達とはある程度の距離を置いていた。親しく接しこそすれ、無条件に全てを許すような事はしなかった。自分で受け入れるべき、許せるべきラインを定め、そこから先を決して越えないようにしていた。

 それは、彼の過去が原因。

 楓に嘘を吐き、自ら孤独の道を選んだ過去が、自身の心を守る為に編み出した防護策。己の感情に蓋をし、己の気持ちを偽る為に、全てに耐える為に編み出した防護策。そうして予め距離を置いておけば、もし万が一の事があっても、心の傷(ダメージ)は少なくてすむから。

 自分が浮かべていた表情は、雰囲気は問題なかった筈。現に、一夏やセシリア達は気付いていなかったのだから。クラスメイト達とも普通に話し、良好な関係を築いていた。誰をも魅了するような笑顔で、クラスの輪に溶け込んでいた。到底壁を作っているようには見えない程自然に。

 だが、その笑顔こそ。その自然さこそ。本音が距離を置いていると感じたものだった。自然なように見せかけた、無理に作られたその笑顔が。

 彼と一緒にいるうちに、その笑顔の歪さに徐々に気付いた本音。彼の事をよく見なければ気付けないようなその歪さは、本音の心をどこかざわめかせるようなものだった。その笑顔を浮かべている時の稟は、此処にいながらにして何処にもいない。心が、どこか遠くへ行っているように感じる程の儚さで。触れたら消えてしまいそうな程に、弱々しいもので。そう感じてしまう程、脆い印象を彼女に与えていた。

 本音は身体を動かし、稟と抱き合うような体勢になる。そして徐に彼の腰に手を回し、彼の胸に顔を寄せる。彼の鼓動が、聞こえるように。

「ほ、ほん……ね…………?」

 掠れた声で問い掛けてくる稟に何も返さない本音。

 彼の胸に耳を当て、その鼓動を聞くだけ。彼女の問い掛けによって速められた、その鼓動を。

 別に彼女は、稟を責め立てている訳でも、彼の過去を詮索するつもりでもなかった。ただ彼の歪さが気になっていたから、一夏の一言に対する彼の反応で今まで思っていた疑問が強くなったから、本音は思わず訊いてしまったのだ。稟がここまで過剰に反応するとは思わず。

 崩れた仮面を元に戻すのは至難の業。長い時間をかけて作られた仮面は強固な筈でありながら、実は脆いと言う矛盾を孕んでいた。

 仮面に罅を入れられた稟は何とか崩壊を抑えようとする。ここで仮面が完璧に壊れてしまえば、彼の心も壊れてしまうから。今まで耐えてきた意味が、水泡に帰すから。

 だから、彼女の言葉は的外れだと笑い飛ばさなければいけない。動揺してしまった為に無理があるかもしれないが、それでも彼女が悲しそうな表情をする必要はないと伝えなければいけない。

 稟は何とか仮面を着けなおした。

 他者を気遣い、自身を蔑ろにする稟。他者を気遣うのは、自分も気遣われたいから。

 しかし、そうとは悟られないように笑顔の仮面で隠す。自然なように見えて、どこか継ぎ接ぎだらけな、歪なその仮面で。全てを諦めてしまっているかのような、弱々しい、その仮面で……

「……ごめんね、つっちー」

 ポツリと漏れた、謝罪の言葉。

 それは……

「無神経に、過去を詮索するような事を言って……」

 普段の彼女からは想像もつかない程悲しみに彩られていた。

 興味がなかった訳ではない。どのような経緯を辿れば歪な仮面を生成してしまうのか、気にならないと言えば嘘になってしまう。

 しかし、だからと言って、彼を苦しませてまで明かしたい事ではない。

 自身の発した無神経な言葉を悔やみ、本音は悲しげに瞳を揺らす。

 稟と一緒にいると、どこか安心した気持ちになれた。同年代とは思えない程に落ち着いた稟の雰囲気は、彼女が今まで見てきた人達とは違い、不思議と心が安らいだ。彼の笑顔は歪ではあったが、どこか惹かれるものがあり、自然な笑顔を見てみたいと思った。

 教室で笑顔を浮かべている稟。

 本音に腕を取られ、どこか困ったような表情を浮かべながらも彼女の好きにさせる稟。

 飛行操縦の授業の際、迫り来る危険から身を挺して庇ってくれた稟。

 様々な稟の表情が浮かぶ。その顔を、自然なままで、在りのままの稟で見たかった。そう思ったが故に、彼女は、彼の心に土足で踏み込んでしまった。

 本音の悲しげな顔を見ているうち、徐々にではあるが稟の精神も落ち着き始めた。

 本音にクラスメイト達と距離を置いていると言われた時は激しく動揺してしまったが、彼女が興味本位だけで訊いてきたのではないと分かって少しずつ心が落ち着いていく。

 どう言葉を返すか暫し悩む稟だが、過去の事を伝える気は起きなかった。自身を想って訊いてきた本音には悪いが、これは自分の問題である。関係のない人間を巻き込むつもりはない。自業自得な出来事を、他人に語る様な事でもない。

 稟は言葉の代わりに、本音の頭を優しく撫でる。

「……つっ、ちー?」

見上げてくる本音に笑みを返し、

「…………ごめん、本音」

 それだけを言う。

 その言葉に何を感じたのか、本音はじっと稟の顔を見つめ、やがて首を横に振る。そして再び背中を稟の胸に委ね。

「…………私こそ、ごめんね」

 俯いてそう呟く。

 稟はそれには返さず、彼女の髪を櫛で優しく梳く。今までの事をなかったかのようにするかの如く。

 本音も何も言わず、黙ってそれを受け入れた。

 暫く無言の時が流れる。

 二人は何も語る事なく、櫛を通す音が微かにするだけ。沈黙に耐えかねた本音が口を開きかけた時。稟の手がピタリと止まった。

「……つっちー?」

 見上げて訊いてくる本音には何も返さず、稟はドアの方へ視線を向けていた。つられて本音もドアへ視線を向ける。

 しかし、誰かが入ってくる様子はない。

 それに首を傾げる本音だが、

「…………本音」

 稟に名を呼ばれ、彼の方へ顔を向ける。すると彼は、いつの間にか本音を見つめており。

 稟の瞳を見続け、やがて本音は稟の膝から降りる。

 自分の意図に気付いてくれた本音に穏やかな笑みを浮かべ、稟はドアへと近付く。そしてドアを開けると、そこには。

「…………君は」

「…………アンタは」

 瞳に涙を溜めて、ドアの前で蹲っている鈴音がいた。

 



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第十五話:一夏と鈴音、稟と鈴音《おさななじみ》

 ふと小説情報を見たら、評価バーに色ガツイテイマシタ……
 ………………え?マジで?
 アガガガがガがガがガがガがガ!?!?!?!!
 評価してくれた方々、ありガトうございマス!!
 これからも投稿頑張っていきます!!







 書いてて今更思ったけど、一夏と稟って些細な共通点があったのよね~。
 二人の幼馴染。
 その幼馴染と交わした約束。
 見方によれば、どこか似た意味になる約束。
 …………あ。 


 夜も遅く、泣いている少女を放っておけなかった稟は本音に目配せをし、失礼である事を承知で鈴音の手を取って部屋に招き入れていた。

 突然の事で困惑した鈴音はその手を振りほどく事もせず、為すがままに稟達の部屋に招き入れられた。それを見ていた一部の少女が黄色い声を上げていたりしたが、そんな事は些細な事である。

 戸惑う鈴音をよそに、彼女を部屋に招き入れた稟は彼女をソファーに座らせると、自身はキッチンの方へと向かう。

 そんな彼に苦笑を溢した本音は、彼が自分に託した役目を務めるべく鈴音の隣に座る。

「いらっしゃい、りんりん~」

「…………アンタは?」

「私? 私は本音。布仏本音だよ~」

 にへら、と、緩い笑みを浮かべる本音。

 その笑みは見る者を脱力させるような笑みで、それに毒気を抜かれた鈴音は、

「そう言えば、食堂にいたわね。……改めてもう一度名乗るわ。あたしは鈴音。凰・鈴音よ。てか、りんりんって呼ぶな」

 力のない声で返す。

「そういう言えばりんりんって、代表候補生なんだよね~? 専用機を持ってるの~? なんで遅れて入学してきたの~?」

「だからりんりんって言うなって…………言っても無駄そうね」

 人懐っこい動物のように自分の腕にくっついてくる本音に溜息を吐き、鈴音は遠い眼差しをするのだった。

 キッチンに向かった稟はそんな彼女達の話し声を聞きながら苦笑をし、紅茶の準備をしていく。

 異性よりも同性の方が落ち着いて話せるだろうし、本音のあの独特の雰囲気は癒しにもなるだろう。多少振り回されてしまうだろうが、一時的に元気になってくれるだろう。

 稟は鈴音の事を考えつつ、人数分の紅茶を用意していく。今の鈴音の事を考えれば、用意するのはジャスミンティーがいいだろう。リラックス効果があって心を落ち着かせてくれるし、落ち込んだ気持ちも気休め程度でも回復させてあげられるだろう。

 本音と鈴音の話が徐々に増えていくのを聞きつつ、稟は紅茶を美味しくする為に手間をかけていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 紅茶の用意が終わり、二人の会話がちょうどよく途切れたタイミングを見計らってキッチンから出てくる稟。本音と鈴音の視線が稟に向き、

「紅茶を淹れたから、一息吐くといい」

 彼女達の視線に微笑み返して紅茶を置いていく稟。紅茶の芳醇な香りが彼女達の鼻腔を擽っていく。

「…………ありがと、頂くわ」

 その香りに鈴音ははうっ、と声を漏らし、礼を言ってから紅茶を飲む。紅茶を一口飲んだ鈴音は、ティーバッグの物――稟は茶葉をいくらか所持しているのでそこから抽出したものを出している――とは思えない美味しさに眼を見開き、

「…………美味しい」

 そう溢す。

「ありがとう」

 そんな鈴音に対し笑顔を浮かべ、稟はお礼を述べる。自分が用意した者を美味しいと言ってもらえれば、やはり嬉しいものがある。それで笑顔になってもらえれば尚更だ。料理や紅茶の淹れ方を覚えていて良かったと思う稟。

 一方でジャスミンティーの効能を知っている本音はその美味しさに頬を綻ばせてはいるが、その効能が最も必要なのは稟だろうにとジト眼で稟を見ていたりする。その視線に気付いたのか、稟が若干頬を引き攣らせたが。

「…………まったく、つっちーってば」

 本音の溜息混じりのその一言に、稟は何も返せないのだった。

 

 

 

 

 

 

 紅茶を飲みながら軽く談笑する三人。稟も本音も、鈴音が何故自分達の部屋の前で涙目で蹲っていたのかの理由も訊かずに世間話に花を咲かせたり、鈴音が稟の事に関してを聞いていたりしていた。紅茶を飲み終わって暫くした後。紅茶の効能と稟達の気遣いによって鈴音は気持ちを多少落ち着ける事ができたようで、初めて彼女を見た時の勝気な笑みを浮かべていた。

「紅茶ありがとね。美味しかったわ」

「口に合った様で何より」

 使用済みのカップを持って再びキッチンに入り、それを洗いながら鈴音に返す稟。部屋にはカップを洗う音のみが響く。

 カップを洗う稟の背中をぼんやりと見つめる鈴音。

 暫く沈黙が流れるが、その沈黙に耐えかねたのか鈴音が口を開いた。

「……ねぇ、土見…………」

「……何かな、凰さん」

 動きを止めず、振り返らずに返す稟。ともすれば冷たいと取られる反応だが、彼の声音にはどこか優しさが含まれているように感じられた。

 言葉を発しようとして、途中で口を閉じる鈴音。

 自分は今、何を言うとしたのだろうかと考える鈴音。今彼女は、今日会ったばかりの赤の他人に、彼女の中ではとっても大切な、彼女がこの学園に来るきっかけともなったある事を言おうとしていた。

 その事に鈴音は驚いたが、どこか納得する部分もあった。彼とはまだ会ったばかりで少ししか話していないが、自分を気遣うような彼の行動、言葉の節々から感じられる優しさ、そして、黒曜石のように美しく感じるその瞳に、嗚呼、彼ならと。だがこれは、自分と一夏の問題だ。それを赤の他人に言う気にはなれなかったが。

「……別に、言いたくない事があるなら無理に言わなくてもいい」

 鈴音が何か悩んでいる気配を感じ取った稟は、そう前置きをして言葉を紡ぐ。

「ただ、無理に自分を抑え込む必要はない。吐き出したい事があれば吐き出せばいい。丁度ここには、何も知らない第三者がいるんだ。鬱憤を、ストレスを、悲しみを吐き出した方が楽になる時もある」

 まるで鈴音の心情を見透かしているのかのようなその言葉に、彼女の表情が固まる。

 彼は知っていたというのだろうか。鈴音が泣いていた理由を。

 鈴音は少しの間固まっていたが、そんな事はないと首を横に振る。ただそういう風に感じただけなのだろうと。

 暫し顔を俯かせて悩んだ鈴音だが、彼の言う通り抑え込むのもよくはない。ならばいっその事、自身を気遣ってくれている第三者にでも感情をぶちまけてしまうのもアリなのかもしれない。自身のこの感情は当人達で解決すべきものだが、第三者からの意見はどうなのかと、落ち着き始めた思考でそう考える。

 鈴音が顔を上げた時、カップを洗い終えた稟が彼女の対面に座り、彼の右横に本音が座っていた。いつの間に本音が自分の横から移動していたのかは分からないが、そんな事はさして重要でもないので気にせず。

「………………ちょっと、私の話を聞いてくれる?」

 彼女は口を開く。

 そこから語られた彼女の感情。本音は時折相槌を打ちながら聞き、稟は表情を変えずに聞いていた。

 その話を聞き終え、

「……あ~、それは、おりむーが悪いね~」

「でしょ!? アンタもそう思うでしょう!? ホントにあの一夏(バカ)は女の子との約束を何だと思ってるのかしら!」

「だよね~、折角りんりんが勇気を振り絞って告白したのにね~」

「ぶっ!? こ、告白って、アンタ……!?」

「え~? 違うの~?」

「え……いや、べ、別に……違うく……ない、けど……」

 顔を朱に染めて俯く鈴音。

 それを微笑ましそうに見つめる本音。

 鈴音の漏らした言葉を聞いた本音がそう溢したのが、この会話の始まりだった。

 鈴音が涙を流していた理由は複雑なものではなく凄く単純な事であった。鈴音が家庭の事情で中国に帰る事が決まった時、その別れの前日に一夏と交わしたとある約束。その約束の内容を一夏が勘違いして覚えていたのが原因だった。

『料理の腕が上達したら、毎日私の作った酢豚を食べてくれる?』

 それが一夏と交わした、彼女にとってはとても大切な約束。

 この『酢豚』が『味噌汁』であれば、日本ではわりとよく耳にする、誰もが知るであろう告白の言葉の一種である。

 まぁ、幼い時分に交わした約束であれば、本気ではなく冗談で言った言葉として受け止める事はあるだろう。だが一夏は、それをどう勘違いしたのか奢ってくれると脳内変換をして覚えていたらしい。

 それを聞いた鈴音は怒りと悲しさに震えて一夏に怒鳴り、涙を拭う事もせずにその場で一夏の頬を叩き、逃げるように去ったと語った。

 それに本音は呆れたような表情を浮かべ、稟が表情一つ変える事無く無言でいた。

「確かに、あたしも回りくどく言わずに直球(ストレート)に言えばよかったのかもしれないけどさ……だからって、女の子の精一杯の言葉をそんな風に受け止めるなんて……」

 鈴音とて、自分に非がまったくないとは思っていない。だが、こればかりはどうしようもないと思うのも仕方ないだろう。感情とはそういうものなのだから。

「だよね~。私も、これはちょっと~」

 鈴音の気持ちが分かるのだろう。

 本音は顔を僅かに顰めて鈴音の言葉に頷いている。

 女の子としては理由がどうあれ、大切な約束をとんでもない方向に誤解された事は許せるものではない。

 鈴音も感情の赴くままに一夏を叩いてしまった事を後悔し、謝ろうかとも思ったが、どうしても素直に謝る気にもなれずにいた。

「別に、許さなくてもいいんじゃないか……」

「……え?」

「……つっちー?」

 今まで黙っていた稟がふいに溢した言葉。

 それに鈴音は呆けた声を漏らし、本音はいつもと変わらない、しかし、何かが決定的に違うかのような声音に違和感を覚える。

「だって、大切な約束だったんだろ? その想いを糧にIS学園(ココ)入学する(くる)程に」

「それは……」

「だったら許すな。例えそれが自分勝手で理不尽なものだとしても許すな。自分の感情に蓋をして偽っても、いい結果にはならない。ならばいっその事、その想いを一夏にぶつけてやれ。キミの気持ちを、ぶつけてやれ」

 稟の真直ぐな視線に、鈴音は知らず呑み込まれる。黒曜石の如く美しい瞳に、魅入られそうになる。

 だが、ふと我に返って首を軽く振る鈴音。自分には一夏がいるのだから、他の男に見惚れる訳にはいかないとばかりに。

「……いいのかな、それで」

 どこか弱々しく呟く鈴音。それに稟は、

「その想いは、キミにとって何よりも大事な物なんだろ? 譲れない想いなんだろ? だったらそれでいいじゃないか。言葉にしても分かり合えない事は多くある。それでも、言葉にしないと、形にしないと何も始まらない」

 淡々と言葉を紡ぐ。

 彼は今、どんな想いで言っているのか。

 それは、誰にも分からない。

「…………そっか」

 複雑な表情で稟を見ている本音とは別に、鈴音は心のつっかえが取れたような表情を浮かべていた。

 彼女は笑みを浮かべ、

「ありがと、土見。おかげで少しスッキリしたわ」

「別に、お礼なんて。俺はただ、話を聞いただけさ」

「それでも、よ。そのおかげであたしは少しばかり楽になれた。感謝は素直に貰っておきなさい。でないと失礼よ」

「……そう、か。なら、ありがたく頂いておくよ」

「そうしときなさい。……じゃ、あたしはこれでお暇させてもらうわね。本音もありがと」

 鈴音はそう言って立ち上がると、言葉通り部屋を出て行こうとする。その表情から、彼女はもう大丈夫だろうと判断し、

「あぁ、そうだ」

 ふと思い出したように、稟は呟いた。

 ドアに手をかけて振り向いた鈴音に笑顔を向けた稟は、

「俺の事は稟って呼んでくれ。キミと同じ渾名で言い難いかもしれないが、親しい人には名前で呼んでもらっているから」

 その言葉に鈴音は一瞬眼を瞬かせるが、それも束の間。

「なら、あたしの事も名前で呼びなさい。あたしだけ名字で呼ばれるのは対等(フェア)じゃないもの」

 勝気な笑みを見せると、今度こそ彼女は去って行った。

 鈴音が去って再び二人きりとなった稟と本音。

 稟が穏やかな笑顔を浮かべているが、それが無理矢理に浮かべられたものであると本音は何となく察していた。先程彼の仮面に罅を入れてしまったばかりで迂闊な事は言えないが、普段通りを取り繕っている事くらいは感じ取れる。本音はどうしようか悩んでしまった。

 鈴音の何が彼の心を揺らしたのかは分からない。ただ、『幼馴染』と『約束』という言葉が、稟の心を揺らしているという事しか分からなかった。

 どうしてその言葉に反応しているのかと疑問が沸くが、ここでさらに詮索するような言葉を発してはいけない。彼は普段通りにいてくれようとしているのだ。その気持ちを無駄にしてはいけない。

 だから本音は。

「おりむーも酷いよね~。これはりんりんに、是非とも頑張ってもらわないとだよ~」

「……そうだな。彼女には頑張ってほしいよ」

 その声に、込み上げる『何か』を抑えようとしている感情に気付いたとしても、敢えて何も言わなかった。だってそれは、彼の事を知らない第三者が何を言ってもどうしようもないから。

「夜も遅いし、寝よっか~?」

 彼の過去を知る者が言わなければ、恐らく意味はないから。

 だから彼女は、何も言わなかった。

 だから何も言わず、稟と同じように普段通りに振る舞う事を選択した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから更に数週間の時が流れて五月。

 織斑一夏は戸惑っていた。

 あの日から鈴音の機嫌は元に戻るどころか、より悪くなっていた。一夏に会いに来る事はなく、廊下や食堂などで擦れ違っても顔を見合わせようとしない。更には周囲に不機嫌オーラを放っている。それだけならばよかった、いや、よくはないのだが、中学時代も似たような事はあった為深く悩む必要もなかった。

 問題は稟である。彼の一夏を見る視線に、どこか険しいものが感じられる時があるのだ。話す時は別に普段通りの態度ではあるのだが、固い雰囲気を放つ時もあるように感じてしまう。それに前まではわりと頻繁にセシリアとの特訓を見てくれていたのだが、ここ数週間のうちに稟が特訓の場に現れる回数が極端に減っていた。それでも特訓を見に来てくれた時にはアドバイスをくれるのだが、そのアドバイスの回数も少ない。

 明らかに自分を避けている稟の態度に、自分は彼に何か言ってしまったのかと自問自答する一夏だが、彼に対して何か問題になる事を言ったりした事――寧ろそういう事があったらアレンが黙っていないのだが――はない。

 放課後。稟と本音を除いた面々で一夏の特訓の為に第三アリーナに向かっていた時、不意にアレンが一夏に訊ねてきた。

「織斑一夏。本当に稟様に何も言っていないのですね?」

「だから、言ってるじゃないか。俺は稟に何も言っていないって」

 一夏でも戸惑った稟の変化。それをアレンが見逃している筈もなく。彼女は底冷えのする視線で一夏に問い掛けていた。

 本来ならば一夏の事は放っておいて稟の側にいる筈のアレンだが、稟から去り際に一夏の特訓を見ていてやってくれといわれたばかりに、仕方なくこうして一夏の特訓に付き合っていた。正直その言葉を無視して稟の側にいたかったが、あの時の、何かを堪えるような瞳をした稟を見てしまってはアレンとしても従わざるをえなかった。

「しかし、だとしたら何故稟さんは?」

「寧ろ俺が教えてほしいぜ。稟の奴、どうしたんだよ……」

 付き合いが浅くとも、稟の変化に気付いていたセシリアもそう呟くが、一夏はうんざりとした表情で返した。

 一夏自身がそれを教えてほしいのだ。いい加減自分に訊くのは止めてほしいと思う。

「今いない奴の事を考えても時間の無駄だろう。それに、来週にはクラス対抗戦が始まるのだ。アリーナは試合用の設定に変更されてしまうから、特訓は実質今日が最後だろう」

 特訓よりも稟の態度が気がかりな三人に対して箒は呆れ気味にそう言うのだが、

「箒……」

「篠ノ之さん……貴女」

「篠ノ之箒……」

「む、な、なんだその眼は……」

 三人のどこか非難するような眼差しに少し気圧されてしまうのだった。

 彼女の態度は兎も角、言っている事はまぁ分かるので一夏は気を取り直すように、

「まぁ、時間がないのも確かだしな。仕方ない、特訓を始めるか」

 そう言ってAピットのドアセンサーに手を触れる。指紋・静脈認証による解放許可が下り、ドアが音を立てて開く。

 一夏達がピットの中に入ると、

「遅かったじゃない。待ってたわよ、一夏!」

 何故か知らないが、鈴音がドアの近くで待ち構えていた。

 前日までは怒り心頭の様子だったが、どういう心境の変化があったのか、腕を組んで不敵な笑みを浮かべて。

「貴様、何故此処に……」

「別にあたしがどこにいようとアンタには関係ないでしょ。それに、あたしが用があるのはアンタじゃなくて一夏なの。さっさと用件を済ませたいから邪魔しないで」

「なっ!?」

 いきなり現れた鈴音を睨み付ける箒だが、鈴音は煩わしそうに箒を邪険に扱う。それに激昂しかける箒だが、後ろからセシリアとアレンに抑えられていた。

 鈴音はそんな箒を気にも留めず、

「……ねぇ、一夏。少しは反省した?」

「は? 何がだよ?」

「何がって……だから、その……あたしを怒らせて、申し訳なかったとか、謝ろうかなとか、思ったりしなかったのかって……」

「そうは言われてもな……大体、鈴が俺を避けてたじゃないか」

「そ、それはそうかもしれないけど…………じゃあ、何? アンタは、女の子が放っておいてって言ったらそのまま放っておくって訳?」

「ああ。放っておいてほしいならそうするぜ。それって変な事か?」

 俺、おかしな事言ってるか? と言いたげに首を傾げる一夏。

「変って、アンタ……ああ、もう!」

 それに一瞬唖然とするも、すぐに我に返った鈴音は苛立たしげに声を荒げ、頭を搔く。

「兎に角謝りなさいよ!」

「なんでさ。約束は覚えていたから別にいいだろ」

「その約束の意味を間違って覚えてたら意味がないのよ!」

「意味を間違ってたらって、じゃあどういう意味だったんだよ。説明してくれたら分かるし、納得したら謝ってやるよ」

「ぅ……そんなの、言える筈ないでしょ! ……察しなさいよ!」

「無茶言うなよ! 理不尽にも程があるだろ!」

 自覚はあったのだろう。

 一夏の理不尽という言葉にバツの悪そうな表情を浮かべる鈴音。

 だが、彼女は弓を引いてしまった以上後には退けない。何より、自分の背中を押してくれた人がいるから。

「だったら、こうしましょう。来週のクラス対抗戦、そこで勝った方が、負けた方に一つ言う事を聞かせるって!」

「ああ、いいぜ。俺が勝ったら意味を教えてもらうからな!」

「…………説明は、その」

「なんだ、嫌なのか? だったら止めてもいいんだぜ?」

 一夏としては親切心のつもりで言ったつもりだったのだろう。だが、その言葉はどう聞いても逆効果以外の何物でもなくて。

 売り言葉に買い言葉。

 だが、最早止められない。

「いいわよ、やってやろうじゃない。アンタこそ、今のうちに謝罪の練習をしておく事ね!」

「はん、言ってろ馬鹿」

「何が馬鹿よ何が! この唐変木! 朴念仁! 間抜け! アホ! 女の敵!」

「何でそこまで言われないといけないんだよ、この貧乳!」

 瞬間。

 空気が凍り付いたような錯覚を覚えた。

 だが、一夏がヤバいと感じた時には遅く。

 

 

 

 

――ドガァァンッ!!!

 

 

 

 

 凄まじい爆発音。そして激しい衝撃にピット全体が微かに揺れたように感じた。

 一夏が恐る恐る鈴音に顔を向けると、彼女の右腕にISが部分展開されていた。

「……………………言ってはならない事を、言ったわね」

 そして、一夏が今まで聞いた事もない程の冷めきった声と、見た事もない程の鋭い視線で一夏を睨み付けていた。

「……………………いいわよ。クラス対抗戦を楽しみにしておきなさい。全力で、叩きのめして、あげるから」

 先程まで声を荒げていた人物とは思えない程に静かな声でそう言い、鈴音はピットを去って行った。

 鈴音がピットを去った後。

 暫く誰も口を開かなかった。何か重い空気が流れる中、その気まずさを誤魔化すように一夏は口を開いた。

「……たく、鈴も困った奴だな。それはそうと、特訓を始め、よう……ぜ?」

 が、不自然に途切れてしまう。

 というのも、彼を見つめる三人の視線が、

「一夏、お前という奴は……」

「織斑さん、紳士の風上にもおけませんわね……」

「織斑一夏。貴方にデリカシーというものはないのですか?」

 絶対零度の瞳だったから。

 その圧倒的な視線に一夏の背中に嫌な汗が流れ、彼は思わず後退ってしまう。

 だが、逃げられる筈もなく。

「一夏。お前のその性根、叩き直してやる」

「織斑さんには、紳士としての振舞いを教えてさしあげましょう」

「最早言葉は不要です。理由はお分かりですね?」

 一夏は三人の鬼に捕獲され、死刑宣告をされ、アリーナ使用時間限界ギリギリまで扱かれた。セシリアと箒に物理的にフルボッコに、アレンには絶対零度の言刃で滅多刺しにされ、一夏は心身共にボロボロにされるのだった。部屋に戻ったら、動くのが億劫になる程に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第三アリーナを去った鈴音。

 彼女は涙こそ流していなかったら、その顔は今にも泣きそうに歪んでいた。

 そんな彼女を待っていたかのように、鈴音の前に二つの人影が現れる。

「…………稟、本音…………」

 それは、一夏の特訓に参加していなかった稟と本音だった。

 二人は何も言わず鈴音を見つめている。鈴音もまた、何も言わずに見つめ返す。

 だが、耐えれなくなったのだろう。鈴音は顔をくしゃりと歪め、本音の胸に飛び込むように抱き着く鈴音。

 そんな鈴音を受け止め、彼女の背中に回した手で優しく鈴音の背中を叩いてあげる本音。その優しさに甘え、本音の身体に強くしがみつく鈴音。涙だけは決して流さず。

 稟は何も言わず鈴音の背中を見つめる。

 本来ならば一夏の特訓に付き合っている筈の稟だが、鈴音の話を聞いたあの夜以降。彼は一夏との関わり合いを極力減らしていた。普段通りの態度を取り繕いつつ、一夏とある程度の距離を取っていたのだ。別に一夏がわる……くない訳ではないが、彼と一緒にいたら、きっと自分の感情が抑えられなくなるだろうからと。

 その事は既にアレンに言っている為、アレンは稟の思うままに任せている。詳しい事は言っていないが、彼のその時の表情に何かを察したのだろう。彼女は悲しげに眼を細めて、「ご無理はなさらず」と、そう告げた。

 アレンには申し訳ないと思いつつも、鈴音の事をどうしても放っておけなかったのだ。元気な姿を取り繕っている彼女を、どうしてもそのままにしておく事が出来ず、自分に出来る範囲で支えてやろうと思ったのだ。

 これは一夏と鈴音の問題である。稟がでしゃばる事態ではない。まして、稟が一夏に対して怒るのはお門違いだし、理不尽な事だ。自分勝手だ。それは稟自身理解している。

 だとしても、一夏に対して負の感情が沸き上がってしまう事を抑えられない。鈴音を放っておく事も出来ない。彼が全部悪い訳ではないのに、どうしても負の感情が込み上げてきてしまう。まるで、嘗ての自分を見るようで。

 鈴音と一夏。幼馴染であるという二人。そんな二人が交わした『約束』。鈴音にとっては何よりも大切な『約束』。その『約束』を胸に秘め、今まで頑張っていた鈴音。

それが、稟と【彼女】が交わした約束と重なってしまったから。

 約束のニュアンスは違っているが、その『約束』の真意は、きっと同じものだったから。【彼女】と交わした約束と同じものだと感じたから。だから、鈴音と一夏に、自分と【幼馴染(かのじょ)】を重ねてしまって……

 鈴音に、【護りたかった幼馴染(かえで)】を重ねてしまった。

 【彼女】と鈴音は、全然似てもいないのに。

 容姿も正確も、全然似ていないというのに。

 何故か、【彼女】と重ねて。

 鈴音と一夏は、まだ手遅れではない。自分と【彼女】のように、全てが終わった訳ではないのだ。誰かが間に入れば、ここからでも挽回は出来る。溝を埋める事は出来るのだ。その関係が破綻する事はなくなる。

 故に稟は、鈴音の背中を押す為に一夏から距離を置いた。湧き上がる負の感情を抑え込みながら、鈴音を気にかけるようにした。

 彼女の為にも。

 一夏の為にも。

 自分にも辿り着けたかもしれない、未来の為にも。

 結局のところ、それは自分自身の為。

 弱った心を誤魔化す為に、彼女達を利用しているのだ。

 彼女達の関係を修復する事で、自分の感情を偽る為に。

(自分勝手だな、俺ってやつは……)

 決して表情(おもて)身勝手な感情(しんじょう)を出さず、稟は内心で愚かな自分を嘲笑う。

 どこかで、何かが罅割れるような音が響いた気がした……

 



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第十六話:始まるクラス対抗戦、そして……

 予約投稿って、便利ですね。
 ネットが使えない現在、私が投稿するには近くのネカフェに行かなければいけない。
 ある程度書きだめして、予約投稿でポチッとな。
 この話もそれで投稿。
 さて、あと二、三話で原作一巻も終わるかな。


 稟が一夏と距離を置いてから更に一週間後。

 遂にクラス対抗戦の当日となった。

 本日第二アリーナで行われる第一試合。その組み合わせは織斑一夏と凰・鈴音。

 噂の新入生同士の戦いとあり、アリーナは全席満員となっている。更には通路まで立ってみている生徒達で埋まっており、会場内に入れなかった生徒や関係者一同はリアルタイムモニターで鑑賞している。

 アリーナ中央で、互いにISを展開して見つめ合う一夏と鈴音。数週間前は言い合いをした二人だが、向き合っている今は周囲が驚く程に無言を貫いていた。

 

 

 

 

『時間になりました。両者は規定の位置へ』

 

 

 

 

 どうやら時間のようだ。アナウンスが静かに告げた。

 二人は見つめ合ったまま浮かび上がる。二人の距離は五メートルだ。

「……一夏。謝るなら今の内よ。今の内に謝れば、手加減してやってもいいわ」

「はっ。理由も分からないのに誰が謝るかよ。それに、手加減なんていらねぇ。全力でこい」

 解放回線(オープン・チャンネル)で言葉を交わし合う二人。二人の口元には、微かに笑みが浮かんでいた。

「代表候補生のあたしに対して言うじゃない。なら、一応忠告しておいてあげる。ISの絶対防御も完璧じゃないわ。その防御力を上回る攻撃力があれば、本体にダメージを与えられる」

 それは脅しでも何でもなく事実。

 ISは表向きには競技用のものとされているが、その『性能(スペック)』は現行兵器を上回る。絶対防御を無視して、操縦者に直接ダメージを与える装備も、攻撃力を秘めているものも存在するだろう。

「忠告ありがとよ」

 だが、それがどうした。

 それを恐れて舐められたままでは男が廃るというものだ。

 

 

 

 

『準備はよろしいですね? では、試合開始』

 

 

 

 

 試合開始のブザーが鳴り響く。その音が終わる前に、一夏と鈴音は動いていた。

 

 

 

 

――ガギィィン!!

 

 

 

 

 刹那。

 鈍い音が響き渡った。

 一夏は瞬時に展開していた《雪片弐型》が弾き返されるのを感じ、稟とセシリアから教わって辛うじて身につけられた技術の一つ――三次元跳躍旋回(クロス・グリッド・ターン)を使って鈴音から距離を取る。そして鈴音を正面に捉え、

「へえ? やるじゃない。初撃を防ぐなんてさ」

 余裕そうに一夏を見据えている鈴音を油断なく見つめる。

 彼女は笑みを浮かべたまま、手に持った青竜刀と呼べるか怪しい武器――『甲龍』の近接武器である《双天牙月》――を器用に回す。そしてそれを一夏に突きつけ、

「なら、これは捌けるかしら?」

 ニヤリと、獰猛な笑みを浮かべて一夏に迫る。

 縦から、横から、下から、斜めから、巧みな手捌きによって繰り出される鈴音の連撃(ラッシュ)を辛うじて防ぎ続ける一夏。あまりにも重く、速い攻撃に、このままでは消耗戦になると一夏は判断し、

(くっ、マズイ。このままじゃ、俺が一方的に消耗させられるだけだ。何とか距離を取って……)

 鈴音の攻撃の隙を伺う。

 受け止め、捌き、躱しながら。

(…………今だ!)

 大きな一撃を与えようとしたのだろう。

 鈴音が僅かではあるが、隙のある動きを見せた。

 それを好機(チャンス)とみた一夏だが、

「……かかったわね」

 静かに呟かれた鈴音の言葉。それに不穏なものを感じ取ったのも束の間。

 『甲龍』の肩のアーマーが開き、中心部にある球体が光ったと思った時。

「ぐっ!?」

 一夏を強烈な衝撃が襲う。

 視界が一瞬歪むが、何とか意識を保つ。

「これで終わりじゃないわよ?」

 再び襲い掛かる見えない衝撃。

 対処のしようがない一夏はそれを受けるしかなく。

「ぐ…………うあっ!!?」

 先程よりも重い一撃に、一気に地表まで叩きつけられてしまった。

「どこまで耐えられるかしらね?」

 地表に落ちた一夏を見据える鈴音。

 その瞳に慢心はなく、一切の油断もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、なんだ今のは!?」

 ピットから試合を観戦していた箒は、ガタッと立ち上がって驚愕の声を漏らす。

「恐らくですが、『衝撃砲』と呼ばれるものですわ。空間に圧力をかけ砲身を生成。その余剰で生じた衝撃を、砲弾と化して撃ち出す。私の『蒼き雫』と同じく、第三世代型兵装です」

 それに答えたのは、同じくピットで一夏と鈴音の戦いを見守っていたセシリアだった。

 彼女は険しい表情で鈴音の一挙手一投足を見つめている。

 彼女の動きに、慢心や油断はない。彼女は鍛え上げてきた自分の力を遺憾なく出している。一夏にとっては厳しい戦いだ。

「ところでアングレカム。土見の奴はどうした?」

 今このピットにいるのは、箒とセシリア、アレン、教師の織斑千冬と山田真耶である。それ以外は誰もいない。

 モニターから視線を離さず、千冬はこの場にいない稟の事を疑問に思いアレンに問い質す。千冬は稟にも声をかけていたのだが、彼の姿は見えない。

「稟様ですか? 稟様ならば、会場のどこかで試合を見ているでしょう」

 同じくモニターから視線を離さずに返すアレン。

 千冬はちらりとアレンを一瞥するが、すぐさまモニターへ視線を戻した。

 アレンは千冬の視線が外れたのを確認し、

(しかし、何故稟様は彼女達に付いて行くように言ったのか。私は貴方の楯であるというのに。それに、あの時の稟様の眼は……)

 稟と離れる間際。彼が浮かべていた、妙に不安そうに揺れていた瞳。そして、何かを恐れるかのような声音を思い出しながら、アレンはモニターに視線を向け続ける。

 機械である身でありながら、何か胸がざわつくような感覚を覚えて……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 状況は一方的だった。

 一夏から攻撃する事は叶わず、鈴音からの攻撃を躱し続けるので精一杯なこの状況。

 一夏は悔しさに顔を歪めながら、しかし、諦めないと言わんばかりに鈴音に食らいついている。正直、シールドエネルギーが心許なくなっているが、どこかで賭けに出るしかない。

(でも、どうやって…………くっ!)

 直撃こそしなかったものの、衝撃砲が掠りシールドエネルギーがまた削られていく。

「よく耐え続けるわね」

 焦りを悟られないよう平静を保つ一夏を見つめ、不意に鈴音がそう溢す。

 彼女の顔からは、いつの間にか笑みが消えていた。

 その変化に、一夏の警戒心が強くなる。

「でも、もう後がないでしょう?」

 《双天牙月》を肩に担ぐ鈴音。

 その声に、瞳に、剣呑な色が宿り。

(マズイ! …………こうなったら、一か八か!!)

 このままでは、何もできずに終わってしまうだろう。

 普通に考えれば代表候補生との実力差など一目瞭然で、彼が勝つなど万一に一つもない。だが、だからと言って簡単に負けてやるなど、男の矜持(プライド)が許さない。

 例え実力差に天地の差があろうとも、心まで負けてやるつもりはない。せめて一矢報いなければ。

 一夏は鈴音との距離を詰める為、加速体勢に入る。稟とセシリアに教わり、何とか身に付けた技能の一つ瞬時加速。使いどころを間違えなければ、この絶望的な状況を覆せる一夏の『切り札』。

 一度しか使えない、奥の手。この奇襲に失敗すれば、一夏に後はない。

 彼は軽く息を吸い、

「…………鈴」

「……なに、一夏?」

「負けないからな」

「…………」

 一夏の真剣な眼差し。

 それを見た彼女の瞳が細まる。一夏の放つ気迫を感じたのか、鈴音は《双天牙月》を構えなおした。

 張りつめた空気がアリーナに充満する。

 観客達は息を呑み込み、二人の動きを見逃すまいと見つめる。彼女達も気付いているのだ。これが一夏にとって、最後の攻撃となる事が。

 

 

 

 

――ゴクリ

 

 

 

 

 誰かが唾を飲み込んだような音がした。

 それは聞こえる筈のものでもなかったが、まるでそれを合図に。

「―――――ッ!!」

 一夏が仕掛ける。

 急激なGが一夏を襲い彼の意識を奪おうとするが、ISの操縦者保護機能が彼を守る。

 瞬時加速によって瞬く間に鈴音の距離を詰めた一夏。眼前に迫られた鈴音は驚きで眼を見開いているが、その隙を逃すわけにはいかない。一夏は《雪片弐型》を振り被り、

 

 

 

 

――ズドオオオォォォォンンン!!!!

 

 

 

 

 刹那。

 轟音と共に強烈な衝撃がアリーナ全体に走る。

 鈴音の衝撃砲ではない。今訪れた衝撃の威力と範囲は、彼女のそれと明らかに桁が違っていた。

 轟音がした場所に眼をやれば、アリーナの中心部でもくもくと煙が立ち込めていた。

「い、一体何が……」

 突然の出来事に困惑する一夏。状況が分からずに戸惑っていると、

「一夏、試合は中止! 今すぐピットに戻りなさい!!」

 緊迫した鈴音の声が、プライベート・チャンネルを介して一夏の耳に届く。

「は? お前、何言って……」

「いいから、早く!!」

 鈴音の叫び声と同時。

 

 

 

 

――ステージ中央に熱源を感知。所属不明機(アンノウン)一を確認。

 

 

 

 

 『白式』から緊急通告が流される。

 それと同時か、それより僅かに早く。一夏の背に戦慄が走り、

「――ッ!?」

 彼が後ろに避けた刹那。一夏の前を太い二条の光線が駆け抜けていった。

 そして、それが放たれた場所には……

「何なんだ……アレは」

 『異形』がいた。

 深い深い、まるで闇と思わせる程に深い黒色をしたソレで最も目が引く部分は、異様に太く、長い、まるで血塗れであるかのように紅い、鉤爪のような右腕。左腕の代わりと言わんばかりに無雑作に付けられたようなガトリングガン。肩部に取り付けられている先程の光線を放ってであろう、ただただ太く大きいだけの二つの砲門。人間であれば鍛え上げられた肉体とも言える重装甲に、その上半身を支えるには貧弱すぎる脚部。そして、不規則に並んだ剝き出しの、見方によれば顔のようにも見えるセンサーレンズ。

 ISとは異なる機動兵器だとしても、異様にすぎる。

 その『異形』を見て、一夏は無意識の内に息を呑んでいた。彼の勘が告げているのだ。アレは、何故だか分からないがヤバいものだと。

「逃げなさい一夏! あたしが時間を稼ぐから早く!!」

「は? 逃げるって……女を置いて逃げれるかよ!?」

「そんな事言ってられる状況じゃないのは判るでしょ!? 第一アンタは碌に訓練を積んだ人間でもないんだし邪魔なのよ!」

「うぐっ!?」

 鈴音の正論に思わず口を紡ぐ一夏。

 彼女の言葉は真に正しい。一夏は鈴音と違って正規の訓練を積んだ人間ではない。

 だが、だからと言って女性にこの場を任せ、男である自分がおめおめと引き下がれるかと言ったら。

(そんな事、出来る訳ないだろ!!)

 彼の矜持が、それを許す筈もない。

 例え未熟であろうと、自分は『力』を手にしたのだ。鈴音と同じ代表候補生であるセシリアに特訓をしてもらい、力をつけてきているのだ。引き下がれる筈がない。

「最後までアイツとやりあうつもりはないわ。適度なところで切り上げるわよ。それに、この異常事態に学園の先生たちがすぐに来て――」

「危ねぇ、鈴!」

 左腕となっているガトリングガンがこちらを向くのを見た一夏は自分の思考を一時中断し、鈴音を抱き抱えるようにしてその場から離れる。

 直後。彼等がいた場所を無数の弾丸が通り過ぎて行った。

「間に合ってよかった。あと少し遅れていたら蜂の巣だったぜ」

 取り敢えず凌げた凶弾に、冷汗を掻きつつホッと安堵の息を吐く一夏。そのまま彼は、『異形』を正面に捉えようとして、

「ちょ、ちょっと! いい加減離しなさいよ馬鹿!」

 抱き抱えていた鈴音がいきなり暴れ出してそれどころではなくなった。

「おわ!? こ、こら! いきなり暴れんなよ!」

「うううう、うるさいうるさいうるさい! いいから離しなさい!」

 顔を朱に染め、一夏をポカポカと殴る鈴音。別に痛くはないのだが、何故か精神的にくるものがある。

 一夏は溜息を吐きながら、

「はぁ、分かったよ。離すから暴れんな」

 鈴音を解放する。

 解放された鈴音は、自分の身体を抱くような格好で一夏から慌てて少し距離を取る。それになんだかなぁと内心思いつつ、一夏は『異形』へ視線を向ける。

 何故か攻撃してこなかった『異形』は顔に見えるセンサーレンズを一夏達に向けると、背部、腰部、脚部に備えられたそれぞれのブースターを吹かして一夏達へと近付いてくる。

 一夏と漸く平静を取り戻した鈴音は眼を細め、近付いてくる『異形』を睨み付ける。

「……お前、何者だ?」

 問い掛ける一夏だが、当然返答がある筈もなく。

『織斑くん! 凰さん! 今すぐアリーナから脱出して下さい! すぐに私達が部隊を編成して救援に向かいますから!』

 代わりに割り込んできたのは切羽詰まったかのような真耶の声。普段のぽやぽやした声とは違う、教師らしい声音だった。

「……いえ、どうやらそうも言ってられない状況みたいなんで、先生達が来るまで俺達で食い止めますよ」

『……え? お、織斑くん? 一体何を言って……』

 眼前の『異形』は、アリーナの遮断シールドを突破して現れた。アリーナの遮断シールドは、ISの『絶対防御』と同じもの。その攻撃を喰らえば、一夏達も無事では済まない。だが、もし……この『異形』の攻撃が観客席にいる生身の人達の下へ向かえば……

 彼等の決断は早かった。

「いいな? 鈴」

「ふん、誰に対して言ってるのかしら。一夏こそ、足を引っ張るんじゃないわよ?」

 互いに挑発的な笑みを浮かべて言い合う。

『お、織斑くん!? 凰さん!? だ、ダメです! 逃げて下さい! お二人にもしもの事があったら――』

 しかし、彼女の言葉が聞こえたのもそこまで。

 『異形』が、禍々しい鉤爪のような右腕を振り上げて突進してきていたからだ。

 一夏と鈴音はそれぞれ左右に避ける。

「はん、向こうはやる気満々だな」

「そうみたいね。なら、こっちも応えてあげましょう一夏」

 彼等は横に並び、それぞれの武器を構える。

「一夏。援護はしてあげるから突っ込みなさい。武器、それだけだんでしょ?」

「あぁ、そうだ。援護は任せたぜ」

 視線を交わし、二人は『異形』に向かって行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「織斑くん!? 凰さん!? 聞こえていますか!? 聞こえていたら返事をして下さい二人とも!?」

「落ち着け真耶。本人達がやると言っているんだ。あの場は二人に任せておけ。それよりも我々が今すべきことは、救援部隊をすぐに編成し、向かわせる事だ」

「ですが織斑先生!?」

 突然の緊急事態に慌てる真耶を宥めるように言う千冬だが、彼女もこの事態に苛ついているのだろう。その指は落ち着きなくテーブルを叩いていた。

「それにこの現状、我々がすぐに向かう事も出来ん」

「それは、どういう事ですの?」

 千冬が発したその言葉。それに眉を顰めたセシリアが千冬に問う。

 千冬は自身を落ち着けるように軽く息を吐くと、持っていたブック型端末の画面をセシリアに見せる。その画面には、この第二アリーナのステータスチェックの数値が示されていた。

「……遮断シールドが、レベル四に設定ですって?しかも、扉が全てロック…………あの機体の仕業ですの?」

「そうだ。学園内での通信は辛うじて生きているが、このままでは避難する事も救援に向かう事も出来ん」

「ならば、政府への助勢は?」

「既にやっている。現在も三年を筆頭にした精鋭達でシステムクラックを実行中。遮断シールドを解除できれば、編成した救援部隊を即投入させる」

 自分で言っていて苛立ちが増したのだろうか。

 千冬の眉はぴくぴくと動き、その眼が徐々に険を帯びていく。

 それに危険を感じたのか。セシリアは首を横に振ってベンチに座りなおした。

「……私達は、ただ待つだけしか出来ないのですね」

 自身の無力さに力なく呟くセシリア。

 代表候補生という地位になり、専用機という『力』を得たというのに、何も出来ない現実に対して歯痒く思う。有事の際に動けず、何の為の代表候補生というのか。

 千冬と真耶が通信機を片手に、他の教師と連絡を取り合っているのを見ながら自分の無力さを呪うセシリア。

「…………ところで、篠ノ之箒は何処へ行ったのですか?」

 そんな中、今まで黙していたアレンがふと溢したその言葉。

「…………なに?」

「…………え?」

「あら? いつの間に篠ノ之さんは?」

 それに反応した三人はそれぞれの仕草を止めて、今まで箒がいたであろう場所に視線を向ける。

 今まで箒が座っていたベンチは、既に誰もいなかった。

 慌てはじめる真耶とセシリア。それを落ち着かせようとする千冬。

 三人を横目に見つつ、アレンは一人思考を巡らす。

(別に篠ノ之箒が何処へ行こうと当人の勝手なのですが、彼女にもしもの事があれば創造主が煩いのですよね、面倒臭い事に。放っておくのも後々が厄介なので探してやりますが、何でしょうか。この、胸がざわめく感覚は。機械である筈の私が、そんなものを感じるなんてありえないというのに……)

 人であれば感じるであろう不安。

 人ならざる自分がそれを感じている事に戸惑いながらも、アレンの心中(なか)では徐々に不安が大きくなってきている。

(何故、嫌な感じがするのでしょう。まるで、大切な物を失ってしまうような、そんな…………)

 彼女の心中で、警報が鳴り響く。

 早く動けと。

 このまま動かなければ、手遅れになると。

 馬鹿馬鹿しいと、アレンは思う。機械である自分が何故そんな事を思うのかと。人間でないのに、感覚などという曖昧なものとは無縁である自分が、それを感じるなどと。

 

 

 

 

――アングレカム。

 

 

 

 

 アレンの脳裏に、声が響き渡った。

 

 

 

 

――貴女も、感じたのでしょう?この、嫌な感覚を。

 

 

 

 

 その声の主は、セシリアの耳元で待機状態となっている『蒼き雫』だった。

 いきなりの彼女からの通信に、思わず眼を瞬かせるアレン。彼女達ISは、コアネットワークを通じて意思の疎通を行う事が出来るが、そこまで頻繁に行っている訳ではない。滅多な事では互いに遣り取りはしないのだ。

 なのに、『蒼き雫』から通信がきたという事は……

(も、と言う事は、まさか貴女まで?)

 

 

 

 

――えぇ。IS(わたし)が感覚などという曖昧なものを感じるとは思ってもいませんでしたが。

 

 

 

 

 『蒼き雫(かのじょ)』まで感じたと言うならば、いよいよもって否定する事が出来なくなってしまった。

 アレンは顔を俯かせて考え込んでしまう。

 

 

 

 

――行きなさい。アングレカム。

 

 

 

 

(『蒼き雫?』)

 

 

 

 

――あの方の、我等が『王』の下へ行って下さい。貴女は私達と違い、己の身体を持っている。だから、お願いします。私達の代わりに、どうか『王』を。あの方の身に何かあれば、我々は……

 

 

 

 

 『蒼き雫』のその言葉に、アレンも気付く。『蒼き雫』もまた、彼女の主と同じく自身の無力を呪っているのだ。

 もしも『蒼き雫』が己の身体を持っていれば、すぐさま稟を探しに向かうのだろう。『蒼き雫』も、アレンと同じ想いを抱いているのだから。

(……分かりました。私は稟様を、『王』を探しに行ってきます。『蒼き雫』、貴女達の代わりに。『王』を護ると誓っておきながら、あの方と行動を別にするなど愚の骨頂でした)

 アレンは眼を細め、一夏達が戦っているアリーナへ視線を向ける。その瞳に決意の灯を宿し、

(私の名は、『アングレカム』。朽ち果てる運命だった筈の私に、『王』が授けてくれた名前。『王』よ、貴女は何を思ってこの名を授けてくれたのでしょうか?………………いえ、考えるのはよしましょう。今は)

 彼女は動き出す。

 彼女達が『王』と呼ぶ、少年の下へ向かう為に。

 彼を、護る為に。

 

 

 

 

――あの方の事は任せましたよ、アングレカム。

 

 

 

 

(承りました。『王』の身は、我が身に変えても。『蒼き雫』、何かあれば連絡を)

 

 

 

 

――分かりました。…………頼みます。

 

 

 

 

 その言葉を最後に、アレンは動く。

 全ては、彼女達の『王』の為に。

 

 



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第十七話:稟の行動

漸く最新話を投稿。
中々文章が浮かばんが、やっと投稿できる形になった。
一巻も、後一話で終わりにする予定。
ここまでくるのに、えらい時間がかかってしまった……
私の作品を読んでくれている方々には本当に感謝を。
これからも亀更新ではありますが、ゆっくり投稿していきますので良ければ読んでいただけると幸いです。
次の更新は断章になりますが、気長に待っていただけると幸いです。


「せいっ!」

 裂帛の声を上げて斬りかかる事数回。

 一夏にとって必殺の間合いであるにも関わらず、『異形』は難なくその斬撃を避けてしまう。

「ちっ」

 何度も避けられ舌打ちする一夏。

 鈴音の援護攻撃も『異形』は躱し続け、こちらのエネルギーは消耗させられる一方だ。

「ああもう! いい加減当たりなさいよ!?」

 攻撃を何度放っても掠りもしない。その出来事に苛ついた鈴音が声を荒げるが、『異形』がそれを気にする筈もなく。

 鈴音の『衝撃砲』が途切れた僅かな隙をつき、ブースターを吹かして一気に加速してくる。

「避けなさい一夏!」

「くっ……」

 『異形』の加速と鈴音の警告は同時。

 一夏は身を捻り、振り被られた鉤爪を寸での所で躱す。

 攻撃を躱された『異形』は、体勢を崩したように見せかけてその身を縦に回転させ、肩部の砲門から一夏を狙い、

「させないわよ!」

 その攻撃を、出力を上げて放った『衝撃砲』で何とか相殺させる鈴音。そして『異形』に飛び込んで斬りかかる一夏だが、やはり躱されてしまう。

「ちゃんと狙いなさい一夏!」

「狙ってるっつーの!」

 何度攻撃しても『異形』には掠りもしない。

 人間であれば死角でだる筈の角度からの攻撃、避けられない筈のタイミングでの攻撃。それら全てを避けるか相殺されている。

 それらが続けば、肉体の疲労は当然だが精神的にも疲労してしまう。

 『異形』からの攻撃が途切れたのを見計らい、一夏と鈴音は距離を取る。

「ったく、何なんだよアイツは。悉くこっちの攻撃を避けやがって」

「まったくね。余裕のつもりかどうかは知らないけど、物騒極まりないあの左腕で攻撃もしないし」

 言葉は交わすが『異形』からは視線を逸らさず、一夏と鈴音は軽口を叩き合う。

「しっかし、鈴の言った通り余裕のつもりなのか? ある程度距離を開けたら攻撃してこないのは」

「さーね。でも、あたし達が話してる時は観察するようにじっと見てるだけだし、そうなんじゃないの?」

 一夏の言葉に憮然として返す鈴音。『異形』の態度が余程気に入らないのだろう。それは一夏も同じだが。

 一夏は苦笑しつつエネルギー残量をチェックする。残りは六十程。バリアー無効化攻撃――零落白夜を放てるのも後一回がギリギリだろう。尤も、あの『異形』にそれが通じるかと言われれば解らないが。

「…………鈴、エネルギーはどの位残ってる?」

「え? ……そうね、残り百五十ってとこかしら」

 鈴音の返答を聞き眉を顰める一夏。

 自身よりマシとは言え、鈴音のエネルギー残量も心許ない。教師達の救援がいつ来るか分からない今、一か八かの賭けに出るべきか否か。

「……かなり厳しい状況ね。このままだと、アイツを倒す可能性は極めて低いわよ」

「極めて低い、か……。代表候補生(りん)がそう言うならそうなんだろうが、勝率はゼロって訳でもないんだな?」

 決してISには見えない『異形』だが、アリーナの遮断シールドを突破してきたという事は、少なくともISと同様の造りをしているのかもしれない。なら、零落白夜が効く可能性もゼロではない。

「……何か考えがあるの?」

 一夏の眼に何か感じたのか、鈴音は一夏に問い掛ける。

 一夏はそれに答えず、思考を巡らす。

 とてもではないが、有人機とは思えない歪な構造の『異形』。戦っていて僅かに感じた、パターン化されたかのような『異形』の行動。攻撃の意思が感じられない、無機質な攻撃。こちらを観察するように、絶好の機会でも攻撃してこない『異形』。

 一夏でも感じた違和感を、鈴音が感じてないとは言えない。

「……別に、何か考えがある訳じゃない。ただ、次は全力の一撃でもってアイツを沈める」

 策なんてありはしない。

 下手な小細工など持ちはしない。

 一夏にあるのは、愚直なまでの攻めの姿勢のみ。

 その瞳に、その意思に、鈴音は何も言わない。

 言っても意味がない事を、彼女は知っている。

 この時の一夏には、何を言っても動じない。そして、やると言ったらやってきた。

 ならば彼女のすべき事は、

「…………一夏、あたしは何をすればいい?」

「アイツに、最大威力の『衝撃砲』を撃ってくれ」

「当たらないわよ?」

「当たらなくていい、ただ撃ってくれれば」

「…………分かったわ」

 一夏を信じるのみ。

 万が一の事も考え、即座にカバーできるようにして。

 一夏が突撃体勢に入り、鈴音も『衝撃砲』をチャージし始めた時。

『一夏あぁぁっ!!』

 アリーナのスピーカーから、大声が響いてきた。

 一夏と鈴音、『異形』が声のした方角――中継室――を察知し、それぞれ視線を向ける。

 其処には、全速力で中継室へ向かったのだろう。肩で大きく息をしている箒と、その箒にダウンさせられたであろう審判とナレーターが伸びていた。

 一夏が訳も分からず戸惑っていると、

「一夏あぁぁっ! 男なら、男なら! その程度の敵に勝てなくてなんとする!!」

 彼の事が心配だったのだろう。観戦していたピットから中継室へ向かい、そこにいた人を昏倒させるという暴挙を行ってまで一夏に激励の言葉を投げていた。

 あまりの大声にハウリングが起きる。

 その強烈さに顔を顰める一夏と鈴音。まったく動じない『異形』。

 それが致命的な瞬間となった。

 箒の存在を感知した『異形』は中継室へ機体を向け、その肩部の砲門を彼女へと向ける。

「――!? マズイ! 逃げろ、箒っ!!」

 『異形』へと慌てて向かうが、間に合う筈もなく。

 『異形』は一夏を嘲笑うかのようにセンサーレンズを彼に向け、その肩部の砲門からレーザーを放つ。

「箒いいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃ!!!!??」

 『異形』から放たれた、凶悪な威力を秘めたレーザー。ISの『絶対防御』でも防げるか分からないそれを生身で受ければどうなるか。

 【絶望】が一夏を包もうとした時。

 まるで箒を守るかのように、訓練機――ラファール・リヴァイヴを身に纏った稟が箒の前に突如として現れ、そのレーザーを彼女の代わりに背中から受けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 謎の襲撃者が乱入する十分前。

 ここ最近一夏達と別行動をしていた稟は、本音と共にアリーナの入り口近くの壁を背にして観戦していた。

「お~。おりむー、頑張って食らいついてるね~」

「……まぁ、セシリアとアレンが鍛えてる訳だし、あのくらいはできるようになるだろうな」

 相変わらずのほほんとした本音にそう返す稟。

 一夏は終始鈴音に押されていたが、元来の負けん気の強さとセシリア達の特訓が実を結んでいたのだろう。何とかではあるが鈴音に食らいついていた。

 とは言え、食らいついているといえども攻勢に転じれている訳ではないが。

 稟は腕を組んで一夏と鈴音を見つめている。

「…………ねぇ、つっちー」

「…………」

 そんな稟に声をかける本音だが、彼は答えない。ただ、無言で続きを促しているのが伝わる。

 彼女は言葉を選びながら慎重に問い掛ける。

「つっちーは、どうしてりんりんに……?」

 一夏とは距離を置き、鈴音を気にかけていた稟。一夏には必要最低限の助言だけをアレンに伝えるように頼み、極力一夏と関わらないようにしていた。

 本音は不思議に思う。何故稟が、ここまでするのかと。

 これは鈴音と一夏の問題であって、第三者がしゃしゃりでていい話ではない。

 確かに一夏が酷いとは本音も思う。鈴音の言い方が紛らわしかったのも問題ではあるが、それをどう勘違いして奢るなどと脳内変換してしまうのか。判決を下すなら問答無用で有罪である。

 それはさておき。

 どうして稟は一夏と距離を置き、鈴音を気にするのかと。

 その問い掛けに稟は眼を閉じ、どう答えるかを考える。

 稟が鈴音を気にかける理由は、特に深い理由でもない。ただ彼女が楓に重なったように見えたのと、彼女と一夏に自分達の過去を重ねてしまった自分勝手な理由からだ。

 それを本音に伝える気はない。彼女は納得しないだろうが、こればかりは他人に語る気はない。

 だから稟は、

「…………彼女を、放っておけなかった。ただ、それだけさ」

 もう一つの理由を告げる。これも事実だからだ。

 案の定本音は納得していないような顔をしている。ジト眼で稟を見ているが、彼は肩を竦めるだけだ。

 暫く稟を見つめ続ける本音だが、彼が口を開こうとしないのを見て諦めたのか溜息を吐く。

 稟が素直に自分の感情を吐露しない事は分かりきっていた事だ。彼が本音を溢せば、彼女もここまでもどかしい気持ちになりはしなかっただろうが。

 そんな稟を仕方ないと思いつつ、本音は彼と同室になった経緯を何となく思い出す。

 本音が稟と同室になった理由。それは、彼女達の主である少女からの指示。土見稟という存在に疑問を抱いた彼女達の主が、彼を監視する為に本音にその役目を与えた。

 何故彼女達の主が稟に疑問を覚え、監視をしようとしたのかの詳しい理由は教えられていない。ただ、下手をしたらこのIS学園に危機が及ぶかもしれないと、そう説明されただけだ。

 監視などあまりいい感じはしなかったが、主からの命とあれば従わざるを得ない。本音はその指示に従い、彼と同室になった。

 そう。最初は命令だから従っていただけ。何の感情も抱かず、ただ従っていただけ。その筈だったのに……

 いつからだろうか。彼の事を常に気にするようになったのは。

 彼の心からの表情を見てみたいと思うようになったのは。

 彼の姿を眼で追うようになったのは。

 それはきっと、彼を見たあの時からだろう。

 彼の歪さに気付いた時からだろう。

 彼の内面(こころ)に触れた時からだろう。

 自分の本心を押し隠し、他人を気遣う稟。

 自分を偽り、他人に優しくする稟。

 稟と共に生活するようになり、彼の色々な表情を見てきた本音。部屋で過ごす時は、教室にいる時には見せない顔を見せる稟。本音に抱き着かれて困ったような顔を見せる稟。笑顔だけど、何か違和感を覚える笑顔を見せる稟。そして、どこか壁があると思わせる雰囲気を放つ稟。

 そんな様々な稟を見て彼女は……

 彼の事を知りたいと願ってしまった。

 彼の本当の笑顔を見てみたいと願ってしまった。

 彼の作る壁を乗り越えたいと願ってしまった。

 その時から、彼女は彼の事を……

 一夏と鈴音の戦いをじっと見ている稟をどこか寂しげな眼で見つめる本音。

 稟の表情を窺っていた彼女は、そこである事に気付いた。稟が、頭痛を堪えるように頭を押さえて顔を顰めている事に。

 そう。それは、あの時と同じような表情だった。セシリアとの試験を終えて部屋に戻った時の、辛そうにしていた表情と。

「つっちー?」

「……どうした?」

 声をかけてきた本音の声に、表情に、自身を心配する色を感じた稟は表情を取り繕い、さも何でもないと言わんばかりに返す。

 それに本音は悲しげに顔を歪める。

 決して弱さを見せようとしない稟に、どうしようもない悲しみを覚える。

 少しは弱さを見せてほしいと思う。頼ってほしいとも思う。彼の過去を詳しく知らない赤の他人かもしれないが、それでも少しばかりは力になれる筈だと。

「ねぇ……」

 本音が口を開こうとした時。

 ピットが、アリーナが、IS学園そのものが揺れたのではないかと思わせる程の激しい振動に襲われた。

「きゃっ!?」

 とてもではないが真面に立っていられない程の振動。バランスを崩した本音は倒れそうになるが、寸での所で誰かに抱えられ倒れる事はなかった。

 本音がゆっくり顔を上げると、自分を強く抱き締めている稟が険しい表情でアリーナの中心部を見ていた。

 普段の彼からは想像もつかない程の険しい表情に、声をかける事が憚られる。本音は彼に声をかけず、稟が見ているであろう場所へと視線を向ける。

 其処にいたのは。

「…………何、アレ?」

 『異形』だった。

 とてもではないがISには見えない、『異形』としか形容できない存在が其処にいた。

 本音の言葉に何も返さない稟。

 彼とてあれが何であるのか教えてほしいぐらいだ。アレが現れた瞬間、稟は激しい頭痛に襲われたのだ。セシリアとの試験が終わった時に感じた以上の頭痛に。この頭痛とアレとは、一体どういう関係があるのかと。

 『異形』の存在に気付いた他の生徒達が徐々に騒ぎ出す。

 突然現れたアレは何なのかと。

 『異形』から感じられる、怖ろしいまでの『死の予感』。それは、本来ならば感じられる筈のものではない。なのに、どうしてかそれを感じてしまった。誰もがその恐怖を感じ始めた時。事態は進み出す。

 IS学園のありとあらゆる通路に存在する緊急用のシャッターが下ろされ、全ての扉がロックされ、IS学園内にいる全ての人間はどこにも逃げる事が不可能となってしまった。

 『異形』の存在に恐れ、逸早く観戦しているピットから逃げようとした生徒が出れない事に気付いて叫び、他の生徒達も遅まきながら気付いてしまう。自分達は閉じ込められ、避難する事も許されないのだと。

 そうなれば、阿鼻叫喚の巷と化すのは一瞬。

 一人の泣き声や叫び声が周りに感染し、全ての人間が無意味にも同様の有様に陥るだけ。

 無駄に叫び声を上げ、ドアを何度も叩く。物言わぬドアに「出して、出してよ!?」と叫びながら、『異形』の恐怖から逃れようと必死になる。

 突然の事態と『異形』の醸し出す威圧に、その場は混乱する。

「…………」

 本音は何も言わず、無意識の内に自分を抱き締めている稟の身体にしがみつく。

 『異形』から感じられる恐怖から、逃れようとするかのように。

 稟は本音を安心させるかのように彼女を抱き締める力を少し強めて、その頭を優しく撫でてからこの場をどうするか思考する。

 彼にはこの状況をどうにか出来る力はないが、どうにか出来る人ならば知っている。

 一夏と鈴音に襲い掛かり始めた『異形』を見つめながら、いつもかけている白銀のネックレスに視線を向ける。

(――アレン)

 そして眼を閉じ、そっと心の中で呟く。

 通信機能がついているネックレスだが、心で呟いた所でその機能が活かせる筈もない。なのに。

 

 

 

 

――稟様? 今何処におられるのですか? ジャミングがかけられているのか、稟様の居場所を把握できないのですが。

 

 

 

 

 アレンに通じた。

 どこか焦りを感じるアレンの言葉が脳裏に響き、稟はどう答えるか考える。

 緊急事態であればすぐさま稟の下へ駆けつけるアレンが未だ来ない理由を理解し、彼は眉を顰める。束特製のネックレスの機能が、ジャミングで阻害されるとは思えないからだ。

 その事が若干気にかかるが、現実にアレンが現れないのがその証拠。ならば、今彼女にしてもらうべき事は只一つ。

(……アレン、IS学園のセキュリティを破って扉のロックを解除出来るか?)

 

 

 

 

――稟様?

 

 

 

 

 稟からの突然の言葉にアレンは疑問を覚える。

 そしてその疑問は、やがて不安という形になる。

(アレは、よく分からないけど危険な気がする。このまま放置すれば、取り返しのつかない事が起こるかもしれない)

 

 

 

 

――かもしれませんが、我々が動く必要はないかと。教師達が動いている筈でしょうし。

 

 

 

 

(そうだな。先生達が動いてくれているかもしれない。でも、それだときっと遅い。下手をすれば、最悪怪我人どころか……)

 稟の言葉から伝わる『何か』に、ますますアレンの中で不安が増していく。

 不安を感じる人ならざる物(じぶん)を笑い飛ばしたいが、彼の言葉を聞く度にそうも言ってられなくなる。

 だが、彼の側にいない以上アレンに何かしらの行動をする事はできない。稟の居場所が分からない以上一刻も早く彼を見つけ出したいのだが、この状況下で闇雲に探して時間を無駄にするのだけは危険だ。

 どうするべきかアレンが悩んでいると。

(頼む、アレン。この事態を解決する為には、お前の力が必要なんだ)

 縋る様な、願う様な稟の通信(ことば)に、アレンは瞳を閉じる。

 この不穏な状況下。自身のやるべき事は決まっている。

 すぐさま稟と合流し、彼を安全な場所へと移動させる事。それがアレンの、彼女達が為すべき行動。

 だが稟が、彼女達の『王』がそれを望むのならばアレンの取るべき行動は。

 

 

 

 

――……それが、我等が『王』の意思ならば、私はそれに応えましょう。ですが、私がなによりも優先すべきは『王』、貴方自身です。貴方に危機が迫るのであれば、例え貴方の命だろうとそれに従う事はできません。それだけはご理解を。

 

 

 

 

 本来ならば説得してでも稟を止めるべきなのだろう。

 しかし、こうなった時の稟には何を言っても無駄である事を稟と共にいたアレンは理解している。

 彼女達の『王』は、一度やると決めたらその意志を貫き通してしまう。それならば、アレンに出来る行動は稟をサポートし、速攻で稟の側へ駆けつける事。

 アレンが葛藤している事に気付いたのだろう。稟は申し訳なさそうに、

(……ああ)

と、頷く。

 

 

 

 

――では、これより行動に移ります。まずは稟様の位置を…………ふむ。分かりました。動かれる際には連絡を。私はロックの解除に専念しますが、相手が創造主並の力量でなければ五分もかからないかと。

 

 

 

 

(分かった。なら、今すぐ頼む)

 

 

 

 

――了解しました。我等が『王』よ。……貴方も、ご無理はなさらずに。

 

 

 

 

 その言葉を最後にアレンとの通信は終了する。

 通信を終えた稟は一息吐き、未だ自身にしがみ付いている本音に視線を向ける。

 これから彼が起こす行動に彼女を巻き込んではならない。本音には、他の少女と達と同じように避難していてほしい。

 だから彼は。

「…………本音」

 優しく、囁くように彼女の名を呟く。

「ほえ?」

 それにキョトンとした顔で、間の抜けた声を出す本音。

 それがなんだか妙におかしくて、稟はくすりと微笑む。その笑みは、本音がいつも感じるどこか作ったものではなくて、きっと稟本来の心からの笑みなのだろう。それに彼女が見惚れるのも束の間。

「本音。あと数分したら、きっと扉のロックが解除される。解除されたら、皆の避難を誘導してほしい」

 何故そんな事が分かるのか。

 どうして彼女にそんな事を頼むのか。

 彼女の胸中に疑問が沸く。

 そしてそれを言葉にしようとするのだが、彼の表情を見て開きかけた口を閉ざした。何かを決意したような、真剣な瞳を見て。

 本音は瞳を閉じ、自身を落ち着ける為に軽く呼吸をする。

 突然の事態に彼女の脳はまだ混乱しているが、こうして稟に抱き締められながら頭を撫でられていた事によって少しばかり落ち着いてきた。

 そうして落ち着いてきた頭で、今自分がすべき事を考える。

 周りは未だ混乱状態の生徒達。

 アリーナで『異形』と戦っている一夏と鈴音。

 この状況を打破すべく動いているであろう教師達。

 何かを決意したであろう稟。

 本音の決断は早かった。

「分かったよ、つっちー」

 いつも浮かべているのほほんとした笑みを浮かべようとして失敗して、若干笑顔が引き攣る本音。

 いくら落ち着いてきたとは言え未だ『異形』という恐怖から脱した訳ではない。それでも普段通りを取り繕おとする本音。

 色々と言いたい事があるであろうに、それを抑えて稟の言葉を聞いてくれようとしている。

 そんな本音に、稟は感謝する。

「つっちーの頼み、聞いてあげるよ~」

 ぎこちない笑みを浮かべつつそう言ってくれる本音。

 彼女には助けられてばかりの稟だ。

「ありがとう、本音。それじゃあ……」

 お互いに頷き合う稟と本音。

 これでこの場は大丈夫だろう。稟はそう判断する。

 本音は普段こそのほほんとしているが、有事の際は機敏に動いてくれるだろうと、稟は何となく感じ取っていた。だからこそこの場を本音に任せる判断をした稟。

 そして五分後。

 アレンの言葉通り。扉のロックが解除されたのか、今まで微動だにしなかった扉が開いた。

 それに気付いた少女達は一瞬固まり、我に返った者達から我先にと開いた扉に群がる。その動きに秩序だったものはなく、あたかも暴徒のようなものであった。あれでは怪我人が出る事は避けられないだろう。

 本音は稟と視線を交わした後、混乱を抑えるべく少女達の下へ駆けて行った。

 本音を見送った稟は近くの壁に寄りかかり深呼吸をする。

 今から彼が行う事にはかなり神経を使う事になる。その為にも一度精神を落ち着けなければいけない。

 稟は深呼吸をして自身を落ち着かせると、精神を集中させて意識を落としていく。アレンとの通信を行った時以上に集中し、彼は現実から意識を切り離していく。

 それが、彼女達の力を借りる際には何よりも大事な事。

 アレンとは違って絶対に必要な事。

 稟は意識を落とし続けていく。

 現実に居ながらにして現実に意識が存在しない。そんな矛盾した状況へと。

 稟が意識を落として、墜として、堕として、落とし続けて……

(――疾風)

 

 

 

 

――ふえ? って王様!? え、何? なんで、どうやって王様が此処に? 訳が分からないよ!?

 

 

 

 

 稟の前にいたのは橙色の髪をした見た目中学生程の、将来有望性のある美少女だった。その少女は突然自分の前に現れた稟に混乱している。

 それも仕方ない事と稟は理解しているので彼は苦笑を溢すだけだった。此処に来てから苦笑する数が増えているなと、内心どうでもいい事を思いつつ。

「疾風、君の力を借りたい。俺に協力してほしいんだ」

「え? それって、どういう……」

 突然の稟の言葉に疑問符を浮かべる少女――疾風。

 彼女の疑問は尤もなのだが、今は説明している時間が惜しい。

 だから彼は、

「…………ぁ」

 身体を屈めて疾風と視線を合わせた稟は、自身の額を彼女の額と合わせる。

 いきなりの事で固まる疾風だが、それも束の間。二人の額が合わさったと思ったら、突如光が彼等を包み込む。

 そして、彼女の中に様々な情報が入り込んできた。

 その情報は――

「…………王様は、ボクの力を借りたいんだね? あのヒトではなく、ボクの」

 事態を把握した疾風は稟にそう問い掛ける。

 稟は真剣な瞳で頷く事で彼女の問いに肯定する。

 稟から知らされた情報で時間があまりないであろうことは解ったので、疾風の決断は早かった。何より、彼女達の『王』が専用機である彼女や『彼女』ではなく、訓練機である自分を選んでくれたというのも大きかっただろう。

 疾風は頬を軽く朱に染め、

「分かりました。ボクは貴方に力を貸します。我等が『王様』」

 畏まった口調でそう言って稟に触れる。

 刹那。

 二人を眩い光が包み込み。

 光が収まった後には、ラファール・リヴァイヴを身に纏った稟が残された。

 稟は調子を確かめるように身体を少し動かした後、意識を現実に戻す為に再び精神を集中させるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 稟の意識が現実へと浮上する。

 稟が眼を開けると、観客席には彼以外の人は誰一人いなかった。本音がしっかりと避難誘導してくれているのだろう。

 稟は安堵の息を吐き、気を引き締めるように瞳を細める。

 アレンには無茶をするなと言われたが、恐らく彼は無茶をする事になるだろう。稟の中ではそうなる予感が膨らんでいく。

(疾風。誘導は任せる)

 

 

 

 

――了解です『王様』。ボクが把握している限りの最短ルートを提示します。

 

 

 

 疾風の誘導の下、稟は目的の場所へと駆ける。

 今彼がやっている事は重大な校則違反だ。IS学園では決められた場所でしかISを展開する事が許されていないのに、その場所以外で展開している。それに加え、申請許可を得ずの訓練機の無断使用。

 だが稟は、そんな事知った事かと言わんばかりに行動している。規則は確かに大事だが、それを順守した結果もし万が一の事があれば稟は自分を許せなくなるだろう。

 予感が外れたなら外れたで、それは問題ない。その時は大人しく罰を受ければいいだけの話だ。

 兎に角、稟はひたすら駆け続ける。

 幸いというべきか、彼のルート上には人が誰もいなかった為思う存分速度を出している。一刻も早くアリーナに到着する為に。

 

 

 

 

――後もう少しです。あの突き当りを右に曲がれば、目的の場所は目前です!

 

 

 

 

 疾風の声に、無意識にラストスパートをかける稟。

 稟の速度が加速した瞬間。まるで狙ったかのように、

 

 

 

 

『一夏あぁぁっ!!』

 

 

 

 

 箒の、叫び声が聞こえてきた。

 その声を聞いて、稟の中で警鐘が鳴る。何故かは分らない。だがそれで、稟は自身の予感が当たっていたという確信に至る。

「疾風!!」

 思わず声を荒げる稟。

 その声音は、普段の彼からは想像もつかない程に切羽詰まった色を宿していて。

 

 

 

 

――貴方の願いはボク達の願い。『王様』に、ボクを委ねます!

 

 

 

 

 その声に、祈るような、歓喜するような声で返し、疾風は稟の願いに応える。

 己に出せる限界ギリギリまで力を振り絞り、自分達の『王』に力を貸す。

 二人の想いが重なった瞬間。

 稟の身体が眩い光に包まれ、更に速度を加速させた。

 その速度は訓練機が出せるような速度ではない。彼女の『性能』では到底出せる筈もない速度だった。

 機体の『性能』を知る者が今の稟を見れば、ありえないその速度に驚愕で眼を見開いたであろうがそんな者はこの場にいない。

 稟は当たり前であるかのようにその加速を受け入れ、瞬時に目的の場所に辿り着く事が出来た。

 そして彼が見た光景は、凶悪な力を秘めたレーザーが、今まさに箒を呑み込まんとしていたもので。

 稟は考えるよりも先に行動していた。

 扉をぶち破ってアリーナに到着した稟は、呆然としていた箒の楯になるかのように彼女の前に自らの身を晒し、そのレーザーを代わりに受け止めようとする。

 何が起こっているのか理解できていない箒は呆然とした表情で稟を見てくる。そんな箒に、稟は微笑み返し……

(すまないな疾風。俺の我儘に付き合わせてしまって)

 

 

 

 

――気にしないで下さい。『王様』の望み。それを叶えるのがボク達の在り方ですから。

 

 

 

 短いやり取りを交わす稟と『疾風』。

 直後。

 稟の背に、凶器が直撃した。



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第十八話:収束

これにて第一章は終幕。
物語は、次のステージへ……


『なっ……!?』

 一夏と鈴音、箒は突然の出来事にそんな声を漏らしていた。

 あまりの出来事に動く事が出来なかった一夏と鈴音。

 暫くして『異形』からの砲撃が止み、

 

 

 

 

――ズドオオオォォォォン!!!

 

 

 

 

 稟の墜落と共に轟音がアリーナに響き渡る。

 砲撃を終えた『異形』は稟が墜落した場所を一瞥すると、再び一夏達と相対する。再度箒へと砲撃しない様は、まるで興味をなくしたかのように見えて。

 一夏達と相対しても、まるで彼等を観察するかのように攻撃してこようとしない『異形』に、一夏と鈴音の胸がざわついた。

 そして、墜落した稟の方へ視線を向ける。その場所には砂塵が舞っていた。彼が無事ならばすぐにでもそこから出てくる筈だが、稟は一向に出てこない。

 どれだけ待とうが、彼が出てくる気配さえも見えない……

 一夏の胸に、ドロリと、黒い感情が込み上げた……

 

 

『ISについてと勉強を教えてほしい? 俺は独学だからちゃんと教えられる自信はないぞ。それでもいいなら、まぁ……』

『そこはそうじゃない。さっきの問題の応用だから……こうなるんだ。分かったか?』

『ん、さっきよりかは理解してきているな。その調子だ』

『一夏は猪武者なのか? そんな戦い方じゃ、エネルギーがすぐ枯渇するのは当たり前だろうに』

『今のは、まぁよかったんじゃないか? まだ改善すべき個所は多々あるけど、前と比べればマシになってきていると思う』

『一夏、お前なぁ……』

 

 

 そして何故か、稟の今までの言葉が一夏の脳裏を過った。

 呆れたような、困ったような表情を浮かべている稟の顔と共に。

 これでは、まるで……

「やってくれ、鈴!!」

「…………ええ!!」

 そんな筈はないと、一夏の何かを堪えるかのような呼び掛けに、鈴音も同じく何かを堪えるかのような声で応える。二人の胸中に宿る想いは、きっと同じなのだろう。

 鈴音の射線軸に入って来た一夏に彼女は驚きを表したが、すぐに獰猛な笑みを浮かべると、

「アンタってば相変わらずね! あたしの分まで思いっきりやってきなさい!!」

 現段階で撃てる最大威力の『衝撃砲』を容赦なく撃ち込む。

 その『衝撃砲』が一夏に当たる直前。彼は瞬時加速を発動。身体が軋む程の衝撃が彼を襲うが、一夏はそれを堪えて流れを掴み……

「ぉぉぉおおおおっ!!!」

 吼えながら『異形』へと接近する。

 暴虐的な痛みが一夏の身を苛んでいるが、稟が『異形』から受けたダメージはこの比ではないだろう。

 一夏はその痛みを堪え続け、瞬時加速よりも速い速度で『異形』との距離を縮めていく。

 それに振り返った『異形』はセンサーレンズを明滅させ、今まで使おうとしなかった鉤爪を振り上げながらガトリングガンを一夏へ向ける。

 

 

 

 

――警告。敵機から高エネルギー反応を検出。

 

 

 

 

 『白式』がそう警告するが、一夏には避ける術も軌道を変える術もない。

 だが、一夏は臆する事なく突き進み、ガトリングガンが

放たれるよりも、鉤爪が振り下ろされるよりも僅かに速く。

「はああああっ!!!」

 その《雪片弐型(つるぎ)》を振り下ろす。

 『白式』の残りのエネルギーを注ぎ込んで発動した⦅零落白夜⦆。その刃は『異形』の危険極まりないと感じさせる鉤爪(みぎうで)を問答無用で両断し、それによって均衡(バランス)を崩した『異形』はその身を仰け反らせながら、誰もいない空へ向かってガトリングガンを放つ。

 均衡を崩した『異形』は倒れそうになるが、寸でのところでブースターを吹かして体勢を戻す。そして再び一夏にガトリングガンを向ける。

 ⦅零落白夜⦆に残りのエネルギーを使い果たした一夏に余力などなく、最早攻撃も防御も不可能。このままでは蜂の巣にされてしまうだろう。

 

 

『稟さんは』

 

 

 そう。

 アレンが、何の行動も起こしていない状況のままであったのならば。

 

 

『貴方のような輩が傷付けていい方ではなくってよ!』

 

 

 いつの間にアリーナに駆けつけていてくれたのか。

 『蒼き雫』を纏ったセシリアが『異形』の上空に陣取っており、そこからレーザービットを放つ。放たれたビット達は『異形』の動きよりも速く敵に接近し、残っていた『異形』のガトリングガン(ひだりうで)と脚部を貫いた。

 その攻撃は予想外だったのだろう。

 突然の攻撃に反応できなかった『異形』はあっさりと四肢を捥がれてしまった。倒れそうになる機体(からだ)をブースターを吹かして体勢を整えようとしているが、それも無駄になり無様にもその身を倒してしまう。残された武器である肩部の砲門も再び放たれたセシリアのビットに撃ち抜かれてしまい、形成は一気に逆転した。

 エネルギーはほぼなく、機体を辛うじて展開できている前方の一夏と鈴音。上空からビットを纏って接近してくるセシリア。四肢と武装を踠がれた『異形』に、最早逃げる術は残されていない。それでも何とかしようと動く『異形』に、最後の刺客が現れる。

 

 

『たかが鉄屑風情が、あの方に何をした』

 

 

 その声は決して大きいものではなく、寧ろ小さいとも感じるような大きさのものだった。しかし何故か。その声はアリーナにいる全員の耳に響き渡り。

 

 

『己の意思も感情もないたかが操り人形が、あの方に何をした』

 

 

 『異形』を含めた全員が、声の聞こえてきた方向へ顔を向ける。

 声が聞こえてきた方向――アリーナのAピット側出入口には、ISの近接ブレードを肩に担いだアレンが、視線だけで人を殺めてしまうと錯覚する程の怖ろしい色を宿した瞳で『異形』を睨み付けていた。

 『異形』を睨み付けながら、アレンは歩を進める。彼女が歩を進める度、比喩表現などではなく、実際に空気が重くなっていくと一夏達は感じた。

「あの方を傷付けた罪、万死に値する。みすみすこの状況を作ってしまった私も同罪ではあるが、今は貴様の断罪を優先させよう。私の罪は、後程あの方に裁いて戴けばいい」

 数百メートルある距離をゆっくりと縮めていくアレン。

 感情がない筈の機械(いぎょう)が、恐怖を感じたかのように身を捩じらせた。

 アレンは『異形』へと近付きながら稟が墜落した方へ視線を向け、次いでセシリアへと視線を向ける。

 アレンの瞳を見たセシリアは、何故かアレンの言いたい事を理解してすぐさま稟の下へと向かって行った。

 歩みを止めずにそれを見送り、少しずつ距離を詰めていくアレン。そしてついに、アレンと『異形』の距離は零となった。

「もしも呪う事が出来るのならば、貴様を生み出した愚者と操り人形にしかなれなかった己自身を呪え。そして……」

 決して人が片手で軽々と振り上げる事が出来ない筈の近接ブレード(えもの)を振り上げ、

「私達の逆鱗に触れた事を後悔しながら無様に砕け散れ!!」

 その瞳に憎悪の炎を灯し、勢いよくその刃を振り下ろす。

 満足に身動きの取れない『異形』がその凶刃を避けられる筈もなく。『異形』はあっさりとその身を真っ二つに引き裂かれ、その機能を停止させた。

 

 

『織斑くん! 凰さん! 無事ですか!?』

 真耶を筆頭に、救援部隊に選抜された教師達が駆けつけたのはそれから僅か数分後の事であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 侵入者を退ける事が出来た一夏達。

 彼等は念の為という事で、検査を受けに医務室へと訪れていた。

「中々起きないな……」

「……そうね。そろそろ目を覚ましてもいい頃とは思うけど」

「稟さんが心配なのは分かりますが、じっと見ていても何も変わらないでしょうに」

 そしてその医務室には、心配気な表情を浮かべている一夏と鈴音。そんな二人に若干呆れ気味な表情を向けているセシリア。どこか気まずそうな雰囲気を漂わせている箒が、それぞれベッドで横になっている稟――セシリアが回収した時には既に『疾風』は解除されていた――へと視線を向けていた。

 真耶達教師が救援に駆けつけたあの後。

 随伴の教師達に『異形』を任せた真耶はすぐに一夏達の下に駆けつけ、怪我がないか等の心配をされた。

 幸い一夏達は怪我をしていなかったが、稟の事があった為に沈痛な表情を浮かべた一夏達に対して真耶が小首を傾げた時。『疾風』が解除された稟を抱き抱えたアレンが一夏達の前までやってきた。

 額から血を流して気を失っている稟。そんな稟を見て、一夏達は顔から血の気が引くような錯覚に陥った。

 慌てる彼等に対し、アレンは無表情で稟を一夏へと渡す。突然の事に戸惑う一夏達だったが、アレンは消え入るような声で稟を頼むと彼等に頼んできた。

 何故アレンがそんな事を頼むのか。一夏達には解らなかった。ただその言葉に、その声音に何かを感じ取り、一夏達は稟を医務室へと運び込んだ。

 医務室にいた保険教諭はいきなり飛び込んできた一夏達に驚き、次に稟を見て表情を驚愕に染めた。そこから教師の行動は素早く、一夏から稟を奪い取って診察し、治療に移っていった。

 稟の治療が終わった教師は一夏達に、怪我は酷かったものの命に別条はないとそう告げた。それから一夏達に何があったのかを訊き、彼等も念の為という事で検査をして今に至る。

 現在。稟を治療した教師はいない。彼の看病を一夏達に任せ、彼女は呼びに来た他の教師に付いて行った。

 それから既に、一時間は経過しているが稟はまだ目覚めない。穏やかな寝息を浮かべて眠ったままだ。

「ところで、篠ノ之さんはいつまでそんな表情をしていますの?」

 彼等の気持ちは分かるが、言っても変わらないだろう一夏達にやれやれと首を振ったセシリアは、一緒に医務室に来てから一言も発さずに顔を俯け続けている箒に対してそう言った。

 箒が顔を俯かせている理由は察しているセシリアだが、いつまでもうじうじと顔を俯けられていても正直こちらの気が滅入ってしまう。語調が強まるのは仕方ない事だろう。

 一夏達から少し離れた所で立ち竦んでいる箒に近付きつつ、セシリアは何故自分がこの三人を諌める立場にいるのかとげんなりしていた。本当なら、自分も一夏達と同じように稟を心配していたいというのに。

「……まったく。気持ちは分らなくもありませんが、いつまでもそんな顔をしているものじゃありませんわ。そのお顔でお見舞いに来たと言っても、稟さんが戸惑ってしまいますわ」

「な、何をする! 離せっ!?」

 セシリアにいきなり腕を掴まれた箒は顔をばっと上げ、抗議するように声を上げる。

「いきなり大声を上げないで下さいまし。稟さんの身体に響いたらどうしますの」

「む、すまない……いや、そうではなく!」

 箒の大声に眉を顰めながらも彼女の腕を離す事なく、セシリアは箒を半ば問答無用で稟が寝ているベッドまで連行する。

 一夏と鈴音はセシリア達を一瞥したがすぐさま稟の方に向き直り、我関せずの態度を貫き通している。セシリアもそれを気にする事なく、近くから椅子を持ってきてその椅子に箒を座らせる。

「稟さんが目覚めたらお礼を言う事だけを今は考えておきなさいまし。貴女が何故稟さんを邪険にしているかは分かりませんが、恩人には礼を言うべきでしてよ」

 それ以降箒に声をかける事なく、セシリアもまた稟へと視線を向けた。

 セシリアの勝手な行動に物申したい箒であったが、此処が医務室であると今更ながら思い出した為に口を開かず、内心で文句を言うだけに留めておいた。まぁ、セシリアの言う事も尤もではあるがと思い直して。

 そこから暫くは誰も言葉を話さず、静寂が医務室を包み込む。

「………………っ」

静かに稟を見守り続け、どれ程の時間が経過したのだろうか。

 今まで眠り続けていた稟の口から微かな音が漏れた。

「………………こ、こは……?」

『稟っ!?』

 徐々に開かれていく稟の瞳。

 撃墜されて数時間経って漸く目覚めた稟に、一夏と鈴音は身を乗り出しそうになるが、

「お二人も落ち着きなさいまし。稟さんの身体に負担がかかってしまいますわ」

『ぐえっ!?』

 セシリアに首根っこを掴まれて阻止された。

 その際に二人の口から妙な音が漏れたが、セシリアは特段気にする事なく。

「お加減はどうですか、稟さん?」

 稟は目覚めたばかりで少しばかり思考がぼんやりしていたが、何とか声の聞こえた方へと顔を向ける。顔を向けた方には心配気な顔で己を見つめているセシリアと、そんな彼女に首根っこを掴まれた一夏と鈴音。どこか気まずそうな表情を浮かべている箒がいた。

 暫く四人をぼんやりと見続ける稟。

 それから徐々に今までの事を思い出し、身体を起こそうとしたところで、

「っ!?!!」

 身体に激痛が走り、思わず苦悶の表情を浮かべる。

『稟!?』

「稟さん!?」

「土見!?」

 それを見た四人は此処が医務室である事を忘れ大きな声を上げてしまう。

 身体から力の抜けた稟は、起こそうとしていた身体が再びベッドに倒れようとした寸前。

「稟さん、大丈夫ですか?」

 刹那の差で、倒れかけた稟をセシリアが抱き留めた。

 一夏達よりも先に稟を抱き留めたセシリアは彼等を制するように視線を送り、すぐに一夏達が大人しくなったのを確認すると稟へと視線を向ける。

 心配そうに自身を見つめてくるセシリアに大丈夫という意味を込めて微笑を浮かべようとする稟だが、あまりの痛みにその微笑は少し歪んでしまった。

 それを見たセシリアは眉を微かに顰めるが、稟の体調を慮って何も言わずに支えた稟の身体をそっとベッドに戻す。

「……少々、状況を説明させていただきますわね」

 本当ならば、稟が目覚めたら箒にお礼を言わせてすぐに医務室を去るつもりだった。治療は終わったといえど、無駄に長居して稟に負担をかけたくなかったから。

 しかし、状況説明を求めるような稟の視線を受けてセシリアは少し悩んだ後、彼の視線に負けて状況の説明をした。

 彼が撃墜され、目覚めるまでの出来事を。

 説明は複雑なものではなかったのですぐに終える事が出来た。

 説明を聞いた稟はそうかと呟いて、眼を閉じて黙した。そのまま稟が何も言わなかったので、セシリアが一夏達を連れて医務室を去ろうかと考えた時。

「篠ノ之さんに、怪我がなくてよかった」

 稟が、ポツリと溢した。

 稟の呟きを聞き、思わず唖然とするセシリア達。

 自分の事よりも他人の事を心配する稟に、普通こういう時は自分の事を心配するのでは?という言葉が過るがそれを口に出せないセシリア達。

「あ、あぁ、土見のおかげで私に怪我は…………ではなく! どうしてお前は私なんかを助けた! 私はお前を邪険にしていたのに、何故庇う様な真似をした!?」

「…………君を傷付けたくなかった。だから、気付いたら身体が勝手に動いていたんだ」

 再び開いていた稟の瞳。その瞳は優しげに箒を見つめていたが、どこか寂しそうな色も宿していて。

 箒を見ていながらも、いや、此処を見ていながらどこか違う場所を見ているように見える瞳に、セシリアの胸が微かに痛んだ。

「だから、篠ノ之さんが気にする事はないさ」

「お前は……」

 二人のやり取りを黙ってみていたセシリアは、これ以上自分達がいても邪魔になるだろうと判断してゆっくり立ち上がる。

「私達はこれでお暇させていただきますわ。稟さん、ゆっくり休んでくださいましね」

 稟の瞳を見た時に感じた胸の痛みが気になるが、それは今考えないようにして。

 立ち上がったセシリアは一夏と鈴音の腕を引いて退室しようとする。

「セシリア? あの、何を?」

「ちょ、ちょっと、あにすんのよ?」

 何やら二人が声を上げるがセシリアはやはり気にしない。

 箒と擦れ違い様、セシリアは小声で、

「私達は先に出ます。ですので、素直にお礼を言って下さいまし」

 そう囁いていく。

 退室の間際、セシリアは一礼してから部屋を出て行った。一夏と鈴音を連れて。

 残された稟と箒。

 部屋には再び沈黙が訪れる。

(オルコットめ。余計なお世話を)

 内心でそう悪態を吐く箒だが、実を言えば感謝をしていた。

 あのまま彼等がいれば、恐らく彼女は稟に対して素直にお礼を言えなかっただろう。

 自身が素直な性格じゃないのは自覚しているし、性格だけが理由ではないので、セシリアの気遣いはありがたかった。

「土見、その……」

 それでも、やはり素直に言葉を紡ぐのには勇気がいる。

 お礼を言おうとして口が止まり上手く言葉を紡げない箒に、稟は何も言わない。

 彼はただ黙って、優しい瞳で箒を見つめるだけ。

 その瞳に、不思議と箒の気持ちが落ち着いていった。彼女は軽く息を吸うと、稟の瞳を見つめ返し、

「助けてくれて、ありがとう。そして、今まで邪険にしていてすまなかった」

 お礼と、今までの態度を謝罪した。

 その言葉を受けた稟は微笑を浮かべる。

 その微笑は、見る者を虜にさせてしまうかのような不思議な魅力を放っていた。一夏に好意を抱いている箒でさえ、思わず顔を赤らめてしまった程だ。

 そんな笑顔を浮かべたまま稟は、

「どういたしまして。それと、今までの事はそんなに気にしていないよ」

 優しい声音でそう応えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 IS学園の地下五十メートルにある機密区画。

 其処は、このIS学園内においてもレベル四の権限を持つ者でないと入れない、隠された空間。其処に、アレンによって破壊された『異形』は運び込まれ解析が行われていた。

 そこから二時間。千冬はずっと、アリーナでの戦闘映像を繰り返し見ている。

 薄暗い室内。ディスプレイの光で照らされた千冬の顔は険しく。

「解析が終わりました」

 そう言って入って来たのは、ブック型端末を持った真耶だった。

「……結果は?」

「……無人機でした。見た目からは予想できていましたが、正直信じ難いというのが本音です」

 真耶を一瞥した後、すぐさま戦闘映像に視線を戻した千冬の問い掛けに、普段のぽややんとした雰囲気と違い、今はどこか鋭い雰囲気を纏った真耶はそう返す。

 その返しに、千冬は眉を微かに顰める。

 世界中でISの開発が進む中、ISに適応出来ていない技術が二つある。それは、遠隔操作(リモート・コントロール)独立稼働(スタンド・アローン)。そのどちらか、あるいは両方か。それがあの『異形』には使われている。

「まぁ、アレがISであったのならば山田真耶の言う通り信じ難いという発言も分からなくはありません。無人機が存在しないなんてありえない事ではありませんが。ですが、アレはISではない。ただの操り人形(でくのぼう)です」

 そう口を挟んできたのは、本来ならこの場にいる事が許されない存在。アングレカムだ。

 彼女は入り口の壁に凭れかかり、無表情でそう言った。

「何故、そう断言できるのかしら?」

 その言葉に疑問の言葉を放ったのは開いた扇子を口元に当て、探る様な表情でアレンを盗み見る青髪の少女――この学園の生徒代表、生徒会長更識楯無。

 彼女のそんな視線を受け、アレンは無表情で楯無を見つめ返す。

 普段ならば口を挟もうとする千冬と真耶も何も言わず、楯無と同じような視線でアレンを見ていた。

 その視線の意味も理解できるので、その事に関してアレンは特に何も言わない。楯無の言葉に答えるべく、アレンは口を開いた。

「貴女達は知っているだろうが、私がISだからだ。私がISであるが故に、奴がISであるかどうか否かを断言できる。ISとしての在り方から著しく逸脱していなければ私が、我等がISとそうでない存在とを間違える筈がないのだから」

 普段からの彼女からは想像もできない無機質な声。それはまさに機械音声というべきもの。

 今の彼女は、稟の楯としての『白銀(アングレカム)』としてこの場にいる。

「それとこの事は、創造主の仕業でないと断言しておきましょう。嘗ての彼女であれば同様の事をしでかしたかもしれないが、今の彼女はこんな無駄な事をしない。私が、『王』が此処にいるのだから」

「…………本当に、奴は関与していないのだな?」

「この名と、我等が『王』に誓って」

 遠隔操作と独立稼動。

 ISに適応できていないその技術。だが、千冬の知る人物の中でそれを平然と行える者が一人だけいた。彼女ならば、今回の騒動を起こしても不思議ではないと思える。理由は定かではないが。

 千冬からの鋭い視線に動じる事もなくきっぱりと応える『白銀』。

 そこから二人の睨みあい――千冬が一方的に睨んでいるだけであるが――が起こり、緊迫した空気が流れる。とはいえ、それも長く続く事はなかった。

「…………そうか。ならばいい」

 先に千冬が折れたからだ。しかし、彼女が簡単に折れる訳もない。

「だが、もし奴の関与が僅かでもあれば、その時は……」

 学園の防衛を任されているには。

 彼女の護るべき者がいるからには。

 しかし、千冬の殺気混じりの警告にも『白銀』は一切動揺せず、

「その時はご随意に。貴女方が彼女に対してどう動こうが、私達は一切関与しませんので」

 肩を竦めてあっさりとそう言い切った。

 その言葉に、態度に、困惑の色を示したのは千冬達の方だ。

 『白銀』がISである事をこの場にいる三人は知っている。彼女を造ったのがかの『大天災(たばね)』である事も。であるにも関わらず、被創造物が創造主を守ろうとしない言動をするのだ。困惑するのも仕方のない事。ただ、彼女の普段の言動を考えればこの言動も分からなくはないのだが。

「……貴女達は、一体何を企んでいるのかしら?」

 それでも、『白銀』の言葉を鵜呑みにする訳にはいかない。

 鋭い視線で『白銀』を射抜くように見つめる楯無の口元には、疑惑という文字が浮かんでいる扇子が。

 彼女からの問い掛けに、『白銀』は表情を変える事なく楯無を見つめ返す。

 楯無の言葉は尤もだろう。

 稟と『白銀』の入学は都合が良すぎたのだ。織斑一夏の出現の後に、間を置かずに現れた土見稟という存在。

 一夏と違い、稟という存在は騒がれる事なくIS学園へと現れた。『白銀』という、今まで名も聞いた事のないISと共に。ISでありながら人間と同じ姿を持ち、人間と何ら変わらない言動をする異質すぎるISと共に。

 入学の為の書類は自然な物だったが、それはあまりにも自然すぎた。自然すぎるが故に、その手の者達には逆に怪しいと疑われる程に。

 そして極めつけは篠ノ之束の存在。あの他人嫌いで有名な彼女が、稟達の背後にいるという事実。この事を知る者は此処にいる三人とあと一人しかいないが、それでもこの事実は無視できるものではない。

 『白銀』も楯無と同じ立場であれば、彼女と同様の態度を示しただろう。

 故に、楯無の言葉には嘘偽りない言葉で答えなければならない。

「……創造主の想いと私の想いは同じではありますが、彼女が何を企んでいるのかは分かりません。ただ、『王』がいる限りこの学園に変なちょっかいはかけない筈です。そして私ですが」

 『白銀』はそこで一度口を閉じると瞳も閉じる。

 そして自身の想いを再確認するかのように、

「私は何も企んでいません。私という存在はあの方を、『王』を護る為だけに存在している。あの方を傷付ける輩から、あの方を護る為の楯でしかない存在」

 言葉を綴る。

 そう語る『白銀』は、どうしても造られた存在とは、機械とは思えない程に人間らしくて。

「しかし、もしも貴女方が『王』を害するような事があれば」

 無表情から一転。

「私は貴女方の敵となるだろう。この身を賭して、貴女方を排除すべく動くだろう。我が全ては、『王』の為だけに存在するが故に」

 その顔に決意の色を浮かべ、この学園でも飛び抜けた実力者達に対してそう言い切った。

 



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第二章――太陽と月の円舞曲
第十九話:とある休日


私の小説を読んでくれている皆様。
大変長らくお待たせいたしました。
ISの最新話、漸く投稿します。
今回より第二章へと突入します。


とりあえず、これからも亀更新ではありますが長い目で見ていただけると幸いです。
いつもながらその場のノリと勢いでかいておりますので、変な文章やんん? と首を傾げるような箇所があるでしょうが、あまり深く突っ込まないでいただけると幸いです(苦笑)。
気づけば自分でも修正していきますが、あまりにもおかしい箇所がありましたらご指摘下さいまし。


 クラス対抗戦の日から月日が経ち、月は六月。

 謎の襲撃事件が起こり、クラス対抗戦は中止となった。謎の『異形』の襲撃はIS学園に混乱と不安を齎したが、襲撃者の撃退と教師達の生徒達への説明と時間の経過により、IS学園はひとまずの平穏を取り戻した。

 襲撃者を撃墜した事と、最悪の事態――死傷者の発生――がない事が混乱と不安の時間をいくらか軽減していたのだ。それでも、それが完全に取り除かれた訳ではないのだが。

 そんなこんなで六月頭の日曜日。

 IS学園の食堂にて、稟と一夏と共にいるいつもの面子が集まって昼食を摂っていた。

「ところで、今日は稟さんと織斑さんを朝から見掛けておりませんがお二人がどこにいらっしゃるかご存知の方はいますか?」

 談笑しながら昼食を摂っている中。ふとした拍子にセシリアがそう溢した。

「む。そう言えばそうだな。いつもなら既に食堂にいる筈なのだが」

 それに反応したのは箒。彼女は箸を一旦止めて、ふと周囲を確認する。

 周囲にいる生徒達はまばらだが、IS学園で最も目立つ二人の姿は見当たらない。

 ちなみにだが、襲撃事件があったあの日を境に稟に対する箒の態度は軟化している。今までは稟を敵視しているともとれる態度を周囲に見せていたが、それが急になくなった。それどころかセシリアとアレン――追加で時々稟――による一夏の指導に参加させてほしいと願い出て、彼女も指導される側として参加している。その変化はセシリアとアレンを除く一組の生徒達を大層驚かせていたが、セシリア達はあっさりとそれを受け入れていた。

 その理由としては、稟に助けられた事が大きかったのだろう。

 あの事件の数日後。箒と稟は千冬と真耶に呼び出されていた。勝手な行動に出た事に対する罰を与える為である。二人は罰として反省文の提出と、箒は自室謹慎三日。稟は自室謹慎一週間を言い渡された。稟の方が謹慎期間が長いのは無許可でISを使用した為である。これに対して箒は文句を言おうとしたが稟に諭されて沈黙。千冬達の言葉は当然であるし、彼女も自分の行動に思う事は確かにあった。

 箒が沈黙を確認した稟は、千冬達に対して彼の考えを伝えた。それは、二人への管理問題の責任に対して。

 稟からそれを言われた二人は眼を丸くした。何故自分達に問題があるのか分からなかったからだ。

 自分と箒も確かに悪いがと前置きしてから稟は語る。教師が数名の生徒を特別扱いするのは如何なものかと。教師であれば全ての生徒を平等に扱うべきではないかと。ましてや彼女達は入学して間もない生徒達だ。それを代表候補生だから、重要人物の妹だからとあからさまな特別扱いは問題ではないかと。まぁ、感情がある以上完全に平等に扱う事は不可能だが、それでもあからさまな特別扱いはしていいものではない。どうしようもない状況下ならば仕方ない事かもしれないが。また、特別扱いをするならば責任を持って管理するべきであると。今回の箒の行動は、教師がしっかりと管理をしていれば防げたのではないかと。自分の事に関しては完全に自身にしか問題がないので考慮する必要はないが、箒の事に関してはお互いに問題がある事を理解してほしいと。

 淡々と語る稟に二人は黙り込む。

 まさかの稟の言葉におろおろと千冬と真耶、稟の三人の間で視線をいったりきたりさせる箒。室内に重い空気が流れたが、「と言っても、全面的に悪いのは俺達ですから暫くは俺で出来る範囲で先生達を手伝わさせていただきます」と稟が言った所で解散となったのだった。

 二重の意味で稟に助けられた箒は、こういった経緯で稟に対する態度を軟化させたのである。

「あぁ、一夏と稟なら……」

「つっちーならおりむーに連れてかれたよ~」

「稟様ならば織斑一夏に連行されていきましたよ」

 事情を知っているらしき鈴音が説明しようとしたところで、むすっとした表情を浮かべているアレンと本音がそう溢す。

 その顔には、ありありと「私、不満です」と書かれていた。

「そうなのか?」

「えぇ。一夏なら稟を連れて中学時代の友人の家に行ったわ」

 そんな二人の態度に苦笑しながらの箒の問い掛けに、同じく苦笑しながら鈴音は返す。

「友人、ですか?」

「そ。あたしと一夏の友人。五反田弾って奴の所にね」

 普段の勝気な声音と違う、どこか優しい色を含ませて答える鈴。

 その声音と同様に、瞳にもどこか優しい色が浮かんでいた。その事から、彼女が昔を思い出している事が想像できる。

 箒とセシリアは何となく察する。

 五反田弾という友人は、鈴音にとっても一夏にとっても、とても大切な友人であるであろう事を。きっとここに来るまで、素敵で掛け替えのない日々を三人で、若しくは他にも色んな友人達と共に過ごしてきたのだろう。彼等の友情は、離れていても尚続いているのだろう。

 三人を穏やかな空気が優しく包み込む。

「今日はつっちーとのんびりしようと思っていたのに……」

「織斑一夏。こんな時まで私と稟様の時間を奪うとは……次の特訓時には足腰立たないようにしてやるべきか?」

 不穏な空気を纏う二人が側にいなければ、そのままいい感じで終われたであろうが。

 アレンは兎も角。本音が珍しく不貞腐れた顔をしているがIS学園は今日も平穏であった。

 

 

 

 

 

 

 一方その頃

 彼女達の話題に上がっていた稟と一夏はというと。

 二人は今、一夏の友人であると言う五反田弾という少年の家――五反田食堂という定食屋である――に遊びに来ていた。稟に関しては連れられてが正しいが。

「――っ!?」

「隙ありぃっ!」

「あっ、てめ、こら!?」

 何故か一夏に連れられて、彼の友人の家にお邪魔する事になった稟。

 彼は今、目の前でゲームをしている一夏と弾を見つめながら居心地が悪そうに弾のベッドの端にちょこんと座っていたりする。何故自分は一夏の友人とやらの家にいるのかと、ぼんやりと考えながら。

 一夏と距離を置いていた稟だが、あの事件の翌日に鈴音から一夏と和解したと聞き、距離を置いていた事を謝り前までと同じように接するようにした。一夏には当然その事で質問されたのだが、その時の心情を全て語らずはぐらかすように答えた稟。それだと当然一夏が納得する訳なかったのだが、鈴音を悲しませたからと答えれば、彼はバツが悪そうに顔を顰めて追及の言葉を止めた。鈴音を悲しませてしまっていた事は、一夏も気にしていたのだろう。まぁそれも、一夏が鈴音を怒らせた後にセシリアとアレンに言われてから気付いた事ではあるのだが。

 それに鈴音からも稟の事を責めないでほしいと頼まれ、稟からも謝罪を受け一夏も一応矛を収めて今まで通りに過ごすようにした。

「あぁ、くそっ。お前今のは卑怯だろ」

「何言ってんだ。試合中に余所見する方が悪いに決まってんだろ」

 さて、今一夏と弾がやっているのは『IS/VS』というゲームである。発売月だけで百万本セールスを記録した超名作。であるらしいのだが、稟はその事を知らなかった。ちなみに、このゲームには第二回IS世界大会『モンドグロッソ』のものが使われているのだとか。

 稟にとってはどうでもいい事であるが。

「で? 急に余所見なんかしてどうしたんだよ?」

「あ? あぁ、いや……なんか、急に寒気を感じて」

「寒気? なんだ、風邪でもひきかけてんのか?」

「いや、そうじゃなくて。何というか、こう……身の危険を感じた的な?」

「なんだそりゃ」

 一夏の曖昧な返しに呆れた表情を浮かべる弾。

 弾がそんな顔をする事は分かっていたので、一夏も苦笑するだけでそれ以上の言葉は紡がない。というか紡げない。こればかりは感覚的なものだから上手く説明できないのだ。

「ところで、土見はなんでそんな端に座ってんだ?」

 そんな一夏を視線の端にして、弾は稟へと問い掛ける。

 稟と弾の互いの紹介は既に済んでいる。その時の弾がもたらした反応は稟にとっては何時もの事で、彼と一夏は苦笑を溢したと言っておこう。

「え? いや、その……何となく?」

 問い掛けられた稟は一瞬身体を震わせるが、それを気取られる事なく小首を傾げながらそう返す。

「なんで疑問形なんだよ」

 一夏と弾は呆れたような視線を稟に向けるが、正直に答えられる稟ではない。

 束とアレン、クロエ。そして一夏達と過ごしている内にかつてほど対人恐怖症はひどくなくなったものの、彼の心は未だ癒えていない。弾がいくら一夏の友人とは言え、稟にとっては多くの人間が未だ恐怖の対象でもあるのだ。

 ならば何故此処に、IS学園に来たのかというツッコミが入るだろうが、それはきっと。稟が無意識に人との繋がりを望んでいるからだろう。

 本来であれば親から愛情を貰える期間に両親を喪い、自業自得ではあるが愛情の代わりに憎悪や悪意といった負の感情を受け続けてきた稟。彼は孤独を怖れたが故に甘んじてその道を進んでしまった。人と接する事に恐怖を抱きながらも、人との繋がりを捨てきれないという矛盾を無意識に抱えてしまっているのだ。

 稟はどう答えるか少し悩んでいたが、正直に答えて空気を悪くさせるよりかは自分が我慢すればいいだけの話だと結論付ける。だから彼は、顔に苦笑という名の仮面を付けて曖昧に誤魔化す。

「一夏も五反田も、別に俺の事は気にしなくて大丈夫だ。本当に何となくだから」

「気にするなって言われても、なぁ?」

「あぁ。…………まぁ、稟が気にするなって言うなら、別にいいんだが」

 納得はしていないが、無理に聞き出すのも無粋。別にその理由を聞かなくても何も問題はない。

 ただ、何となく気になったからの言葉。

 それでも気にしてしまうのは、彼等の性格故か。

 しかし、稟のその顔を見た二人は、

「ところで一夏」

「ん?」

「お前、いい思いしてんだろ?」

「は? お前何言ってんだ?」

「何って、女の園の話に決まってんだろ。女の園に男はお前と土見の二人。お前からのメールを見てるだけでも楽園じゃないか。なんだよそのヘブン。招待状とかねーの?」

「あるかバカ」

 話題を逸らして敢えて気にしない事にした。

 そんな二人の優しさに、二人の馬鹿馬鹿しいやりとりに、稟はくすりと笑みを漏らす。向こうから話を振ってきたのだとしても、無理矢理に聞き出そうとしないその行動に。

 再びゲームの対戦を始める二人の背を見つめ、稟は軽く呼吸する。自身の気持ちを落ち着ける為に。

 そんな時だった。

「お兄! さっきからお昼出来たって言ってんじゃん! さっさと食べに……」

 どかんと、ドアを蹴り開けるように一人の少女が入って来たのは。

 三人の視線が一斉に蹴破られたドアの方へ向くと、そこには弾と同じ赤い髪を持つ一人の少女がいた。

「お、蘭か。久しぶり。邪魔してるよ」

「い、一夏さん!?」

 少女が誰だろうかと小首を傾げている稟に対し、いつの間にか彼の側に近付いてきていた弾が小声で、「俺の妹の蘭だ」と教えてくれた。

 それに成程と頷く稟。言われてみれば確かに面影がある。彼女の格好に関してはスルーだ。

 納得している稟をよそに、一夏と蘭の会話は続いていく。

「え、あっ、き、来てたん、ですか? 全寮制の学校に行ってるって聞いていたんですけど……」

「ああ。今日はちょっと外出でな。家の様子を見るついでに寄ってみたんだよ」

「そ、そうだったんですか……」

「おいおい蘭。お前なぁ、ノックくらいしろよ。そんなんじゃお前、恥知らずな女だと思われ……」

 そこで弾が口を挟もうとしたが、彼は妹の鋭い視線に睨まれ縮こまっていく。それだけで稟は、二人の力関係を何となく察した。

「……なんで、言わなかったの……?」

「あ、あれ? い、言ってなかったか? そうか。それは悪かったな~。はっはっはっは…………」

「……………」

 ギロリと蘭に睨まれますます縮こまる弾。

 これも女尊男卑となってしまった今の時代の弊害なのか。それともそれがなくてもそうなっていたのか。稟はどこか遠い眼で二人を見やる。

 暫く兄を睨み続けていた蘭だが、弾の側の稟に漸く気付いたのか、

「……ところで、そちらの方は?」

 首を傾げながら蘭がそう問い掛けてきた。

「あぁ、コイツは……」

「ん、俺は土見稟。IS学園に入ってから一夏の友人をやらせてもらっている。よろしく。あと、こんな見た目だが男だ」

「あ、これはご丁寧にどうも。私は五反田蘭です。そこにいる五反田弾の妹をやっています」

 稟と蘭は互いに紹介しながらお辞儀を交わし合う。

 お辞儀をし終えて頭を上げた蘭は、じっと稟を見つめはじめた。そして稟を見つめ続けながら、時折ちらちらと一夏にも視線を送る。そしてどこか真剣な表情で、

「あの、失礼だとは承知で聞きますが……本当に男性、なんですか?」

 稟と出会った者が必ず思うであろう言葉を放つ。

 それは本当に稟が男なのかという疑問から出た言葉でもあるが、それ以外にもう一つ。彼女の乙女の勘が、警報を鳴らしていたからだ。

 この手の反応に慣れてしまっていた稟はただ苦笑を漏らし、一夏は「蘭の気持ちも分るな~」と小さく呟き、どこか黄昏れた眼をしている。

「おい、蘭。お前……」

 自身も同じ思いを抱いていたから蘭の事を強く言えないが、弾が敢えて口に出さなかった――先んじて稟と一夏が言ったのだが――事を言葉をした蘭を咎めるような視線を向けるのだが、

「五反田、俺は別に気にしていないから」

「気にしていないって、土見、お前……」

 やんわりとした稟の声に遮られ、思わず稟へ振り返る弾。

 振り返った先の稟は穏やかな笑みを浮かべ、弾と蘭を見つめていた。口を開こうとした弾はその笑みを見て何を思ったのか、開きかけた口を閉ざす。そんな弾に内心で詫び、稟は蘭へ顔を向ける。

 黒曜石を思わせるような澄んだ黒い瞳に見つめられ、蘭は無意識に息を呑む。ここまで綺麗な瞳を、自分は見た事があるだろうかと場違いな事を考えて。

「……まぁ、俺と会う人達は皆君達と同じ事を思っているよ。俺自身思うところはあるんだが……まぁ、ちょっとあってこんなでね。あんま深く聞かないでもらえると助かる」

「はぁ……」

「だから……」

「――っ!?」

 小さく囁かれたその先の言葉。それはあまりにも小さく、一夏と弾には聞こえなかった。蘭にも聞こえるものではなかったが、何故か蘭にはその先の声が聞こえ、思わず顔を朱に染める。

 そんな蘭に一夏と弾は首を傾げ、互いに顔を見合わせた後で稟に視線を向けるが彼は微笑むだけで答えない。そして二人が蘭に再び視線を向けたところで、

「あ、あの、一夏さんもよかったらお昼食べて行って下さいね! つ、土見さんもよろしかったらどうぞ!」

 何やら慌てたようにそんな言葉を残してドアを閉めて去って行く。

 一夏と弾は閉じられたドアの方に呆然とした視線を送り、稟はくすくすとした笑みを浮かべている。

「一体どうしたんだ蘭の奴?」

「土見、お前。だからの後に何て言ったんだよ?」

 二人の疑問の言葉。それは尤もな言葉なのだが、稟はただ肩を竦めただけで、

「特に、何も」

 答えようとしなかった。答えたところで、意味がある訳でもないのだから。

 ふと、一夏に視線を向ける稟。

 稟は蘭の態度から、視線から、言葉の端々から、何となく彼女の想いを察していた。蘭のそれは、一夏に対して好意を抱いている箒と鈴音のそれに似ていて。一夏以外ほぼ眼中にないのだろう。稟に対して探る様な視線を向けてきたが、それは稟が女だった場合彼女にとって厄介な事になるから警戒するのも、まぁ頷けるのかもしれない。自分の感情を優先するあまり、他の事には無頓着になる。恋は盲目とはこういう事を言うのだろうか。稟はぼんやりとそんな事を思った。

「しかし、なんだな。蘭ともかれこれ三年の付き合いになるが、まだ俺に心を開いてくれないのかね」

「は?」

 一夏が不意に呟いた言葉。

 それを聞いた弾は呆然とした声を漏らしてしまう。

 この男は今何と言った?聞き間違いでなければ、とんでもない事を宣ったのだが……

 そんな弾の内心をよそに一夏は。

「いや、だってさ。蘭って、いつも俺に対してよそよそしいじゃないか。今もさっさと部屋から出て行ったし」

「…………」

 弾は口を開けたまま勢いよく稟に振り返る。

 話題を変える為としても、流石にこの言葉はない。頼むから冗談で――冗談にしてもひどすぎるとは思うが――あってほしい。

 稟は弾からの無言の問い掛けの意味を理解し、苦笑して頷く事で答えた。

「なんだよ? 溜息なんか吐いたりして」

「……いや、何でもない。分からなければ分らないでいいんだよ」

 稟からの答えに、疲れたような顔で肩を落として溜息を吐く弾に一夏は怪訝な顔を向けるが弾はそれに答えず。

「まぁ、取り敢えず飯を食いに降りようぜ」

 そう言って先に部屋を出ていく弾。一夏はそれに首を傾げながら続き、稟は乾いた笑みを浮かべながら続くのだった。

 

 

 

 

「うげ」

「どうした弾?」

「…………」

 弾の部屋から出て正面の食堂入り口から食堂へと入った稟達。

 彼等の昼食が用意されているであろうテーブルには既に先客がおり、その先客を見て引き攣った表情でイヤそうな声を漏らす弾。そんな弾を不思議に思い、彼の背後から彼の視線の先を追う一夏。稟も続いて一夏の視線を追う。

 そんな彼等の視線の先には。

「何? 何か問題でもあるの? あるんだったらお兄だけ外で食べていいんだよ」

「聞いたかよ一夏、土見。今の優しさに満ち溢れたお言葉。あまりの優しさに俺は泣けてきたぜ」

 先に部屋を出ていた蘭がいた。

 どこかなで肩を落として涙を拭う仕草をする弾の肩に一夏は手を置き、

「別に皆で食べればいいだろ。他のお客さんもいるしさっさと座ろうぜ」

「そうよバカお兄。さっさと座りなさい」

「へいへい。分かりましたよ……」

 そうして一夏、弾、稟、蘭の並びで座る四人。そして四人揃って用意された料理に手を伸ばそうとした矢先。

「ん? そう言えば蘭」

「は、はい!?」

「着替えたんだな。これからどっかに出かける予定なのか?」

「え? あ、いえ、これは、その……」

 先程までのラフな格好はどこへやら、すっかりとめかしこんだ格好をしていた蘭に対して一夏が疑問の言葉を投げる。

 蘭は一夏の言葉に薄らと頬を朱に染め、意味のある言葉を出せないでいる。それで何かを察したのか一夏は、

「そうか!」

 何やらしたり顔でうんうんと頷き、

「さては蘭。これからデートだな?」

「違います!」

 テーブルを叩いて勢いよく立ち上がる事でその言葉を否定する蘭。

 椅子を後ろに引っくり返して倒れる弾。

 左手を額にやって呆れた顔をする稟。

 「へ?」と、間抜けな顔を晒す一夏。

 何やら妙な空気が漂い出す。

「あぁ、なんか、その……ごめん」

 そんな空気に耐えれなかったのか、一夏は思わず謝罪の言葉を漏らす。

「あ……いえ、こちらこそいきなりすいません。で、ですが、兎に角デートとかではないので」

「いつつつ……てか、俺としては違ってほしくもないんだが。お前がそんな洒落た格好するのなんて、月に一回あるかない……」

 涙目で後頭部を擦りながら立ち上がる弾の言葉に、蘭はギロリ! という擬音が出そうな眼力で弾を睨み付ける。彼女に睨まれた弾は固まり、冷汗をだらだらと流している。

 直立不動で固まる弾に、絶対零度を思わせる目付きをした蘭が近付いて何事かを耳打ちする。弾は青褪めた顔で必死にコクコクと頷いていた。

「なんだかんだ言いながらも仲いいよな、お前等って」

『はぁっ!?』

 そんな二人を見ていた一夏が不意に漏らしたその言葉に、二人は綺麗に揃って声を上げる。

「な、何を言ってるんだ一夏。俺と蘭が仲がいいだなんて……」

「そ、そうですよ一夏さん! 私とお兄の仲がいいだなんて!」

「冗談じゃない!」

「冗談じゃないです!」

「ほら、やっぱり仲がいい」

 一夏の言葉にムキになって反論する二人。

 お互いの事を心底どうでもいいと思っているのならばそこで反論はしないだろう。お互い口では仲が悪いように見えるが、なんだかんだで大事には思っているのだ。でもなければ、言葉にして出すまい。

「いい加減食わねえなら飯下げるぞガキ共」

 そう言って厨房の奥から出てきたのは一人の老人。齢八十を過ぎている身にありながら、とてもではないが老人とは思わせない鍛えられた肉体をした男。此処五反田食堂の大将にして一家の頂点。弾と蘭の祖父である五反田厳である。

『く、食います食います』

 慌てて席に座りなおす弾と料理に向かい治る一夏。稟と蘭もそれに倣い、四人揃って手を合わせる。

『いただきます』

「おう。しっかりと食え」

 そんな四人の姿を満足気に見てから再び厨房に戻る厳。

 注文が入った料理を作り出したのだろう。小気味いい包丁で物を刻む音と炒めている音が厨房から響いてきた。

 それらの音をBGMに食事を進める稟達。合間合間に雑談を交えながら穏やかな時間が流れていく。そう。一夏が余計な一言を言うまでは。

 話はIS学園での生活に及び、一夏が二人の幼馴染と再会した事を話した。別にその事自体は余計ではない。鈴音の名前が出てきた時に蘭の視線が少し険しくなったが、そこまでであれば別に特筆すべき事柄でもない。問題はその後に一夏が続けた言葉だ。一夏に他意があった訳ではないが、彼は箒、女の子と一カ月近く同じ部屋で過ごしていると話した。

 稟がいなければ、それは様々な事情もあって致し方ない事であったのかもしれない。だが現実に、同じ男性操縦者である稟がいながらにして女の子と同室であると告げた。これには流石の稟も内心で呆れていた。

 一夏自身はまったく気付いていないが、蘭が一夏に好意を抱いている事は今日初めて彼女と会った稟でさえ察している。箒と鈴音と同じくらいに蘭の言動、仕草、雰囲気は稟にしては判りやすいものであった。そんな彼女が、意中の相手が別の女と一カ月近くも同室であったと告げられれば、その内心は穏やかではいられまい。彼女の表情は判りやすい程に激変しており、弾の表情もそれにつられて変化している。

「…………私、決めました」

 それから蘭は、何か決意した表情で、

「来年、IS学園を受験します!」

「は、はあっ!? 蘭、お前、何言って――」

 宣言する蘭に、慌てた様子で立ち上がった弾が抗議の声を上げようとしたが、

 

 

――ヒュッ、ガン!

 

 

 何かが厨房から高速で飛来して弾の頭に直撃する。

「お、おお、おおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!!??」

 弾の頭に飛来したのはおたまであったらしい。カラン、と音を立てて弾の後ろに倒れるおたま。その威力はとんでもないものであったようだ。弾が涙目で頭を押さえながら蹲っている事から察せられる。

 弾に心配そうな視線を送りつつも、内心では自分にもおたまが飛んでこない事に安堵する一夏。

「IS学園を受験するって、なんでまた? 蘭の通ってるとこってエスカレーター式で大学まで出れる超有名高なんだろ?」

「その通りですが問題ありません。私の成績ならば問題なくIS学園を受験できます」

「っつぅぅ…………つっても、IS学園は推薦ないだろ」

「お兄と違って私は筆記で余裕です」

 色々なダメージが重なり、よろよろと立ち上がる弾を見ながらキッパリと言い放つ蘭。

「いや、でも……そ、そうだ一夏! あそこって実技試験があったよな!?」

「あ? あぁ、あるな。起動試験があって、それで適性がなければいくら筆記試験の結果が良くても落とされるらしいぞ」

 どこか必死な弾の様子に首を傾げながらも、訊かれた事に答える一夏。その答えに安堵したような顔をする弾だが、次の瞬間には顔を引き攣らせる事になる。

「それも問題ありません」

 そう言って蘭はポケットから小さな紙を取り出して弾に渡す。

「? ……マジ、かよ………………」

「ん? どうした……って、マジか」

 その紙を見て呆然とした声を漏らす弾と、そんな弾を不思議に思った一夏が同じくその紙を見てそう溢す。稟もちらりとその紙を見て、そこに書かれていた文字に瞳を細める。蘭を見つめていた二人は稟のその変化に気付いていない。

 三者がそれぞれの反応を見せた紙。そこに書かれていた文字は、IS簡易適正試験、判定Aというもの。

「問題は既に解決済み。これならば問題はありませんよね?」

 ガックリと肩を落とす弾と、どこか勝ち誇った笑みを浮かべる蘭。対照的な反応を示す二人だったが、蘭は軽く咳払いをしてから一夏に向き直る。

「ですので、その……合格した暁にはい、一夏さんに、先輩としてご指導していただけたらと……」

「おう、いいぜ。受かったらな」

「! ほ、本当ですか!? 約束しましたよ!? 約束しましたからね!? 忘れないで下さいよ!?」

「お、おう……」

 安請け合いした一夏に勢いよく食いつく蘭。蘭の勢いに若干気圧されている一夏に冷たい視線を送る稟。

「って、蘭、お前! 何勝手に行く学校変えるような事を! いいのかよ母さん!?」

「別にいいんじゃないの? 一夏くん、蘭の事をよろしくね?」

「あ、はい」

「はい、じゃねえよ!?じーちゃんはそれでいいのかよ!?」

「蘭が自分で決めた事だ。どうこう言う筋合いじゃねえだろ」

「だからって……」

「何だ弾。まさかお前、蘭が決めた事に文句あるのか?」

「ないです……」

 ピーク時は終わったのだろう。今まで厨房にいた厳と、フロアを回っていた弾と蘭の母親である蓮が稟達の所に来ていた。

 どうやら弾は蘭がIS学園を受験する事に反対らしく、厳と蓮に抗議の声を上げるが二人はまったく相手にしていない。

 この場に、弾の味方はいないのかと思われた時。

「……俺は、簡単に賛成していいとは思いませんけどね」

『…………え?』

 とてもとても小さく、それでいて不思議と食堂にいる全員に聞こえる声が呟かれた。

 その声の発信源は、稟であった。

 

 

 

 

 

 

 五反田食堂にて昼食をご馳走になった稟は一夏と弾と別れ、本日の本当の目的地であるとある待ち合わせ場所に向かっていた。

 繁華街にあるとある喫茶店。其処で稟は人と会う約束をしていた。

 人混みの中を縫うようにして稟は足を進めて待ち合わせ場所に向かいつつ、先程の五反田食堂で自身が放った言葉を振り返る稟。

 何故自分はあそこで口を挟んでしまったのだろうか。あれは彼等五反田家の問題であって、他人である自身が口を挟んでいいものではないのに。いや、理由なら分かっている。彼等の言動が、自分と重なって見えたから。だから。口を挟んでしまった。自分と同じ思いを抱かないでほしかったから。

 厳に強烈な視線で睨まれながらも稟はそれに怯む事なく、滔々と述べていく。表向きのISの立場と、現実どういう状況下で使われているのか。ISに関する条約と、その条約が最早形骸化しているであろうという事。ISに関わる事によるメリットとデメリット。未来の選択肢が限られると言う現実。IS適正が高い事によって発生するであろう、起こり得る可能性。それに巻き込まれる人達。

 今や世の中の風潮は女尊男卑に染まっているが、必ずしも人類の全てがそれを認めている訳ではない事。ISに乗れるからと言って、女性が偉くなった訳でも、ましてや強くなった訳でもない。あくまでもそう錯覚しているに過ぎない。一度ISから離れれば、そこにはただの人である事実しかない。それに例えISに乗っていようが、人が造り出した存在である以上そこに完璧などありえない。不意打ちをされれば、人質を取られれば、その絶対防御を屠りえる破壊力を与えられれば。結果は自ずと見えてくる。そして女尊男卑による弊害に追われた人々は、いずれその世界に復讐すべく牙を研いでいるだろう。現在の世界情勢。その世界情勢の裏に潜んでいる、いずれ爆発するであろう未来絵図。弾も蘭の事を否定している訳ではなく、彼なりに情報を集めた上で抗議の声を上げたであろう事を。様々な事を稟は語っていく。

 決して蘭の事を否定している訳ではない。彼女の想いは確かに尊いものだ。そういった想いが人の成長を助ける事もある。その想いを否定していい訳がない。しかしその想いを貫くにしても、一時の感情で爆発させるのではなく、確りと未来の事を考えた上で、あらゆる事に覚悟を決めてから実行すべきであると。自分が、自分達が本当に納得した上で行動に移るべきであると。そう、述べてきた。

 自身の言葉を振り返った稟は何を偉そうにあんな事を宣ったのだろうと自嘲する。何も考えず、一時の感情任せに全てを壊し、多くの人の未来を歪めてきた自分が言えた台詞ではないだろうと。

 内心でそんな自分に呆れつつ、気が付けば待ち合わせの喫茶店に到着した稟。彼は扉を数瞬見つめ、ゆっくりと扉に手を伸ばす。

 喫茶店に入ると店員が案内に現れ、連れが後から来る事を告げる稟。店員はそれを了承して席へと案内する。

 席へと案内されてから時間を確認すると、約束の時間まで一時間あった。どうするかと少しの間逡巡した稟だが、取り敢えず珈琲を頼む事に。

 喫茶店の中からは外の様子が見られ、外からも喫茶店の中を見る事が出来る造りになっているこの喫茶店。内装も中々にお洒落なもので、落ち着いた雰囲気とそれに見合った良質な品がうりの知る人ぞ知る人気店である。

 稟は珈琲を飲みながら、呆っと外の様子を見る。

 何も考えずに呆っとして、どのくらいか時間が流れたのか。

「お待たせしてしまいましたか? 稟様」

 稟の後ろから、待ち人の声が聞こえた。

「……いや、俺もついさっき着いたばかりだ。クロエ」

 数ヶ月前まではよく聞いていたその声に微かに微笑み、稟はゆっくりと振り返る。

 其処にいたのは長い銀髪と閉じられた瞳が特徴的な、どこか儚い雰囲気を漂わせる少女――クロエ・クロニクル。彼女は微笑み稟に一礼すると、

「稟様は変わらずお優しいですね」

 そう言って彼の向かいに座る。

 言われた稟は頬を搔いただけでそれには答えなかった。自分を待たせた事を彼女が気にやまないように今さっき此処に着いたように言った稟であるがどうやら彼女にはお見通しだったようだ。

 黙ってしまった稟に更に笑みを深めながら、クロエは店員を呼んで紅茶と軽めの食事を頼む。

 程なくして注文の品が届くと、クロエは紅茶を一口飲んでから話を切り出した。

「稟様。学園生活の方は如何ですか?」

「……ん。今のところ大きな問題は起きてないな。まだ戸惑う事は多いが、皆良くしてくれているよ」

 少し間があった事に気付いたクロエだが、敢えて彼女はそれに言及しない。

「そうですか。アレン様も同様の事を仰られていました」

「……まぁ、何だかんだ思いつつアレンも満更ではないんだろうな」

「ですね。色々思うところはあるようですが、アレン様もアレン様なりに学園生活を楽しんでおられるようです」

 入学して当初の頃は周囲を威圧して距離を取っていたアレンだが、それも一、二週間過ぎると彼女達が稟にとって害がないと判断したのだろう。最初の頃の警戒心はほとんどなくなり、今ではクラスに馴染んできている。

 最も、稟と何故か常に稟の側にいた本音のフォローがなければ馴染む事もなかっただろうが。二人のフォローがなければ、自分達に対して威圧していたアレンに気を許す者はでなかっただろう。二人の言葉とアレンからの謝罪があり、今ではアレンの性格もそういうキャラだと納得されている。

 そこで少し会話が途切れた。稟とクロエは互いに飲み物で喉を潤す。

「……束さんとクロエは、どうなんだ?」

「生活自体に問題はありませんが、やはり稟様達がいないと寂しいですね。束様も口にこそ出しませんが顔は寂しげですし」

 じっと自身を見つめてくるクロエにどう答えていいか分らず思わず顔を逸らす稟。自分がいなくて寂しいと言われ、何となくくすぐったく感じてしまった。嬉しい事ではあるのだが。

「それに、稟様の料理に慣れてしまいましたから。稟様が作った物以外の料理を食べても、どこか物足りなく感じてしまいます」

 これには思わず苦笑してしまう稟。自身の料理に対するこの評価は素直に嬉しいが、束にしてもアレンにしてもクロエにしてもこの多分な身内補正はどうにかならないかと思ってしまう。

 そこからも二人は他愛のない会話に花を咲かし続ける。

 追加注文を何回かし、どのくらいの時間が流れたのか。周囲の客が徐々に減っていた時。

「例の、無人機の件ですが――」

 稟が此処に来た本来の案件をクロエが遂に口に出す。

 稟の瞳は自然と細められ、無言で彼女に続きを促した。

「少々厄介な事になったかもしれません」

 そう語るクロエの表情は険しく、稟の胸中に嫌な予感が募っていく。

 そこから語られた内容は――――



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第二十話:太陽と月

はい、えっと、深く突っ込まないでいただけると幸いな二十話です。
まぁ、いつもの事ですが。この話も、てか全体的に要修正ですな。


 翌日の朝。

 朝食を済ませた一夏が教室に入るとクラス中の女子がわいわいと賑やかに話し合っていた。

「う~ん、やっぱりハヅキ社製のがいいかな」

「そう? ハヅキってデザインだけって感じしない?」

「そのデザインがいいの!」

「そうかな~? 性能面で見れば、私はミューレイのがいいと思うけど」

「あれか~。でもあれ、モノはいいけど高くない?」

 手にカタログを持ってあれやこれや話し合うクラスメイト達。

 一夏はそのまま教室に入ると自分と同じ立場である稟を探すように教室内を見渡すが、彼はいない。いつもならぼんやりと窓の外を見ている稟がいるのだが、どうやら本音が言っていた通り教師の手伝いをしている為にまだいないようだ。

「あ、織斑君織斑君! 織斑君のISスーツってどこのやつなの? 見た事ない型だけど」

「あ! それ私も気になってたんだ」

「実は私も私も!」

 一夏の姿を見つけた数名のクラスメイトが一夏の下に寄ってくる。

「あーっと、俺のは特注品なんだってさ。男のスーツなんてないからどっかのラボが作ったらしいぞ? えーと、確か……元はイングリッド社のやつって聞いたような」

「ふ~ん、そうなんだ。じゃあ土見君のもそうなのかな?」

「そうなんじゃないのか? 聞いてないから断言できないけど」

 千冬より先に教室に来ていた真耶が他のクラスメイト達に弄られているのを視界の端に捉えつつ答える一夏。ちなみに稟も真耶と同じ時に教室に来ていた。

 そうして話している間にホームルームの時間が近付いていたのだろう。

「諸君、おはよう」

「お、おはようございます!」

 千冬が教室に入ってくる。

 千冬の登場と同時にそれまでざわついていた教室は一瞬で静まり返り、ほとんどの生徒が慌てたように返事を返して自身の席へと着いた。

 それを確認した千冬は教室を見渡し、

「さて、本日より本格的な実戦訓練が開始される。訓練機ではあるが、ISを使用しての授業になる為各人気を引き締めて授業に臨め。また各々のISスーツが届くまでは学園指定の物を使ってもらうが、忘れた者は学園指定の水着で訓練を受けてもらう。それさえ忘れるのならば、まぁ下着で構わんだろうな」

 千冬のその言葉に一夏は机に突っ伏し、稟は苦笑い。アレンを除く少女達は顔を朱に染めて稟と一夏をちらちら見ているのは余談だろう。

 それを気に留める事なく、伝える事は終わったと言わんばかりに千冬は真耶へバトンタッチする。

「それでは山田先生、ホームルームを」

「は、はい!」

 若干顔が引き攣っていた真耶は慌てて返事をし、軽く息を吸って教室を見渡し、

「ええ、ホームルームをはじめる前にですね。皆さんにお知らせがあります。今日はなんと転校生が来ます! それも二人です!」

『……………………え?』

 真耶の言葉によって教室から呆然とした声が漏れた。

 そして程なくして。

『ええええええええええええええええええええええっ!!??』

 驚愕の声が上がる。その威力はギャグ漫画であれば窓ガラスに罅が入る程のものであったろう。

 その声に千冬の眉はピクリと動き、真耶は思わず耳を防ぐ。しかしそれも数瞬の事で、

「そ、それではお二人とも入ってきて下さい」

 真耶は自分の仕事を全うすべく教室の外へと声をかけた。

「失礼します」

「………………」

 そうして入って来た転校生二人。

 その内の一人を見て、ざわついていた少女達はピタリと静まる。

「…………マジ、か?」

「………………」

 自分でも意識していなかったのだろう。呆然とした声を漏らす一夏と、瞳を微かに細める稟。

 二人の、否。クラス全員の視線の先にいたのは、

「シャルル・デュノアです。フランスから来ました。日本は初めてで不慣れな事も多いですが、これからよろしくお願いします」

 シャルルと名乗った転校生の一人。

 柔らかな笑みを浮かべた、中性的に整った顔立ち。太陽の輝きを思わせるような濃い黄金色の髪は首を後ろで綺麗に束ねられている。身体はとても華奢で、見る者に思わず守ってあげたくなる気持ちを抱かせる。

「お、男……?」

 再起動したであろう誰かの声が上がる。それが聞こえたのだろう。

「はい。こちらに僕と同じ境遇の方達がいると聞い――っ!?」

 シャルルの言葉が不自然に止まる。彼はとある場所を見て驚愕に眼を見開くが、それに気付いたのは稟とアレン。千冬と真耶のだみだった。その変化に気付かなかった女子達は、

『きゃあああああああああっ!!!!』

 爆発した。

「男子! 三人目の、三・人・目の男子!!」

「それもまたうちのクラス!」

「そんでもってまた美形! しかも今度は守ってあげたくなる系よ!」

「イケメンの織斑くん! 凛々しい男の娘系の土見くん! 土見くんと同じく男の娘系だけど可愛い系のデュノアきゅん!」

「土見君、織斑君に続いてデュノア君までもが我がクラス。素晴らしい布陣じゃないの!」

「織×土、もしくは土×織。そこにデュノアくんが加わる……」

「これは筆が捗りますわ~!」

「この夏はいただいた!!」

「この世に生まれて、IS学園に来て良かったわ~!!」

「静かにしろ」

 隣の教室、下手をすれば学園中に響き渡ったのではないかと思わせる女子達の歓喜の叫びは、千冬の鬱陶しそうな声によって再び静まる。

「み、皆さん、お気持ちは分らなくもありませんがお静かに。まだ自己紹介は終わっていませんから」

 そう言って紹介の続きに入ろうとする真耶。

 次いでクラスの視線が注がれたのはもう一人の転校生。どこか月を思わせるような銀髪は、綺麗ではあるが腰近くまで無雑作に伸ばしてある。背はシャルルより小柄で儚げな印象を与えそうな華奢な体躯だが、彼女が見に宿す雰囲気。そして左眼を覆う黒の眼帯。温度を感じさせない赤い色をした右眼がその印象を覆していた。彼女を見た時の人が抱くであろう印象は、『軍人』。例え幼い見た目であろうが、彼女の鋭利な雰囲気は軍人のそれを匂わせる。

 視線を注がれている当の本人は口を開こうとはせず、その視線の主達を下らなさそうに見下ろしている。かと思えば。彼女の視線はとある一人の方へ向けられた。

「……挨拶をしろ、ラウラ」

「はい、教官」

 視線を向けられた人物――千冬の言葉に、今まで腕を組んでいたラウラと呼ばれた転校生は佇まいを正して千冬に敬礼する。

 千冬はそんな彼女に対して面倒くさそうな顔をして、

「此処ではそう呼ぶな。私は最早お前の教官ではないし、私は教師でお前は一般生徒だ。私の事は織斑先生と呼ぶようにしろ」

「はっ、了解しました」

 二人のやりとりにぽかんとしている周囲の反応をよそに、ラウラは直立不動の姿勢をとると、

「ラウラ・ボーデヴィッヒだ」

 ただ一言、そう言った。

 クラス全員がその続きを待つが、ラウラは己の名を言ったきり口を開こうとしない。

「あ、あの、以上ですか?」

「以上だ」

 妙にいたたまれない沈黙に耐えかねた真耶が言葉を発するが、それに帰ってきたのは無慈悲にも冷たい即答だった。真耶の顔を見ずに放たれたその一言に若干涙目になる真耶。

 真耶は助けを求めるように千冬を見るが、千冬は千冬で眉間を揉んでいて真耶の視線に気付いていなかった。

「! 貴様が!」

 そんな空気の中でも我関せずだったラウラだが、一夏を見つけると途端に表情を変え彼の席につかつかと歩み寄る。

 そんな彼女に首を傾げる一夏達。

 そして次の瞬間。

 

 

――バシンッ!

 

 

 何かを叩いた、乾いた音が響いた。

 全員の視線が音のした方へ向けらる。

 そこには頬を叩かれてぽかんとした表情を浮かべた一夏と、一夏を叩いた姿勢のまま、彼を憎々しげに睨み付けているラウラの姿があった。

「認めるものか。貴様があの人の弟などと、断じて認めるものか!」

「てめっ、いきなりなにしやがる!?」

「ふん……」

 状況を漸く理解した一夏が慌てて立ち上がるが、ラウラは鼻を鳴らすと指定されていた席にさっさと座ってしまった。そして眼を閉じ、そのまま微動だにしなくなった。

 教室の空気がかなり悪くなったところで、

「……ゴホンゴホン! これでホームルームを終わりにする。各人は速やかに着替えて第二グラウンドに集合しろ。今日は二組と合同でのIS模擬戦闘だ。決して遅れる事がないようにしろ」

 千冬が手をパンパンと叩いて行動を促すようにした。

 それでこの空気が良くなる訳ではないが、だからと言って授業に遅れる訳にもいかない。生徒達は慌ただしく動き始めた。

 それは稟と一夏も同じ。彼等は男であるが故にこの場で着替える訳にはいかないので、許可を貰っている第二アリーナに向かわなければならない。

「おい織斑、土見。お前達がデュノアの面倒を見ろ。同じ男だからな」

 何やら戸惑っていたシャルルの背中を押して、千冬が稟と一夏にそう言ってくる。

「えっと、君達が織斑君と土見君かい? 初めまして。僕は……」

「ああ、挨拶は今はいいから先に移動するぞ。このままだと女子が着替えはじめるからな」

 挨拶をしてくるシャルルを遮った一夏は、シャルルの手を取ると先導するように歩き出す。その後ろをついていく稟。

「取り敢えずだ。ISを使った実習がある時、俺達は空いているアリーナで着替えないといけないから早く動けるようにしてくれ。でないと……」

 シャルルの手を引きながら教室を出て廊下を歩いている最中。一夏の声色が少しずつ険しいものになっていく。

 シャルルが気になって後ろの稟に振り向けば彼も若干険しい表情をしていたが、シャルルの視線に気付くと苦笑を浮かべた。一体何なのかと不思議に思って首を傾げるシャルル。

 その疑問の答えはすぐにやってきた。

「はっ! 転校生発見!」

「何ですって!?」

「しかもしかも! 織斑くんと土見くんも一緒じゃないの!」

 他の学年やクラスもホームルームが終わったのだろう。噂になっているシャルルを一目見ようと一人一人人数が増えていく。その全員に共通して言えるのが、瞳が猛禽類が獲物を補足したような眼をしていて。

「三人ともこっちにいるわよ!」

「者ども出会え出会え!」

「いいわ~。実にいいわ~! この三人は絵になるわよ~!」

「ふ、ふふ、ふふふふふふふふふふ。この夏はこれで決まりね」

「これは譲れません。私が先に!」

 稟達の背に悪寒が奔る。そして彼等が動くよりも速く。

「でも、その前に」

「全員で包囲網を敷くわよ!」

「ぐふふふふふふ。……おっと、鼻から愛が」

 一体いつの間に連絡をしていたのか。

 後続の女子達が、気付けば稟達を包囲していた。

「しまった!? いつの間に……」

「え、え? 何、何なのこの状況??」

 一夏はいつの間にか包囲されていた事に顔を歪め、シャルルは状況が分からずに困惑の声を上げる。唯一声を上げなかった稟は自分達の状況に顔を歪め、女子生徒達の包囲網の穴を探す。しかし穴は見つけられず。仕方なしに付近の窓がどうなっているかを確認し、

「……一夏。彼女達の隙を作るから上手く逃げろよ」

「は? 稟。お前何言って」

 自分の近くにある窓がたまたま空いているのを見つけた稟は、小声で一夏に言う。稟の言葉を訝しんだ一夏は稟に聞き返すが、稟はそれに答えず。

「シャルル」

「ぅえ!? あ、な、何かな? 土見君」

「後で殴ってくれて構わないから、今はじっとしていてくれ」

「? 何を言って……!!??」

 戸惑っていたシャルルに声をかける。

 稟に声をかけられたシャルルは過剰と思われる程に身体をビクリと反応させ、上ずった声で稟に返す。稟はシャルルの反応を気にする事なく用件を述べると、シャルルの答えを待たずに右腕でシャルルの脚を、左腕で背中を抱えて横抱き――つまりお姫様抱っこした。

 シャルルの表情は一気に朱に染まり、それを見た一夏は眼を見開き、彼等を包囲していた女子達は。

『キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!』

 爆発した。

「土見君が!」

「美少女系男子の転校生を!!」

『お姫様抱っこ!!!!』

「ふぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

「きたきたきたキタキタキタアアアアアアアアアアアッ!!!!」

「ごふっ…………だ、ダメージが」

「あかん。これはあかんよ……」

「ふ、ふふふふ、ふふフフフフフフ腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐」

 最早語るまい。

 様々な反応を見せる女子達だが、稟は完全に無視して空いている窓まで行くと、その枠に足をかけ、

「一夏、先に第二アリーナで待ってるぞ」

 そのまま飛び降りる。

「ちょ、ここ三階!?」

『きゃああああああああああああああああ!!??』

 まさかの稟の飛び降りに血相を変えて窓に走り寄る一夏と、悲鳴を上げるシャルルと彼等を包囲していた女子達。

 彼女達の脳裏には想像もしたくない結末が浮かび、一夏が飛び降りた稟を見守る中。

 稟は左腕でシャルルを強く抱き締めて落ちないように何とか支えると、右腕を腰元にやる。稟の腰元あったのは、先日クロエと再会した時に渡された物があった。それは金属製の筒で。

 稟は猛スピードで地面が近付いてくるのを確認し、抱き締めているシャルルを一瞥する。飛び降りた時こそ叫び声を上げたシャルルだが、落下中の今は一人で落ちないよう必死に稟にしがみ付いている。

 そんなシャルルに苦笑し、飛び降りた窓を見上げる稟。窓には血相を変えた一夏と、顔を青褪めさせて稟とシャルルを見下ろしている何人かの生徒達の姿が。一夏と彼女達を心配させてしまった事は悪いと思うが、あの時包囲網からシャルルを連れて逃げるにはこうするしかなかったから仕方ないと無理矢理自身を納得させる事にした。

 稟は落下中に色々と思考を巡らしつつ腰元の金属製の筒をしっかり握ると、落下速度とクロエから渡された筒の事を計思考する。そして数瞬で思考を終えると、器用に右腕を動かして筒を動かし。

 カチリと、筒の柄にあったスイッチを押した。

 

 

――バシュッ。

 

 

 そんな音と共に、筒の先端からワイヤーが射出された。ワイヤーの先には強力な吸盤が付けられており、凄まじい速度で伸びていくワイヤーは二階と三階の間の校舎壁を目指す。見る見るうちに校舎の壁まで近付いたワイヤーの先端は壁にくっついた事を振動で稟に知らせた。

 稟は筒を軽く動かしてワイヤー先の吸盤がどこかしらにしっかりくっついている事を確認すると、さらにワイヤーの長さを調節していく。調節しなければそのまま地面に叩きつけられるからだ。

(束さんとクロエには感謝だが、何をどう予想すればこんな物が必要だと考えられるんだろうな。まぁ、今回はかなり助かったけど)

 クロエから渡された束お手製の道具を操作しながらそんな事を思う稟。ご都合主義にも程があるだろうと思わないでもないが、それによって助かった事実があるのであれこれとツッコミを入れるのは無粋と思う事にした。ワイヤーの長さ調節も無事に終え、落下速度もある程度殺し。

「ん。無事に降りれたか」

 稟とシャルルは怪我一つなく校舎外に降り立つ事が出来た。

「立てるか?」

 抱き抱えたままのシャルルにそう確認をとる稟だが、シャルルは稟にしがみ付いたままで彼の質問に答えられるよな状態ではなかった。身体が震えている事が分かったので、稟は罰が悪そうな表情を浮かべ、

「あ~、その……色々とすまん。後で思う存分叩いてくれていいから今はそのまま目的地に向かわさせてもらうな」

 柄にあるスイッチを押せばどういう原理でそうなるのか。吸盤の粘着性が弱まりワイヤーが筒へと戻ってくる。そのご都合主義っぷりをあえて無視する稟。

 稟はシャルルを抱き抱えた状態で第二アリーナに向かうのだった。

 周囲を警戒しながら進む稟。流石にあの短時間で、一階まで包囲網を敷いている事はないだろうが警戒するにこした事はない。この学園の女子達の行動力は時として予想外の事をしでかすからだ。

 追いつかれる気配もなく順調に目的地に向かう稟。

 そうして無事第二アリーナに着いた頃にはシャルルの震えも止まり、シャルルも立てる状態になっていた。

 シャルルを立たせた稟はひたすら謝っていた。それはもう、謝られる方が困るほどに。

 稟の猛烈な謝罪に戸惑ったシャルルだが、方法は問題ありまくりだろうが稟がああしてくれたおかげであの状況から助けられたのも事実。自分はあまり気にしていないからと稟に言って彼のその後の謝罪を断った。

「さて。一夏が此処に来るまでもう少し時間がかかるだろうから、君が先に着替えてくれ。流石に一緒に着替えるのは不味いだろう?」

「っ! 覚えて、いてくれたんですか?」

「…………」

 返ってきた答えは沈黙。だが、その沈黙と稟の表情が答えを示していた。

 即ち、稟がシャルル――隠す気があるのかお粗末にすぎる男装をしている少女――を、嘗てフランスで出逢った少女である事に気付いているだろう事に。

 彼女は稟の事を覚えていたが、彼が自分の事を覚えているとは思っていなかった。所詮あの時偶然に出逢い、偶々自分の話を聞いてくれただけの出逢いだったのだから。

 だが、その偶然に彼女は救われた。僅かな時間ではあったが、確かに彼女は救われたのだ。今この時が、どんなに辛い現実であっても。

 シャルルは、彼女は、嬉しそうな泣きそうな。どっちともつかない表情で稟を見つめる。

 一体どれくらい稟の事を見つめていたのか。ハッと我に返った彼女は慌てたように稟から視線を外すと、

「その、すいません。先に着替えさせてもらいますね!」

 そそくさと、逃げるかのように第二アリーナの更衣室に入って行った。

 彼女が更衣室に入ったのを見届けた稟は扉横の壁に背を預けて眼を細め、

「……デュノア、か」

 先日の喫茶店で、クロエから語られた事を思い出すのだった。

 

 

 シャルルと稟がISスーツに着替え終えて暫く経った頃。

 置いてけぼりをくらった一夏が第二アリーナに姿を現した。その姿はどこかボロボロで、表情も若干げっそりしていた。

「ん、意外と遅かったか?」

 一夏の姿を見つけた稟が不意にそう呟いた。

 その声が聞こえた訳でもないだろうが、一夏もまた稟の姿を見つけ、その表情を怒りの色に染めてつかつかと稟達の下へ近付いてくる。

「稟、お前なぁっ!」

 そして稟の近くまで来ると、一夏は彼の肩を掴んで思いっきり稟を揺さぶり、

「なんつー真似してくれてんだよ! あんな真似されて平然とできるか!? おかげで俺の寿命が縮まったじゃないか!?」

 先程の稟の行為に対して抗議する一夏。シャルルも一夏に同意しているのか、コクコクと必死に頷いていた。

 一方で稟は何を言われたのか分らずにキョトンとした表情をするが、一夏の言葉の意味を理解すると申し訳なさそうな顔をして、

「あ~、すまん。つい昔の癖で……」

「どんな癖ですか!?」

「昔の癖ってなんだよ!?」

 そう漏らした稟に思わずツッコむシャルルと一夏。

 どうすればそんな、一歩間違えずとも死ぬような癖を身に付けると言うのか。というかそれを癖と言うのは如何なものなのか。

「二人が気にするような事じゃないさ」

「気にするなって無理だろ!?」

「気にするなって無理ですよね!?」

 稟の言葉に再びツッコむ二人。

 稟としては先程の行為は日常茶飯事なようなもので、かつて光陽町では似たような事を何度もやっていた。流石にあの高さから飛び降りた事はなかったが。

 しかし、それを二人に話す訳にはいかない。例え納得されなくても、過去の事を話す訳にはいかないのだ。

「そんな事よりも、一夏は早く着替えたらどうだ? このままだと織斑先生の出席簿をくらう羽目になるぞ」

「む」

 そう言われて思わず開きかけた口を閉ざす一夏。稟の身体に無数の傷がある事を知っている一夏としてはそのまま流していいものではないが、その事を追及して授業に遅れる訳にもいかない。何せ次の授業は千冬の授業だ。遅れてしまえば頭上に出席簿が炸裂してしまう、どころか、それ以上に凄惨な目に合う可能性もありえる。

 暫し逡巡した後。

「…………さっさと着替えてくるから今度は置いてくなよ?」

 そう言い残して更衣室へと入って行く一夏。

 一夏のジト眼を受けた稟は苦笑しながら頷いてそれに答える。

 一夏が更衣室に入った後、シャルルが何か言いたげな視線で稟を見ていたが、彼は敢えて何も答えず沈黙を貫いたのだった。



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第二十一話:実習(前編)

とりあえず、今月の投稿はここまでかな?
次の投稿は何時になるか……
続き頑張って書いていきますので、これからも宜しくしていただければ幸いです。


 一夏が着替え終わり、急ぎ第二グラウンドに向かった稟達。幸い時間にまだ余裕があったらしく、一組と二組の生徒達はそれぞれ仲が良い者達同士で集まって話をしていた。

 時間内に間に合った事にホッとした一夏はシャルルと共に一組の生徒達がいる場所へ向かう。稟も一夏達と共に向かおうとしたが彼は既に来ていた千冬に呼び止められ手伝いを言いつけられた。彼はそれに反抗する事なく素直に頷き、千冬の手伝いに向かう。

 そうして授業の時間が近付き。

「さて、全員整列!」

 時間を確認した千冬が声を張り上げる。

 それだけで今までざわめいていた生徒達は一斉に静まり、すぐさま直立不動の姿勢で整列する。

「これより一組と二組の合同授業を行う。合同の為人数が多く普段の授業よりも行動が遅れる事が予想できるが、各員私達の指示に従い迅速に行動しろ」

『はい!』

「よし。本日は格闘及び射撃を含む実戦訓練を開始するが、その訓練の前に戦闘の実演をしてもらおうか。凰、オルコット!」

「え……あ、あたし!?」

「わたくしもですの?」

 千冬の突然の名指しに驚く鈴音と首を傾げるセシリア。セシリアの視線は稟とアレン、一夏に向けられた後に千冬へと向けられる。

 その視線の意味を察した千冬は頷いて答える。

「専用機持ちならば直ぐに始められるからだ。それにお前達はまだまだひよっことはいえ代表候補生だからな」

 千冬のその言葉にムッと顔を歪める鈴音と、成程と頷くセシリア。お互い代表候補生という立場にを持っているが、実に対照的な反応である。

「分かりましたわ」

「それなら噂の転校生にでもやらせればいいのに。なんであたしが……」

 素直に頷くセシリアと、ぶつくさ文句を垂れる鈴音。セシリアはそうでもないらしいが、鈴音はひよっこという言葉がとても気に入らないようだ。

「凰。オルコットを見習って少しはやる気を出せ。……それとこう考えたらどうだ? アイツにいいところを見せられる場面だと」

 鈴音の態度を咎めず、彼女の側に近付いた千冬は小声で鈴音にそう囁く。

「!? べ、別にアイツの事なんかどうでもいいけど、あたしの実力を見せつけるには丁度いい機会よね! 前回は余計な邪魔が入ったし」

 若干眼を泳がせつつも急にやる気を見せる鈴音。千冬の声が聞こえていたセシリアは鈴音の気持ちが分からない訳ではないのでただ苦笑するだけ。

「それで、織斑先生。お相手は何方が? 鈴音さんとでしょうか?」

「あたしは別に誰でもいいわ。アンタが相手でも軽く捻ってあげるわよ」

「やる気が出たのは結構だが慌てるな。お前達の対戦相手は――」

 その時。空気を裂くかのような、甲高い音がグラウンド中に響き渡った。思わず耳を抑える生徒達。

「きゃあああああーっ! ど、どどど、どいてくださーいっ!?」

 そんな中でさらに響き渡ってきた誰かの悲鳴じみた叫び。

 生徒達が声がしたであろう方向へ顔を向け、少しだけ顔を上げるのが遅れた一夏が顔を上げた時。

「………………へ?」

 何かが一夏へと突進していき、彼が何か行動に移すよりも速く接近してきた何かに弾き飛ばされた。

 何かに弾き飛ばされた一夏は数メートル程吹き飛び、そのままであれば地面に叩きつけられて小さくない怪我を負っただろう。

「――っ、ぶねぇ!? 白式の展開がギリギリで間に合わなかったと思うと…………ん?」

 地面に衝突する寸前に白式の展開が間に合い、大きな怪我をする事なく地面を転がる一夏。転がり終えて立ち上がろうと右腕に力を込めた時、一夏は掌に妙に柔らかい感触感じて首を傾げる。

 地面はこんなにも柔らかかっただろうかと考えているところで、

「ひゃん!? あ、あのう、織斑くん? そ、そのですね? こんな、生徒がたくさんいる所でというのは先生も困るので……あ、いえ! 生徒がいない所ならオーケーと言っている訳ではなくてですね。私は教師ですし、織斑くんは生徒。だからそういう事は……ああ、でももしそういう関係になれれば――」

 一夏の下から声が聞こえてきた。

 その声を聞いた瞬間一夏の身体は凍り付いたかのように固まり、ギギギという擬音が出そうな挙動で顔を下に向ける。

 するとそこには、想像した通り真耶がいて。しかも一夏の体勢が真耶を押し倒している形で、尚且つ彼の右手が真耶の圧倒的に大きすぎる胸を思いっきり鷲掴みしている状態。彼女は顔を朱に染めて、何を妄想しているのか知らないがいやんいやんと言わんばかりに悶えていた。

 一夏の思考と身体は硬直し、ダラダラと嫌な汗が背中を流れる。速く真耶から退かなければと思えど、彼の身体は一向に動こうとしなかったが、

「――っ!?」

 突如感じた殺気に急いで真耶の上から退く一夏。

 刹那。一夏の頭があった右横を何かが通り抜けた。

 背後に誰かの気配を感じた一夏は恐る恐る後ろを振り向くと、其処には――

「そんなに慌ててどうしたのだ一夏?」

 修羅がいた。

 絶対零度の眼差しに、触れれば斬られると錯覚させるような、鋭利な刃物を思わせるような雰囲気を纏った篠ノ之箒が。

 彼女の右手にはどこからか取り出されたのか分らないが木刀が握られており、その木刀が今まで一夏の頭があった場所に振り下ろされていた。因みに、一夏の頭があった場所の下には真耶がおり、彼女の顔面数センチの距離で木刀が止まっていて彼女の顔が蒼白になっている。そんな真耶に気付いた箒が彼女に謝っているが、一夏にとってそんな事はどうでもよかった。

 速く箒から逃げねば。真耶に謝罪をし終え、木刀片手に自身に近付いてくる箒から逃げなければ。そうしなければ殺られると、一夏は直感していた。だが何処に逃げればいいのかと一夏が考えていると、箒に優るとも劣らない殺気と共に、ガシーンと何かが連結する音が一夏の耳に届いた。

 その独特な音には覚えがあった。そう、その音は。鈴音のIS――『甲龍』の武器である《双天牙月》が連結した音だ。《双天牙月》は二個ある近接武器であるが、二つを連結して両刃状態にする事によって投擲も可能となるのである。

 一夏の視線が鈴音を捉えると、箒と同じく絶対零度の眼差しをした鈴音が振り被り、《双天牙月》を投擲した。

「ぬおおおおおおおおおおおっ!?」

 一瞬の躊躇もなく投擲された《双天牙月》は、一夏の首を目指して飛んでくる。それを身を仰け反らせる事で間一髪避ける一夏だが、無理矢理に身を仰け反らせた為に仰向けに倒れてしまう。

 そして一夏は絶望的な光景を見てしまった。

 自分にゆっくりと近付いてくる、修羅(ほうき)(りんいん)を。

「アンタってば、本当に……」

「……………………斬る」

 歩きながら木刀を構える修羅と『衝撃砲』を向ける鬼。一夏が己の行く末に顔を引き攣らせながら、自身に向かってくる二人と《双天牙月》に視線を走らせていると、

「はっ!」

 鋭い声と共に二発の銃声が響く。

 その直後。一夏に向かっていた《双天牙月》はその身を穿たれ、本来の軌道から逸れて一夏の横数メートル先に突き刺さった。

 いきなりの展開に眼を瞬かせる一夏。それは彼に限った話ではなく、稟とアングレカム、セシリアと千冬と本音を除いた面々も似たような反応をしていた。

 そして全員が銃声がしたであろう場所に眼を向ければ、倒れたままの体勢から状態を僅かに起こし、五十一口径アサルトライフル――《レッドバレット》を構えていた真耶の姿があった。普段は生徒達に弄られ頼りなさが皆無といった姿ではなく、落ち着き払い、どこか凄みを感じさせる雰囲気を纏って。

『………………』

 そんな、普段と違う彼女の姿に一組の生徒だけでなく二組の生徒までもが唖然と真耶を見つめている。

「山田先生は普段はあれでも元代表候補生だ。あの程度の射撃など造作もない。それに、代表候補生時代には私の模擬戦の相手も務めていたしな」

「そ、それは昔の事ですよ。それに結局は候補生止まりでしたし……。それに、その模擬戦も全く歯が立たなかったじゃないですか」

 生徒達を現実に戻す為に放たれた千冬の言葉に、普段通りの雰囲気に戻った真耶が照れ臭そうな表情で返す。

「いつまで呆けている。グラウンドを奔らされたいのか?」

 それでもまだ現実に帰ってこない生徒達に鋭い視線を向ける千冬。

 それで漸く我に返った生徒達は慌てて姿勢を正す。

「さて、時間を少し無駄にしてしまったしさっさとはじめるか。オルコット、凰、準備はいいな?」

「まさか、二対一で、ですの?」

「え~、流石にそれは……」

「なに、心配するな。二対一でも今のお前達ならばすぐに負ける」

 負けるという言葉にムッとする鈴音と、眼を細めて真耶をじっと見つめるセシリア。

 セシリアもすぐに負けるという言葉は聞き捨てならないが、先程の射撃を見せられてしまえば反論できない事も事実。彼女も鈴音と同様代表候補生という立場に少なからず矜持があり、射撃の腕に関しては結構なものだという自負もある。しかしその自負も、あくまで学生という範疇のもので、もしも自身が真耶と同じ状態で同じ事をやれと問われれば必ず出来ると断言できるほど己惚れている訳でもない。千冬の言葉が正しく、真耶の先程の腕が偶然の産物でもなければ負ける可能性は極めて濃厚である。ましてやこちらは即席のタッグ。連携も儘ならないだろう。

「織斑先生、作戦会議の時間を頂いても?」

「ふむ……いいだろう。手短に済ませろ」

 それでも簡単に負けるつもりがないセシリアは千冬にそう問う。

 セシリアの真剣な眼差しを受け、千冬はセシリアを見つめ返す。

 セシリアは千冬の言葉に過剰に反応する鈴音と違い、己の分を弁えているのだろう。千冬の言葉には少なからず反感を覚えているだろうが、自身がまだ未熟である事を理解している。その上でどう一矢報いるかを考えている。

 千冬は口の端を微かに歪め、セシリアの案を許可した。

 許可を貰ったセシリアは軽く頭を下げ、不満そうな顔を隠さない鈴音の下へ向かって行く。

 この模擬戦はあくまで授業の一環であって勝敗など関係ない。一般生徒のお手本なのだ。だから、勝敗に拘る必要はないのだ。

 しかし。そうだとしても。

 彼女は、セシリアは、イギリスの代表候補生の一人なのだ。数いる代表候補生の中から選ばれ、IS学園に入学した一人なのだ。専用機を実力で勝ち取ったという訳ではないが、国からを与えられた人物なのだ。

 そんな彼女が、例え模擬戦とはいえ無様に負ける訳にはいかない。多くの生徒が見ている手前。国から選ばれた代表候補生の一人として。そして何より彼の、稟の見ている手前で、無様な姿を晒す訳には断じていかない。

 その為には鈴音の協力が必要不可欠。

 セシリアは、内心で荒れているだろう鈴音へ近付いていく。

 

 

「山田先生。遠慮はいらんから思いっきりやるといい」

「はぁ……本当にいいんですか?」

「構わん。土見とアングレカム、布仏にオルコットは違うが、他の小娘達は山田先生を侮っている節がある。いい加減それを改めさせる必要があるだろう」

「ですが……」

「それに、このままでいいとは思っていないのだろう? ならばその為にもこの模擬戦は必須。山田先生も理解している筈だが?」

「…………はい」

 セシリアが鈴音と作戦会議をしている一方で、千冬も真耶と話し合っていた。

「どうやら向こうの準備が出来たようだな」

 五分もしないうちに千冬達の前に歩いてくるセシリアと鈴音。専用機を纏い千冬達に近付く二人だが、その表情は相変わらず対照的である。片や瞳に戦意の色を灯し、鼻息荒く歩く鈴音。片や頭痛を堪えるかのように米神を押さえ、溜息を吐いているセシリア。

 それで二人の作戦会議が意味を成さなかった事を悟った千冬は軽く息を吐いて真耶を一瞥。真耶は頷きその身に用意していたラファールを纏う。

「では戦闘の実演をはじめてもらおう。それぞれ位置に着け。……はじめ!」

 千冬の号令の元、模擬戦が開始される。

「鈴音さん、本当に頼みますわよ?」

「作戦なんて別に必要ないわ。アンタはしっかり援護してればいいのよ!」

 お互いに距離を取って宙に浮かび上がる三人。

 セシリアは最早諦め顔だが、それでも言わずにはいられず溜息混じりに呟き、鈴音はそれを気にも留めない。真耶は二人を観察するように眼を細めて見ている。

「さて、この模擬戦の間。山田先生が使っているISの解説をデュノアにしてもらおうか」

 千冬がシャルルにISの解説を促している事をよそに、三人の模擬戦は始まる。

 《双天牙月》を構えた鈴音はそれを連結させず右腕で構えると、一直線に真耶へと突き進んで行く。お互いが接近戦用のISであればその行動も特段問題はなかっただろう――大なり小なり動きにフェイント等混ぜるが。しかし、真耶のISは近・中距離の動きを得意とするラファール・リヴァイヴ。鈴音のこの行動は真耶にとって格好の的となる。一対一の模擬戦であれば。

「――っ!?」

「はぁ……少しはわたくしの話を聞いてくださいますか?」

「作戦会議なんかしたって即席のタッグじゃ限界あるでしょ。だったら、お互い動きやすいように動いた方がいいでしょう!」

 真耶は自分に向かってくる鈴音に《レッドバレット》を向けたがその銃弾を射出する前に、いつの間にか展開されていたセシリアのビット二基から攻撃を受けた。真耶の前方からバツの字を描くように放たれたレーザーを寸での所で後ろに下がる事で躱す真耶。その直後に続く鈴音。上段から振り下ろされる《双天牙月》を、ビット攻撃を咄嗟に避けた反動によって躱す事は真耶には出来ない。

「――くっ。なんて、重い一撃ですか……」

 ならばどうするか。

 真耶は右手に構えていた《レッドバレット》を放棄し、武装ラックから近接ブレード――《ブレッド・スライサー》を取り出して迫り来る《双天牙月》を受け止める。

 しかし、反射的な防御行動と全体重を乗せられて振り下ろされた鈴音の攻撃とではどちらが有利であるかは明白で。無理な防御態勢を強いられた真耶が鈴音に押される形となる。

 だがしかし。そこは流石、かつて代表候補生を務めていた人物。鈴音の力に無理に逆らう事をせずにその力を受け流し、捌く。自身の攻撃が捌かれた事によって微かに体勢を崩した鈴音の隙を突き、真耶は態勢を整えて距離を取る。

 だが。

「――っ!」

 その行動を読んでいたかのように真耶の背後へと回っていたセシリアのビットからレーザーが放たれる。それを寸での所で躱すものの。

「もらったわ!」

 再び接近を許してしまった鈴音が《双天牙月》で薙いでくる。

 それを鈴音の後方で見ていたセシリアはじっと真耶を見つめる。鈴音の援護を怠らずに。ビットに全意識を集中させずに適当な支持を与えて鈴音の援護をしながら、己と鈴音の攻撃を捌き続ける真耶を観察するように。

 先の射撃で真耶が只者ではない事は理解したセシリアだが、それにしてもこの状況は彼女にとって拍子抜けである。千冬の言葉からすれば苦戦するのは自分達である筈なのに、蓋を開けてみれば苦戦しているのは真耶。いくら自分達が専用機持ちだとは言え、真耶はあの『世界最強』たる千冬が認めた相手だ。その機体が訓練機でもそう苦戦するものでもないと思う。

 その結果にどこか釈然としないものを感じるセシリア。

 千冬の言葉は、自分達を惑わす為の嘘だったのだろうか。しかし千冬が、自分達を小娘と呼ぶ彼女がそんな嘘を吐くとも思えない。

 二基のビットを真耶の側に、残る四基のビットを自分を守るように展開させながらセシリアは思考を続ける。勿論鈴音に対する援護は忘れずに。

 その一方で、鈴音は猛攻を続けていた。

 無理な体勢で防御した真耶を追い立てるように連撃を繰り出す鈴音。最初は両手で持っていた《双天牙月》を右手に持ち替え、もう一本の《双天牙月》を装着して手数で攻め始める。

 鈴音の猛攻により防戦一方となった真耶は反撃する暇がない。彼女の攻撃を捌きつつ、断続的に放たれるセシリアの援護攻撃も何とか捌いている状態だ。繰り出される連撃とビット攻撃に顔を歪めながらも、懸命に好機を窺う真耶。

 だがそんな彼女を嘲笑うかのように。真耶の防御の手が、鈴音の猛攻の負荷により若干緩んでしまった。

「! ここ!」

「きゃっ!?」

 それを見逃すほど鈴音も甘くはなかった。

 真耶の防御が緩んだ事に気付いた鈴音は《双天牙月》を連結させ、全力を以って薙ぎ払う。

 《双天牙月》の直撃こそ免れた真耶だが、その勢いには抗えず姿勢制御と《ブレッド・スライサー》を失い無防備な姿を晒してしまう。

「セシリア!」

「分かっておりますわ!」

 今こそ絶好の好機。回避も防御もできない真耶へ止めを刺すべく、『衝撃砲』をチャージしながらセシリアへ声を飛ばす鈴音。

 呆気なく勝敗がつきそうな気配にどうしても納得がいかないという顔をするセシリアだが、これがまたとない好機である事も理解している。セシリアは二基のミサイルビットを残し。残る四基のビットを真耶の近くで展開、『スターライトmkⅢ』も真耶へと向け、ビットと『スターライトmkⅢ』でのフルバーストを行う。

 鈴音の『衝撃砲』とセシリアのフルバーストが空中で錐揉み回転している真耶に襲い掛かり。

 瞬間。壮大な爆音と暴力的な爆風が巻き起こる。

 その威力はかなりのもので、その振動は観戦している生徒達の下まで及ぶほどだった。

 余裕の表情で爆心地を見る鈴音と、やはり怪訝そうな表情を浮かべるセシリア。

 誰が見ても、勝利は鈴音達のものと思うだろう。模擬戦を見ていたほとんどの生徒がそう思った筈だ。しかし、いくら待っても鈴音とセシリアのISのウィンドウに『勝利』の二文字は表示されない。

 流石の鈴音もそれに疑問を感じた時。

 セシリアの背筋に悪寒が奔る。

 その刹那。

 何かの爆発音が響き渡ると同時、真耶の近くに展開されていた四基のビットが破壊された。

「なっ……」

『え……?』

 予想外の事態に呆然とした声を漏らすセシリアと生徒達。

 一体何が起きたのか思考する暇もなく、爆心地から真耶が姿を現す。その姿は無傷という訳ではなく、かなりの損傷を追っていたがそれでも戦闘の続行に支障はきたさないものだった。

呆然としているセシリアと鈴音を一瞥し、真耶はビットを破壊したであろうマシンガンを構えなおす。そして軽く息を吸って瞳を細めると、

「……いきます」

 瞬時加速を使ってセシリアとの距離を一気に詰める。

「くっ、『ブルー・ティア……』」

 鈴音を素通りして一気に自身に迫ってくる真耶の気迫に気圧されそうになるのを何とか堪え、残り二基となってしまったビットに指示を出すが、

「はっ!」

 真耶はそれを許さず。彼女の鋭い声と共に両手のマシンガンが火を噴く。それによって迎撃の為に動こうとしたビットはあっさりと無力化された。

 自身のビットを簡単に破壊された事に顔を顰めるセシリアだが、それでも何もせずに終わる訳にはいかない。残った主武装である『スターライトmkⅢ』を真耶へと向けるが、それよりも僅かに速く肉薄していた真耶が、サマーソルトキックの要領で蹴り飛ばす。

 それによって丸腰になるセシリアだが、

「まだ……ですわ! 《インターセプター》!!」

 『蒼き雫』に唯一残された武器である《インターセプター》を瞬時に展開させる。

 近接武器の扱いを苦手としていた為これまでの実習でも、訓練時でさえも瞬時に《インターセプター》を展開できなかったセシリア。それを、この土壇場で瞬時に展開させた。

 その結果に自身でも驚くセシリアと、僅かに眼を見開く真耶。

「ぁぁぁぁぁあああああああ!!」

 蹴られた反動で若干仰け反った体勢のセシリア。だが、それを気合で何とかせんとでも言わんばかりに声を上げて展開した《インターセプター》を振り下ろす。

 真耶は冷静にその動きを見つめ、左手に持っていたマシンガンを思いっきり振り下ろされてきた《インターセプター》に叩きつける。

「ぁ……」

 セシリアの渾身の一撃は、それであっさりと無力化された。

 最早抵抗する術が一切ないセシリアに、真耶は容赦をせず。

「これで終わりですね、オルコットさん」

 残った右手のマシンガンを発砲。それに遅れて左手のマシンガンもセシリアに向けられ、両手のマシンガンが火を噴いた。

 放たれたマシンガンの弾雨を全弾受けるセシリア。セシリアのシールドエネルギーは瞬く間に減っていき、零になった。

 それを見届けた真耶は鈴音に向き直り、ブースターを噴かして鈴音に近付く。その速度は瞬時加速よりは遅いが、それに勝るとも劣らない速度を出していた。

「――!?」

 真耶のあまりもの動きにセシリアの援護が出来ずに呆然としていた鈴音は、自身に近付いてくる真耶の姿にハッと我に返ると迎撃の為に『衝撃砲』を放つ。

 しかしその迎撃も虚しく。『衝撃砲』の雨は悉く躱される。

「なんで、なんで当たらないのよ!?」

 自身の攻撃が当たらない事に驚愕の声を上げる鈴音。

 連射重視の為に威力を落とし、チャージの時間を短くしての『衝撃砲』の連射。その弾雨は逃げ場がないように相手を襲う。それは圧倒的なまでの暴力性を持っており、並の操縦者では到底躱せないものだった。

 だが、真耶は並の操縦者ではない。かつては代表候補生であり、あの『世界最強』たる千冬の模擬戦相手を務めていたのだ。そんな彼女からしてみれば、冷静さを失い遮二無二撃ってくるだけの攻撃など避けるのは容易い。こちらの目線や挙動で相手の動きを誘導し、相手の視線や挙動から攻撃方向を察知。この短時間で鈴音の癖を少しでも把握していた真耶は、それを戦闘へと組み込む。

 言葉にすれば簡単だがそれは容易に出来る事ではない。ましてや自分と同程度、あるいは上回る力量の持ち主には通じないもの。だが相手は鈴音。いくら代表候補生を務めて専用機を持つとはいえ、真耶とでは場数と経験が違いすぎる。

「うわあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 冷静さを完全に失った鈴音は迫ってくる真耶に恐怖を覚え、駄々をこねる子供のように『衝撃砲』を放ち、《双天牙月》を振り回す。

 真耶はその悪あがきを容易に躱して鈴音との距離を詰め。

「残念ですがこれで終了です、凰さん」

 瞬時加速を使用して鈴音の背後に回る。

 そして鈴音達の敗北宣言をすると、零距離でマシンガンを斉射。

 『甲龍』のシールドエネルギーは瞬く間に減り、僅かな時間で零に。

『そこまで!』

 千冬の鋭い声が響き、模擬戦は終了となった。

 グランドに降り立つ三人。その表情は三者三様で、鈴音は呆然とした表情を。セシリアは悔しげでいて、どこか納得した表情を。真耶は先程の戦闘とは真逆の、つまりはいつもの、生徒達が知るおっとりした表情――しかしそこに、おどおどとした小動物のような雰囲気はない――をしていた。

 その三人を呆然とした表情で見ている生徒達。普段の真耶を知る者が、この結果を想像できただろうか。その答えは否であろう。数名の例外を除いて、この結果を予想できた者はいない。

「さて、これでお前達もIS学園教員の実力を理解したな? 今後は山田先生にもしっかり敬意を持って接するようにしろ。……返事はどうした!」

『……はっ、はい!?』

 まだ現実を認識していない生徒達に鋭い声を浴びせる千冬。

 彼女が醸し出す威圧と声の圧力に漸く意識を取り戻した生徒達は、何とか返事をする事ができたのだった。



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第二十二話:実習(後編)

忘れ去られたであろう頃に漸く、本当に漸く投稿。
全然話は進んでいませんがね。
書きたいシーンはあるけど、そこに至るまでの文章がまったく浮かんでこない。嫌になるよ。何とか投稿頻度を上げたいが……まぁ、頑張っていきます。


「では、グループに分かれて実習を行っていく。専用機持ちは織斑、オルコット、デュノア、ボーデヴィッヒ、凰か。ならば専用機持ちをグループリーダーとして班を分ける。それと土見は専用機持ちではないが、土見もグループリーダーとしてリーダーを含めて十人グループで分かれろ」

「土見くんもグループリーダーなんですか?」

 場を仕切りなおすかのような千冬の言葉に、一人の女子生徒がそう声を上げる。

「そうだ。土見は専用機持ちではないが、ISを扱える男だ。織斑、デュノアもいるが、少しでも多くデータを収集しておきたいのが政府と学園の意向でもある。土見は専用機持ちではないが故に織斑とデュノアとは異なるデータが取れるかもしれんからな。ISに触れる機会は少しでも多い方がいい。それに、土見の操縦技術が並の代表候補生どころか下手な国家代表クラスにも引けを取らないものであろう事は諸君も知っているだろう。ならば、土見をリーダーとしても問題あるまい」

 千冬の言葉に成程と、質問をした生徒と他の生徒達も頷く。

 稟の操縦技術。それは学園全ての生徒が知っている。

 セシリアとの試験は記録として残されており、その技術は代表候補生や元代表候補生である学園にいる全ての教師が舌を巻く程のものであった。その技術の高さに、教材としてその時の記録映像は使われていたりする。そんな稟に嫉妬や敵意を抱く者もいるが、現状そういった者は少数の為特に目立った行動をするような輩は出ていない。

「それでは分かれろ」

 千冬の号令が終わると同時にニクラス分の女子生徒が一気に稟と一夏、シャルルに詰め寄っていく。

「織斑くん、よろしくね!」

「分からないとこは手とり足とり教えて~?」

「デュノアくんは私がもらったわ!」

「なんですって!? なら私もよ! いいよねデュノアくん!?」

「ならば土見くんは私達が!」

「でゅふふふふふふふ」

 それはあたかも、獲物に群がる猛禽類の如く。若干眼の色が危ない者が数名いるが。

 一夏とシャルルはそれをどう捌けばいいのか分からずに立ち尽くし、稟は若干顔を引き攣らせる。

 その光景を見た千冬は己の言葉が迂闊であった事に事に気付いて顔を顰め、額を押さえながら言葉を飛ばす。

「出席番号順に一人ずつグループに入れ。私の説明が足らなかったのも問題だが無駄に片寄るな! 分かったのならば速やかに分かれろ! 次に同じように片寄ればISを背負ってグラウンド百週させるぞ!」

 その言葉に稟達に群がっていた彼女達は顔を青褪めさせ、それぞれ顔を見合わせると一目散に散っていく。そして数分で各グループに分かれ。

「まったく……」

 各グループが出来上がったのを見て溜息を吐く千冬。何故言葉が足らなかったのかと漏らしている彼女にバレないようにしつつ、数名の女子達はぼそぼそと喋っていた。一部お通夜のような雰囲気を醸し出しているグループもあったが。

「それでは皆さん。これから実習を行うので訓練機を取りに来てください。一班につき一体ですよ。『打鉄』と『ラファール・リヴァイヴ』が三機ずつです。好きな方を取りに来てください。早い者勝ちですよ!」

 普段の小動物のような雰囲気はどこへやら、いつも以上に堂々とした雰囲気の真耶が声を張り上げていた。先程の模擬戦によって自信を取り戻したのだろう。その姿は教師然としていた。

「あ、土見君はこの機体を使って下さいね。土見君は専用機を持っていないのでこちらで用意しておきましたので」

 訓練機を受け取る生徒達の対応をしつつ、稟に笑顔を向けながら言う真耶。

 稟はその言葉に振り向き、真耶が示す方へと顔を向けた。彼女が指示していた場所には一機の訓練機があった。実習の為に用意されていた他三機の『ラファール・リヴァイヴ』と同じ『ラファール・リヴァイヴ』が。学生が扱う訓練機であるが故に外装は何も変わらない『ラファール・リヴァイヴ』だが、稟には判る。その機体が、

 

 

――えへへへ。また『王様』と一緒にいられるんだね!

 

 

 試験の時に、無人機襲来の時に共に駆けた彼女である事が。

 彼女は微かに頬を朱に染め、恥ずかしそうに、嬉しそうにしながら稟を上目遣いで見つめる。

 因みにだが、その光景はあくまで稟から見た光景である為、他の者には稟がただ立ったまま『ラファール・リヴァイヴ』を見ているようにしか見えない。尤も、稟を注視している者はごく少数の為に特にそれを気にした様子はないが。

 それはともかく。

 

 

――こうして何度も『王様』と一緒になれるなんて、これはもう運命だよね。あのヒトよりも専用機らしい事をしているし、こうなればいっその事あのヒトの代わりにボクが『王様』の専用機に――――ひぅっ!?

 

 

 途中まで何やら浮かれたかのように身をくねらせていた『疾風(はやて)』だが、最後の方で悲鳴らしきものを上げていた。そして次の瞬間にはその身をカタカタと震わせながら、顔色を徐々に青褪めさせていく。

 その理由は簡単のもので。

 

 

――あ、ああ、ああああああぁぁぁぁぁぁ!?

 

 

『……………………』

 『疾風』を羨ましそうに、妬ましそうにジト眼で見つめる訓練機達と一部の専用機達。それらの視線を上回る、というか強烈な殺気――と錯覚させる威力を秘めた視線――を放つアングレカムの姿があったからである。他の訓練機達の視線も強烈な物ではあるが、アングレカムのは別格。彼女の周りにいた少女達がアングレカムから距離を取る程に。

 

 

――あ、あわ、あわわわわわわわわ!?

 

 

 『疾風』は涙目で尻餅をつき、アングレカムから距離を取ろうと必死に後退ろうとしている。だが、アングレカムの殺気が強烈過ぎて思うように身体を動かせずに引っ繰り返ってしまった。稟はその姿に苦笑を浮かべる。もう一度述べるが、その光景はあくまでも稟のみが見ているものだ。

 生徒達が訓練機を受け取っている姿を軽く見ながら、後ろにいるであろうアングレカムをちらりと見る稟。その表情を見て困ったものだと言いたげな表情を浮かべる。束といいアングレカムといい、大切にしてくれるのは嬉しいが些か度が過ぎるのではないだろうか。まぁ、そんな二人には感謝しているのだが。

 ともあれ、先ずは目先の『疾風』をどうにかしなければならないだろう。正直可哀相すぎる様相を晒しているし。

 

 

(『疾風』)

 

 

――あうあうあう。『王様』ああああぁぁぁぁ。

 

 

 苦笑しながら差し出された稟の手――実際には稟が声をかけただけだが『疾風』にはそう見えている――に救いを求めるかのように、『疾風』は縋りつくかのように手を伸ばし。

 『ラファール・リヴァイヴ(はやて)』はその身を一瞬だけ輝かせると、光が収まった瞬間には稟の身に纏っていた。微かな輝きを残して稟の身に纏った『疾風』をあやすように、彼は優しくその身をぽんぽんと叩きながら微苦笑を浮かべる。それにアングレカム達の視線が更に険しくなり『疾風』が更に震えるという悪循環に陥るが、下手に自身が介入すれば余計面倒臭い事になりかねないので彼女には耐えてもらうしかないと判断する稟。

 『ラファール・リヴァイヴ』を纏った彼は、彼の班員がいる地点に向かうのだった。後ろで鋭い視線で自身を見つめる千冬と、驚愕に眼を開いている真耶、セシリア、シャルルの視線を受けながら。

「さてと、待たせてしまってすまない」

 既に実習を開始しているそれぞれのグループに視線を巡らせながら自身の班員が待つ場所へと着いた稟は開口一番にそう言った。

「そんなに待ってないから気にしなくて大丈夫だよ~」

「そうそう。今丁度準備が終わったところだからね」

 そう言ってきたのは本音と谷本癒子。その二人に同意するかのように残りの少女達も頷いている。

 稟はそれにそうかと頷き、二組の少女達に軽く自己紹介をする。

 人数も少なく、稟の事を知らない者はいなかったので紹介はあっさりと終了した。若干暴走気味な少女達がいたので自己紹介が脱線しそうになったが、今は授業中である事を伝えて千冬からの出席簿アタックが降ってくる(もんだいになる)事は何とか回避できた。

 二組の生徒にはアメリカからの代表候補生――ティナ・ハミルトンがいて、稟がその彼女を差し置いてグループリーダーになってしまった事に申し訳なさそうに謝罪する場面もあったが、彼女は特に気にした様子も見せず、稟が気にする事ではないと言って何事もなく紹介は終了。一夏達に少し遅れて、稟のグループも実習を開始した。

「時間も限られているしさっさと始めようか。先ずは基本動作からだな。順番は――」

「はいはーい! 最初は私からだよ!」

 稟が言い終わるより速く、一人の少女――鷹月静寐が元気な声で勢いよく手を上げる。

 稟が確認の意を込めて周囲を見渡せば、周りの少女達はコクリと頷いて応えた。稟はそれにふむと頷き、

「分かった。なら、鷹月さんはIS彼女を装着してくれ」

「オッケー!」

「装着したらすぐに起動。起動後は歩行等の基本動作をしていこう。時間は限られているから素早くな。次の人も鷹月さんが終わり次第すぐ行動できるようにしておいてくれ」

『はい!』

 彼の号令の元動き出す。

 静寐は用意されていた『打鉄』の装着に取り掛かり、他の者は危なくないように距離を取る。稟は万が一の時の為に静寐の側に待機。

 グループの皆が見守る中『打鉄』を装着していく静寐。淀みなくとまではいかないが特に問題なく装着は完了した。

「よし。準備できたよ!」

「始めてくれ」

 稟は静寐の言葉に頷いて指示を出す。その指示を受けた静寐は頷き、『打鉄』のシステムを確認していく。システムに問題はなく機体の調子も良好。

 静寐は軽く息を吸うと気を引き締める。ISを扱った事があるとはいえど、その回数は少ない。セシリアや鈴音達のような代表候補生ではない一般生徒である為、ISを扱える回数はどうしても少なくなってしまうのだ。

 最初に行うのは歩行等の基本動作とはいえ、二組の生徒との合同授業で失敗なんてしたくはない。

 その意気込みは良かったが、力を入れ過ぎていたのだろう。最初こそ問題なかったのだが、ダッシュの動作を行う時に失敗をしてしまった。

 平常心であればそのような失敗はしなかったのだろう。妙な緊張感から身体が変に力み、無駄に力が入ったいた事に気付けなかった静寐はそのまま続け、脚を縺れさせてしまった。

「……あれ?」

 一瞬の浮遊感を感じた静寐。

 自身の身体が宙に投げ出されている状態であるのを確認した静寐は、微妙に呆っとした思考で他人事にこう思った。

(あぁ、これは顔から地面にダイブかな?)

 と。

 どうして他人事にそう思ったのかは彼女にも分からない。ただ、何故かそう思ってしまっただけ。

 その思考時間はコンマ数秒であったが、彼女にとっては数秒にも感じられる時間だった。段々と近付いてくる地面に眼を閉じる静寐。次の瞬間には訪れるであろう衝撃に身構えるが。

(……あれ? 痛くない?)

 いつまで経っても衝撃は訪れなかった。ISには絶対防御があるので、こけたぐらいで大した痛みはないだろうがそこそこの衝撃はあるだろうと思っていたのにだ。いや、それどころか。何やら腹部に柔らかいような感触があって……

 恐る恐るといった感じで眼をゆっくり開ける静寐。そうして彼女の目に映ったのは、

「間に合って良かった。大丈夫か?」

 右腕を腹部の下にやって静寐を支え、心配気な表情を浮かべている稟の顔だった。

「………………ぇ?」

 思わずそんな声が漏れた静寐。ぼんやりとした彼女の思考能力では、どうして稟の顔が自身の目の前にあるのか理解できない。理解できず、何回か眼を瞬かせる静寐。そんな彼女に小首を傾げる稟。

 暫し互いに見つめ合う形になる二人。

そんな中、静寐は周囲から音が消え去ったかのような錯覚を覚えた。

 自分の腕の中で固まったまま、動こうとしない静寐に疑問を覚えた稟が口を開こうとした時。

「~~~~~~~~!!??」

 漸く自分の現状を把握した静寐が声にならない悲鳴(?)を上げる。顔は一気に朱に染まり、鼓動は早鐘を打つかの如く早まる。身体はぷるぷると震えだし、視線も泳ぎ回って定まらない。

 美少女と見紛う容姿の稟であるが、そこはやはり男性なのだろう。鍛えられているのか、細見な見た目とは裏腹に静寐を支えている腕は力強く、触れている胸板はガッチリとしていた。

女性とは違った、男性特有の逞しい感触が。

 異性(りん)と触れ合っているという実情が。

 静寐に混乱と羞恥を与えていた。

 稟と一夏を話題にキャーキャー騒いでいたとしても。

 一緒に話したりご飯を食べたりしていたとしても。

 こうやって実際に身体同士が思いっきり接触するのとでは訳が違うのだ。正直、稟の顔を真面に見られない静寐である。

 それに周囲の視線が痛い。授業に参加している全員ではないのだが、同じ班の少女達は勿論、他の班の何名かからもジトッとした視線を受けていた。その中でも特にアレなのは説明するまでもなかろう。

「あ~、その、そろそろ自分で立ってもらえるとありがたいんだが」

 そんな彼女の内心を知る筈もない稟は、周りの視線もあるし今が授業中でもある為、そろそろ静寐に動いてほしくて言葉をかける。

「……ハッ!? ご、ごごご、ごめん!」

 右腕で静寐を支えたまま、左手で頬を搔きながら困った表情の稟の言葉に、静寐は漸く我に返って彼から離れる。名残惜しさを感じつつ。

(うわ~、うわ~! 事故とはいえ土見君と抱き合っちゃったよ。顔が赤くなったの見られたかな? 変に思われちゃったかな? う~、恥ずかしすぎて土見君の顔が真面に見れないよ~。…………でも、得したかも。土見君の身体逞しかったな~)

 実際は抱き合ってなどおらず稟が片腕で支えていただけなのだが

、恋に恋する乙女のフィルターは自分にとって事実を都合のいいように改竄していたのだった。

 余韻に浸って頬を染めている静寐に苦笑いを溢した稟は、軽く咳払いをして、

「まぁ、見ていた感じ操縦にはこれといった問題はなかったな。ただ気になったのは、無理に動かそうとしているように感じた事位か」

「? 動かそうとしてるも何も、動かさないと意味なくない?」

「あぁ、いや。そういう意味じゃなくてだな」

 静寐の当然のその言葉に稟はうーんと唸りながら、

「何て言うか、彼女達(IS)はパワードスーツなんだがただのパワードスーツじゃなくてだな。彼女達は自分の身体の延長線上っていう認識とは思うんだが、自分の身体そのものと思ってほしいんだ」

「自分の身体そのもの?」

 どう言えば相手に分かりやすいかを考えながらの稟の言葉に小首を傾げる静寐。それは彼女に限らず他の者も一緒だった。唯一の例外は、アメリカの代表候補生であるティナ・ハルミントンだけであった。彼女は興味深そうに稟を見ていた。

「ああ。自分の身体を動かす時、一々こう動かすとか考えずに無意識に動かしてるだろ? 彼女達も同じなんだ。身体の延長線上であってそうじゃない。自分自身の身体そのものだ。ISに身を委ねるよう意識して、いや、変に意識せず自然体でもう一度動かしてくれ」

(ISは、自分の身体そのもの……)

 静寐は稟の言葉を胸中で反芻しながら、自身が纏うISに意識を向ける。

 身体そのものと言われても納得よりも戸惑いが先に立つ。ISはただのパワードスーツで、身体の延長線上という考え方も正直違和感が拭えない。

 しかし代表候補生でもなく男性で、静寐達一般生徒にとっては雲の上の存在でもある代表候補生と互角以上に戦闘を繰り広げた稟がそう言っているのだ。物は試しに、彼の言う通りにしてみるのもいいだろうと彼女は考える事にした。

 稟から再び距離を取る静寐。周囲の少女達の視線が少々痛いが、稟と身体が密着したという優越感が視線の痛さよりも優っているので何ともない。

 取り敢えず一度深呼吸をし、再度ISを動かす。稟の言葉を意識して、自分の身体を動かす感覚で。ISに身を委ねるように。

 するとどうだ。今まではどこか違和感があったISの操縦の違和感が僅かに減ったような気がした。今までの違和感が嘘のように、挙動のぎこちなさが少なくなったように感じた。先程は失敗した動作もスムーズに行えた。

「わ、わ! 凄い、凄いよ! 土見くんの言った通りにやったらスムーズに動かせたよ!」

 実感があったからだろう。静寐の言葉は若干興奮気味であった。

 今までよりも機体をスムーズに動かせた事が嬉しかったのだろう。嬉しそうにその場で飛び跳ねている。しかし、それが不味かったのだろう。

「…………あ」

 着地する時に脚を滑らせてその身を傾かせる。

 再び訪れた一瞬の浮遊感。先程と同じ展開をした自身に内心で呆れる静寐。嬉しかったのは事実なのだが、何故同じ失敗をしてしまうのかと。

「まぁ、嬉しい気持ちは分らなくもないが少しは落ち着いた方がいいんじゃないか?」

 誰か――当然稟であるのだが――に受け止められる感触と同時、苦笑混じりの言葉が静寐の耳に届く。

「……ごめん」

 先程と同じ醜態を見せた事と、また稟と触れ合った二つの事象に顔を朱に染めて返す静寐。今度は彼からさっと身を引いて顔を俯かせる。周囲の視線がさっきよりも険しくなっていた為に顔を上げるに上げれない。

「上手くいったからって気を抜いていると、今みたいな事が起こるからしっかりと気を付けるように」

 追撃するかのような稟の忠言が痛いが、こればかりは自分が悪いので何も言えない。

「さて、鷹月さんの次だが……」

 稟がそこまで言った時だ。

 突如として大きな黄色い声がグラウンド上に響き渡る。何事かと稟達が声のした方へと向けば、そこには一夏と、一夏にお姫様抱っこされている岸里という生徒が。更にそこから別の場所に視線をずらせば、シャルルも同じように女子生徒をお姫様抱っこしていた。

(成程。さっきの叫び声はそういう事か。二人も大変だな。さて、こっちはこっちで……と?)

 稟が内心でそんな事を呟いていたら、何やら強烈な視線を複数感じた。恐る恐る彼がその方向へと振り向けば、瞳を輝かせている少女達が。そして。

「おっと~。私ってばうっかりISを立たせたまま解除しちゃった~」

 物凄い棒読みで、言葉の通りにISを解除した静寐の姿があった。という事はつまり。稟も一夏とシャルルと同じ事をしなければならない訳で。

 何人かの少女が静寐によくやったとサムズアップを交わしているのを見て顔を引き攣らせる稟。恋に恋する乙女の行動力というものは、時として大胆になって男を振り回す。

 逃げ道がない稟には一夏とシャルルと同じ道を辿るしかなかった。いくつかの突き刺さる様な視線が痛いが、彼には諦めの表情を浮かべて少女達の期待に応える事しか道は残されていない。これは後が大変だと内心で呟き、授業を進めていくのだった。

 そうしていくつもの視線と、自身が纏っている『疾風』の小言に耐え続けて授業を進める事数十分。漸く終わりが見えた。

「次で、終わりか……?」

 若干憔悴したかの様な顔で稟はそう呟く。その呟きが聞こえた少女達は頷く事で稟に答える。

「……そうか」

 

 

――『王様』ったらデレデレしすぎだよ! ボクというものがありながら他の女の子達に色目を使ってさ! 『王様』はもっとボク達を仕えさせる者としての自覚を持ってだね!

 

 

 しかし安堵の息を吐いたのも束の間。『疾風』の甲高い声が稟の脳裏に響き渡る。

 思わず眉を顰めそうになるがそれを何とか堪えて『疾風』へと意識を向ければ、頬を膨らませ上目遣いで稟を睨む彼女の姿があった。

 彼女を放っておけば後が面倒臭い事になるのだが、今は授業中である為に彼女を宥めるのは難しい。稟は逡巡した後。

 

 

(『疾風』。後で何か言う事を聞いてあげるから、授業中だけは大人しくしていてくれないか?)

 

 

 と、そう言ってしまった。

 稟のその言葉を聞いた『疾風』はピタリと動きを止める。そして上目遣いのまま。

 

 

――本当に? 本当に、後で何か言う事を聞いてくれるの?

 

 

(あ、ああ)

 

 

 どこか期待するかのように、頬を朱に染めて恥ずかしそうにしながらも訊いてくる『疾風』に、稟は対応を間違ってしまったのかと戸惑いながらも頷く。

 

 

――ふ、ふふふ。そっか~。うん。それなら大人しくしておくね♪

 

 

 稟の返答に満足したのか、先程までの態度を急変させる『疾風』。花が咲いたような笑顔を浮かべて静かになる『疾風』に嫌な予感がする稟だが、午前の授業ももうすぐで終わるのでそちらを優先させる。

「で、最後の人は……」

「私だよ~」

 稟の問い掛けに答えたのは、いつも通りののほほんとした笑みを浮かべた本音だった。

 稟はそれに頷き本音に近付く。

 そして彼女の前まで来ると、

「失礼するぞ本音」

 声をかけてすぐに、他の少女達と同じくお姫様抱っこをする。

「お~」

 抱かれた本音は相変わらずのほほんとした調子を崩さないが、よく見てみれば彼女の頬が若干朱に染まっている。いつも稟に引っ付いているような彼女ではあるが、さしもの彼女でもこれお姫様抱っこには恥ずかしさを感じるようだ。

(お~。つっちーって、見た目のわりに意外と逞しいんだ。傍で見ていて鍛えられてる身体なのは知ってたけど、こうして触れていると…………あ)

 抱かれながら稟の身体を観察していた本音だが、そこである事に気付いてしまった。彼の首元から見える傷痕に。

 いや、彼の身体に傷があるのは知っていた。彼とは同室なのだ。いかに稟が傷を隠そうとしようとも、隠しきれるものではない。

 だが、この傷痕は予想以上のものであった。ISスーツに覆われずに露出している肌。そこに刻まれている傷痕は、悪意や害意、敵意や殺意といった負の感情によって付けられた事が垣間見れる程に酷いものであった。それは決して真新しいモノではなく古いモノ。どれぐらい前のモノかは分からないが、明らかに古いモノである事は分かる。その傷痕は癒える事のない、呪いのようなモノ。

 それを目の前で見た本音の顔が悲し気に歪む。稟が時折見せる悲し気な顔は、この傷痕が原因であるのだろう。

 本音達と変わらない年齢である筈の稟。彼の過去は、どれ程酷いものであったのだろうか。

「本音?」

 彼女の表情の変化に気付いたのか、稟が声をかける。その表情と声音は心配そうなもので。

「え? ど、どうしたのつっちー?」

「いや、悲しそうな顔をしていたからな」

「そ、そうかな~? いつも通りだよ? あ、あははは~」

 そう言って笑って誤魔化そうとする本音。その表情は、明らかに無理をして作られている。稟はそんな彼女の顔をじっと見つめるが、

「…………そうか。俺の勘違いなら、いい」

 特に何かを言うでもなく、本音を『打鉄』のコックピットへと運んだ。

 

 

「時間がギリギリになってしまったが、午前の実習はここまでとする。午後からは実戦訓練と、実習に使った訓練機の整備を行う。集合場所はこのグラウンドだ。各員、時間に遅れる事がないよう班ごとに集合するように。また、専用機持ちは自機と訓練機を見るように。いいな?」

『はい!』

「よし、解散!」

 起動テストと基本動作を終えた稟達は、一度格納庫にISを移してから再びグラウンドに集合し、千冬の号令の元解散した。

 時間が限られている上に遅れては悲惨な目にあう事は明白である為、それぞれ早足で教室へと戻って行く。

「あ~、疲れた疲れた。おーい稟、シャルル。さっさと着替えて飯食いに行こうぜ。俺達はまたアリーナで着替えないといけないしよ」

 二人一緒にいた稟とシャルルに近付きながら声をかける一夏。二人はその声に反応して一夏へと振り向く。

「時間に遅れたらどんな目にあうか分からないからな」

 千冬が聞いていたらタダでは済まないであろう事を言いながら近くに来た一夏。そんな彼に呆れた視線を向ける稟。シャルルは一夏と稟を交互に見やり、

「えっと……僕はその、ちょっと機体の微調整をしてから行くから、先に着替えててよ。少し時間がかかるだろうから、待っていてくれなくてもいいからさ」

「? 少しぐらいなら待ってても問題ないぞ? 待つのには慣れてるからな」

「い、いいからいいから! 一夏が問題なくても僕が気にするから! だから先に教室に戻ってて!」

「でもな~」

 中々引いてくれない一夏に困ったシャルルは、助けを求めるかのように視線を送る。その視線の意図を察した稟は頷き、

「一夏、彼もこう言ってる事だから俺達は先に着替えて教室に戻っていよう。同じ立場の仲間が出来た事が嬉しいのは分るが、シャルルにも都合があるんだ。無理強いはやめとけ」

「む……」

 助け舟を出す。

 呆れ顔の稟の言葉に、続けようとしていた言葉を中断する一夏。彼は自分を見つめる稟とシャルルを見て、

「悪い、シャルル」

 謝罪の言葉を口にする。

 稟に続いてシャルルという、同じ立場の仲間が増えた事に喜んでいたのは事実。その嬉しいという気持ちが先行しすぎてシャルルの都合を全く考えていなかった。稟の諌めの言葉でその事に気付いた一夏は反省する。

「ううん。分ってくれたならいいよ」

 稟の助け舟が功を制した事に安堵の息を漏らすシャルル。シャルルは一夏に気付かれないよう稟に視線で感謝し、稟はそれに頷く事で答える。

「飯は一緒に食おうぜ。それぐらいなら大丈夫だろ?」

「うん。大丈夫だよ」

「うし。じゃあ、俺等は先に戻るな。急ごうぜ稟!」

 そう言って、一夏は急いで更衣室となっているアリーナへと走っていく。

 そんな彼を呆れ顔で見送る稟と、苦笑を溢すシャルル。二人は互いに向かい合い、

「ありがとうございました」

「別にお礼を言われるような事はしてないぞ?」

「僕が、私が言いたかったから言わさせてもらいました」

「…………そうか」

 暫く無言で見つめ合う二人。やがて稟が先に視線を外し、

「先に教室に戻ってる。あまり遅くならないようにな」

「……はい」

 一夏を追って走り去っていき、シャルルはその背中をじっと見つめ続いた。



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